收京三首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 228
757年9月中旬、粛宗の皇子である広平王李俶(のちの代宗)を総司令官とし、朔方軍で功勲のあった郭子儀を副司令官とし、十五万の連合軍は、鳳翔を出発して東に向かったのである。
9月27日には長安の西郊に着いて陣を布き、安守忠・李帰仁の率いる十万の安史軍(この時史忠明の軍本体は幽州に帰っていた。)と戦って翌28日には長安に入城したのである。長安が安禄山の叛乱軍に落ちてから一年三か月ぶりのことであった。史忠明軍のいない安史軍はひとまず正面衝突を回避して、10月18日には洛陽も奪還され、安慶緒は北方の鄴城(河南省安陽)に逃れた。粛宗は、洛陽奪還の翌日、10月19日には鳳翔を出発し、10月23日に長安に帰った。杜甫も、10月中旬には鳳翔に帰り、粛宗と一緒に長安に帰ったのである。
製作時は757年至徳二載9月末か、10月初めの作。
收京三首其一
仙仗離丹極,妖星照玉除。須為下殿走,不可好樓居。
暫屈汾陽駕,聊飛燕將書。依然七廟略,更與萬方初。
其二
生意甘衰白,天涯正寂寥。
自分はこうして生き、老衰の境を甘んじており、艱難をして行きついたいなかの天のはてにさびしいおもいをして暮らしている。
忽聞哀痛詔,又下聖明朝。
このときにここにいて我が天子の御自分をお痛みになる詔され、また朝廷からまたくだったことを耳にするのである。
羽翼懷商老,文思憶帝堯。
それにつけて商山の四皓の様な人が皇子(広平王)を輔佐してくれたならばとおもっているし、文恩の徳のあらせられた堯帝のように玄宗もそうだったことなどをおもうのである。
叨逢罪己日,沾灑望青霄。
わたしはありがたいことに、我が天子がご自分を罪せらるるという様な稀有な時に出くわしたのである。なみだをそそぐことなくして都のあお空をながめることができようか。
其三
汗馬收宮闕,春城鏟賊壕。賞應歌杕杜,歸及薦櫻桃。
雜虜橫戈數,功臣甲第高。萬方頻送喜,毋乃聖躬勞。
京を収む 三首 其一
仙仗(せんじょう)丹極(たんきょく)を離れ、妖星(ようせい)玉除(ぎょくじょう)を照らす。
須らく下殿の走を為すべし、楼居を好む可らず。
暫く汾陽(ふんよう)の駕を屈す、聊か飛ばす燕将の書。
依然たり七廟の略、更に万方(まんぼう)と初めん。
京を収む 三首 其二
生意 衰白(すいはく)を甘んず、天涯 正に寂蓼(せきりょう)。
忽ち聞く 哀痛(あいつう)の詔、又聖明の朝より下るを。
羽翼 商老を懐い、文思 帝堯を憶う。
叨(みだ)りに己を罪するの日に逢い、沾(なみだ)を灑(そそ)ぎて青霄(せいしょう)を望む。
京を収む 三首 其三
汗馬 宮闕(きゅうけつ)を収め、春城 賊壕(ぞくごう)を鏟(けず)らんとす。
賞は応に杕杜(ていと)を歌うなるべし、帰るは桜桃を薦むるに及ばん。
雑虜 戈を横うること数々なり 功臣甲第高し。
万方頻(しきり)に書を送る、乃ち聖窮の労するなる無からんや。
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京を収む 三首 其二 京を収む 三首 其三 |
現代語訳と訳註
(本文) 其二
生意甘衰白,天涯正寂寥。
忽聞哀痛詔,又下聖明朝。
羽翼懷商老,文思憶帝堯。
叨逢罪己日,沾灑望青霄。
(下し文) 京を収む 三首 其二
生意 衰白(すいはく)を甘んず、天涯 正に寂蓼(せきりょう)。
忽ち聞く 哀痛(あいつう)の詔、又聖明の朝より下るを。
羽翼 商老を懐い、文思 帝堯を憶う。
叨(みだ)りに己を罪するの日に逢い、沾(なみだ)を灑(そそ)ぎて青霄(せいしょう)を望む。
(現代語訳)
自分はこうして生き、老衰の境を甘んじており、艱難をして行きついたいなかの天のはてにさびしいおもいをして暮らしている。
このときにここにいて我が天子の御自分をお痛みになる詔され、また朝廷からまたくだったことを耳にするのである。
それにつけて商山の四皓の様な人が皇子(広平王)を輔佐してくれたならばとおもっているし、文恩の徳のあらせられた堯帝のように玄宗もそうだったことなどをおもうのである。
わたしはありがたいことに、我が天子がご自分を罪せらるるという様な稀有な時に出くわしたのである。なみだをそそぐことなくして都のあお空をながめることができようか。
(訳注)
生意甘衰白,天涯正寂寥。
生意裏白を甘んず 天涯正に寂蓼
自分はこうして生き、老衰の境を甘んじており、艱難をして行きついたいなかの天のはてにさびしいおもいをして暮らしている。
○生意 いきているこころのなか。○衰白 老衰して頭髪の白いこと。○天涯 天のはて。鄜州は艱難をして行きついたいなかであるため長安よりみて天の果ての様なとところである。
忽聞哀痛詔,又下聖明朝。
忽ち聞く哀痛の詔 又聖明の朝より下るを
このときにここにいて我が天子の御自分をお痛みになる詔され、また朝廷からまたくだったことを耳にするのである。
○哀痛詔 天子が自ずからをいたまれるみことのり。○又下 一回ではないことをいう。
羽翼懷商老,文思憶帝堯。
羽翼商老を懐い 文思帝亮を憶う
それにつけて商山の四皓の様な人が皇子(広平王)を輔佐してくれたならばとおもっているし、文恩の徳のあらせられた堯帝のように玄宗もそうだったことなどをおもうのである。
○羽翼、商老 商老は商山の四皓(四人の老人)、漢の高祖のとき張良の計によって老人は山より出て来て高祖の太子の輔佐役となった。羽翼とは輔佐となることをいう。詩意は李泌が広平王僻の輔佐となってくれたならばとおもうことをいう。杜甫自身補佐役であることを示している。綺皓という表現をつかう。秦末の商山の四皓を指す。東園公・用里先生・綺里季・夏黄公の四人が商山に隠れ、ともに八十余歳で、髪は白かったので商山の四皓という。その中の綺里季を代表させてという。漢の高祖が迎えたが、従わなかった。○文思 「克典」 の序に見える。智が天地を経緯するに足ることを文といい、智の深いことを恩という、堯の徳をのべた辞である。○帝堯 玄宗をいう。
叨逢罪己日,沾灑望青霄。
叨りに己を罪するの日に逢い 沸を濾ぎて青零を望む
わたしはありがたいことに、我が天子がご自分を罪せらるるという様な稀有な時に出くわしたのである。なみだをそそぐことなくして都のあお空をながめることができようか。
○叨 謙遜の辞。○罪己 天子が自己を罪せられること、自分がわるかったと仰せられること。○潅沸 沸は鼻水。○青零 あおぞら。長安の天をいう。
商山の四皓
唐の李陽氷の『草堂集』序には次のようにいっている。
天宝中、皇祖(玄宗) 詔を下して徴し、金馬(門)に就かしむ。輦を降り歩して迎え、綺皓を見るが如く、七宝の牀を以って食を賜う。御手もて羹を調え以って之に飯し、謂いて日わく、
「卿は是れ布衣にして、名は朕の知るところと為る、素より道義を蓄うるに非ざれは、何を以って此に及ばんと。」
金堂殿に置き、翰林中に出入せしめ、問うに国政を以ってし、潜かに詔誥を草せしむ。人知る者なし。
「金馬」門は、漢代の名で、唐では、大明宮の右銀台門を指し、この門を入ると、学士院・翰林院があり、その奥に金鑾殿がある。「綺皓」は秦末の商山の四皓を指す。東園公・用里先生・綺里季・夏黄公の四人が商山に隠れ、ともに八十余歳で、髪は白かったので商山の四皓という。その中の綺里季を代表させてという。漢の高祖が迎えたが、従わなかった。富貴に恬淡たる人物たちである。
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