杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

2012年09月

寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻 杜甫 <316-#2> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1433 杜甫詩 700- 442

寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻 杜甫 <316-#2> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1433 杜甫詩 700- 442

     
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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     


寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻
彭州の高適使君と虢州の岑参長史參に寄せる三十韻
#1
故人何寄寞?今我獨淒涼。
君たちがいなくなるのはなんと寂しくなることであろうか、今、私は一人でものさびしい気持ちだけが残っている。
老去才難盡,秋來興甚長。
老いてきたわたしは先日官を去ったけれどもその才能というものは尽きるものではない。今年も秋が来てもうすでにずいぶん長く逢っていないし、はなはだ夜が長くなってきた。
物情尤可見,詞客未能忘。
万物の情というものはよくよく考えて見なければいけない。詞詩で生きる旅人になっても未だに忘れ去ることはない。
海內知名士,雲端各異方。
両君は中国国内において名士として認知されてきた。遠く雲の切れる端まで各々異民族のいる辺りまで知れ渡ってきた。
高岑殊緩步,沈鮑得同行。

高適・岑参の両君は粛宗の評価を得られず、まことにゆるゆると歩いている、宋の鮑照、宋・斉の沈約たちも不遇で同じようにゆっくり歩いたのだ。(当時の評価は高適の詩は鮑照を、岑参の詩は沈約を彷彿させたということ。)

#2
意愜關飛動,篇終接混茫。
関中にいて飛び回る活動している時は憂いが無く満足感を得ていた、その後、仲間で詩を持ち寄り聯句したりすることも終わってしまった。
舉天悲富駱,近代惜盧王。
則武天に見出されていた高い評価を得た駱賓王がかなしいことになり、近代にはそれに盧照鄰、王勃ら初唐四傑は同じように皇帝から疎まれ、文人たちからは惜しまれた。
似爾官仍貴,前賢命可傷。
君たちに似ていることは、官僚であり、貴族であることだろう、前の玄宗皇帝が発せられた勅命は我々を傷つけるものであった。
諸侯非棄擲,半刺已翱翔。
君たちのような忠君の諸公、将軍が投げ捨てられということがあってはならないのである、半ば刺されたようでも鷹などが空に輪を描いて飛ぶような両君である。
詩好幾時見,書成無使將。
それでも詩を作る良い気分はどんな時であっても見ることはできるが、今、書を編成することは、虢州の刺史、永王璘討伐将軍である君たちにはできないこととなったのだろう。
#3
男兒行處是,客子鬥身強。羈旅推賢聖,沈綿抵咎殃。
三年猶瘧疾,一鬼不消亡。隔日搜脂髓,增寒抱雪霜。
徒然潛隙地,有靦屢鮮妝。
#4
何太龍鐘極,於今出處妨。無錢居帝裡,盡室在邊疆。
劉表雖遺恨,龐公至死藏。心微傍魚鳥,肉瘦怯豺狼。
隴草蕭蕭白,洮雲片片黃。
#5
彭門劍閣外,虢略鼎湖旁。荊玉簪頭冷,巴箋染翰光。
烏麻蒸續曬,丹橘露應嘗。豈異神仙宅?俱兼山水鄉。
竹齋燒藥灶,花嶼讀書堂。
#6
更得清新否?遙知對屬忙。舊宮寧改漢,淳俗本歸唐。
濟世宜公等,安貧亦士常。蚩尤終戮辱,胡羯漫倡狂。
會待妖氛靜,論文暫裹糧。



現代語訳と訳註
(本文)

意愜關飛動,篇終接混茫。
舉天悲富駱,近代惜盧王。
似爾官仍貴,前賢命可傷。
諸侯非棄擲,半刺已翱翔。
詩好幾時見,書成無使將。


(下し文)
意愜するは關飛動することを,篇終るは 混茫に接す。
天を舉ぎて 富駱を悲しみ,近代 盧王を惜む。
爾似るは官仍ち貴し,賢を前にして命 傷つく可し。
諸侯 棄擲にあらず,半刺 已に翱翔【こうしょう】す。
詩好して 幾時に見る,書成して 使將に無し。


(現代語訳)
関中にいて飛び回る活動している時は憂いが無く満足感を得ていた、その後、仲間で詩を持ち寄り聯句したりすることも終わってしまった。
則武天に見出されていた高い評価を得た駱賓王がかなしいことになり、近代にはそれに盧照鄰、王勃ら初唐四傑は同じように皇帝から疎まれ、文人たちからは惜しまれた。
君たちに似ていることは、官僚であり、貴族であることだろう、前の玄宗皇帝が発せられた勅命は我々を傷つけるものであった。
君たちのような忠君の諸公、将軍が投げ捨てられということがあってはならないのである、半ば刺されたようでも鷹などが空に輪を描いて飛ぶような両君である。
それでも詩を作る良い気分はどんな時であっても見ることはできるが、今、書を編成することは、虢州の刺史、永王璘討伐将軍である君たちにはできないこととなったのだろう。


(訳注)
意愜關飛動,篇終接混茫。

関中にいて飛び回る活動している時は憂いが無く満足感を得ていた、その後、仲間で詩を持ち寄り聯句したりすることも終わってしまった。
意愜 心持が快適である。憂いが無く満足感を得る。
接混茫 接っする。混ざる。茫んやりする。


舉天悲富駱,近代惜盧王。
則武天に見出されていた高い評価を得た駱賓王がかなしいことになり、近代にはそれに盧照鄰、王勃ら初唐四傑は同じように皇帝から疎まれ、文人たちからは惜しまれた。
舉天 この天は則天武后で、優秀な人材を登用していったいい側面とその人材を追い詰めた二つの側面を持つつことをいい、現粛宗の無策贔屓を批判する意味と考える。
駱、盧王 初唐四傑の朝廷における地位が登用された初期と最後は哀しいものであったということを例に引くもの。初唐四傑:駱賓王、王勃、盧照鄰、楊炯の四人である。


似爾官仍貴,前賢命可傷。
君たちに似ていることは、官僚であり、貴族であることだろう、前の玄宗皇帝が発せられた勅命は我々を傷つけるものであった。
 高適と岑参。
前賢 玄宗のこと。玄宗の指名を受けた房琯の一派であったために粛宗に排除・左遷ということを受けた。


諸侯非棄擲,半刺已翱翔
君たちのような忠君の諸公、将軍が投げ捨てられということがあってはならないのである、半ば刺されたようでも鷹などが空に輪を描いて飛ぶような両君である。
棄擲 なげすてること。すててかえりみないこと。
翱翔 鷹などが空に輪を描いて飛ぶ。翔は翅をひろげてとぶ、翔はめぐりてとぶ。


詩好幾時見,書成無使將。
それでも詩を作る良い気分はどんな時であっても見ることはできるが、今、書を編成することは、虢州の刺史、永王璘討伐将軍である君たちにはできないこととなったのだろう。



王勃 おうぼつ  ① 650年 - 676年 "王勃の作品には、南朝の遺風を残しながら、盛唐の詩を予感させる新鮮自由な発想が見られる。「初唐の四傑」の一人。幼くして神童の誉れ高く、664年に朝散郎となり、ついで高宗の子の沛王・李賢の侍読となってその寵を受けたが、諸王の闘鶏を難じた「檄英王鷄文」を書いて出仕を差し止められ、剣南(四川省)に左遷された。虢州(河南省霊宝市)の参軍となったときに罪を犯した官奴を匿いきれなくて殺し、除名処分にあった。
 この事件に連座して交趾の令に左遷された父の王福時を訪ねる途中、南海を航行する船から転落して溺死した。"

楊炯 ようけい ② 生年不詳-692年 (ようけい、生年不詳-692年)は中国・唐代初期の詩人。字は不詳。王勃・盧照鄰・駱賓王とともに「初唐の四傑」と称せられる.華陰(陝西省)の出身。幼時から慧敏でよく文章を作り、661年に神童に挙げられ校書郎を授けられた。681年、崇文館学士になった。則天武后の時代に梓州司法参軍に左遷されて、のち盈川の令となった。著に『盈川集』がある

盧照鄰 (ろしょうりん)  ③ 生没年未詳。 范陽(河北省)の出身。幼少より曹憲・王義方に従って経史と小学を学び、詩文に巧みであった。初めは鄧王府の文書の処理係である典籤となり、王(唐高祖の子・元裕)に重用された。 のち新都(四川省)の尉となったが病のために職を辞し、河南省具茨の山麓に移住した。病が重くなって、ついに頴水に身を投じて死んだ。 その詩は厭世的で悲しみいたむ作が多い。長安の繁栄のさまを詠じた「長安古意」が最もよく知られ、『唐詩選』にも収められている。著に『盧昇之集』7巻と『幽憂子』3巻がある。

駱賓王 らくひんおう  ④ 640年? - 684年? 「初唐の四傑」の一人。7歳からよく詩を賦し、成長してからは五言律詩にその妙を得た。特にその「帝京篇」は古今の絶唱とされる。好んで数字を用いて対句を作るので「算博士」の俗称がある。(浙江省)の出身。初めから落魄し、好んで博徒と交わり、性格は傲慢・剛直。高宗の末年に長安主簿となり、ついで武后の時に数々の上疏をしたが浙江の臨海丞に左遷される。
出世の望みを失い、官職を棄てて去った。684年に李敬業が兵を起こすと、その府属となり敬業のために檄文を起草して武后を誹謗、その罪を天下に伝えた。"

寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻 杜甫 <316-#1> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1430 杜甫詩 700- 441

寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻 杜甫 <316-#1> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1430 杜甫詩 700- 441

     
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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

寄彭州高三十五使君適、
 虢州岑二十七長史參三十韻
彭州の高適使君と虢州の岑参長史參に寄せる三十韻
#1
故人何寄寞?今我獨淒涼。
君たちがいなくなるのはなんと寂しくなることであろうか、今、私は一人でものさびしい気持ちだけが残っている。
老去才難盡, 秋來興甚長。
老いてきたわたしは先日官を去ったけれどもその才能というものは尽きるものではない。今年も秋が来てもうすでにずいぶん長く逢っていないし、はなはだ夜が長くなってきた。
物情尤可見, 詞客未能忘。
万物の情というものはよくよく考えて見なければいけない。詞詩で生きる旅人になっても未だに忘れ去ることはない。
海內知名士, 雲端各異方。
両君は中国国内において名士として認知されてきた。遠く雲の切れる端まで各々異民族のいる辺りまで知れ渡ってきた。
高岑殊緩步, 沈鮑得同行。

高適・岑参の両君は粛宗の評価を得られず、まことにゆるゆると歩いている、宋の鮑照、宋・斉の沈約たちも不遇で同じようにゆっくり歩いたのだ。

彭州【ほうしゅう】高三十五使君適に寄せる、虢州【がくしゅう】岑二十七長史參三十韻
故人 何ぞ寄寞【きばく】?今 我 獨り淒涼【せいりょう】。
老い去りて才は盡き難し,秋來 興に甚だ長し。
物情 尤【とが】めて見る可し,詞客 未だ能く忘れず。
海內 名士を知る,雲端 各の異方。
高 岑 殊に緩步,沈鮑 同行するを得ん。


#2
意愜關飛動,篇終接混茫。舉天悲富駱,近代惜盧王。
似爾官仍貴,前賢命可傷。諸侯非棄擲,半刺已翱翔。
詩好幾時見,書成無使將。
#3
男兒行處是,客子鬥身強。羈旅推賢聖,沈綿抵咎殃。
三年猶瘧疾,一鬼不消亡。隔日搜脂髓,增寒抱雪霜。
徒然潛隙地,有靦屢鮮妝。
#4
何太龍鐘極,於今出處妨。無錢居帝裡,盡室在邊疆。
劉表雖遺恨,龐公至死藏。心微傍魚鳥,肉瘦怯豺狼。
隴草蕭蕭白,洮雲片片黃。
#5
彭門劍閣外,虢略鼎湖旁。荊玉簪頭冷,巴箋染翰光。
烏麻蒸續曬,丹橘露應嘗。豈異神仙宅?俱兼山水鄉。
竹齋燒藥灶,花嶼讀書堂。
#6
更得清新否?遙知對屬忙。舊宮寧改漢,淳俗本歸唐。
濟世宜公等,安貧亦士常。蚩尤終戮辱,胡羯漫倡狂。
會待妖氛靜,論文暫裹糧。




現代語訳と訳註
(本文)
寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻
故人何寄寞?今我獨淒涼。老去才難盡,秋來興甚長。
物情尤可見,詞客未能忘。海內知名士,雲端各異方。
高岑殊緩步,沈鮑得同行。


(下し文)彭州【ほうしゅう】高三十五使君適に寄せる、虢州【がくしゅう】岑二十七長史參三十韻

故人 何ぞ寄寞【きばく】?今 我 獨り淒涼【せいりょう】。
老い去りて才は盡き難し,秋來 興に甚だ長し。
物情 尤【とが】めて見る可し,詞客 未だ能く忘れず。
海內 名士を知る,雲端 各の異方。
高 岑 殊に緩步,沈鮑 同行するを得ん。


(現代語訳)
彭州の高適使君と虢州の岑参長史參に寄せる三十韻
君たちがいなくなるのはなんと寂しくなることであろうか、今、私は一人でものさびしい気持ちだけが残っている。
老いてきたわたしは先日官を去ったけれどもその才能というものは尽きるものではない。今年も秋が来てもうすでにずいぶん長く逢っていないし、はなはだ夜が長くなってきた。
万物の情というものはよくよく考えて見なければいけない。詞詩で生きる旅人になっても未だに忘れ去ることはない。
両君は中国国内において名士として認知されてきた。遠く雲の切れる端まで各々異民族のいる辺りまで知れ渡ってきた。
高適・岑参の両君は粛宗の評価を得られず、まことにゆるゆると歩いている、宋の鮑照、宋・斉の沈約たちも不遇で同じようにゆっくり歩いたのだ。


(訳注)
寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻
彭州の高適使君と虢州の岑参長史參に寄せる三十韻


故人何寄寞?今我獨淒涼。
君たちがいなくなるのはなんと寂しくなることであろうか、今、私は一人でものさびしい気持ちだけが残っている。
凄涼 ものさびしいさま。


老去才難盡,秋來興甚長。
老いてきたわたしは先日官を去ったけれどもその才能というものは尽きるものではない。今年も秋が来てもうすでにずいぶん長く逢っていないし、はなはだ夜が長くなってきた。


物情尤可見,詞客未能忘。
万物の情というものはよくよく考えて見なければいけない。詞詩で生きる旅人になっても未だに忘れ去ることはない。


海內知名士,雲端各異方。
両君は中国国内において名士として認知されてきた。遠く雲の切れる端まで各々異民族のいる辺りまで知れ渡ってきた。

海內 中国国内。

高岑殊緩步,沈鮑得同行。
高適・岑参の両君は粛宗の評価を得られず、まことにゆるゆると歩いている、宋の鮑照、宋・斉の沈約たちも不遇で同じようにゆっくり歩いたのだ。
緩歩 ゆるゆるとあるく。
沈鮑   沈約と鮑照 

沈約(しんやく) 441年 - 513年 南朝を代表する文学者、政治家。呉興武康(現在の浙江省武康県)の人。字は休文。沈氏は元来軍事で頭角を現した江南の豪族であるが、沈約自身は幼いときに父を孝武帝に殺されたこともあり、学問に精励し学識を蓄え、宋・斉・梁の3朝に仕えた。南斉の竟陵王蕭子良の招きに応じ、その文学サロンで重きをなし、「竟陵八友」の一人に数えられた。その後蕭衍(後の梁の武帝)の挙兵に協力し、梁が建てられると尚書令に任ぜられ、建昌県侯に封ぜられた。晩年は武帝の不興をこうむり、憂愁のうちに死去したという。
竟陵八友:南斉の皇族、竟陵王蕭子良の西邸に集った文人 (①蕭衍・②沈約・③謝朓・④王融・⑤蕭琛・⑥范雲・⑦任昉・⑧陸倕)    


鮑照 412 頃-466 六朝時代、宋の詩人。字(あざな)は明遠。元嘉年間の三大詩人の一人として謝霊運・顔延之と併称された。鮑照(ほう しょう、414年?(義熙10年) - 466年(泰始2年))は、中国南北朝時代、宋の詩人。字は明遠。本籍地はもと上党郡(現在の山西省長治市)、後に東海郡(現在の江蘇省漣水県、または山東省郯城県)に移る。最後の官職である「前軍参軍」にちなみ、後世「鮑参軍」と呼ばれる。宋の文帝の元嘉年間を代表する詩人として、同時期に活躍した謝霊運・顔延之と併称して「元嘉三大家」の1人に数えられる。妹の鮑令暉も詩人として知られる。
寒門の貧しい家柄に生まれる。元嘉年間に臨川王劉義慶に認められ国侍郎・太学博士・中書舎人となる。後に荊州刺史・臨海王劉子頊のもとで前軍参軍となった。466年、劉子頊が反乱を起こして敗死すると、鮑照もその混乱の中で殺害された。
現存する詩は241首と六朝時代の詩人としては比較的多く残っている。楽府詩を得意とし、それに仮託して寒門出身ゆえの人生の不遇や艱難を詠う内容が多い。典故にもとづいた旧来の表現に拘泥せず、好んで新奇な語を用い、風景や自らの感慨を力強くダイナミックな調子で詠う作風が特徴である。そうした作風は、同時代において通俗的で典雅さに欠けると批判されることもあったが、後世の唐代の詩人に大きな影響を与えた。唐の詩人杜甫は、李白の詩才を「清新なるは 庾開府、俊逸なるは 鮑参軍」(「春日 李白を憶ふ」)と鮑照になぞらえて称えている。
春日憶李白 杜甫「清新庚開府,俊逸鮑參軍。」(清新は庚開府 俊速は飽参軍)

秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻 杜甫 <315-#6> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1427 杜甫詩 700- 440

秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻 杜甫 <315-#6> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1427 杜甫詩 700- 440


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李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡
  2011/7/11李商隠 1 錦瑟
     2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回)
  2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文)


秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,
與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻
759年秋秦州において、杜甫は、任官の目次を目にした。見たところ、薛拠は司議郎を授けられ、畢曜は監察御史に除せられていた。この二人は杜甫と旧交のあるものであったので遠方ながら彼らが転任したことを喜び、また兼ねて自己がさびしい生活をなしていることをのべて、ついに凡そ三十韻六十句のこの篇をなした。
#1
大雅何寥闊,斯人尚典刑。
優れて正しい詩文の本筋・正道はどうしてこのようにさびしくなったものか、それでもまだ薛三璩、畢四曜の二人が認められているために、古来の法則とすべき型が存在しているということなのだ。
交期余潦倒,才力爾精靈。
君たちと交際はあるとはいえわたしは今落ちぶれている、しかし、君たちはその人物力量において人力以上の不思議な気をもっている。
二子聲同日,諸生困一經。
だから両君は、同日に除任せられて声名がなりひびくけれども、わたしは仕官せぬ多くの学者としてひとつの経典を修学していて、そのために困窮しているのだ。
文章開窔奧,遷擢潤朝廷。
両君は文章においては奥ふかい道を真剣に取り組む姿勢を開いており、朝廷の恩沢にうるおうて他人よりもぬきんでて官を遷されたということだろう。
舊好何由展,新詩更憶聽。
これまで詩文を交わしたり、唱和してきたなかまであるが今何に由ってのべたらいいのであろうか、どうにかしてもっと両君の最新作があるだろうからさらに聴きたいと思うのだ。
別來頭並白,相見眼終青。』
別れてからお互いに頭は白くなっていることだろうが、もし面会が叶うなら以前にかわらず賢人同志、青眼を以て濁り酒を飲むことになるであろう。』
#1
秦州にて敕目【ちょくもく】を見るに,薛三璩【さつさんきょ】は司議郎【しぎろう】を授けられ,畢四曜【ひつしよう】は監察に除せられ,二子と故有り,遠く遷官【せんかん】を喜ぶ,兼ねて索居【さくきょ】を述べる,凡そ三十韻。
大雅何ぞ寥闊【りょうかつ】なる、斯の人尚お典型。
交期余【われ】潦倒【ろうとう】、材力爾【なんじ】精霊。
二子同日に声あり、諸生一経に困す。
文章窔奥【ようおう】を開く、遷擢【せんたく】朝廷より潤【うるお】さる。
旧好何に由りてか展【の】べん、新詩更に聴かんことを憶う。
別来頭併せて白し、相見ば眼終【つい】に青ならん。』
#2
伊昔貧皆甚,同憂歲不寧。
ほんの少し前まではお互いに非常に貧乏であり、これまで天下が安らかでない歳が続き唐王朝の行く末を同じように心配したものである。
棲遑分半菽,浩蕩逐流萍。
そうしてあくせくし慌ただしくもあり、せわしく奔走しながら豆の半分まざった粗末な食事をわけてくれる、とりとめもない浮草のようにとどまる所のない漂泊生活をしたのだ。
俗態猶猜忌,妖氛忽杳冥。
そのうち世俗人情の常態として李林甫は文人を忌み嫌い全く登用しなかった、そうした時代に圧政と謀叛の悪気が忽ちとおく暗い所から起こるようになった。
獨慚投漢閣,俱議哭秦庭。
自分は漢の揚雄が疑われて閣上から身を投げて自害したがはたせなかったように安史叛乱軍中を逃げまわったことをはずかしくおもうが、どうにかして官軍のために援兵を得ようとしてもろともに相談して楚の申包胥【しんぽうしょ】が秦庭に哭したようなことをしようとした。
遠蜀衹無補,囚梁亦固扃。
わたしは司馬相加が官を得て蜀にかえったように叛乱軍から逃亡し、鳳翔の行在所へ馳せ参じたが、故郷にもどされ朝廷の事に対しては何らの補益できなかった、また、両君も漢の鄒陽が梁に囚われたように安史叛乱軍のためにかたく一室にとじこめられていた。
華夷相混合,宇宙一羶腥!』
こうした戦況の中で漢民族に夷の異民族の軍隊が互いに交じり合うようなことをしている、天地の法則が守ることなく生臭いものをあったかいものに混ぜ込んだようなものである。』
#2
伊【こ】れ昔貧皆同じ、同じく憂う歳の寧【やす】からざるを。
栖遑【せいこう】半菽【はんしゅく】を分かつ、浩蕩【こうとう】流萍【りゅうへ】いを逐う。
俗態猶お猜忌【さいき】、妖氛【ようふん】忽【たちま】ち杳冥【ようめい】。
独り慚【は】ず漢閣【かんかく】より投ずるを、倶に議す秦庭【しんてい】に哭するを。
蜀【しょく】に還る衹【た】だ補い無く、梁に囚わる亦た固【もと】より扃【とざ】さる。
華夷【かい】相混合す、宇宙一に羶腥【せんせい】なり。』
#3
帝力收三統,天威總四溟。
このときには粛宗皇帝は三統の歴数を手中にお収めになられた、その御威光は四海に至るまでを御統治されることになられた。
舊都俄望幸,清廟肅維馨。
旧都長安では叛乱軍から奪回したので、入城行幸を見ることが出来た、粛宗は凌辱されていた太祖廟には祭祀のお供え物を厳粛にせられのである。
雜種雖高壘,長驅甚建瓴。
安史軍の連合軍の混成がいくら塞を高くして防禦しても、唐王朝の連合軍が長駆して攻めくだす勢いは屋根の樋の水をまっすぐに落とすよりもまだ勢いがある。
焚香淑景殿,漲水望雲亭。
都の淑景殿では香をたき、望雲亭では池水をみなぎらせて遷幸をお迎えする準備をした。
法駕初還日,群公若會星。」
こうして正式の御行列がはじめて都へおかえりになった日のは、もろもろの高官・諸公たちはまるで輝く星があつまったように多くあった。
#3
帝力三統を収め、天威四冥【しめい】を総【す】ぶ。
旧都俄【にわか】に幸を望む、清廟【せいびょう】惟馨【いけい】を粛【つつし】む。
雑種【ざつしゅ】塁を高くすと雖も、長駆【ちょうく】瓴【れい】を建つるよりも甚だし。
香を焚く淑景殿【しゅくけいでん】、水を漲【みなぎ】らす望雲亭【ぼううんてい】。
法駕【ほうが】初めて還る日、群公【ぐんこう】会星の若し。
#4
宮宦仍點染,柱史正零丁。
そのうちで今の東宮の臣たる薛君は嘗て安史軍にとらわれてその塵埃に染められ汚されているものとみなされて栄達せず、今の御史たる畢君もそのときはちょうどおちぶれていた。
官忝趨棲鳳,朝回嘆聚螢。
わたしはそのとき官位は拾遺を拝位して棲鳳闇に趨走することができたが、朝廷からもどっていつも諸君が書生の頃のように螢の光を集めて本を読んでいるという困窮な境遇について歎息した。
喚人看腰裊,不嫁惜娉婷。
だから他人を喚起して千里の神馬とも称すべき両君を見せることであるし、また両君が娉婷たる美貌のもちぬしでありながら他へ嫁いらずにいることを惜しくおもっていた。 
掘劍知埋獄,提刀見發硎。
今や諸君ははじめてとりたてられて官に任ぜられたから、あだかもかの豊城の獄を掘って埋められていた剣「竜泉、太阿」が知られるに至ったということであったように、また刀を提げて見ればそれは砥石で磨きたてのところをとりだしたかのような鋭さがあるのである。
侏儒應共飽,漁父忌偏醒。』
しかし両君としてはまだ用いられ方が十分ではないのであり、両君は侏儒の徒のように飽食しているぐらいのことであろう。わたしは依然として独り醒めていて、昔の屈原のように漁父から忌まれているということだ。』 
#4
宮宦【きゅうしん】仍お点染【てんせん】す、柱史【ふうし】正に零丁【れいてい】たり。
官は忝【かたじけの】うす 棲鳳に趨するを、朝より回りて衆螢【しゅうけい】を歎ず。
人を喚びて腰裊【ようじょう】を看せしむ、嫁せざるに娉婷【へいてい】を惜しむ。
獄を掘りて埋剣【まいけん】を知り、刀を提げて発桝【はっけい】を見る。
侏儒【しゅじゅ】応に共に飽くなるべし、漁父偏醒【へんせい】を忌む。』
#5
旅泊窮清渭,長吟望濁涇。
私はこの秦州に旅し、渭水の淸い水源であるここへ隠棲の場所をもとめて来ている、そうして長吟しながら両君のいる濁れる涇水のある長安の方をながめるのである。
羽書還似急,烽火未全停。
今、西域も東都も兵乱のためまた檄文が早馬で届いてくる、戦況は烽火で報じてくるがこの中国全土に戦火はいまだ止みそうにない。
師老資殘寇,戎生及近坰。
唐の王朝軍は師団の長老将軍が久しき戦乱によるため戦力低下し、安史軍に力をたすけたようになっているのであり、今や、あちこちで戦が起こり、都の近郊にまでいくさごとが及んできているのだ。
忠臣詞憤激,烈士涕飄零。

それで忠臣の者たちは憤激の辞詞を上奏し、烈士の者たちは慷慨の涙を留めることなくかぜにとばしおとす。
#5
旅泊 清渭【せいい】を窮【きわ】む、長吟 濁涇【だくけい】を望む。
羽書【はしょ】還た急なるに似たり、烽火 未だ全く停まらず。
師老いて 残寇に資す、戎生じて近坰【きんけい】に及ぶ。
忠臣 詞 憤激【ふんげき】、 烈士【れっし】 涕 諷零【ひょうれい】。

上將盈邊鄙,元勛溢鼎銘。
将軍の上級にあるものが辺都の地に左遷されて能力を発揮できずに沢山いるのだ、彼等のこれまでの勲功は鼎の銘文に溢れるほど誉め讃えられているものばかりである。
仰思調玉燭,誰定握青萍。』
わたしは天を仰いでどうか四時陰陽調和して天下泰平であるようにとかんがえているところであるが、たれが名剣「青萍の剣」をふるうように材能の利器を発揮してこの戦乱を平定してくれるのであろうか。』
隴俗輕鸚鵡,原情類鶺鴒。
私のいる隴西の習俗では「鸚鵡の賦」を作った禰衡の才あるものでもそれを軽蔑していて私の評価も決して高くないのだ、『詩経』にいう「原に在る鶺鴒の情」というものは、秦州という辺境の地で急難を抱えている私に対しての情というものと同じではなかろうかとおもう。
秋風動關塞,高臥想儀形。

この関所、塞にも秋風の変格が動きだしている、それでわたしは枕をたかくして寝つつはるかに両君のすがたを想い望んでいるのである。』
#6
上將【じょうしょう】 邊鄙【へんぴ】に盈【み】つ、元勲【げんくん】 鼎銘【ていめい】に溢る。
仰いで思う 玉燭【ぎょくしょく】調【ととの】わんことを、誰か定めて青萍【せいへい】を握らん。』

隴俗【ろうぞく】鸚鵡【おうむ】を軽んず、原情【げんじょう】鶺鴒【せきれい】に類す。
秋風 関塞【かんさい】に動く、高臥【こうが】儀形【ぎけい】を想う。』



現代語訳と訳註
(本文)

上將盈邊鄙,元勛溢鼎銘。仰思調玉燭,誰定握青萍。』
隴俗輕鸚鵡,原情類鶺鴒。秋風動關塞,高臥想儀形。


(下し文) #6
上將【じょうしょう】 邊鄙【へんぴ】に盈【み】つ、元勲【げんくん】 鼎銘【ていめい】に溢る。
仰いで思う 玉燭【ぎょくしょく】調【ととの】わんことを、誰か定めて青萍【せいへい】を握らん。』

隴俗【ろうぞく】鸚鵡【おうむ】を軽んず、原情【げんじょう】鶺鴒【せきれい】に類す。
秋風 関塞【かんさい】に動く、高臥【こうが】儀形【ぎけい】を想う。』


(現代語訳)
将軍の上級にあるものが辺都の地に左遷されて能力を発揮できずに沢山いるのだ、彼等のこれまでの勲功は鼎の銘文に溢れるほど誉め讃えられているものばかりである。
わたしは天を仰いでどうか四時陰陽調和して天下泰平であるようにとかんがえているところであるが、たれが名剣「青萍の剣」をふるうように材能の利器を発揮してこの戦乱を平定してくれるのであろうか。』
私のいる隴西の習俗では「鸚鵡の賦」を作った禰衡の才あるものでもそれを軽蔑していて私の評価も決して高くないのだ、『詩経』にいう「原に在る鶺鴒の情」というものは、秦州という辺境の地で急難を抱えている私に対しての情というものと同じではなかろうかとおもう。
この関所、塞にも秋風の変格が動きだしている、それでわたしは枕をたかくして寝つつはるかに両君のすがたを想い望んでいるのである。』


(訳注)
上將盈邊鄙,元勲溢鼎銘。
上將【じょうしょう】 邊鄙【へんぴ】に盈【み】つ、元勲【げんくん】 鼎銘【ていめい】に溢る。
将軍の上級にあるものが辺都の地に左遷されて能力を発揮できずに沢山いるのだ、彼等のこれまでの勲功は鼎の銘文に溢れるほど誉め讃えられているものばかりである。
上将 将軍の上級にあるもの。
辺都 かたよった地方。
元勲 大きないさおし。これまでの大きな勲功。
 ありあまるほど書きしるされる。
鼎銘 かなえにはりつける銘文。


仰思調玉燭,誰定握青萍。』
仰いで思う 玉燭【ぎょくしょく】調【ととの】わんことを、誰か定めて青萍【せいへい】を握らん。』
わたしは天を仰いでどうか四時陰陽調和して天下泰平であるようにとかんがえているところであるが、たれが名剣「青萍の剣」をふるうように材能の利器を発揮してこの戦乱を平定してくれるのであろうか。』
調玉燭 「爾雅」「《爾雅》云,四時和,謂之玉燭,取以為名。」(四時の調、之を玉燭と謂り、取り持って名と為す。」とみえる、陰陽の調和して気候の宜しきを得ることをいう。
握青萍 青萍は剣の名、これは必ずしも宝物の剣をささず、材能の利器をたとえていう。


#5
隴俗輕鸚鵡,原情類鶺鴒。
隴俗【ろうぞく】鸚鵡【おうむ】を軽んず、原情【げんじょう】鶺鴒【せきれい】に類す。
私のいる隴西の習俗では「鸚鵡の賦」を作った禰衡の才あるものでもそれを軽蔑していて私の評価も決して高くないのだ、『詩経』にいう「原に在る鶺鴒の情」というものは、秦州という辺境の地で急難を抱えている私に対しての情というものと同じではなかろうかとおもう。
隴俗 隴右道東部地方の習俗、この以下の「輕鸚鵡」「原情類鶺鴒」を指していう。
軽鸚鵡 鸚鵡とは鸚鵡の賦を作る人才をさす、儒者で、曹操に非礼の態度を取った魏の禰衡は「艶鵡賦」をつくったが、杜甫が自己を禰衡に此した。
原情類鶺鴒 『詩経』小雅「常棣」 「脊令在原、兄弟急難」(野にいる鶺鴒は、兄弟で難を救う)とみえる、せきれいは水鳥であるのに原野にあり、つねの居どころを失うと飛鳴して助け合い求める、そのように人はその兄弟に対しては急難の場合には力をだして相い援けあう、原情とはこの仲間を思いやり急難を救うであり、杜甫がこの両君に対して彼らよりたすけを求めようとすることをいうのである。
 

秋風動關塞,高臥想儀形。
秋風 関塞【かんさい】に動く、高臥【こうが】儀形【ぎけい】を想う。』
この関所、塞にも秋風の変格が動きだしている、それでわたしは枕をたかくして寝つつはるかに両君のすがたを想い望んでいるのである。』
 吹きだしたことをいう。
高臥 枕をたかくして寝ること。
儀形 薛三璩、畢四曜の二人のすがたかたち。

秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻 杜甫 <315-#5> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1424 杜甫詩 700- 439

秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻 杜甫 <315-#5> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1424 杜甫詩 700- 439

     
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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,
與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻
#1
大雅何寥闊,斯人尚典刑。
交期余潦倒,才力爾精靈。
二子聲同日,諸生困一經。
文章開窔奧,遷擢潤朝廷。
舊好何由展,新詩更憶聽。
別來頭並白,相見眼終青。』
#2
伊昔貧皆甚,同憂歲不寧。
棲遑分半菽,浩蕩逐流萍。
俗態猶猜忌,妖氛忽杳冥。
獨慚投漢閣,俱議哭秦庭。
遠蜀衹無補,囚梁亦固扃。
華夷相混合,宇宙一羶腥!』
#3
帝力收三統,天威總四溟。
舊都俄望幸,清廟肅維馨。
雜種雖高壘,長驅甚建瓴。
焚香淑景殿,漲水望雲亭。
法駕初還日,群公若會星。」
#4
宮宦仍點染,柱史正零丁。
官忝趨棲鳳,朝回嘆聚螢。
喚人看腰裊,不嫁惜娉婷。
掘劍知埋獄,提刀見發硎。
侏儒應共飽,漁父忌偏醒。』
#5
旅泊窮清渭,長吟望濁涇。
私はこの秦州に旅し、渭水の淸い水源であるここへ隠棲の場所をもとめて来ている、そうして長吟しながら両君のいる濁れる涇水のある長安の方をながめるのである。
羽書還似急,烽火未全停。
今、西域も東都も兵乱のためまた檄文が早馬で届いてくる、戦況は烽火で報じてくるがこの中国全土に戦火はいまだ止みそうにない。
師老資殘寇,戎生及近坰。
唐の王朝軍は師団の長老将軍が久しき戦乱によるため戦力低下し、安史軍に力をたすけたようになっているのであり、今や、あちこちで戦が起こり、都の近郊にまでいくさごとが及んできているのだ。
忠臣詞憤激,烈士涕飄零。
それで忠臣の者たちは憤激の辞詞を上奏し、烈士の者たちは慷慨の涙を留めることなくかぜにとばしおとす。

上將盈邊鄙,元勛溢鼎銘。仰思調玉燭,誰定握青萍。』
隴俗輕鸚鵡,原情類鶺鴒。秋風動關塞,高臥想儀形。
#1
秦州にて敕目【ちょくもく】を見るに,薛三璩【さつさんきょ】は司議郎【しぎろう】を授けられ,畢四曜【ひつしよう】は監察に除せられ,二子と故有り,遠く遷官【せんかん】を喜ぶ,兼ねて索居【さくきょ】を述べる,凡そ三十韻。
大雅何ぞ寥闊【りょうかつ】なる、斯の人尚お典型。
交期余【われ】潦倒【ろうとう】、材力爾【なんじ】精霊。
二子同日に声あり、諸生一経に困す。
文章窔奥【ようおう】を開く、遷擢【せんたく】朝廷より潤【うるお】さる。
旧好何に由りてか展【の】べん、新詩更に聴かんことを憶う。
別来頭併せて白し、相見ば眼終【つい】に青ならん。』
#2
伊【こ】れ昔貧皆同じ、同じく憂う歳の寧【やす】からざるを。
栖遑【せいこう】半菽【はんしゅく】を分かつ、浩蕩【こうとう】流萍【りゅうへ】いを逐う。
俗態猶お猜忌【さいき】、妖氛【ようふん】忽【たちま】ち杳冥【ようめい】。
独り慚【は】ず漢閣【かんかく】より投ずるを、倶に議す秦庭【しんてい】に哭するを。
蜀【しょく】に還る衹【た】だ補い無く、梁に囚わる亦た固【もと】より扃【とざ】さる。
華夷【かい】相混合す、宇宙一に羶腥【せんせい】なり。』
#3
帝力三統を収め、天威四冥【しめい】を総【す】ぶ。
旧都俄【にわか】に幸を望む、清廟【せいびょう】惟馨【いけい】を粛【つつし】む。
雑種【ざつしゅ】塁を高くすと雖も、長駆【ちょうく】瓴【れい】を建つるよりも甚だし。
香を焚く淑景殿【しゅくけいでん】、水を漲【みなぎ】らす望雲亭【ぼううんてい】。
法駕【ほうが】初めて還る日、群公【ぐんこう】会星の若し。
#4
宮宦【きゅうしん】仍お点染【てんせん】す、柱史【ふうし】正に零丁【れいてい】たり。
官は忝【かたじけの】うす 棲鳳に趨するを、朝より回りて衆螢【しゅうけい】を歎ず。
人を喚びて腰裊【ようじょう】を看せしむ、嫁せざるに娉婷【へいてい】を惜しむ。
獄を掘りて埋剣【まいけん】を知り、刀を提げて発桝【はっけい】を見る。
侏儒【しゅじゅ】応に共に飽くなるべし、漁父偏醒【へんせい】を忌む。』
#5
旅泊 清渭【せいい】を窮【きわ】む、長吟 濁涇【だくけい】を望む。
羽書【はしょ】還た急なるに似たり、烽火 未だ全く停まらず。
師老いて 残寇に資す、戎生じて近坰【きんけい】に及ぶ。
忠臣 詞 憤激【ふんげき】、 烈士【れっし】 涕 諷零【ひょうれい】。

#6
上將【じょうしょう】 邊鄙【へんぴ】に盈【み】つ、元勲【げんくん】 鼎銘【ていめい】に溢る。
仰いで思う 玉燭【ぎょくしょく】調【ととの】わんことを、誰か定めて青萍【せいへい】を握らん。』

隴俗【ろうぞく】鸚鵡【おうむ】を軽んず、原情【げんじょう】鶺鴒【せきれい】に類す。
秋風 関塞【かんさい】に動く、高臥【こうが】儀形【ぎけい】を想う。』


現代語訳と訳註
(本文)
#5
旅泊窮清渭,長吟望濁涇。
羽書還似急,烽火未全停。
師老資殘寇,戎生及近坰。
忠臣詞憤激,烈士涕飄零。


(下し文)
旅泊 清渭【せいい】を窮【きわ】む、長吟 濁涇【だくけい】を望む。
羽書【はしょ】還た急なるに似たり、烽火 未だ全く停まらず。
師老いて 残寇に資す、戎生じて近坰【きんけい】に及ぶ。
忠臣 詞 憤激【ふんげき】、 烈士【れっし】 涕 諷零【ひょうれい】。


(現代語訳)
私はこの秦州に旅し、渭水の淸い水源であるここへ隠棲の場所をもとめて来ている、そうして長吟しながら両君のいる濁れる涇水のある長安の方をながめるのである。
今、西域も東都も兵乱のためまた檄文が早馬で届いてくる、戦況は烽火で報じてくるがこの中国全土に戦火はいまだ止みそうにない。
唐の王朝軍は師団の長老将軍が久しき戦乱によるため戦力低下し、安史軍に力をたすけたようになっているのであり、今や、あちこちで戦が起こり、都の近郊にまでいくさごとが及んできているのだ。
それで忠臣の者たちは憤激の辞詞を上奏し、烈士の者たちは慷慨の涙を留めることなくかぜにとばしおとす。


(訳注)#5
旅泊窮清渭,長吟望濁涇。
旅泊 清渭【せいい】を窮【きわ】む、長吟 濁涇【だくけい】を望む。
私はこの秦州に旅し、渭水の淸い水源であるここへ隠棲の場所をもとめて来ている、そうして長吟しながら両君のいる濁れる涇水のある長安の方をながめるのである。
○この二句は杜甫自身のことをいう。
窮清渭 渭水の渡をきわめる、秦州にあることをいう。極めるとは最上流に上ること。
望濁涇 涇水はにごって長安に向かって流れる、これは長安の方をのぞむことをいう


羽書還似急,烽火未全停。
羽書【はしょ】還た急なるに似たり、烽火 未だ全く停まらず。
今、西域も東都も兵乱のためまた檄文が早馬で届いてくる、戦況は烽火で報じてくるがこの中国全土に戦火はいまだ止みそうにない。
羽書 危急を報じ兵を徴するための檄文、長さ一尺二寸の木簡に鳥の羽を附する。


師老資殘寇,戎生及近坰。
師老いて 残寇に資す、戎生じて近坰【きんけい】に及ぶ。
唐の王朝軍は師団の長老将軍が久しき戦乱によるため戦力低下し、安史軍に力をたすけたようになっているのであり、今や、あちこちで戦が起こり、都の近郊にまでいくさごとが及んできているのだ。
師老 師は官軍、老とは駐屯の日が久しいことをいう。
資殘寇 資とは相手にもとでを与えカをそえることをいう、残冠は賊軍ののこりをいう。
戎生 いくさごとがおこる。
近坰 都の近郊をいう。史忠明軍が洛陽に迫っていることをいう。


忠臣詞憤激,烈士涕飄零。
忠臣 詞 憤激【ふんげき】、 烈士【れっし】 涕 諷零【ひょうれい】。
それで忠臣の者たちは憤激の辞詞を上奏し、烈士の者たちは慷慨の涙を留めることなくかぜにとばしおとす。

秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻 杜甫 <315-#4> 漢文委員会 紀頌之の漢詩ブログ1421 杜甫詩 700- 438

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李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡
  2011/7/11李商隠 1 錦瑟
     2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回)
  2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文)


秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,
與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻

#1
大雅何寥闊,斯人尚典刑。
交期余潦倒,才力爾精靈。
二子聲同日,諸生困一經。
文章開窔奧,遷擢潤朝廷。
舊好何由展,新詩更憶聽。
別來頭並白,相見眼終青。』
#2
伊昔貧皆甚,同憂歲不寧。
棲遑分半菽,浩蕩逐流萍。
俗態猶猜忌,妖氛忽杳冥。
獨慚投漢閣,俱議哭秦庭。
遠蜀衹無補,囚梁亦固扃。
華夷相混合,宇宙一羶腥!』
#3
帝力收三統,天威總四溟。
舊都俄望幸,清廟肅維馨。
雜種雖高壘,長驅甚建瓴。
焚香淑景殿,漲水望雲亭。
法駕初還日,群公若會星。」
#4
宮宦仍點染,柱史正零丁。
そのうちで今の東宮の臣たる薛君は嘗て安史軍にとらわれてその塵埃に染められ汚されているものとみなされて栄達せず、今の御史たる畢君もそのときはちょうどおちぶれていた。
官忝趨棲鳳,朝回嘆聚螢。
わたしはそのとき官位は拾遺を拝位して棲鳳闇に趨走することができたが、朝廷からもどっていつも諸君が書生の頃のように螢の光を集めて本を読んでいるという困窮な境遇について歎息した。
喚人看腰裊,不嫁惜娉婷。
だから他人を喚起して千里の神馬とも称すべき両君を見せることであるし、また両君が娉婷たる美貌のもちぬしでありながら他へ嫁いらずにいることを惜しくおもっていた。 
掘劍知埋獄,提刀見發硎。
今や諸君ははじめてとりたてられて官に任ぜられたから、あだかもかの豊城の獄を掘って埋められていた剣「竜泉、太阿」が知られるに至ったということであったように、また刀を提げて見ればそれは砥石で磨きたてのところをとりだしたかのような鋭さがあるのである。
侏儒應共飽,漁父忌偏醒。』

しかし両君としてはまだ用いられ方が十分ではないのであり、両君は侏儒の徒のように飽食しているぐらいのことであろう。わたしは依然として独り醒めていて、昔の屈原のように漁父から忌まれているということだ。』 
#5
旅泊窮清渭,長吟望濁涇。羽書還似急,烽火未全停。
師老資殘寇,戎生及近坰。忠臣詞憤激,烈士涕飄零。
#6
上將盈邊鄙,元勛溢鼎銘。仰思調玉燭,誰定握青萍。』
隴俗輕鸚鵡,原情類鶺鴒。秋風動關塞,高臥想儀形。」

#1
秦州にて敕目【ちょくもく】を見るに,薛三璩【さつさんきょ】は司議郎【しぎろう】を授けられ,畢四曜【ひつしよう】は監察に除せられ,二子と故有り,遠く遷官【せんかん】を喜ぶ,兼ねて索居【さくきょ】を述べる,凡そ三十韻。
大雅何ぞ寥闊【りょうかつ】なる、斯の人尚お典型。
交期余【われ】潦倒【ろうとう】、材力爾【なんじ】精霊。
二子同日に声あり、諸生一経に困す。
文章窔奥【ようおう】を開く、遷擢【せんたく】朝廷より潤【うるお】さる。
旧好何に由りてか展【の】べん、新詩更に聴かんことを憶う。
別来頭併せて白し、相見ば眼終【つい】に青ならん。』
#2
伊【こ】れ昔貧皆同じ、同じく憂う歳の寧【やす】からざるを。
栖遑【せいこう】半菽【はんしゅく】を分かつ、浩蕩【こうとう】流萍【りゅうへ】いを逐う。
俗態猶お猜忌【さいき】、妖氛【ようふん】忽【たちま】ち杳冥【ようめい】。
独り慚【は】ず漢閣【かんかく】より投ずるを、倶に議す秦庭【しんてい】に哭するを。
蜀【しょく】に還る衹【た】だ補い無く、梁に囚わる亦た固【もと】より扃【とざ】さる。
華夷【かい】相混合す、宇宙一に羶腥【せんせい】なり。』
#3
帝力三統を収め、天威四冥【しめい】を総【す】ぶ。
旧都俄【にわか】に幸を望む、清廟【せいびょう】惟馨【いけい】を粛【つつし】む。
雑種【ざつしゅ】塁を高くすと雖も、長駆【ちょうく】瓴【れい】を建つるよりも甚だし。
香を焚く淑景殿【しゅくけいでん】、水を漲【みなぎ】らす望雲亭【ぼううんてい】。
法駕【ほうが】初めて還る日、群公【ぐんこう】会星の若し。
#4
宮宦【きゅうしん】仍お点染【てんせん】す、柱史【ふうし】正に零丁【れいてい】たり。
官は忝【かたじけの】うす 棲鳳に趨するを、朝より回りて衆螢【しゅうけい】を歎ず。
人を喚びて腰裊【ようじょう】を看せしむ、嫁せざるに娉婷【へいてい】を惜しむ。
獄を掘りて埋剣【まいけん】を知り、刀を提げて発桝【はっけい】を見る。
侏儒【しゅじゅ】応に共に飽くなるべし、漁父偏醒【へんせい】を忌む。』
#5
旅泊 清渭【せいい】を窮【きわ】む、長吟 濁涇【だくけい】を望む。
羽書【はしょ】還た急なるに似たり、烽火 未だ全く停まらず。
師老いて 残寇に資す、戎生じて近坰【きんけい】に及ぶ。
忠臣 詞 憤激【ふんげき】、 烈士【れっし】 涕 諷零【ひょうれい】。
#6
上將【じょうしょう】 邊鄙【へんぴ】に盈【み】つ、元勲【げんくん】 鼎銘【ていめい】に溢る。
仰いで思う 玉燭【ぎょくしょく】調【ととの】わんことを、誰か定めて青萍【せいへい】を握らん。』

隴俗【ろうぞく】鸚鵡【おうむ】を軽んず、原情【げんじょう】鶺鴒【せきれい】に類す。
秋風 関塞【かんさい】に動く、高臥【こうが】儀形【ぎけい】を想う。』

唐朝 大明宮2000



現代語訳と訳註
(本文)

宮宦仍點染,柱史正零丁。
官忝趨棲鳳,朝回嘆聚螢。
喚人看腰裊,不嫁惜娉婷。
掘劍知埋獄,提刀見發硎。
侏儒應共飽,漁父忌偏醒。』


(下し文)
宮宦【きゅうしん】仍お点染【てんせん】す、柱史【ふうし】正に零丁【れいてい】たり。
官は忝【かたじけの】うす 棲鳳に趨するを、朝より回りて衆螢【しゅうけい】を歎ず。
人を喚びて腰裊【ようじょう】を看せしむ、嫁せざるに娉婷【へいてい】を惜しむ。
獄を掘りて埋剣【まいけん】を知り、刀を提げて発桝【はっけい】を見る。
侏儒【しゅじゅ】応に共に飽くなるべし、漁父偏醒【へんせい】を忌む。』


(現代語訳)#4
そのうちで今の東宮の臣たる薛君は嘗て安史軍にとらわれてその塵埃に染められ汚されているものとみなされて栄達せず、今の御史たる畢君もそのときはちょうどおちぶれていた。
わたしはそのとき官位は拾遺を拝位して棲鳳闇に趨走することができたが、朝廷からもどっていつも諸君が書生の頃のように螢の光を集めて本を読んでいるという困窮な境遇について歎息した。
だから他人を喚起して千里の神馬とも称すべき両君を見せることであるし、また両君が娉婷たる美貌のもちぬしでありながら他へ嫁いらずにいることを惜しくおもっていた。 
今や諸君ははじめてとりたてられて官に任ぜられたから、あだかもかの豊城の獄を掘って埋められていた剣「竜泉、太阿」が知られるに至ったということであったように、また刀を提げて見ればそれは砥石で磨きたてのところをとりだしたかのような鋭さがあるのである。
しかし両君としてはまだ用いられ方が十分ではないのであり、両君は侏儒の徒のように飽食しているぐらいのことであろう。わたしは依然として独り醒めていて、昔の屈原のように漁父から忌まれているということだ。』 


(訳注)
宮宦仍點染,柱史正零丁。

宮宦【きゅうしん】仍お点染【てんせん】す、柱史【ふうし】正に零丁【れいてい】たり。
そのうちで今の東宮の臣たる薛君は嘗て安史軍にとらわれてその塵埃に染められ汚されているものとみなされて栄達せず、今の御史たる畢君もそのときはちょうどおちぶれていた。
宮臣 これは今の「見敕」にある東宮の官属である司議郎薛拠を現官によってさす。
仍点染 点染とは安史軍の塵埃にけがれたことをいう、前#2の「囚梁」の句と同事実をさす。
柱史 柱下史の略、このたび「見敕」による御史の官をいい、畢曜をさす。
零丁 おちぶれるさま。


官忝趨棲鳳,朝回嘆聚螢。
官は忝【かたじけの】うす 棲鳳に趨するを、朝より回りて衆螢【しゅうけい】を歎ず。
わたしはそのとき官位は拾遺を拝位して棲鳳闇に趨走することができたが、朝廷からもどっていつも諸君が書生の頃のように螢の光を集めて本を読んでいるという困窮な境遇について歎息した。
官忝趨棲鳳 杜甫本人をいう。・趨は趨走すること(あちこち走り回る)、・棲鳳は閣の名、含元殿の南に竜尾道をはさんで左右に棲鳳閣・翔鸞闇がある(大明宮圖参照)、これは杜甫が拾遺の官であったことをいう。
朝回嘆聚螢 薛・畢二子について歎ずること、朝回は杜甫が朝廷の朝礼より退きかえること、聚螢は晋の車胤が家が貧しく燈火のないために夏は螢をあつめてそのあかりによって書を読んだとの事に本づく、薛拠・畢曜が重く用いられずなお不遇の地にあることをいう。
 

喚人看腰裊,不嫁惜娉婷。
人を喚びて腰裊【ようじょう】を看せしむ、嫁せざるに娉婷【へいてい】を惜しむ。
だから他人を喚起して千里の神馬とも称すべき両君を見せることであるし、また両君が娉婷たる美貌のもちぬしでありながら他へ嫁いらずにいることを惜しくおもっていた。 
喚人 他の人人をよびおこす。○腰裊 日に千里をゆく神馬、薛と畢をたとえていう。○不嫁 よめいりをしない。○娉婷 女子のうつくしいさま、薛畢を美人にたとえ、美しくありながらよめいり口のないことを惜しむ。


掘劍知埋獄,提刀見發硎。
獄を掘りて埋剣【まいけん】を知り、刀を提げて発桝【はっけい】を見る。
今や諸君ははじめてとりたてられて官に任ぜられたから、あだかもかの豊城の獄を掘って埋められていた剣「竜泉、太阿」が知られるに至ったということであったように、また刀を提げて見ればそれは砥石で磨きたてのところをとりだしたかのような鋭さがあるのである。
掘劍知埋獄,提刀見發硎  現在はじめて二子が任官されて潜在能力のあらわれたことをのべる、掘獄埋剣は晋の雷煥の故事、呉がまだ亡びなかった時 常に紫気があって牛斗の間に見えた、張華はこれを雷煥(孔章)に問うたところ、煥がいうのに、宝物の精が予章の豊城(県の名)にあると、遂に煥を豊城の令となした、煥は県に至って獄を掘り「竜泉、太阿」の二剣を得た、その夕方、牛斗の気は再び見えなかった。煥はそこで其の一つを留め、他の三を張華に進めた。後に華が害に遇ったところ、此の剣が飛んで嚢城の水中に入った、煥が死のうとするとき其の子を戒めつねに剣を自ずからに随えさせた、後に其の子が建安の従事となって浅瀬をわたろうとすると、剣が忽ち腰間より躍り出し、二竜が相い随って行くのを見たという、二子のあらわれることは獄中の埋剣が掘りだされたようなものである。
秦州抒情詩(23) 蕃剣 杜甫 <308> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1391 杜甫詩 700- 428

提刀見発硎 「荘子」(養生主第三の五節)に庖丁が十九年の間に数千の牛を解くのにその「而刀刃若新発於硎。」(刀刃は新たに硎より発するが若し)とある、硎は磨石、提刀の二字も同篇にみえる、上手な料理人がを研ぎたての刀を使うに両君をたとえていう。


侏儒應共飽,漁父忌偏醒。』
侏儒 応に共に飽くなるべし 漁父偏醒を忌む』
しかし両君としてはまだ用いられ方が十分ではないのであり、両君は侏儒の徒のように飽食しているぐらいのことであろう。わたしは依然として独り醒めていて、昔の屈原のように漁父から忌まれているということだ。』 
侏儒応共飽 二子の身の上を想像していう、「漢書」(東方朔伝)に「侏儒は飽いて死なんと欲するも、臣朔は飢えて死なんと欲す」とみえる、君主の玩弄物である侏儒(一寸法師)は食物にたべあきて死のうとしているのに自己は飢えて死のうとしているという意味である。此の句は薛拠・畢曜の両君をいう、二子が用いられたとしでもわずかに侏儒の輩と共に飽食するのであろう。
漁父忌偏醍 此の句は杜甫自身をいう、漁父の事は屈原の「漁父辞」に本づく、屈原が「衆人は皆酔える三台は独り醍む」といったのに対して漁父は何でそのかすをくらいそのしるをすすらぬのかといった、偏醒は独醒のこと、杜甫自身が直諌して容れられぬことを偏醒といったのである。



宮宦【きゅうしん】仍お点染【てんせん】す、柱史【ふうし】正に零丁【れいてい】たり。
官は忝【かたじけの】うす 棲鳳に趨するを、朝より回りて衆螢【しゅうけい】を歎ず。
人を喚びて腰裊【ようじょう】を看せしむ、嫁せざるに娉婷【へいてい】を惜しむ。
獄を掘りて埋剣【まいけん】を知り、刀を提げて発桝【はっけい】を見る。
侏儒【しゅじゅ】応に共に飽くなるべし、漁父偏醒【へんせい】を忌む。』

秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻 杜甫 <315-#3>漢文委員会 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1418 杜甫詩 700- 437

秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻 杜甫 <315-#3>漢文委員会 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1418 杜甫詩 700- 437

     
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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,
與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻
59年秋秦州において、杜甫は、任官の目次を目にした。見たところ、薛拠は司議郎を授けられ、畢曜は監察御史に除せられていた。この二人は杜甫と旧交のあるものであったので遠方ながら彼らが転任したことを喜び、また兼ねて自己がさびしい生活をなしていることをのべて、ついに凡そ三十韻六十句のこの篇をなした。
#1
大雅何寥闊,斯人尚典刑。
優れて正しい詩文の本筋・正道はどうしてこのようにさびしくなったものか、それでもまだ薛三璩、畢四曜の二人が認められているために、古来の法則とすべき型が存在しているということなのだ。
交期余潦倒,才力爾精靈。
君たちと交際はあるとはいえわたしは今落ちぶれている、しかし、君たちはその人物力量において人力以上の不思議な気をもっている。
二子聲同日,諸生困一經。
だから両君は、同日に除任せられて声名がなりひびくけれども、わたしは仕官せぬ多くの学者としてひとつの経典を修学していて、そのために困窮しているのだ。
文章開窔奧,遷擢潤朝廷。
両君は文章においては奥ふかい道を真剣に取り組む姿勢を開いており、朝廷の恩沢にうるおうて他人よりもぬきんでて官を遷されたということだろう。
舊好何由展,新詩更憶聽。
これまで詩文を交わしたり、唱和してきたなかまであるが今何に由ってのべたらいいのであろうか、どうにかしてもっと両君の最新作があるだろうからさらに聴きたいと思うのだ。
別來頭並白,相見眼終青。』
別れてからお互いに頭は白くなっていることだろうが、もし面会が叶うなら以前にかわらず賢人同志、青眼を以て濁り酒を飲むことになるであろう。』
#2
伊昔貧皆甚,同憂歲不寧。
ほんの少し前まではお互いに非常に貧乏であり、これまで天下が安らかでない歳が続き唐王朝の行く末を同じように心配したものである。
棲遑分半菽,浩蕩逐流萍。
そうしてあくせくし慌ただしくもあり、せわしく奔走しながら豆の半分まざった粗末な食事をわけてくれる、とりとめもない浮草のようにとどまる所のない漂泊生活をしたのだ。
俗態猶猜忌,妖氛忽杳冥。
そのうち世俗人情の常態として李林甫は文人を忌み嫌い全く登用しなかった、そうした時代に圧政と謀叛の悪気が忽ちとおく暗い所から起こるようになった。
獨慚投漢閣,俱議哭秦庭。
自分は漢の揚雄が疑われて閣上から身を投げて自害したがはたせなかったように安史叛乱軍中を逃げまわったことをはずかしくおもうが、どうにかして官軍のために援兵を得ようとしてもろともに相談して楚の申包胥【しんぽうしょ】が秦庭に哭したようなことをしようとした。
遠蜀衹無補,囚梁亦固扃。
わたしは司馬相加が官を得て蜀にかえったように叛乱軍から逃亡し、鳳翔の行在所へ馳せ参じたが、故郷にもどされ朝廷の事に対しては何らの補益できなかった、また、両君も漢の鄒陽が梁に囚われたように安史叛乱軍のためにかたく一室にとじこめられていた。
華夷相混合,宇宙一羶腥!』
こうした戦況の中で漢民族に夷の異民族の軍隊が互いに交じり合うようなことをしている、天地の法則が守ることなく生臭いものをあったかいものに混ぜ込んだようなものである。』
#3
帝力收三統,天威總四溟。
このときには粛宗皇帝は三統の歴数を手中にお収めになられた、その御威光は四海に至るまでを御統治されることになられた。
舊都俄望幸,清廟肅維馨。
旧都長安では叛乱軍から奪回したので、入城行幸を見ることが出来た、粛宗は凌辱されていた太祖廟には祭祀のお供え物を厳粛にせられのである。
雜種雖高壘,長驅甚建瓴。
安史軍の連合軍の混成がいくら塞を高くして防禦しても、唐王朝の連合軍が長駆して攻めくだす勢いは屋根の樋の水をまっすぐに落とすよりもまだ勢いがある。
焚香淑景殿,漲水望雲亭。
都の淑景殿では香をたき、望雲亭では池水をみなぎらせて遷幸をお迎えする準備をした。
法駕初還日,群公若會星。」

こうして正式の御行列がはじめて都へおかえりになった日のは、もろもろの高官・諸公たちはまるで輝く星があつまったように多くあった。
#4
宮宦仍點染,柱史正零丁。官忝趨棲鳳,朝回嘆聚螢。
喚人看腰裊,不嫁惜娉婷。掘劍知埋獄,提刀見發硎。
侏儒應共飽,漁父忌偏醒。』

旅泊窮清渭,長吟望濁涇。羽書還似急,烽火未全停。
師老資殘寇,戎生及近坰。忠臣詞憤激,烈士涕飄零。
上將盈邊鄙,元勛溢鼎銘。仰思調玉燭,誰定握青萍。』
隴俗輕鸚鵡,原情類鶺鴒。秋風動關塞,高臥想儀形。
#1
秦州にて敕目【ちょくもく】を見るに,薛三璩【さつさんきょ】は司議郎【しぎろう】を授けられ,畢四曜【ひつしよう】は監察に除せられ,二子と故有り,遠く遷官【せんかん】を喜ぶ,兼ねて索居【さくきょ】を述べる,凡そ三十韻。
大雅何ぞ寥闊【りょうかつ】なる、斯の人尚お典型。
交期余【われ】潦倒【ろうとう】、材力爾【なんじ】精霊。
二子同日に声あり、諸生一経に困す。
文章窔奥【ようおう】を開く、遷擢【せんたく】朝廷より潤【うるお】さる。
旧好何に由りてか展【の】べん、新詩更に聴かんことを憶う。
別来頭併せて白し、相見ば眼終【つい】に青ならん。』
#2
伊【こ】れ昔貧皆同じ、同じく憂う歳の寧【やす】からざるを。
栖遑【せいこう】半菽【はんしゅく】を分かつ、浩蕩【こうとう】流萍【りゅうへ】いを逐う。
俗態猶お猜忌【さいき】、妖氛【ようふん】忽【たちま】ち杳冥【ようめい】。
独り慚【は】ず漢閣【かんかく】より投ずるを、倶に議す秦庭【しんてい】に哭するを。
蜀【しょく】に還る衹【た】だ補い無く、梁に囚わる亦た固【もと】より扃【とざ】さる。
華夷【かい】相混合す、宇宙一に羶腥【せんせい】なり。』
#3
帝力三統を収め、天威四冥【しめい】を総【す】ぶ。
旧都俄【にわか】に幸を望む、清廟【せいびょう】惟馨【いけい】を粛【つつし】む。
雑種【ざつしゅ】塁を高くすと雖も、長駆【ちょうく】瓴【れい】を建つるよりも甚だし。
香を焚く淑景殿【しゅくけいでん】、水を漲【みなぎ】らす望雲亭【ぼううんてい】。
法駕【ほうが】初めて還る日、群公【ぐんこう】会星の若し。

#4
宮宦【きゅうしん】仍お点染【てんせん】す、柱史【ふうし】正に零丁【れいてい】たり。
官は忝【かたじけの】うす 棲鳳に趨するを、朝より回りて衆螢【しゅうけい】を歎ず。
人を喚びて腰裊【ようじょう】を看せしむ、嫁せざるに娉婷【へいてい】を惜しむ。
獄を掘りて埋剣【まいけん】を知り、刀を提げて発桝【はっけい】を見る。
侏儒【しゅじゅ】応に共に飽くなるべし、漁父偏醒【へんせい】を忌む。』
#5
旅泊 清渭【せいい】を窮【きわ】む、長吟 濁涇【だくけい】を望む。
羽書【はしょ】還た急なるに似たり、烽火 未だ全く停まらず。
師老いて 残寇に資す、戎生じて近坰【きんけい】に及ぶ。
忠臣 詞 憤激【ふんげき】、 烈士【れっし】 涕 諷零【ひょうれい】。
上將【じょうしょう】 邊鄙【へんぴ】に盈【み】つ、元勲【げんくん】 鼎銘【ていめい】に溢る。
仰いで思う 玉燭【ぎょくしょく】調【ととの】わんことを、誰か定めて青萍【せいへい】を握らん。』

隴俗【ろうぞく】鸚鵡【おうむ】を軽んず、原情【げんじょう】鶺鴒【せきれい】に類す。
秋風 関塞【かんさい】に動く、高臥【こうが】儀形【ぎけい】を想う。』


現代語訳と訳註
(本文) #3

帝力收三統,天威總四溟。舊都俄望幸,清廟肅維馨。
雜種雖高壘,長驅甚建瓴。焚香淑景殿,漲水望雲亭。
法駕初還日,群公若會星。


(下し文)
帝力三統を収め、天威四冥【しめい】を総【す】ぶ。
旧都俄【にわか】に幸を望む、清廟【せいびょう】惟馨【いけい】を粛【つつし】む。
雑種【ざつしゅ】塁を高くすと雖も、長駆【ちょうく】瓴【れい】を建つるよりも甚だし。
香を焚く淑景殿【しゅくけいでん】、水を漲【みなぎ】らす望雲亭【ぼううんてい】。
法駕【ほうが】初めて還る日、群公【ぐんこう】会星の若し。

 
(現代語訳)#3
このときには粛宗皇帝は三統の歴数を手中にお収めになられた、その御威光は四海に至るまでを御統治されることになられた。
旧都長安では叛乱軍から奪回したので、入城行幸を見ることが出来た、粛宗は凌辱されていた太祖廟には祭祀のお供え物を厳粛にせられのである。
安史軍の連合軍の混成がいくら塞を高くして防禦しても、唐王朝の連合軍が長駆して攻めくだす勢いは屋根の樋の水をまっすぐに落とすよりもまだ勢いがある。
都の淑景殿では香をたき、望雲亭では池水をみなぎらせて遷幸をお迎えする準備をした。
こうして正式の御行列がはじめて都へおかえりになった日のは、もろもろの高官・諸公たちはまるで輝く星があつまったように多くあった。

(訳注)
帝力收三統,天威總四溟。

帝力三統を収め、天威四冥【しめい】を総【す】ぶ。
このときには粛宗皇帝は三統の歴数を手中にお収めになられた、その御威光は四海に至るまでを御統治されることになられた。、
帝力 粛宗皇帝のカ。756年6月霊武において即位。玄宗は上皇となり蜀へ逃避行。
三統 漢の武帝の太初1年(前104)に太初暦が施行されたが,その暦法は前1世紀末の劉歆(りゆうきん)によって補修されて三統暦と名づけられ,王莽(おうもう)の新,後漢で用いられ紀元84年(元和1)まで使用された。三統暦では夏(か)を天統,殷を地統,周を人統とした三正循環説によって理論づけして,暦法上の法数に思想的な意味を与えた。三統暦の1回帰年の値は365日+385/1539日,1朔望月の値は29日+43/81日で,両者は19年7閏の法によって結ばれた。
天威 天子の威光。
四溟 四海。中国全土。世界。


舊都俄望幸,清廟肅維馨。
旧都俄【にわか】に幸を望む、清廟【せいびょう】惟馨【いけい】を粛【つつし】む。
旧都長安では叛乱軍から奪回したので、入城行幸を見ることが出来た、粛宗は凌辱されていた太祖廟には祭祀のお供え物を厳粛にせられのである。
旧都 長安。○望幸 行幸をのぞむ、これは756年乾元元年十月に唐王朝・ウィグル連合軍の長安奪回により、粛宗が長安にかえったことをさす。杜甫はこの時参加せず。
清廟 唐の大祖の廟をさす。『詩経、大雅、清廟之什』「清廟は清明の徳あるものを祭るの宮也。」「清廟はすなわち明堂の大廟」
 厳粛にすること。
維馨 祭供をいう、「書経」(君陳)に「黍稷馨しきに非ず、明徳惟れ馨し。」とみえる。祭りに供える黍・粟よりもその祭りをする人の明徳がかんばしいということである。


雜種雖高壘,長驅甚建瓴。
雑種【ざつしゅ】塁を高くすと雖も、長駆【ちょうく】瓴【れい】を建つるよりも甚だし。
安史軍の連合軍の混成がいくら塞を高くして防禦しても、唐王朝の連合軍が長駆して攻めくだす勢いは屋根の樋の水をまっすぐに落とすよりもまだ勢いがある。
雑種 安史軍の連合軍こと。安慶緒・史思明らに各地の不満分子と異民族の騎馬民族などをいう。
高墨 とりでを高くきずいてまもる。○長駆 官軍がながみちをかけること。
甚建瓴 「漢書」(高帝紀)に高い地形に居てひくい諸侯の地にむかって兵を下すことをたとえて「高屋の上に居て領水を建つるが若し」といっている、領水とは屋上の瓦溝の水をいう、これを建てれば水は急流をなして下におちるであろう。
焚香 天子を迎える用意である。


焚香淑景殿,漲水望雲亭。
香を焚く淑景殿【しゅくけいでん】、水を漲【みなぎ】らす望雲亭【ぼううんてい】。
都の淑景殿では香をたき、望雲亭では池水をみなぎらせて遷幸をお迎えする準備をした。
淑景殿 長安の西内(西の御所)安仁殿の後(北)に綵糸院があり、院の西に淑景殿があるという。
漲水 水がみなぎるようにすること。一説に漲は、灑の誤字かという、灑水ならば水をそそいでほこりをしずめることで天子を迎える用意をなすことをいう。
望雲亭 この亭も西内にあったという。贈翰林張四學士 杜甫36


法駕初還日,群公若會星。
法駕【ほうが】初めて還る日、群公【ぐんこう】会星の若し。
こうして正式の御行列がはじめて都へおかえりになった日のは、もろもろの高官・諸公たちはまるで輝く星があつまったように多くあった。
法駕 法式による天子の車駕。
群公 すぐれた地位の諸官。
会星 あっまっているほし、多いことをいう。



帝力三統を収め、天威四冥【しめい】を総【す】ぶ。
旧都俄【にわか】に幸を望む、清廟【せいびょう】惟馨【いけい】を粛【つつし】む。
雑種【ざつしゅ】塁を高くすと雖も、長駆【ちょうく】瓴【れい】を建つるよりも甚だし。
香を焚く淑景殿【しゅくけいでん】、水を漲【みなぎ】らす望雲亭【ぼううんてい】。
法駕【ほうが】初めて還る日、群公【ぐんこう】会星の若し。

秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻 杜甫 <315-#2>漢文委員会 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1415 杜甫詩 700- 436

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《『秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻』 杜甫700の315-#2首目、杜甫ブログ436回目》


秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,
與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻

759年秋秦州において、杜甫は、任官の目次を目にした。見たところ、薛拠は司議郎を授けられ、畢曜は監察御史に除せられていた。この二人は杜甫と旧交のあるものであったので遠方ながら彼らが転任したことを喜び、また兼ねて自己がさびしい生活をなしていることをのべて、ついに凡そ三十韻六十句のこの篇をなした。
大雅何寥闊,斯人尚典刑。
優れて正しい詩文の本筋・正道はどうしてこのようにさびしくなったものか、それでもまだ薛三璩、畢四曜の二人が認められているために、古来の法則とすべき型が存在しているということなのだ。
交期余潦倒,才力爾精靈。
君たちと交際はあるとはいえわたしは今落ちぶれている、しかし、君たちはその人物力量において人力以上の不思議な気をもっている。
二子聲同日,諸生困一經。
だから両君は、同日に除任せられて声名がなりひびくけれども、わたしは仕官せぬ多くの学者としてひとつの経典を修学していて、そのために困窮しているのだ。
文章開窔奧,遷擢潤朝廷。
両君は文章においては奥ふかい道を真剣に取り組む姿勢を開いており、朝廷の恩沢にうるおうて他人よりもぬきんでて官を遷されたということだろう。
舊好何由展,新詩更憶聽。
これまで詩文を交わしたり、唱和してきたなかまであるが今何に由ってのべたらいいのであろうか、どうにかしてもっと両君の最新作があるだろうからさらに聴きたいと思うのだ。
別來頭並白,相見眼終青。』

別れてからお互いに頭は白くなっていることだろうが、もし面会が叶うなら以前にかわらず賢人同志、青眼を以て濁り酒を飲むことになるであろう。』

伊昔貧皆甚,同憂歲不寧。
ほんの少し前まではお互いに非常に貧乏であり、これまで天下が安らかでない歳が続き唐王朝の行く末を同じように心配したものである。
棲遑分半菽,浩蕩逐流萍。
そうしてあくせくし慌ただしくもあり、せわしく奔走しながら豆の半分まざった粗末な食事をわけてくれる、とりとめもない浮草のようにとどまる所のない漂泊生活をしたのだ。
俗態猶猜忌,妖氛忽杳冥。
そのうち世俗人情の常態として李林甫は文人を忌み嫌い全く登用しなかった、そうした時代に圧政と謀叛の悪気が忽ちとおく暗い所から起こるようになった。
獨慚投漢閣,俱議哭秦庭。
自分は漢の揚雄が疑われて閣上から身を投げて自害したがはたせなかったように安史叛乱軍中を逃げまわったことをはずかしくおもうが、どうにかして官軍のために援兵を得ようとしてもろともに相談して楚の申包胥【しんぽうしょ】が秦庭に哭したようなことをしようとした。
遠蜀衹無補,囚梁亦固扃。
わたしは司馬相加が官を得て蜀にかえったように叛乱軍から逃亡し、鳳翔の行在所へ馳せ参じたが、故郷にもどされ朝廷の事に対しては何らの補益できなかった、また、両君も漢の鄒陽が梁に囚われたように賊軍のためにかたく一室にとじこめられていた。
華夷相混合,宇宙一羶腥!』

こうした戦況の中で漢民族に夷の異民族の軍隊が互いに交じり合うようなことをしている、天地の法則が守ることなく生臭いものをあったかいものに混ぜ込んだようなものである。』
帝力收三統,天威總四溟。舊都俄望幸,清廟肅維馨。
雜種雖高壘,長驅甚建瓴。焚香淑景殿,漲水望雲亭。
法駕初還日,群公若會星。」

宮宦仍點染,柱史正零丁。官忝趨棲鳳,朝回嘆聚螢。
喚人看腰裊,不嫁惜娉婷。掘劍知埋獄,提刀見發硎。
侏儒應共飽,漁父忌偏醒。』

旅泊窮清渭,長吟望濁涇。羽書還似急,烽火未全停。
師老資殘寇,戎生及近坰。忠臣詞憤激,烈士涕飄零。
上將盈邊鄙,元勛溢鼎銘。仰思調玉燭,誰定握青萍。』
隴俗輕鸚鵡,原情類鶺鴒。秋風動關塞,高臥想儀形。

秦州にて敕目【ちょくもく】を見るに,薛三璩【さつさんきょ】は司議郎【しぎろう】を授けられ,畢四曜【ひつしよう】は監察に除せられ,二子と故有り,遠く遷官【せんかん】を喜ぶ,兼ねて索居【さくきょ】を述べる,凡そ三十韻。

大雅何ぞ寥闊【りょうかつ】なる、斯の人尚お典型。
交期余【われ】潦倒【ろうとう】、材力爾【なんじ】精霊。
二子同日に声あり、諸生一経に困す。
文章窔奥【ようおう】を開く、遷擢【せんたく】朝廷より潤【うるお】さる。
旧好何に由りてか展【の】べん、新詩更に聴かんことを憶う。
別来頭併せて白し、相見ば眼終【つい】に青ならん。』

伊【こ】れ昔貧皆同じ、同じく憂う歳の寧【やす】からざるを。
栖遑【せいこう】半菽【はんしゅく】を分かつ、浩蕩【こうとう】流萍【りゅうへ】いを逐う。
俗態猶お猜忌【さいき】、妖氛【ようふん】忽【たちま】ち杳冥【ようめい】。
独り慚【は】ず漢閣【かんかく】より投ずるを、倶に議す秦庭【しんてい】に哭するを。
蜀【しょく】に還る衹【た】だ補い無く、梁に囚わる亦た固【もと】より扃【とざ】さる。
華夷【かい】相混合す、宇宙一に羶腥【せんせい】なり。』


帝力三統を収め、天威四冥を総すぶ。
旧都俄【にわか】に幸を望む、清廟 惟馨【いけい】を粛む。
雑種 塁を高くすと雖も、長駆 瓴【れい】を建つるよりも甚し。
香を焚く淑景殿【しゅくけいでん】、水を漲みなぎらす望雲亭【ぼううんてい】。
法駕【ほうが】初めて還る日、群公【ぐんこう】会星の若し。

宮宦【きゅうしん】仍お点染【てんせん】す、柱史【ふうし】正に零丁【れいてい】たり。
官は忝かたじけのうす 棲鳳に趨するを、朝より回りて衆螢しゅうけいを歎ず。
人を喚びて腰裊ようじょうを看せしむ、嫁せざるに娉婷へいていを惜しむ。
獄を掘りて埋剣【まいけん】を知り、刀を提げて発桝【はっけい】を見る。
侏儒【しゅじゅ】応に共に飽くなるべし、漁父偏醒【へんせい】を忌む。』

旅泊 清渭【せいい】を窮【きわ】む、長吟 濁涇【だくけい】を望む。
羽書【はしょ】還た急なるに似たり、烽火 未だ全く停まらず。
師老いて 残寇に資す、戎生じて近坰【きんけい】に及ぶ。
忠臣 詞 憤激【ふんげき】、 烈士【れっし】 涕 諷零【ひょうれい】。
上將【じょうしょう】 邊鄙【へんぴ】に盈【み】つ、元勲【げんくん】 鼎銘【ていめい】に溢る。
仰いで思う 玉燭【ぎょくしょく】調【ととの】わんことを、誰か定めて青萍【せいへい】を握らん。』

隴俗【ろうぞく】鸚鵡【おうむ】を軽んず、原情【げんじょう】鶺鴒【せきれい】に類す。
秋風 関塞【かんさい】に動く、高臥【こうが】儀形【ぎけい】を想う。』


現代語訳と訳註
(本文)

伊昔貧皆甚,同憂歲不寧。棲遑分半菽,浩蕩逐流萍。
俗態猶猜忌,妖氛忽杳冥。獨慚投漢閣,俱議哭秦庭。
遠蜀衹無補,囚梁亦固扃。華夷相混合,宇宙一羶腥!』


(下し文)
伊【こ】れ昔貧皆同じ、同じく憂う歳の寧【やす】からざるを。
栖遑【せいこう】半菽【はんしゅく】を分かつ、浩蕩【こうとう】流萍【りゅうへ】いを逐う。
俗態猶お猜忌【さいき】、妖氛【ようふん】忽【たちま】ち杳冥【ようめい】。
独り慚【は】ず漢閣【かんかく】より投ずるを、倶に議す秦庭【しんてい】に哭するを。
蜀【しょく】に還る衹【た】だ補い無く、梁に囚わる亦た固【もと】より扃【とざ】さる。
華夷【かい】相混合す、宇宙一に羶腥【せんせい】なり。』


(現代語訳)
ほんの少し前まではお互いに非常に貧乏であり、これまで天下が安らかでない歳が続き唐王朝の行く末を同じように心配したものである。
そうしてあくせくし慌ただしくもあり、せわしく奔走しながら豆の半分まざった粗末な食事をわけてくれる、とりとめもない浮草のようにとどまる所のない漂泊生活をしたのだ。
そのうち世俗人情の常態として李林甫は文人を忌み嫌い全く登用しなかった、そうした時代に圧政と謀叛の悪気が忽ちとおく暗い所から起こるようになった。
自分は漢の揚雄が疑われて閣上から身を投げて自害したがはたせなかったように安史叛乱軍中を逃げまわったことをはずかしくおもうが、どうにかして官軍のために援兵を得ようとしてもろともに相談して楚の申包胥【しんぽうしょ】が秦庭に哭したようなことをしようとした。
わたしは司馬相加が官を得て蜀にかえったように叛乱軍から逃亡し、鳳翔の行在所へ馳せ参じたが、故郷にもどされ朝廷の事に対しては何らの補益できなかった、また、両君も漢の鄒陽が梁に囚われたように賊軍のためにかたく一室にとじこめられていた。
こうした戦況の中で漢民族に夷の異民族の軍隊が互いに交じり合うようなことをしている、天地の法則が守ることなく生臭いものをあったかいものに混ぜ込んだようなものである。』


(訳注)
伊昔貧皆甚,同憂歲不寧。
伊【こ】れ昔貧皆同じ、同じく憂う歳の寧【やす】からざるを。
ほんの少し前まではお互いに非常に貧乏であり、これまで天下が安らかでない歳が続き唐王朝の行く末を同じように心配したものである。
 薛三璩、畢四曜の二人と杜甫をこめていう。
同憂 同とは朝廷の下級官僚であったことで憂いが共通であった。
歳不寧 安らかなに過ごせた年が無い。


栖遑分半菽,浩蕩逐流萍。
栖遑【せいこう】半菽【はんしゅく】を分かつ、浩蕩【こうとう】流萍【りゅうへ】いを逐う。
そうしてあくせくし慌ただしくもあり、せわしく奔走しながら豆の半分まざった粗末な食事をわけてくれる、とりとめもない浮草のようにとどまる所のない漂泊生活をしたのだ。
栖遑 栖栖遑遑の略、せわしいさま。栖は巣。・栖栖 忙しいこと。あくせくすること。・遑(1)仕事のない時。時間の余裕。ひま。  (2)休むこと。休暇。(3)職務をやめること。 ・遑遑 心が落ち着かないさま。あわただしいさま。〇分半菽 分とはわけてくうこと、半寂とは野菜に半分華まめをまぜること、貧しくて食物に乏しいためである。
浩蕩 とりとめないさま。
逐流萍 萍はうきくさ、漂泊生活をいう。


俗態猶猜忌,妖氛忽杳冥。
俗態猶お猜忌【さいき】、妖氛【ようふん】忽【たちま】ち杳冥【ようめい】。
そのうち世俗人情の常態として李林甫は文人を忌み嫌い全く登用しなかった、そうした時代に圧政と謀叛の悪気が忽ちとおく暗い所から起こるようになった。
俗態 世俗の人情のさま。
猜忌 そねみいむ、これは李林甫が賢人を退けたことをさすという。
妖氛ようふん 楊貴妃の一族の楊国忠の横暴、不吉の悪気、安禄山の叛乱をさす。
杳冥ようめい とおくくらい。表の華美頽廃の文化の裏で不穏なものが醸し出されてきたことをいう。


獨慚投漢閣,俱議哭秦庭。
独り慚【は】ず漢閣【かんかく】より投ずるを、倶に議す秦庭【しんてい】に哭するを。
自分は漢の揚雄が疑われて閣上から身を投げて自害したがはたせなかったように安史叛乱軍中を逃げまわったことをはずかしくおもうが、どうにかして官軍のために援兵を得ようとしてもろともに相談して楚の申包胥しんぽうしょが秦庭に哭したようなことをしようとした。
独慚 杜甫が自ずからはじる。
投漢閣  漢の揚雄の故事、雄が甑豊という者の連累によって罪されようとしたとき、たまたま書を天禄闇の上で校していたが、獄吏の至るのを見て閣上より身を投じてほとんど死なんとした、これは作者が賊軍の中に陥ったことをさしていう。
杜甫『贈獻納使起居田舍人澄』「揚雄更有河東賦,唯待吹噓送上天。」杜甫『奉寄河南韋尹丈人』「謬慚知薊子,真怯笑揚雄。」奉贈韋左丞丈二十二韻  杜甫・奉寄河南韋尹丈人 杜甫・醉時歌 杜甫 特集 77
・奉贈太常張卿洎(キ)二十韻 杜甫 89・贈獻納使起居田舍人澄 杜甫90 ・送楊六判官使西蕃 #1 700- 197(この詩はブログに掲載しているが文字数の関係でリンクできないので検索により見てほしい)

倶議 薛・畢らとともに相談する。
哭秦庭 呉の軍が楚の都の郢に攻めこんだとき楚の忠臣に申包胥という者があり、秦の国に行って援兵を乞い七日のあいだ哭して遂にその援助を得た、これは或は援兵を回紇に求めることをさすとし、或は兵を諸節度使より徴集することをさすとするが、いずれでも通じるが、この点はその後の政治体制に大きくかかわる点で、そのどちらの策も、禍根を残す失政であった。玄宗派の重臣を排除し、好き嫌いで側近、将軍を選定した結果、王朝軍は弱体化した。心ある、兵を集めて統率力のあるものを将軍とし、朝廷の中央軍を再編成、組織して戦わなければいけない と杜甫は考えている。


還蜀衹無補,囚梁亦固扃。
蜀【しょく】に還る衹【た】だ補い無く、梁に囚わる亦た固【もと】より扃【とざ】さる。
わたしは司馬相加が官を得て蜀にかえったように叛乱軍から逃亡し、鳳翔の行在所へ馳せ参じたが、故郷にもどされ朝廷の事に対しては何らの補益できなかった、また、両君も漢の鄒陽が梁に囚われたように賊軍のためにかたく一室にとじこめられていた。
還蜀衹無補 作者自己についていう、還蜀は漢の司馬相如の故事、相如は蜀の人、志を立てて郷を出て富貴を得て還った、これは作者が拾遺の官を授けられて羌村に帰った当時の事(杜甫『北征』を代表の一聯詩)をさしていったものと思われる、「衹無補」 とはなんら朝廷の事に補益することのなかったことをいう。この時、房琯一派として徹底的に疎外され、仕事をさせてもらえなかったことをいう。
囚梁亦回扃 囚梁は漢の鄒陽の故事、鄒陽は梁の孝王のために獄に下され、獄中より上書した、此の句は薛拠・畢曜の二人がかつて叛乱軍のために洛陽に拘禁されたことを指すものであろうとされている。杜甫は軟禁であったため逃亡できた。○ 戸のかんぬきをいう、戸をしめてそとへださぬようにすること。


華夷相混合,宇宙一羶腥!』
華夷相混合す 宇宙一に羶腥せんせいなり』
こうした戦況の中で漢民族に夷の異民族の軍隊が互いに交じり合うようなことをしている、天地の法則が守ることなく生臭いものをあったかいものに混ぜ込んだようなものである。』
華夷 漢民族に夷の異民族の軍隊。粛宗はウィグルに応援を依頼した。このことについては次の杜甫のブログに詳しく述べていいる。
・秦州抒情詩(5)  即事 杜甫 <290> 紀頌之の漢詩ブログ1337 杜甫詩 700- 410  
・秦州雜詩二十首 其十一 杜甫 第3部 <264>紀頌之の漢詩ブログ1241 杜甫詩 700- 378
・潼関吏  杜甫 三吏三別詩<217>#2 i紀頌之の漢詩ブログ1040 杜甫詩集700- 311
・北徵 #5(北征全12回)杜甫 紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 212
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・塞蘆子 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 195
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一羶腥 専一になまくさい。ウィグルは、叛乱軍にも非公式に派兵していたし、唐王朝軍はしばしば大敗、分裂、分散をし、その都度好条件を与えてウィグルの援軍を頼んだ。759年から762年くらいまで叛乱軍史忠明はウィグルと同盟しかけた。これが成立しかける一歩手前でふせいだことで安史の乱は763年に終息するのであるが、この詩の759年秋冬は、このウィグルとの問題に吐蕃が攻め込み、西域の沙州・隴西―秦州―長安・洛陽はぐちゃぐちゃであった。このため、杜甫は秦州東柯谷が隠棲の場所としてはふさわしくないということで4カ月足らずで同谷へ旅立つことになるのである。




参考

杜甫の理解には様々な故事を理解しないと深韋味わいが出ないのである。申包胥につて、ウィキペディアの記述を参考として引用する。
申包胥(しん ほうしょ)は春秋時代の楚の政治家。姓は羋、氏は王孫、または封地名から申、諱は包胥。王孫包胥とも通称される。平王、昭王、恵王の3代に仕え、呉の尖兵となったかつての僚友伍子胥に抗した。

友への諫言
伍子胥が楚にいた頃、友人として親しく交遊したが、紀元前522年、子胥の父兄が主君の平王により誅殺される事件が起きる。復讐をする為に楚を出奔する際、楚を必ず転覆させると誓う子胥に対して、包胥は私は必ず存続させると言い袂を別った。
後に呉の将軍となった伍子胥は、紀元前506年の柏挙の戦いにおいて楚を陥れ、すでに死去していた平王の墓を暴き、屍を三百回鞭打った。 この苛烈な所業に対して、山中に逃れていた包胥は人を遣わし問いただした。 「君の復讐はなんと酷い事か。私は聞いた事がある、一時の凶暴が天に勝とうとも、天が定まればいずれ破られると。君はかつては北面し、平王に仕えた身だ。その屍を辱めるとは、いずれ天が定まれば、人の凶暴など長くはないのではないか。」 この詰問に対して子胥は「日が暮れて道が遠い、故に倒行してこれを逆施するのみだ。」(私には時間がなく、道理に従って物事を進める事が出来なかった。)と弁明した。
楚を救う
伍子胥の復讐は、平王の後を継いだ昭王にも向けられ、その行方を捜していた。 その間に包胥は秦に援軍を頼むべく哀公の宮殿に奔った。 昭王の母は秦の公女という間柄にも関わらず、秦の哀公は援軍を断る。これに対し、包胥は大いに嘆き、七日七晩、何も食べず、飲まずに泣き続けた。 その様子に心を打たれた哀公は、「楚は無道だがこのような忠臣がいるのであれば滅ぼすべきでない」として、戦車五百を投入した。翌紀元前505年、秦の援軍は呉を破り、呉の内紛もあって、ついに楚は呉を退ける事に成功した。
楚を守った包胥の功績に対して、昭王は封邑五千戸の大封を与えようとしたが、包胥は楚に先祖の墳墓があったので、それを守ったにすぎないとして辞退した。

秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻 杜甫 <315-#1>漢文委員会 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1412 杜甫詩 700- 435

秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻 杜甫 <315-#1>漢文委員会 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1412 杜甫詩 700- 435


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古詩十九首之十二 漢の無名氏(12)-1 漢詩<99-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩531 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1410

記夢  韓退之(韓愈)詩<78-#2>Ⅱ中唐詩444 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1411

秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻 杜甫 <315-#1>漢文委員会 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1412 杜甫詩 700- 435

   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

杜甫が秦州に来て作った詩(秦州における85首)には
詩人として生きて行こうとしていること、
隠棲の地を求めたこと、
土地、家を買いたいとおもっていること、
資金不足であって親戚、友人知人に援助を依頼している、
友人からの資金援助のてがみをまっている、のである。将来を考えることができなくて、今を生きることさえ毎日が不安であった様子もこれらの詩にあらわれている。
私はそうは思わないが、この頃の杜甫の詩は「食料が豊かな町ではなく、国境の町の異様な自然と人事は、杜甫の神経を極度に苛んだらしく、この頃の詩は、病的に尖鋭であり、絶望的である。」(黒川洋一著)というのが一般的な杜甫の心情分析結果である。

わたしは詩人的表現が次第に強くなっていったもの、友人知人に援助以来のため詩人的表現をしたものと思える。杜甫にとって戦争がトラウマで沙州・隴西―長安・洛陽のラインで戦争は継続していたことが杜甫の神経を尖鋭にしていたものである。半分世の中を棄てようとしているのでその部分が絶望的ということになるのであろう。しかしそれは杜甫の本質ではない。

 このブログではできる限り、杜甫の詩を割愛したり、都合のいい部分を拾い集めて、自らの論理にあてはめるということはしない。全体の詩を取り上げたうえで考察のためにシリーズ、紀行など範疇をひろげて振り返って行って論評したいと考えている。一詩だけで、一句だけの判断は間違いが多いと考えるからである。



秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,
與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻

759年秋秦州において、杜甫は、任官の目次を目にした。見たところ、薛拠は司議郎を授けられ、畢曜は監察御史に除せられていた。この二人は杜甫と旧交のあるものであったので遠方ながら彼らが転任したことを喜び、また兼ねて自己がさびしい生活をなしていることをのべて、ついに凡そ三十韻六十句のこの篇をなした。
大雅何寥闊,斯人尚典刑。
優れて正しい詩文の本筋・正道はどうしてこのようにさびしくなったものか、それでもまだ薛三璩、畢四曜の二人が認められているために、古来の法則とすべき型が存在しているということなのだ。
交期余潦倒,才力爾精靈。
君たちと交際はあるとはいえわたしは今落ちぶれている、しかし、君たちはその人物力量において人力以上の不思議な気をもっている。
二子聲同日,諸生困一經。
だから両君は、同日に除任せられて声名がなりひびくけれども、わたしは仕官せぬ多くの学者としてひとつの経典を修学していて、そのために困窮しているのだ。
文章開窔奧,遷擢潤朝廷。
両君は文章においては奥ふかい道を真剣に取り組む姿勢を開いており、朝廷の恩沢にうるおうて他人よりもぬきんでて官を遷されたということだろう。
舊好何由展,新詩更憶聽。
これまで詩文を交わしたり、唱和してきたなかまであるが今何に由ってのべたらいいのであろうか、どうにかしてもっと両君の最新作があるだろうからさらに聴きたいと思うのだ。
別來頭並白,相見眼終青。』

別れてからお互いに頭は白くなっていることだろうが、もし面会が叶うなら以前にかわらず賢人同志、青眼を以て濁り酒を飲むことになるであろう。』

伊昔貧皆甚,同憂歲不寧。棲遑分半菽,浩蕩逐流萍。
俗態猶猜忌,妖氛忽杳冥。獨慚投漢閣,俱議哭秦庭。
遠蜀衹無補,囚梁亦固扃。華夷相混合,宇宙一羶腥!』

帝力收三統,天威總四溟。舊都俄望幸,清廟肅維馨。
雜種雖高壘,長驅甚建瓴。焚香淑景殿,漲水望雲亭。
法駕初還日,群公若會星。」

宮宦仍點染,柱史正零丁。官忝趨棲鳳,朝回嘆聚螢。
喚人看腰裊,不嫁惜娉婷。掘劍知埋獄,提刀見發硎。
侏儒應共飽,漁父忌偏醒。』

旅泊窮清渭,長吟望濁涇。羽書還似急,烽火未全停。
師老資殘寇,戎生及近坰。忠臣詞憤激,烈士涕飄零。
上將盈邊鄙,元勛溢鼎銘。仰思調玉燭,誰定握青萍。』
隴俗輕鸚鵡,原情類鶺鴒。秋風動關塞,高臥想儀形。
秦州にて敕目【ちょくもく】を見るに,薛三璩【さつさんきょ】は司議郎【しぎろう】を授けられ,畢四曜【ひつしよう】は監察に除せられ,二子と故有り,遠く遷官【せんかん】を喜ぶ,兼ねて索居【さくきょ】を述べる,凡そ三十韻。
大雅何ぞ寥闊【りょうかつ】なる、斯の人尚お典型。
交期余【われ】潦倒【ろうとう】、材力爾【なんじ】精霊。
二子同日に声あり、諸生一経に困す。
文章窔奥【ようおう】を開く、遷擢【せんたく】朝廷より潤【うるお】さる。
旧好何に由りてか展【の】べん、新詩更に聴かんことを憶う。
別来頭併せて白し、相見ば眼終【つい】に青ならん。』


伊【こ】れ昔貧皆同じ、同じく憂う歳の寧【やす】からざるを。
栖遑【せいこう】半菽【はんしゅく】を分かつ、浩蕩【こうとう】流萍【りゅうへ】いを逐う。
俗態猶お猜忌【さいき】、妖氛【ようふん】忽【たちま】ち杳冥【ようめい】。
独り慚【は】ず漢閣【かんかく】より投ずるを、倶に議す秦庭【しんてい】に哭するを。
局に還る穂だ補い無く、梁に囚わる亦た固より扁さる。
華夷相混合す、宇宙一に羶腥【せんせい】なり。』

帝力三統を収め、天威四冥を総すぶ。
旧都俄【にわか】に幸を望む、清廟 惟馨【いけい】を粛む。
雑種 塁を高くすと雖も、長駆 瓴【れい】を建つるよりも甚し。
香を焚く淑景殿【しゅくけいでん】、水を漲みなぎらす望雲亭【ぼううんてい】。
法駕【ほうが】初めて還る日、群公【ぐんこう】会星の若し。

宮宦【きゅうしん】仍お点染【てんせん】す、柱史【ふうし】正に零丁【れいてい】たり。
官は忝かたじけのうす 棲鳳に趨するを、朝より回りて衆螢しゅうけいを歎ず。
人を喚びて腰裊ようじょうを看せしむ、嫁せざるに娉婷へいていを惜しむ。
獄を掘りて埋剣【まいけん】を知り、刀を提げて発桝【はっけい】を見る。
侏儒【しゅじゅ】応に共に飽くなるべし、漁父偏醒【へんせい】を忌む。』

旅泊 清渭【せいい】を窮【きわ】む、長吟 濁涇【だくけい】を望む。
羽書【はしょ】還た急なるに似たり、烽火 未だ全く停まらず。
師老いて 残寇に資す、戎生じて近坰【きんけい】に及ぶ。
忠臣 詞 憤激【ふんげき】、 烈士【れっし】 涕 諷零【ひょうれい】。
上將【じょうしょう】 邊鄙【へんぴ】に盈【み】つ、元勲【げんくん】 鼎銘【ていめい】に溢る。
仰いで思う 玉燭【ぎょくしょく】調【ととの】わんことを、誰か定めて青萍【せいへい】を握らん。』

隴俗【ろうぞく】鸚鵡【おうむ】を軽んず、原情【げんじょう】鶺鴒【せきれい】に類す。
秋風 関塞【かんさい】に動く、高臥【こうが】儀形【ぎけい】を想う。』


現代語訳と訳註
(本文)

大雅何寥闊,斯人尚典刑。交期余潦倒,才力爾精靈。
二子聲同日,諸生困一經。文章開窔奧,遷擢潤朝廷。
舊好何由展,新詩更憶聽。別來頭並白,相見眼終青。』


(下し文)
秦州にて敕目【ちょくもく】を見るに,薛三璩【さつさんきょ】は司議郎【しぎろう】を授けられ,畢四曜【ひつしよう】は監察に除せられ,二子と故有り,遠く遷官【せんかん】を喜ぶ,兼ねて索居【さくきょ】を述べる,凡そ三十韻。

大雅何ぞ寥闊【りょうかつ】なる、斯の人尚お典型。
交期余【われ】潦倒【ろうとう】、材力爾【なんじ】精霊。
二子同日に声あり、諸生一経に困す。
文章窔奥【ようおう】を開く、遷擢【せんたく】朝廷より潤【うるお】さる。
旧好何に由りてか展【の】べん、新詩更に聴かんことを憶う。
別来頭併せて白し、相見ば眼終【つい】に青ならん。』


(現代語訳)
759年秋秦州において、杜甫は、任官の目次を目にした。見たところ、薛拠は司議郎を授けられ、畢曜は監察御史に除せられていた。この二人は杜甫と旧交のあるものであったので遠方ながら彼らが転任したことを喜び、また兼ねて自己がさびしい生活をなしていることをのべて、ついに凡そ三十韻六十句のこの篇をなした。
優れて正しい詩文の本筋・正道はどうしてこのようにさびしくなったものか、それでもまだ薛三璩、畢四曜の二人が認められているために、古来の法則とすべき型が存在しているということなのだ。
君たちと交際はあるとはいえわたしは今落ちぶれている、しかし、君たちはその人物力量において人力以上の不思議な気をもっている。
だから両君は、同日に除任せられて声名がなりひびくけれども、わたしは仕官せぬ多くの学者としてひとつの経典を修学していて、そのために困窮しているのだ。
両君は文章においては奥ふかい道を真剣に取り組む姿勢を開いており、朝廷の恩沢にうるおうて他人よりもぬきんでて官を遷されたということだろう。
これまで詩文を交わしたり、唱和してきたなかまであるが今何に由ってのべたらいいのであろうか、どうにかしてもっと両君の最新作があるだろうからさらに聴きたいと思うのだ。
別れてからお互いに頭は白くなっていることだろうが、もし面会が叶うなら以前にかわらず賢人同志、青眼を以て濁り酒を飲むことになるであろう。』


(訳注)
秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻
759年秋秦州において、杜甫は、任官の目次を目にした。見たところ、薛拠は司議郎を授けられ、畢曜は監察御史に除せられていた。この二人は杜甫と旧交のあるものであったので遠方ながら彼らが転任したことを喜び、また兼ねて自己がさびしい生活をなしていることをのべて、ついに凡そ三十韻六十句のこの篇をなした。
勅目 勅命による任官の目次。
薛三璩 薛拠は作者の友、同諸公登慈恩寺塔 杜甫39 の注にみえる。
司義郎 東宮の官属で侍従規諌し、啓奏を駁正し、東宮の記注を記録することをつかさどる。
畢四曜 畢曜は作者の友、他に「偪側行、畢四曜に贈る」、「畢四曜に贈る」の詩がある。758年乾元元年47歳左拾遺から華州へ左遷される直前のころ『逼側行贈畢曜』『贈畢四曜』を書いている。
『贈畢四曜』は次の通り。
才大今詩伯,家貧苦宦卑。饑寒奴樸賤,顏狀老翁為。
同調嗟誰惜,論文笑自知。流傳江鮑體,相顧免無兒。
監察 監察御史のこと、百僚を分察し、州県を巡按することをつかさどる。
二子 薛拠・畢曜。
 古い交際。
遷官 官職をうつされたこと。
索居 朋友とはなれてさびしくくらしていること。


大雅何寥闊,斯人尚典刑。:大雅何ぞ寥闊【りょうかつ】なる、斯の人尚お典型。
優れて正しい詩文の本筋・正道はどうしてこのようにさびしくなったものか、それでもまだ薛三璩、畢四曜の二人が認められているために、古来の法則とすべき型が存在しているということなのだ。
大雅 すぐれてただしい。学識のあるもの。文人同士の敬称。優れて正しい詩文の本筋。
寥闊 さびしいさま。
斯人 薛三璩、畢四曜のふたり。
典刑 一定の刑罰。古い手本。手本とすべき形。『詩経、大雅、蕩』「雖無老成人、尚有典刑。」(老成人なしと雖も、尚お典刑あり。」とみえる。


交期余潦倒,才力爾精靈。:交期余【われ】潦倒【ろうとう】、材力爾【なんじ】精霊。
君たちと交際はあるとはいえわたしは今落ちぶれている、しかし、君たちはその人物力量において人力以上の不思議な気をもっている。
交期 交際契合のこと。
潦倒 おちぶれたさま。
材力 人物力量。
 薛三璩、畢四曜の二人。
精靈 万物の根源をなしている、とされる不思議な気のこと。


二子聲同日,諸生困一經。:二子同日に声あり、諸生一経に困す。
だから両君は、同日に除任せられて声名がなりひびくけれども、わたしは仕官せぬ多くの学者としてひとつの経典を修学していて、そのために困窮しているのだ。
 世間に名声のあること、このたびの任官をいう。
諸生 仕官せぬ多くの学者ども、暗に杜甫自身をさしていう。
困一経 ひとつの経典を修学していて、そのために困窮していること。


文章開窔奧,遷擢潤朝廷。:文章窔奥【ようおう】を開く、遷擢【せんたく】朝廷より潤【うるお】さる。
両君は文章においては奥ふかい道を真剣に取り組む姿勢を開いており、朝廷の恩沢にうるおうて他人よりもぬきんでて官を遷されたということだろう。
窔奧 室の西南隅を奥といい、室の東南隅を窔といい、五行では奧を修学の意、窔は就寝の意とあって、寝ても覚めても学問の勉強することを意味する。転じて文章の奥ふかい道を真剣に取り組む姿勢をいう。
遷擢 うつしぬきんでられる。○潤朝廷 朝廷の恩沢にうるおされることをいう。


舊好何由展,新詩更憶聽。:旧好何に由りてか展【の】べん、新詩更に聴かんことを憶う。
これまで詩文を交わしたり、唱和してきたなかまであるが今何に由ってのべたらいいのであろうか、どうにかしてもっと両君の最新作があるだろうからさらに聴きたいと思うのだ。
旧好 これまでのなかのよさ。


別來頭並白,相見眼終青。:別来頭併せて白し、相見ば眼終【つい】に青ならん。』
別れてからお互いに頭は白くなっていることだろうが、もし面会が叶うなら以前にかわらず賢人同志、青眼を以て濁り酒を飲むことになるであろう。』
併白 彼も白い我もともに。
眼終青 眼青は魏の阮籍の故事、籍は佳客を見れば青眼(くろめ)をなし、俗客を見れば白眼(にらみめ)をなしたという。青眼でにごり酒を呑み政治の談議をすることをいう。賢者はにごり酒、儒者聖人は清酒を飲んだ。
阮籍 詠懐詩、 白眼視    嵆康 幽憤詩を参照。

秦州抒情詩(29) 秋日阮隠者致薤三十束 杜甫 <314> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1409 杜甫詩 700- 434

秦州抒情詩(29) 秋日阮隠者致薤三十束 杜甫 <314> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1409 杜甫詩 700- 434

     
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《秦州抒情詩(29)『秋日阮隠者致薤三十束』 杜甫700の314首目、杜甫ブログ434回目》


秋の目に隠棲の士、阮昉という者が三十束の薤をもらい、その束が待っている友人からの書簡に見えたこと、医食同源からもラッキョウは体にいいこととして喜んだ詩である。阮坊は秦州の人である。
*〔原注〕 隠居。名昉。秦州人。 (隠居、名は昉、秦州の人)
乾元2年 759年 48歳


秋日阮隠者致薤三十束
(秋の日に隠居の士阮昉という者が三十束の薤ラッキョウをもらったことについてお礼の詩)
〔原注〕 隠居。名昉。秦州人。
隠者柴門内、畦蔬遶舎秋。
隠棲している阮昉さんは粗末な柴の入り口のうちにはいっているが、その家のまわりの畑にはの野菜が秋の色を呈している。
盈筐承露薤、不待致書求。
自分はいま取り立てで露がおちる薤を盛った籠をもらい手にささげている。これは自分が手紙を彼にやって求めたわけでなく彼自身が親切心でくれたのである。
束比青芻色、円斉玉莇頭。
「ラッキョウ」の束は、刈たての青草の色にもくらべてみて生生しいし、ラッキョウの根のまんまるさは白玉の箸の頭と同じよう、徳を積むことを示しているのである。
衰年関鬲冷、味暖併無憂。
仁徳を積むに良いものが、老衰の年にあたって関節や心臓・牌臓だの体が冷えてくるのだが、この薤があれば食いものとして味わう上もからだの保温のうえもともに心配が無くなってくる。


現代語訳と訳註
(本文)
秋日阮隠者致薤三十束
〔原注〕 隠居。名昉。秦州人。
隠者柴門内、畦蔬遶舎秋。
盈筐承露薤、不待致書求。
束比青芻色、円斉玉莇頭。
衰年関鬲冷、味暖併無憂。


(下し文)
(秋日阮隠居薤三十束を致す)
隠者  柴門【さいもん】の内、畦蔬【けいそ】 舎【しゃ】を遶【めぐ】りて秋なり。
盈筐【えいきょう】 露薤【ろかい】を承【う】く、書を致【いた】して  求むるを待【ま】たず。
束【そく】は比す  青芻【せいすう】の色、円は斉【ひと】し  玉莇【ぎょくちょ】の頭【とう】。
衰年【すいねん】 関鬲【かんかく】冷やかなり、味暖【みだん】   併【あわ】せて憂い無し。


(現代語訳)
(秋の日に隠居の士、阮昉という者が三十束の薤をもらい、その束が待っている友人からの書簡に見えたこと、医食同源からもラッキョウは体にいいこととして喜んだ詩である。)
隠棲している阮さんは粗末な柴の入り口のうちにはいっているが、その家のまわりの畑にはの野菜が秋の色を呈している。
自分はいま取り立てで露がおちる薤を盛った籠をもらい手にささげている。これは自分が手紙を彼にやって求めたわけでなく彼自身が親切心でくれたのである。
「ラッキョウ」の束は、刈たての青草の色にもくらべてみて生生しいし、ラッキョウの根のまんまるさは白玉の箸の頭と同じよう、徳を積むことを示しているのである。
仁徳を積むに良いものが、老衰の年にあたって関節や心臓・牌臓だの体が冷えてくるのだが、この薤があれば食いものとして味わう上もからだの保温のうえもともに心配が無くなってくる。


(訳注)
秋日阮隠者致薤三十束
秋の日に隠居の士、阮昉という者から三十束の薤をもらい、その束が待っている友人からの書簡に見えたこと、医食同源からもラッキョウは体にいいこととして喜んだ詩である。詩である。阮昉は秦州の人である。
隠者 隠棲の人、阮昉をさす。

〔原注〕 隠居。名昉。秦州人。

隠者柴門内、畦蔬遶舎秋。
隠棲している阮昉さんは粗末な柴の入り口のうちにはいっているが、その家のまわりの畑にはの野菜が秋の色を呈している。
畦蔬 はたけのやさい。
 阮昉の屋舎。


盈筐承露薤、不待致書求。
自分はいま取り立てで露がおちる薤を盛った籠をもらい手にささげている。これは自分が手紙を彼にやって求めたわけでなく彼自身が親切心でくれたのである。
盈筐 かごいっぱい。
ぅけてささげる。
露薤 採ってきたばかりで、切り口からつゆをおびたラッキョウ。にらとも考えられるが内容からして違う。
致書 杜甫が友人に援助を頼む書簡を送っていて、その返事というのではないという意味。。


束比青芻色、円斉玉莇頭
「ラッキョウ」の束は、刈たての青草の色にもくらべてみて生生しいし、ラッキョウの根のまんまるさは白玉の箸の頭と同じよう、徳のある音信がほしいということを示しているのである。
束此青芻色 芻ははした草、青芻は刈りたての草をいう。
円 ラッキョウの根のまるいこと。
玉莇 玉でつくったはし。これが友人からの書簡にみえるということ。この二句はラッキョウの丸さをもって、友人からの援助の書簡、ここでの生活を仁徳を積む生活というのを意識させている。この二句はつぎの詩経の詩に基づいて作られている。
『詩経 小雅 白駒』
皎皎白駒、在彼空谷。
生忽一束、其人如玉。
毋金玉爾音.而有遐心。
皎皎たる白駒、彼の空谷に在り。
生忽一束、其の人玉の如し。
爾の音を金玉にして.遐心【かしん】有ること毋【なか】れ。
・空谷 ふかいたに。おおきなたに。
・生忽 馬の食む新しく青い生ぐさ。
・一束 ひとたばね。
・其人如玉 賢人の徳は玉のようである。其人は賢人、玉は徳を積むこと。
・毋【ぶ】なかれ、禁止の辞
・音 音信。声音。
・遐心 遠ざかる心。


衰年関鬲冷、味暖併無憂。
仁徳を積むに良いものが、老衰の年にあたって関節や心臓・牌臓だの体が冷えてくるのだが、この薤があれば食いものとして味わう上もからだの保温のうえもともに心配が無くなってくる。
衰年 老衰の年。
関鬲 関は関節、鬲は膈の仮借字であろぅ、膈は胸騙、心臓と牌臓の間をいう。
味暖 あじわいとあたたかさと、ラッキョウは人の体温をます性質があるという。体が冷得るのは病気であり、ここは医食同源の内でもラッキョウは良いものとされていた。


<解説>
この時の杜甫は、知人からの援助の便りを待っていた、東柯谷、西枝村、の土地と家を買うためには応援がなくては買えなかったのである。三カ月たってもいい返事はなかったのである。ただ、詩経に見えるように仁徳のある人が贈ってくれる書簡が、ラッキョウの「玉莇」が書簡に見えて、書簡を喜ぶというイメージを持ったということではなかろうか。しかし、杜甫の友人たちは、ことごとく左遷されているが、落ち目の人たちで759年時には援助しようにもできながったのではなかろうか。結果、四五か月経過したら応援を得られたわけである。ただ、秦州ではなく、同谷を経て成都に入ってからの地の事であった。


(秋日阮隠居薤三十束を致す)
隠者  柴門【さいもん】の内、畦蔬【けいそ】 舎【しゃ】を遶【めぐ】りて秋なり。
盈筐【えいきょう】 露薤【ろかい】を承【う】く、書を致【いた】して  求むるを待【ま】たず。
束【そく】は比す  青芻【せいすう】の色、円は斉【ひと】し  玉莇【ぎょくちょ】の頭【とう】。
衰年【すいねん】 関鬲【かんかく】冷やかなり、味暖【みだん】   併【あわ】せて憂い無し。

秦州抒情詩(28) 從人覓小胡孫許寄 杜甫 <313> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1406 杜甫詩 700- 433

秦州抒情詩(28) 從人覓小胡孫許寄 杜甫 <313> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1406 杜甫詩 700- 433

     
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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

《秦州抒情詩(28)『從人覓小胡孫許寄』 杜甫700の313首目、杜甫ブログ433回目》


從人覓小胡孫許寄
(ウィグル異民族軍、孫策・許貢のような安史軍をさがしもとめる軍にしたがって行く人に寄せる。)
人說南州路,山猿樹樹懸。
自説を以てそれを発言して、鄭虔や賈至は南の各州へ左遷された、行く路には悲しい声でなく野猿が木々にぶら下がっていた。
舉家聞若駭,為寄小如拳。
わたしが官を辞して一家を挙げてこちらに来たことはかくのごとく驚くこととを聞き及んだことらしい、しかし、こうして寄ることはほんの小さく挙げるようなものだ。
預哂愁胡面,初調見馬鞭。
あざけるような笑いを少しガンマンをして心配顔のトルコ人のような顔になっているようなものであり、初めて調教する馬にたいして見るだけで鞭を入れるようなものだ。
許求聰慧者,童稚捧應癲。
許しを求めて智慧のある人の話に聞き耳を立てることであり、子供が我儘の限りをつくようなものでもある。


現代語訳と訳註
(本文)
從人覓小胡孫許寄
人說南州路,山猿樹樹懸。
舉家聞若駭,為寄小如拳。
預哂愁胡面,初調見馬鞭。
許求聰慧者,童稚捧應癲。


(下し文)
人に從ひ 小胡孫許に覓むるを 寄せる
人說きて南州の路,山猿 樹樹に懸る。
家を舉げたるは若【かくのごと】く駭【おどろ】くを聞き,寄すことを為して小さく拳るが如し。
哂【しん】を預けて愁胡の面とし,調を初して見馬の鞭とす。
許求して慧者【さいじゃ】を聰き,童 稚くして 應癲【おうてん】を捧ぐ。


(現代語訳)
(ウィグル異民族軍、孫策・許貢のような安史軍をさがしもとめる軍にしたがって行く人に寄せる。)
自説を以てそれを発言して、鄭虔や賈至は南の各州へ左遷された、行く路には悲しい声でなく野猿が木々にぶら下がっていた。
わたしが官を辞して一家を挙げてこちらに来たことはかくのごとく驚くこととを聞き及んだことらしい、しかし、こうして寄ることはほんの小さく挙げるようなものだ。
あざけるような笑いを少しガンマンをして心配顔のトルコ人のような顔になっているようなものであり、初めて調教する馬にたいして見るだけで鞭を入れるようなものだ。
許しを求めて智慧のある人の話に聞き耳を立てることであり、子供が我儘の限りをつくようなものでもある。


(訳注)
從人覓小胡孫許寄

(ウィグル異民族軍、孫策・許貢のような安史軍をさがしもとめる軍にしたがって行く人に寄せる。)
小胡 西域の異民族。ウィグル、トルコ・ペルシャ系異民族。
孫許 三国時代の孫策と許貢が安史の安慶緒と史忠明であるとしたもの。


人說南州路,山猿樹樹懸。
自説を以てそれを発言して、鄭虔や賈至は南の各州へ左遷された、行く路には悲しい声でなく野猿が木々にぶら下がっていた。
南州路 鄭虔や賈至が左遷された南方方面を指すものであろう。唐時代初期には福建省の一部に南州という州があったようだが「中国歴史地図」には見られなかった。
賈至に『嶽陽樓宴王員外貶長沙』というのがあり、別詩題に『作南州有贈』とある。
極浦三春草,高樓萬里心。楚山晴靄碧,湘水暮流深。
忽與朝中舊,同爲澤畔吟。停杯試北望,還欲淚沾襟。


舉家聞若駭,為寄小如拳
わたしが官を辞して一家を挙げてこちらに来たことはかくのごとく驚くこととを聞き及んだことらしい、しかし、こうして寄ることはほんの小さく挙げるようなものだ。
・聞若駭 かくのごとくおどろくことをききおよぶ。


預哂愁胡面,初調見馬鞭
あざけるような笑いを少しガンマンをして心配顔のトルコ人のような顔になっているようなものであり、初めて調教する馬にたいして見るだけで鞭を入れるようなものだ。
愁胡 心配顔のトルコ人。晋の孫楚の「鷹の賦」に「深目蛾眉、状は愁胡に似たり」とある。鷹の目つきを愁胡にたとえることは晋の孫楚の「鷹ノ賦」にある。
杜甫『畫鷹』「㩳身思狡兎、側目似愁胡。」


許求聰慧者,童稚捧應癲
許しを求めて智慧のある人の話に聞き耳を立てることであり、子供が我儘の限りをつくようなものでもある。
慧者 智慧のあるもの。・童稚 童幼。こども。
・應癲 癲癇になったらそのままにしてあげる。子供の我儘をいうことをあらわしている。




参考(1)758~759年にかけて杜甫の知人友人たちの動向
758年 春の終わりごろから、玄宗派と見られた廷臣への圧迫が強くなり、中書舎人の賈至は汝州(河南省臨汝県)刺史に左遷され、さらに岳州(湖南省岳陽市)の司馬に貶された。杜甫の友人の岑参も虢州(河南省盧氏県)に貶された。杜甫『留別賈嚴二閣老兩院補缺』 送賈閣老出汝州 杜甫
 房琯は宰相を罷免されたあとも高官として遇されていたが、政事の中枢からは遠ざけられ、六月に詔書が発せられて邠州(陝西省彬県)刺史に転出となった。邠州(ひんしゅう)は杜甫が「北征」のときに通った涇水中流の城市である。長安市の市長というべき京兆尹(けいちょういん)になっていた厳武(げんぶ)は、同じ六月に巴州(四川省巴中県)の刺史に左遷となった。
 杜甫も左拾遺を免ぜられ、華州(陝西省華県)の司功参軍(しこうさんぐん)に左遷された。華州は長安の東90kmほど、華山山麓の街です。中央の清官から地方の属官に移されたわけだ。
鄭虔は台州へ流刑。
賛上人は僧侶の位をはく奪、秦州へ流刑。
王維は朝廷には出ず、輞川荘にこもった。


参考(2)蕃剣
致此自僻遠,又非珠玉裝。
如何有奇怪,每夜吐光芒。
虎氣必騰上,龍身寧久藏。
風塵苦未息,持汝奉明王。
此を致すは僻遠【へきえん】よりす、又た珠玉【しゅぎょく】の装に非ず。
如何【いかん】ぞ奇怪【きかい】有りて、毎夜光芒【こうぼう】を吐く。
虎気【こき】必ず騰上【とうじょう】せん、竜身【りょうしん】寧ぞ久しく蔵せんや。
風塵未だ息【や】まざるに苦しむ、汝を持して明王に奉ぜん。


参考(3)送遠
帶甲滿天地,胡為君遠行?
親朋盡一哭,鞍馬去孤城。
草木歲月晚,關河霜雪清。
別離已昨日,因見古人情。
帯甲【たいこう】天地に満つ、胡【なん】為れぞ君遠く行く。
親朋【しんぽう】尽く一笑す、鞍馬【あんば】孤城より去る。
草木【そうもく】歳月晩れ 関河【かんか】霜雪清し。
別離【べつり】己に昨日、因って見る古人の情。


参考(4)所思
鄭老身仍竄、台州信始傳。
爲農山澗曲、臥病海雲邊。
世己疎儒素、人猶乞酒錢。
徒勞望牛斗、無計屬龍泉。
鄭老【ていろう】身仍【な】お竄【ざん】せらる、台州【だいしゅう】信始めて伝う。
農と為る山澗【さんかん】の曲【くま】、病に臥す海雲【かいうん】の辺。
世己に儒素【じゅそ】を疎んず、人猶お酒銭【しゅせん】を乞う。
徒に牛斗を望むに労す、竜泉【りゅうせん】を屬【しょ】くするに計無し。


参考(5)送人從軍
弱水應無地,陽關已近天。
今君度沙磧,累月斷人煙。
好武寧論命,封侯不計年。
馬寒防失道,雪沒錦鞍韉。
(人 從軍するを送る)
弱水【じゃくすい】應に地に無く,陽關 已に天に近し。
今 君 沙磧【しゃせき】を度る,累月【るいげつ】人煙【じんえん】斷ゆ。
好武 寧ろ命を論じん,封侯 年を計【かぞ】えず。
馬寒くして防ぎて道を失い,雪沒 錦【きん】の鞍韉【あんせん】なり。

秦州抒情詩(27) 送人從軍 杜甫 <312> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1403 杜甫詩 700- 432

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《『送人從軍』 杜甫700の313首目、杜甫ブログ432回目》


送人從軍
人が戦地に從軍していくのを送る時に思ったことを述べる。
弱水應無地,陽關已近天。
東北の地の果ての弱水は行くべき土地ではないし、西域の沙州陽関は既に天に近いところである。
今君度沙磧,累月斷人煙。
今君は沙州の河原や、砂漠を渡るのである、そこで月日を重ねていくことは人のかまどの火と遮断した生活が続くのである。
好武寧論命,封侯不計年。
立派な武功というものはむしろ天子の命について論じたことからいうべきではなかろうか、そうすれば侯公として領地を封じられることは年をかぞえなくてできるだろう。
馬寒防失道,雪沒錦鞍韉。
此れから行く先では馬が寒さの中、国を守る戦いをし、行く道を迷ってしまうことであろう、そしてそれは、雪に埋もれてしまうことは美しくかがや「くしたぐら」のように縁の下の力持ちということであろうとおもう。


現代語訳と訳註
(本文)
送人從軍
弱水應無地,陽關已近天。
今君度沙磧,累月斷人煙。
好武寧論命,封侯不計年。
馬寒防失道,雪沒錦鞍韉。


(下し文) (人 從軍するを送る)
弱水【じゃくすい】應に地に無く,陽關 已に天に近し。
今 君 沙磧【しゃせき】を度る,累月【るいげつ】人煙【じんえん】斷ゆ。
好武 寧ろ命を論じん,封侯 年を計【かぞ】えず。
馬寒くして防ぎて道を失い,雪沒 錦【きん】の鞍韉【あんせん】なり。


(現代語訳)
人が戦地に從軍していくのを送る時に思ったことを述べる。
東北の地の果ての弱水は行くべき土地ではないし、西域の沙州陽関は既に天に近いところである。
今君は沙州の河原や、砂漠を渡るのである、そこで月日を重ねていくことは人のかまどの火と遮断した生活が続くのである。
立派な武功というものはむしろ天子の命について論じたことからいうべきではなかろうか、そうすれば侯公として領地を封じられることは年をかぞえなくてできるだろう。
此れから行く先では馬が寒さの中、国を守る戦いをし、行く道を迷ってしまうことであろう、そしてそれは、雪に埋もれてしまうことは美しくかがや「くしたぐら」のように縁の下の力持ちということであろうとおもう。


(訳注)
送人從軍
(人 從軍するを送る)
人が戦地に從軍していくのを送る時に思ったことを述べる。
〇軍について行く人を見てこの詩を作る。この頃の詩「蕃剣」「送遠」「所思」「從人覓小胡孫許寄」の全体から意味を見ていく必要がある。
この詩は、特定の人について述べるのではなく、安禄山の叛乱以来の天子の勅命に問題があること、杜甫が朝廷の中で左拾遺という天子を諌める立場の発言に対し一切聞き入れられるどころか賢臣をことごとく貶めた天子および側近に問題があることを述べている。


弱水應無地,陽關已近天。
東北の地の果ての弱水は行くべき土地ではないし、西域の沙州陽関は既に天に近いところである。
弱水 松花江のこと。ユーラシア大陸・中国東北部を流れる川の一つ。(現:黒竜江)
陽關 沙州、甘粛省敦煌市の南西約70kmにある、かつて建設されたシルクロードの重要な堅固な関所の1つ。併せて設置された玉門関より南に位置し、その為「陽関」と称された。玉門関と併せて「二関」と呼ばれる。漢代に武帝が河西回廊を防衛する目的で建設した、西域交通南ルートのでの要所であった。陽関は、中国で古代より孤独な生活を思い詠嘆する地で、王維『送元ニ使安西』 「謂城朝雨浥輕塵、客舍青青柳色新。勸君更盡一杯酒 、西出陽關無故人。」 「安西都護府」に使いする。「西出陽關無故人(西のかた 陽関を出づれば故人無からん)」の句は三度繰り返し吟じられることが多く、「陽関三畳」と呼ばれる。「陽關(関)」の遺構は、燉煌郊外に現存する。


今君度沙磧,累月斷人煙。
今君は沙州の河原や、砂漠を渡るのである、そこで月日を重ねていくことは人のかまどの火と遮断した生活が続くのである。
・沙磧【しゃせき・砂磧】 砂の河原。砂原。・累月 多くの月日をかさねる。幾月にもわたる。


好武寧論命,封侯不計年
立派な武功というものはむしろ天子の命について論じたことからいうべきではなかろうか、そうすれば侯公として領地を封じられることは年をかぞえなくてできるだろう。
○側近のものが天子を諌めることが出来ないことをいう。その結果が次の二句である。


馬寒防失道,雪沒錦鞍韉。
此れから行く先では馬が寒さの中、国を守る戦いをし、行く道を迷ってしまうことであろう、そしてそれは、雪に埋もれてしまうことは美しくかがや「くしたぐら」のように縁の下の力持ちということであろうとおもう。
錦鞍韉 美しくかがやくしたぐら。縁の下の力持ちというほどの意。・鞍韉 したぐら【下鞍・韉】. 馬具の一。和式の鞍で,鞍橋(くらぼね)の下に敷いて,馬の背を保護するもの。






蕃剣
致此自僻遠,又非珠玉裝。
如何有奇怪,每夜吐光芒。
虎氣必騰上,龍身寧久藏。
風塵苦未息,持汝奉明王。
此を致すは僻遠【へきえん】よりす、又た珠玉【しゅぎょく】の装に非ず。
如何【いかん】ぞ奇怪【きかい】有りて、毎夜光芒【こうぼう】を吐く。
虎気【こき】必ず騰上【とうじょう】せん、竜身【りょうしん】寧ぞ久しく蔵せんや。
風塵未だ息【や】まざるに苦しむ、汝を持して明王に奉ぜん。


送遠
帶甲滿天地,胡為君遠行?
親朋盡一哭,鞍馬去孤城。
草木歲月晚,關河霜雪清。
別離已昨日,因見古人情。
帯甲【たいこう】天地に満つ、胡【なん】為れぞ君遠く行く。
親朋【しんぽう】尽く一笑す、鞍馬【あんば】孤城より去る。
草木【そうもく】歳月晩れ 関河【かんか】霜雪清し。
別離【べつり】己に昨日、因って見る古人の情。


所思
鄭老身仍竄、台州信始傳。
爲農山澗曲、臥病海雲邊。
世己疎儒素、人猶乞酒錢。
徒勞望牛斗、無計屬龍泉。
鄭老【ていろう】身仍【な】お竄【ざん】せらる、台州【だいしゅう】信始めて伝う。
農と為る山澗【さんかん】の曲【くま】、病に臥す海雲【かいうん】の辺。
世己に儒素【じゅそ】を疎んず、人猶お酒銭【しゅせん】を乞う。
徒に牛斗を望むに労す、竜泉【りゅうせん】を屬【しょ】くするに計無し。


從人覓小胡孫許寄
人說南州路,山猿樹樹懸。
舉家聞若駭,為寄小如拳。
預哂愁胡面,初調見馬鞭。
許求聰慧者,童稚捧應癲。
人に從ひて 小胡の孫許 寄せるを覓むる
人說きて南州の路,山猿 樹樹に懸る。
家を舉げて若駭を聞く,寄すことを為して小さく拳るが如し。
哂を預け胡の面を愁う,調を初して馬に鞭を見る。
許求して慧者を聰き,童 稚くして 應癲を捧ぐ。

秦州抒情詩(26) 所思 杜甫 <311> 漢文委員会 紀頌之の漢詩ブログ1400 杜甫詩 700- 431

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 2012/1/11唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

所思〔原注〕 得台州司戸度滑息。(台州司戸塵の消息を得たり。)
鄭老身仍竄、台州信始傳。
鄭虔先生は、その身は今なお左遷されたままであり、その台州からの便りがこのたび始めて自分のところへ伝えられてきた。
爲農山澗曲、臥病海雲邊。
それによると、先生は山間の分水嶺(峠)で農耕作をされているが、雲海のうかぶあたりに病に臥しているとのことである。
世己疎儒素、人猶乞酒錢。
世間の人々は先生のような質素でじみな行いの儒者を敬遠するものであるが、いまだに先生に酒銭をあたえてくれる人はあるのである。
徒勞望牛斗、無計屬龍泉。
わたしは、いたずらに北から南の空の牽牛星あたりをながめているばかりで、故事にある、雷煥が「龍泉」剣を地下からほりだしたように先生を救ってあげる手立てはもっていないので、なげかわしいことだとおもっている。

銀河002

現代語訳と訳註
(本文)
所思
鄭老身仍竄、台州信始傳。
爲農山澗曲、臥病海雲邊。
世己疎儒素、人猶乞酒錢。
徒勞望牛斗、無計屬龍泉。

(下し文)
思う所あり
〔原注〕(台州司戸塵の消息を得たり。)
鄭老身仍お竄ざんせらる 台州 信始めて伝う
農と為る山澗かんの曲くま 病に臥す海雲の辺
世己に儒素を疎んず 人猶お酒銭を乞う
徒に牛斗を望むに労す 竜泉を屬しょくするに計無し


(現代語訳)
鄭虔先生は、その身は今なお左遷されたままであり、その台州からの便りがこのたび始めて自分のところへ伝えられてきた。
それによると、先生は山間の分水嶺(峠)で農耕作をされているが、雲海のうかぶあたりに病に臥しているとのことである。
世間の人々は先生のような質素でじみな行いの儒者を敬遠するものであるが、いまだに先生に酒銭をあたえてくれる人はあるのである。
わたしは、いたずらに北から南の空の牽牛星あたりをながめているばかりで、故事にある、雷煥が「龍泉」剣を地下からほりだしたように先生を救ってあげる手立てはもっていないので、なげかわしいことだとおもっている。


(訳注)
所思

〔原注〕 得台州司戸度滑息。(台州司戸塵の消息を得たり。)
作者の親友鄭慶は至徳二載十二月に台州へ貶せられることになり、乾元元年に台州に至った、この詩は始めて鄭虔より台州からの手紙を得て思う所をのべた。
○台州司戸虔 757年 至徳二載十二月、巳に長安に在っての作。46歳
送鄭十八虔貶台州司戶、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩
鄭公樗散鬢成絲,酒後常稱老畫師。
萬裡傷心嚴譴日,百年垂死中興時。
蒼惶已就長途往,邂逅無端出餞遲。
便與先生成永訣,九重泉路盡交期!
755年安禄山の軍が長安へ攻め入った時、鄭虔は叛乱軍より強制的に水部郎中の官を授けられた。757年叛乱軍から長安洛陽を奪還し、叛乱軍に結果として協力した官吏を至徳二載十二月に六等に分けてその罪をきめた。鄭虔は死刑となるはずであったのを雀円というものの救いにより貶官にされたのだ
消息 たより。

鄭老身仍竄、台州信始傳。
鄭虔先生は、その身は今なお左遷されたままであり、その台州からの便りがこのたび始めて自分のところへ伝えられてきた。
鄭老 鄭虔をさす。
 ながしものにされる。流罪。左遷。
台州 漸江省台州府、度の居処。
 たより、信書。

爲農山澗曲、臥病海雲邊。
それによると、先生は山間の分水嶺(峠)で農耕作をされているが、雲海のうかぶあたりに病に臥しているとのことである。
○この為農二句は鄭虔老の近況、信書によって知ったところ。

世己疎儒素、人猶乞酒錢。
世間の人々は先生のような質素でじみな行いの儒者を敬遠するものであるが、いまだに先生に酒銭をあたえてくれる人はあるのである。
疎儒素 疎はうとんずる、疎外、敬遠する。素は質素、じみなこと、儒素は儒者のじみな行い。
 作者が嘗て鄭虔に贈った詩に『戲簡鄭廣文虔,兼呈蘇司業源明』(戯れに鄭広文に簡す)
廣文到官舍,繫馬堂階下。
醉則騎馬歸,頗遭官長罵。
才名三十年,坐客寒無氈。
賴有蘇司業,時時乞酒錢。
「頼に蘇司業あり、時時酒銭を乞う」といっている、人は蘇源明をさす。
○乞 あたえること、俗用である、こうの意ではない。


徒勞望牛斗、無計屬龍泉
わたしは、いたずらに北から南の空の牽牛星あたりをながめているばかりで、故事にある、雷煥が「龍泉」剣を地下からほりだしたように先生を救ってあげる手立てはもっていないので、なげかわしいことだとおもっている。
徒労 杜甫がむだに骨折ることをいう。○望牛斗 牛・斗は星座の名、台州の地は牛斗の分野にあたる。「牛」:牽牛星。「斗」衡は北斗七星の第五星。『爾雅』に星紀は斗宿と牽牛星とある。・玉衡 北斗七星の第五星、斗柄に当たる。「玉衡孟冬を指す」とは斗柄の指す方位が、初冬の月に当たっているの意。・衡 「北斗七星の中央の星」玉衡星と牽牛星。
無計 手だてなし。
 析(きる)に同じ、ただしここは土壌をきりけずることで、剣を掘り取ることをいう。
竜泉 むかし欧冶子がつくった三本の鉄剣の一つの名、もと竜淵という、唐は淵の字を諱名とするため泉の字にかえた、竜泉は単に剣の代わりとして用いる。牛斗・竜泉の二句は雷煥(孔章)が牛斗を射る剣気を見て豊城の獄で剣をはほりだした故事を用いている。
蕃剣』詩
致此自僻遠,又非珠玉裝。如何有奇怪,每夜吐光芒。
虎氣必騰上,龍身寧久藏。風塵苦未息,持汝奉明王。
此を致すは僻遠【へきえん】よりす、又た珠玉【しゅぎょく】の装に非ず。
如何【いかん】ぞ奇怪【きかい】有りて、毎夜光芒【こうぼう】を吐く。
虎気【こき】必ず騰上【とうじょう】せん、竜身【りょうしん】寧ぞ久しく蔵せんや。
風塵未だ息【や】まざるに苦しむ、汝を持して明王に奉ぜん。
○奇怪 あやしいこと。○光芒 剣の切っ先からキラッとした光。芒は剣の切っ先。
○虎気 剣気をいう、「呉越春秋」に呉王闔閭が死んだ時、愛用の剣を棺に入れて葬った時、三日目に白虎がそのうえにうずくまっていたのにより、その地を虎邱というとの話。剣を愛した父・闔閭のために息子の夫差(フサ)は3000本の剣を埋めたと言われる「剣池」は、秦の始皇帝や孫権がその剣を探し求めて掘られたと伝えられている。○竜身 「予章記」に張公両竜剣 竜泉、太阿という二つの宝剣が、豫章と豐城とで出土し、晋の張華と雷煥の二人が、おのおのその一刀を待った。雷煥の子が瀬を渡ろうとした時、腰の剣が踊りだし、水に入り竜に化したという。
秦州抒情詩(23) 蕃剣 杜甫 <308> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1391 杜甫詩 700- 428



所思
鄭老身仍竄、台州信始傳。
爲農山澗曲、臥病海雲邊。
世己疎儒素、人猶乞酒錢。
徒勞望牛斗、無計屬龍泉


思う所あり
〔原注〕(台州司戸塵の消息を得たり。)
鄭老身仍お竄ざんせらる 台州 信始めて伝う
農と為る山澗かんの曲くま 病に臥す海雲の辺
世己に儒素を疎んず 人猶お酒銭を乞う
徒に牛斗を望むに労す 竜泉を屬しょくするに計無し

秦州抒情詩(25) 送遠 杜甫 <310> 漢文委員会 紀頌之の漢詩ブログ1397 杜甫詩 700- 430

秦州抒情詩(25) 送遠 杜甫 <310>漢文委員会 紀頌之の漢詩ブログ1397 杜甫詩 700- 430

     
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遠方にゆくべき人を送る詩である。ただしこの詩は古人の詩にもとずきつくられている。
この詩を「他人を送るのではなく、作者が自己を他人祝して我と自己を送るために作ったものである。また詩意より推すならば秦州出発の翌日、昨日の別れを回顧してつくったものである。」と解釈されるものもあるが、基づいている詩などからみて違うと思う。
759年、乾元二年秋の作。


送遠
帶甲滿天地,胡為君遠行?
度重なる叛乱で世が乱れて武装したものが天地に充満している、こんなとき君はどうして遠方へゆくのであるか。
親朋盡一哭,鞍馬去孤城。
親戚や朋友が別れを惜しんでみな一度慟哭する、その中に遠くへ旅行く人の鞍馬はひとつの離れ城から立ち去ってしまった。
草木歲月晚,關河霜雪清。
季節は今や草も木も枯れ、歳の暮れに向かうときになった、関所の前の河には霜や雪が置かれ清遺風が吹いた。
別離已昨日,因見古人情。

そうして別れたのは昨日のこととなったのである。それにつけて昔の人が「別離は昨日のごとし」と惜しんでくれた人々の厚い情け心が偲ばれるのである。




現代語訳と訳註
(本文)
送遠
帶甲滿天地,胡為君遠行?
親朋盡一哭,鞍馬去孤城。
草木歲月晚,關河霜雪清。
別離已昨日,因見古人情。


(下し文)
(送 遠)
帯甲【たいこう】天地に満つ、胡【なん】為れぞ君遠く行く。
親朋【しんぽう】尽く一笑す、鞍馬【あんば】孤城より去る。
草木【そうもく】歳月晩れ 関河【かんか】霜雪清し。
別離【べつり】己に昨日、因って見る古人の情。


(現代語訳)
度重なる叛乱で世が乱れて武装したものが天地に充満している、こんなとき君はどうして遠方へゆくのであるか。
親戚や朋友が別れを惜しんでみな一度慟哭する、その中に遠くへ旅行く人の鞍馬はひとつの離れ城から立ち去ってしまった。
季節は今や草も木も枯れ、歳の暮れに向かうときになった、関所の前の河には霜や雪が置かれ清遺風が吹いた。
そうして別れたのは昨日のこととなったのである。それにつけて昔の人が「別離は昨日のごとし」と惜しんでくれた人々の厚い情け心が偲ばれるのである。


(訳注) 送 遠
帶甲滿天地,胡為君遠行?:帯甲 天地に満つ 胡為れぞ 君遠く行く
度重なる叛乱で世が乱れて武装したものが天地に充満している、こんなとき君はどうして遠方へゆくのであるか。
 遠 遠くにゆくものを送る。
帯甲 よろいを身につけたもの、武装者。
胡為 なんすれぞ 何為に同じ、どうして。
 行く者をさす。
・この二句については古詩十九首の雰囲気に基づいている。
行行重行行、與君生別離。
相去萬餘里、各在天一涯。
道路阻且長、會面安可知。
胡馬依北風、越鳥巣南枝。
相去日已遠、衣帯日已緩。
浮雲蔽白日、遊子不顧返。
思君令人老、歳月忽已晩。
棄捐勿復道、努力加餐飯。
古詩十九首 (1) 漢詩<88>Ⅱ李白に影響を与えた詩520 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1377


親朋盡一哭,鞍馬去孤城。:親朋 尽ことごとく一哭す 鞍馬孤城より去る
親戚や朋友が別れを惜しんでみな一度慟哭する、その中に遠くへ旅行く人の鞍馬はひとつの離れ城から立ち去ってしまった。
親朋 親戚朋友。
鞍馬 行く者のくら、うま。
孤城 秦州の城をさす。


草木歲月晚,關河霜雪清。:草木 歳月晩れ 関河 霜雪精
季節は今や草も木も枯れ、歳の暮れに向かうときになった、関所の前の河には霜や雪が置かれ清遺風が吹いた。
歳月晩 秋も終わりしだいに年末に近くなることをいう、秋以後はみな歳晩という、必ずしも十二月ではない。


別離已昨日,因見古人情。:別離 己すでに昨日 因よって見る古人の情
そうして別れたのは昨日のこととなったのである。それにつけて昔の人が「別離は昨日のごとし」と惜しんでくれた人々の厚い情け心が偲ばれるのである。
古人情 むかしの人のような厚い人情。梁の江文通(淹)の『古別離』「遠與君別者,乃至雁門關; 黃雲蔽千里,遊子何時還; 送君如昨日,簷前露已團; 不惜蕙草晚,所悲道里寒; 君子在天涯,妾心久別離; 願一見顏色,不異瓊樹枝; 兔絲及水萍,所寄終不移。」
「黃雲蔽千里,遊子何時還; 送君如昨日,簷前露已團; 不惜蕙草晚,所悲道里寒」(黃雲千里を蔽い,遊子何の時にか還らん;君を送りしは昨日の如きも,簷前露已に團なり;蕙草の晚きを惜まず,悲しむ所は道里の寒ぃを。)をふまえている。

秦州抒情詩(24) 銅瓶 杜甫 <309> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1394 杜甫詩 700- 429

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《秦州抒情詩(24)『銅瓶』 杜甫700の309首目、杜甫ブログ429回目》
故宮の井戸に用いられた銅のつるべをみてよんだ。
宮中の人間たちは国のため、朝廷のために、また、外敵と一生懸命戦っていないことを述べている。


銅瓶
亂後碧井廢,時清瑤殿深。
安史の乱が起こってからこのかた、みどりの水をたたえた宮中の井戸が見向きもされず廃棄されている。乱の少し前まで、太平でその井は後宮の御殿の奥深いところに神妙にしてあった。
銅瓶未失水,百丈有哀音。
銅のつるべは水をくむ働きを未だ失ってはいないし、つるべ縄を巻き上げると気哀れな音を立てている。
側想美人意,應悲寒甃沈。
自分が想像するに少し前までこの時期になると、ここで美しい宮女がつるべを使ってこの井戸端できぬたをうっていた。しかし悲しいことに美人たちが寒くなった秋のこの砧をうつ石畳には静まり返って誰もいないのだ。
蛟龍半缺落,猶得折黃金。
つるべの表面に黄金でこしらえた蛟竜の彫刻があるがそれは今は半分ほど落ち欠けている、しかしその飾りはのこった折れた破片だけでもなおじゅうぶんなものが得られるほどのものなのだ。



現代語訳と訳註
(本文)
銅瓶
亂後碧井廢,時清瑤殿深。
銅瓶未失水,百丈有哀音。
側想美人意,應悲寒甃沈。
蛟龍半缺落,猶得折黃金。


(下し文)
(銅 瓶【どうへい】)
乱後碧井【へきすい】廃す、時清かりしとき瑤殿【ようでん】深かりき。
銅瓶未だ水を失わず、百丈【ひゃくじょう】哀音ありき。
側【ほの】かに想う美人の意、応に寒甃【かんしゅう】の沈まるを悲しむべし。
蛟竜【こうりゅう】半ば欠落【けつらく】す、猶お得折【うせつ】黄金【おうごん】。


(現代語訳)
安史の乱が起こってからこのかた、みどりの水をたたえた宮中の井戸が見向きもされず廃棄されている。乱の少し前まで、太平でその井は後宮の御殿の奥深いところに神妙にしてあった。
銅のつるべは水をくむ働きを未だ失ってはいないし、つるべ縄を巻き上げると気哀れな音を立てている。
自分が想像するに少し前までこの時期になると、ここで美しい宮女がつるべを使ってこの井戸端できぬたをうっていた。しかし悲しいことに美人たちが寒くなった秋のこの砧をうつ石畳には静まり返って誰もいないのだ。
つるべの表面に黄金でこしらえた蛟竜の彫刻があるがそれは今は半分ほど落ち欠けている、しかしその飾りはのこった折れた破片だけでもなおじゅうぶんなものが得られるほどのものなのだ。


(訳注)
銅瓶

故宮の井戸に使われている銅の釣瓶について述べる。水を扱う道具として本来重要なものとされ、神秘的なものとされていたものである。
銅瓶 あかがねで作ったつるべ。


亂後碧井廢,時清瑤殿深。
安史の乱が起こってからこのかた、みどりの水をたたえた宮中の井戸が見向きもされず廃棄されている。乱の少し前まで、太平でその井は後宮の御殿の奥深いところに神妙にしてあった。
碧井 みどりの水をたたえた井戸。
 つぶれたこと。
時清 世の治まったとき。
瑤殿 後宮の美しい御殿。
 人がめったに近寄れない奥まった感じの所。


銅瓶未失水,百丈有哀音。
銅のつるべは水をくむ働きを未だ失ってはいないし、つるべ縄を巻き上げると気哀れな音を立てている。
失水 水と別れること。水をくむ働きを未だ失ってはいない。水を汲めないわけではない。
百丈 つるべの長いなわ。
哀音 ろくろ仕掛けのなわで水をつりあげるおと。


側想美人意,應悲寒甃沈。
自分が想像するに少し前までこの時期になると、ここで美しい宮女がつるべを使ってこの井戸端できぬたをうっていた。しかし悲しいことに美人たちが寒くなった秋のこの砧をうつ石畳には静まり返って誰もいないのだ。
側想 側のものがここを使っていたころのことを想像してみる。
美人 通常、芸妓や宮妓をいうが、ここでは美しい侍女をいう。
寒甃沈 砧をうつ井戸端の台がこわれたことをいうのではなく、甃は砧をうつ井戸端の石畳の瓦をいう。井戸で水が汲めなくなったということを云うのではなく、本来この秋の寒い時期、美人たちがここで黄色い声を上げて砧をうっていたことがなく静まり返っている様子を述べている。


蛟龍半缺落,猶得折黃金。
つるべの表面に黄金でこしらえた蛟竜の彫刻があるがそれは今は半分ほど落ち欠けている、しかしその飾りはのこった折れた破片だけでもなおじゅうぶんなものが得られるほどのものなのだ。
蛟竜 つるぺの彫刻物。
折黄金折はおれる、黄金は較竃の材料として用いたもの。師民胎の注に折を準折(わりびきして売る)の意とし、楊供の注に「折」は「当」(質におくこと)の意とするが今は従わぬ。


銅瓶
亂後碧井廢,時清瑤殿深。
銅瓶未失水,百丈有哀音。
側想美人意,應悲寒甃沈。
蛟龍半缺落,猶得折黃金。
(銅 瓶【どうへい】)
乱後碧井【へきすい】廃す、時清かりしとき瑤殿【ようでん】深かりき。
銅瓶未だ水を失わず、百丈【ひゃくじょう】哀音ありき。
側【ほの】かに想う美人の意、応に寒甃【かんしゅう】の沈まるを悲しむべし。
蛟竜【こうりゅう】半ば欠落【けつらく】す、猶お得折【うせつ】黄金【おうごん】。

秦州抒情詩(23) 蕃剣 杜甫 <308> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1391 杜甫詩 700- 428

秦州抒情詩(23) 蕃剣 杜甫 <308> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1391 杜甫詩 700- 428

     
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《秦州抒情詩(23)『蕃剣』 杜甫700の308首目、杜甫ブログ428回目》
吐蕃よりつたわった剣をみてよんだ。


蕃劍
致此自僻遠,又非珠玉裝。
この剱を手に入れたのは、遠い異国からである、また真珠や玉のかざりなどが施してあるものではない。
如何有奇怪,每夜吐光芒。
けれどもどうしてなのかふしぎなことがあるのだ、毎晩剣の切っ先からキラッとした光を吐きだすのである。
虎氣必騰上,龍身寧久藏。
必ずや剣気である虎気はうえの方へとたちのぼりあらわれるものだ。剣身で竜に化身する竜身はどうしていつまでもかくされたままでいることができるというのか。
風塵苦未息,持汝奉明王。
わたしは安禄山の叛乱以来の兵乱の風塵のいまだ収まらないことに苦々しく思っている。この剣である汝を明王にささげ、乱れきった風塵をしずめていただきたいとおもうのである。


現代語訳と訳註
(本文)
蕃劍
致此自僻遠,又非珠玉裝。
如何有奇怪,每夜吐光芒。
虎氣必騰上,龍身寧久藏。
風塵苦未息,持汝奉明王。


(下し文)
(蕃 剣)
此を致すは僻遠【へきえん】よりす、又た珠玉【しゅぎょく】の装に非ず。
如何【いかん】ぞ奇怪【きかい】有りて、毎夜光芒【こうぼう】を吐く。
虎気【こき】必ず騰上【とうじょう】せん、竜身【りょうしん】寧ぞ久しく蔵せんや。
風塵未だ息【や】まざるに苦しむ、汝を持して明王に奉ぜん。


(現代語訳)
この剱を手に入れたのは、遠い異国からである、また真珠や玉のかざりなどが施してあるものではない。
けれどもどうしてなのかふしぎなことがあるのだ、毎晩剣の切っ先からキラッとした光を吐きだすのである。
必ずや剣気である虎気はうえの方へとたちのぼりあらわれるものだ。剣身で竜に化身する竜身はどうしていつまでもかくされたままでいることができるというのか。
わたしは安禄山の叛乱以来の兵乱の風塵のいまだ収まらないことに苦々しく思っている。この剣である汝を明王にささげ、乱れきった風塵をしずめていただきたいとおもうのである。


(訳注)
蕃劍

吐蕃の劔
匈奴、大月、吐蕃等各異民族の武器,剣幅六寸,總長三尺一寸で柄の部分には籠状になっている。彫刻された飾りがある。神秘的なものであったのだろう。


致此自僻遠,又非珠玉裝。
この剱を手に入れたのは、遠い異国からである、また真珠や玉のかざりなどが施してあるものではない。
致此 此は剣をさす、致すとはこちらへもってきたしたことをいう。とりよせる。
僻遠 遠いいなか。中華思想的な用語。


如何有奇怪,每夜吐光芒。
けれどもどうしてなのかふしぎなことがあるのだ、毎晩剣の切っ先からキラッとした光を吐きだすのである。
奇怪 あやしいこと。
光芒 剣の切っ先からキラッとした光。芒は剣の切っ先。


虎氣必騰上,龍身寧久藏。
必ずや剣気である虎気はうえの方へとたちのぼりあらわれるものだ。剣身で竜に化身する竜身はどうしていつまでもかくされたままでいることができるというのか
虎気 剣気をいう、「呉越春秋」に呉王闔閭が死んだ時、愛用の剣を棺に入れて葬った時、三日目に白虎がそのうえにうずくまっていたのにより、その地を虎邱というとの話。剣を愛した父・闔閭のために息子の夫差(フサ)は3000本の剣を埋めたと言われる「剣池」は、秦の始皇帝や孫権がその剣を探し求めて掘られたと伝えられている。
竜身 「予章記」に張公両竜剣 竜泉、太阿という二つの宝剣が、豫章と豐城とで出土し、晋の張華と雷煥の二人が、おのおのその一刀を待った。雷煥の子が瀬を渡ろうとした時、腰の剣が踊りだし、水に入り竜に化したという。


風塵苦未息,持汝奉明王。
わたしは安禄山の叛乱以来の兵乱の風塵のいまだ収まらないことに苦々しく思っている。この剣である汝を明王にささげ、乱れきった風塵をしずめていただきたいとおもうのである。
 作者がこまることをいう。
 剣をさす。
 献ずる。
明王 明徳ある君王。杜甫はこの時の粛宗は明君ではないと思っていたので、玄宗なのか、他の玄宗の子に対していっているのであろうか。

秦州抒情詩(22) 病馬 杜甫 <307> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1388 杜甫詩 700- 427

秦州抒情詩(22)  病馬 杜甫 <307> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1388 杜甫詩 700- 427


     
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《秦州抒情詩(22)  『病馬』 杜甫700の307首目、杜甫ブログ427回目》
(病 馬)共に苦しい中過ごした老馬をよんだ。759年秋。秦州東柯谷。



病馬
乘爾亦已久,天寒關塞深。
もう、いつとはなし晩秋の寒空になって、秦州の関所と塞の奥まったこの地域にいて、わたしがおまえに乗ることも久しいものだ。
塵中老盡力,歲晚病傷心。
あの風塵中におまえは年をとったが精一杯働いてくれた、寄る年波で心臓に病気をもっていることがわかる。
毛骨豈殊眾?馴良猶至今。
毛なみや骨格が特別他の多くの凡馬と違っているわけではないが、おまえの賢くて従順なことは昔から今日まで変わらずつづいている。
物微意不淺,感動一沉吟!

心臓に問題があることなど些細な事であって、わたしのこの馬に対する心持は浅くはない。この老馬のために感動してもっぱらため息つくのである。


現代語訳と訳註
(本文)
病馬
乘爾亦已久,天寒關塞深。
塵中老盡力,歲晚病傷心。
毛骨豈殊眾?馴良猶至今。
物微意不淺,感動一沉吟!


(下し文) (病 馬【びょうば】)
爾に乗るも亦た己に久し、天寒くして関塞【かんさい】深し。
塵中【じんちゅう】に老いて力を尽くす、歳晩【さいばん】病みて心を傷【そこな】う。
毛骨【もうこつ】豈に衆に殊【こと】ならんや、馴良【じゅんりょう】猶お今に至れり。
物 微【び】なるも 意 浅からず、感動して一に沈吟【ちんぎん】す。


(現代語訳)
もう、いつとはなし晩秋の寒空になって、秦州の関所と塞の奥まったこの地域にいて、わたしがおまえに乗ることも久しいものだ。
あの風塵中におまえは年をとったが精一杯働いてくれた、寄る年波で心臓に病気をもっていることがわかる。
毛なみや骨格が特別他の多くの凡馬と違っているわけではないが、おまえの賢くて従順なことは昔から今日まで変わらずつづいている。
心臓に問題があることなど些細な事であって、わたしのこの馬に対する心持は浅くはない。この老馬のために感動してもっぱらため息つくのである。


(訳注)
病馬

杜甫が昔から乗っていた馬は、755年、家族を鄜州羌村へ疎開させ、その後、霊武の行在所に向かう途中、太原から来た史忠明の叛乱軍に馬を奪われた。そして、友人に助けられたりしたが、結局叛乱軍に甫博され、長安に軟禁された。以下の詩にその当たりの事が述べられている。

王砅「送重表姪王秋評事便南海」 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 131

彭衙行 杜甫 132 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132 -#1


長安の叛乱軍の手から脱出し、彭っ省の行在所に駆け込み、左拾位という地位を受けたが、その後妻を迎えに行くこと許されたが、徒歩で向かったことを述べている。

徒步歸行 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 200


したがって、杜甫は借りた馬で、家族を伴って長安に帰って來たのである。そして、朝廷で疎外されながら、努めるが、この時払下げか何かの馬を手に入れたものと思う。それ以降の華州での生活、華州を起点に、生まれた実家を訪ね、知人、友人を訪ね歩いている。そして詩集に向かったのであるが、秦州に来て初めて作ったと思われる『遣興三首』まで、馬のことについて触れていない。当時、杜甫クラスの男は、馬で移動するのが辺りまで、最低驢馬に乗って移動したものである。女子供は歩いた。2,3人の従僕がいるのも当たり前であった。
其の一年余り共にした病んだ老馬について述べているものである。759年秋。


乘爾亦已久,天寒關塞深。
もういつとはなし晩秋の寒空になって、秦州の関所と塞の奥まったこの地域にいて、わたしがおまえに乗ることも久しいものだ。
 老馬のこと。
 おくまっていることをいう。


塵中老盡力,歲晚病傷心。
あの風塵中におまえは年をとったが精一杯働いてくれた、寄る年波で心臓に病気をもっていることがわかる。
塵中老尽力 馬についていう、上三下二の句法、「尽気塵中老」と同意。
歳晩病傷心 馬についていう、上三下二の句法、「傷芯歳晩病」と同意、傷心は心臓を傷害することをいう。老馬にはつきものの問題点である。


毛骨豈殊眾?馴良猶至今。
毛なみや骨格が特別他の多くの凡馬と違っているわけではないが、おまえの賢くて従順なことは昔から今日まで変わらずつづいている。
豈殊眾 反語、多数の凡馬とあまりちがわぬ、特にすぐれた材カがあるわけではないことをいう。
馴艮 ならされてすなおなこと、馬の徳をいう。賢くて従順なこと。
猶至今 昔からさようであるが今日でもまたそうである。昔から今日まで変わらずつづいている。


物微意不淺,感動一沉吟!
心臓に問題があることなど些細な事であって、わたしのこの馬に対する心持は浅くはない。この老馬のために感動してもっぱらため息つくのである
物微 物は馬をさす、一病馬の如きは物としては微小で言うに足らぬほどのものである。
意不浅 馬に対しての作者のころろもちはふかい。
沈吟 ためいきをつく。


秦州抒情詩(21) 空囊 杜甫 <306> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1385 杜甫詩 700- 426

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759年、乾元2年 48歳
《秦州抒情詩(21) 『空囊』 杜甫700の306首目、杜甫ブログ426回目》
『秦州雜詩二十首』 で杜甫は秦州で隠遁することを決意し、その場所も姪従弟杜佐の推薦する東柯谷という谷あいの村であった。そして其二十で長安の朝廷で「鴛行」していた旧友たちに応援を頼むものであった。『示侄佐』「多病秋風落,君來慰眼前。」と、病気がちで度々寝込んだ、秋風が吹き木の葉が落ち待っている。君(姪従弟の杜佐)が来てくれこうして目の前で見舞ってくれる。しかし、友人たちから応援の知らせは全く来ないのである。時にはユーモラスな詩も書いた。財布のからになろうとするものを詠んだ。これらの詩も親戚友人に贈られたのだろう。

駅亭の 隠遁

            
空囊
翠柏苦猶食、明霞高可餐。
かやの実は苦くてもその実をたべることはできるが、山に住むと朝霞もまた手にたべることができるのだ。
世人共鹵莽、吾道属艱難。
ここに住んでいると世間の人の行う所は皆いいかげんのことをしているように思えるが、私はこれまで仕官をめざしは叶えられて務めたが、それが私の道ではないことが分かりここに来た。官に勤めて辞めてもこの世路なんぎに満ちているのだ。
不爨井晨凍、無衣牀夜寒。
井の水はあさこおっているから私のところではめしをたかないし、着物、衣がないことはねだいの夜がさむいのである。
囊空恐羞澁、留得一銭看。
さいふの中身がからっぽになれば人前でもはずかしく具合が悪いものだから、一銭だけはのこしておかなくてはと大事にそうにみているのである。
(空 襲)
翠柏【すいはく】苦【にが】きも猶お食【く】らい、明霞【めいか】高きも餐【くら】う可【べ】し。
世人 共に鹵莽【ろもう】、吾が道 艱難【かんなん】に属す。
爨【かし】がざれば井【せい】晨【あした】に凍り、衣無ければ牀【しょう】夜寒し。
囊 空【むな】しくば恐らくは羞澁【しゅうじゅう】せん、一銭を留【とど】め得て看ん。


現代語訳と訳註
(本文)
空囊
翠柏苦猶食、明霞高可餐。
世人共鹵莽、吾道属艱難。
不爨井晨凍、無衣牀夜寒。
囊空恐羞澁、留得一銭看。


(下し文)
(空 襲)
翠柏【すいはく】苦【にが】きも猶お食【く】らい、明霞【めいか】高きも餐【くら】う可【べ】し。
世人 共に鹵莽【ろもう】、吾が道 艱難【かんなん】に属す。
爨【かし】がざれば井【せい】晨【あした】に凍り、衣無ければ牀【しょう】夜寒し。
囊 空【むな】しくば恐らくは羞澁【しゅうじゅう】せん、一銭を留【とど】め得て看ん。


(現代語訳)
かやの実は苦くてもその実をたべることはできるが、山に住むと朝霞もまた手にたべることができるのだ。
ここに住んでいると世間の人の行う所は皆いいかげんのことをしているように思えるが、私はこれまで仕官をめざしは叶えられて務めたが、それが私の道ではないことが分かりここに来た。官に勤めて辞めてもこの世路なんぎに満ちているのだ。
井の水はあさこおっているから私のところではめしをたかないし、着物、衣がないことはねだいの夜がさむいのである。
さいふの中身がからっぽになれば人前でもはずかしく具合が悪いものだから、一銭だけはのこしておかなくてはと大事にそうにみているのである。


(訳注)
空囊

東柯谷の生活を示すもの。身の回りの何気ない小さなものを取り上げ、何気なくその時の思いを述べている。秦州においてはじめて詠った律詩シリーズである。


翠柏苦猶食、明霞高可餐。
かやの実は苦くてもその実をたべることだできるが、山に住むと朝霞もまた手にたべることができるのだ。
翠柏 みどり葉の柏、柏はかや、ここはかやの実をいう。
明霞 あさの赤色のかすみ、仙人のたべものである。


世人共鹵莽、吾道属艱難。
ここに住んでいると世間の人の行う所は皆いいかげんのことをしているように思えるが、私はこれまで仕官をめざしは叶えられて務めたが、それが私の道ではないことが分かりここに来た。官に勤めて辞めてもこの世路なんぎに満ちているのだ。
鹵莽 耕作の仕方のいいかげんなことをいうが、ここではそれをかりて人事についていう。粗末。おろそかなこと。世人の行ういい加減な人の付き合い。
吾道 自己の理想とする道をいう。
艱難 世路の険難。
世人 : 吾道  、共 : 属 、鹵莽 : 艱難
*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。


不爨井晨凍、無衣牀夜寒。
井の水はあさこおっているから私のところではめしをたかないし、着物、衣がないことはねだいの夜がさむいのである。
 かしぐ、飯をつくるためかまどに火をたく。
ねだい。
不爨 : 無衣  、井 : 牀 、晨凍 : 夜寒
*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。
 

囊空恐羞澁、留得一銭看。
さいふの中身がからっぽになれば人前でもはずかしく具合が悪いものだから、一銭だけはのこしておかなくてはと大事にそうにみているのである。
 さいふ。
羞渋 人に対してはにかむさま。恥ずかしく具合が悪い。
 みまもる。

秦州抒情詩(20) 野望 杜甫 <305> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1382 杜甫詩 700- 425

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《秦州抒情詩(20)  『野望』 杜甫700の305首目、杜甫ブログ425回目》
友からの知らせを待ちわびて、野らの夕ぐれのながめをのべる。

野望
清秋望不極,迢遞起層陰。
空高くすみきった秋の遠望ははてしなくひろがり、段々畑の地勢にさらに幾重かの夕曇がつづいて起こっている。
遠水兼天淨,孤城隱霧深。
それで遠方の川はやがて天とひとつになってすっきりして見え、この小さな孤城はだんだん霧が深く立ち込めてきて隠れてしまう。
葉稀風更落,山迥日初沈。
それから落葉してたださえ稀になった木々を北風が吹き葉は一層振るわれて落ちていて、山が遥か彼方にあるので太陽がやっと沈んでいる。
獨鶴歸何晚?昏鴉已滿林。
このとき日暮れの烏は巣を求めて、すでに林に一杯留まり宿すというのに、どうして一匹の鶴だけは、こんなに遅く帰るのであろうか。この鶴はわたしのようだ。


現代語訳と訳註
(本文)

野望
清秋望不極,迢遞起層陰。
遠水兼天淨,孤城隱霧深。
葉稀風更落,山迥日初沈。
獨鶴歸何晚?昏鴉已滿林。


(下し文)
(野 望)
清秋【せいしゅう】望み極まらず、迢遞【ちょうてい】層陰【そういん】起こる。
遠水【えんすい】は天を兼ねて浄く、孤城は霧に隠れて深し。
葉稀なるに風は更に落とし、山迥かにして日は初めて沈む。
独鶴【どっかく】帰ること何ぞ晩【おそ】き、昏鵠【こんあ】己に林に満つるに。


(現代語訳)
空高くすみきった秋の遠望ははてしなくひろがり、段々畑の地勢にさらに幾重かの夕曇がつづいて起こっている。
それで遠方の川はやがて天とひとつになってすっきりして見え、この小さな孤城はだんだん霧が深く立ち込めてきて隠れてしまう。
それから落葉してたださえ稀になった木々を北風が吹き葉は一層振るわれて落ちていて、山が遥か彼方にあるので太陽がやっと沈んでいる。
このとき日暮れの烏は巣を求めて、すでに林に一杯留まり宿すというのに、どうして一匹の鶴だけは、こんなに遅く帰るのであろうか。この鶴はわたしのようだ。


(訳注)
野望

官を辞して姪の杜佐を頼ってきた秦州、東柯谷の夕暮れ、野を眺めて作ったもの。759年乾元2年48歳。杜甫は友人たちの応援を待っているときであるため、時間の経過を示すような記述をしている。したがって、現代語訳としては、過去形で訳さず、現代進行形で読んだ方が、時間経過を感じやすい。


清秋望不極,迢遞起層陰。
清秋【せいしゅう】望み極まらず、迢遞【ちょうてい】層陰【そういん】起こる。
空高くすみきった秋の遠望ははてしなくひろがり、段々畑の地勢にさらに幾重かの夕曇がつづいて起こっている。
望不極 望無転の意、ながめのはてしないことをいう。
迢遞 地に高低あり、かつはるかなさま。段々畑の地勢をいう。
層陰 いくえものくもり。段々ばたに上に、雲の段々畑がある。


遠水兼天淨,孤城隱霧深。
遠水【えんすい】は天を兼ねて浄く、孤城は霧に隠れて深し。
それで遠方の川はやがて天とひとつになってすっきりして見え、この小さな孤城はだんだん霧が深く立ち込めてきて隠れてしまう。
遠水二句 この二句は上三字下二字の句法を用いる、「遠水、天の浄きを兼ね、孤城、霧の深きに隠る」とよんでもよいが、「遠水を兼ねて天浄く、孤城隠れて霧深し」とよむことの方がより簡明である。他の例をあげれば、『晚出左掖』「楼雪融城湿、宮雲去殿低」(晩二左を出ず)、七言句『秋興』では、「画省香炉連伏誌、山城粉喋隠悲節」の如きは同句法である。晚出左掖 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 240

葉稀風更落,山迥日初沈。
葉稀なるに風は更に落とし、山迥かにして日は初めて沈む。
それから落葉してたださえ稀になった木々を北風が吹き葉は一層振るわれて落ちていて、山が遥か彼方にあるので太陽がやっと沈んでいる。
葉稀 ひとりでに葉のすくなくなったことをいう。
風更落 「風更に落とす」と「落」の字を他動詞によむこともできるが「葉」を主として「落」を自動詞とみる


獨鶴歸何晚?昏鴉已滿林。
独鶴【どっかく】帰ること何ぞ晩【おそ】き、昏鵠【こんあ】己に林に満つるに。
このとき日暮れの烏は巣を求めて、すでに林に一杯留まり宿すというのに、どうして一匹の鶴だけは、こんなに遅く帰るのであろうか。この鶴はわたしのようだ。
獨鶴 官を辞して隠棲の場所を求めて秦州に来たわけであるが友人たちに応援を求めてその結果を待っている杜甫自身の心境を述べている。この二句は倒句として読む。
昏鴉 夕暮れの鳥。

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野望
清秋望不極,迢遞起層陰。
遠水兼天淨,孤城隱霧深。
葉稀風更落,山迥日初沈。
獨鶴歸何晩?昏鴉已滿林。
(野 望)
清秋【せいしゅう】望み極まらず、迢遞【ちょうてい】層陰【そういん】起こる。
遠水【えんすい】は天を兼ねて浄く、孤城は霧に隠れて深し。
葉稀なるに風は更に落とし、山迥かにして日は初めて沈む。
独鶴【どっかく】帰ること何ぞ晩【おそ】き、昏鵠【こんあ】己に林に満つるに。

春望
國破山河在,城春草木深。
感時花濺涙,恨別鳥驚心。
烽火連三月,家書抵萬金。
白頭掻更短,渾欲不勝簪。

國 破れて  山河 在り,城 春にして  草木 深し。
時に 感じては  花にも 涙を 濺(そそ)ぎ,別れを 恨んでは  鳥にも 心を驚かす。
烽火  三月(さんげつ)に 連なり,家書  萬金に 抵(あ)たる。
白頭  掻けば 更に 短く,渾(すべ)て簪(しん)に勝(た)へざらんと欲す。

秦州抒情詩(19) 秋笛 杜甫 <304> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1379 杜甫詩 700- 424

秦州抒情詩(19)   秋笛 杜甫 <304> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1379 杜甫詩 700- 424

     
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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
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 《秦州抒情詩(19)   『秋笛』 杜甫700の304首目、杜甫ブログ424回目》
琴に合わせて笛の音がきこえて來る。出征した主人の戦士の報せがあり、亡骸の帰宅を待つ家族の家で演奏されている。


秋笛
清商欲盡奏,奏苦血沾衣。
琴に合わせて笛の清苦にして哀愁のある音調の演奏をしつくしてほしいと思う。その演奏を続ける苦しさは血を吐き衣は血に染まるほどなのだ。
他日傷心極,徵人白骨歸。
そんなことがあった後日傷ついた心が窮まった時に出征していた夫が白骨となって帰ってきた。
相逢恐恨過,故作發聲微。
こうなって互いに遭うことが出来たのであるが恨みに思う心はこれ以上ないほどになっている、だから声が鳴き枯れてしまって僅かな声を出すだけになって笛の音さえ出ないのだ。
不見秋雲動,悲風稍稍飛。

人生の写しでもある秋の雲が動いているのさえ見えないのだが、かなしみをもった笛の音が風にのりようやく飛んでいってくれる。



現代語訳と訳註
(本文)
秋笛
清商欲盡奏,奏苦血沾衣。
他日傷心極,徵人白骨歸。
相逢恐恨過,故作發聲微。
不見秋雲動,悲風稍稍飛。


(下し文)
清商 奏を盡さんと欲す,奏苦して血 衣を沾す。
他日 傷心 極り,徵人 白骨 歸る。
相逢いて恨過を恐れ,故に聲微を發するを作す。
秋雲の動きを見えず,悲風 稍稍として飛ぶ。


(現代語訳)
琴に合わせて笛の清苦にして哀愁のある音調の演奏をしつくしてほしいと思う。その演奏を続ける苦しさは血を吐き衣は血に染まるほどなのだ。
そんなことがあった後日傷ついた心が窮まった時に出征していた夫が白骨となって帰ってきた。
こうなって互いに遭うことが出来たのであるが恨みに思う心はこれ以上ないほどになっている、だから声が鳴き枯れてしまって僅かな声を出すだけになって笛の音さえ出ないのだ。
人生の写しでもある秋の雲が動いているのさえ見えないのだが、かなしみをもった笛の音が風にのりようやく飛んでいってくれる。


(訳注)
秋笛

この時代、「清商」というと琴に和せて笛を吹き演奏するのは相当高い身分の人であることが想像される。秦州の郊外、東柯谷で経験したことではなく創作されたものであろう。
また、同様なイメージの「吹笛」という七言律詩があるが、秦州で創作した「秋笛」の5年後夔州での作品があり。末尾に参考としてあげている。


清商欲盡奏,奏苦血沾衣。
琴に合わせて笛の清苦にして哀愁のある音調の演奏をしつくしてほしいと思う。その演奏を続ける苦しさは血を吐き衣は血に染まるほどなのだ。
清商 清苦にして哀愁のある音調。 ・商 秋、秋風。西の方角。星座のこと。五音階。「宮・商・角・徴・羽」隋・唐は中国史上で最も強大・安定し、音楽・絵画・書・舞踊・建築などが発展した。 音楽は「宮廷音楽(七部伎=清商伎・国伎・亀慈伎・安国伎・天竺伎・高麗伎・文康伎)」と 「民間音楽(山歌・小曲、器楽=琵琶・笙・笛などの演奏)」に二分される。
曹丕(曹子桓/魏文帝)詩 『燕歌行』 
燕歌行
秋風蕭瑟天気涼、草木搖落露為霜、
羣燕辭帰雁南翔。
念君客遊思断腸、慊慊思帰戀故郷、
何為淹留寄他方。』
賤妾煢煢守空房、憂来思君不敢忘。
不覚涙下霑衣裳。
援琴鳴絃發清商、短歌微吟不能長。』
明月皎皎照我牀、星漢西流夜未央。
牽牛織女遥相望、爾獨何辜限河梁。』


他日傷心極,徵人白骨歸。
そんなことがあった後日傷ついた心が窮まった時に出征していた夫が白骨となって帰ってきた。
征人 国境警備の兵士。戍客。 


相逢恐恨過,故作發聲微。
こうなって互いに遭うことが出来たのであるが恨みに思う心はこれ以上ないほどになっている、だから声が鳴き枯れてしまって僅かな声を出すだけになって笛の音さえ出ないのだ。


不見秋雲動,悲風稍稍飛。
人生の写しでもある秋の雲が動いているのさえ見えないのだが、かなしみをもった笛の音が風にのりようやく飛んでいってくれる。
稍稍 ややすこし。ようやく。しだいに。


参考 大暦元年 766年 55歳 夔州   
吹笛杜甫
吹笛秋山風月清,誰家巧作斷腸聲。
風飄律呂相和切,月傍關山幾處明。
胡騎中宵堪北走,武陵一曲想南征。
故園楊柳今搖落,何得愁中曲盡生。


(笛を吹く)
笛を吹く秋山 風月の清きに、誰が家か巧みに 斷腸の聲を作す。
風は律呂を飄して 相和すること切に、月は關山に傍うて 幾處か明らかなる。
胡騎中宵 北走するに堪えたり、武陵の一曲は 南征を想う。
故園の楊柳は 今搖落す、何ぞ得ん愁中 卻って盡く生ずるを。

斷腸聲 聞く人の腸をかきむしるような悲しい声

律 呂 音楽の調子を陰陽の二つに分け陰を呂(六呂=りくりょ) 陽を律(六律 =りくりつ)という
關 山 国境にある山
中 宵 真夜中
胡騎北走 唐代 北方または西方の異民族を胡(えびす)と呼んだ 晋の将軍劉〈王昆〉(りゅうこん= 270ー318)が并州(へいしゅう)を孤立無援で堅く守り 月のさえた夜城楼に上り胡笳を吹いたところ 胡軍はその悲しみに涙を流し北の 故郷へ帰り去ったという故事
武陵一曲 後漢(ごかん)の馬援(ばえん=前14ー49)が交趾(こうし=現ベトナム )の蛮族を征服した後 武陵(湖南省北部)に遠征した時 部下の笛に合せて 僻地(へきち)遠征の寂寥の歌を詠んだ この歌を「武陵深行(ぶ りょうしんこう)」という
    

 秋の山の風も月も清らかにさえわたる夜、笛の音が聞こえてくる。誰がこれほど巧みに、人の腸をかきむしるよう に物悲しい音を吹きならすのだろうか。
 風は律呂の響きをひるがえして調和もとれ、月は関山によりそうて、幾つかの峰にさえわたっている。
 このような笛の音を聞けば、晋の劉〈王昆〉の故事のように、手荒い胡の兵も悲しみに堪え切れず、夜中に北方の故郷へ 逃げ去ったであろう。また後漢の馬援が武陵に遠征した時、部下の曲に合せて歌った「武陵深行」という曲もこのように悲しいものであ ったろうか。
 故郷の柳も秋になって葉も落ちつくしたであろう。それなのに今巧みな「折楊柳」の曲をきくと、愁いにふさがる 私の胸の中に緑の柳の芽を出させ、その枝を折って別れのなげきをくり返すことが出来ようか。

秦州抒情詩(18) 日暮 杜甫 <303> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1376 杜甫詩 700- 423

秦州抒情詩(18)   日暮 杜甫 <303> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1376 杜甫詩 700- 423

     
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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
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《秦州抒情詩(18) 『日暮』 杜甫700の303首目、杜甫ブログ423回目》



日暮
日落風亦起,城頭烏尾訛。
黃雲高未動,白水已興波。
羌婦語還笑,胡兒行且歌。
將軍別換馬,夜出擁雕戈。
日が落ちて黄昏時に秋風がまた吹いてきた、秦州城の周りで風に乗って聞こえてくる異国の語調と訛である。
黄金(こがね)色の雲が高い空に動かないでいる、辺りがうす暗くなり、暮れやらぬ空を水面は白く映し、そこに風が波を起こす。
チベット系の遊牧民族の婦人たちは談笑を繰り返し、西域民族のこどもたちは遊びながら民族の歌を唄っている。
西方の沙州へ向かう将軍が塞に立ちより変え馬をあとにして出て行く、夜の出発というものは彫刻の飾りのついたほこを従えていくのである。

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現代語訳と訳註
(本文)

日落風亦起,城頭烏尾訛。
黃雲高未動,白水已興波。
羌婦語還笑,胡兒行且歌。
將軍別換馬,夜出擁雕戈。


(下し文)
日 落ち風 亦 起る,城の頭り 烏尾の訛【なまり】。
黃雲【こうふ】高く未だ動かず,白水 已に波を興す。
羌婦【きょうふ】語して還た笑し,胡兒【こじ】行い且つ歌う。
將軍 別れて馬を換え,夜出でて雕戈を擁す。


(現代語訳)
日が落ちて黄昏時に秋風がまた吹いてきた、秦州城の周りで風に乗って聞こえてくる異国の語調と訛である。
黄金(こがね)色の雲が高い空に動かないでいる、辺りがうす暗くなり、暮れやらぬ空を水面は白く映し、そこに風が波を起こす。
チベット系の遊牧民族の婦人たちは談笑を繰り返し、西域民族のこどもたちは遊びながら民族の歌を唄っている。
西方の沙州へ向かう将軍が塞に立ちより変え馬をあとにして出て行く、夜の出発というものは彫刻の飾りのついたほこを従えていくのである。


(訳注)
日落風亦起,城頭烏尾訛。
日が落ちて黄昏時に秋風がまた吹いてきた、秦州城の周りで風に乗って聞こえてくる異国の語調と訛である。
烏尾訛 風に乗って聞こえてくる異国の語調と訛のこと。


黃雲高未動,白水已興波。
黄金(こがね)色の雲が高い空に動かないでいる、辺りがうす暗くなり、暮れやらぬ空を水面は白く映し、そこに風が波を起こす。
・黃雲 1 黄色の雲。黄金(こがね)色の雲。 2 稲が実り、水田一面に黄色く見えるのを雲にたとえた語。 3酒のこと。
・白水 秋のまだ氷ってはいない冷たい水。辺りがうす暗くなり、水面は暮れやらぬ空を映すさま。

黃雲 : 白水  : 未動 : 興波

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。


羌婦語還笑,胡兒行且歌。
チベット系の遊牧民族の婦人たちは談笑を繰り返し、西域民族のこどもたちは遊びながら民族の歌を唄っている。
羌婦 チベット系の遊牧民族の婦人たち。羌:中国古代、青海地方に住んでいたチベット系の遊牧民族。後漢時代に陝西(せんせい)・甘粛に移り、五胡十六国時代に後秦(こうしん)を建国。隋・唐代には一族のタングート(党項)族が有力となり、その一部は11世紀に西夏を建国。
 語り合っている。
・胡兒 西域民族のこどもたち。ウイグル人の子供。胡:中国で、漢以前には北方の匈奴(きようど)の称。のちには西域民族の総称。えびす。

羌婦 : 胡兒 : 還笑 : 且歌

*同じ品詞を同じ位置に配置する修辞により、一層の強調がなされる。


將軍別換馬,夜出擁雕戈。
西方の沙州へ向かう将軍が塞に立ちより昼間の従者変え馬をあとにして出て行く、夜の出発というものは彫刻の飾りのついたほこを従えていくのである。
雕戈 彫刻の飾りのついたほこ。
【よう】1 だきかかえる。いだく。2 所有する。3 ひきいる。従える。

秦州抒情詩 33首 杜甫秦州における律詩集

秦州抒情詩 33首 杜甫秦州における律詩集
秦州抒情詩 33首 杜甫秦州における律詩集

1
東樓
  萬裡流沙道,西行過此門。但添新戰骨,不返舊徵魂。
  樓角淩風迥,城陰帶水昏。傳聲看驛使,送節向河源。

東樓 杜甫 <286> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1325 杜甫詩 700- 406

2  
雨晴
  天際秋雲薄,從西萬裡風。今朝好晴景,久雨不妨農。
  塞柳行疏翠,山梨結小紅。胡笳樓上發,一雁入高空。

雨晴 杜甫 <287> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1328 杜甫詩 700- 407

3  
寓目
  一縣蒲萄熟,秋山苜蓿多。關雲常帶雨,塞水不成河。
  羌女輕烽燧,胡兒製駱駝。自傷遲暮眼,喪亂飽經過。

寓目 杜甫 <288> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1331 杜甫詩 700- 408


4  
山寺
  野寺殘僧少,山園細路高。麝香眠石竹,鸚鵡啄金桃。
  亂水通人過,懸崖置屋牢。上方重閣晚,百裡見秋毫。

山寺 杜甫 <289> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1334 杜甫詩 700- 409


5  
即事
  聞道花門破,和親事卻非。人憐漢公主,生得渡河歸。
  秋思拋雲髻,腰肢勝寶衣。群凶猶索戰,回首意多違。

即事 杜甫 <290> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1337 杜甫詩 700- 410


6  
遺懷
  愁眼看霜露,寒城菊自花。天風隨斷柳,客淚墮清笳。
  水靜樓陰直,山昏塞日斜。夜來歸鳥盡,啼殺後棲鴉。

遺懷 杜甫 <291> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1340 杜甫詩 700- 411
7  
天河
  當時任顯晦,秋至轉分明。縱被浮雲掩,猶能永夜清。
  含星動雙闕,半月落邊城。牛女年年渡,何曾風浪生。

天河 杜甫 <292> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1343 杜甫詩 700- 4128  

初月
  光細弦欲上,影斜輪未安。微升古塞外,已隱暮雲端。
  河漢不改色,關山空自寒。庭前有白露,暗滿菊花團。
初月 杜甫 <293> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1346 杜甫詩 700- 413


9  
歸燕
  不獨避霜雪,其如儔侶稀。四時無失序,八月自知歸。
  春色豈相訪?眾雛還識機。故巢倘為毀,會傍主人飛。

歸燕 杜甫 <294> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1349 杜甫詩 700- 414

10  
搗衣
  亦知戍不返,秋至拭清砧。已近苦寒月,況經長別心。
  寧辭搗衣倦,一寄塞垣深。用盡閨中力,君聽空外音。


搗衣(擣衣) 杜甫 <295> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1352 杜甫詩 700- 415

11  
促織
  促織甚微細,哀音何動人。草根吟不穩,床下意相親。
  久客得無淚?故妻難及晨。悲絲與急管,感激異天真。

促織 杜甫 <296> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1355 杜甫詩 700- 416


12  
螢火
  幸因腐草出,敢近太陽飛。未足臨書卷,時能點客衣。
  隨風隔幔小,帶雨傍林微。十月清霜重,飄零何處歸。

蛍火 杜甫 <297> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1358 杜甫詩 700- 417


13  
蒹葭
  摧折不自守,秋風吹若何?暫時花戴雪,幾處葉沈波。
  體弱春苗早,叢長夜露多。江湖後搖落,亦恐歲蹉跎。

兼葭 杜甫 <298> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1361 杜甫詩 700- 418


14  
苦竹
  青冥亦自守,軟弱強扶持。味苦夏蟲避,叢卑春鳥疑。
  軒墀曾不重,剪伐欲無辭。幸近幽人屋,霜根結在茲。

苦竹 杜甫 <299> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1364 杜甫詩 700- 419


15  
除架
  束薪已零落,瓠葉轉蕭疏。幸結白花了,寧辭青蔓除。
  秋蟲聲不去,暮雀意何如?寒事今牢落,人生亦有初。

除架 杜甫 <300> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1367 杜甫詩 700- 420


16  
廢畦
  秋蔬擁霜露,豈敢惜凋殘。暮景數枝葉,天風吹汝寒。
  綠沾泥滓盡,香與歲時闌。生意春如昨,悲君白玉盤。

秦州抒情詩(16) 廃畦 杜甫 <301> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1370 杜甫詩 700- 421


17  
夕峰
  夕峰來不近,每日報平安。塞上傳光小,雲邊落點殘。
  照秦通警急,過隴自艱難。聞道蓬萊殿,千門立馬看。

秦州抒情詩(17) 夕烽 杜甫 <302> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1373 杜甫詩 700- 422


18  
日暮
  日落風亦起,城頭烏尾訛。黃雲高未動,白水已興波。
  羌婦語還笑,胡兒行且歌。將軍別換馬,夜出擁雕戈。


19
秋笛
  清商欲盡奏,奏苦血沾衣。他日傷心極,徵人白骨歸。
  相逢恐恨過,故作發聲微。不見秋雲動,悲風稍稍飛。
  
20  
野望
  清秋望不極,迢遞起層陰。遠水兼天淨,孤城隱霧深。
  葉稀風更落,山迥日初沈。獨鶴歸何晚?昏鴉已滿林。


21  
空囊
  翠柏苦猶食,明霞高可餐。世人共鹵莽,吾道屬艱難。
  不爨井晨凍,無衣床夜寒。囊空恐羞澀,留得一錢看。


22  
病馬
  乘爾亦已久,天寒關塞深。塵中老盡力,歲晚病傷心。
  毛骨豈殊眾?馴良猶至今。物微意不淺,感動一沉吟!


23  
蕃劍
  致此自僻遠,又非珠玉裝。如何有奇怪,每夜吐光芒。
  虎氣必騰上,龍身寧久藏。風塵苦未息,持汝奉明王。


24  
銅瓶
  亂後碧井廢,時清瑤殿深。銅瓶未失水,百丈有哀音。
  側想美人意,應悲寒甃沈。蛟龍半缺落,猶得折黃金。


25  
送遠
  帶甲滿天地,胡為君遠行?親朋盡一哭,鞍馬去孤城。
  草木歲月晚,關河霜雪清。別離已昨日,因見古人情。


26  
送人從軍
  弱水應無地,陽關已近天。今君度沙磧,累月斷人煙。
  好武寧論命,封侯不計年。馬寒防失道,雪沒錦鞍韉。

27  
示侄佐
  多病秋風落,君來慰眼前。自聞茅屋趣,只想竹林眠。
  滿穀山雲起,侵籬澗水懸。嗣宗諸子侄,早覺仲容賢。

示侄佐 杜甫 <274> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1271 杜甫詩 700- 388


28  
佐還山後寄三首
 1 山晚黃雲合,歸時恐路迷。澗寒人欲到,林黑鳥應棲。
  野客茅茨小,田家樹木低。舊諳疏懶叔,須汝故相攜。
佐還山後寄三首 其一 杜甫 <275> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1274 杜甫詩 700- 389

29  
 2 白露黃粱熟,分張素有期。已應舂得細,頗覺寄來遲。
  味豈同金菊,香宜配綠葵。老人他日愛,正想滑流匙。
佐還山後寄三首 其二 杜甫 <276> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1277 杜甫詩 700- 390

30  
 3 幾道泉澆圃,交橫幔落坡。葳蕤秋葉少,隱映野雲多。
  隔沼連香芰,通林帶女蘿。甚聞霜薤白,重惠意如何。
佐還山後寄三首 其三 杜甫 <277> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1280 杜甫詩 700- 391

31  
從人覓小胡孫許寄
  人說南州路,山猿樹樹懸。舉家聞若駭,為寄小如拳。
  預哂愁胡面,初調見馬鞭。許求聰慧者,童稚捧應癲。

32  
秋日阮隱居致薤三十束
  隱者柴門內,畦蔬繞舍秋。盈筐承露薤,不待致書求。
  束比青芻色,圓齊玉箸頭。衰年關鬲冷,味暖並無憂。

33  
所思  
〔原注〕 得台州司戸度滑息。(台州司戸塵の消息を得たり。)
  鄭老身仍竄、台州信始傳。
  爲農山澗曲、臥病海雲邊。
  世己疎儒素、人猶乞酒錢。
  徒勞望牛斗、無計屬龍泉。

秦州抒情詩(17) 夕烽 杜甫 <302> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1373 杜甫詩 700- 422

秦州抒情詩(17)  夕烽 杜甫 <302> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1373 杜甫詩 700- 422 

     
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《秦州抒情詩(17)   『夕烽』 杜甫700の302首目、杜甫ブログ422回目》
759年7月に沙州で吐蕃の乱をおこし、西域の不安定が心配事であった。この詩は九月の初旬だと思えるときで膠着状態の時の様子が述べられている。


夕烽
夕烽來不近,每日報平安。
夕方の烽火が近くには問題がなく遠方からも伝えられて来て、毎日平穏無事を報じてくれる。
塞上傳光小,雲邊落點殘。
砦の上にはその蜂火が小さく光を伝え、雲のあたりには小さな一点の光となって残っている。
照秦通警急,過隴自艱難。
この烽火は関中、長安地方を照らして警急を通知するためにある、この烽火が隴西の方から火急に経過してくるときは国難の生ずるときであり、つぎつぎに東方へつたえられ警急を通知するのである。
聞道蓬萊殿,千門立馬看。

そういうことで長安の大明宮の蓬莱殿では、千の門において警備の士は馬を立ててこの秦州の烽火の様子がいかにあるのかと見守っているということである。
(夕 烽)
夕烽【ゆうほう】来たること近からず、毎日平安を報ず。
塞上【さいじょう】光を伝うること小に、雲辺【うんぺん】落点残る。
秦を照らして警急【けいきゅう】を通ず、隴を過ぐるは自ずから艱難【かんなん】。
間道【きくな】らく蓬莱殿、千門 馬を立てて看ると。

少陵台


現代語訳と訳註
(本文) 夕烽

夕烽來不近,每日報平安。
塞上傳光小,雲邊落點殘。
照秦通警急,過隴自艱難。
聞道蓬萊殿,千門立馬看。


(下し文)
(夕 烽)
夕烽【ゆうほう】来たること近からず、毎日平安を報ず。
塞上【さいじょう】光を伝うること小に、雲辺【うんぺん】落点残る。
秦を照らして警急【けいきゅう】を通ず、隴を過ぐるは自ずから艱難【かんなん】。
間道【きくな】らく蓬莱殿、千門 馬を立てて看ると。


(現代語訳)
夕方の烽火が近くには問題がなく遠方からも伝えられて来て、毎日平穏無事を報じてくれる。
砦の上にはその蜂火が小さく光を伝え、雲のあたりには小さな一点の光となって残っている。
この烽火は関中、長安地方を照らして警急を通知するためにある、この烽火が隴西の方から火急に経過してくるときは国難の生ずるときであり、つぎつぎに東方へつたえられ警急を通知するのである。
そういうことで長安の大明宮の蓬莱殿では、千の門において警備の士は馬を立ててこの秦州の烽火の様子がいかにあるのかと見守っているということである。


(訳注)
夕烽

夕がた烽火のつたわるのを見てよんだ。
759年7月に沙州で吐蕃の乱をおこし、西域の不安定が心配事であった。この詩は九月の初旬だと思えるときで膠着状態の時の様子が述べられている。


夕烽來不近,每日報平安。
夕方の烽火が近くには問題がなく遠方からも伝えられて来て、毎日平穏無事を報じてくれる。
不近 遠方よりすることをいう。○報平安 唐の鎮戊にあっては毎日初夜に一蛭の煙を放った、これを平安火といい何も起こっていないこと・無事をしらせる合図である。


塞上傳光小,雲邊落點殘。
砦の上にはその蜂火が小さく光を伝え、雲のあたりには小さな一点の光となって残っている。
○落点 点は形の小さいことをいう。


照秦通警急,過隴自艱難。
この烽火は関中、長安地方を照らして警急を通知するためにある、この烽火が隴西の方から火急に経過してくるときは国難の生ずるときであり、つぎつぎに東方へつたえられ警急を通知するのである。
照秦 秦は関中、長安地方をいぅ。○ 通報する。○警急 警戒、急迫。○過陳 蜂火が障西の地方を経過すること。○艱難 国事の艱難なことを報ずることをいう、杜詩の「艱難深情二塊ズ」羌村)、「難難長戟ヲ擦り」(潼関吏)などの艱難はみな国難をいう、以下艱難の語について参考の詩をあげる。 潼関吏  杜甫 三吏三別詩<217>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1040 杜甫詩集700- 311
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聞道蓬萊殿,千門立馬看。
そういうことで長安の大明宮の蓬莱殿では、千の門において警備の士は馬を立ててこの秦州の烽火の様子がいかにあるのかと見守っているということである。
蓬莱殿 長安の殿名。

 唐朝 大明宮2000

(夕 烽)
夕烽【ゆうほう】来たること近からず、毎日平安を報ず。
塞上【さいじょう】光を伝うること小に、雲辺【うんぺん】落点残る。
秦を照らして警急【けいきゅう】を通ず、隴を過ぐるは自ずから艱難【かんなん】。
間道【きくな】らく蓬莱殿、千門 馬を立てて看ると。


秦州抒情詩(16) 廃畦 杜甫 <301> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1370 杜甫詩 700- 421

秦州抒情詩(16)   廃畦 杜甫 <301> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1370 杜甫詩 700- 421 

     
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《秦州抒情詩(16)   『廃畦』 杜甫700の301首目、杜甫ブログ421回目》
すたれかかったはたけのうねの野菜をみて、その感をうつす。農業に関心を持ったもの。秦州抒情詩、二十四節季を詠う。


廢畦
秋蔬擁霜露,豈敢惜凋殘。
秋のキノコや野菜などが霜と露により寒冷にかこまれるようになった、時節がきたのであるからどうして凋み傷んだとて惜しいとはおもうものではないのだ。
暮景數枝葉,天風吹汝寒。
しかし夕ぐれの風景はわずかに三四枚の枝葉があるばかりであるとか、そこに空から来る風はおまえたちを寒く凍えさすように吹くのだ。
綠沾泥滓盡,香與歲時闌。
葉の緑は泥水にうるおされて染め尽くされてすっかり無くなり、植物の精気であるその香は歳を重ね、季節を重ねるとともに香気も末枯れになってしまった。
生意春如昨,悲君白玉盤。
万物が萌え成長する春のころの生き生きとしたものがつい昨日のようにおもわれるのであるが、今のお前たちは白玉にかざられた盤上に盛られることがないであろうことは悲しいことであるといわざるをえないのだ。

秋蔬【しゅうそ】霜露に擁せらる、豈に敢て凋残【ちょうざん】を惜しまんや。
暮景【ぼけい】数枝の葉、天風 汝を吹いて寒し。
綠は泥滓【でいし】に沾【うるお】されて尽き、香は歳時【さいじ】と闌【たけなわ】なり。
生意【せいい】春 昨の如し、悲しむ君が白玉【はくぎょく】の盤。

DCF00218

現代語訳と訳註
(本文)
廢畦
秋蔬擁霜露,豈敢惜凋殘。
暮景數枝葉,天風吹汝寒。
綠沾泥滓盡,香與歲時闌。
生意春如昨,悲君白玉盤。


(下し文)
(廃 畦)
秋蔬【しゅうそ】霜露に擁せらる、豈に敢て凋残【ちょうざん】を惜しまんや。
暮景【ぼけい】数枝の葉、天風 汝を吹いて寒し。
綠は泥滓【でいし】に沾【うるお】されて尽き、香は歳時【さいじ】と闌【たけなわ】なり。
生意【せいい】春 昨の如し、悲しむ君が白玉【はくぎょく】の盤。


(現代語訳)
秋のキノコや野菜などが霜と露により寒冷にかこまれるようになった、時節がきたのであるからどうして凋み傷んだとて惜しいとはおもうものではないのだ。
しかし夕ぐれの風景はわずかに三四枚の枝葉があるばかりであるとか、そこに空から来る風はおまえたちを寒く凍えさすように吹くのだ。
葉の緑は泥水にうるおされて染め尽くされてすっかり無くなり、植物の精気であるその香は歳を重ね、季節を重ねるとともに香気も末枯れになってしまった。

廢畦image01

(訳注)
廢畦
廃畦 季節が巡って、畠のうねの野菜が枯れ始めている。杜甫は秦州でのこの時期、季節の微妙な変化に初めて気が付いたのであろう。
二十四節季の変化を詩にしたものが”秦州抒情詩の二十数首“である。の「天河」「初月」「歸燕」「擣衣」「促織」「蛍火」「兼葭」「苦竹」「除架」「廃畦」・・・・。
秦州滞在は759年七月から十月で、二十四節季では立秋から立冬までの間であった。

立秋(りっしゅう)は、二十四節気の第13。七月節(旧暦6月後半 - 7月前半)。初めて秋の気配が現れてくる頃とされる。
・処暑(しょしょ)は、二十四節気の第14。七月中(通常旧暦7月内)。
・白露(はくろ)は、二十四節気の第15。八月節(旧暦7月後半 - 8月前半)。大気が冷えてきて、露ができ始めるころ。『暦便覧』では、「陰気やうやく重りて、露にごりて白色となれば也」と説明している。
秋分(しゅうぶん)は、二十四節気の第16。八月中(旧暦8月内)。
・寒露(かんろ)は、二十四節気の第17。九月節(旧暦8月後半 - 9月前半)。露が冷気によって凍りそうになるころ。雁などの冬鳥が渡ってきて、菊が咲き始め、蟋蟀(こおろぎ)などが鳴き止むころ。
・霜降(そうこう)は、二十四節気の第18。九月中(通常旧暦9月内)。露が冷気によって霜となって降り始めるころ。『暦便覧』では「露が陰気に結ばれて霜となりて降るゆゑ也」と説明している。
楓や蔦が紅葉し始めるころ。この日から立冬までの間に吹く寒い北風を木枯らしと呼ぶ。
・立冬(りっとう)は、二十四節気の第19。十月節(旧暦9月後半 - 10月前半)。初めて冬の気配が現われてくる日。『暦便覧』では、「冬の気立ち始めて、いよいよ冷ゆれば也」と説明している。
秋分と冬至の中間で、昼夜の長短を基準に季節を区分する場合、この日から立春の前日までが冬となる


秋蔬擁霜露,豈敢惜凋殘。
秋のキノコや野菜などが霜と露により寒冷にかこまれるようになった、時節がきたのであるからどうして凋み傷んだとて惜しいとはおもうものではないのだ。
秋蔬 あきのキノコ。松茸・椎茸・湿地など大型菌類の総称であるが、詩題から野菜なども含んで全体をいうもの。
 かこまれる。
凋残 しぼみ、そこなわれる。


暮景數枝葉,天風吹汝寒。
しかし夕ぐれの風景はわずかに三四枚の枝葉があるばかりであるとか、そこに空から来る風はおまえたちを寒く凍えさすように吹くのだ。
暮景 ゆう日のひかりにあたって。
 三四ほどであることをいう。
 蔬をさす。


綠沾泥滓盡,香與歲時闌。
葉の緑は泥水にうるおされて染め尽くされてすっかり無くなり、植物の精気であるその香は歳を重ね、季節を重ねるとともに香気も末枯れになってしまった。
綠沾二句 蔬の衰容をいう。
泥滓 滓もまたにごること、雨のための泥濁の水。枯れた様子を泥の水が染めたと尿限する。
○尽 緑色がなくなること。
○香 生きている証に香りがあるということが基本。
○闌 たけなわ、おとろえる、歳闌とは老人がとしを数える次第に多くなるような意味、香関は香のおとろえることをいう。


生意春如昨,悲君白玉盤。
万物が萌え成長する春のころの生き生きとしたものがつい昨日のようにおもわれるのであるが、今のお前たちは白玉にかざられた盤上に盛られることがないであろうことは悲しいことであるといわざるをえないのだ。
生意 万物が萌え成長する春のころの生き生きとしたもの。
 玉盤に盛られることのできる姿でないことについてかなしむこと。
 一定の人をさす必要はないといっている。過去、君主であるかどうかと議論が分かれたが、その意味がないわけではない。
白玉盤 白玉で作った大皿、唐では立春の節に白玉盤を以て細い生業を盛って群臣に煩かち賜わった。生菜は韮の菜のこと。又長安より寒気が早いということを意味している。

秦州抒情詩(15) 除架 杜甫 <300> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1367 杜甫詩 700- 420

秦州抒情詩(15)   除架 杜甫 <300> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1367 杜甫詩 700- 420 

     
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《秦州抒情詩(15)   『除架』 杜甫700の300首目、杜甫ブログ420回目》
759年晩秋、秦州の作。
詩経の小雅、大雅に基づき人生を詠い新たな決意をする。

除架
束薪已零落,瓠葉轉蕭疏。
ひさご棚をつくっている薪の束はもはや草木の枯れ落ちて淋しいものなっているし、ひさごの葉もいよいよまばら状態になっている。
幸結白花了,寧辭青蔓除。
幸いにも白い花が終わり結んでしまったので、どうして青い蔓だけ残って用のないものは除かれてもかまわないというものだろう。
秋蟲聲不去,暮雀意何如?
しかし、秋の虫はこのあたりから去らず鳴いているし、夕ぐれの雀もここへ集まってくるがそのこころもちはどうだろう。
寒事今牢落,人生亦有初。
虫や自然界が教えてくれる冬仕度は今やさびしいものである、人生もまたこれと似たところがある。さかえた初めの時節も有ったのである、またはその始まりが来るものである。

(架を除く)
束薪【そくしん】己に零落【れいらく】す、瓠葉【こよう】転【うた】た蕭疏【しょうそ】たり。
幸いに白花を結び了【おわ】る、寧【なん】ぞ辞せん青蔓【せいまん】の除かるるを。
秋虫声去らず、暮雀【ぼじゃく】意 何如【いかん】。
寒事 今 牢落【ろうらく】たり、人生も亦た初め有り。
 瓢箪003


現代語訳と訳註
(本文)
除架
束薪已零落,瓠葉轉蕭疏。
幸結白花了,寧辭青蔓除。
秋蟲聲不去,暮雀意何如?
寒事今牢落,人生亦有初。


(下し文)
(架を除く)
束薪【そくしん】己に零落【れいらく】す、瓠葉【こよう】転【うた】た蕭疏【しょうそ】たり。
幸いに白花を結び了【おわ】る、寧【なん】ぞ辞せん青蔓【せいまん】の除かるるを。
秋虫声去らず、暮雀【ぼじゃく】意 何如【いかん】。
寒事 今 牢落【ろうらく】たり、人生も亦た初め有り。


(現代語訳)
ひさご棚をつくっている薪の束はもはや草木の枯れ落ちて淋しいものなっているし、ひさごの葉もいよいよまばら状態になっている。
ひさごの棚をつくっている薪の束はもはや草木の枯れ落ちて淋しいもの成っている、ひさごの葉もいよいよまばら状態になっている。
幸いにも白い花が終わり結んでしまったので、どうして青い蔓だけ残って用のないものは除かれてもかまわないというものだろう。
しかし、秋の虫はこのあたりから去らず鳴いているし、夕ぐれの雀もここへ集まってくるがそのこころもちはどうだろう。
虫や自然界が教えてくれる冬仕度は今やさびしいものである、人生もまたこれと似たところがある。さかえた初めの時節も有ったのである、またはその始まりが来るものである。


(訳注)
除架
 たな。ふくべの葉っぱ(瓠葉)は煮て漬しとして酒の肴にする。晩秋にはその棚を取り払うもの。


束薪已零落,瓠葉轉蕭疏。
ひさごの棚をつくっている薪の束はもはや草木の枯れ落ちて淋しいもの成っている、ひさごの葉もいよいよまばら状態になっている。
束新 たはねたたきざ、たなをつくるために材料として用いたもの。
零落 1 落ちぶれること。2 草木の枯れ落ちること。
瓠葉 ひさご、ふくべ。『詩経「小雅」魚藻之什「瓠葉」』その序に「古気を思うて今を傷むの意」とし、今の幽王を謗る詩としている。
瓠葉
幡幡瓠葉.采之亨之.君子有酒.酌言嘗之
有兔斯首.炮之燔之.君子有酒.酌言獻之
有兔斯首.燔之炙之.君子有酒.酌言酢之
有兔斯首.燔之炮之.君子有酒.酌言酬之
蕭疏 まばら。


幸結白花了,寧辭青蔓除。
幸いにも白い花が終わり結んでしまったので、どうして青い蔓だけ残って用のないものは除かれてもかまわないというものだろう。
青草 あおいつる、ここでは覇を取って食べた残りの蔓に葉が出てこないものをいう。杜甫自身長安朝廷から華州に左遷されたことを示しているのであろう。


秋蟲聲不去,暮雀意何如?
しかし、秋の虫はこのあたりから去らず鳴いているし、夕ぐれの雀もここへ集まってくるがそのこころもちはどうだろう。
意何如 どんな心もちなのだろうか、これもやはり官についての未練を云うのであろうか。


寒事今牢落,人生亦有初。
虫や自然界が教えてくれる冬仕度は今やさびしいものである、人生もまたこれと似たところがある。さかえた初めの時節も有ったのである、またはその始まりが来るものである。
寒事 虫や自然界が教えてくれる冬仕度全般をいうが、ここでは棚をとり去る等の事をさす。
牢落 さびしい。
有初 瓢の棚も始め母が繁り栄えたこと。 『詩経、大雅・蕩之什「蕩」』「靡不有初、鮮克有終。」(初め有らざる靡し克く終わり有るは鮮なし。)開国の始めには天の命を受け、下民によくあたるが終わりには騒乱を招くものが多く、君子はこれを慎み畏れなければいけない。

秦州抒情詩(14) 苦竹 杜甫 <299> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1364 杜甫詩 700- 419

秦州抒情詩(14)    苦竹 杜甫 <299> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1364 杜甫詩 700- 419
《秦州抒情詩(14)    『苦竹』 杜甫700の299首目、杜甫ブログ419回目》

     
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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

東柯谷の山中の苦竹をみて、『詩経 衛風 淇澳篇』に詠う高徳を積んだ君主が竹藪の近くに住み切磋琢磨して宝飾のように輝きを示したことになぞらえてこの詩を読んだ。759年晩秋。
DCF00196




苦竹
青冥亦自守,軟弱強扶持。
苦竹は春の霞のかかる遠い高い山において自己の本性を保守し、軟弱そうにみえてもその強靭なすがたはその本性に支えられている。
味苦夏蟲避,叢卑春鳥疑。
そうであっても春を過ぎると味わいは苦くなって夏の虫も食べないばかりか逃げていくのだ、その叢生したところは背が低いから春の鳥も疑って宿りには来ないのだ。
軒墀曾不重,剪伐欲無辭。
富貴邸宅の軒端近くにはかねてからこれを尊重しないものであり、ただもし用材として使おうとするなら選定して切り取られても辞退せず御用に立ちたいとおもっている。
幸近幽人屋,霜根結在茲。
幸いなことに隠棲する場所として奥まったところに竹藪が近くあるということだ、草木が霜で枯れて寒々とした景色の時期というのにこの山ふかい場所に根を結ぶということで切磋琢磨し輝きを放つ存在になろうというものである。
青冥【せいめい】にも亦た自ら守り、軟弱【なんじゃく】にも強いて扶持【ふじ】す。
味わい苦くして夏虫避け、叢【そう】卑【ひ】くして春鳥疑う。
軒墀【けんち】曾て重んぜず、剪伐【せんばつ】も辞する無きを欲【ねが】う。
幸いに近し幽人の屋、霜根【そうこん】結んで茲【これ】に在り。
真竹003

 
現代語訳と訳註
(本文) 苦竹
青冥亦自守,軟弱強扶持。
味苦夏蟲避,叢卑春鳥疑。
軒墀曾不重,剪伐欲無辭。
幸近幽人屋,霜根結在茲。

(下し文)
(苦 竹)
青冥【せいめい】にも亦た自ら守り、軟弱【なんじゃく】にも強いて扶持【ふじ】す。
味わい苦くして夏虫避け、叢【そう】卑【ひ】くして春鳥疑う。
軒墀【けんち】曾て重んぜず、剪伐【せんばつ】も辞する無きを欲【ねが】う。
幸いに近し幽人の屋、霜根【そうこん】結んで茲【これ】に在り。



(現代語訳)
苦竹は春の霞のかかる遠い高い山において自己の本性を保守し、軟弱そうにみえてもその強靭なすがたはその本性に支えられている。
そうであっても春を過ぎると味わいは苦くなって夏の虫も食べないばかりか逃げていくのだ、その叢生したところは背が低いから春の鳥も疑って宿りには来ないのだ。
富貴邸宅の軒端近くにはかねてからこれを尊重しないものであり、ただもし用材として使おうとするなら選定して切り取られても辞退せず御用に立ちたいとおもっている。
幸いなことに隠棲する場所として奥まったところに竹藪が近くあるということだ、草木が霜で枯れて寒々とした景色の時期というのにこの山ふかい場所に根を結ぶということで切磋琢磨し輝きを放つ存在になろうというものである。



(訳注)
苦 竹
苦竹 マダケまたはメダケの別名。にがたけ、味のよからぬもの、醜竹のことという。条件の良いところでは直径が10センチほどになり、高さも15メートルほどになる繊維の密度、柔軟性、色、つやなどが優れていて最もいろんな方面に使われている竹。皮も食品の包装の他、部分的に籠にも使われる
真竹【マダケ】は中国原産とも日本自生とも言われる竹の一種。別名タケ、ニガタケ(苦竹)、カラタケ(唐竹)、真柄竹。収穫期は5月から6月上旬とされる。別名を苦竹というように、収穫後時間を経過したタケノコはエグみがあり、あく抜きが必要だが美味とされる。掘りたてのものにはエグみがほとんど存在せず、そのままさしみにして食しても美味しい。収穫の際は、モウソウチクのように地下部まで掘り取る必要はなく、地上部を切り取るだけで済む。
竹林は地下茎が地面を広く覆うので地震、崖崩れに非常に強い。

君子のあるべき姿を詠ったもの。
『詩経 衛風 淇澳篇』
瞻彼淇奧.綠竹猗猗.有匪君子.
如切如磋.如琢如磨.瑟兮僩兮.
赫兮咺兮.有匪君子.終不可諼兮

瞻彼淇奧.綠竹青青.有匪君子.
充耳琇瑩.會弁如星.瑟兮僩兮.
赫兮咺兮.有匪君子.終不可諼兮

瞻彼淇奧.綠竹如簀.有匪君子.
如金如錫.如圭如璧.寬兮綽兮.
倚重較兮.善戲謔兮.不為虐兮

 

青冥亦自守,軟弱強扶持。
苦竹は春の霞のかかる遠い高い山において自己の本性を保守し、軟弱そうにみえてもその強靭なすがたはその本性に支えられている。
青冥 五行思想で青は春、絵画の遠近法で青は遠くの山、高い山、などからここでは、春の霞のかかる遠い高い山においてという意味をいう。参考に挙げた『詩経 衛風 淇澳篇』「瞻彼淇奧.綠竹猗猗.」のイメージを踏襲している。また、「青冥」は杜甫『路逢襄揚楊少府入城,戲呈楊四員外綰』において同様に使う。
杜甫 『路逢襄揚楊少府入城,戲呈楊四員外綰』
寄語楊員外,山寒少茯苓。
歸來稍暄暖,當為斸青冥。
翻動神仙窟,封題鳥獸形。


自守 自ずからの性を守り保つ。儒家の節操を比喩している。○軟弱やわらかにしてよわい。○扶持 手助けして支える。
 

味苦夏蟲避,叢卑春鳥疑。
そうであっても春を過ぎると味わいは苦くなって夏の虫も食べないばかりか逃げていくのだ、その叢生したところは背が低いから春の鳥も疑って宿りには来ないのだ。
叢卑 むらがり生えたところがたけのひくいこと。○ 巣作りができる林であるかをうたがう。


軒墀曾不重,剪伐欲無辭。
富貴邸宅の軒端近くにはかねてからこれを尊重しないものであり、ただもし用材として使おうとするなら選定して切り取られても辞退せず御用に立ちたいとおもっている。
軒墀【けんち】 のきば、どえん、これは富貴の家をさす。○剪伐【せんばつ】 「詩経」の(甘棠)にみえる、きり、うちとる。○ 辞退すること。


幸近幽人屋,霜根結在茲。
幸いなことに隠棲する場所として奥まったところに竹藪が近くあるということだ、草木が霜で枯れて寒々とした景色の時期というのにこの山ふかい場所に根を結ぶということで切磋琢磨し輝きを放つ存在になろうというものである。
幽人屋 奥まったしずかな場所に隠棲する人。隠棲する場所に苦竹が必要なのは、儒者が切磋琢磨する場所という意味である。○ 青冥の地をさす。

秦州抒情詩(13) 兼葭 杜甫 <298> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1361 杜甫詩 700- 418

秦州抒情詩(13)   兼葭 杜甫 <298> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1361 杜甫詩 700- 418 

     
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葭 あし002

 《秦州抒情詩(13)  『兼葭』 杜甫700の298首目、杜甫ブログ418回目》
詩経の同じ題の詩に基づき、蘆(片葉あし)をみて適時にできず、不遇で志を得られぬ状態と自分を重ねて詠う。



蒹葭
摧折不自守,秋風吹若何?
この「片葉あし」というものは、くだかれ折られ、しっかり自己を保つことがないのであるから、秋風に吹かれたとしてもどうかなるというのか。(どうにもならない、それは自分のせいなのだ。)
暫時花戴雪,幾處葉沈波。
「片葉あし」は穂花をだすときしばらくの間、花が雪をいただいて立っているが、そこ処処でその葉は波間に沈んでいるのだ。
體弱春苗早,叢長夜露多。
「片葉あし」は春の苗が早くでるがその体質は弱くて、群がって生え背は高くなり、夏にはたくさんの夜露をうけるのである。
江湖後搖落,亦恐歲蹉跎。

「片葉あし」は南方の江湖の地方では他の草木が枯れ、葉がおちるよりかおそいのだけれど、それはまるで時機を逸して、適時にできず、不遇で志を得られぬ状態なのだと気づかわれるのである。


現代語訳と訳註
(本文)
蒹葭
摧折不自守,秋風吹若何?
暫時花戴雪,幾處葉沈波。
體弱春苗早,叢長夜露多。
江湖後搖落,亦恐歲蹉跎。


(下し文)
(兼 葭  けんか)
摧折【さいせつ】自ら守らず、秋風吹くも若何【いか】にせん。
暫時【ざんじ】花雪を戴【いただ】く、幾処【いくつのところ】か葉 波に沈む。
体弱くして春苗【しゅんびょう】早く、叢【そう】長うして夜露【やろ】多し。
江湖【こうこ】搖落【ようらく】に後【おく】るるも 亦た恐る歳に蹉跎【さた】たらんことを


(現代語訳)
この「片葉あし」というものは、くだかれ折られ、しっかり自己を保つことがないのであるから、秋風に吹かれたとしてもどうかなるというのか。(どうにもならない、それは自分のせいなのだ。)
「片葉あし」は穂花をだすときしばらくの間、花が雪をいただいて立っているが、そこ処処でその葉は波間に沈んでいるのだ。
「片葉あし」は春の苗が早くでるがその体質は弱くて、群がって生え背は高くなり、夏にはたくさんの夜露をうけるのである。
「片葉あし」は南方の江湖の地方では他の草木が枯れ、葉がおちるよりかおそいのだけれど、それはまるで時機を逸して、適時にできず、不遇で志を得られぬ状態なのだと気づかわれるのである。


(訳注)
蒹葭

兼葭 あしのくさ。蒹とは。・蒹葭アシやヨシの類.葭 片葉の葦(かたはのあし)。

『詩経・秦風・蒹葭
兼葭蒼蒼,白露為霜。
所謂伊人,在水一方。
溯洄從之,道阻且長;
溯游從之,宛在水中央


とある。枯れ始めた陰暦九月の候をいう。
河の向こう岸にすむ美しい娘がいる。訪ねようと上流に行くと道が険しく、川を渡るには水が多い。不遇で志を得られぬ、果たせない男、やるせない気持ちを歌ったものである。杜甫のこの詩も最終句「歲蹉跎」という語でそのすべてを表している。


摧折不自守,秋風吹若何?
この「片葉あし」というものは、くだかれ折られ、しっかり自己を保つことがないのであるから、秋風に吹かれたとしてもどうかなるというのか。(どうにもならない、それは自分のせいなのだ。)
摧折 茎幹のくだけおれること。〇自守 自己をしっかり保守すること。○吹若何 若何とはいかんともしがたい、自己の責任であるということ。


暫時花戴雪,幾處葉沈波。
「片葉あし」は穂花をだすときしばらくの間、花が雪をいただいて立っているが、そこ処処でその葉は波間に沈んでいるのだ。
暫時 少しの間。しばらく。副詞的にも用いる。―の暇(いとま)をいただきたい。○幾処 いくばくの場所においてか、疑問体で多くの場所を意味する。あっちもこっちも。


體弱春苗早,叢長夜露多。
「片葉あし」は春の苗が早くでるがその体質は弱くて、群がって生え背は高くなり、夏にはたくさんの夜露をうけるのである。
春苗 春のわかなえ。○夜露 夏についていう。


江湖後搖落,亦恐歲蹉跎。
「片葉あし」は南方の江湖の地方では他の草木が枯れ、葉がおちるよりかおそいのだけれど、それはまるで時機を逸して、適時にできず、不遇で志を得られぬ状態なのだと気づかわれるのである。
江湖南方の地をさす。○揺落 草木の葉のゆりおとされる。〇 としどしに。歳相応に。適時に。○蹉跎 時機を失い不遇で志を得られぬ状態。『詩経・秦風・蒹葭』の意味と同じになる。

秦州抒情詩(12)   蛍火 杜甫 <297> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1358 杜甫詩 700- 417

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《秦州抒情詩(12)   『蛍火』 杜甫700の297首目、杜甫ブログ417回目》


ほたるのか細い光を見て詠んだ。
乾元2年 759年 48歳

《『蛍火』 杜甫700の297首目、杜甫ブログ417回目》

hotaru003

蛍火
幸因腐草出、敢近太陽飛。
『禮記・月令』にいうように蛍は幸いにも腐った草の中から生まれ出るという。炎天下に飛ぶこともできないものが太陽に近づいて飛ぶなどということがどうしてできるというのか。
未足臨書巻、時能点客衣。
絹の袋に蛍を集め、その光で書物を照らすだけの十分の光はないが、時として旅人の衣の上に点々と止まるぐらいのことはできる。
随風隔幔小、帯雨傍林微。
また風に吹かれるままに幔幕の外で小さく光ったり、軽い雨をぬれながら林にそうて微かにみえたりはする。
十月清霜重、飄零何処帰。
ところが十月ともなると冴えた夜空に霜が重さなっておくようになると、蛍はおちぶれさすらい、どこかへいって身を落ち着けるのであろうか。


促織
促織甚微細、哀音何動人。
きりぎりすはちっぽけな虫であるが、そのあわれな音はどうしてこんなに人を感動させるのであろう。
草根吟不穏、牀下意相親。
その虫は草の根もとで吟じるのは落ち着かなげであるが、それが閨の寝台の下でなくときはその心は人に親しみを求めてはなしかけるようである。
久客得無涙、故妻難及晨。
この音をきいてはながいあいだ旅人である私も涙なしにはおられないのだ、これでは留守居の人妻たちはとても夜明けまでがまんして聞いてはおられないことだろう。
悲糸与急管、感激異天真。
悲しい琴糸の音と急な指使いの調子の竹笛は人を感激させるものではあるが、「漸く自然に近ければ之れ美なり」という天真の虫の音とは同じようにみられないものである。


現代語訳と訳註
(本文)
蛍火
幸因腐草出、敢近太陽飛。
未足臨書巻、時能点客衣。
随風隔幔小、帯雨傍林微。
十月清霜重、飄零何処帰。


(下し文)
幸いに腐草【ふそう】に因【よ】りて出で、敢【あえ】て太陽に近づいて飛ばんや。
未だ書巻【しょかん】に臨むに足らず、時に能【よ】く客衣【かくい】に点ず。
風に随いては幔【まん】を隔てて小さく、雨を帯びては林に傍【そ】いて微かなり。
十月  清霜【せいそう】重ければ、飄零【ひょうれい】して何【いず】れの処にか帰る。


(現代語訳)
『禮記・月令』にいうように蛍は幸いにも腐った草の中から生まれ出るという。炎天下に飛ぶこともできないものが太陽に近づいて飛ぶなどということがどうしてできるというのか。
絹の袋に蛍を集め、その光で書物を照らすだけの十分の光はないが、時として旅人の衣の上に点々と止まるぐらいのことはできる。
また風に吹かれるままに幔幕の外で小さく光ったり、軽い雨をぬれながら林にそうて微かにみえたりはする。
ところが十月ともなると冴えた夜空に霜が重さなっておくようになると、蛍はおちぶれさすらい、どこかへいって身を落ち着けるのであろうか。


(訳注)
蛍火
幸因腐草出、敢近太陽飛。
『禮記・月令』にいうように蛍は幸いにも腐った草の中から生まれ出るという。炎天下に飛ぶこともできないものが太陽に近づいて飛ぶなどということがどうしてできるというのか。
腐草 くさったくさ。『禮記・月令』篇季夏(6月)「蟋蟀居壁、鷹乃學習. 腐草爲螢。」○近 反語によむ。


未足臨書巻、時能点客衣。
絹の袋に蛍を集め、その光で書物を照らすだけの十分の光はないが、時として旅人の衣の上に点々と止まるぐらいのことはできる。
臨書巻 書物を照らす。・中国の晋、蛍の光を灯りに勉強をした人は車胤、雪の明かりで学問に励んだ人は孫康(そんこう)。車胤の家は貧しく、灯火のための油を得ることが出来なかったので、夏には絹の袋に数十匹の蛍を集め、その光で書物を照らして昼も夜も勉強に励んだ。〇 ときとして。〇点客衣 旅人の衣服に点として留まる。


随風隔幔小、帯雨傍林微。
また風に吹かれるままに幔幕の外で小さく光ったり、軽い雨をぬれながら林にそうて微かにみえたりはする。
随風 かぜのふくまま。〇 室内に張ってあるまく。屋外行楽(夕涼み)の幔幕。〇帯雨 軽く雨にぬれる。


十月清霜重、飄零何処帰。
ところが十月ともなると冴えた夜空に霜が重さなっておくようになると、蛍はおちぶれさすらい、どこかへいって身を落ち着けるのであろうか。
諷零 おちぶれさすらうこと。○ 落ち着く先に身をおくこと。身を落ち着ける。

秦州抒情詩(11)   促織 杜甫 <296> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1355 杜甫詩 700- 416

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《秦州抒情詩(11)   『促織』 杜甫700の296首目、杜甫ブログ416回目》
きりぎりすの鳴く音を聞いて其の物悲しさを詠んだ。
759年乾元2年 48歳

            
促織
促織甚微細、哀音何動人。
きりぎりすはちっぽけな虫であるが、そのあわれな音はどうしてこんなに人を感動させるのであろう。
草根吟不穏、牀下意相親。
その虫は草の根もとで吟じるのは落ち着かなげであるが、それが閨の寝台の下でなくときはその心は人に親しみを求めてはなしかけるようである。
久客得無涙、故妻難及晨。
この音をきいてはながいあいだ旅人である私も涙なしにはおられないのだ、これでは留守居の人妻たちはとても夜明けまでがまんして聞いてはおられないことだろう。
悲糸与急管、感激異天真。
悲しい琴糸の音と急な指使いの調子の竹笛は人を感激させるものではあるが、「漸く自然に近ければ之れ美なり」という天真の虫の音とは同じようにみられないものである。


現代語訳と訳註
(本文)
促織
促織甚微細、哀音何動人。
草根吟不穏、牀下意相親。
久客得無涙、故妻難及晨。
悲糸与急管、感激異天真。


(下し文)
(促 織)
促織【そくしょく】は  甚【はなは】だ微細なるに、哀音【あいおん】  何ぞ人を動かすや。
草根【そうこん】に 吟ずること 穏かならず、牀下【しょうか】に 意 相【あい】親しむ。
久客【きゅうかく】 涙 無きを得んや、故妻【こさい】  晨【あした】に及び難し。
悲糸【ひし】と急管【きゅうかん】と、感激は天真【てんしん】に異なり。


(現代語訳)
きりぎりすはちっぽけな虫であるが、そのあわれな音はどうしてこんなに人を感動させるのであろう。
その虫は草の根もとで吟じるのは落ち着かなげであるが、それが閨の寝台の下でなくときはその心は人に親しみを求めてはなしかけるようである。
この音をきいてはながいあいだ旅人である私も涙なしにはおられないのだ、これでは留守居の人妻たちはとても夜明けまでがまんして聞いてはおられないことだろう。
悲しい琴糸の音と急な指使いの調子の竹笛は人を感激させるものではあるが、「漸く自然に近ければ之れ美なり」という天真の虫の音とは同じようにみられないものである。


 (訳注)
(促 織)

促織 こおろぎ。冬着の仕度を促がす虫という意味。コオロギのなく音が①冬支度の時を教え、②人を感動させ、③詩経の『豳風、七月』のⅠ章からⅧ章までの事項を連想させ、④寡婦にとって悲しさは耐えきれなく、⑤東晉孟嘉「「漸近自然、之美。」と琴や笛より優るという。味わい深い詩となっている。
詩経、『豳風、七月』「」
○授衣 1 冬着の準備をすること。冬の用意をすること。2 陰暦9月の異称。
『詩経』豳風(ひんぷう)「七月」(ふみづき)
七月流火、九月授衣。
一之日觱發、二之日栗烈。
無衣無褐、何以卒歲。
三之日于耜、四之日舉趾、同我婦子。
饁彼南畝、田畯至喜。
(七月には流る火あり、九月衣を授く。
一の日は觱發たり、二の日は栗烈たり。
衣無く褐無くんば、何を以てか歲を卒へん。
三の日 于(ここ)に耜(し)し、四の日 趾(あし)を舉ぐ、我が婦子とともに。
彼の南畝に饁(かれひ)す、田畯至り喜ぶ。)
に基づく句である。
<大意>七月には火星が西に流れる、九月には家族に衣を与えねばならぬ、十一月には風が寒くなり、十二月には激しく吹く、衣がなければ、どうして年を越せようか、明けて三月には鋤の手入れをし、四月には足を上げて耕さねばならぬ、我が妻子とともに、南の畑で働いていると、田んぼの役人さんがやってきて、喜びなさるだろう(流火:火は火星のこと、それが西へ流れるのを流火という、一之日:十一月をさす、田畯:田んぼを管轄する役人)

孟浩然 『題長安主人壁
久廢南山田,叨陪東閣賢。
欲隨平子去,猶未獻甘泉。
枕籍琴書滿,褰帷遠岫連。
我來如昨日,庭樹忽鳴蟬。
促織驚寒女,秋風感長年。
授衣當九月,無褐竟誰憐。
(久しく南山の田を廢し、叨【みだ】りに東閣の賢に陪す。
平子に隨ひて去らんと欲するも、猶は未だ甘泉を献ぜず。
枕席 琴書満ち、帷を褰ぐれば 遠岫連なる。
我来ること昨日のごときも、庭樹 忽ち蝉鴫く。
促織 寒女を驚かし、秋風 長年を感ぜしむ。
衣を授く 九月に當たる、褐無きも竟に誰か憐れまん。)

題長安主人壁 孟浩然「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 李白特集350 -328


促織甚微細,哀音何動人。
きりぎりすはちっぽけな虫であるが、そのあわれな音はどうしてこんなに人を感動させるのであろう。
促織 虫の名、きりぎりすの琴。○微細 形についていう。○ むしのなくこと。


草根吟不穩,床下意相親。
その虫は草の根もとで吟じるのは落ち着かなげであるが、それが閨の寝台の下でなくときはその心は人に親しみを求めてはなしかけるようである。
床下 『詩経』豳風(ひんぷう)「七月」(ふみづき)5章
五月斯螽動股、六月莎鶏振羽。
七月在野、八月在宇、九月在戸、十月蟋蟀。
入我牀下、穹窒熏鼠、塞向墐戸、嗟我婦子。
曰爲改歳、入此室處。
 ○ むしのこころもち。


久客得無淚?故妻難及晨。
この音をきいてはながいあいだ旅人である私も涙なしにはおられないのだ、これでは留守居の人妻たちはとても夜明けまでがまんして聞いてはおられないことだろう。
久客 ながくよそにでているたびびと。○得無涙 得は反語によむ、上に「焉」の字をいれてみる。○故妻 寡婦。棄てられたつま、留守居の妻・やもめの女をさす。○難及農 たえがたいことをいう。


悲絲與急管,感激異天真。
悲しい琴糸の音と急な指使いの調子の竹笛は人を感激させるものではあるが、「漸く自然に近ければ之れ美なり」という天真の虫の音とは同じようにみられないものである。
悲糸 悲しげな琴糸のおと。○急管 急な指使いの調子の竹笛。いわゆる「ピィーーッコロコロコロッ!」という感じであろうか。○感激 きく人の情をして感じ激させること。○天真 きりぎりす、コオロギの天然ありのままの音。○この聯、二句は、器楽と声楽を比較して“東晉孟嘉(296-349)絲不如竹,竹不如肉。」「漸近自然」之美。(絲は竹に如かず,竹は肉に如かず。漸く自然に近ければ之れ美なり。)”に基づいて作られている。
 「龍山落帽」とは、中国の晋の時代、龍山で開かれた重陽の酒宴に招かれた孟嘉が風で帽子を飛ばされたにも関わらず、平然と酒を飲み続けたという故事。中国では、人前で帽子をとることは極めて恥ずかしいこととされていたため、この席を囲んだ者たちは、孟嘉を嘲る詩を作ったが、孟嘉は機知をもってこれに返した。 帽子が脱げた孟嘉を周りの者たちがじろじろと見、卓に背を向けて彼を嘲る詩を作る者も描かれるが、孟嘉は平然と盃を傾ける。



『詩経』豳風(ひんぷう)「七月」(ふみづき)
〔Ⅰ〕 
七月流火 九月授衣
一之日觱発 二之日栗烈
無衣無褐 何以終歳
三之日于耜 四之日舉趾
同我婦子 饁彼南畝
田畯至喜
 
〔Ⅱ〕 
七月流火 九月授衣
春日載陽 有鳴倉庚
女執懿筐 遵彼微行
爰求柔桑 春日遲遲
采蘩祁祁 女心傷悲
殆及公子同歸
 
〔Ⅲ〕 
七月流火 八月萑葦
蠶月條桑 取彼斧〓
以伐遠揚 猗彼女桑
七月鳴鵙 八月載績
載玄載黄 我朱孔陽
爲公子裳
 
〔Ⅳ〕 
四月秀葽 五月鳴蜩
八月其穫 十月隕蘀
一之日于貉 取彼狐狸
爲公子裘
二之日其同 載纉武功
言私其豵 獻豣于公
 
〔Ⅴ〕 
五月斯螽動股 六月莎鶏振羽
七月在野 八月在宇
九月在戸 十月蟋蟀
入我牀下 穹窒熏鼠
塞向墐戸
嗟我婦子 曰爲改歳
入此室處


〔Ⅵ〕 
六月食鬱及薁 七月亨葵及菽
八月剥棗 十月穫稲
爲此春酒 以介眉壽
七月食瓜 八月斷壺
九月叔苴 采荼薪樗
食我農夫
 
〔Ⅶ〕 
九月築場圃 十月納禾稼
黍稷重〓 禾麻菽麥
嗟我農夫 我稼既同
上入執宮功績
晝爾于茅 宵爾索綯
亟其乘屋 其始播百穀
 
 
〔Ⅷ〕
二之日鑿冰沖沖
三之日納于凌陰
四之日其蚤獻羔祭韭
九月粛霜 十月滌場
朋酒斯饗 曰殺羔羊
躋彼公堂
稱彼兕觥 萬壽無疆

秦州抒情詩(10)   搗衣(擣衣) 杜甫 <295> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1352 杜甫詩 700- 415

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《秦州抒情詩(10)   『搗衣(擣衣)』 杜甫700の295首目、杜甫ブログ415回目》
出征している夫の妻が衣をうつことをのべる。その妻のこころを代ってのべたさまである。秋の風物詩である。


擣衣
亦知戍不返,秋至拭清砧。
今年もまた辺境のまもりにでている夫が返ってはこないことがわかったので、わたしは秋がきたから汚れを「きぬた」払って冬の寒さの仕度をする。
已近苦寒月,況經長別心。
もはや貧しいものに厳しい苦寒の月もまぢかになってきた、ましてもう長く別れている妻の私の心もちにおいていえるのだ。
寧辭擣衣倦,一寄塞垣深。
どうして衣を打つに疲れるぐらいのことを厭おうというのか、厭いはしない。心はただ一つ、着物を仕立てて奥まった遠い塞にいる人のところへ送ってやろうとおもうばかりなのである。
用盡閨中力,君聽空外音。

この閨に住んでいる女の力を精一杯だして衣を打つのであるが、あなたは空に伝わるその音をどうぞ心とめて聞いてください。

DCF00218



現代語訳と訳註
(本文)
擣衣
亦知戍不返,秋至拭清砧。
已近苦寒月,況經長別心。
寧辭擣衣倦,一寄塞垣深。
用盡閨中力,君聽空外音。


(下し文) (衣を擣つ)
亦た知る戊【じゅう】の返らざるを、秋至りて清砧【せいちん】を拭【ぬぐ】う。
己に近し苦寒の月、況【いわ】んや長別の心を経たるをや。
寧【なん】ぞ辭せん擣衣【とうい】の倦【う】むを,一に塞垣【さいえん】の深きに寄す。
用い尽くす閨中【けいちゅう】の力 君聴け空外【くうがい】の音を。


(現代語訳)
今年もまた辺境のまもりにでている夫が返ってはこないことがわかったので、わたしは秋がきたから汚れを「きぬた」払って冬の寒さの仕度をする。
もはや貧しいものに厳しい苦寒の月もまぢかになってきた、ましてもう長く別れている妻の私の心もちにおいていえるのだ。
どうして衣を打つに疲れるぐらいのことを厭おうというのか、厭いはしない。心はただ一つ、着物を仕立てて奥まった遠い塞にいる人のところへ送ってやろうとおもうばかりなのである。
この閨に住んでいる女の力を精一杯だして衣を打つのであるが、あなたは空に伝わるその音をどうぞ心とめて聞いてください。


(訳注)
擣衣

搗衣(擣衣)【とうい】砧【きぬた】で衣を打つこと。「擣【う】つ砧を臼にいれ、布を杵(棒杵)でつく。砧でつくのは洗濯ではなく、冬用の厚いごわごわした布を柔軟にするため。
李白『子夜呉歌其三 秋』「長安一片月、万戸擣衣声。秋風吹不尽、総是玉関情。何日平胡虜、良人罷遠征。」(長安 一片の月、万戸衣を擣つの声。秋風 吹いて尽きず、総て是れ玉関【ぎょくかん】の情。何【いず】れの日か胡虜【こりょ】を平らげ、良人 遠征を罷【や】めん。)

李白24 子夜呉歌其三 秋 25 冬

 謝惠連 『擣衣』 
衡紀無淹度,晷運倐如催。白露滋園菊,秋風落庭槐。
肅肅莎雞羽,烈烈寒螿啼。夕陰結空幙,宵月皓中閨。
美人戒裳服,端飾相招攜。簪玉出北房,鳴金步南階。
櫩高砧響發,楹長杵聲哀。微芳起兩袖,輕汗染雙題。
紈素既已成,君子行未歸。裁用笥中刀,縫為萬里衣。
盈篋自余手,幽緘候君開。腰帶準疇昔,不知今是非。


亦知戍不返,秋至拭清砧。
今年もまた辺境のまもりにでている夫が返ってはこないことがわかったので、わたしは秋がきたから汚れを「きぬた」払って冬の寒さの仕度をする。
亦知 亦は今年もまたの意、知るは閏婦が知るのである。○ 屯守すること、ここはまもりにでかけている人すなわち夫をさす。○ ほこりをぬぐいさる。○清砧 さっぱりしたきぬた、砧は衣をうつ台石をいう。


已近苦寒月,況經長別心。
もはや貧しいものに厳しい苦寒の月もまぢかになってきた、ましてもう長く別れている妻の私の心もちにおいていえるのだ。
苦寒 月仲冬の頃をさす。魏武帝(曹操)『苦寒行』『薦士』韓退之(韓愈)「酸寒溧陽尉,五十幾何耄。」・酸寒 

苦寒 韓愈<45#8 Ⅱ韓退之(韓愈)327 紀頌之の漢詩ブログ 1060

薦士 韓退之(韓愈)詩<62-#5>Ⅱ中唐詩372 紀頌之の漢詩ブログ1195

中唐詩-287 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #6 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#6



寧辭擣衣倦,一寄塞垣深。
どうして衣を打つに疲れるぐらいのことを厭おうというのか、厭いはしない。心はただ一つ、着物を仕立てて奥まった遠い塞にいる人のところへ送ってやろうとおもうばかりなのである。
一寄 一は専一。○塞垣 とりでといしがき:長城のあたりをさす。○ 西域・北方の奥地へ入り込むことの深いことをいう、遠いこと。


用盡閨中力,君聽空外音。
この閨に住んでいる女の力を精一杯だして衣を打つのであるが、あなたは空に伝わるその音をどうぞ心とめて聞いてください。
閨中力 婦人の力をいう。○ 夫をさす。○空外音 空外は天外の意、


秦州抒情詩(9)   歸燕 杜甫 <294> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1349 杜甫詩 700- 414

秦州抒情詩(9)   歸燕 杜甫 <294> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1349 杜甫詩 700- 414 


     
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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     





杜甫の鳥獸蟲魚類について整理してみると次のようにある。
五言律詩  
『鸚鵡』、『子規』、『百舌』、『歸鴈二首』、『歸鴈』、『孤鴈』、『鸂鶒』、『花鴨』、『房兵曹胡馬』、『病馬』、『麂』、    『促識』、『螢火』、『白小』

歸鴈二首
其一:. 東來萬里客,亂定幾年歸。 腸斷江城雁,高高正北飛。
其二:. 聞道今春雁,南歸自廣州。見花辭漲海,避雪到羅浮。 是物關兵氣,何時免客愁。年年霜露隔,不過五湖秋。

七言律詩
『見王監兵馬使嚇説近山有白黒二鷹羅者久取竟未能得王以爲毛骨有畢他墜恐臘後春生騫飛遜煖勁翩思秋之甚眇』、『不可見請予賦詩』、『燕子來舟中作』、『見螢火』  

五言古詩 
『杜鵑』、『痩馬行』、『義鶻行』、『畫鶻行』、『驄馬行』、『天育驃騎歌』、『畫鷹』、『沙苑行』



《『歸燕』 杜甫700の294首目、杜甫ブログ414回目》

歸燕
不獨避霜雪,其如儔侶稀。
燕は単独で居残りはしないことは霜雪を避けているからだ。それは伴侶や仲間がいないことなどありえないことなのだ。
四時無失序,八月自知歸。
一日の四時、一年の季節についてよくわかっていて忘れることなどないのだ。仲秋八月になれば自ずから帰る時を知るのだ。
春色豈相訪?眾雛還識機。
そして、春の気配と萌木色の景色になると心配なく互いに決めていたところに訪れるのだ。そして、巣には多くの幼少なこどもを育て又その時期が来るのを認識するのである。
故巢倘為毀,會傍主人飛。
その何時もの巣がたとえ壊れてうしなってしまったとしても、仲間は必ず会い傍らに詩人と一緒に飛んでいくものなのだ。



現代語訳と訳註
(本文)
 『歸燕』
不獨避霜雪,其如儔侶稀。四時無失序,八月自知歸。
春色豈相訪?眾雛還識機。故巢倘為毀,會傍主人飛。


(下し文)
獨ならずは霜雪を避けるなり,其れ儔侶【ちゅうりょ】稀れなるが如し。
四時【しじ】序を失うこと無し,八月 自ら歸えるを知る。
春色して豈に相訪んや?眾雛して還た機を識る。
故巢 倘【もし】毀【き】と為さば,會いて傍に主人飛ぶ。


(現代語訳)
燕は単独で居残りはしないことは霜雪を避けているからだ。それは伴侶や仲間がいないことなどありえないことなのだ。
一日の四時、一年の季節についてよくわかっていて忘れることなどないのだ。仲秋八月になれば自ずから帰る時を知るのだ。
そして、春の気配と萌木色の景色になると心配なく互いに決めていたところに訪れるのだ。そして、巣には多くの幼少なこどもを育て又その時期が来るのを認識するのである。
その何時もの巣がたとえ壊れてうしなってしまったとしても、仲間は必ず会い傍らに詩人と一緒に飛んでいくものなのだ。


(訳注)
歸燕
天河 初月 などと同時期の作品。7月初め、秦州に来て隠棲の各候補地を見て回り「秦州雑詩二十首」「遣興五首」「遣興三首」など親戚、知人に贈り、応援を要請したのだろう。8月になると何もすることがなかったのだろうと思う。律詩ばかり作っている。この「歸燕」詩は、杜甫の本気度からいうと少し欠けている作品で、注釈、解説に取り上げられたことのない作品である。この詩には孤独感は感じられない。むしろ、期待感を感じる。


同時期の作品は下記の通りである。
東樓 杜甫 <286> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1325 杜甫詩 700- 406
雨晴 杜甫 <287> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1328 杜甫詩 700- 407
寓目 杜甫 <288> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1331 杜甫詩 700- 408
山寺 杜甫 <289> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1334 杜甫詩 700- 409
即事 杜甫 <290> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1337 杜甫詩 700- 410
遺懷 杜甫 <291> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1340 杜甫詩 700- 411
天河 杜甫 <292> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1343 杜甫詩 700- 412
初月 杜甫 <293> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1346 杜甫詩 700- 413
歸燕 杜甫 <294> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1349 杜甫詩 700- 414
搗衣(擣衣) 杜甫 <295> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1352 杜甫詩 700- 415
促織 杜甫 <296> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1355 杜甫詩 700- 416
蛍火 杜甫 <297> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1358 杜甫詩 700- 417
兼葭 杜甫 <298> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1361 杜甫詩 700- 418
苦竹 杜甫 <299> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1364 杜甫詩 700- 419
除架 杜甫 <300> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1367 杜甫詩 700- 420
廃畦 杜甫 <301> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1370 杜甫詩 700- 421
夕烽 杜甫 <302> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1373 杜甫詩 700- 422
日暮 杜甫 <303> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1376 杜甫詩 700- 423
秋笛 杜甫 <304> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1379 杜甫詩 700- 424
野望 杜甫 <305> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1382 杜甫詩 700- 425
空囊 杜甫 <306> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1385 杜甫詩 700- 426
秋日阮隠者致薤三十束 杜甫 <307> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1388 杜甫詩 700- 427
病馬 杜甫 <308> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1391 杜甫詩 700- 428
蕃剣 杜甫 <309> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1394 杜甫詩 700- 429
銅瓶 杜甫 <310> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1397 杜甫詩 700- 430


不獨避霜雪,其如儔侶稀。
獨ならずは霜雪を避けるなり,其れ儔侶【ちゅうりょ】稀れなるが如し。
燕は単独で居残りはしないことは霜雪を避けているからだ。それは伴侶や仲間がいないことなどありえないことなのだ。
儔侶【ちゅうりょ】なかま。ともがら。儔侶(朋友,伴侶);儔匹(伴侶);儔伴(伴侶,同伴).  同類,輩。


四時無失序,八月自知歸。
四時【しじ】序を失うこと無し,八月 自ら歸えるを知る。
一日の四時、一年の季節についてよくわかっていて忘れることなどないのだ。仲秋八月になれば自ずから帰る時を知るのだ。
四時【しじ】 ・1年の四つの季節、春夏秋冬の総称。四季。・1か月中の四つの時。晦(かい)・朔(さく)・弦・望。・一日中の4回の読経の時。早晨(そうしん)(朝午前4時)・晡時(ほじ)(昼午前10時)・黄昏(こうこん)(夕方午後8時)・後夜(ごや)(夜午後8時)の座禅。ここでは一日中の4回の読経のとき。
孟浩然『夏日辮玉法師茅齋』
夏日茅齋裏,無風坐亦涼。竹林深筍穊,籐架引梢長。
燕覓巢窠處,蜂來造蜜房。物華皆可玩,花蕊四時芳。
 宮殿の東西の仕切り。順序。書物のはしがき、初めの文。別れの時に贈る文。 季節のことで、別に「四序」ともいう。


春色豈相訪?眾雛還識機。
春色して豈に相訪んや?眾雛して還た機を識る。
そして、春の気配と萌木色の景色になると心配なく互いに決めていたところに訪れるのだ。そして、巣には多くの幼少なこどもを育て又その時期が来るのを認識するのである。
衆雛 多くの幼少なこども。いつもは鳥のように騒いでいることをいうため雛と使う。
杜甫『彭衙行』「眾雛爛熳睡,喚起沾盤飧。」(衆雛(しゅうすう) 爛漫(らんまん)として睡(ねむ)る、喚び 起して 盤飧(ばんそん)に 沾(うるお)わしむ。)


故巢倘為毀,會傍主人飛。
故巢 倘【もし】毀【き】と為さば,會いて傍に主人飛ぶ。
その何時もの巣がたとえ壊れてうしなってしまったとしても、仲間は必ず会い傍らに詩人と一緒に飛んでいくものなのだ。
 もしも,仮に倘有困难なにか困難があれば
倘或不能来,请先通知来られなければ,あらかじめ知らせて下さい.倘来之物:思い掛けなく得た利益,棚ぼた.
【キ】こわす こぼつ そしる1 破りこわす。「毀棄・毀傷・毀損/破毀」 2 悪口を言う。そしる。



参考 758年杜甫は謝拾遺で朝廷に務めていた時、役目から疎外されていた時に作った作品。
孤雁
孤雁不飲啄、飛鳴声念羣。
誰憐一片影、相失万重雲。
望尽似猶見、哀多如更聞。
野鵶無意緒、鳴噪自粉粉。

孤雁【こがん】は啄【ついば】みて飲【いん】せず、飛鳴【ひめい】するは 群を念【おも】う声なり。
誰か一片の影に憐れむや、相いに万重【ばんちょう】の雲に失する。
望み尽す 猶【な】お見るに似たりを、哀しみ多し 更に聞くが如し。
野鵶【やあ】  意緒【いしょ】無く、鳴噪【めいそう】  自【おのずか】ら粉粉【ふんぷん】たり。

孤雁(孤雁不飲啄) 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 283

秦州抒情詩(8)  初月 杜甫 <293> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1346 杜甫詩 700- 413

秦州抒情詩(8)  初月 杜甫 <293> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1346 杜甫詩 700- 413





はつづき、みかづきをみてそのさまを詠んでいる。759年乾元二年秦州での作。以下「苦竹」に至るまで皆同期の秦州抒情詩 作85首(1) 85首(2)のうちこのブログで秦州抒情詩と名付けているものである。この詩は杜甫『天河』と並べて読むものである。


銀河002
 
天河
常時任顯晦,秋至輒分明。
いつもの天の川ははっきり見えたりくらくて見えなかったり時に任せた様子をしているが、秋になればうってかわっていよいよはっきりみえてくる。
縱被微雲掩,終能永夜清。
たとえある時すこしの浮雲にふさがれ、おおわれるとしても、結局は秋のながい夜においては澄み渡るのである。
含星動雙闕,伴月照邊城。
その光は星の光をつつんで先ずここより東の都の大明宮の小門に働きだし、月光とともにはるか西にかたよった秦州の樓塞まで傾いて照らしてくれる。
牛女年年渡,何曾風浪生。

この河には毎年牽牛と織女が渡って逢うというのであるが、その時だけ天河の風浪がないのだろうが旅人の我々夫婦には波浪が今生じているのだ。
(天 河)
常時顕晦【けんかい】に任す、秋至れば転【うた】た分明【ぶんめい】なり。
縦【たと】い浮雲に掩被【えんぴ】されるも、終【つい】に能く永夜【えいや】清し。
星を含みて双闕【そうけつ】に動き、月に伴いて辺城に落つ。
牛女 年年渡る、何ぞ曾て風浪【ふうろう】生ぜん。


初  月
八月三日の月
光細弦欲上,影斜輪未安。
初月、三日月は、その光が細くこの日その弦形の尖端をうわむきにしている、しかしその影の部分は半円形の底辺のあたりはおちつかぬさまだ。三日月の影の部分が広がって満月になるエネルギー、そのことは自分の夢、希望を満たすことであり、それが自分とその家族の安寧、安定、おちつきにつながる輪、満月の満足までにはなっていない。
微升古塞外,已隱暮雲端。
それであまのがわは秋の鮮明な輝き色を依然として変わらないし、辺境の塞・関所はむなしくそしていたずらに寒そうになってくる。
河漢不改色,關山空自寒。
この初月、三日月はちょっと秦州の古くからあるこの塞のすこし上にのぼりかけた、はや遅い時間の雲の端にかくれてしまっている。
庭前有白露,暗滿菊花團。

庭先をみればもう白露がおりている。菊の花のうえにしとどにおいておる。三日月で葉影、木陰に暗い闇が広がり、菊花が妓女の舞う団扇のように満ち溢れている。



現代語訳と訳註
(本文)

光細弦欲上,影斜輪未安。微升古塞外,已隱暮雲端。
河漢不改色,關山空自寒。庭前有白露,暗滿菊花團。


(下し文) (初 月【はつづき】)
光細くして弦 初めて上る、影斜めにして輪 未だして安からず。
微【わずか】に升る古塞の外、己に隠る暮雲の端。
河漢【かかん】色を改めず、関山【かんざん】空しく自ずから寒し。
庭前に白露あり、暗に菊花の団に満ちる。


(現代語訳)
八月三日の月
初月、三日月は、その光が細くこの日その弦形の尖端をうわむきにしている、しかしその影の部分は半円形の底辺のあたりはおちつかぬさまだ。三日月の影の部分が広がって満月になるエネルギー、そのことは自分の夢、希望を満たすことであり、それが自分とその家族の安寧、安定、おちつきにつながる輪、満月の満足までにはなっていない。
それであまのがわは秋の鮮明な輝き色を依然として変わらないし、辺境の塞・関所はむなしくそしていたずらに寒そうになってくる。
この初月、三日月はちょっと秦州の古くからあるこの塞のすこし上にのぼりかけた、はや遅い時間の雲の端にかくれてしまっている。
庭先をみればもう白露がおりている。菊の花のうえにしとどにおいておる。三日月で葉影、木陰に暗い闇が広がり、菊花が妓女の舞う団扇のように満ち溢れている。

moon3402

 (訳注)
(初 月)

八月三日の月
初月【はつづき】三日月。陰暦で月の初めに西の空に見える細い月。陰暦八月三日の月を指すこともあり、「秋」の季語でもある。 また、月と太陽の視黄経が等しくなるその時刻を指し、朔(さく)と言われることもある。新月 には美しい浄化のエネルギーに満ちあふれており、何かを始めるのには最適な時刻だと感じて作った作である。
また、陰暦8月の初月というのであれば、杜甫が秦州に来て間もないころの作となるし、あるいは9月の初旬の月であろうか。


光細弦欲上,影斜輪未安。
初月、三日月は、その光が細くこの日その弦形の尖端をうわむきにしている、しかしその影の部分は半円形の底辺のあたりはおちつかぬさまだ。三日月の影の部分が広がって満月になるエネルギー、そのことは自分の夢、希望を満たすことであり、それが自分とその家族の安寧、安定、おちつきにつながる輪、満月の満足までにはなっていない。
弦欲上 月の弦形がうわむきになる。○ 三日月の底辺が円弧をなし、微かなリングをなすことをいう。○ 三日月の影の部分が広がって満月になるエネルギー、そのことは自分の夢、希望を満たすことであり、それが自分とその家族の安寧、安定、おちつきにつながる。


微升古塞外,已隱暮雲端。
この初月、三日月はちょっと秦州の古くからあるこの塞のすこし上にのぼりかけた、はや遅い時間の雲の端にかくれてしまっている。
古塞 古くからある秦州の塞をさす。古い塞と訳すと荒れ果てた古城という意味になる。


河漢不改色,關山空自寒。
それであまのがわは秋の鮮明な輝き色を依然として変わらないし、辺境の塞・関所はむなしくそしていたずらに寒そうになってくる。
河漢 あまのがわ。天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。杜甫『天河』。○不改色 この時期の天の川は最もはっきりと見える。それが月によって色を変えられることはない、天の川によって希望を叶えるには川はなくなりはしない。変わらない意志・決意をいう。○關山 辺境の塞・関所をいう。杜甫『洗兵行(洗兵馬)』「三年笛裡關山月,萬國兵前草木風。」洗兵行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ992 杜甫特集700- 295杜甫『登岳陽樓』「昔聞洞庭水,今上岳陽樓。呉楚東南坼,乾坤日夜浮。親朋無一字,老病有孤舟。戎馬關山北,憑軒涕泗流。」、李白31 『関山月』「明月出天山、蒼茫雲海間。長風幾萬里、吹度玉門關。漢下白登道、胡窺青海灣。由來征戰地、不見有人還。戍客望邊色、思歸多苦顏。高樓當此夜、歎息未應閑。」高適『塞上聞吹笛』「借問梅花何處落,風吹一夜滿關山。」とある。関所となるべき要害の山。また、ふるさとの四方をとりまく山。故郷。などの意味がある。高適の詩(2 塞上聞吹笛  田家春望 (1)除夜作○寒 人のこころよりしていう、初月、八月三日の月(9月初)は寒くなっていく月夜を謂うが、ここに至るまで、左拾遺での朝廷・華州司公参軍における二年に及ぶ疎外感はさむいことであったろう。


庭前有白露,暗滿菊花團。
庭先をみればもう白露がおりている。菊の花のうえにしとどにおいておる。三日月で葉影、木陰に暗い闇が広がり、菊花が妓女の舞う団扇のように満ち溢れている。
 新月、三日月で葉影、木陰に暗い闇が広がる。○ 菊花が妓女の舞う団扇のようにある。新月のこれから先のエネルギーを詠い、嫦娥、宝玉など月にかかわる伝説を感じ取らせる詩人として生きていく杜甫の秀作である。

 moon4733

光細くして弦 初めて上る、影斜めにして輪 未だして安からず。
微【わずか】に升る古塞の外、己に隠る暮雲の端。
河漢【かかん】色を改めず、関山【かんざん】空しく自ずから寒し。
庭前に白露あり、暗に菊花の団に満ちる。
 

     
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《秦州抒情詩(8)  『初月』 杜甫700の293首目、杜甫ブログ413回目》

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