杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

2012年01月

晚行口號  杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 199

晚行口號  杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 199
杜甫は鳳翔からごしゅう鄜州まで約200キロの道を、閏八月の初めから半月ばかりかかって、馬は与えられなかったために、途中で馬を借りるまでは徒歩で、何人かの下僕を供にして麟遊県―邠州-宜君県-鄜州という経路で帰っていった。


杜甫詩、杜甫の人生を語る重要な作品。

このときの旅で作られたのが旅の全体詩が「北征」の詩である。北征の詩の前に上の表で示した『晚行口號』、『徒步歸行』、『九成宮』、『玉華宮』、『行次昭陵』(行くゆく昭陵に次る)と見ていくことにする。 


鄜州へ赴く途中で、日ぐれにあるきながら口ずさんだ詩。

晚行口號
鄜州へ赴く途中で、日ぐれにあるきながら口ずさんだ詩。
三川不可到,歸路晚山稠。
出発して間もないので三川というにはなかなかゆきつけるものではないが、家路を急ぐものであっても、夕暮れの山々が多く聳えているのが目に入る。 
落雁浮寒水,饑鳥集戍樓。
聳えた山を見下ろすかのように飛ぶ雁が降りてきた、そして、寒そうな水に浮いている、一方、餓えて食をあさる烏は兵卒の番をしている高楼閣のうえに集まって群れを成している。
市朝今日異,喪亂幾時休?
今日においては国都長安の朝廷、王宮、東西の市、各坊のさまも以前とは全く変わってしまった。このような無政府状態の兵乱の止むことがいつになったらできることであろう。
遠愧梁江總,還家尚黑頭。

遠い昔の人と比べると同じ家へ戻るとはいうものの、梁の江総がまだ黒い頭をしながら家へ還ったのに対して、わたしは年老いてしまったとはいえこの白髪頭で帰るというのはちょっと恥いいものである。
 
(晩行口号)
三川には到る可らず 帰路 晩山稠し
落雁 寒水に浮び  饑鳥 戍樓に集まる
市朝 今日異なり  喪乱 幾時か休せん
遠く娩ず梁の江総が 家に還りしとき尚黒頭なりしに

杜甫乱前後の図003鳳翔



現代語訳と訳註
(本文) 晚行口號

三川不可到,歸路晚山稠。
落雁浮寒水,饑鳥集戍樓。
市朝今日異,喪亂幾時休?
遠愧梁江總,還家尚黑頭。


(下し文)
三川には到る可らず、帰路 晩山稠(おお)し。
落雁 寒水に浮び、饑鳥(きう)戍樓(じゅうろう)に集まる。
市朝(しちょう)今日(こんにち)異(こと)なり、喪乱 幾時か休せん。
遠く娩(は)ず梁(りょう)の江総(こうそう)が、家に還りしとき尚黒頭なりしに。


(現代語訳)
鄜州へ赴く途中で、日ぐれにあるきながら口ずさんだ詩。
出発して間もないので三川というにはなかなかゆきつけるものではないが、家路を急ぐものであっても、夕暮れの山々が多く聳えているのが目に入る。 
聳えた山を見下ろすかのように飛ぶ雁が降りてきた、そして、寒そうな水に浮いている、一方、餓えて食をあさる烏は兵卒の番をしている高楼閣のうえに集まって群れを成している。
今日においては国都長安の朝廷、王宮、東西の市、各坊のさまも以前とは全く変わってしまった。このような無政府状態の兵乱の止むことがいつになったらできることであろう。
遠い昔の人と比べると同じ家へ戻るとはいうものの、梁の江総がまだ黒い頭をしながら家へ還ったのに対して、わたしは年老いてしまったとはいえこの白髪頭で帰るというのはちょっと恥いいものである。

(訳注)
 晚行口號

鄜州へ赴く途中で、日ぐれにあるきながら口ずさんだ詩。


三川不可到、歸路晚山稠。
三川には到る可らず、帰路 晩山稠(おお)し。
出発して間もないので三川というにはなかなかゆきつけるものではないが、家路を急ぐものであっても、夕暮れの山々が多く聳えているのが目に入る。 
三川 鄜州。○不可到 到るのが得られないの意味、徒歩あるきにて道のはかどらないといういみにもとれるが、ここでは、出発し気間もない時期であるから、当面の目標地にも届いていないことを踏まえて、下句以降の風景を導くための挿入語である。杜甫の常套の進め方である。
帰路 家をさしてゆく路であるから帰路という。 ・晩山 夕ぐれの山。


落雁浮寒水、饑鳥集戍樓。
落雁 寒水に浮び、饑鳥(きう)戍樓(じゅうろう)に集まる。
聳えた山を見下ろすかのように飛ぶ雁が降りてきた、そして、寒そうな水に浮いている、一方、餓えて食をあさる烏は兵卒の番をしている高楼閣のうえに集まって群れを成している。
・落雁 空より下った雁。 ・戍楼 兵卒の番をしている高楼閣。


市朝今日異、喪亂幾時休。
市朝(しちょう)今日(こんにち)異(こと)なり、喪乱 幾時か休せん。
今日においては国都長安の朝廷、王宮、東西の市、各坊のさまも以前とは全く変わってしまった。このような無政府状態の兵乱の止むことがいつになったらできることであろう。
・市朝 長安城、洛陽城とも官吏の会する朝廷の所在と、商売賈の会する市を東と西を区別、王宮と行政府と分け、それぞれ違う位置に設け、住まいも坊で区切った。これは国都の正常なさまをいう。・異 安史軍によって占拠された都の様相が、従前とさまが変わりしていること。 ・喪亂 多くの人が亡くなり、世が乱れること。無政府状態をいうこともある。・幾時 何時。 ・休 止むこと。


遠愧梁江總、還家尚黑頭。
遠く娩(は)ず梁(りょう)の江総(こうそう)が、家に還りしとき尚黒頭なりしに。
遠い昔の人と比べると同じ家へ戻るとはいうものの、梁の江総がまだ黒い頭をしながら家へ還ったのに対して、わたしは年老いてしまったとはいえこの白髪頭で帰るというのはちょっと恥いいものである。 
遠塊 遠は時間のうえについていう。   ・梁江総 陳の後主の〈狎客〉だった人。梁の太清三年に台城が陥ったとき、総は年三十一であったが、これより外に流離すること十四、五年、陳の天嘉四年に至ってはじめて朝に還った。総年四十五。 ・黒頭 頭髪の黒いこと。 梁江総の謂わゆる「家に還まて 尚 黒頭」であるという。此の詩は至徳二載の作、杜甫は四十六歳であるが、白髪が多く、二十首も自分の白髪を詩に読んでいる。その制作時期により使い方も違っていて面白いので、杜甫の人生の何度目かの「区切り」についてふれる後のブログで取り上げる。ここまでで「白髪」を詠った詩は以下である。
『得家書』(家書を得たり)『送樊二十三侍禦赴漢中判官』

得家書 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 181         

送樊二十三侍禦赴漢中判官  #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 173



『送從弟亞赴河西判官』1/29

『月』「月」 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 186



○ 詩型 五言律詩
○ 押韻 到,稠。樓。休。頭。


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ID詩題摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言古詩)
970晚行口號 鄜州へ赴く途中で、日ぐれにあるきながら口ずさんだ詩。
971徒步歸行 鄜州へ赴く出発の詩
972九成宮  鄜州へ赴く途中、九成宮のほとりを経過して作った詩である。
973玉華宮  鄜州へ赴く途次其の地をすぎて作る。
974行次昭陵鄜州へ帰る途すがら昭陵のほとりにやどって作る。
975北征五言百四十句の長篇古詩。 至徳二載六月一日、鄜州に帰ることを許された。作者が此の旅行をした所以である。製作時は至徳二載九月頃か。八月初めに鳳翔より出発して鄜州に到著して以後に作ったもの。

977
978
979

羌村三首・黄土高原の雄大な夕景色。夕刻に到着。
・家族全員無事、秋の装い、豊作であった。
・村の長老たちと帰還の祝い。
981重經昭陵帰り道、第二回に昭陵の地を経過したとき作る。

ID

詩題

摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言律詩)

980收京三首王朝軍の手に長安を奪回したことを聞きつけてにつけて作る。製作時は至徳二載十月末~十一月初めの作。
粛宗に徹底して嫌われ、居場所がなく、家族を向かえに山中の道を行く。疎外された朝廷を後にするがすさまじい孤独感が詩全体にあふれる。
朝廷におけるいきさつについては下のブログ参照。

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述懐 #3 杜甫 杜甫特集700- 180

送楊六判官使西蕃 #2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 198

送楊六判官使西蕃 #2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 198


送楊六判官使西蕃
楊某が判官として吐蕃国に使いにゆくのを送る。製作時は至徳二載の秋。なお長安をとりかえさなかった時。
2回分割の2回目。

○ 757年9月,ウ イグルの磨 延畷可汗は太子 の葉護 を筆頭に,将 軍の帝徳らに4000余 騎(旧 唐書 ・安禄山伝では3000騎)を率いさせて唐に派遣.粛宗は喜び,宴会を催し,元帥の広平王・淑(後の代宗)に命じて葉護と兄弟の契りを結ばせる.


○  蕃漢15万にふくれあがった唐軍は,広平王・淑 を総帥とし,鳳翔を出発.扶風でウイグル軍を出迎えた郭子儀は,3日 間の大宴会で接待.以 後,ウイグル軍には食料として毎日,羊200匹,牛20頭,米40石 が支給さる.


送楊六判官使西蕃
送遠秋風落,西徵海氣寒。帝京氛浸滿,人世別離難。」
絕域遙懷怒,和親願結歡。敕書憐贊普,兵甲望長安。
宣命前程急,惟良待士寬。子雲清自守,今日起為官。』-#1
垂淚方投筆,傷時即據鞍。
あなたは西方に使者に立つ故事にならって、涙をながし、筆を投じてたちあがり、国制が乱れた時すぐさま馬鞍につかまっていったのだ。
儒衣山鳥怪,漢節野童看。
あなたの儒衣のすがたから発する気は山の鳥も不思議がるであろう。あなたの一行の使者の旗印をば野らで遊ぶ子どもたちは目を見張っていることだろう。
邊酒排金盞,夷歌捧玉盤。
目指したところへ着いたら、辺境の地酒で金のお椀型の盃でむかえられた、西方の異民族のうたをうたってくれ、玉盤のお皿満載の御馳走をささげだしてくれる。
草肥蕃馬健,雪重拂廬乾。」
草原は肥沃で昔から大宛名国の名馬として彼の地の馬は健に育っている、雪は幾重にもかさなっている、集合住まいの大テントは乾燥している。』
慎爾參籌畫,從茲正羽翰。
あなたは慎重にこのたびの使者としてのはかりごとに参画した、今から鳥が羽翼、大羽を整えただしくするように役目をはたすことなのだ。
歸來權可取,九萬一朝摶。』-
#2
そうすれば帰ってきたときは権勢の地位を取るようになる、それは九万里の大空も一朝にして羽うってのぼることができるのだ。

(楊六判官が 西蕃に使するを送る)#1
遠きを送れば秋風落つ 西征海気寒し
帝京気頑満つ 人世別離難し』
絶域迄に怒を懐く 和親して歓を結ぽんことを願う
勅書賛普が 兵甲長安を望むことを憐む
宣命前程急に 惟良士を待つ寛なり
子雲清く自ら守る 今日起って官と為る』
#2
涙を垂れて万に筆を投ず 時を傷みて即ち鞍に拠る
儒衣山鳥怪み 漢節野童看る
辺酒金怨を排し 夷歌玉盤を捧ぐ
草肥えて蕃馬健に 雪重くして払渡乾く』
慎みて爾書画に参し 玄従り羽翰を正しくせよ
帰り来らば権取る可し 九万一朝にして摶たん』

kairo10682


現代語訳と訳註
(本文) -#2

垂淚方投筆,傷時即據鞍。儒衣山鳥怪,漢節野童看。
邊酒排金盞,夷歌捧玉盤。草肥蕃馬健,雪重拂廬乾。」
慎爾參籌畫,從茲正羽翰。歸來權可取,九萬一朝摶。』


(下し文)
涙を垂れて万に筆を投ず 時を傷みて即ち鞍に拠る
儒衣山鳥怪み 漢節野童看る
辺酒金怨を排し 夷歌玉盤を捧ぐ
草肥えて蕃馬健に 雪重くして払渡乾く』
慎みて爾書画に参し 茲れ從り羽翰を正しくせよ
帰り来らば権取る可し 九万一朝にして摶たん』


(現代語訳)
あなたは西方に使者に立つ故事にならって、涙をながし、筆を投じてたちあがり、国制が乱れた時すぐさま馬鞍につかまっていったのだ。
あなたの儒衣のすがたから発する気は山の鳥も不思議がるであろう。あなたの一行の使者の旗印をば野らで遊ぶ子どもたちは目を見張っていることだろう。
目指したところへ着いたら、辺境の地酒で金のお椀型の盃でむかえられた、西方の異民族のうたをうたってくれ、玉盤のお皿満載の御馳走をささげだしてくれる。
草原は肥沃で昔から大宛名国の名馬として彼の地の馬は健に育っている、雪は幾重にもかさなっている、集合住まいの大テントは乾燥している。』
あなたは慎重にこのたびの使者としてのはかりごとに参画した、今から鳥が羽翼、大羽を整えただしくするように役目をはたすことなのだ。
そうすれば帰ってきたときは権勢の地位を取るようになる、それは九万里の大空も一朝にして羽うってのぼることができるのだ。


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(訳注)
垂淚投筆傷時據鞍

あなたは西方に使者に立つ故事にならって、涙をながし、筆を投じてたちあがり、国制が乱れた時すぐさま馬鞍につかまっていったのだ。
垂涙、投筆、傷時、拠鞍 楊がする動作であるる。投筆は後漢の班超の故事、班超32年 - 102年後漢の軍人。班固の弟。西域(現在の新疆ウイグル自治区あたり)に匈奴を追って後漢の勢力を広げ、その後は西域都護として長く西域を保持した。『後漢書』では「燕頷虎鬚」と描写される。拠鞍は後漢の馬援の故事で援が五渓の蛮を討つことを請うでたとき鞍に拠ったとする。


儒衣山鳥怪,漢節野童看。
あなたの儒衣のすがたから発する気は山の鳥も不思議がるであろう。あなたの一行の使者の旗印をば野らで遊ぶ子どもたちは目を見張っていることだろう。
儒衣 楊がきている儒者の衣服。○怪 みなれぬもの故あやしむ。不思議がる。○漢節 蘇武が匈奴に使いしたとき漢節を所持した。漢の使者のはたじるし、ここは唐の使者のはたじるしをいう。○野童 田や野原であそんでいるこども等。


邊酒排金盞,夷歌捧玉盤。
目指したところへ着いたら、辺境の地酒で金のお椀型の盃でむかえられた、西方の異民族のうたをうたってくれ、玉盤のお皿満載の御馳走をささげだしてくれる。
辺酒 辺地のさけ。○ ならべる。○金盞 黄金でかざったお椀型の盃。○夷歌 えびすのうた。○ 楊等にむかってささげる。○玉盤 玉でつくった大平鉢、肴僕をもるもの。


草肥蕃馬健,雪重拂廬乾。」
草原は肥沃で昔から大宛名国の名馬として彼の地の馬は健に育っている、雪は幾重にもかさなっている、集合住まいの大テントは乾燥している。』
○蕃馬 吐蕃の馬○大宛名 大宛は漠代に西域地方に在った国の名。漢の武帝は大宛より天馬を得たことがある。名とは名を負っている駿馬であるとの意。大宛(フェルガーナ)種の駿馬。

房兵曹胡馬詩 杜甫 9 (青春期の詩)
 天育驃騎歌 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 85○雪重 重とは厚くつもることをいう。○払廬 トルフアン集落住民が住んでいるテント○ 寒気はつよいが湿気のないことをいう。

慎爾參籌畫,從茲正羽翰。
あなたは慎重にこのたびの使者としてのはかりごとに参画した、今から鳥が羽翼、大羽を整えただしくするように役目をはたすことなのだ。
 慎重にする。○ 楊のこと。○ 参加する、参預する。○籌画 計画すること。計略。○從茲 これより、今よりの意。○正羽翰 使命をりっぱにはたすことをいう。鳥が羽翼、大羽を整えただしくすることから。

歸來權可取,九萬一朝摶。』-#2
そうすれば帰ってきたときは権勢の地位を取るようになる、それは九万里の大空も一朝にして羽うってのぼることができるのだ。
帰来 役目をはたして帰ってくる。唐の方へもどる。○権可取 「権二取ル可シ」、「取ル可キヲ権ル、権取ル可シ」の諸説があるが、予は最後の解をとる。棒上は権勢の位をいう。取は己に取得すること。〇九万打 九万里にはねうつこと。「荘子」造造遊簾に鵬を説いて、「扶揺(髄、ふきまくかぜ)ヲ樽チテ上ル者、九万里。」とみえる。〇一朝 にわかにして。
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李 白 詩
唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
杜 甫 詩
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李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

送楊六判官使西蕃 #1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 197

送楊六判官使西蕃 #1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 197


楊某が判官として吐蕃国に使いにゆくのを送る。製作時は至徳二載の秋。なお長安をとりかえさなかった時。
2回分割の1回目。

これまで
・756年011~12月[通 鑑 によれ ば7~12月],安史勢力側 の阿史那従礼 が突廠・同羅 ・僕骨軍5000騎 を率い,河曲にあった九(姓?)府・六胡州の勢力数万も合わせて,行在=霊武 を襲わんとした。

・756年12月郭子儀は,磨延啜自身が率いて南下してきたウィグル本軍を陰山と黄河の間にある呼延谷で迎え,これと合流、

・一方これ以前 に葛遷支率いる ウイグル別働 隊2000騎 がまず范陽を攻撃したが,成功せずにそこから太原方面に移動.

・郭子儀軍はこれ らのウイグル本軍並びに別働隊と協力して,阿史那従礼軍を斥け,河曲(黄河の大湾曲部内側の北半部,す なわちオルドスを中心に,そ の外側の陰山山脈以南を合わせた一帯;現在の内蒙古自治区の一部とちんにし陝西省~寧夏回族自治区の北辺)を 平定した.

●757年至徳二 年元 旦,安禄山は洛陽で実子の安慶緒,並びに腹心の部下によって暗殺さる.

○757年安禄山の盟友で,洛陽政権樹立の最:大の功労者であった史思明は,いちはやく分離独立の方針を決め,莫大な軍資金を蓄積してある范陽に帰還.

○  757年同年2月,粛宗は鳳翔に進出.前年末からこれまでに,コータン・安西・北庭・抜汗那・大食からの援軍が集結.同 月,ウイグル首領の大将軍・多攬15人 が入朝.

○ 757年9月,ウ イグルの磨 延畷可汗は太子 の葉護 を筆頭に,将 軍の帝徳らに4000余 騎(旧 唐書 ・安禄山伝では3000騎)を率いさせて唐に派遣.粛宗は喜び,宴会を催し,元帥の広平王・淑(後の代宗)に命じて葉護と兄弟の契りを結ばせる.

○  蕃漢15万にふくれあがった唐軍は,広平王・淑 を総帥とし,鳳翔を出発.扶風で ウイグル軍を出迎 えた郭子儀は,3日 間の大宴会で接待.以 後,ウイグル軍には食料として毎日,羊200匹,牛20頭,米40石 が支給さる.

○ 757年9月17日,長安攻撃開始.朔方左廟兵馬使・僕固懐恩 とウイグル軍が連携して活躍.安慶緒側の守備軍は約6万の損失を蒙って潰走.唐軍,長安を回復す.

○ 757年10月,反乱軍は唐側の郭子儀軍やウイグル軍により滝関・陳郡を次々に落とされ,安 慶緒は洛陽を脱出して河北の鄭に走る.唐側は遂に洛陽を奪回.

○ 757年11月,長 安で粛宗と葉護が会見.粛宗は葉護を労い,司空の位を与え,忠義王に封じ,錦繍繰や金銀器皿を賜す,さらに毎年,絹2万匹を朔方軍にて支給する事を約す.

送楊六判官使西蕃
楊六判官使、西蕃に送る
送遠秋風落,西徵海氣寒。
あなたがウイグルという遠くへ行かれるのを見送る今、秋風が木の葉をゆり落す時となった、西方へと行かれるならば青海の寒気団でこごえそうになる季節になる。
帝京氛浸滿,人世別離難。」
都では安史軍、侵略者のもたらす悪い妖気、兵乱の悪気に満ち溢れている、この時、こんなの世情のなかでお別れをすることはつらくて別れづらいことだ。」
絕域遙懷怒,和親願結歡。
我が唐とはかけはなれた土地でありながら吐蕃は安史軍の叛乱を起した事について、はるかな地で憤怒の念をいだいていたのだ、それが我が唐と和親し、我と歓心を結んでくれるというのだ。
敕書憐贊普,兵甲望長安。
それで我が君も勅書を以て贊普が援助にでかけようとしている心根をお憐みになった。そして連合して、兵甲のいくさの用意をして長安を望むことになったのだ。
宣命前程急,惟良待士寬。
我が君の御命令を先方へ宜べつたえる正使の役目は前程として取り急ぎ長安を奪回することである、その地方長官としては、派遣特使を広範囲に守って寛大な方法をとらせた。
子雲清自守,今日起為官。』-
#1
漢の揚子雲は清貧を以て自らを守っていた。あなたもその清貧でもって今日は抜擢されて使者、官員となることとなった。』

垂淚方投筆,傷時即據鞍。儒衣山鳥怪,漢節野童看。
邊酒排金盞,夷歌捧玉盤。草肥蕃馬健,雪重拂廬乾。」
慎爾參籌畫,從茲正羽翰。歸來權可取,九萬一朝摶。』-#2


(楊六判官が 西蕃に使するを送る)#1
遠きを送れば秋風落つ 西征海気寒し
帝京気頑満つ 人世別離難し』
絶域迄に怒を懐く 和親して歓を結ぽんことを願う
勅書賛普が 兵甲長安を望むことを憐む
宣命前程急に 惟良士を待つ寛なり
子雲清く自ら守る 今日起って官と為る』

#2
涙を垂れて万に筆を投ず 時を傷みて即ち鞍に拠る
儒衣山鳥怪み 漢節野童看る
辺酒金怨を排し 夷歌玉盤を捧ぐ
草肥えて蕃馬健に 雪重くして払渡乾く』
慎みて爾書画に参し 玄従り羽翰を正しくせよ
帰り来らば権取る可し 九万一朝にして摶たん』
安史期のアジアssH



現代語訳と訳註
(本文) 送楊六判官使西蕃

送遠秋風落,西徵海氣寒。帝京氛浸滿,人世別離難。」
絕域遙懷怒,和親願結歡。敕書憐贊普,兵甲望長安。
宣命前程急,惟良待士寬。子雲清自守,今日起為官。』-#1


(下し文) (楊六判官が 西蕃に使するを送る)#1
遠きを送れば秋風落つ 西征海気寒し
帝京気頑満つ 人世別離難し』
絶域迄に怒を懐く 和親して歓を結ぽんことを願う
勅書賛普が 兵甲長安を望むことを憐む
宣命前程急に 惟良士を待つ寛なり
子雲清く自ら守る 今日起って官と為る』


(現代語訳)
楊六判官使、西蕃に送る
あなたがウイグルという遠くへ行かれるのを見送る今、秋風が木の葉をゆり落す時となった、西方へと行かれるならば青海の寒気団でこごえそうになる季節になる。
都では安史軍、侵略者のもたらす悪い妖気、兵乱の悪気に満ち溢れている、この時、こんなの世情のなかでお別れをすることはつらくて別れづらいことだ。」
我が唐とはかけはなれた土地でありながら吐蕃は安史軍の叛乱を起した事について、はるかな地で憤怒の念をいだいていたのだ、それが我が唐と和親し、我と歓心を結んでくれるというのだ。
それで我が君も勅書を以て贊普が援助にでかけようとしている心根をお憐みになった。そして連合して、兵甲のいくさの用意をして長安を望むことになったのだ。

banri11

(訳注)
送楊六判官使西蕃

楊六判官使、西蕃に送る
楊六判官 至徳元載に霊武に援軍要請、,河曲(黄河の大湾曲部内側の北半部,す なわちオルドスを中心に,その外側の陰山山脈以南を合わせた一帯;現在の内蒙古自治区の一部を勢力下においたことが唐王朝存続の危機を抜けられた重要な点であった。その後安史軍内部で抗争する間に鳳翔を勢力下におき行在所とした。長安を奪回するためウイグルに使者を送り協力を求めた。そのときのことをしにしたものが、これだ。


送遠秋風落,西徵海氣寒。
あなたがウイグルという遠くへ行かれるのを見送る今、秋風が木の葉をゆり落す時となった、西方へと行かれるならば青海の寒気団でこごえそうになる季節になる。
送遠 楊の遠く行くのを送る。○秋風落 落とは蓋し揺落をいう、木の葉をゆりおとすことをいう。又案ずるに落は高処より吹きおろすことをいうか。○西征 西の方へゆく、吐蕃は唐の酉にある。○海気寒 沙漢、湖水はみな海という、ここは青海をさす。


帝京氛浸滿,人世別離難。」
都では安史軍の侵略者のもたらす悪い妖気、兵乱の悪気に満ち溢れている、この時、こんなの世情のなかでお別れをすることはつらくて別れづらいことだ。」
帝京 長安。○氛浸 安史軍、侵略者のもたらす悪い妖気、兵乱の悪気。・:吉凶をあらわす雲気。夭気。・:侵略者。


絕域遙懷怒,和親願結歡。
我が唐とはかけはなれた土地でありながら吐蕃は安史軍の叛乱を起した事について、はるかな地で憤怒の念をいだいていたのだ、それが我が唐と和親し、我と歓心を結んでくれるというのだ。
絶域 かけはなれた土地。吐蕃をさす。○憤怒 安禄山の叛いたことに対して怒りの念をいだく。○和親 唐となかよくする。○結歓 即ち上の和親と同じ、歓びの心を結びあう。


敕書憐贊普,兵甲望長安。
それで我が君も勅書を以て贊普が援助にでかけようとしている心根をお憐みになった。そして連合して、兵甲のいくさの用意をして長安を望むことになったのだ。
勅書 唐の天子からのおかきつけ。○憐賛普 賛普は吐蕃語、賓とは強雄の義、普とは丈夫の義、その君長たるものをさして賛普という。燐とは唐となかよくしたいとの志をあわれむこと。○兵甲 吐蕃の兵、よろい。○望長安 吐蕃が望むのである。長安をさして唐を助けにゆこうとながめやる。
◎ここまで直訳では、ウイグルが助けさせてくださいと言って、且つ、仲良くもさせてくださいという和親の申し出をしてきたから、連合したのだ。滅亡しかけていても中華思想というのは強がりを言う。なぜなら、弱みを見せて援助を求めたなら、逆に攻め込まれ、壊滅するからである。もともと、中国古来から、軍隊はウイグルの支援を受けて成り立っていた。安禄山も、哥舒翰も西国出身者なのである。漢民族は農耕民族で、戦争において、騎馬民族の戦法に頼らざるを得なかったのだ。


宣命前程急,惟良待士寬。
我が君の御命令を先方へ宜べつたえる正使の役目は前程として取り急ぎ長安を奪回することである、その地方長官としては、派遣特使を広範囲に守って寛大な方法をとらせた。
宣命 天子からの命を吐蕃に対してのべつたえることをいう。漢の宣帝と楊子雲(楊雄)になぞらえている。宣帝は粛宗のこと。○前程急 前途のゆくさき、長安を奪回するということをいそぐ。○惟良待士寛 惟良は地方長官をさす。待士の士は楊をさす、待つとは判官の待遇を与えたことをいう、寛は寛大。目先で動いて、交渉が決裂するということは許されなかった。実際には安史軍からの援軍要請もあったのではなかろうか。ウイグルが安史軍と同盟が成立したなら、唐王朝は滅亡していたから、破格の条件を提示したのであろう。


子雲清自守,今日起為官。』-#1
漢の揚子雲は清貧を以て自らを守っていた。あなたもその清貧でもって今日は抜擢されて使者、官員となることとなった。』
子雲 漢の揚雄の字、借りて楊判官に比喩する。○清自守 清貧を以て己を守る。○起為官 無官の地から起ちあがって判官となる。
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塞蘆子 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 196

塞蘆子 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 196

塞蘆子(蘆子關屬夏州,北去塞門鎮一十八里)
757年 至德二載四月のこと


塞蘆子(蘆子關屬夏州,北去塞門鎮一十八里)
五城何迢迢?迢迢隔河水。邊兵盡東徵,城內空荊杞。
思明割懷衛,秀岩西未已。回略大荒來,崤函蓋虛爾。
延州秦北戶,關防猶可倚。
焉得一萬人,疾驅塞蘆子。岐有薛大夫,旁製山賊起。
近聞昆戎徒,為退三百裡。蘆關扼兩寇,深意實在此。
誰能叫帝閽,胡行速如鬼!
sas0033

#1
  五城何迢迢,迢迢隔河水。
  邊兵盡東征,城内空荆杞。
  思明割懷衛,秀岩西未已。
  回略大荒來,崤函蓋虛爾。
  延州秦北戶,關防猶可倚。」
#2
  焉得一萬人,疾驅塞蘆子。
どうして一万人の兵士を得ることができようか。蘆子の塞より馬で疾走したのだ。
  岐有薛大夫,旁制山贼起。
北の異民族に辺境の国境を守った薛大夫は岐路のどちらを選ぶのか、偽の勅命を手にした山賊が反乱を起した。
  近聞昆戎徒,爲退三百里。
近くで聞いた異民族の兵士が叛乱軍の中に入り混じっている、王朝軍は三百里退却をしたのだ。
  蘆關扼兩寇,深意實在此。
蘆子関は安禄山と異民族の二つの軍に攻め込まれた、王朝軍にとってこの意味は深く実際にあった事なのだ。
  誰能叫帝閽,胡行速如鬼。

だれかどうやって天の皇帝の門を開けと叫ぶのであろうか、胡の軍隊は鬼のように早く行動するのだ。

#1
五城 何んぞ迢迢,迢迢 河水 隔つ。
邊兵 盡々く 東征し,城内 空しく荆杞。
思明 衛を懷し割く,秀岩 未だ已に西す。
回略し 大荒して來る,崤函し 蓋し爾を虛す。
延州 秦北の戶,關防 猶 倚なるべし。
#2
焉んぞ得ん 一萬人,疾驅 蘆子の塞。
岐 有る 薛大夫,旁制す 山贼 起す。
近く 昆戎の徒を聞く,退いて 三百里と爲す。
蘆關 兩寇を扼す,深意 此に在りて實る。
誰 能く 帝閽に叫ぶ,胡行 鬼の如く速し。

黄河二首 杜甫

現代語訳と訳註
(本文)

焉得一萬人,疾驅塞蘆子。岐有薛大夫,旁製山賊起。
近聞昆戎徒,為退三百裡。蘆關扼兩寇,深意實在此。
誰能叫帝閽,胡行速如鬼!


(下し文)
焉んぞ得ん 一萬人,疾驅 蘆子の塞。
岐 有る 薛大夫,旁制す 山贼 起す。
近く 昆戎の徒を聞く,退いて 三百里と爲す。
蘆關 兩寇を扼す,深意 此に在りて實る。
誰 能く 帝閽に叫ぶ,胡行 鬼の如く速し。


(現代語訳)
どうして一万人の兵士を得ることができようか。蘆子の塞より馬で疾走したのだ。
北の異民族に辺境の国境を守った薛大夫は岐路のどちらを選ぶのか、偽の勅命を手にした山賊が反乱を起した。
近くで聞いた異民族の兵士が叛乱軍の中に入り混じっている、王朝軍は三百里退却をしたのだ。
蘆子関は安禄山と異民族の二つの軍に攻め込まれた、王朝軍にとってこの意味は深く実際にあった事なのだ。
だれかどうやって天の皇帝の門を開けと叫ぶのであろうか、胡の軍隊は鬼のように早く行動するのだ。


(訳注)
焉得一萬人,疾驅塞蘆子。
焉んぞ得ん 一萬人,疾驅 蘆子の塞。
叛乱軍に圧倒され、どうして一万人の兵士を得ることができようか。さらに王朝軍の蘆子の塞より馬で疾走したのだ。
疾驅 スル車や馬を速く走らせること。


岐有薛大夫,旁制山贼起。
岐 有る 薛大夫,旁制す 山贼 起す。
北の異民族に辺境の国境を守った薛大夫は岐路のどちらを選ぶのか、偽の勅命を手にした山賊が反乱を起した。
 分かれ道。陝西省の岐山。○薛大夫 初唐の軍人。高麗・契丹・突飛を討ち、大功績をあげた軍人になぞらえて、杜甫とと親交のあった薛複。先祖に持つ。

蘇端薛複筵簡薛華醉歌 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 103

旁制 間違った勅命。


近聞昆戎徒,爲退三百里。
近く 昆戎の徒を聞く,退いて 三百里と爲す。
近くで聞いた異民族の兵士が叛乱軍の中に入り混じっている、王朝軍は三百里退却をしたのだ。


蘆關扼兩寇,深意實在此。
蘆關 兩寇を扼す,深意 此に在りて實る。
蘆子関は安禄山と異民族の二つの軍に攻め込まれた、王朝軍にとってこの意味は深く実際にあった事なのだ。
1 強く押さえる。締めつける。「ランスロットは腕を―・して」〈漱石・薤露行〉2 要所を占める。「二隊の兵を随えて大和橋を―・して」〈鴎外・大塩平八郎〉


誰能叫帝閽,胡行 速如鬼。
誰 能く 帝閽に叫ぶ,胡行 鬼の如く速し。
だれかどうやって天の皇帝の門を開けと叫ぶのであろうか、胡の軍隊は鬼のように早く行動するのだ。
帝閽 天の門。閶闔門
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塞蘆子 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 195

塞蘆子 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 195
塞蘆子(蘆子關屬夏州,北去塞門鎮一十八里)
757年 至德二載四月のこと

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塞蘆子(蘆子關屬夏州,北去塞門鎮一十八里)
五城何迢迢?迢迢隔河水。邊兵盡東徵,城內空荊杞。
思明割懷衛,秀岩西未已。回略大荒來,崤函蓋虛爾。
延州秦北戶,關防猶可倚。
焉得一萬人,疾驅塞蘆子。岐有薛大夫,旁製山賊起。
近聞昆戎徒,為退三百裡。蘆關扼兩寇,深意實在此。
誰能叫帝閽,胡行速如鬼!

#1塞蘆子(蘆子關屬夏州,北去塞門鎮一十八里)
蘆子関の塞(蘆子關は夏州に屬している,蘆子関の司令官は塞から北に18里(約11km)去っていった。)
  五城何迢迢,迢迢隔河水。
天上の五宮殿ははるか遠くにある。行けども行けどもはるかに遠く、そして黄河の水を隔てているのである。
  邊兵盡東征,城内空荆杞。
霊武は辺境の異民族に対する師団が置いてある、この霊武の師団が長安洛陽の叛乱軍を征伐に行くのである。長安、洛陽の城内には誰もいなくなって、いばらや枸杞(くこ)の雑木が生い茂って荒れ果てたのである。
  思明割懷衛,秀岩西未已。
忠思明は天子の宮殿を破壊し、軍を分断したのだ。しかし、西の方に優れて選ばれた、大岩のような存在であり、その地においてまだ終わるものではないのだ。
  回略大荒來,崤函蓋虛爾。
まだ各地を回り攻略して、各地を大荒廃させている、洛寧県の要害の地と函谷関は洛陽と長安の大穴に蓋をする役割をしている。
  延州秦北戶,關防猶可倚。」

延州の地方というのは、都長安の北の戸口である、蘆子関の防衛がなお夷の軍に支配されている。
#2
  焉得一萬人,疾驅塞蘆子。
  岐有薛大夫,旁制山贼起。
  近聞昆戎徒,爲退三百里。
  蘆關扼兩寇,深意實在此。
  誰能叫帝閽,胡行速如鬼。
#1
蘆子の塞(蘆子關 夏州に屬す,北に塞を去る門鎮一十八里)
五城 何んぞ迢迢,迢迢 河水 隔つ。
邊兵 盡々く 東征し,城内 空しく荆杞。
思明 衛を懷し割く,秀岩 未だ已に西す。
回略し 大荒して來る,崤函し 蓋し爾を虛す。
延州 秦北の戶,關防 猶 倚なるべし。

#2
焉んぞ得ん 一萬人,疾驅 塞蘆の子。
岐 有る 薛大夫,旁制す 山贼 起す。
近く 昆戎の徒を聞く,退いて 三百里と爲す。
蘆關 兩寇を扼す,深意 此に在りて實る。
誰 能く 帝閽に叫ぶ,胡行 鬼の如く速し。

黄河二首 杜甫
 

現代語訳と訳註
(本文)

五城何迢迢?迢迢隔河水。邊兵盡東徵,城內空荊杞。
思明割懷衛,秀岩西未已。回略大荒來,崤函蓋虛爾。
延州秦北戶,關防猶可倚。


(下し文) #1
五城 何んぞ迢迢,迢迢 河水 隔つ。
邊兵 盡々く 東征し,城内 空しく荆杞。
思明 衛を懷し割く,秀岩 未だ已に西す。
回略し 大荒して來る,崤函し 蓋し爾を虛す。
延州 秦北の戶,關防 猶 倚なるべし。


(現代語訳)
蘆子関の塞(蘆子關は夏州に屬している,蘆子関の司令官は塞から北に18里(約11km)去っていった。)
天上の五宮殿ははるか遠くにある。行けども行けどもはるかに遠く、そして黄河の水を隔てているのである。
霊武は辺境の異民族に対する師団が置いてある、この霊武の師団が長安洛陽の叛乱軍を征伐に行くのである。長安、洛陽の城内には誰もいなくなって、いばらや枸杞(くこ)の雑木が生い茂って荒れ果てたのである。
忠思明は天子の宮殿を破壊し、軍を分断したのだ。しかし、西の方に優れて選ばれた、大岩のような存在であり、その地においてまだ終わるものではないのだ。
まだ各地を回り攻略して、各地を大荒廃させている、洛寧県の要害の地と函谷関は洛陽と長安の大穴に蓋をする役割をしている。
延州の地方というのは、都長安の北の戸口である、蘆子関の防衛がなお夷の軍に支配されている。

logoba44
 

(訳注)
塞蘆子(蘆子關屬夏州,北去塞門鎮一十八里)
蘆子の塞(蘆子關 夏州に屬す,北に塞を去る門鎮一十八里)
蘆子関の塞(蘆子關は夏州に屬している,蘆子関の司令官は塞から北に18里(約11km)去っていった。)
門鎮 蘆子関の司令官


五城何迢迢,迢迢隔河水。
五城 何んぞ迢迢,迢迢 河水 隔つ。
天上の五宮殿ははるか遠くにある。行けども行けどもはるかに遠く、そして黄河の水を隔てているのである。
五城 十二樓五城 神仙の居所。天上の白玉京に在りといふ城樓。)十二樓臺のことで、自分が思う女性の美しい部屋を謂うか。本来の義は、神話伝説中の仙人の居住場所。崑崙の仙宮・天墉城にある十二の楼台。ここでは、粛宗が霊武に行在所を置いていたので霊武の粛宗を言う。○河水 黄河、涇水をさす。場所、郭子儀軍の様子は、杜甫『黄河二首』に地府、年譜を参照。黄河二首 其一 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 193

邊兵盡東征,城内空荆杞。
邊兵 盡して東を征す,城内 空しく荆杞。
邊兵 盡々く 東征し,城内 空しく荆杞。
霊武は辺境の異民族に対する師団が置いてある、この霊武の師団が長安洛陽の叛乱軍を征伐に行くのである。長安、洛陽の城内には誰もいなくなって、いばらや枸杞(くこ)の雑木が生い茂って荒れ果てたのである。
荆杞 ではいばらや枸杞(くこ)の雑草・雑木が生い茂って荒れ果てたさま。杜甫『兵車行  杜甫37』では、魯、斉の国で栄えた国があったのに唐の時代で荒れ果てて雑草の生い茂る原野になっていることを詠っている。戦争の結末を表現する語として使う。


思明 割懷衛,秀岩 西未已。
思明 衛を懷し割く,秀岩 未だ已に西す。
史思明は天子の宮殿を破壊し、軍を分断したのだ。しかし、西の方に優れて選ばれた、大岩のような存在であり、その地においてまだ終わるものではないのだ。
思明 史(忠)思明(ししめい)は、唐中期の大規模な反乱であった安史の乱の指導者。突厥出身で、安禄山と同郷だったため親しい仲にあった。安慶緒を殺して、大燕皇帝と称す。○ 天子の宮殿。○秀岩 優れて選ばれた、大岩のような存在。○未已 まだ終わらない。



回略大荒來,崤函 蓋虛爾。
回略し 大荒して來る,崤函し 蓋し爾を虛す。
まだ各地を回り攻略して、各地を大荒廃させている、洛寧県の要害の地と函谷関は洛陽と長安の大穴に蓋をする役割をしている。
○回略 廻りまわって攻略し占領する。○崤函 崤は河南省洛寧県の要害の地。函は函谷関。○蓋虛爾 汝の大穴に蓋をする。


延州 秦北戶,關防 猶可倚。
延州 秦北の戶,關防 猶 倚なるべし。
延州の地方というのは、都長安の北の戸口である、蘆子関の防衛がなお夷の軍に支配されている。
延州 延州(えんしゅう)は中国陝西省にかつて設置された州。延州 (広西チワン族自治区)。粛宗のいる霊武。○秦北戶 長安の北の入り口。○關防 蘆子関を防御されている。

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黄河二首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 194

黄河二首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 194


黄河二首 其二
黄河西岸是吾蜀、欲須供給家無粟。
黄河西岸、河曲の内側、オルドス地域をわが党の軍が支配している。このままではいけないのでこの軍に傭兵を増軍したいけれど唐王朝の左右の蔵にはなにもなく俸給できない状態なのだ。
願驅衆庶戴君王、混一車書棄金玉。

願うことは庶民みんなで天子と上皇を押し頂いて隊列を組んで進んでいきたいのだ、車をつかさどる軍人と書の文人も一つにまとまって地位や富貴になることを捨てようではないか。

黄河の西岸是れ吾が蜀、供給を須(もと)めんと欲すれば家に粟無し。
願はくは衆庶を驅り君王を戴いて、車書を混一せしめて金玉を棄てん。


現代語訳と訳註
(本文)
黄河二首 其二
黄河西岸是吾蜀、欲須供給家無粟。
願驅衆庶戴君王、混一車書棄金玉。


(下し文)
黄河の西岸是れ吾が蜀、供給を須(もと)めんと欲すれば家に粟無し。
願はくは衆庶を驅り君王を戴いて、車書を混一せしめて金玉を棄てん。
 
(現代語訳)
黄河西岸、河曲の内側、オルドス地域をわが党の軍が支配している。このままではいけないのでこの軍に傭兵を増軍したいけれど唐王朝の左右の蔵にはなにもなく俸給できない状態なのだ。
願うことは庶民みんなで天子と上皇を押し頂いて隊列を組んで進んでいきたいのだ、車をつかさどる軍人と書の文人も一つにまとまって地位や富貴になることを捨てようではないか。


(訳注)
黄河西岸是吾蜀,欲須供給家無粟。
黄河の西岸是れ吾が蜀、供給を須(もと)めんと欲すれば家に粟無し。)
黄河西岸、河曲の内側、オルドス地域をわが党の軍が支配している。このままではいけないのでこの軍に傭兵を増軍したいけれど唐王朝の左右の蔵にはなにもなく俸給できない状態なのだ。
黄河西岸 河曲(黄河の大湾曲部内側の北半部のオルドスを中心に,その外側の陰山山脈以南を合わせた一帯、現在の内蒙古自治区の一部と鎮にし、陝西省~寧夏回族自治区の北辺)を平定した地域を示す.。杜甫が拘束中の中ではこのことは認識できないはずなので、黄河二首の作時は鳳翔である。○ 玄宗皇帝が蜀であるため、この表現になる。○供給 傭兵を供給すること。安史軍が圧倒してきて、黄河西岸を平定するだけであったので、兵力を増強する必要があった。○家無粟 長安の唐の両蔵が安史軍に抑えられていることと、ウイグルの援軍を得るため、対価が大きかったので、この表現になる。


願驅眾庶戴君王,混一車書棄金玉。
願はくは衆庶を驅り君王を戴いて、車書を混一せしめて金玉を棄てん。)
願うことは庶民みんなで天子と上皇を押し頂いて隊列を組んで進んでいきたいのだ、車をつかさどる軍人と書の文人も一つにまとまって地位や富貴になることを捨てようではないか。
 整列してすすむ。○衆庶 一般の人々。庶民。○混一 一つにまとめること。まぜて一つにすること。 平民も士太夫も一つになること。○金玉 金玉の富貴なものを棄つ。米粟を貴ぶことを示す。


黄河二首 其一
  黄河北岸海西軍,椎鼓鳴鍾天下聞。
  鐵馬長鳴不知數,胡人高鼻動成群。
其二
  黄河西岸是吾蜀,欲須供給家無粟。
  願驅眾庶戴君王,混一車書棄金玉。


 

○ 756年6月,玄 宗 の命令 により、哥舒翰軍は潼関より東に出撃.哥舒翰は敗北して敵の手中に。.
○ 長安では楊国忠の主張により、蜀(四川)への蒙塵を決定.。
○ 756年6月13日 未明、玄宗、皇太子夫妻、楊貴妃 とその一族、楊国忠一家、公主たちが、極秘裏に宮殿を脱出。
.
○ その後,玄宗は蜀へ蒙塵し、玄宗は皇太子に長安を奪回せよと命ず。皇太子は捲土重来を期して霊武へ向かう。霊武は西北辺境の要衝であり、かつ朔方節度使・郭子儀の本拠地.。

○ 756年07月,皇太子は群臣の懇望を受けて、蜀にある玄宗を上皇にまつりあげ、粛宗として霊武で即位.至徳と改元。援軍を得るためには皇太子が皇帝にならなければ要請できない。

○ 756年09月,粛宗はウイグルに援軍を求めるために使者を。漠北のモンゴリアに派遣使者となったのは,王族の一人(敦 煙郡王承粟)とトルコ系武将の僕固懐恩とソグド系 武将の石定番.


★756年8~9月 杜甫蘆子関付近で捕縛される


○ ・756年10月にオルホン河畔のオルドバリクで会見.ウイグルの第2代 可汗・磨延畷(葛 勒可汗)は喜んで、可敦(カトン;可汗の正妻)の妹を妾(めあわ)自分の娘とした上で、これを承粟に嬰す。さらにウイグルの首領を答礼の使者として派遣してきたので、粛宗はこれを彭原に出迎え、ウ イグル王女を砒伽公主 に封じた.。

○ 756年7~12月[通鑑 による],安史勢力側の阿史那従礼が突廠・同羅・僕骨軍5000騎を率い,河曲にあった九府・六胡州の勢力数万も合わせて、行在=霊武を襲わんとした。

○ 756年9~12月郭子儀は,磨延啜自身が率いて南下してきたウィグル本軍を陰山と黄河の間にある呼延谷で迎え,これと合流、
・一方これ以前 に葛遷支率いる ウイグル別働 隊2000騎 がまず范陽を攻撃したが,成功せずにそこから太原方面に移動
・.郭子儀軍はこれ らのウイグル本軍並びに別働隊と協力して,阿史那従礼軍を斥け,河曲(黄河の大湾曲部内側の北半部,す なわちオルドスを中心に,そ の外側の陰山山脈以南を合わせた一帯;現在の内蒙古自治区の一部とちんにし陝西省~寧夏回族自治区の北辺)を平定した.。

★ 杜甫 黄河二首
★ 杜甫長安に護送される。


●757年至徳二 年元 旦,安禄山は洛陽で実子の安慶緒,並びに腹心の部下によって暗殺さる.


○757年安禄山の盟友で,洛陽政権樹立の最:大の功労者であった史思明は,いちはやく分離独立の方針を決め,莫大な軍資金を蓄積してある范陽に帰還.


○ 757年同年2月,粛宗は鳳翔に進出.前年末からこれまでに,コータン・安西・北庭・抜汗那・大食からの援軍が集結.同 月,ウイグル首領の大将軍・多攬15人 が入朝.


○同年9月,ウ イグルの磨 延畷可汗は太子 の葉護 を筆頭に,将 軍の帝徳らに4000余 騎(旧 唐書 ・安禄山伝では3000騎)を率いさせて唐に派遣.粛宗は喜び,宴会を催し,元帥の広平王・淑(後の代宗)に命じて葉護 と兄弟の契りを結ばせる.


○蕃漢15万にふくれあがった唐軍は,広平王・淑 を総帥とし,鳳翔を出発.扶風で ウイグル軍を出迎 えた郭子儀は,3日 間の大宴会で接待.以 後,ウイグル軍には食料として毎日,羊200匹,牛20頭,米40石 が支給さる.


○ 757年9月17日,長安攻撃開始.朔方左廟兵馬使・僕固懐恩 とウイグル軍が連携して活躍.安慶緒側の守備軍は約6万の損失を蒙って潰走.唐軍,長安を回復す.


○ 757年10月,反乱軍は唐側の郭子儀軍やウイグル軍により滝関・陳郡を次々に落とされ,安 慶緒は洛陽を脱出して河北の鄭に走る.唐側は遂に洛陽を奪回.


○ 757年11月,長 安で粛宗と葉護が会見.粛宗は葉護を労い,司空の位を与え,忠義王に封じ,錦繍繰や金銀器皿を賜す,さらに毎年,絹2万匹を朔方軍にて支給する事を約す.


● 758年乾元元年5~7月,ウイグルの使者・多亥 阿波一行が長安に来て,公主降嫁 を要請.粛宗は幼少であった実の王女を寧国公主に封じて降嫁させ、同時に磨延畷を英武威遠砒伽可汗に冊立することを決定.寧国公主と冊立使の一行が ウイグルの本営に到着
.
758年08月,磨 延畷は王子の骨畷特勤と宰相・帝徳らに3000騎を率いさせて唐に派遣.粛宗は僕固懐恩にこの援軍との共同作戦の指揮を命ず.


● 759年乾元二年3月,史思明 は安慶緒を殺し,4月,自ら大燕皇帝として即位.


○ 759年4月,ウイグルの磨延畷可汗が急逝.ウイグルは寧国公主を殉死させ(132)ようとしたが,公主は抵抗し,同年8月に唐に帰国.一 方,長男・葉護太子は既に罪を得て殺されていたので,末子の移地健が牟羽可汗として即位(第3代).磨延畷在世中に,移地健のために唐に婚姻 を請うたため,粛宗は僕固懐恩めあわに命じてその娘を嬰せていた.それゆえ,彼女が可敦に昇格.

● 760年上元元年(760)閏3月,史思明は洛陽に入城.再び東西両都に対立する政権.

○  しかし,この後,史思明は長男の史朝義に替わって妾腹の子・史朝清を溺愛し始め,これを後継者にせんとしたため,逆に史朝義の部下が史思明を捕らえて幽閉.以後,史朝義が洛陽を保持.


○ 760年9月,ウイグルよりの使者 として倶録莫賀 達干タルカンらの一行が入朝.

● 761年上元二年2月,史思明殺され,史朝義が即位.

● 762年宝応元年4月,約2年 の蟄居生活の後,玄宗が死去.わずか十余日後に粛宗も崩御.代宗が即位.宝応と改元.

○  762年8月,ウイグルは史朝義から援軍要請を受け,「唐朝では天子の死去が度重なり,国は乱れ,主君がいないので,侵略して府庫を手に入れてはどうか」(両唐書ウイグル伝)と誘われたので,牟羽可汗自らが「国を傾けて」十万とも称される大軍を率いて南進.


○ 762年秋,代宗は,史朝義軍を打倒するため,中使・劉清潭を派遣し,ウイグル軍の出動を要請.劉清潭は既に陰山を越 えていたウイグル軍と遭遇.劉清潭が可汗に,・か つて代宗がウイグルの葉護と協力して安慶緒から両京を奪還した故事,・さらに唐からウイグルに毎年絹数万匹を贈っていることを訴えても,・ウイグル側はこれを無視して太原方面に向かうそこで劉清潭は長安の代宗に密使を送ってウイグル軍の現状を報告.長安中が略奪の危険を恐 れて震撼、たまたま可敦が両親に会いたいと要請してきたので,僕固懐恩が太原方面に赴き,娘婿の牟羽可汗に道理を説く.その結果,ウイグルは再 び唐側に就くこととなる.


○代宗 は雍王适(後 の徳宗)を 兵馬元帥とし,僕固懐恩らに命じて,陝州(太原倉の食料あ り)でウイグル軍に合流させる.牟羽可汗は雍王を引見するに当たって,雍王が拝舞(踏舞)の 礼をしないのを難詰.やりとりがあるが,結局,雍王の側近を不敬罪で棒打ち(翌日死亡).この後,ウ イグルの右 シャドの軍と僕固懐恩軍とが先鋒となって戦い,遂に洛陽を奪還(10月).史朝義は范陽に向かって敗走、雍王は霊宝に帰り,可汗は河陽(河南省孟県,黄河の北岸)に 数 ヶ月間駐屯.僕固懐 の息子・僕固瑒(チョウ) の軍はウイグル軍 と共に史朝義を2000余里も追跡して追いつめる.

●763年宝応二年(763)正月,史朝義 は范陽で自殺.史朝義の首が長安に届き,安史の乱,平ら ぐ.

○ 763年2月,牟 羽可汗は代宗に別れ を告げて帰国.内殿にて繰200段を賜与さる.。

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黄河二首 其一 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 193

黄河二首 其一 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 193
756年 至徳元年秋に安史軍(叛乱軍)に捕縛される前後の出来事を後になって作ったものと思う。時期的には、鳳翔に在った時以降だろう。どちらにしても中央で閑職状態の時期である。


黄河二首 其一
黄河北岸海西軍、推鼓鳴鐘天下聞。
陰山山脈と黄河の北側後に唐王朝軍援軍のためウイグル軍が駐屯している、鼓舞するための太鼓や鐘の音が、大空に響き渡る。
鐵馬長鳴不知數、胡人高鼻動成羣。

甲冑で武装した兵馬は長い嘶きが続いているので数がおおくて数えることができないだろう。異民族のウイグル人はひょっとすると唐軍に叛乱の群れになるかもしれない。

黄河の北岸 海西の軍、鼓を推(う)ち鐘を鳴らして天下に聞ゆ。
鐵馬 長鳴して數を知らず、胡人 高鼻にして動((ややも)すれば羣を成す。

黄河二首 杜甫オレンジが安史軍支配地域756年7月から12月期。
安史の乱は官軍と賊軍という範疇では説明できない。反乱軍という表現だけでもいけない。異民族はどちらにも構成軍に入っているし、安禄山の軍も、いろんな構成であった。
この詩、黄河二首の時期の勢力図であり、地図の中央上部の地点で安史軍と王朝ウイグル連合軍が対峙した。この時唐王朝は、霊武から河曲(緑の矢印辺)あたりしか支配地域が限定して、じり貧状態であった。

現代語訳と訳註
(本文) 黄河二首

黄河北岸海西軍、推鼓鳴鐘天下聞。
鐵馬長鳴不知數、胡人高鼻動成羣。


(下し文)
黄河の北岸 海西の軍、鼓を推(う)ち鐘を鳴らして天下に聞ゆ。
鐵馬 長鳴して數を知らず、胡人 高鼻にして動((ややも)すれば羣を成す。


(現代語訳)
陰山山脈と黄河の北側後に唐王朝軍援軍のためウイグル軍が駐屯している、鼓舞するための太鼓や鐘の音が、大空に響き渡る。
甲冑で武装した兵馬は長い嘶きが続いているので数がおおくて数えることができないだろう。異民族のウイグル人はひょっとすると唐軍に叛乱の群れになるかもしれない。

(訳注)
黄河北岸海西軍、推鼓鳴鐘天下聞。
黄河の北岸 海西の軍、鼓を推(う)ち鐘を鳴らして天下に聞ゆ。
陰山山脈と黄河の北側後に唐王朝軍援軍のためウイグル軍が駐屯している、鼓舞するための太鼓や鐘の音が、大空に響き渡る。
黄河北岸 南下してきたウィグル本軍を陰山と黄河の間にある呼延谷のこと。○海西の軍。粛宗が即位し、援軍を求めたウイグルの騎兵隊の軍。


鐵馬長鳴不知數、胡人高鼻動成羣。
鐵馬 長鳴して數を知らず、胡人 高鼻にして動((ややも)すれば羣を成す。
甲冑で武装した兵馬は長い嘶きが続いているので数がおおくて数えることができないだろう。異民族のウイグル人はひょっとすると唐軍に叛乱の群れになるかもしれない。
鐵馬 甲冑で武装した兵馬。○胡人 異民族の中で北方、西方にウイグル人がおり、北には鮮卑系もいた。○高鼻 異民族のウイグルの人。

○唐王朝は滅亡寸前という態勢であったが、霊武は西北辺境の要衝であり、朔方節度使・郭子儀の本拠地であった。ウイグルがこの時安史軍(叛乱軍)に味方するか、中立を取れば、唐は滅亡していたかもしれない。
○杜甫は、ウイグルによって救われていることを不安に思っていた。




安史の乱の年譜(黄河二首の背景)
○ 756年6月,玄 宗 の命令 により、哥舒翰軍は潼関より東に出撃.哥舒翰は敗北して敵の手中に。.

○ 長安では楊国忠の主張により、蜀(四川)への蒙塵を決定.。

○ 756年6月13日 未明、玄宗、皇太子夫妻、楊貴妃 とその一族、楊国忠一家、公主たちが、極秘裏に宮殿を脱出。


○ その後,玄宗は蜀へ蒙塵し、玄宗は皇太子に長安を奪回せよと命ず。皇太子は捲土重来を期して霊武へ向かう。霊武は西北辺境の要衝であり、かつ朔方節度使・郭子儀の本拠地。


○ 756年07月,皇太子は群臣の懇望を受けて、蜀にある玄宗を上皇にまつりあげ、粛宗として霊武で即位.至徳と改元。援軍を得るためには皇太子が皇帝にならなければ要請できない。


○ 756年09月,粛宗はウイグルに援軍を求めるために使者を。漠北のモンゴリアに派遣使者となったのは,王族の一人(敦 煙郡王承粟)とトルコ系武将の僕固懐恩とソグド系 武将の石定番。


★756年8~9月 杜甫蘆子関付近で捕縛される。


○ 756年10月にオルホン河畔のオルドバリクで会見.ウイグルの第2代 可汗・磨延畷(葛 勒可汗)は喜んで、可敦(カトン;可汗の正妻)の妹を妾(めあわ)自分の娘とした上で、これを承粟に嬰す。さらにウイグルの首領を答礼の使者として派遣してきたので、粛宗はこれを彭原に出迎え、ウ イグル王女を砒伽公主 に封じた。


○ 756年7~12月[通鑑 による],安史勢力側の阿史那従礼が突廠・同羅・僕骨軍5000騎を率い,河曲にあった九府・六胡州の勢力数万も合わせて、行在=霊武を襲わんとした。


○ 756年9~12月郭子儀は,磨延啜自身が率いて南下してきたウィグル本軍を陰山と黄河の間にある呼延谷で迎え,これと合流。

・一方これ以前 に葛遷支率いる ウイグル別働 隊2000騎 がまず范陽を攻撃したが,成功せずにそこから太原方面に移動。


・郭子儀軍はこれ らのウイグル本軍並びに別働隊と協力して,阿史那従礼軍を斥け,河曲(黄河の大湾曲部内側の北半部,す なわちオルドスを中心に,そ の外側の陰山山脈以南を合わせた一帯;現在の内蒙古自治区の一部とちんにし陝西省~寧夏回族自治区の北辺)を平定した。


★ 杜甫 黄河二首

★ 杜甫長安に護送される。

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奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻 #5 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 192

奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻 #5 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 192
御史中丞郭英乂が太僕卿の官を兼ねながら、隴右節度使に充てられたのを送る詩。製作時は757年至徳二載の秋八月。


奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻
詔發山西將,秋屯隴右兵。淒涼餘部曲,燀赫舊家聲。
雕鶚乘時去,驊騮顧主鳴。艱難須上策,容易即前程。
斜日當軒蓋,高風卷旆旌。松悲天水冷,沙亂雪山清。#1
和虜猶懷惠,防邊詎敢驚。古來於異域,鎮靜示專徵。
燕薊奔封豕,周秦觸駭鯨。中原何慘黷,遺孽尚縱橫。
箭入昭陽殿,笳吹細柳營。內人紅袖泣,王子白衣行。#2
宸極妖星動,園陵殺氣平。空餘金碗出,無複穗帷輕。
毀廟天飛雨,焚宮火徹明。罘罳朝共落,棆桷夜同傾。
三月師逾整,群凶勢就烹。瘡痍親接戰,勇決冠垂成。#3
妙譽期元宰,殊恩且列卿。幾時回節鉞,戮力掃欃槍?
圭竇三千士,雲梯七十城。恥非齊說客,秖似魯諸生。
通籍微班忝,周行獨坐榮。隨肩趨漏刻,短發寄簪纓。#4
徑欲依劉表,還疑厭隬衡。
あなたにたよろうかとおもうのだが、いま隴右へゆかれるので、むかし王粲が劉表に依った故事にならって、わたしもすぐにでもついていこうかと思うのだ、また、禰衡がきらわれた様にあなたが自分を嫌がられはしまいかと疑ってしまうのである。
漸衰那此別,忍淚獨含情。
わたしはだんだん歳を重ね、衰えかかってきはじめたのでここでお別れをすることができようものか。ただはふり落ちんとする涙をこらえてひとりでじっと胸のつらさをもちこたえるしかないのである。』
廢邑狐狸語,空村虎豹爭。
叛乱のために、廃墟のようになった県や村では狐や狸が語り合いをしているだけらしい。逃村や略奪、強奪で住む人も無い村では残っているのは虎や豹になって争っているのだ。
人頻墜塗炭,公豈忘精誠。
人々はいまや頻りに塗炭の苦しみにおちいっている、あなたがこの国に対して精真な誠の念を忘れることがありましょうか。
元帥調新律,前軍壓舊京。
元帥、広平王淑俄は新しき銅管を吹いて音調をととのえて軍紀を正し、その前軍の大将李嗣業は長安を占圧する勢いになってきている。
安邊仍扈從。莫作後功名。#5

あなたも隴右の辺境を安寧化されるとそのまま天子の車駕のおともをして都の方へとたちかえられ、他人が功名を立てるのにおくれをとる様なことがあってはなりません。

#1
詔して山西の将を発し、秋 隴右(ろうう)の兵を屯せしむ。
凄涼 部曲余る、燀赫(せきかく) 家声旧りたり。
雕鶚(ちょうがく) 時に乗じて去る、驊騮(かりゅう) 主を顧みて鳴く。
艱難 上策を須(ま)つ 容易 前程に即く
斜日 軒蓋(けんがい)に当り、高風 旆旌(はいせい) を巻く。
松悲しみて 天水冷かに、沙乱れて 雪山清し。
#2
虜に和するすら猶 恵に懐(な)つく、辺を防ぐに 詎(なん)ぞ敢て驚かさんや。
古来 異域に於ける、鎮静にして 専征を示す。
燕薊(えんけい) 封豕(ほうし)奔(はし)り、周秦 駭鯨(がいけい)触る。
中原何ぞ慘黷(しんとく)なる、遺孽(いげつ) 尚 縦横たり。
箭は入る昭陽殿、節は吹かる細柳の営。
内人 紅袖(こうしゅう)に泣き、王子白衣行く。
#3
宸極(しんきょく)妖星動き、園陵(えんりょう) 殺気 平かなり。
空しく余す金碗の出づるを、復た穗帷(けいい)の軽き無し。
毀廟(きびょう)天雨を飛ばし、焚宮(ふんきゅう)火明に徹す。
罘罳(ふし) 朝に共に落ち、棆桷(りんかく) 夜 同じく傾く。』
三月 師 逾々整い、羣胡 勢 烹(に)らるるに就く。
瘡痍(そうい) 親(みずか)ら接戦す、勇決(ゆうけつ) 垂成(すいせい)に冠たり。
#4
妙誉(みょうよ) 元宰(げんさい)を期す、殊恩(しゅおん)且つ列卿(れつけい)。
幾時か 節鉞(せつえつ)を廻らし、力を戮(あ)わせて欃槍(ざんそう)を掃わん』
圭竇(けいとう) 三千の士、雲梯(うんてい)七十城。
恥ずらくは 斉の説客に非るを、秖(ただ)魯の諸生(しょせい)に似たり。
通籍(つうせき) 徴班(びはん)を忝(かたじけな)くす、周行(しゅうこう) 独坐 栄ゆ。
肩を随えて漏刻(ろうこく)に趨(おもむ)き、短髪 簪纓(しんえい)に寄す。
#5
径(ただちに)に劉表(りゅうひょう)に依らんと欲す、還た疑う隬衡(でいこう)を厭(いと)わんかと。
漸(ようや)く衰(おとろ)う 那ぞ此に別れん,淚を忍びて獨り情を含む。』
廃邑(はいゆう) 狐狸(こり) 語り、空邨(くうそん) 虎豹(こひょう)争う。
人頻(しき)りに塗炭(とたん)に墜つ、公豈(こうあ)に精誠(せいせい)を忘れんや。
元帥(げんすい) 新律(しんりつ)を調え、前軍(ぜんぐん) 旧京を圧す。
邊を安じて仍って扈從(こじゅう)し。功名に後(おく)るること作す莫れ

DCF00195

奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻 現代語訳と訳註
(本文) #5

徑欲依劉表,還疑厭隬衡。漸衰那此別,忍淚獨含情。
廢邑狐狸語,空村虎豹爭。人頻墜塗炭,公豈忘精誠。
元帥調新律,前軍壓舊京。安邊仍扈從。莫作後功名。#5

(下し文) #5
径(ただちに)に劉表(りゅうひょう)に依らんと欲す、還た疑う隬衡(でいこう)を厭(いと)わんかと。
漸(ようや)く衰(おとろ)う 那ぞ此に別れん,淚を忍びて獨り情を含む。』
廃邑(はいゆう) 狐狸(こり) 語り、空邨(くうそん) 虎豹(こひょう)争う。
人頻(しき)りに塗炭(とたん)に墜つ、公豈(こうあ)に精誠(せいせい)を忘れんや。
元帥(げんすい) 新律(しんりつ)を調え、前軍(ぜんぐん) 旧京を圧す。
邊を安じて仍って扈從(こじゅう)し。功名に後(おく)るること作す莫れ


(現代語訳)
あなたにたよろうかとおもうのだが、いま隴右へゆかれるので、むかし王粲が劉表に依った故事にならって、わたしもすぐにでもついていこうかと思うのだ、また、禰衡がきらわれた様にあなたが自分を嫌がられはしまいかと疑ってしまうのである。
わたしはだんだん歳を重ね、衰えかかってきはじめたのでここでお別れをすることができようものか。ただはふり落ちんとする涙をこらえてひとりでじっと胸のつらさをもちこたえるしかないのである。』
叛乱のために、廃墟のようになった県や村では狐や狸が語り合いをしているだけらしい。逃村や略奪、強奪で住む人も無い村では残っているのは虎や豹になって争っているのだ。
人々はいまや頻りに塗炭の苦しみにおちいっている、あなたがこの国に対して精真な誠の念を忘れることがありましょうか。
元帥、広平王淑俄は新しき銅管を吹いて音調をととのえて軍紀を正し、その前軍の大将李嗣業は長安を占圧する勢いになってきている。
あなたも隴右の辺境を安寧化されるとそのまま天子の車駕のおともをして都の方へとたちかえられ、他人が功名を立てるのにおくれをとる様なことがあってはなりません。



(訳注)#5
徑欲依劉表,還疑厭隬衡。

径(ただちに)に劉表(りゅうひょう)に依らんと欲す、還た疑う隬衡(でいこう)を厭(いと)わんかと。
あなたにたよろうかとおもうのだが、いま隴右へゆかれるので、むかし王粲が劉表に依った故事にならって、わたしもすぐにでもついていこうかと思うのだ、また、禰衡がきらわれた様にあなたが自分を嫌がられはしまいかと疑ってしまうのである。
依劉表 劉表が三国の時、荊州の長官であったとき、魏の王粲が往って彼に依った。今、王粲を以て自ずから比し、劉表を以て郭嘉に此する。○厭禰衡 後漢の禰衡は文才があったが、曹操は彼を穀そうと思い、黄祖が性急であることを知って祖のもとに赴かせたところ、祖はついに彼を殺した。禰㤚を以て自ずから比す。厭うとは郭がいとうこと。

漸衰那此別,忍淚獨含情。』
漸(ようや)く衰(おとろ)う 那ぞ此に別れん,淚を忍びて獨り情を含む。』
わたしはだんだん歳を重ね、衰えかかってきはじめたのでここでお別れをすることができようものか。ただはふり落ちんとする涙をこらえてひとりでじっと胸のつらさをもちこたえるしかないのである。』
漸衰 自ずからいう、だんだん老衰する。○那此別 どうしてここに別れられよう。○含情 むねのうちにつらさをじっともちこたえている。


廢邑狐狸語,空村虎豹爭。
廃邑(はいゆう) 狐狸(こり) 語り、空邨(くうそん) 虎豹(こひょう)争う。
叛乱のために、廃墟のようになった県や村では狐や狸が語り合いをしているだけらしい。逃村や略奪、強奪で住む人も無い村では残っているのは虎や豹になって争っているのだ。
廃邑 廃墟のようになった県や村。○狐狸語 きつね、たぬきがかたりあう。○空邸人なきむら。○虎豹争 虎や豹がけんかをする。狐狸、虎豹は盗賊をたとえていう。廃邑、空村は兵乱にあらされた地方をいう。


人頻墜塗炭,公豈忘精誠。
人頻(しき)りに塗炭(とたん)に墜つ、公豈(こうあ)に精誠(せいせい)を忘れんや。
人々はいまや頻りに塗炭の苦しみにおちいっている、あなたがこの国に対して精真な誠の念を忘れることがありましょうか。
 人々。○墜塗炭 「尚書」仲他之語に「民ハ塗炭二墜ツ」とみえる、泥や炭火のなかにおちたほどの苦しみをうけること。○ 郭嘉をさすことで、ここでは、郭英乂をさす。○精誠 朝廷に対してはげみ、誠をつくす。


元帥調新律,前軍壓舊京。
元帥(げんすい) 新律(しんりつ)を調え、前軍(ぜんぐん) 旧京を圧す。
元帥、広平王淑俄は新しき銅管を吹いて音調をととのえて軍紀を正し、その前軍の大将李嗣業は長安を占圧する勢いになってきている。
元帥 広平王淑供(玄宗の子)をさす。○調新律 律は銅管のふえ、その音によって羣衆をととのえる、調は音声をととのえること。この意味は、新らたに軍紀を整備することをいう。集結し、忠誠を誓い、軍を整備すること言う。○前軍 李嗣業の軍をさす。淑の配下に嗣業をおき、部曲を整えて長安を回復させようとした。○旧京 長安。


安邊仍扈從。莫作後功名。』
邊を安じて仍って扈從(こじゅう)し。功名に後(おく)るること作す莫れ 
あなたも隴右の辺境を安寧化されるとそのまま天子の車駕のおともをして都の方へとたちかえられ、他人が功名を立てるのにおくれをとる様なことがあってはなりません。
安辺 辺地(陳右)を安寧化ならしめる。○ そのまま。○扈從 扈はあとに従うこと、扈從とは天子の奉賀のあとにつきしたがうことをいう。○後功名他 人が功名をたてるのよりもおくれる。


郭嘉 (かく か、170年 - 207年)は中国後漢末期の武将・政治家。字は奉孝(ほうこう)。郭奕の父、郭深・郭敞(『世語』)の祖父、郭猟の高祖父。頴川郡陽翟県の人。『三国志』魏志に伝がある。曹操に仕えた軍師の1人。曹操の覇業を助けたが若死し、曹操に惜しまれた。


劉表 (りゅう ひょう、漢安元年(142年) ? - 建安13年(208年)8月)は、後漢末期の政治家・儒学者。字は景升(けいしょう)。山陽郡高平県[1]の人。前漢の景帝の第4子である魯恭王・劉余の子孫[2]。後漢の統制力が衰えた後に荊州に割拠した。


隬衡 魏の禰衛は「鸚鵡賦」を即座に作り一字を改めなかったという。
禰衡は自分は発狂したと仕官を断ってしまった。しかし曹操は才能を重んじていたので、又、孔融のべた褒めを聞いていたので殺そうとはしなかった。
劉表の元では文才を発揮し、また劉表に対しては下手に出た。しかし、その配下に対しては傲慢な態度をとったうえ、酷評を行なったため、劉表配下の面々から恨まれた。このため、讒言により劉表の不興を買って遠ざけられた。
劉表の家臣で黄祖の子・黄射と友人になり、黄射の仲介で黄祖と出会う。黄祖は禰衡をはじめは高く評価したが、次第に禰衡が傲慢な態度をとるようになったため、遂に堪忍袋の緒が切れた。そして部下に禰衡の処刑を命じ、その部下も禰衡を恨んでいたので、早速殺してしまった。禰衡は死の直前まで黄祖を罵り続けた。黄祖は禰衡を殺したことを後に悔いたという。 彼の死後、黄射は彼の遺体を鸚鵡洲という地(現湖北省武漢市)に埋葬した。

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kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首



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kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
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李 白 詩
唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
杜 甫 詩
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杜甫詩INDEX02

奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻 #4 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 191

奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻 #4 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 191
御史中丞郭英乂が太僕卿の官を兼ねながら、隴右節度使に充てられたのを送る詩。製作時は757年至徳二載の秋八月。


奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻
詔發山西將,秋屯隴右兵。淒涼餘部曲,燀赫舊家聲。
雕鶚乘時去,驊騮顧主鳴。艱難須上策,容易即前程。
斜日當軒蓋,高風卷旆旌。松悲天水冷,沙亂雪山清。#1
和虜猶懷惠,防邊詎敢驚。古來於異域,鎮靜示專徵。
燕薊奔封豕,周秦觸駭鯨。中原何慘黷,遺孽尚縱橫。
箭入昭陽殿,笳吹細柳營。內人紅袖泣,王子白衣行。#2
宸極妖星動,園陵殺氣平。空餘金碗出,無複穗帷輕。
毀廟天飛雨,焚宮火徹明。罘罳朝共落,棆桷夜同傾。
三月師逾整,群凶勢就烹。瘡痍親接戰,勇決冠垂成。#3
妙譽期元宰,殊恩且列卿。
だから世間の美しいうわさばなしではあなたが宰相になられる様に期待しているのだが、天子は特別の御恩を加えられとりあえずあなたを列卿の位に優恩によるおとりたてをされたのだ。
幾時回節鉞,戮力掃欃槍?
いつになったら、あたなは隴右の僻地から節鉞をうけて大方向転換して、唐王朝の中央師団と力をあわせて兵乱の表象ともいうべき禍の不吉なものとされる星をはらいのけてしまわれることであるのか。
圭竇三千士,雲梯七十城。
孔子の魯の国には生け垣の門をくくっている弟子の儒士が三千人もいたし、斉には雲梯で攻むべき不落の城が七十もある。
恥非齊說客,秖似魯諸生。
自分は恥ずかしながら酈食其(れきいき)のように弁舌でもって敵の城を落せることができるというような説客、論客でなく、ただ生け垣をくぐって入るような魯の書生たちみたいな者でしかない。
通籍微班忝,周行獨坐榮。
自分はやっと仕籍を宮中に通じて下位をはずかしめるこでしかなくかたじけないことであるが、あなたは朝廷の列位に於て天子から専席独坐を賜わる程の栄誉をうけておられるのだ。
隨肩趨漏刻,短發寄簪纓。#4

そうしてあなたとは肩をそろえず控えめにして、あとにつき従って朝参の時刻にはまかりいでるつもりである、老衰の短い頭髪ではあるが官吏の実を全うしたいと思っているのだ。

徑欲依劉表,還疑厭隬衡。漸衰那此別,忍淚獨含情。
廢邑狐狸語,空村虎豹爭。人頻墜塗炭,公豈忘精誠。
元帥調新律,前軍壓舊京。安邊仍扈從。莫作後功名。#5

#1
詔して山西の将を発し、秋 隴右(ろうう)の兵を屯せしむ。
凄涼 部曲余る、燀赫(せきかく) 家声旧りたり。
雕鶚(ちょうがく) 時に乗じて去る、驊騮(かりゅう) 主を顧みて鳴く。
艱難 上策を須(ま)つ 容易 前程に即く
斜日 軒蓋(けんがい)に当り、高風 旆旌(はいせい) を巻く。
松悲しみて 天水冷かに、沙乱れて 雪山清し。
#2
虜に和するすら猶 恵に懐(な)つく、辺を防ぐに 詎(なん)ぞ敢て驚かさんや。
古来 異域に於ける、鎮静にして 専征を示す。
燕薊(えんけい) 封豕(ほうし)奔(はし)り、周秦 駭鯨(がいけい)触る。
中原何ぞ慘黷(しんとく)なる、遺孽(いげつ) 尚 縦横たり。
箭は入る昭陽殿、節は吹かる細柳の営。
内人 紅袖(こうしゅう)に泣き、王子白衣行く。
#3
宸極(しんきょく)妖星動き、園陵(えんりょう) 殺気 平かなり。
空しく余す金碗の出づるを、復た穗帷(けいい)の軽き無し。
毀廟(きびょう)天雨を飛ばし、焚宮(ふんきゅう)火明に徹す。
罘罳(ふし) 朝に共に落ち、棆桷(りんかく) 夜 同じく傾く。』
三月 師 逾々整い、羣胡 勢 烹(に)らるるに就く。
瘡痍(そうい) 親(みずか)ら接戦す、勇決(ゆうけつ) 垂成(すいせい)に冠たり。
#4
妙誉(みょうよ) 元宰(げんさい)を期す、殊恩(しゅおん)且つ列卿(れつけい)。
幾時か 節鉞(せつえつ)を廻らし、力を戮(あ)わせて欃槍(ざんそう)を掃わん』
圭竇(けいとう) 三千の士、雲梯(うんてい)七十城。
恥ずらくは 斉の説客に非るを、秖(ただ)魯の諸生(しょせい)に似たり。
通籍(つうせき) 徴班(びはん)を忝(かたじけな)くす、周行(しゅうこう) 独坐 栄ゆ。
肩を随えて漏刻(ろうこく)に趨(おもむ)き、短髪 簪纓(しんえい)に寄す。

#5
径(ただちに)に劉表(りゅうひょう)に依らんと欲す、還た疑う隬衡(でいこう)を厭(いと)わんかと。
漸(ようや)く衰(おとろ)う 那ぞ此に別れん,淚を忍びて獨り情を含む。』
廃邑(はいゆう) 狐狸(こり) 語り、空邨(くうそん) 虎豹(こひょう)争う。
人頻(しき)りに塗炭(とたん)に墜つ、公豈(こうあ)に精誠(せいせい)を忘れんや。
元帥(げんすい) 新律(しんりつ)を調え、前軍(ぜんぐん) 旧京を圧す。
邊を安じて仍って扈從(こじゅう)し。功名に後(おく)るること作す莫れ

宮島(7)

奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻 現代語訳と訳註
(本文) #4

妙譽期元宰,殊恩且列卿。幾時回節鉞,戮力掃欃槍?
圭竇三千士,雲梯七十城。恥非齊說客,秖似魯諸生。
通籍微班忝,周行獨坐榮。隨肩趨漏刻,短發寄簪纓。

(下し文) #4
妙誉(みょうよ) 元宰(げんさい)を期す、殊恩(しゅおん)且つ列卿(れつけい)。
幾時か 節鉞(せつえつ)を廻らし、力を戮(あ)わせて欃槍(ざんそう)を掃わん』
圭竇(けいとう) 三千の士、雲梯(うんてい)七十城。
恥ずらくは 斉の説客に非るを、秖(ただ)魯の諸生(しょせい)に似たり。
通籍(つうせき) 徴班(びはん)を忝(かたじけな)くす、周行(しゅうこう) 独坐 栄ゆ。
肩を随えて漏刻(ろうこく)に趨(おもむ)き、短髪 簪纓(しんえい)に寄す。


(現代語訳)
だから世間の美しいうわさばなしではあなたが宰相になられる様に期待しているのだが、天子は特別の御恩を加えられとりあえずあなたを列卿の位に優恩によるおとりたてをされたのだ。
いつになったら、あたなは隴右の僻地から節鉞をうけて大方向転換して、唐王朝の中央師団と力をあわせて兵乱の表象ともいうべき禍の不吉なものとされる星をはらいのけてしまわれることであるのか。
孔子の魯の国には生け垣の門をくくっている弟子の儒士が三千人もいたし、斉には雲梯で攻むべき不落の城が七十もある。
自分は恥ずかしながら酈食其(れきいき)のように弁舌でもって敵の城を落せることができるというような説客、論客でなく、ただ生け垣をくぐって入るような魯の書生たちみたいな者でしかない。
自分はやっと仕籍を宮中に通じて下位をはずかしめるこでしかなくかたじけないことであるが、あなたは朝廷の列位に於て天子から専席独坐を賜わる程の栄誉をうけておられるのだ。
そうしてあなたとは肩をそろえず控えめにして、あとにつき従って朝参の時刻にはまかりいでるつもりである、老衰の短い頭髪ではあるが官吏の実を全うしたいと思っているのだ。


(訳注)"#4
妙譽期元宰,殊恩且列卿。

妙誉(みょうよ) 元宰(げんさい)を期す、殊恩(しゅおん)且つ列卿(れつけい)。
だから世間の美しいうわさばなしではあなたが宰相になられる様に期待しているのだが、天子は特別の御恩を加えられとりあえずあなたを列卿の位に優恩によるおとりたてをされたのだ。
妙譽 巧妙な世上の美しいうわさばなし。○元宰 宰相。○殊恩 天子の特別のおぼしめし。○列卿 卿の例位にあるもの。御史中丑は正四品下、太僕寺卿は従三品である。今英乂は中丞にして卿を兼ねるのは優恩による。


幾時回節鉞,戮力掃欃槍?』
幾時か 節鉞(せつえつ)を廻らし、力を戮(あ)わせて欃槍(ざんそう)を掃わん』
いつになったら、あたなは隴右の僻地から節鉞をうけて大方向転換して、唐王朝の中央師団と力をあわせて兵乱の表象ともいうべき禍の不吉なものとされる星をはらいのけてしまわれることであるのか。』
幾時 何の時と同じ。○回節鉞 節鉞とは天子より軍権を御委任あるしるしとして賜わる鉞(まさかり)。回とは隴右道の方面から長安の方へと方向転換することをいう。○戮力 中央の人々とカを合わせること。○掃欃槍 目標槍はほうき星、兵乱の象、禍の不吉なものとされる星、掃とははらいのけること。


圭竇三千士,雲梯七十城。
圭竇(けいとう) 三千の士、雲梯(うんてい)七十城。
孔子の魯の国には生け垣の門をくくっている弟子の儒士が三千人もいたし、斉には雲梯で攻むべき不落の城が七十もある。
圭竇 門の傍の生け垣のくぐり穴、その穴の頂辺が将棋のこまの頭のような鋭角である飾り気の全くないさまをいう。貧士の居宅のさま。 〇三千 多いことをいう。これは孔子の弟子三千人と数えなくていうものと同様な数値。○雲梯 「墨子」に楚の荘王が公輸椴をして雲梯を作って宋を攻めさせたという話がある。雲梯は雲まで届く高いはしごで、これを用いて敵城にのぼる。城郭の壁の高さが15m以上あったとされるから。20m~25m以上の梯子であろうか。〇七十城 漢の酈食其は弁舌を振って斉の七十余城を降らしめたという話がある。張良、韓信の時代。・漢の酈食其 身長は8尺ほどあり読書を好んだが、貧乏で家業を持たなかった。のちに村の門番となるが、周囲からは「狂生(気狂い先生)」と呼ばれ相手にされなかった。韓信が斉攻略が進んでいるときに、酈食其は進言して斉との和平交渉に臨み、その弁舌で以って斉の七十余城を一旦帰順せしめることに成功する。杜甫ができることは弁舌、詩文で戦うことができるということをいうものである。


恥非齊說客,秖似魯諸生。
恥ずらくは 斉の説客に非るを、秖(ただ)魯の諸生(しょせい)に似たり。
自分は恥ずかしながら酈食其(れきいき)のように弁舌でもって敵の城を落せることができるというような説客、論客でなく、ただ生け垣をくぐって入るような魯の書生たちみたいな者でしかない。
斉説客 説客は弁舌でもって戦う、ネゴシエーター遊説の人、即ち酈食其を杜甫自身という。○魯諸生 魯の国の書生たち、魯には儒学を修める人物が多い。 


通籍微班忝,周行獨坐榮。
通籍(つうせき) 徴班(びはん)を忝(かたじけな)くす、周行(しゅうこう) 独坐 栄ゆ。
自分はやっと仕籍を宮中に通じて下位をはずかしめるこでしかなくかたじけないことであるが、あなたは朝廷の列位に於て天子から専席独坐を賜わる程の栄誉をうけておられるのだ。
通籍 名ふだを宮中に通じておく、仕官すること。○微班 つまちない位列、左拾遺は従八品上である。〇 その位をはずかしめる、謙遜の辞。○周行 「詩経」巻耳の詩にみえる。「周ノ列位」ととく。周の列位とは周の朝廷の臣をさす。○独坐栄 後漢の宜乗という者が御史中丞となったとき、光武帝は彼に司隷校尉・尚書令と並に席を専らにして坐ることを許したので、都人たちは彼らを三独坐と号したという。今英叉もさようの待遇をうけて栄をになうという意。


隨肩趨漏刻,短發寄簪纓。
肩を随えて漏刻(ろうこく)に趨(おもむ)き、短髪 簪纓(しんえい)に寄す。
そうしてあなたとは肩をそろえず控えめにして、あとにつき従って朝参の時刻にはまかりいでるつもりである、老衰の短い頭髪ではあるが官吏の実を全うしたいと思っているのだ。
随肩 我が肩を先方のあとにしたがえること、つまりはすかいに一歩後れてあるく、郭のあとにつくことをいう。○趨漏刻 漏刻は水どけい、参朝の時刻をいう。趨はおもむく、はしる、でかけてゆくこと。○短髪 作者が老境に入って髪がみじかくなる。○寄簪纓 寄とは我が身を寄託しておくこと。簪纓は冠をとめるかんざし、ひも、官吏の礼装。

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奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻 #3 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 190

奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻 #3 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 190
御史中丞郭英乂が太僕卿の官を兼ねながら、隴右節度使に充てられたのを送る詩。製作時は757年至徳二載の秋八月。


奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻
詔發山西將,秋屯隴右兵。淒涼餘部曲,燀赫舊家聲。
雕鶚乘時去,驊騮顧主鳴。艱難須上策,容易即前程。
斜日當軒蓋,高風卷旆旌。松悲天水冷,沙亂雪山清。#1
和虜猶懷惠,防邊詎敢驚。古來於異域,鎮靜示專徵。
燕薊奔封豕,周秦觸駭鯨。中原何慘黷,遺孽尚縱橫。
箭入昭陽殿,笳吹細柳營。內人紅袖泣,王子白衣行。#2

宸極妖星動,園陵殺氣平。
大空の中心でかがやいているべき天子の星うすれ、不吉をあらわす星の彗星が光をうごかしている、歴代天子の山陵には殺伐の気がみなぎり、高い陵を平らにするほど高く被いみなぎっているのだ。
空餘金碗出,無複穗帷輕。
陵御陵に敬いのためともに埋葬された黄金の「わん」が掘りだされてまた、死者を人間界へ出だす様なことが盗賊の叛乱軍によってなされている、魏の曹操がした様に御陵を望んで伎楽を奏するために台上に軽らかに幔幕をはってこの地の気を安らかにするということはもうないのかもしれない。
毀廟天飛雨,焚宮火徹明。
叛乱軍が王朝軍の残党を追跡し、宗廟を打ち壊した、天はこれに悲しまれ大雨と風をふかせた、そして、宮殿を焚きごがし、その火は夜明けまで燃えて夜空を染めたのだ。
罘罳朝共落,棆桷夜同傾。
御殿の縁側に張られた鳥よけの網などのすべてが朝までに焼け落ち、くずれ落ちた、棆の木でできた窓格子の木は夜の間に同様に壊れ果てた。』
三月師逾整,群凶勢就烹。
略奪をほしいままにしてきた者たちを757年6月に粛宗が即位し、足かけ3カ月経過することで王朝軍の師団は整備され臨戦態勢に入ってきた。乱暴狼籍のまの異民族の人間と、唐人の不満分子が入り混じるものたちもその勢が釜茹での刑に処せられそうな雲行きになって来たのだ。
瘡痍親接戰,勇決冠垂成。#
3
この時、あなたは下あごの矢を受けた。身に傷をうけながら敵と戦をまじえられ、まずの成功に近いものであなたの勇決は第一等と賞されるものであった

妙譽期元宰,殊恩且列卿。幾時回節鉞,戮力掃欃槍?
圭竇三千士,雲梯七十城。恥非齊說客,秖似魯諸生。
通籍微班忝,周行獨坐榮。隨肩趨漏刻,短發寄簪纓。#4
徑欲依劉表,還疑厭隬衡。漸衰那此別,忍淚獨含情。
廢邑狐狸語,空村虎豹爭。人頻墜塗炭,公豈忘精誠。
元帥調新律,前軍壓舊京。安邊仍扈從。莫作後功名。#5

#1
詔して山西の将を発し、秋 隴右(ろうう)の兵を屯せしむ。
凄涼 部曲余る、燀赫(せきかく) 家声旧りたり。
雕鶚(ちょうがく) 時に乗じて去る、驊騮(かりゅう) 主を顧みて鳴く。
艱難 上策を須(ま)つ 容易 前程に即く
斜日 軒蓋(けんがい)に当り、高風 旆旌(はいせい) を巻く。
松悲しみて 天水冷かに、沙乱れて 雪山清し。
#2
虜に和するすら猶 恵に懐(な)つく、辺を防ぐに 詎(なん)ぞ敢て驚かさんや。
古来 異域に於ける、鎮静にして 専征を示す。
燕薊(えんけい) 封豕(ほうし)奔(はし)り、周秦 駭鯨(がいけい)触る。
中原何ぞ慘黷(しんとく)なる、遺孽(いげつ) 尚 縦横たり。
箭は入る昭陽殿、節は吹かる細柳の営。
内人 紅袖(こうしゅう)に泣き、王子白衣行く。
#3
宸極(しんきょく)妖星動き、園陵(えんりょう) 殺気 平かなり。
空しく余す金碗の出ずるを、復た穗帷(けいい)の軽き無し。
毀廟(きびょう)天雨を飛ばし、焚宮(ふんきゅう)火明に徹す。
罘罳(ふし) 朝に共に落ち、棆桷(りんかく) 夜 同じく傾く。』
三月 師 逾々整い、羣胡 勢 烹(に)らるるに就く。
瘡痍(そうい) 親(みずか)ら接戦す、勇決(ゆうけつ) 垂成(すいせい)に冠たり。
#4
妙誉(みょうよ) 元宰(げんさい)を期す、殊恩(しゅおん)且つ列卿(れつけい)。
幾時か 節鉞(せつえつ)を廻らし、力を戮(あ)わせて欃槍(ざんそう)を掃わん』
圭竇(けいとう) 三千の士、雲梯(うんてい)七十城。
恥ずらくは 斉の説客に非るを、秖(ただ)魯の諸生(しょせい)に似たり。
通籍(つうせき) 徴班(びはん)を忝(かたじけな)くす、周行(しゅうこう) 独坐 栄ゆ。
肩を随えて漏刻(ろうこく)に趨(おもむ)き、短髪 簪纓(しんえい)に寄す。
#5
径(ただちに)に劉表(りゅうひょう)に依らんと欲す、還た疑う隬衡(でいこう)を厭(いと)わんかと。
漸(ようや)く衰(おとろ)う 那ぞ此に別れん,淚を忍びて獨り情を含む。』
廃邑(はいゆう) 狐狸(こり) 語り、空邨(くうそん) 虎豹(こひょう)争う。
人頻(しき)りに塗炭(とたん)に墜つ、公豈(こうあ)に精誠(せいせい)を忘れんや。
元帥(げんすい) 新律(しんりつ)を調え、前軍(ぜんぐん) 旧京を圧す。
邊を安じて仍って扈從(こじゅう)し。功名に後(おく)るること作す莫れ

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奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻 現代語訳と訳註
(本文) #3
宸極妖星動,園陵殺氣平。空餘金碗出,無複穗帷輕。
毀廟天飛雨,焚宮火徹明。罘罳朝共落,棆桷夜同傾。
三月師逾整,群凶勢就烹。瘡痍親接戰,勇決冠垂成。


(下し文) #3
宸極(しんきょく)妖星動き、園陵(えんりょう) 殺気 平かなり。
空しく余す金碗の出づるを、復た穗帷(けいい)の軽き無し。
毀廟(きびょう)天雨を飛ばし、焚宮(ふんきゅう)火明に徹す。
罘罳(ふし) 朝に共に落ち、棆桷(りんかく) 夜 同じく傾く。』
三月 師 逾々整い、羣胡 勢 烹(に)らるるに就く。
瘡痍(そうい) 親(みずか)ら接戦す、勇決(ゆうけつ) 垂成(すいせい)に冠たり。


(現代語訳)
大空の中心でかがやいているべき天子の星うすれ、不吉をあらわす星の彗星が光をうごかしている、歴代天子の山陵には殺伐の気がみなぎり、高い陵を平らにするほど高く被いみなぎっているのだ。
陵御陵に敬いのためともに埋葬された黄金の「わん」が掘りだされてまた、死者を人間界へ出だす様なことが盗賊の叛乱軍によってなされている、魏の曹操がした様に御陵を望んで伎楽を奏するために台上に軽らかに幔幕をはってこの地の気を安らかにするということはもうないのかもしれない。
叛乱軍が王朝軍の残党を追跡し、宗廟を打ち壊した、天はこれに悲しまれ大雨と風をふかせた、そして、宮殿を焚きごがし、その火は夜明けまで燃えて夜空を染めたのだ。
御殿の縁側に張られた鳥よけの網などのすべてが朝までに焼け落ち、くずれ落ちた、棆の木でできた窓格子の木は夜の間に同様に壊れ果てた。』
略奪をほしいままにしてきた者たちを757年6月に粛宗が即位し、足かけ3カ月経過することで王朝軍の師団は整備され臨戦態勢に入ってきた。乱暴狼籍のまの異民族の人間と、唐人の不満分子が入り混じるものたちもその勢が釜茹での刑に処せられそうな雲行きになって来たのだ。
この時、あなたは下あごの矢を受けた。身に傷をうけながら敵と戦をまじえられ、まずの成功に近いものであなたの勇決は第一等と賞されるものであった。


sas0033
(訳注) #3
宸極妖星動,園陵殺氣平。
大空の中心でかがやいているべき天子の星うすれ、不吉をあらわす星の彗星が光をうごかしている、歴代天子の山陵には殺伐の気がみなぎり、高い陵を平らにするほど高く被いみなぎっているのだ。
宸極 天の中心をいう、帝星の在る所。・宸 天子のおわすところ。天子の住まいの屋根。大空。仙界、天上、皇帝というものは一体化しており、ここでは大空の中で微動だにしない中心を言う。○妖星 不吉をあらわす星。彗星、ほうき星を指す。○動 星の光がうごく。○園陵 天子の山陵をいう。陵には園があって属する。鳳翔から長安まで歴代王朝皇帝陵がある。○殺気平 殺伐の気が高い陵を平らにおおう。


空餘金碗出,無複穗帷輕。
陵御陵に敬いのためともに埋葬された黄金の「わん」が掘りだされてまた、死者を人間界へ出だす様なことが盗賊の叛乱軍によってなされている、魏の曹操がした様に御陵を望んで伎楽を奏するために台上に軽らかに幔幕をはってこの地の気を安らかにするということはもうないのかもしれない。
空余 いたずらにそんなことがのこっている。金椀は黄金のお椀、陵墓中に葬った器物。出とは掘られて人間界へでること。皇帝の権威が落ち御陵を守る物が減って盛んに盗掘がなされることを言う。叛乱軍は組織的に盗掘した。○穗帷 穗は細くして目のあらい布、穗帷とはそれをもって作った幔幕。魏の曹操が死ぬとき遺言して銅爵台上に六尺の牀を施し穗帷を張り、その前に伎楽を奏して生日の如くし西陵(操の華を望ましめたとある。謝跳の「銅爵台」の詩に「繚惟ハ井幹二執り云々」とみえる。玄宗の陵墓を望んで伎楽を奏するものもないという意。
 
毀廟天飛雨,焚宮火徹明。

叛乱軍が王朝軍の残党を追跡し、宗廟を打ち壊した、天はこれに悲しまれ大雨と風をふかせた、そして、宮殿を焚きごがし、その火は夜明けまで燃えて夜空を染めたのだ。
毀廟 叛乱軍が洛陽・長安の宗廟をこわす。・毀1 破りこわす。「毀棄・毀傷・毀損/破毀」 2 悪口を言う。そしる。「毀誉/誹毀(ひき)・謗毀(ぼうき)廟にはそこを守る護軍隊が配置されていたので、軍が集結する恐れがあったので、軍事的に支配者の側は逃げ隠れしているものを追跡したことを言う。○天飛雨 雨は天の涙、天も悲感して雨をふらせる。○焚宮 南京の宮殿をやく。○徹明 明は天明、よあけ、徹はとおる、よあけまでとおしてもえる。


罘罳朝共落,棆桷夜同傾。』
御殿の縁側に張られた鳥よけの網などのすべてが朝までに焼け落ち、くずれ落ちた、棆の木でできた窓格子の木は夜の間に同様に壊れ果てた。』
罘罳 簷際(エンガワ)に張った鳥よけの網。『大雲寺贊公房四首 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 164』 「雨瀉暮簷竹,風吹春井芹。」とある。○棆桷 棆はクスに似る木、桷は格子になっている木を言う。○同傾 ひとしくゆがむ。


三月師逾整,群凶勢就烹。
略奪をほしいままにしてきた者たちを757年6月に粛宗が即位し、足かけ3カ月経過することで王朝軍の師団は整備され臨戦態勢に入ってきた。乱暴狼籍のまの異民族の人間と、唐人の不満分子が入り混じるものたちもその勢が釜茹での刑に処せられそうな雲行きになって来たのだ。
三月 玄宗が長安より逃げだしたのは757年天宝十五載(即ち至徳元載)の六月であり、この頃の年月計算は足かけを言うので6,7,8月が三カ月であるから作時の八月と合致する。○師逾整 唐王朝軍がいよいよ整う。時に王思礼は武功に軍し、王難得は西原に軍し、郭英乂は東原に軍した。○羣胡 もろもろの胡軍隊。異民族の人間と、唐人の不満分子が入り混じる。○就烹 釜茹での刑に処せられるような勢いになってきた。


瘡痍親接戰,勇決冠垂成。
この時、あなたは下あごの矢を受けた。身に傷をうけながら敵と戦をまじえられ、まずの成功に近いものであなたの勇決は第一等と賞されるものであった。
瘡痍 箭によるきり傷。致命傷ではない。○親接戦 英乂自身に敵と戦をまじえる。この年二月に安守忠が武功に寇(急襲)し、英乂は戦って不利な戦いをした。流失に頤(おとがい:したあご)を貫かれてが戦った。○勇決 勇武果決。○冠垂成 冠は他人の首となることをいう。垂成は成るになんなんとすること、功が成就しかけておることをいう。功垂レ成の時において英乂の勇武は第一である。

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kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首




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奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 189

奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 189
御史中丞郭英乂が太僕卿の官を兼ねながら、隴右節度使に充てられたのを送る詩。製作時は757年至徳二載の秋八月。

hinode0200

奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻
詔發山西將,秋屯隴右兵。淒涼餘部曲,燀赫舊家聲。
雕鶚乘時去,驊騮顧主鳴。艱難須上策,容易即前程。
斜日當軒蓋,高風卷旆旌。松悲天水冷,沙亂雪山清。#1

和虜猶懷惠,防邊詎敢驚。
異民族えびすと和睦するというのは彼等を我が唐からの恵みによって手懐けるためにするものである。いま辺境を防備するにあたってはどうやってこの地方の人々を驚かせる様にすることができるのだろうか。
古來於異域,鎮靜示專徵。
古來、朝廷の外国に対してのやりかたは、まずこちらはおちついてしずかにしていながら、いざという時に一気に征伐専行の権をもっていることを相手に示すことが大切なことなのである。』
燕薊奔封豕,周秦觸駭鯨。
燕薊の幽州地方では安禄山という大きいいのししが奔りだし、周の洛陽、秦の長安では鯨が大暴れして網にふれてそれをうち破る。
中原何慘黷,遺孽尚縱橫。
洛陽方面、黄河下流域はどうしてあんなにうすぐらくけがれているのか、安禄山の残した養子安慶緒の勢が横暴な振る舞いではびこっている。
箭入昭陽殿,笳吹細柳營。
長安の方では女官の居る昭陽殿に敵の矢がとびこみ、官軍の将軍の居る細柳の常には節の声が吹きならされている。
內人紅袖泣,王子白衣行。
#2
宮内に養われていた内人たちは紅の袖をきたまま泣いているし、王子たちは飾りもなにもない白衣のままで歩きさまよう有様であった。


宸極妖星動,園陵殺氣平。空餘金碗出,無複穗帷輕。
毀廟天飛雨,焚宮火徹明。罘罳朝共落,棆桷夜同傾。
三月師逾整,群凶勢就烹。瘡痍親接戰,勇決冠垂成。#3
妙譽期元宰,殊恩且列卿。幾時回節鉞,戮力掃欃槍?
圭竇三千士,雲梯七十城。恥非齊說客,秖似魯諸生。
通籍微班忝,周行獨坐榮。隨肩趨漏刻,短發寄簪纓。#4
徑欲依劉表,還疑厭隬衡。漸衰那此別,忍淚獨含情。
廢邑狐狸語,空村虎豹爭。人頻墜塗炭,公豈忘精誠。
元帥調新律,前軍壓舊京。安邊仍扈從。莫作後功名。#5

#1
詔して山西の将を発し、秋 隴右(ろうう)の兵を屯せしむ。
凄涼 部曲余る、燀赫(せきかく) 家声旧りたり。
雕鶚(ちょうがく) 時に乗じて去る、驊騮(かりゅう) 主を顧みて鳴く。
艱難 上策を須(ま)つ 容易 前程に即く
斜日 軒蓋(けんがい)に当り、高風 旆旌(はいせい) を巻く。
松悲しみて 天水冷かに、沙乱れて 雪山清し。
#2
虜に和するすら猶 恵に懐(な)つく、辺を防ぐに 詎(なん)ぞ敢て驚かさんや。
古来 異域に於ける、鎮静にして 専征を示す。
燕薊(えんけい) 封豕(ほうし)奔(はし)り、周秦 駭鯨(がいけい)触る。
中原何ぞ慘黷(しんとく)なる、遺孽(いげつ) 尚 縦横たり。
箭は入る昭陽殿、節は吹かる細柳の営。
内人 紅袖(こうしゅう)に泣き、王子白衣行く。

#3
宸極(しんきょく)妖星動き、園陵(えんりょう) 殺気 平かなり。
空しく余す金碗の出づるを、復た穗帷(けいい)の軽き無し。
毀廟(きびょう)天雨を飛ばし、焚宮(ふんきゅう)火明に徹す。
罘罳(ふし) 朝に共に落ち、棆桷(りんかく) 夜 同じく傾く。』
三月 師 逾々整い、羣胡 勢 烹(に)らるるに就く。
瘡痍(そうい) 親(みずか)ら接戦す、勇決(ゆうけつ) 垂成(すいせい)に冠たり。
#4
妙誉(みょうよ) 元宰(げんさい)を期す、殊恩(しゅおん)且つ列卿(れつけい)。
幾時か 節鉞(せつえつ)を廻らし、力を戮(あ)わせて欃槍(ざんそう)を掃わん』
圭竇(けいとう) 三千の士、雲梯(うんてい)七十城。
恥ずらくは 斉の説客に非るを、秖(ただ)魯の諸生(しょせい)に似たり。
通籍(つうせき) 徴班(びはん)を忝(かたじけな)くす、周行(しゅうこう) 独坐 栄ゆ。
肩を随えて漏刻(ろうこく)に趨(おもむ)き、短髪 簪纓(しんえい)に寄す。
#5
径(ただちに)に劉表(りゅうひょう)に依らんと欲す、還た疑う隬衡(でいこう)を厭(いと)わんかと。
漸(ようや)く衰(おとろ)う 那ぞ此に別れん,淚を忍びて獨り情を含む。』
廃邑(はいゆう) 狐狸(こり) 語り、空邨(くうそん) 虎豹(こひょう)争う。
人頻(しき)りに塗炭(とたん)に墜つ、公豈(こうあ)に精誠(せいせい)を忘れんや。
元帥(げんすい) 新律(しんりつ)を調え、前軍(ぜんぐん) 旧京を圧す。
邊を安じて仍って扈從(こじゅう)し。功名に後(おく)るること作す莫れ

anshiRAN05

奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻 現代語訳と訳註
(本文) #2

和虜猶懷惠,防邊詎敢驚。
古來於異域,鎮靜示專徵。
燕薊奔封豕,周秦觸駭鯨。
中原何慘黷,遺孽尚縱橫。
箭入昭陽殿,笳吹細柳營。
內人紅袖泣,王子白衣行。

(下し文)
虜に和するすら猶 恵に懐(な)つく、辺を防ぐに 詎(なん)ぞ敢て驚かさんや。
古来 異域に於ける、鎮静にして 専征を示す。
燕薊(えんけい) 封豕(ほうし)奔(はし)り、周秦 駭鯨(がいけい)触る。
中原何ぞ慘黷(しんとく)なる、遺孽(いげつ) 尚 縦横たり。
箭は入る昭陽殿、節は吹かる細柳の営。
内人 紅袖(こうしゅう)に泣き、王子白衣行く。

(現代語訳)
異民族えびすと和睦するというのは彼等を我が唐からの恵みによって手懐けるためにするものである。いま辺境を防備するにあたってはどうやってこの地方の人々を驚かせる様にすることができるのだろうか。
古來、朝廷の外国に対してのやりかたは、まずこちらはおちついてしずかにしていながら、いざという時に一気に征伐専行の権をもっていることを相手に示すことが大切なことなのである。』
燕薊の幽州地方では安禄山という大きいいのししが奔りだし、周の洛陽、秦の長安では鯨が大暴れして網にふれてそれをうち破る。
洛陽方面、黄河下流域はどうしてあんなにうすぐらくけがれているのか、安禄山の残した養子安慶緒の勢が横暴な振る舞いではびこっている。
長安の方では女官の居る昭陽殿に敵の矢がとびこみ、官軍の将軍の居る細柳の常には節の声が吹きならされている。
宮内に養われていた内人たちは紅の袖をきたまま泣いているし、王子たちは飾りもなにもない白衣のままで歩きさまよう有様であった。

tsuki0882

(訳注)#2
和虜猶懷惠,防邊詎敢驚。
異民族えびすと和睦するというのは彼等を我が唐からの恵みによって手懐けるためにするものである。いま辺境を防備するにあたってはどうやってこの地方の人々を驚かせる様にすることができるのだろうか。
和虜 虜と和睦すること、虜とは夷狄をさす。○懐恵 こちらの恵みになつけるようにする。○防辺 国の辺地を防禦する。○驚震驚させることをいう。

古來於異域,鎮靜示專徵。』
古來、朝廷の外国に対してのやりかたは、まずこちらはおちついてしずかにしていながら、いざという時に一気に征伐専行の権をもっていることを相手に示すことが大切なことなのである。』
於異域 於とは対してはということ。異域は外国をいう、ここは隴右の辺境たる吐蕃の地などをさす。○鎮静 おちついてしずかにする。○示専 征示とは敵手にみせること、専征とは節度使は天子から征伐を専断施行してもよいとの権力を委任されてあることをさす。


燕薊奔封豕,周秦觸駭鯨。
燕薊の幽州地方では安禄山という大きいいのししが奔りだし、周の洛陽、秦の長安では鯨が大暴れして網にふれてそれをうち破る。
燕薊 燕は六国時の国名。薊は薊州、燕の都。共に今の河北省順天府の地、安禄山の根拠とする処。○封豕 大きいいのしし、安禄山をたとえていう。「左伝」に「呉ハ封家長蛇為り、以テ軍l上国二食セシム。」とみえる。○周秦 周は洛陽をいい、秦は長安をいう。○觸駭鯨 陳琳の檄に駭鯨ノ網二觸レルガ若し、とみえる。駭鯨はおどろく所の勢いのさま、觸とはあみにふれること。洛陽・長安を網に安禄山を鯨にたとえる。鯨がふれると網はめちゃめちゃに破られる。

中原何慘黷,遺孽尚縱橫。
洛陽方面、黄河下流域はどうしてあんなにうすぐらくけがれているのか、安禄山の残した養子安慶緒の勢が横暴な振る舞いではびこっている。
中原 河南地方、洛陽方面、黄河下流域。○ 無惨を或は惨に作るが、惨に従う。惨は混沌として清澄でないさま、頬はけがれる。○遺孽 孽は妾隷の子をいう、安禄山の残した養子安慶緒をさす。○縦横 勢いのはびこること。横暴な振る舞い。

箭入昭陽殿,笳吹細柳營。
長安の方では女官の居る昭陽殿に敵の矢がとびこみ、官軍の将軍の居る細柳の常には節の声が吹きならされている。
箭入 矢がとびこむ。○昭陽殿 昭陽は漢の成帝の皇后趙飛燕の妹の居った殿舎の名、ただし当時の唐人は飛燕を楊貴妃にたとえ、昭陽を貴妃の居所としてたとえ用いる例が多い。例えば哀江頭 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 162詩にも「昭陽殿裏第一ノ人」と見えるがごとくである。○笳吹 あしぶえが吹きならされる。吟とは音がすること。○細柳営 漢の周亜夫が兵を屯した処、陝西省西安府咸陽県の西南にある。ここは武将の営所をさす。


內人紅袖泣,王子白衣行。
宮内に養われていた内人たちは紅の袖をきたまま泣いているし、王子たちは飾りもなにもない白衣のままで歩きさまよう有様であった。
内人 玄宗は教坊を設けて伎女に歌舞を教え、そのすぐれたものを宜春院に入れたが、院に入ったものを内人という。梨園の弟子参照紅袖 あかいそで、伎女の装。○王子 諸王のこどもたち。○白衣行 粗服をつけて路にさまようこと。

哀王孫 杜甫140  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 140-#1



梨園の弟子
宮中に左教坊・右教坊なる教習所を設け、また梨園では、梨園の弟子とし、玄宗は唐の宮廷楽団を「立部伎」および「座部伎」に分け、「立部伎」は立ったままで演奏し、室外で行う比較的に規模の小さいもの。「座部伎」は室内で座って演奏し、規模は比較的大きく、豪華さと迫力を重んじるものだった。

 玄宗は、梨園で選び抜いた300人に自ら音楽を教え、間違いがあるとすぐに指摘し正すなど厳しく指導していた。その場所には、梨が多く植えられていたことから「梨園」といわれている。唐玄宗の指導を受けた300人は後に、梨園弟子と呼ばれた。演出に参加した数百人の女官も梨園弟子と呼ばれた。ここの楽人をいう。また、西域から外来音楽を好んで移入したために、その曲調は広まり、のちの詞のメロディーにも影響する。

参考
本ブログで2011/9/25~2011/10/4 玄宗皇帝について(1)~(9)に詳しく述べている。

古風五十九首 其二十三 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白166
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觀放白鷹 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白169 玄宗〈2〉
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李 白 詩
唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
杜 甫 詩
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奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 188

奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 188
御史中丞郭英乂が太僕卿の官を兼ねながら、隴右節度使に充てられたのを送る詩。製作時は757年至徳二載の秋八月。 5分割で掲載、その1回目。


奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻

このたび、太樸卿を兼ね隴右節度使に充てられた 郭英乂 中丞に送り奉ります 三十韻の詩。
詔發山西將,秋屯隴右兵。
このたび粛宗皇帝の詔を以て山西出身の将であるあなたを出発させ、秋の時節に瀧右での兵卒を駐屯せしめられることとなった。
淒涼餘部曲,燀赫舊家聲。
隴右ではあなたの父君に仕えた部隊の部、曲のものが不安な気もちをしながらのこっている、あなたとあなたの家の名声は今に始まったことではないのです。
雕鶚乘時去,驊騮顧主鳴。
あなたはこの秋に乗じて雕鶚(くまたか)のようにあちらへゆかれるのであるが、驊騮の駿馬のように旧主をふりかえって嘶くことでありましょう。
艱難須上策,容易即前程。
今、都が落されるという国家の存亡、艱難辛苦の時で之を救うには最上のはかりごとを要することである。だからあなたは準備周到迅速にこれから先の作戦に応じた旅程にとりかかられるのである。
斜日當軒蓋,高風卷旆旌。
あなたの西に行く先には、夕日が馬車の防護蓋に照らしかけて、して、西からのたかく吹く秋の風が旌旗などをふきまくる、
松悲天水冷,沙亂雪山清。#1

天水のあたりでは西風が松の音を悲しみの声にしてすべてを冷たくするのだ、沙嵐もあるが遠く雪山の清き姿を望むことであろう。

和虜猶懷惠,防邊詎敢驚。古來於異域,鎮靜示專徵。
燕薊奔封豕,周秦觸駭鯨。中原何慘黷,遺孽尚縱橫。
箭入昭陽殿,笳吹細柳營。內人紅袖泣,王子白衣行。#2
宸極妖星動,園陵殺氣平。空餘金碗出,無複穗帷輕。
毀廟天飛雨,焚宮火徹明。罘罳朝共落,棆桷夜同傾。
三月師逾整,群凶勢就烹。瘡痍親接戰,勇決冠垂成。#3
妙譽期元宰,殊恩且列卿。幾時回節鉞,戮力掃欃槍?
圭竇三千士,雲梯七十城。恥非齊說客,秖似魯諸生。
通籍微班忝,周行獨坐榮。隨肩趨漏刻,短發寄簪纓。#4
徑欲依劉表,還疑厭隬衡。漸衰那此別,忍淚獨含情。
廢邑狐狸語,空村虎豹爭。人頻墜塗炭,公豈忘精誠。
元帥調新律,前軍壓舊京。安邊仍扈從。莫作後功名。#5

#1
詔して山西の将を発し、秋 隴右(ろうう)の兵を屯せしむ。
凄涼 部曲余る、燀赫(せきかく) 家声旧りたり。
雕鶚(ちょうがく) 時に乗じて去る、驊騮(かりゅう) 主を顧みて鳴く。
艱難 上策を須(ま)つ 容易 前程に即く
斜日 軒蓋(けんがい)に当り、高風 旆旌(はいせい) を巻く。
松悲しみて 天水冷かに、沙乱れて 雪山清し。

#2
虜に和するすら猶 恵に懐(な)つく、辺を防ぐに 詎(なん)ぞ敢て驚かさんや。
古来 異域に於ける、鎮静にして 専征を示す。
燕薊(えんけい) 封豕(ほうし)奔(はし)り、周秦 駭鯨(がいけい)触る。
中原何ぞ慘黷(しんとく)なる、遺孽(いげつ) 尚 縦横たり。
箭は入る昭陽殿、節は吹かる細柳の営。
内人 紅袖(こうしゅう)に泣き、王子白衣行く。
#3
宸極(しんきょく)妖星動き、園陵(えんりょう) 殺気 平かなり。
空しく余す金碗の出づるを、復た穗帷(けいい)の軽き無し。
毀廟(きびょう)天雨を飛ばし、焚宮(ふんきゅう)火明に徹す。
罘罳(ふし) 朝に共に落ち、棆桷(りんかく) 夜 同じく傾く。』
三月 師 逾々整い、羣胡 勢 烹(に)らるるに就く。
瘡痍(そうい) 親(みずか)ら接戦す、勇決(ゆうけつ) 垂成(すいせい)に冠たり。

妙誉(みょうよ) 元宰(げんさい)を期す、殊恩(しゅおん)且つ列卿(れつけい)。
幾時か 節鉞(せつえつ)を廻らし、力を戮(あ)わせて欃槍(ざんそう)を掃わん』
圭竇(けいとう) 三千の士、雲梯(うんてい)七十城。
恥ずらくは 斉の説客に非るを、秖(ただ)魯の諸生(しょせい)に似たり。
通籍(つうせき) 徴班(びはん)を忝(かたじけな)くす、周行(しゅうこう) 独坐 栄ゆ。
肩を随えて漏刻(ろうこく)に趨(おもむ)き、短髪 簪纓(しんえい)に寄す。
径(ただちに)に劉表(りゅうひょう)に依らんと欲す、還た疑う隬衡(でいこう)を厭(いと)わんかと。
漸(ようや)く衰(おとろ)う 那ぞ此に別れん,淚を忍びて獨り情を含む。』
廃邑(はいゆう) 狐狸(こり) 語り、空邨(くうそん) 虎豹(こひょう)争う。
人頻(しき)りに塗炭(とたん)に墜つ、公豈(こうあ)に精誠(せいせい)を忘れんや。
元帥(げんすい) 新律(しんりつ)を調え、前軍(ぜんぐん) 旧京を圧す。
邊を安じて仍って扈從(こじゅう)し。功名に後(おく)るること作す莫れ


奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻 現代語訳と訳註
(本文)
#1

詔發山西將,秋屯隴右兵。淒涼餘部曲,燀赫舊家聲。
雕鶚乘時去,驊騮顧主鳴。艱難須上策,容易即前程。
斜日當軒蓋,高風卷旆旌。松悲天水冷,沙亂雪山清。

(下し文)
(郭中丞、太樸卿を兼ね隴右節度使に充てられたのを送り奉る 三十韻)
詔して山西の将を発し、秋 隴右(ろうう)の兵を屯せしむ。
凄涼 部曲余る、燀赫(せきかく) 家声旧りたり。
雕鶚(ちょうがく) 時に乗じて去る、驊騮(かりゅう) 主を顧みて鳴く。
艱難 上策を須(ま)つ 容易 前程に即く
斜日 軒蓋(けんがい)に当り、高風 旆旌(はいせい) を巻く。
松悲しみて 天水冷かに、沙乱れて 雪山清し。

(現代語訳)
このたび、太樸卿を兼ね隴右節度使に充てられた 郭英乂 中丞に送り奉ります 三十韻の詩。
このたび粛宗皇帝の詔を以て山西出身の将であるあなたを出発させ、秋の時節に瀧右での兵卒を駐屯せしめられることとなった。
隴右ではあなたの父君に仕えた部隊の部、曲のものが不安な気もちをしながらのこっている、あなたとあなたの家の名声は今に始まったことではないのです。
あなたはこの秋に乗じて雕鶚(くまたか)のようにあちらへゆかれるのであるが、驊騮の駿馬のように旧主をふりかえって嘶くことでありましょう。
今、都が落されるという国家の存亡、艱難辛苦の時で之を救うには最上のはかりごとを要することである。だからあなたは準備周到迅速にこれから先の作戦に応じた旅程にとりかかられるのである。
あなたの西に行く先には、夕日が馬車の防護蓋に照らしかけて、西からのたかく吹く秋の風が旌旗などにふきつけまくる。
天水のあたりでは西風が松の音を悲しみの声にしてすべてを冷たくするのだ、沙嵐もあるが遠く雪山の清き姿を望むことであろう。

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(訳注)
奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻 #1
(郭中丞、太樸卿を兼ね隴右節度使に充てられたのを送り奉る 三十韻)
このたび、太樸卿を兼ね隴右節度使に充てられた 郭英乂 中丞に送り奉ります 三十韻の詩。
郭中丞 御史中丞郭英乂。○太樸卿 太樸寺の卿の官。○隴右節度使 唐の隴右道は鄯州(甘粛省西寧府碾伯県治)に治する。節度使はその軍務の長官。

杜甫乱前後の図003鳳翔


詔發山西將,秋屯隴右兵。
このたび粛宗皇帝の詔を以て山西出身の将であるあなたを出発させ、秋の時節に瀧右での兵卒を駐屯せしめられることとなった。
山西将 「漢書」超充国伝に「山東ハ相ヲ出シ、山西ハ将ヲ出ス。」とみえる。山は大行山をいう。郭英乂は瓜州長楽の人(瓜州は今の甘粛省安西州治)ゆえ山西の将という。○ とどまらせておく。駐屯。


淒涼餘部曲,燀赫舊家聲。
隴右ではあなたの父君に仕えた部隊の部、曲のものが不安な気もちをしながらのこっている、あなたとあなたの家の名声は今に始まったことではないのです。
淒涼 ものがなしいさま。○余部曲 部曲は小部隊、余とはまだのこっておることをいう。英乂の父は知運といい、鄯州都督、隴右諸軍節度大使で、英乂は父の功により官に任ぜられたもの。其の軍の配下にかつて父の時の部隊であったものが残っているという。漢以来、大将軍に配下が五部あり、部に校尉一人、部の下に曲、曲に軍候一人で構成されていた。○燀赫 燀はあついこと、烜(けん)は火の明かなこと、赫は火のあかいこと。○旧 ふるびていること、父親以来のことであるからである。○家声 家名のこと。


雕鶚乘時去,驊騮顧主鳴。
あなたはこの秋に乗じて雕鶚(くまたか)のようにあちらへゆかれるのであるが、驊騮の駿馬のように旧主をふりかえって嘶くことでありましょう。
雕鶚 千里を見渡して獲物をとるというくまたか、たかの類。英父をたとえていう。○乗時 時節につけこんで。秋の節にあたっていることをいう。○驊騮 千里を駆け抜ける名馬、英乂をいう。○顧主 主は主人、天子をさす。
 
艱難須上策,容易即前程。
今、都が落されるという国家の存亡、艱難辛苦の時で之を救うには最上のはかりごとを要することである。だからあなたは準備周到迅速にこれから先の作戦に応じた旅程にとりかかられるのである。
難難 国家のなんぎ。安禄山の反乱がおこっていること。○須上策 須つとはいりようのこと、上策は最上のはかりごと。○容易 準備周到迅速に。○即前程 これから先の作戦に応じた旅程をいう。


斜日當軒蓋,高風卷旆旌。
あなたの西に行く先には、夕日が馬車の防護蓋に照らしかけて、西からのたかく吹く秋の風が旌旗などにふきつけまくる。
斜日 ゆうひ。○軒蓋 くるまの防護の蓋かさ。○高風 西からのたかく吹く風、秋の風。○卷旆旌 はたをふきまく。

松悲天水冷,沙亂雪山清。
天水のあたりでは西風が松の音を悲しみの声にしてすべてを冷たくするのだ、沙嵐もあるが遠く雪山の清き姿を望むことであろう。
松悲 松風の音もかなしげである。○天水 郡の名、甘粛省秦州西南。○雪山 甘粛省蘭州府河州の西南にあり、雪嶺ともいう。


和虜猶懷惠,防邊詎敢驚
異民族えびすと和睦するというのは彼等を我が唐からの恵みによって手懐けるためにするものである。いま辺境を防備するにあたってはどうやってこの地方の人々を驚かせる様にすることができるのだろうか。
和虜 虜と和睦すること、虜とは夷狄をさす。○懐恵 こちらの恵みになつけるようにする。○防辺 国の辺地を防禦する。○驚震驚させることをいう。


古來於異域,鎮靜示專徵。』
古來、朝廷の外国に対してのやりかたは、まずこちらはおちついてしずかにしていながら、いざという時に一気に征伐専行の権をもっていることを相手に示すことが大切なことなのである。』
於異域 於とは対してはということ。異域は外国をいう、ここは隴右の辺境たる吐蕃の地などをさす。○鎮静 おちついてしずかにする。○示専 征示とは敵手にみせること、専征とは節度使は天子から征伐を専断施行してもよいとの権力を委任されてあることをさす。


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唐宋詩 
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奉贈嚴八閣老 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 187

奉贈嚴八閣老 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 187
厳八閣老に贈った詩。製作時は至徳二載。

奉贈嚴八閣老
門下省厳武閣老 にこの詩を贈り奉ります。
扈聖登黃閣,明公獨妙年。
玄武閣老はこの行在所において我が天子粛宗に付き随って黄閣に登るものになった、貴殿は門下省黄閣門にのぼる中ではあなたが一人年がわかいのである。
蛟龍得雲雨,雕鶚在秋天。
そのことはたとえば蛟竜が雲や雨を得たようなものであり、また雕鶚(くまだか)が秋の空に飛んでいるようなものである。
客禮容疏放,官曹許接聯。
あなたは賓客にたいする礼を以てわたしにたいしてくれる、そして、わたしの馴れ合い言葉をおおめにみてくれ、同省同士で連棟のなかで続き部屋にすることを許されたのである。
新詩句句好,應任老夫傳。
あなたの最近の作詩はどの句も皆いいものである。それはこのわたしをして自由に世間に伝えさせてくれること任せてくれているからである。

(厳八閣老に贈り奉る)
聖に扈して黄閣に登る、明公独り妙年なり。
蛟竜雲雨を得、雕鶚秋天に在り。
客礼疎放を容る、官曹接聯す可し。
新詩句句好し、応に老犬が伝うるに任すなるべし。

kairo10682

奉贈嚴八閣老 現代語訳と訳註
(本文)
奉贈嚴八閣老
扈聖登黃閣,明公獨妙年。
蛟龍得雲雨,雕鶚在秋天。
客禮容疏放,官曹許接聯。
新詩句句好,應任老夫傳。

(下し文) (厳八閣老に贈り奉る)
聖に扈して黄閣に登る、明公独り妙年なり。
蛟竜雲雨を得、雕鶚秋天に在り。
客礼疎放を容る、官曹接聯す可し。
新詩句句好し、応に老犬が伝うるに任すなるべし。


(現代語訳)
門下省厳武閣老 にこの詩を贈り奉ります。
玄武閣老はこの行在所において我が天子粛宗に付き随って黄閣に登るものになった、貴殿は門下省黄閣門にのぼる中ではあなたが一人年がわかいのである。
そのことはたとえば蛟竜が雲や雨を得たようなものであり、また雕鶚(くまだか)が秋の空に飛んでいるようなものである。
あなたは賓客にたいする礼を以てわたしにたいしてくれる、そして、わたしの馴れ合い言葉をおおめにみてくれ、同省同士で連棟のなかで続き部屋にすることを許されたのである。
あなたの最近の作詩はどの句も皆いいものである。それはこのわたしをして自由に世間に伝えさせてくれること任せてくれているからである。

miyajima 693


(訳注)
奉贈巌八閣老
(巌八閣老に贈り奉る)
門下省厳武閣老 にこの詩を贈り奉ります。
厳八 厳八は厳武、厳武の父挺之は作者の友人であり、武は後輩である。杜甫の強力な援助者である。特に成都紀行、成都浣花渓草堂期に世話になる。厳武が没して成都を離れる。 ○閣老 唐人は給事中をよぶのに閣老といった。また、宰相は堂老といい、両省のものは閣老といった。閣老は両省呼びあうので、給事中をよぶのに限られるわけではない。又このとき厳武は給事中、杜甫は左拾遺であるから同じく門下省に属し同省であるが、両省で呼び合う口称しあったとおもわれる。


扈聖登黃閣,明公獨妙年。(聖に扈(こ)して黄閣に登る、明公独り妙年なり。)
玄武閣老はこの行在所において我が天子粛宗に付き随って黄閣に登るものになった、貴殿は門下省黄閣門にのぼる中ではあなたが一人年がわかいのである。
○扈 あとにしたがうこと。 ○ 聖天子。 粛宗のこと。○黄閣 門下省をいう。閣は閤である、閤は爽室、又は楼観の通名で、閤は日華門の門傍の小戸であり、黄を以て門に塗った日華門の隣に位置し、門下省も一部黄を以て門に塗ったので黄閤という、杜詩の黄閣はみな黄閤に改めて読むべきである。
明公 聡明な人、武をさす。 ○妙年 としわか。厳武は房増の薦めにより給事中となった、時に年三十一。 


蛟龍得雲雨,雕鶚在秋天。(蛟竜雲雨を得、雕鶚秋天に在り。)
そのことはたとえば蛟竜が雲や雨を得たようなものであり、また雕鶚(くまだか)が秋の空に飛んでいるようなものである。
蛟竜得雲雨 「呉志」に周喩が劉備を評した言に「較竃雲雨ヲ得レバ、終二池中ノ物二非ズ。」とある。○雕鶚 くまだかの類。『奉贈鮮於京兆二十韻』 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 53
秋天 秋のそら、たかの類は秋から冬になって勢いをふるう。


客禮容疏放,官曹許接聯。(そのことはたとえば蛟竜が雲や雨を得たようなものであり、また雕鶚(くまだか)が秋の空に飛んでいるようなものである。)
あなたは賓客にたいする礼を以てわたしにたいしてくれる、そして、わたしの馴れ合い言葉をおおめにみてくれ、同省同士で連棟のなかで続き部屋にすることを許されたのである。
客礼 賓客としての礼をつくす。 ○ 武がいれてくれる、寛大にとりあつかうこと。 ○疎放 杜甫のむとんじゃく。馴れ合い言葉。 ○官曹 役所の部屋。○接聯 つづく。


新詩句句好,應任老夫傳。(新詩句句好し、応に老犬が伝うるに任すなるべし。)
あなたの最近の作詩はどの句も皆いいものである。それはこのわたしをして自由に世間に伝えさせてくれること任せてくれているからである。
新詩 武があらたにつくる詩。○老夫 作者自ずからをいう。 ○ 世人につたえる。

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「月」 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 186

「月」 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 186
鳳翔にあって月をみてよんだ。蓋し至徳二載七月の作。

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天上秋期近,人間月影清。
天上の星の動きでは、秋のあるべきことが時と共に近づいている、人の間でも秋の変化が感じられ、月のひかりが清らかにみえるようになった。
入河蟾不沒,搗藥兔長生。
天の川の中へと月のひきがえるが入り込むがそのなかにかくれられはしない。 月の世界では兎が不老長寿の媚薬、仙薬を搗いていて、いつまでも生きていている。 
只益丹心苦,能添白發明。
只だこの月の光の冴えはただ自分の心の真っ赤に燃える中心を苦しみをますものであり、このようにあかるければ、ただでさえ見える白髪のあかるさを一層あかるくしてめだてさせてくれるのである。 
干戈知滿地,休照國西營。
盾と矛戈によって兵乱はどこでも繰り広げられている。だからお月さまも国西にあたるこの鳳翔の軍営は遠慮して照らさぬ様にしてもらいたい。(若し明るく照らせば軍兵士もわたしと同じように悲しみを隠すことができないであろうとおもう。

天上秋期近く、人間 月影 清し。
河に入りて 蟾 没せず、薬を搗いて 兔長 生す。
只だ丹心の苦しきを益す、能く白髪の明なるを添う。
干戈 知る 満地、国西の営を照らすことを休めよ。

tsuki001


「月」 現代語訳と訳註
(本文)

天上秋期近,人間月影清。
入河蟾不沒,搗藥兔長生。
只益丹心苦,能添白發明。
干戈知滿地,休照國西營。

(下し文)
天上秋期近く、人間 月影 清し。
河に入りて 蟾 没せず、薬を搗いて 兔長 生す。
只だ丹心の苦しきを益す、能く白髪の明なるを添う。
干戈 知る 満地、国西の営を照らすことを休めよ。


(現代語訳)
天上の星の動きでは、秋のあるべきことが時と共に近づいている、人の間でも秋の変化が感じられ、月のひかりが清らかにみえるようになった。
天の川の中へと月のひきがえるが入り込むがそのなかにかくれられはしない。 月の世界では兎が不老長寿の媚薬、仙薬を搗いていて、いつまでも生きていている。 
只だこの月の光の冴えはただ自分の心の真っ赤に燃える中心を苦しみをますものであり、このようにあかるければ、ただでさえ見える白髪のあかるさを一層あかるくしてめだてさせてくれるのである。 
盾と矛戈によって兵乱はどこでも繰り広げられている。だからお月さまも国西にあたるこの鳳翔の軍営は遠慮して照らさぬ様にしてもらいたい。(若し明るく照らせば軍兵士もわたしと同じように悲しみを隠すことができないであろうとおもう。 

(訳注)
天上秋期近,人間月影清。

天上の星の動きでは、秋のあるべきことが時と共に近づいている、人の間でも秋の変化が感じられ、月のひかりが清らかにみえるようになった
天上:人間  秋期:月影  近:清。


入河蟾不沒,搗藥兔長生。
天の川の中へと月のひきがえるが入り込むがそのなかにかくれられはしない。 月の世界では兎が不老長寿の媚薬、仙薬を搗いていて、いつまでも生きていている。 
〇入 河はあまのがわ。○涼蟾 秋の月をいう。月のなかには蟾蜍(ひきがえる)がいると考えられたことから、「蟾」は月の別称に用いられる。河内詩二首 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 126『燕臺詩四首 其三』燕臺詩四首 其四 冬#1 李商隠134 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 134-1 柳 李商隠李商隠 7 無題(颯颯東風細雨來)○搗薬 月の中には兎がいて薬をつくと考えられていた。月中には桂の樹があり、また兎がすむと伝説される。兎は、愛の妙薬を臼でついている。月の影の部分。陰暦の十六日の月。新月前後のかすかな光。月の欠けるのは蛙が食べているという伝説もある。


只益丹心苦,能添白發明。
只だこの月の光の冴えはただ自分の心の真っ赤に燃える中心を苦しみをますものであり、このようにあかるければ、ただでさえ見える白髪のあかるさを一層あかるくしてめだてさせてくれるのである。 
丹心苦 中心の苦しみ。 ○白髪明 しらががはっきりみえること。


干戈知滿地,休照國西營。
盾と矛戈によって兵乱はどこでも繰り広げられている。だからお月さまも国西にあたるこの鳳翔の軍営は遠慮して照らさぬ様にしてもらいたい。(若し明るく照らせば軍兵士もわたしと同じように悲しみを隠すことができないであろうとおもう。 
干戈 たで、ほこ、兵乱をいう。○満地 世間いっぱいに。休○休照 若し営を照らすならば軍士はみな月を見て帰家の念を起して悲しむであろう、故に「照らすことをやめよ」という。此の詩は一々たとえとして時事にひきつけてとく解があるが、今は取らぬ。○国西営 国とは国都長安をいい、国西とは鳳翔をさしていう、営は屯兵の合。


杜甫の詩に白髪の語が多く使われ始めた初めのころのものである。これまでは「二毛」という表現であった。
得家書 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 181
751年の作。『樂遊園歌』杜甫において初めて「白髪」を使っているがこの時4~5本の白髪といっているのである。それから756年「二毛」になる。そして757年秋7月にはただ「白発」に変わっている。そしてさらに変化していく。それは、漢を辞して華州、秦州へと紀行を始める前後からの心痛により「白髪」が一気に増加していくのである。


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送從弟亞赴河西判官 #3 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 185

送從弟亞赴河西判官 #3 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 185
いとこの杜亜が河西節度使の判官となって赴任するのを送る詩である。製作時は至徳二載の夏、鳳翔にあって作る。
至徳二載 757年 46歳


送從弟亞赴河西判官
#1
南風作秋聲,殺氣薄炎熾。盛夏鷹隼擊,時危異人至。』
令弟草中來,蒼然請論事。詔書引上殿,奮舌動天意。
兵法五十家,爾腹為篋笥。應對如轉丸,疏通略文字。
經綸皆新語,足以正神器。』#1
#2
宗廟尚為灰,君臣俱下淚。崆峒地無軸,青海天軒輊。
西極最瘡痍,連山暗烽燧。』
帝曰大布衣,藉卿佐元帥。坐看清流沙,所以子奉使。
歸當再前席,適遠非歷試。須存武威郡,為畫長久利。』#2
#3
孤峰石戴驛,快馬金纏轡。
君の通過する幹道では、所によっては単独に山が聳えて、駅路が巌石のうえにのっているようなところがあるのだ、そこを速足の馬が黄金で纏い飾った手綱をくりながら駆ってゆくのである。
黃羊飫不羶,蘆酒多還醉。
途中では臭くない黄羊の肉を十分食べたらよい、そして、いくら蘆酒といっても、たくさん呑めばやっぱり酔うこともあるであろう。
踴躍常人情,慘澹苦士誌。
このたびのように一官にありついて躍り上がって喜ぶのは凡人の情である、志士のこころはかえって苦しいことにあたって惨澹たるものがあるものなのだ。
安邊敵何有,反正計始遂。』
きみが西域の辺地を安寧にすることは請け合いで敵などにはならないものだ、君の子の赴任の旅によって我が天下を正常なものへとってかえすはかりごとの初めの一歩であるから成し遂げるのである。』
吾聞駕鼓車,不合用騏驥。
わたしが聞き及んだところ、太鼓をのせる車などをひかせることであるが、それを騏驥の名馬を用いることはないだろう。
(私が知ってるくらいのことで誰もが知っていることだ、君を河西の判官ぐらいに用いておくというのは騏驥に鼓車をひかせるというものと同じだ。)

龍吟回其頭,夾輔待所致。』
#3
君は龍のように風雲をかき集め、号令一下、頭を西から東へむけかえるのだ、そうすれば鳳翔にある行在所を本来の天子の王宮のある長安王明宮へもどりくることになり、左右の支えとしてお仕えすることになるのだ。


従弟亜が河西判官に赴くを送る
#1
南風秋声を作す、 殺気炎の熾なるに薄る。
盛夏鷹隼撃つ、 時危くして異人至る』
令弟草中より来る、 蒼然事を論ぜんと請う
詔書引いて殿に上らしむ、 舌を奮って天意を動かす
兵法五十家、 繭が腹筐笥為り
応対転丸の如く、 疎通文字を略す
経輪皆新語、 以て神器を正しくするに足れり』
#2
宗廟尚灰と為る、 君臣倶に涙を下す
崆峒地軸無く、 青海天軒輊す
西極最も瘡痍あり 連山烽燧暗し』
帝日く大布衣、 卿に藉りて元帥に佐たらしむと
坐ろに流沙を清むるを看ん、 子が使を奉ずる所以
帰らば当に再び席を前むべし、 遠きに適くは歴試するに非ず。
須らく武威郡を存し、 為めに長久の利を画すべし。』
#3
孤峰 石 駅を戴き、 快馬 金 轡を纏う。
黄羊飫けども羶ならず 蘆酒多ければ還た酔う
踴躍するは常人の情なり、 惨澹たるは苦士の志なり。
辺を安んずる敵何か有らん、 正に反えす計始めて遂げ
ん。』
吾聞く鼓車に駕するには、 騏驥を用う合らずと。
竜吟 其の頭を廻らさん、 爽輔致す所を待つ。』


杜甫図陝西甘粛


送從弟亞赴河西判官 #3  現代語訳と訳註
(本文) #3

孤峰石戴驛,快馬金纏轡。
黃羊飫不羶,蘆酒多還醉。
踴躍常人情,慘澹苦士誌。
安邊敵何有,反正計始遂。』
吾聞駕鼓車,不合用騏驥。
龍吟回其頭,夾輔待所致。』#3


(下し文) #3
孤峰 石 駅を戴き、 快馬 金 轡を纏う。
黄羊飫けども羶ならず 蘆酒多ければ還た酔う
踴躍するは常人の情なり、 惨澹たるは苦士の志なり。
辺を安んずる敵何か有らん、 正に反えす計始めて遂げ
ん。』
吾聞く鼓車に駕するには、 騏驥を用う合らずと。
竜吟 其の頭を廻らさん、 爽輔致す所を待つ。』

(現代語訳)
君の通過する幹道では、所によっては単独に山が聳えて、駅路が巌石のうえにのっているようなところがあるのだ、そこを速足の馬が黄金で纏い飾った手綱をくりながら駆ってゆくのである。
途中では臭くない黄羊の肉を十分食べたらよい、そして、いくら蘆酒といっても、たくさん呑めばやっぱり酔うこともあるであろう。
このたびのように一官にありついて躍り上がって喜ぶのは凡人の情である、志士のこころはかえって苦しいことにあたって惨澹たるものがあるものなのだ。
きみが西域の辺地を安寧にすることは請け合いで敵などにはならないものだ、君の子の赴任の旅によって我が天下を正常なものへとってかえすはかりごとの初めの一歩であるから成し遂げるのである。』
わたしが聞き及んだところ、太鼓をのせる車などをひかせることであるが、それを騏驥の名馬を用いることはないだろう。
(私が知ってるくらいのことで誰もが知っていることだ、君を河西の判官ぐらいに用いておくというのは騏驥に鼓車をひかせるというものと同じだ。)
君は龍のように風雲をかき集め、号令一下、頭を西から東へむけかえるのだ、そうすれば鳳翔にある行在所を本来の天子の王宮のある長安王明宮へもどりくることになり、左右の支えとしてお仕えすることになるのだ。


(訳注)
孤峰石戴驛,快馬金纏轡。
君の通過する幹道では、所によっては単独に山が聳えて、駅路が巌石のうえにのっているようなところがあるのだ、そこを速足の馬が黄金で纏い飾った手綱をくりながら駆ってゆくのである。
孤峰 一つの峰。○石戴駅 駅路が巌石のうえについている。○快馬 あしのはやい鳥。○金纏轡 黄金でたづなの飾りをつける。
 
黃羊飫不羶,蘆酒多還醉。
途中では臭くない黄羊の肉を十分食べたらよい、そして、いくら蘆酒といっても、たくさん呑めばやっぱり酔うこともあるであろう。
黄羊 黄色毛の羊、羊の一種。○ 羶は羊の肉のこと。ヒツジの臭いという意味の字である。○蘆酒 あしのくだで吸ってのむ酒。あまり濃くないが、しかし多くのめば酔うという。蘆酒特曲という酒があるらしい。


踴躍常人情,慘澹苦士誌。
このたびのように一官にありついて躍り上がって喜ぶのは凡人の情である、志士のこころはかえって苦しいことにあたって惨澹たるものがあるものなのだ。
踴躍 このたびの大抜擢によろこんでおどりあがること、官に任ぜられた時の心もちをいう。○常人 ただびと。○惨澹 心を苦しめるさま。○苦士志 心を苦しめる人の志。さかさまに志士の苦み、士は亜をさすもの。


安邊敵何有,反正計始遂。』
きみが西域の辺地を安寧にすることは請け合いで敵などにはならないものだ、君の子の赴任の旅によって我が天下を正常なものへとってかえすはかりごとの初めの一歩であるから成し遂げるのである。』
安辺 西域の辺地、国境を安らかにする。○何有 無きが如くなることをいう。○反正 我が天下を正常なものへとってかえす。粛宗を復び長安に還御させることをさすものをいう。


吾聞駕鼓車,不合用騏驥。
わたしが聞き及んだところ、太鼓をのせる車などをひかせることであるが、それを騏驥の名馬を用いることはないだろう。
(私が知ってるくらいのことで誰もが知っていることだ、君を河西の判官ぐらいに用いておくというのは騏驥に鼓車をひかせるというものと同じだ。)
○駕鼓車 駕は馬を車のかじ棒につなぐこと、鼓車は太鼓をのせる車。鼓車に駕すとは鼓車につけてそれをひかせることをいう。儒教を重んじた後漢の光武帝の建武十三年に異国より名馬を献じたところが、光武は詔してその馬を鼓車に駕せしめたとの事がある。○ 俗語、まさに何々すべし。○麒駿 名馬駿馬。
 
龍吟回其頭,夾輔待所致。』#3
君は龍のように風雲をかき集め、号令一下、頭を西から東へむけかえるのだ、そうすれば鳳翔にある行在所を本来の天子の王宮のある長安王明宮へもどりくることになり、左右の支えとしてお仕えすることになるのだ。
竜吟 河西の地に向かう途中はりゅうでんせつのあるところで杜亜をたとえていう、吟は河西の地で兵を整えて号令をかけること。○廻其頭 河西の西地から都の東方へと頭をめぐらしてもどってくる。叛乱軍を東から攻めたてることは不可能であったのでこういう表現をしている。鳳翔にいる軍だけでは長安の叛乱軍を攻めることは難しかったのだ。○夾輔 「左伝」債公二十六年に「成王ヲ夾輔ス」の語があり、左右からはさんでだくようにしてたすけること。○待作者が亜に対して期待する。○所致 所は天子のいる場所、現在は鳳翔の行在所であるが、これはあくまで仮の朝廷であるもの、長安の王宮に戻らしめることを指すものである。

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送從弟亞赴河西判官 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 184

送從弟亞赴河西判官 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 184
いとこの杜亜が河西節度使の判官となって赴任するのを送る詩である。製作時は至徳二載の夏、鳳翔にあって作る。
至徳二載 757年 46歳


送從弟亞赴河西判官
#1
南風作秋聲,殺氣薄炎熾。盛夏鷹隼擊,時危異人至。』
令弟草中來,蒼然請論事。詔書引上殿,奮舌動天意。
兵法五十家,爾腹為篋笥。應對如轉丸,疏通略文字。
經綸皆新語,足以正神器。』#1
#2
宗廟尚為灰,君臣俱下淚。
今、叛乱軍によって宗廟は焼かれてまだ灰になってしまった、天子の臣下のものはみんなともに涙を流しているのだ。
崆峒地無軸,青海天軒輊。
行在所のある鳳翔はその背後に崆峒の地方があり、その地の生産性を支える軸無く、青海の地方は天さえあがった砂漠のようで行在所の先行きに不安をぬぐえないのである。
西極最瘡痍,連山暗烽燧。』
この西極の地は叛乱軍と野盗・盗賊入り混じって、最も刃傷をうけたものが多いのだ、そのため山々に昼夜とものろし火があがり世情を暗くとざしている。』
帝曰大布衣,藉卿佐元帥。
そういう不安地方に対して天子は君の策論をお聞きになるや、「一平民なる大人物よ、そなたに依頼して元帥の輔佐となることを命ずる。」とおおせられた。
坐看清流沙,所以子奉使。
君が河西の方へ使命を奉じてゆくその地を次第に、徐々に流沙の地方の戦塵を掃い清めてほしいのだ、このことをするため、判官として赴く君をみまもっているのである。
歸當再前席,適遠非歷試。
君が他日こちらへもどって来るときは天子は君の話に集中して座席の前へ身を前のめりになられることは予期されるが、今は君遠くへ赴任することになったのは、一々諸役を経て能力を試験されるのではない突然の大抜擢なのだ。
須存武威郡,為畫長久利。』
#2
君は赴任先の武威郡を朝廷の手に保存しぬくことだ、どうしても我が国家のために永遠の利益をはからねばならないのだ。』

#3
孤峰石戴驛,快馬金纏轡。黃羊飫不羶,蘆酒多還醉。
踴躍常人情,慘澹苦士誌。安邊敵何有,反正計始遂。』
吾聞駕鼓車,不合用騏驥。龍吟回其頭,夾輔待所致。』#3


従弟亜が河西判官に赴くを送る
#1
南風秋声を作す、 殺気炎の熾なるに薄る。
盛夏鷹隼撃つ、 時危くして異人至る』
令弟草中より来る、 蒼然事を論ぜんと請う
詔書引いて殿に上らしむ、 舌を奮って天意を動かす
兵法五十家、 繭が腹筐笥為り
応対転丸の如く、 疎通文字を略す
経輪皆新語、 以て神器を正しくするに足れり』
#2
宗廟尚灰と為る、 君臣倶に涙を下す
崆峒地軸無く、 青海天軒輊す
西極最も瘡痍あり 連山烽燧暗し』
帝日く大布衣、 卿に藉りて元帥に佐たらしむと
坐ろに流沙を清むるを看ん、 子が使を奉ずる所以
帰らば当に再び席を前むべし、 遠きに適くは歴試するに非ず。
須らく武威郡を存し、 為めに長久の利を画すべし。』
#3
孤峰 石 駅を戴き、 快馬 金 轡を纏う。
黄羊飫けども羶ならず 蘆酒多ければ還た酔う
踴躍するは常人の情なり、 惨澹たるは苦士の志なり。
辺を安んずる敵何か有らん、 正に反えす計始めて遂げ
ん。』
吾聞く鼓車に駕するには、 騏驥を用う合らずと。
竜吟 其の頭を廻らさん、 爽輔致す所を待つ。』

鳥居(1)

送從弟亞赴河西判官 #2 現代語訳と訳註
(本文) #2

宗廟尚為灰,君臣俱下淚。
崆峒地無軸,青海天軒輊。
西極最瘡痍,連山暗烽燧。』
帝曰大布衣,藉卿佐元帥。
坐看清流沙,所以子奉使。
歸當再前席,適遠非歷試。
須存武威郡,為畫長久利。』


(下し文) #2
宗廟尚灰と為る、 君臣倶に涙を下す
崆峒地軸無く、 青海天軒輊す
西極最も瘡痍あり 連山烽燧暗し』
帝日く大布衣、 卿に藉りて元帥に佐たらしむと
坐ろに流沙を清むるを看ん、 子が使を奉ずる所以
帰らば当に再び席を前むべし、 遠きに適くは歴試するに非ず。
須らく武威郡を存し、 為めに長久の利を画すべし。』


(現代語訳) #2
今、叛乱軍によって宗廟は焼かれてまだ灰になってしまった、天子の臣下のものはみんなともに涙を流しているのだ。
行在所のある鳳翔はその背後に崆峒の地方があり、その地の生産性を支える軸無く、青海の地方は天さえあがった砂漠のようで行在所の先行きに不安をぬぐえないのである。
この西極の地は叛乱軍と野盗・盗賊入り混じって、最も刃傷をうけたものが多いのだ、そのため山々に昼夜とものろし火があがり世情を暗くとざしている。』
そういう不安地方に対して天子は君の策論をお聞きになるや、「一平民なる大人物よ、そなたに依頼して元帥の輔佐となることを命ずる。」とおおせられた。
君が河西の方へ使命を奉じてゆくその地を次第に、徐々に流沙の地方の戦塵を掃い清めてほしいのだ、このことをするため、判官として赴く君をみまもっているのである。
君が他日こちらへもどって来るときは天子は君の話に集中して座席の前へ身を前のめりになられることは予期されるが、今は君遠くへ赴任することになったのは、一々諸役を経て能力を試験されるのではない突然の大抜擢なのだ。
君は赴任先の武威郡を朝廷の手に保存しぬくことだ、どうしても我が国家のために永遠の利益をはからねばならないのだ。』


(訳注) #2
宗廟尚為灰,君臣俱下淚。
今、叛乱軍によって宗廟は焼かれてまだ灰になってしまった、天子の臣下のものはみんなともに涙を流しているのだ。
宗廟 唐の天子の行政殿。○為灰  叛乱軍にやかれたこと。


崆峒地無軸,青海天軒輊。
行在所のある鳳翔はその背後に崆峒の地方があり、その地の生産性を支える軸無く、青海の地方は天さえあがった砂漠のようで行在所の先行きに不安をぬぐえないのである。
崆峒 山名、臨挑(甘粛省鞏昌府岷州にある山の名。(涇水の水源の山。崑崙山、崆峒山、渭水を挟んで左右に聳える山であるが、ともに仙人の居る山。朝廷、皇居を意味するもの。○地無軸 張華の「博物志」に、地下に四柱、三千六百の軸があって互に牽引しあっている。その軸とは柱をささえるためのものとみえる。○青海 甘粛の西、新藩の東部。崆峒、青海はともに河西節度の統べる所。○天軒輊 軒は車の前部が地について後部があがること、輊とは車の後部が地について前部があがること。即ち上下低昂させることをいう、天があがったり、さがったりするとは位置の不安定なことをいう。
 
西極最瘡痍,連山暗烽燧。』
この西極の地は叛乱軍と野盗・盗賊入り混じって、最も刃傷をうけたものが多いのだ、そのため山々に昼夜とものろし火があがり世情を暗くとざしている。』
西極 西方のはて、河西の地をさす。○瘡痍 きりきず。野党盗賊が多くいて、無政府の部分があったことを示す。○烽燧 昼の狼煙を烽、夜のものを燧という。昼も夜も戦いを強いられた。無政府状態の不安定さを示す。


帝曰大布衣,藉卿佐元帥。
そういう不安地方に対して天子は君の策論をお聞きになるや、「一平民なる大人物よ、そなたに依頼して元帥の輔佐となることを命ずる。」とおおせられた。
 粛宗。○大布衣 布衣とは無官のものをいう、大は称讃していう。杜亜をさす。○ 依頼する。○ おまえ、亜をさす。○ 輔佐の役とする、判官となすことをいう。○元帥 軍務の長官、杜鴻漸をさす。


坐看清流沙,所以子奉使。
君が河西の方へ使命を奉じてゆくその地を次第に、徐々に流沙の地方の戦塵を掃い清めてほしいのだ、このことをするため、判官として赴く君をみまもっているのである。
坐看 そぞろに看んとす、そのうちにさようになるであろう。○ 兵塵のけがれをきよめる。○流沙 新疆の東部、羅布啅爾湖の地方、武威の西北にあたる。○所以 わけ。○ 亜をさす。○奉使 天子の使命を奉ずる、判官として赴くことをいう。○ 天子の御居所へかえる。


歸當再前席,適遠非歷試。
君が他日こちらへもどって来るときは天子は君の話に集中して座席の前へ身を前のめりになられることは予期されるが、今は君遠くへ赴任することになったのは、一々諸役を経て能力を試験されるのではない突然の大抜擢なのだ。
再前席 前席は話に夢中になり座席の前方へと体をのりだすこと。漢の文帝のとき、賈誼が長沙の地よりよびかえされ、一夜鬼神のことを論じたときに文帝は「座を前のめり」になったとの故事がある。再とは亜の今回の論事に粛宗が席を前にのりだしためたことを想像していう。賈誼については、賈生 李商隠:紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 64参照。○適遠 遠地にゆく。判官となり、武威にゆくことをいう。○非歴試 歴試とは舜の故事、いろいろの瓢難の場合を一々へて経験すること。歴試に非らずとは抜擢され、一挙にして此の官に任ぜられたことをいう。



須存武威郡,為畫長久利。』#2
君は赴任先の武威郡を朝廷の手に保存しぬくことだ、どうしても我が国家のために永遠の利益をはからねばならないのだ。』
○存 我が手に保存すること、敵にとられぬようにすることをいう。○為画 国家のためにはかる。○長久利 永遠の利益。

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送從弟亞赴河西判官 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 183

送從弟亞赴河西判官 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 183いとこの杜亜が河西節度使の判官となって赴任するのを送る詩である。製作時は至徳二載の夏、鳳翔にあって作る。
至徳二載 757年 46歳


送從弟亞赴河西判官
年若いいとこの杜亞が河西の判官に赴くの歌
#1
南風作秋聲,殺氣薄炎熾。
南から吹く夏の風が秋風の音をたてだした、まだまだ炎熱さかんである所へ万物を殺伐とさせる殺気がせまって来た。
盛夏鷹隼擊,時危異人至。』
そうして真夏であるのに鷹や隼が他の獲物を攻撃するかのようなものである、このとき、この国は危急の時を迎えており、非凡な人物を待望していたところ君がやって来たのだ。』
令弟草中來,蒼然請論事。
おまえは叛乱軍の制圧下の中をうちをくぐって来た、あわただし中で論理整然として国事を論じたいと願いでた。
詔書引上殿,奮舌動天意。
その願は許されて、詔書によりひきあげられ、天子の御殿へのぼることができた、おまえは熱心に弁舌をふるって天子の御意を感動させたのだ。
兵法五十家,爾腹為篋笥。
古来兵法を説いたものが五十家もあるが、おまえの腹はその兵法をいれておく箪笥の函みたいなものである。
應對如轉丸,疏通略文字。
君が天子の問いかけに答えるさまは、まるで丸玉をころがす様にすらすらとしていた、そして文字上の事などは省略して、諸説の意を互に関連付けてよくわかる様にのべていた。
經綸皆新語,足以正神器。』#1

このようにして君の述べた軍務の大方針はすべて兵法を租借した新説であり、これならば不正義がなされている天下を正道に戻す十分なものであるといえるもののだ。』
#2
宗廟尚為灰,君臣俱下淚。崆峒地無軸,青海天軒輊。
西極最瘡痍,連山暗烽燧。』
帝曰大布衣,藉卿佐元帥。坐看清流沙,所以子奉使。
歸當再前席,適遠非歷試。須存武威郡,為畫長久利。』#2
#3
孤峰石戴驛,快馬金纏轡。黃羊飫不羶,蘆酒多還醉。
踴躍常人情,慘澹苦士誌。安邊敵何有,反正計始遂。』
吾聞駕鼓車,不合用騏驥。龍吟回其頭,夾輔待所致。』#3


従弟亜が河西判官に赴くを送る
#1
南風秋声を作す、 殺気炎の熾なるに薄る。
盛夏鷹隼撃つ、 時危くして異人至る』
令弟草中より来る、 蒼然事を論ぜんと請う
詔書引いて殿に上らしむ、 舌を奮って天意を動かす
兵法五十家、 繭が腹筐笥為り
応対転丸の如く、 疎通文字を略す
経輪皆新語、 以て神器を正しくするに足れり』

#2
宗廟尚灰と為る、 君臣倶に涙を下す
崆峒地軸無く、 青海天軒輊す
西極最も瘡痍あり 連山烽燧暗し』
帝日く大布衣、 卿に藉りて元帥に佐たらしむと
坐ろに流沙を清むるを看ん、 子が使を奉ずる所以
帰らば当に再び席を前むべし、 遠きに適くは歴試するに非ず。
須らく武威郡を存し、 為めに長久の利を画すべし。』
#3
孤峰 石 駅を戴き、 快馬 金 轡を纏う。
黄羊飫けども羶ならず 蘆酒多ければ還た酔う
踴躍するは常人の情なり、 惨澹たるは苦士の志なり。
辺を安んずる敵何か有らん、 正に反えす計始めて遂げ
ん。』
吾聞く鼓車に駕するには、 騏驥を用う合らずと。
竜吟 其の頭を廻らさん、 爽輔致す所を待つ。』


 現代語訳と訳註
(本文) #1

南風作秋聲,殺氣薄炎熾。
盛夏鷹隼擊,時危異人至。』
令弟草中來,蒼然請論事。
詔書引上殿,奮舌動天意。
兵法五十家,爾腹為篋笥。
應對如轉丸,疏通略文字。
經綸皆新語,足以正神器。』#1


(下し文) #1
南風秋声を作す、 殺気炎の熾なるに薄る。
盛夏鷹隼撃つ、 時危くして異人至る』
令弟草中より来る、 蒼然事を論ぜんと請う
詔書引いて殿に上らしむ、 舌を奮って天意を動かす
兵法五十家、 繭が腹筐笥為り
応対転丸の如く、 疎通文字を略す
経輪皆新語、 以て神器を正しくするに足れり』


(現代語訳)
年若いいとこの杜亞が河西の判官に赴くの歌
南から吹く夏の風が秋風の音をたてだした、まだまだ炎熱さかんである所へ万物を殺伐とさせる殺気がせまって来た。
そうして真夏であるのに鷹や隼が他の獲物を攻撃するかのようなものである、このとき、この国は危急の時を迎えており、非凡な人物を待望していたところ君がやって来たのだ。』
おまえは叛乱軍の制圧下の中をうちをくぐって来た、あわただし中で論理整然として国事を論じたいと願いでた。
その願は許されて、詔書によりひきあげられ、天子の御殿へのぼることができた、おまえは熱心に弁舌をふるって天子の御意を感動させたのだ。
古来兵法を説いたものが五十家もあるが、おまえの腹はその兵法をいれておく箪笥の函みたいなものである。
君が天子の問いかけに答えるさまは、まるで丸玉をころがす様にすらすらとしていた、そして文字上の事などは省略して、諸説の意を互に関連付けてよくわかる様にのべていた。
このようにして君の述べた軍務の大方針はすべて兵法を租借した新説であり、これならば不正義がなされている天下を正道に戻す十分なものであるといえるもののだ。』

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(訳注)
送從弟亞赴河西判官
 (従弟亜が河西判官に赴くを送る)
年若いいとこの杜亞が河西の判官に赴くの歌
○従弟 年齢が下のいとこ。○亜 杜亜をいう。杜亜字は次公、自分を京兆の人という。幼くして学に渉り、善く物の理及び歴代の成敗の事を言う。粛宗が霊武に在るとき、上書して時政を論じ、校書郎に抜擢された。其の年、杜鴻漸が河西に節度となるや、杜亜を召して従事となした。しきりに評事・御史を授けられ、東都留守に終った。○河西判官 河西節度使杜鴻漸の属官。河西節度使は甘粛省涼州府武威県にあった。


南風作秋聲,殺氣薄炎熾。(南風秋声を作す、 殺気炎の熾なるに薄る。
南から吹く夏の風が秋風の音をたてだした、まだまだ炎熱さかんである所へ万物を殺伐とさせる殺気がせまって来た。
南風南方より吹く風、夏の風をいう。○秋声秋かぜのおと。○殺気殺伐の気、物の生気を奪わんとする気。○炎俄 炎熱の気のさかんなこと。


盛夏鷹隼擊,時危異人至。』(盛夏鷹隼撃つ、 時危くして異人至る』
そうして真夏であるのに鷹や隼が他の獲物を攻撃するかのようなものである、このとき、この国は危急の時を迎えており、非凡な人物を待望していたところ君がやって来たのだ。』
盛夏 まなつ。○鷹隼撃 たか、はやぶさが他の禽鳥にむかって攻撃することをいう。ここまでの三句は夏から秋への時候の変りと鷹隼を以て杜亜に比喩する。○異人 非凡な人物。○ 鳳翔へやって来たこと。


令弟草中來,蒼然請論事。(令弟草中より来る、 蒼然事を論ぜんと請う
君は叛乱軍の制圧下の中をうちをくぐって来た、あわただし中で論理整然として国事を論じたいと願いでた。
令弟 よき弟、亜をさして優しくいう。○草中來 草野の間、叛乱軍の制圧下の中をうちをくぐって来たことをいう。○蒼然 蒼卒、蒼皇の意という。蒼は倉の仮借字、あわただしい中で論理整然としたさま。○論事 事は国事。


詔書引上殿,奮舌動天意。(詔書引いて殿に上らしむ、 舌を奮って天意を動かす
その願は許されて、詔書によりひきあげられ、天子の御殿へのぼることができた、君は熱心に弁舌をふるって天子の御意を感動させたのだ。
 みちびく。○奮舌 熱心に弁舌をふるう。○天意 天子(粛宗)のこころ。


兵法五十家,爾腹為篋笥。(兵法五十家、 繭が腹筐笥為り
古来兵法を説いたものが五十家もあるが、君の腹はその兵法をいれておく箪笥の函みたいなものである。
五十家 「漢書」の芸文志に凡そ兵家の書五十三家を列する。○ 亜をさす。○篋笥 箪笥のはこ。○応対 天子の問いかけに応じ答える。
 
應對如轉丸,疏通略文字。(応対転丸の如く、 疎通文字を略す
君が天子の問いかけに答えるさまは、まるで丸玉をころがす様にすらすらとしていた、そして文字上の事などは省略して、諸説の意を互に関連付けてよくわかる様にのべていた。
転丸たまをころがす如くすらすらと滞りないこと。○疎通甲乙間の論旨をよくとおらせること。○略文字文字のことははぷいでいわぬ。


經綸皆新語,足以正神器。』(経輪皆新語、 以て神器を正しくするに足れり』#1
このようにして君の述べた軍務の大方針はすべて兵法を租借した新説であり、これならば不正義がなされている天下を正道に戻す十分なものであるといえるもののだ。』
經綸 軍務の大方針をたてること。○新語 これまで人の言わぬことば、新説をいう。故事来歴を述べるだけでなく、それを租借し、自説として述べることをいう。○正神器 神器は天下をいう。天下はいまぞく叛乱軍に奪われているがこれは不正である。正とは正当な事、唐の天子にかえすことをいう。


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得家書 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 182

得家書 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 182

(家書を得たり)


「得家書」の詩は、安否問いあわせの手紙を出したのち、家族の方より返事を得て作った詩である。杜甫は鳳翔に逃げてきて3か月たっていた。製作時は至徳二載の秋七月、757 46歳である。

#1で、家族は他郷とはいえやっぱりもとの住居にそのまま居た。それに、長男の熊児は幸にも無事であり、小さい次男の驥子もぶじで、最もかわいそうにおもうのだ。

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1

去憑遊客寄,來為附家書。今日知消息,他且舊居;

熊兒幸無恙,驥子最憐渠。臨老羈孤極,傷時會合疏。』


#2

二毛趨帳殿,一命待鸞輿。

わたしはこの白髪まじりの頭で行在所の御殿に参上した、左拾遺を命ぜられ、最初の命を拝して天子の御乗りものの御そばで侍っている。

北闕妖氛滿,西郊白露初。

長安の北闕では安慶緒等叛乱軍の悪気が充満しており、ここの西郊の鳳翔あたりでは、早くも白露が降りそめた。

涼風新過雁,秋雨欲生魚。

すずく冷たい風が吹き初め、初雁もとおりすぎた、秋の長雨も降りつづいて魚が湧き出してこようとしている。

農事空山裡,眷言終荷鋤。』

家族のいる鄜州はさびしい山中ではあるが冬になる前の農事もあるのだ、自分の心はどうもそちらへとひかれる、わたしは結局山の中での人間となって鋤を荷いたりして人生を終わりたいのだ。

#1

去るは遊客に憑りて寄す来るは家書を附するが為なり

今日消息を知る 他郷なるも且つ旧居なり

熊児は幸に無し 驥子最もを憐む

老に臨みて孤極まる 時を傷みて会合疎なり』

2

二毛帳殿に趨し  一命鸞輿に侍す

北闕妖気満つ   西郊白露の初

涼風新に過雁   秋雨魚を生ぜんと欲す

農事空山の裡   みて言に終に鋤を荷わん』




得家書 現代語訳と訳註

(本文) 2

二毛趨帳殿,一命待鸞輿。

北闕妖氛滿,西郊白露初。

涼風新過雁,秋雨欲生魚。

秋雨欲生魚,眷言終荷鋤。』



(下し文) 2

二毛帳殿に趨し  一命鸞輿に侍す

北闕妖気満つ   西郊白露の初

涼風新に過雁   秋雨魚を生ぜんと欲す

農事空山の裡   みて言に終に鋤を荷わん』




(現代語訳) (家書を得たり)2

わたしはこの白髪まじりの頭で行在所の御殿に参上した、左拾遺を命ぜられ、最初の命を拝して天子の御乗りものの御そばで侍っている。

長安の北闕では安慶緒等叛乱軍の悪気が充満しており、ここの西郊の鳳翔あたりでは、早くも白露が降りそめた。

すずく冷たい風が吹き初め、初雁もとおりすぎた、秋の長雨も降りつづいて魚が湧き出してこようとしている。

家族のいる鄜州はさびしい山中ではあるが冬になる前の農事もあるのだ、自分の心はどうもそちらへとひかれる、わたしは結局山の中での人間となって鋤を荷いたりして人生を終わりたいのだ。

(訳注) #2

二毛趨帳殿,一命待鸞輿。

わたしはこの白髪まじりの頭で行在所の御殿に参上した、左拾遺を命ぜられ、最初の命を拝して天子の御乗りものの御そばで侍っている。

〇二毛 頭髪に黒白二種の毛のあることをいう、老境のこと。○趨 参上おもむく。○帳殿 でんとばりの御殿、粛宗のいる行在所の御殿。〇一命 天子より最初の任官の命を蒙る、左拾遺に任ぜられたことをさす。○鸞輿 鸞はみな鈴をいう。鈴のついたおみこし、天子のお乗りもの。


北闕妖氛滿,西郊白露初。

長安の北闕では安慶緒等叛乱軍の悪気が充満しており、ここの西郊の鳳翔あたりでは、早くも白露が降りそめた。

○北開 長安の北門の小門をいう。長安の北門から入城したためをいうのであろう。○妖気 悪い気、兵乱の気。安慶緒の勢いのさかんなことをいう。親殺しのことを言い、残忍さを言う。○西郊 王城の西方の野外をいう、中国の古礼には王者たるものは立秋には秋の気を西郊に迎えるということがあるが、ここは長安に対して鳳翔の地をいう。水の流れは東流するものであるように西から変化が訪れることを暗示している。○白露初 初めて白露の降るころ。秋風は西風、川の、水の流れと同じである。此の句及び次の「涼風」の句により、此の詩の作られた時が七月であることを知ることができる。


涼風新過雁,秋雨欲生魚。

すずく冷たい風が吹き初め、初雁もとおりすぎた、秋の長雨も降りつづいて魚が湧き出してこようとしている。

○涼風 すずしいかぜ。○過雁 かりが通過する。○欲生魚 秋の出水のため平地にも魚がわきでようとする。


農事空山裡,眷言終荷鋤。』

家族のいる鄜州はさびしい山中ではあるが冬になる前の農事もあるのだ、自分の心はどうもそちらへとひかれる、わたしは結局山の中での人間となって鋤を荷いたりして人生を終わりたいのだ。

○農事 農事が山中にあることをいう。○空山人の居らぬ山、戯州蒐村の地をさす。○彗一一口 言は古語で、「ここに」又は「われ」と訓ずる。啓はそちらに目をくれる、愛顧の意。○荷鋤 耕作に従事すること。


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得家書 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 181

得家書 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 181

(家書を得たり)

鄜州方面へゆく人に書信を託して家族の安否を調べたが、三川県羌村からの返事はなかなか返ってこず、聞こえてくるのは鄜州方面は兵禍に遭って、鶏や子犬までが殺されてしまったという悲惨な噂だけ。杜甫の心配はつのり、家族は死に絶えてしまったのではないかと思う。
七月に鄜州の妻から返事が届き、家族全員が無事であるとわかる。
「述懷」は安禄山の叛乱軍に拘束され、そこから鳳翔の行在所に逃げ帰ったことなど、杜甫の周りの出来事、心境を述べたものであった。

「得家書」の詩は、安否問いあわせの手紙を出したのち、家族の方より返事を得て作った詩である。杜甫は鳳翔に逃げてきて3か月たっていた。製作時は至徳二載の秋七月、757年 46歳である。

DCF00196


得家書
去憑遊客寄,來為附家書。
わたしは鄜州の方へ商用でで出かける旅人があったから、その方にたのんで家族への手紙を送り届けさせたのだが、その同じ人がまた家族からの手紙をわたしへとどけてくれるために鳳翔へ来てくれた。
今日知消息,他鄉且舊居;
その手紙に由って今日は家族の消息を知ることができた。その消息によると、家族は他郷とはいえやっぱりもとの住居にそのまま居るそうだ。
熊兒幸無恙,驥子最憐渠。
またそれによると、長男の熊児は幸にも無事であり、次男の驥子、わたしはまだ小さい彼を最もかわいそうにおもうのだ。
臨老羈孤極,傷時會合疏。』
#1
わたしは年よりはじめてきて鳳翔は初めての土地で、仮住まいで旅客人でのひとりぼっち、朝廷内でも孤独感をもっている、時世のことを考えると王朝軍は劣勢で気にやむばかりで家族たちとはめったにあえずにいる。
二毛趨帳殿,一命待鸞輿。北闕妖氛滿,西郊白露初。
涼風新過雁,秋雨欲生魚。農事空山裡,眷言終荷鋤。』#2


(家書を得たり)#1
去るは遊客に憑りて寄す来るは家書を附するが為なり
今日消息を知る 他郷なるも且つ旧居なり
熊児は幸に恙無し 驥子最も渠を憐む
老に臨みて羈孤極まる 時を傷みて会合疎なり』

#2
二毛帳殿に趨し  一命鸞輿に侍す
北闕妖気満つ   西郊白露の初
涼風新に過雁   秋雨魚を生ぜんと欲す
農事空山の裡   眷みて言に終に鋤を荷わん』


 現代語訳と訳註
(本文) #1

去憑遊客寄,來為附家書。今日知消息,他鄉且舊居;
熊兒幸無恙,驥子最憐渠。臨老羈孤極,傷時會合疏。』


(下し文)
去るは遊客に憑りて寄す、来るは家書を附するが為なり。
今日消息を知る、他郷なるも且つ旧居なり。
熊児は幸に恙無し 驥子最も渠を憐む
老に臨みて羈孤極まる 時を傷みて会合疎なり


(現代語訳)
わたしは鄜州の方へ商用でで出かける旅人があったから、その方にたのんで家族への手紙を送り届けさせたのだが、その同じ人がまた家族からの手紙をわたしへとどけてくれるために鳳翔へ来てくれた。
その手紙に由って今日は家族の消息を知ることができた。その消息によると、家族は他郷とはいえやっぱりもとの住居にそのまま居るそうだ。
またそれによると、長男の熊児は幸にも無事であり、次男の驥子、わたしはまだ小さい彼を最もかわいそうにおもうのだ。
わたしは年よりはじめてきて鳳翔は初めての土地で、仮住まいで旅客人でのひとりぼっち、朝廷内でも孤独感をもっている、時世のことを考えると王朝軍は劣勢で気にやむばかりで家族たちとはめったにあえずにいる。』


(訳注)#1
去憑遊客寄,來為附家書。

わたしは鄜州の方へ商用でで出かける旅人があったから、その方にたのんで家族への手紙を送り届けさせたのだが、その同じ人がまた家族からの手紙をわたしへとどけてくれるために鳳翔へ来てくれた。
 此の「去」の字は人にかけて見るべきか書にかけて見るべきかは不明であるが、下旬の「来」が人にかかっている以上それに対するならば人にかけてみるべきである。しかし「寄去」の二字を分用したものとし、書にかけてみるのも亦た義を為す。予は後の解を取る。即ち去とは書を寄せさったことをいう。○憑遊客 鄜州の方へ往遊する客をたのんで。・ 人に頼みごとをする。よりどころ。憑衣:たより。○ 書を家族によせたこと。○来 さきに書を依頼してやった同じ遊客が鳳翔へもどって来たことをいう。○附家書 附とはこちらへ附与し、わたすこと。家書は鄜州の家族からの返事のてがみ。


今日知消息,他鄉且舊居;
その手紙に由って今日は家族の消息を知ることができた。その消息によると、家族は他郷とはいえやっぱりもとの住居にそのまま居るそうだ。
消息 たより、様子。○他郷 此の句以下三句は書中の言葉と杜甫自身の思いを一緒にのべている。他郷とは鄜州をさす。○且旧居 且はまあやっぱりという意味。旧居とは羌村の以前の住居をいう、他処へ移転、略奪にも会っていないことを言う。。


熊兒幸無恙,驥子最憐渠。
またそれによると、長男の熊児は幸にも無事であり、次男の驥子、わたしはまだ小さい彼を最もかわいそうにおもうのだ。
熊児 長子宗文の幼名。○無恙 恙は毒虫の名、恙無しとは無事であること。○驥子 次子宗武の幼名。○ 俗語、駿子をさす。憶幼子 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 156「驥子春猶隔,鶯歌暖正繁。」(驥子 春 猶隔たる、鶯 歌 暖くして正に繁し。)と可愛くて仕方なかったようだ。


臨老羈孤極,傷時會合疏。』
わたしは年よりはじめてきて鳳翔は初めての土地で、仮住まいで旅客人でのひとりぼっち、朝廷内でも孤独感をもっている、時世のことを考えると王朝軍は劣勢で気にやむばかりで家族たちとはめったにあえずにいる。』
臨老 年よりはじめてきて。○羈孤極 鳳翔は初めての土地で、仮住まいで旅客人でのひとりぼっち、朝廷内でも孤独感をもっている。○傷時 時世のことを考えると王朝軍は劣勢で気にやむばかり。○会合疎 家族たちとの会合がめったにできない。

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述懐 #3 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 180

述懐 #3 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 180
    
述懐 
#1 五韻十句(久。走。肘。醜。厚。口。)
去年潼関破、妻子隔絶久。今夏草木長、脱身得西走。
麻鞋見天子、衣袖露両肘。朝廷愍生還、親故傷老醜。
涕涙授拾遺、流離主恩厚。柴門雖得去,未忍即開口。
#2 四韻八句(否。狗。牖。朽。) 
寄書問三川,不知家在否?比聞同罹禍,殺戮到雞狗。
山中漏茅屋,誰複依戶牖。摧頹蒼松根,地冷骨未朽。

#3 四韻八句(後。有。酒。叟。)
自寄一封書,今已十月後。
反畏消息來,寸心亦何有?
漢連初中興,生平老耽酒。
沈思歡會處,恐作窮獨叟。

私が一通の手紙を出して以来音沙汰がない。今はかれこれ、十箇月もたっているので心配だ。
そうはいっても、実はかえって便りが来るのを畏れているのだ、もしたよりに家族全滅を知らせてくるかもしれないので私のこの胸の内は心も消えうせるばかりなのだ。
今や我が唐の国運は粛宗皇帝の御即位されてことにあたられることになったのだ、ところがこの私は、左拾遺に召されたが、平生、年より扱いしかされないので心は沈みがちで酒にふけっているのだ。
朝廷でのことは心が沈んでしまうことだ。それより、妻や子とのうれしい会合の場面をじっと考えてみることにする、それは夢であってもしかしたら、家族もいない貧窮孤独の老人として残るのではないかと恐れてしまうのだ。

#3
一封の書を寄せし自(よ)り、今は已(すで)に十月の後(のち)なり。
反(かえ)って畏(おそ)る  消息の来たらんことを、寸心(すんしん)  亦(ま)た何か有らん。
漢運(かんうん)  初めて中興し、生平(せいへい)  老いて酒に耽(ふけ)る。
歓会(かんかい)の処(ところ)を沈思(ちんし)し、窮独(きゅうどく)の叟(そう)と作(な)らんことを恐る。


DCF00209


述懐 #3 現代語訳と訳註
(本文) #3 四韻八句(後。有。酒。叟。)
自寄一封書,今已十月後。
反畏消息來,寸心亦何有?
漢連初中興,生平老耽酒。
沈思歡會處,恐作窮獨叟。


(下し文) #3
一封の書を寄せし自(よ)り、今は已(すで)に十月の後(のち)なり。
反(かえ)って畏(おそ)る  消息の来たらんことを、寸心(すんしん)  亦(ま)た何か有らん。
漢運(かんうん)  初めて中興し、生平(せいへい)  老いて酒に耽(ふけ)る。
歓会(かんかい)の処(ところ)を沈思(ちんし)し、窮独(きゅうどく)の叟(そう)と作(な)らんことを恐る。


(現代語訳)
私が一通の手紙を出して以来音沙汰がない。今はかれこれ、十箇月もたっているので心配だ。
そうはいっても、実はかえって便りが来るのを畏れているのだ、もしたよりに家族全滅を知らせてくるかもしれないので私のこの胸の内は心も消えうせるばかりなのだ。
今や我が唐の国運は粛宗皇帝の御即位されてことにあたられることになったのだ、ところがこの私は、左拾遺に召されたが、平生、年より扱いしかされないので心は沈みがちで酒にふけっているのだ。
朝廷でのことは心が沈んでしまうことだ。それより、妻や子とのうれしい会合の場面をじっと考えてみることにする、それは夢であってもしかしたら、家族もいない貧窮孤独の老人として残るのではないかと恐れてしまうのだ。


(訳注)
自寄一封書,今已十月後。

私が去年の9月に一通の手紙を出して以来、音沙汰がない。今は六月で、かれこれ、十箇月もたっているのでとても心配だ。
一封書 一通の手がみ。〇十月後十か月の後、此の詩の作が何月にあるかは不明であるが、左拾遺の任命が五月十六日、後の「北征」の詩が閏八月初音であるのによって推すときは、其の中間に在ってしかも任官後あまりほどとおからぬときであろう。仮りに六月頃とすればその十か月以前は前年の九月頃、叛乱軍に捕まった時となる。


反畏消息來,寸心亦何有?
そうはいっても、実はかえって便りが来るのを畏れているのだ、もしたよりに家族全滅を知らせてくるかもしれないので私のこの胸の内は心も消えうせるばかりなのだ。
消息 鄜州の妻子からのたより。○寸心 むねのうち、中国人は心のはたらきを一寸四方の心臓に在るとかんがえていた。○亦何有 なにもないことをいう、心も消えうせるばかり。


漢連初中興,生平老耽酒。
今や我が唐の国運は粛宗皇帝の御即位されてことにあたられることになったのだ、ところがこの私は、左拾遺に召されたが、平生、年より扱いしかされないので心は沈みがちで酒にふけっているのだ。
漢連 唐の国運をいう。○初中興 初めて興るにあたる、粛宗皇帝の即位されたことをさす。○生平平生と同じ。○沈思ふかくかんがえる。


沈思歡會處,恐作窮獨叟。
朝廷でのことは心が沈んでしまうことだ。それより、妻や子とのうれしい会合の場面をじっと考えてみることにする、それは夢であってもしかしたら、家族もいない貧窮孤独の老人として残るのではないかと恐れてしまうのだ。
歓会処 よろこんで一家族会合する場合のこと。○窮獨叟 貧窮で単独な老人。朝廷の中で、相手にされないので孤独感に陥っている、その上もしかしたら、家族のものがみな殺されてしまったかもしれないのだ。


解説
杜甫の言いたいことは、この#3に集約されている。ここでは、もう、杜甫の政治に対しての心が折れてしまっったようである。朝廷内で自分の意見を発揮できないばかりか、歳より扱いなのだ。勢い酒を飲むことになってしまう。思うことは、家族のことが心配なのだ。杜甫は、男として、いったん口にした、「房琯擁護」について、語らなくなった。この段階で朝廷内で宦官の影響力に負けたのである。そのことを口に出せば、死罪になるのである。しかし、詩人を数段高い詩人に成長させる事件であったのだ。


述懷
去年潼關破,妻子隔絕久。今夏草木長,脫身得西走。
麻鞋見天子,衣袖露兩肘。朝廷敏生還,親故傷老醜。
涕淚授拾遺,流離主恩厚。柴門雖得去,未忍即開口。』#1
寄書問三川,不知家在否?比聞同罹禍,殺戮到雞狗。
山中漏茅屋,誰複依戶牖。摧頹蒼松根,地冷骨未朽。
幾人全性命?盡室豈相偶?嶔岑猛虎場,鬱結回我首。』#2
自寄一封書,今已十月後。反畏消息來,寸心亦何有?
漢連初中興,生平老耽酒。沈思歡會處,恐作窮獨叟。』#3
#1
去年  潼関(どうかん)破れ、妻子  隔絶(かくぜつ)すること久し。
今夏(こんか)  草木(くさき)長じ、身を脱して西に走るを得たり。
麻鞋(まあい)  天子に見(まみ)え、衣袖(いしゅう)  両肘(りょうちゅう)を露(あらわ)す。
朝廷  生還(せいかん)を愍(あわれ)み、親故(しんこ)   老醜(ろうしゅう)を傷(いた)む。
涕涙(ているい) 拾遺(じゅうい)を授けらる、流離(りゅうり)  主恩(しゅおん)厚し。
柴門(さいもん)  去(ゆ)くを得(う)と雖(いえど)も、未だ即ち口を開くに忍(しの)びず。
#2
書を寄せて三川(さんせん)に問うも家の在るや否(いな)やを知らず
此(このご)ろ聞く 同じく禍(わざわい)に罹(かか)りて殺戮 鶏狗(けいく)に到ると
山中の漏茅屋(ろうぼうおく)誰(たれ)か復(ま)た戸牖(こゆう)に依(よ)らん
蒼松(そうしょう)の根に摧頽(さいたい)すとも地(ち)冷やかにして 骨未だ朽ちざらん
幾人か性命(せいめい)を全うする室(しつ)を尽くして 豈(あに)相偶(あいぐう)せんや
嶔岑(きんしん)たる猛虎の場(じょう)鬱結(うつけつ)して我が首(こうべ)を廻(めぐ)らす

#3
一封の書を寄せし自(よ)り、今は已(すで)に十月の後(のち)なり。
反(かえ)って畏(おそ)る  消息の来たらんことを、寸心(すんしん)  亦(ま)た何か有らん。
漢運(かんうん)  初めて中興し、生平(せいへい)  老いて酒に耽(ふけ)る。
歓会(かんかい)の処(ところ)を沈思(ちんし)し、窮独(きゅうどく)の叟(そう)と作(な)らんことを恐る。


去年あの不敗神話の潼関で最強幕府の将軍、哥舒翰が破れてしまったから、妻子とは簡単に逢うことができないかけはなれた存在になってしまった。
今年の夏は草木が生長するころに、叛乱軍の囲みの中からぬけだして西方、鳳翔の行在所をめがけて逃げて走ったのだ。
幸に行在所に到著ができ、麻のわらじのまま粛宗皇帝におめみえをしたが、衣のそでは破れて両ひじが現われていた。
朝廷ではこの自分がいきて戻ってきたのをおあわれみ下され、親しきもの、ふるなじみのもの等は自分の老い且つみすぼらしい姿をきのどくがってくれた。
幸いにも自分は涙ながらに左拾遺の官をおうけすることになった。この流浪零落の時にわが天子の御恩はいかばかりにお厚いことなのである。
粗末な門のある家族を疎開させている麒州の家の方へは若し願いでるならば行くことはできるのであろうが、とても今すぐそんな事を、口を開いて言いだすには忍びないのである。』


自分は今また新しく手紙をだして三川鄜州羌村の家族の様子をたずねている、いったいわが家は現に存在しているのかどうか知ることができない。
このごろ聞けば、どこの家も同様に戦争の兵禍にかかって鶏や家畜、犬までも殺されてしまったともいう。
あの山の中の雨もりのする茅屋のいえなのだ、そこでは誰かが、また以前の様に戸や窓にさびしくよりそっているだろう。
また殺されていれば家族のものは、あの囲いのくずれ、くだけた松の樹の根もとにいるのだろう、地面は冷たくその下に埋められて骨はまだ朽ちずにいることであろう。(そうであってもなんにもしてやれないのだ)
こんなむごたらしいことがあっていいのか、無事でいきながらえ得るものが幾人あるというのだ? 一家全員一人も欠けずそってならんで坐ることがはたしてできるのだろうか?
こんなことを考えて、けわしい山の向こうの猛虎のはびこれる地方がある、家族とは深く心むすぼれているので首をふりむけてながめやることで私の心のうちが伝わることであろう。』


私が一通の手紙を出して以来音沙汰がない。今はかれこれ、十箇月もたっているので心配だ。
そうはいっても、実はかえって便りが来るのを畏れているのだ、もしたよりに家族全滅を知らせてくるかもしれないので私のこの胸の内は心も消えうせるばかりなのだ。
今や我が唐の国運は粛宗皇帝の御即位されてことにあたられることになったのだ、ところがこの私は、左拾遺に召されたが、平生、年より扱いしかされないので心は沈みがちで酒にふけっているのだ。
朝廷でのことは心が沈んでしまうことだ。それより、妻や子とのうれしい会合の場面をじっと考えてみることにする、それは夢であってもしかしたら、家族もいない貧窮孤独の老人として残るのではないかと恐れてしまうのだ。

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述懐 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 179

述懐 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 179
    
述懐 #1 五韻十句
去年潼関破、妻子隔絶久。今夏草木長、脱身得西走。
麻鞋見天子、衣袖露両肘。朝廷愍生還、親故傷老醜。
涕涙授拾遺、流離主恩厚。柴門雖得去,未忍即開口。
#2 
寄書問三川,不知家在否?
自分は今また新しく手紙をだして三川鄜州羌村の家族の様子をたずねている、いったいわが家は現に存在しているのかどうか知ることができない。
比聞同罹禍,殺戮到雞狗。
このごろ聞けば、どこの家も同様に戦争の兵禍にかかって鶏や家畜、犬までも殺されてしまったともいう。
山中漏茅屋,誰複依戶牖。
あの山の中の雨もりのする茅屋のいえなのだ、そこでは誰かが、また以前の様に戸や窓にさびしくよりそっているだろう。
摧頹蒼松根,地冷骨未朽。
また殺されていれば家族のものは、あの囲いのくずれ、くだけた松の樹の根もとにいるのだろう、地面は冷たくその下に埋められて骨はまだ朽ちずにいることであろう。(そうであってもなんにもしてやれないのだ)
幾人全性命?盡室豈相偶?
こんなむごたらしいことがあっていいのか、無事でいきながらえ得るものが幾人あるというのだ? 一家全員一人も欠けずそってならんで坐ることがはたしてできるのだろうか?
嶔岑猛虎場,鬱結回我首。

こんなことを考えて、けわしい山の向こうの猛虎のはびこれる地方がある、家族とは深く心むすぼれているので首をふりむけてながめやることで私の心のうちが伝わることであろう。』

#3
自寄一封書,今已十月後。反畏消息來,寸心亦何有?
漢連初中興,生平老耽酒。沈思歡會處,恐作窮獨叟。

去年  潼関(どうかん)破れ、妻子  隔絶(かくぜつ)すること久し。
今夏(こんか)  草木(くさき)長じ、身を脱して西に走るを得たり。
麻鞋(まあい)  天子に見(まみ)え、衣袖(いしゅう)  両肘(りょうちゅう)を露(あらわ)す。
朝廷  生還(せいかん)を愍(あわれ)み、親故(しんこ)   老醜(ろうしゅう)を傷(いた)む。
涕涙(ているい) 拾遺(じゅうい)を授けらる、流離(りゅうり)  主恩(しゅおん)厚し。
柴門(さいもん)  去(ゆ)くを得(う)と雖(いえど)も、未だ即ち口を開くに忍(しの)びず。
#2
書を寄せて三川(さんせん)に問うも家の在るや否(いな)やを知らず
此(このご)ろ聞く 同じく禍(わざわい)に罹(かか)りて殺戮 鶏狗(けいく)に到ると
山中の漏茅屋(ろうぼうおく)誰(たれ)か復(ま)た戸牖(こゆう)に依(よ)らん
蒼松(そうしょう)の根に摧頽(さいたい)すとも地(ち)冷やかにして 骨未だ朽ちざらん
幾人か性命(せいめい)を全うする室(しつ)を尽くして 豈(あに)相偶(あいぐう)せんや
嶔岑(きんしん)たる猛虎の場(じょう)鬱結(うつけつ)して我が首(こうべ)を廻(めぐ)らす
#3
一封の書を寄せし自(よ)り、今は已(すで)に十月の後(のち)なり。
反(かえ)って畏(おそ)る  消息の来たらんことを、寸心(すんしん)  亦(ま)た何か有らん。
漢運(かんうん)  初めて中興し、生平(せいへい)  老いて酒に耽(ふけ)る。
歓会(かんかい)の処(ところ)を沈思(ちんし)し、窮独(きゅうどく)の叟(そう)と作(な)らんことを恐る。


述懐 #2 五韻十句 現代語訳と訳註
 (本文) #2 

寄書問三川,不知家在否?
比聞同罹禍,殺戮到雞狗。
山中漏茅屋,誰複依戶牖。
摧頹蒼松根,地冷骨未朽。
幾人全性命?盡室豈相偶?
嶔岑猛虎場,鬱結回我首。

(下し文) #2
書を寄せて三川(さんせん)に問うも家の在るや否(いな)やを知らず
此(このご)ろ聞く 同じく禍(わざわい)に罹(かか)りて殺戮 鶏狗(けいく)に到ると
山中の漏茅屋(ろうぼうおく)誰(たれ)か復(ま)た戸牖(こゆう)に依(よ)らん
蒼松(そうしょう)の根に摧頽(さいたい)すとも地(ち)冷やかにして 骨未だ朽ちざらん
幾人か性命(せいめい)を全うする室(しつ)を尽くして 豈(あに)相偶(あいぐう)せんや
嶔岑(きんしん)たる猛虎の場(じょう)鬱結(うつけつ)して我が首(こうべ)を廻(めぐ)らす

(現代語訳)
自分は今また新しく手紙をだして三川鄜州羌村の家族の様子をたずねている、いったいわが家は現に存在しているのかどうか知ることができない。
このごろ聞けば、どこの家も同様に戦争の兵禍にかかって鶏や家畜、犬までも殺されてしまったともいう。
あの山の中の雨もりのする茅屋のいえなのだ、そこでは誰かが、また以前の様に戸や窓にさびしくよりそっているだろう。
また殺されていれば家族のものは、あの囲いのくずれ、くだけた松の樹の根もとにいるのだろう、地面は冷たくその下に埋められて骨はまだ朽ちずにいることであろう。(そうであってもなんにもしてやれないのだ)
こんなむごたらしいことがあっていいのか、無事でいきながらえ得るものが幾人あるというのだ? 一家全員一人も欠けずそってならんで坐ることがはたしてできるのだろうか?
こんなことを考えて、けわしい山の向こうの猛虎のはびこれる地方がある、家族とは深く心むすぼれているので首をふりむけてながめやることで私の心のうちが伝わることであろう。』


(訳注)
寄書問三川,不知家在否?

自分は今また新しく手紙をだして三川鄜州羌村の家族の様子をたずねている、いったいわが家は現に存在しているのかどうか知ることができない。
寄書 手紙をやる。〇三川 鄜州地方のことで羌村の方をいう。三川觀水漲二十韻 杜甫 127 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 127-#1
家在否 自分の家が存在しているかどうか。野党、盗賊、叛乱軍、王朝軍それぞれが略奪、強盗をしていた。
 
比聞同罹禍,殺戮到雞狗。
このごろ聞けば、どこの家も同様に戦争の兵禍にかかって鶏や家畜、犬までも殺されてしまったともいう。
○同罷禍 自分の家も他の家と同じく戦争の兵禍にかかった。○殺戮 ころす。○到雞狗 鶏や家畜、犬までも。


山中漏茅屋,誰複依戶牖。
あの山の中の雨もりのする茅屋のいえなのだ、そこでは誰かが、また以前の様に戸や窓にさびしくよりそっているだろう。
山中漏茅屋 漏茅屋は雨のもれるかやぶきの家。○依戶牖 戸や窓によりそって立つ。


摧頹蒼松根,地冷骨未朽。
また殺されていれば家族のものは、あの囲いのくずれ、くだけた松の樹の根もとにいるのだろう、地面は冷たくその下に埋められて骨はまだ朽ちずにいることであろう。(そうであってもなんにもしてやれないのだ)
○摧頹 くだけ、くずれる。壁が剥がれ落ちる。○地冷骨未朽この二句は杜甫の心配がどうしようもないところまで至っていて、2年前、餓死で死んだ子供のことと重ねて家族全体が死んでしまったのではないかということを言っている。この時無政府状態で、すべての人間が、野党盗賊に変身して略奪、殺戮を行っていた。杜甫は、自分が経験し、目の前で見てきているので、心配でたまらなかったのだ

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 105 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-1参照

 
幾人全性命?盡室豈相偶?
こんなむごたらしいことがあっていいのか、無事でいきながらえ得るものが幾人あるというのだ? 一家全員一人も欠けずそってならんで坐ることがはたしてできるのだろうか?
全性命 無事にいきながらえる。○尽室 一家全体かけることなく。○相偶 偶とはならんで坐ることをいう。


嶔岑猛虎場,鬱結回我首。
こんなことを考えて、けわしい山の向こうの猛虎のはびこれる地方がある、家族とは深く心むすぼれているので首をふりむけてながめやることで私の心のうちが伝わることであろう。』
嶔岑 嶔岑は山のけわしいさま。

三川觀水漲二十韻 杜甫 127 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 127-#1

彭衙行 杜甫 132 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132 -#1

王砅「送重表姪王秋評事便南海」 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 131

猛虎場 野盗、盗賊、叛乱軍のはびこる地をいう、家族のいる方向であるが、即ち鄜州へは、その盗賊、叛乱軍の向こう側にいるということをいう。○鬱結 心のむすぼれること。○廻我首 鄜州、羌村の方へと首をふりむけること。


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述懐 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 178

述懐 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 178
    
述懐 #1 五韻十句
去年潼関破、妻子隔絶久。
去年あの不敗神話の潼関で最強幕府の将軍、哥舒翰が破れてしまったから、妻子とは簡単に逢うことができないかけはなれた存在になってしまった。
今夏草木長、脱身得西走。
今年の夏は草木が生長するころに、叛乱軍の囲みの中からぬけだして西方、鳳翔の行在所をめがけて逃げて走ったのだ。
麻鞋見天子、衣袖露両肘。
幸に行在所に到著ができ、麻のわらじのまま粛宗皇帝におめみえをしたが、衣のそでは破れて両ひじが現われていた。
朝廷愍生還、親故傷老醜。
朝廷ではこの自分がいきて戻ってきたのをおあわれみ下され、親しきもの、ふるなじみのもの等は自分の老い且つみすぼらしい姿をきのどくがってくれた。
涕涙授拾遺、流離主恩厚。
幸いにも自分は涙ながらに左拾遺の官をおうけすることになった。この流浪零落の時にわが天子の御恩はいかばかりにお厚いことなのである。
柴門雖得去,未忍即開口。
粗末な門のある家族を疎開させている麒州の家の方へは若し願いでるならば行くことはできるのであろうが、とても今すぐそんな事を、口を開いて言いだすには忍びないのである。』

#2 
寄書問三川,不知家在否?比聞同罹禍,殺戮到雞狗。
山中漏茅屋,誰複依戶牖。摧頹蒼松根,地冷骨未朽。
幾人全性命?盡室豈相偶?嶔岑猛虎場,鬱結回我首。
#3
自寄一封書,今已十月後。反畏消息來,寸心亦何有?
漢連初中興,生平老耽酒。沈思歡會處,恐作窮獨叟。

去年  潼関(どうかん)破れ、妻子  隔絶(かくぜつ)すること久し。
今夏(こんか)  草木(くさき)長じ、身を脱して西に走るを得たり。
麻鞋(まあい)  天子に見(まみ)え、衣袖(いしゅう)  両肘(りょうちゅう)を露(あらわ)す。
朝廷  生還(せいかん)を愍(あわれ)み、親故(しんこ)   老醜(ろうしゅう)を傷(いた)む。
涕涙(ているい) 拾遺(じゅうい)を授けらる、流離(りゅうり)  主恩(しゅおん)厚し。
柴門(さいもん)  去(ゆ)くを得(う)と雖(いえど)も、未だ即ち口を開くに忍(しの)びず。
#2
書を寄せて三川(さんせん)に問うも家の在るや否(いな)やを知らず
此(このご)ろ聞く 同じく禍(わざわい)に罹(かか)りて殺戮 鶏狗(けいく)に到ると
山中の漏茅屋(ろうぼうおく)誰(たれ)か復(ま)た戸牖(こゆう)に依(よ)らん
蒼松(そうしょう)の根に摧頽(さいたい)すとも地(ち)冷やかにして 骨未だ朽ちざらん
幾人か性命(せいめい)を全うする室(しつ)を尽くして 豈(あに)相偶(あいぐう)せんや
嶔岑(きんしん)たる猛虎の場(じょう)鬱結(うつけつ)して我が首(こうべ)を廻(めぐ)らす
#3
一封の書を寄せし自(よ)り、今は已(すで)に十月の後(のち)なり。
反(かえ)って畏(おそ)る  消息の来たらんことを、寸心(すんしん)  亦(ま)た何か有らん。
漢運(かんうん)  初めて中興し、生平(せいへい)  老いて酒に耽(ふけ)る。
歓会(かんかい)の処(ところ)を沈思(ちんし)し、窮独(きゅうどく)の叟(そう)と作(な)らんことを恐る。


述懐 #1 五韻十句 現代語訳と訳註
(本文)
去年潼関破、妻子隔絶久。
今夏草木長、脱身得西走。
麻鞋見天子、衣袖露両肘。
朝廷愍生還、親故傷老醜。
涕涙授拾遺、流離主恩厚。
柴門雖得去,未忍即開口。

(下し文)
去年  潼関(どうかん)破れ、妻子  隔絶(かくぜつ)すること久し。
今夏(こんか)  草木(くさき)長じ、身を脱して西に走るを得たり。
麻鞋(まあい)  天子に見(まみ)え、衣袖(いしゅう)  両肘(りょうちゅう)を露(あらわ)す。
朝廷  生還(せいかん)を愍(あわれ)み、親故(しんこ)   老醜(ろうしゅう)を傷(いた)む。
涕涙(ているい) 拾遺(じゅうい)を授けらる、流離(りゅうり)  主恩(しゅおん)厚し。
柴門(さいもん)  去(ゆ)くを得(う)と雖(いえど)も、未だ即ち口を開くに忍(しの)びず。
(現代語訳)
去年あの不敗神話の潼関で最強幕府の将軍、哥舒翰が破れてしまったから、妻子とは簡単に逢うことができないかけはなれた存在になってしまった。
今年の夏は草木が生長するころに、叛乱軍の囲みの中からぬけだして西方、鳳翔の行在所をめがけて逃げて走ったのだ。
幸に行在所に到著ができ、麻のわらじのまま粛宗皇帝におめみえをしたが、衣のそでは破れて両ひじが現われていた。
朝廷ではこの自分がいきて戻ってきたのをおあわれみ下され、親しきもの、ふるなじみのもの等は自分の老い且つみすぼらしい姿をきのどくがってくれた。
幸いにも自分は涙ながらに左拾遺の官をおうけすることになった。この流浪零落の時にわが天子の御恩はいかばかりにお厚いことなのである。
粗末な門のある家族を疎開させている麒州の家の方へは若し願いでるならば行くことはできるのであろうが、とても今すぐそんな事を、口を開いて言いだすには忍びないのである。』


(訳注)
去年潼関破、妻子隔絶久。

去年あの不敗神話の潼関で最強幕府の将軍、哥舒翰が破れてしまったから、妻子とは簡単に逢うことができないかけはなれた存在になってしまった。
去年756年天宝十五載、即ち至徳元載をさす、至徳の改元は七月である。〇潼関破 756年天宝十五載の六月九日、哥舒翰が王朝軍、叛乱軍の倍の数の軍を率いて絶対破れないとされていた潼関において、叛乱軍に大敗し、捕えられたことをいう。○隔絶 杜甫の妻子は鄜州の羌村に寄寓させてあった。両者の間がへだたることをいう。逢うためには、う回路の峻険な山道を通らなければならない。

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彭衙行 杜甫 132 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132 -#1

 
今夏草木長、脱身得西走。
今年の夏は草木が生長するころに、叛乱軍の囲みの中からぬけだして西方、鳳翔の行在所をめがけて逃げて走ったのだ。
今夏 757年至徳二載の夏。○ せがのぴる。○脱身 叛乱軍のなかからぬけだす。○西走 長安から西の方鳳翔に向かって走る。この年の初め安禄山が息子に殺され、叛乱軍の内紛があったために、粛宗は霊武から鳳翔まで南下できて行在所としたのだ。


麻鞋見天子、衣袖露両肘。
幸に行在所に到著ができ、麻のわらじのまま粛宗皇帝におめみえをしたが、衣のそでは破れて両ひじが現われていた。
麻軽 あさのわらじ、旅装のままである。○見天子 粛宗皇帝に謁見する。○露両肘 そでのやぶれている故に左右のひじをあらわす。


朝廷愍生還、親故傷老醜。
朝廷ではこの自分がいきて戻ってきたのをおあわれみ下され、親しきもの、ふるなじみのもの等は自分の老い且つみすぼらしい姿をきのどくがってくれた。
生還 いきてもどってきたこと。○親故 親しい人々や、ふるなじみの人々。親戚と友達。○傷老醜作者の老いてみにくくなったことを気のどくがる。


涕涙授拾遺、流離主恩厚。
幸いにも自分は涙ながらに左拾遺の官をおうけすることになった。この流浪零落の時にわが天子の御恩はいかばかりにお厚いことなのである。
沸涙 なみだながらに。○受拾遺 拾遺は官名、供奉・諷諌を掌る。作者は至徳二載五月十六日に中書侍郎張鏑の勅命を奉じて左拾遺に任ぜられた。○流離 零落のさま。○主恩天子の御恩。


柴門雖得去,未忍即開口。
粗末な門のある家族を疎開させている麒州の家の方へは若し願いでるならば行くことはできるのであろうが、とても今すぐそんな事を、口を開いて言いだすには忍びないのである。』
柴門 鄜州羌村にある家の門、前に「柴門老樹ノ村」とあった柴門と同じ。○ そこへゆくことをいう。○即開口 すぐにロを開いてそのことを言いだす。


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述懐  杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 177

述懐  杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 177
鳳翔において粛宗皇帝に謁見し、左拾遺の官を拝命して以後、鄜州の家族の安否を問い、消息がなお来なかったときのおもいをのべた作。製作時は至徳二載の夏。757年 46歳

■ この詩を読むための杜甫の状況と解説
 「行在所に達するを喜ぶ 三首」が鳳翔到着直後の作品であるのに対して、「述懐」はそれからひと月ほどたった五月十六日以後の作品。「述懐」はそのころの杜甫の感懐を述べるもので、はじめの十句で長安を脱出して粛宗の朝廷に参じ、左拾遺の職を授けられた喜びを述べている。 鳳翔の朝廷には旧知の者も多く、敵地から逃れてきた杜甫は歓迎されている。旅装のままで粛宗に謁見し、慰労の言葉をかけられ感動する。厳武(げんぶ)は杜甫の若いころからの理解者であった厳挺之(げんていし)の息子で、このとき粛宗朝の給事中(正五品上)の要職にあった。また賈至は譲位の詔勅を起草して房琯と共に粛宗朝に参加していた詩人である。

 これら友人たちの推薦があって、杜甫は五月十六日に左拾遺(従八品上)に任ぜられる。左拾遺は門下省に属し、品階は高くありませんが、天子の側近にあって諫言と正言をすすめる清官(せいかん)ということになる。進士でもない杜甫が文士の正道をゆく官職に就いたわけですから、杜甫は感激して左拾遺の職を受けている。

 しかし、鄜州方面へゆく人に書信を託して家族の安否を調べたが、三川県羌村からの返事はなかなか返ってこず、聞こえてくるのは鄜州方面は兵禍に遭って、鶏や子犬までが殺されてしまったという悲惨な噂だけ。杜甫の心配はつのり、家族は死に絶えてしまったのではないかと思う。

 書信を出してから三か月後の七月には鄜州の妻から返事が届き、家族全員が無事であるとわかる。
「述懷」は安禄山の叛乱軍に拘束され、そこから鳳翔の行在所に逃げ帰ったことなど、杜甫の周りの出来事、心境を述べたものである。
三回分割で掲載。


述懷
去年潼關破,妻子隔絕久。今夏草木長,脫身得西走。
麻鞋見天子,衣袖露兩肘。朝廷敏生還,親故傷老醜。
涕淚授拾遺,流離主恩厚。柴門雖得去,未忍即開口。』#1

寄書問三川,不知家在否?比聞同罹禍,殺戮到雞狗。
山中漏茅屋,誰複依戶牖。摧頹蒼松根,地冷骨未朽。
幾人全性命?盡室豈相偶?嶔岑猛虎場,鬱結回我首。』#2

自寄一封書,今已十月後。反畏消息來,寸心亦何有?
漢連初中興,生平老耽酒。沈思歡會處,恐作窮獨叟。』#3
#1
去年  潼関(どうかん)破れ、妻子  隔絶(かくぜつ)すること久し。
今夏(こんか)  草木(くさき)長じ、身を脱して西に走るを得たり。
麻鞋(まあい)  天子に見(まみ)え、衣袖(いしゅう)  両肘(りょうちゅう)を露(あらわ)す。
朝廷  生還(せいかん)を愍(あわれ)み、親故(しんこ)   老醜(ろうしゅう)を傷(いた)む。
涕涙(ているい) 拾遺(じゅうい)を授けらる、流離(りゅうり)  主恩(しゅおん)厚し。
柴門(さいもん)  去(ゆ)くを得(う)と雖(いえど)も、未だ即ち口を開くに忍(しの)びず。
#2
書を寄せて三川(さんせん)に問うも家の在るや否(いな)やを知らず
此(このご)ろ聞く 同じく禍(わざわい)に罹(かか)りて殺戮 鶏狗(けいく)に到ると
山中の漏茅屋(ろうぼうおく)誰(たれ)か復(ま)た戸牖(こゆう)に依(よ)らん
蒼松(そうしょう)の根に摧頽(さいたい)すとも地(ち)冷やかにして 骨未だ朽ちざらん
幾人か性命(せいめい)を全うする室(しつ)を尽くして 豈(あに)相偶(あいぐう)せんや
嶔岑(きんしん)たる猛虎の場(じょう)鬱結(うつけつ)して我が首(こうべ)を廻(めぐ)らす
#3


■ この頃の詩を読むための杜甫、この事件により、杜甫の人生が完全に変わるのである。
杜甫の授かった左拾遣の官は門下省に属しており、長官の侍中(正三品)以下、左散騎常侍(従三品)、黄門侍郎(正四品上)、給事中(正五品上)と続く、その末端に置かれていて、位は従八品上であった。しかし、杜甫にとってははじめての天子直属の官であり、その「述懐」(懐いを述ぶる)詩に、「洋涙して拾遣を授かり、流雌して主恩は厚し」と詠っているように、感涙にむせびつつ左拾遺を授かっている。

 それまで、杜甫が任命されようとした「河西の尉」は地方官で、天子の側に近寄ることなど夢にも考えられなかったし、次に就任した右衛率府兵曹参軍は東宮の職員であり、国政とは関わりのないものであった。杜甫は、家柄として、官僚にならないといけない宿命を佩びていたのだ。
ここにおいて杜甫は、天子の側近にあって国政に直接関わることのできる地位に就くことができたのである。
今こそ
  「致君堯舜上,再使風俗淳。」
  “君を堯と舜の上に致し、再び風俗をして淳あつからしめん”
『韋左丞丈に贈り奉る二十二韻』という年来の志を果たすことができようと、杜甫は身の引き締まる思いをしながらも、心からうれしかったのだ。
その左拾遺に任ずる詔書には、
 “襄陽の杜甫、爾の才徳は、朕深く之を知る。
  今、特に命じて宜義郎・行在の左拾遺と為す。
  職を授けし後は、宜しく是の職に勤めて怠る
  ことなかるべし。中書侍郎の張鎬に命じ、
  符をもたらして告論せしむ。
  至徳二載五月十六日行。”
とあり、杜甫は“宜しく是の職に勤めて怠ることなかるべき”ことを誓った。そうして数日ののち、拾遺の職務に忠実に諌諍を行なったが、粛宗の激怒によって危うく一命を失いそうになる。

 諌諍の内容は、杜甫が左拾遺を授けられる六日前、すなわち757年五月十六日に宰相から太子少師の閑職に左遷された房琯の弁護であった。房琯は、蜀にある玄宗のもとから派遣されて粛宗の政府の宰相となっていたが、陳陶斜と青坂での敗戦の責任は、粛宗の信任あつい李泌のとりなしによってなんとか問われなかったものの、粛宗の信頼は失われてしまっていた。また、賀蘭進明・崔円ら粛宗直属の臣と、玄宗のもとから遺わされてきた者との対立、知識人宰相として実務家官僚たちと意見が合わず孤立していた、などという事情を背景とし、直接には、房琯の取り巻きの一人である楽師が宰相への口利き料を取っていたのが露見して収賄罪で告訴され、それを房琯が救けようとした、ということが原因となって左遭されたものであった。

 杜甫にとって房琯は、私的には「布衣の交わりを為す」(『新唐書』杜甫伝)つまり地位の上下をぬきにしたつき合いをしていた人であったようであるし、また公的には、新政府の宰相として彼以上の人物はいないと信じていたために、房棺が左遷されたのを、そのまま見過ごしておくことはできなかった。そうして、政府内の事情もよくわからないままに、また左拾遺としての慣例などおかまいなしに、わが思うままを述べたてて、「罪は細なり。宜しく大臣を免ずべからず」(『新唐書』杜甫伝)と奏上した。それは実情を考慮することなく、理想に向かって突っ走ろうとする、
いかにも杜甫らしい行動であった。

 職務に忠実とはいえ、僭越過ぎる諫諍をしたものである。朝廷とは行在所で粛宗も皇帝としての実績もなく、叛乱軍に対する政策も方針も確固たるものがなかった時期である。確かに、戦力を整えるときで人材を豊富にし、集積にして行かなければいけない時であった。粛宗の好みで近臣を選定していたのである。したがって、好みでないものは左遷された。そうであっても、成りたての新米、朝廷内のなにもわからないものが、云うべき問題であったのか、疑問は残る。それと、杜甫がせっかく擁護した房琯のその後の態度姿勢は擁護に値する人間ではなかったのである。ただ、玄宗皇帝にうまく取り入っていた男に過ぎなかったのではないのか。そうした意味で杜甫の一生をかけていうべき問題ではなかったというのが結果論である。

 粛宗はこの時、杜甫を玄宗派出なく自派の陣営として左拾位に任命したのである。玄宗の指令を受けてきて素行のよろしくないとされている房琯を誰もが援護するとは思ってもみなかった。なりよりも、陳陶、青坂の戦いは軍を率いた将軍として不甲斐無さ過ぎた。玄宗から派遣されたものでなければ将軍に抜擢されていないはずである。近親が必要な段階であった。房琯のおつきの楽師が賄賂を採ったとは、宦官の仕組んだ罠のようなものであったのだとは思うが、この段階で、その房琯を擁護するのは、どう考えても僭越を通り過ぎている。杜甫を、粛宗が信用するはずはなく、将来がなくなるのは当り前であろう。すべて宦官のしくんだ罠にはまったのである。玄宗も、粛宗も一番信頼できたのは、宦官勢力であった。事実宦官に寄って王朝は守られ維持できたのである。この読みの違いは杜甫にとってはどうしようもない失策であった。杜甫自身も一回朝廷の地位に付けば先祖に対する名分は立ったと考えたのかもしれない。ある意味で覚悟した言動行動であったのかもしれないし、杜甫の中では、玄宗元皇帝の影響力がまだ残っていると考えていたのかもしれない。杜甫の人生の中のエポックになる事件であった。しかし杜甫はこの事件について、その後も反省はしていない。



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送樊二十三侍禦赴漢中判官 #4 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 176

送樊二十三侍禦赴漢中判官 #4 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 176
(樊二十三侍禦が漢中判官に赴くを送る)
侍御史の官である樊某が漢中王の判官となって任に赴くのを送る詩。製作時は757年至徳二載の初め、鳳翔の行在所に赴いたころの作。
(4回目)


#4
廻風吹獨樹,白日照執袂。
君に別れようとすれば、路傍の一本木を吹きまわしの風が枝を鳴らして吹いてくる、真昼の太陽が別れを惜しんで袖袂をつかまえる手に照らしてくれる。
慟哭蒼煙根,山門萬重閉。
わたしは蒼煙がただよう樹根にむかって慟哭した、周囲には閉ざされた門のような山々がいくえにも立っているのだ。
居人莽牢落,遊子封迢遞。
この居残る自分は茫漠としているけれど地方官を頑張れば中央政府で高官になれるよ。(私のように中央にいるだけでは出世はしないのだ。)旅人たる君はこの上り坂のように役人としての坂を上っていくのだ。
徘徊悲生離,局促老一世。』
自分は辺りをさまよいながら君との生きわかれを悲しくおもい、この局面をどう促進していくかということと老いゆくこの残りの人生をどう生きていくのか思うのである。
陶唐歌遺民,後漢更列帝。
陶唐の歌は永く遺民に歌われて忘れらるることないのだ、後漢は光武帝の以後幾人か代々と天子が受け継がれたように、この唐王朝もその様に遺民はその徳をしたい、その君は幾代もつづいてくれることであろう。
恨無匡複姿,聊欲從此逝。』

ただこれまで天子の過失を正し、王朝、朝廷を回復させるものはいなかったのが悔やまれる、このまま回復できないものなら今からここをたち去って山林へゆこうとおもうのである。


廻風(かいふう) 独樹を吹く、白日 執袂(しっぺい)を照らす。
慟哭(どうこく)す 蒼煙(そうえん)の根、 山門 万重(ばんちょう) 閉ず。
居人 莽(もう)として 牢落たり、 遊子 方(まさ)に 迢遞(ちょうてい)たり。
徘徊(はいかい) 生離(せいり)を悲しむ、 局促(きょくそく) 一世に老ゆ。』
陶唐(とうとう) 遺民(いみん)に歌わる 後漢列帝(れつてい)を更(こ)う。
匡複(きょうふく)の資(し) 恨む無し、 聊(いささ)か此(これ)従り逝(ゆ)かんと欲す。』

送樊二十三侍禦赴漢中判官 現代語訳と訳註
(本文) #4

廻風吹獨樹,白日照執袂。
慟哭蒼煙根,山門萬重閉。
居人莽牢落,遊子封迢遞。
徘徊悲生離,局促老一世。』
陶唐歌遺民,後漢更列帝。
恨無匡複姿,聊欲從此逝。』


(下し文) #4
廻風(かいふう) 独樹を吹く、白日 執袂(しっぺい)を照らす。
慟哭(どうこく)す 蒼煙(そうえん)の根、 山門 万重(ばんちょう) 閉ず。
居人 莽(もう)として 牢落たり、 遊子 方(まさ)に 迢遞(ちょうてい)たり。
徘徊(はいかい) 生離(せいり)を悲しむ、 局促(きょくそく) 一世に老ゆ。』
陶唐(とうとう) 遺民(いみん)に歌わる 後漢列帝(れつてい)を更(こ)う。
匡複(きょうふく)の資(し) 恨む無し、 聊(いささ)か此(これ)従り逝(ゆ)かんと欲す。』


(現代語訳) #4
君に別れようとすれば、路傍の一本木を吹きまわしの風が枝を鳴らして吹いてくる、真昼の太陽が別れを惜しんで袖袂をつかまえる手に照らしてくれる。
わたしは蒼煙がただよう樹根にむかって慟哭した、周囲には閉ざされた門のような山々がいくえにも立っているのだ。
この居残る自分は茫漠としているけれど地方官を頑張れば中央政府で高官になれるよ。(私のように中央にいるだけでは出世はしないのだ。)旅人たる君はこの上り坂のように役人としての坂を上っていくのだ。
自分は辺りをさまよいながら君との生きわかれを悲しくおもい、この局面をどう促進していくかということと老いゆくこの残りの人生をどう生きていくのか思うのである。
陶唐の歌は永く遺民に歌われて忘れらるることないのだ、後漢は光武帝の以後幾人か代々と天子が受け継がれたように、この唐王朝もその様に遺民はその徳をしたい、その君は幾代もつづいてくれることであろう。
ただこれまで天子の過失を正し、王朝、朝廷を回復させるものはいなかったのが悔やまれる、このまま回復できないものなら今からここをたち去って山林へゆこうとおもうのである。


(訳注) #4
廻風吹獨樹,白日照執袂。

君に別れようとすれば、路傍の一本木を吹きまわしの風が枝を鳴らして吹いてくる、真昼の太陽が別れを惜しんで袖袂をつかまえる手に照らしてくれる。
○廻風 ふきまわす風。○獨樹 一本の大木、これはたまたま別処にあったものを写す。○照執袂 執袂とは別れを惜しんであいての袖袂をつかまえること、そのうえに太陽がてりかかる。


慟哭蒼煙根,山門萬重閉。
わたしは蒼煙がただよう樹根にむかって慟哭した、周囲には閉ざされた門のような山々がいくえにも立っているのだ。
蒼煙根   根とは上の独樹の根であり、そのうえに青煙がよこたわる。○山門 門の如く立っている山峰。〇万重 いくえにも。


居人莽牢落,遊子封迢遞。
この居残る自分は茫漠としているけれど地方官を頑張れば中央政府で高官になれるよ。(私のように中央にいるだけでは出世はしないのだ。)旅人たる君はこの上り坂のように役人としての坂を上っていくのだ。
居人 此の句は自分のことをいっている。居人はここに居残る人。○ 茫漠としてたよりないさま。○牢落 おちぶれるさまをいうのだが、杜甫が落ちぶれているというのではない。唐の制度は地方官として良い官僚としての実績を重ねないと高官にはなれないということが前提にある。相手が昇っていくことを強調するための謙遜の語。○遊子 これから青雲に向かって旅ゆく人のことを言う。ここでは樊をさす。○迢遞 高低があって且つはるかなさま。鳳翔から太白山の横の峠に向かい漢水を目指すので山道を登ったものと思われる。


徘徊悲生離,局促老一世。
自分は辺りをさまよいながら君との生きわかれを悲しくおもい、この局面をどう促進していくかということと老いゆくこの残りの人生をどう生きていくのか思うのである。
徘徊 さまよう。○悲生離 此の句も樊との生別をかなしむ自分のことをいっている。○局促 杜甫自身のこの局面をどう促進していくかということ。○老一世 老いゆくこの残りの人生。


陶唐歌遺民,後漢更列帝。
陶唐の歌は永く遺民に歌われて忘れらるることないのだ、後漢は光武帝の以後幾人か代々と天子が受け継がれたように、この唐王朝もその様に遺民はその徳をしたい、その君は幾代もつづいてくれることであろう。
陶唐 陶は山々が連なっていることであり唐王朝が幾久しく続いていくことを歌った歌の題名である。第二代皇帝太宗の時期から唄われたとされる。昔時唐民が陶唐の歌を謳歌したごとくに、今の唐民は唐を思うことをいうのである。○後漢更列帝 更二列帝 代々の帝がつぎつぎにかわったことをいう。これは代わったことをいうのが主ではなく、光武帝の中興があってその後永く続いたことをいうのであり、唐も亦た大宗によってきずかれたように粛宗の中興が以後あるであろうというのである。


恨無匡複姿,聊欲從此逝。
ただこれまで天子の過失を正し、王朝、朝廷を回復させるものはいなかったのが悔やまれる、このまま回復できないものなら今からここをたち去って山林へゆこうとおもうのである。
匡複姿 君の過失を正し、王室を回復するの資質。○従此逝 逝とは去ること、ここを去って山林中に向かって往き隠れること、此よりとは今よりということ。この句もここを去ることが言いたいわけでなく、ここに留まって、王朝を回復させたことを強調するための反語である。
 

送樊二十三侍禦赴漢中判官

#1
威弧不能弦,自爾無寧歲。川穀血橫流,豺狼沸相噬。』
天子從北來,長驅振凋敞。頓兵岐梁下,卻跨沙漠裔。
二京陷未收,四極我得製。蕭索漢水清,緬通淮湖稅。』
#2
使者紛星散,王綱尚旒綴。南伯從事賢,君行立談際。
坐知七曜歷,手畫三軍勢。冰雪淨聰明,雷霆走精銳。』
#3
幕府輟諫官,朝廷無此例。至尊方旰食,仗爾布嘉惠。
補闕暮徵入,柱史晨徵憩。正當艱難時,實藉長久計。』
#4
廻風吹獨樹,白日照執袂。慟哭蒼煙根,山門萬重閉。
居人莽牢落,遊子封迢遞。徘徊悲生離,局促老一世。』
陶唐歌遺民,後漢更列帝。恨無匡複姿,聊欲從此逝。』

威弧(いこ) 弦する能(あた)わず、 爾(しか)りし自(よ)り寧歳(ねいさい)無し。
川谷(せんこく )血横(けつおう) 流す 豺狼(さいろう) 沸(ふつ)として 相 噬(か)む。』
天子 北従り来り、 長駆(ちょうく) 凋敞(ちょうへい)を振(すく)う。
兵を頓す 岐梁(きりょう)の下、 卻って沙漠(さばく)の裔(えい)に跨(またが)る。
二京 陥(おちい)りて 未だ収めざるも 四極(しきょく)我 製するを得。
蕭索(しょうさく) 漢水 清し 緬(はるか)に准湖(わいこ)の税を通ず。』
使者紛としで星散す、王綱(おうこう)尚旒綴(りゅうてい)す。
南伯(なんぱく)従事賢なり、君行きて立談の際。
坐(そぞ)ろに知る七曜暦 手(てずか)ら画す三軍の勢。
泳雪(ひょうせつ)聡明(そうめい)浄(きよ)く、雷霆(らいてい) 精鋭(せいえい)走る。』
幕府 諌官(かんかん)を輟(綴つづる) 朝廷 此の例無し。
至尊(しそん)方(まさ)に旰食(かんしょく)す 爾(なんじ)に仗(よ)って嘉恵(かけい)を布(し)く。
補闕(ほけつ)暮に徴(め)し入る 柱史(ちゅうし)晨(あした)に征(ゆ)かんとして憩(けい)す。
正に艱難(かんなん)の時に当る 実に長久(ちょうきゅう)の計に藉(よ)る』
廻風(かいふう) 独樹を吹く、白日 執袂(しっぺい)を照らす。
慟哭(どうこく)す 蒼煙(そうえん)の根、 山門 万重(ばんちょう) 閉ず。
居人 莽(もう)として 牢落たり、 遊子 方(まさ)に 迢遞(ちょうてい)たり。
徘徊(はいかい) 生離(せいり)を悲しむ、 局促(きょくそく) 一世に老ゆ。』
陶唐(とうとう) 遺民(いみん)に歌わる 後漢列帝(れつてい)を更(こ)う。
匡複(きょうふく)の資(し) 恨む無し、 聊(いささ)か此(これ)従り逝(ゆ)かんと欲す。』


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送樊二十三侍禦赴漢中判官 #3 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 175

送樊二十三侍禦赴漢中判官 #3 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 175
(樊二十三侍禦が漢中判官に赴くを送る)
侍御史の官である樊某が漢中王の判官となって任に赴くのを送る詩。製作時は757年至徳二載の初め、鳳翔の行在所に赴いたころの作。(3回目)

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送樊二十三侍禦赴漢中判官 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 174


#2
使者紛星散,王綱尚旒綴。南伯從事賢,君行立談際。
坐知七曜歷,手畫三軍勢。冰雪淨聰明,雷霆走精銳。』
#3
幕府輟諫官,朝廷無此例。
地方の幕府でありながら諌官の職にあった人をつなぎつけておくという事は朝廷にこれまで先例の無いことで、君の場合に始めて之をみるのである。
至尊方旰食,仗爾布嘉惠。
今軍務多忙で陛下は朝日があがりきって食を取ることなされるという始末で、君が腕の振ることによって人民に対し適切なめぐみ、施政をしいてほしいのだ。
補闕暮徵入,柱史晨徵憩。
やっと夕方に補闕の官として君を徵入されたのに、晨にはその柱史(侍御史)となってまた旅立ちの路に就こうとしている旅の合間に少しは路傍に休憩を取ることを忘れるな。
正當艱難時,實藉長久計。』

いまはまさに国家艱難の時にぶっつかっているのだ。之を救うには実に経済上の供給をうまくやるという長久の計によらねばならないのである。』
#4
廻風吹獨樹,白日照執袂。慟哭蒼煙根,山門萬重閉。
居人莽牢落,遊子封迢遞。徘徊悲生離,局促老一世。
陶唐歌遺民,後漢更列帝。恨無匡複姿,聊欲從此逝。』

#2
使者紛としで星散す、王綱(おうこう)尚旒綴(りゅうてい)す。
南伯(なんぱく)従事賢なり、君行きて立談の際。
坐(そぞ)ろに知る七曜暦 手(てずか)ら画す三軍の勢。
泳雪(ひょうせつ)聡明(そうめい)浄(きよ)く、雷霆(らいてい) 精鋭(せいえい)走る。』
#3
幕府 諌官(かんかん)を輟(綴つづる) 朝廷 此の例無し。
至尊(しそん)方(まさ)に旰食(かんしょく)す 爾(なんじ)に仗(よ)って嘉恵(かけい)を布(し)く。
補闕(ほけつ)暮に徴(め)し入る 柱史(ちゅうし)晨(あした)に征(ゆ)かんとして憩(けい)す。
正に艱難(かんなん)の時に当る 実に長久(ちょうきゅう)の計に藉(よ)る』

#4
廻風(かいふう) 独樹を吹く、白日 執袂(しっぺい)を照らす。
慟哭(どうこく)す 蒼煙(そうえん)の根、 山門 万重(ばんちょう) 閉ず。
居人 莽(もう)として 牢落たり、 遊子 方(まさ)に 迢遞(ちょうてい)たり。
徘徊(はいかい) 生離(せいり)を悲しむ、 局促(きょくそく) 一世に老ゆ。』
陶唐(とうとう) 遺民(いみん)に歌わる 後漢列帝(れつてい)を更(こ)う。
匡複(きょうふく)の資(し) 恨む無し、 聊(いささ)か此(これ)従り逝(ゆ)かんと欲す。』




送樊二十三侍禦赴漢中判官#3 現代語訳と訳註
(本文)
#3
幕府輟諫官,朝廷無此例。
至尊方旰食,仗爾布嘉惠。
補闕暮徵入,柱史晨徵憩。
正當艱難時,實藉長久計。』

(下し文) #3
幕府 諌官(かんかん)を輟(綴つづる) 朝廷 此の例無し。
至尊(しそん)方(まさ)に旰食(かんしょく)す 爾(なんじ)に仗(よ)って嘉恵(かけい)を布(し)く。
補闕(ほけつ)暮に徴(め)し入る 柱史(ちゅうし)晨(あした)に征(ゆ)かんとして憩(けい)す。
正に艱難(かんなん)の時に当る 実に長久(ちょうきゅう)の計に藉(よ)る』


(現代語訳)
地方の幕府でありながら諌官の職にあった人をつなぎつけておくという事は朝廷にこれまで先例の無いことで、君の場合に始めて之をみるのである。
今軍務多忙で陛下は朝日があがりきって食を取ることなされるという始末で、君が腕の振ることによって人民に対し適切なめぐみ、施政をしいてほしいのだ。
やっと夕方に補闕の官として君を徵入されたのに、晨にはその柱史(侍御史)となってまた旅立ちの路に就こうとしている旅の合間に少しは路傍に休憩を取ることを忘れるな。
いまはまさに国家艱難の時にぶっつかっているのだ。之を救うには実に経済上の供給をうまくやるという長久の計によらねばならないのである。』



(訳注)
幕府輟諫官,朝廷無此例。
地方の幕府でありながら諌官の職にあった人をつなぎつけておくという事は朝廷にこれまで先例の無いことで、君の場合に始めて之をみるのである。
幕府 漢中王の府をいう。○輟諫官 諌官は侍御史の計をいう、諌官を綴るとは、諌官たる身分の人をそこへつなぎつけておくことをいう。樊は朝廷の侍御史であったために王の幕府へ判官として赴任したのである。○此例 さような先例。地方幕府を色分けし、跎地方の幕府への牽制を兼ねたものであった。


至尊方旰食,仗爾布嘉惠。
今軍務多忙で陛下は朝日があがりきって食を取ることなされるという始末で、君が腕の振ることによって人民に対し適切なめぐみ、施政をしいてほしいのだ。
至尊 粛宗。○旰食 朝日があがりきって食を取る、この時王朝軍は劣勢であったため政務、軍務がいそがしかった。○ 汝に同じ、樊をさす。○布嘉恵 人民に対し、適切なめぐみ、施政をしく。


補闕暮徵入,柱史晨徵憩。
やっと夕方に補闕の官として君を徵入されたのに、晨にはその柱史(侍御史)となってまた旅立ちの路に就こうとしている旅の合間に少しは路傍に休憩を取ることを忘れるな。
補闕 欠点を補う。侍御史は諌官にして天子のかけている処を補う職。○徴入 召して朝廷へ入れる。○柱史 侍御史のこと。周の柱下史、或は侍御史が後世の侍御史にあたる。○晨征憩 晨は上の「暮」に対する。征は征行、旅路へでかけようとすること。憩はちょっとやすむこと、これは作者と別れようとするためである。下節の通風吹独樹の句はこの「憩」の字をうけて書かれている。
 
正當艱難時,實藉長久計。』
いまはまさに国家艱難の時にぶっつかっているのだ。之を救うには実に経済上の供給をうまくやるという長久の計によらねばならないのである。』
艱難時 兵乱の時をいう。○長久計 樊が判官となって行在の糧食等の通運を掌るのは一時の計ではなくして未来長久にわたっての計である。


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送樊二十三侍禦赴漢中判官 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 174

送樊二十三侍禦赴漢中判官 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 174
(樊二十三侍禦が漢中判官に赴くを送る)
侍御史の官である樊某が漢中王の判官となって任に赴くのを送る詩。製作時は757年至徳二載の初め、鳳翔の行在所に赴いたころの作。
(2回目)
sas0032


送樊二十三侍禦赴漢中判官
#1
威弧不能弦,自爾無寧歲。川穀血橫流,豺狼沸相噬。』
天子從北來,長驅振凋敞。頓兵岐梁下,卻跨沙漠裔。
二京陷未收,四極我得製。蕭索漢水清,緬通淮湖稅。』
#2
使者紛星散,王綱尚旒綴。
態勢を整えるため、どちら側に付くか決めかねている諸侯粛白や潘鎮に対して、中央朝廷から使者が星を散らすように八方へ遣わされた、帝王の大道、綱紀、敬いの心はなお存在していた遠方、地方のものは王朝、天子に対して旗の纏いのようにつながってはなれずにあったのである。
南伯從事賢,君行立談際。
南方の伯であった漢中王はその部下に賢者が集まっているのであるおる。君はそこへ赴任するのである、そこへいって立ちながらはなしをするときの注意点がある。
坐知七曜歷,手畫三軍勢。
常日頃のこととして心得ておくことは、七星の暦を熟知しておくこと、自分手ずから三軍の形勢を図にかきしめしておくことである。
冰雪淨聰明,雷霆走精銳。』
冰雪の様に浄化され洗練された聡明さがある、三軍の精鋭を雷霆の如く走らせる君であろう。』

#3
幕府輟諫官,朝廷無此例。至尊方旰食,仗爾布嘉惠。
補闕暮徵入,柱史晨徵憩。正當艱難時,實藉長久計。』
#4
廻風吹獨樹,白日照執袂。慟哭蒼煙根,山門萬重閉。
居人莽牢落,遊子封迢遞。徘徊悲生離,局促老一世。
陶唐歌遺民,後漢更列帝。恨無匡複姿,聊欲從此逝。』


威弧(いこ) 弦する能(あた)わず、 爾(しか)りし自(よ)り寧歳(ねいさい)無し。
川谷(せんこく )血横(けつおう) 流す 豺狼(さいろう) 沸(ふつ)として 相 噬(か)む。』
天子 北従り来り、 長駆(ちょうく) 凋敞(ちょうへい)を振(すく)う。
兵を頓す 岐梁(きりょう)の下、 卻って沙漠(さばく)の裔(えい)に跨(またが)る。
二京 陥(おちい)りて 未だ収めざるも 四極(しきょく)我 製するを得。
蕭索(しょうさく) 漢水 清し 緬(はるか)に准湖(わいこ)の税を通ず。』

#2
使者紛としで星散す、王綱(おうこう)尚旒綴(りゅうてい)す。
南伯(なんぱく)従事賢なり、君行きて立談の際。
坐(そぞ)ろに知る七曜暦 手(てずか)ら画す三軍の勢。
泳雪(ひょうせつ)聡明(そうめい)浄(きよ)く、雷霆(らいてい) 精鋭(せいえい)走る。』

#3
幕府 諌官(かんかん)を輟(綴つづる) 朝廷 此の例無し。
至尊(しそん)方(まさ)に旰食(かんしょく)す 爾(なんじ)に仗(よ)って嘉恵(かけい)を布(し)く。
補闕(ほけつ)暮に徴(め)し入る 柱史(ちゅうし)晨(あした)に征(ゆ)かんとして憩(けい)す。
正に艱難(かんなん)の時に当る 実に長久(ちょうきゅう)の計に藉(よ)る。』
#4
廻風(かいふう) 独樹を吹く、白日 執袂(しっぺい)を照らす。
慟哭(どうこく)す 蒼煙(そうえん)の根、 山門 万重(ばんちょう) 閉ず。
居人 莽(もう)として 牢落たり、 遊子 方(まさ)に 迢遞(ちょうてい)たり。
徘徊(はいかい) 生離(せいり)を悲しむ、 局促(きょくそく) 一世に老ゆ。』
陶唐(とうとう) 遺民(いみん)に歌わる 後漢列帝(れつてい)を更(こ)う。
匡複(きょうふく)の資(し) 恨む無し、 聊(いささ)か此(これ)従り逝(ゆ)かんと欲す。』

#1歲、噬/來,敞、裔、製、稅/#2綴、際、勢、銳。』


 現代語訳と訳註
(本文) #2

使者紛星散,王綱尚旒綴。
南伯從事賢,君行立談際。
坐知七曜歷,手畫三軍勢。
冰雪淨聰明,雷霆走精銳。』


(下し文)
使者紛としで星散す、王綱(おうこう)尚旒綴(りゅうてい)す。
南伯(なんぱく)従事賢なり、君行きて立談の際。
坐(そぞ)ろに知る七曜暦 手(てずか)ら画す三軍の勢。
泳雪(ひょうせつ)聡明(そうめい)浄(きよ)く、雷霆(らいてい) 精鋭(せいえい)走る。』


(現代語訳)
態勢を整えるため、どちら側に付くか決めかねている諸侯粛白や潘鎮に対して、中央朝廷から使者が星を散らすように八方へ遣わされた、帝王の大道、綱紀、敬いの心はなお存在していた遠方、地方のものは王朝、天子に対して旗の纏いのようにつながってはなれずにあったのである。
南方の伯であった漢中王はその部下に賢者が集まっているのであるおる。君はそこへ赴任するのである、そこへいって立ちながらはなしをするときの注意点がある。
常日頃のこととして心得ておくことは、七星の暦を熟知しておくこと、自分手ずから三軍の形勢を図にかきしめしておくことである。
冰雪の様に浄化され洗練された聡明さがある、三軍の精鋭を雷霆の如く走らせる君であろう。』


(訳注)#2
使者紛星散,王綱尚旒綴。

態勢を整えるため、どちら側に付くか決めかねている諸侯粛白や潘鎮に対して、中央朝廷から使者が星を散らすように八方へ遣わされた、帝王の大道、綱紀、敬いの心はなお存在していた遠方、地方のものは王朝、天子に対して旗の纏いのようにつながってはなれずにあったのである。
使者 朝廷から派出される使。○紛 みだれるさま。○星散 星の如くちらぼる、八方へ出ること。○王綱 王者の綱紀、帝王の大道をいう。○旒綴 「詩経」の長発の詩に「小球大球ヲ受ケテ、下国ノ綴旒為り。」とみえる。旒綴の綴はつづりつけること、旒は旗のへりにつけであるびらびらをいう、天子は諸侯の国から献ずる小玉大玉を受けてそれらの国々の係属する所となることが旗のびらびらが旗につく如くであるというのである。ここも其の意を用いる。旗の纏の部分。


南伯從事賢,君行立談際。
南方の伯であった漢中王はその部下に賢者が集まっているのであるおる。君はそこへ赴任するのである、そこへいって立ちながらはなしをするときの注意点がある。
南伯 南方の伯、漢中王瑀をさす。文字は「詩経」の崧高の詩の「王申伯二命ジ、是ノ南邦二式タラシム。」に本つくのであろう。○従事 王の属官のものをさす。○君行 君は樊侍御をさす。○立談 たちながら話す、軍兵馬整備、税徴収、事務など忙しい時であるからである。


坐知七曜歷,手畫三軍勢。
常日頃のこととして心得ておくことは、七星の暦を熟知しておくこと、自分手ずから三軍の形勢を図にかきしめしておくことである。
七曜暦 七曜は七星、七星は日月と、歳星(木星)、熒惑(火星)、填星(土星)、太白(金星)、辰星(水星)の五星とをいう。七曜暦はそれ等の星象に関する暦、昔は兵事は星象と関係があると考えられていた。歩兵戦が基本で農耕との兼ね合いで、輸送は船を利用するもので七曜で判断していた。○手画 手で図をかく。〇三軍勢 王朝軍の陣勢。神策軍、龍武軍、羽林軍がそれぞれ上中下、左右中央、地方にあった。


冰雪淨聰明,雷霆走精銳。』
冰雪の様に浄化され洗練された聡明さがある、三軍の精鋭を雷霆の如く走らせる君であろう。』
冰雪 冰雪の如く浄らかとはすっきりとして凝滞なきことをいう。○聡明 樊の耳目のさとくあきらかなこと。○精鋭 軍隊の力のすぐれたものをさす、○雷霆の如く走る 雷の電撃は一瞬で巨木を粉砕する威力のあることをいう。



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送樊二十三侍禦赴漢中判官 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 173

送樊二十三侍禦赴漢中判官  #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 173
(樊二十三侍禦が漢中判官に赴くを送る)四回に分割して掲載。その第一回
侍御史の官である樊某が漢中王の判官となって任に赴くのを送る詩。製作時は757年至徳二載の初め、鳳翔の行在所に赴いたころの作。

送樊二十三侍禦赴漢中判官
樊侍御史の漢中判官に赴くを送る。
#1
威弧不能弦,自爾無寧歲。
我が唐の王朝軍は三十万の兵をもってして十五万の安禄山の叛乱軍に大敗した。これは威力あるべき弓に弦を加えてその威力を発揮させることができなかったのだ、そのときからこのかた安寧なる年は無くなったのである。
川穀血橫流,豺狼沸相噬。』
川や谷にまで剣や矛による地吹雪が横に飛び流れた、豺狼の様な略奪をほしいままにする叛乱軍はお湯の沸き立つようにあちこちに起って人をかむように傍若無人なのである。』
天子從北來,長驅振凋敞。
新たに即位された若き粛宗皇帝は霊武の北地から決起し、鳳翔に行在所とされた、諸侯も遠地を駆けて集結し始めた疲弊した人民の凋敞をお救いになることである。
頓兵岐梁下,卻跨沙漠裔。
岐山・梁山の下なる鳳翔の地方に兵を留め軍事の整備をされている、その間、他方で回紇と連絡をとって遠く沙漢のはてまで足をのばされ、背後を固め援軍としたのだ。
二京陷未收,四極我得製。
幽州、山東から長安・洛陽の二京までは完全に叛乱軍に陥ってまだ王朝軍は手もだせず奪回はできなかった、その地に及ばない四方、周辺とその先まで王朝軍が之を制御し得るようにはなってきた。
蕭索漢水清,緬通淮湖稅。』
自給できない鳳翔にとって、もともとものさびしい漢水は清流の地であった、二京が陥落している状況下では、この漢中の地は期待するはるかな地、准水両湖の地方の租税を通運し得る重要な場所となったのである。』
#2
使者紛星散,王綱尚旒綴。南伯從事賢,君行立談際。
坐知七曜歷,手畫三軍勢。冰雪淨聰明,雷霆走精銳。』
#3
幕府輟諫官,朝廷無此例。至尊方旰食,仗爾布嘉惠。
補闕暮徵入,柱史晨徵憩。正當艱難時,實藉長久計。』
#4
廻風吹獨樹,白日照執袂。慟哭蒼煙根,山門萬重閉。
居人莽牢落,遊子封迢遞。徘徊悲生離,局促老一世。
陶唐歌遺民,後漢更列帝。恨無匡複姿,聊欲從此逝。』


#1
威弧(いこ) 弦する能(あた)わず、 爾(しか)りし自(よ)り寧歳(ねいさい)無し。
川谷(せんこく )血横(けつおう) 流す 豺狼(さいろう) 沸(ふつ)として 相 噬(か)む。』
天子 北従り来り、 長駆(ちょうく) 凋敞(ちょうへい)を振(すく)う。
兵を頓す 岐梁(きりょう)の下、 卻って沙漠(さばく)の裔(えい)に跨(またが)る。
二京 陥(おちい)りて 未だ収めざるも 四極(しきょく)我 製するを得。
蕭索(しょうさく) 漢水 清し 緬(はるか)に准湖(わいこ)の税を通ず。』
#2
使者紛としで星散す、王綱(おうこう)尚旒綴(りゅうてい)す。
南伯(なんぱく)従事賢なり、君行きて立談の際。
坐(そぞ)ろに知る七曜暦 手(てずか)ら画す三軍の勢。
泳雪(ひょうせつ)聡明(そうめい)浄(きよ)く、雷霆(らいてい) 精鋭(せいえい)走る。』
#3
幕府 諌官(かんかん)を輟(綴つづる) 朝廷 此の例無し。
至尊(しそん)方(まさ)に旰食(かんしょく)す 爾(なんじ)に仗(よ)って嘉恵(かけい)を布(し)く。
補闕(ほけつ)暮に徴(め)し入る 柱史(ちゅうし)晨(あした)に征(ゆ)かんとして憩(けい)す。
正に艱難(かんなん)の時に当る 実に長久(ちょうきゅう)の計に藉(よ)る。』
#4
廻風(かいふう) 独樹を吹く、白日 執袂(しっぺい)を照らす。
慟哭(どうこく)す 蒼煙(そうえん)の根、 山門 万重(ばんちょう) 閉ず。
居人 莽(もう)として 牢落たり、 遊子 方(まさ)に 迢遞(ちょうてい)たり。
徘徊(はいかい) 生離(せいり)を悲しむ、 局促(きょくそく) 一世に老ゆ。』
陶唐(とうとう) 遺民(いみん)に歌わる 後漢列帝(れつてい)を更(こ)う。
匡複(きょうふく)の資(し) 恨む無し、 聊(いささ)か此(これ)従り逝(ゆ)かんと欲す。』



歲、噬/來,敞、裔、製、稅/

送樊二十三侍禦赴漢中判官 #1 現代語訳と訳註
(本文)
#1
威弧不能弦,自爾無寧歲。
川穀血橫流,豺狼沸相噬。』
天子從北來,長驅振凋敞。
頓兵岐梁下,卻跨沙漠裔。
二京陷未收,四極我得製。
蕭索漢水清,緬通淮湖稅。』

(下し文)
威弧(いこ) 弦する能(あた)わず、 爾(しか)りし自(よ)り寧歳(ねいさい)無し。
川谷(せんこく )血横(けつおう) 流す 豺狼(さいろう) 沸(ふつ)として 相 噬(か)む。』
天子 北従り来り、 長駆(ちょうく) 凋敞(ちょうへい)を振(すく)う。
兵を頓す 岐梁(きりょう)の下、 卻って沙漠(さばく)の裔(えい)に跨(またが)る。
二京 陥(おちい)りて 未だ収めざるも 四極(しきょく)我 製するを得。
蕭索(しょうさく) 漢水 清し 緬(はるか)に准湖(わいこ)の税を通ず。』

(現代語訳)
樊侍御史の漢中判官に赴くを送る。
我が唐の王朝軍は三十万の兵をもってして十五万の安禄山の叛乱軍に大敗した。これは威力あるべき弓に弦を加えてその威力を発揮させることができなかったのだ、そのときからこのかた安寧なる年は無くなったのである。
川や谷にまで剣や矛による地吹雪が横に飛び流れた、豺狼の様な略奪をほしいままにする叛乱軍はお湯の沸き立つようにあちこちに起って人をかむように傍若無人なのである。』
新たに即位された若き粛宗皇帝は霊武の北地から決起し、鳳翔に行在所とされた、諸侯も遠地を駆けて集結し始めた疲弊した人民の凋敞をお救いになることである。
岐山・梁山の下なる鳳翔の地方に兵を留め軍事の整備をされている、その間、他方で回紇と連絡をとって遠く沙漢のはてまで足をのばされ、背後を固め援軍としたのだ。
幽州、山東から長安・洛陽の二京までは完全に叛乱軍に陥ってまだ王朝軍は手もだせず奪回はできなかった、その地に及ばない四方、周辺とその先まで王朝軍が之を制御し得るようにはなってきた。
自給できない鳳翔にとって、もともとものさびしい漢水は清流のちであった、二京が陥落している状況下では、この漢中の地は期待するはるかな地、准水両湖の地方の租税を通運し得る重要な場所となったのである。』



(訳注)
送樊二十三侍禦赴漢中判官

樊侍御史の漢中判官に赴くを送る。
樊侍禦 樊は姓、名は未詳、侍御は侍御史の官。○漢中判官 漢中は今の陝西省漢中府南部県治、判官は蓋し時の漢中王璃の下において判官となったのである。 


威弧不能弦,自爾無寧歲。
我が唐の王朝軍は三十万の兵をもってして十五万の安禄山の叛乱軍に大敗した。これは威力あるべき弓に弦を加えてその威力を発揮させることができなかったのだ、そのときからこのかた安寧なる年は無くなったのである。
威弧不能弦 威弧とは威力ある弓をいう。弦とはつるをかけること、弓につるをかけなければ弓の用を為さぬ。王朝軍は三十万の兵をもってして十五万の安禄山の叛乱軍に大敗した。この句はその軍事組織が兵力、精神力で勝っていないことを示すものである。〇自爾 そのときから。 ○寧歳 安らかな年。  


川穀血橫流,豺狼沸相噬。
川や谷にまで剣や矛による地吹雪が横に飛び流れた、豺狼の様な略奪をほしいままにする叛乱軍はお湯の沸き立つようにあちこちに起って人をかむように傍若無人なのである。』
血橫 戦死者の血。血吹雪で飛び散ったさま。 ○豺狼 盗賊をいう。 ○ わきたつ。 ○ 人をかむ。 傍若無人なことをする。


天子從北來,長驅振凋敞。
新たに即位された若き粛宗皇帝は霊武の北地から決起し、鳳翔に行在所とされた、諸侯も遠地を駆けて集結し始めた疲弊した人民の凋敞をお救いになることである。
○天子 756年7月移譲を承け即位した粛宗。 ○従北 来北とは霊武をさす、粛宗は初め霊武に即位し、後に叛乱軍の内紛に乗じて鳳翔にやって来た。○長駆  長遠の路をかけて来る。○振凋敞 振は趣、すくうこと。凋敵は民力のしぼみつかれたこと。


頓兵岐梁下,卻跨沙漠裔。
岐山・梁山の下なる鳳翔の地方に兵を留め軍事の整備をされている、その間、他方で回紇と連絡をとって遠く沙漢のはてまで足をのばされ、背後を固め援軍としたのだ。
頓兵 頓は止めることをいう。○岐梁下 岐山・巣山の下、二山は鳳翔境内にある。○卻跨 かえってまたがる、跨とはその方面へまで足をのはすことをいう。○沙漠裔 裔は衣のすそ、遠地をさす。沙漠とは回紇をさす、此の時回紇より援兵を出さんと請うてきた。この時叛乱軍と回紇が連携していたら挟み撃ちで全滅した。異民族に援軍を要請するほかなかったのである。(後に禍根を残すものではあった。)


二京陷未收,四極我得製。
幽州、山東から長安・洛陽の二京までは完全に叛乱軍に陥ってまだ王朝軍は手もだせず奪回はできなかった、その地に及ばない四方、周辺とその先まで王朝軍が之を制御し得るようにはなってきた。
二京 長安・洛陽。○ 官軍の手へとりこむ。〇四極 四方のはての地。○ 朝廷をさす。○ 制御すること。


蕭索漢水清,緬通淮湖稅。』
自給できない鳳翔にとって、もともとものさびしい漢水は清流の地であった、二京が陥落している状況下では、この漢中の地は期待するはるかな地、准水両湖の地方の租税を通運し得る重要な場所となったのである。』
粛索。ものさびしく、ひっそりしているさま。李白『古風五十九首 其十四 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白151』「胡關饒風沙、蕭索竟終古。」○漢水 長江の支流漢水。鳳翔とは太白山を挟む地点に南鄭があった。漢中府にある。○通准湖税 准水及び湖南湖北地方の租税を通運させた。756年至徳元載七月、隴西公瑀を漢中王・梁州都督・山南西道采訪防禦使と為し、十月、第五埼は江淮の租庸を以て軽貨を買い、江漢より泝って洋州(漢中府洋県)に至り、漢中王瑀をして陸運して扶風に至らしめて官軍を助けんと請うた、天子はこれに従った。当時漢中は南方の貨物を鳳翔の行在へ運ぶ唯一の要路にあたっていたのである。
この漢中ルートの補給は粛宗にとって生命線であった。

杜甫図陝西甘粛


自京竄至鳳翔達連行在所 三首 其三 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 172

自京竄至鳳翔達連行在所 三首 其三 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 172
この其の三の詩で、前半四句は鳳翔へ駆けつけるときのようすをあらわしている。「武功」は図で長安から鳳翔までの中間地点にある街である。太白山は右に見て進んだ。

頌春00

自京竄至鳳翔達連行在所 三首 其一 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 170
自京竄至鳳翔達連行在所 三首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 171


喜達行在所三首  其三

死去憑誰報、帰来始自憐。

自分がここへ逃げてくる途中で死んでしまったとしたら、それをだれによってほか誰かにつげてもらえようか。今無事でここへもどって来たのではじめて我と我身をいじらしくおもうのである。
猶瞻太白雪、喜遇武功天。

うれしくも粛宗皇帝の行在所ちかき武功の天にであうことができた。まだ南にあたってあの太白山の雪がまっしろにみえている。
影静千官裏、心蘇七校前。

死ぬかとおもわれた自分の自身は影の存在で無事に千の文官のなかに静かに立てたのである。死ぬと思った心はこの画兵の七校尉の護衛の前にきたら生き返っているのを感じたのだ。
今朝漢社稷、新数中興年。

きようの朝から唐の天下のもとにいる、これからは新しく興る御年がはじまるものとかぞえだしてしかるべきだ。


行在所に達するを喜ぶ 三首其の三
死し去らば誰に憑(よ)ってか報ぜん、帰り来たりて始めて自ら憐(あわ)れむ。
猶(な)お瞻(み)る  太白の雪、遇(あ)うを喜ぶ  武功(ぶこう)の天。
影は静かなり  千官(せんかん)の裏(うち)、心は蘇(よみがえ)る  七校(しちこう)の前。
今朝(こんちょう)より漢の社稷(しゃしょく)は、新たに中興(ちゅうこう)の年を数(かぞ)えん。


行在所に達するを喜ぶ 三首
死去したら  誰が知らせてくれたろう、帰って来て始めてやっと自らをいとおしむ。
生きてなお  太白山の雪を瞻(み)る、喜んだ武功の空にめぐりあう。
影は静かに千官のうちに、心は蘇(よみがえ)る安堵の思いで近衛(このえ)の将校たちをみる
今日からは  唐の国家は新しく、中興の時代を迎えるのだ

其三 現代語訳と訳註
(本文)
其三
死去憑誰報、帰来始自憐。
猶瞻太白雪、喜遇武功天。
影静千官裏、心蘇七校前。
今朝漢社稷、新数中興年。


(下し文) 三首その三
死し去らば誰に憑(よ)ってか報ぜん、帰り来たりて始めて自ら憐(あわ)れむ。
猶(な)お瞻(み)る  太白の雪、遇(あ)うを喜ぶ  武功(ぶこう)の天。
影は静かなり  千官(せんかん)の裏(うち)、心は蘇(よみがえ)る  七校(しちこう)の前。
今朝(こんちょう)より漢の社稷(しゃしょく)は、新たに興るに中(あたる)の年を数(かぞ)えん。


(現代語訳)
自分がここへ逃げてくる途中で死んでしまったとしたら、それをだれによってほか誰かにつげてもらえようか。今無事でここへもどって来たのではじめて我と我身をいじらしくおもうのである。
うれしくも粛宗皇帝の行在所ちかき武功の天にであうことができた。まだ南にあたってあの太白山の雪がまっしろにみえている。
死ぬかとおもわれた自分の自身は影の存在で無事に千の文官のなかに静かに立てたのである。死ぬと思った心はこの画兵の七校尉の護衛の前にきたら生き返っているのを感じたのだ。
きようの朝から唐の天下のもとにいる、これからは新しく興る御年がはじまるものとかぞえだしてしかるべきだ。


(訳注)
死去憑誰報、帰来始自憐。
自分がここへ逃げてくる途中で死んでしまったとしたら、それをだれによってほか誰かにつげてもらえようか。今無事でここへもどって来たのではじめて我と我身をいじらしくおもうのである。
憑誰報 何人によってその事をつげしらせようか。○帰来 鳳翔の行在所の方へもどったこと。天使のもとに戻ったということ。〇自憐 我と我身をいじらしくおもう。


猶瞻太白雪、喜遇武功天。
うれしくも粛宗皇帝の行在所ちかき武功の天にであうことができた。まだ南にあたってあの太白山の雪がまっしろにみえている。
太白山の名、武功県の南にあり、長安を去ること三百里。○武功県の名、鳳翔府に属する。「猶瞻」の二句は行在所に近くに帰ってきたことを喜ぶ。


影静千官裏、心蘇七校前。
死ぬかとおもわれた自分の自身は影の存在で無事に千の文官のなかに静かに立てたのである。死ぬと思った心はこの画兵の七校尉の護衛の前にきたら生き返っているのを感じたのだ。
影静 影は自己の身影をいう、死ねば影がない、この影の字によって死から免れ来たった姿をあらわす。此の旬によれば此の時には拾遺の官を授けられたのである。〇千官多くの文官の官員。○心蘇 心は自己の心、蘇はよみがえる、第一首の「心死」の反対。〇七校漢の武帝は中塁・屯騎・歩兵・越騎・長水・胡騎・射声・虎貴の八校尉を置いたが、そのうち胡騎校尉というのは常置しなかったので七校という。これは武官の護衛にあたる者をさす。


今朝漢社稷、新数中興年。
きようの朝から唐の天下のもとにいる、これからは新しく興る御年がはじまるものとかぞえだしてしかるべきだ。
漢社稷 唐の天下をいう。○中興 【1】「興る」は、働きが強まる、奮い立つの意であるが、物事や状態が新たに生じることも表わし、その場合は「起こる」とも書く。【2】「ふるう」は、ふつう「振るう」と書くが、「勇気をふるう」「商売がふるわない」などのように、奮い立たせる意の場合には、「奮う」と書き、「料理に腕をふるう」「熱弁をふるう」などのように、発揮する意の場合には、「揮う」とも書く。【3】「ふるう」には、振り動かす意や、転じて、思うままに取り扱う意もある。「剣を振るう」「采配(さいはい)を振るう」中の字は去声によみ、興るに「あたる」。

hinode0200

(解説)
○詩型 五言律詩
○押韻 憐、天、前、年。
 長安黄河


深い霧の中から次々と現われてくる並木の樹々、杜甫はそれに導かれるように間道を進んでゆく。霧はその脱走を助け、並樹は道しるべとなった。やがて前方にばっと開ける蓮の花びらのような峰々、それは脱出の成功を喜ぶ杜甫の心を象徴するかのようである。まさに杜甫自身、生涯忘れることのできない決死行であったが、こうして杜甫は、念願かなって鳳翔政府の一員となった。
鳳翔の行在にようやくたどりついた杜甫は、は五月十六日に左拾遺の官を授けられた。「左拾遺」とは、天子の側近にあって、天子が政治上「遣(わす)れ」残したことがらを「「拾い」上げて知らせるいわゆる諌官である。

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自京竄至鳳翔達連行在所 三首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 171

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喜達行在所三首 其二
愁思胡笳夕,淒涼漢苑春。
夕になると叛乱軍が吹きならす胡の曲歌が耳に付くと愁いの思いを抱くことになる。いま、長安の宮苑は春というのにさびしくものがなしいいものでしかない。
生還今日事,間道暫時人。
生きてかえることがてきたというのは今日のことなのだ。、しばしば人に会ってびくびくしながら間道をくぐりぬけたのだ。
司隸章初睹,南陽氣已新。
粛宗皇帝は、むかし後漢の光武帝が興ったときの様に司隷校尉の行う典章(法則)も旧来のとおりなるのを見ることができ、この時分裂していた王朝軍は南陽において連合して新しく天子の気が動いた様に帝運隆興の気がうごきだしてきた。
喜心翻倒極,鳴咽淚沾巾。

だからわたしは嬉しくて喜びの心は顛倒するくらい最高なのだ。そして、嬉し泣きに、咽び泣きせられて涙が手ふきをしっとり濡れているのだ。

行在所に達するを喜ぶ 三首 其の二
愁思(しゅうし)  胡笳(こか)の夕(ゆうべ)、淒涼(せいりょう)たり  漢苑(かんえん)の春。
生還  今日(こんにち)の事、間道  暫時(ざんじ)の人。
司隷(しれい) 章(しょう) 初めて覩(み)る、南陽  気は已(すで)に新たなり。
喜心(きしん) 翻倒(ほんとう)の極、嗚咽(おえつ) 涙 巾(きん)を沾(うるお)す。

行在所に達するを喜ぶ 三首 其の二
夕暮れに胡笛が鳴れば  愁いはつのり
御苑の春は うらさびしいものだった
生きて今日  ここにいるが
昨日までは  隠れて生きる身であった
皇帝の威令は回復し
行在は  清新の気に満ちている
喜びは  極みに達して
とめどなく  涙は巾(きぬ)を濡らすのだ

喜達行在所三首  其二 現代語訳と訳註
(本文) 其二
愁思胡笳夕,淒涼漢苑春。
生還今日事,間道暫時人。
司隸章初睹,南陽氣已新。
喜心翻倒極,鳴咽淚沾巾。


(下し文) 其の二
愁思(しゅうし)  胡笳(こか)の夕(ゆうべ)、淒涼(せいりょう)たり  漢苑(かんえん)の春。
生還  今日(こんにち)の事、間道  暫時(ざんじ)の人。
司隷(しれい) 章(しょう) 初めて覩(み)る、南陽  気は已(すで)に新たなり。
喜心(きしん) 翻倒(ほんとう)の極、嗚咽(おえつ) 涙 巾(きん)を沾(うるお)す。


(現代語訳)
夕になると叛乱軍が吹きならす胡の曲歌が耳に付くと愁いの思いを抱くことになる。いま、長安の宮苑は春というのにさびしくものがなしいいものでしかない。
生きてかえることがてきたというのは今日のことなのだ。、しばしば人に会ってびくびくしながら間道をくぐりぬけたのだ。
粛宗皇帝は、むかし後漢の光武帝が興ったときの様に司隷校尉の行う典章(法則)も旧来のとおりなるのを見ることができ、この時分裂していた王朝軍は南陽において連合して新しく天子の気が動いた様に帝運隆興の気がうごきだしてきた。
だからわたしは嬉しくて喜びの心は顛倒するくらい最高なのだ。そして、嬉し泣きに、咽び泣きせられて涙が手ふきをしっとり濡れているのだ。

(訳注)
愁思胡笳夕,淒涼漢苑春。

夕になると叛乱軍が吹きならす胡の曲歌が耳に付くと愁いの思いを抱くことになる。いま、長安の宮苑は春というのにさびしくものがなしいいものでしかない。
愁思 うれいのものおもい。○胡節 叛乱軍の吹きならすあしぶえ。○凄涼 ものさびしいさま、叛乱軍が侵入したためである。○漢苑 漢代の御苑、唐の長安の宮苑をさすす。


生還今日事,間道暫時人。
生きてかえることがてきたというのは今日のことなのだ。、しばしば人に会ってびくびくしながら間道をくぐりぬけたのだ。
生還 いきながらえてかえる。○間道 ぬけみち。○暫時人 生命を保ち得ることがしばらくに過ぎぬ、いつ殺されるかも知れぬことをいう。ここでは、しばしば人に会ってびくびくしながら間道をくぐりぬけたという意味。


司隸章初睹,南陽氣已新。
粛宗皇帝は、むかし後漢の光武帝が興ったときの様に司隷校尉の行う典章(法則)も旧来のとおりなるのを見ることができ、この時分裂していた王朝軍は南陽において連合して新しく天子の気が動いた様に帝運隆興の気がうごきだしてきた。
司隸章 司隷(司州)とは、洛陽や長安等を含む州のこと。京兆尹(長安)・河南尹(洛陽)・河内郡 ・河東郡 ・弘農郡・馮翊郡・扶風郡の5郡で構成された。ここでは後漢の光武帝の故事。光武が更始の命により司隷校尉の職を行ったときすべて旧来の法則どおりにしたという。博亮の「進宋公為宋王詔」に「東京ノ父老、重ネテ司隷ノ章ヲ親ル。」とある。○章は典章(法則)をいう。○ 睹と【睹】[漢字項目] [音]ト(漢) [訓]みる見る。「逆睹(げきと・ぎゃくと)・目睹」◆ 「覩」は異体字。○南陽気「後漢書」光武紀に、望気者(気を望んで予言を為すもの)の蘇伯阿というものが王芥のために便となって南陽(河南省南陽府、光武帝の生まれた地)に至り、逢かに春陵の郭を望み見て、「気佳ナル哉、鬱鬱慈恵タリ」といったという。佳気とは帝王の興るべきめでたい気。


喜心翻倒極,鳴咽淚沾巾。
だからわたしは嬉しくて喜びの心は顛倒するくらい最高なのだ。そして、嬉し泣きに、咽び泣きせられて涙が手ふきをしっとり濡れているのだ。
○翻倒ひっくりかえる。顛倒の類。○鳴咽むせびなく。

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自京竄至鳳翔達連行在所 三首 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 170

自京竄至鳳翔達連行在所 三首 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 170

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 粛宗は757の二月、居所を岐山の西の鳳翔(ほうしょう)に移していた。前年の大敗で唐王朝軍は戦況が不利であった。安禄山の側に内紛により、徹底した闘掃がなされず、唐王朝に巻き返しのチャンスを与えることになってしまっていた。王朝軍が鳳翔(陝西省鳳翔県)に進出できた。ここに行在所を確保できたことは、奪回にたいして画期的時期となった。
 皇帝を称して一年、眼病を患っていた安禄山は、後嗣のもつれから、正月に息子の安慶緒(あんけいしょ)に殺される。安慶緒は大燕の帝位に就くが、幽州挙兵のときから同志であった史思明(ししめい)は、これに反発して独自の行動をとるようになる。

 杜甫は粛宗が鳳翔に行在所を設けたことを、晩春になって知り、長安脱出の決意を固めた。その頃、長安の西市に南隣の懐遠坊、大雲寺に訪ねた。その時の内容は次のブログを参照されたい。

大雲寺贊公房 四首 其一 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 164

大雲寺贊公房 四首 其一#2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 165#2

大雲寺贊公房 四首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 166

大雲寺贊公房 四首 其三 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 167

大雲寺贊公房 四首 其四 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 168

大雲寺贊公房 四首 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 168


 杜甫はかねてから親しくしていました大雲寺の寺主賛公に長安脱出の決意を打ちあけ、寺内に止宿して機会をうかがたのだ。
 大雲寺は長安の西の大門である金光門に近く、西市に出入りする人も多種多様なので、番兵の目を誤魔化すのには便利だったのだ。杜甫は四月のある夕暮れ、閉門の人ごみに混じって城外に出て、暗くなるまで身をひそめてから西に走った。詩の前半四句は脱出まで、後半四句は鳳翔にたどり着くまでを描く。



自京竄至鳳翔達連行在所 三首 
(京より竄れて鳳翔至り 行在所に達することを喜ぶ 三首)
長安からにげみちして鳳翔に至り、粛宗皇帝の行在所に達したことを喜んで作った詩。
製作時は至徳二載夏四月。757年至徳二載 46歳 ・五言律詩


自京竄至鳳翔達連行在所三首 

喜達行在所三首 其一
西憶岐陽信,無人遂卻回。眼穿當落日,心死著寒灰。
霧樹行相引,連山望忽開。所親驚老瘦,辛苦賊中來。
其二
愁思胡笳夕,淒涼漢苑春。生還今日事,間道暫時人。
司隸章初睹,南陽氣已新。喜心翻倒極,鳴咽淚沾巾。
其三
死去憑誰報,歸來始自憐。猶瞻太白雪,喜遇武功天。
影靜千官裡,心蘇七校前。今朝漢社稷,新數中興年。


 
自京竄至鳳翔達連行在所三首其一 
長安より夜にまぎれて鳳翔に至った。粛宗の行在所に達することを喜ぶ。 三首あるうちのその一。
西憶岐陽信、無人遂却廻。
自分は西方の岐陽からの消息があるかとおもっていたが、いつまでたってももどって天子の消息をしらせてくれる人がなかったので自分自身がでかけた。
眼穿当落日、心死箸寒灰。
これまで自分の眼はいつも天子の在所方角の落日をみつめていたし、西へと走りながら見つめるので眼に穴があくほどであった、叛乱軍の中をくぐってゆくのであるから心は死んでつめたい灰をつけた様に怖くて仕方がない。
霧樹行相引、蓮峰望忽開。
道路にそって並み木があり、それに導かれながら進んだのである、だんだん気持ちが元気になってきて、このあいだに忽ち連山の眺望が目の前に開かれて鳳翔の方へ続いていたのだ。
所親驚老痩、辛苦賊中来。

平生親しくしていた人々は自分の年よったのと痩せたのとに驚いているが、驚くのももっとものことだ、千辛万苦して叛乱軍の中からやって来たのだもの。


行在所に達するを喜ぶ三首 其の一

西のかた岐陽(きよう)の信(しん)を憶(おも)うに、人の遂に却廻(きゃくかい)する無し。

(まなこ)は穿(うが)たれて落日に当たり、心は死して寒灰(かんかい)に箸()く。

霧樹(むじゅ)   行くゆく相い引き、蓮峰(れんぽう) 望み忽ち開く。

所親(しょしん)  老痩(ろうそう)に驚き、辛苦(しんく)   賊中より来たれり。





喜達行在所三首  現代語訳と訳註
(本文) 其一

西憶岐陽信、無人遂却廻。
眼穿当落日、心死箸寒灰。
霧樹行相引、蓮峰望忽開。
所親驚老痩、辛苦賊中来。

(下し文) 其の一
西のかた岐陽(きよう)の信(しん)を憶(おも)うに、人の遂に却廻(きゃくかい)する無し。
眼(まなこ)は穿(うが)たれて落日に当たり、心は死して寒灰(かんかい)に箸(つ)く。
霧樹(むじゅ)   行くゆく相い引き、蓮峰(れんぽう) 望み忽ち開く。
所親(しょしん)  老痩(ろうそう)に驚き、辛苦(しんく)   賊中より来たれり。


(現代語訳)
長安より夜にまぎれて鳳翔に至った。粛宗の行在所に達することを喜ぶ。
自分は西方の岐陽からの消息があるかとおもっていたが、いつまでたってももどって天子の消息をしらせてくれる人がなかったので自分自身がでかけた。
これまで自分の眼はいつも天子の在所方角の落日をみつめていたし、西へと走りながら見つめるので眼に穴があくほどであった、叛乱軍の中をくぐってゆくのであるから心は死んでつめたい灰をつけた様に怖くて仕方がない。
道路にそって並み木があり、それに導かれながら進んだのである、だんだん気持ちが元気になってきて、このあいだに忽ち連山の眺望が目の前に開かれて鳳翔の方へ続いていたのだ。
平生親しくしていた人々は自分の年よったのと痩せたのとに驚いているが、驚くのももっとものことだ、千辛万苦して叛乱軍の中からやって来たのだもの。


(訳注)
自京竄至鳳翔達連行在所

長安より夜にまぎれて鳳翔に至った。粛宗の行在所に達することを喜ぶ。
長安。○竄かくれながら。○鳳翔・陝西省鳳翔府扶風県、時に扶風を改めて鳳翔と称した。○行在所 行とは天子の旅行、行在所とは御旅さきのおわします処をいう。反撃の拠点となった。


西憶岐陽信、無人遂卻回
自分は西方の岐陽からの消息があるかとおもっていたが、いつまでたってももどって天子の消息をしらせてくれる人がなかったので自分自身がでかけた。
岐陽信 岐陽は岐山の陽、ほうさん鳳翔府岐山県をさす、行在のある地方をいう、信は消息。○卻回 もどってくること。唐時の常言である。


眼穿当落日、心死箸寒灰。
これまで自分の眼はいつも天子の在所方角の落日をみつめていたし、西へと走りながら見つめるので眼に穴があくほどであった、叛乱軍の中をくぐってゆくのであるから心は死んでつめたい灰をつけた様に怖くて仕方がない。
眼穿 あまりみつめるため眼に穴があくようであることをいう。○当落 太陽の落ちる方、即ち鳳翔は西に直面している。○心死著寒灰 死灰は冷灰をいう。寒灰を着くとは、心が活気を失い死んだようになっていること、怖くて怯えきったことを言う。


霧樹行相引、蓮峰望忽開。
道路にそって並み木があり、それに導かれながら進んだのである、だんだん気持ちが元気になってきて、このあいだに忽ち連山の眺望が目の前に開かれて鳳翔の方へ続いていたのだ。
霧樹しげっている樹、道路の並み木をさす。○行相引 引とはこちらをてぴきし、案内してくれること。○連山 岐陽の連山。○ 眺望。


所親驚老痩、辛苦賊中来。
平生親しくしていた人々は自分の年よったのと痩せたのとに驚いているが、驚くのももっとものことだ、千辛万苦して叛乱軍の中からやって来たのだもの。
所親 親しい人々。○老痩 自己の老い且つやせていること。○辛苦賊中来 ・:叛乱軍、これは老痩について自ずから弁解する謙譲語。このブログでは官軍と賊軍の用語はできるだけ、使用しない。それは、単純に二分化されるものではないからである。史実からできるだけどのような軍かわかるように表現していく。




この三首連作は、時系列に場面を買えていく連作ではない。題は共通で、視点を変えて詠っている。内容に重複させところもあり、三首を通してみると脱出劇の様子がよく分かる。長安脱出が杜甫にとって如何に印象的な出来事であったかを示しているのだ。


 杜甫がたどった道は、玄宗一行が落ちて行った渭水北岸の道である。脱走者の杜甫は昼間の街道をゆくわけにはいいかない。霧のなかで土手の並木の樹々をたよりに間道を進んだ。やがて見覚えのある太白山の峰々が雲間から咲き出た蓮の花のように見えてきて、次第に歓びの気持ちがこみ上げてくるのである。
尾聯の二句は鳳翔に着いたときの様子で、知人たちは杜甫のやつれた姿に驚いた。


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大雲寺贊公房 四首 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 169

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杜甫は叛乱軍の拘束中に大雲寺の僧贊公の宿坊に泊まった時に書いたものである。

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大雲寺贊公房 四首 -#1
童兒汲井華,慣捷瓶手在。
沾灑不濡地,掃除似無帚。
明霞爛複閣,霽霧搴高牖。
側塞被徑花,飄搖委墀柳。
艱難世事迫,隱遁佳期後。
#2
晤語契深心,那能總鉗口?
あいさつの言葉というのは深く心に繋ぎとめておくものである。どうして口をつぐんで言わないとしても心の奥で考えることは分かってくるものなのだ。
奉辭還杖策,暫別終回首。
陶淵明、王羲之は官を辞したがその考えには確固たる信念があったのだ。ここでしばらくの間、最後の考えとして向こうを見て、ここを去ろうと思い私は僧贊公としばらく別れることとした。
泱泱泥汙人,狺狺國多狗。
長安の街にはこれだけの叛乱軍が横行し、泥でもって人々を汚している。まるで犬がキャンキャン都内騒ぐように国中が叛乱軍でいっぱいになっているのだ。
既未免羈絆,時來憩奔走。
規制の管理体制は全く機能せず足手まといのものと成り下がっている。本来なら、ここで、国のために奔走して人々が憩えるようにしてほしいのだ。
近公如白雪,執熱煩何有?
天子の近くにいる家臣は本来白雪のように清廉潔白であるものである。もっともっと熱く執着してこの困難を打開してくれることに何のためらいがあるというのか


#1
童兒 井華(せいか)に汲む,慣捷(かんせい) 瓶 手に在る。
沾灑(てんさい) 地に濡(うるお)わず,掃除(そうじょ) 帚(はく)こと 無しに似たり。
明霞(めいか) 爛(らん)複た閣,霽霧(せいむ) 高牖(こうりょ)を搴(ぬ)く。
側塞(そくさい) 徑花を被い,飄搖(ひょうよう) 墀柳(くつりゅう)に委ねる。
艱難(かんなん) 世事 迫る,隱遁 佳期の後。
#2
晤語 深心に契り,那んぞ能く 鉗口に總(おさ)めんや?
奉辭(ほうじ) 還た杖策し,暫別 終に首を回らす。
泱泱(おうおう)たる 泥 人を汙(けが)す,狺狺(ぎんぎん)たる 國に 狗 多し。
既に 未だ 羈絆 免じず,時 來りて 奔走して 憩(いこ)わむ。
近公 白雪の如し,執熱 煩(わざわ) い 何んぞ有りや?


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大雲寺贊公房 四首#2 現代語訳と訳註
(本文)

晤語契深心,那能總鉗口?
奉辭還杖策,暫別終回首。
泱泱泥汙人,狺狺國多狗。
既未免羈絆,時來憩奔走。
近公如白雪,執熱煩何有?

(下し文) #2
晤語 深心に契り,那んぞ能く 鉗口に總(おさ)めんや?
奉辭(ほうじ) 還た杖策し,暫別 終に首を回らす。
泱泱(おうおう)たる 泥 人を汙(けが)す,狺狺(ぎんぎん)たる 國に 狗 多し。
既に 未だ 羈絆 免じず,時 來りて 奔走して 憩(いこ)わむ。
近公 白雪の如し,執熱 煩(わざわ) い 何んぞ有りや?


(現代語訳) #2
あいさつの言葉というのは深く心に繋ぎとめておくものである。どうして口をつぐんで言わないとしても心の奥で考えることは分かってくるものなのだ。
陶淵明、王羲之は官を辞したがその考えには確固たる信念があったのだ。ここでしばらくの間、最後の考えとして向こうを見て、ここを去ろうと思い私は僧贊公としばらく別れることとした。
長安の街にはこれだけの叛乱軍が横行し、泥でもって人々を汚している。まるで犬がキャンキャン都内騒ぐように国中が叛乱軍でいっぱいになっているのだ。
規制の管理体制は全く機能せず足手まといのものと成り下がっている。本来なら、ここで、国のために奔走して人々が憩えるようにしてほしいのだ。
天子の近くにいる家臣は本来白雪のように清廉潔白であるものである。もっともっと熱く執着してこの困難を打開してくれることに何のためらいがあるというのか



(訳注) #2
晤語契深心,那能總鉗口?

あいさつの言葉というのは深く心に繋ぎとめておくものである。どうして口をつぐんで言わないとしても心の奥で考えることは分かってくるものなのだ。
○晤語 あいさつの言葉。⊗ 会う,面会する 晤商 会って相談する. ... 晤面 wumian. [動]. 《書》会う,面会する.
【音読み】ゴ. 【訓読み】あき-らか. 【字源】日と自身の意とで、. 自身を明らかに表す意。 【意味】自心を明確に表すさま。 人とよく内溶け合うさま。 心が賢く、人の心意をさとる得るもの。 明快な気質を現し、人とよく和み合うさま。
○鉗口 鉗口とは? (名)スル〔「けんこう(箝口)」の慣用読み〕 (1)他人の言論を束縛すること。 (2)口をつぐんでものを言わないこと。



奉辭還杖策,暫別終回首。
陶淵明、王羲之は官を辞したがその考えには確固たる信念があったのだ。ここでしばらくの間、最後の考えとして向こうを見て、ここを去ろうと思い私は僧贊公としばらく別れることとした。


泱泱泥汙人,狺狺國多狗。
長安の街にはこれだけの叛乱軍が横行し、泥でもって人々を汚している。まるで犬がキャンキャン都内騒ぐように国中が叛乱軍でいっぱいになっているのだ。
泱泱  (1) (水面が)広々とした,洋々たる. (2) 気宇壮大な,堂々たる.○泥汙 杜甫『秋雨嘆三首 其三』「泥汙後土何時乾」泥は後土を汙(けが)して何の時か乾かん?
狺狺犬之狺狺、不過吠非其主耳、是有功於主也。 犬の狺狺(ぎん・ぎん)たる、その主にあらざるを吠ゆるに過ぎざるのみ、これ、主において功あり。 イヌがぎゃんぎゃんと鳴くのは、その主人以外の者に吠えるだけではございませんか。
 安禄山の叛乱軍を指す。


既未免羈絆,時來憩奔走。
規制の管理体制は全く機能せず足手まといのものと成り下がっている。本来なら、ここで、国のために奔走して人々が憩えるようにしてほしいのだ。
○羈《牛馬をつなぐ意から》足手まといとなる身辺の物事。きずな。ほだし。



近公如白雪,執熱煩何有?
天子の近くにいる家臣は本来白雪のように清廉潔白であるものである。もっともっと熱く執着してこの困難を打開してくれることに何のためらいがあるというのか
近公 ・近 近臣。・公 貴人への敬称。○執熱執熱不濯 読み:しゅうねつふたく 意味:熱いものを手で直接掴めないので、先ずは水を入れてからでないと洗えないということから転じて、困難を克服するためには、賢人を起用しなければならないのに、それをしないことのたとえ。
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