杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

2012年04月

得舎弟消息 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 289

得舎弟消息 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 289
(舎弟の消息を得たり)
 


得舎弟消息
舎弟の消息を得たり
乱後誰帰得、他郷勝故郷。
この叛乱の戦のあとに  誰が故郷に帰ってくることができたのだろう。私は、いつも弟のきみと生死を共にしたいとおもっている、それがひたすらに思うことが心に苦しく思うことになっていたのだ。
直為心厄苦、久念与存亡。
そればかり一筋に心の苦労となっていた、故郷といっても荒れ果てていて 他郷の方がむしろ勝っている位な有様なのだ。
汝書猶在壁、汝妾已辞房。
いまこうして家に着いてみると、きみの書いたものは壁のあいだに残っている、それなのに君の女の召使は主人が帰らないので、暇を取っていってしまった。
旧犬知愁恨、垂頭傍我牀。
昔からいた飼犬だけが  私の悲しみを知っているようにしている、そして頭を垂れて  寝床のそばによりそってくるのである。


(舎弟の消息を得たり)
乱後  誰か帰り得ん、他郷  故郷に勝【まさ】れり。
直【ただ】ちに心の厄苦【やくく】と為り、久しく与【とも】に存亡せんことを念【おも】う。
汝が書  猶 壁に在り、汝が妾【しょう】 已に房【ぼう】を辞す。
旧犬【きゅうけん】 愁恨【しゅうこん】を知り、頭【こうべ】を垂れて我が牀【しょう】に傍【そ】う。

 事情を知った杜甫はただちに済州の舎弟に書信を送った。ほどなく弟から無事でいる旨の返事がかえってきた。杜甫は家族と生死を共にしたいと考えていたが、盧氏一家は遠く離れたところに行ってしまって会うこともできないことになっていた。
 陸渾荘に留守として置いてあったお手伝いの娘もいなくなっており、残された犬だけが主人の悲しみを知っているように頭を垂れて寝床のそばに寄り添ってきた。

黄河二首 杜甫


現代語訳と訳註
(本文)
得舎弟消息
乱後誰帰得、他郷勝故郷。
直為心厄苦、久念与存亡。
汝書猶在壁、汝妾已辞房。
旧犬知愁恨、垂頭傍我牀。


(下し文) 舎弟の消息を得たり
乱後  誰か帰り得ん、他郷  故郷に勝【まさ】れり。
直【ただ】ちに心の厄苦【やくく】と為り、久しく与【とも】に存亡せんことを念【おも】う。
汝が書  猶 壁に在り、汝が妾【しょう】 已に房【ぼう】を辞す。
旧犬【きゅうけん】 愁恨【しゅうこん】を知り、頭【こうべ】を垂れて我が牀【しょう】に傍【そ】う。


(現代語訳)
舎弟の消息を得たり
この叛乱の戦のあとに  誰が故郷に帰ってくることができたのだろう。私は、いつも弟のきみと生死を共にしたいとおもっている、それがひたすらに思うことが心に苦しく思うことになっていたのだ。
そればかり一筋に心の苦労となっていた、故郷といっても荒れ果てていて 他郷の方がむしろ勝っている位な有様なのだ。
いまこうして家に着いてみると、きみの書いたものは壁のあいだに残っている、それなのに君の女の召使は主人が帰らないので、暇を取っていってしまった。
昔からいた飼犬だけが  私の悲しみを知っているようにしている、そして頭を垂れて  寝床のそばによりそってくるのである。


(訳注)
得舎弟消息

舎弟の消息を得たり 


乱後誰帰得、他郷勝故郷。
この叛乱の戦のあとに  誰が故郷に帰ってくることができたのだろう。私は、いつも弟のきみと生死を共にしたいとおもっている、それがひたすらに思うことが心に苦しく思うことになっていたのだ。


直為心厄苦、久念与存亡。
そればかり一筋に心の苦労となっていた、故郷といっても荒れ果てていて 他郷の方がむしろ勝っている位な有様なのだ。
○直為心厄苦 そればかり一筋に心の苦労となっていた。○与存亡 兄弟が生死をともにしようと。


汝書猶在壁、汝妾已辞房。
いまこうして家に着いてみると、きみの書いたものは壁のあいだに残っている、それなのに君の女の召使は主人が帰らないので、暇を取っていってしまった。
辞房 部屋を去る。主人が帰らないので、暇を取っていってしまった。


旧犬知愁恨、垂頭傍我牀。
昔からいた飼犬だけが  私の悲しみを知っているようにしている、そして頭を垂れて  寝床のそばによりそってくるのである。
 寝台。

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冬末以事之東都,湖城東遇孟雲卿,複歸劉顥宅宿,宴飲散因為醉歌 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 288

冬末以事之東都,湖城東遇孟雲卿,複歸劉顥宅宿,宴飲散因為醉歌 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 288

(冬末 事を以って東都に之き,湖城の東にて孟雲卿に遇う,複た劉顥宅に歸り宿す,宴して飲散に因りて醉歌を為す)



冬末以事之東都、湖城東遇孟雲卿、複歸劉顥宅宿、宴飲散因為醉歌

疾風吹塵暗河縣,行子隔手不相見。
湖城城東一開眼,駐馬偶識雲卿面。
向非劉顥為地主,懶回鞭轡成高宴。
劉侯歡我攜客來,置酒張燈促華饌。』
且將款曲終今夕,休語艱難尚酣戰。
そうしてこれから心の打ち解けた歌曲を歌いその日の夕方まで続いた。間が開いて座が白けるなどの座を困難な状態にはならず、なお、酒を酌み交わすのは飲み比べとなって競った。
照室紅爐促曙光,縈窗素月垂文練。
明るい部屋には火の赤く燃えているいろり、夜明けの光を促している。窓には白く冴えた月がまとわりつくようにかがやき、彩模様のある練り絹の賭場るがしずかに垂れている。
天開地裂長安陌,寒盡春生洛陽殿。
天子は、天を開いて、地を避けるように長安の大通りで叛乱軍を破裂させてる、今は冬の寒さが厳しい時である間もなく春の景色に洛陽城は包まれるであろう。
豈知驅車複同軌,可惜刻漏隨更箭。
こうしてまた知ることになった兵車、騎馬でもってふたたび天下を統一平定されであろうことを、惜しいと思うけれど、我われは年もとってきたし、こうして水時計が時を知らせてくれるのに任せて過ごすしかないのである。
人生會合不可常,庭樹雞鳴淚如線。』
人生の中でこうして相談義するということは常庇護できるものではないのである。庭の木に止まっている時を告げる鳥が啼きだした、互いに別れることを思って涙が一筋ののせんとなって止まらないのである。


(冬末 以って事にて東都に之く,湖城の東 孟雲卿に遇う,複た劉顥宅に歸り宿す,宴して飲散に因りて醉歌を為す)
疾風 塵を吹き 河縣 暗し,行子【こうし】 手を隔て 相見えず。
湖城 城東 一たび眼を開く,駐馬 偶々識し 雲卿に面す。
向うにあらず 劉顥 地主と為すを,回して 鞭轡を懶め 高宴を成す。
劉侯 我 客を攜えて來るを歡び,置酒して張燈 華饌を促す。』
且 將に 款曲して今夕終る,休語 艱難して 尚 酣戰す。
室を照らす 紅爐 曙光を促し,窗を縈る 素月 文練を垂れる。
天開き 地は裂けて 長安の陌,寒盡くす春生ずるは洛陽の殿。
豈知んや 車を驅る 複た同軌,惜むるべし刻漏【こくろう】 更箭【こうせん】に隨う。
人生 會合して常とすべからず,庭樹 雞鳴きて淚 線の如し。』


現代語訳と訳註
(本文)#2

且將款曲終今夕,休語艱難尚酣戰。
照室紅爐促曙光,縈窗素月垂文練。
天開地裂長安陌,寒盡春生洛陽殿。
豈知驅車複同軌,可惜刻漏隨更箭。
人生會合不可常,庭樹雞鳴淚如線。』

(下し文)#2
且 將に 款曲して今夕終る,休語 艱難して 尚 酣戰す。
室を照らす 紅爐 曙光を促し,窗を縈る 素月 文練を垂れる。
天開き 地は裂けて 長安の陌,寒盡くす春生ずるは洛陽の殿。
豈知んや 車を驅る 複た同軌,惜むるべし刻漏【こくろう】 更箭【こうせん】に隨う。
人生 會合して常とすべからず,庭樹 雞鳴きて淚 線の如し。』


(現代語訳)
そうしてこれから心の打ち解けた歌曲を歌いその日の夕方まで続いた。間が開いて座が白けるなどの座を困難な状態にはならず、なお、酒を酌み交わすのは飲み比べとなって競った。
明るい部屋には火の赤く燃えているいろり、夜明けの光を促している。窓には白く冴えた月がまとわりつくようにかがやき、彩模様のある練り絹の賭場るがしずかに垂れている。
天子は、天を開いて、地を避けるように長安の大通りで叛乱軍を破裂させてる、今は冬の寒さが厳しい時である間もなく春の景色に洛陽城は包まれるであろう。
こうしてまた知ることになった兵車、騎馬でもってふたたび天下を統一平定されであろうことを、惜しいと思うけれど、我われは年もとってきたし、こうして水時計が時を知らせてくれるのに任せて過ごすしかないのである。
人生 會合して常とすべからず,庭樹 雞鳴きて淚 線の如し。
人生の中でこうして相談義するということは常庇護できるものではないのである。庭の木に止まっている時を告げる鳥が啼きだした、互いに別れることを思って涙が一筋ののせんとなって止まらないのである。


(訳注)
且將款曲終今夕,休語艱難尚酣戰。

且 將に 款曲して今夕終る,休語 艱難して 尚 酣戰す。
そうしてこれから心の打ち解けた歌曲を歌いその日の夕方まで続いた。間が開いて座が白けるなどの座を困難な状態にはならず、なお、酒を酌み交わすのは飲み比べとなって競った。
款曲 打ち解けた心の曲。真心で歌う曲。よしみの曲。「款待・款談/交款」


照室紅爐促曙光,縈窗素月垂文練。
室を照らす 紅爐 曙光を促し,窗を縈る 素月 文練を垂れる。
明るい部屋には火の赤く燃えているいろり、夜明けの光を促している。窓には白く冴えた月がまとわりつくようにかがやき、彩模様のある練り絹の賭場るがしずかに垂れている。
紅爐 火の赤く燃えているいろり。促曙光 夜明けの明かりをうながす。 ○縈窗 まどとに、まとわりついている。○素月 白くさえた月。陰暦八月のこと。○文練 彩模様のある練り絹。


天開地裂長安陌,寒盡春生洛陽殿。
天開き 地は裂けて 長安の陌,寒盡くす春生ずるは洛陽の殿。
天子は、天を開いて、地を避けるように長安の大通りで叛乱軍を破裂させてる、今は冬の寒さが厳しい時である間もなく春の景色に洛陽城は包まれるであろう。


豈知驅車複同軌,可惜刻漏隨更箭。
豈知んや 車を驅る 複た同軌,惜むるべし刻漏【こくろう】 更箭【こうせん】に隨う。
こうしてまた知ることになった兵車、騎馬でもってふたたび天下を統一平定されであろうことを、惜しいと思うけれど、我われは年もとってきたし、こうして水時計が時を知らせてくれるのに任せて過ごすしかないのである。
同軌 車輪の間隔を同じようにする。天下が統一されていることをいう。○更箭 水時計の時刻を示す矢。


人生會合不可常,庭樹雞鳴淚如線。』
人生 會合して常とすべからず,庭樹 雞鳴きて淚 線の如し
人生の中でこうして相談義するということは常庇護できるものではないのである。庭の木に止まっている時を告げる鳥が啼きだした、互いに別れることを思って涙が一筋ののせんとなって止まらないのである。



この詩からは職務に関する、杜甫の前向きな姿勢は全く感じられない。唐王朝軍が頽廃を期す前であるが、漢を辞したい気持ちが強くなっているのであろうと思う。

冬末以事之東都,湖城東遇孟雲卿,複歸劉顥宅宿,宴飲散因為醉歌#1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 287

冬末以事之東都,湖城東遇孟雲卿,複歸劉顥宅宿,宴飲散因為醉歌#1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 287
(冬末 事を以って東都に之き,湖城の東にて孟雲卿に遇う,複た劉顥宅に歸り宿す,宴して飲散に因りて醉歌を為す)


冬末以事之東都湖城東遇孟雲卿複歸劉顥宅宿宴飲散因為醉歌
冬も終わりのころ仕事で東都洛陽に行く、洛陽の湖城の城郭の東で孟雲卿にであう、その後劉顥の邸宅に宿するために帰ってきた、そこで宴をしてくれ呑んで別れる、それにちなんで醉歌をつくる。
疾風吹塵暗河縣,行子隔手不相見。
突風のように叛乱軍が平穏であったところに軍馬で砂塵を巻きおこし河南地方一帯を暗い影を落とし始めた。わたしは、旅人としてその戦火の場所より離れてはいるがもう見たいとも思わない。
湖城城東一開眼,駐馬偶識雲卿面。
函谷関の湖城をこえて、更に東にきて、一度目を開いた馬を止めてみると偶然にも知っている人、孟雲卿の顔であった。
向非劉顥為地主,懶回鞭轡成高宴。
劉顥公がこのあたりの地虫であるから向こうに行くことはない、ゆっくりと回って、鞭も、くつわもおいて、高らかに宴をしようというものだ。
劉侯歡我攜客來,置酒張燈促華饌。』
劉顥公は私が客と朋の帰ってきたのをとても喜んだ。酒を用意してくれ、かがり火を廻らせてくれ、華やかに御馳走を並べてくれて勧めてくれるのである。

且將款曲終今夕,休語艱難尚酣戰。
照室紅爐促曙光,縈窗素月垂文練。
天開地裂長安陌,寒盡春生洛陽殿。
豈知驅車複同軌,可惜刻漏隨更箭。
人生會合不可常,庭樹雞鳴淚如線。』


(冬末 事を以って東都に之き,湖城の東にて孟雲卿に遇う,複た劉顥宅に歸り宿す,宴して飲散に因りて醉歌を為す)疾風 塵を吹き 河縣 暗し,行子【こうし】 手を隔て 相見えず。
湖城 城東 一たび眼を開く,駐馬 偶々識し 雲卿に面す。
向うにあらず 劉顥 地主と為すを,回して 鞭轡を懶め 高宴を成す。
劉侯 我 客を攜えて來るを歡び,置酒して張燈 華饌を促す。』

且 將に 款曲して今夕終る,休語 艱難して 尚 酣戰す。
室を照らす 紅爐 曙光を促し,窗を縈る 素月 文練を垂れる。
天開き 地は裂けて 長安の陌,寒盡くす春生ずるは洛陽の殿。
豈知んや 車を驅る 複た同軌,惜むるべし刻漏【こくろう】 更箭【こうせん】に隨う。
人生 會合して常とすべからず,庭樹 雞鳴きて淚 線の如し。』


現代語訳と訳註
(本文)
冬末以事之東都,湖城東遇孟雲卿,複歸劉顥宅宿,宴飲散因為醉歌
疾風吹塵暗河縣,行子隔手不相見。
湖城城東一開眼,駐馬偶識雲卿面。
向非劉顥為地主,懶回鞭轡成高宴。
劉侯歡我攜客來,置酒張燈促華饌。』


(下し文) (冬末 事を以って東都に之き,湖城の東にて孟雲卿に遇う,複た劉顥宅に歸り宿す,宴して飲散に因りて醉歌を為す)
疾風 塵を吹き 河縣 暗し,行子【こうし】 手を隔て 相見えず。
湖城 城東 一たび眼を開く,駐馬 偶々識し 雲卿に面す。
向うにあらず 劉顥 地主と為すを,懶回 鞭轡 高宴を成す。
劉侯 我 客を攜えて來るを歡び,置酒して張燈 華饌を促す。』


(現代語訳)
冬も終わりのころ仕事で東都洛陽に行く、洛陽の湖城の城郭の東で孟雲卿にであう、その後劉顥の邸宅に宿するために帰ってきた、そこで宴をしてくれ呑んで別れる、それにちなんで醉歌をつくる。
疾風 塵を吹き 河縣 暗し,行子 手を隔て 相見えず。
突風のように叛乱軍が平穏であったところに軍馬で砂塵を巻きおこし河南地方一帯を暗い影を落とし始めた。わたしは、旅人としてその戦火の場所より離れてはいるがもう見たいとも思わない。
函谷関の湖城をこえて、更に東にきて、一度目を開いた馬を止めてみると偶然にも知っている人、孟雲卿の顔であった。
劉顥公がこのあたりの地虫であるから向こうに行くことはない、ゆっくりと回って、鞭も、くつわもおいて、高らかに宴をしようというものだ。
劉顥公は私が客と朋の帰ってきたのをとても喜んだ。酒を用意してくれ、かがり火を廻らせてくれ、華やかに御馳走を並べてくれて勧めてくれるのである。


(訳注)
冬末以事之東都湖城東遇孟雲卿、複歸劉顥宅宿宴飲散因為醉歌

(冬末 事を以って東都に之き,湖城の東にて孟雲卿に遇う,複た劉顥宅に歸り宿す,宴して飲散に因りて醉歌を為す)
冬も終わりのころ仕事で東都洛陽に行く、洛陽の湖城の城郭の東で孟雲卿にであう、その後劉顥の邸宅に宿するために帰ってきた、そこで宴をしてくれ呑んで別れる、それにちなんで醉歌をつくる。
東都 洛陽。杜甫は華州から洛陽に仕事来た。○湖城 湖城縣,治今河南靈寶縣(戰國時,函谷關のこと。湖城縣故城は曹彰の任城のこと。曹植『上責躬応詔詩表 五』「孤魂翔故城、霊柩寄京師。」(孤魂 故城に翔【かげ】り、霊柩 京師に寄す)洛陽で孤立して死んだ曹彰を偲んで詠った詩に基づいている。○孟雲卿 孟雲卿は725年(唐の開元10年)生まれ、没年未詳。字名升之。平昌(商河県、山東省済南市に位置する県。)の人。商河県は山東賞西北部、徒駭河北岸に位置する。南北は51km、東西は43kmである。天宝年間30歳を過ぎて進士及第、長安に入る。残存詩17首。平易な言葉で、自尊心が強く社会的現実的な詩は、杜甫、元結などと共有する。758年、6月、杜甫、華州司公參軍に左遷される前夜、酒を酌み交わしている。半年後に再会した。○劉顥 杜甫の若いころ30~35歳くらいまで洛陽で過ごした。その頃の友人で、東都の役人になっていたもの。


疾風吹塵暗河縣,行子隔手不相見。
疾風 塵を吹き 河縣 暗し,行子 手を隔て 相見えず。
突風のように叛乱軍が平穏であったところに軍馬で砂塵を巻きおこし河南地方一帯を暗い影を落とし始めた。わたしは、旅人としてその戦火の場所より離れてはいるがもう見たいとも思わない。
河縣 河北省河縣。安慶緒が父の安禄山を殺して以来、史思明は范陽に帰って、一線を画していたが、郭子儀の唐王朝軍が鄴城を包囲していたのを安慶緒と連絡し合い、郭子儀をしりぞけた。郭子儀軍は洛陽城に入り、洛陽を守ると同時に、戦力を整え増強を図ることとした。しかし、河南、洛陽一帯は不安定な状況であった。○行子 旅人。旅客。


湖城城東一開眼,駐馬偶識雲卿面。
湖城 城東 一たび眼を開く,駐馬 偶々識し 雲卿に面す。
函谷関の湖城をこえて、更に東にきて、一度目を開いた馬を止めてみると偶然にも知っている人、孟雲卿の顔であった。
湖城縣,治今河南靈寶縣(戰國時,函谷關のこと。湖城縣故城は曹彰の任城のこと。曹植『上責躬応詔詩表 五』「孤魂翔故城、霊柩寄京師。」(孤魂 故城に翔【かげ】り、霊柩 京師に寄す)洛陽で孤立して死んだ曹彰を偲んで詠った詩に基づいている、


向非劉顥為地主,懶回鞭轡成高宴。
向うにあらず 劉顥 地主と為すを,回して 鞭轡を懶め 高宴を成す。
劉顥公がこのあたりの地虫であるから向こうに行くことはない、ゆっくりと回って、鞭も、くつわもおいて、高らかに宴をしようというものだ。
懶回 ゆっくりと帰ること。懶は朝廷の仕事を怠けるという意味。


劉侯歡我攜客來,置酒張燈促華饌。』
劉侯 我 客を攜えて來るを歡び,置酒して張燈 華饌を促す。』
劉顥公は私が客と朋の帰ってきたのをとても喜んだ。酒を用意してくれ、かがり火を廻らせてくれ、華やかに御馳走を並べてくれて勧めてくれるのである。

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觀兵 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 286

觀兵 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 286


758年11~12月
乾元元年の冬、洛陽にあって北庭の李嗣業の兵が来たのを観たことをよむ。この年九月に朔方節度使郭子儀、涯西の魯貝、鎮西北庭の李嗣業等七節度に命じ、歩騎二十万に将として、賊将安慶緒を討たせ、李光弼・王思礼がこれを助けた。これを九節度の軍と号する。十一月、九節度の軍は鄴城を囲んだ。明年に至り、正月李嗣業が軍中に卒し、三月、史思明が鄴城を救ったために、官軍は大敗した。此の篇は前の「観安西兵過」詩と併せ看るべきである。


觀兵
北庭送壯士,貔虎數尤多。
北庭節度の方からこちらの洛陽へ壮士を送りこんできた。この軍には貌虎のようなつよい兵の数がいちばん多いのである。
精銳舊無敵,邊隅今若何?
彼等の精鋭なことはもとから敵するものがないのであるが、今どこもかしこも辺隅の場所であるというのはどうしたことであろうか。
妖氛擁白馬,元帥待雕戈。
叛乱軍の妖氛は叛乱軍の白馬の故事の通りにわるい兵気をつつんでいる、副元帥は元帥として雕戈をさずけられるのを待っている。
莫守鄴城下,斬鯨遼海波。
唐王朝軍たるものは叛乱軍の拠点、鄴城の下ばかりにへばりついていてはどうしようもない。直に進んで安史軍の巣穴をついて遼海の波に安慶緒、史思明など鯨を斬りすてる様にしてほしいものである。


兵を観る
北庭壮士を送る、貔虎【ひこ】数尤【もっと】も多し。
精鋭旧敵無し、辺隅【へんぐう】今 若何【いかん】。
妖氛【ようふん】白馬を擁す、元帥 雕戈【ちょうか】を待つ。
守る莫れ鄴城【ぎょうじょう】の下、鯨【げい】を斬れ遼海の波。

現代語訳と訳註
(本文) 觀兵

北庭送壯士,貔虎數尤多。
精銳舊無敵,邊隅今若何?
妖氛擁白馬,元帥待雕戈。
莫守鄴城下,斬鯨遼海波。

(下し文)兵を観る
北庭壮士を送る、貔虎【ひこ】数尤【もっと】も多し。
精鋭旧敵無し、辺隅【へんぐう】今 若何【いかん】。
妖氛【ようふん】白馬を擁す、元帥 雕戈【ちょうか】を待つ。
守る莫れ鄴城【ぎょうじょう】の下、鯨【げい】を斬れ遼海の波。

(現代語訳)
北庭節度の方からこちらの洛陽へ壮士を送りこんできた。この軍には貌虎のようなつよい兵の数がいちばん多いのである。
彼等の精鋭なことはもとから敵するものがないのであるが、今どこもかしこも辺隅の場所であるというのはどうしたことであろうか。
叛乱軍の妖氛は叛乱軍の白馬の故事の通りにわるい兵気をつつんでいる、副元帥は元帥として雕戈をさずけられるのを待っている。
唐王朝軍たるものは叛乱軍の拠点、鄴城の下ばかりにへばりついていてはどうしようもない。直に進んで安史軍の巣穴をついて遼海の波に安慶緒、史思明など鯨を斬りすてる様にしてほしいものである。

(訳注) 觀兵
洛陽を守るためには四方向に対して守る必要があり、安西・北庭の西方の領土は、半減していたが、一応安定してきており、洛陽の防備にあてられた。汴州、襄陽でも反乱がおこり、洛陽が陥落すると再び全土に広がる危険をはらんでいた。杜甫は、過去にも叛乱軍の動きを過剰に反応している。これ以降の杜甫は同様な反応を示している。この1年の唐朝はめまぐるしく動いた杜甫は左拾位にあってもほとんど情報を受けられなかったのであろう。そして、華州三軍に左遷されても変わらなかったようだ。味方によっては、唐朝が滅亡するかのように感じられたのかもしれない。


北庭送壯士,貔虎數尤多。
北庭節度の方からこちらの洛陽へ壮士を送りこんできた。この軍には貌虎のようなつよい兵の数がいちばん多いのである。
北庭 北庭節度をいう。○ おくりこしたことをいう。○貌虎 壮士のつよいものをたとえていう、貌は虎のたぐい、猛獣。


精銳舊無敵,邊隅今若何?
彼等の精鋭なことはもとから敵するものがないのであるが、今どこもかしこも辺隅の場所であるというのはどうしたことであろうか。
精鋭 精錬され、するどいこと。○辺隅 かたよっている地方、敵境に接している地を辺というが、この時点では安史軍が再び戦力を整え、洛陽は三方向敵に面していた。


妖氛擁白馬,元帥待雕戈。
叛乱軍の妖氛は叛乱軍の白馬の故事の通りにわるい兵気をつつんでいる、副元帥は元帥として雕戈をさずけられるのを待っている。
妖氛 わるい気、兵気をいう。安史軍の勢いにより、不安定な状況であった。○擁白馬 白馬は梁の叛将侯景の故事。ここは史思明等の賊将をさす、史思明は時に魏州(河北省大名府元城県東)を陥落させている。侯景は北魏の爾朱栄軍で頭角を現し、北魏が東西に分裂すると東魏の高歓の旗下に入り、河南大行台に任じられる。高歓死去後、東魏への叛乱を起こし、支配する州郡と共に梁の武帝に帰順した。その後、東魏の武将慕容紹宗に敗れ、寿春(安徽省)へ退いた。梁と東魏の間に和議成立の情勢となると、梁への叛乱を起こす。548年(太清2年)、梁宗室の蕭正徳を味方に就けて10万の兵を集め、都の建康に迫った。この時白馬にまたがっていたのが侯景であった。○元帥 郭子儀をさす、郭子儀はさきに副元帥となって洛陽を回復したが、今、元帥を子儀に授けられんことをのぞむのである。実際、郭子儀の威名は双方に認識されていたが、待遇、権限については不遇であった。、○待雕戈 雕戈ほほりものをしたほこ、天子より元勲に賜わるものである。


莫守鄴城下,斬鯨遼海波。
唐王朝軍たるものは叛乱軍の拠点、鄴城の下ばかりにへばりついていてはどうしようもない。直に進んで安史軍の巣穴をついて遼海の波に安慶緒、史思明など鯨を斬りすてる様にしてほしいものである。
鄴城 河南省彰徳府安陽県治、即ち唐の相州。ここには燕皇帝を名乗った安慶緒がここで兵力を整えていた。○ 安史軍のかしら、史思明の輩をさすというのであるが、この時、史思明は三権鼎立をもくろんでいた。。○遼海 遼東の海、これは渤海湾にあって史思明の根拠地である苑陽と遠くないのでこういうのである。


觀兵
北庭送壯士,貔虎數尤多。精銳舊無敵,邊隅今若何?
妖氛擁白馬,元帥待雕戈。莫守鄴城下,斬鯨遼海波。
(兵を観る)
北庭壮士を送る、貔虎【ひこ】数尤【もっと】も多し。精鋭旧敵無し、辺隅【へんぐう】今 若何【いかん】。妖氛【ようふん】白馬を擁す、元帥 雕戈【ちょうか】を待つ。守る莫れ鄴城【ぎょうじょう】の下、鯨【げい】を斬れ遼海の波。



758年6月~9月
安西都護府に属する兵が華州を過ぎるのを観て作った詩。その兵はこれから関中へ行って将来の行動について天子の仰せを待つものである。757乾元元年六月、李嗣業は懐州(今の河南懐慶府河内県治)の刺史となり、鎮西北庭行営節度使に充てられ、八月、郭子儀等と同じく歩騎二十万に将として安慶緒を討った。これは李嗣業の兵が懐州から長安へ赴く道すがら華州を経たもので八月討伐にでかけぬ以前のことである。


觀安西兵過赴關中待命二首 其一
四鎮富精銳,摧鋒皆絕倫。還聞獻士卒,足以靜風塵。
老馬夜知道,蒼鷹饑著人。臨危經久戰,用急始如神。
(安西の兵の過ぐるを観る 関中に赴きて命を待つなり二首)
四鎮【しちん】精鋭【せいえい】富【と】めり、鋒【ほう】を摧【くだ】くこと皆【みな】絶倫【ぜつりん】なり。還た聞く士卒【しそつ】を献ずと、以て風塵を静かならしむるに足る。老馬【ろうば】夜道【よるみち】を知る、蒼鷹【そうよう】餓【う】えて人に著【つ】く。危【き】に臨【のぞ】みて久戦【きゅうせん】を経たり、急なるに用【もち】うれば始めて神【しん】の如くならん。


其二
奇兵不在眾,萬馬救中原。談笑無河北,心肝奉至尊。
孤雲隨殺氣,飛鳥避轅門。竟日留歡樂,城池未覺喧。
(安西の兵の過ぐるを観る 関中に赴きて命を待つなり二首 其の二)
奇兵【きへい】衆【しゅう】に在らず、万馬【ばんば】中原を救わんとす。談笑 河北を無【な】みす、心肝【しんかん】至尊【しそん】に奉ず。孤雲 殺気随い、飛鳥【ひちょう】轅門【えんもん】を避【さ】く。竟日【きょうじつ】留まりて歓楽す、城池【じょうち】未【いま】だ喧【かまびす】しきを覚えず。

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李鄠縣丈人胡馬行 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 285

李鄠縣丈人胡馬行 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 285
鄠県の県令李某の外国産の馬のことをよんだうた。乾元元年冬洛陽へ赴くときの作


李鄠縣丈人胡馬行
丈人駿馬名胡騮,前年避胡過金牛。
回鞭卻走見天子,朝飲漢水暮靈州。
自矜胡騮奇絕代,乘出千人萬人愛。
一聞說盡急難才,轉益愁向駑駘輩。』
頭上銳耳批秋竹,腳下高蹄削寒玉。
いい馬は、馬の耳は小さくして竹を削ったように鋭くシャキッとしているのがとよいのである。馬脚について、馬の蹄は高く蹴上げることができ、寒い時堅い玉のような地表を削り蹴ることができるような脚力を希望する。
始知神龍別有種,不比凡馬空多肉。
叛乱軍で汚された洛陽の大道は再び清らかなものに戻された。連日ともに東方面に行くことができるようになったことは喜ばしいものである。
洛陽大道時再清,累日喜得俱東行。
初めて知ったのは、神や天からの不思議な力だけでなく別にそんな割った血筋の受け継ぎというものがあるということを。なんとなくただ食欲旺盛な普通の馬と比べられるものではない。
鳳臆龍鬐未易識,側身注目長風生。』

馬の胸は鳳の如くなるは真の良馬なりといい、龍のように活動的ということだが知識ではわかっても実物の馬に合わせるとわかりづらい。馬の横側は疾風のように走る風を切っていくように見える姿に注目される。

(李鄠縣丈人が胡馬の行)#1
丈人の駿馬 胡騮【こりゅう】と名【なづ】く、前年胡を避けて金牛【きんぎゅう】を過【よぎ】る。
鞭を廻らし卻走して天子に見【まみ】ゆ、朝【あした】には漢水に飮【みづか】ひ暮には靈州。
自ら矜【ほこ】る胡驪【こりゅう】の絶代に奇なるに、乘出【じょうしゅつ】すれば千人萬人愛【め】づ。
一たび急難の材を説き盡すを聞き、轉た益愁ふ駑駘【どたい】の輩に向ふを。』
#2
頭上の鋭耳【えいじ】 秋竹【しゅうちく】を批【そ】ぎ、脚下の高蹄【こうてい】 寒玉【かんぎょく】を削【けず】る。
始めて知る神龍の別に種有るを、俗馬【ぞくば】の空【むなし】く肉多きに比せず。
洛陽の大道 時に再び清く、累日【るいじつ】喜ぶらくは倶に東行するを得るを。
鳳臆【ほうおく】・龍鬐【りょうき】未だ識り易からず、身を側【そばだ】てて目を注【そそ】げば長風生ず。』

現代語訳と訳註
(本文)#2

頭上銳耳批秋竹,腳下高蹄削寒玉。
始知神龍別有種,不比凡馬空多肉。
洛陽大道時再清,累日喜得俱東行。
鳳臆龍鬐未易識,側身注目長風生。』

(下し文) (李鄠縣丈人が胡馬の行)
頭上の鋭耳【えいじ】 秋竹【しゅうちく】を批【そ】ぎ、脚下の高蹄【こうてい】 寒玉【かんぎょく】を削【けず】る。
始めて知る神龍の別に種有るを、俗馬【ぞくば】の空【むなし】く肉多きに比せず。
洛陽の大道 時に再び清く、累日【るいじつ】喜ぶらくは倶に東行するを得るを。
鳳臆【ほうおく】・龍鬐【りょうき】未だ識り易からず、身を側【そばだ】てて目を注【そそ】げば長風生ず。』


(現代語訳) #2
いい馬は、馬の耳は小さくして竹を削ったように鋭くシャキッとしているのがとよいのである。馬脚について、馬の蹄は高く蹴上げることができ、寒い時堅い玉のような地表を削り蹴ることができるような脚力を希望する。
叛乱軍で汚された洛陽の大道は再び清らかなものに戻された。連日ともに東方面に行くことができるようになったことは喜ばしいものである。
初めて知ったのは、神や天からの不思議な力だけでなく別にそんな割った血筋の受け継ぎというものがあるということを。なんとなくただ食欲旺盛な普通の馬と比べられるものではない。
馬の胸は鳳の如くなるは真の良馬なりといい、龍のように活動的ということだが知識ではわかっても実物の馬に合わせるとわかりづらい。馬の横側は疾風のように走る風を切っていくように見える姿に注目される。


(訳注)
頭上銳耳批秋竹,腳下高蹄削寒玉。
頭上の鋭耳【えいじ】 秋竹【しゅうちく】を批【そ】ぎ、脚下の高蹄【こうてい】 寒玉【かんぎょく】を削【けず】る。
いい馬は、馬の耳は小さくして竹を削ったように鋭くシャキッとしているのがとよいのである。馬脚について、馬の蹄は高く蹴上げることができ、寒い時堅い玉のような地表を削り蹴ることができるような脚力を希望する。
睨耳秋竹云云。馬の耳は小さくして竹を削るが如きを良とす。 杜甫 『房兵曹胡馬詩 杜甫 9 (青春期の詩)』 『天育驃騎歌 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 85』 『驄馬行  杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 102』 『痩馬行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 258洗兵行』『病馬』に詠う。
高蹄削寒玉。馬の蹄は高く蹴上げることができ、堅く玉を削るが如きを欲するなり。


始知神龍別有種,不比凡馬空多肉。
始めて知る神龍の別に種有るを、俗馬【ぞくば】の空【むなし】く肉多きに比せず。
初めて知ったのは、神や天からの不思議な力だけでなく別にそんな割った血筋の受け継ぎというものがあるということを。なんとなくただ食欲旺盛な普通の馬と比べられるものではない。


洛陽大道時再清,累日喜得俱東行。
洛陽の大道 時に再び清く、累日【るいじつ】喜ぶらくは倶に東行するを得るを。
叛乱軍で汚された洛陽の大道は再び清らかなものに戻された。連日ともに東方面に行くことができるようになったことは喜ばしいものである。
洛陽。河南、長安よりは東なり、粛宗已に東都を回復す、霊武より洛陽に至るまで皆東に向って行く。○累日 日を重ねる。連日。


鳳臆龍鬐未易識,側身注目長風生。』
鳳臆【ほうおく】・龍鬐【りょうき】未だ識り易からず、身を側【そばだ】てて目を注【そそ】げば長風生ず。
馬の胸は鳳の如くなるは真の良馬なりといい、龍のように活動的ということだが知識ではわかっても実物の馬に合わせるとわかりづらい。馬の横側は疾風のように走る風を切っていくように見える姿に注目される。
鳳臆。鳳の如き胸。O龍鬐。龍の輦、相馬経に馬の胸は鳳の如くなるは真の良馬なりとあり。O長風生ず。馬の行く疾くして風おのづから生ずるなり。

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李鄠縣丈人胡馬行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 284

李鄠縣丈人胡馬行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 284
鄠県の県令李某の外国産の馬のことをよんだうた。乾元元年冬洛陽へ赴くときの作


李鄠縣丈人胡馬行
丈人駿馬名胡騮,前年避胡過金牛。
丈人の駿馬は騎馬民族の名馬である。昨年の安禄山の乱をさけて金牛宮で過ごした。
回鞭卻走見天子,朝飲漢水暮靈州。
馬に鞭を打って、北に退却して天子はみえられた。朝早くに長安の水を飲ませていたが夕方には霊州の霊武に着かれていた。
自矜胡騮奇絕代,乘出千人萬人愛。
ご自分でも誇っておられる騎馬民族の名馬はどの時代の名馬よりも優れている。千人万人の民を愛して乗り出された。
一聞說盡急難才,轉益愁向駑駘輩。』
霊武に行在所を置かれ、此の急難の出来事を解決することを宣言された。そうして愁いにあふれたこの状況、凡庸の馬で支配している輩は驚くことであろう。

頭上銳耳批秋竹,腳下高蹄削寒玉。
始知神龍別有種,不比凡馬空多肉。
洛陽大道時再清,累日喜得俱東行。
鳳臆龍鬐未易識,側身注目長風生。』


(李鄠縣丈人が胡馬の行)
丈人の駿馬 胡騮【こりゅう】と名【なづ】く、前年胡を避けて金牛【きんぎゅう】を過【よぎ】る。
鞭を廻らし卻走して天子に見【まみ】ゆ、朝【あした】には漢水に飮【みづか】ひ暮には靈州。
自ら矜【ほこ】る胡驪【こりゅう】の絶代に奇なるに、乘出【じょうしゅつ】すれば千人萬人愛【め】づ。
一たび急難の材を説き盡すを聞き、轉た益愁ふ駑駘【どたい】の輩に向ふを。』
頭上の鋭耳【えいじ】 秋竹【しゅうちく】を批【そ】ぎ、脚下の高蹄【こうてい】 寒玉【かんぎょく】を削【けず】る。
始めて知る神龍の別に種有るを、俗馬【ぞくば】の空【むなし】く肉多きに比せず。
洛陽の大道 時に再び清く、累日【るいじつ】喜ぶらくは倶に東行するを得るを。
鳳臆【ほうおく】・龍鬐【りょうき】未だ識り易からず、身を側【そばだ】てて目を注【そそ】げば長風生ず。』



現代語訳と訳註
(本文)

丈人駿馬名胡騮,前年避胡過金牛。
回鞭卻走見天子,朝飲漢水暮靈州。
自矜胡騮奇絕代,乘出千人萬人愛。
一聞說盡急難才,轉益愁向駑駘輩。』

(下し文) (李鄠縣丈人が胡馬の行)
丈人の駿馬 胡騮【こりゅう】と名【なづ】く、前年胡を避けて金牛【きんぎゅう】を過【よぎ】る。
鞭を廻らし卻走して天子に見【まみ】ゆ、朝【あした】には漢水に飮【みづか】ひ暮には靈州。
自ら矜【ほこ】る胡驪【こりゅう】の絶代に奇なるに、乘出【じょうしゅつ】すれば千人萬人愛【め】づ。
一たび急難の材を説き盡すを聞き、轉た益愁ふ駑駘【どたい】の輩に向ふを。』


(現代語訳)
丈人の駿馬は騎馬民族の名馬である。昨年の安禄山の乱をさけて金牛宮で過ごした。
馬に鞭を打って、北に退却して天子はみえられた。朝早くに長安の水を飲ませていたが夕方には霊州の霊武に着かれていた。
ご自分でも誇っておられる騎馬民族の名馬はどの時代の名馬よりも優れている。千人万人の民を愛して乗り出された。
霊武に行在所を置かれ、此の急難の出来事を解決することを宣言された。そうして愁いにあふれたこの状況、凡庸の馬で支配している輩は驚くことであろう。


(訳注)
李鄠縣丈人胡馬行

李陝西の鄠県丈人の胡馬の歌
鄠県。陝西の西安府に属す。○丈人。老人の称、李丈人なり。知識者、徳行のある年寄。
 Ta唐 長安近郊圖  新02

人駿馬名胡騮,前年避胡過金牛。
丈人の駿馬 胡騮【こりゅう】と名【なづ】く、前年胡を避けて金牛【きんぎゅう】を過【よぎ】る。
丈人の駿馬は騎馬民族の名馬である。昨年の安禄山の乱をさけて金牛宮で過ごした。
胡騮。胡地の騨雛○金牛。春分を起点に十二にわけるうちの一つ。金午蛺なり陝西の漢中府に在り


回鞭卻走見天子,朝飲漢水暮靈州。
鞭を廻らし卻走して天子に見【まみ】ゆ、朝【あした】には漢水に飮【みづか】ひ暮には靈州。
馬に鞭を打って、北に退却して天子はみえられた。朝早くに長安の水を飲ませていたが夕方には霊州の霊武に着かれていた。
鞭を廻す。時に難を避けて漢中に在り、粛宗位に霊武に即く、故に鞭を廻して來りて天子に見ゆるなり○卻走 退却する。○霊州。霊武なり、寧夏衛に在り。


自矜胡騮奇絕代,乘出千人萬人愛。
自ら矜【ほこ】る胡驪【こりゅう】の絶代に奇なるに、乘出【じょうしゅつ】すれば千人萬人愛【め】づ。
ご自分でも誇っておられる騎馬民族の名馬はどの時代の名馬よりも優れている。千人万人の民を愛して乗り出された。


一聞說盡急難才,轉益愁向駑駘輩。』
一たび急難の材を説き盡すを聞き、轉た益愁ふ駑駘【どたい】の輩に向ふを。
霊武に行在所を置かれ、此の急難の出来事を解決することを宣言された。そうして愁いにあふれたこの状況、凡庸の馬で支配している輩は驚くことであろう。
急難の材。急を救ふの材あるをいふ、劉備の的驢檀渓を超えて其の主を救ふが如きなり。○駑駘。凡庸の馬

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kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
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孤雁(孤雁不飲啄) 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 283

孤雁(孤雁不飲啄) 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 283

孤雁
孤雁不飲啄、飛鳴声念羣。
群れから離れた孤雁は餌をつつきあって食べることはない、飛び上がって鳴くのは仲間をさがしている声なのだ。
誰憐一片影、相失万重雲。
誰かただ一羽の鳥の影を見て憐れむだろうか、幾重にも重なってつづく雲間にみちびかれて消え去っていくだけだ。
望尽似猶見、哀多如更聞。
群れに戻りたいと思い尽くしたことは左遷されてはいるが、望みを持ちたいと思うことであるが諦める状況なのに姿はいつまでも 見つづけているようだろう、悲しみはたくさんあるでもさらに悲しみの声が聞えてくる。
野鵶無意緒、鳴噪自粉粉。
そうかといって野カラスたちに近づくための糸口というもの、そうしようとする気持ちも全くない、カラスの騒がしく啼いているさまは自ずから粉まみれになって騒ぐだけのことである。(孤雁でいて寂しいと、カラスの群れの中に入っても仕方がない。粛宗の近臣、宦官が文人を遠ざけたことを揶揄している。朝廷に未練がなくなってきたのであろう。)


孤雁【こがん】は啄【ついば】みて飲【いん】せず、飛鳴【ひめい】するは 群を念【おも】う声なり。
誰か一片の影に憐れむや、相いに万重【ばんちょう】の雲に失する。
望み尽す 猶【な】お見るに似たりを、哀しみ多し 更に聞くが如し。
野鵶【やあ】  意緒【いしょ】無く、鳴噪【めいそう】  自【おのずか】ら粉粉【ふんぷん】たり。


現代語訳と訳註
(本文)

孤雁
孤雁不飲啄、飛鳴声念羣。
誰憐一片影、相失万重雲。
望尽似猶見、哀多如更聞。
野鵶無意緒、鳴噪自粉粉。


(下し文)
孤雁【こがん】 飲啄せず、飛鳴【ひめい】するは 群を念【おも】う声なり。
誰か一片の影に憐れむや、相い万重【ばんちょう】の雲に失する。
尽して猶【な】お見るに似たりを望み、多くして更に聞くが如しを哀しむ。
野鵶【やあ】  意緒【いしょ】無く、鳴噪【めいそう】  自【おのずか】ら粉粉【ふんぷん】たり。


(現代語訳)
群れから離れた孤雁は餌をつつきあって食べることはない、飛び上がって鳴くのは仲間をさがしている声なのだ。
誰かただ一羽の鳥の影を見て憐れむだろうか、幾重にも重なってつづく雲間にみちびかれて消え去っていくだけだ。
群れに戻りたいと思い尽くしたことは左遷されてはいるが、望みを持ちたいと思うことであるが諦める状況なのに姿はいつまでも 見つづけているようだろう、悲しみはたくさんあるでもさらに悲しみの声が聞えてくる。
そうかといって野カラスたちに近づくための糸口というもの、そうしようとする気持ちも全くない、カラスの騒がしく啼いているさまは自ずから粉まみれになって騒ぐだけのことである。(孤雁でいて寂しいと、カラスの群れの中に入っても仕方がない。粛宗の近臣、宦官が文人を遠ざけたことを揶揄している。朝廷に未練がなくなってきたのであろう。)


(訳注)
孤雁不飲啄、飛鳴声念羣。
孤雁【こがん】 飲啄せず、飛鳴【ひめい】するは 群を念【おも】う 声なり。
群れから離れた孤雁は餌をつつきあって食べることはない、飛び上がって鳴くのは仲間をさがしている声なのだ。
不飲啄 ついばむ、つつきあって餌を食べることをしない。子雁に噛み砕いてやることはない。南朝宋・何承天、『雉仔遊原澤篇』「飲啄雖勤苦、不願棲園林。」(飲啄 勤苦すと雖も、園林に棲むを願わず。)


誰憐一片影、相失万重雲。
誰か一片の影に憐れむや、相い万重【ばんちょう】の雲に失する。
誰かただ一羽の鳥の影を見て憐れむだろうか、幾重にも重なってつづく雲間にみちびかれて消え去っていくだけだ。
 たがいに。よくみる。みちびく。後ろに来る動詞を助ける。


望尽似猶見、哀多如更聞。
望み尽す 猶【な】お見るに似たりを、哀しみ多し 更に聞くが如し。
群れに戻りたいと思い尽くしたことは左遷されてはいるが、望みを持ちたいと思うことであるが諦める状況なのに姿はいつまでも 見つづけているようだろう、悲しみはたくさんあるでもさらに悲しみの声が聞えてくる。
○もう朝廷に復帰する望みは絶たれたのだ。仲間の文人たちも中央朝廷にはいない。みんな左遷されてしまった。


野鵶無意緒、鳴噪自粉粉。
野鵶【やあ】  意緒【いしょ】無く、鳴き噪【さわ】 ぎて 自【おのずか】ら粉粉【ふんぷん】たり。
そうかといって野カラスたちに近づくための糸口というもの、そうしようとする気持ちも全くない、カラスの騒がしく啼いているさまは自ずから粉まみれになって騒ぐだけのことである。(孤雁でいて寂しいと、カラスの群れの中に入っても仕方がない。粛宗の近臣、宦官が文人を遠ざけたことを揶揄している。朝廷に未練がなくなってきたのであろう。)
野鵶  のからす。鵶、鴉、雅は烏の別名。○意緒 こころうごくいとぐち。思いの端々。思いが糸のように細く多いこと。思緒。心緒。南斉、王融、『琵琶詩』「絲中傳意緒、花裏寄春情。」(絲中 意緒を伝え、花裏 春情を寄す。)○鳴噪 とりがさわがしくなく。ののしりある。○粉粉 こなまみれ。収拾がつかない状態をいう。


 安史の乱によって音信の途絶えていたすぐ下の異母弟、杜頴(とえい)弟から便りがあり、斉州(山東省済南市)の臨邑県で主簿をしていた。鄲州(山東省平陰県)に移って露命をつないでいるという。
 この便りで安心をしたが、洛陽の陸渾荘にやった継母の盧氏と幼い弟妹たちからの連絡はない。洛陽が奪回されて半年以上もたつのに何の連絡もないのだ。

他の詩人・文人・儒学者たちとは完全に接触はなくなり、家族とも離れ離れ、まさしく「孤雁」状態であった。
 杜甫には司功参軍としての仕事が山積していることは、『早秋苦熱堆案相仍』の中で述べている。

早秋苦熱堆安相仍 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 276

早秋苦熱堆案相仍
七月六日苦炎蒸,對食暫餐還不能。
每愁夜中自足蠍,況乃秋後轉多蠅。
束帶發狂欲大叫,簿書何急來相仍。
南望青松架短壑,安得赤腳蹋層冰?

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kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首

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kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
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(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
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路逢嚢陽楊少府入城戯呈楊四員外綰  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 282

路逢嚢陽楊少府入城戯呈楊四員外綰  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 282

洛陽へゆく路で楊少府が華州城へ入りこもうとするのにであった。そこでたわむれに楊綰にこの詩をおくった。杜甫が華州へ赴任したときに綰に茯苓【ふくれい】という薬草をやるという約束をしておいたのだった。この詩は758年乾元元年冬の暮、作者が華州からでかけて洛陽へゆこうとしたとき作ったもので、華州よりは東方で楊少府とであい、それに楊綰へのことづてをたのんだのである。


路逢襄揚楊少府入城,戲呈楊四員外綰
洛陽へゆく路で楊少府が華州城へ入りこもうとするのにであった。そこでたわむれに楊綰にこの詩をおくった。
*原注「甫赴華州日、許寄員外茯苓。」
*杜甫が華州へ赴任したときに綰に茯苓【ふくれい】という薬草をやるという約束をしておいたのだった。
寄語楊員外,山寒少茯苓。
わたしは楊綰に対することづてをする。いまの時期、華州の山は冬の寒さで茯苓はすくない。
歸來稍暄暖,當為斸青冥。
だから自分がまた華州へもどって次第に暖かになり、山の高地の空気の色と松樹の色がととのってくるところへいくのだ。
翻動神仙窟,封題鳥獸形。
そして、地面をきれものでつきさし、竜蛇のいる様ないわやをひっくりかえし、はりあてた鳥獣の形をした茯苓は、それを下絵にしてその上に上書きをしよう。
兼將老藤杖,扶汝醉初醒。

またそのうえに約束はしていないがふるい藤づるでこしらえた杖をもそえて、あなたの酔いざめのよろめきをたすけさせることにしようとおもっている

現代語訳と訳註
(本文)

路逢襄揚楊少府入城,戲呈楊四員外綰
*原注「甫赴華州日、許寄員外茯苓。」
寄語楊員外,山寒少茯苓。
歸來稍暄暖,當為斸青冥。
翻動神仙窟,封題鳥獸形。
兼將老藤杖,扶汝醉初醒。

(下し文)
(路に襄陽の楊少府が城に入るに逢い、戯れに楊四員外綰【わん】に呈す)
*(甫 華州に赴く日、員外に茯苓を寄せるを許う。)
語を寄す楊員外、山寒くして茯苓【ふくれい】少【すくな】し。
帰来【きらい】稍【ようや】く喧暖【けんだん】ならば、当【まさ】に為めに青冥【せいめい】に斸【き】りて。
竜蛇【りょうだ】の窟【いわや】を翻勤【はんどう】し、鳥獣の形に封題【ほうだい】し。
兼ねて老 藤杖【とうじょう】を将て、汝が酔いの初めて醒【さ】むるを扶【たす】くべし。

(現代語訳)
洛陽へゆく路で楊少府が華州城へ入りこもうとするのにであった。そこでたわむれに楊綰にこの詩をおくった。
*杜甫が華州へ赴任したときに綰に茯苓【ふくれい】という薬草をやるという約束をしておいたのだった。

わたしは楊綰に対することづてをする。いまの時期、華州の山は冬の寒さで茯苓はすくない。
だから自分がまた華州へもどって次第に暖かになり、山の高地の空気の色と松樹の色がととのってくるところへいくのだ。
そして、地面をきれものでつきさし、竜蛇のいる様ないわやをひっくりかえし、はりあてた鳥獣の形をした茯苓は、それを下絵にしてその上に上書きをしよう。
またそのうえに約束はしていないがふるい藤づるでこしらえた杖をもそえて、あなたの酔いざめのよろめきをたすけさせることにしようとおもっている。


(訳注)
路逢襄揚楊少府入城,戲呈楊四員外綰

洛陽へゆく路で楊少府が華州城へ入りこもうとするのにであった。そこでたわむれに楊綰にこの詩をおくった。
○路 華州より洛陽へゆく路。○嚢陽楊少府 嚢陽の人で葦州の尉官であろう、名は詳かでない、少府は尉の敬称。○入城 城は葦州の城。○楊四員外綰 楊締、字は公権、葦陰の人、粛宗の位に即くや、賊中より鳳翔の行在に赴き起居舎人・知別語に除せられ、司勲員外郎・職方郎中を歴た。司勲員外郎ゆえ員外という。綰は時に聾州にあったのであろう。


*原注「甫赴華州日、許寄員外茯苓。」
杜甫が華州へ赴任したときに綰に茯苓【ふくれい】という薬草をやるという約束をしておいたのだった。
茯苓 千年の松の樹の下に生ずるといわれる薬草、まつほどという。


寄語楊員外,山寒少茯苓。
わたしは楊綰に対することづてをする。いまの時期、華州の山は冬の寒さで茯苓はすくない。
寄語 このことばをあなたにいっておく。○楊員外 綰。○山寒 山は華州の山、華山をいう。この「山寒」以下結句までは全部ことづての語である。


歸來稍暄暖,當為斸青冥。
だから自分がまた華州へもどって次第に暖かになり、山の高地の空気の色と松樹の色がととのってくるところへいくのだ。
帰来 今は洛陽へでかける路であるゆえ華州へもどって来たときということ。○暄暖 あたたか。○当為 当の字は尾句までかかる。為とは汝が為めにの義。○ 刀を地にさし草根をきることをいう。○青冥 山の高地の空気の色と松樹の色がととのってくることをいうもの。


翻動神仙窟,封題鳥獸形。
そして、地面をきれものでつきさし、竜蛇のいる様ないわやをひっくりかえし、はりあてた鳥獣の形をした茯苓は、それを下絵にしてその上に上書きをしよう。
翻動 ひっくりかえす。○竜蛇窟 竜蛇のすむような深いいわや、裸苔の在るところをいう。○封題 封じて上書きをする。○鳥獣形 巌苔のことで、小鳥の大きさになるのに十数年かかるもの。皮が黒くして皺があり、内は堅く白く、形の鳥獣亀髄のようなものが味、香りが良い、とされる。


兼將老藤杖,扶汝醉初醒。
またそのうえに約束はしていないがふるい藤づるでこしらえた杖をもそえて、あなたの酔いざめのよろめきをたすけさせることにしようとおもっている。
老藤枝 老いた藤づるの杖、これも華州の産物。○扶からだをささえさせる。○酔初醒 酔いをたすけさせることをいう。押韻のために醒めることまでをいったもの。綿は酒好きの人とみえる、結語は戯れの意を帯びる。


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路逢襄揚楊少府入城,戲呈楊四員外綰

*原注「甫赴華州日、許寄員外茯苓。」


寄語楊員外,山寒少茯苓。

歸來稍暄暖,當為青冥。

翻動神仙窟,封題鳥獸形。

兼將老藤杖,扶汝醉初醒。



(路に襄陽の楊少府が城に入るに逢い、戯れに楊四員外綰【わん】に呈す)

*(甫 華州に赴く日、員外に茯苓を寄せるを許う。)

語を寄す楊員外、山寒くして苓【ふくれい】少【すくな】し。

帰来【きらい】稍【ようや】く喧暖【けんだん】ならば、当【まさ】に為めに青冥【せいめい】に【き】りて。

竜蛇【りょうだ】の窟【いわや】を翻勤【はんどう】し、鳥獣の形に封題【ほうだい】し。

兼ねて老 藤杖【とうじょう】を将て、汝が酔いの初めて醒【さ】むるを扶【たす】くべし。

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至日遣興,奉寄北省舊閣老、兩院故人二首 其二kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 281

至日遣興,奉寄北省舊閣老、兩院故人二首 其二kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 281

冬至の日にむねのおもいをやるため門下・中書両省の旧官や両省の院にいる知りあいの人々に寄せた詩。758年 乾元元年11月華州での作。


至日遣興,奉寄北省舊閣老、兩院故人二首
其二
冬至の日にむねのおもいをやるため門下・中書両省の旧官や両省の院にいる知りあいの人々に寄せた詩 その二。
憶昨逍遙供奉班,去年今日侍龍顏。
おもいだしてみる、前年自分はゆったりと供奉の列にあって、去年のきょうは竜顔に待機していた。
麒麟不動爐煙上,孔雀徐開扇影還。
そのときは宮中で麟鱗の香炉がじっとすわってそれから香の煙がたちのぼっている、そこで、しずしずと孔雀の団扇が左右にひらかれてそれぞれの位置へとつき天顔があらわれた。
玉几由來天北極,朱衣只在殿中間。
だがことしは朝廷とは隔たっている、天子の御座の脇息はもとより天の北極の位にはかわらないが、百官に著席をうながす朱衣の属官のすがたはただ長安の御殿のまんなかに在るのでここではみられないのである。
孤城此日堪腸斷,愁對寒雲雪滿山。

こういうことでこの華州の孤城では今日は自分の腸が十分ちぎれそうであり、愁えながらに冬空の雲にうちむかえば遠山には雪がいっぱいかぶさってみえる。

(至日興を遣り 北省の旧閣老・両院の故人に寄せ奉る 二首)
憶う昨【さく】逍遙【しょうよう】たり供奉【くぶ】の班、去年今日【こんじつ】竜顔【りょうがん】に侍す。
麒麟【きりん】動かず炉煙【ろえん】上り、孔雀 徐【おもむろ】に開きて扇影【せんえい】還【めぐ】る。
玉几【ぎょくき】は由来【ゆらい】天の北極、朱衣【しゅい】は只在り殿の中間【ちゅうかん】。
孤城 此の日腸【はらわた】断ゆるに堪えたり、愁えて寒雲に対すれば雪山に満つ。



現代語訳と訳註
(本文) 至日遣興,奉寄北省舊閣老、兩院故人二首
其二

憶昨逍遙供奉班,去年今日侍龍顏。
麒麟不動爐煙上,孔雀徐開扇影還。
玉几由來天北極,朱衣只在殿中間。
孤城此日堪腸斷,愁對寒雲雪滿山。


(下し文)
(至日興を遣り 北省の旧閣老・両院の故人に寄せ奉る 二首)
憶う昨【さく】逍遙【しょうよう】たり供奉【くぶ】の班、去年今日【こんじつ】竜顔【りょうがん】に侍す。
麒麟【きりん】動かず炉煙【ろえん】上り、孔雀 徐【おもむろ】に開きて扇影【せんえい】還【めぐ】る。
玉几【ぎょくき】は由来【ゆらい】天の北極、朱衣【しゅい】は只在り殿の中間【ちゅうかん】。
孤城 此の日腸【はらわた】断ゆるに堪えたり、愁えて寒雲に対すれば雪山に満つ。


(現代語訳)
冬至の日にむねのおもいをやるため門下・中書両省の旧官や両省の院にいる知りあいの人々に寄せた詩 その二。
おもいだしてみる、前年自分はゆったりと供奉の列にあって、去年のきょうは竜顔に待機していた。
そのときは宮中で麟鱗の香炉がじっとすわってそれから香の煙がたちのぼっている、そこで、しずしずと孔雀の団扇が左右にひらかれてそれぞれの位置へとつき天顔があらわれた。
だがことしは朝廷とは隔たっている、天子の御座の脇息はもとより天の北極の位にはかわらないが、百官に著席をうながす朱衣の属官のすがたはただ長安の御殿のまんなかに在るのでここではみられないのである。
こういうことでこの華州の孤城では今日は自分の腸が十分ちぎれそうであり、愁えながらに冬空の雲にうちむかえば遠山には雪がいっぱいかぶさってみえる。


(訳注)其二
憶昨逍遙供奉班,去年今日侍龍顏。

おもいだしてみる、前年自分はゆったりと供奉の列にあって、去年のきょうは竜顔に待機していた。
 前時をさす、ぼんやりいう。○逍遙 ゆったりぶらつく。○供奉班 近侍の列位。拾遺の官は供奉・諷諌をつかさどる。○去年今日 至徳二載の冬至の日。○竜顔 天子のおかお。


麒麟不動爐煙上,孔雀徐開扇影還。
そのときは宮中で麟鱗の香炉がじっとすわってそれから香の煙がたちのぼっている、そこで、しずしずと孔雀の団扇が左右にひらかれてそれぞれの位置へとつき天顔があらわれた。
麟麟 きりん形、たけ九尺、金めっきの香炉。○不動 すわりのよいさま。○炉煙 香炉のけむり。○孔雀 孔雀の羽をもってつくった団扇をいう、唐の大朝会のおりにはこのうちわ百五十六本を左右に分かち、天子が初めて御座に升りたもうと左右より扇を合わせ、升りおわりたまうとまた扇を左右に開いた。○徐開 左右から合わせた扇をしずかにはなす。○ 左右にうごくさまをいう。


玉几由來天北極,朱衣只在殿中間。
だがことしは朝廷とは隔たっている、天子の御座の脇息はもとより天の北極の位にはかわらないが、百官に著席をうながす朱衣の属官のすがたはただ長安の御殿のまんなかに在るのでここではみられないのである。
○玉几 天子のおよりになる玉の脇息。○天北極 天子の位は天上星宿界においては北極星の座に此する、因ってかくいう。○朱衣 御史大夫の従官のきるきもの、このものは朝会のおり、かけごえして百官を班位に威かしめる。作者の服とみる説があるが今は取らぬ。○只在 只今徒在の意、此の二字は上旬の「由来」とともに想像を加えてのべた語である。○殿中間 ごてんのなかほど。


孤城此日堪腸斷,愁對寒雲雪滿山。
こういうことでこの華州の孤城では今日は自分の腸が十分ちぎれそうであり、愁えながらに冬ぞらの雲にうちむかえば遠山には雪がいっぱいかぶさってみえる。
孤城 孤立した城、華州のしろをさす。○寒雲 冬ぞらの雲。○ 長安の方位にあたってみえる諸山。



至日遣興,奉寄北省舊閣老、兩院故人二首

其二

憶昨逍遙供奉班,去年今日侍龍顏。

麒麟不動爐煙上,孔雀徐開扇影還。

玉几由來天北極,朱衣只在殿中間。

   孤城此日堪腸斷,愁對寒雲雪滿山。

(至日興を遣り 北省の旧閣老・両院の故人に寄せ奉る 二首)
憶う昨【さく】逍遙【しょうよう】たり供奉【くぶ】の班、去年今日【こんじつ】竜顔【りょうがん】に侍す。
麒麟【きりん】動かず炉煙【ろえん】上り、孔雀 徐【おもむろ】に開きて扇影【せんえい】還【めぐ】る。
玉几【ぎょくき】は由来【ゆらい】天の北極、朱衣【しゅい】は只在り殿の中間【ちゅうかん】。
孤城 此の日腸【はらわた】断ゆるに堪えたり、愁えて寒雲に対すれば雪山に満つ。


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至日遣興,奉寄北省舊閣老、兩院故人二首 其一 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 280

至日遣興,奉寄北省舊閣老、兩院故人二首 其一 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 280

758年 乾元元年11月華州での作。

至日遣興,奉寄北省舊閣老、兩院故人二首
其一

去歲茲晨捧禦牀,五更三點入鵷行。
冬至の日にむねのおもいをやるため門下・中書両省の旧官や両省の院にいる知りあいの人々に寄せた詩。
欲知趨走傷心地,正想氤氳滿眼香。
自分は去年の冬至の早朝には朝廷へまかりでて禦牀をあおぎたてまつり、五更三点の朝はやく諸官員の行列のなかへはいりこんだ。
無路從容陪語笑,有時顛倒著衣裳。
諸君に知ってもらいたくおもうのはわたしがことしは華州にいて、こんな田舎の悲しいところで上官の前で奔走して心を痛めていることを。
何人卻憶窮愁日,日日愁隨一線長。
そして、ちょうどいまは長安の宮殿で諸員の眼中、香煙がもやもや立ちのぼっているのだなと想像している。
自分は上官からよばれるので時として、きょうもそうだが、大急ぎにあわてて衣と裳とをあべこべに著けてでかけたりするが、もはやゆったりとして諸君にしたがってともに笑語するという方途はない。

(至日【しじつ】興を遣り,北省の舊閣老、兩院故人に寄せ奉る 二首)
去歳【きょさい】茲の晨 禦牀【ごしょう】を捧ず、五更三点 鵷行【えんこう】に入る。
知らんことを欲す傷心の地に趨走【すうそう】し、正に氤氳【いんうん】たる満眼の香を想うことを。
従容【しょうよう】として語笑【ごしょう】に陪するに路無し、時有ってか顛倒【てんとう】して衣裳を著く。
何人か却って憶わん窮愁の日、日日愁は一線に随って長きことを。

現代語訳と訳註
(本文)
至日遣興,奉寄北省舊閣老、兩院故人二首
其一
去歲茲晨捧禦牀,五更三點入鵷行。
欲知趨走傷心地,正想氤氳滿眼香。
無路從容陪語笑,有時顛倒著衣裳。
何人卻憶窮愁日,日日愁隨一線長。


(下し文) (至日【しじつ】興を遣り,北省の舊閣老、兩院故人に寄せ奉る 二首)其の二
去歳【きょさい】茲の晨 禦牀【ごしょう】を捧ず、五更三点 鵷行【えんこう】に入る。
知らんことを欲す傷心の地に趨走【すうそう】し、正に氤氳【いんうん】たる満眼の香を想うことを。
従容【しょうよう】として語笑【ごしょう】に陪するに路無し、時有ってか顛倒【てんとう】して衣裳を著く。
何人か却って憶わん窮愁の日、日日愁は一線に随って長きことを。


(現代語訳)
冬至の日にむねのおもいをやるため門下・中書両省の旧官や両省の院にいる知りあいの人々に寄せた詩。
自分は去年の冬至の早朝には朝廷へまかりでて禦牀をあおぎたてまつり、五更三点の朝はやく諸官員の行列のなかへはいりこんだ。
諸君に知ってもらいたくおもうのはわたしがことしは華州にいて、こんな田舎の悲しいところで上官の前で奔走して心を痛めていることを。そして、ちょうどいまは長安の宮殿で諸員の眼中、香煙がもやもや立ちのぼっているのだなと想像している。
自分は上官からよばれるので時として、きょうもそうだが、大急ぎにあわてて衣と裳とをあべこべに著けてでかけたりするが、もはやゆったりとして諸君にしたがってともに笑語するという方途はない。


(訳注)
至日遣興,奉寄北省舊閣老、兩院故人其一
冬至の日にむねのおもいをやるため門下・中書両省の旧官や両省の院にいる知りあいの人々に寄せた詩。
至日 冬至の日。○遣興 憂興を排遣すること。○北省 唐のとき門下省・中書省をさして北省という。○閣老 両省の官、たがいに敬称するとき閣老という。○両院 両省の院をさす。院はつめしょをいう、拾遺・補閲の官のつめし上をさす。○故人 旧知の人々、即ち作者の同僚。


去歲茲晨捧禦牀,五更三點入鵷行。
自分は去年の冬至の早朝には朝廷へまかりでて禦牀をあおぎたてまつり、五更三点の朝はやく諸官員の行列のなかへはいりこんだ。
去歳 至徳二載。○茲晨去年の冬至のあした。○ ささぐ、ここは心にて尊敬することをいう。○禦牀 天子の御椅子。〇五更 漏刻にて夜を五分し一更より五更までとする、五更はよあけのとき。〇三点 銅板の類を三つうつ、刻をしらせること。○鵷行 鵷はおおとり、行は行列、官員の列をたとえていう。


欲知趨走傷心地,正想氤氳滿眼香
諸君に知ってもらいたくおもうのはわたしがことしは華州にいて、こんな田舎の悲しいところで上官の前で奔走して心を痛めていることを。そして、ちょうどいまは長安の宮殿で諸員の眼中、香煙がもやもや立ちのぼっているのだなと想像している。
欲知 諸君が知ることをのぞむ。○趨走 作者が葦州の上官の前へでて奔走すること。○傷心地 華州に居るのは作者の好まぬ所である、因って心を傷ましめる地という。○正想 ちょうどそのとき想像する、作者が想像するのである。○氤氳 香煙のもやもやたつさま。〇滿眼香 眼中いっぱいの香煙、これは長安の宮中にあってのさま。


無路從容陪語笑,有時顛倒著衣裳。
自分は上官からよばれるので時として、きょうもそうだが、大急ぎにあわてて衣と裳とをあべこべに著けてでかけたりするが、もはやゆったりとして諸君にしたがってともに笑語するという方途はない。
無路 路とは方途、方法ということ。○従容 ゆったり。○ あとにしたがう。○語笑 在京の閣老故人の語笑。○有時 これは冬至についていうものだが冬至以外のときをもこめていうのによってかくいったものか。有時とは時としての義。○願倒著衣裳 「詩経」に「東方未ダ明ケズ、衣裳ヲ顛倒ス。」とみえる、あけがた公より召されるのによりいそいで衣裳をつけるため裳を衣に、衣を裳とたがえてきることをいう、此の句は作者が暁を侵して華州の役所へ出かけることをいう。


何人卻憶窮愁日,日日愁隨一線長。
わたしはいま毎日、窮愁の境遇に在って、その愁たるや冬至以後の太陽の時間が婦女の一線ぶんの仕事の長さだけながくなってゆくとおなじ様に長くなってゆくということをだれがおもうてくれるであろうか。
却憶 先方よりこちらをおもいだす。○窮愁日 日とは時に同じ、窮愁は困窮し且つ愁えること、「趙王は虞卿の助言を受け入れず、秦にだけ使者を送り講和を乞うたのです。」そのため、趙は大敗を喫した。戦国趙の虞卿の故事、ここは作者のさま。○随一線長 一線には二義があり、一には魂晋間の習俗で宮中において紅い線を以て日影を量るのに冬至以後は日影が一線の長さだけながくなるという、一線の長さ(尺寸)については記載を見ぬ。二は唐の宮中では女工を以て日の長短をはかるのに、冬至からはいつもにくらべて一線分だけ多くしごとができるという。同じ一線であるが前者は空間的、後者は時間的のはかりかたである。都から遠ざかる、影が長くなると、どちらにしても前向きでない朝廷を批判している。






至日遣興,奉寄北省舊閣老、兩院故人二首

其一

茲晨捧禦牀,五更三點入行。

欲知趨走傷心地,正想氤滿眼香。

無路從容陪語笑,有時顛倒著衣裳。

何人卻憶窮愁日,日日愁隨一線長。









(至日【しじつ】興を遣り,北省の舊閣老、兩院故人に寄せ奉る 二首)

去歳【きょさい】茲の晨 禦牀【ごしょう】を捧ず、五更三点 行【えんこう】に入る。

知らんことを欲す傷心の地に趨走【すうそう】し、正に氤【いんうん】たる満眼の香を想うことを。

従容【しょうよう】として語笑【ごしょう】に陪するに路無し、時有ってか顛倒【てんとう】して衣裳を著く。

何人か却って憶わん窮愁の日、日日愁は一線に随って長きことを。


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崔氏東山草堂  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 279

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陰暦九月九日重陽の日に藍田県の崔氏の別荘において作った詩。九日藍田崔氏荘 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 277
藍田は長安の南にある県の名、華州より60kmばかりへだたるところだ。
前詩の崔氏と同じく藍田の崔氏であり、東山は藍田県の東南にある藍田山、即ち玉山であり、草堂はかやぶきの堂である。此の堂は前詩の別荘とは異なるものである。此の詩は崔氏の東山の草堂において作る。前詩と同時期の作。西隣に王維の輞川荘があるが、王維は自身傷心の身であると同時に朝廷に嫌気を覚えていた。安史の乱までに輞川荘を完成させ、二十首の『輞川集』を完成させたことも官僚勤めを遠ざけるもので、仏教に傾倒深くなっていたのである。
 

崔氏東山草堂
愛汝玉山草堂靜,高秋爽氣相鮮新。
わたしは、あなたのこの玉山の草堂は閑静であるかた深く愛あひている、空高くすみきった秋の爽かな気が山の色ととともに新鮮をきそっている。
有時自發鐘磬響,落日更見漁樵人。
また時おりやまのなかの寺でならすのか、鐘や聲のおとがひびいてひとりでにおこってくるし、日の落ちかかるときそのうえ漁師や樵人らがかえりゆくのをみることができる。
盤剝白鴉谷口栗,飯煮青泥坊底蓴。
また食物についてみると、大きな皿には白鴉谷のほとりでとれた栗が皮をむいて盛りだされ、ご飯には青泥坊の堤でとれた芹がまぜて煮られている。
何為西莊王給事,柴門空閉鎖松筠?

ここへ西どなりの王維でも居るといっそういいのだが、どうしたためか彼の別荘はいたずらに柴門が閉じられて松竹林中にかぎをおろしてある。

(崔氏が東山の草堂)
愛す汝が玉山【ぎょくさん】草堂の静かなるを、高秋【こうしゅう】の爽気【そうき】 相 鮮新【せんしん】。
時有ってか自ら発す鐘磬【しょうけい】の響、落日更に見る漁樵【ぎょしょう】の人。
盤には剥【は】ぐ白鴉【はくあ】谷口【こくこう】の栗【りつ】、飯【はん】には煮る青泥【せいでい】坊底【ぼうてい】の蓴【じゅん】。
何為【なんすれ】ぞ西荘【せいそう】の王給事、柴門【さいもん】空しく閉じて松筠【しょうきん】に鎖【とざ】す。


現代語訳と訳註
(本文) 崔氏東山草堂
愛汝玉山草堂靜,高秋爽氣相鮮新。
有時自發鐘磬響,落日更見漁樵人。
盤剝白鴉谷口栗,飯煮青泥坊底蓴。
何為西莊王給事,柴門空閉鎖松筠?


(下し文)

(現代語訳)
わたしは、あなたのこの玉山の草堂は閑静であるかた深く愛あひている、空高くすみきった秋の爽かな気が山の色ととともに新鮮をきそっている。
また時おりやまのなかの寺でならすのか、鐘や聲のおとがひびいてひとりでにおこってくるし、日の落ちかかるときそのうえ漁師や樵人らがかえりゆくのをみることができる。
また食物についてみると、大きな皿には白鴉谷のほとりでとれた栗が皮をむいて盛りだされ、ご飯には青泥坊の堤でとれた芹がまぜて煮られている。
ここへ西どなりの王維でも居るといっそういいのだが、どうしたためか彼の別荘はいたずらに柴門が閉じられて松竹林中にかぎをおろしてある。

(訳注)
崔氏東山草堂
九月九日の重陽節に、杜甫は崔氏の藍田の別荘に招かれた。主人の崔李重(さいりじゅう)は母方の一族と見られている。藍田は華州からだと西南に60kmほどの道程なので、杜甫は馬で出かけた。


愛汝玉山草堂靜,高秋爽氣相鮮新。
愛す汝が玉山【ぎょくさん】草堂の静かなるを、高秋【こうしゅう】の爽気【そうき】 相 鮮新【せんしん】。
時有ってか自ら発す鐘磬【しょうけい】の響、落日更に見る漁樵【ぎょしょう】の人。
わたしは、あなたのこの玉山の草堂は閑静であるかた深く愛あひている、空高くすみきった秋の爽かな気が山の色ととともに新鮮をきそっている。
玉山 藍田にある山の名、即ち藍田山。昔、宝玉を産出していたのでそう呼ぶ。○高秋 天たかき秋。○爽気 さわやかな気。○相鮮新 鮮新は新鮮に同じ、あたらしくあざやか。相とは山色に関していう、山色の翠と秋気の澄碧とがたがいにその新鮮をきそうことをいう。


有時自發鐘聲響,落日更見漁樵人。
時有ってか自ら発す鐘磬【しょうけい】の響、落日更に見る漁樵【ぎょしょう】の人。
また時おりやまのなかの寺でならすのか、鐘や聲のおとがひびいてひとりでにおこってくるし、日の落ちかかるときそのうえ漁師や樵人らがかえりゆくのをみることができる。
 おこる。○鐘磬響 かね、磬磐石の音、これは附近に寺があると思われるので、近くの山の中というシチュエーションであろう。○漁樵人 魚をとる人、薪や柴をとる人。隠遁したものの総称。


盤剝白鴉谷口栗,飯煮青泥坊底蓴。
盤には剥【は】ぐ白鴉【はくあ】谷口【こくこう】の栗【りつ】、飯【はん】には煮る青泥【せいでい】坊底【ぼうてい】の蓴【じゅん】。
また食物についてみると、大きな皿には白鴉谷のほとりでとれた栗が皮をむいて盛りだされ、ご飯には青泥坊の堤でとれた芹がまぜて煮られている。
盤 大きなさら。〇 皮をむくこと。〇白鴉谷 県の東南二十里にある谷の名、栗によろしい地であるという。○青泥坊 坊は防と通ずる、「つつみ」をいう、青泥城は県南七里にあるというのからすれば防はその城の水をたくわえるつつみである。○ 沈徳潜の説に芹(きん)は十二文の韻字であるから蓴の字の誤りであろうという、芹はせり、蓴はじゅんさい。


何為西莊王給事,柴門空閉鎖松筠?
何為【なんすれ】ぞ西荘【せいそう】の王給事、柴門【さいもん】空しく閉じて松筠【しょうきん】に鎖【とざ】す。
ここへ西どなりの王維でも居るといっそういいのだが、どうしたためか彼の別荘はいたずらに柴門が閉じられて松竹林中にかぎをおろしてある。
西荘 雀氏草堂の西にある別荘。 ○王給事 王維のこと。王維は宋之間の藍田の別業を安史の乱までにすべての財産をつぎ込んで、整備し、建設した。即ち綱川荘である。粛宗が長安に還るや王維は太子中允となり、また給事中となった、このとき王維は長安にあってこの輞川荘にいなかった。 ○柴門 王維の荘の柴でつくった門。 ○鎖松筠 筠は竹の膚の青色をいうが竹そのものの義として用いる。松筠に鎖すとは松竹の林の中にとざすことをいう。


この詩もそうだし、このころの詩のほとんどに朝廷に対する不満が語られている。
このとき王維も杜甫も、朝廷に嫌気がさしていた。わけのわからない人事、宦官の台頭、軍事組織の崩壊、このころ、詩人たちは、行き場のないところに追い詰められていた。杜甫の知人の官僚、幕僚、軍人は降格か左遷されている。朝廷は体制を整えることより、権威を振りかざした。節度使の忠誠心はなく、ただ、安禄山それに変わる安慶緒、忠思明、が他より少しだけ抜けているだけで安定した力はない。したがって叛乱はこのあと5,6年治まらない。これに外敵からの挑発が盛んになされる。経済的にも律令体制が機能しなくなり、貿易でも不平等なものが多く、朝廷の財政を悪化させている。

このころまでの詩人のほとんどは高級官僚で、これらに批判的でないはずがないのだが、朝廷の無作為に対する批判勢力の配置転換、長安を奪還して以降の数年は朝廷は疑心暗鬼の塊であった。(家臣を信じないで宦官を信じる傾向にあった。)かといって、それらを文章で残すと発見されると処刑されるのである。


乾元元年の春は左拾遺として長安にあり、賈至・王維・岑參らと唱和と、詩人たちの意見交換は最高潮でした。5,6月、高適、房琯の左遷、杜甫自らも左遷、すべての詩人は、疎まれていきます。


六月、房琯の邠州刺史に貶せらるるに座し、出されて華州司功参軍となる。秋、藍田に王維を訪い、冬末、洛陽の陸渾荘に帰る。

その後、この詩の時分、王維は長安の南の終南山の別荘にいた。王維は杜甫の言う「西莊」を経営する意欲は薄らぎ、「西莊」いわゆる輞川荘は一部寺に寄贈されていた。

この詩以降、杜甫は漢を辞して隠遁したい気持ちが強くなっていく。(文献には出てこないが王維と相談して、互いに、職を辞したい胸の内を話したのではないだろうか)

所思 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 276

所思 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 276
(思う所)
乾元元年 758年 47歳
  
所思
鄭老身仍竄、台州信始伝。
鄭先生  あなたは遠隔地へ司戸参軍に左遷され、その地の台州から はじめて便りをいただきました。
為農山澗曲、臥病海雲辺。
山や谷川のそばで 農耕作をされている、海辺のほとりで   病に臥されているという。
世已疎儒素、人猶乞酒銭。
今の世はいつのまにか、儒学を軽んじられるようになってきている、そればかりか人によっては 酒や賄賂を要求するものもいるほどなのだ。
徒労望牛斗、無計斸龍泉。
我々は、北斗七星のように天に不動の天子を仰いでいる、ただ、いたずらに眺めるだけでしかない。また、神秘の力を持った龍泉の名剣を 掘り出す力のないのだ。

思う所)
鄭老【ていろう】 身 仍【な】お竄【ざん】せられ、台州  信【しん】 始めて伝う。
農と為【な】る 山澗【さんかん】の曲【くま】、病に臥す  海雲の辺【ほとり】。
世 已【すで】に儒素【じゅそ】を疎【うと】んずるも、人  猶お 酒銭【しゅせん】を乞【あた】えん。
徒【いたず】らに牛斗【ぎゅうと】を望むを労【ろう】し、龍泉を斸【しょく】するに計【はか】る無し。


現代語訳と訳註
(本文) 所思
鄭老身仍竄、台州信始伝。
為農山澗曲、臥病海雲辺。
世已疎儒素、人猶乞酒銭。
徒労望牛斗、無計斸龍泉。

(下し文) (思う所)
鄭老【ていろう】 身 仍【な】お竄【ざん】せられ、台州  信【しん】 始めて伝う。
農と為【な】る 山澗【さんかん】の曲【くま】、病に臥す  海雲の辺【ほとり】。
世 已【すで】に儒素【じゅそ】を疎【うと】んずるも、人  猶お 酒銭【しゅせん】を乞【あた】えん。
徒【いたず】らに牛斗【ぎゅうと】を望むを労【ろう】し、龍泉を斸【しょく】するに計【はか】る無し。

(現代語訳)
鄭先生  あなたは遠隔地へ司戸参軍に左遷され、その地の台州から はじめて便りをいただきました。
山や谷川のそばで 農耕作をされている、海辺のほとりで   病に臥されているという。
今の世はいつのまにか、儒学を軽んじられるようになってきている、そればかりか人によっては 酒や賄賂を要求するものもいるほどなのだ。
我々は、北斗七星のように天に不動の天子を仰いでいる、ただ、いたずらに眺めるだけでしかない。また、神秘の力を持った龍泉の名剣を 掘り出す力のないのだ。


(訳注)
鄭老身仍竄、台州信始伝。

鄭先生  あなたは遠隔地へ司戸参軍に左遷され、その地の台州から はじめて便りをいただきました。
○鄭老 鄭虔は757年 至徳二載十二月に左遷されている。杜甫の『送鄭十八虔貶台州司』送鄭十八虔貶台州司戶、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 231鄭虔は司戸参軍であった。○竄 もぐる。逃げ隠れる。 遠隔地へ追放する。 文章を書き改める。○台州 今の浙江省台州府。

為農山澗曲、臥病海雲辺。
山や谷川のそばで 農耕作をされている、海辺のほとりで   病に臥されているという。

世已疎儒素、人猶乞酒銭。
今の世はいつのまにか、儒学を軽んじられるようになってきている、そればかりか人によっては 酒や賄賂を要求するものもいるほどなのだ。

徒労望牛斗、無計斸龍泉。
我々は、北斗七星のように天に不動の天子を仰いでいる、ただ、いたずらに眺めるだけでしかない。また、神秘の力を持った龍泉の名剣を 掘り出す力のないのだ。
○牛斗 北斗七星のように天に不動の天子のこと。○龍泉【りょうせん】『晋書』「張華伝」 雷煥と張華晋代の故事、雷煥(らいかん)が牛星と斗星のあいだに剣の気があるのを見て、龍泉・太阿の二つの名剣を掘り出した話を踏まえている。
Ta唐 長安近郊圖  新01

杜甫は空の星を見上げるだけで、「龍泉を斸するに計無し」といっている。「龍泉」というのはます。杜甫は次第に官を辞して俗世間の塵を拂いたいと思っており、特に、儒学者を毛嫌いする世になっており、「龍泉・太阿の二つの名剣を掘り出した」故事も詩文の力ではどうしようもないことを思い知らされているのであった。

≪杜甫、鄭虔の詩≫
753年  天宝12載 42歳 五言律詩   

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757年・12月 至徳二載 46歳 七言律詩
送鄭十八虔貶台州司
、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 231

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九日藍田崔氏荘 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 274

陰暦九月九日重陽の菊の節句の日に藍田県の崔氏の別荘において作った詩。藍田は長安の南にある県の名、華州より60kmばかりへだたる、乾元元年華州司功であったときの作。
乾元元年 758年 47歳
 
九日藍田崔氏荘
老去悲愁強自寛、興来今日尽君歓。
自分はだんだん年老いて悲しき秋にあたって無理に胸の内を寛ごうと思って、漫然とした生活の中で気の向くままにとおもっていたが、今日にかぎっては十分に君が奉げてくれる歓情を受け尽くすのである。
羞将短髪環吹帽、笑倩旁人為正冠。
晉の孟嘉のように適当なかぶり方にして風が帽子を吹きおとすのは老いの短い髪の毛になっている自分にははずかしいことにおもわれる、笑い話のようであるが自分は孟嘉ほどのものではないので脇の人にこいねがってこの帽のかぶり具合をきちんと治してもらうことにしよう。
藍水遠従千澗落、玉山高並両峰寒。
荘外をながめると、遠く多くの谷間の水を集めてそこから藍水へと落ちてくるし、玉山はその二つの峰が高くならんできた赦免なのですでに寒色をたたえている。
明年此会知誰健、酔把茱萸子細看。

今日は主賓と共にこんなにおもしろく過ごせたが、さて明年のこの会には、果たして誰が変わりなく達者でいるであろうか、それをおもうて自分は酔いながら茱萸の枝を手にして詳しく眺めいるのである。


九日 藍田の崔氏の荘
老い去【ゆ】きて悲愁(に強【し】いて自ら寛(ゆる)うし、
興【きょう】来【おこ】りて今日ぞ君の歓(よろこ)びを尽くさん。
羞【は】ずらくは短髪を将【もっ】て環【な】お帽を吹かかることを、笑いて旁人に倩【こ】いて為に冠【かんむり】を正さしむ。
藍水【らんすい】は遠く  千澗【せんかん】従【よ】りして落ち、玉山【ぎょくざん】は高く 両峰【りょうほう】に並【そ】うて寒し。
明年【みょうねん】は 此の会【つど】い 知んぬ 誰か健【すこやか】なるを、酔うて茱萸【しゅゆ】を把【と】りて子細【しさい】に看【み】る。



現代語訳と訳註
(本文)

九日藍田崔氏荘
老去悲愁強自寛、興来今日尽君歓。
羞将短髪環吹帽、笑倩旁人為正冠。
藍水遠従千澗落、玉山高並両峰寒。
明年此会知誰健、酔把茱萸子細看。

(下し文)
九日 藍田の崔氏の荘
老い去【ゆ】きて悲愁(に強【し】いて自ら寛(ゆる)うし、
興【きょう】来【おこ】りて今日ぞ君の歓(よろこ)びを尽くさん。
羞【は】ずらくは短髪を将【もっ】て環【な】お帽を吹かかることを、笑いて旁人に倩【こ】いて為に冠【かんむり】を正さしむ。
藍水【らんすい】は遠く  千澗【せんかん】従【よ】りして落ち、玉山【ぎょくざん】は高く 両峰【りょうほう】に並【そ】うて寒し。
明年【みょうねん】は 此の会【つど】い 知んぬ 誰か健【すこやか】なるを、酔うて茱萸【しゅゆ】を把【と】りて子細【しさい】に看【み】る。

(現代語訳)
自分はだんだん年老いて悲しき秋にあたって無理に胸の内を寛ごうと思って、漫然とした生活の中で気の向くままにとおもっていたが、今日にかぎっては十分に君が奉げてくれる歓情を受け尽くすのである。
晉の孟嘉のように適当なかぶり方にして風が帽子を吹きおとすのは老いの短い髪の毛になっている自分にははずかしいことにおもわれる、笑い話のようであるが自分は孟嘉ほどのものではないので脇の人にこいねがってこの帽のかぶり具合をきちんと治してもらうことにしよう。
荘外をながめると、遠く多くの谷間の水を集めてそこから藍水へと落ちてくるし、玉山はその二つの峰が高くならんできた赦免なのですでに寒色をたたえている。
今日は主賓と共にこんなにおもしろく過ごせたが、さて明年のこの会には、果たして誰が変わりなく達者でいるであろうか、それをおもうて自分は酔いながら茱萸の枝を手にして詳しく眺めいるのである。


(訳注)
九日藍田崔氏荘

(九日 藍田の崔氏の荘)


老去悲愁強自寛、興来今日尽君歓。
(老い去【ゆ】きて悲愁(に強【し】いて自ら寛(ゆる)うし、
興【きょう】来【おこ】りて今日ぞ君の歓(よろこ)びを尽くさん。)
自分はだんだん年老いて悲しき秋にあたって無理に胸の内を寛ごうと思って、漫然とした生活の中で気の向くままにとおもっていたが、今日にかぎっては十分に君が奉げてくれる歓情を受け尽くすのである。
悲秋 ものがなしい秋の節。安史の乱がいまだ続いており、杜甫自身、天子のおそばの左拾遺から、地方の進士試験の出題者という夢を失わせる時期であった。
宋玉『九辨』、
悲哉秋之為氣也!
蕭瑟兮草木搖落而變衰,
憭慄兮若在遠行,
登山臨水兮送將歸,
泬寥兮天高而氣清,
寂寥兮收潦而水清,
憯悽欷兮薄寒之中人,
愴怳懭悢兮去故而就新,
坎廩兮貧士失職而志不平,
廓落兮羇旅而無友生。
惆悵兮而私自憐。
燕翩翩其辭歸兮,蝉寂漠而無聲。
鴈廱廱而南遊兮,鶤[昆+鳥]雞 啁哳而悲鳴。
獨申旦而不寐兮,哀蟋蟀之宵征。
時亹亹而過中兮,蹇淹留而無成。
「悲レ秋」とよんでもよい。大暦元年 766年55歳七言律詩『詠懐古蹟五首』  古跡において自己の懐う所を詠じた詩。五首ある。大暦元年夔州に在ったおり各古跡をおとずれることなく予想して作ったもの
杜甫『詠懐古跡 其の二』
搖落深知宋玉悲,風流儒雅亦吾師。
悵望千秋一灑淚,蕭條異代不同時。
江山故宅空文藻,雲雨荒台豈夢思。
最是楚宮俱泯滅,舟人指點到今疑。
自寛 自己の愁懐をくつろげ、なぐさめる。○興来 気の向くままに、偶然に身を任せ、漫然としていた杜甫が今日、その日だけ、という限定したことでこの訪問を強調している。○尽君歓 他人が私を喜ばそうとしたとき、八分を受け二分を残すのが君子の礼とされるが、ここでは先方の歓待を十分に受け尽くすことをいう。君は主人崔氏。


羞将短髪環吹帽、笑倩旁人為正冠。
(羞【は】ずらくは短髪を将【もっ】て環【な】お帽を吹かかることを、笑いて旁人に倩【こ】いて為に冠【かんむり】を正さしむ。)
晉の孟嘉のように適当なかぶり方にして風が帽子を吹きおとすのは老いの短い髪の毛になっている自分にははずかしいことにおもわれる、笑い話のようであるが自分は孟嘉ほどのものではないので脇の人にこいねがってこの帽のかぶり具合をきちんと治してもらうことにしよう。
短髪 作者の老いてみじかくなったかみのけ。○ 我もまたの意。○吹帽 晋の孟嘉が桓温の参軍となり、九日龍山で催おされた登高の宴に、秋風のいたずらに孟嘉の帽子を飛ばした。本人はそれに気づかなかったが、桓温はそっと左右のものに目配せをし放置させ、やがて、孟嘉が手洗いに立つと文士の孫盛に命じ、孟嘉を嘲笑する文を孟嘉の席に置いた。席に戻った孟嘉は冷静に答辭を作った。其の文は見事な美文で一同を感嘆させた。東晉の風流の故事の一つとされている。○ 雇うこと。故事を踏まえているので少しオーバーな言い方である。○傍人 そばのひと。○ 我がために。○正冠 冠は即ち上旬の帽、正とはまがらぬようになおすこと。


藍水遠従千澗落、玉山高並両峰寒。
藍水【らんすい】は遠く  千澗【せんかん】従【よ】りして落ち、玉山【ぎょくざん】は高く 両峰【りょうほう】に並【そ】うて寒し

荘外をながめると、遠く多くの谷間の水を集めてそこから藍水へと落ちてくるし、玉山はその二つの峰が高くならんできた赦免なのですでに寒色をたたえている。
藍水 藍田にある川の名。㶚水の支流で北流して長安東門春明門を出た街道滻水橋を渡り、㶚陵橋と続くを北流して、渭水に豪牛する。〇千澗 多くの谷川。○玉山 藍田にある山の名、即ち藍田山。昔、宝玉を産出していたのでそう呼ぶ。○両峰 玉山に属する二つの峰かとおもう。この聯は、藍水・・・・・、玉山・・・・・。通常の七言の句の構成とは異なっている。通常は四語+三語で句とするものが多い。つまり藍水を五言句で表し、同様に、玉山を五言句で表現している。寒については、渭水の向こうの山々は南面であるため、藍田の山々は北面であるため景色が違っていることをあらわしている。



明年此会知誰健、酔把茱萸子細看。
(明年【みょうねん】は 此の会【つど】い 知んぬ 誰か健【すこやか】なるを、酔うて茱萸【しゅゆ】を把【と】りて子細【しさい】に看【み】る。)
今日は主賓と共にこんなにおもしろく過ごせたが、さて明年のこの会には、果たして誰が変わりなく達者でいるであろうか、それをおもうて自分は酔いながら茱萸の枝を手にして詳しく眺めいるのである。
知誰健 知の下に疑問詞があるときは「知」は「不知」の義となる、即ち不知誰健の意、○茱萸 ぐみ、九日にぐみを凧び菊酒をのめば長生をするとされる。kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 145 九月九日憶山東兄弟  王維仔細 くわしく。○ 蓋し菜糞の枝をみつめる。古来多くこの義にとく。沈徳潜は栗東をみることの無意味なことをいい藍水と玉山とを看ることとする、即ち「酒を把って山水をみる」ととく。但し、果菜をみるとするのは決して無意味ではなく、上旬に「誰健」とあって主賓の健康を意としての語であるから長寿のしるしである茱萸を仔細にみるのは先頭の句に「悲愁」に帰っていくとみて意が深くなるものである。



唐朝の衰退はかなりなもので、どこで反乱が起こってもおかしくないし、外敵に攻められても、府兵の統率力はなかった、しかも、杜甫の知人の官僚、幕僚も次々に、左遷、降格、死没と中央集権国家の体をなさず、長安周辺の朝廷と言うくらいに力のない、先行き不安な状況であった。杜甫が冠を直すと詠むとき、朝廷の威信がそこまであるのかと思いながら正しているのかもしれない。
 九月九日の重陽節に、杜甫は崔氏の藍田の別荘に招かれた。主人の崔李重(さいりじゅう)は母方の一族と見られている。藍田は華州からだと西南に60kmほどの道程なので、杜甫は馬で出かけた。
 宋玉の「悲愁」を杜甫は同様に感じつつ、登高の宴に参列できたことへのよろこびを感じたものである。しかし、杜甫の置かれてい位置は決して、当時の世界、当時の人生観で、人生をかけるものではなく、悩みは更に深いものとなっていく。

早秋苦熱堆安相仍 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 276

早秋苦熱堆安相仍 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 276
(早秋 熱に苦しみ 堆安【たいあん】相い 仍【よ】る)

乾元元年六月華州に左遷された。秋になろうというのに暑さが耐えられない。着任早々から、書類の大左派凄まじく机の上に積み上げられていった。その上、サソリ、ヘビ、蝿、蚊に悩まされた。異常な暑さに加えて、異常に発生した虫類、地方での書記の仕事は想像以上のものであった。


早秋苦熱堆案相仍
早秋 熱に苦しみ 官文書が未決でたまっていくことになっている 
七月六日苦炎蒸,對食暫餐還不能。
今日はもう七月六日になる、それなのに 蒸し暑くてやりきれない、食膳に向回、少しは食べようと思うのだがやはり咽喉を通らない
每愁夜中自足蠍,況乃秋後轉多蠅。
何時も夜中になると サソリのことばかりが心配になる 、そのうえ、秋になってから余計に蠅がおおくなりうるさく飛んでくる。
束帶發狂欲大叫,簿書何急來相仍。
窮屈な官服をきていなければいけないので、つい大声を出してさけびたくなってしまう、書類ばかりがどうしてこう、 つぎつぎに押しかけてくるのだろう。
南望青松架短壑,安得赤腳蹋層冰?
南の方を望むと  切り立った渓谷のうえに青松が生えてかかっているように見える、どうしたらあの山の奥に入っていって、厚く張った氷を素足で踏みしめることができるのだろう。


早秋 熱に苦しみ 堆案【たいあん】相い 仍【よ】る
七月六日 炎蒸【えんじょう】に苦しむ、食に対し暫【しばら】く 餐【さん】せんとするも還【ま】た 能【あた】わず。
每に愁う 夜来【やらい】 皆【みな】是【こ】れ 蠍【かつ】なるを、况【いわ】んや 乃【すなわ】ち 秋後【しゅうご】 転【うた】た 蠅【はえ】多きをや。
束帯【そくたい】 狂を発して大叫【たいきょう】せんと欲す、簿書【ぼしょ】 何ぞ 急に来たって相い仍【よ】るや。
南望すれば 青松【せいしょう】 短壑【たんがく】に架【か】す、安【いず】くんぞ赤脚【せききゃく】 層冰【そうひょう】を踏むことを得ん。


現代語訳と訳註
(本文)

(下し文) 早秋 熱に苦しみ 堆案【たいあん】相い 仍【よ】る
七月六日 炎蒸【えんじょう】に苦しむ、食に対し暫【しばら】く 餐【さん】せんとするも還【ま】た 能【あた】わず。
每に愁う 夜来【やらい】 皆【みな】是【こ】れ 蠍【かつ】なるを、况【いわ】んや 乃【すなわ】ち 秋後【しゅうご】 転【うた】た 蠅【はえ】多きをや。
束帯【そくたい】 狂を発して大叫【たいきょう】せんと欲す、簿書【ぼしょ】 何ぞ 急に来たって相い仍【よ】るや。
南望すれば 青松【せいしょう】 短壑【たんがく】に架【か】す、安【いず】くんぞ赤脚【せききゃく】 層冰【そうひょう】を踏むことを得ん。


(現代語訳)
早秋 熱に苦しみ 官文書が未決でたまっていくことになっている 
今日はもう七月六日になる、それなのに 蒸し暑くてやりきれない、食膳に向回、少しは食べようと思うのだがやはり咽喉を通らない
何時も夜中になると サソリのことばかりが心配になる 、そのうえ、秋になってから余計に蠅がおおくなりうるさく飛んでくる。
窮屈な官服をきていなければいけないので、つい大声を出してさけびたくなってしまう、書類ばかりがどうしてこう、 つぎつぎに押しかけてくるのだろう。
南の方を望むと  切り立った渓谷のうえに青松が生えてかかっているように見える、どうしたらあの山の奥に入っていって、厚く張った氷を素足で踏みしめることができるのだろう。


(訳注)
早秋苦熱堆安相仍

早秋 熱に苦しみ 官文書が未決でたまっていくことになっている 
堆案 案は官文書。未決でたまっていくこと。


七月六日苦炎蒸,對食暫餐還不能。
今日はもう七月六日になる、それなのに 蒸し暑くてやりきれない、食膳に向回、少しは食べようと思うのだがやはり咽喉を通らない


每愁夜中自足蠍,況乃秋後轉多蠅。
何時も夜中になると サソリのことばかりが心配になる 、そのうえ、秋になってから余計に蠅がおおくなりうるさく飛んでくる。
足蠍 猛毒を持ったサソリ。


束帶發狂欲大叫,簿書何急來相仍。
窮屈な官服をきていなければいけないので、つい大声を出してさけびたくなってしまう、書類ばかりがどうしてこう、 つぎつぎに押しかけてくるのだろう。
束帶 冠をつけ、帯を結ぶこと。官吏の制服。○簿書 役所の書類。○來相仍 ひっきりなしに続いてくる書類のこと。


南望青松架短壑,安得赤腳蹋層冰?
南の方を望むと  切り立った渓谷のうえに青松が生えてかかっているように見える、どうしたらあの山の奥に入っていって、厚く張った氷を素足で踏みしめることができるのだろう。
南望 華州に居るので南望すると、崋山がのぞまれる。華山(かざん、ホワシャン ピンイン Hua Shān)は、中国陝西省華陰市にある険しい山。道教の修道院があり、中国五名山の一つで、西岳と称されている。蓮花山は、華山の最高峰。五嶽は以下。
華山(西嶽;2,160m陝西省渭南市華陰市)
嵩山(中嶽;1,440m河南省鄭州市登封市)、
泰山(東嶽;1,545m山東省泰安市泰山区)、
衡山(南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、
恒山(北嶽;2,016,m山西省大同市渾源県)
崋山は、中国大陸の西方をつかさどる山の神とされている。陝西省と山西省の境、黄河の曲り角にある。蓮花山の頂には池があり、千枚の花びらのある蓮の花を生じ、それをのむと羽がはえて自由に空をとぶ仙人になれるという。
短壑 切り立った谷。意味からすれば、絶壑の方が良い。谷の様子は、杜甫同時期の詩『望岳  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 271』に詳しい。○赤腳 はだし。○層冰 厚く張った氷。

 

 春の終わりごろから、玄宗派と見られた廷臣への圧迫が強くなり、中書舎人の賈至は汝州(河南省臨汝県)刺史に左遷され、さらに岳州(湖南省岳陽市)の司馬に貶された。杜甫の友人の岑参も虢州(河南省盧氏県)に貶された。
 房琯は宰相を罷免されたあとも高官として遇されていたが、政事の中枢からは遠ざけられ、六月に詔書が発せられて邠州(陝西省彬県)刺史に転出となった。邠州(ひんしゅう)は杜甫が「北征」のときに通った涇水中流の城市である。長安市の市長というべき京兆尹(けいちょういん)になっていた厳武(げんぶ)は、同じ六月に巴州(四川省巴中県)の刺史に左遷となった。
 杜甫も左拾遺を免ぜられ、華州(陝西省華県)の司功参軍(しこうさんぐん)に左遷された。華州は長安の東90kmほど、華山山麓の街です。中央の清官から地方の属官に移されたわけだ。
 詩は残暑が厳しく、仕事も雑用が多くて忙しいこと、華州の官舎の不衛生なことに腹を立て音をあげている。四十代後半まで、自由気ままな浪人暮らし、文人でいた訳で、文法もまとも出会い様な書類をうんざりしたのは理解できる。南に臨める華山のを見て山頂の仙人池に行って、「赤脚もて層冰を踏むを得ん」と結んでいる。詩人の常套である、苦しい時の、山のなかに隠遁したいという気持ちで結句にしている。

留別賈嚴二閣老兩院補缺 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 275

留別賈嚴二閣老兩院補缺 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 275
(賈、嚴の二閣老、兩院の補闕に留別す,雲字を得る)

757年6月 鄜州方面へゆく人に書信を託して家族の安否を調べたが、三川県羌村からの返事はなかなか返ってこず、聞こえてくるのは鄜州方面は兵禍に遭って、鶏や子犬までが殺されてしまったという悲惨な噂だけ。杜甫の心配はつのり、家族は死に絶えてしまったのではないかと思う。

七月に鄜州の妻から返事が届き、家族全員が無事であるとわかる。
「述懷」は安禄山の叛乱軍に拘束され、そこから鳳翔の行在所に逃げ帰ったことなど、杜甫の周りの出来事、心境を述べたものであった。

「得家書」の詩は、安否問いあわせの手紙を出したのち、家族の方より返事を得て作った詩である。杜甫は鳳翔に逃げてきて3か月たっていた。製作時は至徳二載の秋七月、757年46歳である。
6月杜甫は、房琯を弁護する発言をした。それは粛宗の逆鱗に触れるものであり、臣にあるまじき行為として、処罰されるところ、郭子儀他近臣の助言により、鄜州の家族のもとに帰省する暇を与えることとなった。
この詩は、鄜州に出発を前にして、中書舎人賈至、給事中厳武、左右両院の拾遺補闕の諸公に留別の詩としたものである。厳挺之


留別賈嚴二閣老兩院補缺,得雲字
賈至・
厳挺之の二閣老に、左右院補闕の諸公に留別して詩を作る。押韻の雲を与えられたのでそれを踏んで作る。

田園須暫往,戎馬惜離群。
私は、このたび鄜州の羌村にどうしてもしばらくの間行ってこないといけない。この安史軍討伐の「兵馬の火急な折」に皆さんと別れていくのは心残りがある。
去遠留詩別,愁多任酒醺。
遠い所へ出発しようとしてこの詩を残してお別れする、思い悩むことばかり多くて、しかもそれを解決しないまま行ってしまうけれども、酒の酔いに任せてしまうことにするのだ。
一秋常苦雨,今日始無雲。
この秋はずっと降り続いた長雨にこまってしまったものだが、今日は、初めて雲もなく晴れ渡っている。
山路晴吹角,那堪處處聞!

これから私の往く 山道も晴れ渡っているが、異民族の角笛を聞くことになる。私はその笛の声を行く先々で聞いて本当に耐えることができるだろうか。

賈、嚴の二閣老、兩院の補闕に留別す,雲字を得る
田園 須【すべから】く暫【しばら】く往くべし,戎馬【じゅうば】離群【りぐん】を惜しむ。
遠きに去【ゆ】かんとして詩を留めて別る,愁 多くして酒の醺に任【まか】す。
一秋【いつしゅう】 常に雨に苦しむ,今日 始めて雲無し。
山路 晴に角を吹く,那ぞ堪【たえ】む處處に聞くに!

DCF00218

現代語訳と訳註
(本文) 留別賈嚴二閣老兩院補缺,得雲字

田園須暫往,戎馬惜離群。
去遠留詩別,愁多任酒醺。
一秋常苦雨,今日始無雲。
山路晴吹角,那堪處處聞!

(下し文) 賈、嚴の二閣老、兩院の補闕に留別す,雲字を得る
田園 須【すべから】く暫【しばら】く往くべし,戎馬【じゅうば】離群【りぐん】を惜しむ。
遠きに去【ゆ】かんとして詩を留めて別る,愁 多くして酒の醺に任【まか】す。
一秋【いつしゅう】 常に雨に苦しむ,今日 始めて雲無し。
山路 晴に角を吹く,那ぞ堪【たえ】む處處に聞くに!


(現代語訳)
賈至・厳挺之の二閣老に、左右院補闕の諸公に留別して詩を作る。押韻の雲を与えられたのでそれを踏んで作る。

私は、このたび鄜州の羌村にどうしてもしばらくの間行ってこないといけない。この安史軍討伐の「兵馬の火急な折」に皆さんと別れていくのは心残りがある。
遠い所へ出発しようとしてこの詩を残してお別れする、思い悩むことばかり多くて、しかもそれを解決しないまま行ってしまうけれども、酒の酔いに任せてしまうことにするのだ。
この秋はずっと降り続いた長雨にこまってしまったものだが、今日は、初めて雲もなく晴れ渡っている。
これから私の往く 山道も晴れ渡っているが、異民族の角笛を聞くことになる。私はその笛の声を行く先々で聞いて本当に耐えることができるだろうか。


(訳注)
留別賈嚴二閣老兩院補缺,得雲字
賈、嚴の二閣老、兩院の補闕に留別す,雲字を得る。
賈至・厳武の二閣老に、左右院補闕の諸公に留別して詩を作る。押韻の雲を与えられたのでそれを踏んで作る。
 中書舎人賈 

早朝大明宮呈両省僚友 賈至  杜甫「奉和賈至舍人早朝大明宮」   

送賈閣老出汝州 杜甫

詩人賈至、王維、岑参、裴迪、高適らとにともに唱和している。
 厳挺之 杜甫詩『奉贈巌八閣老
厳二 厳挺之。厳八は厳武、厳武の父挺之は作者の友人であり、武は後輩である。杜甫の強力な援助者である。特に成都紀行、成都浣花渓草堂期に世話になる。厳武が没して成都を離れる。 
閣老 唐人は給事中をよぶのに閣老といった。また、宰相は堂老といい、両省のものは閣老といった。閣老は両省呼びあうので、給事中をよぶのに限られるわけではない。又このとき厳武は給事中、杜甫は左拾遺であるから同じく門下省に属し同省であるが、両省で呼び合う口称しあったとおもわれる。
兩院補缺 門下省に左右の院があり、補闕はそれぞれ2名いた。
得雲字 押韻それぞれで分けてつくったもの。


田園須暫往,戎馬惜離群。
田園 須【すべから】く暫【しばら】く往くべし,戎馬【じゅうば】離群【りぐん】を惜しむ。
私は、このたび鄜州の羌村にどうしてもしばらくの間行ってこないといけない。この安史軍討伐の「兵馬の火急な折」に皆さんと別れていくのは心残りがある。
田園 鄜州羌村。○須暫往 どうしてもしばらくの間行ってこないといけない。○戎馬 兵馬。長安、洛陽の奪還の準備をしていたので杜甫は、徒歩で出発した。徒步歸行 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 200。○離群 詩題の詩人の仲間から離れることと、戎馬を自分が使用すると戦力が落ちるのでという意味と解釈できる。


去遠留詩別,愁多任酒醺。
遠きに去【ゆ】かんとして詩を留めて別る,愁 多くして酒の醺に任【まか】す。
遠い所へ出発しようとしてこの詩を残してお別れする、思い悩むことばかり多くて、しかもそれを解決しないまま行ってしまうけれども、酒の酔いに任せてしまうことにするのだ。
去遠 遠い所へ出発しようとしているさま。○留詩別 この詩を別れに際しておいて行く。○愁多任 思い悩むことばかりで、しかもそれを解決しないままで。○酒醺 酒の酔いに任せてしまうこと。


一秋常苦雨,今日始無雲。
一秋【いつしゅう】 常に雨に苦しむ,今日 始めて雲無し。
この秋はずっと降り続いた長雨にこまってしまったものだが、今日は、初めて雲もなく晴れ渡っている。
一秋常 この秋はずっと降り続いた。○苦雨 雨が降り続くことで困ってしまうさま。○始無雲 初めて雲のない御天気になること。喜晴 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 157

山路晴吹角,那堪處處聞!
山路 晴に角を吹く,那ぞ堪【たえ】む處處に聞くに!
これから私の往く 山道も晴れ渡っているが、異民族の角笛を聞くことになる。私はその笛の声を行く先々で聞いて本当に耐えることができるだろうか。
山路晴 山道も晴れ渡っている。街道沿いには安史軍でいっぱいなので歩くわけにいかない。○吹角 杜甫は、安禄山が洛陽長安を攻め落とすとき、白水奉先ルートを家族と共に避行している。その時に北方の異民族の角笛を聞いて恐怖を覚えた。彭衙行 杜甫 132 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132 -#1
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酬孟雲卿 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 274

酬孟雲卿 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 274

酬孟雲卿
孟雲卿に受けた盃を御返杯する。
樂極傷頭白,更長愛燭紅。
程よい心の楽しみを得る生活をしていたせいか白髪あたまがこんなになってしまった、二人で飲み明かすのに赤いともし火に照らされて時間を気にせず語りたい。
相逢難袞袞,告別莫匆匆。
こうして二人があって話をすると心の中が分かっており、ねんごろに話すことはない、だからといって、それでは別れを告げあうかというとそうあわただしくするようなことはない。
但恐天河落,寧辭酒盞空?
ただ酒を呑みすぎて、天地がひっくり返るほど酔いつぶれることを畏れている、どうして酒壷が空になったらここを立ち去らないといけないのだろうか。
明朝牽世務,揮淚各西東。

明日の朝になればお互い、現在の国家社会のためになすべき仕事をしていかねばならない、わたしも気持ちを変えて涙を吹き飛ばし、西と東でそれぞれ職務をつくそうと思う。


孟雲卿に酬ゆ
樂しみ極まれて頭白を傷む,更長【こうちょう】燭紅を愛す。
相い逢いて袞袞【こんこん】としするが難し,告別は匆匆【そうそう】とする莫れ。
但恐れる天河の落るを,寧ぞ酒盞空を辭さんや?
明朝 世務に牽き,淚を揮って各々西東たり。


現代語訳と訳註
(本文)
酬孟雲卿
樂極傷頭白,更長愛燭紅。
相逢難袞袞,告別莫匆匆。
但恐天河落,寧辭酒盞空?
明朝牽世務,揮淚各西東。


(下し文) 孟雲卿に酬ゆ
樂しみ極まれて頭白を傷む,更長【こうちょう】燭紅を愛す。
相い逢いて袞袞【こんこん】としするが難し,告別は匆匆【そうそう】とする莫れ。
但恐れる天河の落るを,寧ぞ酒盞空を辭さんや?
明朝 世務に牽き,淚を揮って各々西東たり。


(現代語訳)
孟雲卿に受けた盃を御返杯する。
程よい心の楽しみを得る生活をしていたせいか白髪あたまがこんなになってしまった、二人で飲み明かすのに赤いともし火に照らされて時間を気にせず語りたい。
こうして二人があって話をすると心の中が分かっており、ねんごろに話すことはない、だからといって、それでは別れを告げあうかというとそうあわただしくするようなことはない。
ただ酒を呑みすぎて、天地がひっくり返るほど酔いつぶれることを畏れている、どうして酒壷が空になったらここを立ち去らないといけないのだろうか。
明日の朝になればお互い、現在の国家社会のためになすべき仕事をしていかねばならない、わたしも気持ちを変えて涙を吹き飛ばし、西と東でそれぞれ職務をつくそうと思う。


(訳注)
○酬孟雲卿

孟雲卿に受けた盃を御返杯する。
孟雲卿は725年(唐の開元10年)生まれ、没年未詳。字名升之。平昌(商河県、山東省済南市に位置する県。)の人。商河県は山東賞西北部、徒駭河北岸に位置する。南北は51km、東西は43kmである。天宝年間30歳を過ぎて進士及第、長安に入る。残存詩17首。平易な言葉で、自尊心が強く社会的現実的な詩は、杜甫、元結などと共有する。758年、6月、杜甫、華州司公參軍に左遷される前夜、酒を酌み交わす。


樂極傷頭白,更長愛燭紅。
程よい心の楽しみを得る生活をしていたせいか白髪あたまがこんなになってしまった、二人で飲み明かすのに赤いともし火に照らされて時間を気にせず語りたい。
樂極 程よい心の楽しみを得ること。『呉志、諸葛恪傳』「人情之於品物、楽極則哀生。」(人情これ、品物に於ける、楽しみ極まれば則ち哀しみ生ず)に基づく。○更長 夜長を過ごすこと。○燭紅 あかくともしびに照らされる様。


相逢難袞袞,告別莫匆匆。
こうして二人があって話をすると心の中が分かっており、ねんごろに話すことはない、だからといって、それでは別れを告げあうかというとそうあわただしくするようなことはない。
袞袞 大水が流れる様子。塵が後からあとから立のぼる様子。ねんごろに説いて話の尽きない様子。○匆匆 あわただしいさま。烏兎匆匆 意味。歳月のあわただしく過ぎ去るたとえ。▽「烏兎」は歳月・月日の意。太陽には三本足のからすが棲すんでおり、月にはうさぎが棲んでいるという古代中国の伝説による。「匆匆」は急ぐさま、あわただしいさま。「匆匆」は「怱怱」とも書く。


但恐天河落,寧辭酒盞空?
ただ酒を呑みすぎて、天地がひっくり返るほど酔いつぶれることを畏れている、どうして酒壷が空になったらここを立ち去らないといけないのだろうか。


明朝牽世務,揮淚各西東。
明日の朝になればお互い、現在の国家社会のためになすべき仕事をしていかねばならない、わたしも気持ちを変えて涙を吹き飛ばし、西と東でそれぞれ職務をつくそうと思う。
世務 現在の国家社会のためになすべき仕事。世の中の煩わしい仕事。


觀安西兵過赴關中待命二首 其二 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 273

觀安西兵過赴關中待命二首 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 273
(安西の兵の過ぐるを観る 関中に赴きて命を待つなり二首 其の二)

觀安西兵過赴關中待命二首 其二
奇兵不在眾,萬馬救中原。
兵法は奇策を用うるのが貴いのであって、兵数がたくさんいるということが兵法ではない。この安西の兵は万馬を以て中原の地方を救おうとしているのだ。
談笑無河北,心肝奉至尊。
わらいばなしのうちにもはや河北の叛乱軍の情況を眼中に無しとするようなものである、その心はひとすじに我が天子へとささげているのだ。
孤雲隨殺氣,飛鳥避轅門。
天に一片の雲が浮かんでいて殺気はその雲に随うほどに高くのぼり、飛ぶ鳥も威風をはばかって軍門のあたりをよけてとおる。
竟日留歡樂,城池未覺喧。
軍隊では紀律も正しいから終日ここ華州にのこって歓楽しているようだけれども、ここの華州の城ではちっともやかましさをおぼえぬのである。

(安西の兵の過ぐるを観る 関中に赴きて命を待つなり二首 其の二)
奇兵【きへい】衆【しゅう】に在らず、万馬【ばんば】中原を救わんとす。
談笑 河北を無【な】みす、心肝【しんかん】至尊【しそん】に奉ず。
孤雲 殺気随い、飛鳥【ひちょう】轅門【えんもん】を避【さ】く。
竟日【きょうじつ】留まりて歓楽す、城池【じょうち】未【いま】だ喧【かまびす】しきを覚えず。


現代語訳と訳註
(本文)

觀安西兵過赴關中待命二首 其二
奇兵不在眾,萬馬救中原。
談笑無河北,心肝奉至尊。
孤雲隨殺氣,飛鳥避轅門。
竟日留歡樂,城池未覺喧。


(下し文)
(安西の兵の過ぐるを観る 関中に赴きて命を待つなり二首 其の二)
奇兵【きへい】衆【しゅう】に在らず、万馬【ばんば】中原を救わんとす。
談笑 河北を無【な】みす、心肝【しんかん】至尊【しそん】に奉ず。
孤雲 殺気随い、飛鳥【ひちょう】轅門【えんもん】を避【さ】く。
竟日【きょうじつ】留まりて歓楽す、城池【じょうち】未【いま】だ喧【かまびす】しきを覚えず。


(現代語訳)
兵法は奇策を用うるのが貴いのであって、兵数がたくさんいるということが兵法ではない。この安西の兵は万馬を以て中原の地方を救おうとしているのだ。
わらいばなしのうちにもはや河北の叛乱軍の情況を眼中に無しとするようなものである、その心はひとすじに我が天子へとささげているのだ。
天に一片の雲が浮かんでいて殺気はその雲に随うほどに高くのぼり、飛ぶ鳥も威風をはばかって軍門のあたりをよけてとおる。
軍隊では紀律も正しいから終日ここ華州にのこって歓楽しているようだけれども、ここの華州の城ではちっともやかましさをおぼえぬのである。


(訳注)
奇兵不在眾,萬馬救中原。

奇兵【きへい】衆【しゅう】に在らず、万馬【ばんば】中原を救わんとす。
兵法は奇策を用うるのが貴いのであって、兵数がたくさんいるということが兵法ではない。この安西の兵は万馬を以て中原の地方を救おうとしているのだ。
奇兵 晋の安帝の時、沈田子がいうのに「兵は奇を用いるを貴ぶ、必しも衆に在らず。」と。首句は其の意をとる。〇万馬 多くの兵馬。○中原 黄河南北の地方。


談笑無河北,心肝奉至尊。
談笑 河北を無【な】みす、心肝【しんかん】至尊【しそん】に奉ず。
わらいばなしのうちにもはや河北の叛乱軍の情況を眼中に無しとするようなものである、その心はひとすじに我が天子へとささげているのだ。
談笑 将士が談笑する。○無河北 無は無視すること。河北は河北道をさす、河北道は孟・懐・魂・博・相・衛・貝・壇等の二十九州を領しており、時に賊将安慶緒は相・衛に拠っていた。○心肝 こころ。○ ささげたてまつる。○至専 天子(粛宗)。


孤雲隨殺氣,飛鳥避轅門。
孤雲 殺気随い、飛鳥【ひちょう】轅門【えんもん】を避【さ】く。
天に一片の雲が浮かんでいて殺気はその雲に随うほどに高くのぼり、飛ぶ鳥も威風をはばかって軍門のあたりをよけてとおる。
随殺気 殺気が雲にしたがい下よりたかくのぼる。○避境門 嬢は兵事のかじ棒、車をつんでその棒をむかいあわせに門形をつくる、輯門は軍門、遅くとはその威風をさけであたりをとおらぬこと。


竟日留歡樂,城池未覺喧。
竟日【きょうじつ】留まりて歓楽す、城池【じょうち】未【いま】だ喧【かまびす】しきを覚えず。
軍隊では紀律も正しいから終日ここ華州にのこって歓楽しているようだけれども、ここの華州の城ではちっともやかましさをおぼえぬのである。
竟日 終日。○ 華州に逗留する。○城池 華州のしろ、ほり。



觀安西兵過赴關中待命二首 其二

奇兵不在,萬馬救中原。

談笑無河北,心肝奉至尊。

孤雲隨殺氣,飛鳥避轅門。

竟日留歡樂,城池未覺喧。


(安西の兵の過ぐるを観る 関中に赴きて命を待つなり二首 其の二)

奇兵【きへい】衆【しゅう】に在らず、万馬【ばんば】中原を救わんとす。

談笑 河北を無【な】みす、心肝【しんかん】至尊【しそん】に奉ず。

孤雲 殺気随い、飛鳥【ひちょう】轅門【えんもん】を避【さ】く。

竟日【きょうじつ】留まりて歓楽す、城池【じょうち】未【いま】だ喧【かまびす】しきを覚えず。

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觀安西兵過赴關中待命 二首 其一 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 272

觀安西兵過赴關中待命二首 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 272

安西都護府に属する兵が華州を過ぎるのを観て作った詩。その兵はこれから関中へ行って将来の行動について天子の仰せを待つものである。乾元元年六月、李嗣業は懐州(今の河南懐慶府河内県治)の刺史となり、鎮西北庭行営節度使に充てられ、八月、郭子儀等と同じく歩騎二十万に将として安慶緒を討った。これは李嗣業の兵が懐州から長安へ赴く道すがら華州を経たもので八月討伐にでかけぬ以前のことである。

觀安西兵過赴關中待命二首其一
天子の特命を受けるため華州を過ぎて長安に向かう安西都護府に向かう兵士の隊列を見る。
四鎮富精鋭,摧鋒皆絶倫。
西鎮には精鋭の兵がたくさんいる、かれらは敵軍の鉾先をうちくだくことはたぐいをこえている。
還聞獻士卒,足以靜風塵。
きけばその四鎮はこのたび天子に兵卒を献じて御用をつとめるそうだが、彼等ならば十分世のちりほこり、叛乱を引き起こした者たちをしずめることができる。
老馬夜知道,蒼鷹饑著人。
四鎮将士の其の智は老馬が闇夜にも道を知っているように、其の意気は鷹が餓えて人についているようなものだ。
臨危經久戰,用急始如神。
天下の危きにあたって、四鎮将士は経験豊かで長々の戦の知識をもっているのだ、之を叛乱のような火急の場合に用うるときには始めて彼等の奏する効は不可思議なるものがあるである。

(安西の兵の過ぐるを観る 関中に赴きて命を待つなり二首)
四鎮【しちん】精鋭【せいえい】富【と】めり、鋒【ほう】を摧【くだ】くこと皆【みな】絶倫【ぜつりん】なり。
還た聞く士卒【しそつ】を献ずと、以て風塵を静かならしむるに足る。
老馬【ろうば】夜道【よるみち】を知る、蒼鷹【そうよう】餓【う】えて人に著【つ】く。
危【き】に臨【のぞ】みて久戦【きゅうせん】を経たり、急なるに用【もち】うれば始めて神【しん】の如くならん。



現代語訳と訳註
(本文) 其一

四鎮富精鋭,摧鋒皆絶倫。
還聞獻士卒,足以靜風塵。
老馬夜知道,蒼鷹饑著人。
臨危經久戰,用急始如神。

 (下し文) (安西の兵の過ぐるを観る 関中に赴きて命を待つなり二首)
四鎮【しちん】精鋭【せいえい】富【と】めり、鋒【ほう】を摧【くだ】くこと皆【みな】絶倫【ぜつりん】なり。
還た聞く士卒【しそつ】を献ずと、以て風塵を静かならしむるに足る。
老馬【ろうば】夜道【よるみち】を知る、蒼鷹【そうよう】餓【う】えて人に著【つ】く。
危【き】に臨【のぞ】みて久戦【きゅうせん】を経たり、急なるに用【もち】うれば始めて神【しん】の如くならん。


(現代語訳)
天子の特命を受けるため華州を過ぎて長安に向かう安西都護府に向かう兵士の隊列を見る。
西鎮には精鋭の兵がたくさんいる、かれらは敵軍の鉾先をうちくだくことはたぐいをこえている。
きけばその四鎮はこのたび天子に兵卒を献じて御用をつとめるそうだが、彼等ならば十分世のちりほこり、叛乱を引き起こした者たちをしずめることができる。
四鎮将士の其の智は老馬が闇夜にも道を知っているように、其の意気は鷹が餓えて人についているようなものだ。
天下の危きにあたって、四鎮将士は経験豊かで長々の戦の知識をもっているのだ、之を叛乱のような火急の場合に用うるときには始めて彼等の奏する効は不可思議なるものがあるである。


(訳注)
觀安西兵過赴關中待命二首

天子の特命を受けるため華州を過ぎて長安に向かう安西都護府に向かう兵士の隊列を見る。
安西 安西都護府をいう、758年至徳元載に安西節度は鎮西とあらためられた。詩人は究明を使うのが常套。今の新疆ウィグル自治区南部におかれた唐朝西方およびチベットの守りのためにおかれた幕府
安西都護高仙芝。唐の貞観十七年に安西都護府を西州に置いたが、顕慶三年には治を亀立国城(今の新嬉省の庫車)に移し、手腕以西・波斯以東の十六都護府をこれに隷せしめた。
安史の乱以前には、周辺国と戦争状態にあり兵力は此の幕府にかなりの勢力がそそがれた。安史の乱の呼び水的な地点であり、安史の乱を抑えるために敵に援助を求め、長安、洛陽を奪還できたのもこのウイグルの民族であった。

747年天宝6載、高仙芝は配下の封常清・李嗣業・監軍の辺令誠ら歩騎一万を率いて討伐に出た。歩兵も全て馬を持ち、安西(クチャ)を出発し、カシュガルを通り、パミール高原に入り、五識匿国(シュグナン地方)に着いた。その後、軍を三分して、趙崇玼と賈崇カンに別働隊を率いさせ、本隊は護密国を通って、後に合流することにした。高仙芝たちはパミール高原を越え、合流に成功し、急流のパンジャ川の渡河にも成功する。この地で吐蕃軍が守る連雲堡(サルハッド?)を落とし、5千人を殺し、千人を捕らえた。ここで、進軍に同意しなかった辺令誠と3千人の兵を守備において、さらに行軍した。

峻険な20kmもほぼ垂直な状態が続くと伝えられるダルコット峠を下り、将軍・席元慶に千人をつけ、「大勃律へ行くために道を借りるだけだ」と呼ばわらせた。自身の小勃律の本拠地・阿弩越城への到着後、吐蕃派の大臣を斬り、小勃律王を捕らえ、パンジャ河にかかった吐蕃へ通じる藤橋を切った。その後、小勃律王とその后である吐蕃王の娘を連れ、帰還する。西域72国は唐に降伏し、その威が西アジアにまで及んだ。九載には仙芝は石国を討って其の王を仔にして献じている。
○過 華州をすぎる、東より来て酉に向かう。○関中 長安附近をいう、東は函谷関、西は陳酉関を以て界とし、その以内の地を関中という。○待命 天子のおおせをまつ、軍の行動についての指揮の命令をまつこと。


四鎮富精鋭,摧鋒皆絶倫。
西鎮には精鋭の兵がたくさんいる、かれらは敵軍の鉾先をうちくだくことはたぐいをこえている。
四鎮 亀茲・畋沙・疏勅・焉耆の四鎮、みな西安都護府の統べる所である。四は西を意味し鎮西をさす。○精鋭 くわしくするどい兵卒。○推鋒 敵軍のほこさきをうちくだく。


還聞獻士卒,足以靜風塵。
きけばその四鎮はこのたび天子に兵卒を献じて御用をつとめるそうだが、彼等ならば十分世のちりほこり、叛乱を引き起こした者たちをしずめることができる。
 天子にたてまつる。○静風塵 ほこりをしずめるとは叛乱軍の残兵をおいはらうことをいう。ウイグルの国軍の援助で唐王朝軍は復活できたが、安史軍の安禄山の援軍にもウイグルを始め西方の兵士が多くいたのである。

老馬夜知道,蒼鷹饑著人。
四鎮将士の其の智は老馬が闇夜にも道を知っているように、其の意気は鷹が餓えて人についているようなものだ。
老馬「韓非子」に斉の桓公が孤竹国を伐ち、還るとき道を失ったとき、管仲は「老馬の智は用う可きなり」といい老馬を放ってそのあとよりしたがったという。主将の戦になれたことはこの老馬の道を知るがごとくであることをいう。○蒼鷹 慕容垂の故事、垂は鷹のごとく餓えれば人に附き、飽けば高く飛びさるといわれた。士卒の勇悍にして鷹の餓えて人につき用を為すごとくであることをいう。


臨危經久戰,用急始如神。
天下の危きにあたって、四鎮将士は経験豊かで長々の戦の知識をもっているのだ、之を叛乱のような火急の場合に用うるときには始めて彼等の奏する効は不可思議なるものがあるである。
臨危 あやういときに際して。○用急 急の字は上句の危の字に接する、「急なるに用う」とは国家危急の時において其のカを用うればの義。(用兵の法が急速なればの義とする。)○如神 兵の効を奏する人力以上のもののあることをいう、如を一に知に作る。

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望岳  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 271

望岳  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 271

華州に赴任するとき、途にて華山をのぞんで作った詩である。華山は 五岳のうちの西岳にあたる、華州華陰県の南にある。
758年秋の作。
七言律詩 韻.尊、孫、盆、源。


望嶽
西嶽崚嶒竦處尊,諸峰羅立似兒孫。
五岳の西岳である華山はたかくけわしく、そしてそのそびえて居すわっているさまは尊くみえる。それにくらべると他のもろもろの峰々はつらなり立っているが華山という大親の児どもか孫たちかというようである。
安得仙人九節杖,拄到玉女洗頭盆?
崋山は仙人の山であり、わたしはどうかして仙人がもっているという九節の竹杖を得て、その杖にからだをささえられて頂上の玉女の洗頭盆のあたりまでゆきたいとおもっている。
車箱入谷無歸路,箭栝通天有一門。
この山はその重箱形をした谷へはいるともどりみちもなく、やはずのようなせまく細い天へのかよい路がただ一門あるばかりだ。
稍待秋風涼冷後,高尋白帝問真源。

だんだん秋風がすずしくつめたくなるのをまって、自分は白帝の鎮座しているこの山をたずねて仙道の本源を問いただしたいとおもう。

(岳を望む)
西岳崚嶒【りょうそう】として竦處【しょうしょ】すること尊し、諸峰羅立して児孫【じそん】に似たり。
安んぞ仙人の九節の杖を得て、拄【ささ】えられて到らん玉女の洗頭盆。
車箱【しゃそう】谷に入れば 帰路無く、箭桔【せんかつ】天に通ずる一門有り。
稍【ようや】く秋風の涼冷なる後を待ちて、高く白帝【はくてい】を尋ねて真源を問わん。

杜甫乱前後の図003鳳翔


現代語訳と訳註
(本文)
望嶽
西嶽崚嶒竦處尊,諸峰羅立似兒孫。
安得仙人九節杖,拄到玉女洗頭盆?
車箱入谷無歸路,箭栝通天有一門。
稍待秋風涼冷後,高尋白帝問真源。


(下し文) (岳を望む)
西岳崚嶒【りょうそう】として竦處【しょうしょ】すること尊し、諸峰羅立して児孫【じそん】に似たり。
安んぞ仙人の九節の杖を得て、拄【ささ】えられて到らん玉女の洗頭盆。
車箱【しゃそう】谷に入れば 帰路無く、箭桔【せんかつ】天に通ずる一門有り。
稍【ようや】く秋風の涼冷なる後を待ちて、高く白帝【はくてい】を尋ねて真源を問わん。


(現代語訳)
五岳の西岳である華山はたかくけわしく、そしてそのそびえて居すわっているさまは尊くみえる。それにくらべると他のもろもろの峰々はつらなり立っているが華山という大親の児どもか孫たちかというようである。
崋山は仙人の山であり、わたしはどうかして仙人がもっているという九節の竹杖を得て、その杖にからだをささえられて頂上の玉女の洗頭盆のあたりまでゆきたいとおもっている。
この山はその重箱形をした谷へはいるともどりみちもなく、やはずのようなせまく細い天へのかよい路がただ一門あるばかりだ。
だんだん秋風がすずしくつめたくなるのをまって、自分は白帝の鎮座しているこの山をたずねて仙道の本源を問いただしたいとおもう。

(訳注)
望嶽 華州に赴任するとき、途にて華山をのぞんで作った詩。崋山は五岳の西岳になる。又杜甫の739年28歳の作東岳を詠った『望嶽』がある。
岱宗夫如何,齊魯青未了。造化鍾神秀,陰陽割昏曉。
盪胸生曾雲,決眥入歸鳥。會當凌絶頂,一覽衆山小。
五岳(ごがく)は中国の道教の聖地である5つの山の総称。陰陽五行説に基づき、木行=東、火行=南、土行=中、金行=西、水行=北 の各方位に位置する、5つの山が聖山とされる。五名山とも呼ばれる。○崋山の蓮花山は最高峰とされている。五岳は以下の通り。
華山(西嶽;2,160m陝西省渭南市華陰市)
嵩山(中嶽;1,440m河南省鄭州市登封市)、
泰山(東嶽;1,545m山東省泰安市泰山区)、
衡山(南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、
恒山(北嶽;2,016,m山西省大同市渾源県)
崋山は、中国大陸の西方をつかさどる山の神とされている。陝西省と山西省の境、黄河の曲り角にある。蓮花山の頂には池があり、千枚の花びらのある蓮の花を生じ、それをのむと羽がはえて自由に空をとぶ仙人になれるという。


西嶽崚嶒竦處尊,諸峰羅立似兒孫。
五岳の西岳である華山はたかくけわしく、そしてそのそびえて居すわっているさまは尊くみえる。それにくらべると他のもろもろの峰々はつらなり立っているが華山という大親の児どもか孫たちかというようである。
崚嶒 山の高くけわしくい、幾重にも重なるさま。文選、沈約『鍾山詩』「鬱溧として丹巘を構へ崚嶒として靑嶂を起す。」注に曰く、崚嶒は畳重ねの貌【かたちどる】。○竦處 竦は聳える。あがる。処は居ること。
羅立 つらなりたつ。連峰。


安得仙人九節杖,拄到玉女洗頭盆?
崋山は仙人の山であり、わたしはどうかして仙人がもっているという九節の竹杖を得て、その杖にからだをささえられて頂上の玉女の洗頭盆のあたりまでゆきたいとおもっている。
安得 希望をいう。○仙人九節杖 九節杖は九つのふしのある竹のつえ、仙人のつくもの。○玉女洗頭盆 山頂の玉女祠前に石臼があり、なかの水は澄碧にしてつねに増減がないことから、これを玉女の頭を洗う盆と呼んでいる。


車箱入谷無歸路,箭栝通天有一門。
この山はその重箱形をした谷へはいるともどりみちもなく、やはずのようなせまく細い天へのかよい路がただ一門あるばかりだ。
車箱 谷の形状をいう、箱は車体。車箱入谷とは車箱のような空が見えず、奥深くU字形の谷に入ること。○箭栝通天 栝は筈と通ずる、箭筈はやはず、矢の先をいう。華山に天井という処があり、そこより空をのぞめはわずかに明光をみるという。通天とはそこより仙境の高処に通うことをいう。〇一門 上述のせまい一道をたとえていう。 


稍待秋風涼冷後,高尋白帝問真源。
だんだん秋風がすずしくつめたくなるのをまって、自分は白帝の鎮座しているこの山をたずねて仙道の本源を問いただしたいとおもう。
白帝 西方の神で華山を支配する。五行思想で西、秋、は白、崋山は秋になると積雪があり冠雪となる。霜、雪の神でもある。 ○真源 仙道のまことの本源。


一年も続いた朝廷内での杜甫に対する無視という「いじめ」を体感した。杜甫自身が招いたことではあるが、辛く切ない一年を過ごしたのであるから、旅に出て気分を変えるつもりもあったのかといえば、気分転換どころかさらに、隠遁を口に出しはするが、杜甫の心は負のスパイラルに陥っていく。
華州は長安より東に90kmにある。北から南下してきた黄河が、長安方面から流れてきた渭水と北西からこの地点に流れ込んでくる洛河の合流点であること、合流した川は黄河の巨大な川となって東流して洛陽方面、中原へと流れ行くのである。長安、洛陽を安史軍から奪還したといっても、史忠明の軍は鄴城に迫り、そこから西に黄河に出て南下して、長安洛陽を再び陥れようとしている。華州、司功参軍ではそれを敏感に感じて緊張感が高まっていた。
 杜甫の仕事は、ここでの教育長というべき仕事であった。華州の推薦する進士を選ぶための試験問題をつくるというものである。758年秋のことであった。

題鄭牌亭子 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 270

題鄭牌亭子 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 270

(鄭県の亭子に題す)
華州の鄭県にある亭にかきつけた詩、実はそこにある竹に題した詩である。作者が華州へ赴任しょうとするときの作である。

題鄭縣亭子
鄭縣亭子澗之濱,戶牖憑高發興新。
鄭県の宿場の傍、谷間の水辺にある、その宿場の戸や窓から高処に寄って眺めると新しく興が沸き起こる。
雲斷岳蓮臨大路,天晴宮柳暗長春。
雲が途絶えて華岳の蓮峰が大道にさしかかっており、空は晴れ渡って河向かいの長春宮のあたりに柳が小暗く見えている。
巢邊野雀欺群燕,花底山蜂趁遠人。
やや近くでは燕の巣の傍へ野の雀が群がってやって来てそれをあなどっており、花樹のあいだを通って行く人を山蜂が同じようにどこまでもとくっついて行く。(遠景近景ともにおもしろい。あるいは、朝廷内のことを揶揄しているのか)
更欲題詩滿青竹,晚來幽獨恐傷神。

そこでわたしは宿場の傍の青竹の幹にもっと詩をかきつけていっぱいになるほどにしようかと思うのだが、いかにせん、夕方になって。竹藪の奥深い所、寂しく一人でいることで、いろんなおもい、心の傷が浮かんでくる。(だからこのまま竹林の奥にひっそりと棲みたいものだ。)

 (鄭県の亭子に題す)
鄭県【ていけん】の亭子【ていし】澗【かん】の浜【ひん】、戶牖【こゆう】 高きに憑【よ】れば発興【ほつきょう】新なり。
雲断えて岳蓮【がくれん】大路【たいろ】に臨み、天晴れて宮柳【きゅうりゅう】長春【ちょうしゅん】に暗し。
巣辺【そうへん】には野雀【やじゃく】羣【むら】がりて燕を欺【あなど】り、花底【かてい】には山蜂【さんぽう】遠く人を趁【お】う。
更に詩を題して青竹に満【み】てんと欲するも、晩来幽独【ゆうどく】にして恐らくは神を傷【いた】ましめん。

杜甫乱前後の図003鳳翔
 

現代語訳と訳註
(本文) 題鄭縣亭子

鄭縣亭子澗之濱,戶牖憑高發興新。
雲斷岳蓮臨大路,天晴宮柳暗長春。
巢邊野雀欺群燕,花底山蜂趁遠人。
更欲題詩滿青竹,晚來幽獨恐傷神。


(下し文) (鄭県の亭子に題す)
鄭県【ていけん】の亭子【ていし】澗【かん】の浜【ひん】、戶牖【こゆう】 高きに憑【よ】れば発興【ほつきょう】新なり。
雲断えて岳蓮【がくれん】大路【たいろ】に臨み、天晴れて宮柳【きゅうりゅう】長春【ちょうしゅん】に暗し。
巣辺【そうへん】には野雀【やじゃく】羣【むら】がりて燕を欺【あなど】り、花底【かてい】には山蜂【さんぽう】遠く人を趁【お】う。
更に詩を題して青竹に満【み】てんと欲するも、晩来幽独【ゆうどく】にして恐らくは神を傷【いた】ましめん。


(現代語訳)
鄭県の宿場の傍、谷間の水辺にある、その宿場の戸や窓から高処に寄って眺めると新しく興が沸き起こる。
雲が途絶えて華岳の蓮峰が大道にさしかかっており、空は晴れ渡って河向かいの長春宮のあたりに柳が小暗く見えている。
やや近くでは燕の巣の傍へ野の雀が群がってやって来てそれをあなどっており、花樹のあいだを通って行く人を山蜂が同じようにどこまでもとくっついて行く。(遠景近景ともにおもしろい。あるいは、朝廷内のことを揶揄しているのか)
そこでわたしは宿場の傍の青竹の幹にもっと詩をかきつけていっぱいになるほどにしようかと思うのだが、いかにせん、夕方になって。竹藪の奥深い所、寂しく一人でいることで、いろんなおもい、心の傷が浮かんでくる。(だからこのまま竹林の奥にひっそりと棲みたいものだ。)


(訳注)
題鄭縣亭子

鄭県の宿場か、駅である。あずまやの壁に題したもの。普段なら、詩が湧き上がってくる情景であるのに夕暮れと長安の都から遠ざかってゆく身を詠ったもの。758年晩夏、高式顔との出会い別れたがその直後の作であろう。左遷の赴任途中である。


鄭縣亭子澗之濱,戶牖憑高發興新。
(鄭県の亭子澗の浜、戶牖 高きに憑れば発興新なり。)
鄭県の宿場の傍、谷間の水辺にある、その宿場の戸や窓から高処に寄って眺めると新しく興が沸き起こる。
鄭県 華州の城郭にくっついて置かれた県の名。○亭子 ちん、四阿、小さな休み場所。あずまや。子は助詞。亭:宿場、宿駅、○ たにの水、鄭県にある西渓をいう。○ ほとり。○戸牖 牖はかべの窓、この二字は副詞にみるべきである。○憑高 たかいところによってながめる、戸牖からながめる。○発興 興味をおこす。


雲斷岳蓮臨大路,天晴宮柳暗長春。
(雲断えて岳蓮大路に臨み、天晴れて宮柳長春に暗し。)

雲が途絶えて華岳の蓮峰が大道にさしかかっており、空は晴れ渡って河向かいの長春宮のあたりに柳が小暗く見えている。
岳蓮 華山の姿をいう、華山は華州の東南にある。蓮は蓮花峰をいう、山頂に池があって千葉蓮花(かさなりのはちす)が派生する様子から名づけられたという。○大路 街道をさす。○宮柳 長春宮のやなぎ。官柳は官よりうえたやなぎをいう。○ 葉のしげって薄暗くかすんでいるさまをいう。○長春 宮の名、陝西省同州府朝邑県にあり、黄河をへだてて華州よりは東北にあたる、肉眼ではそのあたりまでは見えないであろうがさように感ぜられることをいう。


巢邊野雀欺群燕,花底山蜂趁遠人。
(巣辺には野雀羣がりて燕を欺り、花底には山蜂遠く人を趁う。)
やや近くでは燕の巣の傍へ野の雀が群がってやって来てそれをあなどっており、花樹のあいだを通って行く人を山蜂が同じようにどこまでもとくっついて行く。(遠景近景ともにおもしろい。あるいは、朝廷内のことを揶揄しているのか)
 つばめのすをいう。○ 俗用のときは欺侮の義、あなどること。○花底 百花の中央をつきぬけることをいう。○ あとからおいついてくること。


更欲題詩滿青竹,晚來幽獨恐傷神。
(晩来幽独にして恐らくは神を傷ましめん。)
そこでわたしは宿場の傍の青竹の幹にもっと詩をかきつけていっぱいになるほどにしようかと思うのだが、いかにせん、夕方になって。竹藪の奥深い所、寂しく一人でいることで、いろんなおもい、心の傷が浮かんでくる。(だからこのまま竹林の奥にひっそりと棲みたいものだ。)
滿青竹 青竹ははえている竹の幹をいう。満はいっぱいにかきつける。○幽独 しずかにただひとりいる。竹藪の奥深い所を示す。隠遁者のつかう言葉である。○傷神 こころをいたましめ、かなしましめる。

韻は、新、春、人、神。 

贈高式顔(昔別是何処) 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 269

贈高式顔(昔別是何処) 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 269
(高式顔に贈る)

758年乾元元年 杜甫47歳

華州と洛陽との間とおもわれる。時期的には華州に左遷される途中である。友人の高適の甥で詩人であった。安史軍に捕縛され軟禁状態の折に語り合った友人である。二人とも不安を持った旅の途中である。 しばしの安らぎの時を過ごしたことと思う。


贈高式顔
昔別是何処、相逢皆老夫。
君とむかしどこでお別れをしたのであったか、今お会いしてみるとお互いに老人になっている。
故人還寂寞、削跡共艱虞。
旧知の友である君も近頃は雲行が悪く寂しそうであり、貶官放逐の目におうて、かかる自分とともに難儀心配をしておられるようだ。
自失論文友、空知売酒壚。
君のおじさんの高適詹事とは詩文を交わし合う親友であったが、先日、彼と別れてからは、自分に心にのこっているのは嘗て彼と一緒に飲んだ酒屋の有様だけになっているのだ。(語り始めると悔しいことだらけなので)
平生飛動意、見爾不能無。

いま君をみるにあたっては、日頃から持っている英気盛んな意興がおこらないわけにはゆかなくなってきた。

(高式顔に贈る)
昔【むかし】 別れしは是【こ】れ何れの処なりしぞ、相【あ】い逢えば皆な老夫【ろうふ】なり。
故人は還(ま)た寂寞【せきばく】、跡を削られて 共に艱虞【かんぐ】。
論文【ろんぶん】の友を失いし自(よ)り、空しく知る 売酒【ばいしゅ】の壚【ろ】。
平生【へいぜい】 飛動【ひどう】の意【い】、爾【なんじ】を見ては無きこと能【あた】わず。



現代語訳と訳註
(本文)
贈高式顔
昔別是何処、相逢皆老夫。
故人還寂寞、削跡共艱虞。
自失論文友、空知売酒壚。
平生飛動意、見爾不能無。


(下し文) (高式顔に贈る)
昔【むかし】 別れしは是【こ】れ何れの処なりしぞ、相【あ】い逢えば皆な老夫【ろうふ】なり。
故人は還(ま)た寂寞【せきばく】、跡を削られて 共に艱虞【かんぐ】。
論文【ろんぶん】の友を失いし自(よ)り、空しく知る 売酒【ばいしゅ】の壚【ろ】。
平生【へいぜい】 飛動【ひどう】の意【い】、爾【なんじ】を見ては無きこと能【あた】わず。


(現代語訳)
君とむかしどこでお別れをしたのであったか、今お会いしてみるとお互いに老人になっている。
旧知の友である君も近頃は雲行が悪く寂しそうであり、貶官放逐の目におうて、かかる自分とともに難儀心配をしておられるようだ。
君のおじさんの高適詹事とは詩文を交わし合う親友であったが、先日、彼と別れてからは、自分に心にのこっているのは嘗て彼と一緒に飲んだ酒屋の有様だけになっているのだ。(語り始めると悔しいことだらけなので)
いま君をみるにあたっては、日頃から持っている英気盛んな意興がおこらないわけにはゆかなくなってきた。


(訳注)
昔別是何処、相逢皆老夫。
君とむかしどこでお別れをしたのであったか、今お会いしてみるとお互いに老人になっている。
老夫 老人。○故人 式顔をさす。


故人還寂寞、削跡共艱虞。
旧知の友である君も近頃は雲行が悪く寂しそうであり、貶官放逐の目におうて、かかる自分とともに難儀心配をしておられるようだ。
寂寞 さびしい、互いに左遷と、漂泊・轉蓬の旅であり、おちぶれてさびしいさまをいう。○削跡 朝廷の入門の名札をそこから削ってなくさせられる、放逐されることをいう。此の句によれば式顔もまた高適の左遷、杜甫の貶められたときに同じように貶められたものであろう。○難虞 なんぎ、しんばい。


自失論文友、空知売酒壚。
君のおじさんの高適詹事とは詩文を交わし合う親友であったが、先日、彼と別れてからは、自分に心にのこっているのは嘗て彼と一緒に飲んだ酒屋の有様だけになっているのだ。(語り始めると悔しいことだらけなので)
論文友 高適をいう、失友とは高適が左遷され、揚州から別にさせんされたをいう。

寄高三十五詹事  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 268

売酒墟 晋の王戎が帯康・院籍等の死後にむかし彼等と酎飲した貴公の墟を過ぎて嵯歎したことが「世説」にみえる。墟はへっつい、そのうえに酒具をならべる処。作者は壮年時代に高速・李白等と宋・梁の地に遊び論文酎飲、狩猟馳駆をしたことが五古杜甫『遣懐』「昔我遊宋中、惟梁孝王都。名今陳留亜、劇則貝魏倶。邑中九万家、高棟照通衢。舟車半天下、主客多歓娯。白刃讎不義、黄金傾有無。殺人紅塵裏、報答在斯須。憶与高李輩、論交入酒壚。両公壮藻思、得我色敷腴。気酣登吹台、懐古視平蕪。芒碭雲一去、雁鶩空相呼。」
(昔  我  宋中(そうちゅう)に遊ぶ、惟(こ)れ梁(りょう)の孝王の都なり。名は今  陳留(ちんりゅう)に亜(つ)ぎ、劇(げき)は則ち貝魏(ばいぎ)に倶(ひと)し。邑中(ゆうちゅう)  九万家(か)、高棟(こうとう)は通衢(つうく)を照らす。主客は歓娯(かんご)多し、舟車(しゅうしゃ)は天下に半(なか)ばし。白刃(はくじん)  不義に讎(あだ)し、黄金(おうごん)  有無(うむ)を傾く。人を紅塵(こうじん)の裏(うち)に殺し、報答(ほうとう)  斯須(ししゅ)に在り。憶(おも)う  高李(こうり)が輩(はい)と、交(こう)を論じて酒壚(しゅろ)に入る。両公  藻思(そうし)壮(さか)んなり、我を得て  色(いろ)敷腴(ふゆ)たり。気酣(たけなわ)にして吹台(すいだい)に登り、古(いにしえ)を懐(おも)うて平蕪(へいぶ)を視(み)る。芒碭(ぼうとう)  雲は一去(いちきょ)し、雁鶩(がんぼく)  空(むな)しく相呼ぶ)にみえる。


平生飛動意、見爾不能無。
いま君をみるにあたっては、日頃から持っている英気盛んな意興がおこらないわけにはゆかなくなってきた。
飛動意 かつは活発にうごきたいとおもうこころ。往年の英気盛んかりしこころもちをさす。○ 式顔をさす。○ 上の「意」の字をうけ、不レ能レ無レ意とつづく。

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寄高三十五詹事  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 268

寄高三十五詹事  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 268


太子少居事の官である高適に寄せた詩である。高適は至徳二載に揚州大都督府長史・准南節度使となって、永王燐を淮なんで破った功績があるにもかかわらず、、宦官の李輔国がしばしば高適を天子にあしざまにいったために太子少詹事を授けられた。詹事は東宮の三寺・十率府の政令を掌る、少詹事は詹事の副官で正四品上である。758年乾元元年の作。


寄高三十五詹事
安穩高詹事,兵戈久索居。
高適詹事君!戦の騒ぎで久しく離れ離れになっていますが、君は元気で暮らしていることでしょう。
時來知宦達,歳晩莫情疏。
君は節度使から少庶事と官位を落されましたが、自分はもし時節がくれば君がきっと栄達することを知っています、歳の暮かかる頃なのに疎遠にはしててはいけない。
天上多鴻雁,池中足鯉魚。
空には鴻雁が多く飛び、池の中には鯉魚がたくさんいる。〔手紙を寄こす手立てはいくらもありそうなものだ。) 
相看過半百,不寄一行書?
かれこれしているうちに君は五十歳以上になった、それなのに一行ぐらいの手紙さえ寄こしてはくれない。(いったいどうしたのか。)

高三十五詹事【せんじ】に寄す
安穏【あんおん】なりや高詹事【せんじ】  兵戈【へいか】に久しく索居【さくきょ】す。
時来【とききた】らば宦の達せんことを知る、 歳晩【さいばん】情疎【じょうそ】なること莫れ。
天上に鴻雁【こうがん】多く、 池中に鯉魚【りぎょ】足れり。
相看て半百【はんばく】を過ぐるに、 一行【いつこう】の書を寄せず。


現代語訳と訳註
(本文)
寄高三十五詹事
安穩高詹事,兵戈久索居。
時來知宦達,歳晩莫情疏。
天上多鴻雁,池中足鯉魚。
相看過半百,不寄一行書?


(下し文)
高三十五詹事【せんじ】に寄す
安穏【あんおん】なりや高詹事【せんじ】  兵戈【へいか】に久しく索居【さくきょ】す。
時来【とききた】らば宦の達せんことを知る、 歳晩【さいばん】情疎【じょうそ】なること莫れ。
天上に鴻雁【こうがん】多く、 池中に鯉魚【りぎょ】足れり。
相看て半百【はんばく】を過ぐるに、 一行【いつこう】の書を寄せず。


(現代語訳)
高適詹事君!戦の騒ぎで久しく離れ離れになっていますが、君は元気で暮らしていることでしょう。
君は節度使から少庶事と官位を落されましたが、自分はもし時節がくれば君がきっと栄達することを知っています、歳の暮かかる頃なのに疎遠にはしててはいけない。
空には鴻雁が多く飛び、池の中には鯉魚がたくさんいる。〔手紙を寄こす手立てはいくらもありそうなものだ。) 
かれこれしているうちに君は五十歳以上になった、それなのに一行ぐらいの手紙さえ寄こしてはくれない。(いったいどうしたのか。)


(訳注)
寄高三十五詹事
安穩高詹事,兵戈久索居

安穏なりや高詹(せん)事 兵戈(か)に久しく索居す
高適詹事君!戦の騒ぎで久しく離れ離れになっていますが、君は元気で暮らしていることでしょう。
安穏【あんおん】 おだやかに無事のさま。 ○兵戈【へいか】 戦。 ○索居【さくきょ】 散居、朋友がちりぢりになっている。 「礼記」檀弓箭を参照。


時來知宦達,歲晩莫情疏
時来らば官の達せんことを知る 歳晩情疎なること莫れ
君は節度使から少庶事と官位を落されましたが、自分はもし時節がくれば君がきっと栄達することを知っています、歳の暮かかる頃なのに疎遠にはしててはいけない。
時来:とききたらば よい時節がきたならば。 ○: 作者が予め知る。 ○宦達: 官吏として立身する。仕官の道がよくとおる、将来についていう。 李密『陳情表』「本圖宦達、不矜名節。」(本と宦達を図り、名節を矜らず。)○歳晩:さいばん 一年及び人生の晩暮をかねていう、秋より以後は歳晩という。 ○情疎:じょうそ 心が疎くなる。


天上多鴻雁,池中足鯉魚
天上に鴻雁多く 池中に鯉魚足れり
空には鴻雁が多く飛び、池の中には鯉魚がたくさんいる。〔手紙を寄こす手立てはいくらもありそうなものだ。) 
鴻雁【こうがん】秋にやって來る鳥。大きいものを鴻といい、小さいものを雁という。生活にあえぎさすらう民をいう。『詩経小雅』○鯉魚:りぎょ  表面は実物、裏面はてがみのこと、漢の蘇武が雁の足につけたてがみを天子が射て得たというはなしがある。また古人は絹に書信をかきそれを鯉魚の形状に結んだという。


相看過半百,不寄一行書
相看て半百を過ぐるに 一行の書を寄せず
かれこれしているうちに君は五十歳以上になった、それなのに一行ぐらいの手紙さえ寄こしてはくれない。(いったいどうしたのか。)
相看:あいみて たがいにみるみるうちに。 ○半百:はんばく 五十歳、これは適の年齢(57歳)についていうのであろう、作者は今年四十七歳。 〇一行書【いっこうのしょ】 一行ばかりの短い手紙。


韻:居、魚、書


寄高三十五詹事
安穩高詹事,兵戈久索居。
時來知宦達,歳晩莫情疏。
天上多鴻雁,池中足鯉魚。
相看過半百,不寄一行書?

高三十五詹事(せんじ)に寄す
安穏なりや高詹事  兵曳に久しく索居す
時来らば官の達せんことを知る
 歳晩情疎なること莫れ
天上に鴻雁多く 池中に鯉魚足れり
相看て半百を過ぐるに 一行の書を寄せず

参考
高適 (こうせき) 702年頃~765年渤海(ぼっかい)(山東省)の人。字(あざな)は達夫(たっぷ)。辺境の風物を歌った詩にすぐれた作が多い。辺塞の離情を多くよむ。50歳で初めて詩に志し、たちまち大詩人の名声を得て、1篇を吟ずるごとに好事家の伝えるところとなった。吐蕃との戦いに従事したので辺塞詩も多い。詩風は「高古豪壮」とされる。李林甫に忌まれて蜀に左遷されて汴州を通ったときに李白・杜甫と会い、悲歌慷慨したことがある。しかし、その李林甫に捧げた詩も残されており、「好んで天下の治乱を談ずれども、事において切ならず」と評された。『高常侍集』8巻がある。760年成都浣花草堂ト居の際、援助する。厳武とともに再三援助する。


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至德二載,甫自京金光門出間道歸鳳翔。乾元初,從左拾遺移華州掾,與親故別,因出此門,有輩往事 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 267

至德二載,甫自京金光門出間道歸鳳翔。乾元初,從左拾遺移華州掾,與親故別,因出此門,有輩往事 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 267

「人生七十 古来 稀なり」 -古稀-という言葉は、杜甫のこの句にもとづくが、このとき彼は、永くもない人生、せめて好きな酒を飲み、暮れゆく春を楽しもうと、けだるい無力感にその身を任せている。

しかしながら、このような生活も、長くは続かなかった。それは、六月になって房琯が邠州の刺史として左遷され、それに関連して、房琯と近い関係にあった人たちに対しても同じような処置がとられた。京兆少尹(長安の副知事)であった厳武は巴州(四川省重慶の巴県)刺史に左遷され、杜甫が叛乱軍の中にあるときに何かと援助してくれた大雲経寺の賛公は秦州(甘粛省天水市)に追放された。そうして、杜甫も最前線、華州の司功参軍に左遷されたのである。

満一年の左拾遺であったが、羌村の家族のもとから長安に帰ってから、疎外されての数か月は、杜甫にとってつらいものであった。

しかし、いざ長安を去るとなると、その心境は複雑であった。その思いは「至德二載,甫自京金光門出間道歸鳳翔。乾元初,從左拾遺移華州掾,與親故別,因出此門,有悲往事。」(至徳二載 甫 京の金光門より野で 間道より鳳翔に帰す 乾元の初 左拾遺より華州の操に移され 親政と別る、因って此の門を出で 往事を悲しむ有り。)という長題の詩に詠われている。

華州は、長安の東約三〇〇キロの所にある町で、その司功参軍とは、州の祭祀、学校、官吏の選挙などの管理を担当する、今日の地方の「教育長」とでもいうべき職であった。彼はその職にあって、華州の長官に、依然、鄴城を占拠している安史軍をいかにして絶滅するかについての方策を奉ったり、また、華州の推薦する進士を選ぶための試験問題を作成して、戦時下における租税・交通・農田・水利など諸問題について出題したりして、それなりに職務に励んでいる。しかしながら、中央政府から左遷されたわびしきは、片時も消えることはなかったであろう。ここからカテゴリーが『華州の司功参軍左遷』に変わる。
杜甫『痩馬行』『收京三首其一其二其三』『喜聞官軍已臨賊寇 二十韻』(757年十月に洛陽を敗退した安慶緒は、この年になると相州(河南省安陽市)の鄴城(ぎょうじょう)に拠って兵六万を集め、周囲の七郡を支配する勢力に復活した。唐王朝は九月になると、朔方軍節度使郭子儀(かくしぎ)ら九節度使の軍を派遣して鄴城を包囲した。)李白『北上行』参照。 

 秋のはじめに杜甫は、杜観ひとりを洛陽にやったが、戦線が河北と河南の境にある相州に集中した冬になっても、杜観はもどってこなかった。杜甫の左遷先の華州は、洛陽と長安の中間であるが、敵は太行山脈を越え黄河を利用して攻め込むことが予想される地点である。敵が南下してくる長安洛陽のどちらも護、安史軍との前線基地にあたる。

 詩は、758年乾元元年六月の作。
756年、至徳二載に自分は長安の金光門からでて、ぬけみちをとおって粛宗皇帝のおわした鳳翔の方へとおもむいた。758年、乾元の初年に自分は左拾遺の官から華州のした役へと転任させられ、親戚故旧らと別れ、それにつれてまたこの同じ金光門を出たので、まえのことをおもいだしてかなしみ、この詩をつくった。


至德二載,甫自京金光門出間道歸鳳翔。乾元初,從左拾遺移華州掾,與親故別,因出此門,有悲往事。
徳二載に自分は長安の金光門からでて、ぬけみちをとおって粛宗皇帝のおわした鳳翔の方へとおもむいた。しかし、乾元の初年(6月)に自分は左拾遺の官から華州の下役へと転任させられ、親戚故旧らと別れ、それにつれてまたこの同じ金光門を出たので、まえのことをおもいだしてかなしみ、この詩をつくった。
此道昔歸順,西郊胡正繁。
この道で自分がむかし安史軍のなかから脱出して鳳翔の方へ帰順しにいったときとおった道だ。あのとき城西の野外では異民族の軍らがいっぱいいた。
至今猶破膽,應有未招魂。
あの時の肝の破れた様な驚きは今に至るもまだ続いている、まさに魂が飛び去ったままで、いまだに呼び帰されずにいるのである。
近侍歸京邑,移官豈至尊。
自分は鳳翔で左拾遺の官を賜り、お傍近くお供をしてこの長安へ戻ってきたほどだ。せっかく都へきて都から田舎へ官を移されるということはどうして我が君ご自身の御心から出たことであろうか。(そんなことをさせたものが別にいるのだ。)
無才日衰老,駐馬望千門。

自分は元来才のないものであるがそれが日々衰え老いゆくのである、これが別れと思うとにわかには立ち去りかね、馬の足をとどめてじっと長安城の諸門を眺めるのである。

(至徳二載 甫 京の金光門より野で 間道より鳳翔に帰す 乾元の初 左拾遺より華州の操に移され 親政と別る 因って此の門を出で 往事を悲しむ有り。)
此の道昔帰順【きじゅん】す、西郊【せいこう】胡 正に繁【しげ】し。
今に至って 猶 胆を破る、応に未招【みしょう】の魂 有るなるべし。
近侍して京邑【けいゆう】に帰る、移官 豈【あに】至尊ならんや。
才無くして日々に衰老【すいろう】す、馬を駐めて千門【せんもん】を望む。


現代語訳と訳註
(本文)

至德二載,甫自京金光門出間道歸鳳翔。乾元初,
從左拾遺移華州掾,與親故別,因出此門,有悲往事。
此道昔歸順,西郊胡正煩。
至今殘破膽,應有未招魂。
近侍歸京邑,移官豈至尊。
無才日衰老,駐馬望千門。

(下し文)
(至徳二載 甫 京の金光門より野で 間道より鳳翔に帰す 乾元の初 左拾遺より華州の操に移され 親政と別る、 因って此の門を出で 往事を悲しむ有り。)
此の道昔帰順【きじゅん】す、西郊【せいこう】胡 正に繁【しげ】し。
今に至って 猶 胆を破る、応に未招【みしょう】の魂 有るなるべし。
近侍して京邑【けいゆう】に帰る、移官 豈【あに】至尊ならんや。
才無くして日々に衰老【すいろう】す、馬を駐めて千門【せんもん】を望む。
 

(現代語訳)
至徳二載に自分は長安の金光門からでて、ぬけみちをとおって粛宗皇帝のおわした鳳翔の方へとおもむいた。しかし、乾元の初年(6月)に自分は左拾遺の官から華州の下役へと転任させられ、親戚故旧らと別れ、それにつれてまたこの同じ金光門を出たので、まえのことをおもいだしてかなしみ、この詩をつくった。

この道で自分がむかし安史軍のなかから脱出して鳳翔の方へ帰順しにいったときとおった道だ。あのとき城西の野外では異民族の軍らがいっぱいいた。
あの時の肝の破れた様な驚きは今に至るもまだ続いている、まさに魂が飛び去ったままで、いまだに呼び帰されずにいるのである。
自分は鳳翔で左拾遺の官を賜り、お傍近くお供をしてこの長安へ戻ってきたほどだ。せっかく都へきて都から田舎へ官を移されるということはどうして我が君ご自身の御心から出たことであろうか。(そんなことをさせたものが別にいるのだ。)
自分は元来才のないものであるがそれが日々衰え老いゆくのである、これが別れと思うとにわかには立ち去りかね、馬の足をとどめてじっと長安城の諸門を眺めるのである。


(訳注)
至德二載,甫自京金光門出間道歸鳳翔。乾元初,從左拾遺移華州掾,與親故別,因出此門,有悲往事。
(至徳二載 甫 京の金光門より野で 間道より鳳翔に帰す 乾元の初 左拾遺より華州の操に移され 親政と別る、 因って此の門を出で 往事を悲しむ有り。)

至徳二載に自分は長安の金光門からでて、ぬけみちをとおって粛宗皇帝のおわした鳳翔の方へとおもむいた。しかし、乾元の初年(6月)に自分は左拾遺の官から華州の下役へと転任させられ、親戚故旧らと別れ、それにつれてまたこの同じ金光門を出たので、まえのことをおもいだしてかなしみ、この詩をつくった。
至德二載 757年6月。○ 杜甫自身。○ 長安。○金光門 長安の外郭の城の西側に三門があり、北にあるものを聞達門、中にあるものを金光門、南にあるものを延平門という。金光門を西に出ると昆明池の方へゆく。○鳳翔。乾元初 758年6月。○華州掾 杜甫『白水崔少府十九翁高齋三十韻』「東郊何時開?帶甲且未釋。」(東郊何の時か開けん 帯甲且未だ釈けず)・東郊 長安の東方の野外、華州・潼関などは東郊である。○親故 親戚故旧。○此門 金光門○往事 前脱出したときのこと。○金光門 ○間道 ぬけみち。○ おもむく。○ 転任させられる。○華州接 接は官属、華州の司功参軍をいう、華州は長安の東百八十里にある。○親故 親戚故旧。○往事 すぎしむかしのこと。○此道 金光門よりでるみち。


此道昔歸順,西郊胡正煩。
此の道昔帰順す 西郊胡正に繁し
この道で自分がむかし安史軍のなかから脱出して鳳翔の方へ帰順しにいったときとおった道だ。あのとき城西の野外では異民族の軍らがいっぱいいた。
 至徳二載。○帰順 順に帰すとは官軍についたことをいう。○西郊 長安城西ののはら。○ 安史軍には異民族の兵士がたくさんいた。○ 煩わしいほどたくさんいる。


至今殘破膽,應有未招魂。
今に至って猶胆を破る 応に未招の魂有るなるべし
あの時の肝の破れた様な驚きは今に至るもまだ続いている、まさに魂が飛び去ったままで、いまだに呼び帰されずにいるのである。
至今 今とは乾元元年六月。○破胆 きもをやぶるとは驚くことの甚しいことをいう。○未招魂 魂は作者自己のたましい、生き霊をいう。招かざるの魂とは魂が飛びちって人のこれをいまだ呼びかえさぬものをいう。楚の宋玉はその師屈原の魂をよびかえすことをのべて「招魂」を作った。


近侍歸京邑,移官豈至尊。
近侍して京邑に帰る 移官豊に豈尊ならんや
自分は鳳翔で左拾遺の官を賜り、お傍近くお供をしてこの長安へ戻ってきたほどだ。せっかく都へきて都から田舎へ官を移されるということはどうして我が君ご自身の御心から出たことであろうか。(そんなことをさせたものが別にいるのだ。)
近侍帰京邑 ・近侍とは左拾遺の官を以て天子のそぼちかく侍ることをいう。・京邑とは長安の都をさす。・帰とは鳳翔よりもどって来ることをいう。○移官 長安から華州へ転任させる。○豈至尊 「豈出於至尊之意」(豈至尊之意において出る。)天子の御本意からでたものではないという意味。事実は作者は房琯を救おうとしたが房琯は758年乾元元年五月に官をおとされ、六月にいたって杜甫自身も左遷されるに至ったのであり、房琯及び杜甫を粛宗に謗ったものは賀蘭進明という者であるが、現代になって諸資料を分析して、房琯は将軍で無気力な大敗をきっしている。杜甫が擁護したからといって何も変わらない、マイナス要素のみの擁護であった。


無才日衰老,駐馬望千門。
才無くして日々に衰老す 馬を駐めて千門を望む
自分は元来才のないものであるがそれが日々衰え老いゆくのである、これが別れと思うとにわかには立ち去りかね、馬の足をとどめてじっと長安城の諸門を眺めるのである。
千門 宮殿の諸門をいう。




至德二載,甫自京金光門出間道歸鳳翔。乾元初,
從左拾遺移華州掾,與親故別,因出此門,有悲往事。
此道昔歸順,西郊胡正煩。
至今殘破膽,應有未招魂。
近侍歸京邑,移官豈至尊。
無才日衰老,駐馬望千門。

(至徳二載 甫 京の金光門より野で 間道より鳳翔に帰す 乾元の初 左拾遺より華州の操に移され 親政と別る、 因って此の門を出で 往事を悲しむ有り。)
此の道昔帰順【きじゅん】す、西郊【せいこう】胡 正に繁【しげ】し。
今に至って 猶 胆を破る、応に未招【みしょう】の魂 有るなるべし。
近侍して京邑【けいゆう】に帰る、移官 豈【あに】至尊ならんや。
才無くして日々に衰老【すいろう】す、馬を駐めて千門【せんもん】を望む。
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端午日賜衣  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 265

端午日賜衣  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 265

左拾遺であったとき、宮中より衣をたまわったことをのべている。杜甫が子供のように喜んでいる。杜甫人生、全詩の中から唯一無二の作品である。
この一年間、杜甫は、左拾位としての仕事はさせてもらえなかった。朝廷内において、だれからも相手にされない、公的な詩も残していない。この間の詩はこのブログではカテゴリー『左拾位での詩(11)』ということで検索できる。どこか疎外感、寂しさを感じさせる索引である。その中にあって、この作品は「端午日賜衣」異彩を放っている。この後、左遷されるのであり、そのことを全く感じさせない作品であり、哀れと刹那を感じずにはいられない作品である。

五言律詩『端午日賜衣』
758乾元元年の五月五日 杜甫47歳


端午日賜衣
宮衣亦有名,端午被恩榮。
こんど賜わった宮中でつくられた衣については、自分ほどのものの姓名まで御下賜者のなかにあって、端午のお祝い日にありがたき栄誉を被った。
細葛含風軟,香羅疊雪輕。
その着物は、細い葛の糸を用いたのは風を含んでしなやかであり、香を燻らした薄絹のものは雪色を畳んでふわりとしている。
自天題處濕,當暑著來清。
御筆で題されたところは墨のあともまだ乾かず、暑さにあたって之を身に着ければいと清々しい。
意內稱長短,終身荷聖情。

腹の中で積もってみるにこの着物は真に自分のからだの寸法によく合っている。これを下さった我が君のお情けのかたじけなさは自分が一生涯のいただきものである。

(端午の日衣を賜う)
宮衣亦名有り 端午恩栄を被る
細葛風を含んで軟やかに 香羅雪を畳んで軽(かるし)
天よりして題する処 湿い 署に当って 著け 来れば 清(きよし)。
意内 長短に 称う、 終身 聖情を 荷なう


現代語訳と訳註
(本文)
端午日賜衣
宮衣亦有名,端午被恩榮。
細葛含風軟,香羅疊雪輕。
自天題處濕,當暑著來清。
意內稱長短,終身荷聖情。


(下し文)
(端午の日衣を賜う)

宮衣【きゅうい】亦 名【な】有り、 端午【たんご】恩栄【おんえい】を被【こうむ】る。
細葛【さいかつ】風を含んで軟【やわら】かに、 香羅【こうら】雪を畳【たた】んで軽【かろ】し。
天よりして題する処 湿【うるお】い、 署【しょ】に当って 著【け】け 来れば 清【きよ】し。
意内【いない】 長短【ちょうたん】に 称【かの】う、 終身【しゅうしん】 聖情【せいじょう】を 荷【にの】う


(現代語訳)
こんど賜わった宮中でつくられた衣については、自分ほどのものの姓名まで御下賜者のなかにあって、端午のお祝い日にありがたき栄誉を被った。
その着物は、細い葛の糸を用いたのは風を含んでしなやかであり、香を燻らした薄絹のものは雪色を畳んでふわりとしている。
御筆で題されたところは墨のあともまだ乾かず、暑さにあたって之を身に着ければいと清々しい。
腹の中で積もってみるにこの着物は真に自分のからだの寸法によく合っている。これを下さった我が君のお情けのかたじけなさは自分が一生涯のいただきものである。

miyajima 693

(訳注) 
端午日賜衣

端午の日衣を賜る
端午(たんご) 五節句の一。端午の節句、菖蒲の節句ともとも呼ばれる。五行思想では、土にあたる。色は黄、方向は中、季節は土用を示す。


宮衣亦有名,端午被恩榮
宮衣【きゅうい】亦 名【な】有り、 端午【たんご】恩栄【おんえい】を被【こうむ】る。
こんど賜わった宮中でつくられた衣については、自分ほどのものの姓名まで御下賜者のなかにあって、端午のお祝い日にありがたき栄誉を被った。
宮衣 宮女のつくった衣、即ち下の葛、羅を以て製したもの。 ○亦有名 「我亦た名有り」の義、宮中に名札版があり、賜衣者の列内に自分の姓名を確認できたのだ。最高に喜んでいる雰囲気を感じ取れる。○端午 夏暦では正月を寅とし、五月は午にあたる。五月が午であるために五の日をまた午とする、端は初の義、端午とは五月の初旬の午の日の義であるという。五行思想では土用である。○恩栄 天子の御恩による栄誉。


細葛含風軟,香羅疊雪輕
細葛【さいかつ】風を含んで軟【やわら】かに、 香羅【こうら】雪を畳【たた】んで軽【かろ】し。
その着物は、細い葛の糸を用いたのは風を含んでしなやかであり、香を燻らした薄絹のものは雪色を畳んでふわりとしている。
細葛 ほそいくずのいとでつくった衣をいう。 ○含風気孔が多くて風をいれやすいこと。 ○ しなやかなこと。 ○香羅 かんばしいうすぎぬの衣、香とは香をたきこめたのであろう。○畳雪 雪とは純白色をたとえていう、白衣を畳んであるのをみて雪をたたむと表現したもの。○ ふわりとしている。


自天題處濕,當暑著來清。
天よりして題する処 湿【うるお】い、 署【しょ】に当って 著【け】け 来れば 清【きよ】し。
御筆で題されたところは墨のあともまだ乾かず、暑さにあたって之を身に着ければいと清々しい。
自天 「題署自天子」( 天子 自ら題署す)を省略して、題の字を下におく。役職名と名前を書いてある、天子みずから名を題したまえることをいう。○題処 かき記されたもの、此の句は首句の「有名」を承けるもの。○湿 墨の痕がうるおう、かきたてであることをいう。○当暑 あつさのおりに。 ○ さっぱりしてすがすがしいこと。


意內稱長短,終身荷聖情
意内【いない】 長短【ちょうたん】に 称【かの】う、終身【しゅうしん】 聖情【せいじょう】を 荷【にの】う。
腹の中で積もってみるにこの着物は真に自分のからだの寸法によく合っている。これを下さった我が君のお情けのかたじけなさは自分が一生涯のいただきものである。
意内 自己のこころのなかではかってみる。一説に天子の意内とするが、恐らくは天子は一々臣下の身の寸法をはからせることはあるまい。 ○ つりあいのよろしいこと、去声によむ。○長短 きもののせたけ、そでたけ等の長いこと、短いこと。○ いただいている。○聖情 聖君のお情け心。


○韻 名,榮、軽、清、情。

端午日賜衣
宮衣亦有名,端午被恩榮。
細葛含風軟,香羅疊雪輕。
自天題處濕,當暑著來清。
意內稱長短,終身荷聖情。

(端午の日衣を賜う)
宮衣亦名有り 端午恩栄を被る
細葛風を含んで軟やかに 香羅雪を畳んで軽(かるし)
天よりして題する処 湿い 署に当って 著け 来れば 清(きよし)。
意内 長短に 称う、 終身 聖情を 荷なう

畫鶻行 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 265

畫鶻行 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 265
(五言古詩 画鶻行がこつこう)便宜的に2分割して掲載。
鶻鶴の画をみて感じた所をのべた詩である。758年乾元元年、なお朝廷にあって疎外感を持っていた時の作。
乾元元年 758年 47歳

畫鶻行 #1
高堂見生鶻,颯爽動秋骨。初驚無拘攣,何得立突兀!
乃知畫師妙,巧刮造化窟。寫此神俊姿,充君眼中物。』
#2
烏鵲滿樛枝,軒然恐其出。
庭前の垂れさがった木の枝には烏だの鵲だのがたくさんいるが、彼等はこの鶻がたかくあがって外部へ飛出して來るのではないかと気が気ではない。
側腦看青霄,寧為眾禽沒。
この鶻は首をかしげて青空をながめている、どうして多くの凡鳥のように草樹の間に埋没していくようなことをしようとするはずもない。
長翮如刀劍,人寰可超越。
その長いたちばねは刀剣の如くするどい、そして、それは人間世界ぐらいはたかくとびこえることができる。
乾坤空崢嶸,粉墨且蕭瑟。』
ここの天地は描かれたものであり、画鶻は真鶻ではない、天地の闊大もこの鶻にとってはいたずらに崢嶸たるものであり、冷静に見れば粉墨の色ばかりむなしく映されているのである。』
緬思雲沙際,自有煙霧質。
はるかに思うことは、実際に沙漠の雲沙の地に於て、煙霧の毛質をそなえた真の鶻がひとりでに居るはずであるから、鶻とはそういうものがのぞましいのである。
吾今意何傷,顧步獨紆鬱。』
自分は今、心のなかで何事をいたんでいるのか。(真鶻のごとくかり得ざるをいたむのである。)左右をふりかえりつつあゆみ、自分ひとりでふさいでいるのはどうしたことか。

 (画鶻行がこつこう)
高堂生鶻を見る、颯爽として秋骨動く。
初【はじめ】は驚く拘攣【こうれん】無きに、何ぞ立つこと突兀【とつこつ】たるを得るやと。
乃ち知る画師の妙、巧に造化の窟を刮【けず】り。
此の神俊【しんしゅん】の姿を写して、君が眼中の物に充つるを。』
#2
烏鵲【うじゃく】樛枝【きゅうし】に満つ、軒然【けんぜん】として其の出でんことを恐る。
脳を側【かたむ】けて青霄【せいしょう】を看る、寧ぞ眾禽【しゅうきん】の没を為さんや。
長翮【ちょうかく】刀剣【とうけん】の如し、人寰【じんかん】超越【ちょうえつ】す可し。
乾坤【けんこん】空しく崢嶸【そうこう】たり、粉墨【ふんぼく】 且 蕭瑟【しょうしつ】たり』
緬【はる】かに思う雲沙【うんさ】の際、自ら煙霧の質有るを。
吾今意何をか傷む、顧歩【こほ】して独り紆鬱【ううつ】たり。』


現代語訳と訳註
(本文)
#2
烏鵲滿樛枝,軒然恐其出。側腦看青霄,寧為眾禽沒。
長翮如刀劍,人寰可超越。乾坤空崢嶸,粉墨且蕭瑟。』
緬思雲沙際,自有煙霧質。吾今意何傷,顧步獨紆鬱。』

(下し文) (画鶻行がこつこう)
#2
烏鵲【うじゃく】樛枝【きゅうし】に満つ、軒然【けんぜん】として其の出でんことを恐る。
脳を側【かたむ】けて青霄【せいしょう】を看る、寧ぞ眾禽【しゅうきん】の没を為さんや。
長翮【ちょうかく】刀剣【とうけん】の如し、人寰【じんかん】超越【ちょうえつ】す可し。
乾坤【けんこん】空しく崢嶸【そうこう】たり、粉墨【ふんぼく】 且 蕭瑟【しょうしつ】たり』
緬【はる】かに思う雲沙【うんさ】の際、自ら煙霧の質有るを。
吾今意何をか傷む、顧歩【こほ】して独り紆鬱【ううつ】たり。』

(現代語訳)
庭前の垂れさがった木の枝には烏だの鵲だのがたくさんいるが、彼等はこの鶻がたかくあがって外部へ飛出して來るのではないかと気が気ではない。
この鶻は首をかしげて青空をながめている、どうして多くの凡鳥のように草樹の間に埋没していくようなことをしようとするはずもない。
その長いたちばねは刀剣の如くするどい、そして、それは人間世界ぐらいはたかくとびこえることができる。
ここの天地は描かれたものであり、画鶻は真鶻ではない、天地の闊大もこの鶻にとってはいたずらに崢嶸たるものであり、冷静に見れば粉墨の色ばかりむなしく映されているのである。』
はるかに思うことは、実際に沙漠の雲沙の地に於て、煙霧の毛質をそなえた真の鶻がひとりでに居るはずであるから、鶻とはそういうものがのぞましいのである。
自分は今、心のなかで何事をいたんでいるのか。(真鶻のごとくかり得ざるをいたむのである。)左右をふりかえりつつあゆみ、自分ひとりでふさいでいるのはどうしたことか。

(訳注)
烏鵲滿樛枝,軒然恐其出
烏鵲樛枝に満つ 軒然として其の出でんことを恐る
庭前の垂れさがった木の枝には烏だの鵲だのがたくさんいるが、彼等はこの鶻がたかくあがって外部へ飛出して來るのではないかと気が気ではない。
樛枝 下方へまがりたれている枝。○軒然 あがるさま。○其出 共は画鶻をさす、出とはそとへとびだすこと。


側腦看青霄,寧為眾禽沒
脳を側けて 青霄を看る 寧ぞ眾禽の没を為さんや
この鶻は首をかしげて青空をながめている、どうして多くの凡鳥のように草樹の間に埋没していくようなことをしようとするはずもない
側脳 あたまをかたむける。○青霄 あおぞら。○寧為 なんぞなさんや、反語。○衆禽没 もろもろの鳥のごとく草樹の間に埋没すること。小虫を取ったり、果実をついばむような姑息なことをすること。


長翮如刀劍,人寰可超越
長翮 刀剣の如し 人寰 超越す可し
その長いたちばねは刀剣の如くするどい、そして、それは人間世界ぐらいはたかくとびこえることができる。
長翮 たちばね。〇人寰 人間世界。


乾坤空崢嶸,粉墨且蕭瑟。』
乾坤空しく崢嶸たり 粉墨 且 蕭瑟たり
ここの天地は描かれたものであり、画鶻は真鶻ではない、天地の闊大もこの鶻にとってはいたずらに崢嶸たるものであり、冷静に見れば粉墨の色ばかりむなしく映されているのである。』
乾坤 天地。○空崢嶸 崢嶸はたかくひろいさま。もし闊大な天地の間に飛ぶことができるならば感嘆たることに意義があるが、画なので実際には飛ぶことができない、したがって「空しく」という。○粉墨 画の色彩をいう、粉は画色粉。○且蕭瑟 蕭瑟はさびしいさま、且はまあまあの意。


緬思雲沙際,自有煙霧質
緬かに思う雲沙の際 自ら煙霧の質有るを

はるかに思うことは、実際に沙漠の雲沙の地に於て、煙霧の毛質をそなえた真の鶻がひとりでに居るはずであるから、鶻とはそういうものがのぞましいのである。
○雲沙際 雲抄は沙漠地方の雲や抄をいう。○煙霧質 飽照の「舞鶴賦」に鶻の毛色の煙霧と同じであることをのべて、「煙交り霧凝り、毛質ナキガ若シ。」という、いま鶻に借用する。煙霧質とは煙霧のごとき毛質、真の鶻の毛をさす。


吾今意何傷,顧步獨紆鬱
吾今意何をか傷む 顧歩して独り紆鬱たり
自分は今、心のなかで何事をいたんでいるのか。(真鶻のごとくかり得ざるをいたむのである。)左右をふりかえりつつあゆみ、自分ひとりでふさいでいるのはどうしたことか。
何傷 何をかいたむ。○顧歩 左右をふりかえりみてあゆむ。○紆鬱 こころに憂鬱感がありこれが晴れないことをいう。鶻のごとく雄飛することができぬことをかなしむこと。雄飛できるものの存在と朝廷の閉塞感、疎外感をいうことによって自らを慰めるものである。杜甫の作品で描かれたものを批評するものが多いが、馬、雁、鶻、など心情は同じところに立つものが多い。

畫鷹  杜甫 10 (青年期・就活の詩)

奉先劉少府新畫山水障歌 杜甫  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 136



高堂生鶻を見る 颯爽として秋骨動く
初は驚く拘攣無きに 何ぞ立つこと突兀たるを得るやと
乃ち知る画師の妙 巧に造化の窟を刮り
此の神俊の姿を写して 君が眼中の物に充つるを』
烏鵲樛枝に満つ 軒然として其の出でんことを恐る
脳を側けて青霄を看る 寧ぞ眾禽の没を為さんや
長翮 刀剣の如し 人寰 超越す可し
乾坤空しく崢嶸たり 粉墨 且 蕭瑟たり』
緬かに思う雲沙の際 自ら煙霧の質有るを
吾今意何をか傷む 顧歩して独り紆鬱たり』

畫鶻行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 264

畫鶻行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 264
(五言古詩 画鶻行がこつこう)便宜的に2分割して掲載。
鶻鶴の画をみて感じた所をのべた詩である。758年乾元元年、なお朝廷にあって疎外感を持っていた時の作。

乾元元年 758年 47歳

畫鶻行 #1
高堂見生鶻,颯爽動秋骨。
この高い座敷で生きた鶻がいるのを見ている、その鶻は意気颯爽として骨ぶしが動いている。
初驚無拘攣,何得立突兀!
わたしはこれを初めてみたとき、ひもでつないでもないのに飛び去りもせず、なんで高く見おろしたっているのであるかと驚くのである
乃知畫師妙,巧刮造化窟。

よくみるとやっと次のことがわかった、画かきがうまくて、巧に天然の奥底をけずりっているのだ。
寫此神俊姿,充君眼中物。』
このすぐれた姿をうつしだして君(主人)がながめる品物として充分すぐれたものであるということだ。』
#2
烏鵲滿樛枝,軒然恐其出。側腦看青霄,寧為眾禽沒。
長翮如刀劍,人寰可超越。乾坤空崢嶸,粉墨且蕭瑟。』
緬思雲沙際,自有煙霧質。吾今意何傷,顧步獨紆鬱。』


 (画鶻行がこつこう)
高堂生鶻を見る、颯爽として秋骨動く。
初【はじめ】は驚く拘攣【こうれん】無きに、何ぞ立つこと突兀【とつこつ】たるを得るやと。
乃ち知る画師の妙、巧に造化の窟を刮【けず】り。
此の神俊【しんしゅん】の姿を写して、君が眼中の物に充つるを。』

烏鵲【うじゃく】樛枝【きゅうし】に満つ、軒然【けんぜん】として其の出でんことを恐る。
脳を側【かたむ】けて青霄【せいしょう】を看る、寧ぞ眾禽【しゅうきん】の没を為さんや。
長翮【ちょうかく】刀剣【とうけん】の如し、人寰【じんかん】超越【ちょうえつ】す可し。
乾坤【けんこん】空しく崢嶸【そうこう】たり、粉墨【ふんぼく】 且 蕭瑟【しょうしつ】たり』
緬【はる】かに思う雲沙【うんさ】の際、自ら煙霧の質有るを。
吾今意何をか傷む、顧歩【こほ】して独り紆鬱【ううつ】たり。』
 
畫 鶻 行
現代語訳と訳註
(本文)
畫鶻行 #1
高堂見生鶻,颯爽動秋骨。
初驚無拘攣,何得立突兀!
乃知畫師妙,巧刮造化窟。
寫此神俊姿,充君眼中物。』

(下し文)
(画鶻行がこつこう)
高堂生鶻を見る、颯爽として秋骨動く。
初【はじめ】は驚く拘攣【こうれん】無きに、何ぞ立つこと突兀【とつこつ】たるを得るやと。
乃ち知る画師の妙、巧に造化の窟を刮【けず】り。
此の神俊【しんしゅん】の姿を写して、君が眼中の物に充つるを。』


(現代語訳)
この高い座敷で生きた鶻がいるのを見ている、その鶻は意気颯爽として骨ぶしが動いている。
わたしはこれを初めてみたとき、ひもでつないでもないのに飛び去りもせず、なんで高く見おろしたっているのであるかと驚くのである
よくみるとやっと次のことがわかった、画かきがうまくて、巧に天然の奥底をけずりっているのだ。
このすぐれた姿をうつしだして君(主人)がながめる品物として充分すぐれたものであるということだ。』


(訳注)
高堂見生鶻,颯爽動秋骨

高堂生鶻を見る 颯爽として秋骨動く
この高い座敷で生きた鶻がいるのを見ている、その鶻は意気颯爽として骨ぶしが動いている。
高堂 たかいざしき。この画を見たばしょ。○生鶻 生はいきていること、画とは見えないほどのもの。○颯爽 威風あたりをはらうさま。○動秋骨 秋節における鶻の骨のふしぶしが動いているようだ。


初驚無拘攣,何得立突兀!
初は驚く拘攣無きに 何ぞ立つこと突兀たるを得るやと
わたしはこれを初めてみたとき、ひもでつないでもないのに飛び去りもせず、なんで高く見おろしたっているのであるかと驚くのである
初鴬 この画をみた最初、鷺は作者がおどろくこと。○拘攣 拘束に同じ、攣はつなぐ、抄もでくくりおくことをいう。○立突兀 突冗立に同じ、突先はそびえたつさま。


乃知畫師妙,巧刮造化窟
乃ち知る画師の妙 巧に造化の窟を刮り
よくみるとやっと次のことがわかった、画かきがうまくて、巧に天然の奥底をけずりっているのだ。
乃知 よくみてそこで知る。○ けずりとる。○造化窟 造化は天然、窟はいわあな、おくそこをいう。


寫此神俊姿,充君眼中物。』
此の神俊の姿を写して 君が眼中の物に充つるを
このすぐれた姿をうつしだして君(主人)がながめる品物として充分すぐれたものであるということだ。』
神俊姿 すぐれたすがた。○ 主人をさす。○ もてあそびもの。

義鶻行 #4 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 263

義鶻行 #4 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 263
(義鶻行ぎこつこう)

義理ある鶻のことをよんだうたである。
鶻は「あおだか」の類、「ぬくめどり」という猛鳥である。

   コツ、ハイタカ(haitaka),はやぶさ、ワシタカ科の

季節 

鶻

杜陵の住居に近い潏水のほとりにおいて樵夫よりきいた話で、鶻が蒼鷹のために白蛇を殺し、子鷹を食った仇を討ったことを述べている。
乾元元年 758年 47歳長安での作。
 

義鶻行【ぎこつこう】
陰崖有蒼鷹,養子黑柏顛。白蛇登其巢,吞噬恣朝餐。』
雄飛遠求食,雌者鳴辛酸。力強不可製,黃口無半存。
其父從西歸,翻身入長煙。斯須領健鶻,痛憤寄所宣。』
#2
鬥上捩孤影,咆哮來九天。修鱗脫遠枝,巨顙坼老拳。
高空得蹭蹬,短草辭蜿蜒。折尾能一掉,飽腸皆已穿。』
#3
生雖滅眾雛,死亦垂千年。物情可報複,快意貴目前。
茲實鷙鳥最,急難心炯然。功成失所往,用舍何其賢!』
#4
近經潏水湄,此事樵夫傳。
ちかごろわたし(杜甫)は潏水のほとりをとおったとき、このはなしを樵夫がかたりつたえてくれた。
飄蕭覺素發,凜欲沖儒冠。
その内容は、ぞっとするほどで白髪を風にそよがせるのがわかるのだ、聞くほどに髪がたちあがって冠をつきさすがごとくにおもわれた。
人生許與分,只在顧盼間。
人生をいきぬくには他人に対し意気相許すという情分のおこることはある、ただ、それはちょっとした瞬間にあるというものである。
聊為義鶻行,永激壯士肝。』

そういうこともあって、世上の人に「義鶻行」という詩にしたのだ。天下の壮士の忠義の肝腸を激励なればとおもっている。
 
義鶻行 #1
陰崖の二蒼鷹【そうよう】、 子を養う黒柏【こくはく】の顛【いただき】。
白蛇【はくだ】其の巣に登り、 吞噬【とんぜい】朝餐【ちょうさん】を恣【ほしいまま】にす。』
雄飛びて遠く食を求む、 雌者【ししゃ】鳴いて辛酸【しんさん】なり。
力強くして制す可らず、 黄口【こうこう】半存する無し。
其の父西従【よ】り帰る、 身を翻えして長煙に入る。
斯須【ししゅ】健鶻【けんこつ】を領す、 痛憤【つうふん】宣【の】ぶる所に寄す。』
#2
斗【たちま】ち上りて孤影【こえい】を捩【れっ】し、 咆哮【ほうこう】して九天より来る。
修鱗【しゅうりん】遠枝【えんし】より脱す、 巨顙【きょそう】老拳【ろうけん】に坼く。
高空に蹭蹬【そうとう】たるを得、 短草に蜿蜒【えんえん】たるを辞す。
折尾能く一たび掉【ふる】う、 飽腸【ほうちょう】皆己に穿【うが】たる。』
#3 
生衆【せいしゅう】雛【すう】を滅【ほろぼ】すと雖も、 死も亦千年に垂る。
物情報復有り、 快意目前なるを貴ぶ。
茲實【これじつ】に鷙鳥【しちょう】の最なり、 急難に心桐然【けいぜん】たり。
功成りて往く所を失う、 用舎何ぞ其れ賢なる。』
#4
近【ちかご】ろ潏水【いつすい】の湄【ほとり】を経【ふ】、 此の事樵夫【しょうふ】伝【つと】う。
飄蕭【ひょうしょう】素髪の 凛として、儒冠【じゅかん】を衝かんと欲するを覚ゆ。
人生許与【きょよ】の分、 只だ顧盼【こはん】の間に在り。
聊【いささか】か義鶴行を為【つく】り、 用て壮士の肝を激せしむ。』


現代語訳と訳註
(本文)

近經潏水湄,此事樵夫傳。
飄蕭覺素發,凜欲沖儒冠。
人生許與分,只在顧盼間。
聊為義鶻行,永激壯士肝。』


(下し文)
#4
近【ちかご】ろ潏水【いつすい】の湄【ほとり】を経【ふ】、 此の事樵夫【しょうふ】伝【つと】う。
飄蕭【ひょうしょう】素髪の 凛として、儒冠【じゅかん】を衝かんと欲するを覚ゆ。
人生許与【きょよ】の分、 只だ顧盼【こはん】の間に在り。
聊【いささか】か義鶴行を為【つく】り、 用て壮士の肝を激せしむ。』


(現代語訳)
ちかごろわたし(杜甫)は潏水のほとりをとおったとき、このはなしを樵夫がかたりつたえてくれた。
その内容は、ぞっとするほどで白髪を風にそよがせるのがわかるのだ、聞くほどに髪がたちあがって冠をつきさすがごとくにおもわれた。
人生をいきぬくには他人に対し意気相許すという情分のおこることはある、ただ、それはちょっとした瞬間にあるというものである。
そういうこともあって、世上の人に「義鶻行」という詩にしたのだ。天下の壮士の忠義の肝腸を激励なればとおもっている。
長安 五原八水00

(訳注)#4
近經潏水湄,此事樵夫傳。

ちかごろわたし(杜甫)は潏水のほとりをとおったとき、このはなしを樵夫がかたりつたえてくれた。
潏水 長安の杜陵にある。皇子陵より西北流して渭水に入る。
 

飄蕭覺素發,凜欲沖儒冠。
その内容は、ぞっとするほどで白髪を風にそよがせるのがわかるのだ、聞くほどに髪がたちあがって冠をつきさすがごとくにおもわれた
諷薫 風にふかれるさま。○素髪 しらが。○凛 ひきしまり、ぞっとするさま。○沖儒冠 髪がたちあがって冠をつきさそうとする。儒冠は儒者のかんむり、自己の冠をいう。


人生許與分,只在顧盼間。
人生をいきぬくには他人に対し意気相許すという情分のおこることはある、ただ、それはちょっとした瞬間にあるというものである。
許与分 許与は我が意気を人にゆるしあたえること。分は情分、分誼、あいてあいてに応ずる心づくし。○顧扮 ちょっとよこをふりむいてみること、つかのまをいう。


聊為義鶻行,永激壯士肝。』
そういうこともあって、世上の人に「義鶻行」という詩にしたのだ。天下の壮士の忠義の肝腸を激励なればとおもっている。
○激 はげます。○壮士 天下の勇壮な人たち。

義鶻行 #3 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 262

義鶻行 #3 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 262
(義鶻行ぎこつこう)

義理ある鶻のことをよんだうたである。鶻は「あおだか」の類、「ぬくめどり」という猛鳥である。
杜陵の住居に近い潏水のほとりにおいて樵夫よりきいた話で、鶻が蒼鷹のために白蛇を殺し、子鷹を食った仇を討ったことを述べている。
乾元元年 758年 47歳長安での作。
 

義鶻行【ぎこつこう】
陰崖有蒼鷹,養子黑柏顛。白蛇登其巢,吞噬恣朝餐。』
雄飛遠求食,雌者鳴辛酸。力強不可製,黃口無半存。
其父從西歸,翻身入長煙。斯須領健鶻,痛憤寄所宣。』

鬥上捩孤影,咆哮來九天。修鱗脫遠枝,巨顙坼老拳。
高空得蹭蹬,短草辭蜿蜒。折尾能一掉,飽腸皆已穿。』
#3
生雖滅眾雛,死亦垂千年。
この蛇は生きているときは多くの子鷹を食いたやしたが、死んではみじめな手本を千年の後までたれ残すことになった。
物情可報複,快意貴目前。
すべて事物においては報復ということがあるというものである、だからこの蛇が鶻にかたきうちされたことは眼前におこったことで愉快さは一層である。
茲實鷙鳥最,急難心炯然。
この鶻のした行為はつよい猛鳥といわれる鳥のうちいちばんなのである、こうした急難の折にそれを救ってやる心はかくも光り輝いているのだ。
功成失所往,用舍何其賢!』

仇討ちが成功したら、どこへいったかわからなくなってしまった。その進退を示すのに『用舎行蔵』ということはなんと賢者のなすべきことではないか。』

近經潏水湄,此事樵夫傳。飄蕭覺素發,凜欲沖儒冠。
人生許與分,只在顧盼間。聊為義鶻行,永激壯士肝。』
 
義鶻行 #1
陰崖の二蒼鷹【そうよう】、 子を養う黒柏【こくはく】の顛【いただき】。
白蛇【はくだ】其の巣に登り、 吞噬【とんぜい】朝餐【ちょうさん】を恣【ほしいまま】にす。』
雄飛びて遠く食を求む、 雌者【ししゃ】鳴いて辛酸【しんさん】なり。
力強くして制す可らず、 黄口【こうこう】半存する無し。
其の父西従【よ】り帰る、 身を翻えして長煙に入る。
斯須【ししゅ】健鶻【けんこつ】を領す、 痛憤【つうふん】宣【の】ぶる所に寄す。』
#2
斗【たちま】ち上りて孤影【こえい】を捩【れっ】し、 咆哮【ほうこう】して九天より来る。
修鱗【しゅうりん】遠枝【えんし】より脱す、 巨顙【きょそう】老拳【ろうけん】に坼く。
高空に蹭蹬【そうとう】たるを得、 短草に蜿蜒【えんえん】たるを辞す。
折尾能く一たび掉【ふる】う、 飽腸【ほうちょう】皆己に穿【うが】たる。』
#3 
生衆【せいしゅう】雛【すう】を滅【ほろぼ】すと雖も、 死も亦千年に垂る。
物情報復有り、 快意目前なるを貴ぶ。
茲實【これじつ】に鷙鳥【しちょう】の最なり、 急難に心桐然【けいぜん】たり。
功成りて往く所を失う、 用舎何ぞ其れ賢なる。』

#4
近【ちかご】ろ潏水【いつすい】の湄【ほとり】を経【ふ】、 此の事樵夫【しょうふ】伝【つと】う。
飄蕭【ひょうしょう】素髪の 凛として、儒冠【じゅかん】を衝かんと欲するを覚ゆ。
人生許与【きょよ】の分、 只だ顧盼【こはん】の間に在り。
聊【いささか】か義鶴行を為【つく】り、 用て壮士の肝を激せしむ。』


現代語訳と訳註
(本文)

生雖滅眾雛,死亦垂千年。
物情可報複,快意貴目前。
茲實鷙鳥最,急難心炯然。
功成失所往,用舍何其賢!』

(下し文)#3 
生衆【せいしゅう】雛【すう】を滅【ほろぼ】すと雖も、 死も亦千年に垂る。
物情報復有り、 快意目前なるを貴ぶ。
茲實【これじつ】に鷙鳥【しちょう】の最なり、 急難に心桐然【けいぜん】たり。
功成りて往く所を失う、 用舎何ぞ其れ賢なる。』


(現代語訳)
この蛇は生きているときは多くの子鷹を食いたやしたが、死んではみじめな手本を千年の後までたれ残すことになった。
すべて事物においては報復ということがあるというものである、だからこの蛇が鶻にかたきうちされたことは眼前におこったことで愉快さは一層である。
この鶻のした行為はつよい猛鳥といわれる鳥のうちいちばんなのである、こうした急難の折にそれを救ってやる心はかくも光り輝いているのだ。
仇討ちが成功したら、どこへいったかわからなくなってしまった。その進退を示すのに『用舎行蔵』ということはなんと賢者のなすべきことではないか。』


(訳注)#3
生雖滅眾雛,死亦垂千年。

この蛇は生きているときは多くの子鷹を食いたやしたが、死んではみじめな手本を千年の後までたれ残すことになった。
垂千年 垂とは躯【むくろ】を垂れ晒【さら】すことを後世までのこすことをいう。
 

物情可報複,快意貴目前。
すべて事物においては報復ということがあるというものである、だからこの蛇が鶻にかたきうちされたことは眼前におこったことで愉快さは一層である。
物情 事物の実情。○報復 しかえし。○快意 こころよいこと。○貴目前 目のまえ手近にみるほど貴くありがたい。


茲實鷙鳥最,急難心炯然。
この鶻のした行為はつよい猛鳥といわれる鳥のうちいちばんなのである、こうした急難の折にそれを救ってやる心はかくも光り輝いているのだ。
 鶻のした行為をさす。○鷲鳥 つよいとり。○ いちばん。○急難 危急難難を救うことをいう ○心桐然 心、公明正大なことをいう。
 

功成失所往,用舍何其賢!』
仇討ちが成功したら、どこへいったかわからなくなってしまった。その進退を示すのに『用舎行蔵』ということはなんと賢者のなすべきことではないか。』
功成 功とは蛇を殺したことをさす。○失所往 ゆくえがわからなくなる。○用舎 世に用いられると出て自己の道を行い、捨てられると退いて身を隠す行蔵の義。用舎行蔵は『論語、述而』 「子謂顔淵曰、用之則行、舎之則蔵。唯我興爾有是夫。」(子顔淵【がんえん】に謂ひて曰はく、之を用ふれば則ち行ひ、之を舎【す】つれば則ち蔵【かく】る。唯我と爾【なんぢ】と是れ有るかな)。

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義鶻行#2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 261

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(義鶻行【ぎこつこう】)

義鶻行
陰崖有蒼鷹,養子黑柏顛。白蛇登其巢,吞噬恣朝餐。』
雄飛遠求食,雌者鳴辛酸。力強不可製,黃口無半存。
其父從西歸,翻身入長煙。斯須領健鶻,痛憤寄所宣。』
#2

鬥上捩孤影,咆哮來九天。
それをきくと鶻はいきなり空へとあがり、そのひとつのすがたを螺旋状に回転してくだり、はげしくさけび鳴きながら天からおりて来た。
修鱗脫遠枝,巨顙坼老拳。
この瞬間、蛇の長身は上方の枝からはなされ、蛇の大きなひたいは鶻のかたいこぶしにめちゃめちゃにさかれた。
高空得蹭蹬,短草辭蜿蜒。
高い空でぐちゃぐちゃの目にあわされ、もはや地上短い草でうねりくねっているわけにはゆかなくさせられた。
折尾能一掉,飽腸皆已穿。』

折られた尾がなんとか一度は動かしたりしたが、飽満した腸にすっかり穴をあけられてしまった。』

生雖滅眾雛,死亦垂千年。物情可報複,快意貴目前。
茲實鷙鳥最,急難心炯然。功成失所往,用舍何其賢!』

近經潏水湄,此事樵夫傳。飄蕭覺素發,凜欲沖儒冠。
人生許與分,只在顧盼間。聊為義鶻行,永激壯士肝。』

#2
斗【たちま】ち上りて孤影【こえい】を捩【れっ】し、 咆哮【ほうこう】して九天より来る。
修鱗【しゅうりん】遠枝【えんし】より脱す、 巨顙【きょそう】老拳【ろうけん】に坼く。
高空に蹭蹬【そうとう】たるを得、 短草に蜿蜒【えんえん】たるを辞す。
折尾能く一たび掉【ふる】う、 飽腸【ほうちょう】皆己に穿【うが】たる。』

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現代語訳と訳註
(本文)

鬥上捩孤影,咆哮來九天。
修鱗脫遠枝,巨顙坼老拳。
高空得蹭蹬,短草辭蜿蜒。
折尾能一掉,飽腸皆已穿。』

(下し文) #2
斗【たちま】ち上りて孤影【こえい】を捩【れっ】し、 咆哮【ほうこう】して九天より来る。
修鱗【しゅうりん】遠枝【えんし】より脱す、 巨顙【きょそう】老拳【ろうけん】に坼く。
高空に蹭蹬【そうとう】たるを得、 短草に蜿蜒【えんえん】たるを辞す。
折尾能く一たび掉【ふる】う、 飽腸【ほうちょう】皆己に穿【うが】たる。』


(現代語訳)
それをきくと鶻はいきなり空へとあがり、そのひとつのすがたを螺旋状に回転してくだり、はげしくさけび鳴きながら天からおりて来た。
この瞬間、蛇の長身は上方の枝からはなされ、蛇の大きなひたいは鶻のかたいこぶしにめちゃめちゃにさかれた。
高い空でぐちゃぐちゃの目にあわされ、もはや地上短い草でうねりくねっているわけにはゆかなくさせられた。
折られた尾がなんとか一度は動かしたりしたが、飽満した腸にすっかり穴をあけられてしまった。』


(訳注)#2
鬥上捩孤影,咆哮來九天。

それをきくと鶻はいきなり空へとあがり、そのひとつのすがたを螺旋状に回転してくだり、はげしくさけび鳴きながら天からおりて来た。
斗上 斗は随に同じ、たちまち、いきなり。上はのぼること。○ ねじる、螺旋状に舞いつつ降る。○孤影 鶻のただひとつの身影。○咆哮 はげしく鳴く。〇九天 八方及び中央の天の周りに八の天がある。。


修鱗脫遠枝,巨顙坼老拳。
この瞬間、蛇の長身は上方の枝からはなされ、蛇の大きなひたいは鶻のかたいこぶしにめちゃめちゃにさかれた。
修鱗 修は脩に同じ、長いこと、長いうろことは蛇の身をいう。○脱遠枝 脱は脱離、柏の枝にからみついていたのを、そこからはなされること、遠枝とは幹から離れ梢ちかい枝。○巨顙 大きなひたい、蛇首をいう。○老拳 鶻のかたいこぶし。


高空得蹭蹬,短草辭蜿蜒。
高い空でぐちゃぐちゃの目にあわされ、もはや地上短い草でうねりくねっているわけにはゆかなくさせられた。
高空 たかいそら。○得蹭蹬 蹭蹬はつかれるさま、それを得とは蛇のよわることをいう。○短草 地上の短い草。○辞蜿蜒 蜿蜒はうねるさま、それを辞すとはそうあることができないことをいう。


折尾能一掉,飽腸皆已穿。』
折られた尾がなんとか一度は動かしたりしたが、飽満した腸にすっかり穴をあけられてしまった。』
折尾 おれた尾。○ ふるいうごかす。○飽腸 たかの子にたぺあきたはらわた。○穿 穴をあける。


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義鶻行#1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 260

義鶻行#1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 260
(義鶻行ぎこつこう)
義理ある鶻のことをよんだうたである。鶻は「あおだか」の類、「ぬくめどり」という猛鳥である。
杜陵の住居に近い潏水のほとりにおいて樵夫よりきいた話で、鶻が蒼鷹のために白蛇を殺し、子鷹を食った仇を討ったことを述べている。
乾元元年 758年 47歳長安での作。
長安の近郊

義鶻行【ぎこつこう】
陰崖有蒼鷹,養子黑柏顛。
北むきの崖に二匹の蒼鷹がいて、黒い柏樹の天辺で子を育てていた。
白蛇登其巢,吞噬恣朝餐。』
自蛇がきてその巣に登り、その子だかを呑んだり咬んだりして、かってに朝の食事としてしまった。』
雄飛遠求食,雌者鳴辛酸。
時に雄鷹は遠く食物を求めるために飛びだしていたが、巣籠りしていた雌だかは鳴きつつ辛い思いをしていた。
力強不可製,黃口無半存。
蛇の力はつよいからこの雌だかの力では制止しきれず、とうとう黄色い嘴の子鷹は半分も残らず食べられてしまった。
其父從西歸,翻身入長煙。
そこへ雄だかは西の方から帰ってきて見るとこのありさまなので、身を交わしてまた煙の長く引き映えた天辺へと入って行き、暫くするとつよい鶻を連れて来た。
斯須領健鶻,痛憤寄所宣。』

そしてしばらくすると、力の強い鶻をひきいてかえってきた。自分の抱いて居た憤りの気持ちを述べだす言葉に託してすっかりはきだした。』
#2

鬥上捩孤影,咆哮來九天。修鱗脫遠枝,巨顙坼老拳。
高空得蹭蹬,短草辭蜿蜒。折尾能一掉,飽腸皆已穿。』


#3
生雖滅眾雛,死亦垂千年。物情可報複,快意貴目前。
茲實鷙鳥最,急難心炯然。功成失所往,用舍何其賢!』

#4
近經潏水湄,此事樵夫傳。飄蕭覺素發,凜欲沖儒冠。
人生許與分,只在顧盼間。聊為義鶻行,永激壯士肝。』
 
義鶻行 #1
陰崖の二蒼鷹【そうよう】、 子を養う黒柏【こくはく】の顛【いただき】。
白蛇【はくだ】其の巣に登り、 吞噬【とんぜい】朝餐【ちょうさん】を恣【ほしいまま】にす。』
雄飛びて遠く食を求む、 雌者【ししゃ】鳴いて辛酸【しんさん】なり。
力強くして制す可らず、 黄口【こうこう】半存する無し。
其の父西従【よ】り帰る、 身を翻えして長煙に入る。
斯須【ししゅ】健鶻【けんこつ】を領す、 痛憤【つうふん】宣【の】ぶる所に寄す。』

#2
斗【たちま】ち上りて孤影【こえい】を捩【れっ】し、 咆哮【ほうこう】して九天より来る。
修鱗【しゅうりん】遠枝【えんし】より脱す、 巨顙【きょそう】老拳【ろうけん】に坼く。
高空に蹭蹬【そうとう】たるを得、 短草に蜿蜒【えんえん】たるを辞す。
折尾能く一たび掉【ふる】う、 飽腸【ほうちょう】皆己に穿【うが】たる。』
#3 
生衆【せいしゅう】雛【すう】を滅【ほろぼ】すと雖も、 死も亦千年に垂る。
物情報復有り、 快意目前なるを貴ぶ。
茲實【これじつ】に鷙鳥【しちょう】の最なり、 急難に心桐然【けいぜん】たり。
功成りて往く所を失う、 用舎何ぞ其れ賢なる。』
#4
近【ちかご】ろ潏水【いつすい】の湄【ほとり】を経【ふ】、 此の事樵夫【しょうふ】伝【つと】う。
飄蕭【ひょうしょう】素髪の 凛として、儒冠【じゅかん】を衝かんと欲するを覚ゆ。
人生許与【きょよ】の分、 只だ顧盼【こはん】の間に在り。
聊【いささか】か義鶴行を為【つく】り、 用て壮士の肝を激せしむ。』

 

現代語訳と訳註
(本文)

陰崖有蒼鷹,養子黑柏顛。
白蛇登其巢,吞噬恣朝餐。』
雄飛遠求食,雌者鳴辛酸。
力強不可製,黃口無半存。
其父從西歸,翻身入長煙。
斯須領健鶻,痛憤寄所宣。』

(下し文) 義鶻行 #1
陰崖の二蒼鷹【そうよう】、 子を養う黒柏【こくはく】の顛【いただき】。
白蛇【はくだ】其の巣に登り、 吞噬【とんぜい】朝餐【ちょうさん】を恣【ほしいまま】にす。』
雄飛びて遠く食を求む、 雌者【ししゃ】鳴いて辛酸【しんさん】なり。
力強くして制す可らず、 黄口【こうこう】半存する無し。
其の父西従【よ】り帰る、 身を翻えして長煙に入る。
斯須【ししゅ】健鶻【けんこつ】を領す、 痛憤【つうふん】宣【の】ぶる所に寄す。』


(現代語訳)
北むきの崖に二匹の蒼鷹がいて、黒い柏樹の天辺で子を育てていた。
自蛇がきてその巣に登り、その子だかを呑んだり咬んだりして、かってに朝の食事としてしまった。』
時に雄鷹は遠く食物を求めるために飛びだしていたが、巣籠りしていた雌だかは鳴きつつ辛い思いをしていた。
蛇の力はつよいからこの雌だかの力では制止しきれず、とうとう黄色い嘴の子鷹は半分も残らず食べられてしまった。
そこへ雄だかは西の方から帰ってきて見るとこのありさまなので、身を交わしてまた煙の長く引き映えた天辺へと入って行き、暫くするとつよい鶻を連れて来た。
そしてしばらくすると、力の強い鶻をひきいてかえってきた。自分の抱いて居た憤りの気持ちを述べだす言葉に託してすっかりはきだした。』


(訳注) 義鶻行 #1
陰崖有蒼鷹,養子黑柏顛。

北むきの崖に二匹の蒼鷹がいて、黒い柏樹の天辺で子を育てていた。
陰崖 北むきのがけ。杜甫『題李尊師松樹障子歌』「陰崖卻承霜雪幹,偃蓋反走虬龍形。』『三川觀水漲二十韻』「清晨望高浪,忽謂陰崖踣。」〇二蒼鷹 二を或は有に作る、有の字が自然であるように思われる、二とは雌雄をさす。 李白『行路難 三首 其三』「華亭鶴唳渠可聞,上蔡蒼鷹何足道。」○黒柏 柏の葉の色が黒いのであろう、老柏をいう。


白蛇登其巢,吞噬恣朝餐。』
自蛇がきてその巣に登り、その子だかを呑んだり咬んだりして、かってに朝の食事としてしまった。』
 かむ。


雄飛遠求食,雌者鳴辛酸。
時に雄鷹は遠く食物を求めるために飛びだしていたが、巣籠りしていた雌だかは鳴きつつ辛い思いをしていた。
辛酸 つらい思いをする。


力強不可製,黃口無半存。
蛇の力はつよいからこの雌だかの力では制止しきれず、とうとう黄色い嘴の子鷹は半分も残らず食べられてしまった。
力強自蛇のカのつよいこと。○黃口 こだかのくちばしの黄色な者。生まれて間もない時は黄色をしている。○無半存 子の半数さえも残存しない。
 

其父從西歸,翻身入長煙。
そこへ雄だかは西の方から帰ってきて見るとこのありさまなので、身を交わしてまた煙の長く引き映えた天辺へと入って行った。
其父 父とは雄をさす。


斯須領健鶻,痛憤寄所宣。』
そしてしばらくすると、力の強い鶻をひきいてかえってきた。自分の抱いて居た憤りの気持ちを述べだす言葉に託してすっかりはきだした。』
斯須 須臭に同じ、しばしのま。○ ひきいる、つれてくる。○ 力のつよいこと。○痛憤 雄鷹のいたましいいきどおり。○寄所宜 所宜とは鶴に向かってのべ訴える所の言辞をいう。寄とは寄せ託する、憤りを辞に託すること。

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