杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

2012年06月

遣興五首其二 杜甫 <236>遣興22首の⑨番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1157 杜甫特集700- 350

遣興五首其二 杜甫 <236>遣興22首の⑨番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1157 杜甫特集700- 350
(興を遣る五首 其の二)


遣興五首其二(龐徳公の事を叙して、暗に自己の志す所もまた彼と同じであることをしめした。)
昔者龐德公,未曾入州府。
むかし後漢の龐德公は、鹿門山の中に薬芝を取るといって引き込んで一度も荊州や襄陽府にさえ入り込んだことがなかったのである。
襄陽耆舊間,處士節獨苦。
襄陽の名のある老人たちの間で話題にされた 「襄陽耆舊記」の問答集にでており、徳公は、独り処士を貫き、儒者としての苦しい節操を守った。
豈無濟時策?終竟畏網罟。
どうして、徳公に三国の時世を救う謀が無いわけはなかったが、結論を言うと、世へ出て罪禍の網をひっかけることに手を貸すことを憚ったのである。
林茂鳥有歸,水深魚知聚。
林が茂りゆたかになれば鳥というものはそこへ帰るというものだし、水が深くしずかであれば魚はそこへ集まるものだ、そこで安棲できることを知っているからである。徳公も鹿門山の山中がその場所だと悟っているからだ、
舉家隱鹿門,劉表焉得取。
だから一家を挙げて鹿門山にかくれてしまわれた。だから劉表だからといって徳公を取り収めることができようか。


(興を遣る五首 其の二)
昔者龐徳公【ほうとくこう】、未だ曾て州府に入らず。
嚢陽【じょうよう】耆旧【しきゅう】の間、処士【しょし】節独り苦しむ。
豈 時を済うの策なからんや、終に竟に網罟【もうこ】を茂る。
林茂れば鳥帰する有り、水深ければ魚衆まるを知る。
家を挙って鹿門に隠る、劉表焉んぞ取ることを得ん。



現代語訳と訳註
(本文)
遣興五首其二
昔者龐德公,未曾入州府。
襄陽耆舊間,處士節獨苦。
豈無濟時策?終竟畏網罟。
林茂鳥有歸,水深魚知聚。
舉家隱鹿門,劉表焉得取。

(下し文) (興を遣る五首 其の二)
昔者龐徳公【ほうとくこう】、未だ曾て州府に入らず。
嚢陽【じょうよう】耆旧【しきゅう】の間、処士【しょし】節独り苦しむ。
豈 時を済うの策なからんや、終に竟に網罟【もうこ】を茂る。
林茂れば鳥帰する有り、水深ければ魚衆まるを知る。
家を挙って鹿門に隠る、劉表焉んぞ取ることを得ん。


(現代語訳)
むかし後漢の龐德公は、鹿門山の中に薬芝を取るといって引き込んで一度も荊州や襄陽府にさえ入り込んだことがなかったのである。
襄陽の名のある老人たちの間で話題にされた 「襄陽耆舊記」の問答集にでており、徳公は、独り処士を貫き、儒者としての苦しい節操を守った。
どうして、徳公に三国の時世を救う謀が無いわけはなかったが、結論を言うと、世へ出て罪禍の網をひっかけることに手を貸すことを憚ったのである。
林が茂りゆたかになれば鳥というものはそこへ帰るというものだし、水が深くしずかであれば魚はそこへ集まるものだ、そこで安棲できることを知っているからである。徳公も鹿門山の山中がその場所だと悟っているからだ、

だから一家を挙げて鹿門山にかくれてしまわれた。だから劉表だからといって徳公を取り収めることができようか。
嚢陽一帯00

(訳注)
昔者龐德公,未曾入州府。
むかし後漢の龐德公は、鹿門山の中に薬芝を取るといって引き込んで一度も荊州や襄陽府にさえ入り込んだことがなかったのである。
龐徳公【ほうとくこう】生年不詳~没年不詳、襄陽の名士であり、人物鑑定の大家。「徳公」は字で、名は不詳。子に龐山民、孫に龐渙、従子に龐統がいる。東漢の末年、襄陽の名士である龐徳公は薬草を求めて妻を連れて山に入ってからもどらなかった。劉表からの士官への誘い、諸葛孔明からも誘われた、それを嫌って、奥地に隠遁したということと解釈している。隠遁を目指すものの憧れをいう。
 

襄陽耆舊間,處士節獨苦。
襄陽の名のある老人たちの間で話題にされた 「襄陽耆舊記」の問答集にでており、徳公は、独り処士を貫き、儒者としての苦しい節操を守った。
襄陽 湖北省襄陽府。○耆舊 「襄陽耆舊記」龐德公と劉表、諸葛孔明らと問答をまとめて書いた史書 故老。○処士 官に出で仕えぬ人。○節 節操。


豈無濟時策?終竟畏網罟。
どうして、徳公に三国の時世を救う謀が無いわけはなかったが、結論を言うと、世へ出て罪禍の網をひっかけることに手を貸すことを憚ったのである。
済時策 時世の艱難をすくうはかりごと。○網罟 ともにあみのこと、罪禍の拘束にたとえる。


林茂鳥有歸,水深魚知聚。
林が茂りゆたかになれば鳥というものはそこへ帰るというものだし、水が深くしずかであれば魚はそこへ集まるものだ、そこで安棲できることを知っているからである。徳公も鹿門山の山中がその場所だと悟っているからだ、
鳥、魚 生物が本性を遂げようとするさまをいう、龐德公も世俗のことにかかわりたくないというのである。


舉家隱鹿門,劉表焉得取。
だから一家を挙げて鹿門山にかくれてしまわれた。だから劉表だからといって徳公を取り収めることができようか。
挙家一家みんな。○鹿門 嚢陽にある山の名。○鹿門山 鹿門山は旧名を蘇嶺山という。建武年間(25~56年)、襄陽侯の習郁が山中に祠を建立し、神の出入り口を挟んで鹿の石像を二つ彫った。それを俗に「鹿門廟」と呼び、廟のあることから山の名が付けられた。○劉表 刑州刺史、その時代この地方の長官、事は上にみえる。 


昔者威徳公 未だ曾て州府に入らず
嚢陽膏旧の間 処士節独り苦しむ
豊に時を済うの策なからんや 終に寛に羅署を茂る
林茂れば鳥帰する有り 水深ければ魚衆まるを知る
家を挙って鹿門に隠る 劉表焉んぞ取ることを得ん




遣興
驥子好男兒,前年學語時:問知人客姓,誦得老夫詩。
世亂憐渠小,家貧仰母慈。鹿門攜不遂,雁足系難期。
天地軍麾滿,山河戰角悲。儻歸免相失,見日敢辭遲。
驥子はいい子だ、前年彼がやっと言葉を習い始めの時分のことである:客人の名前を質問して知ることができ、わたしの作った詩をそらで覚えて言ったたりしたのである。
この世のみだれたときであるのに彼がまだ幼少であるのは可哀相に思う、貧乏な家だからとりわけ母親の慈しみによっていることなのだ。
自分は龐徳公(ほうとくこう)の様に妻子をたずさえて鹿門山に隠遁でもしたいのだがそれはなしとげられない、蘇武が雁の足に手紙を繋いで託した様に手紙でも届けてくれる約束は難しいのだ。
天地には軍の旗が満ちあふれている、山河には戦の角声が悲しくひびいている。
もし万一、家に帰ることができて互に見失うことを免れることができ得るならば、面会の時はいくら遅くなってもかまわないというものだ。

杜甫 『遣興』 五言排律 757年46歳 長安。



孟浩然 『登鹿門山懐古』 


孟浩然は、故郷の鹿門山に自適の暮らしをし、季節の訪れも気づかず、あくせくと過ごす俗人の世界に対して、悠然と自然にとけ入った世界が歌われている。
「ぬくぬく春の眠りを貪っている」のは、宮仕えの生活を拒否した、つまり世俗の巷を低く見ている入物であり、詩人にとってあこがれの生活である。立身出世とは全く縁のない世界、悠然たる『高士』の世界である。


遣興五首其一 杜甫 <235>遣興22首の⑧番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1154 杜甫特集700- 349

遣興五首其一 杜甫 <235>遣興22首の⑧番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1154 杜甫特集700- 349
(興を遣る五首 其の一)

遣興五首(詩の背景、人生のこと、好機と運命、を述べたシリーズ。)
其一  
蟄龍三冬臥,老鶴萬裡心。
冬眠している竜は冬三か月じゅうじっとして寝ているが、老いた鶴ははるか万里のさきまで飛んで行こうとする心を抱いているものだ。
昔時賢俊人,未遇猶視今。
昔から賢く優れた人達がでてきた、彼らはまだ好機時運に出遭うまではやはり、ここで私が今日、現状を眺めているような気持ちでいたであろう。(冬の寒い時期に)はじっとしているもので、好機を覗って体力を温存する。)
嵇康不得死,孔明有知音。
儒者で賢俊な嵇康は鍾会の讒言で死罪となり、政党なしに肩を売ることはできなかったし、軍師の諸葛孔明は劉備の如きすべてを理解し、信頼してくれる者があって用いられたのである。
又如隴坻松,用舍在所尋。
また、これらのことから、人も喩えて見ればこの地方の有名な隴坻の急峻な坂に生えている松の樹のようなものである、この松木を家を建てるのに用うると棄てて置くとはその材を尋ねる人如何にあるということである。
大哉霜雪幹,歲久為枯林。

惜しいことにはあのように驚くべく大きな霜雪を凌ぐいで立っている松の幹であっても、いつまでも永久に棄ておかれたならば枯れ木の林になっているのである。


其一
蟄龍三冬臥,老鶴萬裡心。昔時賢俊人,未遇猶視今。
嵇康不得死,孔明有知音。又如隴坻松,用舍在所尋。
大哉霜雪幹,歲久為枯林。
(其の一)
蟄竜【ちつりょう】三冬に臥す、老鶴【ろうかく】は万里の心。
昔時 賢俊【けんしゅん】の人、未だ遇わざりしときは猶お今を視るがごとくなりしならん。
嵇康【けいこう】は死を得ず、孔明は知音【ちいん】有り。
又た隴坻【りょうてい】の松の如し、用舍は尋ぬる所に在り。
大なる哉 霜雪の幹、歳久しくして枯林となる。

其二
昔者龐德公,未曾入州府。襄陽耆舊間,處士節獨苦。
豈無濟時策?終竟畏網罟。林茂鳥有歸,水深魚知聚。
舉家隱鹿門,劉表焉得取。

昔者龐徳公【ほうとくこう】、未だ曾て州府に入らず。
嚢陽【じょうよう】耆旧【しきゅう】の間、処士【しょし】節独り苦しむ。
豈 時を済うの策なからんや、終に竟に網罟【もうこ】を茂る。
林茂れば鳥帰する有り、水深ければ魚衆まるを知る。
家を挙って鹿門に隠る、劉表焉んぞ取ることを得ん。

其三
陶潛避俗翁,未必能達道。觀其著詩集,頗亦恨枯槁。
達生豈是足?默識蓋不早。有子賢與愚,何其掛懷抱?

陶潜は避俗の翁なるも、未だ必ずしも道に達する能はず。
其の著す詩集を観るに、頗る亦だ枯稿を恨む。
達生 豈に是れ足らんや、黙識 蓋し早からず。
子の賢と愚と有るも、何ぞ其れ懐抱に桂けんや。


其四
賀公雅吳語,在位常清狂。上疏乞骸骨,黃冠歸故鄉。
爽氣不可致,斯人今則亡。山陰一茅宇,江海日淒涼。

賀公雅に呉語し、位に在りては常に清狂たり。
上疏して骸骨を乞ひ、黄冠故郷に帰る。
爽気致すべからず、斯の人今や則ち亡し。
山陰 一茅宇、江海日に凄涼たり。

其五
吾憐孟浩然,短褐即長夜。賦詩何必多,往往淩鮑謝。
清江空舊魚。春雨餘甘蔗。每望東南雲,令人幾悲吒。
 
吾は憐む孟浩然、短褐長夜に即くを。
詩を賦すること何ぞ必ずしも多からんや、往往にして鮑謝を凌ぐ。
清江旧魚空しく、春雨甘蔗余る。
東南の雲を望む毎に、人をして幾たびか悲吒せしむる


現代語訳と訳註
(本文) 其一

蟄龍三冬臥,老鶴萬裡心。
昔時賢俊人,未遇猶視今。
嵇康不得死,孔明有知音。
又如隴坻松,用舍在所尋。
大哉霜雪幹,歲久為枯林。


(下し文) (其の一)
蟄竜【ちつりょう】三冬に臥す、老鶴【ろうかく】は万里の心。
昔時 賢俊【けんしゅん】の人、未だ遇わざりしときは猶お今を視るがごとくなりしならん。
嵇康【けいこう】は死を得ず、孔明は知音【ちいん】有り。
又た隴坻【りょうてい】の松の如し、用舍は尋ぬる所に在り。
大なる哉 霜雪の幹、歳久しくして枯林となる。


(現代語訳)
冬眠している竜は冬三か月じゅうじっとして寝ているが、老いた鶴ははるか万里のさきまで飛んで行こうとする心を抱いているものだ。
昔から賢く優れた人達がでてきた、彼らはまだ好機時運に出遭うまではやはり、ここで私が今日、現状を眺めているような気持ちでいたであろう。(冬の寒い時期に)はじっとしているもので、好機を覗って体力を温存する。)
儒者で賢俊な嵇康は鍾会の讒言で死罪となり、政党なしに肩を売ることはできなかったし、諸葛孔明は劉備の如きすべてを理解し、信頼してくれる者があって用いられたのである。
また、これらのことから、人も喩えて見ればこの地方の有名な隴坻の急峻な坂に生えている松の樹のようなものである、この松木を家を建てるのに用うると棄てて置くとはその材を尋ねる人如何にあるということである。
惜しいことにはあのように驚くべく大きな霜雪を凌ぐいで立っている松の幹であっても、いつまでも永久に棄ておかれたならば枯れ木の林になっているのである。


(訳注)
蟄龍三冬臥,老鶴萬裡心。

冬眠している竜は冬三か月じゅうじっとして寝ているが、老いた鶴ははるか万里のさきまで飛んで行こうとする心を抱いているものだ。
蟄竜 穴ごもりの竜。〇三冬 冬三か月。〇万里心 万里の大空を飛ぼうと欲する心、二句は自己をたとえていう。


昔時賢俊人,未遇猶視今。
昔から賢く優れた人達がでてきた、彼らはまだ好機時運に出遭うまではやはり、ここで私が今日、現状を眺めているような気持ちでいたであろう。(冬の寒い時期に)はじっとしているもので、好機を覗って体力を温存する。)
賢俊 かしこくすぐれた人。○未遇 よい時運にであわなかったとき。○視今 自己が現今の時をみること、現今の時はやはり賢人は不遇の地位に居る。


嵇康不得死,孔明有知音。
儒者で賢俊な嵇康は鍾会の讒言で死罪となり、政党なしに肩を売ることはできなかったし、諸葛孔明は劉備の如きすべてを理解し、信頼してくれる者があって用いられたのである。
嵇康 嵆 康(けい こう、224年 - 262年あるいは263年)は、中国三国時代の魏の文人。竹林の七賢の一人で、その主導的な人物の一人。字は叔夜。非凡な才能と風采を持ち、日頃から妄りに人と交際しようとせず、山中を渉猟して仙薬を求めたり、鍛鉄をしたりするなどの行動を通して、老荘思想に没頭した。気心の知れた少数の人々と、清談と呼ばれる哲学論議を交わし名利を求めず、友人の山濤が自分の後任に、嵆康を吏部郎に推薦した時には、「与山巨源絶交書」(『文選』所収)を書いて彼との絶交を申し渡し、それまで通りの生活を送った。嵆康の親友であった呂安は、兄の呂巽が自分の妻と私通した事が原因で諍いを起こし、兄を告発しようとしたところ、身の危険を感じた呂巽によって先に親不孝の罪で訴えられた。この時嵆康は呂安を弁護しようとしたが、鍾会は以前から嵆康に怨恨があり、この機会に嵆康と呂安の言動を風俗を乱す行いだと司馬昭に讒言した。このため嵆康と呂安は死罪となった。
  阮籍 詠懐詩 、 白眼視    嵆康 幽憤詩   幽憤詩 嵆康 訳注篇
不得死 善死を得ぬこと。人生を全うできなかった。○孔明 諸葛 亮(しょかつ りょう)は、中国後漢末期から三国時代の蜀漢の政治家・軍人。字は孔明(こうめい)。蜀漢の建国者である劉備の創業を助け、その子の劉禅の丞相としてよく補佐した。伏龍、臥龍とも呼ばれる。劉備が諸葛亮をむかえるに三顧の礼で迎えたのも有名。若いころ、諸葛亮は荊州で弟と共に晴耕雨読の生活に入り、好んで「梁父吟」を歌っていたという。この時期には自らを管仲・楽毅に比していたが、当時の人間でこれを認める者はいなかった。秦中苦雨思歸贈袁左丞賀侍郎 孟浩然○知音 知己。自分の琴の演奏の良さを理解していくれる親友のこと。伯牙は琴を能くしたが、鍾子期はその琴の音によって、伯牙の心を見抜いたという。転じて自分を理解してくれる知人。 孟浩然孟浩然『留別王侍御維』「寂寂竟何待,朝朝空自歸。欲尋芳草去,惜與故人違。當路誰相假,知音世所稀。祗應守索寞,還掩故園扉。」


又如隴坻松,用舍在所尋。
また、これらのことから、人も喩えて見ればこの地方の有名な隴坻の急峻な坂に生えている松の樹のようなものである、この松木を家を建てるのに用うると棄てて置くとはその材を尋ねる人如何にあるということである。
隴坻松 秦州(甘粛省天水県)は、隴山の西に位置する国境の町である。隴山は約2000mの連峰で、それを越えるための路は険阻で曲折はなはだしくその坂道を隴坻という。坻はなきさ、 きざはし、 さか、 には、 とまる、 なぎさ、 にわ。隴坻は陳坂、甘粛地方の大坂である、坂を隴坻。杜甫がこの坂を超えて秦州に入るのに7日間要した。○用舎 用いるとすておくと。○在所尋 その材をたずねるところの人如何に存する。


大哉霜雪幹,歲久為枯林。
惜しいことにはあのように驚くべく大きな霜雪を凌ぐいで立っている松の幹であっても、いつまでも永久に棄ておかれたならば枯れ木の林になっているのである。
霜雪幹 霜雪を犯して立つ松のみき。


其一
蟄龍三冬臥,老鶴萬裡心。昔時賢俊人,未遇猶視今。
嵇康不得死,孔明有知音。又如隴坻松,用舍在所尋。
大哉霜雪幹,歲久為枯林。

(其の一)
蟄竜【ちつりょう】三冬に臥す、老鶴【ろうかく】は万里の心。
昔時 賢俊【けんしゅん】の人、未だ遇わざりしときは猶お今を視るがごとくなりしならん。
嵇康【けいこう】は死を得ず、孔明は知音【ちいん】有り。
又た隴坻【りょうてい】の松の如し、用舍は尋ぬる所に在り。
大なる哉 霜雪の幹、歳久しくして枯林となる。

有懷台州鄭十八司戶虔 杜甫 <234-#3> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1151 杜甫特集700- 348

有懷台州鄭十八司戶虔 杜甫 <234-#3> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1151 杜甫特集700- 348
(台州の鄭十八司戶虔を懷う有り)


秦州に来てある日、儒者である鄭虔を懐かしく思い出した。杜甫30代後半長安で就職活動をしているときこの鄭虔には人からならぬお世話になっている。当時、廣文館博士であった鄭虔とともに何将軍の山荘に遊んでの詩。杜甫、五言律詩篇『陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一 』から『十首』に心安らぐ様子をあらわしている。
 また鄭虔は房琯に連座して台州の書記官に左遷された様子を杜甫、七言律詩『送鄭十八虔貶台州司戶、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 』「鄭公樗散鬢成絲,酒後常稱老畫師。」(鄭公樗散贅糸を成す、酒後常に称す老画師と。)とあらわしていた。

有懷台州鄭十八司戶虔
台州司戶で親族の十八番目の鄭虔先生を懐かしむことがあった時の詩。
天臺隔三江,風浪無晨暮。
天台はこの国の三大河川を隔てた向こうにある。そこは、風が吹き大波が朝夕の隔てなくあるのである。
鄭公縱得歸,老病不識路。
鄭虔先生はたとえ今帰ることを許されたとしても、寄る年波に加えてもともと病弱でその病気があるため帰路に就くことは考えられないことだろう。
昔如水上鷗,今如罝中兔。
私が知っている廣文館博士のころは、鴎が水の上で遊ぶように生き洋々とされていた。しかし、今はきっと網の中に捕えられたウサギのような生活をされていることと思う。
性命由他人,悲辛但狂顧。
その人に持って生まれた運命と性格というものは他人によって影響を受けるものである。いまはつらく悲しいことがあってもただ振り返ってみるということだけなのだ。
#2
山鬼獨一腳,蝮蛇長如樹。
山中の怪物は単独であるいているものであり、マムシなどは木と木の枝に一体になっているものなのだ。
呼號傍孤城,歲月誰與度?
孤城のほとりで名を呼んで叫んでみる、そのように独りでこの歳月をだれと過ごしてゆくというのだろうか。
從來禦魑魅,多為才名誤。
これまで山林の異気(瘴気)から生ずるという怪物と一緒にいるといわれている。多くの才能あるもの、名分をつくるものがどれほど多く間違ったことをしてきたのか。
夫子嵇阮流,更被時俗惡。

それ、そのことは先生が建安の儒者、嵇康と阮籍のように清談をし汚れたものを避けた生き方をしてきた、ところが今世俗はさらに低俗なものになっているのである。
#3
海隅微小吏,眼暗發垂素。
先生は大海の傍の台州で州の役人を細々としていて、目は少し見えなくなり、髪は白髪になっている。
黃帽映青袍,非供折腰具。
それでは隠遁して、黄色の頭巾をかぶり、青袍の制服が映え、腰の佩び珠はそろっていなくていい。
平生一杯酒,見我故人遇。
通常、毎日一杯の酒を呑み、私が見るのは親しい友人が会いに来てくれる時だけだ。
相望無所成,乾坤莽回互。
お互いに臨んでいることは、先生がその場所、わたしがこの場所を終の棲家としないことだろう、だからここらで思い切って天と地、草深いところを互いに遊び回ってみようではないですか。


(台州の鄭十八司戶虔を懷う有り)
天臺 三江を隔てる,風浪 晨暮 無し。
鄭公 縱い歸るを得るとも,老病 路を識らず。
昔 水上の鷗の如し,今 罝中の兔の如し。
性命 他人に由,悲辛 但だ 狂顧す。


山鬼 獨り一腳し,蝮蛇 長じて樹の如し。
呼號して孤城の傍,歲月は誰と與り度る?
從來 魑魅に禦し。多為 才名 誤る。
夫子 阮流に嵇し,更に時に俗惡を被う。


海隅にして小吏を微し,眼暗にして垂素を發す。
黃帽 青袍に映え,腰具を折るを供にし非ず。
平生 一杯の酒,我の故人に遇うを見る。
相い望むも成す所無く,乾坤 莽として回互す。


現代語訳と訳註
(本文)
#3
海隅微小吏,眼暗發垂素。黃帽映青袍,非供折腰具。
平生一杯酒,見我故人遇。相望無所成,乾坤莽回互。


(下し文)
海隅にして小吏を微し,眼暗にして垂素を發す。
黃帽 青袍に映え,腰具を折るを供にし非ず。
平生 一杯の酒,我の故人に遇うを見る。
相い望むも成す所無く,乾坤 莽として回互す。


(現代語訳)
先生は大海の傍の台州で州の役人を細々としていて、目は少し見えなくなり、髪は白髪になっている。
それでは隠遁して、黄色の頭巾をかぶり、青袍の制服が映え、腰の佩び珠はそろっていなくていい。
通常、毎日一杯の酒を呑み、私が見るのは親しい友人が会いに来てくれる時だけだ。
お互いに臨んでいることは、先生がその場所、わたしがこの場所を終の棲家としないことだろう、だからここらで思い切って天と地、草深いところを互いに遊び回ってみようではないですか。


(訳注) #3
海隅微小吏,眼暗發垂素。

先生は大海の傍の台州で州の役人を細々としていて、目は少し見えなくなり、髪は白髪になっている。
發垂素 發は髪の毛。垂は老年の力のない髪が垂れてくること。素は白髪頭。


帽映青袍,非供折腰具。
それでは隠遁して、黄色の頭巾をかぶり、青袍の制服が映え、腰の佩び珠はそろっていなくていい。
黃帽映青袍 黃青袍も身分の低いものが身に着けるもの。ここでは、隠遁生活のことをいっている。


平生一杯酒,見我故人遇。
通常、毎日一杯の酒を呑み、私が見るのは親しい友人が会いに来てくれる時だけだ。
平生 隠遁生活での日常のことを言う。・故人 親しい友人。


相望無所成,乾坤莽回互。
お互いに臨んでいることは、先生がその場所、わたしがこの場所を終の棲家としないことだろう、だからここらで思い切って天と地、草深いところを互いに遊び回ってみようではないですか。
乾坤 1 易(えき)の卦(け)の乾と坤。2 天と地。天地。3 陰陽。4 いぬい(北西)の方角とひつじさる(南西)の方角。
 1 草。草むら。「草莽」 2 草深いさま。

有懷台州鄭十八司
(台州の鄭十八司虔を懷う有り)  
天臺隔三江,風浪無晨暮。
鄭公縱得歸,老病不識路。
昔如水上鷗,今如罝中兔。
性命由他人,悲辛但狂顧。
天臺 三江を隔てる,風浪 晨暮 無し。
鄭公 縱い歸るを得るとも,老病 路を識らず。
昔 水上の鷗の如し,今 罝中の兔の如し。
性命 他人に由,悲辛 但だ 狂顧す。
(台州司で親族の十八番目の鄭虔先生を懐かしむことがあった時の詩。)
天台はこの国の三大河川を隔てた向こうにある。そこは、風が吹き大波が朝夕の隔てなくあるのである。
鄭虔先生はたとえ今帰ることを許されたとしても、寄る年波に加えてもともと病弱でその病気があるため帰路に就くことは考えられないことだろう。
私が知っている廣文館博士のころは、鴎が水の上で遊ぶように生き洋々とされていた。しかし、今はきっと網の中に捕えられたウサギのような生活をされていることと思う。
その人に持って生まれた運命と性格というものは他人によって影響を受けるものである。いまはつらく悲しいことがあってもただ振り返ってみるということだけなのだ。
山鬼獨一,蝮蛇長如樹。
呼號傍孤城,
月誰與度?
從來禦魑魅,多為才名誤。
夫子嵇阮流,更被時俗惡。
山鬼 獨り一し,蝮蛇 長じて樹の如し。
呼號して孤城の傍,
月は誰と與り度る?
從來 魑魅に禦し。多為 才名 誤る。
夫子 阮流に嵇し,更に時に俗惡を被う。
山中の怪物は単独であるいているものであり、マムシなどは木と木の枝に一体になっているものなのだ。
孤城のほとりで名を呼んで叫んでみる、そのように独りでこの歳月をだれと過ごしてゆくというのだろうか。
これまで山林の異気(瘴気)から生ずるという怪物と一緒にいるといわれている。多くの才能あるもの、名分をつくるものがどれほど多く間違ったことをしてきたのか。
それ、そのことは先生が建安の儒者、嵇康と阮籍のように清談をし汚れたものを避けた生き方をしてきた、ところが今世俗はさらに低俗なものになっているのである。
海隅微小吏,眼暗發垂素。
黃帽映青袍,非供折腰具。
平生一杯酒,見我故人遇。
相望無所成,乾坤莽回互。
海隅にして小吏を微し,眼暗にして垂素を發す。
黃帽 青袍に映え,腰具を折るを供にし非ず。
平生 一杯酒,我を見て故人に遇う。
相望するは成す所無く,乾坤は互に回り莽す。
先生は大海の傍の台州で州の役人を細々としていて、目は少し見えなくなり、髪は白髪になっている。
それでは隠遁して、黄色の頭巾をかぶり、青袍の制服が映え、腰の佩び珠はそろっていなくていい。
通常、毎日一杯の酒を呑み、私が見るのは親しい友人が会いに来てくれる時だけだ。
お互いに臨んでいることは、先生がその場所、わたしがこの場所を終の棲家としないことだろう、だからここらで思い切って天と地、草深いところを互いに遊び回ってみようではないですか。


有懷台州鄭十八司戶虔 杜甫 <234-#2> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1148 杜甫特集700- 347

有懷台州鄭十八司戶虔 杜甫 <234-#2> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1148 杜甫特集700- 347



秦州に来てある日、儒者である鄭虔を懐かしく思い出した。杜甫30代後半長安で就職活動をしているときこの鄭虔には人からならぬお世話になっている。当時、廣文館博士であった鄭虔とともに何将軍の山荘に遊んでの詩。杜甫、五言律詩篇『 陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一 』から『十首』に心安らぐ様子をあらわしている

 また鄭虔は房琯に連座して台州の書記官に左遷された様子を杜甫、七言律詩送鄭十八虔貶台州司戶、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 』「鄭公樗散鬢成絲,酒後常稱老畫師。」(鄭公樗散贅糸を成す、酒後常に称す老画師と。)とあらわしていた。



有懷台州鄭十八司戶虔
台州司戶で親族の十八番目の鄭虔先生を懐かしむことがあった時の詩。
天臺隔三江,風浪無晨暮。
天台はこの国の三大河川を隔てた向こうにある。そこは、風が吹き大波が朝夕の隔てなくあるのである。
鄭公縱得歸,老病不識路。
鄭虔先生はたとえ今帰ることを許されたとしても、寄る年波に加えてもともと病弱でその病気があるため帰路に就くことは考えられないことだろう。
昔如水上鷗,今如罝中兔。
私が知っている廣文館博士のころは、鴎が水の上で遊ぶように生き洋々とされていた。しかし、今はきっと網の中に捕えられたウサギのような生活をされていることと思う。
性命由他人,悲辛但狂顧。

その人に持って生まれた運命と性格というものは他人によって影響を受けるものである。いまはつらく悲しいことがあってもただ振り返ってみるということだけなのだ。
#2
山鬼獨一腳,蝮蛇長如樹。
山中の怪物は単独であるいているものであり、マムシなどは木と木の枝に一体になっているものなのだ。
呼號傍孤城,歲月誰與度?
孤城のほとりで名を呼んで叫んでみる、そのように独りでこの歳月をだれと過ごしてゆくというのだろうか。
從來禦魑魅,多為才名誤。
これまで山林の異気(瘴気)から生ずるという怪物と一緒にいるといわれている。多くの才能あるもの、名分をつくるものがどれほど多く間違ったことをしてきたのか。
夫子嵇阮流,更被時俗惡。

それ、そのことは先生が建安の儒者、嵇康と阮籍のように清談をし汚れたものを避けた生き方をしてきた、ところが今世俗はさらに低俗なものになっているのである。
#3
海隅微小吏,眼暗發垂素。黃帽映青袍,非供折腰具。
平生一杯酒,見我故人遇。相望無所成,乾坤莽回互。



台州の鄭十八司戶虔を懷う有り
天臺 三江を隔てる,風浪 晨暮 無し。
鄭公 縱い歸るを得るとも,老病 路を識らず。
昔 水上の鷗の如し,今 罝中の兔の如し。
性命 他人に由,悲辛 但だ 狂顧す。

山鬼 獨り一腳し,蝮蛇 長じて樹の如し。
呼號して孤城の傍,歲月は誰と與り度る?
從來 魑魅に禦し。多為 才名 誤る。
夫れ子は 嵇阮の流にし,更に時に俗惡を被う。

海隅にして小吏を微し,眼暗にして垂素を發す。
黃帽 青袍に映え,腰具を折るを供にし非ず。
平生 一杯の酒,我の故人に遇うを見る。
相い望むも成す所無く,乾坤 莽として回互す。


現代語訳と訳註
(本文)
#2
山鬼獨一腳,蝮蛇長如樹。
呼號傍孤城,歲月誰與度?
從來禦魑魅,多為才名誤。
夫子嵇阮流,更被時俗惡。


(下し文)
山鬼 獨り一腳し,蝮蛇 長じて樹の如し。
呼號して孤城の傍,歲月は誰と與り度る?
從來 魑魅に禦し。多為 才名 誤る。
夫れ子は 嵇阮の流にし,更に時に俗惡を被う。


(現代語訳)
山中の怪物は単独であるいているものであり、マムシなどは木と木の枝に一体になっているものなのだ。
孤城のほとりで名を呼んで叫んでみる、そのように独りでこの歳月をだれと過ごしてゆくというのだろうか。
これまで山林の異気(瘴気)から生ずるという怪物と一緒にいるといわれている。多くの才能あるもの、名分をつくるものがどれほど多く間違ったことをしてきたのか。
それ、そのことは先生が建安の儒者、嵇康と阮籍のように清談をし汚れたものを避けた生き方をしてきた、ところが今世俗はさらに低俗なものになっているのである。


(訳注) #2
山鬼獨一腳,蝮蛇長如樹。
山中の怪物は単独であるいているものであり、マムシなどは木と木の枝に一体になっているものなのだ。
山鬼 山中の怪物。大型のヒヒの類をいう。・蝮蛇 マムシとサソリ、転じて凶悪なものの喩え。


呼號傍孤城,歲月誰與度?
孤城のほとりで名を呼んで叫んでみる、そのように独りでこの歳月をだれと過ごしてゆくというのだろうか。


從來禦魑魅,多為才名誤。
これまで山林の異気(瘴気)から生ずるという怪物と一緒にいるといわれている。多くの才能あるもの、名分をつくるものがどれほど多く間違ったことをしてきたのか。
魑魅 山林の異気(瘴気)から生ずるという怪物のことと言われている。顔は人間、体は獣の姿をしていて、人を迷わせる。


夫子嵇阮流,更被時俗惡。
それ、そのことは先生が建安の儒者、嵇康と阮籍のように清談をし汚れたものを避けた生き方をしてきた、ところが今世俗はさらに低俗なものになっているのである。
嵇阮 嵇康と阮籍
嵆 康(けい こう、224年 - 262年あるいは263年)は、中国三国時代の魏の文人。竹林の七賢の一人で、その主導的な人物の一人。字は叔夜。非凡な才能と風采を持ち、日頃から妄りに人と交際しようとせず、山中を渉猟して仙薬を求めたり、鍛鉄をしたりするなどの行動を通して、老荘思想に没頭した。気心の知れた少数の人々と、清談と呼ばれる哲学論議を交わし名利を求めず、友人の山濤が自分の後任に、嵆康を吏部郎に推薦した時には、「与山巨源絶交書」(『文選』所収)を書いて彼との絶交を申し渡し、それまで通りの生活を送った。ただし死の直前に、息子の嵆紹を山濤に託しているように、この絶交書は文字通りのものではなく、自らの生き方を表明するために書かれたものである。
阮 籍(げん せき、210年(建安15年) - 263年(景元4年))は、中国三国時代の人物。字(あざな)を嗣宗、陳留尉氏の人。竹林の七賢の指導者的人物である。父は建安七子の一人である阮瑀。甥の阮咸(げんかん)も竹林の七賢の一人である。子は阮渾、兄は阮煕をもつ。魏の末期に、偽善と詐術が横行する世間を嫌い、距離を置くため、大酒を飲み清談を行い、礼教を無視した行動をしたと言われている。俗物が来ると白眼で対し、気に入りの人物には青眼で対した。
俗惡 風俗がわるい。劣悪なこと。

有懷台州鄭十八司戶虔 杜甫 <234-#1> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1145 杜甫特集700- 346

有懷台州鄭十八司戶虔 杜甫 <234-#1> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1145 杜甫特集700- 346



秦州に来てある日、儒者である鄭虔を懐かしく思い出した。杜甫30代後半長安で就職活動をしているときこの鄭虔には人からならぬお世話になっている。当時、廣文館博士であった鄭虔とともに何将軍の山荘に遊んでの詩。杜甫、五言律詩篇『 陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一 』から『十首』に心安らぐ様子をあらわしている

 また鄭虔は房琯に連座して台州の書記官に左遷された様子を杜甫、七言律詩送鄭十八虔貶台州司戶、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 』「鄭公樗散鬢成絲,酒後常稱老畫師。」(鄭公樗散贅糸を成す、酒後常に称す老画師と。)とあらわしていた。


有懷台州鄭十八司戶虔
台州司戶で親族の十八番目の鄭虔先生を懐かしむことがあった時の詩。
天臺隔三江,風浪無晨暮。
天台はこの国の三大河川を隔てた向こうにある。そこは、風が吹き大波が朝夕の隔てなくあるのである。
鄭公縱得歸,老病不識路。
鄭虔先生はたとえ今帰ることを許されたとしても、寄る年波に加えてもともと病弱でその病気があるため帰路に就くことは考えられないことだろう。
昔如水上鷗,今如罝中兔。
私が知っている廣文館博士のころは、鴎が水の上で遊ぶように生き洋々とされていた。しかし、今はきっと網の中に捕えられたウサギのような生活をされていることと思う。
性命由他人,悲辛但狂顧。
その人に持って生まれた運命と性格というものは他人によって影響を受けるものである。いまはつらく悲しいことがあってもただ振り返ってみるということだけなのだ。
#2
山鬼獨一腳,蝮蛇長如樹。呼號傍孤城,歲月誰與度?
從來禦魑魅,多為才名誤。夫子嵇阮流,更被時俗惡。
#3
海隅微小吏,眼暗發垂素。黃帽映青袍,非供折腰具。
平生一杯酒,見我故人遇。相望無所成,乾坤莽回互。


台州の鄭十八司戶虔を懷う有り
天臺 三江を隔てる,風浪 晨暮 無し。
鄭公 縱い歸るを得るとも,老病 路を識らず。
昔 水上の鷗の如し,今 罝中の兔の如し。
性命 他人に由,悲辛 但だ 狂顧す。

山鬼 獨り一腳し,蝮蛇 長じて樹の如し。
呼號して孤城の傍,歲月は誰と與り度る?
從來 魑魅に禦し。多為 才名 誤る。
夫れ子は 嵇阮の流にし,更に時に俗惡を被う。

海隅にして小吏を微し,眼暗にして垂素を發す。
黃帽 青袍に映え,腰具を折るを供にし非ず。
平生 一杯の酒,我の故人に遇うを見る。
相い望むも成す所無く,乾坤 莽として回互す。


現代語訳と訳註
(本文)

有懷台州鄭十八司戶虔
天臺隔三江,風浪無晨暮。
鄭公縱得歸,老病不識路。
昔如水上鷗,今如罝中兔。
性命由他人,悲辛但狂顧。


(下し文)
台州の鄭十八司戶虔を懷う有り
天臺 三江を隔てる,風浪 晨暮 無し。
鄭公 縱い歸るを得るとも,老病 路を識らず。
昔 水上の鷗の如し,今 罝中の兔の如し。
性命 他人に由,悲辛 但だ 狂顧す。


(現代語訳)
台州司戶で親族の十八番目の鄭虔先生を懐かしむことがあった時の詩。
天台はこの国の三大河川を隔てた向こうにある。そこは、風が吹き大波が朝夕の隔てなくあるのである。
鄭虔先生はたとえ今帰ることを許されたとしても、寄る年波に加えてもともと病弱でその病気があるため帰路に就くことは考えられないことだろう。
私が知っている廣文館博士のころは、鴎が水の上で遊ぶように生き洋々とされていた。しかし、今はきっと網の中に捕えられたウサギのような生活をされていることと思う。
その人に持って生まれた運命と性格というものは他人によって影響を受けるものである。いまはつらく悲しいことがあってもただ振り返ってみるということだけなのだ。


(訳注)
有懷台州鄭十八司戶虔

台州司戶で親族の十八番目の鄭虔先生を懐かしむことがあった時の詩。
台州 浙江省の東部、東シナ海に面する。寧波市、紹興市、金華市、麗水市、温州市に接する。西漢の始元二年(前85年)回浦県が置かれる。唐の武徳四年(621年)に海州となり、翌年に台州と改称される。
758年鄭虔が台州の司戸参軍に貶められてゆくのを送る詩である。鄭虔が老境になって安史軍に陥るに至った次第をきのどくに思い、自分はじかに面会して別れを告げることをしないのだ、自分の心持はこの詩のなかにあらわしているということとしてこの詩を作る。
送鄭十八虔貶台州司戶、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩
鄭公樗散鬢成絲,酒後常稱老畫師。
萬裡傷心嚴譴日,百年垂死中興時。
蒼惶已就長途往,邂逅無端出餞遲。
便與先生成永訣,九重泉路盡交期!


天臺隔三江,風浪無晨暮。
天台はこの国の三大河川を隔てた向こうにある。そこは、風が吹き大波が朝夕の隔てなくあるのである。
天臺 三大河川を超えて更に銭塘江を渡り天台に入り、それより南東に進んで台州があるという意味である。・三江 中國三大河川のこと。黄河・淮河・長江をいう。


鄭公縱得歸,老病不識路。
鄭虔先生はたとえ今帰ることを許されたとしても、寄る年波に加えてもともと病弱でその病気があるため帰路に就くことは考えられないことだろう。


昔如水上鷗,今如罝中兔
私が知っている廣文館博士のころは、鴎が水の上で遊ぶように生き洋々とされていた。しかし、今はきっと網の中に捕えられたウサギのような生活をされていることと思う。
罝中兔 罝は兔取りの網。網にかかった兔をいうが、左遷された鄭虔を兔に喩えたもの。詩経には多く出て來る用語である。詩経、周南三章、『兔罝』「肅肅兔罝、椓之丁丁。赳赳武夫、公侯干城。 肅肅兔罝、施于中逵。赳赳武夫、公侯好仇。 肅肅兔罝、施于中林。赳赳武夫、公侯腹心。」とみえる。詩経では、文王が賢人を低い身分から取り立てて自由に登用したことを詠っている。ここでは有能な賢人がそのまま網の中にいるだけであると杜甫が言っているのである。


性命由他人,悲辛但狂顧。
その人に持って生まれた運命と性格というものは他人によって影響を受けるものである。いまはつらく悲しいことがあってもただ振り返ってみるということだけなのだ。
狂顧 あわてて振り返る。楚辞、九章、『抽思』「長瀬淵流沂江潭兮、狂顧南行、聊以娯心兮。」(長瀬 淵流 江潭に沂り、狂顧 南行して、聊か以って心を娯しましむ。)



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天末懷李白 杜甫 <233> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1142 杜甫特集700- 345

天末懷李白 杜甫 <233> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1142 杜甫特集700- 345
(天末にて李白を懐う)
秦州の天涯に居て李白のことを憤って作った詩。乾元二年秦州での作。


天末懷李白
天涯の天水において李白を懐かしく思う
涼風起天末,君子意如何?
天の果てともいうべき此処天水(秦州)に涼風がおこってきた。夢でしかあっていないあなたの今の心はどんなであるか。
鴻雁幾時到,江湖秋水多。
あなたからの鴻雁のたよりはいつこちらへ届くのか、今年の南方江湖の地方は秋の長水で増水して、多種でこまってはいないだろうか。
文章憎命達,魑魅喜人過。
あなたのように文章のすぐれたものは却って順境に居ることを嫌われる、文章なるものが人の運命の開けるのを憎んでいるかのようである。あなたの居る処にも、私の所にも、はびこっている悪鬼どもは人があなたに気がつかないで通り過ぎればよいと喜んでいるのだ。
應共冤魂語,投詩贈汨羅。
いまごろ、あなたは無実の罪に死んだ屈原の魂を相手に語りあっていることであろうか、きっと詩を投げて汨羅の淵に贈っているのであろうとおもう。


(天末にて李白を懐う)
涼風 天末【てんまつ】に起こる、 君子 意は如何。
鴻雁【こうがん】 幾時か到らん、江湖【こうこ】 秋水多し。
文章【ぶんしょう】 命の達するを憎む、魑魅【ちみ】人の過ぐるを喜ぶ。
応に冤魂【えんこん】と共に語るなるべし、詩を投じて汨羅【べきら】に贈る。


現代語訳と訳註
(本文) 天末懷李白
涼風起天末,君子意如何?
鴻雁幾時到,江湖秋水多。
文章憎命達,魑魅喜人過。
應共冤魂語,投詩贈汨羅。


(下し文) (天末にて李白を懐う)
涼風 天末【てんまつ】に起こる、 君子 意は如何。
鴻雁【こうがん】 幾時か到らん、江湖【こうこ】 秋水多し。
文章【ぶんしょう】 命の達するを憎む、魑魅【ちみ】人の過ぐるを喜ぶ。
応に冤魂【えんこん】と共に語るなるべし、詩を投じて汨羅【べきら】に贈る。


(現代語訳)
天涯の天水において李白を懐かしく思う
天の果てともいうべき此処天水(秦州)に涼風がおこってきた。夢でしかあっていないあなたの今の心はどんなであるか。
あなたからの鴻雁のたよりはいつこちらへ届くのか、今年の南方江湖の地方は秋の長水で増水して、多種でこまってはいないだろうか。
あなたのように文章のすぐれたものは却って順境に居ることを嫌われる、文章なるものが人の運命の開けるのを憎んでいるかのようである。あなたの居る処にも、私の所にも、はびこっている悪鬼どもは人があなたに気がつかないで通り過ぎればよいと喜んでいるのだ。
いまごろ、あなたは無実の罪に死んだ屈原の魂を相手に語りあっていることであろうか、きっと詩を投げて汨羅の淵に贈っているのであろうとおもう。


(訳注) 天末懷李白
天涯の天水において李白を懐かしく思う。
天末 天水、天のはて天涯。杜甫は天涯にいるし、。李白は南に果てに隔たっている。故に作者自己の居処秦州をさして天のはてという。ここではもうひとつの意味として、李白がこのとき流刑の地である夜郎をさしているともいえる。


涼風起天末,君子意如何?
天の果てともいうべき此処天水(秦州)に涼風がおこってきた。夢でしかあっていないあなたの今の心はどんなであるか
君子 徳のある人、ここでは李白をさす。


鴻雁幾時到,江湖秋水多。
あなたからの鴻雁のたよりはいつこちらへ届くのか、今年の南方江湖の地方は秋の長水で増水して、多種でこまってはいないだろうか。
鴻雁 おおとり、かり、李白からのでがみをさす。漢の武将蘇武は、匈奴にとらわれていたが、匈奴はそれを隠しすでに死んだと伝えた。漢の使者が、武帝の射た雁の足に蘇武の手紙が結ばれていたから生きているはずだと鎌をかけると、匈奴の単于はやむなく認めて蘇武を釈放した(『漢書』蘇武伝)。その故事から「雁」は手紙を届けてくれる鳥。○幾時いつ。○ 杜甫の方へ到著する。○江湖 江や湖のある地、南方李白の居るところをさす。○秋水多 多は水量の多いことをいうのではなく、水面の多種なことをいう。しかし、この年、秋の長雨による増水があり、むしろ水の減ずる秋なのに増水を心配している。当時の交通機関はおおくはふねでのいどうであったからである。この詩が759年秋に書かれたもの、杜甫に李白の消息が伝えられていないということがわかる。


文章憎命達,魑魅喜人過。
あなたのように文章のすぐれたものは却って順境に居ることを嫌われる、文章なるものが人の運命の開けるのを憎んでいるかのようである。あなたの居る処にも、私の所にも、はびこっている悪鬼どもは人があなたに気がつかないで通り過ぎればよいと喜んでいるのだ。
憎命達 命達とは運命が順調に開けていくこと、文章力、表現力の長じている人はかえって逆境に居ることで良い文章になるものなのでで、其の人の運命が開けると文章の神は憎むのである。文章の評価と生活が比例して向上することがないこと言う。杜甫も、李白も詩文章力の向上に伴って、生活が苦しくなっていったことからこうした考えをするようになった。○魑魅 冤鬼。山林の異気(瘴気)から生ずるという怪物のことと言われている。顔は人間、体は獣の姿をしていて、人を迷わせる。○善人過 鬼は人がとおればそれをつかまえて食べる。


應共冤魂語,投詩贈汨羅。
いまごろ、あなたは無実の罪に死んだ屈原の魂を相手に語りあっていることであろうか、きっと詩を投げて汨羅の淵に贈っているのであろうとおもう。
 旧解は次の句までかけるが予は上旬のみにかけてみる。○寛魂 屈原の魂、屈原は楚の嚢王に斥けられ遂に洞羅の淵に身を投げて死んだ。○ 白がはなしをする。○投詩 作者が投ずる。後楚は秦によって滅ぼされ、屈原の諫言の正しさを知った人々は、汨羅に眠る屈原の霊を慰める為に、毎年5月5日、粽を作って汨羅の淵に投げ入れるようになったという。このことに基づいている。○贈 漢の賈誼は左遷されて長抄に至り「弔屈賦」を作って屈原を弔った故事に基づく。李白も屈原と同じで無実の罪であるということをいったものである。○汨羅 湖南省長沙市の北にある淵の名。


天末懷李白
涼風起天末,君子意如何?
鴻雁幾時到,江湖秋水多。
文章憎命達,魑魅喜人過。
應共冤魂語,投詩贈汨羅。

(天末にて李白を懐う)
涼風 天末【てんまつ】に起こる、 君子 意は如何。
鴻雁【こうがん】 幾時か到らん、江湖【こうこ】 秋水多し。
文章【ぶんしょう】 命の達するを憎む、魑魅【ちみ】人の過ぐるを喜ぶ。
応に冤魂【えんこん】と共に語るなるべし、詩を投じて汨羅【べきら】に贈る。


寄李十二白 二十韻 杜甫 <232-#4> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1139 杜甫特集700- 344

寄李十二白 二十韻 杜甫 <232-#4> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1139 杜甫特集700- 344


此の詩は759年乾元二年秋作者が秦州にあって、李白の恩赦の事を明知しなかった時に作ったものであろうと思う。詩は多く李白のために弁護を費している。


寄李十二白二十韻 #1
昔年有狂客,號爾謫仙人。
前年、四明の狂客(賀知章)で朝廷の重鎮であったものがいて、君を謫仙人だと名づけられた。
筆落驚風雨,詩成泣鬼神。
君は詩文をつくるに紙の上に筆が落ちれば風雨さえ驚くかとおもわれるほど快速であるし、詩が成就してみると鬼神さえそれに感じて泣くほどである。
聲名從此大,汩沒一朝伸。
それによって君の名声は大きくなり、これまでのへき地に埋もれて世に出ない身がにわかにのびだすことになった。
文彩承殊渥,流傳必絕倫。
そうして君の文彩は天子の特別のあつい御寵愛をうけ、世間につたえられる作物も必ず絶倫のものであった。
龍舟移棹晚,獸錦奪袍新。

#2
白日來深殿,青雲滿後塵。
君は昼日中にも翰林院から奥御殿に出入りする、君の居る高き位のところには追随する後輩の士が充満していた。
乞歸優詔許,遇我夙心親。
それが事に由って君はお暇をいただいて故郷へかえりたいと願い出で、優詔を以てそれを許されて朝廷から下がった。それで君は自分とであうことができ、かねての心からおたがいに親しむようになった。
未負幽棲誌,兼全寵辱身。
君は官をやめたからといって幽棲の志に負くことはしないし、兼ねて故事に言う、「寵をうけて、また辱めをうけることもある」という、自分のからだをはずかしめることのなしで全うすることができた。
劇談憐野逸。嗜酒見天真,
君を慕う文人たちと激しく談義をしたし、わたしらの在野におかれた者たちを気の毒がってくれたものだった、酒を嗜んで飲むところに天真の様子が覗われたものである。
醉舞梁園夜,行歌泗水春。』
かくて我々は梁園の夜に酔うて舞うたりしたし、泗水の春には歩きながら歌ったりした。』

#3
才高心不展,道屈善無鄰。
君は知恵と才能が高いけれど心は進展してないでいる。わたしは道を十分おこない得ず善を行いながら隣りとなってくれるものがない。
處士隬衡俊。諸生原憲貧。
君は後漢の処士文才があった禰衡のごとく人にひいでたものであり、自分は孔子の弟子で儒教者の鏡である諸生「原憲の貧」といわれる清貧であるのだ。
稻粱求未足,薏苡謗何頻?
わたしは食糧さえ十分に求められていないし、。君はなんで後漢の馬援が「薏苡仁の種」を人から賄賂として真珠をもってきたといわれたように、どうして讒言によって頻りに誹りを受けるのであろうか。
五嶺炎蒸地,三危放逐臣。
君が流されたところは五嶺地方であれば蒸し暑い所で、古代帝舜の三苗のように三危山へ放逐されたことと同じょうなものなのだ。
幾年遭鵩鳥,獨泣向麒麟。
君は幾年目に不吉な鵩鳥に出合い漢の孝文帝劉恒に仕えた賈誼のようになるのか、また、君は孔子が麟鱗を見て「吾が道窮せり」といわれたように独りで泣いているだろう。

#4
蘇武元還漢,黃公豈事秦?
漢の蘇武は匈奴へ19年間降服せず漢へ帰還した、秦の夏黄公は秦に事えず四皓として商山にかくれていた、君の潔白忠誠な心は蘇武だ、夏黄公なのだ。
楚筵辭醴日,梁獄上書辰。
穆生は楚王戊の醴を辞退した、雛陽は獄中から梁の孝王を諌める書を上奏した、君は穆生であり、雛陽なのだ、だから永王璘の無法な好遇をうけたり、謀反に加わったりしたのではないのだ。
已用當時法,誰將此議陳?
それにもかかわらず君は当時の刑法を施行されて流刑にされたのだが、誰か君がそんな男ではないという意見を陳べたてくれる者はいないのであろうか。
老吟秋月下,病起暮江濱。
君は年老いて秋月の下で詩を吟じているだろう、君は夕ぐれの長江のほとりで宿していて病みあがりのすがたをしているだろう。
莫怪恩波隔,乘槎與問津。』
君は君自身昔の栄華時代に比べてこんな僻地に居て天子の恩沢の波と隔てたところにいるということなどと不思議がることがないようにしてくれ!。わたしは故事にあるように君のために桴に乗って天の川へ行きそこで渡場を尋ねて天帝の所へ行き、君の無実を訴えてやろうと思っている。』


#1
昔年 狂客有り、爾を謫仙人【たくせんにん】と号す。
筆落つれば風雨【ふうう】驚き、詩成れば鬼神【きしん】泣く。
声名 此 従【よ】り大に、汩沒【こつぼつ】一朝に伸ぶ。
文彩【ぶんさい】 殊渥【しゅあく】を承【う】く、流伝【るてん】するは必ず絶倫【ぜつりん】なり。
竜舟【りょうしゅう】棹【さお】を移すこと晩く、獣錦【じゅうきん】奪袍【だつほう】新たなり。
#2
白日【はくじつ】 深殿【しんでん】に来たる、青雲に後塵【こうじん】満つ。
帰るを乞うて優詔【ゆうしょう】許さる、我に遇うて宿心【しゅくしん】親しむ。
未だ負【そむ】かず幽棲【ゆうせい】の志に、兼ねて全うす寵辱【ちょうじょく】の身。
劇談【げきだん】野透【やいつ】を憐れむ、嗜酒【ししゅ】天真【てんしん】を見る。
酔舞【すいぶ】す梁園【りょえん】の夜、行歌【こうか】す泗水【しすい】の春。』
#3
才高くして心展べず、道屈【くつ】して善【ぜん】隣り無し。
処士【しょし】隬衡【でいこう】俊【しゅん】に、諸生【しょせい】原憲【げんけん】貧なり。
稲梁【とうりょう】求むる未だ足らず、薏苡【よくい】謗【そしり】り何ぞ頻りなる。
五嶺【ごれい】炎蒸【えんじょう】の地、三危【さんき】放逐【ほうちく】の臣。
幾年か鵩鳥【ふくちょう】に遭える、独泣【どくきゅう】麟鱗【きりん】に向こう。
#4
蘇武【そぶ】元【もと】漢に還る、黃公【こうこう】豈に秦に事【つか】えんや。
楚筵【そえん】醴【れい】を辞せし日、梁獄【りょうごく】書を上りし辰【とき】。
巳に当時の法を用う、誰か此の議を将で陳【ちん】せん。
老いて吟ず秋月の下、病起【へいき】す暮江【ぼこう】の浜【ほとり】。
怪しむ莫れ恩波【おんは】の隔たるを、槎【さ】に乗じて与【た】めに津【しん】を問わん。』



現代語訳と訳註
(本文)
#4
蘇武元還漢,黃公豈事秦?
楚筵辭醴日,梁獄上書辰。
已用當時法,誰將此議陳?
老吟秋月下,病起暮江濱。
莫怪恩波隔,乘槎與問津。』


(下し文) #4
蘇武【そぶ】元【もと】漢に還る、黃公【こうこう】豈に秦に事【つか】えんや。
楚筵【そえん】醴【れい】を辞せし日、梁獄【りょうごく】書を上りし辰【とき】。
巳に当時の法を用う、誰か此の議を将で陳【ちん】せん。
老いて吟ず秋月の下、病起【へいき】す暮江【ぼこう】の浜【ほとり】。
怪しむ莫れ恩波【おんは】の隔たるを、槎【さ】に乗じて与【た】めに津【しん】を問わん。』


(現代語訳) #4
漢の蘇武は匈奴へ19年間降服せず漢へ帰還した、秦の夏黄公は秦に事えず四皓として商山にかくれていた、君の潔白忠誠な心は蘇武だ、夏黄公なのだ。
穆生は楚王戊の醴を辞退した、雛陽は獄中から梁の孝王を諌める書を上奏した、君は穆生であり、雛陽なのだ、だから永王璘の無法な好遇をうけたり、謀反に加わったりしたのではないのだ。
それにもかかわらず君は当時の刑法を施行されて流刑にされたのだが、誰か君がそんな男ではないという意見を陳べたてくれる者はいないのであろうか。
君は年老いて秋月の下で詩を吟じているだろう、君は夕ぐれの長江のほとりで宿していて病みあがりのすがたをしているだろう。
君は君自身昔の栄華時代に比べてこんな僻地に居て天子の恩沢の波と隔てたところにいるということなどと不思議がることがないようにしてくれ!。わたしは故事にあるように君のために桴に乗って天の川へ行きそこで渡場を尋ねて天帝の所へ行き、君の無実を訴えてやろうと思っている。』


(訳注) #4
蘇武元還漢,黃公豈事秦?

漢の蘇武は匈奴へ19年間降服せず漢へ帰還した、秦の夏黄公は秦に事えず四皓として商山にかくれていた、君の潔白忠誠な心は蘇武だ、夏黄公なのだ。
蘇武元還漢 漢の蘇武は匈奴に使いして十九年間囚われ匈奴に屈服傾降しなかったが、その後漢に還った。李白の性格が蘇武に似ていてけっして謀反を起こしたのではない。漢の武将蘇武は、匈奴にとらわれていたが、匈奴はそれを隠しすでに死んだと伝えた。漢の使者が、武帝の射た雁の足に蘇武の手紙が結ばれていたから生きているはずだと鎌をかけると、匈奴の単于はやむなく認めて蘇武を釈放した(『漢書』蘇武伝)。その故事から「雁」は手紙を届けてくれる鳥。杜甫喜聞官軍己臨賊寇二十韻』、『送楊六判官使西蕃』、『遣興』 李商隠『春雨』、『茂陵』。○黄公豈事秦 黄公は夏黄公、商山の四皓の一人、秦末の乱を避けて出なかった、李白が永王燐の敷革に従わなかったのは黄公が秦につかえなかったのと似ている。商山の四皓はもと秦の博士であったが世のみだれたのにより山にかくれて採芝の歌をつくった。その「紫芝曲」歌は四言十句あって、「曄曄紫芝,可以疗飢。皇虞邈远,余将安歸」(曄曄たる紫芝、以て飢を療す可し。唐虞往きぬ、吾は当に安にか帰すべき。)の語がある。中国秦末、国乱を避けて陝西省商山に入った、東園公・綺里季・夏黄公・甪里(ろくり)の四人の隠士。全員鬚(ひげ)や眉が真っ白の老人であった。東洋画の画題として描かれた。杜甫『題李尊師松樹障子歌』、『洗兵行』、 『收京三首 其二』、『喜晴』、『昔遊』、李白『贈從弟南平太守之遙二首』、『重憶


楚筵辭醴日,梁獄上書辰。
穆生は楚王戊の醴を辞退した、雛陽は獄中から梁の孝王を諌める書を上奏した、君は穆生であり、雛陽なのだ、だから永王璘の無法な好遇をうけたり、謀反に加わったりしたのではないのだ。
楚筵辭醴日 漢の穆生の故事、楚の元王は穆生のために醴を設けたが、王の孫の戊の時にいたって醴を設けることを忘れたため穆生はついに去った。此の句は穆生が自発的に醴を辞したということであるが、ここでは李白は永王璘の偽官を受けなかったとの意に用いたものである。杜甫『贈特進汝陽王二十韻』○梁獄上書辰 漢の雛陽が梁の孝王の為めに獄に下さされたとき、獄中より書をたてまつって彼を諌めた、ここでは李白が雛陽のごとく永王璘の悪事をいさめたことをいう。
 

已用當時法,誰將此議陳?
それにもかかわらず君は当時の刑法を施行されて流刑にされたのだが、誰か君がそんな男ではないという意見を陳べたてくれる者はいないのであろうか。
当時法 当時法とはその時の刑法をいう、至徳元年永王璘の軍が丹陽に敗れ、李白は宿松に逃げたが、掴まり潯陽の獄に繋がれ、明年乾元二載宋若思によって囚を釈かれその参謀にめされた、刑をおかしたことをいう。○此議 この詩の楚筵~梁獄二句の事実、李白は永王璘に組する者ではないとの意見をいう。


老吟秋月下,病起暮江濱。
君は年老いて秋月の下で詩を吟じているだろう、君は夕ぐれの長江のほとりで宿していて病みあがりのすがたをしているだろう。
○老吟 李白のことをいう、李白は759年乾元二年には六十一歳である。○秋月下 この詩が秋作られたことを知る。○暮江浜 江は長江、辟仲邕の「李白年譜」をみると、李白は一度、獄より出されたが、758年乾元元年永王璘に事をなしたとされたのに坐せられて夜郎に流されることとなり、759年乾元二年に途中で恩命によって白帝山で放還され、同年三月には瞿塘峡を下り、漢陽で酒癖にかかり、江夏の地に居てさらに下江した、


莫怪恩波隔,乘槎與問津。』
君は君自身昔の栄華時代に比べてこんな僻地に居て天子の恩沢の波と隔てたところにいるということなどと不思議がることがないようにしてくれ!。わたしは故事にあるように君のために桴に乗って天の川へ行きそこで渡場を尋ねて天帝の所へ行き、君の無実を訴えてやろうと思っている。』
○莫怪 白に向かっていう。○恩波隔 天子の恩沢の波からとおくはなれている。○乘槎與問津 作者の希望をのべる。むかし海辺に一人の男がすんでいた、毎年八月になると桴がやって来たが、その人はこれに乗ってついに天の河に至ったという。事は張華の「博物志」にみえる。桴に乗ってあまの河に至りその津ばを問いたいといっているのである、杜詩は其の用語を借りているけれども意は同じくない、杜は天上に至って天の河のわたりばをたずね、李白のためにその無実を訴えたいといっているのである。
「与」は俗用で「為めに」と同じ。


寄李十二白二十韻 #1
昔年有狂客,號爾謫仙人。筆落驚風雨,詩成泣鬼神。
聲名從此大,汩沒一朝伸。文彩承殊渥,流傳必絕倫。
龍舟移棹晚,獸錦奪袍新。
#2
白日來深殿,青雲滿後塵。乞歸優詔許,遇我夙心親。
未負幽棲誌,兼全寵辱身。劇談憐野逸。嗜酒見天真,
醉舞梁園夜,行歌泗水春。』
#3
才高心不展,道屈善無鄰。處士隬衡俊。諸生原憲貧。
稻粱求未足,薏苡謗何頻?五嶺炎蒸地,三危放逐臣。
幾年遭鵩鳥,獨泣向麒麟。
#4
蘇武元還漢,黃公豈事秦?楚筵辭醴日,梁獄上書辰。
已用當時法,誰將此議陳?老吟秋月下,病起暮江濱。
莫怪恩波隔,乘槎與問津。』


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寄李十二白 二十韻 杜甫 <232-#3> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1136 杜甫特集700- 343


此の詩は759年乾元二年秋作者が秦州にあって、李白の恩赦の事を明知しなかった時に作ったものであろうと思う。詩は多く李白のために弁護を費している。


寄李十二白二十韻 #1
昔年有狂客,號爾謫仙人。
前年、四明の狂客(賀知章)で朝廷の重鎮であったものがいて、君を謫仙人だと名づけられた。
筆落驚風雨,詩成泣鬼神。
君は詩文をつくるに紙の上に筆が落ちれば風雨さえ驚くかとおもわれるほど快速であるし、詩が成就してみると鬼神さえそれに感じて泣くほどである。
聲名從此大,汩沒一朝伸。
それによって君の名声は大きくなり、これまでのへき地に埋もれて世に出ない身がにわかにのびだすことになった。
文彩承殊渥,流傳必絕倫。
そうして君の文彩は天子の特別のあつい御寵愛をうけ、世間につたえられる作物も必ず絶倫のものであった。
龍舟移棹晚,獸錦奪袍新。
あるときは天子が舟遊びをされるときわざわざ棹を留めておまちになったり、他人にくれるはずの獣錦袍をあらたに奪いかえして君にお授けになるというほどであった。

#2
白日來深殿,青雲滿後塵。
君は昼日中にも翰林院から奥御殿に出入りする、君の居る高き位のところには追随する後輩の士が充満していた。
乞歸優詔許,遇我夙心親。
それが事に由って君はお暇をいただいて故郷へかえりたいと願い出で、優詔を以てそれを許されて朝廷から下がった。それで君は自分とであうことができ、かねての心からおたがいに親しむようになった。
未負幽棲誌,兼全寵辱身。
君は官をやめたからといって幽棲の志に負くことはしないし、兼ねて故事に言う、「寵をうけて、また辱めをうけることもある」という、自分のからだをはずかしめることのなしで全うすることができた。
劇談憐野逸。嗜酒見天真,
君を慕う文人たちと激しく談義をしたし、わたしらの在野におかれた者たちを気の毒がってくれたものだった、酒を嗜んで飲むところに天真の様子が覗われたものである。
醉舞梁園夜,行歌泗水春。』
かくて我々は梁園の夜に酔うて舞うたりしたし、泗水の春には歩きながら歌ったりした。』

#3
才高心不展,道屈善無鄰。
君は知恵と才能が高いけれど心は進展してないでいる。わたしは道を十分おこない得ず善を行いながら隣りとなってくれるものがない。
處士隬衡俊。諸生原憲貧。
君は後漢の処士文才があった禰衡のごとく人にひいでたものであり、自分は孔子の弟子で儒教者の鏡である諸生「原憲の貧」といわれる清貧であるのだ。
稻粱求未足,薏苡謗何頻?
わたしは食糧さえ十分に求められていないし、。君はなんで後漢の馬援が「薏苡仁の種」を人から賄賂として真珠をもってきたといわれたように、どうして讒言によって頻りに誹りを受けるのであろうか。
五嶺炎蒸地,三危放逐臣。
君が流されたところが五嶺地方であれば蒸し暑い所で、古代帝舜の三苗のように三危山へ放逐されたことと同じょうなものなのだ。
幾年遭鵩鳥,獨泣向麒麟。

君は幾年目に不吉な鵩鳥に出合い漢の孝文帝劉恒に仕えた賈誼のようになるのか、また、君は孔子が麟鱗を見て「吾が道窮せり」といわれたように独りで泣いているだろう。

#4
蘇武元還漢,黃公豈事秦?楚筵辭醴日,梁獄上書辰。
已用當時法,誰將此議陳?老吟秋月下,病起暮江濱。
莫怪恩波隔,乘槎與問津。』

#1
昔年 狂客有り、爾を謫仙人【たくせんにん】と号す。
筆落つれば風雨【ふうう】驚き、詩成れば鬼神【きしん】泣く。
声名 此 従【よ】り大に、汩沒【こつぼつ】一朝に伸ぶ。
文彩【ぶんさい】 殊渥【しゅあく】を承【う】く、流伝【るてん】するは必ず絶倫【ぜつりん】なり。
竜舟【りょうしゅう】棹【さお】を移すこと晩く、獣錦【じゅうきん】奪袍【だつほう】新たなり。
#2
白日【はくじつ】 深殿【しんでん】に来たる、青雲に後塵【こうじん】満つ。
帰るを乞うて優詔【ゆうしょう】許さる、我に遇うて宿心【しゅくしん】親しむ。
未だ負【そむ】かず幽棲【ゆうせい】の志に、兼ねて全うす寵辱【ちょうじょく】の身。
劇談【げきだん】野透【やいつ】を憐れむ、嗜酒【ししゅ】天真【てんしん】を見る。
酔舞【すいぶ】す梁園【りょえん】の夜、行歌【こうか】す泗水【しすい】の春。』
#3
才高くして心展べず、道屈【くつ】して善【ぜん】隣り無し。
処士【しょし】隬衡【でいこう】俊【しゅん】に、諸生【しょせい】原憲【げんけん】貧なり。
稲梁【とうりょう】求むる未だ足らず、薏苡【よくい】謗【そしり】り何ぞ頻りなる。
五嶺【ごれい】炎蒸【えんじょう】の地、三危【さんき】放逐【ほうちく】の臣。
幾年か鵩鳥【ふくちょう】に遭える、独泣【どくきゅう】麟鱗【きりん】に向こう。

#4
蘇武【そぶ】元【もと】漢に還る、黃公【こうこう】豈に秦に事【つか】えんや。
楚筵【そえん】醴【れい】を辞せし日、梁獄【りょうごく】書を上りし辰【とき】。
巳に当時の法を用う、誰か此の議を将で陳【ちん】せん。
老いて吟ず秋月の下、病起【へいき】す暮江【ぼこう】の浜【ほとり】。
怪しむ莫れ恩波【おんは】の隔たるを、槎【さ】に乗じて与【た】めに津【しん】を問わん。』


現代語訳と訳註
(本文)
#3
才高心不展,道屈善無鄰。
處士隬衡俊。諸生原憲貧。
稻粱求未足,薏苡謗何頻?
五嶺炎蒸地,三危放逐臣。
幾年遭鵩鳥,獨泣向麒麟。


(下し文) #3
才高くして心展べず、道屈【くつ】して善【ぜん】隣り無し。
処士【しょし】隬衡【でいこう】俊【しゅん】に、諸生【しょせい】原憲【げんけん】貧なり。
稲梁【とうりょう】求むる未だ足らず、薏苡【よくい】謗【そしり】り何ぞ頻りなる。
五嶺【ごれい】炎蒸【えんじょう】の地、三危【さんき】放逐【ほうちく】の臣。
幾年か鵩鳥【ふくちょう】に遭える、独泣【どくきゅう】麟鱗【きりん】に向こう。


(現代語訳)
君は知恵と才能が高いけれど心は進展してないでいる。わたしは道を十分おこない得ず善を行いながら隣りとなってくれるものがない。
君は後漢の処士文才があった禰衡のごとく人にひいでたものであり、自分は孔子の弟子で儒教者の鏡である諸生「原憲の貧」といわれる清貧であるのだ。
わたしは食糧さえ十分に求められていないし、。君はなんで後漢の馬援が「薏苡仁の種」を人から賄賂として真珠をもってきたといわれたように、どうして讒言によって頻りに誹りを受けるのであろうか。
君が流されたところは五嶺地方であれば蒸し暑い所で、古代帝舜の三苗のように三危山へ放逐されたことと同じょうなものなのだ。
君は幾年目に不吉な鵩鳥に出合い漢の孝文帝劉恒に仕えた賈誼のようになるのか、また、君は孔子が麟鱗を見て「吾が道窮せり」といわれたように独りで泣いているだろう。


(訳注)#3
才高心不展,道屈善無鄰。

君は知恵と才能が高いけれど心は進展してないでいる。わたしは道を十分おこない得ず善を行いながら隣りとなってくれるものがない。
道屈 道の行われぬことをいう、此の句は自ずからいう。○善無隣 善道を行いながら隣をなすものがない、『論語里仁』「徳不孤、必有隣徳」(徳は孤ならず、必ず隣りあり)の反対。徳のある者は孤立することがない。必ず共鳴する人が現れるものである。 


處士隬衡俊。諸生原憲貧。
君は後漢の処士文才があった禰衡のごとく人にひいでたものであり、自分は孔子の弟子で儒教者の鏡である諸生「原憲の貧」といわれる清貧であるのだ。
処士隬衡俊 李白をいう、処士は在野の士、禰衝は後漢末の文学者。後漢の禰衡は文才があったが、曹操は彼を穀そうと思い、黄祖が性急であることを知って祖のもとに赴かせたところ、祖はついに彼を殺した。○諸生原憲貧 自ずからいう、原憲の貧とは。道にそむかぬ生活を楽しみ、貧乏を苦にしないこと。清貧。儒教者の道。


稻粱求未足,薏苡謗何頻?
わたしは食糧さえ十分に求められていないし、。君はなんで後漢の馬援が「薏苡仁の種」を人から賄賂として真珠をもってきたといわれたように、どうして讒言によって頻りに誹りを受けるのであろうか。
稲梁求未足 此の句は自ずからいう、生活に足るだけの食糧がない。○薏苡謗何頻? 薏苡仁(ヨクイニン)は、イネ科ジュズダマ属種ハトムギの種皮を除いた種子。後漢の馬援が交址を征し、薏苡仁の種を載せて帰った、人はこれを謗って、人から賄賂にもらった明珠大貝をもちきたったという、李白が讒せられるのはこれに似ている。


五嶺炎蒸地,三危放逐臣。
君が流されたところが五嶺地方であれば蒸し暑い所で、古代帝舜の三苗のように三危山へ放逐されたことと同じょうなものなのだ。
五嶺 五嶺山脈は広東の北部において東西に走っている山脈で、大庾・始安・臨賀・桂陽・掲陽のこと、李白がは流された夜郎は貴州省遵義府桐梓県西二十里(11.5km)の地である。ここで当時の流刑は、五聯山脈を越えることがほとんどであった。杜甫に正確な情報がもたらされていなかったということ。〇三危 山名、甘粛省安西州敦煌県東南二十里(11.5km)にあり、山には三峰があるので三危という、むかし舜は三苗の種族を三危に竄(投棄すること)した故事、三苗は江水(長江)と淮水(淮河)に在り、荊州で数々の乱を起した。舜が帰還して帝堯に(各々の責任を取らせ)共工を幽陵に流刑、驩兜を崇山に放逐、三苗を三危に遷す、鯀を羽山に閉じ込めることを請うた。李白の夜郎に流されるのはそれと似ている。


幾年遭鵩鳥,獨泣向麒麟。
君は幾年目に不吉な鵩鳥に出合い漢の孝文帝劉恒に仕えた賈誼のようになるのか、また、君は孔子が麟鱗を見て「吾が道窮せり」といわれたように独りで泣いているだろう。
幾年遭鵩鳥 幾年とはいくぱく年を経は、やがての意、漢の賈誼が長沙に謫せられ三年にして鵩が飛んで合に入った、誼は傷んで「鵩賦」を作った。賈誼(前200年-前168年),西漢洛陽(今河南省洛陽市)人。由於當過長沙王太傅,故世稱賈太傅、賈生、賈長沙。漢朝著名的思想家、文學家。賈誼(賈生) 漢の孝文帝劉恒(紀元前202-157年)に仕えた文人賈誼(紀元前201―169年)のこと。洛陽の人。諸吉家の説に通じ、二十歳で博士となった。一年後、太中大夫すなわち内閣建議官となり、法律の改革にのりだして寵任されたが、若輩にして高官についたことを重臣たちに嫉まれ、長沙王の傅に左遷された。のち呼び戻され、孝文帝の鬼神の事に関する質問に答え、弁説して夜にまで及び、孝文帝は坐席をのりだして聴き入ったと伝えられる。その後、孝文帝の少子である梁の懐王の傅となり、まもなく三十三歳を以て死んだ。屈原を弔う文及び鵩(みみずく)の賦が有名。賈誼が長沙にいた時、「目鳥 其の承塵に集まる」。目鳥はふくろうに似た鳥というが、詩文のなかのみにあらわれ、その家の主人の死を予兆する不吉な鳥とされる。賈誼はその出現におびえ、「鵩鳥の賦」(『文選』巻一三)を著した○独泣向麒麟 麒麟に向かって独りで泣く、「春秋」(哀公十四年)に「西に狩して麟を獲たり」といい、「公羊伝」にはそのとき孔子は「訣を反し面を拭い、涕の袍を沾して日く、吾が道窮せりと」といったと記している、李白もその道の窮まったことをなげいて泣くのである。

賈生 李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 64


寄李十二白 二十韻 杜甫 <232-#2> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1133 杜甫特集700- 342

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此の詩は759年乾元二年秋作者が秦州にあって、李白の恩赦の事を明知しなかった時に作ったものであろうと思う。詩は多く李白のために弁護を費している。



寄李十二白二十韻 #1
昔年有狂客,號爾謫仙人。
前年、四明の狂客(賀知章)で朝廷の重鎮であったものがいて、君を謫仙人だと名づけられた。
筆落驚風雨,詩成泣鬼神。
君は詩文をつくるに紙の上に筆が落ちれば風雨さえ驚くかとおもわれるほど快速であるし、詩が成就してみると鬼神さえそれに感じて泣くほどである。
聲名從此大,汩沒一朝伸。
それによって君の名声は大きくなり、これまでのへき地に埋もれて世に出ない身がにわかにのびだすことになった。
文彩承殊渥,流傳必絕倫。
そうして君の文彩は天子の特別のあつい御寵愛をうけ、世間につたえられる作物も必ず絶倫のものであった。
龍舟移棹晚,獸錦奪袍新。
あるときは天子が舟遊びをされるときわざわざ棹を留めておまちになったり、他人にくれるはずの獣錦袍をあらたに奪いかえして君にお授けになるというほどであった。

#2
白日來深殿,青雲滿後塵。
君は昼日中にも翰林院から奥御殿に出入りする、君の居る高き位のところには追随する後輩の士が充満していた。
乞歸優詔許,遇我夙心親。
それが事に由って君はお暇をいただいて故郷へかえりたいと願い出で、優詔を以てそれを許されて朝廷から下がった。それで君は自分とであうことができ、かねての心からおたがいに親しむようになった。
未負幽棲誌,兼全寵辱身。
君は官をやめたからといって幽棲の志に負くことはしないし、兼ねて故事に言う、「寵をうけて、また辱めをうけることもある」という、自分のからだをはずかしめることのなしで全うすることができた。
劇談憐野逸。嗜酒見天真,
君を慕う文人たちと激しく談義をしたし、わたしらの在野におかれた者たちを気の毒がってくれたものだった、酒を嗜んで飲むところに天真の様子が覗われたものである。
醉舞梁園夜,行歌泗水春。』

かくて我々は梁園の夜に酔うて舞うたりしたし、泗水の春には歩きながら歌ったりした。』

#3
才高心不展,道屈善無鄰。處士隬衡俊。諸生原憲貧。
稻粱求未足,薏苡謗何頻?五嶺炎蒸地,三危放逐臣。
幾年遭鵩鳥,獨泣向麒麟。
#4
蘇武元還漢,黃公豈事秦?楚筵辭醴日,梁獄上書辰。
已用當時法,誰將此議陳?老吟秋月下,病起暮江濱。
莫怪恩波隔,乘槎與問津。』

#1
昔年 狂客有り、爾を謫仙人【たくせんにん】と号す。
筆落つれば風雨【ふうう】驚き、詩成れば鬼神【きしん】泣く。
声名 此 従【よ】り大に、汩沒【こつぼつ】一朝に伸ぶ。
文彩【ぶんさい】 殊渥【しゅあく】を承【う】く、流伝【るてん】するは必ず絶倫【ぜつりん】なり。
竜舟【りょうしゅう】棹【さお】を移すこと晩く、獣錦【じゅうきん】奪袍【だつほう】新たなり。
#2
白日【はくじつ】 深殿【しんでん】に来たる、青雲に後塵【こうじん】満つ。
帰るを乞うて優詔【ゆうしょう】許さる、我に遇うて宿心【しゅくしん】親しむ。
未だ負【そむ】かず幽棲【ゆうせい】の志に、兼ねて全うす寵辱【ちょうじょく】の身。
劇談【げきだん】野透【やいつ】を憐れむ、嗜酒【ししゅ】天真【てんしん】を見る。
酔舞【すいぶ】す梁園【りょえん】の夜、行歌【こうか】す泗水【しすい】の春。』

#3
才高くして心展べず、道屈【くつ】して善【ぜん】隣り無し。
処士【しょし】隬衡【でいこう】俊【しゅん】に、諸生【しょせい】原憲【げんけん】貧なり。
稲梁【とうりょう】求むる未だ足らず、薏苡【よくい】謗【そしり】り何ぞ頻りなる。
五嶺【ごれい】炎蒸【えんじょう】の地、三危【さんき】放逐【ほうちく】の臣。
幾年か鵩鳥【ふくちょう】に遭える、独泣【どくきゅう】麟鱗【きりん】に向こう。
#4
蘇武【そぶ】元【もと】漢に還る、黃公【こうこう】豈に秦に事【つか】えんや。
楚筵【そえん】醴【れい】を辞せし日、梁獄【りょうごく】書を上りし辰【とき】。
巳に当時の法を用う、誰か此の議を将で陳【ちん】せん。
老いて吟ず秋月の下、病起【へいき】す暮江【ぼこう】の浜【ほとり】。
怪しむ莫れ恩波【おんは】の隔たるを、槎【さ】に乗じて与【た】めに津【しん】を問わん。』


現代語訳と訳註
(本文)
#2
白日來深殿,青雲滿後塵。
乞歸優詔許,遇我夙心親。
未負幽棲誌,兼全寵辱身。
劇談憐野逸。嗜酒見天真,
醉舞梁園夜,行歌泗水春。』


(下し文) #2
白日【はくじつ】 深殿【しんでん】に来たる、青雲に後塵【こうじん】満つ。
帰るを乞うて優詔【ゆうしょう】許さる、我に遇うて宿心【しゅくしん】親しむ。
未だ負【そむ】かず幽棲【ゆうせい】の志に、兼ねて全うす寵辱【ちょうじょく】の身。
劇談【げきだん】野透【やいつ】を憐れむ、嗜酒【ししゅ】天真【てんしん】を見る。
酔舞【すいぶ】す梁園【りょえん】の夜、行歌【こうか】す泗水【しすい】の春。』


(現代語訳)
君は昼日中にも翰林院から奥御殿に出入りする、君の居る高き位のところには追随する後輩の士が充満していた。
それが事に由って君はお暇をいただいて故郷へかえりたいと願い出で、優詔を以てそれを許されて朝廷から下がった。それで君は自分とであうことができ、かねての心からおたがいに親しむようになった。
君は官をやめたからといって幽棲の志に負くことはしないし、兼ねて故事に言う、「寵をうけて、また辱めをうけることもある」という、自分のからだをはずかしめることのなしで全うすることができた。
君を慕う文人たちと激しく談義をしたし、わたしらの在野におかれた者たちを気の毒がってくれたものだった、酒を嗜んで飲むところに天真の様子が覗われたものである。
かくて我々は梁園の夜に酔うて舞うたりしたし、泗水の春には歩きながら歌ったりした。』


(訳注)#2
白日來深殿,青雲滿後塵。

君は昼日中にも翰林院から奥御殿に出入りする、君の居る高き位のところには追随する後輩の士が充満していた。
白日 昼日中。昼中。○来深殿 白は奥ふかい宮殿までやってくる。○青雲 白の居る高い地位をさす。〇滿後塵 白の事後の塵を拝するもの、即ち李白に追随する文士が多くあること。


乞歸優詔許,遇我夙心親。
それが事に由って君はお暇をいただいて故郷へかえりたいと願い出で、優詔を以てそれを許されて朝廷から下がった。それで君は自分とであうことができ、かねての心からおたがいに親しむようになった。
乞帰 日が故郷にかえりたいということを玄宗にこう。高力士の讒言によったものである。○遇我 我とは作者みずからいう、杜甫が李白に遇ったのは、白の乞帰後のこと、天宝三載のことである。○夙心 平生からもっていた心。


未負幽棲誌,兼全寵辱身。
君は官をやめたからといって幽棲の志に負くことはしないし、兼ねて故事に言う、「寵をうけて、また辱めをうけることもある」という、自分のからだをはずかしめることのなしで全うすることができた。
幽棲志 山林生活の念。○寵辱身 「老子」(十三章)に「寵辱は驚くが若し」とある、人は君寵をうけて栄えるときがあり、またそれを失って辱められるときがある、故にこれをいましめねばならぬことをいう、白は早く退いた故に辱にあうことが少ない。


劇談憐野逸。嗜酒見天真
君を慕う文人たちと激しく談義をしたし、わたしらの在野におかれた者たちを気の毒がってくれたものだった、酒を嗜んで飲むところに天真の様子が覗われたものである。
劇談 はげしくものがたる。○憐野通 李白が杜甫らの在野におかれた不遇をあわれむこと、野逸は田野に退居することである。 ○見天真 杜甫が李白の天真なことを見ること。


醉舞梁園夜,行歌泗水春。』
かくて我々は梁園の夜に酔うて舞うたりしたし、泗水の春には歩きながら歌ったりした。』
 ○酔舞二句 李杜共同の以下の詩に詠われた頃のしわざである。○梁園 漢の時、梁の孝王がつくったもの、河南省帰徳府城東にあるという。・泗水 山東省兗州府にあり、杜甫が李白・高適と梁宋に遊んだのは744年天宝三載のことである、李・杜が魯斉の地方にあったのは明年四載のことである。李白44歳、杜甫33歳であった。

遣懐(昔我遊宋中) 杜甫 15

贈李白 杜甫16(李白と旅する)

贈李白 杜甫17 (李白と旅する)

昔遊 杜甫19(李白と旅する)

陪李北海宴歴下亭 杜甫 20

同李太守登歷下古城員外新亭 杜甫

與李十二白同尋范十隱居 李白を詠う(5

春日憶李白 杜甫25

送孔巢父謝病歸游江東,兼呈李白 杜甫

飲中八仙歌 杜甫28


寄李十二白 二十韻 杜甫 <232-#1> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1130 杜甫特集700- 341

寄李十二白 二十韻 杜甫 <232-#1> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1130 杜甫特集700- 341
(李十二白に寄す 二十韻)



永王璘は、玄宗の第十六子である。母が早く亡くなったので、粛宗が養育した。安禄山が反すると、玄宗は蜀に逃避するが、途中で、荊州大都督たる璘を山南・江西・嶺南・黔中の四道の節度使に任命して、ようし長江中流以下一帯の防衛を命じた。命を受けて璘は江陵に赴き、将士数万人を募った。そして、長江を下り、江南地方をねらった。粛宗はこれを見て、天下の実権をとり、帝位を奪取するのではないかと危惧して、璘に蜀の玄宗の下に行くよう命じた。璘は命を聞かず、舟師を率いて長江を下り、抵抗する者を破って金陵を取り、広陵に向かおうとしたため、江准地方は著しく動揺を来たすことになった。

李白は、永王璘から再三要請されたため結局応じたが、むろん安禄山に対する憤激の念と王室の回復のためであって、璘の心中など知る由もない。璘は賊軍討伐を旗じるしにしているので、李白ならずとも、この一帯の人々は疑う者なく、むしろ応援して幕下にはせ参ずる者が多かった。

李白は、後年、永王璘の幕府に参加したことを、「半夜に水軍来たり、尋陽(九江)は旗旅に満つ。空名のため適たま自からを誤り、迫脅されて楼船に上せらる。徒らに五百金を賜わり、之を棄つること浮煙の如し。官を辞し賞を受けざるに、翻って夜郎の天に謫せらる」(「乱離を経て、天恩にて夜郎に流さる。旧遊を憶い懐いを害して、江夏の毒太守良宰に贈る」)というが、脅迫されて水軍に連れ去られたとは、永王璘の強い要請を、あとからの反省でそう思ったので、当時は李白も積極的に出たものであろう。

永王璘の幕下に入ったのは、756年至徳元年十二月のことである。幕下に入ってからの李白の行動は明らかではないが、翌至徳二年に作った「永王東巡歌」十一首を見ると、水軍に従って東に向かったようでもある。そして、水軍に従ったことを喜んでおり、賊軍を一掃して、長安の都に入りたいと望んでいる。「東巡歌」全体を通じて璘を疑うことなく、挙兵を美挙として賛美している。この歌によると、至徳二年正月、永王の楼船は大江を下り、武昌を過ぎ、尋陽を過ぎ、金陵に着く。さらに丹陽(丹徒)から太湖辺まで行って揚州に泊まる。「戦艦は森森んにして虎しき士を蘿ね、征く帆は一一に竜駒を押す」という威武ある水軍を率いて行った。そしてやがて、「南風一掃して胡塵静まり、西のかた長安に入りて日辺に到らん」ということになるであろうという。いずれは長安の都に入って天子に仕えることができるであろうと、希望に胸をふくらませている。以上「中國の詩人、李白」小尾郊一著。



此の詩は759年乾元二年秋作者が秦州にあって、李白の恩赦の事を明知しなかった時に作ったものであろうと思う。詩は多く李白のために弁護を費している。



寄李十二白二十韻 #1
昔年有狂客,號爾謫仙人。
前年、四明の狂客(賀知章)で朝廷の重鎮であったものがいて、君を謫仙人だと名づけられた。
筆落驚風雨,詩成泣鬼神。
君は詩文をつくるに紙の上に筆が落ちれば風雨さえ驚くかとおもわれるほど快速であるし、詩が成就してみると鬼神さえそれに感じて泣くほどである。
聲名從此大,汩沒一朝伸。
それによって君の名声は大きくなり、これまでのへき地に埋もれて世に出ない身がにわかにのびだすことになった。
文彩承殊渥,流傳必絕倫。
そうして君の文彩は天子の特別のあつい御寵愛をうけ、世間につたえられる作物も必ず絶倫のものであった。
龍舟移棹晚,獸錦奪袍新。

あるときは天子が舟遊びをされるときわざわざ棹を留めておまちになったり、他人にくれるはずの獣錦袍をあらたに奪いかえして君にお授けになるというほどであった。

#2
白日來深殿,青雲滿後塵。
乞歸優詔許,遇我夙心親。
未負幽棲誌,兼全寵辱身。
劇談憐野逸。嗜酒見天真,
醉舞梁園夜,行歌泗水春。』
#3
才高心不展,道屈善無鄰。
處士隬衡俊。諸生原憲貧。
稻粱求未足,薏苡謗何頻?
五嶺炎蒸地,三危放逐臣。
幾年遭鵩鳥,獨泣向麒麟。
#4
蘇武元還漢,黃公豈事秦?
楚筵辭醴日,梁獄上書辰。
已用當時法,誰將此議陳?
老吟秋月下,病起暮江濱。
莫怪恩波隔,乘槎與問津。』

#1
昔年 狂客有り、爾を謫仙人【たくせんにん】と号す。
筆落つれば風雨【ふうう】驚き、詩成れば鬼神【きしん】泣く。
声名 此 従【よ】り大に、汩沒【こつぼつ】一朝に伸ぶ。
文彩【ぶんさい】 殊渥【しゅあく】を承【う】く、流伝【るてん】するは必ず絶倫【ぜつりん】なり。
竜舟【りょうしゅう】棹【さお】を移すこと晩く、獣錦【じゅうきん】奪袍【だつほう】新たなり。

#2
白日【はくじつ】 深殿【しんでん】に来たる、青雲に後塵【こうじん】満つ。
帰るを乞うて優詔【ゆうしょう】許さる、我に遇うて宿心【しゅくしん】親しむ。
未だ負【そむ】かず幽棲【ゆうせい】の志に、兼ねて全うす寵辱【ちょうじょく】の身。
劇談【げきだん】野透【やいつ】を憐れむ、嗜酒【ししゅ】天真【てんしん】を見る。
酔舞【すいぶ】す梁園【りょえん】の夜、行歌【こうか】す泗水【しすい】の春。』
#3
才高くして心展べず、道屈【くつ】して善【ぜん】隣り無し。
処士【しょし】隬衡【でいこう】俊【しゅん】に、諸生【しょせい】原憲【げんけん】貧なり。
稲梁【とうりょう】求むる未だ足らず、薏苡【よくい】謗【そしり】り何ぞ頻りなる。
五嶺【ごれい】炎蒸【えんじょう】の地、三危【さんき】放逐【ほうちく】の臣。
幾年か鵩鳥【ふくちょう】に遭える、独泣【どくきゅう】麟鱗【きりん】に向こう。
#4
蘇武【そぶ】元【もと】漢に還る、黃公【こうこう】豈に秦に事【つか】えんや。
楚筵【そえん】醴【れい】を辞せし日、梁獄【りょうごく】書を上りし辰【とき】。
巳に当時の法を用う、誰か此の議を将で陳【ちん】せん。
老いて吟ず秋月の下、病起【へいき】す暮江【ぼこう】の浜【ほとり】。
怪しむ莫れ恩波【おんは】の隔たるを、槎【さ】に乗じて与【た】めに津【しん】を問わん。』


現代語訳と訳註
(本文)

寄李十二白二十韻 #1
昔年有狂客,號爾謫仙人。
筆落驚風雨,詩成泣鬼神。
聲名從此大,汩沒一朝伸。
文彩承殊渥,流傳必絕倫。
龍舟移棹晚,獸錦奪袍新。

(下し文) #1
昔年 狂客有り、爾を謫仙人【たくせんにん】と号す。
筆落つれば風雨【ふうう】驚き、詩成れば鬼神【きしん】泣く。
声名 此 従【よ】り大に、汩沒【こつぼつ】一朝に伸ぶ。
文彩【ぶんさい】 殊渥【しゅあく】を承【う】く、流伝【るてん】するは必ず絶倫【ぜつりん】なり。
竜舟【りょうしゅう】棹【さお】を移すこと晩く、獣錦【じゅうきん】奪袍【だつほう】新たなり。


(現代語訳)
前年、四明の狂客(賀知章)で朝廷の重鎮であったものがいて、君を謫仙人だと名づけられた。
君は詩文をつくるに紙の上に筆が落ちれば風雨さえ驚くかとおもわれるほど快速であるし、詩が成就してみると鬼神さえそれに感じて泣くほどである。
それによって君の名声は大きくなり、これまでのへき地に埋もれて世に出ない身がにわかにのびだすことになった。
そうして君の文彩は天子の特別のあつい御寵愛をうけ、世間につたえられる作物も必ず絶倫のものであった。
あるときは天子が舟遊びをされるときわざわざ棹を留めておまちになったり、他人にくれるはずの獣錦袍をあらたに奪いかえして君にお授けになるというほどであった。


(訳注)
寄李十二白 十韻 #1
昔年有狂客,號爾謫仙人。

前年、四明の狂客(賀知章)で朝廷の重鎮であったものがいて、君を謫仙人だと名づけられた。
狂客 賀知事をいう。太子賓客賀知事は四明の人、自ずから四明狂客と号する。

對酒憶賀監二首 其二 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白135

「重憶」:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白136

送賀賓客帰越 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白137

送賀監歸四明應制 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白13

 汝、李白をさす。○謫仙人 罪によって天上より下界へ流しくだされた仙人、賀知章は紫極宮において李白を一見して謫仙人だと評したという。


筆落驚風雨,詩成泣鬼神。 
君は詩文をつくるに紙の上に筆が落ちれば風雨さえ驚くかとおもわれるほど快速であるし、詩が成就してみると鬼神さえそれに感じて泣くほどである。
驚風雨 快速なことをいう。


聲名從此大,汩沒一朝伸。
それによって君の名声は大きくなり、これまでのへき地に埋もれて世に出ない身がにわかにのびだすことになった。
汩沒 水平に沈む。転じて、へき地に埋もれて世に出ないたとえ。 
 

文彩承殊渥,流傳必絕倫。
そうして君の文彩は天子の特別のあつい御寵愛をうけ、世間につたえられる作物も必ず絶倫のものであった。
文彩 李白の文章が彩のあること。○殊渥 特別にあつい御恩、翰林供奉に任ぜられた類のことをさす。○流伝 世間へったわる作物、宮中行樂詞、清平調の詩の類をさす。
侍従遊宿温泉宮作 李白129  都長安(翰林院供奉)

宮中行樂詞八首其一 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白141

清平調詞 三首 其一 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白154


龍舟移棹晚,獸錦奪袍新。
あるときは天子が舟遊びをされるときわざわざ棹を留めておまちになったり、他人にくれるはずの獣錦袍をあらたに奪いかえして君にお授けになるというほどであった。
竜舟 天子のおふね、頭に竜の飾りがある。○移植晩 舟を漕ぎうつさずにしばらくまっておる。玄宗が白蓮池に浮かんで李白を召し、序を作らせようとしたとき李白は己に翰苑において酒を被っていたので高力士に命じて李白を扶けて舟に上らせたという。○獣錦奪袍新 「新たに獣錦袍を奪う」の意。錦袍はにしきのうわぎ、獣はその模様がらである、則天武后が竜門に幸したとき従臣に詩をつくらせて先にできたものに錦袍を賜わろうという、東方虬が先ずできあがり、袍を賜わった、宋之問の詩がつぎにできあがった、もっとも巧みであったので虬より袍を奪って之間に賜わったという、李白に関し、類似の事があったのであろう。

夢李白二首 其二 <231-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1127 杜甫特集700- 340

夢李白二首 其二 <231-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1127 杜甫特集700- 340


(李白を夢む その二)
華州から秦州への旅の途中、杜甫は李白の夢を三晩もつづけて李白の夢を見た。それで、李白は死んでしまって魂魄が飛んできて夢に現われたのではないかと疑ったのだ。夢の中で李白は「もう帰る」といいながら落ち着きがなく、「来たること易からず 江湖 風波多し 舟楫 恐らくは失墜せん」と不吉なことを言うのである。
 夢の中の李白に、いつもの傲然としたところがなく、しょぼい白髪頭を掻いている。「まさかとは思うが、あなたほどの人が老境になって罰せられ、死後に名を残すようなことになるのだろうか」と、杜甫は李白の死を心配している。
759年乾元二年7月48歳秦州に向かう道中で書いたもの。


其二
浮雲終日行、遊子久不至。  
空に浮かんでいる雲は一日中動き飛び去って戻らないが、その雲と同じようにわたしがはるかに思う旅人(李白)もなかなかこちらへやってこない。
三夜頻夢君、情親見君意。
ところが近ごろ、三晩続いてしきりと君を夢にみたのだ。それで君の思いがわたしに伝わっていかに親しもうとする意をもっているかが見られるというものだ。」
告歸常局促、苦道來不易。
夢で遭う度にいつも君は「もうかえる」と告げてのびのびしない様子なのだ、それは李白が苦々しく云うにはここへやってくるのは容易ではなかったということなのだ。
江湖多風波、舟楫恐失墜。』
「江南・江湖の地方は風波が多いから、舟や楫があるいはおとされ失われるのではないかと心配する」などというのである。
#2
出門搔白首、若負平生志。
夢の中で君が我が家の門から出て白髪頭をかいているのであるが、それを見ると君が平生から思っている志を為しとげられず、それに負けたとかんがえているかのようである。
冠蓋滿京華、斯人獨憔悴。
都には冠蓋をつけた富貴の人々がたくさんいるのだが、この李白のような男だけが一人やつれて浮ばずにいるのである。
孰云網恢恢、將老身反累。
古人が言う、天の網はひろくて大きく、網目も小さいというが、その天の網で李白を掬ってくれ、そうしてくれれば老人の身にとって禍を避けるということになるから。
千秋萬歲名、寂寞身後事。』
(あれだけの大詩人であって)永遠不朽の名などいうものは生きている時には望んでいるのではない、ただそれは寂寞たる死後、いわれる事である。(今は天が救ってくれ。)』


(李白を夢む その二)
浮雲 終日行く、遊子 久しく至らず。
三夜 頻【しき】りに君を夢む、情 親しみ君が意を見る。
歸るを告げて常に局促【きょくそく】たり、苦【ねんごろ】に道【い】う 來るは易からず。
江湖【こうこ】風波多く、舟楫【しゅうしゅう】失墜せんことを恐ると。』
#2
門を出(い)でて白首【はくしゅ】を掻く、平生【へいぜい】の志に負【そむ】くが若【ごと】し。
冠蓋【かんがい】京華【けいか】に満つ、斯【こ】の人 独り  顦顇【しょうすい】す。
孰【たれ】か云う 網【あみ】恢恢【かいかい】たりと、将【まさ】に老いんとして身【み】)反【かえ)って累【つみ】()せらる。
千秋【せんしゅう】 万歳【ばんざい】の名は、寂寞【せきばく】たる身後【しんご】の事。』


現代語訳と訳註
(本文)
#2
出門搔白首、若負平生志。
冠蓋滿京華、斯人獨憔悴。
孰云網恢恢、將老身反累。
千秋萬歲名、寂寞身後事。』


(下し文) #2
門を出(い)でて白首【はくしゅ】を掻く、平生【へいぜい】の志に負【そむ】くが若【ごと】し。
冠蓋【かんがい】京華【けいか】に満つ、斯【こ】の人 独り  顦顇【しょうすい】す。
孰【たれ】か云う 網【あみ】恢恢【かいかい】たりと、将【まさ】に老いんとして身【み】)反【かえ)って累【つみ】()せらる。
千秋【せんしゅう】 万歳【ばんざい】の名は、寂寞【せきばく】たる身後【しんご】の事。』


(現代語訳)
夢の中で君が我が家の門から出て白髪頭をかいているのであるが、それを見ると君が平生から思っている志を為しとげられず、それに負けたとかんがえているかのようである。
都には冠蓋をつけた富貴の人々がたくさんいるのだが、この李白のような男だけが一人やつれて浮ばずにいるのである。
古人が言う、天の網はひろくて大きく、網目も小さいというが、その天の網で李白を掬ってくれ、そうしてくれれば老人の身にとって禍を避けるということになるから。
(あれだけの大詩人であって)永遠不朽の名などいうものは生きている時には望んでいるのではない、ただそれは寂寞たる死後、いわれる事である。(今は天が救ってくれ。)』


(訳注)
出門搔白首、若負平生志。
夢の中で君が我が家の門から出て白髪頭をかいているのであるが、それを見ると君が平生から思っている志を為しとげられず、それに負けたとかんがえているかのようである。
出門二句 上旬は李白のさま、下旬は作者がそれをながめてくだした語、出門・掻首は共に李白がする動作。○平生志 李白の平生の志。


冠蓋滿京華、斯人獨憔悴。
都には冠蓋をつけた富貴の人々がたくさんいるのだが、この李白のような男だけが一人やつれて浮ばずにいるのである。
○冠蓋 かんむり、車のおおい。高官が用いたものなので貴族の人をさす。○京華 都のはなやかな地、都をさす。○斯入 日をさす。○憔悴 やつれる。


孰云網恢恢、將老身反累。
古人が言う、天の網はひろくて大きく、網目も小さいというが、その天の網で李白を掬ってくれ、そうしてくれれば老人の身にとって禍を避けるということになるから。
網恢恢 『老子、七十三章』「天網恢恢、疎而不失」(天網恢恢、疎にして漏らさず」、恢恢は大なるさま、天網は目があらいようだが、悪人を漏らさず捕らえる。天道は厳正で悪事をはたらいた者には必ずその報いがある。ここの詩の網は好運のあみをいぅ。○老 李白が老いること。○ 李白の身。○ 煩いをうける。


千秋萬歲名、寂寞身後事。」
(あれだけの大詩人であって)永遠不朽の名などいうものは生きている時には望んでいるのではない、ただそれは寂寞たる死後、いわれる事である。(今は天が救ってくれ。)』
千秋万歳名 永遠不朽の名。○寂寞 孤独でいることのさびしいさま。


(李白を夢む その二)
浮雲 終日行く、遊子 久しく至らず。
三夜 頻【しき】りに君を夢む、情 親しみ君が意を見る。
歸るを告げて常に局促【きょくそく】たり、苦【ねんごろ】に道【い】う 來るは易からず。
江湖【こうこ】風波多く、舟楫【しゅうしゅう】失墜せんことを恐ると。」
門を出(い)でて白首【はくしゅ】を掻く、平生【へいぜい】の志に負【そむ】くが若【ごと】し。
冠蓋【かんがい】京華【けいか】に満つ、斯【こ】の人 独り  顦顇【しょうすい】す。
孰【たれ】か云う 網【あみ】恢恢【かいかい】たりと、将【まさ】に老いんとして身【み】)反【かえ)って累【つみ】()せらる。
千秋【せんしゅう】 万歳【ばんざい】の名は、寂寞【せきばく】たる身後【しんご】の事。


浮雲は終日流れてくるのに、あなたとはなかなか会えない、三夜にかけてあなたの夢を見ました、そのなかであなたの暖かい志に接することが出来ました
でもあなたは急いで帰らねばならぬという、またここへやってくるのは大変だったともいった、途中江湖には風波が立って、船が沈没しそうになったと


 李白は13年前、長安を追われた自分を逐客と称していた。杜甫は李白の夢を見て、自分の憶いが李白に通じたと喜ぶのだが、夢の中の李白の様子がいつもと違っている。

 杜甫は李白が永王の軍に参加して捕らわれ、獄舎に入れられ、資材の可能性があるとは聞いていた。李白の魂魄が夢の中に現われたのである。それを考え眠れずにいて、落ちた月の光に照らされた梁の光が反射したように、李白の顔が蒼白かった。それで、李白が不運な目に会って命を落とすのではないかと杜甫は心配でならなかったのだ。

 杜甫は三晩もつづけて李白の夢を見た。李白は死んでしまって魂魄が飛んできて夢に現われたのではないかと疑った。もう帰るといいながら落ち着きがなく、「来たること易からず 江湖 風波多し 舟楫 恐らくは失墜せん」と不吉なことを言うのである。

 夢の中の李白には、いつもの謫仙人の傲然としたところがないのである。しょぼしょぼと白髪頭を掻いているのだ。まさかとは思うが、あれほどの人が老境になって罰せられ、死後に名を残すようなことになるのだろうかと、杜甫は李白の死を心配した。杜甫は暗く愁いに満ちた気持ちを胸に、秦州への旅をつづけたのだ。 

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夢李白二首 其二 <231-#1>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1124 杜甫特集700- 339

(李白を夢む その二)
華州から秦州への旅の途中、杜甫は李白の夢を三晩もつづけて李白の夢を見た。それで、李白は死んでしまって魂魄が飛んできて夢に現われたのではないかと疑ったのだ。夢の中で李白は「もう帰る」といいながら落ち着きがなく、「来たること易からず 江湖 風波多し 舟楫 恐らくは失墜せん」と不吉なことを言うのである。
 夢の中の李白に、いつもの傲然としたところがなく、しょぼい白髪頭を掻いている。「まさかとは思うが、あなたほどの人が老境になって罰せられ、死後に名を残すようなことになるのだろうか」と、杜甫は李白の死を心配している。
759年乾元二年7月48歳秦州に向かう道中で書いたもの。


其二
浮雲終日行、遊子久不至。  
空に浮かんでいる雲は一日中動き飛び去って戻らないが、その雲と同じようにわたしがはるかに思う旅人(李白)もなかなかこちらへやってこない。
三夜頻夢君、情親見君意。
ところが近ごろ、三晩続いてしきりと君を夢にみたのだ。それで君の思いがわたしに伝わっていかに親しもうとする意をもっているかが見られるというものだ。」
告歸常局促、苦道來不易。
夢で遭う度にいつも君は「もうかえる」と告げてのびのびしない様子なのだ、それは李白が苦々しく云うにはここへやってくるのは容易ではなかったということなのだ。
江湖多風波、舟楫恐失墜。』
「江南・江湖の地方は風波が多いから、舟や楫があるいはおとされ失われるのではないかと心配する」などというのである。
#2
出門搔白首、若負平生志。
冠蓋滿京華、斯人獨憔悴。
孰云網恢恢、將老身反累。
千秋萬歲名、寂寞身後事。』


(李白を夢む その二)
浮雲 終日行く、遊子 久しく至らず。
三夜 頻【しき】りに君を夢む、情 親しみ君が意を見る。
歸るを告げて常に局促【きょくそく】たり、苦【ねんごろ】に道【い】う 來るは易からず。
江湖【こうこ】風波多く、舟楫【しゅうしゅう】失墜せんことを恐ると。』
#2
門を出(い)でて白首【はくしゅ】を掻く、平生【へいぜい】の志に負【そむ】くが若【ごと】し。
冠蓋【かんがい】京華【けいか】に満つ、斯【こ】の人 独り  顦顇【しょうすい】す。
孰【たれ】か云う 網【あみ】恢恢【かいかい】たりと、将【まさ】に老いんとして身【み】)反【かえ)って累【つみ】()せらる。
千秋【せんしゅう】 万歳【ばんざい】の名は、寂寞【せきばく】たる身後【しんご】の事。』


現代語訳と訳註
(本文) 其二
浮雲終日行、遊子久不至。  
三夜頻夢君、情親見君意。
告歸常局促、苦道來不易。
江湖多風波、舟楫恐失墜。」


(下し文)
(李白を夢む その二)
浮雲 終日行く、遊子 久しく至らず。
三夜 頻【しき】りに君を夢む、情 親しみ君が意を見る。
歸るを告げて常に局促【きょくそく】たり、苦【ねんごろ】に道【い】う 來るは易からず。
江湖【こうこ】風波多く、舟楫【しゅうしゅう】失墜せんことを恐ると。」


(現代語訳)
空に浮かんでいる雲は一日中動き飛び去って戻らないが、その雲と同じようにわたしがはるかに思う旅人(李白)もなかなかこちらへやってこない。
ところが近ごろ、三晩続いてしきりと君を夢にみたのだ。それで君の思いがわたしに伝わっていかに親しもうとする意をもっているかが見られるというものだ。」
夢で遭う度にいつも君は「もうかえる」と告げてのびのびしない様子なのだ、それは李白が苦々しく云うにはここへやってくるのは容易ではなかったということなのだ。
「江南・江湖の地方は風波が多いから、舟や楫があるいはおとされ失われるのではないかと心配する」などというのである。


(訳注) 其二
浮雲終日行、遊子久不至。 
 
空に浮かんでいる雲は一日中動き飛び去って戻らないが、その雲と同じようにわたしがはるかに思う旅人(李白)もなかなかこちらへやってこない。
終日行一日中うごき去る、遊子のかえらぬことの比喩。○遊子 旅人、李白をさす。○ 自己の居る処へくる。


三夜頻夢君、情親見君意。
ところが近ごろ、三晩続いてしきりと君を夢にみたのだ。それで君の思いがわたしに伝わっていかに親しもうとする意をもっているかが見られるというものだ。」
情親 心のしたしいこと。○君意 李白の情親しむの意。情親見君意とは見二君情親恵一というのにおなじ。○告帰 李白がもはや商へかえるべきことを作者につげる。


告歸常局促、苦道來不易。
夢で遭う度にいつも君は「もうかえる」と告げてのびのびしない様子なのだ、それは李白が苦々しく云うにはここへやってくるのは容易ではなかったということなのだ。
 三夜ともいつも。○局促 心ののびのびせぬ様子。○苦道 李白が苦々しく云う。容疑の事実に不満足であること。○来不易 ここへくることは容易でなかった。


江湖多風波、舟楫恐失墜。』
「江南・江湖の地方は風波が多いから、舟や楫があるいはおとされ失われるのではないかと心配する」などというのである。
江湖二句 李白の言とする。

夢李白二首 其一 <230-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1121 杜甫特集700- 338

夢李白二首 其一 <230-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1121 杜甫特集700- 338



夢李白  二首 其一    杜甫
李白を夢で見る。
#1
死別已吞聲、 生別常惻惻。  
李白は死罪を宣告され、夢ではすでに処刑という死別に声をのんで泣き別れをしているが、もしかしたら生きているかもしれないが、かつて魯郡の石門山で生き別れをして以来、いつも悲しみの心を動かしている。
江南瘴癘地、 逐客無消息。』
李白は長いこと居た江南は毒気の多い土地だ、都を追われて旅客となった李白からどうしたわけか全く便りが無いのである。』
故人入我夢、 明我長相憶。
ところが一夜彼はわが夢のなかにはいってきた。これはわたしが長い間いつもいつも李白をおもっていることを彼ははっきり心得ているからであろう。
恐非平生魂、 路遠不可測。」

さて李白の様子をみるとなんだかふだん在世のたましいではないような気がしてならない、死魂がきたのではないかと心配する。非常に遠路なのに夢であれこんなところまで来るとはどうしたわけかはかり知ることができないのだ。


#2
魂來楓林青、 魂返關塞黑。』
李白の魂は楓林の青くぼんやりとしたところからここへとやって来たのであろう。こんどは魂が帰っていくのは関所や塞の夜の黒闇に向かっていったのである。
君今在羅網、 何以有羽翼。
君は今、罪人で網檻のなかにはいっているはずではないか、どうして羽の翼があってここへとんでくることができたのだろうが、(もしかしたら処刑されたのだろうか。)』
落月滿屋樑、 猶疑照顏色。
わたしは寝室で横になったまま明け方落ちかかる満月の光が梁の木を明るく照らすのを見続ける、その光はまだ李白の顔を照らしているのか疑われるのである。
水深波浪闊、 無使蛟龍得。』
南方江湖の水が深く、波浪を起こし、広くひろがっていくから、蛟竜に良いように為され、それに害せられないようにしないといけないのだ。』

#1
死別 已に聲を吞むも、生別 常に惻惻たり。
江南は瘴癘【しょうれい】の地、逐客【ちくかく】消息無し。
故人【こじん】我が夢に入り、我が長く相憶うを明らかにす。
恐らくは平生【へいぜい】の魂に非じ、路遠くして測る可からず。
#2
魂 來たるとき 楓林【ふうりん】青く、魂返るとき 關塞【かんさい】黑し。
君は今 羅網【らもう】に在り、何を以て 羽翼【うよく】有るや。
落月 屋樑【おくりょう】に滿つ、猶 疑う顏色を照らすかと。
水深くして波浪【はろう】闊【ひろ】し、蚊竜【こうりょう】をして得しむること無れ。』


現代語訳と訳註
(本文)
#2
魂來楓林青、 魂返關塞黑。』
君今在羅網、 何以有羽翼。
落月滿屋樑、 猶疑照顏色。
水深波浪闊、 無使蛟龍得。』


(下し文) #2
魂 來たるとき 楓林【ふうりん】青く、魂返るとき 關塞【かんさい】黑し。
君は今 羅網【らもう】に在り、何を以て 羽翼【うよく】有るや。
落月 屋樑【おくりょう】に滿つ、猶 疑う顏色を照らすかと。
水深くして波浪【はろう】闊【ひろ】し、蚊竜【こうりょう】をして得しむること無れ。』


(現代語訳)
李白の魂は楓林の青くぼんやりとしたところからここへとやって来たのであろう。こんどは魂が帰っていくのは関所や塞の夜の黒闇に向かっていったのである。
君は今、罪人で網檻のなかにはいっているはずではないか、どうして羽の翼があってここへとんでくることができたのだろうが、(もしかしたら処刑されたのだろうか。)』
わたしは寝室で横になったまま明け方落ちかかる満月の光が梁の木を明るく照らすのを見続ける、その光はまだ李白の顔を照らしているのか疑われるのである。
南方江湖の水が深く、波浪を起こし、広くひろがっていくから、蛟竜に良いように為され、それに害せられないようにしないといけないのだ。』


(訳注)
魂來楓林青、 魂返關塞黑

李白の魂は楓林の青くぼんやりとしたところからここへとやって来たのであろう。こんどは魂が帰っていくのは関所や塞の夜の黒闇に向かっていったのである。
魂来 李白の魂が杜甫の居る所へくる。○楓林青 楓林は江南の名木、江南地方の物であるが青は夜の霞でぼんやりとはっきり見えない状況をいう遠近法である。○魂返 李白の魂が江南の楓林なのか、獄舎なのかわからないが、かえること言う。○関塞 関所、塞、獄舎など即ち官舎などの物である。○ 遠近法で暗い闇の状態の中に「関所・塞」がみえないほどのなかにあることをいう、夜の色のこと。靑は生まれてくる色、初めの色であり、黒は終わりの色、透明の色、亡くなる色として使っている。


君今在羅網、 何以有羽翼。
君は今、罪人で網檻のなかにはいっているはずではないか、どうして羽の翼があってここへとんでくることができたのだろうが、(もしかしたら処刑されたのだろうか。)』
君今在羅網、何以有羽巽 君は李白をさし、羅網は罪禍のあみのこと監獄、罪人は鳥が網の中へ入れられているように拘束されている。自分の夢に出てきたということは、もしかして処刑されて、魂だけが、ここへ来たのだろうか。
靑は生まれてくる色、初めの色であり、黒は終わりの色、透明の色、亡くなる色として使っている。


落月滿屋樑、 猶疑照顏色。
わたしは寝室で横になったまま明け方落ちかかる満月の光が梁の木を明るく照らすのを見続ける、その光はまだ李白の顔を照らしているのか疑われるのである。
落月 落ちかかる月の光。○屋梁 やねのはりの木。寝た状態で見るときの表現法である。寝ているのか起きているのかわからない状態をいう写実的な表現法である。○猶疑 猶とは夢のさめたのちまだの意。○顔色 李白のかおつき。


水深波浪闊、 無使蛟龍得。」
南方江湖の水が深く、波浪を起こし、広くひろがっていくから、蛟竜に良いように為され、それに害せられないようにしないといけないのだ。』
水深 水は南方の江湖の水をいう。〇蛟龍 人を害するみずち。○ 得意、好き勝手にされる、せしめることをいう。


夢李白
 杜甫と李白は745年魯郡の石門山で別れて以来、会っていない。その李白が安史の乱・永王李璘の水軍に入り、て生死不明と聞き、杜甫は李白の夢を見たことで、この詩を作った。李白の情報は、757年2月永王璘敗れ、李白彭澤に逃げ、秋に長安・洛陽、奪回、李白が捕えられ、粛宗、玄宗長安に帰る。李白は潯陽の獄に捕えられる。758年李白は死罪という情報を杜甫は華州で知る。杜甫が華州から秦州へ旅立つ758年7月段階では、いつ処刑されるかわからないが、おそらく近々施されるという段階であった。
758年8月、死罪を言い渡される直前に長安奪還の功労者郭子儀の助言で、夜郎に流刑となった。しかしこの詩の段階では知る由もない。

夢李白  二首 其一    杜甫
死別已吞聲、 生別常惻惻。  死別 已に聲を吞むも、生別 常に惻惻たり。
江南瘴癘地、 逐客無消息。江南は瘴癘【しょうれい】の地、逐客【ちくかく】消息無し。
故人入我夢、 明我長相憶。故人【こじん】我が夢に入り、我が長く相憶うを明らかにす。
恐非平生魂、 路遠不可測。恐らくは平生【へいぜい】の魂に非じ、路遠くして測る可からず。
魂來楓林青、 魂返關塞黑。魂 來たるとき 楓林【ふうりん】青く、魂返るとき 關塞【かんさい】黑し。
君今在羅網、 何以有羽翼。君は今 羅網【らもう】に在り、何を以て 羽翼【うよく】有るや。
落月滿屋樑、 猶疑照顏色。落月 屋樑【おくりょう】に滿つ、猶 疑う顏色を照らすかと。
水深波浪闊、 無使蛟龍得。水深くして波浪【はろう】闊【ひろ】し、蚊竜【こうりょう】をして得しむること無れ。』

夢李白二首 其一 <230-#1>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1118 杜甫特集700- 337

夢李白二首 其一 <230-#1>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1118 杜甫特集700- 337

華州から秦州への旅の途中、杜甫は李白の夢を三晩もつづけて李白の夢を見た。それで、李白は死んでしまって魂魄が飛んできて夢に現われたのではないかと疑ったのだ。夢の中で李白は「もう帰る」といいながら落ち着きがなく、「来たること易からず 江湖 風波多し 舟楫 恐らくは失墜せん」と不吉なことを言うのである。
 夢の中の李白に、いつもの傲然としたところがなく、しょぼい白髪頭を掻いている。「まさかとは思うが、あなたほどの人が老境になって罰せられ、死後に名を残すようなことになるのだろうか」と、杜甫は李白の死を心配している。
759年乾元二年7月48歳秦州に向かう道中で書いたもの。


夢李白  二首 其一    杜甫
李白を夢で見る。
#1

死別已吞聲、 生別常惻惻。  
李白は死罪を宣告され、夢ではすでに処刑という死別に声をのんで泣き別れをしているが、もしかしたら生きているかもしれないが、かつて魯郡の石門山で生き別れをして以来、いつも悲しみの心を動かしている。
江南瘴癘地、 逐客無消息。』
李白は長いこと居た江南は毒気の多い土地だ、都を追われて旅客となった李白からどうしたわけか全く便りが無いのである。』
故人入我夢、 明我長相憶。
ところが一夜彼はわが夢のなかにはいってきた。これはわたしが長い間いつもいつも李白をおもっていることを彼ははっきり心得ているからであろう。
恐非平生魂、 路遠不可測。」
さて李白の様子をみるとなんだかふだん在世のたましいではないような気がしてならない、死魂がきたのではないかと心配する。非常に遠路なのに夢であれこんなところまで来るとはどうしたわけかはかり知ることができないのだ。
#2
魂來楓林青、 魂返關塞黑。』
君今在羅網、 何以有羽翼。
落月滿屋樑、 猶疑照顏色。
水深波浪闊、 無使蛟龍得。』

#1
死別 已に聲を吞むも、生別 常に惻惻たり。
江南は瘴癘【しょうれい】の地、逐客【ちくかく】消息無し。
故人【こじん】我が夢に入り、我が長く相憶うを明らかにす。
恐らくは平生【へいぜい】の魂に非じ、路遠くして測る可からず。

#2
魂 來たるとき 楓林【ふうりん】青く、魂返るとき 關塞【かんさい】黑し。
君は今 羅網【らもう】に在り、何を以て 羽翼【うよく】有るや。
落月 屋樑【おくりょう】に滿つ、猶 疑う顏色を照らすかと。
水深くして波浪【はろう】闊【ひろ】し、蚊竜【こうりょう】をして得しむること無れ。』


現代語訳と訳註
(本文)
夢李白  二首 其一  #1
死別已吞聲、 生別常惻惻。  
江南瘴癘地、 逐客無消息。』
故人入我夢、 明我長相憶。
恐非平生魂、 路遠不可測。」


(下し文) #1
死別 已に聲を吞むも、生別 常に惻惻たり。
江南は瘴癘【しょうれい】の地、逐客【ちくかく】消息無し。
故人【こじん】我が夢に入り、我が長く相憶うを明らかにす。
恐らくは平生【へいぜい】の魂に非じ、路遠くして測る可からず。


(現代語訳)
李白を夢で見る。
李白は死罪を宣告され、夢ではすでに処刑という死別に声をのんで泣き別れをしているが、もしかしたら生きているかもしれないが、かつて魯郡の石門山で生き別れをして以来、いつも悲しみの心を動かしている。
李白は長いこと居た江南は毒気の多い土地だ、都を追われて旅客となった李白からどうしたわけか全く便りが無いのである。』
ところが一夜彼はわが夢のなかにはいってきた。これはわたしが長い間いつもいつも李白をおもっていることを彼ははっきり心得ているからであろう。
さて李白の様子をみるとなんだかふだん在世のたましいではないような気がしてならない、死魂がきたのではないかと心配する。非常に遠路なのに夢であれこんなところまで来るとはどうしたわけかはかり知ることができないのだ。


(訳注)#1
夢李白
李白を夢で見る。
 杜甫と李白は745年魯郡の石門山で別れて以来、会っていない。その李白が安史の乱・永王李璘の水軍に入り、て生死不明と聞き、杜甫は李白の夢を見たことで、この詩を作った。李白の情報は、757年2月永王璘敗れ、李白彭澤に逃げ、秋に長安・洛陽、奪回、李白が捕えられ、粛宗、玄宗長安に帰る。李白は潯陽の獄に捕えられる。758年李白は死罪という情報を杜甫は華州で知る。杜甫が華州から秦州へ旅立つ758年7月段階では、いつ処刑されるかわからないが、おそらく近々施されるという段階であった。
758年8月、死罪を言い渡される直前に長安奪還の功労者郭子儀の助言で、夜郎に流刑となった。しかしこの詩の段階では知る由もない。


死別已吞聲、生別常惻惻。  
李白は死罪を宣告され、夢ではすでに処刑という死別に声をのんで泣き別れをしているが、もしかしたら生きているかもしれないが、かつて魯郡の石門山で生き別れをして以来、いつも悲しみの心を動かしている。
死別己春声 此の句については諸説があるが、①死別は745年李白と魯郡の石門山で別れて別れたとき死別だとおもった、己とは往時をさす語である。②およそ死別というものは哀しいもの、生別れもそれに劣らず常に忘れることなく心を痛めるもの。というものである。③ここでは死刑宣告を受けたものとして夢に出ている。杜甫自身、官僚になったものの、天子の良き助言者となり得なく夢破れている。李白も朝廷を追われ、永王璘軍に於けるという軍師としての夢が破れている。互いに将来に対する希望がないという意味で捉えることである。○生別 現在なお存在して別離していることをいう。○側側 心のいたむさま。


江南瘴癘地、逐客無消息。
李白は長いこと居た江南は毒気の多い土地だ、都を追われて旅客となった李白からどうしたわけか全く便りが無いのである。』
江南 長江の下流域の南、宜城、秋浦、天台山、会稽、白の居た地。○瘴癘 わるい水蒸気。マラリアの発症率が高い湿気の多い所。当時は、蚊が媒体するのではなく毒ガスがマラリアの病原と考えられていた。○逐客 朝廷からおいだされたもの、李白をさす、李白は永王璘の挙兵に関係した罪により759年8月乾元2年に夜郎に流され、二年に途中より赦されてもどった。詩は赦されたことをしらない、以前のもののため逐客という。○消息 たより。


故人入我夢、 明我長相憶。
ところが一夜彼はわが夢のなかにはいってきた。これはわたしが長い間いつもいつも李白をおもっていることを彼ははっきり心得ているからであろう。
○故人 ふるなじみ。李白をさす。○ 李白が明らかに知ること、句意は明知しているために夢にあらわれたというのである。○長相憶 いつまでも思う。


恐非平生魂、 路遠不可測。」
さて李白の様子をみるとなんだかふだん在世のたましいではないような気がしてならない、死魂がきたのではないかと心配する。非常に遠路なのに夢であれこんなところまで来るとはどうしたわけかはかり知ることができないのだ。
平生魂 ふだんのたましい、ふだんとは在世のことをいう。○不可測 なぜ遠路を来たのかそのわけがはかり知られぬ。

佳人 <229-#3>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1115 杜甫特集700- 336

佳人 <229-#3>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1115 杜甫特集700- 336


佳人
絕代有佳人,幽居在空穀。
ここに絶えて世間にないほどの美人がいる、その人はだれもいないしずかな山合いの谷に侘び住いをしている。
自雲良家子,零落依草木。
彼女みずからの語る所によると、もとは相当の家柄のものの子なのだが、今はたよるべき人も無くて秋とともにおちちる山中の草木、近所の平民をたよりとしているのだ。
關中昔喪敗,兄弟遭殺戮。
数年前(756年のこと)、長安地方が王朝軍の大敗北により、喪乱のなかで兄弟たちは叛乱軍により殺戮されてしまったのだ。
官高何足論?不得收骨肉。』
兄弟たちの地位は高官であったが、そんなものは取り立てていうほどの値打ちのあるものではないのだ。彼らが殺されてしまっては親戚も引き取ってくれることはできはしないのである。』

#2
世情惡衰歇,萬事隨轉燭。
普通世間の人にたいする情というものは女盛りなら誰でも愛すものだが、歳を重ね衰えてしまった肢体顔色、後ろ盾がなく、頼る背のないものは嫌がられるものであり、わが身づくろいも万事はその場の成り行きのままになってきた。
夫婿輕薄兒,新人美如玉。
見栄えと親族兄弟の後ろ盾の無くなった自分に対し婿夫【むこ】はうわきもので、わかくて玉のような美人をあらたにむかえいれた。
合昏尚知時,鴛鴦不獨宿。
「ねむ」の花は、夕方になれば葉と葉がよりあう時刻を知っているものであり、おしどりのつがいは独りでは宿らず必ず並びあってねむる。(かつて私にそうであったように(新人に合歓の葉、おしどりのようにしている。)
但見新人笑,那聞舊人哭?』

ただ、新しい女のおもしろそうに笑うことはできているのはみとめられるが、彼らには元の妻が泣き悲しむ声などを聞く耳などありはしないのだ。(そのうち自分のみに帰ってくることだ)』

#3
在山泉水清,出山泉水濁。
湧き出る泉も山に在るときは澄んでいるものだが、山を出れば濁るのだ。(この佳人の境遇の変化もまたこれに似ている。昨日の富貴は今の貧困と変わった。しかし、清らかさを守る為人目を避けて山の中で暮らしている。)
侍婢賣珠回,牽蘿補茅屋。
暮らしていくため、美人の彼女のお付の侍女は真珠を売って戻ってくる。家に目をやると茅葺きの屋根の破れはひめかつらの蔓を引っぱって補っている。
摘花不插發,采柏動盈掬。
花を摘み取るが、しかし、それを髪に挿すことはしない。それは食料に充てられるためで、やがて実を成した「かやの実」はともすると両手にいっぱいになるほど掬い取られるのだ。
天寒翠袖薄,日暮倚修竹。』
この寒空にこの美人の彼女は薄い翠の袖をつけている、日暮れになれば居寂しく背高い竹の傍に寄り添うようにたたずんでいるのである。(華やかだったありし日を思い浮かべているのだ)』


佳人 
#1

絶代【ぜつだい】佳人【かじん】あり、幽居【ゆうきょ】して空谷【くうこく】に在り。
自ら云う良家の子、零落【れいらく】草木に依る。
関中【かんちゅう】昔 喪乱【そうらん】、兄弟 殺戮【さつりく】に遭えり。
官高きも何ぞ論ずるに足らん、骨肉【こつにく】を収むるを得ず。』
#2
世情【せじょう】衰歇【すいけつ】を悪む、万事【ばんじ】転燭【てんしょく】に随う。
夫婿【ふせい】は軽薄の児、新人【しんじん】美なること玉の如し。
合昏【ごうこん】すら 尚お時を知る、鴛鴦【えんおう】独り宿せず。
但だ見る新人の笑うを、那【なん】ぞ聞かんや旧人の哭するを。』
#3
山に在れば泉水清し、山を出づれば泉水濁る。
侍婢【じひ】珠を売りて廻る、蘿を牽きて茅屋【ぼうおく】を補う。
花を摘むも髪に插まず、柏を采れば動【やや】もすれば掬【きく】に盈【み】つ。
天寒くして翠袖【すいしゅう】薄し、日暮れて修竹【しゅうちく】に倚る。』



現代語訳と訳註
(本文)
#3
在山泉水清,出山泉水濁。
侍婢賣珠回,牽蘿補茅屋。
摘花不插發,采柏動盈掬。
天寒翠袖薄,日暮倚修竹。』


(下し文) #3
山に在れば泉水清し、山を出づれば泉水濁る。
侍婢【じひ】珠を売りて廻る、蘿を牽きて茅屋【ぼうおく】を補う。
花を摘むも髪に插まず、柏を采れば動【やや】もすれば掬【きく】に盈【み】つ。
天寒くして翠袖【すいしゅう】薄し、日暮れて修竹【しゅうちく】に倚る。』


(現代語訳)
湧き出る泉も山に在るときは澄んでいるものだが、山を出れば濁るのだ。(この佳人の境遇の変化もまたこれに似ている。昨日の富貴は今の貧困と変わった。しかし、清らかさを守る為人目を避けて山の中で暮らしている。)
暮らしていくため、美人の彼女のお付の侍女は真珠を売って戻ってくる。家に目をやると茅葺きの屋根の破れはひめかつらの蔓を引っぱって補っている。
花を摘み取るが、しかし、それを髪に挿すことはしない。それは食料に充てられるためで、やがて実を成した「かやの実」はともすると両手にいっぱいになるほど掬い取られるのだ。
この寒空にこの美人の彼女は薄い翠の袖をつけている、日暮れになれば居寂しく背高い竹の傍に寄り添うようにたたずんでいるのである。(華やかだったありし日を思い浮かべているのだ)』


(訳注)
在山泉水清,出山泉水濁。

山に在れば泉水清し、山を出づれば泉水濁る。
湧き出る泉も山に在るときは澄んでいるものだが、山を出れば濁るのだ。(この佳人の境遇の変化もまたこれに似ている。昨日の富貴は今の貧困と変わった。しかし、清らかさを守る為人目を避けて山の中で暮らしている。)
在山泉水清,出山泉水濁。 境遇の変化をたとえたもの。いろんな意味に解釈できる。①佳人のなお富貴であったときが泉清にあたり、今貧困に居ることが泉濁にあたる。②在山二句は天寒二句にかかっており、貞操を保つ意味がないと合致しない。もとより、杜甫は、佳人に朝廷の不甲斐なさをかけている。③安史の乱の前の十数年、乱の要因を作りつつ、一方で唐期最大の繁栄を誇っていた。乱以降、破れ屋根に膏薬張りのような対応を繰り返し、あまた優秀な人材を死なせたり、遠ざけたり、左遷させた。この詩の新人とは、この時期以降飛躍的にその勢力を拡大伸長した宦官を意味していると考えることもできる。④叛乱軍・安史軍から恥辱を受けること避ける。
「終南別業」
(入山寄城中故人)王維
中歳頗好道、晩家南山陲。
興来毎独往、勝事空自知。
行到水窮処、坐看雲起時。
偶然値林叟、談笑無還期。


侍婢賣珠回,牽蘿補茅屋。
侍婢【じひ】珠を売りて廻る、蘿を牽きて茅屋【ぼうおく】を補う。
暮らしていくため、美人の彼女のお付の侍女は真珠を売って戻ってくる。家に目をやると茅葺きの屋根の破れはひめかつらの蔓を引っぱって補っている。
侍脾 こしもと。○売珠回 佳人の所有の真珠をうってもどる、生活のたしまえにするのである。○牽蘿 ひめかつらをひっぱって。○ 屋根の破れ目を足し繕う。


摘花不插發,采柏動盈掬。
花を摘むも髪に插まず、柏を采れば動【やや】もすれば掬【きく】に盈【み】つ。
花を摘み取るが、しかし、それを髪に挿すことはしない。それは食料に充てられるためで、やがて実を成した「かやの実」はともすると両手にいっぱいになるほど掬い取られるのだ。
摘花 花は実物である。○不挿髪 粧飾を念としないこと。○采柏 かやの実をとる、食料にあてるのである。○ ひとすくい。
 

天寒翠袖薄,日暮倚修竹。
天寒くして翠袖【すいしゅう】薄し、日暮れて修竹【しゅうちく】に倚る。』
この寒空にこの美人の彼女は薄い翠の袖をつけている、日暮れになれば居寂しく背高い竹の傍に寄り添うようにたたずんでいるのである。(華やかだったありし日を思い浮かべているのだ)』
翠袖 翠色のそで。〇倚修竹 若たけののびた竹によりそう、さびしい様子をうつす。修竹はしなやかである。薄絹と共に秀麗さ、艶めかしさを感じさせる。

佳人 <229-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1112 杜甫特集700- 335

佳人 <229-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1112 杜甫特集700- 335


佳人
絕代有佳人,幽居在空穀。
ここに絶えて世間にないほどの美人がいる、その人はだれもいないしずかな山合いの谷に侘び住いをしている。
自雲良家子,零落依草木。
彼女みずからの語る所によると、もとは相当の家柄のものの子なのだが、今はたよるべき人も無くて秋とともにおちちる山中の草木、近所の平民をたよりとしているのだ。
關中昔喪敗,兄弟遭殺戮。
数年前(756年のこと)、長安地方が王朝軍の大敗北により、喪乱のなかで兄弟たちは叛乱軍により殺戮されてしまったのだ。
官高何足論?不得收骨肉。』
兄弟たちの地位は高官であったが、そんなものは取り立てていうほどの値打ちのあるものではないのだ。彼らが殺されてしまっては親戚も引き取ってくれることはできはしないのである。』

#2
世情惡衰歇,萬事隨轉燭。
普通世間の人にたいする情というものは女盛りなら誰でも愛すものだが、歳を重ね衰えてしまった肢体顔色、後ろ盾がなく、頼る背のないものは嫌がられるものであり、わが身づくろいも万事はその場の成り行きのままになってきた。
夫婿輕薄兒,新人美如玉。
見栄えと親族兄弟の後ろ盾の無くなった自分に対し婿夫【むこ】はうわきもので、わかくて玉のような美人をあらたにむかえいれた。
合昏尚知時,鴛鴦不獨宿。
「ねむ」の花は、夕方になれば葉と葉がよりあう時刻を知っているものであり、おしどりのつがいは独りでは宿らず必ず並びあってねむる。(かつて私にそうであったように(新人に合歓の葉、おしどりのようにしている。)
但見新人笑,那聞舊人哭?』

ただ、新しい女のおもしろそうに笑うことはできているのはみとめられるが、彼らには元の妻が泣き悲しむ声などを聞く耳などありはしないのだ。(そのうち自分のみに帰ってくることだ)』

#3
在山泉水清,出山泉水濁。
侍婢賣珠回,牽蘿補茅屋。
摘花不插發,采柏動盈掬。
天寒翠袖薄,日暮倚修竹。』


佳人 #1
絶代【ぜつだい】佳人【かじん】あり、幽居【ゆうきょ】して空谷【くうこく】に在り。
自ら云う良家の子、零落【れいらく】草木に依る。
関中【かんちゅう】昔 喪乱【そうらん】、兄弟 殺戮【さつりく】に遭えり。
官高きも何ぞ論ずるに足らん、骨肉【こつにく】を収むるを得ず。』
#2
世情【せじょう】衰歇【すいけつ】を悪む、万事【ばんじ】転燭【てんしょく】に随う。
夫婿【ふせい】は軽薄の児、新人【しんじん】美なること玉の如し。
合昏【ごうこん】すら 尚お時を知る、鴛鴦【えんおう】独り宿せず。
但だ見る新人の笑うを、那【なん】ぞ聞かんや旧人の哭するを。』

#3
山に在れば泉水清し、山を出づれば泉水濁る。
侍婢【じひ】珠を売りて廻る、蘿を牽きて茅屋【ぼうおく】を補う。
花を摘むも髪に插まず、柏を采れば動【やや】もすれば掬【きく】に盈【み】つ。
天寒くして翠袖【すいしゅう】薄し、日暮れて修竹【しゅうちく】に倚る。』


現代語訳と訳註
(本文)
#2
世情惡衰歇,萬事隨轉燭。
夫婿輕薄兒,新人美如玉。
合昏尚知時,鴛鴦不獨宿。
但見新人笑,那聞舊人哭?』


(下し文) #2
世情【せじょう】衰歇【すいけつ】を悪む、万事【ばんじ】転燭【てんしょく】に随う。
夫婿【ふせい】は軽薄の児、新人【しんじん】美なること玉の如し。
合昏【ごうこん】すら 尚お時を知る、鴛鴦【えんおう】独り宿せず。
但だ見る新人の笑うを、那【なん】ぞ聞かんや旧人の哭するを。』


(現代語訳)
普通世間の人にたいする情というものは女盛りなら誰でも愛すものだが、歳を重ね衰えてしまった肢体顔色、後ろ盾がなく、頼る背のないものは嫌がられるものであり、わが身づくろいも万事はその場の成り行きのままになってきた。
見栄えと親族兄弟の後ろ盾の無くなった自分に対し婿夫【むこ】はうわきもので、わかくて玉のような美人をあらたにむかえいれた。
「ねむ」の花は、夕方になれば葉と葉がよりあう時刻を知っているものであり、おしどりのつがいは独りでは宿らず必ず並びあってねむる。(かつて私にそうであったように(新人に合歓の葉、おしどりのようにしている。)
ただ、新しい女のおもしろそうに笑うことはできているのはみとめられるが、彼らには元の妻が泣き悲しむ声などを聞く耳などありはしないのだ。(そのうち自分のみに帰ってくることだ)』


(訳注)
世情惡衰歇,萬事隨轉燭。
普通世間の人にたいする情というものは女盛りなら誰でも愛すものだが、歳を重ね衰えてしまった肢体顔色、後ろ盾がなく、頼る背のないものは嫌がられるものであり、わが身づくろいも万事はその場の成り行きのままになってきた。
世情 普通世間の人にたいする情というものは。○哀歇 色衰え芳歇むことをいう、肢体顔色の衰えることをいう。○随転燭 転燭とは燭の影、風に吹かれれば転揺して定まらないことをいう、世態の定まらぬたとえである、随とはそれにまかせそのとおりになること。


夫婿輕薄兒,新人美如玉。
見栄えと親族兄弟の後ろ盾の無くなった自分に対し婿夫【むこ】はうわきもので、わかくて玉のような美人をあらたにむかえいれた。
夫婿 おっと。○軽薄児 うわきもの。○新人 あらたに迎えいれた女。


合昏尚知時,鴛鴦不獨宿。
「ねむ」の花は、夕方になれば葉と葉がよりあう時刻を知っているものであり、おしどりのつがいは独りでは宿らず必ず並びあってねむる。(かつて私にそうであったように(新人に合歓の葉、おしどりのようにしている。)
合昏 合歓に同じ、ねむの花、ねむは夕方になるとその葉が左右相い合する。○尚知時 時とは夕方の時刻をいう、尚とは木すらなおの意。○鴛意 おしどり。


但見新人笑,那聞舊人哭?
ただ、新しい女のおもしろそうに笑うことはできているのはみとめられるが、彼らには元の妻が泣き悲しむ声などを聞く耳などありはしないのだ。(そのうち自分のみに帰ってくることだ)』
 よろこぶさま。○旧人 ふるくからいる人、即ち佳人。

佳人 <229-#1>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1109 杜甫特集700- 334

佳人 <229-#1>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1109 杜甫特集700- 334

秦州(甘粛省天水県)は、隴山の西に位置する国境の町である。隴山は約2000mの連峰で、それを越えるための路は険阻で曲折はなはだしく、山越えのためには七日を要したといわれる。
秦州の山谷において貴族出身の一婦人のおちぶれているのを見て、その有様を叙した詩である。759年乾元二年秋冬48歳のころの作。 安禄山の叛乱から丸4年、安史の乱は足かけ9年間続いたのだから、この時期は安史の乱の真ん中あたり。

佳人
絕代有佳人,幽居在空穀。
ここに絶えて世間にないほどの美人がいる、その人はだれもいないしずかな山合いの谷に侘び住いをしている。
自雲良家子,零落依草木。
彼女みずからの語る所によると、もとは相当の家柄のものの子なのだが、今はたよるべき人も無くて秋とともにおちちる山中の草木、近所の平民をたよりとしているのだ。
關中昔喪敗,兄弟遭殺戮。
数年前(756年のこと)、長安地方が王朝軍の大敗北により、喪乱のなかで兄弟たちは叛乱軍により殺戮されてしまったのだ。
官高何足論?不得收骨肉。』

兄弟たちの地位は高官であったが、そんなものは取り立てていうほどの値打ちのあるものではないのだ。彼らが殺されてしまっては親戚も引き取ってくれることはできはしないのである。』
#2
世情惡衰歇,萬事隨轉燭。
夫婿輕薄兒,新人美如玉。
合昏尚知時,鴛鴦不獨宿。
但見新人笑,那聞舊人哭?』
#3
在山泉水清,出山泉水濁。
侍婢賣珠回,牽蘿補茅屋。
摘花不插發,采柏動盈掬。
天寒翠袖薄,日暮倚修竹。』


佳人 #1
絶代【ぜつだい】佳人【かじん】あり、幽居【ゆうきょ】して空谷【くうこく】に在り。
自ら云う良家の子、零落【れいらく】草木に依る。
関中【かんちゅう】昔 喪乱【そうらん】、兄弟 殺戮【さつりく】に遭えり。
官高きも何ぞ論ずるに足らん、骨肉【こつにく】を収むるを得ず。』

#2
世情【せじょう】衰歇【すいけつ】を悪む、万事【ばんじ】転燭【てんしょく】に随う。
夫婿【ふせい】は軽薄の児、新人【しんじん】美なること玉の如し。
合昏【ごうこん】すら 尚お時を知る、鴛鴦【えんおう】独り宿せず。
但だ見る新人の笑うを、那【なん】ぞ聞かんや旧人の哭するを。』
#3
山に在れば泉水清し、山を出づれば泉水濁る。
侍婢【じひ】珠を売りて廻る、蘿を牽きて茅屋【ぼうおく】を補う。
花を摘むも髪に插まず、柏を采れば動【やや】もすれば掬【きく】に盈【み】つ。
天寒くして翠袖【すいしゅう】薄し、日暮れて修竹【しゅうちく】に倚る。』


現代語訳と訳註
(本文)
佳人 #1
絕代有佳人,幽居在空穀。
自雲良家子,零落依草木。
關中昔喪敗,兄弟遭殺戮。
官高何足論?不得收骨肉。』


(下し文) 佳人 #1
絶代【ぜつだい】佳人【かじん】あり、幽居【ゆうきょ】して空谷【くうこく】に在り。
自ら云う良家の子、零落【れいらく】草木に依る。
関中【かんちゅう】昔 喪乱【そうらん】、兄弟 殺戮【さつりく】に遭えり。
官高きも何ぞ論ずるに足らん、骨肉【こつにく】を収むるを得ず。』


(現代語訳)
ここに絶えて世間にないほどの美人がいる、その人はだれもいないしずかな山合いの谷に侘び住いをしている。
彼女みずからの語る所によると、もとは相当の家柄のものの子なのだが、今はたよるべき人も無くて秋とともにおちちる山中の草木、近所の平民をたよりとしているのだ。
数年前(756年のこと)、長安地方が王朝軍の大敗北により、喪乱のなかで兄弟たちは叛乱軍により殺戮されてしまったのだ。
兄弟たちの地位は高官であったが、そんなものは取り立てていうほどの値打ちのあるものではないのだ。彼らが殺されてしまっては親戚も引き取ってくれることはできはしないのである。』


(訳注)佳人
貴族出身の一婦人。『曲江對雨』(曲江にて雨に対す)「城上春雲覆苑牆,江亭晚色靜年芳。林花著雨燕支濕,水荇牽風翠帶長。龍武新軍深駐輦,芙蓉別殿謾焚香。何時詔此金錢會,暫醉佳人錦瑟旁?」(城上の春雲苑牆【えんしょう】を覆う、江亭晩色年芳【ねんほう】静かなり。林花雨を著【つ】けて燕支【えんし】湿い、水荇【すいこう】風に牽【ひ】かれて翠帯【すいたい】長し。竜武の新軍に深く輦【れん】を駐【とど】め、芙蓉の別殿に漫【まん】に香を焚く。何の時か詔【みことのり】して此の金銭の会あって、暫く酔わん佳人【けいじん】錦瑟【きんしつ】の傍【かたわら】)
『陪諸貴公子丈八溝携妓納涼晩際遇雨二首、其一』(諸貴公子に陪して、丈八溝に妓を携えて涼を納(いるる)、晩際に 雨に遇う 二首  其の一)「落日放船好、軽風生浪遅。竹深留客処、荷浄納涼時。公子調氷水、佳人雪藕糸。片雲頭上黒、応是雨催詩。」(落日  船を放つに好(よろ)しく、軽風浪を生ずること遅かりし。竹は深くし客を留まる処、荷(はす)は浄(きよ)し 涼(りょう)を納(いるる)の時。公子は氷水(ひょうすい)を調(ととの)え、佳人(かじん)は藕糸(ぐうし)を雪(ぬぐ)う。片雲(へんうん)  頭上(ずじょう)に黒(くろし)、応(まさ)に 是(これ)  雨の詩を催(うなが)す なるべし。)


絕代有佳人,幽居在空穀。
ここに絶えて世間にないほどの美人がいる、その人はだれもいないしずかな山合いの谷に侘び住いをしている。
佳人 美人。○絶代 絶世と同じ〔唐代は李世民の諱を忌避した〕、絶えて世間にないほどのうつくしさのあることをいう。漢の李延年『歌』「北方有佳人,絶世而獨立。一顧傾人城,再顧傾人國。寧不知傾城與傾國,佳人難再得。」(北方に佳人有り,絶世にして獨立す。一顧すれば人の城を 傾け,再顧(さいこ)すれば  人の國を 傾く。寧んぞ 傾城と傾國とを知らざらんや, 佳人は再び 得難し。)とあるのに基づく。○幽居 ひっこんでしずかにくらす。○空谷 人のいない壑。


自雲良家子,零落依草木。
彼女みずからの語る所によると、もとは相当の家柄のものの子なのだが、今はたよるべき人も無くて秋とともにおちちる山中の草木、近所の平民をたよりとしているのだ。
良家 しかるべきよい家がら。貴族の家系。○零落 おちちること、草には零といい、木には落という。○依草木 依はたよること、草木とは谷中の居宅のまぢかに生じたくさきをいう、句意は零落した草木に依ることをいう。草木は平民という意味がある。


關中昔喪敗,兄弟遭殺戮。
数年前(756年のこと)、長安地方が王朝軍の大敗北により、喪乱のなかで兄弟たちは叛乱軍により殺戮されてしまったのだ。
関中 函谷関の以西、長安地方をいう。○喪乱 喪は人の亡くなること、乱は世のみだれること、755年11月反旗を翻し、12月には洛陽を陥落した。756年天宝十五年六月安禄山の軍が長安を陥れたことをさす。長安の王朝軍は三十万人の兵士がおり、叛乱軍十万の兵で誰もが、長安が落ちるとは思っていなかった。


官高何足論?不得收骨肉。』
兄弟たちの地位は高官であったが、そんなものは取り立てていうほどの値打ちのあるものではないのだ。彼らが殺されてしまっては親戚も引き取ってくれることはできはしないのである。』
官高 兄弟なるものの官位の高いこと。○何足論 言うにたらぬ、高官といっても値打ちのないことをいう、理由は下句にいう。○収骨肉 骨肉は親しい身内のものをいう、佳人が自己をさす辞、自己はその官の高い兄弟にとっては骨肉の親にあたる。収とは引き取り入れてくれること。

秦州における85首その2<325-358>33首 <000-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1106 杜甫特集700- 333

秦州における85首その2<325-358>33首 <000-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1106 杜甫特集700- 333
325  天河
  當時任顯晦,秋至轉分明。縱被浮雲掩,猶能永夜清。
  含星動雙闕,半月落邊城。牛女年年渡,何曾風浪生。
  
  1049
326  初月
  光細弦欲上,影斜輪未安。微升古塞外,已隱暮雲端。
  河漢不改色,關山空自寒。庭前有白露,暗滿菊花團。
  
  1050
327  歸燕
  不獨避霜雪,其如儔侶稀。四時無失序,八月自知歸。
  春色豈相訪?眾雛還識機。故巢倘為毀,會傍主人飛。
  
  1051
328  擣衣
  亦知戍不返,秋至拭清砧。已近苦寒月,況經長別心。
  寧辭擣衣倦,一寄塞垣深。用盡閨中力,君聽空外音。
  
  
329  60.促織
  促織甚微細,哀音何動人。草根吟不穩,床下意相親。
  久客得無淚?故妻難及晨。悲絲與急管,感激異天真。
  
  
330  61.螢火
  幸因腐草出,敢近太陽飛。未足臨書卷,時能點客衣。
  隨風隔幔小,帶雨傍林微。十月清霜重,飄零何處歸。
  
  1052
331  蒹葭
  摧折不自守,秋風吹若何?暫時花戴雪,幾處葉沈波。
  體弱春苗早,叢長夜露多。江湖後搖落,亦恐歲蹉跎。
  
  1053
332  苦竹
  青冥亦自守,軟弱強扶持。味苦夏蟲避,叢卑春鳥疑。
  軒墀曾不重,剪伐欲無辭。幸近幽人屋,霜根結在茲。
  
  1054
333  除架
  束薪已零落,瓠葉轉蕭疏。幸結白花了,寧辭青蔓除。
  秋蟲聲不去,暮雀意何如?寒事今牢落,人生亦有初。
  
  1055
334  廢畦
  秋蔬擁霜露,豈敢惜凋殘。暮景數枝葉,天風吹汝寒。
  綠沾泥滓盡,香與歲時闌。生意春如昨,悲君白玉盤。
  
  1056
335  夕峰
  夕峰來不近,每日報平安。塞上傳光小,雲邊落點殘。
  照秦通警急,過隴自艱難。聞道蓬萊殿,千門立馬看。
  
  1057
336  秋笛
  清商欲盡奏,奏苦血沾衣。他日傷心極,徵人白骨歸。
  相逢恐恨過,故作發聲微。不見秋雲動,悲風稍稍飛。
  
  
337  2112.日暮
  日落風亦起,城頭烏尾訛。黃雲高未動,白水已興波。
  羌婦語還笑,胡兒行且歌。將軍別換馬,夜出擁雕戈。
  
  1058
338  野望
  清秋望不極,迢遞起層陰。遠水兼天淨,孤城隱霧深。
  葉稀風更落,山迥日初沈。獨鶴歸何晚?昏鴉已滿林。
  
  1059
339  空囊
  
  翠柏苦猶食,明霞高可餐。世人共鹵莽,吾道屬艱難。
  不爨井晨凍,無衣床夜寒。囊空恐羞澀,留得一錢看。
  
  1060
340  病馬
  乘爾亦已久,天寒關塞深。塵中老盡力,歲晚病傷心。
  毛骨豈殊眾?馴良猶至今。物微意不淺,感動一沉吟!
  
  1061
341  蕃劍
  致此自僻遠,又非珠玉裝。如何有奇怪,每夜吐光芒。
  虎氣必騰上,龍身寧久藏。風塵苦未息,持汝奉明王。
  
  1062
342  銅瓶
  亂後碧井廢,時清瑤殿深。銅瓶未失水,百丈有哀音。
  側想美人意,應悲寒甃沈。蛟龍半缺落,猶得折黃金。
  
  1063
343  送遠
  帶甲滿天地,胡為君遠行?親朋盡一哭,鞍馬去孤城。
  草木歲月晚,關河霜雪清。別離已昨日,因見古人情。
  
  1064
344  送人從軍
  弱水應無地,陽關已近天。今君度沙磧,累月斷人煙。
  好武寧論命,封侯不計年。馬寒防失道,雪沒錦鞍韉。
  
  1065
345  示侄佐
  多病秋風落,君來慰眼前。自聞茅屋趣,只想竹林眠。
  滿穀山雲起,侵籬澗水懸。嗣宗諸子侄,早覺仲容賢。
  
  1066
346  佐還山後寄三首
347 1 山晚黃雲合,歸時恐路迷。澗寒人欲到,林黑鳥應棲。
  野客茅茨小,田家樹木低。舊諳疏懶叔,須汝故相攜。
  
348 2 白露黃粱熟,分張素有期。已應舂得細,頗覺寄來遲。
  味豈同金菊,香宜配綠葵。老人他日愛,正想滑流匙。
  
349 3 幾道泉澆圃,交橫幔落坡。葳蕤秋葉少,隱映野雲多。
  隔沼連香芰,通林帶女蘿。甚聞霜薤白,重惠意如何。
  
  1067
350  從人覓小胡孫許寄
  人說南州路,山猿樹樹懸。舉家聞若駭,為寄小如拳。
  預哂愁胡面,初調見馬鞭。許求聰慧者,童稚捧應癲。
  
  1068
351  秋日阮隱居致薤三十束
  隱者柴門內,畦蔬繞舍秋。盈筐承露薤,不待致書求。
  束比青芻色,圓齊玉箸頭。衰年關鬲冷,味暖並無憂。
  
  1069
352  秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻
  大雅何寥闊,斯人尚典刑。交期余潦倒,才力爾精靈。
  二子聲同日,諸生困一經。文章開窔奧,遷擢潤朝廷。
  舊好何由展,新詩更憶聽。別來頭並白,相見眼終青。
  伊昔貧皆甚,同憂歲不寧。棲遑分半菽,浩蕩逐流萍。
  俗態猶猜忌,妖氛忽杳冥。獨慚投漢閣,俱議哭秦庭。
  遠蜀衹無補,囚梁亦固扃。華夷相混合,宇宙一羶腥!
  帝力收三統,天威總四溟。舊都俄望幸,清廟肅維馨。
  雜種雖高壘,長驅甚建瓴。焚香淑景殿,漲水望雲亭。
  法駕初還日,群公若會星。宮宦仍點染,柱史正零丁。
  官忝趨棲鳳,朝回嘆聚螢。喚人看腰裊,不嫁惜娉婷。
  掘劍知埋獄,提刀見發硎。侏儒應共飽,漁父忌偏醒。
  旅泊窮清渭,長吟望濁涇。羽書還似急,烽火未全停。
  師老資殘寇,戎生及近坰。忠臣詞憤激,烈士涕飄零。
  上將盈邊鄙,元勛溢鼎銘。仰思調玉燭,誰定握青萍。
  隴俗輕鸚鵡,原情類鶺鴒。秋風動關塞,高臥想儀形。
  
  1070
353  寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻
  故人何寄寞?今我獨淒涼。老去才難盡,秋來興甚長。
  物情尤可見,詞客未能忘。海內知名士,雲端各異方。
  高岑殊緩步,沈鮑得同行。意愜關飛動,篇終接混茫。
  舉天悲富駱,近代惜盧王。似爾官仍貴,前賢命可傷。
  諸侯非棄擲,半刺已翱翔。詩好幾時見,書成無使將。
  男兒行處是,客子鬥身強。羈旅推賢聖,沈綿抵咎殃。
  三年猶瘧疾,一鬼不消亡。隔日搜脂髓,增寒抱雪霜。
  徒然潛隙地,有靦屢鮮妝。何太龍鐘極,於今出處妨。
  無錢居帝裡,盡室在邊疆。劉表雖遺恨,龐公至死藏。
  心微傍魚鳥,肉瘦怯豺狼。隴草蕭蕭白,洮雲片片黃。
  彭門劍閣外,虢略鼎湖旁。荊玉簪頭冷,巴箋染翰光。
  烏麻蒸續曬,丹橘露應嘗。豈異神仙宅?俱兼山水鄉。
  竹齋燒藥灶,花嶼讀書堂。更得清新否?遙知對屬忙。
  舊宮寧改漢,淳俗本歸唐。濟世宜公等,安貧亦士常。
  蚩尤終戮辱,胡羯漫倡狂。會待妖氛靜,論文暫裹糧。
  
  1071
354  寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻
  衡嶽猿啼裡,巴州鳥道邊。故人俱不利,謫宦兩悠然。
  開闢乾坤正,榮枯雨露偏。長沙才子遠,釣瀨客星懸。
  憶昨趨行殿,殷憂捧禦筵。討胡愁李廣,奉使待張騫。
  無複雲台仗,虛修水戰船。蒼茫城七十,流落劍三千。
  畫角吹秦晉,旄頭俯澗瀍。小儒輕董卓,有識笑苻堅。
  浪作禽填海,那將血射天。萬方思助順,一鼓氣無前。
  陰散陳倉北,晴燻太白巔。亂麻屍積衛,破竹勢臨燕。
  法駕還雙闕,王師下八川。此時沾奉引,佳氣拂周旋。
  貔虎開金甲,麒麟受玉鞭。侍臣諳人仗,廄馬解登仙。
  花動朱樓雪,城凝碧樹煙。衣冠心慘愴,故老淚潺湲。
  哭廟悲風急,朝正霽景鮮。月分梁漢米,春給水衡錢。
  內蕊繁於纈,宮莎軟勝綿。恩榮同拜手,出入最隨肩。
  晚著華堂醉,寒重繡被眠。轡齊兼秉燭,書枉滿懷箋。
  每覺升元輔,深期列大賢。秉鈞方咫尺,鎩翮再聊翩。
  禁掖朋從改,微班性命全。青蒲甘受戮,白發竟誰憐?
  弟子貧原憲,諸生老伏虔。師資謙未達,鄉黨敬何先?
  舊好腸堪斷,新愁眼欲穿。翠幹危棧竹,紅膩小湖蓮。
  賈筆論孤憤,嚴詩賦幾篇。定知深意苦,莫使眾人傳。
  貝錦無停織,朱絲有斷弦。浦鷗防碎首,霜鶻不空拳。
  地僻昏炎瘴,山稠隘石泉。且將棋度日,應用酒為年。
  典郡終微眇。治中實棄捐。安排求傲吏,比興展歸田。
  去去才難得,蒼蒼理又玄。古人稱逝矣,吾道蔔終焉。
  隴外翻投跡,漁陽複控弦。笑為妻子累,甘與歲時遷。
  親故行稀少,兵戈動接聯。他鄉饒夢寐,失侶自忳? 。
  多病加淹泊,長吟阻靜便。如公盡雄俊,誌在必騰騫。
  *
  衡嶽猿啼裡,巴州鳥道邊。故人俱不利,謫宦兩悠然。
  開闢乾坤正,榮枯雨露偏。長沙才子遠,釣瀨客星懸。』
  憶昨趨行殿,殷憂捧禦筵。討胡愁李廣,奉使待張騫。
  無複雲台仗,虛修水戰船。蒼茫城七十,流落劍三千。
  畫角吹秦晉,旄頭俯澗瀍。小儒輕董卓,有識笑苻堅。
  浪作禽填海,那將血射天。萬方思助順,一鼓氣無前。
  陰散陳倉北,晴燻太白巔。亂麻屍積衛,破竹勢臨燕。
  法駕還雙闕,王師下八川。此時沾奉引,佳氣拂周旋。
  貔虎開金甲,麒麟受玉鞭。侍臣諳人仗,廄馬解登仙。
  花動朱樓雪,城凝碧樹煙。衣冠心慘愴,故老淚潺湲。
  哭廟悲風急,朝正霽景鮮。月分梁漢米,春給水衡錢。
  內蕊繁於纈,宮莎軟勝綿。恩榮同拜手,出入最隨肩。
  晚著華堂醉,寒重繡被眠。轡齊兼秉燭,書枉滿懷箋。』
  每覺升元輔,深期列大賢。秉鈞方咫尺,鎩翮再聊翩。
  禁掖朋從改,微班性命全。青蒲甘受戮,白發竟誰憐?
  弟子貧原憲,諸生老伏虔。師資謙未達,鄉黨敬何先?
  舊好腸堪斷,新愁眼欲穿。翠幹危棧竹,紅膩小湖蓮。
  賈筆論孤憤,嚴詩賦幾篇。定知深意苦,莫使眾人傳。
  貝錦無停織,朱絲有斷弦。浦鷗防碎首,霜鶻不空拳。
  地僻昏炎瘴,山稠隘石泉。且將棋度日,應用酒為年。
  典郡終微眇。治中實棄捐。安排求傲吏,比興展歸田。
  去去才難得,蒼蒼理又玄。』
  古人稱逝矣,吾道蔔終焉。
  隴外翻投跡,漁陽複控弦。笑為妻子累,甘與歲時遷。
  親故行稀少,兵戈動接聯。他鄉饒夢寐,失侶自忳邅。
  多病加淹泊,長吟阻靜便。如公盡雄俊,誌在必騰騫。』
  
  1072
355  寄張十二山人彪三十韻
  獨臥蒿陽客,三違潁水春。艱難隨老母,慘澹向時人。
  謝氏尋山屐,陶公漉酒巾。群凶彌宇宙,此物在風塵。
  歷下辭薑被,關西得孟鄰。早通交契密,晚接道流新。
  靜者心多妙,先生藝絕倫﹕草書何太古,詩興不無神。
  曹植休前輩,張芝更後身。數篇吟可老,一字賣堪貧。
  將恐曾防寇,深潛托所親。寧聞倚門夕,盡力潔飧晨。
  疏懶為名誤,驅馳喪我真。索居尤寂寞,相遇益愁辛。
  流轉依邊徼,逢迎念席珍。時來故舊少,亂後別離頻。
  世祖修高廟,文公賞從臣。商山猶入楚,渭水不離秦。
  存想青龍秘,騎行白鹿馴。耕岩非穀口,結草即河濱。
  肘後符應驗,囊中藥未陳。旅懷殊不愜,良覿眇無因。
  自古多悲恨,浮生有屈伸。此邦今尚武,何處且依仁。
  鼓角淩天籟,關山倚月輪。官場羅鎮磧,賊火近洮岷。
  蕭索論兵地,蒼茫鬥將辰。大軍多處所,餘孽尚紛綸。
  高興知籠鳥,斯文起獲麟。窮秋正搖落,回首望松筠。
  
  1073
356  寄李十二白二十韻
  昔年有狂客,號爾謫仙人。筆落驚風雨,詩成泣鬼神。
  聲名從此大,汩沒一朝伸。文彩承殊渥,流傳必絕倫。
  龍舟移棹晚,獸錦奪袍新。白日來深殿,青雲滿後塵。
  乞歸優詔許,遇我夙心親。未負幽棲誌,兼全寵辱身。
  劇談憐野逸。嗜酒見天真,醉舞梁園夜,行歌泗水春。
  才高心不展,道屈善無鄰。處士隬衡俊。諸生原憲貧。
  稻粱求未足,薏苡謗何頻?五嶺炎蒸地,三危放逐臣。
  幾年遭鵩鳥,獨泣向麒麟。蘇武元還漢,黃公豈事秦?
  楚筵辭醴日,梁獄上書辰。已用當時法,誰將此議陳?
  老吟秋月下,病起暮江濱。莫怪恩波隔,乘槎與問津。
  
  1074
357  別贊上人
  百川日東流,客去亦不息。我生苦漂蕩,何時有終極?
  贊公釋門老,放逐來上國。還為世塵嬰,頗帶憔悴色。
  楊枝晨在手,豆子雨已熟。是身如浮雲,安可限南北。
  異縣逢舊友,初欣寫胸臆。天長關塞寒,歲暮饑凍逼。
  野風吹徵衣,欲別向曛黑。馬嘶思故櫪,歸鳥盡斂翼。
  古來聚散地,宿昔長荊棘。相看俱衰年,出處各努力!
  
  1075
358  兩當縣吳十侍禦江上宅
  寒城朝煙淡,山谷落葉赤。陰風千裡來,吹汝江上宅。
  雞號枉渚,日色傍阡陌。借問持斧翁﹕幾年長沙客?
  哀哀失木柼,矯矯避弓翮。亦知故鄉樂,未敢思宿昔。
  昔在鳳翔都,共通金閨籍。天子猶蒙塵,東郊暗長戟。
  兵家忌間諜,此輩常接跡。台中領舉劾,君必慎剖析。
  不忍殺無辜,所以分白黑。上官權許與,失意見遷斥。
  仲尼甘旅人,向子識損益。朝廷非不知,閉口休嘆息。
  餘時忝諍臣,丹陛實咫尺。相看受狼狽,至死難塞責。
  行邁心多違,出門無與適。於公負明義,惆悵頭更白。

秦州における85首その1<273-324>52首 <000-#1>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1103 杜甫特集700- 332

秦州における85首その1<273-324>52首 <000-#1>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1103 杜甫特集700- 332
  1029
273  貽阮隱居
  陳留風俗衰,人物世不數。塞上得阮生,迥繼先父祖。
  貧知靜者性,白益毛發古。車馬入鄰家,蓬蒿翳環堵。
  清詩近道要,識子用心苦。尋我草徑微,褰裳踢寒雨。
  更議居遠村,避喧甘猛虎。足明箕潁客,榮貴如糞土。
  
  1030
274  遣興三首
 1 下馬古戰場,四顧但茫然。風悲浮雲去,黃葉墮我前。
  朽骨穴螻蟻,又為蔓草纏。故老行嘆息,今人尚開邊。
  漢虜互勝負,封疆不常全。安得廉頗將,三軍同晏眠?
  
275 2 高秋登塞山,南望馬邑州。降虜東擊胡,壯健盡不留。
  穹廬莽牢落,上有行雲愁。老弱哭道路,願聞甲兵休。
  鄴中事反覆,死人積如丘。諸將已茅土,載驅誰與謀?
  
 3 豐年孰雲遲,甘澤不在早。耕田秋雨足,禾黍已映道。
  春苗九月交,顏色同日老。勸汝衡門士,忽悲尚枯槁。
  時來展才力,先後無醜好。但訝鹿皮翁,忘機對芳草。
  
  1031
  佳人
276  絕代有佳人,幽居在空穀。自雲良家子,零落依草木。
  關中昔喪敗,兄弟遭殺戮。官高何足論?不得收骨肉。
  世情惡衰歇,萬事隨轉燭。夫婿輕薄兒,新人美如玉。
  合昏尚知時,鴛鴦不獨宿。但見新人笑,那聞舊人哭?
  在山泉水清,出山泉水濁。侍婢賣珠回,牽蘿補茅屋。
  摘花不插發,采柏動盈掬。天寒翠袖薄,日暮倚修竹。
  
  
277  57.夢李白二首
 1 死別已吞聲,生別常惻惻。江南瘴癘地,逐客無消息。
  故人入我夢,明我長相憶。恐非平生魂,路遠不可測。
  魂來楓林青,魂返關塞黑。君今在羅網,何以有羽翼?
  落月滿屋樑,猶疑照顏色。水深波浪闊,無使蛟龍得。
  
278 2 浮雲終日行,遊子久不至。三夜頻夢君,情親見君意。
  告歸常局促,苦道來不易。江湖多風波,舟楫恐失墜。
  出門搔白首,若負平生誌。冠蓋滿京華,斯人獨憔悴。
  孰雲網恢恢,將老身反累。千秋萬歲名,寂寞身後事。
  
  1032
279  有懷台州鄭十八司戶虔
  天臺隔三江,風浪無晨暮。鄭公縱得歸,老病不識路。
  昔如水上鷗,今如罝中兔。性命由他人,悲辛但狂顧。
  山鬼獨一腳,蝮蛇長如樹。呼號傍孤城,歲月誰與度?
  從來禦魑魅。多為才名誤。夫子嵇阮流,更被時俗惡。
  海隅微小吏,眼暗發垂素。黃帽映青袍,非供折腰具。
  平生一杯酒,見我故人遇。相望無所成,乾坤莽回互。
  
  1033
280 1 遣興五首
  蟄龍三冬臥,老鶴萬裡心。昔時賢俊人,未遇猶視今。
  嵇康不得死,孔明有知音。又如隴坻松,用舍在所尋。
  大哉霜雪幹,歲久為枯林。
  
281 2 昔者龐德公,未曾入州府。襄陽耆舊間,處士節獨苦。
  豈無濟時策?終竟畏網罟。林茂鳥有歸,水深魚知聚。
  舉家隱鹿門,劉表焉得取。
  
282 3 陶潛避俗翁,未必能達道。觀其著詩集,頗亦恨枯槁。
  達生豈是足?默識蓋不早。有子賢與愚,何其掛懷抱?
  
 4 賀公雅吳語,在位常清狂。上疏乞骸骨,黃冠歸故鄉。
  爽氣不可致,斯人今則亡。山陰一茅宇,江海日淒涼。
  
283 5 吾憐孟浩然,短褐即長夜。賦詩何必多,往往淩鮑謝。
  清江空舊魚。春雨餘甘蔗。每望東南雲,令人幾悲吒。
  
  1034
284  遣興二首
 1 天用莫如龍,有時系扶桑。頓轡海徒湧,神人身更長。
  性命苟不存,英雄徒自強。吞聲勿複道,真宰意茫茫。
  
285 2 地用莫如馬,無良複誰記?此日千裡鳴,追風可君意。
  君看渥窪種,態與駑駘異。不雜蹄嚙間,逍遙有能事。
  
  1035
  遣興五首
286 1 朔風飄胡雁,慘澹帶砂礫。長林何蕭蕭,秋草萋更碧。
  北裡富燻天,高樓夜吹笛。焉知南鄰客,九月猶絺綌。
  
287 2 長陵銳頭兒,出獵待明發。騂弓金爪鏑,白馬蹴微雪。
  未知所馳逐,但見暮光滅。歸來懸兩狼,門戶有旌節。
  
288 3 漆有用而割,膏以明自煎;蘭摧白露下,桂折秋風前。
  府中羅舊尹,沙道故依然。赫赫蕭京兆,今為人所憐。
  
289 4 猛虎憑其威,往往遭急縛。雷吼徒咆哮,枝撐已在腳。
  忽看皮寢處,無複睛閃爍。人有甚於斯,足以勸元惡。
  
290 5 朝逢富家葬,前後皆輝光。共指親戚大,緦麻百夫行。
  送者各有死,不須羨其強。君看束縛去,亦得歸山岡。
  
  
291  58.秦州雜詩二十首
 1 滿目悲生事,因人作遠遊。遲回度隴怯,浩蕩及關愁。
  水落魚龍夜,山空鳥鼠秋。西徵問烽火,心折此淹留。
  
292 -2 秦州城北寺,勝跡隗囂宮。苔蘚山門古,丹青野殿空。
  月明垂葉露,雲逐渡溪風。清渭無情極,愁時獨向東。
  
293 3 州圖領同穀,驛道出流沙。降虜兼千帳,居人有萬家。
  馬驕朱汗落,胡舞白題斜。年少臨洮子,西來亦自誇。
  
294 4 鼓角緣邊郡,川原欲夜時。秋聽殷地發,風散入雲悲。
  抱葉寒蟬靜,歸山獨鳥遲。萬方同一概,吾道竟何之!
  
295 5 南使宜天馬,由來萬匹強。浮雲連陣沒,秋草遍山長。
  聞說真龍種,仍殘老驌驦。哀鳴思戰鬥,迥立向蒼蒼。
  
296 6 城上胡笳奏,山邊漢節歸。防河赴滄海,奉詔發金微。
  士苦形骸黑,林疏鳥獸稀。那堪往來戍,恨解鄴城圍。
  
297 7 莽莽萬重山,孤城山谷間。無風雲出塞,不夜月臨關。
  屬國歸何晚?樓蘭斬未還。煙塵一長望,衰颯正摧顏。
  
298 8 聞道尋源使,從天此路回。牽牛去幾許,宛馬至今來。
  一望幽燕隔,何時郡國開。東徵健兒盡,羌笛暮吹哀。
  
299 9 今日明人眼,臨池好驛亭。叢篁低地碧,高柳半天青。
  稠疊多幽事,喧呼閱使星。老夫如有此,不異在郊垌。
  
300 10 雲氣接昆侖,涔涔塞雨繁。羌童看渭水,使節向河源。
  煙火軍中幕,牛羊嶺上村。所居秋草靜,正閉小蓬門。
  
301 11 蕭蕭古塞冷,漠漠秋雲低。黃鵠翅垂雨,蒼鷹饑啄泥。
  薊門誰自北,漢將獨徵西。不意書生耳,臨衰厭鼓鼙。
  
302 12 山頭南郭寺,水號北流泉。老樹空庭得,清渠一邑傳。
  秋花危石底,晚景臥鐘邊。俯仰悲身世,溪風為颯然。
  
303 13 傳道東柯谷,深藏數十家。對門藤蓋瓦,映竹水穿沙。
  瘦地翻宜粟,陽坡可種瓜。船人近相報,但恐失桃花。
  
304 14 萬古仇池穴,潛通小有天。神魚今不見,福地語真傳。
  近接西南境,長懷十九泉。何當一茅屋,送老白雲邊。
  
305 15 未暇泛蒼海,悠悠兵馬間。塞門風落木,客舍雨連山。
  阮籍行多興,龐公隱不還。東柯遂疏懶,休鑷鬢毛斑。
  
306 16 東柯好崖谷,不與眾峰群。落日邀雙鳥,晴天卷片雲。
  野人矜險絕,水竹會平分。采藥吾將老,兒童未遣聞。
  
307 17 邊秋陰易久,不複辨晨光。簷雨亂淋幔,山雲低度牆。
  鸕? 窺淺井,蚯蚓上深堂。車馬何蕭索,門前百草長。
  
308 18 地僻秋將盡,山高客未歸。塞雲多斷績,邊日少光輝。
  警急烽常報,傳聞檄屢飛。西戎外甥國,何得迕天威。
  
309 19 鳳林戈未息,魚海路常難。候火雲峰峻,懸軍幕井幹。
  風連西極動,月過北庭寒。故老思飛將,何時議築壇?
  
310 20 唐堯真自聖,野老複何知。曬藥能無婦?應門亦有兒。
  藏書聞禹穴,讀記憶仇池。為報鴛行舊,鷦鷯寄一枝。
  
  1036
311  月夜憶舍弟
  戍鼓斷人行,秋邊一雁聲。露從今夜白,月是故鄉明。
  有弟皆分散,無家問死生。寄書長不達,況乃未休兵。
  
  1037
312  天末懷李白
  涼風起天末,君子意如何?鴻雁幾時到,江湖秋水多。
  文章憎命達,魑魅喜人過。應共冤魂語,投詩贈汨羅。
  
  1038
313  宿贊公房
  杖錫何來此,秋風已颯然。雨荒深院菊,霜倒半池蓮。
  放逐寧違性?虛空不離禪。相逢成夜宿,隴月向人圓。
  
  1039
314  赤穀西崦人家
  躋險不自安,出郊始清目。溪回日氣暖,徑轉山田熟。
  鳥雀依茅茨,藩籬帶松菊。如行武陵暮,欲問桃源宿。
  
  
315  311.西枝村尋置草堂地,夜宿贊公土室二首
  出郭眄細岑,披榛得微路。溪行一流水,曲折方屢渡。
  贊公湯休徒,好靜心跡素。昨枉霞上作,盛論岩中趣。
  怡然共攜手,恣意同遠步。捫蘿澀先登,陟巘眩反顧。
  要求陽岡暖,苦涉陰嶺冱。惆悵老大藤,沈吟屈蟠樹。
  卜居意未展,杖策回旦暮。層巔餘落日,早蔓已多露。
  
316  天寒鳥以歸,月出山更靜。土室延白光,松門耿疏影。
  躋攀倦日短,語樂寄夜永。明燃林中薪,暗汲石底井。
  大師京國舊,德業天機秉。從來支許遊,興趣江湖迥。
  數奇謫關塞,道廣存箕潁。何知戎馬間,複接塵事屏。
  幽尋豈一路,遠色有諸嶺。晨光稍朦朧,更越西南頂。
  
  1040
317  寄贊上人
  一昨陪錫杖,卜鄰南山幽。年侵腰腳衰,未便陰崖秋。
  重岡北面起,竟日陽光留。茅屋買兼土,斯焉心所求。
  近聞西枝西,有穀杉漆稠。亭午頗和暖,石田又足收。
  當期塞雨幹,宿昔齒疾瘳。徘徊虎穴上,面勢龍泓頭。
  柴荊具茶茗,逕路通林丘。與子成二老,來往亦風流。
  
  1041
318  太平寺泉眼
  招提憑高岡,疏散連草莽。出泉枯柳根,汲引歲月古。
  石間見海眼,天畔縈水府。廣深丈尺間,宴息敢輕侮。
  青白二小蛇,幽姿可時睹。如絲氣或上,爛漫為雲雨。
  山頭到山下,鑿井不盡土。取供十方僧,香美勝牛乳。
  北風起寒文,弱藻舒翠縷。明涵客衣淨,細蕩林影趣。
  何當宅下流,餘潤通藥圃。三春濕黃精,一食生毛羽。
  
  1042
319  東樓
  萬裡流沙道,西行過此門。但添新戰骨,不返舊徵魂。
  樓角淩風迥,城陰帶水昏。傳聲看驛使,送節向河源。
  
  1043
320  雨晴
  天際秋雲薄,從西萬裡風。今朝好晴景,久雨不妨農。
  塞柳行疏翠,山梨結小紅。胡笳樓上發,一雁入高空。
  
  1044
321  寓目
  一縣蒲萄熟,秋山苜蓿多。關雲常帶雨,塞水不成河。
  羌女輕烽燧,胡兒製駱駝。自傷遲暮眼,喪亂飽經過。
  
  1045
322  山寺
  野寺殘僧少,山園細路高。麝香眠石竹,鸚鵡啄金桃。
  亂水通人過,懸崖置屋牢。上方重閣晚,百裡見秋毫。
  
  1046
323  即事
  聞道花門破,和親事卻非。人憐漢公主,生得渡河歸。
  秋思拋雲髻,腰肢勝寶衣。群凶猶索戰,回首意多違。
  
  1047
324  遺懷
  愁眼看霜露,寒城菊自花。天風隨斷柳,客淚墮清笳。
  水靜樓陰直,山昏塞日斜。夜來歸鳥盡,啼殺後棲鴉。
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遣興三首 其三 <228>杜甫 遣興22首の⑦番 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1100 杜甫特集700- 331

遣興三首 其三 <228>杜甫 遣興22首の⑦番 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1100 杜甫特集700- 331
(興を遣る 三首 其の三)

遣興三首 其一   
興味のあること、風流なことを思ってみる。其の一。
下馬古戰場,四顧但茫然。
秦州城の附近の古戦場へきて馬から降りる、四方を振り返ってみるとただ茫漠としており、なんのとりとめもない景色である。
風悲浮雲去,黃葉墮我前。
秋の風は悲しそうに吹いて浮き雲が飛び去っている、黄ばんだ木の葉はわたしの前にと散り落ちる。
朽骨穴螻蟻,又為蔓草纏。
地上に横たわっている戦死者の朽ちた骨のまわりには「けら」や「あり」が穴をつくっている、そしてまたは蔓草が絡ったりしている。
故老行嘆息,今人尚開邊。
通りかかる老人たちが道すがら嘆きつつ語ってくれる、今時の人はいまだにこの辺鄙な地方を開き領土の拡大しようとしておるのであるか。
漢虜互勝負,封疆不常全。
それから、我が唐のくにと胡の異民族とは戦をしては一勝一敗で、国境は一進一退いつも完全を保ちうるというわけにいかないのだ。
安得廉頗將,三軍同晏眠?
どうしたならば、むかしの廉頗のような名将を得ることができて、唐王朝軍の全軍が一緒に遅くまで眠っていることができるようになれるのであろうか。

其二             
高秋登塞山,南望馬邑州。
高秋の時にわたしは辺境の山にのぼって、南の方、馬邑州の方をながめる。
降虜東擊胡,壯健盡不留。
いま降参したこの附近の異民族軍たちは東方・東都あたりで叛乱軍を討伐にでかけているので、壮健なものはすっかり居なくなっている。
穹廬莽牢落,上有行雲愁。
だから曾て彼らがつかっていたテント小屋も陰気にさびしそうにつらなっており、その上の方にはうれいに満ちた雲がとんでいる。
老弱哭道路,願聞甲兵休。
老人やふ婦女、子供たちは道にで慟哭している、願うことなら戦争が終わって平和になったということを聞きたいものだといっている。
鄴中事反覆,死人積如丘。
鄴城のいくさの様子は今年初めからすっかり反対になり、唐諸侯連合軍は大敗、死人のしかばねが積まれてまるで丘のようになっている。
諸將已茅土,載驅誰與謀?
このとき武将たちは茅土をうけて王侯に封ぜられたのである。(それで、功を焦り、大敗した厚顔無恥の甚しいものではないか。)自分は憂えながら馬を駆るのであるが、誰がはたして安史軍を征伐することができるはかりごとを有しているというのか。

其三       
豐年孰雲遲,甘澤不在早。
穀物の実りが豊作の年であるということはそうであればよいのであって、収獲が遅いからといって不平をいうことではない。耕作物に対して天地の恵みである甘露のしめりも早くおりることだけがよいというわけではないのである。
耕田秋雨足,禾黍已映道。
今年、今、耕作地には秋の雨が十分たりている、「きび」など穀物のみのりの色がはや道路にまでてりはえている。
春苗九月交,顏色同日老。
春の萌木色の苗であったものが秋と冬の移行の季節を迎えた。どれも一様に老熟の色を見せ、人生もまたこれに類したものなのだ。
勸汝衡門士,忽悲尚枯槁。
わたしはあなた、衡門を建て隠棲をしている方にお勧めする、「あなたは今になって貧しく枯れ果てているなどと悲しむことなかれ」ということを。
時來展才力,先後無醜好。
それは、時運さえ到来するならば必ずあなたの才力をのばすことができるのです、決して若くして美好のときに先ず功を為さねばならぬということでは無く、また老年になって醜悪のときに後れて功を為すことが悪いというはずも無いのである」ということなのだ。
但訝鹿皮翁,忘機對芳草。

ただし、わたしはあの里を潤わせた鹿皮翁という昔の仙人も故事をあやしくおもう。どうして、芳香の芝草、薬草を食べたからといって「荘子」外篇・天地第十二に出てくる「機心」のことを知らない訳ではなく、ただ恥ずかしくて使えないだけなのだ。(わたしも鹿皮翁と同じで、年老いて貧賤の身なりであるかもしれないが、これから功を為すことができるのだ。)

(興を遣る 三首 其の三)
豊年 執【たれ】か遅しとぎわん、甘沢【かんたく】早きに在らず。
耕田【こうでん】秋雨足り、禾黍【かしょ】己に道に映ず。
春苗【しゅんびょう】九月の交、顔色 同日に老す。
汝 衡門【こうもん】の士に勧む、悲しむ勿れ尚お枯稿【ここう】するを。
時来たらは才力を展べん、先後 醜好【しゅうこう】無し。
但だ訝【いぶか】る鹿皮【ろくひ】の翁が、機を忘れて芝草【しそう】に対せしことを。

現代語訳と訳註       
(本文) 其三
豐年孰雲遲,甘澤不在早。
耕田秋雨足,禾黍已映道。
春苗九月交,顏色同日老。
勸汝衡門士,忽悲尚枯槁。
時來展才力,先後無醜好。
但訝鹿皮翁,忘機對芳草。


(下し文)
(興を遣る 三首 其の三)
豊年 執【たれ】か遅しとぎわん、甘沢【かんたく】早きに在らず。
耕田【こうでん】秋雨足り、禾黍【かしょ】己に道に映ず。
春苗【しゅんびょう】九月の交、顔色 同日に老す。
汝 衡門【こうもん】の士に勧む、悲しむ勿れ尚お枯稿【ここう】するを。
時来たらは才力を展べん、先後 醜好【しゅうこう】無し。
但だ訝【いぶか】る鹿皮【ろくひ】の翁が、機を忘れて芝草【しそう】に対せしことを。



(現代語訳)
穀物の実りが豊作の年であるということはそうであればよいのであって、収獲が遅いからといって不平をいうことではない。耕作物に対して天地の恵みである甘露のしめりも早くおりることだけがよいというわけではないのである。
今年、今、耕作地には秋の雨が十分たりている、「きび」など穀物のみのりの色がはや道路にまでてりはえている。
春の萌木色の苗であったものが秋と冬の移行の季節を迎えた。どれも一様に老熟の色を見せ、人生もまたこれに類したものなのだ。
わたしはあなた、衡門を建て隠棲をしている方にお勧めする、「あなたは今になって貧しく枯れ果てているなどと悲しむことなかれ」ということを。
それは、時運さえ到来するならば必ずあなたの才力をのばすことができるのです、決して若くして美好のときに先ず功を為さねばならぬということでは無く、また老年になって醜悪のときに後れて功を為すことが悪いというはずも無いのである」ということなのだ。
ただし、わたしはあの里を潤わせた鹿皮翁という昔の仙人も故事をあやしくおもう。どうして、芳香の芝草、薬草を食べたからといって「荘子」外篇・天地第十二に出てくる「機心」のことを知らない訳ではなく、ただ恥ずかしくて使えないだけなのだ。(わたしも鹿皮翁と同じで、年老いて貧賤の身なりであるかもしれないが、これから功を為すことができるのだ。)


(訳注)
豐年孰雲遲,甘澤不在早。

穀物の実りが豊作の年であるということはそうであればよいのであって、収獲が遅いからといって不平をいうことではない。耕作物に対して天地の恵みである甘露のしめりも早くおりることだけがよいというわけではないのである。
豊年 耕作物の収穫の多い年。○執云遅 遅くてもおそいなどとだれがいおうか。遅速は論ずるに足らぬことをいう。○甘沢 雨露のよい潤しをいう。甘露の露。天地の恵み。○不在早 「早きに在らず」とは早いのが貴いというわけではないということ。


耕田秋雨足,禾黍已映道。
今年、今、耕作地には秋の雨が十分たりている、「きび」など穀物のみのりの色がはや道路にまでてりはえている。
禾黍 アワまたはイネと、キビ.穀物の総称。○映道 みのりの色が道路にてりはえている。


春苗九月交,顏色同日老。
春の萌木色の苗であったものが秋と冬の移行の季節を迎えた。どれも一様に老熟の色を見せ、人生もまたこれに類したものなのだ。
春苗 春の萌木色のなえ。〇九月交 九月と十月、秋と冬の移行の季節をいう。○顔色 苗の色。○同日老 この老は老熟の意、同日とは一般に同時にということ。


勸汝衡門士,忽悲尚枯槁。
わたしはあなた、衡門を建て隠棲をしている方にお勧めする、「あなたは今になって貧しく枯れ果てているなどと悲しむことなかれ」ということを。
衡門士 衡門を建て隠棲をしている隠者をいう、但し自己を他人におきかえていう、衡門というのは柱を立て、その上方に一本わたした門で隠者の家の門である。○尚 晩年に至ってもなおの意。○枯稿 かれてうるおいの無いこと、貧餞のすがたである。


時來展才力,先後無醜好
それは、時運さえ到来するならば必ずあなたの才力をのばすことができるのです、決して若くして美好のときに先ず功を為さねばならぬということでは無く、また老年になって醜悪のときに後れて功を為すことが悪いというはずも無いのである」ということなのだ。
時来 よい時運が到来するならば。○展才力 自己の才能実力をのばす。○先後無醜好 先後はあとさき、醜好はみにくいことと、かおよいことと、好は壮年で先、醜は晩年で後である、「先後無醜好」とは(先後に醜好は無し)ということ。


但訝鹿皮翁,忘機對芳草。
ただし、わたしはあの里を潤わせた鹿皮翁という昔の仙人も故事をあやしくおもう。どうして、芳香の芝草、薬草を食べたからといって「荘子」外篇・天地第十二に出てくる「機心」のことを知らない訳ではなく、ただ恥ずかしくて使えないだけなのだ。(わたしも鹿皮翁と同じで、年老いて貧賤の身なりであるかもしれないが、これから功を為すことができるのだ。)
 あやしくおもう。○鹿皮翁 仙人。淄川の人で若い時に府の小吏となった。岑山のうえに神泉があり、翁は屋を作ってその傍に留まり、芝を食し泉を飲むこと七十余年、あるとき潜水があふれ出た、翁は宗族家室を呼んで山の中腹に上らせたところが、水がでて尽く一郡をただよわせた。翁はまた宗族たちを下山させ、自分は鹿皮衣を着けてまた山に上った、百余年の後、山より下って薬を斉の市に売ったという。○忘機 からくりの心を忘れる、機心ということが荘子(天地)にみえる。「荘子」外篇・天地第十二に出てくる「機心」。 「有機械者必有機事、有機事者必有機心。機心存於胸中、則純白不備、純白不備、則神生不定。神生不定者、道之所不載也。」機械を持てば機械を用いて行う仕事(=機事)が出て来るし、機械を用いる仕事が出て来ると、機械にとらわれる心(=機心)が必ず起きる。機械にとらわれる心が胸中にわだかまると、心の純白の度合いが薄くなり、心の純白の度合いが薄くなると、精神が定まらない。精神の定まらないところには《道》が宿らないと。鹿皮翁は(機械というものを)知らない訳ではなく、ただ恥ずかしくて使えないだけなのだ○対芝草 鹿皮翁は芝草を食べたゆえに、これに対すという。


遣興三首 其一
下馬古戰場,四顧但茫然。
風悲浮雲去,黃葉墮我前。
朽骨穴螻蟻,又為蔓草纏。
故老行嘆息,今人尚開邊。
漢虜互勝負,封疆不常全。
安得廉頗將,三軍同晏眠?
(興を遣る 三首)
馬より下る古戦場、四顧【しこ】すれば但だ茫然【ぼうぜん】たり。
風悲しみて浮雲去り、黄葉【こうよう】我が前に墜つ。
朽骨【きゅうこつ】には螻蟻【ろうぎ】穴す、又た蔓草【まんそう】に纏【まと】わる。
故老行【ゆくゆ】く歎息す、今人尚お辺を開くと。
漢虜【かんりょ】互いに勝負あり、封疆【ほうきょう】常には全からず。
安んぞ廉頗【れんぱ】将を得て、三軍同じく晏眠【あんみん】せん。


遣興三首 其二
高秋登塞山,南望馬邑州。
降虜東擊胡,壯健盡不留。
穹廬莽牢落,上有行雲愁。
老弱哭道路,願聞甲兵休。
鄴中事反覆,死人積如丘。
諸將已茅土,載驅誰與謀?
(興を遣る 三首 其の二)
高秋【こうしゅう】寒山【かんざん】に登りて、南馬【、いなみのうま】邑州【ゆうしゅう】を望む。
降虜【こうりょ】東胡を撃ち、壮健【そうけん】なるは尽く留まらず。
穹廬【きゅうろ】莽【もう】として牢落【ろうらく】たり、上に行雲の愁うる有り。
老弱【ろうじゃく】道路に哭【こく】し、願わくは甲兵【こうへい】の休するを聞かんという。
鄴中【ぎょうちゅう】事 反覆【はんぷく】す、死人【しじん】積むこと丘の如し。
諸将【しょしょう】は己に茅土【ぼうど】なり、載【すなわ】ち駆【か】るも誰とともにか謀【はか】らん。


其三
豐年孰雲遲,甘澤不在早。
耕田秋雨足,禾黍已映道。
春苗九月交,顏色同日老。
勸汝衡門士,忽悲尚枯槁。
時來展才力,先後無醜好。
但訝鹿皮翁,忘機對芳草。
豊年 執【たれ】か遅しとぎわん、甘沢【かんたく】早きに在らず。
耕田【こうでん】秋雨足り、禾黍【かしょ】己に道に映ず。
春苗【しゅんびょう】九月の交、顔色 同日に老す。
汝 衡門【こうもん】の士に勧む、悲しむ勿れ尚お枯稿【ここう】するを。
時来たらは才力を展べん、先後 醜好【しゅうこう】無し。
但だ訝【いぶか】る鹿皮【ろくひ】の翁が、機を忘れて芝草【しそう】に対せしことを。

遣興三首 其二 <227>杜甫 遣興22首の⑥番 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1097 杜甫特集700- 330

遣興三首 其二 <227>杜甫 遣興22首の⑥番 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1097 杜甫特集700- 330


遣興三首 其一   
興味のあること、風流なことを思ってみる。其の一。
下馬古戰場,四顧但茫然。
秦州城の附近の古戦場へきて馬から降りる、四方を振り返ってみるとただ茫漠としており、なんのとりとめもない景色である。
風悲浮雲去,黃葉墮我前。
秋の風は悲しそうに吹いて浮き雲が飛び去っている、黄ばんだ木の葉はわたしの前にと散り落ちる。
朽骨穴螻蟻,又為蔓草纏。
地上に横たわっている戦死者の朽ちた骨のまわりには「けら」や「あり」が穴をつくっている、そしてまたは蔓草が絡ったりしている。
故老行嘆息,今人尚開邊。
通りかかる老人たちが道すがら嘆きつつ語ってくれる、今時の人はいまだにこの辺鄙な地方を開き領土の拡大しようとしておるのであるか。
漢虜互勝負,封疆不常全。
それから、我が唐のくにと胡の異民族とは戦をしては一勝一敗で、国境は一進一退いつも完全を保ちうるというわけにいかないのだ。
安得廉頗將,三軍同晏眠?
どうしたならば、むかしの廉頗のような名将を得ることができて、唐王朝軍の全軍が一緒に遅くまで眠っていることができるようになれるのであろうか。
其二    
興を遣る 三首 其の二
高秋登塞山,南望馬邑州。
高秋の時にわたしは辺境の山にのぼって、南の方、馬邑州の方をながめる。
降虜東擊胡,壯健盡不留。
いま降参したこの附近の異民族軍たちは東方・東都あたりで叛乱軍を討伐にでかけているので、壮健なものはすっかり居なくなっている。
穹廬莽牢落,上有行雲愁。
だから曾て彼らがつかっていたテント小屋も陰気にさびしそうにつらなっており、その上の方にはうれいに満ちた雲がとんでいる。
老弱哭道路,願聞甲兵休。
老人やふ婦女、子供たちは道にで慟哭している、願うことなら戦争が終わって平和になったということを聞きたいものだといっている。
鄴中事反覆,死人積如丘。
鄴城のいくさの様子は今年初めからすっかり反対になり、唐諸侯連合軍は大敗、死人のしかばねが積まれてまるで丘のようになっている。
諸將已茅土,載驅誰與謀?

このとき武将たちは茅土をうけて王侯に封ぜられたのである。(それで、功を焦り、大敗した厚顔無恥の甚しいものではないか。)自分は憂えながら馬を駆るのであるが、誰がはたして安史軍を征伐することができるはかりごとを有しているというのか。

(興を遣る 三首 其の二)
高秋【こうしゅう】寒山【かんざん】に登りて、南馬【、いなみのうま】邑州【ゆうしゅう】を望む。
降虜【こうりょ】東胡を撃ち、壮健【そうけん】なるは尽く留まらず。
穹廬【きゅうろ】莽【もう】として牢落【ろうらく】たり、上に行雲の愁うる有り。
老弱【ろうじゃく】道路に哭【こく】し、願わくは甲兵【こうへい】の休するを聞かんという。
鄴中【ぎょうちゅう】事 反覆【はんぷく】す、死人【しじん】積むこと丘の如し。
諸将【しょしょう】は己に茅土【ぼうど】なり、載【すなわ】ち駆【か】るも誰とともにか謀【はか】らん。


現代語訳と訳註   
(本文)

遣興三首 其二
高秋登塞山,南望馬邑州。
降虜東擊胡,壯健盡不留。
穹廬莽牢落,上有行雲愁。
老弱哭道路,願聞甲兵休。
鄴中事反覆,死人積如丘。
諸將已茅土,載驅誰與謀?


(下し文)
(興を遣る 三首 其の二)
高秋【こうしゅう】寒山【かんざん】に登りて、南馬【、いなみのうま】邑州【ゆうしゅう】を望む。
降虜【こうりょ】東胡を撃ち、壮健【そうけん】なるは尽く留まらず。
穹廬【きゅうろ】莽【もう】として牢落【ろうらく】たり、上に行雲の愁うる有り。
老弱【ろうじゃく】道路に哭【こく】し、願わくは甲兵【こうへい】の休するを聞かんという。
鄴中【ぎょうちゅう】事 反覆【はんぷく】す、死人【しじん】積むこと丘の如し。
諸将【しょしょう】は己に茅土【ぼうど】なり、載【すなわ】ち駆【か】るも誰とともにか謀【はか】らん。


(現代語訳)その二
高秋の時にわたしは辺境の山にのぼって、南の方、馬邑州の方をながめる。
いま降参したこの附近の異民族軍たちは東方・東都あたりで叛乱軍を討伐にでかけているので、壮健なものはすっかり居なくなっている。
だから曾て彼らがつかっていたテント小屋も陰気にさびしそうにつらなっており、その上の方にはうれいに満ちた雲がとんでいる。
老人やふ婦女、子供たちは道にで慟哭している、願うことなら戦争が終わって平和になったということを聞きたいものだといっている。
鄴城のいくさの様子は今年初めからすっかり反対になり、唐諸侯連合軍は大敗、死人のしかばねが積まれてまるで丘のようになっている。
このとき武将たちは茅土をうけて王侯に封ぜられたのである。(それで、功を焦り、大敗した厚顔無恥の甚しいものではないか。)自分は憂えながら馬を駆るのであるが、誰がはたして安史軍を征伐することができるはかりごとを有しているというのか。


(訳注)
遣興三首 其二

(興を遣る 三首 其の二)
秦州に至って身に危険を感じることがなくなったので、折にふれて思いをやるために作った詩である。詩中の事実によると759年乾元二年9月の始め、重陽の節句、秋の作、洛陽陥落の前と考える。


高秋登塞山,南望馬邑州
高秋【こうしゅう】塞山【さいざん】に登りて、南馬【、いなみのうま】邑州【ゆうしゅう】を望む。
高秋の時にわたしは辺境の山にのぼって、南の方、馬邑州の方をながめる。
高秋 天高き秋。○塞山 辺境の山。〇南望 秦州よりさして南の方をのぞむ。○馬邑州 唐の開元十七年秦州と成州との間に置いた州名で宝応元年成州の塩井にうつした。秦州都督府に属する。


降虜東擊胡,壯健盡不留。
降虜【こうりょ】東胡を撃ち、壮健【そうけん】なるは尽く留まらず。
いま降参したこの附近の異民族軍たちは東方・東都あたりで叛乱軍を討伐にでかけているので、壮健なものはすっかり居なくなっている。
降虜 秦州附近の降参した異民族軍をいう。○ 安・史の残党をいう。○壮健 降虜の壮健なもの。○留 いのこる。


穹廬莽牢落,上有行雲愁。
穹廬【きゅうろ】莽【もう】として牢落【ろうらく】たり、上に行雲の愁うる有り。
だから曾て彼らがつかっていたテント小屋も陰気にさびしそうにつらなっており、その上の方にはうれいに満ちた雲がとんでいる。
穹廬 テントをはったイオ。○ はっきりしないさま。○牢落 さびしいさま。○ テントの上方。○行雲 とんでゆく雲。


老弱哭道路,願聞甲兵休。
老弱【ろうじゃく】道路に哭【こく】し、願わくは甲兵【こうへい】の休するを聞かんという。
老人やふ婦女、子供たちは道にで慟哭している、願うことなら戦争が終わって平和になったということを聞きたいものだといっている。
老弱 居民の老いたもの、よわいもの、弱とは婦児をさす。○甲兵休 よろい、武器の事の終わること、戦のなくなることをいう。


鄴中事反覆,死人積如丘。
鄴中【ぎょうちゅう】事 反覆【はんぷく】す、死人【しじん】積むこと丘の如し。
鄴城のいくさの様子は今年初めからすっかり反対になり、唐諸侯連合軍は大敗、死人のしかばねが積まれてまるで丘のようになっている。
鄴中 鄴城のこと、河南省の彰徳府臨漳県。

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事反覆 唐王朝軍が勝つとおもったのに反対にひっくりかえって大敗したこと。○如丘 多いことをいう。死人のしかばねが積まれてまるで丘のようになっているさまをいう。


諸將已茅土,載驅誰與謀?
諸将【しょしょう】は己に茅土【ぼうど】なり、載【すなわ】ち駆【か】るも誰とともにか謀【はか】らん。
このとき武将たちは茅土をうけて王侯に封ぜられたのである。(それで、功を焦り、大敗した厚顔無恥の甚しいものではないか。)自分は憂えながら馬を駆るのであるが、誰がはたして安史軍を征伐することができるはかりごとを有しているというのか。
諸将 官軍の諸将。朔方大将軍孫守亮ら九人を異姓王とし、李商臣ら十三人を同姓王となした等の事をさす。○茅土 王侯に封ずること。「尚書」(禹貢)の「蕨の貢は惟れ士の五色」の句の注に、王者が諸侯を建てるときには、これを封ずる方位に従って、その五行思想に言う方位の色の士(東方は青色、南方は赤、西は白、北は黒、中央は黄)を割いてこれに与えて社を立てさせ、その土は黄土をもっておおい、白い茅をもってつつむ、とみえる。因って王侯に封ぜられることを茅土という。此の句は厚顔無恥の甚しいものではないかと憤激してのべたものである。○載駆 「詩経」(載馳)に、「載馳載駆、帰唱衛侯」(載ち馳せ載ち駆り、帰って衛侯を唱わん)とみえる、載駆の二字はこれより借用したものであるが、ここは単に自己が馬を駆る意である、第一首に「下馬」とあり、作者は馬にのっていたのである。○謀 安史軍を征伐することができるはかりごとを有しているのか。




遣興三首 其二
高秋登塞山,南望馬邑州。
降虜東擊胡,壯健盡不留。
穹廬莽牢落,上有行雲愁。
老弱哭道路,願聞甲兵休。
鄴中事反覆,死人積如丘。
諸將已茅土,載驅誰與謀?
(興を遣る 三首 其の二)
高秋【こうしゅう】寒山【かんざん】に登りて、南馬【、いなみのうま】邑州【ゆうしゅう】を望む。
降虜【こうりょ】東胡を撃ち、壮健【そうけん】なるは尽く留まらず。
穹廬【きゅうろ】莽【もう】として牢落【ろうらく】たり、上に行雲の愁うる有り。
老弱【ろうじゃく】道路に哭【こく】し、願わくは甲兵【こうへい】の休するを聞かんという。
鄴中【ぎょうちゅう】事 反覆【はんぷく】す、死人【しじん】積むこと丘の如し。
諸将【しょしょう】は己に茅土【ぼうど】なり、載【すなわ】ち駆【か】るも誰とともにか謀【はか】らん。

遣興三首其一 杜甫 <226>遣興22首の⑤番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1094 杜甫特集700- 329

遣興三首其一 杜甫 <226>遣興22首の⑤番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1094 杜甫特集700- 329
(興を遣る 三首)
秦州(甘粛省天水県)は、隴山の西に位置する国境の町である。隴山は約二〇〇〇メートルの連峰で、それを越えるための路は険阻で曲折はなはだしく、山越えのためには七日を要したといわれる。759年乾元二年の秋七月、官を棄てた杜甫は、家族を連れてこの隴山を越え、秦州に向かった。
 秦州同谷成都紀行地図

杜甫が旅の目的地を秦州と決めた理由としては、洛陽は安史軍史忠明が迫っていて危険であり(九月には史思明の攻撃によって再び陥落)、長安は餞饉で物価高。それに比べて秦州には従姪の杜佐が住んでいたし、また房棺に親しい者として先ごろ長安を追放された僧の賛公もそこにいた、などのことが考えられよう。
杜甫が秦州に至って折にふれて思いをやるために作った詩である。詩中の事実によると759年乾元二年秋の作。


遣興三首 其一 
興味のあること、風流なことを思ってみる。其の一。
下馬古戰場,四顧但茫然。
秦州城の附近の古戦場へきて馬から降りる、四方を振り返ってみるとただ茫漠としており、なんのとりとめもない景色である。
風悲浮雲去,黃葉墮我前。
秋の風は悲しそうに吹いて浮き雲が飛び去っている、黄ばんだ木の葉はわたしの前にと散り落ちる。
朽骨穴螻蟻,又為蔓草纏。
地上に横たわっている戦死者の朽ちた骨のまわりには「けら」や「あり」が穴をつくっている、そしてまたは蔓草が絡ったりしている。
故老行嘆息,今人尚開邊。
通りかかる老人たちが道すがら嘆きつつ語ってくれる、今時の人はいまだにこの辺鄙な地方を開き領土の拡大しようとしておるのであるか。
漢虜互勝負,封疆不常全。
それから、我が唐のくにと胡の異民族とは戦をしては一勝一敗で、国境は一進一退いつも完全を保ちうるというわけにいかないのだ。
安得廉頗將,三軍同晏眠?

どうしたならば、むかしの廉頗のような名将を得ることができて、唐王朝軍の全軍が一緒に遅くまで眠っていることができるようになれるのであろうか。


(興を遣る 三首 其の一)
馬より下る古戦場、四顧【しこ】すれば但だ茫然【ぼうぜん】たり。
風悲しみて浮雲去り、黄葉【こうよう】我が前に墜つ。
朽骨【きゅうこつ】には螻蟻【ろうぎ】穴す、又た蔓草【まんそう】に纏【まと】わる。
故老行【ゆくゆ】く歎息す、今人尚お辺を開くと。
漢虜【かんりょ】互いに勝負あり、封疆【ほうきょう】常には全からず。
安んぞ廉頗【れんぱ】将を得て、三軍同じく晏眠【あんみん】せん。


現代語訳と訳註  
(本文)

遣興三首 其一
下馬古戰場,四顧但茫然。
風悲浮雲去,黃葉墮我前。
朽骨穴螻蟻,又為蔓草纏。
故老行嘆息,今人尚開邊。
漢虜互勝負,封疆不常全。
安得廉頗將,三軍同晏眠?


(下し文)
(興を遣る 三首 其の一)
馬より下る古戦場、四顧【しこ】すれば但だ茫然【ぼうぜん】たり。
風悲しみて浮雲去り、黄葉【こうよう】我が前に墜つ。
朽骨【きゅうこつ】には螻蟻【ろうぎ】穴す、又た蔓草【まんそう】に纏【まと】わる。
故老行【ゆくゆ】く歎息す、今人尚お辺を開くと。
漢虜【かんりょ】互いに勝負あり、封疆【ほうきょう】常には全からず。
安んぞ廉頗【れんぱ】将を得て、三軍同じく晏眠【あんみん】せん。


(現代語訳)
興味のあること、風流なことを思ってみる。其の一。
秦州城の附近の古戦場へきて馬から降りる、四方を振り返ってみるとただ茫漠としており、なんのとりとめもない景色である。
秋の風は悲しそうに吹いて浮き雲が飛び去っている、黄ばんだ木の葉はわたしの前にと散り落ちる。
地上に横たわっている戦死者の朽ちた骨のまわりには「けら」や「あり」が穴をつくっている、そしてまたは蔓草が絡ったりしている。
通りかかる老人たちが道すがら嘆きつつ語ってくれる、今時の人はいまだにこの辺鄙な地方を開き領土の拡大しようとしておるのであるか。
それから、我が唐のくにと胡の異民族とは戦をしては一勝一敗で、国境は一進一退いつも完全を保ちうるというわけにいかないのだ。
どうしたならば、むかしの廉頗のような名将を得ることができて、唐王朝軍の全軍が一緒に遅くまで眠っていることができるようになれるのであろうか。


(訳注)
遣興三首 其一
興味のあること、風流なことを思ってみる。其の一。
秦州に至って身に危険を感じることがなくなったので、折にふれて思いをやるために作った詩である。詩中の事実によると759年乾元二年秋の作。


下馬古戰場,四顧但茫然。
馬より下る古戦場、四顧【しこ】すれば但だ茫然【ぼうぜん】たり。
秦州城の附近の古戦場へきて馬から降りる、四方を振り返ってみるとただ茫漠としており、なんのとりとめもない景色である
○古戦場 秦州城の附近にあるものをいう。


風悲浮雲去,黃葉墮我前。
風悲しみて浮雲去り、黄葉【こうよう】我が前に墜つ。
秋の風は悲しそうに吹いて浮き雲が飛び去っている、黄ばんだ木の葉はわたしの前にと散り落ちる。


朽骨穴螻蟻,又為蔓草纏
朽骨【きゅうこつ】には螻蟻【ろうぎ】穴す、又た蔓草【まんそう】に纏【まと】わる。
地上に横たわっている戦死者の朽ちた骨のまわりには「けら」や「あり」が穴をつくっている、そしてまたは蔓草が絡ったりしている。
朽骨 戦死者のくちたほね。○穴螻蟻 穴はあなをつくることをいう。螻蟻はけらむし、あり。○為蔓草纏 「為蔓草所纏」(蔓草は纏う所と為す)の略、つるぐさにまとわれる。南朝、江淹の「恨賦」に「試望平原,蔓草縈骨,拱木斂魂。人生到此,天道寧論!」(蔓草骨に紫れ、扶木は魂を敷む)とみえる。江 淹(こう えん、444年 - 505年)は、中国南北朝時代の文学者。字は文通。本籍地は済陽郡考城県(現在の河南省蘭考県)。門閥重視の貴族社会であった六朝時代において、寒門の出身でありながら、その文才と時局を的確に見定める能力によって、高位に上りつめ生涯を終えた。


故老行嘆息,今人尚開邊。
故老行【ゆくゆ】く歎息す、今人尚お辺を開くと。
通りかかる老人たちが道すがら嘆きつつ語ってくれる、今時の人はいまだにこの辺鄙な地方を開き領土の拡大しようとしておるのであるか。
故老 在来の老人たち。○尚開辺 今日もなお辺鄙の土地を開いて広めようとする、尚の字には怪訝におもうこととする意がある。


漢虜互勝負,封疆不常全。
漢虜【かんりょ】互いに勝負あり、封疆【ほうきょう】常には全からず。
それから、我が唐のくにと胡の異民族とは戦をしては一勝一敗で、国境は一進一退いつも完全を保ちうるというわけにいかないのだ
○漢虜 唐と、胡の異民族と。○封疆 くにざかい。○全 一進一退、きまって欠損のないことをいう。


安得廉頗將,三軍同晏眠?
安んぞ廉頗【れんぱ】将を得て、三軍同じく晏眠【あんみん】せん。
どうしたならば、むかしの廉頗のような名将を得ることができて、唐王朝軍の全軍が一緒に遅くまで眠っていることができるようになれるのであろうか
安得 希望をしめす語。○廉頗 廉頗(れんぱ、生没年不詳)は、中国戦国時代の趙の将軍。藺相如との関係が「刎頸の交わり」として有名。紀元前283年、将軍となり秦を討ち、昔陽を取る。紀元前282年、斉を討ち、陽晋(現在の山東省)を落とした。この功により上卿に任ぜられ、勇気のあることで諸侯の間で有名となる。〇三軍 古代中国、周の兵制で、一軍は一万二五〇〇人〕大国のもつ三万七五〇〇人の軍隊。また、大軍。 (2)陸軍・海軍・空軍の総称。 (3)軍勢の前鋒・中堅・後拒、または左翼・中軍・右翼。また、全軍。上中下の三軍、全軍の意。○晏眠 おそくまでねむる、安泰のさま。

758年冬 華州司公参軍から759年秋官を辞しして秦州へ 杜甫詩

758年冬 華州司公参軍から759年秋官を辞しして秦州へ 杜甫詩

758年の冬から翌759年の二月ごろまで、杜甫は洛陽の東、肇県にある旧居に、どのような事情があったのか分からないが、帰っている。時に郭子儀ら九節度使の軍は二十万の兵を率いて、安慶緒を鄴城に包囲していたが、759年の二月、北の范陽に帰っていた史思明は南下して鄴城を救援し、三月に九節度使の軍は大敗した。郭子儀は敗軍をまとめ、洛陽を守るために河陽に陣を布いた。所用をすませて鞏県から洛陽を経て華州へ帰る途中、杜甫は鄴城で大敗した官軍が、潼関で、あるいは河陽で、洛陽防衛のための準備を急遽行なっているのに、出会った。
杜甫が華州へ着いたとき、すでに初夏になっており、近畿地方一帯は天が続いて、飢饉の気配が濃厚であった。秋になると、果たせるかな近畿の地は飢饉となり、杜甫は棄官を決意する。
あれほど執着していた官を、あっさりと棄て去るには、食糧事情の悪化のほかに、当時の政治事情も関係していたにちがいない。すなわち新帝の粛宗側は、長安に帰遺して以来、その地位を確かなものにするために、玄宗側の人々を朝廷から追い落とそうとしており、房琯グループの追放はその一端を示すものであった。このような状況にあって、杜甫は官界における自分の将来に絶望したものと思われる。

かくして杜甫は759年乾元二年の秋、四十八歳のときに長安を去ってから、770年大暦五年の冬に五十九歳で亡くなるまでの十一年間を、家族を伴っての放浪のうちに過ごすことになる。

寄高三十五詹事  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 268
贈高式顔(昔別是何処) 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 269

題鄭牌亭子 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 270
望岳  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 271

觀安西兵過赴關中待命二首 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 272
觀安西兵過赴關中待命二首 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 273

酬孟雲卿 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 274
留別賈嚴二閣老兩院補缺 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 275
早秋苦熱堆安相仍 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 276

九日藍田崔氏荘 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 277
所思 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 276
崔氏東山草堂  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 279


至日遣興,奉寄北省舊閣老、兩院故人二首 其一 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 700- 280


至日遣興,奉寄北省舊閣老、兩院故人二首 其二kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 281

路逢嚢陽楊少府入城戯呈楊四員外綰  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 282
孤雁(孤雁不飲啄) 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 283

李鄠縣丈人胡馬行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 284
李鄠縣丈人胡馬行 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 285
觀兵 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 286

252 冬末以事之東都,湖城東遇孟雲卿,複歸劉顥宅宿,宴飲散因為醉歌 
  疾風吹塵暗河縣,行子隔手不相見。
  湖城城東一開眼,駐馬偶識雲卿面。
  向非劉顥為地主,懶回鞭轡成高宴。
  劉侯歡我攜客來,置酒張燈促華饌。
  且將款曲終今夕,休語艱難尚酣戰。
  照室紅爐促曙光,縈窗素月垂文練。
  天開地裂長安陌,寒盡春生洛陽殿。
  豈知驅車複同軌,可惜刻漏隨更箭。
  人生會合不可常,庭樹雞鳴淚如線。
  
  
253 閿鄉薑七少府設膾,戲贈長歌 
  姜侯設膾當嚴冬,昨日今日皆天風。
  河凍未漁不易得,鑿冰恐侵河伯宮。
  饔人受魚鮫人手,洗魚磨刀魚眼紅。
  無聲細下飛碎雪,有骨已剁觜春蔥。
  偏勸腹腴愧年少,軟炊香飯緣老翁。
  落砧何曾白紙濕,放箸未覺金盤空。
  新歡便飽姜侯德,清觴異味情屢極。
  東歸貪路自覺難,欲別上馬身無力。
  可憐為人好心事,於我見子真顏色。
  不恨我衰子貴時,悵望且為今相憶。
  
254 戲贈閿鄉秦少公短歌 
  去年行宮當太白,朝回君是同舍客。
  同心不減骨肉親,每語見許文章伯。
  今日時清兩京道,相逢苦覺人情好。
  昨夜邀歡樂更無,多才依舊能潦倒。
  
255 李鄠縣丈人胡馬行 
  丈人駿馬名胡騮,前年避胡過金牛。
  回鞭卻走見天子,朝飲漢水暮靈州。
  自矜胡騮奇絕代,乘出千人萬人愛。
  一聞說盡急難才,轉益愁向駑駘輩。
  頭上銳耳批秋竹,腳下高蹄削寒玉。
  始知神龍別有種,不比凡馬空多肉。
  洛陽大道時再清,累日喜得俱東行。
  鳳臆龍鬐未易識,側身注目長風生。
  
憶弟二首其一 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 290
 46.憶弟二首 
256 其一 
 喪亂聞吾弟,饑寒傍濟州。人稀書不到,兵在見何由。
 憶昨狂催走,無時病去憂。即今千種恨,惟共水東流。
 憶 弟 二首 其二(弟を憶う 二首其二) 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 291 
257 其二 
 且喜河南定,不問鄴城圍。百戰今誰在?三年望汝歸。
 故園花自發,春日鳥還飛。斷絕人煙久,東西消息稀。


贈衛八処士 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 292


得舎弟消息 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 289
258 47.得舍弟消息 
  亂後誰歸得,他鄉勝故鄉。直為心厄苦,久念與存亡。
  汝書猶在壁,汝妾已辭房。舊犬知愁恨,垂頭傍我床。
 
觀兵 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 286
259  1022.觀兵
  北庭送壯士,貔虎數尤多。精銳舊無敵,邊隅今若何?
  妖氛擁白馬,元帥待雕戈。莫守鄴城下,斬鯨遼海波。

  不歸 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1013 杜甫特集700- 302
260  1023.不歸
  河間尚徵伐,汝骨在空城。從弟人皆有,終身恨不平。
  數金憐俊邁,總角愛聰明。面上三年土,春風草又生。

獨立 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1016 杜甫詩集700-303
261  1024.獨立
  空外一鷙鳥,河間雙白鷗。飄搖搏擊便,容易往來遊。
  草露亦多濕,蛛絲仍未收。天機近人事,獨立萬端憂。
  
洗兵行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ990 杜甫特集700- 295
262  510.洗兵馬
 #1 中興諸將收山東,捷書夜報清晝同。
     河廣傳聞一葦過,胡危命在破竹中。
     只殘鄴城不日得,獨任朔方無限功。
     京師皆騎汗血馬,回紇喂肉蒲萄宮。
 #2 已喜皇威清海岱,常思仙仗過崆峒。
     三年笛裡關山月,萬國兵前草木風。
     成王功大心轉小,郭相謀深古來少。
     司徒清鑒懸明鏡,尚書氣與秋天杳。
 #3 二三豪俊為時出,整頓乾坤濟時了。
     東走無複憶鱸魚,南飛覺有安巢鳥。
     青春複隨冠冕入,紫禁正耐煙花繞。
     鶴禁通宵鳳輦備,雞鳴問寢龍樓曉。
 #4 攀龍附鳳勢莫當,天下盡化為侯王。
     汝等豈知蒙帝力?時來不得誇身強。
     關中既留蕭丞相,幕下複用張子房。
     張公一生江海客,身長九尺須眉蒼。
 #5 徵起適遇風雲會,扶顛始知籌策良。
     青袍白馬更何有?後漢今周喜再昌。
     寸地尺天皆入貢,奇祥異瑞爭來送。
     不知何國致白環,複道諸山得銀甕。
 #6 隱士休歌紫芝曲,詞人解撰清河頌。
     田家望望惜雨幹,布穀處處催春種。
     淇上健兒歸莫懶,城南思婦愁多夢。
     安得壯士挽天河,淨洗甲兵長不用!

重題鄭氏東亭 杜甫 <221> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1070 杜甫詩集700- 321
263  1025.重題鄭氏東亭
  華亭入翠微,秋日亂清暉。崩石欹山樹,清漣曳水衣。
  紫鱗沖岸躍,蒼隼護巢歸。向晚尋徵路,殘雲傍馬飛。
  


  ***** 三吏三別**********************************

新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1019 杜甫詩集700- 304 
264  49.新安吏
  客行新安道,喧呼聞點兵。借問新安吏﹕縣小更無丁?
  府帖昨夜下,次選中男行。中男絕短小,何以守王城?
  肥男有母送,瘦男獨伶俜。白水暮東流,青山猶哭聲。
  莫自使眼枯,收汝淚縱橫。眼枯即見骨,天地終無情。
  我軍取相州,日夕望其平。豈意賊難料,歸軍星散營。
  就糧近故壘,練卒依舊京。掘壕不到水,牧馬役亦輕。
  況乃王師順,撫養甚分明。送行勿泣血,僕射如父兄。
  
潼関吏  杜甫 三吏三別詩<217>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1037 杜甫詩集700- 310
265  54.潼關吏
  士卒何草草,築城潼關道。大城鐵不如,小城萬丈餘。
  借問潼關吏﹕修關還備胡。要我下馬行,為我指山隅。
  連雲列戰格,飛鳥不能逾。胡來但自守,豈複憂西都?
  丈人視要處,窄狹容單車。艱難奮長戟,千古用一夫。
  哀哉桃林戰,百萬化為魚!請囑防關將,慎勿學哥舒!
  
石壕吏 杜甫 三吏三別詩<216>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1028 杜甫詩集700- 307 
266  52.石壕吏
  暮投石壕村,有吏夜捉人。老翁逾牆走,老婦出門看。
  吏呼一何怒!婦啼一何苦!聽婦前致詞﹕三男鄴城戍。
  一男附書至,二男新戰死。存者且偷生,死者長已矣。
  室中更無人,惟有乳下孫。孫有母未去,出入無完裙。
  老嫗力雖衰,請從吏夜歸。急應河陽役,猶得備晨炊。
  夜久語聲絕,如聞泣幽咽。天明登前途,獨與老翁別。
 
新婚別  杜甫 三吏三別詩<218>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1043 杜甫詩集700- 312
新婚別 杜甫 三吏三別詩 <218>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1046 杜甫詩集700- 313
新婚別 杜甫 三吏三別詩 <218>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1049 杜甫詩集700- 314  
267  53.新婚別
  兔絲附蓬麻,引蔓故不長。嫁女與徵夫,不如棄路旁。
  結發為君妻,席不暖君床。暮婚晨告別,無乃太匆忙。
  君行雖不遠,守邊赴河陽。妾身未分明,何以拜姑嫜?
  父母養我時,日夜令我藏。生女有所歸,雞狗亦得將。
  君今往死地,沈痛迫中腸。誓欲隨君去,形勢反蒼黃。
  勿為新婚念,努力事戎行。婦人在軍中,兵氣恐不揚。
  自嗟貧家女,久致羅襦裳。羅襦不複施,對君洗紅妝。
  仰視百鳥飛,大小必雙翔。人事多錯迕,與君永相望。

無家別 杜甫 三吏三別詩 <219>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1052 杜甫詩集700- 315 
無家別 杜甫 三吏三別詩 <219>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1055 杜甫詩集700- 316 
無家別 杜甫 三吏三別詩 <219>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1058 杜甫詩集700- 317   
268  50.無家別
  寂寞天寶後,園廬但蒿藜。我裡百餘家,世亂各東西。
  存者無消息,死者為塵泥。賤子因陣敗,歸來尋舊蹊。
  久行見空巷,日瘦氣慘淒。但對狐與狸,豎毛怒我啼。
  四鄰何所有?一二老寡妻。宿鳥戀本枝,安辭且窮棲。
  方春獨荷鋤,日暮還灌畦。縣吏知我至,召令習鼓鼙。
  雖從本州役,內顧無所攜。近行只一身,遠去終轉迷。
  家鄉既蕩盡,遠近理亦齊。永痛長病母,五年委溝溪。
  生我不得力,終身兩酸嘶。人生無家別,何以為蒸黎?
 
垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1061 杜甫詩集700- 318
垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1064 杜甫詩集700- 3
垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1067 杜甫詩集700- 320  
269  51.垂老別 (秦州 寓居)
  四郊未寧靜,垂老不得安。子孫陣亡盡,焉用身獨完?
  投杖出門去,同行為辛酸。幸有牙齒存,所悲骨髓乾。
  男兒既介冑,長揖別上官。老妻臥路啼,歲暮衣裳單。
  孰知是死別?且複傷其寒。此去必不歸,還聞勸加餐。
  土門壁甚堅,杏園度亦難。勢異鄴城下,縱死時猶寬。
  人生有離合,豈擇衰盛端。憶昔少壯日,遲回竟長嘆。
  萬國盡徵戍,烽火被岡巒。積屍草木腥,流血川原丹。
  何鄉為樂土?安敢尚盤桓?棄絕蓬室居,塌然摧肺肝。
  
夏日嘆 <222#1>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1073 杜甫特集700- 32
夏日嘆 <222-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1076 杜甫特集700- 323
270  1026.夏日嘆
  夏日出東北,陵天經中街。朱光徹厚地,鬱蒸何由開?
  上蒼久無雷,無乃號令乖?雨降不濡物,良田起黃埃。
  飛鳥苦熱死,池魚涸其泥。萬人尚流冗,舉目唯蒿萊。
  至今大河北,化作虎與豺。浩蕩想幽薊,王師安在哉?
  對食不能餐,我心殊未諧。眇然貞觀初,難與數子偕!
  
夏夜嘆 <223#1>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1076 杜甫特集700- 323
271  夏夜嘆 1027
  永日不可暮,炎蒸毒中腸。安得萬裡風,飄搖吹我裳?
  昊天出華月,茂林延疏光。仲夏苦夜短,開軒納微涼。
  虛明見纖毫,羽蟲亦飛揚。物情無巨細,自適固其常。
  念彼荷戈士,窮年守邊疆。何由一洗濯,執熱互相望?
  竟夕擊刁鬥,喧聲連萬方。青紫雖被體,不如早還鄉。
  北城悲笳發,鸛鶴號且翔。況複煩促倦,激烈思時康。
  
 
272  立秋後題102 8
  日月不相饒,節序昨夜隔。玄蟬無停號,秋燕已如客。
  平生獨往願,惆悵年半百。罷官亦由人,何事拘形役?

立秋後題 <224>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1088 杜甫特集700- 327

杜甫 立秋後題(日月不相饒) 
立秋後題 <224>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1088 杜甫特集700- 327
(立秋の後に題す)乾元2年 759年 48歳

759年乾元二年の夏は、陝西省一帯にひでりがつづき、田畑の災害はひどいものであった。飛ぶ鳥も暑さに落ち、池の魚も水枯れて死んだ。人民は離散し、村落は見渡すかぎり荒れはてた。しかも黄河以北は、安史軍が勝手し放題、唐王朝軍は付近の不満足な住民から徴兵し、洛陽を守ろうとしている。この姿勢は千年前の春秋戦国の戦法、歩兵戦であった。元気のいい戦力と年長者を交えた戦力であれば勝てるわけはない。杜甫は食事もすすまず、心中の憂悶は限りもなかった。



立秋後題
立秋の後に題す
日月不相饒、節序昨夜隔。
月と太陽はどちらも豊かでない昼と夜の長さが同じになる立秋になったと思えば、時節は夜が長くなる序章となってきた。
玄蝉無停号、秋燕已如客。
それでも、蜩(ひぐらし)は啼くのを止めはしない。秋になると燕はすでに南に旅に出ようとしている。
平生独往願、惆悵年半百。
ひごろから一人静かな隠棲生活を願望しているが、飢饉に戦乱、こうした嘆き悲しむことが五十年も続いている。
罷官亦由人、何事拘形役。

官を辞めるのだがその理由がまた人間関係にあるのだ、どうして参軍の事務官というものがわが身を拘束されるものであろうか。


(立秋の後に題す)
日月【じつげつ】相饒【あいゆる】さず、節序【せつじょ】   昨夜隔【へだ】たる。
玄蝉【げんせん】 号【さけ】ぶこと停【とど】むる無きも、秋燕【しゅうえん】 已【すで】に客の如し。
平生【へいぜい】 独往【どくおう】の願い、惆悵【ちゅうちょう】す年【とし】半百【はんぴゃく】。
官を罷【や】むるも亦た人に由【よ】る、何事ぞ形役【けいえき】に拘【こう】せられむ。

秦州同谷成都紀行地図

現代語訳と訳註
(本文)
立秋後題
日月不相饒、節序昨夜隔。
玄蝉無停号、秋燕已如客。
平生独往願、惆悵年半百。
罷官亦由人、何事拘形役。


(下し文)
(立秋の後に題す)
日月【じつげつ】相饒【あいゆる】さず、節序【せつじょ】   昨夜隔【へだ】たる。
玄蝉【げんせん】 号【さけ】ぶこと停【とど】むる無きも、秋燕【しゅうえん】 已【すで】に客の如し。
平生【へいぜい】 独往【どくおう】の願い、惆悵【ちゅうちょう】す年【とし】半百【はんぴゃく】。
官を罷【や】むるも亦た人に由【よ】る、何事ぞ形役【けいえき】に拘【こう】せられむ。


(現代語訳)
立秋の後に題す
月と太陽はどちらも豊かでない昼と夜の長さが同じになる立秋になったと思えば、時節は夜が長くなる序章となってきた。
それでも、蜩(ひぐらし)は啼くのを止めはしない。秋になると燕はすでに南に旅に出ようとしている。
ひごろから一人静かな隠棲生活を願望しているが、飢饉に戦乱、こうした嘆き悲しむことが五十年も続いている。
官を辞めるのだがその理由がまた人間関係にあるのだ、どうして参軍の事務官というものがわが身を拘束されるものであろうか。


(訳注)
立秋後題

立秋の後に題す
○立秋(りっしゅう)は、二十四節気の第13。七月節(旧暦6月後半 - 7月前半)。
昼夜の長短を基準にした季節区分
(各季節の中間点) - 春分・夏至・秋分・冬至
(各季節の 始期)- 立春・立夏・立秋・立冬
気温 - 小暑・大暑・処暑・小寒・大寒
気象 - 雨水・白露・寒露・霜降・小雪・大雪
物候 - 啓蟄・清明・小満
農事 - 穀雨・芒種

日月不相饒、節序昨夜隔。
月と太陽はどちらも豊かでない昼と夜の長さが同じになる立秋になったと思えば、時節は夜が長くなる序章となってきた。
不相饒 互いにゆたか有り余るほど多いというわけではない。昼と夜の長さが同じになることをいう。夏、昼が長いと時間の経過が遅いといわれ、冬、夜の時間が長くなると日の進み方が光陰矢の如しになるという。 ○昨夜隔 夜が長くなる。


玄蝉無停号、秋燕已如客。
それでも、蜩(ひぐらし)は啼くのを止めはしない。秋になると燕はすでに南に旅に出ようとしている。
玄蝉 蜩(ひぐらし)○無停号 啼くのが止まらない。○秋燕已如客 秋になると燕はすでに南に旅に出ようとしている。


平生独往願、惆悵年半百。
ひごろから一人静かな隠棲生活を願望しているが、飢饉に戦乱、こうした嘆き悲しむことが五十年も続いている。
平生 ひごろから。○独往願、一人静かな隠棲生活を願望していること。○惆悵 嘆き悲しむこと。○年半百 五十年。

罷官亦由人、何事拘形役。
官を辞めるのだがその理由がまた人間関係にあるのだ、どうして参軍の事務官というものがわが身を拘束されるものであろうか。
罷官 官を辞める。○亦由人 その理由がまた人間関係にある。○形役 参軍の事務官というものがわが身を拘束されるものである。


(解説)
 詩は職を辞して華州を離れる直前に作られているが、辞職の理由については「官を罷むるも亦た人に由る」と一言述べているだけである。杜甫は、地位があれば仕事を中心に生きていくということではない、この詩句でみると、人間関係でなにか我慢のならないことが起きたことをうかがわせるのであるが平穏な時なら官を辞めはしない。非常のときに二か月余も任地を離れることは鳳翔の行在所から「北征」した時と、今回の司公参軍の文官であって、所用で洛陽に行き、その後は、私用で鞏県まで行ったこと、そこで共通なこととして、杜甫が官僚であるから、そこでの詩ができたものが多い。したがって、此の詩で杜甫が官を辞した問題を判断することはできない。

 ただ、司公参軍の事務官という地位は杜甫自身の生きて上で男の拘束になるものではない。つまり、房琯一派とされ、徹底した疎外感しかなかったのである。将来に掛ける希望は全くなかった。

こうして彼は759年、乾元二年秋、遂に官を棄てて、1族杜佐の寄寓しているときく秦州(甘粛省天水)に、家族をつれて移って行ったり、杜甫の政治生活というものは、その誠実な努力、大きな理想にも係わらず、結局は何らなすこともなく、社会の矛盾と、自己の無力に、絶望を感ぜずにはいられなかった。

それにしてもこれからさき、この世の中はどうなってゆくのか、そしてまた自分はこれから、どうしてゆけばよいのか、彼には分からなかった。このころの作かと思われる遣興五首という詩には、その昔の賢人たちも、時運に遇わぬときは、きっと今の自分のような心持ちであったろう、と、かの山中の処士として身を終えた後漢の龐徳公、世俗をさけた陶淵明、道士となって故郷にかえった賀知章、貧窮に死んだ孟浩然らを慕って、その人々を詩に詠っている。しかし、他方でそういうすがすがしい心境に引かれながらも、やはり世を捨てて隠居する心持ちにはなりえないのが牡浦の性格であり、またその境遇でもあった。たとえ秦州という隴西の山中にいても、その心はいつも国家の危機、社会の変動、人民の苦難に対する限りない憂愁で満ちていたのである。

夏夜嘆 <223-#3>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1085 杜甫特集700- 326

夏夜嘆 <223-#3>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1085 杜甫特集700- 326

759年乾元二年の夏は、陝西省一帯にひでりがつづき、田畑の災害はひどいものであった。杜甫『夏日嘆』「雨降不濡物,良田起黃埃。飛鳥苦熱死,池魚涸其泥。」良い田畑が黄色の砂地になり、飛ぶ鳥も暑さに落ち、池の魚も水枯れて死んだ。

人民は離散し、村落は見渡すかぎり荒れはてた。しかも黄河以北は、安史軍が勝手し放題、唐王朝軍は何をしているのか一向にふるわぬ。杜甫は食事もすすまず、心中の憂悶は限りもなかった。

夏の夜は短い、昼日中が長いこと、その灼熱は夜を苦しいものにする。唐王朝軍が洛陽の守りをし、体勢を立て直しているが、形勢的には不利な状況である。洛陽は経済の要衝の地であること、それは逆に守りには適していないことを意味する。郭子儀軍がまもっているのは、『三吏三別の詩』で見た様に動きの悪い兵士たち、老人たちまでかき集めたよわい兵軍でしかない。杜甫は飢饉に見舞われた中、その上おさまりそうにないこの叛乱、そして彼自身、家族を伴った死にもの狂いの逃走、その上で安史軍に拘束・軟禁、これらのことがあって、悲観的に考えないでおられようか。こうした中で『夏夜嘆』を作っている。そして、秋になって、決意するのである。

夏夜嘆
夏の夜の暑さを嘆く
永日不可暮,炎蒸毒中腸。
日中、太陽は永くてりつづけ、暮れるのがおそくなる,それにこの燃えるような暑さ、茹で上がるような蒸し暑さでは中腸まで毒されてしまって、食べる気にならないし、食べられない。
安得萬裡風,飄搖吹我裳?
どうやったら、着物の袖や裾から涼風が得られるのだろうか。翻るほどの風、裾が揺れるほどの画是が私の着物にふいて吹いてくれるのだろうか。
昊天出華月,茂林延疏光。
夏の大空には美しい月がでている。うっそうと茂った林には月の光が木々に別れてさしこん躬伸びている。
仲夏苦夜短,開軒納微涼。」
真夏(5月6月初め、今の7月)は夜が短く日がさす昼が長く苦しいものだ。軒をひろげて開くといくらか涼しい風が通り気持ちを納めてくれる。
#2
虛明見纖毫,羽蟲亦飛揚。
うつろなあかりのなかで非常に小さいものを見る、羽ありかシラミがまた飛び跳ねあがった。
物情無巨細,自適固其常。
物のようす、性質、世間のありさまというものにおおきいもちいさいもないものだ、自分の心にかなった生活をすることそのもの日常的に心がけているものである。
念彼荷戈士,窮年守邊疆。
ましてやふたたび、安史軍による洛陽城の陥落という煩わしくていやらしいことになるという。そして今、こんなに激しく強烈に安らかなる世のことを思うことはないのだ。
何由一洗濯,執熱互相望?」

どういう方法でひとたびわだかまりや苦労を捨てさっぱりすることができるだろうか、きっと、こんなに暑い折柄であれば互いにそのことを望んでいるだろう。
#3
竟夕擊刁鬥,喧聲連萬方。
その日の夕方になってついに安史軍による悪辣な攻撃に大敗した。その騒ぎの声は国のすべての方向につたわった。
青紫雖被體,不如早還鄉。
大敗した九節度使の唐王朝連合軍は靑と紫のしるしをからだにつけてはいたが、急いでそれぞれの故郷に帰るわけにはいかない。
北城悲笳發,鸛鶴號且翔。
北の城では胡のあし笛と鼓を打ち鳴らしているのが悲しい。コウノトリは泣き叫びそして飛んで行った。
況複煩促倦,激烈思時康。」
兵士たちに国の守りを背負わせているから、これらのことはこころにおもいつづけていられる。もともと年を極めてみると北方・西方の異民族との辺境を守る者である。

(夏の夜の嘆き)  #1
日 永くして暮る可からず,炎蒸 中腸 毒さる。
安んぞ得んや萬裡の風,飄搖 我裳に吹かんや?
昊天 華月出でて,茂林 疏光延ぶ。
仲夏 夜短かくして苦しむ,軒を開きて微涼を納む。」
#2
虛明 纖毫を見る,羽蟲 亦 飛び、揚がる。
物情 巨細 無し,自適 其の常なるに固る。
彼の念うこと戈士に荷わせ,窮年 邊疆を守る。
何んぞ由なるや一たびの洗濯,執熱 互いに相望まん?」
#3
竟に夕には刁鬥【ちょうとう】を擊つ,喧聲 萬方に連らなる。
青紫 被體と雖ども,早に鄉に還えるに如かず。
北城 笳發を悲しみ,鸛鶴 號且翔。
況んや複た促倦を煩らわし,激烈 時に康んじることを思う。」



現代語訳と訳註
(本文)
#3
竟夕擊刁鬥,喧聲連萬方。
青紫雖被體,不如早還鄉。
北城悲笳發,鸛鶴號且翔。
況複煩促倦,激烈思時康。」


(下し文) #3
竟に夕には刁鬥【ちょうとう】を擊つ,喧聲 萬方に連らなる。
青紫 被體と雖ども,早に鄉に還えるに如かず。
北城 笳發を悲しみ,鸛鶴 號且翔。
況んや複た促倦を煩らわし,激烈 時に康んじることを思う。」


(現代語訳)
その日の夕方になってついに安史軍による悪辣な攻撃に大敗した。その騒ぎの声は国のすべての方向につたわった。
大敗した九節度使の唐王朝連合軍は靑と紫のしるしをからだにつけてはいたが、急いでそれぞれの故郷に帰るわけにはいかない。
北の城では胡のあし笛と鼓を打ち鳴らしているのが悲しい。コウノトリは泣き叫びそして飛んで行った。
ましてやふたたび、安史軍による洛陽城の陥落という煩わしくていやらしいことになるという。そして今、こんなに激しく強烈に安らかなる世のことを思うことはないのだ。


(訳注) #3
竟夕擊刁鬥,喧聲連萬方。

その日の夕方になってついに安史軍による悪辣な攻撃に大敗した。その騒ぎの声は国のすべての方向につたわった
刁鬥 悪辣な感じの争い。安史軍の戦い。幽州の史思明が落城寸前であった鄴城の安慶緒を助け、王朝連合軍を打ち破った。


青紫雖被體,不如早還鄉。
大敗した九節度使の唐王朝連合軍は靑と紫のしるしをからだにつけてはいたが、急いでそれぞれの故郷に帰るわけにはいかない。


北城悲笳發,鸛鶴號且翔。
北の城では胡のあし笛と鼓を打ち鳴らしているのが悲しい。コウノトリは泣き叫びそして飛んで行った。
北城 鄴城。笳 胡笳。○鸛鶴【こうづる】コウノトリの別名。


況複煩促倦,激烈思時康。」
ましてやふたたび、安史軍による洛陽城の陥落という煩わしくていやらしいことになるという。そして今、こんなに激しく強烈に安らかなる世のことを思うことはないのだ。


夏夜嘆 <223-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1082 杜甫特集700- 325

夏夜嘆 <223-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1082 杜甫特集700- 325


田舎の官吏としての自分の立場に、いやでも多くの矛盾を感じたにちがいない。その間、人間関係の煩わしい事情もあったかも知れぬ。華州を去ってゆこうとする頃、「立秋後過す」という詩に、「官ヲ罷ムルモ亦夕人二由ル.」と詠じているのを見ると、なにかかくれた事情があったようにも想像される。そうでなくても、すでに朝廷から排斥される房琯一派につながる者とされている杜甫に、政治上の山路は与えられるべくもない。ともかく、杜甫にとって、華州司功参軍という役人仕事をつづけることはもはや苦痛であった。こうして、暫く立った立秋には官を辞して秦州に紀行の旅に出るのである。


夏夜嘆
永日不可暮,炎蒸毒中腸。
安得萬裡風,飄搖吹我裳?
昊天出華月,茂林延疏光。
仲夏苦夜短,開軒納微涼。」
#2
虛明見纖毫,羽蟲亦飛揚。
うつろなあかりのなかで非常に小さいものを見る、羽ありかシラミがまた飛び跳ねあがった。
物情無巨細,自適固其常。
物のようす、性質、世間のありさまというものにおおきいもちいさいもないものだ、自分の心にかなった生活をすることそのもの日常的に心がけているものである。
念彼荷戈士,窮年守邊疆。
兵士たちに国の守りを背負わせているから、これらのことはこころにおもいつづけていられる。もともと年を極めてみると北方・西方の異民族との辺境を守る者である。
何由一洗濯,執熱互相望?」

どういう方法でひとたびわだかまりや苦労を捨てさっぱりすることができるだろうか、きっと、こんなに暑い折柄であれば互いにそのことを望んでいるだろう。

#3
竟夕擊刁鬥,喧聲連萬方。
青紫雖被體,不如早還鄉。
北城悲笳發,鸛鶴號且翔。
況複煩促倦,激烈思時康。」


(夏の夜の嘆き)  #1
日 永くして暮る可からず,炎蒸 中腸 毒さる。
安んぞ得んや萬裡の風,飄搖 我裳に吹かんや?
昊天 華月出でて,茂林 疏光延ぶ。
仲夏 夜短かくして苦しむ,軒を開きて微涼を納む。」
#2
虛明 纖毫を見る,羽蟲 亦 飛び、揚がる。
物情 巨細 無し,自適 其の常なるに固る。
彼の念うこと戈士に荷わせ,窮年 邊疆を守る。
何んぞ由なるや一たびの洗濯,執熱 互いに相望まん?」

#3
竟に夕には刁鬥【ちょうとう】を擊つ,喧聲 萬方に連らなる。
青紫 被體と雖ども,早に鄉に還えるに如かず。
北城 笳發を悲しみ,鸛鶴 號且翔。
況んや複た促倦を煩らわし,激烈 時に康んじることを思う。」


現代語訳と訳註
(本文)
#2
虛明見纖毫,羽蟲亦飛揚。
物情無巨細,自適固其常。
念彼荷戈士,窮年守邊疆。
何由一洗濯,執熱互相望?」


(下し文) #2
虛明 纖毫を見る,羽蟲 亦 飛び、揚がる。
物情 巨細 無し,自適 其の常なるに固る。
彼の念うこと戈士に荷わせ,窮年 邊疆を守る。
何んぞ由なるや一たびの洗濯,執熱 互いに相望まん?」


(現代語訳) #2
うつろなあかりのなかで非常に小さいものを見る、羽ありかシラミがまた飛び跳ねあがった。
物のようす、性質、世間のありさまというものにおおきいもちいさいもないものだ、自分の心にかなった生活をすることそのもの日常的に心がけているものである。
兵士たちに国の守りを背負わせているから、これらのことはこころにおもいつづけていられる。もともと年を極めてみると北方・西方の異民族との辺境を守る者である。
どういう方法でひとたびわだかまりや苦労を捨てさっぱりすることができるだろうか、きっと、こんなに暑い折柄であれば互いにそのことを望んでいるだろう。


(訳注) #2
虛明見纖毫,羽蟲亦飛揚。

うつろなあかりのなかで非常に小さいものを見る、羽ありかシラミがまた飛び跳ねあがった。
虛明 虚1 備えのないこと。油断。すき。「敵の―に付け入る」2 事実でないこと。うそ。いつわり。「―と実が入りまじる」⇔実(じつ)。3 中身・実体がないこと。むなしいこと。うつろ。から。○纖毫  (1)細い毛。 (2)きわめてわずかなこと。また、非常に小さいことのたとえ。○羽蟲  (1)ハジラミの別名。 (2)ハアリの通称。 ... 羽蟲と同じ種類の言葉. 虫に関連する言葉 • 林檎綿虫(りんごわたむし) 根喰葉虫(ねくいはむし) 羽虫(はむし) 喇叭虫(らっぱむし) 「羽蟲」(鳥)・「毛蟲」(獣)・「鱗蟲」(魚および爬虫類)・「介蟲」(カメ、甲殻類および貝類)・「裸蟲」(ヒト)


物情無巨細,自適固其常。
物のようす、性質、世間のありさまというものにおおきいもちいさいもないものだ、自分の心にかなった生活をすることそのもの日常的に心がけているものである。
物情 1 物のようす・性質。 2 世人の心情。世間のありさま。 ○自適 思うがままに楽しむこと。自分の心にかなった生活をする。自分で行く。


念彼荷戈士,窮年守邊疆。
兵士たちに国の守りを背負わせているから、これらのことはこころにおもいつづけていられる。もともと年を極めてみると北方・西方の異民族との辺境を守る者である。
念彼「法華経(普門品)」「念彼観音力」観音菩薩の力を念ずればの意。○【か】中国の殷・周時代から前漢時代にかけて,もっともよく使用された中国独特の武器で,戟(げき)とあわせて句兵(こうへい)と総称される。長い柄の先端に,柄と直角に短剣状のものをとりつけたもので,敵の首や頭にうちこんで,手前に引き倒したり,斬りつけたりするものである。やや湾曲した両刃の短剣の部分を援(えん),その下についた長くのびた部分を胡(こ)といい,内(ない)と呼ばれる部分を柄に通して戈を安定させる。柄は古名で柲(ひつ)といわれ,木や竹を合わせたものがある。○窮年 窮年累世とは。意味や解説。自分の一生から孫子の代までも。▽「窮年」は人の一生涯。「累世」は子々孫々の意。「年を窮め、世を累【かさ】ぬ」


何由一洗濯,執熱互相望?」
どういう方法でひとたびわだかまりや苦労を捨てさっぱりすることができるだろうか、きっと、こんなに暑い折柄であれば互いにそのことを望んでいるだろう。
洗濯 (1)衣服などを洗って汚れを落としきれいにすること。 「川で―する」 (2)わだかまりや苦労を捨てさっぱりすること。○執熱 執熱不濯 読み:しゅうねつふたく 意味:熱いものを手で直接掴めないので、先ずは水を入れてからでないと洗えないということから転じて、困難を克服するためには、賢人を起用しなければならないのに、それをしないことのたとえ。

杜甫が旅の目的地を秦州と決めた理由としては、洛陽は胡賊が迫っていて危険であり(九月には史思明の攻撃によって再び陥落)、長安は飢饉で物価高。それに比べて秦州には従姪の杜佐が住んでいたし、また房棺に親しい者として先ごろ長安を追放された僧の賛公もそこにいた、などのことが考えられよう。

夏夜嘆 <223#1>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1076 杜甫特集700- 323

夏夜嘆 <223#1>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1076 杜甫特集700- 323

759年乾元二年の夏は、陝西省一帯にひでりがつづき、田畑の災害はひどいものであった。杜甫『夏日嘆』「雨降不濡物,良田起黃埃。飛鳥苦熱死,池魚涸其泥。」良い田畑が黄色の砂地になり、飛ぶ鳥も暑さに落ち、池の魚も水枯れて死んだ。人民は離散し、村落は見渡すかぎり荒れはてた。しかも黄河以北は、安史軍が勝手し放題、唐王朝軍は何をしているのか一向にふるわぬ。杜甫は食事もすすまず、心中の憂悶は限りもなかった。


夏夜嘆
夏の夜の暑さを嘆く
永日不可暮,炎蒸毒中腸。
日中、太陽は永くてりつづけ、暮れるのがおそくなる,それにこの燃えるような暑さ、茹で上がるような蒸し暑さでは中腸まで毒されてしまって、食べる気にならないし、食べられない。
安得萬裡風,飄搖吹我裳?
どうやったら、着物の袖や裾から涼風が得られるのだろうか。翻るほどの風、裾が揺れるほどの画是が私の着物にふいて吹いてくれるのだろうか。
昊天出華月,茂林延疏光。
夏の大空には美しい月がでている。うっそうと茂った林には月の光が木々に別れてさしこん躬伸びている。
仲夏苦夜短,開軒納微涼。」
真夏(5月6月初め、今の7月)は夜が短く日がさす昼が長く苦しいものだ。軒をひろげて開くといくらか涼しい風が通り気持ちを納めてくれる。

虛明見纖毫,羽蟲亦飛揚。
物情無巨細,自適固其常。
念彼荷戈士,窮年守邊疆。
何由一洗濯,執熱互相望?」

竟夕擊刁鬥,喧聲連萬方。
青紫雖被體,不如早還鄉。
北城悲笳發,鸛鶴號且翔。
況複煩促倦,激烈思時康。」


夏の夜の嘆き  #1
日 永くして暮る可からず,炎蒸 中腸 毒る。
安んぞ得んや萬裡の風,飄搖 我裳に吹かんや?
昊天 華月出でて,茂林 疏光延る。
仲夏 夜短かくして苦しむ,軒を開きて微涼を納む。」

#2
虛明 纖毫を見る,羽蟲 亦 飛び、揚がる。
物情 巨細 無し,自適 其の常なるに固る。
彼の念うこと戈士に荷わせ,窮年 邊疆を守る。
何んぞ由なるや一たびの洗濯,執熱 互いに相望まん?」
#3
竟に夕には刁鬥【ちょうとう】を擊つ,喧聲 萬方に連らなる。
青紫 被體と雖ども,早に鄉に還えるに如かず。
北城 笳發を悲しみ,鸛鶴 號且翔。
況んや複た促倦を煩らわし,激烈 時に康んじることを思う。」

kagayak460

現代語訳と訳註
(本文)
夏夜嘆

永日不可暮,炎蒸毒中腸。
安得萬裡風,飄搖吹我裳?
昊天出華月,茂林延疏光。
仲夏苦夜短,開軒納微涼。」

(下し文) #1
日 永くして暮る可からず,炎蒸 中腸 毒る。
安んぞ得んや萬裡の風,飄搖 我裳に吹かんや?
昊天 華月出でて,茂林 疏光 延る。
仲夏 夜短かくして苦しむ,軒を開きて微涼を納む。」


(現代語訳)
夏の夜の暑さを嘆く
日中、太陽は永くてりつづけ、暮れるのがおそくなる,それにこの燃えるような暑さ、茹で上がるような蒸し暑さでは中腸まで毒されてしまって、食べる気にならないし、食べられない。
どうやったら、着物の袖や裾から涼風が得られるのだろうか。翻るほどの風、裾が揺れるほどの画是が私の着物にふいて吹いてくれるのだろうか。
夏の大空には美しい月がでている。うっそうと茂った林には月の光が木々に別れてさしこんで、伸びている。
真夏(5月6月初め、今の7月)は夜が短く日がさす昼が長く苦しいものだ。軒をひろげて開くといくらか涼しい風が通り気持ちを納めてくれる。


(訳注)
夏夜嘆

夏の夜の暑さを嘆く
○近畿地方は、756年天宝十五載六月の敗戦以来、二年間戦乱に見舞われ、農耕面積が激減、人口激減、農地は荒れ果て、そのうえ、食料の半分を頼っていた江南の物資が洛陽付近の不安定な政治情勢のため届きにくくなっていた。加えて759年乾元二年の夏は暑くなるとともに日照りがつづき、蝗旱(こうかん)の害がひろがった。
 物価は騰貴し、食糧の入手は困難になっていたが、州の司功参軍である杜甫の一家はただちに飢餓に瀕することはなかった。
長安は当時の国家体制から重要地点ではあったがここに100万人以上の人口が集結していたことは、戦乱だけでも食糧不足を起こし、その上日照りが重なると飢饉になる地点でもあった。安史の乱のきっかけも長雨により食糧不足、物価高騰にあった。戦乱と飢饉で生きる地獄を見るのである。


永日不可暮,炎蒸毒中腸。
日中、太陽は永くてりつづけ、暮れるのがおそくなる,それにこの燃えるような暑さ、茹で上がるような蒸し暑さでは中腸まで毒されてしまって、食べる気にならないし、食べられない。
謝霊運『南樓中望所遲客』「孟夏非長夜,晦明如歲隔。」(孟夏【もうか】は長き夜に非ざるも、晦明【かいめい】は歳の隔つるが如し。)


安得萬裡風,飄搖吹我裳?
どうやったら、着物の袖や裾から涼風が得られるのだろうか。翻るほどの風、裾が揺れるほどの画是が私の着物にふいて吹いてくれるのだろうか。


昊天出華月,茂林延疏光。
夏の大空には美しい月がでている。うっそうと茂った林には月の光が木々に別れてさしこんで、伸びている。
昊天【こうてん】1 夏の空。2 広い空。大空。○華月 美しい月。盛んなとき。


仲夏苦夜短,開軒納微涼。」
真夏(5月6月初め、今の7月)は夜が短く日がさす昼が長く苦しいものだ。軒をひろげて開くといくらか涼しい風が通り気持ちを納めてくれる。



 華州参軍の官吏としての自分の立場に、いやでも多くの矛盾を感じたにちがいない。その間、人間関係の煩わしい事情もあったかも知れぬ。華州を去ってゆこうとする頃「立秋後題」詩に、「罷官亦由人」(官を罷むるも亦た人に由る。)と詠じているのを見ると、なにかかくれた事情があったようにも想像される。そうでなくても、すでに朝廷から排斥される房琯一派につながる者とされている杜甫に、政治上の山路は与えられるべくもない。ともかく、杜甫にとって、華州司功参軍という役人仕事をつづけることはもはや苦痛であった。こうして、暫く立った立秋には官を辞して秦州に紀行の旅に出るのである。
tsuki001

夏日嘆 <222-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1076 杜甫特集700- 323

夏日嘆 <222-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1076 杜甫特集700- 323

759年乾元二年の夏は、陝西省一帯にひでりがつづき、田畑の災害はひどいものであった。飛ぶ鳥も暑さに落ち、池の魚も水枯れて死んだ。人民は離散し、村落は見渡すかぎり荒れはてた。しかも黄河以北は、安史軍が勝手し放題、唐王朝軍は何をしているのか一向にふるわぬ。杜甫は食事もすすまず、心中の憂悶は限りもなかった。


夏日嘆
夏日出東北,陵天經中街。
朱光徹厚地,鬱蒸何由開?
上蒼久無雷,無乃號令乖?
雨降不濡物,良田起黃埃。
飛鳥苦熱死,池魚涸其泥。』
萬人尚流冗,舉目唯蒿萊。
こんな日が続くとここにいる人だれもが同じ無駄な汗を流しているだけだし、目を挙げてただ雑草をたべるため摘むのである。
至今大河北,化作虎與豺。
しかも、今に至っても大黄河の北側には安・史軍が虎と豹のように我がもの顔で支配している。
浩蕩想幽薊,王師安在哉?
安史軍の広広として大きな幽州、薊州のことをおもう。この者たちを成敗してくれる唐王朝の九節度使連合軍はどこに居るのだろう。
對食不能餐,我心殊未諧。
食べることに対して御馳走をたらふく食べられることはないし、私の心に思うこともいまだに和らぐこともないのである。
眇然貞觀初,難與數子偕!』

理想とされる貞観の治の政治への期待感は取るに足りないものとなってしまい、誰もかれもが仲良く暮らしていくというのはもう難しいことなのだ。

(夏の日嘆く)
夏日 東北に出ず,陵天 經中の街。
朱光 厚地に徹し,鬱蒸して何ぞ由く開くや?
上蒼 久しく雷無し,乃れ無くして號令を乖らんや?
雨降るは物を濡らさず,良田 黃埃【こうあい】を起こす。
飛鳥 苦しみて熱死す,池魚 其泥を涸らす。』
萬人 尚 冗を流す,舉目を唯 萊を蒿む。
今に至り大河の北,作を化すは虎與豺。
浩蕩 幽薊を想う,王師 安んぞ在り哉?
食に對して餐能たわず,我 心は殊に未だ諧さず。
眇然として貞觀の初め,與に數子偕し難たし!


夏の日照りを嘆く
夏の炎天の中東北に出かける、日照り続きの天気は厳しくこわく街の中まで続いている。
炎天の日光は大地に深く照り続く、たまっていた水分湿り気というものもふたが開いてしまって留まることはなくどこかへ行ってしまう。
上空はどこまでも蒼くここ当分の間に書き曇り雷がおこることはない、それは天からの号令一下秩序能く整頓することからかけ離れてしまったことに他ならない。
雨が降ることは万物を濡らすことではない、雨が降らねばここにあるように良い田畑が黄色の砂地になってしまうのである。
飛ぶ鳥は苦しみそして暑さで死ぬだろう、池の魚は水が枯れてしまい死んでその泥に入ってしまう。
こんな日が続くとここにいる人だれもが同じ無駄な汗を流しているだけだし、目を挙げてただ雑草をたべるため摘むのである。
しかも、今に至っても大黄河の北側には安・史軍が虎と豹のように我がもの顔で支配している。
安史軍の広広として大きな幽州、薊州のことをおもう。この者たちを成敗してくれる唐王朝の九節度使連合軍はどこに居るのだろう。
食べることに対して御馳走をたらふく食べられることはないし、私の心に思うこともいまだに和らぐこともないのである。
理想とされる貞観の治の政治への期待感は取るに足りないものとなってしまい、誰もかれもが仲良く暮らしていくというのはもう難しいことなのだ。


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現代語訳と訳註
(本文)

萬人尚流冗,舉目唯蒿萊。
至今大河北,化作虎與豺。
浩蕩想幽薊,王師安在哉?
對食不能餐,我心殊未諧。
眇然貞觀初,難與數子偕!』


(下し文)
萬人 尚 冗を流す,目を舉げて 唯 萊を蒿む。
今に至り大河の北,作を化すは虎與豺。
浩蕩 幽薊を想う,王師 安んぞ在り哉?
食に對して餐能たわず,我 心は殊に未だ諧さず。
眇然として貞觀の初め,與に數子偕し難たし!』


(現代語訳)
こんな日が続くとここにいる人だれもが同じ無駄な汗を流しているだけだし、目を挙げてただ雑草をたべるため摘むのである。
しかも、今に至っても大黄河の北側には安・史軍が虎と豹のように我がもの顔で支配している。
安史軍の広広として大きな幽州、薊州のことをおもう。この者たちを成敗してくれる唐王朝の九節度使連合軍はどこに居るのだろう。
食べることに対して御馳走をたらふく食べられることはないし、私の心に思うこともいまだに和らぐこともないのである。
理想とされる貞観の治の政治への期待感は取るに足りないものとなってしまい、誰もかれもが仲良く暮らしていくというのはもう難しいことなのだ。


(訳注)
萬人尚流冗,舉目唯蒿萊。
こんな日が続くとここにいる人だれもが同じ無駄な汗を流しているだけだし、目を挙げてただ雑草をたべるため摘むのである
【ジョウ】1 よけいな。むだ。余分。「冗員・冗談・冗費」 2 むだが多く締まりがない。くだくだしい。「冗長・冗漫/煩冗」 .


至今大河北,化作虎與豺。
しかも、今に至っても大黄河の北側には安・史軍が虎と豹のように我がもの顔で支配している。
虎與豺 安・史軍、安慶緒の軍と史思明の軍。この7月末から8月初めの時期、史思明の軍勢は洛陽に迫っていた。晩秋9月には史思明軍が洛陽を落すのである。


浩蕩想幽薊,王師安在哉?
安史軍の広広として大きな幽州、薊州のことをおもう。この者たちを成敗してくれる唐王朝の九節度使連合軍はどこに居るのだろう。
浩蕩 広広として大きなさま。○王師【おうし】王の軍勢。官軍。帝王の師範。9節度使軍は3月に大敗し、その後郭子儀軍が再編成し洛陽で史思明軍と対峙していた。


對食不能餐,我心殊未諧。
食べることに対して御馳走をたらふく食べられることはないし、私の心に思うこともいまだに和らぐこともないのである。
【カイ】 1 調和する。やわらぐ。「諧声・諧調・諧和/和諧」 2 冗談。ユーモア。心置きなく食事ができ、生活ができることができないので食事も進まないことをいう。杜甫にとって、あれほどこだわって士官できたが、官職について2年間少しもいいことはなかった。その上の戦乱、飢饉である。


眇然貞觀初,難與數子偕!』
理想とされる貞観の治の政治への期待感は取るに足りないものとなってしまい、誰もかれもが仲良く暮らしていくというのはもう難しいことなのだ。
眇然 小さいさま。取るに足りないさま。○貞觀 貞観 (唐):唐代に使用された元号(627年-649年)。貞観の治(じょうがんのち)とは中国唐(618年 - 907年)の第2代皇帝・太宗李世民の治世、貞観(元年 - 23年)この時代、中国史上最も良く国内が治まった時代で、後世、政治的な理想時代とされた。僅かな異変でも改元を行った王朝時代において同一の元号が23年も続くと言うのは稀であり、その治世がいかに安定していたかが伺える。この時代を示す言葉として、『資治通鑑』に、「-海内升平,路不拾遺,外戸不閉,商旅野宿焉。」(天下太平であり、道に置き忘れたものは盗まれない。家の戸は閉ざされること無く、旅の商人は野宿をするほど治安が良い)との評がある。
 夫婦が仲むつまじく添い遂げること。夫婦の契りがかたく仲むつまじいたとえ。夫婦がともにむつまじく年を重ね、死後は同じ墓に葬られる意から。「偕」はともにの意。

夏日嘆 <222#1>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1073 杜甫特集700- 322

夏日嘆 <222#1>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1073 杜甫特集700- 322

杜甫が二月に洛陽を出発し、新安、石豪、潼関を通過、途中見聞きしたことは「三吏三別詩」にあらわした。春に出発したが、華州へ着いたとき、すでに初夏になっており、近畿地方一帯は早天が続いて飢饉の気配が濃厚であった。秋になると、果たせるかな近畿の地は飢饉となり、すべての出来事が悲観的に感じられ、それを脱却するため、杜甫は棄官を決意することになる。
十五年にわたって執着していた官を、あっさりと棄て去るには、食糧事情の悪化だけではなく、政治事情も関係していた。すなわち新帝の粛宗側は、その地位を確かなものにするために、玄宗側の人々を朝廷から追い落としており、特に房琯グループの追放は徹底したものであった。まぎれもなく杜甫は玄宗を慕い、房琯を師とするところであった。
杜甫は左拾位になって1年、その後華州司公参軍で1年、官界に絶望した2年であった。
かくして杜甫は759年乾元二年の秋、四十八歳のときに長安を去ってから、770年大暦五年の冬に五十九歳で亡くなるまでの十一年間を、家族を伴っての放浪のうちに過ごすことになるのである。


夏日嘆
夏の日照りを嘆く
夏日出東北,陵天經中街。
夏の炎天の中東北に出かける、日照り続きの天気は厳しくこわく街の中まで続いている。
朱光徹厚地,鬱蒸何由開?
炎天の日光は大地に深く照り続く、たまっていた水分湿り気というものもふたが開いてしまって留まることはなくどこかへ行ってしまう。
上蒼久無雷,無乃號令乖?
上空はどこまでも蒼くここ当分の間に書き曇り雷がおこることはない、それは天からの号令一下秩序能く整頓することからかけ離れてしまったことに他ならない。
雨降不濡物,良田起黃埃。
雨が降ることは万物を濡らすことではない、雨が降らねばここにあるように良い田畑が黄色の砂地になってしまうのである。
飛鳥苦熱死,池魚涸其泥。』

飛ぶ鳥は苦しみそして暑さで死ぬだろう、池の魚は水が枯れてしまい死んでその泥に入ってしまう。
萬人尚流冗,舉目唯蒿萊。
至今大河北,化作虎與豺。
浩蕩想幽薊,王師安在哉?
對食不能餐,我心殊未諧。
眇然貞觀初,難與數子偕!』


(夏の日嘆く)
夏日 東北に出ず,陵天 經中の街。
朱光 厚地に徹し,鬱蒸して何ぞ由く開くや?
上蒼 久しく雷無し,乃れ無くして號令を乖らんや?
雨降るは物を濡らさず,良田 黃埃【こうあい】を起こす。
飛鳥 苦しみて熱死す,池魚 其泥を涸らす。』

萬人 尚 冗を流す,舉目を唯 萊を蒿む。
今に至り大河の北,作を化すは虎與豺。
浩蕩 幽薊を想う,王師 安んぞ在り哉?
食に對して餐能たわず,我 心は殊に未だ諧さず。
眇然として貞觀の初め,與に數子偕し難たし!』


現代語訳と訳註
(本文)
夏日嘆
夏日出東北,陵天經中街。
朱光徹厚地,鬱蒸何由開?
上蒼久無雷,無乃號令乖?
雨降不濡物,良田起黃埃。
飛鳥苦熱死,池魚涸其泥。』


(下し文)
(夏の日嘆く)
夏日 東北に出ず,陵天 經中の街。
朱光 厚地に徹し,鬱蒸して何ぞ由く開くや?
上蒼 久しく雷無し,乃れ無くして號令を乖らんや?
雨降りて物濡れず,良田 黃埃 起こす。
飛鳥 苦しみて熱死す,池魚 其泥を涸らす。』


(現代語訳)
夏の日照りを嘆く
夏の炎天の中東北に出かける、日照り続きの天気は厳しくこわく街の中まで続いている。
炎天の日光は大地に深く照り続く、たまっていた水分湿り気というものもふたが開いてしまって留まることはなくどこかへ行ってしまう。
上空はどこまでも蒼くここ当分の間に書き曇り雷がおこることはない、それは天からの号令一下秩序能く整頓することからかけ離れてしまったことに他ならない。
雨が降ることは万物を濡らすことではない、雨が降らねばここにあるように良い田畑が黄色の砂地になってしまうのである。
飛ぶ鳥は苦しみそして暑さで死ぬだろう、池の魚は水が枯れてしまい死んでその泥に入ってしまう。


(訳注)夏日嘆
夏の日照りを嘆く
近畿地方は、756年天宝十五載六月の敗戦以来、二年間戦乱に見舞われ、農耕面積が激減、人口激減、農地は荒れ果て、そのうえ、食料の半分を頼っていた江南の物資が洛陽付近の不安定な政治情勢のため届きにくくなっていた。加えて759年乾元二年の夏は暑くなるとともに日照りがつづき、蝗旱(こうかん)の害がひろがった。
 物価は騰貴し、食糧の入手は困難になり、州の司功参軍である杜甫の一家はただちに飢餓に瀕することはなかった。
長安は当時の国家体制から重要地点ではあったがここに100万人以上の人口が集結していたことは、戦乱だけでも食糧不足を起こし、その上日照りが重なると飢饉になる地点でもあった。安史の乱のきっかけも長雨により食糧不足、物価高騰にあった。戦乱と飢饉で生きる地獄を見るのである。


夏日出東北,陵天經中街。
夏の炎天の中東北に出かける、日照り続きの天気は厳しくこわく街の中まで続いている。
東北 華州で東北というと同州というところで、渭水、洛水、黄河の合流点で近畿地方の穀倉地帯であったところ。○ きびしい。おそれる。『荀子、致仕』「凡節奏欲陵、而生民欲寛。」(凡そ節奏は陵を欲して、而して生民は寛を欲す。)『玉篇』「陵慄也。」

杜甫乱前後の図003鳳翔

朱光徹厚地,鬱蒸何由開?
炎天の日光は大地に深く照り続く、たまっていた水分湿り気というものもふたが開いてしまって留まることはなくどこかへ行ってしまう。
朱光 太陽の別名。赤い光。○徹厚地,太陽の熱と光が大地に深く照り続くことをあらわす。○鬱蒸 鬱積した水蒸気。


上蒼久無雷,無乃號令乖?
上空はどこまでも蒼くここ当分の間に書き曇り雷がおこることはない、それは天からの号令一下秩序能く整頓することからかけ離れてしまったことに他ならない。
上蒼 空の蒼いこと。カンカン照り。○號令乖 天が号令をかけることが遠ざかり、かけ離れてしまう。天の秩序が遠のくこと。


雨降不濡物,良田起黃埃。
雨が降ることは万物を濡らすことではない、雨が降らねばここにあるように良い田畑が黄色の砂地になってしまうのである。
良田 良い田畑。○起黃埃 水田や畑の畝が黄色の砂塵をおこしてしまう。


飛鳥苦熱死,池魚涸其泥。』
飛ぶ鳥は苦しみそして暑さで死ぬだろう、池の魚は水が枯れてしまい死んでその泥に入ってしまう。
 枯渇すること。○其泥 死んでしまって泥に化すこと。

重題鄭氏東亭 杜甫 <221> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1070 杜甫詩集700- 321

重題鄭氏東亭 杜甫 <221> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1070 杜甫詩集700- 321


重題鄭氏東亭
  杜甫原注 在新安界
華亭入翠微,秋日亂清暉。
華彩ある亭は山の中腹、緑に囲まれた中に入っていくとある。既に秋の日は少し傾きかけてきたので清らかに輝き乱れている。
崩石欹山樹,清漣曳水衣。
途中大岩が崩れかけて道に逼っていて山にある木々は傍に立っている、白衣を落すような滝があり岩陰の淵には水紋をひろげている。
紫鱗沖岸躍,蒼隼護巢歸。
渓流魚は淵の岸をかすめて跳ね上がる、ハヤブサは飛び、巣を守るためにかえる。
向晩尋徴路,殘雲傍馬飛。
あたりは夕暮れになって薄暗くなりかけた道を尋ね行く。ちぎれ雲が馬を進めるのに合わせて飛んでいる。

重ねて鄭氏が東亭に題す
華亭 翠微【すいび】に入リ、秋日 清輝【せいき】 亂る。
崩石【ほうせき】 山樹 黻【そばた】ち、清漣【せいれん】 水衣を曳く。
紫鱗【しりん】 岸を衝いて躍り、蒼隼【そうしゅん】 巣を護りて歸る。
晩に向【なんな】ん として征路を尋ね、殘雲 馬に傍【そ】うて飛ぶ。

現代語訳と訳註
(本文)
重題鄭氏東亭  杜甫原注 在新安界
華亭入翠微,秋日亂清暉。
崩石欹山樹,清漣曳水衣。
紫鱗沖岸躍,蒼隼護巢歸。
向晩尋徴路,殘雲傍馬飛。

(下し文) 重ねて鄭氏が東亭に題す
華亭 翠微【すいび】に入リ、秋日 清輝【せいき】 亂る。
崩石【ほうせき】 山樹 黻【そばた】ち、清漣【せいれん】 水衣を曳く。
紫鱗【しりん】 岸を衝いて躍り、蒼隼【そうしゅん】 巣を護りて歸る。
晩に向【なんな】ん として征路を尋ね、殘雲 馬に傍【そ】うて飛ぶ。


(現代語訳)
華彩ある亭は山の中腹、緑に囲まれた中に入っていくとある。既に秋の日は少し傾きかけてきたので清らかに輝き乱れている。
途中大岩が崩れかけて道に逼っていて山にある木々は傍に立っている、白衣を落すような滝があり岩陰の淵には水紋をひろげている。
渓流魚は淵の岸をかすめて跳ね上がる、ハヤブサは飛び、巣を守るためにかえる。
あたりは夕暮れになって薄暗くなりかけた道を尋ね行く。ちぎれ雲が馬を進めるのに合わせて飛んでいる。


(訳注)
重題鄭氏東亭

重ねて鄭駙馬氏の東の亭に題す。
鄭氏。駙馬鄭潜躍。東山は藍田県の東南にある藍田山、即ち玉山であり、草堂はかやぶきの堂である。此の堂は前詩の別荘とは異なるものである。此の詩は崔氏の東山の草堂において作る。前詩と同時期の作。西隣に王維の輞川荘があるが、王維は自身傷心の身であると同時に朝廷に嫌気を覚えていた。安史の乱までに輞川荘を完成させ、二十首の『輞川集』を完成させたことも官僚勤めを遠ざけるもので、仏教に傾倒深くなっていたのである。
東亭 新安の界に在り河南府に属す。洛陽から華州に帰る際に立ち寄ったもの。藍田の東山草堂とはべつもの。
 

華亭入翠微,秋日亂清暉。
華彩ある亭は山の中腹、緑に囲まれた中に入っていくとある。既に秋の日は少し傾きかけてきたので清らかに輝き乱れている。
華亭。華彩ある亭。鄭県の宿場か、駅である。○翠微 山の中腹。山中、木々がうっそうと茂り、薄暗い様子。○秋日 秋の日、沈みかけた夕日。○【き】 1 ひかり。かがやき。「落暉」 2 かがやく。ひかる。


崩石欹山樹,清漣曳水衣。
途中大岩が崩れかけて道に逼っていて山にある木々は傍に立っている、白衣を落すような滝があり岩陰の淵には水紋をひろげている。
崩石 樹や崩石に圧迫させられる、そばたつ様子をいう。○ 清漣。詩に河水清うして且つ漣猗とあり、水紋を成すを漣といふ


紫鱗沖岸躍,蒼隼護巢歸。
渓流魚は淵の岸をかすめて跳ね上がる、ハヤブサは飛び、巣を守るためにかえる。
紫鱗 魚○ 蒼隼。ハヤフサ


向晩尋徴路,殘雲傍馬飛。
あたりは夕暮れになって薄暗くなりかけた道を尋ね行く。ちぎれ雲が馬を進めるのに合わせて飛んでいる。


崔氏東山草堂  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 27

崔氏東山草堂
愛汝玉山草堂靜,高秋爽氣相鮮新。
有時自發鐘磬響,落日更見漁樵人。
盤剝白鴉谷口栗,飯煮青泥坊底蓴。
何為西莊王給事,柴門空閉鎖松筠?

(崔氏が東山の草堂)
愛す汝が玉山【ぎょくさん】草堂の静かなるを、高秋【こうしゅう】の爽気【そうき】 相 鮮新【せんしん】。
時有ってか自ら発す鐘磬【しょうけい】の響、落日更に見る漁樵【ぎょしょう】の人。
盤には剥【は】ぐ白鴉【はくあ】谷口【こくこう】の栗【りつ】、飯【はん】には煮る青泥【せいでい】坊底【ぼうてい】の蓴【じゅん】。
何為【なんすれ】ぞ西荘【せいそう】の王給事、柴門【さいもん】空しく閉じて松筠【しょうきん】に鎖【とざ】す。

9

 

奉陪鄭駙馬韋曲二首其一 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 75

奉陪鄭駙馬韋曲二首其二 杜甫   :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 76

 

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

 

題鄭牌亭子 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 270


題鄭縣亭子
鄭縣亭子澗之濱,戶牖憑高發興新。
雲斷岳蓮臨大路,天晴宮柳暗長春。
巢邊野雀欺群燕,花底山蜂趁遠人。
更欲題詩滿青竹,晚來幽獨恐傷神。

 
(鄭県の亭子に題す)
鄭県【ていけん】の亭子【ていし】澗【かん】の浜【ひん】、戶牖【こゆう】 高きに憑【よ】れば発興【ほつきょう】新なり。
雲断えて岳蓮【がくれん】大路【たいろ】に臨み、天晴れて宮柳【きゅうりゅう】長春【ちょうしゅん】に暗し。
巣辺【そうへん】には野雀【やじゃく】羣【むら】がりて燕を欺【あなど】り、花底【かてい】には山蜂【さんぽう】遠く人を趁【お】う。
更に詩を題して青竹に満【み】てんと欲するも、晩来幽独【ゆうどく】にして恐らくは神を傷【いた】ましめん。

(現代語訳)
鄭県の宿場の傍、谷間の水辺にある、その宿場の戸や窓から高処に寄って眺めると新しく興が沸き起こる。
雲が途絶えて華岳の蓮峰が大道にさしかかっており、空は晴れ渡って河向かいの長春宮のあたりに柳が小暗く見えている。
やや近くでは燕の巣の傍へ野の雀が群がってやって来てそれをあなどっており、花樹のあいだを通って行く人を山蜂が同じようにどこまでもとくっついて行く。(遠景近景ともにおもしろい。あるいは、朝廷内のことを揶揄しているのか)
そこでわたしは宿場の傍の青竹の幹にもっと詩をかきつけていっぱいになるほどにしようかと思うのだが、いかにせん、夕方になって。竹藪の奥深い所、寂しく一人でいることで、いろんなおもい、心の傷が浮かんでくる。(だからこのまま竹林の奥にひっそりと棲みたいものだ。)

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