杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

2012年08月

秦州抒情詩(7)  天河 杜甫 <292> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1343 杜甫詩 700- 412

秦州抒情詩(7)  天河 杜甫 <292> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1343 杜甫詩 700- 412 


     
  同じ日のブログ 
     1341燕歌行 謝霊運(康楽) 詩<79-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩508 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1341 
     1342城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#26>Ⅱ中唐詩422 紀頌之の漢詩ブログ1345 
     1343天河 杜甫 <292> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1343 杜甫詩 700- 412 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     



《秦州抒情詩(7)  『天河』 杜甫700の292首目、杜甫ブログ412回目》
天の川のことをいい、それと杜甫自身の問題点を提議し、生活の感をのべる。759年乾元二年秦州での作。

天河
常時任顯晦,秋至輒分明。
いつもの天の川ははっきり見えたりくらくて見えなかったり時に任せた様子をしているが、秋になればうってかわっていよいよはっきりみえてくる。
縱被微雲掩,終能永夜清。
たとえある時すこしの浮雲にふさがれ、おおわれるとしても、結局は秋のながい夜においては澄み渡るのである。
含星動雙闕,伴月照邊城。
その光は星の光をつつんで先ずここより東の都の大明宮の小門に働きだし、月光とともにはるか西にかたよった秦州の樓塞まで傾いて照らしてくれる。
牛女年年渡,何曾風浪生。

この河には毎年牽牛と織女が渡って逢うというのであるが、その時だけ天河の風浪がないのだろうが旅人の我々夫婦には波浪が今生じているのだ。

銀河002

現代語訳と訳註
(本文)
天河
常時任顯晦,秋至轉分明。縱被浮雲掩,猶能永夜清。
含星動雙闕,半月落邊城。牛女年年渡,何曾風浪生。


(下し文) (天 河)
常時顕晦【けんかい】に任す、秋至れば転【うた】た分明【ぶんめい】なり。
縦【たと】い浮雲に掩被【えんぴ】されるも、終【つい】に能く永夜【えいや】清し。
星を含みて双闕【そうけつ】に動き、月に伴いて辺城に落つ。
牛女 年年渡る、何ぞ曾て風浪【ふうろう】生ぜん。


(現代語訳)
いつもの天の川ははっきり見えたりくらくて見えなかったり時に任せた様子をしているが、秋になればうってかわっていよいよはっきりみえてくる。
たとえある時すこしの浮雲にふさがれ、おおわれるとしても、結局は秋のながい夜においては澄み渡るのである。
その光は星の光をつつんで先ずここより東の都の大明宮の小門に働きだし、月光とともにはるか西にかたよった秦州の樓塞まで傾いて照らしてくれる。
この河には毎年牽牛と織女が渡って逢うというのであるが、その時だけ天河の風浪がないのだろうが旅人の我々夫婦には波浪が今生じているのだ。


(訳注)
天河
天河 あまのがわ。銀河・経河・河漢・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。
詩経の大雅•棫樸、「倬彼雲漢、爲章于天。」小雅大東などに雲漢,銀河,天河がみえる。古詩十九首之十「迢迢牽牛星、皎皎河漢女。」、謝霊運(康楽) 『燕歌行』「誰知河漢淺且清,展轉思服悲明星。」、李商隠『燕臺詩四首 其二』 「直教銀漢堕懐中、未遣星妃鎭來去。」七夕伝説では、織女星と牽牛星を隔てて会えなくしている川が天の川である。二人は互いに恋しあっていたが、天帝に見咎められ、年に一度、七月七日の日のみ、天の川を渡って会うことになった。

杜甫『初月』

光細弦欲上,影斜輪未安。

微升古塞外,已隱暮雲端。

河漢不改色,關山空自寒。

庭前有白露,暗滿菊花團。


宮詞   王建
銀燭秋光冷画屏、軽羅小扇撲流蛍。
玉階夜色涼如水、臥看牽牛織女星。
李商隠『馬嵬
海外徒聞更九州、他生未卜此生休。
空間虎旅鳴宵拆、無復鶏人報暁籌。
此日六軍同駐馬、當時七夕笑牽牛。
如何四紀為天子、不及慮家有莫愁。
李商隠『碧城 其三』「七夕来時先有期、洞房簾箔至今垂。」


常時任顯晦,秋至轉分明。
いつもの天の川ははっきり見えたりくらくて見えなかったり時に任せた様子をしているが、秋になればうってかわっていよいよはっきりみえてくる。
常時 ふだん、秋以外の時節をさす。○顕晦 はっきりみえたり、くらくてみえなかったり。○ うってかわっていよいよ。


縱被浮雲掩,猶能永夜清。
たとえある時すこしの浮雲にふさがれ、おおわれるとしても、結局は秋のながい夜においては澄み渡るのである。
永夜 あきのよながじゅう。


含星動雙闕,伴月照邊城。
その光は星の光をつつんで先ずここより東の都の大明宮の小門に働きだし、月光とともにはるか西にかたよった秦州の樓塞まで傾いて照らしてくれる。
含星 星光を包容する、天河にはおおよそ三十有余の星を含むという。○ 天河の光のはたらくことをいう。○双闕 宮殿への門の左右の小門。○伴月 月光とともに。○ その方に向かって傾く。 ・邊城 辺境の城郭。ここでは秦州の樓塞。


牛女年年渡,何曾風浪生。
この河には毎年牽牛と織女が渡って逢うというのであるが、その時だけ天河の風浪がないのだろうが旅人の我々夫婦には波浪が今生じているのだ。
牛女 牽牛星、織女星、この二星は七月七日の夕、一年に一回逢い会するといわれる。○ 織女星が烏鵠のわたした橋をわたって牽牛星の方へゆく。○風浪 天河の風浪。風と浪。 風に吹かれて起こる波。転じて川を行く旅人が風浪をうけること。ここでは牽牛織女を旅客である自らの夫妻のことに比している。

秦州抒情詩(6)  遣懷 杜甫 <291> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1340 杜甫詩 700- 411

秦州抒情詩(6)  遣懷 杜甫 <291> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1340 杜甫詩 700- 411
秋の暮れのさまをのべている。乾元二年秦州での作。


     
  同じ日のブログ 
     1338『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩507 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1338 
     1339城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#24>Ⅱ中唐詩420 紀頌之の漢詩ブログ1339 
     1340遣懷 杜甫 <291> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1340 杜甫詩 700- 411 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     




遣懷
愁眼看霜露,寒城菊自花。
(隠棲する場所を求めてここに来たが、)どうしても秋の夕べは愁いを帯びた眼でみてしまう、すでに霜露が降りている、寒々とした城塞に菊花がひと知れずさいている。
天風隨斷柳,客淚墮清笳。
そして、空吹く風はちぎれてとぶ柳の葉と共に追いかけているし、城塞で吹く胡笳の澄んだ音が聞こえてくると旅人の目には涙がおちる。
水靜樓陰直,山昏塞日斜。
河水は静かにたたえていて城楼のかげがまっすぐにうつる、そして山は薄暮くなって塞の向こうの太陽が山陰にかかり沈もうとしている。
夜來歸鳥盡,啼殺後棲鴉。
やがて夜が来るとほかの鳥はみんな林に帰り、いなくなる、帰り遅れた鴉は悲しく啼きさけぶのである。(帰る所のない私も秋の夕暮は泣き叫びたいくらいだ。)


現代語訳と訳註
(本文)

遣懷
愁眼看霜露,寒城菊自花。
天風隨斷柳,客淚墮清笳。
水靜樓陰直,山昏塞日斜。
夜來歸鳥盡,啼殺後棲鴉。


(下し文)
(懐いを遣る)
愁眼【しゅうがん】霜露【そうろ】を看る、寒城【かんじょう】菊自ずから花さく。
天風【てんふう】断柳【だんりゅう】に随い、客涙【かくるい】清笳【せいか】に堕つ。
水静かにして楼陰【ろういん】直く、山昏くして塞日【さいじつ】斜めなり。
夜来【やらい】帰鳥【きちょう】尽き、啼殺【ていさつ】す後棲【こうせい】の鴉【からす】。


(現代語訳)
(隠棲する場所を求めてここに来たが、)どうしても秋の夕べは愁いを帯びた眼でみてしまう、すでに霜露が降りている、寒々とした城塞に菊花がひと知れずさいている。
そして、空吹く風はちぎれてとぶ柳の葉と共に追いかけているし、城塞で吹く胡笳の澄んだ音が聞こえてくると旅人の目には涙がおちる。
河水は静かにたたえていて城楼のかげがまっすぐにうつる、そして山は薄暮くなって塞の向こうの太陽が山陰にかかり沈もうとしている。
やがて夜が来るとほかの鳥はみんな林に帰り、いなくなる、帰り遅れた鴉は悲しく啼きさけぶのである。(帰る所のない私も秋の夕暮は泣き叫びたいくらいだ。)


(訳注)
遣懷

秋碁のさまをのべている。759年乾元二年秦州での作。詩人として生きていくことを思って、山水抒情に徹したものになっている。いく当てのない不安も感じさせる秦州抒情律詩シリーズである。


愁眼看霜露,寒城菊自花。
(隠棲する場所を求めてここに来たが、)どうしても秋の夕べは愁いを帯びた眼でみてしまう、すでに霜露が降りている、寒々とした城塞に菊花がひと知れずさいている。
愁眼-看 この語は霜露のみにかかっているのではなく、この詩全体かかるものとみるべきである。


天風隨斷柳,客淚墮清笳。
そして、空吹く風はちぎれてとぶ柳の葉と共に追いかけているし、城塞で吹く胡笳の澄んだ音が聞こえてくると旅人の目には涙がおちる。
随断柳 柳葉が風に随うというべきところを逆にいったもの、断柳はちぎれた柳の葉、その葉の飛びちるままに風の吹く痕が知られることをいう。○ 蘆の葉を巻いた笛。後には木で作る。晋以後は天予の行列にも用いた。もと胡人が吹いたので、胡笳という。謝靈運『従遊京口北固應詔』「鳴笳發春渚、税鑾登山椒。」李白『春夜洛城聞笛』 

謝霊運<6> 従遊京口北固應詔 #1 詩集 362

従遊京口北固應詔 
玉璽誡誠信、黄屋示崇高。事為名教用、道以神理超。
昔聞汾水遊、今見塵外鑣。鳴發春渚、税鑾登山椒。
張組眺倒景、列筵矚歸潮。

遠巌映蘭薄、白日麗江皐。原濕荑縁柳、墟囿散紅桃。
皇心美陽澤、萬象咸光昭。顧己枉維縶、撫志慙場苗。
工拙各所宜、終以返林巣。曾是縈舊想、覽物奏長謡。

李白『塞下曲』李白26 塞下曲
五月天山雪,無花祗有寒。
笛中聞折柳,春色未曾看。
曉戰隨金鼓,宵眠抱玉鞍。
願將腰下劍,直爲斬樓蘭。


水靜樓陰直,山昏塞日斜。
河水は静かにたたえていて城楼のかげがまっすぐにうつる、そして山は薄暮くなって塞の向こうの太陽が山陰にかかり沈もうとしている。
塞日 秦州の城塞の向こうに沈みかける太陽を見る。


夜來歸鳥盡,啼殺後棲鴉。
やがて夜が来るとほかの鳥はみんな林に帰り、いなくなる、帰り遅れた鴉は悲しく啼きさけぶのである。(帰る所のない私も秋の夕暮は泣き叫びたいくらいだ。)
啼殺 悲しく啼きさけぶ。○後棲鴉 他の鳥は既に帰ったのに、おくれてねぐらにやどる鴉。つまり、杜甫自身のことを謂うのである。初句の「愁眼」は終句の「鴉」まで見ていたのである。

李白『三五七言』
秋風清、    秋月明。
落葉衆還散、  寒鴉棲復驚。
相思相見知何日、此時此夜難怠惰。
秋風 清く、  秋月 明らかなり。
落莫 衆まって還た散じ、寒鴉 棲んで復た驚く。
相思い相見る 知る何れの日ぞ、此の時此の夜 情を為し難し。

三五七言 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白171 玄宗(4



李白『聽胡人吹笛』 
胡人吹玉笛。 一半是秦聲。
十月吳山曉。 梅花落敬亭。
愁聞出塞曲。 淚滿逐臣纓。
卻望長安道。 空懷戀主情。
胡人(こじん)  玉笛(ぎょくてき)を吹く、一半は是(こ)れ秦声(しんせい)。
十月  呉山(ござん)の暁(あかつき)、梅花  敬亭(けいてい)に落つ。
愁えて出塞(しゅっさい)の曲を聞けば、涙は逐臣(ちくしん)の纓(えい)に満つ。
却(かえ)って長安の道を望み、空しく主(しゅ)を恋うるの情を懐(いだ)く。

聽胡人吹笛 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 209


秦州抒情詩(5)  即事 杜甫 <290> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1337 杜甫詩 700- 410

秦州抒情詩(5)  即事 杜甫 <290> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1337 杜甫詩 700- 410


     
  同じ日のブログ 
     1335『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩506 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1335 
     1336城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#23>Ⅱ中唐詩419 紀頌之の漢詩ブログ1336 
     1337即事 杜甫 <290> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1337 杜甫詩 700- 410 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     
《秦州抒情詩(5)  『即事』 杜甫700の290首目、杜甫ブログ410回目》

即事
(最近のニュースで感じたこと。)
聞道花門破,和親事卻非。
最近聞くところによると花門の回紇軍が洛陽の戦いで敗れたそうである。和親条約で連合軍として戦ってきたがこれが上手くいっていなかったのだ。
人憐漢公主,生得渡河歸。
ウイグルの国王の死によって殉死させようとしたが,公主は抵抗したが人としては憐れである。巡視せずに黄河の流れにのって乗って,同年8月に唐に帰国した。
秋思拋雲髻,腰肢勝寶衣。
一昨年秋に思いを遣ると悲しい思いになる。けな気にも皇族の地位をなげうたれたこと、そしてウイグルの王室へ嫁がれたことは唐王朝がウイグルへ報奨金を約束したことよりももっと重要な事であった。
群凶猶索戰,回首意多違。
史思明を頭目とする群がっている凶悪な奴らは、なおも戦を仕掛けており、邪悪な意図をもって仕掛けている、よくよく考えてみれば、こうなることも自業自得というものである。天子も自分の選り好みで賢臣たちをしりぞけ、功労者をしりぞけ、安易にウイグルに援軍を求めたことなど多くの点で意見は違っているのだ。




この詩は、日本で紹介されているものがないので(誤訳や理解不足のものはある)、少し詳しく解説する。


1.安史の乱における回紇について

1-1. 756年09月,粛宗はウイグルに援軍を求めるために使者を。漠北のモンゴリアに派遣使者となったのは,王族の一人(敦 煙郡王承粟)とトルコ系武将の僕固懐恩とソグド系 武将の石定番.

1-2 756年8~9月 杜甫蘆子関付近で捕縛される

1-3. ・756年10月にオルホン河畔のオルドバリクで会見.ウイグルの第2代 可汗・磨延畷(葛 勒可汗)は喜んで、可敦(カトン;可汗の正妻)の妹を妾(めあわ)自分の娘とした上で、これを承粟に嬰す。さらにウイグルの首領を答礼の使者として派遣してきたので、粛宗はこれを彭原に出迎え、ウ イグル王女を砒伽公主 に封じた.。

1-4 756年7~12月[通鑑 による],安史勢力側の阿史那従礼が突廠・同羅・僕骨軍5000騎を率い,河曲にあった九府・六胡州の勢力数万も合わせて、行在=霊武を襲わんとした。

1-5. 756年9~12月郭子儀は,磨延啜自身が率いて南下してきたウィグル本軍を陰山と黄河の間にある呼延谷で迎え,これと合流、
1-6 ・一方これ以前 に葛遷支率いる ウイグル別働 隊2000騎 がまず范陽を攻撃したが,成功せずにそこから太原方面に移動
1-7 ・.郭子儀軍はこれ らのウイグル本軍並びに別働隊と協力して,阿史那従礼軍を斥け,河曲(黄河の大湾曲部内側の北半部,す なわちオルドスを中心に,そ の外側の陰山山脈以南を合わせた一帯;現在の内蒙古自治区の一部とちんにし陝西省~寧夏回族自治区の北辺)を平定した.。

1-8. 757年至徳二 年元 旦,安禄山は洛陽で実子の安慶緒,並びに腹心の部下によって暗殺さる.

1-9 757年安禄山の盟友で,洛陽政権樹立の最:大の功労者であった史思明は,いちはやく分離独立の方針を決め,莫大な軍資金を蓄積してある范陽に帰還.

1-10  757年同年2月,粛宗は鳳翔に進出.前年末からこれまでに,コータン・安西・北庭・抜汗那・大食からの援軍が集結.同 月,ウイグル首領の大将軍・多攬15人 が入朝.

1-11  同年9月,ウ イグルの磨 延畷可汗は太子 の葉護 を筆頭に,将 軍の帝徳らに4000余 騎(旧 唐書 ・安禄山伝では3000騎)を率いさせて唐に派遣.粛宗は喜び,宴会を催し,元帥の広平王・淑(後の代宗)に命じて葉護 と兄弟の契りを結ばせる.

1-12. 蕃漢15万にふくれあがった唐軍は,広平王・淑 を総帥とし,鳳翔を出発.扶風で ウイグル軍を出迎 えた郭子儀は,3日 間の大宴会で接待.以 後,ウイグル軍には食料として毎日,羊200匹,牛20頭,米40石 が支給さる.。

1-13  757年9月17日,長安攻撃開始.朔方左廟兵馬使・僕固懐恩 とウイグル軍が連携して活躍.安慶緒側の守備軍は約6万の損失を蒙って潰走.唐軍,長安を回復す.

1-14  757年10月,反乱軍は唐側の郭子儀軍やウイグル軍により滝関・陳郡を次々に落とされ,安 慶緒は洛陽を脱出して河北の鄭に走る.唐側は遂に洛陽を奪回.

1-15 757年11月,長 安で粛宗と葉護が会見.粛宗は葉護を労い,司空の位を与え,忠義王に封じ,錦繍繰や金銀器皿を賜す,さらに毎年,絹2万匹を朔方軍にて支給する事を約す.


2. .唐は、回紇(ウイグル)に大きく分けて2回援軍により助けられている。
一回目は758年粛宗が霊武の行在所から鳳翔へ、そして長安、洛陽の奪還のために和親し、成功した。1-1~1-15、3-(1)~(2)。
・759年3月相州彭城を9節度使軍と回紇軍が安史軍に大敗。3-(3)~(6)。
二回目は、763年吐蕃が進行して、長安に攻め入ったのを背後から回紇軍が唐軍と呼応して攻めたため、吐蕃が退いた。吐蕃は杜甫が秦州に入ってくる頃、秦州の西域の沙州に攻め入って「吐蕃の乱」を起こしている。これらは、杜甫『秦州雑詩二十首』、『寓目』に述べられている。


3. 「即事」詩の理解のための経緯―最近の通説

(1) 758年乾元元年5~7月,ウイグルの使者・多亥 阿波一行が長安に来て,公主降嫁 を要請.粛宗は幼少であった実の王女を寧国公主に封じて降嫁させ、同時に磨延畷を英武威遠砒伽可汗に冊立することを決定.寧国公主と冊立使の一行が ウイグルの本営に到着
.
(2) 758年08月,磨 延畷は王子の骨畷特勤と宰相・帝徳らに3000騎を率いさせて唐に派遣.粛宗は僕固懐恩にこの援軍との共同作戦の指揮を命ず.

(3) 759年乾元二年3月,史思明 は安慶緒を殺し,4月,自ら大燕皇帝として即位.

(4) 759年4月,ウイグルの磨延畷可汗が急逝.ウイグルは寧国公主を殉死させようとしたが,公主は抵抗し,同年8月に唐に帰国.一 方,長男・葉護太子は既に罪を得て殺されていたので,末子の移地健が牟羽可汗として即位(第3代).磨延畷在世中に,移地健のために唐に婚姻 を請うたため,粛宗は僕固懐恩めあわに命じてその娘を嬰せていた.それゆえ,彼女が可敦に昇格.。

(5) 760年上元元年(760)閏3月,史思明は洛陽に入城.再び東西両都に対立する政権.となる。

(6)  しかし,この後,史思明は長男の史朝義に替わって妾腹の子・史朝清を溺愛し始め,これを後継者にせんとしたため,逆に史朝義の部下が史思明を捕らえて幽閉.以後,史朝義が洛陽を保持.



現代語訳と訳註
(本文)

聞道花門破,和親事卻非。
人憐漢公主,生得渡河歸。
秋思拋雲髻,腰肢勝寶衣。
群凶猶索戰,回首意多違。


(下し文)
聞道く花門の破を,和親して事 卻って非なり。
人は憐れむ 漢の公主を,生きて 渡河して歸るを得るを。
秋思して 雲髻【うんけい】を拋【なげう】ち,腰肢して寶衣に勝る。
凶は群りて 猶お戰を索す,首を回らせて意に違うを多くす。


(現代語訳)
(最近のニュースで感じたこと。)
最近聞くところによると花門の回紇軍が洛陽の戦いで敗れたそうである。和親条約で連合軍として戦ってきたがこれが上手くいっていなかったのだ。
ウイグルの国王の死によって殉死させようとしたが,公主は抵抗したが人としては憐れである。巡視せずに黄河の流れにのって乗って,同年8月に唐に帰国した。
一昨年秋に思いを遣ると悲しい思いになる。けな気にも皇族の地位をなげうたれたこと、そしてウイグルの王室へ嫁がれたことは唐王朝がウイグルへ報奨金を約束したことよりももっと重要な事であった。
史思明を頭目とする群がっている凶悪な奴らは、なおも戦を仕掛けており、邪悪な意図をもって仕掛けている、よくよく考えてみれば、こうなることも自業自得というものである。天子も自分の選り好みで賢臣たちをしりぞけ、功労者をしりぞけ、安易にウイグルに援軍を求めたことなど多くの点で意見は違っているのだ。


(訳注)
即事

最近のニュースで感じたこと。
その場の事柄、目の前のけしき・ようすを即興で詩にしたもの。759年7~9月史思明は安慶緒軍を壊滅させて、760年3月まで洛陽付近で戦鬥し、洛陽を再度陥落し、入場を果たしている。


聞道花門破,和親事卻非。
最近聞くところによると花門の回紇軍が洛陽の戦いで敗れたそうである。和親条約で連合軍として戦ってきたがこれが上手くいっていなかったのだ。
聞道 きくところによれば。・花門の回紇種族(ウイグル騎馬民族)の軍隊を国内にとどめる。留花門-留 唐の方へひきとめておくことをいう。ウイグルの援助がなければ、唐王朝は消滅し、758年長安、落葉の奪回等及びもつかなかった。○花門 堡の名であるが回紇種族(ウイグル騎馬民族)そのものをさす。元来、居延海(寧夏省の西北境にある湖水)の北にある要塞の名であるが、当時その地点は回紇の領土としていたところからこの名前を使った。『唐書』地理志「甘州寧寇軍の東北に、居延海あり、又北三百里にして、花門山堡あり、又東北千里にして、回紇の衙帳に至る。」とある。
留花門 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1004 杜甫特集700- 299
留花門 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1007 杜甫特集700- 300
留花門 #3 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1010 杜甫特集700- 301


人憐漢公主,生得渡河歸。
ウイグルの国王の死によって殉死させようとしたが,公主は抵抗したが人としては憐れである。巡視せずに黄河の流れにのって乗って,同年8月に唐に帰国した。.
◎この聯は―「即事」詩の理解のための経緯―の3-(4)の部分を述べている。


秋思拋雲髻,腰肢勝寶衣。
一昨年秋に思いを遣ると悲しい思いになる。けな気にも皇族の地位をなげうたれたこと、そしてウイグルの王室へ嫁がれたことは唐王朝がウイグルへ報奨金を約束したことよりももっと重要な事であった。
秋思 悲愁などのように杜甫の意に沿わない出来事、つまり、回紇に援軍を―1.安史の乱における回紇について、3.「即事」詩の理解のための経緯―などを示す。・ 国のために身をなげうつ。・雲髻  756年ウイグルの王女が粛宗の妾になる際に、ウイグル国王に嫁いだ姫君のこと。女性の髪が雲の形のように大きなものとしていた。大きいほど高貴であった。これを雲鬢とするテキストがあるが、それでは三国志の「関羽」の顔がイメージされ意味が限定され通らない。・腰肢 腰と手足。国のために体を張ってという意味。このことのは、杜甫『黄河二首』に詳しく述べている。・寶衣 宝玉と絹の衣裳。回紇に報奨金を支払う約束をしていること。
黄河二首 其一 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 193

黄河二首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 194

群凶猶索戰,回首意多違。
史思明を頭目とする群がっている凶悪な奴らは、なおも戦を仕掛けており、邪悪な意図をもって仕掛けている、よくよく考えてみれば、こうなることも自業自得というものである。天子も自分の選り好みで賢臣たちをしりぞけ、功労者をしりぞけ、安易にウイグルに援軍を求めたことなど多くの点で意見は違っているのだ。
群凶 唐・安・史の三権鼎立を目指していたが安史軍の安は史思明によって滅ぼされ、残ったのは史思明軍であることをさすが、この軍には、唐王朝への不満諸公、しいたげられた異民族が加わっていたので「群凶」(群がっている凶悪な奴ら)というほどの意。・索戰 史思明は唐の九節度使軍を破り、燕皇帝と称し、唐を燕の二国鼎立統治を模索していた。・回首 よくよく考えてみればよくよく考えてみれば、こうなることも自業自得という意。頭を回してと訳せば「意多違」の理解が浅いものになる。・意多違 唐王朝軍を強化することを全くしないで、準備もしないで圧倒的に有利であった自国を滅亡直前までに追い詰められたことは、臣下の内の賢臣の多くを戦死させ、左遷させている。杜甫を含め多くの友人たちは、左遷させられている。これは、この紀頌之漢詩ブログ
杜甫700の150~を順を追って読んでいただくと必ず理解が深まるとおもわれる。



 杜甫氏は割愛したり、飛ばしたりしては理解が全くできない。杜甫は多くのシリーズの作品を残している。たとえば「何将軍」・「鄭虔」シリーズ、「前出塞」・「後出塞」シリーズ、「北征」とその前後40首あまり作品、華州での50首あまり作品、「遣興」20首シリーズ、「秦州雑詩二十首」、「カテゴリー秦州抒情詩として」などこのブログではまったく割愛などせずに紹介している。

山寺 杜甫 <289> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1334 杜甫詩 700- 409

山寺 杜甫 <289> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1334 杜甫詩 700- 409
秦州にあって瑞応寺にあそんでよんだ詩。乾元二年の作。


     
  同じ日のブログ 
     1332『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332 
     1333城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#22>Ⅱ中唐詩418 紀頌之の漢詩ブログ1333 
     1334山寺 杜甫 <289> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1334 杜甫詩 700- 409 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

《『山寺』 杜甫700の289首目、杜甫ブログ409回目》
山寺
(山寺 瑞応寺)
野寺殘僧少,山園細路高。
山上の野寺には在籍の僧が少なそうだ。その野寺の畑や庭に至るにほそい路が高いところまでついている。
麝香眠石竹,鸚鵡啄金桃。
寺の庭には麝香鹿が石竹花のそばで眠っているし、鸚鵡は金桃の枝うえでなにか餌を嘴でつついている。
亂水通人過,懸崖置屋牢。
渓の乱れて流れる水流ではあるが人がわたっていくことができそうなくらいまだゆとりはありそうだ、通路の懸崖に堅牢な家屋が建てられている。
上方重閣晚,百裡見秋毫。

山頂の方で寺の樓閣の二階から日ぐれに見渡してみる、百里四方はるか先までよくみえ秋から生える羽毛まではっきりとみえるようだ。
秦州0002k50
 

現代語訳と訳註
(本文)

山寺
野寺殘僧少,山園細路高。
麝香眠石竹,鸚鵡啄金桃。
亂水通人過,懸崖置屋牢。
上方重閣晚,百裡見秋毫。


(下し文) (山寺)
野寺に残る僧 少なく、山園に細い路 高し。
麝香【じゃっこう】石竹に眠り、鸚鵡【おうむ】金桃【きんとう】に啄【ついば】む。
乱水 人を通し 過ぎる、懸崖【けんがい】屋を置く牢【かた】し。
上方 重閣【ちょうかく】の晩、百里 秋毫【しゅうごう】を見る。


(現代語訳)
(山寺 瑞応寺)
山上の野寺には在籍の僧が少なそうだ。その野寺の畑や庭に至るにほそい路が高いところまでついている。
寺の庭には麝香鹿が石竹花のそばで眠っているし、鸚鵡は金桃の枝うえでなにか餌を嘴でつついている。
渓の乱れて流れる水流ではあるが人がわたっていくことができそうなくらいまだゆとりはありそうだ、通路の懸崖に堅牢な家屋が建てられている。
山頂の方で寺の樓閣の二階から日ぐれに見渡してみる、百里四方はるか先までよくみえ秋から生える羽毛まではっきりとみえるようだ。


(訳注)
山寺

・山寺 瑞応寺のこと。「清一統志」に瑞応寺は秦州東南麦積山上にあり、初め、石巌と名づけたが、後秦の桃典が重修して名を改めたものであり、隋の塔記が尚お存するという。東柯谷の背山であろうと思う。


野寺殘僧少,山園細路高。
山上の野寺には在籍の僧が少なそうだ。その野寺の畑や庭に至るにほそい路が高いところまでついている。
野寺 題の山寺、瑞応寺のこと。


麝香眠石竹,鸚鵡啄金桃。
寺の庭には麝香鹿が石竹花のそばで眠っているし、鸚鵡は金桃の枝うえでなにか餌を嘴でつついている。
麝香 鹿の一種。雄のジャコウジカの腹部にある香嚢(ジャコウ腺)から得られる分泌物を乾燥した香料、生薬の一種である。○石竹 植物の名。ナデシコ科ナデシコ属の観賞目的で花壇、鉢物及び切り花用に栽培される多年草。○鸚鵡 おうむ、秦州地方に多く産する鳥で、主にオーストラリア、マレーシアで生息するオウムとは異なる。○啄金桃 樹上に啄むことをいう。金桃は桃の種名で別名黄桃、また銀桃もある。この晩秋に桃の実はないので、秋の日の長閑さをいう。。


亂水通人過,懸崖置屋牢。
渓の乱れて流れる水流ではあるが人がわたっていくことができそうなくらいまだゆとりはありそうだ、通路の懸崖に堅牢な家屋が建てられている。
乱水 谷川の静かに流れる水ではなく、蛇行して岩にあたって飛び散る様子をいう。みだれて流れる水。○ 堅牢なこと。


上方重閣晚,百裡見秋毫。
山頂の方で寺の樓閣の二階から日ぐれに見渡してみる、百里四方はるか先までよくみえ秋から生える羽毛まではっきりとみえるようだ。
上方 山寺の意、或はいう、方丈が山頂にあることをいうと。○重閣 寺の楼閣の二階。○百里 百里四方はるか先までよくみえることをいう。詩でいう百里で遠くまで見えること。○秋毫 獣毛は秋になるとはそくなる。 ○秋毫 毫は細い毛。動物の毛は秋に殊に細くなるので、きわめで微細なものを秋毫という。

李白『觀放白鷹』「八月邊風高、胡鷹白錦毛。孤飛一片雪、百里見秋毫。」   

觀放白鷹 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白169 玄宗〈2                      

杜甫『喜聞官軍已臨賊寇 二十韻』「戈鋌開雪色,弓矢向秋毫。」

喜聞官軍已臨賊寇 二十韻 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 223

杜甫『奉先劉少府新畫山水障歌』「滄浪水深青且闊,欹岸側島秋毫末。」

奉先劉少府新畫山水障歌 杜甫138  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 136-3


寓目 杜甫 <288> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1331 杜甫詩 700- 408

寓目 杜甫 <288> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1331 杜甫詩 700- 408
秦州にあってふと見たことをよんだ。759年乾元二年の作。


     
  同じ日のブログ 
     1329緩歌行 謝霊運(康楽) 詩<77>Ⅱ李白に影響を与えた詩504 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1329 
     1330城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#21>Ⅱ中唐詩417 紀頌之の漢詩ブログ1330 
     1331寓目 杜甫 <288> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1331 杜甫詩 700- 408 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

《『寓目』 杜甫700の288首目、杜甫ブログ408回目》

寓 目
一縣蒲萄熟,秋山苜蓿多。
県一体に「ぶどう」が熟している、秋の山にも「うまごやし」がたくさん生えている。
關雲常帶雨,塞水不成河。
関所の雲はいつも雨をおびている、塞の川は流れても河にはならない。
羌女輕烽燧,胡兒掣駱駝。
羌種族の異民族女はのろしをみても平気でいるし、胡の異民族の子供はラクダをひっぱってゆくのは、眼に見るものが異様のものばかりだ。
自傷遲暮眼,喪亂飽經過。

わたしはもう晩年になってこの目でもって、あくまで今の世の戦乱を経過すること辟易していることなのである。


現代語訳と訳註
(本文)
寓 目
一縣蒲萄熟,秋山苜蓿多。
關雲常帶雨,塞水不成河。
羌女輕烽燧,胡兒掣駱駝。
自傷遲暮眼,喪亂飽經過。


(下し文)
 (寓 目)
一県葡萄【ぶどう】熟す、秋山【しゅうざん】苜蓿【もくしゅく】多し。
關雲【かんうん】常に雨を帯ぶ、塞水【さいすい】河を成さず。
羌女【きょうじょ】烽燧【ほうすい】を軽んじ、胡児【こじ】駱駝【らくだ】を掣【せい】す。
自ら傷む遅碁【ちぼ】の眼  喪乱【そうらん】飽くまで経過するを。


(現代語訳)
県一体に「ぶどう」が熟している、秋の山にも「うまごやし」がたくさん生えている。
関所の雲はいつも雨をおびている、塞の川は流れても河にはならない。
羌種族の異民族女はのろしをみても平気でいるし、胡の異民族の子供はラクダをひっぱってゆくのは、眼に見るものが異様のものばかりだ。
わたしはもう晩年になってこの目でもって、あくまで今の世の戦乱を経過すること辟易していることなのである。


(訳注)
寓 目

秦州東柯谷に寓居して、ある日偶然に目にした光景を抒情詩にした。


一縣蒲萄熟,秋山苜蓿多。
県一体に「ぶどう」が熟している、秋の山にも「うまごやし」がたくさん生えている。
苜蓿 うまごやし。マメ科の越年草。ヨーロッパ原産。各地に自生。茎は地をはって30センチメートルほどになり、葉は有柄で互生し、倒卵形の三小葉をもつ。春、葉腋(ようえき)に黄色の小花を開く。緑肥・牧草ともする。[季]春。

苜蓿001うまごやし

關雲常帶雨,塞水不成河。
関所の雲はいつも雨をおびている、塞の川は流れても河にはならない。
關雲・塞水 関も蓋も秦州のそれをさしていう。○不成河 このあたりの地勢は高くて四方に向かってくだる故に河を生じないという。


羌女輕烽燧,胡兒掣駱駝。
羌種族の異民族女はのろしをみても平気でいるし、胡の異民族の子供はラクダをひっぱってゆくのは、眼に見るものが異様のものばかりだ。
○羌女 羌種族の異民族女。○烽燧 烽は火をあげる、燧は煙をあげる、危急をしらす夜昼のあいずのこと。○ ひく、御することをいう。


自傷遲暮眼,喪亂飽經過。
わたしはもう晩年になってこの目でもって、あくまで今の世の戦乱を経過すること辟易していることなのである。
遅暮 晩暮、晩年をいう。○喪乱 戰による入の死ぬこと、世のみだれること。755年安史の乱が763年まで続く、759年秋史忠明の洛陽奪回、759年沙州で吐蕃の乱などで、この時期きわめて不安定な騒乱状態にあった。

 
うまごやし

雨晴 杜甫 <287> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1328 杜甫詩 700- 407

雨晴 杜甫 <287> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1328 杜甫詩 700- 407

     
  同じ日のブログ 
     1326悲哉行 謝霊運(康楽) 詩<76-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩503 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1326 
     1327城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#20>Ⅱ中唐詩416 紀頌之の漢詩ブログ1327 
     1328雨晴 杜甫 <287> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1328 杜甫詩 700- 407 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

《『雨晴』 杜甫700の287首目、杜甫ブログ407回目》

雨のはれたさまをのべる。「東楼」とほとんど同時の作であろう。759年晩秋。
 

雨晴
天際秋雲薄,從西萬裡風。
そらのかなたに秋の雲がうすくなり、西域の砂漠方から万里かけてきた風が吹いてきた。
今朝好晴景,久雨不妨農。
けさはまことに晴れの景色がよく気持ちがいい、いままで長雨だったが農事にはさしつかえなくこれでとりいれができる。
塞柳行疏翠,山梨結小紅。
こちらを見れば塞の柳の樹はもう葉が落ちてまばらな翠を残しており、山の梨の実は小つぶの紅をかためている。
胡笳樓上發,一雁入高空。
また秦州城楼で胡笳のあし笛の音が発せられている、一匹の雁が高い空にとんで入っているのがみえる。



現代語訳と訳註
(本文)

雨晴
天際秋雲薄,從西萬裡風。
今朝好晴景,久雨不妨農。
塞柳行疏翠,山梨結小紅。
胡笳樓上發,一雁入高空。


(下し文)
(雨晴る)
天外【てんがい】秋雲薄し、西従りす万里の風。
今朝 好晴景【せいけい】、久雨【きゅうう】農を妨【さまた】げず。
塞柳【さいりゅう】疎翠【そすい】行なり、山梨【さんり】小紅【しょうこう】結ぶ。
胡笳【こか】楼上に發【おこ】り、一雁高空に入る。


(現代語訳)
そらのかなたに秋の雲がうすくなり、西域の砂漠方から万里かけてきた風が吹いてきた。
けさはまことに晴れの景色がよく気持ちがいい、いままで長雨だったが農事にはさしつかえなくこれでとりいれができる。
こちらを見れば塞の柳の樹はもう葉が落ちてまばらな翠を残しており、山の梨の実は小つぶの紅をかためている。
また秦州城楼で胡笳のあし笛の音が発せられている、一匹の雁が高い空にとんで入っているのがみえる。


(訳注)
雨晴

秦州に来て雨続きであったところ思いがけず晴れた。

天際秋雲薄,從西萬裡風
そらのかなたに秋の雲がうすくなり、西域の砂漠方から万里かけてきた風が吹いてきた。
天際 天のはて。空のかなた。天涯(てんがい)。○秋雲【しゅううん】秋の晴れた空に漂う雲。


今朝好晴景,久雨不妨農。
けさはまことに晴れの景色がよく気持ちがいい、いままで長雨だったが農事にはさしつかえなくこれでとりいれができる。
○不妨農 なが雨も晴れたので収穫にさしつかえのないこと。


塞柳行疏翠,山梨結小紅。
こちらを見れば塞の柳の樹はもう葉が落ちてまばらな翠を残しており、山の梨の実は小つぶの紅をかためている。
塞柳 とりでのある地のやなぎ。○疎翠 まばらにのこる翠の柳条、多くの葉は黄ばんですでに落ち散っている。


胡笳樓上發,一雁入高空。
また秦州城楼で胡笳のあし笛の音が発せられている、一匹の雁が高い空にとんで入っているのがみえる。
胡笳 芦葉を巻いて吹きならすもの、これは唐兵が吹くものである。蘆の葉を巻いた笛。後には木で作る。晋以後は天予の行列にも用いた。もと胡人が吹いたので、胡笳という。李白『春夜洛城聞笛』【胡笳】中国古代北方民族の胡人が吹いたという、葦【あし】の葉で作った笛。琴の曲名の調べを琴の曲としたもの。胡の国に長く捕らわれていた後漢の蔡琰(さいえん)の作という。○楼上 すなわち東楼のことであろう。

秦州雜詩二十首 其六

城上胡笳奏,山邊漢節歸。
防河赴滄海,奉詔發金微。
士苦形骸黑,林疏鳥獸稀。
那堪往來戍,恨解鄴城圍。


喜晴 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 157


喜晴
雨つづきのあとに晴れとなったことを喜んだ詩である。
製作時は至徳二載三月癸亥(756.3/7)より大雨があり、甲戌の日(756.3/11)に至って止んだ後の作である。
長詩のため3分割して掲載している。

(1)喜晴  157 (2)喜晴  158 (3)喜晴  159


喜晴
皇天久不雨,既雨晴亦佳。出郭眺四郊,蕭蕭增春華。
青熒陵陂麥,窈窕桃李花。春夏各有實,我饑豈無涯。』#1
干戈雖橫放,慘澹鬥龍蛇。甘澤不猶愈,且耕今未賒。
丈夫則帶甲,婦女終在家。力難及黍稷,得種菜與麻。』#2
千載商山芝,往者東門瓜。其人骨已朽,此道誰疵瑕?
英賢遇轗軻,遠引蟠泥沙。顧慚味所適,回手白日斜。
漢陰有鹿門,滄海有靈查。焉能學眾口,咄咄空咨嗟!』#3


曲江封雨 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 247


曲江對雨
城上春雲覆苑牆,江亭晚色靜年芳。
林花著雨燕支濕,水荇牽風翠帶長。
龍武新軍深駐輦,芙蓉別殿謾焚香。
何時詔此金錢會,暫醉佳人錦瑟旁?

東樓 杜甫 <286> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1325 杜甫詩 700- 406

東樓 杜甫 <286> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1325 杜甫詩 700- 406

     
  同じ日のブログ 
     1323悲哉行 謝霊運(康楽) 詩<76-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩502 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1323 
     1324城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#19>Ⅱ中唐詩415 紀頌之の漢詩ブログ1324 
     1325東樓 杜甫 <286> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1325 杜甫詩 700- 406 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     
《『東樓』 杜甫700の286首目、杜甫ブログ406回目》



秦州城の東の楼門(東楼門【とうろうもん】)のところで、沙州へゆく使者(吐蕃との局地戦)をみて作る。(759年晩秋)

秦州の秋、この年は雨降りが多かったようで、雨が降ると詩を作ったようで、この詩でも「城陰帶水昏」とあり、雨に絡んだ詩が多い。



東樓
萬裡流沙道,西行過此門。
ここの道路は万里の遠き流沙へ通ずる道である、唐の国から西へ向かう者はだれもみなこの門を通るのである。
但添新戰骨,不返舊徵魂。
使者がゆくけれど、ただ、こんども新しい戦骨がふえるばかりだろうし、これまでに西域征伐にでた人のたましいはもどってはいないのだ。
樓角淩風迥,城陰帶水昏。
楼の一角は風をしのいではるかに高くそびえ、城の南の方は水を帯びてくらくみえる。(雨降りの様子)
傳聲看驛使,送節向河源。
こだまのように人払いの声がきこえてくる、駅の役人がさきぶれのこえをさせているのがみえるのだ、そうして使節が黄河の水源の沙州の方へ向かうのを見送るのである。


現代語訳と訳註
(本文)

東樓
萬裡流沙道,西行過此門。
但添新戰骨,不返舊徵魂。
樓角淩風迥,城陰帶水昏。
傳聲看驛使,送節向河源。


(下し文)
(東 楼)
万里 流抄の道、西行 此の門を過ぎる。
但だ添う「新戦骨」、返らず「旧征魂」。
楼角 風を凌ぎて迥かに、城陰 水を帯びて昏し。
伝声 看る駅使が、節の河源に向こうを送る。


(現代語訳)
ここの道路は万里の遠き流沙へ通ずる道である、唐の国から西へ向かう者はだれもみなこの門を通るのである。
使者がゆくけれど、ただ、こんども新しい戦骨がふえるばかりだろうし、これまでに西域征伐にでた人のたましいはもどってはいないのだ。
楼の一角は風をしのいではるかに高くそびえ、城の南の方は水を帯びてくらくみえる。(雨降りの様子)
こだまのように人払いの声がきこえてくる、駅の役人がさきぶれのこえをさせているのがみえるのだ、そうして使節が黄河の水源の沙州の方へ向かうのを見送るのである。


(訳注)
東樓
秦州城郭東門
おなじような雰囲気を持った詩集

前出塞九首 其一 杜甫 <40> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ137 杜甫詩 700- 137

後出塞五首 其一 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 95

 

萬裡流沙道,西行過此門。
ここの道路は万里の遠き流沙へ通ずる道である、唐の国から西へ向かう者はだれもみなこの門を通るのである。
流沙 流抄は玉門関の135里(78km)西、唐の沙州【中国歴史地図76-77①7】で、敦煌遺跡のある所。今の甘粛省安西州焼塩県以北の地方、新彊省に通ずる道路をさす。

秦州雜詩二十首 其三 杜甫 第1部 <256> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1217 杜甫詩 700- 370


但添新戰骨,不返舊徵魂。
使者がゆくけれど、ただ、こんども新しい戦骨がふえるばかりだろうし、これまでに西域征伐にでた人のたましいはもどってはいないのだ。


樓角淩風迥,城陰帶水昏。
楼の一角は風をしのいではるかに高くそびえ、城の南の方は水を帯びてくらくみえる。(雨降りの様子)
楼角 城楼の一角。○凌風迥 高い東門があるので北から吹く風がと高楼門にさえぎられるようすのことをいう。○城陰 南を向くと建物の影が見えるのでこういう表現をする。日本人は対象物の方から見るが中国人は自分を中心にものを見るので陰のある方、つまり南向きのことを謂う。


傳聲看驛使,送節向河源。
こだまのように人払いの声がきこえてくる、駅の役人がさきぶれのこえをさせているのがみえるのだ、そうして使節が黄河の水源の沙州の方へ向かうのを見送るのである。
伝声 駅使にかかる語。人払いなどをするための前触れで、駅使がおおごえで先ぶれをして、次の駅使がまた声を張り上げ人払いをする様子。○看 作者または一般人がみること。○駅使 駅の役人。○送節 節は唐より吐蕃への使者が持つしるしのはた。○河源 吐蕃の地をさす、唐の鄭州鄯城(今の甘粛省西寧州碾伯県治)に河源 軍を置いた、ここは吐蕃と黄河の水源である地方、ここでは沙州(この詩の初句にある)のことで局地戦をしているところへ兵士を送り込むことを示している。戦争には、四段階あってテロ、ゲリラ戦、局地戦、全面戦争とある。

秦州雜詩二十首 其十 杜甫 第3部 <263> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1238 杜甫詩 700- 377

貽阮隱居 杜甫 <285-#2> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1322 杜甫詩 700- 405

貽阮隱居 杜甫 <285-#2> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1322 杜甫詩 700- 405

     
  同じ日のブログ 
     1320君子有所思行 謝霊運(康楽) 詩<75-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩501 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1320 
     1321城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#18>Ⅱ中唐詩414 紀頌之の漢詩ブログ1321 
     1322貽阮隱居 杜甫 <285-#2> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1322 杜甫詩 700- 405 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
     2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全約150首(1~187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

貽阮隱居
阮隠居にこの詩を贈る
陳留風俗衰,人物世不數。塞上得阮生,迥繼先父祖。
戦国時代のこの地方は栄えていたけれども、今は世俗のことはおとろえてきている、昔は世に輩出した人物も数多くいたが今ではいないようだ。
秦州の塞に登った時阮先生とお会いできた、先生は早くから父や先祖からの家系を引き継いでおられる。

貧知靜者性,白益毛發古。車馬入鄰家,蓬蒿翳環堵。

貧しきことを知るひとであり、靜者の品性をもっておられる、白髪がますます増えているが昔から白髪交じりであったそうだ。
車馬が通ってきて隣の家に入っていくが、先生の家のまわりは草ぼうぼうの野原のようで小さい家を見えなくしている。

清詩近道要,識子用心苦。
阮隠居が詠う清々しい詩は近頃の人間の進むべき道の重要なものである、先生を知ったことによって、戦乱の苦しみに対する心構えができるのだ。
尋我草徑微,褰裳踢寒雨。
先生は我家を尋ねてくださるのに、草をかきわけ小道をぬけてこられる、雨の時は着物の巣ををたくし上げてこられる。
更議居遠村,避喧甘猛虎。
ただ、今またここより離れた遠くの村に移ろうかとされている。ここでも喧騒が嫌で喩え猛虎が出ようとも甘んじてよいといわれる。
足明箕潁客,榮貴如糞土。
明らかなことであるのは、かつて許由が箕山の下に隠遁し、世俗、下世話な事を聞いたから潁水で耳を洗った高士の人であるということだ、そして栄光と貴き家柄というものもいっしょに捨てて畑の糞土にかきまぜ耕すような人である。

(阮隠居に貽【おく】る)
陳留 風俗衰え、人物 世に數えず。
塞上に 阮生を得て,迥繼【けいけい】するは 父祖を先んず。
貧知して 靜者の性,白益 毛發 古なり。 
車馬 鄰家に入り,蓬蒿して 翳環の堵となり。

清詩 近道の要,子を識り 心苦しむを用う。
我を 草の逕【みち】の微なるに尋ね、裳【も】を褰【かか】げて 寒雨を踏みきたる。
更に議す 遠き村に居さんことを、喧を避け 猛虎に甘んず。
明らかにするに足る 箕潁【キエイ】の客の、栄と貴とをば 糞土の如くするを。


現代語訳と訳註
(本文)

清詩近道要,識子用心苦。尋我草徑微,褰裳踢寒雨。
更議居遠村,避喧甘猛虎。足明箕潁客,榮貴如糞土。


(下し文)
清詩 近道の要,子を識り 心苦しむを用う。
我を 草の逕【みち】の微なるに尋ね、裳【も】を褰【かか】げて 寒雨を踏みきたる。
更に議す 遠き村に居さんことを、喧を避け 猛虎に甘んず。
明らかにするに足る 箕潁【キエイ】の客の、栄と貴とをば 糞土の如くするを。


(現代語訳)
阮隠居が詠う清々しい詩は近頃の人間の進むべき道の重要なものである、先生を知ったことによって、戦乱の苦しみに対する心構えができるのだ。
先生は我家を尋ねてくださるのに、草をかきわけ小道をぬけてこられる、雨の時は着物の巣ををたくし上げてこられる。
ただ、今またここより離れた遠くの村に移ろうかとされている。ここでも喧騒が嫌で喩え猛虎が出ようとも甘んじてよいといわれる。
明らかなことであるのは、かつて許由が箕山の下に隠遁し、世俗、下世話な事を聞いたから潁水で耳を洗った高士の人であるということだ、そして栄光と貴き家柄というものもいっしょに捨てて畑の糞土にかきまぜ耕すような人である。


(訳注)貽阮隱居
清詩 近道要,識子 用心苦。
阮隠居が詠う清々しい詩は近頃の人間の進むべき道の重要なものである、先生を知ったことによって、戦乱の苦しみに対する心構えができるのだ。
清詩 清は聖人、濁は賢人。ここでは阮隠居が詠う詩をいう。・近道 近頃の人間の進むべき道。


尋我 草徑微,褰裳 踢寒雨。
先生は我家を尋ねてくださるのに、草をかきわけ小道をぬけてこられる、雨の時は着物の巣ををたくし上げてこられる。


更議 居遠村,避喧 甘猛虎。
ただ、今またここより離れた遠くの村に移ろうかとされている。ここでも喧騒が嫌で喩え猛虎が出ようとも甘んじてよいといわれる。


足明 箕潁客,榮貴 如糞土。
明らかなことであるのは、かつて許由が箕山の下に隠遁し、世俗、下世話な事を聞いたから潁水で耳を洗った高士の人であるということだ、そして栄光と貴き家柄というものもいっしょに捨てて畑の糞土にかきまぜ耕すような人である。
箕潁客 許由が箕山の下に隠遁し、世俗、下世話な事を聞いたから潁水で耳を洗った高士の人ということ。高士傳 『史記』「伯夷列伝第一」 に「甫謐高士傳云・・「許由字武仲。堯聞致天下而譲焉、乃退而遁於中嶽潁水陽、箕山之下隠。堯又召爲九州長、由不欲聞之、洗耳於穎水濱。」(皇甫謐『高士伝』に云ふ、許由、字は武仲。尭、天下を致して譲らんとするを聞き、乃ち退いて中嶽潁水の陽、箕山の下に遁れ隠る。尭、又た召して九州の長と為さんとす。由、之を聞くを欲せず、耳を潁水の浜に洗ふ。)
堯の時代の許由という高潔の士は、堯から天子の位をゆずろうと相談をもちかけられたとき、それを受けつけなかったばかりか、穎水の北にゆき隠居した。堯が又、かれを招いて九州の長(当時全国を九つの州に分けていた)にしようとした時、かれはこういう話をきくと耳が汚れると言って、すぐさま穎水の川の水で耳を洗った。○首陽蕨 伯夷、叔齊のかくれた首陽山のわらび。彼等は、祖国殷を征服した周の国の禄を食むのを拒み、この山に隠れワラビを食べて暮らし、ついに餓死した。

貽阮隱居 杜甫 <285-#1> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1319 杜甫詩 700- 404

貽阮隱居 杜甫 <285-#1> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1319 杜甫詩 700- 404

     
  同じ日のブログ 
     1317君子有所思行 謝霊運(康楽) 詩<75-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩500 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1317 
     1318城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#17>Ⅱ中唐詩413 紀頌之の漢詩ブログ1318 
     1319貽阮隱居 杜甫 <285-#1> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1319 杜甫詩 700- 404 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
     2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全約150首(1~187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

貽阮隱居 杜甫 <285-#1>杜甫258首目、杜甫のブログ404回目


 秦州(一時期天水郡と改名)は隴右道に属し、吐蕃国境とも近く中都督府が置かれていた。渭水(渭河)の上流に開けた高度千メートル余りの高原盆地で、西はシルクロードに通じ、東へ下ると長安に至り、南下すると成都方面に入る。古来より交通の交わる所で商業も発達し、手工芸では今日に至るまで彫漆が有名である。特に漆については、杜甫が賛上人と一緒に隠遁地を探してもらったことを述べた詩に『寄贊上人』「近聞西枝西,有穀杉漆稠。」(近ごろ聞く 西枝の西に、谷有りて杉と桼(漆)と稠(おお)く)と詠じており、漆が当地の名産であることに杜甫は気づいていたようである。
この時期、杜甫には一般的な隠遁・隠者への関心も強く、当地の隠者阮昉との交流している。杜甫はこの阮隠居の隠者としての高潔な人品に惹かれていたようだ。その人柄をたたえて『貽阮隱居』(阮隠居に貽【おく】る)という詩を作っている。



貽阮隱居
阮隠居にこの詩を贈る
陳留風俗衰,人物世不數。
戦国時代のこの地方は栄えていたけれども、今は世俗のことはおとろえてきている、昔は世に輩出した人物も数多くいたが今ではいないようだ。
塞上得阮生,迥繼先父祖。
秦州の塞に登った時阮先生とお会いできた、先生は早くから父や先祖からの家系を引き継いでおられる。
貧知靜者性,白益毛發古。
貧しきことを知るひとであり、靜者の品性をもっておられる、白髪がますます増えているが昔から白髪交じりであったそうだ。
車馬入鄰家,蓬蒿翳環堵。
車馬が通ってきて隣の家に入っていくが、先生の家のまわりは草ぼうぼうの野原のようで小さい家を見えなくしている。

清詩近道要,識子用心苦。尋我草徑微,褰裳踢寒雨。
更議居遠村,避喧甘猛虎。足明箕潁客,榮貴如糞土。

(阮隠居に貽【おく】る)
陳留 風俗衰え、人物 世に數えず。
塞上に 阮生を得て,迥繼【けいけい】するは 父祖を先んず。
貧知して 靜者の性,白益 毛發 古なり。 
車馬 鄰家に入り,蓬蒿して 翳環の堵となり。

清詩 近道の要,子を識り 心苦しむを用う。
我を 草の逕【みち】の微なるに尋ね、裳【も】を褰【かか】げて 寒雨を踏みきたる。
更に議す 遠き村に居さんことを、喧を避け 猛虎に甘んず。
明らかにするに足る 箕潁【キエイ】の客の、栄と貴とをば 糞土の如くするを。


現代語訳と訳註
(本文)
貽阮隱居
陳留風俗衰,人物世不數。塞上得阮生,迥繼先父祖。
貧知靜者性,白益毛發古。車馬入鄰家,蓬蒿翳環堵。


(下し文)
(阮隠居に貽【おく】る)
陳留 風俗衰え、人物 世に數えず。
塞上に 阮生を得て,迥繼【けいけい】するは 父祖を先んず。
貧知して 靜者の性,白益 毛發 古なり。 
車馬 鄰家に入り,蓬蒿して 翳環の堵となり。


(現代語訳)
阮隠居にこの詩を贈る
戦国時代のこの地方は栄えていたけれども、今は世俗のことはおとろえてきている、昔は世に輩出した人物も数多くいたが今ではいないようだ。
秦州の塞に登った時阮先生とお会いできた、先生は早くから父や先祖からの家系を引き継いでおられる。
貧しきことを知るひとであり、靜者の品性をもっておられる、白髪がますます増えているが昔から白髪交じりであったそうだ。
車馬が通ってきて隣の家に入っていくが、先生の家のまわりは草ぼうぼうの野原のようで小さい家を見えなくしている。


(訳注)
貽阮隱居
(阮隠居に貽【おく】る)
阮隠居にこの詩を贈る
・貽 (1) 贈る.(2) 残す貽患災いの種をまく.
この頃の詩から判断して、杜佐の住居する「東柯谷」、もしくはその付近に隠遁していた阮昉という人物であった。杜甫は高潔な人格を褒め称えている。


陳留風俗衰,人物世不數。
戦国時代のこの地方は栄えていたけれども、今は世俗のことはおとろえてきている、昔は世に輩出した人物も数多くいたが今ではいないようだ。
 陳留 - チンリュウ 現在の河南省開封市南東郊外。現在の河南省開封市南東郊外。古来より交通の要衝で、曹操旗揚げの地。
この地域は戦国時代の魏の首都・大梁(現在の開封)を中心に栄えていたが秦代には荒廃し、前漢の代に郊外の陳留に郡治が置かれた。
三国志を代表する戦いの1つである官渡の戦いは、現在の開封市の西、鄭州市中牟県官渡橋村が舞台。
隋代に大運河が建設されるまでは、北西の開封ではなくこの地が栄えた。


塞上得阮生,迥繼先父祖。
秦州の塞に登った時阮先生とお会いできた、先生は早くから父や先祖からの家系を引き継いでおられる。


貧知靜者性,白益毛發古。
貧しきことを知るひとであり、靜者の品性をもっておられる、白髪がますます増えているが昔から白髪交じりであったそうだ。


車馬入鄰家,蓬蒿翳環堵。
車馬が通ってきて隣の家に入っていくが、先生の家のまわりは草ぼうぼうの野原のようで小さい家を見えなくしている。
蓬蒿 (1)シュンギク.(2) 草ぼうぼうの野原.
・翳 1 物に遮られて、日光や風雨の当たらない所。2 物の後ろや裏など、遮られて見えない所。裏側。3 その人のいない所。目の届かない・環堵 1 家の周囲を取り巻いている垣根。2 小さな家。狭い部屋。また、貧しい家。


陳留 風俗衰え、人物 世に數えず。
塞上に 阮生を得て,迥繼【けいけい】するは 父祖を先んず。
貧知して 靜者の性,白益 毛發 古なり。 
車馬 鄰家に入り,蓬蒿して 翳環の堵となり。

太平寺泉眼 杜甫 <284-#3> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1316 杜甫詩 700- 403

太平寺泉眼 杜甫 <284-#3> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1316 杜甫詩 700- 403


     
  同じ日のブログ 
 

1314

泰山吟 謝霊運(康楽) 詩<74>Ⅱ李白に影響を与えた詩499 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1314 
 

1315

城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#16>Ⅱ中唐詩412 紀頌之の漢詩ブログ1315 
 

1316

太平寺泉眼 杜甫 <284-#3> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1316 杜甫詩 700- 403 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
 

2011/7/11

李商隠 1 錦瑟 
 

2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全約150首(1~185回)

 
 

2012/1/11

唐宋詩 Ⅰ李商隠 187 行次西郊作一百韻  白文  現代語訳 (全文) 
     



太平寺泉眼 杜甫
招提憑高岡,疏散連草莽。出泉枯柳根,汲引歲月古。
石間見海眼,天畔縈水府。廣深丈尺間,宴息敢輕侮。

青白二小蛇,幽姿可時睹。如絲氣或上,爛漫為雲雨。
山頭到山下,鑿井不盡土。取供十方僧,香美勝牛乳。

北風起寒文,弱藻舒翠縷。明涵客衣淨,細蕩林影趣。
何當宅下流,餘潤通藥圃。三春濕黃精,一食生毛羽。


太平寺泉眼 杜甫
招提憑高岡,疏散連草莽。
太平寺に来て高い丘に寄り添ってある修行場にひかれていった、筋に別れ散らばって草むらが連なっている。
出泉枯柳根,汲引歲月古。
こんこんとわき出る泉が枯れた柳の根っこの方にある、この泉で水をくみ上げるのは歳月も古くからされているという。
石間見海眼,天畔縈水府。
岩場の間から垣間見えるそれは「海眼」というべきものである。天海のほとりになるのか水神の住むところとして栄えている。
廣深丈尺間,宴息敢輕侮。

ひろくてふかく身の丈以上あるだろう、これだと、落ち着いて安らかになることができるだろうし、おそれながら相手を軽くみてあなどらさせてもらうこともできるだろう。
青白二小蛇,幽姿可時睹。
その泉から青と白の二匹のヘビがいるように流れ出し、奥深く身を隠した姿は時によってみることが出来る。
如絲氣或上,爛漫為雲雨。
素の奥ゆかしさは糸のようであり時にはその当たりに木としてただよい、時には空に昇っていく。そして乱れ散り雲となり、雨となるのである。
山頭到山下,鑿井不盡土。
山は山頂から下って谷の底名で岩場である。井戸を掘るにしてはことごとく土が出てこないので難しいだろう。
取供十方僧,香美勝牛乳。

だからこの泉は十方の大徳ある僧に施し供えるものであり、芳しく美しいものであり、釈迦の弟子が捜して見つけた牛乳の泉に勝るものである。

北風起寒文,弱藻舒翠縷。
既に冬が到来したのか北風が吹き水面に波紋をえがく、弱弱しい水藻はみどりの細い糸すじを伸ばし描いている。
明涵客衣淨,細蕩林影趣。
張れた明るい日には旅の衣をこの泉の水にたっぷり浸してきれいにするし、木々の小枝が揺れ動き林の影は趣きを深めるのだ。
何當宅下流,餘潤通藥圃。
この泉の流れの下流の方にでも草庵を建てて、この泉のうるおいの余りをいただいて薬草の田んぼに水を通したいものだ。
三春濕黃精,一食生毛羽。
その湿田で黄精がたくさん取れると三年は寿命が延び、糸旅食べれば、羽が生えて仙人になるというのだ。


招提【しょうだい】は 高き岡に憑【よ】り、疏散として 草莽【そうもう】に連なる。
泉の出ずるは 枯れし柳の根もと、汲み引かれて 歳月古し。
石間に 海眼を見,天畔は 縈水の府。
廣く深くして尺間を丈し,宴息して敢えて輕侮す。
青白 二つの小蛇,幽姿は時に睹す可し。
絲の如く氣し或いは上る,爛漫 為に雲雨なり。
山頭より 山下に到り、井を鑿【うが】つに 尽【ことごと】くは土ならず。
取りて 十方の僧に 供すれば、その香美なること 牛の乳に勝れり。
北風に寒文を起す,弱藻は翠縷を舒す。
明涵 客衣の淨,細蕩は林影の趣。
何(いず)れか当に 下流に宅し、余れる潤いもて 薬圃に通ぜしむべき。
三春に 黄精を湿し、一食すれば 毛羽を生ぜん。

ishibashi00

現代語訳と訳註
(本文)

北風起寒文,弱藻舒翠縷。
明涵客衣淨,細蕩林影趣。
何當宅下流,餘潤通藥圃。
三春濕黃精,一食生毛羽。


(下し文)
北風に寒文を起す,弱藻は翠縷を舒す。
明涵 客衣の淨,細蕩は林影の趣。
何(いず)れか当に 下流に宅し、余れる潤いもて 薬圃に通ぜしむべき。
三春に 黄精を湿し、一食すれば 毛羽を生ぜん。


(現代語訳)
既に冬が到来したのか北風が吹き水面に波紋をえがく、弱弱しい水藻はみどりの細い糸すじを伸ばし描いている。
張れた明るい日には旅の衣をこの泉の水にたっぷり浸してきれいにするし、木々の小枝が揺れ動き林の影は趣きを深めるのだ。
この泉の流れの下流の方にでも草庵を建てて、この泉のうるおいの余りをいただいて薬草の田んぼに水を通したいものだ。
その湿田で黄精がたくさん取れると三年は寿命が延び、糸旅食べれば、羽が生えて仙人になるというのだ。


(訳注)
北風起寒文,弱藻舒翠縷。
既に冬が到来したのか北風が吹き水面に波紋をえがく、弱弱しい水藻はみどりの細い糸すじを伸ばし描いている。
翠縷 水藻のみどりの細い糸すじ。


明涵客衣淨,細蕩林影趣。
張れた明るい日には旅の衣をこの泉の水にたっぷり浸してきれいにするし、木々の小枝が揺れ動き林の影は趣きを深めるのだ。
 【ひたす】 たっぷりと水につける。ざぶりと水に入れる。庾信詩 山月没,客衣单。蕩


何當宅下流,餘潤通藥圃。
この泉の流れの下流の方にでも草庵を建てて、この泉のうるおいの余りをいただいて薬草の田んぼに水を通したいものだ。


三春濕黃精,一食生毛羽。
その湿田で黄精がたくさん取れると三年は寿命が延び、糸旅食べれば、羽が生えて仙人になるというのだ。
黄精 ユリ科カギクルマバナルコユリの根茎で、中国では古くから滋養強壮に用い方れてきた生薬で、根茎を蒸して天日干しにするという工程を何度もくり返して使う。隠遁と薬草、隠遁と仙人、隠遁と不老長寿、ここは隠遁に対しての憧れとこの地が隠遁には適した場所であることを強調するものである。

太平寺泉眼 杜甫 <284-#2> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1313 杜甫詩 700- 402

 同じ日のブログ
13111311 折楊柳行 その二 謝霊運(康楽) 詩<73-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩498 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1311
13121312 城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#15>Ⅱ中唐詩411 紀頌之の漢詩ブログ1312
13131313 太平寺泉眼 杜甫 <284-#2> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1313 杜甫詩 700- 402
 
李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡
2011/7/11李商隠 1 錦瑟
2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全約150首
2012/1/11唐宋詩 Ⅰ李商隠 187 行次西郊作一百韻  白文  現代語訳 (全文)





太平寺泉眼 杜甫
招提憑高岡,疏散連草莽。出泉枯柳根,汲引歲月古。
石間見海眼,天畔縈水府。廣深丈尺間,宴息敢輕侮。

青白二小蛇,幽姿可時睹。如絲氣或上,爛漫為雲雨。
山頭到山下,鑿井不盡土。取供十方僧,香美勝牛乳。

北風起寒文,弱藻舒翠縷。明涵客衣淨,細蕩林影趣。
何當宅下流,餘潤通藥圃。三春濕黃精,一食生毛羽。


太平寺泉眼 杜甫
招提憑高岡,疏散連草莽。
太平寺に来て高い丘に寄り添ってある修行場にひかれていった、筋に別れ散らばって草むらが連なっている。
出泉枯柳根,汲引歲月古。
こんこんとわき出る泉が枯れた柳の根っこの方にある、この泉で水をくみ上げるのは歳月も古くからされているという。
石間見海眼,天畔縈水府。
岩場の間から垣間見えるそれは「海眼」というべきものである。天海のほとりになるのか水神の住むところとして栄えている。
廣深丈尺間,宴息敢輕侮。
ひろくてふかく身の丈以上あるだろう、これだと、落ち着いて安らかになることができるだろうし、おそれながら相手を軽くみてあなどらさせてもらうこともできるだろう。
青白二小蛇,幽姿可時睹。
その泉から青と白の二匹のヘビがいるように流れ出し、奥深く身を隠した姿は時によってみることが出来る。
如絲氣或上,爛漫為雲雨。
素の奥ゆかしさは糸のようであり時にはその当たりに木としてただよい、時には空に昇っていく。そして乱れ散り雲となり、雨となるのである。
山頭到山下,鑿井不盡土。
山は山頂から下って谷の底名で岩場である。井戸を掘るにしてはことごとく土が出てこないので難しいだろう。
取供十方僧,香美勝牛乳。
だからこの泉は十方の大徳ある僧に施し供えるものであり、芳しく美しいものであり、釈迦の弟子が捜して見つけた牛乳の泉に勝るものである。

北風起寒文,弱藻舒翠縷。明涵客衣淨,細蕩林影趣。
何當宅下流,餘潤通藥圃。三春濕黃精,一食生毛羽。



現代語訳と訳註
(本文)

青白二小蛇,幽姿可時睹。
如絲氣或上,爛漫為雲雨。
山頭到山下,鑿井不盡土。
取供十方僧,香美勝牛乳。


(下し文)
青白 二つの小蛇,幽姿は時に睹す可し。
絲の如く氣し或いは上る,爛漫 為に雲雨なり。
山頭より 山下に到り、井を鑿【うが】つに 尽【ことごと】くは土ならず。
取りて 十方の僧に 供すれば、その香美なること 牛の乳に勝れり。


(現代語訳)
その泉から青と白の二匹のヘビがいるように流れ出し、奥深く身を隠した姿は時によってみることが出来る。
素の奥ゆかしさは糸のようであり時にはその当たりに木としてただよい、時には空に昇っていく。そして乱れ散り雲となり、雨となるのである。
山は山頂から下って谷の底名で岩場である。井戸を掘るにしてはことごとく土が出てこないので難しいだろう。
だからこの泉は十方の大徳ある僧に施し供えるものであり、芳しく美しいものであり、釈迦の弟子が捜して見つけた牛乳の泉に勝るものである。


(訳注)
青白二小蛇,幽姿可時睹。
その泉から青と白の二匹のヘビがいるように流れ出し、奥深く身を隠した姿は時によってみることが出来る。
・靑白 五行思想で青は春、遠くであり、白は秋ではるか先遠くのものをいう。というように反対方向に二つに分かれたものをいう。《水經注》:漢水又東合洛谷,其地有神蛇戍,左右山溪多五色蛇,性驯良不爲毒。殆即此類。【朱注】二蛇乃龙類。・幽姿 隠遁者。奥深く身を隠した姿、幽居の奥ゆかしい人柄。 謝靈運 『登池上樓』「潛虯媚幽姿,飛鴻響遠音。」 見る意。物事の結末をあらかじめ推測すること。予測。


如絲氣或上,爛漫為雲雨。
もとの奥ゆかしさは糸のようであり時にはその当たりに木としてただよい、時には空に昇っていく。そして乱れ散り雲となり、雨となるのである。
爛漫【らんまん】1 花が咲き乱れているさま。2 散る乱さま。3くずれちるさま。4みずがあふれているさま。5ぐっすりねむるさま。6光り輝くさま。7さまようさま。8明らかにあらわれるさま。9薬の名。


山頭到山下,鑿井不盡土。
山は山頂から下って谷の底名で岩場である。井戸を掘るにしてはことごとく土が出てこないので難しいだろう。


取供十方僧,香美勝牛乳。
だからこの泉は十方の大徳ある僧に施し供えるものであり、芳しく美しいものであり、釈迦の弟子が捜して見つけた牛乳の泉に勝るものである。
十方僧 十方の大徳ある僧。十方の僧たちに施し、十方の仏に帰依し奉る。『法華経』 「十方佛土中,唯有一乘法。」「如一井空,空生一井。十方虚空,亦复如是。」
牛乳 維摩経:阿难白佛言:「憶念昔時、世尊身小有疾、当用牛乳。」「乳泉,泉之白而甘者。」
 

青白 二つの小蛇,幽姿は時に睹す可し。
絲の如く氣し或いは上る,爛漫 為に雲雨なり。
山頭より 山下に到り、井を鑿【うが】つに 尽【ことごと】くは土ならず。
取りて 十方の僧に 供すれば、その香美なること 牛の乳に勝れり。

太平寺泉眼 杜甫 <284-#1> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1310 杜甫詩 700- 401

太平寺泉眼 杜甫 <284-#1> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1310 杜甫詩 700- 401

1308 折楊柳行 その二 謝霊運(康楽) 詩<73-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩497 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1308
1309 城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#14>Ⅱ中唐詩410 紀頌之の漢詩ブログ1309

太平寺泉眼 杜甫
招提憑高岡,疏散連草莽。
太平寺に来て高い丘に寄り添ってある修行場にひかれていった、筋に別れ散らばって草むらが連なっている。
出泉枯柳根,汲引歲月古。
こんこんとわき出る泉が枯れた柳の根っこの方にある、この泉で水をくみ上げるのは歳月も古くからされているという。
石間見海眼,天畔縈水府。
岩場の間から垣間見えるそれは「海眼」というべきものである。天海のほとりになるのか水神の住むところとして栄えている。
廣深丈尺間,宴息敢輕侮。
ひろくてふかく身の丈以上あるだろう、これだと、落ち着いて安らかになることができるだろうし、おそれながら相手を軽くみてあなどらさせてもらうこともできるだろう。

招提【しょうだい】は 高き岡に憑【よ】り、疏散として 草莽【そうもう】に連なる。
泉の出ずるは 枯れし柳の根もと、汲み引かれて 歳月古し。
石間に 海眼を見,天畔は 縈水の府。
廣く深くして尺間を丈し,宴息して敢えて輕侮す。
青白二小蛇,幽姿可時睹。如絲氣或上,爛漫為雲雨。
山頭到山下,鑿井不盡土。取供十方僧,香美勝牛乳。

北風起寒文,弱藻舒翠縷。明涵客衣淨,細蕩林影趣。
何當宅下流,餘潤通藥圃。三春濕黃精,一食生毛羽。


現代語訳と訳註
(本文)
太平寺泉眼 杜甫
招提憑高岡,疏散連草莽。出泉枯柳根,汲引歲月古。
石間見海眼,天畔縈水府。廣深丈尺間,宴息敢輕侮。


(下し文)
招提【しょうだい】は 高き岡に憑【よ】り、疏散として 草莽【そうもう】に連なる。
泉の出ずるは 枯れし柳の根もと、汲み引かれて 歳月古し。
石間に 海眼を見,天畔は 縈水の府。
廣く深くして尺間を丈し,宴息して敢えて輕侮す。


(現代語訳)
太平寺に来て高い丘に寄り添ってある修行場にひかれていった、筋に別れ散らばって草むらが連なっている。
こんこんとわき出る泉が枯れた柳の根っこの方にある、この泉で水をくみ上げるのは歳月も古くからされているという。
岩場の間から垣間見えるそれは「海眼」というべきものである。天海のほとりになるのか水神の住むところとして栄えている。
ひろくてふかく身の丈以上あるだろう、これだと、落ち着いて安らかになることができるだろうし、おそれながら相手を軽くみてあなどらさせてもらうこともできるだろう。


(訳注)
太平寺泉眼

杜甫は秦州滞在期に病気にかかったりもしたが、健康なときには精力的に名所旧跡をたずね回っている。秋も押し迫ったある日、杜甫は秦州郊外の山中にある太平寺を訪れた。その寺には小さな泉があって、枯れた柳の根本から湧き水がこんこんと湧き出ている。杜甫はその噴泉に感激して詩を作った。


招提憑高岡,疏散連草莽。
太平寺に来て高い丘に寄り添ってある修行場にひかれていった、筋に別れ散らばって草むらが連なっている。
招提 修行場、書斎のような建物。○ 1 水路を分けて通す。「疏水・疏通」 2 関係が分け離れる。うとくなる。「疏遠」 3 粗末な。「疏食(そし)」 4 事柄の筋を分けていちいち説明する。「疏明/弁疏」○草莽 草むら。やぶ。『宋武帝教』「或疏散山林,不関進達。」『景帝纪』「広荐草莽。」草稠曰荐,深曰莽。転じて民間。在野。『後漢書、朱祐等傳論』「其懐道無聞、委身草莽者、亦何可勝言。」


出泉枯柳根,汲引歲月古。
こんこんとわき出る泉が枯れた柳の根っこの方にある、この泉で水をくみ上げるのは歳月も古くからされているという。
汲引 水をくみ上げる。水を引き入れる。ひとを引き上げる。


石間見海眼,天畔縈水府。
岩場の間から垣間見えるそれは「海眼」というべきものである。天海のほとりになるのか水神の住むところとして栄えている。
海眼 海水が陸地の底を通って湧き出す泉。潮の干満によって出没する泉。宝玉の名。〇天畔,言其高。〇水府 星の名。水神の住むところ。水中の区域。『楚辞』「凿山楹以为室,下披衣于水府。」《南征赋》:“曾潭水府。”


廣深丈尺間,宴息敢輕侮。
ひろくてふかく身の丈以上あるだろう、これだと、落ち着いて安らかになることができるだろうし、おそれながら相手を軽くみてあなどらさせてもらうこともできるだろう。
丈尺間 1尺=(10/33)メートルと規定されたので、1丈は約3.03メートルとなる。中国では1尺(市尺)=(1/3) ... 丈は古代中国に由来する。「丈」は長い棒を手に持った形をかたどったものであり、そこから身長、身の丈(みのたけ)を表すようになった。〇宴息 落ち着いて安らかになることをいう。〇敢輕侮 おそれながら相手を軽くみてあなどらさせてもらうこと。


招提【しょうだい】は 高き岡に憑【よ】り、疏散として 草莽【そうもう】に連なる。
泉の出ずるは 枯れし柳の根もと、汲み引かれて 歳月古し。
石間に 海眼を見,天畔は 縈水の府。
廣く深くして尺間を丈し,宴息して敢えて輕侮す。

西枝村尋置草堂地,夜宿贊公土室二首 其二 その2 杜甫 <283-#2> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1307 杜甫詩 700- 400

西枝村尋置草堂地,夜宿贊公土室二首 其二 その2 杜甫 <283-#2> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1307 杜甫詩 700- 400


(西枝村に草堂を置く地を尋ね、夜賛公が土室に宿す 二首)
秦州の近郊にある西枝村というところで、自分の草屋を設けるための地面をたずねて夜になり、賛公の穴居の室にとまったことをのべた詩である。759年乾元二年の秋冬の交の作。杜佐のいる東桐谷に居を定めた以後のことである。

乾元2年 759年 48歳
西枝村尋置草堂地,夜宿贊公土室二首 其一
出郭眄細岑,披榛得微路。溪行一流水,曲折方屢渡。
贊公湯休徒,好靜心跡素。昨枉霞上作,盛論岩中趣。』
怡然共攜手,恣意同遠步。捫蘿澀先登,陟巘眩反顧。
要求陽岡暖,苦涉陰嶺冱。惆悵老大藤,沈吟屈蟠樹。』
卜居意未展,杖策回旦暮。層巔餘落日,早蔓已多露。』

西枝村尋置草堂地夜宿賛公土室二首 其二
天寒鳥已帰、月出山更静。土室延白光、松門耿疎影。
躋攀倦日短、語楽寄夜永。明然林中薪、暗汲石底井。』
大師京国旧、徳業天機秉。従来支許遊、興趣江湖迥。
数奇謫関塞、道広存箕潁。何知戎馬間、復接塵事屏。』
幽尋豈一路、遠色有諸嶺。晨光稍朦朧、更越西南頂。』


西枝村尋置草堂地,夜宿贊公土室二首 其一
(秦州の近郊の西枝村に草堂にふさわしい場所を尋ねる、夜になって賛公先生の窰洞居室に泊まる。二首)
昨日先生から「霞上作」の詩篇を頂いたが、中に盛んに巌石の境地のおもむきが論じてあった。』
(西枝村に草堂を置く地を尋ね、夜賛公が土室に宿す 二首 其の一)#1
郭を出でて細岑【さいしん】を眄【み】る、榛【しん】を披【ひら】きて微路【びろ】を得。
渓行【けいこう】すれば一流水、曲折【きょくせつ】方【まさ】に屡【しばし】ば渡る。
賛公は湯休【とうきゅう】の徒、静を好みて心跡【しんせき】素なり。
昨 霞上【かじょう】の作を枉【ま】ぐ、盛りに巌中【がんちゅう】の趣を論ぜり。』

#2
怡然共攜手,恣意同遠步。
今日はこのあたりを手をたずさえて案内してもらい楽しむことができた、わたしの思い通りしてもらいあちこち同じように遠くまで歩んでくれたのである。
捫蘿澀先登,陟巘眩反顧。
姫かずらにつかまっておりたり、あるいは先だちになって登ることに尻ごみをした。或いは丸みをおびた峰に上って後を振り返ってみると目がくらんだりした。
要求陽岡暖,苦涉陰嶺冱。
私が求める場所というのは陽当たりのいい岡がいいとおもっているが、北向きの峰の凍るような冷たさを難儀しながらわたっていった。
惆悵老大藤,沈吟屈蟠樹。』
また、老木であろうか大きい藤のところで恨めしく歎いたりしているし、根株のかがみおれまがり、複雑にいりくんでいる樹のところでためらったりするのである。』
卜居意未展,杖策回旦暮。
それでも占ったうえでもよい住まいの場所でまだきめようと決心するほどおもうようなよい場所にであわなかった、つえをついてかえろうとすれば日ははや暮れかかってくる、
層巔餘落日,早蔓已多露。』
重なった嶺にまだ落ちかかる太陽はのこってはいるものの、道端の草やつるのうえにすでに露がしとどに置かれている。』
怡然【いぜん】共に手を携え、意を恣【ほしいまま】にして同じく遠歩【えんぽ】す。
蘿を椚【と】りて先登【せんとう】するに渋り、巘【】に陟【のぼ】りて反顧【へんこ】するに眩【げん】す。
求めんと要す陽岡【ようこう】の暖【あたたか】かなるを、涉るに苦しむ陰嶺【いんれい】の冱【ご】なるを。
惆悵【ちょうちょう】す老大【ろうだい】の藤に、沈吟【ちんぎん】す屈蟠【くつばん】の樹に。』
居を卜【ぼく】する意未だ展【の】べず、策を杖【つ】きて廻れば且【ほとん】ど暮れんとす。
層巔【そうてん】落日余【あま】るも、草蔓【そうまん】には己に露多し。』


#1
出郭眄細岑,披榛得微路。
秦州の城郭を出て小さな峯を横にして歩き見ながら、榛のやぶをかきわけすすみつつ、山の中腹に向かう小路をみつけてすすむ。
溪行一流水,曲折方屢渡。
渓谷にそってゆくと一すじの水の流れがあるが、それが折れ曲がっているのでたびたびそれを渡ることになる。
贊公湯休徒,好靜心跡素。
私と賛公先生といえばは昔で謂うと湯恵休と友人であった鮑照のようなものである、閑静を好んで心も行いも生地のままのお方である。
昨枉霞上作,盛論岩中趣。』



西枝村尋置草堂地夜宿賛公土室二首 其二
秦州の近郊の西枝村に草堂にふさわしい場所を尋ねる、夜になって賛公先生の窰洞居室に泊まる。(その2)
天寒鳥已帰、月出山更静。
空が抜ける寒さになって、もはや鳥はねぐらに帰ってしまったし、月があがってきたのであるが山はいままでよりもっと静かになったのである。
土室延白光、松門耿疎影。
土室の奥まで白いひかりがはいりこむ、入り口の門のように立っている松の木に雲に見え隠れする半月のかげを映している。
躋攀倦日短、語楽寄夜永。
晩秋の日の短くなったおりの山のぼりには疲れはてたが、おもしろく語りあうにはもってこいの秋の夜長である。
明然林中薪、暗汲石底井。』
月明りでたりないのは林の中からもってきた薪をもやすので明然とし明るいし、暗い石のそこから湧き出す澄み切った井の水を汲めるのでお茶をのむことができる。』
(西枝村に草堂を置く地を尋ね、夜 賛公が土室に宿す 二首 其の二)#1
天寒くして鳥は已【すで】に帰り、月出でて山は更に静かなり。
土室【どしつ】白光【はっこう】を延【ひ】き、松門【しょうもん】 疎影【そえい】耿【こう】たり。
躋攀【せいはん】 日の短きに倦【う】み、語楽【ごらく】夜の永きに寄す。
明【めい】 林中の薪を然やし、暗【あん】 石底【せきてい】の井【せい】を 汲む。


大師京国旧、徳業天機秉。
大師先生は都での宿老で、徳をおさめる事業において、(天子から理不尽な仕打ちをされても)天地自然の微妙なはたらきをもっておられる。
従来支許遊、興趣江湖迥。
これまでわたしと僧支遁と晋の世人の許絢とのような交遊をしていただいている、江湖の遠きに在るが如き興趣をいだいておられた。
数奇謫関塞、道広存箕潁。
それが不幸にも命数がちぐはぐでこんな辺地の関所と塞の地にながされたのだけれど、依然として道は広大でひらかれていて「箕穎の心」崇高な心をもっておられる。
何知戎馬間、復接塵事屏。』
それがため意外にもわたしはこの安史の兵乱のなかで、ふたたび閑静な隠棲の御境遇にちかづくことができた。』
幽尋豈一路、遠色有諸嶺。
はるか遠方の蒼い嶺の色をながめるとまだ色々の嶺がある、決して奥深く尋ねて入るに路が一筋だけに限るのではあるまい。
晨光稍朦朧、更越西南頂。』
あすの朝あけぼ時刻にちかくなったならば、さらにまた西南方面のみねのいただきを越えてみましょう。』
 (西枝村に草堂を置く地を尋ね、夜賛公の土室に宿す。二首)#2
大師は京国の旧なり、徳業  天機【てんき】を秉【と】る。
従来  支許【しきょ】の遊び、興趣【きょうしゅ】江湖【こうこ】迥【はる】かなり。
数奇にして関塞【かんさい】に謫【たく】せらる、道は広くして箕潁【きえい】を存【そん】す。
何ぞ知らん  戎馬【じゅうば】の間、復た塵事【じんじ】を屏【しりぞ】くるに接せんとは。
幽尋【ゆうじん】 豈【あ】に一路【いちろ】ならんや、遠色【えんしょく】 諸嶺【しょれい】有り。
晨光【しんこう】 稍【ようや】く朦朧【もうろう】たらば、更に西南の頂【いただき】を越えん。

華州から秦州同谷成都00

現代語訳と訳註
(本文)
西枝村尋置草堂地,夜宿贊公土室二首 其二 その2
大師京国旧、徳業天機秉。従来支許遊、興趣江湖迥。
数奇謫関塞、道広存箕潁。何知戎馬間、復接塵事屏。』
幽尋豈一路、遠色有諸嶺。晨光稍朦朧、更越西南頂。』


(下し文)
(西枝村に草堂を置く地を尋ね、夜賛公の土室に宿す。二首)#2
大師は京国の旧なり、徳業  天機【てんき】を秉【と】る。
従来  支許【しきょ】の遊び、興趣【きょうしゅ】江湖【こうこ】迥【はる】かなり。
数奇にして関塞【かんさい】に謫【たく】せらる、道は広くして箕潁【きえい】を存【そん】す。
何ぞ知らん  戎馬【じゅうば】の間、復た塵事【じんじ】を屏【しりぞ】くるに接せんとは。
幽尋【ゆうじん】 豈【あ】に一路【いちろ】ならんや、遠色【えんしょく】 諸嶺【しょれい】有り。
晨光【しんこう】 稍【ようや】く朦朧【もうろう】たらば、更に西南の頂【いただき】を越えん。


(現代語訳)
大師先生は都での宿老で、徳をおさめる事業において、(天子から理不尽な仕打ちをされても)天地自然の微妙なはたらきをもっておられる。
これまでわたしと僧支遁と晋の世人の許絢とのような交遊をしていただいている、江湖の遠きに在るが如き興趣をいだいておられた。
それが不幸にも命数がちぐはぐでこんな辺地の関所と塞の地にながされたのだけれど、依然として道は広大でひらかれていて「箕穎の心」崇高な心をもっておられる。
それがため意外にもわたしはこの安史の兵乱のなかで、ふたたび閑静な隠棲の御境遇にちかづくことができた。』
はるか遠方の蒼い嶺の色をながめるとまだ色々の嶺がある、決して奥深く尋ねて入るに路が一筋だけに限るのではあるまい。
あすの朝あけぼ時刻にちかくなったならば、さらにまた西南方面のみねのいただきを越えてみましょう。』


(訳注)
西枝村尋置草堂地,夜宿贊公土室二首 其二 その2
長安にいたとき、杜甫は大雲寺の寺主で賛公という僧に大変世話になった。長安脱出を手伝ってくれたのも賛公で、その後、房琯の政事的な問責にあい、秦州の西枝村(せいしそん)に謫居していた。題詞によると杜甫は西枝村に住みたいと思い、草堂を置く土地をさがすために村を尋ねている。そして賛公大師の土室(窰洞ヤオトン)に一泊し、一夜を語り明かす。


大師京国旧、徳業天機秉。
大師先生は都での宿老で、徳をおさめる事業において、(天子から理不尽な仕打ちをされても)天地自然の微妙なはたらきをもっておられる。
大師 賛公をうやまっていう。○東国 みやこ、長安。○ 宿老、仏教界の中での重要な地位。○徳業 徳を積むための事業。○天機乗 乗はもっていること、天機は天然の微妙なはたらき。 造化の秘密。天地自然の神秘。  生まれつきの才能。  天子の機嫌。天気。この語は、天子から謫居という理不尽な仕打ちをされても、天地自然から受けているその力をいう。


従来支許遊、興趣江湖迥。
これまでわたしと僧支遁と晋の世人の許絢とのような交遊をしていただいている、江湖の遠きに在るが如き興趣をいだいておられた。
従来 これまで、ここは自己と賛公との旧交についていう。○支許遊 支は僧支遁、字は道林、許は許絢、晋の世の人、稚摩経を講ずるとき、支遁は法師となり、許絢は都講となったという、ここは僧と俗人との交際をいい、支を費に、許を自己にあてていう、必ずしも仏経を講ずることをいうのではない。○江湖迥 はるかな江湖の地に在るような興趣を抱く。


数奇謫関塞、道広存箕潁。
それが不幸にも命数がちぐはぐでこんな辺地の関所と塞の地にながされたのだけれど、依然として道は広大でひらかれていて「箕穎の心」崇高な心をもっておられる。
数奇 「数」は運命、「奇」は不運の意》1 運命のめぐりあわせが悪いこと。また、そのさま。不運。「報われることのなかった―な人」2 運命に波乱の多いこと。また、そのさま。「漢書」(李広伝)に「李広数奇」とある。数の字を「しばしば」の意とみるものと、「かず」の意とみるものとある。奇は奇偶の奇で二二五七等は奇のかず、二四六八等は偶のかず、偶ならばよい運命とであうこと、奇であればちぐはぐでよい運命にであわないこと、李広は敗軍した故に「奇ナリ」という。さて数奇の二字、数「数」奇の意で「奇」字のうえに「数」を略したものとみる考えである「数奇」を「道広」と対させているが故に「数奇」の意を用いたものとおもわれる。○関塞 秦州のとりでをさす。○道広 道は広大であって超俗の心。○存箕穎 存は「箕穎の心」をもっていること、箕頴は「箕山頴水」、むかし許由・巣父が堯から天下を譲られたのを避けてそこにのがれた故事、世俗に超越する考えをいう。


何知戎馬間、復接塵事屏。』
それがため意外にもわたしはこの安史の兵乱のなかで、ふたたび閑静な隠棲の御境遇にちかづくことができた。』
何知 意外にも。○ 接近すること、杜甫が賛公に。○塵事屏 塵事は俗世間の事、屏はしりぞけ去ること、賛公の閑静な隠棲の境遇をさす。


幽尋豈一路、遠色有諸嶺。
はるか遠方の蒼い嶺の色をながめるとまだ色々の嶺がある、決して奥深く尋ねて入るに路が一筋だけに限るのではあるまい。
幽尋 おくふかくたずねる。○遠色 遠くのみねの蒼い色。


晨光稍朦朧、更越西南頂。』
あすの朝あけぼ時刻にちかくなったならば、さらにまた西南方面のみねのいただきを越えてみましょう。』
晨光 よくあさのあさひのひかり。○棺 すこしずつ、ようやく。○朦朧 おぼろなさま。○西南頂 西南みねのいただき。成都方面を指す。隠遁したいこの秦州の西枝村にも吐蕃が攻め入ったことで嫌気がしたのであろうか。


 
<解説> 
詩のはじめ八句は導入部で、夜の土室のようすが描かれ、中六句で、杜甫は賛公大師のような徳行の僧と知り合いになれ、支遁(しとん)と許詢(きょじゅん)の交わりのような親しい交わりを結んでもらったことを感謝している。そして、不運にもいまは辺塞に謫居させられているが、道は広々とひらけていて、超俗の境地におられるだけだと、慰めの言葉を述べている。
 杜甫の場合は、処罰を受けて秦州に来たわけではないので、励ましの言葉を述べたのかもしれない。
 後六句でも戦乱の世に遭遇した不運を述べ、賛公大師を励ましている。注目すべきは、尾聯の二句で「晨光 稍く朦朧たらば 更に西南の頂を越えん」と言っていることで、西南の山を越えるのは蜀に行くことで、ここでは賛公大師に呼びかける形になっているが、杜甫自身がまもなく西南の山を越えて蜀に行くことになるということである。賛公大師との夜を徹しての話の中で、蜀の地に行くことが話題になったというのであろう。

西枝村尋置草堂地,夜宿贊公土室二首 其二 の1 杜甫 <283-#1> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1304 杜甫詩 700- 399

西枝村尋置草堂地,夜宿贊公土室二首 其二 の1 杜甫 <283-#1> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1304 杜甫詩 700- 399


(西枝村に草堂を置く地を尋ね、夜賛公が土室に宿す 二首)
秦州の近郊にある西枝村というところで、自分の草屋を設けるための地面をたずねて夜になり、賛公の穴居の室にとまったことをのべた詩である。759年乾元二年の秋冬の交の作。杜佐のいる東桐谷に居を定めた以後のことである。

乾元2年 759年 48歳
西枝村尋置草堂地,夜宿贊公土室二首 其一
出郭眄細岑,披榛得微路。溪行一流水,曲折方屢渡。
贊公湯休徒,好靜心跡素。昨枉霞上作,盛論岩中趣。』
怡然共攜手,恣意同遠步。捫蘿澀先登,陟巘眩反顧。
要求陽岡暖,苦涉陰嶺冱。惆悵老大藤,沈吟屈蟠樹。』
卜居意未展,杖策回旦暮。層巔餘落日,早蔓已多露。』


西枝村尋置草堂地夜宿賛公土室二首 其二
秦州の近郊の西枝村に草堂にふさわしい場所を尋ねる、夜になって賛公先生の窰洞居室に泊まる。(その2)
天寒鳥已帰、月出山更静。
空が抜ける寒さになって、もはや鳥はねぐらに帰ってしまったし、月があがってきたのであるが山はいままでよりもっと静かになったのである。
土室延白光、松門耿疎影。
土室の奥まで白いひかりがはいりこむ、入り口の門のように立っている松の木に雲に見え隠れする半月のかげを映している。
躋攀倦日短、語楽寄夜永。
晩秋の日の短くなったおりの山のぼりには疲れはてたが、おもしろく語りあうにはもってこいの秋の夜長である。
明然林中薪、暗汲石底井。』
月明りでたりないのは林の中からもってきた薪をもやすので明然とし明るいし、暗い石のそこから湧き出す澄み切った井の水を汲めるのでお茶をのむことができる。』
(西枝村に草堂を置く地を尋ね、夜 賛公が土室に宿す 二首 其の二)#1
天寒くして鳥は已【すで】に帰り、月出でて山は更に静かなり。
土室【どしつ】白光【はっこう】を延【ひ】き、松門【しょうもん】 疎影【そえい】耿【こう】たり。
躋攀【せいはん】 日の短きに倦【う】み、語楽【ごらく】夜の永きに寄す。
明【めい】 林中の薪を然やし、暗【あん】 石底【せきてい】の井【せい】を 汲む。

大師京国旧、徳業天機秉。従来支許遊、興趣江湖迥。
数奇謫関塞、道広存箕潁。何知戎馬間、復接塵事屏。』
幽尋豈一路、遠色有諸嶺。晨光稍朦朧、更越西南頂。』



現代語訳と訳註
(本文)
西枝村尋置草堂地夜宿賛公土室二首 其二
天寒鳥已帰、月出山更静。
土室延白光、松門耿疎影。
躋攀倦日短、語楽寄夜永。
明然林中薪、暗汲石底井。』


(下し文)
(西枝村に草堂を置く地を尋ね、夜 賛公が土室に宿す 二首 其の二)#1
天寒くして鳥は已【すで】に帰り、月出でて山は更に静かなり。
土室【どしつ】白光【はっこう】を延【ひ】き、松門【しょうもん】 疎影【そえい】耿【こう】たり。
躋攀【せいはん】 日の短きに倦【う】み、語楽【ごらく】夜の永きに寄す。
明【めい】 林中の薪を然やし、暗【あん】 石底【せきてい】の井【せい】を 汲む。


(現代語訳)
秦州の近郊の西枝村に草堂にふさわしい場所を尋ねる、夜になって賛公先生の窰洞居室に泊まる。(その2)
空が抜ける寒さになって、もはや鳥はねぐらに帰ってしまったし、月があがってきたのであるが山はいままでよりもっと静かになったのである。
土室の奥まで白いひかりがはいりこむ、入り口の門のように立っている松の木に雲に見え隠れする半月のかげを映している。
晩秋の日の短くなったおりの山のぼりには疲れはてたが、おもしろく語りあうにはもってこいの秋の夜長である。
月明りでたりないのは林の中からもってきた薪をもやすので明然とし明るいし、暗い石のそこから湧き出す澄み切った井の水を汲めるのでお茶をのむことができる。』


(訳注)
西枝村尋置草堂地夜宿賛公土室二首 其二

秦州の近郊の西枝村に草堂にふさわしい場所を尋ねる、夜になって賛公先生の窰洞居室に泊まる。(その2)
西枝村 秦州の近郊にある地と思われる。○草堂 くさや。作者の住家である。○土室 穴居の室、この地方は土地が乾燥しているために、崖壁をくりぬき区割を設けて居宅(窰洞ヤオトン)とする。『寄贊上人』で杜甫は、「近聞西枝西,有穀杉漆稠。」と西枝村に住みたい旨をのべた。


天寒鳥已帰、月出山更静。
空が抜ける寒さになって、もはや鳥はねぐらに帰ってしまったし、月があがってきたのであるが山はいままでよりもっと静かになったのである。


土室延白光、松門耿疎影。
土室の奥まで白いひかりがはいりこむ、入り口の門のように立っている松の木に雲に見え隠れする半月のかげを映している。
延白光 延は内部へひきいれること、白光は月のしろいひかり。○松門 対立した松の木。○ ひかるかたち。○疎影 松の枝をとおしてさしてくる半の月影。


躋攀倦日短、語楽寄夜永。
晩秋の日の短くなったおりの山のぼりには疲れはてたが、おもしろく語りあうにはもってこいの秋の夜長である。
 疲れていやになる。長く続けてぐったりし、うんざりする。○語楽 かたってたのしむ。


明然林中薪、暗汲石底井。』
月明りでたりないのは林の中からもってきた薪をもやすので明然とし明るいし、暗い石のそこから湧き出す澄み切った井の水を汲めるのでお茶をのむことができる。』
 明りを取ることをいう。月が上に昇ると土室に明かりがなくなる。○ 月が昇に対して、石の底、暗処をいう。語句の対語と状況の対句をあらわしている。
客をもてなすことの一番は「お茶」であることをあらわす。

西枝村尋置草堂地,夜宿贊公土室二首 其一 杜甫 <282-#2> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1301 杜甫詩 700- 398

西枝村尋置草堂地,夜宿贊公土室二首 其一 杜甫 <282-#2> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1301 杜甫詩 700- 398



(西枝村に草堂を置く地を尋ね、夜賛公が土室に宿す 二首)
秦州の近郊にある西枝村というところで、自分の草屋を設けるための地面をたずねて夜になり、賛公の穴居の室にとまったことをのべた詩である。759年乾元二年の秋冬の交の作。杜佐のいる東桐谷に居を定めた以後のことである。


乾元2年 759年 48歳
西枝村尋置草堂地,夜宿贊公土室二首 其一
出郭眄細岑,披榛得微路。溪行一流水,曲折方屢渡。
贊公湯休徒,好靜心跡素。昨枉霞上作,盛論岩中趣。』
怡然共攜手,恣意同遠步。捫蘿澀先登,陟巘眩反顧。
要求陽岡暖,苦涉陰嶺冱。惆悵老大藤,沈吟屈蟠樹。』
卜居意未展,杖策回旦暮。層巔餘落日,早蔓已多露。』


西枝村尋置草堂地夜宿賛公土室二首 其二
天寒鳥已帰、月出山更静。土室延白光、松門耿疎影。
躋攀倦日短、語楽寄夜永。明然林中薪、暗汲石底井。』
大師京国旧、徳業天機秉。従来支許遊、興趣江湖迥。
数奇謫関塞、道広存箕潁。何知戎馬間、復接塵事屏。』
幽尋豈一路、遠色有諸嶺。晨光稍朦朧、更越西南頂。』



西枝村尋置草堂地,夜宿贊公土室二首 其一
(秦州の近郊の西枝村に草堂にふさわしい場所を尋ねる、夜になって賛公先生の窰洞居室に泊まる。二首)
#1
出郭眄細岑,披榛得微路。
秦州の城郭を出て小さな峯を横にして歩き見ながら、榛のやぶをかきわけすすみつつ、山の中腹に向かう小路をみつけてすすむ。
溪行一流水,曲折方屢渡。
渓谷にそってゆくと一すじの水の流れがあるが、それが折れ曲がっているのでたびたびそれを渡ることになる。
贊公湯休徒,好靜心跡素。
私と賛公先生といえばは昔で謂うと湯恵休と友人であった鮑照のようなものである、閑静を好んで心も行いも生地のままのお方である。
昨枉霞上作,盛論岩中趣。』

昨日先生から「霞上作」の詩篇を頂いたが、中に盛んに巌石の境地のおもむきが論じてあった。』
(西枝村に草堂を置く地を尋ね、夜賛公が土室に宿す 二首 其の一)#1
郭を出でて細岑【さいしん】を眄【み】る、榛【しん】を披【ひら】きて微路【びろ】を得。
渓行【けいこう】すれば一流水、曲折【きょくせつ】方【まさ】に屡【しばし】ば渡る。
賛公は湯休【とうきゅう】の徒、静を好みて心跡【しんせき】素なり。
昨 霞上【かじょう】の作を枉【ま】ぐ、盛りに巌中【がんちゅう】の趣を論ぜり。』

#2
怡然共攜手,恣意同遠步。
今日はこのあたりを手をたずさえて案内してもらい楽しむことができた、わたしの思い通りしてもらいあちこち同じように遠くまで歩んでくれたのである。
捫蘿澀先登,陟巘眩反顧。
姫かずらにつかまっておりたり、あるいは先だちになって登ることに尻ごみをした。或いは丸みをおびた峰に上って後を振り返ってみると目がくらんだりした。
要求陽岡暖,苦涉陰嶺冱。
私が求める場所というのは陽当たりのいい岡がいいとおもっているが、北向きの峰の凍るような冷たさを難儀しながらわたっていった。
惆悵老大藤,沈吟屈蟠樹。』
また、老木であろうか大きい藤のところで恨めしく歎いたりしているし、根株のかがみおれまがり、複雑にいりくんでいる樹のところでためらったりするのである。』
卜居意未展,杖策回旦暮。
それでも占ったうえでもよい住まいの場所でまだきめようと決心するほどおもうようなよい場所にであわなかった、つえをついてかえろうとすれば日ははや暮れかかってくる、
層巔餘落日,早蔓已多露。』

重なった嶺にまだ落ちかかる太陽はのこってはいるものの、道端の草やつるのうえにすでに露がしとどに置かれている。』
怡然【いぜん】共に手を携え、意を恣【ほしいまま】にして同じく遠歩【えんぽ】す。
蘿を椚【と】りて先登【せんとう】するに渋り、巘【】に陟【のぼ】りて反顧【へんこ】するに眩【げん】す。
求めんと要す陽岡【ようこう】の暖【あたたか】かなるを、涉るに苦しむ陰嶺【いんれい】の冱【ご】なるを。
惆悵【ちょうちょう】す老大【ろうだい】の藤に、沈吟【ちんぎん】す屈蟠【くつばん】の樹に。』
居を卜【ぼく】する意未だ展【の】べず、策を杖【つ】きて廻れば且【ほとん】ど暮れんとす。
層巔【そうてん】落日余【あま】るも、草蔓【そうまん】には己に露多し。』


現代語訳と訳註
(本文)
#2
怡然共攜手,恣意同遠步。捫蘿澀先登,陟巘眩反顧。
要求陽岡暖,苦涉陰嶺冱。惆悵老大藤,沈吟屈蟠樹。』
卜居意未展,杖策回旦暮。層巔餘落日,早蔓已多露。』


(下し文) (西枝村に草堂を置く地を尋ね、夜賛公が土室に宿す 二首 其の一)#2
怡然【いぜん】共に手を携え、意を恣【ほしいまま】にして同じく遠歩【えんぽ】す。
蘿を椚【と】りて先登【せんとう】するに渋り、巘【】に陟【のぼ】りて反顧【へんこ】するに眩【げん】す。
求めんと要す陽岡【ようこう】の暖【あたたか】かなるを、涉るに苦しむ陰嶺【いんれい】の冱【ご】なるを。
惆悵【ちょうちょう】す老大【ろうだい】の藤に、沈吟【ちんぎん】す屈蟠【くつばん】の樹に。』
居を卜【ぼく】する意未だ展【の】べず、策を杖【つ】きて廻れば且【ほとん】ど暮れんとす。
層巔【そうてん】落日余【あま】るも、草蔓【そうまん】には己に露多し。』


(現代語訳)
今日はこのあたりを手をたずさえて案内してもらい楽しむことができた、わたしの思い通りしてもらいあちこち同じように遠くまで歩んでくれたのである。
姫かずらにつかまっておりたり、あるいは先だちになって登ることに尻ごみをした。或いは丸みをおびた峰に上って後を振り返ってみると目がくらんだりした。
私が求める場所というのは陽当たりのいい岡がいいとおもっているが、北向きの峰の凍るような冷たさを難儀しながらわたっていった。
また、老木であろうか大きい藤のところで恨めしく歎いたりしているし、根株のかがみおれまがり、複雑にいりくんでいる樹のところでためらったりするのである。』
それでも占ったうえでもよい住まいの場所でまだきめようと決心するほどおもうようなよい場所にであわなかった、つえをついてかえろうとすれば日ははや暮れかかってくる、
重なった嶺にまだ落ちかかる太陽はのこってはいるものの、道端の草やつるのうえにすでに露がしとどに置かれている。』


(訳注) #2
怡然共攜手,恣意同遠步。

今日はこのあたりを手をたずさえて案内してもらい楽しむことができた、わたしの思い通りしてもらいあちこち同じように遠くまで歩んでくれたのである。
怡然 たのしいかたち。喜ぶさま。楽しむさま。


捫蘿澀先登,陟巘眩反顧。
姫かずらにつかまっておりたり、あるいは先だちになって登ることに尻ごみをした。或いは丸みをおびた峰に上って後を振り返ってみると目がくらんだりした。
捫蘿 ひめかつらにつかまる。○陟巘 まるみをおびたみねにのぼる。○ まなこがくらむ。○反顧 ふりかえってみる。


要求陽岡暖,苦涉陰嶺冱。
私が求める場所というのは陽当たりのいい岡がいいとおもっているが、北向きの峰の凍るような冷たさを難儀しながらわたっていった。
陽岡 日あたりのよいおか。○苦涉 渉はこおっている渓をわたることである。渉は一に捗に作る、捗ならば嶺をのぼってゆくこと。○陰嶺 北に面したみね。○冱 こおる。


惆悵老大藤,沈吟屈蟠樹。』
また、老木であろうか大きい藤のところで恨めしく歎いたりしているし、根株のかがみおれまがり、複雑にいりくんでいる樹のところでためらったりするのである。』
○惆悵 [名]恨み嘆くこと。[文][形動タリ]恨み嘆くさま。○沈吟 1 思いにふけること。考え込むこと。2 静かに口ずさむこと。○屈蟠 おれまがる。複雑にいりくんでいること。心にわだかまりがあること。


卜居意未展,杖策回旦暮。
それでも占ったうえでもよい住まいの場所でまだきめようと決心するほどおもうようなよい場所にであわなかった、つえをついてかえろうとすれば日ははや暮れかかってくる、
卜居 よいすまいの場所であるかを占う。占ったうえでもよい住まいの場所である。○意未展 おもうどおりにはまだならないということ。〇枚策 つえをつく。○ 土室の方へかえる。○旦暮 くれかかる。


層巔餘落日,早蔓已多露。』
重なった嶺にまだ落ちかかる太陽はのこってはいるものの、道端の草やつるのうえにすでに露がしとどに置かれている。』
層巔 やまのかさなったいただき。○早蔓 路上の草やつる。○多露 ゆうべのつゆが多くのこる。


西枝村尋置草堂地,夜宿贊公土室二首 其一 杜甫 <282-#1> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1298 杜甫詩 700- 397

西枝村尋置草堂地,夜宿贊公土室二首 其一 杜甫 <282-#1> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1298 杜甫詩 700- 397

(西枝村に草堂を置く地を尋ね、夜賛公が土室に宿す 二首)
秦州の近郊にある西枝村というところで、自分の草屋を設けるための地面をたずねて夜になり、賛公の穴居の室にとまったことをのべた詩である。759年乾元二年の秋冬の交の作。杜佐のいる東桐谷に居を定めた以後のことである。

乾元2年 759年 48歳
西枝村尋置草堂地,夜宿贊公土室二首 其一
出郭眄細岑,披榛得微路。溪行一流水,曲折方屢渡。
贊公湯休徒,好靜心跡素。昨枉霞上作,盛論岩中趣。』
怡然共攜手,恣意同遠步。捫蘿澀先登,陟巘眩反顧。
要求陽岡暖,苦涉陰嶺冱。惆悵老大藤,沈吟屈蟠樹。』
卜居意未展,杖策回旦暮。層巔餘落日,早蔓已多露。』

西枝村尋置草堂地夜宿賛公土室二首 其二
天寒鳥已帰、月出山更静。土室延白光、松門耿疎影。
躋攀倦日短、語楽寄夜永。明然林中薪、暗汲石底井。』
大師京国旧、徳業天機秉。従来支許遊、興趣江湖迥。
数奇謫関塞、道広存箕潁。何知戎馬間、復接塵事屏。』
幽尋豈一路、遠色有諸嶺。晨光稍朦朧、更越西南頂。』


西枝村尋置草堂地,夜宿贊公土室二首 其一
#1
出郭眄細岑,披榛得微路。
溪行一流水,曲折方屢渡。
贊公湯休徒,好靜心跡素。
昨枉霞上作,盛論岩中趣。』
(秦州の近郊の西枝村に草堂にふさわしい場所を尋ねる、夜になって賛公先生の窰洞居室に泊まる。二首)
秦州の城郭を出て小さな峯を横にして歩き見ながら、榛のやぶをかきわけすすみつつ、山の中腹に向かう小路をみつけてすすむ。
渓谷にそってゆくと一すじの水の流れがあるが、それが折れ曲がっているのでたびたびそれを渡ることになる。
私と賛公先生といえばは昔で謂うと湯恵休と友人であった鮑照のようなものである、閑静を好んで心も行いも生地のままのお方である。
昨日先生から「霞上作」の詩篇を頂いたが、中に盛んに巌石の境地のおもむきが論じてあった。』
(西枝村に草堂を置く地を尋ね、夜賛公が土室に宿す 二首 其の一)#1
郭を出でて細岑【さいしん】を眄【み】る、榛【しん】を披【ひら】きて微路【びろ】を得。
渓行【けいこう】すれば一流水、曲折【きょくせつ】方【まさ】に屡【しばし】ば渡る。
賛公は湯休【とうきゅう】の徒、静を好みて心跡【しんせき】素なり。
昨 霞上【かじょう】の作を枉【ま】ぐ、盛りに巌中【がんちゅう】の趣を論ぜり。』

(現代語訳)


現代語訳と訳註
(本文) 西枝村尋置草堂地,夜宿贊公土室二首 其一
出郭眄細岑,披榛得微路。溪行一流水,曲折方屢渡。
贊公湯休徒,好靜心跡素。昨枉霞上作,盛論岩中趣。』


(下し文) (西枝村に草堂を置く地を尋ね、夜賛公が土室に宿す 二首 其の一)#1
郭を出でて細岑【さいしん】を眄【み】る、榛【しん】を披【ひら】きて微路【びろ】を得。
渓行【けいこう】すれば一流水、曲折【きょくせつ】方【まさ】に屡【しばし】ば渡る。
賛公は湯休【とうきゅう】の徒、静を好みて心跡【しんせき】素なり。
昨 霞上【かじょう】の作を枉【ま】ぐ、盛りに巌中【がんちゅう】の趣を論ぜり。』

(現代語訳)
(秦州の近郊の西枝村に草堂にふさわしい場所を尋ねる、夜になって賛公先生の窰洞居室に泊まる。二首)
秦州の城郭を出て小さな峯を横にして歩き見ながら、榛のやぶをかきわけすすみつつ、山の中腹に向かう小路をみつけてすすむ。
渓谷にそってゆくと一すじの水の流れがあるが、それが折れ曲がっているのでたびたびそれを渡ることになる。
私と賛公先生といえばは昔で謂うと湯恵休と友人であった鮑照のようなものである、閑静を好んで心も行いも生地のままのお方である。
昨日先生から「霞上作」の詩篇を頂いたが、中に盛んに巌石の境地のおもむきが論じてあった。』


(訳注)
西枝村尋置草堂地,夜宿贊公土室二首 其一
秦州の近郊の西枝村に草堂にふさわしい場所を尋ねる、夜になって賛公先生の窰洞居室に泊まる。
○西枝村 秦州の近郊にある地と思われる。○草堂 くさや。作者の住家である。○土室 穴居の室、この地方は土地が乾燥しているために、崖壁をくりぬき区割を設けて居宅(窰洞ヤオトン)とする。『寄贊上人』で杜甫は、「近聞西枝西,有穀杉漆稠。」と西枝村に住みたい旨をのべた。
寄贊上人
一昨陪錫杖,卜鄰南山幽。
年侵腰腳衰,未便陰崖秋。
重岡北面起,竟日陽光留。
茅屋買兼土,斯焉心所求。
近聞西枝西,有穀杉漆稠。
荘子が隠遁したときと同じであると胸を膨らませた。

出郭眄細岑,披榛得微路。
秦州の城郭を出て小さな峯を横にして歩き見ながら、榛のやぶをかきわけすすみつつ、山の中腹に向かう小路をみつけてすすむ。
○眄 斜めにみやる。○細岑 小さなみね。○披榛 はりはらのやぶをかきわける。○微路 翠微の位置までの道。・翠微: 1 薄緑色にみえる山のようす。また、遠方に青くかすむ山。2 山の中腹。八合目あたりのところ。

溪行一流水,曲折方屢渡。
渓谷にそってゆくと一すじの水の流れがあるが、それが折れ曲がっているのでたびたびそれを渡ることになる。
○渓行 たににそってゆく。〇一流水 一すじのたにがわ。

贊公湯休徒,好靜心跡素。
私と賛公先生といえばは昔で謂うと湯恵休と友人であった鮑照のようなものである、閑静を好んで心も行いも生地のままのお方である。
○湯休 湯恵休、六朝宋代の詩僧。釈恵休。俗姓は湯。湯恵休とも。鮑照・徐湛之と交誼があり、孝武帝の命で還俗して揚州従事史まで進んだ。 華美・通俗的な詩で鮑照と並称されたが、「淫靡にして情は才に過ぐ」と後世の評価は低く、六朝盛時に典型の詩風とされる。○心跡 心と行い。○素 かざりけなし、きじのまま。

昨枉霞上作,盛論岩中趣。』
昨日先生から「霞上作」の詩篇を頂いたが、中に盛んに巌石の境地のおもむきが論じてあった。』
○枉 こちらへよこしてくれたこと。○霞上作 どんな詩篇か知らないが、その中に「霞上」の語を用いてある作である。○巌中趣 巌石の境地のおもむき。

寄贊上人 杜甫 <281-#2> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1295 杜甫詩 700- 396

寄贊上人 杜甫 <281-#2> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1295 杜甫詩 700- 396


寄贊上人
一昨陪錫杖,卜鄰南山幽。年侵腰腳衰,未便陰崖秋。
重岡北面起,竟日陽光留。茅屋買兼土,斯焉心所求。
近聞西枝西,有穀杉漆稠。
#2
亭午頗和暖,石田又足收。當期塞雨幹,宿昔齒疾瘳。
徘徊虎穴上,面勢龍泓頭。柴荊具茶茗,逕路通林丘。
與子成二老,來往亦風流。

西枝村のさらに西にある谷間の村で、杉(コウヨウザン)や漆がよく茂っている。と言ってもこの時期、漆の鮮やかな紅葉はもうすっかり落葉しつくし、森の奥まで暖かい日射しが入り込んでいたろう。それにたとえ石混じりで収穫の少ない畑であっても、ささやかな隠遁生活を送るには十分である。そんな情景をひとたび思い浮かべると、この地の長雨が終わるのも、長患いの歯痛が治まるのも待てないほど、早く駆けつけたくなってくる。


駅亭の池01

寄贊上人
(旧知である大雲寺の僧賛公と北斜面や南の山をみてあるいたことを述べる。)
一昨陪錫杖,卜鄰南山幽。
一昨日は上人に同行していただき、南側の静かな隠遁の住居を建てられるという場所をみてきました。
年侵腰腳衰,未便陰崖秋。
いたずらに年を取ってしまい、足腰が衰えてしまったようだ、それにしても、秋も深まってきたというのに南側の斜面には未だに夏の山のようであった。
重岡北面起,竟日陽光留。
重ねて山や丘に登ってみて南の斜面を見ると、ずっと一日中太陽の光が当たっているのだ。
茅屋買兼土,斯焉心所求。
早速、かやぶきの住宅を建てたいものである。当然土地も買うのである。それほどこの南斜面は私が心から隠遁する場所としたい所なのだ。
近聞西枝西,有穀杉漆稠。
また、そのあとに聞きました西枝村の西側にある谷村の土地は、決して人界から閉ざされたような地ではなく、荘子が隠遁した場所のように杉の木に恵まれ、漆林を経営して隠遁生活の糧にすることができる所と聞いているのですが。
一昨は あなたの錫杖【しゃくじょう】に陪し、隣を卜す 南山の幽なるに。
年の侵して われは腰や脚の衰うれば、陰の崖の秋には 未だ便ならず。
重なれる岡【やま】の 北面に起これば、竟日 陽光は留まらん。
茅屋は 買うに土を兼ぬれば、斯【すなわ】ち焉【ここ】ぞ 心の求むる所なり。
近ごろ聞く 西枝の西に、谷有りて 杉と漆の稠【おお】く。

#2
亭午頗和暖,石田又足收。
そこは森の奥まで暖かい日射しが入り込んでいる。それにたとえ石混じりで収穫の少ない畑であっても、ささやかな隠遁生活を送るには十分である。
當期塞雨幹,宿昔齒疾瘳。
そんな情景をひとたび思い浮かべると、この地の長雨が終わるのも、長患いの歯痛が治まるのも待てないほど、早く駆けつけたくなってくる。
徘徊虎穴上,面勢龍泓頭。
この地に隠遁をして仙人の仲間入りをして仇池山の洞穴などを訪ね歩き、土地を耕し、水の奥底に潜む龍のように奥深い所に隠棲するのである。
柴荊具茶茗,逕路通林丘。
柴や荊の我が家には茶と茶道具をそろえるのであり、小道を整えその道を通り森に入り、丘の上に行くのである。

與子成二老,來往亦風流。
上人と私の二人はここで残された年を重ねていくのであり、互いに行き来して、又、風流な隠遁生活を楽しみながら老いていきたいものだ。
亭午は 頗る和暖にして、石田は 又た収むるに足ると。
当【まさ】に期す この塞の雨の乾き、宿昔の 歯の疾【やまい】の瘳【い】ゆるときを。
虎穴の上【ほと】りを 徘徊し、竜泓【りゅうおう】の頭【ほと】りに 面勢せん。
柴荊【さいけい】に 茶茗を具え、逕路は あなたのすまう林丘に通ず。
子【し】とわれと 二老と成り、来往すれば 亦た風流ならん。



現代語訳と訳註
(本文) #2

亭午頗和暖,石田又足收。當期塞雨幹,宿昔齒疾瘳。
徘徊虎穴上,面勢龍泓頭。柴荊具茶茗,逕路通林丘。
與子成二老,來往亦風流。


(下し文)
亭午は 頗る和暖にして、石田は 又た収むるに足ると。
当【まさ】に期す この塞の雨の乾き、宿昔の 歯の疾【やまい】の瘳【い】ゆるときを。
虎穴の上【ほと】りを 徘徊し、竜泓【りゅうおう】の頭【ほと】りに 面勢せん。
柴荊【さいけい】に 茶茗を具え、逕路は あなたのすまう林丘に通ず。
子【し】とわれと 二老と成り、来往すれば 亦た風流ならん。


(現代語訳)
そこは森の奥まで暖かい日射しが入り込んでいる。それにたとえ石混じりで収穫の少ない畑であっても、ささやかな隠遁生活を送るには十分である。
そんな情景をひとたび思い浮かべると、この地の長雨が終わるのも、長患いの歯痛が治まるのも待てないほど、早く駆けつけたくなってくる。
この地に隠遁をして仙人の仲間入りをして仇池山の洞穴などを訪ね歩き、土地を耕し、水の奥底に潜む龍のように奥深い所に隠棲するのである。

柴や荊の我が家には茶と茶道具をそろえるのであり、小道を整えその道を通り森に入り、丘の上に行くのである。
上人と私の二人はここで残された年を重ねていくのであり、互いに行き来して、又、風流な隠遁生活を楽しみながら老いていきたいものだ。


(訳注) #2
亭午頗和暖,石田又足收。
そこは森の奥まで暖かい日射しが入り込んでいる。それにたとえ石混じりで収穫の少ない畑であっても、ささやかな隠遁生活を送るには十分である。
・亭午 「亭」は至る意。日が南中すること。転じて、正午。まひる。日があるうちを亭という。・石田 石交じりの田畑。あるいは、棚田を意味する。


當期塞雨幹,宿昔齒疾瘳。
そんな情景をひとたび思い浮かべると、この地の長雨が終わるのも、長患いの歯痛が治まるのも待てないほど、早く駆けつけたくなってくる。


徘徊虎穴上,面勢龍泓頭。
この地に隠遁をして仙人の仲間入りをして仇池山の洞穴などを訪ね歩き、土地を耕し、水の奥底に潜む龍のように奥深い所に隠棲するのである。
虎穴 仇池山の洞穴は古来からある、そこははるか河南の王屋山にある小有天の洞穴とひそかに通じているという、仙人の住むところである。隠遁という生活に入り込むという意味。秦州雜詩二十首 其十四 参照龍泓 水底深い所にじっとして棲む龍。この語も隠遁を意味する。


柴荊具茶茗,逕路通林丘。
柴や荊の我が家には茶と茶道具をそろえるのであり、小道を整えその道を通り森に入り、丘の上に行くのである。
柴荊 わがや。・茶茗 中唐詩人ID-44 盧仝 走筆謝孟諫議寄新茶#1 kanbun-iinkai紀頌之の李商隠と中唐の漢詩ブログ251

與子成二老,來往亦風流。
上人と私の二人はここで残された年を重ねていくのであり、互いに行き来して、又、風流な隠遁生活を楽しみながら老いていきたいものだ。

寄贊上人 杜甫 <281-#1> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1292 杜甫詩 700- 395

寄贊上人 杜甫 <281-#1> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1292 杜甫詩 700- 395


寄贊上人
(旧知である大雲寺の僧賛公と北斜面や南の山をみてあるいたことを述べる。)
一昨陪錫杖,卜鄰南山幽。
一昨日は上人に同行していただき、南側の静かな隠遁の住居を建てられるという場所をみてきました。
年侵腰腳衰,未便陰崖秋。
いたずらに年を取ってしまい、足腰が衰えてしまったようだ、それにしても、秋も深まってきたというのに南側の斜面には未だに夏の山のようであった。
重岡北面起,竟日陽光留。
重ねて山や丘に登ってみて南の斜面を見ると、ずっと一日中太陽の光が当たっているのだ。
茅屋買兼土,斯焉心所求。
早速、かやぶきの住宅を建てたいものである。当然土地も買うのである。それほどこの南斜面は私が心から隠遁する場所としたい所なのだ。
近聞西枝西,有穀杉漆稠。

また、そのあとに聞きました西枝村の西側にある谷村の土地は、決して人界から閉ざされたような地ではなく、荘子が隠遁した場所のように杉の木に恵まれ、漆林を経営して隠遁生活の糧にすることができる所と聞いているのですが。
一昨は あなたの錫杖【しゃくじょう】に陪し、隣を卜す 南山の幽なるに。
年の侵して われは腰や脚の衰うれば、陰の崖の秋には 未だ便ならず。
重なれる岡【やま】の 北面に起これば、竟日 陽光は留まらん。
茅屋は 買うに土を兼ぬれば、斯【すなわ】ち焉【ここ】ぞ 心の求むる所なり。
近ごろ聞く 西枝の西に、谷有りて 杉と漆の稠【おお】く。

#2
亭午頗和暖,石田又足收。當期塞雨幹,宿昔齒疾瘳。
徘徊虎穴上,面勢龍泓頭。柴荊具茶茗,逕路通林丘。
與子成二老,來往亦風流。

少し前、山の北面を登ったのがよほど杜甫にはこたえたらしい。五十を前にして足腰が弱ってきたこともあるが、この時期が晩秋だったことも関係しているのかもしれない。次の『_寄贊上人』(賛上人に寄す)の詩では、どうしても日当たりの良いところがあきらめきれない様子である。しかも高い山を北側に背にしていれば南側は日溜まりとなる。そんな場所が見つかればそれこそ理想で、早速土地を買って茅葺きの家を建てるのにと、杜甫の口調はくやしげでもあり弁解がましくもあるが、心情的に何とかさせてやりたいものである。



現代語訳と訳註
(本文) 寄贊上人

一昨陪錫杖,卜鄰南山幽。年侵腰腳衰,未便陰崖秋。
重岡北面起,竟日陽光留。茅屋買兼土,斯焉心所求。
近聞西枝西,有穀杉漆稠。


(下し文)
一昨は あなたの錫杖【しゃくじょう】に陪し、隣を卜す 南山の幽なるに。
年の侵して われは腰や脚の衰うれば、陰の崖の秋には 未だ便ならず。
重なれる岡【やま】の 北面に起これば、竟日 陽光は留まらん。
茅屋は 買うに土を兼ぬれば、斯【すなわ】ち焉【ここ】ぞ 心の求むる所なり。
近ごろ聞く 西枝の西に、谷有りて 杉と漆の稠【おお】く。


(現代語訳)
(旧知である大雲寺の僧賛公と北斜面や南の山をみてあるいたことを述べる。)
一昨日は上人に同行していただき、南側の静かな隠遁の住居を建てられるという場所をみてきました。
いたずらに年を取ってしまい、足腰が衰えてしまったようだ、それにしても、秋も深まってきたというのに南側の斜面には未だに夏の山のようであった。
重ねて山や丘に登ってみて南の斜面を見ると、ずっと一日中太陽の光が当たっているのだ。
早速、かやぶきの住宅を建てたいものである。当然土地も買うのである。それほどこの南斜面は私が心から隠遁する場所としたい所なのだ。
また、そのあとに聞きました西枝村の西側にある谷村の土地は、決して人界から閉ざされたような地ではなく、荘子が隠遁した場所のように杉の木に恵まれ、漆林を経営して隠遁生活の糧にすることができる所と聞いているのですが。


(訳注)
寄贊上人

旧知である大雲寺の僧賛公と北斜面や南の山をみてあるいたことを述べる。
賛公は長安の大雲寺の僧である。房琯のグループとして長安を追放、秦州に罪として安置させられた。
759年、乾元二年秦州にあっての作。
○賛公 長安の大雲寺の僧である

大雲寺贊公房四首 其一#1 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ 700- 164

大雲寺贊公房四首 其一#2 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ 700- 165#2

大雲寺贊公房四首 其二 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ 700- 166

大雲寺贊公房四首 其三 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ 700- 167

大雲寺贊公房四首 其四 #1 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ 700- 168


を参照されたい。このとき賛公も亦た秦州に来ておったのである。


一昨陪錫杖,卜鄰南山幽。
一昨日は上人に同行していただき、南側の静かな隠遁の住居を建てられるという場所をみてきました。
・一昨 1 (接頭語的に用いて)年・月・日などで、中一つ置いた前の時を表す。「―年」「―夜」 2 (連体詞的に用い、具体的な日を表す語に冠して)おとといにあたる、一昨日の、などの意を表す。〇杖錫 錫は錫杖、すずで作った杖をいう、僧の持つもの、「杖錫」の杖は「つえつく」こと。居住地候補をみてあるいたこと。○南山 東西に川が流れていて川の南側、山の北斜面。


年侵腰腳衰,未便陰崖秋。
いたずらに年を取ってしまい、足腰が衰えてしまったようだ、それにしても、秋も深まってきたというのに南側の斜面には未だに夏の山のようであった。
年侵 年を重ねること。いたずらに年を取ったことをいう。


重岡北面起,竟日陽光留。
重ねて山や丘に登ってみて南の斜面を見ると、ずっと一日中太陽の光が当たっているのだ。


茅屋買兼土,斯焉心所求。
早速、かやぶきの住宅を建てたいものである。当然土地も買うのである。それほどこの南斜面は私が心から隠遁する場所としたい所なのだ。


近聞西枝西,有穀杉漆稠。
また、そのあとに聞きました西枝村の西側にある谷村の土地は、決して人界から閉ざされたような地ではなく、荘子が隠遁した場所のように杉の木に恵まれ、漆林を経営して隠遁生活の糧にすることができる所と聞いているのですが。

赤穀西崦人家 杜甫 <280> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1289 杜甫詩 700- 394

赤穀西崦人家 杜甫 <280> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1289 杜甫詩 700- 394
759年乾元二年秦州の作。


赤穀西崦人家
秦州の南40kmの赤谷の西の山にある人家
躋險不自安,出郊始清目。
険阻な路を登って歩いてみたが、戦の影響が心配で自分の心境は不安でしょうがない、郊外に出てしまうとひろくすがすがしい眼界である。
溪廻日氣煖,徑轉山田熟。
渓流はぐるぐるめぐって太陽の光はあたたかであり、小道身がうねうね曲がっていいるし、山中の田畑の耕作物がよく実っている。
鳥雀依茅茨,藩籬帶松菊。
ここの山里に人家があり、雀などの鳥はかやぶきの屋根に寄り添って囀っているし、まがき一帯には松だの菊だのが帯状に生えられている。
如行武陵暮,欲問桃源宿。
ちょうど武陵の仙郷の夕暮れを歩いているようである、陶淵明をまねて、ここが桃源か問聞きして、そこの家に泊まろうかと思うところである。

(赤谷の西崎の人家)
険に躋【のぼ】りて自ら安からず、郊を出でて己に目を清くす。
渓廻【めぐ】りて日気煖【あたた】かに、徑【みち】は転じて山田熟す。
鳥雀【ちょうじゃく】茅茨【ぼうし】に依り 藩離【はんり】松菊【しょうぎく】を帯ぶ。
武陵【ぶりょう】の暮に行くが如し 桃源を問いて宿せんと欲す。

華州から秦州同谷成都00

赤谷の西方の山(崦)にある人家に、杜甫が一晩泊まろうかと心ひかれた経緯を詠じたものである。
赤谷という地名は杜甫の詩にもう一度出てくる。それは
『赤谷』_
天寒霜雪繁,遊子有所之。豈但歲月暮?重來未有期。
晨發赤穀亭,險艱方自茲。亂石無改轍,我車已載脂。
山深苦多風,落日童稚饑。悄然村墟迥。煙火何由追?
貧病轉零落,故鄉不可思。常恐死道路。永為高人嗤。

杜甫が秦州を去って同谷へ向かう旅で、同谷紀行の起点となった場所である。この二首の詩は情調がずいぶん違うから同じ場所でない可能性もある。秦州から西南方向へ七里下った所にあり、その中には赤谷川が流れているという


現代語訳と訳註
(本文)
赤穀西崦人家
躋險不自安,出郊始清目。
溪廻日氣煖,徑轉山田熟。
鳥雀依茅茨,藩籬帶松菊。
如行武陵暮,欲問桃源宿。


(下し文) (赤谷の西崎の人家)
険に躋【のぼ】りて自ら安からず、郊を出でて己に目を清くす。
渓廻【めぐ】りて日気煖【あたた】かに、徑【みち】は転じて山田熟す。
鳥雀【ちょうじゃく】茅茨【ぼうし】に依り 藩離【はんり】松菊【しょうぎく】を帯ぶ。
武陵【ぶりょう】の暮に行くが如し 桃源を問いて宿せんと欲す


(現代語訳)
秦州の南40kmの赤谷の西の山にある人家
険阻な路を登って歩いてみたが、戦の影響が心配で自分の心境は不安でしょうがない、郊外に出てしまうとひろくすがすがしい眼界である。
渓流はぐるぐるめぐって太陽の光はあたたかであり、小道身がうねうね曲がっていいるし、山中の田畑の耕作物がよく実っている。
ここの山里に人家があり、雀などの鳥はかやぶきの屋根に寄り添って囀っているし、まがき一帯には松だの菊だのが帯状に生えられている。
ちょうど武陵の仙郷の夕暮れを歩いているようである、陶淵明をまねて、ここが桃源か問聞きして、そこの家に泊まろうかと思うところである。


(訳注)
赤穀西崦人家

秦州の南40kmの赤谷の西の山にある人家
赤谷 秦州の南七十里(40km)にあり、中に赤谷川がある。10km北に東柯谷がある。○西崦 赤谷の西の山の意。崦磁山は秦州の西五十里にあり、「崦磁」はまた赤谷の西に位置するが、ここでいう「西崦」はそれとはべつである。
 

躋險不自安,出郊始清目。
険阻な路を登って歩いてみたが、戦の影響が心配で自分の心境は不安でしょうがない、郊外に出てしまうとひろくすがすがしい眼界である。
○臍険 山のけわしいみちをのぼる。〇滴目 眼がすんだ心地がする、眼明の意。


溪廻日氣煖,徑轉山田熟。
渓流はぐるぐるめぐって太陽の光はあたたかであり、小道身がうねうね曲がっていいるし、山中の田畑の耕作物がよく実っている。


鳥雀依茅茨,藩籬帶松菊。
ここの山里に人家があり、雀などの鳥はかやぶきの屋根に寄り添って囀っているし、まがき一帯には松だの菊だのが帯状に生えられている。


如行武陵暮,欲問桃源宿。
ちょうど武陵の仙郷の夕暮れを歩いているようである、陶淵明をまねて、ここが桃源か問聞きして、そこの家に泊まろうかと思うところである。
武陵、桃源  武陵は湖南省常徳府に属する県である。
世間とかけ離れた平和な別天地。桃源。桃源郷。陶淵明(365年 - 427年)『桃花源記』によると、晋(しん)の太元年間に、湖南武陵の人が桃林の奥の洞穴の向こうに出てみると、秦末の戦乱を避けた人々の子孫が住む別天地があって、世の変遷も知らずに平和に暮らしていたという。

宿贊公房 杜甫 <279> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1286 杜甫詩 700- 393

宿贊公房 杜甫 <279> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1286 杜甫詩 700- 393
旧知である大雲寺の僧賛公のへやをたずねて泊ったことをのぺる。乾元二年秦州にあっての作。
賛。京師大雲寺主。謫此安置。(賛は、京師の大雲寺の主なり、此に謫して安置せらる。)


宿贊公房
旧知である大雲寺の僧賛公の部屋を尋ねて泊ったことを述べる。
 〔原注〕 賛。京師大雲寺主。謫此安置。

賛公は長安の大雲寺の僧である。房琯のグループとして長安を追放、秦州に罪として安置させられた。
杖錫何來此,秋風已颯然。
あなたは何故に、いつ、錫杖をついて何時この秦州へ来られたか、秋の風がもうすでにさっと吹く季節になっている。
雨荒深院菊,霜倒半池蓮。
秋の雨中に寺の奥庭の菊をあれさせているし、寒霜は池の面積半分ばかりの蓮を枯らし、倒している。
放逐寧違性?虛空不離禪。
あなたは放逐の身ながらに従来の本性をまもっておられる、山間是空の場所はやはり賛公殿にとっての禅の心地を離れることはない。
相逢成夜宿,隴月向人圓。

ここでお逢いして泊まり込むことになったが、この隴山に懸かっている月は我々に向かって円くまるく照り輝いている。


賛公が房に宿す)
(賛は、京師の大雲寺の主なり、此に謫して安置せらる。)
錫【しゃく】を杖【つ】きて何か此に来たれる、秋風己に颯然【さつせん】たり。
雨には荒る深院【しんいん】の菊、霜には倒る半池の蓮【れん】。
放逐【ほうちく】寧ぞ性に違【たが】わんや、虚空【こくう】禅を離【さ】らず。
相逢うて夜宿【やしゅく】を成せば、隴月【ろうげつ】人に向こうて円【まど】かなり。

DCF00197

杜甫はこの地で上人の僧坊に泊まっている(賛公の房に宿す)。その詩に「あなたは錫に杖(つえ)つきて何すれぞ此に来たる、……相逢うて夜宿を成す」と言って賛公に会いたくてきて、やっと再会できたことを喜んでいる。この時、杜甫はここに隠遁する気であること、土地を捜したいことなどを話したのである。そして一緒にたずね行く約束ができたのもこの時であろう。杜甫が誘いの手紙を賛上人からもらったのだ。


現代語訳と訳註
(本文)

宿贊公房
 〔原注〕 賛。京師大雲寺主。謫此安置。
杖錫何來此,秋風已颯然。
雨荒深院菊,霜倒半池蓮。
放逐寧違性?虛空不離禪。
相逢成夜宿,隴月向人圓。


(下し文)
(賛公が房に宿す)
(賛は、京師の大雲寺の主なり、此に謫して安置せらる。)
錫【しゃく】を杖【つ】きて何か此に来たれる、秋風己に颯然【さつせん】たり。
雨には荒る深院【しんいん】の菊、霜には倒る半池の蓮【れん】。
放逐【ほうちく】寧ぞ性に違【たが】わんや、虚空【こくう】禅を離【さ】らず。
相逢うて夜宿【やしゅく】を成せば、隴月【ろうげつ】人に向こうて円【まど】かなり。


(現代語訳)
旧知である大雲寺の僧賛公の部屋を尋ねて泊ったことを述べる。
賛公は長安の大雲寺の僧である。房琯のグループとして長安を追放、秦州に罪として安置させられた。
あなたは何故に、いつ、錫杖をついて何時この秦州へ来られたか、秋の風がもうすでにさっと吹く季節になっている。
秋の雨中に寺の奥庭の菊をあれさせているし、寒霜は池の面積半分ばかりの蓮を枯らし、倒している。
あなたは放逐の身ながらに従来の本性をまもっておられる、山間是空の場所はやはり賛公殿にとっての禅の心地を離れることはない。
ここでお逢いして泊まり込むことになったが、この隴山に懸かっている月は我々に向かって円くまるく照り輝いている。


(訳注)
宿贊公房
賛。京師大要寺主。謫此安置。
旧知である大雲寺の僧賛公の部屋を尋ねて泊ったことを述べる。
賛公は長安の大雲寺の僧である。房琯のグループとして長安を追放、秦州に罪として安置させられた。
759年、乾元二年秦州にあっての作。
賛公 長安の大雲寺の僧である

大雲寺贊公房四首 其一#1 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ 700- 164

大雲寺贊公房四首 其一#2 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ 700- 165#2

大雲寺贊公房四首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 700- 166

大雲寺贊公房四首 其三 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 700- 167

大雲寺贊公房四首 其四 #1 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ 700- 168

大雲寺贊公房四首 其四 #2 杜甫 i紀頌之の漢詩ブログ 700- 169

を参照されたい。このとき賛公も亦た秦州に来ておったのである。〇 罪せられること。○ 秦州をさす。○安置 罪人としてさしおかれること。


杖錫何來此,秋風已颯然。
あなたは何故に、いつ、錫杖をついて何時この秦州へ来られたか、秋の風がもうすでにさっと吹く季節になっている。
杖錫 錫は錫杖、すずで作った杖をいう、僧の持つもの、「杖錫」の杖は「つえつく」こと。○ 「何故に」と「何の時に」とみる、どうして罪に問われなければいけないのかと、次の「秋風」の句はこれに答える句である。○ 秦州をさす。


雨荒深院菊,霜倒半池蓮。
秋の雨中に寺の奥庭の菊をあれさせているし、寒霜は池の面積半分ばかりの蓮を枯らし、倒している。


放逐寧違性?虛空不離禪。
あなたは放逐の身ながらに従来の本性をまもっておられる、山間是空の場所はやはり賛公殿にとっての禅の心地を離れることはない。
○放逐 房靖が宰相をやめさせられようとしたとき杜甫は上疏して争い罪せられようとした、賛公もまた咤の客であったために謫せられて秦州にやって来たものだという、賛公が房琯の客であったということは根拠が明らかでないとのことであるがここに附記する、放逐は都からおいはらわれたことをいう。○適性 本性に背いたことをなす。○虚空 放逐の地が空寂の処にあることを指す。即ち『荘子(徐無鬼)』の「夫逃空谷者、聞人之足音跫然而喜矣」(虚空に逃るる者は、人の足音を聞いて喜ぶ)とあるの意、山谷の寂地をさして虚空という。○不離禅 禅は仏教では空門という、山谷の空は禅の空と一致することをいう。


相逢成夜宿,隴月向人圓。
ここでお逢いして泊まり込むことになったが、この隴山に懸かっている月は我々に向かって円くまるく照り輝いている。
隴月 甘粛省地方の隴山にかかる月。
oborotsuki05

月夜憶舎弟 杜甫 <278> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1283 杜甫詩 700- 392

 
 ■ 唐五代詞・宋詩 花間集 温庭筠 漢文委員会 
 ■今週の人気記事(漢詩の3部門ランキング)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex  
 謝靈運index謝靈運詩古詩index漢の無名氏  
孟浩然index孟浩然の詩韓愈詩index韓愈詩集
杜甫詩index杜甫詩 李商隠index李商隠詩
李白詩index 李白350首女性詩index女性詩人 
 上代・後漢・三国・晉南北朝・隋初唐・盛唐・中唐・晩唐北宋の詩人  
 
月夜憶舎弟 杜甫 <278> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1283 杜甫詩 700- 392

月夜憶舎弟 (明月の晩に、我が家の弟どもを思って作った詩である。乾元2年759年 48歳、乾元二年秋秦州での作。)
        
月夜憶舎弟
戍鼓断人行、辺秋一雁声。
番兵らが打ち鳴らす鼓の音がきこえているが人通りは途絶えている、国境の辺地の秋にあって一羽飛ぶ雁の声が聞こえる。
露従今夜白、月是故郷明。
今、秦州での夜ははじめて明るい夜で白露の時節になる、ここの月の光は故えのある郷と同じような明るさでさえているだろう。
有弟皆分散、無家問死生。
弟はいてもみなあちらこちらと散らばって居り、その死んだか生きているかを尋ぬべき親族の家さえも無い状態だ。
寄書長不達、況乃未休兵。

手紙を寄せてやるのだがいつまでも届かないのだ、彼らの安否が気にかかる。いやそればかりでない、いまだ天下にひろがる騒乱がやまないのである。
(月夜に舎弟を憶う)
戍鼓【じゅうこ】人行【じんこう】断【た】ち、辺秋【へんしゅう】 一雁【いちがん】の声あり。
露は今夜従【よ】り白く、月は是【こ】れ故郷のごとく明【あき】らかならん。
弟有【あ】れども皆【みな】分散し、家の死生【しせい】を問うべき無し。
書を寄【よ】するも長く達せず、況【いわ】んや乃【すなわ】ち未だ兵を休【や】めざるをや。


 杜甫は機会あるごとに特集であったり、詩集を作っている。『遣興』『秦州雑詩二十首』は極めて構成的に練り上げられた作品である。杜甫は秦州で、ほかにもいろいろな作品を書いている。杜甫の理解のためには、その特集、詩集のすべてを読まないといけなくて、同時期の他の詩に心の変化を読み取る詩があるものなのである。例えば、『北 征』の長詩だけでは秦の理解はできない。以下の詩を読み取ることで、理解が深まるのである。

晚行口號   、徒步歸行  、「九成宮」#1  、行次昭陵1/2  、玉華宮 ① 

 

杜甫は、秦州3カ月の間に立てつづけに多くの詩を残している。新境地に達してのものである。隠遁先の事、農業のこと、日常の事、など多面にわたっているが、「月夜に舎弟を憶う」の詩は仲秋八月、白露節(はくろせつ)のころの作品で、弟たちの安否を気づかっている。
 杜甫の実母は幼少で亡くなっている。弟の頴・観・占・豊の四人はすべて異母弟である。ほかに異母の妹が一人いる。杜甫と行動を共にしているのは杜占だけで、あとは山東にいたようだ。
 このとき、史思明軍に洛陽が占領されていたので、交通は分断され、秦州から連絡を取ることはできなかった。 

tsuki001
  
現代語訳と訳註
(本文) 月夜憶舎弟

戍鼓断人行、辺秋一雁声。
露従今夜白、月是故郷明。
有弟皆分散、無家問死生。
寄書長不達、況乃未休兵。


(下し文)
(月夜に舎弟を憶う)

戍鼓【じゅうこ】人行【じんこう】断【た】ち、辺秋【へんしゅう】 一雁【いちがん】の声あり。
露は今夜従【よ】り白く、月は是【こ】れ故郷のごとく明【あき】らかならん。
弟有【あ】れども皆【みな】分散し、家の死生【しせい】を問うべき無し。
書を寄【よ】するも長く達せず、況【いわ】んや乃【すなわ】ち未だ兵を休【や】めざるをや。


(現代語訳)
番兵らが打ち鳴らす鼓の音がきこえているが人通りは途絶えている、国境の辺地の秋にあって一羽飛ぶ雁の声が聞こえる。
今、秦州での夜ははじめて明るい夜で白露の時節になる、ここの月の光は故えのある郷と同じような明るさでさえているだろう。
弟はいてもみなあちらこちらと散らばって居り、その死んだか生きているかを尋ぬべき親族の家さえも無い状態だ。
手紙を寄せてやるのだがいつまでも届かないのだ、彼らの安否が気にかかる。いやそればかりでない、いまだ天下にひろがる騒乱がやまないのである。


(訳注)
月夜憶舎弟

秦州に来て雨続きであったが、久しぶりの月夜であった。相手のことを思う題材として月は詠われる。


戍鼓断人行、辺秋一雁声。
番兵らが打ち鳴らす鼓の音がきこえているが人通りは途絶えている、国境の辺地の秋にあって一羽飛ぶ雁の声が聞こえる。
○戍鼓 番兵らのならすつづみ。〇人行 ひとどおり。○辺秋 国境辺地の秋。


露従今夜白、月是故郷明。
今、秦州での夜ははじめて明るい夜で白露の時節になる、ここの月の光は故えのある郷と同じような明るさでさえているだろう。
露従一句 白露の節に入ることをいう。〇月是一句 月明の色が故えのある郷のもののようである、光を共にするの意である。故ある里というのは、弟達の居場所が洛陽を安史軍に占領により、交通分断しているので、故郷ではない。

露従:月是、今:故、夜:郷、白:明

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。



有弟皆分散、無家問死生。
弟はいてもみなあちらこちらと散らばって居り、その死んだか生きているかを尋ぬべき親族の家さえも無い状態だ。
○有弟 このとき杜甫の弟一人は陽雀にあり、一人は済州に在ったという。四人の弟は頴・観・占・豊の異母弟。○無家 家は家族をいう、この時には杜甫は妻子をともなっていた。家はあるが、ここはひろく同族をこめてみる先祖からの家無しといっているのである、洛陽の家、陸渾荘についていうのである。○死生 先方の人人の死生。

有弟:無家、皆:問、分散:死生

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。


寄書長不達、況乃未休兵。
手紙を寄せてやるのだがいつまでも届かないのだ、彼らの安否が気にかかる。いやそればかりでない、いまだ天下にひろがる騒乱がやまないのである。
駅亭の 隠遁

寄書 手紙を寄せる。


佐還山後寄三首 其三 杜甫 <277> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1280 杜甫詩 700- 391

佐還山後寄三首 其三 杜甫 <277> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1280 杜甫詩 700- 391


其一
山晚黃雲合,歸時恐路迷。
東柯谷の山中の黄昏時に夕方の黄色の雲、山々の黄色に色づく葉が重なり合っている。帰る時刻には道に迷うかもしれないと心配する。
澗寒人欲到,林黑鳥應棲。
谷川の冷え込みの寒さは人間の欲を諦めさせている、山中木々の林は暗くなり鳥たちは巣についている。
野客茅茨小,田家樹木低。
隠棲しようとするこの野にある旅人のわたしは茅や茨で葺いた小さなところにいるし、ここで百姓している人たちは樹木にかこまれてそれより低い所にすんでいる。
舊諳疏懶叔,須汝故相攜。

嵇康が無精であったようにこの私もこんなに無精であったことを知ったのである。杜佐よ、君にお願いしたい。ぜひとも君と一緒に隠遁させてもらいたいということを。
山晚【さんばん】黃雲【こううん】合し,歸る時として 路迷【まよ】わんことを恐る。
澗【かん】寒くして人欲到り,林黑くして鳥應に棲す。
野客【やかく】は茅茨【ぼうじ】の小なり,田家【でんか】は樹木の低にある。
舊【もと】より疏懶【そらん】の叔【われ】を諳【し】る,汝に須【もと】むるは故【ことさら】に相い攜うるを

其二
白露黃粱熟,分張素有期。
秋の白露の季節である、おお粟が実っている。選り分けというのは初めから良い時期が決まってあるものだ。
已應舂得細,頗覺寄來遲。
その時期はすでに来ており、臼でついて細やかな粉にしたいとおもっている。
味豈同金菊,香宜配綠葵。
このものの味はできることなら金の菊酒と同じであってほしいし、香りはというと緑の葵のさわやかな香をいただきたいものである。
老人他日愛,正想滑流匙。
この老人にとっていつか愛されることもあるであろうし、まさに滑りそうな岩場で匙により水を掬うようなものであるということであろうか。
白露【はくろ】に黃粱【こうりょう】熟【じゅく】し,分張【ぶんちょう】素より期に有り。
已【すで】に應に舂【つ】いて細【さい】するを得んや,頗【すこ】ぶる寄り來ること遲きを覺ゆ。
味は豈に金菊と同じくならんや,香は宜しく綠葵【ろくき】を配【はい】せん。
老人 他日の愛,正に想う 滑りて匙【し】に流るを。


其三
幾道泉澆圃,交橫幔落坡。
何通りかの道があり、自然水が豊かで灌漑が行き渡っていて田畑に水がいきわたっている。そして棚田は川と交わるように横に広がり段々に落ちていくその土手は幔幕を張ったようである。
葳蕤秋葉少,隱映野雲多。
草木が盛んで美しいほどの此処の自然も秋も深まり木々はほとんど落葉している。そのため日差しも直接照らされたり、雲の移ろいによって影響を受けて影を写したりする。
隔沼連香芰,通林帶女蘿。
この地から隔てて沼地が菱の香りで連なっているようだ、林を通りぬけていくとひめかずらが帯状に這っている。
甚聞霜薤白,重惠意如何。
ここの農産物でしばしば聞くのは霜のように白いラッキョウのことである、重ね重ねの所望であるがいかがなものだろうか。
幾道か 泉は圃【はたけ】に澆【そそ】ぎ、交横に 幔【まく】のごとき坡【どて】に落つ。
葳蕤(イズイ)として 秋の葉少なく、隠れあるいは映りて 野の雲多し。
と詠じる。
沼を隔てて 香れる芰(ひし)に連なり、林に通じて 女蘿(さるおがせ)を帯ぶ。
甚(まこと)に聞く 霜おく薤(らっきょう)は白きと、重ねてわれに恵めよ きみが意は如何。


現代語訳と訳註
(本文) 其三
幾道泉澆圃,交橫幔落坡。
葳蕤秋葉少,隱映野雲多。
隔沼連香芰,通林帶女蘿。
甚聞霜薤白,重惠意如何。


(下し文)
幾道か 泉は圃【はたけ】に澆【そそ】ぎ、交横に 幔【まく】のごとき坡【どて】に落つ。
葳蕤(イズイ)として 秋の葉少なく、隠れあるいは映りて 野の雲多し。
と詠じる。
沼を隔てて 香れる芰(ひし)に連なり、林に通じて 女蘿(さるおがせ)を帯ぶ。
甚(まこと)に聞く 霜おく薤(らっきょう)は白きと、重ねてわれに恵めよ きみが意は如何。


(現代語訳)
何通りかの道があり、自然水が豊かで灌漑が行き渡っていて田畑に水がいきわたっている。そして棚田は川と交わるように横に広がり段々に落ちていくその土手は幔幕を張ったようである。
草木が盛んで美しいほどの此処の自然も秋も深まり木々はほとんど落葉している。そのため日差しも直接照らされたり、雲の移ろいによって影響を受けて影を写したりする。
この地から隔てて沼地が菱の香りで連なっているようだ、林を通りぬけていくとひめかずらが帯状に這っている。
ここの農産物でしばしば聞くのは霜のように白いラッキョウのことである、重ね重ねの所望であるがいかがなものだろうか。


(訳注)
幾道泉澆圃,交橫幔落坡。

何通りかの道があり、自然水が豊かで灌漑が行き渡っていて田畑に水がいきわたっている。そして棚田は川と交わるように横に広がり段々に落ちていくその土手は幔幕を張ったようである。
 ・ 注ぐ。水をかける。川から水を引く。・圃【ほ】[漢字項目]とは。意味や解説。[人名用漢字][音]ホ(漢)囲いをした畑。菜園。「圃場/園圃・花圃・田圃(でんぽ)・農圃・薬圃」[難読]田圃(たんぼ)。 ・交橫幔落坡 自然水が豊かで灌漑が行き渡っていることを言う。杜佐のいる東柯谷は谷間に開けた農園だったに違いない。段々畑あるいは棚田。棚田の段差が大きいとその高くなった土手がちょうど幕を横に張ったように見える。山間の湧水が上の田に注ぎ込み、さらにあちこちから下の田へとさかんにこぼれ落ちている。


葳蕤秋葉少,隱映野雲多。
草木が盛んで美しいほどの此処の自然も秋も深まり木々はほとんど落葉している。そのため日差しも直接照らされたり、雲の移ろいによって影響を受けて影を写したりする。
葳蕤【いずい】草木が盛んで美しいさま。『楚辞』「草木茂盛,枝葉下垂的樣子. 上葳蕤而防露兮。」・蕤 花の垂れさがるさま。冠などの垂れさがる飾り。農園の回りの山谷の様子を思い浮かべる。秋も盛りを過ぎて木々はほとんど落葉し、ために林内も空の雲の移ろいの影響を受け、かげったり明るくなったりする。もちろん農園の作物も、あたかもそれにつれて隠映するがごとくである。
 杜甫『示侄佐』では「田を潤した水がまがきを突き破るかのごとく、小さな滝のように懸かって流れ落ちる」といっている。
多病秋風落,君來慰眼前。
自聞茅屋趣,只想竹林眠。
滿穀山雲起,侵籬澗水懸。
嗣宗諸子侄,早覺仲容賢。


隔沼連香芰,通林帶女蘿。
この地から隔てて沼地が菱の香りで連なっているようだ、林を通りぬけていくとひめかずらが帯状に這っている。
・隣接する池や林に言及し、杜佐の農園はその近辺にも豊穣な雰囲気があふれていることをいう。


甚聞霜薤白,重惠意如何。
ここの農産物でしばしば聞くのは霜のように白いラッキョウのことである、重ね重ねの所望であるがいかがなものだろうか。
霜薤白 良くできた白らっきょう。杜佐の農園で今しも白ラッキョウが成熟しつつあることを述べている。


重ねて恵めと言っているのは、連作詩『佐還山後寄三首』其の二でオオアワ(黄粱)をもらっているからである。杜甫はもらうためにこの詩を書いたのではなくて、貰ったお礼に書いている。杜甫は10人を超す大所帯でこの地を訪れている。この詩には、棚田の模様から始まっているが食べ物に絡んだ詩である。山菜摘みに山に入って、落葉で地面が良く見えること、「葳蕤」という表現でほうふにあること、「菱」「蓮」「女蘿」「薤」と取り上げている。食料調達を野山の山菜摘みで賄うにしても頂き物は嬉しかったのである。

佐還山後寄三首 其二 杜甫 <276> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1277 杜甫詩 700- 390

佐還山後寄三首 其二 杜甫 <276> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1277 杜甫詩 700- 390




其一
山晚黃雲合,歸時恐路迷。
東柯谷の山中の黄昏時に夕方の黄色の雲、山々の黄色に色づく葉が重なり合っている。帰る時刻には道に迷うかもしれないと心配する。
澗寒人欲到,林黑鳥應棲。
谷川の冷え込みの寒さは人間の欲を諦めさせている、山中木々の林は暗くなり鳥たちは巣についている。
野客茅茨小,田家樹木低。
隠棲しようとするこの野にある旅人のわたしは茅や茨で葺いた小さなところにいるし、ここで百姓している人たちは樹木にかこまれてそれより低い所にすんでいる。
舊諳疏懶叔,須汝故相攜。
嵇康が無精であったようにこの私もこんなに無精であったことを知ったのである。杜佐よ、君にお願いしたい。ぜひとも君と一緒に隠遁させてもらいたいということを。
山晚【さんばん】黃雲【こううん】合し,歸る時として 路迷【まよ】わんことを恐る。
澗【かん】寒くして人欲到り,林黑くして鳥應に棲す。
野客【やかく】は茅茨【ぼうじ】の小なり,田家【でんか】は樹木の低にある。
舊【もと】より疏懶【そらん】の叔【われ】を諳【し】る,汝に須【もと】むるは故【ことさら】に相い攜うるを

其二
白露黃粱熟,分張素有期。
秋の白露の季節である、おお粟が実っている。選り分けというのは初めから良い時期が決まってあるものだ。
已應舂得細,頗覺寄來遲。
その時期はすでに来ており、臼でついて細やかな粉にしたいとおもっている。
味豈同金菊,香宜配綠葵。
このものの味はできることなら金の菊酒と同じであってほしいし、香りはというと緑の葵のさわやかな香をいただきたいものである。
老人他日愛,正想滑流匙。

この老人にとっていつか愛されることもあるであろうし、まさに滑りそうな岩場で匙により水を掬うようなものであるということであろうか。
白露【はくろ】に黃粱【こうりょう】熟【じゅく】し,分張【ぶんちょう】素より期に有り。
已【すで】に應に舂【つ】いて細【さい】するを得んや,頗【すこ】ぶる寄り來ること遲きを覺ゆ。
味は豈に金菊と同じくならんや,香は宜しく綠葵【ろくき】を配【はい】せん。
老人 他日の愛,正に想う 滑りて匙【し】に流るを。


其三
幾道泉澆圃,交橫幔落坡。葳蕤秋葉少,隱映野雲多。
隔沼連香芰,通林帶女蘿。甚聞霜薤白,重惠意如何。



代語訳と訳註
(本文) 其二

白露黃粱熟,分張素有期。已應舂得細,頗覺寄來遲。
味豈同金菊,香宜配綠葵。老人他日愛,正想滑流匙。


(下し文) 其二
白露【はくろ】に黃粱【こうりょう】熟【じゅく】し,分張【ぶんちょう】素より期に有り。
已【すで】に應に舂【つ】いて細【さい】するを得んや,頗【すこ】ぶる寄り來ること遲きを覺ゆ。
味は豈に金菊と同じくならんや,香は宜しく綠葵【ろくき】を配【はい】せん。
老人 他日の愛,正に想う 滑りて匙【し】に流るを。


(現代語訳)
秋の白露の季節である、おお粟が実っている。選り分けというのは初めから良い時期が決まってあるものだ。
その時期はすでに来ており、臼でついて細やかな粉にしたいとおもっている。
このものの味はできることなら金の菊酒と同じであってほしいし、香りはというと緑の葵のさわやかな香をいただきたいものである。
この老人にとっていつか愛されることもあるであろうし、まさに滑りそうな岩場で匙により水を掬うようなものであるということであろうか。


(訳注) 其二
白露黃粱熟,分張素有期。

秋の白露の季節である、おお粟が実っている。選り分けというのは初めから良い時期が決まってあるものだ。
白露【はくろ】に黃粱【こうりょう】熟【じゅく】し,分張【ぶんちょう】素より期に有り。
黃粱 大粟。穀物の一種。〇分張 分離する。分布する。粉にするものと酒にするものと分ける。〇 白絹。白い。生地のまま。本性。もとより。常に。空しい。暗いがない。旧交。精進料理。元素。〇 時期。良い時期。(酒造りの)旬の時期。


已應舂得細,頗覺寄來遲。
その時期はすでに来ており、臼でついて細やかな粉にしたいとおもっている。
已【すで】に應に舂【つ】いて細【さい】するを得んや,頗【すこ】ぶる寄り來ること遲きを覺ゆ。
【しゅう】 うすでつく。つきあてる。


味豈同金菊,香宜配綠葵。
このものの味はできることなら金の菊酒と同じであってほしいし、香りはというと緑の葵のさわやかな香をいただきたいものである。
味は豈【ねがわく】は金菊【きんきょく】と同じくならんや,香は宜しく綠葵【ろくき】を配【はい】せん。


老人他日愛,正想滑流匙。
この老人にとっていつか愛されることもあるであろうし、まさに滑りそうな岩場で匙により水を掬うようなものであるということであろうか。
老人 他日の愛,正に想う 滑りて匙【し】に流るを。
他日 以前。ほかの日。いつか。〇滑流匙 ・滑流 側流、滑り流。・匙 さじ。しゃくし。かぎ。


白露【はくろ】に黃粱【こうりょう】熟【じゅく】し,分張【ぶんちょう】素より期に有り。
已【すで】に應に舂【つ】いて細【さい】するを得んや,頗【すこ】ぶる寄り來ること遲きを覺ゆ。
味は豈に金菊と同じくならんや,香は宜しく綠葵【ろくき】を配【はい】せん。
老人 他日の愛,正に想う 滑りて匙【し】に流るを。


佐還山後寄三首 其一 杜甫 <275> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1274 杜甫詩 700- 389

佐還山後寄三首 其一 杜甫 <275> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1274 杜甫詩 700- 389

作j時は759年秦州で『秦州雑詩二十首』との関連性の高い詩であるためここに掲載する。


其一
山晚黃雲合,歸時恐路迷。
東柯谷の山中の黄昏時に夕方の黄色の雲、山々の黄色に色づく葉が重なり合っている。帰る時刻には道に迷うかもしれないと心配する。
澗寒人欲到,林黑鳥應棲。
谷川の冷え込みの寒さは人間の欲を諦めさせている、山中木々の林は暗くなり鳥たちは巣についている。
野客茅茨小,田家樹木低。
隠棲しようとするこの野にある旅人のわたしは茅や茨で葺いた小さなところにいるし、ここで百姓している人たちは樹木にかこまれてそれより低い所にすんでいる。
舊諳疏懶叔,須汝故相攜。
嵇康が無精であったようにこの私もこんなに無精であったことを知ったのである。杜佐よ、君にお願いしたい。ぜひとも君と一緒に隠遁させてもらいたいということを。
山晚【さんばん】黃雲【こううん】合し,歸る時として 路迷【まよ】わんことを恐る。
澗【かん】寒くして人欲到り,林黑くして鳥應に棲す。
野客【やかく】は茅茨【ぼうじ】の小なり,田家【でんか】は樹木の低にある。
舊【もと】より疏懶【そらん】の叔【われ】を諳【し】る,汝に須【もと】むるは故【ことさら】に相い攜うるを。
其二
白露黃粱熟,分張素有期。已應舂得細,頗覺寄來遲。
味豈同金菊,香宜配綠葵。老人他日愛,正想滑流匙。
其三
幾道泉澆圃,交橫幔落坡。葳蕤秋葉少,隱映野雲多。
隔沼連香芰,通林帶女蘿。甚聞霜薤白,重惠意如何。



現代語訳と訳註
(本文) 其一

山晚黃雲合,歸時恐路迷。澗寒人欲到,林黑鳥應棲。
野客茅茨小,田家樹木低。舊諳疏懶叔,須汝故相攜。


(下し文) 其一
山晚【さんばん】黃雲【こううん】の合,歸る時として路迷【ろめい】を恐る。
澗【かん】寒くして人欲到り,林黑くして鳥應に棲す。
野客【やかく】は茅茨【ぼうじ】の小なり,田家【でんか】は樹木の低にある。
舊【もと】より疏懶【そらん】の叔【われ】を諳【し】る,汝に須【もと】むるは故【ことさら】に相い攜うるを。


(現代語訳)
東柯谷の山中の黄昏時に夕方の黄色の雲、山々の黄色に色づく葉が重なり合っている。帰る時刻には道に迷うかもしれないと心配する。
谷川の冷え込みの寒さは人間の欲を諦めさせている、山中木々の林は暗くなり鳥たちは巣についている。
隠棲しようとするこの野にある旅人のわたしは茅や茨で葺いた小さなところにいるし、ここで百姓している人たちは樹木にかこまれてそれより低い所にすんでいる。
嵇康が無精であったようにこの私もこんなに無精であったことを知ったのである。杜佐よ、君にお願いしたい。ぜひとも君と一緒に隠遁させてもらいたいということを。


(訳注)
佐還山後寄三首 其一

示侄佐(佐に侄まるを示す)と同時期の作品で、萱の仮住まいで病気で寝込んでいるのを見舞いに来た杜佐が帰った後に寄せたものである。内容としては、何とかこの地で隠遁したいという気持ちを表したものである。このころの杜甫の心情理解のためには、『秦州雑詩二十首』と『示侄佐』とこの『佐還山後寄三首』は通して読むことが必要である。

山晚黃雲合,歸時恐路迷。
東柯谷の山中の黄昏時に夕方の黄色の雲、山々の黄色に色づく葉が重なり合っている。帰る時刻には道に迷うかもしれないと心配する。
山晚 山中の夕暮。山夕。山の黄昏時。・黃雲 夕方の黄色の雲。麦や稲が熟して一面に黄色のさま。山の銀杏、広葉樹が黄色の雲のようなさま。


澗寒人欲到,林黑鳥應棲。
谷川の冷え込みの寒さは人間の欲を諦めさせている、山中木々の林は暗くなり鳥たちは巣についている。


野客茅茨小,田家樹木低。
隠棲しようとするこの野にある旅人のわたしは茅や茨で葺いた小さなところにいるし、ここで百姓している人たちは樹木にかこまれてそれより低い所にすんでいる。


舊諳疏懶叔,須汝故相攜。
嵇康が無精であったようにこの私もこんなに無精であったことを知ったのである。杜佐よ、君にお願いしたい。ぜひとも君と一緒に隠遁させてもらいたいということを。
疏懶 ぶしょう、暗に嵇康のことを用いる、嵇康は髪もくしけずらず沐浴もしなかったという。○『秦州雜詩二十首 其十五』の詩に基づく句である。
未暇泛蒼海,悠悠兵馬間。
塞門風落木,客舍雨連山。
阮籍行多興,龐公隱不還。
東柯遂疏懶,休鑷鬢毛斑。
未だ蒼海【そうかい】に泛ぶに暇【いとま】あらず、悠悠たり兵馬の間。
塞門【さいもん】風木を落とし、客舎【かくしゃ】雨山に連なる。
阮籍【げんせき】行くゆく興【きょう】多からん、龐公【ほうこう】隠れて還らず。
東柯【とうか】疏懶【そらん】を遂げん、鑷【はさ】むを休めよ鬢毛【びんもう】の斑【まだら】なるを。
秦州雜詩二十首 其十五 杜甫 第4部 <268> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1253 杜甫詩 700- 382

示侄佐 杜甫 <274> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1271 杜甫詩 700- 388

示侄佐 杜甫 <274> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1271 杜甫詩 700- 388


『秦州雜詩二十首』 で杜甫は秦州で隠遁することを決意し、その場所も姪従弟杜佐の推薦する東柯谷という谷あいの村であった。そして其二十で長安の朝廷で「鴛行」していた旧友たちに応援を頼むものであった。秦州に来て、
『遣興』二十首
遣興三首其一 杜甫 <226>遣興22首の⑤番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1094 杜甫特集700- 329
遣興五首其一 杜甫 <235>遣興22首の⑧番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1154 杜甫特集700- 349

『秦州雜詩二十首』 
秦州雜詩二十首 其一 杜甫 第1部 <254> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1211 杜甫詩 700- 368
秦州雜詩二十首 其五 杜甫 第2部 <258> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1223 杜甫詩 700- 372
秦州雜詩二十首 其十三 杜甫 第4部 <266> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1247 杜甫詩 700- 380
秦州雜詩二十首 其二十

佳人

有懷台州鄭十八司

夢李白二首 其一

夢李白二首 其二

寄李十二白 二十韻

天末懷李白



と作詩してきたが、この地で病気を患ってたびたび寝込んでいる。
示侄佐 杜甫

多病秋風落,君來慰眼前。
病気がちで度々寝込んだ、秋風が吹き木の葉が落ち待っている。君(姪従弟の杜佐)が来てくれこうして目の前で見舞ってくれる。
自聞茅屋趣,只想竹林眠。
この茅葺のあばら家のことを心配して色々聞いてくれる。ただし、わたしが思っていたのは竹林に隠遁して静かな眠りを得ることであったのだ。
滿穀山雲起,侵籬澗水懸。
隠遁の場所は谷に十分の水や食べるのもがあり、その谷から湧き出し雲になって山にかかる、垣根を越して谷川の水が降りかかっている。
嗣宗諸子侄,早覺仲容賢。

隠遁者の先人の阮籍をはじめとして数多くの詩人たちはこうした谷あいに隠遁した。私もできるだけ早く、竹林の七賢者ののように隠遁者の仲間となって過ごす喜びを味わいたいものだ。


現代語訳と訳註
(本文)

多病秋風落,君來慰眼前。
自聞茅屋趣,只想竹林眠。
滿穀山雲起,侵籬澗水懸。
嗣宗諸子侄,早覺仲容賢。


(下し文)
病すること多くして秋風落つ,君來りて眼前に慰む。
自ら聞くは茅屋の趣,只想うは竹林の眠。
穀に滿ちて山雲起き,籬を侵して澗水懸る。
嗣宗 諸子 侄【とど】まる,早【つと】に覺ゆ 仲に賢きことを容【よろこ】びぬ。


(現代語訳)
病気がちで度々寝込んだ、秋風が吹き木の葉が落ち待っている。君(姪従弟の杜佐)が来てくれこうして目の前で見舞ってくれる。
この茅葺のあばら家のことを心配して色々聞いてくれる。ただし、わたしが思っていたのは竹林に隠遁して静かな眠りを得ることであったのだ。
隠遁の場所は谷に十分の水や食べるのもがあり、その谷から湧き出し雲になって山にかかる、垣根を越して谷川の水が降りかかっている。
隠遁者の先人の阮籍をはじめとして数多くの詩人たちはこうした谷あいに隠遁した。私もできるだけ早く、竹林の七賢者ののように隠遁者の仲間となって過ごす喜びを味わいたいものだ。


(訳注)
示侄佐

『秦州雑詩二十首 其十三』「船人近相報、但恐失桃花。」(船人【せんじん】  近【ちかづ)きて 相 報ず、「但【た】だ恐る桃花【とうか】を失せんか」と。)
これほどに私の隠棲の場所としてよさそうであるが、船頭が近寄ってきて報せてくれたことがある、それは「早くあんないい場所に隠棲地と定めないと、桃源郷の花のようにすぐに無くしてしまう」ということである。

船頭が早くこの村に住居せよとすすめるのであり、作者は卜居に心を労したものと思われる。桃花源の故事にもとづけば、船人は桃花源を発見した人であり、実際に桃花源に滞在し村人の接待を受け桃花源の生活を体験できた人である。その点に着目すれば、杜甫にとって桃花源すなわち東柯谷への水先案内人は、杜佐ということになるというように、秦州雑詩には、さまざまに登場する。。


多病秋風落,君來慰眼前。
病気がちで度々寝込んだ、秋風が吹き木の葉が落ち待っている。君(姪従弟の杜佐)が来てくれこうして目の前で見舞ってくれる。


自聞茅屋趣,只想竹林眠。
この茅葺のあばら家のことを心配して色々聞いてくれる。ただし、わたしが思っていたのは竹林に隠遁して静かな眠りを得ることであったのだ。
茅屋趣・竹林眠 この二句は隠遁生活に欠かせない語であり、隠遁したい気持ちをさらけ出している言葉である。

自聞 : 只想  、茅屋 : 竹林 、趣:

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。


滿穀山雲起,侵籬澗水懸。
隠遁の場所は谷に十分の水や食べるのもがあり、その谷から湧き出し雲になって山にかかる、垣根を越して谷川の水が降りかかっている。
【まがき】1 竹や柴などで目を粗く編んだ垣根。ませ。ませがき。2 遊郭で、遊女屋の入り口の土間と店の上がり口との間の格子戸。
〇谷川の下流に移り住んで薬草畑を作り、不老長寿の隠遁生活を送りたいなどと想像しているのだ。
滿穀 : 侵籬  、山雲 : 澗水 、起:

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。


嗣宗諸子侄,早覺仲容賢。
隠遁者の先人の阮籍をはじめとして数多くの詩人たちはこうした谷あいに隠遁した。私もできるだけ早く、竹林の七賢者のように隠遁者の仲間となって過ごす喜びを味わいたいものだ。
嗣宗 阮籍(げん せき、210年(建安15年) - 263年(景元4年))は、中国三国時代の人物。字(あざな)を嗣宗、陳留尉氏の人。竹林の七賢の指導者的人物である。父は建安七子の一人である阮瑀。阮籍
阮嗣宗【げんしそう】(210-263)
(魏) 阮籍、字は嗣宗、陳留尉氏(河南省開封県付近)の人。建安七子の一人である阮瑀の子。容貌瑰傑、志気宏放と称せられ、群籍を博覧し、特に老荘を好み、酒を嗜み、琴を善くし、清談を事とし、曠達にして礼節にかかわらず、竹林七賢の首償格であった。
曹爽召して参軍としたが辞して受けなかった。司馬懿に命ぜられて、大尉掾から、散騎常侍に進んだ。大将軍司馬昭がその子炎のために婚を阮籍に求めたが、籍は六十日沈酔したので話を進め得なかったという。鐘会が罪しようとしたが酣酔して免れ、大将軍の従事中郎に召されたが、歩兵の厨に美酒の多いのを聞いて求めて歩兵校尉となった。平生人を非難せず、ただ好悪を示すに青眼と白眼とをもってしたという。礼法の士からは深く忌まれたが、常に司馬昭の保護によって全きを得た。本伝に「性至孝」とあり、母の沒した時碁を囲み、酒を飲み、吐血数升、痩せ衰えて殆んど死ぬばかりになったと伝えられているのは、かえって彼の孝心を示すものであろうか。その集十三巻、「詠懐」八十二首は詩の代表作であり、外に「大人先生伝」「達生論」「楽論」等の文及び辞賦現がある。隋志には、匡十巻。
 阮籍 詠懐詩 、 白眼視    嵆康 幽憤詩
『詩品』は上品に位置付け、「詠懐の作は、以って性霊を陶い、幽思を發くべし、言は耳目の内に在るも、情は八荒の表に寄す。洋洋乎として風雅に会い、人をして其の鄙近を忘れ、自ら遠大を致さしむ」と評する。
置阮籍詩於上品,評曰:“詠懷之作,可以陶性靈、發幽思。言在耳目之内,情寄八荒之表。洋洋乎會於風雅,使人忘其鄙近,自致遠大。頗多感慨之詞。厥旨淵放,歸趣難求。”其中“厥旨淵放,歸趣難求”說明了阮籍的詩充滿了象征性、隱蔽性,難以了解其内在思想。
諸子 1 多くの人々を親しみや敬意を込めていう語。同等または、それ以下の人々をさしていう。代名詞的にも用いる。諸君。「学生―」2 中国周代の官名。諸侯の世子の教育などをつかさどったもの。杜佐をはじめとするこの東柯谷の人々ということ。
 賢者。ここは上句の「嗣宗諸子」をうけており、竹林の七賢人をいう。竹林の七賢(ちくりんのしちけん)とは、3世紀の中国・魏(三国時代)の時代末期に、酒を飲んだり清談を行なったりと交遊した、下記の七人の称。
阮籍(げんせき)、嵆康(けいこう)、山濤(さんとう)、劉伶(りゅうれい)、阮咸(げんかん)、向秀(しょうしゅう)
王戎(おうじゅう)をいう。当時は、半官半隠のものが多く官を辞して隠遁するものだけが隠者とはしていない。

尚、諸子侄を「諸-子姪」として阮籍の姪の阮咸とし、阮籍が杜甫で阮咸を杜佐とし、嗣宗(阮籍)の 諸(もろもろ)の子姪(シテツ)の中、「早に覚ゆ 仲容(阮咸)の賢なるを」として杜佐を誉めあげているという解釈はこの頃の杜甫の作品から見て少し無理がある。

ここは、素直に、杜甫の隠遁先を探してくれている杜佐に対して、「なかなか決められないが、私は本当に隠遁したいのだ、感謝するよ」という気持ちを述べている。阮籍を持ち出してきたのは「賢人」であること、反体制的であることを強調したかったと思われる。阮咸については阮籍の晩年司馬昭との関係等から判断して杜佐を持ち上げる表現と考えるには意味がない。

秦州雜詩二十首 其二十 と<解説とまとめ>杜甫 第5部 <273> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1268 杜甫詩 700- 387

秦州雜詩二十首 其二十<解説とまとめ>杜甫 第5部 <273> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1268 杜甫詩 700- 387 

杜甫 体系 地図458華州から秦州

秦州雜詩二十首
秦州雜詩二十首 第一部(其の一から其四)
●秦州の概要について述べる。

秦州雜詩二十首 第二部(其の五から其八)
●秦州と戰について述べる。

秦州雜詩二十首 第三部(其の九から其の十二)
●秦州城内のようすや住居のことを詠っている。

秦州雜詩二十首 第四部(其の十三から其の十六)
●隠棲の場所として東柯谷、仇池山、西枝村の西谷を候補にする。いよいよ杜甫は、隠棲するのにいい場所を見つけたようだ。東柯谷である。

秦州雜詩二十首 第五部(其の十七から其の二十)


17秦州雜詩二十首 其十七
(東柯谷の雨中山居のさまをのぺる。)
邊秋陰易久,不複辨晨光。
辺地の秋に雨雲で昼でも暗く、夕がたになるとはやく暮れてしまいやすいし、秋の夜長がさらにながい朝の区別が谷あいのためわからないに加えて雲りのために夜が明けたからといっても日光が知り分けられるわけではない。
簷雨亂淋幔,山雲低度牆。
のきばにそそぐ雨はみだれて幔幕にしただり、山よりおこる雲はひくく土塀をこえつつある。
鸕鶿窺淺井,蚯蚓上深堂。
鵜の鳥は浅い井に餌があるかとのぞきこんでくる、みみずは奥のざしきまであがってくる。
車馬何蕭索,門前百草長。
訪いくる車馬はなくてひっそりさびしいものであり、門前にはたださまざまの草がせたかくのびている。
邊秋【へんしゅう】陰【くも】りて久しくなり易し、複た晨光【しんこう】をも辨【べん】ぜず。
簷雨【えんう】亂れて幔に淋り、山雲【さんうん】低【た】れて牆【しょう】を度【わた】る。
鸕鶿【ろじ】浅井【せんせい】を窺【うかが】い、蚯蚓【きゅういん】深堂【しんどう】に上る。
車馬何ぞ蕭索【しょうさく】たる、門前【もんぜん】百草【ひゃくそう】長し。



18秦州雜詩二十首 其十八
(客人として間借りの身でいるために吐蕃の乱の基地であるため憂えた詩である。)
地僻秋將盡,山高客未歸。
この山間僻地のこの地に秋がもう尽きかけている。わたしは山が高くとりかこんでいるこんなところに隠遁できなくてまだ旅人のままでいる。
塞雲多斷績,邊日少光輝。
とりでの上にうかぶ雲は途切れたり続いたりしているし、ここ国境地域の太陽はひかりが薄く見える。
警急烽常報,傳聞檄屢飛。
吐蕃の乱で一刻も警備をいそがねばならぬことは蜂火がいつもそれを知らせてくるし、軍隊の戦意高揚の檄もたびたび飛んでいるということは人伝にきいている。
西戎外甥國,何得迕天威。
西戎たる吐蕃は我が唐にとっては甥の国であったはず、それなのにどうして天子の御威光にさからうのであろうか、さからえるはずはないのであるが。
地僻【ちへき】にして 秋 将に尽きんとす、山高くして客未だ帰らず。
塞【さい】雲 多く断続す、辺【へん】日【じつ】光輝【こうき】少なし。
警急【けいきゅう】蜂常に報ず、伝聞す檄【げき】の屢【しばし】ば飛ぶを。
西戎【せいじゅう】は外甥【がいせい】の国、何ぞ天威【てんい】に迕【たご】うことを得ん。



秦州雑詩二十首 其十九
(吐蕃の西北辺の乱は心配の種で、良将が任ぜられて、この地が安寧することをのべる。)
鳳林戈未息、魚海路常難。
鳳林関のあたりではまだ戦争がやまない、吐蕃征伐の魚海湖の方面にいくにはいつも難儀な道路である。
候火雲峰峻、縣軍幕井乾。
その地区の戦況はのろし火が急峻に聳える雲の峰であげられてわかるし、遠くからやってきた唐王朝軍の設営場所はいつの場合も井水は空からの状況である。
風連西極動、月過北庭寒。
いまや時節は晩秋となって、風は西のはての地方から連って吹き、月の光は寒さを帯びて照らされ北庭都護府を過ぎて寒さが来る。
故老思飛将、何時議築壇。
漢の飛将軍李広はこの地で育った、このような人がいま居たならばと老人たちはそれを思慕しているが、いつになったら朝廷でその大将を郭子儀が任命せられるために壇をきずく御相談があるのであろうか。 

20秦州雜詩二十首 其二十
(総まとめの詩で、この二十首の精神をあらわしている詩であると同時に旧友知人に現状を理解して応援を求める詩としている。)
唐堯真自聖、野老復何知。
古代「堯」のような徳を積んだ唐の皇帝は太宗の血を引きまことに聖明のお方である。この地に来ているわたしごとき隠遁する老人は徳のことにつけてなにを知ってというものではないので、申すべきではない。
曬薬能無婦、応門幸有児。
薬草をこまめに天日干しにあてる婦人が居ないではないし、客があれば門で取次するものがおり、子供だってしてくれる。
蔵書聞禹穴、読記憶仇池。
会稽に書を蔵したという禹穴は多くの詩人に詠われたところにちがいないが、古い書籍をよむとここ東柯谷のひと山越えれば神仙の聖地である仇池があるのでわたしはその地のことをおもい詠うのである。
為報鴛行旧、鷦鷯在一枝。
わたしは都の在官の旧友諸君に御しらせする、自分の現在は小さい鳥の「みそさざい」がただ一枝におちついて棲んでおるようなもの、求めるものは些少なものでこんな田舎に引っ込んでいる。(できればご厚情を賜りたい。)
唐堯【とうぎょう】真に自ら聖なり、野老復た何をか知らん。
薬を曬【さら】す能【あ】に婦【つま】無からんや、門に応ずるは幸い児有り。
書を蔵する禹穴【うけつ】ありと聞く、記を読みて仇池【きゅうち】を憶う。
為に報ず 鴛行【えんこう】の旧に、鷦鷯【しょうりょう】は一枝【いっし】に在りと。

華州から秦州同谷成都00

杜甫 体系 地図459同谷紀行



現代語訳と訳註
(本文) 秦州雜詩二十首 其二十

唐堯真自聖、野老復何知。
曬薬能無婦、応門幸有児。
蔵書聞禹穴、読記憶仇池。
為報鴛行旧、鷦鷯在一枝。


(下し文)
唐堯【とうぎょう】真に自ら聖なり、野老復た何をか知らん。
薬を曬【さら】す能【あ】に婦【つま】無からんや、門に応ずるは幸い児有り。
書を蔵する禹穴【うけつ】ありと聞く、記を読みて仇池【きゅうち】を憶う。
為に報ず 鴛行【えんこう】の旧に、鷦鷯【しょうりょう】は一枝【いっし】に在りと。


(現代語訳) 其の二十
(総まとめの詩で、この二十首の精神をあらわしている詩であると同時に旧友知人に現状を理解して応援を求める詩としている。)
古代「堯」のような徳を積んだ唐の皇帝は太宗の血を引きまことに聖明のお方である。この地に来ているわたしごとき隠遁する老人は徳のことにつけてなにを知ってというものではないので、申すべきではない。
薬草をこまめに天日干しにあてる婦人が居ないではないし、客があれば門で取次するものがおり、子供だってしてくれる。
会稽に書を蔵したという禹穴は多くの詩人に詠われたところにちがいないが、古い書籍をよむとここ東柯谷のひと山越えれば神仙の聖地である仇池があるのでわたしはその地のことをおもい詠うのである。
わたしは都の在官の旧友諸君に御しらせする、自分の現在は小さい鳥の「みそさざい」がただ一枝におちついて棲んでおるようなもの、求めるものは些少なものでこんな田舎に引っ込んでいる。(できればご厚情を賜りたい。)


(訳注)
秦州雑詩二十首 其二十

(総まとめの詩で、この二十首の精神をあらわしている詩であると同時に旧友知人に現状を理解して応援を求める詩としている。)


唐堯真自聖、野老復何知。
古代「堯」のような徳を積んだ唐の皇帝は太宗の血を引きまことに聖明のお方である。この地に来ているわたしごとき隠遁する老人は徳のことにつけてなにを知ってというものではないので、申すべきではない。
唐堯 三皇五帝の堯のことを謂い、現粛宗を比喩している。堯帝のころは、世襲制でなく聖徳を積んだものが即位した。○自聖 聖ではないがみずから聖とするとといている、「おのずから」と訓ずるのがよい、天然自然にの意味で、太宗が徳を重んじた政治を行って、全国鍵をかけることがなくなっていた。その血を受け継いだという意味であろう。○天属 天よりの血属をいう、父子の関係をさす。これは唐の高祖と太宗の間がら、父たる高祖が子たる太宗に帝位を譲られたことをさす。三皇五帝の堯帝より世襲により譲位されるようになった。この両句、首聯で述べる意味の事は、杜甫の次の詩に詳しい。行次昭陵1/2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 203で、後世の詩人に大きな影響を与えた詩である。また、杜甫の詩が劇的に変化したころでもあり、多くの秀作を残している。すべてこのブログに取り上げている。○野老 自己をさす。この句は悔しさのあらわれたものである。


曬薬能無婦、応門幸有児。
薬草をこまめに天日干しにあてる婦人が居ないではないし、客があれば門で取次するものがおり、子供だってしてくれる。
曬薬 薬草を天日干しにする ・ (1) 日が照りつける晒黑了日焼けした.西晒西日が照りつける.(2) 日に干す,日に当てる。○応門 客がきたとき門でとりつぎする。通常侍女下人がする。

: 応門  、能 : 、無婦 : 有児

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。


蔵書聞禹穴、読記憶仇池。
会稽に書を蔵したという禹穴は多くの詩人に詠われたところにちがいないが、古い書籍をよむとここ東柯谷のひと山越えれば神仙の聖地である仇池があるのでわたしはその地のことをおもい詠うのである。
蔵書 秦始皇の東巡で会稽に訪れた際、丞相の李斯は文章を書き残した《会稽石刻》などの貴重な碑、石刻が数多く残っている。○禹穴 禹が皇帝になった後、“巡守大越(見守り続けた大越)”ここで病死してしまったため、会稽山の麓に埋葬した。禹陵は古くは、禹穴と呼ばれ、大禹の埋葬地となった。大禹陵は会稽山とは背中合わせにあり、前には、禹池がある。この禹池が仇池であると杜甫は言う。○記 旧記。○仇池 仇池山は古来より神仙の住む聖地の一つとして名高い。池には神魚がいたし、はるか河南の王屋山にある小有天にも通じている。山頂には九十九泉があり、秦州の西南方向にあってさほど遠くない。第十四首秦州雜詩二十首 其十四 杜甫 第4部 <267> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1250 杜甫詩 700- 381に見える。
仇池国故扯 西和県の県城南方60kmの仇池山にあり、頂上が千畝ほどの平坦地になっており、百頃城とも云う
天然の城郭を為し、後漢代の末に白馬氐(はくばてい)部族の楊駒が仇池国を興し、三百八十年にわたり周辺を支配したと伝える。

蔵書 : 読記  、聞 : 、禹穴: 仇池

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。


為報鴛行旧、鷦鷯在一枝。
わたしは都の在官の旧友諸君に御しらせする、自分の現在は小さい鳥のみそさざいがただ一枝におちついて棲んでおるようなもの、求むる所は些少なものでこんな田舎に引っこんでいる。(できればご厚情を賜りたい。)
鴛行旧 朝廷に居る旧友をいう、鴛行は鴛鷺の行、朝廷に入る時の様子で文官の行列のことをいう。○鷦鷯 小さい鳥のこと。みそさざい。わずかの欲望しか持たないことの喩につかわれる。〇一枝 『荘子、逍遥遊篇』「鷦鷯巣於深林、不過一枝、偃鼠飲河、不過満腹。」(鷦鷯は深林に巣うも、一枝に過ぎず、偃鼠は河に飲むも、満腹に過ぎず。)とあるのにもとづく。


<解説>
杜甫は秦州雑詩二十首」其二十は其一から其十九の総まとめの詩である。まず、【首聯】で暗帝である粛宗を皮肉を込めて「自聖」といっていい、そして、【頷聯】では、商山の皓や龐徳公の故事に見るように妻を携えて隠棲し薬草を取る。鹿門山の山門をイメージする句とし、【頸聯】で古代徳を積んだものが選ばれて即位した地位を世襲制に変えた禹帝を例にとってはいるが、様々な功績を遺したこをに基づいて句を構成している。
【尾聯】は杜甫の隠棲することへの決意を示したものである。当然この詩では、杜佐の推薦する東柯谷を隠棲の地点と考えているものと思われる。


一般的に 「秦州雑詩二十首」の最後は、①杜甫の悲痛な叫びで結ばれているとされ、②すでに辞官した身だから国政を案じても仕方がないと諦めの言葉をもらし、③薬草を採取して暮らす考えも捨てず、④士身分の者として読書の大切である、とされているものがあるが、このような表面的な理解は、「秦州雑詩二十首」を飛ばして訳註紹介をしている粗悪な文学者の偏見である。


杜甫はこの二十首の詩を親族知人に送り、隠遁生活の援助者を募ったのである。したがって、左拾遺で仕事をさせてもらえなかったこと、朝廷での疎外感、華州へのいわれなき左遷、愚帝による失政のため、負けるはずのない戦に大敗をきしたこと、棲む場所がなくなった事、など、杜甫の詩人としての矜持を詠いつつ、隠遁への援助を期待しているのである。しかし、実際にはこの書簡が知人友人たちに届く前に杜甫はこの地を後にし、「同谷紀行」「成都紀行」の旅に入っている。


秦州雜詩二十首 其十九 杜甫 第5部 <272> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1265 杜甫詩 700- 386

秦州雜詩二十首 其十九 杜甫 第5部 <272> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1265 杜甫詩 700- 386



秦州雜詩二十首
秦州雜詩二十首 第一部(其の一から其四)
●秦州の概要について述べる。

秦州雜詩二十首 第二部(其の五から其八)
●秦州と戰について述べる。

秦州雜詩二十首 第三部(其の九から其の十二)
●秦州城内のようすや住居のことを詠っている。

秦州雜詩二十首 第四部(其の十三から其の十六)
●隠棲の場所として東柯谷、仇池山、西枝村の西谷を候補にする。いよいよ杜甫は、隠棲するのにいい場所を見つけたようだ。東柯谷である。

秦州雜詩二十首 第五部(其の十七から其の二十)


17秦州雜詩二十首 其十七
(東柯谷の雨中山居のさまをのぺる。)
邊秋陰易久,不複辨晨光。
辺地の秋に雨雲で昼でも暗く、夕がたになるとはやく暮れてしまいやすいし、秋の夜長がさらにながい朝の区別が谷あいのためわからないに加えて雲りのために夜が明けたからといっても日光が知り分けられるわけではない。
簷雨亂淋幔,山雲低度牆。
のきばにそそぐ雨はみだれて幔幕にしただり、山よりおこる雲はひくく土塀をこえつつある。
鸕鶿窺淺井,蚯蚓上深堂。
鵜の鳥は浅い井に餌があるかとのぞきこんでくる、みみずは奥のざしきまであがってくる。
車馬何蕭索,門前百草長。
訪いくる車馬はなくてひっそりさびしいものであり、門前にはたださまざまの草がせたかくのびている。
邊秋【へんしゅう】陰【くも】りて久しくなり易し、複た晨光【しんこう】をも辨【べん】ぜず。
簷雨【えんう】亂れて幔に淋り、山雲【さんうん】低【た】れて牆【しょう】を度【わた】る。
鸕鶿【ろじ】浅井【せんせい】を窺【うかが】い、蚯蚓【きゅういん】深堂【しんどう】に上る。
車馬何ぞ蕭索【しょうさく】たる、門前【もんぜん】百草【ひゃくそう】長し。



18秦州雜詩二十首 其十八
(客人として間借りの身でいるために吐蕃の乱の基地であるため憂えた詩である。)
地僻秋將盡,山高客未歸。
この山間僻地のこの地に秋がもう尽きかけている。わたしは山が高くとりかこんでいるこんなところに隠遁できなくてまだ旅人のままでいる。
塞雲多斷績,邊日少光輝。
とりでの上にうかぶ雲は途切れたり続いたりしているし、ここ国境地域の太陽はひかりが薄く見える。
警急烽常報,傳聞檄屢飛。
吐蕃の乱で一刻も警備をいそがねばならぬことは蜂火がいつもそれを知らせてくるし、軍隊の戦意高揚の檄もたびたび飛んでいるということは人伝にきいている。
西戎外甥國,何得迕天威。
西戎たる吐蕃は我が唐にとっては甥の国であったはず、それなのにどうして天子の御威光にさからうのであろうか、さからえるはずはないのであるが。
地僻【ちへき】にして 秋 将に尽きんとす、山高くして客未だ帰らず。
塞【さい】雲 多く断続す、辺【へん】日【じつ】光輝【こうき】少なし。
警急【けいきゅう】蜂常に報ず、伝聞す檄【げき】の屢【しばし】ば飛ぶを。
西戎【せいじゅう】は外甥【がいせい】の国、何ぞ天威【てんい】に迕【たご】うことを得ん。



秦州雑詩二十首 其十九
(吐蕃の西北辺の乱は心配の種で、良将が任ぜられて、この地が安寧することをのべる。)
鳳林戈未息、魚海路常難。
鳳林関のあたりではまだ戦争がやまない、吐蕃征伐の魚海湖の方面にいくにはいつも難儀な道路である。
候火雲峰峻、縣軍幕井乾。
その地区の戦況はのろし火が急峻に聳える雲の峰であげられてわかるし、遠くからやってきた唐王朝軍の設営場所はいつの場合も井水は空からの状況である。
風連西極動、月過北庭寒。
いまや時節は晩秋となって、風は西のはての地方から連って吹き、月の光は寒さを帯びて照らされ北庭都護府を過ぎて寒さが来る。
故老思飛将、何時議築壇。
漢の飛将軍李広はこの地で育った、このような人がいま居たならばと老人たちはそれを思慕しているが、いつになったら朝廷でその大将を郭子儀が任命せられるために壇をきずく御相談があるのであろうか。



この長安の幽閉を中にはさむ一年半ばかりは、杜甫の一生のうちもっとも小説的な時期であるが、このあいだに杜甫の詩は大きな転化と生長をとげた。それは憂愁にみちた人類の運命への覚醒である。この乱により深い憂愁を体験した杜甫は、自己の憂愁を媒介として、ここに人類に普遍な憂愁に目ざめたようである。それまでの詩は単に自己の世にいれられぬ悲しみと、不正にみちた世の中の事象を歌うにとどまっていたが、このころの詩は、もはや自己一身の悲しみや、外界の事象をのみ歌うものではない。それは自己の悲しみを歌いながらも、その悲しみはつねに同じ悲しみをもつ多くの人々の上へとおしひろげられていこうとする傾向を顕著に示しはじめる。それは、左拾遺という地位にいながら実際には朝廷内において約一年疎外をうけ、司功参軍において下級事務官で約一年、その間に歴史的な詩を残しそして官を辞した。


 秦州に來るにはこれまでの家族を伴った過酷な旅行・移動ではなかった。杜甫は隠棲生活の場として秦州を選んだ。それは、東柯谷であり、姪の杜佐の隠棲の場所であったが、杜甫のトラウマ、秦州が吐蕃の乱の前線基地であることで憂愁をぬぐいきれないことであった。


 秦州、それは中国の西北に位置する田舎町である。杜甫はこの地に三か月余りを送るが、ここもまた戦火の不安を拂えず、天候不順で食糧のこと、そのうえ国境の町の異様な自然と人事とは、杜甫の神経を極度にさいなんだ。このころの杜甫の詩は病的に尖鋭であり、悲観的、絶望的である。



現代語訳と訳註
(本文)

鳳林戈未息、魚海路常難。
候火雲峰峻、縣軍幕井乾。
風連西極動、月過北庭寒。
故老思飛将、何時議築壇。


(下し文)
鳳林【ほうりん】 戈【ほこ】未だ息【や】まず、魚海【ぎょかい】 路【みち】常に難【かた】し。
候火【こうか】雲峰【うんぽう】峻【けわ】しく、縣軍【けんぐん】幕井【ばくい】乾く。
風は西極【せいきょく】に連なりて動き、月は北庭【ほくてい】を過ぎて寒し。
故老【ころう】飛将【ひしょう】を思う、何の時か築壇【ちくだん】を議(ぎ)せん。


(現代語訳)
(吐蕃の西北辺の乱は心配の種で、良将が任ぜられて、この地が安寧することをのべる。)
鳳林関のあたりではまだ戦争がやまない、吐蕃征伐の魚海湖の方面にいくにはいつも難儀な道路である。
その地区の戦況はのろし火が急峻に聳える雲の峰であげられてわかるし、遠くからやってきた唐王朝軍の設営場所はいつの場合も井水は空からの状況である。
いまや時節は晩秋となって、風は西のはての地方から連って吹き、月の光は寒さを帯びて照らされ北庭都護府を過ぎて寒さが来る。
漢の飛将軍李広はこの地で育った、このような人がいま居たならばと老人たちはそれを思慕しているが、いつになったら朝廷でその大将を郭子儀が任命せられるために壇をきずく御相談があるのであろうか。


(訳注)
秦州雑詩二十首 其十九

(吐蕃の西北辺の乱は心配の種で、良将が任ぜられて、この地が安寧することをのべる。)


鳳林戈未息、魚海路常難。
鳳林関のあたりではまだ戦争がやまない、吐蕃征伐の魚海湖の方面にいくにはいつも難儀な道路である。
鳳林 関の名、蘭州府河州の西に在る。臨洮を西に進むと、蘭州方面と、臨夏の魚海にわかれる地域をいう。○魚海 今の甘粛省の臨夏の西、吐蕃(チベット)との境にある湖水の名である。岑参『封大夫破播仙凱歌二首 其二』「日落轅門鼓角鳴、千群面縛出蕃城。洗兵魚海雲迎陣、秣馬龍堆月照營。」(日は落ちて轅門 鼓客鳴り、千群 面縛して蕃城を出ず。兵を魚海に洗えば 雲 陣を迎え、馬を竜堆に秣かえば 月 営を照らす。)「兵を魚海に洗う」の句があることで湖名である。


候火雲峰峻、縣軍幕井乾。
その地区の戦況はのろし火が急峻に聳える雲の峰であげられてわかるし、遠くからやってきた唐王朝軍の設営場所はいつの場合も井水は空からの状況である。
候火 敵情をうかがうための火、のろしぴのこと。○雲峰 候火を挙げる地をいう。○縣軍 遠くより馳せ来たった軍、唐の軍である。○幕井 幕営地の井戸。○ 水量の少ない地に軍隊が多く来る故に井水がつねに飲みはされること。実際は、水のあるところは木々があり、古来「設営場所を林に為さず。」三国志、蜀の劉備が呉の陸遜に大敗を喫したことでもわかるように乾燥地に陣取るものなのである。


風連西極動、月過北庭寒。
いまや時節は晩秋となって、風は西のはての地方から連って吹き、月の光は寒さを帯びて照らされ北庭都護府を過ぎて寒さが来る。
風連・西動・月過・北寒 節候をいう、冬の節候はえびすが南下して攻め寄せるときである。○西極 西のはて、ここでは吐蕃をさす。〇 月の光をさす。○北庭 唐では北庭都護府を置いた、隴右道に属する、今の新彊ウイグル自治区土魯番の境に在った。

 
故老思飛将、何時議築壇。
漢の飛将軍李広はこの地で育った、このような人がいま居たならばと老人たちはそれを思慕しているが、いつになったら朝廷でその大将を郭子儀が任命せられるために壇をきずく御相談があるのであろうか。
故老 秦州地方の父老。○飛将 漢の李広、右北平の太守となったとき、匈奴は彼を飛将軍と称した。この地で彼の勇気は育まれた。○何時一句 東柯谷の故老の考えとしても杜甫自身の考えとしてもともに通じるというもの。○議築壇 ・は議論する。・築壇は韓信の故事、漢の高祖(紀元前三世紀末)が信を大将に任ずるとき特別にたかい壇をきずいて任命したことをいう。杜甫は郭子儀をせつぼうしていた。

秦州雜詩二十首 其十八 杜甫 第5部 <271> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1262 杜甫詩 700- 385

秦州雜詩二十首 其十八 杜甫 第5部 <271> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1262 杜甫詩 700- 385




秦州雜詩二十首
秦州雜詩二十首 第一部(其の一から其四)
●秦州の概要について述べる。

秦州雜詩二十首 第二部(其の五から其八)
●秦州と戰について述べる。

秦州雜詩二十首 第三部(其の九から其の十二)
●秦州城内のようすや住居のことを詠っている。

秦州雜詩二十首 第四部(其の十三から其の十六)
●隠棲の場所として東柯谷、仇池山、西枝村の西谷を候補にする。いよいよ杜甫は、隠棲するのにいい場所を見つけたようだ。東柯谷である。

秦州雜詩二十首 第五部(其の十七から其の二十)


17秦州雜詩二十首 其十七
(東柯谷の雨中山居のさまをのぺる。)
邊秋陰易久,不複辨晨光。
辺地の秋に雨雲で昼でも暗く、夕がたになるとはやく暮れてしまいやすいし、秋の夜長がさらにながい朝の区別が谷あいのためわからないに加えて雲りのために夜が明けたからといっても日光が知り分けられるわけではない。
簷雨亂淋幔,山雲低度牆。
のきばにそそぐ雨はみだれて幔幕にしただり、山よりおこる雲はひくく土塀をこえつつある。
鸕鶿窺淺井,蚯蚓上深堂。
鵜の鳥は浅い井に餌があるかとのぞきこんでくる、みみずは奥のざしきまであがってくる。
車馬何蕭索,門前百草長。
訪いくる車馬はなくてひっそりさびしいものであり、門前にはたださまざまの草がせたかくのびている。
邊秋【へんしゅう】陰【くも】りて久しくなり易し、複た晨光【しんこう】をも辨【べん】ぜず。
簷雨【えんう】亂れて幔に淋り、山雲【さんうん】低【た】れて牆【しょう】を度【わた】る。
鸕鶿【ろじ】浅井【せんせい】を窺【うかが】い、蚯蚓【きゅういん】深堂【しんどう】に上る。
車馬何ぞ蕭索【しょうさく】たる、門前【もんぜん】百草【ひゃくそう】長し。


  
18秦州雜詩二十首 其十八
(客人として間借りの身でいるために吐蕃の乱の基地であるため憂えた詩である。)
地僻秋將盡,山高客未歸。
この山間僻地のこの地に秋がもう尽きかけている。わたしは山が高くとりかこんでいるこんなところに隠遁できなくてまだ旅人のままでいる。
塞雲多斷績,邊日少光輝。
とりでの上にうかぶ雲は途切れたり続いたりしているし、ここ国境地域の太陽はひかりが薄く見える。
警急烽常報,傳聞檄屢飛。
吐蕃の乱で一刻も警備をいそがねばならぬことは蜂火がいつもそれを知らせてくるし、軍隊の戦意高揚の檄もたびたび飛んでいるということは人伝にきいている。
西戎外甥國,何得迕天威。
西戎たる吐蕃は我が唐にとっては甥の国であったはず、それなのにどうして天子の御威光にさからうのであろうか、さからえるはずはないのであるが。
地僻【ちへき】にして 秋 将に尽きんとす、山高くして客未だ帰らず。
塞【さい】雲 多く断続す、辺【へん】日【じつ】光輝【こうき】少なし。
警急【けいきゅう】蜂常に報ず、伝聞す檄【げき】の屢【しばし】ば飛ぶを。
西戎【せいじゅう】は外甥【がいせい】の国、何ぞ天威【てんい】に迕【たご】うことを得ん。

19秦州雜詩二十首 其十九
鳳林戈未息,魚海路常難。候火雲峰峻,懸軍幕井幹。
風連西極動,月過北庭寒。故老思飛將,何時議築壇?
 
20秦州雜詩二十首 其二十
唐堯真自聖,野老複何知。曬藥能無婦?應門亦有兒。
藏書聞禹穴,讀記憶仇池。為報鴛行舊,鷦鷯寄一枝。


 

現代語訳と訳註
(本文) 秦州雜詩二十首 其十八

地僻秋將盡,山高客未歸。
塞雲多斷績,邊日少光輝。
警急烽常報,傳聞檄屢飛。
西戎外甥國,何得迕天威。


(下し文)
地僻【ちへき】にして 秋 将に尽きんとす、山高くして客未だ帰らず。
塞【さい】雲 多く断続す、辺【へん】日【じつ】光輝【こうき】少なし。
警急【けいきゅう】蜂常に報ず、伝聞す檄【げき】の屢【しばし】ば飛ぶを。
西戎【せいじゅう】は外甥【がいせい】の国、何ぞ天威【てんい】に迕【たご】うことを得ん。


(現代語訳)
(客人として間借りの身でいるために吐蕃の乱の基地であるため憂えた詩である。)
この山間僻地のこの地に秋がもう尽きかけている。わたしは山が高くとりかこんでいるこんなところに隠遁できなくてまだ旅人のままでいる。
とりでの上にうかぶ雲は途切れたり続いたりしているし、ここ国境地域の太陽はひかりが薄く見える。
吐蕃の乱で一刻も警備をいそがねばならぬことは蜂火がいつもそれを知らせてくるし、軍隊の戦意高揚の檄もたびたび飛んでいるということは人伝にきいている。
西戎たる吐蕃は我が唐にとっては甥の国であったはず、それなのにどうして天子の御威光にさからうのであろうか、さからえるはずはないのであるが。


(訳注)
秦州雜詩二十首 其十八

(客人として間借りの身でいるために吐蕃の乱の基地であるため憂えた詩である。)


地僻秋將盡,山高客未歸。
この山間僻地のこの地に秋がもう尽きかけている。わたしは山が高くとりかこんでいるこんなところに隠遁できなくてまだ旅人のままでいる。
 自己をさす。


塞雲多斷績,邊日少光輝。
とりでの上にうかぶ雲は途切れたり続いたりしているし、ここ国境地域の太陽はひかりが薄く見える。
辺日 辺地をてらす太陽。 其十「煙火軍中幕、牛羊嶺上村。」  其十一「蕭蕭古塞冷、漠漠秋雲低。」とあり、塞に雲がかかっている。
秦州雜詩二十首 其十 杜甫 第3部 <263> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1238 杜甫詩 700- 377
秦州雜詩二十首 其十一 杜甫 第3部 <264> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1241 杜甫詩 700- 378

/ : / 、多 : 、斷/ : /

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。


警急烽常報,傳聞檄屢飛。
吐蕃の乱で一刻も警備をいそがねばならぬことは蜂火がいつもそれを知らせてくるし、軍隊の戦意高揚の檄もたびたび飛んでいるということは人伝にきいている。
 長さ二尺の木簡、軍を徴すしるしのもの。

/ : / 、烽 : 、常/ : /

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。


西戎外甥國,何得迕天威。
西戎たる吐蕃は我が唐にとっては甥の国であったはず、それなのにどうして天子の御威光にさからうのであろうか、さからえるはずはないのであるが。
西戎 吐蕃をさす。○外甥国 おい分にあたる国、唐は景竜以来ときどき天子の姫宮を吐蕃へ嫁せしめた、よって吐蕃は唐を舅(おじさん)とし、唐は吐蕃を外甥(おい)とみる。公文書にも舅・甥の称を用いた。○ そむく。○天威 天子の御威光。


秦州雜詩二十首 其十七 杜甫 第5部 <270> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1259 杜甫詩 700- 384

秦州雜詩二十首 其十七 杜甫 第5部 <270> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1259 杜甫詩 700- 384



秦州雜詩二十首
秦州雜詩二十首 第一部(其の一から其四)
●秦州の概要について述べる。

秦州雜詩二十首 第二部(其の五から其八)
●秦州と戰について述べる。

秦州雜詩二十首 第三部(其の九から其の十二)
●秦州城内のようすや住居のことを詠っている。

秦州雜詩二十首 第四部(其の十三から其の十六)
●隠棲の場所として東柯谷、仇池山、西枝村の西谷を候補にする。いよいよ杜甫は、隠棲するのにいい場所を見つけたようだ。東柯谷である。

秦州雜詩二十首 第五部(其の十七から其の二十)


17秦州雜詩二十首 其十七
(東柯谷の雨中山居のさまをのぺる。)
邊秋陰易久,不複辨晨光。
辺地の秋に雨雲で昼でも暗く、夕がたになるとはやく暮れてしまいやすいし、秋の夜長がさらにながい朝の区別が谷あいのためわからないに加えて雲りのために夜が明けたからといっても日光が知り分けられるわけではない。
簷雨亂淋幔,山雲低度牆。
のきばにそそぐ雨はみだれて幔幕にしただり、山よりおこる雲はひくく土塀をこえつつある。
鸕鶿窺淺井,蚯蚓上深堂。
鵜の鳥は浅い井に餌があるかとのぞきこんでくる、みみずは奥のざしきまであがってくる。
車馬何蕭索,門前百草長。
訪いくる車馬はなくてひっそりさびしいものであり、門前にはたださまざまの草がせたかくのびている。
邊秋【へんしゅう】陰【くも】りて久しくなり易し、複た晨光【しんこう】をも辨【べん】ぜず。
簷雨【えんう】亂れて幔に淋り、山雲【さんうん】低【た】れて牆【しょう】を度【わた】る。
鸕鶿【ろじ】浅井【せんせい】を窺【うかが】い、蚯蚓【きゅういん】深堂【しんどう】に上る。
車馬何ぞ蕭索【しょうさく】たる、門前【もんぜん】百草【ひゃくそう】長し。

 鸕鶿002
 
18秦州雜詩二十首 其十八
地僻秋將盡,山高客未歸。塞雲多斷績,邊日少光輝。
警急烽常報,傳聞檄屢飛。西戎外甥國,何得迕天威。
 
19秦州雜詩二十首 其十九
鳳林戈未息,魚海路常難。候火雲峰峻,懸軍幕井幹。
風連西極動,月過北庭寒。故老思飛將,何時議築壇?
 
20秦州雜詩二十首 其二十
唐堯真自聖,野老複何知。曬藥能無婦?應門亦有兒。
藏書聞禹穴,讀記憶仇池。為報鴛行舊,鷦鷯寄一枝。
  


現代語訳と訳註
(本文) 秦州雜詩二十首 其十七
邊秋陰易久,不複辨晨光。
簷雨亂淋幔,山雲低度牆。
鸕鶿窺淺井,蚯蚓上深堂。
車馬何蕭索,門前百草長。


(下し文)
邊秋【へんしゅう】陰【くも】りて久しくなり易し、複た晨光【しんこう】をも辨【べん】ぜず。
簷雨【えんう】亂れて幔に淋り、山雲【さんうん】低【た】れて牆【しょう】を度【わた】る。
鸕鶿【ろじ】浅井【せんせい】を窺【うかが】い、蚯蚓【きゅういん】深堂【しんどう】に上る。
車馬何ぞ蕭索【しょうさく】たる、門前【もんぜん】百草【ひゃくそう】長し。
 

(現代語訳)
(東柯谷の雨中山居のさまをのぺる。)
辺地の秋に雨雲で昼でも暗く、夕がたになるとはやく暮れてしまいやすいし、秋の夜長がさらにながい朝の区別が谷あいのためわからないに加えて雲りのために夜が明けたからといっても日光が知り分けられるわけではない。
のきばにそそぐ雨はみだれて幔幕にしただり、山よりおこる雲はひくく土塀をこえつつある。
鵜の鳥は浅い井に餌があるかとのぞきこんでくる、みみずは奥のざしきまであがってくる。
訪いくる車馬はなくてひっそりさびしいものであり、門前にはたださまざまの草がせたかくのびている。


(訳注)
秦州雜詩二十首 其十七

(東柯谷の雨中山居のさまをのぺる。)


邊秋陰易久,不複辨晨光。
辺地の秋に雨雲で昼でも暗く、夕がたになるとはやく暮れてしまいやすいし、秋の夜長がさらにながい朝の区別が谷あいのためわからないに加えて雲りのために夜が明けたからといっても日光が知り分けられるわけではない。
辺秋 辺地の秋。異民族の国と接している国境の町である。○陰易久 秋の日は次第に短くなっていく曇っているとはやく暗くなりやすく夜が久しくなりやすい、黄昏が長いことをいう。○辨晨光 あさの日光を知り分ける、朝まだき、日昇、昇天、などの日光の違いが谷あいのためわからないに加えて雲りのために朝の区別がつかないことをいう。。


簷雨亂淋幔,山雲低度牆。
のきばにそそぐ雨はみだれて幔幕にしただり、山よりおこる雲はひくく土塀をこえつつある。
膏雨 のきのあめ。○幔幌 まくにしただる。

簷雨 : 山雲  、亂淋 : 低度 、幔 :

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。


鸕鶿窺淺井,蚯蚓上深堂。
鵜の鳥は浅い井に餌があるかとのぞきこんでくる、みみずは奥のざしきまであがってくる。
鸕鶿 うのとり。○虹矧 みみず。○深堂 奥ふかくひろいざしき。

鸕鶿 : 蚯蚓  、窺淺 : 上深 、井 :

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。

鸕鶿001

車馬何蕭索,門前百草長。
訪いくる車馬はなくてひっそりさびしいものであり、門前にはたださまざまの草がせたかくのびている。
粛索 さびしいさま。

秦州雜詩二十首 其十六 杜甫 第4部 <269> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1256 杜甫詩 700- 383

秦州雜詩二十首 其十六 杜甫 第4部 <269> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1256 杜甫詩 700- 383


秦州雜詩二十首 第一部(其の一から其四)
●秦州の概要について述べる。


秦州雜詩二十首 第二部(其の五から其八)
●秦州と戰について述べる。


秦州雜詩二十首 第三部(其の九から其の十二)
●秦州城内のようすや住居のことを詠っている。

秦州雜詩二十首 第四部(其の十三から其の十六)
●隠棲の場所として東柯谷、仇池山の洞穴、西枝村の西谷を候補にする。

いよいよ杜甫は、隠棲するのにいい場所を見つけたようだ。東柯谷である。


13 秦州雜詩二十首 其十三 杜甫
(他人に尋ねて東桶谷の幽勝地であることをのべた。)
傳道東柯谷,深藏數十家。
人々から伝え聞いたのは東河谷というところのことだ、まず、そこは谷間に数十戸の家が蔵されているという。
對門藤蓋瓦,映竹水穿沙。
門前に生えている藤がのびて屋根瓦にまで達し、蓋をしたようになる、水辺の竹林の碧が映り、水が射しこむ砂浜があり、清い水が流れている。
瘦地翻宜粟,陽坡可種瓜。
土地はやせているが却って粟がよくそだつので都合よいというものだ、日あたりの岡には瓜を種えることもできるとのことである。
船人近相報,但恐失桃花。

これほどに私の隠棲の場所としてよさそうであるが、船頭(姪杜佐)が近寄ってきて報せてくれたことがある、それは「早くあんないい場所に隠棲地と定めないと、桃源郷の花のようにすぐに無くしてしまう」ということである。
伝道【でんどう】す東柯谷【とうかこく】、「深く蔵【ぞう】す数十家。
門に対して 藤 瓦を蓋【おお】い、竹に映じて 水 沙【すな】を穿【うが】つ。
痩地【そうち】  翻【かえ】って粟【あわ】に宜【よろ】しく、陽坡【ようひ】  瓜を種【う】う可し」と。
船人【せんじん】  近【ちかづ)きて 相 報ず、「但【た】だ恐る桃花【とうか】を失せんか」と


14秦州雜詩二十首 其十四
(古来、道教の仙人が住んだという仇池山の洞穴のことを想像してのぺる。)
萬古仇池穴,潛通小有天。
仇池山の洞穴は古来からある、そこははるか河南の王屋山にある小有天の洞穴とひそかに通じているという。
神魚今不見,福地語真傳。
その池にいるという神魚は今は見えないが、その場所が旧書の謂う所の仙人の住む福地だという話は本当に伝わっている。
近接西南境,長懷十九泉。
この秦州は西から南にかけて国境であり、異民族と接している、仇池山は国境近くに接している、自分はいつもそこに在るという恵み豊かな九十九泉のことなどおもっている。
何當一茅屋,送老白雲邊。
いつになったら一軒の茅屋をそこにかまえて、白雲の浮かべるあたりで老いさきを送ることができるであろうか。
万古仇池の穴、潜かに通ず小有天。
神魚今見えず。福地 語 眞に伝う。
近く接す西南の境、長【とこしえ】に懐う十九泉。
何の時か一茅屋、老を送らん白雲の辺に。


15 秦州雜詩二十首 其十五
(長雨で客舎にいて東柯に隠遁しての生活を想像して作る。)
未暇泛蒼海,悠悠兵馬間。
わたしの今の心境は孔子が弟子に「桴を海に浮べる」と話したという、船を浮かべて遠くへ去ってしまうという暇はいまだにないのである、これまでは長いあいだ兵馬にかこまれた中にさまよっているだけなのだ。
塞門風落木,客舍雨連山。
ここの秦州の関門に来てからは風が木の葉を落とす季節になっている、旅先の間借りの住まいに雨がふり、山々にもつづいて降っている。
阮籍行多興,龐公隱不還。
今の私は阮籍が出かけて行って「途窮まって慟哭した」と風興の多い生活をしているし、また隠遁を決意しており、龐徳公のように妻子を携えて山にかくれて世間へかえることはないと考えている。
東柯遂疏懶,休鑷鬢毛斑。
東柯というところに隠遁すれば嵇康がしたように「疏懶の本性」の限りを尽くし、鬢の毛の白髪をはさんだり、切ったりすることさえもしないで無精をしようとおもうのである。
未だ蒼海【そうかい】に泛ぶに暇【いとま】あらず、悠悠たり兵馬の間。
塞門【さいもん】風木を落とし、客舎【かくしゃ】雨山に連なる。
阮籍【げんせき】行くゆく興【きょう】多からん、龐公【ほうこう】隠れて還らず。
東柯【とうか】疏懶【そらん】を遂げん、鑷【はさ】むを休めよ鬢毛【びんもう】の斑【まだら】なるを。

秦州雑詩二十首 其十六
(東柯谷はよい所であるが土着の人に受け入れてもらえるものかどうか心配していることをのぺる)
東柯好崖谷、不与衆峰群。
東柯にきてみるとなるほどいい崖谷であるし、他の多くの峰とは連峰をなしてはいない。
落日邀双鳥、晴天養片雲。
太陽が落ちようとするとき二つの鳥がとび帰ってくるのを迎え見る。晴天の空に一片の雲があつらえた様に浮んでいる。
野人衿険絶、水竹会平分。
この地区の土着の人(姪杜佐など)はここの土地がすばらしく険阻なことを誇りにしているのがよくわかる、わたしは隠遁するためここへ移ってきてこの風流な恵みの水竹と景色を分けてもらうことにしょう。
採薬吾将老、児童未遣聞。

龐徳公のように隠遁して薬草をとりながらここでわたしは老年を送りたいとおもう。ただこれはわたしの決心でまだこどもらにも聞かせていないのである。
東柯【とうか】は好き崖谷【がいこく】にして、衆峰【しゅうほう】と群【ぐん】せず。
落日は双鳥【そうちょう】を邀【むか】え、晴天は片雲【へんうん】を養【やしな】う。
野人【やじん】は険絶【けんぜつ】なるを衿【ほこ】り、水竹【すいちく】は会【よ】く平分【へいぶん】す。
薬を採りて吾【われ】は将【まさ】に老いんとす、児童には未【いま】だ聞か遣【し】めず。


現代語訳と訳註
(本文) 秦州雑詩二十首 其十六

東柯好崖谷、不与衆峰群。
落日邀双鳥、晴天養片雲。
野人衿険絶、水竹会平分。
採薬吾将老、児童未遣聞。


(下し文) 其の十六
東柯【とうか】は好き崖谷【がいこく】にして、衆峰【しゅうほう】と群【ぐん】せず。
落日は双鳥【そうちょう】を邀【むか】え、晴天は片雲【へんうん】を養【やしな】う。
野人【やじん】は険絶【けんぜつ】なるを衿【ほこ】り、水竹【すいちく】は会【よ】く平分【へいぶん】す。
薬を採りて吾【われ】は将【まさ】に老いんとす、児童には未【いま】だ聞か遣【し】めず。


(現代語訳)
(東柯谷はよい所であるが土着の人に受け入れてもらえるものかどうか心配していることをのぺる)
東柯にきてみるとなるほどいい崖谷であるし、他の多くの峰とは連峰をなしてはいない。
太陽が落ちようとするとき二つの鳥がとび帰ってくるのを迎え見る。晴天の空に一片の雲があつらえた様に浮んでいる。
この地区の土着の人はここの土地がすばらしく険阻なことを誇りにしているのがよくわかる、わたしは隠遁するためここへ移ってきてこの風流な恵みの水竹と景色を分けてもらうことにしょう。
龐徳公のように隠遁して薬草をとりながらここでわたしは老年を送りたいとおもう。ただこれはわたしの決心でまだこどもらにも聞かせていないのである。


(訳注)
秦州雑詩二十首 其十六
(東柯谷はよい所であるが土着の人に受け入れてもらえるものかどうか心配していることをのぺる)


東柯好崖谷、不与衆峰群。
東柯にきてみるとなるほどいい崖谷であるし、他の多くの峰とは連峰をなしてはいない。
不与衆峰群 連峰の谷ではないこと。上句の「好崖谷」を受けており、大雨の際の大洪水がないことをいう。それでいて農作ができること、薬草、栗や栃の実が取れることをいう隠遁の基本は、医食同源である。


落日邀双鳥、晴天養片雲。
太陽が落ちようとするとき二つの鳥がとび帰ってくるのを迎え見る。晴天のそらに一片の雲があつらえた様に浮んでいる。
 目をもって迎えること。


野人衿険絶、水竹会平分。
この地区の土着の人(姪杜佐など)はここの土地がすばらしく険阻なことを誇りにしているのがよくわかる、わたしは隠遁するためここへ移ってきてこの風流な恵みの水竹と景色を分けてもらうことにしょう。
野人 東柯の土着人をさす。姪杜佐を含めた村の人々のこと。○ 俗語である。○平分 土着の人がもっているものを分けてもらうこと、そのなかでも水と竹について生活に欠かせないもののひとつである。竹も水をもたらすもの。水路と水筒。


採薬吾将老、児童未遣聞。
龐徳公のように隠遁して薬草をとりながらここでわたしは老年を送りたいとおもう。ただこれはわたしの決心でまだこどもらにも聞かせていないのである。
採薬 龐徳公の故事。隠棲することを意味する。秦州雑詩二十首 其十五参照。○老 老年を送ることをいう、隠居すること。○児童未遣聞 この句は、隠遁者の詩として常套語句である。訪ねて遭えず。聞かれて聞こえず。子供たちも華州を旅立つ時から隠遁先を求めていることは承知している。そういうことで否定文によって肯定を強調している。・ して、せしめる。



東柯の谷は  好ましい崖谷であり、
まわりの蓮峰からは  はずれている。
落日はつがいの鳥を迎え、
晴れた空にちぎれ雲がこの谷に湧く。
土地の者は 険しい地形を自慢し、
その自慢の水と竹は ほどよくわけてもらう。
隠遁して薬草採取でとしをとり過ごそうとも考える、
子供たち家族も承諾しているが まだ話していない

東柯【とうか】は好き崖谷【がいこく】にして、衆峰【しゅうほう】と群【ぐん】せず。
落日は双鳥【そうちょう】を邀【むか】え、晴天は片雲【へんうん】を養【やしな】う。
野人【やじん】は険絶【けんぜつ】なるを衿【ほこ】り、水竹【すいちく】は会【よ】く平分【へいぶん】す。
薬を採りて吾【われ】は将【まさ】に老いんとす、児童には未【いま】だ聞か遣【し】めず。

秦州雜詩二十首 其十五 杜甫 第4部 <268> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1253 杜甫詩 700- 382

秦州雜詩二十首 其十五 杜甫 第4部 <268> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1253 杜甫詩 700- 382


秦州雜詩二十首 第一部(其の一から其四)
●秦州の概要について述べる。


秦州雜詩二十首 第二部(其の五から其八)
●秦州と戰について述べる。


秦州雜詩二十首 第三部(其の九から其の十二)
●秦州城内のようすや住居のことを詠っている。

秦州雜詩二十首 第四部(其の十三から其の十六)
●隠棲の場所として東柯谷、仇池山の洞穴、西枝村の西谷を候補にする。

いよいよ杜甫は、隠棲するのにいい場所を見つけたようだ。東柯谷である。


13 秦州雜詩二十首 其十三 杜甫
(他人に尋ねて東桶谷の幽勝地であることをのべた。)
傳道東柯谷,深藏數十家。
人々から伝え聞いたのは東河谷というところのことだ、まず、そこは谷間に数十戸の家が蔵されているという。
對門藤蓋瓦,映竹水穿沙。
門前に生えている藤がのびて屋根瓦にまで達し、蓋をしたようになる、水辺の竹林の碧が映り、水が射しこむ砂浜があり、清い水が流れている。
瘦地翻宜粟,陽坡可種瓜。
土地はやせているが却って粟がよくそだつので都合よいというものだ、日あたりの岡には瓜を種えることもできるとのことである。
船人近相報,但恐失桃花。

これほどに私の隠棲の場所としてよさそうであるが、船頭(姪杜佐)が近寄ってきて報せてくれたことがある、それは「早くあんないい場所に隠棲地と定めないと、桃源郷の花のようにすぐに無くしてしまう」ということである。
伝道【でんどう】す東柯谷【とうかこく】、「深く蔵【ぞう】す数十家。
門に対して 藤 瓦を蓋【おお】い、竹に映じて 水 沙【すな】を穿【うが】つ。
痩地【そうち】  翻【かえ】って粟【あわ】に宜【よろ】しく、陽坡【ようひ】  瓜を種【う】う可し」と。
船人【せんじん】  近【ちかづ)きて 相 報ず、「但【た】だ恐る桃花【とうか】を失せんか」と


14秦州雜詩二十首 其十四
(古来、道教の仙人が住んだという仇池山の洞穴のことを想像してのぺる。)
萬古仇池穴,潛通小有天。
仇池山の洞穴は古来からある、そこははるか河南の王屋山にある小有天の洞穴とひそかに通じているという。
神魚今不見,福地語真傳。
その池にいるという神魚は今は見えないが、その場所が旧書の謂う所の仙人の住む福地だという話は本当に伝わっている。
近接西南境,長懷十九泉。
この秦州は西から南にかけて国境であり、異民族と接している、仇池山は国境近くに接している、自分はいつもそこに在るという恵み豊かな九十九泉のことなどおもっている。
何當一茅屋,送老白雲邊。
いつになったら一軒の茅屋をそこにかまえて、白雲の浮かべるあたりで老いさきを送ることができるであろうか。
万古仇池の穴、潜かに通ず小有天。
神魚今見えず。福地 語 眞に伝う。
近く接す西南の境、長【とこしえ】に懐う十九泉。
何の時か一茅屋、老を送らん白雲の辺に。

 
15 秦州雜詩二十首 其十五
(長雨で客舎にいて東柯に隠遁しての生活を想像して作る。)
未暇泛蒼海,悠悠兵馬間。
わたしの今の心境は孔子が弟子に「桴を海に浮べる」と話したという、船を浮かべて遠くへ去ってしまうという暇はいまだにないのである、これまでは長いあいだ兵馬にかこまれた中にさまよっているだけなのだ。
塞門風落木,客舍雨連山。
ここの秦州の関門に来てからは風が木の葉を落とす季節になっている、旅先の間借りの住まいに雨がふり、山々にもつづいて降っている。
阮籍行多興,龐公隱不還。
今の私は阮籍が出かけて行って「途窮まって慟哭した」と風興の多い生活をしているし、また隠遁を決意しており、龐徳公のように妻子を携えて山にかくれて世間へかえることはないと考えている。
東柯遂疏懶,休鑷鬢毛斑。
東柯というところに隠遁すれば嵇康がしたように「疏懶の本性」の限りを尽くし、鬢の毛の白髪をはさんだり、切ったりすることさえもしないで無精をしようとおもうのである。
未だ蒼海【そうかい】に泛ぶに暇【いとま】あらず、悠悠たり兵馬の間。
塞門【さいもん】風木を落とし、客舎【かくしゃ】雨山に連なる。
阮籍【げんせき】行くゆく興【きょう】多からん、龐公【ほうこう】隠れて還らず。
東柯【とうか】疏懶【そらん】を遂げん、鑷【はさ】むを休めよ鬢毛【びんもう】の斑【まだら】なるを。
 
16 東柯好崖谷,不與眾峰群。落日邀雙鳥,晴天卷片雲。
 野人矜險絕,水竹會平分。采藥吾將老,兒童未遣聞。

*****************************


15 この詩に登場の隠遁者
龐徳公
○龐徳公【ほうとくこう】生年不詳~没年不詳、襄陽の名士であり、人物鑑定の大家。「徳公」は字で、名は不詳。子に龐山民、孫に龐渙、従子に龐統がいる。東漢の末年、襄陽の名士である龐徳公は薬草を求めて妻を連れて山に入ってからもどらなかった。劉表からの士官への誘い、諸葛孔明からも誘われた、それを嫌って、奥地に隠遁したということと解釈している。隠遁を目指すものの憧れをいう。

遣興 ①喜晴  159

鹿門(一首。山名。鹿門山のこと。嚢陽城の東、漢水東岸にある山。峴山とともに襄陽を代表する山。『嚢陽香旧記』に「鹿門山、旧名蘇嶺山。建武中、習郁為侍中、時従光武幸黎丘、与帝通夢、見蘇嶺山神、光武嘉之、拝大鴻櫨。録其前後功、封裏陽侯、使立蘇嶺祠。刻二石鹿、爽神道口、百姓謂之鹿門廟、或呼蘇嶺山為鹿門山」とある。
後漢の逸民・䴇龐廟徳公、唐詩人の孟浩然、皮日休隠棲の地として知られる)孟浩然は四季、一日を詩にした。
遣興五首其二 ⑨ (龐徳公の事を叙して、暗に自己の志す所もまた彼と同じであることをしめした。)
遣興五首其二 ⑨
昔者龐德公,未曾入州府。
襄陽耆舊間,處士節獨苦。
豈無濟時策?終竟畏網罟。
林茂鳥有歸,水深魚知聚。
舉家隱鹿門,劉表焉得取。


阮籍
阮嗣宗
【げんしそう】(210-263)
(魏) 阮籍、字は嗣宗、陳留尉氏(河南省開封県付近)の人。建安七子の一人である阮瑀の子。容貌瑰傑、志気宏放と称せられ、群籍を博覧し、特に老荘を好み、酒を嗜み、琴を善くし、清談を事とし、曠達にして礼節にかかわらず、竹林七賢の首償格であった。
曹爽召して参軍としたが辞して受けなかった。司馬懿に命ぜられて、大尉掾から、散騎常侍に進んだ。大将軍司馬昭がその子炎のために婚を阮籍に求めたが、籍は六十日沈酔したので話を進め得なかったという。鐘会が罪しようとしたが酣酔して免れ、大将軍の従事中郎に召されたが、歩兵の厨に美酒の多いのを聞いて求めて歩兵校尉となった。平生人を非難せず、ただ好悪を示すに青眼と白眼とをもってしたという。礼法の士からは深く忌まれたが、常に司馬昭の保護によって全きを得た。本伝に「性至孝」とあり、母の沒した時碁を囲み、酒を飲み、吐血数升、痩せ衰えて殆んど死ぬばかりになったと伝えられているのは、かえって彼の孝心を示すものであろうか。その集十三巻、「詠懐」八十二首は詩の代表作であり、外に「大人先生伝」「達生論」「楽論」等の文及び辞賦類がある。隋志には、十三巻。

 阮籍 詠懐詩 、 白眼視    嵆康 幽憤詩

幽憤詩 嵆康 訳注篇

『詩品』は上品に位置付け、「詠懐の作は、以って性霊を陶い、
幽思を發くべし、言は耳目の内に在るも、情は八荒の表に寄す。洋洋乎として風雅に会い、人をして其の鄙近を忘れ、自ら遠大を致さしむ」と評する。置阮籍詩於上品,評曰:“詠懷之作,可以陶性靈、發幽思。言在耳目之内,情寄八荒之表。洋洋乎會於風雅,使人忘其鄙近,自致遠大。頗多感慨之詞。厥旨淵放,歸趣難求。”其中“厥旨淵放,歸趣難求”說明了阮籍的詩充滿了象征性、隱蔽性,難以了解其内在思想。


嵇康
嵇叔夜
(223-262)
(魏) 嵇康、字は叔夜、譙国銍【しょうこくちつ】(安徽省宿県西南)の人。幼少のころ孤となった。志気正直の人で奇才があり、独学で博覧、もっとも老荘を好み、魏の宗室と結婚し、中散大夫を拝したが、常に琴を弾じ詩を詠じ、山沢に遊んで薬草を採り、楽しんでは帰るを忘れたという。竹林七賢の一人で、阮籍と共に魏の正始文学を代表する作家である。後に山濤が吏都尚書となり、康を挙げて自らに代えようとしたが、彼は絶交書を作ってこれを拒んだ。当時司馬氏の権勢は日に盛んで、曹魏と関係洗い彼に禍の至るは予知されたことで、彼は自らこれを避けるに努めたのであるが、ついにその京なる東平(山東省)の呂安の罪せられるのに坐して害に遇った。刑に臨んで神色自若、琴を弾じて終ったという。「幽憤詩」はその獄中の作である。今「嵇中散集」十巻があり、詩の存するものは五十三首、特に四言詩が多くて、その半ばを占めているが、それらは形は詩経を摸し、情は楚辞に近い。この外「養生論」 「声無哀楽論」 「大師箴」などの文が世に伝わっている。隋志には、集十三巻。

 阮籍 詠懐詩 、 白眼視    嵆康 幽憤詩

幽憤詩 嵆康 訳注篇

『詩品』は中品に位置付け、「頗や魏文に似、過ぎて峻切を為す。訐直にして了を露わし、淵雅の致きを傷う。然れども託喩は清遠にして、良に鍳裁有り、亦未だ高流たるを失わず」と評する。「晉中散嵇康頗似魏文。過為峻切,訐直露才,傷淵雅之致。然託喻清遠,良有鑒裁,亦未失高流矣。」


現代語訳と訳註
(本文)
秦州雜詩二十首 其十五
未暇泛蒼海,悠悠兵馬間。
塞門風落木,客舍雨連山。
阮籍行多興,龐公隱不還。
東柯遂疏懶,休鑷鬢毛斑。


(下し文)
未だ蒼海【そうかい】に泛ぶに暇【いとま】あらず、悠悠たり兵馬の間。
塞門【さいもん】風木を落とし、客舎【かくしゃ】雨山に連なる。
阮籍【げんせき】行くゆく興【きょう】多からん、龐公【ほうこう】隠れて還らず。
東柯【とうか】疏懶【そらん】を遂げん、鑷【はさ】むを休めよ鬢毛【びんもう】の斑【まだら】なるを。


(現代語訳) 秦州雜詩二十首 其十五
(長雨で客舎にいて東柯に隠遁しての生活を想像して作る。)
わたしの今の心境は孔子が弟子に「桴を海に浮べる」と話したという、船を浮かべて遠くへ去ってしまうという暇はいまだにないのである、これまでは長いあいだ兵馬にかこまれた中にさまよっているだけなのだ。
ここの秦州の関門に来てからは風が木の葉を落とす季節になっている、旅先の間借りの住まいに雨がふり、山々にもつづいて降っている。
今の私は阮籍が出かけて行って「途窮まって慟哭した」と風興の多い生活をしているし、また隠遁を決意しており、龐徳公のように妻子を携えて山にかくれて世間へかえることはないと考えている。
東柯というところに隠遁すれば嵇康がしたように「疏懶の本性」の限りを尽くし、鬢の毛の白髪をはさんだり、切ったりすることさえもしないで無精をしようとおもうのである。


(訳注)
秦州雜詩二十首 其十五

(長雨で客舎にいて東柯に隠遁しての生活を想像して作る。)


未暇泛蒼海,悠悠兵馬間。
わたしの今の心境は孔子が弟子に「桴を海に浮べる」と話したという、船を浮かべて遠くへ去ってしまうという暇はいまだにないのである、これまでは長いあいだ兵馬にかこまれた中にさまよっているだけなのだ。
泛蒼海 孔子が礼徳の評価がなされない時、暇なので礼節の説法の旅に出ようと弟子と会話したもので、仙界の蓬莱山の浮ぶ東海の海に船を浮かべるというもの。『論語、公冶長』「子曰、道不行、乗桴浮於海、従我者其由也与、子路聞之喜、子曰、由也好勇過我、無所取材。」(子曰く、道行われず、桴【いかだ】に乗りて海に浮かばん。我に従う者は、それ由【ゆう】か。子路【しろ】これを聞きて喜ぶ。子曰く、由は勇を好むこと我に過ぎたり。材を取る所なからん。)○悠悠 はるか、時間のうえでいう。


塞門風落木,客舍雨連山。
ここの秦州の関門に来てからは風が木の葉を落とす季節になっている、旅先の間借りの住まいに雨がふり、山々にもつづいて降っている。
塞門 秦州の関門。○落木 木の葉をおとす。○客舍 秦州の客舎、場所については触れられた文献がないのでは不明。


阮籍行多興,龐公隱不還。
今の私は阮籍が出かけて行って「途窮まって慟哭した」と風興の多い生活をしているし、また隠遁を決意しており、龐徳公のように妻子を携えて山にかくれて世間へかえることはないと考えている。
阮籍 魏の人、時世を憤っては不意に車に乗ってでかけ途が窮まると慟哭してかえったという、これはそれを転用する。○ 将来についていう。○龐公 龐徳公『遣興五首其二 ⑨の「龐徳公」の条を参照。


東柯遂疏懶,休鑷鬢毛斑。
東柯というところに隠遁すれば嵇康がしたように「疏懶の本性」の限りを尽くし、鬢の毛の白髪をはさんだり、切ったりすることさえもしないで無精をしようとおもうのである。
疏懶 ぶしょう、暗に嵇康のことを用いる、嵇康は髪もくしけずらず沐浴もしなかったという、次の句を帯びていう。○ はさみきる。

秦州雜詩二十首 其十五
未暇泛蒼海,悠悠兵馬間。
塞門風落木,客舍雨連山。
阮籍行多興,龐公隱不還。
東柯遂疏懶,休鑷鬢毛斑。

未だ蒼海【そうかい】に泛ぶに暇【いとま】あらず、悠悠たり兵馬の間。
塞門【さいもん】風木を落とし、客舎【かくしゃ】雨山に連なる。
阮籍【げんせき】行くゆく興【きょう】多からん、龐公【ほうこう】隠れて還らず。
東柯【とうか】疏懶【そらん】を遂げん、鑷【はさ】むを休めよ鬢毛【びんもう】の斑【まだら】なるを。

プロフィール

紀 頌之

Twitter プロフィール
記事検索
最新記事(画像付)
最新記事
記事検索
カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
QRコード
QRコード
記事検索
  • ライブドアブログ