杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

2012年02月

收京三首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 228

收京三首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 228

757年9月中旬、粛宗の皇子である広平王李俶(のちの代宗)を総司令官とし、朔方軍で功勲のあった郭子儀を副司令官とし、十五万の連合軍は、鳳翔を出発して東に向かったのである。
9月27日には長安の西郊に着いて陣を布き、安守忠・李帰仁の率いる十万の安史軍(この時史忠明の軍本体は幽州に帰っていた。)と戦って翌28日には長安に入城したのである。長安が安禄山の叛乱軍に落ちてから一年三か月ぶりのことであった。史忠明軍のいない安史軍はひとまず正面衝突を回避して、10月18日には洛陽も奪還され、安慶緒は北方の鄴城(河南省安陽)に逃れた。粛宗は、洛陽奪還の翌日、10月19日には鳳翔を出発し、10月23日に長安に帰った。杜甫も、10月中旬には鳳翔に帰り、粛宗と一緒に長安に帰ったのである。

製作時は757年至徳二載9月末か、10月初めの作。
收京三首其一
仙仗離丹極,妖星照玉除。須為下殿走,不可好樓居。
暫屈汾陽駕,聊飛燕將書。依然七廟略,更與萬方初。

其二
生意甘衰白,天涯正寂寥。
自分はこうして生き、老衰の境を甘んじており、艱難をして行きついたいなかの天のはてにさびしいおもいをして暮らしている。
忽聞哀痛詔,又下聖明朝。
このときにここにいて我が天子の御自分をお痛みになる詔され、また朝廷からまたくだったことを耳にするのである。
羽翼懷商老,文思憶帝堯。
それにつけて商山の四皓の様な人が皇子(広平王)を輔佐してくれたならばとおもっているし、文恩の徳のあらせられた堯帝のように玄宗もそうだったことなどをおもうのである。
叨逢罪己日,沾灑望青霄。
わたしはありがたいことに、我が天子がご自分を罪せらるるという様な稀有な時に出くわしたのである。なみだをそそぐことなくして都のあお空をながめることができようか。

其三
汗馬收宮闕,春城鏟賊壕。賞應歌杕杜,歸及薦櫻桃。
雜虜橫戈數,功臣甲第高。萬方頻送喜,毋乃聖躬勞。


京を収む 三首 其一
仙仗(せんじょう)丹極(たんきょく)を離れ、妖星(ようせい)玉除(ぎょくじょう)を照らす。
須らく下殿の走を為すべし、楼居を好む可らず。
暫く汾陽(ふんよう)の駕を屈す、聊か飛ばす燕将の書。
依然たり七廟の略、更に万方(まんぼう)と初めん。


京を収む 三首 其二
生意 衰白(すいはく)を甘んず、天涯 正に寂蓼(せきりょう)。
忽ち聞く 哀痛(あいつう)の詔、又聖明の朝より下るを。
羽翼 商老を懐い、文思 帝堯を憶う。
叨(みだ)りに己を罪するの日に逢い、沾(なみだ)を灑(そそ)ぎて青霄(せいしょう)を望む。


京を収む 三首 其三
汗馬 宮闕(きゅうけつ)を収め、春城 賊壕(ぞくごう)を鏟(けず)らんとす。
賞は応に杕杜(ていと)を歌うなるべし、帰るは桜桃を薦むるに及ばん。
雑虜 戈を横うること数々なり 功臣甲第高し。
万方頻(しきり)に書を送る、乃ち聖窮の労するなる無からんや。


 DCF00206

 收京三首其一
仙仗離丹極,妖星照玉除。須為下殿走,不可好樓居。
暫屈汾陽駕,聊飛燕將書。依然七廟略,更與萬方初。

其二
生意甘衰白,天涯正寂寥。忽聞哀痛詔,又下聖明朝。
羽翼懷商老,文思憶帝堯。叨逢罪己日,沾灑望青霄。

其三
汗馬收宮闕,春城鏟賊壕。賞應歌杕杜,歸及薦櫻桃。
雜虜橫戈數,功臣甲第高。萬方頻送喜,毋乃聖躬勞。


京を収む 三首 其一
仙仗(せんじょう)丹極(たんきょく)を離れ、妖星(ようせい)玉除(ぎょくじょう)を照らす。
須らく下殿の走を為すべし、楼居を好む可らず。
暫く汾陽(ふんよう)の駕を屈す、聊か飛ばす燕将の書。
依然たり七廟の略、更に万方(まんぼう)と初めん。

京を収む 三首 其二
生意 衰白(すいはく)を甘んず、天涯 正に寂蓼(せきりょう)。
忽ち聞く 哀痛(あいつう)の詔、又聖明の朝より下るを。
羽翼 商老を懐い、文思 帝堯を憶う。
叨(みだ)りに己を罪するの日に逢い、沾(なみだ)を灑(そそ)ぎて青霄(せいしょう)を望む。

京を収む 三首 其三
汗馬 宮闕(きゅうけつ)を収め、春城 賊壕(ぞくごう)を鏟(けず)らんとす。
賞は応に杕杜(ていと)を歌うなるべし、帰るは桜桃を薦むるに及ばん。
雑虜 戈を横うること数々なり 功臣甲第高し。
万方頻(しきり)に書を送る、乃ち聖窮の労するなる無からんや。



現代語訳と訳註
(本文) 其二

生意甘衰白,天涯正寂寥。
忽聞哀痛詔,又下聖明朝。
羽翼懷商老,文思憶帝堯。
叨逢罪己日,沾灑望青霄。


(下し文) 京を収む 三首 其二
生意 衰白(すいはく)を甘んず、天涯 正に寂蓼(せきりょう)。
忽ち聞く 哀痛(あいつう)の詔、又聖明の朝より下るを。
羽翼 商老を懐い、文思 帝堯を憶う。
叨(みだ)りに己を罪するの日に逢い、沾(なみだ)を灑(そそ)ぎて青霄(せいしょう)を望む。


(現代語訳)
自分はこうして生き、老衰の境を甘んじており、艱難をして行きついたいなかの天のはてにさびしいおもいをして暮らしている。
このときにここにいて我が天子の御自分をお痛みになる詔され、また朝廷からまたくだったことを耳にするのである。
それにつけて商山の四皓の様な人が皇子(広平王)を輔佐してくれたならばとおもっているし、文恩の徳のあらせられた堯帝のように玄宗もそうだったことなどをおもうのである。
わたしはありがたいことに、我が天子がご自分を罪せらるるという様な稀有な時に出くわしたのである。なみだをそそぐことなくして都のあお空をながめることができようか。


(訳注)
生意甘衰白,天涯正寂寥。
生意裏白を甘んず 天涯正に寂蓼

自分はこうして生き、老衰の境を甘んじており、艱難をして行きついたいなかの天のはてにさびしいおもいをして暮らしている。
生意 いきているこころのなか。○衰白 老衰して頭髪の白いこと。○天涯 天のはて。鄜州は艱難をして行きついたいなかであるため長安よりみて天の果ての様なとところである。


忽聞哀痛詔,又下聖明朝。
忽ち聞く哀痛の詔 又聖明の朝より下るを
このときにここにいて我が天子の御自分をお痛みになる詔され、また朝廷からまたくだったことを耳にするのである。
哀痛詔 天子が自ずからをいたまれるみことのり。○又下 一回ではないことをいう。


羽翼懷商老,文思憶帝堯。
羽翼商老を懐い 文思帝亮を憶う
それにつけて商山の四皓の様な人が皇子(広平王)を輔佐してくれたならばとおもっているし、文恩の徳のあらせられた堯帝のように玄宗もそうだったことなどをおもうのである。
羽翼、商老 商老は商山の四皓(四人の老人)、漢の高祖のとき張良の計によって老人は山より出て来て高祖の太子の輔佐役となった。羽翼とは輔佐となることをいう。詩意は李泌が広平王僻の輔佐となってくれたならばとおもうことをいう。杜甫自身補佐役であることを示している。綺皓という表現をつかう。秦末の商山の四皓を指す。東園公・用里先生・綺里季・夏黄公の四人が商山に隠れ、ともに八十余歳で、髪は白かったので商山の四皓という。その中の綺里季を代表させてという。漢の高祖が迎えたが、従わなかった。○文思 「克典」 の序に見える。智が天地を経緯するに足ることを文といい、智の深いことを恩という、堯の徳をのべた辞である。○帝堯 玄宗をいう。


叨逢罪己日,沾灑望青霄。
叨りに己を罪するの日に逢い 沸を濾ぎて青零を望む
わたしはありがたいことに、我が天子がご自分を罪せらるるという様な稀有な時に出くわしたのである。なみだをそそぐことなくして都のあお空をながめることができようか。
 謙遜の辞。○罪己 天子が自己を罪せられること、自分がわるかったと仰せられること。○潅沸 沸は鼻水。○青零 あおぞら。長安の天をいう。

 

商山の四皓
唐の李陽氷の『草堂集』序には次のようにいっている。
天宝中、皇祖(玄宗) 詔を下して徴し、金馬(門)に就かしむ。輦を降り歩して迎え、綺皓を見るが如く、七宝の牀を以って食を賜う。御手もて羹を調え以って之に飯し、謂いて日わく、
「卿は是れ布衣にして、名は朕の知るところと為る、素より道義を蓄うるに非ざれは、何を以って此に及ばんと。」
金堂殿に置き、翰林中に出入せしめ、問うに国政を以ってし、潜かに詔誥を草せしむ。人知る者なし。
「金馬」門は、漢代の名で、唐では、大明宮の右銀台門を指し、この門を入ると、学士院・翰林院があり、その奥に金鑾殿がある。「綺皓」は秦末の商山の四皓を指す。東園公・用里先生・綺里季・夏黄公の四人が商山に隠れ、ともに八十余歳で、髪は白かったので商山の四皓という。その中の綺里季を代表させてという。漢の高祖が迎えたが、従わなかった。富貴に恬淡たる人物たちである。
hinode0200

blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首

800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/


唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))350
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

收京三首 其一 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 227

收京三首 其一 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 227

757年9月中旬、粛宗の皇子である広平王李俶(のちの代宗)を総司令官とし、朔方軍で功勲のあった郭子儀を副司令官とし、十五万の連合軍は、鳳翔を出発して東に向かったのである。
9月27日には長安の西郊に着いて陣を布き、安守忠・李帰仁の率いる十万の安史軍(この時史忠明の軍本体は幽州に帰っていた。)と戦って翌28日には長安に入城したのである。長安が安禄山の叛乱軍に落ちてから一年三か月ぶりのことであった。史忠明軍のいない安史軍はひとまず正面衝突を回避して、10月18日には洛陽も奪還され、安慶緒は北方の鄴城(河南省安陽)に逃れた。粛宗は、洛陽奪還の翌日、10月19日には鳳翔を出発し、10月23日に長安に帰った。
杜甫も、10月中旬には鳳翔に帰り、粛宗と一緒に長安に帰ったのである。

製作時は757年至徳二載9月末か、10月初めの作。


DCF00206

 收京三首其一
仙仗離丹極,妖星照玉除。須為下殿走,不可好樓居。
暫屈汾陽駕,聊飛燕將書。依然七廟略,更與萬方初。

其二
生意甘衰白,天涯正寂寥。忽聞哀痛詔,又下聖明朝。
羽翼懷商老,文思憶帝堯。叨逢罪己日,沾灑望青霄。

其三
汗馬收宮闕,春城鏟賊壕。賞應歌杕杜,歸及薦櫻桃。
雜虜橫戈數,功臣甲第高。萬方頻送喜,毋乃聖躬勞。


京を収む 三首 其一
仙仗(せんじょう)丹極(たんきょく)を離れ、妖星(ようせい)玉除(ぎょくじょう)を照らす。
須らく下殿の走を為すべし、楼居を好む可らず。
暫く汾陽(ふんよう)の駕を屈す、聊か飛ばす燕将の書。
依然たり七廟の略、更に万方(まんぼう)と初めん。

京を収む 三首 其二
生意 衰白(すいはく)を甘んず、天涯 正に寂蓼(せきりょう)。
忽ち聞く 哀痛(あいつう)の詔、又聖明の朝より下るを。
羽翼 商老を懐い、文思 帝堯を憶う。
叨(みだ)りに己を罪するの日に逢い、沾(なみだ)を灑(そそ)ぎて青霄(せいしょう)を望む。

京を収む 三首 其三
汗馬 宮闕(きゅうけつ)を収め、春城 賊壕(ぞくごう)を鏟(けず)らんとす。
賞は応に杕杜(ていと)を歌うなるべし、帰るは桜桃を薦むるに及ばん。
雑虜 戈を横うること数々なり 功臣甲第高し。
万方頻(しきり)に書を送る、乃ち聖窮の労するなる無からんや。


收京三首其一
仙仗離丹極,妖星照玉除。
天子の儀杖が御所から離れられる様に上皇玄宗はお逃げになった。妖星の光である叛乱軍が御殿の丹砂の土えんを照らしているのである。(即ち安禄山等の兵勢であった。)
須為下殿走,不可好樓居。
同じように梁の武帝も謀叛により、天子は御殿から逃げ出すのにはだしで走るというものである、もとより宮殿は天界か、仙界かというもので、驪山の梧桐生活を好んでいるという風であってはならないのである。
暫屈汾陽駕,聊飛燕將書。
ここに及んで上皇が堯帝の様にたとえ耐え難い屈辱として駕を取って出直されたのであるし、また同じように燕将ともいうべき燕の地を本拠地とする安史軍の将を降す矢ぶみはすこしは発せられていることでもある。
依然七廟略,更與萬方初。

やがて天下ももとどおりに平定するであろうし、幸にも我が大唐の歴代の七廟略は依然として存在しているのである。天子は今後、天下四方とともに従前のしかたをやりなおす様にしなければならないのである。
其二
生意甘衰白,天涯正寂寥。忽聞哀痛詔,又下聖明朝。
羽翼懷商老,文思憶帝堯。叨逢罪己日,沾灑望青霄。

其三
汗馬收宮闕,春城鏟賊壕。賞應歌杕杜,歸及薦櫻桃。
雜虜橫戈數,功臣甲第高。萬方頻送喜,毋乃聖躬勞。



京を収む 三首 其一
仙仗(せんじょう)丹極(たんきょく)を離れ、妖星(ようせい)玉除(ぎょくじょう)を照らす。
須らく下殿の走を為すべし、楼居を好む可らず。
暫く汾陽(ふんよう)の駕を屈す、聊か飛ばす燕将の書。
依然たり七廟の略、更に万方(まんぼう)と初めん。


京を収む 三首 其二
生意 衰白(すいはく)を甘んず、天涯 正に寂蓼(せきりょう)。
忽ち聞く 哀痛(あいつう)の詔、又聖明の朝より下るを。
羽翼 商老を懐い、文思 帝堯を憶う。
叨(みだ)りに己を罪するの日に逢い、沾(なみだ)を灑(そそ)ぎて青霄(せいしょう)を望む。


京を収む 三首 其三
汗馬 宮闕(きゅうけつ)を収め、春城 賊壕(ぞくごう)を鏟(けず)らんとす。
賞は応に杕杜(ていと)を歌うなるべし、帰るは桜桃を薦むるに及ばん。
雑虜 戈を横うること数々なり 功臣甲第高し。
万方頻(しきり)に書を送る、乃ち聖窮の労するなる無からんや。


 現代語訳と訳註
(本文) 收京三首其一

仙仗離丹極,妖星照玉除。
須為下殿走,不可好樓居。
暫屈汾陽駕,聊飛燕將書。
依然七廟略,更與萬方初。


(下し文) 収  京三首 (京を収む 三首)
仙伎丹極を離れ 妖星玉除を照らす
須らく下殿の走を為すぺし 楼居を好む可らず
暫く汾陽の駕を屈す 柳か飛ばす燕将の書
依然たり七廟の略 更に万方と初めん


(現代語訳) 京を収む 三首 其一
天子の儀杖が御所から離れられる様に上皇玄宗はお逃げになった。妖星の光である叛乱軍が御殿の丹砂の土えんを照らしているのである。(即ち安禄山等の兵勢であった。)
同じように梁の武帝も謀叛により、天子は御殿から逃げ出すのにはだしで走るというものである、もとより宮殿は天界か、仙界かというもので、驪山の梧桐生活を好んでいるという風であってはならないのである。
ここに及んで上皇が堯帝の様にたとえ耐え難い屈辱として駕を取って出直されたのであるし、また同じように燕将ともいうべき燕の地を本拠地とする安史軍の将を降す矢ぶみはすこしは発せられていることでもある。
やがて天下ももとどおりに平定するであろうし、幸にも我が大唐の歴代の七廟略は依然として存在しているのである。天子は今後、天下四方とともに従前のしかたをやりなおす様にしなければならないのである。


(訳注) 京を収む 三首 其一
仙仗離丹極,妖星照玉除。

仙仗(せんじょう)丹極(たんきょく)を離れ、妖星(ようせい)玉除(ぎょくじょう)を照らす。
天子の儀杖が御所から離れられる様に上皇玄宗はお逃げになった。妖星の光である叛乱軍が御殿の丹砂の土えんを照らしているのである。(即ち安禄山等の兵勢であった。)
仙仗 天子の儀使、仙の字は天子をさす、仗は儀式のとき執って並ぶ旗刺物類。○ ごてんから離れ去ること。○丹極 御殿をいう、丹は宮廷に丹泥をぬるゆえにいう、極は動かないその中心をいう。天子の位居をいい、上皇(玄宗)についていう。○妖星 あやしい不祥の星、凡そ二十一種ある。○玉除 除は土えん、階下をいう、玉はうつくしいこと、此の句は叛乱軍(混成軍である)のトップ安禄山についていう。


須為下殿走,不可好樓居
須らく下殿の走を為すべし、楼居を好む可らず。
同じように梁の武帝も謀叛により、天子は御殿から逃げ出すのにはだしで走るというものである、もとより宮殿は天界か、仙界かというもので、驪山の梧桐生活を好んでいるという風であってはならないのである。
下殿走 諺に(熒惑(星名)南斗に入り、天子殿を下って走る。」という、『玉台新詠』を編纂させた文人の梁の武帝は反乱勃発に、首都建康を包囲されたが、洗足で殿より下った。○好楼居 「漢書」武帝紀に公孫卿がいうのに、「仙人ハ楼居ヲ好ム」と、此の詩句は玄宗と楊貴妃とのことをいう、玄宗の驪山の梧桐生活は仙人楼居の生活のごとくである。


暫屈汾陽駕,聊飛燕將書。
暫く汾陽(ふんよう)の駕を屈す、聊か飛ばす燕将の書。
ここに及んで上皇が堯帝の様にたとえ耐え難い屈辱として駕を取って出直されたのであるし、また同じように燕将ともいうべき燕の地を本拠地とする安史軍の将を降す矢ぶみはすこしは発せられていることでもある。
○暫屈 屈とは地位の高いものが身をかがめて卑いことを為すことをいう。○汾陽駕 「荘子」に堯が四子を藐姑射の山、汾水の陽に見、窅然(ようぜん)として其の天下を喪ったとある。玄宗が蜀へ出奔したことを堯が有道の人を見るために汾陽へ行ったことを以てたとえていう。○燕将書 燕将を降参させる手紙をいう。戦国の時、燕の将が聊城を攻め下してこれを守った、田単がこれを攻めても下すことができなかったが、魯仲連が矢に書をくくって城中に射こんだところが燕将は感じ泣いて自殺したことをいう。これは唐王朝軍より安史軍を降らしめる書をとばすことをいう。故事に言うがこの時の叛乱側には、書を読み取るものは全くいなかった。


依然七廟略,更與萬方初。
依然たり七廟の略、更に万方(まんぼう)と初めん。
やがて天下ももとどおりに平定するであろうし、幸にも我が大唐の歴代の七廟略は依然として存在しているのである。天子は今後、天下四方とともに従前のしかたをやりなおす様にしなければならないのである。
依然 もとどおり。〇七廟略 天子は七廟を置く、長安北にある、廟にて国家の大事についての謀略を定めたとある。故に国謀を廟略という。〇万万 天下四方というのも同じ。○ 更始の義、これまでとはやり方を変えて新しく始めることをいう。
hinode0200

blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首

800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/


唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))350
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

喜聞官軍已臨賊寇 二十韻 #4 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 226

喜聞官軍已臨賊寇 二十韻 #4 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 226


杜甫が羌村の家族のもとで日を過ごしているあいだに、唐の王朝軍は回紇(ウイグル)の援軍を加えて連合軍とし、長安への進攻を開始していた。すなわち757年9月中旬、粛宗の皇子である広平王李俶(のちの代宗)を総司令官とし、朔方軍で功勲のあった郭子儀を副司令官とし、十五万の連合軍は、鳳翔を出発して東に向かったのである。
9月27日には長安の西郊に着いて陣を布き、安守忠・李帰仁の率いる十万の安史軍(この時史忠明の軍本体は幽州に帰っていた。)と戦って翌28日には長安に入城したのである。長安が安禄山の叛乱軍に落ちてから一年三か月ぶりのことであった。史忠明軍のいない安史軍はひとまず正面衝突を回避して、10月18日には洛陽も奪還され、安慶緒は北方の鄴城(河南省安陽)に逃れた。粛宗は、洛陽奪還の翌日、十月十九日には鳳翔を出発し、十月二十三日に長安に帰った。
杜甫は鄜州の羌村で、王朝軍の長安進攻を知り「官軍の己に賊寇に臨むを聞くを喜ぶ二十韻」をつくり、入城を知って、「京を収む三首」を作って、その歓喜の情を表わしている。


<#3 の要旨>
唐王朝軍の連合軍が長安に迫って、長安城の郊外を制圧した。鳳翔の行在所にはウイグルの兵士が警護をしている。状況だが、間もなく天子、粛宗が長安の都に入城されるであろう。
入城されたなら、これだけ多くの人が亡くなったのであるから喩え叛乱軍が降参しても許さず、生かしておいてはならない。
前軍の長として李嗣業は蘇武の如き見印たる節をもち、左将の僕固懐恩は呂虔の如き刀を佩びている。(これ以上ない布陣である。)
国運の艱難もやっとこれでなくなり、陰陽二気、五行思想で四時の気の調和する時運にもいちどであおうとしている。


喜聞官軍已臨賊寇 二十韻

#1
胡虜潛京縣,官軍擁賊壕。鼎魚猶假息,穴蟻欲何逃。」
帳殿羅玄冕,轅門照白袍。秦山當警蹕,漢苑入旌旄。
#2
路失羊腸險,雲橫雉尾高。五原空壁壘,八水散風濤。
今日看天意,遊魂貸爾曹。乞降那更得,尚詐莫徒勞。」
#3
元帥歸龍種,司空握豹韜。前軍蘇武節,左將呂虔刀。
兵氣回飛鳥,威聲沒巨鰲。戈鋌開雪色,弓矢向秋毫。
天步艱方盡,時和運更遭。誰雲遺毒螫,已是沃腥臊。」
#4
睿想丹墀近,神行羽衛牢。
天子は今の御考えは、長安大明王宮の御所の丹墀のそばに帰れると思され、その行幸のときには飾り立てた御警衛の行列がかたくお守りをするものである。
花門騰絕漠,拓羯渡臨洮。
遠い沙漠に飛騰している回紇の騎兵軍団、臨桃をわたって来た安西の拓羯、彼等はいずれも援兵にやって来るのだ。
此輩感恩至,羸浮何足操。
花門・拓羯の兵士たちは唐の天子に対する御恩を感じて参加している。叛乱軍の強いやつ等を退治してくれればそれでよいので、どうして老幼のような弱い兵士などをとらえる必要がありはしないのだ。
鋒先衣染血,騎突劍吹毛。
味方の前鋒隊はまっさきかけて戦い、戦衣は血にそまるのだ、また、味方の騎隊は突出してそのふりかざす剣は毛皮の吹く毛をきりたつばかり切れ味がよいものだ。
喜覺都城動,悲連子女號。
これまでの状況は、戦死者の遺族である子女等が悲しんで泣き叫んでいるのをみると気の毒に思うのであるが、長安城の人の大体は大喜びでその喜びのために城郭内が揺れ動くかのように自覚するのである。
家家賣釵釧,只待獻春醪。」

城内の家々の婦人たちが簪、腕飾りを売って、それで買って春の一番の芳しい酒を連合軍がはいって来たら奉げてやろうと待っているのである。


喜聞官軍己臨賊寇二十韻
(官軍己に賊寇に臨むと聞くを喜ぶ 二十韻)
#1
胡騎京県に潜み、官軍賊壕を擁す。
鼎魚(ていぎょ)猶息を仮す、穴蟻何に逃れんと欲する。」
帳殿玄冤(げんべん)羅(つらな)り、轅門(えんもん)白袍照る。
秦山警蹕(けいひつ)に当る 漢苑旌旄(せいぼう)に入る。
#2
路は羊腸の険を失す、雲横わりて雉尾(ちび)高し。
五原空しく壁塁(へきるい)、八水風涛(ふうとう)散ず。
今日天意を看るに、遊魂(ゆうこん)爾が曹に貸す。』
降を乞うも那(なん)ぞ更に得ん 詐を尚(たっと)ぶは徒に労する莫らんや。
#3
元帥竜種(りょうしゅ)に帰し、司空豹韜(ひょうとう)を握る。
前軍 蘇武が節、左将 呂虔(りょけん)が刀。
兵気 飛鳥(ひちょう)を回(か)えす、威声(いせい) 巨鰲を没せしむ。
戈鋌(かせん) 雪色開き、弓矢 秋毫(しゅうごう)に向う。
天歩(てんぽ) 艱 方(まさ)に尽く、時和 運 更に遭う。
誰か云う毒螫を遺すと、己に是れ 腥臊(せいそう)に沃(そそ)ぐ。」
#4
睿想 丹墀(たんち)近く、神行 羽衛(うえい)牢(かた)し。
花門 絶漠に騰(あが)り、拓羯(たくけつ)臨洮(りんとう)を渡る。
此の輩恩に感じて至る、羸浮(るいふ)何ぞ操るに足らん。
鋒 先(さきだ)ちて 衣血に染む、騎 突きて 剣毛(けんけ)を吹く。
喜びは覺ゆ 都城の動くを、悲みは連(ともな)う 子女の號(さけ)ぶを。
家家 釵釧を売り 只だ待つ春醪を献ずるを』


現代語訳と訳註
(本文) #4

睿想丹墀近,神行羽衛牢。
花門騰絕漠,拓羯渡臨洮。
此輩感恩至,羸浮何足操。
鋒先衣染血,騎突劍吹毛。
喜覺都城動,悲連子女號。
家家賣釵釧,只待獻春醪。」


(下し文) #4
睿想 丹墀(たんち)近く、神行 羽衛(うえい)牢(かた)し。
花門 絶漠に騰(あが)り、拓羯(たくけつ)臨洮(りんとう)を渡る。
此の輩恩に感じて至る、羸浮(るいふ)何ぞ操るに足らん。
鋒 先(さきだ)ちて 衣血に染む、騎 突きて 剣毛(けんけ)を吹く。
喜びは覺ゆ 都城の動くを、悲みは連(ともな)う 子女の號(さけ)ぶを。
家家 釵釧を売り 只だ待つ春醪を献ずるを』


(現代語訳)
天子は今の御考えは、長安大明王宮の御所の丹墀のそばに帰れると思され、その行幸のときには飾り立てた御警衛の行列がかたくお守りをするものである。
遠い沙漠に飛騰している回紇の騎兵軍団、臨桃をわたって来た安西の拓羯、彼等はいずれも援兵にやって来るのだ。
花門・拓羯の兵士たちは唐の天子に対する御恩を感じて参加している。叛乱軍の強いやつ等を退治してくれればそれでよいので、どうして老幼のような弱い兵士などをとらえる必要がありはしないのだ。
味方の前鋒隊はまっさきかけて戦い、戦衣は血にそまるのだ、また、味方の騎隊は突出してそのふりかざす剣は毛皮の吹く毛をきりたつばかり切れ味がよいものだ。
これまでの状況は、戦死者の遺族である子女等が悲しんで泣き叫んでいるのをみると気の毒に思うのであるが、長安城の人の大体は大喜びでその喜びのために城郭内が揺れ動くかのように自覚するのである。
城内の家々の婦人たちが簪、腕飾りを売って、それで買って春の一番の芳しい酒を連合軍がはいって来たら奉げてやろうと待っているのである。


(訳注)
睿想丹墀近,神行羽衛牢。
天子は今の御考えは、長安大明王宮の御所の丹墀のそばに帰れると思され、その行幸のときには飾り立てた御警衛の行列がかたくお守りをするものである。
零想 天子のみおもい。○丹墀 御所のあかすなを敷いた土えん。丹の庭から階段謁見場所に至るすべて赤く作られている。○神行 天子の行をいう。○羽衛 羽をかざったはたさしものをたて並べた警衛。


花門騰絕漠,拓羯渡臨洮。
遠い沙漠に飛騰している回紇の騎兵軍団、臨桃をわたって来た安西の拓羯、彼等はいずれも援兵にやって来るのだ。
花門 回紇ウイグルをさす。堡の名であるが回紇種族(ウイグル騎馬民族)そのものをさす。元来、居延海(寧夏省の西北境にある湖水)の北にある要塞の名であるが、当時その地点は回紇の領土としていたところからこの名前を使った。『唐書』地理志「甘州寧寇軍の東北に、居延海あり、又北三百里にして、花門山堡あり、又東北千里にして、回紇の衙帳に至る。」○ 勢いよく飛びあがる。騎馬兵であること。○絶漠 遠い沙漠。四方の地の果ては絶壁となって、海となる。○拓羯 拓羯は夷語、戦士の義という。ここでは安西(唐時交河城或は亀茲に都護府を置いた)の兵をさす。○臨洮 甘粛省鞏昌府岷州治。

 
此輩感恩至,羸浮何足操。
花門・拓羯の兵士たちは唐の天子に対する御恩を感じて参加している。叛乱軍の強いやつ等を退治してくれればそれでよいので、どうして老幼のような弱い兵士などをとらえる必要がありはしないのだ。
○此輩 花門・拓羯をさす。○唐の天子の恩。〇歳停 つかれたとりこ、賊中の老幼のとりこをいう。○ 執に同じ、とらえること。


鋒先衣染血,騎突劍吹毛。
味方の前鋒隊はまっさきかけて戦い、戦衣は血にそまるのだ、また、味方の騎隊は突出してそのふりかざす剣は毛皮の吹く毛をきりたつばかり切れ味がよいものだ。
○鋒先 先は先だちすすむこと、鋒は官軍の鋭鋒。○騎突 突は突き出ること、騎は官軍の騎兵。○剣吹毛 千将の名剣は吹く毛や遊べる塵を決つという。


喜覺都城動,悲連子女號。
これまでの状況は、戦死者の遺族である子女等が悲しんで泣き叫んでいるのをみると気の毒に思うのであるが、長安城の人の大体は大喜びでその喜びのために城郭内が揺れ動くかのように自覚するのである。
喜覚、悲憐 書は都城の人に、悲は子女に属す、覚と憐とは作者に属す。○都城動 都城は長安をいう。動はさわぐことの甚しいことをいう。○子女号 男子女児等の泣きさけぶこと、これはなかには戦死者の家族のあることをいう、此の句は喜覚の句が主で、倒句のように読む。


家家賣釵釧,只待獻春醪。」
城内の家々の婦人たちが簪、腕飾りを売って、それで買って春の一番の芳しい酒を連合軍がはいって来たら奉げてやろうと待っているのである。
釵釧 簪、腕飾り。○ 官軍にささげる、たてまつる。○春醪 春の一番の芳しい酒。


hinode0200

blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首

800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/


唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))350
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

喜聞官軍已臨賊寇 二十韻 #3 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 225

喜聞官軍已臨賊寇 二十韻 #3 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 225

杜甫が羌村の家族のもとで日を過ごしているあいだに、唐の王朝軍は回紇(ウイグル)の援軍を加えて連合軍とし、長安への進攻を開始していた。すなわち757年9月中旬、粛宗の皇子である広平王李俶(のちの代宗)を総司令官とし、朔方軍で功勲のあった郭子儀を副司令官とし、十五万の連合軍は、鳳翔を出発して東に向かったのである。
9月27日には長安の西郊に着いて陣を布き、安守忠・李帰仁の率いる十万の安史軍(この時史忠明の軍本体は幽州に帰っていた。)と戦って翌28日には長安に入城したのである。長安が安禄山の叛乱軍に落ちてから一年三か月ぶりのことであった。史忠明軍のいない安史軍はひとまず正面衝突を回避して、10月18日には洛陽も奪還され、安慶緒は北方の鄴城(河南省安陽)に逃れた。粛宗は、洛陽奪還の翌日、十月十九日には鳳翔を出発し、十月二十三日に長安に帰った。
杜甫は鄜州の羌村で、王朝軍の長安進攻を知り「官軍の己に賊寇に臨むを聞くを喜ぶ二十韻」をつくり、入城を知って、「京を収む三首」を作って、その歓喜の情を表わしている。

<#1の要旨>
唐王朝軍の連合軍が長安に迫って、長安城の郊外を制圧した。鳳翔の行在所にはウイグルの兵士が警護をしている。状況だが、間もなく天子、粛宗が長安の都に入城されるであろう。
入城されたなら、これだけ多くの人が亡くなったのであるから喩え叛乱軍が降参しても許さず、生かしておいてはならない。



喜聞官軍已臨賊寇 二十韻
#1
胡虜潛京縣,官軍擁賊壕。鼎魚猶假息,穴蟻欲何逃。」
帳殿羅玄冕,轅門照白袍。秦山當警蹕,漢苑入旌旄。
#2
路失羊腸險,雲橫雉尾高。五原空壁壘,八水散風濤。
今日看天意,遊魂貸爾曹。乞降那更得,尚詐莫徒勞。」
#3
元帥歸龍種,司空握豹韜。
天下兵馬大元帥の職はかたじけなくも皇族のお方(広平王倣)に帰したし、司空(郭子儀)は副元帥となって豹韜の軍略をにぎっておられる。
前軍蘇武節,左將呂虔刀。
前軍の長として李嗣業は蘇武の如き見印たる節をもち、左将の僕固懐恩は呂虔の如き刀を佩びている。(これ以上ない布陣である。)
兵氣回飛鳥,威聲沒巨鰲。
唐の軍、連合軍の兵力と意気のいかめしさは飛ぶ鳥もおそれてそこから避けて方向を転じている、連合軍の威名でもって、大きなうみがめ(叛乱軍の魁)を水底に沈ませることができるというものだ。
戈鋌開雪色,弓矢向秋毫。
官軍の戈や小矛は隊列が整得られ勝ち組である雪の様な白いてんかいとなるのだ、そうなると弓や矢はどんな毛筋ほどのちいさなものに向ってよく射あてるのだ。(叛乱軍かどこに隠れても見逃さない)
天步艱方盡,時和運更遭。
国運の艱難もやっとこれでなくなり、陰陽二気、五行思想で四時の気の調和する時運にもいちどであおうとしている。
誰雲遺毒螫,已是沃腥臊。」

毒や虫の針のような悪者どもがまだのこっているとだれがいうか、そんなものは残りはしない。もはや叛乱軍のいかがわしさにはすっかり熱湯をかけてあらいきよめた様なものだ。』
#4
睿想丹墀近,神行羽衛牢。花門騰絕漠,拓羯渡臨洮。
此輩感恩至,羸浮何足操。鋒先衣染血,騎突劍吹毛。
喜覺都城動,悲連子女號。家家賣釵釧,只待獻春醪。」


喜聞官軍己臨賊寇二十韻
(官軍己に賊寇に臨むと聞くを喜ぶ 二十韻)
#1
胡騎京県に潜み、官軍賊壕を擁す。
鼎魚(ていぎょ)猶息を仮す、穴蟻何に逃れんと欲する。」
帳殿玄冤(げんべん)羅(つらな)り、轅門(えんもん)白袍照る。
秦山警蹕(けいひつ)に当る 漢苑旌旄(せいぼう)に入る。
#2
路は羊腸の険を失す、雲横わりて雉尾(ちび)高し。
五原空しく壁塁(へきるい)、八水風涛(ふうとう)散ず。
今日天意を看るに、遊魂(ゆうこん)爾が曹に貸す。』
降を乞うも那(なん)ぞ更に得ん 詐を尚(たっと)ぶは徒に労する莫らんや。
#3
元帥竜種(りょうしゅ)に帰し、司空豹韜(ひょうとう)を握る。
前軍 蘇武が節、左将 呂虔(りょけん)が刀。
兵気 飛鳥(ひちょう)を回(か)えす、威声(いせい) 巨鰲を没せしむ。
戈鋌(かせん) 雪色開き、弓矢 秋毫(しゅうごう)に向う。
天歩(てんぽ) 艱 方(まさ)に尽く、時和 運 更に遭う。
誰か云う毒螫を遺すと、己に是れ 腥臊(せいそう)に沃(そそ)ぐ。」

#4
睿想 丹墀(たんち)近く、神行 羽衛(うえい)牢(かた)し。
花門 絶漠に騰(あが)り、拓羯(たくけつ)臨洮(りんとう)を渡る。
此の輩恩に感じて至る、羸浮(るいふ)何ぞ操るに足らん。
鋒 先(さきだ)ちて 衣血に染む、騎 突きて 剣毛(けんけ)を吹く。
喜びは覺ゆ 都城の動くを、悲みは連(ともな)う 子女の號(さけ)ぶを。
家家 釵釧を売り 只だ待つ春醪を献ずるを』



現代語訳と訳註
(本文) #3

元帥歸龍種,司空握豹韜。
前軍蘇武節,左將呂虔刀。
兵氣回飛鳥,威聲沒巨鰲。
戈鋌開雪色,弓矢向秋毫。
天步艱方盡,時和運更遭。
誰雲遺毒螫,已是沃腥臊。」


(下し文) #3
元帥竜種(りょうしゅ)に帰し、司空豹韜(ひょうとう)を握る。
前軍 蘇武が節、左将 呂虔(りょけん)が刀。
兵気 飛鳥(ひちょう)を回(か)えす、威声(いせい) 巨鰲を没せしむ。
戈鋌(かせん) 雪色開き、弓矢 秋毫(しゅうごう)に向う。
天歩(てんぽ) 艱 方(まさ)に尽く、時和 運 更に遭う。
誰か云う毒螫を遺すと、己に是れ 腥臊(せいそう)に沃(そそ)ぐ。」


(現代語訳)
天下兵馬大元帥の職はかたじけなくも皇族のお方(広平王倣)に帰したし、司空(郭子儀)は副元帥となって豹韜の軍略をにぎっておられる。
前軍の長として李嗣業は蘇武の如き見印たる節をもち、左将の僕固懐恩は呂虔の如き刀を佩びている。(これ以上ない布陣である。)
唐の軍、連合軍の兵力と意気のいかめしさは飛ぶ鳥もおそれてそこから避けて方向を転じている、連合軍の威名でもって、大きなうみがめ(叛乱軍の魁)を水底に沈ませることができるというものだ。
官軍の戈や小矛は隊列が整得られ勝ち組である雪の様な白いてんかいとなるのだ、そうなると弓や矢はどんな毛筋ほどのちいさなものに向ってよく射あてるのだ。(叛乱軍かどこに隠れても見逃さない)
国運の艱難もやっとこれでなくなり、陰陽二気、五行思想で四時の気の調和する時運にもいちどであおうとしている。
毒や虫の針のような悪者どもがまだのこっているとだれがいうか、そんなものは残りはしない。もはや叛乱軍のいかがわしさにはすっかり熱湯をかけてあらいきよめた様なものだ。』


(訳注)#3
元帥歸龍種,司空握豹韜。

天下兵馬大元帥の職はかたじけなくも皇族のお方(広平王倣)に帰したし、司空(郭子儀)は副元帥となって豹韜の軍略をにぎっておられる。
元帥 広平王をいう。○竜種 皇族であることをいう。龍は唐王朝の太宗の子孫血縁の天子をいう。○司空 郭子儀、時に副元帥となる。朔方軍の司令官で、安禄山が叛乱して後、この時までの最大の功労者。。○豹韜 中国の兵法の書「六韜」は文・武・竜・虎・豹・犬の六部に分かち、豹の部が豹韜である。
 
前軍蘇武節,左將呂虔刀。
前軍の長として李嗣業は蘇武の如き見印たる節をもち、左将の僕固懐恩は呂虔の如き刀を佩びている。(これ以上ない布陣である。)
前軍 前鋒、李嗣業の軍をいう。○蘇武節 漢の武帝の時、蘇武は匈奴に使者となり、帰って典属国(外国との交渉掛り)の官となった。李嗣業の軍はウイグルの兵を率いるので蘇武を以て比する、節は使者の見印のはた。○左将 朔方左廂兵馬使僕固懐恩をいう、香積の戦に懐恩は賊を撃って殆どこれを殲滅した。○呂虔刀 晋の呂虔が徐州の刺史として王祥を召して司馬となした。虔の佩刀を刀工が相していうには三公の服すべきものであると。虔は乃ちこれを王祥に与えた。懐恩も亦た公位に居るべきほどのものであることをいう。


兵氣回飛鳥,威聲沒巨鰲。
唐の軍、連合軍の兵力と意気のいかめしさは飛ぶ鳥もおそれてそこから避けて方向を転じている、連合軍の威名でもって、大きなうみがめ(叛乱軍の魁)を水底に沈ませることができるというものだ。
兵気 兵は官軍の武器をいう、兵気は武器精鋭の気。○回飛鳥 回は回避せしめることをいう。○威声 官軍のつよいという評判。○没巨鰲 没とは水の底に深くしずんでしまう。巨鰲はうみがめ、安禄山が200㎏とも250㎏といわれおなかが床に付きそうなくらいに肥満であったという。それ以来、叛乱軍の魁(かしら)をたとえていう。巨鰲は酔い喩えには使われない。


戈鋌開雪色,弓矢向秋毫。
官軍の戈や小矛は隊列が整得られ勝ち組である雪の様な白いてんかいとなるのだ、そうなると弓や矢はどんな毛筋ほどのちいさなものに向ってよく射あてるのだ。(叛乱軍かどこに隠れても見逃さない)
戈鋌 鋌は小さい矛。○雪色 刃のしろいことをいう。隊列がそろうためその刃の白さが集まってゆきのようだとする。逃げる軍は黒である。蜘蛛の子を散らすなどと。城が勝ち、黒が負けということ。○向秋毫 秋毫は秋の獣毛、秋になると同じ毛根からけが多く生えて毛が細くて多くなる。「向秋毫」とはどんな微細なものにも中(あた)ることをいう。ここではどんな小さな的でも必ず外さないことをいう。


天步艱方盡,時和運更遭。
国運の艱難もやっとこれでなくなり、陰陽二気、五行思想で四時の気の調和する時運にもいちどであおうとしている。
○天歩 天も味方をする「天のあゆみ」というのは天運という国家の運命。○ なんぎ 〇時和 四時陰陽の気がよく調和すること。五行思想で四時の気は木・火・金・水であり、春夏秋冬、東西南北、すべての時が一致する。何もかにも味方することをいう。○運更遭 そのめぐりあわせにまたあう。
 
誰雲遺毒螫,已是沃腥臊。」
毒や虫の針のような悪者どもがまだのこっているとだれがいうか、そんなものは残りはしない。もはや叛乱軍のいかがわしさにはすっかり熱湯をかけてあらいきよめた様なものだ。』
遺毒螫 遺は残存すること、毒螫ほどく虫のはり、叛乱軍をさしていう。○沃腥臊 沃とは熱湯をそそぎかけること、腥臊はなまぐさいこと、なまぐさいとは叛乱軍のいかがわしさをさす。

hinode0200

blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首

800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/


唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))350
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02


喜聞官軍已臨賊寇 二十韻 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 224

喜聞官軍已臨賊寇 二十韻 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 224


杜甫が羌村の家族のもとで日を過ごしているあいだに、唐の王朝軍は回紇(ウイグル)の援軍を加えて連合軍とし、長安への進攻を開始していた。すなわち757年9月中旬、粛宗の皇子である広平王李俶(のちの代宗)を総司令官とし、朔方軍で功勲のあった郭子儀を副司令官とし、十五万の連合軍は、鳳翔を出発して東に向かったのである。
9月27日には長安の西郊に着いて陣を布き、安守忠・李帰仁の率いる十万の安史軍(この時史忠明の軍本体は幽州に帰っていた。)と戦って翌28日には長安に入城したのである。長安が安禄山の叛乱軍に落ちてから一年三か月ぶりのことであった。史忠明軍のいない安史軍はひとまず正面衝突を回避して、10月18日には洛陽も奪還され、安慶緒は北方の鄴城(河南省安陽)に逃れた。粛宗は、洛陽奪還の翌日、十月十九日には鳳翔を出発し、十月二十三日に長安に帰った。
杜甫は鄜州の羌村で、王朝軍の長安進攻を知り「官軍の己に賊寇に臨むを聞くを喜ぶ二十韻」をつくり、入城を知って、「京を収む三首」を作って、その歓喜の情を表わしている。


<#1の要旨>
唐王朝軍の連合軍が長安に迫って、長安城の郊外を制圧した。鳳翔の行在所にはウイグルの兵士が警護をしている。状況だが、間もなく天子、粛宗が長安の都に入城されるであろう。



喜聞官軍已臨賊寇 二十韻
#1
胡虜潛京縣,官軍擁賊壕。鼎魚猶假息,穴蟻欲何逃。」
帳殿羅玄冕,轅門照白袍。秦山當警蹕,漢苑入旌旄。
#2
路失羊腸險,雲橫雉尾高。
さしてゆく路には羊腸のような険阻もなくなって平な道がひらかれていて、天子の御行列にはただ雑尾扇の雲が高く横わるである。
五原空壁壘,八水散風濤。
攻防を極めた五原もいたずらに壁塁が残っている、八水はも風光明美な涛波がすっかりなくなっている。
今日看天意,遊魂貸爾曹。
長安を開城できた今となって天はしばらくの間は様子を見ておられるのだろう、この戦いでしばらくの間、天子のかもし出す佳気と魂を浮遊させたておいたのは、叛乱軍たちにつかの間貸してあっただけのことなのである。
乞降那更得,尚詐莫徒勞。」

あっさりと退いたということは、いまさら降参したかのようにして、なにか詐りごとをしてこちらをだまそうとしてもそれはむだ骨折ではなかろうか。』

#3
元帥歸龍種,司空握豹韜。前軍蘇武節,左將呂虔刀。
兵氣回飛鳥,威聲沒巨鰲。戈鋌開雪色,弓矢向秋毫。
天步艱方盡,時和運更遭。誰雲遺毒螫,已是沃腥臊。」
#4
睿想丹墀近,神行羽衛牢。花門騰絕漠,拓羯渡臨洮。
此輩感恩至,羸浮何足操。鋒先衣染血,騎突劍吹毛。
喜覺都城動,悲連子女號。家家賣釵釧,只待獻春醪。」


喜聞官軍己臨賊寇二十韻
(官軍己に賊寇に臨むと聞くを喜ぶ 二十韻)
#1
胡騎京県に潜み、官軍賊壕を擁す。
鼎魚(ていぎょ)猶息を仮す、穴蟻何に逃れんと欲する。」
帳殿玄冤(げんべん)羅(つらな)り、轅門(えんもん)白袍照る。
秦山警蹕(けいひつ)に当る 漢苑旌旄(せいぼう)に入る。
#2
路は羊腸の険を失す、雲横わりて雉尾(ちび)高し。
五原空しく壁塁(へきるい)、八水風涛(ふうとう)散ず。
今日天意を看るに、遊魂(ゆうこん)爾が曹に貸す。』
降を乞うも那(なん)ぞ更に得ん 詐を尚(たっと)ぶは徒に労する莫らんや。

#3
元帥竜種(りょうしゅ)に帰し、司空豹韜(ひょうとう)を握る。
前軍 蘇武が節、左将 呂虔(りょけん)が刀。
兵気 飛鳥(ひちょう)を回(か)えす、威声(いせい) 巨鰲を没せしむ。
戈鋌(かせん) 雪色開き、弓矢 秋毫(しゅうごう)に向う。
天歩(てんぽ) 艱 方(まさ)に尽く、時和 運 更に遭う。
誰か云う毒螫を遺すと、己に是れ 腥臊(せいそう)に沃(そそ)ぐ。」
#4
睿想 丹墀(たんち)近く、神行 羽衛(うえい)牢(かた)し。
花門 絶漠に騰(あが)り、拓羯(たくけつ)臨洮(りんとう)を渡る。
此の輩恩に感じて至る、羸浮(るいふ)何ぞ操るに足らん。
鋒 先(さきだ)ちて 衣血に染む、騎 突きて 剣毛(けんけ)を吹く。
喜びは覺ゆ 都城の動くを、悲みは連(ともな)う 子女の號(さけ)ぶを。
家家 釵釧を売り 只だ待つ春醪を献ずるを』


現代語訳と訳註
(本文) #2

路失羊腸險,雲橫雉尾高。
五原空壁壘,八水散風濤。
今日看天意,遊魂貸爾曹。
乞降那更得,尚詐莫徒勞。」


(下し文) #2
路は羊腸の険を失す、雲横わりて雉尾(ちび)高し。
五原空しく壁塁(へきるい)、八水風涛(ふうとう)散ず。
今日天意を看るに、遊魂(ゆうこん)爾が曹に貸す。』
降を乞うも那(なん)ぞ更に得ん 詐を尚(たっと)ぶは徒に労する莫らんや。


(現代語訳)
さしてゆく路には羊腸のような険阻もなくなって平な道がひらかれていて、天子の御行列にはただ雑尾扇の雲が高く横わるである。
攻防を極めた五原もいたずらに壁塁が残っている、八水はも風光明美な涛波がすっかりなくなっている。
長安を開城できた今となって天はしばらくの間は様子を見ておられるのだろう、この戦いでしばらくの間、天子のかもし出す佳気と魂を浮遊させたておいたのは、叛乱軍たちにつかの間貸してあっただけのことなのである。
あっさりと退いたということは、いまさら降参したかのようにして、なにか詐りごとをしてこちらをだまそうとしてもそれはむだ骨折ではなかろうか。』


(訳注)#2
路失羊腸險,雲橫雉尾高。
さしてゆく路には羊腸のような険阻もなくなって平な道がひらかれていて、天子の御行列にはただ雑尾扇の雲が高く横わるである。
路失 失はこれまで有ったが今はなくなること。○羊腸険 羊のはらわたのようにうねうねと曲った路のある山険。○雲横 この雲は実物ではなく雉尾扇のむらがるのをたとえていう辞。天上と朝廷、仙人・天上の神は天子、であり、時には天子は雲に乗った龍なのである。○雉尾高 天子の大駕の歯簿には雉尾障扇・小団雉尾扇・方雑尾扇・小雉尾扇等のたぐいがある。雉尾とは雉の尾で作ったうちわ。天子の行くところは、天上と同じということを示すもの。天子の神聖化、カリスマ化のための雰囲気づくりの一貫。


五原空壁壘,八水散風濤。
攻防を極めた五原もいたずらに壁塁が残っている、八水はも風光明美な涛波がすっかりなくなっている。
五原 長安附近の五つの原(高地)をいう、畢原(ひつげん)・白鹿原・少陵原・高陽原・細柳原のこと。○空壁墨 とりでだけがいたずらに存する、無用となり役に立たぬこと。〇八水 涇水・滻水・㶚水・澇水・滈水・灃水・潏水の八つを関内八水と称する。○散風涛 散とは集の反対、今までは風涛が多く集まっていたが今は散らばってなくなった。

長安 五原八水00

今日看天意,遊魂貸爾曹。
長安を開城できた今となって天はしばらくの間は様子を見ておられるのだろう、この戦いでしばらくの間、天子のかもし出す佳気と魂を浮遊させたておいたのは、叛乱軍たちにつかの間貸してあっただけのことなのである。
天意 天のこころ。○遊魂 ふらふらしたたましい。○貸爾曹 爾菅は汝等、汝等とは賊軍をさす、貸はかしあたえる。


乞降那更得,尚詐莫徒勞。」
あっさりと退いたということは、いまさら降参したかのようにして、なにか詐りごとをしてこちらをだまそうとしてもそれはむだ骨折ではなかろうか。』
乞降 降参をたのむ。○那更得 どうしてできようぞ、降参もできぬとは必ず誅殺されるべきことをいう。○尚詐いつわりをとうとぶ、官軍に対し詐略を用いること。○莫徒労 莫は反語、徒労はむだばねをおること。


hinode0200

blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首

800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/


唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))350
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

喜聞官軍已臨賊寇 二十韻 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 223

喜聞官軍已臨賊寇 二十韻 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 223

杜甫が羌村の家族のもとで日を過ごしているあいだに、唐の王朝軍は回紇(ウイグル)の援軍を加えて連合軍とし、長安への進攻を開始していた。すなわち757年9月中旬、粛宗の皇子である広平王李俶(のちの代宗)を総司令官とし、朔方軍で功勲のあった郭子儀を副司令官とし、十五万の連合軍は、鳳翔を出発して東に向かったのである。
9月27日には長安の西郊に着いて陣を布き、安守忠・李帰仁の率いる十万の安史軍(この時史忠明の軍本体は幽州に帰っていた。)と戦って翌28日には長安に入城したのである。長安が安禄山の叛乱軍に落ちてから一年三か月ぶりのことであった。史忠明軍のいない安史軍はひとまず正面衝突を回避して、10月18日には洛陽も奪還され、安慶緒は北方の鄴城(河南省安陽)に逃れた。粛宗は、洛陽奪還の翌日、十月十九日には鳳翔を出発し、十月二十三日に長安に帰った。
杜甫は鄜州の羌村で、王朝軍の長安進攻を知り「官軍の己に賊寇に臨むを聞くを喜ぶ二十韻」をつくり、入城を知って、「京を収む三首」を作って、その歓喜の情を表わしている。



喜聞官軍已臨賊寇 二十韻
#1
胡虜潛京縣,官軍擁賊壕。
叛乱軍の異民族の騎隊等は長安の都近くの県に逃れ潜り込み、王朝連合軍は塑壕(はり)を唐王朝軍の物と仕替え護る。
鼎魚猶假息,穴蟻欲何逃。」
叛乱軍はまるで鼎のなかに煮られかけていいて魚が息木次をわずかにするだけの猶予をあたえられている様である、また穴のなかの蟻でどこへ逃げようとおもっているのか、とてもどこにも逃げられないのだ。』
帳殿羅玄冕,轅門照白袍。
いま鳳翔の行在所の仮御殿では玄冤をつけた公卿たちがずらり並んでいる、軍門から入ると援軍の回紇の白衣がまぶしいほど照っている。
秦山當警蹕,漢苑入旌旄。

都、長安附近の山々は我が君の行幸の御警蹕あるべき筋道に当っているし、いまや都の御苑も王朝軍の旌のたてられる範囲内に入ろうとしている。

#2
路失羊腸險,雲橫雉尾高。五原空壁壘,八水散風濤。
今日看天意,遊魂貸爾曹。乞降那更得,尚詐莫徒勞。」
#3
元帥歸龍種,司空握豹韜。前軍蘇武節,左將呂虔刀。
兵氣回飛鳥,威聲沒巨鰲。戈鋌開雪色,弓矢向秋毫。
天步艱方盡,時和運更遭。誰雲遺毒螫,已是沃腥臊。」
#4
睿想丹墀近,神行羽衛牢。花門騰絕漠,拓羯渡臨洮。
此輩感恩至,羸浮何足操。鋒先衣染血,騎突劍吹毛。
喜覺都城動,悲連子女號。家家賣釵釧,只待獻春醪。」


喜聞官軍己臨賊寇二十韻
(官軍己に賊寇に臨むと聞くを喜ぶ 二十韻)
#1
胡騎京県に潜み、官軍賊壕を擁す。
鼎魚(ていぎょ)猶息を仮す、穴蟻何に逃れんと欲する。」
帳殿玄冤(げんべん)羅(つらな)り、轅門(えんもん)白袍照る。
秦山警蹕(けいひつ)に当る 漢苑旌旄(せいぼう)に入る。

#2
路は羊腸の険を失す、雲横わりて雉尾(ちび)高し。
五原空しく壁塁(へきるい)、八水風涛(ふうとう)散ず。
今日天意を看るに、遊魂(ゆうこん)爾が曹に貸す。』
#3
降を乞うも那(なん)ぞ更に得ん 詐を尚(たっと)ぶは徒に労する莫らんや。
元帥竜種(りょうしゅ)に帰し、司空豹韜(ひょうとう)を握る。
前軍 蘇武が節、左将 呂虔(りょけん)が刀。
兵気 飛鳥(ひちょう)を回(か)えす、威声(いせい) 巨鰲を没せしむ。
戈鋌(かせん) 雪色開き、弓矢 秋毫(しゅうごう)に向う。
天歩(てんぽ) 艱 方(まさ)に尽く、時和 運 更に遭う。
誰か云う毒螫を遺すと、己に是れ 腥臊(せいそう)に沃(そそ)ぐ。」
#4
睿想 丹墀(たんち)近く、神行 羽衛(うえい)牢(かた)し。
花門 絶漠に騰(あが)り、拓羯(たくけつ)臨洮(りんとう)を渡る。
此の輩恩に感じて至る、羸浮(るいふ)何ぞ操るに足らん。
鋒 先(さきだ)ちて 衣血に染む、騎 突きて 剣毛(けんけ)を吹く。
喜びは覺ゆ 都城の動くを、悲みは連(ともな)う 子女の號(さけ)ぶを。
家家 釵釧を売り 只だ待つ春醪を献ずるを』


natsusora01


現代語訳と訳註
(本文) #1

胡虜潛京縣,官軍擁賊壕。
鼎魚猶假息,穴蟻欲何逃。」
帳殿羅玄冕,轅門照白袍。
秦山當警蹕,漢苑入旌旄。


(下し文) #1
胡騎京県に潜み、官軍賊壕を擁す。
鼎魚(ていぎょ)猶息を仮す、穴蟻何に逃れんと欲する。」
帳殿玄冤(げんべん)羅(つらな)り、轅門(えんもん)白袍照る。
秦山警蹕(けいひつ)に当る 漢苑旌旄(せいぼう)に入る。


(現代語訳)
叛乱軍の異民族の騎隊等は長安の都近くの県に逃れ潜り込み、王朝連合軍は塑壕(はり)を唐王朝軍の物と仕替え護る。
叛乱軍はまるで鼎のなかに煮られかけていいて魚が息木次をわずかにするだけの猶予をあたえられている様である、また穴のなかの蟻でどこへ逃げようとおもっているのか、とてもどこにも逃げられないのだ。』
いま鳳翔の行在所の仮御殿では玄冤をつけた公卿たちがずらり並んでいる、軍門から入ると援軍の回紇の白衣がまぶしいほど照っている。
都、長安附近の山々は我が君の行幸の御警蹕あるべき筋道に当っているし、いまや都の御苑も王朝軍の旌のたてられる範囲内に入ろうとしている。


(訳注)
胡虜潛京縣,官軍擁賊壕。

叛乱軍の異民族の騎隊等は長安の都近くの県に逃れ潜り込み、王朝連合軍は塑壕(はり)を唐王朝軍の物と仕替え護る。
胡虜 異民族の騎兵。異民族は騎馬民族であり、騎兵戦法をとる。農耕民族は歩兵、兵車戦法をとる。異民族の騎兵軍隊には騎士の数より2倍以上の駿馬を用意している。○ のがれかくれる。○京県 都近くの県。○官軍 広平王の率いる連合軍をさす。この時ウイグル軍は駿馬を一万五千頭揃えたといわれている。その引き起こす砂塵で叛乱軍は退いたといわれる。○擁賊壕 叛乱軍の拠った塑壕(はり)を唐王朝軍の物と仕替え護る。


鼎魚猶假息,穴蟻欲何逃。」
叛乱軍はまるで鼎のなかに煮られかけていいて魚が息木次をわずかにするだけの猶予をあたえられている様である、また穴のなかの蟻でどこへ逃げようとおもっているのか、とてもどこにも逃げられないのだ。』
鼎魚 かなえの中で煮られる魚、賊の危いことをたとえていう。○仮息 いきふくことをかし与えてある、しばし生命をあずけておくこと。○穴蟻 穴のなかのあり、これも賊の危さをたとえていう。○何逃 何は何処の意。


帳殿羅玄冕,轅門照白袍。
いま鳳翔の行在所の仮御殿では玄冤をつけた公卿たちがずらり並んでいる、軍門から入ると援軍の回紇の白衣がまぶしいほど照っている。
帳殿 本殿の周りにテント張りで守りをつくる御殿、皇帝の旅の仮のお住まいという意味。鳳翔の行在所をいう。○ ならぶこと。○玄冕(げんべん) くろいかんむり、公卿の礼冠。○轅門 軍門、軍中の門は轅(くるまのながえ)を以てつくる。○ でりかがやく。〇白袍 白いうわざ、これは援助に来た回紇のきる衣。イスラム地域の服装。
 

秦山當警蹕,漢苑入旌旄。
都、長安附近の山々は我が君の行幸の御警蹕あるべき筋道に当っているし、いまや都の御苑も王朝軍の旌のたてられる範囲内に入ろうとしている。
泰山 長安附近の山をいう。○当警蹕(けいひつ) 当(あたる)とは警蹕すべき地位にあることをいう、警蹕は天子の出入に道路上の人払いをすること、出る時には警といい、入る時は蹕と称する。○漢苑 長安にある唐の御苑をいう。〇入旌旄(せいぼう) 旌旄は王朝軍のはた。入るとは、皇帝の行軍にはおびただしい数のはたのたてられる範囲内にはいることをいう。


hinode0200

blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首

800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/


唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))350
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

羌村三首 其三 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 222

羌村三首 其三 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 222

羌村三首 其三
群鶏正乱叫、客至鶏闘争。
鶏がむらがっていままさに騒ぎ立てている、客人が来たのに驚きあって互いが戦っているようだ。
駆鶏上樹木、始聞扣柴荊。
その鶏(とり)たちを樹枝の囲いに追いやると、我家の柴といばらの戸をたたく音が聞こえてきた。
父老四五人、問我久遠行。
近所の年寄りたちが四五人である、わたしの長旅の苦労を慰問するということなのだ。
手中各有携、傾榼濁復清。
各自が手に手土産をさげておるのだ、壺からは濁り酒や清酒をかたむけてくれるのだ。
莫辞酒味薄、黍地無人耕。
酒の味が薄いというので嫌いだとこの宴会をしりぞいてはいけない、というのもきびの畑を耕す者がいないだことからなのだ。
兵革既未息、児童尽東征。
いくさはなかなか終わらない、若い者はすべてのものが東のいくさ場に出つくしているのだ。
請為父老歌、艱難愧深情。
ここでこの老人が歌うのをお許し願いたい、この艱難辛苦の世の中では心情の深さほど嬉しいことなのだ。
歌罷仰天嘆、四座涙縦横。
歌い終えると天に向かって嘆くのである、この宴座の人は  涙で頬を濡らしているのだ


其の三 
群鶏(ぐんけい)  正(まさ)に乱叫(らんきょう)し、客至るとき鶏(にわとり)闘争す。
鶏を駆(か)って樹木に上(のぼ)らしめ、始めて柴荊(さいけい)を扣(たた)くを聞く。
父老(ふろう)  四五人、我が久しく遠行(えんこう)せしを問う。
手中(しゅちゅう) 各々(おのおの)携うる有り、榼(こう)を傾くれば  濁(だく)復(ま)た清(せい)。

辞する莫(なか)れ 酒味(しゅみ)の薄きを、黍地(しょち)  人の耕(たがや)す無し。
兵革(へいかく)  既に未(いま)だ息(や)まず、児童(じどう)  尽(ことごと)く東征す。
請(こ)う  父老(ふろう)の為に歌わん、艱難(かんなん)  深情(しんじょう)に愧(は)ず」と。
歌(うた)罷(や)んで  天を仰いで嘆(たん)ずれば、四座(しざ)  涙縦横(じゅうおう)たり。


現代語訳と訳註
(本文)
群鶏正乱叫、客至鶏闘争。
駆鶏上樹木、始聞扣柴荊。
父老四五人、問我久遠行。
手中各有携、傾榼濁復清。
莫辞酒味薄、黍地無人耕。
兵革既未息、児童尽東征。
請為父老歌、艱難愧深情。
歌罷仰天嘆、四座涙縦横。


(下し文)
群鶏(ぐんけい)  正(まさ)に乱叫(らんきょう)し、客至るとき鶏(にわとり)闘争す。
鶏を駆(か)って樹木に上(のぼ)らしめ、始めて柴荊(さいけい)を扣(たた)くを聞く。
父老(ふろう)  四五人、我が久しく遠行(えんこう)せしを問う。
手中(しゅちゅう) 各々(おのおの)携うる有り、榼(こう)を傾くれば  濁(だく)復(ま)た清(せい)。

辞する莫(なか)れ 酒味(しゅみ)の薄きを、黍地(しょち)  人の耕(たがや)す無し。
兵革(へいかく)  既に未(いま)だ息(や)まず、児童(じどう)  尽(ことごと)く東征す。
請(こ)う  父老(ふろう)の為に歌わん、艱難(かんなん)  深情(しんじょう)に愧(は)ず」と。
歌(うた)罷(や)んで  天を仰いで嘆(たん)ずれば、四座(しざ)  涙縦横(じゅうおう)たり。


(現代語訳)
鶏がむらがっていままさに騒ぎ立てている、客人が来たのに驚きあって互いが戦っているようだ。
その鶏(とり)たちを樹枝の囲いに追いやると、我家の柴といばらの戸をたたく音が聞こえてきた。
近所の年寄りたちが四五人である、わたしの長旅の苦労を慰問するということなのだ。
各自が手に手土産をさげておるのだ、壺からは濁り酒や清酒をかたむけてくれるのだ。
酒の味が薄いというので嫌いだとこの宴会をしりぞいてはいけない、というのもきびの畑を耕す者がいないだことからなのだ。
いくさはなかなか終わらない、若い者はすべてのものが東のいくさ場に出つくしているのだ。
ここでこの老人が歌うのをお許し願いたい、この艱難辛苦の世の中では心情の深さほど嬉しいことなのだ。
歌い終えると天に向かって嘆くのである、この宴座の人は  涙で頬を濡らしているのだ。



(訳注) 羌村三首 其の三
群鶏正乱叫、客至鶏闘争。
鶏がむらがっていままさに騒ぎ立てている、客人が来たのに驚きあって互いが戦っているようだ。


駆鶏上樹木、始聞扣柴荊。
その鶏(とり)たちを樹枝の囲いに追いやると、我家の柴といばらの戸をたたく音が聞こえてきた。


父老四五人、問我久遠行。
近所の年寄りたちが四五人である、わたしの長旅の苦労を慰問するということなのだ。


手中各有携、傾榼濁復清。
各自が手に手土産をさげておるのだ、壺からは濁り酒や清酒をかたむけてくれるのだ。


莫辞酒味薄、黍地無人耕。
酒の味が薄いというので嫌いだとこの宴会をしりぞいてはいけない、というのもきびの畑を耕す者がいないだことからなのだ。
黍地 きびの畑。耕す人は酒をつくる人が少ないこと。


兵革既未息、児童尽東征
いくさはなかなか終わらない、若い者はすべてのものが東のいくさ場に出つくしているのだ。
兵革 「兵」は刀・槍などの武器、「革」は鎧(よろい)・兜(かぶと)の意。古くは「へいがく」とも》 1 戦争のための武器・甲冑(かっちゅう)。兵甲。 2 戦争。たたかい。


請為父老歌、艱難愧深情。
ここでこの老人が歌うのをお許し願いたい、この艱難辛苦の世の中では心情の深さほど嬉しいことなのだ。


歌罷仰天嘆、四座涙縦横。
歌い終えると天に向かって嘆くのである、この宴座の人は  涙で頬を濡らしているのだ。


解説

 鶏が騒ぐので村の長老たちも帰還の祝いにやってきたのがわかった。都朝廷の左拾遺である。村人たちにとっては天子の謁見できる高官である。村人の心深い酒を情けに涙するのである。

村の長老たちは酒の味が薄いのは、若者が戦争に出てしまって畑を耕す者がいないからだと弁解なのか、苦しみを訴えるのか、早くいくさがなくなることを心から願うのである。
 杜甫は村人のために詩を詠うのである。艱難辛苦の時代、誰もが同じ思いの宴であった。
この詩の特徴は、杜甫には珍しく平易な語句で作られている。おそらく、村人にその場で披露し他ものであろう。平易で心温まる詩である。

hinode0200

blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首

800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/


唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))350
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

羌村三首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 221

羌村三首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 221


杜甫は鳳翔からごしゅう鄜州まで約200キロの道を、閏八月の初めから半月ばかりかかって、馬は与えられなかったために、途中で馬を借りるまでは徒歩で、何人かの下僕を供にして麟遊県―邠州-宜君県-鄜州という経路で帰っていった。
「遠愧梁江總,還家尚黑頭。」(遠い昔の人と比べると同じ家へ戻るとはいうものの、梁の江総がまだ黒い頭をしながら家へ還ったのに対して、わたしは年老いてしまったとはいえこの白髪頭で帰るというのはちょっと恥いいものである。)これは左拾位という天子の顔を拝顔できる朝廷の役人であること誇らしく思う裏返しの表現である。
鄜州の羌村に到著し家族にやっとあえた。鄜州は洛交県に治し、羌村は現在の延安市のこうがいである。
 「羌村(きょうそん)三首」の連作は、波乱の一年余をへて家族と再会した喜びが率直に詠われている。
至徳二載 757年 46歳


羌村三首
其一
崢嶸赤雲西,日腳下平地。柴門鳥雀噪,歸客千裡至。』
妻孥怪我在,驚定還拭淚。世亂遭飄蕩,生還偶然遂。
鄰人滿牆頭,感嘆亦歔欷。夜闌更秉燭,相對如夢寐。』
其二
晚歲迫偷生,還家少歡趣。嬌兒不離膝,畏我複卻去。
憶昔好追涼,故繞池邊樹。蕭蕭北風勁,撫事煎百慮。』
賴知禾黍收,已覺糟床注。如今足斟酌,且用慰遲暮。』
其三
群雞正亂叫,客至雞鬥爭。驅雞上樹木,始聞叩柴荊。
父老四五人,問我久遠行。手中各有攜,傾榼濁複清。
苦辭酒味薄,黍地無人耕。兵革既未息,兒童盡東徵。
請為父老歌,艱難愧深情。歌罷仰天嘆,四座淚縱橫。


羌村三首 其二
晩歳迫偸生、還家少歓趣。
この年になって士官がかない筋道のある筋の通ったせいかつをせまられている、そこで、家に帰ってはみたものの  しみじみとした味わいは少ないのである。
嬌児不離膝、畏我復却去。
いたずらっ子が私の膝の上を離れないのである、かといって次には私を畏れて、あとずさりする。
憶昔好追涼、故繞池辺樹。
思えば昔のこと、 夕涼みでいっしょに歩くのを好んでしたものだ、あるいは懐かしいことは池の岸辺  樹々のあいだをめぐって歩いたことだ。
蕭蕭北風勁、撫事煎百慮。
ひゅうひゅうといまはもの寂しく 北風が吹いている、いろいろ考えると  胸に憂いが満ちてくるのである。
頼知禾黍収、已覚糟牀注。
さいわいに 今年の稲や黍(きび)は豊作であったことをしったのである、そんなことから、はやくも酒しぼりの音がしてくるのを耳にはいってくる。
如今足斟酌、且用慰遅暮。

この季節になるとその新酒を酌むのには充分のはずだ、そんなこともあって私の晩年の慰めとして飲むことになるのだ。

羌村 三首  其の二
晩歳(ばんさい)  生を偸(ぬす)むに迫られ、家に還(かえ)れども歓趣(かんしゅ)少なし。
嬌児(きょうじ)は膝(ひざ)を離れざりしも、我を畏(おそ)れて復(ま)た却(しりぞ)き去る。
憶う昔  好(よ)く涼(りょう)を追い、故に池辺(ちへん)の樹(じゅ)を繞(めぐ)りしを。
蕭蕭(しょうしょう)として北風(ほくふう)勁(つよ)く、事を撫(ぶ)すれば百慮(ひゃくりょ)煎(に)る。
頼(さいわい)に知る  禾黍(かしょ)の収めらるるを、已に覚(おぼ)ゆ  糟牀(そうしょう)に注ぐを。
如今(じょこん)   斟酌(しんしゃく)するに足る、且(か)つ用(も)って遅暮(ちぼ)を慰めん。


現代語訳と訳註
(本文) 羌村三首 其二

晩歳迫偸生、還家少歓趣。
嬌児不離膝、畏我復却去。
憶昔好追涼、故繞池辺樹。
蕭蕭北風勁、撫事煎百慮。
頼知禾黍収、已覚糟牀注。
如今足斟酌、且用慰遅暮。

(下し文) 羌村 三首  其の二
晩歳(ばんさい)  生を偸(ぬす)むに迫られ、家に還(かえ)れども歓趣(かんしゅ)少なし。
嬌児(きょうじ)は膝(ひざ)を離れざりしも、我を畏(おそ)れて復(ま)た却(しりぞ)き去る。
憶う昔  好(よ)く涼(りょう)を追い、故に池辺(ちへん)の樹(じゅ)を繞(めぐ)りしを。
蕭蕭(しょうしょう)として北風(ほくふう)勁(つよ)く、事を撫(ぶ)すれば百慮(ひゃくりょ)煎(に)る。
頼(さいわい)に知る  禾黍(かしょ)の収めらるるを、已に覚(おぼ)ゆ  糟牀(そうしょう)に注ぐを。
如今(じょこん)   斟酌(しんしゃく)するに足る、且(か)つ用(も)って遅暮(ちぼ)を慰めん。


(現代語訳)
この年になって士官がかない筋道のある筋の通ったせいかつをせまられている、そこで、家に帰ってはみたものの  しみじみとした味わいは少ないのである。
いたずらっ子が私の膝の上を離れないのである、かといって次には私を畏れて、あとずさりする。
思えば昔のこと、 夕涼みでいっしょに歩くのを好んでしたものだ、あるいは懐かしいことは池の岸辺  樹々のあいだをめぐって歩いたことだ。
ひゅうひゅうといまはもの寂しく 北風が吹いている、いろいろ考えると  胸に憂いが満ちてくるのである。
さいわいに 今年の稲や黍(きび)は豊作であったことをしったのである、そんなことから、はやくも酒しぼりの音がしてくるのを耳にはいってくる。
この季節になるとその新酒を酌むのには充分のはずだ、そんなこともあって私の晩年の慰めとして飲むことになるのだ。


(訳注) 羌村 三首  其の二
晚歲迫偷生,還家少歡趣。

この年になって士官がかない筋道のある筋の通ったせいかつをせまられている、そこで、家に帰ってはみたものの  しみじみとした味わいは少ないのである。
晚歲 年の暮れ。歳末。年末。ここでは、閏八月を年の暮れとは言えないので46歳になっていることを強調している晩年ということ。○偷生 順序、次第のある生活。すじみちのある生活。士官かなって先祖の順番に会うことになる。○歡趣 そのものが感じさせる風情。しみじみとした味わい。


嬌兒不離膝,畏我複卻去。
いたずらっ子が私の膝の上を離れないのである、かといって次には私を畏れて、あとずさりする。
嬌兒不離膝 『北征』では「見耶背面啼,垢膩腳不襪。床前兩小女,補綴才過膝。」(耶(ちち)を見て面(おもて)を背(そむ)けて啼(な)く、垢膩(こうじ)して脚(あし)に襪(たび)はかず。床前(しょうぜん)の両小女、補綴(ほてつ)して 才(わず)かに膝(ひざ)を過ごす。)とある。北徵 #5(北征全12回)杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 212を参照。


憶昔好追涼,故繞池邊樹。
思えば昔のこと、 夕涼みでいっしょに歩くのを好んでしたものだ、あるいは懐かしいことは池の岸辺  樹々のあいだをめぐって歩いたことだ。
 756年夏、白水県からこの地に疎開してきたときのことを言う。


蕭蕭北風勁,撫事煎百慮。』
ひゅうひゅうといまはもの寂しく 北風が吹いている、いろいろ考えると 胸に憂いが満ちてくるのである。
○撫 いろいろ考えて心の中で撫でまわす。


賴知禾黍收,已覺糟床注。
さいわいに 今年の稲や黍(きび)は豊作であったことをしったのである、そんなことから、はやくも酒しぼりの音がしてくるのを耳にはいってくる。
賴知 都合よく~を知る。 ○禾黍收 稲と黍の豊作であった。前年までは長雨と日照りが交互に続いていた心配事の一つである。○糟床 酒を搾る台。


如今足斟酌,且用慰遲暮。』
この季節になるとその新酒を酌むのには充分のはずだ、そんなこともあって私の晩年の慰めとして飲むことになるのだ。



解説
 杜甫も、生死の際を歩いてきた。霊武に向かうのに馬を強奪され、蘆子関で捕縛された時は死を意識している。そして、このたび鳳翔から帰ってくるにも当初は徒歩で旅を始めている。そうした苦労を経てきつい顔をしていたのであろう、なついていたわが児が、久しぶりに帰ってきた父親が時に変化するので怖かったのではなかろうか。
 ここ数年、天候は不順で餓死者が多く出たが、今年は本作だったことは何よりである。
 妻は、夫のためを思い、酒を搾ってくれたのであろう。朝廷の左拾位であることは、親族にとって自慢のことで嬉しいのである。
 杜甫の視点は男尊女卑、身分制度の厳格な貴族時代にあって、他の詩人と違って妻子、女性に対する優位性、支配性というのもが感じられない。
hinode0200

blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首

800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/


唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))350
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

羌村三首 其一 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 220

羌村三首 其一 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 220

杜甫は鳳翔から鄜州まで約200キロの道を、閏八月の初めから半月ばかりかかって、馬は与えられなかったために、途中で馬を借りるまでは徒歩で、何人かの下僕を供にして麟遊県―邠州-銅川―宜君県-鄜州・羌村という経路で帰ってきた。
杜甫乱前後の図003鳳翔

「遠愧梁江總,還家尚黑頭。」(遠い昔の人と比べると同じ家へ戻るとはいうものの、梁の江総がまだ黒い頭をしながら家へ還ったのに対して、わたしは年老いてしまったとはいえこの白髪頭で帰るというのはちょっと恥いいものである。)これは左拾位という天子の顔を拝顔できる朝廷の役人であること誇らしく思う裏返しの表現である。
鄜州の羌村に到著し家族にやっとあえた。鄜州は洛交県に治し、羌村は現在の延安市のこうがいである。

 「羌村(きょうそん)三首」の連作は、波乱の一年余をへて家族と再会した喜びが率直に詠われている。
至徳二載 757年 46歳

220.羌村三首
其一
崢嶸赤雲西,日腳下平地。柴門鳥雀噪,歸客千裡至。』
妻孥怪我在,驚定還拭淚。世亂遭飄蕩,生還偶然遂。
鄰人滿牆頭,感嘆亦歔欷。夜闌更秉燭,相對如夢寐。』
其二
晚歲迫偷生,還家少歡趣。嬌兒不離膝,畏我複卻去。
憶昔好追涼,故繞池邊樹。蕭蕭北風勁,撫事煎百慮。』
賴知禾黍收,已覺糟床注。如今足斟酌,且用慰遲暮。』
其三
群雞正亂叫,客至雞鬥爭。驅雞上樹木,始聞叩柴荊。
父老四五人,問我久遠行。手中各有攜,傾榼濁複清。
苦辭酒味薄,黍地無人耕。兵革既未息,兒童盡東徵。
請為父老歌,艱難愧深情。歌罷仰天嘆,四座淚縱橫。


羌村三首其一
崢嶸赤雲西、日脚下平地。
真っ赤な夕焼け雲が西の空高くそびえている。太陽の光は雲の間から光線が足長く射してきて、黄土高原の雄大な平地にまで下がってきている。
柴門鳥雀噪、帰客千里至。』
我が家の粗末な柴の戸では帰りを知らせる鳥や雀ともいえる子供らがうるさく騒いでいる、そこへ突然旅姿の私が千里の遠くからかえりついたのである。』
妻孥怪我在、驚定還拭涙。
妻と子らはわたしがここに存在していたことを不思議に思ったようで、はじめはびっくりしていたが、驚いていたのがおちつくとこんどは泣きじゃくり、あふれる涙を拭うのである。
世乱遭飄蕩、生還偶然遂。
世の中は叛乱で乱れきって、あちこちにただよわされる運命にであってしまった、実際にどこで死ぬかわからないほどの出来事があった、生きて帰るなどいうことはほん偶然のことのようなものである。
隣人満牆頭、感歎亦歔欷。
自分のかえったことを知って近所の人たちも土塀の頭越しにいっぱい集まってきて、嘆きながら我々とともにすすりなきをしてくれる。
夜闌更秉燭、相対如夢寐。』

久しぶりのことなので、夜ふけすぎてもまたあらためて蝋燭の芯をつけかえ、家族同士でむきあっていることがまったく夢をみている様なことで、この私の無事の帰還で集まってくれた現実さが夢のようなことである。

羌村 三首  其の一
崢嶸(そうこう)たる赤雲(せきうん)の西、日脚(にっきゃく) 平地に下る。
柴門(さいもん)  鳥雀(ちょうじゃく)噪(さわ)ぎ、帰客(きかく)    千里より至る。
妻孥(さいど)は我(われ)の在るを怪しみ、驚き定まって還(ま)た涙を拭う。
世乱れて飄蕩(ひょうとう)に遭(あ)い、生還  偶然に遂げたり。
隣人  牆頭(しょうとう)に満ち、感歎して亦(ま)た歔欷(きょき)す。
夜(よる)闌(たけなわ)にして更に燭(しょく)を秉(と)り、相対(あいたい)すれば夢寐(むび)の如し。



現代語訳と訳註
(本文)羌村 三首 其一

崢嶸赤雲西,日腳下平地。
柴門鳥雀噪,歸客千裡至。』
妻孥怪我在,驚定還拭淚。
世亂遭飄蕩,生還偶然遂。
鄰人滿牆頭,感嘆亦歔欷。
夜闌更秉燭,相對如夢寐。』

(下し文) 羌村 三首  其の一
崢嶸(そうこう)たる赤雲(せきうん)の西、日脚(にっきゃく) 平地に下る。
柴門(さいもん)  鳥雀(ちょうじゃく)噪(さわ)ぎ、帰客(きかく)    千里より至る。
妻孥(さいど)は我(われ)の在るを怪しみ、驚き定まって還(ま)た涙を拭う。
世乱れて飄蕩(ひょうとう)に遭(あ)い、生還  偶然に遂げたり。
隣人  牆頭(しょうとう)に満ち、感歎して亦(ま)た歔欷(きょき)す。
夜(よる)闌(たけなわ)にして更に燭(しょく)を秉(と)り、相対(あいたい)すれば夢寐(むび)の如し。

(現代語訳)
真っ赤な夕焼け雲が西の空高くそびえている。太陽の光は雲の間から光線が足長く射してきて、黄土高原の雄大な平地にまで下がってきている。
我が家の粗末な柴の戸では帰りを知らせる鳥や雀ともいえる子供らがうるさく騒いでいる、そこへ突然旅姿の私が千里の遠くからかえりついたのである。』
妻と子らはわたしがここに存在していたことを不思議に思ったようで、はじめはびっくりしていたが、驚いていたのがおちつくとこんどは泣きじゃくり、あふれる涙を拭うのである。
世の中は叛乱で乱れきって、あちこちにただよわされる運命にであってしまった、実際にどこで死ぬかわからないほどの出来事があった、生きて帰るなどいうことはほん偶然のことのようなものである。
自分のかえったことを知って近所の人たちも土塀の頭越しにいっぱい集まってきて、嘆きながら我々とともにすすりなきをしてくれる。
久しぶりのことなので、夜ふけすぎてもまたあらためて蝋燭の芯をつけかえ、家族同士でむきあっていることがまったく夢をみている様なことで、この私の無事の帰還で集まってくれた現実さが夢のようなことである。


(訳注)
崢嶸赤雲西、日脚下平地。
真っ赤な夕焼け雲が西の空高くそびえている。太陽の光は雲の間から光線が足長く射してきて、黄土高原の雄大な平地にまで下がってきている。
〇崢たかくそびえるさま。○赤雲西 赤雲は夕焼けの赤いくも。とり西とは「西より」の意、下句の「日脚」と関係する。○日脚 太陽の光線の横あし。雲間を透して斜めに地上に続いた太陽光線をいう。杜甫『茅屋爲秋風所破歌』「雨脚如麻未断絶」とつかう。○平地 黄土高原の雄大な平地において日が落ちるに従って光線は地平線と平行するようになる。平原の雄大さを強調する語の使い方である。


柴門鳥雀噪、帰客千里至
我が家の粗末な柴の戸では帰りを知らせる鳥や雀ともいえる子供らがうるさく騒いでいる、そこへ突然旅姿の私が千里の遠くからかえりついたのである。』
鳥雀噪 鵠(かささぎ)がさわげば旅人がかえってくると故事がある。杜甫の詩では子供らが騒がしくしていることを雀に喩える。故事の意味と実際の騒ぎとをとったものである。○帰客 もどってきた旅人。


妻孥怪我在、驚定還拭涙。
妻と子らはわたしがここに存在していたことを不思議に思ったようで、はじめはびっくりしていたが、驚いていたのがおちつくとこんどは泣きじゃくり、あふれる涙を拭うのである。
妻孥 妻子。○怪我在 在は存在、生存をいう。○驚定定とはおちつくこと。


世乱遭飄蕩、生還偶然遂。
世の中は叛乱で乱れきって、あちこちにただよわされる運命にであってしまった、実際にどこで死ぬかわからないほどの出来事があった、生きて帰るなどいうことはほん偶然のことのようなものである。
飄蕩 あちらこちらとただよわされる、漂泊の生活をいう。○生還 いきてもどる。○偶然遂 ふとなしとげ得た、予定はできなかったことをいう。


隣人満牆頭、感歎亦歔欷。
自分のかえったことを知って近所の人たちも土塀の頭越しにいっぱい集まってきて、嘆きながら我々とともにすすりなきをしてくれる。
隣人 近所の人たち。○牆頭 我が家の土塀の頭越し。○亦 彼等もまた我等とともに。○歔欷 すすりなきする。


夜闌更秉燭、相対如夢寐。
久しぶりのことなので、夜ふけすぎてもまたあらためて蝋燭の芯をつけかえ、家族同士でむきあっていることがまったく夢をみている様なことで、この私の無事の帰還で集まってくれた現実さが夢のようなことである。
夜闌 闌はさかりをすぎるころ。○更秉燭 さらにろうそくをとって火をつけたす。夜を徹しての長話を意味する。○相対 家人とむきあう。○如夢寐 ねて夢をみているようだ、自分で自分の存在が疑われることをいう。ほっぺをつねってみるという意味のこと。
 


解説
 「羌村三首」 其一 は、杜甫自身、黄土高原の雄大な夕景色がまず印象的に描かれている。杜甫が前年この景色を見るのは華族で命からがら逃げのびてきたときである。唐王朝も玄宗皇帝は蜀に逃げ、上皇になり、霊武に行在所を置く、不安定な状況下の中に有った。家族と別れることを前提とした景色と家族と一緒になれるという景色の違いをこの詩の見どころであるといえる。今見る平原は夢のようなものと映っていたのである。杜甫は夕刻に到着した。馬に乗り従者を従えた杜甫が通ると門のあたりで、帰りを知らせる鳥が騒いでくれた。迎えた家族の喜び、近所の人のようすが、時間の経過を追っていきいきと描かれ、杜甫の誠実な性格が表れている。

hinode0200

blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首

800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/




唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))350
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

北征 #12 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 219

北征 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 219
北徵 12回目(全12回)


#11までの要旨
757年粛宗の至徳二載の秋。特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許された。今、天下はどこでも治安が悪く、無政府状態のところ多くなっているのだ、だからわたしの胸中の心配は増えつづけていったい何時終わるのだろうか。
心配を胸に、最初は徒歩ですすんでいくと、わたしがこの路で出会うこの里の人々の多くは傷をうけていた。そしてやっと馬を駆ることができ、鳳翔の方を振り返るとはるか遠くの山々が重なっていた。少量を過ぎ、邠州を過ぎていた。彌満和深くなり猛虎の声が大空を破りそうな声で唸っているのだ。少し行くと菊が今年の秋の花を変わりなく咲かせていた。山中の果物が多く、橡の実や栗などがあり、「桃源」の伯郷のようだ。自分の処世のまずさと世の移ろいがうまくいっていないことをなげかわしくおもう。そのうちに秦の文公の祭壇を過ぎ、夜更けに戦場跡を通り過ぎた。たくさんの戦死者がそのままにされ、白骨が月明かりに照らされていた。
叛乱軍に掴まって長安に送られ、そこから鳳翔の行在所に逃げ、一年たって、戻ってきた。妻も子供も憐れな恰好であった。
嚢中の帛がないことで寒がってふるえている。それでもおしろいや眉墨をいれた包みものをひろげたので痩せた妻もその顔面に光があるようになった。
家へ帰ったばかりなのでわたしはこんな子供によって自分のこころを慰めている。
その頃、粛宗はウイグルに再度の援軍を要請した。五干人の兵を送り、馬一万匹を駆ってよこした。精鋭部隊であり、おかげで傾性は次第に回復してきた。しかし、世論はウイグルに援軍を出すことが高い代償を払うことになるのではないかと心配しているのだ。昨年都において慌てふためいて出奔の事変がおこったが、奸臣の代表する楊国忠は刑罰に処せられ、そのなかまの悪党らも追っ払われた。新天子に即位した粛宗は明哲であるので唐は再興していくのだ。


11
憶昨狼狽初,事與古先別。奸臣竟菹醢,同惡隨蕩析。
不聞夏殷衰,中自誅褒妲。周漢獲再興,宣光果明哲。
桓桓陳將軍,仗鉞奮忠烈。微爾人盡非,於今國猶活。』
12
淒涼大同殿,寂寞白獸闥。
都人望翠華,佳氣向金闕。
園陵固有神,灑掃數不缺。
煌煌太宗業,樹立甚宏達!』
ものさびしくなったのは長安にある大同殿である。叛乱軍たちの白い帽子や獣の服を着た異民族の兵士によってその御門がひっそりしている。
その都長安に残っている人たちは早く天子の御旗がおかえりになる様にと願ってながめているのだ、その希望のように帝運隆興のめでたい気が行在所の方から御所の金闕に向いつつあるところなのである。
我が唐の天子の御先代の園山陵にはもとより祖宗の神霊が存在しているのである、その先祖に守られている神霊に対して灑掃の礼数は決して欠くることがない。
我が唐が大帝国と為し、繁栄を誇ったのは太宗の帝業が煌煌とかがやいていることなのだ。その樹立された諸制度は広大であり且つ終始をつらぬいて後々の世までつづくのであり、唐の国運が中絶することなどありはしないのだ。


#11
憶う昨(さく) 狼狽(ろうばい)の初め,事は古先と別なり。
奸臣 竟に菹醢(そかい)せられ,同惡(どうあく)隨って蕩析(とうせき)す。
聞かず  夏殷(かいん)の衰えしとき、中(うち)の自ら褒妲(ほうだつ)を誅(ちゅう)せしを。
周漢(しゅうかん) 再興するを獲(え)しは、宣光(せんこう)  果たして明哲(めいてつ)なればなり。
桓桓(かんかん)たり  陳(ちん)将軍、鉞(えつ)に仗(よ)りて忠烈を奮(ふる)う。
爾(なんじ)微(な)かりせば人は尽(ことごと)く非(ひ)ならん、今に於(お)いて国は猶(な)お活(い)く。

#12
淒涼(せいりょう)たり  大同殿(だいどうでん)、寂寞(せきばく)たり 白獣闥(はくじゅうたつ)。
都人(とじん) 翠華(すいか)を望み、佳気(かき)   金闕(きんけつ)に向こう。
園陵(えんりょう) 固(もと)より神(しん)有り、掃灑(そうさい)  数(すう)欠けざらん。
煌煌(こうこう)たり 太宗の業(ぎょう)、樹立 甚(はなは)だ宏達(こうたつ)なり。


現代語訳と訳註
(本文) 12
淒涼大同殿,寂寞白獸闥。
都人望翠華,佳氣向金闕。
園陵固有神,灑掃數不缺。
煌煌太宗業,樹立甚宏達!』


(下し文) #12
淒涼(せいりょう)たり  大同殿(だいどうでん)、寂寞(せきばく)たり 白獣闥(はくじゅうたつ)。
都人(とじん) 翠華(すいか)を望み、佳気(かき)   金闕(きんけつ)に向こう。
園陵(えんりょう) 固(もと)より神(しん)有り、掃灑(そうさい)  数(すう)欠けざらん。
煌煌(こうこう)たり 太宗の業(ぎょう)、樹立 甚(はなは)だ宏達(こうたつ)なり。


(現代語訳) ⑫
ものさびしくなったのは長安にある大同殿である。叛乱軍たちの白い帽子や獣の服を着た異民族の兵士によってその御門がひっそりしている。
その都長安に残っている人たちは早く天子の御旗がおかえりになる様にと願ってながめているのだ、その希望のように帝運隆興のめでたい気が行在所の方から御所の金闕に向いつつあるところなのである。
我が唐の天子の御先代の園山陵にはもとより祖宗の神霊が存在しているのである、その先祖に守られている神霊に対して灑掃の礼数は決して欠くることがない。
我が唐が大帝国と為し、繁栄を誇ったのは太宗の帝業が煌煌とかがやいていることなのだ。その樹立された諸制度は広大であり且つ終始をつらぬいて後々の世までつづくのであり、唐の国運が中絶することなどありはしないのだ。


 
(訳注)北征12
淒涼大同殿,寂寞白獸闥。
ものさびしくなったのは長安にある大同殿である。叛乱軍たちの白い帽子や獣の服を着た異民族の兵士によってその御門がひっそりしている。
○漬涼 ものさびしく。○大同殿 唐の南内興慶宮の勤政楼の北にある門を大同といい、門内に大同殿があった。○寂寞 さぴしいさま。○白獣閥 白獣は異民族の中にイスラム教の兵士が白い帽子をかぶっている。同じウイグル系でも宗教が違うので毛皮を着たり、毛皮の帽子をかぶる。花が高くて目が大きく目の色も異色であった。その異民族が宮殿の中にいることを示す。一般の解釈では同名の宮殿を考え所在ははっきりしないとされている。


都人望翠華,佳氣向金闕。
その都長安に残っている人たちは早く天子の御旗がおかえりになる様にと願ってながめているのだ、その希望のように帝運隆興のめでたい気が行在所の方から御所の金闕に向いつつあるところなのである。
○都人 長安の人民。○望 来たれかしとながめる。○翠華 天子の旗、旗上に翠羽のふさをつけるのによってかくいう。○佳気 天子のかもし出す隆興の良い気配。血筋、歴史的なものを含むもの。『哀王孫』「五陵佳氣無時無。」(五陵の佳気は時として無きは無し)『假山』「佳氣日氤氳」(佳気日に氤氳(いんうん)たり)○向 行在所の方から長安の方ヘ向かって起りつつあること。○金闕 黄金をかざった傍門。

 
園陵固有神,灑掃數不缺。
我が唐の天子の御先代の園山陵にはもとより祖宗の神霊が存在しているのである、その先祖に守られている神霊に対して灑掃の礼数は決して欠くることがない。
○園陵 唐の先代の御陵のこと。御陵には附属の庭園を含んだ園があった。○有神 神霊が存在する。○灑掃 はきそうじ、天子が都に住居しておられるならば園陵の掃除もゆきとどく。○数 礼制にもとづいた礼数ということ、礼制には必ず度数が伴う。○不欠 かけることなし。


煌煌太宗業,樹立甚宏達!』
我が唐が大帝国と為し、繁栄を誇ったのは太宗の帝業が煌煌とかがやいていることなのだ。その樹立された諸制度は広大であり且つ終始をつらぬいて後々の世までつづくのであり、唐の国運が中絶することなどありはしないのだ。
○煌煌 かがやくさま。○太宗業 太宗の為された輝かしい帝業。○樹立 うえつけ立てたこと。○宏達 宏大通達、大きくて且つ終始をつらぬきとおることをいう。


北征
皇帝二載秋,閏八月初吉。
粛宗皇帝の至徳二載の秋の閑八月一日。
杜子將北徵,蒼茫問家室。」
自分は北方にでかけて、家族の様子がはっきりしていないので預けている妻子の様子をたずねようとするものだ。』
維時遭艱虞,朝野少暇日。
この時は叛乱軍の長安を制覇されたことによる奪還のための心配に出くわした頃で、朝廷の者も民間の者もせわしくて暇がないのである。
顧慚恩私被,詔許歸蓬蓽。
それに自分はこのたび、どうしたことか特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許されたのは誠に恥じ入ったことである。
拜辭詣闕下,怵惕久未出。
おいとま乞の御挨拶に行在所の御門近くにまかり出たが、恐縮して心に憂いおそれをいだきおるためにいつまでも退出できないでいたのである。
雖乏諫諍姿,恐君有遺失。
自分は左拾遺の官職をいただいているとはいえ、天子の君をお諌めするという程の資質も無いのではあるが万一天子の為されることに失政がありはせぬかと恐れるのである。
#2
君誠中興主,經緯固密勿。
我が君粛宗皇帝におかせられては誠に中興の君主であらせられるもので、国政を経営せられるのにまことに御勉強を重ねられておるところである。
東胡反未已,臣甫憤所切。
それに東都に異民族を使った叛乱軍の安慶緒がいまだに皇帝と称してわが天子に叛いたままなのである。ことは臣下たる自分の痛切に憤怒しているところなのである。
揮涕戀行在,道途猶恍惚。
心中に行在におわす天子のことを敬愛しているため、涙と鼻水がとめどない、これを振り払って旅立とうとするのであるが、前途多難を思うに付けて、踏み出そうとはするのであるが心配な気持ちが高まりおさえきれない心もパニックになってしまうのだ。
乾坤含瘡痍,憂虞何時畢!』

今、天下はどこでも治安が悪く、無政府状態のところ多くなっているのだ、だからわたしの胸中の心配は増えつづけていったい何時終わるのだろうか。』
3
靡靡逾阡陌,人煙眇蕭瑟。
北に向かう足取りはなかなかはかどらず縦横の道、辻、分岐点を超えていった。山道や裏街道から、人里の煙がさびしく見え、家の明かりがまたたいている。
所遇多被傷,呻吟更流血。
わたしがこの路で出会うこの里の人々の多くは傷をうけていた、その人たちは誰もが傷を痛がってうな声を上げ、血を流していた。
回首鳳翔縣,旌旗晚明滅。
振り返ってみると鳳翔県の方を見たのだ。夕方になっていて軍隊の旗がみえたりかくれたりしている。
前登寒山重,屢得飲馬窟。
さらに前進して寒空に幾重にも重なっている山々、凍り付いている山に登った、しばしば窟をさがして馬に水を飲ませるのであった。
邠郊入地底,涇水中蕩潏。
邠州の郊外は低地になっていて地の底へはいるかとおもわれるような風景なのだ、其の地の中央部には涇水があり水がわきあがるかのように水を湛えて流れていた。
猛虎立我前,蒼崖吼時裂。

こんな場所では猛虎が自分の面前に立ちあがるのだ、そして青々と苔むし木々が鬱蒼としていて、猛虎が吼え叫ぶときにはあたりのものがはり裂けるようであった。
4
#4
菊垂今秋花,石戴古車轍。
少し行くと菊が今年の秋の花を変わりなく咲かせていた、路上の石には古いわだちのあとが残っていたのだ。
青雲動高興,幽事亦可悅。
青い大空にうかんでいる雲をながめるとそれは私の詩人の風流の興味を高ぶらせてくれるものであり、また山路の一人静かな旅はいろいろの悦ばしい事にであわせてくれるのである。
山果多瑣細,羅生雜橡栗。
その興味や悦ばしいことというのは山中の果物が多くあり、それが小さいのである、それらと並んで生えているものには橡の実や栗などがいりまじっているである。
或紅如丹砂,或黑如點漆。
或るものは深紅であり、まるで丹砂のようであり、或るものは黒くてしっとり艶のある黒漆のようなのである。
雨露之所濡,甘苦齊結實。
これらのものには雨や露がうるおいを与えているものであり、甘い果実や苦いものも一様に実を結んでいる。
緬思桃源內,益嘆身世拙。

この様な場所をとおるとはるかに「桃源」の伯郷のことがおもわれるのであり、反対にいよいよ自分の処世のまずさと世の移ろいがうまくいっていないことをなげかわしくおもうのである。
#5
坡陀望鄜畤,岩穀互出沒。
そのうちに丘陵の起伏、高く広い場所に秦の文公が作ったといわれる土で盛った祭壇がみえてきた。そこに至るまでは大きな岩、深い谷が互いに出たり入ったりしている。
我行已水濱,我僕猶木末。
我々は底の侵入し巌崖と深谷と経過していき私が谷川の水のそばを進んでいるのに、下僕は後ろの崖の木の上の方に居るという具合である。
鴟梟鳴黃桑,野鼠拱亂穴。
ふくろうが黄ばんだ枯れ桑にとまって鳴いている、野ねずみがあちこち穴だらけにしていて顔を出してはおじぎをしている。
夜深經戰場,寒月照白骨。
夜がふけてきて戦揚を経過している、寒そうな月の光が戦死者の白骨を照らしている。
潼關百萬師,往者敗何卒?
あの前年潼関の戦に百万の王朝軍の師将がいたのだ。どうしてこの前のことだ、あんなにも簡単に敗れてしまったのか。
遂令半秦民,殘害為異物。』

その大敗によって殆ど長安地方の半分の人民を葬られず、放置されたままの死人にしてしまったのであろうか。』
#6
況我墮胡塵,及歸盡華發。
まして、わたしは蘆子関から霊武に向かう際、安史軍・叛乱軍に掴まってしまった。そのためそれを逃れていろいろあり、いま家へ帰るにあたって、自分の髪の毛がすっかり白髪になってしまっているのだ。
經年至茅屋,妻子衣百結。
掴まってから一年目に鄜州羌村の茅星へ来てみると妻や子はぼろをつぎあわせた衣をきている。
慟哭松聲回,悲泉共幽咽。
慟哭すると松風の声が吹きめぐり、悲しげな泉の水さえ自分等とともにむせびなきしている。
平生所嬌兒,顏色白勝雪。
ひごろ甘やかして威張らせておいたいたずらっ子の男の子どもは栄養不良で顔色が雪よりもまっ白である。
見耶背面啼,垢膩腳不襪。
彼はこのおやじのわたしを見てそっぽを向いて泣き出すしまつだ。みると彼の脚は垢や油が汚く付いていて、くつたびもはいていないのだ。
牀前兩小女,補綴才過膝。
寝る牀の前には二人の女の子がいるが、彼女等はほころびをつづりあわせた著物をきているがその着丈はやっと膝がかくれるほどである。
7
海圖拆波濤,舊繡移曲折。
彼女等は上着の「ちょっき」をきているがそれは模様の海図の波濤はひきさかれているし、繍い模様の位置がうつっていて曲ったり折れたりしている。
天吳及紫鳳,顛倒在短褐。
すなわち天呉の絵、紫鳳のかたちに及んでいる、丈が短くなった粗末な毛織りの上にきる「ちょっき」の上であちこち顛倒してみえている。
老夫情懷惡,數日臥嘔泄。
これをみてはわたしは胸のうちがきもちわるくなって、はいたり、くだしたりして、二三日は臥せてしまった。
那無囊中帛,救汝寒凜栗?
どうしてわたしに汝等が嚢中の帛がないことで寒がってふるえているのを救うことのできうることができるというのか。
粉黛亦解苞,衾裯稍羅列。
それでもおしろいや眉墨をいれた包みものがほどかれるやら、かいまきや、ひとえ寝まきもだんだんとならべられた。
瘦妻面複光,癡女頭自櫛。

痩せた妻もその顔面に光があるようになった、としわの行かない娘たちも自分自身で頭の髪をとかしたりした。
8
學母無不為,曉妝隨手抹。
むすめどもは母のすることならなんでもまねをして、朝の顔のおつくりにも手あたりしだいになにかかおになすりつける。
移時施朱鉛,狼籍畫眉闊。
ややしばらく時がたってから、口紅や白粉をつけるが、できたところを見るとまぬけた幅広に書き眉をしているのである。
生還對童稚,似欲忘饑渴。
自分は生きてかえって子供らに対している、ひもじさも枯渇した体のことも忘れるほどにしてくれる。
問事競挽須,誰能即嗔喝?
彼等がものめずらしげに自分に何かをたずねてくる、たがいに争うてわたしの顎ひげをひっぱったりするが、だれがすぐにそれをどなりつけたりすることができようか。
翻思在賊愁,甘受雜亂聒。
叛乱軍の中につかまっていたときの愁のことをかんがえれば翻って見て、現在のがやがややかましいぐらいのことは自分の甘んじて受ける所である。
新婦且慰意,生理焉得說?』

家へ帰ったばかりなのでわたしはこんな子供によって自分のこころを慰めている。暮しむきのことなどどうして口から説明することなどできるものではない。』
9
至尊尚蒙塵,幾日休練卒?
我が君にはまだ兵塵をさけて地方においでになる、いつになったら兵卒を訓練することをやめることができるだろう。
仰觀天色改,坐覺妖氛豁。
それでも上を仰いでみると天の色もいつも見るものとはかわった様子だ。そぞろになんだか兵乱の悪気が散らばりひろがる様な気がする。
陰風西北來,慘澹隨回紇。
西北の方から陰気な風が吹いてきた。その風はものがなしく回絃にくっついてきたのである。
其王願助順,其俗善馳突。
回紇の王は唐王朝軍を助けたいと願いでてくれた。回乾の習俗は馳突の騎兵船がうまい。
送兵五千人,驅馬一萬匹。
それが我が唐へ五干人の兵を送り、馬一万匹を駆ってよこした。
此輩少為貴,四方服勇決。
彼等は少壮なものを貴ぶ習慣で、彼の国の四方の者はその勇決に服従している。
所用皆鷹騰,破敵過箭疾。
彼等の用うる兵戎はみな鷹のように猛々しく獲物を狙う、いさましく敵軍をうち破ることは矢のはやさよりもはやい。
聖心頗虛佇,時議氣欲奪。』

世論は回紇などを援軍に使ってはと後難をおそれて気を奪われようとしているが、我が天子のお考えでは平気で彼等の援助をまっておられるのだ。』10

北征 #11(全12回) 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 218

北征 #11(全12回) 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 218
北徵 11回目(全12回)


#10までの要旨
757年粛宗の至徳二載の秋。特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許された。今、天下はどこでも治安が悪く、無政府状態のところ多くなっているのだ、だからわたしの胸中の心配は増えつづけていったい何時終わるのだろうか。
心配を胸に、最初は徒歩ですすんでいくと、わたしがこの路で出会うこの里の人々の多くは傷をうけていた。そしてやっと馬を駆ることができ、鳳翔の方を振り返るとはるか遠くの山々が重なっていた。少量を過ぎ、邠州を過ぎていた。彌満和深くなり猛虎の声が大空を破りそうな声で唸っているのだ。少し行くと菊が今年の秋の花を変わりなく咲かせていた。山中の果物が多く、橡の実や栗などがあり、「桃源」の伯郷のようだ。自分の処世のまずさと世の移ろいがうまくいっていないことをなげかわしくおもう。そのうちに秦の文公の祭壇を過ぎ、夜更けに戦場跡を通り過ぎた。たくさんの戦死者がそのままにされ、白骨が月明かりに照らされていた。
叛乱軍に掴まって長安に送られ、そこから鳳翔の行在所に逃げ、一年たって、戻ってきた。妻も子供も憐れな恰好であった。
嚢中の帛がないことで寒がってふるえている。それでもおしろいや眉墨をいれた包みものをひろげたので痩せた妻もその顔面に光があるようになった。
家へ帰ったばかりなのでわたしはこんな子供によって自分のこころを慰めている。
その頃、粛宗はウイグルに再度の援軍を要請した。五干人の兵を送り、馬一万匹を駆ってよこした。精鋭部隊であり、おかげで傾性は次第に回復してきた。しかし、世論はウイグルに援軍を出すことが高い代償を払うことになるのではないかと心配しているのだ。
王朝連合軍は官軍となり進んで叛乱軍の本拠地まで深く攻め入ろうと請け負ってくれている。この軍事同盟による回紇軍との連合を云い洛陽地方までを攻めおとすことは青州・徐州の方面を開くことになるのである。また五嶽の一つ恒山や碣石の門の両の精神的支柱をも略取することになるのである。叛乱軍、異民族らの命運はながつづきできるというものではない、天子の皇道は断絶してはならないはずのものである。』


10
伊洛指掌收,西京不足拔。官軍請深入,蓄銳可俱發。
此舉開青徐,旋瞻略恆碣。昊天積霜露,正氣有肅殺。
禍轉亡胡歲,勢成擒胡月。胡命其能久?皇綱未宜絕。』
11
憶昨狼狽初,事與古先別。
昨年のことを思い出してみる、前年6月4日圧倒的に有利と見られていた王朝軍を率いる哥舒翰が潼関でが大敗した。都において慌てふためいて出奔の事変が起ったとき、朝廷でとられた御処置は昔の施策とはちがっていた。
奸臣竟菹醢,同惡隨蕩析。
我が朝では奸臣の代表する楊国忠は刑罰に処せられ、そのなかまの悪党らも追っ払い散らされてしまった。
不聞夏殷衰,中自誅褒妲。
諸君は夏殷の衰えたときのことを聞いたことはないか、宮廷の中で天子御自身で褒娰・妲己の悪女を誅されたのである。(楊貴妃は玄宗御自身が誅せられたということ。)
周漢獲再興,宣光果明哲。
そうして周の宣王と後漢の光武帝は皆が期待した通り、聡明で事理に明るい君主であったので周や後漢は再興することができた。(新天子に即位した粛宗は明哲であるので唐は再興していくのだ。)
桓桓陳將軍,仗鉞奮忠烈。
まことに桓々と勇武である、左竜武大将軍の陳将軍は。彼は天子から授けられた鉞をついて忠義な功しをふるわれたのである。
微爾人盡非,於今國猶活。』

あの時もし左竜武大将軍の陳将軍が居なかったならば唐の人民はみんな今見るような安泰なものであることができなかったであろう、あなたのおかげで今も我が唐の国はいきることができるのである。』
12
淒涼大同殿,寂寞白獸闥。都人望翠華,佳氣向金闕。
園陵固有神,灑掃數不缺。煌煌太宗業,樹立甚宏達!』

#10
伊洛(いらく)  掌(たなごころ)を指(さ)して収めん、西京(せいけい)も抜くに足らざらん。
官軍  深く入らんことを請(こ)う、鋭(えい)を蓄(たくわ)えて倶(とも)に発す可し。
此の挙(きょ)  青徐(せいじょ)を開かん、旋(たちま)ち恒碣(こうけつ)を略するを瞻(み)ん。
昊天(こうてん) 霜露を積み,正氣 肅殺(しゅくさつ)たる有り。
禍は轉ぜん 胡を亡ぼさん歲(とし),勢は成らん 胡を擒(とりこ)にせん月。
胡の命 其れ能く久しからんや?皇綱(こうこう)未だ宜しく絕つべからず。』

#11
憶う昨(さく) 狼狽(ろうばい)の初め,事は古先と別なり。
奸臣 竟に菹醢(そかい)せられ,同惡(どうあく)隨って蕩析(とうせき)す。
聞かず  夏殷(かいん)の衰えしとき、中(うち)の自ら褒妲(ほうだつ)を誅(ちゅう)せしを。
周漢(しゅうかん) 再興するを獲(え)しは、宣光(せんこう)  果たして明哲(めいてつ)なればなり。
桓桓(かんかん)たり  陳(ちん)将軍、鉞(えつ)に仗(よ)りて忠烈を奮(ふる)う。
爾(なんじ)微(な)かりせば人は尽(ことごと)く非(ひ)ならん、今に於(お)いて国は猶(な)お活(い)く。

#12
淒涼(せいりょう)たり  大同殿(だいどうでん)、寂寞(せきばく)たり 白獣闥(はくじゅうたつ)。
都人(とじん) 翠華(すいか)を望み、佳気(かき)   金闕(きんけつ)に向こう。
園陵(えんりょう) 固(もと)より神(しん)有り、掃灑(そうさい)  数(すう)欠けざらん。
煌煌(こうこう)たり 太宗の業(ぎょう)、樹立 甚(はなは)だ宏達(こうたつ)なり。


現代語訳と訳註
(本文) 11

憶昨狼狽初,事與古先別。
奸臣竟菹醢,同惡隨蕩析。
不聞夏殷衰,中自誅褒妲。
周漢獲再興,宣光果明哲。
桓桓陳將軍,仗鉞奮忠烈。
微爾人盡非,於今國猶活。』

(下し文) #11
憶う昨(さく) 狼狽(ろうばい)の初め,事は古先と別なり。
奸臣 竟に菹醢(そかい)せられ,同惡(どうあく)隨って蕩析(とうせき)す。
聞かず  夏殷(かいん)の衰えしとき、中(うち)の自ら褒妲(ほうだつ)を誅(ちゅう)せしを。
周漢(しゅうかん) 再興するを獲(え)しは、宣光(せんこう)  果たして明哲(めいてつ)なればなり。
桓桓(かんかん)たり  陳(ちん)将軍、鉞(えつ)に仗(よ)りて忠烈を奮(ふる)う。
爾(なんじ)微(な)かりせば人は尽(ことごと)く非(ひ)ならん、今に於(お)いて国は猶(な)お活(い)く。


(現代語訳)⑪
昨年のことを思い出してみる、前年6月4日圧倒的に有利と見られていた王朝軍を率いる哥舒翰が潼関でが大敗した。都において慌てふためいて出奔の事変が起ったとき、朝廷でとられた御処置は昔の施策とはちがっていた。
我が朝では奸臣の代表する楊国忠は刑罰に処せられ、そのなかまの悪党らも追っ払い散らされてしまった。
諸君は夏殷の衰えたときのことを聞いたことはないか、宮廷の中で天子御自身で褒娰・妲己の悪女を誅されたのである。(楊貴妃は玄宗御自身が誅せられたということ。)
そうして周の宣王と後漢の光武帝は皆が期待した通り、聡明で事理に明るい君主であったので周や後漢は再興することができた。(新天子に即位した粛宗は明哲であるので唐は再興していくのだ。)
まことに桓々と勇武である、左竜武大将軍の陳将軍は。彼は天子から授けられた鉞をついて忠義な功しをふるわれたのである。
あの時もし左竜武大将軍の陳将軍が居なかったならば唐の人民はみんな今見るような安泰なものであることができなかったであろう、あなたのおかげで今も我が唐の国はいきることができるのである。』


(訳注)11
憶昨狼狽初,事與古先別。

昨年のことを思い出してみる、前年6月4日圧倒的に有利と見られていた王朝軍を率いる哥舒翰が潼関でが大敗した。都において慌てふためいて出奔の事変が起ったとき、朝廷でとられた御処置は昔の施策とはちがっていた。
億咋 咋とは玄宗の逃出の時をさす。756年6月13日夜明け前長安を逃げ出した。玄宗は貴妃姉妹、皇子、皇孫、楊国忠および側近の者だけを連れ、陳玄礼の率いる近衛兵に衛られて西に向かったことを示す。○狼狽 前日の会議に出席するものが少なく、朝廷はうろたえる、多くのものがにわかの出奔をいう。○ 朝廷のなした処置。施政をいう。○古先 むかし。○ ちがう。


奸臣竟菹醢,同惡隨蕩析。
我が朝では奸臣の代表する楊国忠は刑罰に処せられ、そのなかまの悪党らも追っ払い散らされてしまった。
○奸臣 楊国忠を代表としている。楊国忠のことは麗人行  杜甫漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 65に詳しい。

安禄山の乱と杜甫

菹醢 菹は野菜の町づけ。醢は肉をこうじ、しお、さけをまぜたものにつけたもの。これは国忠が刑罰に処せられその肉が潰けものにされたことをいう。○同悪 悪いことをともにしたものども、国忠の党類をいう。○蕩析 蕩ははらいのける、析はばらばらに離す。


不聞夏殷衰,中自誅褒妲。
諸君は夏殷の衰えたときのことを聞いたことはないか、宮廷の中で天子御自身で褒娰・妲己の悪女を誅されたのである。(楊貴妃は玄宗御自身が誅せられたということ。)
不聞 君不に聞乎の意、積極的に「聞かず」というのではなく、「聞かざるや」ともちかけていうのである。○夏殷、褒娰 妲己蜘は周の幽王の寵姫、妲己は殷の紂王の寵妃、王朝が滅亡する原因となった美女である。夏殷では時代が合わぬとて夏を周とすべしとの説があるが、拘わる必要はないであろう。褒姐は楊貴妃をあてていう。○ 宮中をいう。


周漢獲再興,宣光果明哲。
そうして周の宣王と後漢の光武帝は皆が期待した通り、聡明で事理に明るい君主であったので周や後漢は再興することができた。(新天子に即位した粛宗は明哲であるので唐は再興していくのだ。)
宜光 周の宜王、後漢の光武帝、これは粛宗にあてていう。○明哲 才智明かなこと。聡明で事理に明るいこと。この二句も倒句として解釈する。


桓桓陳將軍,仗鉞奮忠烈。
まことに桓々と勇武である、左竜武大将軍の陳将軍は。彼は天子から授けられた鉞をついて忠義な功しをふるわれたのである。
桓桓 勇武なさま。『詩経』周頌の桓に「桓桓たる武王」に基づく。○陳将軍 左竜武大将軍陳玄礼をいう。○仗鉞 ほことまさかりによる、武力を用いたこと。○奮忠烈 忠義な功しを奮うた。次の事実がある。玄宗が長安より逃れて興平県の馬嵬駅に至ったとき陳玄礼は将軍として従ったが、楊国忠を誅しようとして、吐蕃の使者に命じ国忠の馬を遮って食の無いことを訴えさせた。国忠がまだこれに答えぬうちに軍士等は呼ばわっていうのに国忠は反を謀ったと。遂に国忠を殺し槍を以て其の首を揚げた。玄宗は駅門に出て軍士を慰労し隊を収めさせたが、軍士は応じなかった。玄宗は高力士をしてそのわけを問わせたところ、玄礼が対えて曰うのに、国忠が反を謀った上は貴妃は供奉すべきではない、願わくは陛下よ、恩を割き法を正さんことを、と。玄宗は力士をして貴妃を仏堂にみちびかせて、彼女を絞殺させた。


微爾人盡非,於今國猶活。』
あの時もし左竜武大将軍の陳将軍が居なかったならば唐の人民はみんな今見るような安泰なものであることができなかったであろう、あなたのおかげで今も我が唐の国はいきることができるのである。』
○徴 無かったとするならば。○ 諌玄礼をさす。O人尽非 非とは今日見る所の如き人ではないことをいう。○国 唐の国家。

北征 #10(全12回) 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 217

北征 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 217
北徵 10回目(全12回)


#9までの要旨
757年粛宗の至徳二載の秋。特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許された。今、天下はどこでも治安が悪く、無政府状態のところ多くなっているのだ、だからわたしの胸中の心配は増えつづけていったい何時終わるのだろうか。
心配を胸に、最初は徒歩ですすんでいくと、わたしがこの路で出会うこの里の人々の多くは傷をうけていた。そしてやっと馬を駆ることができ、鳳翔の方を振り返るとはるか遠くの山々が重なっていた。少量を過ぎ、邠州を過ぎていた。彌満和深くなり猛虎の声が大空を破りそうな声で唸っているのだ。少し行くと菊が今年の秋の花を変わりなく咲かせていた。山中の果物が多く、橡の実や栗などがあり、「桃源」の伯郷のようだ。自分の処世のまずさと世の移ろいがうまくいっていないことをなげかわしくおもう。そのうちに秦の文公の祭壇を過ぎ、夜更けに戦場跡を通り過ぎた。たくさんの戦死者がそのままにされ、白骨が月明かりに照らされていた。
叛乱軍に掴まって長安に送られ、そこから鳳翔の行在所に逃げ、一年たって、戻ってきた。妻も子供も憐れな恰好であった。
嚢中の帛がないことで寒がってふるえている。それでもおしろいや眉墨をいれた包みものをひろげたので痩せた妻もその顔面に光があるようになった。
家へ帰ったばかりなのでわたしはこんな子供によって自分のこころを慰めている。
その頃、粛宗はウイグルに再度の援軍を要請した。五干人の兵を送り、馬一万匹を駆ってよこした。精鋭部隊であり、おかげで傾性は次第に回復してきた。しかし、世論はウイグルに援軍を出すことが高い代償を払うことになるのではないかと心配しているのだ。


banri11



9
至尊尚蒙塵,幾日休練卒?仰觀天色改,坐覺妖氛豁。
陰風西北來,慘澹隨回紇。其王願助順,其俗善馳突。
送兵五千人,驅馬一萬匹。此輩少為貴,四方服勇決。
所用皆鷹騰,破敵過箭疾。聖心頗虛佇,時議氣欲奪。』
10
伊洛指掌收,西京不足拔。
今後は伊水と洛水の地方、東都の洛陽は掌中の物を指す様にたやすく奪回することができるのだ。だから、長安になるとこれといった優れた大将がいないのでもっと簡単に抜き取れるというものだ。
官軍請深入,蓄銳可俱發。
王朝連合軍は官軍となり進んで叛乱軍の本拠地まで深く攻め入ろうと請け負ってくれている、鋭気を蓄えて回紇一緒に出発する連合軍とすることが良いのである。
此舉開青徐,旋瞻略恆碣。
この軍事同盟による回紇軍との連合を云い洛陽地方までを攻めおとすことは青州・徐州の方面を開くことになるのである。また五嶽の一つ恒山や碣石の門の両の精神的支柱をも略取することになるのである。
昊天積霜露,正氣有肅殺。
大いなる空には霜露が積もっているのだ、天地には正義、正道なる気配はひきしまり悪いものを枯らし、新しい準備をしているのだ。
禍轉亡胡歲,勢成擒胡月。
叛乱軍が皇帝を名乗り、年号を定めていることを滅亡させるときには今の禍は転じるのである。叛乱軍を檎にするときには王朝連合軍の攻める勢もできあがるであろう。
胡命其能久?皇綱未宜絕。』

叛乱軍、異民族らの命運はながつづきできるというものではない、天子の皇道は断絶してはならないはずのものである。』
11
憶昨狼狽初,事與古先別。奸臣竟菹醢,同惡隨蕩析。
不聞夏殷衰,中自誅褒妲。周漢獲再興,宣光果明哲。
桓桓陳將軍,仗鉞奮忠烈。微爾人盡非,於今國猶活。』

#9
至尊(しそん)は尚(な)お蒙塵(もうじん)す、幾の日か卒(そつ)を練るを休(や)めん。
仰いで天色(てんしょく)の改まるを観(み)、坐(そぞろ)に妖氛(ようふん)の豁(かつ)なるを覚(おぼ)ゆ。
陰風(いんぷう)  西北より来たり、惨澹(さんたん)として回紇(かいこつ)に随う。
其の王は助順(じょじゅん)を願い、其の俗(ぞく)は馳突(ちとつ)を善(よ)くす。
兵を送る  五千人、馬を駆(か)る  一万匹。
此の輩(はい) 少(わか)きを貴(とうと)しと為(な)し、四方(しほう) 勇決(ゆうけつ)に服す。
用うる所は皆な鷹(たか)のごとく騰(あが)り、敵を破ることは箭(や)の疾(と)きに過(す)ぐ。
聖心は頗(すこぶ)る虚佇(きょちょ)し、時議(じぎ)は気の奪われんと欲(ほっ)す。』

#10
伊洛(いらく)  掌(たなごころ)を指(さ)して収めん、西京(せいけい)も抜くに足らざらん。
官軍  深く入らんことを請(こ)う、鋭(えい)を蓄(たくわ)えて倶(とも)に発す可し。
此の挙(きょ)  青徐(せいじょ)を開かん、旋(たちま)ち恒碣(こうけつ)を略するを瞻(み)ん。
昊天(こうてん) 霜露を積み,正氣 肅殺(しゅくさつ)たる有り。
禍は轉ぜん 胡を亡ぼさん歲(とし),勢は成らん 胡を擒(とりこ)にせん月。
胡の命 其れ能く久しからんや?皇綱(こうこう)未だ宜しく絕つべからず。』

#11
憶う昨(さく) 狼狽(ろうばい)の初め,事は古先と別なり。
奸臣 竟に菹醢(そかい)せられ,同惡(どうあく)隨って蕩析(とうせき)す。
聞かず  夏殷(かいん)の衰えしとき、中(うち)の自ら褒妲(ほうだつ)を誅(ちゅう)せしを。
周漢(しゅうかん) 再興するを獲(え)しは、宣光(せんこう)  果たして明哲(めいてつ)なればなり。
桓桓(かんかん)たり  陳(ちん)将軍、鉞(えつ)に仗(よ)りて忠烈を奮(ふる)う。
爾(なんじ)微(な)かりせば人は尽(ことごと)く非(ひ)ならん、今に於(お)いて国は猶(な)お活(い)く。


現代語訳と訳註
(本文) 10
伊洛指掌收,西京不足拔。
官軍請深入,蓄銳可俱發。
此舉開青徐,旋瞻略恆碣。
昊天積霜露,正氣有肅殺。
禍轉亡胡歲,勢成擒胡月。
胡命其能久?皇綱未宜絕。』


(下し文) #10
伊洛(いらく)  掌(たなごころ)を指(さ)して収めん、西京(せいけい)も抜くに足らざらん。
官軍  深く入らんことを請(こ)う、鋭(えい)を蓄(たくわ)えて倶(とも)に発す可し。
此の挙(きょ)  青徐(せいじょ)を開かん、旋(たちま)ち恒碣(こうけつ)を略するを瞻(み)ん。
昊天(こうてん) 霜露を積み,正氣 肅殺(しゅくさつ)たる有り。
禍は轉ぜん 胡を亡ぼさん歲(とし),勢は成らん 胡を擒(とりこ)にせん月。
胡の命 其れ能く久しからんや?皇綱(こうこう)未だ宜しく絕つべからず。』


(現代語訳) ⑩
今後は伊水と洛水の地方、東都の洛陽は掌中の物を指す様にたやすく奪回することができるのだ。だから、長安になるとこれといった優れた大将がいないのでもっと簡単に抜き取れるというものだ。
王朝連合軍は官軍となり進んで叛乱軍の本拠地まで深く攻め入ろうと請け負ってくれている、鋭気を蓄えて回紇一緒に出発する連合軍とすることが良いのである。
この軍事同盟による回紇軍との連合を云い洛陽地方までを攻めおとすことは青州・徐州の方面を開くことになるのである。また五嶽の一つ恒山や碣石の門の両の精神的支柱をも略取することになるのである。
大いなる空には霜露が積もっているのだ、天地には正義、正道なる気配はひきしまり悪いものを枯らし、新しい準備をしているのだ。
叛乱軍が皇帝を名乗り、年号を定めていることを滅亡させるときには今の禍は転じるのである。叛乱軍を檎にするときには王朝連合軍の攻める勢もできあがるであろう。
叛乱軍、異民族らの命運はながつづきできるというものではない、天子の皇道は断絶してはならないはずのものである。』


(訳注)10
伊洛指掌收,西京不足拔。

今後は伊水と洛水の地方、東都の洛陽は掌中の物を指す様にたやすく奪回することができるのだ。だから、長安になるとこれといった優れた大将がいないのでもっと簡単に抜き取れるというものだ。
伊洛 伊水・洛水、共に洛陽付近を流れ、黄河に灌ぐ。○指掌収 手のひらにあるものを指さす如く容易に奪回する。○西京 長安。東都が洛陽であり、共に天子の在所がある。この時叛乱軍の都を洛陽としていて、両方の都がともに、抑えられていた。○不足抜 抜きとるほどのものがない、容易に抜くことができることをいう。


官軍請深入,蓄銳可俱發。
王朝連合軍は官軍となり進んで叛乱軍の本拠地まで深く攻め入ろうと請け負ってくれている、鋭気を蓄えて回紇一緒に出発する連合軍とすることが良いのである。
深入 叛乱軍の本拠地までふかく攻め入る。○蓄鋭 鋭気をたくわえる。○可倶発 倶発とは回紇の援兵といっしょに出発すること。


此舉開青徐,旋瞻略恆碣。
この軍事同盟による回紇軍との連合を云い洛陽地方までを攻めおとすことは青州・徐州の方面を開くことになるのである。また五嶽の一つ恒山や碣石の門の両の精神的支柱をも略取することになるのである。
此挙 この軍事同盟による回紇軍との連合を云い洛陽地方までを攻めおとすこと。○青徐 禹王の定めた天下の九州のうちの二州の名、青州・徐州は水陸の要衝であり、共に山東にある。O旋瞻 みるであろう。○略 取ること。○恆碣 恒山・碣石。恒山は山西省にあり、碣石は河北省の東北部境の海中にあったという石門。両方とも古来より精神的支柱になるもの。


昊天積霜露,正氣有肅殺。
大いなる空には霜露が積もっているのだ、天地には正義、正道なる気配はひきしまり悪いものを枯らし、新しい準備をしているのだ。
昊天 大いなる空、夏のそらを昊天といい、秋のそらを曼天という。○正気 正義、正道なる気。○粛殺 ひきしまり物を枯らす。


轉亡胡歲,勢成擒胡月。
叛乱軍が皇帝を名乗り、年号を定めていることを滅亡させるときには今の禍は転じるのである。叛乱軍を檎にするときには王朝連合軍の攻める勢もできあがるであろう。
禍転 禍が転じて福となることをいう。○ 叛乱軍をいう。○ 叛乱軍が皇帝を名乗り、年号を定めていること。 叛乱軍が宮殿をのっとっていること。ただ時のこと。○ 王朝連合軍の攻める勢。


胡命其能久?皇綱未宜絕。』
叛乱軍、異民族らの命運はながつづきできるというものではない、天子の皇道は断絶してはならないはずのものである。』
胡命 叛乱軍の運命。異民族の命運。○皇綱 天子の皇道をいう。叛乱軍の大義が決起の当初は一定程度あったのだが、安禄山が皇帝を名乗り、個利個略の争いをしたのである。その都度、政略の強いものが政権を担い殺し合ったのだ。このような叛乱軍が世の中を治めていく力はないといっているのだ。

blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首



800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/


唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

北征 #9(全12回) 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 216

北征 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 216

北徵 #9

#8までの要旨
757年粛宗の至徳二載の秋。特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許された。今、天下はどこでも治安が悪く、無政府状態のところ多くなっているのだ、だからわたしの胸中の心配は増えつづけていったい何時終わるのだろうか。
心配を胸に、最初は徒歩ですすんでいくと、わたしがこの路で出会うこの里の人々の多くは傷をうけていた。そしてやっと馬を駆ることができ、鳳翔の方を振り返るとはるか遠くの山々が重なっていた。少量を過ぎ、邠州を過ぎていた。彌満和深くなり猛虎の声が大空を破りそうな声で唸っているのだ。少し行くと菊が今年の秋の花を変わりなく咲かせていた。山中の果物が多く、橡の実や栗などがあり、「桃源」の伯郷のようだ。自分の処世のまずさと世の移ろいがうまくいっていないことをなげかわしくおもう。そのうちに秦の文公の祭壇を過ぎ、夜更けに戦場跡を通り過ぎた。たくさんの戦死者がそのままにされ、白骨が月明かりに照らされていた。
叛乱軍に掴まって長安に送られ、そこから鳳翔の行在所に逃げ、一年たって、戻ってきた。妻も子供も憐れな恰好であった。
嚢中の帛がないことで寒がってふるえている。それでもおしろいや眉墨をいれた包みものをひろげたので痩せた妻もその顔面に光があるようになった。
家へ帰ったばかりなのでわたしはこんな子供によって自分のこころを慰めている。
(全12回)


北徵(北征) 8
學母無不為,曉妝隨手抹。移時施朱鉛,狼籍畫眉闊。
生還對童稚,似欲忘饑渴。問事競挽須,誰能即嗔喝?
翻思在賊愁,甘受雜亂聒。新婦且慰意,生理焉得說?』
9
至尊尚蒙塵,幾日休練卒?
我が君にはまだ兵塵をさけて地方においでになる、いつになったら兵卒を訓練することをやめることができるだろう。
仰觀天色改,坐覺妖氛豁。
それでも上を仰いでみると天の色もいつも見るものとはかわった様子だ。そぞろになんだか兵乱の悪気が散らばりひろがる様な気がする。
陰風西北來,慘澹隨回紇。
西北の方から陰気な風が吹いてきた。その風はものがなしく回絃にくっついてきたのである。
其王願助順,其俗善馳突。
回紇の王は唐王朝軍を助けたいと願いでてくれた。回乾の習俗は馳突の騎兵船がうまい。
送兵五千人,驅馬一萬匹。
それが我が唐へ五干人の兵を送り、馬一万匹を駆ってよこした。
此輩少為貴,四方服勇決。
彼等は少壮なものを貴ぶ習慣で、彼の国の四方の者はその勇決に服従している。
所用皆鷹騰,破敵過箭疾。
彼等の用うる兵戎はみな鷹のように猛々しく獲物を狙う、いさましく敵軍をうち破ることは矢のはやさよりもはやい。
聖心頗虛佇,時議氣欲奪。』

世論は回紇などを援軍に使ってはと後難をおそれて気を奪われようとしているが、我が天子のお考えでは平気で彼等の援助をまっておられるのだ。』10
伊洛指掌收,西京不足拔。官軍請深入,蓄銳可俱發。
此舉開青徐,旋瞻略恆碣。昊天積霜露,正氣有肅殺。
禍轉亡胡歲,勢成擒胡月。胡命其能久?皇綱未宜絕。』

#8
母を学(まね)びて為(な)さざるは無く、曉妝(ぎょうしょう)  手に随(したが)いて抹す。
時(とき)を移して朱鉛(しゅえん)を施(ほどこ)せば、狼藉(ろうぜき)として画眉(がび)闊(ひろ)し。
生還して童稚(どうち)に対すれば、飢渇(きかつ)を忘れんと欲(ほっ)するに似たり。
事を問うて競(きそ)うて鬚(ひげ)を挽(ひ)くも、誰か能(よ)く即ち嗔喝(しんかつ)せん。
翻(ひるがえ)って賊に在りし愁いを思いて、甘んじて雑乱(ざつらん)の聒(かまびす)しきを受く。
新たに帰りて且(か)つ意を慰(なぐさ)む、生理(せいり)  焉(いずく)んぞ説くことを得ん。

#9
至尊(しそん)は尚(な)お蒙塵(もうじん)す、幾の日か卒(そつ)を練るを休(や)めん。
仰いで天色(てんしょく)の改まるを観(み)、坐(そぞろ)に妖氛(ようふん)の豁(かつ)なるを覚(おぼ)ゆ。
陰風(いんぷう)  西北より来たり、惨澹(さんたん)として回紇(かいこつ)に随う。
其の王は助順(じょじゅん)を願い、其の俗(ぞく)は馳突(ちとつ)を善(よ)くす。
兵を送る  五千人、馬を駆(か)る  一万匹。
此の輩(はい) 少(わか)きを貴(とうと)しと為(な)し、四方(しほう) 勇決(ゆうけつ)に服す。
用うる所は皆な鷹(たか)のごとく騰(あが)り、敵を破ることは箭(や)の疾(と)きに過(す)ぐ。
聖心は頗(すこぶ)る虚佇(きょちょ)し、時議(じぎ)は気の奪われんと欲(ほっ)す。』

#10
伊洛(いらく)  掌(たなごころ)を指(さ)して収めん、西京(せいけい)も抜くに足らざらん。
官軍  深く入らんことを請(こ)う、鋭(えい)を蓄(たくわ)えて倶(とも)に発す可し。
此の挙(きょ)  青徐(せいじょ)を開かん、旋(たちま)ち恒碣(こうけつ)を略するを瞻(み)ん。
昊天(こうてん) 霜露を積み,正氣 肅殺(しゅくさつ)たる有り。
禍は轉ぜん 胡を亡ぼさん歲(とし),勢は成らん 胡を擒(とりこ)にせん月。
胡の命 其れ能く久しからんや?皇綱(こうこう)未だ宜しく絕つべからず。』

現代語訳と訳註
(本文) 9
至尊尚蒙塵,幾日休練卒?
仰觀天色改,坐覺妖氛豁。
陰風西北來,慘澹隨回紇。
其王願助順,其俗善馳突。
送兵五千人,驅馬一萬匹。
此輩少為貴,四方服勇決。
所用皆鷹騰,破敵過箭疾。
聖心頗虛佇,時議氣欲奪。』


(下し文) #9
至尊(しそん)は尚(な)お蒙塵(もうじん)す、幾の日か卒(そつ)を練るを休(や)めん。
仰いで天色(てんしょく)の改まるを観(み)、坐(そぞろ)に妖氛(ようふん)の豁(かつ)なるを覚(おぼ)ゆ。
陰風(いんぷう)  西北より来たり、惨澹(さんたん)として回紇(かいこつ)に随う。
其の王は助順(じょじゅん)を願い、其の俗(ぞく)は馳突(ちとつ)を善(よ)くす。
兵を送る  五千人、馬を駆(か)る  一万匹。
此の輩(はい) 少(わか)きを貴(とうと)しと為(な)し、四方(しほう) 勇決(ゆうけつ)に服す。
用うる所は皆な鷹(たか)のごとく騰(あが)り、敵を破ることは箭(や)の疾(と)きに過(す)ぐ。
聖心は頗(すこぶ)る虚佇(きょちょ)し、時議(じぎ)は気の奪われんと欲(ほっ)す。』


(現代語訳) ⑨
我が君にはまだ兵塵をさけて地方においでになる、いつになったら兵卒を訓練することをやめることができるだろう。
それでも上を仰いでみると天の色もいつも見るものとはかわった様子だ。そぞろになんだか兵乱の悪気が散らばりひろがる様な気がする。
西北の方から陰気な風が吹いてきた。その風はものがなしく回絃にくっついてきたのである。
回紇の王は唐王朝軍を助けたいと願いでてくれた。回乾の習俗は馳突の騎兵船がうまい。
それが我が唐へ五干人の兵を送り、馬一万匹を駆ってよこした。
彼等は少壮なものを貴ぶ習慣で、彼の国の四方の者はその勇決に服従している。
彼等の用うる兵戎はみな鷹のように猛々しく獲物を狙う、いさましく敵軍をうち破ることは矢のはやさよりもはやい。
世論は回紇などを援軍に使ってはと後難をおそれて気を奪われようとしているが、我が天子のお考えでは平気で彼等の援助をまっておられるのだ。』


(訳注)北征9
至尊尚蒙塵,幾日休練卒?

我が君にはまだ兵塵をさけて地方においでになる、いつになったら兵卒を訓練することをやめることができるだろう。
至尊 天子。鳳翔に粛宗が行在所を置き。成都に玄宗が上皇としていた。○蒙塵 叛乱軍の勢いを示すものとして、蒙塵ということを叛乱軍の中にいた杜甫は感じていた。その兵乱をさけて外に出ておられるというやわらかい表現をしている。○幾日 何日と同じ。○練卒 兵卒を訓練すること。


仰觀天色改,坐覺妖氛豁。
それでも上を仰いでみると天の色もいつも見るものとはかわった様子だ。そぞろになんだか兵乱の悪気が散らばりひろがる様な気がする。
天色改 そらの色がかわる。○妖氛 兵乱の悪気。叛乱軍の異民族の生活習慣が異なっていること、特に当時の中国に来ているイスラムの白い帽子は、北方の騎馬民族の毛の帽子など怖がられた。○ ひろがり散ずること。


陰風西北來,慘澹隨回紇。
西北の方から陰気な風が吹いてきた。その風はものがなしく回絃にくっついてきたのである。
陰風 陰気な風。○西北 回紇の方位。○慘澹 ものがなしく。○回紇 ウイグルの異民族の軍隊。


其王願助順,其俗善馳突。
回紇の王は唐王朝軍を助けたいと願いでてくれた。回乾の習俗は馳突の騎兵船がうまい。
其王 其は回紇をさす。王は第2代 可汗・磨延畷(葛 勒可汗)のこと○願助順 叛乱軍は道に逆らうものであり、王朝軍は理に順うものである。順とは唐の王朝のつながり順、王朝軍をさす、回紇は唐王朝軍を助けようと願いでた。(実際には回紇は当初は両方に軍を出兵させる状態であった。) 史によると至徳元載10月に回紇は其の太子葉護を遺わし、兵四干を率いて唐を助けて賊を討った。可敦(カトン;可汗の正妻)の妹を妾(めあわ)自分の娘とした上で、これを承粟に嬰す。さらにウイグルの首領を答礼の使者として派遣してきたので、粛宗はこれを彭原に出迎え、ウ イグル王女を砒伽公主 に封じた.。○其俗 回紇ウイグルの習俗。○善馳突 馬を馳せて突出するにじょうずである。ウイグルは大宛国であり名馬の産地であり、騎馬民族の兵術。

送兵五千人,驅馬一萬匹。
それが我が唐へ五干人の兵を送り、馬一万匹を駆ってよこした。


此輩少為貴,四方服勇決。
彼等は少壮なものを貴ぶ習慣で、彼の国の四方の者はその勇決に服従している。
此輩 回紇の兵をさす。○少為貴 少壮なものを貴しとする。「漢書」の匈奴伝に「壮者ハ肥美ヲ食シ老者ハ其ノ余ヲ飲食シ、壮健ヲ貴ビ老弱ヲ賤ム。」とみえる。回紇はそれと同じ。騎馬民族であるため、騎兵船は個人技を重視する。○四方 回紇の四面の国々。宗教的なことを意味するもの。○ 服従する。○勇決 回紇の勇敢、果決。


所用皆鷹騰,破敵過箭疾。
彼等の用うる兵戎はみな鷹のように猛々しく獲物を狙う、いさましく敵軍をうち破ることは矢のはやさよりもはやい。
所用 回紇の使用する兵戎。○鷹騰 鷹のように猛々しく獲物を狙う、いさましいことをいう。○過箭疾 矢のはやく疾風騎馬軍がまさる。


聖心頗虛佇,時議氣欲奪。』
世論は回紇などを援軍に使ってはと後難をおそれて気を奪われようとしているが、我が天子のお考えでは平気で彼等の援助をまっておられるのだ。』
○聖心頗虚佇、時議気欲奪 此の二句は倒句でよむ。時議は当時の議論、即ち世論をいう。気奪われんと欲すはこちらの意気が先方に奪われようとする。回乾の援兵をかりては後のたたりが恐ろしいということで気が気でなくおもうことをいう。・聖心は太子の御意。虚佇とは自己をむなしくして、即ち平気で、回紇が助けるというなら助けてもらおうとまちかまえられることをいう。(757年15万にふくれあがった唐軍は,広平王・淑 を総帥とし,鳳翔を出発.扶風で ウイグル軍を出迎 えた郭子儀は,3日 間の大宴会で接待.以 後,ウイグル軍には食料として毎日,羊200匹,牛20頭,米40石 が支給さるなど、戦いの後を予感させるものであった。1年前の霊武に行在所を置いている段階で朔方軍の郭子儀だけでウイグルの援軍がなかったら唐王朝は滅亡したかもしれないのだ。その早い段階でウイグルに応援を求めたことが滅亡を防いだのだ。しかしどの段階でも王朝軍の方が兵力的には勝っていた。杜甫は、天子が詩土砂をリードする力量にかけていたと思っていたようだ。.ここまでの分を見ても粛宗は杜甫に嫌悪を抱いたであろうと思われる。)

hinode0200

blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首



800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/



唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

北征 #8(全12回) 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 215

北征 #8 (北征全12回) 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 215


北徵 #8

#7までのあらすじ
757年粛宗の至徳二載の秋。特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許された。今、天下はどこでも治安が悪く、無政府状態のところ多くなっているのだ、だからわたしの胸中の心配は増えつづけていったい何時終わるのだろうか。
心配を胸に、最初は徒歩ですすんでいくと、わたしがこの路で出会うこの里の人々の多くは傷をうけていた。そしてやっと馬を駆ることができ、鳳翔の方を振り返るとはるか遠くの山々が重なっていた。少量を過ぎ、邠州を過ぎていた。彌満和深くなり猛虎の声が大空を破りそうな声で唸っているのだ。少し行くと菊が今年の秋の花を変わりなく咲かせていた。山中の果物が多く、橡の実や栗などがあり、「桃源」の伯郷のようだ。自分の処世のまずさと世の移ろいがうまくいっていないことをなげかわしくおもう。そのうちに秦の文公の祭壇を過ぎ、夜更けに戦場跡を通り過ぎた。たくさんの戦死者がそのままにされ、白骨が月明かりに照らされていた。
叛乱軍に掴まって長安に送られ、そこから鳳翔の行在所に逃げ、一年たって、戻ってきた。妻も子供も憐れな恰好であった。
嚢中の帛がないことで寒がってふるえている。それでもおしろいや眉墨をいれた包みものをひろげたので痩せた妻もその顔面に光があるようになった。

(全12回)

北徵(北征) 7
海圖拆波濤,舊繡移曲折。天吳及紫鳳,顛倒在短褐。
老夫情懷惡,數日臥嘔泄。那無囊中帛,救汝寒凜栗?
粉黛亦解苞,衾裯稍羅列。瘦妻面複光,癡女頭自櫛。
8
學母無不為,曉妝隨手抹。
むすめどもは母のすることならなんでもまねをして、朝の顔のおつくりにも手あたりしだいになにかかおになすりつける。
移時施朱鉛,狼籍畫眉闊。
ややしばらく時がたってから、口紅や白粉をつけるが、できたところを見るとまぬけた幅広に書き眉をしているのである。
生還對童稚,似欲忘饑渴。
自分は生きてかえって子供らに対している、ひもじさも枯渇した体のことも忘れるほどにしてくれる。
問事競挽須,誰能即嗔喝?
彼等がものめずらしげに自分に何かをたずねてくる、たがいに争うてわたしの顎ひげをひっぱったりするが、だれがすぐにそれをどなりつけたりすることができようか。
翻思在賊愁,甘受雜亂聒。
叛乱軍の中につかまっていたときの愁のことをかんがえれば翻って見て、現在のがやがややかましいぐらいのことは自分の甘んじて受ける所である。
新婦且慰意,生理焉得說?』

家へ帰ったばかりなのでわたしはこんな子供によって自分のこころを慰めている。暮しむきのことなどどうして口から説明することなどできるものではない。』
9
至尊尚蒙塵,幾日休練卒?仰觀天色改,坐覺妖氛豁。
陰風西北來,慘澹隨回紇。其王願助順,其俗善馳突。
送兵五千人,驅馬一萬匹。此輩少為貴,四方服勇決。
所用皆鷹騰,破敵過箭疾。聖心頗虛佇,時議氣欲奪。』

#7
海図(かいず)は波涛を拆(さ)き、旧繍(きゅうしゅう)は移りて曲折(きょくせつ)たり。
天呉(てんご)  及び紫鳳(しほう)、顛倒(てんとう)して裋褐(じゅかつ)に在り。
老父  情懐(じょうかい)悪(あ)しく、嘔泄(おうせつ)して臥(ふ)すこと数日なり。
那(なん)ぞ囊中(のうちゅう)の帛(きぬ)無からんや、汝(なんじ)の寒くして凛慄(りんりつ)たるを救わん。
粉黛(ふんたい) 亦た苞(つつみ)を解き、衾裯(きんちゅう) 稍(やや)羅列(られつ)す。
痩妻は面(おもて)をば復(ま)た光(かがや)かせ、痴女(ちじょ)は頭(こうべ)をば自ら櫛(くし)けずる。

#8
母を学(まね)びて為(な)さざるは無く、曉妝(ぎょうしょう)  手に随(したが)いて抹す。
時(とき)を移して朱鉛(しゅえん)を施(ほどこ)せば、狼藉(ろうぜき)として画眉(がび)闊(ひろ)し。
生還して童稚(どうち)に対すれば、飢渇(きかつ)を忘れんと欲(ほっ)するに似たり。
事を問うて競(きそ)うて鬚(ひげ)を挽(ひ)くも、誰か能(よ)く即ち嗔喝(しんかつ)せん。
翻(ひるがえ)って賊に在りし愁いを思いて、甘んじて雑乱(ざつらん)の聒(かまびす)しきを受く。
新たに帰りて且(か)つ意を慰(なぐさ)む、生理(せいり)  焉(いずく)んぞ説くことを得ん。

#9
至尊(しそん)は尚(な)お蒙塵(もうじん)す、幾の日か卒(そつ)を練るを休(や)めん。
仰いで天色(てんしょく)の改まるを観(み)、坐(そぞろ)に妖氛(ようふん)の豁(かつ)なるを覚(おぼ)ゆ。
陰風(いんぷう)  西北より来たり、惨澹(さんたん)として回紇(かいこつ)に随う。
其の王は助順(じょじゅん)を願い、其の俗(ぞく)は馳突(ちとつ)を善(よ)くす。
兵を送る  五千人、馬を駆(か)る  一万匹。
此の輩(はい) 少(わか)きを貴(とうと)しと為(な)し、四方(しほう) 勇決(ゆうけつ)に服す。
用うる所は皆な鷹(たか)のごとく騰(あが)り、敵を破ることは箭(や)の疾(と)きに過(す)ぐ。
聖心は頗(すこぶ)る虚佇(きょちょ)し、時議(じぎ)は気の奪われんと欲(ほっ)す。』

sas0011


現代語訳と訳註 北征 8
(本文) 8

學母無不為,曉妝隨手抹。
移時施朱鉛,狼籍畫眉闊。
生還對童稚,似欲忘饑渴。
問事競挽須,誰能即嗔喝?
翻思在賊愁,甘受雜亂聒。
新婦且慰意,生理焉得說?』


(下し文)#8
母を学(まね)びて為(な)さざるは無く、曉妝(ぎょうしょう)  手に随(したが)いて抹す。
時(とき)を移して朱鉛(しゅえん)を施(ほどこ)せば、狼藉(ろうぜき)として画眉(がび)闊(ひろ)し。
生還して童稚(どうち)に対すれば、飢渇(きかつ)を忘れんと欲(ほっ)するに似たり。
事を問うて競(きそ)うて鬚(ひげ)を挽(ひ)くも、誰か能(よ)く即ち嗔喝(しんかつ)せん。
翻(ひるがえ)って賊に在りし愁いを思いて、甘んじて雑乱(ざつらん)の聒(かまびす)しきを受く。
新たに帰りて且(か)つ意を慰(なぐさ)む、生理(せいり)  焉(いずく)んぞ説くことを得ん。

(現代語訳)⑧
むすめどもは母のすることならなんでもまねをして、朝の顔のおつくりにも手あたりしだいになにかかおになすりつける。
ややしばらく時がたってから、口紅や白粉をつけるが、できたところを見るとまぬけた幅広に書き眉をしているのである。
自分は生きてかえって子供らに対している、ひもじさも枯渇した体のことも忘れるほどにしてくれる。
彼等がものめずらしげに自分に何かをたずねてくる、たがいに争うてわたしの顎ひげをひっぱったりするが、だれがすぐにそれをどなりつけたりすることができようか。
叛乱軍の中につかまっていたときの愁のことをかんがえれば翻って見て、現在のがやがややかましいぐらいのことは自分の甘んじて受ける所である。
家へ帰ったばかりなのでわたしはこんな子供によって自分のこころを慰めている。暮しむきのことなどどうして口から説明することなどできるものではない。』


tsuki0882

(訳注)8
學母無不為,曉妝隨手抹。

むすめどもは母のすることならなんでもまねをして、朝の顔のおつくりにも手あたりしだいになにかかおになすりつける。
 杜甫の妻、子供らの母をさす。○無不為 一々みなする。○暁赦 あさの顔のおつくり。○随手抹 手あたりしだいになすりつける。


移時施朱鉛,狼籍畫眉闊。
ややしばらく時がたってから、口紅や白粉をつけるが、できたところを見るとまぬけた幅広に書き眉をしているのである。
移時 やや少しの時間がたって。○施朱鉛 朱は口紅をいう。鉛はなまり、おしろいの粉をいう。施とはぬること。○狼籍 しどろもどろに。○画眉闊 まのぬけたほど幅広に書き眉をする。


生還對童稚,似欲忘饑渴。
自分は生きてかえって子供らに対している、ひもじさも枯渇した体のことも忘れるほどにしてくれる。
生還 生きてもどる。○童稚 こども、おさなご。


問事競挽須,誰能即嗔喝?
彼等がものめずらしげに自分に何かをたずねてくる、たがいに争うてわたしの顎ひげをひっぱったりするが、だれがすぐにそれをどなりつけたりすることができようか。
問事 子どもらがなにかたずねる。○競挽須 きそうて顎のひげをひっぱる。○即 すぐさま。○嗔喝 本気で怒声をだしてどなりつける。


翻思在賊愁,甘受雜亂聒。
叛乱軍の中につかまっていたときの愁のことをかんがえれば翻って見て、現在のがやがややかましいぐらいのことは自分の甘んじて受ける所である。
○翻 ひるがえって。○在賊愁 叛乱軍のなかにつかまっていたころの愁。○甘受 平気でうける。○雑乱 ごたごた。


新歸且慰意,生理焉得說?』
家へ帰ったばかりなのでわたしはこんな子供によって自分のこころを慰めている。暮しむきのことなどどうして口から説明することなどできるものではない。』
○脂 やかましい。○生理 生きていく本来のもの。ここではくらしむきのこと。

hinode0200

唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02


北征 #7(全12回) 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 214

北征 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 214

北徵 #7(全12回)

#6までのあらすじ
757年粛宗の至徳二載の秋。特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許された。今、天下はどこでも治安が悪く、無政府状態のところ多くなっているのだ、だからわたしの胸中の心配は増えつづけていったい何時終わるのだろうか。
心配を胸に、最初は徒歩ですすんでいくと、わたしがこの路で出会うこの里の人々の多くは傷をうけていた。そしてやっと馬を駆ることができ、鳳翔の方を振り返るとはるか遠くの山々が重なっていた。少量を過ぎ、邠州を過ぎていた。彌満和深くなり猛虎の声が大空を破りそうな声で唸っているのだ。少し行くと菊が今年の秋の花を変わりなく咲かせていた。山中の果物が多く、橡の実や栗などがあり、「桃源」の伯郷のようだ。自分の処世のまずさと世の移ろいがうまくいっていないことをなげかわしくおもう。そのうちに秦の文公の祭壇を過ぎ、夜更けに戦場跡を通り過ぎた。たくさんの戦死者がそのままにされ、白骨が月明かりに照らされていた。
叛乱軍に掴まって長安に送られ、そこから鳳翔の行在所に逃げ、一年たって、戻ってきた。妻も子供も憐れな恰好であった。

6
況我墮胡塵,及歸盡華發。經年至茅屋,妻子衣百結。
慟哭松聲回,悲泉共幽咽。平生所嬌兒,顏色白勝雪。
見耶背面啼,垢膩腳不襪。床前兩小女,補綴才過膝。
7
海圖拆波濤,舊繡移曲折。
彼女等は上着の「ちょっき」をきているがそれは模様の海図の波濤はひきさかれているし、繍い模様の位置がうつっていて曲ったり折れたりしている。
天吳及紫鳳,顛倒在短褐。
すなわち天呉の絵、紫鳳のかたちに及んでいる、丈が短くなった粗末な毛織りの上にきる「ちょっき」の上であちこち顛倒してみえている。
老夫情懷惡,數日臥嘔泄。
これをみてはわたしは胸のうちがきもちわるくなって、はいたり、くだしたりして、二三日は臥せてしまった。
那無囊中帛,救汝寒凜栗?
どうしてわたしに汝等が嚢中の帛がないことで寒がってふるえているのを救うことのできうることができるというのか。
粉黛亦解苞,衾裯稍羅列。
それでもおしろいや眉墨をいれた包みものがほどかれるやら、かいまきや、ひとえ寝まきもだんだんとならべられた。
瘦妻面複光,癡女頭自櫛。

痩せた妻もその顔面に光があるようになった、としわの行かない娘たちも自分自身で頭の髪をとかしたりした。

8
學母無不為,曉妝隨手抹。移時施朱鉛,狼籍畫眉闊。
生還對童稚,似欲忘饑渴。問事競挽須,誰能即嗔喝?
翻思在賊愁,甘受雜亂聒。新婦且慰意,生理焉得說?』

#6
況(いわ)んや我は胡塵(こじん)に堕(お)ち、帰るに及んで尽(ことごと)く華髪(かはつ)なり。
年(とし)を経(へ)て茅屋(ぼうおく)に至れば、妻子  衣(ころも)は百結(ひゃくけつ)なり。
慟哭(どうこく)すれば松声(しょうせい)廻(めぐ)り、悲泉(ひせん)は共に幽咽(ゆうえつ)す。
平生(へいぜい)  嬌(きょう)とする所の児(じ)、顔色(がんしょく)  白くして雪にも勝(まさ)る。
耶(ちち)を見て面(おもて)を背(そむ)けて啼(な)く、垢膩(こうじ)して脚(あし)に襪(たび)はかず。
床前(しょうぜん)の両小女、補綴(ほてつ)して 才(わず)かに膝(ひざ)を過ごす。
#7
海図(かいず)は波涛を拆(さ)き、旧繍(きゅうしゅう)は移りて曲折(きょくせつ)たり。
天呉(てんご)  及び紫鳳(しほう)、顛倒(てんとう)して裋褐(じゅかつ)に在り。
老父  情懐(じょうかい)悪(あ)しく、嘔泄(おうせつ)して臥(ふ)すこと数日なり。
那(なん)ぞ囊中(のうちゅう)の帛(きぬ)無からんや、汝(なんじ)の寒くして凛慄(りんりつ)たるを救わん。
粉黛(ふんたい) 亦た苞(つつみ)を解き、衾裯(きんちゅう) 稍(やや)羅列(られつ)す。
痩妻は面(おもて)をば復(ま)た光(かがや)かせ、痴女(ちじょ)は頭(こうべ)をば自ら櫛(くし)けずる。

#8
母を学(まね)びて為(な)さざるは無く、曉妝(ぎょうしょう)  手に随(したが)いて抹す。
時(とき)を移して朱鉛(しゅえん)を施(ほどこ)せば、狼藉(ろうぜき)として画眉(がび)闊(ひろ)し。
生還して童稚(どうち)に対すれば、飢渇(きかつ)を忘れんと欲(ほっ)するに似たり。
事を問うて競(きそ)うて鬚(ひげ)を挽(ひ)くも、誰か能(よ)く即ち嗔喝(しんかつ)せん。
翻(ひるがえ)って賊に在りし愁いを思いて、甘んじて雑乱(ざつらん)の聒(かまびす)しきを受く。
新たに帰りて且(か)つ意を慰(なぐさ)む、生理(せいり)  焉(いずく)んぞ説くことを得ん。


現代語訳と訳註
(本文)

海圖拆波濤,舊繡移曲折。
天吳及紫鳳,顛倒在短褐。
老夫情懷惡,數日臥嘔泄。
那無囊中帛,救汝寒凜栗?
粉黛亦解苞,衾裯稍羅列。
瘦妻面複光,癡女頭自櫛。


(下し文) #7
海図(かいず)は波涛を拆(さ)き、旧繍(きゅうしゅう)は移りて曲折(きょくせつ)たり。
天呉(てんご)  及び紫鳳(しほう)、顛倒(てんとう)して裋褐(じゅかつ)に在り。
老父  情懐(じょうかい)悪(あ)しく、嘔泄(おうせつ)して臥(ふ)すこと数日なり。
那(なん)ぞ囊中(のうちゅう)の帛(きぬ)無からんや、汝(なんじ)の寒くして凛慄(りんりつ)たるを救わん。
粉黛(ふんたい) 亦た苞(つつみ)を解き、衾裯(きんちゅう) 稍(やや)羅列(られつ)す。
痩妻は面(おもて)をば復(ま)た光(かがや)かせ、痴女(ちじょ)は頭(こうべ)をば自ら櫛(くし)けずる。

(現代語訳)
彼女等は上着の「ちょっき」をきているがそれは模様の海図の波濤はひきさかれているし、繍い模様の位置がうつっていて曲ったり折れたりしている。
すなわち天呉の絵、紫鳳のかたちに及んでいる、丈が短くなった粗末な毛織りの上にきる「ちょっき」の上であちこち顛倒してみえている。
これをみてはわたしは胸のうちがきもちわるくなって、はいたり、くだしたりして、二三日は臥せてしまった。
どうしてわたしに汝等が嚢中の帛がないことで寒がってふるえているのを救うことのできうることができるというのか。
それでもおしろいや眉墨をいれた包みものがほどかれるやら、かいまきや、ひとえ寝まきもだんだんとならべられた。
痩せた妻もその顔面に光があるようになった、としわの行かない娘たちも自分自身で頭の髪をとかしたりした。


(訳注)⑦
海圖拆波濤,舊繡移曲折。
彼女等は上着の「ちょっき」をきているがそれは模様の海図の波濤はひきさかれているし、繍い模様の位置がうつっていて曲ったり折れたりしている。
波濤 図の模様。○旧綸 ふるいぬいとり、これは著もののきれ地にぬいをしたもの。○移曲折 場所がかわっておれまがる。


天吳及紫鳳,顛倒在短褐。
すなわち天呉の絵、紫鳳のかたちに及んでいる、丈が短くなった粗末な毛織りの上にきる「ちょっき」の上であちこち顛倒してみえている。
天呉「山海経」にみえる勤物、かっぱの類、虎身人面、八首八足八尾、背青黄色のものである。○紫鳳 紫毛ある鳳凰。天呉も紫鳳もみな繍の模様。○顛倒 位置がひっくりかえる。○短褐 丈が短くなった粗末な毛織りの上にきるちょっき。


老夫情懷惡,數日臥嘔泄。
これをみてはわたしは胸のうちがきもちわるくなって、はいたり、くだしたりして、二三日は臥せてしまった。
○老夫 おやじ、杜甫自ずからをいう。○情懐悪 むねのうちが気持ちがわるくなること。○嘔泄 はいたり、くだしたりする。


那無囊中帛,救汝寒凜栗?
どうしてわたしに汝等が嚢中の帛がないことで寒がってふるえているのを救うことのできうることができるというのか。
嚢中帛 ふくろの中のきぬ。○ こどもらをさす。○凛慄 ぶるぶるふるえる。○倒句として解釈する。


粉黛亦解苞,衾裯稍羅列。
それでもおしろいや眉墨をいれた包みものがほどかれるやら、かいまきや、ひとえ寝まきもだんだんとならべられた。
粉黛 おしろい、まゆずみ。○解苑 葱は包の仮借字、つつみものをいう、解はほどくこと。○衾裯 衾はかいまき、裯はひとえねまき。○ ようやく、しだいに。○羅列 ならべられる。


瘦妻面複光,癡女頭自櫛。
痩せた妻もその顔面に光があるようになった、としわの行かない娘たちも自分自身で頭の髪をとかしたりした。
痩妻 やせたつま。○面復光 すこしかおにつやがでる。○癡女 智意のゆかぬむすめ。○ かみをとかす。


blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首



800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/


唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

北征 #6(全12回)杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 213

北征 #6(全12回)杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 213

北徵 #6(全12回)

#5までのあらすじ
757年粛宗の至徳二載の秋。特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許された。今、天下はどこでも治安が悪く、無政府状態のところ多くなっているのだ、だからわたしの胸中の心配は増えつづけていったい何時終わるのだろうか。
心配を胸に、最初は徒歩ですすんでいくと、わたしがこの路で出会うこの里の人々の多くは傷をうけていた。そしてやっと馬を駆ることができ、鳳翔の方を振り返るとはるか遠くの山々が重なっていた。少量を過ぎ、邠州を過ぎていた。彌満和深くなり猛虎の声が大空を破りそうな声で唸っているのだ。少し行くと菊が今年の秋の花を変わりなく咲かせていた。山中の果物が多く、橡の実や栗などがあり、「桃源」の伯郷のようだ。自分の処世のまずさと世の移ろいがうまくいっていないことをなげかわしくおもう。そのうちに秦の文公の祭壇を過ぎ、夜更けに戦場跡を通り過ぎた。たくさんの戦死者がそのままにされ、白骨が月明かりに照らされていた。

 
北徵(北征) 6
#5
坡陀望鄜畤,岩穀互出沒。我行已水濱,我僕猶木末。
鴟梟鳴黃桑,野鼠拱亂穴。夜深經戰場,寒月照白骨。
潼關百萬師,往者敗何卒?遂令半秦民,殘害為異物。』

#6
況我墮胡塵,及歸盡華發。
まして、わたしは蘆子関から霊武に向かう際、安史軍・叛乱軍に掴まってしまった。そのためそれを逃れていろいろあり、いま家へ帰るにあたって、自分の髪の毛がすっかり白髪になってしまっているのだ。
經年至茅屋,妻子衣百結。
掴まってから一年目に鄜州羌村の茅星へ来てみると妻や子はぼろをつぎあわせた衣をきている。
慟哭松聲回,悲泉共幽咽。
慟哭すると松風の声が吹きめぐり、悲しげな泉の水さえ自分等とともにむせびなきしている。
平生所嬌兒,顏色白勝雪。
ひごろ甘やかして威張らせておいたいたずらっ子の男の子どもは栄養不良で顔色が雪よりもまっ白である。
見耶背面啼,垢膩腳不襪。
彼はこのおやじのわたしを見てそっぽを向いて泣き出すしまつだ。みると彼の脚は垢や油が汚く付いていて、くつたびもはいていないのだ。
牀前兩小女,補綴才過膝。
寝る牀の前には二人の女の子がいるが、彼女等はほころびをつづりあわせた著物をきているがその着丈はやっと膝がかくれるほどである。

7
海圖拆波濤,舊繡移曲折。天吳及紫鳳,顛倒在短褐。
老夫情懷惡,數日臥嘔泄。那無囊中帛,救汝寒凜栗?
粉黛亦解苞,衾裯稍羅列。瘦妻面複光,癡女頭自櫛。

#5
坡陀(はだ)として鄜畤を望めば,岩穀(がんこく)互いに出沒す。
我が行 已に水濱(すいひん),我が僕(ぼく)猶 木末(ぼくまつ)。
鴟梟(しちょう)は黄桑(こうそう)に鳴き、野鼠(やそ)は乱穴(らんけつ)に拱(きょう)す。
夜 深(ふ)けて戦場を経(ふ)れば、寒月(かんげつ)  白骨を照らす。
潼関(どうかん)  百万の師(いくさ)、往者(さきには) 散ずるところ何ぞ卒(すみや)かなりし。
遂に半秦(はんしん)の民をして、残害(ざんがい)して異物と為(な)らしむ。』

#6
況(いわ)んや我は胡塵(こじん)に堕(お)ち、帰るに及んで尽(ことごと)く華髪(かはつ)なり。
年(とし)を経(へ)て茅屋(ぼうおく)に至れば、妻子  衣(ころも)は百結(ひゃくけつ)なり。
慟哭(どうこく)すれば松声(しょうせい)廻(めぐ)り、悲泉(ひせん)は共に幽咽(ゆうえつ)す。
平生(へいぜい)  嬌(きょう)とする所の児(じ)、顔色(がんしょく)  白くして雪にも勝(まさ)る。
耶(ちち)を見て面(おもて)を背(そむ)けて啼(な)く、垢膩(こうじ)して脚(あし)に襪(たび)はかず。
床前(しょうぜん)の両小女、補綴(ほてつ)して 才(わず)かに膝(ひざ)を過ごす。

#7
海図(かいず)は波涛を拆(さ)き、旧繍(きゅうしゅう)は移りて曲折(きょくせつ)たり。
天呉(てんご)  及び紫鳳(しほう)、顛倒(てんとう)して裋褐(じゅかつ)に在り。
老父  情懐(じょうかい)悪(あ)しく、嘔泄(おうせつ)して臥(ふ)すこと数日なり。
那(なん)ぞ囊中(のうちゅう)の帛(きぬ)無からんや、汝(なんじ)の寒くして凛慄(りんりつ)たるを救わん。
粉黛(ふんたい) 亦た苞(つつみ)を解き、衾裯(きんちゅう) 稍(やや)羅列(られつ)す。
痩妻は面(おもて)をば復(ま)た光(かがや)かせ、痴女(ちじょ)は頭(こうべ)をば自ら櫛(くし)けずる。

現代語訳と訳註
(本文)

況我墮胡塵,及歸盡華發。
經年至茅屋,妻子衣百結。
慟哭松聲回,悲泉共幽咽。
平生所嬌兒,顏色白勝雪。
見耶背面啼,垢膩腳不襪。
床前兩小女,補綴才過膝。

(下し文) #6
況(いわ)んや我は胡塵(こじん)に堕(お)ち、帰るに及んで尽(ことごと)く華髪(かはつ)なり。
年(とし)を経(へ)て茅屋(ぼうおく)に至れば、妻子  衣(ころも)は百結(ひゃくけつ)なり。
慟哭(どうこく)すれば松声(しょうせい)廻(めぐ)り、悲泉(ひせん)は共に幽咽(ゆうえつ)す。
平生(へいぜい)  嬌(きょう)とする所の児(じ)、顔色(がんしょく)  白くして雪にも勝(まさ)る。
耶(ちち)を見て面(おもて)を背(そむ)けて啼(な)く、垢膩(こうじ)して脚(あし)に襪(たび)はかず。
床前(しょうぜん)の両小女、補綴(ほてつ)して 才(わず)かに膝(ひざ)を過ごす。

(現代語訳) 
まして、わたしは蘆子関から霊武に向かう際、安史軍・叛乱軍に掴まってしまった。そのためそれを逃れていろいろあり、いま家へ帰るにあたって、自分の髪の毛がすっかり白髪になってしまっているのだ。
掴まってから一年目に鄜州羌村の茅星へ来てみると妻や子はぼろをつぎあわせた衣をきている。
慟哭すると松風の声が吹きめぐり、悲しげな泉の水さえ自分等とともにむせびなきしている。
ひごろ甘やかして威張らせておいたいたずらっ子の男の子どもは栄養不良で顔色が雪よりもまっ白である。
彼はこのおやじのわたしを見てそっぽを向いて泣き出すしまつだ。みると彼の脚は垢や油が汚く付いていて、くつたびもはいていないのだ。
寝る牀の前には二人の女の子がいるが、彼女等はほころびをつづりあわせた著物をきているがその着丈はやっと膝がかくれるほどである。


(訳注) 北征 #6
況我墮胡塵,及歸盡華發。

まして、わたしは蘆子関から霊武に向かう際、安史軍・叛乱軍に掴まってしまった。そのためそれを逃れていろいろあり、いま家へ帰るにあたって、自分の髪の毛がすっかり白髪になってしまっているのだ。
堕胡塵 えびすの塵のなかにおちる。安史軍(安禄山軍、史忠明軍、異民族軍、潘鎮諸公軍などこのブログでは、官軍・賊軍という表現はしない<官軍といわれる軍も、唐王朝の軍、当初は、朔方軍とウイグル軍主体であった。杜甫は、王朝軍を建て直すことをしないでウイグルに援軍を求めたことを諌めている。>)の中に陥ったことをいう。蘆子関には、史忠明の軍が抑えており、霊武の郭子儀の朔方軍に粛宗が行在所を置いていた。杜甫は、家族を羌村において北に向かって蘆子関を前に盗賊に馬を奪われ、隠れているところを掴まった。このいきさつは、

王砅「送重表姪王秋評事便南海」 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 131

彭衙行 杜甫 132 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132 -#1

塞蘆子 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 195

を参照されたい。
 鄜州羌村へ帰る。○華髪 しらが。


經年至茅屋,妻子衣百結。
掴まってから一年目に鄜州羌村の茅星へ来てみると妻や子はぼろをつぎあわせた衣をきている。
経年 年すぎて。ここでは、一年後。○茅屋 かやぶきの家。○百結 むすびめだらけ。破れたところ、擦り切れたところを継ぎ接ぎする事をいう。


慟哭松聲回,悲泉共幽咽。
慟哭すると松風の声が吹きめぐり、悲しげな泉の水さえ自分等とともにむせびなきしている。
慟哭 悲しみのあまり、声をはりあげて泣き叫ぶこと。○松声廻 廻とは風がこだまのように響き渡ること、松声は松かぜのおと。○悲泉 かなしめるが如き泉のおと。○ 我等人間とともに。○幽咽 ひとり静かにむせび泣くこと。


平生所嬌兒,顏色白勝雪。
ひごろ甘やかして威張らせておいたいたずらっ子の男の子どもは栄養不良で顔色が雪よりもまっ白である。
所嬌児 威張らせておいたこども、いたずらっ子ということ。杜甫の子供については月夜 と家族を詠う詩について 

月夜 と家族を詠う詩について 杜甫  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 150

憶幼子 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 156

得家書 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 181


を参照されたい。


見耶背面啼,垢膩腳不襪。
彼はこのおやじのわたしを見てそっぽを向いて泣き出すしまつだ。みると彼の脚は垢や油が汚く付いていて、くつたびもはいていないのだ。
 爺と同じ、ちちおや、杜甫自ずからをいう。○背面 面をそむける。そっぽを向くこと。○垢膩 あか、あぶら。○ くつたぴ。


牀前兩小女,補綴才過膝。
寝る牀の前には二人の女の子がいるが、彼女等はほころびをつづりあわせた著物をきているがその着丈はやっと膝がかくれるほどである。
 ねだい。○補綴 きもののほつれをおぎないつづる、綴を或は綻に作る、綻はほころぴ。○才 後と同じ、わずかに、やっと。○過膝 ひざからすこしさがる。○海図 海をえがいたもの。

blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首



800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/

唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

北徵 #5(北征全12回)杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 212

北徵 #5(北征全12回)杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 212

北徵 #5(全12回)

#4までのあらすじ
757年粛宗の至徳二載の秋。特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許された。今、天下はどこでも治安が悪く、無政府状態のところ多くなっているのだ、だからわたしの胸中の心配は増えつづけていったい何時終わるのだろうか。
心配を胸に、最初は徒歩ですすんでいくと、わたしがこの路で出会うこの里の人々の多くは傷をうけていた。そしてやっと馬を駆ることができ、鳳翔の方を振り返るとはるか遠くの山々が重なっていた。少量を過ぎ、邠州を過ぎていた。彌満和深くなり猛虎の声が大空を破りそうな声で唸っているのだ。少し行くと菊が今年の秋の花を変わりなく咲かせていた。山中の果物が多く、橡の実や栗などがあり、「桃源」の伯郷のようだ。自分の処世のまずさと世の移ろいがうまくいっていないことをなげかわしくおもう。


北徵(北征)#4
菊垂今秋花,石戴古車轍。青雲動高興,幽事亦可悅。
山果多瑣細,羅生雜橡栗。或紅如丹砂,或黑如點漆。
雨露之所濡,甘苦齊結實。緬思桃源內,益嘆身世拙。
#5
坡陀望鄜畤,岩穀互出沒。
そのうちに丘陵の起伏、高く広い場所に秦の文公が作ったといわれる土で盛った祭壇がみえてきた。そこに至るまでは大きな岩、深い谷が互いに出たり入ったりしている。
我行已水濱,我僕猶木末。
我々は底の侵入し巌崖と深谷と経過していき私が谷川の水のそばを進んでいるのに、下僕は後ろの崖の木の上の方に居るという具合である。
鴟梟鳴黃桑,野鼠拱亂穴。
ふくろうが黄ばんだ枯れ桑にとまって鳴いている、野ねずみがあちこち穴だらけにしていて顔を出してはおじぎをしている。
夜深經戰場,寒月照白骨。
夜がふけてきて戦揚を経過している、寒そうな月の光が戦死者の白骨を照らしている。
潼關百萬師,往者敗何卒?
あの前年潼関の戦に百万の王朝軍の師将がいたのだ。どうしてこの前のことだ、あんなにも簡単に敗れてしまったのか。
遂令半秦民,殘害為異物。』

その大敗によって殆ど長安地方の半分の人民を葬られず、放置されたままの死人にしてしまったのであろうか。』

#6
況我墮胡塵,及歸盡華發。經年至茅屋,妻子衣百結。
慟哭松聲回,悲泉共幽咽。平生所嬌兒,顏色白勝雪。
見耶背面啼,垢膩腳不襪。床前兩小女,補綴才過膝。

#4
菊は今秋の花を垂れ,石は古車の轍(わだち)を戴く。
青雲は高興を動かし,幽事は 亦 悅ぶ可し。
山果 瑣細なるもの多く,羅生して橡栗(しょうりつ)雜(まじ)う。
或いは紅なること丹砂の如く,或いは黑きこと點漆の如し。
雨露の濡す所,甘苦 齊(ひと)しく實を結ぶ。
緬(はる)かに桃源の內を思い,益々身世の拙なるを嘆く。
#5
坡陀(はだ)として鄜畤を望めば,岩穀(がんこく)互いに出沒す。
我が行 已に水濱(すいひん),我が僕(ぼく)猶 木末(ぼくまつ)。
鴟梟(しちょう)は黄桑(こうそう)に鳴き、野鼠(やそ)は乱穴(らんけつ)に拱(きょう)す。
夜 深(ふ)けて戦場を経(ふ)れば、寒月(かんげつ)  白骨を照らす。
潼関(どうかん)  百万の師(いくさ)、往者(さきには) 散ずるところ何ぞ卒(すみや)かなりし。
遂に半秦(はんしん)の民をして、残害(ざんがい)して異物と為(な)らしむ。』

#6
況(いわ)んや我は胡塵(こじん)に堕(お)ち、帰るに及んで尽(ことごと)く華髪(かはつ)なり。
年(とし)を経(へ)て茅屋(ぼうおく)に至れば、妻子  衣(ころも)は百結(ひゃくけつ)なり。
慟哭(どうこく)すれば松声(しょうせい)廻(めぐ)り、悲泉(ひせん)は共に幽咽(ゆうえつ)す。
平生(へいぜい)  嬌(きょう)とする所の児(じ)、顔色(がんしょく)  白くして雪にも勝(まさ)る。
耶(ちち)を見て面(おもて)を背(そむ)けて啼(な)く、垢膩(こうじ)して脚(あし)に襪(たび)はかず。
床前(しょうぜん)の両小女、補綴(ほてつ)して 才(わず)かに膝(ひざ)を過ごす。


現代語訳と訳註
(本文)

坡陀望鄜畤,岩穀互出沒。
我行已水濱,我僕猶木末。
鴟梟鳴黃桑,野鼠拱亂穴。
夜深經戰場,寒月照白骨。
潼關百萬師,往者敗何卒?
遂令半秦民,殘害為異物。』

(下し文) #5
坡陀(はだ)として鄜畤(ふじ)を望めば,岩穀(がんこく)互いに出沒す。
我が行 已に水濱(すいひん),我が僕(ぼく)猶 木末(ぼくまつ)。
鴟梟(しちょう)は黄桑(こうそう)に鳴き、野鼠(やそ)は乱穴(らんけつ)に拱(きょう)す。
夜 深(ふ)けて戦場を経(ふ)れば、寒月(かんげつ)  白骨を照らす。
潼関(どうかん)  百万の師(いくさ)、往者(さきには) 散ずるところ何ぞ卒(すみや)かなりし。
遂に半秦(はんしん)の民をして、残害(ざんがい)して異物と為(な)らしむ。』


(現代語訳)
そのうちに丘陵の起伏、高く広い場所に秦の文公が作ったといわれる土で盛った祭壇がみえてきた。そこに至るまでは大きな岩、深い谷が互いに出たり入ったりしている。
我々は底の侵入し巌崖と深谷と経過していき私が谷川の水のそばを進んでいるのに、下僕は後ろの崖の木の上の方に居るという具合である。
ふくろうが黄ばんだ枯れ桑にとまって鳴いている、野ねずみがあちこち穴だらけにしていて顔を出してはおじぎをしている。
夜がふけてきて戦揚を経過している、寒そうな月の光が戦死者の白骨を照らしている。
あの前年謹関の戦に百万の王朝軍の師将がいたのだ。どうしてこの前のことだ、あんなにも簡単に敗れてしまったのか。
その大敗によって殆ど長安地方の半分の人民を葬られず、放置されたままの死人にしてしまったのであろうか。』

 
(訳注)北征 ⑤
坡陀望鄜畤,岩穀互出沒。

そのうちに丘陵の起伏、高く広い場所に秦の文公が作ったといわれる土で盛った祭壇がみえてきた。そこに至るまでは大きな岩、深い谷が互いに出たり入ったりしている。
○披陀 丘陵の起伏、高く広いさま。○鄜畤 畤は土を高くもりあげた祭壇の地。秦の文公が、夢に黄蛇が天より下って鄜州(あるいは大原野)に止まったというのでこれを作った。三牲(牛羊服)を用いて白帝を郊祀したと伝える。鄜州は即ち畤の在る所、これを望むというのはすでによほど鄜州に近づいたことを示す。○巌谷互出没 旧解は鄭時のさまととくが、予は作者自已の居地についていうものとみる。巌と谷と二つ、巌は巌崖をいい、谷は深谷をいう。出の字は巌をいい、没の字は谷をいう。出没は高低のあることをいう。次の句の水浜は谷をうけ、木末は巌をうけていう。


我行已水濱,我僕猶木末。
我々は底の侵入し巌崖と深谷と経過していき私が谷川の水のそばを進んでいるのに、下僕は後ろの崖の木の上の方に居るという具合である。
我行 我がゆく所は。○水 谷底の水のほとり。○ しもべ。○木末 崖上の木のうえの方。


鴟梟鳴黃桑,野鼠拱亂穴。
ふくろうが黄ばんだ枯れ桑にとまって鳴いている、野ねずみがあちこち穴だらけにしていて顔を出してはおじぎをしている。
鴟梟 。ふくろうのこと。○黄桑枯れかかった桑。○野鼠 のにいるねずみ。○ 両手をあわせかかえる様にする。穴から顔をだしお辞儀をする。○乱穴 あちこちやたらにある穴。

深經戰場,寒月照白骨。
夜がふけてきて戦揚を経過している、寒そうな月の光が戦死者の白骨を照らしている。
白骨 戦死者の骨。


潼關百萬師,往者敗何卒?
あの前年謹関の戦に百万の王朝軍の師将がいたのだ。どうしてこの前のことだ、あんなにも簡単に敗れてしまったのか。
潼関百万師 滝関は同州府華陰県の東にある。天宝十五載六月九日、唐王朝軍の将哥舒翰は潼関より出て河南の霊宝県の西原において大敗した。哥舒翰はじめ、諸将は叛乱軍に捕えられた。数万人の多くの兵士は、黄河に落ちて死んだ。遂に潼関の守りを失い玄宗の逃出となった。○往者 さきには。○ 唐王朝軍の逃離散したこと。○卒 倅と同じ、にわか。以下の詩は当時の戦況を解説したもので参考にされたい。

送重表姪王砅評事便南海 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 131

悲陳陶 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 152

悲青坂 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 153

黄河二首 其一 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 193

黄河二首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 194

塞蘆子 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 195

送楊六判官使西蕃 #1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 197


遂令半秦民,殘害為異物。』
その大敗によって殆ど長安地方の半分の人民を葬られず、放置されたままの死人にしてしまったのであろうか。』
遂令 遂に~になってしまう。ほとんど~してしまう。
○半秦民 秦は映西省をさす、半とはその大半をいう。○残害 そこなう、殺され又は溺死したことをいう。○為異物 葬られずに死ぬることをいう。


hinode0200

唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

北徵 #4(北征全12回)杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 211

北徵 #4(北征全12回)杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 211
北徵 #4(全12回)

#3までのあらすじ
757年粛宗の至徳二載の秋。特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許された。今、天下はどこでも治安が悪く、無政府状態のところ多くなっているのだ、だからわたしの胸中の心配は増えつづけていったい何時終わるのだろうか。
心配を胸に、最初は徒歩ですすんでいくと、わたしがこの路で出会うこの里の人々の多くは傷をうけていた。そしてやっと馬を駆ることができ、鳳翔の方を振り返るとはるか遠くの山々が重なっていた。少量を過ぎ、邠州を過ぎていた。彌満和深くなり猛虎の声が大空を破りそうな声で唸っているのだ。


北徵(北征)3
靡靡逾阡陌,人煙眇蕭瑟。所遇多被傷,呻吟更流血。
回首鳳翔縣,旌旗晚明滅。前登寒山重,屢得飲馬窟。
邠郊入地底,涇水中蕩潏。猛虎立我前,蒼崖吼時裂。
#4
菊垂今秋花,石戴古車轍。
少し行くと菊が今年の秋の花を変わりなく咲かせていた、路上の石には古いわだちのあとが残っていたのだ。
青雲動高興,幽事亦可悅。
青い大空にうかんでいる雲をながめるとそれは私の詩人の風流の興味を高ぶらせてくれるものであり、また山路の一人静かな旅はいろいろの悦ばしい事にであわせてくれるのである。
山果多瑣細,羅生雜橡栗。
その興味や悦ばしいことというのは山中の果物が多くあり、それが小さいのである、それらと並んで生えているものには橡の実や栗などがいりまじっているである。
或紅如丹砂,或黑如點漆。
或るものは深紅であり、まるで丹砂のようであり、或るものは黒くてしっとり艶のある黒漆のようなのである。
雨露之所濡,甘苦齊結實。
これらのものには雨や露がうるおいを与えているものであり、甘い果実や苦いものも一様に実を結んでいる。
緬思桃源內,益嘆身世拙。

この様な場所をとおるとはるかに「桃源」の伯郷のことがおもわれるのであり、反対にいよいよ自分の処世のまずさと世の移ろいがうまくいっていないことをなげかわしくおもうのである。

5
坡陀望鄜畤,岩穀互出沒。我行已水濱,我僕猶木末。
鴟梟鳴黃桑,野鼠拱亂穴。夜深經戰場,寒月照白骨。
潼關百萬師,往者敗何卒?遂令半秦民,殘害為異物。』

#3
扉扉(ひひ)として阡陌(せんぱく)を逾(こ)ゆれば、人煙 眇(びょう)として蕭瑟(しょうしつ)たり。
遇う所は多く傷を被る 呻吟して更に血を流す。
首を回らす鳳翔県、旌旗(せいき)晩に明滅す。
前みて寒山の重れるに登る、屢々飲馬の窟(いわや)を得たり。
邠郊(ひんこう)地底に入る、涇水 中に蕩潏(とういつ)たり。
猛虎我が前に立つ、蒼崖吼ゆる時裂く。
#4
菊は今秋の花を垂れ,石は古車の轍(わだち)を戴く。
青雲は高興を動かし,幽事は 亦 悅ぶ可し。
山果 瑣細なるもの多く,羅生して橡栗(しょうりつ)雜(まじ)う。
或いは紅なること丹砂の如く,或いは黑きこと點漆の如し。
雨露の濡す所,甘苦 齊(ひと)しく實を結ぶ。
緬(はる)かに桃源の內を思い,益々身世の拙なるを嘆く。

#5
坡陀(はだ)として鄜畤を望めば,岩穀(がんこく)互いに出沒す。
我が行 已に水濱(すいひん),我が僕(ぼく)猶 木末(ぼくまつ)。
鴟梟(しちょう)は黄桑(こうそう)に鳴き、野鼠(やそ)は乱穴(らんけつ)に拱(きょう)す。
夜 深(ふ)けて戦場を経(ふ)れば、寒月(かんげつ)  白骨を照らす。
潼関(どうかん)  百万の師(いくさ)、往者(さきには) 散ずるところ何ぞ卒(すみや)かなりし。
遂に半秦(はんしん)の民をして、残害(ざんがい)して異物と為(な)らしむ。』


現代語訳と訳註 北徵 4
(本文)
菊垂今秋花,石戴古車轍。
青雲動高興,幽事亦可悅。
山果多瑣細,羅生雜橡栗。
或紅如丹砂,或黑如點漆。
雨露之所濡,甘苦齊結實。
緬思桃源內,益嘆身世拙。

(下し文)#4
菊は今秋の花を垂れ,石は古車の轍(わだち)を戴く。
青雲は高興を動かし,幽事は 亦 悅ぶ可し。
山果 瑣細なるもの多く,羅生して橡栗(しょうりつ)雜(まじ)う。
或いは紅なること丹砂の如く,或いは黑きこと點漆の如し。
雨露の濡す所,甘苦 齊(ひと)しく實を結ぶ。
緬(はる)かに桃源の內を思い,益々身世の拙なるを嘆く。


(現代語訳)
少し行くと菊が今年の秋の花を変わりなく咲かせていた、路上の石には古いわだちのあとが残っていたのだ。
青い大空にうかんでいる雲をながめるとそれは私の詩人の風流の興味を高ぶらせてくれるものであり、また山路の一人静かな旅はいろいろの悦ばしい事にであわせてくれるのである。
その興味や悦ばしいことというのは山中の果物が多くあり、それが小さいのである、それらと並んで生えているものには橡の実や栗などがいりまじっているである。
或るものは深紅であり、まるで丹砂のようであり、或るものは黒くてしっとり艶のある黒漆のようなのである。
これらのものには雨や露がうるおいを与えているものであり、甘い果実や苦いものも一様に実を結んでいる。
この様な場所をとおるとはるかに「桃源」の伯郷のことがおもわれるのであり、反対にいよいよ自分の処世のまずさと世の移ろいがうまくいっていないことをなげかわしくおもうのである。


(訳注)④
菊垂今秋花,石戴古車轍。

少し行くと菊が今年の秋の花を変わりなく咲かせている、路上の石には古いわだちのあとが残っているのだ。
石戴古車轍 石が古い車のわだちのあとをいただく、石の上にわだちのあとがあることをいう。


青雲動高興,幽事亦可悅。
青い大空にうかんでいる雲をながめるとそれは私の詩人の風流の興味を高ぶらせてくれるものであり、また山路の一人静かな旅はいろいろの悦ばしい事にであわせてくれるのである。
青雲 空高き雲。○動高興 さかんな興昧をうごかしだす。○幽事 山中の幽静なことがら、即ち「山果」以下のこと。


山果多瑣細,羅生雜橡栗。
その興味や悦ばしいことというのは山中の果物が多くあり、それが小さいのである、それらと並んで生えているものには橡の実や栗などがいりまじっているである。
山果 山のこのみ。○頂細 こまか。○羅生 つらなり生える。○ まざる。○橡栗 とちのみ、くり。


或紅如丹砂,或黑如點漆。
或るものは深紅であり、まるで丹砂のようであり、或るものは黒くてしっとり艶のある黒漆のようなのである。
丹砂 たんしゃ。○点漆 しっとり艶のある黒漆。


雨露之所濡,甘苦齊結實。
これらのものには雨や露がうるおいを与えているものであり、甘い果実や苦いものも一様に実を結んでいる。
甘苦 あまきも、にがきも。○ 一様に。並んで。等しい。○結実 みをむすぶ。
 
緬思桃源內,益嘆身世拙。
この様な場所をとおるとはるかに「桃源」の伯郷のことがおもわれるのであり、反対にいよいよ自分の処世のまずさと世の移ろいがうまくいっていないことをなげかわしくおもうのである。
桃源 陶淵明の記文に見える武陵の桃花源、世をはなれた仙境をいう。陶淵明は80日で官を辞して桃源郷を目指した。果実が実っていることから、この北征の旅に陶淵明の桃源郷、官を辞して隠遁することなどを重ねている。○身世拙 この身の処世が上手くいかないことでせつなくなる。俗塵の間に奔走し仙境に住することができぬのでかくいう。

954述懐  杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 177
ID詩 題摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言古詩)
970晚行口號 鄜州へ赴く途中で、日ぐれにあるきながら口ずさんだ詩。
971徒步歸行鄜州へ赴く出発の詩
972九成宮鄜州へ赴く途中、九成宮のほとりを経過して作った詩である。
974行次昭陵鄜州へ帰る途すがら昭陵のほとりにやどって作る。大宗の施政が仁徳のあるものであったと賛美し、暗に粛宗の愚帝ぶりを批判している。秀作。
973玉華宮 鄜州へ赴く途次其の地をすぎて作る。
975北征五言百四十句の長篇古詩。 至徳二載六月一日、鄜州に帰ることを許された。作者が此の旅行をした所以である。製作時は至徳二載九月頃。八月初めに鳳翔より出発し,鄜州に到著して以後に作ったもの。旅の報告と上奏文であり、ウイグルに救援を求める粛宗批判といえる内容のものである。一番の秀作。
977羌村三首・黄土高原の雄大な夕景色。夕刻に到着。
978・家族全員無事、秋の装い、豊作であった。
979・村の長老たちと帰還の祝い。 
981重經昭陵帰り道、第二回に昭陵の地を経過したとき作る。
ID詩 題摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言律詩)
980收京三首王朝軍の手に長安を奪回したことを聞きつけてにつけて作る。製作時は至徳二載十月末~十一月初めの作。
粛宗に徹底して嫌われ、居場所がなく、家族を向かえに山中の道を行く。疎外された朝廷を後にするがすさまじい孤独感が詩全体にあふれるものである。が、一方、この時期の作品は左拾位としての役目をしようとする杜甫の誠実さを浮き彫りにするものでもある。秀作ぞろいである。ウイグル援軍要請批判は安禄山軍に拘束された時期、「黄河二首」「送楊六判官使西蕃」から一貫している。



hinode0200

唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

北徵 #3(北征全12回) 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 210

北征 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 210
北徵 #3(全12回)

「北征」の詩の内容は四つの段に分けられる。すなわち第一段はこのたびの帰省のことと現在の時勢について、第二段は旅中の見聞、第三段は妻子との再会、第四段は胡賊撃退へと動き出した状況の説明と大乱平定の願い、となっている。

#2までのあらすじ
757年粛宗の至徳二載の秋。特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許された。今、天下はどこでも治安が悪く、無政府状態のところ多くなっているのだ、だからわたしの胸中の心配は増えつづけていったい何時終わるのだろうか。
nat0004

北徵(北征)2
君誠中興主,經緯固密勿。東胡反未已,臣甫憤所切。
揮涕戀行在,道途猶恍惚。乾坤含瘡痍,憂虞何時畢!』
3
靡靡逾阡陌,人煙眇蕭瑟。
北に向かう足取りはなかなかはかどらず縦横の道、辻、分岐点を超えていった。山道や裏街道から、人里の煙がさびしく見え、家の明かりがまたたいている。
所遇多被傷,呻吟更流血。
わたしがこの路で出会うこの里の人々の多くは傷をうけていた、その人たちは誰もが傷を痛がってうな声を上げ、血を流していた。
回首鳳翔縣,旌旗晚明滅。
振り返ってみると鳳翔県の方を見たのだ。夕方になっていて軍隊の旗がみえたりかくれたりしている。
前登寒山重,屢得飲馬窟。
さらに前進して寒空に幾重にも重なっている山々、凍り付いている山に登った、しばしば窟をさがして馬に水を飲ませるのであった。
邠郊入地底,涇水中蕩潏。
邠州の郊外は低地になっていて地の底へはいるかとおもわれるような風景なのだ、其の地の中央部には涇水があり水がわきあがるかのように水を湛えて流れていた。
猛虎立我前,蒼崖吼時裂。

こんな場所では猛虎が自分の面前に立ちあがるのだ、そして青々と苔むし木々が鬱蒼としていて、猛虎が吼え叫ぶときにはあたりのものがはり裂けるようであった。

4
菊垂今秋花,石戴古車轍。青雲動高興,幽事亦可悅。
山果多瑣細,羅生雜橡栗。或紅如丹砂,或黑如點漆。
雨露之所濡,甘苦齊結實。緬思桃源內,益嘆身世拙。

#2
君は誠に中興の主なり 経緯固に密勿たり
東胡反して未だ已まず 臣甫が憤の切なる所
沸を揮いて行在(あんざい)を恋う、道途(どうと)猶恍惚たり。
乾坤(けんこん)瘡痍(そうい)を含む、憂虞(ゆうぐ)何の時か畢(おわ)らん。』
#3
扉扉(ひひ)として阡陌(せんぱく)を逾(こ)ゆれば、人煙 眇(びょう)として蕭瑟(しょうしつ)たり。
遇う所は多く傷を被る 呻吟して更に血を流す。
首を回らす鳳翔県、旌旗(せいき)晩に明滅す。
前みて寒山の重れるに登る、屢々飲馬の窟(いわや)を得たり。
邠郊(ひんこう)地底に入る、涇水 中に蕩潏(とういつ)たり。
猛虎我が前に立つ、蒼崖吼ゆる時裂く。
#4
菊は今秋の花を垂れ,石は古車の轍(わだち)を戴く。
青雲は高興を動かし,幽事は 亦 悅ぶ可し。
山果 瑣細なるもの多く,羅生して橡栗(しょうりつ)雜(まじ)う。
或いは紅なること丹砂の如く,或いは黑きこと點漆の如し。
雨露の濡す所,甘苦 齊(ひと)しく實を結ぶ。
緬(はる)かに桃源の內を思い,益々身世の拙なるを嘆く。
hinode0200

現代語訳と訳註 北徵 3
(本文)

靡靡逾阡陌,人煙眇蕭瑟。
所遇多被傷,呻吟更流血。
回首鳳翔縣,旌旗晚明滅。
前登寒山重,屢得飲馬窟。
邠郊入地底,涇水中蕩潏。
猛虎立我前,蒼崖吼時裂。

(下し文) #3
扉扉(ひひ)として阡陌(せんぱく)を逾(こ)ゆれば、人煙 眇(びょう)として蕭瑟(しょうしつ)たり。
遇う所は多く傷を被る 呻吟して更に血を流す。
首を回らす鳳翔県、旌旗(せいき)晩に明滅す。
前みて寒山の重れるに登る、屢々飲馬の窟(いわや)を得たり。
邠郊(ひんこう)地底に入る、涇水 中に蕩潏(とういつ)たり。
猛虎我が前に立つ、蒼崖吼ゆる時裂く。

(現代語訳)
北に向かう足取りはなかなかはかどらず縦横の道、辻、分岐点を超えていった。山道や裏街道から、人里の煙がさびしく見え、家の明かりがまたたいている。
わたしがこの路で出会うこの里の人々の多くは傷をうけていた、その人たちは誰もが傷を痛がってうな声を上げ、血を流していた。
振り返ってみると鳳翔県の方を見たのだ。夕方になっていて軍隊の旗がみえたりかくれたりしている。
さらに前進して寒空に幾重にも重なっている山々、凍り付いている山に登った、しばしば窟をさがして馬に水を飲ませるのであった。
邠州の郊外は低地になっていて地の底へはいるかとおもわれるような風景なのだ、其の地の中央部には涇水があり水がわきあがるかのように水を湛えて流れていた。
こんな場所では猛虎が自分の面前に立ちあがるのだ、そして青々と苔むし木々が鬱蒼としていて、猛虎が吼え叫ぶときにはあたりのものがはり裂けるようであった。

杜甫乱前後の図003鳳翔

(訳注)③
靡靡逾阡陌,人煙眇蕭瑟。

北に向かう足取りはなかなかはかどらず縦横の道、辻、分岐点を超えていった。山道や裏街道から、人里の煙がさびしく見え、家の明かりがまたたいている。
靡靡 遅遅に同じ、みちのはかどらぬさま。○肝吊 南北の路を汗、東酉の路を阻という。○人煙 人家のけむり。○眇 家の明かりがかすかにまたたく。○蕭瑟 風が簫の笛や瑟琴のようにさびしく吹いている。


所遇多被傷,呻吟更流血。
わたしがこの路で出会うこの里の人々の多くは傷をうけていた、その人たちは誰もが傷を痛がってうな声を上げ、血を流していた。
所遇 であう所の人。○被傷 傷をこうむっている。○呻吟 うなる。


回首鳳翔縣,旌旗晚明滅。
振り返ってみると鳳翔県の方を見たのだ。夕方になっていて軍隊の旗がみえたりかくれたりしている。
回首 あとをふりかえる。○鳳翔県 扶風県、即ち行在所のある地。○ 軍隊のはた。○明滅 みえたりかくれたり。


前登寒山重,屢得飲馬窟。
さらに前進して寒空に幾重にも重なっている山々、凍り付いている山に登った、しばしば窟をさがして馬に水を飲ませるのであった。
前登 前は前へとすすむこと。○寒山 さむ空の山。○重 山の峰のかさなること。○飲馬窟 馬に彰豺いわや。楽府題「長城飲馬窟行」,陳琳「飲馬長城窟行」万里の長城  陳琳と汪遵
飲馬長城窟行   陳 琳
飲馬長城窟、水寒傷馬骨。
往謂長城吏、慎莫稽留太原卒。
官作自有程、挙築諧汝声。
男児寧当格闘死、何能怫鬱築長城。
にもとづく。


邠郊入地底,涇水中蕩潏。
邠州の郊外は低地になっていて地の底へはいるかとおもわれるような風景なのだ、其の地の中央部には涇水があり水がわきあがるかのように水を湛えて流れていた。
邠郊 邠州の野外、邠州は鳳翔の東北75kmにあたる。「詩経」国風班表の「北征の賦」にこの地のことを述べる。○入地底 四方が高く、中央が低くくぼんでいることをいう。○涇水 甘粛省の崆峒山に源を発し邠州の中央を貫き東南流して陝西安府高陵県に至って渭水に入る。○ 中央部において。○蕩漓 水の湧いて流れるさま。


猛虎立我前,蒼崖吼時裂。
こんな場所では猛虎が自分の面前に立ちあがるのだ、そして青々と苔むし木々が鬱蒼としていて、猛虎が吼え叫ぶときにはあたりのものがはり裂けるようであった。

ID詩 題摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言古詩)
970晚行口號 鄜州へ赴く途中で、日ぐれにあるきながら口ずさんだ詩。
971徒步歸行鄜州へ赴く出発の詩
972九成宮鄜州へ赴く途中、九成宮のほとりを経過して作った詩である。
974行次昭陵鄜州へ帰る途すがら昭陵のほとりにやどって作る。大宗の施政が仁徳のあるものであったと賛美し、暗に粛宗の愚帝ぶりを批判している。秀作。
973玉華宮  鄜州へ赴く途次其の地をすぎて作る。
975北征五言百四十句の長篇古詩。 至徳二載六月一日、鄜州に帰ることを許された。作者が此の旅行をした所以である。製作時は至徳二載九月頃。八月初めに鳳翔より出発し,鄜州に到著して以後に作ったもの。旅の報告と上奏文であり、ウイグルに救援を求める粛宗批判といえる内容のものである。一番の秀作。
977羌村三首・黄土高原の雄大な夕景色。夕刻に到着。
978・家族全員無事、秋の装い、豊作であった。
979・村の長老たちと帰還の祝い。
981重經昭陵帰り道、第二回に昭陵の地を経過したとき作る。
ID詩 題摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言律詩)
980收京三首王朝軍の手に長安を奪回したことを聞きつけてにつけて作る。製作時は至徳二載十月末~十一月初めの作。
粛宗に徹底して嫌われ、居場所がなく、家族を向かえに山中の道を行く。疎外された朝廷を後にするがすさまじい孤独感が詩全体にあふれるものである。が、一方、この時期の作品は左拾位としての役目をしようとする杜甫の誠実さを浮き彫りにするものでもある。秀作ぞろいである。ウイグル援軍要請批判は安禄山軍に拘束された時期、「黄河二首」「送楊六判官使西蕃」から一貫している。

hinode0200

唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

北征 #2(北征全12回) 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 209

北征 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 209
#2(全12回)
「北征」の詩の内容は四つの段に分けられる。すなわち第一段はこのたびの帰省のことと現在の時勢について、第二段は旅中の見聞、第三段は妻子との再会、第四段は胡賊撃退へと動き出した状況の説明と大乱平定の願い、となっている。

954述懐  杜甫 kanbuniinkai紀頌之のブログ 杜甫特集700- 177
ID詩 題摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言古詩)
970晚行口號 鄜州へ赴く途中で、日ぐれにあるきながら口ずさんだ詩。
971徒步歸行鄜州へ赴く出発の詩
972九成宮鄜州へ赴く途中、九成宮のほとりを経過して作った詩である。
974行次昭陵鄜州へ帰る途すがら昭陵のほとりにやどって作る。大宗の施政が仁徳のあるものであったと賛美し、暗に粛宗の愚帝ぶりを批判している。秀作。
973玉華宮 鄜州へ赴く途次其の地をすぎて作る。
975北征五言百四十句の長篇古詩。 至徳二載六月一日、鄜州に帰ることを許された。作者が此の旅行をした所以である。製作時は至徳二載九月頃。八月初めに鳳翔より出発し,鄜州に到著して以後に作ったもの。旅の報告と上奏文であり、ウイグルに救援を求める粛宗批判といえる内容のものである。一番の秀作。
977羌村三首・黄土高原の雄大な夕景色。夕刻に到着。
978・家族全員無事、秋の装い、豊作であった。
979・村の長老たちと帰還の祝い。 
981重經昭陵帰り道、第二回に昭陵の地を経過したとき作る。
ID詩 題摘要 (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言律詩)
980收京三首王朝軍の手に長安を奪回したことを聞きつけてにつけて作る。製作時は至徳二載十月末~十一月初めの作。
粛宗に徹底して嫌われ、居場所がなく、家族を向かえに山中の道を行く。疎外された朝廷を後にするがすさまじい孤独感が詩全体にあふれるものである。が、一方、この時期の作品は左拾位としての役目をしようとする杜甫の誠実さを浮き彫りにするものでもある。秀作ぞろいである。ウイグル援軍要請批判は安禄山軍に拘束された時期、「黄河二首」「送楊六判官使西蕃」から一貫している。

北徵 #1
皇帝二載秋,閏八月初吉。杜子將北徵,蒼茫問家室。」
維時遭艱虞,朝野少暇日。顧慚恩私被,詔許歸蓬蓽。
拜辭詣闕下,怵惕久未出。雖乏諫諍姿,恐君有遺失。
#2
君誠中興主,經緯固密勿。
我が君粛宗皇帝におかせられては誠に中興の君主であらせられるもので、国政を経営せられるのにまことに御勉強を重ねられておるところである。
東胡反未已,臣甫憤所切。
それに東都に異民族を使った叛乱軍の安慶緒がいまだに皇帝と称してわが天子に叛いたままなのである。ことは臣下たる自分の痛切に憤怒しているところなのである。
揮涕戀行在,道途猶恍惚。
心中に行在におわす天子のことを敬愛しているため、涙と鼻水がとめどない、これを振り払って旅立とうとするのであるが、前途多難を思うに付けて、踏み出そうとはするのであるが心配な気持ちが高まりおさえきれない心もパニックになってしまうのだ。
乾坤含瘡痍,憂虞何時畢!』

今、天下はどこでも治安が悪く、無政府状態のところ多くなっているのだ、だからわたしの胸中の心配は増えつづけていったい何時終わるのだろうか。』

#3
靡靡逾阡陌,人煙眇蕭瑟。所遇多被傷,呻吟更流血。
回首鳳翔縣,旌旗晚明滅。前登寒山重,屢得飲馬窟。
邠郊入地底,涇水中蕩潏。猛虎立我前,蒼崖吼時裂。

#1
皇帝二載の秋 閏八月初吉。
杜子将に北征して、蒼茫 家室を問わんとす。』
維(こ)れ時 艱虞(かんぐ)に遭う、朝野(ちょうや)暇日(かじつ)少(すくな)し。
顧(かえり)みて恩私(おんし)の被るを慚ず、詔して蓬蓽(ほうか)に帰るを許さる。
拝辞して闕下(けつか)に詣(いた)り、怵惕(じゅつてき)久しうして未だ出でず。
諫諍(かんそう)の姿に乏しと雖も、恐らくは君に遺失有らんことを。
#2
君は誠に中興の主なり 経緯固に密勿たり
東胡反して未だ已まず 臣甫が憤の切なる所
沸を揮いて行在(あんざい)を恋う、道途(どうと)猶恍惚たり。
乾坤(けんこん)瘡痍(そうい)を含む、憂虞(ゆうぐ)何の時か畢(おわ)らん。』
#3
扉扉(ひひ)として阡陌(せんぱく)を逾(こ)ゆれば、人煙 眇(びょう)として蕭瑟(しょうしつ)たり。
遇う所は多く傷を被る 呻吟して更に血を流す。
首を回らす鳳翔県、旌旗(せいき)晩に明滅す。
前みて寒山の重れるに登る、屢々飲馬の窟(いわや)を得たり。
邠郊(ひんこう)地底に入る、涇水 中に蕩潏(とういつ)たり。
猛虎我が前に立つ、蒼崖吼ゆる時裂く。

現代語訳と訳註
(本文)
#2
君誠中興主,經緯固密勿。
東胡反未已,臣甫憤所切。
揮涕戀行在,道途猶恍惚。
乾坤含瘡痍,憂虞何時畢!』


(下し文)
君は誠に中興の主なり 経緯固に密勿たり
東胡反して未だ已まず 臣甫が憤の切なる所
沸を揮いて行在(あんざい)を恋う、道途(どうと)猶恍惚たり。
乾坤(けんこん)瘡痍(そうい)を含む、憂虞(ゆうぐ)何の時か畢(おわ)らん。』

(現代語訳)
我が君粛宗皇帝におかせられては誠に中興の君主であらせられるもので、国政を経営せられるのにまことに御勉強を重ねられておるところである。
それに東都に異民族を使った叛乱軍の安慶緒がいまだに皇帝と称してわが天子に叛いたままなのである。ことは臣下たる自分の痛切に憤怒しているところなのである。
心中に行在におわす天子のことを敬愛しているため、涙と鼻水がとめどない、これを振り払って旅立とうとするのであるが、前途多難を思うに付けて、踏み出そうとはするのであるが心配な気持ちが高まりおさえきれない心もパニックになってしまうのだ。
今、天下はどこでも治安が悪く、無政府状態のところ多くなっているのだ、だからわたしの胸中の心配は増えつづけていったい何時終わるのだろうか。』


(訳注)北徵 #2
君誠中興主,經緯固密勿。
我が君粛宗皇帝におかせられては誠に中興の君主であらせられるもので、国政を経営せられるのにまことに御勉強を重ねられておるところである。
中興主 隆興に中った御主人。唐史において中興主は第9代皇帝代層とされている。第7代皇帝玄宗も「元の治」言われる時期あったので、ここでは玄宗のことを示すのだが、武で第8代に即位して約1年やっと鳳翔に行在所を設けた間もない段階であり、これから中興の主になってもらいたいということで粛宗と解釈される。しかしは粛宗の性格に問題があり、施策にもおおくの疑問を抱いていた。

東胡反未已,臣甫憤所切。
それに東都に異民族を使った叛乱軍の安慶緒がいまだに皇帝と称してわが天子に叛いたままなのである。ことは臣下たる自分の痛切に憤怒しているところなのである。
東胡 この頃、史忠明は幽州に帰っており、安慶緒が東都洛陽において皇帝と称していた。○ 叛乱すること。むほん。○臣甫 臣たるわたくし、名をあげるのは臣礼を以て申すのである。この詩の先頭では、自分のことを杜子といっている。ここでも官職を意識してのものである。○所切 切とは身にひしひしとせまることをいう。
 
揮涕戀行在,道途猶恍惚。
心中に行在におわす天子のことを敬愛しているため、涙と鼻水がとめどない、これを振り払って旅立とうとするのであるが、前途多難を思うに付けて、踏み出そうとはするのであるが心配な気持ちが高まりおさえきれない心もパニックになってしまうのだ。
揮俤 なみだ、鼻水をふるう揮とはふるいおとすこと。○行在 天子のかりみや。○道途 前途をいう。○恍惚 心がパニック、どちらへ向いてゆくべきかはっきりせぬ。

乾坤含瘡痍,憂虞何時畢!』
今、天下はどこでも治安が悪く、無政府状態のところ多くなっているのだ、だからわたしの胸中の心配は増えつづけていったい何時終わるのだろうか。』
乾坤 天地、世のなか全体。○含療痍 戦争によるきずを内部にもっている。ここでは、治安が悪く、無政府状態のところ多いことを言っている。農民はの内を捨てて逃げ、兵士、地方官僚も収入がないので、人里離れたり、夜には盗賊になる。○憂虞 杜甫の心中のうれい、この先の心配。国を憂い、家族は安全か。

hinode0200

blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首



800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/


唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

北征 #1(北征全12回) 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 208

北征 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 208

(12回の1回目)

「北征」の詩の内容は四つの段に分けられる。すなわち第一段はこのたびの帰省のことと現在の時勢について、第二段は旅中の見聞、第三段は妻子との再会、第四段は胡賊撃退へと動き出した状況の説明と大乱平定の願い、となっている。

北征
皇帝二載秋,閏八月初吉。
粛宗皇帝の至徳二載の秋の閑八月一日。
杜子將北徵,蒼茫問家室。」
自分は北方にでかけて、家族の様子がはっきりしていないので預けている妻子の様子をたずねようとするものだ。』
維時遭艱虞,朝野少暇日。
この時は叛乱軍の長安を制覇されたことによる奪還のための心配に出くわした頃で、朝廷の者も民間の者もせわしくて暇がないのである。
顧慚恩私被,詔許歸蓬蓽。
それに自分はこのたび、どうしたことか特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許されたのは誠に恥じ入ったことである。
拜辭詣闕下,怵惕久未出。
おいとま乞の御挨拶に行在所の御門近くにまかり出たが、恐縮して心に憂いおそれをいだきおるためにいつまでも退出できないでいたのである。
雖乏諫諍姿,恐君有遺失。
自分は左拾遺の官職をいただいているとはいえ、天子の君をお諌めするという程の資質も無いのではあるが万一天子の為されることに失政がありはせぬかと恐れるのである。


皇帝二載の秋 閏八月初吉。
杜子将に北征して、蒼茫 家室を問わんとす。』
維(こ)れ時 艱虞(かんぐ)に遭う、朝野(ちょうや)暇日(かじつ)少(すくな)し。
顧(かえり)みて恩私(おんし)の被るを慚ず、詔して蓬蓽(ほうか)に帰るを許さる。
拝辞して闕下(けつか)に詣(いた)り、怵惕(じゅつてき)久しうして未だ出でず。
諫諍(かんそう)の姿に乏しと雖も、恐らくは君に遺失有らんことを。


現代語訳と訳註
(本文)

皇帝二載秋,閏八月初吉。
杜子將北徵,蒼茫問家室。」
維時遭艱虞,朝野少暇日。
顧慚恩私被,詔許歸蓬蓽。
拜辭詣闕下,怵惕久未出。
雖乏諫諍姿,恐君有遺失。


(下し文)
皇帝二載の秋 閏八月初吉。
杜子将に北征して、蒼茫 家室を問わんとす。』
維(こ)れ時 艱虞(かんぐ)に遭う、朝野(ちょうや)暇日(かじつ)少(すくな)し。
顧(かえり)みて恩私(おんし)の被るを慚ず、詔して蓬蓽(ほうか)に帰るを許さる。
拝辞して闕下(けつか)に詣(いた)り、怵惕(じゅつてき)久しうして未だ出でず。
諫諍(かんそう)の姿に乏しと雖も、恐らくは君に遺失有らんことを。


(現代語訳)
粛宗皇帝の至徳二載の秋の閑八月一日。
自分は北方にでかけて、家族の様子がはっきりしていないので預けている妻子の様子をたずねようとするものだ。』
この時は叛乱軍の長安を制覇されたことによる奪還のための心配に出くわした頃で、朝廷の者も民間の者もせわしくて暇がないのである。
それに自分はこのたび、どうしたことか特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許されたのは誠に恥じ入ったことである。
おいとま乞の御挨拶に行在所の御門近くにまかり出たが、恐縮して心に憂いおそれをいだきおるためにいつまでも退出できないでいたのである。
自分は左拾遺の官職をいただいているとはいえ、天子の君をお諌めするという程の資質も無いのではあるが万一天子の為されることに失政がありはせぬかと恐れるのである。


(訳注)北徵 ①
皇帝二載秋,閏八月初吉。
粛宗皇帝の至徳二載の秋の閑八月一日。
○皇帝 粛宗。○二載 至徳二載。○初吉 朔日二日)。


杜子將北徵,蒼茫問家室。」
自分は北方にでかけて、家族の様子がはっきりしていないので預けている妻子の様子をたずねようとするものだ。』
杜子 作者自身であるが、孔子、孟子などと同様に公式文書において自分の名を記す場合に使われるものである。官職を意識してのものである。 ○北征 北の方鄭州へゆく。○蒼茫 ぼんやりしてはっきりせぬさま。家族の様子の知れぬこと。蒼茫を急濾のさまとするのは不可、荒寂のさまとするのは可。○問家室 間はたずねにゆく、家室は妻子をいう。


維時遭艱虞,朝野少暇日。
この時は叛乱軍の長安を制覇されたことによる奪還のための心配に出くわした頃で、朝廷の者も民間の者もせわしくて暇がないのである。
維時 維はただ辞であり、時にということ。○艱虞 なんぎ、しんぱい、叛乱軍の長安を制覇されたこと。○朝野 在朝の入々も、在野の人々も。朝は朝廷、野は民間。○少暇日 いそがしくひまなし。


顧慚恩私被,詔許歸蓬蓽。
それに自分はこのたび、どうしたことか特別に天子の御恩寵を被って仰せにより、鄜州のあばら家へ帰ることを許されたのは誠に恥じ入ったことである。
顧慚 かえりみてはじる。○恩私被 恩私とは天子の自分へたまわる特別の恩寵、私は自分一己へのごひいき、被とはこうむる、こちらがそれをうけること。○詔許 詔を以てお許しになる。○蓬蓽 蓽は箪と通ずる、荊(いばら)のこと、いばらや竹で門をつくる。蓬はよもぎの草。二字で自已の粗末な家屋をさす。


拜辭詣闕下,怵惕久未出。
おいとま乞の御挨拶に行在所の御門近くにまかり出たが、恐縮して心に憂いおそれをいだきおるためにいつまでも退出できないでいたのである。
拝辞 おいとまごいのあいさつ。○ まかりでる。○闘下 行在所の御殿の小門のそば。○悼惧 心に憂いおそれをいだく。○ 退出する。


雖乏諫諍姿,恐君有遺失。
自分は左拾遺の官職をいただいているとはいえ、天子の君をお諌めするという程の資質も無いのではあるが万一天子の為されることに失政がありはせぬかと恐れるのである。
諫諍姿 君をおいさめするすがた、これは作者は左拾遺であるということ。諌官の職にあるということ。○ 粛宗。○遺失 おておち、あやまち。

述懐  杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 177
ID詩 題摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言古詩)
970晚行口號 鄜州へ赴く途中で、日ぐれにあるきながら口ずさんだ詩。
971徒步歸行鄜州へ赴く出発の詩
972九成宮鄜州へ赴く途中、九成宮のほとりを経過して作った詩である。
974行次昭陵鄜州へ帰る途すがら昭陵のほとりにやどって作る。大宗の施政が仁徳のあるものであったと賛美し、暗に粛宗の愚帝ぶりを批判している。秀作。
973玉華宮  鄜州へ赴く途次其の地をすぎて作る。
975北征五言百四十句の長篇古詩。 至徳二載六月一日、鄜州に帰ることを許された。作者が此の旅行をした所以である。製作時は至徳二載九月頃。八月初めに鳳翔より出発し,鄜州に到著して以後に作ったもの。旅の報告と上奏文であり、ウイグルに救援を求める粛宗批判といえる内容のものである。一番の秀作。
977羌村三首・黄土高原の雄大な夕景色。夕刻に到着。
978・家族全員無事、秋の装い、豊作であった。
979・村の長老たちと帰還の祝い。 
981重經昭陵帰り道、第二回に昭陵の地を経過したとき作る。
ID詩 題摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言律詩)
980收京三首王朝軍の手に長安を奪回したことを聞きつけてにつけて作る。製作時は至徳二載十月末~十一月初めの作。
粛宗に徹底して嫌われ、居場所がなく、家族を向かえに山中の道を行く。疎外された朝廷を後にするがすさまじい孤独感が詩全体にあふれるものである。が、一方、この時期の作品は左拾位としての役目をしようとする杜甫の誠実さを浮き彫りにするものでもある。秀作ぞろいである。ウイグル援軍要請批判は安禄山軍に拘束された時期、「黄河二首」「送楊六判官使西蕃」から一貫している。

hinode0200

唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

北 征 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-207

北 征 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-207
(北征)
杜甫が粛宗の逆鱗に触れたいきさつとその後の解説のブログ
述懐  杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 177

朝廷に居場所のなくなった杜甫が鄜州の家族のもとに帰る一連の詩である。
ID詩 題摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言古詩)
970晚行口號 鄜州へ赴く途中で、日ぐれにあるきながら口ずさんだ詩。
971徒步歸行鄜州へ赴く出発の詩
972九成宮鄜州へ赴く途中、九成宮のほとりを経過して作った詩である。
974行次昭陵鄜州へ帰る途すがら昭陵のほとりにやどって作る。大宗の施政が仁徳のあるものであったと賛美し、暗に粛宗の愚帝ぶりを批判している。秀作。
973玉華宮  鄜州へ赴く途次其の地をすぎて作る。
975北征五言百四十句の長篇古詩。 至徳二載六月一日、鄜州に帰ることを許された。作者が此の旅行をした所以である。製作時は至徳二載九月頃。八月初めに鳳翔より出発し,鄜州に到著して以後に作ったもの。旅の報告と上奏文であり、ウイグルに救援を求める粛宗批判といえる内容のものである。一番の秀作。
977羌村三首・黄土高原の雄大な夕景色。夕刻に到着。
978・家族全員無事、秋の装い、豊作であった。
979・村の長老たちと帰還の祝い。 
981重經昭陵帰り道、第二回に昭陵の地を経過したとき作る。
ID詩 題摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言律詩)
980收京三首王朝軍の手に長安を奪回したことを聞きつけてにつけて作る。製作時は至徳二載十月末~十一月初めの作。
粛宗に徹底して嫌われ、居場所がなく、家族を向かえに山中の道を行く。疎外された朝廷を後にするがすさまじい孤独感が詩全体にあふれるものである。が、一方、この時期の作品は左拾位としての役目をしようとする杜甫の誠実さを浮き彫りにするものでもある。秀作ぞろいである。ウイグル援軍要請批判は安禄山軍に拘束された時期、「黄河二首」「送楊六判官使西蕃」から一貫している。


北征について
・鄜州に帰省することを許されたものであるから、報告書、上奏文として書き上げたものでこれにより粛宗より遠ざけられることになる。杜甫は特にウイグル(回紇)に援軍を求めたことに反対をしている。

・この時期の一聯の詩の中で、「北征」と「昭陵行次」とは内容一致するところがあり、粛宗批判ととられるものである。

・この詩により「官を辞さなければいけない」状況になったといえるのではないか。

・この詩は以下の通り12区分して掲載する。

natsusora01

北徵 1
皇帝二載秋,閏八月初吉。杜子將北徵,蒼茫問家室。」
維時遭艱虞,朝野少暇日。顧慚恩私被,詔許歸蓬蓽。
拜辭詣闕下,怵惕久未出。雖乏諫諍姿,恐君有遺失。
2
君誠中興主,經緯固密勿。東胡反未已,臣甫憤所切。
揮涕戀行在,道途猶恍惚。乾坤含瘡痍,憂虞何時畢!』
3
靡靡逾阡陌,人煙眇蕭瑟。所遇多被傷,呻吟更流血。
回首鳳翔縣,旌旗晚明滅。前登寒山重,屢得飲馬窟。
邠郊入地底,涇水中蕩潏。猛虎立我前,蒼崖吼時裂。
4
菊垂今秋花,石戴古車轍。青雲動高興,幽事亦可悅。
山果多瑣細,羅生雜橡栗。或紅如丹砂,或黑如點漆。
雨露之所濡,甘苦齊結實。緬思桃源內,益嘆身世拙。
5
坡陀望鄜畤,岩穀互出沒。我行已水濱,我僕猶木末。
鴟梟鳴黃桑,野鼠拱亂穴。夜深經戰場,寒月照白骨。
潼關百萬師,往者敗何卒?遂令半秦民,殘害為異物。』
6
況我墮胡塵,及歸盡華發。經年至茅屋,妻子衣百結。
慟哭松聲回,悲泉共幽咽。平生所嬌兒,顏色白勝雪。
見耶背面啼,垢膩腳不襪。床前兩小女,補綴才過膝。
7
海圖拆波濤,舊繡移曲折。天吳及紫鳳,顛倒在短褐。
老夫情懷惡,數日臥嘔泄。那無囊中帛,救汝寒凜栗?
粉黛亦解苞,衾裯稍羅列。瘦妻面複光,癡女頭自櫛。
8
學母無不為,曉妝隨手抹。移時施朱鉛,狼籍畫眉闊。
生還對童稚,似欲忘饑渴。問事競挽須,誰能即嗔喝?
翻思在賊愁,甘受雜亂聒。新婦且慰意,生理焉得說?』
9
至尊尚蒙塵,幾日休練卒?仰觀天色改,坐覺妖氛豁。
陰風西北來,慘澹隨回紇。其王願助順,其俗善馳突。
送兵五千人,驅馬一萬匹。此輩少為貴,四方服勇決。
所用皆鷹騰,破敵過箭疾。聖心頗虛佇,時議氣欲奪。』
10
伊洛指掌收,西京不足拔。官軍請深入,蓄銳可俱發。
此舉開青徐,旋瞻略恆碣。昊天積霜露,正氣有肅殺。
禍轉亡胡歲,勢成擒胡月。胡命其能久?皇綱未宜絕。』
11
憶昨狼狽初,事與古先別。奸臣竟菹醢,同惡隨蕩析。
不聞夏殷衰,中自誅褒妲。周漢獲再興,宣光果明哲。
桓桓陳將軍,仗鉞奮忠烈。微爾人盡非,於今國猶活。』
12
淒涼大同殿,寂寞白獸闥。都人望翠華,佳氣向金闕。
園陵固有神,灑掃數不缺。煌煌太宗業,樹立甚宏達!』


DCF00196


#1
皇帝二載の秋 閏八月初吉。
杜子将に北征して、蒼茫 家室を問わんとす。』
維(こ)れ時 艱虞(かんぐ)に遭う、朝野(ちょうや)暇日(かじつ)少(すくな)し。
顧(かえり)みて恩私(おんし)の被るを慚ず、詔して蓬蓽(ほうか)に帰るを許さる。
拝辞して闕下(けつか)に詣(いた)り、怵惕(じゅつてき)久しうして未だ出でず。
諫諍(かんそう)の姿に乏しと雖も、恐らくは君に遺失有らんことを。
#2
君は誠に中興の主なり 経緯固に密勿たり
東胡反して未だ已まず 臣甫が憤の切なる所
沸を揮いて行在(あんざい)を恋う、道途(どうと)猶恍惚たり。
乾坤(けんこん)瘡痍(そうい)を含む、憂虞(ゆうぐ)何の時か畢(おわ)らん。』
#3
扉扉(ひひ)として阡陌(せんぱく)を逾(こ)ゆれば、人煙 眇(びょう)として蕭瑟(しょうしつ)たり。
遇う所は多く傷を被る 呻吟して更に血を流す。
首を回らす鳳翔県、旌旗(せいき)晩に明滅す。
前みて寒山の重れるに登る、屢々飲馬の窟(いわや)を得たり。
邠郊(ひんこう)地底に入る、涇水 中に蕩潏(とういつ)たり。
猛虎我が前に立つ、蒼崖吼ゆる時裂く。
#4
菊は今秋の花を垂れ,石は古車の轍(わだち)を戴く。
青雲は高興を動かし,幽事は 亦 悅ぶ可し。
山果 瑣細なるもの多く,羅生して橡栗(しょうりつ)雜(まじ)う。
或いは紅なること丹砂の如く,或いは黑きこと點漆の如し。
雨露の濡す所,甘苦 齊(ひと)しく實を結ぶ。
緬(はる)かに桃源の內を思い,益々身世の拙なるを嘆く。
#5
坡陀(はだ)として鄜畤を望めば,岩穀(がんこく)互いに出沒す。
我が行 已に水濱(すいひん),我が僕(ぼく)猶 木末(ぼくまつ)。
鴟梟(しちょう)は黄桑(こうそう)に鳴き、野鼠(やそ)は乱穴(らんけつ)に拱(きょう)す。
夜 深(ふ)けて戦場を経(ふ)れば、寒月(かんげつ)  白骨を照らす。
潼関(どうかん)  百万の師(いくさ)、往者(さきには) 散ずるところ何ぞ卒(すみや)かなりし。
遂に半秦(はんしん)の民をして、残害(ざんがい)して異物と為(な)らしむ。』

#6
況(いわ)んや我は胡塵(こじん)に堕(お)ち、帰るに及んで尽(ことごと)く華髪(かはつ)なり。
年(とし)を経(へ)て茅屋(ぼうおく)に至れば、妻子  衣(ころも)は百結(ひゃくけつ)なり。
慟哭(どうこく)すれば松声(しょうせい)廻(めぐ)り、悲泉(ひせん)は共に幽咽(ゆうえつ)す。
平生(へいぜい)  嬌(きょう)とする所の児(じ)、顔色(がんしょく)  白くして雪にも勝(まさ)る。
耶(ちち)を見て面(おもて)を背(そむ)けて啼(な)く、垢膩(こうじ)して脚(あし)に襪(たび)はかず。
床前(しょうぜん)の両小女、補綴(ほてつ)して 才(わず)かに膝(ひざ)を過ごす。
#7
海図(かいず)は波涛を拆(さ)き、旧繍(きゅうしゅう)は移りて曲折(きょくせつ)たり。
天呉(てんご)  及び紫鳳(しほう)、顛倒(てんとう)して裋褐(じゅかつ)に在り。
老父  情懐(じょうかい)悪(あ)しく、嘔泄(おうせつ)して臥(ふ)すこと数日なり。
那(なん)ぞ囊中(のうちゅう)の帛(きぬ)無からんや、汝(なんじ)の寒くして凛慄(りんりつ)たるを救わん。
粉黛(ふんたい) 亦た苞(つつみ)を解き、衾裯(きんちゅう) 稍(やや)羅列(られつ)す。
痩妻は面(おもて)をば復(ま)た光(かがや)かせ、痴女(ちじょ)は頭(こうべ)をば自ら櫛(くし)けずる。

#8
母を学(まね)びて為(な)さざるは無く、曉妝(ぎょうしょう)  手に随(したが)いて抹す。
時(とき)を移して朱鉛(しゅえん)を施(ほどこ)せば、狼藉(ろうぜき)として画眉(がび)闊(ひろ)し。
生還して童稚(どうち)に対すれば、飢渇(きかつ)を忘れんと欲(ほっ)するに似たり。
事を問うて競(きそ)うて鬚(ひげ)を挽(ひ)くも、誰か能(よ)く即ち嗔喝(しんかつ)せん。
翻(ひるがえ)って賊に在りし愁いを思いて、甘んじて雑乱(ざつらん)の聒(かまびす)しきを受く。
新たに帰りて且(か)つ意を慰(なぐさ)む、生理(せいり)  焉(いずく)んぞ説くことを得ん。

#9
至尊(しそん)は尚(な)お蒙塵(もうじん)す、幾の日か卒(そつ)を練るを休(や)めん。
仰いで天色(てんしょく)の改まるを観(み)、坐(そぞろ)に妖氛(ようふん)の豁(かつ)なるを覚(おぼ)ゆ。
陰風(いんぷう)  西北より来たり、惨澹(さんたん)として回紇(かいこつ)に随う。
其の王は助順(じょじゅん)を願い、其の俗(ぞく)は馳突(ちとつ)を善(よ)くす。
兵を送る  五千人、馬を駆(か)る  一万匹。
此の輩(はい) 少(わか)きを貴(とうと)しと為(な)し、四方(しほう) 勇決(ゆうけつ)に服す。
用うる所は皆な鷹(たか)のごとく騰(あが)り、敵を破ることは箭(や)の疾(と)きに過(す)ぐ。
聖心は頗(すこぶ)る虚佇(きょちょ)し、時議(じぎ)は気の奪われんと欲(ほっ)す。』

#10
伊洛(いらく)  掌(たなごころ)を指(さ)して収めん、西京(せいけい)も抜くに足らざらん。
官軍  深く入らんことを請(こ)う、鋭(えい)を蓄(たくわ)えて倶(とも)に発す可し。
此の挙(きょ)  青徐(せいじょ)を開かん、旋(たちま)ち恒碣(こうけつ)を略するを瞻(み)ん。
昊天(こうてん) 霜露を積み,正氣 肅殺(しゅくさつ)たる有り。
禍は轉ぜん 胡を亡ぼさん歲(とし),勢は成らん 胡を擒(とりこ)にせん月。
胡の命 其れ能く久しからんや?皇綱(こうこう)未だ宜しく絕つべからず。』

#11
憶う昨(さく) 狼狽(ろうばい)の初め,事は古先と別なり。
奸臣 竟に菹醢(そかい)せられ,同惡(どうあく)隨って蕩析(とうせき)す。
聞かず  夏殷(かいん)の衰えしとき、中(うち)の自ら褒妲(ほうだつ)を誅(ちゅう)せしを。
周漢(しゅうかん) 再興するを獲(え)しは、宣光(せんこう)  果たして明哲(めいてつ)なればなり。
桓桓(かんかん)たり  陳(ちん)将軍、鉞(えつ)に仗(よ)りて忠烈を奮(ふる)う。
爾(なんじ)微(な)かりせば人は尽(ことごと)く非(ひ)ならん、今に於(お)いて国は猶(な)お活(い)く。

#12
淒涼(せいりょう)たり  大同殿(だいどうでん)、寂寞(せきばく)たり 白獣闥(はくじゅうたつ)。
都人(とじん) 翠華(すいか)を望み、佳気(かき)   金闕(きんけつ)に向こう。
園陵(えんりょう) 固(もと)より神(しん)有り、掃灑(そうさい)  数(すう)欠けざらん。
煌煌(こうこう)たり 太宗の業(ぎょう)、樹立 甚(はなは)だ宏達(こうたつ)なり。
hinode0200

玉華宮 ② 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 206

玉華宮 ② 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 206
杜甫詩、杜甫の人生を語る「北征」期の重要な作品。

ID詩題摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言古詩)
970晚行口號 鄜州へ赴く途中で、日ぐれにあるきながら口ずさんだ詩。
971徒步歸行 鄜州へ赴く出発の詩
972九成宮  鄜州へ赴く途中、九成宮のほとりを経過して作った詩である。
973玉華宮  鄜州へ赴く途次其の地をすぎて作る。
974行次昭陵鄜州へ帰る途すがら昭陵のほとりにやどって作る。
975北征五言百四十句の長篇古詩。 至徳二載六月一日、鄜州に帰ることを許された。作者が此の旅行をした所以である。製作時は至徳二載九月頃か。八月初めに鳳翔より出発して鄜州に到著して以後に作ったもの。

977
978
979

羌村三首・黄土高原の雄大な夕景色。夕刻に到着。
・家族全員無事、秋の装い、豊作であった。
・村の長老たちと帰還の祝い。
981重經昭陵帰り道、第二回に昭陵の地を経過したとき作る。
ID詩題摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言律詩)
980收京三首王朝軍の手に長安を奪回したことを聞きつけてにつけて作る。製作時は至徳二載十月末~十一月初めの作。
粛宗に徹底して嫌われ、居場所がなく、家族を向かえに山中の道を行く。疎外された朝廷を後にするがすさまじい孤独感が詩全体にあふれる。
朝廷におけるいきさつについては下のブログ参照。

述懐 #1 杜甫 杜甫特集700- 178

述懐 #2 杜甫 杜甫特集700- 179

述懐 #3 杜甫 杜甫特集700- 180




鄜州へ赴く途次其の地をすぎて作る。唐の太宗の647年貞観二十一年七月、玉華宮を作る、務めて倹制に従い、正殿のみは瓦をふき、其の余は茅をふかせた。その清涼なことは九成宮にまさると称せられる。宮の位置は下図の中央付近、長安の真北、40kmくらうにあった。杜甫は鳳翔を当初、徒歩で出発している。裏街道を通り、九成宮への導入道路を抜け。邠州まで歩いている。ここで馬を借りて、銅川を抜けて、宜君にむかう。この詩は、この間のことをである。

玉華宮(ぎょくかきゅう)は高宗の651年永徽二年にこれを廃して玉華寺と為した。宜君県は今、鄜州の中部県(即ち唐の坊州)の南にある。杜甫が此の地を経過したときは玉華寺であるはずであるが、旧名によって玉華宮と題したものである。 


玉華宮
溪回松風長,蒼鼠竄古瓦。不知何王殿,遺構絕壁下。
陰房鬼火青,壞道哀湍瀉。萬籟真笙竽,秋色正蕭灑。』
#2
美人為黃土,況乃粉黛假。
あの楊貴妃は今は黄土となっている。しかし、いくら、最高に化粧し、うつくしく着飾っていたとしても死んでしまったのだ。
當時侍金輿,故物獨石馬。
絶世の美女といわれ、天子の寵愛を受けて金輿の傍に何時も同席していた。眼前に存在して見るものはただひとり立っている石刻の馬だけなのだ。
憂來藉草坐,浩歌淚盈把。
先のことを考えると心配が湧いて来るばかりだ、私はここで、草を下敷きにして坐り、大声に歌いだしてみたら一握りに余るほどの涙が流れでてくるのである。
冉冉徵途間,誰是長年者?』

わたしはこうした旅をするあいがに次第次第に年老いてゆくのはであるしかたのないことであるが、誰が果して不老長寿の幸せを保ち得る者であろうか。そんな者はいないのだ。


(玉華宮)#1
渓廻りて松風長し 蒼鼠古瓦に竄る
知らず何の王殿ぞ 遺構絶壁の下
陰房鬼火青く 壊道哀湍瀉ぐ
萬籟真に笙竽 秋色正に蕭灑たり』
#2
美人も黄土と為る 況や乃ち粉黛の仮なるをや
当時金輿に侍せしに 故物独り石馬あり
憂え来って草を藉きて坐す 浩歌涙把に盈つ
冉冉たり征途の間 誰か是れ長年の者ぞ』

現代語訳と訳註
(本文)

美人為黃土,況乃粉黛假。
當時侍金輿,故物獨石馬。
憂來藉草坐,浩歌淚盈把。
冉冉徵途間,誰是長年者?』

(下し文) #2
美人も黄土と為る 況や乃ち粉黛の仮なるをや
当時金輿に侍せしに 故物独り石馬あり
憂え来って草を藉きて坐す 浩歌涙把に盈つ
冉冉たり征途の間 誰か是れ長年の者ぞ』


(現代語訳)
あの楊貴妃は今は黄土となっている。しかし、いくら、最高に化粧し、うつくしく着飾っていたとしても死んでしまったのだ。
絶世の美女といわれ、天子の寵愛を受けて金輿の傍に何時も同席していた。眼前に存在して見るものはただひとり立っている石刻の馬だけなのだ。
先のことを考えると心配が湧いて来るばかりだ、私はここで、草を下敷きにして坐り、大声に歌いだしてみたら一握りに余るほどの涙が流れでてくるのである。
わたしはこうした旅をするあいがに次第次第に年老いてゆくのはであるしかたのないことであるが、誰が果して不老長寿の幸せを保ち得る者であろうか。そんな者はいないのだ。


(訳注)#2
美人為黃土,況乃粉黛假。

あの楊貴妃は今は黄土となっている。しかし、いくら、最高に化粧し、うつくしく着飾っていたとしても死んで消滅してしまったのだ。
美人 宮女。ほんの数か月前衝撃の殺され方をした楊貴妃のことをいっている。杜甫は、粛宗より、玄宗に随う気持ちが強かった。玄宗の悲劇を前面に出さず、ここではさりげなく振れている。○為黄土 死して土に化すことをいう。○粉黛仮 粉はおしろい、黛は眉をえがくのに用いる青色のすみ。仮とは仮借のものの意。


當時侍金輿,故物獨石馬。
絶世の美女といわれ、天子の寵愛を受けて金輿の傍に何時も同席していた。眼前に存在して見るものはただひとり立っている石刻の馬だけなのだ。
当時 太宗の時をさす。○侍金輿 金輿は黄金をもってかざったのりもの、天子の乗るもの、侍とは美人が生前そのそば近くはべったこと。「金輿に侍せしは」云々と訓ず可らず。「侍せしは」云々といえば下旬の放物が侍した様になって不都合である。「侍金輿」と「放物」との句の中間には「その美人は己に存在せず」の意を含む、略していわないまでである。○故物 在来からあるふるもの、太宗の頃に建てられたものであるから放物であるが、その後、玄宗と連れだってここに来ていた。○石馬石を刻してつくった馬。当時、大宗に対して悪い感情はないし、玄宗は楊貴妃がいけないのであって、皇帝は美人を好むものという当たり前のことなのである。


憂來藉草坐,浩歌淚盈把。
先のことを考えると心配が湧いて来るばかりだ、私はここで、草を下敷きにして坐り、大声に歌いだしてみたら一握りに余るほどの涙が流れでてくるのである。
 この憂いは将来に対するもので、杜甫自身、爽籟計画も夢も失いつつある時である。まだ、粛宗に認めてもらえ役立ちたいという希望を捨ててはいないのである。○浩歌 大きな声でうたう。○盈把  ひとにぎりに満つ。○杜甫は別に本当に泣いているわけではない、憂いの大きさを涙の量で表現しているのである。憂いたり、嘆いたりしていても決して悲観しているのではないのである。


冉冉徵途間,誰是長年者?』
わたしはこうした旅をするあいがに次第次第に年老いてゆくのはであるしかたのないことであるが、誰が果して不老長寿の幸せを保ち得る者であろうか。そんな者はいないのだ。
冉冉 漸漸と同義、次第に時日の進行するさま、時間の経過をいい、道路についていうのではない。○征途 征、往復の往の意味を持った旅という意味と、天子の許しを得て旅立つのであるから、北を征する意味を込めているともいえる。○長年 不老長寿の幸せ。唐の皇帝は、特に玄宗は道教に入信し、国教にまでした人物、金丹の不老伝説を信じていたものである。そんなもので長寿が叶えるはずはないというのであろうか。実際に道教と宦官によって、皇帝の中毒死は多数あったのだ。。


hinode0200

blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首



800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/


唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02


玉華宮 ① 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 205

玉華宮 ① 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 205

 ID 詩 題    摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言古詩)         

970: 晩行口號  ;鄜州へ赴く途中で、日ぐれにあるきながら口ずさんだ詩。
971: 徒歩歸行  ;鄜州へ赴く出発の詩
972: 九成宮   ; 鄜州へ赴く途中、九成宮のほとりを経過して作った詩である。
974: 行次昭陵  ;鄜州へ帰る途すがら昭陵のほとりにやどって作る。大宗の施政が
                         仁徳のあるものであったと賛美し、暗に粛宗の愚帝ぶりを批判し
                         ている。秀作。
973: 玉華宮  ; 鄜州へ赴く途次其の地をすぎて作る。
975: 北征         ; 五言百四十句の長篇古詩。 至徳二載六月一日、鄜州に帰ることを
                         許された。作者が此の旅行をした所以である。製作時は至徳二載
                         九月頃か。八月初めに鳳翔より出発して鄜州に到著して以後に作っ
                         たもの。旅の報告と上奏文であり、ウイグルに救援を求める粛宗批
                         判といえる内容のものである。一番の秀作。
977 :羌村三首其一 ・黄土高原の雄大な夕景色。夕刻に到着。
978:      其二 ・家族全員無事、秋の装い、豊作であった。
979:      其三 ・村の長老たちと帰還の祝い。
981: 重經昭陵 ;帰り道、第二回に昭陵の地を経過したとき作る。

ID 詩題 摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言律詩)
980: 收京三首;王朝軍の手に長安を奪回したことを聞きつけてにつけて作る。
                          製作時は至徳二載十月末~十一月初めの作。

粛宗に徹底して嫌われ、居場所がなく、家族を向かえに山中の道を行く。疎外された朝廷を後にするが,
すさまじい孤独感が詩全体にあふれるものである。が、一方、この時期の作品は左拾位としての役目をしようとする杜甫の誠実さを浮き彫りにするものでもある。秀作ぞろいである。ウイグル援軍要請批判は安禄山軍に拘束された時期、「黄河二首」「送楊六判官使西蕃」から一貫している。


鄜州へ赴く途次其の地をすぎて作る。唐の太宗の647年貞観二十一年七月、玉華宮を作る、務めて倹制に従い、正殿のみは瓦をふき、其の余は茅をふかせた。その清涼なことは九成宮にまさると称せられる。宮の位置は下図の中央付近、長安の真北、40kmくらうにあった。杜甫は鳳翔を当初、徒歩で出発している。裏街道を通り、九成宮への導入道路を抜け。邠州まで歩いている。ここで馬を借りて、銅川を抜けて、宜君にむかう。この詩は、この間のことをである。
杜甫乱前後の図003鳳翔

玉華宮(ぎょくかきゅう)は高宗の651年永徽二年にこれを廃して玉華寺と為した。宜君県は今、鄜州の中部県(即ち唐の坊州)の南にある。杜甫が此の地を経過したときは玉華寺であるはずであるが、旧名によって玉華宮と題したものである。 


玉華宮
溪回松風長,蒼鼠竄古瓦。
不知何王殿,遺構絕壁下。
陰房鬼火青,壞道哀湍瀉。
萬籟真笙竽,秋色正蕭灑。』
谷川がうねっている、そこに這うように松風が遠くやさしく吹いてくる、落ちて散らばった古瓦に胡麻塩の毛の鼠が人を畏れるかの様にかくれている。 
あれはいったい如何なる王の宮殿であったのだろうか。建て物がのこっているのはあの絶壁の下にあるのである。
近づいてみると北向きの部屋には燐の火が青くもえており、こわれた道にはかなしい音をたててながれる泉水の霧状のしぶきが流れおしだしている。
から風がさまざまの物の音を鳴らすようだ、それは本当に笙や竽の音をきくこころ持ちにしてくれ、秋を感じさせる色合いも落ち着いて色合いになりさっぱりとしている。』

美人為黃土,況乃粉黛假。當時侍金輿,故物獨石馬。
憂來藉草坐,浩歌淚盈把。冉冉徵途間,誰是長年者?』

(玉華宮)#1
渓廻りて松風長し 蒼鼠古瓦に竄る
知らず何の王殿ぞ 遺構絶壁の下
陰房鬼火青く 壊道哀湍瀉ぐ
萬籟真に笙竽 秋色正に蕭灑たり』
#2
美人も黄土と為る 況や乃ち粉黛の仮なるをや
当時金輿に侍せしに 故物独り石馬あり
憂え来って草を藉きて坐す 浩歌涙把に盈つ
冉冉たり征途の間 誰か是れ長年の者ぞ』


gogyu10680
現代語訳と訳註
(本文)
溪回松風長,蒼鼠竄古瓦。
不知何王殿,遺構絕壁下。
陰房鬼火青,壞道哀湍瀉。
萬籟真笙竽,秋色正蕭灑。』

(下し文)
渓廻りて松風長し 蒼鼠古瓦に竄る
知らず何の王殿ぞ 遺構絶壁の下
陰房鬼火青く 壊道哀湍瀉ぐ
萬籟真に笙竽 秋色正に蕭灑たり』

(現代語訳)
谷川がうねっている、そこに這うように松風が遠くやさしく吹いてくる、落ちて散らばった古瓦に胡麻塩の毛の鼠が人を畏れるかの様にかくれている。 
あれはいったい如何なる王の宮殿であったのだろうか。建て物がのこっているのはあの絶壁の下にあるのである。
近づいてみると北向きの部屋には燐の火が青くもえており、こわれた道にはかなしい音をたててながれる泉水の霧状のしぶきが流れおしだしている。
から風がさまざまの物の音を鳴らすようだ、それは本当に笙や竽の音をきくこころ持ちにしてくれ、秋を感じさせる色合いも落ち着いて色合いになりさっぱりとしている。』


(訳注)
玉 華 宮
玉華宮(ぎょくかきゅう)は中華人民共和国陝西省銅川市に位置する。銅川市の北45キロメートルの玉華山にあり、唐代最初の三代の皇帝の避暑地として用いられた。また、玄奘三蔵が太宗(在位。626~ 649)により訳経を命ぜられた場所としても有名。

溪回松風長,蒼鼠竄古瓦。
渓廻りて松風長し 蒼鼠古瓦に竄る
谷川がうねっている、そこに這うように松風が遠くやさしく吹いてくる、落ちて散らばった古瓦に胡麻塩の毛の鼠が人を畏れるかの様にかくれている。 
○渓廻 たに川がうねる。○長 遠くより吹き来たる。○蒼鼠 胡麻しおの毛色のねずみ。○古瓦 落ちて散らばっている古瓦。

不知何王殿,遺構絕壁下。
知らず何の王殿ぞ、遺構絶壁の下。
あれはいったい如何なる王の宮殿であったのだろうか。建て物がのこっているのはあの絶壁の下にあるのである。
○何王殿 如何なる「王者の宮殿」であるか。杜甫は宮が寺となっていることも何もかも知ったうえで、奢侈、、反乱がおこった事の中での存在感、いろんな疑問をもって、批判的な部分を示したのである。○遺構 のこっている構造物。○絶壁  きったてのいわかべ。

陰房鬼火青,壞道哀湍瀉。
陰房鬼火青く 壊道哀湍瀉ぐ
近づいてみると北向きの部屋には燐の火が青くもえており、こわれた道にはかなしい音をたててながれる泉水の霧状のしぶきが流れおしだしている。
○陰房 避暑のためである北面に部屋をつくる。○鬼火 燐の火。○壊道 こわれた道路。○哀瑞 かなしい音をたててながれる泉水の霧状のしぶき。
 
萬籟真笙竽,秋色正蕭灑。』-#1
萬籟真に笙竽 秋色正に蕭灑たり』
から風がさまざまの物の音を鳴らすようだ、それは本当に笙や竽の音をきくこころ持ちにしてくれ、秋を感じさせる色合いも落ち着いて色合いになりさっぱりとしている。』
〇萬籟 から風の吹きならすさまざまの音響。○笙竽 共に楽器の名、竿は十三第、竿は三十六第、箕は空気を振動させる舌。笠竿を吹き鳴らす如くであることをいう。○秋色 秋を感じさせる色合い。○蕭灑 落ち着いて色合いでさっぱりとしたさま。

blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首



800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/


  唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

行次昭陵 2/2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 204

行次昭陵 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700 - 204

ID詩題摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言古詩)
970晩行口號 鄜州へ赴く途中で、日ぐれにあるきながら口ずさんだ詩。
971徒歩歸行 鄜州へ赴く出発の詩
972九成宮  鄜州へ赴く途中、九成宮のほとりを経過して作った詩である。
974行次昭陵鄜州へ帰る途すがら昭陵のほとりにやどって作る。大宗の施政が仁徳のあるものであったと賛美し、暗に粛宗の愚帝ぶりを批判している。秀作。
973玉華宮  鄜州へ赴く途次其の地をすぎて作る。
975北征五言百四十句の長篇古詩。 至徳二載六月一日、鄜州に帰ることを許された。作者が此の旅行をした所以である。製作時は至徳二載九月頃か。八月初めに鳳翔より出発して鄜州に到著して以後に作ったもの。旅の報告と上奏文であり、ウイグルに救援を求める粛宗批判といえる内容のものである。一番の秀作。
977羌村三首・黄土高原の雄大な夕景色。夕刻に到着。
978・家族全員無事、秋の装い、豊作であった。
979・村の長老たちと帰還の祝い。
981重經昭陵帰り道、第二回に昭陵の地を経過したとき作る。
ID詩題摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言律詩)
980收京三首王朝軍の手に長安を奪回したことを聞きつけてにつけて作る。製作時は至徳二載十月末~十一月初めの作。
粛宗に徹底して嫌われ、居場所がなく、家族を向かえに山中の道を行く。疎外された朝廷を後にするがすさまじい孤独感が詩全体にあふれるものである。が、一方、この時期の作品は左拾位としての役目をしようとする杜甫の誠実さを浮き彫りにするものでもある。秀作ぞろいである。ウイグル援軍要請批判は安禄山軍に拘束された時期、「黄河二首」「送楊六判官使西蕃」から一貫している。
   


(行くゆく昭陵に次る)
鄜州へ帰る途すがら昭陵のほとりにやどって作る。昭陵は唐の太宗の陵で、陝西省西安府醴泉県の西北六十里九嵕山に在り、封内は周囲百二十里、陪葬せられるものは諾王七、公主二十一、妃嬪八、宰相十二、丞郎三品五十三人、功臣大将軍等六十四人。太宗の乗った六駿の石像は陵後にあったが今は持ち出されている。又、陵そのものは「唐会要」に「昭陵は九嵕の層峰に因りて山の南面を穿ち、深さ七十五丈、玄宮を為る。巌に傍い梁を架して桟道を為る、懸絶すること百仞、繞回すること二百三十歩にして始めて玄宮の門に達す。頂上にも亦遊殿を起す。」とあるのによって大略をうかがうことを得る。又、李商隠の『行次西郊作 一百韻』は杜甫のこの詩と『北征』を手本にして詠われているので参考になる。


行次昭陵

#1
舊俗疲庸主,羣雄問獨夫。讖歸龍鳳質,威定虎狼都。』
天屬尊堯典,神功協禹謨。風雲隨絕足,日月繼高衢。
文物多師古,朝廷半老儒。直辭寧戮辱,賢路不崎嶇。』
#2
往者災猶降,蒼生喘未蘇。
時代に人民は土木工事に疲弊してしまったところへ、洪水と干ばつという自然災害が起こってしまった。人民は、あえぎ、苦しんで再生することが容易ではなかったのだ。
指麾安率土,蕩滌撫洪爐。
太宗が世を治められると賢臣を全国にうまく配置され、全天下を安定したものにされ人民は夜戸締りをしないほど落ち着いてきた。地方の官僚も収奪をしない民にやさしいものが出世するという、従前の汚職構造をあらいきよめて、仁徳のあるあたたかい大なる囲炉裏の様に愛撫せられた。』
壯士悲陵邑,幽人拜鼎湖。
今わたしはこの九嵕山の太宗御陵にさしかかった、昭陵を守る武士番兵は悲しそうにしているのである、この時期ここを通るものとしては隠遁者ぐらいであるから天から龍が降りてきたというこの御陵に対してつつしんで礼拝をささげるのである。
玉衣晨自舉,鐵馬汗常趨。
太宗の神霊は天上におわすが寝殿に蔵してある玉衣はひとりでに毎朝になるたびに舞いあがり、武装した石刻の馬も活きていて汗をながしていつも走って居るのである。
松柏瞻虛殿,塵沙立暝途。
昔を偲ぶ松柏の立ち並んでいるあたりにあがめる人がいない御殿をみあげている、沙ほこりの舞うなかに夕ぐれに差し掛かっていくただ佇んでいるのである。
寂寥開國日,流恨滿山隅。

太宗の唐の国家をはじめて安定さ大帝国に開き、大宗の威厳が浸透していた日々は遠き過去となってさびしく、ただあふれる恨の念というものがこの山陵の四隅にいっぱいにひろがっているばかりだ。


#1
旧俗庸主に疲る、羣雄独夫を問う。
讖は帰す竜鳳の質、威は定む虎狼の都。
天属堯典を尊び、神功兎謨に協う。
風雲絶足に随い、日月高衢に継ぐ。
文物多く古を師とす、朝廷半老儒。
直詞寧ぞ戮辱せられん、賢路崎嶇足らず。』
#2
往者災猶降る、蒼生喘ぎて未だ蘇せず。
指危麾率土を安んじ、盪滌洪鑪のごとく撫す。
壮士陵邑に悲しみ、幽人鼎湖に拝す。
玉衣晨に自ら挙る、鉄馬汗して常に趨す。
松柏に虚殿を瞻、塵抄に瞑途に立つ。
寂蓼たり開国の日、流恨山隅に満つ。』


現代語訳と訳註
(本文)#2
往者災猶降,蒼生喘未蘇。指麾安率土,蕩滌撫洪爐。
壯士悲陵邑,幽人拜鼎湖。玉衣晨自舉,鐵馬汗常趨。
松柏瞻虛殿,塵沙立暝途。寂寥開國日,流恨滿山隅。

(下し文) #2
往者災猶降る、蒼生喘ぎて未だ蘇せず。
指危麾率土を安んじ、盪滌洪鑪のごとく撫す。
壮士陵邑に悲しみ、幽人鼎湖に拝す。
玉衣晨に自ら挙る、鉄馬汗して常に趨す。
松柏に虚殿を瞻、塵抄に瞑途に立つ。
寂蓼たり開国の日、流恨山隅に満つ。』

(現代語訳)
隋時代に人民は土木工事に疲弊してしまったところへ、洪水と干ばつという自然災害が起こってしまった。人民は、あえぎ、苦しんで再生することが容易ではなかったのだ。
太宗が世を治められると賢臣を全国にうまく配置され、全天下を安定したものにされ人民は夜戸締りをしないほど落ち着いてきた。地方の官僚も収奪をしない民にやさしいものが出世するという、従前の汚職構造をあらいきよめて、仁徳のあるあたたかい大なる囲炉裏の様に愛撫せられた。』
今わたしはこの九嵕山の太宗御陵にさしかかった、昭陵を守る武士番兵は悲しそうにしているのである、この時期ここを通るものとしては隠遁者ぐらいであるから天から龍が降りてきたというこの御陵に対してつつしんで礼拝をささげるのである。
太宗の神霊は天上におわすが寝殿に蔵してある玉衣はひとりでに毎朝になるたびに舞いあがり、武装した石刻の馬も活きていて汗をながしていつも走って居るのである。
昔を偲ぶ松柏の立ち並んでいるあたりにあがめる人がいない御殿をみあげている、沙ほこりの舞うなかに夕ぐれに差し掛かっていくただ佇んでいるのである。
太宗の唐の国家をはじめて安定さ大帝国に開き、大宗の威厳が浸透していた日々は遠き過去となってさびしく、ただあふれる恨の念というものがこの山陵の四隅にいっぱいにひろがっているばかりだ。
 

(訳注)#2
往者災猶降,蒼生喘未蘇。
隋時代に人民は土木工事に疲弊してしまったところへ、洪水と干ばつという自然災害が起こってしまった。人民は、あえぎ、苦しんで再生することが容易ではなかったのだ。
往者 それ以前の、隋から唐の初め頃のこと。隋の大運河建設は人民を疲弊させたが、長期的には江南の物資を長安に大量に運ぶことができるようになって貞観の治の礎になったのである、しかし、隋末から貞観の初年に大水と干ばつがあり餓者が野にみちた。富がなかったため、自然災害に耐えうる力が備わっていなかったことをいう。○災猶降 国家的な財政が出来上がっていないから、災害に弱い大した鵜であったことをいう。前の句の繰り返しである。○蒼生 人民。○ よみがえる。


指麾安率土,蕩滌撫洪爐。
太宗が世を治められると賢臣を全国にうまく配置され、全天下を安定したものにされ人民は夜戸締りをしないほど落ち着いてきた。地方の官僚も収奪をしない民にやさしいものが出世するという、従前の汚職構造をあらいきよめて、仁徳のあるあたたかい大なる囲炉裏の様に愛撫せられた。』
指麾 はたでさしまねく、ここでは太宗が臣下を御することをいう。○率土 租庸調の租の部分で、均田法の基礎になるもので、今の住民票というものと考える。○蕩滌 うごかしそそぐ、きたないものをふりうごかしてあらう。○撫洪爐 洪爐のごとく撫すること。洪爐は大なる火をもやすいろり、造化自然をたとえていう。撫は愛してなでさすること。 


壯士悲陵邑,幽人拜鼎湖。
今わたしはこの九嵕山の太宗御陵にさしかかった、昭陵を守る武士番兵は悲しそうにしているのである、この時期ここを通るものとしては隠遁者ぐらいであるから天から龍が降りてきたというこの御陵に対してつつしんで礼拝をささげるのである。
○壮士 昭陵を守る武士をいう。○陵邑 九嵕山に太宗が築いた昭陵の地をいう。○幽人 隠遁者、幽静な人、杜甫自身の行在所から山中に向うことから隠遁者といった。○ 礼拝する。○鼎湖 黄帝は首山の銅で、鼎を荊山で鋳た。鼎が出来上がったとき、天から竜が下って帝を迎え、昇天した。その跡を鼎湖という。黄帝が天に昇った地、昭陵をたとえていぅ。


玉衣晨自舉,鐵馬汗常趨。
太宗の神霊は天上におわすが寝殿に蔵してある玉衣はひとりでに毎朝になるたびに舞いあがり、武装した石刻の馬も活きていて汗をながしていつも走って居るのである。
玉衣晨自舉 玉衣は葬儀用玉の中の最高等級で、前漢の時期には、皇帝、皇后、王侯だけが金縷玉衣を使うことができるとされた。玉を金糸でつづった衣。○鐵馬汗常趨 鉄馬は鎧で武装した馬。哥舒翰が率いて大敗した潼関の戦いの際、この御陵の霊宮の前の石人石馬が、汗を流していたと。「玉衣」「鉄馬」などの語は太宗の霊が王朝軍が敗れ去ることを悲しんでいるということをいわんとしているのである。


松柏瞻虛殿,塵沙立暝途。
昔を偲ぶ松柏の立ち並んでいるあたりにあがめる人がいない御殿をみあげている、沙ほこりの舞うなかに夕ぐれに差し掛かっていくただ佇んでいるのである。
松柏 陵樹。〇 あおぎみる。○虚殿 叛乱軍による国が騒乱状態にあるため管理体制がなされていない状態で人のいない御殿。○塵沙 砂埃のなか。冬の風は北の砂漠地帯の砂塵を含んで吹き付ける。○瞑途 くらがりのみち。


寂寥開國日,流恨滿山隅。
太宗の唐の国家をはじめて安定さ大帝国に開き、大宗の威厳が浸透していた日々は遠き過去となってさびしく、ただあふれる恨の念というものがこの山陵の四隅にいっぱいにひろがっているばかりだ。
寂蓼 心が満ち足りず、もの寂しいこと。ひっそりとしてもの寂しいさま。長安が叛乱軍に落ちて、鳳翔に行在所として存在していることをいう。○開国日 開国は太宗が唐の国家をはじめて安定さ大帝国に開いたことをいう。大宗の威厳が浸透していた日々をいう。それは遠く去って今はひっそりとしている。朝廷とこの御陵がかけ離れていることをいう。○流恨 叛乱軍に対して、叛乱軍を生み出していった玄宗のふがいなさ、小さい人物で叛乱軍を討つのに胡の軍に頼っている粛宗に対してただよえるうらみの念。○山隅 山陵の四隅。



昭陵
昭陵は唐の第二代皇帝李世民の陵墓。李世民は父の高祖李淵に譲位され、626年に即位した。翌年、貞観と年号を改め、在位23年は中国の歴史上での極めて繁栄した時代で「貞観の治」といわれる。
太宗李世民はモラルの確立を重視し、儒教道徳政治の理想社会を築いた。「民、道に落ちたる物を拾わず、外出戸を閉じず」と言われたほどの平和な「貞観の治」は中間官僚の質を高めたことによるものであった。
 昭陵は当時の都長安から80キロくらい離れた九峻山の頂上にある。九峻山とは9つの険しい峰があることからそう呼ばれている。
hinode0200


唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

行次昭陵1/2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 203

行次昭陵1/2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 203

ID詩題摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言古詩)
970晩行口號 鄜州へ赴く途中で、日ぐれにあるきながら口ずさんだ詩。
971徒歩歸行 鄜州へ赴く出発の詩
972九成宮  鄜州へ赴く途中、九成宮のほとりを経過して作った詩である。
974行次昭陵鄜州へ帰る途すがら昭陵のほとりにやどって作る。大宗の施政が仁徳のあるものであったと賛美し、暗に粛宗の愚帝ぶりを批判している。秀作。
973玉華宮  鄜州へ赴く途次其の地をすぎて作る。
975北征五言百四十句の長篇古詩。 至徳二載六月一日、鄜州に帰ることを許された。作者が此の旅行をした所以である。製作時は至徳二載九月頃か。八月初めに鳳翔より出発して鄜州に到著して以後に作ったもの。旅の報告と上奏文であり、ウイグルに救援を求める粛宗批判といえる内容のものである。一番の秀作。
977羌村三首・黄土高原の雄大な夕景色。夕刻に到着。
978・家族全員無事、秋の装い、豊作であった。
979・村の長老たちと帰還の祝い。 
981重經昭陵帰り道、第二回に昭陵の地を経過したとき作る。
ID詩題摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言律詩)
980收京三首王朝軍の手に長安を奪回したことを聞きつけてにつけて作る。製作時は至徳二載十月末~十一月初めの作。
粛宗に徹底して嫌われ、居場所がなく、家族を向かえに山中の道を行く。疎外された朝廷を後にするがすさまじい孤独感が詩全体にあふれるものである。が、一方、この時期の作品は左拾位としての役目をしようとする杜甫の誠実さを浮き彫りにするものでもある。秀作ぞろいである。ウイグル援軍要請批判は安禄山軍に拘束された時期、「黄河二首」「送楊六判官使西蕃」から一貫している。
   


(行くゆく昭陵に次る)
鄜州へ帰る途すがら昭陵のほとりにやどって作る。昭陵は唐の太宗の陵で、陝西省西安府醴泉県の西北六十里九嗅山に在り、封内は周囲百二十里、陪葬せられるものは諾王七、公主二十一、妃嬪八、宰相十二、丞郎三品五十三人、功臣大将軍等六十四人。太宗の乗った六駿の石像は陵後にあったが今は持ち出されている。又、陵そのものは「唐会要」に「昭陵は九埠の層峰に因りて山の南面を整ち、深さ七十五丈、玄宮を為る。巌に傍い梁を架して桟道を為る、懸絶すること百仞、繞回すること二百三十歩にして始めて玄宮の門に達す。頂上にも亦遊殿を起す。」とあるのによって大略をうかがうことを得るであろう。又、李商隠の『行次西郊作 一百韻』は杜甫のこの詩と『北征』を手本にして詠われているので参考になる。
長安の近郊


行次昭陵  #1
舊俗疲庸主,羣雄問獨夫。
これまでの歴代の愚な君主がつづいたため在来の民意俗風はつかれやぶれ嫌気をおこした。そこで多くの英雄たちが起って帝徳を失い一私人とも見なすべき隋の煬帝に対してその罪を問うたのである。
讖歸龍鳳質,威定虎狼都。』
そうした中で天子として期待できるという予言は竜鳳の資質をそなえた我が唐の太宗に帰しているとした、太宗の武威は虎狼の国ともいうべきの都、長安を平定せられた。』
天屬尊堯典,神功協禹謨。
太宗は高祖に対しては血属は父子であってしかも「堯典」の趣旨を尊んで賢者の血縁に位をゆずるという仕方をとられたし、太宗の人力以上の功は「大禹謨」にしるされている禹の功にも則っているのである。
風雲隨絕足,日月繼高衢。
駿馬のように逸足ともいうべき太宗がたちあがられると風雲に乗じて起ったように支えるいろいろの賢臣のものが之に付き随ったのである。そうして太宗は天の筋道にかがやく日月の光を受け継ぎ、煬帝で暗黒であった此の世を照らされた。
文物多師古,朝廷半老儒。
太宗はこの国を豊かな国家として為され、文物律令制度とし、そして多く古代の良法を模範とすることを基本とし、朝廷に用いられる人々は半以上は老儒者であった。
直辭寧戮辱,賢路不崎嶇。』

その時にはいくら直言をして諌めても刑罰にされたり、辱めをうけるということはなく、賢人が仕進する路は開かれ、けわしいものではなくとおることができたのだ。』
#2
往者災猶降,蒼生喘未蘇。指麾安率土,蕩滌撫洪爐。
壯士悲陵邑,幽人拜鼎湖。玉衣晨自舉,鐵馬汗常趨。
松柏瞻虛殿,塵沙立暝途。寂寥開國日,流恨滿山隅。
#1
旧俗庸主に疲る、羣雄独夫を問う。
讖は帰す竜鳳の質、威は定む虎狼の都。
天属堯典を尊び、神功兎謨に協う。
風雲絶足に随い、日月高衢に継ぐ。
文物多く古を師とす、朝廷半老儒。
直詞寧ぞ戮辱せられん、賢路崎嶇足らず。』
#2
往者災猶降る、蒼生喘ぎて未だ蘇せず。
指危麾率土を安んじ、盪滌洪鑪のごとく撫す。
壮士陵邑に悲しみ、幽人鼎湖に拝す。
玉衣晨に自ら挙る、鉄馬汗して常に趨す。
松柏に虚殿を瞻、塵抄に瞑途に立つ。
寂蓼たり開国の日、流恨山隅に満つ。』

杜甫乱前後の図003鳳翔


現代語訳と訳註
(本文)#1

舊俗疲庸主,羣雄問獨夫。
讖歸龍鳳質,威定虎狼都。』
天屬尊堯典,神功協禹謨。
風雲隨絕足,日月繼高衢。
文物多師古,朝廷半老儒。
直辭寧戮辱,賢路不崎嶇。』


(下し文)
旧俗庸主に疲る、羣雄独夫を問う。
讖は帰す竜鳳の質、威は定む虎狼の都。
天属堯典を尊び、神功兎謨に協う。
風雲絶足に随い、日月高衢に継ぐ。
文物多く古を師とす、朝廷半老儒。
直詞寧ぞ戮辱せられん、賢路崎嶇足らず。』


(現代語訳)
これまでの歴代の愚な君主がつづいたため在来の民意俗風はつかれやぶれ嫌気をおこした。そこで多くの英雄たちが起って帝徳を失い一私人とも見なすべき隋の煬帝に対してその罪を問うたのである。
そうした中で天子として期待できるという予言は竜鳳の資質をそなえた我が唐の太宗に帰しているとした、太宗の武威は虎狼の国ともいうべきの都、長安を平定せられた。』
太宗は高祖に対しては血属は父子であってしかも「堯典」の趣旨を尊んで賢者の血縁に位をゆずるという仕方をとられたし、太宗の人力以上の功は「大禹謨」にしるされている禹の功にも則っているのである。
駿馬のように逸足ともいうべき太宗がたちあがられると風雲に乗じて起ったように支えるいろいろの賢臣のものが之に付き随ったのである。そうして太宗は天の筋道にかがやく日月の光を受け継ぎ、煬帝で暗黒であった此の世を照らされた。
太宗はこの国を豊かな国家として為され、文物律令制度とし、そして多く古代の良法を模範とすることを基本とし、朝廷に用いられる人々は半以上は老儒者であった。
その時にはいくら直言をして諌めても刑罰にされたり、辱めをうけるということはなく、賢人が仕進する路は開かれ、けわしいものではなくとおることができたのだ。』


(訳注)#1
舊俗疲庸主,羣雄問獨夫。

旧俗庸主に疲る、羣雄独夫を問う。
これまでの歴代の愚な君主がつづいたため在来の民意俗風はつかれやぶれ嫌気をおこした。そこで多くの英雄たちが起って帝徳を失い一私人とも見なすべき隋の煬帝に対してその罪を問うたのである。
旧俗 唐以前の歴代の民意風俗をいう。○疲庸主 庸主とは凡庸の君主、六朝以来の愚かな天子をさす。疲とは凋倣すること、つかれてやぶれ嫌気をおこした。或は庸主、独夫ともに隋の煬帝をさすという。○群雄 多くの英雄、隋末に天下を一統せんとして起った李密・賓建徳等をさす。○問独夫 問とはその罪を問うこと。独夫とは天子たる資格のない単独のおとこ、独裁者、隋の煬帝をさす。
 
讖歸龍鳳質,威定虎狼都。』
讖は帰す竜鳳の質、威は定む虎狼の都。
そうした中で天子として期待できるという予言は竜鳳の資質をそなえた我が唐の太宗に帰しているとした、太宗の武威は虎狼の国ともいうべきの都、長安を平定せられた。』
 予言の辞、唐の太宗が四歳のとき、ある書生が彼を見ていうのに「竜鳳ノ姿、天日ノ表、年将二二十ナラントスレバ、必ズ能ク世ヲ済イ民ヲ安ンゼン。」と。書生は、太宗の未来について予言したのである。○竜鳳質 上の書生の言にみえる、太宗の美質をいう。○ 太宗の武威。○虎狼都 秦の都長安をいう。「史記」蘇秦伝の「秦ハ虎狼ノ国ナリ」。

天屬尊堯典,神功協禹謨。
天属堯典を尊び、神功兎謨に協う。
太宗は高祖に対しては血属は父子であってしかも「堯典」の趣旨を尊んで賢者の血縁に位をゆずるという仕方をとられたし、太宗の人力以上の功は「大禹謨」にしるされている禹の功にも則っているのである。
天属 天よりの血属をいう、父子の関係をさす。これは唐の高祖と太宗の間がら、父たる高祖が子たる太宗に帝位を譲られたことをさす。三皇五帝の堯帝より世襲により譲位されるようになった。○尊堯典 「尚書」の堯典欝では帝堯が賢人たる舜に位を禅ったことを書いている。太宗は長子ではなく弟であったが賢であったので高祖より位をゆずられたというのである。これは堯典の趣旨を尊ぶことである。○神功 太宗の人力以上の功。○協禹謨 「尚書」の大南護に、南の功をのべて、「九功惟レ叙ス」という。太宗の舞楽にも七徳丸功舞がある。これは禹謨にかなうものである。
 
風雲隨絕足,日月繼高衢。
風雲絶足に随い、日月高衢に継ぐ。
駿馬のように逸足ともいうべき太宗がたちあがられると風雲に乗じて起ったように支えるいろいろの賢臣のものが之に付き随ったのである。そうして太宗は天の筋道にかがやく日月の光を受け継ぎ、煬帝で暗黒であった此の世を照らされた。
風雲随絶足 絶足は逸足に同じ、駿馬、六駿のことで、太宗が唐王朝を樹立するため、隋の軍隊と戦い、全国を駆け巡っている時に愛用した軍馬をいう。したがって、これも太宗をたとえていう。風雲は諸臣をたとえていう。諸臣みな風雲の会に乗じて太宗にしたがう。六駿は当時は昭陵の後方にたてられていた。現在は西安市の碑林博物館にある。〇日月経高衢 これは日月の光を高衢において継ぐ意である。高衢は天上の筋道であり、太宗が高祖の徳光をつぐことをいう。


文物多師古,朝廷半老儒。
文物多く古を師とす、朝廷半老儒。
太宗はこの国を豊かな国家として為され、文物律令制度とし、そして多く古代の良法を模範とすることを基本とし、朝廷に用いらるる人々は半以上は老儒者であった。
文物 唐の国家の制度文物、雅楽を製し、律令を定め、封建を議する等は、みな文物である。○師古 古代の良い制度法律を模範とすること。○半老儒 半分以上は熟知し年老いた儒者である。これは虞世南等の十八学士等をさす。


直辭寧戮辱,賢路不崎嶇。』
直詞寧ぞ戮辱せられん、賢路崎嶇足らず。』
その時にはいくら直言をして諌めても刑罰にされたり、辱めをうけるということはなく、賢人が仕進する路は開かれ、けわしいものではなくとおることができたのだ。』
直詞 直言して諌めること、王珪・魏徴の諌めたことをさす。○戮辱 刑せられ、はずかしめられる。○賢路 賢人の進む路。○不崎嘔 崎嘔は道路のけわしいさま。崎嘔たらずとはけわしくないこと、太宗は馬周・劉子巽等を挙げ用いた。

行次西郊作 一百韻 #5 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 151


太宗の貞観の治について詠っているの部分である。
「例以賢牧伯,徵入司陶鈞。」
通例として、そのうちから、治績いちじるしかった偉い地方の太守を選抜して中央の大臣として召還されることとされたのだ。かくて、地方官はその地の民を恵しむことに励み、国政の大綱も輝かしい文治の方針にそって、その繁栄の道を歩んだのだった。


毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ

  唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

「九成宮」#2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 202

「九成宮」#2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 202


杜甫詩、杜甫の人生を語る「北征」期の重要な作品。

ID詩題摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言古詩)
970晚行口號 鄜州へ赴く途中で、日ぐれにあるきながら口ずさんだ詩。
971徒步歸行 鄜州へ赴く出発の詩
972九成宮  鄜州へ赴く途中、九成宮のほとりを経過して作った詩である。
973玉華宮  鄜州へ赴く途次其の地をすぎて作る。
974行次昭陵鄜州へ帰る途すがら昭陵のほとりにやどって作る。
975北征五言百四十句の長篇古詩。 至徳二載六月一日、鄜州に帰ることを許された。作者が此の旅行をした所以である。製作時は至徳二載九月頃か。八月初めに鳳翔より出発して鄜州に到著して以後に作ったもの。

977
978
979

羌村三首・黄土高原の雄大な夕景色。夕刻に到着。
・家族全員無事、秋の装い、豊作であった。
・村の長老たちと帰還の祝い。
981重經昭陵帰り道、第二回に昭陵の地を経過したとき作る。
ID詩題摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言律詩)
980收京三首王朝軍の手に長安を奪回したことを聞きつけてにつけて作る。製作時は至徳二載十月末~十一月初めの作。
粛宗に徹底して嫌われ、居場所がなく、家族を向かえに山中の道を行く。疎外された朝廷を後にするがすさまじい孤独感が詩全体にあふれる。
朝廷におけるいきさつについては下のブログ参照。

述懐 #1 杜甫 杜甫特集700- 178

述懐 #2 杜甫 杜甫特集700- 179

述懐 #3 杜甫 杜甫特集700- 180




九成宮
#1
蒼山八百裡,崖斷如杵臼。曾宮憑風迥,岌嶪土嚢口。』
立神扶棟梁,鑿翠開戶牖。其陽產靈芝,其陰宿牛鬥。
紛披長松倒,揭櫱怪石走。哀猿啼一聲,客淚迸林叢。』1
#2
荒哉隋家帝,製此今頹朽。
隋国の天子(煬帝)は土木(どぼく)運河に懸命になりすぎ、心が荒んだのだ、むかしこんな立派な宮殿をこしらえたのであるが今はこんなに禿げ、崩れ、朽ちてしまった。
向使國不亡,焉為巨唐有。
もしさきにその国を滅亡させない様にしたのであれば、どうしてこれが我が大唐王朝の所有物となることになったのであろうか。
雖無新增修,尚置官居守。
我が唐では、玄宗になってからは新しく宮殿増修はしていないが、しかしそれでも管理の官を置いて留守番をさせているのだ。
巡非瑤水遠,跡是雕牆後。』
時々天子も御巡幸になるが、それが穆王が西王母に会うために遠方へおでかけになるということではないということであっても、この離宮の史蹟、隋がやった雕牆の奢侈の後をうけてやっているだけなのだ。
我行屬時危,仰望嗟嘆久。
自分のこの旅をしているちょうど今は、時世の危急な時なのである、この宮殿を仰ぎ望んで長い溜息をつき、この不安な世の中を嘆くのである。
天王狩太白,駐馬更搔首。』
2
今、天子の粛宗は太白山のある地方に巡狩されるように魚在所におわす。そんなことを考えて自分の乗っている馬の足を留めて、首をかきつつ立ち去りがたい気持ちでいるのだ。


九成宮
蒼山(そうざん)入ること百里、崖(がけ)断(た)えて杵臼(しょきゅう)の如し。
曾宮(そうきゅう)風に憑(よ)りて迥(はるか)に、岌嶪(きゅうぎょう)たり土嚢(どのう)の口。
神(しん)を立てて棟梁(とうりょう)を扶(たす)け、翠を鑿(うが)ちて戸牖(こゆう)を開く。
其の陽(みなみ)には霊芝(れいし)を産し、其の陰(きた)には牛斗(ぎゅうと)宿す。
紛披(ふんぴ)として長松(ちょうしょう()倒れ、揭櫱(けつげつ)として怪石(かいせき)走(はし)る。
哀猿(あいえん)啼くこと一声(いっせい)、客涙(かくるい)林叢(りんそう)に迸(ほとばし)る。』
#2

荒(こう)なる哉(かな) 隋家(ずいか)の帝(てい)、 此を製(せい)して今頹朽(たいきゅう)せり。
向(さき)に国をして亡びざら使(し)めば 焉(いずくんぞ)ぞ巨唐(きょとう)の有(ゆう)と為(な)らん。
新(あらた)に増修(ぞうしゅう)する無しと雖(いえど)も 尚(なお)官を置きて居守(きょしゅ)せしむ。
巡は瑤水の遠きに非ず、 跡は 是 雕牆(ちょうしょう)の後(のち)なり。』
我行きて時の危(あやう)きに属す、仰望(ぎょうぼう)して嗟嘆(さたん)すること久し。
天王(てんのう)太白(たいはく)に狩(かり)す、馬を駐(とど)めて更に首を掻く。』

 
 

「九成宮」 現代語訳と訳註
(本文)
#2
荒哉隋家帝,製此今頹朽。
向使國不亡,焉為巨唐有。
雖無新增修,尚置官居守。
巡非瑤水遠,跡是雕牆後。』
我行屬時危,仰望嗟嘆久。
天王狩太白,駐馬更搔首。』2


(下し文)
荒(こう)なる哉(かな) 隋家(ずいか)の帝(てい)、 此を製(せい)して今頹朽(たいきゅう)せり。
向(さき)に国をして亡びざら使(し)めば 焉(いずくんぞ)ぞ巨唐(きょとう)の有(ゆう)と為(な)らん。
新(あらた)に増修(ぞうしゅう)する無しと雖(いえど)も 尚(なお)官を置きて居守(きょしゅ)せしむ。
巡は瑤水の遠きに非ず、 跡は 是 雕牆(ちょうしょう)の後(のち)なり。』
我行きて時の危(あやう)きに属す、仰望(ぎょうぼう)して嗟嘆(さたん)すること久し。
天王(てんのう)太白(たいはく)に狩(かり)す、馬を駐(とど)めて更に首を掻く。』


(現代語訳)
隋国の天子(煬帝)は土木(どぼく)運河に懸命になりすぎ、心が荒んだのだ、むかしこんな立派な宮殿をこしらえたのであるが今はこんなに禿げ、崩れ、朽ちてしまった。
もしさきにその国を滅亡させない様にしたのであれば、どうしてこれが我が大唐王朝の所有物となることになったのであろうか。
我が唐では、玄宗になってからは新しく宮殿増修はしていないが、しかしそれでも管理の官を置いて留守番をさせているのだ。
時々天子も御巡幸になるが、それが穆王が西王母に会うために遠方へおでかけになるということではないということであっても、この離宮の史蹟、隋がやった雕牆の奢侈の後をうけてやっているだけなのだ。
自分のこの旅をしているちょうど今は、時世の危急な時なのである、この宮殿を仰ぎ望んで長い溜息をつき、この不安な世の中を嘆くのである。
今、天子の粛宗は太白山のある地方に巡狩されるように魚在所におわす。そんなことを考えて自分の乗っている馬の足を留めて、首をかきつつ立ち去りがたい気持ちでいるのだ。


(訳注)
荒哉隋家帝、製此今頹朽。

荒(こう)なる哉(かな) 隋家(ずいか)の帝(てい)、 此を製(せい)して今頹朽(たいきゅう)せり。
隋国の天子(煬帝)は土木(どぼく)運河に懸命になりすぎ、心が荒んだのだ、むかしこんな立派な宮殿をこしらえたのであるが今はこんなに禿げ、崩れ、朽ちてしまった。   
 「尚書」五子之歌に色荒、禽荒の文字がある、荒とはその事に耽って精神の迷い乱れることをいう。・隋家帝 隋の腸帝をいう。604年に文帝の崩御に伴い即位したが、崩御直前の文帝が楊広を廃嫡しようとして逆に暗殺された。即位した煬帝はそれまでの倹約生活から豹変し奢侈を好む生活を送った。また廃止されていた残酷な刑を復活させ、謀反を企てた楊玄感(煬帝を擁立した楊素の息子)は九族に至るまで処刑されている。洛陽を東都に定めた他、文帝が着手していた国都大興城(長安)の建設を推進し、また100万人の民衆を動員し大運河を建設、華北と江南を連結させ、これを使い江南からの物資の輸送を行うことが出来るようになった。対外的には煬帝は国外遠征を積極的に実施し、高昌に朝貢を求め、吐谷渾、林邑、流求(現在の台湾)などに出兵し版図を拡大した。・ この離宮をさす。 ・頹朽 漆がはげ、くずれ、くちる。実際にはこの離宮に飲み水が不足しており、利用しなかったのだ。


向使國不亡,焉為巨唐有。
向(さき)に国をして亡びざら使(し)めば 焉(いずくんぞ)ぞ巨唐(きょとう)の有(ゆう)と為(な)らん。  
もしさきにその国を滅亡させない様にしたのであれば、どうしてこれが我が大唐王朝の所有物となることになったのであろうか
 衛と同じ ・巨唐 大唐、大は自ずから尊ぶ辞。 ・ もちもの。


雖無新增修、尚置官居守。
新(あらた)に増修(ぞうしゅう)する無しと雖(いえど)も 尚(なお)官を置きて居守(きょしゅ)せしむ。
我が唐では、玄宗になってからは新しく宮殿増修はしていないが、しかしそれでも管理の官を置いて留守番をさせているのだ。
新増修 唐になってからの増築、修理 ・置官 詔官を設け置く。総監一人、副監一人、丞・簿・録事各々一人があった。○居守 ここにいて番をする。
 
巡非瑤水遠、跡是雕牆後。
巡は瑤水の遠きに非ず、跡は是雕牆(ちょうしょう)の後なり。
時々天子も御巡幸になるが、それが穆王が西王母に会うために遠方へおでかけになるということではないということであっても、この離宮の史蹟、隋がやった雕牆の奢侈の後をうけてやっているだけなのだ。
 巡幸、天子がここへこられること。 ・瑤水遠 瑤水は瑤池、西王母の国に在り、周の穆王が天下をめぐって西王母と瑤池に会した。・ 古跡。 ・雕牆後 雕牆とは土塀をうつくしく飾り画くこと。この離宮は避暑のためとはいえ使用されないものであり、隋王朝のおごりの象徴であった。後とは唐は隋の雕牆のおごりのあとをうけたことをいう。


我行屬時危,仰望嗟嘆久。
我行きて時の危(あやう)きに属す、仰望(ぎょうぼう)して嗟嘆(さたん)すること久し。
自分のこの旅をしているちょうど今は、時世の危急な時なのである、この宮殿を仰ぎ望んで長い溜息をつき、この不安な世の中を嘆くのである。
 つく、であうこと。


天王狩太白,駐馬更搔首。
天王(てんのう)太白(たいはく)に狩(かり)す、馬を駐(とど)めて更に首を掻く。
今、天子の粛宗は太白山のある地方に巡狩されるように魚在所におわす。そんなことを考えて自分の乗っている馬の足を留めて、首をかきつつ立ち去りがたい気持ちでいるのだ。
天王狩太白 天王は粛宗をさす。太白は武功県にある山の名。狩とは実際に狩りをするのではなく、借りて粛宗が鳳翔の行在所におわすことをいう。・掻首 首をかく、この掻首は蜘厨(ためらうさま)の意として用いている。
hinode0200

blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首



800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/


唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

「九成宮」#1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 201

「九成宮」#1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 201
 杜甫詩、杜甫の人生を語る重要な作品。

ID詩題摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言古詩)
970晚行口號 鄜州へ赴く途中で、日ぐれにあるきながら口ずさんだ詩。
971徒步歸行 鄜州へ赴く出発の詩
972九成宮  鄜州へ赴く途中、九成宮のほとりを経過して作った詩である。
973玉華宮  鄜州へ赴く途次其の地をすぎて作る。
974行次昭陵鄜州へ帰る途すがら昭陵のほとりにやどって作る。
975北征五言百四十句の長篇古詩。 至徳二載六月一日、鄜州に帰ることを許された。作者が此の旅行をした所以である。製作時は至徳二載九月頃か。八月初めに鳳翔より出発して鄜州に到著して以後に作ったもの。

977
978
979

羌村三首・黄土高原の雄大な夕景色。夕刻に到着。
・家族全員無事、秋の装い、豊作であった。
・村の長老たちと帰還の祝い。
981重經昭陵帰り道、第二回に昭陵の地を経過したとき作る。

ID

詩題

摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言律詩)

980收京三首王朝軍の手に長安を奪回したことを聞きつけてにつけて作る。製作時は至徳二載十月末~十一月初めの作。
粛宗に徹底して嫌われ、居場所がなく、家族を向かえに山中の道を行く。疎外された朝廷を後にするがすさまじい孤独感が詩全体にあふれる。
朝廷におけるいきさつについては下のブログ参照。

述懐 #1 杜甫 杜甫特集700- 178

述懐 #2 杜甫 杜甫特集700- 179

述懐 #3 杜甫 杜甫特集700- 180



九成宮
鄜州へ赴く途中、九成宮のほとりを経過して作った詩である。九成宮は鳳翔府麟遊県の西五里にある。山が九層あるので九成という。もと隋〔4〕の仁寿宮であり、初唐、唐の貞観年中に大宗によって修繕して避暑用離宮に供したものである。
九成は、宮殿周囲の垣根は千八百歩、太宗・高宗ここに臨幸している。
魏徴〔1〕の「九成宮醸泉銘序」に
「九成宮は、隋の仁寿宮なり。山に冠して殿を抗し、整を絶ちて池と為し、水に跨がりて橋を架し、巌を分かちて開を疎たせ、高閣回り建ち、長廊四に起り、棟宇膠葛し、台樹参差たり。仰ぎ視れば則ち迫運百尋、下に臨めば則ち崢嶸千仞、珠壁交々映じ、金碧相い輝き、雲霞ヲ照灼し、日月を蔽廠ス。其の山を移し澗を過し、泰を窮め惨を極め人を以て欲を従にするを観れば、良に深く尤むるに足れり。」
とある。宮の侈麗であったことを想像することができる。宮の官制には、総監一人、副監一人、丞・簿・録事各々一人があった。また、碑文「九成宮醴泉銘」〔2が現存しており、欧陽詢〔3〕がそれを書いている。


九成宮 #1
蒼山八百裡,崖斷如杵臼。
青々とした奥深い山へはいりこむこと百里(58km)ばかりにして前方を見る、崖がとだえて杵を搗く臼状にみえる縦断面の様な形状を示している
曾宮憑風迥,岌嶪土嚢口。』
それは幾重にもかさなった宮殿が風の吹きぬけていく高処に遠くそびえている、しかもその宮殿は両脇が臼状でその中に高く立っているようにみえているのである。
立神扶棟梁,鑿翠開戶牖。
この離宮は神霊を立てて棟や梁を扶助してもらい、汚れのない山翠の色の空気により室内をうがっていくので戸や窓を開けているのだ。
其陽產靈芝,其陰宿牛鬥。
その南面には霊芝が生えているし、その北面には牛宿、北斗九星の星辰がやどっていて厳然と権威を保っている。
紛披長松倒,揭櫱怪石走。
それなのに今度の騒乱で、丈高き松の木がみだれて倒れていたり、崩れかけている石がけわしくつらなり走っている。
哀猿啼一聲,客淚迸林叢。』1

おりしも、哀しそうな猿の鳴き声が響き渡った。そのもの悲しさはさびしい山道を行く旅人の自分も感に迫って涙があふれ、林薮に向ってほとばしり散るのである。

#2
荒哉隋家帝,製此今頹朽。向使國不亡,焉為巨唐有。
雖無新增修,尚置官居守。巡非瑤水遠,跡是雕牆後。』
我行屬時危,仰望嗟嘆久。天王狩太白,駐馬更搔首。』2


九成宮
蒼山(そうざん)入ること百里、崖(がけ)断(た)えて杵臼(しょきゅう)の如し。
曾宮(そうきゅう)風に憑(よ)りて迥(はるか)に、岌嶪(きゅうぎょう)たり土嚢(どのう)の口。
神(しん)を立てて棟梁(とうりょう)を扶(たす)け、翠を鑿(うが)ちて戸牖(こゆう)を開く。
其の陽(みなみ)には霊芝(れいし)を産し、其の陰(きた)には牛斗(ぎゅうと)宿す。
紛披(ふんぴ)として長松(ちょうしょう()倒れ、揭櫱(けつげつ)として怪石(かいせき)走(はし)る。
哀猿(あいえん)啼くこと一声(いっせい)、客涙(かくるい)林叢(りんそう)に迸(ほとばし)る。』

#2
荒(こう)なる哉(かな) 隋家(ずいか)の帝(てい)、 此を製(せい)して今頹朽(たいきゅう)せり。
向(さき)に国をして亡びざら使(し)めば 焉(いずくんぞ)ぞ巨唐(きょとう)の有(ゆう)と為(な)らん。
新(あらた)に増修(ぞうしゅう)する無しと雖(いえど)も 尚(なお)官を置きて居守(きょしゅ)せしむ。
巡は瑤水の遠きに非ず、 跡は 是 雕牆(ちょうしょう)の後(のち)なり。』
我行きて時の危(あやう)きに属す、仰望(ぎょうぼう)して嗟嘆(さたん)すること久し。
天王(てんのう)太白(たいはく)に狩(かり)す、馬を駐(とど)めて更に首を掻く。』

 DCF00209

 

「九成宮」 現代語訳と訳註
(本文) #1

蒼山八百裡,崖斷如杵臼。
曾宮憑風迥,岌嶪土嚢口。』
立神扶棟梁,鑿翠開戶牖。
其陽產靈芝,其陰宿牛鬥。
紛披長松倒,揭櫱怪石走。
哀猿啼一聲,客淚迸林叢。』

(下し文) 九成宮
蒼山(そうざん)入ること百里、崖(がけ)断(た)えて杵臼(しょきゅう)の如し。
曾宮(そうきゅう)風に憑(よ)りて迥(はるか)に、岌嶪(きゅうぎょう)たり土嚢(どのう)の口。
神(しん)を立てて棟梁(とうりょう)を扶(たす)け、翠を鑿(うが)ちて戸牖(こゆう)を開く。
其の陽(みなみ)には霊芝(れいし)を産し、其の陰(きた)には牛斗(ぎゅうと)宿す。
紛披(ふんぴ)として長松(ちょうしょう()倒れ、揭櫱(けつげつ)として怪石(かいせき)走(はし)る。
哀猿(あいえん)啼くこと一声(いっせい)、客涙(かくるい)林叢(りんそう)に迸(ほとばし)る。』


(現代語訳)
青々とした奥深い山へはいりこむこと百里(58km)ばかりにして前方を見る、崖がとだえて杵を搗く臼状にみえる縦断面の様な形状を示している
それは幾重にもかさなった宮殿が風の吹きぬけていく高処に遠くそびえている、しかもその宮殿は両脇が臼状でその中に高く立っているようにみえているのである。
この離宮は神霊を立てて棟や梁を扶助してもらい、汚れのない山翠の色の空気により室内をうがっていくので戸や窓を開けているのだ。
その南面には霊芝が生えているし、その北面には牛宿、北斗九星の星辰がやどっていて厳然と権威を保っている。
それなのに今度の騒乱で、丈高き松の木がみだれて倒れていたり、崩れかけている石がけわしくつらなり走っている。
おりしも、哀しそうな猿の鳴き声が響き渡った。そのもの悲しさはさびしい山道を行く旅人の自分も感に迫って涙があふれ、林薮に向ってほとばしり散るのである。


(訳注)
蒼山八百裡,崖斷如杵臼。

蒼山(そうざん)入ること百里、崖(がけ)断(た)えて杵臼(しょきゅう)の如し。
青々とした奥深い山へはいりこむこと百里(58km)ばかりにして前方を見る、崖がとだえて杵を搗く臼状にみえる縦断面の様な形状を示している
蒼山 あおい山。遠くに連なる山、遠くなるほど青くなる。・ 奥深い山にはいりこむ。・如杵白 きね・うすのようである。杵をつく臼の中の様な縦断面をいう。杜甫の『杜甫 2 『遊龍門奉先寺』「陰壑生虚籟、月林 散清影。天闕象緯逼、雲臥衣裳冷。」という表現もある


曾宮憑風迥,岌嶪土嚢口。』
曾宮(そうきゅう)風に憑(よ)りて迥(はるか)に、岌嶪(きゅうぎょう)たり土嚢(どのう)の口。
それは幾重にもかさなった宮殿が風の吹きぬけていく高処に遠くそびえている、しかもその宮殿は両脇が臼状でその中に高く立っているようにみえているのである。
曾宮 骨は層に同じ、層宮とは幾重にもかさなっている宮殿。 ・憑風迥 迥の字を迴に作るものがあるがこれではぐるぐる回ることになるのか、折曲がることになるので迥(はるか)の字がよい。風によってはるかとは、はるかに風の吹く高処によってみえることをいう。・笈業 高くけわしいさま、これは層宮のさまである。 ・土嚢 土嚢とは谷の口をいう。離宮がこの峡口に在るのは、沢風、日陰等を考慮し、最も避暑に適しているのである。 


立神扶棟梁,鑿翠開戶牖。
神(しん)を立てて棟梁(とうりょう)を扶(たす)け、翠を鑿(うが)ちて戸牖(こゆう)を開く。
この離宮は神霊を立てて棟や梁を扶助してもらい、汚れのない山翠の色の空気により室内をうがっていくので戸や窓を開けているのだ。
立神 神は神霊、これは実際の神像を立てることをいうのであろう。 ・扶棟梁 むなぎ、はりを神の御加護をうけることにより扶助される。 ・鑿翠 谷間に漂う神秘的な空気でこの谷を削り取ったことをいう。翠は山翠で山の汚れのないみどりの空気の色をいう。 ・戸牖 牖は土まど。『大雲寺贊公房四首 其四』明霞爛複閣,霽霧搴高牖」『晦日尋崔戢李封』「朝光入甕牖,屍寢驚敞裘。」


其陽產靈芝,其陰宿牛鬥。
其の陽(みなみ)には霊芝(れいし)を産し、其の陰(きた)には牛斗(ぎゅうと)宿す。
その南面には霊芝がはえているし、その北面には牛宿、北斗九星の星辰がやどっていて厳然と権威を保っている。
 山の南面、日光をうける処。 ・霊芝 摘草。・陰 山の北面、日光のあたらぬ処。 ・宿 やどる。北を指していて、動かない権威あることを示す。 ・牛鬥 鬥は闘 牛宿:牛宿(ぎゅうしゅく・いなみぼし)は二十八宿の一つで、北方玄武七宿の第二宿。斗宿:北斗九星。


紛披長松倒,揭櫱怪石走。
紛披(ふんぴ)として長松(ちょうしょう()倒れ、揭櫱(けつげつ)として怪石(かいせき)走(はし)る。
それなのに今度の騒乱で、丈高き松の木がみだれて倒れていたり、崩れかけている石がけわしくつらなり走っている。
紛披 みだれるさま。 ・長松 背の高い松の木。・揭櫱 巌のつみかさなっているさま。


哀猿啼一聲,客淚迸林叢。』1
哀猿(あいえん)啼くこと一声(いっせい)、客涙(かくるい)林叢(りんそう)に迸(ほとばし)る。
おりしも、哀しそうな猿の鳴き声が響き渡った。そのもの悲しさはさびしい山道を行く旅人の自分も感に迫って涙があふれ、林薮に向ってほとばしり散るのである。
客涙 旅客としての涙、杜甫の涙をいう。天子の世に不安があること、叛乱軍に長安を占拠されて、裏の抜け道を旅すること。朝廷の中において身を置く場所がないこと。


***** 文注 *****

〔1〕魏徴 580年 - 643年 隋、唐初の政治家・学者。癇癪を起こした太宗に直諫(じかに諫言)することで有名であり、魏徴死亡時太宗は非常に哀しんだという。曲城(山東省)の人。字(あざな)は玄成。太宗に召し出され、節を曲げぬ直言で知られる。「隋書(ずいしょ)」「群書治要」などの編纂(へんさん)にも功があった。魏徴 「九成宮醸泉銘序」

〔2〕この九成宮醴泉銘は唐の功臣として有名であり、また詩文の才に長じた魏徴が、太宗の勅命により撰文し、欧陽詢がそれを書いて陝西麟遊の離宮、九成宮に建てた。九成宮とは初め隋の文帝が建てた離宮で、仁壽宮といっていた。それを建てるには帝王の力と富をつくして、三年間かかったという規模広大なものであった。隋が滅んだ後、その離宮は唐朝に譲られ、九成宮と名付けられた。唐の太宗も時々避暑に出かけた。ところがこの離宮は元来水利に悪く、水源に乏しかった。貞観六年(632)四月に太宗が行かれた時、たまたま離宮内に泉がわき出ているのを発見せられた。これより離宮の水の出はよくなった。これは聖徳が、天地の神におよんだ瑞応であるとし、その徳を頌したのがこの九成宮醴泉銘である。

〔3〕欧陽詢(おうよう じゅん、557年 - 641年)は、唐代の儒家、書家。字は信本。潭州臨湘(現在の湖南省長沙市)に生まれ、安徽で死去した。

〔4〕隋(ずい、581 - 618年)、唐(とう、618 - 907年)中国の王朝。都は長安の同じ場所であった。


毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ

李 白 詩
唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
杜 甫 詩
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

徒步歸行 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 200

徒步歸行 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 200


徒步歸行 杜甫 雑言古詩
至徳二載 757年 46歳


杜甫詩、杜甫の人生を語る「北征」期の重要な作品。
ID詩題摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言古詩)
970晚行口號 鄜州へ赴く途中で、日ぐれにあるきながら口ずさんだ詩。
971徒步歸行 鄜州へ赴く出発の詩
972九成宮  鄜州へ赴く途中、九成宮のほとりを経過して作った詩である。
973玉華宮  鄜州へ赴く途次其の地をすぎて作る。
974行次昭陵鄜州へ帰る途すがら昭陵のほとりにやどって作る。
975北征 五言百四十句の長篇古詩。 至徳二載六月一日、鄜州に帰ることを許された。作者が此の旅行をした所以である。製作時は至徳二載九月頃か。八月初めに鳳翔より出発して鄜州に到著して以後に作ったもの。

977
978
979

羌村三首・黄土高原の雄大な夕景色。夕刻に到着。
・家族全員無事、秋の装い、豊作であった。
・村の長老たちと帰還の祝い。 
981重經昭陵帰り道、第二回に昭陵の地を経過したとき作る。
ID詩題摘要  (至徳二載 秋~冬 757年 杜甫46歳 五言律詩)
980收京三首王朝軍の手に長安を奪回したことを聞きつけてにつけて作る。製作時は至徳二載十月末~十一月初めの作。
粛宗に徹底して嫌われ、居場所がなく、家族を向かえに山中の道を行く。疎外された朝廷を後にするがすさまじい孤独感が詩全体にあふれる。
朝廷におけるいきさつについては下のブログ参照。

述懐 #1 杜甫 杜甫特集700- 178

述懐 #2 杜甫 杜甫特集700- 179

述懐 #3 杜甫 杜甫特集700- 180




徒步歸行
五言明公壯年值時危,經濟實藉英雄姿。
五言の仁義の言葉をいうべき玄宗皇帝も盛んなる年齢になってからこんなに危機を迎えてしまった。国の財政は実に上手にやっていた、その姿は英雄のようであった。
國之社稷今若是,武定禍亂非公誰。
この国、唐の天下はかくのようになっている、武力で平定されるところがこんな禍のある乱がおこってしまって天子をだれかわからないことになっている。
鳳翔千官且飽飯,衣馬不復能輕肥。」
鳳翔の行在所にあまたの官僚がいるのだが、自分の職に対して馴れ飽きてきている、文人も軍人も普段の生活のことばかりで国の財政体制が軽減されたり、強化されたりかいかくしていくことをしてこなかった
青袍朝士最困者,白頭拾遺徒步歸。
下級官僚のこの制服を着て このもっとも貧窮しているものがいる白髪の頭をして左拾位の職をもっているが 歩いて家族を迎えに帰っているのである。
人生交契無老少,論交何必先同調。
人生は約束をして交わりをしている老人と少年はいないのだ。自分の意見を交わらせてどうして必ずまず同調しないといけないのか
妻子山中哭向天,須公櫪上追風驃。」

妻子は奥まった山の中にいる、天に向かって泣き叫ぶのだ。そうすればなり立ての粛宗は元気いっぱいで、羽囘馬のように風に追われているのである。

五言 明公 壯年にして時危きに值する,經濟 實藉英雄の姿。
國 之を社稷し今是の若し,武定 禍亂し 公 誰あらざらん。
鳳翔千官 且 飯に飽く,衣馬 復 能く輕肥せざる。
青袍の朝士 最も困する者,白頭の拾遺 徒步にて歸る。
人生 交契し 老少無し,論交 何んぞ必ず 先ず同調するや。
妻子 山中 天に向いて哭す,須公 櫪上 驃風に追う。
五言 明公 壯年にして時危きに值する,經濟 實藉英雄の姿。


DCF00218


現代語訳と訳註
(本文)

五言明公壯年值時危,經濟實藉英雄姿。
國之社稷今若是,武定禍亂非公誰。
鳳翔千官且飽飯,衣馬不復能輕肥。」
青袍朝士最困者,白頭拾遺徒步歸。
人生交契無老少,論交何必先同調。
妻子山中哭向天,須公櫪上追風驃。」


(下し文)
五言 明公 壯年にして時危きに值する,經濟 實藉英雄の姿。
國 之を社稷し今是の若し,武定 禍亂し 公 誰あらざらん。
鳳翔千官 且 飯に飽く,衣馬 復 能く輕肥せざる。
青袍の朝士 最も困する者,白頭の拾遺 徒步にて歸る。
人生 交契し 老少無し,論交 何んぞ必ず 先ず同調するや。
妻子 山中 天に向いて哭す,須公 櫪上 驃風に追う。


(現代語訳)
五言の仁義の言葉をいうべき玄宗皇帝も盛んなる年齢になってからこんなに危機を迎えてしまった。国の財政は実に上手にやっていた、その姿は英雄のようであった。
鳳翔の行在所にあまたの官僚がいるのだが、自分の職に対して馴れ飽きてきている、文人も軍人も普段の生活のことばかりで国の財政体制が軽減されたり、強化されたりかいかくしていくことをしてこなかった
この国、唐の天下はこのようになっている、武力で平定されるところがこんな禍のある乱がおこってしまって天子をだれかわからないことになっている。
下級官僚のこの制服を着て このもっとも貧窮しているものがいる 白髪の頭をして左拾位の職をもっているが歩いて家族を迎えに帰っているのである。
人生は約束をして交わりをしている老人と少年はいないのだ。自分の意見を交わらせてどうして必ずまず同調しないといけないのか。
妻子は奥まった山の中にいる、天に向かって泣き叫ぶのだ。そうすればなり立ての粛宗は元気いっぱいで、羽囘馬のように風に追われているのである。

banri11

(訳注)
五言明公壯年值時危,經濟實藉英雄姿。
五言 明公 壯年にして時危きに值する,經濟 實藉英雄の姿。
五言の仁義の言葉をいうべき玄宗皇帝も盛んなる年齢になってからこんなに危機を迎えてしまった。国の財政は実に上手にやっていた、その姿は英雄のようであった。
五言 仁、義、礼、知、信にかなった言葉。五言でなる詩、五言絶句、五言律詩、五言古詩。語でわかるような表現。古詩の場合、同じ調子が繰り返される。○明公 あなた様。身分の高い人を指す。值(値). 名詞. 1.値段; 2.〈数〉値. 動詞. 1.値する; 2.意義がある; 3.…に当たる; 4.順番に仕事に当たる.○實藉 実に経済上の供給をうまくやる


國之社稷今若是,武定禍亂非公誰。
國 之を社稷し今是の若し,武定 禍亂し 公 誰あらざらん。
この国、唐の天下はかくのようになっている、武力で平定されるところがこんな禍のある乱がおこってしまって天子をだれかわからないことになっている。
社稷 唐の天下をいう。○禍亂 反乱軍の禍


鳳翔千官且飽飯,衣馬不復能輕肥。」
鳳翔千官 且 飯に飽く,衣馬 復 能く輕肥せざる。
鳳翔の行在所にあまたの官僚がいるのだが、自分の職に対して馴れ飽きてきている、文人も軍人も普段の生活のことばかりで国の財政体制が軽減されたり、強化されたりかいかくしていくことをしてこなかった


青袍朝士最困者,白頭拾遺徒步歸。
青袍の朝士 最も困する者,白頭の拾遺 徒步にて歸る。
下級官僚のこの制服を着たこのもっとも貧窮しているものがいる 白髪の頭をして左拾位の職をもっているが歩いて家族を迎えに帰っているのである。
青袍 書生乃至は下級の官にいる者の服。○朝士 朝廷の下級官僚。○白頭 白髪頭。このころの杜甫が白髪の語を使う場合、心の中に反発心を持っている場合が多い。ここでは、いかに白髪とはいえ、年寄扱いをするなという意。○拾遺 杜甫の職名。


人生交契無老少,論交何必先同調。
人生 交契し 老少無し,論交 何んぞ必ず 先ず同調するや。
人生は約束をして交わりをしている老人と少年はいないのだ。自分の意見を交わらせてどうして必ずまず同調しないといけないのか

妻子山中哭向天,須公櫪上追風驃。」
妻子 山中 天に向いて哭す,須公 櫪上 驃風に追う。
妻子は奥まった山の中にいる、天に向かって泣き叫ぶのだ。そうすればなり立ての粛宗は元気いっぱいで、羽囘馬のように風に追われているのである。
須公 しばらくの間の皇帝。なり立ての天子。○櫪上 元気のある馬を意味する。・はうまやのふみ板。○伏櫪 魏の曹操の詩に「老僕伏櫪」とみえる。櫪に伏すとは老馬をいう。


hinode0200

blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首



800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/

唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

プロフィール

紀 頌之

Twitter プロフィール
記事検索
最新記事(画像付)
最新記事
記事検索
カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
QRコード
QRコード
記事検索
  • ライブドアブログ