杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

2012年03月

痩馬行 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 259

痩馬行 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 259

騎馬兵には、少なくとも二頭以上所有していて、交互に乗り換えながら、進軍する。普通以上の地位であれは数頭いるので、捨てられる馬が当然いる。誰にも面倒を見てもらえない馬と、朝廷で、疎外感をもっている杜甫とが重なる。この時期の杜甫の詩の多くは、長安の東、南の地の詩が多い。
駿馬02

痩馬行
東郊瘦馬使我傷,骨骼硉兀如堵牆。
絆之欲動轉欹側,此豈有意仍騰驤?
細看六印帶官字,眾道三軍遺路旁。
皮幹剝落雜泥滓,毛暗蕭條連雪霜。』

去歲奔波逐餘寇,驊騮不慣不得將。
去年官軍は狂奔して安史軍の余党を逐いまわしたが、その士卒どもは千里の駿足にはのりなれぬからのることができなかったのだろう。
士卒多騎內廄馬,惆悵恐是病乘黃。
彼等は多くおとなしく訓練されている宮中のおうまやの馬にのった。自分のいたましくおもうのは、そのときこの痩せ馬もおうまやの駿馬であったのだが、病気してほっておかれたのだろう。
當時歷塊誤一蹶,委棄非汝能周防。
大事な戦いの当時、病気をしていて土塊のうえをとおるときちょっとしたことで蹴躓いたので棄てられたのだ、、その棄てられることというのは汝、この痩馬が防止し得る所ではなくいわば運命なのだ。
見人慘澹若哀訴,失主錯莫無晶光。
今この馬は人を見てはものがなしそうにしてかなしみうったえるが如く、主人を失ってはさびしく眼の光もうせている。
天寒遠放雁為伴,日暮不收烏啄瘡。
冬時の寒空に遠くへはなれて雁を伴侶となし、日が暮れても取り入れられず、烏がきて切り傷の処をつついている。
誰家且養願終惠,更試明年春草長。』
誰かの家でこの馬をかりに飼養してくれるものはないだろうか、もしあるならばどうかそのめぐみを最後までつづけてもらいたいのだ。それができたら、明年春の若草の伸びたときに更にこの馬の力を試してみょうとおもうのだ。

東郊の痩馬【しゅうば】  我をして傷(いた)ましむ、骨骼 侓兀【ろつこつ】として堵墻【としょう】の如し。
之を絆【ほだ】さむとすれば 動かんと欲して転【うたた】欹側【いそく】す、此れ豈に仍【な】お騰驤【とうじょう】せんとするに意有るか。
細かに看れば 六印【ろくいん】官字【かんじ】を帯【お】ぶ、衆は道【い】う  三軍路旁【ろぼう】に遺【のこ】すと。
皮は乾きて剥落【はくらく】し泥滓【でいし】雑【まじ】わり、毛は暗くして蕭條【しょうじょう】として雪霜連る。』

去歳【きょさい】  奔波【ほんは】して余寇【よこう】を逐【お】う、驊騮【かりゅう】には慣【な】れず 将【ひき】いることを得ず。
士卒は多く騎【の】る内厩【ないきゅう】の馬、惆悵【ちょうちょう】恐る 是れ病める乗黄【じょうこう】なりしならんことを。
当時  歴塊【れきかい】  誤って一蹶【いっけつ】す、委棄【いき】せらるること 汝が能く周防【しゅうぼう】するに非ず。
人を見て惨澹【さんたん】 哀訴【あいそ】するが若【ごと】く、主を失いて錯莫【さくばく】晶光【せいこう】無し。
天寒く遠く放たれて雁【がん】を伴と為【な】し、日暮れて収められず 烏【からす】瘡【きず】を啄【ついば】む。
誰が家にか 且つ養【やしな】わん 願わくは恵【けい】を終えんことを、更に試みん  明年【めいねん】春草の長きに。』


現代語訳と訳註
(本文)

去歲奔波逐餘寇,驊騮不慣不得將。
士卒多騎內廄馬,惆悵恐是病乘黃。
當時歷塊誤一蹶,委棄非汝能周防。
見人慘澹若哀訴,失主錯莫無晶光。
天寒遠放雁為伴,日暮不收烏啄瘡。
誰家且養願終惠,更試明年春草長。』

(下し文)
去歳【きょさい】  奔波【ほんは】して余寇【よこう】を逐【お】う、驊騮【かりゅう】には慣【な】れず 将【ひき】いることを得ず。
士卒は多く騎【の】る内厩【ないきゅう】の馬、惆悵【ちょうちょう】恐る 是れ病める乗黄【じょうこう】なりしならんことを。
当時  歴塊【れきかい】  誤って一蹶【いっけつ】す、委棄【いき】せらるること 汝が能く周防【しゅうぼう】するに非ず。
人を見て惨澹【さんたん】 哀訴【あいそ】するが若【ごと】く、主を失いて錯莫【さくばく】晶光【せいこう】無し。
天寒く遠く放たれて雁【がん】を伴と為【な】し、日暮れて収められず 烏【からす】瘡【きず】を啄【ついば】む。
誰が家にか 且つ養【やしな】わん 願わくは恵【けい】を終えんことを、更に試みん  明年【めいねん】春草の長きに。』


(現代語訳)
去年官軍は狂奔して安史軍の余党を逐いまわしたが、その士卒どもは千里の駿足にはのりなれぬからのることができなかったのだろう。
彼等は多くおとなしく訓練されている宮中のおうまやの馬にのった。自分のいたましくおもうのは、そのときこの痩せ馬もおうまやの駿馬であったのだが、病気してほっておかれたのだろう。
大事な戦いの当時、病気をしていて土塊のうえをとおるときちょっとしたことで蹴躓いたので棄てられたのだ、、その棄てられることというのは汝、この痩馬が防止し得る所ではなくいわば運命なのだ。
今この馬は人を見てはものがなしそうにしてかなしみうったえるが如く、主人を失ってはさびしく眼の光もうせている。
冬時の寒空に遠くへはなれて雁を伴侶となし、日が暮れても取り入れられず、烏がきて切り傷の処をつついている。
誰かの家でこの馬をかりに飼養してくれるものはないだろうか、もしあるならばどうかそのめぐみを最後までつづけてもらいたいのだ。それができたら、明年春の若草の伸びたときに更にこの馬の力を試してみょうとおもうのだ。

駿馬01

(訳注)
去歲奔波逐餘寇,驊騮不慣不得將。

去年官軍は狂奔して安史軍の余党を逐いまわしたが、その士卒どもは千里の駿足にはのりなれぬからのることができなかったのだろう。
去歳 757年至徳二載。○奔波 狂奔すること、官兵がはしりまわること。○逐余寇 余寇とは安禄山の叛乱軍ののこり、速とは官兵がこれをおうこと。安禄山軍と史忠明の軍と十年近く続いたので安史の乱、叛乱軍全体を安史軍という。このブログでは、官軍・賊軍という語は使わない。○驊騮 千里の馬。○不慣 騎るになれぬ。一説にのりならされておらぬものととく。○不得将 将は騎りひきいること。


士卒多騎內廄馬,惆悵恐是病乘黃。
彼等は多くおとなしく訓練されている宮中のおうまやの馬にのった。自分のいたましくおもうのは、そのときこの痩せ馬もおうまやの駿馬であったのだが、病気してほっておかれたのだろう。
士卒 王朝軍の兵卒。○内厩 天子のおうまや、そこには調練を経た名馬がたくわえてある。○惆悵 うらむさま、杜甫が今日よりさかのぼってうらむ。馬がここまで弱るには、かなりの経過した時間がある。○恐是 恐とはきづかうこと、動物は気遣う気持ちがなければいけない。これも杜甫がきづかう。○病乗黄 病める乗黄、乗黄とは神馬、内厩の駿馬で上旬の「騨騒」というのも同じ。この痩馬は乗黄ではあるが不幸にもその病めるものであったのであろう、というのである。


當時歷塊誤一蹶,委棄非汝能周防。
大事な戦いの当時、病気をしていて土塊のうえをとおるときちょっとしたことで蹴躓いたので棄てられたのだ、、その棄てられることというのは汝、この痩馬が防止し得る所ではなくいわば運命なのだ。
当時 逐冠のときをさす。○歴塊 漢の王表の「聖主ノ賢臣ヲ得ル頒」にみえる、一箇のつちくれをとおる、歴はへる。○蹴 つまずく。○委棄 うちすてる。○ 痩馬をさす。○能周防 非汝能周防は非三汝之所二能周防一というのに同じ。周防はておちなくふせぐこと。ふせぐことのできるものでないとは、運命だというはかなしということ。


見人慘澹若哀訴,失主錯莫無晶光。
今この馬は人を見てはものがなしそうにしてかなしみうったえるが如く、主人を失ってはさびしく眼の光もうせている。
見入 他人をみる。○惨澹 ものがなしいさま。○失主 かいぬしをなくする。○錯莫 さびしいさま。〇晶光 すきとおりかがやくひかり。眼光をいうのであろう。


天寒遠放雁為伴,日暮不收烏啄瘡。
冬時の寒空に遠くへはなれて雁を伴侶となし、日が暮れても取り入れられず、烏がきて切り傷の処をつついている。
天寒 ふゆぞらをいう。○遠放 かいての無いゆえ遠方まではなたれてある。○不収 収とは人がうまやへいれてくれることをいう。○啄瘡 きりきずのある処をくちばしでつっく。


誰家且養願終惠,更試明年春草長。』
誰かの家でこの馬をかりに飼養してくれるものはないだろうか、もしあるならばどうかそのめぐみを最後までつづけてもらいたいのだ。それができたら、明年春の若草の伸びたときに更にこの馬の力を試してみょうとおもうのだ
且養 しばらく飼養してくれる。○願終恵 顔延年「赤白馬賊」に「願ワクハ恵養ヲ終エテ本枝二蔭セン」とあるのに本づく、願は馬がねがう、終恵とは始め飼養するという恵をあたえるならばそれを最終まであたえでくれることをいう。○更試 試とは行走の脚力をためしみること。○明年 単につぎのとし


 757年十月に洛陽を敗退した安慶緒は、この年になると相州(河南省安陽市)の鄴城(ぎょうじょう)に拠って兵六万を集め、周囲の七郡を支配する勢力に復活した。唐王朝は九月になると、朔方軍節度使郭子儀(かくしぎ)ら九節度使の軍を派遣して鄴城を包囲した。
 秋のはじめに杜甫は、杜観ひとりを洛陽にやったが、戦線が河北と河南の境にある相州に集中した冬になっても、杜観はもどってこなかった。

痩馬行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 258

痩馬行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 258

騎馬兵には、少なくとも二頭以上所有していて、交互に乗り換えながら、進軍する。普通以上の地位であれは数頭いるので、捨てられる馬が当然いる。誰にも面倒を見てもらえない馬と、朝廷で、疎外感をもっている杜甫とが重なる。杜甫の詩の多くは、長安の東、南の地の詩が多い。


痩馬行
東郊瘦馬使我傷,骨骼硉兀如堵牆。
長安の城の東の野原に痩せた馬がいて、之をみると自分はかなしくなる、この馬の骨組はでこぼこ浮きだし、側面からみると土塀が立っている様なのだ。
絆之欲動轉欹側,此豈有意仍騰驤?
これを縄でつなごうとしているのだが、動いてとしていよいよ體を直立しようとはしない、その様子では、この馬は痩せてしまって、以前のように躍り上がろうとする気持ちがまだあるのだろうか。
細看六印帶官字,眾道三軍遺路旁。
仔細にみるとこの馬には官でおした焼き印が六箇所ばかりある、このあたりの人々のいうには官軍がみちばたにすてたのだそうだ。
皮幹剝落雜泥滓,毛暗蕭條連雪霜。』
その皮は傷などの糜爛が剥げて落ちてそのままになっている、泥や汚い滓が混ざっており、毛の艶はきえうせてさびしく真っ白い色がつづいている状態だ。』

去歲奔波逐餘寇,驊騮不慣不得將。
士卒多騎內廄馬,惆悵恐是病乘黃。
當時歷塊誤一蹶,委棄非汝能周防。
見人慘澹若哀訴,失主錯莫無晶光。
天寒遠放雁為伴,日暮不收烏啄瘡。
誰家且養願終惠,更試明年春草長。』

東郊の痩馬【しゅうば】  我をして傷(いた)ましむ、骨骼 侓兀【ろつこつ】として堵墻【としょう】の如し。
之を絆【ほだ】さむとすれば 動かんと欲して転【うたた】欹側【いそく】す、此れ豈に仍【な】お騰驤【とうじょう】せんとするに意有るか。
細かに看れば 六印【ろくいん】官字【かんじ】を帯【お】ぶ、衆は道【い】う  三軍路旁【ろぼう】に遺【のこ】すと。
皮は乾きて剥落【はくらく】し泥滓【でいし】雑【まじ】わり、毛は暗くして蕭條【しょうじょう】として雪霜連る。』

去歳【きょさい】  奔波【ほんは】して余寇【よこう】を逐【お】う、驊騮【かりゅう】には慣【な】れず 将【ひき】いることを得ず。
士卒は多く騎【の】る内厩【ないきゅう】の馬、惆悵【ちょうちょう】恐る 是れ病める乗黄【じょうこう】なりしならんことを。
当時  歴塊【れきかい】  誤って一蹶【いっけつ】す、委棄【いき】せらるること 汝が能く周防【しゅうぼう】するに非ず。
人を見て惨澹【さんたん】 哀訴【あいそ】するが若【ごと】く、主を失いて錯莫【さくばく】晶光【せいこう】無し。
天寒く遠く放たれて雁【がん】を伴と為【な】し、日暮れて収められず 烏【からす】瘡【きず】を啄【ついば】む。
誰が家にか 且つ養【やしな】わん 願わくは恵【けい】を終えんことを、更に試みん  明年【めいねん】春草の長きに。』
駿馬02

現代語訳と訳註
(本文) 痩馬行
東郊瘦馬使我傷,骨骼硉兀如堵牆。
絆之欲動轉欹側,此豈有意仍騰驤?
細看六印帶官字,眾道三軍遺路旁。
皮幹剝落雜泥滓,毛暗蕭條連雪霜。』


(下し文)
東郊の痩馬【しゅうば】  我をして傷(いた)ましむ、骨骼 侓兀【ろつこつ】として堵墻【としょう】の如し。
之を絆【ほだ】さむとすれば 動かんと欲して転【うたた】欹側【いそく】す、此れ豈に仍【な】お騰驤【とうじょう】せんとするに意有るか。
細かに看れば 六印【ろくいん】官字【かんじ】を帯【お】ぶ、衆は道【い】う  三軍路旁【ろぼう】に遺【のこ】すと。
皮は乾きて剥落【はくらく】し泥滓【でいし】雑【まじ】わり、毛は暗くして蕭條【しょうじょう】として雪霜連る。』

(現代語訳)
長安の城の東の野原に痩せた馬がいて、之をみると自分はかなしくなる、この馬の骨組はでこぼこ浮きだし、側面からみると土塀が立っている様なのだ。
これを縄でつなごうとしているのだが、動いてとしていよいよ體を直立しようとはしない、その様子では、この馬は痩せてしまって、以前のように躍り上がろうとする気持ちがまだあるのだろうか。
仔細にみるとこの馬には官でおした焼き印が六箇所ばかりある、このあたりの人々のいうには官軍がみちばたにすてたのだそうだ。
その皮は傷などの糜爛が剥げて落ちてそのままになっている、泥や汚い滓が混ざっており、毛の艶はきえうせてさびしく真っ白い色がつづいている状態だ。』


(訳注)
痩馬行
東郊瘦馬使我傷,骨骼硉兀如堵牆。

長安の城の東の野原に痩せた馬がいて、之をみると自分はかなしくなる、この馬の骨組はでこぼこ浮きだし、側面からみると土塀が立っている様なのだ。
東郊 長安の城の東の野外。○骨骼 はねぐみ。○硉兀 骨だかいさま。○堵牆 ついじ、かき、骨体が壁のごとくに立つことをいう。


絆之欲動轉欹側,此豈有意仍騰驤?
これを縄でつなごうとしているのだが、動いてとしていよいよ體を直立しようとはしない、その様子では、この馬は痩せてしまって、以前のように躍り上がろうとする気持ちがまだあるのだろうか。
 なわでからげる。○欲動 馬がうごこうとする。○ いよいよ。○欹側 そばだち、かたむく。直立せぬこと。○ 馬のその態度をさす。○ いままでのように。○騰驤 おどってあがる、馬のいさむさま。


細看六印帶官字,眾道三軍遺路旁。
仔細にみるとこの馬には官でおした焼き印が六箇所ばかりある、このあたりの人々のいうには官軍がみちばたにすてたのだそうだ。
細看 くわしくみる。〇六印 六か所の焼き印、一に六を火に作る、火印ならば焼き印をいう。○帯官字 唐の官馬は其の種類用途如何により馬の尾側、左右牌(もも)、左右縛(かた)、項(うなじ)、頼(ほお)等に焼き印を押した。其の文字には年時・牧監の名があり、竜形・三花の印があり、又、「官」の字、「飛」の字、「風」の字、「賜」の字、「出」の字の印があった。この馬は六か所に官で押した印のあるものであろう。上旬をもし「火印」とするならば帯官字は「官」の字をおぶと解すべきである。○衆道 衆人がいう。〇三軍 王朝軍の陣勢。神策軍、龍武軍、羽林軍がそれぞれ上中下、左右中央、地方にあった。天子の軍。国軍。○ 遺棄する。


皮幹剝落雜泥滓,毛暗蕭條連雪霜。』
その皮は傷などの糜爛が剥げて落ちてそのままになっている、泥や汚い滓が混ざっており、毛の艶はきえうせてさびしく真っ白い色がつづいている状態だ。』
皮乾 脂肪光沢のなくなったさま。○剥落 剥げ落ちている。傷などの糜爛が剥げて落ちてそのままになっている。はげちょろ。○泥滓 どろ、にごりかす。○毛暗 暗とは光沢を失ったことをいう。○蕭條 草木の間を風が抜けるときに起こす音を指し、さびしいさま。○連雪霜 雪霜連と同じ、雪霜とは白っぽい色をたとえていう。馬の病むときは毛のさきがほこりを帯び、色つやがわるく、そのさまが雪霜のつらなっているのに似る。

得舎弟消息 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 257

得舎弟消息 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 257

舎弟は家弟に同じ、弟をいう、名は詳でない〈蓋し「得舎弟消息」(得舎弟消息二首 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 160)の詩の舎弟し」同一人。時に弟は前年の河南でおなじであり、杜甫は前年は鳳翔、この時長安に在った。弟のたよりを得て作った詩。758年春の作。

得舎弟消息
風吹紫荊樹、色興春庭暮。
花落辭故枝、風迴返無處。
骨肉恩書重、漂泊難相遇。
猶有涙成河、經天復東注。

風が庭前の紫荊樹を吹きかかっている、樹の色が春のさかりの庭の色をおなじようにしながら暮れてゆく。
その花はもとの枝から辞し去るように私や親の元から去って、それが「叛乱」の風に吹きつけられ、もとの枝へかえろうとしてもかえるべき処さえない。
漂泊の身の上で、このような叛乱という難儀のために互に出遭うことは難しい、だからこそ、この際の血を分けた兄弟の手紙はことに重んずべきものである。
今もなお、わたしの涙が天の河にながれ出て、それが大空をわたっておまえの居る東の方へむけてそそぎつつあるのだ。

(舎弟の消息を得たり)
風は吹く紫荊樹、色は春庭と暮る。
花落ちて故枝を辞す、風迴りて返るに処無し。
骨肉恩書重し、漂泊相遇い難し。
猶涙の河を成す有り 天を経りて復た東に注ぐ。

現代語訳と訳註
(本文) 得舎弟消息
風吹紫荊樹、色興春庭暮。
花落辭故枝、風迴返無處。
骨肉恩書重、漂泊難相遇。
猶有涙成河、經天復東注。

(下し文) (舎弟の消息を得たり)
風は吹く紫荊樹、色は春庭と暮る。
花落ちて故枝を辞す、風迴りて返るに処無し。
骨肉恩書重し、漂泊相遇い難し。
猶涙の河を成す有り 天を経りて復た東に注ぐ。

(現代語訳)
風が庭前の紫荊樹を吹きかかっている、樹の色が春のさかりの庭の色をおなじようにしながら暮れてゆく。
その花はもとの枝から辞し去るように私や親の元から去って、それが「叛乱」の風に吹きつけられ、もとの枝へかえろうとしてもかえるべき処さえない。
漂泊の身の上で、このような叛乱という難儀のために互に出遭うことは難しい、だからこそ、この際の血を分けた兄弟の手紙はことに重んずべきものである。
今もなお、わたしの涙が天の河にながれ出て、それが大空をわたっておまえの居る東の方へむけてそそぎつつあるのだ。


(訳注)得舎弟消息
756年 安禄山が反乱を起こして、洛陽近郊にいた実弟の消息だけが分かって、詠ったものである。杜甫は叛乱軍に軟禁されており、互いに詳しいことは、云えなかったものである。
得舎弟消息二首 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 160
遠方にいる弟との再会が困難なさまを、 「客人の到来を告げるとされる烏鵲 (カササギ)」 と 「兄弟の情愛の象徴とされる鶺鴒 (セキレイ)」 とを対にして詠う。
得舎弟消息 二首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 161 


風吹紫荊樹、色興春庭暮。
風が庭前の紫荊樹を吹きかかっている、樹の色が春のさかりの庭の色をおなじようにしながら暮れてゆく。
○紫荊樹 「続斉諧記」に、田広・田臭・田慶の兄弟三人が財を分け、最後に堂前の一株の紫荊樹を三分しようとしてこれを切りかけたが、たちまち樹が枯れて、まるで火の燃えるようなさまになったので切るのをやめた。するとまたもとのように勢いよく茂ったので、兄弟達は兄の言葉に感動し、三人抱き合って泣き出した。 「決して樹を切るまい」 そう誓った言葉に応じるかのように、枯れたはずの紫荊が生き返り、葉を茂らせ、花をつけた。 兄弟はこの奇跡に感じ入り、元通り一つ家に住むことにした。 (六朝『続斉諧記』)


花落辭故枝、風迴返無處。
その花はもとの枝から辞し去るように私や親の元から去って、それが「叛乱」の風に吹きつけられ、もとの枝へかえろうとしてもかえるべき処さえない。
○辭故枝 落花または落葉がもとの樹枝を離れることを子弟が父母の郷をはなれて居ることに用いるのは、六朝以来の習わしである。○風迴 過は吹きめぐること。花もしたがって吹かれる。去っていくだけでなく戻ってくることをいう。○返 枝にかえる。


骨肉恩書重、漂泊難相遇。
漂泊の身の上で、このような叛乱という難儀のために互に出遭うことは難しい、だからこそ、この際の血を分けた兄弟の手紙はことに重んずべきものである。
○骨肉 兄弟のちすじ。○恩書 恩愛の情のこもった手紙。○重 貴重なこと。倒句でよむ。


猶有涙成河、經天復東注。
今もなお、わたしの涙が天の河にながれ出て、それが大空をわたっておまえの居る東の方へむけてそそぎつつあるのだ。
○猶 今もなお。○河 あまのがわら。○経天 経はわたる、つながる、上句の河の縁語。○東注 東方に向かってそそぐ、河南は長安の東にある。

題李尊師松樹障子歌 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 256

題李尊師松樹障子歌 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 256
(李尊師が松樹の障子に題する歌)

玄都観の道士李が示した松をえがいたついたてに題した歌。乾元元年の作とする説に従う。


題李尊師松樹障子歌
老夫清晨梳白頭,玄都道士來相訪。握發呼兒延入戶,手提新畫青松障。
障子松林靜杳冥,憑軒忽若無丹青。陰崖卻承霜雪幹,偃蓋反走虬龍形。』
老夫平生好奇古,對此興與精靈聚。
このわたしはふだん奇古なものを好むが、この画に向うと、自己の感興は忽ち画者の精神といっしょになってしまった。
已知仙客意相親,更覺良工心獨苦。
仙客というべき李尊師の御親切、心遣いはもとよりわかったが、之をかく時の画者がどんなにひとりで心を苦しめたかということに一層つよくこころに響いてくるのである。』
松下丈人巾屨同,偶坐似是商山翁。
松の木の下に老人たちが画いてあり、そのいでたちはどれも互に同じである。そこに対坐しているその老人たちはどうやら商山の老人であるようである。
悵望聊歌紫芝曲,時危慘澹來悲風。』

自分も憤然として南山の方をながめてちょっと四皓等が作ったと称する「紫芝曲」をうたうというと、この時にあたってもいまだに安泰ではなくしてものがなしく悲風が吹き来るのである。』

老夫 清晨【せいしん】に白頭を梳【くしけず】る、玄都の道士来りて相 訪【と】う。
髪を握り児を呼び延【ひ】きて戸に入らしむ、手に提【ひっさ】ぐ新画の青松の障。』
障子の松林 静かにして杳冥【ようめい】、軒に憑【よ】れば忽ち丹青無きが若し。
陰崖【いんがい】卻【かえ】って承【う】く霜雪の幹、偃蓋【えんがい】反って走らす虬龍【きゅうりょう】の形。』
老夫 平生 奇古【きこ】を好む、此に対して興 精霊と聚まる。
己に知る仙客の意 相親しむを、更に覺【おぼ】ゆ 良工【りょうこう】の心独り苦しむを。』
松下の丈人 巾屨【きんく】同じ、偶坐是れ商山の翁なるに似たり。
悵望【ちょうぼう】聊【いささ】か歌う紫芝【しし】の曲、時危くして惨澹【さんたん】悲風来る』



現代語訳と訳註
(本文)

老夫平生好奇古,對此興與精靈聚。
已知仙客意相親,更覺良工心獨苦。
松下丈人巾屨同,偶坐似是商山翁。
悵望聊歌紫芝曲,時危慘澹來悲風。』


(下し文) (李尊師が松樹の障子に題する歌)
老夫 平生 奇古【きこ】を好む、此に対して興 精霊と聚まる。
己に知る仙客の意 相親しむを、更に覺【おぼ】ゆ 良工【りょうこう】の心独り苦しむを。』
松下の丈人 巾屨【きんく】同じ、偶坐是れ商山の翁なるに似たり。
悵望【ちょうぼう】聊【いささ】か歌う紫芝【しし】の曲、時危くして惨澹【さんたん】悲風来る』


(現代語訳)
このわたしはふだん奇古なものを好むが、この画に向うと、自己の感興は忽ち画者の精神といっしょになってしまった。
仙客というべき李尊師の御親切、心遣いはもとよりわかったが、之をかく時の画者がどんなにひとりで心を苦しめたかということに一層つよくこころに響いてくるのである。』
松の木の下に老人たちが画いてあり、そのいでたちはどれも互に同じである。そこに対坐しているその老人たちはどうやら商山の老人であるようである。
自分も憤然として南山の方をながめてちょっと四皓等が作ったと称する「紫芝曲」をうたうというと、この時にあたってもいまだに安泰ではなくしてものがなしく悲風が吹き来るのである。』


(訳注)
老夫平生好奇古,對此興與精靈聚。

このわたしはふだん奇古なものを好むが、この画に向うと、自己の感興は忽ち画者の精神といっしょになってしまった。
奇古 かわったふるめかしいもの。○対此 此とは画をさす。○ 作者の感興。○精霊 画者の精神。


已知仙客意相親,更覺良工心獨苦。
仙客というべき李尊師の御親切、心遣いはもとよりわかったが、之をかく時の画者がどんなにひとりで心を苦しめたかということに一層つよくこころに響いてくるのである。』
仙客 李尊師をさす。○意相親 この画陣をわざわざもってきて見せてくれたのはこちらと親密であるからである。○良工 画の名人、この画陣の筆者をさす。○心独苦 びとりで苦心する。

 
松下丈人巾屨同,偶坐似是商山翁。
松の木の下に老人たちが画いてあり、そのいでたちはどれも互に同じである。そこに対坐しているその老人たちはどうやら商山の老人であるようである
松下文人 文人は老人、松下の老人とは画中の人物をさす。○巾履同 文人等のずきんとくつが互に同じ。一説に文人等の巾医が商山の老人たちと同様である。○偶坐 対坐に同じ、我(作者)が画中の人物と対して坐することをいう。○商山翁 漢の高祖の時、秦の乱を避けて商山に隠れた東園公・用里先生・綺里季・夏黄公の四人が商山に隠れ、ともに八十余歳で、髪は白かったので商山の四皓という。


悵望聊歌紫芝曲,時危慘澹來悲風。』
自分も憤然として南山の方をながめてちょっと四皓等が作ったと称する「紫芝曲」をうたうというと、この時にあたってもいまだに安泰ではなくしてものがなしく悲風が吹き来るのである。
悵望 うらめしくながめる。○紫芝曲 商山の四皓はもと秦の博士であったが世のみだれたのにより山にかくれて採芝の歌をつくった。その歌は四言十句あって、「曄曄紫芝,可以疗飢。皇虞邈远,余将安歸」(曄曄たる紫芝、以て飢を療す可し。唐虞往きぬ、吾は当に安にか帰すべき。)の語がある。〇時危 時世の安泰ならぬこと、安史(安禄山・史思明)の乱がいまだに平定していないことをいう。○惨澹 ものがなしいさま。○悲風 人をかなしませるようなかぜ。 
 


商山の四皓(四人の老人)、漢の高祖のとき張良の計によって老人は山より出て来て高祖の太子の輔佐役となった。羽翼とは輔佐となることをいう。詩意は李泌が広平王僻の輔佐となってくれたならばとおもうことをいう。杜甫自身補佐役であることを示している。綺皓という表現をつかう。秦末の商山の四皓を指す。東園公・用里先生・綺里季・夏黄公の四人が商山に隠れ、ともに八十余歳で、髪は白かったので商山の四皓という。その中の綺里季を代表させてという。漢の高祖が迎えたが、従わなかった。○商山芝 商山は長安の東商商州にある山の名、漢の高祖の時四人の老人があり秦の乱をさけでその山に隠れ芝を採ってくらした。中国秦代末期、乱世を避けて陝西(せんせい)省商山に入った東園公・綺里季・夏黄公・里(ろくり)先生の四人の隠士。みな鬚眉(しゅび)が皓白(こうはく)の老人であったのでいう。

題李尊師松樹障子歌 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 255

題李尊師松樹障子歌 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 255
(李尊師が松樹の障子に題する歌)

玄都観の道士李が示した松をえがいたついたてに題した歌。乾元元年の作とする説に従う。


題李尊師松樹障子歌
老夫清晨梳白頭,玄都道士來相訪。
自分はきょうのはれあがったあした、しらがあたまをとかしていたとき、玄都観の道士李尊師がたずねてこられた。
握發呼兒延入戶,手提新畫青松障。
大いそぎで髪をにぎりながら、こどもをよんで之を戸内へ招きいれた。尊師の手には新たにかかれたばかりの靑松の木を描かれた障子立をかかえている。』
障子松林靜杳冥,憑軒忽若無丹青。
その障子屏風の描かれた松林はしずかにとおく暗くつらなって居て、軒端の欄干によって眺めると丹青の画が消えて実物ばかりがある様におもわれる。
陰崖卻承霜雪幹,偃蓋反走虬龍形。』

日陰のくらっぽいそばがけは霜雪をしのぐ松の幹をうけており、松の枝葉がかさなりあって笠のようであり、蛟や竜のようなさまを走らせている。』
老夫平生好奇古,對此興與精靈聚。已知仙客意相親,更覺良工心獨苦。
松下丈人巾屨同,偶坐似是商山翁。悵望聊歌紫芝曲,時危慘澹來悲風。』

(李尊師が松樹の障子に題する歌)
老夫 清晨【せいしん】に白頭を梳【くしけず】る、玄都の道士来りて相 訪【と】う。
髪を握り児を呼び延【ひ】きて戸に入らしむ、手に提【ひっさ】ぐ新画の青松の障。』
障子の松林 静かにして杳冥【ようめい】、軒に憑【よ】れば忽ち丹青無きが若し。
陰崖【いんがい】卻【かえ】って承【う】く霜雪の幹、偃蓋【えんがい】反って走らす虬龍【きゅうりょう】の形。』

老夫 平生 奇古【きこ】を好む、此に対して興 精霊と聚まる。
己に知る仙客の意 相親しむを、更に覺【おぼ】ゆ 良工【りょうこう】の心独り苦しむを。』
松下の丈人 巾屨【きんく】同じ、偶坐是れ商山の翁なるに似たり。
悵望【ちょうぼう】聊【いささ】か歌う紫芝【しし】の曲、時危くして惨澹【さんたん】悲風来る』



現代語訳と訳註
(本文)

老夫清晨梳白頭,玄都道士來相訪。
握發呼兒延入戶,手提新畫青松障。」
障子松林靜杳冥,憑軒忽若無丹青。
陰崖卻承霜雪幹,偃蓋反走虬龍形。』


(下し文)  (李尊師が松樹の障子に題する歌)
老夫 清晨【せいしん】に白頭を梳【くしけず】る、玄都の道士来りて相 訪【と】う。
髪を握り児を呼び延【ひ】きて戸に入らしむ、手に提【ひっさ】ぐ新画の青松の障。』
障子の松林 静かにして杳冥【ようめい】、軒に憑【よ】れば忽ち丹青無きが若し。
陰崖【いんがい】卻【かえ】って承【う】く霜雪の幹、偃蓋【えんがい】反って走らす虬龍【きゅうりょう】の形。』


(現代語訳)
自分はきょうのはれあがったあした、しらがあたまをとかしていたとき、玄都観の道士李尊師がたずねてこられた。
大いそぎで髪をにぎりながら、こどもをよんで之を戸内へ招きいれた。尊師の手には新たにかかれたばかりの靑松の木を描かれた障子立をかかえている。』
その障子屏風の描かれた松林はしずかにとおく暗くつらなって居て、軒端の欄干によって眺めると丹青の画が消えて実物ばかりがある様におもわれる。
日陰のくらっぽいそばがけは霜雪をしのぐ松の幹をうけており、松の枝葉がかさなりあって笠のようであり、蛟や竜のようなさまを走らせている。』


(訳注)
老夫清晨梳白頭,玄都道士來相訪。

自分はきょうのはれあがったあした、しらがあたまをとかしていたとき、玄都観の道士李尊師がたずねてこられた。
老夫 杜甫のこと。○清晨 ほれたあした。○ くしでとかす。○玄都道士 玄都は観(道教のてら)の名、長安の朱雀街崇業坊にあったもの。道士は道教の僧、即ち題の李尊師をさす、尊師は尊者というごとく道士を敬していう。


握發呼兒延入戶,手提新畫青松障。
大いそぎで髪をにぎりながら、こどもをよんで之を戸内へ招きいれた。尊師の手には新たにかかれたばかりの靑松の木を描かれた障子屏風をかかえている。』
握髪 とかしっつあったかみのけをにぎりつついそいで賓客をむかえるさま。延 こちらへと招請する。○手提 手は李の手。○ 題の障子の屏風。


障子松林靜杳冥,憑軒忽若無丹青。
その障子屏風の描かれた松林はしずかにとおく暗くつらなって居て、軒端の欄干によって眺めると丹青の画が消えて実物ばかりがある様におもわれる。
香冥 はるかなかんじでうすぐらいこと。○憑軒 軒端の欄干によってながめる。○若無丹青 丹青とは画の彩色をいう、若無とは画そのものは無いようで、実物があるようだということ。


陰崖卻承霜雪幹,偃蓋反走虬龍形。』
日陰のくらっぽいそばがけは霜雪をしのぐ松の幹をうけており、松の枝葉がかさなりあって笠のようであり、蛟や竜のようなさまを走らせている。』
陰崖 山の北側のがけ。逆光、日の当たらぬがけ。○卻承 松幹が崖をしりぞけるさま。○霜雪幹 霜雪をしのぐみき、松のみきをいう。〇偃蓋 ふせた笠。その形をした松。松の枝葉のかさなりあったさまをいう。○反走 幹が走るならば普通であるが、これは偃蓋のすがたがかえってそのようだというのである。○虬龍形 みずち、竜のようにうねりくねっているかたち。

奉贈王中允維 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 254

奉贈王中允維 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 254
(3)

彼は杜甫から「高人王維」と呼ばれたが杜甫に「王中允経に贈り奉る」と題する五言律詩があり、これは758年乾元元年(時に杜甫47歳)の作とされているが、私は同年六月彼が左拾遺から、房琯のことで、朝廷内で疎外を受けて悩み、苦しんだのだ。そして王維に詩を贈って、結果こんどは華州司功参軍に左遷された以後のものではないかと推察している。詩題に王維の官を「中允」(太子中允)というのと、詩の内容に、杜甫自身のかげりある心境が反映されているためである。太子中允は正五品下で、東宮官の太子左春坊に属する侍従職で、天子への上奏を批正したり諌言を口上することを任務とする。王維は前職の給事中より一段階おとされただけの軽い処分ですんだのである。

奉贈王中允維
中允聲名久,如今契闊深。
あなたの名声あることは久しいものであるが、ただ今では非常に深い勤苦をしておられる。
共傳收庾信,不比得陳琳。
世人のいいったえる所ではあなたは庚信が元帝に採用せられたように採用されたということだが、曹操が陳琳を得たことなどとはくらべものにならぬのである。
一病緣明主,三年獨此心。
あなたはただ明天子を忘れず思わるるがために病気となられたのであり、三年のあいだただただ守節の心を持しておられたのである。
窮愁應有作,試誦白頭吟。

あなたは窮愁の境遇に居られてはさだめしお作があることであろう、それをきかんと欲して、自分は先ず試みにこの拙吟をくちずさんでみるのである。

中允声名久し 如今契閥深し
共に伝う庚信を収むと 此せず陳琳を得るに
一癖明主に縁る 三年独り此の心
窮愁応に作有るなるぺし 試みに謂す白頭吟

賊は迫って偽官に著した。賊が平いで、賊に陥った官吏は罪されるはずであったが、そのとき前詩を奏したので、粛宗は王維を宥して太子中允を授けた。此の詩は作者が其の頃に王維に贈ったもの。


現代語訳と訳註
(本文)
奉贈王中允維
中允聲名久,如今契闊深。
共傳收庾信,不比得陳琳。
一病緣明主,三年獨此心。
窮愁應有作,試誦白頭吟。


(下し文)
中允声名久し 如今契閥深し
共に伝う庚信を収むと 此せず陳琳を得るに
一癖明主に縁る 三年独り此の心
窮愁応に作有るなるぺし 試みに謂す白頭吟


(現代語訳)
あなたの名声あることは久しいものであるが、ただ今では非常に深い勤苦をしておられる。
世人のいいったえる所ではあなたは庚信が元帝に採用せられたように採用されたということだが、曹操が陳琳を得たことなどとはくらべものにならぬのである。
あなたはただ明天子を忘れず思わるるがために病気となられたのであり、三年のあいだただただ守節の心を持しておられたのである。
あなたは窮愁の境遇に居られてはさだめしお作があることであろう、それをきかんと欲して、自分は先ず試みにこの拙吟をくちずさんでみるのである。


(訳注)奉贈王中允維
中允聲名久,如今契闊深。

あなたの名声あることは久しいものであるが、ただ今では非常に深い勤苦をしておられる。
中允 王維をさす。○如今 いま。○契閲 勤苦なるさま。


共傳收庾信,不比得陳琳。
世人のいいったえる所ではあなたは庚信が元帝に採用せられたように採用されたということだが、曹操が陳琳を得たことなどとはくらべものにならぬのである。
共伝 世間の人がともにいいつたえる。○収庚信 梁の侯景の乱の時、簡文帝は庚信をして朱雀航に営せしめたが、景が至るや信は衆を以て江陵に奔った。しかし乱がおさまるに及び、元帝は信を以て御史中兎となした。収とは収録し、採用すること。○不比 くらべられぬ。○得陳琳 魂の曹操と衰絹と相い争ったとき、初め陳琳は絹のために挽を討つ散文を草したが後に、挽に事えた。得とは操が琳を得て用いることをいう。


一病緣明主,三年獨此心。
あなたはただ明天子を忘れず思わるるがために病気となられたのであり、三年のあいだただただ守節の心を持しておられたのである。
一病 癖といつわったこと。○明主 天子(玄宗)をさす。〇三年 天宝末より乾元初年までの間。○此心 節を守る心。


窮愁應有作,試誦白頭吟。
あなたは窮愁の境遇に居られてはさだめしお作があることであろう、それをきかんと欲して、自分は先ず試みにこの拙吟をくちずさんでみるのである。
窮愁 戦国超の虞卿の故事、窮して愁うる、経の困窮をいう。○ 詩をつくること。○試諦 作者が詞する。○白頭吟 漢の司馬相如の妻卓文君が夫が妾を買おうとするのをきいて賦した「白頭吟」を引き、王維の詩が君に対して二心なきをいうのはこれと似ている。又、飽照の「白頭吟」の「直きこと朱糸の縄の如く、清きこと玉壷の氷の如し」といい、身の清直で潔白な旨を表現する。

ここでは杜甫自身も、華州司功参軍へ左遷処分をうけるわけで、王維が悶々たる心情をいだいているのが、よく理解できるのだ。「試みに誦られよ」と読んで、王維に身の証しを立てるように、杜甫が勧めたのであろう。杜甫も同じく賊中に捕らわれて「哀王孫」「春望」の詩を作り、のち脱出して鳳翔で粛宗に会い、左拾遺の官を授けられただけに、王維の心情が痛いほど理解できたのである。白頭吟とは作者が自己の詩、即ち此の詩篇をさしていうものとみる。作者の『寄楊五桂州譚』詩に、
五嶺皆炎熱,宜人獨桂林。
梅花萬裡外,雪片一冬深。
聞此寬相憶,為邦複好音。
江邊送孫楚,遠附白頭吟。
(楊五桂州譚に寄す)
五嶺は皆炎熱なり 人に宜しきは独り桂林のみ
梅花万里の外 雪片一冬深し
此れを聞いて相憶を寛にす 邦を為むる復好音
江辺孫楚を送る 遠く附す白頭吟

「あなたの名声はまことに久しいものだ。それが今大変苦しんでいられる。世間では庚信の任用に似ておって、曹操の陳琳採用と大違いという。明主を思えばこそ口のきけぬ病いとなり、三年間ひたすら忠誠の心を守られた。やりきれぬ悲しみに近作がおありでしょう。私も試みに 『白頭吟』を口ずさんでおります」し「庚信を収む」とは、六朝末のすぐれた詩人庚信(513一581)敵防衛の任を放棄して逃亡したが、元帝は彼を御史中丞に任じたことをさす。「陳琳を得」建安七子の一人陳琳(未詳―217)ははじめ蓑紹に仕えて曹操攻撃の猛烈な檄文を書いたがが敗れると曹操に許しを乞い、その幕下に加えられた。庾信の場合は敵前逃亡であったが、陳琳は一時、敵対した。両者の再雇用は事情が異なり、王維の場合は前者に当たるという「三年」の句には、王維の虜囚時の作を唐朝に忠誠を示すものとの認定がこめられている。「窮愁」は『史記』虞卿伝に見える語「白頭吟」は楽府題で相和歌に属し、劉宋の飽照の「白頭吟」には「直きこと朱糸の縄の如く、清きこと玉壷の氷の如し」といい、身の清直で潔白な旨を表現する。ここでは杜甫自身も、華州司功参軍へ左遷処分受けた身であり、王維が不幸な境遇に陥って悶々たる心情をいだいているのが、よく理解できるとの意にとったが「試みに誦られよ」と読んで、王維に身の証しを立てるように、杜甫が勧めたと解釈することも可能であろう。杜甫も同じく賊中に捕らわれて「春望」の詩を作り、のち脱出して鳳翔で粛宗に会い、左拾遺の官を授けられただけに、王維の心情が痛いほど理解できたのであろう。
しかし、後世の王維に対する批判には厳しいものがあり、南宋の朱熹や明・清の交の雇炎武(1613-1682)はなかなかに痛烈である。朱熹は「禄山の乱に遭いて、賊中に陥るも死する能わず、事平らぎて復た幸いに誅されず、其の人民に言うに足らず」(『楚辞後語』)といい、顧炎武は王維の虜囚時の作を挙げて、「古来、文辞を以って人を欺く者は謝霊運に若くは莫く、次は則ち王維なり」(『日知録』巻二一)ときめつけ、杜甫が王維を高人と評したことを、「天下に高人にして賊に仕うる者有りや」と杜甫にまで駁撃を加える。

王維 口號又示裴迪 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 253

王維 口號又示裴迪 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 253

(2)王維
両作ともほぼ同時と思われるのが、次の「口号して又に裴迪に示す」と題する七言絶句である。


前作を話して、王維の昂奮はいっそう高まったのであろう。「又」の字はよくそれを示していなお『万首句人絶唐』はこれを「菩提寺の禁にて裴迪に示す」と題する。

口號又示裴迪
安得捨塵網、沸衣辭世喧。
悠然策藜杖、歸向桃花源。
(口号して又に裴迪に示す)
安くにか塵網を捨つるを得て、衣を払いて世の喧しきを辞し。
悠然として藜の杖を策き、帰りて桃花源に向かわん。


現代語訳と訳註
(本文)

口號又示裴迪
安得捨塵網、沸衣辭世喧。
悠然策藜杖、歸向桃花源。

(下し文) (口号して又に裴迪に示す)
安くにか塵網を捨つるを得て、衣を払いて世の喧しきを辞し。
悠然として藜の杖を策き、帰りて桃花源に向かわん。


(現代語訳)
とても難しいことだけど俗世界を捨てたいのだ、煩わしい衣についてくる塵のように私に要求してくることを払いのけたい、そして隠棲したいのだ。
ゆったりと落ち着いた気分で藜杖をついて、散策する桃源郷に向かって帰りたい。

(訳注)
安得捨塵網、沸衣辭世喧。

とても難しいことだけど俗世界を捨てたいのだ、煩わしい衣についてくる塵のように私に要求してくることを払いのけたい、そして隠棲したいのだ。
安得 難しいことだがなんとかしての意。ほとんど実行不可能を予想していう言葉。○塵網 脱出が難しい俗世のこと。俗界。『文選、江淹、雜體、許徴君自序詩』「五難既に儷落、超迹絶塵網」陶淵明『帰田園居』(田園の居に帰る)
歸園田居五首       其一
少無適俗韻,性本愛邱山。
誤落塵網中,一去三十年。
羈鳥戀舊林,池魚思故淵。
開荒南野際,守拙歸園田。
方宅十餘畝,草屋八九間。
楡柳蔭後簷,桃李羅堂前。
曖曖遠人村,依依墟里煙。
狗吠深巷中,鷄鳴桑樹巓。
戸庭無塵雜,虚室有餘閒。
久在樊籠裡,復得返自然。
「誤って塵網の中に落ち、一たび去りて十三年」と見える。
○払衣 衣の塵をはらって隠遁する意、
歸園田居五首    其一
少より 俗韻に適ふこと無く,性本と邱山を愛す。
誤りて塵網の中に落ち,一たび去ること 三十年。
羈鳥 舊林を戀ひ,池魚 故淵を思ふ。
荒を開く 南野の際,拙を守りて 園田に歸る。
方宅 十餘畝,草屋 八九間。
楡柳 後簷(えん)を蔭(おほ)ひ,桃李堂前に羅(つらな)る。
曖曖たり 遠人の村,依依たり 墟里の煙。
狗は吠ゆ 深巷の中,鷄は鳴く 桑樹の巓。
戸庭 塵雜 無く,虚室 餘閒有り。
久しく樊籠の裡に在れども,復(ま)た自然に返るを得(う)。
謝霊運「述祖徳詩」其二祖(徳を述ぶ)に謝霊運の『述祖德詩』に「達人貴自我,高情屬天雲。兼抱濟物性,而不纓垢氛。段生蕃魏國,展季救魯人。」「高く七州の外に揖り、衣を五湖の蓑に払う」と見える。


悠然策藜杖、歸向桃花源。
ゆったりと落ち着いた気分で藜杖をついて、散策する桃源郷に向かって帰りたい。
○悠 ゆったりと落ち着いたさま。『文選、陶淵明、雑詩』「飲酒其五 陶淵明
結廬在人境,而無車馬喧。
問君何能爾?心遠地自偏。
采菊東籬下,悠然見南山。
山氣日夕佳,飛鳥相與還。
此中有真意,欲辨已忘言。」(菊を采る東籬の下、悠然として南山を望む)○藜杖【あかざのつえ】 『荘子』譲王篇に子頁が貧乏な原意を訪ねたとき、原意は「藜を杖つきて門に応じ」たと見える。藜はアカザ科の一年草、葉は食用・薬用に供せられ、茎は軽くて堅いので老人の杖に用いられる。「桃花源」は古代の質朴さを留めた理想社会。陶淵明に「桃花源記」がある。王維はこのとき「塵網」と「世喧」につくづく安禄山に愛想が尽きていたのであろう。隠者となって、嘘と偽りのない古代社会に帰りつくことを、ひたすら願望していた。


756年至徳元載七月、粛宗は霊武に即位した(はじめ文武官は三十人ほど)のち、態勢を整え、長安回復をはかりつつあったが、帰属する官僚や軍人は次第に増加し、特に郭子儀・李光弼の両名将の到着は臨時政府の大きなささえとなった。勇将の顔真卿は敵の根拠地河北を中心に力戦していたが、房琯が率いた五万の兵が十月に陳涛斜(隣西成陽東)青坂で大敗を喫し、十二月、四道の節度使を兼ねた、永王璘(李白はその幕僚となった)が叛意を抱いて江陵(湖北省)から金陵(南京)をめざしたのは、ともに大きな痛手であった。

当時、山西の地で李光弼とともに、要衝の大原を守っていたのは、大原少尹(副長官、従四品下)の職にあった王維の弟王縉である。
757年至徳二載(時に王維五十七歳)正月、安慶緒は父の安禄山を殺して、大燕皇帝となった。大原が史思明の大軍十万に包囲され、李光弼が嘉の弱卒を率い、知略の限りを尽くして守り抜いたのもこの一月のことである。

二月には粛宗は行在所を寧夏の霊武から、長安の西140kmの鳳翔に移し、隴右・河西・安西など西海の辺境守備軍やウイグル異民族の兵を集め、永王璘の反乱も鋲圧し、両都回復の態勢を撃え、各地における官軍の善戦もあって、
九月には広平主催(のちの代宗)を総帥とする十五万の兵を発して両都に向かわせ、
九月二十七日、敵十万を長安の西で破り、
九月二十八日には長安を、
十月十八日には洛陽を回復した。
十月二十三日に粛宗が鳳翔から、
十二月四日に上皇(玄宗)が蜀から長安に帰ってきた。

■河北を中心に兵乱はなお続いていたが、中興の業はほぼ成り、論功行賞とあわせて、偽政府に従った官僚の処罰が議せられた。御史中盃の程器・呂詮は、敵に降った官僚は「国に背き偽に従ったもの」ゆえ、法律どおりすべて死刑に処すべしと主張し、粛宗も一時はそれに賛成したが、皇族の李幌が処分をゆるめるように進言するや、結局、李幌の意見が採択されて、見せしめの死刑から流罪、左遷に至る六等の刑によって処分することが確定した。

このとき、いちばん問題になったのは張均・張泊兄弟の処分であった。彼ら兄弟はかつての重臣張説の子で、張泊は唐王室と婚姻関係までありながら、ともに安禄山に従い、均は偽政府の中書令に、泊は宰相に就いた。上皇は両者の死罪を当然としたが、粛宗は兄弟の力で李林甫の毒手を免れえたのを理由に助命を願ったので、均は死罪、泊は広東方面への永久配流と決定した(以上は『賢治通鑑』巻二二〇による。両『唐吾』は均は合浦(広東省)に配流、泊は賊中で死亡と記す)。その他、達臭均ら十八人は死刑、陳希烈ら七人には自尽を賜わった。王維は長安におれば、上述のように九月二十八日に解放されたであろうが、「貴公の神道碑」の自述によれば、十か月ほどの拘禁生活を経たのち、ついに堪えきれず給事中の偽職を受けたようであるので、職掌柄洛陽に移っていたとも察せられる(至徳二我の五、六月ごろからか)。とすれば、彼は十月十八日洛陽で官軍により、解放されたことになる。ただ、彼はそれ以後も十二月の処分決定まで、未決囚としてまず京兆府の獄に、ついで楊国忠の旧邸に身体を拘束されたであろうから、安禄山軍の長安占領以後約一年半ほどを、拘禁またはそれに近い状態で生活を送ったことになる。その間、彼は生命の危険を幾度か覚えたはずである。崖器らの意見が通れば、王維も死罪に処せられるところであったが、彼に対する処分は意外に軽かった。このあたりの事情を『旧唐書』本伝は次のようにいう。

賊平らぎ、賊に陥ちし官は三等にて罪是めらる。王維は「擬碧」の詩行在に聞こゆるを以って、粛宗之差したまう。会【たま】たま王縉己が刑部侍即を削りて、兄の罪を贖【あがな】わんと請う。特に之を宥【ゆる】し、太子中允を責授さる。

『新唐書』本伝の記事もほぼ同じであるが、「擬碧」の詩が自然に行在所に伝わったのではなく、ある人がわざわざその詩を行在所の粛宗に伝えたと記述している。「三等」は本来「六等」が正しいが、ここでは、見せしめの死刑・自尽・杖刑の比較的重い「三等」の刑をあげたのであろう。王維に対する処分は「責授」(罪芸めつつ官を授ける。左遷に同じ)であるので、「三等」以下の監当たる。それゆえ「特に宥す」と表現したのであろう。「刑部侍郎」は尚書六部の一つで、刑法を管掌する。侍即は次官で正四雫。王潜は大原少冒して大原防衛に功績があったので、刑部侍郎(当時は『新唐害』本伝誓うように計と呼ばれていた)覧進したのである。

かくして偽政府に投降した行為は、最も軽い処分で決着したが、この拭いようのない汚点は、彼姦しい自責に駆。たてた。彼が太子中允(李中允といっても、彼の「集賢学士を謝する表」に「朝議大夫雲子中允臣維」というように、正官ではなく試官であり、正確には李中允待遇というべきである)に任ぜられたとき、恩命を謝して奉った表(文体の名称で上奏文の一撃あり、事柄を明らかにする目的で、陳情に用いる)の「太子中允に除せらるるを謝する表」に、当時の心境をよく綴いる。


詔は宸衷【しんちゅう】より出で、恩は望表【ぼうひょう】に過ぐ。捧戴【ほうたい】して裁【な】す所知らず。臣は聞く、君の禄を食むものは、君の難に死すと。逆胡の紀を干し、上皇の官を出でたまうに当たり、臣は進みて従行するを得ず、退きて自殺する能わず。情は察すべしと雖ども、罪は誅を容されず。……仍ち、網を祝するの恩を開き、臣を鼓に釁【ちぬ】るの戮【りく】より免【まぬか】れしめたまい、書を投じて罪を削り、襟を端【ただ】して朝に立たしめたもう。穢汚【わいお】の残骸、死滅の余気、伏して明主に謁【まみ】ゆるに、豈に自から心に娩【は】じざらんや。仰ぎて勲臣に廁【まじ】わるに、亦た何をか其の面に施さん。天に媚みて内を省みるに、地として自ら容るる無し。……朝に罪人の禄を食むを容さは、必ずや法を屈ぐるの嫌【うたが】いを招かん。臣は仏を奉じ恩に報ゆるを得て、白から死せざるの痛みを寛【ゆる】うせん。


「望表」は望外に同じ、『南史』王藻伝に「栄は望表に出ず」と見える。「網を祝す」とは「解網祝禽」の略で、殿の湯王が網の三面を開けて、閉じこめられた鳥を解き放ち、その前途を祝福した故事にもとづく。「鼓に馨る」とは人を殺してその血を太鼓に塗ること。戦争時の勝利を祈る儀式であった。『左伝』僖公三十三年に「孟明稽首して日わく、君の恵みは囚われの臣を以って鼓に費らざることなり」と見える。「天に指む」とは天が高いのに、つかえはしないかと身をかがめることで、恐れのため過度に行動を慎重にするたとえ。『詩経』小雅、正月にもとづく言葉。彼は前述のように、裴迪に示した作品で、隠退して桃源郷に赴きたいといい、ここでは仏道に帰依して、贖罪と報恩のうちに一生を終わりたいという。彼は太子中允の職に任ぜられて、出仕する毎日ではあったが、顔に厚化粧を施すか、仮面でもかぶらねは過ごせないほどの思いをいだいていたのであろう。



さて王維の作品は、次のような裴迪と昌号した七言絶句と長い題名がついているものとある。それはこの作品が書きつけたものでなく、口頭による即興吟(いわゆる「口号」)であった関係によるのであろう。

問題はこの状況下で杜甫が一年前に房琯について僭越にも余計なことをいってしまったこと。そして、兩都を奪還し、朝廷内での地位が固まってきた段階でまた余計なことをいったことになる。この詩の後左遷ということになってしまうのである。あくまでも此の視点は朝廷側、粛宗側から見たのである。粛宗は基本的に文人が嫌いなのである。

王維 菩提寺禁、誦示裴廸 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 252

王維 菩提寺禁、誦示裴廸 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 252

(1)王維
菩提寺禁、裴廸来相看、説逆賊等凝碧池上作音楽、
供奉人等擧聲、便一時涙下、私成口読、誦示裴廸。

太子中允である王維に贈った詩。乾元元年の作。王維は天宝の末年に給事中の官であったが玄宗が蜀に奔ったとき従うに及ばず、叛乱軍にとらえられた。王維は薬をのんで痢を取り詐って痔の病と称した。安禄山はもとよりこれを憐んだが、人を遣わして洛陽に迎え来らせ菩提寺(或は普施寺という)に拘した。
杜甫は房琯の擁護をして粛宗の逆鱗に触れ、長安・洛陽奪還の肝心な時に鄜州羌村の家族のもとにあった。
朝廷内では他の官僚との交流もなく、疎外されていた。この間の詩については掲載の通り、内容的に、朝廷内で仕事は全くされてない状況であった。そうした中で王維に対して出過ぎた詩を贈ってしまった。杜甫が左遷されられる原因の一つに王維に対する詩をあげる。

この時期に至る王維の情況、朝廷の情況を見ていく。王維については、叛乱軍の中で口号して作った二首についてみる。その後に杜甫の王維に送る詩を見る。
(1)王維 菩提寺禁、誦示裴廸―『万首句人絶唐』引用の詩題
(2)王維 口號又示裴迪
(3)杜甫 奉贈王中允維

《菩提寺禁、誦示裴廸》(略題)

菩提寺禁、裴廸来相看、説逆賊等凝碧池上作音楽、
供奉人等擧聲、便一時涙下、私成口読、誦示裴廸。
菩提寺の拘禁所に、裴迪が面会にやって来て、『逆賊らが凝碧池の畔で音曲を楽しんだが、かつての梨園の弟子たちが泣きだすと、みなどっと涙を流した』と話してくれた。ひそかに即興吟を作り、口ずさんで裴迪に示した。
《菩提寺禁、誦示裴廸》
萬戸傷心生野煙、百官何日再朝天。
長安の町中が人家は、廃墟と化して街中というに野のかすみがたちこめ、見るものの心を傷しめる。思いねがうは、文武百官の再び天子に拝謁することである、いつの日であろうか。
秋槐葉落空宮裏、凝碧池頭奏管絃。

秋の槐の葵は、主のない宮殿に散り落ちているだけ、叛乱軍のやからは、洛陽宮の凝碧池の辺でにあわない音楽を奏し、酒宴をするという。

(菩提寺の禁に、裴廸【はいてき】来りて相い看るに、逆賊等、凝碧池【ぎょうへきち】上【じょう】に音楽を作【な】し、供奉【くぶ】の人等声を挙げて、便【すな】わち一時に涙下ると説く。私【ひそ】かにロ号口【こうこう】を成【な】し、誦【しょう】して裴廸に示す)。
(菩提寺の禁にて裴迪に示す」)
万戸傷心 野煙生ず、百官 何れの日か再び天に朝せん。
秋槐 望落つ 空宮の裏、凝碧 池頭 管絃を奏す

10risho長安城の図035

現代語訳と訳註
(本文)

菩提寺禁、裴廸来相看、説逆賊等凝碧池上作音楽、
供奉人等擧聲、便一時涙下、私成口読、誦示裴廸。

萬戸傷心生野煙、百官何日再朝天。
秋槐葉落空宮裏、凝碧池頭奏管絃。


(下し文)
(菩提寺の禁に、裴廸【はいてき】来りて相い看るに、逆賊等、凝碧池【ぎょうへきち】上【じょう】に音楽を作【な】し、供奉【くぶ】の人等声を挙げて、便【すな】わち一時に涙下ると説く。私【ひそ】かにロ号口【こうこう】を成【な】し、誦【しょう】して裴廸に示す)

万戸傷心 野煙生ず、百官 何れの日か再び天に朝せん。
秋槐 望落つ 空宮の裏、凝碧 池頭 管絃を奏す


(現代語訳)
菩提寺の拘禁所に、裴迪が面会にやって来て、『逆賊らが凝碧池の畔で音曲を楽しんだが、かつての梨園の弟子たちが泣きだすと、みなどっと涙を流した』と話してくれた。ひそかに即興吟を作り、口ずさんで裴迪に示した。
長安の町中が人家は、廃墟と化して街中というに野のかすみがたちこめ、見るものの心を傷しめる。思いねがうは、文武百官の再び天子に拝謁することである、いつの日であろうか。
秋の槐の葵は、主のない宮殿に散り落ちているだけ、叛乱軍のやからは、洛陽宮の凝碧池の辺でにあわない音楽を奏し、酒宴をするという。

(訳注)
菩提寺禁、裴廸来相看、説逆賊等凝碧池上作音楽、
供奉人等擧聲、便一時涙下、私成口読、誦示裴廸。
菩提寺の拘禁所に、裴迪が面会にやって来て、『逆賊らが凝碧池の畔で音曲を楽しんだが、かつての梨園の弟子たちが泣きだすと、みなどっと涙を流した』と話してくれた。ひそかに即興吟を作り、口ずさんで裴迪に示した。
○此の詩は、王維が安禄山に拘禁されていた時の作として知られる。○菩提寺 長安の平康坊南門の東にあったという。(長安城図参考)○ 王維が監禁されているところ、監獄。○裴迪 王維の友人。 
 王維詩 年賦・詩の時系序列
 王維 詩目次と詩のタイトル
 王維のアウトライン
 王維ものがたり


萬戸傷心生野煙、百官何日再朝天。
長安の町中が人家は、廃墟と化して街中というに野のかすみがたちこめ、見るものの心を傷しめる。思いねがうは、文武百官の再び天子に拝謁することである、いつの日であろうか。
野煙 野のかすみ。○朝天 朝廷に出仕する。
詩題でも裴迪(長安に住んでいた)の面会を言い、『洛陽伽藍記』の「菩提寺」の項にも、王維の拘禁について記述がない。王維はこの時長安にいた。裴迪も長安を居住としていた。「万戸」「百官」と対をなす語からも、首都長安のイメージが濃厚であり、賈至、王維、杜甫、岑参の「早朝大明宮」に
奉和中書賈舎人早朝大明宮  岑參
雞鳴紫陌曙光寒,鶯囀皇州春色闌。
金闕曉鐘開萬戶,玉階仙仗擁千官。
花迎劍珮星初落,柳拂旌旗露未乾。
獨有鳳凰池上客,陽春一曲和皆難。
鶏鳴いて紫陌曙光寒し、鶯囁じて皇州春色闌なり。
金闕の暁鐘万戸を開き、玉階の仙仗千官を擁す。
花は剣侃を迎えて星初めて落ち、柳は旋旗を払って露未だ乾かず。
独り鳳皇池上の客有り、陽春の一曲和すること皆難し。
「金闕の暁鐘万戸を開き、玉階の仙仗千官を擁す。」と見えるのが、そのイメージを支える例証となる。「秋槐」の句は長安・洛陽いずれの宮殿にかけてよく、結びは洛陽についていう。ここで重要なことは、安禄山の酒宴に王維が参加していないということである。彼は756年天宝十五載(七月に至徳元我と改元)の六、七月ごろ、安禄山軍の捕虜となり、やがて洛陽に送られて、安禄山から偽官に就くことを要求されたが、それを拒否し、再び長安に連れもどされて、菩提寺に拘禁されていたのであろう。この作品が両都回復後に行なわれた功賞と処罰において、彼が寛大な処分を受ける大きな原因となった


秋槐葉落空宮裏、凝碧池頭奏管絃。
秋の槐の葵は、主のない宮殿に散り落ちているだけ、叛乱軍のやからは、洛陽宮の凝碧池の辺でにあわない音楽を奏し、酒宴をするという。
 えんじゅ。○逆賊等 安史軍安縁山叛乱軍を指す。○凝碧池 唐の東の都、洛陽の禁苑にある池。○供奉人 宮廷の楽士。○挙声 楽器の音を出す。○口号 詩の体裁の一。口に隨って吟詠する意という。○誦示 文字に記さず、口づたえに示す。○なおこの時、王維と共に捕えられ、安禄山の官位を受けたものは、すべて罪せられたが、王維は此の詩のお陰で免かれたという。安縁山が凝碧池で宴した様子は「明皇雜録」にくわしい。抜粋して載せる。

「明皇雜録」 
 「天宝末、群賊両京(長安と洛陽)を陥し、大いに文武の朝臣及び黄門(宦官)、宮嬪(女官)を掠め、楽工、騎士、数百人を獲る毎に、兵仗を以て厳に衛り、洛陽に送る。山谷に逃るる者有るに至るも、而かも卒に能く羅捕迫脅し、授くるに冠帯(官位)を以てす。安禄山、尤も意を楽工に致し、求訪すること頗る切なり。旬日にして梨園の弟子数百人を獲だり。群賊、因りて相い与に大いに凝碧池に会して宴す。偽官数十人、大いに御庫(天子の宝物庫)の珍宝を陳べ、前後に羅列す。楽既に作る。梨園の旧人(かつての玄宗皐粧肛属の歌舞音曲団員)、覚えず歔欷(すすりなき)し、相い対し涙下る。群逆、皆な刃を露わし満を持し以て之れを脅かすも、已むあたわず。楽工の雷海青なる者有り。楽器を地に投じ、西向(玄宗皇帝のいる方角)して慟哭す。逆党(逆賊の一昧)乃わち海青を戯馬殿に縛し、支解(手足をばらばらにする酷刑)して以て衆に示す。之れを聞く者、傷痛せざるなし。禄山素より其の才を知る。迎えて洛陽に置き、迫って給事中と為すっ禄山大いに凝碧池に宴し、悉く梨園の諸工を召して合楽せしむ。諸工皆な泣く。維聞きて悲しむこと甚だしく、詩を賦りて悼痛めり。王維、時に賊の為に菩提仏寺に拘われ、之れを聞きて詩を賦す云云」とある。
《大意》
この凝碧池の宴会は、それによれば、安禄山軍以外に、偽政府のもと朝臣数十人も列席したという。安禄山は至徳二我の春正月六日早朝に子の安慶緒に殺されているから、この宴会は至徳元載(757)(時に王維五十六歳)の秋でなければならない。これに王維は出席していないから、当時は安禄山が与えようとした官(給事中)を拒否しつづけて、菩提寺(杜甫「崔氏東山草堂」原注を信すれば「東山北寺」)に拘禁されていたのであろう。 なおこのとき、音楽が始まったものの、梨園に席を置いた楽師たちは泣きだし、兵士たちは自刃で脅かしたが彼らは泣きやまず、雷海青という琵琶の名手は楽器を投げだし、玄宗が住む西方の覇に向かって慟哭した。怒った安禄山軍は彼の身体をばらばらに切り離して、見せしめにしたという。


王維が安禄山叛乱軍に捕らわれ、やむなえぬ事情ということで投降して、叛乱軍の政府の官僚となったことは、唐王朝に対する反逆である。男女別なくとらわれれば、敵の収穫物となるのであり。したがって、やむを得ない投降はないのであり、死か、反逆かしかないのであった。首都を回復した唐王朝としては叛乱者の官僚になるということは、許しがたい犯罪的行為であったのだ。彼は弟王潜の懸命な嘆願や後述する虜囚中の作品によって、微罪となったわけだが、この時代としては表面的なものでしかなく、王維自身には終生解決しえない重荷を負ったのである。

王維 輞川集

1孟城幼 もうじょうおう
2華子岡 かしこう
3文杏館ぶんきょうかん
4斤竹嶺 きんちくれい
5鹿柴   ろくさい 
6木蘭柴 もくらんさい
7茱萸拌 しゅゆはん
8宮塊陌 きゅうかいはく
9臨湖亭 りんこてい
10南 陀 なんだ
11欹 湖 いこ
12柳 浪 りゅうろう
13欒家瀬らんからい
14金屑泉 きんせつせん
15白石灘はくせきたん
16北 陀 ほくだ
17竹里館 ちくりかん
18辛夷塢 しんいお
19漆 園 しつえん
20椒 園 しょうえん


奉答岑參補闕見贈 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 250

奉答岑參補闕見贈 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 250

岑参44歳  長安在り,右補闕に任。  「寄左省杜拾遺」



奉答岑參補闕見贈
岑参補闕が贈ってくれた詩を見た詩に答え奉る
窈窕清禁闥,罷朝歸不同。
頭がよく顔も美しいしとやかな美人は清らかに宮中の中にいる。何時も朝廷からは同じように帰るとは限らない。
君隨丞相後,我往日華東。
岑参君は今後郭子儀宰相に後にしたがっていくとよい、わたしは日が昇り輝いている東の方に行くみたいだ、
冉冉柳絲碧,娟娟花蕊紅。
今や、しだれ柳の青緑の小枝はやわらかに垂れ下がり、蝶などが美しく飛び、花芯は紅色である。
故人有佳句,獨贈白頭翁。
友達である君は、良い詩をたくさん作っている、その詩の一つになるものといえる詩を白髪頭のこの老人に贈ってくれる。


岑參補闕に 贈るを見るに 答え奉る
窈窕は禁闥に清し,罷く朝に同じせず歸る。
君 丞相の後に随い,我 日華の東に往く。
冉冉 柳絲は碧なり,娟娟 花蕊は紅なり。
故人は佳句有り,ひとり 白頭翁に贈る。


現代語訳と訳註
(本文)
奉答岑參補闕見贈
窈窕清禁闥,罷朝歸不同。
君隨丞相後,我往日華東。
冉冉柳絲碧,娟娟花蕊紅。
故人有佳句,獨贈白頭翁。


(下し文) 岑參補闕に 贈るを見るに 答え奉る
窈窕は禁闥に清し,罷く朝に同じせず歸る。
君 丞相の後に随い,我 日華の東に往く。
冉冉 柳絲は碧なり,娟娟 花蕊は紅なり。
故人は佳句有り,ひとり 白頭翁に贈る。


(現代語訳)
岑参補闕が贈ってくれた詩を見た詩に答え奉る
頭がよく顔も美しいしとやかな美人は清らかに宮中の中にいる。何時も朝廷からは同じように帰るとは限らない。
岑参君は今後郭子儀宰相に後にしたがっていくとよい、わたしは日が昇り輝いている東の方に行くみたいだ、
今や、しだれ柳の青緑の小枝はやわらかに垂れ下がり、蝶などが美しく飛び、花芯は紅色である。
友達である君は、良い詩をたくさん作っている、その詩の一つになるものといえる詩を白髪頭のこの老人に贈ってくれる。


(訳注)
奉答岑參補闕見贈

岑参補闕が贈ってくれた詩を見た詩に答え奉る
長く節度使の幕僚として西域にあったが、安禄山の乱があった757年に粛宗がいた鳳翔にはせ参じて、杜甫らの推挙により右補闕となり、その10月には粛宗に従って長安に赴く。


窈窕清禁闥,罷朝歸不同。
窈窕は禁闥に清し,罷く朝に同じせず歸る。
頭がよく顔も美しいしとやかな美人は清らかに宮中の中にいる。何時も朝廷からは同じように帰るとは限らない。
窈窕 頭がよく顔も美しいしとやかな美人。『詩経、周南、關睢』「窈窕淑女、君子好逑」(窈窕たる淑女は、君子の好逑)○清 ○禁闥 宮中の小門。転じて宮中。『史記、汲黯傳』「出入禁闥、補過拾遺、臣之願也」(入し禁闥に出、過ちを補い遺を拾うは、臣之願い也)


君隨丞相後,我往日華東。
君 丞相の後に隨い,我 日華の東に往く。
岑参君は今後郭子儀宰相に後にしたがっていくとよい、わたしは日が昇り輝いている東の方に行くみたいだ、
○日華 日の光。『文選、謝朓、和徐都曹詩』「日華川上動、風光草際浮。」(日華 川上に動き、風光草際に浮ぶ。)杜甫は、この後秋になって東方の華州に左遷されることが予想されていたのであろうか。


冉冉柳絲碧,娟娟花蕊紅。
冉冉 柳絲は碧なり,娟娟 花蕊は紅なり。
今や、しだれ柳の青緑の小枝はやわらかに垂れ下がり、蝶などが美しく飛び、花芯は紅色である。
○冉冉 やわらかに垂れ下がり形容。○柳絲 柳の小枝。柳条。○娟娟 曲がりうねる。清く明るい様子。蝶などが美しく飛ぶさま。


故人有佳句,獨贈白頭翁。
故人は佳句有り,獨り白頭翁に贈る。

友達である君は、良い詩をたくさん作っている、その中の一つになるものといえる詩を白髪頭のこの老人に贈ってくれる。
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岑参から杜甫に『寄左省杜拾遺』 249

岑参から杜甫に『寄左省杜拾遺』 249
寄左省杜拾遺(左省の杜拾遺に寄よす)岑参
五言律詩。微・歸・飛・稀(平声微韻)。

杜甫に推薦してもらって、補闕に採用された新人であるが、朝廷の中で、仕事がなく、相手にされず疎外感をもって、自棄になっている杜甫に対して、わたしも同じように仕事はないのだと詠ったものである。


寄左省杜拾遺
門下省左省の杜甫左十遺に寄せる。
聯歩趨丹陛、分曹限紫微。
門下省の官僚が列をそろえて丹庭から、丹の階に向かう、部局の限られたものだけが紫微殿に入る。
曉隨天仗入、暮惹御香歸。
朝の参事には天子の行列を護衛する兵にしたがってはいる。夕暮れてから宮中で焚かれる香の香りと一緒に紫微殿から帰る。
白髮悲花落、青雲羨鳥飛。
この白髪頭のわたしは春花が咲き誇っているのに散り落ちていくのを見ると悲しくなる。春霞の大空に鳥は飛んでいるのをうらやましく思う。
聖朝無闕事、自覺諫書稀。
この天子の治められる朝廷においては政治上の欠陥というものが全くない。わたしは職務である天子をいさめる書をすることなど稀なことでしかないのを感じている。


(左省の杜拾遺に寄よす)
歩を聯【つらね】て丹陛【たんぺい】に趨【はし】るも、曹を分って紫微【しび】に限らる。
曉には天仗【てんじょう】に随って入り、暮には御香【ぎょこう】を惹【ひい】て帰る。
白髪 花の落るを悲しみ、青雲 鳥の飛ぶを羨やむ。
聖朝【せいちょう】 闕事【けつじ】無く、自から覚ゆ 諫書【かんしょ】の稀なるを。

唐朝 大明宮2000


現代語訳と訳註
(本文)
寄左省杜拾遺
聯歩趨丹陛、分曹限紫微。
曉隨天仗入、暮惹御香歸。
白髮悲花落、青雲羨鳥飛。
聖朝無闕事、自覺諫書稀。


(下し文) (左省の杜拾遺に寄よす)
歩を聯【つらね】て丹陛【たんぺい】に趨【はし】るも、曹を分って紫微【しび】に限らる。
曉には天仗【てんじょう】に随って入り、暮には御香【ぎょこう】を惹【ひい】て帰る。
白髪 花の落るを悲しみ、青雲 鳥の飛ぶを羨やむ。
聖朝【せいちょう】 闕事【けつじ】無く、自から覚ゆ 諫書【かんしょ】の稀なるを。


(現代語訳)
門下省左省の杜甫左十遺に寄せる。
門下省の官僚が列をそろえて丹庭から、丹の階に向かう、部局の限られたものだけが紫微殿に入る。
朝の参事には天子の行列を護衛する兵にしたがってはいる。夕暮れてから宮中で焚かれる香の香りと一緒に紫微殿から帰る。
この白髪頭のわたしは春花が咲き誇っているのに散り落ちていくのを見ると悲しくなる。春霞の大空に鳥は飛んでいるのをうらやましく思う。
この天子の治められる朝廷においては政治上の欠陥というものが全くない。わたしは職務である天子をいさめる書をすることなど稀なことでしかないのを感じている。


(訳注)
寄左省杜拾遺

門下省左省の杜甫左十遺に寄せる。
左省  門下省。○杜拾遺  杜甫。拾遺は官名。左拾位であった。天子の過失をいさめる役。


聯歩趨丹陛、分曹限紫微。
歩を聯【つらね】て丹陛【たんぺい】に趨【はし】るも、曹を分って紫微【しび】に限らる。
門下省の官僚が列をそろえて丹庭から、丹の階に向かう、部局の限られたものだけが紫微殿に入る。
丹陛  朱で塗った宮殿の階段。○  部局。○紫微  紫微宮。外朝(含元殿)、中朝(宣政殿)、内朝(紫宸殿)これらをつなぐ庭は丹く塗られていた。


曉隨天仗入、暮惹御香歸。
曉には天仗【てんじょう】に随って入り、暮には御香【ぎょこう】を惹【ひい】て帰る。

朝の参事には天子の行列を護衛する兵にしたがってはいる。夕暮れてから宮中で焚かれる香の香りと一緒に紫微殿から帰る
天仗  天子の行列を護衛する兵。○御香  宮中で焚かれる香の香り。


白髮悲花落、青雲羨鳥飛。
白髪 花の落るを悲しみ、青雲 鳥の飛ぶを羨やむ。
この白髪頭のわたしは春花が咲き誇っているのに散り落ちていくのを見ると悲しくなる。春霞の大空に鳥は飛んでいるのをうらやましく思う。


聖朝無闕事、自覺諫書稀。
聖朝【せいちょう】 闕事【けつじ】無く、自から覚ゆ 諫書【かんしょ】の稀なるを。
この天子の治められる朝廷においては政治上の欠陥というものが全くない。わたしは職務である天子をいさめる書をすることなど稀なことでしかないのを感じている。
聖朝  時の朝廷を尊んでいうことば。○闕事  政治上の欠陥。○諫書  天子をいさめる書。


この頃の岑参の詩
HP漢文委員会岑参詩しい参照
758年
2月、載を年と改む。
6月、房官、分州刺史に流さる。この年、李白、夜郎に流さる。王之渙、王翰

44歳  在長安,任右補闕。  「寄左省杜拾遺」
乾元元年   詩
127  奉和中書賈至舍人早朝大明宮(春末作
128  西掖省即事(春末)
129  寄左省杜拾遺(春末)
130  送人歸江寧(姑繫此年)
131  送揚州王司馬(同上)
132  送許拾遺恩歸江寧拜親(本年春夏間作于長安)
133  懷葉縣關操姚擴韓涉李叔齊
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曲江陪鄭八丈南史 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 248

曲江陪鄭八丈南史 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 248

758年乾元元年春、左拾遺であった頃の作。

 臘日   
 送鄭十八虔貶台州司、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩
 宣政殿退朝晚出左掖
 紫宸殿退朝口號 
 春宿左省
 晚出左掖
 題省中院壁
 奉和賈至舍人早朝大明宮
 送賈閣老出汝州

 送翰林張司馬南海勒碑





 曲江二首 其一

 曲江二首 其二

 曲江封酒 
 曲江封雨 
 曲江陪鄭八丈南史飲
 奉陪贈附馬韋曲二首 其一
 奉陪贈附馬韋曲二首 其二

 奉贈王中允維
 送許八拾遺歸江寧覲省。甫昔時嘗客遊此縣,於許生處乞瓦棺寺維摩圖樣,誌諸篇末
 因許八奉寄江寧旻上人
 題李尊師松樹障子歌
 得舎弟消息(乱後誰帰得
 送李校書 二十六韻  
 逼仄行,贈畢曜(逼側行贈畢曜)

杜甫の詩が曲江其一より次第に変化している。

曲江陪鄭八丈南史飲
鄭家の八番目の丈人である南史の宴席に同席して酒を飲むときの詩
雀啄江頭黃柳花,鳼鶄鸂鶒滿晴沙。
雀が曲江池のほとりでえさをついばんでいる。ウズラのひな、ごい鷺、紫おしどり春の晴れ渡った川砂の上にいっぱいあつまっている。(この句は赤、黄、綠、桃、青、紫、白色に集まる様子をいう。)
自知白發非春事,且盡芳尊戀物華。
わたしはもうわかっていることだが、この白髪頭はこの春におこったわけではないし、だからこそ芳醇な香りの盃椀をことごとく飲み干して変わりゆく春の景色をますます恋するのだ。
近侍即今難浪跡,此身那得更無家?
近臣である職を今すぐ辞して、放浪の旅に出ることはまだ難しいし、というのも私は今、更に家をなくしてしまうことができようか。
丈人才力猶強健,豈傍青門學種瓜?

といいながらも、まだまだ年寄りといっても詩文能力も力をまだまだ強く健やかであるので、できることなら長安城の東、春明門で瓜を植えることを学ぶということができないものか。

曲江にて鄭八丈の南史に陪して飲す
雀啄の江頭 柳花 黃ばむ,鳼鶄 鸂鶒 晴沙に滿つ。
自ら知る 白發 春事に非ざるを,且 芳尊【ほうそん】を盡くして 物華を戀う。
近侍 即今 浪跡するを難し,此身 那ぞ 更に家 無すを得んや?
丈人【じょうじん】才力 猶 強健なり,豈【ねがわく】は 青門に傍【よ】り 瓜を種るを學ばん?


 現代語訳と訳註
(本文)
曲江陪鄭八丈南史飲
雀啄江頭黃柳花,鳼鶄鸂鶒滿晴沙。
自知白發非春事,且盡芳尊戀物華。
近侍即今難浪跡,此身那得更無家?
丈人才力猶強健,覬傍青門學種瓜!


(下し文) 曲江にて鄭八丈の南史に陪して飲す
雀啄の江頭 柳花 黃ばむ,鳼鶄 鸂鶒 晴沙に滿つ。
自ら知る 白發 春事に非ざるを,且 芳尊【ほうそん】を盡くして 物華を戀う。
近侍 即今 浪跡するを難し,此身 那ぞ 更に家 無すを得んや?
丈人【じょうじん】才力 猶 強健なり,豈【ねがわく】は 青門に傍【よ】り 瓜を種るを學ばん!


(現代語訳)
鄭家の八番目の丈人である南史の宴席に同席して酒を飲むときの詩

雀が曲江池のほとりでえさをついばんでいる。ウズラのひな、ごい鷺、紫おしどり春の晴れ渡った川砂の上にいっぱいあつまっている。(この句は赤、黄、綠、桃、青、紫、白色に集まる様子をいう。)
わたしはもうわかっていることだが、この白髪頭はこの春におこったわけではないし、だからこそ芳醇な香りの盃椀をことごとく飲み干して変わりゆく春の景色をますます恋するのだ。
近臣である職を今すぐ辞して、放浪の旅に出ることはまだ難しいし、というのも私は今、更に家をなくしてしまうことができようか。
といいながらも、まだまだ年寄りといっても詩文能力も力をまだまだ強く健やかであるので、できることなら長安城の東、春明門で瓜を植えることを学ぶということができないものか。

(訳注)
曲江陪鄭八丈南史飲

曲江にて鄭八丈の南史に陪して飲す
鄭家の八番目の丈人である南史の宴席に同席して酒を飲むときの詩
陪 鄭八丈南史 同時期の詩人に張南史がいる。ここではその人を指すのであろうか。

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鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

雀啄江頭黃柳花,鳼鶄鸂鶒滿晴沙。

雀啄の江頭 柳花 黃ばむ,鳼鶄 鸂鶒 晴沙に滿つ。
雀が曲江池のほとりでえさをついばんでいる。ウズラのひな、ごい鷺、紫おしどり春の晴れ渡った川砂の上にいっぱいあつまっている。(この句は赤、黄、綠、桃、青、紫、白色に集まる様子をいう。)
雀啄【じゃくたく】 雀が啄ばむ 鳼【ぶん】ウズラのひな。鶄【せい】 ごいさぎ。鸂鶒【けいせき】紫おしどり。謝霊運『鸂鶒賦』「覧水禽之萬族、信莫麗干鸂鶒。」(水禽之萬族を覧るに、信に干鸂鶒麗しきは莫し。) 


自知白發非春事,且盡芳尊戀物華。
自ら知る 白發 春事に非ざるを,且 芳尊【ほうそん】を盡くして 物華を戀う。
わたしはもうわかっていることだが、この白髪頭はこの春におこったわけではないし、だからこそ芳醇な香りの盃椀をことごとく飲み干して変わりゆく春の景色をますます恋するのだ。
○芳尊 酒樽をいうのであるが、盃の大き湾のようなもの。芳醇な香りの盃椀。○物華 1.物の光。宝物の輝き。2.景色。風景。


近侍即今難浪跡,此身那得更無家?
近侍 即今 浪跡するを難し,此身 那ぞ 更に家 無すを得んや?
近臣である職を今すぐ辞して、放浪の旅に出ることはまだ難しいし、というのも私は今、更に家をなくしてしまうことができようか。
○近侍 天子のおそばに控えている官僚職。杜甫は左拾位であるので、近侍職である。近習、近臣。


丈人才力猶強健,豈傍青門學種瓜?
丈人【じょうじん】才力 猶 強健なり,豈【ねがわく】は 青門に傍【よ】り 瓜を種るを學ばん!
といいながらも、まだまだ年寄りといっても詩文能力も力をまだまだ強く健やかであるので、できることなら長安城の東、春明門で瓜を植えることを学ぶということができないものか。
丈人【じょうじん】1 年寄りを敬っていう語。 2 妻の父。岳父。○學種瓜 瓜を植えることを学ぶとは、秦の邵平が官を辞して、隠棲して、杜陵で瓜と桑を植えた、故事をふまえ、杜甫が隠遁したい旨を述べる。邵平は長安城の青門で瓜を売った。杜陵に植えたのは五色の瓜であった。官を辞して瓜をたくさん栽培したことをいう。泰の東陵侯に封じられていた卲平は秦が滅びると布衣(庶民)の身となり、長安の門の東で瓜を栽培し、それが美味だったので「東陵の瓜」と称された。
『文選』巻二三)其六に卲平東陵の瓜は五色であると。
「曰:邵平故秦東陵侯,秦滅後,為布衣,種瓜長安城東。種瓜有五色,甚美,故世謂之東陵瓜,又云青門瓜」。魏・阮籍も卲平の東陵の瓜は五色をふまえて「詠懐詩」(に「昔聞く東陵の瓜、近く青門の外に在りと。……五色 朝日に輝き、嘉賓 四面に会す」とする。李白『古風五十九首 其九』「青門種瓜人。 舊日東陵侯。」(青門に瓜を種うるの人は、旧日の東陵侯なり。)

南山下與老圃期種瓜  孟浩然
樵牧南山近,林閭北郭賒。
先人留素業,老圃作鄰家。
不種千株橘,惟資五色瓜。
邵平能就我,開徑剪蓬麻。
(下し文) 南の山の下で老圃に瓜を種える期。
樵牧 南山に近く、林閭 北郭に賒(とお)し。
先人 富農を留め、老圃 鄰家と作(な)る。
千株の橘を種えず、惟だ 五色の瓜を資(と)る。
邵平 能く我に就きて、径を開き 蓬麻を剪るか。
邵平能く我に就きて、径を開き蓬麻を剪るか。
秦の東陵侯のようにこの荘園に就いて、道を開き転蓬の旅をしたり、単に麻を育てていくことを断ち切って本気で隠遁生活になろうとするか。

南山下與老圃期種瓜 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -316


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曲江對雨 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 247

曲江對雨 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 247
曲江にて雨に対して作る。乾元元年三月上巳節の作であろう。三月最初の巳の日であったが、三月三日に固定された。

曲江對雨
曲江池の辺で雨に逢う
城上春雲覆苑牆,江亭晚色靜年芳。
城楼の上に春の雲が芙蓉苑の土塀に覆いかぶさっている、わたしが座ってやすんでいる曲江池ほとりの四阿には夕暮れかかって閑静な中、花や草のかおりがただよう。
林花著雨燕支濕,水荇牽風翠帶長。
芙蓉苑の林の花は雨にあたり「えんじ」の色がうるおい濃くなる、水の草の「あさざ」は風に引っ張られて翠色の帯のように長くのびている。
龍武新軍深駐輦,芙蓉別殿謾焚香。
このとき玄宗上皇は新に置かれた竜武軍に衛れて大極殿の奥にふかく輦をとどめられており、それなのにこの芙蓉苑の別殿離宮では昔と同じようにただみだりに香を焚いてお待ちしている。
何時詔此金錢會,暫醉佳人錦瑟旁?
上巳節には前代の玄宗の時代にはさかんなものであったが、いつ今の粛宗から詔が仰せられて、金銭を拾わせるというような御会を催され、教坊の美人のかなでる錦瑟のかたわらで、しばし酔うことができることであろうか。


(曲江にて雨に対す)
城上の春雲苑牆【えんしょう】を覆う、江亭晩色年芳【ねんほう】静かなり。
林花雨を著【つ】けて燕支【えんし】湿い、水荇【すいこう】風に牽【ひ】かれて翠帯【すいたい】長し。
竜武の新軍に深く輦【れん】を駐【とど】め、芙蓉の別殿に漫【まん】に香を焚く。
何の時か詔【みことのり】して此の金銭の会あって、暫く酔わん佳人【けいじん】錦瑟【きんしつ】の傍【かたわら】。

宮島(7)

現代語訳と訳註
(本文) 曲江對雨

城上春雲覆苑牆,江亭晚色靜年芳。
林花著雨燕支濕,水荇牽風翠帶長。
龍武新軍深駐輦,芙蓉別殿謾焚香。
何時詔此金錢會,暫醉佳人錦瑟旁?


(下し文) (曲江にて雨に対す)
城上の春雲苑牆【えんしょう】を覆う、江亭晩色年芳【ねんほう】静かなり。
林花雨を著【つ】けて燕支【えんし】湿い、水荇【すいこう】風に牽【ひ】かれて翠帯【すいたい】長し。
竜武の新軍に深く輦【れん】を駐【とど】め、芙蓉の別殿に漫【まん】に香を焚く。
何の時か詔【みことのり】して此の金銭の会あって、暫く酔わん佳人【けいじん】錦瑟【きんしつ】の傍【かたわら】


(現代語訳) 曲江對雨
曲江池の辺で雨に逢う
城楼の上に春の雲が芙蓉苑の土塀に覆いかぶさっている、わたしが座ってやすんでいる曲江池ほとりの四阿には夕暮れかかって閑静な中、花や草のかおりがただよう。
芙蓉苑の林の花は雨にあたり「えんじ」の色がうるおい濃くなる、水の草の「あさざ」は風に引っ張られて翠色の帯のように長くのびている。
このとき玄宗上皇は新に置かれた竜武軍に衛れて大極殿の奥にふかく輦をとどめられており、それなのにこの芙蓉苑の別殿離宮では昔と同じようにただみだりに香を焚いてお待ちしている。
上巳節には前代の玄宗の時代にはさかんなものであったが、いつ今の粛宗から詔が仰せられて、金銭を拾わせるというような御会を催され、教坊の美人のかなでる錦瑟のかたわらで、しばし酔うことができることであろうか。

 
(訳注)
曲江對雨

曲江池の辺で雨に逢う


城上春雲覆苑牆,江亭晚色靜年芳。
城楼の上に春の雲が芙蓉苑の土塀に覆いかぶさっている、わたしが座ってやすんでいる曲江池ほとりの四阿には夕暮れかかって閑静な中、花や草のかおりがただよう。
城上 曲江芙蓉苑の離宮の城楼のうえ。○苑牆 芙蓉苑のかき、土塀。○江亭 曲江のほとりの亭、作者の坐している四阿。○晩色 夕暮れがたのようす。黄昏時の景色。○ 閑静。〇年芳 一年のうちのかんばしいもの、花草の類をさす。


林花著雨燕支濕,水荇牽風翠帶長。
芙蓉苑の林の花は雨にあたり「えんじ」の色がうるおい濃くなる、水の草の「あさざ」は風に引っ張られて翠色の帯のように長くのびている。
燕支 べに。燕脂、臙脂色(濃紅藍)。○水荇 水草の名。あきざ。杜甫『醉歌行』「春光潭沱秦東亭,渚蒲牙白水荇青。」翠帯 みどり色のおびのように見える草木の枝や茎。


龍武新軍深駐輦,芙蓉別殿謾焚香。
このとき玄宗上皇は新に置かれた竜武軍に衛られて大極殿の奥にふかく輦をとどめられており、この芙蓉苑の別殿離宮では昔と同じようにただみだりに香を焚いてお待ちしている。
竜武新軍 新たにおかれた竜武軍、竜武はその軍隊の名、禁中護衛の兵。○深駐輩 肇は手でひく車、粛宗は玄宗上皇を大極殿の奥に軟禁したので、深く輦をとどむという。杜甫は、玄宗の使いで鳳翔に来ていた房琯を擁護したこともあり、玄宗に肩入れをする以外に方法はなかったのだろう。○芙蓉別殿 芙蓉苑にある離宮。○謾焚香 留守居の官女などが香を焚く、謾とは玄宗の出遊もないのにいたずらにということ。


何時詔此金錢會,暫醉佳人錦瑟旁?
上巳節には前代の玄宗の時代にはさかんなものであったが、いつ今の粛宗から詔が仰せられて、金銭を拾わせるというような御会を催され、教坊の美人のかなでる錦瑟のかたわらで、しばし酔うことができることであろうか。
 粛宗の御命令をいう。○金銭会 上巳節に3月3日に固定された。中国では川で身を清めて不浄払いをする風習であったひな祭りにつながるが、曲江の山草において臣僚に宴を賜わることがあり、又、東天門に宴して、余興として楼下に金銭を撒いて臣下をしてこれを拾わせたことがあるのから、昔の頽廃した金銭会をいう。○佳人 ここの妓女のことを美人、教坊の民妓をいう。○錦瑟 錦の模様ある瑟。こない人を待ち続けることをたとえる妓女の常套語。玄宗をいくら待っても来ない人を待つかつては楊貴妃が待っていたが、今は妓女が待っている。
李商隠 1 錦瑟
荘周(さうしう:そうしゅう=荘子)が夢で、蝶(ちょう)になり、自分が夢で蝶になっているのか、蝶が夢で自分になっているのか、と迷い。(そのように、あなたの生死について迷い)。
蜀の望帝の春を思う心は、血を吐いて悲しげになく杜鵑(ホトトギス)に魂を托(たく)した。(そのように、血を吐きながらなく思いである)。
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(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
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曲江對酒 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 246

曲江對酒 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 246

曲江のほとりで酒にむかって作った詩。前詩と同年の作。
758年乾元元年春、左拾遺であったときの作。

l  送鄭十八虔貶台州司

l  臘日

l  宣政殿退朝出左掖

l  紫宸殿退朝口號

l  春宿左省

l  出左掖

l  題省中院壁

l  奉和賈至舍人早朝大明宮

l  送賈閣老出汝州

l  送翰林張司馬南海勒碑

l  曲江二首 其一

l  曲江二首 其二

l  曲江封酒

l  曲江封雨

l  曲江陪鄭八丈南史飲

l  奉陪贈附馬韋曲二首 其一

l  奉陪贈附馬韋曲二首 其二


曲江對酒
苑外江頭坐不歸,水精宮殿轉霏微。
春景色に誘われ、わたしはこの芙蓉苑の外、曲江の池畔で官舎に帰らないままにすわりこんであたりをながめる、水の妖精が生まれ出て水の宮殿がその光を輝かせ、霧のように飛散する水珠も輝く。
桃花細逐楊花落,黃鳥時兼白鳥飛。
それから桃の花は微細に落ちち、やなぎの花、柳絮の散るあとを追いかけて落ちてまた落ちる、黄色の鳥たちは時を同じにして一斉に白色の鳥たちと飛びたつ。
縱飲久判人共棄,懶朝真與世相違。
勝手きままにすきなだけ酒を呑んで長いあいだ自暴自棄になり人も相手をしてくれない、参朝することが億劫になってしまい、世間の人皆から見放されてしまっている、実際自分も世の人とは違背しているのである。
吏情更覺滄洲遠,老大悲傷未拂衣。

官吏としての今の心持は、これまでよりももっと滄洲の仙境と隔たりができた様な気がするばかりで、こんなに年を取ってからでは衣を払って仙境に向って去って行けないことを傷み悲しむだけなのである。


(曲江にて酒に對す)
苑外江頭に坐して帰らず、水精の宮殿 転【うたた】霏微【ひび】たり。
桃花【とうか】細【こまや】かに梨花を逐うて落ち、黄鳥【こうちょう】時兼【とも】にして白鳥と飛ぶ。
飲を縦【ほしいまま】にし久しく判して人共に棄つ、朝するに懶【ものうし】く真に世と相違【たご】う・
吏情【りじょう】更に覚ゆ滄洲【そうしゅう】の遠きを、老大【ろうだい】徒【いたずらに】に傷む未だ衣を払わざるを


現代語訳と訳註
(本文) 曲江對酒

苑外江頭坐不歸,水精宮殿轉霏微。
桃花細逐楊花落,黃鳥時兼白鳥飛。
縱飲久判人共棄,懶朝真與世相違。
吏情更覺滄洲遠,老大悲傷未拂衣。

(下し文)曲江にて酒に對す
苑外江頭に坐して帰らず、水精の宮殿 転【うたた】霏微【ひび】たり。
桃花【とうか】細【こまや】かに梨花を逐うて落ち、黄鳥【こうちょう】時に白鳥と兼に飛ぶ。
飲を縦【ほしいまま】にし久しく判して人共に棄つ、朝するに懶【ものうし】く真に世と相違【たご】う・
吏情【りじょう】更に覚ゆ滄洲【そうしゅう】の遠きを、老大【ろうだい】徒【いたずらに】に傷む未だ衣を払わざるを。


(現代語訳)
春景色に誘われ、わたしはこの芙蓉苑の外、曲江の池畔で官舎に帰らないままにすわりこんであたりをながめる、水の妖精が生まれ出て水の宮殿がその光を輝かせ、霧のように飛散する水珠も輝く。
それから桃の花は微細に落ちち、やなぎの花、柳絮の散るあとを追いかけて落ちてまた落ちる、黄色の鳥たちは時を同じにして一斉に白色の鳥たちと飛びたつ。
勝手きままにすきなだけ酒を呑んで長いあいだ自暴自棄になり人も相手をしてくれない、参朝することが億劫になってしまい、世間の人皆から見放されてしまっている、実際自分も世の人とは違背しているのである。
官吏としての今の心持は、これまでよりももっと滄洲の仙境と隔たりができた様な気がするばかりで、こんなに年を取ってからでは衣を払って仙境に向って去って行けないことを傷み悲しむだけなのである。


(訳注)曲江對酒
曲江其三というべき連続の作品である。七言律詩。【首聯】【頷聯】【頸聯】【尾聯】で構成。同じ四分割の絶句の起承転結の一線の曲折にはならない。中の【頷聯】【頸聯】については対句が絶対条件である。


苑外江頭坐不歸,水精宮殿轉霏微。 【首聯】
春景色に誘われ、わたしはこの芙蓉苑の外、曲江の池畔で官舎に帰らないままにすわりこんであたりをながめる、水の妖精が生まれ出て水の宮殿がその光を輝かせ、霧のように飛散する水珠も輝く。
 芙蓉苑。○ 曲江。○水精、宮殿 水に映り輝く宮殿。水精は水の精。水星、辰星。水の中から産する珠。水の妖精。「珠水精、故以禦火灾」(珠は水精、故に以て火灾を禦【ふせ】ぐ)とある。また、水精宮とすれば、水晶で飾られた宮殿と見る場合も考えられるが、詩の雰囲気と杜甫のその時の心情を合わせて水晶の宮殿ではない。○ いよいよ、看るみるうちにいよいよ。○霏微 春光掩映のさまと、水気のこまかに飛散とぶさまのふたつの意味をいう。
 

桃花細逐楊花落,黃鳥時兼白鳥飛。 【頷聯】
それから桃の花は微細に落ちち、やなぎの花、柳絮の散るあとを追いかけて落ちてまた落ちる、黄色の鳥たちは時を同じにして一斉に白色の鳥たちと飛びたつ。
 花なる徴小物が微小物を逐う故にこまかという。○ 元来はおいはらう義であるが、唐時の俗用にあって後おいすがる義にも用いる。追涼というべきを逐涼という類であり、ここでは後追いの意味。○梨花 諸本楊花に作る、桃と楊と開花の時が同じくないからとて梨花という説もあるが、楊花、柳架とする。○ 「ともに」と訓ずるものがおおいのでしたがうが、読みにより意味は変わらない。


縱飲久判人共棄,懶朝真與世相違。 【頸聯】
勝手きままにすきなだけ酒を呑んで長いあいだ自暴自棄になり人も相手をしてくれない、参朝することが億劫になってしまい、世間の人皆から見放されてしまっている、実際自分も世の人とは違背しているのである。
縦飲 勝手きままにすきなだけ酒をのむ。○久判 「重過何氏」詩の第五首に見える。物を揮い棄てること、ここは自棄の義で、すて身、やけくそ、の意。
重過何氏五首  其五
到此應常宿、相留可判年。
蹉跎暮容色、悵望好林泉。
何日霑微祿、歸山買薄田。
斯遊恐不遂、把酒意茫然。
人共棄 世間の人はみなともに我をすてる、あいてにせぬことをいう。○懶朝 朝廷へ参向するのにものうい、病気欠勤をすること。○与世相違 世人と相そむいていること、人交流をしない。 


吏情更覺滄洲遠,老大悲傷未拂衣。 【尾聯】
官吏としての今の心持は、これまでよりももっと滄洲の仙境と隔たりができた様な気がするばかりで、こんなに年を取ってからでは衣を払って仙境に向って去って行けないことを傷み悲しむだけなのである。
吏情 官吏としてのこころ、作者杜甫はこの時左拾遺を拜命している。○更覚 更とはこれまでも思っていたがそれよりもさらに、これまでよりももっとの義。半官半隠が理想であるが、それより、完全に隠棲したいという意味で次の「滄洲」を意識する。○滄洲 蒼海の向こうにある仙境をいう。○ こちらとへだたりがある。○老大 自己のとしよりの身であることをいう。こんなに年を取ってからでは。○悲傷 別には徒傷とするその場合 むだにかなしみいたむこと。○払衣 衣のちりをはらいさり、ここを去り滄洲に向かうことをいう。


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唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
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杜甫詩INDEX02

杜甫詩集「北征」後、の鳳翔での作はなく、長安入城の作品もない。苦悶する左拾位そして左遷。58首INDEX

杜甫詩集 (10) 「北征」後、の鳳翔での作はなく、長安入城の作品もない。苦悶する左拾位そして左遷。58首INDEX

757年
980.送鄭十八虔貶台州司戶
鄭公樗散鬢成絲,酒後常稱老畫師。
萬裡傷心嚴譴日,百年垂死中興時。
倉皇已就長途往,邂逅無端出餞遲。
便與先生成永訣,九重泉路盡交期!

l 送鄭十八虔貶台州司


981.臘日
臘日常年暖尚遙,今年臘日凍全消。
侵陵雪色還萱草,漏泄春光有柳條。
縱酒欲謀良夜醉,還家初散紫宸朝。
口脂面藥隨恩澤,翠管銀罌下九霄。

l 臘日

758年
982.奉和賈至舍人早朝大明宮
五夜漏聲催曉箭,九重春色醉仙桃。
旌旗日暖龍蛇動,宮殿風微燕雀高。
朝罷香煙攜滿袖,詩成珠玉在揮毫。
欲知世掌絲綸美。池上於今有鳳毛。

l 奉和賈至舍人早朝大明宮


◎二月、載を年と改む。六月、房琯、邠州刺史に流さる。この年、李白、夜郎に流さる。

983.紫宸殿退朝口號
戶外昭容紫袖垂,雙瞻御座引朝儀。
香飄合殿春風轉,花覆千宮淑景移。
晝漏稀聞高閣報,天顏有喜近臣知。
宮中每出歸東省,會送夔龍集鳳池。

l 紫宸殿退朝口號

宣政殿退朝晚出左掖(掖門在兩旁如人之臂掖) 杜甫
天門日射黄金榜,春殿晴曛赤羽旗。
宮草微微承委佩,鑪煙細細駐游絲。
雲近蓬萊常好色,雪殘鳷鵲亦多時。
侍臣緩步歸青瑣,退食從容出每遲。
l 宣政殿退朝出左掖


984.春宿左省
花隱掖垣暮,啾啾棲鳥過。星臨萬戶動,月傍九霄多。
不寢聽金鑰,因風想玉珂。明朝有封事,數問夜如何?

l 春宿左省



985.晚出左掖
晝刻傳呼淺,春旗簇仗齊。退朝花底散,歸院柳邊迷。
樓雪融城濕,宮雲去殿低。避人焚諫草,騎馬欲雞棲。

l 出左掖


986.題省中院壁
掖垣竹埤梧十尋,洞門對 ?常陰陰。
落花游絲白日靜,鳴鳩乳燕青春深。
腐儒衰晚謬通籍,退食遲回違寸心。
袞職曾無一字補,許身愧比雙南金。

l 題省中院壁


987.送賈閣老出汝州
西掖梧桐樹,空留一院陰。艱難歸故裡,去住損春心。
宮殿青門隔,雲山紫邏深。人生五馬貴,莫受二毛侵。

l 送賈閣老出汝州



988.送翰林張司馬南海勒碑
冠冕通南極,文章落上臺。詔從三殿去,碑到百蠻開。
野館濃花發,春帆細雨來。不知滄海上,天遣幾時回?

l 送翰林張司馬南海勒碑


989.曲江二首
一片花飛減卻春,風飄萬點正愁人。
且看欲盡花經眼,莫厭傷多酒入唇。
江上小堂巢翡翠,花邊高塚臥麒麟。
細推物理須行樂,何用浮名絆此身?
l 曲江二首 其一

990、其二
朝回日日典春衣,每日江頭盡醉歸。
酒債尋常行處有,人生七十古來稀。
穿花蛺蝶深深見,點水蜻蜓款款飛。
傳語風光共流轉,暫時相賞莫相違。

l曲江二首 其二



991,曲江對酒
苑外江頭坐不歸,水精宮殿轉霏微。
桃花細逐楊花落,黃鳥時兼白鳥飛。
縱飲久判人共棄,懶朝真與世相違。
吏情更覺滄洲遠,老大悲傷未拂衣。



992、曲江對雨
城上春雲覆苑牆,江亭晚色靜年芳。
林花著雨燕支濕,水荇牽風翠帶長。
龍武新軍深駐輦,芙蓉別殿謾焚香。
何時詔此金錢會,暫醉佳人錦瑟旁?



993.曲江陪鄭八丈南史飲
雀啄江頭黃柳花,鳼鶄鸂鶒滿晴沙
自知白發非春事,且盡芳尊戀物華。
近侍即今難浪跡,此身那得更無家?
丈人才力猶強健,豈傍青門學種瓜?



995.奉答岑參補闕見贈
窈窕清禁闥,罷朝歸不同。君隨丞相後,我往日華東。
冉冉柳絲碧,娟娟花蕊紅。故人有佳句,獨贈白頭翁。


996.奉贈王中允維
中允聲名久,如今契闊深。共傳收庾信,不比得陳琳。
一病緣明主,三年獨此心。窮愁應有作,試誦白頭吟。


997.送許八拾遺歸江寧覲省。
甫昔時嘗客遊此縣,於許生處乞瓦棺寺維摩圖樣,
誌諸篇末
詔語辭中禁,慈顏拜北堂。聖朝新孝理,祖席倍輝光。
內帛擎偏重,宮衣著更香。淮陰清夜驛,京口渡江航。
春隔雞人晝,秋期燕子涼。賜書誇父老,壽酒樂城隍。
看畫曾饑渴,追蹤恨淼茫。虎頭金粟影,神妙獨難忘。


998.因許八奉寄江寧旻上人
不見旻公三十年,對書寄與淚潺湲。
舊來好事今能否,老去新詩誰為傳?
棋局動隨幽澗竹,袈裟憶上泛湖船。
聞君話我為官在,頭白昏昏只醉眠。


999.題李尊師松樹障子歌
老夫清晨梳白頭,玄都道士來相訪。
握發呼兒延入戶,手提新畫青松障。
障子松林靜杳冥,憑軒忽若無丹青。
陰崖卻承霜雪幹,偃蓋反走? 龍形。
老夫平生好奇古,對此興與精靈聚。
已知仙客意相親,更覺良工心獨苦。
松下丈人巾屨同,偶坐似是商山翁。
悵望聊歌紫芝曲,時危慘澹來悲風。


1000.得舍弟消息
風吹紫荊樹,色與春庭暮。花落辭故枝,風回返無處。
骨肉恩書重,漂泊難相遇。猶有淚成河,經天複東注。


1001.送李校書二十六韻
代北有豪鷹,生子毛盡赤。渥窪騏驥兒,尤異是龍脊。
李舟名父子,清峻流輩伯。人間好少年,不必須白皙。
十五富文史,十八足賓客。十九授校書,二十聲輝赫。
眾中每一見,使我潛動魄。自恐兩男兒,辛勤養無益。
乾元元年春,萬姓始安宅。舟也衣彩衣,告我欲遠適。
倚門固有望,斂衽就行役。南登吟白華,已見楚山碧。
藹藹鹹陽都,冠蓋日雲積。何時太夫人,堂上會親戚?
汝翁草明光,天子正前席。歸期豈爛漫,別意終感激。
顧我蓬屋資,謬通金閨籍。小來習性懶,晚節慵轉劇。
每愁悔吝作,如覺天地窄。羨君齒發新,行己能夕惕。
臨岐意頗切,對酒不能吃。回身視綠野,慘澹如荒澤。
老雁春忍饑,哀號待枯麥。時哉高飛燕,絢練新羽翮。
長雲濕褒斜,漢水饒巨石。無令軒車遲,衰疾悲夙昔!


1002.逼側行贈畢曜
逼側何逼側!我居巷南子卷北。
可恨鄰裡間, 十日不一見顏色。
自從官馬送還宮,行路難行澀如棘。
我貧無乘非無足,昔者相過今不得。
實不是愛微軀,又非關足無力。
徒步翻愁官長怒,此心炯炯君應識。
曉來急雨春風顛,睡美不聞鐘鼓傳。
東家蹇驢許借我,泥滑不敢騎朝天。
已令請急會通籍,男兒性命絕可憐。
焉能終日心拳拳,憶君誦詩神凜然。
辛夷始花亦已落,況我與子非壯年。
街頭酒價常苦貴,方外酒徒稀醉眠。
徑須相就飲一鬥,恰有三百青銅錢。



1003.贈畢四曜
才大今詩伯,家貧苦宦卑。饑寒奴樸賤,顏狀老翁為。
同調嗟誰惜,論文笑自知。流傳江鮑體,相顧免無兒。



1004.題鄭十八著作丈
台州地闊海冥冥,雲水長和島嶼青。
亂後故人雙別淚,春深逐客一浮萍。
酒酣懶舞誰相拽,詩罷能吟不複聽。
第五橋邊流恨水,皇陂岸北結愁亭。
賈生對鵩傷王傅,蘇武看羊陷賊庭。
可念此翁懷直道,也沾新國用輕刑。
隬衡實恐遭江夏,方朔虛傳是歲星。
窮巷悄然車馬絕,案頭幹死讀書螢。



1005.瘦馬行
東郊瘦馬使我傷,骨骼硉兀如堵牆。
絆之欲動轉欹側,此豈有意仍騰驤?
細看六印帶官字,眾道三軍遺路旁。
皮幹剝落雜泥滓,毛暗蕭條連雪霜。
去歲奔波逐餘寇,驊騮不慣不得將。
士卒多騎內廄馬,惆悵恐是病乘黃。
當時歷塊誤一蹶,委棄非汝能周防。
見人慘澹若哀訴,失主錯莫無晶光。
天寒遠放雁為伴,日暮不收烏啄瘡。
誰家且養願終惠,更試明年春草長。



1006.義鶻行
陰崖有蒼鷹,養子黑柏顛。白蛇登其巢,吞噬恣朝餐。
雄飛遠求食,雌者鳴辛酸。力強不可製,黃口無半存。
其父從西歸,翻身入長煙。斯須領健鶻,痛憤寄所宣。
鬥上捩孤影,咆哮來九天。修鱗脫遠枝,巨顙坼老拳。
高空得蹭蹬,短草辭蜿蜒。折尾能一掉,飽腸皆已穿。
生雖滅眾雛,死亦垂千年。物情可報複,快意貴目前。
茲實鷙鳥最,急難心炯然。功成失所往,用舍何其賢!
近經潏水湄,此事樵夫傳。飄蕭覺素發,凜欲沖儒冠。
人生許與分,只在顧盼間。聊為義鶻行,永激壯士肝。



1007.畫鶻行
高堂見生鶻,颯爽動秋骨。初驚無拘攣,何得立突兀!
乃知畫師妙,巧刮造化窟。寫此神俊姿,充君眼中物。
烏鵲滿樛枝,軒然恐其出。側腦看青霄,寧為眾禽沒。
長翮如刀劍,人寰可超越。乾坤空崢嶸,粉墨且蕭瑟。
緬思雲沙際,自有煙霧質。吾今意何傷,顧步獨紆鬱。c



1008.端午日賜衣
宮衣亦有名,端午被恩榮。細葛含風軟,香羅疊雪輕。
自天題處濕,當暑著來清。意內稱長短,終身荷聖情。



1009.酬孟雲卿
樂極傷頭白,更長愛燭紅。相逢難袞袞,告別莫匆匆。
但恐天河落,寧辭酒盞空?明朝牽世務,揮淚各西東。



1010. 至徳二載 757年 46歳
至德二載,甫自京金光門出間道歸鳳翔。
乾元初,從左拾遺移華州掾,與親故別,因出此門,有輩往事
此道昔歸順,西郊胡正煩。至今殘破膽,應有未招魂。
近侍歸京邑,移官豈至尊。無才日衰老,駐馬望千門。


1011.寄高三十五詹事
安穩高詹事,兵戈久索居。時來知宦達,歲晚莫情疏。
天上多鴻雁,池中足鯉魚。相看過半百,不寄一行書?


1012.贈高式顔
中国の文献なし
贈高式顔(昔別是何処)
昔別是何処、相逢皆老夫。故人還寂寞、削跡共艱虞。
自失論文友、空知売酒壚。平生飛動意、見爾不能無。


1013.題鄭縣亭子
鄭縣亭子澗之濱,戶牖憑高發興新。
雲斷岳蓮臨大路,天晴宮柳暗長春。
巢邊野雀欺群燕,花底山蜂趁遠人。
更欲題詩滿青竹,晚來幽獨恐傷神。


1014.望嶽
西嶽崚嶒竦處尊,諸峰羅立似兒孫。
安得仙人九節杖,拄到玉女洗頭盆?
車箱入谷無歸路,箭栝通天有一門。
稍待秋風涼冷後,高尋白帝問真源。


1015.早秋苦熱堆案相仍
七月六日苦炎蒸,對食暫餐還不能。
每愁夜中自足蠍,況乃秋後轉多蠅。
束帶發狂欲大叫,簿書何急來相仍。
南望青松架短壑,安得赤腳蹋層冰?


1016.觀安西兵過赴關中待命二首
四鎮富精銳,摧鋒皆絕倫。還聞獻士卒,足以靜風塵。
老馬夜知道,蒼鷹饑著人。臨危經久戰,用急始如神。
其二
奇兵不在眾,萬馬救中原。談笑無河北,心肝奉至尊。
孤雲隨殺氣,飛鳥避轅門。竟日留歡樂,城池未覺喧。


1017.留花門
北門天驕子,飽肉氣勇決。高秋馬肥健,挾矢射漢月。
自古以為患,詩人厭薄伐。修德使其來,羈縻固不絕。
胡為傾國至?出入暗金闕。中原有驅除,隱忍用此物。
公主歌黃鵠,君王指白日。連雲屯左輔,百裡見積雪。
長戟鳥休飛,哀笳曙幽咽。田家最恐懼,麥倒桑枝折。
沙苑臨清渭,泉香草豐潔。渡河不用船,千騎常撇烈。
胡塵逾太行,雜種抵京室。花門既須留,原野轉蕭瑟。


1018.九日藍田崔氏莊
老去悲秋強自寬,興來今日盡君歡。
羞將短發還吹帽,笑倩旁人為正冠。
藍水遠從千澗落,玉山高並雨峰寒。
明年此會知誰健?醉把茱萸仔細看。


1019.崔氏東山草堂
愛汝玉山草堂靜,高秋爽氣相鮮新。
有時自發鐘聲響,落日更見漁樵人。
盤剝白鴉谷口栗,飯煮青泥坊底芹。
何為西莊王給事,柴門空閉鎖松筠?


1020.遣興三首 其一
我今日夜憂,諸弟各異方。不知死與生,何況道路長。
避寇一分散,饑寒永相望。豈無柴門歸?欲出畏虎狼。
仰看雲中雁,禽鳥亦有行。


1021.遣興三首 其二
蓬生非無根,漂蕩隨高風。天寒落萬裡,不複歸本叢。
客子念故宅,三年門巷空。悵望但烽火,戎車滿關東。
生涯能幾何,常在羈旅中!


1022.遣興三首 其三
昔在洛陽時,親友相追攀。送客東郊道,遨遊宿南山。
煙塵阻長河,樹羽成皋間。回首載酒地,豈無一日還?
丈夫貴壯健,慘戚非朱顏。


1023.至日遣興,奉寄北省舊閣老、兩院故人二首 其一
去歲茲辰捧禦床,五更三點入鵷行。
欲知趨走傷心地,正想氤氳滿眼香。
無路從容陪語笑,有時顛倒著衣裳。
何人卻憶窮愁日,日日愁隨一線長。


1024.其二
憶昨逍遙供奉班,去年今日侍龍顏。
麒麟不動爐煙上,孔雀徐開扇影還。
玉幾由來天北極,朱衣只在殿中間。
孤城此日堪腸斷,愁對寒雲雪滿山。


1025.路逢襄揚楊少府入城,戲呈楊四員外綰
寄語楊員外,山寒少茯苓。歸來稍暄暖,當為斸青冥。
翻動神仙窟,封題鳥獸形。兼將老藤杖,扶汝醉初醒。


1026.贈衛八處士
人生不相見,動如參與商。今夕是何夕,共此燈燭光?
少壯能幾時?鬢發各已蒼。訪舊半為鬼,驚呼熱中腸。
焉知二十載,重上君子堂?昔別君未婚,男女忽成行。
怡然敬父執,問我來何方。問答未及已,兒女羅酒漿。
夜雨剪春韭,新炊間黃粱。主稱會面難,一舉累十觴。
十觴亦不醉,感子故意長。明日隔山嶽,世事兩茫茫!


1027.冬末以事之東都,湖城東遇孟雲卿,複歸劉顥宅宿,
宴飲散因為醉歌
疾風吹塵暗河縣,行子隔手不相見。
湖城城東一開眼,駐馬偶識雲卿面。
向非劉顥為地主,懶回鞭轡成高宴。
劉侯歡我攜客來,置酒張燈促華饌。
且將款曲終今夕,休語艱難尚酣戰。
照室紅爐促曙光,縈窗素月垂文練。
天開地裂長安陌,寒盡春生洛陽殿。
豈知驅車複同軌,可惜刻漏隨更箭。
人生會合不可常,庭樹雞鳴淚如線。


1028.閿鄉薑七少府設膾,戲贈長歌
姜侯設膾當嚴冬,昨日今日皆天風。
河凍未漁不易得,鑿冰恐侵河伯宮。
饔人受魚鮫人手,洗魚磨刀魚眼紅。
無聲細下飛碎雪,有骨已剁觜春蔥。
偏勸腹腴愧年少,軟炊香飯緣老翁。
落砧何曾白紙濕,放箸未覺金盤空。
新歡便飽姜侯德,清觴異味情屢極。
東歸貪路自覺難,欲別上馬身無力。
可憐為人好心事,於我見子真顏色。
不恨我衰子貴時,悵望且為今相憶。


1029.戲贈閿鄉秦少公短歌
去年行宮當太白,朝回君是同舍客。
同心不減骨肉親,每語見許文章伯。
今日時清兩京道,相逢苦覺人情好。
昨夜邀歡樂更無,多才依舊能潦倒。


1030.李鄠縣丈人胡馬行
丈人駿馬名胡騮,前年避胡過金牛。
回鞭卻走見天子,朝飲漢水暮靈州。
自矜胡騮奇絕代,乘出千人萬人愛。
一聞說盡急難才,轉益愁向駑駘輩。
頭上銳耳批秋竹,腳下高蹄削寒玉。
始知神龍別有種,不比凡馬空多肉。
洛陽大道時再清,累日喜得俱東行。
鳳臆麟? 未易識,側身注目長風生。


1021.憶弟二首 其一
喪亂聞吾弟,饑寒傍濟州。人稀書不到,兵在見何由。
憶昨狂催走,無時病去憂。即今千種恨,惟共水東流。


1032,其二
且喜河南定,不問鄴城圍。百戰今誰在?三年望汝歸。
故園花自發,春日鳥還飛。斷絕人煙久,東西消息稀。


1033.得舍弟消息
亂後誰歸得,他鄉勝故鄉。直為心厄苦,久念與存亡。
汝書猶在壁,汝妾已辭房。舊犬知愁恨,垂頭傍我床。


1034.觀兵
北庭送壯士,貔虎數尤多。精銳舊無敵,邊隅今若何?
妖氛擁白馬,元帥待雕戈。莫守鄴城下,斬鯨遼海波。


1035.不歸
河間尚徵伐,汝骨在空城。從弟人皆有,終身恨不平。
數金憐俊邁,總角愛聰明。面上三年土,春風草又生。


1036.獨立
空外一鷙鳥,河間雙白鷗。飄搖搏擊便,容易往來遊。
草露亦多濕,蛛絲仍未收。天機近人事,獨立萬端憂。


1037.洗兵馬
中興諸將收山東,捷書夜報清晝同。
河廣傳聞一葦過,胡危命在破竹中。
只殘鄴城不日得,獨任朔方無限功。
京師皆騎汗血馬,回紇喂肉蒲萄宮。
已喜皇威清海岱,常思仙仗過崆峒。
三年笛裡關山月,萬國兵前草木風。
成王功大心轉小,郭相謀深古來少。
司徒清鑒懸明鏡,尚書氣與秋天杳。
二三豪俊為時出,整頓乾坤濟時了。
東走無複憶鱸魚,南飛覺有安巢鳥。
青春複隨冠冕入,紫禁正耐煙花繞。
鶴禁通宵鳳輦備,雞鳴問寢龍樓曉。
攀龍附鳳勢莫當,天下盡化為侯王。
汝等豈知蒙帝力?時來不得誇身強。
關中既留蕭丞相,幕下複用張子房。
張公一生江海客,身長九尺須眉蒼。
徵起適遇風雲會,扶顛始知籌策良。
青袍白馬更何有?後漢今周喜再昌。
寸地尺天皆入貢,奇祥異瑞爭來送。
不知何國致白環,複道諸山得銀甕。
隱士休歌紫芝曲,詞人解撰清河頌。
田家望望惜雨幹,布穀處處催春種。
淇上健兒歸莫懶,城南思婦愁多夢。
安得壯士挽天河,淨洗甲兵長不用!

1038.重題鄭氏東亭
華亭入翠微,秋日亂清暉。崩石欹山樹,清漣曳水衣。
紫鱗沖岸躍,蒼隼護巢歸。向晚尋徵路,殘雲傍馬飛。


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長安城郭015

曲江二首 其二
朝回日日典春衣、毎日江頭尽酔帰。
自分は朝廷からもどる、日々に春のきものを質において銭にかえ、曲江のほとりでいつも十分の酔をきわめて帰るのである。
酒債尋常行処有、人生七十古来稀。
酒の借金はわずかな額でめずらしいことではなくどこにいてもあるものだし、古来人が生きることは七十までいきるのはまれである。(そう長生きができるものではないから酔いたいのだ。) 
穿花蛺蝶深深見、点水蜻蜓款款飛。
花のしげみを奥ふかくいりこむ蛺蝶は奥のほうに見えているし、水面にお尻をチョコンとつけるとんぼは緩やかに飛んでいかにも晩春だ。
伝語風光共流転、暫時相賞莫相違。

わたしは言伝をする、「我は風光と共に心も流転し揺れ動く、しばしその時、眺めを賞賛しあい、お互いにその本音のところで相違のないものにしてもらいたい」と。

曲江 二首  其の二
朝【ちょう】より回【かえ】って 日日春衣【しゅんい】を典し、毎日  江頭【こうとう】に酔いを尽して帰る。
酒債【しゅさい】 尋常  行く処に有り、人生七十  古来稀【まれ】なり。
花を穿(うが)つ蛺蝶【ょうちょう】は深深として見え、水に点ずる蜻蜓【せいてい】は款款【かんかん】として飛ぶ。
語を伝う風光「 共に流転【るてん】して、暫時【ざんじ】相賞【あいしょう】して相違うこと莫(な)かれ」と。

花と張0104


 現代語訳と訳註
(本文)
曲江二首 其二
朝回日日典春衣、毎日江頭尽酔帰。
酒債尋常行処有、人生七十古来稀。
穿花蛺蝶深深見、点水蜻蜓款款飛。
伝語風光共流転、暫時相賞莫相違。

(下し文) 曲江 二首  其の二
朝【ちょう】より回【かえ】って 日日春衣【しゅんい】を典し、毎日  江頭【こうとう】に酔いを尽して帰る。
酒債【しゅさい】 尋常  行く処に有り、人生七十  古来稀【まれ】なり。
花を穿(うが)つ蛺蝶【ょうちょう】は深深として見え、水に点ずる蜻蜓【せいてい】は款款【かんかん】として飛ぶ。
語を伝う風光「 共に流転【るてん】して、暫時【ざんじ】相賞【あいしょう】して相違うこと莫(な)かれ」と。


 (現代語訳)
自分は朝廷からもどる、日々に春のきものを質において銭にかえ、曲江のほとりでいつも十分の酔をきわめて帰るのである。
酒の借金はわずかな額でめずらしいことではなくどこにいてもあるものだし、古来人が生きることは七十までいきるのはまれである。(そう長生きができるものではないから酔いたいのだ。) 花のしげみを奥ふかくいりこむ蛺蝶は奥のほうに見えているし、水面にお尻をチョコンとつけるとんぼは緩やかに飛んでいかにも晩春だ。
わたしは言伝をする、「我は風光と共に心も流転し揺れ動く、しばしその時、眺めを賞賛しあい、お互いにその本音のところで相違のないものにしてもらいたい」と。


(訳注) 曲江二首 其二
七言律詩。【首聯】【頷聯】【頸聯】【尾聯】で構成。同じ四分割の絶句の起承転結の一線の曲折にはならない。中の【頷聯】【頸聯】については対句が絶対条件である。

 朝回日日典春衣、毎日江頭尽酔帰。 【首聯】

自分は朝廷からもどる、日々に春のきものを質において銭にかえ、曲江のほとりでいつも十分の酔をきわめて帰るのである。
朝回 朝廷よりかえる。○ 質におく。○江頭 江は曲江。頭はほとり。○尽酔 十分によう。


酒債尋常行処有、人生七十古来稀。 【頷聯】
酒の借金はわずかな額でめずらしいことではなくどこにいてもあるものだし、古来人が生きることは七十までいきるのはまれである。(そう長生きができるものではないから酔いたいのだ。) 
酒債 飲酒料金の負債。○尋常 あたりまえ、めずらしくもなく。○行処 でかけてゆく先き先き。○人生(一句) 古諺であろう。『禮記』に「人生十年曰幼,學。二十曰弱,冠。三十曰壯,有室。四十曰強,而仕。五十曰艾,服官政。六十曰耆,指使。七十曰老,而傳。」とある。この句に基づいて、白居易に「人生七十稀,我年幸過之。」や「得見成陰否,人生七十稀。」の句がある。 ・人生:人が生きる。人が生きている間。人の生命。左氏『成公二』「人生実難。其有不獲死乎」(人生実に難し。其れ死を獲ざる有らん乎)律詩の不可欠としてこの聯の対句は酒債:人生、尋常:七十、行処有:古来稀である。○尋常 わずかな距離、ひろさ、土地。あるいは、「一尋=八尺」「一常=十六尺(一尋の倍)」と、やはり数になるからということもある。


穿花蛺蝶深深見、点水蜻蜓款款飛。 【頸聯】
花のしげみを奥ふかくいりこむ蛺蝶は奥のほうに見えているし、水面にお尻をチョコンとつけるとんぼは緩やかに飛んでいかにも晩春だ。
穿花 穿とは花のしげみを奥ふかくいりこむこと。○峡蚊 蝶々。○深深 おくふかいさま。○点水 点はぼちぼちと尻でたたくさま。○蛸挺 とんぼ。○欺欺 緩緩と同じ、ゆるやか。
 

伝語風光共流転、暫時相賞莫相違。 【尾聯】
わたしは言伝をする、「我は風光と共に心も流転し揺れ動く、しばしその時、眺めを賞賛しあい、お互いにその本音のところで相違のないものにしてもらいたい」と。
伝語 ことづてする、風光に向かっていう。○風光 春景色。○ 我、汝(風光)とともに。○流転 移転、漂泊、排禍等の意。○相賞 風光を賞する。○莫相違 汝、我と違背することなかれ。


一つには、安史の乱の始まりから、叛乱軍に捕縛され、逃げ出し、そして「北征」し、鳳翔に戻り、又、鄜州羌村に、そして鳳翔へ、その後、長安に帰ったが、別には、朝廷の中での疎外感、自分の理想は、隠遁して「半官半隠」と心も流転している。風に、光にと行き来してみたいということも理解できる。杜甫の精神的な不安定さがピークと考えられる。
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曲江二首 其一 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 244

曲江二首 其一 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 244


至徳三載は二月に乾元と改元され、載から年にかわる。
杜甫は左拾位ではあるが朝廷においての疎外感はますます大きくなっていったようだ。玄宗上皇は興慶宮から大極殿の奥に移され、旧臣との接触を断たれた。羌村から鳳翔に帰るまでの紀行文はあるものの鳳翔から長安に入城に関しての詩がない。徹底的な疎外を受けていたのだろうか。この曲江二首を詠うまで以下の十詩があるだけだ。杜甫のこころの動きがよくわかるのでこの時期はすべて掲載する。
 この曲江の詩から刹那感が出始める。(3/18のブログ杜甫詩集「北征」後、の鳳翔での作はなく、長安入城の作品もない。苦悶する左拾位そして左遷。58首 参照)

758年乾元元年春、左拾遺であったときの作。この間の作順は時系列よっており、漏れはないと思う。

 ・送鄭十八虔貶台州司

 ・臘日

宣政殿退朝出左掖

紫宸殿退朝口號

春宿左省

出左掖

題省中院壁

奉和賈至舍人早朝大明宮

送賈閣老出汝州

送翰林張司馬南海勒碑

・  曲江二首 其一
・ 曲江二首 其二
・ 曲江封酒
・ 曲江封雨
・ 曲江陪鄭八丈南史飲
・ 奉答岑參補闕見贈
・ 奉贈王中允維
・ 送許八拾遺歸江寧覲省
・ 因許八奉寄江寧旻上人
・ 題李尊師松樹障子歌
・ 得舍弟消息
・ 送李校書二十六韻
・ 逼側行贈畢曜
・ 贈畢四曜
・ 題鄭十八著作丈
・ 瘦馬行
・ 義鶻行
・ 畫鶻行
・ 端午日賜衣
・ 酬孟雲卿
・ 至德二載,甫自京金光門出間道歸鳳翔。
・ 寄高三十五詹事
・ 贈高式顔
・ 題鄭縣亭子
・ 望嶽
・ 早秋苦熱堆案相仍
・ 觀安西兵過赴關中待命二首 其一
・ 同            其二
・ 路逢襄揚楊少府入城,戲呈楊四員外綰
・ 贈衛八處士
・ 冬末以事之東都,湖城東遇孟雲卿,複歸劉顥宅宿,宴飲散因為醉歌
・ 閿鄉薑七少府設膾,戲贈長歌
・ 戲贈閿鄉秦少公短歌
・ 李鄠縣丈人胡馬行
・ 憶弟二首 其一
・ 同    其二
・ 得舍弟消息
・ 觀兵
・ 不歸
・ 獨立
・ 洗兵馬
・ 重題鄭氏東亭



曲江二首 其一
一片花飛減却春、風飄万点正愁人。
ひとひらの花が飛びちっていくとそれだけ分春の景色をへらしていく、まして風が吹くと万片の花びらを翻らせてしまう正に之を見る人々を愁人としてしまう。
且看欲尽花経眼、莫厭傷多酒入唇。
そうであっても花の散るのを堰き止めておくわけにいかない、無くなろうとしている花が眼の前を過ぎるのをまあまあと眺める、また多く飲めばからだをそこなう酒ではあるがそれを口中へつぎこんでもかまいはしない。
江上小堂巣翡翠、苑辺高塚臥麒麟。
曲江のほとりに建っている家の小さな座敷には侘しいものでかわせみが巣くうほどだ、そして、御苑がちかくにあり、貴族の高い塚に石の麒麟が寝ている。
細推物理須行楽、何用浮名絆此身。
物の道理を細かに推し測ってみると人生須らく山簡公のように行楽すべきものである、このからだを虚名につながれていることは無用のことである。



江 二首  其の一
一片  花飛びて  春を減却【げんきゃく】し、風 万点を飄【ひるが】えして  正に人を愁えしむ。
且つ看る尽きんと欲するの花眼を経【ふ】るを、厭【いと】う莫れ 多きを傷【そこな】わるる酒の唇に入るを。
江上【こうじょう】の小堂に翡翠【ひすい】巣 くい、苑辺【えんぺん】の高塚【こうちょう】に麒麟臥【が】す。
細かに物理【ぶつり】を推【お】すに 須らく行楽すべし、何ぞ用いん 浮名 此の身を絆【ほだ】すことを

kairo10682

現代語訳と訳註
(本文)曲江二首 其一

一片花飛減却春、風飄万点正愁人。
且看欲尽花経眼、莫厭傷多酒入唇。
江上小堂巣翡翠、苑辺高塚臥麒麟。
細推物理須行楽、何用浮名絆此身。


(下し文) 其の一
一片  花飛びて  春を減却【げんきゃく】し、風 万点を飄【ひるが】えして  正に人を愁えしむ。
且つ看る尽きんと欲するの花眼を経【ふ】るを、厭【いと】う莫れ 多きを傷【そこな】わるる酒の唇に入るを。
江上【こうじょう】の小堂に翡翠【ひすい】巣 くい、苑辺【えんぺん】の高塚【こうちょう】に麒麟臥【が】す。
細かに物理【ぶつり】を推【お】すに 須らく行楽すべし、何ぞ用いん 浮名 此の身を絆【ほだ】すことを



(現代語訳)
ひとひらの花が飛びちっていくとそれだけ分春の景色をへらしていく、まして風が吹くと万片の花びらを翻らせてしまう正に之を見る人々を愁人としてしまう。
そうであっても花の散るのを堰き止めておくわけにいかない、無くなろうとしている花が眼の前を過ぎるのをまあまあと眺める、また多く飲めばからだをそこなう酒ではあるがそれを口中へつぎこんでもかまいはしない。
曲江のほとりに建っている家の小さな座敷には侘しいものでかわせみが巣くうほどだ、そして、御苑がちかくにあり、貴族の高い塚に石の麒麟が寝ている。
物の道理を細かに推し測ってみると人生須らく山簡公のように行楽すべきものである、このからだを虚名につながれていることは無用のことである。


長安城郭015
                      上図の右下に曲江池、芙蓉苑がある。

(訳注)曲江二首 其一
一片花飛減却春、風飄万点正愁人。

ひとひらの花が飛びちっていくとそれだけ分春の景色をへらしていく、まして風が吹くと万片の花びらを翻らせてしまう正に之を見る人々を愁人としてしまう。
減却 へらす。そぐ。○ 春景色をいう。〇万点 万片の花。〇愁人 春景に対する喜びよりあわれを感じる人々。長安では多くの人が死んで間もない。もののあわれを感じる人。『文選、傅玄、雑詩』「志士惜日短、愁人知夜長」志士は日の短かきを惜しみ、愁人は夜の長きを知る)に基づく。


且看欲尽花経眼、莫厭傷多酒入唇。
そうであっても花の散るのを堰き止めておくわけにいかない、無くなろうとしている花が眼の前を過ぎるのをまあまあと眺める、また多く飲めばからだをそこなう酒ではあるがそれを口中へつぎこんでもかまいはしない。
且看 ゆく春は仕方なしとしてまあまあとながめること。○欲尽花 散り散りてなくなろうとする花。○経眼 我が眼前を経過する。○ きらう。○傷多 傷は害に同じ、飲む者の身体をそこなうこと、傷多とは多く飲んで我がからだを傷める。〇酒人唇 傷害する酒をくちにする、飲むこと。ヤケ酒の模様をいう。


江上小堂巣翡翠、苑辺高塚臥麒麟。
曲江のほとりに建っている家の小さな座敷には侘しいものでかわせみが巣くうほどだ、そして、御苑がちかくにあり、貴族の高い塚に石の麒麟が寝ている。
江上 江は曲江。○小堂 ちいさな座敷。○翡翠 かわせみ、鳥が巣くうとは住む人のないさまをいう。○苑辺 苑は曲江のほとりにある芙蓉苑。○高塚 貴人のつか。○臥 たおれふす。○麒麟 墓道にある石造の置きもの。


細推物理須行楽、何用浮名絆此身。
物の道理を細かに推し測ってみると人生須らく山簡公のように行楽すべきものである、このからだを虚名につながれていることは無用のことである。
推物理 事物の道理を推しはかってみる。○行楽 山簡公のように池の辺を酒を飲みぶらぶら歩きたのしむことをいう。杜甫『陪鄭広文遊何将軍山林十首 其八』李白『秋浦歌十七首 其七』の注釈参照。 ○何用 無用。○浮名 虚名、空名の意、官にあってその職を尽くさずただ官名をになう、これは実のない名である。○ つなぐ。○此身 自己のからだ。この聯は、西晋の山簡が荊州の知事として湖北省の荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。その故事に基づいている。
曲江の池を廻りながら、山間と自分を重ねて詠ったものである。一年近く飼い殺しのような身分に置かれて刹那感を山簡に置き換えることで紛らわせたのかもしれない。




曲江二首 其一
一片花飛減却春、風飄万点正愁人。
且看欲尽花経眼、莫厭傷多酒入唇。
江上小堂巣翡翠、苑辺高塚臥麒麟。
細推物理須行楽、何用浮名絆此身。

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送翰林張司馬南海勒碑 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 243

送翰林張司馬南海勒碑 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 243

758年乾元元年春、左拾遺であった頃の作。
 臘日   
 送鄭十八虔貶台州司、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩
 宣政殿退朝晚出左掖
 紫宸殿退朝口號 
 春宿左省
 晚出左掖
 題省中院壁
 奉和賈至舍人早朝大明宮
 

   送賈閣老出汝州

   送翰林張司馬南海勒碑



natsusora01

送翰林張司馬南海勒碑
冠冕通南極,文章落上臺。
冕玉の付いた衣冠をつけた文官が南方のはての地に交通し、朝廷の上台である宰相がつくられ、下された碑文をもってゆくのである。
詔從三殿去,碑到百蠻開。
これは天子の詔によって朝廷の三殿からおゆきになるのである、鄭君が百蛮の異民族の地に著くのを待ってこの石碑がそこに開陳され統治にやくだたされるということになろう。
野館穠花發,春帆細雨來。
君が陸路をゆくときはそれぞれ野館にうつくしい花などさいている、また江路をわたるときは、春の帆に向って細々とした春雨がふりそそぐことだろう。
不知滄海上,天遣幾時回?
ただ仙界の島へ向う穏やかな広々とした海のようかどうかはわからない。それに天に派遣されたということで、いつ帰ってこられることかわからないことなのだ。どうか無事でもどってくれることを願っている。

(翰林張司馬が南海に碑を勒するを送る)
冠冕南極に通ず 文章上台より落つ
詔して三殿従り去らしむ 碑は百蛮に到りて開く
野館穠穫花発き 春帆細雨来らん
知らず槍海の上 天畿時か廻らしめん

唐朝 大明宮2000

現代語訳と訳註
(本文)
送翰林張司馬南海勒碑
冠冕通南極,文章落上臺。
詔從三殿去,碑到百蠻開。
野館穠花發,春帆細雨來。
不知滄海上,天遣幾時回?


(下し文) (翰林張司馬が南海に碑を勒するを送る)
冠冕南極に通ず 文章上台より落つ
詔して三殿従り去らしむ 碑は百蛮に到りて開く
野館穠穫花発き 春帆細雨来らん
知らず槍海の上 天畿時か廻らしめん


(現代語訳)
冕玉の付いた衣冠をつけた文官が南方のはての地に交通し、朝廷の上台である宰相がつくられ、下された碑文をもってゆくのである。
これは天子の詔によって朝廷の三殿からおゆきになるのである、鄭君が百蛮の異民族の地に著くのを待ってこの石碑がそこに開陳され統治にやくだたされるということになろう。
君が陸路をゆくときはそれぞれ野館にうつくしい花などさいている、また江路をわたるときは、春の帆に向って細々とした春雨がふりそそぐことだろう。
ただ仙界の島へ向う穏やかな広々とした海のようかどうかはわからない。それに天に派遣されたということで、いつ帰ってこられることかわからないことなのだ。どうか無事でもどってくれることを願っている。


(訳注)
送翰林張司馬南海勒碑

翰林は翰林院、翰林には司馬の官はない。張司馬については詳でないが司馬職の前の職が翰林院であったのであろう。南海は広東地方、勤碑は石碑に文字をはりつけること。
碑文は時の宰相の誰かがつくったもので杜甫ではない。司馬が南海の地へ碑文を彫り刻むために往くのを送るものである。


冠冕通南極,文章落上臺。
冕玉の付いた衣冠をつけた文官が南方のはての地に交通し、朝廷の上台である宰相がつくられ、下された碑文をもってゆくのである。
冠冕 唐の文官のかぶる礼冠をいう。冕のたまが下がっている。○通 交通すること。○南極 南のはて、南海をさす。○文章 碑文。原注に「相国製レ文」とある。○ 上国より下国へもってゆくこと。○上台 天に上台・中台・下台の六星があり、上台の二塁は文昌星に近い。これは宰相の位をいう、文が宰相の手より成るのを以ていう。


詔從三殿去,碑到百蠻開。
これは天子の詔によって朝廷の三殿からおゆきになるのである、鄭君が百蛮の異民族の地に著くのを待ってこの石碑がそこに開陳され統治にやくだたされるということになろう。
〇三殿 含元殿、宣政殿、紫宸殿(大明宮中にある)に三面あるゆえに三殿というという。〇百蛮 多種の野蛮人の居る地。○ 刻石があらわされることをいう。


野館穠花發,春帆細雨來。
君が陸路をゆくときはそれぞれ野館にうつくしい花などさいている、また江路をわたるときは、春の帆に向って細々とした春雨がふりそそぐことだろう。
○野館 原野の旅宿。○穣花 うつくしい花。○春帆 はるの舟。○細雨 こまかなあめ。春雨。


不知滄海上,天遣幾時回?
ただ仙界の島へ向う穏やかな広々とした海のようかどうかはわからない。それに天に派遣されたということで、いつ帰ってこられることかわからないことなのだ。どうか無事でもどってくれることを願っている。
滄海上 滄海は仙人の住む島への穏やかな上ひろい海をこえてゆくことをいう。○ 海路は風波の多き痛め、当時そうなんがおおかった。そのため、帰れるか否かとは天意によるものという考えが当たり前のこととされた。○ して、天に派遣されたもの。○幾時 いつ。○廻 こちらへもどりくる。
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送賈閣老出汝州 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 242

送賈閣老出汝州 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 242

758年 乾元元年春の作。
五言律詩

送賈閣老出汝州
西掖梧桐樹,空留一院陰。
中書省の垣門のそばの梧桐の樹。あの樹は君が居なくなってはいたずらに院内にわたる木陰をとどめておるばかりである。
艱難歸故裡,去住損春心。
君はこの世事の難儀なときに故郷の方へとかえり、いってしまう君も、とどまっておる自分も、ともに慶びの春の心を冷めてしまって傷むこころになるのである。
宮殿青門隔,雲山紫邏深。
君が行くところはこの都の宮殿の東はるか青門からへだたったところであり、紫邏の雲山は奥深く遠いところである。
人生五馬貴,莫受二毛侵。
あなたは誰にとってもその人生において五馬を用意されるほどの官となる貴い位置なのである。髪の黒いうちにやっておくもので白髪なんぞに侵されるということがあってはならない。


(賈閣老が汝州へ出る送る)
西掖の梧桐樹、空しく留む一院の陰。
艱難 故里に帰る、去住春心損ず。
宮殿 青門隔たる、雲山 紫邏深し。
人生 五馬貴し、二毛の侵すを受くる莫れ。

gogyu10680


現代語訳と訳註
(本文)
送賈閣老出汝州
西掖梧桐樹,空留一院陰。
艱難歸故裡,去住損春心。
宮殿青門隔,雲山紫邏深。
人生五馬貴,莫受二毛侵。


(下し文)
西掖の梧桐樹、空しく留む一院の陰。
艱難 故里に帰る、去住春心損ず。
宮殿 青門隔たる、雲山 紫邏深し。
人生 五馬貴し、二毛の侵すを受くる莫れ。


(現代語訳)
中書省の垣門のそばの梧桐の樹。あの樹は君が居なくなってはいたずらに院内にわたる木陰をとどめておるばかりである。
君はこの世事の難儀なときに故郷の方へとかえり、いってしまう君も、とどまっておる自分も、ともに慶びの春の心を冷めてしまって傷むこころになるのである。
君が行くところはこの都の宮殿の東はるか青門からへだたったところであり、紫邏の雲山は奥深く遠いところである。
あなたは誰にとってもその人生において五馬を用意されるほどの官となる貴い位置なのである。髪の黒いうちにやっておくもので白髪なんぞに侵されるということがあってはならない。


(訳注)
送賈閣老出汝州

賈は賈至(かし) 718年~772年、安史の乱には、玄宗に従って、蜀に避れる。時に中書舎人であった。閣老とは舎人の牛深きものをいう尊称とし、或は門下省と呼びあう場合の称号とする、賈至をさしていうものである。汝州は河南省南陽府に属する。賈至は河南洛陽の人である。此の詩は中書舎人である貿至が長安から河南の汝州へ刺史として出かけるのを送るために作る。


西掖梧桐樹,空留一院陰。
中書省の垣門のそばの梧桐の樹。あの樹は君が居なくなってはいたずらに院内にわたる木陰をとどめておるばかりである。
西掖 中書舎人は中書省に属し、中書省は東内の西にある牒東内より中書省へ出入する西側の垣を西掖という、舎人の院はそこにある。○ 賈至がいないということ、「空しく」という。〇一院 院全体、院は舎人の詰め所。○ 樹陰。

 
艱難歸故裡,去住損春心。
君はこの世事の難儀なときに故郷の方へとかえり、いってしまう君も、とどまっておる自分も、ともに慶びの春の心を冷めてしまって傷むこころになるのである。
艱難 世事のなんぎ。洛陽奪還しても不安定である。○故旦 故郷、至の故郷は洛陽であり、そこを経て汝州へ赴く、故に「帰る」という、かえりきりにかえるのではない。○去住 去ると、とどまると。去は賈至についていい、住は杜甫のことについていう。○ 損傷の意。


宮殿青門隔,雲山紫邏深。
君が行くところはこの都の宮殿の東はるか青門からへだたったところであり、紫邏の雲山は奥深く遠いところである。
青門 長安城の東、洛陽方面へは春明門から㶚陵橋かけてが送別の場所であった。○雲山 雲のいる山。○紫邏 山の名、河南省洛陽市汝陽縣にある紫邏山。梅花玉の産地。


人生五馬貴,莫受二毛侵。
あなたは誰にとってもその人生において五馬を用意されるほどの官となる貴い位置なのである。髪の黒いうちにやっておくもので白髪なんぞに侵されるということがあってはならない。
五馬貴 五馬は太守の美称。太守を五馬というのは郡の太守(長官)は駆馬(四匹の馬)を用いる。郡内をめぐるときは更に一馬を加えることからいうのである。また太守が秩中二千石を加えられるとき(禄高が正味二千石を受く)五馬を用いる。五行思想からも五頭立ての馬車は地位が高いのである。○受侵 おかされる。〇二毛黒白二種の毛髪、白髪のふえることをいう。


賈至の代表的な詩。
長門怨(獨坐思千里)   春思(草色青青柳色黄)   岳陽樓重宴別王八員外貶長沙(江路東連千里潮)
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題省中院壁 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 241

題省中院壁 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 241
 (省中の院壁に題す)
門下省のなかにある左拾遺の官の役所の壁にかきつけた詩。前詩同期の作。*此の詩は拗体といって律詩の変格である。


題省中院壁
掖垣竹埤梧十尋,洞門對霤常陰陰。
宮廷側の垣壁の編竹の垣根に十尋の高い梧桐が植えてある、その梧桐は、宣政殿を挟んで門下省、中書省が連って洞門をなし、雨の落ちる方向に向いている処なのでいつも影になっていて暗い。
落花游絲白日靜,鳴鳩乳燕青春深。
春盛んな時、さすがに花が散り落ち、かげろうが燃えて真昼の日の光が静かに射しかける、鳩が鳴き、燕が子をかえすなど春の真っ盛りである。
腐儒衰晚謬通籍,退食遲回違寸心。
このときくされ儒者たる自分は晩年で衰えかけているのに、まちがって仕官ができたのであり、役所のひけ時にぐずぐずして平生の本志は思うことのかなわないものである。
袞職曾無一字補,許身愧比雙南金。

左拾遺という天子をお諌め申す役でありながらまだ一字として補いたてまつったことがない、これでは以前我と我が身に許して自己を南金の如き貴重なものに比べたことをはずかしくおもう。


(省中の院壁に題す)
掖垣【えきえん】の竹埤【ちくひ】十尋【じゅうじん】、洞門 対霤【たいりゅう】常に陰陰。
落花 遊糸 白日静かに、鳴鳩【めいきゅう】乳燕【にゅうえん】青春深し。
腐儒【ふじゅ】衰晩【すいばん】謬【あやま】って籍を通ず、退食【たいしょく】遅廻【ちかい】寸心【すんしん】違【たご】う。
袞職【こんしょく】曾て一字の補【おぎない】無し、身を許す愧【は】ずらくは双南【そうなん】金に比せしこと。


 現代語訳と訳註
(本文)
題省中院壁
掖垣竹埤梧十尋,洞門對霤常陰陰。
落花游絲白日靜,鳴鳩乳燕青春深。
腐儒衰晚謬通籍,退食遲回違寸心。
袞職曾無一字補,許身愧比雙南金。


(下し文) (省中の院壁に題す)
掖垣【えきえん】の竹埤【ちくひ】十尋【じゅうじん】、洞門 対霤【たいりゅう】常に陰陰。
落花 遊糸 白日静かに、鳴鳩【めいきゅう】乳燕【にゅうえん】青春深し。
腐儒【ふじゅ】衰晩【すいばん】謬【あやま】って籍を通ず、退食【たいしょく】遅廻【ちかい】寸心【すんしん】違【たご】う。
袞職【こんしょく】曾て一字の補【おぎない】無し、身を許す愧【は】ずらくは双南【そうなん】金に比せしこと。


(現代語訳)
宮廷側の垣壁の編竹の垣根に十尋の高い梧桐が植えてある、その梧桐は、宣政殿を挟んで門下省、中書省が連って洞門をなし、雨の落ちる方向に向いている処なのでいつも影になっていて暗い。
春盛んな時、さすがに花が散り落ち、かげろうが燃えて真昼の日の光が静かに射しかける、鳩が鳴き、燕が子をかえすなど春の真っ盛りである。
このときくされ儒者たる自分は晩年で衰えかけているのに、まちがって仕官ができたのであり、役所のひけ時にぐずぐずして平生の本志は思うことのかなわないものである。
左拾遺という天子をお諌め申す役でありながらまだ一字として補いたてまつったことがない、これでは以前我と我が身に許して自己を南金の如き貴重なものに比べたことをはずかしくおもう。


(訳注)題省中院壁
掖垣竹埤梧十尋,洞門對霤常陰陰。
宮廷側の垣壁の編竹の垣根に十尋の高い梧桐が植えてある、その梧桐は、宣政殿を挟んで門下省、中書省が連って洞門をなし、雨の落ちる方向に向いている処なのでいつも影になっていて暗い。
○掖垣 宮廷側のかき。○竹埤 竹で編んだひくいかきね。○梧 あおぎり。○尋 八尺。中国では、尋(じん)とその2倍の「常」(じょう)という単位がよく用いられていた。この二つを組み合わせてできたのが「尋常」という言葉であり、並み、普通であることを意味する。○洞門 門と門と向かいあって洞の如くになっているものをいう、宣政殿を挟んで門下省、中書省の諸院が多く相い連らなっているからである。○對霤 霤は屋根の雨のおちるところをいう、対とは向う側とむきあうことをいう。○陰陰 影になりくらっぽいさま。


落花游絲白日靜,鳴鳩乳燕青春深。
春盛んな時、さすがに花が散り落ち、かげろうが燃えて真昼の日の光が静かに射しかける、鳩が鳴き、燕が子をかえすなど春の真盛りである。
遊糸 いとゆう。がげろう。○乳燕 子をうんだつばめ。○青春 五行の思想では春の色を青とする。五色-五方-五時:青(緑)-東-春、紅-南-夏、黄-中-土用、白-秋-西、玄(黒)-北-冬。


腐儒衰晚謬通籍,退食遲回違寸心。
このときくされ儒者たる自分は晩年で衰えかけているのに、まちがって仕官ができたのであり、役所のひけ時にぐずぐずして平生の本志は思うことのかなわないものである。
腐儒 全くの役に立たない儒者。くされ儒者。気力も意欲もない学者をののしっていう語。 ...ここでは杜甫自身をさす。○衰晩 老衰、晩暮。○通籍 禁中へわが名ふだを通じておくこと、仕官の義。籍とは二尺の竹札に年がら姓名その他の様子を書付け、入門の時、本人と照らしあわす用に供するもの。○退食 朝廷を出て門下省の詰め所で食事をとる。○遅廻  ぐずぐずしておるさま。○違寸心 思うことのかなわぬことをいう。


袞職曾無一字補,許身愧比雙南金。
左拾遺という天子をお諌め申す役でありながらまだ一字として補いたてまつったことがない、これでは以前我と我が身に許して自己を南金の如き貴重なものに比べたことをはずかしくおもう。
袞職 袞とは巻き竜のついた衣、天子の礼服。袞職とは天子の職をいう。○許身 我と我が身にかくかくの資格ありとしてゆるす。○ 杜甫がはじる。○双南金 南金は南方刑州・揚州の地に産する金銀の類をさす、双は一封をいう、両鎰(鎰は二十四両)をいうとするが、ここでは杜甫の職の重さを表現しており、あたえられた職ができないことに悩んでいる。この時の天子、粛宗は文人を好んでいないため、ことごとく左遷されている。王維、王昌齢、高適等々皆悩んでいた。杜甫は、左拾位の職を賜った直後に房琯をかばう発言により、一切無視されている。鳳翔から長安を奪還する際には妻のもとに行っていた。杜甫の詩も長安に入城する祝いの詩もなければそのことに触れた詩もない。全く期待されていない存在であったということだ。


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晚出左掖 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 240

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758年乾元元年春、左拾遺であったときの作。
 臘日 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ 
 送鄭十八虔貶台州司戶、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩
 宣政殿退朝晚出左掖
 紫宸殿退朝口號 このページに掲げる詩
 春宿左省
 晚出左掖
 題省中院壁
 奉和賈至舍人早朝大明宮
 送賈閣老出汝州


natsusora01

左掖は東内の東側垣門のこと、前に見える。此の詩は蓋し或る日の夕がたこの門より出て自己の廨舎に帰ろうとしたことをいう。

晚出左掖
夕暮れて、門下省のわきのくぐり門を出る。
晝刻傳呼淺,春旗簇仗齊。
昼の時刻が知らされ、宮衛の点呼まわり番の声も近いものに聞こえる程度の声である。春用の簇仗の羽旗を一斉に整列して居る。
退朝花底散,歸院柳邊迷。
そうして、朝廷(紫宸殿)より退出してくると花ビラが、散り落ちて庭中に敷き詰められている、門下省の書院に帰ろうとして歩くと柳樹の緑が濃くなってあたりの景色を変えていて迷ってしまう。
樓雪融城濕,宮雲去殿低。
南に向いて歩いていくと宮楼の雪はとけて城壁がぬれている。低く垂れこんでいた雲が去った後、御殿は低くなったかとおもわれる。
避人焚諫草,騎馬欲雞棲。
人をさけ、みられないような場所で諌申用の草稿文をやきすてる、そして執務室の後片付けをして、馬に騎って官舎に向おうとするとすでに鶏がねぐらにつこうとする夕闇がせまっている。

昼刻 伝呼 浅く、春旗 簇仗【ぞくじょう】齊【ひと】し。
退朝 花底に散じ、帰院【きいん】柳辺【りゅうへん】に迷う。
楼雪【ろうせつ】融けて城湿【うるお】い、宮雲 去りて殿低し。
人を避けて諌草【かんそう】を焚く、馬に騎れば鶏棲【けいせい】ならんと欲す。


唐朝 大明宮2000


現代語訳と訳註
(本文) 晚出左掖

晝刻傳呼淺,春旗簇仗齊。
退朝花底散,歸院柳邊迷。
樓雪融城濕,宮雲去殿低。
避人焚諫草,騎馬欲雞棲。


(下し文)
昼刻 伝呼 浅く、春旗 簇仗【ぞくじょう】齊【ひと】し。
退朝 花底に散じ、帰院【きいん】柳辺【りゅうへん】に迷う。
楼雪【ろうせつ】融けて城湿【うるお】い、宮雲 去りて殿低し。
人を避けて諌草【かんそう】を焚く、馬に騎れば鶏棲【けいせい】ならんと欲す。


(現代語訳)
夕暮れて、門下省のわきのくぐり門を出る。
昼の時刻が知らされ、宮衛の点呼まわり番の声も近いものに聞こえる程度の声である。春用の簇仗の羽旗を一斉に整列して居る。
そうして、朝廷(紫宸殿)より退出してくると花ビラが、散り落ちて庭中に敷き詰められている、門下省の書院に帰ろうとして歩くと柳樹の緑が濃くなってあたりの景色を変えていて迷ってしまう。
南に向いて歩いていくと宮楼の雪はとけて城壁がぬれている。低く垂れこんでいた雲が去った後、御殿は低くなったかとおもわれる。
人をさけ、みられないような場所で諌申用の草稿文をやきすてる、そして執務室の後片付けをして、馬に騎って官舎に向おうとするとすでに鶏がねぐらにつこうとする夕闇がせまっている。


(訳注)
晚出左掖

夕暮れて、門下省のわきのくぐり門を出る。
左掖は東内の東側垣門のこと、前に見える。
 

晝刻傳呼淺,春旗簇仗齊。
昼の時刻が知らされ、宮衛の点呼、まわり番の声も近いものに聞こえる程度の声である。衛兵は春用の簇仗の羽旗を一斉に整列して居る。
昼刻 ひるの水どけいの時間。○伝呼 宮衛達の「点呼、火の用心」とまわり番のこえ。○ 声の小さなこと。深しといえば大声あげて奥深くまできこえるようにすることであり、浅はその反対に近くだけきこえるほどに声を出す。伝搬度をいう。○春旗 春は時を記す。旗は近衛の兵の持する簇仗の旗をいう、簇仗の仗と同一物。○簇仗 群がる刺しもの。○ 列のそろえること、斉列。


退朝花底散,歸院柳邊迷。
そうして、朝廷(紫宸殿)より退出してくると花ビラが、散り落ちて庭中に敷き詰められている、門下省の書院に帰ろうとして歩くと柳樹の緑が濃くなってあたりの景色を変えていて迷ってしまう。
帰院 院は門下省の書院、執務室、左拾遺の詰め所をいうのであろう。


樓雪融城濕,宮雲去殿低。
南に向いて歩いていくと宮楼の雪はとけて城壁がぬれている。低く垂れこんでいた雲が去った後、御殿は低くなったかとおもわれる。
楼雪 南に向いて歩くので樓閣の北面の宮楼の雪。○城湿 宣政殿、含元殿などを取り囲む城郭、全体が雪解けのために濡れていることをいう。○殿低 雲が低く垂れこんでいるときは宮殿が高くみえたが、雲の去ってしまった後は低くみえるのである。この聯の句はSV構文で○○は●で◎◎となる。樓雪は融けて城濕となる。宮雲は去って殿低くなる。


避人焚諫草,騎馬欲雞棲。
人をさけ、みられないような場所で諌申用の草稿文をやきすてる、そして執務室の後片付けをして、馬に騎って官舎に向おうとするとすでに鶏がねぐらにつこうとする夕闇がせまっている。
避人 人をさけ、みられないようにする。○諌草 諌申用の草稿文のこと。詰め所に草稿をのこして置くと、内部機密が漏れてしまうことを恐れるのである。○騎馬 官舎の方へ帰ろうとすること。○鶏棲 鶏が歩き回らずねぐらに居つくこと、夕闇をいう。

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kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首

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春宿左省 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 238

春宿左省 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 238


758年乾元元年春、左拾遺であったときの作。
 ・宣政殿退朝晚出左掖
 ・紫宸殿退朝口號
 ・春宿左省
 ・晚出左掖
 ・題省中院壁
 ・奉和賈至舍人早朝大明宮
 ・送賈閣老出汝州
 

左省は東省、東内、即ち門下省である。春、門下省にとまり番をした時に作る。

春宿左省
花隱掖垣暮,啾啾棲鳥過。
宮殿のそばの垣根が花にかくれていて夕暮れになってしまい、チュウチュウとねぐらに棲む鳥が啼いて過ぎてゆく
星臨萬戶動,月傍九霄多。
それから宝飾の様な星のきらめきは宮殿の全部の戸ごとに向って照りだし、月の光は九重の空に多くせまってくる。
不寢聽金鑰,因風想玉珂。
寝ず番をして闔殿の門を開ける音を聴き、風にのって早朝の参賀人々が玉珂を鳴らしてきはせぬかと想像する。
明朝有封事,數問夜如何?

自分には明日の朝ともなれば天子に奉るべき封事があるのである、そのことが気になって夜あけを待ちかねてたびたび夜明けがいつ来るかそのことを他の人に問うてみるのである。


(春左省に宿す)
花に隠れて披垣【えきえん】暮る 啾啾として棲鳥【せいちょう】過ぐ。
星は万戸に臨みて動き 月は九零【きゅうしょう】に傍【そ】いて多し。
寝【い】ねずして金鑰【きんやく】を聴き 風に因りて玉珂【ぎょくか】を想う。
明朝 封事【ほうじ】有り 数々問う 夜 如何と。
miyajima 693

現代語訳と訳註
(本文)春宿左省

花隱掖垣暮,啾啾棲鳥過。
星臨萬戶動,月傍九霄多。
不寢聽金鑰,因風想玉珂。
明朝有封事,數問夜如何?

(下し文)
(春左省に宿す)
花に隠れて披垣【えきえん】暮る 啾啾として棲鳥【せいちょう】過ぐ。
星は万戸に臨みて動き 月は九零【きゅうしょう】に傍【そ】いて多し。
寝【い】ねずして金鑰【きんやく】を聴き 風に因りて玉珂【ぎょくか】を想う。
明朝 封事【ほうじ】有り 数々問う 夜 如何と。

(現代語訳)
宮殿のそばの垣根が花にかくれていて夕暮れになってしまい、チュウチュウとねぐらに棲む鳥が啼いて過ぎてゆく
それから宝飾の様な星のきらめきは宮殿の全部の戸ごとに向って照りだし、月の光は九重の空に多くせまってくる。
寝ず番をして闔殿の門を開ける音を聴き、風にのって早朝の参賀人々が玉珂を鳴らしてきはせぬかと想像する。
自分には明日の朝ともなれば天子に奉るべき封事があるのである、そのことが気になって夜あけを待ちかねてたびたび夜明けがいつ来るかそのことを他の人に問うてみるのである。
唐朝 大明宮2000

(訳注)春宿左省
花隱掖垣暮,啾啾棲鳥過。

宮殿のそばの垣根が花にかくれていて夕暮れになってしまい、チュウチュウとねぐらに棲む鳥が啼いて過ぎてゆく。
花隠 隠はその形のみえなくなること。○披垣 宮側のかき。○啾啾 鳥のなくさま。○棲鳥 ねぐらにとまらんとする鳥。


星臨萬戶動,月傍九霄多。
それから宝飾の様な星のきらめきは宮殿の全部の戸ごとに向って照りだし、月の光は九重の空に多くせまってくる。
○星 星のきらめき光をいう。〇万戸 宮殿の多くの戸。〇 月光をいう。○ 近づく意。〇九霄 九重のそら、宮中の天をいう。


不寢聽金鑰,因風想玉珂。
寝ず番をして闔殿の門を開ける音を聴き、風にのって早朝の参賀人々が玉珂を鳴らしてきはせぬかと想像する。
金鑰 闔殿の門を開ける錠前のきしこみの鍵でこれを差し入れて開ける。○因風 風が珂声をつたえて来ることを想う。○玉珂 珂は貝の類をもってつくった馬の飾り、その数は官位によって等級がある。これは玉珂とあるので玉でつくったものであろう、他の臣僚についていう。


明朝有封事,數問夜如何?
自分には明日の朝ともなれば天子に奉るべき封事があるのである、そのことが気になって夜あけを待ちかねてたびたび夜明けがいつ来るかそのことを他の人に問うてみるのである。
○封事 袋に収めた密封の上書である。律令制下で,政治上の意見を徴する詔に応じて,官人たちが封進した奏状。古代中国では《漢書》宣帝紀に〈群臣をして封事を奏するを得せしめ,以て下情を知る〉と初めて見える。杜甫の役職は左拾遺で、大事は朝延にて諌諍し、小事には封事を奉った。○夜如何 夜の時刻いかに。天の明けてくることをきづかう気持ちをいうのである。

紫宸殿退朝口號 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 238

紫宸殿退朝口號 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 238



758年乾元元年春、左拾遺であったときの作。
 臘日 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ 
 送鄭十八虔貶台州司戶、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩
 宣政殿退朝晚出左掖
 紫宸殿退朝口號 このページに掲げる詩
 春宿左省
 晚出左掖
 題省中院壁
 奉和賈至舍人早朝大明宮
 送賈閣老出汝州

 
紫宸殿も東内に属する。南より北へ順次に含元殿・宜政殿・紫辰殿がある。宜政は前殿にして紫辰は便殿である。口号とは口ずから吟ずること。此の詩は紫辰殿へ朝して、とき口ずさんだ作である。○便殿 貴人の休息のために設けた御殿のこと。


紫宸殿退朝口號
戶外昭容紫袖垂,雙瞻御座引朝儀。
紫宸殿の戸の外に昭容の女官が紫色の袖を垂れて、左右にわかれて各々殿内の御座の方へ目をやりつつ朝儀の位置にみちびき入れる。
香飄合殿春風轉,花覆千宮淑景移。
紫宸殿内には春風に香気が吹きまわされてくまなくひるがえる、居並ぶ群臣のうえに花影を被っていて春の日暖かな光は経過していく。
晝漏稀聞高閣報,天顏有喜近臣知。
外庭の高き閣から時間を知らせてくるが殿内おくふかく稀に漏刻の音も聞えてくる。この日は天子の御顔もにこやかで喜ばしいこと、近侍の臣の知るとおりである。
宮中每出歸東省,會送夔龍集鳳池。

わたしはいつもこの御殿から退出して東内の方、門下省の執務室の方へかえるの、その時はいつも夔龍といわれる宰相、大臣がたが中書省の方へお集まりになるのをうちそろって鳳池の辺でお見送りするのである。


(紫后殿より退朝するとき口号)
戸外の昭容 紫袖【しゆう】垂る、御座を双降【そうこう】して朝儀【ちょうぎ】を引く。
香 飄【ひるがえ】りて合殿【ごうでん】春風転じ、花千官を覆いて淑景【しゅくけい】移る。
昼漏【ちゅうろう】聞こゆる稀にして高閣報じ、天顔【てんがん】喜び有って近臣知る。
宮中より毎【つね】に出でて東省に帰る、会送す夔竜【きりゅう】の鳳池に集まるを。


現代語訳と訳註
(本文)
紫宸殿退朝口號
戶外昭容紫袖垂,雙瞻御座引朝儀。
香飄合殿春風轉,花覆千宮淑景移。
晝漏稀聞高閣報,天顏有喜近臣知。
宮中每出歸東省,會送夔龍集鳳池。


(下し文) (紫后殿より退朝するとき口号)
戸外の昭容 紫袖【しゆう】垂る、御座を双降【そうこう】して朝儀【ちょうぎ】を引く。
香 飄【ひるがえ】りて合殿【ごうでん】春風転じ、花千官を覆いて淑景【しゅくけい】移る。
昼漏【ちゅうろう】聞こゆる稀にして高閣報じ、天顔【てんがん】喜び有って近臣知る。
宮中より毎【つね】に出でて東省に帰る、会送す夔竜【きりゅう】の鳳池に集まるを。


(現代語訳)
紫宸殿の戸の外に昭容の女官が紫色の袖を垂れて、左右にわかれて各々殿内の御座の方へ目をやりつつ朝儀の位置にみちびき入れる。
紫宸殿内には春風に香気が吹きまわされてくまなくひるがえる、居並ぶ群臣のうえに花影を被っていて春の日暖かな光は経過していく。
外庭の高き閣から時間を知らせてくるが殿内おくふかく稀に漏刻の音も聞えてくる。この日は天子の御顔もにこやかで喜ばしいこと、近侍の臣の知るとおりである。
わたしはいつもこの御殿から退出して東内の方、門下省の執務室の方へかえるの、その時はいつも夔龍といわれる宰相、大臣がたが中書省の方へお集まりになるのをうちそろって鳳池の辺でお見送りするのである。


(訳注)
戶外昭容紫袖垂,雙瞻御座引朝儀。
紫宸殿の戸の外に昭容の女官が紫色の袖を垂れて、左右にわかれて各々殿内の御座の方へ目をやりつつ朝儀の位置にみちびき入れる。
戸外 殿の戸のそと。○昭容 女官の階級の名、正二品の位。唐代の制度では、後宮の職官は、内官・宮官・内侍省の3部門で構成されていた。内官とは妃妾のことで、四夫人(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃。正一品)、九嬪(昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛。正二品)、二十七世婦(婕妤、美人、才人。正三品~正五品)、八十一御妻(宝林、御女、采女。正六品~正八品)を指す。正六品以下が宮官であり、宮中内の職務に携わる女官たちのことである。尚宮(総務的な仕事)・尚儀(礼楽に携わる)・尚服(衣服に携わる)・尚食(食事に携わる)・尚寝(居住空間に携わる)・尚功(工芸に携わる)の六尚に分けられて職務に従事し、また宮正が置かれて、後宮内の不正の取り締まりに従事した。内侍省は宦官たちである。○紫袖垂 むらさきの袖をながくたれる。○双瞻 ならびみる、左右の各列から昭容が御座へ目をつけること、昭容は左右各一人、文武の両班の葦臣を前導して殿内に入る。る。○御座 天子の座。○引朝儀 引はみちびくこと、朝儀は参朝の儀列をいう。昭容が前導するときは羣臣に面して後向き歩行をしつつ御座の方へと進む。昭容が御座への注目する際には少しく上体を斜にして、半ばうしろむきの姿勢をとる。


香飄合殿春風轉,花覆千宮淑景移。
紫宸殿内には春風に香気が吹きまわされてくまなくひるがえる、居並ぶ群臣のうえに花影を被っていて春の日暖かな光は経過していく。
香飄 香は花香。飄はただよう。○合殿 入口の闔殿から殿内全体をいう。○ 吹き転ずること。香煙が動いていること。○花覆 花は殿庭の花、覆とは実際におおうのではなく、附近に多く咲いている故かくいう。○淑景移 淑景はよき日かげ、春日の暖かな光をいう。移とは時刻のかわること、この時、殿中で上奏を受けるので時間の経過することをいう。


晝漏稀聞高閣報,天顏有喜近臣知。
外庭の高き閣から時間を知らせてくるが殿内おくふかく稀に漏刻の音も聞えてくる。この日は天子の御顔もにこやかで喜ばしいこと、近侍の臣の知るとおりである。
昼漏 日中のの漏刻(みずどけい)。此の句は上下倒抒でよむ。○高閣報 高閣より報知し来たる、外庭の高閣において宮女がこれを掌って刻を報ずるというもの。○天顔 天子のおかお。○近臣 近侍の臣、参野列の天子に近い家臣をいう。杜甫も左拾遺だからその内の一人である。

唐朝 大明宮2000

宮中每出歸東省,會送夔龍集鳳池。
わたしはいつもこの御殿から退出して東内の方、門下省の執務室の方へかえるの、その時はいつも夔龍といわれる宰相、大臣がたが中書省の方へお集まりになるのをうちそろって鳳池の辺でお見送りするのである。
宮中毎出 毎出宮中としてみる。この毎の字は帰の字までへかかる。出は退出。○東省 東内、門下省をさす。○会送 同僚が相会して送る。○夔龍 古代、舜の時の臣、夔は音楽を典奏し、竜は民言を天子につたえることをつかさどった。ここでは唐の大臣宰相をさす。○ 夔竜等が集まることをいう。○鳳池 賈至が『早朝大明宮呈両省僚友』で「銀燭朝熏紫陌長、禁城春色暁蒼蒼。千條弱柳垂青瑣、百囀流鶯繞建章。劍佩聲髄玉墀歩、衣冠身惹御爐香。共沐恩波鳳池上、朝朝染翰侍君王。」中書省にある池をいう。長安大明宮図確認すると門下省側には龍首池があり、龍のように曲がりくねり長い池がある。賈至は故事にならって鳳池としたのだろう。

宣政殿退朝晚出左掖 杜甫kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 237

宣政殿退朝晚出左掖 杜甫kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 237

宣政殿は東内に属し、含元殿の後(北)に在る。左技とは左(東)側の小垣門をいう、作者は時に左拾遺の官にあり、門下省に属する。門下省は東内の東に在るので左垣門よりでるのである。宜政殿の参朝から退いて、夕方に左垣門を出て門下省の方へかえろうとしたときの作。

唐朝 大明宮2000
 


大明宮は634年に建設が開始され、唐代の首都長安の3つの宮殿の中でも規模が最大のものである。唐の高宗帝(650~683)から、唐の皇帝たちはみなここに住み、政治を行った。大明宮は国家の統治の中心として200年にわたって存続し、唐末に戦火に焼かれ、その遺跡が今でも陝西省西安市の市街の北部に残る。

この唐代の長安のもっとも大きく偉大な宮殿建築は、もともと唐の太宗帝が父李淵のために建てた夏の宮殿、永安宮であった。宮殿の建造が始まるやいなや、李淵が病没するなどとは、誰が知っていただろうか。このため、宮殿の工事も停止された。唐の高宗帝が位を継いだ後、もともと住んでいた太極宮は湿気が多すぎると考え、662年、大明宮に大規模な拡張工事を行い、周囲7.6キロ、面積3.3平方キロメートル、北京の紫禁城の面積の4.5倍の広さとなった。宮城の南部は長方形をしており、北部は南が広く北が狭い台形になっている。大明宮は前朝と内庭のふたつの部分に分けられ、前朝は政治を執り行う部分で、内庭は居住や宴会などを行う部分であった。

前朝について言えば、含元殿が大明宮の正殿で、重大な儀式や謁見などが行われたところで、とても雄大である。主殿の前には長さ78メートルの階段と斜面の間の竜尾道があり、それは真ん中の御道と両側のわき道に分けることができ、その表面には模様入りのレンガが敷かれている。含元殿は地形を利用して建てられ、壮観で広く、都長安の全体を見渡すことができた。含元殿の北300メートルのところにあるのが宣政殿で、皇帝が政を行うところであった。殿の左と右にはそれぞれ中書省・門下省などの官署があった。紫宸殿は宣政殿の北95メートルのところにあり、臣下はここで皇帝に謁見した。含元、宣政、紫宸という構造は、後世の宮殿建築に受け継がれ、北京の紫禁城も太和、中和、保和という三殿の構造を示している。

大明宮の内部の配置も、とても凝ったものである。宮殿北部が庭園区で、建築は少なく、形式は多様である。太液池が中庭のハイライトで、面積は約16000平方メートルである。池のかたちはだ円形に近く、岸辺には回廊がめぐり、その付近には多くの亭や楼閣、殿宇などがたつ。麟徳殿は大明宮の西北部にあり、宮廷で最大の別殿で、皇帝が宴会を催したり、楽や舞などを見たり、外国使節と接見したりした場所である。

宣政殿退朝晚出左掖(掖門在兩旁如人之臂掖) 杜甫
 天門日射黄金榜,春殿晴曛赤羽旗。
門下省のある宣正殿から退庁して晩方、左の旁門から退出する。(正門わきの旁門には両の傍らに肩と腕を守るかのように立っている)
 宮草微微承委佩,鑪煙細細駐游絲。
宮殿の門は夕日のひかりがあたって、黄金の額縁のようにきれいだ、春の御殿の庭では朱雀を描いた旗が晴れてはいるが夕暮れにさしかかり、薄暗くにおうようである。
 雲近蓬萊常好色,雪殘鳷鵲亦多時。
このときわたしが玉佩をひきずって来ると庭の草は幽静な緑色に変わっている、部屋内から、庭にまで香の煙を漂わせる。そして、香気、佳気を感じさせてほそぼそとのぼっている。
 侍臣緩步歸青瑣,退食從容出每遲。

このあたりに浮んでいる夕霞は蓬莱宮に近いからいつも五色の彩をしているし、鳷鵲観かとおもえる建物にはずいぶんながく雪が残っている。
かくしてわたしはゆっくりと歩いて門下省青瑣門の方へ帰るのだが、わたしの詰め所へさがるには、今日もいつものように庭景色を楽しむため、ゆったりとして時刻おくれて退出するのである。


(宜政殿より退朝して 晩に左掖より出づ)
天門 日は射る 黄金の榜、春殿 晴 曛ず赤羽の旗。
宮草 微微として委佩を承け、鐘煙 細細として游糸を駐む。
雲 蓬莱に近うして常に五色、雪 鳷鵲【ししゃく】に残るも亦 多時。
侍臣 緩歩して青瑣【せいさ】に帰る、退食 従容として出づる毎に遅し。

kairo10682


現代語訳と訳註
(本文)
宣政殿退朝晚出左掖(掖門在兩旁如人之臂掖) 杜甫
 天門日射黄金榜,春殿晴曛赤羽旗。
 宮草微微承委佩,鑪煙細細駐游絲。
 雲近蓬萊常好色,雪殘鳷鵲亦多時。
 侍臣緩步歸青瑣,退食從容出每遲。


(下し文) (宜政殿より退朝して 晩に左掖より出づ)
天門 日は射る 黄金の榜、春殿 晴 曛ず赤羽の旗。
宮草 微微として委佩を承け、鐘煙 細細として游糸を駐む。
雲 蓬莱に近うして常に五色、雪 鳷鵲に残るも亦多時。
侍臣 緩歩して青瑣に帰る、退食 従容として出づる毎に遅し。

(現代語訳)
門下省のある宣正殿から退庁して晩方、左の旁門から退出する。(正門わきの旁門には両の傍らに肩と腕を守るかのように立っている)
宮殿の門は夕日のひかりがあたって、黄金の額縁のようにきれいだ、春の御殿の庭では朱雀を描いた旗が晴れてはいるが夕暮れにさしかかり、薄暗くにおうようである。
このときわたしが玉佩をひきずって来ると庭の草は幽静な緑色に変わっている、部屋内から、庭にまで香の煙を漂わせる。そして、香気、佳気を感じさせてほそぼそとのぼっている。
このあたりに浮んでいる夕霞は蓬莱宮に近いからいつも五色の彩をしているし、鳷鵲観かとおもえる建物にはずいぶんながく雪が残っている。
かくしてわたしはゆっくりと歩いて門下省青瑣門の方へ帰るのだが、わたしの詰め所へさがるには、今日もいつものように庭景色を楽しむため、ゆったりとして時刻おくれて退出するのである。


(訳注)
宣政殿退朝晚出左掖
(掖門在兩旁如人之臂掖)
門下省のある宣正殿から退庁して晩方、左の旁門から退出する。(正門わきの旁門には両の傍らに肩と腕を守るかのように立っている)
掖門  宮殿の正門の左右にある小さな門。旁門(ぼうもん)。
 ひじ肩から手首までの部分。腕。


天門日射黄金榜,春殿晴曛赤羽旗。
宮殿の門は夕日のひかりがあたって、黄金の額縁のようにきれいだ、春の御殿の庭では朱雀を描いた旗が晴れてはいるが夕暮れにさしかかり、薄暗くにおうようである。
○天門 宮殿の門。○日射 日は夕日の光をいう。○黄金榜 こがねを以て飾った扁額。〇春殿 春景色の宣政殿。○晴曛 はれてはいるが少し暗くなりかけている、題の「晩」の字をあらわす。○赤羽旗 赤羽鳥(朱雀)をえがいた旗。


宮草微微承委佩,鑪煙細細駐游絲。
このときわたしが玉佩をひきずって来ると庭の草は幽静な緑色に変わっている、部屋内から、庭にまで香の煙を漂わせる。そして、香気、佳気を感じさせてほそぼそとのぼっている。
○宮草 宮庭にはえている草。○微微 幽静なさま、草色をいう。○承草がそれを受ける。○委佩 佩はおびもの、委は地につくこと。○鑪煙 香炉のけむり、恐らくは殿庭にあるものであろう。○細細 ほそぼそ。○駐游糸 宮殿は、仙界であり、天界である。絲を横たえるように香の煙が留まっているさまをいう。部屋内から、庭にまで香の煙を漂わせる。香気、佳気に結びつくものである。


雲近蓬萊常好色,雪殘鳷鵲亦多時。
このあたりに浮んでいる夕霞は蓬莱宮に近いからいつも五色の彩をしているし、鳷鵲観かとおもえる建物にはずいぶんながく雪が残っている。
蓬莱 殿の名。○鳷鵲 漢の時の観の名、今借用する。


侍臣緩步歸青瑣,退食從容出每遲。
かくしてわたしはゆっくりと歩いて門下省青瑣門の方へ帰るのだが、わたしの詰め所へさがるには、今日もいつものように庭景色を楽しむため、ゆったりとして時刻おくれて退出するのである。
侍臣 天子のおそばに仕える臣、杜甫は左拾遺なので自分のこと。○緩歩 ゆるゆるとあるく。○青瑣 瑣形に離刻をほどこし青色にぬった門、門下省の門をさす。○退食 「詩経」烹羊詩にみえる、公の門より退いて食事をすることをいう。○従容 ゆったり。○ 退出する。○ 毎時、いつも。

奉和賈至舍人早朝大明宮 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 236

奉和賈至舍人早朝大明宮 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 236


中書舎人である賈至が作った「早朝大明宮」の詩を和した作。乾元元年の春左拾遺として長安にあって作る。

奉和賈至舍人早朝大明宮  杜甫
賈至舎人が初めて大明宮の朝礼に参列して作った詩に和し奉る
五夜漏聲催曉箭,九重春色醉仙桃。
夜の水どけいのしたたりの音がだんだん暁の時刻に近づいてきて、九重の禁中の春の曙の色が桃花の紅の酔ったような時節になった。
旌旗日暖龍蛇動,宮殿風微燕雀高。
このとき参内してみると日光暖かにしてたてられた旌旗には竜蛇のすがたが動いているし、宏壮な宮殿の軒端には風がかすかに吹いて燕や雀が高くとんでいる。
朝罷香煙攜滿袖,詩成珠玉在揮毫。
このとき賈舎人はもはや朝廷の参賀もすんで殿中の香煙をそのまま袖にたずさえて戻り来り、できあがった詩を筆をとって書き付けると珠玉のようなりっぱなものができあがっている。
欲知世掌絲綸美。池上於今有鳳毛。

なるほど賈君の御家は代々詔勅を起草する家系であって、その世襲がいかにみごとであるかを知りたいとおもう、現に今も鳳凰池上に鳳毛とも評すべき君が居らるるのをみればわかることである。


(賈至舎人が早【つと】に大明宮に朝するを和し奉る)
五夜の漏声【ろうせい】暁箭【ぎょうせん】を催す、九重の春色仙桃【せんとう】酔う。
旌旗【せいき】日 暖【あたた】かにして竜蛇【りゅうだ】動き、宮殿 風 徴【び】にして燕雀【えんじゃく】高し。
朝【ちょう】罷【や】みて 香煙【こうえん】携【たずさ】えて 袖に満つ、詩成りて珠玉【しゅぎょく】揮毫【きごう】に在り。
世々 絲綸【しりん】掌【つかさど】るの美を知らんと欲せば、地上 今に於て鳳毛【ほうもう】有り。


長安城郭015


 現代語訳と訳註
(本文)
奉和賈至舍人早朝大明宮
五夜漏聲催曉箭,九重春色醉仙桃。
旌旗日暖龍蛇動,宮殿風微燕雀高。
朝罷香煙攜滿袖,詩成珠玉在揮毫。
欲知世掌絲綸美。池上於今有鳳毛。


(下し文) (賈至舎人が早【つと】に大明宮に朝するを和し奉る)
五夜の漏声【ろうせい】暁箭【ぎょうせん】を催す、九重の春色仙桃【せんとう】酔う。
旌旗【せいき】日 暖【あたた】かにして竜蛇【りゅうだ】動き、宮殿 風 徴【び】にして燕雀【えんじゃく】高し。
朝【ちょう】罷【や】みて 香煙【こうえん】携【たずさ】えて 袖に満つ、詩成りて珠玉【しゅぎょく】揮毫【きごう】に在り。
世々 絲綸【しりん】掌【つかさど】るの美を知らんと欲せば、地上 今に於て鳳毛【ほうもう】有り。


(現代語訳)
賈至舎人が初めて大明宮の朝礼に参列して作った詩に和し奉る
夜の水どけいのしたたりの音がだんだん暁の時刻に近づいてきて、九重の禁中の春の曙の色が桃花の紅の酔ったような時節になった。
このとき参内してみると日光暖かにしてたてられた旌旗には竜蛇のすがたが動いているし、宏壮な宮殿の軒端には風がかすかに吹いて燕や雀が高くとんでいる。
このとき賈舎人はもはや朝廷の参賀もすんで殿中の香煙をそのまま袖にたずさえて戻り来り、できあがった詩を筆をとって書き付けると珠玉のようなりっぱなものができあがっている。
なるほど賈君の御家は代々詔勅を起草する家系であって、その世襲がいかにみごとであるかを知りたいとおもう、現に今も鳳凰池上に鳳毛とも評すべき君が居らるるのをみればわかることである。


(訳注)
奉和賈至舍人早朝大明宮

賈至舎人が初めて大明宮の朝礼に参列して作った詩に和し奉る
 他人の作った詩について我が意をのべて作ること。○賈至 賈曾の子、賈は景巽中に中書舎人であった人。至は字は助鄰、玄宗が蜀に奔ったときこれに従い起居舎人・知制誥を拝命し、玄宗が粛宗に位を伝えられるときの冊文は至がこれを撰した。玄宗は、昔先天の誥命は汝の父が為ったものであるが、今この冊文を汝が又為るのは美を済すというべきであるといわれたという。賈至はさらに中書舎人となった。○早朝 元日の朝早く朝廷へ参賀にでること。○大明宮 唐の長安城には三箇の大内があり、西にあるのを太極宮、これを西内といい、その東にあるのを大明宮、これを東内といい、又東南に興慶宮があり、これを南内という。大明宮は最もしばしば朝を受けた処である。


五夜漏聲催曉箭,九重春色醉仙桃。
夜の水どけいのしたたりの音がだんだん暁の時刻に近づいてきて、九重の禁中の春の曙の色が桃花の紅の酔ったような時節になった。
五夜 五行思想で夜の時間を甲乙丙丁戊の五つに分かつ。○漏声 水時計の水のしたたるおと。○暁箭 水時計に鋳金の人形を作り、その人形は左手に箭を抱き右の手で刻をさし示すようにしかけである、箭は今の針の用をなす。〇九重春色 禁中の春景色。○酔仙桃 曙色の紅なのを形容していったもの。「仙桃の紅なること酔えるが如し」の意であり、これを用いてまた春色をたとえている。


旌旗日暖龍蛇動,宮殿風微燕雀高。
このとき参内してみると日光暖かにしてたてられた旌旗には竜蛇のすがたが動いているし、宏壮な宮殿の軒端には風がかすかに吹いて燕や雀が高くとんでいる。
旌旗 旌旗は鳥の羽をばさばさにして頭に飾りにつけているはた、筋は竜を交叉して画いたはた。○竜蛇 はたの模様。○燕雀 これは実物をいう。


朝罷香煙攜滿袖,詩成珠玉在揮毫。
このとき賈舎人はもはや朝廷の参賀もすんで殿中の香煙をそのまま袖にたずさえて戻り来り、できあがった詩を筆をとって書き付けると珠玉のようなりっぱなものができあがっている。
○朝 朝は参朝のこと。朝の参賀がすむ。○香煙 殿上に焚かれた香のけむり。○詩成 詩は賈至の原作をさす。○珠玉 詩の文字のうるわしいことをほめていう。○在揮毫 揮毫のうえに存すということ。揮毫は筆をふるうこと。


欲知世掌絲綸美。池上於今有鳳毛。
なるほど賈君の御家は代々詔勅を起草する家系であって、その世襲がいかにみごとであるかを知りたいとおもう、現に今も鳳凰池上に鳳毛とも評すべき君が居らるるのをみればわかることである。
世掌 代々つかさどる、父子二代の世襲をさす。○絲綸 王の言、即ち詔勅をいう。「礼記」緇衣に「王言は糸の如く、其の出ぞること綸の如し。王言は綸の如く、其の出ぞること綍の如し。」とある。綸はよりいと、綍はなわ、王の言は出だした所は細くても下へ伝わるにつれて大となることをいう。○ みごとなこと。○池上 池は鳳凰池をいう、中書省にある池、賈至の原作に「鳳池」の語がある。龍首池の頭の部分をいう。○鳳毛 晋の桓温が、王劭がその父王導に似ているのを見て「鳳毛有り」と評し、宋の孝武帝が謝鳳の子超宗が文才のあるのを称して「超宗殊に鳳毛有り」といったのは、鳳凰の如き彩毛のあることをいう。この詩句は賈至を比する。

 


 早朝大明宮呈両省僚友 賈至
 銀燭朝熏紫陌長、
 禁城春色暁蒼蒼。
 千條弱柳垂青瑣、
 百囀流鶯繞建章。
 劍佩聲髄玉墀歩、
 衣冠身惹御爐香。
 共沐恩波鳳池上、
 朝朝染翰侍君王。
 銀燭 朝に熏じて 紫陌 長し、禁城の春色 暁に蒼蒼たり。
 千条の弱柳は青瑣に垂れ、百囀の流鶯は建章を繞る。
 剣佩 声を玉墀の歩に随い、衣冠 身には御炉の香を惹けり。
 共に恩波に沐す 鳳池の上とり、朝朝翰を染めて君王に侍す。
 
  
 和賈舎人早朝大明宮之作  王維
 絳幘雞人報暁籌、
 尚衣方進翠雲裘。
 九天閶闔開宮殿、
 万国衣冠拝冕旒。
 日色纔臨仙掌動、
 香煙欲傍袞龍浮。
 朝罷須裁五色詔、
 佩声帰到鳳池頭。
 絳幘【こうさく】の鶏人 暁籌【ぎょうちゅう】を報じ、尚衣【しょうい】方【まさ】に進む 翠雲の裘【きゅう】。
九天の閶闔(しょうこう) 宮殿を開き、万国の衣冠 冕旒【べんりゅう】を拝す
日色 纔【わず】かに仙掌【せんしょう】に臨んで動き、香煙 傍【そ】わんと欲して袞龍【こんりゅう】浮ぶ。
朝【ちょう】罷【や】んで須らく裁すべし 五色の詔、佩声【はいせい】は帰り到る 鳳池の頭【ひとり】。
 奉和中書賈舎人早朝大明宮  岑參
 雞鳴紫陌曙光寒,
 鶯囀皇州春色闌。
 金闕曉鐘開萬戶,
 玉階仙仗擁千官。
 花迎劍珮星初落,
 柳拂旌旗露未乾。
 獨有鳳凰池上客,
 陽春一曲和皆難。
 鶏鳴いて紫陌曙光寒し、鶯囁じて皇州春色闌なり。
 金闕の暁鐘万戸を開き、玉階の仙仗千官を擁す。
 花は剣侃を迎えて星初めて落ち、柳は旋旗を払って露未だ乾かず。
 独り鳳皇池上の客有り、陽春の一曲和すること皆難し。
 奉和賈至舍人早朝大明宮  杜甫
 五夜漏聲催曉箭,
 九重春色醉仙桃。
 旌旗日暖龍蛇動,
 宮殿風微燕雀高。
 朝罷香煙攜滿袖,
 詩成珠玉在揮毫。
 欲知世掌絲綸美。
 池上於今有鳳毛。
 賈至舎人が早【つと】に大明宮に朝するを和し奉る
五夜の漏声【ろうせい】暁箭【ぎょうせん】を催す、九重の春色仙桃【せんとう】酔う。
旌旗【せいき】日 暖【あたた】かにして竜蛇【りゅうだ】動き、宮殿 風 徴【び】にして燕雀【えんじゃく】高し。
朝【ちょう】罷【や】みて 香煙【こうえん】携【たずさ】えて 袖に満つ、詩成りて珠玉【しゅぎょく】揮毫【きごう】に在り。
世々 絲綸【しりん】掌【つかさど】るの美を知らんと欲せば、地上 今に於て鳳毛【ほうもう】有り。


奉和中書賈至舍人早朝大明宮 岑參 杜甫の「奉和賈至舍人早朝大明宮」に関連した詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 235

奉和中書賈至舍人早朝大明宮 岑參 杜甫の「奉和賈至舍人早朝大明宮」に関連した詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 235

758年春、賈至、王維、岑参、杜甫、四人の詩人が中書省と門下省に揃った。杜甫にとっては生涯で一番幸福な時期であった。王維は太子中允からすぐに中枢にもどり、中書舎人(正五品上)になっている。賈至が伝統的な七言律詩で宮廷風の詩『早朝大明宮呈両省僚友』を詠ったこれに対して、三人が唱和した・    

和賈舎人早朝大明宮之作   王維 
奉和賈至舍人早朝大明宮   杜甫

奉和中書賈至舍人早朝大明宮(頁一九六)
作於乾元元年(758四十四歲)春末,時岑參在長安任右補闕。

奉和中書賈至舍人早朝大明宮
雞鳴紫陌曙光寒,鶯囀皇州春色闌。
朝を知らせる鶏が鳴いて都大路には曙光はまだ寒さをのこしている、鶯はさえずり天子のお住まいのこの街には春景色が爛漫としている。
金闕曉鐘開萬戶,玉階仙仗擁千官。
天子の宮殿の御門に暁の鐘が鳴らされ城郭の萬戸の家に対して開かれる、宮殿のきざはしはひかり輝き朝の儀式のために旗刺物と官僚が並んでいる。
花迎劍珮星初落,柳拂旌旗露未乾。
春に花は剣を佩びた者たちを迎えてくれ夜明けを迎えて星は見えなくなっている。柳は揺れ、天子の御旗も揺れていて夜露はまだ乾いていない。
獨有鳳凰池上客,陽春一曲和皆難。

ただひとり宮殿の鳳凰池の辺に来ている穏やかな春の日はこの詩をうかんでくるだけどみんなと一緒に唱和することは難しい。


171 奉和中書賈舎人早朝大明宮  岑參
鶏鳴いて紫陌曙光寒し、鶯囁じて皇州春色闌なり。
金闕の暁鐘万戸を開き、玉階の仙仗千官を擁す。
花は剣侃を迎えて星初めて落ち、柳は旋旗を払って露未だ乾かず。
独り鳳皇池上の客有り、陽春の一曲和すること皆難し。


現代語訳と訳註
(本文)

雞鳴紫陌曙光寒,鶯囀皇州春色闌。
金闕曉鐘開萬戶,玉階仙仗擁千官。
花迎劍珮星初落,柳拂旌旗露未乾。
獨有鳳凰池上客,陽春一曲和皆難。


(下し文)
鶏鳴いて紫陌曙光寒し、鶯囁じて皇州春色闌なり。
金闕の暁鐘万戸を開き、玉階の仙仗千官を擁す。
花は剣侃を迎えて星初めて落ち、柳は旋旗を払って露未だ乾かず。
独り鳳皇池上の客有り、陽春の一曲和すること皆難し。


(現代語訳)
朝を知らせる鶏が鳴いて都大路には曙光はまだ寒さをのこしている、鶯はさえずり天子のお住まいのこの街には春景色が爛漫としている。
天子の宮殿の御門に暁の鐘が鳴らされ城郭の萬戸の家に対して開かれる、宮殿のきざはしはひかり輝き朝の儀式のために旗刺物と官僚が並んでいる。
春に花は剣を佩びた者たちを迎えてくれ夜明けを迎えて星は見えなくなっている。柳は揺れ、天子の御旗も揺れていて夜露はまだ乾いていない。
ただひとり宮殿の鳳凰池の辺に来ている穏やかな春の日はこの詩をうかんでくるだけどみんなと一緒に唱和することは難しい。


(訳注)
雞鳴紫陌曙光寒,鶯囀皇州春色闌。
鶏鳴いて紫陌曙光寒し、鶯囁じて皇州春色闌なり。
朝を知らせる鶏が鳴いて都大路には曙光はまだ寒さをのこしている、鶯はさえずり天子のお住まいのこの街には春景色が爛漫としている。
紫陌 都大路。都の街路。都の市街。・東西陌 曹植『吁嗟篇』「東西經七陌」(東西 七陌を経て)に基づく。○皇州 皇帝の住まう地域である。○春色闌 春景色爛漫。


金闕曉鐘開萬戶,玉階仙仗擁千官。
金闕の暁鐘万戸を開き、玉階の仙仗千官を擁す。
天子の宮殿の御門に暁の鐘が鳴らされ城郭の萬戸の家に対して開かれる、宮殿のきざはしはひかり輝き朝の儀式のために旗刺物と官僚が並んでいる。
仙仗 天子の儀使、仙の字は天子をさす、仗は儀式のとき執って並ぶ旗刺物類。


花迎劍珮星初落,柳拂旌旗露未乾。
花は剣珮を迎えて星初めて落ち、柳は旌旗を払って露未だ乾かず。
春に花は剣を佩びた者たちを迎えてくれ夜明けを迎えて星は見えなくなっている。柳は揺れ、天子の御旗も揺れていて夜露はまだ乾いていない。
剣珮 刀剣などを腰につける。古代の装身具の一。腰帯とそれにつりさげた玉(ぎよく)・金属器などの総称。○旌旗 軍隊のはた。


獨有鳳凰池上客,陽春一曲和皆難。
独り鳳凰池上の客有り、陽春の一曲和すること皆難し。
ただひとり宮殿の鳳凰池の辺に来ている穏やかな春の日はこの詩をうかんでくるだけどみんなと一緒に唱和することは難しい。
○鳳池 大明宮の大掖池。○ 金鑾殿の役務室。
唐朝 大明宮01

位置葉大明宮の配置図参照。

和賈舎人早朝大明宮之作 王維 杜甫の「奉和賈至舍人早朝大明宮」に関連した詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 234

和賈舎人早朝大明宮之作 王維 杜甫の「奉和賈至舍人早朝大明宮」に関連した詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 234

758年春、賈至、王維、岑参、杜甫、四人の詩人が中書省と門下省に揃った。杜甫にとっては生涯で一番幸福な時期であった。王維は太子中允からすぐに中枢にもどり、中書舎人(正五品上)になっている。賈至が伝統的な七言律詩で宮廷風の詩『早朝大明宮呈両省僚友』を詠ったこれに対して、三人が唱和した・    

和賈舎人早朝大明宮之作   王維 
奉和中書賈舎人早朝大明宮  岑參
奉和賈至舍人早朝大明宮   杜甫


miyajima 693

   
和賈舎人早朝大明宮之作
絳幘雞人報暁籌、尚衣方進翠雲裘。
赤い制帽の時を知らせる役目の鶏人が 夜明けの時刻を告げると、天子は尚衣のものを召して深みどりの輝く御衣を着けられる。
九天閶闔開宮殿、万国衣冠拝冕旒。
九の天の真ん中、九重の天子の宮殿の御門が開かれる、すべての国王、諸侯は、賜った制服と冠を正している、それから冕旒の珠玉の飾の冠の天子を拝する。
日色纔臨仙掌動、香煙欲傍袞龍浮。
朝日が入ってきて部屋の中が次第にはっきり、色鮮やかになってくる天子御台が動く、御香があたりただよい、その中からおごそかに袞龍の天子は浮かび上がる。
朝罷須裁五色詔、佩声帰到鳳池頭。
朝賀の礼が終わるときまって五色の紐に飾られた詔勅の採下をいただく、官僚たちは佩玉の音を鳴らして   鳳池の金鑾殿の役務室にもどっていく。

賈舎人の「早に大明宮に朝す」の作に和す
絳幘【こうさく】の鶏人 暁籌【ぎょうちゅう】を報じ、尚衣【しょうい】方【まさ】に進む 翠雲の裘【きゅう】。
九天の閶闔(しょうこう) 宮殿を開き、万国の衣冠 冕旒【べんりゅう】を拝す
日色 纔【わず】かに仙掌【せんしょう】に臨んで動き、香煙 傍【そ】わんと欲して袞龍【こんりゅう】浮ぶ。
朝【ちょう】罷【や】んで須らく裁すべし 五色の詔、佩声【はいせい】は帰り到る 鳳池の頭【ひとり】。

長安城郭015


現代語訳と訳註
(本文)

絳幘雞人報暁籌、尚衣方進翠雲裘。
九天閶闔開宮殿、万国衣冠拝冕旒。
日色纔臨仙掌動、香煙欲傍袞龍浮。
朝罷須裁五色詔、佩声帰到鳳池頭。

(下し文)
絳幘【こうさく】の鶏人 暁籌【ぎょうちゅう】を報じ、尚衣【しょうい】方【まさ】に進む 翠雲の裘【きゅう】。
九天の閶闔(しょうこう) 宮殿を開き、万国の衣冠 冕旒【べんりゅう】を拝す
日色 纔【わず】かに仙掌【せんしょう】に臨んで動き、香煙 傍【そ】わんと欲して袞龍【こんりゅう】浮ぶ。
朝【ちょう】罷【や】んで須らく裁すべし 五色の詔、佩声【はいせい】は帰り到る 鳳池の頭【ひとり】。

(現代語訳)
赤い制帽の時を知らせる役目の鶏人が 夜明けの時刻を告げると、天子は尚衣のものを召して深みどりの輝く御衣を着けられる。
九の天の真ん中、九重の天子の宮殿の御門が開かれる、すべての国王、諸侯は、賜った制服と冠を正している、それから冕旒の珠玉の飾の冠の天子を拝する。
朝日が入ってきて部屋の中が次第にはっきり、色鮮やかになってくる天子御台が動く、御香があたりただよい、その中からおごそかに袞龍の天子は浮かび上がる。
朝賀の礼が終わるときまって五色の紐に飾られた詔勅の採下をいただく、官僚たちは佩玉の音を鳴らして   鳳池の金鑾殿の役務室にもどっていく。

唐朝 大明宮01


(訳注)
絳幘雞人報暁籌、尚衣方進翠雲裘。
赤い制帽の時を知らせる役目の鶏人が 夜明けの時刻を告げると、天子は尚衣のものを召して深みどりの輝く御衣を着けられる。
絳幘 赤い制帽。○鶏人【けいじん】 中国周代の時を知らせる役目の官名。○尚衣 皇帝の衣服を管理する部門の責任者。○翠雲裘 深みどりの輝く御衣。【裘】かわごろも. 毛皮で作った防寒用の衣。かわぎぬ。 僧衣。また、僧。 修行中の釈迦が鹿の皮をまとったという故事から. 【裘葛】きゅうかつ. 皮衣と 葛 ( くず ) 帷子 ( かたびら ) 。冬の衣服と夏の衣服。 転じて、冬から夏まで。一年。


九天閶闔開宮殿、万国衣冠拝冕旒。
九の天の真ん中、九重の天子の宮殿の御門が開かれる、すべての国王、諸侯は、賜った制服と冠を正している、それから冕旒の珠玉の飾の冠の天子を拝する。
九天 九の天の真ん中。○閶闔 仙界の門。天の門。 東藩を「左垣墻」、西藩を「右垣墻」とすることもある。また垣の南側の終点である左枢と右枢の間を「閶闔門」ということからいう。李白『梁甫吟』、『杜鵑花』、『燕臺詩四首』○衣冠 天子から賜った制服と冠。 ○冕旒 冕冠に垂らす、ひもで連ねた珠玉の飾り。
梁甫吟 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -295

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日色纔臨仙掌動、香煙欲傍袞龍浮。
朝日が入ってきて部屋の中が次第にはっきり、色鮮やかになってくる天子御台が動く、御香があたりただよい、その中からおごそかに袞龍の天子は浮かび上がる。
日色 朝日が入ってきて部屋の中がはっきり、色鮮やかになってくるさま。○ わずかに。ついちょっと。○仙掌 「仙掌」とは河の神が華山を支える時に残した手形跡。○袞龍 天子の普段着であり、一日のスケジュールを始めて国政の仕事を務める間はもちろん、宮中パーティーの際にも装う。天子の帽子である翼善冠とともに、生涯を通して最も頻繁に着衣していた袞龍袍は、単なる衣服に止まらず、天子そのものを象徴する。


朝罷須裁五色詔、佩声帰到鳳池頭。
朝賀の礼が終わるときまって五色の紐に飾られた詔勅の採下をいただく、官僚たちは佩玉の音を鳴らして   鳳池の金鑾殿の役務室にもどっていく。
 朝礼、朝賀。○五色詔 五色の紐に飾られた詔勅。○佩声 官僚たちは佩玉の音を鳴らす。○鳳池 大明宮の大掖池。○ 金鑾殿の役務室。


早朝大明宮呈両省僚友 賈至 杜甫の「奉和賈至舍人早朝大明宮」に関連した詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 233

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早朝大明宮呈両省僚友 賈至 杜甫の「奉和賈至舍人早朝大明宮」に関連した詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 233


758年春、賈至、王維、岑参、杜甫、四人の詩人が中書省と門下省に揃った。杜甫にとっては生涯で一番幸福な時期であった。王維は太子中允からすぐに中枢にもどり、中書舎人(正五品上)になっている。賈至が伝統的な七言律詩で宮廷風の詩『早朝大明宮呈両省僚友』を詠ったこれに対して、三人が唱和した・    

和賈舎人早朝大明宮之作   王維 
奉和中書賈舎人早朝大明宮  岑參
奉和賈至舍人早朝大明宮   杜甫


早朝大明宮呈両省僚友 賈至

銀燭朝熏紫陌長、禁城春色暁蒼蒼。
天子の宮殿の銀製の燭台のともしびは夜明けまで燃え続け、都大路はその前に、長く横たわっている。禁裡の春景色も、明けがたのことだから、まだ薄暗い。
千條弱柳垂青瑣、百囀流鶯繞建章。
細い柳の枝は、何千という筋を、青く塗った門の窓の外に垂らしており、さまざまに鳴きかわす鶯が枝々を飛びわたりながら、建章宮をめぐって飛ぶ。
劍佩聲髄玉墀歩、衣冠身惹御爐香。
私の腰にさげた剣や佩玉は、玉をしきつめた床の上を歩むにつれて音をたて、身につけた衣冠には、みかどの香炉にくゆらす香りがこもる。
共沐恩波鳳池上、朝朝染翰侍君王。
おたがいにこの鳳凰池で、わが天子の恵みの波を浴(ゆあ)みするとは、なんとありがたいことだろう。されば朝ごとに筆をそめつつ、みかどのおそばにつかえて、翰林院の職務にはげもうと思う。

銀燭 朝に熏じて 紫陌 長し、禁城の春色 暁に蒼蒼たり。
千条の弱柳は青瑣に垂れ、百囀の流鶯は建章を繞る。
剣佩 声を玉墀の歩に随い、衣冠 身には御炉の香を惹けり。
共に恩波に沐す 鳳池の上とり、朝朝翰を染めて君王に侍す。

韻  蒼、章、香、王。
長安城郭015

現代語訳と訳註
(本文)

銀燭朝熏紫陌長、禁城春色暁蒼蒼。
千條弱柳垂青瑣、百囀流鶯繞建章。
劍佩聲髄玉墀歩、衣冠身惹御爐香。
共沐恩波鳳池上、朝朝染翰侍君王。


(下し文)
銀燭 朝に熏じて 紫陌 長し、禁城の春色 暁に蒼蒼たり。
千条の弱柳は青瑣に垂れ、百囀の流鶯は建章を繞る。
剣佩 声を玉墀の歩に随い、衣冠 身には御炉の香を惹けり。
共に恩波に沐す 鳳池の上とり、朝朝翰を染めて君王に侍す。

(現代語訳)
天子の宮殿の銀製の燭台のともしびは夜明けまで燃え続け、都大路はその前に、長く横たわっている。禁裡の春景色も、明けがたのことだから、まだ薄暗い。
細い柳の枝は、何千という筋を、青く塗った門の窓の外に垂らしており、さまざまに鳴きかわす鶯が枝々を飛びわたりながら、建章宮をめぐって飛ぶ。
私の腰にさげた剣や佩玉は、玉をしきつめた床の上を歩むにつれて音をたて、身につけた衣冠には、みかどの香炉にくゆらす香りがこもる。
おたがいにこの鳳凰池で、わが天子の恵みの波を浴(ゆあ)みするとは、なんとありがたいことだろう。されば朝ごとに筆をそめつつ、みかどのおそばにつかえて、翰林院の職務にはげもうと思う。

唐朝 大明宮01

(訳注)
銀燭朝熏紫陌長、禁城春色暁蒼蒼。

天子の宮殿の銀製の燭台のともしびは夜明けまで燃え続け、都大路はその前に、長く横たわっている。禁裡の春景色も、明けがたのことだから、まだ薄暗い。
銀燭 銀製の燭台。美しく輝くともしび。○熏朝  夜明けまで燃え続けるさま。○紫陌 都大路。都の街路。都の市街。・東西陌 曹植『吁嗟篇』「東西經七陌」(東西 七陌を経て)に基づく。李白『古風 其二十四』「大車揚飛塵。 亭午暗阡陌。」(長安の街では、大きな車がほこりを巻きあげて通り、正午という時間帯であるのに街路が暗くしている。) 阡:たて南北。:よこ東西のみち。[陌(はく)とは、中国の晋から南北朝時代(魏晋南北朝時代)にかけて使われた通貨単位である。銭貨100枚を1陌とした。]○禁城 天子のいる御殿。宮城。○春色 春景色。○蒼蒼 明けがたのまだ薄暗いさま。


千條弱柳垂青瑣、百囀流鶯繞建章。
細い柳の枝は、何千という筋を、青く塗った門の窓の外に垂らしており、さまざまに鳴きかわす鶯が枝々を飛びわたりながら、建章宮をめぐって飛ぶ。
千条 何千という筋。○弱柳 細い柳の枝○青瑣 青く塗った門の窓。五行思想で春、東を示す色は青であり、春明門。○百囀 鳥などがさまざまにさえずること。侍從宜春苑奉詔賦龍池柳色初青聽新鶯百囀歌 李白流鶯 鶯が枝々を飛びわたること。○建章 漢の武帝太初元年、柏梁殿が火災に遭ったため、二月に建設を始めたのが建章宮である。 建章宮は長安城外、未央宮の西にある。建章宮は長安城外にあるが、閣道によって未央宮と連絡している。


劍佩聲髄玉墀歩、衣冠身惹御爐香。
私の腰にさげた剣や佩玉は、玉をしきつめた床の上を歩むにつれて音をたて、身につけた衣冠には、みかどの香炉にくゆらす香りがこもる。
剣佩 腰にさげた剣や佩玉。○玉墀 玉をしきつめた床の上を歩むにつれて音をたてる。○衣冠 天子から賜った制服と冠。○御炉香 みかどの香炉にくゆらす香りがこもる。


共沐恩波鳳池上、朝朝染翰侍君王。
おたがいにこの鳳凰池で、わが天子の恵みの波を浴(ゆあ)みするとは、なんとありがたいことだろう。されば朝ごとに筆をそめつつ、みかどのおそばにつかえて、翰林院の職務にはげもうと思う。
 あらう。うるおう。恵みを受ける。漢の時代から、5日ごとに家に帰り、髪を洗いきよめたことに基づく。○恩波 天子の恵みの波。○鳳池 鳳凰池。大明宮の大掖池のこと。○朝朝 朝毎のこと。○染翰 翰は筆を執ることであるが、玄宗が作った文人の控えの場所としての翰林院を示すものである。

臘日 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 232

臘日 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 232

唐は大寒の後の辰の日を臘日とした、日はそれぞれの時代により同じではない。もともと狩猟により獣を取って先祖を祭ることにより始まったといわれる。此の日には官民ともに宴飲をし、唐の宮廷において近臣に食と物品を賜わった。
杜甫は757年冬、至徳二年十二月己に長安にあって賜物をうけたことによって此の詩を作る。



臘日
臘日常年暖尚遙,今年臘日凍全消。
例年、いつも臘日は暖かさまではなかなか遙かな感じなのだが、ことしの臘日という日は、すっかり氷が消え失せてしまっている。
侵陵雪色還萱草,漏泄春光有柳條。
それはもう萱草までもが雪の色を侵して無くし葉をあらわしている、柳のしだれた小枝のめぐみが春の光をもらしている。
縱酒欲謀良夜醉,還家初散紫宸朝。
わたしはやっといましがた紫辰殿の朝参から退散して自宅へもどったのだ、きままに酒を十分飲み、夜遅くまでの酔み続ける工夫をしようとおもう。
口脂面藥隨恩澤,翠管銀罌下九霄。

我が君のお恵みをこうむるのには随うままにしている、そして口脂面薬を翠管銀嬰にいれて九重の高きそらから賜物さえ下がったことでもある。


臘日【ろうじつ】 常年 暖 尚 遙かなり、今年 臘日【ろうじつ】 凍 全く消す。
雪色を侵陵するも還た萱草【けんそう】、春光を漏洩【ろうえい】するは柳条【りゅうじょう】有り。
縦酒【しょうしゅ】 謀らんと欲す良夜【りょうや】の酔、還家 初めて散ず紫宸【ししん】の朝。
口脂【こうし】面薬【めんやく】恩沢【おんたく】に随う。
翠管【すいかん】銀罌【ぎんおう】九霄【きゅうしょう】より下る。


宮島(7)

現代語訳と訳註
(本文) 臘日

臘日常年暖尚遙,今年臘日凍全消。
侵陵雪色還萱草,漏泄春光有柳條。
縱酒欲謀良夜醉,還家初散紫宸朝。
口脂面藥隨恩澤,翠管銀罌下九霄。


(下し文)
臘日【ろうじつ】 常年 暖 尚 遙かなり、今年 臘日【ろうじつ】 凍 全く消す。
雪色を侵陵するも還た萱草【けんそう】、春光を漏洩【ろうえい】するは柳条【りゅうじょう】有り。
縦酒【しょうしゅ】 謀らんと欲す良夜【りょうや】の酔、還家 初めて散ず紫宸【ししん】の朝。
口脂【こうし】面薬【めんやく】恩沢【おんたく】に随う。
翠管【すいかん】銀罌【ぎんおう】九霄【きゅうしょう】より下る。


(現代語訳)
例年、いつも臘日は暖かさまではなかなか遙かな感じなのだが、ことしの臘日という日は、すっかり氷が消え失せてしまっている。
それはもう萱草までもが雪の色を侵して無くし葉をあらわしている、柳のしだれた小枝のめぐみが春の光をもらしている。
わたしはやっといましがた紫辰殿の朝参から退散して自宅へもどったのだ、きままに酒を十分飲み、夜遅くまでの酔み続ける工夫をしようとおもう。
我が君のお恵みをこうむるのには随うままにしている、そして口脂面薬を翠管銀嬰にいれて九重の高きそらから賜物さえ下がったことでもある。


(訳注) 臘日
臘日常年暖尚遙,今年臘日凍全消。
例年、いつも臘日は暖かさまではなかなか遙かな感じなのだが、ことしの臘日という日は、すっかり氷が消え失せてしまっている。
常年 例年、平生の年。○ それまでに距離がある。○ 水のこおること。


侵陵雪色還萱草,漏泄春光有柳條。
それはもう萱草までもが雪の色を侵して無くし葉をあらわしている、柳のしだれた小枝のめぐみが春の光をもらしている。
侵陵 侵し凌ぐ、負けず打ち勝つこと。○還 萱草もまたの義。○萱草 浮き忘れ草、かんそう。○漏洩 もらす。○柳条 やなぎのこえだ、ここはえだそのものではなく若芽のめぐみをいう。


縱酒欲謀良夜醉,還家初散紫宸朝。
わたしはやっといましがた紫辰殿の朝参から退散して自宅へもどったのだ、きままに酒を十分飲み、夜遅くまでの酔み続ける工夫をしようとおもう。
縦酒 酒をほしいままにのむ。○良夜 祝祭日の夜ゆえよきよるという。○還豪 家にかえる。○ 退散する。○紫后朝 紫辰は宮殿の名、朝は朝廷の朝礼の集まりをいう。○この二句は倒句でよむ。


口脂面藥隨恩澤,翠管銀罌下九霄。
我が君のお恵みをこうむるのには随うままにしている、そして口脂面薬を翠管銀嬰にいれて九重の高きそらから賜物さえ下がったことでもある。
口脂面薬 口につけるあぶら、顔面にぬるくすり、これは凍傷を防ぐもの。○ まにまにということ。おかげをこうむる。○恩沢 天子のおめぐみ。○翠管銀罌 翠管は翠色で飾った象牙の筒、これは口脂を盛るもの。銀罌はぎんのいれもの、これは面薬を盛るもの。〇九霄 九重のあおぞら、宮中をさしていう。王朝、朝廷宮殿は天、大空、霽、仙界、雲中、天仲などつかう。
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送鄭十八虔貶台州司戶、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 231

送鄭十八虔貶台州司戶、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 231

粛宗は、洛陽奪還の翌日、10月19日に鳳翔を出発し、10月23日に長安に帰った。そうして、10月中旬に鳳翔に帰っていた杜甫は、粛宗と一緒に長安に帰えることができたのである。

757年 至徳二載十二月、巳に長安に在っての作。46歳


送鄭十八虔貶台州司戶、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩
鄭虔が台州の司戸参軍に貶められてゆくのを送る詩である。鄭虔が老境になって安史軍に陥るに至った次第をきのどくに思い、自分はじかに面会して別れを告げることをしないのだ、自分の心持はこの詩のなかにあらわしているということとしてこの詩を作る。
鄭公樗散鬢成絲,酒後常稱老畫師。
鄭公は老朽無用の地のようなところに居られてその白髪の鬢毛はほつれて糸のごとく、酒をのんで後はいつも自分は老いたる「絵描き」にすぎぬといっておられたものだ。
萬裡傷心嚴譴日,百年垂死中興時。
このたび厳罰を蒙って遠き万里の地へながされるというのは実にお気のどくであり、私の心を痛めるものなのだ。危うく滅亡しかかった王朝をこの聖天子が中興せられるというめでたい時節に鄭虔公の生涯は死に近づこうとしているのである。
蒼惶已就長途往,邂逅無端出餞遲。
わたしは出かけていってお見送りするには遅かったために、自然お会いするにも理由が無くなってしまった、鄭虔公はもはや長き旅程に就いてしまわれたのだ。
便與先生成永訣,九重泉路盡交期!
このわかれでこれが先生との永久のお別れとなるのだろうと思う。先生とわたしとまたお会いして交情の約束をする場所となるのはこの現世かぎりではない九重の黄泉の国もまたその地であると思う。


迭鄭十八度定台州司戸傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩

鄭虔が台州の司戸参軍に貶められてゆくのを送る詩である。鄭虔が老境になって安史軍に陥るに至った次第をきのどくに思い、自分は じかに面会して 別れを告げることをしないのだ、自分のこころもちはこの詩のなかにあらわしているということなのだ。

(鄭十八度が台州の司戸に乾せらるるを送る 其の老に臨み賊に陥るの故を傷み 面別を為すことを開く 情詩に見ゆ)

鄭公樗散贅糸を成す、酒後常に称す老画師と。
万里心を傷ましむ厳講の日、百年死に垂とす中興の時。
蒼惶己に長途の往に就く、遼遠端無く出餞遅し。
便ち先生と応に永訣するなるぺべし、九重の泉路尽く交期。

douteikoshoko297


現代語訳と訳註
(本文)
送鄭十八虔貶台州司戶、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩
鄭公樗散鬢成絲,酒後常稱老畫師。
萬裡傷心嚴譴日,百年垂死中興時。
蒼惶已就長途往,邂逅無端出餞遲。
便與先生成永訣,九重泉路盡交期!

(下し文)
(鄭十八度が台州の司戸に乾せらるるを送る、其の老に臨み賊に陥るの故を傷み 面別を為すことを開く 情詩に見ゆ)

鄭公樗散贅糸を成す、酒後常に称す老画師と。
万里心を傷ましむ厳講の日、百年死に垂とす中興の時。
蒼惶己に長途の往に就く、遼遠端無く出餞遅し。
便ち先生と応に永訣するなるぺべし、九重の泉路尽く交期。



(現代語訳)
鄭虔が台州の司戸参軍に貶められてゆくのを送る詩である。鄭虔が老境になって安史軍に陥るに至った次第をきのどくに思い、自分はじかに面会して別れを告げることをしないのだ、自分の心持はこの詩のなかにあらわしているということとしてこの詩を作る。

鄭公は老朽無用の地のようなところに居られてその白髪の鬢毛はほつれて糸のごとく、酒をのんで後はいつも自分は老いたる「絵描き」にすぎぬといっておられたものだ。
このたび厳罰を蒙って遠き万里の地へながされるというのは実にお気のどくであり、私の心を痛めるものなのだ。危うく滅亡しかかった王朝をこの聖天子が中興せられるというめでたい時節に鄭虔公の生涯は死に近づこうとしているのである。
わたしは出かけていってお見送りするには遅かったために、自然お会いするにも理由が無くなってしまった、鄭虔公はもはや長き旅程に就いてしまわれたのだ。
このわかれでこれが先生との永久のお別れとなるのだろうと思う。先生とわたしとまたお会いして交情の約束をする場所となるのはこの現世かぎりではない九重の黄泉の国もまたその地であると思う。


(訳注)
送鄭十八虔貶台州司戶、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩

鄭虔が台州の司戸参軍に貶められてゆくのを送る詩である。鄭虔が老境になって安史軍に陥るに至った次第をきのどくに思い、自分はじかに面会して別れを告げることをしないのだ、自分の心持はこの詩のなかにあらわしているということとしてこの詩を作る。
 罪により官をおとされる。〇台州司戸 台州は今の浙江省台州府、司戸は司戸参軍。○臨老陥賊 老年になって賊軍の中へおちこみその偽官を受けた事。安禄山の軍が長安へ攻め入った時、じん鄭虔はおびやかされて叛乱軍より水部郎中の官を授けられた。叛乱軍から長安洛陽を奪還し、叛乱軍に結果として協力した官吏を至徳二載十二月に六等に分けてその罪をきめた。鄭虔は死刑となるはずであったのを雀円というものの救いにより貶官にされたのだ。○ 事のわけをいう。塵は賊に陥り官を授けられたが風疾(ちゅうき)にかこつけ市の役人となり潜かに賊情を朝廷へ報知した等の事がある。○面別 直接対面して別れをする。

○杜甫は、儒者である鄭虔を尊敬しており、これまで以下の詩に取り上げている。

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩 誠実な詩人杜甫特集 55

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其二 杜甫:kanbuniinkai頌之の漢詩 誠実な詩人杜甫特集 56

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其三 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩 誠実な詩人杜甫特集 57

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其四 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩 誠実な詩人杜甫特集 58

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其五 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩 誠実な詩人杜甫特集 59

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其六 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩 誠実な詩人杜甫特集 60

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其七 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩 誠実な詩人杜甫特集 61

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其八 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩 誠実な詩人杜甫特集 62

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其九 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩 誠実な詩人杜甫特集 63

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其十 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩 誠実な詩人杜甫特集 64

奉陪鄭駙馬韋曲二首其一 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 75

奉陪鄭駙馬韋曲二首其二 杜甫   :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 76



鄭公樗散鬢成絲,酒後常稱老畫師。
鄭公は老朽無用の地のようなところに居られてその白髪の鬢毛はほつれて糸のごとく、酒をのんで後はいつも自分は老いたる「絵描き」にすぎぬといっておられたものだ。
樗散 樗は「荘子」逍遥遊篇に、散木は同書人間世篇に見える。樗は無用の大木の名、散木とは不材のためうちすててある木をいう。ここは老朽無用の地にあることをいう。○成糸 白髪のほつれたさまをいう。○酒後 酒をのんだのち、酔後をいう。○ 鄭虔が自ずからいう。○老画師 鄭虔は詩書画を善くし玄宗に三絶とはめられたほどの人。



萬裡傷心嚴譴日,百年垂死中興時。
このたび厳罰を蒙って遠き万里の地へながされるというのは実にお気のどくであり、私の心を痛めるものなのだ。危うく滅亡しかかった王朝をこの聖天子が中興せられるというめでたい時節に鄭虔公の生涯は死に近づこうとしているのである。
万里 浙江の台州までは遠く数千里、千里を超えたものは万里である。数百を超えたものは千里。○傷心 杜甫自身が心をいためること、詩題の傷其臨老隋賊の傷と同じ。○嚴譴日 厳しい御叱りを受けた時。〇百年 人の一生涯をいう。○垂死 鄭虔が年を取り、その上罪となったため、生きる意欲がなく死にちかづきつつあること。○中興時 粛宗が叛乱軍を逐いはらい、帝都をとりもどされた時節。衰退しかけた王朝を盛り返す時節ということ。


蒼惶已就長途往,邂逅無端出餞遲。
わたしは出かけていってお見送りするには遅かったために、自然お会いするにも理由が無くなってしまった、鄭虔公はもはや長き旅程に就いてしまわれたのだ。
○蒼惶 蒼惶ともにあわただしいさま。○長途往 長い旅程へとでかける。○邂逅 出会うこと。○無端 無由とおなじ、避退無端は無品二逝遽-の意、王慎中は此の句を「語を成さず」と評しているが必ずしもそうではない。○出餞遅 餞は餞別、はなむけ、みおくること。遅は時間がおそすぎたこと。此の三字は上の避遁無端の原因を説く、ただ詩句は「遅かったためあえぬ」というてあるが、事実は情に忍びずわざと見送りにゆかなかったことは題下の文に見えるとおりである。


便與先生成永訣,九重泉路盡交期!
このわかれでこれが先生との永久のお別れとなるのだろうと思う。先生とわたしとまたお会いして交情の約束をする場所となるのはこの現世かぎりではない九重の黄泉の国もまたその地であると思う。
先生 鄭虔をさす。○応永訣 応の字は推量の辞、永訣は死にわかれをいう。〇九重泉路 幾層もの泉下、冥途をいう。○交期 交情の約束をする場所であることをいう。



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重經昭陵 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 230

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ふたたび、昭陵の地を経過したとき作る。此の詩は己に鄜州に到著の後、更に鄜州を発し長安に赴こうとするとき作ったもの。

(1)鄜州に向かう

晚行口號  杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 199

徒步歸行 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 200

九成宮」#1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 201

行次昭陵1/2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 203

玉華宮 ① 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 205

北 征 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-207


(2)鄜州羌村において
喜聞官軍已臨賊寇 二十韻 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 223

收京三首 其一 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 227


(3)長安に向かう
・重經昭陵 杜甫 757年 冬(9月終わりころ~10月初めころ 46歳)
・左拾位
粛宗が10月19日に鳳翔を出発するのに、間に合うように、杜甫は10月の初めころには鳳翔に到着していたのであろう。

昭陵は唐の太宗の陵で、陝西省西安府醴泉県の西北六十里九嵕山に在り、封内は周囲百二十里、陪葬せられるものは諾王七、公主二十一、妃嬪八、宰相十二、丞郎三品五十三人、功臣大将軍等六十四人。太宗の乗った六駿の石像は陵後にあったが今は持ち出されている。又、陵そのものは「唐会要」に「昭陵は九嵕の層峰に因りて山の南面を穿ち、深さ七十五丈、玄宮を為る。巌に傍い梁を架して桟道を為る、懸絶すること百仞、繞回すること二百三十歩にして始めて玄宮の門に達す。頂上にも亦遊殿を起す。」とあるのによって大略をうかがうことを得る。



重經昭陵
草昧英雄起,謳歌歷數歸。
隋末煬帝による過大な土木事業により、国家財政に問題が生じ、秩序が乱れて混沌としたとき、草の中から秀で、獣の中の勇者たる英雄である太宗が決起した、それ以降人々は太宗の徳を歌につくって歌いことその人は世の人から徳をうたわれ、天子の位をふむべき順位が太宗に帰した。
風塵三尺劍,社稷一戎衣。
太宗は強大な兵馬の巻き起こす風塵の中に有って周の武王のように三尺の剣を提げてたったのだ、一たび決起したからには軍服をつけて社稷を安寧にする力をつくしたのである。
翼亮貞文德,丕承戢武威。
それから父たる高祖をたすけて文の徳をかたく守り、高祖の意を継承して自己の世には武力の威を全くとりかたづけたのである。 
聖圖天廣大,宗祀日光輝。』
その生時のはかりごとは天の如く広く大きなものであり、その死後まで中興の宗としてあがめられるおまつりは太陽のごとく光輝がある。』
陵寢盤空曲,熊羆守翠微。
いまここは御陵、寝廟がさびしき山の隈にわだかまわっており、熊や羆の様な兵士が山の半腹をみまもっている。
再窺松柏路,還見五雲飛。』

わたしは前もここをとおって帰り、さらにこのたび松柏のしげっている御陵道をうかがいみている、やはり天子の佳気である五色の雲が飛んでいるのをみとめるのである


(重ねて昭陵を經【ふ】)
草昧【そうまい】 英雄 起る、謳歌【おうか】暦数【れきすう】帰す。
風塵 三尺の剣、社稷【しゃしょく】一戎衣【いちじゅうい】。
翼亮【よくりょう】文徳を貞【ただ】しくす、丕承【ひしょう】武威【ぶい】を戢【おさ】む。
聖図【せいと】天のごとく広大に、宗祀【そうし】日のごとく光輝あり。』
陵寝【りょうしん】空曲に盤【わだかま】る、熊羆【ゆうひ】翠徴【すいび】を守る。
再び窺【うかが】う 松柏の路、還た見る五雲の飛ぶを。』

杜甫乱前後の図003鳳翔

昭陵と杜甫関連地図


現代語訳と訳註
 (本文) 重経昭陵
草昧英雄起,謳歌歷數歸。
風塵三尺劍,社稷一戎衣。
翼亮貞文德,丕承戢武威。
聖圖天廣大,宗祀日光輝。』
陵寢盤空曲,熊羆守翠微。
再窺松柏路,還見五雲飛。』


(下し文)(重ねて昭陵を経る)
草昧【そうまい】 英雄 起る、謳歌【おうか】暦数【れきすう】帰す。
風塵 三尺の剣、社稷【しゃしょく】一戎衣【いちじゅうい】。
翼亮【よくりょう】文徳を貞【ただ】しくす、丕承【ひしょう】武威【ぶい】を戢【おさ】む。
聖図【せいと】天のごとく広大に、宗祀【そうし】日のごとく光輝あり。』
陵寝【りょうしん】空曲に盤【わだかま】る、熊羆【ゆうひ】翠徴【すいび】を守る。
再び窺【うかが】う 松柏の路、還た見る五雲の飛ぶを。』



(現代語訳)
隋末煬帝による過大な土木事業により、国家財政に問題が生じ、秩序が乱れて混沌としたとき、草の中から秀で、獣の中の勇者たる英雄である太宗が決起した、それ以降人々は太宗の徳を歌につくって歌いことその人は世の人から徳をうたわれ、天子の位をふむべき順位が太宗に帰した。
太宗は強大な兵馬の巻き起こす風塵の中に有って周の武王のように三尺の剣を提げてたったのだ、一たび決起したからには軍服をつけて社稷を安寧にする力をつくしたのである。
それから父たる高祖をたすけて文の徳をかたく守り、高祖の意を継承して自己の世には武力の威を全くとりかたづけたのである。 
その生時のはかりごとは天の如く広く大きなものであり、その死後まで中興の宗としてあがめられるおまつりは太陽のごとく光輝がある。』
いまここは御陵、寝廟がさびしき山の隈にわだかまわっており、熊や羆の様な兵士が山の半腹をみまもっている。
わたしは前もここをとおって帰り、さらにこのたび松柏のしげっている御陵道をうかがいみている、やはり天子の佳気である五色の雲が飛んでいるのをみとめるのである


(訳注)
草昧英雄起,謳歌歷數歸。
隋末煬帝による過大な土木事業により、国家財政に問題が生じ、秩序が乱れて混沌としたとき、草の中から秀で、獣の中の勇者たる英雄である太宗が決起した、それ以降人々は太宗の徳を歌につくって歌いことその人は世の人から徳をうたわれ、天子の位をふむべき順位が太宗に帰した。
○草昧「まだ世が開けきらず、秩序が整っていないこと。未開。『易経』屯「天造草昧」とみえる。天地創造のとき、この世にまだ秩序がなく混沌こんとんとして定まらないこと。また、世の中に秩序がなく、天下のまだ定まらないことにもいう。▽「天造」は天が万物を創造すること、また、その創造物。「草」ははじめの意。また、乱雑の意。「昧」は暗い意。大宗の枕詞の様なもので、随末に世が乱れて混沌としていた時をさす。○英雄 草の秀でたものを英といい、獣の特なるものを雄という、すぐれた人物を英雄という、ここは太宗をさす。○謳歌 その人の徳をうたにつくってうたうこと。堯の民が堯亮の子を謳歌せずして舜を謳歌したことが「孟子」万章上にみえる。○暦数「論語」堯日篇にみえる、「天位ノ列次」と注する、天子の順位。○帰 太宗に帰著する。


風塵三尺劍,社稷一戎衣。
太宗は強大な兵馬の巻き起こす風塵の中に有って周の武王のように三尺の剣を提げてたったのだ、一たび決起したからには軍服をつけて社稷を安寧にする力をつくしたのである。
○風塵 戦乱によっておこるかぜほこり。〇三尺剣 漢の高祖は三尺の剣を提げて天下を取った。太宗もまた同様であった。○社稷 天下をいう。〇一戎衣「尚書」武成篇に(ひとたび戎衣し、天下大いに定まる。)とみえる、周の武王がひとたび戎衣(軍服)をきて殷の紂王を討ち滅ぼしたのによって天下が大いに定まったという意、太宗も亦た同様でその国土の広さから言って実質天下統一を初めてした皇帝である。


翼亮貞文德,丕承戢武威。
それから父たる高祖をたすけて文の徳をかたく守り、高祖の意を継承して自己の世には武力の威を全くとりかたづけたのである。 
○翼亮 たすけ、たすける。太宗が高祖を輔佐したこと。○貞文徳 貞は正しくして固いこと、固く守ってかわらぬこと。文徳は平和の徳で、「尚書」大禹膜に「誕に文徳を敷く」とみえる。○丕承 丕は大に同じ、大にとは敬語である。承とは先代の意をうけること、「尚書」君牙篇、「孟子」滕文公下に「丕に承くる哉、武王の烈。」とみえる。周の武王の功烈は文王の意を継承したものだという意、太宗もまた同様である。○戢武威 戢は鳥が羽をすぼめること、その様に武力の威をとりかたづけてしまう。


聖圖天廣大,宗祀日光輝。』
その生時のはかりごとは天の如く広く大きなものであり、その死後まで中興の宗としてあがめられるおまつりは太陽のごとく光輝がある。』
○聖図 太宗のはかりごと。○天広大 天のごとく広く大きい。○宗祀 宗としてまつること、宗とは祖についで大功ある君としてみることをいう。後嗣の天子が太宗をまつりそのはかりごとに遵うことをいう。〇日光輝 日のごとく光輝がある。


陵寢盤空曲,熊羆守翠微。
いまここは御陵、寝廟がさびしき山の隈にわだかまわっており、熊や羆の様な兵士が山の半腹をみまもっている。
○陵寝 山陵・寝廟。廟は木主を蔵し、寝は平生の衣冠等を蔵する建物。○盤 建築物の曲折して立つことをいう。○空曲 人無き山のくま。○熊羆 くま、びぐまのようなつよい番兵。○守 番をする。○翠徴 山の半腹以下をいう、空気がみどりにたちわたる処であるのによっていう。


再窺松柏路,還見五雲飛。』
わたしは前もここをとおって帰り、さらにこのたび松柏のしげっている御陵道をうかがいみている、やはり天子の佳気である五色の雲が飛んでいるのをみとめるのである
○再窺 再とは第二回であるからいう。〇五雲 五色の雲。綵雲。


收京三首 其三 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 229

收京三首 其三 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 229

757年9月中旬、粛宗の皇子である広平王李俶(のちの代宗)を総司令官とし、朔方軍で功勲のあった郭子儀を副司令官とし、十五万の連合軍は、鳳翔を出発して東に向かったのである。
9月27日には長安の西郊に着いて陣を布き、安守忠・李帰仁の率いる十万の安史軍(この時史忠明の軍本体は幽州に帰っていた。)と戦って翌28日には長安に入城したのである。長安が安禄山の叛乱軍に落ちてから一年三か月ぶりのことであった。史忠明軍のいない安史軍はひとまず正面衝突を回避して、10月18日には洛陽も奪還され、安慶緒は北方の鄴城(河南省安陽)に逃れた。粛宗は、洛陽奪還の翌日、10月19日には鳳翔を出発し、10月23日に長安に帰った。杜甫も、10月中旬には鳳翔に帰り、粛宗と一緒に長安に帰ったのである。

製作時は757年至徳二載9月末か、10月初めの作。


收京三首其一

收京三首 其一 杜甫特集700- 227
仙仗離丹極,妖星照玉除。須為下殿走,不可好樓居。
暫屈汾陽駕,聊飛燕將書。依然七廟略,更與萬方初。

其二

收京三首 其三 i紀頌之の漢詩 杜甫特集700- 229

生意甘衰白,天涯正寂寥。忽聞哀痛詔,又下聖明朝。
羽翼懷商老,文思憶帝堯。叨逢罪己日,沾灑望青霄。

其三
汗馬收宮闕,春城鏟賊壕。
兵馬に一汗かかせて長安の宮殿や御門闕を奪収した。これで明春までには叛乱軍が作った塹壕を気例に平らかにするであろう。
賞應歌杕杜,歸及薦櫻桃。
官軍将士の凱旋するとき之を賞する歌には「杕杜」の詩篇があるし、その凱旋するころには宗廟に「さくらんぼ」がおいしい実となる仲夏のころではなかろうか。
雜虜橫戈數,功臣甲第高。
これまでさまざまの異民族の騎兵軍たちが武威をかさにきていばったのである、功臣も論功行賞で高大な第宅を賜わったのである。
萬方頻送喜,無乃聖躬勞。

いまは四方から誰もがしきりに都奪回で喜んでいるのであるが、これからそんなことがくせになりそうではないか。我が唐の天子は将来のことを考慮すると却ってご自身、御労苦をされているのではあるまいか。


杜甫乱前後の図003鳳翔

現代語訳と訳註
(本文) 其三

汗馬收宮闕,春城鏟賊壕。
賞應歌杕杜,歸及薦櫻桃。
雜虜橫戈數,功臣甲第高。
萬方頻送喜,無乃聖躬勞。


(下し文) 京を収む 三首 其三
汗馬 宮闕(きゅうけつ)を収め、春城 賊壕(ぞくごう)を鏟(けず)らんとす。
賞は応に杕杜(ていと)を歌うなるべし、帰るは桜桃を薦むるに及ばん。
雑虜 戈を横うること数々なり 功臣甲第高し。
万方頻(しきり)に書を送る、乃ち聖窮の労するなる無からんや。


(現代語訳)
兵馬に一汗かかせて長安の宮殿や御門闕を奪収した。これで明春までには叛乱軍が作った塹壕を気例に平らかにするであろう。
官軍将士の凱旋するとき之を賞する歌には「杕杜」の詩篇があるし、その凱旋するころには宗廟に「さくらんぼ」がおいしい実となる仲夏のころではなかろうか。
これまでさまざまの異民族の騎兵軍たちが武威をかさにきていばったのである、功臣も論功行賞で高大な第宅を賜わったのである。
いまは四方から誰もがしきりに都奪回で喜んでいるのであるが、これからそんなことがくせになりそうではないか。我が唐の天子は将来のことを考慮すると却ってご自身、御労苦をされているのではあるまいか。

tsuki0882

 (訳注)
汗馬收宮闕,春城鏟賊壕。

汗馬宮閑を収め 春城賊壕を鎧らんとす。
兵馬に一汗かかせて長安の宮殿や御門闕を奪収した。これで明春までには叛乱軍が作った塹壕を気例に平らかにするであろう。
○汗馬 馬にあせをかかす、馬を労させたこと。○収 叛乱軍の手からとりおさめる。奪還する。○宮闕 長安のごてん。○春城 明春の長安城。この詩を作るのは冬であった。○鏟 けずって平らにする。○賊壕 賊は叛乱軍。防禦のために掘って置いた塹壕。

 
賞應歌杕杜,歸及薦櫻桃。
質は応に杖杜を歌うなるべし 帰るは桜桃を薦むるに及ばん。
官軍将士の凱旋するとき之を賞する歌には「杕杜」の詩篇があるし、その凱旋するころには宗廟に「さくらんぼ」がおいしい実となる仲夏のころではなかろうか。
〇杕杜(ていと) 『詩経』に「唐風」「秋杕之杜、其葉湑湑」ではじまる詩篇の名、凱旋する将帥をねぎらう詩作である。○帰 長安の都へもどること。凱旋すること。○薦桜桃 『礼記』月令篇に天子が仲夏の月に含桃を寝廟にすすめることを記してある。含桃と桜桃は同じ物でさくらんぼのこと。桃やナシ、李の花が咲き乱れるやがてさくらんぼの実を成す時節をいう。


雜虜橫戈數,功臣甲第高。
雑虜曳を横うること数主なり 功臣甲第高し
これまでさまざまの異民族の騎兵軍たちが武威をかさにきていばったのである、功臣も論功行賞で高大な第宅を賜わったのである。
○雑虜 回紇諸蕃が唐王朝軍を援助したものをさす。○橫戈 ほしいままに戈曳をふるう、武威をかりていばることをいう。○功臣 軍功ある武臣。○甲第 天子から功臣に賜わる第一等の第宅、第宅に甲乙の次第があるのである。


萬方頻送喜,無乃聖躬勞。
万方頻に書を送る 乃ち聖窮の労するなる無からんや
いまは四方から誰もがしきりに都奪回で喜んでいるのであるが、これからそんなことがくせになりそうではないか。我が唐の天子は将来のことを考慮すると却ってご自身、御労苦をされているのではあるまいか。
○萬方 四方のこと。○送喜 中央へおめでたいといいおくる。○無乃 反語、ではなかろうか、だろう。○聖窮 天子のおからだ。

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本 文

下し文

 收京三首  其一

 仙仗離丹極,妖星照玉除。

 須為下殿走,不可好樓居。

 暫屈汾陽駕,聊飛燕將書。

 依然七廟略,更與萬方初。
 京を収む 三首 其一
仙仗(せんじょう)丹極(たんきょく)を離れ、妖星(ようせい)玉除(ぎょくじょう)を照らす。
須らく下殿の走を為すべし、楼居を好む可らず。
暫く汾陽(ふんよう)の駕を屈す、聊か飛ばす燕将の書。
依然たり七廟の略、更に万方(まんぼう)と初めん。
 其二

 生意甘衰白,天涯正寂寥。

 忽聞哀痛詔,又下聖明朝。

 羽翼懷商老,文思憶帝堯。

 叨逢罪己日,沾灑望青霄。
 京を収む 三首 其二
生意 衰白(すいはく)を甘んず、天涯 正に寂蓼(せきりょう)。
忽ち聞く 哀痛(あいつう)の詔、又聖明の朝より下るを。
羽翼 商老を懐い、文思 帝堯を憶う。
叨(みだ)りに己を罪するの日に逢い、沾(なみだ)を灑(そそ)ぎて青霄(せいしょう)を望む。
 其三
 汗馬收宮闕,春城鏟賊壕。

 賞應歌杕杜,歸及薦櫻桃。

 雜虜橫戈數,功臣甲第高。

 萬方頻送喜,無乃聖躬勞。
 京を収む 三首 其三
汗馬 宮闕(きゅうけつ)を収め、春城 賊壕(ぞくごう)を鏟(けず)らんとす。
賞は応に杕杜(ていと)を歌うなるべし、帰るは桜桃を薦むるに及ばん。
雑虜 戈を横うること数々なり 功臣甲第高し。
万方頻(しきり)に書を送る、乃ち聖窮の労するなる無からんや。

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