杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

2012年05月

垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1067 杜甫詩集700- 320

垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1067 杜甫詩集700- 320
 759年乾元2年秋~冬 48歳 秦州で華州で見たことを思い出し詩にした時の作。(3回分割の3回目)


新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1019 杜甫詩集700- 304 
新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1022 杜甫詩集700- 305
新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1025 杜甫詩集700- 306

石壕吏 杜甫 三吏三別詩<216>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1028 杜甫詩集700- 307 
石壕吏 杜甫 三吏三別詩<216>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1031 杜甫詩集700- 308
石壕吏 杜甫 三吏三別詩<216>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1034 杜甫詩集700- 309 

潼関吏  杜甫 三吏三別詩<217>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1037 杜甫詩集700- 310
潼関吏  杜甫 三吏三別詩<217>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1040 杜甫詩集700- 311

新婚別  杜甫 三吏三別詩<218>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1043 杜甫詩集700- 312
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無家別 杜甫 三吏三別詩 <219>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1052 杜甫詩集700- 315 
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無家別 杜甫 三吏三別詩 <219>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1058 杜甫詩集700- 317 

垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1061 杜甫詩集700- 318
垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1064 杜甫詩集700- 319
垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1067 杜甫詩集700- 320

垂老別       杜 甫
四郊未寧静、垂老不得安。
子孫陣亡尽、焉用身獨完。」
投杖出門去、同行為辛酸。
幸有牙歯存、所悲骨髄乾。
男児既介冑、長揖別上官。』
#2
老妻臥路啼、歳暮衣裳単。
孰知是死別、且復傷其寒。
此去必不帰、還聞勧加餐。』
土門壁甚堅、杏園度亦難。
勢異鄴城下、縦死時猶寛。」
#3
人生有離合、豈択衰盛端。
人間世界では逢うと別れとは時節が決まり無いものであり、血気盛んなときだけ別れをさせ、衰えたときには別れをさせないというようなものではない。
憶昔少壮日、遅廻竟長嘆。』
しかし昔、自分がわかく元気であったときのことを思いだすと、今もあのころのようならばと考えて、ぐずぐずして前へすすまない、結局ため息して嘆くばかりなのである。』
萬国尽征戍、烽火被岡巒。
今や天下中みんな叛乱を征伐や叛乱から守る戰ばかりで、のろし火の煙が岡や山におおわれているのである。
積屍草木腥、流血川原丹。
積まれた屍はあたりの草木までもなまぐさい臭いが充満している、血は流れて川や野原も真っ赤に染まっている。
何郷為楽土、安敢尚盤桓。 
どこの地方が安楽世界なのかと思うが、そんな所がありはしないのだ。どうして尚ここにのんびりぶらしていられようか。
棄絶蓬室居、搨然摧肺肝。』

こういうことが原因で自分は断然として住み慣れた蓬の家を放棄するのである。そのため意欲がなくなっており、辛さに肺や肝までくだけるのである。』

老いて垂【なんな】んとする別れ #1
四郊 未だ寧静【ねいせい】ならず,老いて垂【なんな】んとして安らかなるを得ず。
子孫 陣亡【じんぼう】し尽し,焉ぞ身の獨り完【まつた】きことを用いん。
杖を投じて門を出て去る,同行し為に辛酸【しんさん】する。
幸に牙歯【きば】の存する有り,悲しむ所 骨髄【こつづい】乾く。
男児 既に介冑【かいちゅう】し,長揖【ちょういう】して上官と別れる。
#2
老妻【ろうさい】路に臥して啼く,歳暮れて衣裳は単【ひとえ】。
孰【たれ】か知らん是れ死別なるを,且つ復た其の寒からんことを傷む。
此【ここ】を去りては必らず帰らず,還た聞く加餐【かさん】を勧めるを。』
土門 壁甚【はなは】だ堅し,杏園【きょうえん】度【わた】るも亦た難し。
勢いは鄴城【ぎょうじょう】の下に異なり,縦【たと】い死しても時猶を寛【かん】ならん。」
#3
人生 離合あり、豈に衰盛の端を択【えら】ばんや。
昔 少壮【しょうそう】なりし日を憶いて,遅廻【ちかい】して竟に長嘆【ちょうたん】するを。
萬国 尽【ことごと】く征戍【せいじゅ】,烽火【ほうか】岡巒【こうらん】に被る。
積屍【せきし】草木【そうもく】腥【なまぐさ】く,流血 川原【せんげん】丹【あか】し。
何れの郷か楽土と為し,安んぞ敢て尚を盤桓【ばんかん】せん。
蓬室【ほうしつ】の居を棄絶【きぜつ】して,搨然【とうぜん】肺肝【はいかん】を摧【くだ】く。


現代語訳と訳註
(本文)
#3
人生有離合、豈択衰盛端。
憶昔少壮日、遅廻竟長嘆。』
萬国尽征戍、烽火被岡巒。
積屍草木腥、流血川原丹。
何郷為楽土、安敢尚盤桓。 
棄絶蓬室居、搨然摧肺肝。』


(下し文)#3
人生 離合あり、豈に衰盛の端を択【えら】ばんや。
昔 少壮【しょうそう】なりし日を憶いて,遅廻【ちかい】して竟に長嘆【ちょうたん】するを。
萬国 尽【ことごと】く征戍【せいじゅ】,烽火【ほうか】岡巒【こうらん】に被る。
積屍【せきし】草木【そうもく】腥【なまぐさ】く,流血 川原【せんげん】丹【あか】し。
何れの郷か楽土と為し,安んぞ敢て尚を盤桓【ばんかん】せん。
蓬室【ほうしつ】の居を棄絶【きぜつ】して,搨然【とうぜん】肺肝【はいかん】を摧【くだ】く。


(現代語訳)
人間世界では逢うと別れとは時節が決まり無いものであり、血気盛んなときだけ別れをさせ、衰えたときには別れをさせないというようなものではない。
しかし昔、自分がわかく元気であったときのことを思いだすと、今もあのころのようならばと考えて、ぐずぐずして前へすすまない、結局ため息して嘆くばかりなのである。』
今や天下中みんな叛乱を征伐や叛乱から守る戰ばかりで、のろし火の煙が岡や山におおわれているのである。
積まれた屍はあたりの草木までもなまぐさい臭いが充満している、血は流れて川や野原も真っ赤に染まっている。
どこの地方が安楽世界なのかと思うが、そんな所がありはしないのだ。どうして尚ここにのんびりぶらしていられようか。
こういうことが原因で自分は断然として住み慣れた蓬の家を放棄するのである。そのため意欲がなくなっており、辛さに肺や肝までくだけるのである。』


(訳注)
人生有離合、豈択衰盛端。
人生 離合あり、豈に衰盛の端を択【えら】ばんや。
人間世界では逢うと別れとは時節が決まり無いものであり、血気盛んなときだけ別れをさせ、衰えたときには別れをさせないというようなものではない。
離合 わかれたり、であったり。○豈択 どうしてえらぼうか、選びはしない。。○衰盛端 元気の衰えた時と盛んなとき、離合と対句であるがどちらも定められたものでない。


憶昔少壮日、遅廻竟長嘆。
昔 少壮【しょうそう】なりし日を憶いて,遅廻【ちかい】して竟に長嘆【ちょうたん】するを。
しかし昔、自分がわかく元気であったときのことを思いだすと、今もあのころのようならばと考えて、ぐずぐずして前へすすまない、結局ため息して嘆くばかりなのである。』
遅廻 ぐずぐずして前へすすまない様子をいう。○長嘆 ためいきしてなげく。


萬国尽征戍、烽火被岡巒。
萬国 尽【ことごと】く征戍【せいじゅ】,烽火【ほうか】岡巒【こうらん】に被る。
今や天下中みんな叛乱を征伐や叛乱から守る戰ばかりで、のろし火の煙が岡や山におおわれているのである。
万国 天下じゅう。○征成 征伐や成衛。○ まるいみね。


積屍草木腥、流血川原丹。
積屍【せきし】草木【そうもく】腥【なまぐさ】く,流血 川原【せんげん】丹【あか】し。
積まれた屍はあたりの草木までもなまぐさい臭いが充満している、血は流れて川や野原も真っ赤に染まっている。


何郷為楽土、安敢尚盤桓。
何れの郷か楽土と為し,安んぞ敢て尚を盤桓【ばんかん】せん。
どこの地方が安楽世界なのかと思うが、そんな所がありはしないのだ。どうして尚ここにのんびりぶらしていられようか。
何郷 どのむらさと。○楽土 楽土・楽国は「詩経」(碩鼠)に見える、安楽な土地。○盤桓 ぶらぶらしていること。


棄絶蓬室居、搨然摧肺肝。
蓬室【ほうしつ】の居を棄絶【きぜつ】して,搨然【とうぜん】肺肝【はいかん】を摧【くだ】く。
こういうことが原因で自分は断然として住み慣れた蓬の家を放棄するのである。そのため意欲がなくなっており、辛さに肺や肝までくだけるのである。』
蓬室 よもぎのいえ。荒れ果てた自分の家をいう。○搨然 地面の低下しおちるさま、意気のくずれるさま。
・家を棄てることは土地を基本にした唐の体制を崩壊させることである。
唐の税制は北周以来の均田制・租庸調制であり、兵制は府兵制である。この両制度は互いが互いに不可欠な制度である。均田制はまず全国の丁男(労働に耐えうる青年男性)一人につき永業田(その後、永久にその土地を所有することが認められ、子孫に受け継がれる)を20畝、口分田(当人が死亡するか、60歳になるかすると国家に返却する)が80畝支給される。

垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1064 杜甫詩集700- 319

垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1064 杜甫詩集700- 319
 759年乾元2年秋~冬 48歳 秦州で華州で見たことを思い出し詩にした時の作。(3回分割の2回目)

垂老別       杜 甫
四郊未寧静、垂老不得安。
子孫陣亡尽、焉用身獨完。」
投杖出門去、同行為辛酸。
幸有牙歯存、所悲骨髄乾。
男児既介冑、長揖別上官。』
#2
老妻臥路啼、歳暮衣裳単。
やはり、老いた妻は路傍に伏して泣いている、歳の暮れこの寒さに単衣の薄い衣裳だけでいる。
孰知是死別、且復傷其寒。
この度の別れは死に別れになるのだと誰が知っていようか、かといって、また妻の寒そうな姿を見て心を痛めないわけにはいかないのだ。
此去必不帰、還聞勧加餐。』
自分は今ここを出掛ければ再び戻れないに決まっていることは分かっている、にもかかわらず妻が自分に対して少しでも多く食事をして、体を愛おしみ気を付けよといってくれるのを耳にするのである。』
土門壁甚堅、杏園度亦難。
絶対に負けると心配したものでもない、土門の城壁ははなはだ堅固なものであるし、杏園の渡りも安史軍が渡ってくるには困難なものである。
勢異鄴城下、縦死時猶寛。」
現在、出掛けて行く河陽の地の官軍の勢いまは鄴城の下で負けた時とは違って整えて違ってきている、たとえ戦死するにしても大敗してすぐというわけでなく、ゆとりがあるように思う。

#3
人生有離合、豈択衰盛端。
憶昔少壮日、遅廻竟長嘆。』
萬国尽征戍、烽火被岡巒。
積屍草木腥、流血川原丹。
何郷為楽土、安敢尚盤桓。 
棄絶蓬室居、搨然摧肺肝。』

老いて垂【なんな】んとする別れ #1
四郊 未だ寧静【ねいせい】ならず,老いて垂【なんな】んとして安らかなるを得ず。
子孫 陣亡【じんぼう】し尽し,焉ぞ身の獨り完【まつた】きことを用いん。
杖を投じて門を出て去る,同行し為に辛酸【しんさん】する。
幸に牙歯【きば】の存する有り,悲しむ所 骨髄【こつづい】乾く。
男児 既に介冑【かいちゅう】し,長揖【ちょういう】して上官と別れる。
#2
老妻【ろうさい】路に臥して啼く,歳暮れて衣裳は単【ひとえ】。
孰【たれ】か知らん是れ死別なるを,且つ復た其の寒からんことを傷む。
此【ここ】を去りては必らず帰らず,還た聞く加餐【かさん】を勧めるを。』
土門 壁甚【はなは】だ堅し,杏園【きょうえん】度【わた】るも亦た難し。
勢いは鄴城【ぎょうじょう】の下に異なり,縦【たと】い死しても時猶を寛【かん】ならん。」
#3
人生 離合あり、豈に衰盛の端を択【えら】ばんや。う昔,昔 少壮【しょうそう】なりし日を憶いて,遅廻【ちかい】して竟に長嘆【ちょうたん】するを。
萬国尽【ことごと】く征戍【せいじゅ】,烽火【ほうか】岡巒【こうらん】に被る。
積屍【せきし】草木【そうもく】腥【なまぐさ】く,流血 川原【せんげん】丹【あか】し。
何れの郷か楽土と為し,安んぞ敢て尚を盤桓【ばんかん】せん。
蓬室【ほうしつ】の居を棄絶【きぜつ】して,搨然【とうぜん】肺肝【はいかん】を摧【くだ】く。


四方、どこもかしこもいまだ平和に収まらない、この老いかかった身の老人も落ち着いていることができない状況だ。
子も孫もみな戦死し尽くした今となって、どうしてこの身体だけ生きながらえていくことがなんの役に立つというのだろう。』
頼りにした杖を投げ捨てて我が家の門から出掛けてゆくと、一緒に行く仲間のものは自分のために悲しんでくれる。
幸に自分には牙や歯はまだ残っているが、悲しいことには骨の髄が干からびて関節痛になっている。
しかし自分はもはや男児として、こうして鎧兜を身につけたかぎりには、上官の方に立ち会釈して出て行くのだ。』

やはり、老いた妻は路傍に伏して泣いている、歳の暮れこの寒さに単衣の薄い衣裳だけでいる。
この度の別れは死に別れになるのだと誰が知っていようか、かといって、また妻の寒そうな姿を見て心を痛めないわけにはいかないのだ。
自分は今ここを出掛ければ再び戻れないに決まっていることは分かっている、にもかかわらず妻が自分に対して少しでも多く食事をして、体を愛おしみ気を付けよといってくれるのを耳にするのである。』
絶対に負けると心配したものでもない、土門の城壁ははなはだ堅固なものであるし、杏園の渡りも安史軍が渡ってくるには困難なものである。
現在、出掛けて行く河陽の地の官軍の勢いまは鄴城の下で負けた時とは違って整えて違ってきている、たとえ戦死するにしても大敗してすぐというわけでなく、ゆとりがあるように思う。


人間世界では逢うと別れとは時節が決まり無いものであり、血気盛んなときだけ別れをさせ、衰えたときには別れをさせないというようなものではない。
しかし昔、自分がわかく元気であったときのことを思いだすと、今もあのころのようならばと考えて、ぐずぐずして前へすすまない、結局ため息して嘆くばかりなのである。』
今や天下中みんな叛乱を征伐や叛乱から守る戰ばかりで、のろし火の煙が岡や山におおわれているのである。
積まれた屍はあたりの草木までもなまぐさい臭いが充満している、血は流れて川や野原も真っ赤に染まっている。
どこの地方が安楽世界なのかと思うが、そんな所がありはしないのだ。どうして尚ここにのんびりぶらしていられようか。
こういうことが原因で自分は断然として住み慣れた蓬の家を放棄するのである。そのため意欲がなくなっており、辛さに肺や肝までくだけるのである。』


垂老別 現代語訳と訳註
(本文)
#2
老妻臥路啼、歳暮衣裳単。
孰知是死別、且復傷其寒。
此去必不帰、還聞勧加餐。』
土門壁甚堅、杏園度亦難。
勢異鄴城下、縦死時猶寛。」


(下し文) #2
老妻【ろうさい】路に臥して啼く,歳暮れて衣裳は単【ひとえ】。
孰【たれ】か知らん是れ死別なるを,且つ復た其の寒からんことを傷む。
此【ここ】を去りては必らず帰らず,還た聞く加餐【かさん】を勧めるを。』
土門 壁甚【はなは】だ堅し,杏園【きょうえん】度【わた】るも亦た難し。
勢いは鄴城【ぎょうじょう】の下に異なり,縦【たと】い死しても時猶を寛【かん】ならん。」


(現代語訳)
やはり、老いた妻は路傍に伏して泣いている、歳の暮れこの寒さに単衣の薄い衣裳だけでいる。
この度の別れは死に別れになるのだと誰が知っていようか、かといって、また妻の寒そうな姿を見て心を痛めないわけにはいかないのだ。
自分は今ここを出掛ければ再び戻れないに決まっていることは分かっている、にもかかわらず妻が自分に対して少しでも多く食事をして、体を愛おしみ気を付けよといってくれるのを耳にするのである。』
絶対に負けると心配したものでもない、土門の城壁ははなはだ堅固なものであるし、杏園の渡りも安史軍が渡ってくるには困難なものである。
現在、出掛けて行く河陽の地の官軍の勢いまは鄴城の下で負けた時とは違って整えて違ってきている、たとえ戦死するにしても大敗してすぐというわけでなく、ゆとりがあるように思う。


(訳注)
老妻臥路啼、歳暮衣裳単。

老妻【ろうさい】路に臥して啼く,歳暮れて衣裳は単【ひとえ】。
やはり、老いた妻は路傍に伏して泣いている、歳の暮れこの寒さに単衣の薄い衣裳だけでいる。
○老 年老いた妻、この老人の妻である。○歳暮 必ずしも年末をささず、寒いことをいうため、晩秋以後はみな歳暮という、ここは759年乾元二年9月末から10月10日の間と推察する。○ 寒空の下単衣のものをきている。


孰知是死別、且復傷其寒。
孰【たれ】か知らん是れ死別なるを,且つ復た其の寒からんことを傷む。
この度の別れは死に別れになるのだと誰が知っていようか、かといって、また老妻の寒そうな姿を見て心を痛めないわけにはいかないのだ。
孰知 誰か知る。知るものがいない、気がつかない。○死別 死にわかれ。○傷其寒 傷とは老人がいたむこと、其寒とは老妻のさむいこと。


此去必不帰、還聞勧加餐。
此【ここ】を去りては必らず帰らず,還た聞く加餐【かさん】を勧めるを。』
自分は今ここを出掛ければ再び戻れないに決まっていることは分かっている、にもかかわらず妻が自分に対して少しでも多く食事をして、体を愛おしみ気を付けよといってくれるのを耳にするのである。』
此去 此処を去るとこののちと意を兼ねる。○不帰 老人はもうもどって来ないこと。○ 老人がきく。○勧加餐 老妻が老人に加餐せよとすすめるのである、加餐とは少しでも食物を多くとってもらいたいこと。


土門壁甚堅、杏園度亦難。
土門 壁甚【はなは】だ堅し,杏園【きょうえん】度【わた】るも亦た難し。

絶対に負けると心配したものでもない、土門の城壁ははなはだ堅固なものであるし、杏園の渡りも安史軍が渡ってくるには困難なものである。
土門 河北省正定府の井隆県にある井隆関であるとする、しからば賊の山西省に入るのを防ぐ処である。○ 城壁。○杏園 河南省衛輝府汲県の香園鋲をひく、「唐書」に「郭子儀香園ヨリ河ヲ渡リテ衛州ヲ囲ム」 の記事があるので香園は黄河の南岸にある。香園は河陽(浦氏は河陽を河の南岸とする)の附近の地であるという説もある。〇 渡と同じ、安史軍がわたること。


勢異鄴城下、縦死時猶寛。
勢いは鄴城【ぎょうじょう】の下に異なり,縦【たと】い死しても時猶を寛【かん】ならん。」
現在、出掛けて行く河陽の地の官軍の勢いまは鄴城の下で負けた時とは違って整えて違ってきている、たとえ戦死するにしても大敗してすぐというわけでなく、ゆとりがあるように思う。
勢異 今回の官軍の形勢が以前とちがうことをいう。○鄴城下 乾元二年三月鄴城の下で九節度の軍が大敗したこと。○ 切迫せぬこと、余裕あること。

垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1061 杜甫詩集700- 318

垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1061 杜甫詩集700- 318
 759年乾元2年秋~冬 48歳 秦州で華州で見たことを思い出し詩にした時の作。

「三吏」・「三別」は乾元二年春洛陽より華州へかえる途中の作とされるが、此の題の#2の「歳暮衣裳単」(歳し暮れて衣裳は単【ひとえ】)は季節の歳象をあらわすもので、759年乾元二年の秋から冬初とする。下文に「勢異鄴城下」(勢は鄴城下と異なる)とあり、759年乾元二年三月四日九節度の大敗以後であることを示すが、秋初には杜甫は秦州に赴いている。此の詩を乾元二年冬晩の作とする説もあるが、冬には杜甫は同谷に赴いている。史を案ずるのに759年乾元二年秋七月李光弼は郭子儀に代って朔万節度使兵馬元帥となり洛陽に赴き、十月史思明と河陽に戦って敗れている。詩中の「土門、杏園」は洛陽の地名で河陽に赴くものであるところから、老人は光弼の軍に赴くものとされる。時期は秋以後のことであろう。製作地は「遣興」・「佳人」等が秦州の作であることと、此の篇には冬十月の河陽の勝利を予想しておらないこととによって秦州であると考えるのが妥当である。「垂老別」はその内容から華州途上の作ではないが、「三吏三別」のくくりとしてここに置くものである。


垂老別       杜 甫
四郊未寧静、垂老不得安。
四方、どこもかしこもいまだ平和に収まらない、この老いかかった身の老人も落ち着いていることができない状況だ。
子孫陣亡尽、焉用身獨完。」
子も孫もみな戦死し尽くした今となって、どうしてこの身体だけ生きながらえていくことがなんの役に立つというのだろう。』
投杖出門去、同行為辛酸。
頼りにした杖を投げ捨てて我が家の門から出掛けてゆくと、一緒に行く仲間のものは自分のために悲しんでくれる。
幸有牙歯存、所悲骨髄乾。
幸に自分には牙や歯はまだ残っているが、悲しいことには骨の髄が干からびて関節痛になっている。
男児既介冑、長揖別上官。』

しかし自分はもはや男児として、こうして鎧兜を身につけたかぎりには、上官の方に立ち会釈して出て行くのだ。』

#2
老妻臥路啼、歳暮衣裳単。
孰知是死別、且復傷其寒。
此去必不帰、還聞勧加餐。』
土門壁甚堅、杏園度亦難。
勢異鄴城下、縦死時猶寛。」
#3
人生有離合、豈択衰盛端。
憶昔少壮日、遅廻竟長嘆。』
萬国尽征戍、烽火被岡巒。
積屍草木腥、流血川原丹。
何郷為楽土、安敢尚盤桓。 
棄絶蓬室居、搨然摧肺肝。』

老いて垂【なんな】んとする別れ #1
四郊 未だ寧静【ねいせい】ならず,老いて垂【なんな】んとして安らかなるを得ず。
子孫 陣亡【じんぼう】し尽し,焉ぞ身の獨り完【まつた】きことを用いん。
杖を投じて門を出て去る,同行し為に辛酸【しんさん】する。
幸に牙歯【きば】の存する有り,悲しむ所 骨髄【こつづい】乾く。
男児 既に介冑【かいちゅう】し,長揖【ちょういう】して上官と別れる。

#2
老妻【ろうさい】路に臥して啼く,歳暮れて衣裳は単【ひとえ】。
孰【たれ】か知らん是れ死別なるを,且つ復た其の寒からんことを傷む。
此【ここ】を去りては必らず帰らず,還た聞く加餐【かさん】を勧めるを。』
土門 壁甚【はなは】だ堅し,杏園【きょうえん】度【わた】るも亦た難し。
勢いは鄴城【ぎょうじょう】の下に異なり,縦【たと】い死しても時猶を寛【かん】ならん。」
#3
人生 離合あり、豈に衰盛の端を択【えら】ばんや。う昔,昔 少壮【しょうそう】なりし日を憶いて,遅廻【ちかい】して竟に長嘆【ちょうたん】するを。
萬国尽【ことごと】く征戍【せいじゅ】,烽火【ほうか】岡巒【こうらん】に被る。
積屍【せきし】草木【そうもく】腥【なまぐさ】く,流血 川原【せんげん】丹【あか】し。
何れの郷か楽土と為し,安んぞ敢て尚を盤桓【ばんかん】せん。
蓬室【ほうしつ】の居を棄絶【きぜつ】して,搨然【とうぜん】肺肝【はいかん】を摧【くだ】く。



四方、どこもかしこもいまだ平和に収まらない、この老いかかった身の老人も落ち着いていることができない状況だ。
子も孫もみな戦死し尽くした今となって、どうしてこの身体だけ生きながらえていくことがなんの役に立つというのだろう。』
頼りにした杖を投げ捨てて我が家の門から出掛けてゆくと、一緒に行く仲間のものは自分のために悲しんでくれる。
幸に自分には牙や歯はまだ残っているが、悲しいことには骨の髄が干からびて関節痛になっている。
しかし自分はもはや男児として、こうして鎧兜を身につけたかぎりには、上官の方に立ち会釈して出て行くのだ。』

やはり、老いた妻は路傍に伏して泣いている、歳の暮れこの寒さに単衣の薄い衣裳だけでいる。
この度の別れは死に別れになるのだと誰が知っていようか、かといって、また妻の寒そうな姿を見て心を痛めないわけにはいかないのだ。
自分は今ここを出掛ければ再び戻れないに決まっていることは分かっている、にもかかわらず妻が自分に対して少しでも多く食事をして、体を愛おしみ気を付けよといってくれるのを耳にするのである。』
絶対に負けると心配したものでもない、土門の城壁ははなはだ堅固なものであるし、杏園の渡りも安史軍が渡ってくるには困難なものである。
現在、出掛けて行く河陽の地の官軍の勢いまは鄴城の下で負けた時とは違って整えて違ってきている、たとえ戦死するにしても大敗してすぐというわけでなく、ゆとりがあるように思う。

人間世界では逢うと別れとは時節が決まり無いものであり、血気盛んなときだけ別れをさせ、衰えたときには別れをさせないというようなものではない。
しかし昔、自分がわかく元気であったときのことを思いだすと、今もあのころのようならばと考えて、ぐずぐずして前へすすまない、結局ため息して嘆くばかりなのである。』
今や天下中みんな叛乱を征伐や叛乱から守る戰ばかりで、のろし火の煙が岡や山におおわれているのである。
積まれた屍はあたりの草木までもなまぐさい臭いが充満している、血は流れて川や野原も真っ赤に染まっている。
どこの地方が安楽世界なのかと思うが、そんな所がありはしないのだ。どうして尚ここにのんびりぶらしていられようか。
こういうことが原因で自分は断然として住み慣れた蓬の家を放棄するのである。そのため意欲がなくなっており、辛さに肺や肝までくだけるのである。』


現代語訳と訳註
(本文) 垂老別 
      杜 甫
四郊未寧静、垂老不得安。
子孫陣亡尽、焉用身獨完。」
投杖出門去、同行為辛酸。
幸有牙歯存、所悲骨髄乾。
男児既介冑、長揖別上官。』

(下し文)
四郊 未だ寧静【ねいせい】ならず,老いて垂【なんな】んとして安らかなるを得ず。
子孫 陣亡【じんぼう】し尽し,焉ぞ身の獨り完【まつた】きことを用いん。
杖を投じて門を出て去る,同行し為に辛酸【しんさん】する。
幸に牙歯【きば】の存する有り,悲しむ所 骨髄【こつづい】乾く。
男児 既に介冑【かいちゅう】し,長揖【ちょういう】して上官と別れる。


(現代語訳)
四方、どこもかしこもいまだ平和に収まらない、この老いかかった身の老人も落ち着いていることができない状況だ。
子も孫もみな戦死し尽くした今となって、どうしてこの身体だけ生きながらえていくことがなんの役に立つというのだろう。』
頼りにした杖を投げ捨てて我が家の門から出掛けてゆくと、一緒に行く仲間のものは自分のために悲しんでくれる。
幸に自分には牙や歯はまだ残っているが、悲しいことには骨の髄が干からびて関節痛になっている。
しかし自分はもはや男児として、こうして鎧兜を身につけたかぎりには、上官の方に立ち会釈して出て行くのだ。』


(訳注)
垂老別

垂老 老ゆるになんなんとす、老境にちかづくことをいう。ここは、年をとって徴兵され、河陽方面へ出かける老人の悲しみを詠う。

四郊未寧静、垂老不得安。
四郊 未だ寧静【ねいせい】ならず,老いて垂【なんな】んとして安らかなるを得ず。
四方、どこもかしこもいまだ平和に収まらない、この老いかかった身の老人も落ち着いていることができない状況だ。
四郊 通常王城の四方の郊外をいう、ここでは場所の特定を意識させない四方をいう。どこもかしこも。○寧静 やすらかにしずか、平和をいう。○ 自身の安泰をいう。


子孫陣亡尽、焉用身獨完。
子孫 陣亡【じんぼう】し尽し,焉ぞ身の獨り完【まつた】きことを用いん。』
子も孫もみな戦死し尽くした今となって、どうしてこの身体だけ生きながらえていくことがなんの役に立つというのだろう。』
○陣亡 戦死。○焉用 用がない。○身独完 わがからだがひとり完全に生存する。


投杖出門去、同行為辛酸。
杖を投じて門を出て去る,同行し為に辛酸【しんさん】する。
頼りにした杖を投げ捨てて我が家の門から出掛けてゆくと、一緒に行く仲間のものは自分のために悲しんでくれる。
投杖 つえをなげだす。○出門 我が家の門を出て征役に従おうとするのである。○同行 いっしょにゆく人人。○ わがために。○辛酸 かなしくつらいおもいをしてくれる。


幸有牙歯存、所悲骨髄乾。
幸に牙歯【きば】の存する有り,悲しむ所 骨髄【こつづい】乾く。 
幸に自分には牙や歯はまだ残っているが、悲しいことには骨の髄が干からびて関節痛になっている。
幸有四句 これは老人が同行者に示す意気ごみである。○骨髄乾 乾は内分泌液のなくなること。


男児既介冑、長揖別上官。
男児 既に介冑【かいちゅう】し,長揖【ちょういう】して上官と別れる。
しかし自分はもはや男児として、こうして鎧兜を身につけたかぎりには、上官の方に立ち会釈して出て行くのだ。』
男児 老人自ずから称する、丈夫というたぐい。○介冑 よろい、かぶと。○長揖 起立しながらえしゃくすること。○上官 自己を徴発に来た役人の長であろう。

無家別 杜甫 三吏三別詩 <219>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1058 杜甫詩集700- 317 

無家別 杜甫 三吏三別詩 <219>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1058 杜甫詩集700- 317 
母も妻子も亡くなった孤独な男が、戦場から帰って来たばかりで、また征役に出されようとして,その家に別れ去る心を述べた詩。華州での作。
乾元2年 759年 48歳

無家別    杜 甫
寂寞天宝後、園盧但蒿藜。
我里百余家、世乱各東西。
存者無消息、死者為塵泥。』
賎子因陣敗、帰来尋旧蹊。
久行見空巷、日痩気惨凄。
但對狐與狸,豎毛怒我啼。』

四隣何所有、一二老寡妻。
宿鳥戀本枝、安辭且窮棲。
方春獨荷鋤、日暮還潅畦。』
県吏知我至、召令習鼓鞞
雖従本州役、内顧無所携。

近行止一身、遠去終轉迷。
たとえ県内だけの近い所を行くにも我が身ひとつであるし、もしもっと遠方の地に行くのであったら、結局、どうしようもないことであり、前途わけのわからぬ境涯になってしまうことである。
家郷既盪盡、遠近理亦斎。』
しかし妻子眷屬誰もいない中で自分が出征したのは一家一郷、すでに何もすっかり無くなっていることだ、だから、遠かろうが近かろうが何処であっても、良い運命に出会っていないという道理が同じことでどうでもよいことなのだ。』
永痛長病母、五年委溝谿。
自分(杜甫)がことに永久痛ましく思うことは、自分の長患いをした母親のことだが、五年の間、みぞやたににうちすててあるのと同じことだ。
生我不得力、終身両酸嘶。
自分(杜甫)を産んでくれたのに自分から扶養してあげられなかった、これについては母も自分も酷く辛く思って泣いたのだ。
人生無家別、何似為蒸黎。』

人が生きていく上で、別れるべき家人を持たない別れをすること、帰る場所、待ってくれる人がいない別れというものがあるのだ。このように根無し草になってしまうことなのに、どうして国の民ということができるのか!。』

(無家の別れ)
寂寞【せきばく】たり天宝の後,園盧【えんろ】但だ蒿藜【こうれい】。
我が里 百余家,世 乱れて各ゝ 東西す。
存する者 消息無く,死せる者は塵泥【じんでい】と為れり。』
賎子【せんし】陣敗【じんぱい】に因り,帰り来たって旧蹊【きゅうけい】を尋ねる。
久行【きゅうこう】空巷【くうこう】を見る,日 痩【やせ】て 気 惨凄【さんせい】なり。
但だ狐と狸とに対す 毛を竪【た】てて 我を怒りて啼く。』
#2
四隣は何の有る所ぞ,一二の老 寡妻【かさい】。
宿鳥【しゅくちょう】本枝【ほんし】を恋う,安んぞ且つ窮棲【きゅうせい】するを辞せん。
方に春にして獨り鋤【すき】を荷【にな】う,日暮【にちぼ】還た畦【けい】に潅【そそ】ぐ。』
県吏 我が至るを知る,召して鼓鞞【こへい】を習わ令む。
本州の役【えき】に従うと雖も,内に顧【かえり】みるに携【たずさ】える所無し。

#3
近く行くに止【た】だ一身,遠く去れば終に轉【うた】た迷わん。
家郷【かきょう】既に盪盡【とうじん】す,遠近 理亦た斎【ひと】し。』
永く痛む長病の母,五年 溝谿【こうけい】に委【い】するを。
我を生むも力を得ず,終身両【ふたり】ながら酸嘶【さんせい】しき。
人生 無家の別れ,何を似ってか蒸黎【じょうれい】と為さん。』


現代語訳と訳註
(本文)

近行止一身、遠去終轉迷。
家郷既盪盡、遠近理亦斎。』
永痛長病母、五年委溝谿。
生我不得力、終身両酸嘶。
人生無家別、何似為蒸黎。』

(下し文) #3
近く行くに止【た】だ一身,遠く去れば終に轉【うた】た迷わん。
家郷【かきょう】既に盪盡【とうじん】す,遠近 理亦た斎【ひと】し。』
永く痛む長病の母,五年 溝谿【こうけい】に委【い】するを。
我を生むも力を得ず,終身両【ふたり】ながら酸嘶【さんせい】しき。
人生 無家の別れ,何を似ってか蒸黎【じょうれい】と為さん。』


(現代語訳)
たとえ県内だけの近い所を行くにも我が身ひとつであるし、もしもっと遠方の地に行くのであったら、結局、どうしようもないことであり、前途わけのわからぬ境涯になってしまうことである。
しかし妻子眷屬誰もいない中で自分が出征したのは一家一郷、すでに何もすっかり無くなっていることだ、だから、遠かろうが近かろうが何処であっても、良い運命に出会っていないという道理が同じことでどうでもよいことなのだ。』
自分(杜甫)がことに永久痛ましく思うことは、自分の長患いをした母親のことだが、五年の間、みぞやたににうちすててあるのと同じことだ。
自分(杜甫)を産んでくれたのに自分から扶養してあげられなかった、これについては母も自分も酷く辛く思って泣いたのだ。
人が生きていく上で、別れるべき家人を持たない別れをすること、帰る場所、待ってくれる人がいない別れというものがあるのだ。このように根無し草になってしまうことなのに、どうして国の民ということができるのか!。』


(訳注)
近行止一身、遠去終轉迷。
近く行くに止【た】だ一身,遠く去れば終に轉【うた】た迷わん。
たとえ県内だけの近い所を行くにも我が身ひとつであるし、もしもっと遠方の地に行くのであったら、結局、どうしようもないことであり、前途わけのわからぬ境涯になってしまうことである。
近行 近郊の州、ここでは華州の役に従うということさす。○ とどまると訓じてもおなじ、便宜上“ただ”とする。〇一 わがみひとつ。○遠去 自己が遠方他処へゆくこと。○ しまいには、結局。○轉迷 案ずるに前程にめあてのないことを迷という。轉蓬を意識させる。


家郷既盪盡、遠近理亦斎。』
家郷【かきょう】既に盪盡【とうじん】す,遠近 理亦た斎【ひと】し。』
しかし妻子眷屬誰もいない中で自分が出征したのは一家一郷、すでに何もすっかり無くなっていることだ、だから、遠かろうが近かろうが何処であっても、良い運命に出会っていないという道理が同じことでどうでもよいことなのだ。』
家郷 自家も故郷も。○盪尽 人も物もすっかりなくなることをいう。前の句の轉迷が轉蓬を意識させ、この語につながる。○遠近 上の近行、遠去をうけている。○理亦斉 よい運命にであわぬという道理は相いひとしい。どうでもよいこと。


永痛長病母、五年委溝谿。
永く痛む長病の母,五年 溝谿【こうけい】に委【い】するを。
自分(杜甫)がことに永久痛ましく思うことは、自分の長患いをした母親のことだが、五年の間、みぞやたににうちすててあるのと同じことだ。
*前二句のどうしようもないことを受けていて、作者自身にもどうしようもないことを抱えているということ。○永痛 永久に心をいためる。○長病母 ながわずらいのははおや。〇五年 五年間、天宝十四載より乾元二年まで。(755~759) ○委溝谿 みぞやたににうちすててある、死んで泉下(しぜん)に帰したことをいう、溝谿は溝壑の意に用いている。


生我不得力、終身両酸嘶。
我を生むも力を得ず,終身両【ふたり】ながら酸嘶【さんせい】しき。
自分(杜甫)を産んでくれたのに自分から扶養してあげられなかった、これについては母も自分も酷く辛く思って泣いたのだ。
不得力 我が扶養を得ないことをいう。○終身 しょうがい。母と己とについていう。〇 ふたりながら、ともに。○酸噺 酷く辛く思って泣く。


人生無家別、何似為蒸黎。』
人生 無家の別れ,何を似ってか蒸黎【じょうれい】と為さん。』
人が生きていく上で、別れるべき家人を持たない別れをすること、帰る場所、待ってくれる人がいない別れというものがあるのだ。このように根無し草になってしまうことなのに、どうして国の民ということができるのか!。』
自分はこれからもその気持ちは無くならない。ああ人間世界において。
無家別 家に人なくしてしかも我が家にわかれさること、じつはわかるべきあいてのなきわかれである。○蒸黎 蒸は衆に同じ、もろもろ、おおくの意で人民。黎は黒いこと、頭になにもかぶらずかみの黒いことをあらわしておる人民をいう。

無家別 杜甫 三吏三別詩 <219>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1055 杜甫詩集700- 316 

無家別 杜甫 三吏三別詩<219>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1055 杜甫詩集700- 316 
母も妻子も亡くなった孤独な男が、船上から帰って来たばかりで、また征役に出されようとして,その家に別れ去る心を述べた詩。華州での作。
乾元2年 759年 48歳



無家別    杜 甫
寂寞天宝後、園盧但蒿藜。
我里百余家、世乱各東西。
存者無消息、死者為塵泥。』
賎子因陣敗、帰来尋旧蹊。
久行見空巷、日痩気惨凄。
但對狐與狸,豎毛怒我啼。』

四隣何所有、一二老寡妻。
また四方の隣りや近所には何があるかと見ると、一人二人と年寄りや寡婦がいるばかりである。
宿鳥戀本枝、安辭且窮棲。
樹に宿る鳥であってももと住んだ枝が恋しいく、荒れ果てているが故郷が恋しいというもの。窮々としてひとり住むことでもどうしてわたしは故郷の恋しさ、安寧することを否めないのだ。
方春獨荷鋤、日暮還潅畦。』
ちょうどいまは春なのでわたしはただひとり鋤を担っていて日が暮れてもまだ畑に畦を作り、畝に水を注ぎいれているときだ。』
県吏知我至、召令習鼓鞞
ところがわが県の下役人はわたしが戻ってきたことを知って、わたしを呼び出して戦太鼓や小鼓を打つことを習わせる。
雖従本州役、内顧無所携。
わたしはお上のため仕方なしに所属の華州の仕事だから従事せざるをえないのである。さて、私自身の親族縁者をかえりみると、手をひきあう所の妻子眷属というものがないのだ。

近行止一身、遠去終轉迷。
家郷既盪盡、遠近理亦斎。』
永痛長病母、五年委溝谿。
生我不得力、終身両酸嘶。
人生無家別、何似為蒸黎。』

(無家の別れ)
寂寞【せきばく】たり天宝の後,園盧【えんろ】但だ蒿藜【こうれい】。
我が里 百余家,世 乱れて各ゝ 東西す。
存する者 消息無く,死せる者は塵泥【じんでい】と為れり。』
賎子【せんし】陣敗【じんぱい】に因り,帰り来たって旧蹊【きゅうけい】を尋ねる。
久行【きゅうこう】空巷【くうこう】を見る,日 痩【やせ】て 気 惨凄【さんせい】なり。
但だ狐と狸とに対す 毛を竪【た】てて 我を怒りて啼く。』
#2
四隣は何の有る所ぞ,一二の老 寡妻【かさい】。
宿鳥【しゅくちょう】本枝【ほんし】を恋う,安んぞ且つ窮棲【きゅうせい】するを辞せん。
方に春にして獨り鋤【すき】を荷【にな】う,日暮【にちぼ】還た畦【けい】に潅【そそ】ぐ。』
県吏 我が至るを知る,召して鼓鞞【こへい】を習わ令む。
本州の役【えき】に従うと雖も,内に顧【かえり】みるに携【たずさ】える所無し


#3
近く行くに止【た】だ一身,遠く去れば終に轉【うた】た迷わん。
家郷【かきょう】既に盪盡【とうじん】す,遠近 理亦た斎【ひと】し。』
永く痛む長病の母,五年 溝谿【こうけい】に委【い】するを。
我を生むも力を得ず,終身両【ふたり】ながら酸嘶【さんせい】しき。
人生 無家の別れ,何を似ってか蒸黎【じょうれい】と為さん。』


現代語訳と訳註
(本文)

四隣何所有、一二老寡妻。
宿鳥戀本枝、安辭且窮棲。
方春獨荷鋤、日暮還潅畦。』
県吏知我至、召令習鼓鞞
雖従本州役、内顧無所携。

(下し文) #2
四隣は何の有る所ぞ,一二の老 寡妻【かさい】。
宿鳥【しゅくちょう】本枝【ほんし】を恋う,安んぞ且つ窮棲【きゅうせい】するを辞せん。
方に春にして獨り鋤【すき】を荷【にな】う,日暮【にちぼ】還た畦【けい】に潅【そそ】ぐ。』
県吏 我が至るを知る,召して鼓鞞【こへい】を習わ令む。
本州の役【えき】に従うと雖も,内に顧【かえり】みるに携【たずさ】える所無し


(現代語訳)
また四方の隣りや近所には何があるかと見ると、一人二人と年寄りや寡婦がいるばかりである。
樹に宿る鳥であってももと住んだ枝が恋しいく、荒れ果てているが故郷が恋しいというもの。窮々としてひとり住むことでもどうしてわたしは故郷の恋しさ、安寧することを否めないのだ。
ょうどいまは春なのでわたしはただひとり鋤を担っていて日が暮れてもまだ畑に畦を作り、畝に水を注ぎいれているときだ。』
ところがわが県の下役人はわたしが戻ってきたことを知って、わたしを呼び出して戦太鼓や小鼓を打つことを習わせる。
わたしはお上のため仕方なしに所属の華州の仕事だから従事せざるをえないのである。さて、私自身の親族縁者をかえりみると、手をひきあう所の妻子眷属というものがないのだ。


(訳注)
四隣何所有、一二老寡妻。

四隣は何の有る所ぞ,一二の老寡妻
また四方の隣りや近所には何があるかと見ると、一人二人と年寄りや寡婦がいるばかりである。
四隣 四方のとなりや。○何所有 なにがあるか、あるものはなにか。○寡妻 やもめおんな。


宿鳥戀本枝、安辭且窮棲。
宿鳥本枝を恋う,安んぞ且つ窮棲するを辞せん
樹に宿る鳥であってももと住んだ枝が恋しいく、荒れ果てているが故郷が恋しいというもの。窮々としてひとり住むことでもどうしてわたしは故郷の恋しさ、安寧することを否めないのだ。
宿鳥 木にやどるとり。〇本枝 もとすんでいたえだ。○安辞 どうしていなもう、いなま竃い、甘んずる。○且窮棲 まあまあこまりながらすんでおること。


方春獨荷鋤、日暮還潅畦。』
方に春にして獨り鋤を荷う,日暮還た畦に潅ぐ
ちょうどいまは春なのでわたしはただひとり鋤を担っていて日が暮れてもまだ畑に畦を作り、畝に水を注ぎいれているときだ。』
方春 ち上うど春のおりに、この春は乾元二年の春をいうのであろう。○荷鋤 すきをになう、耕作に従事すること。○潅畦 潅は水をそそぎいれること。畦はうね。


県吏知我至、召令習鼓鞞。
県吏我が至るを知る,召して鼓鞞(こへい)を習わ令む
ところがわが県の下役人はわたしが戻ってきたことを知って、わたしを呼び出して戦太鼓や小鼓を打つことを習わせる。
鼓鞞 鼓はたいこ、鞞はこつづみ。


雖従本州役、内顧無所携。
本州の役に従と雖も,内に顧みるに携える所無し

わたしはお上のため仕方なしに所属の華州の仕事だから従事せざるをえないのである。さて、私自身の親族縁者をかえりみると、手をひきあう所の妻子眷属というものがないのだ。
 従事する。○本州役 自己の県の属する華州のしごとをいう。此の句は他郷へゆかないことをいう。○内顧 みずから内部:親族縁者をかえりみる。○所携 てをひきあうもの、妻子眷属をいう。

無家別 杜甫 三吏三別詩 <219>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1052 杜甫詩集700- 315 

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母も妻子も亡くなった孤独な男が、船上から帰って来たばかりで、また征役に出されようとして,その家に別れ去る心を述べた詩。華州での作。
乾元2年 759年 48歳

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無家別    杜 甫
妻・家族のいないわかれ。
寂寞天宝後、園盧但蒿藜。
天宝十四載の安禄山が幽州で反旗を挙げ以後はわが国土は荒れて寂しくなり、田畑や庵小屋にはただ「よもぎ」だの「あかざ」が生えはびこるばかりとなっている。
我里百余家、世乱各東西。
自分の村里には百軒あまりの家があるのだが、このように世が乱れてからというもの村人はそれぞれ土地放棄して東や西に散ってしまっている。
存者無消息、死者為塵泥。』
生きている者といってもたよりがあるわけではないし、死んだ者は塵か泥に変わってしまったろう。』
賎子因陣敗、帰来尋旧蹊。
自分は戦が負けたことで村へ逃げ帰ってきて、懐かしいもとの小道を尋ねてみる。
久行見空巷、日痩気惨凄。
久しぶりに見る村の小径に人かげはなく、日の光もやせたように力なくて、辺りに物悲しい空気がただよっている。
但對狐與狸,豎毛怒我啼。』

ただ村で誰もいない代わりに狐や狸に出あうばかりなのだ、そして彼らは私をよそ者として向かって毛をさか立てて怒って啼くのである。』

#2

四隣何所有、一二老寡妻。
宿鳥戀本枝、安辭且窮棲。
方春獨荷鋤、日暮還潅畦。』
県吏知我至、召令習鼓鞞
雖従本州役、内顧無所携。
#3

近行止一身、遠去終轉迷。
家郷既盪盡、遠近理亦斎。』
永痛長病母、五年委溝谿。
生我不得力、終身両酸嘶。
人生無家別、何似為蒸黎。』


(無家の別れ)

寂寞【せきばく】たり天宝の後,園盧【えんろ】但だ蒿藜【こうれい】。
我が里 百余家,世 乱れて各ゝ 東西す。
存する者 消息無く,死せる者は塵泥【じんでい】と為れり。』
賎子【せんし】陣敗【じんぱい】に因り,帰り来たって旧蹊【きゅうけい】を尋ねる。
久行【きゅうこう】空巷【くうこう】を見る,日 痩【やせ】て 気 惨凄【さんせい】なり。
但だ狐と狸とに対す 毛を竪【た】てて 我を怒りて啼く。』

#2
四隣は何の有る所ぞ,一二の老 寡妻【かさい】。
宿鳥【しゅくちょう】本枝【ほんし】を恋う,安んぞ且つ窮棲【きゅうせい】するを辞せん。
方に春にして獨り鋤【すき】を荷【にな】う,日暮【にちぼ】還た畦【けい】に潅【そそ】ぐ。』
県吏 我が至るを知る,召して鼓鞞【こへい】を習わ令む。
本州の役【えき】に従うと雖も,内に顧【かえり】みるに携【たずさ】える所無し。

#3
近く行くに止【た】だ一身,遠く去れば終に轉【うた】た迷わん。
家郷【かきょう】既に盪盡【とうじん】す,遠近 理亦た斎【ひと】し。』
永く痛む長病の母,五年 溝谿【こうけい】に委【い】するを。
我を生むも力を得ず,終身両【ふたり】ながら酸嘶【さんせい】しき。
人生 無家の別れ,何を似ってか蒸黎【じょうれい】と為さん。』


現代語訳と訳註
(本文)

寂寞天宝後、園盧但蒿藜。
我里百余家、世乱各東西。
存者無消息、死者為塵泥。』
賎子因陣敗、帰来尋旧蹊。
久行見空巷、日痩気惨凄。
但對狐與狸,豎毛怒我啼。』

(下し文)

寂寞【せきばく】たり天宝の後,園盧【えんろ】但だ蒿藜【こうれい】。
我が里 百余家,世 乱れて各ゝ 東西す。
存する者 消息無く,死せる者は塵泥【じんでい】と為れり。』
賎子【せんし】陣敗【じんぱい】に因り,帰り来たって旧蹊【きゅうけい】を尋ねる。
久行【きゅうこう】空巷【くうこう】を見る,日 痩【やせ】て 気 惨凄【さんせい】なり。
但だ狐と狸とに対す 毛を竪【た】てて 我を怒りて啼く。』

(現代語訳)
妻・家族のいないわかれ。
天宝十四載の安禄山が幽州で反旗を挙げ以後はわが国土は荒れて寂しくなり、田畑や庵小屋にはただ「よもぎ」だの「あかざ」が生えはびこるばかりとなっている。
自分の村里には百軒あまりの家があるのだが、このように世が乱れてからというもの村人はそれぞれ土地放棄して東や西に散ってしまっている。
生きている者といってもたよりがあるわけではないし、死んだ者は塵か泥に変わってしまったろう。』
自分は戦が負けたことで村へ逃げ帰ってきて、懐かしいもとの小道を尋ねてみる。
久しぶりに見る村の小径に人かげはなく、日の光もやせたように力なくて、辺りに物悲しい空気がただよっている。
ただ村で誰もいない代わりに狐や狸に出あうばかりなのだ、そして彼らは私をよそ者として向かって毛をさか立てて怒って啼くのである。』


(訳注)無家別 #1
妻・家族のいないわかれ。
無家 家とは室家の意であり、妻をさす。ここでは無家とは妻のない、家族のいないことをいう。


寂寞天宝後、園盧但蒿藜。
寂寞たり天宝の後,園盧但だ蒿藜
天宝十四載の安禄山が幽州で反旗を挙げ以後はわが国土は荒れて寂しくなり、田畑や庵小屋にはただ「よもぎ」だの「あかざ」が生えはびこるばかりとなっている。
寂寞 さびしいさま。○天宝後 755年天宝十四載11月安禄山の叛いた以後、安禄山・安慶緒と史思明へと続き763年までの叛乱が安史の乱である。○園慮 はたけ、いおり。はたけの中の小屋。○嵩褒 よもぎ、あかざ。


我里百余家、世乱各東西。
我が里 百余家,世 乱れて各ゝ 東西す。
自分の村里には百軒あまりの家があるのだが、このように世が乱れてからというもの村人はそれぞれ土地放棄して東や西に散ってしまっている。
○里 村里。○東西 人が東に西にちりぢりになったこと。


存者無消息、死者為塵泥。
存する者 消息無く,死せる者は塵泥【じんでい】と為れり。』
生きている者といってもたよりがあるわけではないし、死んだ者は塵か泥に変わってしまったろう。』
存者 いきのこっているもの。○消息 たより。○為塵泥 死骸がくちてちりどろにかわる。


賎子因陣敗、帰来尋旧蹊。
賎子【せんし】陣敗【じんぱい】に因り,帰り来たって旧蹊【きゅうけい】を尋ねる
自分は戦が負けたことで村へ逃げ帰ってきて、懐かしいもとの小道を尋ねてみる。
賊子 いやしいもの、この別れをなすおとこの謙称。○陣敗 いくさのまけ、これは乾元二年三月四日の鄴城包囲総崩れの大敗をさす。○旧蹊 村にあったもとからのこみち。


久行見空巷、日痩気惨凄。
久行【きゅうこう】空巷【くうこう】を見る,日 痩【やせ】て 気 惨凄【さんせい】なり。
久しぶりに見る村の小径に人かげはなく、日の光もやせたように力なくて、辺りに物悲しい空気がただよっている。
久行 久しく他方へであるいておったこと。○空巷 だれも人のいないこうじ。〇日痩 太陽の光のカないさま。○ 気象。空気○惨憤 ものがなしいさま。


但對狐與狸,豎毛怒我啼。
但だ狐と狸とに対す 毛を竪【た】てて 我を怒りて啼く。』
ただ村で誰もいない代わりに狐や狸に出あうばかりなのだ、そして彼らは私をよそ者として向かって毛をさか立てて怒って啼くのである。』
竪毛 毛をさかだてる。

新婚別 杜甫 三吏三別詩 <218>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1049 杜甫詩集700- 314

新婚別 杜甫 三吏三別詩 <218>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1049 杜甫詩集700- 314
新婚夫婦の生き別れするものがあるのを見て、婦人のこころもちをのべた詩である。製作時は前詩に同じ乾元2年 759年 48歳。


新婚別 #1
兎絲附蓬麻、引蔓故不長。
嫁女與征夫、不如棄路傍。』
結髪為君妻、席不煖君牀。
暮婚晨告別、無乃太怱忙。
君行雖不遠、守辺赴河陽。
妾身未分明、何似拝姑嫜。』
#2
父母養我時、日夜令我蔵。
生女有所帰、鶏狗亦得将。
君今往死地、沈痛迫中腸。
誓欲随君去、形勢反蒼黄。』
#3
勿為新婚念、努力事戎行。
こうして出征された限りには新婚のことを心にとめ置くことはなりません、努めて戦の仕事やくわりをなさるようにしてください。
婦人在軍中、兵気恐不揚。
心の中でも婦人がいるとなれば軍隊のなかですからみんなそうでしょう、だから恐らくは軍隊の士気の奮い興ることが難しくなるでしょう。
自嗟貧家女、久致羅襦裳。
ああ、わたくしは貧しい家のむすめです、嫁に来たてとはいえ、長々うすぎぬの袖無し上着やした絹を身につけており単衣で過ごしていたわけではありません。
羅襦不復施、対君洗紅粧。』
うすぎぬの袖無し上着やした絹などは二度とは着ることはないでしょう。そしてあなたの目の前で紅やおしろいもすっかり洗いおとすことにしてしまいましょう。』
仰視百鳥飛、大小必双翔。
視線を上に仰ぎ見るとさまざまの鳥の飛ぶのを見てみるのに、大きなとりも小さなとりも必ず雌と雄とがならびかけているでしょう。
人事多錯迕、與君永相望。』
それなのに人間の事象はままならぬ縺れの多いもので、お別れするはしかたのないこと、ただいつまでもお互い心をかえず、再会するそのときを心待ちに暮らしております。』

(新婚の別れ)#1
兎絲【とし】蓬麻【ほうま】に附す,蔓【つる】を引く故【もと】より長からず。
女を嫁【かし】して征夫【せいふ】に與【あと】うるは 路傍【ろぼう】に棄つるに如【し】かず。』
髪を結びて 君が妻と為る,席 君が牀【しょう】を煖【あたた】めず。
暮に婚して晨【あした】に別れを告ぐ,乃【すなわ】ち太【はなは】だ怱忙【そうぼう】なる無し。
君が行【こう】遠【とう】からずと雖も、辺を守り河陽に赴【おもむ】く。
妾【しょう】が身 未だ分明ならず,何を似て姑嫜【こしょう】を拝せん。』
#2
父母 我を養う時,日夜 我をして蔵【ぞう】せしむ。
女を生みて 帰【とつ】がせる所有れば,鶏狗【けいく】も亦将【おく】ることを得【う】。
君今死地【しち】に往【ゆ】く,沈痛【ちんつう】中腸【ちゅうちょう】に迫【せま】る。
誓って君に随って去らんと欲す,形勢【けいせい】反って蒼黄【そうこう】たり。

#3
新婚の念を為すこと勿れ,努力して戎行【じゅうこう】を事とせよ。
婦人【ふじん】軍中【ぐんちゅう】に在らば,兵気【へいき】恐らくは揚【あ】がらざらん。
自ら嗟【さ】す貧家の女,久しく羅襦【らじゅ】裳を致す。
羅襦復た施さず,君に対して紅粧【こうそう】を洗わん。』
仰いで百鳥【びゃくちょう】の飛ぶを視る,大小必ず双【なら】び翔る。
人事【じんじ】錯迕【さくご】多し,君と永く相い望まん。』



現代語訳と訳註
 (本文)
#3
勿為新婚念、努力事戎行。
婦人在軍中、兵気恐不揚。
自嗟貧家女、久致羅襦裳。
羅襦不復施、対君洗紅粧。』
仰視百鳥飛、大小必双翔。
人事多錯迕、與君永相望。』


(下し文) #3
新婚の念を為すこと勿れ,努力して戎行【じゅうこう】を事とせよ。
婦人【ふじん】軍中【ぐんちゅう】に在らば,兵気【へいき】恐らくは揚【あ】がらざらん。
自ら嗟【さ】す貧家の女,久しく羅襦【らじゅ】裳を致す。
羅襦復た施さず,君に対して紅粧【こうそう】を洗わん。』
仰いで百鳥【びゃくちょう】の飛ぶを視る,大小必ず双【なら】び翔る。
人事【じんじ】錯迕【さくご】多し,君と永く相い望まん。』


(現代語訳)
こうして出征された限りには新婚のことを心にとめ置くことはなりません、努めて戦の仕事やくわりをなさるようにしてください。
心の中でも婦人がいるとなれば軍隊のなかですからみんなそうでしょう、だから恐らくは軍隊の士気の奮い興ることが難しくなるでしょう。
ああ、わたくしは貧しい家のむすめです、嫁に来たてとはいえ、長々うすぎぬの袖無し上着やした絹を身につけており単衣で過ごしていたわけではありません。
うすぎぬの袖無し上着やした絹などは二度とは着ることはないでしょう。そしてあなたの目の前で紅やおしろいもすっかり洗いおとすことにしてしまいましょう。』
視線を上に仰ぎ見るとさまざまの鳥の飛ぶのを見てみるのに、大きなとりも小さなとりも必ず雌と雄とがならびかけているでしょう。
それなのに人間の事象はままならぬ縺れの多いもので、お別れするはしかたのないこと、ただいつまでもお互い心をかえず、再会するそのときを心待ちに暮らしております。』


(訳注)
勿為新婚念、努力事戎行。
こうして出征された限りには新婚のことを心にとめ置くことはなりません、努めて戦の仕事やくわりをなさるようにしてください。
新婚念 新婚のことを心にとめる。○ わが大切なしごととする。○戎行 軍中の行伍のこと、いくさなかまのこと、ただなかまの人をいうのではなく、なかまの仕事をいうのである。


婦人在軍中、兵気恐不揚。
心の中でも婦人がいるとなれば軍隊のなかですからみんなそうでしょう、だから恐らくは軍隊の士気の奮い興ることが難しくなるでしょう。
兵気 軍隊の士卒の意気。○ ふるいおこることをいう。


自嗟貧家女、久致羅襦裳。
ああ、わたくしは貧しい家のむすめです、嫁に来たてとはいえ、長々うすぎぬの袖無し上着やした絹を身につけており単衣で過ごしていたわけではありません。
久致 致とは使用しておったこと。○羅禰裳 羅補(うすぎぬの袖無しのうわぎ)羅裳(うすぎぬの下衣裳)。


羅襦不復施、対君洗紅粧。』
うすぎぬの袖無し上着やした絹などは二度とは着ることはないでしょう。そしてあなたの目の前で紅やおしろいもすっかり洗いおとすことにしてしまいましょう。』
 身につけること。○対君 あなたの面とむっかて、見ている目の前で。○洗紅粧 紅粧は紅粉の粧をいう、ぺに、おしろいのよそおい、洗はあらい流すこと。


仰視百鳥飛、大小必双翔。
視線を上に仰ぎ見るとさまざまの鳥の飛ぶのを見てみるのに、大きなとりも小さなとりも必ず雌と雄とがならびかけているでしょう。
双翔 雌と雄とならびかける。


人事多錯迕、與君永相望。』
それなのに人間の事象はままならぬ縺れの多いもので、お別れするはしかたのないこと、ただいつまでもお互い心をかえず、再会するそのときを心待ちに暮らしております。』
錯迂 錨はまじわる、迂はさからいたがう、いろいろのもつれをいう。○永相望 あえるときまで永久にながめてまつ。



此の詩は、杜甫が乾元二年華州司功であったときの作。洛陽に所用で出かけ、鞏州まで足を延ばし、兄弟家族の安否を確かめたのち、華州に帰る途中で見聞きしたものを詩篇にまとめた。いわゆる「三吏三別詩」である。同じ杜甫作の兵車行と比較して人民の側に立った見方をしていない、中間的な立場で見ているといわれている紀行詩である。兵車行の時点では杜甫は仕官活動がうまく行かず、世の矛盾をストレートに表現できたがこの詩の時点では、華州幕府に務める文官であったことでストレートな表現はない。
 詩人は特殊な条件を設定しその時代の矛盾点を詠いあげるのである。安禄山の謀叛は早期に終息すると思っていたが、危うい状況が続いていてどうなるかわからない。戦は嫌いであっても戦わなければ終わらないとういうジレンマの中で戦を考えているから、兵車行の時の北方異民族との戦のための徴兵されたものと叛乱軍に対する戦いを単に戦いと同一視することはない。杜甫は内戦というものは人民にとって悲劇であるが、戦わなければ悲劇は終わらないと詠っているのだろう。

新婚別 杜甫 三吏三別詩 <218>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1046 杜甫詩集700- 313

新婚別 杜甫 三吏三別詩 <218>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1046 杜甫詩集700- 313
新婚夫婦の生き別れするものがあるのを見て、婦人のこころもちをのべた詩である。製作時は前詩に同じ乾元2年 759年 48歳。


新婚別 #1
兎絲附蓬麻、引蔓故不長。
嫁女與征夫、不如棄路傍。』
結髪為君妻、席不煖君牀。
暮婚晨告別、無乃太怱忙。
君行雖不遠、守辺赴河陽。
妾身未分明、何似拝姑嫜。』
#2
父母養我時、日夜令我蔵。
わたくしの両親がわたくしを養い育ててくれたときのこと、昼も夜もわたくしに幸福であってほしいとそだてられた。
生女有所帰、鶏狗亦得将。
娘を産んでそれをほかへ嫁入らせるときには、家つきの鶏や犬さえもそれを送ってゆけるというのに、私は嫁に来たばかりの家付きになっていない身なので夫の出征の旅立ちに、お送りすることができないのです。
君今往死地、沈痛迫中腸。
あなたにとって、今からは死なねばならぬような場所へいかないといけないこともある、それを思えば心の奥底の痛みがはらわたの内へひしひしとせまるような心地がするのです。
誓欲随君去、形勢反蒼黄。』

心にはあなたについてゆきたいとかんがえるのですが、それではあんまりあわてた様子、はしたなくみえましょう。』
#3
勿為新婚念、努力事戎行。
婦人在軍中、兵気恐不揚。
自嗟貧家女、久致羅襦裳。
羅襦不復施、対君洗紅粧。』
仰視百鳥飛、大小必双翔。
人事多錯迕、與君永相望。』

(新婚の別れ)#1
兎絲【とし】蓬麻【ほうま】に附す,蔓【つる】を引く故【もと】より長からず。
女を嫁【かし】して征夫【せいふ】に與【あと】うるは 路傍【ろぼう】に棄つるに如【し】かず。』
髪を結びて 君が妻と為る,席 君が牀【しょう】を煖【あたた】めず。
暮に婚して晨【あした】に別れを告ぐ,乃【すなわ】ち太【はなは】だ怱忙【そうぼう】なる無し。
君が行【こう】遠【とう】からずと雖も、辺を守り河陽に赴【おもむ】く。
妾【しょう】が身 未だ分明ならず,何を似て姑嫜【こしょう】を拝せん。』
#2
父母 我を養う時,日夜 我をして蔵【ぞう】せしむ。
女を生みて 帰【とつ】がせる所有れば,鶏狗【けいく】も亦将【おく】ることを得【う】。
君今死地【しち】に往【ゆ】く,沈痛【ちんつう】中腸【ちゅうちょう】に迫【せま】る。
誓って君に随って去らんと欲す,形勢【けいせい】反って蒼黄【そうこう】たり。

#3
新婚の念を為すこと勿れ,努力して戎行【じゅうこう】を事とせよ。
婦人【ふじん】軍中【ぐんちゅう】に在らば,兵気【へいき】恐らくは揚【あ】がらざらん。
自ら嗟【さ】す貧家の女,久しく羅襦【らじゅ】裳を致す。
羅襦復た施さず,君に対して紅粧【こうそう】を洗わん。』
仰いで百鳥【びゃくちょう】の飛ぶを視る,大小必ず双【なら】び翔る。
人事【じんじ】錯迕【さくご】多し,君と永く相い望まん。』


現代語訳と訳註
(本文)
#2
父母養我時、日夜令我蔵。
生女有所帰、鶏狗亦得将。
君今往死地、沈痛迫中腸。
誓欲随君去、形勢反蒼黄。』


(下し文) #2
父母 我を養う時,日夜 我をして蔵【ぞう】せしむ。
女を生みて 帰【とつ】がせる所有れば,鶏狗【けいく】も亦将【おく】ることを得【う】。
君今死地【しち】に往【ゆ】く,沈痛【ちんつう】中腸【ちゅうちょう】に迫【せま】る。
誓って君に随って去らんと欲す,形勢【けいせい】反って蒼黄【そうこう】たり。


(現代語訳)
わたくしの両親がわたくしを養い育ててくれたときのこと、昼も夜もわたくしに幸福であってほしいとそだてられた。
娘を産んでそれをほかへ嫁入らせるときには、家つきの鶏や犬さえもそれを送ってゆけるというのに、私は嫁に来たばかりの家付きになっていない身なので夫の出征の旅立ちに、お送りすることができないのです。
あなたにとって、今からは死なねばならぬような場所へいかないといけないこともある、それを思えば心の奥底の痛みがはらわたの内へひしひしとせまるような心地がするのです。
心にはあなたについてゆきたいとかんがえるのですが、それではあんまりあわてた様子、はしたなくみえましょう。』


(訳注)
父母養我時、日夜令我蔵。
わたくしの両親がわたくしを養い育ててくれたときのこと、昼も夜もわたくしに幸福であってほしいとそだてられた。
養我 我とは婦人みずからをいう。〇 『詩経、邶風、雄雉』の「不忮不求、何用不蔵。」(忮わず求めざれば、何を用って蔵からん。)、蔵は善の意で、「よからしむ」とは幸福にしてくれたことをいう。『草堂詩箋』に秘内護惜とし、奥深く育てたこととしている。

 
生女有所帰、鶏狗亦得将。
娘を産んでそれをほかへ嫁入らせるときには、家つきの鶏や犬さえもそれを送ってゆけるというのに、私は嫁に来たばかりの家付きになっていない身なので夫の出征の旅立ちに、お送りすることができないのです。
所帰 帰は嫁をいう、とつぐことである。○鶏狗亦得将 将の字、旧解には領帯、将行の意とする、「ひきいる」 こと、これに従うならば、鶏狗亦得レ将と訓ずるのがよい、鶏狗をつれてゆくのは、宗家長久の計を為そうと欲するためであるといっているが、それでは下文との関係がうすいように思われる。ここではこの将は『詩経、召南、鵲巣』君主の夫人の結婚を祝う詩の「之子于歸、百両之将。」(之の子于き歸る、百両之を将らん。)の将のごとく「送る」意かとおもう、送の意をとるのは嫁いだばかりでその家のものになっていないので、夫をいえのものとして送りだすことができないのをいう。


君今往死地、沈痛迫中腸。
あなたにとって、今からは死なねばならぬような場所へいかないといけないこともある、それを思えば心の奥底の痛みがはらわたの内へひしひしとせまるような心地がするのです。
往死地 死地とは河陽の征成地をさす。○沈痛 ふかい心のいたみ。○中腸 はらわたの内部。


誓欲随君去、形勢反蒼黄。』
心にはあなたについてゆきたいとかんがえるのですが、それではあんまりあわてた様子、はしたなくみえましょう。』
形勢反蒼黄 草堂箋に「行役ノ急ナルヲ謂り」ととく。しからば形勢とは時事のありさまをいう、しかしながら余は自己夫妻間のありさまをいうものと考える、反ってとはその然るべからざることをいう。蒼黄は倉皇に同じ、あわただしいきま、妻の身として夫につき従ってゆくのはあまりにあわてふためくかのごとくはしたないことである。


新婚別  杜甫 三吏三別詩<218>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1043 杜甫詩集700- 312

新婚別  杜甫 三吏三別詩<218>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1043 杜甫詩集700- 312
新婚夫婦の生き別れするものがあるのを見て、婦人のこころもちをのべた詩である。製作時は前詩に同じ乾元2年 759年 48歳。

新婚別(新婚の別れ) 
杜甫は前年末に華州を出てから二か月以上たった。華州にもどる必要を感じていたところへ、相州・鄴城の敗報を聞いて、華州への帰途についた。
 石濠村を出てほどなく、杜甫は新婚の若い婦人と出会った。詩は女性の一人称形式で書かれており、全篇は妻が出征する夫に語りかけるように別れの悲しみを訴える。華州へ帰る途中での見聞をもとにまとめたのが五言古詩の連作六首「三吏三別」で、いずれも戦争に駆り出される民の辛苦を詠ったものだ。この詩は、三別の代表作といえるものである。

新婚別 #1
兎絲附蓬麻、引蔓故不長。
根無し葛が「よもぎ」や「あさ」の茎にくっついて、その蔓の引っ張り方は長く伸びるわけのものではない。
嫁女與征夫、不如棄路傍。』
女子もただの人に嫁にやればその行く末も伸びるであろうが、征伐にやられる男などに嫁にやったのでは末がのびない。征伐にゆくおとこにやるくらいなら道端へ捨てた方がましなくらいである。』
結髪為君妻、席不煖君牀。
わたくしは髪をとりあげてむすぶ年ごろにあなたの妻となりましたが、嫁に来たてであって、あなたの寝台にしいてある席がまだ温まらぬほどしか日数が経たぬ。
暮婚晨告別、無乃太怱忙。
ゆうぐれに婚礼をして翌朝は早別れを告げるとは、あんまりせわしないことではありませんか。
君行雖不遠、守辺赴河陽。
あなたの出生地に行かれるのは遠くはないとはいうものの、片田舎の地方を守るために河陽へとおゆきなされるのである。
妾身未分明、何似拝姑嫜。』

嫁になったとはいえ、嫁いで三か月たたねば嫁としての身分がまだはっきりきまらないのです。一日や二日でどうして嫁だといって舅、姑さまに拝礼ができるというのでしょう。』
#2
父母養我時、日夜令我蔵。
生女有所帰、鶏狗亦得将。
君今往死地、沈痛迫中腸。
誓欲随君去、形勢反蒼黄。』
#3
勿為新婚念、努力事戎行。
婦人在軍中、兵気恐不揚。
自嗟貧家女、久致羅襦裳。
羅襦不復施、対君洗紅粧。』
仰視百鳥飛、大小必双翔。
人事多錯迕、與君永相望。』

(新婚の別れ)#1
兎絲【とし】蓬麻【ほうま】に附す,蔓【つる】を引く故【もと】より長からず。
女を嫁【かし】して征夫【せいふ】に與【あと】うるは 路傍【ろぼう】に棄つるに如【し】かず。』
髪を結びて 君が妻と為る,席 君が牀【しょう】を煖【あたた】めず。
暮に婚して晨【あした】に別れを告ぐ,乃【すなわ】ち太【はなは】だ怱忙【そうぼう】なる無し。
君が行【こう】遠【とう】からずと雖も、辺を守り河陽に赴【おもむ】く。
妾【しょう】が身 未だ分明ならず,何を似て姑嫜【こしょう】を拝せん。』
#2
父母 我を養う時,日夜 我をして蔵【ぞう】せしむ。
女を生みて 帰【とつ】がせる所有れば,鶏狗【けいく】も亦将【おく】ることを得【う】。
君今死地【しち】に往【ゆ】く,沈痛【ちんつう】中腸【ちゅうちょう】に迫【せま】る。
誓って君に随って去らんと欲す,形勢【けいせい】反って蒼黄【そうこう】たり。

#3
新婚の念を為すこと勿れ,努力して戎行【じゅうこう】を事とせよ。
婦人【ふじん】軍中【ぐんちゅう】に在らば,兵気【へいき】恐らくは揚【あ】がらざらん。
自ら嗟【さ】す貧家の女,久しく羅襦【らじゅ】裳を致す。
羅襦復た施さず,君に対して紅粧【こうそう】を洗わん。』
仰いで百鳥【びゃくちょう】の飛ぶを視る,大小必ず双【】び翔る。
人事【じんじ】錯迕【さくご】多し,君と永く相い望まん。』


現代語訳と訳註
(本文)#1

兎絲附蓬麻、引蔓故不長。
嫁女與征夫、不如棄路傍。』
結髪為君妻、席不煖君牀。
暮婚晨告別、無乃太怱忙。
君行雖不遠、守辺赴河陽。
妾身未分明、何似拝姑嫜。』


(下し文)#1
兎絲【とし】蓬麻【ほうま】に附す,蔓【つる】を引く故【もと】より長からず。
女を嫁【かし】して征夫【せいふ】に與【あと】うるは 路傍【ろぼう】に棄つるに如【し】かず。』
髪を結びて 君が妻と為る,席 君が牀【しょう】を煖【あたた】めず。
暮に婚して晨【あした】に別れを告ぐ,乃【すなわ】ち太【はなは】だ怱忙【そうぼう】なる無し。
君が行【こう】遠【とう】からずと雖も、辺を守り河陽に赴【おもむ】く。
妾【しょう】が身 未だ分明ならず,何を似て姑嫜【こしょう】を拝せん。』


(現代語訳)
根無し葛が「よもぎ」や「あさ」の茎にくっついて、その蔓の引っ張り方は長く伸びるわけのものではない。
女子もただの人に嫁にやればその行く末も伸びるであろうが、征伐にやられる男などに嫁にやったのでは末がのびない。征伐にゆくおとこにやるくらいなら道端へ捨てた方がましなくらいである。』
わたくしは髪をとりあげてむすぶ年ごろにあなたの妻となりましたが、嫁に来たてであって、あなたの寝台にしいてある席がまだ温まらぬほどしか日数が経たぬ。
ゆうぐれに婚礼をして翌朝は早別れを告げるとは、あんまりせわしないことではありませんか。
あなたの出生地に行かれるのは遠くはないとはいうものの、片田舎の地方を守るために河陽へとおゆきなされるのである。
嫁になったとはいえ、嫁いで三か月たたねば嫁としての身分がまだはっきりきまらないのです。一日や二日でどうして嫁だといって舅、姑さまに拝礼ができるというのでしょう。』


(訳注)
兎絲附蓬麻、引蔓故不長。
根無し葛が「よもぎ」や「あさ」のくきにくっついて、その蔓の引っ張り方は長く伸びるわけのものではない。
免糸 ネナシカツラ。古詩十九首『冉々孤竹生詩』「與君爲新婚、免糸附女蘿。」とある。○ くっついて生じる。○蓬麻 ヨモギ、アサ。○引蔓 つるをひきはえる。〇 固と同じ、もとより。○不長 みじかいことをいう、「免糸」二句は「興」の体のたとえ、女藻は松柏のうえにかかって生ずるゆえにそのつるがながい、兎糸は蓬麻のごとき草のうえにかかるゆえにつるが短い、つるの短長を以て婦人の運命が末までのびるのとそうでないのとをたとえたものである。
*古来女性が夫に嫁すことの喩えに使われた。ここで本らいなら常緑の松柏掛かるとよいのだが出征兵士の妻をヨモギ、アサを夫の兵士に喩えるため、兎絲である出征兵士の妻の人生は狂わされていくということだ。詩経、唐風『葛生』「葛生蒙楚、蘞蔓于野。予美亡此、誰與獨處。」(葛は生いて楚を蒙い、蘞は野于に蔓う。予が美きひとは此に亡し、誰と與とて獨り處る。)
葛はいばらの上においしげり、五葉葛は野づらにはう。〔草さえも寄り添うものがあるのに〕私の大事な人はここにいない。誰も相手をしてくれるものがなくてひとりねす。


嫁女與征夫、不如棄路傍。』
女子もただの人に嫁にやればその行く末ものびるであろうが、征伐にやられる男などに嫁にやったのでは末がのびない。征伐にゆくおとこにやるくらいなら道端へ捨てた方がましなくらいである。』
嫁女 むすめをよめにやる。○征夫 征戊にでかけるおとこ、此の句まで起四句は詩人としての叙述、以下は婦人としてのべている。


結髪為君妻、席不煖君牀。
わたくしは髪をとりあげてむすぶ年ごろにあなたの妻となりましたが、嫁に来たてであって、あなたの寝台にしいてある席がまだ温まらぬほどしか日数が経たぬ。
結髪 かみをゆう、男女ともこどものときはつのがみ、さげがみである、成人すればかみ々ゆう、男は二十歳にして冠し、女は十五にして結ぶ。蘇武詩「結髪爲夫婦、恩愛兩不疑。」と、成人になったばかりで夫婦になる。○君妻 君とは婦人よりおっとをさす。○ むしろ。○不煙 あたためるのにいとまのないことをいう。○君牀 おっとの寝台。
 

暮婚晨告別、無乃太怱忙。
ゆうぐれに婚礼をして翌朝は早別れを告げるとは、あんまりせわしないことではありませんか。
無乃 無の字は反語によむ。○大患忙 あんまりせわしい。


君行雖不遠、守辺赴河陽。
あなたの出生地に行かれるのは遠くはないとはいうものの、片田舎の地方を守るために河陽へとおゆきなされるのである。
守辺 かたいなかの地方をまもる。○河陽 前詩の地と同じ。


妾身未分明、何似拝姑嫜。』
嫁になったとはいえ、嫁いで三か月たたねば嫁としての身分がまだはっきりきまらないのです。一日や二日でどうして嫁だといって舅、姑さまに拝礼ができるというのでしょう。』
妾身 妾は婦人の謙遜の自称、身は身分、資格をいう。○未分明 はっきりきまらぬ、古礼に婦人は嫁してのち三月たってそのことを夫家の廟に告げ、墓まいりをし、始めて成婚となす、成婚以後に婦と舅・姑の名分が定まる。○ 礼拝する。○ しうとめ。○ 男姑を併せていう語、わけていうときは姥は姑の夫、すなわち舅のことであるという。
*女性は古礼に女、嫁して三月、夫家の祖廟に告げて初めて血痕が成立する。したがって一日や二日ではその夫家においての地位身分が明確でないことをいう。

潼関吏  杜甫 三吏三別詩<217>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1040 杜甫詩集700- 311

潼関吏  杜甫 三吏三別詩<217>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1040 杜甫詩集700- 311
潼関吏 (三吏三別)
(潼関の吏)
官軍は相州を囲んで敗れたために、いんかん潼関を修理して賊の人造を防ごうとした。作者はたまたまその防禦築城の場所をすぎ、役人と問答してこの詩を作った。759年乾元2年春48歳

新安吏 #1 杜甫 三吏三別の詩 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1019 杜甫詩集700- 304~306 

石壕吏 #1 杜甫 三吏三別の詩 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1028 杜甫詩集700- 307~309 



潼関吏 #1
士卒何草草、築城潼関道。」
大城鉄不如、小城満丈余。
借問潼関吏、修関還備胡。」
要我下馬行、為我指山隅。
連雲列戦格、飛鳥不能踰。』
#2
胡来但自守、豈復憂西都。」
役人はいった、「こうやって準備をしておれば、安史軍が攻めてきたら、ただ自ら守りに専念するので、どうして二度と長安方面に心配事をさせることがありましょうか。
丈人視要處、窄狹容單車。
ご丈人さま、要害の箇所を注視してください、あのように路はばがせまくてたった一つの兵車しかとおれません。
艱難奮長戟、萬古用一夫。」
一朝国家の艱難辛苦の時であっても、味方が長い戟をふるうのですが、ここを守るにはどうやってもいつの世でもただ一人の兵士だけで事足りるということなのです」と。』
哀哉桃林戦、百萬化為魚。
その戦はまことに哀しいことで、前年桃林の戦いのとき王朝軍は大敗して大変多くの兵士が溺死して魚と化してしまったのだ。
請嘱防關將、愼勿學哥舒。』
わたしはこの潼関を防ぐ大将におたのみしたい、つつしんで前年の哥舒翰のまねだけはしてはならないと。』

(潼関の吏)#1
士卒何ぞ草草たる,城を築く潼関の道。』
大城は鉄も如かず,小城は満丈余。
潼関の吏に借問す,関を修めて還た胡に備う。』
我を要して馬を下りて行く,我が為に山隅を指す。
雲を連ねて戦格に列し,飛鳥踰えること能はず。』
#2
胡来たれば但だ自ら守り,豈に復た西都を憂う。」
丈人要処を視よ,窄狹にして單車を容る。
艱難長戟を奮う,萬古一夫を用いる。』
哀い哉桃林の戦,百萬化して魚と為る。
請う防関の将に嘱し,慎て哥舒を学ぶこと勿れ。』


現代語訳と訳註
(本文)#2
胡来但自守、豈復憂西都。」
丈人視要處、窄狹容單車。
艱難奮長戟、萬古用一夫。」
哀哉桃林戦、百萬化為魚。
請嘱防關將、愼勿學哥舒。』


(下し文) #2
胡来たれば但だ自ら守り,豈に復た西都を憂う。」
丈人要処を視よ,窄狹にして單車を容る。
艱難長戟を奮う,萬古一夫を用いる。』
哀い哉桃林の戦,百萬化して魚と為る。
請う防関の将に嘱し,慎て哥舒を学ぶこと勿れ。』


(現代語訳)
役人はいった、「こうやって準備をしておれば、安史軍が攻めてきたら、ただ自ら守りに専念するので、どうして二度と長安方面に心配事をさせることがありましょうか。
ご丈人さま、要害の箇所を注視してください、あのように路はばがせまくてたった一つの兵車しかとおれません。
一朝国家の艱難辛苦の時であっても、味方が長い戟をふるうのですが、ここを守るにはどうやってもいつの世でもただ一人の兵士だけで事足りるということなのです」と。』
その戦はまことに哀しいことで、前年桃林の戦いのとき王朝軍は大敗して大変多くの兵士が溺死して魚と化してしまったのだ。
わたしはこの潼関を防ぐ大将におたのみしたい、つつしんで前年の哥舒翰のまねだけはしてはならないと。』


(訳注)
胡来但自守、豈復憂西都:
役人はいった、「こうやって準備をしておれば、安史軍が攻めてきたら、ただ自ら守りに専念するので、どうして二度と長安方面に心配事をさせることがありましょうか。
胡来六句 吏のことばで、胡来は安史軍が攻めてくること。〇日守 こちらでまもりふせぐ。○前回に対して「また」という。○西都 長安をさす。


丈人視要処、窄狹容單車:
ご丈人さま、要害の箇所を注視してください、あのように路はばがせまくてたった一つの兵車しかとおれません。
丈人 長者に対する敬称、吏が作者をさしていう。○要処 要害のばし上。○窄狭 みちはばせまし。○容単車 敵が攻めこむにもひとつの兵事だけしかいれられぬ。


艱難奮長戟、萬古用一夫:
一朝国家の艱難辛苦の時であっても、味方が長い戟をふるうのですが、ここを守るにはどうやってもいつの世でもただ一人の兵士だけで事足りるということなのです」と。』
艱難 国事なんぎのときをいう。○奮長戟 奮は用カをいう、いきおいこんで長い戈を使うこと、味方についていう。○万古 永久、いつもの意。○用一夫 一人の武夫を用いるならば事足ることをいう。


哀哉桃林戦、百萬化為魚:
その戦はまことに哀しいことで、前年桃林の戦いのとき王朝軍は大敗して大変多くの兵士が溺死して魚と化してしまったのだ。
桃林戦 756年6月9日天宝十五載六月哥舒翰の霊宝の敗戦をいう、桃林とは塞の名、河南府霊宝県の西にあり、秦の函谷関の地、およそここより西、潼関まではみな桃林と称する。周の武王が牛を桃林の野に放った処であるのによる。元和郡国志に桃林塞は霊宝より以西、潼関に至るまで皆これなり〕という、そして、書経『武成篇』に昔の周の武王が「牛を桃林の野に放つ」たのがこの地点であったという。〇百万化為魚 百万とは多くの兵卒をいう、時に哥舒翰の兵は二十万、「北征」詩にも「潼關百萬師,往者敗何卒?遂令半秦民,殘害為異物。」(潼関(どうかん)  百万の師(いくさ)、往者(さきには) 散ずるところ何ぞ卒(すみや)かなりし。遂に半秦(はんしん)の民をして、残害(ざんがい)して異物と為(な)らしむ。)とみえる。翰は楊国忠の督促によりやむを得ず兵を率いて潼関より出て霊宝の西原に至って安禄山軍に突撃し敗した。黄河に落ちて死んだもの数万人。化為魚とは溺死したことをいう。

北徵 #5(北征全12回)杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 212

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悲陳陶 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 152

悲青坂 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 153

黄河二首 其一 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 193

黄河二首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 194

塞蘆子 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 195

送楊六判官使西蕃 #1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 197

留花門 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1004 杜甫特集700- 299



請嘱防関将、慎勿学哥舒:
わたしはこの潼関を防ぐ大将におたのみしたい、つつしんで前年の哥舒翰のまねだけはしてはならないと。』
 たのむこと。○防関将 このせき所を防禦する大将。○哥舒 哥舒翰。王朝軍は歩兵戦が基本で潼関の守りも大軍で敵が迫っても通路幅が小さいので大丈夫と言っているが騎馬軍団が襲うので突破されるかもしれないという心配をしている。



潼関吏 
士卒何草草、築城潼関道。」
大城鉄不如、小城満丈余。
借問潼関吏、修関還備胡。」
要我下馬行、為我指山隅。
連雲列戦格、飛鳥不能踰。』
胡来但自守、豈復憂西都。」
丈人視要處、窄狹容單車。
艱難奮長戟、萬古用一夫。」
哀哉桃林戦、百萬化為魚。
請嘱防關將、愼勿學哥舒。』

(潼関の吏)
士卒何ぞ草草たる,城を築く潼関の道。』
大城は鉄も如かず,小城は満丈余。
潼関の吏に借問す,関を修めて還た胡に備う。』
我を要して馬を下りて行く,我が為に山隅を指す。
雲を連ねて戦格に列し,飛鳥踰えること能はず。』
胡来たれば但だ自ら守り,豈に復た西都を憂う。」
丈人要処を視よ,窄狹にして單車を容る。
艱難長戟を奮う,萬古一夫を用いる。』
哀い哉桃林の戦,百萬化して魚と為る。
請う防関の将に嘱し,慎て哥舒を学ぶこと勿れ。』


潼関駅の吏を見る
ここの潼関の駅ではどうしてあのように忙しく兵卒が塞城をきずいているのだろうか。』
それは、この大きな城は堅固に作られ、鉄さえおよはぬほどのものであり、小さな城は万丈あまりの高いところにきずかれている。
なぜこのようにするのかと潼関の役人に尋ねてみると、役人のいうには、「この関所を修理してまた安史軍が攻めてくるのにそなえるのだ」という。』
そういって役人は私に対し馬から降りてあるかせ、山のすみの方向を指さしてわたしのために示したのだ。
その方をみると雲にまでつづいて障害物の柵がならんでおり、飛ぶ鳥さえ飛び越えられないほどの厳重さである。』
役人はいった、「こうやって準備をしておれば、安史軍が攻めてきたら、ただ自ら守りに専念するので、どうして二度と長安方面に心配事をさせることがありましょうか。
ご丈人さま、要害の箇所を注視してください、あのように路はばがせまくてたった一つの兵車しかとおれません。
一朝国家の艱難辛苦の時であっても、味方が長い戟をふるうのですが、ここを守るにはどうやってもいつの世でもただ一人の兵士だけで事足りるということなのです」と。』
その戦はまことに哀しいことで、前年桃林の戦いのとき王朝軍は大敗して大変多くの兵士が溺死して魚と化してしまったのだ。
わたしはこの潼関を防ぐ大将におたのみしたい、つつしんで前年の哥舒翰のまねだけはしてはならないと。』




潼関吏  杜甫 三吏三別詩<217>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1037 杜甫詩集700- 310

潼関吏  杜甫 三吏三別詩<217>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1037 杜甫詩集700- 310
潼関吏 (三吏三別)

(潼関の吏)
官軍は相州(鄴城)を囲んで敗れ、その後、らくよもおちる。そのたため、潼関を修理して安氏軍の攻撃から防ごうとした。作者はたまたまその防禦築城の場所を通りかかり、役人と問答してこの詩を作った。
759年乾元2年春48歳

新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1019 杜甫詩集700- 304 
新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1022 杜甫詩集700- 305
新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1025 杜甫詩集700- 306

石壕吏 杜甫 三吏三別詩<216>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1028 杜甫詩集700- 307 
石壕吏 杜甫 三吏三別詩<216>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1031 杜甫詩集700- 308
石壕吏 杜甫 三吏三別詩<216>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1034 杜甫詩集700- 309 

潼関吏  杜甫 三吏三別詩<217>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1037 杜甫詩集700- 310
潼関吏  杜甫 三吏三別詩<217>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1040 杜甫詩集700- 311

新婚別  杜甫 三吏三別詩<218>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1043 杜甫詩集700- 312
新婚別 杜甫 三吏三別詩 <218>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1046 杜甫詩集700- 313
新婚別 杜甫 三吏三別詩 <218>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1049 杜甫詩集700- 314

無家別 杜甫 三吏三別詩 <219>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1052 杜甫詩集700- 315 
無家別 杜甫 三吏三別詩 <219>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1055 杜甫詩集700- 316 
無家別 杜甫 三吏三別詩 <219>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1058 杜甫詩集700- 317 

垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1061 杜甫詩集700- 318
垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1064 杜甫詩集700- 319
垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1067 杜甫詩集700- 320
潼関吏 #1
潼関駅の吏を見る
士卒何草草、築城潼関道。」
ここの潼関の駅ではどうしてあのように忙しく兵卒が塞城をきずいているのだろうか。』
大城鉄不如、小城満丈余。
それは、この大きな城は堅固に作られ、鉄さえおよはぬほどのものであり、小さな城は万丈あまりの高いところにきずかれている。
借問潼関吏、修関還備胡。」
なぜこのようにするのかと潼関の役人に尋ねてみると、役人のいうには、「この関所を修理してまた安史軍が攻めてくるのにそなえるのだ」という。』
要我下馬行、為我指山隅。
そういって役人は私に対し馬から降りてあるかせ、山のすみの方向を指さしてわたしのために示したのだ。
連雲列戦格、飛鳥不能踰。』

その方をみると雲にまでつづいて障害物の柵がならんでおり、飛ぶ鳥さえ飛び越えられないほどの厳重さである。』
#2
胡来但自守、豈復憂西都。」
丈人視要処、窄狹容單車。
艱難奮長戟、萬古用一夫。」
哀哉桃林戦、百萬化為魚。
請嘱防関将、慎勿学哥舒。』

(潼関の吏)#1
士卒何ぞ草草たる,城を築く潼関の道。』
大城は鉄も如かず,小城は満丈余。
潼関の吏に借問す,関を修めて還た胡に備う。』
我を要して馬を下りて行く,我が為に山隅を指す。
雲を連ねて戦格に列し,飛鳥踰えること能はず。』

#2
胡来たれば但だ自ら守り,豈に復た西都を憂う。」
丈人要処を視よ,窄狹にして單車を容る。
艱難長戟を奮う,萬古一夫を用いる。』
哀い哉桃林の戦,百萬化して魚と為る。
請う防関の将に嘱し,慎て哥舒を学ぶこと勿れ。』


現代語訳と訳註
(本文) 潼関吏 #1
士卒何草草、築城潼関道。」
大城鉄不如、小城満丈余。
借問潼関吏、修関還備胡。」
要我下馬行、為我指山隅。
連雲列戦格、飛鳥不能踰。』


(下し文) (潼関の吏)#1
士卒何ぞ草草たる,城を築く潼関の道。』
大城は鉄も如かず,小城は満丈余。
潼関の吏に借問す,関を修めて還た胡に備う。』
我を要して馬を下りて行く,我が為に山隅を指す。
雲を連ねて戦格に列し,飛鳥踰えること能はず。』


(現代語訳)
潼関駅の吏を見る
ここの潼関の駅ではどうしてあのように忙しく兵卒が塞城をきずいているのだろうか。』
それは、この大きな城は堅固に作られ、鉄さえおよはぬほどのものであり、小さな城は万丈あまりの高いところにきずかれている。
なぜこのようにするのかと潼関の役人に尋ねてみると、役人のいうには、「この関所を修理してまた安史軍が攻めてくるのにそなえるのだ」という。』
そういって役人は私に対し馬から降りてあるかせ、山のすみの方向を指さしてわたしのために示したのだ。
その方をみると雲にまでつづいて障害物の柵がならんでおり、飛ぶ鳥さえ飛び越えられないほどの厳重さである。』


(訳注)潼関吏
潼関駅の吏を見る
潼関駅 陝西省華州華陰県の東北、河南省河南府関郷県の西六十里35kmにある。

杜甫乱前後の図003鳳翔

士卒何草草、築城潼関道:
ここの潼関の駅ではどうしてあのように忙しく兵卒が塞城をきずいているのだろうか。』
士卒 兵卒。○草草 労苦するさま、せわしそうなさま。○築城 城は城壁。潼関は黄河が南下して槻そして直角に曲がり東流して行く地点で、北と東から長安を目指して來る敵軍を守る要衝の地である。


大城鉄不如、小城満丈余:
それは、この大きな城は堅固に作られ、鉄さえおよはぬほどのものであり、小さな城は万丈あまりの高いところにきずかれている。
大城 大きな城壁。○鉄不如 鉄の堅きもそれにおよはぬ、城の極めて堅固なことをいう。○小城小さい城壁。〇万丈余 これは山巌にまたがって、尾根に沿ってきずくために甚だ高いのである。


借問潼関吏、修関還備胡:
なぜこのようにするのかと潼関の役人に尋ねてみると、役人のいうには、「この関所を修理してまた安史軍が攻めてくるのにそなえるのだ」という。』
借問 作者が試みに問う。○修関還備胡 此の句は更が答えたことばである、修関とはこの潼関を修理すること、還はまた、この前に755年11月安禄山が叛乱し、約1カ月755年12月で洛陽城が落ち、756年6月戦力は圧倒的に多かった哥舒翰軍が大敗した(この詩の最終句に引用)。同月長安も落ちた。その後唐王朝は757年長安、洛陽を回紇(ウイグル)との連合軍で戦って兩京を奪還した。そして758年冬相州鄴城に九節度使軍が安慶緒を包囲したが、范陽の史思明が安慶緒を撃ち、安慶緒軍を手中に入れ、再度洛陽を落した。史思明軍が長安に攻め込むというので潼関の守りを整えている時期であった。は哥舒翰が敗れたにかかわらずこんどもまたの意、とは安慶緒・史思明らの安史軍をいう。


要我下馬行、為我指山隅。
そういって役人は私に対し馬から降りてあるかせ、山のすみの方向を指さしてわたしのために示したのだ。
 遇に同じ、むかえること。たいすること。○ 作者。○指 吏がゆぴざしてしめす。○山隅 山のすみのかた。


連雲列戦格、飛鳥不能踰。』
その方をみると雲にまでつづいて障害物の柵がならんでおり、飛ぶ鳥さえ飛び越えられないほどの厳重さである。』
連雲 雲につらなるとは高いことをいう。○戦格 格とは障害物をいう、戦格は防禦用の柵。○不能踰 厳重にして飛びこえることができぬ。

石壕吏 杜甫 三吏三別詩<216>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1034 杜甫詩集700- 309 

石壕吏 杜甫 三吏三別詩<216>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1034 杜甫詩集700- 309 

新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1019 杜甫詩集700- 304 
新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1022 杜甫詩集700- 305
新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1025 杜甫詩集700- 306

石壕吏 杜甫 三吏三別詩<216>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1028 杜甫詩集700- 307 
石壕吏 杜甫 三吏三別詩<216>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1031 杜甫詩集700- 308
石壕吏 杜甫 三吏三別詩<216>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1034 杜甫詩集700- 309 

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無家別 杜甫 三吏三別詩 <219>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1052 杜甫詩集700- 315 
無家別 杜甫 三吏三別詩 <219>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1055 杜甫詩集700- 316 
無家別 杜甫 三吏三別詩 <219>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1058 杜甫詩集700- 317 

垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1061 杜甫詩集700- 318
垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1064 杜甫詩集700- 319
垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1067 杜甫詩集700- 320
石壕の村で役人が河陽へゆくべき人夫を徴発するとき、こどもを二人まで戦死させた老婦人が乳のみの愛孫を家にのこし、その夫の老翁に代って出かけることをのべた詩。製作時は前詩「 新安吏 」に同じ759年乾元2年48歳

 杜甫が衛八(家に泊まり『贈衛八処士』を作)に泊ったのは、二月末のことだ。まだ相州の敗戦(三月四日)のことを知るわけもないが、、。杜甫は前年末に華州を出てから二か月以上たっているので、華州に帰ろうとしていた。そのとき相州の敗報を聞いて驚愕した。
 華州へ帰る途中での見聞をもとにまとめたのが五言古詩の連作六首「三吏三別」(さんりさんべつ)で、いずれも戦争に駆り出される民の辛苦を詠ったもの。
 石濠村は洛陽の西110km余の陝州(せんしゅう:河南省三門峡市陝県)の村。杜甫はその村の家に一夜の宿を求めた。そこでの役人と差し出す家族との様子をあらわした。
役人がやってきて、兵に出す男を捉えようとする。老人は垣根を跳び越えて逃げ、老婦が応対に出る。杜甫はその様子を客観的に見ていた。
杜甫乱前後の図003鳳翔

石壕吏
暮投石壕邨,有吏夜捉人。
老翁逾墻走,老婦出門看。」
吏呼一何怒,婦啼一何苦。
聽婦前致詞,三男鄴城戍。』
#2
一男附書至,二男新戰死。
存者且偸生,死者長已矣。」
室中更無人,惟有乳下孫。
有孫母未去,出入無完裙。』
#3
老嫗力雖衰,請從吏夜歸。
わたしは、老婆で、体力も衰えてはいますが、どうか、石壕の吏さまが夜に帰られる際、連れて行かせていただきたいのです。
急應河陽役,猶得備晨炊。」
国家の危急存亡の河陽の役に、お応【こた】えしてお役に立ちたいと存じます。これでもまだ、朝ご飯の準備くらいは、できるでしょう。』
夜久語聲絶,如聞泣幽咽。
夜は長く、話し声も途絶えたころになると、さすがに、幽【かす】かに咽【むせ】び泣いているのが聞こえてくる。
天明登前途,獨與老翁別。』

翌朝、空が明るくなると、わたしは華州への旅路に向かって出発するため、ひとりだけになったおじいさんと別れた。』

石壕の吏     
暮に石壕村に 投ず、吏 有り 夜 人を捉【とら】ふ。
老翁  墻【かき】を逾【こ】えて 走【に】げ、老婦  門を出【い】でて 看る。」
吏の呼ぶこと 一【いつ】に何ぞ怒【いか】れる、婦の啼くこと 一【いつ】に何ぞ 苦【はなはだ】しき。
婦の前【すす】みて 詞を致すを 聽く、「三男【さんだん】鄴城【ぎょうじょう】の戍【まも】り。」
#2
一男【いちだん】は書を附して至る、二男【にだん】は新たに戰死す。
存する者は 且【か】つ生を偸【ぬす】む、死者は長【とこし】へに 已【や】んぬ矣【い】。」
室中には更に 人無く、惟(た)だ乳下の孫有り。
孫有りて母 未だ去らず、出入に完裙【かんくん】 無し。』
#3
老嫗【ろうう】力 衰【おとろ】ふと 雖も、請【こ】ふ吏に從うて 夜歸らん。
急に河陽【かやう】の役【えき】に 應ぜば、猶ほ「晨炊【しんすゐ】に 備ふるを 得ん。」と。」
夜久しくして 語聲絶ゆ、聞くが 如し泣いて幽咽【ゆうえつ】するを。
天明前途に登らんとして、獨【ひと】り老翁と別る。」


現代語訳と訳註
(本文)#3
老嫗力雖衰,請從吏夜歸。
急應河陽役,猶得備晨炊。」
夜久語聲絶,如聞泣幽咽。
天明登前途,獨與老翁別。』


(下し文) #3
老嫗【ろうう】力 衰【おとろ】ふと 雖も、請【こ】ふ吏に從うて 夜歸らん。
急に河陽【かやう】の役【えき】に 應ぜば、猶ほ「晨炊【しんすゐ】に 備ふるを 得ん。」と。」
夜久しくして 語聲絶ゆ、聞くが 如し泣いて幽咽【ゆうえつ】するを。
天明前途に登らんとして、獨【ひと】り老翁と別る。」


(現代語訳) #3
わたしは、老婆で、体力も衰えてはいますが、どうか、石壕の吏さまが夜に帰られる際、連れて行かせていただきたいのです。国家の危急存亡の河陽の役に、お応【こた】えしてお役に立ちたいと存じます。これでもまだ、朝ご飯の準備くらいは、できるでしょう。』
夜は長く、話し声も途絶えたころになると、さすがに、幽【かす】かに咽【むせ】び泣いているのが聞こえてくる。
翌朝、空が明るくなると、わたしは華州への旅路に向かって出発するため、ひとりだけになったおじいさんと別れた。』


(訳注)
老嫗力雖衰,請從吏夜歸。

わたしは、老婆で、体力も衰えてはいますが、どうか、石壕の吏さまが夜に帰られる際、連れて行かせていただきたいのです。
老嫗〔ろうおう〕老女。老婆。おうな。ここでは、自称になる。○ …ではあっても、…とはいうものの。…といえども。○ どうぞ、お願い致します。お願いする。こう。○ したがえる。○夜歸 吏が夜に本営に帰る。


急應河陽役,猶得備晨炊。」
国家の危急存亡の河陽の役に、お応【こた】えしてお役に立ちたいと存じます。これでもまだ、朝ご飯の準備くらいは、できるでしょう。
 *ここまでが老婆の言葉になる。○ 緊急事態。切迫した事態。にわかな変事。また、事態のさしせまったさま。いそいで。○ (相手のことがこちらの心に響き)こたえる。ここでは切迫した事態に対応するということになる。○河陽役 洛陽を繞る争いで、759年乾元二年の河陽での戦役になる。当時作者が泊まったこの詩の石壕村の近く。○…できる。○晨炊 朝の炊事。


夜久語聲絶,如聞泣幽咽。
夜は長く、話し声も途絶えたころになると、さすがに、幽【かす】かに咽【むせ】び泣いているのが聞こえてくる。
*この出来事の後、残された村人や老翁の描写になる。○夜久 夜が長い。夜長。○語聲 話し声。語る声。○絶 途絶える。○如聞 聞こえてきたようだ。○泣 涙を流して泣く。○幽咽 〔いうえつ〕秘かに咽(むせ)び泣く。喉をつまらせて泣く。


天明登前途,獨與老翁別。』
翌朝、空が明るくなると、わたしは華州への旅路に向かって出発するため、ひとりだけになったおじいさんと別れた。
天明 夜が明ける。空が明るくなる。○ (意識上、高い所に占める場所へ向かって)出発する。主語は作者・杜甫になる。○前途 目的地までの道のり。これから先の行程。杜甫は、ここ陜県の石壕村を発った後、潼關を通り、華州の参軍を目指していた。ここでは華州への旅程。○ 作者は最初からひとり、老婆が夜出たから、逃げていたおじいさんが一人になったのだ。その年老いた男性と別れる。○ 共に一人。

石壕吏 杜甫 三吏三別詩<216>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1031 杜甫詩集700- 308

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垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1067 杜甫詩集700- 320
石壕の村で役人が河陽へゆくべき人夫を徴発するとき、こどもを二人まで戦死させた老婦人が乳のみの愛孫を家にのこし、その夫の老翁に代って出かけることをのべた詩。製作時は前詩に同じ乾元2年759年48歳


 杜甫が衛八(家に泊まり『贈衛八処士』を作)に泊ったのは、二月末のことだ。まだ相州の敗戦(三月四日)のことを知るわけもないが、、。杜甫は前年末に華州を出てから二か月以上たっているので、華州に帰ろうとしていた。そのとき相州の敗報を聞いて驚愕した。
 華州へ帰る途中での見聞をもとにまとめたのが五言古詩の連作六首「三吏三別」(さんりさんべつ)で、いずれも戦争に駆り出される民の辛苦を詠ったもの。
 石濠村は洛陽の西110km余の陝州(せんしゅう:河南省三門峡市陝県)の村。杜甫はその村の家に一夜の宿を求めた。そこでの役人と差し出す家族との様子をあらわした。
役人がやってきて、兵に出す男を捉えようとする。老人は垣根を跳び越えて逃げ、老婦が応対に出る。杜甫はその様子を客観的に見ていた。


杜甫乱前後の図003鳳翔

石壕吏
暮投石壕邨,有吏夜捉人。
老翁逾墻走,老婦出門看。」
吏呼一何怒,婦啼一何苦。
聽婦前致詞,三男鄴城戍。』
#2
一男附書至,二男新戰死。
(出征している三人の息子たちのうちの)一人の息子が手紙を託(たく)して寄こしてきた。(その手紙に拠ると、そのうちの)ふたりの息子は(今回の戦役で)新たに戦死したということなのだ。
存者且偸生,死者長已矣。」
生きている者は、しばらくはこっそりと生きのびることもできようが、死んでしまった者は、永久に終わってしまったのだ。』
室中更無人,惟有乳下孫。
部屋の中には、もう誰も壮丁となるべき人物はいないのだ。ただ乳離れをしていない孫だけがいる。
有孫母未去,出入無完裙。』
孫は居るので、その孫の母(つまり息子の嫁)はまだ、実家へ戻ってはいない。だけど家の出入りといった日常生活のうえで、嫁としてまともな形のスカートになってはいないのだ。』

#3
老嫗力雖衰,請從吏夜歸。
急應河陽役,猶得備晨炊。」
夜久語聲絶,如聞泣幽咽。
天明登前途,獨與老翁別。』



石壕の吏     
暮に石壕村に 投ず、吏 有り 夜 人を捉【とら】ふ。
老翁  墻【かき】を逾【こ】えて 走【に】げ、老婦  門を出【い】でて 看る。」
吏の呼ぶこと 一【いつ】に何ぞ怒【いか】れる、婦の啼くこと 一【いつ】に何ぞ 苦【はなはだ】しき。
婦の前【すす】みて 詞を致すを 聽く、「三男【さんだん】鄴城【ぎょうじょう】の戍【まも】り。」
#2
一男【いちだん】は書を附して至る、二男【にだん】は新たに戰死す。
存する者は 且【か】つ生を偸【ぬす】む、死者は長【とこし】へに 已【や】んぬ矣【い】。」
室中には更に 人無く、惟(た)だ乳下の孫有り。
孫有りて母 未だ去らず、出入に完裙【かんくん】 無し。』

#3
老嫗【ろうう】力 衰【おとろ】ふと 雖も、請【こ】ふ吏に從うて 夜歸らん。
急に河陽【かやう】の役【えき】に 應ぜば、猶ほ「晨炊【しんすゐ】に 備ふるを 得ん。」と。」
夜久しくして 語聲絶ゆ、聞くが 如し泣いて幽咽【ゆうえつ】するを。
天明前途に登らんとして、獨【ひと】り老翁と別る。」


現代語訳と訳註
(本文) #2

一男附書至,二男新戰死。
存者且偸生,死者長已矣。」
室中更無人,惟有乳下孫。
有孫母未去,出入無完裙。』


(下し文) #2
一男【いちだん】は書を附して至る、二男【にだん】は新たに戰死す。
存する者は 且【か】つ生を偸【ぬす】む、死者は長【とこし】へに 已【や】んぬ矣【い】。」
室中には更に 人無く、惟(た)だ乳下の孫有り。
孫有りて母 未だ去らず、出入に完裙【かんくん】 無し。』


(現代語訳)
(出征している三人の息子たちのうちの)一人の息子が手紙を託(たく)して寄こしてきた。(その手紙に拠ると、そのうちの)ふたりの息子は(今回の戦役で)新たに戦死したということなのだ。
生きている者は、しばらくはこっそりと生きのびることもできようが、死んでしまった者は、永久に終わってしまったのだ。』
部屋の中には、もう誰も壮丁となるべき人物はいないのだ。ただ乳離れをしていない孫だけがいる。
孫は居るので、その孫の母(つまり息子の嫁)はまだ、実家へ戻ってはいない。だけど家の出入りといった日常生活のうえで、嫁としてまともな形のスカートになってはいないのだ。』


(訳注)
一男附書至,二男新戰死。

(出征している三人の息子たちのうちの)一人の息子が手紙を託(たく)して寄こしてきた。(その手紙に拠ると、そのうちの)ふたりの息子は(今回の戦役で)新たに戦死したということなのだ。
 *「一男」の寄こした手紙の内容になる。○一男 「三男」(三人の息子)のうちの一人の息子。○ 託(たく)す。託(ことづ)ける。○ 手紙。○ くる。○二男 ふたりの息子。「三男」(三人の息子)のうちの息子二人。○ あらたに。


存者且偸生,死者長已矣。」
生きている者は、しばらくはこっそりと生きのびることもできようが、死んでしまった者は、永久に終わってしまったのだ。
存者 生きている者。○且 しばらく。しばし。○偸生〔とうせい〕こっそりと生きる。ひっそりと生きる。生をぬすむ。○長 とこしえに。永久に。 ・已矣 おしまいだ。終わってしまった。やんぬるかな。「已矣哉」は屈原の『楚辞・離騒』「亂曰: 已矣哉!國無人莫我知兮,又何懷乎故都? 既莫足與爲美政兮,吾將從彭咸之所居!」)、「已矣乎」は陶淵明の『帰去来兮辞』「已矣乎,寓形宇内復幾時。」にある。


室中更無人,惟有乳下孫。
部屋の中には、もう誰も壮丁となるべき人物はいないのだ。ただ乳離れをしていない孫だけがいる。
室中 部屋の中。○ この上に。ましてや。さらに。○無人 ここでは、壮丁となるべき人物はいない。○惟有 ただ…だけがある。惟≒唯。○乳下孫 乳離れをしていない孫。まだお乳を飲んでいる孫。


有孫母未去,出入無完裙。』
孫は居るので、その孫の母(つまり息子の嫁)はまだ、実家へ戻ってはいない。だけど家の出入りといった日常生活のうえで、嫁としてまともな形のスカートになってはいないのだ。
○有孫 孫はいるが。○ 孫の母=息子の嫁。○未去 まだ、実家へ戻ってはいない。○出入 家を出入りして、ご近所とお付きあいをするといった日常生活。○完裙 ちゃんとした当時のスカート。完全な形をしたスカート。嫁としての実態が完全でないことをいう。

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石壕吏 杜甫 三吏三別詩<216>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1028 杜甫詩集700- 307 


石壕の村で役人が河陽へゆくべき人夫を徴発するとき、こどもを二人まで戦死させた老婦人が乳のみの愛孫を家にのこし、その夫の老翁に代って出かけることをのべた詩。製作時は前詩に同じ乾元2年759年48歳

 杜甫が衛八(家に泊まり『贈衛八処士』を作)に泊ったのは、二月末のことだ。まだ相州の敗戦(三月四日)のことを知るよしもないが、、。杜甫は前年末に華州を出てから二か月以上たっているので、華州に帰ろうとしていた。そのとき相州の敗報を聞いて驚愕した。

 華州へ帰る途中での見聞をもとにまとめたのが五言古詩の連作六首「三吏三別」(さんりさんべつ)で、いずれも戦争に駆り出される民の辛苦を詠ったもの。
 石濠村は洛陽の西110km余の陝州(せんしゅう:河南省三門峡市陝県)の村。杜甫はその村の家に一夜の宿を求めた。そこでの役人と差し出す家族との様子をあらわした。
役人がやってきて、兵に出す男を捉えようとする。老人は垣根を跳び越えて逃げ、老婦が応対に出る。杜甫はその様子を客観的に見ていた。


新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1019 杜甫詩集700- 304 
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石壕吏
暮投石壕邨,有吏夜捉人。
日暮になって石壕の村にはいって泊まることになった。役人が徴兵のため夜になって(壮丁となる)男をつかまえようとしている。 
老翁逾墻走,老婦出門看。」
宿のおじいさんはつかまえられぬようにと垣根をこえて走りだす、おばあさんは門から出て外を見つめている。」
吏呼一何怒,婦啼一何苦。
一体なんであのように役人が大声をだしておこるのか。どうしてあのようにおばあさんが苦しそうに啼いているのだろうか。
聽婦前致詞,三男鄴城戍。』

おばあさんがすすみでて役人に申しだす所をよくきいていると、次の如くいう、「わたくしに三人の男の児がありますがみんな国のまもりで鄴城へいっております。』

#2
一男附書至,二男新戰死。
存者且偸生,死者長已矣。」
室中更無人,惟有乳下孫。
有孫母未去,出入無完裙。』
#3
老嫗力雖衰,請從吏夜歸。
急應河陽役,猶得備晨炊。」
夜久語聲絶,如聞泣幽咽。
天明登前途,獨與老翁別。』

石壕の吏     
暮に石壕村に 投ず、吏 有り 夜 人を捉【とら】ふ。
老翁  墻【かき】を逾【こ】えて 走【に】げ、老婦  門を出【い】でて 看る。」
吏の呼ぶこと 一【いつ】に何ぞ怒【いか】れる、婦の啼くこと 一【いつ】に何ぞ 苦【はなはだ】しき。
婦の前【すす】みて 詞を致すを 聽く、「三男【さんだん】鄴城【ぎょうじょう】の戍【まも】り。」

#2
一男【いちだん】は書を附して至る、二男【にだん】は新たに戰死す。
存する者は 且【か】つ生を偸【ぬす】む、死者は長【とこし】へに 已【や】んぬ矣【い】。」
室中には更に 人無く、惟(た)だ乳下の孫有り。
孫有りて母 未だ去らず、出入に完裙【かんくん】 無し。』
#3
老嫗【ろうう】力 衰【おとろ】ふと 雖も、請【こ】ふ吏に從うて 夜歸らん。
急に河陽【かやう】の役【えき】に 應ぜば、猶ほ「晨炊【しんすゐ】に 備ふるを 得ん。」と。」
夜久しくして 語聲絶ゆ、聞くが 如し泣いて幽咽【ゆうえつ】するを。
天明前途に登らんとして、獨【ひと】り老翁と別る。」


現代語訳と訳註
(本文) 石壕吏
暮投石壕邨,有吏夜捉人。
老翁逾墻走,老婦出門看。
吏呼一何怒,婦啼一何苦。
聽婦前致詞,三男鄴城戍。』


(下し文) 石壕の吏     
暮に石壕村に 投ず、吏 有り 夜 人を捉【とら】ふ。
老翁  墻【かき】を逾【こ】えて 走【に】げ、老婦  門を出【い】でて 看る。」
吏の呼ぶこと 一【いつ】に何ぞ怒【いか】れる、婦の啼くこと 一【いつ】に何ぞ 苦【はなはだ】しき。
婦の前【すす】みて 詞を致すを 聽く、「三男【さんだん】鄴城【ぎょうじょう】の戍【まも】り。」


(現代語訳)
日暮になって石壕の村にはいって泊まることになった。役人が徴兵のため夜になって(壮丁となる)男をつかまえようとしている。 
宿のおじいさんはつかまえられぬようにと垣根をこえて走りだす、おばあさんは門から出て外を見つめている。」
一体なんであのように役人が大声をだしておこるのか。どうしてあのようにおばあさんが苦しそうに啼いているのだろうか。
おばあさんがすすみでて役人に申しだす所をよくきいていると、次の如くいう、「わたくしに三人の男の児がありますがみんな国のまもりで鄴城へいっております。』


(訳注)石壕吏
石壕の役人。徴兵の様子を詠う。この詩の詠われた時代は安禄山の乱(755年~763年)のうち、758年乾元元年(冬)~759年乾元二年(春)のできごとになる。人民の生活は、疲弊しきっていたことを記録した詩。○石壕〔せきごう〕洛陽と潼關の間にある陜県にある村の名。河南省の三門峡ダムのある近くの陜県(東南の)東観音堂鎮(の西北の)山間で、現・甘壕村。陝州東南部、陝州、陝県(現・三門峡市)の東南40キロメートルに石壕鎮としされていた。・〔り〕下級役人。ここでは、徴兵の係官のことになる。事実、このころまでは女性の従軍もあった。

杜甫乱前後の図003鳳翔

暮投石壕邨,有吏夜捉人。
日暮になって石壕の村にはいって泊まることになった。役人が徴兵のため夜になって(壮丁となる)男をつかまえようとしている。 
 夕暮れ。○ 投宿する。泊まる。とどまる。○ 村むら。鎮。○捉人 男をつかまえる。当時の徴兵制の一になる。○ とらえる。からめとらえる。つかまえる。○ 男。ここでは、壮丁となる男のことになる。『新安吏』に「府帖昨夜下,次選中男行。中男絶短小,何以守王城。」と詳しい。唐では民を年齢によって黄・小・中・丁・老などに区別する。年次によってちがいがあるが、天宝三載には十八歳以上を中男とし、二十三歳以上を丁とした


老翁逾墻走,老婦出門看。」
宿のおじいさんはつかまえられぬようにと垣根をこえて走りだす、おばあさんは門から出て外を見つめている。」
老翁 年老いた男性。おじいさん。○逾 乗り越える。こす。「踰」ともする。「逾」〔ゆ〕「踰」〔ゆ〕は、同義。「逾」:向こうへ進み越える。「踰」:跨いで越える。○ 〔しょう〕かき。かきね。塀。○ 逃げる。○老婦 年老いた女性。おばあさん。○出門 門を出る。外に出る。


吏呼一何怒,婦啼一何苦。
一体なんであのように役人が大声をだしておこるのか。どうしてあのようにおばあさんが苦しそうに啼いているのだろうか。
 大声でいう。怒鳴る。○一何 いったいどうして。本当に何と。何とまあ。一は語気助詞で、強調を表す。○ 勢い盛んな。はげしい。いかる。詩の前後の展開から見て、老婦がさっさと戸を開けなかったことへの怒りの声になろう。○ 女性。○ 声をあげて悲しみなく。○苦 くるしい。苦しむ。なやむ。つらい。きびしい。はげしい。


聽婦前致詞,三男鄴城戍。』
おばあさんがすすみでて役人に申しだす所をよくきいていると、次の如くいう、「わたくしに三人の男の児がありますがみんな国のまもりで鄴城へいっております。』
*ここから後は老婆の言葉になる。○ これは、杜甫が耳を欹(そばだ)てて聴いたということ。「聽」は、「聴こうとして聴く、よく聴く」こと。 ○ 前に進み出る。○致詞 〔ちし〕挨拶言葉を言う。○三男 三人の息子。○鄴城 〔ぎょうじょう〕相州。現・河南省安陽県。殷墟の近くになる。安慶緒を追いこんでいた。『舊唐書・肅宗李亨』乾元元年九月「大舉討安慶緒於相州。…王思禮破賊二萬於相州。」と、758年の暮れから翌年の春まで戦闘があった。 ○ 〔じゅ〕(国境を敵から)まもる。

新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1025 杜甫詩集700- 306

新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1025 杜甫詩集700- 306
 
三吏三別:三吏
1. 新安の吏 2.石蒙の吏 3.潼関の吏
三吏三別:三別
4.新婚の別れ 5.無家の別れ 6.垂老の別れ

1.新安吏 

1019304新安吏 #1
1022305新安吏 #2
1025306

新安吏 #3



新安吏

 *原注 収京収京後作。雖収両京。賦猶充斥。
客行新安道、喧呼聞點兵。
借問新安吏、縣小更無丁。
府帖昨夜下、次選中男行。
中男絕短小、何以守王城。』
#2
肥男有母送、瘦男獨伶俜。
白水暮東流、青山猶哭聲。
莫自使眼枯、收汝淚縱橫。
眼枯即見骨、天地終無情。』
#3
我軍取相州、日夕望其平。
我が連合軍は安慶緒軍の相州(都城)を包囲し、奪取するというので、誰もみんな、朝から晩まで日のあるうちは、それが平らぐのを待っている。
豈意賊難料、歸軍星散營。
それに安慶著軍に意外にも史思明が援軍を送ったことは予想もしていなかったことだ、安史軍の勝利で九節度のそれぞれの軍はもどり軍隊となり、星を散らすように、それぞれの陣営にかえってしまった。
就糧近故壘、練卒依舊京。
そのうちで郭子儀の朔方軍は洛陽の近くのこれまでの塞に糧食に就き、旧京である洛陽を死守しようとして訓練をし、隊列を整えた。
掘壕不到水、牧馬役亦輕。
水の出る所まで深く掘るというではなく、壕を掘ったり、馬が役割を十分できるように、又軽い力わざを出せるように馬を牧養するという。
況乃王師順、撫養甚分明。
そのうえ勅命を受けている軍、天の順序、正道にかなっている軍隊であり、その兵卒を愛し、養うてくださることはだれにもはっきりわかっていることなのだ。
送行勿泣血、僕射如父兄。』

出兵する自分の子どもの出征をみおくるにしても血の涙を流して哭くには及ばないのである。総司令官である郭僕射は出征兵士にとっては父兄のように慈しんでくださるお方であるのだ。』

(新安の吏)
 *原注 京を収めて後作る。両京を収むと雖も賊猶を充斥する。
客 行く新安の道、喧呼【けんこ】兵を點ずるを聞く。
新安の吏に借問すれば、「縣小にして更に丁無し。
府帖 昨夜下り、次選 中男行く。」と。
中男絕【はなは】だ短小なり、何を以てか王城を守らん。』
#2
肥男【ひだん】は母の送る有り、瘦男【そうだん】は獨り伶俜【れいへい】たり。
白水暮に東流し、青山【せいざん】猶ほ哭聲【こくせい】。
自から眼をして枯らしむる莫かれ、汝が淚の縱橫たるを收めよ。
眼枯れ即ち骨を見【あら】わすも、天地は終【つい】に情無し。』
#3

我が軍 相州を取る、日夕【にっせき】其の平らかならんことを望む。
豈に意【おも】わんや賊の料【はか】り難く、歸軍して營に星散す。
糧に就きて故壘【こるい】に近づき、卒を練って舊京【きゅうけい】に依る。
壕を掘るも 水に到らず、馬を牧する役も亦輕し。
況んや乃ち王師は順なるをや、撫養【ぶよう】甚【はなは】だ分明なり。
送行するも血に泣くこと勿かれ、僕射【ぼくや】は父兄【ふけい】の如し。

唐宋時代鄴城05


現代語訳と訳註
(本文)

我軍取相州、日夕望其平。
豈意賊難料、歸軍星散營。
就糧近故壘、練卒依舊京。
掘壕不到水、牧馬役亦輕。
況乃王師順、撫養甚分明。
送行勿泣血、僕射如父兄。』


(下し文)
我が軍 相州を取る、日夕【にっせき】其の平らかならんことを望む。
豈に意【おも】わんや賊の料【はか】り難く、歸軍して營に星散す。
糧に就きて故壘【こるい】に近づき、卒を練って舊京【きゅうけい】に依る。
壕を掘るも 水に到らず、馬を牧する役も亦輕し。
況んや乃ち王師は順なるをや、撫養【ぶよう】甚【はなは】だ分明なり。
送行するも血に泣くこと勿かれ、僕射【ぼくや】は父兄【ふけい】の如し。


(現代語訳)
我が連合軍は安慶緒軍の相州(都城)を包囲し、奪取するというので、誰もみんな、朝から晩まで日のあるうちは、それが平らぐのを待っている。
それに安慶著軍に意外にも史思明が援軍を送ったことは予想もしていなかったことだ、安史軍の勝利で九節度のそれぞれの軍はもどり軍隊となり、星を散らすように、それぞれの陣営にかえってしまった。
そのうちで郭子儀の朔方軍は洛陽の近くのこれまでの塞に糧食に就き、旧京である洛陽を死守しようとして訓練をし、隊列を整えた。
水の出る所まで深く掘るというではなく、壕を掘ったり、馬が役割を十分できるように、又軽い力わざを出せるように馬を牧養するという。
そのうえ勅命を受けている軍、天の順序、正道にかなっている軍隊であり、その兵卒を愛し、養うてくださることはだれにもはっきりわかっていることなのだ。
出兵する自分の子どもの出征をみおくるにしても血の涙を流して哭くには及ばないのである。総司令官である郭僕射は出征兵士にとっては父兄のように慈しんでくださるお方であるのだ。』


(訳注)
我軍取相州、日夕望其平。

我が連合軍は安慶緒軍の相州(都城)を包囲し、奪取するというので、誰もみんな、朝から晩まで日のあるうちは、それが平らぐのを待っている。
我軍 唐王朝・回紇連合軍。王朝軍は郭子儀たち九節度使軍、節度使が連合していない。○相州 鄴城。洛陽から東北へ太行山脈を越て350km。○日夕 旦夕(旦は朝の初めから昼まで、夕葉日が落ち始めた2時以降しずむ頃まで)として用いる。○ こちらが希望する。


豈意賊難料、歸軍星散營。
それに安慶著軍に意外にも史思明が援軍を送ったことは予想もしていなかったことだ、安史軍の勝利で九節度のそれぞれの軍はもどり軍隊となり、星を散らすように、それぞれの陣営にかえってしまった。
豈意 意外にも。安慶緒に范陽の史思明が援軍を送ることを予想していなかった。○ 予想する。○帰軍 九節度の敗軍をいう、帰(もどってくる)の字を用いたのはまさに予想以上の大敗で攻める余地のないほど圧倒されたことを示す。○星散営 敗軍がそれぞれの軍営に星のごとくばらばらにちらはってかえる。以下の詩は同じように大敗をしたことに対する詩である。

悲陳陶 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 152

悲青坂 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 153



就糧近故壘、練卒依舊京。
そのうちで郭子儀の朔方軍は洛陽の近くのこれまでの塞に糧食に就き、旧京である洛陽を死守しようとして訓練をし、隊列を整えた
○就 兵食のある場所につく。○故塁 洛陽ちかくのもとのとりで。○練卒 兵卒を訓練する。○ 根拠とする。○旧京 洛陽をさす。


掘壕不到水、牧馬役亦輕。
水の出る所まで深く掘るというではなく、壕を掘ったり、馬が役割を十分できるように、又軽い力わざを出せるように馬を牧養するという。
掘凌 ほりをほる。○不到水 浅くほることをいう。騎馬を走りにくくするための壕。○牧馬 うまをまきばでかう。○ 力しごと。


況乃王師順、撫養甚分明。
そのうえ勅命を受けている軍、天の順序、正道にかなっている軍隊であり、その兵卒を愛し、養うてくださることはだれにもはっきりわかっていることなのだ。
王師順 王師は勅命を受けている軍、天の順序、正道にかなっていることをいう。○撫養 兵卒を愛撫し食物をあたえること。○分明 その事の疑うべからざることをいう、だれにもはっきりわかっている。


送行勿泣血、僕射如父兄。』
出兵する自分の子どもの出征をみおくるにしても血の涙を流して哭くには及ばないのである。総司令官である郭僕射は出征兵士にとっては父兄のように慈しんでくださるお方であるのだ。』
送行 ここで中男が戦争にゆくのを見おくる。○泣血 血のなみだをだして哭く。○僕射 郭子儀をさす、子儀は至徳二載五月に潏水に敗れ、司徒より降されて左僕射となった。乾元の初めには中書令であったので前の「洗兵行」には「郭相」といっているが、この詩はまた貶官を用いて僕射と称している、僕射は射をつかさどるという意味であるという。○如父兄 兵卒に対して親切なことをいう。郭子儀は李白の助命嘆願をしている。部下を可愛がる。


新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1022 杜甫詩集700- 305

新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1022 杜甫詩集700- 305 


三吏三別:三吏;
2. 新安の吏 2.石蒙の吏 3.潼関の吏
三吏三別:三別;
4.新婚の別れ 5.無家の別れ 6.垂老の別れ

1.新安吏 

1019304新安吏 #1
1022305新安吏 #2
1025306新安吏 #3


新安吏
 *原注 収京収京後作。雖収両京。賦猶充斥。
客行新安道、喧呼聞點兵。
借問新安吏、縣小更無丁。
府帖昨夜下、次選中男行。
中男絕短小、何以守王城。』
#2
肥男有母送、瘦男獨伶俜。
中男のなかに太った男がいて、そのかれの母親が見送りにきている。また痩せた男がいるがそれはひとり寄る辺なく淋しそうに見えている。
白水暮東流、青山猶哭聲。
道端の渓流に暮れ残る白き光をうかべて東に向かって流れてゆく、あたりの春霞にけむる青山に見送る人々の慟哭の声がやまず、絶えることなく響いている。
莫自使眼枯、收汝淚縱橫。
(以下杜甫の語)あなたがたはそんなに泣いて、泣きつくして涙がかれてしまったたらいけない。ともかくそのように縦横に乱れおとす涙を抑えられて収めることにしてくれ。
眼枯即見骨、天地終無情。』

泣き涸らしてもしも骨がでるほどに見えてしまうことにでもなってしまう、この状況を天地はついに情のないものでいたしかたのないものだ。』(作者の語つづく)

我軍取相州、日夕望其平。
豈意賊難料、歸軍星散營。
就糧近故壘、練卒依舊京。
掘壕不到水、牧馬役亦輕。
況乃王師順、撫養甚分明。
送行勿泣血、僕射如父兄。』


(新安の吏)
 *原注 京を収めて後作る。両京を収むと雖も賊猶を充斥する。
客 行く新安の道、喧呼【けんこ】兵を點ずるを聞く。
新安の吏に借問すれば、「縣小にして更に丁無し。
府帖 昨夜下り、次選 中男行く。」と。
中男絕【はなは】だ短小なり、何を以てか王城を守らん。』
#2
肥男【ひだん】は母の送る有り、瘦男【そうだん】は獨り伶俜【れいへい】たり。
白水暮に東流し、青山【せいざん】猶ほ哭聲【こくせい】。
自から眼をして枯らしむる莫かれ、汝が淚の縱橫たるを收めよ。
眼枯れ即ち骨を見【あら】わすも、天地は終【つい】に情無し。』

我が軍 相州を取る、日夕【にっせき】其の平らかならんことを望む。
豈に意【おも】わんや賊の料【はか】り難く、歸軍して營に星散す。
糧に就きて故壘【こるい】に近づき、卒を練って舊京【きゅうけい】に依る。
壕を掘るも 水に到らず、馬を牧する役も亦輕し。
況んや乃ち王師は順なるをや、撫養【ぶよう】甚【はなは】だ分明なり。
送行するも血に泣くこと勿かれ、僕射【ぼくや】は父兄【ふけい】の如し。


現代語訳と訳註
(本文) #2

肥男有母送、瘦男獨伶俜。
白水暮東流、青山猶哭聲。
莫自使眼枯、收汝淚縱橫。
眼枯即見骨、天地終無情。』


(下し文)#2
肥男【ひだん】は母の送る有り、瘦男【そうだん】は獨り伶俜【れいへい】たり。
白水暮に東流し、青山【せいざん】猶ほ哭聲【こくせい】。
自から眼をして枯らしむる莫かれ、汝が淚の縱橫たるを收めよ。
眼枯れ即ち骨を見【あら】わすも、天地は終【つい】に情無し。』


(現代語訳)#2
中男のなかに太った男がいて、そのかれの母親が見送りにきている。また痩せた男がいるがそれはひとり寄る辺なく淋しそうに見えている。
道端の渓流に暮れ残る白き光をうかべて東に向かって流れてゆく、あたりの春霞にけむる青山に見送る人々の慟哭の声がやまず、絶えることなく響いている。
(以下杜甫の語)あなたがたはそんなに泣いて、泣きつくして涙がかれてしまったたらいけない。ともかくそのように縦横に乱れおとす涙を抑えられて収めることにしてくれ。
泣き涸らしてもしも骨がでるほどに見えてしまうことにでもなってしまう、この状況を天地はついに情のないものでいたしかたのないものだ。』(作者の語つづく)


(訳注) #2
肥男有母送、瘦男獨伶俜。

中男のなかに太った男がいて、そのかれの母親が見送りにきている。また痩せた男がいるがそれはひとり寄る辺なく淋しそうに見えている。
中男 唐では民を年齢によって黄・小・中・丁・老などに区別する。年次によってちがいがあるが、天宝三歳には十八歳以上を中男とし、二十三歳以上を丁とした、ここは丁が無いので中男をとることをいう。○肥男、痩男 中男についての肥痩をいう、肥はふとり痩はやせた体格のものをいう。○母送 ははおやが見おくりにきている、こえた男はこの母に愛してそだてられたものであろう、これに反してやせた男は母もなくみじめな境遇のものであろう。○伶俜 ひとりぼっちのさま。


白水暮東流、青山猶哭聲。
道端の渓流に暮れ残る白き光をうかべて東に向かって流れてゆく、あたりの春霞にけむる青山に見送る人々の慟哭の声がやまず、絶えることなく響いている。
白水 しろく暮れのこる渓流。○東流 東とは男のゆく方向をいう。戦は東方向になる。○青山 春霞の山、附近の山をいう。○ ゆく人はすでに見えないのになおの意。○笑声 母やその他の見送る人人の哭くこえ、「肥男」より「青山」までの四句は叙事叙景をはさむ。


莫自使眼枯、收汝淚縱橫。
(以下杜甫の語)あなたがたはそんなに泣いて、泣きつくして涙がかれてしまったたらいけない。ともかくそのように縦横に乱れおとす涙を抑えられて収めることにしてくれ。
美白使眼枯 此の句より末尾の「僕射」の句までは作者が送行者をなぐさめる語である。慰めの形で、戦争に駆り立てる状況にしている政治体制を批判している。○眼枯 あまりに泣きつくして涙が枯れ尽くしてしまったことをいう。○ とりかたづける。○縦横 次第もなくながれるさま。


眼枯即見骨、天地終無情。』
泣き涸らしてもしも骨がでるほどに見えてしまうことにでもなってしまう、この状況を天地はついに情のないものでいたしかたのないものだ。』(作者の語つづく)
即見骨 もしもの意、○見骨 はなきかなしみやせて顔面の骨をあらわすにいたることをいう。○天地終無情 天地はつれない、とは戦争にゆかなければいけない状況を変えるようにはしてくれない。

新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1019 杜甫詩集700- 304 

 
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新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1019 杜甫詩集700- 304 

   三吏三別:三吏;
    1. 新安の吏 2.石蒙の吏 3.潼関の吏
   三吏三別:三別;
    4.新婚の別れ 5.無家の別れ 6.垂老の別れ

その年の冬から翌年の二月ごろまで、杜甫は洛陽の東、鞏県にある旧居に、どのような事情があったのか分からないが、帰っている。時に都子儀ら九節度使の軍は二十万の兵を率いて、安慶緒を鄴城に包囲していたが、乾元二年(759)の二月、北の范陽に帰っていた史思明は南下して鄴城を救援し、三月に九節度使の軍は大敗した。郭子儀は敗軍をまとめ、洛陽を守るために河陽に陣を布いた。所用をすませて鞏県から洛陽を経て華州へ帰る途中、杜甫は都城で大敗した官軍が、新安、石蒙剛の河陽で、あるいは潼関で洛陽防衛のための準備を急遽行なっているのに、出会った。

彼は帰途の見聞を「新安の吏」「石蒙の吏」「潼関の吏」および「新婚の別れ」「垂老の別れ」「無家の別れ」の、いわゆる三吏三別の詩に詠んだ。何年か前、長安で仕途を求めていたころに作った「兵車行」のころの社会情勢といえば、唐の軍隊と人民という構造で人民が強制的に徴兵、調達されていく中で完全に人民の側に立って見ている社会詩であった。しかし、この時の社会情勢は、唐王朝軍を支えなければ国が危うい。安史軍に国を目壺させられると人民は苦しむ。ウイグルの援軍をもって唐王朝が勝利してもウイグルとの間に禍根を残す、それらが人民にのしかかってくる。

「兵車行」がひたすら人民の立場に立って当時の辺境政策を批判したものであったのに比べ、三吏三別は、国難に際して、安史軍の撃退を切に願う思いと、戦乱の中で苦しんでいる人民への同情とがからみあった、矛盾の表現とならざるをえないものになっている。いま、それら「新安の吏」「石蒙の吏」「潼関の吏」の順で見てみよう。「新婚の別れ」「無家の別れ」「垂老の別れ」と見る。 

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新安吏
 *原注 収京収京後作。雖収両京。賦猶充斥。
杜甫の注:長安及び洛陽を奪還し、兩京を収めたといっても、安慶緒軍は道いっぱいにはびこっている。”
客行新安道、喧呼聞點兵。
わたしが新安の大街道をとおってゆくときのことである、やかましい掛け声などがして兵の点呼、点検をはじめているのがきこえる。
借問新安吏、縣小更無丁。
どういうことなのかと新安の小役人にたずねてみると、彼がいうに、「この県は小さくてこのうえもはや壮丁として徴兵すべき「壮丁」の人材がいなくなったのです。
府帖昨夜下、次選中男行。
ゆうべ兵籍帖が幕府からさがってきましたが、これから第二選別の若者を選び「中男」としてこんどゆくのでございます」と。
中男絕短小、何以守王城。』

中男というもの、見ればひどく背も低く、身なりも小さいが、どうしてこんなおとこで洛陽の王城が守れるというのか。』
肥男有母送、瘦男獨伶俜。
白水暮東流、青山猶哭聲。
莫自使眼枯、收汝淚縱橫。
眼枯即見骨、天地終無情。』
我軍取相州、日夕望其平。
豈意賊難料、歸軍星散營。
就糧近故壘、練卒依舊京。
掘壕不到水、牧馬役亦輕。
況乃王師順、撫養甚分明。
送行勿泣血、僕射如父兄。』

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(新安の吏)
 *原注 京を収めて後作る。両京を収むと雖も賊猶を充斥する。
客 行く新安の道、喧呼【けんこ】兵を點ずるを聞く。
新安の吏に借問すれば、「縣小にして更に丁無し。
府帖 昨夜下り、次選 中男行く。」と。
中男絕【はなは】だ短小なり、何を以てか王城を守らん。』

肥男【ひだん】は母の送る有り、瘦男【そうだん】は獨り伶俜【れいへい】たり。
白水暮に東流し、青山【せいざん】猶ほ哭聲【こくせい】。
自から眼をして枯らしむる莫かれ、汝が淚の縱橫たるを收めよ。
眼枯れ即ち骨を見【あら】わすも、天地は終【つい】に情無し。』

我が軍 相州を取る、日夕【にっせき】其の平らかならんことを望む。
豈に意【おも】わんや賊の料【はか】り難く、歸軍して營に星散す。
糧に就きて故壘【こるい】に近づき、卒を練って舊京【きゅうけい】に依る。
壕を掘るも 水に到らず、馬を牧する役も亦輕し。
況んや乃ち王師は順なるをや、撫養【ぶよう】甚【はなは】だ分明なり。
送行するも血に泣くこと勿かれ、僕射【ぼくや】は父兄【ふけい】の如し。


杜甫乱前後の図003鳳翔

現代語訳と訳註
(本文) 新安吏

 *原注 収京収京後作。雖収両京。賦猶充斥。
客行新安道、喧呼聞點兵。
借問新安吏?縣小更無丁。
府帖昨夜下、次選中男行。
中男絕短小、何以守王城。』


(下し文) (新安の吏)
 *原注 京を収めて後作る。両京を収むと雖も賊猶を充斥する。
客 行く新安の道、喧呼【けんこ】兵を點ずるを聞く。
新安の吏に借問すれば、「縣小にして更に丁無し。
府帖 昨夜下り、次選 中男行く。」と。
中男絕【はなは】だ短小なり、何を以てか王城を守らん。』


(現代語訳)
新安の吏
“杜甫の注:長安及び洛陽を奪還し、兩京を収めたといっても、安慶緒軍は道いっぱいにはびこっている。”

わたしが新安の大街道をとおってゆくときのことである、やかましい掛け声などがして兵の点呼、点検をはじめているのがきこえる。
どういうことなのかと新安の小役人にたずねてみると、彼がいうに、「この県は小さくてこのうえもはや壮丁として徴兵すべき「壮丁」の人材がいなくなったのです。
ゆうべ兵籍帖が幕府からさがってきましたが、これから第二選別の若者を選び「中男」としてこんどゆくのでございます」と。
中男というもの、見ればひどく背も低く、身なりも小さいが、どうしてこんなおとこで洛陽の王城が守れるというのか。』


(訳注)
新安の吏
 *原注 収京後作。雖収両京。賊猶充斥。
“杜甫の注:長安及び洛陽を奪還し、兩京を収めたといっても、安慶緒軍は道いっぱいにはびこっている。
○新安 河南省河南府の新安県。○収束 京は長安及び洛陽をさす。○賊 安慶緒らの軍。kanbuniinkaiでは官軍と賊軍という分けかたはしないで、叛乱軍。叛乱軍は大別して安慶緒軍と史思明の軍で構成、節度使、潘鎮が混入、異民族の軍隊、傭兵軍で集散するのである。そのため10年も続くのである。独自の動きをした叛乱もある。潘鎮、王朝血族の叛乱もある。その間、叛乱軍の権力構造閒変わるので史実に合わせ、訳していく。ここは、相州、鄴城に立て籠もった安慶緒軍をいう。○充斥 『左伝、㐮公三十一年』にみえる、みちひろがること。


客行新安道、喧呼聞點兵。
わたしが新安の大街道をとおってゆくときのことである、やかましい掛け声などがして兵の点呼、点検をはじめているのがきこえる。
○客 旅客、作者自ずからをいう。○喧呼 やかましく大ごえをだす。○点兵 兵籍に点つけをして人数をしらべる。


借問新安吏、縣小更無丁。
どういうことなのかと新安の小役人にたずねてみると、彼がいうに、「この県は小さくてこのうえもはや壮丁として徴兵すべき「壮丁」の人材がいなくなったのです。
〇借 作者がかりにたずねる。○ 県の小役人。○県小 此の句より「次選」の句までは更のことばである。○無丁は壮丁、兵卒としてめしだされるわかい働き盛りの男子。


府帖昨夜下、次選中男行。
ゆうべ兵籍帖が幕府からさがってきましたが、これから第二選別の若者を選び「中男」としてこんどゆくのでございます」と。
府帖 府がだした兵籍、府は幕府、県の上級官庁。○ 県へきたこと。○次選 第一位のものがなくなったために、第二位のものをえらぶこと。○中男 唐では民を年齢によって黄・小・中・丁・老などに区別する。年次によってちがいがあるが、天宝三載には十八歳以上を中男とし、二十三歳以上を丁とした、ここは丁が無いので中男をとることをいう。○ 東都をまもるためにゆく。


中男絕短小、何以守王城。』
中男というもの、見ればひどく背も低く、身なりも小さいが、どうしてこんなおとこで洛陽の王城が守れるというのか。』
中男絶短小 此の句及び次句は作者の胸中をいう、短小はからだのせいがひくくちいさいこと。○王城 東都洛陽の城

獨立 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1016 杜甫詩集700-303

獨立 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1016 杜甫詩集700-303



獨立
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はるかな天空に一羽の猛鳥がいる。黄河の流れの間に二羽の白い羽のかもめがいる。(一鷙鳥は安禄山で河北で叛乱した。雙白鷗は玄宗を指すもの)
飄搖搏擊便,容易往來遊。
動揺して定まらないこと(数年前から、安禄山が叛乱を起すといわれてきたのを玄宗と楊貴妃とは安禄山を可愛がった)、その間隙をついて襲ったのだ。はっきりしていること(安禄山のもとに傭兵が集結していたし、不満を持っていた潘鎮・節度使も呼応していた)は、不満の者たちの往来を自由にさせていたことだ。
草露亦多濕,蛛絲仍未收。
草に着いた露に更に高温多湿な状態が加わった(ただでさえ自由に兵力を整えていたものに朝廷玄宗の頽廃、楊国忠と安禄山の対立激化をいう)。そして蜘蛛の糸で覆われてしまったのだがいまだにそれを治め平定することができないのだ。
天機近人事,獨立萬端憂。

天子のきまぐれな機嫌が近頃の人事の差配にあらわれた。こうして、官を辞して独立するとしてもすべての事柄に心配事がありすぎるのが現状なのだ。


獨り立つ
空外に 一鷙鳥あり,河間に 雙いの白鷗ある。
飄搖して 搏擊の便,容易にして 往來を遊ぶ。
草露あり 亦 多濕なり,蛛絲 仍【な】お未だ收らん。
天機にして 近ごろの人事あり,獨立すれども 萬端の憂。


五言律詩。【首聯】【頷聯】【頸聯】【尾聯】で構成。同じ四分割の絶句の起承転結の一線の曲折にはならない。中の【頷聯】【頸聯】については対句が絶対条件である。


現代語訳と訳註
(本文)
獨立
空外一鷙鳥,河間雙白鷗。
飄搖搏擊便,容易往來遊。
草露亦多濕,蛛絲仍未收。
天機近人事,獨立萬端憂。


(下し文)
獨り立つ
空外に 一鷙鳥あり,河間に 雙いの白鷗ある。
飄搖して 搏擊の便,容易にして 往來を遊ぶ。
草露あり 亦 多濕なり,蛛絲 仍【な】お未だ收らん。
天機にして 近ごろの人事あり,獨立すれども 萬端の憂。


(現代語訳)
はるかな天空に一羽の猛鳥がいる。黄河の流れの間に二羽の白い羽のかもめがいる。(一鷙鳥は安禄山で河北で叛乱した。雙白鷗は玄宗を指すもの)
動揺して定まらないこと(数年前から、安禄山が叛乱を起すといわれてきたのを玄宗と楊貴妃とは安禄山を可愛がった)、その間隙をついて襲ったのだ。はっきりしていること(安禄山のもとに傭兵が集結していたし、不満を持っていた潘鎮・節度使も呼応していた)は、不満の者たちの往来を自由にさせていたことだ。
草に着いた露に更に高温多湿な状態が加わった(ただでさえ自由に兵力を整えていたものに朝廷玄宗の頽廃、楊国忠と安禄山の対立激化をいう)。そして蜘蛛の糸で覆われてしまったのだがいまだにそれを治め平定することができないのだ。
天子のきまぐれな機嫌が近頃の人事の差配にあらわれた。こうして、官を辞して独立するとしてもすべての事柄に心配事がありすぎるのが現状なのだ。


(訳注)
獨立

一人立つ。孤独な状態に置かれる。758年左拾遺を授かった直後、房琯を弁護することにより、粛宗の逆鱗に触れて以来、朝廷内で約一年疎外され、後、華州へ左遷。その間、ほとんど仕事らしきもの、公と思われる詩文はない。すべて私的なものである。この詩題は、杜甫が、詩人として生きていくこと決意した詩といわれている。詩題としてより、内容的に薄い感じである。


空外一鷙鳥,河間雙白鷗。
はるかな天空に一羽の猛鳥がいる。黄河の流れの間に二羽の白い羽のかもめがいる。(一鷙鳥は安禄山で河北で叛乱した。雙白鷗は玄宗を指すもの)
空外 はるかな天空。杜甫『擣衣詩』「用い盡くす閨中の力、君聽け空外の音を。」(用盡閨中力、君聽空外音。)○ 猛鳥の意。ワシやタカなど、他の動物を捕らえて食う鳥。猛禽(もうきん)。安史軍を指す。 ○河間 黄河の流れのあいだに。今の河北省献縣の東南。また、河北省河間縣。安史軍の拠点。○白鷗 はねの白いカモメ。鮑照『還都道中作詩』「騰沙鬱黄霧、飜浪揚白鷗。」(沙を騰げて黄霧を鬱にし、浪を飜して白鷗を揚ぐ。)


飄搖搏擊便,容易往來遊。
動揺して定まらないこと(数年前から、安禄山が叛乱を起すといわれてきたのを玄宗と楊貴妃とは安禄山を可愛がった)、その間隙をついて襲ったのだ。はっきりしていること(安禄山のもとに傭兵が集結していたし、不満を持っていた潘鎮・節度使も呼応していた)は、不満の者たちの往来を自由にさせていたことだ。
飄搖 ひるがえり、ゆらぐ。動揺して定まらない様子。張華『鷦鷯賦』「提挈萬里、飄搖逼畏。」(挈して萬里に提、飄搖として逼り畏そ。)○搏擊便 (1)手でうつこと。殴ること。 (2)攻めること。うち負かすこと。容易 ○往來遊。


草露亦多濕,蛛絲仍未收。
草に着いた露に更に高温多湿な状態が加わった(ただでさえ自由に兵力を整えていたものに朝廷玄宗の頽廃、楊国忠と安禄山の対立激化をいう)。そして蜘蛛の糸で覆われてしまったのだがいまだにそれを治め平定することができないのだ。
草露 草に置くつゆ。はかないもののたとえにいう。○亦多濕 湿気が多いこと。湿度が高いこと。また、そのさま。○蛛絲 蜘蛛の糸。安史軍が下方句を拠点として勢いが衰えていない。○仍未收 戦がおさまっていない。


天機近人事,獨立萬端憂。
天子のきまぐれな機嫌が近頃の人事の差配にあらわれた。こうして、官を辞して独立するとしてもすべての事柄に心配事がありすぎるのが現状なのだ。
天機 1 造化の秘密。天地自然の神秘。 2 生まれつきの才能。 3 天子の機嫌。天気。○近人事 房琯のグループは一切左遷された。○獨立 ○萬端 ある物事についての、すべての事柄。諸般。


(杜甫の言う「天機近人事」とは)
安禄山が反乱を起こし洛陽長安が陥落し、玄宗は退位し蜀へ逃走。粛宗は北辺の霊武に行在所を置いた。この霊武には朔方軍の司令官として郭子儀がいた。ここしか頼るところがなかった。郭子儀しか成果を上げていないし、顔真卿兄弟などを軽視し、適切な作戦がとられていない。兵力はウイグルの援軍を得なくても唐王朝の軍隊を整備し、適切な配備をしておればよかったが、奸臣、宦官の言いなりで、作戦はことごとく失敗した。ただ、安禄山の側も、史思明が范陽に帰り一枚岩ではなかった。史思明は粛宗の唐と安禄山の燕大国と史思明の三権鼎立を模索していた。この時、ウイグルは安禄山、史思明にも一部兵士を出していた。そのことに以上に恐れをなした粛宗はウイグルに泣きついた格好で援軍を依頼した。唐軍の諸公の中にはウイグル援軍を不満に思うものは少なくなかった。少なくとも敵に回さなければよい程度の対応すればよかったのである。焦った対応で安禄山を過大評価し、作戦を誤った。

 杜甫はこの間、役立つことを一切させてもらっていないばかりか、状況も知らせれていなかったものと思われる。
 安禄山は息子安慶緒に殺害され、史思明は安慶緒と一定の距離をとり始めていたことで、唐王朝軍は長安洛陽を奪還し得たのであるが、ここでさらに、王朝内を固めていかなければいけない時期に、粛宗は房琯グループの一掃ということで、まじめな軍人、文人を左遷させたのだ。高適、厳武、杜甫と仲の良かったものは誰もいなくなった。高適は永王璘の叛乱を抑え功績をあげていた。厳武は長安、洛陽奪還に功績をあげていた。功績について一切報われることはなく左遷された。朝廷内には郭子儀だけであった。しかし、粛宗は宦官の意見を取り入れていた。

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獨立

重題鄭氏東亭

三吏三別


不歸

もう帰らない。
河間尚
伐,汝骨在空城。

黄河流域、河南一帯は、いまだに平定されず戰が続いている、安慶緒を成敗してもう鄴城には兵士のいなくなってるだろうが、君たちはどうしているのだろうか。そのままでいるのか
從弟人皆有,終身恨不平。

我弟たちにとっては、ひとにはそれぞれ限られた人生があるというものだ、私のように年老いた身にとっては、戦が終わらず、平らげられることがないことへの怨みの気持ちでいる。
數金憐俊邁,總角愛聰明。

金を数え、利害のために賢いすぐれた俊秀をいかさずにおるものにたいして憐れに思う。しかし、叛乱軍の子供じみたことには辟易だが、これからの子供にたいしては道理に通じて聡いものが愛されるのである。
面上三年土,春風草又生。

目の当たりにしたこと、戰の塵埃はもう三年も積重ねられているが、万物が芽生える春の息吹があるということ草花木は帰ってきてまた生まれているではないか。


(歸らず)
河間 尚 徵伐,汝の骨 空城に在り。
從弟!人皆有り,終身!不平を恨む。
金を數えれば俊邁【しゅんまい】を憐れみ,總角【かみたば】ねて 聰明【そうめい】を愛でる。
面上【まのあた】りにして 三年の土,春風は 草を又 生ず。


haru0005g


現代語訳と訳註
(本文) 不歸

河間尚徵伐,汝骨在空城。
從弟人皆有,終身恨不平。
數金憐俊邁,總角愛聰明。
面上三年土,春風草又生。


(下し文)(歸らず)
河間 尚 徵伐,汝の骨 空城に在り。
從弟!人皆有り,終身!不平を恨む。
金を數えれば俊邁【しゅんまい】を憐れみ,總角【かみたば】ねて 聰明【そうめい】を愛でる。
面上【まのあた】りにして 三年の土,春風は 草を又 生ず。


(現代語訳)
もう帰らない。
黄河流域、河南一帯は、いまだに平定されず戰が続いている、安慶緒を成敗してもう鄴城には兵士のいなくなってるだろうが、君たちはどうしているのだろうか。そのままでいるのか
我弟たちにとっては、ひとにはそれぞれ限られた人生があるというものだ、私のように年老いた身にとっては、戦が終わらず、平らげられることがないことへの怨みの気持ちでいる。
金を数え、利害のために賢いすぐれた俊秀をいかさずにおるものにたいして憐れに思う。しかし、叛乱軍の子供じみたことには辟易だが、これからの子供にたいしては道理に通じて聡いものが愛されるのである。
目の当たりにしたこと、戰の塵埃はもう三年も積重ねられているが、万物が芽生える春の息吹があるということ草花木は帰ってきてまた生まれているではないか。


(訳注)
不歸
もう帰らない。
○官を辞することを示唆する。また、家族が帰ってこない。平穏な生活が帰ってこない。五言律詩。【首聯】では黄河流域に平穏な生活が帰らない。【頷聯】自分の親族、自分自身の夢に向けての人生生活が帰ってこない。【頸聯】金を目当てに反乱を起こした奴らに憐れんでいるが、これからの子供の英知を期待する。【尾聯】もう三年になるが自然のいとなみは、「不歸」ではなく、「又生」なのだ。押韻 城。平。明。生。


河間尚徵伐,汝骨在空城。
黄河流域、河南一帯は、いまだに平定されず戰が続いている、安慶緒を成敗してもう鄴城には兵士のいなくなってるだろうが、君たちはどうしているのだろうか。そのままでいるのか
河間 黄河流域、河南一帯。○徵伐 叛乱軍に対する征伐の戦いをしている。○汝骨 ここでいう汝は次句の従弟に対して○空城 兵士がいなくなった城郭。


從弟人皆有,終身恨不平。
我弟たちにとっては、ひとにはそれぞれ限られた人生があるというものだ、私のように年老いた身にとっては、戦が終わらず、平らげられることがないことへの怨みの気持ちでいる。
從弟 杜甫の親族、異母弟。済南に避難していた。杜亞は河西の判官に赴ている。 ○人皆有 ひとにはそれぞれ限られた人生がある。自然の草花には季節が廻って芽吹いてくるという最終句にかかる。○終身 若い従弟に対して、自分は年老いている。この身を終わろうとしている。○恨不平 恨みに思うことは平定されない、平穏でないこと。安史の乱により、死に直面し、家族とは離散してしまったこと。


數金憐俊邁,總角愛聰明。
金を数え、利害のために賢いすぐれた俊秀をいかさずにおるものにたいして憐れに思う。しかし、叛乱軍の子供じみたことには辟易だが、これからの子供にたいしては道理に通じて聡いものが愛されるのである。
數金 金を数える。金で雇われて兵士になる。この頃、武芸者に対して、通常以上の金が支払われた。武力を頼りに略奪をおこない蓄財していくものが多かった。それに対し、文人の詩歌に対する評価、売文はほとんどなかった。平穏時には、売文はそこそこあったのだ。○ 憐れむ。心配する。○俊邁 すぐれていること。俊秀。晋書『陸喜傳』「神情俊邁。」○總角 髪を束ねる。こどもをしめす。叛乱軍に対して幼稚な子供という表現をしている。○聰明 道理に通じてさといやつ。書経『皐陶謨』「天聰明、自我民聰明。」(天の聰明は、我が民の聰明に自【した】がう。)


面上三年土,春風草又生。
目の当たりにしたこと、戰の塵埃はもう三年も積重ねられているが、万物が芽生える春の息吹があるということ草花木は帰ってきてまた生まれているではないか。
面上 目の当たりにしたことなど。○三年土 安史の乱が始まって三年経過している。○春風 万物が芽生える春の息吹のこと。○ 草花。草木。強く生きていく人々。○又生 また生まれてくる。


natsusora01


二年前の春は叛乱軍に拘束され長安で迎えた春であった。どちらも官に対して、仕事に対しての思い入れは皆無で、春の息吹に生きていく力を感じている。詩人として生きていくこと、詩人の矜持についてはどちらも、強いものを感じる。


春望

 (本文)
國破山河在,城春草木深。
感時花濺涙,恨別鳥驚心。
烽火連三月,家書抵萬金。
白頭掻更短,渾欲不勝簪。
(下し文)
國 破れて  山河 在り,城 春にして  草木 深し。
時に 感じては  花にも 涙を 濺(そそ)ぎ,別れを 恨んでは  鳥にも 心を驚かす。
烽火  三月(さんげつ)に 連なり,家書  萬金に 抵(あ)たる。
白頭  掻けば 更に 短く,渾(すべ)て簪(しん)に勝(た)へざらんと欲す。
(現代語訳)
春の眺め
天下の唐王朝の都が破壊されたが、とりまく山河自然は存在を示している。破壊された長安の街に春の息吹がよみがえる、草木が茂って来たではないか。 
自然というものは時節の変転、春の息吹を感じ、させて花を開いているのだが、叛乱軍に破壊尽くされた唐王朝に春はこないので花を見ても涙を流すだけなのだ。自分にとっても、家族との別離をうらめしく思い、鳥が自由に飛び交い、一族群れを為している姿を見るにつけても、心を痛めているのだ。
長安郊外での戦火は三ヶ月も続いたが、期待を裏切り、無駄なものであった。こんなとき、もし家族からの手紙があったとしたら、それは万金にあたいするもので極めて貴重なのである。
白髪頭を掻けば、苦労で老けた髪は一層短く、少なくなった。 こんなに髪が少なくなってほとんど、まげを止めるカンザシを挿すにもたえないような状態になってしまった。

謝霊運詩登池上樓00


 


 


 


 

留花門 #3 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1010 杜甫特集700- 301

留花門 #3 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1010 杜甫特集700- 301
(花門すなわち回紇種族<ウイグル騎馬民族>の兵を内地にどめておくこと)

花門すなわち回紇種族の兵を内地にとどめておくことにつき、そのとどめておくべからざることをのべた詩である。製作時は乾元元年秋とする。
 

留花門 #1
北門天驕子,飽肉氣勇決。
高秋馬肥健,挾矢射漢月。」
自古以爲患,詩人厭薄伐。
修德使其來,羈縻固不絕。
胡爲傾國至,出入暗金闕。』
#2  
中原有驅除,隱忍用此物。
公主歌黄鵠,君王指白日。
連雲屯左輔,百里見積雪。
長戟鳥休飛,哀笳曙幽咽。
田家最恐懼,麥倒桑枝摺。』
#3
沙苑臨清渭,泉香草豐潔。
彼らの居る沙苑は清き流れを湛えている謂水にのぞんでいる、泉水も香ばしく草もゆたかにきよらかである。
渡河不用船,千騎常撇烈。
彼らはそこに馬をとばし、河をわたるのも船は用いないのだ、千騎の騎馬がいつも川波、水を撃ち蹴立てて渡る。
胡塵逾太行,雜種抵京室。
安・史の兵馬の塵がまさに太行山脈を越へてくる、寄せ集めの野望の雑種の軍が再び都までもこようとしている。
花門既須留,原野轉蕭瑟。』
安史軍だけでも厭うべきであるのに、花門回紇軍をとどめておかねばならぬというのであれば、彼らの過ぐる所いよいよもって原野がのこるだけで、河南地方はさびしく無一物になることであろう。』

(花門を留む)#1
花門は天の驕子【きょうし】、肉に飽きて気勇決【ゆうけつ】なり。
高秋 馬 肥健【ひけん】なり、矢を挾【さしはさ】みて漢月を射る。」
古より以て患【うれ】えと為す、詩人薄伐【はくばつ】を厭【いと】う。
徳を修【おさ】めて其をして来たらしむ、羈縻【きひ】固【もと】より絶えず。
  くに かたむ いた  しゆつにゆうっ くら
胡為【なんす】れぞ国を傾けて至、出入金闘【きんけつ】に暗きや。
#2
中原に駆除有り、隠忍して此の物を用う。』
公主黄鵠【こうかく】を歌い、君王白日【はくじつ】を指す。
雲に連なりて左輔に屯【ちゅん】す 百里積雪を見る。
長戟【ちょうげき】飛ぶことを休む、哀笳【あいか】曙【あけぼの】幽咽【ゆうえつ】す。
田家 最も恐懼【きょうく】す,麥 倒れて桑枝【そうし】摺る。』
#3
沙苑 清渭に臨む,泉 香【かんば】しく草豐 潔【けつ】なり。
河を渡るには船を用いず,千騎 常に撇烈【へつれつ】たり。
胡塵【こじん】太行を逾【こ】え,雜種 京室【けいしつ】に抵【いた】らんとす。
花門既に留むるを須【ま】たば、原野転【うた】た蕭瑟【しょうひつ】たらん。』


現代語訳と訳註 #3
(本文) #3
沙苑臨清渭,泉香草豐潔。
渡河不用船,千騎常撇烈。
胡塵逾太行,雜種抵京室。
花門既須留,原野轉蕭瑟。』


(下し文) #3
沙苑 清渭に臨む,泉 香【かんば】しく草豐 潔【けつ】なり。
河を渡るには船を用いず,千騎 常に撇烈【へつれつ】たり。
胡塵【こじん】太行を逾【こ】え,雜種 京室【けいしつ】に抵【いた】らんとす。
花門既に留むるを須【ま】たば、原野転【うた】た蕭瑟【しょうひつ】たらん。』


(現代語訳) #3
彼らの居る沙苑は清き流れを湛えている謂水にのぞんでいる、泉水も香ばしく草もゆたかにきよらかである。
彼らはそこに馬をとばし、河をわたるのも船は用いないのだ、千騎の騎馬がいつも川波、水を撃ち蹴立てて渡る。
安・史の兵馬の塵がまさに太行山脈を越へてくる、寄せ集めの野望の雑種の軍が再び都までもこようとしている。
安史軍だけでも厭うべきであるのに、花門回紇軍をとどめておかねばならぬというのであれば、彼らの過ぐる所いよいよもって原野がのこるだけで、河南地方はさびしく無一物になることであろう。』


(訳注)#3
沙苑臨清渭,泉香草豐潔。
彼らの居る沙苑は清き流れを湛えている謂水にのぞんでいる、泉水も香ばしく草もゆたかにきよらかである。
 ○沙苑 牧馬場の名。唐の時、同州鴻功県(陝西省同州府大茘県)の南十二里に置かれる。東西八十里、南北三十里、長官として沙苑監を置く。天宝十三載安禄山を以て監事を総べさせた○ 長安を西から東へ流れる水の名。○泉香 わきでるいずみの水がかんぱしい。○豊潔 多くてきよらか。


渡河不用船,千騎常撇烈。
彼らはそこに馬をとばし、河をわたるのも船は用いないのだ、千騎の騎馬がいつも川波、水を撃ち蹴立てて渡る。
渡河 黄河をわたる。○不用船 騎馬のままわたることをいう。○千騎 多くの騎兵。○撇烈【へつれつ】 激烈に撃つさま。文選、王襃『四子講徳論』「膺騰撇波而済水、不如乘舟之逸也。」(膺騰波を撇ちて而水を済るは、舟に乘る之を逸きに如かざる也。)〔注〕撇は撃なり。水を撃ち蹴立てて渡る。


胡塵逾太行,雜種抵京室。
安・史の兵馬の塵がまさに太行山脈を越へてくる、寄せ集めの野望の雑種の軍が再び都までもこようとしている。
胡塵 安・史の兵馬の塵。○逾太行 太行は河北・山西のあいだに在る山脈の名、兵塵が東より西へひろがり、山西の方へ入ることをいう。○雑種 安・史の族はみな雑種である、国内の野望を持った不満分子、異民族の傭兵、蒙古、鮮卑、ウイグルなどにより構成されていた。これは安史軍をさす。○抵京室 長安の宮室の処まで至ろうとする。(一説には史思明は759年乾元二年九月に安慶緒、大梁を取り、洛陽を陥れたために、作者は更にその軍が長安に汲ばんことをおそれてかくいったものであろう。又、この詩の段階では、郭子儀など9節度使軍が史思明軍に大敗を喫した段階で、759年春、唐王朝軍が極めて劣勢な戦況であった段階の表現と考える場合もある。しかしここでは、史思明についての恐怖は太行山脈を越えていないので758年冬から759年春の段階である。)


花門既須留,原野轉蕭瑟。』
安史軍だけでも厭うべきであるのに、花門回紇軍をとどめておかねばならぬというのであれば、彼らの過ぐる所いよいよもって原野がのこるだけで、河南地方はさびしく無一物になることであろう。』
須留 沙苑にとどまることを必要とするならば。○原野 耕作物の地をいう、上の麦桑の語と応ずる。騎馬民族の戦いは戦傷者が略奪の限りを尽くし、反撃の火種を残さないことを原則とする。そのため、彼らが通った後は原野になるという。○ いよいよ、これは安・史らの兵禍に対比していう。○蕭瑟 さびしいさま、掠奪後の一物もない状態をいう。この最後の聯の意味合いで759年3月郭子儀軍の大敗以前の作品と思われる。



留花門 #1
北門天驕子,飽肉氣勇決。
高秋馬肥健,挾矢射漢月。」
自古以爲患,詩人厭薄伐。
修德使其來,羈縻固不絕。
胡爲傾國至,出入暗金闕。』
#2  
中原有驅除,隱忍用此物。
公主歌黄鵠,君王指白日。
連雲屯左輔,百里見積雪。
長戟鳥休飛,哀笳曙幽咽。
田家最恐懼,麥倒桑枝摺。』
#3
沙苑臨清渭,泉香草豐潔。
渡河不用船,千騎常撇烈。
胡塵逾太行,雜種抵京室。
花門既須留,原野轉蕭瑟。』


(花門を留む)#1
花門は天の驕子【きょうし】、肉に飽きて気勇決【ゆうけつ】なり。
高秋 馬 肥健【ひけん】なり、矢を挾【さしはさ】みて漢月を射る。」
古より以て患【うれ】えと為す、詩人薄伐【はくばつ】を厭【いと】う。
徳を修【おさ】めて其をして来たらしむ、羈縻【きひ】固【もと】より絶えず。
  くに かたむ いた  しゆつにゆうっ くら
胡為【なんす】れぞ国を傾けて至、出入金闘【きんけつ】に暗きや。
#2
中原に駆除有り、隠忍して此の物を用う。』
公主黄鵠【こうかく】を歌い、君王白日【はくじつ】を指す。
雲に連なりて左輔に屯【ちゅん】す 百里積雪を見る。
長戟【ちょうげき】飛ぶことを休む、哀笳【あいか】曙【あけぼの】幽咽【ゆうえつ】す。
田家 最も恐懼【きょうく】す,麥 倒れて桑枝【そうし】摺る。』
#3
沙苑 清渭に臨む,泉 香【かんば】しく草豐 潔【けつ】なり。
河を渡るには船を用いず,千騎 常に撇烈【へつれつ】たり。
胡塵【こじん】太行を逾【こ】え,雜種 京室【けいしつ】に抵【いた】らんとす。
花門既に留むるを須【ま】たば、原野転【うた】た蕭瑟【しょうひつ】たらん。』

#1
花門の回紇種族(ウイグル騎馬民族)の軍隊を国内にとどめる。
花門の回紇種族(ウイグル騎馬民族)の軍隊は天子の降せる“いたずら坊や”であって、平生飽きるほどの肉食提供をしていて、気象が勇決なものである。
彼らは天高い秋、馬の肥えて達者な時候になる、矢をたばさんで唐の月を射んとするのである。」
このウイグル異民族らは古来より中国の人々がこまりごととしたものであったのだ、すでに「詩経」の作者の詩人たちもこれを征伐にでかけることをきらったものであったことをのべている。
それでウイグルとの戰はできるだけしないで、こちらの徳を修め、感化してこちら側へ来させるようにしむけ、牛馬を繋ぐ様につないで離れさせぬように取り扱うことはもとより絶えずやってきてはいるのだ。
ところで回紇はどうして自分の国を傾けるかもしれなのに、勢力をこぞってこちらへやって来て、その出入りするときには金闕を暗くなるほどにむらがっているのであろうか。』

#2
いま中原の地方に安史軍、安慶緒・史思明らがはびこり、それをおいのける必要からやむを得ず、我慢してこんな異民族のウイグル騎馬民族をつかっているというわけだ。
さらに我が天子の姫宮を回紇に嫁がせたが、姫宮さまは故郷をなつかしみ「黄鵠の歌」をうたわれた。我が天子には彼と兄弟国の同盟のため太陽を指して誓いあわれた。
彼らの京畿東方の地に暗雲が連なり、たむろしている。その地方は百里の遠くにわたってまっ白く雪がつもれる如く白く見えておる。
ウイグル軍が立てならべている長い戟をみては鳥もおそれて飛ぶことをやめるし、哀れな胡笳の音があけぼのの空にむせぶが如く鳴り響いいている。

#3
彼らの居る沙苑は清き流れを湛えている謂水にのぞんでいる、泉水も香ばしく草もゆたかにきよらかである。
彼らはそこに馬をとばし、河をわたるのも船は用いないのだ、千騎の騎馬がいつも川波、水を撃ち蹴立てて渡る。
安・史の兵馬の塵がまさに太行山脈を越へてくる、寄せ集めの野望の雑種の軍が再び都までもこようとしている。
安史軍だけでも厭うべきであるのに、花門回紇軍をとどめておかねばならぬというのであれば、彼らの過ぐる所いよいよもって原野がのこるだけで、河南地方はさびしく無一物になることであろう。』


留花門 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1007 杜甫特集700- 300

留花門 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1007 杜甫特集700- 300
(花門すなわち回紇種族<ウイグル騎馬民族>の兵を内地にどめておくこと)

花門すなわち回紇種族の兵を内地にとどめておくことにつき、そのとどめておくべからざることをのべた詩である。製作時は乾元元年秋とする。
 

留花門 #1
北門天驕子,飽肉氣勇決。
高秋馬肥健,挾矢射漢月。」
自古以爲患,詩人厭薄伐。
修德使其來,羈縻固不絕。
胡爲傾國至,出入暗金闕。』
#2  
中原有驅除,隱忍用此物。
いま中原の地方に安史軍、安慶緒・史思明らがはびこり、それをおいのける必要からやむを得ず、我慢してこんな異民族のウイグル騎馬民族をつかっているというわけだ。
公主歌黄鵠,君王指白日。
さらに我が天子の姫宮を回紇に嫁がせたが、姫宮さまは故郷をなつかしみ「黄鵠の歌」をうたわれた。我が天子には彼と兄弟国の同盟のため太陽を指して誓いあわれた。
連雲屯左輔,百里見積雪。
彼らの京畿東方の地に暗雲が連なり、たむろしている。その地方は百里の遠くにわたってまっ白く雪がつもれる如く白く見えている。
長戟鳥休飛,哀笳曙幽咽。
ウイグル軍が立てならべている長い戟をみては鳥もおそれて飛ぶことをやめるし、哀れな胡笳の音があけぼのの空にむせぶが如く鳴り響いいている。
田家最恐懼,麥倒桑枝摺。』

農家は彼らが騎馬民族で農耕が分からないので最も恐れ、怖がる。それは、麦がたおされ、桑の枝が折られたりするからである。』(農耕民族の軍隊は、田畑を荒らすことは避ける作戦をとるものであるが、騎馬民族は、戦を勝つことのみで作戦をとる。)
#3
沙苑臨清渭,泉香草豐潔。
渡河不用船,千騎常撇烈。
胡塵逾太行,雜種抵京室。
花門既須留,原野轉蕭瑟。』


(花門を留む)#1
花門は天の驕子【きょうし】、肉に飽きて気勇決【ゆうけつ】なり。
高秋 馬 肥健【ひけん】なり、矢を挾【さしはさ】みて漢月を射る。」
古より以て患【うれ】えと為す、詩人薄伐【はくばつ】を厭【いと】う。
徳を修【おさ】めて其をして来たらしむ、羈縻【きひ】固【もと】より絶えず。
  くに かたむ いた  しゆつにゆうっ くら
胡為【なんす】れぞ国を傾けて至、出入金闘【きんけつ】に暗きや。
#2
中原に駆除有り、隠忍して此の物を用う。』
公主黄鵠【こうかく】を歌い、君王白日【はくじつ】を指す。
雲に連なりて左輔に屯【ちゅん】す 百里積雪を見る。
長戟【ちょうげき】飛ぶことを休む、哀笳【あいか】曙【あけぼの】幽咽【ゆうえつ】す。
田家 最も恐懼【きょうく】す,麥 倒れて桑枝【そうし】摺る。』

#3
沙苑 清渭に臨む,泉 香【かんば】しく草豐 潔【けつ】なり。
河を渡るには船を用いず,千騎 常に撇烈【へつれつ】たり。
胡塵【こじん】太行を逾【こ】え,雜種 京室【けいしつ】に抵【いた】らんとす。
花門既に留むるを須【ま】たば、原野転【うた】た蕭瑟【しょうひつ】たらん。』


現代語訳と訳註 #2
(本文)   #2 
 
中原有驅除,隱忍用此物。
公主歌黄鵠,君王指白日。
連雲屯左輔,百里見積雪。
長戟鳥休飛,哀笳曙幽咽。
田家最恐懼,麥倒桑枝摺。』


(下し文) #2
中原に駆除有り、隠忍して此の物を用う。』
公主黄鵠【こうかく】を歌い、君王白日【はくじつ】を指す。
雲に連なりて左輔に屯【ちゅん】す 百里積雪を見る。
長戟【ちょうげき】飛ぶことを休む、哀笳【あいか】曙【あけぼの】幽咽【ゆうえつ】す。
田家 最も恐懼【きょうく】す,麥 倒れて桑枝【そうし】摺る。』


(現代語訳) #2
いま中原の地方に安史軍、安慶緒・史思明らがはびこり、それをおいのける必要からやむを得ず、我慢してこんな異民族のウイグル騎馬民族をつかっているというわけだ。
さらに我が天子の姫宮を回紇に嫁がせたが、姫宮さまは故郷をなつかしみ「黄鵠の歌」をうたわれた。我が天子には彼と兄弟国の同盟のため太陽を指して誓いあわれた。
彼らの京畿東方の地に暗雲が連なり、たむろしている。その地方は百里の遠くにわたってまっ白く雪がつもれる如く白く見えておる。
ウイグル軍が立てならべている長い戟をみては鳥もおそれて飛ぶことをやめるし、哀れな胡笳の音があけぼのの空にむせぶが如く鳴り響いいている。

農家は彼らが騎馬民族で農耕が分からないので最も恐れ、怖がる。それは、麦がたおされ、桑の枝が折られたりするからである。』(農耕民族の軍隊は、田畑を荒らすことは避ける作戦をとるものであるが、騎馬民族は、戦を勝つことのみで作戦をとる。)


(訳注)#2  
中原有驅除,隱忍用此物。
いま中原の地方に安史軍、安慶緒・史思明らがはびこり、それをおいのける必要からやむを得ず、我慢してこんな異民族のウイグル騎馬民族をつかっているというわけだ。
中原 洛陽方面をさす。○駆除 駆り除くべきもの、安史軍、安慶緒・史思明らをさす。○隠忍 がまんして。○此物 回紇(ウイグル騎馬民族)のえぴすをさしていう。


公主歌黄鵠,君王指白日。
さらに我が天子の姫宮を回紇に嫁がせたが、姫宮さまは故郷をなつかしみ「黄鵠の歌」をうたわれた。我が天子には彼と兄弟国の同盟のため太陽を指して誓いあわれた。
公主歌黄鵠 公主は天子の姫宮をいう、「公羊伝」に「天子至尊、嫁女不自主娘、使同姓主之、故曰公主」(天子至尊、女として嫁してより娘を主とせざる、同姓之を主として使う、故に公主と曰う)とある。○歌黄鵠 ・黄鵠:おおとりの名。前漢の昆莫の故事がある、漢の武帝の元封中に、匈奴、大宛国を抑えるため、江東王建の娘の細君を公主にして、西域の鳥孫国を建国した昆莫に妻わせた、昆莫は時老人であり、またことぱも通じず、公主は悲しんで歌を作ったが、その中に「願わくは黄鵠と為りて故郷に帰らん」の句がある。事実は唐より回紇ヘ女を嫁にやったことをいう、756年乾元元年七月、粛宗はその幼女寧国公主を回紇可汗に妻わせた、可汗は公主を可敦(回紇の皇后)とし、三千騎を唐の二都奪還のための援軍とした。本ブログ、杜甫『黄河二首』に概要概説があるこれが成功し、安慶緒を鄴城に追い詰めることができたのだ。○君王指白日 天子が回紇と親睦のかたい誓約をなすことをいう、君とは天子粛宗をさす、王とは回紇可汗、「指白日」とは誓いの方法で、白日に誓うである。誰もが明白なものとしているもの指して誓う。これは古の風習で、太陽をさし、或は長江黄河の水をさすといった類、北斗七星の場合もある。


連雲屯左輔,百里見積雪。
彼らの京畿東方の地に暗雲が連なり、たむろしている。その地方は百里の遠くにわたってまっ白く雪がつもれる如く白く見えている。
雲多いことをいう。○ あつまる、たむろする。○左輔 沙苑の牧馬楊地方をさす、詳しくは『沙苑行』沙苑行 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 91沙苑 牧馬場の名。唐の時、同州鴻功県(陝西省同州府大茘県)の南十二里に置かれる。東西八十里、南北三十里、長官として沙苑監を置く。天宝十三載安禄山を以て監事を総べさせた。○左輔 漢の時、京兆尹(けいちょういん)・左馮翊(さふうよく)・右扶風(長安及びその附近の行政区域)を三輔と称した。同州は馮翊郡に属していたので左輔という、左は東方を意味する。○白沙 東方沙苑の白い抄をいう。○如白水 沙色の白いことが水の白いがごとくである。○見積雪 或は回紇の衣冠は回教徒であり、白色を用うる。衣服、頭、旗幟、に白色を用いるため、白雪であり、白砂である。「沙苑行」に「左輔の白沙は白水の如し」とある。暗い色が主体の唐王朝軍に、白色の軍隊はかなり目立ち、勇猛果敢に見え圧倒したことをいうものである。


長戟鳥休飛,哀笳曙幽咽。
ウイグル軍が立てならべている長い戟をみては鳥もおそれて飛ぶことをやめるし、哀れな胡笳の音があけぼのの空にむせぶが如く鳴り響いいている。
長戟 ながいほこ。○休飛 武器のいかめしさにおそれること。
 

田家最恐懼,麥倒桑枝摺。』
農家は彼らが騎馬民族で農耕が分からないので最も恐れ、怖がる。それは、麦がたおされ、桑の枝が折られたりするからである。』(農耕民族の軍隊は、田畑を荒らすことは避ける作戦をとるものであるが、騎馬民族は、戦を勝つことのみで作戦をとる。)
田家 農家。

留花門 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1004 杜甫特集700- 299

留花門 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1004 杜甫特集700- 299
(花門すなわち回紇種族<ウイグル騎馬民族>の兵を内地にどめておくこと)

花門すなわち回紇種族の兵を内地にとどめておくことにつき、そのとどめておくべからざることをのべた詩である。製作時は乾元元年秋とする。
 

留花門 #1
花門の回紇種族(ウイグル騎馬民族)の軍隊を国内にとどめる。
北門天驕子,飽肉氣勇決。
花門の回紇種族(ウイグル騎馬民族)の軍隊は天子の降せる“いたずら坊や”であって、平生飽きるほどの肉食提供をしていて、気象が勇決なものである。
高秋馬肥健,挾矢射漢月。」
彼らは天高い秋、馬の肥えて達者な時候になる、矢をたばさんで唐の月を射んとするのである。」
自古以爲患,詩人厭薄伐。
このウイグル異民族らは古来より中国の人々がこまりごととしたものであったのだ、すでに「詩経」の作者の詩人たちもこれを征伐にでかけることをきらったものであったことをのべている。
修德使其來,羈縻固不絕。
それでウイグルとの戰はできるだけしないで、こちらの徳を修め、感化してこちら側へ来させるようにしむけ、牛馬を繋ぐ様につないで離れさせぬように取り扱うことはもとより絶えずやってきてはいるのだ。
胡爲傾國至,出入暗金闕。』

ところで回紇はどうして自分の国を傾けるかもしれなのに、勢力をこぞってこちらへやって来て、その出入りするときには金闕を暗くなるほどにむらがっているのであろうか。』
#2  
中原有驅除,隱忍用此物。
公主歌黄鵠,君王指白日。
連雲屯左輔,百里見積雪。
長戟鳥休飛,哀笳曙幽咽。
田家最恐懼,麥倒桑枝摺。』
#3
沙苑臨清渭,泉香草豐潔。
渡河不用船,千騎常撇烈。
胡塵逾太行,雜種抵京室。
花門既須留,原野轉蕭瑟。』


(花門を留む)#1
花門は天の驕子【きょうし】、肉に飽きて気勇決【ゆうけつ】なり。
高秋 馬 肥健【ひけん】なり、矢を挾【さしはさ】みて漢月を射る。」
古より以て患【うれ】えと為す、詩人薄伐【はくばつ】を厭【いと】う。
徳を修【おさ】めて其をして来たらしむ、羈縻【きひ】固【もと】より絶えず。
胡為【なんす】れぞ国を傾けて至、出入金闘【きんけつ】に暗きや。
#2
中原に駆除有り、隠忍して此の物を用う。』
公主黄鵠【こうかく】を歌い、君王白日【はくじつ】を指す。
雲に連なりて左輔に屯【ちゅん】す 百里積雪を見る。
長戟【ちょうげき】飛ぶことを休む、哀笳【あいか】曙【あけぼの】幽咽【ゆうえつ】す。
田家 最も恐懼【きょうく】す,麥 倒れて桑枝【そうし】摺る。』
#3
沙苑 清渭に臨む,泉 香【かんば】しく草豐 潔【けつ】なり。
河を渡るには船を用いず,千騎 常に撇烈【へつれつ】たり。
胡塵【こじん】太行を逾【こ】え,雜種 京室【けいしつ】に抵【いた】らんとす。
花門既に留むるを須【ま】たば、原野転【うた】た蕭瑟【しょうひつ】たらん。』


現代語訳と訳註 #1
(本文)

北門天驕子,飽肉氣勇決。
高秋馬肥健,挾矢射漢月。
自古以爲患,詩人厭薄伐。
修德使其來,羈縻固不絕。
胡爲傾國至,出入暗金闕。』


(下し文) (花門を留む)#1
花門は天の驕子【きょうし】、肉に飽きて気勇決【ゆうけつ】なり。
高秋 馬 肥健【ひけん】なり、矢を挾【さしはさ】みて漢月を射る。」
古より以て患【うれ】えと為す、詩人薄伐【はくばつ】を厭【いと】う。
徳を修【おさ】めて其をして来たらしむ、羈縻【きひ】固【もと】より絶えず。
  くに かたむ いた  しゆつにゆうっ くら
胡為【なんす】れぞ国を傾けて至、出入金闘【きんけつ】に暗きや。


(現代語訳) #1
花門の回紇種族(ウイグル騎馬民族)の軍隊を国内にとどめる。
花門の回紇種族(ウイグル騎馬民族)の軍隊は天子の降せる“いたずら坊や”であって、平生飽きるほどの肉食提供をしていて、気象が勇決なものである。
彼らは天高い秋、馬の肥えて達者な時候になる、矢をたばさんで唐の月を射んとするのである。」
このウイグル異民族らは古来より中国の人々がこまりごととしたものであったのだ、すでに「詩経」の作者の詩人たちもこれを征伐にでかけることをきらったものであったことをのべている。
それでウイグルとの戰はできるだけしないで、こちらの徳を修め、感化してこちら側へ来させるようにしむけ、牛馬を繋ぐ様につないで離れさせぬように取り扱うことはもとより絶えずやってきてはいるのだ。
ところで回紇はどうして自分の国を傾けるかもしれなのに、勢力をこぞってこちらへやって来て、その出入りするときには金闕を暗くなるほどにむらがっているのであろうか。』


 (訳注)
留花門

花門の回紇種族(ウイグル騎馬民族)の軍隊を国内にとどめる。
 唐の方へひきとめておくことをいう。ウイグルの援助がなければ、唐王朝は消滅し、奪回等及びもつかなかった。○花門 堡の名であるが回紇種族(ウイグル騎馬民族)そのものをさす。元来、居延海(寧夏省の西北境にある湖水)の北にある要塞の名であるが、当時その地点は回紇の領土としていたところからこの名前を使った。『唐書』地理志「甘州寧寇軍の東北に、居延海あり、又北三百里にして、花門山堡あり、又東北千里にして、回紇の衙帳に至る。」

哀王孫  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫集700- 140-#1

喜聞官軍已臨賊寇 二十韻 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫集700- 223



北門天驕子,飽肉氣勇決。
花門の回紇種族(ウイグル騎馬民族)の軍隊は天子の降せる“いたずら坊や”であって、平生飽きるほどの肉食提供をしていて、気象が勇決なものである。
天驕子 漢書の匈奴伝に「胡は、天の驕子なり」とみえる、えびすは天の“いたずら坊や”であるといっている。○飽肉 肉食に十分あきる。757年9月援軍に参加したウイグル軍には食料として毎日,羊200匹,牛20頭,米40石 が支給さることが約束され実行された。「飽肉」という表現は、この事実に基づいている。.○ 気象。
 

高秋馬肥健,挾矢射漢月。
彼らは天高い秋、馬の肥えて達者な時候になる、矢をたばさんで唐の月を射んとするのである。」
射漢月 漢の月に向かって矢をいる、漢とは唐をいう。彼ら騎馬軍団は、弓矢についても的中率が高かった。


自古以爲患,詩人厭薄伐。
このウイグル異民族らは古来より中国の人々がこまりごととしたものであったのだ、すでに「詩経」の作者の詩人たちもこれを征伐にでかけることをきらったものであったことをのべている。
詩人「詩経」の詩の作者をさす。○厭薄伐「詩経」(六月)に周の宜王が北秋をうつことをのべて、「薄【いささ】か玁狁【けんいん】を伐ち、太原に至る」といっている、薄伐の二字はこれより借用する、玁狁は後世の匈奴である。


修德使其來,羈縻固不絕。
それでウイグルとの戰はできるだけしないで、こちらの徳を修め、感化してこちら側へ来させるようにしむけ、牛馬を繋ぐ様につないで離れさせぬように取り扱うことはもとより絶えずやってきてはいるのだ。
修徳 中国の天子たるものが自己の徳を修めること、『易経、蹇』「山上有る水蹇、君子以て反身修徳。」(山上水有る蹇、君子以て身に反みて徳を修む。)また[国語]に「先王の制、戎瞿荒服なる者、王ならざるあらば、則ち徳を修む」とみえる。○使其来 其とはえびすをさす、来は来たり従わしめることをいう。○羈縻 どちらも「つなぐ」こと、馬には羈といい、牛には縻という、四方の夷狄をこちらへつけておくことが、牛馬をつなぎとめておくがごとくであることをいう。


胡爲傾國至,出入暗金闕。』
ところで回紇はどうして自分の国を傾けるかもしれなのに、勢力をこぞってこちらへやって来て、その出入りするときには金闕を暗くなるほどにむらがっているのであろうか。』
胡為 胡は何と同じ、「なんすれぞ」、どういうわけで。○傾国至 自分の国の勢力のほとんどを中国の方へむけている。○出入 ウイグル兵の出入りすること。○ 無数なるゆえ「くらし」という。ウイグル兵は馬で移動するため、砂塵がけたたましく上がったこともある。○金闕 黄金をかざった天子の宮殿の脇の潜りの御門。


洗兵行 #4 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1001 杜甫特集700- 298

洗兵行 #4 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1001 杜甫特集700- 298
(洗兵行)


洗兵行(洗兵馬)
中興諸將收山東,捷書夜報清晝同。
河廣傳聞一葦過,胡危命在破竹中。
秖殘鄴城不日得,獨任朔方無限功。
京師皆騎汗血馬,回紇喂肉蒲萄宮。
已喜皇威清海岱,常思仙仗過崆峒。
三年笛裡關山月,萬國兵前草木風。』
成王功大心轉小,郭相謀深古來少。
司徒清鑒懸明鏡,尚書氣與秋天杳。
二三豪俊為時出,整頓乾坤濟時了。
東走無複憶鱸魚,南飛覺有安巢鳥。
青春複隨冠冕入,紫禁正耐煙花繞。
鶴禁通宵鳳輦備,雞鳴問寢龍樓曉。』
攀龍附鳳勢莫當,天下盡化為侯王。
汝等豈知蒙帝力?時來不得誇身強。
關中既留蕭丞相,幕下複用張子房。
張公一生江海客,身長九尺須眉蒼。
徵起適遇風雲會,扶顛始知籌策良。
青袍白馬更何有?後漢今周喜再昌。』
寸地尺天皆入貢,奇祥異瑞爭來送。
僅かの取るに足らない土地・空間までもみな朝廷へ入貢するし、めずらしく変わったもの、目出度いしるしのものが、あちからもこちからも争うように送ってくる。
不知何國致白環,複道諸山得銀甕。
昔のものか、どこの国かはわからないが白玉の環を献じたというし、また世人のいうところによるといろいろの山々で見つけられた銀の「みか」の茶道具を献じた。
隱士休歌紫芝曲,詞人解撰清河頌。
それで通るなら、隠遁者も四皓のように山の中で「紫芝曲」などうたうことはやめてしまえばいいし、文学者は飽照ならずとも平和を讃える「清河頌」をつくることなどこころえていることなのだ。
田家望望惜雨幹,布穀處處催春種。
農家では失望ばかり、雨がすくなく、乾燥して惜しんでばかりいる。カッコウ鳥は食べるものがないので処々で種まきをさいそくしている。(雨が降らないから空を眺めてため息をつき、なす術がないことをいう。)
淇上健兒歸莫懶,城南思婦愁多夢。
淇水の方へ征伐にでかけている兵卒はどうぞ早く鄴城の安慶緒の叛乱軍を平げてすばやく帰ってほしいものだ。というのも、都の城南の出征兵の寡婦は夜、夫の夢ばかりみて心配ごとがおおくなるばかりなのだ。
安得壯士挽天河,淨洗甲兵長不用!』
自分はできるなら、壮士をやとい、天の川の水をひっぱってきて、さっぱりとよろいや武器を洗い去って永久に用いない様にしたいものだと願うのである。
#1
中興の諸将山東を収む、捷書【しょうしょ】夜報じて清昼【せいちゅう】も同じ。
河の広きも伝聞す一葦【いちい】過ぐと、胡危くして命【めい】は在り破竹の中。
秖【ただ】鄴城【ぎょうじょう】を残すも日ならずして得ん、独り任【にん】ず朔方【さくほう】無限の功。
京師【けいし】皆 騎【の】る汗血【かんけつ】の馬、回紇【かいこつ】肉を喂【い】す葡萄宮【ぶどうきゅう】。
己に喜ぶ皇威【こうい】の海岱【かいたい】を清【きよ】うするを、常に思う仙仗【せんじょう】の崆峒【こうどう】に過【よ】りしを。
三年 笛裡【てきり】の関山月、万国 兵前【へいぜん】草木の風。』
#2
成王【せいおう】功大【こうだい】にして心 転【うたた】小なり、郭相【かくしょう】謀【はかりごと】深うして古来少【まれ】なり。
司徒の清鑒【せいかん】明鏡【めいきょう】を懸【か】く、尚書【しょうしょ】の気は秋天【しゅうてん】と杳【はるか】なり。
二三の豪傑【ごうけつ】時の為めに野で、乾坤【けんこん】を整頓して時を済【すく】い了【おわ】る。
東走【とうそう】復【ま】た鱸魚【ろぎょ】を憶【おも】う無く、南飛【なんぴ】巣に安【やす】んずるの鳥有るを党ゆ。
青春復た冠冕【かんべん】に随うて入る、紫禁正に煙花の繞【めぐ】るに耐えたり。
鶴駕【かくが】通宵【つうしょう】鳳輦【ほうれん】備わり、雞鳴【けいめい】寝を問う竜楼【りゅうろう】の暁【あかつき】。』

攣竜【はんりゅう】附鳳【ふほう】勢【いきおい】当る莫し、天下尽【ことごと】く化して侯王【こうおう】と為る。
汝等 豈に知らんや帝刀【ていとう】を蒙【こうむ】るを、時来るも身の強に誇【ほこ】ることを得ず。
関中 既に留む蕭【しょう】丞相【しょうじょう】、幕下【ばくか】復た用う張子房。
張公 一生 江海の客、身の長【たけ】九尺 須眉【しゅび】蒼たり。
徵【め】され起【た】って適【たまたま】遇う風雲の会、顛を扶けて貯めて知る籌策【ちゅうさく】の良きを。
青砲 白馬更に何か有らん、後漢 今周【こんしゅう】再び昌【さかん】なるを喜ぶ。』

寸地 尺天【せきてん】皆入貢【にゅうこう】す、奇祥【きしょう】異端【いずい】争うて来り送る。
知らず何の国か白環を致す、復た道【い】う諸山【しょさん】銀甕【ぎんおう】を得たりと。
陰士【いんし】歌うを休めよ紫芝【しし】の曲、詞人【しじん】撰することを解す清河の頌。
田家 望望 雨の乾【かわ】くを惜む、布穀【ふこく】処処 春種【しゅんしゅ】を催【うな】がす。
淇上【ぎじょう】の健児は帰るに懶【らん】なること莫れ、城南の思婦【しふ】は愁えて夢多し。
安【いずく】んぞ壮士【そうし】天河【てんが】を挽きて、浄く甲兵【こうへい】を洗うて長く用いざるを得ん。』

唐宋時代鄴城05



現代語訳と訳註
(本文) 
#4
寸地尺天皆入貢,奇祥異瑞爭來送。
不知何國致白環,複道諸山得銀甕。
隱士休歌紫芝曲,詞人解撰清河頌。
田家望望惜雨幹,布穀處處催春種。
淇上健兒歸莫懶,城南思婦愁多夢。
安得壯士挽天河,淨洗甲兵長不用!』

(下し文) #4
寸地 尺天【せきてん】皆入貢【にゅうこう】す、奇祥【きしょう】異端【いずい】争うて来り送る。
知らず何の国か白環を致す、復た道【い】う諸山【しょさん】銀甕【ぎんおう】を得たりと。
陰士【いんし】歌うを休めよ紫芝【しし】の曲、詞人【しじん】撰することを解す清河の頌。
田家 望望 雨の乾【かわ】くを惜む、布穀【ふこく】処処 春種【しゅんしゅ】を催【うな】がす。
淇上【ぎじょう】の健児は帰るに懶【らん】なること莫れ、城南の思婦【しふ】は愁えて夢多し。
安【いずく】んぞ壮士【そうし】天河【てんが】を挽きて、浄く甲兵【こうへい】を洗うて長く用いざるを得ん。』

(現代語訳)
僅かの取るに足らない土地・空間までもみな朝廷へ入貢するし、めずらしく変わったもの、目出度いしるしのものが、あちからもこちからも争うように送ってくる。
昔のものか、どこの国かはわからないが白玉の環を献じたというし、また世人のいうところによるといろいろの山々で見つけられた銀の「みか」の茶道具を献じた。
それで通るなら、隠遁者も四皓のように山の中で「紫芝曲」などうたうことはやめてしまえばいいし、文学者は飽照ならずとも平和を讃える「清河頌」をつくることなどこころえていることなのだ。
農家では失望ばかり、雨がすくなく、乾燥して惜しんでばかりいる。カッコウ鳥は食べるものがないので処々で種まきをさいそくしている。(雨が降らないから空を眺めてため息をつき、なす術がないことをいう。)
淇水の方へ征伐にでかけている兵卒はどうぞ早く鄴城の安慶緒の叛乱軍を平げてすばやく帰ってほしいものだ。というのも、都の城南の出征兵の寡婦は夜、夫の夢ばかりみて心配ごとがおおくなるばかりなのだ。
自分はできるなら、壮士をやとい、天の川の水をひっぱってきて、さっぱりとよろいや武器を洗い去って永久に用いない様にしたいものだと願うのである。


(訳注)#4
寸地尺天皆入貢,奇祥異瑞爭來送。

僅かの取るに足らない土地・空間までもみな朝廷へ入貢するし、めずらしく変わったもの、目出度いしるしのものが、あちからもこちからも争うように送ってくる。
寸地尺天 いかにわずかの土地、空間までも。この語は心小さいことを示す使い方をすることから、価値のないものでも、媚びるために貢ぐことをいう。この句より、その様子を詠う。寸地は少しの土地。『唐書、李光弼傳』「李光弼曰、両軍相敵、尺寸地必争。」(李光弼曰く、両軍相敵すれば、尺寸の地も必ず争う。)尺天はわずかな空・すきま、寸田尺宅:わずかの資産、寸善尺魔:わずかな良いことにも大きな邪魔の入る意味で、成就しがたいことをいう、寸兵尺鉄:少しの武器。○入貢 中央朝廷の方へやって来て貢をたてまつる。○奇祥異端 めずらしくかわっためでたいしるしのもの、次聯にいう白環や銀甕等をさす。○来送 中央へおくりこす。


不知何國致白環,複道諸山得銀甕。
昔のものか、どこの国かはわからないが白玉の環を献じたというし、また世人のいうところによるといろいろの山々で見つけられた銀の「みか」の茶道具を献じた。
致白環 「竹書紀年」に帝舜の九年に西王母が来朝し、白環宝珠を献じたとの記載がある。白自環は白玉の環、致とはこちらへよこすこと。美女を示す場合が多い。○ 世間で一般的に言う。○銀甕 茶道具で銀製の湯沸し。ぎんのもたい、みか。六朝から高貴な趣向として、「茶」が盛んになってきたので貢物として茶道具を送ったもの。


隱士休歌紫芝曲,詞人解撰清河頌。
それで通るなら、隠遁者も四皓のように山の中で「紫芝曲」などうたうことはやめてしまえばいいし、文学者は飽照ならずとも平和を讃える「清河頌」をつくることなどこころえていることなのだ。
隠士 隠遁者。よすてびと。○休歌 歌うのをやめよとはかくれず世にいでよということ。○紫芝曲 商山の四皓はもと秦の博士であったが世のみだれたのにより山にかくれて採芝の歌をつくった。その歌は四言十句あって、「曄曄紫芝,可以疗飢。皇虞邈远,余将安歸」(曄曄たる紫芝、以て飢を療す可し。唐虞往きぬ、吾は当に安にか帰すべき。)の語がある。中国秦末、国乱を避けて陝西省商山に入った、東園公・綺里季・夏黄公・甪里(ろくり)の四人の隠士。全員鬚(ひげ)や眉が真っ白の老人であった。東洋画の画題として描かれた。杜甫『題李尊師松樹障子歌』○詞人 文学者。○解撰 つくることを心得ている。撰は法則、述べ、つくる。○清河頌 平穏なことを待っていてなれば喜ばしいこと。南朝、宋の元嘉中に河水、清水ともに清んだ、時に飽照は「河清頒」をつくった。黄河の澄むのは太平の象とせられる。「河清難俟」“いつも濁っている黄河の水が澄むのを待っていても当てにならない” ということに基づいている。


田家望望惜雨幹,布穀處處催春種。
農家では失望ばかり、雨がすくなく、乾燥して惜しんでばかりいる。カッコウ鳥は食べるものがないので処々で種まきをさいそくしている。(雨が降らないから空を眺めてため息をつき、なす術がないことをいう。)
田家 農家。孟浩然『田家元日』『田園作』参照。○望望 がっかりするさま。失意のさま。〇雨乾 ひでりで雨のないこと。乾元二年春にはひでりがあった。その前は、長雨で、杜甫は『喜晴』(晴れを喜ぶ)を詠っている。○布穀 カッコウの別名。鳩の一種、戴勝のことという。○ はとがなくのは節をしらせてたねまきをさせるためである。○春種 はるたねまきすること。


淇上健兒歸莫懶,城南思婦愁多夢。
淇水の方へ征伐にでかけている兵卒はどうぞ早く鄴城の安慶緒の叛乱軍を平げてすばやく帰ってほしいものだ。というのも、都の城南の出征兵の寡婦は夜、夫の夢ばかりみて心配ごとがおおくなるばかりなのだ。
淇上健児 淇は水の名、衛州(衛輝府汲県)にある、相州(鄴城)の南隣の地、淇上とは淇水のほとり。健児は武卒のこと。淇上の健児とは鄴城を囲むためにでむいている郭子儀など九節度使の王朝軍の兵卒をさす。○帰莫懶 もたもたせずと早くかえれ。懶はゆっくりとして物憂し、ただし早く功をなしとげたうえはやくかえれとの意。○城南 長安城南。○思婦 征伐に出ている夫をおもうている妻。出征兵の寡婦。○愁多夢 夢は夫についてのゆめ。 


安得壯士挽天河,淨洗甲兵長不用
自分はできるなら、壮士をやとい、天の川の水をひっぱってきて、さっぱりとよろいや武器を洗い去って永久に用いない様にしたいものだと願うのである。
安得 希望のことば。○壮士 兵卒。○天河 あまのがわ、そのかわみずをいう、かわ水で兵を洗うことはないけれども、雨が兵をあらうということはある。「説苑」に周の武王が殿の紺王を伐ったときに大雨がふった。(散宜生がこれは妖ではないかといったところ、武王は、しからず、これ天、兵を洗うなりといったという。)天河というのは日照り続きで、農民も兵も雨を待っていることを作者杜甫が想像をもちいて云ったものである。○洗甲兵 よろい、武器をあらう、洗兵のことは上にみえる。「寸地尺天」以下#4の末段はいよいよ太平の来る可能性が出てきたために、杜甫が期待していることをいい、早く戦争の終結することをいっている。


解説
●この詩の時期までは、唐の王朝軍が優勢であった。杜甫は間もなく王朝軍が勝利宣言をするものと思っていたのだろう。安禄山が反乱を起こすことが分かっていて、都長安から逃避し、鳳翔で左拾遺の地位にあって、長安、洛陽の脱会の折も、羌村に避難した。戦況のターニングポイントでその場をすべて回避している。この詩の時も唐王朝軍が勝つものと思い込んでいる。誠実実直な杜甫であるが、戦況、状況を見極める戦略師的な部分化欠如していたと見なければなるまい。

● この勝つべきものと思っていた戦いに大敗を喫するわけであるから杜甫が受けたショックは計り知れないものがあり、したがってだれよりも強い恐怖が杜甫を襲ったに違いないと思うのである。

●この時安慶緒は単独軍で戦って鄴城に追い詰められたのである。史思明は唐王朝と、安慶緒、そして史思明自身の軍の三権鼎立を模索して、唐王朝と安慶緒と、等間隔で対処していたのである。ここで史思明が安慶緒を援護に回ったことで、形勢が逆転したのだ。

●此の詩は、杜甫が官を辞したことの心情がくみ取れるものである。詩自体の出来はともかく官を辞す決意をさせることになった意味を知る作品である。左拾遺での仕事もほとんどしていないし、華州での仕事もしていない。結局、詩人として生きていくことの道を選ぶのである。

洗兵行 #3 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ998 杜甫特集700- 297

洗兵行 #3 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ998 杜甫特集700- 297
(洗兵行)


洗兵行(洗兵馬)#1
中興諸將收山東,捷書夜報清晝同。
河廣傳聞一葦過,胡危命在破竹中。
秖殘鄴城不日得,獨任朔方無限功。
京師皆騎汗血馬,回紇喂肉蒲萄宮。
已喜皇威清海岱,常思仙仗過崆峒。
三年笛裡關山月,萬國兵前草木風。』

#2
成王功大心轉小,郭相謀深古來少。
司徒清鑒懸明鏡,尚書氣與秋天杳。
二三豪俊為時出,整頓乾坤濟時了。
東走無複憶鱸魚,南飛覺有安巢鳥。
青春複隨冠冕入,紫禁正耐煙花繞。
鶴禁通宵鳳輦備,雞鳴問寢龍樓曉。』

#3
攀龍附鳳勢莫當, 天下盡化為侯王。
この時にあたって竜鳳の勢に随って栄達したものの権勢はこれ以上ないほど凄いことであり、天下中が通津浦々までほとんど誰もかれもみんな侯とか王とかいう身分のものへと早がわりした。
汝等豈知蒙帝力?時來不得誇身強。
汝等はよもや気がつくまいがすべて天子の御恩徳のおかげをこうむっただけのことなのである、好運がきたからとてわが身が強く、賢いからだといったためこんにちの位置を得たなどと奢ってはならないのである。
關中既留蕭丞相, 幕下複用張子房。
関内では己に漢の蕭何の役割を果たした杜鴻漸をのこしおかれ、惟幄の謀臣としては同じく張良に此すべき張鎬をお用いになっている。
張公一生江海客, 身長九尺須眉蒼。
張公はその一生は江海の武人で豪傑である、身のたけといえば九尺もありほほひげや眉毛は蒼然としている。
徵起適遇風雲會, 扶顛始知籌策良。
この人が天子よりめされてたちあがったことによって風雲重なる乱世の時節にであい、国家がまさに顛覆されんとするのを助け起したので、初めていかにこの人のはかりごとがよかったかが知られることになったというものだ。
青袍白馬更何有?後漢今周喜再昌。』

もはや侯景の様な青袍白馬の大義のない叛乱の将等というのは物の数ではない。後漢光武の世、周の宣王の世が粛宗によって今日ふたたびさかんになるに至ったことはよろこばしいことである。』


攣竜【はんりゅう】附鳳【ふほう】勢【いきおい】当る莫し、天下尽【ことごと】く化して侯王【こうおう】と為る。
汝等 豈に知らんや帝刀【ていとう】を蒙【こうむ】るを、時来るも身の強に誇【ほこ】ることを得ず。
関中 既に留む蕭【しょう】丞相【しょうじょう】、幕下【ばくか】復た用う張子房。
張公 一生 江海の客、身の長【たけ】九尺 須眉【しゅび】蒼たり。
徵【め】され起【た】って適【たまたま】遇う風雲の会、顛を扶けて貯めて知る籌策【ちゅうさく】の良きを。
青砲 白馬更に何か有らん、後漢 今周【こんしゅう】再び昌【さかん】なるを喜ぶ。』

#4
寸地尺天皆入貢,奇祥異瑞爭來送。
不知何國致白環,複道諸山得銀甕。
隱士休歌紫芝曲,詞人解撰清河頌。
田家望望惜雨幹,布穀處處催春種。
淇上健兒歸莫懶,城南思婦愁多夢。
安得壯士挽天河,淨洗甲兵長不用!』

tsuki0882

現代語訳と訳註
(本文) #3

攀龍附鳳勢莫當,天下盡化為侯王。
汝等豈知蒙帝力?時來不得誇身強。
關中既留蕭丞相,幕下複用張子房。
張公一生江海客,身長九尺須眉蒼。
徵起適遇風雲會,扶顛始知籌策良。
青袍白馬更何有?後漢今周喜再昌。』


(下し文)#3
攣竜【はんりゅう】附鳳【ふほう】勢【いきおい】当る莫し、天下尽【ことごと】く化して侯王【こうおう】と為る。
汝等 豈に知らんや帝刀【ていとう】を蒙【こうむ】るを、時来るも身の強に誇【ほこ】ることを得ず。
関中 既に留む蕭【しょう】丞相【しょうじょう】、幕下【ばくか】復た用う張子房。
張公 一生 江海の客、身の長【たけ】九尺 須眉【しゅび】蒼たり。
徵【め】され起【た】って適【たまたま】遇う風雲の会、顛を扶けて貯めて知る籌策【ちゅうさく】の良きを。
青砲 白馬更に何か有らん、後漢 今周【こんしゅう】再び昌【さかん】なるを喜ぶ。』


(現代語訳) #3
この時にあたって竜鳳の勢に随って栄達したものの権勢はこれ以上ないほど凄いことであり、天下中が通津浦々までほとんど誰もかれもみんな侯とか王とかいう身分のものへと早がわりした。
汝等はよもや気がつくまいがすべて天子の御恩徳のおかげをこうむっただけのことなのである、好運がきたからとてわが身が強く、賢いからだといったためこんにちの位置を得たなどと奢ってはならないのである。
関内では己に漢の蕭何の役割を果たした杜鴻漸をのこしおかれ、惟幄の謀臣としては同じく張良に此すべき張鎬をお用いになっている。
張公はその一生は江海の武人で豪傑である、身のたけといえば九尺もありほほひげや眉毛は蒼然としている。
この人が天子よりめされてたちあがったことによって風雲重なる乱世の時節にであい、国家がまさに顛覆されんとするのを助け起したので、初めていかにこの人のはかりごとがよかったかが知られることになったというものだ。
もはや侯景の様な青袍白馬の大義のない叛乱の将等というのは物の数ではない。後漢光武の世、周の宣王の世が粛宗によって今日ふたたびさかんになるに至ったことはよろこばしいことである。』

安史期のアジアssH

(訳注)
攀龍附鳳勢莫當,天下盡化為侯王。

この時にあたって竜鳳の勢に随って栄達したものの権勢はこれ以上ないほど凄いことであり、天下中が通津浦々までほとんど誰もかれもみんな侯とか王とかいう身分のものへと早がわりした。
攀竜附鳳 「漢書」の伝賛に「竜に攀じ鳳に附し、並んで天衛に乗じ、雲起り竜驤り、化して侯王と為る。」とみえる、竜鳳は天子、皇帝をさす、そのうろこ、つばさにつかまりくっついて英雄豪傑が高い地位にのぼることをいう。○勢莫当 その英雄らの権勢さかんにして他のものはこれに対当することができぬ。○化為侯王 此の詩の中で出て來る人物を指す<広平王俶、郭子儀、李光弼、王思礼>。人物がみな功によって侯とか王とかの貴爵をもらう。


汝等豈知蒙帝力?時來不得誇身強。
汝等はよもや気がつくまいがすべて天子の御恩徳のおかげをこうむっただけのことなのである、好運がきたからとてわが身が強く、賢いからだといったためこんにちの位置を得たなどと奢ってはならないのである。
汝等 侯王をさす。○豈知 知らぬ、というのは知らぬまに被っていることをいう。○蒙帝力 天子のおかげをこうむっている。〇時来 時運の到来すること。○身強 強くして武功をたでたことをいう。本当に力があって勲功を立てたわけではなく、チャンスが来ただけのことであろう。


關中既留蕭丞相,幕下複用張子房。
関内では己に漢の蕭何の役割を果たした杜鴻漸をのこしおかれ、惟幄の謀臣としては同じく張良に此すべき張鎬をお用いになっている。
関中 函谷関から西、長安一帯までをいう、長安地方ということ。此の句及び次の句は、漢の事を以て唐の事をいう。○蕭丞相 漢の高祖の臣蕭何、唐の杜鴻漸をさす。粛宗即位の初めにおいて杜鴻漸は糧食器械等の事にカをつくした。粛宗は喜んで「霊武(粛宗即位の地)は吾の関中、卿は乃ち吾の蕭何ナリ。」といった。(或は蕭華または房琯をいうとの説がある。)○幕下 惟幄のもと、はかりごとをめぐらす場所をいう。○張子房 漢の三傑の一人張良。これは唐の張鎬をさす。757年至徳二載の五月に房琯が相を罷め、鎬がこれに代わった、758年両京を奪回したのはみな張鎬が相であった時のことである。


張公一生江海客,身長九尺須眉蒼。
張公はその一生は江海の武人で豪傑である、身のたけといえば九尺もありほほひげや眉毛は蒼然としている。
張公 張鎬のこと、張子房の張の字をうける。○江海客 心を江湖にほしいままにする人、蓋し志気闊大にして吏僚の習気なき人であることをいう。○ ほほびげ。


徵起適遇風雲會,扶顛始知籌策良。
この人が天子よりめされてたちあがったことによって風雲重なる乱世の時節にであい、国家がまさに顛覆されんとするのを助け起したので、初めていかにこの人のはかりごとがよかったかが知られることになったというものだ。
徵起 天子よりめされてたちあがる。張鎬は布衣より左拾遺に任ぜられ、玄宗が局に弄ったときこれに従い、玄宗の使者として鳳翔の粛宗の行宮にいたり、のち諌議大夫となりまた房琯に代わって宰相となった。杜甫は房琯事件のとき張鎬に救われたのである。○風雲会 雲が風にただよえるとき即ち乱世にであう、会は機会。○扶顛 家屋のくつがえらんとするのを手をそえてささえる、国家の顛覆をふせぐことをいう。○籌策良 はかりごとのよいこと。

 
青袍白馬更何有?後漢今周喜再昌。』
もはや侯景の様な青袍白馬の大義のない叛乱の将等というのは物の数ではない。後漢光武の世、周の宣王の世が粛宗によって今日ふたたびさかんになるに至ったことはよろこばしいことである。』 
青袍白馬 梁の侯景の故事。大同中に「青糸白馬寿陽より来たる」という童謡がはやった。景が渦陽の敗に錦を求めたところ、朝廷は給するのに青布を以てした。景はことごとく用いて袍となし、白馬に乗り青糸を轡となして童謡の語に応じょぅとした。青袍白馬は侯景が叛いたときのいでたちであり、今借りて安史軍の史思明・安慶緒等をさす。○更何有 意とするに足らないことをいう。○後漢今周  後漢は光武帝の中興をさし、今周は今日において周の宜王の再起したことをいう、竝に粛宗をたとえていう。○再昌 「攀竜」の句より「後漢」の句までは、功臣は恩寵をたのむべからず、宰相は其の人を得て、唐朝復興の兆のあることを喜ぶことをいう。

洗兵行 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ995 杜甫特集700- 296

洗兵行 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ995 杜甫特集700- 296
(洗兵行)


この詩の結句「淨洗甲兵長不用」(浄く甲兵【こうへい】を洗うて長く用いざるを得ん)とある「洗兵」の二句をとって題とする。
天の河の水で武器をあらい去り、永久に用いない様にしたいという意味をのべた詩である。九節度の官軍が相州の鄴城に敗れたのは乾元二年三月三日壬中であり、此の詩はしきりに官軍の捷報を得て未だ敗れなかったときに成ったものであるから、そのことにより同年二月中の作で、洛陽での作とする。原注に「収京後作」とある。


洗兵行(洗兵馬)#1
中興諸將收山東,捷書夜報清晝同。
河廣傳聞一葦過,胡危命在破竹中。
秖殘鄴城不日得,獨任朔方無限功。
京師皆騎汗血馬,回紇喂肉蒲萄宮。
已喜皇威清海岱,常思仙仗過崆峒。
三年笛裡關山月,萬國兵前草木風。』
#2
成王功大心轉小,郭相謀深古來少。
いま王朝の要路にいる人々を見るに、わが成王はうちたてられた功が大いなるものであるのに、その心は慎み深くちいさいとこまでの用意周到にせられ、宰相郭氏は謀のふかいことをむかしからめったにみせないほどである。
司徒清鑒懸明鏡,尚書氣與秋天杳。
司徒李光弼は人物をみぬく力のあり、性格はあかるくあたかも鏡をかけたようなのだ、兵部の王尚書の気象は秋の空とともにはるかに澄み渡っているのだ。
二三豪俊為時出,整頓乾坤濟時了。
これらの豪傑は時代を救わんがために出てきて天地の乱れたのを整えて時代を救い終わったのである。
東走無複憶鱸魚,南飛覺有安巢鳥。
だから張翰の様に秋風が吹いたといって東に走って鱸魚の刺身が恋しいなどいって、朝廷から逃げ出すものもなく、南の越の鳥は南枝にとんでおちついてその巣にとまっている様に人々は安堵しているのだ。 
青春複隨冠冕入,紫禁正耐煙花繞。
都を奪還されたことと共に文武百官がりっぱな冠をつけて歸入してきたことにつれて春景色もそれと一緒にめぐってきている、宮城のうちはちょうど煙霞や百花がぐるりととりかこむにふさわしくみえるようだ。
鶴禁通宵鳳輦備,雞鳴問寢龍樓曉。』
皇太子(成王)はよるになっても鶴駕にて天子の御安否をおたずねになり、それとともに天子もまた鳳輦をおそなえになって、御父子連れ立って、鳥の鳴く暁には御隠居の玄宗の御安否を寝門の外、南内にある興慶宮にお問いになるべく竜楼門にも比すべき御門からお出ましになる。』

#2
成王【せいおう】功大【こうだい】にして心 転【うたた】小なり、郭相【かくしょう】謀【はかりごと】深うして古来少【まれ】なり。
司徒の清鑒【せいかん】明鏡【めいきょう】を懸【か】く、尚書【しょうしょ】の気は秋天【しゅうてん】と杳【はるか】なり。
二三の豪傑【ごうけつ】時の為めに野で、乾坤【けんこん】を整頓して時を済【すく】い了【おわ】る。
東走【とうそう】復【ま】た鱸魚【ろぎょ】を憶【おも】う無く、南飛【なんぴ】巣に安【やす】んずるの鳥有るを党ゆ。
青春復た冠冕【かんべん】に随うて入る、紫禁正に煙花の繞【めぐ】るに耐えたり。
鶴駕【かくが】通宵【つうしょう】鳳輦【ほうれん】備わり、雞鳴【けいめい】寝を問う竜楼【りゅうろう】の暁【あかつき】。』
#3
攀龍附鳳勢莫當,天下盡化為侯王。
汝等豈知蒙帝力?時來不得誇身強。
關中既留蕭丞相,幕下複用張子房。
張公一生江海客,身長九尺須眉蒼。
徵起適遇風雲會,扶顛始知籌策良。
青袍白馬更何有?後漢今周喜再昌。』
#4
寸地尺天皆入貢,奇祥異瑞爭來送。
不知何國致白環,複道諸山得銀甕。
隱士休歌紫芝曲,詞人解撰清河頌。
田家望望惜雨幹,布穀處處催春種。
淇上健兒歸莫懶,城南思婦愁多夢。
安得壯士挽天河,淨洗甲兵長不用!』



現代語訳と訳註
(本文) #2
成王功大心轉小,郭相謀深古來少。
司徒清鑒懸明鏡,尚書氣與秋天杳。
二三豪俊為時出,整頓乾坤濟時了。
東走無複憶鱸魚,南飛覺有安巢鳥。
青春複隨冠冕入,紫禁正耐煙花繞。
鶴禁通宵鳳輦備,雞鳴問寢龍樓曉。』


(下し文)
#2
成王【せいおう】功大【こうだい】にして心 転【うたた】小なり、郭相【かくしょう】謀【はかりごと】深うして古来少【まれ】なり。
司徒の清鑒【せいかん】明鏡【めいきょう】を懸【か】く、尚書【しょうしょ】の気は秋天【しゅうてん】と杳【はるか】なり。
二三の豪傑【ごうけつ】時の為めに野で、乾坤【けんこん】を整頓して時を済【すく】い了【おわ】る。
東走【とうそう】復【ま】た鱸魚【ろぎょ】を憶【おも】う無く、南飛【なんぴ】巣に安【やす】んずるの鳥有るを党ゆ。
青春復た冠冕【かんべん】に随うて入る、紫禁正に煙花の繞【めぐ】るに耐えたり。
鶴駕【かくが】通宵【つうしょう】鳳輦【ほうれん】備わり、雞鳴【けいめい】寝を問う竜楼【りゅうろう】の暁【あかつき】。』


(現代語訳)
いま王朝の要路にいる人々を見るに、わが成王はうちたてられた功が大いなるものであるのに、その心は慎み深くちいさいとこまでの用意周到にせられ、宰相郭氏は謀のふかいことをむかしからめったにみせないほどである。
司徒李光弼は人物をみぬく力のあり、性格はあかるくあたかも鏡をかけたようなのだ、兵部の王尚書の気象は秋の空とともにはるかに澄み渡っているのだ。
これらの豪傑は時代を救わんがために出てきて天地の乱れたのを整えて時代を救い終わったのである。
だから張翰の様に秋風が吹いたといって東に走って鱸魚の刺身が恋しいなどいって、朝廷から逃げ出すものもなく、南の越の鳥は南枝にとんでおちついてその巣にとまっている様に人々は安堵しているのだ。 
都を奪還されたことと共に文武百官がりっぱな冠をつけて歸入してきたことにつれて春景色もそれと一緒にめぐってきている、宮城のうちはちょうど煙霞や百花がぐるりととりかこむにふさわしくみえるようだ。
皇太子(成王)はよるになっても鶴駕にて天子の御安否をおたずねになり、それとともに天子もまた鳳輦をおそなえになって、御父子連れ立って、鳥の鳴く暁には御隠居の玄宗の御安否を寝門の外、南内にある興慶宮にお問いになるべく竜楼門にも比すべき御門からお出ましになる。』


(訳注)
成王功大心轉小,郭相謀深古來少。

いま王朝の要路にいる人々を見るに、わが成王はうちたてられた功が大いなるものであるのに、その心は慎み深くちいさいとこまでの用意周到にせられ、宰相郭氏は謀のふかいことをむかしからめったにみせないほどである。
成王 粛宗の子、広平王俶、俶ははじめ楚王となり、758乾元元年二月成王に封ぜられ、四月皇太子となった、俶は南京を収復するのに大功があったのでここに言及するもの。○心転小 小心とは細慎な注意をすることで、小心者ではない、功を花にかけて慢心しないつつましいことをいう。○郭相 中書令(即ち宰相)郭子儀をいう、唐王朝軍の実質の総指揮官である。安史の乱の初めは、霊武にある郭子儀の朔方軍だけが王朝軍の中で唯一の軍であり、粛宗が霊武に行在所を置いた。それから、ウイグルの援軍を得て反撃したのである。長安洛陽の奪還も郭子儀なくしては奪還は不可能であったといわれている。


司徒清鑒懸明鏡,尚書氣與秋天杳。
司徒李光弼は人物をみぬく力のあり、性格はあかるくあたかも鏡をかけたようなのだ、兵部の王尚書の気象は秋の空とともにはるかに澄み渡っているのだ。
司徒 李光弼、時に検校司徒を加えられる。○清鑒 人物をみぬく力のあることをいう。○懸明鏡 かがみにたとえる。○尚書 王思礼をいう、時に兵部尚書に遷る、安慶緒を討つときに粛宗は河東の李光弼、沢潞の王思礼の二節度使をして、部下の兵をひきいてこれを助けさせた。○気与秋天香 気は人の気象をいう、その気象は、秋の澄みわたった気が天とともに高く遙かなのに似ている、思礼の意気の爽かなさまをいう。


二三豪俊為時出,整頓乾坤濟時了。
これらの豪傑は時代を救わんがために出てきて天地の乱れたのを整えて時代を救い終わったのである。
二三豪傑 上に列挙した人々をさす、万人に徳をするものを俊、千人に徳をするものを豪というという。〇 その時世。○整頓乾坤 天地のかたむきみだれているのを正しくととのえなおす。○済時 時代を難儀から救う。


東走無複憶鱸魚,南飛覺有安巢鳥。
だから張翰の様に秋風が吹いたといって東に走って鱸魚の刺身がこいしいなどいって、朝廷からにげだすものもなく、南の越の鳥は南枝にとんでおちついてその巣にとまっている様に人々は安堵しているのだ。 
東走無複憶鱸魚 晋の張翰が世の乱れたのを見、秋風の起るにあたって、故郷である呉の蒪羹、鱸魚を思うといって官を辞してかえったが、今は世が治まっているのでさようの人物が無いということ。東走とは呉は東南であるから東という。世の中が安定してくれば自分の役割は終了した、高級官僚に未練はなく故郷に帰って隠棲するということである。○南飛覺有安巢鳥 南の方から飛んできた鳥は南の枝を選ぶという故事。南の枝については、梅の南側の枝に蕾が付くもの、民衆は南の枝のツボミ、花ということという故事から来ている。古詩に「越鳥は南枝に巣くう」とある。越(今の浙江省)は南の国であるからその国の鳥はもし北方へゆけば木に巣をかまえるのにも南の枝をえらんですくうとの意。


青春複隨冠冕入,紫禁正耐煙花繞。
都を奪還されたことと共に文武百官がりっぱな冠をつけて歸入してきたことにつれて春景色もそれと一緒にめぐってきている、宮城のうちはちょうど煙霞や百花がぐるりととりかこむにふさわしくみえるようだ。
青春複隨冠冕入 青春ははるのこと。冠冕は高位の官のかぶりもの、これをかぶる人々をさす。人とは春もこれらの人々について都にはいったということ。冕は高官の冠に付け下げる珠。○紫禁 天子の居は天の紫微宮にかたどる、因って宮中を紫禁、禁中という。○煙花繞 春の煙霞や花がとりかこむ、春色のたけなわであることをいう。


鶴禁通宵鳳輦備,雞鳴問寢龍樓曉。
皇太子(成王)はよるになっても鶴駕にて天子の御安否をおたずねになり、それとともに天子もまた鳳輦をおそなえになって、御父子連れ立って、鳥の鳴く暁には御隠居の玄宗の御安否を寝門の外、南内にある興慶宮にお問いになるべく竜楼門にも比すべき御門からお出ましになる。』
鶴駕 太子の駕をいう、周の霊王の太子晋が白鶴に乗じて仙となって去ったのによって太子の駕を鶴駕という。ここでは太子俶の駕をさす。○通宵 夜通しのことであるが俶が、夜、粛宗の安否をとうことをいう。○鳳輩 天子ののる御手車、上に鳳鳥をのせる、粛宗の乗ずる所のものをいう。宮殿内の移動に使う。○ その用意をととのえることをいう。○雞鳴問寢 粛宗と供と、父子相い随って玄宗の安否を南内(興慶宮)に問うことをいう、「礼記」文王世子に文王が太子であったときその親の安否をたずねたことをのべて、「鶏初めて鳴き、寝門の外に至り、内竪の御者に問うて日く、今日 安否 如何と。」という。○問寝 寝門にいたって問うことをいう。竜楼暁は粛宗が子としての礼を玄宗につくすことは漢の成帝に似ていることをいう。成帝が太子であったとき元帝が急に太子を召したとき、太子は竜楼門より出て敢て馳道(天子の通るみち)をよこぎらなかったという。竜楼は門の名でその上に銅竜があるのによってかく名づけるという。粛宗の即位の制に「宗廟ヲ函雒に復し、上皇(玄宗)を巴萄より迎え、鑾輿を導きて、正に反し、寝門に朝して以て安きを問えば、朕の願は畢れり。」とある。「成王」の句より「雞鳴」の句までは粛宗の即位の制に報いられる将相の姿を故事を使ってといたもので、杜甫の官に対する未練を感じるものである。儒教的発想。

洗兵行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ992 杜甫特集700- 295

洗兵行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ992 杜甫特集700- 295
(洗兵の行【うた】) (4分割の1回目)



この詩の結句「淨洗甲兵長不用」(浄く甲兵【こうへい】を洗うて長く用いざるを得ん)とある「洗兵」の二句をとって題とする。
天の河の水で武器をあらい去り、永久に用いない様にしたいという意味をのべた詩である。九節度の官軍が相州の鄴城に敗れたのは乾元二年三月三日壬中であり、此の詩はしきりに官軍の捷報を得て未だ敗れなかったときに成ったものであるから、そのことにより同年二月中の作で、洛陽での作とする。原注に「収京後作」とある。



洗兵行(洗兵馬)
中興諸將收山東,捷書夜報清晝同。
わが唐の中興の諸将らは山東河北の土地を安慶緒らの手から奪回、回収して、その勝ちをしらせる旗印が夜中にくるし、昼もまた同じようにやってくる。
河廣傳聞一葦過,胡危命在破竹中。
きくところによると王朝軍は黄河の広い河水も一束の葦を浮べてわたるかの様に容易く過ぎてしまい、安慶緒の軍は危くなってその運命は破竹の勢に乗っていくものとしているほど迫っている。
秖殘鄴城不日得,獨任朔方無限功。
ただのこっているのは鄴城であるがそれも日数の立たないうちに吾が唐軍の手に得られるであろうし、すべて唐王朝軍のこの形勢をきめることは朔方節度たる郭子儀のはかられざる大功勲にすべてがかかっているのである。
京師皆騎汗血馬,回紇喂肉蒲萄宮。
長安のみやこでも回紇(ウイグル騎馬)の兵が援助にきて彼等はみな汗血の馬に騎り、葡萄宮の役割の御苑宮城ですべて養われつつあるのである。
已喜皇威清海岱,常思仙仗過崆峒。
一方にはもはやわが天子の御威光が渤海・岱山の遠方までを鎮定するに至ったことを喜ぶとともに、他方には我が君がかつて崆峒山のあたりまで御通過になったことはわすれられぬことである。
三年笛裡關山月,萬國兵前草木風。』
およそ三箇年というものは笛中に関山月の曲を吹いて戦になやんだが、いまやあらゆる地方が唐王朝軍の討伐の前面には草木の風になびく様に服従せんとするほどになってきた。』

成王功大心轉小,郭相謀深古來少。
司徒清鑒懸明鏡,尚書氣與秋天杳。
二三豪俊為時出,整頓乾坤濟時了。
東走無複憶鱸魚,南飛覺有安巢鳥。
青春複隨冠冕入,紫禁正耐煙花繞。
鶴禁通宵鳳輦備,雞鳴問寢龍樓曉。』
攀龍附鳳勢莫當,天下盡化為侯王。
汝等豈知蒙帝力?時來不得誇身強。
關中既留蕭丞相,幕下複用張子房。
張公一生江海客,身長九尺須眉蒼。
徵起適遇風雲會,扶顛始知籌策良。
青袍白馬更何有?後漢今周喜再昌。』
寸地尺天皆入貢,奇祥異瑞爭來送。
不知何國致白環,複道諸山得銀甕。
隱士休歌紫芝曲,詞人解撰清河頌。
田家望望惜雨幹,布穀處處催春種。
淇上健兒歸莫懶,城南思婦愁多夢。
安得壯士挽天河,淨洗甲兵長不用!』
#1
中興の諸将山東を収む、捷書【しょうしょ】夜報じて清昼【せいちゅう】も同じ。
河の広きも伝聞す一葦【いちい】過ぐと、胡危くして命【めい】は在り破竹の中。
秖【ただ】鄴城【ぎょうじょう】を残すも日ならずして得ん、独り任【にん】ず朔方【さくほう】無限の功。
京師【けいし】皆 騎【の】る汗血【かんけつ】の馬、回紇【かいこつ】肉を喂【い】す葡萄宮【ぶどうきゅう】。
己に喜ぶ皇威【こうい】の海岱【かいたい】を清【きよ】うするを、常に思う仙仗【せんじょう】の崆峒【こうどう】に過【よ】りしを。
三年 笛裡【てきり】の関山月、万国 兵前【へいぜん】草木の風。』
#2
成王【せいおう】功大【こうだい】にして心 転【うたた】小なり、郭相【かくしょう】謀【はかりごと】深うして古来少【まれ】なり。
司徒の清鑒【せいかん】明鏡【めいきょう】を懸【か】く、尚書【しょうしょ】の気は秋天【しゅうてん】と杳【はるか】なり。
二三の豪傑【ごうけつ】時の為めに野で、乾坤【けんこん】を整頓して時を済【すく】い了【おわ】る。
東走【とうそう】復【ま】た鱸魚【ろぎょ】を憶【おも】う無く、南飛【なんぴ】巣に安【やす】んずるの鳥有るを党ゆ。
青春復た冠冕【かんべん】に随うて入る、紫禁正に煙花の繞【めぐ】るに耐えたり。
鶴駕【かくが】通宵【つうしょう】鳳輦【ほうれん】備わり、雞鳴【けいめい】寝を問う竜楼【りゅうろう】の暁【あかつき】。』

攣竜【はんりゅう】附鳳【ふほう】勢【いきおい】当る莫し、天下尽【ことごと】く化して侯王【こうおう】と為る。
汝等 豈に知らんや帝刀【ていとう】を蒙【こうむ】るを、時来るも身の強に誇【ほこ】ることを得ず。
関中 既に留む蕭【しょう】丞相【しょうじょう】、幕下【ばくか】復た用う張子房。
張公 一生 江海の客、身の長【たけ】九尺 須眉【しゅび】蒼たり。
徵【め】され起【た】って適【たまたま】遇う風雲の会、顛を扶けて貯めて知る籌策【ちゅうさく】の良きを。
青砲 白馬更に何か有らん、後漢 今周【こんしゅう】再び昌【さかん】なるを喜ぶ。』

寸地 尺天【せきてん】皆入貢【にゅうこう】す、奇祥【きしょう】異端【いずい】争うて来り送る。
知らず何の国か白環を致す、復た道【い】う諸山【しょさん】銀甕【ぎんおう】を得たりと。
陰士【いんし】歌うを休めよ紫芝【しし】の曲、詞人【しじん】撰することを解す清河の頌。
田家 望望 雨の乾【かわ】くを惜む、布穀【ふこく】処処 春種【しゅんしゅ】を催【うな】がす。
淇上【ぎじょう】の健児は帰るに懶【らん】なること莫れ、城南の思婦【しふ】は愁えて夢多し。
安【いずく】んぞ壮士【そうし】天河【てんが】を挽きて、浄く甲兵【こうへい】を洗うて長く用いざるを得ん。』


現代語訳と訳註
(本文)
#1
中興諸將收山東,捷書夜報清晝同。
河廣傳聞一葦過,胡危命在破竹中。
秖殘鄴城不日得,獨任朔方無限功。
京師皆騎汗血馬,回紇喂肉蒲萄宮。
已喜皇威清海岱,常思仙仗過崆峒。
三年笛裡關山月,萬國兵前草木風。』


(下し文) #1
中興の諸将山東を収む、捷書【しょうしょ】夜報じて清昼【せいちゅう】も同じ。
河の広きも伝聞す一葦【いちい】過ぐと、胡危くして命【めい】は在り破竹の中。
秖【ただ】鄴城【ぎょうじょう】を残すも日ならずして得ん、独り任【にん】ず朔方【さくほう】無限の功。
京師【けいし】皆 騎【の】る汗血【かんけつ】の馬、回紇【かいこつ】肉を喂【い】す葡萄宮【ぶどうきゅう】。
己に喜ぶ皇威【こうい】の海岱【かいたい】を清【きよ】うするを、常に思う仙仗【せんじょう】の崆峒【こうどう】に過【よ】りしを。
三年 笛裡【てきり】の関山月、万国 兵前【へいぜん】草木の風。』


(現代語訳)
わが唐の中興の諸将らは山東河北の土地を安慶緒らの手から奪回、回収して、その勝ちをしらせる旗印が夜中にくるし、昼もまた同じようにやってくる。
きくところによると王朝軍は黄河の広い河水も一束の葦を浮べてわたるかの様に容易く過ぎてしまい、安慶緒の軍は危くなってその運命は破竹の勢に乗っていくものとしているほど迫っている。
ただのこっているのは鄴城であるがそれも日数の立たないうちに吾が唐軍の手に得られるであろうし、すべて唐王朝軍のこの形勢をきめることは朔方節度たる郭子儀のはかられざる大功勲にすべてがかかっているのである。
長安のみやこでも回紇(ウイグル騎馬)の兵が援助にきて彼等はみな汗血の馬に騎り、葡萄宮の役割の御苑宮城ですべて養われつつあるのである。
一方にはもはやわが天子の御威光が渤海・岱山の遠方までを鎮定するに至ったことを喜ぶとともに、他方には我が君がかつて崆峒山のあたりまで御通過になったことはわすれられぬことである。
およそ三箇年というものは笛中に関山月の曲を吹いて戦になやんだが、いまやあらゆる地方が唐王朝軍の討伐の前面には草木の風になびく様に服従せんとするほどになってきた。』


(訳注)
中興諸將收山東,捷書夜報清晝同。

わが唐の中興の諸将らは山東河北の土地を安慶緒らの手から奪回、回収して、その勝ちをしらせる旗印が夜中にくるし、昼もまた同じようにやってくる。
中興諸将 郭子儀等をいう。758年乾元元年十月郭子儀は杏園より黄河を渡り、東にむかい獲嘉に至り、安太清を破った。太清は衛州に敗走したが、郭子儀はこれを囲んで勝った。太清は史思明のもとに敗走した。また魯炅は陽武より渡り、李光環・雀光速は酸棗より渡り、李嗣業とともに皆衛州の郭子儀のもとに集結した。安慶緒は鄴城一帯の衆七万を以て鄴城に逃げ込むものを救ったが、郭子儀は次第に追い詰めていった。そして、安慶緒の弟安慶和を獲てこれを殺し、遂に衛州を手中にした。衛州は今の河南省衛輝府の汲県治である。この時から安慶緒は鄴城に籠城する。ネズミ一匹二千両、壁土のわらを馬糞と混ぜて馬に食わせたといわれる。これを救ったのが史思明である。(この詩の後のこと)○収山東 収とは回収したこと、山東とは大行山の東、河北の地をさす。○捷書 帛に文字をかき竿にかかげ、勝ち戦をしらすもの伝聞させる。〇清昼同 昼も夜と同じようにかちの報せがくる。


河廣傳聞一葦過,胡危命在破竹中。
きくところによると王朝軍は黄河の広い河水も一束の葦を浮べてわたるかの様に容易く過ぎてしまい、安慶緒の軍は危くなってその運命は破竹の勢に乗っていくものとしているほど迫っている。
河広 河は黄河。〇一葦 「詩経」衛風河広に「誰謂河広、一葦杭之。」(誰か河を広しと謂う、一葦をもて之を杭【わた】らん。)とみえる。一葦は、ひとたばのあしをいぅ。黄河の水が広くても一束の葦をうかべいかだのごとくにして渡れるということ、一葦過とは一葦杭のごとく容易にわたることをいう。○胡危 安史軍の形勢のあやういこと。○ 運命。○破竹中 晉書『杜預伝』に「今兵威己振。譬如破竹、数節之後、皆迎刃而解。」(今 兵威は己に振う。たとえば竹を破るが如し、数節の後も、皆刃を迎えて解く。」とある。竹を割る時は、一節割れば他の節はたやすくからからとわれてゆく、もろく割れようとする勢いのなかにあり、抑えがたい様子をいう。○砥残 ただあますことをいう。


秖殘鄴城不日得,獨任朔方無限功。
ただのこっているのは鄴城であるがそれも日数の立たないうちに吾が唐軍の手に得られるであろうし、すべて唐王朝軍のこの形勢をきめることは朔方節度たる郭子儀のはかられざる大功勲にすべてがかかっているのである。
鄴城 相州をいう。相州は武徳元年に置かれ、天宝元年には鄴郡と改め、乾元二年に鄴城となった、即ち河南省彰徳府安陽県治である。安史軍安慶緒が破れて鄴に敗走したのを以て郭子儀は許叔冀・董泰・王思礼等とこれを囲んだ。○不日 多くの日かずをまたず。○ 王朝軍の手に得ること。○朔方 朔方節度使郭子儀をいう、朔方軍は初めは霊州に鎮したが、のち邠州に鎮した。○無限功 大功勲。


京師皆騎汗血馬,回紇喂肉蒲萄宮。
長安のみやこでも回紇(ウイグル騎馬)の兵が援助にきて彼等はみな汗血の馬に騎り、葡萄宮の役割の御苑宮城ですべて養われつつあるのである。
京師 長安、京は大、師は衆。大にして人口が多いので、京師という。○皆騎 回紇の兵は騎馬民族なので、兵の全員が皆騎ることをいう。○汗血馬 血の汗をだす名馬。もてる力を十分出すことができる馬のこと。〇回紇 ウイグル騎馬民族の名、唐の官軍の援助に来たのである。○喂肉  唐王朝が彼等を養うことをいう、喂ははぐくみ養う。畏れる意味を含む。『中華大辞典』喂は俗に用いて哺飼の意味に使う。○葡萄宮 漢の上林苑にあった宮の名、唐の御苑内の宮をいうのに天子を指すことになるので、古い呼び名をかり用いる。事実は758年乾元元年八月、回紇が其の臣骨啜特勅及び帝徳をつかわし、驍騎三千をもって安慶緒を討つことを助けさせた。天子は、朔方左武鋒便僕国懐恩をして、これを領せしめたということがある。


已喜皇威清海岱,常思仙仗過崆峒。
一方にはもはやわが天子の御威光が渤海・岱山の遠方までを鎮定するに至ったことを喜ぶとともに、他方には我が君がかつて崆峒山のあたりまで御通過になったことはわすれられぬことである。
皇威 天子のご威光。○清海岱 海は渤海、岱は泰山、海岱にて山東省より河北省北部をかけていう、安史軍史思明の根拠地である。この時、一時的に史思明が唐王朝に随うように噂されていた。実際には史思明は三権鼎立を模索していたようだ。清とは風塵をきよめ、乱を鎮定すること。


三年笛裡關山月,萬國兵前草木風。』
およそ三箇年というものは笛中に関山月の曲を吹いて戦になやんだが、いまやあらゆる地方が唐王朝軍の討伐の前面には草木の風になびく様に服従せんとするほどになってきた。』
常思 いつもおもう、杜甫がいつもおもうこと。○仙仗過崆峒 粛宗の霊武に往来されたことをさす、仙仗は天子の道路行列にたでるもの、崆峒は山の名、甘粛省平涼府固原州の西百里(約8km)にある。〇三年 至徳元載より今乾元二年の初めまでをいう。○笛裏関山月 「関山月」は従軍の意をうたった笛の曲の名、笛曲中にこれを吹き奏すというは戦のつづいたことをさす。李白31 関山月李白『關山月』 「明月出天山、蒼茫雲海間。長風幾萬里、吹度玉門關。漢下白登道、胡窺青海灣。由來征戰地、不見有人還。戍客望邊色、思歸多苦顏。高樓當此夜、歎息未應閑。」とある〇万国 天下の諸地をさす。○兵前 王朝軍の討伐の前面。○草木風 草木が風になびきふすごとくに服従しょうとすることをいう。「三年」の句は「仙仗」の句を承け、「万国」の旬は「皇威」の句を承けていう、「中興諸将」より「万国兵前」まで河北の捷報をきき王朝軍の必勝の望みのあることをいう。この気持ちを持っていたから、その後、史思明が安慶著を助け、大逆転がおこったことで、杜甫が官を辞することになっていくのである。


黄河二首 杜甫

贈衛八処士 #3 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 294

贈衛八処士 #3 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 294
乾元2年 759年 48歳


贈衛八処士 
処士たる衛某におくった詩。処士とは仕えず隠遁しおる者をいう。衛某に関しては其の人、其の地、共に明かでない。乾元二年春作者が華州にあったとき其の家を訪うたのであろうと

贈衛八処士
人生不相見、動如参与商。
今夕復何夕、共此燈燭光。』
少壮能幾時、鬢髪各已蒼。
訪旧半為鬼、驚呼熱中腸。--①
焉知二十載、重上君子堂。
昔別君未婚、男女忽成行。
怡然敬父執、問我来何方。』
問答未及已、駆児羅酒漿。--②
夜雨剪春韮、新炊間黄粱。
それから夜の雨ふりのなか春の「にら」を切り取り、あなたらしくご飯を炊いて、米麦のほかに黄梁【あわ】をまぜてくれる。
主称会面難、一挙累十觴。
主人たる君は、「おたがいの面会はなかなか容易ではないぞ」という。それで自分は一いきに十盃ぐらいつづけさまにのむのである。
十觴亦不酔、感子故意長。
その十盃を飲んだけれども酔わないのだ。ただただ君の親切心、気遣いが前とかわらず続いていることをふかく感ずるのである。
明日隔山岳、世事両茫茫。』--③

この親切な君と語り合うのも今夜だけで、明日にもなって別れをしておたがいに山をへだてる様になればそれからさきは両方とも世事の前途あてどもないことになってしまうのである。(それを思うから酔いがまわらないのだ。)

(衛八処士に贈る)
#1
人生  相【あい】見ざる、動【やや】もすれば参【さん】と商【しょう】との如し
今夕【こんせき】 復【ま】た何の夕べぞ、此の灯燭【とうしょく】の光を共にす。』
少壮 能【よ】く幾時ぞ、鬢髪【びんぱつ】  各々已に蒼【そう】たり。
旧を訪【と】えば  半ば鬼と為る、驚き呼んで中腸【ちゅうちょう】熱(ねつ)す
#2
焉【いずく】んぞ知らん  二十載【さい】、重ねて君子【くんし】の堂に上らんとは。
昔 別れしとき 君【きみ】未だ婚せざりしに、児女【じじょ】  忽ち行【こう)を成す。
怡然【いぜん】として父の執【とも】を敬【うやま】い、我に問う  何れの方【かた】より来たるやと。
問答  未だ已【や】むに及ばざるに、児【じ】を駆【か】って酒漿【しゅしょう】を羅【つら】ぬ。
#3
夜雨【やう】 春韮【しゅんきゅう】を剪【き】り、新炊(しんすい】  黄粱【こうりょう】を間【まじ】う。
主【しゅ】は称す 会面【かいめん)難【かた】し、一挙 十觴【じつしょう】を累【かさ】ねよと。
十觴も亦た酔わず、子(し)が故意(こい】の長きに感ず。
明日【めいじつ】 山岳を隔【へだ】てば、世事【せいじ】   両【ふた】つながら茫茫【ぼうぼう)たらん。


現代語訳と訳註
(本文)

夜雨剪春韮、新炊間黄粱。
主称会面難、一挙累十觴。
十觴亦不酔、感子故意長。
明日隔山岳、世事両茫茫。』--③


(下し文) #3
夜雨【やう】 春韮【しゅんきゅう】を剪【き】り、新炊(しんすい】  黄粱【こうりょう】を間【かん】す。
主【しゅ】は称す 会面【かいめん)難【かた】し、一挙 十觴【じつしょう】を累【かさ】ねよと。
十觴も亦た酔わず、子(し)が故意(こい】の長きに感ず。
明日【めいじつ】 山岳を隔【へだ】てば、世事【せいじ】   両【ふた】つながら茫茫【ぼうぼう)たらん。


(現代語訳)
それから夜の雨ふりのなか春の「にら」を切り取り、あなたらしくご飯を炊いて、米麦のほかに黄梁【あわ】をまぜてくれる。
主人たる君は、「おたがいの面会はなかなか容易ではないぞ」という。それで自分は一いきに十盃ぐらいつづけさまにのむのである。
その十盃を飲んだけれども酔わないのだ。ただただ君の親切心、気遣いが前とかわらず続いていることをふかく感ずるのである。
この親切な君と語り合うのも今夜だけで、明日にもなって別れをしておたがいに山をへだてる様になればそれからさきは両方とも世事の前途あてどもないことになってしまうのである。(それを思うから酔いがまわらないのだ。)


(訳注)
夜雨剪春韭,新炊間黃粱。

夜雨【やう】 春韮【しゅんきゅう】を剪【き】り、新炊(しんすい】  黄粱【こうりょう】を間【まじ】う。
それから夜の雨ふりのなか春の「にら」を切り取り、あなたらしくご飯を炊いて、米麦のほかに黄梁【あわ】をまぜてくれる。
 きりとる。○春韮 春のにら。○新炊 あらたにかしぐ、あたらしくごほんをたく。○ まぜる。○黃梁 よいあわ。


主稱會面難,一舉累十觴。
主【しゅ】は称す 会面【かいめん)難【かた】し、一挙 十觴【じつしょう】を累【かさ】ねよと。
主人たる君は、「おたがいの面会はなかなか容易ではないぞ」という。それで自分は一いきに十盃ぐらいつづけさまにのむのである。
 主人衛某。○ 口でいう。〇一挙 一たび手をあげ、うごかしで。○ つづけさまにのむ。〇十鰻 さかずき十杯 


十觴亦不醉,感子故意長。
十觴も亦た酔わず、子(し)が故意(こい】の長きに感ず。
その十盃を飲んだけれども酔わないのだ。ただただ君の親切心、気遣いが前とかわらず続いていることをふかく感ずるのである。
 作者がよう。○ 衛をさす。○故意長 従前どおりの親切心がいままでつづいている。


明日隔山嶽,世事兩茫茫!
明日【めいじつ】 山岳を隔【へだ】てば、世事【せいじ】   両【ふた】つながら茫茫【ぼうぼう)たらん。
この親切な君と語り合うのも今夜だけで、明日にもなって別れをしておたがいに山をへだてる様になればそれからさきは両方とも世事の前途あてどもないことになってしまうのである。(それを思うから酔いがまわらないのだ。)
山岳 いずれの山か詳かでない、彼我両地の中間にあるもの。○世事 世上の人事。○ 君も我も両方ともにの意。○茫茫 世事の常なくはかり知ることができぬさまをいう。

贈衛八処士 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 293

贈衛八処士 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 293
乾元2年 759年 48歳


贈衛八処士 
処士たる衛某におくった詩。処士とは仕えず隠遁しおる者をいう。衛某に関しては其の人、其の地、共に明かでない。乾元二年春作者が華州にあったとき其の家を訪うたのであろうと

贈衛八処士
人生不相見、動如参与商。
今夕復何夕、共此燈燭光。』
少壮能幾時、鬢髪各已蒼。
訪旧半為鬼、驚呼熱中腸。--①
焉知二十載、重上君子堂。
もう二十年にもなるのか、自分にとってほおもいもよらぬことである、ふたたび君の家のおざしきへあがることになろうとは。
昔別君未婚、男女忽成行。
昔別れたときには君は未だ結婚していなかった。いまみれば男女のお子さんがにわかに行列をしているではないか。
怡然敬父執、問我来何方。』
そうしてお子さんが楽しげにおとうさんの友だちである自分を尊敬してくれ、自分に「どちらからおいでになったか」などたずねてくれる。』
問答未及已、駆児羅酒漿。--②

この問答がすむかすまぬうちに君は子どもらに指図して酒や飲みものを席前へならべさせる。
夜雨剪春韮、新炊間黄粱。
主称会面難、一挙累十觴。
十觴亦不酔、感子故意長。
明日隔山岳、世事両茫茫。』--③


(衛八処士に贈る)
#1
人生  相【あい】見ざる、動【やや】もすれば参【さん】と商【しょう】との如し
今夕【こんせき】 復【ま】た何の夕べぞ、此の灯燭【とうしょく】の光を共にす。』
少壮 能【よ】く幾時ぞ、鬢髪【びんぱつ】  各々已に蒼【そう】たり。
旧を訪【と】えば  半ば鬼と為る、驚き呼んで中腸【ちゅうちょう】熱(ねつ)す
#2
焉【いずく】んぞ知らん  二十載【さい】、重ねて君子【くんし】の堂に上らんとは。
昔 別れしとき 君【きみ】未だ婚せざりしに、児女【じじょ】  忽ち行【こう)を成す。
怡然【いぜん】として父の執【とも】を敬【うやま】い、我に問う  何れの方【かた】より来たるやと。
問答  未だ已【や】むに及ばざるに、児【じ】を駆【か】って酒漿【しゅしょう】を羅【つら】ぬ。

#3
夜雨【やう】 春韮【しゅんきゅう】を剪【き】り、新炊(しんすい】  黄粱【こうりょう】を間【まじ】う。
主【しゅ】は称す 会面【かいめん)難【かた】し、一挙 十觴【じつしょう】を累【かさ】ねよと。
十觴も亦た酔わず、子(し)が故意(こい】の長きに感ず。
明日【めいじつ】 山岳を隔【へだ】てば、世事【せいじ】   両【ふた】つながら茫茫【ぼうぼう)たらん。


現代語訳と訳註
(本文)

焉知二十載、重上君子堂。
昔別君未婚、男女忽成行。
怡然敬父執、問我来何方。』
問答未及已、駆児羅酒漿。--②


(下し文) #2
焉【いずく】んぞ知らん  二十載【さい】、重ねて君子【くんし】の堂に上らんとは。
昔 別れしとき 君【きみ】未だ婚せざりしに、児女【じじょ】  忽ち行【こう)を成す。
怡然【いぜん】として父の執【とも】を敬【うやま】い、我に問う  何れの方【かた】より来たるやと。
問答  未だ已【や】むに及ばざるに、児【じ】を駆【か】って酒漿【しゅしょう】を羅【つら】ぬ。


(現代語訳)
もう二十年にもなるのか、自分にとってほおもいもよらぬことである、ふたたび君の家のおざしきへあがることになろうとは。
昔別れたときには君は未だ結婚していなかった。いまみれば男女のお子さんがにわかに行列をしているではないか。
そうしてお子さんが楽しげにおとうさんの友だちである自分を尊敬してくれ、自分に「どちらからおいでになったか」などたずねてくれる。』
この問答がすむかすまぬうちに君は子どもらに指図して酒や飲みものを席前へならべさせる。


(訳注)
焉知二十載,重上君子堂?

いずく】んぞ知らん  二十載【さい】、重ねて君子【くんし】の堂に上らんとは
もう二十年にもなるのか、自分にとってほおもいもよらぬことである、ふたたび君の家のおざしきへあがることになろうとは。
○ 君子 衛をさす。


昔別君未婚,男女忽成行。
昔 別れしとき 君【きみ】未だ婚せざりしに、児女【じじょ】  忽ち行【こう)を成す。
昔別れたときには君は未だ結婚していなかった。いまみれば男女のお子さんがにわかに行列をしているではないか
 衛。○男女 衛のこどもら、男の字は或は児に作る。○行 行列、多くあること。


怡然敬父執,問我來何方。
怡然【いぜん】として父の執【とも】を敬【うやま】い、我に問う  何れの方【かた】より来たるやと。
そうしてお子さんが楽しげにおとうさんの友だちである自分を尊敬してくれ、自分に「どちらからおいでになったか」などたずねてくれる。』
怡然 よろこぶさま。○父執 「礼記」曲礼上にみえる、同志の友を執といぅ、けだし、「志ヲ執ル」ことの同じきことをいうのであろう。○何方 方は方位。


問答未及已,駆兒羅酒漿。
問答  未だ已【や】むに及ばざるに、児【じ】を駆【か】って酒漿【しゅしょう】を羅【つら】ぬ。
この問答がすむかすまぬうちに君は子どもらに指図して酒や飲みものを席前へならべさせる。
問答 こどもらとの問答。○駆児 児を駆るといえば、父の衛が指図してやらせること。○羅 羅列。○酒漿 漿 はのみもの。

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贈衛八処士 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 292

贈衛八処士 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 292
乾元2年 759年 48歳
         

その年の冬から翌年の二月ごろまで、杜甫は洛陽の東、肇県にある旧居に、どのような事情があったのか分からないが、帰っている。時に郭子儀ら九節度使の軍は二十万の兵を率いて、安慶緒を鄴城に包囲していたが、乾元二年(759)の二月、北の范陽に帰っていた史思明は南下して鄴城を救援し、三月に九節度使の軍は大敗した。郭子儀は敗軍をまとめ、洛陽を守るために河陽に陣を布いた。所用をすませて鞏県から洛陽を経て華州へ帰る途中、杜甫は鄴城で大敗した官軍が、潼関で、あるいは河陽で、洛陽防衛のための準備を急遽行なっているのに、出会った。彼は帰途の見聞を「新安の吏」「潼関の吏」「石蒙の吏」および「新婚の別れ」「垂老の別れ」「無家の別れ」の、いわゆる三吏三別の詩に詠んだ。何年か前、長安で仕途を求めていたころに作った「兵車行」と同じ系列に属する、いわゆるリベラル社会派の詩であるが、「兵車行」がひたすら人民の立場に立って当時の辺境政策を批判したものであったのに比べ、このたびは、国難に際して、安史軍の撃退を切に願う思いと、戦乱の中で苦しんでいる人民への同情とがからみあった、矛盾の表現となっている。
 759年乾元二年二月、洛陽から華州に帰る時、その道のどこかでこの衛氏の家に泊めてもらい、翌朝、別れて再び華州に向かったのである。


贈衛八処士 
処士たる衛某におくった詩。処士とは仕えず隠遁しおる者をいう。衛某に関しては其の人、其の地、共に明かでない。乾元二年春作者が華州にあったとき其の家を訪うたのであろうと

贈衛八処士
人生不相見、動如参与商。
人生においてはおたがい面会できないことがあって、ともすると短い人生においては、参星と商星のごとく、一度別れた人ともう一度会うということは難しいものだけれども、あなたとこの灯りの下で会えて本当に嬉しい。
今夕復何夕、共此燈燭光。』
しかるに今晩はどういうことか君といっしょにこの夕べを過ごす、参章の星と違って、このともしびのひかりにてらされることができる。』
少壮能幾時、鬢髪各已蒼。
人間のわかいときはどれほどのことでもないことであったものが、おたがい鬚や頭髪はすでにごましおになってしまった。
訪旧半為鬼、驚呼熱中腸。--①

旧友のだれかれはどうしたとたずねてみると半分はあの世の人になっている。これをきいては驚きさけび、腸のおくも熟してしまうほどつらいことだ。

焉知二十載、重上君子堂。
昔別君未婚、男女忽成行。
怡然敬父執、問我来何方。』
問答未及已、駆児羅酒漿。--②
夜雨剪春韮、新炊間黄粱。
主称会面難、一挙累十觴。
十觴亦不酔、感子故意長。
明日隔山岳、世事両茫茫。』--③

(衛八処士に贈る)#1
人生  相【あい】見ざる、動【やや】もすれば参【さん】と商【しょう】との如し。
今夕【こんせき】 復【ま】た何の夕べぞ、此の灯燭【とうしょく】の光を共にす。』
少壮 能【よ】く幾時ぞ、鬢髪【びんぱつ】  各々已に蒼【そう】たり。
旧を訪【と】えば  半ば鬼と為る、驚き呼んで中腸【ちゅうちょう】熱(ねつ)す。
#2
焉【いずく】んぞ知らん  二十載【さい】、重ねて君子【くんし】の堂に上らんとは。
昔 別れしとき 君【きみ】未だ婚せざりしに、児女【じじょ】  忽ち行【こう)を成す。
怡然【いぜん】として父の執【とも】を敬【うやま】い、我に問う  何れの方【かた】より来たるやと。
問答  未だ已【や】むに及ばざるに、児【じ】を駆【か】って酒漿【しゅしょう】を羅【つら】ぬ。
#3
夜雨【やう】 春韮【しゅんきゅう】を剪【き】り、新炊(しんすい】  黄粱【こうりょう】を間【まじ】う。
主【しゅ】は称す 会面【かいめん)難【かた】し、一挙 十觴【じつしょう】を累【かさ】ねよと。
十觴も亦た酔わず、子(し)が故意(こい】の長きに感ず。
明日【めいじつ】 山岳を隔【へだ】てば、世事【せいじ】   両【ふた】つながら茫茫【ぼうぼう)たらん。


現代語訳と訳註
(本文)
贈衛八処士 #1
人生不相見、動如参与商。
今夕復何夕、共此燈燭光。』
少壮能幾時、鬢髪各已蒼。
訪旧半為鬼、驚呼熱中腸。--①


(下し文) (衛八処士に贈る) #1
人生  相【あい】見ざる、動【やや】もすれば参【さん】と商【しょう】との如し・
今夕【こんせき】 復【ま】た何の夕べぞ、此の灯燭【とうしょく】の光を共にす。』
少壮 能【よ】く幾時ぞ、鬢髪【びんぱつ】  各々已に蒼【そう】たり。
旧を訪【と】えば  半ば鬼と為る、驚き呼んで中腸【ちゅうちょう】熱(ねつ)す。 


(現代語訳)
人生においてはおたがい面会できないことがあって、ともすると短い人生においては、参星と商星のごとく、一度別れた人ともう一度会うということは難しいものだけれども、あなたとこの灯りの下で会えて本当に嬉しい。
しかるに今晩はどういうことか君といっしょにこの夕べを過ごす、参章の星と違って、このともしびのひかりにてらされることができる。』
人間のわかいときはどれほどのことでもないことであったものが、おたがい鬚や頭髪はすでにごましおになってしまった。
旧友のだれかれはどうしたとたずねてみると半分はあの世の人になっている。これをきいては驚きさけび、腸のおくも熟してしまうほどつらいことだ。

(訳注)
贈衛八處士
衛八處士 衛は姓、八は排行(一族を尊卑によって祖父行、父行、兄弟行、子行とわけ、各行の中を長幼の順で並べた数。特に兄弟行についていう。)、處士とは読書人で出仕しない人。蒲州の隠遁者、衛太經の同族といわれる。


人生不相見,動如參與商。
人生  相【あい】見ざる、動【やや】もすれば参【さん】と商【しょう】との如し。
人生においてはおたがい面会できないことがあって、ともすると短い人生においては、参星と商星のごとく、一度別れた人ともう一度会うということは難しいものだけれども、あなたとこの灯りの下で会えて本当に嬉しい。
参商 参は西方の星。商とは、東方の星。心宿、辰宿。大火星。この二つの星は遠く離れ、しかも同時にあらわれないことから、遠く離れて会えない夫婦の離別、兄弟の仲たがい、めったにめぐりあわぬほしという。曹植、『興呉李重書』「面有逸景之速、別有参商之闊。」(面しては逸景之速かなる有り、別れては参商之闊【はる】かなる有り。)二十八宿(角宿 亢宿 宿 房宿 心宿 尾宿 箕宿 斗宿 牛宿 女宿 虚宿 危宿 室宿 壁宿 奎宿 婁宿 胃宿 昴宿 畢宿 觜宿 参宿 井宿 鬼宿 柳宿 星宿 張宿 翼宿 軫宿)


今夕是何夕,共此燈燭光?
今夕【こんせき】 復【ま】た何の夕べぞ、此の灯燭【とうしょく】の光を共にす。』
しかるに今晩はどういうことか君といっしょにこの夕べを過ごす、参章の星と違って、このともしびのひかりにてらされることができる。』


少壯能幾時?鬢發各已蒼
今夕【こんせき】 復【ま】た何の夕べぞ、此の灯燭【とうしょく】の光を共にす。』
人間のわかいときはどれほどのことでもないことであったものが、おたがい鬚や頭髪はすでにごましおになってしまった。
撃髪 ぴんのけ、かみのけ。○ ごましお。


訪舊半為鬼,驚呼熱中腸。
旧を訪【と】えば  半ば鬼と為る、驚き呼んで中腸【ちゅうちょう】熱(ねつ)す。
旧友のだれかれはどうしたとたずねてみると半分はあの世の人になっている。これをきいては驚きさけび、腸のおくも熟してしまうほどつらいことだ。
訪旧 旧は旧知の友。○ 死者。

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憶 弟 二首 其二(弟を憶う 二首其二) 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 291

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済州にあった弟を思って作る。作者は乾元元年の冬、華州より洛陽に赴いた。 
その年の冬から翌年の二月ごろまで、杜甫は洛陽の東、肇県にある旧居に、どのような事情があったのか分からないが、帰っている。時に郭子儀ら九節度使の軍は二十万の兵を率いて、安慶緒を鄭城に包囲していたが、乾元二年759年)の二月、北の范陽に帰っていた史思明は南下して鄴城を救援し、三月に九節度使の軍は大敗した。郭子儀は敗軍をまとめ、洛陽を守るために河陽に陣を布いた。所用をすませて京肇県から洛陽を経て華州へ帰る途中、杜甫は都城で大敗した官軍が、潼関で、あるいは河陽で、洛陽防衛のための準備を急遽行なっているのに、出会い失望したのだ。

杜甫は帰途の見聞を「新安の吏」「潼関の吏」「石蒙の吏」および「新婚の別れ」「垂老の別れ」「無家の別れ」の、いわゆる三吏三別の詩に詠んだ。何年か前、長安で仕途を求めていたころに作った「兵車行」と同じ系列に属する、いわゆるリベラル社会派の詩であるが、「兵車行」がひたすら人民の立場に立って当時の辺境政策を批判したものであったのに比べ、このたびは、国難に際して、安史軍の撃退を切に願う思いと、戦乱の中で苦しんでいる人民への同情とがからみあった、矛盾の表現となっている。三吏三別の内「垂老別」は少し後、秦州に行っての作である。


憶弟二首 其一
喪亂聞吾弟,饑寒傍濟州。人稀書不到,兵在見何由。
憶昨狂催走,無時病去憂。即今千種恨,惟共水東流。

憶弟 二首其二(弟を憶う 二首)
其二
且喜河南定,不問鄴城圍。
自分は故郷へたちかえってまずまずこの河南地方が平定されたのをよろこんで、鄴城の囲みのことなんぞは強いて質問する気にはなれない。
百戰今誰在?三年望汝歸。
叛乱軍により百戦が続いており、今、十数人いた家族のだれが生きのこっているのだろうか。わたしは三年のあいだおまえがもどってくるのを心待ちに望んでいる。
故園花自發,春日鳥還飛。
しかし、このふるさとには花もひとりでにひらき、春の日に鳥もまた飛んでいる。、
斷絕人煙久,東西消息稀。
己に久しく人家の炊煙はとだえ、東西ともにたよりがめったにない。


(弟を憶う 二首其の二)
且【まさ】に河南の定まれるを喜ばんとす、鄴城の囲みたるを問わず。
百戦 今誰か在らんや、三年 汝が帰るを望む。
故園 花 自ら発し、春日 鳥 還た飛ぶ。
断絶して 人煙【じんえん】 久し、東西して消息稀なり。

現代語訳と訳註
(本文) 其二

且喜河南定,不問鄴城圍。
百戰今誰在?三年望汝歸。
故園花自發,春日鳥還飛。
斷絕人煙久,東西消息稀。

(下し文)(弟を憶う 二首其の二)
且【まさ】に河南の定まれるを喜ばんとす、鄴城の囲みたるを問わず。
百戦 今誰か在らんや、三年 汝が帰るを望む。
故園 花 自ら発し、春日 鳥 還た飛ぶ。
断絶して 人煙【じんえん】 久し、東西して消息稀なり。

(現代語訳)
自分は故郷へたちかえってまずまずこの河南地方が平定されたのをよろこんで、鄴城の囲みのことなんぞは強いて質問する気にはなれない。
叛乱軍により百戦が続いており、今、十数人いた家族のだれが生きのこっているのだろうか。わたしは三年のあいだおまえがもどってくるのを心待ちに望んでいる。
しかし、このふるさとには花もひとりでにひらき、春の日に鳥もまた飛んでいる。、
己に久しく人家の炊煙はとだえ、東西ともにたよりがめったにない。

(訳注)
且喜河南定,不問鄴城圍。

且【まさ】に河南の定まれるを喜ばんとす、鄴城の囲みたるを問わず。
自分は故郷へたちかえってまずまずこの河南地方が平定されたのをよろこんで、鄴城の囲みのことなんぞは強いて質問する気にはなれない。
河南定 汴州で反旗を翻すが、すぐに鎮圧した。 ○鄴城圍 郭子儀ら九節度使の軍は二十万の兵を率いて、安慶緒を鄭城に包囲していたが、759年乾元二年の二月、北の范陽に帰っていた史思明は南下して鄴城を救援し、三月に九節度使の軍は大敗した。
杜甫『観兵』詩にみえる。觀兵 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 286

百戰今誰在?三年望汝歸。
百戦 今誰か在らんや、三年 汝が帰るを望む。
叛乱軍により百戦が続いており、今、十数人いた家族のだれが生きのこっているのだろうか。わたしは三年のあいだおまえがもどってくるのを心待ちに望んでいる。
三年 至徳二載以後をいう。


故園花自發,春日鳥還飛。
故園 花 自ら発し、春日 鳥 還た飛ぶ。
しかし、このふるさとには花もひとりでにひらき、春の日に鳥もまた飛んでいる。、
故園 ふるさと、洛陽をさす。『春望』と重なる。もう二年もたつ


斷絕人煙久,東西消息稀。
断絶して 人煙【じんえん】 久し、東西して消息稀なり。
己に久しく人家の炊煙はとだえ、東西ともにたよりがめったにない。
人煙 民家炊事のけむり。○東西 東は弟、西は自己。○消息 たより。この聯の杜甫の表現が希望を捨てた感じがただよっている。




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憶弟二首其二

且喜河南定,不問城圍。

百戰今誰在?三年望汝歸。

故園花自發,春日鳥還飛。

人煙久,東西消息稀。


且喜ぶ河南の定まれるを 問わず
城の囲み

百戦今誰か在る 三年汝が帰るを望む

故国花自ら発く 春日鳥還た飛ぶ

断絶人煙久し 東西消息稀なり


憶弟二首其一 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 290

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(弟を憶う 二首)
済州にあった弟を思って作る。作者は乾元元年の冬、華州より洛陽に赴いた。

 杜甫にしては珍しく平易な語句で作られている。書簡を送るのに途中の検閲にあっても問題なく通して貰えるためであろうと思う。

憶弟二首 其一(喪乱聞吾弟)759年1月。48歳



憶弟二首 其一
喪乱聞吾弟、飢寒傍済州。
人稀書不到、兵在見何由。
憶昨狂催走、無時病去憂。
即今千種恨、惟共水東流。

争乱のなかではあるが  弟の消息を聞くことができた。どうやら飢えと寒さをしのいで済州の片田舎にいるという。
行商にしても往来する人は稀で、書簡はとどいてこない。叛乱軍がいて物騒な状況が続き、どのような生活で過ごしているのか わからないし、ましてや会うことがどうしてできようか。
もう去年のことになるが きみをせき立てて我家の陸渾荘に走らせたが、それ以来、病気と身の上のことが心配事で仕方なく、片時も思わなかったことはない。
それにいま、さまざまな恨が千万で山ほどあるのであるが、時と共に「川水東へ流れてゆく」当たり前のこととなって流されるのである。


憶弟二首 其一
喪乱【そうらん】 吾【わ】が弟を聞く、飢寒【きかん】して済州【さいしゅう】に傍【そ】うと。
人稀にして書は 到らず、兵在りて何をか由【ゆえ】を見ん。
昨【さき】に憶う  狂おしく催走【さいそう】せしを、時無からん 病【やまい】の憂い去ることを。
即ち今や千種【ちぐさ】の恨みは、惟【た】だ「水は東流するもの」と共にす。



憶弟二首 其一 現代語訳と訳註
(本文)

喪乱聞吾弟、飢寒傍済州。
人稀書不到、兵在見何由。
憶昨狂催走、無時病去憂。
即今千種恨、惟共水東流。


(下し文) 憶弟二首 其一
喪乱【そうらん】 吾【わ】が弟を聞く、飢寒【きかん】して済州【さいしゅう】に傍【そ】うと。
人稀にして書は 到らず、兵在りて何をか由【ゆえ】を見ん。
昨【さき】に憶う  狂おしく催走【さいそう】せしを、時無からん 病【やまい】の憂い去ることを。
即ち今や千種【ちぐさ】の恨みは、惟【た】だ「水は東流するもの」と共にす。


(現代語訳)
争乱のなかではあるが  弟の消息を聞くことができた。どうやら飢えと寒さをしのいで済州の片田舎にいるという。
行商にしても往来する人は稀で、書簡はとどいてこない。叛乱軍がいて物騒な状況が続き、どのような生活で過ごしているのか わからないし、ましてや会うことがどうしてできようか。
もう去年のことになるが きみをせき立てて我家の陸渾荘に走らせたが、それ以来、病気と身の上のことが心配事で仕方なく、片時も思わなかったことはない。
それにいま、さまざまな恨が千万で山ほどあるのであるが、時と共に「川水東へ流れてゆく」当たり前のこととなって流されるのである。



(訳注) 弟を憶う 二首  其の一
喪乱聞吾弟、飢寒傍済州。

争乱のなかではあるが  弟の消息を聞くことができた。どうやら飢えと寒さをしのいで済州の片田舎にいるという。
済州 河南道済州済陽郡、山東省との境界あたり。


人稀書不到、兵在見何由。
行商にしても往来する人は稀でしかなく、書簡はとどいてこない。叛乱軍がいて物騒な状況が続き、どのような生活で過ごしているのか わからないし、ましてや会うことがどうしてできようか。
人稀 洛陽城は唐王朝軍によって奪還されたがこの時期になって、南放免、汴州、襄陽でも別な叛乱が起こり、東、東北方面は史思明が抑えており、北は、安慶緒が鄴城を拠点にしていた。唐王朝は洛陽、から西、北西の霊武から安西、南西の蜀方面を締めていて、叛乱軍が優勢な状況であった。夫れだけに、東部にいる弟との連絡は難しいものであった。


憶昨狂催走、無時病去憂。
もう去年のことになるが きみをせき立てて我家の陸渾荘に走らせたが、それ以来、病気名と身の上のことが心配事で仕方なく片時も思わなかったことはない。
催走 促して走る。無理やり行かせたという意味になる。


即今千種恨、惟共水東流。
それにいま、さまざまな恨が千万で山ほどあるのであるが、時と共に「川水東へ流れてゆく」当たり前のこととなって流されるのである。

水は高いところ方低いところへ下るもの、水は東に流れるものそれが当たり前のことなのだ。自然の力には従うもの、長いものには巻かれるもの。


<この詩の背景>
 弟の杜観を五か月まえに洛陽にやった。もう、十二月になるのに杜観から何の連絡もない。心配な杜甫は、休暇をとって洛陽に出かけた。
 詩は明けて759乾元二年の正月に陸渾荘に着いてから作ったもの。
 この頃は、安史軍が戦力を整えてきており、唐王朝軍は劣勢になっていた段階で、杜甫は十三歳の杜観ひとり洛陽にやったことを「狂おしくも」と表現し、後悔しているようだ。杜甫は死ぬときは一緒と思っていたようだ。
 左拾遺の時、疎外され、めまぐるしく変化していく情勢を教えてもらえなかったようだし、左遷され華州に来ても疎外は続いたようで、そのうえ、戦況も王朝軍が劣勢にあった。杜甫の目からすれば、戦力は圧倒的に王朝軍が多いのに大敗をすることが続き嫌気がしていたのだ。
 ここえ来て洛陽に危険が迫ってきた。華州に急いで帰ったのである。帰る途中で、王朝軍の欠点、欠陥が分かり、官を辞して脱出、逃亡を企てることになっていく。

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