杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

2012年07月

秦州雜詩二十首 其十四 杜甫 第4部 <267> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1250 杜甫詩 700- 381

秦州雜詩二十首 其十四 杜甫 第4部 <267> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1250 杜甫詩 700- 381


秦州雜詩二十首 第一部(其の一から其四)
●秦州の概要について述べる。


秦州雜詩二十首 第二部(其の五から其八)
●秦州と戰について述べる。


秦州雜詩二十首 第三部(其の九から其の十二)
●秦州城内のようすや住居のことを詠っている。

秦州雜詩二十首 第四部(其の十三から其の十六)
●隠棲の場所として東柯谷、仇池山の洞穴、西枝村の西谷を候補にする。


13 秦州雜詩二十首 其十三 杜甫
(他人に尋ねて東桶谷の幽勝地であることをのべた。)
傳道東柯谷,深藏數十家。
人々から伝え聞いたのは東河谷というところのことだ、まず、そこは谷間に数十戸の家が蔵されているという。
對門藤蓋瓦,映竹水穿沙。
門前に生えている藤がのびて屋根瓦にまで達し、蓋をしたようになる、水辺の竹林の碧が映り、水が射しこむ砂浜があり、清い水が流れている。
瘦地翻宜粟,陽坡可種瓜。
土地はやせているが却って粟がよくそだつので都合よいというものだ、日あたりの岡には瓜を種えることもできるとのことである。
船人近相報,但恐失桃花。

これほどに私の隠棲の場所としてよさそうであるが、船頭(姪杜佐)が近寄ってきて報せてくれたことがある、それは「早くあんないい場所に隠棲地と定めないと、桃源郷の花のようにすぐに無くしてしまう」ということである。
伝道【でんどう】す東柯谷【とうかこく】、「深く蔵【ぞう】す数十家。
門に対して 藤 瓦を蓋【おお】い、竹に映じて 水 沙【すな】を穿【うが】つ。
痩地【そうち】  翻【かえ】って粟【あわ】に宜【よろ】しく、陽坡【ようひ】  瓜を種【う】う可し」と。
船人【せんじん】  近【ちかづ)きて 相 報ず、「但【た】だ恐る桃花【とうか】を失せんか」と


14秦州雜詩二十首 其十四 
(古来、道教の仙人が住んだという仇池山の洞穴のことを想像してのぺる。)
萬古仇池穴,潛通小有天。
仇池山の洞穴は古来からある、そこははるか河南の王屋山にある小有天の洞穴とひそかに通じているという。
神魚今不見,福地語真傳。
その池にいるという神魚は今は見えないが、その場所が旧書の謂う所の仙人の住む福地だという話は本当に伝わっている。
近接西南境,長懷十九泉。
この秦州は西から南にかけて国境であり、異民族と接している、仇池山は国境近くに接している、自分はいつもそこに在るという恵み豊かな九十九泉のことなどおもっている。
何當一茅屋,送老白雲邊。
いつになったら一軒の茅屋をそこにかまえて、白雲の浮かべるあたりで老いさきを送ることができるであろうか。
万古仇池の穴、潜かに通ず小有天。
神魚今見えず。福地 語 眞に伝う。
近く接す西南の境、長【とこしえ】に懐う十九泉。
何の時か一茅屋、老を送らん白雲の辺に。

 
15 未暇泛蒼海,悠悠兵馬間。塞門風落木,客舍雨連山。
 阮籍行多興,龐公隱不還。東柯遂疏懶,休鑷鬢毛斑。
 
16 東柯好崖谷,不與眾峰群。落日邀雙鳥,晴天卷片雲。
 野人矜險絕,水竹會平分。采藥吾將老,兒童未遣聞。



現代語訳と訳註
(本文) 秦州雜詩二十首 其十四

萬古仇池穴,潛通小有天。
神魚今不見,福地語真傳。
近接西南境,長懷十九泉。
何當一茅屋,送老白雲邊。


(下し文)
万古仇池の穴、潜かに通ず小有天。
神魚今見えず。福地 語 眞に伝う。
近く接す西南の境、長【とこしえ】に懐う十九泉。
何の時か一茅屋、老を送らん白雲の辺に。


(現代語訳)
古来、道教の仙人が住んだという仇池山の洞穴のことを想像してのぺる。)
仇池山の洞穴は古来からある、そこははるか河南の王屋山にある小有天の洞穴とひそかに通じているという。
その池にいるという神魚は今は見えないが、その場所が旧書の謂う所の仙人の住む福地だという話は本当に伝わっている。
この秦州は西から南にかけて国境であり、異民族と接している、仇池山は国境近くに接している、自分はいつもそこに在るという恵み豊かな九十九泉のことなどおもっている。
いつになったら一軒の茅屋をそこにかまえて、白雲の浮かべるあたりで老いさきを送ることができるであろうか。



(訳注)
秦州雜詩二十首 其十四
(古来、道教の仙人が住んだという仇池山の洞穴のことを想像してのぺる。)


萬古仇池穴,潛通小有天。
仇池山の洞穴は古来からある、そこははるか河南の王屋山にある小有天の洞穴とひそかに通じているという。
仇池穴 仇池山は古来より神仙の住む聖地の一つとして名高い。池には神魚がいたし、はるか河南の王屋山にある小有天にも通じている。山頂には九十九泉があり、秦州の西南方向にあってさほど遠くない。其二十に「記を読みて仇池を憶う」と言っていることからすると、杜甫は何か古書の記録を読んでこれらを書き付け、仇池山に想いを寄せているのだろう。そう推測しているのは仇兆鰲である。階州成県の西にある山池の名、秦州の南にあるが、この詩では西南といっている、よほどの奇勝と思われる、「水経注」にいう、「仇池絶壁、峭峙孤険、高きに登って之を望めば、形は覆壷の若し、其の高さ二十余里、羊腸たる蟠道、三十六たび廻る、上に平田百頃あり、土を煮て塩を成す、因って百頃を以て号と為す、山上には水泉豊かなり、謂わゆる清泉湧準そ、潤気上流する者なリ。」と。○小有天 山西省の王星山の洞をいう、其の洞は「小有精虚之天」の名があり、仇池はこれと相い通ずると称せられる。


神魚今不見,福地語真傳。
その池にいるという神魚は今は見えないが、その場所が旧書の謂う所の仙人の住む福地だという話は本当に伝わっている。
神魚 仇池穴には神魚があり、これを食べると仙となるといいつたえる。○福地 ①幸福安楽の土地。文選、王融『三月三日曲水詩序』「芳林園者、福地奥区の湊、丹陵若水之舊。」②道教で、仙人の住むところ、名山または洞府を福地・鎮地とあてる。『通俗編、祝誦、福地』「亀山白玉上経、有三十六洞天、載有七十二福地。」およそ天下には三十六洞天・七十二福地があると称する。

神魚:福地、今:語、不見:真傳

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。


近接西南境,長懷十九泉。
この秦州は西から南にかけて国境であり、異民族と接している、仇池山は国境近くに接している、自分はいつもそこに在るという恵み豊かな九十九泉のことなどおもっている。
十九泉 仇池の山上には田百頃と泉九十九眼があると称する。九十九を省いて十九という。九十九は無限に続くという意味であり、水と食物が潤沢にあることを表現している。そして、仇池山の要害としての堅固さ、農産物の豊富さ、隠遁地としての実績などを兼ね備えていることが念頭にあったからだと思われる。

近接:長懷、西南:十九、境:泉

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。

何當一茅屋,送老白雲邊。

いつになったら一軒の茅屋をそこにかまえて、白雲の浮かべるあたりで老いさきを送ることができるであろうか。
中国の隠遁は日本の隠遁と違って、家族の絆を捨てるのではなく、むしろ官を去り野にあって家族や一族のつながりの楽しみをこそ大切にするものである。だから家族との隠遁生活をイメージするのは当たり前である。だがそれにしても杜甫のこの妻や子の描き方は、独特な親近感と具体的なイメージを呼び起こす。
 それはともかく、ここは李廣の生誕、隠遁の地であること、杜甫は秦州の西北にある禹穴の蔵書の伝聞に心ひかれ、また仇池山に想いを馳せている。秦州滞在時に書かれたこれらの詩で、幾ばくか離れた仇池山のことを持ち出しているのは、隠遁地として、その意志を示すことであって、この仇池山の洞穴で現実的なものとしては違うのではないかと感じられる。しかし、秦州を去ってからの杜甫の南下の行程を見てみると、仇池山も候補地の一つとしてまんざらではなかったのではないかとも思えてくる。


万古仇池の穴、潜かに通ず小有天。
神魚今見えず。福地 語 眞に伝う。
近く接す西南の境、長【とこしえ】に懐う十九泉。
何の時か一茅屋、老を送らん白雲の辺に。



杜甫は_秦州雜詩二十首其十四の前六句で、仇池山がどのような所でどこに在るのかを紹介する。
  
秦州雜詩二十首 其十四
萬古仇池穴、潛通小有天。
神魚今不見、福地語真傳。
近接西南境、長懷十九泉。
何時一茅屋、送老白雲邊。

万古の 仇池の穴は、潜(ひそ)かに 小有天に通ず。
神魚は 今は見えざるも、福地なる その語は真に伝わる。
西南の境に近接し、長(はるか)に十九泉を懐う。
何(いず)れの時にか 一茅屋に、老を白雲の辺に送らん。


最後にいうのは、そんな所に一軒の草屋をこしらえ、長生きをしながら人生を全うしたいものだと詩を結ぶ。こういう結び方は、この頃の杜甫の詩全詩を熟読してしてある考察すると、一面では隠棲場所として充分なものであるが、いくらかの部分で問題点を持っている地点であるといっている場合の表現であるようだ。


秦州雜詩二十首 其十三 杜甫 第4部 <266> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1247 杜甫詩 700- 380

秦州雜詩二十首 其十三 杜甫 第4部 <266> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1247 杜甫詩 700- 380


秦州雜詩二十首 第一部(其の一から其四)
秦州の概要について述べる

秦州雜詩二十首 第二部(其の五から其八)
秦州と戰について述べる。

秦州雜詩二十首 第三部(其の九から其の十二)
秦州城内のようすや住居のことを詠っている。

秦州雜詩二十首 第四部(其の十三から其の十六)
隠棲の場所として東柯谷、仇池山、西枝村の西谷を候補にする。

 秦州へ向かう杜甫の一行は、妻が杜甫より十歳下の三十八歳、長女は十三歳、長子宗文は十歳、次子宗武は七歳、次女は五歳であった。ほかに異母弟の杜占が加わっている。家族は七人、ほかに従僕が二人くらいはいたので、総勢十人の大移動だ。杜甫は馬に乗り、家財を載せた車に小さな子供を同乗させた旅である。
 隴山を越える困難の旅は七月中に秦州に到着した。五言律詩の連作「秦州雑詩二十首」は秦州作の有名な作品である。


杜甫が秦州路を通った頃は、安史の乱の後期であり、幹線はさびれたものになっていた。それでも西域防衛上重要なこの幹線は、一旦国境で事が起これば、次々と烽火が長安まで伝えられるほどの秩序は十分に保たれていた。

 三年前の夏、長安陥落を前に関東一円がパニック状態に陥り、杜甫はそれまで家族をあずけていた白水県から北に逃げ、彭衙、華原、三川を経て鄜州に避難したのだがそれは自京赴奉先縣詠懷五百字』、『白水崔少府十九翁高齋三十韻』、『三川觀水漲二十韻 杜甫 』、『_送重表姪王砅評事使南海_、『彭衙行』、『塞盧子』、などに詳しく述べられている。今回はその時のような戦乱からの避難民的な旅ではなかった。また秦州には結局足かけ三ヶ月ほどしか滞在せず、秦州から同谷へ、さらに同谷から成都へと南下していくのだが、今回の秦州入りは、その時のような厳しい寒さの時候に険しい山道を上り下りする難儀な旅でもなかった。概して杜甫の一行は比較的良き時節にあまり大きな事件もなく、ひと月もかからずに秦州に到着できたに違いない。

 華州司功参軍を辞めようと決心している、心の動きが読み取れる詩が不歸、『獨立』、『重題鄭氏東亭』、『夏日嘆』、『夏夜嘆』、『立秋後題』、であり、特に「立秋の後に題す」と題されて秋に入るころで、秦州で作られた詩はみな秋であり、洛陽から帰り、空白の期間がないまま秦州に旅立ったのである。それは華州に来て洛陽に用足しに出て華州に帰るまでの詩の中に杜甫がその歓にどこに行けばよいのか、ぐずぐずしているとまた戦火にまみえることになるという恐怖感で秦州に迎い、結果的には間一髪の逃避行であった。そのためか、華州から秦州への紀行詩がないのは急いでいたからということであろう。また杜甫には隴山越えを思い起こした「遅迴(ためら)いつつ隴を度(わた)りて怯ゆ」秦州雜詩二十首其一や「昨には隴坂を踰(こ)えしを憶う」『青陽峽』などの句はあるが、秦州紀行を詠じた詩篇が無い(残されていない)のである。

 杜甫がなぜ秦州を選んだのか、その理由もいろいろな憶測がなされている。秦州が成都へ入るための単なる通過点に過ぎなかったと言う説があるが、それは事実と最も異なる。なぜなら秦州に到着した杜甫は、多くの詩中、当地で隠遁することへの願いを述べ、実際にいくつかの隠遁の候補地を真剣に探し歩いたからである。むしろ隠遁への願望は秦州雜詩二十首 第四部の一つのモチーフになっている。

華州司功参軍を辞めたとき、故郷の洛陽へ帰るという選択肢は最初から彼の念頭にはなかった。故郷の洛陽は、758年冬から春にかけての時期、華州司功参軍の在任中に一度帰省した。その時洛陽は一年前に反乱軍の手中から回復されてはいたものの、乱後の故郷は見る影もなくさびれていた。故居の陸渾荘に帰り着いて得た感慨は、「他郷は故郷に勝る」得舎弟消息憶弟二首 其一 憶 弟 二首 其二という厳しいものだった。


 それに何よりも洛陽周辺をめぐる情勢は杜甫をしてこの地を隠棲地とすることにはまったくならなかった。杜甫が洛陽から長安へ戻る途中、郭子儀ら九節度使の連合軍が相州(鄴城)包囲戦で大敗したが、そのとき洛陽の住民は驚き慌て、散り散りに山谷に逃げ込んだ。また、破れて本鎮へ帰還する各節度使の士卒たちは、通過する村々を略奪し、役人もしばらくの期間は阻止できなかったという(『資治通鑑』巻二二一、乾元二(759)年三月「東京士民驚駭、散奔山谷。……諸節度各潰歸本鎮。士卒所過剽掠、吏不能止、旬日方定。」)。だからこの時杜甫の帰京がもう少し遅れていたら、きっと彼もその混乱に巻き込まれていた。


 また勢力を盛り返して自ら大燕皇帝と称した史思明が、南下して洛陽に迫る勢いとなったとき、洛陽の官僚たちは西して関内に避難させられ、住民たちも賊軍を避けて城外に出され、洛陽城を空にする策が取られた。だから史思明が洛陽に入城したとき、城内は空っぽで何も得るものがなかったという(『資治通鑑』巻二二一、乾元二(759)年九月「思明乘勝西攻鄭州、光弼整衆徐行、至洛陽、……遂移牒留守韋陟使帥東京官屬西入關、牒河南尹李若幽使帥吏民出城避賊、空其城。……庚寅、思明入洛陽、城空、無所得、畏光弼掎其後、不敢入宮、退屯白馬寺南……。」)。洛陽でこの騒動があった時、杜甫はもう秦州に滞在しており、その翌月にはさらに同谷に向かおうとしていたのである。だから洛陽周辺のこの混乱した危険な情勢を見る限り、司功参軍を辞めた時点で、杜甫が故郷の洛陽を選択するということは全く無かったということである。

 第四部になって、いよいよ杜甫は、隠棲するのにいい場所を見つけたようだ。東柯谷である。


13 秦州雜詩二十首 其十三 杜甫
(他人に尋ねて東桶谷の幽勝地であることをのべた。)
傳道東柯谷,深藏數十家。
人々から伝え聞いたのは東河谷というところのことだ、まず、そこは谷間に数十戸の家が蔵されているという。
對門藤蓋瓦,映竹水穿沙。
門前に生えている藤がのびて屋根瓦にまで達し、蓋をしたようになる、水辺の竹林の碧が映り、水が射しこむ砂浜があり、清い水が流れている。
瘦地翻宜粟,陽坡可種瓜。
土地はやせているが却って粟がよくそだつので都合よいというものだ、日あたりの岡には瓜を種えることもできるとのことである。
船人近相報,但恐失桃花。
これほどに私の隠棲の場所としてよさそうであるが、船頭(姪杜佐)が近寄ってきて報せてくれたことがある、それは「早くあんないい場所に隠棲地と定めないと、桃源郷の花のようにすぐに無くしてしまう」ということである。
伝道【でんどう】す東柯谷【とうかこく】、「深く蔵【ぞう】す数十家。
門に対して 藤 瓦を蓋【おお】い、竹に映じて 水 沙【すな】を穿【うが】つ。
痩地【そうち】  翻【かえ】って粟【あわ】に宜【よろ】しく、陽坡【ようひ】  瓜を種【う】う可し」と。
船人【せんじん】  近【ちかづ)きて 相 報ず、「但【た】だ恐る桃花【とうか】を失せんか」と

 
14 萬古仇池穴,潛通小有天。神魚今不見,福地語真傳。
 近接西南境,長懷十九泉。何當一茅屋,送老白雲邊。
 
15 未暇泛蒼海,悠悠兵馬間。塞門風落木,客舍雨連山。
 阮籍行多興,龐公隱不還。東柯遂疏懶,休鑷鬢毛斑。
 
16 東柯好崖谷,不與眾峰群。落日邀雙鳥,晴天卷片雲。
 野人矜險絕,水竹會平分。采藥吾將老,兒童未遣聞。

杜甫 体系 地図458華州から秦州

現代語訳と訳註
(本文)

秦州雑詩二十首 其十三 
伝道東柯谷、深蔵数十家。
対門藤蓋瓦、映竹水穿沙。
痩地翻宜粟、陽坡可種瓜。
船人近相報、但恐失桃花。

(下し文)
伝道【でんどう】す東柯谷【とうかこく】、「深く蔵【ぞう】す数十家。
門に対して 藤 瓦を蓋【おお】い、竹に映じて 水 沙【すな】を穿【うが】つ。
痩地【そうち】  翻【かえ】って粟【あわ】に宜【よろ】しく、陽坡【ようひ】  瓜を種【う】う可し」と。
船人【せんじん】  近【ちかづ)きて 相 報ず、「但【た】だ恐る桃花【とうか】を失せんか」と


(現代語訳)
(他人に尋ねて東桶谷の幽勝地であることをのべた。)
人々から伝え聞いたのは東河谷というところのことだ、まず、そこは谷間に数十戸の家が蔵されているという。
門前に生えている藤がのびて屋根瓦にまで達し、蓋をしたようになる、水辺の竹林の碧が映り、水が射しこむ砂浜があり、清い水が流れている。
土地はやせているが却って粟がよくそだつので都合よいというものだ、日あたりの岡には瓜を種えることもできるとのことである。
これほどに私の隠棲の場所としてよさそうであるが、船頭(姪杜佐)が近寄ってきて報せてくれたことがある、それは「早くあんないい場所に隠棲地と定めないと、桃源郷の花のようにすぐに無くしてしまう」ということである。


(訳注)
秦州雑詩二十首 其十三 

(他人に尋ねて東桶谷の幽勝地であることをのべた。)


伝道東柯谷、深蔵数十家。
人々から伝え聞いたのは東河谷というところのことだ、まず、そこは谷間に数十戸の家が蔵されているという。
伝道 一般人が伝えいう。○東柯谷 秦州の東南五十里にある谷の名、杜甫が秦州での隠棲のよりどころとした一人、甥の杜佐はその近くに住んでいた。


対門藤蓋瓦、映竹水穿沙。
門前に生えている藤がのびて屋根瓦にまで達し、蓋をしたようになる、水辺の竹林の碧が映り、水が射しこむ砂浜があり、清い水が流れている。
対門 門のむかいに生えていること。○水穿沙 沙洲などとおりぬけて水がながれる。


痩地翻宜粟、陽坡可種瓜。
土地はやせているが却って粟がよくそだつので都合よいというものだ、日あたりの岡には瓜を種えることもできるとのことである。
陽坡 目あたりのよい坂地。南向きの斜面。そこでは瓜がとれるという。○陽坡 目あたりのよい坂地。南向きの斜面。そこでは瓜がとれるという。元の王禎『農書』はこの部分を引いて「種うるは陽地に宜し、暖ければ則ち長じ易し。杜詩の所謂『陽坡可種瓜』とは、これなり」(百穀譜集之三・蓏屬・甜瓜)という。同書によれば瓜類は用途によって、果物としての「果瓜」と野菜としての「菜瓜」に大別できるというが、杜甫が話題にしている東柯谷の瓜を、王禎は「果瓜」の類と考えていたようである。それに対して明の徐光啓は、王禎のその部分を『農政全書』巻二七、樹藝、蓏部、白瓜の条で引く。ということは、杜甫の瓜を白瓜(越瓜=冬瓜)、すなわち「菜瓜」の類と見なしていたことになる。このように、杜甫の言う瓜は果物類か野菜類か截然としない面もあるが、いずれにせよ東柯谷の斜面では瓜も作れるということで、農業の方面から隠遁地としての条件を備えていることを杜甫は確認しようとしている。
 もともと瓜を植えるという行為には、無位無官となった召平が瓜を植えて生計を立てたという「東門の瓜」故事喜晴  157があるように、隠遁を連想しやすい。だから杜甫がここで瓜を持ち出してきていることで、この詩にはいっそう隠遁的雰囲気がかもしだされている。
また、
李白『古風其九』「青門種瓜人。 舊日東陵侯。」 ・種瓜人 広陵の人、邵平は、秦の時代に東陵侯であったが、秦が漢に破れると、平民となり、青門の門外で瓜畑を経営した。瓜はおいしく、当時の人びとはこれを東陵の瓜 押とよんだ。
東陵の瓜 召平は、広陵の人である。世襲の秦の東陵侯であった。秦末期、陳渉呉広に呼応して東陵の街を斬り従えようとしたが失敗した。後すぐに陳渉が敗死し、秦軍の脅威に脅かされた。長江の対岸の項梁勢力に目をつけ、陳渉の使者に成り済まし項梁を楚の上柱国に任命すると偽り、項梁を秦討伐に引きずり出した。後しばらくしてあっさり引退し平民となり、瓜を作って悠々と暮らしていた。貧困ではあったが苦にする様子も無く、実った瓜を近所の農夫に分けたりしていた。その瓜は特別旨かったので人々は『東陵瓜』と呼んだ。召平は、かつて秦政府から東陵侯の爵位を貰っていたからである。後、彼は漢丞相の蕭何の相談役となり、適切な助言・計略を蕭何に与えた。蕭何は、何度も彼のあばら家を訪ねたという。蕭何が蒲団の上で死ねたのも彼のおかげである。


船人近相報、但恐失桃花。
これほどに私の隠棲の場所としてよさそうであるが、船頭(姪杜佐)が近寄ってきて報せてくれたことがある、それは「早くあんないい場所に隠棲地と定めないと、桃源郷の花のようにすぐに無くしてしまう」ということである。
○船人 せんどう。○但恐 此の一句は船人の語。○失桃花 桃花は桃花のある地の意で武陵桃源の仙郷の意に用いる、今は秋で実際の桃花は無い、此の語は船頭が早くこの村に隠棲、住居せよとすすめるのであり、作者は卜居に心を労したものと思われる。桃花源の故事にもとづけば、船人は桃花源を発見した人であり、実際に桃花源に滞在し村人の接待を受け桃花源の生活を体験できた人である。その点に着目すれば、杜甫にとって桃花源すなわち東柯谷への案内者は、杜佐ということになる。

杜甫 体系 地図459同谷紀行

伝え聞く東柯谷は、谷間の奥に数十戸の家がある。門傍の藤は瓦を蓋って伸び、竹林の緑は水に映えて砂洲に揺れる。痩せた土地は粟を育てるのに適し、日当たりの土手に瓜も植えられる。船頭が 近ずいてきて報せてくれた、「はやく住まないと桃源郷の花をなくしますよ」と
秦州雑詩二十首 其十三 
伝道東柯谷、深蔵数十家。
対門藤蓋瓦、映竹水穿沙。
痩地翻宜粟、陽坡可種瓜。
船人近相報、但恐失桃花。
伝道【でんどう】す東柯谷【とうかこく】、「深く蔵【ぞう】す数十家。
門に対して 藤 瓦を蓋【おお】い、竹に映じて 水 沙【すな】を穿【うが】つ。
痩地【そうち】  翻【かえ】って粟【あわ】に宜【よろ】しく、陽坡【ようひ】  瓜を種【う】う可し」と。
船人【せんじん】  近【ちかづ)きて 相 報ず、「但【た】だ恐る桃花【とうか】を失せんか」と。

秦州雜詩二十首 其十二 杜甫 第3部 <265> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1244 杜甫詩 700- 379

秦州雜詩二十首 其十二 杜甫 第3部 <265> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1244 杜甫詩 700- 379


秦州雜詩二十首 第一部(其の一から其四)
秦州の概要について述べる。

秦州雜詩二十首 第二部(其の五から其八)
秦州と戰について述べる。

秦州雜詩二十首 第三部(其の九から其の十二)
秦州城内のようすや住居のことを詠っている。


乾元2年 759年 48歳
 「秦州雑詩二十首」は五言律詩の二十首に亘る連作で、官を辞して、漂浪生活の最初の寓居となった場所である。家族全員で総勢十人余りの旅に出た。
 杜甫は四十数年、士官だけを念頭にし生きてきた。自分の思いと現実のはざま、杜甫は左遷されて、約一年悩み、王維、孟雲卿、崔氏、高適、別賛上人らに相談し、出した結論であった。そこに追い込んだのは粛宗皇帝の権力闘争、戦略的思考に無知、失政、偏見であることと、相次ぐ戦争と飢饉による社会的疲労、官僚でさえ食べていけないほどの困窮、貧困が背景にある。

そして杜甫は政治的なフラストレーションを詩にしたためた。、①安禄山の叛乱は予測できたこと、②それに対する策が全くとらていなかったこと、③反乱を起こさせる数々の失政があったこと、重税のこと、府兵制の崩壊、節度使に分権していったこと、④叛乱直後圧倒的な戦力を持ちながら大敗し、陥落していったこと、などなど、これらすべてこの杜甫44・45~48歳の間、秦州での詩の前後、数年の詩から読み取れる。

当時の状況から、杜甫は安史の乱直後家族を邠州羌村に疎開させ、その後蘆子関を経て、霊武の行在所の向かおうとして安氏軍に捕縛され拘禁されたとき、そしてその中から脱出したこと、その叛乱軍の恐怖体験がトラウマになっている。その「おびえ」がそののちの行動に影響しているのである。

約200首ぐらいの詩にちりばめて①~④、反乱軍に対する怯えなどを表現している。確かに一部の師団長の叛乱から10年近く唐の全土に安穏の場所はないくらい大殺戮と略奪の数々あり、詩人は生きた心地がしなかったのである。そういった社会情勢の中、杜甫が家族を守れる手段は逃避しかなかった。最前線に赴任され守る方法も生きていく力もなくした杜甫は官を辞すよりなかった。東方、北方、南方すべて戦場、叛乱軍により、大殺戮があり、西方のみが逃避可能と考えられたのである。
 こうして秦州に逃避紀行したわけであるが、ここではまだ、官に心残りがあり、詩人として生きていく決意はしているものの葛藤している様子がうかがえる。

 秦州へ向かう杜甫の一行は、妻が杜甫より十歳下の三十八歳、長女は十三歳、長子宗文は十歳、次子宗武は七歳、次女は五歳であった。ほかに異母弟の杜占が加わっている。家族は七人、ほかに従僕が二人くらいはいたので、総勢十人の大移動だ。杜甫は馬に乗り、家財を載せた車に小さな子供を同乗させた旅である。
 隴山を越える困難の旅は七月中に秦州に到着した。五言律詩の連作「秦州雑詩二十首」は秦州作の有名な作品である。

「秦州雑詩」二十首は、四首ずつの五部構成になっているので、それに合わせページを変更することとする。全体を通せば、この秦州の地が詩人として、あるいは隠棲生活者として生きられるところではなく別の場所に向かわせることになるということを秦州での思いとしてつづったものである。



秦州雑詩二十首 其九
(秦州の駅亭付近の風景と戰の前線基地であることへの思いを詠った作。)
今日明人眼,臨池好驛亭。
今日になって人としての本来の見る眼になったようだ、景色のよい駅亨のさまを向こうの池から臨んで見たのである。
叢篁低地碧,高柳半天青。
そのそばには、竹やぶが地面にひくくたれて碧に立っており、この青い空の中ほどに届くかのように高い柳が青く繁っている。
稠疊多幽事,喧呼閱使星。
一人静かによい風景に関する事柄を確認したり、認識したりしてみるとそのほかくさぐさの風景がここにはあるが、しかしそこに興ざめであるところの吐蕃へ行く和平交渉、あるいは恫喝のための使者が議論して怒鳴り合いをしている。
老夫如有此,不異在郊垌。
年老いてきた士太夫のわたしがこのような景色の中にいるということで示されるように、林外の別荘に居るように静かにながめていようとおもうのに戦に行く人たちによりそれとは違ったものになってしまう。
雲気【うんき】  崑崙【こんろん】に椄し、涔涔【しんしん】として塞雨【さいう】繁【しげ】し。
羌童【きょうどう】 渭水【いすい】を看、使客【しかく】  河源【かげん】に向かう。
煙火【えんか】 軍中の幕【ばく】、牛羊【ぎゅうよう】 嶺上【れいじょう】の村。
居【お】る所  秋草【しゅうそう】静かなり、正【まさ】に閉ず小蓬門【しょうほうもん】。
駅亭の池01

秦州雑詩二十首 其十
(秦州の雨の景事を叙しながら、同時に前線基地であることを述べる。)
雲氣接昆侖,涔涔塞雨繁。
雨空を見上げると靄は雲とつながり崑崙山の方まで覆われている、秦州の雨はざ塞にもざあざあ降りつづく。
羌童看渭水,使節向河源。
あちらでは、異民族の子供らは雨にはしゃぎ渭水の水嵩を心配してみている、こちらでは唐王朝の使者は吐蕃と黄河の水源である地方で局地戦をしているところへ兵士を向かわせようとしている。
煙火軍中幕,牛羊嶺上村。
こちらでは炊煙がただよう軍中の幕営があり、あちらには嶺上の村に牛や羊が放たれている。
所居秋草靜,正閉小蓬門。
そして私の住んでいる処はというと秋の草が静かに生えていて、まさに今、よもぎのしげっている家の小さな柴門を閉じたところである。
雲気【うんき】  崑崙【こんろん】に椄し、涔涔【しんしん】として塞雨【さいう】繁【しげ】し。
羌童【きょうどう】 渭水【いすい】を看、使客【しかく】  河源【かげん】に向かう。
煙火【えんか】 軍中の幕【ばく】、牛羊【ぎゅうよう】 嶺上【れいじょう】の村。
居【お】る所  秋草【しゅうそう】静かなり、正【まさ】に閉ず小蓬門【しょうほうもん】。

秦州雑詩二十首 其十一
(秋雨の中に東方も西方も乱がおさまらず、西方の基地である秦州にいることに嫌気を示し作る。)
蕭蕭古塞冷,漠漠秋雲低。
しめやかにしずかな古くからある塞が秋のつめたさのなかにある、秋の長あめの雲がはるかに広く低くたれおおいつくしている。
黃鵠翅垂雨,蒼鷹饑啄泥。
せっかく黄鵠の故事のように愛娘を嫁がせて兩都を奪還したのに今やその一つである洛陽を奪われそうでまるで雨中にそのつばさを垂れて飛ぶ勢いがなくなってしまったのだろうか、あるいは後燕の慕容垂の故事のように蒼鷹が餓えて泥のなかの餌をあさっているというのか。
薊門誰自北,漢將獨徵西。
このときだれなのか薊門の方面の北から南進せんとするものは、それはせっかく謀反の矛を収めていた史思明が薊門の戦いからふたたび安慶緒を鄴城で助け洛陽に攻め入ってふたたび安史軍とし南下しているのである。漢将である郭子儀は最も大切な東伐をしないで独りこのような西にむかって吐蕃などを征するというのか。
不意書生耳,臨衰厭鼓鼙。
私のような一介の詩人ごときの耳に、そのうえ老衰にさしかかっているものに戰の太鼓の音が入ってくる。戦のない地をもとめ官を棄てたものに聞きあき、厭になることなのである。
蕭蕭【しょうしょう】として古塞【こさい】冷かに、漠漠【ばくばく】として秋雲【しゅううん】低【た】る。
黄鵠【こうこく】は翅【つばさ】を雨に垂れ、蒼鷹【そうよう】は饑【う】えて泥【でい】に啄【ついば】む。
薊門【けいもん】誰か北よりする、漢将  独り西を征す。
不意【おも】にして  書生【しょせい】の耳、衰【すい】に臨みて 鼓鞞【こへい】に厭【いこ】うとは。
秦州雑詩二十首 其十二
(隠遁の意志をその象徴としての南部寺のさまを述べることで表現したもので、同時に秦州が隠棲の場所ではないことをいう。)
山頭南郭寺,水號北流泉。
山の頭に在る南郭寺、その寺の傍に北流泉と呼ばれている泉がある。
老樹空庭得,清渠一邑傳。
この寺の庭に人影はない、老詩人と同様に老樹が一本孤立しているのみだ、清らかな水を湛えている泉は堀わりに広がり、そして全地方に伝わっていくのである。
秋花危石底,晚景臥鐘邊。
(ここには今の世を象徴するものがある)それは荒れ果てた境内には、秋の花があぶなげな石のねもとであわれにさいているし、悲愁の夕方の寺に、地べたに横たわっている鐘が夕映えが射しかけている。
俯仰悲身世,溪風為颯然。

わたしはそこで俛してみる或は仰いでみる、「自分自身」のこと「今の世」のことにつけてかんがえると悲しむことしかないのである、谷間の風も颯爽と吾が悲しみをたすけるかのようにさっと吹き来るのである。
山頭【さんとう】の南郭寺【なんかくじ】、水は号【ごう】す 北流泉【ほくりゅうせん】と。
老樹【ろうじゅ】空庭【くうてい】に得【う】、清渠【せいきょ】一邑【いちゆう】に伝う。
秋花【しゅうか】危石【きせき】の底【てい】、晩景【ばんけい】 臥鐘【がしょう】の辺【へん】。
俛仰【ふぎょう】身世【しんせい】を悲しみ、渓風【けいふう】も為に颯然【さつぜん】。

秦州 南郭寺

現代語訳と訳註
(本文) 秦州雑詩二十首 其十二
山頭南郭寺、水号北流泉。
老樹空庭得、清渠一邑伝。
秋花危石底、晩景臥鐘辺。
俛仰悲身世、渓風為颯然。


(下し文)
山頭【さんとう】の南郭寺【なんかくじ】、水は号【ごう】す 北流泉【ほくりゅうせん】と。
老樹【ろうじゅ】空庭【くうてい】に得【う】、清渠【せいきょ】一邑【いちゆう】に伝う。
秋花【しゅうか】危石【きせき】の底【てい】、晩景【ばんけい】 臥鐘【がしょう】の辺【へん】。
俛仰【ふぎょう】身世【しんせい】を悲しみ、渓風【けいふう】も為に颯然【さつぜん】。


(現代語訳)
(隠遁の意志をその象徴としての南部寺のさまを述べることで表現したもので、同時に秦州が隠棲の場所ではないことをいう。)
山の頭に在る南郭寺、その寺の傍に北流泉と呼ばれている泉がある。
この寺の庭に人影はない、老詩人と同様に老樹が一本孤立しているのみだ、清らかな水を湛えている泉は堀わりに広がり、そして全地方に伝わっていくのである。
(ここには今の世を象徴するものがある)それは荒れ果てた境内には、秋の花があぶなげな石のねもとであわれにさいているし、悲愁の夕方の寺に、地べたに横たわっている鐘が夕映えが射しかけている。
わたしはそこで俛してみる或は仰いでみる、「自分自身」のこと「今の世」のことにつけてかんがえると悲しむことしかないのである、谷間の風も颯爽と吾が悲しみをたすけるかのようにさっと吹き来るのである。


(訳注)
秦州雑詩二十首 其十二

(隠遁の意志をその象徴としての南部寺のさまを述べることで表現したもので、同時に秦州が隠棲の場所ではないことをいう。)


山頭南郭寺、水号北流泉。
山の頭に在る南郭寺、その寺の傍に北流泉と呼ばれている泉がある。
南郭寺 当時、南の廓にある寺とされる。南郭寺があるのは現天水市内南の南慧音山、頂上近くにある。○北流泉 寺のちかくにある泉と思われる。
 

老樹空庭得、清渠一邑伝。
この寺の庭に人影はない、老詩人と同様に老樹が一本孤立しているのみだ、清らかな水を湛えている泉は堀わりに広がり、そして全地方に伝わっていくのである。(自分は秦州に隠棲し、詩により世に広げたいと思っていた。)
空庭得 寺の空庭においてこの老樹を得たということ。杜甫は秦州において隠棲をするつもりで来たということ。この寺に来て誰もいない環境、これだけは隠棲に適しているかもしれないという意味で、老樹(=杜甫自身)を「得」ることができる。「空庭」にたいして、「一邑」であり、樹・空を「得」るのであり、それは自己の内面に向けてのものである。それに対して、「伝」は泉の水は流れて行くのであり、詩文によって世に伝えたいと外に向かう。○清渠 きよい水のはりわり、北流泉をさす。○言巴伝 一邑は秦州の全体をいう、伝とは次より次へとそそぎつたえることをいう。まさに杜甫が描いていたことである。

老樹 : 清渠  空庭 : 一邑 :


*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。


秋花危石底、晩景臥鐘辺。
(ここには今の世を象徴するものがある)それは荒れ果てた境内には、秋の花があぶなげな石のねもとであわれにさいているし、悲愁の夕方の寺に、地べたに横たわっている鐘が夕映えが射しかけている。
晩景 晩幕の日影。○臥鐘 鐘楼はなく、地上に横たわる鐘をいう、寺のあれたさまを想像することができる。

秋花 : 晩景、 危 : 臥 、石底 : 鐘辺

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。



俛仰悲身世、渓風為颯然。
わたしはそこで俛してみる或は仰いでみる、「自分自身」のこと「今の世」のことにつけてかんがえると悲しむことしかないのである、谷間の風も颯爽と吾が悲しみをたすけるかのようにさっと吹き来るのである。
挽仰 伏・仰に同じ。客観的に総括してみるもと。○ 吾がために。○颯然 颯爽とふく。悲しんでも仕方のないこと、秦州を旅立つことにしないといけないのか。


杜甫s(12)
秦州雑詩二十首 其十二
山のほとりの南郭寺、湧き出る水を  北流泉という。荒れた庭に老木があり、清らかな水路が村中にゆきわたる。傾いた岩の根もとに秋草の花、転がった鐘のあたりの夕陽影。身もだえして  生涯のさまを悲しむと、谷風も共に寂しく吹いてきた。


其十二
山頭南郭寺、水号北流泉。
老樹空庭得、清渠一邑伝。
秋花危石底、晩景臥鐘辺。
俛仰悲身世、渓風為颯然。


山頭【さんとう】の南郭寺【なんかくじ】、水は号【ごう】す 北流泉【ほくりゅうせん】と。
老樹【ろうじゅ】空庭【くうてい】に得【う】、清渠【せいきょ】一邑【いちゆう】に伝う。
秋花【しゅうか】危石【きせき】の底【てい】、晩景【ばんけい】 臥鐘【がしょう】の辺【へん】。
俛仰【ふぎょう】身世【しんせい】を悲しみ、渓風【けいふう】も為に颯然【さつぜん】。



 

秦州雜詩二十首 其十一 杜甫 第3部 <264> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1241 杜甫詩 700- 378

秦州雜詩二十首 其十一 杜甫 第3部 <264> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1241 杜甫詩 700- 378


秦州雜詩二十首 第一部(其の一から其四)
秦州の概要について述べる。

秦州雜詩二十首 第二部(其の五から其八)
秦州と戰について述べる。

秦州雜詩二十首 第三部(其の九から其の十二)
秦州城内のようすや住居のことを詠っている。


乾元2年 759年 48歳
 「秦州雑詩二十首」は五言律詩の二十首に亘る連作で、官を辞して、漂浪生活の最初の寓居となった場所である。家族全員で総勢十人余りの旅に出た。
 杜甫は四十数年、士官だけを念頭にし生きてきた。自分の思いと現実のはざま、杜甫は左遷されて、約一年悩み、王維、孟雲卿、崔氏、高適、別賛上人らに相談し、出した結論であった。そこに追い込んだのは粛宗皇帝の権力闘争、戦略的思考に無知、失政、偏見であることと、相次ぐ戦争と飢饉による社会的疲労、官僚でさえ食べていけないほどの困窮、貧困が背景にある。

そして杜甫は政治的なフラストレーションを詩にしたためた。、①安禄山の叛乱は予測できたこと、②それに対する策が全くとらていなかったこと、③反乱を起こさせる数々の失政があったこと、重税のこと、府兵制の崩壊、節度使に分権していったこと、④叛乱直後圧倒的な戦力を持ちながら大敗し、陥落していったこと、などなど、これらすべてこの杜甫44・45~48歳の間、秦州での詩の前後、数年の詩から読み取れる。

当時の状況から、杜甫は安史の乱直後家族を邠州羌村に疎開させ、その後蘆子関を経て、霊武の行在所の向かおうとして安氏軍に捕縛され拘禁されたとき、そしてその中から脱出したこと、その叛乱軍の恐怖体験がトラウマになっている。その「おびえ」がそののちの行動に影響しているのである。

約200首ぐらいの詩にちりばめて①~④、反乱軍に対する怯えなどを表現している。確かに一部の師団長の叛乱から10年近く唐の全土に安穏の場所はないくらい大殺戮と略奪の数々あり、詩人は生きた心地がしなかったのである。そういった社会情勢の中、杜甫が家族を守れる手段は逃避しかなかった。最前線に赴任され守る方法も生きていく力もなくした杜甫は官を辞すよりなかった。東方、北方、南方すべて戦場、叛乱軍により、大殺戮があり、西方のみが逃避可能と考えられたのである。
 こうして秦州に逃避紀行したわけであるが、ここではまだ、官に心残りがあり、詩人として生きていく決意はしているものの葛藤している様子がうかがえる。

 秦州へ向かう杜甫の一行は、妻が杜甫より十歳下の三十八歳、長女は十三歳、長子宗文は十歳、次子宗武は七歳、次女は五歳であった。ほかに異母弟の杜占が加わっている。家族は七人、ほかに従僕が二人くらいはいたので、総勢十人の大移動だ。杜甫は馬に乗り、家財を載せた車に小さな子供を同乗させた旅である。
 隴山を越える困難の旅は七月中に秦州に到着した。五言律詩の連作「秦州雑詩二十首」は秦州作の有名な作品である。

「秦州雑詩」二十首は、四首ずつの五部構成になっているので、それに合わせページを変更することとする。全体を通せば、この秦州の地が詩人として、あるいは隠棲生活者として生きられるところではなく別の場所に向かわせることになるということを秦州での思いとしてつづったものである。



秦州雑詩二十首 其九
(秦州の駅亭付近の風景と戰の前線基地であることへの思いを詠った作。)
今日明人眼,臨池好驛亭。
今日になって人としての本来の見る眼になったようだ、景色のよい駅亨のさまを向こうの池から臨んで見たのである。
叢篁低地碧,高柳半天青。
そのそばには、竹やぶが地面にひくくたれて碧に立っており、この青い空の中ほどに届くかのように高い柳が青く繁っている。
稠疊多幽事,喧呼閱使星。
一人静かによい風景に関する事柄を確認したり、認識したりしてみるとそのほかくさぐさの風景がここにはあるが、しかしそこに興ざめであるところの吐蕃へ行く和平交渉、あるいは恫喝のための使者が議論して怒鳴り合いをしている。
老夫如有此,不異在郊垌。
年老いてきた士太夫のわたしがこのような景色の中にいるということで示されるように、林外の別荘に居るように静かにながめていようとおもうのに戦に行く人たちによりそれとは違ったものになってしまう。

秦州雑詩二十首 其十
(秦州の雨の景事を叙しながら、同時に前線基地であることを述べる。)
雲氣接昆侖,涔涔塞雨繁。
雨空を見上げると靄は雲とつながり崑崙山の方まで覆われている、秦州の雨はざ塞にもざあざあ降りつづく。
羌童看渭水,使節向河源。
あちらでは、異民族の子供らは雨にはしゃぎ渭水の水嵩を心配してみている、こちらでは唐王朝の使者は吐蕃と黄河の水源である地方で局地戦をしているところへ兵士を向かわせようとしている。
煙火軍中幕,牛羊嶺上村。
こちらでは炊煙がただよう軍中の幕営があり、あちらには嶺上の村に牛や羊が放たれている。
所居秋草靜,正閉小蓬門。
そして私の住んでいる処はというと秋の草が静かに生えていて、まさに今、よもぎのしげっている家の小さな柴門を閉じたところである。
雲気【うんき】  崑崙【こんろん】に椄し、涔涔【しんしん】として塞雨【さいう】繁【しげ】し。
羌童【きょうどう】 渭水【いすい】を看、使客【しかく】  河源【かげん】に向かう。
煙火【えんか】 軍中の幕【ばく】、牛羊【ぎゅうよう】 嶺上【れいじょう】の村。
居【お】る所  秋草【しゅうそう】静かなり、正【まさ】に閉ず小蓬門【しょうほうもん】。

秦州雑詩二十首 其十一
(秋雨の中に東方も西方も乱がおさまらず、西方の基地である秦州にいることに嫌気を示し作る。)
蕭蕭古塞冷,漠漠秋雲低。
しめやかにしずかな古くからある塞が秋のつめたさのなかにある、秋の長あめの雲がはるかに広く低くたれおおいつくしている。
黃鵠翅垂雨,蒼鷹饑啄泥。
せっかく黄鵠の故事のように愛娘を嫁がせて兩都を奪還したのに今やその一つである洛陽を奪われそうでまるで雨中にそのつばさを垂れて飛ぶ勢いがなくなってしまったのだろうか、あるいは後燕の慕容垂の故事のように蒼鷹が餓えて泥のなかの餌をあさっているというのか。
薊門誰自北,漢將獨徵西。
このときだれなのか薊門の方面の北から南進せんとするものは、それはせっかく謀反の矛を収めていた史思明が薊門の戦いからふたたび安慶緒を鄴城で助け洛陽に攻め入ってふたたび安史軍とし南下しているのである。漢将である郭子儀は最も大切な東伐をしないで独りこのような西にむかって吐蕃などを征するというのか。
不意書生耳,臨衰厭鼓鼙。
私のような一介の詩人ごときの耳に、そのうえ老衰にさしかかっているものに戰の太鼓の音が入ってくる。戦のない地をもとめ官を棄てたものに聞きあき、厭になることなのである。
蕭蕭【しょうしょう】として古塞【こさい】冷かに、漠漠【ばくばく】として秋雲【しゅううん】低【た】る。
黄鵠【こうこく】は翅【つばさ】を雨に垂れ、蒼鷹【そうよう】は饑【う】えて泥【でい】に啄【ついば】む。
薊門【けいもん】誰か北よりする、漢将  独り西を征す。
不意【おも】にして  書生【しょせい】の耳、衰【すい】に臨みて 鼓鞞【こへい】に厭【いこ】うとは。
 
12  山頭南郭寺,水號北流泉。老樹空庭得,清渠一邑傳。
   秋花危石底,晚景臥鐘邊。俯仰悲身世,溪風為颯然。



現代語訳と訳註
(本文)

秦州雑詩二十首 其十一
蕭蕭古塞冷、漠漠秋雲低。
黄鵠翅垂雨、蒼鷹饑啄泥。
薊門誰自北、漢将独征西。
不意書生耳、臨衰厭鼓鞞。


(下し文)
蕭蕭【しょうしょう】として古塞【こさい】冷かに、漠漠【ばくばく】として秋雲【しゅううん】低【た】る。
黄鵠【こうこく】は翅【つばさ】を雨に垂れ、蒼鷹【そうよう】は饑【う】えて泥【でい】に啄【ついば】む。
薊門【けいもん】誰か北よりする、漢将  独り西を征す。
不意【おも】にして  書生【しょせい】の耳、衰【すい】に臨みて 鼓鞞【こへい】に厭【いこ】うとは。


(現代語訳) 秦州雑詩二十首 其十一
(秋雨の中に東方も西方も乱がおさまらず、西方の基地である秦州にいることに嫌気を示し作る。)

しめやかにしずかな古くからある塞が秋のつめたさのなかにある、秋の長あめの雲がはるかに広く低くたれおおいつくしている。
せっかく黄鵠の故事のように愛娘を嫁がせて兩都を奪還したのに今やその一つである洛陽を奪われそうでまるで雨中にそのつばさを垂れて飛ぶ勢いがなくなってしまったのだろうか、あるいは後燕の慕容垂の故事のように蒼鷹が餓えて泥のなかの餌をあさっているというのか。
このときだれなのか薊門の方面の北から南進せんとするものは、それはせっかく謀反の矛を収めていた史思明が薊門の戦いからふたたび安慶緒を鄴城で助け洛陽に攻め入ってふたたび安史軍とし南下しているのである。漢将である郭子儀は最も大切な東伐をしないで独りこのような西にむかって吐蕃などを征するというのか。
私のような一介の詩人ごときの耳に、そのうえ老衰にさしかかっているものに戰の太鼓の音が入ってくる。戦のない地をもとめ官を棄てたものに聞きあき、厭になることなのである。


(訳注)
秦州雑詩二十首 其十一
(秋雨の中に東方も西方も乱がおさまらず、西方の基地である秦州にいることに嫌気を示し作る。)

蕭蕭古塞冷、漠漠秋雲低。
しめやかにしずかな古くからある塞が秋のつめたさのなかにある、秋の長あめの雲がはるかに広く低くたれおおいつくしている。
蕭蕭 ・しめやかにしずかなさま。杜甫『兵車行』「車轔轔,馬蕭蕭,行人弓箭各在腰。」・すっかりととのっている整斉なるさま。杜甫『喜晴』 「皇天久不雨,既雨晴亦佳。出郭眺四郊,蕭蕭增春華。」・風の吹く音。杜甫『羌村三首 其二』「蕭蕭北風勁、撫事煎百慮。」○古塞 ふるくからあるとりで、秦州の関塞をさす。○漠漠 はるか広く平かなさま。 杜甫『元都壇歌寄元逸人』「屋前太古元都壇,青石漠漠常風寒。」


黄鵠翅垂雨、蒼鷹饑啄泥。
せっかく黄鵠の故事のように愛娘を嫁がせて兩都を奪還したのに今やその一つである洛陽を奪われそうでまるで雨中にそのつばさを垂れて飛ぶ勢いがなくなってしまったのだろうか、あるいは後燕の慕容垂の故事のように蒼鷹が餓えて泥のなかの餌をあさっているというのか。
黄鵠:おおとりの名。前漢の昆莫の故事がある、漢の武帝の元封中に、匈奴、大宛国を抑えるため、江東王建の娘の細君を公主にして、西域の鳥孫国を建国した昆莫に妻わせた、昆莫は時老人であり、またことぱも通じず、公主は悲しんで歌を作ったが、その中に「願わくは黄鵠と為りて故郷に帰らん」の句がある。事実は唐より回紇ヘ女を嫁にやったことをいう、756年乾元元年七月、粛宗はその幼女寧国公主を回紇可汗に妻わせた、可汗は公主を可敦(回紇の皇后)とし、三千騎を唐の二都奪還のための援軍とした。

本ブログ、杜甫『黄河二首』に概要概説がある。これが成功し、安慶緒を鄴城に追い詰めることができたのだ。

留花門 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1007 杜甫特集700- 300に詳しい。〇麹垂雨 垂れるものはつばさである。〇蒼鷹 慕容垂の故事、垂は鷹のごとく餓えれば人に附き、飽けば高く飛びさるといわれた。士卒の勇悍にして鷹の餓えて人につき用を為すごとくであることをいう。
杜甫『觀安西兵過赴關中待命二首 其一』四鎮富精銳,摧鋒皆絕倫。還聞獻士卒,足以靜風塵。老馬夜知道,蒼鷹饑著人。」
慕容垂. 326年生まれ、396年没。後燕の創建者。前燕王慕容皝(こう)の第5子。宇文部を滅ぼし桓温(かんおん)を破るなど勲功があり前燕宗室の中心をなしたが,実力者慕容評に忌まれて前秦に亡命,苻堅に信任された。淝水(ひすい)の敗戦(淝水の戦)には苻堅を助けて帰還したが,これを機に燕の再興を図り,滎陽(けいよう)に自立して燕王を称し,ついで386年(建興1)中山を首都に帝号を称した。さらに同族の建てた西燕を滅ぼし,前燕復興の志が成るかとみえたが,北魏征討の途中病没した。

觀安西兵過赴關中待命 二首 其一 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 272

黄鵠 : 蒼鷹  、翅垂 : 饑啄 、雨 :

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。


薊門誰自北、漢将独征西。
このときだれなのか薊門の方面の北から南進せんとするものは、それはせっかく謀反の矛を収めていた史思明が薊門の戦いからふたたび安慶緒を鄴城で助け洛陽に攻め入ってふたたび安史軍とし南下しているのである。漢将である郭子儀は最も大切な東伐をしないで独りこのような西にむかって吐蕃などを征するというのか。
薊門 関名、河北省順天府薊州、安禄山の興った地、時に薊門の戦いで史思明の叛乱軍は鄴城の安慶緒を援護、九節度軍を大敗させた【759年三月三日】。尚お盛んであった。〇自北 自然景色が北に去るということで南進することをいう。杜甫は形勢が不利だとはわかってはいるが、この詩の段階で洛陽陥落は知らない。○漢将 唐の将軍郭子儀をいう。○征西 吐蕃の方を征伐する。

薊門 : 漢将  、誰 : 、自北 : 征西

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。



不意書生耳、臨衰厭鼓鞞。
私のような一介の詩人ごときの耳に、そのうえ老衰にさしかかっているものに戰の太鼓の音が入ってくる。戦のない地をもとめ官を棄てたものに聞きあき、厭になることなのである。
不意 意外なことに。○書生 官を辞し、一介の詩人となった自己をさす。○臨衰 老衰になりかかって。○ 飽くこと。結局「いやになる」の意。ここを去ることにつながる○鼓稗 たいこ、こつづみ、軍中で行進の際用いる所のもの。


蕭蕭【しょうしょう】として古塞【こさい】冷かに、漠漠【ばくばく】として秋雲【しゅううん】低【た】る。
黄鵠【こうこく】は翅【つばさ】を雨に垂れ、蒼鷹【そうよう】は饑【う】えて泥【でい】に啄【ついば】む。
薊門【けいもん】誰か北よりする、漢将  独り西を征す。
不意【おも】にして  書生【しょせい】の耳、衰【すい】に臨みて 鼓鞞【こへい】に厭【いこ】うとは。


現代読み
古い砦はものさびしく冷え、秋の雲は 低く果てなく広がる。
黄鵠は雨に濡れた翼を垂れ、鷹は飢えて泥中に餌をついばむ。
薊門を出て南進するのは誰か、漢の将軍はひたすら西を征するだけ。
自分のような書生の耳、老衰に臨しているのに兵鼓の音に聞き飽き嫌気になる。


 
蕭蕭古塞冷、漠漠秋雲低。
黄鵠翅垂雨、蒼鷹饑啄泥。
薊門誰自北、漢将独征西。
不意書生耳、臨衰厭鼓鞞。



秦州雜詩二十首 其十 杜甫 第3部 <263> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1238 杜甫詩 700- 377

秦州雜詩二十首 其十 杜甫 第3部 <263> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1238 杜甫詩 700- 377

秦州雜詩二十首 第一部(其の一から其四)
秦州の概要について述べる。

秦州雜詩二十首 第二部(其の五から其八)
秦州と戰について述べる。

秦州雜詩二十首 第三部(其の九から其の十二)
秦州城内のようすや住居のことを詠っている。


乾元2年 759年 48歳
 「秦州雑詩二十首」は五言律詩の二十首に亘る連作で、官を辞して、漂浪生活の最初の寓居となった場所である。家族全員で総勢十人余りの旅に出た。
 杜甫は四十数年、士官だけを念頭にし生きてきた。自分の思いと現実のはざま、杜甫は左遷されて、約一年悩み、王維、孟雲卿、崔氏、高適、別賛上人らに相談し、出した結論であった。そこに追い込んだのは粛宗皇帝の権力闘争、戦略的思考に無知、失政、偏見であることと、相次ぐ戦争と飢饉による社会的疲労、官僚でさえ食べていけないほどの困窮、貧困が背景にある。

そして杜甫は政治的なフラストレーションを詩にしたためた。、①安禄山の叛乱は予測できたこと、②それに対する策が全くとらていなかったこと、③反乱を起こさせる数々の失政があったこと、重税のこと、府兵制の崩壊、節度使に分権していったこと、④叛乱直後圧倒的な戦力を持ちながら大敗し、陥落していったこと、などなど、これらすべてこの杜甫44・45~48歳の間、秦州での詩の前後、数年の詩から読み取れる。

当時の状況から、杜甫は安史の乱直後家族を邠州羌村に疎開させ、その後蘆子関を経て、霊武の行在所の向かおうとして安氏軍に捕縛され拘禁されたとき、そしてその中から脱出したこと、その叛乱軍の恐怖体験がトラウマになっている。その「おびえ」がそののちの行動に影響しているのである。

約200首ぐらいの詩にちりばめて①~④、反乱軍に対する怯えなどを表現している。確かに一部の師団長の叛乱から10年近く唐の全土に安穏の場所はないくらい大殺戮と略奪の数々あり、詩人は生きた心地がしなかったのである。そういった社会情勢の中、杜甫が家族を守れる手段は逃避しかなかった。最前線に赴任され守る方法も生きていく力もなくした杜甫は官を辞すよりなかった。東方、北方、南方すべて戦場、叛乱軍により、大殺戮があり、西方のみが逃避可能と考えられたのである。
 こうして秦州に逃避紀行したわけであるが、ここではまだ、官に心残りがあり、詩人として生きていく決意はしているものの葛藤している様子がうかがえる。

 秦州へ向かう杜甫の一行は、妻が杜甫より十歳下の三十八歳、長女は十三歳、長子宗文は十歳、次子宗武は七歳、次女は五歳であった。ほかに異母弟の杜占が加わっている。家族は七人、ほかに従僕が二人くらいはいたので、総勢十人の大移動だ。杜甫は馬に乗り、家財を載せた車に小さな子供を同乗させた旅である。
 隴山を越える困難の旅は七月中に秦州に到着した。五言律詩の連作「秦州雑詩二十首」は秦州作の有名な作品である。

「秦州雑詩」二十首は、四首ずつの五部構成になっているので、それに合わせページを変更することとする。全体を通せば、この秦州の地が詩人として、あるいは隠棲生活者として生きられるところではなく別の場所に向かわせることになるということを秦州での思いとしてつづったものである。



秦州雑詩二十首 其九
(秦州の駅亭付近の風景と戰の前線基地であることへの思いを詠った作。)
今日明人眼,臨池好驛亭。
今日になって人としての本来の見る眼になったようだ、景色のよい駅亨のさまを向こうの池から臨んで見たのである。
叢篁低地碧,高柳半天青。
そのそばには、竹やぶが地面にひくくたれて碧に立っており、この青い空の中ほどに届くかのように高い柳が青く繁っている。
稠疊多幽事,喧呼閱使星。
一人静かによい風景に関する事柄を確認したり、認識したりしてみるとそのほかくさぐさの風景がここにはあるが、しかしそこに興ざめであるところの吐蕃へ行く和平交渉、あるいは恫喝のための使者が議論して怒鳴り合いをしている。
老夫如有此,不異在郊垌。
年老いてきた士太夫のわたしがこのような景色の中にいるということで示されるように、林外の別荘に居るように静かにながめていようとおもうのに戦に行く人たちによりそれとは違ったものになってしまう。

秦州雑詩二十首 其十 
(秦州の雨の景事を叙しながら、同時に前線基地であることを述べる。)
雲氣接昆侖,涔涔塞雨繁。
雨空を見上げると靄は雲とつながり崑崙山の方まで覆われている、秦州の雨はざ塞にもざあざあ降りつづく。
羌童看渭水,使節向河源。
あちらでは、異民族の子供らは雨にはしゃぎ渭水の水嵩を心配してみている、こちらでは唐王朝の使者は吐蕃と黄河の水源である地方で局地戦をしているところへ兵士を向かわせようとしている。
煙火軍中幕,牛羊嶺上村。
こちらでは炊煙がただよう軍中の幕営があり、あちらには嶺上の村に牛や羊が放たれている。
所居秋草靜,正閉小蓬門。

そして私の住んでいる処はというと秋の草が静かに生えていて、まさに今、よもぎのしげっている家の小さな柴門を閉じたところである。

雲気【うんき】  崑崙【こんろん】に椄し、涔涔【しんしん】として塞雨【さいう】繁【しげ】し。
羌童【きょうどう】 渭水【いすい】を看、使客【しかく】  河源【かげん】に向かう。
煙火【えんか】 軍中の幕【ばく】、牛羊【ぎゅうよう】 嶺上【れいじょう】の村。
居【お】る所  秋草【しゅうそう】静かなり、正【まさ】に閉ず小蓬門【しょうほうもん】。


11 蕭蕭古塞冷,漠漠秋雲低。黃鵠翅垂雨,蒼鷹饑啄泥。
      薊門誰自北,漢將獨徵西。不意書生耳,臨衰厭鼓鼙。
 
12  山頭南郭寺,水號北流泉。老樹空庭得,清渠一邑傳。
      秋花危石底,晚景臥鐘邊。俯仰悲身世,溪風為颯然。
 

秦州雑詩二十首 其十

現代語訳と訳註
(本文)
秦州雑詩二十首 其十
雲気椄崑崙、涔涔塞雨繁。
羌童看渭水、使客向河源。
煙火軍中幕、牛羊嶺上村。
所居秋草静、正閉小蓬門。


(下し文)
雲気【うんき】  崑崙【こんろん】に椄し、涔涔【しんしん】として塞雨【さいう】繁【しげ】し。
羌童【きょうどう】 渭水【いすい】を看、使客【しかく】  河源【かげん】に向かう。
煙火【えんか】 軍中の幕【ばく】、牛羊【ぎゅうよう】 嶺上【れいじょう】の村。
居【お】る所  秋草【しゅうそう】静かなり、正【まさ】に閉ず小蓬門【しょうほうもん】。


(現代語訳)
(秦州の雨の景事を叙しながら、同時に前線基地であることを述べる。)
雨空を見上げると靄は雲とつながり崑崙山の方まで覆われている、秦州の雨はざ塞にもざあざあ降りつづく。
あちらでは、異民族の子供らは雨にはしゃぎ渭水の水嵩を心配してみている、こちらでは唐王朝の使者は吐蕃と黄河の水源である地方で局地戦をしているところへ兵士を向かわせようとしている。
こちらでは炊煙がただよう軍中の幕営があり、あちらには嶺上の村に牛や羊が放たれている。


(訳注)
秦州雑詩二十首 其十

(秦州の雨の景事を叙しながら、同時に前線基地であることを述べる。)


雲気椄崑崙、涔涔塞雨繁。
雨空を見上げると靄は雲とつながり崑崙山の方まで覆われている、秦州の雨はざ塞にもざあざあ降りつづく。
崑崙 山の名、黄河の出る所。○涔涔 雨の多いさま。○塞雨 とりでにふる雨、秦州の雨をいう。

羌童看渭水、使客向河源。
あちらでは、異民族の子供らは雨にはしゃぎ渭水の水嵩を心配してみている、こちらでは唐王朝の使者は吐蕃と黄河の水源である地方で局地戦をしているところへ兵士を向かわせようとしている。
羌童 異民族のこども。○看渭水 水量の如何をみること。○使客 唐より吐蕃への使者。秦州雑詩二十首 第2部(其五~八)に述べている。参照。○河源 吐蕃の地をさす、唐の鄭州鄯城(今の甘粛省西寧州碾伯県治)に河源軍を置いた、ここは吐蕃と黄河の水源である地方で局地戦をしているところへ兵士を送り込むことを示している。


煙火軍中幕、牛羊嶺上村。
こちらでは炊煙がただよう軍中の幕営があり、あちらには嶺上の村に牛や羊が放たれている。
煙火 炊事のけむり。○牛羊 民家の牧畜する所のもの。
所居秋草静、正閉小蓬門。
そして私の住んでいる処はというと秋の草が静かに生えていて、まさに今、よもぎのしげっている家の小さな柴門を閉じたところである。
所居 作者の住処。○蓬門 よもぎのしげっている家の門。

羌童 : 使客  、看 : 、渭水 : 河源

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。

煙火 : 牛羊  、軍中 : 嶺上 、幕 :

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。



秦州雑詩二十首 其十
雲気椄崑崙、涔涔塞雨繁。
羌童看渭水、使客向河源。
煙火軍中幕、牛羊嶺上村。
所居秋草静、正閉小蓬門。

雲気【うんき】  崑崙【こんろん】に椄し、涔涔【しんしん】として塞雨【さいう】繁【しげ】し。
羌童【きょうどう】 渭水【いすい】を看、使客【しかく】  河源【かげん】に向かう。
煙火【えんか】 軍中の幕【ばく】、牛羊【ぎゅうよう】 嶺上【れいじょう】の村。
居【お】る所  秋草【しゅうそう】静かなり、正【まさ】に閉ず小蓬門【しょうほうもん】。

秦州雜詩二十首 其九 杜甫 第3部 <262> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1235 杜甫詩 700- 376

秦州雜詩二十首 其九 杜甫 第3部 <262> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1235 杜甫詩 700- 376


秦州雜詩二十首 第一部(其の一から其四)
秦州の概要について述べる。


秦州雜詩二十首 第二部(其の五から其八)
秦州と戰について述べる。


秦州雜詩二十首 第三部(其の九から其の十二)
秦州城内のようすや住居のことを詠っている。


乾元2年 759年 48歳
 「秦州雑詩二十首」は五言律詩の二十首に亘る連作で、官を辞して、漂浪生活の最初の寓居となった場所である。家族全員で総勢十人余りの旅に出た。
 杜甫は四十数年、士官だけを念頭にし生きてきた。自分の思いと現実のはざま、杜甫は左遷されて、約一年悩み、王維、孟雲卿、崔氏、高適、別賛上人らに相談し、出した結論であった。そこに追い込んだのは粛宗皇帝の権力闘争、戦略的思考に無知、失政、偏見であることと、相次ぐ戦争と飢饉による社会的疲労、官僚でさえ食べていけないほどの困窮、貧困が背景にある。

そして杜甫は政治的なフラストレーションを詩にしたためた。、①安禄山の叛乱は予測できたこと、②それに対する策が全くとらていなかったこと、③反乱を起こさせる数々の失政があったこと、重税のこと、府兵制の崩壊、節度使に分権していったこと、④叛乱直後圧倒的な戦力を持ちながら大敗し、陥落していったこと、などなど、これらすべてこの杜甫44・45~48歳の間、秦州での詩の前後、数年の詩から読み取れる。

当時の状況から、杜甫は安史の乱直後家族を邠州羌村に疎開させ、その後蘆子関を経て、霊武の行在所の向かおうとして安氏軍に捕縛され拘禁されたとき、そしてその中から脱出したこと、その叛乱軍の恐怖体験がトラウマになっている。その「おびえ」がそののちの行動に影響しているのである。

約200首ぐらいの詩にちりばめて①~④、反乱軍に対する怯えなどを表現している。確かに一部の師団長の叛乱から10年近く唐の全土に安穏の場所はないくらい大殺戮と略奪の数々あり、詩人は生きた心地がしなかったのである。そういった社会情勢の中、杜甫が家族を守れる手段は逃避しかなかった。最前線に赴任され守る方法も生きていく力もなくした杜甫は官を辞すよりなかった。東方、北方、南方すべて戦場、叛乱軍により、大殺戮があり、西方のみが逃避可能と考えられたのである。
 こうして秦州に逃避紀行したわけであるが、ここではまだ、官に心残りがあり、詩人として生きていく決意はしているものの葛藤している様子がうかがえる。

 秦州へ向かう杜甫の一行は、妻が杜甫より十歳下の三十八歳、長女は十三歳、長子宗文は十歳、次子宗武は七歳、次女は五歳であった。ほかに異母弟の杜占が加わっている。家族は七人、ほかに従僕が二人くらいはいたので、総勢十人の大移動だ。杜甫は馬に乗り、家財を載せた車に小さな子供を同乗させた旅である。
 隴山を越える困難の旅は七月中に秦州に到着した。五言律詩の連作「秦州雑詩二十首」は秦州作の有名な作品である。

「秦州雑詩」二十首は、四首ずつの五部構成になっているので、それに合わせページを変更することとする。全体を通せば、この秦州の地が詩人として、あるいは隠棲生活者として生きられるところではなく別の場所に向かわせることになるということを秦州での思いとしてつづったものである。



秦州雑詩二十首 其九
(秦州の駅亭付近の風景と戰の前線基地であることへの思いを詠った作。)
今日明人眼,臨池好驛亭。
今日になって人としての本来の見る眼になったようだ、景色のよい駅亨のさまを向こうの池から臨んで見たのである。
叢篁低地碧,高柳半天青。
そのそばには、竹やぶが地面にひくくたれて碧に立っており、この青い空の中ほどに届くかのように高い柳が青く繁っている。
稠疊多幽事,喧呼閱使星。
一人静かによい風景に関する事柄を確認したり、認識したりしてみるとそのほかくさぐさの風景がここにはあるが、しかしそこに興ざめであるところの吐蕃へ行く和平交渉、あるいは恫喝のための使者が議論して怒鳴り合いをしている。
老夫如有此,不異在郊垌。

年老いてきた士太夫のわたしがこのような景色の中にいるということで示されるように、林外の別荘に居るように静かにながめていようとおもうのに戦に行く人たちによりそれとは違ったものになってしまう。
 
10 雲氣接昆侖,涔涔塞雨繁。羌童看渭水,使節向河源。
 煙火軍中幕,牛羊嶺上村。所居秋草靜,正閉小蓬門。
 
11 蕭蕭古塞冷,漠漠秋雲低。黃鵠翅垂雨,蒼鷹饑啄泥。
 薊門誰自北,漢將獨徵西。不意書生耳,臨衰厭鼓鼙。
 
12 山頭南郭寺,水號北流泉。老樹空庭得,清渠一邑傳。
 秋花危石底,晚景臥鐘邊。俯仰悲身世,溪風為颯然。
 

 


秦州雜詩二十首 其九 杜甫 第3部 <262> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1235 杜甫詩 700- 376

秦州雑詩二十首 其九
(秦州の駅亭付近の風景と戰の前線基地であることへの思いを詠った作。)
今日明人眼、臨池好駅亭。
叢篁低地碧、高柳半天青。
稠畳多幽事、喧呼閲使星。
老夫如有此、不異在郊坰。

駅亭の池01

現代語訳と訳註
(本文)

今日明人眼、臨池好駅亭。
叢篁低地碧、高柳半天青。
稠畳多幽事、喧呼閲使星。
老夫如有此、不異在郊坰。


(下し文)
今日【こんじつ】人眼【じんがん】明かなり、池に臨む好駅亭【こうえきてい】。
叢篁【そうこう】地に低【た】れて碧【みどり】に、高柳【こうりゅう】天に半【なかば】して青し。
稠畳【ちゅうじょう】幽事【ゆうじ】多く、喧呼【けんこ】  使星【しせい】閲【けみ】す。
老夫【ろうふ】如【も】し此れ有らば、郊坰【こうけい】に在るに異【こと】ならざらむ。


(現代語訳)
(秦州の駅亭付近の風景と戰の前線基地であることへの思いを詠った作。)
今日になって人としての本来の見る眼になったようだ、景色のよい駅亨のさまを向こうの池から臨んで見たのである。
そのそばには、竹やぶが地面にひくくたれて碧に立っており、この青い空の中ほどに届くかのように高い柳が青く繁っている。
一人静かによい風景に関する事柄を確認したり、認識したりしてみるとそのほかくさぐさの風景がここにはあるが、しかしそこに興ざめであるところの吐蕃へ行く和平交渉、あるいは恫喝のための使者が議論して怒鳴り合いをしている。
年老いてきた士太夫のわたしがこのような景色の中にいるということで示されるように、林外の別荘に居るように静かにながめていようとおもうのに戦に行く人たちによりそれとは違ったものになってしまう。


(訳注)
秦州雑詩二十首 其九

(秦州の駅亭付近の風景と戰の前線基地であることへの思いを詠った作。)


今日明人眼、臨池好駅亭。
今日になって人としての本来の見る眼になったようだ、景色のよい駅亨のさまを向こうの池から臨んで見たのである。
明人眼 作者は時時「眼明」の語を用いる、めをさまさせるはどうつくしいことをいう。○駅亭 うまつなぎのやと。


叢篁低地碧、高柳半天青。
そのそばには、竹やぶが地面にひくくたれて碧に立っており、この青い空の中ほどに届くかのように高い柳が青く繁っている。
/竹叢【たかむら】 竹が群がって生えている所。たけやぶ。 


稠畳多幽事、喧呼閲使星。
一人静かによい風景に関する事柄を確認したり、認識したりしてみるとそのほかくさぐさの風景がここにはあるが、しかしそこに興ざめであるところの吐蕃へ行く和平交渉、あるいは恫喝のための使者が議論して怒鳴り合いをしている。
稠畳 多く且つかさなる。○幽事 一人静かによい風景に関する事柄を確認したり、認識したりするさま。篁と幽は隠遁生活を示唆するものの表現の小道具の一つである。○喧呼 人がやかましく呼び合うこと。議論して怒鳴り合うこと。○閲便星 閲とは使者が幽事を数えたててみること、使星は使者、「青書」(天文志)に「流星ハ天使ナリ」とみえる。これは唐より吐蕃の方へゆく和平交渉、あるいは恫喝のための使者である。


老夫如有此、不異在郊坰。
年老いてきた士太夫のわたしがこのような景色の中にいるということで示されるように、林外の別荘に居るように静かにながめていようとおもうのに戦に行く人たちによりそれとは違ったものになってしまう。
老夫 年老いてきた士太夫、作者自ずからのこと。○此 駅亨のながめをさす。○不異 杜甫はこの景色を見て隠遁の場所になるといいと思っているが、前聯の「喧呼閲使星」のようにここ秦州が戦の前進基地で隠遁が出来かねるといっている。○郊坰 邑外、城郭の外を郊、郊外を野、野外を林、林外を坰という、郊坰は別墅、前聯「稠畳多幽事」をうけて別業、隠遁の場所という意。

駅亭の 隠遁

秦州雑詩二十首 其九
(秦州の駅亭付近の風景と戰の前線基地であることへの思いを詠った作。)
今日明人眼,臨池好驛亭。
叢篁低地碧,高柳半天青。
稠疊多幽事,喧呼閱使星。
老夫如有此,不異在郊垌。

今日【こんじつ】  人眼【じんがん】明かなり、池に臨む好駅亭【こうえきてい】。
叢篁【そうこう】  地に低【た】れて碧【みどり】に、高柳【こうりゅう】 天に半【なかば】して青し。
稠畳【ちゅうじょう】  幽事【ゆうじ】多く、喧呼【けんこ】  使星【しせい】閲【けみ】す。
老夫【ろうふ】如【も】し此れ有らば、郊坰【こうけい】に在るに異【こと】ならざらむ。

秦州雜詩二十首 其八 杜甫 第2部 <261> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1232 杜甫詩 700- 375

秦州雜詩二十首 其八 杜甫 第2部 <261> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1232 杜甫詩 700- 375


秦州雜詩二十首 第二部(其の五から其八)
秦州と戰について述べる。

秦州雑詩二十首 其五
南使宜天馬、由来万匹強。
浮雲連陣没、秋草徧山長。
聞説真龍種、仍残老驌驦。
哀鳴思戦闘、迥立向蒼蒼。
(監牧使の牧場には若い名馬はみな没した、残存した老馬がまだ戦いを思っているだろうことを、暗に自己をたとえていうのであろう。)
ここ秦州には監牧使をおいて大宛国の馬を天馬にそだてるのに都合のよいところで、太宗の時代からこれまで何十万匹以上も居たのである。
ところがその空に浮かべる雲のように見えていた多くの馬は安史の乱以来いくさに送られてそこで幾度かの大きな戦いに続けさまに戦没してしまった、そのため今やこの秦州あたりの山いっぱいにただ秋の草が背高くのびている。
聞くところによると、真の駿馬はの竜種たる名馬であり、だからそれがこの場所にもう老いてしまった古代の名馬、駿馬といわれる「驌驦」が残っているのだ。
その老馬は哀しそうに鳴いて、戦いをしたいとおもっているのだろう、はるかなところで立ち、あおぞらの方に向かって訴えているのである。
(其の五)
南使【なんし】は天馬に宜【よろ】し、由来【ゆらい】  万匹強【ばんひつきょう】。
浮雲【ふうん】は陣を連ねて没し、秋草【しゅうそう】は山に徧【あまね】くして長し。
聞説【きくなら】く  真の龍種【りゅうしゅ】は、仍【な】お老いたる驌驦【しゅくそう】を残【あま】し。
哀鳴【あいめい】して戦闘を思い、迥【はる】かに立ちて蒼蒼【そうそう】に向かうと。

秦州雑詩二十首 其六
城上胡笳奏,山邊漢節歸。
防河赴滄海,奉詔發金微。
士苦形骸黑,林疏鳥獸稀。
那堪往來戍,恨解鄴城圍。
其の六((安史の乱がおさまらず、吐蕃の乱におよび秦州においてが不穏な動きを嘆き述べる。)
城郭に唐軍の行進にあしぶえが吹きならされ響き渡る、(まだ吐蕃の乱が収まらない)附近の山にはやっと朝廷から吐蕃へやられた使者がもどってきた。 
使者に随行してもどってきた士卒をみるといかに辛苦をした様子で、見るからにからだもすすけてまっ黒く、それが木葉が落ちまばらな林に鳥獣さえも稀なるこの季節にもどったのである。
吐蕃の乱が収まらないので詔を奉じて兵卒は金徴の地方から出発して、ここを通って黄河の防禦のため青海地方へ赴こうとしている。
これら往来の戎卒はこの春(三月三日)官軍が負けるはずのない鄴城で大敗し囲みを解いてさえくれなかったならばと恨んでいるが、わたしはどうしてそのような話を聞くに堪えることが出来るというのか。
城上に胡茄【こか】奏せらる 山辺に漢節【かんせつ】帰る。
防河【ぼうが】として滄海【そうかい】に赴く 詔を奉じて金微【きんぴ】より発す。
士苦しみて形骸【けいがい】黒く 林 疎【そ】にして鳥獣【ちょうじゅう】稀なり。
那ぞ堪えん往来の戊の、鄴城【ぎょうじょう】の囲みを解きしことを恨むに。

秦州雑詩二十首 其七
莽莽万重山、孤城山谷間。
無風雲出塞、不夜月臨関。
属国帰何晩、楼蘭斬未還。
烟塵独長望、衰颯正摧顔。
(詩人として生きることを決意し、隠遁の地として考えたこの秦州が、吐蕃の乱により不安定なところであることを憂えた作である。)
山々が幾重にもかさなり立って奥深く、グッと迫ってくる、山に囲まれ空が少ないすり鉢の底にある谷間に秦州の城郭がある。
すり鉢の底より、それはあたかも洞窟の奥にある塞から気が湧き出ている。風によって集められなくても空が小さいので雲におおわれる塞なのだ。だから昼間に暗く夜もこないのに、この関所では月が出るのを待っている。
本来、降伏した周辺異民族の吐蕃ごときを平定して帰るのがどうしてこんなにおそいのであろうか、反乱を起こした吐蕃の王を斬るつもりで出たのにまだかえってはこられない。
わたしはただとおく戦の煙塵をながめているだけなのである、ここで詩人として隠棲生活を送ろうと願ってきた私がいまできることは、その意気がおとろえてまさに顔にしわを寄せてしかめ面をしていることである。
莽莽【もうもう】たり万重【ばんちょう】の山、孤城  山谷【さんこく】の間。
風無くして雲は塞を出で、夜ならざるに月は関【かん】に臨む。
属国  帰ること何ぞ晩【おそ】き、楼蘭【ろうらん】  斬らんとして未だ還【かえ】らず。
烟塵【えんじん】に独り長望【ちょうぼう】し、衰颯【すいさつ】として正【まさ】に顔を摧【くだ】く。

秦州雑詩二十首 其八
(古来、交通がびらけた場所であったのに、各地でおこった叛乱、特に安・史の乱で東西の大道が分断されていることを歎いた作。)
聞道尋源使、従天此路廻。
聞くところによると漢の張騫は黄河のすなわち黄河の水源をたずね、遂に、天まで続いたところから、のようなたかいところからこの秦州の城辺の大道をとおって都にもどったというのである。
牽牛去幾許、宛馬至今来。
彼が牛ひきの男に出遭ったという天の河の畔からここがどのぐらい離れているのかわからないけれど、それ以来、西国大宛国の名馬は今日にいたるまで向こうからやってくるのである。
一望幽燕隔、何時郡国開。
ところが東方、東北の幽燕の地方を眺めれば今や全くこの地と隔絶してしまっている、いつになったら郡や国の交通がひらけ自由に往来できるのであろうか。
東征健児尽、羌笛暮吹哀。

各地での叛乱のためここの健児たちも東方征伐のためにすっかり狩出されてしまい、ここでは羌族がふきならす夕ぐれの笛の音があわれにひびいているのである。
聞道【きくなら】く 尋源【じんげん】の使い、天従【よ】りして此の路より廻【かえ】ると。
牽牛【けんぎゅう】は去ること幾許【いくばく】ぞ、宛馬【えんば】今に至るまで来たる。
一望  幽燕【ゆうえん】隔【へだ】たる、何の時にか郡国【ぐんこく】開けん。
東征【とうせい】健児【けんじ】尽【つ】く、羌笛【きょうてき】暮吹【ぼすい】哀し。



現代語訳と訳註
(本文)

秦州雑詩二十首 其八
聞道尋源使、従天此路廻。
牽牛去幾許、宛馬至今来。
一望幽燕隔、何時郡国開。
東征健児尽、羌笛暮吹哀。


(下し文)
聞道【きくなら】く 尋源【じんげん】の使い、天従【よ】りして此の路より廻【かえ】ると。
牽牛【けんぎゅう】は去ること幾許【いくばく】ぞ、宛馬【えんば】今に至るまで来たる。
一望  幽燕【ゆうえん】隔【へだ】たる、何の時にか郡国【ぐんこく】開けん。
東征【とうせい】健児【けんじ】尽【つ】く、羌笛【きょうてき】暮吹【ぼすい】哀し。


(現代語訳)
(古来、交通がびらけた場所であったのに、各地でおこった叛乱、特に安・史の乱で東西の大道が分断されていることを歎いた作。)
聞くところによると漢の張騫は黄河のすなわち黄河の水源をたずね、遂に、天まで続いたところから、のようなたかいところからこの秦州の城辺の大道をとおって都にもどったというのである。
彼が牛ひきの男に出遭ったという天の河の畔からここがどのぐらい離れているのかわからないけれど、それ以来、西国大宛国の名馬は今日にいたるまで向こうからやってくるのである。
ところが東方、東北の幽燕の地方を眺めれば今や全くこの地と隔絶してしまっている、いつになったら郡や国の交通がひらけ自由に往来できるのであろうか。
各地での叛乱のためここの健児たちも東方征伐のためにすっかり狩出されてしまい、ここでは羌族がふきならす夕ぐれの笛の音があわれにひびいているのである。


(訳注)
秦州雑詩二十首 其八

(古来、交通がびらけた場所であったのに、各地でおこった叛乱、特に安・史の乱で東西の大道が分断されていることを歎いた作。)


聞道尋源使、従天此路廻。
聞くところによると漢の張騫は黄河のすなわち黄河の水源をたずね、遂に、天まで続いたところから、のようなたかいところからこの秦州の城辺の大道をとおって都にもどったというのである。
間道 聞説に同じ、道は他人の言うこと、人のいうことをきくにの意。○尋源便 「刑楚歳時記」の後世の俗伝のもとずく。漢の張騫が武帝の使者となって黄河の水源をたずね遂に桴にのって遡り、ひと月ばかりを経て織女にであった、また一丈夫が牛を牽いて河で水をのませているのを見、ここはどこかと問うと、それは厳君平に問われよと答えたという。後で知ると、そこは天の川で牽牛と織女の二星であった。○従天此路廻 従天とは黄河の源は天竺、たかく天につづく川であり、そこをさして天という、黄河の源が天の河であり、、此の路とは秦州の城辺の大道をさす、廻とは天より地上につづくことをここへもどることをいう。


牽牛去幾許、宛馬至今来。
彼が牛ひきの男に出遭ったという天の河の畔からここがどのぐらい離れているのかわからないけれど、それ以来、西国大宛国の名馬は今日にいたるまで向こうからやってくるのである。
牽牛 上述の牛を牽く男をさす。○去幾許 去とは道程の距離についていう、時間についていうとみるのは非である。幾許、みちのりどれほど、遠いことをいう。○宛馬 大宛国の名馬。○幽燕 幽州及び燕の地、河北省北部で安禄山の根拠とした地方。


一望幽燕隔、何時郡国開。
ところが東方、東北の幽燕の地方を眺めれば今や全くこの地と隔絶してしまっている、いつになったら郡や国の交通がひらけ自由に往来できるのであろうか。
 道路の隔絶することをいう。○ 道路の塞がりがとけひらかれることをいう。


東征健児尽、羌笛暮吹哀。
各地での叛乱のためここの健児たちも東方征伐のためにすっかり狩出されてしまい、ここでは羌族がふきならす夕ぐれの笛の音があわれにひびいているのである。
東征 東は幽燕の地方をさす、征は征伐。○健児 つよいわかもの。○羌笛 発夷のふくふえ。


聞道尋源使、従天此路廻。
牽牛去幾許、宛馬至今来。
一望幽燕隔、何時郡国開。
東征健児尽、羌笛暮吹哀。

聞道【きくなら】く 尋源【じんげん】の使い、天従【よ】りして此の路より廻【かえ】ると。
牽牛【けんぎゅう】は去ること幾許【いくばく】ぞ、宛馬【えんば】今に至るまで来たる。
一望  幽燕【ゆうえん】隔【へだ】たる、何の時にか郡国【ぐんこく】開けん。
東征【とうせい】健児【けんじ】尽【つ】く、羌笛【きょうてき】暮吹【ぼすい】哀し。

聞けば張騫は  黄河の源を尋ね
この街道を通って天空から帰ってきた
牽牛星からどれほどの距離があるのか
大宛の名馬は  今もそこからやってくる
一望するが    幽州・燕州の路はふさがり
何時になったら郡国への道は開通するのか
東征の健児は出つくしてしまい
羌笛だけが  日暮れに哀しく聞こえてくる

秦州雜詩二十首 其七 杜甫 第2部 <260> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1229 杜甫詩 700- 374

秦州雜詩二十首 其七 杜甫 第2部 <260> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1229 杜甫詩 700- 374


秦州雜詩二十首 第二部(其の五から其八)
(詩人として生きることを決意し、隠遁の地,秦州が、吐蕃の乱により不安定なところであることをを述べる。)


秦州雑詩二十首 其五
(監牧使の牧場には若い名馬はみな没した、残存した老馬がまだ戦いを思っているだろうことを、暗に自己をたとえていうのであろう。)
南使宜天馬、由来万匹強。
ここ秦州には監牧使をおいて大宛国の馬を天馬にそだてるのに都合のよいところで、太宗の時代からこれまで何十万匹以上も居たのである。
浮雲連陣没、秋草徧山長。
ところがその空に浮かべる雲のように見えていた多くの馬は安史の乱以来いくさに送られてそこで幾度かの大きな戦いに続けさまに戦没してしまった、そのため今やこの秦州あたりの山いっぱいにただ秋の草が背高くのびている。
聞説真龍種、仍残老驌驦。
聞くところによると、真の駿馬はの竜種たる名馬であり、だからそれがこの場所にもう老いてしまった古代の名馬、駿馬といわれる「驌驦」が残っているのだ。
哀鳴思戦闘、迥立向蒼蒼。

その老馬は哀しそうに鳴いて、戦いをしたいとおもっているのだろう、はるかなところで立ち、あおぞらの方に向かって訴えているのである。
(其の五)
南使【なんし】は天馬に宜【よろ】し、由来【ゆらい】  万匹強【ばんひつきょう】。
浮雲【ふうん】は陣を連ねて没し、秋草【しゅうそう】は山に徧【あまね】くして長し。
聞説【きくなら】く  真の龍種【りゅうしゅ】は、仍【な】お老いたる驌驦【しゅくそう】を残【あま】し。
哀鳴【あいめい】して戦闘を思い、迥【はる】かに立ちて蒼蒼【そうそう】に向かうと。

秦州雑詩二十首 其六
其の六((安史の乱がおさまらず、吐蕃の乱におよび秦州においてが不穏な動きを嘆き述べる。)
城上胡笳奏,山邊漢節歸。
城郭に唐軍の行進にあしぶえが吹きならされ響き渡る、(まだ吐蕃の乱が収まらない)附近の山にはやっと朝廷から吐蕃へやられた使者がもどってきた。 
防河赴滄海,奉詔發金微。
使者に随行してもどってきた士卒をみるといかに辛苦をした様子で、見るからにからだもすすけてまっ黒く、それが木葉が落ちまばらな林に鳥獣さえも稀なるこの季節にもどったのである。
士苦形骸黑,林疏鳥獸稀。
吐蕃の乱が収まらないので詔を奉じて兵卒は金徴の地方から出発して、ここを通って黄河の防禦のため青海地方へ赴こうとしている。
那堪往來戍,恨解鄴城圍。
これら往来の戎卒はこの春(三月三日)官軍が負けるはずのない鄴城で大敗し囲みを解いてさえくれなかったならばと恨んでいるが、わたしはどうしてそのような話を聞くに堪えることが出来るというのか。
城上に胡茄【こか】奏せらる 山辺に漢節【かんせつ】帰る。
防河【ぼうが】として滄海【そうかい】に赴く 詔を奉じて金微【きんぴ】より発す。
士苦しみて形骸【けいがい】黒く 林 疎【そ】にして鳥獣【ちょうじゅう】稀なり。
那ぞ堪えん往来の戊の、鄴城【ぎょうじょう】の囲みを解きしことを恨むに。

秦州雑詩二十首 其七
(詩人として生きることを決意し、隠遁の地として考えたこの秦州が、吐蕃の乱により不安定なところであることを憂えた作である。)
莽莽万重山、孤城山谷間。
山々が幾重にもかさなり立って奥深く、グッと迫ってくる、山に囲まれ空が少ないすり鉢の底にある谷間に秦州の城郭がある。
無風雲出塞、不夜月臨関。
すり鉢の底より、それはあたかも洞窟の奥にある塞から気が湧き出ている。風によって集められなくても空が小さいので雲におおわれる塞なのだ。だから昼間に暗く夜もこないのに、この関所では月が出るのを待っている。
属国帰何晩、楼蘭斬未還。
本来、降伏した周辺異民族の吐蕃ごときを平定して帰るのがどうしてこんなにおそいのであろうか、反乱を起こした吐蕃の王を斬るつもりで出たのにまだかえってはこられない。
烟塵独長望、衰颯正摧顔。

わたしはただとおく戦の煙塵をながめているだけなのである、ここで詩人として隠棲生活を送ろうと願ってきた私がいまできることは、その意気がおとろえてまさに顔にしわを寄せてしかめ面をしていることである。

莽莽【もうもう】たり万重【ばんちょう】の山、孤城  山谷【さんこく】の間。
風無くして雲は塞を出で、夜ならざるに月は関【かん】に臨む。
属国  帰ること何ぞ晩【おそ】き、楼蘭【ろうらん】  斬らんとして未だ還【かえ】らず。
烟塵【えんじん】に独り長望【ちょうぼう】し、衰颯【すいさつ】として正【まさ】に顔を摧【くだ】く。

秦州雑詩二十首 其八
聞道尋源使、従天此路廻。
牽牛去幾許、宛馬至今来。
一望幽燕隔、何時郡国開。
東征健児尽、羌笛暮吹哀。


現代語訳と訳註
(本文)
莽莽万重山、孤城山谷間。
無風雲出塞、不夜月臨関。
属国帰何晩、楼蘭斬未還。
烟塵独長望、衰颯正摧顔。

(下し文)
莽莽【もうもう】たり万重【ばんちょう】の山、孤城  山谷【さんこく】の間。
風無くして雲は塞を出で、夜ならざるに月は関【かん】に臨む。
属国  帰ること何ぞ晩【おそ】き、楼蘭【ろうらん】  斬らんとして未だ還【かえ】らず。
烟塵【えんじん】に独り長望【ちょうぼう】し、衰颯【すいさつ】として正【まさ】に顔を摧【くだ】く。


(現代語訳)
(詩人として生きることを決意し、隠遁の地として考えたこの秦州が、吐蕃の乱により不安定なところであることを憂えた作である。)
山々が幾重にもかさなり立って奥深く、グッと迫ってくる、山に囲まれ空が少ないすり鉢の底にある谷間に秦州の城郭がある。
すり鉢の底より、それはあたかも洞窟の奥にある塞から気が湧き出ている。風によって集められなくても空が小さいので雲におおわれる塞なのだ。だから昼間に暗く夜もこないのに、この関所では月が出るのを待っている。
本来、降伏した周辺異民族の吐蕃ごときを平定して帰るのがどうしてこんなにおそいのであろうか、反乱を起こした吐蕃の王を斬るつもりで出たのにまだかえってはこられない。
わたしはただとおく戦の煙塵をながめているだけなのである、ここで詩人として隠棲生活を送ろうと願ってきた私がいまできることは、その意気がおとろえてまさに顔にしわを寄せてしかめ面をしていることである。


(訳注)
莽莽万重山、孤城山谷間。
山々が幾重にもかさなり立って奥深く、グッと迫ってくる、山に囲まれ空が少ないすり鉢の底にある谷間に秦州の城郭がある。
弄弄 暗味のさま。○孤城 ひとつあるしろ、秦州の城をさす。○山谷 山に囲まれ谷底に有る様子。空が少ないすり鉢の底にある谷間。

無風雲出塞、不夜月臨関。
すり鉢の底より、それはあたかも洞窟の奥にある塞から気が湧き出ている。風によって集められなくても空が小さいので雲におおわれる塞なのだ。だから昼間に暗く夜もこないのに、この関所では月が出るのを待っている。
無風・雲 「岩場や、洞窟の奥から気が湧き出て、風に乗り、集まって雲が生まれる」というのが、雲が生まれるメカニズムと考えられていたことに基づく。すり鉢の底より、それはあたかも洞窟の奥にある塞から気が湧き出ている。風によって集められなくても空が小さいので雲ができる。谷間に冷気がたまっていて上空が温かいと空気の断層ができ靄におおわれる現象であろう。したがって、暗い状況と思われる。
不夜一句 夜ではない、つまり、昼なのに暗い、夜を待たずに月が出るのを待っている。あるいは、井戸のような場所から、星が見えることから実際に月が見えるのだろう。それぐらい暗い関所、塞の様子をいう。詩人の表現法かもしれない。

無風 : 不夜  : 出塞 : 臨関

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。



属国帰何晩、楼蘭斬未還。
本来、降伏した周辺異民族の吐蕃ごときを平定して帰るのがどうしてこんなにおそいのであろうか、反乱を起こした吐蕃の王を斬るつもりで出たのにまだかえってはこられない。
属国 典属国の略、秦、前漢の官職名。降伏した周辺異民族を掌る。・漢の蘇武 蘇 武(そ ぶ、紀元前140年頃? - 紀元前60年)中国・前漢時代の人。字は子卿。父は衛尉・蘇建。兄は蘇嘉、弟は蘇賢。紀元前86年に彼は漢に帰還し、典属国を拝命した。母は死んでおり、妻は既に他の者に嫁いでいた。後、上官桀らに従っていた蘇武の子の蘇元が反乱を企んだ上官桀らに連座して処刑され、上官桀や桑弘羊と仲が良かった蘇武も逮捕されそうになったが、霍光がやめさせ、免官だけで済まされた。宣帝擁立に関与し、関内侯の位を賜り、張安世の薦めにより右曹・典属国に返り咲いた。神爵2年(紀元前60年)、蘇武は80歳余りの高齢で亡くなった。○楼蘭 新疆ウイグル自治区に存在した都市、及びその都市を中心とした国家。西域南道沿い、孔雀河下流のロプノール(Lop-Nur)湖の西岸に位置し、シルクロード交易で栄えた。紀元前77年に漢の影響下で国名を鄯善と改称したが、楼蘭の名はその後も長く用いられ続けた。ここは吐蕃の乱(765年平定される)にあてていう。 

属国 : 楼蘭  : 何晩 : 未還

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。



烟塵独長望、衰颯正摧顔。
わたしはただとおく戦の煙塵をながめているだけなのである、ここで詩人として隠棲生活を送ろうと願ってきた私がいまできることは、その意気がおとろえてまさに顔にしわを寄せてしかめ面をしていることである。
煙塵 兵乱のちりやけむり。煙/烟【けむる】1 煙が盛んに出たり、辺り一面に広がったりする。2 雨・霧・霞(かすみ)などで辺りがぼんやりする。3 新芽や若草が萌(も)え出てかすん○長望 とおくながめる。○衰颯 意気のおとろえたさま。○摧顔 皺だらけの顔。顔のしわののびないさまをいう。



幾重にも果てしなくつらなる緑の山々、
岩の谷間に孤り立つ、秦州の城。
雲は塞の底から湧く 風はない、 
夜でもないのに 月が関所を照らすのだ。
「典属国」の叛乱に なぜに平定が遅いのだ、
楼蘭を占拠した王を斬る者が 未だ帰らない。
わたしは戦塵のけむる彼方を眺めるだけ、
隠遁の地はないと気力も萎え、顔をしかめる。



此の詩で、楼蘭と指摘した地域
貿易の重要な要衝の地である。ここを支配するものがその利益を得ることが出来たので古来より、戦が絶えないのである。その時々の国力と安定性のある国がこの地域を制覇できたのである。

吐蕃は680年頃から東トルキスタン(中央アジア東部)に進出したが、このためやがて唐と対立するようになり、唐は玄宗の頃に吐蕃を攻撃した。751年イスラム軍と唐の将軍高仙芝のタラスの戦い、しかし、763年には吐蕃が一時長安を占領した。その後も対立関係が続いた。この西域はアッバース朝のイスラム教(遊牧)、仏教国のチベット(吐蕃)(狩猟)と漢民族(農耕)の戦いが恒常的におこなわれていた地域である。


751年中央アジア、天山山脈北西麓のオアシス都市タラス(Talas)近郊で、(アッバース朝)コラーサーン提督と唐の将軍高仙芝との間の戦いで唐軍は大敗し、唐の西方における勢力は後退。その上、吐蕃が楼蘭から臨兆に進出し、さらに拡大しようとしてきた。この其の七の詩はそうした、先行き不安の情況を前半四句で山間にある秦州城の寂しい様子を詠うことであらわし、後半四句では属国の匈奴へ使いした蘇武(そぶ)や楼蘭に使者となった傅介子(ふかいし)が手柄を立てて帰国した故事を暗に示しながら、吐蕃(チベット)を平定できないふがいなさを、隠棲生活をしたい気持ちが崩れていく様子を詠っているのが見て取れる。


秦州雜詩二十首 其六 杜甫 第2部 <259> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1226 杜甫詩 700- 373

秦州雜詩二十首 其六 杜甫 第2部 <259> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1226 杜甫詩 700- 373

其の六((安史の乱がおさまらず、吐蕃の乱におよび秦州においてが不穏な動きを嘆き述べる。)


秦州雜詩二十首 第二部(其の五から其八)
秦州と戰について述べる。

秦州雑詩二十首 其五
(監牧使の牧場には若い名馬はみな没した、残存した老馬がまだ戦いを思っているだろうことを、暗に自己をたとえていうのであろう。)
南使宜天馬、由来万匹強。
ここ秦州には監牧使をおいて大宛国の馬を天馬にそだてるのに都合のよいところで、太宗の時代からこれまで何十万匹以上も居たのである。
浮雲連陣没、秋草徧山長。
ところがその空に浮かべる雲のように見えていた多くの馬は安史の乱以来いくさに送られてそこで幾度かの大きな戦いに続けさまに戦没してしまった、そのため今やこの秦州あたりの山いっぱいにただ秋の草が背高くのびている。
聞説真龍種、仍残老驌驦。
聞くところによると、真の駿馬はの竜種たる名馬であり、だからそれがこの場所にもう老いてしまった古代の名馬、駿馬といわれる「驌驦」が残っているのだ。
哀鳴思戦闘、迥立向蒼蒼。
その老馬は哀しそうに鳴いて、戦いをしたいとおもっているのだろう、はるかなところで立ち、あおぞらの方に向かって訴えているのである。
(其の五)
南使(なんし)は天馬に宜(よろ)し、由来(ゆらい)  万匹強(ばんひつきょう)。
浮雲(ふうん)は陣を連ねて没し、秋草(しゅうそう)は山に徧(あまね)くして長し。
聞説(きくなら)く  真の龍種(りゅうしゅ)は、仍(な)お老いたる驌驦(しゅくそう)を残(あま)し。
哀鳴(あいめい)して戦闘を思い、迥(はる)かに立ちて蒼蒼(そうそう)に向かうと。

秦州雑詩二十首 其六
其の六((安史の乱がおさまらず、吐蕃の乱におよび秦州においてが不穏な動きを嘆き述べる。)
城上胡笳奏,山邊漢節歸。
城郭に唐軍の行進にあしぶえが吹きならされ響き渡る、(まだ吐蕃の乱が収まらない)附近の山にはやっと朝廷から吐蕃へやられた使者がもどってきた。 
防河赴滄海,奉詔發金微。
使者に随行してもどってきた士卒をみるといかに辛苦をした様子で、見るからにからだもすすけてまっ黒く、それが木葉が落ちまばらな林に鳥獣さえも稀なるこの季節にもどったのである。
士苦形骸黑,林疏鳥獸稀。
吐蕃の乱が収まらないので詔を奉じて兵卒は金徴の地方から出発して、ここを通って黄河の防禦のため青海地方へ赴こうとしている。
那堪往來戍,恨解鄴城圍。

これら往来の戎卒はこの春(三月三日)官軍が負けるはずのない鄴城で大敗し囲みを解いてさえくれなかったならばと恨んでいるが、わたしはどうしてそのような話を聞くに堪えることが出来るというのか。
城上に胡茄【こか】奏せらる 山辺に漢節【かんせつ】帰る。
防河【ぼうが】として滄海【そうかい】に赴く 詔を奉じて金微【きんぴ】より発す。
士苦しみて形骸【けいがい】黒く 林 疎【そ】にして鳥獣【ちょうじゅう】稀なり。
那ぞ堪えん往来の戊の、鄴城【ぎょうじょう】の囲みを解きしことを恨むに。

秦州雑詩二十首 其七
莽莽万重山、孤城山谷間。
無風雲出塞、不夜月臨関。
属国帰何晩、楼蘭斬未還。
烟塵独長望、衰颯正摧顔。

秦州雑詩二十首 其八
聞道尋源使、従天此路廻。
牽牛去幾許、宛馬至今来。
一望幽燕隔、何時郡国開。
東征健児尽、羌笛暮吹哀。


現代語訳と訳註
(本文)

秦州雜詩二十首 其六
城上胡笳奏,山邊漢節歸。
防河赴滄海,奉詔發金微。
士苦形骸黑,林疏鳥獸稀。
那堪往來戍,恨解鄴城圍。


(下し文)
城上に胡茄【こか】奏せらる 山辺に漢節【かんせつ】帰る。
防河【ぼうが】として滄海【そうかい】に赴く 詔を奉じて金微【きんぴ】より発す。
士苦しみて形骸【けいがい】黒く 林 疎【そ】にして鳥獣【ちょうじゅう】稀なり。
那ぞ堪えん往来の戊の、鄴城【ぎょうじょう】の囲みを解きしことを恨むに。


(現代語訳)
(安史の乱がおさまらず、吐蕃の乱におよび秦州においてが不穏な動きを嘆き述べる。)
城郭に唐軍の行進にあしぶえが吹きならされ響き渡る、(まだ吐蕃の乱が収まらない)附近の山にはやっと朝廷から吐蕃へやられた使者がもどってきた。 
使者に随行してもどってきた士卒をみるといかに辛苦をした様子で、見るからにからだもすすけてまっ黒く、それが木葉が落ちまばらな林に鳥獣さえも稀なるこの季節にもどったのである。
吐蕃の乱が収まらないので詔を奉じて兵卒は金徴の地方から出発して、ここを通って黄河の防禦のため青海地方へ赴こうとしている。
これら往来の戎卒はこの春(三月三日)官軍が負けるはずのない鄴城で大敗し囲みを解いてさえくれなかったならばと恨んでいるが、わたしはどうしてそのような話を聞くに堪えることが出来るというのか。

(訳注) 秦州雜詩二十首 其六
城上胡笳奏,山邊漢節歸。
城郭に唐軍の行進にあしぶえが吹きならされ響き渡る、(まだ吐蕃の乱が収まらない)附近の山にはやっと朝廷から吐蕃へやられた使者がもどってきた。 
城上 秦州の城郭のうえに聞こえるということ。日本の城ではなく、郭にかこまれた市街地をいう。○胡笳 芦葉を巻いて吹きならすもの、これは唐兵が吹くものである。蘆の葉を巻いた笛。後には木で作る。晋以後は天予の行列にも用いた。もと胡人が吹いたので、胡笳という。李白『春夜洛城聞笛』 【胡笳】 中国古代北方民族の胡人が吹いたという、葦(あし)の葉で作った笛。琴の曲名。の調べを琴の曲としたもの。胡の国に長く捕らわれていた後漢の蔡(さいえん)の作という。○山辺 秦州のちかくの山のあたり。
『夏夜嘆』夏夜嘆
竟夕擊刁鬥,喧聲連萬方。青紫雖被體,不如早還鄉。
北城悲笳發,鸛鶴號且翔。況複煩促倦,激烈思時康。

留花門  『留花門
北門天驕子,飽肉氣勇決。高秋馬肥健,挾矢射漢月。」
自古以爲患,詩人厭薄伐。修德使其來,羈縻固不絕。
胡爲傾國至,出入暗金闕。』
中原有驅除,隱忍用此物。公主歌黄鵠,君王指白日。
連雲屯左輔,百里見積雪。長戟鳥休飛,哀笳曙幽咽。
田家最恐懼,麥倒桑枝摺。』

自京竄至鳳翔達連行在所 三首其二

自京竄至鳳翔達連行在所 三首其二
愁思胡笳夕,淒涼漢苑春。生還今日事,間道暫時人。
司隸章初睹,南陽氣已新。喜心翻倒極,鳴咽淚沾巾。
漢節 漠の使者をいう、節は棒のさきに牛尾をつけたもの、使者のしるしに持つもの、これは唐より吐蕃の方へやられた使者をいう。


防河赴滄海,奉詔發金微。
吐蕃の乱が収まらないので詔を奉じて兵卒は金徴の地方から出発して、ここを通って黄河の防禦のため青海地方へ赴こうとしている。
防河 『兵車行』「或從十五北防河,便至四十西營田。」或る者は十五歳から、北の方の黄河(上流)の防衛戦の守備に就き、そのままで、四十歳になって、西の方の屯田兵を命ぜられた。
・十五、四十 開元十五年に十五歳のものであるならば天宝九載に至っては三十八歳である、四十というのは成数を挙げたもの。○防河 河は黄河、河を防ぐとは夷狄の侵入を黄河の辺に至ってふせぐことをいう。開元十五年秋、吐蕃が害をなしたので関中の兵万人を徴して臨桃に集め、これを防がせたことがある。・営田 耕田のしごとをする、これは屯田することをいう、屯田しながら吐蕃の防備をすること。河西地方の黄河の守備をすること。○滄海 青海地方をさすのであろう。○金微 山の名にしてまた郡の名、唐には関内道に属し、また単子都護府に属する、今の内蒙古緩遠の喀爾喀地方、防河二句は胡節奏は兵隊の動きの際鳴らすのでこの聯までかかる。
この聯は倒句として読む。

防河 : 奉詔  : 滄海 : 金微

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。



士苦形骸黑,林疏鳥獸稀。
使者に随行してもどってきた士卒をみるといかに辛苦をした様子で、見るからにからだもすすけてまっ黒く、それが木葉が落ちまばらな林に鳥獣さえも稀なるこの季節にもどったのである。
 帰士。使者に随行した兵士がこの地まで帰ってきた。○林疎 疎は葉のまばらなことをいう。○鳥獣稀 さびしいさまをいう、士苦二句は「漢節帰」を承ける。

士苦 : 林疏  形骸 : 鳥獸 :

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。



那堪往來戍,恨解鄴城圍。
これら往来の戎卒はこの春(三月三日)官軍が負けるはずのない鄴城で大敗し囲みを解いてさえくれなかったならばと恨んでいるが、わたしはどうしてそのような話を聞くに堪えることが出来るというのか。
那堪 作者がたえがたいということ。○往來戍 柱の字は防河二句を承け、これから出発する士卒をいう、来の字は士苦二句を承けいま辺地より帰って来た士卒をいう、戊は番兵。○恨 往来の戊がうらむのである。○解鄴城圍 乾元二年三月の陥落寸前に追い込んでいた九節度の大敗をさす、治乱の根本にさかのぼっていっているのである。誰もが負けるはずがないと思っていた戦いに敗れたのである。(更に、九月洛陽までふたたび陥落した。この詩の段階では杜甫は知らないのだろう。)もし九節度の軍が勝ったのであるならば吐蕃の騒乱も起こってはいないということに立脚する。戎卒は吐蕃の騒乱のために往来させられる。したがって敗軍を恨むのは当然のことである、故に防河の句は青海地方吐蕃のこととして順当である。


秦州雜詩二十首 其五 杜甫 第2部 <258> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1223 杜甫詩 700- 372

秦州雜詩二十首 其五 杜甫 第2部 <258> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1223 杜甫詩 700- 372



秦州雜詩二十首 第二部(其五―其八)

秦州雑詩二十首 其五
(監牧使の牧場には若い名馬はみな没した、残存した老馬がまだ戦いを思っているだろうことを、暗に自己をたとえていうのであろう。)
南使宜天馬、由来万匹強。
ここ秦州には監牧使をおいて大宛国の馬を天馬にそだてるのに都合のよいところで、太宗の時代からこれまで何十万匹以上も居たのである。
浮雲連陣没、秋草徧山長。
ところがその空に浮かべる雲のように見えていた多くの馬は安史の乱以来いくさに送られてそこで幾度かの大きな戦いに続けさまに戦没してしまった、そのため今やこの秦州あたりの山いっぱいにただ秋の草が背高くのびている。
聞説真龍種、仍残老驌驦。
聞くところによると、真の駿馬はの竜種たる名馬であり、だからそれがこの場所にもう老いてしまった古代の名馬、駿馬といわれる「驌驦」が残っているのだ。
哀鳴思戦闘、迥立向蒼蒼。

その老馬は哀しそうに鳴いて、戦いをしたいとおもっているのだろう、はるかなところで立ち、あおぞらの方に向かって訴えているのである。
(其の五)
南使(なんし)は天馬に宜(よろ)し、由来(ゆらい)  万匹強(ばんひつきょう)。
浮雲(ふうん)は陣を連ねて没し、秋草(しゅうそう)は山に徧(あまね)くして長し。
聞説(きくなら)く  真の龍種(りゅうしゅ)は、仍(な)お老いたる驌驦(しゅくそう)を残(あま)し。
哀鳴(あいめい)して戦闘を思い、迥(はる)かに立ちて蒼蒼(そうそう)に向かうと。

秦州雑詩二十首 其六
城上胡笳奏,山邊漢節歸。
防河赴滄海,奉詔發金微。
士苦形骸黑,林疏鳥獸稀。
那堪往來戍,恨解鄴城圍。

秦州雑詩二十首 其七
莽莽万重山、孤城山谷間。
無風雲出塞、不夜月臨関。
属国帰何晩、楼蘭斬未還。
烟塵独長望、衰颯正摧顔。

秦州雑詩二十首 其八
聞道尋源使、従天此路廻。
牽牛去幾許、宛馬至今来。
一望幽燕隔、何時郡国開。
東征健児尽、羌笛暮吹哀。



現代語訳と訳註
(本文)
南使宜天馬、由来万匹強。
浮雲連陣没、秋草徧山長。
聞説真龍種、仍残老驌驦。
哀鳴思戦闘、迥立向蒼蒼。


(下し文)
南使(なんし)は天馬に宜(よろ)し、由来(ゆらい)  万匹強(ばんひつきょう)。
浮雲(ふうん)は陣を連ねて没し、秋草(しゅうそう)は山に徧(あまね)くして長し。
聞説(きくなら)く  真の龍種(りゅうしゅ)は、仍(な)お老いたる驌驦(しゅくそう)を残(あま)し。
哀鳴(あいめい)して戦闘を思い、迥(はる)かに立ちて蒼蒼(そうそう)に向かうと。


(現代語訳)
(監牧使の牧場には若い名馬はみな没した、残存した老馬がまだ戦いを思っているだろうことを、暗に自己をたとえていうのであろう。)
ここ秦州には監牧使をおいて大宛国の馬を天馬にそだてるのに都合のよいところで、太宗の時代からこれまで何十万匹以上も居たのである。
ところがその空に浮かべる雲のように見えていた多くの馬は安史の乱以来いくさに送られてそこで幾度かの大きな戦いに続けさまに戦没してしまった、そのため今やこの秦州あたりの山いっぱいにただ秋の草が背高くのびている。
聞くところによると、真の駿馬はの竜種たる名馬であり、だからそれがこの場所にもう老いてしまった古代の名馬、駿馬といわれる「驌驦」が残っているのだ。
その老馬は哀しそうに鳴いて、戦いをしたいとおもっているのだろう、はるかなところで立ち、あおぞらの方に向かって訴えているのである。


(訳注)
其の五(監牧使の牧場には若い名馬はみな没した、残存した老馬がまだ戦いを思っているだろうことを、暗に自己をたとえていうのであろう。)


南使宜天馬、由来万匹強。
ここ秦州には監牧使をおいて大宛国の馬を天馬にそだてるのに都合のよいところで、太宗の時代からこれまで何十万匹以上も居たのである。
南便 監牧使をいう。『新唐書、百官志』のおおむね次のように書かれている。西方の馬をいったんここに集積し、一定期間飼育したのち、各地に配送した。開元年間には四十万頭もの名馬が飼育され、その馬をつかさどる役所をおいた。貰い受けるものは、「南使宜天馬」といった。秦州清水県に馬池があり、また隴西の神馬山に淵池があり、竜馬の生ずる所である。古代から西域大宛国血統の馬が優れた馬であることは周知のことである。
 唐の太宗以来、馬の飼育について740年頃、玄宗の開元年間まではよい馬を生産していたようだ。天宝以降李林甫の悪政、楊一族の横暴、安史の乱にかけて一切良い馬をつくより、戦争準備のため、かき集めた。そのため各地の良い馬を育てていた牧場は閉鎖された。杜甫はこの時代、馬の重要性について理解しており、良い馬をつくるための牧場がさびれていく様子を詩にしている。

沙苑行 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 91 

天育驃騎歌 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 85

驄馬行  杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 102

痩馬行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 258

洗兵行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ990 杜甫特集700- 295

解説書の多くに、この「南」を「西」の誤記であるとして、西使は西へ行った使者、南使は南へかえる使者で、ともに漢使(漢より外国へやった使者)の意とする。しかしながら西使・南使ともに此の句においては通じがたい。それは次の「宜」の字に対して説明がつきかねる故である。西(或は「南」)使のままで解釈する方法があるか、識者の教えをまつ。或はいう、今は仮りに「西地」・「西境」の意味の字の誤りとして解して、中国本土の西北部地方の意とみておく。このブログでは、誤記という考え方こそ間違いであるという底本を重視している。○宜天馬 天馬のような名馬が産するのに似つかわしいこと。○ あまりの意。


浮雲連陣没、秋草徧山長。
ところがその空に浮かべる雲のように見えていた多くの馬は安史の乱以来いくさに送られてそこで幾度かの大きな戦いに続けさまに戦没してしまった、そのため今やこの秦州あたりの山いっぱいにただ秋の草が背高くのびている。
浮雲 群馬が疾走すると砂塵がわきたつさまを雲とする。早い馬ほど砂塵を湧き立たせる。風が雲を産むことから、早い馬が風を呼び雲を産むということ。○連陣没 連陣とは幾度もの戦に続けさまにの意。756年潼関、青坂、759年洛陽城の敗軍(乾元二年三月三日)をさす。没とは馬が死没することをいう。○徧山 この秦州地方の山にあまねく。
悲陳陶  悲青坂  など安史の乱以降、杜甫は多く詩を残している。上句で騒がしいこと、敗戦による悲惨さをいい、それを受けた下句では悲愁、茫茫とした草原の寂しさを詠う。

浮雲 : 秋草  、 連 : 、陣没 : 山長

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。



聞説真龍種、仍残老驌驦。
聞くところによると、真の駿馬はの竜種たる名馬であり、だからそれがこの場所にもう老いてしまった古代の名馬、駿馬といわれる「驌驦」が残っているのだ。
○聞説 他の人の説くをきくにの意。○真龍種 竜は竜馬、西域の天馬は竜の種であるといわれる。○驌驦 驌驦は鳥のこと、千里馬の別名。古代の名馬、駿馬のこと。 

聞説 : 仍残  、真 : 、龍種 :

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。



哀鳴思戦闘、迥立向蒼蒼。
その老馬は哀しそうに鳴いて、戦いをしたいとおもっているのだろう、はるかなところで立ち、あおぞらの方に向かって訴えているのである。
邁立 通ははるか、天に対して地上をいうことばである。○蒼蒼 天のあおあおとした色、すなわち天をさす。

***五言律詩。【首聯】【頷聯】【頸聯】【尾聯】で構成。同じ四分割の絶句の起承転結の一線の曲折にはならない。中の【頷聯】【頸聯】については対句が絶対条件である。

秦州雜詩二十首 其四 杜甫 第1部 <257> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1220 杜甫詩 700- 371

秦州雜詩二十首 其四 杜甫 第1部 <257> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1220 杜甫詩 700- 371




秦州雜詩二十首 第一部(其の一から其四)
秦州雜詩二十首 第一部(其の一から其四)
秦州の概要について述べる。

其一(秦州来るまでの様子。)
其一
満目悲生事、因人作遠遊。
この人生、振り返ってみると、目にふれるもの何もかも、生きてゆく諸事が悲しいことはかりだ。だから、このたび人をたよって遠い旅をしてきたのである。
遅廻度隴怯、浩蕩及関愁。
隴山を越えてゆくのに、谷は深く、濁流の音は凄まじく、坂ははってのぼるのであるから、幼子含め10人以上の旅は、心おびえて道もはかどらず、関所に来かかって、困難が増してきて、心の愁えがはてしもなく広がってくる。
水落魚龍夜、山空鳥鼠秋。
水かさの減った魚竜川の横を通っていく、夜は川の音をきくのである、人かげもない鳥鼠山に秋の気配はさびしくもの侘しいものである。
西征問烽火、心折此淹留。

西に向かって旅をしていると、行く手に烽火のあがるいくさがあるのかどうかを質問したら、どうも戦があるようで、ここだと戰はないものと思ってきた心も折れたまま、この秦州に逗留することになった。
(其の一)
満目 生事を悲しむ、人に因【よ】りて遠遊を作(な)す。
遅廻【ちかい】隴【ろう】を度【わた】りて怯【きょう】に、浩蕩【こうとう】関【かん】に及んで愁う。
水は落つ 魚龍の夜、山は空し 鳥鼠【ちょうそ】の秋。
西征【せいせい】して烽火【ほうか】を問い、心【こころ】折【くだ】けて此【ここ】に淹留【えんりゅう】す。

秦州雜詩二十首 其二
(隗囂の故跡をみたことと兼ねて自己の境遇と心情をのべる。)
其二
秦州城北寺、勝跡隗囂宮。
秦州の城郭の北に崇寧寺があるが、これは風景すぐれた名勝古跡で、もとはこの地の梟雄といわれ人士の信望を集めていた隗囂の宮殿だったところである。
苔蘚山門古、丹青野殿空。
見ればこけの青緑が鮮やかな寺の古びた大門があり、彩色の朱色と青色が周りの景色に同化した御殿があるがさっぱり人影がなくむなしい遺跡になっている。
月明垂葉露、雲逐渡渓風。
宵が迫り下垂した葉においた露が葉先からしずくとして落ちる際、月の明かりを受けて珠ときらめく、雲が逐いつ逐われつしている、渓谷をわたる風は隗囂の無念の魂が風をうみ、風が雲に育って吹き渡っている。
清渭無情極、愁時独向東。
渭水のすんだ流れをみるとそれは情知らずの極みであり、わたしがこれほどまでに愁えているのをも知らない素振りで渭水の水は当たり前のように東の方に向かってながれゆくのである。
(其の二)
秦州城北の寺、勝跡【しょうせき】 隗囂【かいごう】の宮。
苔蘚 山門古【ふ】り、丹青【たんせい】野殿【やでん】空し。
月は葉に垂【た】るる露に明らかに、雲は渓【たに】を渡る風を逐【お】う。
清らなる渭 無情の極みにして、愁時【しゅうじ】独り東に向かう。

秦州雜詩二十首 其三
(秦州の軍事的特徴を述べ、捕虜になった異民族のようすをのべる。)

其三其の三
州図領同谷、駅道出流沙。
この秦州の地図では都督府を置き、天水(秦州)、隴西、南の同谷の三郡を領し管轄となっており、西北の方に向かっては駅路(うまやじ)が続き、流抄の方へ出られるようになっている。
降虜兼千張、居人有万家。
ここでは投降した異民族の兵士が千ばかりもある天幕にたくさん収容されて居り、この地の土着人に属する住民は一万戸といわれている。
馬驕朱汗落、胡舞白題斜。
そこの駿馬を走らせるものの馬は大宛国の馬だからあかい汗をおとす、また異民族の舞いを見ると、白亜土を塗った額、や白の帽子で体を斜めに調子を取り舞っている。
年少臨洮子、西来亦自誇。
西域の臨挑から来たわかい男子がいるが、彼らもやはり、古代大宛国の騎馬民族としての矜持をもっている。
(其の三)
州図【しゅうと】同谷を領【りょう】す、駅道【えきどう】  流沙【りゅうさ】に出(い)ず。
降虜【こうりょ】千張【せんちょう】を兼ね、居人【きょじん】 万家(ばんか)有り。
馬 驕【おご】りて朱汗【しゅかん】落ち、胡【こ】舞いて白題【はくだい】斜なり。
年少【ねんしょう】の臨洮子【りんとうし】、西より来たりて亦【また】自ら誇る。


toubanrimap044其四
鼓角縁辺郡、川原欲夜時。
ここは古代より異民族と対峙してきた国境の郡の広い平原に夜のとばりが垂れかかろうとするまさにその時、守備隊の鼓角、ラッパと太鼓の音が周辺に響き渡る。
秋聴殷地発、風散入雲悲。
秋になって雷の音のように鼓角が地に響き渡ってくるのであり、またそれは風により散逸していくことは雲に入って哀しみとして生まれてくる音として聞いているのだ。
抱葉寒蝉静、帰山独鳥遅。
寒さの中人の目の及ばぬところにひそむ、徴かな、陰的な、生物である蝉はただひそやかにじっとしているし、山の巣に帰るはずの一人ぼっちの鳥は、この音に恐怖を抱いて飛び立つのが遅くなっている。
万方声一慨、吾道竟何之。

ここだけではない、この兵乱の世はおさまりをしらない、今や天下のどこへ行ってもおしなべてこの鼓角の音のみである、儒者であるわたしの行くべき道は結局どこに行ってしまったのか。
(其の四)
鼓角【こかく】 縁辺【えんぺん】の郡、川原【せんげん】  夜ならんと欲する時。
秋に聴けば地に殷【どよ】もして発【おこ】り、風に散【さん】じて雲に入り 悲しむ。
葉を抱【いだ】ける寒蝉【かんせん】は静かに、山に帰る独鳥【どくちょう】は遲。
万方【ばんぽう】 声 一慨【いちがい】、吾 【わ】が道  竟【つい】に何【いず】くにか之【ゆ】かん。


吉川幸次郎は抒情詩の完成したものと絶賛している。
 「47歳の秋、後半生の漂泊のきっかけとして、甘粛省の秦州に、しばし足をとどめた時期である。今は天水県と呼ばれるこの国境の町の異様な風物は、杜甫の神経を極度に刺激して、病的にまた、尖鋭な詩を生んだ。その実鋭さは晩年の完成から見ればなお過程的なものである。しかしそれだけに、却ってわれわれに近く、ほとんどわれわれの近代に先だって、その憂鬱を先取するようにさえ、感ぜられる。」(全集12)(杜甫ノート)としている。

日中に、駿馬を走らせていた西域から来た若者が、その後異民族の踊りを見せてくれた。高原の河原沿いのこの場所に夜のとばりの垂れようとするとき、詩人の耳に響いてきたのは守備隊の鼓角、ラッパと太鼓の音である。


現代語訳と訳註
(本文) 其四
鼓角縁辺郡、川原欲夜時。
秋聴殷地発、風散入雲悲。
抱葉寒蝉静、帰山独鳥遅。
万方声一慨、吾道竟何之。


(下し文)
鼓角【こかく】 縁辺【えんぺん】の郡、川原【せんげん】  夜ならんと欲する時。
秋に聴けば地に殷【どよ】もして発【おこ】り、風に散【さん】じて雲に入り 悲しむ。
葉を抱【いだ】ける寒蝉【かんせん】は静かに、山に帰る独鳥【どくちょう】は遲。
万方【ばんぽう】 声 一慨【いちがい】、吾 【わ】が道  竟【つい】に何【いず】くにか之【ゆ】かん。


(現代語訳)
ここは古代より異民族と対峙してきた国境の郡の広い平原に夜のとばりが垂れかかろうとするまさにその時、守備隊の鼓角、ラッパと太鼓の音が周辺に響き渡る。
秋になって雷の音のように鼓角が地に響き渡ってくるのであり、またそれは風により散逸していくことは雲に入って哀しみとして生まれてくる音として聞いているのだ。
寒さの中人の目の及ばぬところにひそむ、徴かな、陰的な、生物である蝉はただひそやかにじっとしているし、山の巣に帰るはずの一人ぼっちの鳥は、この音に恐怖を抱いて飛び立つのが遅くなっている。
ここだけではない、この兵乱の世はおさまりをしらない、今や天下のどこへ行ってもおしなべてこの鼓角の音のみである、儒者であるわたしの行くべき道は結局どこに行ってしまったのか。


(訳注)其四
鼓角縁辺郡、川原欲夜時。

ここは古代より異民族と対峙してきた国境の郡の広い平原に夜のとばりが垂れかかろうとするまさにその時、守備隊の鼓角、ラッパと太鼓の音が周辺に響き渡る。
鼓角:〔こかく〕陣中で時を知らせるなどの合図に用いる、つづみとつのぶえ。戦鼓とラッパ。 ・縁邊:周辺。外周り。ここが国境をふちどる地帯であることを意味する。「縁」は、元来、衣服のふちどりとして縫いつけられる布衿を意味するが、そのように邊疆をふちどる地帯、それが「縁邊」である。過去の文献で、この語が最もしばしば現われるのは、史記もしくは漢書、ことにその匈奴傳である。中國古代の歴史は、それは匈奴とのたえまなき対峙の歴史であった。「縁遠」の二字は、そうした記憶を喚起させることによって、まず凄惨、悲愴な感覚を、詩の冒頭に提示するものである。・:古代の行政区劃で、国の下に置かれる区劃。更にこの下に郷、里がある。・川原:〔せんげん〕平原。広野。広々として人影のないところ。平川広野。一川。「かわら」ではない。また、川のみなもと。川源。上句の「縁邊」と母音で収まる ・欲夜時:夜が更けようとする時刻(に)。 ・:夜になる。動詞。
国境の郡の夕まぐれ、川べりの荒原にとどろく鼓角の音、という意味である。詩人は、鼓角一縁辺-郡、川原-欲夜-時と、いわば事柄を構成する頂点のみを、力強く指摘していると同時にこのことがた、状況のすべてを最後の「時」の一点に集中させ、強調する。
杜甫の作品で角笛、国境を詠ったもののうち、このブログで取り上げたものをいかに示す。
遣興 ①756年 反乱軍拘束、長安で軟禁状態であったとき
驥子好男兒,前年學語時﹕問知人客姓,誦得老夫詩。
世亂憐渠小,家貧仰母慈。鹿門攜不遂,雁足系難期。
天地軍麾滿,山河戰角悲。倘歸免相失,見日敢辭遲。

遣興 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 151

送楊六判官使西蕃 #2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 198

塞蘆子 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 195

奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻 #3 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 190

送從弟亞赴河西判官 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 183

彭衙行 杜甫 132 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132 -1

後出塞五首 其一 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 95

送高三十五書記 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 50

兵車行  杜甫

常に対句について厳格な使用をするが、この詩においては、冒頭から対句を使っている。「鼓角縁遠郡、
川原欲夜時」。律詩は、【首聯】【頷聯】【頸聯】【尾聯】で構成。同じ四分割の絶句のように起承転結の一線の曲折にはならない。中の【頷聯】【頸聯】については対句が絶対条件である。しかし、この首聯においても明確な対句というだけでなく平仄においても協調に役立つ方法を取っている

鼓角 縁辺 郡 、川原 欲夜 時。
〇〇 V V 〇  V V 〇〇 V 

と、規則通りに配置されていることは、律詩当然の約束として、いう迄もないとして、この十字のなかには、類似音の繰り返しが頻繁に現れる。それによって国境という場所、悲愴感を感じさせるのである。


秋聴殷地発、風散入雲悲。
秋になって雷の音のように鼓角が地に響き渡ってくるのであり、またそれは風により散逸していくことは雲に入って哀しみとして生まれてくる音として聞いているのだ。
・秋聽 秋に聽きわけるのは「殷地発」と「風散入雲悲」を。「秋聽」を単語としてはいけない。:耳を澄まして聞き分ける。聞:聞こえてくる意味である。ここは聞こえてくるのではなく、秋になってこの音を聞き分けてみると・・・・・・だ。 ・【どよ・いん】震わす。音声の響くさま。雷の音。・発 鼓角の声がおこる。・風散:(鼓角の響きを)風が吹き散らして。 ・入雲 雲の間に入り込む。そして悲愁となる。
風は谷の岩間から生じ、雲を産むもであるが、同じ論法で、鼓笛の音は風に散り雲に入り悲愁となり、雨になり、雷(の音)を産むということである


抱葉寒蝉静、帰山独鳥遅。
寒さの中人の目の及ばぬところにひそむ、徴かな、陰的な、生物である蝉はただひそやかにじっとしているし、山の巣に帰るはずの一人ぼっちの鳥は、この音に恐怖を抱いて飛び立つのが遅くなっている。
抱葉寒蝉静 人の目の及ばぬところにひそむ、徴かな、陰的な、生物を搬出する。「葉を抱く寒蝉」、それは時間の推移に関係ないもののように、じっと葉にへばりついている。微小なもの、無智なものの、却ってもつ強さであり、あわれさであるのだ。
さわがしい鼓角の音をよそに、この静けさ、潜まり方は、一つの皮肉であろうか。
蝉は、我慢の生き物である。次の夏まで地中にじっと忍んでいるものであるが、ここでは、夏からいつの間にか晩秋になり冬になる時間的な経過をいっているし、騒がしさから、一転した静かさをいうことによる寂しさ、悲愁、悲愴感を強調するのである。・帰山独鳥遅 遅とは鳥の山の巢に帰る飛行が遅くなったのは鼓角の響きにおそれてのものである。杜甫にあてはめ、安史の乱が起こり、家族を疎開させ、自分は朝廷内での疎外感に怯えて暮らしたこと、左遷、安史の乱がなかなか平定されない「戦」への恐怖感を表現している。断えては起こり、起こっては断える鼓角の音、ことに小きざみに鳴る太鼓の音は、時間にふし目をつけて、その推移をせき立てんとする。しかし微細な動物も、鳥も、杜甫も、そうした脅迫のひびきに対してただ怯えるだけなのである。


万方声一慨、吾道竟何之。
ここだけではない、この兵乱の世はおさまりをしらない、今や天下のどこへ行ってもおしなべてこの鼓角の音のみである、儒者であるわたしの行くべき道は結局どこに行ってしまったのか。
萬方 四方の国々。諸方。各方。 ・ 音声。音。 ・一概 一様である。すべていっしょに。大体に。いっさい。すべて。・吾道 わたしの採るべき儒者の道。 ・ けっきょく。つまり。とうとう。ついに。 ・何之 どこに行くのか。いづくにかゆかん。 ・之 行く。

秦州雜詩二十首 其三 杜甫 第1部 <256> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1217 杜甫詩 700- 370

秦州雜詩二十首 其三 杜甫 第1部 <256> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1217 杜甫詩 700- 370


759年秋 陝西省鞏昌府秦州。
(2)
杜甫の左拾遺、政治生活は、初っ端の757年6月房琯擁護をしたことにより、朝廷内において地位としては確保されたものの、完全に疎外されたものであった。したがって、その誠実な努力、大きな理想とは全くかみ合わず、結局は何ら結果を残すことはなかったのである。それは左遷先の華州司公参軍という立場でも疎外感は同様であった。社会の矛盾と、自己の無力に、絶望を感ぜずにはいられなかったものとして「三吏三別」し、ほかにあらわされている。それで、行き着くとこるは、「官を辞して」世を捨て隠棲することしかなくなったということなのである。
・757 46歳 春、長安の就中にあり。「春望」。4月、金光門より逃れ出て、鳳翔の行在所に奔る。5月、左拾遺を授けらる。まもなく、房琯の罪を弁護して、粛宗の怒りに触る。8月、詔により?州の家族のもとに帰省を命ぜらる。家に帰りて病臥すること数日、「北征」を作る。11月、長安に帰る。


秦州雜詩二十首 第一部(其の一から其四)
秦州の概要について述べる。

其一(秦州来るまでの様子。)
其一
満目悲生事、因人作遠遊。
この人生、振り返ってみると、目にふれるもの何もかも、生きてゆく諸事が悲しいことはかりだ。だから、このたび人をたよって遠い旅をしてきたのである。
遅廻度隴怯、浩蕩及関愁。
隴山を越えてゆくのに、谷は深く、濁流の音は凄まじく、坂ははってのぼるのであるから、幼子含め10人以上の旅は、心おびえて道もはかどらず、関所に来かかって、困難が増してきて、心の愁えがはてしもなく広がってくる。
水落魚龍夜、山空鳥鼠秋。
水かさの減った魚竜川の横を通っていく、夜は川の音をきくのである、人かげもない鳥鼠山に秋の気配はさびしくもの侘しいものである。
西征問烽火、心折此淹留。

西に向かって旅をしていると、行く手に烽火のあがるいくさがあるのかどうかを質問したら、どうも戦があるようで、ここだと戰はないものと思ってきた心も折れたまま、この秦州に逗留することになった。
(其の一)
満目 生事を悲しむ、人に因【よ】りて遠遊を作(な)す。
遅廻【ちかい】隴【ろう】を度【わた】りて怯【きょう】に、浩蕩【こうとう】関【かん】に及んで愁う。
水は落つ 魚龍の夜、山は空し 鳥鼠【ちょうそ】の秋。
西征【せいせい】して烽火【ほうか】を問い、心【こころ】折【くだ】けて此【ここ】に淹留【えんりゅう】す。

秦州雜詩二十首 其二
(隗囂の故跡をみたことと兼ねて自己の境遇と心情をのべる。)
其二
秦州城北寺、勝跡隗囂宮。
秦州の城郭の北に崇寧寺があるが、これは風景すぐれた名勝古跡で、もとはこの地の梟雄といわれ人士の信望を集めていた隗囂の宮殿だったところである。
苔蘚山門古、丹青野殿空。
見ればこけの青緑が鮮やかな寺の古びた大門があり、彩色の朱色と青色が周りの景色に同化した御殿があるがさっぱり人影がなくむなしい遺跡になっている。
月明垂葉露、雲逐渡渓風。
宵が迫り下垂した葉においた露が葉先からしずくとして落ちる際、月の明かりを受けて珠ときらめく、雲が逐いつ逐われつしている、渓谷をわたる風は隗囂の無念の魂が風をうみ、風が雲に育って吹き渡っている。
清渭無情極、愁時独向東。
渭水のすんだ流れをみるとそれは情知らずの極みであり、わたしがこれほどまでに愁えているのをも知らない素振りで渭水の水は当たり前のように東の方に向かってながれゆくのである。
(其の二)
秦州城北の寺、勝跡【しょうせき】 隗囂【かいごう】の宮。
苔蘚 山門古【ふ】り、丹青【たんせい】野殿【やでん】空し。
月は葉に垂【た】るる露に明らかに、雲は渓【たに】を渡る風を逐【お】う。
清らなる渭 無情の極みにして、愁時【しゅうじ】独り東に向かう。

秦州雜詩二十首 其三
(秦州の軍事的特徴を述べ、捕虜になった異民族のようすをのべる。)

其三其の三
州図領同谷、駅道出流沙。
この秦州の地図では都督府を置き、天水(秦州)、隴西、南の同谷の三郡を領し管轄となっており、西北の方に向かっては駅路(うまやじ)が続き、流抄の方へ出られるようになっている。
降虜兼千張、居人有万家。
ここでは投降した異民族の兵士が千ばかりもある天幕にたくさん収容されて居り、この地の土着人に属する住民は一万戸といわれている。
馬驕朱汗落、胡舞白題斜。
そこの駿馬を走らせるものの馬は大宛国の馬だからあかい汗をおとす、また異民族の舞いを見ると、白亜土を塗った額、や白の帽子で体を斜めに調子を取り舞っている。
年少臨洮子、西来亦自誇。
西域の臨挑から来たわかい男子がいるが、彼らもやはり、古代大宛国の騎馬民族としての矜持をもっている。
(其の三)
州図【しゅうと】同谷を領【りょう】す、駅道【えきどう】  流沙【りゅうさ】に出(い)ず。
降虜【こうりょ】千張【せんちょう】を兼ね、居人【きょじん】 万家(ばんか)有り。
馬 驕【おご】りて朱汗【しゅかん】落ち、胡【こ】舞いて白題【はくだい】斜なり。
年少【ねんしょう】の臨洮子【りんとうし】、西より来たりて亦【また】自ら誇る。


toubanrimap044
 現代語訳と訳註
(本文)
其三
州図領同谷、駅道出流沙。
降虜兼千張、居人有万家。
馬驕朱汗落、胡舞白題斜。
年少臨洮子、西来亦自誇。

(下し文) (其の三)
州図【しゅうと】同谷を領【りょう】す、駅道【えきどう】  流沙【りゅうさ】に出(い)ず。
降虜【こうりょ】千張【せんちょう】を兼ね、居人【きょじん】 万家(ばんか)有り。
馬 驕【おご】りて朱汗【しゅかん】落ち、胡【こ】舞いて白題【はくだい】斜なり。
年少【ねんしょう】の臨洮子【りんとうし】、西より来たりて亦【また】自ら誇る。


(現代語訳) 其の三
(秦州の軍事的特徴を述べ、捕虜になった異民族のようすをのべる。)

この秦州の地図では都督府を置き、天水(秦州)、隴西、南の同谷の三郡を領し管轄となっており、西北の方に向かっては駅路(うまやじ)が続き、流抄の方へ出られるようになっている。
ここでは投降した異民族の兵士が千ばかりもある天幕にたくさん収容されて居り、この地の土着人に属する住民は一万戸といわれている。
そこの駿馬を走らせるものの馬は大宛国の馬だからあかい汗をおとす、また異民族の舞いを見ると、白亜土を塗った額、や白の帽子で体を斜めに調子を取り舞っている。
西域の臨挑から来たわかい男子がいるが、彼らもやはり、古代大宛国の騎馬民族としての矜持をもっている。


(訳注)其三
(秦州の軍事的特徴を述べ、捕虜になった異民族のようすをのべる。)
州図領同谷、駅道出流沙。
この秦州の地図では都督府を置き、天水(秦州)、隴西、南の同谷の三郡を領し管轄となっており、西北の方に向かっては駅路(うまやじ)が続き、流抄の方へ出られるようになっている。
州図 秦州の地図。○領同谷 領とは管領、支配すること、秦州は唐の時、都督府を置き天水(秦州)、隴西、同谷の三郡を領した。同谷は秦州の南、階州成県に属する地。○駅道 駅路(うまやじ)。宿場街道。唐の駅制の起源は漢代にさかのぼる。30里ごとに駅が設けられ、駅馬が置かれて、通行証を交付された地方官吏などの通行に利用された。○出流沙 出はそちらへ進出することができることをいう、流沙は唐の沙州で、今の甘粛省安西州焼塩県以北の地方、新彊省に通ずる道路をさす。


降虜兼千張、居人有万家。
ここでは投降した異民族の兵士が千ばかりもある天幕にたくさん収容されて居り、この地の土着人に属する住民は一万戸といわれている。
降虜 唐に降ったえびす、吐事。○兼千帳 兼とはそのすべてがということ、千帳とは多くの天幕をいう、虜は天幕の内に生活する。○居人 住居する本土民、土着の人。捕虜以外に棲んでいる人。

: 居人  、 兼 : 張 、有千 : 万家

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。


馬驕朱汗落、胡舞白題斜。
そこの駿馬を走らせるものの馬は大宛国の馬だからあかい汗をおとす、また異民族の舞いを見ると、白亜土を塗った額、や白の帽子で体を斜めに調子を取り舞っている。
朱汗 あかい汗、駿馬は血のあせを流すという。。○汗血 汗血の馬をいう。「漢書」西域伝に大宛国に善馬多くその馬は血を汗にするという。ここは大宛の天馬の如き名馬をさす。房兵曹胡馬詩』 杜甫


房兵曹胡馬詩
胡馬大宛名、鋒稜痩骨成。
竹批双耳峻、風入四蹄軽。
所向無空闊、真堪託死生。
驍騰有如此、万里可横行。
杜甫『沙苑行』
君不見左輔白沙如白水,繚以周牆百餘裡。
龍媒昔是渥洼生,汗血今稱獻於此。
苑中騋牝三千匹,豐草青青寒不死。
食之豪健西域無,每歲攻駒冠邊鄙。』

沙苑行 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 91 

天育驃騎歌 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 85

杜甫『洗兵行(洗兵馬)』
中興諸將收山東,捷書夜報清晝同。
河廣傳聞一葦過,胡危命在破竹中。
秖殘鄴城不日得,獨任朔方無限功。
京師皆騎汗血馬,回紇喂肉蒲萄宮。
已喜皇威清海岱,常思仙仗過崆峒。
三年笛裡關山月,萬國兵前草木風。』

驄馬行  杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 102

痩馬行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 258
胡舞 えびすの舞。えびすには北方のウイグル系、蒙古系、鮮卑系、そして西方のウイグル系を称しているが両ウイグル系異民族をいうが、牧畜を生業とし、騎馬民族をいう。○白題斜 題はひたい、えびすの習俗はひたいに白亜土を塗るという、直立した姿勢がなくほとんど斜になりバランスを取って踊る。白題はイスラム系の帽子とも考えられる、或は毛おりものをかぶせた笠帽子のことともいう。

馬驕 : 胡舞 , : , 汗落 、題斜

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。


年少臨洮子、西来亦自誇。
西域の臨挑から来たわかい男子がいるが、彼らもやはり、古代大宛国の騎馬民族としての矜持をもっている。
年少 としわか。○臨洮子 臨桃は葦昌府眠州の地、秦州の西にあたる、子とは男子をいう。○亦自誇 古代大宛国の騎馬民族としての矜持をいう。千騎で十万の兵に相当したということから戦に掛ける。誇り高い民族であった。生活様式が漢民族とまったく違っている。

 この捕虜たちは、やがて唐王朝軍に組み込まれる者たちである。

秦州雜詩二十首 其二 杜甫 第1部 <255> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1214 杜甫詩 700- 369

秦州雜詩二十首 其二 杜甫 第1部 <255> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1214 杜甫詩 700- 369


秦州雜詩二十首 第一部(其の一から其四)
秦州の概要について述べる。

其一(秦州来るまでの様子。)
其一
満目悲生事、因人作遠遊。
この人生、振り返ってみると、目にふれるもの何もかも、生きてゆく諸事が悲しいことはかりだ。だから、このたび人をたよって遠い旅をしてきたのである。
遅廻度隴怯、浩蕩及関愁。
隴山を越えてゆくのに、谷は深く、濁流の音は凄まじく、坂ははってのぼるのであるから、幼子含め10人以上の旅は、心おびえて道もはかどらず、関所に来かかって、困難が増してきて、心の愁えがはてしもなく広がってくる。
水落魚龍夜、山空鳥鼠秋。
水かさの減った魚竜川の横を通っていく、夜は川の音をきくのである、人かげもない鳥鼠山に秋の気配はさびしくもの侘しいものである。
西征問烽火、心折此淹留。

西に向かって旅をしていると、行く手に烽火のあがるいくさがあるのかどうかを質問したら、どうも戦があるようで、ここだと戰はないものと思ってきた心も折れたまま、この秦州に逗留することになった。
(其の一)
満目 生事を悲しむ、人に因【よ】りて遠遊を作(な)す。
遅廻【ちかい】隴【ろう】を度【わた】りて怯【きょう】に、浩蕩【こうとう】関【かん】に及んで愁う。
水は落つ 魚龍の夜、山は空し 鳥鼠【ちょうそ】の秋。
西征【せいせい】して烽火【ほうか】を問い、心【こころ】折【くだ】けて此【ここ】に淹留【えんりゅう】す。

秦州雜詩二十首 其二
(隗囂の故跡をみたことと兼ねて自己の境遇と心情をのべる。)
其二
秦州城北寺、勝跡隗囂宮。
秦州の城郭の北に崇寧寺があるが、これは風景すぐれた名勝古跡で、もとはこの地の梟雄といわれ人士の信望を集めていた隗囂の宮殿だったところである。
苔蘚山門古、丹青野殿空。
見ればこけの青緑が鮮やかな寺の古びた大門があり、彩色の朱色と青色が周りの景色に同化した御殿があるがさっぱり人影がなくむなしい遺跡になっている。
月明垂葉露、雲逐渡渓風。
宵が迫り下垂した葉においた露が葉先からしずくとして落ちる際、月の明かりを受けて珠ときらめく、雲が逐いつ逐われつしている、渓谷をわたる風は隗囂の無念の魂が風をうみ、風が雲に育って吹き渡っている。
清渭無情極、愁時独向東。
渭水のすんだ流れをみるとそれは情知らずの極みであり、わたしがこれほどまでに愁えているのをも知らない素振りで渭水の水は当たり前のように東の方に向かってながれゆくのである。
(其の二)
秦州城北の寺、勝跡【しょうせき】 隗囂【かいごう】の宮。
苔蘚 山門古【ふ】り、丹青【たんせい】野殿【やでん】空し。
月は葉に垂【た】るる露に明らかに、雲は渓【たに】を渡る風を逐【お】う。
清らなる渭 無情の極みにして、愁時【しゅうじ】独り東に向かう。

秦州雜詩二十首 其三
(降虜と漢民と姓処のさまを写)
其三
州図領同谷、駅道出流沙。
降虜兼千張、居人有万家。
馬驕朱汗落、胡舞白題斜。
年少臨洮子、西来亦自誇。

秦州雜詩二十首 其四 
(鼓角の声を写し、自己の寄る辺なきを述べる。)
其四
鼓角縁辺郡、川原欲夜時。
秋聴殷地発、風散入雲悲。
抱葉寒蝉静、帰山独鳥遅。
万方声一慨、吾道竟何之。

秦州同谷成都紀行地図

現代語訳と訳註
(本文)
其二 
秦州城北寺、勝跡隗囂宮。
苔蘚山門古、丹青野殿空。
月明垂葉露、雲逐渡渓風。
清渭無情極、愁時独向東。


(下し文)(其の二)
秦州城北の寺、勝跡【しょうせき】 隗囂【かいごう】の宮。
苔蘚 山門古【ふ】り、丹青【たんせい】野殿【やでん】空し。
月は葉に垂【た】るる露に明らかに、雲は渓【たに】を渡る風を逐【お】う。
清らなる渭 無情の極みにして、愁時【しゅうじ】独り東に向かう。


(現代語訳)
秦州の城郭の北に崇寧寺があるが、これは風景すぐれた名勝古跡で、もとはこの地の梟雄といわれ人士の信望を集めていた隗囂の宮殿だったところである。
見ればこけの青緑が鮮やかな寺の古びた大門があり、彩色の朱色と青色が周りの景色に同化した御殿があるがさっぱり人影がなくむなしい遺跡になっている。
宵が迫り下垂した葉においた露が葉先からしずくとして落ちる際、月の明かりを受けて珠ときらめく、雲が逐いつ逐われつしている、渓谷をわたる風は隗囂の無念の魂が風をうみ、風が雲に育って吹き渡っている。
渭水のすんだ流れをみるとそれは情知らずの極みであり、わたしがこれほどまでに愁えているのをも知らない素振りで渭水の水は当たり前のように東の方に向かってながれゆくのである。


(訳注)
其二
(隗囂の故跡をみたことと兼ねて自己の境遇と心情をのべる。) 
秦州城北寺、勝跡隗囂宮。
秦州の城郭の北に崇寧寺があるが、これは風景すぐれた名勝古跡で、もとはこの地の梟雄といわれ人士の信望を集めていた隗囂の宮殿だったところである。
城北 北は東北をいったもの。○寺 旧注に崇寧寺とされている。○勝跡 名勝古跡。景色のよい古跡。○隗囂宮 隗囂は人名、秦州は漢代の天水郡とされたところで前漢の末、王葬の時、隗囂はこの地の梟雄といわれ人士の信望を集めていた。秦州の東百里に麦積山があり、山の北を雕窼谷といい、上に隗囂の避暑宮があり、風景は甚だ佳であるというものである。しかし西端の地であることから隗囂の末路は悲惨だったという。したがって今は寺になっているということ。


苔蘚山門古、丹青野殿空。
見ればこけの青緑が鮮やかな寺の古びた大門があり、彩色の朱色と青色が周りの景色に同化した御殿があるがさっぱり人影がなくむなしい遺跡になっている。
苔蘚 あおごけ、ぜにごけ。○山門 寺門であるが大きな門をいう。○丹青 宮殿の彩色で朱色と青色。○野殿 山野に溶け込んだ御殿。○ 人のいないこと。

苔蘚 : 丹青  : 門古 : 殿空

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。


月明垂葉露、雲逐渡渓風。
宵が迫り下垂した葉においた露が葉先からしずくとして落ちる際、月の明かりを受けて珠ときらめく、雲が逐いつ逐われつしている、渓谷をわたる風は隗囂の無念の魂が風をうみ、風が雲に育って吹き渡っている。
○垂葉露 下垂した葉においた露。葉先からしずくとして落ちる際に月の明かりを受けてきらめくさまをいう。大きな景色の中の一点集中。今はいないこの地の梟雄を連想させる。○雲逐 逐とはおわれるのみではなく、追いつ追われつするさまをいう。それは上の句の露=梟雄、追いつ追われつする隗囂の無念の魂が風によってうまれてきたというもの。雲は岩場の風から生じるものを逆転した表現をしている。この頸聯はそれぞれの句中で広い視野から一点へと強調しており、その上対句としても鋭いものとなっている。

月明 : 雲逐  : 葉露 : 渓風

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。


清渭無情極、愁時独向東。
渭水のすんだ流れをみるとそれは情知らずの極みであり、わたしがこれほどまでに愁えているのをも知らない素振りで渭水の水は当たり前のように東の方に向かってながれゆくのである。
清渭 すんだ渭水、これは秦州の北を流れて東南流する。中國の川の中で最も澄んだ流れとされるものでその清廉さは無色、空しさ、無情ということをあらわす。又、澄んだ水は、五行思想で、無色・玄・黒・冬⇒辛さ、艱難辛苦をあらわすものである。○無情極 おもいやりの無いことのきわみ、水を罵っていう。○愁時 作者の心のうれうるときに。○ 自分ばかり、水につけていう。○向東 東は長安、作者の故郷とする地であるが、当たり前のこととして流れて行く。
この地の梟雄といわれ人士の信望を集めていた隗囂の宮殿がむなしく寺に変わり、自分は官を辞してこうした西の果てに来ていて、天他の安寧を願い、今の世を愁いている。しかし、渭水の水は愁いも辛苦も知らぬ顔をして無情に東流して行く。


tsuki001

秦州雜詩二十首 其一 杜甫 第1部 <254> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1211 杜甫詩 700- 368

秦州雜詩二十首 其一 杜甫 第1部 <254> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1211 杜甫詩 700- 368

(1)
 華州から秦州へ旅をしたのは、杜甫より十歳下の三十八歳妻楊氏、長女は十三歳、長子宗文は十歳、次子宗武は七歳、次女は五歳であった。ほかに異母弟の杜占が加わって、家族七人、従僕二人以上、総勢十人をこえる大移動であった。杜甫は馬で、幼子以外は徒歩で、食料、寝具、家財を載せた車に小さな子供を乗せた旅である。華州から秦州に掛けては隴山を越えるのが最大の難関であり、ここだけで7日もかかった。困難の旅であったものの七月中に秦州に到着した。五言律詩の連作「秦州雑詩二十首」は秦州作の有名な作品である。遣興と同様この「秦州雑詩」二十首シリーズも、四首ずつの五部構成になっているので、それに合わせ掲載する。

秦州雜詩二十首 第一部(其の一から其四)
秦州の概要について述べる。

其一(秦州来るまでの様子。)
其一
満目悲生事、因人作遠遊。
この人生、振り返ってみると、目にふれるもの何もかも、生きてゆく諸事が悲しいことはかりだ。だから、このたび人をたよって遠い旅をしてきたのである。
遅廻度隴怯、浩蕩及関愁。
隴山を越えてゆくのに、谷は深く、濁流の音は凄まじく、坂ははってのぼるのであるから、幼子含め10人以上の旅は、心おびえて道もはかどらず、関所に来かかって、困難が増してきて、心の愁えがはてしもなく広がってくる。
水落魚龍夜、山空鳥鼠秋。
水かさの減った魚竜川の横を通っていく、夜は川の音をきくのである、人かげもない鳥鼠山に秋の気配はさびしくもの侘しいものである。
西征問烽火、心折此淹留。
西に向かって旅をしていると、行く手に烽火のあがるいくさがあるのかどうかを質問したら、どうも戦があるようで、ここだと戰はないものと思ってきた心も折れたまま、この秦州に逗留することになった。

満目 生事を悲しむ、人に因【よ】りて遠遊を作(な)す。
遅廻【ちかい】隴【ろう】を度【わた】りて怯【きょう】に、浩蕩【こうとう】関【かん】に及んで愁う。
水は落つ 魚龍の夜、山は空し 鳥鼠【ちょうそ】の秋。
西征【せいせい】して烽火【ほうか】を問い、心【こころ】折【くだ】けて此【ここ】に淹留【えんりゅう】す。


秦州雜詩二十首 其二
(随嵩の故跡をみたことと兼ねて懐郷の情をのべる。)
其二
秦州城北寺、勝跡隗囂宮。
苔蘚山門古、丹青野殿空。
月明垂葉露、雲逐渡渓風。
清渭無情極、愁時独向東。


秦州雜詩二十首 其三
(降虜と漢民と姓処のさまを写)
其三
州図領同谷、駅道出流沙。
降虜兼千張、居人有万家。
馬驕朱汗落、胡舞白題斜。
年少臨洮子、西来亦自誇。


秦州雜詩二十首 其四 
(鼓角の声を写し、自己の寄る辺なきを述べる。)
其四
鼓角縁辺郡、川原欲夜時。
秋聴殷地発、風散入雲悲。
抱葉寒蝉静、帰山独鳥遅。
万方声一慨、吾道竟何之。


現代語訳と訳註
(本文)
其一(満目悲生事)
満目悲生事、因人作遠遊。
遅廻度隴怯、浩蕩及関愁。
水落魚龍夜、山空鳥鼠秋。
西征問烽火、心折此淹留。


(下し文)
満目 生事を悲しむ、人に因【よ】りて遠遊を作(な)す。
遅廻【ちかい】隴【ろう】を度【わた】りて怯【きょう】に、浩蕩【こうとう】関【かん】に及んで愁う。
水は落つ 魚龍の夜、山は空し 鳥鼠【ちょうそ】の秋。
西征【せいせい】して烽火【ほうか】を問い、心【こころ】折【くだ】けて此【ここ】に淹留【えんりゅう】す。


(現代語訳)
この人生、振り返ってみると、目にふれるもの何もかも、生きてゆく諸事が悲しいことはかりだ。だから、このたび人をたよって遠い旅をしてきたのである。
隴山を越えてゆくのに、谷は深く、濁流の音は凄まじく、坂ははってのぼるのであるから、幼子含め10人以上の旅は、心おびえて道もはかどらず、関所に来かかって、困難が増してきて、心の愁えがはてしもなく広がってくる。
水かさの減った魚竜川の横を通っていく、夜は川の音をきくのである、人かげもない鳥鼠山に秋の気配はさびしくもの侘しいものである。
西に向かって旅をしていると、行く手に烽火のあがるいくさがあるのかどうかを質問したら、どうも戦があるようで、ここだと戰はないものと思ってきた心も折れたまま、この秦州に逗留することになった。


(訳注)
秦州雜詩二十首 其一

秦州 陝西省鞏昌府秦州。杜甫寓居の地。○雜詩 ある期間、テーマを決めないで思いを述べることである。ここでは寓居中の種種のことについて述べたのであるが、それをひとまとめにして雑詩というのである。しかし、詩の方向性により、1部―5部としてとらえていくと一つのものがたりとなる。これは、屈原、陶淵明、謝靈運、など多くの詩人を杜甫はさらに進めたのだ。その後の韓愈、李商隠も踏襲している。


満目悲生事、因人作遠遊。
この人生、振り返ってみると、目にふれるもの何もかも、生きてゆく諸事が悲しいことはかりだ。だから、このたび人をたよって遠い旅をしてきたのである。
生事 生活上の事、この句は生活の意の如くならぬことをさしていう。○因人 他人のカによる。こ湖で秦州へ来ることになった原因を文献により考察し、羅列すると次のとおりである。①洛陽は叛乱軍により、郊外まで戦の危険があり、それより以東は都から離れすぎているので、隠遁するとはいえ、詩人としては選定出来ない。②長安、およびその近郊は飢饉による物価高で世情不安、③黄河流域で鳳翔から東は隠棲場所が難しく、世情が平穏なのは隴山を越えた西の領域しかなかった。④房琯に親しいものとして追放された僧の賛公がいるということ。⑤従姪の杜佐が住んでいるのである。以上が秦州をその隠棲の地として選んだ理由であるが、「因人」といっていることから、僧の賛公が杜甫に先んじて秦州に寓したことに加え、従姪の杜佐が住んでいることが大きいことであったと言えよう。○遠遊 華州の方より秦州まではみちがとおい。


遅廻度隴怯、浩蕩及関愁。
隴山を越えてゆくのに、谷は深く、濁流の音は凄まじく、坂ははってのぼるのであるから、幼子含め10人以上の旅は、心おびえて道もはかどらず、関所に来かかって、困難が増してきて、心の愁えがはてしもなく広がってくる。
遅廻 みちの進みがはかどらぬさま。〇度隴怯 度は経過すること、隴は隴坻【ろうち】・隴坂【ろうはん】のこと、陝西省鳳翔府隴州の西北六十里にある大きな坂地である。杜甫前出塞九首 其一~九 杜甫』『後出塞五首 其一 にここを超える様子が描かれている。○浩蕩 大きなさま、心の散漫なさまをいうのであろう。○及関 関は一般に辺地の関をさすとし、特に隴山の下の関をさす。

遅廻 : 浩蕩  : 隴怯 : 関愁

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。


水落魚龍夜、山空鳥鼠秋。
水かさの減った魚竜川の横を通っていく、夜は川の音をきくのである、人かげもない鳥鼠山に秋の気配はさびしくもの侘しいものである。
水落 落は水量が減じて低落すること。○魚竜 川の名、折水のこと、隣州の南にあり、東南流して洞水に入る、これは自己のすでに経過した地についていう。○山空 空とは人の居らぬことをいう。○鳥鼠 山の名、鳥鼠同穴山ともいう、甘粛省蘭州渭源県の西にある、これは未踏の地を想像してのべたもの。魚竜の旬は度隴の句を承け、鳥鼠の句は及関の句を承けるとみるべきである。

水落 : 山空  : 龍夜 : 鼠秋
*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。


西征問烽火、心折此淹留。
西に向かって旅をしていると、行く手に烽火のあがるいくさがあるのかどうかを質問したら、どうも戦があるようで、ここだと戰はないものと思ってきた心も折れたまま、この秦州に逗留することになった。
西征 征はゆくこと、大勢でゆくことで、征伐の意ではない。○問烽火 烽火は兵乱の急を告げるもの、問とはその有無を問うこと、当時隴西に吐蕃の乱があった。○心折 心がくじけおれること。○ 秦州をさす。○掩留 ひさしくとどまる。

760年成都 遣意二首 杜甫 <253>遣興22首の21番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1205 杜甫特集700- 366

760年成都 遣意二首 杜甫 <253>遣興22首の21 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1205 杜甫特集700- 366


意を遣る。(世話になった人、家族に草堂の春夜をのべること。近況を知らせる)


遣意二首 其二 
簷影微微落,津流脈脈斜。
日がくれかかるので軒端の影がわずかにすこしずつ地上に落ちてくる。渡し場の水の流れは一脈と一脈に斜めに流れている。
野船明細火,宿鷺聚圓沙。
遙か江に、景色に溶け込む船には小さい火があかるく燈っており、とまっている鷺は円形の沙はらに起ったままでいる。
雲掩初弦月,香傳小樹花。
この月のはじめの上弦のせっかくの月が雲におおわれている、そんな暗がりなのに香がつたわってくるからわかるちいさい樹に花がさいているのだ。
鄰人有美酒,稚子也能賒。
となりにはうまい酒をもっているものがいる、夜だけどこどもに行って掛買してきてもらう。
意を遣る。
簷影【えいえい】徴徴【びび】として落ち、津流【しんりゅう】脈脈【みゃくみゃく】として斜めなり。
野船【やせん】細火【さいか】明らかに、宿鷺【しゅくろ】円沙【えんさ】に起つ。
雲は掩う初弦【しょげん】の月、香は伝わる小樹【しょうじゅ】の花。
隣人【りんじん】美酒有り、稚子【ちし】夜能く賒【おぎの】る。

sas0040


現代語訳と訳註
(本文)
遣意二首 其二 
簷影微微落,津流脈脈斜。
野船明細火,宿鷺起圓沙。
雲掩初弦月,香傳小樹花。
鄰人有美酒,稚子也能賒。

(下し文)
簷影【えいえい】徴徴【びび】として落ち、津流【しんりゅう】脈脈【みゃくみゃく】として斜めなり。
野船【やせん】細火【さいか】明らかに、宿鷺【しゅくろ】円沙【えんさ】に起つ。
雲は掩う初弦【しょげん】の月、香は伝わる小樹【しょうじゅ】の花。
隣人【りんじん】美酒有り、稚子【ちし】夜能く賒【おぎの】る。


(現代語訳)
日がくれかかるので軒端の影がわずかにすこしずつ地上に落ちてくる。渡し場の水の流れは一脈と一脈に斜めに流れている。
遙か江に、景色に溶け込む船には小さい火があかるく燈っており、とまっている鷺は円形の沙はらに起ったままでいる。
この月のはじめの上弦のせっかくの月が雲におおわれている、そんな暗がりなのに香がつたわってくるからわかるちいさい樹に花がさいているのだ。
となりにはうまい酒をもっているものがいる、夜だけどこどもに行って掛買してきてもらう。


(訳注) 遣意二首 其二 
簷影微微落,津流脈脈斜。

日がくれかかるので軒端の影がわずかにすこしずつ地上に落ちてくる。渡し場の水の流れは一脈と一脈に斜めに流れている。
 地上によこたわることをいう。○津流 浣花の渓流をさす。○脈脈一すじ一すじに。
『宣政殿退朝晚出左掖(掖門在兩旁如人之臂掖)』 杜甫
 天門日射黄金榜,春殿晴曛赤羽旗。
 宮草微微承委佩,鑪煙細細駐游絲。
 雲近蓬萊常好色,雪殘鳷鵲亦多時。
 侍臣緩步歸青瑣,退食從容出每遲。
晚出左掖 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 240


野船明細火,宿鷺起圓沙。
遙か江に、景色に溶け込む船には小さい火があかるく燈っており、とまっている鷺は円形の沙はらに起ったままでいる。
細火 小火。○ 起立していること。聚に作るもある。〇円沙 まるい砂はら。

雲掩初弦月,香傳小樹花。
この月のはじめの上弦のせっかくの月が雲におおわれている、そんな暗がりなのに香がつたわってくるからわかるちいさい樹に花がさいているのだ。
初弦 陰暦で、上旬の弓形の月。上弦。

鄰人有美酒,稚子也能賒。
となりにはうまい酒をもっているものがいる、夜だけどこどもに行って掛買してきてもらう。
 かけで買う。

(意を遣る 二首)
簷影【えいえい】徴徴【びび】として落ち、津流【しんりゅう】脈脈【みゃくみゃく】として斜めなり。
野船【やせん】細火【さいか】明らかに、宿鷺【しゅくろ】円沙【えんさ】に起つ。
雲は掩う初弦【しょげん】の月、香は伝わる小樹【しょうじゅ】の花。
隣人【りんじん】美酒有り、稚子【ちし】夜能く賒【おぎの】る。

760年成都 遣意二首 杜甫 <252>遣興22首の21番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1205 杜甫特集700- 366

760年成都 遣意二首 杜甫 <252>遣興22首の21番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1205 杜甫特集700- 366
意を遣る。(世話になった人、家族に草堂での日常生活をのべること。近況を知らせる)



遣意二首 其一
(世話になった人、家族に草堂での日常生活をのべること。近況を知らせる)
囀枝黃鳥近,泛渚白鷗輕。
春を愉しんで小枝に止まり囀っているのは黃鳥のうぐいすで近く枝にくる、渚に淀かんでいるのは白鳥のかもめであり、軽やかにすすむ。
一徑野花落,孤村春水生。
一すじの小道がつづく、自然にさいた花が咲き、そして落ちちっている、隣家が近くになくポツンとある村には春の雪解けの水がふえてきている。
衰年催釀黍,細雨更移橙。
わたしは老年なりかけ、そのうえ長旅で体力の衰えているが、せっせと黍で酒をつくっている、そして春雨の小ぬか雨に橙の木など移植時なので、更に作業をする。
漸喜交遊絕,幽居不用名。

ここにきて数か月、こんなことをして暮らしていると、友だちとの交際がなくなるのをだんだんうれしくおもうようになっている。この隠棲のわび住いに他の人から名声を得ることなどはいらなくて、一人静かに暮らしている。

其の一
枝に囀【さえず】りて 黄鳥【こうちょう】近く、渚に泛かびて 白鴎【はくおう】軽し。
一徑【いっけい】野花【やか】落ち、孤村【こそん】春水【しゅんすい】生ず。
衰年【すいねん】黍【しょ】を醸【かも】すを催【うなが】す、 細雨【さいう】更に橙【とう】を移す。
漸【ようや】く喜ぶ 交遊【こうゆう】の絶ゆるを、 幽居 名を用いず。


現代語訳と訳註
(本文) 其一
囀枝黃鳥近,泛渚白鷗輕。
一徑野花落,孤村春水生。
衰年催釀黍,細雨更移橙。
漸喜交遊絕,幽居不用名。


(下し文) 其の一
枝に囀【さえず】りて 黄鳥【こうちょう】近く、渚に泛かびて 白鴎【はくおう】軽し。
一徑【いっけい】野花【やか】落ち、孤村【こそん】春水【しゅんすい】生ず。
衰年【すいねん】黍【しょ】を醸【かも】すを催【うなが】す、 細雨【さいう】更に橙【とう】を移す。
漸【ようや】く喜ぶ 交遊【こうゆう】の絶ゆるを、 幽居 名を用いず。


(現代語訳)
(世話になった人、家族に草堂での日常生活をのべること。近況を知らせる)
春を愉しんで小枝に止まり囀っているのは黃鳥のうぐいすで近く枝にくる、渚に淀かんでいるのは白鳥のかもめであり、軽やかにすすむ。
一すじの小道がつづく、自然にさいた花が咲き、そして落ちちっている、隣家が近くになくポツンとある村には春の雪解けの水がふえてきている。
わたしは老年なりかけ、そのうえ長旅で体力の衰えているが、せっせと黍で酒をつくっている、そして春雨の小ぬか雨に橙の木など移植時なので、更に作業をする。
ここにきて数か月、こんなことをして暮らしていると、友だちとの交際がなくなるのをだんだんうれしくおもうようになっている。この隠棲のわび住いに他の人から名声を得ることなどはいらなくて、一人静かに暮らしている。


(訳注) 其一
(世話になった人、家族に草堂での日常生活をのべること。近況を知らせる)
上元元年(七六〇)の春早々、城西七里の浣花渓のそばに空地を得て、さしあたり一畝の地をきり開いて、茅ぶきの家(草堂)を設けた。杜甫は詩を作って、多くの人々に樹木の苗を求めた。蕭実には桃の苗百本、韋続には綿竹県の竹を、何邕には三年で大木になるという榿木の苗を、韋班には松の木の苗を、石筍街果園坊の主人徐卿には、すももでも、うめでもいいからといって、果樹の苗を、そして韋班には更に犬邑県産の白い磁碗をたのんでいる。やっとこの地に落ちつけると思った作者の心のはずみが感ぜられる。
 草堂は暮春にはもういちおう出来上がった。それは成都の城郭を背にし、錦江にかかる万里橋の西、浣花渓のほとりにあった。ここからはとおく西北に当たって、雪をいただく西嶺も眺められた。


囀枝黃鳥近,泛渚白鷗輕。
春を愉しんで小枝に止まり囀っているのは黃鳥のうぐいすで近く枝にくる、渚に淀かんでいるのは白鳥のかもめであり、軽やかにすすむ。
黃鳥 うぐいす。杜甫『曲江對酒』
苑外江頭坐不歸,水精宮殿轉霏微。桃花細逐楊花落,黃鳥時兼白鳥飛。
縱飲久判人共棄,懶朝真與世相違。吏情更覺滄洲遠,老大悲傷未拂衣。
(曲江にて酒に對す)
苑外江頭に坐して帰らず、水精の宮殿 転【うたた】霏微【ひび】たり。桃花【とうか】細【こまや】かに梨花を逐うて落ち、黄鳥【こうちょう】時兼【とも】にして白鳥と飛ぶ。
飲を縦【ほしいまま】にし久しく判して人共に棄つ、朝するに懶【ものうし】く真に世と相違【たご】う。吏情【りじょう】更に覚ゆ滄洲【そうしゅう】の遠きを、老大【ろうだい】徒【いたずらに】に傷む未だ衣を払わざるを。
春景色に誘われ、わたしはこの芙蓉苑の外、曲江の池畔で官舎に帰らないままにすわりこんであたりをながめる、水の妖精が生まれ出て水の宮殿がその光を輝かせ、霧のように飛散する水珠も輝く。
それから桃の花は微細に落ちち、やなぎの花、柳絮の散るあとを追いかけて落ちてまた落ちる、黄色の鳥たちは時を同じにして一斉に白色の鳥たちと飛びたつ。
勝手きままにすきなだけ酒を呑んで長いあいだ自暴自棄になり人も相手をしてくれない、参朝することが億劫になってしまい、世間の人皆から見放されてしまっている、実際自分も世の人とは違背しているのである。
官吏としての今の心持は、これまでよりももっと滄洲の仙境と隔たりができた様な気がするばかりで、こんなに年を取ってからでは衣を払って仙境に向って去って行けないことを傷み悲しむだけなのである。

曲江封酒 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 246


一徑野花落,孤村春水生。
一すじの小道がつづく、自然にさいた花が咲き、そして落ちちっている、隣家が近くになくポツンとある村には春の雪解けの水がふえてきている。
杜甫の同時期の詩に『客至』がある。
舍南舍北皆春水、但見群鷗日日來。
花徑不曾緣客掃、篷門今始為君開。
盤飧市遠無兼味、樽酒家貧只舊醅。
肯與鄰翁相對飲、隔籬呼取盡餘杯。
舎南(しゃなん)舎北(しゃほく)皆 春水(しゅんすい)、但見る群鷗の日日に來るを
花径 曾(かつ)て客に縁って掃(はら)わず、篷門(ほうもん)今始めて君が為に開く
盤飧(ばんそん)市 遠くして兼味(けんみ)無く、樽酒(そんしゅ) 家貧にして只だ旧醅(きゅうばい)あるのみ
肯(あえ)て隣翁と相(あい)対して飲まんや、籬(まがき)を隔てて呼び取りて余杯(よはい)を尽さしめん


衰年催釀黍,細雨更移橙。
わたしは老年なりかけ、そのうえ長旅で体力の衰えているが、せっせと黍で酒をつくっている、そして春雨の小ぬか雨に橙の木など移植時なので、更に作業をする。
衰年【すいねん】体力の衰える年齢。老年。衰齢。○ せきたてること。○醸黍 きびを用いて酒を醸す。○移樫 だいだいをうつしかえてうえる。


漸喜交遊絕,幽居不用名。
ここにきて数か月、こんなことをして暮らしていると、友だちとの交際がなくなるのをだんだんうれしくおもうようになっている。この隠棲のわび住いに他の人から名声を得ることなどはいらなくて、一人静かに暮らしている。
交遊 人との交際。○ 他人から名声を得ること、名誉。

760年遣興 杜甫 <251>遣興22首の⑳番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1202 杜甫特集700- 365

760年遣興 杜甫 <251>遣興22首の⑳番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1202 杜甫特集700- 365


760年とはどんな年であったのか?
760年 上元元年 ・ 7月李輔国ら、玄宗を長安に遷す。・長安で大雨のために飢饉となり、叛乱軍への有効な反撃ができず。 

≪杜甫≫・760 49歳 成都にあり。春、西郭の浣花里に居を卜し、春末、落成す。秋末、蜀州に至り、高適と語る。冬、また成都にあり。  
≪李白≫・760 李白60歳 長江上流と下流の各地に遊ぶ。
≪王維≫ ・760 王維62歳 給事中から尚書右丞(正四品上)に昇進 ・飢饉に際して、王維は天子の許しを得て自分の禄米のほとんどを窮民に施す。


『遣興』という題ではこれ以降無い最終のもの、ただし、同年、同じ成都草堂で、内容もよく似た『遣意二首』があり、『遣興』シリーズと比較してどう違うのか、なぜ遣興は終了したのかが読み取れる。

遣興
干戈猶未定,弟妹各何之!
安史の乱は史思明が依然として洛陽を占拠しており、自分がいた秦州には異民族に侵略されたり、戦がいまだに平定していない。弟や妹はそれぞれどこでなにをしているのだろうか。
拭淚沾襟血,梳頭滿面絲。
同谷紀行、成都紀行で艱難辛苦で、涙をぬぐい、襟もとを濡らすのは血の涙を流したのである、頭をくしでとかせば白髪がぬけおちて顔中にふりかかるほどなのだ。
地卑荒野大,天遠暮江遲。
家の外をながめると、地面は湿地帯のようでく平らで荒れた野はらが大きく横たわっている、天ははるか遠くつらなって夕ぐれの江はゆるくながれている。
衰疾那能久,應無見汝期。

老いてきて持病がある身ではとてもこの世に長く生きていることはできるとは思はない、きみたち(弟妹をさす)にこれからもう面会する時期はとても無いとおもう。

(興を遣る)
干戈猶未だ定まらず 弟妹各~何に之く
涙を拭えば襟を零す血なり 頭を梳れば満面の糸
地卑くして荒野大に 天遠くして暮江遅し
衰疾那ぞ能く久しからん 応に汝を見る期無かるべし



現代語訳と訳註
(本文) 遣興

干戈猶未定,弟妹各何之!
拭淚沾襟血,梳頭滿面絲。
地卑荒野大,天遠暮江遲。
衰疾那能久,應無見汝期。


(下し文) (興を遣る)
干戈猶未だ定まらず 弟妹各~何に之く
涙を拭えば襟を零す血なり 頭を梳れば満面の糸
地卑くして荒野大に 天遠くして暮江遅し
衰疾那ぞ能く久しからん 応に汝を見る期無かるべし


(現代語訳)
安史の乱は史思明が依然として洛陽を占拠しており、自分がいた秦州には異民族に侵略されたり、戦がいまだに平定していない。弟や妹はそれぞれどこでなにをしているのだろうか。
同谷紀行、成都紀行で艱難辛苦で、涙をぬぐい、襟もとを濡らすのは血の涙を流したのである、頭をくしでとかせば白髪がぬけおちて顔中にふりかかるほどなのだ。
家の外をながめると、地面は湿地帯のようでく平らで荒れた野はらが大きく横たわっている、天ははるか遠くつらなって夕ぐれの江はゆるくながれている。
老いてきて持病がある身ではとてもこの世に長く生きていることはできるとは思はない、きみたち(弟妹をさす)にこれからもう面会する時期はとても無いとおもう。


(訳注) 遣興
干戈猶未定,弟妹各何之!
安史の乱は史思明が依然として洛陽を占拠しており、自分がいた秦州には異民族に侵略されたり、戦がいまだに平定していない。弟や妹はそれぞれどこでなにをしているのだろうか。
・干戈猶未定 上元元年は粛宗の治世で使用された元号。760年閏4月~ 761年9月。依然として、史思明軍が洛陽を占領している。翌761年史思明が息子史朝義に殺害され、2年後安史の乱は平定するが、弱体化した唐王朝に隣国「吐蕃」が再三攻め入る。杜甫は依然戦争パニックに陥っている。
弟妹各何之 弟たちは、洛陽より東にいるため、長安にいた時でも連絡は取れにくかった。まして、杜甫はひと山脈越えた秦州(天水)に、さらにひと山越えた同谷へ、そうして成都紀行で、さらにさらに急峻難所を経て成都にたどり着き、知人の助けを借りて草堂を立てたばかりの所だ。弟たちからの連絡は届かなくても不思議ではない。成都郊外、浣花渓の畔、隠棲にはうってつけの場所である。杜甫にとってはこの20年の間、はじめて自己所有の家に、家族と過ごせるものであった。


拭淚沾襟血,梳頭滿面絲。
同谷紀行、成都紀行で艱難辛苦で、涙をぬぐい、襟もとを濡らすのは血の涙を流したのである、頭をくしでとかせば白髪がぬけおちて顔中にふりかかるほどなのだ。
拭淚 なみだをぬぐう。「官を辞して」杜甫は秦州で落ち着きたかったのであるが、わずか数カ月で移動しなければいけなかった状況は杜甫にとって、血のにじむ辛いことであった。ここ浣花渓草堂で、追い詰められたものの歎き、怨み、望郷の思いでいっぱいの毎日から脱却できたのか。


地卑荒野大,天遠暮江遲。
家の外をながめると、地面は湿地帯のようで、平らで荒れた野はらが大きく横たわっている、天ははるか遠くつらなって夕ぐれの江はゆるくながれている。
地卑 上元元年(七六〇)の春早々、城西七里の浣花渓のそばに空地を得て、さしあたり一畝の地をきり開いて、茅ぶきの家(草堂)を設けた。杜甫は詩を作って、多くの人々に樹木の苗を求めた。蕭実には桃の苗百本、韋続には綿竹県の竹を、何邕には三年で大木になるという榿木の苗を、韋班には松の木の苗を、石筍街果園坊の主人徐卿には、すももでも、うめでもいいからといって、果樹の苗を、そして韋班には更に犬邑県産の白い磁碗をたのんでいる。やっとこの地に落ちつけると思った作者の心のはずみが感ぜられる。
 草堂は暮春にはもういちおう出来上がった。それは成都の城郭を背にし、錦江にかかる万里橋の西、浣花渓のほとりにあった。ここからはとおく西北に当たって、雪をいただく西嶺も眺められた。


衰疾那能久,應無見汝期。
老いてきて持病がある身ではとてもこの世に長く生きていることはできるとは思はない、きみたち(弟妹をさす)にこれからもう面会する時期はとても無いとおもう。
尾聯で、年を取ったこと、病気のこと、述べてから、希望・目標を否定的に述べるのは、希望目標を強調すためで杜甫は公式ともいえる「遣・・・・」「感・・・・」「〇・・・・」と題したものにおおく使っている。


<遣興について>
長安にあって驥子をおもって作ったものである。製作時、至徳二載。757年46歳 この時遣興のシリーズの先頭である。これが20首も続くとは思っていなかったのである。758年 乾元元年罷諌官後作 ②房琯擁護の後、疎外感を持って勤務したころ「我今日夜憂,諸弟各異方。」ではじまり、③「客子念故宅,三年門巷空。」旅人であれば故郷の家を思うものである。もう三年、私の家の門や門前の小道に家族が集うことはなく、むなしく淋しいものである。④「丈夫貴壯健,慘戚非朱顏。」家族みんなが元気でなければいけないと①~④まで自分の思いを分散している家族に「派遣」するのである。
⑤~⑦については「官を辞して」秦州に来た旨を知らせる内容で、続いて⑧~⑫は杜甫が詩人として生きていくことを決意したこと、過去の詩人たちと隠棲を述べながら家族に知らせるものである。⑬~⑭は杜甫が今まで胸に抑えてきたものをこれから堂々と詩に詠っていくことの決意を示している。⑮~⑲は「官を辞し」た自分は富貴者、官僚に対して決して媚は売らないというものである。こうして、⑳で艱難辛苦の上、成都草堂に来たのだが早く会いたいものだ、と述べている。

遣興五首其五 杜甫 <250>遣興22首の⑲番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1199 杜甫特集700- 364

遣興五首其五 杜甫 <250>遣興22首の⑲番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1199 杜甫特集700- 364


其一(寒さの時になって富家のさまを見て自己の貧窮をのべた詩である。) 

朔風飄胡雁,慘澹帶砂礫。
冬を呼ぶ北風が北方異民族の地の「雁」を招き空に翻している、その「風」と「雁」は薄暗くものがなしい思いにさせるだけでなく、砂と小石混じりのすさまじい風をおびて吹き荒ぶのである。
長林何蕭蕭,秋草萋更碧。
背の高い木の林は木々を抜ける風がびゅうびゅうとなんとさびしく吹きわたる。秋の草は茂りながらいまだに碧を濃くしている。
北裡富燻天,高樓夜吹笛。
此の時、北里では富豪の家の勢焔は天をもくすぶらせるほどの勢いなのだ、そしてその富豪の高殿で夜を徹して笛を吹き宴をしているのだ。
焉知南鄰客,九月猶絺綌。
これに反して南に隣接の住民も、旅人であるわたしもどうしてこれを知らないはずがないのだ、その一方で、もうすぐ冬だという九月であるのにいまだに葛の単衣の着物で過ごしている者たちがいるのである。

朔風胡雁を諷す、惨澹として砂磯を帯ぶ。
長林何ぞ粛粛たる、秋草妻として更に碧なり。
北里富天を煮ず、高楼夜笛を吹く。
焉んぞ知らん南隣の客、九月に猶お絺綌なるを。


其二   (長安の貴公子達が猟に興じるさまを詠じた作品であり、幸せな充足した日々を過ごす貴公子達の姿が描かれている。)  
長陵銳頭兒,出獵待明發。
長陵にはとがった頭の貴公子がいる。狩猟に出かけると夜通しかけ、そこで夜明けを待つのだ。
騂弓金爪鏑,白馬蹴微雪。
あか馬に乗り、黄金で飾りつけたかぶらの矢で弓を引き、白馬にまたがって僅かに積もった雪を蹴散らして走り去る。
未知所馳逐,但見暮光滅。
所構わず「競い馬」をするかとおもえば、夕日が沈んでゆくのを眺めている。
歸來懸兩狼,門戶有旌節。
帰って来れば二匹のオオカミに襲われたようなものだ、その貴公子の邸宅の門には権勢をあらわす天子から賜った門閥の季節を祝う旗が掲げられている。

長陵【ちょうりょう】鋭頭【えいとう】の児、猟に出でて明発【めいはつ】を待つ。
験弓【せいきゅう】金爪【きんそう】の鏑、白馬 微雪を蹴る。
未だ馳逐【ちちく】する所を知らず、但だ暮光【ぼこう】の滅するを見る。
帰り来りて両狼【りょうろう】を懸く、門戸に旌節【せいせつ】有り。


其三    (寵愛され出世した者がそれ故に身を滅ぼすことを、京兆尹であった蕭炅を例に挙げ粛宗批判を詠じている。)
漆有用而割,膏以明自煎;
漆はつなぐ用途のために木から割き採られるし、膏は燃やせば火で明るくなるけれど自らを煎じてしまう。(接着するのに剥がし、燃えて明るくするが自分を煮煎じている、あべこべの政治を揶揄している。)
蘭摧白露下,桂折秋風前。
蘭の香花も白露の下でその露に携えて持って行かれ、桂枝のかぐわしき香気も秋風の前に漂っていた香気は飛ばされやがては折れてしまう。
府中羅舊尹,沙道故依然。
宰相の府中には天子に寵愛された歴代京兆尹たちがならんでいるものであり、玄宗の時代から粛宗の時代になってもその宰相のとおる沙をしいた道路はもとどおりに存在している。
赫赫蕭京兆,今為人所憐。
さてかつて玄宗、李林甫の時代あれほど、権威赫赫として時めいて居た京兆尹粛炅は今は没落してしまい世間のものに気の毒がられているのである。(【首聯】の漆膏蘭桂のひゆは「蕭京兆」のことを言うためにある。賄賂・頽廃政治の典型としてあげたもの。) 
漆に用有りて割かれ、膏は明を以て自ら煎る。
蘭は摧く 白露の下、桂は祈る 秋風の前。
府中 旧尹羅なり、沙道 尚ほ依然たり。
赫赫たる蕭京兆、今時の憐む所と為る。

其四    (権威をかさに横暴をふるった富貴のものがその栄耀栄華が続くものではないことをいう)
猛虎憑其威,往往遭急縛。
獰猛な虎はその威嚇をよりどころにしているが、それが往往にして急にしばられるようなことに遭遇する。
雷吼徒咆哮,枝撐已在腳。
拘束されれば、そこで雷のごとくにはえたててもいたずらに吼えるだけである、機で組み合わせた檻の中ですでに足かせをされているのである。
忽看皮寢處,無複睛閃爍。
その後たちまちにして、その皮は敷物にされてしまうのを看る、そして威嚇していたひとみもきらめきかがやくことはなくなってしまう。
人有甚於斯,足以勸元惡。
人間の場合はこの猛虎よりはなはだしく悲惨なことがある、このことは富貴の人たちよ世間の大悪をやれる限りやることを進めるが充分悲惨な末路となるに足るであろう。
猛虎 其の威に憑り、往往にして急縛に遭ふ。
雷吼 徒らに咆哮するも、枝撐 已に脚に在り。
忽ち看る 皮の寝処にあるを、復た晴の閃煉たる無し。
人 斯よりも甚しき有り、以て元悪を勧むるに足る。

其五   (富貴のものがどんな大きな葬儀をしようとも死によって解消し、意昧がなくなってしまう) 
朝逢富家葬,前後皆輝光。
朝、富豪の家の葬儀の行列に出遭った。行列の前にも後ろにも輝きひかるものをかかげて豪華な葬列である。
共指親戚大,緦麻百夫行。
共に目指している多くの親族縁者、権威に従っている大勢がいるのであった、そして緦麻を着た百人もいるとみられる家臣の行列である。
送者各有死,不須羨其強。
どれほどのものが死者を送っていても、誰もが死というものを迎えるのである、したがってこれほどの葬儀の行列を羨ましく思うものではないのである。
君看束縛去,亦得歸山岡。

君は見ただろう、死んだ者が小斂、大斂とぐるぐる巻きに縛られて行ったことを。そうしてまた、誰もがこの山や丘の土に帰っていくということを。(富貴と貧賤の無限の隔たりは死によって解消し、意昧がなくなってしまう)

朝に富家の葬に逢ふ、前後 皆 輝光【きこう】あり。
共に指す 親戚大にして、緦麻【しま】百夫の行ありと
送る者 各の死有り、其の強を羨むを須ゐず。
君看よ 束縛し去られ、亦た山岡に帰るを得るを。


現代語訳と訳註
(本文) 其五
朝逢富家葬,前後皆輝光。共指親戚大,緦麻百夫行。
送者各有死,不須羨其強。君看束縛去,亦得歸山岡。


(下し文)
朝に富家の葬に逢ふ、前後 皆 輝光【きこう】あり。
共に指す 親戚大にして、緦麻【しま】百夫の行ありと
送る者 各の死有り、其の強を羨むを須ゐず。
君看よ 束縛し去られ、亦た山岡に帰るを得るを。


(現代語訳)
朝、富豪の家の葬儀の行列に出遭った。行列の前にも後ろにも輝きひかるものをかかげて豪華な葬列である。
共に目指している多くの親族縁者、権威に従っている大勢がいるのであった、そして緦麻を着た百人もいるとみられる家臣の行列である。
どれほどのものが死者を送っていても、誰もが死というものを迎えるのである、したがってこれほどの葬儀の行列を羨ましく思うものではないのである。
君は見ただろう、死んだ者が小斂、大斂とぐるぐる巻きに縛られて行ったことを。そうしてまた、誰もがこの山や丘の土に帰っていくということを。
(富貴と貧賤の無限の隔たりは死によって解消し、意昧がなくなってしまう)


(訳注) 其五 の詩の前提(この詩の理解のため、儒教の葬儀)
儒教の五経典(易経、書経、詩経、儀礼、春秋)のうち『儀礼(ぎらい)』は古代中国の官吏階級の通過儀礼であり、冠礼、婚礼、喪礼、外交儀礼などを細かく規定したもので、周王朝(前1100頃~前256)の創始者であった周公が制定したものとされているが、孔子(前551~前479) が『書経』『詩経』とともに尊重した。
 『儀礼』の「士喪礼篇」は、士の階級にある者が、その両親を葬る際の儀礼を扱っている。

魂呼びの風習はどこにおいても行われ、旅館で死ぬと旅館、戦場で死ぬと戦場で矢をもって復を行った。招魂の儀式を行なっても死者が生き返らぬことがわかったら、葬送の準備が始められる。主君への死亡通知。⇒主君も使者を遣わして弔問。⇒「哭(こく)」と「足ふみ」。⇒主君は死者に衣服を贈る⇒翌日、死者を衣でぐるぐる巻きにする(小斂)⇒3日目死者を衣服でくるみ絞で縛ること(大斂)⇒3カ月の仮埋葬⇒柩を宗廟に移し、先祖の霊とまみえさせる
この時にこの詩で詠われる「大行列」を見るのである。五服という期間に応じた服を着る。斬衰(ざんさい)(三年)・斉衰(しさい)(一年)・大功(九か月)・小功(五か月)・緦麻(しま)(三か月)。


朝逢富家葬,前後皆輝光。
朝、富豪の家の葬儀の行列に出遭った。行列の前にも後ろにも輝きひかるものをかかげて豪華な葬列である。
富家葬 仮埋葬の邸宅から宗廟に向かうのである。先頭に依代(よりしろ)を持った者が立ち、次に前日の供物を持った者、明りを待った者、車に乗った柩、燭を持つた者、そのあとに3台の魂車がつき、そして喪主たちが従う。富貴の度合いで輝きものが増減する。


共指親戚大,緦麻百夫行。
共に目指している多くの親族縁者、権威に従っている大勢がいるのであった、そして緦麻を着た百人もいるとみられる家臣の行列である。
緦麻 五服の地、3か月間着ている服である。○百夫 百人の兵隊。多くの男子が列に続いている様子をいう。儒教に基づく葬儀であるが、限られたものしかできなかった。儒教の精神とはかけ離れた、賄賂、頽廃に染まったものほど葬儀に費やした。


送者各有死,不須羨其強。
どれほどのものが死者を送っていても、誰もが死というものを迎えるのである、したがってこれほどの葬儀の行列を羨ましく思うものではないのである。


君看束縛去,亦得歸山岡。
君は見ただろう、死んだ者が小斂、大斂とぐるぐる巻きに縛られて行ったことを。そうしてまた、誰もがこの山や丘の土に帰っていくということを。
(富貴と貧賤の無限の隔たりは死によって解消し、意昧がなくなってしまう)


中國の五服と喪の期間
(1)中国古代、王城の周囲を王城から五百里(周代の一里は約405メートル)ごとに区切って定めた五つの方形の地域。内より甸服(でんぷく)・侯服・綏服(すいふく)・要服・荒服。(2)中国で、喪に服す期間によって分けた五等の喪服。斬衰(ざんさい)(三年)・斉衰(しさい)(一年)・大功(九か月)・小功(五か月)・緦麻(しま)(三か月)。と三年喪に伏すのである。

遣興五首其四 杜甫 <249>遣興22首の⑱番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1196 杜甫特集700- 363

遣興五首其四 杜甫 <249>遣興22首の⑱番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1196 杜甫特集700- 363


(権力者、富貴者の一時の暴威も、忽ち猛虎の縛につけられ敷物になるが、それより悲惨な末路であることをいう。)
其四
猛虎憑其威,往往遭急縛。
獰猛な虎はその威嚇をよりどころにしているが、それが往往にして急にしばられるようなことに遭遇する。
雷吼徒咆哮,枝撐已在腳。
拘束されれば、そこで雷のごとくにはえたててもいたずらに吼えるだけである、機で組み合わせた檻の中ですでに足かせをされているのである。
忽看皮寢處,無複睛閃爍。
その後たちまちにして、その皮は敷物にされてしまうのを看る、そして威嚇していたひとみもきらめきかがやくことはなくなってしまう。
人有甚於斯,足以勸元惡。
人間の場合はこの猛虎よりはなはだしく悲惨なことがある、このことは富貴の人たちよ世間の大悪をやれる限りやることを進めるが充分悲惨な末路となるに足るであろう。

猛虎 其の威に憑り、往往にして急縛に遭ふ。
雷吼 徒らに咆哮するも、枝撐 已に脚に在り。
忽ち看る 皮の寝処にあるを、復た晴の閃煉たる無し。
人 斯よりも甚しき有り、以て元悪を勧むるに足る。


現代語訳と訳註
(本文)其四

猛虎憑其威,往往遭急縛。
雷吼徒咆哮,枝撐已在腳。
忽看皮寢處,無複睛閃爍。
人有甚於斯,足以勸元惡。


(下し文)
猛虎 其の威に憑り、往往にして急縛に遭ふ。
雷吼 徒らに咆哮するも、枝撐 已に脚に在り。
忽ち看る 皮の寝処にあるを、復た晴の閃煉たる無し。
人 斯よりも甚しき有り、以て元悪を勧むるに足る。


(現代語訳)
獰猛な虎はその威嚇をよりどころにしているが、それが往往にして急にしばられるようなことに遭遇する。
拘束されれば、そこで雷のごとくにはえたててもいたずらに吼えるだけである、機で組み合わせた檻の中ですでに足かせをされているのである。
その後たちまちにして、その皮は敷物にされてしまうのを看る、そして威嚇していたひとみもきらめきかがやくことはなくなってしまう。
人間の場合はこの猛虎よりはなはだしく悲惨なことがある、このことは富貴の人たちよ世間の大悪をやれる限りやることを進めるが充分悲惨な末路となるに足るであろう。


(訳注)
其四
猛虎憑其威,往往遭急縛。

獰猛な虎はその威嚇をよりどころにしているが、それが往往にして急にしばられるようなことに遭遇する。
 よる。○急縛 にわかにしばること。


雷吼徒咆哮,枝撐已在腳。
拘束されれば、そこで雷のごとくにはえたててもいたずらに吼えるだけである、機で組み合わせた檻の中ですでに足かせをされているのである。
雷吼 雷のごとくほえる。○咆哮 はえたてる。○枝撐  枝で組み合わせた折をつくること。木の根を組み合わせた足枷をいう、撐は材木をくみあわせること。杜甫『同諸公登慈恩寺墖』(慈恩寺の塔に登る」「方知象教力,足可追冥搜。仰穿龍蛇窟,始出枝撐幽。」(方に知る象教の力 冥捜を追うべきに足るを。仰いで穿つ竜蛇の窟 始めて甘づ枝撐の幽なるを。)つかえ柱、枝撐はつかえ柱をくむことで、ここでは道路の橋の骨組みの意味である。。


忽看皮寢處,無複睛閃爍。
その後たちまちにして、その皮は敷物にされてしまうのを看る、そして威嚇していたひとみもきらめきかがやくことはなくなってしまう。
皮寝処 『左伝、㐮公二十一年』「臣食其肉、而寝処其皮。」(臣は其の肉を食いて、而して其の皮に寝処す」とあるのに本づく、寝処はねおきする。起臥すること、その上にねたり、すわったりすること。○ ひとみ。○閃爍 きらめきかがやく。


人有甚於斯,足以勸元惡。
人間の場合はこの猛虎よりはなはだしく悲惨なことがある、このことは富貴の人たちよ世間の大悪をやれる限りやることを進めるが充分悲惨な末路となるに足るであろう。
 猛虎の場合をさす。○ 勧善懲悪をいう。楊貴妃一族が、安禄山が、富豪がその財力、権力で好き勝手なこと、極悪な事はかならず猛虎なら敷物になって役立つが人の場合には凄惨な、悲惨な末路を迎えるものであり、大悪を「勧」と勧めるということで、意味を強調している。○元悪 大悪。惡が栄えてためしがないということに基づく。

遣興五首其三 杜甫 <248>遣興22首の⑰番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1193 杜甫特集700- 362

遣興五首其三 杜甫 <248>遣興22首の⑰番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1193 杜甫特集700- 362

(寵愛され出世した者がそれ故に身を滅ぼすことを、京兆尹であった蕭炅を例に挙げ粛宗批判を詠じている。)


其一(寒さの時になって富家のさまを見て自己の貧窮をのべた詩である。) 

朔風飄胡雁,慘澹帶砂礫。
冬を呼ぶ北風が北方異民族の地の「雁」を招き空に翻している、その「風」と「雁」は薄暗くものがなしい思いにさせるだけでなく、砂と小石混じりのすさまじい風をおびて吹き荒ぶのである。
長林何蕭蕭,秋草萋更碧。
背の高い木の林は木々を抜ける風がびゅうびゅうとなんとさびしく吹きわたる。秋の草は茂りながらいまだに碧を濃くしている。
北裡富燻天,高樓夜吹笛。
此の時、北里では富豪の家の勢焔は天をもくすぶらせるほどの勢いなのだ、そしてその富豪の高殿で夜を徹して笛を吹き宴をしているのだ。
焉知南鄰客,九月猶絺綌。
これに反して南に隣接の住民も、旅人であるわたしもどうしてこれを知らないはずがないのだ、その一方で、もうすぐ冬だという九月であるのにいまだに葛の単衣の着物で過ごしている者たちがいるのである。

朔風胡雁を諷す、惨澹として砂磯を帯ぶ。
長林何ぞ粛粛たる、秋草妻として更に碧なり。
北里富天を煮ず、高楼夜笛を吹く。
焉んぞ知らん南隣の客、九月に猶お絺綌なるを。


其二   (長安の貴公子達が猟に興じるさまを詠じた作品であり、幸せな充足した日々を過ごす貴公子達の姿が描かれている。)  
長陵銳頭兒,出獵待明發。
長陵にはとがった頭の貴公子がいる。狩猟に出かけると夜通しかけ、そこで夜明けを待つのだ。
騂弓金爪鏑,白馬蹴微雪。
あか馬に乗り、黄金で飾りつけたかぶらの矢で弓を引き、白馬にまたがって僅かに積もった雪を蹴散らして走り去る。
未知所馳逐,但見暮光滅。
所構わず「競い馬」をするかとおもえば、夕日が沈んでゆくのを眺めている。
歸來懸兩狼,門戶有旌節。
帰って来れば二匹のオオカミに襲われたようなものだ、その貴公子の邸宅の門には権勢をあらわす天子から賜った門閥の季節を祝う旗が掲げられている。

長陵【ちょうりょう】鋭頭【えいとう】の児、猟に出でて明発【めいはつ】を待つ。
験弓【せいきゅう】金爪【きんそう】の鏑、白馬 微雪を蹴る。
未だ馳逐【ちちく】する所を知らず、但だ暮光【ぼこう】の滅するを見る。
帰り来りて両狼【りょうろう】を懸く、門戸に旌節【せいせつ】有り。


其三   
(寵愛され出世した者がそれ故に身を滅ぼすことを、京兆尹であった蕭炅を例に挙げ粛宗批判を詠じている。) 漆有用而割,膏以明自煎;
漆はつなぐ用途のために木から割き採られるし、膏は燃やせば火で明るくなるけれど自らを煎じてしまう。(接着するのに剥がし、燃えて明るくするが自分を煮煎じている、あべこべの政治を揶揄している。)
蘭摧白露下,桂折秋風前。
蘭の香花も白露の下でその露に携えて持って行かれ、桂枝のかぐわしき香気も秋風の前に漂っていた香気は飛ばされやがては折れてしまう。
府中羅舊尹,沙道故依然。
宰相の府中には天子に寵愛された歴代京兆尹たちがならんでいるものであり、玄宗の時代から粛宗の時代になってもその宰相のとおる沙をしいた道路はもとどおりに存在している。
赫赫蕭京兆,今為人所憐。
さてかつて玄宗、李林甫の時代あれほど、権威赫赫として時めいて居た京兆尹粛炅は今は没落してしまい世間のものに気の毒がられているのである。(【首聯】の漆膏蘭桂のひゆは「蕭京兆」のことを言うためにある。賄賂・頽廃政治の典型としてあげたもの。) 
漆に用有りて割かれ、膏は明を以て自ら煎る。
蘭は摧く 白露の下、桂は祈る 秋風の前。
府中 旧尹羅なり、沙道 尚ほ依然たり。
赫赫たる蕭京兆、今時の憐む所と為る。

其四    ⑱
猛虎憑其威,往往遭急縛。雷吼徒咆哮,枝撐已在腳。
忽看皮寢處,無複睛閃爍。人有甚於斯,足以勸元惡。

其五    ⑲
朝逢富家葬,前後皆輝光。共指親戚大,緦麻百夫行。
送者各有死,不須羨其強。君看束縛去,亦得歸山岡。


現代語訳と訳註
(本文)其三
漆有用而割,膏以明自煎;蘭摧白露下,桂折秋風前。
府中羅舊尹,沙道故依然。赫赫蕭京兆,今為人所憐。


(下し文)
漆に用有りて割かれ、膏は明を以て自ら煎る。
蘭は摧く 白露の下、桂は祈る 秋風の前。
府中 旧尹羅なり、沙道 尚ほ依然たり。
赫赫たる蕭京兆、今時の憐む所と為る。


(現代語訳)
漆はつなぐ用途のために木から割き採られるし、膏は燃やせば火で明るくなるけれど自らを煎じてしまう。(接着するのに剥がし、燃えて明るくするが自分を煮煎じている、あべこべの政治を揶揄している。)
蘭の香花も白露の下でその露に携えて持って行かれ、桂枝のかぐわしき香気も秋風の前に漂っていた香気は飛ばされやがては折れてしまう。
宰相の府中には天子に寵愛された歴代京兆尹たちがならんでいるものであり、玄宗の時代から粛宗の時代になってもその宰相のとおる沙をしいた道路はもとどおりに存在している。
さてかつて玄宗、李林甫の時代あれほど、権威赫赫として時めいて居た京兆尹粛炅は今は没落してしまい世間のものに気の毒がられているのである。(【首聯】の漆膏蘭桂のひゆは「蕭京兆」のことを言うためにある。賄賂・頽廃政治の典型としてあげたもの。) 


(訳注)
漆有用而割,膏以明自煎;

漆はつなぐ用途のために木から割き採られるし、膏は燃やせば火で明るくなるけれど自らを煎じてしまう。(接着するのに剥がし、燃えて明るくするが自分を煮煎じている、あべこべの政治を揶揄している。)
漆有用而割,膏以明自煎 『荘子、人間世』に基づく。功用あるものは、その功用あることが身に禍してそこなわれるにいたることをいう。
「山木自寇也、膏火自煎也、桂可食故伐之、漆可用故割之、人皆知有用之用、而莫知无用之用也。山の木は自らに寇(あだ)なし、膏火(灯火)は自ら煎(に)ている。桂は食べられるが故に伐(き)られ、漆は役にたつが故に割(さ)かれる。人は皆、”有用之用”は知っているが、”无用之用”は知らない。この聯の意味をこれ以降の聯句で比喩している。
 ウルシ科のウルシノキ(漆の木;Poison oak)やブラックツリーから採取した樹液を加工した、ウルシオールを主成分とする天然樹脂塗料である。塗料とし、漆工などに利用されるほか、接着剤としても利用される。・ 1 動物のあぶら。「膏血・膏油」 2 うまい食物。「膏梁(こうりょう)」 3 心臓の下の部分。「膏肓(こうこう)」 4 半練り状の薬。「膏薬/軟膏・絆創膏(ばんそうこう)」5 うるおす。めぐむ。「膏雨」6 地味が肥える。「膏沃(こうよく)」


蘭摧白露下,桂折秋風前。
蘭の香花も白露の下でその露に携えて持って行かれ、桂枝のかぐわしき香気も秋風の前に漂っていた香気は飛ばされやがては折れてしまう。
蘭、桂 蘭の花、桂の花はかんばしいが、風露にあうとかかる香のある草木もそこなわれる。


府中羅舊尹,沙道故依然。
宰相の府中には天子に寵愛された歴代京兆尹たちがならんでいるものであり、玄宗の時代から粛宗の時代になってもその宰相のとおる沙をしいた道路はもとどおりに存在している。
府中 府は幕府組織、宰相の役所をいう。○羅 多くならぶこと。○旧尹 尹は京兆尹、都長安の市長、長官のこと、旧尹とは元京兆尹ということ、以前この尹をつとめた人たちをいう、唐の宰相は自分の親しい者を京兆尹に任命した。○沙道 砂を敷いた道路、宰相がとおるときには砂を敷くのでこのようにいう。○依然 もとどおりに。○桂折秋風前 玄宗皇帝と楊貴妃のことを言う。梧桐を追い出された鳳凰夫婦のこと。

赫赫蕭京兆,今為人所憐。
さてかつて玄宗、李林甫の時代あれほど、権威赫赫として時めいて居た京兆尹粛炅は今は没落してしまい世間のものに気の毒がられているのである。(【首聯】の漆膏蘭桂のひゆは「蕭京兆」のことを言うためにある。賄賂・頽廃政治の典型としてあげたもの。) 
赫赫 威権のかがやくさま。○粛京兆 京兆尹粛炅(ケイ)。炅は宰相李林甫にとりいって京兆尹にとりたでられたが賄賂をうけたかどによって天宝八載に汝陰の太守に遷された。○ この詩を作った今の世をさす。〇時所憐 時は当代をさす、憐れむとは気のどくがられる、上の官を遷されたことをいう。
杜甫が、官を辞したのも粛宗による偏見と疎外政治を批判できるようになったということである。

遣興五首其二 杜甫 <247>遣興22首の⑯番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1190 杜甫特集700- 361

遣興五首其二 杜甫 <247>遣興22首の⑯番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1190 杜甫特集700- 361

其一(寒さの時になって富家のさまを見て自己の貧窮をのべた詩である。) 

朔風飄胡雁,慘澹帶砂礫。
冬を呼ぶ北風が北方異民族の地の「雁」を招き空に翻している、その「風」と「雁」は薄暗くものがなしい思いにさせるだけでなく、砂と小石混じりのすさまじい風をおびて吹き荒ぶのである。
長林何蕭蕭,秋草萋更碧。
背の高い木の林は木々を抜ける風がびゅうびゅうとなんとさびしく吹きわたる。秋の草は茂りながらいまだに碧を濃くしている。
北裡富燻天,高樓夜吹笛。
此の時、北里では富豪の家の勢焔は天をもくすぶらせるほどの勢いなのだ、そしてその富豪の高殿で夜を徹して笛を吹き宴をしているのだ。
焉知南鄰客,九月猶絺綌。
これに反して南に隣接の住民も、旅人であるわたしもどうしてこれを知らないはずがないのだ、その一方で、もうすぐ冬だという九月であるのにいまだに葛の単衣の着物で過ごしている者たちがいるのである。

 朔風胡雁を諷す、惨澹として砂磯を帯ぶ。
長林何ぞ粛粛たる、秋草妻として更に碧なり。
北里富天を煮ず、高楼夜笛を吹く。
焉んぞ知らん南隣の客、九月に猶お絺綌なるを。


其二  
長陵銳頭兒,出獵待明發。
長陵にはとがった頭の貴公子がいる。狩猟に出かけると夜通しかけ、そこで夜明けを待つのだ。
騂弓金爪鏑,白馬蹴微雪。
あか馬に乗り、黄金で飾りつけたかぶらの矢で弓を引き、白馬にまたがって僅かに積もった雪を蹴散らして走り去る。
未知所馳逐,但見暮光滅。
所構わず「競い馬」をするかとおもえば、夕日が沈んでゆくのを眺めている。
歸來懸兩狼,門戶有旌節。
帰って来れば二匹のオオカミに襲われたようなものだ、その貴公子の邸宅の門には権勢をあらわす天子から賜った門閥の季節を祝う旗が掲げられている。

長陵【ちょうりょう】鋭頭【えいとう】の児、猟に出でて明発【めいはつ】を待つ。
験弓【せいきゅう】金爪【きんそう】の鏑、白馬 微雪を蹴る。
未だ馳逐【ちちく】する所を知らず、但だ暮光【ぼこう】の滅するを見る。
帰り来りて両狼【りょうろう】を懸く、門戸に旌節【せいせつ】有り。

其三    
漆有用而割,膏以明自煎;蘭摧白露下,桂折秋風前。
府中羅舊尹,沙道故依然。赫赫蕭京兆,今為人所憐。

其四    ⑱
猛虎憑其威,往往遭急縛。雷吼徒咆哮,枝撐已在腳。
忽看皮寢處,無複睛閃爍。人有甚於斯,足以勸元惡。

其五    ⑲
朝逢富家葬,前後皆輝光。共指親戚大,緦麻百夫行。
送者各有死,不須羨其強。君看束縛去,亦得歸山岡。

長安の近郊は五陵

現代語訳と訳註
(本文) 其二
長陵銳頭兒,出獵待明發。騂弓金爪鏑,白馬蹴微雪。
未知所馳逐,但見暮光滅。歸來懸兩狼,門戶有旌節。


(下し文)
長陵【ちょうりょう】鋭頭【えいとう】の児、猟に出でて明発【めいはつ】を待つ。
験弓【せいきゅう】金爪【きんそう】の鏑、白馬 微雪を蹴る。
未だ馳逐【ちちく】する所を知らず、但だ暮光【ぼこう】の滅するを見る。
帰り来りて両狼【りょうろう】を懸く、門戸に旌節【せいせつ】有り。


(現代語訳)
長陵にはとがった頭の貴公子がいる。狩猟に出かけると夜通しかけ、そこで夜明けを待つのだ。
あか馬に乗り、黄金で飾りつけたかぶらの矢で弓を引き、白馬にまたがって僅かに積もった雪を蹴散らして走り去る。
所構わず「競い馬」をするかとおもえば、夕日が沈んでゆくのを眺めている。
帰って来れば二匹のオオカミに襲われたようなものだ、その貴公子の邸宅の門には権勢をあらわす天子から賜った門閥の季節を祝う旗が掲げられている。


(訳注)
其二
長陵銳頭兒,出獵待明發。

長陵にはとがった頭の貴公子がいる。狩猟に出かけると夜通しかけ、そこで夜明けを待つのだ。
銳頭兒 貴公子の特徴として頭にちょこんと小さな帽子をかぶっていること。・ 野生の鳥や獣をとること。猟(りよう)。狩猟。・明發夕方から明け方まで夜通し。
李白『少年行』      
五陵年少金市東、銀鞍白馬度春風。
落花踏尽遊何処、笑入胡姫酒肆中。
王維の「少年行四首」は漢時代を借りて四場面の劇構成になっている。
王維『少年行四首』 其一   
新豊美酒斗十千、咸陽遊侠多少年。  
相逢意気為君飲、繋馬高楼垂柳辺。
杜甫『少年行』を一首と二首の三首,作っている
馬上誰家白面郎、臨階下馬坐人牀。
不通姓氏麤豪甚、指點銀瓶索酒嘗。


騂弓金爪鏑,白馬蹴微雪。
あか馬に乗り、黄金で飾りつけたかぶらの矢で弓を引き、白馬にまたがって僅かに積もった雪を蹴散らして走り去る。
騂弓 騂はあかうま。『詩経‧小雅‧角弓』「騂騂角弓, 翩其反矣。」『毛傳』「騂騂, 調利也・金爪鏑」・相続争いをすること。貴族はその血筋だけ重要なものとされていたため、醜い争いをそれぞれの門閥できそう。その争いのカヤの外の貴公子たちは遊侠の徒となっていた。
【かぶら】とは。意味や解説。1 矢の先と鏃(やじり)との間につけて、射たときに鳴るように仕掛けた卵形の装置。角・木・竹の根などを用い、内部を空洞にして「目」とよぶ窓をあける。2 「鏑矢」の略。


未知所馳逐,但見暮光滅。
所構わず「競い馬」をするかとおもえば、夕日が沈んでゆくのを眺めている。
馳逐(ちちく) 競い馬のこと。


歸來懸兩狼,門戶有旌節。
帰って来れば二匹のオオカミに襲われたようなものだ、その貴公子の邸宅の門には権勢をあらわす天子から賜った門閥の季節を祝う旗が掲げられている。
兩狼 競い馬をする二人の貴公子の横暴な振る舞いという意味と、もう一方で、住民は叛乱軍の残虐な行為を経験している。住民にとってはどちらもかかわりたくないオオカミのようなものだということ。・旌節 【せい】旗竿(はたざお)のさきに旄(ぼう)という旗飾りをつけ、これに鳥の羽などを垂らした旗。天子が士気を鼓舞するのに用いる。・ 人日、上巳、端午、七夕、重用など、五節句という。ここでは、富豪の家の権勢、威厳、などをあらわすこととして使う。


長陵【ちょうりょう】鋭頭【えいとう】の児、猟に出でて明発【めいはつ】を待つ。
験弓【せいきゅう】金爪【きんそう】の鏑、白馬 微雪を蹴る。
未だ馳逐【ちつい】する所を知らず、但だ暮光【ぼこう】の滅するを見る。
帰り来りて両狼【りょうろう】を懸く、門戸に旌節【せいせつ】有り。

長安の貴公子達が猟に興じるさまを詠じた作品であり、幸せな充足した日々を過ごす貴公子達の姿が描かれている。

遣興五首其一 杜甫 <246>遣興22首の⑮番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1187 杜甫特集700- 360

遣興五首其一 杜甫 <246>遣興22首の⑮番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1187 杜甫特集700- 360

やっと口にできるようになった富豪の者たちへの批判のシリーズ。

其一    
朔風飄胡雁,慘澹帶砂礫。長林何蕭蕭,秋草萋更碧。
北裡富燻天,高樓夜吹笛。焉知南鄰客,九月猶絺綌。

其二    
長陵銳頭兒,出獵待明發。騂弓金爪鏑,白馬蹴微雪。
未知所馳逐,但見暮光滅。歸來懸兩狼,門戶有旌節。

其三    
漆有用而割,膏以明自煎;蘭摧白露下,桂折秋風前。
府中羅舊尹,沙道故依然。赫赫蕭京兆,今為人所憐。

其四    
猛虎憑其威,往往遭急縛。雷吼徒咆哮,枝撐已在腳。
忽看皮寢處,無複睛閃爍。人有甚於斯,足以勸元惡。

其五    
朝逢富家葬,前後皆輝光。共指親戚大,緦麻百夫行。
送者各有死,不須羨其強。君看束縛去,亦得歸山岡。


「遣興五首」(    )について、『杜詩詳注』は「此詩梁権道編在乾元二年秦州詩内。今姑但之。(此の詩は梁権道編して乾元二年秦州の詩の内に在り。今姑く之に但る。)」と、乾元二年(七五九)秦州における作にひとまず編年している。
杜甫は、日ごろから、この富貴の者たちの言動が腹に据えかねていた。士官を目指しているときや、官僚の時には言えなかったことが、官を辞して初めて批判できるのである。この二十年の思いをぶっつけるのである。この五首それぞれの思いで、「北里・長陵・蕭京兆・元悪・富家葬」と、いきいきと述べている。このことで、作時を長安時代の作であろうと推測している説もあるが、わたしはやはり旧注の乾元二年とする。杜甫は、言えなかったことが初めて言えるようになった、官を辞して、秦州に来たからこそであり、腹に溜めていた「興」を吐き出すというもので、そう考えると全体が味わい深いものである。この「遣興」というシリーズの存在感はそこにあるというものだ。

其一(寒さの時になって富家の驕りのさまと貧窮のものをのべた詩である。)
朔風飄胡雁,慘澹帶砂礫。
冬を呼ぶ北風が北方異民族の地の「雁」を招き空に翻している、その「風」と「雁」は薄暗くものがなしい思いにさせるだけでなく、砂と小石混じりのすさまじい風をおびて吹き荒ぶのである。
長林何蕭蕭,秋草萋更碧。
背の高い木の林は木々を抜ける風がびゅうびゅうとなんとさびしく吹きわたる。秋の草は茂りながらいまだに碧を濃くしている。
北裡富燻天,高樓夜吹笛。
此の時、北里では富豪の家の勢焔は天をもくすぶらせるほどの勢いなのだ、そしてその富豪の高殿で夜を徹して笛を吹き宴をしているのだ。
焉知南鄰客,九月猶絺綌。
これに反して南に隣接の住民も、旅人であるわたしもどうしてこれを知らないはずがないのだ、その一方で、もうすぐ冬だという九月であるのにいまだに葛の単衣の着物で過ごしている者たちがいるのである。



現代語訳と訳註
(本文)

朔風飄胡雁,慘澹帶砂礫。
長林何蕭蕭,秋草萋更碧。
北裡富燻天,高樓夜吹笛。
焉知南鄰客,九月猶絺綌。

(下し文)
 朔風胡雁を諷す、惨澹として砂磯を帯ぶ。
長林何ぞ粛粛たる、秋草妻として更に碧なり。
北里富天を煮ず、高楼夜笛を吹く。
焉んぞ知らん南隣の客、九月に猶お絺綌なるを。

(現代語訳)
冬を呼ぶ北風が北方異民族の地の「雁」を招き空に翻している、その「風」と「雁」は薄暗くものがなしい思いにさせるだけでなく、砂と小石混じりのすさまじい風をおびて吹き荒ぶのである。
背の高い木の林は木々を抜ける風がびゅうびゅうとなんとさびしく吹きわたる。秋の草は茂りながらいまだに碧を濃くしている。
此の時、北里では富豪の家の勢焔は天をもくすぶらせるほどの勢いなのだ、そしてその富豪の高殿で夜を徹して笛を吹き宴をしているのだ。
これに反して南に隣接の住民も、旅人であるわたしもどうしてこれを知らないはずがないのだ、その一方で、もうすぐ冬だという九月であるのにいまだに葛の単衣の着物で過ごしている者たちがいるのである。


(訳注)
朔風飄胡雁,慘澹帶砂礫。

冬を呼ぶ北風が北方異民族の地の「雁」を招き空に翻している、その「風」と「雁」は薄暗くものがなしい思いにさせるだけでなく、砂と小石混じりのすさまじい風をおびて吹き荒ぶのである。
朔風 北からふく風。五行思想で朔・北・黒(玄)・冬をあらわす風がまだ秋なのに吹いてくる、季節の変わり目をあらわしている。○胡雁 北方異民族の地より飛び来る雁。この語も冬の到来を示すもの。『秋雨嘆三首、其三』
長安布衣誰比數,反鎖衡門守環堵。
老夫不出長蓬蒿,稚子無憂走風雨。
雨聲颼颼催早寒,胡雁翅濕高飛難。
秋來未曾見白日,泥汙後土何時乾?
秋雨嘆三首 其三 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 88
惨澹 薄暗く物凄まじいさま。ものがなしいさま。心を悩ますさま。杜甫『送從弟亞赴河西判官』「踴躍常人情,慘澹苦士誌。」(踴躍するは常人の情なり、惨澹たるは苦士の志なり。)

送從弟亞赴河西判官 #3 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 184


 ともにもち来ること。○砂礫 すな、こいし。


長林何蕭蕭,秋草萋更碧。
背の高い木の林は木々を抜ける風がびゅうびゅうとなんとさびしく吹きわたる。秋の草は茂りながらいまだに碧を濃くしている。
長林 背のたかい木の生えたはやし。○ しげるさま。


北裡富燻天,高樓夜吹笛。
此の時、北里では富豪の家の勢焔は天をもくすぶらせるほどの勢いなのだ、そしてその富豪の高殿で夜を徹して笛を吹き宴をしているのだ。
北里 城の北方の地区。長安五陵(北里・長陵・蕭京兆・元悪・富家葬)の富貴・遊侠の者の住む地域のこと。五陵は長安の北東から北西にかけて、渭水の横門橋わたって東から陽陵(景帝)、長陵(高祖)、安陵(恵帝)、平陵(昭帝)、茂陵(武帝)と咸陽原にある。○燻天 富を火焔にたとえていう、薫は火でくすべること。○高楼 富家のたかどの。


焉知南鄰客,九月猶絺綌。
これに反して南に隣接の住民も、旅人であるわたしもどうしてこれを知らないはずがないのだ、その一方で、もうすぐ冬だという九月であるのにいまだに葛の単衣の着物で過ごしている者たちがいるのである。
○南隣客 自己をさす。○絺綌 細い糸の葛のあさ、ふと糸のくずあさ。貧しい者が秋の終わりになっても葛布のひとえを着ていることを言う。


<解説>
 前半の四句は、秋が深まり北風が砂礫を巻き上げ、蕭蕭と林に吹き付ける中、冬がもうすぐというのに秋草がなお茂る九月の情景を描く。第五、六句は、そうした季節の訪れも意に介さず宴楽の限りを尽くす富貴な者たちのことをうたう。「九月猶絺綌」は、『杜詩詳注』に「見貧人衣服失寒暑之宜。」(貧人の衣服寒暑の宜しきを失ふを見す。)とあるように、貧しい者が秋の終わりになっても葛布のひとえを着ていることを言う。
 この作品は、富貴と貧賤の対立構造をめいかくにしており、ここでは両者の大きな隔たりが対比的に描かれたのは、杜甫が官を辞したからということであるからだ。北風の吹く陰暦九月になってもなお貧しい者の身につける葛布の単衣を着ている「南隣」の人々と「客」の杜甫との対比によってこの詩の表現視点が「南隣客」にあり、富貴の者を否定的に表している。「遣興」と題することに、単に憂さを晴らすというだけでなく杜甫自身「官を辞した」からこそできる表現であるということに注目されるのである。

朔風胡雁を諷す 惨澹として砂磯を帯ぶ
長林何ぞ粛粛たる 秋草妻として更に碧なり
北里富天を煮ず 高楼夜笛を吹く。
焉んぞ知らん南隣の客 九月に猶お締給なるを

遣興三首其三 杜甫 <245>遣興22首の④番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1184 杜甫特集700- 359

遣興三首其三 杜甫 <245>遣興22首の④番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1184 杜甫特集700- 359



房琯擁護の後、疎外感を持って勤務したころ
遣興三首 758 乾元元年罷諌官後作 
我今日夜憂,諸弟各異方。
私は現在日ごと夜ごと心配している。というのは弟たち、それぞれがあちこちに行っている。
不知死與生,何況道路長。
それだから、死んでいるのか生きているのかわからないのだ。何をしているやらどうしているのか彼らと道が遠く離れているのだ。
避寇一分散,饑寒永相望。
安禄山の叛乱により残虐から避けていったん分散したのだ。寒さに加えて食べるものがなく飢えてしまったし、長らく会いたいものと望んでいた。
豈無柴門歸?欲出畏虎狼。
どうしてこの貧しい家の門に帰ってくることが出来ないのか、叛乱軍の安禄山と史思明たちを畏れて出立して欲しいものである。
仰看雲中雁,禽鳥亦有行。
仰ぎ見れば時も過ぎて雲の中に雁が飛んでいる、獰猛な鳥がまた我が物顔で行き来している。

我 今 日び夜よな 憂う,諸弟 各おの方を異にす。
死と生を知ず,何んぞ況んや道路 長し。
寇を避けて一び分散す,寒に饑えてて永らく相い望む。
豈に柴門 歸る無らんや?虎狼を畏れて出んと欲す。
仰ぎ看れば雲中の雁,禽鳥 亦た行く有り。


蓬生非無根,漂蕩隨高風。
ヨモギが一面に生え茂って荒れ果てている所といっても根を張っていないということはない。さまよい、さすらうこと言うのは高士の風格に随っているのだ。
天寒落萬裡,不複歸本叢。
極寒が万里の内に天から降りてくると、転蓬となって再びもとの一面の叢には帰ってくることはないのだ。
客子念故宅,三年門巷空。
旅人であれば故郷の家を思うものである。もう三年門や門前の小道に家族が集うことはなく、むなしく淋しいものである。
悵望但烽火,戎車滿關東。
心をいためて思いやるのであるが戦争の烽火はやまないのである、指揮するのに使われる戦車は関中から東には満ち満ちているのだ。
涯能幾何,常在羈旅中!

私の生涯は残りがそれほどあるわけではないのだ、それに何時も旅をしていて今も旅の真っ只中にいるのだ。

蓬生は無根に非らず,漂蕩は高風に隨う。
天寒 萬裡に落ち,本叢に歸るに複ず。
客子 故宅を念う,三年 門巷 空し。
悵望して但だ烽火なり,戎車 關東に滿つ。
生涯 能く幾何らん,常に在るは羈旅に中る!


昔在洛陽時,親友相追攀。
少し前のころ、所用で洛陽にいた時のことである、互いのことを話して、その親友とは別れを惜しんだのだ。
送客東郊道,遨遊宿南山。
湖城の城郭の東郊外で旅に出る客孟雲卿をおくるのだが、気ままに遊び回って、ここの南にある嵩山の麓に宿したのだ。
煙塵阻長河,樹羽成皋間。
戦乱は続き、黄河の上下流域で叛乱軍に阻まれているし、王朝軍は長安洛陽を奪回したものの三国時代の古戦場であった成皋(汴州)の間で休戦状態にある。
回首載酒地,豈無一日還?
このあたりをめぐらせると酒の積だし地域であり、ここらがどうしてたった一日で奪還できないということだ。
丈夫貴壯健,慘戚非朱顏。

確実なことは壮健であることを貴しとすることであり、悼みに憂えることで顔を赤らめたりすることはない。
昔在【むかし】洛陽の時,親友 相い追攀【ついはん】す。
客を送るは東郊の道,遨遊【ごうゆう】して南山に宿す。
煙塵【えんじん】 長河を阻み,羽を樹【お】く 成皋【せいこう】の間。
首を回らして載酒【さいしゅ】の地を,豈 一日にして還える無からん?
丈夫【じょうぶ】壯健【そうけん】を貴び,慘戚【さんせき】朱顏【しゅがん】に非ず。


現代語訳と訳註
(本文) 其三 ④

昔在洛陽時,親友相追攀。
送客東郊道,遨遊宿南山。
煙塵阻長河,樹羽成皋間。
回首載酒地,豈無一日還?
丈夫貴壯健,慘戚非朱顏。


(下し文) 其三 ④
昔在【むかし】洛陽の時,親友 相い追攀【ついはん】す。
客を送るは東郊の道,遨遊【ごうゆう】して南山に宿す。
煙塵【えんじん】 長河を阻み,羽を樹【お】く 成皋【せいこう】の間。
首を回らして載酒【さいしゅ】の地を,豈 一日にして還える無からん?
丈夫【じょうぶ】壯健【そうけん】を貴び,慘戚【さんせき】朱顏【しゅがん】に非ず。


(現代語訳)
少し前のころ、所用で洛陽にいた時のことである、互いのことを話して、その親友とは別れを惜しんだのだ。
湖城の城郭の東郊外で旅に出る客孟雲卿をおくるのだが、気ままに遊び回って、ここの南にある嵩山の麓に宿したのだ。
戦乱は続き、黄河の上下流域で叛乱軍に阻まれているし、王朝軍は長安洛陽を奪回したものの三国時代の古戦場であった成皋(汴州)の間で休戦状態にある。
戦乱は続き、黄河の上下流域で叛乱軍に阻まれているし、王朝軍は長安洛陽を奪回したものの三国時代の古戦場であった成皋(汴州)の間で休戦状態にある。
確実なことは壮健であることを貴しとすることであり、悼みに憂えることで顔を赤らめたりすることはない。



(訳注) 其三 ④
昔在洛陽時,親友相追攀。
少し前のころ、所用で洛陽にいた時のことである、互いのことを話して、その親友とは別れを惜しんだのだ。
昔在 昔。少し前のころ。在は助辞。・親友 孟雲卿。追攀 別れがたいこと。・【はん】 [訓]よじる1 よじ登る。「攀縁/登攀」2 上の人にすがりつく。王粲『七哀詩』「西京亂無象,豺虎方遘患.復棄中國去,委身適荊蠻.親戚對我悲,朋友相追攀.出門無所見,白骨蔽平原.」(西京 乱れて象(みち)無く、豺虎(さいこ) 方(まさ)に患(わざわい)を遘(かま)う。復た中国を棄てて去り、身を委ねて荊蛮(けいばん)に適(ゆ)く。親戚 我に対して悲しみ、朋友 相追攀(ついはん)す。門を出づるも見る所無く、白骨 平原を蔽(おお)う)


送客東郊道,遨遊宿南山。
湖城の城郭の東郊外で旅に出る客孟雲卿をおくるのだが、気ままに遊び回って、ここの南にある嵩山の麓に宿したのだ。
遨遊 きままにあそびまわる。行き来して間をとりもつ。・南山 冬も終わりのころ仕事で東都洛陽に行く、洛陽の湖城の城郭の東で孟雲卿にであう、その後劉顥の邸宅に宿するために帰ってきた、そこで宴をしてくれ呑んで別れる、それにちなんで醉歌をつくる。ここでは、宿の南に嵩山があり、その麓という意味。杜甫『冬末以事之東都,湖城東遇孟雲卿,複歸劉顥宅宿,宴飲散因為醉歌』(冬末 事を以って東都に之き,湖城の東にて孟雲卿に遇う,複た劉顥宅に歸り宿す,宴して飲散に因りて醉歌を為す)一般的には、長安南の終南山をいう。


煙塵阻長河,樹羽成皋間。
戦乱は続き、黄河の上下流域で叛乱軍に阻まれているし、王朝軍は長安洛陽を奪回したものの三国時代の古戦場であった成皋(汴州)の間で休戦状態にある。
煙塵 [1]煙とちり。塵埃(じんあい)。[2]心や世の中のけがれ。俗塵。[3]煙突から出る煙に含まれている微粒子。[4]戦場で人馬の立てる煙や塵。戦乱。・長河 ・樹羽 羽を着に置く。『詩経、周頌、有瞽』「崇牙樹羽。」・成皋間 洛陽と開封の間、杜甫がこの時行っていた鞏県のあたり、三国時代の戦いの迹があるのでその頃の地名を使っている。この時、相州鄴城で大敗する以前の詩である。


回首載酒地,豈無一日還?
このあたりをめぐらせると酒の積だし地域であり、ここらがどうしてたった一日で奪還できないということだ。


丈夫貴壯健,慘戚非朱顏。
確実なことは壮健であることを貴しとすることであり、悼みに憂えることで顔を赤らめたりすることはない。
丈夫 1 健康に恵まれているさま。達者。「―で、病気ひとつしたことがない」「からだが―な子」 2 物が、しっかりしていて壊れにくいさま。「―なひも」「値段の割に―な靴」 3 確かなさま。確実。
慘戚 いたみかなしむ。悼みに憂える。


昔在【むかし】洛陽の時,親友 相い追攀【ついはん】す。
客を送るは東郊の道,遨遊【ごうゆう】して南山に宿す。
煙塵【えんじん】 長河を阻み,羽を樹【お】く 成皋【せいこう】の間。
首を回らして載酒【さいしゅ】の地を,豈 一日にして還える無からん?
丈夫【じょうぶ】壯健【そうけん】を貴び,慘戚【さんせき】朱顏【しゅがん】に非ず。


遣興について
 ②③④の三首について、②第一首では「我今日夜憂、諸弟各異方(我今日夜憂ふ、諸弟各方を異にす)」と兄弟と離れていることを愁い、いずれも故郷を離れ、戦乱のために帰れぬ者の視点から、それぞれ自分の弟にたいして。③第二首では「客子念故宅、三年門巷空(客子故宅を念ひ、三年門巷空し)」と故郷の住まいを思い(故郷の故宅)。④第三首は「昔在洛陽時、親友相追単。(昔洛陽に在りし時、親友相追単す)」と洛陽における旧友達との交友を思い起こしており、内容は一定していない。親友たちとの交友の日々を思い、自らの衰えを嘆く。



この頃の交友を示す詩

冬末以事之東都,湖城東遇孟雲卿,複歸劉顥宅宿,宴飲散因為醉歌#1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 287


重題鄭氏東亭 杜甫 <221
> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1070 杜甫詩集700- 321



贈衛八処士 #
1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 292




遣興三首其二 杜甫 <244>遣興22首の③番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1181 杜甫特集700- 358

遣興三首其二 杜甫 <244>遣興22首の③番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1181 杜甫特集700- 358


房琯擁護の後、疎外感を持って勤務したころ
遣興三首 758 乾元元年罷諌官後作 
我今日夜憂,諸弟各異方。
私は現在日ごと夜ごと心配している。というのは弟たち、それぞれがあちこちに行っている。
不知死與生,何況道路長。
それだから、死んでいるのか生きているのかわからないのだ。何をしているやらどうしているのか彼らと道が遠く離れているのだ。
避寇一分散,饑寒永相望。
安禄山の叛乱により残虐から避けていったん分散したのだ。寒さに加えて食べるものがなく飢えてしまったし、長らく会いたいものと望んでいた。
豈無柴門歸?欲出畏虎狼。
どうしてこの貧しい家の門に帰ってくることが出来ないのか、叛乱軍の安禄山と史思明たちを畏れて出立して欲しいものである。
仰看雲中雁,禽鳥亦有行。

仰ぎ見れば時も過ぎて雲の中に雁が飛んでいる、獰猛な鳥がまた我が物顔で行き来している。

我 今 日び夜よな 憂う,諸弟 各おの方を異にす。
死と生を知ず,何んぞ況んや道路 長し。
寇を避けて一び分散す,寒に饑えてて永らく相い望む。
豈に柴門 歸る無らんや?虎狼を畏れて出んと欲す。
仰ぎ看れば雲中の雁,禽鳥 亦た行く有り。


蓬生非無根,漂蕩隨高風。
ヨモギが一面に生え茂って荒れ果てている所といっても根を張っていないということはない。さまよい、さすらうこと言うのは高士の風格に随っているのだ。
天寒落萬裡,不複歸本叢。
極寒が万里の内に天から降りてくると、転蓬となって再びもとの一面の叢には帰ってくることはないのだ。
客子念故宅,三年門巷空。
旅人であれば故郷の家を思うものである。もう三年、私の家の門や門前の小道に家族が集うことはなく、むなしく淋しいものである。
悵望但烽火,戎車滿關東。
心をいためて思いやるのであるが戦争の烽火はやまないのである、指揮するのに使われる戦車は関中から東には満ち満ちているのだ。
生涯能幾何,常在羈旅中!

私の生涯は残りがそれほどあるわけではないのだ、それに何時も旅をしていて今も旅の真っ只中にいるのだ。

蓬生は無根に非らず,漂蕩は高風に隨う。
天寒 萬裡に落ち,本叢に歸るに複ず。
客子 故宅を念う,三年 門巷 空し。
悵望して但だ烽火なり,戎車 關東に滿つ。
生涯 能く幾何らん,常に在るは羈旅に中る!


昔在洛陽時,親友相追攀。送客東郊道,遨遊宿南山。
煙塵阻長河,樹羽成皋間。回首載酒地,豈無一日還?
丈夫貴壯健,慘戚非朱顏。

昔在【むかし】洛陽の時,親友 相い追攀【ついはん】す。
客を送るは東郊の道,遨遊【ごうゆう】して南山に宿す。
煙塵【えんじん】 長河を阻み,羽を樹【お】く 成皋【せいこう】の間。
首を回らして載酒【さいしゅ】の地を,豈 一日にして還える無からん?
丈夫【じょうぶ】壯健【そうけん】を貴び,慘戚【さんせき】朱顏【しゅがん】に非ず。



現代語訳と訳註
(本文) 其二
 ③
蓬生非無根,漂蕩隨高風。
天寒落萬裡,不複歸本叢。
客子念故宅,三年門巷空。
悵望但烽火,戎車滿關東。
生涯能幾何,常在羈旅中!


(下し文) 其二 ③
蓬生は無根に非らず,漂蕩は高風に隨う。
天寒 萬裡に落ち,本叢に歸るに複ず。
客子 故宅を念う,三年 門巷 空し。
悵望して但だ烽火なり,戎車 關東に滿つ。
生涯 能く幾何らん,常に在るは羈旅に中る!


(現代語訳)
ヨモギが一面に生え茂って荒れ果てている所といっても根を張っていないということはない。さまよい、さすらうこと言うのは高士の風格に随っているのだ。
極寒が万里の内に天から降りてくると、転蓬となって再びもとの一面の叢には帰ってくることはないのだ。
旅人であれば故郷の家を思うものである。もう三年、私の家の門や門前の小道に家族が集うことはなく、むなしく淋しいものである。
心をいためて思いやるのであるが戦争の烽火はやまないのである、指揮するのに使われる戦車は関中から東には満ち満ちているのだ。
私の生涯は残りがそれほどあるわけではないのだ、それに何時も旅をしていて今も旅の真っ只中にいるのだ。


(訳注) 其二 ③
蓬生非無根,漂蕩隨高風。

ヨモギが一面に生え茂って荒れ果てている所といっても根を張っていないということはない。さまよい、さすらうこと言うのは高士の風格に随っているのだ。
蓬生 ヨモギが一面に生え茂って荒れ果てている所。轉蓬。 ・漂蕩 1 水にただようこと。 2 さまようこと。さすらうこと。漂泊。


天寒落萬裡,不複歸本叢。
極寒が万里の内に天から降りてくると、転蓬となって再びもとの一面の叢には帰ってくることはないのだ。
本叢 1 草が群がり生える。くさむら。「叢生/淵叢(えんそう)」 2 群がり集まる。多くのものの集まり。


客子念故宅,三年門巷空。
旅人であれば故郷の家を思うものである。もう三年、私の家の門や門前の小道に家族が集うことはなく、むなしく淋しいものである。
客子 旅人。遊子。・門巷空 門や門前の小道。門と巷ちまたのこと。門巷填隘。門や門前の小道が、人が多く集まることでふさがってしまい、通れなくなるほど狭くなってしまうこと。人が多く集まり、密集しているさまをいう。


悵望但烽火,戎車滿關東。
心をいためて思いやるのであるが戦争の烽火はやまないのである、指揮するのに使われる戦車は関中から東には満ち満ちているのだ。
悵望 心をいためて思いやること。うらめしげに見やること。・戎車 戦車のこと。戦時、君主が乗車して作戦を指揮するのに使われる戦車をいう。あるいは「戎路」と呼ばれる。春秋時代中期以降、戎車は将軍の指揮車となり、「元戎」と呼ばれ、戦列の先頭にたった。


生涯能幾何,常在羈旅中!
私の生涯は残りがそれほどあるわけではないのだ、それに何時も旅をしていて今も旅の真っ只中にいるのだ。


遣興三首其一 杜甫 <243>遣興22首の②番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1175 杜甫特集700- 356

遣興三首其一 杜甫 <243>遣興22首の②番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1175 杜甫特集700- 356




遣興三首 758年 乾元元年罷諌官後作 房琯擁護の後、疎外感を持って勤務したころ

我今日夜憂,諸弟各異方。
私は現在日ごと夜ごと心配している。というのは弟たち、それぞれがあちこちに行っている。
不知死與生,何況道路長。
それだから、死んでいるのか生きているのかわからないのだ。何をしているやらどうしているのか彼らと道が遠く離れているのだ。
避寇一分散,饑寒永相望。
安禄山の叛乱により残虐から避けていったん分散したのだ。寒さに加えて食べるものがなく飢えてしまったし、長らく会いたいものと望んでいた。
豈無柴門歸?欲出畏虎狼。
どうしてこの貧しい家の門に帰ってくることが出来ないのか、叛乱軍の安禄山と史思明たちを畏れて出立して欲しいものである。
仰看雲中雁,禽鳥亦有行。

仰ぎ見れば時も過ぎて雲の中に雁が飛んでいる、獰猛な鳥がまた我が物顔で行き来している。

我 今 日び夜よな 憂う,諸弟 各おの方を異にす。
死と生を知ず,何んぞ況んや道路 長し。
寇を避けて一び分散す,寒に饑えてて永らく相い望む。
豈に柴門 歸る無らんや?虎狼を畏れて出んと欲す。
仰ぎ看れば雲中の雁,禽鳥 亦た行く有り。


蓬生非無根,漂蕩隨高風。天寒落萬裡,不複歸本叢。
客子念故宅,三年門巷空。悵望但烽火,戎車滿關東。
生涯能幾何,常在羈旅中!
蓬生は無根に非らず,漂蕩は高風に隨う。
天寒 萬裡に落ち,本叢に歸るに複ず。
客子 故宅を念う,三年 門巷 空し。
悵望して但だ烽火なり,戎車 關東に滿つ。
生涯 能く幾何らん,常に在るは羈旅に中る!


昔在洛陽時,親友相追攀。送客東郊道,遨遊宿南山。
煙塵阻長河,樹羽成皋間。回首載酒地,豈無一日還?
丈夫貴壯健,慘戚非朱顏。

昔在【むかし】 洛陽の時,親友 相い追攀【ついはん】す。
客を送るは東郊の道,遨遊【ごうゆう】して南山に宿す。
煙塵【えんじん】 長河を阻み,羽を樹【お】く 成皋【せいこう】の間。
首を回らして載酒【さいしゅ】の地を,豈 一日にして還える無からん?
丈夫【じょうぶ】壯健【そうけん】を貴び,慘戚【さんせき】朱顏【しゅがん】に非ず。


現代語訳と訳註
(本文) 遣興三首 其一 ②
我今日夜憂,諸弟各異方。
不知死與生,何況道路長。
避寇一分散,饑寒永相望。
豈無柴門歸?欲出畏虎狼。
仰看雲中雁,禽鳥亦有行。


(下し文) 遣興三首 其一 ②
我 今 日び夜よな 憂う,諸弟 各おの方を異にす。
死と生を知ず,何んぞ況んや道路 長し。
寇を避けて一び分散す,寒に饑えてて永らく相い望む。
豈に柴門 歸る無らんや?虎狼を畏れて出んと欲す。
仰ぎ看れば雲中の雁,禽鳥 亦た行く有り。


(現代語訳)
私は現在日ごと夜ごと心配している。というのは弟たち、それぞれがあちこちに行っている。
それだから、死んでいるのか生きているのかわからないのだ。何をしているやらどうしているのか彼らと道が遠く離れているのだ。
安禄山の叛乱により残虐から避けていったん分散したのだ。寒さに加えて食べるものがなく飢えてしまったし、長らく会いたいものと望んでいた。
どうしてこの貧しい家の門に帰ってくることが出来ないのか、叛乱軍の安禄山と史思明たちを畏れて出立して欲しいものである。
仰ぎ見れば時も過ぎて雲の中に雁が飛んでいる、獰猛な鳥がまた我が物顔で行き来している。


(訳注) 遣興三首 其一 ②
我今日夜憂,諸弟各異方。
私は現在日ごと夜ごと心配している。というのは弟たち、それぞれがあちこちに行っている。
諸弟各異方 この時妻子は邠州羌村に、弟は洛陽の東の村に、義母と義弟山東済州、叔弟秦州と分散していた。


不知死與生,何況道路長。
それだから、死んでいるのか生きているのかわからないのだ。何をしているやらどうしているのか彼らと道が遠く離れているのだ。
・この句から4句は杜甫自身が逃げ回って生死の線上をさまよったことを述べる


避寇一分散,饑寒永相望。
安禄山の叛乱により残虐から避けていったん分散したのだ。寒さに加えて食べるものがなく飢えてしまったし、長らく会いたいものと望んでいた。
 755年11月に叛乱蜂起し、12月に洛陽を陥落させ、略奪の限りを尽くし756年6月には都長安を奪取し暴略・残虐、大虐殺を伴ったものであったため寇という表現をした。・饑寒 杜甫のこの時の苦労を述べる詩。

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 105 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-1

安禄山の乱と杜甫

三川觀水漲二十韻 杜甫 127 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 127-#1

彭衙行 杜甫 132 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132 -#1

饑 うえる1 作物が実らないで乏しい。 2 食糧が乏しくてひもじい。


豈無柴門歸?欲出畏虎狼。
どうしてこの貧しい家の門に帰ってくることが出来ないのか、叛乱軍の安禄山と史思明たちを畏れて出立して欲しいものである。
柴門 柴垣の門。借家の門。郊外、田舎の貧しい家の門。・虎狼 安史軍。安禄山と史思明の叛乱軍を指す。


仰看雲中雁,禽鳥亦有行。
仰ぎ見れば時も過ぎて雲の中に雁が飛んでいる、獰猛な鳥がまた我が物顔で行き来している。
禽鳥【きんちょう】鳥。鳥類。家つ鳥。漢民族が異民族を見下して呼んだ言葉。「夷狄」は、えびす・未開人。 「西戎東夷( せいじゅうとうい )」「南蛮北狄( なんばんほくてき ) 」「 夷蛮戎狄(いばんじゅうてき )」.

遣興 杜甫 <242>遣興22首の①番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1175 杜甫特集700- 356

遣興 杜甫 <242>遣興22首の①番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1175 杜甫特集700- 356
遣興 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 151を改定したページである。



五言排律
ふと興にふれて作った詩。やはり長安にあって驥子をおもって作ったものである。製作時、至徳二載。757年46歳 この時遣興のシリーズの先頭である。これが20首も続くとは思っていなかったのである。しかし、この先頭と20首目、21,22番目の詩にこのシリーズの「ワケ」がある。(20~21参照)


遣興 
驥子好男兒,前年學語時:
驥子はいい子だ、前年彼がやっと言葉を習い始めの時分のことである:
問知人客姓,誦得老夫詩。
客人の名前を質問して知ることができ、わたしの作った詩をそらで覚えて言ったたりしたのである。
世亂憐渠小,家貧仰母慈。
この世のみだれたときであるのに彼がまだ幼少であるのは可哀相に思う、貧乏な家だからとりわけ母親の慈しみによっていることなのだ。
鹿門攜不遂,雁足系難期。
自分は龐徳公(ほうとくこう)の様に妻子をたずさえて鹿門山に隠遁でもしたいのだがそれはなしとげられない、蘇武が雁の足に手紙を繋いで託した様に手紙でも届けてくれる約束は難しいのだ。
天地軍麾滿,山河戰角悲。
天地には軍の旗が満ちあふれている、山河には戦の角声が悲しくひびいている。
儻歸免相失,見日敢辭遲。
もし万一、家に帰ることができて互に見失うことを免れることができ得るならば、面会の時はいくら遅くなってもかまわないというものだ。

(興を遣る)①
驥子は好男兒なり,前年、語を學びし時:
問知す 人客の姓、誦し得たり 老夫の詩
世乱れて 渠が小なるを憐む 家 貧にして母の慈を仰ぐ
鹿門 携うること遂げず 雁足 繋くること期し難し
天地 軍麾 満つ 山河 戰角 悲しむ
儻くは 帰りて相失うことを免れれば 見る日敢て遅きを辞せんや


遣興 現代語訳と訳註
(本文) 遣興

驥子好男兒,前年學語時:
問知人客姓,誦得老夫詩。
世亂憐渠小,家貧仰母慈。
鹿門攜不遂,雁足系難期。
天地軍麾滿,山河戰角悲。
儻歸免相失,見日敢辭遲。

(下し文)
驥子は好男兒なり,前年、語を學びし時:
問知す 人客の姓、誦し得たり 老夫の詩
世乱れて 渠が小なるを憐む 家 貧にして母の慈を仰ぐ
鹿門 携うること遂げず 雁足 繋くること期し難し
天地 軍麾 満つ 山河 戰角 悲しむ
儻くは 帰りて相失うことを免れれば 見る日敢て遅きを辞せんや。

(現代語訳)
驥子はいい子だ、前年彼がやっと言葉を習い始めの時分のことである:客人の名前を質問して知ることができ、わたしの作った詩をそらで覚えて言ったたりしたのである。
この世のみだれたときであるのに彼がまだ幼少であるのは可哀相に思う、貧乏な家だからとりわけ母親の慈しみによっていることなのだ。
自分は龐徳公(ほうとくこう)の様に妻子をたずさえて鹿門山に隠遁でもしたいのだがそれはなしとげられない、蘇武が雁の足に手紙を繋いで託した様に手紙でも届けてくれる約束は難しいのだ。
天地には軍の旗が満ちあふれている、山河には戦の角声が悲しくひびいている。
もし万一、家に帰ることができて互に見失うことを免れることができ得るならば、面会の時はいくら遅くなってもかまわないというものだ。


(訳注)
はじめの2句の意味が次の二句にかかる。
驥子好男兒,前年學語時:
驥子はいい子だ、前年彼がやっと言葉を習い始めの時分のことである:
○学語 言語をならいおぼえること。


問知人客姓,誦得老夫詩。
客人の名前を質問して知ることができ、わたしの作った詩をそらで覚えて言ったたりしたのである。
人客 客人をいう。○老夫 作者杜甫自ずからをさす。


世亂憐渠小,家貧仰母慈。
この世のみだれたときであるのに彼がまだ幼少であるのは可哀相に思う、貧乏な家だからとりわけ母親の慈しみによっていることなのだ。
 驥子をさす。○母 驥子の母、杜甫の妻。


鹿門攜不遂,雁足系難期。
自分は龐徳公(ほうとくこう)の様に妻子をたずさえて鹿門山に隠遁でもしたいのだがそれはなしとげられない、蘇武が雁の足に手紙を繋いで託した様に手紙でも届けてくれる約束は難しいのだ。
鹿門 山の名、湖北省嚢陽府に在り、後漢の龐徳公が妻子をたずさえてこの山に登り薬を採って返らなかった、杜甫も隠遁の念があることをいう。○雁足 蘇武の故事。妻からの手紙をいう。蘇武が漢の使となって匈奴に捕えられていたとき、漢より別の使者がいって匈奴をあざむいていうのに、天子が上林中において弓を射て雁を得たところ、雁の足に帛書が繋いであった「蘇武は大沢の中にある」により蘇武の所在がわかり、救出できた。○期 約束。


天地軍麾滿,山河戰角悲。
天地には軍の旗が満ちあふれている、山河には戦の角声が悲しくひびいている。
軍麾 麾は旗のたぐい。○戦角  角はつのぶえ。


儻歸免相失,見日敢辭遲。
もし万一、家に帰ることができて互に見失うことを免れることができ得るならば、面会の時はいくら遅くなってもかまわないというものだ。
 ひょっと、万一。 〇相失 みうしなう。○見日 面会する時日。
 

 杜甫は国のゆくすえを心配すると同時に、羌村に残したまま音信不通になっている家族のことも気になる。詩題の「遣興」は湧き出る思いを吐き出すという意味で、即興的な詩で感情的なものである。
 「驥子」というのは次男宗武の幼名で、このとき五歳である。五歳で父親の詩を暗誦したりして賢いところのある次男に杜甫は注目しており、言葉を覚え始めるくらいの幼さで戦乱の世に遭遇した幼児にあわれを寄せているのだ。そして占領下、囚われの身では家族に便りを出すこともできないと述べている。



鹿門(一首。山名。鹿門山のこと。嚢陽城の東、漢水東岸にある山。峴山とともに襄陽を代表する山。『嚢陽香旧記』に「鹿門山、旧名蘇嶺山。建武中、習郁為侍中、時従光武幸黎丘、与帝通夢、見蘇嶺山神、光武嘉之、拝大鴻櫨。録其前後功、封裏陽侯、使立蘇嶺祠。刻二石鹿、爽神道口、百姓謂之鹿門廟、或呼蘇嶺山為鹿門山」とある。

後漢の逸民・䴇龐廟徳公、唐詩人の孟浩然、皮日休隠棲の地として知られる)孟浩然は四季、一日を詩にした。

曉朝 登鹿門山懐古 

真昼:澗南園即時貽皎上入  

輿黄侍御北津泛舟 

真夏: 仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊 

夏日南亭懷辛大 

夕夜: 夜歸鹿門山歌 



元旦: 田家元日 

鹿門山: 田園作 

南山下與老圃期種瓜 

秦中苦雨思歸贈袁左丞賀侍郎 孟浩然 

夏日辮玉法師茅齋 孟浩然

萬山潭作 


洞湖(一首。後漢の逸民・寵徳公隠棲の地。孟浩然「尋張五回夜園作」に「聞就廟徳公、移居近河湖」とあり、李白も「嘗聞鹿徳公、家住減湖水」と語っている。また、『後漢書』「逸民伝」に「鹿公者、南郡裏陽人也。居山之南、未嘗入府城」とあることから、洞湖は幌山の南にあっ たと推定される。『輿地紀勝』巻八二「嚢陽府」に「鹿徳公宅、在山南広昌里、今廃」とある)

杜甫『喜晴』  喜晴  159
皇天久不雨,既雨晴亦佳。出郭眺四郊,蕭蕭增春華。
青熒陵陂麥,窈窕桃李花。春夏各有實,我饑豈無涯。』#1
干戈雖橫放,慘澹鬥龍蛇。甘澤不猶愈,且耕今未賒。
丈夫則帶甲,婦女終在家。力難及黍稷,得種菜與麻。』#2
千載商山芝,往者東門瓜。其人骨已朽,此道誰疵瑕?
英賢遇轗軻,遠引蟠泥沙。顧慚味所適,回手白日斜。
漢陰有鹿門,滄海有靈查。焉能學眾口,咄咄空咨嗟!』


雁書・雁足の逸話
 果てしない空、そして、その下には目路のかぎりつづくかとみえる、
海のような湖、また湖のまわりの大密林。人かげもない。だが今、とある丸木小屋から、その湖のほとりにさまよいでた男があった。手には弓矢、頭から毛皮をかぶり、髭はぼうぼうと顔をおおう。まるで山男だ。
だが、その眼のなかには、澄んだ不屈の輝きがある。頭の上をこうこうとなきわたる音に、彼はふっと空をみあげた。
  「雁がもう渡るそうな。」
  この人、名を蘇武という。
 
 蘇武は漢の中郎将であった。武帝の天漢元年彼は使いとして、北のかた匈奴の国に赴いた。捕虜交換のためである。だが、匈奴の内紛にまきこまれて、使節団はすべて捕えられ、匈奴に降るか、それとも死ぬか、と脅かされた。そして、蘇武だけはついに降らなかったのである。彼は山腹の窖にとじこめられ、食を絶たれた。そのとき、彼は毛氈をかみ、雪をのんで飢えをしのいだという。蘇武が何日たっても死なないのを見た匈奴は、これを神かとおどろき、北海(バイカル湖)のほとりの人けもないところにやって、羊を飼わせることにした。だが与えられたのは牧羊ばかりであり、そしてこう言われたのである。
  「牧羊が子をうんだら、国に帰してやろうさ。」
 
 そこにあるのは空、森、水、きびしい冬、そして飢えだった。盗賊が彼の羊をぬすんでしまった。彼は野鼠を掘って飢えをしのいだ。それでも彼は匈奴に降ろうとはしなかった。いつかは漢に帰れる、と期待したからではない。ただ、降ろうとしなかったのだ。
 
 この荒れはてた地の果てに流されて、もう何年の歳月がたったのか、
それすらもおぼろであった。きびしい、単調な日々。しかし、ひろびろとした空を渡る雁は、蘇武にその故郷を想わせるのだ。‥‥
 
 武帝が死に、つぎの昭帝の始元六年、漢の使いが匈奴のもとに来た。
漢使は、先頃匈奴に使いしたまま消息を絶った蘇武を還してほしい、と要求した。匈奴は、蘇武はもう死んだ、この世の者ではない、と答えた。真偽を押してたしかめるすべは、漢使にはなかった。だが、その夜のことである。さきに蘇武とともに来て、ここに留まっていた常恵というものが、漢使をたずねて、なにごとか教えた。つぎの会見のとき、漢使は言った。
 
 「漢の天子が、上林苑で狩りをしておられたとき、
  一羽の雁をしとめられた。
  ところが、その雁の足には帛がつけられ、
  帛にはこう書いてあったのだ。[蘇武は大沢の中にある]と。
  蘇武が生きているのは明白だ。」
 
 匈奴の単于(酋長)は驚きの色をみせ、なにか臣下とうちあわせた。そして言った。
 
 「まえに言ったのはまちがいだった。蘇武は生きているそうだ。」
  作り話は、巧くあたった。たちまち使者がバイカル湖めざして奔り、蘇武はつれもどされた。髪もひげもことごとく白く、破れた毛皮をまとった姿は牧人と変わりなかったが、その手には、漢の使者の手形である符節をしっかりとにぎっていた。
  蘇武は国に帰ることになった。捕らえられ、北海のほとりで飢えや寒さとたたかううちに、いつか十九年がたっていた(「漢書」蘇武伝、「十八氏略」)。
 
 この故事がおこりとなって、手紙やおとずれのことを、「雁書」と言いならわすようになった。また雁札、雁信、雁帛などともいう。わが国でも古くからよく使われることばである。雁の玉章、かりの便り、かりの使い、雁の文章などとも言いならわす。
  風が立ちそめるころ、大空をこうこうと鳴きわたる雁のむれは、たしかに何かをわたしたちのもとにもたらすのだ。そして、よし手紙ではないにしても、わたしたちの心のなにかを、ともに運んでゆくのである。
わたしたちの想いはそれを追って遠くのかなたへかけてゆく。


 

遣興二首其二 杜甫 <241>遣興22首の⑭番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1172 杜甫特集700- 355

遣興二首其二 杜甫 <241>遣興22首の⑭番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1172 杜甫特集700- 355

759乾元二年秋在秦州作

遣興二首 其一
天用莫如龍,有時系扶桑。
天が用事をさせるということは龍のようにふるまうことであってはならない。時には傳説の東方海上にある扶桑国の巨木につながるようであって良いのだ。
頓轡海徒湧,神人身更長。
手綱をひたすら操っても海であればいたずらに湧き出す水に任せるだけだ。神のような人ならば身をさらに長くすればよいのだ。
性命苟不存,英雄徒自強。
生命を授かったということはかりそめの安楽を盗んで生きながらえることなど在りはしないのだ。英雄というのはひたすら自らを律して強いものなのだ。
吞聲勿複道,真宰意茫茫。
折角今まで言わずにいたのならこれからそれをいうことはないのだ。天の真の主宰者というものはその意志表現をはっきりさせずとも心が広く受け入れてくれるものなのだ。
興を遣る二首 其の一
天の用は龍の如く莫れ,時に有りて扶桑【ふそう】に系る。
頓轡【とんひ】 海 徒に湧き,神人 身 更に長ず。
性命【せいめい】 苟【かりそめ】に存せず,英雄 徒に自ら強くす。
吞聲【どんせい】 複た道うこと勿,真宰【しんさい】 意 茫茫。

遣興二首 其二
地用莫如馬,無良複誰記?
地の用事というのは馬のように突っ走る悪いものの喩えとなるというのでないのだ。良いことがないということはまた誰に記述するというのか。
此日千裡鳴,追風可君意。
此の日、千里の内側から鳴声が聞えた。追い風に乗って君のおもいを告げてこられたのだ。
君看渥窪種,態與駑駘異。
君は潤いのある窪地に植えてあるのを見ることであろう、とりわけ、才能のない駄馬で、変り者であることを教えられる。
不雜蹄嚙間,逍遙有能事。

ひずめで蹴り、歯で噛まれるようなこの世の中に有って決してそれに混ざり染まることがないようにする。この世の中でブラぶらしている悠々自適な生活は自分の思う事柄をすることである。

natsusora01

現代語訳と訳註
(本文)
⑭遣興二首 其二
地用莫如馬,無良複誰記?
此日千裡鳴,追風可君意。
君看渥窪種,態與駑駘異。
不雜蹄嚙間,逍遙有能事。


(下し文) ⑭興を遣る二首 其の二
地の用は馬の如く莫れ,良 無くして複た誰か記すや?
此の日 千裡の鳴,風を追う 君の意とす可し。
君 渥窪【あくわ】に種えるを看る,態【ことさら】 駑駘【どたい】の異を與う。
蹄嚙【ていし】の間を雜せず,逍遙【しょうよう】能く事する有り。


(現代語訳)
地の用事というのは馬のように突っ走る悪いものの喩えとなるというのでないのだ。良いことがないということはまた誰に記述するというのか。
此の日、千里の内側から鳴声が聞えた。追い風に乗って君のおもいを告げてこられたのだ。
君は潤いのある窪地に植えてあるのを見ることであろう、とりわけ、才能のない駄馬で、変り者であることを教えられる。
ひずめで蹴り、歯で噛まれるようなこの世の中に有って決してそれに混ざり染まることがないようにする。この世の中でブラぶらしている悠々自適な生活は自分の思う事柄をすることである。


(訳注) ⑭遣興二首 其二
地用莫如馬,無良複誰記?
地の用事というのは馬のように突っ走る悪いものの喩えとなるというのでないのだ。良いことがないということはまた誰に記述するというのか。
 悪いものの喩。『楚辞、東方朔、七諫、怨世』「馬蘭踸踔而日加。」(馬蘭 踸踔【ちんたく】して 而して日に加う。)また、ののしる。


此日千裡鳴,追風可君意。
此の日、千里の内側から鳴声が聞えた。追い風に乗って君のおもいを告げてこられたのだ。


君看渥窪種,態與駑駘異。
君は潤いのある窪地に植えてあるのを見ることであろう、とりわけ、才能のない駄馬で、変り者であることを教えられる。
渥窪 潤いのある窪地。・態與 わざと・・・・する。1 意識して、また、意図的に何かをするさま。ことさら。故意に。わざわざ。2 とりわけ目立つさま。格別に。官を辞して秦州へ逃避したこの地が『渥窪』であるということ。李白、王維、岑参、高適らに言おうとしている。
駑駘【どたい】 [1]のろい馬。駄馬。[2]転じて、才能が劣っていること。また、その人。おろかもの。


不雜蹄嚙間,逍遙有能事。
ひずめで蹴り、歯で噛まれるようなこの世の中に有って決してそれに混ざり染まることがないようにする。この世の中でブラぶらしている悠々自適な生活は自分の思う事柄をすることである。
蹄嚙 ひずめで蹴り、歯で噛むこと。有蹄(ゆうてい)類など主として草原をかける大型草食動物に発達する爪(つめ)が変形したもの。爪(そう)板(爪体)が筒状に発達して指の先端をとり囲み,爪掌が底面を構成,後方の肉指は角皮層が発達して丈夫な蹄甲となる。  ・逍遙 1.そこここをぶらぶらと歩くこと.散歩. 2.心を俗世間の外に遊ばせること.悠々自適して楽しむこと.

遣興二首其一 杜甫 <240>遣興22首の⑬番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1169 杜甫特集700- 354

遣興二首其一 杜甫 <240>遣興22首の⑬番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1169 杜甫特集700- 354


遣興詩特集
 遣興 756年 反乱軍拘束、長安で軟禁状態であったとき
驥子好男兒,前年學語時﹕問知人客姓,誦得老夫詩。
世亂憐渠小,家貧仰母慈。鹿門攜不遂,雁足系難期。
天地軍麾滿,山河戰角悲。倘歸免相失,見日敢辭遲。
遣興 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 151

遣興三首 758 乾元元年 房琯擁護の後、疎外感を持って勤務したころ


我今日夜憂,諸弟各異方。不知死與生,何況道路長。
避寇一分散,饑寒永相望。豈無柴門歸?欲出畏虎狼。
仰看雲中雁,禽鳥亦有行。

蓬生非無根,漂蕩隨高風。天寒落萬裡,不複歸本叢。
客子念故宅,三年門巷空。悵望但烽火,戎車滿關東。
生涯能幾何,常在羈旅中!

昔在洛陽時,親友相追攀。送客東郊道,遨遊宿南山。
煙塵阻長河,樹羽成皋間。回首載酒地,豈無一日還?
丈夫貴壯健,慘戚非朱顏。

遣興三首 759乾元二年秋在秦州作 
下馬古戰場,四顧但茫然。風悲浮雲去,黃葉墮我前。
朽骨穴螻蟻,又為蔓草纏。故老行嘆息,今人尚開邊。
漢虜互勝負,封疆不常全。安得廉頗將,三軍同晏眠?
遣興三首 其一 <226>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1094 杜甫特集700- 329

高秋登塞山,南望馬邑州。降虜東擊胡,壯健盡不留。
穹廬莽牢落,上有行雲愁。老弱哭道路,願聞甲兵休。
鄴中事反覆,死人積如丘。諸將已茅土,載驅誰與謀?
遣興三首 其二 <227>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1097 杜甫特集700- 330

豐年孰雲遲,甘澤不在早。耕田秋雨足,禾黍已映道。
春苗九月交,顏色同日老。勸汝衡門士,忽悲尚枯槁。
時來展才力,先後無醜好。但訝鹿皮翁,忘機對芳草。
遣興三首 其三 <228>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1100 杜甫特集700- 331

1033.遣興五首 759乾元二年秋在秦州作
蟄龍三冬臥,老鶴萬裡心。昔時賢俊人,未遇猶視今。
嵇康不得死,孔明有知音。又如隴坻松,用舍在所尋。
大哉霜雪幹,歲久為枯林。

昔者龐德公,未曾入州府。襄陽耆舊間,處士節獨苦。
豈無濟時策?終竟畏網罟。林茂鳥有歸,水深魚知聚。
舉家隱鹿門,劉表焉得取。

陶潛避俗翁,未必能達道。觀其著詩集,頗亦恨枯槁。
達生豈是足?默識蓋不早。有子賢與愚,何其掛懷抱?

賀公雅吳語,在位常清狂。上疏乞骸骨,黃冠歸故鄉。
爽氣不可致,斯人今則亡。山陰一茅宇,江海日淒涼。

吾憐孟浩然,短褐即長夜。賦詩何必多,往往淩鮑謝。
清江空舊魚。春雨餘甘蔗。每望東南雲,令人幾悲吒。

遣興二首   759乾元二年秋在秦州作
天用莫如龍,有時系扶桑。頓轡海徒湧,神人身更長。
性命苟不存,英雄徒自強。吞聲勿複道,真宰意茫茫。

地用莫如馬,無良複誰記?此日千裡鳴,追風可君意。
君看渥窪種,態與駑駘異。不雜蹄嚙間,逍遙有能事。


遣興二首 其一  
天用莫如龍,有時系扶桑。
天が用事をさせるということは龍のようにふるまうことであってはならない。時には傳説の東方海上にある扶桑国の巨木につながるようであって良いのだ。
頓轡海徒湧,神人身更長。
手綱をひたすら操っても海であればいたずらに湧き出す水に任せるだけだ。神のような人ならば身をさらに長くすればよいのだ。
性命苟不存,英雄徒自強。
生命を授かったということはかりそめの安楽を盗んで生きながらえることなど在りはしないのだ。英雄というのはひたすら自らを律して強いものなのだ。
吞聲勿複道,真宰意茫茫。
折角今まで言わずにいたのならこれからそれをいうことはないのだ。天の真の主宰者というものはその意志表現をはっきりさせずとも心が広く受け入れてくれるものなのだ。
⑬興を遣る二首 其の一
天の用は龍の如く莫れ,時に有りて扶桑【ふそう】に系る。
頓轡【とんひ】 海 徒に湧き,神人 身 更に長ず。
性命【せいめい】 苟【かりそめ】に存せず,英雄 徒に自ら強し。
吞聲【どんせい】 複た道うこと勿,真宰【しんさい】 意 茫茫。

遣興二首 其二
地用莫如馬,無良複誰記?
此日千裡鳴,追風可君意。
君看渥窪種,態與駑駘異。
不雜蹄嚙間,逍遙有能事。

遣興五首  759年乾元二年秋在秦州作

朔風飄胡雁,慘澹帶砂礫。長林何蕭蕭,秋草萋更碧。
北裡富燻天,高樓夜吹笛。焉知南鄰客,九月猶絺綌。

長陵銳頭兒,出獵待明發。騂弓金爪鏑,白馬蹴微雪。
未知所馳逐,但見暮光滅。歸來懸兩狼,門戶有旌節。

漆有用而割,膏以明自煎;蘭摧白露下,桂折秋風前。
府中羅舊尹,沙道故依然。赫赫蕭京兆,今為人所憐。

猛虎憑其威,往往遭急縛。雷吼徒咆哮,枝撐已在腳。
忽看皮寢處,無複睛閃爍。人有甚於斯,足以勸元惡。

朝逢富家葬,前後皆輝光。共指親戚大,緦麻百夫行。
送者各有死,不須羨其強。君看束縛去,亦得歸山岡。

浣花渓草堂 760年成都 ***********************
遣興
干戈猶未定,弟妹各何之!拭淚沾襟血,梳頭滿面絲。
地卑荒野大,天遠暮江遲。衰疾那能久,應無見汝期。


21遣意二首    760
囀枝黃鳥近,泛渚白鷗輕。一徑野花落,孤村春水生。
衰年催釀黍,細雨更移橙。漸喜交遊絕,幽居不用名。
22
簷影微微落,津流脈脈斜。野船明細火,宿雁聚圓沙。
雲掩初弦月,香傳小樹花。鄰人有美酒,稚子也能賒。


現代語訳と訳註
(本文)
⑬遣興二首 其一
天用莫如龍,有時系扶桑。
頓轡海徒湧,神人身更長。
性命苟不存,英雄徒自強。
吞聲勿複道,真宰意茫茫。


(下し文) ⑬興を遣る二首 其の一
天の用は龍の如く莫れ,時に有りて扶桑【ふそう】に系る。
頓轡【とんひ】 海 徒に湧き,神人 身 更に長ず。
性命【せいめい】 苟【かりそめ】に存せず,英雄 徒に自ら強し。
吞聲【どんせい】 複た道うこと勿,真宰【しんさい】 意 茫茫。


(現代語訳)
天が用事をさせるということは龍のようにふるまうことであってはならない。時には傳説の東方海上にある扶桑国の巨木につながるようであって良いのだ。
手綱をひたすら操っても海であればいたずらに湧き出す水に任せるだけだ。神のような人ならば身をさらに長くすればよいのだ。
生命を授かったということはかりそめの安楽を盗んで生きながらえることなど在りはしないのだ。英雄というのはひたすら自らを律して強いものなのだ。
折角今まで言わずにいたのならこれからそれをいうことはないのだ。天の真の主宰者というものはその意志表現をはっきりさせずとも心が広く受け入れてくれるものなのだ。


(訳注) ⑬遣興二首 其一
天用莫如龍,有時系扶桑。

天が用事をさせるということは龍のようにふるまうことであってはならない。時には傳説の東方海上にある扶桑国の巨木につながるようであって良いのだ。
 神のいる天上、空、天体、気候  天子。
 1 必要にこたえる働きのあること。役に立つこと。また、使い道。用途。「―をなさない」「―のなくなった子供服」2 なすべき仕事。用事。
扶桑【ふそう】中国伝説で東方海上にある島国(扶桑国とも)または巨木(扶木・扶桑木・扶桑樹とも)である。『山海経』「下有湯谷 湯谷上有扶桑 十日所浴 在黑齒北 居水中 有大木 九日居下枝 一日居上枝」“東方の海中に黒歯国があり、その北に扶桑という木が立っており、そこから太陽が昇るという。 ”


頓轡海徒湧,神人身更長。
手綱をひたすら操っても海であればいたずらに湧き出す水に任せるだけだ。神のような人ならば身をさらに長くすればよいのだ。
 1 いちずなさま。ひたすら。「―な態度」「―に思いを寄せる」 2 完全にその状態であるさま。「―に煙にだになし果ててむと思ほして」〈源・夕霧〉 3 向こう見ずなさま。また、強引で粗暴なさま。


性命苟不存,英雄徒自強。
生命を授かったということはかりそめの安楽を盗んで生きながらえることなど在りはしないのだ。英雄というのはひたすら自らを律して強いものなのだ。
性命【せいめい】 1 生まれながら天から授かった性質と運命。2 いのち。生命。・苟存【こうそん】 かりそめの安楽を盗んで生きながらえる。『晉書‧、劉毅傳』「往年國難滔天, 故志竭愚忠, 靦然苟存。」 “
・苟 いやしくも まことに かりそめに。一時的。「苟安・苟且(こうしょ)」 [難読]苟且(かりそめ)


吞聲勿複道,真宰意茫茫。
折角今まで言わずにいたのならこれからそれをいうことはないのだ。天の真の主宰者というものはその意志表現をはっきりさせずとも心が広く受け入れてくれるものなのだ。
真宰 真の主宰者。老荘思想で天をいう。天地の主宰者。造物者。『荘子、齊物論』分裂した魂を救い世の論争を統一しようと試みる論文で「若有眞宰、而特不得其眹。可行已信、而不見其形、有情而無形。」(真の主宰者がいるようであるが、その形跡は得られない。 はたらきの結果は確かであるが、そうさせたものの形は見えない。 実質はあるが、姿形はないのである。)
茫茫1 広々としてはるかなさま。「―とした大海原」「―たる砂漠」 2 ぼんやりかすんではっきりしないさま。「―たる記憶」「―と暗路(やみじ)に物を探るごとく」〈露伴・五重塔〉 3 草・髪などが伸びて乱れている。

遣興五首其五 杜甫 <239>遣興22首の⑫番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1166 杜甫特集700- 353

遣興五首其五 杜甫 <239>遣興22首の番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1166 杜甫特集700- 353



其一  
蟄龍三冬臥,老鶴萬裡心。
冬眠している竜は冬三か月じゅうじっとして寝ているが、老いた鶴ははるか万里のさきまで飛んで行こうとする心を抱いているものだ。
昔時賢俊人,未遇猶視今。
昔から賢く優れた人達がでてきた、彼らはまだ好機時運に出遭うまではやはり、ここで私が今日、現状を眺めているような気持ちでいたであろう。(冬の寒い時期に)はじっとしているもので、好機を覗って体力を温存する。)
嵇康不得死,孔明有知音。
儒者で賢俊な嵇康は鍾会の讒言で死罪となり、政党なしに肩を売ることはできなかったし、諸葛孔明は劉備の如きすべてを理解し、信頼してくれる者があって用いられたのである。
又如隴坻松,用舍在所尋。
また、これらのことから、人も喩えて見ればこの地方の有名な隴坻の急峻な坂に生えている松の樹のようなものである、この松木を家を建てるのに用うると棄てて置くとはその材を尋ねる人如何にあるということである。
大哉霜雪幹,歲久為枯林。
惜しいことにはあのように驚くべく大きな霜雪を凌ぐいで立っている松の幹であっても、いつまでも永久に棄ておかれたならば枯れ木の林になっているのである。
(其の一)
蟄竜【ちつりょう】三冬に臥す、老鶴【ろうかく】は万里の心。
昔時 賢俊【けんしゅん】の人、未だ遇わざりしときは猶お今を視るがごとくなりしならん。
嵇康【けいこう】は死を得ず、孔明は知音【ちいん】有り。
又た隴坻【りょうてい】の松の如し、用舍は尋ぬる所に在り。
大なる哉 霜雪の幹、歳久しくして枯林となる。


其二   
昔者龐德公,未曾入州府。
むかし後漢の龐德公は、鹿門山の中に薬芝を取るといって引き込んで一度も荊州や襄陽府にさえ入り込んだことがなかったのである。
襄陽耆舊間,處士節獨苦。
襄陽の名のある老人たちの間で話題にされた 「襄陽耆舊記」の問答集にでており、徳公は、独り処士を貫き、儒者としての苦しい節操を守った。
豈無濟時策?終竟畏網罟。
どうして、徳公に三国の時世を救う謀が無いわけはなかったが、結論を言うと、世へ出て罪禍の網をひっかけることに手を貸すことを憚ったのである。
林茂鳥有歸,水深魚知聚。
林が茂りゆたかになれば鳥というものはそこへ帰るというものだし、水が深くしずかであれば魚はそこへ集まるものだ、
舉家隱鹿門,劉表焉得取。
そこで安棲できることを知っているからである。徳公も鹿門山の山中がその場所だと悟っているからだ、
(其の二)
昔者龐徳公【ほうとくこう】、未だ曾て州府に入らず。
嚢陽【じょうよう】耆旧【しきゅう】の間、処士【しょし】節独り苦しむ。
豈 時を済うの策なからんや、終に竟に網罟【もうこ】を茂る。
林茂れば鳥帰する有り、水深ければ魚衆まるを知る。
家を挙って鹿門に隠る、劉表焉んぞ取ることを得ん。


其三   
陶潛避俗翁,未必能達道。
東晋の陶淵明は官を辞して世俗を避けて隠遁した老翁がいる、隠者として、古今東西を通じて一般に行われるべき徳を積んでいるとはおもえない。
觀其著詩集,頗亦恨枯槁。
それは彼の作った詩集を見てみると、ただ単に落ちぶれて衰えた人というものではないか。
達生豈是足?默識蓋不早。
「荘子、達生」でいう自己を棄てようと思う者でありながら、 世を棄てられないということか、口に出さずに心中に会得するただ隠棲者としてはその生活は徳を積む悟りが早くはなかった。
有子賢與愚,何其掛懷抱?

彼の『責子』で子どものことを賢いとか、愚かだといっているのは隠者の言うことではないし、どうしてそういうことを胸にしまっておけなかったのであろうか。
(其の三)
陶潜は避俗の翁なるも、未だ必ずしも道に達する能はず。
其の著す詩集を観るに、頗る亦だ枯稿を恨む。
達生 豈に是れ足らんや、黙識 蓋し早からず。
子の賢と愚と有るも、何ぞ其れ懐抱に桂けんや。


其四   
賀公雅吳語,在位常清狂。
賀知章先生は朝廷内であっても江南語の国の方言ばかりで話しておられた。朝廷の秘書監でいる間も「四明狂客」と称され、おおらかで権力の争いには加わることのない清廉な方であった。
上疏乞骸骨,黃冠歸故鄉。
出世を願うということもしなくて辞職を願い出た。道士の黃冠を以て故郷に帰った。
爽氣不可致,斯人今則亡。
人格はさわやかな気配を漂わせており、追究することなどない。しかし、この人は今はもう亡くなっていない。
山陰一茅宇,江海日淒涼。
会稽の南に一軒の粗末な茅葺の家を建てていた、銭塘江や大海原に抱かれて日々爽やかに過ごした。
(其の四)
賀公雅に呉語し、位に在りては常に清狂たり。
上疏して骸骨を乞ひ、黄冠故郷に帰る。
爽気致すべからず、斯の人今や則ち亡し。
山陰 一茅宇、江海日に凄涼たり。


遣興 其五  
吾憐孟浩然,短褐即長夜。
私は先輩の孟浩然を憐れむのであるが、官僚になることがなく、鹿門山の傍に隠棲し、短褐穿結の生活を長くされた。
賦詩何必多,往往淩鮑謝。
その賦や詩文のなんと必ず心打つものが多いことか、昔からその分野を見て鮑照と謝朓をはるかにしのぐのである。
清江空舊魚。春雨餘甘蔗。
清らかに流れる漢江に空しく死んだ魚が浮かんでいるということであり、春の長雨に日照りで甘くなっていく甘蔗が大水でもてあましているようなものである。
每望東南雲,令人幾悲吒。

何時も遠き東南の襄陽につづく雲を眺めているし、孟浩然を亡くした詩人の仲間たちは幾たびか哀しみと叱咤をするのである。
(其の五) 
吾は憐む孟浩然、短褐長夜に即くを。
詩を賦すること何ぞ必ずしも多からんや、往往にして鮑謝を凌ぐ。
清江旧魚空しく、春雨甘蔗余る。
東南の雲を望む毎に、人をして幾たびか悲吒せしむる。


 孟浩然が官に就くことなく優れた詩を残して貧窮の中に世を去ったことを悼む詩である。杜甫は、「解悶十二首」其六で孟浩然について次のように詠う。
復憶襄陽孟浩然,清詩句句盡堪傳。
即今耆舊無新語,漫釣槎頭縮頸鯿。
復た憶ふ 襄陽の孟浩然、清詩 句句 尽く伝ふるに堪へたり。
即今 耆旧 新語無く、漫に釣る 槎頭 縮頸の鯿。

 つくづく思うのは、孟浩然の清新な詩句はことごとく後世に伝えられるものである、しかし、彼以後、襄陽の詩人達には新しく作られる佳句がないのであり、ただ漫然と万丈潭で釣り糸を垂れているまるで詩人を筏で繋いだようであり、首をちじめているおしき魚ではないか。

とつぶやいているのである。秦州での作、遣興詩⑫と比べると、孟浩然の文学を称えることは共通しているが、成都に来て以降の杜甫はその生活からも物事を客観的に見るようになっていて、孟浩然が布衣として世を去ったことと深い哀悼の表現が解悶詩には見られなくなっている。



遣興其五
吾憐孟浩然,短褐即長夜。
賦詩何必多,往往淩鮑謝。
清江空舊魚。春雨餘甘蔗。
每望東南雲,令人幾悲吒。

(興を遣る 其の五)
吾は憐む孟浩然、短褐長夜に即くを。
詩を賦すること何ぞ必ずしも多からんや、往往にして鮑謝を凌ぐ。
清江旧魚空しく、春雨甘蔗余る。
東南の雲を望む毎に、人をして幾たびか悲吒せしむる


現代語訳と訳註
(本文)
遣興其五
吾憐孟浩然,短褐即長夜。賦詩何必多,往往淩鮑謝。
清江空舊魚。春雨餘甘蔗。每望東南雲,令人幾悲吒。


(下し文) (興を遣る 其の五)
吾は憐む孟浩然、短褐長夜に即くを。
詩を賦すること何ぞ必ずしも多からんや、往往にして鮑謝を凌ぐ。
清江旧魚空しく、春雨甘蔗余る。
東南の雲を望む毎に、人をして幾たびか悲吒せしむる


(現代語訳)
私は先輩の孟浩然を憐れむのであるが、官僚になることがなく、鹿門山の傍に隠棲し、短褐穿結の生活を長くされた。
その賦や詩文のなんと必ず心打つものが多いことか、昔からその分野を見て鮑照と謝朓をはるかにしのぐのである。
清らかに流れる漢江に空しく死んだ魚が浮かんでいるということであり、春の長雨に日照りで甘くなっていく甘蔗が大水でもてあましているようなものである。
何時も遠き東南の襄陽につづく雲を眺めているし、孟浩然を亡くした詩人の仲間たちは幾たびか哀しみと叱咤をするのである。


(訳注)
遣興其五
吾憐孟浩然,短褐即長夜。

私は先輩の孟浩然を憐れむのであるが、官僚になることがなく、鹿門山の傍に隠棲し、短褐穿結の生活を長くされた。
短褐 短褐穿結ということ。貧しい人や卑しい人の着る衣服。貧者の粗末な姿の形容。・短褐は短い荒布でできた着物。・穿結は破れていたり、結び合わせてあったりすること。


賦詩何必多,往往淩鮑謝。
その賦や詩文のなんと必ず心打つものが多いことか、昔からその分野を見て鮑照と謝朓をはるかにしのぐのである。
鮑謝 ここでは、鮑照と謝朓のことであるが孟浩然の詩は謝霊運の詩にかなり強く影響されている。儒者からの人物評価において、謝靈運に対する偏見が多く正当な評価がされていない。○顏謝 顔 延之と謝霊運の山水詩人。
・六朝からの山水詩人たちを凌駕したということ。


清江空舊魚。春雨餘甘蔗。
清らかに流れる漢江に空しく死んだ魚が浮かんでいるということであり、春の長雨に日照りで甘くなっていく甘蔗が大水でもてあましているようなものである。
舊魚 死んだ魚。・甘蔗【かんしゃ】サトウキビの別名。
・あれだけ、襄陽に在住し、実績を残した孟浩然の詩を受け継ぎ、越えて行こうというものがいないことをいう。


每望東南雲,令人幾悲吒。
何時も遠き東南の襄陽につづく雲を眺めているし、孟浩然を亡くした詩人の仲間たちは幾たびか哀しみと叱咤をするのである。
令人 よいひと。通常夫を亡くした妻ということであるが、ここでは孟浩然を亡くした詩人の仲間たちということ。
・杜甫が秦州に来たのは、長安、華州、洛陽、それ以東、乱れ、不安定な戦況から逃れ、詩人として生きていくことを決意したのである。



 杜甫の遣興詩は、当初、心にわき起こった様々な心情のうち、ことに愁の感情を詩によってはらうという作品であった。杜甫の「遣興」と題されたものを時系列に番号を付与したもので見ていく。特に連作の場合、その表現は共通する一定の枠組みを持っており、底辺に流れる感情や心情も同一のものであると考えられる。⑧~⑫については、詩人として生きていくことを決意した杜甫が心にとめる詩人のその詩の背景について評論しているものである。⑩の「遣興五首」其三「陶潜避俗翁」詩については、陶淵明批判の有無、自嘲の有無ということを中心にいくつかの解釈がなされているが、この連作のなかでそれぞれの詩の背景、共通の枠組みと底辺に流れる感情を措定し、枯楕を恨む陶淵明の中に自らとの同一性を見いだし、親近感を抱き、諧謔を含んだ表現を展開しているものとして理解することができる。「陶潜避俗翁」は、枯楕を恨む現在の自分の姿を改めて確認しているのであり、「賀公雅呉語」は、自らが手の届かない道士、黄冠の人であることを客観的に感じ、清狂なる官吏としての人生を表現し、「吾憐孟浩然」は、貧賤のなかで詩人として生き、幾ばくかの詩編を留めて世を去るであろう残された人生を自らの人生重ねている作品としてそれぞれ読むことができる。



遣興 756年 叛乱軍安禄山軍に拘束、長安で軟禁。
驥子好男兒,前年學語時﹕問知人客姓,誦得老夫詩。
世亂憐渠小,家貧仰母慈。鹿門攜不遂,雁足系難期。
天地軍麾滿,山河戰角悲。倘歸免相失,見日敢辭遲。

遣興 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 151


遣興三首 758 乾元元年罷諌官後作 ②
我今日夜憂,諸弟各異方。不知死與生,何況道路長。
避寇一分散,饑寒永相望。豈無柴門歸?欲出畏虎狼。
仰看雲中雁,禽鳥亦有行。

蓬生非無根,漂蕩隨高風。天寒落萬裡,不複歸本叢。
客子念故宅,三年門巷空。悵望但烽火,戎車滿關東。
生涯能幾何,常在羈旅中!

昔在洛陽時,親友相追攀。送客東郊道,遨遊宿南山。
煙塵阻長河,樹羽成皋間。回首載酒地,豈無一日還?
丈夫貴壯健,慘戚非朱顏。



遣興三首 759乾元二年秋在秦州作 ⑤
下馬古戰場,四顧但茫然。風悲浮雲去,黃葉墮我前。
朽骨穴螻蟻,又為蔓草纏。故老行嘆息,今人尚開邊。
漢虜互勝負,封疆不常全。安得廉頗將,三軍同晏眠?
遣興三首 其一 <226>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1094 杜甫特集700- 329

高秋登塞山,南望馬邑州。降虜東擊胡,壯健盡不留。
穹廬莽牢落,上有行雲愁。老弱哭道路,願聞甲兵休。
鄴中事反覆,死人積如丘。諸將已茅土,載驅誰與謀?
遣興三首 其二 <227>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1097 杜甫特集700- 330

豐年孰雲遲,甘澤不在早。耕田秋雨足,禾黍已映道。
春苗九月交,顏色同日老。勸汝衡門士,忽悲尚枯槁。
時來展才力,先後無醜好。但訝鹿皮翁,忘機對芳草。
遣興三首 其三 <228>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1100 杜甫特集700- 331



遣興五首 759乾元二年秋在秦州作 ⑧
蟄龍三冬臥,老鶴萬裡心。昔時賢俊人,未遇猶視今。
嵇康不得死,孔明有知音。又如隴坻松,用舍在所尋。
大哉霜雪幹,歲久為枯林。

昔者龐德公,未曾入州府。襄陽耆舊間,處士節獨苦。
豈無濟時策?終竟畏網罟。林茂鳥有歸,水深魚知聚。
舉家隱鹿門,劉表焉得取。

陶潛避俗翁,未必能達道。觀其著詩集,頗亦恨枯槁。
達生豈是足?默識蓋不早。有子賢與愚,何其掛懷抱?

賀公雅吳語,在位常清狂。上疏乞骸骨,黃冠歸故鄉。
爽氣不可致,斯人今則亡。山陰一茅宇,江海日淒涼。

吾憐孟浩然,短褐即長夜。賦詩何必多,往往淩鮑謝。
清江空舊魚。春雨餘甘蔗。每望東南雲,令人幾悲吒。



遣興二首   759乾元二年秋在秦州作⑬
天用莫如龍,有時系扶桑。頓轡海徒湧,神人身更長。
性命苟不存,英雄徒自強。吞聲勿複道,真宰意茫茫。

地用莫如馬,無良複誰記?此日千裡鳴,追風可君意。
君看渥窪種,態與駑駘異。不雜蹄嚙間,逍遙有能事。



遣興五首  759乾元二年秋在秦州作⑮
朔風飄胡雁,慘澹帶砂礫。長林何蕭蕭,秋草萋更碧。
北裡富燻天,高樓夜吹笛。焉知南鄰客,九月猶絺綌。

長陵銳頭兒,出獵待明發。騂弓金爪鏑,白馬蹴微雪。
未知所馳逐,但見暮光滅。歸來懸兩狼,門戶有旌節。

漆有用而割,膏以明自煎;蘭摧白露下,桂折秋風前。
府中羅舊尹,沙道故依然。赫赫蕭京兆,今為人所憐。

猛虎憑其威,往往遭急縛。雷吼徒咆哮,枝撐已在腳。
忽看皮寢處,無複睛閃爍。人有甚於斯,足以勸元惡。

朝逢富家葬,前後皆輝光。共指親戚大,緦麻百夫行。
送者各有死,不須羨其強。君看束縛去,亦得歸山岡。


浣花渓草堂  *****760年**********************
⑳遣興
干戈猶未定,弟妹各何之!拭淚沾襟血,梳頭滿面絲。
地卑荒野大,天遠暮江遲。衰疾那能久,應無見汝期。





21遣意二首    760
囀枝黃鳥近,泛渚白鷗輕。一徑野花落,孤村春水生。
衰年催釀黍,細雨更移橙。漸喜交遊絕,幽居不用名。
22
簷影微微落,津流脈脈斜。野船明細火,宿雁聚圓沙。
雲掩初弦月,香傳小樹花。鄰人有美酒,稚子也能賒。

xxxxxxxxxxxxxxxxxxx
漫成二首-------------------------
野日荒荒白,春流泯泯清。渚蒲隨地有,村徑逐門成。
只作披衣慣,常從漉酒生。眼邊無俗物。多病也身輕。

江皋已仲春,花下複清晨。仰面貪看鳥,回頭錯應人。
讀書難字過,對酒滿壺頻。近識峨眉老,知予懶是真。

遣興五首其四 杜甫 <238>遣興22首の⑪番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1163 杜甫特集700- 352

遣興五首其四 杜甫 <238>遣興22首の番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1163 杜甫特集700- 352


其一  ⑧
蟄龍三冬臥,老鶴萬裡心。
冬眠している竜は冬三か月じゅうじっとして寝ているが、老いた鶴ははるか万里のさきまで飛んで行こうとする心を抱いているものだ。
昔時賢俊人,未遇猶視今。
昔から賢く優れた人達がでてきた、彼らはまだ好機時運に出遭うまではやはり、ここで私が今日、現状を眺めているような気持ちでいたであろう。(冬の寒い時期に)はじっとしているもので、好機を覗って体力を温存する。)
嵇康不得死,孔明有知音。
儒者で賢俊な嵇康は鍾会の讒言で死罪となり、政党なしに肩を売ることはできなかったし、諸葛孔明は劉備の如きすべてを理解し、信頼してくれる者があって用いられたのである。
又如隴坻松,用舍在所尋。
また、これらのことから、人も喩えて見ればこの地方の有名な隴坻の急峻な坂に生えている松の樹のようなものである、この松木を家を建てるのに用うると棄てて置くとはその材を尋ねる人如何にあるということである。
大哉霜雪幹,歲久為枯林。
惜しいことにはあのように驚くべく大きな霜雪を凌ぐいで立っている松の幹であっても、いつまでも永久に棄ておかれたならば枯れ木の林になっているのである

(其の一)
蟄竜【ちつりょう】三冬に臥す、老鶴【ろうかく】は万里の心。
昔時 賢俊【けんしゅん】の人、未だ遇わざりしときは猶お今を視るがごとくなりしならん。
嵇康【けいこう】は死を得ず、孔明は知音【ちいん】有り。
又た隴坻【りょうてい】の松の如し、用舍は尋ぬる所に在り。
大なる哉 霜雪の幹、歳久しくして枯林となる。


其二  
昔者龐德公,未曾入州府。
むかし後漢の龐德公は、鹿門山の中に薬芝を取るといって引き込んで一度も荊州や襄陽府にさえ入り込んだことがなかったのである。
襄陽耆舊間,處士節獨苦。
襄陽の名のある老人たちの間で話題にされた 「襄陽耆舊記」の問答集にでており、徳公は、独り処士を貫き、儒者としての苦しい節操を守った。
豈無濟時策?終竟畏網罟。
どうして、徳公に三国の時世を救う謀が無いわけはなかったが、結論を言うと、世へ出て罪禍の網をひっかけることに手を貸すことを憚ったのである。
林茂鳥有歸,水深魚知聚。
林が茂りゆたかになれば鳥というものはそこへ帰るというものだし、水が深くしずかであれば魚はそこへ集まるものだ、
舉家隱鹿門,劉表焉得取。
そこで安棲できることを知っているからである。徳公も鹿門山の山中がその場所だと悟っているからだ、

(其の二)
昔者龐徳公【ほうとくこう】、未だ曾て州府に入らず。
嚢陽【じょうよう】耆旧【しきゅう】の間、処士【しょし】節独り苦しむ。
豈 時を済うの策なからんや、終に竟に網罟【もうこ】を茂る。
林茂れば鳥帰する有り、水深ければ魚衆まるを知る。
家を挙って鹿門に隠る、劉表焉んぞ取ることを得ん。

其三  
陶潛避俗翁,未必能達道。
東晋の陶淵明は官を辞して世俗を避けて隠遁した老翁がいる、隠者として、古今東西を通じて一般に行われるべき徳を積んでいるとはおもえない。
觀其著詩集,頗亦恨枯槁。
それは彼の作った詩集を見てみると、ただ単に落ちぶれて衰えた人というものではないか。
達生豈是足?默識蓋不早。
「荘子、達生」でいう自己を棄てようと思う者でありながら、 世を棄てられないということか、口に出さずに心中に会得するただ隠棲者としてはその生活は徳を積む悟りが早くはなかった。
有子賢與愚,何其掛懷抱?
彼の『責子』で子どものことを賢いとか、愚かだといっているのは隠者の言うことではないし、どうしてそういうことを胸にしまっておけなかったのであろうか。

(其の三)
陶潜は避俗の翁なるも、未だ必ずしも道に達する能はず。
其の著す詩集を観るに、頗る亦だ枯稿を恨む。
達生 豈に是れ足らんや、黙識 蓋し早からず。
子の賢と愚と有るも、何ぞ其れ懐抱に桂けんや。


其四  
賀公雅吳語,在位常清狂。
賀知章先生は朝廷内であっても江南語の国の方言ばかりで話しておられた。朝廷の秘書監でいる間も「四明狂客」と称され、おおらかで権力の争いには加わることのない清廉な方であった。
上疏乞骸骨,黃冠歸故鄉。
出世を願うということもしなくて辞職を願い出た。道士の黃冠を以て故郷に帰った。
爽氣不可致,斯人今則亡。
人格はさわやかな気配を漂わせており、追究することなどない。しかし、この人は今はもう亡くなっていない。
山陰一茅宇,江海日淒涼。

会稽の南に一軒の粗末な茅葺の家を建てていた、銭塘江や大海原に抱かれて日々爽やかに過ごした。


(其の四)

賀公雅に呉語し、位に在りては常に清狂たり。
上疏して骸骨を乞ひ、黄冠故郷に帰る。
爽気致すべからず、斯の人今や則ち亡し。
山陰 一茅宇、江海日に凄涼たり。


其五  
吾憐孟浩然,短褐即長夜。賦詩何必多,往往淩鮑謝。
清江空舊魚。春雨餘甘蔗。每望東南雲,令人幾悲吒。
(其の五) 
吾は憐む孟浩然、短褐長夜に即くを。
詩を賦すること何ぞ必ずしも多からんや、往往にして鮑謝を凌ぐ。
清江旧魚空しく、春雨甘蔗余る。
東南の雲を望む毎に、人をして幾たびか悲吒せしむる


現代語訳と訳註
(本文) 其の四
賀公雅吳語,在位常清狂。上疏乞骸骨,黃冠歸故鄉。
爽氣不可致,斯人今則亡。山陰一茅宇,江海日淒涼。


(下し文)
賀公雅に呉語し、位に在りては常に清狂たり。
上疏して骸骨を乞ひ、黄冠故郷に帰る。
爽気致すべからず、斯の人今や則ち亡し。
山陰一茅宇、江海日に凄涼たり。


(現代語訳)
賀知章先生は朝廷内であっても江南語の国の方言ばかりで話しておられた。朝廷の秘書監でいる間も「四明狂客」と称され、おおらかで権力の争いには加わることのない清廉な方であった。
出世を願うということもしなくて辞職を願い出た。道士の黃冠を以て故郷に帰った。
人格はさわやかな気配を漂わせており、追究することなどない。しかし、この人は今はもう亡くなっていない。
会稽の南に一軒の粗末な茅葺の家を建てていた、銭塘江や大海原に抱かれて日々爽やかに過ごした。


(訳注)
賀公雅吳語,在位常清狂。

賀知章先生は朝廷内であっても江南語の国の方言ばかりで話しておられた。朝廷の秘書監でいる間も「四明狂客」と称され、おおらかで権力の争いには加わることのない清廉な方であった。
雅呉語 飲酒ではなく、いつも方言まるだしであったこと。・清狂 四明狂客と号し、個償不輯、おおらかで権力の争いに加わることがなかった。
李白『對酒憶賀監二首 其二』
狂客歸四明。 山陰道士迎。
敕賜鏡湖水。 為君台沼榮。
人亡余故宅。 空有荷花生。
念此杳如夢。 淒然傷我情。


上疏乞骸骨,黃冠歸故鄉。
それ以上の出世を願うということもしなくて辞職を願い出た。道士の黃冠を以て故郷に帰った。
乞骸骨 主君に一身をささげて仕えた身だが、老いさらばえた骨だけは返していただきたいの意。辞職を願い出る。『晏子春秋』外篇「臣愚不能復治东阿,愿乞骸骨,避贤者之路」。・黃冠 道教指導者の發布巾。玄冠のこと。星冠、蓮花冠、五嶽冠、五老冠。


爽氣不可致,斯人今則亡。
人格はさわやかな気配を漂わせており、追究することなどない。しかし、この人は今はもう亡くなっていない。


山陰一茅宇,江海日淒涼。
会稽の南に一軒の粗末な茅葺の家を建てていた、銭塘江や大海原に抱かれて日々爽やかに過ごした。
茅宇【ぼう‐う】茅ぶきの家。また、あばら屋。茅屋。



・賀知章:659年~744年(天寶三年)盛唐の詩人。越州永興(現・浙江省蕭山県)の人。字は季真。則天武后の代に進士に及第して、国子監、秘書監などになった
○鏡湖 山陰にある湖。天宝二年、賀知章は年老いたため、官をやめ郷里に帰りたいと奏上したところ、玄宗は詔して、鏡湖剡川の地帯を賜わり、鄭重に送別した。〇台沼 高台や沼。

賀公、すなわち賀知章を追慕した作品である。賀知章は盛唐期の士人の代表ともいうべき人物であり、自ら四明狂客と号し、個償不輯、おおらかで権力の争いに加わることがなかった。その人柄は当時の多くの詩人達のあこがれであった。
杜甫『飲中八仙歌』
知章騎馬似乘船,眼花落井水底眠。
汝陽三鬥始朝天,道逢曲車口流涎,恨不移封向酒泉。』
左相日興費萬錢,飲如長鯨吸百川,銜杯樂聖稱避賢。
宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。
蘇晉長齋繡佛前,醉中往往愛逃禪。
李白一鬥詩百篇,長安市上酒家眠,
天子呼來不上船,自稱臣是酒中仙。
張旭三杯草聖傳,脫帽露頂王公前,揮毫落紙如雲煙。
焦遂五斗方卓然,高談雄辨驚四筵。
*赤に示すのが八仙の人々。

*賀知章のページは回鄕偶書  盛唐の詩人たち を参考。


杜甫は「飲中八仙歌」の中で、「知章騎馬似乗船、眼花落井水底眠。(知章 馬に騎ること船に乗るに似、眼花さき 井に落ち 水底に眠る。)」と、その飲酒の様子を詠じている。しかし、「遣興五首」では飲酒ではなく、いつも方言まるだしであったこと(「雅呉語」)、官吏としてきままであったこと(「在位常清狂」)、官吏として老境にいたって致仕して帰郷したこと(「乞骸骨」「帰故郷」)、道士となったこと(「黄冠」)を挙げ、彼の人生を総括するように「爽気不可致」と詠じている。「爽気」は、賀知章の人柄、そして官吏として生きた人生をも概括することばであろう。
李白『送賀賓客帰越』 
鏡湖流水漾清波、狂客帰舟逸興多。
山陰道士如相見、応写黄庭換白鵝。


遣興五首其三 杜甫 <237>遣興22首の⑩番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1160 杜甫特集700- 351

遣興五首其三 杜甫 <237>遣興22首の⑩番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1160 杜甫特集700- 351


陶淵明に自らを重ねて心情を表出しているのか、さらに自嘲を陶淵明は世俗を避けた老人ではあるが、まだ隠者としての道を究めることができていないとし、その根拠として陶淵明は詩中において、いささか枯楕を恨んでいることを挙げ、さらに生を達観し、道を悟っていれば子供の賢愚など気にかけることはないはずである


遣興五首 其三  
陶潛避俗翁,未必能達道。
東晋の陶淵明は官を辞して世俗を避けて隠遁した老翁がいる、隠者として、古今東西を通じて一般に行われるべき徳を積んでいるとはおもえない。
觀其著詩集,頗亦恨枯槁。
それは彼の作った詩集を見てみると、ただ単に落ちぶれて衰えた人というものではないか。
達生豈是足?默識蓋不早。
「荘子、達生」でいう自己を棄てようと思う者でありながら、 世を棄てられないということか、口に出さずに心中に会得するただ隠棲者としてはその生活は徳を積む悟りが早くはなかった。
有子賢與愚,何其掛懷抱?

彼の『責子』で子どものことを賢いとか、愚かだといっているのは隠者の言うことではないし、どうしてそういうことを胸にしまっておけなかったのであろうか。


(其の三)
陶潜は避俗の翁なるも、未だ必ずしも道に達する能はず。
其の著す詩集を観るに、頗る亦た枯槁を恨む。
達生豈に是れ足らんや、黙識蓋し早からず。
子の賢と愚と有るも、何ぞ其れ懐抱に桂けんや。


現代語訳と訳註
(本文)
遣興五首 其三
陶潛避俗翁,未必能達道。觀其著詩集,頗亦恨枯槁。
達生豈是足?默識蓋不早。有子賢與愚,何其掛懷抱?


(下し文) (其の三)
陶潜は避俗【ひぞく】の翁なるも、未だ必ずしも達道【たっとう】する能【あた】はず。
其の著す詩集を観るに、頗る亦だ枯稿【ここう】を恨む。
達生【たつせい】豈に是れ足らんや、黙識【もくしき】蓋し早からず。
子の賢と愚と有るも、何ぞ其れ懐抱【かいほう】に桂けんや。


(現代語訳)
東晋の陶淵明は官を辞して世俗を避けて隠遁した老翁がいる、隠者として、古今東西を通じて一般に行われるべき徳を積んでいるとはおもえない。
それは彼の作った詩集を見てみると、ただ単に落ちぶれて衰えた人というものではないか。
「荘子、達生」でいう自己を棄てようと思う者でありながら、 世を棄てられないということか、口に出さずに心中に会得するただ隠棲者としてはその生活は徳を積む悟りが早くはなかった。
彼の『責子』で子どものことを賢いとか、愚かだといっているのは隠者の言うことではないし、どうしてそういうことを胸にしまっておけなかったのであろうか。


(訳注)
遣興五首 其三
陶潛避俗翁,未必能達道。

東晋の陶淵明は官を辞して世俗を避けて隠遁した老翁がいる、隠者として、古今東西を通じて一般に行われるべき徳を積んでいるとはおもえない。
達道《「たっとう」とも》古今東西を通じて一般に行われるべき道徳。君臣・父子・夫婦・兄弟・朋友の五つの道。達徳。「陶潜避俗翁」(⑩)においても、杜甫は陶淵明を「恨枯楕(枯楕を恨む)」人物であるととらえている。「恨枯楕」とは、『杜詩詳注』他、諸注の指摘するように、陶淵明の「飲酒二十首」其十一、「顔生称為仁、栄公言有道。屡空不獲年、長飢至於老。雖留身後名、一生亦枯楕。死去何所知、称心固為好。客養千金躯。臨化消其宝。裸葬何必悪。人当解意表。(顔生仁を為すと称せられ、栄公道有りと言はる。
屡空しくして年を獲ず、長く飢えて老に至る。身後の名を留むと雖も、一生亦た枯楕す。死し去れば何の知る所ぞ、心に称ふを固より好しと為す。千金の躯を客養し、化に臨みて其の宝を消す。裸葬何ぞ必ずしも悪しからん。人当に意表を解すベし。)」に「一生亦枯楕」とあるのに基づく。ここでは貧賤や飢寒に苦しみ、樵悴してやつれはてる意味であるが、杜甫は貧賤、飢寒によって樵悴した陶淵明をその作品のうちに見いだしたのである。陶淵明が決して悟りきった隠者ではなく、現在の目分と同じように社会との対峙において樵悴する人物であると理解した時、「無上の親しみ」を陶淵明に対して感じたことは容易に想定することができる。


觀其著詩集,頗亦恨枯槁。
それは彼の作った詩集を見てみると、ただ単に落ちぶれて衰えた人というものではないか。
・枯槁 落ちぶれて衰えた人のこと。 ・「枯槁」は草木がしぼんで枯れること。転じて、人がやつれやせ衰える意に用いる。 『荘子』徐無鬼(じょむき)「枯槁の士となる」など。


達生豈是足?默識蓋不早。
「荘子、達生」でいう自己を棄てようと思う者でありながら、 世を棄てられないということか、口に出さずに心中に会得するただ隠棲者としてはその生活は徳を積む悟りが早くはなかった。
達生 荘子、達生(自己を棄てようと思う者、 世を棄てられなくて「天と一為る」ことができるものか。・默識 口に出さずに心中に会得すること。 


有子賢與愚,何其掛懷抱?
彼の『責子』で子どものことを賢いとか、愚かだといっているのは隠者の言うことではないし、どうしてそういうことを胸にしまっておけなかったのであろうか。
儒者、隠者として、官を辞したのではなく、仕官していても、隠遁しても生活に変わりがなかったということで、杜甫が陶淵明に借りて自らを詠ったというより、決して『高士』陶ではない淵明の低俗性をいっているのである。
杜甫自身が、陶淵明と相似た境遇におかれたことが両者の距離をちぢめ、彼が淵明の作品に、自己の影を発見したであろうことは否定できない。それだけ彼は、陶淵明と重なりあう自己を感じ、陶淵明に無上の親しみと、時には反撥をも示している。」と述べ、杜甫が陶淵明の作品に自らと共通する部分を見いだし、親しみと時には反発を示すという分析を加えている。
陶淵明 .『責子』
白髮被兩鬢,肌膚不復實。
雖有五男兒,總不好紙筆。
阿舒已二八,懶惰故無匹。
阿宣行志學,而不好文術。
雍端年十三,不識六與七。
通子垂九齡,但覓梨與栗。
天運苟如此,且進杯中物。

プロフィール

紀 頌之

Twitter プロフィール
記事検索
最新記事(画像付)
最新記事
記事検索
カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
QRコード
QRコード
記事検索
  • ライブドアブログ