杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

2012年10月

“同谷紀行(2)” 赤穀 杜甫 <322>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1526 杜甫詩 700- 473

 
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“同谷紀行(2)” 赤穀 杜甫 <322>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1526 杜甫詩 700- 473 
詩 題:“同谷紀行(2)” 赤穀
掲 載; 杜甫700の322首目-#2
杜甫ブログ;473回目

1.發秦州→ 2.赤穀→ 3.鐵堂峽→ 4.鹽井→ 5.寒峡→ 6.法鏡寺→ 7.青陽峡→ 8.龍門鎮→ 9.石龕→ 10.積草嶺→ 11.泥功山→ 12.鳳凰台

厳しい寒さの中を、これから旅立つものがある、老年を迎え、いつまたここを訪れることが出来るか、定かならぬ身であるのに
朝に赤穀の亭を出発すれば、前途の険しい旅路が待っている、道には石が積もり、車の轍さえ刻めぬ、車はギクシャクとしてすでに幾度も脂を注いだ
深い山中で吹き荒れる風に苦しみながら、夕方になると幼い子供が飢えを訴えて泣く、村里ははるかかなた、施しを求めようにも余りに遠い
こんな年になって貧しさに落ちぶれ、故郷で安穏に暮らすこともままならぬ、このままでは旅にして行き倒れ、高人の笑いの種になるのではないかと恐れるばかりだ


赤穀
天寒霜雪繁,遊子有所之。
天気は寒く、霜と雪がふる季節になっても松柏が寒気にめげしげっている、こんな時旅人はひたすら旅を行くのである。
豈但歲月暮?重來未有期。
ただ、この年のくれにさしかかろうとしているが、ここには再びもう来ることはないだろうと思う。
晨發赤穀亭,險艱方自茲。
日出のころに赤谷の駅を出発するのである、行く路の艱難はこれからいよいよ始まるということになる。
亂石無改轍,我車已載脂。

道の乱れた石がすごいのにわだちを別に変えられる道はないし、我々一行の車には道に入る前に油を指している。

#2
山深苦多風,落日童稚饑。
山はやがて深くなるのに風が吹きまくるのにはとても苦しんだ、日の落ちかかるころになると幼い子供たちはおなかがすいたといっている。
悄然村墟迥。煙火何由追?
村里ははるか遠くとなっていく、あの見えているかまどの煙の上がっているところまでどうしたら着くことが出来るのだろうかとしょんぼりとなってしまう。
貧病轉零落,故鄉不可思。
わたしには持病があったが、こちらに来てから床に伏しがちで、その上貧しさのために治すこともしないままで落ちぶれ果てているのである。そして、いま、安史軍に分断された遠い東国の故郷のことを思うことさえできなくなっている。
常恐死道路。永為高人嗤。
こうして家族総出の旅人となって恐れることというのは、「論語」にいう「道端に野垂れ死する。」ということがあって、かの「虎渓三笑」の高士たちに何時までも笑われてしまうことになることなのである。



(赤穀)
天寒くして霜雪【そうせつ】繁し、遊子之く所有り。
豈に但に歲月の暮るるのみならんや、重ねて來ること未だ期有らず。
晨【あした】に赤穀の亭を發す、險艱【けんかん】方【まさ】に茲【ここ】よりす。
亂石【らんせき】轍を改むるべくなく、我が車已に載【すなわ】ち脂さす。
#2
山深こうして多風に苦しみ、落日 童稚【どうち】饑【う】う。
悄然【しょうぜん】たり村墟【そんきょ】の迥かなるに、煙火 何【いずこ】由よか追はん。
貧病【ひんびょう】轉【うた】た零落【れいらく】す、故鄉 思ふ可からず。
常に恐る 道路に死して、永く為す 高人の嗤【わら】われんことを。



現代語訳と訳註
(本文)

#2
山深苦多風,落日童稚饑。悄然村墟迥。煙火何由追?
貧病轉零落,故鄉不可思。常恐死道路。永為高人嗤。


(下し文) #2
山深こうして多風に苦しみ、落日 童稚【どうち】饑【う】う。
悄然【しょうぜん】たり村墟【そんきょ】の迥かなるに、煙火 何【いずこ】由よか追はん。
貧病【ひんびょう】轉【うた】た零落【れいらく】す、故鄉 思ふ可からず。
常に恐る 道路に死して、永く為す 高人の嗤【わら】われんことを


(現代語訳)
山はやがて深くなるのに風が吹きまくるのにはとても苦しんだ、日の落ちかかるころになると幼い子供たちはおなかがすいたといっている。
村里ははるか遠くとなっていく、あの見えているかまどの煙の上がっているところまでどうしたら着くことが出来るのだろうかとしょんぼりとなってしまう。
わたしには持病があったが、こちらに来てから床に伏しがちで、その上貧しさのために治すこともしないままで落ちぶれ果てているのである。そして、いま、安史軍に分断された遠い東国の故郷のことを思うことさえできなくなっている。
こうして家族総出の旅人となって恐れることというのは、「論語」にいう「道端に野垂れ死する。」ということがあって、かの「虎渓三笑」の高士たちに何時までも笑われてしまうことになることなのである。


(訳注) 赤穀 #2
山深苦多風,落日童稚饑。
山はやがて深くなるのに風が吹きまくるのにはとても苦しんだ、日の落ちかかるころになると幼い子供たちはおなかがすいたといっている。
童稚 子供たち。


悄然村墟迥。煙火何由追?
村里ははるか遠くとなっていく、あの見えているかまどの煙の上がっているところまでどうしたら着くことが出来るのだろうかとしょんぼりとなってしまう。
悄然 1 元気がなく、うちしおれているさま。しょんぼり。2 ひっそりと静かなさま。こころもしおしおとなる。
煙火 村人の焚く炊煙。杜甫『秦州雑詩二十首 其十』
雲気椄崑崙、涔涔塞雨繁。
羌童看渭水、使客向河源。
煙火軍中幕、牛羊嶺上村。
所居秋草静、正閉小蓬門。
秦州雜詩二十首 其十 杜甫 第3部 <263> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1238 杜甫詩 700- 377

貧病轉零落,故鄉不可思。
わたしには持病があったが、こちらに来てから床に伏しがちで、その上貧しさのために治すこともしないままで落ちぶれ果てているのである。そして、いま、安史軍に分断された遠い東国の故郷のことを思うことさえできなくなっている。
・零落 1 落ちぶれること。2 草木の枯れ落ちること。『除架』「束薪已零落,瓠葉轉蕭疏。」
秦州抒情詩(15) 除架 杜甫 <300> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1367 杜甫詩 700- 420
『佳人』「自雲良家子,零落依草木。」
佳人 <229-#1>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1109 杜甫特集700- 334


常恐死道路。永為高人嗤。
こうして家族総出の旅人となって恐れることというのは、「論語」にいう「道端に野垂れ死する。」ということがあって、かの「虎渓三笑」の高士たちに何時までも笑われてしまうことになることなのである。
死道路 道端に野垂れ死する。『論語・子罕』「予死於道路乎。」に基づく。
爲髙人嗤:「爲髙人所嗤」の意。 髙人:徳の高い人。ここでの笑われたくない高士は「虎渓三笑」の故事にもとづいている。
参考1
<虎渓三笑>儒教、仏教、道教の三人の賢者が話しに夢中のあまり、気がつくと思いも掛けないところまで来ていたという故事に基づいている。 中国浄土教の開祖で廬山(江西省にある山)の東林精舎の主、慧遠(えおん)法師は来客を見送る際は精舎の下の虎渓という谷川の手前で足を止めまだ虎渓を渡ったことがなかった。 ところがある日、詩人・陶淵明(とうえんめい)と道士の陸修静(りくしゅうせい)の二文人高士を見送った時には、話に夢中で虎渓を越えてしまい虎の吠える声を聞いて初めてそれと気づいた三人はここで大笑をしたという. 

参考2
人に笑われることが嫌だという詩は陶淵明の詩にもある。
陶淵明『擬古九首其六』
・・・・・
裝束既有日、 已與家人辭。
行行停出門、 還坐更自思。
不怨道裏長、 但畏人我欺。
萬一不合意、 永為世笑嗤。
伊懷難具道、 為君作此詩。

“同谷紀行(2)” 赤穀 杜甫 <322>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1523 杜甫詩 700- 472

 
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“同谷紀行(2)” 赤穀 杜甫 <322>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1523 杜甫詩 700- 472

詩 題:“同谷紀行(2)” 赤穀 五言古詩
時 期:乾元2年10月 759年 48歳
掲 載; 杜甫700の322首目-#1
杜甫ブログ;472回目

1.發秦州→ 2.赤穀→ 3.鐵堂峽→ 4.鹽井→ 5.寒峡→ 6.法鏡寺→ 7.青陽峡→ 8.龍門鎮→ 9.石龕→ 10.積草嶺→ 11.泥功山→ 12.鳳凰台

杜甫は秦州から同谷への旅路の中で、「発秦州」をはじめにして十二首の詩を詠んでいる。いづれも旅の途中での体験を物語る旅行記のような趣の詩である。
  
秦州をたって最初に詠んだ場所がこの詩にある赤谷だ。秦州から南へ4キロほどの地点にある。まだ旅は始まったばかりだが、杜甫の思いは未来への希望というより、現実苦に集中している。ここでもやはり子供たちが、飢えを訴えて泣いているのだ。
詩人と隠遁者では将来について表現方法は変わる。この頃の杜甫は、隠遁者から詩人として生きていくことに心を置いているようである。
将来は先に待っている長い道のりを考えると、途中で野垂れ死にしてしまうのではないか、杜甫は詩人的発想で、そんな恐怖感に襲われるのを感じ、もしそうなったらひとびとに笑われるだけだと、自らに鞭を打っている。
東柯谷・赤谷は隠遁地の候補地であったところであるが、詩人の目にはもう違って映っているようだ。

赤穀
天寒霜雪繁,遊子有所之。
天気は寒く、霜と雪がふる季節になっても松柏が寒気にめげしげっている、こんな時旅人はひたすら旅を行くのである。
豈但歲月暮?重來未有期。
ただ、この年のくれにさしかかろうとしているが、ここには再びもう来ることはないだろうと思う。
晨發赤穀亭,險艱方自茲。
日出のころに赤谷の駅を出発するのである、行く路の艱難はこれからいよいよ始まるということになる。
亂石無改轍,我車已載脂。

道の乱れた石がすごいのにわだちを別に変えられる道はないし、我々一行の車には道に入る前に油を指している。
#2
山深苦多風,落日童稚饑。悄然村墟迥。煙火何由追?
貧病轉零落,故鄉不可思。常恐死道路。永為高人嗤。

(赤穀)
天寒くして霜雪【そうせつ】繁し、遊子之く所有り。
豈に但に歲月の暮るるのみならんや、重ねて來ること未だ期有らず。
晨【あした】に赤穀の亭を發す、險艱【けんかん】方【まさ】に茲【ここ】よりす。
亂石【らんせき】轍を改むるべくなく、我が車已に載【すなわ】ち脂さす。

#2
山深こうして多風に苦しみ、落日 童稚【どうち】饑【う】う。
悄然【しょうぜん】たり村墟【そんきょ】の迥かなるに、煙火 何【いずこ】由よか追はん。
貧病【ひんびょう】轉【うた】た零落【れいらく】す、故鄉 思ふ可からず。
常に恐る 道路に死して、永く為す 高人の嗤【わら】われんことを


現代語訳と訳註
(本文)
赤穀
天寒霜雪繁,遊子有所之。豈但歲月暮?重來未有期。
晨發赤穀亭,險艱方自茲。亂石無改轍,我車已載脂。


(下し文)
天寒くして霜雪【そうせつ】繁し、遊子之く所有り。
豈に但に歲月の暮るるのみならんや、重ねて來ること未だ期有らず。
晨【あした】に赤穀の亭を發す、險艱【けんかん】方【まさ】に茲【ここ】よりす。
亂石【らんせき】轍を改むるべくなく、我が車已に載【すなわ】ち脂さす。


(現代語訳)
天気は寒く、霜と雪がふる季節になっても松柏が寒気にめげしげっている、こんな時旅人はひたすら旅を行くのである。
ただ、この年のくれにさしかかろうとしているが、ここには再びもう来ることはないだろうと思う。
日出のころに赤谷の駅を出発するのである、行く路の艱難はこれからいよいよ始まるということになる。
道の乱れた石がすごいのにわだちを別に変えられる道はないし、我々一行の車には道に入る前に油を指している。


(訳注)
赤穀

秦州から南へ4キロほど川沿いに下った地点にある。東北に谷間を2km上流にいけば東柯谷で、赤谷は秦州と東柯谷方面の分岐点である。


天寒霜雪繁,遊子有所之。
天気は寒く、霜と雪がふる季節になっても松柏が寒気にめげしげっている、こんな時旅人は名残惜しさを残してひたすら旅を行くのである。
天寒霜雪繁 『荘子・譲王』「天寒既至、霜雪既降、吾是以知松柏之茂也。」(天寒 既に至り、霜雪 既に降る、吾是を以って松柏の茂るを知る也。)にもとづくくである。
遊子 旅人。杜甫自身をさす。李陵『與蘇武詩三首』其三[攜手上河梁,遊子暮何之?]
この頃の作品にも以下の通り使う。
758年乾元元年罷諌官後作③『遣興三首其二』
「客子念故宅,三年門巷空。」759年『夢李白二首 其二』「浮雲終日行、遊子久不至。」757年『送樊二十三侍禦赴漢中判官』「居人莽牢落,遊子封迢遞。」757年『曲江三章 章五句』「遊子空嗟垂二毛,白石素沙亦相蕩,哀鴻獨叫求其曹。」
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豈但歲月暮?重來未有期。
ただ、この年のくれにさしかかろうとしているが、ここには再びもう来ることはないだろうと思うと侘しいことである。
・歲月暮 『古詩十九、第一首』「思君令人老、歳月忽已晩。」(君を思い 人をして老いせしむ、歳月 忽ち已に晩れる。)
古詩十九首 (1) 漢詩<88>Ⅱ李白に影響を与えた詩520 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1377

未有期 期は約束。時期。
蘇武『詩四首』其二「行役在戰場,相見未有期。」(行役戰場に在り、相い見る未だ期有らず。)


晨發赤穀亭,險艱方自茲。
日出のころに赤谷の駅を出発するのである、行く路の艱難はこれからいよいよ始まるということになる。
・赤穀亭 赤谷の宿場駅。
・方自茲 任昉『贈郭桐廬出谿口見候餘既未至郭仍進村維』「滄江路穹此,湍險方自茲。」


亂石無改轍,我車已載脂。
道の乱れた石がすごいのにわだちを別に変えられる道はないし、我々一行の車には道に入る前に油を指している。
・無改轍 この路以外に別の道はないという意。曹植 『贈白馬王彪、第一章』「中逵絶無軌、改轍登高岡。」(中逵にも絶えて軌無し、轍を改めて高岡に登る。) 
・載脂 載:すなわち。脂:車に油を指すこと。
『詩経、邶風、泉水』「載脂載牽、還車言邁。」(載ち脂さし載ち牽さす、車を還して言に邁かむ。)


“同谷紀行(1)” 發秦州 杜甫 <321>#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1520 杜甫詩 700- 471

 
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“同谷紀行(1)” 發秦州 杜甫 <321>#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1520 杜甫詩 700- 471 


・詩 題:“同谷紀行(1)” 發秦州
・掲 載; 杜甫700の321首目-#4
・杜甫ブログ;471回目
・秦州を立つ、土地を取得できなかった、強がり。


發秦州
*〔原注〕 乾元二年自秦州赴岡谷縣紀行。
我衰更瀬拙、生事不自謀。
自分は老い衰えかかってきてこれまでよりも一層無精で世わたり術が上手くなくなってきた、暮らしむきのことなど自分で工夫しようと思わなくなった。
無食問楽土、無衣思南州。
食物が無くなるとどこか安楽にくらせる土地はないかと人にたずね、衣が無いから暖かい南方の地方へ行こうとおもうのである。』
漢源十月交、天氣涼如秋。
漢源地方(即ち同谷の地方)は十月一日のころだと、天気がすずしい秋のようであるという。
草木未黄落、況聞山水幽。
草木も黄ばんで落ちぬということであり、ましてそこには山水の静かな隠遁地があると聞いている。
#2
栗亭名更佳、下有良田疇。
「栗亭」などというといかにも栗の産地らしく良い名であり、その下には良い肥沃の田地がある。
充膓多薯蕷、崖蜜亦易求。
山芋が沢山あって腹にいっぱいたべられることができるし、崖に産する蜂蜜もたやすく手に入るようだ。
密竹復冬笋、清池可方舟。
そこの密集して生えている竹林には冬でも笋があるという、澄み切った水をたたえた池には冬でも舟をならべて遊ぶこともできる。
雖傷旅寓遠、庶遂平生遊。
旅をしている身としては遠すぎるという欠点はあるのだが、日頃したいと思っていた遊びができたらいいなと思うのである。』
#3
(ここからあとは土地を取得できなかったことの負け惜しみに言っている。)
此邦俯要衝、實恐入事稠。
ここの秦州はこの国の様々な分野での要路になっていて、世事・人事、俗事が多すぎることを恐れるのである。
應接非本性、登臨未銷憂。
ここにいて、雑多の人間に応接することは自分の本性ではない、ここでは山水に登臨してみても自分の憂いを晴らすには足らないのである。
谿谷無異石、塞田始微收。
谷をのぞいて、風流の気持ちを起させる奇妙な石がみられるでなく、良い部分を塞が占めて残りの田地からはやっとすこし収穫ができたような始末だ、
豈復慰老夫、惘然難久留。
これではどうして年取った自分を慰めることができようか、自分は生計の手段がこんなであるためぼんやりとしてしまい、とてもここにはながくとどまっているわけにゆかぬのである。(それだからここを立ち去るのだ。)』
#4
日色隱孤戍、烏啼滿城頭。
こうして出発すると、太陽の色はさびしい屯兵所のあたりにかくれてしまう、秦州の城壁のうえにはいっぱい烏が啼いている。
中霄驅車去、飮馬塞塘流。
そして夜中まで車を駆りだしていく、冬の川土手の流れのつめたいなかで馬に水をのませる。
磊落星月高、蒼茫雲霧浮。
朝まだきの頭上をみあげると散乱した星や月が高いとこでかがやいている、行く手には雲がわき、霧がたちこめ、はっきりとは見えない。
大哉乾坤内、吾道長悠悠。
ああ大いなるかな天地の内、吾がゆくべき道程は永久に悠悠のところで果てがないのだ。』

 
(秦州より発す)
(乾元二年秦州より同谷保に赴くとき)
我衰えて更に懶拙【らんせつ】なり、生事【せいじ】自ら謀【はか】らず。
食無うして楽土を問い、衣無うして南州【なんしゅう】を思う。』
漢源【かんげん】十月の交、天気涼秋の如し。
草木未だ黄落せず、況んや山水の幽なるを聞くをや。
#2
粟亭【りつてい】名更に嘉し、下に艮田【りょうでん】疇【ちゅう】あり。
腸に充つるに薯蕷【しょよ】多く、崖蜜【がいみつ】亦た求め易し。
密竹【みつちく】には復た冬筍【とうじゅん】あり、清地【せいち】舟を方す可し。
旅寓【りょぐう】の遠きを傷むと雖も、庶【こいねが】わくは平生の遊を遂げん。』
#3
此の邦 要衝【ようしょう】に俯す、実に恐る人事の稠【おおき】きを。
応接【おうせつ】本性に非ず、登臨【とうりん】未だ憂いを銷せず。
溪穀【けいこく】異石無く、塞田【さいでん】始めて微【すこ】しく収む。
豈に復た老犬を慰めんや、惘然【もうぜん】久しく留まり難し。』
#4
日色孤戍【こじゅ】に隠れ、烏啼きて城頭に満つ。
中宵【ちゅうしょう】車を駆り去り、馬に寒塘【かんとう】の流れに飲【みずこ】う。
磊落【らいらく】星月高く、蒼茫【そうぼう】雲霧浮かぶ。
大なる哉 乾坤【けんこん】の内、吾が道長く悠悠たり。』

杜甫 体系 地図459同谷紀行
1.發秦州→ 2.赤穀→ 3.鐵堂峽→ 4.鹽井→ 5.寒峡→ 6.法鏡寺→ 7.青陽峡→ 8.龍門鎮→ 9.石龕→ 10.積草嶺→ 11.泥功山→ 12.鳳凰台

現代語訳と訳註
(本文) #4
日色隱孤戍,烏啼滿城頭。中宵驅車去,飲馬寒塘流。
磊落星月高,蒼茫雲霧浮。大哉乾坤內,吾道長悠悠!』


(下し文)
日色孤戍【こじゅ】に隠れ、烏啼きて城頭に満つ。
中宵【ちゅうしょう】車を駆り去り、馬に寒塘【かんとう】の流れに飲【みずこ】う。
磊落【らいらく】星月高く、蒼茫【そうぼう】雲霧浮かぶ。
大なる哉 乾坤【けんこん】の内、吾が道長く悠悠たり。』


(現代語訳)
こうして出発すると、太陽の色はさびしい屯兵所のあたりにかくれてしまう、秦州の城壁のうえにはいっぱい烏が啼いている。
そして夜中まで車を駆りだしていく、冬の川土手の流れのつめたいなかで馬に水をのませる。
朝まだきの頭上をみあげると散乱した星や月が高いとこでかがやいている、行く手には雲がわき、霧がたちこめ、はっきりとは見えない。
ああ大いなるかな天地の内、吾がゆくべき道程は永久に悠悠のところで果てがないのだ。』


(訳注)
#4發秦州

*〔原注〕 乾元二年自秦州赴岡谷縣紀行。
○秦州 甘粛省秦州。
○乾元二年 西暦759年
○同谷県 甘粛省階州の成県、成県はもと西康州治であったが、唐の貞観の初めには成州に属させ、廃康州の岡谷県を兼ね領した、天宝の初め岡谷郡とし、乾元の初めまた成州となした、作者がいま同谷県というときは当時はかく称したものとみえる、位置は秦州のほとんど正南にあたっている、「九域志」に秦州から成州まで西南二百六十里とある。


日色隱孤戍,烏啼滿城頭。
こうして出発すると、太陽の色はさびしい屯兵所のあたりにかくれてしまう、秦州の城壁のうえにはいっぱい烏が啼いている。
孤戍 ぽつんと孤立した屯兵所。
城頭 秦州の城壁のうえ。


中宵驅車去,飲馬寒塘流。
そして夜中まで車を駆りだしていく、冬の川土手の流れのつめたいなかで馬に水をのませる。
飲馬 陳琳『飲馬長城窟行一首』「飲馬長城窟。水寒傷馬骨。」を意識させる。
寒塘 冬のつつみ。


磊落星月高,蒼茫雲霧浮。
朝まだきの頭上をみあげると散乱した星や月が高いとこでかがやいている、行く手には雲がわき、霧がたちこめ、はっきりとは見えない
磊落 ばらばらにはなれてあるさま。前々聯「日色」→「烏啼」→「中宵」→「磊落星月高」→「蒼茫雲霧浮」と時間経過を感じさせ、曙が近い空であることがわかる。
○蒼 はっきりせぬさま。


大哉乾坤內,吾道長悠悠!』
ああ大いなるかな天地の内、吾がゆくべき道程は永久に悠悠のところで果てがないのだ。』
吾道 昨夜から車を馳せ道を進むが、これから先の自分の身進むべき道をいい、当面の行く先は同谷であってもはたしてそこで落ち着くことができるのか、ここの段階では希望を持った内容は全くない。
 とこしえに、常とも通ずる、つねにの意。
悠悠 はるかなさま。


解説
最後の四聯の句で時間を感じさせる語を使い、そして、将来という判らないことに続けている。それまでの12連は秦州で隠遁生活を開始することが出来なかった無念を述べており、どうしてこんなに急いで旅立つのか、支援者の援助を待つだけなら秦州で支援を待っていればよいのである。生活ができないのが理由にはならない。一貫して、生活苦であり、秦州が特別ではない。理由は「戦争」である。杜甫は、3年前安禄山軍から家族を連れ逃げ回った苦い思い出がある。地獄の逃避行の様子は数十首もある。中國の西域から東、長安、洛陽、山東は戦争の火が燃えているか、たとえ今消えているようでも、ふたたび燃え始めるような、一触即発の地点であることを再認識させられたのである。この頃杜甫に入ってきたニュースは史忠明が洛陽を再陥落させようと勢力を強めてきたこと、唐王朝の弱体を見て、吐蕃が攻めてくるという噂、これらのために秦州に長居はできないと考えたのである。ただ、目指す同谷もこの秦鄒からは50kmくらいしか離れていない地点なのである。

“同谷紀行(1)” 發秦州 杜甫 <321>#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1517 杜甫詩 

 
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“同谷紀行(1)” 發秦州 杜甫 <321>#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1517 杜甫詩 700- 470 

・詩  題 :“同谷紀行(1)” 發秦州
・掲  載 ; 杜甫700の321首目-#3
・杜甫ブログ;470回目

1.發秦州→ 2.赤穀→ 3.鐵堂峽→ 4.鹽井→ 5.寒峡→ 6.法鏡寺→ 7.青陽峡→ 8.龍門鎮→ 9.石龕→ 10.積草嶺→ 11.泥功山→ 12.鳳凰台

(ここからあとは土地を取得できなかったことの負け惜しみに言っている。)#3
此邦俯要衝,實恐人事稠。
ここの秦州はこの国の様々な分野での要路になっていて、世事・人事、俗事が多すぎることを恐れるのである。
應接非本性,登臨未銷憂。
ここにいて、雑多の人間に応接することは自分の本性ではない、ここでは山水に登臨してみても自分の憂いを晴らすには足らないのである。
溪穀無異名,塞田始微收。
谷をのぞいて、風流の気持ちを起させる奇妙な石がみられるでなく、良い部分を塞が占めて残りの田地からはやっとすこし収穫ができたような始末だ、
豈複慰老夫?惘然難久留。』
これではどうして年取った自分を慰めることができようか、自分は生計の手段がこんなであるためぼんやりとしてしまい、とてもここにはながくとどまっているわけにゆかぬのである。(それだからここを立ち去るのだ。)』
此の邦 要衝【ようしょう】に俯す、実に恐る人事の稠【おおき】きを。
応接【おうせつ】本性に非ず、登臨【とうりん】未だ憂いを銷せず。
溪穀【けいこく】異石無く、塞田【さいでん】始めて微【すこ】しく収む。
豈に復た老犬を慰めんや、惘然【もうぜん】久しく留まり難し。』


現代語訳と訳註
(本文)
#3
此邦俯要衝,實恐人事稠。應接非本性,登臨未銷憂。
溪穀無異名,塞田始微收。豈複慰老夫?惘然難久留。』


(下し文)
此の邦 要衝【ようしょう】に俯す、実に恐る人事の稠【おおき】きを。
応接【おうせつ】本性に非ず、登臨【とうりん】未だ憂いを銷せず。
溪穀【けいこく】異石無く、塞田【さいでん】始めて微【すこ】しく収む。
豈に復た老犬を慰めんや、惘然【もうぜん】久しく留まり難し。』


(現代語訳)
(ここからあとは土地を取得できなかったことの負け惜しみに言っている。)
ここの秦州はこの国の様々な分野での要路になっていて、世事・人事、俗事が多すぎることを恐れるのである。
ここにいて、雑多の人間に応接することは自分の本性ではない、ここでは山水に登臨してみても自分の憂いを晴らすには足らないのである。
谷をのぞいて、風流の気持ちを起させる奇妙な石がみられるでなく、良い部分を塞が占めて残りの田地からはやっとすこし収穫ができたような始末だ、
これではどうして年取った自分を慰めることができようか、自分は生計の手段がこんなであるためぼんやりとしてしまい、とてもここにはながくとどまっているわけにゆかぬのである。(それだからここを立ち去るのだ。)』


(訳注)
#3發秦州
*〔原注〕 乾元二年自秦州赴岡谷縣紀行。
秦州 甘粛省秦州。
乾元二年 西暦759年
同谷県 甘粛省階州の成県、成県はもと西康州治であったが、唐の貞観の初めには成州に属させ、廃康州の岡谷県を兼ね領した、天宝の初め岡谷郡とし、乾元の初めまた成州となした、作者がいま同谷県というときは当時はかく称したものとみえる、位置は秦州のほとんど正南にあたっている、「九域志」に秦州から成州まで西南二百六十里とある。



(ここからあとは土地を取得できなかったことの負け惜しみに言っている。)
此邦俯要衝,實恐人事稠。
ここの秦州はこの国の様々な分野での要路になっていて、世事・人事、俗事が多すぎることを恐れるのである。
此邦 秦州をさす。
僻要衝 僻は臨に同じ、要衝は交通の要路をいう。秦州は北域と西域に通じる要路であった。又シルクロードの南・北各ルートの分岐点でもあった。この時は吐蕃が沙州に反乱を起こしたため、鎮圧軍の集積地でもあった。衝が沖のテクストもあるが同じ。
人事稠 世俗の事務が多い。この頃の雑事と云えば、土地取得に関することであろう。それに土地取得してから近隣との付き合いも出て來ることにより憂慮することが多いと感じていた。東西に行きかう人のたまり場であること。


應接非本性,登臨未銷憂。
ここにいて、雑多の人間に応接することは自分の本性ではない、ここでは山水に登臨してみても自分の憂いを晴らすには足らないのである。
応接 うけこたえをする。○登臨 その地の山に登り水に臨みしてあそぶこと。


溪穀無異名,塞田始微收。
谷をのぞいて、風流の気持ちを起させる奇妙な石がみられるでなく、良い部分を塞が占めて残りの田地からはやっとすこし収穫ができたような始末だ、
異石 非凡の形状をした石。○塞田 とりでのある地の田。○徴収 すこし収穫がある。


豈複慰老夫?惘然難久留。』
これではどうして年取った自分を慰めることができようか、自分は生計の手段がこんなであるためぼんやりとしてしまい、とてもここにはながくとどまっているわけにゆかぬのである。(それだからここを立ち去るのだ。)』
老夫 自ずから称する。○憫然 気のぬけたさま。


“同谷紀行(1)” 發秦州 杜甫 <321>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1514 杜甫詩 700- 469

 
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“同谷紀行(1)” 發秦州 杜甫 <321>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1514 杜甫詩 700- 469 
詩 題:“同谷紀行(1)” 發秦州
掲 載; 杜甫700の321首目-#2
杜甫ブログ;469回目


#2
栗亭名更嘉,下有良田疇。
「栗亭」などというといかにも栗の産地らしく良い名であり、その下には良い肥沃の田地がある。
充腸多薯蕷,崖蜜亦易求。
山芋が沢山あって腹にいっぱいたべられることができるし、崖に産する蜂蜜もたやすく手に入るようだ。
密竹複冬筍,清池可方舟。
そこの密集して生えている竹林には冬でも笋があるという、澄み切った水をたたえた池には冬でも舟をならべて遊ぶこともできる。
雖傷旅寓遠,庶遂平生遊。』

旅をしている身としては遠すぎるという欠点はあるのだが、日頃したいと思っていた遊びができたらいいなと思うのである。』

秦州成州00
1.發秦州→ 2.赤穀→ 3.鐵堂峽→ 4.鹽井→ 5.寒峡→ 6.法鏡寺→ 7.青陽峡→ 8.龍門鎮→ 9.石龕→ 10.積草嶺→ 11.泥功山→ 12.鳳凰台

現代語訳と訳註
(本文)
#2
栗亭名更嘉,下有良田疇。充腸多薯蕷,崖蜜亦易求。
密竹複冬筍,清池可方舟。雖傷旅寓遠,庶遂平生遊。』


(下し文)
粟亭【りつてい】名更に嘉し、下に艮田【りょうでん】疇【ちゅう】あり。
腸に充つるに薯蕷【しょよ】多く、崖蜜【がいみつ】亦た求め易し。
密竹【みつちく】には復た冬筍【とうじゅん】あり、清地【せいち】舟を方す可し。
旅寓【りょぐう】の遠きを傷むと雖も、庶【こいねが】わくは平生の遊を遂げん。』


(現代語訳)
「栗亭」などというといかにも栗の産地らしく良い名であり、その下には良い肥沃の田地がある。
山芋が沢山あって腹にいっぱいたべられることができるし、崖に産する蜂蜜もたやすく手に入るようだ。
そこの密集して生えている竹林には冬でも笋があるという、澄み切った水をたたえた池には冬でも舟をならべて遊ぶこともできる。
旅をしている身としては遠すぎるという欠点はあるのだが、日頃したいと思っていた遊びができたらいいなと思うのである。』


(訳注)
#2發秦州

*〔原注〕 乾元二年自秦州赴岡谷縣紀行。
秦州 甘粛省秦州。
乾元二年 西暦759年
同谷県 甘粛省階州の成県、成県はもと西康州治であったが、唐の貞観の初めには成州に属させ、廃康州の同谷県を兼ね領した、天宝の初め同谷郡とし、乾元の初めまた成州となした、作者がいま同谷県というときは当時はかく称したものとみえる、位置は秦州のほとんど正南にあたっている、「九域志」に秦州から成州まで西南二百六十里とある。 


栗亭名更嘉,下有良田疇。
「栗亭」などというといかにも栗の産地らしく良い名であり、その下には良い肥沃の田地がある。
粟亭 隋の時代の驛名、成県の東五十里にあり、秦州を去ること百九十五里。
田疇 穀の田を「田」、麻の田を「疇」という。


充腸多薯蕷,崖蜜亦易求。
山芋が沢山あって腹にいっぱいたべられることができるし、崖に産する蜂蜜もたやすく手に入るようだ。
薯蕷 やまのいも。
崖蜜 蜜蜂ががけでつくるみつ。一種の黒色の蜜峰が山の巌や石壁の閒に貯える蜜、一名を「石蜜」という。


密竹複冬筍,清池可方舟。
そこの密集して生えている竹林には冬でも笋があるという、澄み切った水をたたえた池には冬でも舟をならべて遊ぶこともできる。
密竹 こんではえた竹。
冬筍 冬できるたけのこ。
清池 池の名は詳かでない。

真竹003

雖傷旅寓遠,庶遂平生遊。』
旅をしている身としては遠すぎるという欠点はあるのだが、日頃したいと思っていた遊びができたらいいなと思うのである。』
方舟 方は二つならべること。
 庶幾に同じ[1]こいねがうこと。切に願い望むこと。[2]目標に非常に近づくこと。


“同谷紀行(1)” 發秦州 杜甫 <321>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1511 杜甫詩 700- 468

 
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“同谷紀行(1)” 發秦州 杜甫 <321>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1511 杜甫詩 700- 468 
詩 題:“同谷紀行(1)” 發秦州
掲 載; 杜甫700の321首目-#1
杜甫ブログ;468回目

發秦州
*〔原注〕 乾元二年自秦州赴岡谷縣紀行。
我衰更瀬拙、生事不自謀。
自分は老い衰えかかってきてこれまでよりも一層無精で世わたり術が上手くなくなってきた、暮らしむきのことなど自分で工夫しようと思わなくなった。
無食問楽土、無衣思南州。
食物が無くなるとどこか安楽にくらせる土地はないかと人にたずね、衣が無いから暖かい南方の地方へ行こうとおもうのである。』
漢源十月交、天氣涼如秋。
漢源地方(即ち同谷の地方)は十月一日のころだと、天気がすずしい秋のようであるという。
草木未黄落、況聞山水幽。

草木も黄ばんで落ちぬということであり、ましてそこには山水の静かな隠遁地があると聞いている。

#2
栗亭名更佳、下有良田疇。
充膓多薯蕷、崖蜜亦易求。
密竹復冬笋、清池可方舟。
雖傷旅寓遠、庶遂平生遊。
#3
此邦俯要衝、實恐入事稠。
應接非本性、登臨未銷憂。
谿谷無異石、塞田始微收。
豈復慰老夫、惘然難久留。
#4
日色隱孤戍、烏啼滿城頭。
中霄驅車去、飮馬塞塘流。
磊落星月高、蒼茫雲霧浮。
大哉乾坤内、吾道長悠悠。

(秦州より発す)
(乾元二年秦州より同谷保に赴くとき)
我衰えて更に懶拙【らんせつ】なり、生事【せいじ】自ら謀【はか】らず。
食無うして楽土を問い、衣無うして南州【なんしゅう】を思う。』
漢源【かんげん】十月の交、天気涼秋の如し。
草木未だ黄落せず、況んや山水の幽なるを聞くをや。
#2
粟亭【りつてい】名更に嘉し、下に艮田【りょうでん】疇【ちゅう】あり。
腸に充つるに薯蕷【しょよ】多く、崖蜜【がいみつ】亦た求め易し。
密竹【みつちく】には復た冬筍【とうじゅん】あり、清地【せいち】舟を方す可し。
旅寓【りょぐう】の遠きを傷むと雖も、庶【こいねが】わくは平生の遊を遂げん。』
#3
此の邦 要沖【ようちゅう】に俯す、実に恐る人事の稠【おおき】きを。
応接【おうせつ】本性に非ず、登臨【とうりん】未だ憂いを銷せず。
溪穀【けいこく】異石無く、塞田【さいでん】始めて微【すこ】しく収む。
豈に復た老犬を慰めんや、惘然【もうぜん】久しく留まり難し。』
#4
日色孤戍【こじゅ】に隠れ、烏啼きて城頭に満つ。
中宵【ちゅうしょう】車を駆り去り、馬に寒塘【かんとう】の流れに飲【みずこ】う。
磊落【らいらく】星月高く、蒼茫【そうぼう】雲霧浮かぶ。
大なる哉 乾坤【けんこん】の内、吾が道長く悠悠たり。』


現代語訳と訳註
(本文)
#1
我衰更懶拙,生事不自謀。無食問樂土,無衣思南州。』
漢源十月交,天氣涼如秋。草木未黃落,況聞山水幽。


(下し文)
(秦州より発す)

(乾元二年秦州より同谷保に赴くとき)
我衰えて更に懶拙【らんせつ】なり、生事【せいじ】自ら謀【はか】らず。
食無うして楽土を問い、衣無うして南州【なんしゅう】を思う。』
漢源【かんげん】十月の交、天気涼秋の如し。
草木未だ黄落せず、況んや山水の幽なるを聞くをや。


(現代語訳)
自分は老い衰えかかってきてこれまでよりも一層無精で世わたり術が上手くなくなってきた、暮らしむきのことなど自分で工夫しようと思わなくなった。
食物が無くなるとどこか安楽にくらせる土地はないかと人にたずね、衣が無いから暖かい南方の地方へ行こうとおもうのである。』
漢源地方(即ち同谷の地方)は十月一日のころだと、天気がすずしい秋のようであるという。
草木も黄ばんで落ちぬということであり、ましてそこには山水の静かな隠遁地があると聞いている。


(訳注)#1
發秦州

*〔原注〕 乾元二年自秦州赴同谷縣紀行。
秦州 甘粛省秦州。
乾元二年 西暦759年
同谷県 甘粛省階州の成県、成県はもと西康州治であったが、唐の貞観の初めには成州に属させ、廃康州の同谷県を兼ね領した、天宝の初め同谷郡とし、乾元の初めまた成州となした、作者がいま同谷県というときは当時はかく称したものとみえる、位置は秦州のほとんど正南にあたっている、「九域志」に秦州から成州まで西南二百六十里とある。
1.發秦州→ 2.赤穀→ 3.鐵堂峽→ 4.鹽井→ 5.寒峡→ 6.法鏡寺→ 7.青陽峡→ 8.龍門鎮→ 9.石龕→ 10.積草嶺→ 11.泥功山→ 12.鳳凰台
秦州成州00
凡例 薄茶色部分は秦州、ピンク色は成州を示す。

杜甫『秦州雑詩二十首』其三に同谷について述べている。
秦州雑詩二十首其三
州図領同谷、駅道出流沙。
降虜兼千張、居人有万家。
馬驕朱汗落、胡舞白題斜。
年少臨洮子、西来亦自誇。
秦州雜詩二十首 其三 杜甫 第1部 <256> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1217 杜甫詩 700- 370

我衰更懶拙,生事不自謀。
自分は老い衰えかかってきてこれまでよりも一層無精で世わたり術が上手くなくなってきた、暮らしむきのことなど自分で工夫しようと思わなくなった。
懶拙 ぶしようで世わたりべた。
杜甫『冬末以事之東都,湖城東遇孟雲卿』「懶回
杜甫『曲江對酒』「懶朝」と謙遜に使ったり、隠者ブル感じの時に使う。
冬末以事之東都,湖城東遇孟雲卿,複歸劉顥宅宿,宴飲散因為醉歌
生事 くらしむきのこと。


無食問樂土,無衣思南州。』
食物が無くなるとどこか安楽にくらせる土地はないかと人にたずね、衣が無いから暖かい南方の地方へ行こうとおもうのである。』
○この二句は杜甫が理想と考えていることでよく出て來る言葉である。杜甫が旅に出たり、移動するのは、戦争のためであり、季節はほとんどの場合、秋から冬である。そのため楽なところは、南方面と考えている。
楽土 『詩経・碩鼠』「樂土樂土,爰得我所。」(楽土、楽土、爰に我が所を得ん)。安楽な土地。安楽なところ。
南州 南方の地方。


漢源十月交,天氣涼如秋。
漢源地方(即ち同谷の地方)は十月一日のころだと、天気がすずしい秋のようであるという。
漢源 同谷の地方。成県には西漢水と鳳渓水があり、嘉陵江に注ぐ、嘉陵江は長江の上流の名である。成都近くに漢州、漢源縣があり、温暖で穀物も豊かである場所がある。
〇十月交 『詩経 節南山之什 十月之交』の毛伝には「之交は日月の交会なり」とといている、十月一日のこという。


草木未黃落,況聞山水幽。
草木も黄ばんで落ちぬということであり、ましてそこには山水の静かな隠遁地があると聞いている。
黄落 木葉が黄ばんで落ちる。
 静かな隠遁に適した場所。幽邃:景色などが奥深く静かなこと。

兩當縣吳十侍禦江上宅 杜甫 <320-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1508 杜甫詩 700- 467

 
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兩當縣吳十侍禦江上宅 杜甫 <320-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1508 杜甫詩 700- 467

兩當縣吳十侍禦江上宅#1
寒城朝煙淡,山谷落葉赤。
冬空の両当県城に朝の煙がうすくひろがっている、谷間には紅葉と落葉で赤く色づいてみえる。
陰風千裡來,吹汝江上宅。
この時期になると北の千里先から冬の風が吹いて来て、あなたの嘉陵江川沿いの宅のところを吹きさらすのだ。
鵾雞號枉渚,日色傍阡陌。
おれまがった渚で鶴に似た大きい水鳥がなきさけんでいて、田園の縦横の十字路に日の光がさしこんでいる。
借問持斧翁﹕幾年長沙客?
ちょっとお尋ねしますが、「叛乱軍討伐の斧を」持っていた侍御史の方ではありませんか、あなたは長沙へ貶謫された賈誼のようにここへ流されて、もう幾年になられるのだろうか?」と。
哀哀失木柼,矯矯避弓翮。
あなたは喩えれば、まったくあわれなもので木からはなれた尾長猿のようなものであり、ひらりと弓矢を避けて高く飛びあがっている雁のようなものだ。
亦知故鄉樂,未敢思宿昔。』
或はまた、ここに居るより故郷で楽しく暮らす方がいいことは知っているのだが、あなたは帰ってこない昔のことを思おうとはしないのだ。』
#2
昔在鳳翔都,共通金閨籍。
むかし鳳翔に行在所が置かれていた時があった、共に名籍を金馬門に通じて仕官をしていた。
天子猶蒙塵,東郊暗長戟。
その頃、天子は叛乱軍のために都を逃げ出されていて、両京とその東の郊外は安史軍の長戦でおおわれ暗くなっていた。
兵家忌間諜,此輩常接跡。
兵法家は敵の間諜を忌嫌うのだが、いつもこのような奴らが常時行在所にはいっていた。
台中領舉劾,君必慎剖析。
そのときあなたは御史台で善人を挙げ悪人を弾劾するやくわりであった、十分な用心をして事件の内容を分析、微細に調べていたものだ。
不忍殺無辜,所以分白黑。
そのため或る嫌疑のあった人物があったが、無罪の人とおもわれるのでそれを殺すには忍びないで、はっきり黒白を弁別して弁護した。
上官權許與,失意見遷斥。
上司の長官はうわべではあなたの意見に賛成したが、その長官のごきげんを損ねてとうとう官位を退けて田舎へ移されることになった。

#3
朝廷非不知,閉口休嘆息。
朝廷ではその真相がわかっていないわけではなかった、あなたはそれでもだまって口を閉じたままでなげきもしなかった。
仲尼甘旅人,向子識損益。』
あたかも孔子が東西に奔走する旅人でいつづけることを甘んじてされた、後漢の向長が損益の卦を読んで富貴貧餞の道理をさとっていたとおなじような態度でいた。』
餘時忝諍臣,丹陛實咫尺。
自分はその時、左拾遺の官をかたじけなくしていたわけで、天子の丹陛の間近にお仕えしていたのである。
相看受狼狽,至死難塞責。
自分はこれから旅路にでかけるが心に思うことと違っていることが多いものである。
行邁心多違,出門無與適。
一旦、門から出れば自分の気にかなわないことおもしろくないことばかりである。
於公負明義,惆悵頭更白。』
あなたに対してはしかく明明白白の義理にさえそむいておる、これをおもえばうらめしくおもわれてたださえ白い頭が一層白うなるような気持ちがする。』


現代語訳と訳註
(本文)
#3
朝廷非不知,閉口休嘆息。仲尼甘旅人,向子識損益。』
餘時忝諍臣,丹陛實咫尺。相看受狼狽,至死難塞責。
行邁心多違,出門無與適。於公負明義,惆悵頭更白。』


(下し文)
朝廷知らざるに非ず、口を閉じて欺息するを休む。
仲尼 旅人を甘んず、向子 損益を識る。』
余 時に諍臣を忝うす、丹陛 実に咫尺。
相看て狼狽【ろうばい】を受く、死に至るも責めを塞【ふさ】ぎ難し。
行邁【こうまい】心違うこと多し、門を出づれば与に適【かな】うものなし。
公に於て明義に負【そむ】けり、惆悵【ちょうちょう】頭更に白し。』


(現代語訳)
朝廷ではその真相がわかっていないわけではなかった、あなたはそれでもだまって口を閉じたままでなげきもしなかった。
あたかも孔子が東西に奔走する旅人でいつづけることを甘んじてされた、後漢の向長が損益の卦を読んで富貴貧餞の道理をさとっていたとおなじような態度でいた。』
自分はその時、左拾遺の官をかたじけなくしていたわけで、天子の丹陛の間近にお仕えしていたのである。
自分はこれから旅路にでかけるが心に思うことと違っていることが多いものである。一旦、門から出れば自分の気にかなわないことおもしろくないことばかりである。


(訳注) #3
兩當縣吳十侍禦江上宅
両当県 中國歴史地図で確認すると、唐の時山南西道漢中府鳳州に属していた。成州の東隣にあたる。今は秦州に属し、州治の東南にあたっている。
呉十侍御 侍御史呉郁のこと、何処の人であるかは明らかでない、詩によれば罪されて此の地に在った者である。
江上宅 江は嘉陵江。呉侍御は時に長沙にあって両当県の宅は主人が不在であった。置手紙として書かれたものと思われる。


朝廷非不知,閉口休嘆息。
朝廷ではその真相がわかっていないわけではなかった、あなたはそれでもだまって口を閉じたままでなげきもしなかった。
朝廷 朝廷の大臣たち。
非不知 事情を知らぬのではなく、知ってはいるがそのままにしておいて呉を救おうとしないことをいう。
閉口 呉が無言、自己弁護もしない。
休歎息 呉が悟って歎きもせぬこと。
 

仲尼甘旅人,向子識損益。』
あたかも孔子が東西に奔走する旅人でいつづけることを甘んじてされた、後漢の向長が損益の卦を読んで富貴貧餞の道理をさとっていたとおなじような態度でいた。』
仲尼甘旅人,向子識損益 呉の悟りきったさまをたとえていう。・:孔子の字。・旅人:孔子はつねに東西に奔走して、旅人しての生活をした。・向子:後漢の向長、字は子平は「易」を読んで損・益の卦に至り唱然としで嘆じていうのに、「吾己に富の貧に如かず、貴の賤に知かざるを知る、但だ未だ死の生に何如なるやを知らざるのみ」と。・識損益 悟りきったさま。


餘時忝諍臣,丹陛實咫尺。
自分はその時、左拾遺の官をかたじけなくしていたわけで、天子の丹陛の間近にお仕えしていたのである。
 杜甫。
諍臣 天子をいさめる官、左拾遺をいう。
丹陛 あかぬりのご殿に通じる階(なかの台のきざはし)。
咫尺 八寸一尺、まじかのこと。


相看受狼狽,至死難塞責。
しかるにこのさまをみていながら君が地方へ遷話されるようなさわざを見るに至ったことは、なんとも申し訳のないことで死にいたるとも自己の責めをふさぐことはできぬのである。
相看 互いにうちみつつ。
受狼狽 狼狽はうろたえるさま、狼狽を受けるとは呉が罪されて地方へ出ねばならぬようになったことの結果を見るに至ったことをいう。
至死 いのちを失うにいたっても。


行邁心多違,出門無與適。
自分はこれから旅路にでかけるが心に思うことと違っていることが多いものである。一旦、門から出れば自分の気にかなわないことおもしろくないことばかりである。
行邁 みちをゆくこと。
心多違 違の字は違背の意である、心多違は心に背くことのみ多いことをいう。
出門 自家の門外へでること。
漢の無名氏『東門行』
出東門,不顧歸,來入門,悵欲悲。
盎中無斗儲,還視桁上無懸衣。
拔劍出門去,兒女牽衣啼。
東門行 漢の無名氏 詩<82>Ⅱ李白に影響を与えた詩512 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1353

謝靈運『順東門行』
出西門,眺雲間,揮斤扶木墜虞泉,
信道人,鑒徂川,思樂暫捨誓不旋,
順東門行 謝霊運(康楽) 詩<79>Ⅱ李白に影響を与えた詩507 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1338

無与通「無与我意適者」(適者 我意を与うる無し。)をいう、おもしろくないことばかり。


於公負明義,惆悵頭更白。』
あなたに対してはしかく明明白白の義理にさえそむいておる、これをおもえばうらめしくおもわれてたださえ白い頭が一層白うなるような気持ちがする。』
 呉をさす。
明義 顕明な義理、友人を救うべきことの当然をいう。○悔恨 うらむさま。
頭更日 本来白い頭が自責の念のため、いっそうしろくなることをいう。杜甫が白髪頭を云う場合、思いを押し殺し、あるいは、異なる考えを持ちながら筋を通して生きていく場合に使う言葉である。

兩當縣吳十侍禦江上宅 杜甫 <320-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1505 杜甫詩 700- 466

 
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兩當縣吳十侍禦江上宅 杜甫 <320-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1505 杜甫詩 700- 466


#2
昔在鳳翔都,共通金閨籍。
むかし鳳翔に行在所が置かれていた時があった、共に名籍を金馬門に通じて仕官をしていた。
天子猶蒙塵,東郊暗長戟。
その頃、天子は叛乱軍のために都を逃げ出されていて、両京とその東の郊外は安史軍の長戦でおおわれ暗くなっていた。
兵家忌間諜,此輩常接跡。
兵法家は敵の間諜を忌嫌うのだが、いつもこのような奴らが常時行在所にはいっていた。
台中領舉劾,君必慎剖析。
そのときあなたは御史台で善人を挙げ悪人を弾劾するやくわりであった、十分な用心をして事件の内容を分析、微細に調べていたものだ。
不忍殺無辜,所以分白黑。
そのため或る嫌疑のあった人物があったが、無罪の人とおもわれるのでそれを殺すには忍びないで、はっきり黒白を弁別して弁護した。
上官權許與,失意見遷斥。
上司の長官はうわべではあなたの意見に賛成したが、その長官のごきげんを損ねてとうとう官位を退けて田舎へ移されることになった。


現代語訳と訳註
(本文)
#2
昔在鳳翔都,共通金閨籍。天子猶蒙塵,東郊暗長戟。
兵家忌間諜,此輩常接跡。台中領舉劾,君必慎剖析。
不忍殺無辜,所以分白黑。上官權許與,失意見遷斥。


(下し文)
昔鳳翔の都に在り、共に金閏の籍を通ず。
天子も猶お蒙塵、東郊 長戟【ちょうげき】暗し。
兵家 間諜を忌む、此の輩 常に跡を接す。
台中 挙劾【きょがい】を領す、君必ず剖析【ぼうせき】を慎【つつし】む。
無事を殺すに忍びず、所以【ゆえ】に黒白を分かてり。
上官 権【うわべ】に許与す、意を失いて遷斥【せんそ】せらる。


(現代語訳)
むかし鳳翔に行在所が置かれていた時があった、共に名籍を金馬門に通じて仕官をしていた。
その頃、天子は叛乱軍のために都を逃げ出されていて、両京とその東の郊外は安史軍の長戦でおおわれ暗くなっていた。
兵法家は敵の間諜を忌嫌うのだが、いつもこのような奴らが常時行在所にはいっていた。
そのときあなたは御史台で善人を挙げ悪人を弾劾するやくわりであった、十分な用心をして事件の内容を分析、微細に調べていたものだ。
そのため或る嫌疑のあった人物があったが、無罪の人とおもわれるのでそれを殺すには忍びないで、はっきり黒白を弁別して弁護した。
上司の長官はうわべではあなたの意見に賛成したが、その長官のごきげんを損ねてとうとう官位を退けて田舎へ移されることになった。


(訳注) #2
兩當縣吳十侍禦江上宅
両当県 中國歴史地図で確認すると、唐の時山南西道漢中府鳳州に属していた。成州の東隣にあたる。今は秦州に属し、州治の東南にあたっている。
呉十侍御 侍御史呉郁のこと、何処の人であるかは明らかでない、詩によれば罪されて此の地に在った者である。
江上宅 江は嘉陵江。呉侍御は時に長沙にあって両当県の宅は主人が不在であった。置手紙として書かれたものと思われる。


昔在鳳翔都,共通金閨籍。
むかし鳳翔に行在所が置かれていた時があった、共に名籍を金馬門に通じて仕官をしていた。
鳳翔都 粛宗の鳳翔の行在所をいう、鳳翔府扶風県に在った。
金閨籍 名籍を金馬門に通じおく、官に仕えること。杜甫『送李校書二十六韻』「顧我蓬屋資,謬通金閨籍。」
《文選‧謝朓詩》: “既通金閨籍, 復酌瓊筵醴。・金閨は金鑾殿の側に翰林院、学士院、左蔵庫があり、東海の蒼海を模した太液池があり園池に蓬莱山があり、太液亭があった。そこに至る右銀台門を金馬門といった。金馬門は漢の時、臣下が官を授けられる詔を待つ処。
杜甫『贈李白』
二年客東都,所歷厭機巧。
野人對腥羶,蔬食常不抱。
豈無青精飯,使我顏色好?』
苦乏大藥資,山林跡如掃。』
李侯金閨彥,脫身事幽討。
亦有梁宋游,方期拾瑤草。』

贈李白 杜甫16(李白と旅する)


天子猶蒙塵,東郊暗長戟。
その頃、天子は叛乱軍のために都を逃げ出されていて、両京とその東の郊外は安史軍の長戦でおおわれ暗くなっていた。
蒙塵 よそへ出奔されて居ったこと。
東郊 長安、洛陽の二都から東の地域一体の郊外。
暗長戟 長いほこをふるう者におおいかぶされてくらくなっている。安史軍が兩都を手中にしていて世をみだしていることをいう。


兵家忌間諜,此輩常接跡。
兵法家は敵の間諜を忌嫌うのだが、いつもこのような奴らが常時行在所にはいっていた。
兵家 兵法家。
間諜 敵方へいれてあるしのびのもの、まわしもの。
此輩 間諜をさす。
接跡 ひっきりなしに多くあること。


台中領舉劾,君必慎剖析。
そのときあなたは御史台で善人を挙げ悪人を弾劾するやくわりであった、十分な用心をして事件の内容を分析、微細に調べていたものだ。
台中 御史台のうち、台は御史の役所の名。○領挙劾領は支配すること、挙劾は善なるものを推挙し罪あるものを弾劾すること、劾はかんがえきわめる意である。
君 呉をさす。
割析 解剖し分析する、こまかな点をしらべること。


不忍殺無辜,所以分白黑。
そのため或る嫌疑のあった人物があったが、無罪の人とおもわれるのでそれを殺すには忍びないで、はっきり黒白を弁別して弁護した。
無辜 罪のないもの、良民で間諜だと疑われるものがあり、呉がその無罪を弁護したという。また、敵の間諜が入りこんで甲なる顕官に売国・内応等の事があると言いふらした時にも甲は被疑者で、侍御史は其の無罪を主張したし、上官が他人を誣いんとするのは一良民に対するよりも寧ろこの甲の場合の方が多かったとされる。
分黒白 正邪曲直を区別する。


上官權許與,失意見遷斥。
上司の長官はうわべではあなたの意見に賛成したが、その長官のごきげんを損ねてとうとう官位を退けて田舎へ移されることになった。
上官 呉のうわやく。
権許与 かりに呉の説をみとめて賛成する。
失意 呉が上官の意を失う。

兩當縣吳十侍禦江上宅 杜甫 <320-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1502 杜甫詩 700- 465

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上代~隋南北朝・隋の詩人初唐・盛唐・中唐・晩唐
兩當縣吳十侍禦江上宅 杜甫 <320-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1502 杜甫詩 700- 465

呉侍御は時に長沙にあって両当県の宅は主人が不在であった。置手紙として書かれたものと思われる。


兩當縣吳十侍禦江上宅#1
寒城朝煙淡,山谷落葉赤。陰風千裡來,吹汝江上宅。
鵾雞號枉渚,日色傍阡陌。借問持斧翁﹕幾年長沙客?
哀哀失木柼,矯矯避弓翮。亦知故鄉樂,未敢思宿昔。』
#2
昔在鳳翔都,共通金閨籍。天子猶蒙塵,東郊暗長戟。
兵家忌間諜,此輩常接跡。台中領舉劾,君必慎剖析。
不忍殺無辜,所以分白黑。上官權許與,失意見遷斥。
#3
朝廷非不知,閉口休嘆息。仲尼甘旅人,向子識損益。』
餘時忝諍臣,丹陛實咫尺。相看受狼狽,至死難塞責。
行邁心多違,出門無與適。於公負明義,惆悵頭更白。』



兩當縣吳十侍禦江上宅#1
寒城朝煙淡,山谷落葉赤。
冬空の両当県城に朝の煙がうすくひろがっている、谷間には紅葉と落葉で赤く色づいてみえる。
陰風千裡來,吹汝江上宅。
この時期になると北の千里先から冬の風が吹いて来て、あなたの嘉陵江川沿いの宅のところを吹きさらすのだ。
鵾雞號枉渚,日色傍阡陌。
おれまがった渚で鶴に似た大きい水鳥がなきさけんでいて、田園の縦横の十字路に日の光がさしこんでいる。
借問持斧翁﹕幾年長沙客?
ちょっとお尋ねしますが、「叛乱軍討伐の斧を」持っていた侍御史の方ではありませんか、あなたは長沙へ貶謫された賈誼のようにここへ流されて、もう幾年になられるのだろうか?」と。
哀哀失木柼,矯矯避弓翮。
あなたは喩えれば、まったくあわれなもので木からはなれた尾長猿のようなものであり、ひらりと弓矢を避けて高く飛びあがっている雁のようなものだ。
亦知故鄉樂,未敢思宿昔。』
或はまた、ここに居るより故郷で楽しく暮らす方がいいことは知っているのだが、あなたは帰ってこない昔のことを思おうとはしないのだ。』


現代語訳と訳註
(本文)
兩當縣吳十侍禦江上宅#1
寒城朝煙淡,山谷落葉赤。陰風千裡來,吹汝江上宅。
鵾雞號枉渚,日色傍阡陌。借問持斧翁﹕幾年長沙客?
哀哀失木柼,矯矯避弓翮。亦知故鄉樂,未敢思宿昔。』


(下し文)
(兩當縣の吳十侍御が江上の宅)
寒城朝煙淡し 山谷落葉赤し
陰風千里より来たる 吹く汝が江上の宅
騰難柾渚に号ぶ 日色肝隋に傍う
借問す持斧の翁 幾年ぞ長抄の客
表裏たり矢木の訳 矯矯たり避弓の副
亦た知る故郷の楽しきを 未だ敢て宿昔を思わず』


(現代語訳)
冬空の両当県城に朝の煙がうすくひろがっている、谷間には紅葉と落葉で赤く色づいてみえる。
この時期になると北の千里先から冬の風が吹いて来て、あなたの嘉陵江川沿いの宅のところを吹きさらすのだ。
おれまがった渚で鶴に似た大きい水鳥がなきさけんでいて、田園の縦横の十字路に日の光がさしこんでいる。
ちょっとお尋ねしますが、「叛乱軍討伐の斧を」持っていた侍御史の方ではありませんか、あなたは長沙へ貶謫された賈誼のようにここへ流されて、もう幾年になられるのだろうか?」と。
あなたは喩えれば、まったくあわれなもので木からはなれた尾長猿のようなものであり、ひらりと弓矢を避けて高く飛びあがっている雁のようなものだ。
或はまた、ここに居るより故郷で楽しく暮らす方がいいことは知っているのだが、あなたは帰ってこない昔のことを思おうとはしないのだ。』


(訳注)#1
兩當縣吳十侍禦江上宅

両当県 中國歴史地図で確認すると、唐の時山南西道漢中府鳳州に属していた。成州の東隣にあたる。今は秦州に属し、州治の東南にあたっている。
呉十侍御 侍御史呉郁のこと、何処の人であるかは明らかでない、詩によれば罪されて此の地に在った者である。房琯の関係者ということであろう。
江上宅 江は嘉陵江。呉侍御は時に長沙にあって両当県の宅は主人が不在であった。置手紙として書かれたものと思われる。
 秦州0002k51

寒城朝煙淡,山谷落葉赤。
冬空の両当県城に朝の煙がうすくひろがっている、谷間には紅葉と落葉で赤く色づいてみえる。
寒城 冬の両当県城。


陰風千裡來,吹汝江上宅。
この時期になると北の千里先から冬の風が吹いて来て、あなたの嘉陵江川沿いの宅のところを吹きさらすのだ。
陰風 冬の風。朔風。北より吹く陰気な風。○汝 呉郁。
江上宅 江は嘉陵江。


鵾雞號枉渚,日色傍阡陌。
おれまがった渚で鶴に似た大きい水鳥がなきさけんでいて、田園の縦横の十字路に日の光がさしこんでいる。
○鵾雞 鶤雞 ①大雞。②鶴に似た大きい水鳥。③鳳凰の別名。④大鳥。 樂曲名。《鵾雞曲》
○柾渚 まがっているなぎさ。○阡陌 田園の南北・東西にわたっている十字道。


借問持斧翁﹕幾年長沙客?
ちょっとお尋ねしますが、「叛乱軍討伐の斧を」持っていた侍御史の方ではありませんか、あなたは長沙へ貶謫された賈誼のようにここへ流されて、もう幾年になられるのだろうか?」と。
持斧翁 呉郁をさす、漢の武帝の末に繍衣の御史暴勝之というものが使いとなり斧を持って盗賊を逐捕した、郁は侍御史であるゆえ持斧翁という。【孟子:告子章句上八】 『原文』 孟子曰、 牛山之木嘗美矣、 以其郊於大國也、 斧斤伐之、可以爲美乎。(孟子曰く、 牛山の木は 嘗て美なり。 其の大国に 郊するを以て、 斧斤【ふきん】之を伐る、以て美と為す可けんや。)○幾年 いくとせ。
長沙客 漢の賈誼は長沙に貶謫された、今借用して呉郁をさしていう。・賈誼は漢の孝文帝劉恒(紀元前202-157年)に仕えた文人賈誼(紀元前201―169年)のこと。洛陽の人。諸吉家の説に通じ、二十歳で博士となった。一年後、太中大夫すなわち内閣建議官となり、法律の改革にのりだして寵任されたが、若輩にして高官についたことを重臣たちに嫉まれ、長沙王の傅に左遷された。のち呼び戻され、孝文帝の鬼神の事に関する質問に答え、弁説して夜にまで及び、孝文帝は坐席をのりだして聴き入ったと伝えられる。その後、孝文帝の少子である梁の懐王の傅となり、まもなく三十三歳を以て死んだ。屈原を弔う文及び鵩(みみずく)の賦が有名。賈誼が長沙にいた時、「目鳥 其の承塵に集まる」。目鳥はふくろうに似た鳥というが、詩文のなかのみにあらわれ、その家の主人の死を予兆する不吉な鳥とされる。賈誼はその出現におびえ、「鵩鳥の賦」(『文選』巻一三)を著した


哀哀失木柼,矯矯避弓翮。
あなたは喩えれば、まったくあわれなもので木からはなれた尾長猿のようなものであり、ひらりと弓矢を避けて高く飛びあがっている雁のようなものだ。
失木柼 柼は尾長くろざる、しし鼻で尾の長さが四五尺あるという、失木柼は本来離れるはずのない木からはなれた猿をいう、呉がその地位を普通ではないことで失ったことをいう。ここでは讒言によることを謂う。○矯矯 あがるさま。
避弓翮 翮は鳥のたちばね、ここは雁をいう、雁は蘆の葉を銜えて飛び、弓を避ける、此の句はかつて朝廷においていわれのない誹謗にさらされた呉の難害を避けることをたとえる。


亦知故鄉樂,未敢思宿昔。』
或はまた、ここに居るより故郷で楽しく暮らす方がいいことは知っているのだが、あなたは帰ってこない昔のことを思おうとはしないのだ。』
亦知 責められたことをいくら雁のようにかわしても辛い生活により認知させられる。
宿昔 過去の高級官僚の時をいう。

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別贊上人 杜甫 <319-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1499 杜甫詩 700- 464


別贊上人#1
百川日東流,客去亦不息。
数多ある川は毎日当たり前のように東に流れて行く。客人がここを去って行くことはまた休息をしないということだ。
我生苦漂蕩,何時有終極?
私が生きていくことは、漂泊をしているので苦しいことだけだ、いつになったらこの生活を終わりにすることが出来るのだろうか。
贊公釋門老,放逐來上國。
贊公上人は仏教界の中で長老になられる、房琯にくみしていたということで長安の大雲寺の宗主を追放されてこの地に来られた。
還為世塵嬰,頗帶憔悴色。
この度、又帰られて世俗の塵をかぶられ、初めからの出直しすることになるという、少しばかり、心配顔に染まったのを目にする。

#2
楊枝晨在手,豆子雨已熟。
別れのための柳の枝を朝方に手に取っているし、豆子茶にしても雨の中ですでに熟成している。
是身如浮雲,安可限南北。
我々のこの身は浮雲のように定まる所がない、心休まる所は、南でも北でもいいのである。
異縣逢舊友,初欣寫胸臆。
本来なら会えない異なった県において旧友にお会いできた、初めにあったころの嬉しさがこの胸に思い出されていることを又映し出している。
天長關塞寒,歲暮饑凍逼。
天はどこまでも悠久であるがここの関所塞は極寒になってきている。今年も押し迫ってきての問題は飢えと寒さが緊急の事であるということだ。

#3
野風吹徵衣,欲別向曛黑。
冬の厳しい風になりつつある野に吹く風は次の土地に向えと旅の衣に吹き込んでくる。日暮れになってきたので上人と別れをしなければいけないとおもっている。
馬嘶思故櫪,歸鳥盡斂翼。
愛馬はいつも使っているかいば桶を思い出しては嘶くのであり、鳥にしたって羽をはばたきつくして襲撃のためにいったん高い所に飛び上がっていてもやはり古巣へ帰るものである。
古來聚散地,宿昔長荊棘。
この秦州は古くから、生産地から集めた品物を消費地へ送り出す場所であり、従来より、自分の進むのはいばらの道が長いのである。
相看俱衰年,出處各努力!
こうして見ているとお互い同じように年を重ね衰えもしてきている。そうはいっても各々が努力をして行くということでここを出て行くことにしよう。


(贊上人に別る)#1
百川は 日び東流し、客の去りゆくことも 亦た息まず。
我が生は 飄(ただよ)い蕩(さまよ)うことに苦しむ、何れの時にか 終り極まること有らん。
贊公 釋門の老,放逐されて上國に來る。
還って世塵の嬰に為さん,頗る帶びるは 憔悴の色。
#2
楊枝 晨に手に在り,豆子 雨は已に熟し。
是身は浮雲の如く,安んぞ南北に限すべけん。
異縣 舊友に逢い,初欣 胸臆を寫す。
天長くして 関塞は寒からん,歳の暮れちかければ 饑えと凍えに逼(せま)られん。
#3
野の風は 征(たび)の衣を吹き,別れんと欲すれば 曛黒(ひぐれ)に向(なんなん)とす。
馬嘶いて故櫪を思い,歸鳥して斂翼を盡す。
古來 聚散の地なり,宿昔 荊棘を長す。
相看れば俱に衰年なり,出處して各努力するのみ!


現代語訳と訳註
(本文)
#3
野風吹徵衣,欲別向曛黑。馬嘶思故櫪,歸鳥盡斂翼。
古來聚散地,宿昔長荊棘。相看俱衰年,出處各努力!


(下し文) #3
野の風は 征(たび)の衣を吹き,別れんと欲すれば 曛黒(ひぐれ)に向(なんなん)とす。
馬嘶いて故櫪を思い,歸鳥して斂翼を盡す。
古來 聚散の地なり,宿昔 荊棘を長す。
相看れば俱に衰年なり,出處して各努力するのみ!


(現代語訳)
冬の厳しい風になりつつある野に吹く風は次の土地に向えと旅の衣に吹き込んでくる。日暮れになってきたので上人と別れをしなければいけないとおもっている。
愛馬はいつも使っているかいば桶を思い出しては嘶くのであり、鳥にしたって羽をはばたきつくして襲撃のためにいったん高い所に飛び上がっていてもやはり古巣へ帰るものである。
この秦州は古くから、生産地から集めた品物を消費地へ送り出す場所であり、従来より、自分の進むのはいばらの道が長いのである。
こうして見ているとお互い同じように年を重ね衰えもしてきている。そうはいっても各々が努力をして行くということでここを出て行くことにしよう。


(訳注) #3
野風吹徵衣,欲別向曛黑。

冬の厳しい風になりつつある野に吹く風は次の土地に向えと旅の衣に吹き込んでくる。日暮れになってきたので上人と別れをしなければいけないとおもっている。
・曛黑  日が暮れ天が黑になっていく。南朝宋謝靈運『擬魏太子鄴中集詩‧陳琳』「夜聽極星闌, 朝遊窮曛黑。」(夜聽いて星闌を極め, 朝に遊んで曛黑を窮む。)


馬嘶思故櫪,歸鳥盡斂翼。
愛馬はいつも使っているかいば桶を思い出しては嘶くのであり、鳥にしたって羽をはばたきつくして襲撃のためにいったん高い所に飛び上がっていてもやはり古巣へ帰るものである。
故櫪 いつも使っているかいばおけ。
斂翼 わしが襲撃のためにいったん高い所に飛び上がる様子をいう。


古來聚散地,宿昔長荊棘。
この秦州は古くから、生産地から集めた品物を消費地へ送り出す場所であり、従来より、自分の進むのはいばらの道が長いのである。
聚散 1 集まったり散ったりすること。「離合―」2 生産地から集めた品物を消費地へ送り出すこと。
宿昔 昔から今までの間。従来。また、むかし。以前。
荊棘 [1]イバラなどとげのある低木。また、イバラなどの生い茂る荒れた土地。[2]障害・妨げとなるもの。困難。いばらの道


相看俱衰年,出處各努力!
こうして見ているとお互い同じように年を重ね衰えもしてきている。そうはいっても各々が努力をして行くということでここを出て行くことにしよう。



■大雲寺贊公房四首
心在水精域,衣沾春雨時。
洞門盡徐步,深院果幽期。』
到扉開複閉,撞鐘齋及茲。
醍醐長發性,飲食過扶衰。-
把臂有多日,開懷無愧辭。』
黃鸝度結構,紫鴿下罘罳。
愚意會所適,花邊行自遲。
湯休起我病,微笑索題詩。』-
心は水精の域に在り 衣は需う春雨の時
洞門尽く徐歩 深院果して幽期』
到扉開いて復た閉ず 撞鐘斎蓋に及ぶ
醍醐長えに性を発せしむ 飲食裏を扶くるに過ぐ-
轡を把る多目有り 懐を開く塊辞無し』
黄鶴結構を度り 紫鵠宋恩より下る
愚意適する所に会う 花辺行くこと自ら遅し
揚休我が病めるを起たしむ 微笑して題詩を索む』

其二
細軟青絲履,光明白氎巾。
深藏供老宿,取用及吾身。
自顧轉無趣,交情何尚新。
道林才不世,惠遠得過人。
雨瀉暮簷竹,風吹春井芹。
天陰對圖畫,最覺潤龍鱗。
細軟 青絲を履き,光明 白氎の巾。
深藏 供に老いて宿し,取を用って 吾身に及び。
自ら顧みて 轉 趣き無し,交情 何んぞ尚お新し。
道林 才 不世,惠遠 過る人を得る。
雨瀉ぐ 簷竹に暮し,風吹き 春井芹。
天陰 圖畫に對し,最も覺して龍鱗に潤う。

其三
燈影照無睡,心清聞妙香。
夜深殿突兀,風動金瑯璫。
天黑閉春院,地清棲暗芳。
玉繩迥斷絕,鐵鳳森翱翔。
梵放時出寺,鐘殘仍殷床。
明朝在沃野,苦見塵沙黃。』
燈影照らして睡(ねむ)る無し、心清くして妙香を聞く。
夜深くして殿突(でんとつ)兀(ごつ)たり、風動かして金瑯璫たり。
天黒くして春院閉ず、地清くして暗芳棲む。
玉縄迥に断絶す、鉄鳳森として翱翔す。
梵放たれて時に寺を出づ、鐘残って仍牀に殷たり。
明朝沃野に在らん、塵沙の黄なるを見るに苦しむ。

其四
童兒汲井華,慣捷瓶手在。
沾灑不濡地,掃除似無帚。
明霞爛複閣,霽霧搴高牖。
側塞被徑花,飄搖委墀柳。
艱難世事迫,隱遁佳期後。
晤語契深心,那能總鉗口?
奉辭還杖策,暫別終回首。
泱泱泥汙人,狺狺國多狗。
既未免羈絆,時來憩奔走。
近公如白雪,執熱煩何有?
童兒 井華(せいか)に汲む,慣捷(かんせい) 瓶 手に在る。
沾灑(てんさい) 地に濡(うるお)わず,掃除(そうじょ) 帚(はく)こと 無しに似たり。
明霞(めいか) 爛(らん)複た閣,霽霧(せいむ) 高牖(こうりょ)を搴(ぬ)く。
側塞(そくさい) 徑花を被い,飄搖(ひょうよう) 墀柳(くつりゅう)に委ねる。
艱難(かんなん) 世事 迫る,隱遁 佳期の後。
晤語 深心に契り,那んぞ能く 鉗口に總(おさ)めんや?
奉辭(ほうじ) 還た杖策し,暫別 終に首を回らす。
泱泱(おうおう)たる 泥 人を汙(けが)す,狺狺(ぎんぎん)たる 國に 狗 多し。
既に 未だ 羈絆 免じず,時 來りて 奔走して 憩(いこ)わむ。
近公 白雪の如し,執熱 煩 何んぞ有りや?


■宿贊公房
宿贊公房
 〔原注〕 賛。京師大雲寺主。謫此安置。
杖錫何來此,秋風已颯然。
雨荒深院菊,霜倒半池蓮。
放逐寧違性?虛空不離禪。
相逢成夜宿,隴月向人圓。
(賛公が房に宿す)
(賛は、京師の大雲寺の主なり、此に謫して安置せらる。)
錫【しゃく】を杖【つ】きて何か此に来たれる、秋風己に颯然【さつせん】たり。
雨には荒る深院【しんいん】の菊、霜には倒る半池の蓮【れん】。
放逐【ほうちく】寧ぞ性に違【たが】わんや、虚空【こくう】禅を離【さ】らず。
相逢うて夜宿【やしゅく】を成せば、隴月【ろうげつ】人に向こうて円【まど】かなり。


■寄贊上人
一昨陪錫杖,卜鄰南山幽。年侵腰腳衰,未便陰崖秋。
重岡北面起,竟日陽光留。茅屋買兼土,斯焉心所求。
近聞西枝西,有穀杉漆稠。
亭午頗和暖,石田又足收。當期塞雨幹,宿昔齒疾瘳。
徘徊虎穴上,面勢龍泓頭。柴荊具茶茗,逕路通林丘。
與子成二老,來往亦風流。
(下し文)
一昨は あなたの錫杖【しゃくじょう】に陪し、隣を卜す 南山の幽なるに。
年の侵して われは腰や脚の衰うれば、陰の崖の秋には 未だ便ならず。
重なれる岡【やま】の 北面に起これば、竟日 陽光は留まらん。
茅屋は 買うに土を兼ぬれば、斯【すなわ】ち焉【ここ】ぞ 心の求むる所なり。
近ごろ聞く 西枝の西に、谷有りて 杉と漆の稠【おお】く。
亭午は 頗る和暖にして、石田は 又た収むるに足ると。
当【まさ】に期す この塞の雨の乾き、宿昔の 歯の疾【やまい】の瘳【い】ゆるときを。
虎穴の上【ほと】りを 徘徊し、竜泓【りゅうおう】の頭【ほと】りに 面勢せん。
柴荊【さいけい】に 茶茗を具え、逕路は あなたのすまう林丘に通ず。
子【し】とわれと 二老と成り、来往すれば 亦た風流ならん。

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#2
楊枝晨在手,豆子雨已熟。
別れのための柳の枝を朝方に手に取っているし、豆子茶にしても雨の中ですでに熟成している。
是身如浮雲,安可限南北。
我々のこの身は浮雲のように定まる所がない、心休まる所は、南でも北でもいいのである。
異縣逢舊友,初欣寫胸臆。
本来なら会えない異なった県において旧友にお会いできた、初めにあったころの嬉しさがこの胸に思い出されていることを又映し出している。
天長關塞寒,歲暮饑凍逼。

天はどこまでも悠久であるがここの関所塞は極寒になってきている。今年も押し迫ってきての問題は飢えと寒さが緊急の事であるということだ。


現代語訳と訳註
(本文) #2

楊枝晨在手,豆子雨已熟。是身如浮雲,安可限南北。
異縣逢舊友,初欣寫胸臆。天長關塞寒,歲暮饑凍逼。


(下し文)
#2
楊枝 晨に手に在り,豆子 雨は已に熟し。
是身は浮雲の如く,安んぞ南北に限すべけん。
異縣 舊友に逢い,初欣 胸臆を寫す。
天長くして 関塞は寒からん,歳の暮れちかければ 饑えと凍えに逼(せま)られん。


(現代語訳)
別れのための柳の枝を朝方に手に取っているし、豆子茶にしても雨の中ですでに熟成している。
我々のこの身は浮雲のように定まる所がない、心休まる所は、南でも北でもいいのである。
本来なら会えない異なった県において旧友にお会いできた、初めにあったころの嬉しさがこの胸に思い出されていることを又映し出している。
天はどこまでも悠久であるがここの関所塞は極寒になってきている。今年も押し迫ってきての問題は飢えと寒さが緊急の事であるということだ。


(訳注) #2
楊枝晨在手,豆子雨已熟。
別れのための柳の枝を朝方に手に取っているし、豆子茶にしても雨の中ですでに熟成している。
楊枝 古来、柳を折って旅人の安全を祈りそして無事に帰って來ることを願った。そための柳の枝。
豆子 お茶のこと。別れの前にお茶を飲む。豆子茶【とうずちゃ】。古来、楚の国の名産で全土に広がった。。


是身如浮雲,安可限南北。
我々のこの身は浮雲のように定まる所がない、心休まる所は、南でも北でもいいのである。


異縣逢舊友,初欣寫胸臆。
本来なら会えない異なった県において旧友にお会いできた、初めにあったころの嬉しさがこの胸に思い出されていることを又映し出している。
【欣快】きんかい. 非常にうれしく気持ちのよいこと。喜び。 「欣快の至り」「ご病気御全快の由、欣快に存じます」. 【欣喜】きんき. 非常に喜ぶこと。 【欣喜雀躍】きんきじゃくやく. 躍り上がって大喜びすること。喜んで小躍りすること。 「雀躍」はスズメが飛び跳ねることで


天長關塞寒,歲暮饑凍逼。
天はどこまでも悠久であるがここの関所塞は極寒になってきている。今年も押し迫ってきての問題は飢えと寒さが緊急の事であるということだ。
天長 天の悠久な事。

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別贊上人#1
百川日東流,客去亦不息。
数多ある川は毎日当たり前のように東に流れて行く。客人がここを去って行くことはまた休息をしないということだ。
我生苦漂蕩,何時有終極?
私が生きていくことは、漂泊をしているので苦しいことだけだ、いつになったらこの生活を終わりにすることが出来るのだろうか。
贊公釋門老,放逐來上國。
贊公上人は仏教界の中で長老になられる、房琯にくみしていたということで長安の大雲寺の宗主を追放されてこの地に来られた。
還為世塵嬰,頗帶憔悴色。
この度、又帰られて世俗の塵をかぶられ、初めからの出直しすることになるという、少しばかり、心配顔に染まったのを目にする。
#2
楊枝晨在手,豆子雨已熟。是身如浮雲,安可限南北。
異縣逢舊友,初欣寫胸臆。天長關塞寒,歲暮饑凍逼。
#3
野風吹徵衣,欲別向曛黑。馬嘶思故櫪,歸鳥盡斂翼。
古來聚散地,宿昔長荊棘。相看俱衰年,出處各努力!

(贊上人に別る)#1
百川は 日び東流し、客の去りゆくことも 亦た息まず。
我が生は 飄(ただよ)い蕩(さまよ)うことに苦しむ、何れの時にか 終り極まること有らん。
贊公 釋門の老,放逐されて上國に來る。
還って世塵の嬰に為さん,頗る帶びるは 憔悴の色。

#2
楊枝 晨に手に在り,豆子 雨は已に熟し。
是身は浮雲の如く,安んぞ南北に限すべけん。
異縣 舊友に逢い,初欣 胸臆を寫す。
天長くして 関塞は寒からん,歳の暮れちかければ 饑えと凍えに逼(せま)られん。
#3
野の風は 征(たび)の衣を吹き,別れんと欲すれば 曛黒(ひぐれ)に向(なんなん)とす。
馬嘶いて故櫪を思い,歸鳥して斂翼を盡す。
古來 聚散の地なり,宿昔 荊棘を長す。
相看れば俱に衰年なり,出處して各努力するのみ!



現代語訳と訳註
(本文)
百川日東流,客去亦不息。我生苦漂蕩,何時有終極?
贊公釋門老,放逐來上國。還為世塵嬰,頗帶憔悴色。

(下し文)
百川は 日び東流し、客の去りゆくことも 亦た息まず。
我が生は 飄(ただよ)い蕩(さまよ)うことに苦しむ、何れの時にか 終り極まること有らん。
贊公 釋門老,放逐されて上國に來る。
還って世塵の嬰に為さん,頗る帶びるは 憔悴の色。


(現代語訳)
数多ある川は毎日当たり前のように東に流れて行く。客人がここを去って行くことはまた休息をしないということだ。
私が生きていくことは、漂泊をしているので苦しいことだけだ、いつになったらこの生活を終わりにすることが出来るのだろうか。
贊公上人は仏教界の中で長老になられる、房琯にくみしていたということで長安の大雲寺の宗主を追放されてこの地に来られた。
この度、又帰られて世俗の塵をかぶられ、初めからの出直しすることになるという、少しばかり、心配顔に染まったのを目にする。


(訳注)
別贊上人

秦州出発の前に、心の師であり友であった賛上人に『賛上人に別る』の留別の詩を書いた。杜甫はその詩の冒頭から、東へ流れ去る川が尽きるときがないように、自分の流浪の人生も終わるときがないのではないかと、ひどく悲観的になっている。
■大雲寺贊公房四首 
大雲贊公房四首 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 164

大雲寺贊公房四首其一#2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 165#2

大雲寺贊公房四首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 166

大雲寺贊公房四首 其三 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 167

大雲寺贊公房四首 其四 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 168

大雲寺贊公房 四首 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 169

■宿贊公房

宿贊房 杜甫 <279> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1286 杜甫詩 700- 393

■寄贊上人

上人 杜甫 <281-#1> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1292 杜甫詩 700- 395

寄贊上人 杜甫 <281-#2> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ログ1295 杜甫詩 700- 396



百川日東流,客去亦不息。
数多ある川は毎日当たり前のように東に流れて行く。客人がここを去って行くことはまた休息をしないということだ。
百川 多くの川。『詩経、小雅、十月之交』「百川沸騰、山冢崒崩。高岸爲谷、深谷爲陵。」(百川沸騰し、山冢【さんちょう】崒【ことごと】く崩る。高岸 谷と爲し、深谷 陵と爲る。)詩経小雅、十月之交の時期、場面がかぶさっている。詩経では天変地異の災禍を悲しんでいる。杜甫は長安以東、戦火で落ち着いていないことを憂いている。
東流 向東。秦州雜詩二十首 其二「清渭無情極、愁時独向東。」東は長安、作者の故郷とする地であるが、当たり前のこととして流れて行く。この地の梟雄といわれ人士の信望を集めていた隗囂の宮殿がむなしく寺に変わり、自分は官を辞してこうした西の果てに来ていて、天他の安寧を願い、今の世を愁いている。しかし、渭水の水は愁いも辛苦も知らぬ顔をして無情に東流して行く。秦州雜詩二十首 其二 杜甫 第1部 <255> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1214 杜甫詩 700- 369『新安吏』「白水暮東流、青山猶哭聲。」新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1022 杜甫詩集700- 305



我生苦漂蕩,何時有終極?
私が生きていくことは、漂泊をしているので苦しいことだけだ、いつになったらこの生活を終わりにすることが出来るのだろうか。
漂蕩 1 水にただようこと。 2 さまようこと。さすらうこと。漂泊。


贊公釋門老,放逐來上國。
贊公上人は仏教界の中で長老になられる、房琯にくみしていたということで長安の大雲寺の宗主を追放されてこの地に来られた。
釋門 仏門。『大雲経』をを納める「大雲経寺」を全国の各州に造らせた。これは後の日本の国分寺制度の元になった総本山の僧侶であった。そこの長老であった。


還為世塵嬰,頗帶憔悴色。
この度、又帰られて世俗の塵をかぶられ、初めからの出直しすることになるという、少しばかり、心配顔に染まったのを目にする。
 生まれたばかり


 

寄張十二山人彪三十韻 杜甫 <318-#6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1490 杜甫詩 700- 461

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寄張十二山人彪三十韻 杜甫 <318-#6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1490 杜甫詩 700- 461



寄張十二山人彪三十韻
時來故舊少,亂後別離頻。
兵乱以後はただ友人知人との別離のみがしきりであるので、残念なことには太平の時節が到来したにもかかわらず友人知人はごく少なくなっているのだ。
世祖修高廟,文公賞從臣。
今や我が粛宗皇帝はむかし光武帝が高祖の廟を修めたごとく祖先の廟を改修せられ、そして、むかし晋の文公が逃亡のとき随従したものを厚く賞せられたように諸臣に賞を行われた。
商山猶入楚,渭水不離秦。
四皓の隠れた商山、太公望の釣りを垂れた渭水、みな我が唐に帰した。あなたの隠居の地は回復されている。
存想青龍秘,騎行白鹿馴。
道家としての想いは青竜が斎室を守るという道教の秘密を知っており、君はまさに馴れたる白鹿にのってあるくのである。
耕岩非穀口,結草即河濱。
あなたが漢の鄭子真のように巌石のもとに退耕しようとする場所は長安ちかくの谷口ではない、君が草を結んで庵をつくろうとする処は「神仙伝」にいう河上公の洛陽に遠からざる黄河のほとりであるであろう。

肘後符應驗,囊中藥未陳。
医薬の書を手許にかけて、あなたが作る療病の符は必ず治癒に効きめがあるだろう、あなたの嚢中にたくわうる薬はまたふるびたりすることはないだろう。
旅懷殊不愜,良覿眇無因。
自分病気がちで旅中のおもいめぐらしても気にあわないことばかりなのだ、そんなおりにあなたが居てくれたらと思うのに、かけ離れていたので頼る由もなかった。
自古多悲恨,浮生有屈伸。
悲恨というきもちをもつことは今にはじまったものではなく古からあるものだ、浮世には叛乱により屈伸、集散離合などやりたくもないことをさせられることがあるものだ。
此邦今尚武,何處且依仁。
この国は秦州ばかりでなくどこでも、いま武力だけがものをいうようなものだ、どこを尋ねたならば仁徳のあるものに寄り添うことができるだろうか。
鼓角淩天籟,關山倚月輪。
戦争が近いのか鼓角のおとは天籟をもしのぎ、関塞のある山はたかく月に倚っている。

官場羅鎮磧,賊火近洮岷。
唐軍の防禦用の環濠は兵屯所や沙漠に随所にならんでおり、洮州、岷州、並に隴西の地に近く吐蕃軍の焚掠の火がせまってきている。
蕭瑟論兵地,蒼茫鬥將辰。
西方各方面から敵軍が攻めてくるどこを重点にするか議論のしどころであるがどの地点もさびし良いものとなっている。その上、唐軍に裏切りが出ており、諸将が敵味方に分かれて相闘う時となって、勝敗の行方がはっきりしないのだ。
大軍多處所,餘孽尚紛綸。
唐王朝軍は大部隊を多くの処にあつめている、それは安史軍とそれを助けている者たちもまだ入り乱れているからである。
高興知籠鳥,斯文起獲麟。
わたしは心には高興をいだいているとはいうものの籠のなかの鳥であることを知っている。しかし私もあなたも孔子のように獲麟に感じて著述の筆をそこからおこそうとしているのだ。
窮秋正搖落,回首望松筠。

いま秋から冬へ移行の時の秋の終わるころ、木の葉もゆれおちるときになってしまった、わたしは振り返ってあなたの意志を示す松と竹の宅の方を眺め遣るのである。

官壕【かんごう】鎮磧【ちんせき】に羅【つら】なる、賊火【ぞくか】洮岷【とうびん】に近し。
蕭瑟【しょうしつ】たり論兵【ろんぺい】の地、蒼茫【そうぼう】たり闘将【とうしょう】の辰【とき】。
大軍処所【しょしょ】多し、余孽【よげつ】尚お紛綸【ふんりん】たり。
高興【こうきょう】籠鳥【ろうちょう】なるを知る、斯文【しぶん】獲麟【かくりん】に起こらん。
窮秋【きゅうしゅう】正に搖落す、首を回らして松筠【しょういん】を望む。』


現代語訳と訳註
(本文)

官場羅鎮磧,賊火近洮岷。蕭索論兵地,蒼茫鬥將辰。
大軍多處所,餘孽尚紛綸。高興知籠鳥,斯文起獲麟。
窮秋正搖落,回首望松筠。


(下し文)
官壕【かんごう】鎮磧【ちんせき】に羅【つら】なる、賊火【ぞくか】洮岷【とうびん】に近し。
蕭瑟【しょうしつ】たり論兵【ろんぺい】の地、蒼茫【そうぼう】たり闘将【とうしょう】の辰【とき】。
大軍処所【しょしょ】多し、余孽【よげつ】尚お紛綸【ふんりん】たり。
高興【こうきょう】籠鳥【ろうちょう】なるを知る、斯文【しぶん】獲麟【かくりん】に起こらん。
窮秋【きゅうしゅう】正に搖落す、首を回らして松筠【しょういん】を望む。』


(現代語訳)
唐軍の防禦用の環濠は兵屯所や沙漠に随所にならんでおり、洮州、岷州、並に隴西の地に近く吐蕃軍の焚掠の火がせまってきている。
西方各方面から敵軍が攻めてくるどこを重点にするか議論のしどころであるがどの地点もさびし良いものとなっている。その上、唐軍に裏切りが出ており、諸将が敵味方に分かれて相闘う時となって、勝敗の行方がはっきりしないのだ。
唐王朝軍は大部隊を多くの処にあつめている、それは安史軍とそれを助けている者たちもまだ入り乱れているからである。
わたしは心には高興をいだいているとはいうものの籠のなかの鳥であることを知っている。しかし私もあなたも孔子のように獲麟に感じて著述の筆をそこからおこそうとしているのだ。
いま秋から冬へ移行の時の秋の終わるころ、木の葉もゆれおちるときになってしまった、わたしは振り返ってあなたの意志を示す松と竹の宅の方を眺め遣るのである。


(訳注)
官場羅鎮磧,賊火近洮岷。
唐軍の防禦用の環濠は兵屯所や沙漠に随所にならんでおり、洮州、岷州、並に隴西の地に近く吐蕃軍の焚掠の火がせまってきている。
官壕 官軍が防禦のためにはったほり。
 羅列。○鎮磧 鎮は成兵の屯所、磧は沙漠。
賊火 この頃吐蕃が沙州を占拠し領土拡大をしてきた。焚掠の兵火。
洮岷 洮州、岷州、並に隴西の地。唐は西の拠点を隴西に置き、岷州、洮州、沙州と西に領土としていた。安史の乱で手薄になった西を吐蕃により攻められたのである。杜甫秦州雑詩二十首』(第二部(其五其六其七其八)に辺境の地が変化していく様子が描かれている。


蕭瑟論兵地,蒼茫鬥將辰。
西方各方面から敵軍が攻めてくるどこを重点にするか議論のしどころであるがどの地点もさびし良いものとなっている。その上、唐軍に裏切りが出ており、諸将が敵味方に分かれて相闘う時となって、勝敗の行方がはっきりしないのだ。
蕭瑟 さびしいさま。
論兵地 隴西、秦州は吐蕃軍により西方,北西方の二方向から攻められ、秦州は南西方向から攻められることが世遅くされた。吐蕃軍に対する用兵を論ずることを示す。
蒼茫 はっきりせぬさま。
闘将辰 辰は時、韻字の都合で辰の字を用いたが時というのも処というのもほとんど大差はない、闘将は諸将が敵味方で相闘うことをいう。吐蕃軍に寝返った将校がいたことを示す。


大軍多處所,餘孽尚紛綸。
唐王朝軍は大部隊を多くの処にあつめている、それは安史軍とそれを助けている者たちもまだ入り乱れているからである。
大軍 唐王朝軍をいう。
多処所 その居る場所が多くあること、これはひろく遠方の諸地へかけていう。
余孽 虫豸の妖を孽という、凶賊ののこりのものをいう。
紛縮 みだれているさま、多くあることをいう。


高興知籠鳥,斯文起獲麟。
わたしは心には高興をいだいているとはいうものの籠のなかの鳥であることを知っている。しかし私もあなたも孔子のように獲麟に感じて著述の筆をそこからおこそうとしているのだ。
高興 私の詩人の風流の興味を高ぶらせてくれるもの。『北征』詩
「青雲動高興,幽事亦可悅。」
(青雲は高興を動かし,幽事は 亦 悅ぶ可し。)
青い大空にうかんでいる雲をながめるとそれは私の詩人の風流の興味を高ぶらせてくれるものであり、また山路の一人静かな旅はいろいろの悦ばしい事にであわせてくれるのである。
北徵 #4(北征全12回)杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 211

知籠烏 杜甫が秦州の東柯谷に隠遁したいと思っていても買い取る資金もなく、戦地近くでもあり出るに出られない状況をいう。これは龍中の烏に似ていることを知ることをいうのである、
斯文 張彪につけていう、斯文は彪の著述をさす、起は筆をそこからおこしはじめることをいう、
獲麟 孔子が「春秋」を著わしたときに「西狩獲麟」にて筆を止めたことをさす、杜預の「左伝」の序に、「孔子ノ筆ヲ獲麟の句に絶ちしは感じて起こりし所なるも、固より終りを為す所以なり」、とある、孔子が獲麟に感じたのは、麟が其の出現すべき時ではないのに出現したことを傷んだのであるといわれる、故に孔子は獲麟に感じて筆を起こしたが亦たそこで止めたのである、彪も必ずや孔子のごとく獲麟に感じて筆を起こしたのであろう、此の二句は杜甫自ずからと張彪のことをいいふたりにきょうつうしたものであるということ。


窮秋正搖落,回首望松筠。
いま秋から冬へ移行の時の秋の終わるころ、木の葉もゆれおちるときになってしまった、わたしは振り返ってあなたの意志を示す松と竹の宅の方を眺め遣るのである。』
窮秋 秋のすえ。秋から冬へ移行の時の秋の終わるころ。
揺落 木の葉のゆられておちること。
望松筠 張彪が隠居をのぞむこと、筠は竹の色であるが竹をいう、松筠は松竹の意、裡面には松竹の晩節を保つ意味をもふくむ。松は筋を通す生き方に比喩される。竹は意志を枉げない意味と隠遁をあらわす語である。

寄張十二山人彪三十韻 杜甫 <318-#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1487 杜甫詩 700- 460

      
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寄張十二山人彪三十韻 杜甫 <318-#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1487 杜甫詩 700- 460


肘後符應驗,囊中藥未陳。
医薬の書を手許にかけて、あなたが作る療病の符は必ず治癒に効きめがあるだろう、あなたの嚢中にたくわうる薬はまたふるびたりすることはないだろう。
旅懷殊不愜,良覿眇無因。
自分病気がちで旅中のおもいめぐらしても気にあわないことばかりなのだ、そんなおりにあなたが居てくれたらと思うのに、かけ離れていたので頼る由もなかった。
自古多悲恨,浮生有屈伸。
悲恨というきもちをもつことは今にはじまったものではなく古からあるものだ、浮世には叛乱により屈伸、集散離合などやりたくもないことをさせられることがあるものだ。
此邦今尚武,何處且依仁。
この国は秦州ばかりでなくどこでも、いま武力だけがものをいうようなものだ、どこを尋ねたならば仁徳のあるものに寄り添うことができるだろうか。
鼓角淩天籟,關山倚月輪。
戦争が近いのか鼓角のおとは天籟をもしのぎ、関塞のある山はたかく月に倚っている。
肘後【ちゅうご】符【ふ】応【まさ】に験【けん】あるなるべし、嚢中【のうちゅう】薬【くすり】未だ陳ならず。
旅懐殊【こと】に愜【かな】わず、良覿【りょうてき】眇【びょう】として因無し。
古【いにしえ】自【よ】り皆 悲恨【ひこん】あり、浮生屈伸あり。
此の邦【くに】今武を尚ぶ、何【いずれ】の処にか且つ仁に依らん。
鼓角天籟【てんらい】を凌ぐ、関山月輪に倚る。

少陵台

現代語訳と訳註
(本文)

肘後符應驗,囊中藥未陳。旅懷殊不愜,良覿眇無因。
自古多悲恨,浮生有屈伸。此邦今尚武,何處且依仁。
鼓角淩天籟,關山倚月輪。


(下し文)
肘後【ちゅうご】符【ふ】応【まさ】に験【けん】あるなるべし、嚢中【のうちゅう】薬【くすり】未だ陳ならず。
旅懐殊【こと】に愜【かな】わず、良覿【りょうてき】眇【びょう】として因無し。
古【いにしえ】自【よ】り皆 悲恨【ひこん】あり、浮生屈伸あり。
此の邦【くに】今武を尚ぶ、何【いずれ】の処にか且つ仁に依らん。
鼓角天籟【てんらい】を凌ぐ、関山月輪に倚る。


(現代語訳)
医薬の書を手許にかけて、あなたが作る療病の符は必ず治癒に効きめがあるだろう、あなたの嚢中にたくわうる薬はまたふるびたりすることはないだろう。
自分病気がちで旅中のおもいめぐらしても気にあわないことばかりなのだ、そんなおりにあなたが居てくれたらと思うのに、かけ離れていたので頼る由もなかった。
悲恨というきもちをもつことは今にはじまったものではなく古からあるものだ、浮世には叛乱により屈伸、集散離合などやりたくもないことをさせられることがあるものだ。
この国は秦州ばかりでなくどこでも、いま武力だけがものをいうようなものだ、どこを尋ねたならば仁徳のあるものに寄り添うことができるだろうか。
戦争が近いのか鼓角のおとは天籟をもしのぎ、関塞のある山はたかく月に倚っている。

終南山03

(訳注)
肘後符應驗,囊中藥未陳。
医薬の書を手許にかけて、あなたが作る療病の符は必ず治癒に効きめがあるだろう、あなたの嚢中にたくわうる薬はまたふるびたりすることはないだろう。
肘後符応験 晋の葛洪は「金匱薬方一百巻」・「肘後安息方四巻」を著わした、肘後:手許のこと、符:医療のまじないのふだ、験;ききめのしるし。
 ふるくなる。陳腐。


旅懷殊不愜,良覿眇無因。
自分病気がちで旅中のおもいめぐらしても気にあわないことばかりなのだ、そんなおりにあなたが居てくれたらと思うのに、かけ離れていたので頼る由もなかった。
旅懐 杜甫の客中のおもい。○ きにあう。
良覿 親友と相い見ること。
眇無因 はるかにして遭うに由無いこと。


自古多悲恨,浮生有屈伸。
悲恨というきもちをもつことは今にはじまったものではなく古からあるものだ、浮世には叛乱により屈伸、集散離合などやりたくもないことをさせられることがあるものだ。
悲恨 悲しみうらむ。仇に思うこと。遺恨まで行かないものと解釈する。『漢書、刑法志』「不辜蒙戮、父子悲恨」
屈伸 一身のかがむとのびると、伸縮。しゃがんでいるものと思っていたものが謀叛ということで、起き上がり、身の程知らずに皇帝を名乗ったこと。あるいは不満分子の集合体、集散離合の状況をいう。


此邦今尚武,何處且依仁。
この国は秦州ばかりでなくどこでも、いま武力だけがものをいうようなものだ、どこを尋ねたならば仁徳のあるものに寄り添うことができるだろうか。
此邦 この国は秦州ばかりでなくどこでも。
依仁 仁人にたよって生活すること、仁人は彪をさす、この依仁は「論語」の「里仁」の意のごとくである。


鼓角淩天籟,關山倚月輪。
戦争が近いのか鼓角のおとは天籟をもしのぎ、関塞のある山はたかく月に倚っている。
凌天籟 そらふくからかぜをもしのぐ、高くのぼること。
倚月輪 といっているのは関山が倚るとみるものである。「地勢の高きを言う」「秦州雑詩」にこれらの雰囲気をつかむことが出来る。
秦州雜詩二十首 其四
鼓角縁辺郡、川原欲夜時。
秋聴殷地発、風散入雲悲。
抱葉寒蝉静、帰山独鳥遅。
万方声一慨、吾道竟何之。
鼓角【こかく】 縁辺【えんぺん】の郡、川原【せんげん】  夜ならんと欲する時。
秋に聴けば地に殷【どよ】もして発【おこ】り、風に散【さん】じて雲に入り 悲しむ。
葉を抱【いだ】ける寒蝉【かんせん】は静かに、山に帰る独鳥【どくちょう】は遲。
万方【ばんぽう】 声 一慨【いちがい】、吾 【わ】が道  竟【つい】に何【いず】くにか之【ゆ】かん。


秦州雜詩二十首 其六
城上胡笳奏,山邊漢節歸。
防河赴滄海,奉詔發金微。
士苦形骸黑,林疏鳥獸稀。
那堪往來戍,恨解鄴城圍。
城上に胡茄【こか】奏せらる 山辺に漢節【かんせつ】帰る。
防河【ぼうが】として滄海【そうかい】に赴く 詔を奉じて金微【きんぴ】より発す。
士苦しみて形骸【けいがい】黒く 林 疎【そ】にして鳥獣【ちょうじゅう】稀なり。
那ぞ堪えん往来の戊の、鄴城【ぎょうじょう】の囲みを解きしことを恨むに。


秦州雑詩二十首 其七
莽莽万重山、孤城山谷間。
無風雲出塞、不夜月臨関。
属国帰何晩、楼蘭斬未還。
烟塵独長望、衰颯正摧顔。
莽莽【もうもう】たり万重【ばんちょう】の山、孤城  山谷【さんこく】の間。
風無くして雲は塞を出で、夜ならざるに月は関【かん】に臨む。
属国  帰ること何ぞ晩【おそ】き、楼蘭【ろうらん】  斬らんとして未だ還【かえ】らず。
烟塵【えんじん】に独り長望【ちょうぼう】し、衰颯【すいさつ】として正【まさ】に顔を摧【くだ】く。


秦州雜詩二十首 其四 杜甫 第1部 <257> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1220 杜甫詩 700- 371

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時來故舊少,亂後別離頻。
兵乱以後はただ友人知人との別離のみがしきりであるので、残念なことには太平の時節が到来したにもかかわらず友人知人はごく少なくなっているのだ。
世祖修高廟,文公賞從臣。
今や我が粛宗皇帝はむかし光武帝が高祖の廟を修めたごとく祖先の廟を改修せられ、そして、むかし晋の文公が逃亡のとき随従したものを厚く賞せられたように諸臣に賞を行われた。
商山猶入楚,渭水不離秦。
四皓の隠れた商山、太公望の釣りを垂れた渭水、みな我が唐に帰した。あなたの隠居の地は回復されている。
存想青龍秘,騎行白鹿馴。
道家としての想いは青竜が斎室を守るという道教の秘密を知っており、君はまさに馴れたる白鹿にのってあるくのである。
耕岩非穀口,結草即河濱。

あなたが漢の鄭子真のように巌石のもとに退耕しようとする場所は長安ちかくの谷口ではない、君が草を結んで庵をつくろうとする処は「神仙伝」にいう河上公の洛陽に遠からざる黄河のほとりであるであろう。


現代語訳と訳註
(本文)

時來故舊少,亂後別離頻。世祖修高廟,文公賞從臣。
商山猶入楚,渭水不離秦。存想青龍秘,騎行白鹿馴。
耕岩非穀口,結草即河濱。


(下し文)
時来たって故旧少なく 乱後別離頻りなり
世祖高廟を修む 文公従臣を賞す
商山猶お楚にガる 洞水秦を離れず
想いを存す青竜の秘なるに 騎行す白鹿の馴るるに
巌に耕すは谷口に非ず 草を結ぶは即ち河浜


(現代語訳)
兵乱以後はただ友人知人との別離のみがしきりであるので、残念なことには太平の時節が到来したにもかかわらず友人知人はごく少なくなっているのだ。
今や我が粛宗皇帝はむかし光武帝が高祖の廟を修めたごとく祖先の廟を改修せられ、そして、むかし晋の文公が逃亡のとき随従したものを厚く賞せられたように諸臣に賞を行われた。
四皓の隠れた商山、太公望の釣りを垂れた渭水、みな我が唐に帰した。あなたの隠居の地は回復されている。
道家としての想いは青竜が斎室を守るという道教の秘密を知っており、君はまさに馴れたる白鹿にのってあるくのである。
あなたが漢の鄭子真のように巌石のもとに退耕しようとする場所は長安ちかくの谷口ではない、君が草を結んで庵をつくろうとする処は「神仙伝」にいう河上公の洛陽に遠からざる黄河のほとりであるであろう。


(訳注)
時來故舊少,亂後別離頻。
兵乱以後はただ友人知人との別離のみがしきりであるので、残念なことには太平の時節が到来したにもかかわらず友人知人はごく少なくなっているのだ。
時来 太平の時節が到来した、下句の乱後に対して。倒句で読むほうがよい。
故旧 ふるなじみの友人知人。
別離頻 このわかれのなかに今回の張彪とのわかれをふくめていう。


世祖修高廟,文公賞從臣。
今や我が粛宗皇帝はむかし光武帝が高祖の廟を修めたごとく祖先の廟を改修せられ、そして、むかし晋の文公が逃亡のとき随従したものを厚く賞せられたように諸臣に賞を行われた。
世祖 後漢の光武帝の廟号。○修 修繕。○高廟 漢の高祖の廟、光武は建武二年正月に高祖の廟を洛陽に立てたことをいい、ここではどうように粛宗が乾元元年四月に九廟が落成して神儀を迎えて新廟に入れたことをいう。
文公賞従臣 「左伝」(僖公廿四年)にみえる、晋の文公が本国を出て諸国をさまよい国にかえるに及んで従者を賞した。粛宗の至徳二載十二月、玄宗に蜀に従ったもの及び粛宗に霊武に従った諸臣に封爵を加えたことをいう。


商山猶入楚,渭水不離秦。
四皓の隠れた商山、太公望の釣りを垂れた渭水、みな我が唐に帰した。あなたの隠居の地は回復されている。
商山猶入楚 隠棲地である商山は今なお唐の支配下の中に有る。商山は長安の東商商州にある山の名、漢の高祖の時四人の老人があり秦の乱をさけでその山に隠れ芝を採ってくらした。中国秦代末期、乱世を避けて陝西(せんせい)省商山に入った東園公・綺里季・夏黄公・里(ろくり)先生の四人の隠士。みな鬚眉(しゅび)が皓白(こうはく)の老人であったのでいう。商山の四皓はもと秦の博士であったが世のみだれたのにより山にかくれて採芝の歌をつくった。その歌は四言十句あって、「曄曄紫芝,可以疗飢。皇虞邈远,余将安歸」(曄曄たる紫芝、以て飢を療す可し。唐虞往きぬ、吾は当に安にか帰すべき。)の語がある。中国秦末、国乱を避けて陝西省商山に入った、東園公・綺里季・夏黄公・甪里(ろくり)の四人の隠士。全員鬚(ひげ)や眉が真っ白の老人であった。
渭水不離秦 渭水は安史軍を排除して、唐の支配下にある。
渭水で釣りをしていたところを文王が「これぞわが太公(祖父)が待ち望んでいた人物である」と言って召し抱えた周の軍師となり、文王の子武王を補佐し、殷の帝辛(受王)を牧野の戦いで打ち破る。後に斉に封ぜられる。兵法書『六韜』の著者とされた


存想青龍秘,騎行白鹿馴。
道家としての想いは青竜が斎室を守るという道教の秘密を知っており、あなたはまさに馴れたる白鹿にのってあるくのである。
存想青竜秘 存想は思想をそこにとどめること、青竜秘とは青竜が斎室の前後をまもっておるものと考えるなどの神秘的なことをいう。二十八宿を7宿ごとにまとめた四象があり、東方青龍・北方玄武・西方白虎・南方朱雀に四分された。
騎行 普通は馬にのってあるく。ここでは鹿。〇白鹿 仙人ののるもの。


耕岩非穀口,結草即河濱。
あなたが漢の鄭子真のように巌石のもとに退耕しようとする場所は長安ちかくの谷口ではない、君が草を結んで庵をつくろうとする処は「神仙伝」にいう河上公の洛陽に遠からざる黄河のほとりであるであろう。
耕巌非谷口 漢の鄭撲字は子真が長安の南、谷口に居り、巌石の下に耕したということが「揚子法言」に有ることに基づく。此の句は張彪の隠れる地が長安近くではないことをいう。『鄭駙馬宅宴洞中』「自是秦樓壓鄭穀,時聞雜佩聲珊珊。」(自ら是 秦楼  鄭谷を圧す、時に聞く 雑佩の声珊珊たるを。) 
結草即河浜 「神仙伝」に、“漢の文帝の時、河上公が草庵を河浜につくり、老子を読んだ。ここに文帝が駕してここに詣る。”とある。道家着流の作り話であるが、河は黄河、此の句は張彪の隠れるところが洛陽近くであることをいう。

寄張十二山人彪三十韻 杜甫 <318-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1481 杜甫詩 700- 458

謝靈運index謝靈運詩古詩index漢の無名氏 
孟浩然index孟浩然の詩韓愈詩index韓愈詩集
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李白詩index 李白350首女性詩index女性詩人 
上代~隋南北朝・隋の詩人初唐・盛唐・中唐・晩唐
寄張十二山人彪三十韻 杜甫 <318-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1481 杜甫詩 700- 458
《『寄張十二山人彪三十韻』 杜甫700の318-#3首目、杜甫ブログ458回目》


寄張十二山人彪三十韻
獨臥蒿陽客,三違潁水春。
君は道家で嵩山の陽に世人とはなれてひとり隠棲生活をしていた人であるが、郷里の穎水で、きままな春をすごさないでいるのがすでに三年になるのだ。
艱難隨老母,慘澹向時人。
それは安禄山の乱という国難の際に老いて病気がちの母のおともをして親孝行をされた、ただ、世間の人に対してはとても物悲しい思いを抱いているのだ。
謝氏尋山屐,陶公漉酒巾。
本来あなたは謝霊運が山のぼり用の足駄をつけたような人であり、陶淵明が頭にしていた濁酒をこす巾をかぶっているべき酒飲みの人なのだ。
群凶彌宇宙,此物在風塵。
逆賊である安史軍のやつらがこの天地にはびこっているので、その賢者の隠遁者も俗界の風塵のなかに陥っておられるのである。
歷下辭薑被,關西得孟鄰。
自分は済南の歴下で君とわかれたが、いま関西のはての隴西(秦州)でまた君と隣り住いをすることができたのだ。
独り臥す嵩陽【すうよう】の客、三たび違う潁水【えいすい】の春。
艱難【かんなん】老母に随い、惨澹【さんたん】時人に向こう。
謝氏【しゃし】山を尋ぬる屐【げき】、陶公【とうこう】酒を漉【ろく】する巾【きん】。
群凶【ぐんきょう】宇宙に弥【わた】る、此の物、風塵に在り。
歴下【れきか】羌被【きょうひ】を辞す、関西孟鄰を得。

早通交契密,晚接道流新。
君とは早くから詩文を通わす親密な付き合いをしてきたのだが、後になって、特に最近では、幸いにも君の道家としての道を汲むものに近づくことができるようだ。
靜者心多妙,先生藝絕倫﹕
幽静を好む君は文人・書家の道の妙味に通ずる所を多く心にもっており、先生としての芸術の域たるや絶倫のものである。
草書何太古,詩興不無神。
先生の草書はどうしてあのように古めかしくかけるのだろうか、書かれた詩興には鬼神の助けが無ければかけないというものである。
曹植休前輩,張芝更後身。
その詩は曹植も先輩たる資格がなくなり、その草書は張芝の生まれかわりといってもよいほどである。
數篇吟可老,一字賣堪貧。
その詩、四五篇あればそれを吟じ、楽しみながら老を送ることができるというもの、その草書はその一字を売るとしたら、とても高価なのでその人は貧になってしまうだろう。
早く交契【こうけい】を通ずること密に、晩に道流に接する新たなり。
静者 心 妙多し、先生 芸 絶倫なり。
草書何ぞ太【はなは】だ古なる、詩 興神 無くんばあらず。
曹植【そうしょく】前輩休む、張芝【ちょうし】更に後身あり。
数篇吟じて老すべし、一字 売れば貧なるに堪えたり。
将 恐 曾て 寇を防ぐ、深く潜みて所親に託す。

#3
將恐曾防寇,深潛托所親。
その間よく夕に母親を門に倚りかかるほど待たせて心配をかけた王孫賈の故事のようなことをきいたこともないし、せい一杯のカをだして「補亡」詩のように母の晨餐を清潔にととのえられたのだ。
寧聞倚門夕,盡力潔飧晨。
その間よく夕に母親を門に倚り待たせて心配をかけた王孫賈の故事のようなことをきいたこともないし、せい一杯のカをだして「補亡」詩のように母の晨餐を清潔にととのえられたのだ。
疏懶為名誤,驅馳喪我真。
わたしは生来、儒者で無精者であるのになまじ名声を博したため、身を誤って世間へとびだしてしまった、北征し、東西に駆けずり回ってしまい本来の自分を失ってしまったのだ。
索居尤寂寞,相遇益愁辛。
親友とちりぢりになっての生活は甚ださびしいもので心が満たされないものだった、しかし君と出会ってみるとこれまたますます愁い、辛さをますばかりである。
流轉依邊徼,逢迎念席珍。
自分は処処転転してこの秦州の辺境に身を託しておるので、『礼記』に「席珍待聘」といわれるように珪璋のような“席上の珍”たるあなたをお迎えしたく思っているのである。
将恐【しょうきょう】曾て寇【こう】を防ぐ、深く潜【ひそ】みて所親【しょしん】に託す。
寧ぞ聞かんや「倚門【いもん】のタ【ゆうべ】、力を尽す潔飧【けっさん】の晨【あした】」。
疎懶【そらん】名に誤らるるを為す、駆馳【くち】我が眞【しん】を喪【うしな】う
索居【さくきょ】尤【もっと】も寂寞【せきばく】、相遇うて益【ますま】す愁辛【しゅうしん】。
流転 辺徼【へんきょう】に依る、逢迎【ほうげい】席珍【せきちん】を念う。


現代語訳と訳註
(本文)

將恐曾防寇,深潛托所親。寧聞倚門夕,盡力潔飧晨。
疏懶為名誤,驅馳喪我真。索居尤寂寞,相遇益愁辛。
流轉依邊徼,逢迎念席珍。


(下し文)
将恐【しょうきょう】曾て寇【こう】を防ぐ、深く潜【ひそ】みて所親【しょしん】に託す。
寧ぞ聞かんや「倚門【いもん】のタ【ゆうべ】、力を尽す潔飧【けっさん】の晨【あした】」。
疎懶【そらん】名に誤らるるを為す、駆馳【くち】我が眞【しん】を喪【うしな】う
索居【さくきょ】尤【もっと】も寂寞【せきばく】、相遇うて益【ますま】す愁辛【しゅうしん】。
流転 辺徼【へんきょう】に依る、逢迎【ほうげい】席珍【せきちん】を念う。


(現代語訳)
その間よく夕に母親を門に倚りかかるほど待たせて心配をかけた王孫賈の故事のようなことをきいたこともないし、せい一杯のカをだして「補亡」詩のように母の晨餐を清潔にととのえられたのだ。
その間よく夕に母親を門に倚り待たせて心配をかけた王孫賈の故事のようなことをきいたこともないし、せい一杯のカをだして「補亡」詩のように母の晨餐を清潔にととのえられたのだ。
わたしは生来、儒者で無精者であるのになまじ名声を博したため、身を誤って世間へとびだしてしまった、北征し、東西に駆けずり回ってしまい本来の自分を失ってしまったのだ。
親友とちりぢりになっての生活は甚ださびしいもので心が満たされないものだった、しかし君と出会ってみるとこれまたますます愁い、辛さをますばかりである。
自分は処処転転してこの秦州の辺境に身を託しておるので、『礼記』に「席珍待聘」といわれるように珪璋のような“席上の珍”たるあなたをお迎えしたく思っているのである。


(訳注)
將恐曾防寇,深潛托所親。
われわれはこれまで安史軍の横暴・略奪などの難を避けなければいけなかった、人目を避けこうして潜んでここにきてそれぞれ親類縁者をたよってきている。
将恐 「詩経、邶風」(谷風)に「將恐將懼,維予與女。」(将に恐れんとし将に懼れんとす、維れ予ぼく女とのみ。)とある、恐懼は厄難勤苦の事に遭うこと、ここは上の「将恐」二字を切り取って借用したまでで、賊難にあって恐懼することである。
 まえかた。755年冬安史の乱が起こって以来のこと。
防寇 安史軍の難を予防することをいう。1 外から侵入して害を加える賊。「外寇・元寇・倭寇(わこう)」 2 外から攻めこむ。あだする。「侵寇・入寇・来寇」
 身をよせる。
所親 したしむ所のもの、親類縁者のたぐい。秦州に来たこと、そして、隠棲地を取得するために親類縁者の支援を頼りにしていること。
詩経・小雅・谷風之什(谷風)
習習谷風,維風及雨。 習習たる谷風、これ風と雨と將恐將懼,維予與女。 はた恐れはた懼る。
將安將楽,女轉棄予。 はた安んじ將楽しめば,女 轉って予を棄つ。


寧聞倚門夕,盡力潔飧晨。
その間よく夕に母親を門に倚りかかるほど待たせて心配をかけた王孫賈の故事のようなことをきいたこともないし、せい一杯のカをだして「補亡」詩のように母の晨餐を清潔にととのえられたのだ。
寧聞 反語である、きいたことがない。
倚門夕 「夕倚門」を逆にいったものである、斉の王孫賈の母はその子が家を出て晩に帰るときは門に侍って望んだということが「戦国策」にみえるが、此の句は張彪は母にかく心配をかけたことのないことをいう。
尽力 ほねをおる。せい一杯のカをだすこと。
潔飧晨 韻字の都合で「晨潔飧」をおきかえている。晋の束晳【そくせき】の「補亡」詩の「南陔」に孝子が親に仕えることをのべ、「爾のタ膳を馨しくし、爾の晨餐を潔くす」といっている、強は餐と通ずる、食事のこと、潔は清潔にすること。


疏懶為名誤,驅馳喪我真。
わたしは生来、儒者で無精者であるのになまじ名声を博したため、身を誤って世間へとびだしてしまった、北征し、東西に駆けずり回ってしまい本来の自分を失ってしまったのだ。
疏懶 隠遁者のぶしょうをいう。以下杜甫自ずからいう。秦州雑詩二十首其十五「東柯遂疏懶,休鑷鬢毛斑。」
為名誤 「為名所誤。」(名は誤る所と為す。)の略、名声のため世間へひきだされ一身の処置をあやまるということ。
駆馳 東西にかけめぐる。○喪我真 おのれの本姓、ありのままのところをうしなう、虚偽の生活をせねばならなくなったことをいう。


索居尤寂寞,相遇益愁辛。
親友とちりぢりになっての生活は甚ださびしいもので心が満たされないものだった、しかし君と出会ってみるとこれまたますます愁い、辛さをますばかりである。
索居 親友とちりぢりになっていることをいう。
寂寞 1 ひっそりとして寂しいさま。じゃくまく。2 心が満たされずにもの寂しいさま。
相遇 張彪とここであうことが出来たこと。
愁辛 うれいつつ、またつらいこと。


流轉依邊徼,逢迎念席珍。
自分は処処転転してこの秦州の辺境に身を託しておるので、『礼記』に「席珍待聘」といわれるように珪璋のような“席上の珍”たるあなたをお迎えしたく思っているのである。
流転 処処を転転してうつる。
依辺徼 徼は木柵でつくった界、辺徼は辺境をいう、秦州の地をさす、依は依託。依頼。
逢迎 むかえて逢うこと。
席珍 席珍待聘「礼記」(儒行)の語、珪璋の如き美玉をさす、これを張彪にたとえていう。
 「礼記」(儒行): 席上の珍
《禮記•儒行》:“儒有席上之珍以待聘,夙夜強學以待問,懷忠信以待舉,力行以待取。
・聘 1 贈り物を持って人を訪問する。「聘物(へいもつ)・聘問/使聘・来聘」 2 礼を尽くして人を招く。


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寄張十二山人彪三十韻 杜甫 <318-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1478 杜甫詩 700- 457


寄張十二山人彪三十韻
獨臥蒿陽客,三違潁水春。
君は道家で嵩山の陽に世人とはなれてひとり隠棲生活をしていた人であるが、郷里の穎水で、きままな春をすごさないでいるのがすでに三年になるのだ。
艱難隨老母,慘澹向時人。
それは安禄山の乱という国難の際に老いて病気がちの母のおともをして親孝行をされた、ただ、世間の人に対してはとても物悲しい思いを抱いているのだ。
謝氏尋山屐,陶公漉酒巾。
本来あなたは謝霊運が山のぼり用の足駄をつけたような人であり、陶淵明が頭にしていた濁酒をこす巾をかぶっているべき酒飲みの人なのだ。
群凶彌宇宙,此物在風塵。
逆賊である安史軍のやつらがこの天地にはびこっているので、その賢者の隠遁者も俗界の風塵のなかに陥っておられるのである。
歷下辭薑被,關西得孟鄰。
自分は済南の歴下で君とわかれたが、いま関西のはての隴西(秦州)でまた君と隣り住いをすることができたのだ。

早通交契密,晚接道流新。
君とは早くから詩文を通わす親密な付き合いをしてきたのだが、後になって、特に最近では、幸いにも君の道家としての道を汲むものに近づくことができるようだ。
靜者心多妙,先生藝絕倫﹕
幽静を好む君は文人・書家の道の妙味に通ずる所を多く心にもっており、先生としての芸術の域たるや絶倫のものである。
草書何太古,詩興不無神。
先生の草書はどうしてあのように古めかしくかけるのだろうか、書かれた詩興には鬼神の助けが無ければかけないというものである。
曹植休前輩,張芝更後身。
その詩は曹植も先輩たる資格がなくなり、その草書は張芝の生まれかわりといってもよいほどである。
數篇吟可老,一字賣堪貧。

その詩、四五篇あればそれを吟じ、楽しみながら老を送ることができるというもの、その草書はその一字を売るとしたら、とても高価なのでその人は貧になってしまうだろう。


現代語訳と訳註
(本文)

早通交契密,晚接道流新。靜者心多妙,先生藝絕倫﹕
草書何太古,詩興不無神。曹植休前輩,張芝更後身。
數篇吟可老,一字賣堪貧。


(下し文)
早く交契【こうけい】を通ずること密に、晩に道流に接する新たなり。
静者 心 妙多し、先生 芸 絶倫なり。
草書何ぞ太【はなは】だ古なる、詩 興神 無くんばあらず。
曹植【そうしょく】前輩休む、張芝【ちょうし】更に後身あり。
数篇吟じて老すべし、一字 売れば貧なるに堪えたり。
将 恐 曾て 寇を防ぐ、深く潜みて所親に託す。


(現代語訳)
君とは早くから詩文を通わす親密な付き合いをしてきたのだが、後になって、特に最近では、幸いにも君の道家としての道を汲むものに近づくことができるようだ。
幽静を好む君は文人・書家の道の妙味に通ずる所を多く心にもっており、先生としての芸術の域たるや絶倫のものである。
先生の草書はどうしてあのように古めかしくかけるのだろうか、書かれた詩興には鬼神の助けが無ければかけないというものである。
その詩は曹植も先輩たる資格がなくなり、その草書は張芝の生まれかわりといってもよいほどである。
その詩、四五篇あればそれを吟じ、楽しみながら老を送ることができるというもの、その草書はその一字を売るとしたら、とても高価なのでその人は貧になってしまうだろう。


(訳注)
早通交契密,晚接道流新。

君とは早くから詩文を通わす親密な付き合いをしてきたのだが、後になって、特に最近では、幸いにも君の道家としての道を汲むものに近づくことができるようだ。
早通 詩文を通いあわす。
交契 張彪との交際、ちぎり。
 親密。○晩 あとには、おそく。○ 接近。
道流 道家の教えを汲むものたち。
 接の字へかかる、最近にはの意。


靜者心多妙,先生藝絕倫﹕
幽静を好む君は文人・書家の道の妙味に通ずる所を多く心にもっており、先生としての芸術の域たるや絶倫のものである。
静者 隠遁者の静寂さ、幽静を好む人、張彪をさす。隠遁者には幽を使う。
多妙 文人・書家の道の妙味に通ずる所が多い。
先生 張彪をさす。


草書何太古,詩興不無神。
先生の草書はどうしてあのように古めかしくかけるのだろうか、書かれた詩興には鬼神の助けが無ければかけないというものである。
草書 速く書くことができるように、同じく漢字の筆書体である行書とは異なり、字画の省略が大きく行われる。文字ごとに決まった独特の省略をする。この書体は古めかしいほど雰囲気は良い。
 ふるめかしい。
詩興 詩の興趣。○ 人間わざとおもえぬ力。


曹植休前輩,張芝更後身。
その詩は曹植も先輩たる資格がなくなり、その草書は張芝の生まれかわりといってもよいほどである。
曹植 建安時代魂の第一流の詩人。
 そのことのやんでしまうことをいう。
前輩 先輩に同じ。
張芝 後漢時代、弘農の人で草聖と称せられた人。
後身 生まれかわり。


數篇吟可老,一字賣堪貧。
その詩、四五篇あればそれを吟じ、楽しみながら老を送ることができるというもの、その草書はその一字を売るとしたら、とても高価なのでその人は貧になってしまうだろう。
数篇 張彪の作った詩四五簾。
吟可老 他人がこれを吟じ楽しんで老を送るに足ることができることをいう。
一字 張彪の草書の一字。
売堪貧 張彪の草書は一字千金ともいうことができるほど大へん貴いものであるから、他人がもしこれを買うときはその人は貧乏になるのに十分であるとの意。日本的表現であれば「買う」行為は他人であり、貧乏になるのも他人であるから、ここは買うというのが正しいとされる本もある。中華思想では自分から見たことをいうのであるから、「売れば」相手が貧乏になるということである。

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杜甫は秦州において、友人知人の援助を待っているが、連絡はこず、発進した連絡も届いたのかどうかも分からないのである。
この詩は、甥の杜佐(秦州東柯谷で隠棲している)と同様この地に隠棲している張彪に対して寄せたものである。     

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五韻で分割して全六回で掲載する。



寄張十二山人彪三十韻
獨臥蒿陽客,三違潁水春。
君は嵩山の陽に世人とはなれてひとり隠棲生活をしていた人であるが、郷里の穎水で、きままな春をすごさないでいるのがすでに三年になるのだ。
艱難隨老母,慘澹向時人。
それは安禄山の乱という国難の際に老いて病気がちの母のおともをして親孝行をされた、ただ、世間の人に対してはとても物悲しい思いを抱いているのだ。
謝氏尋山屐,陶公漉酒巾。
本来あなたは謝霊運が山のぼり用の足駄をつけたような人であり、陶淵明が頭にしていた濁酒をこす巾をかぶっているべき酒飲みの人なのだ。
群凶彌宇宙,此物在風塵。
逆賊である安史軍のやつらがこの天地にはびこっているので、その賢者の隠遁者も俗界の風塵のなかに陥っておられるのである。
歷下辭薑被,關西得孟鄰。

自分は済南の歴下で君とわかれたが、いま関西のはての隴西(秦州)でまた君と隣りずまいをすることができたのだ。
早通交契密,晚接道流新。靜者心多妙,先生藝絕倫﹕
草書何太古,詩興不無神。曹植休前輩,張芝更後身。
數篇吟可老,一字賣堪貧。

將恐曾防寇,深潛托所親。寧聞倚門夕,盡力潔飧晨。
疏懶為名誤,驅馳喪我真。索居尤寂寞,相遇益愁辛。
流轉依邊徼,逢迎念席珍。

時來故舊少,亂後別離頻。世祖修高廟,文公賞從臣。
商山猶入楚,渭水不離秦。存想青龍秘,騎行白鹿馴。
耕岩非穀口,結草即河濱。

肘後符應驗,囊中藥未陳。旅懷殊不愜,良覿眇無因。
自古多悲恨,浮生有屈伸。此邦今尚武,何處且依仁。
鼓角淩天籟,關山倚月輪。

官場羅鎮磧,賊火近洮岷。蕭索論兵地,蒼茫鬥將辰。
大軍多處所,餘孽尚紛綸。高興知籠鳥,斯文起獲麟。
窮秋正搖落,回首望松筠。


現代語訳と訳註
(本文)
寄張十二山人彪三十韻
獨臥蒿陽客,三違潁水春。艱難隨老母,慘澹向時人。
謝氏尋山屐,陶公漉酒巾。群凶彌宇宙,此物在風塵。
歷下辭薑被,關西得孟鄰。


(下し文)
独り臥す嵩陽【すうよう】の客、三たび違う潁水【えいすい】の春。
艱難【かんなん】老母に随い、惨澹【さんたん】時人に向こう。
謝氏【しゃし】山を尋ぬる屐【げき】、陶公【とうこう】酒を漉【ろく】する巾【きん】。
群凶【ぐんきょう】宇宙に弥【わた】る、此の物、風塵に在り。
歴下【れきか】羌被【きょうひ】を辞す、関西孟鄰を得。


(現代語訳)
君は嵩山の陽に世人とはなれてひとり隠棲生活をしていた人であるが、郷里の穎水で、きままな春をすごさないでいるのがすでに三年になるのだ。
それは安禄山の乱という国難の際に老いて病気がちの母のおともをして親孝行をされた、ただ、世間の人に対してはとても物悲しい思いを抱いているのだ。
本来あなたは謝霊運が山のぼり用の足駄をつけたような人であり、陶淵明が頭にしていた濁酒をこす巾をかぶっているべき酒飲みの人なのだ。
逆賊である安史軍のやつらがこの天地にはびこっているので、その賢者の隠遁者も俗界の風塵のなかに陥っておられるのである。
自分は済南の歴下で君とわかれたが、いま関西のはての隴西(秦州)でまた君と隣りずまいをすることができたのだ。


(訳注)
寄張十二山人彪三十韻

張十二山人彪 山人は仕えない人をいう、「唐詩紀事」によれば、張彪は穎水洛水の間(河南省萱封県地方)に生まれた隠者で、天宝の末に母を奉じて乱を避けたとある。張彪の「北遊して遠く孟雲卿に酬ゆ」詩にいう、「善道貧賎に居り、潔服塵挨を蒙る、行き行きて定心なく、壈坎帰来かたし、慈母は疾疹を憂こう、家宝は栖栖を念う。」と。また全唐詩四 卷259_20 『神仙』 張彪
神仙可學無,百歲名大約。天地何蒼茫,人間半哀樂。 浮生亮多惑,善事翻為惡。爭先等馳驅,中路苦瘦弱。 長老思養壽,後生笑寂寞。五穀非長年,四氣乃靈藥。
と。それらにより其の人となりを知ることができる。


獨臥蒿陽客,三違潁水春。
君は嵩山の陽に世人とはなれてひとり隠棲生活をしていた人であるが、郷里の穎水で、きままな春をすごさないでいるのがすでに三年になるのだ。
独臥 世人とはなれてひとり隠棲生活をして居る。○嵩陽客 彪をさす、嵩陽は崇山の南である、嵩山は河南省登封県治東北にあり、東峰を太室、西峰を少室という、相い去ること十七里、五岳の一つでその中岳である。〇三違 違はそむいて逢わないことをいう。三たびたがうのは足かけ三年を経ることをいう。○穎水春 穎水は少室山より出て東南して淮水に入る、穎水春は張彪の故郷の春をいう。


艱難隨老母,慘澹向時人。
それは安禄山の乱という国難の際に老いて病気がちの母のおともをして親孝行をされた、ただ、世間の人に対してはとても物悲しい思いを抱いているのだ。
艱難 国難、世難。安禄山の乱を示す。○老母 張彪の母。○惨澹 ものがなしいさま。〇時人 世間の人人。


謝氏尋山屐,陶公漉酒巾。
本来あなたは謝霊運が山のぼり用の足駄をつけたような人であり、陶淵明が頭にしていた濁酒をこす巾をかぶっているべき酒飲みの人なのだ。
謝氏 朱の謝霊運。○尋山履 霊運は登山を好み特別の木履を製し、上るときはその前歯を去り、下るときはその後歯を去ったという。○陶公 陶淵明。○漉酒巾 にごりさけをこす頭巾、淵明は頭巾で酒をこしまたそれを平気でかぶっていたという。賢者の隠遁者と尊敬をこめた言い方。


群凶彌宇宙,此物在風塵。
逆賊である安史軍のやつらがこの天地にはびこっているので、その賢者の隠遁者も俗界の風塵のなかに陥っておられるのである。
群凶 安禄山・史忠明ら叛乱軍の多くのわるもの。○弥宇宙 天地間いっぱいにひろがる。○此物 上句の山屐と巾とをうけた、賢者の隠遁者、張彪を意味する。○風塵 世上のちりほこり、山から俗界へでてきたことをいう。


歷下辭薑被,關西得孟鄰。
自分は済南の歴下で君とわかれたが、いま関西のはての隴西(秦州)でまた君と隣りずまいをすることができたのだ。
歴下 山東省済南府。○辞薑被 後漢の姜肱は継母に仕えて孝、兄弟四人が同一布被に寝た、被はかいまき、姜肱を張彪に此する、姜被を辞すというのは張彪にいとまをつげて別れたことをいう、杜甫が往年歴下に在って張彪を識り、そこで別れたものと思われる。○関西 潼関以西とし華州を指していうのである。「兵車行」の「且如今年冬,未休關西卒。」(且つ今年の冬の如きは,未だ関西の卒を休めず)の関西と同じでイメージとしては隴西:秦州を指すもの。○得孟隣 孟隣は孟氏のとなりをいう、孟子の母はその子を教育せんために三たび居を遷して隣りをえらんだ、彪が母を奉ずるのにより彼を孟子に此する、孟隣は彪とのとなりあいをいう、此の句は秦州においてまた彪と隣居するに至ったことをいうのであろう。


独り臥す嵩陽【すうよう】の客、三たび違う潁水【えいすい】の春。
艱難【かんなん】老母に随い、惨澹【さんたん】時人に向こう。
謝氏【しゃし】山を尋ぬる屐【げき】、陶公【とうこう】酒を漉【ろく】する巾【きん】。
群凶【ぐんきょう】宇宙に弥【わた】る、此の物、風塵に在り。
歴下【れきか】羌被【きょうひ】を辞す、関西孟鄰を得。

寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#9> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1472 杜甫詩 700- 455

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#1~#9の最終回
§4#9
古人稱逝矣,吾道蔔終焉。
むかし漢の穆生の故事では天子に愛想をつかして、「可以逝矣」“我等がいても仕方がない”と言ったのは、今の君たちと一緒だし、私にしてもここ東柯谷で隠棲の終焉の地を選び取得しつつある。
隴外翻投跡,漁陽複控弦。
そこで都から外れた隴右道のこんなところまで入り込んできたが、漁陽の地方からまた弓づるを引いて安史軍が攻勢をかけているという。
笑為妻子累,甘與歲時遷。
わたしは体調が悪く妻子に面倒をかけることがあっておかしくおもいながら時間の経過するままに移している。
親故行稀少,兵戈動接聯。
親族、親しい友人が近くにだんだん少なくなってきたし、兵乱のある地域は今また点から線へ、面へと変化してゆくようだ。
他鄉饒夢寐,失侶自忳邅。
こんな他郷の空の下で夢みることが多く、友だちに連絡も取れず、失意の気分であるのもあたりまえのことだ。
多病加淹泊,長吟阻靜便。
そのうえ、多病のためここに長逗留をすることになったし、いたずらに長吟しつつ静かに人間の本性を求めるための方使を得るという結果になったのをじゃまされることになっている。
如公盡雄俊,誌在必騰騫。』
両君はともに雄俊の人たちであることに間違いなく、その志は必ず猛鳥駿馬のように舞い上がり躍り上がるところに在る、わたしはと云えばそうはいかないのだ。』
古人「逝矣【せいい】」を称す、吾が道終焉を卜す。
隴外【りょうがい】翻って跡を投ず、漁陽【ぎょよう】復た弦を控【ひ】く。
笑う妻子に累せらるるを為すを、甘んじて歳時と遷【うつ】る。
親故行くゆく稀少なり、兵戈動ややもすれば接連す。
他鄉【たきょう】夢寐【むび】饒【おお】し、侶【りょ】を失して自ずから忳邅【ちゅうてん】なり。
多病淹泊【えんぱく】を加う、長吟静便【せいべん】を阻【そ】せらる。
公が如きは尽く雄俊なり、志 必ず騰騫(鶱)【とうけん】するに在らん。』


現代語訳と訳註
(本文)
§4#9
古人稱逝矣,吾道蔔終焉。隴外翻投跡,漁陽複控弦。
笑為妻子累,甘與歲時遷。親故行稀少,兵戈動接聯。
他鄉饒夢寐,失侶自忳邅。多病加淹泊,長吟阻靜便。
如公盡雄俊,誌在必騰騫。』


(下し文)
古人「逝矣【せいい】」を称す、吾が道終焉を卜す。
隴外【りょうがい】翻って跡を投ず、漁陽【ぎょよう】復た弦を控【ひ】く。
笑う妻子に累せらるるを為すを、甘んじて歳時と遷【うつ】る。
親故行くゆく稀少なり、兵戈動ややもすれば接連す。
そのうえ、多病のためここに長逗留をすることになったし、いたずらに長吟しつつ静かに人間の本性を求めるための方使を得るという結果になったのをじゃまされることになっている。
他鄉【たきょう】夢寐【むび】饒【おお】し、侶【りょ】を失して自ずから忳邅【ちゅうてん】なり。
多病淹泊【えんぱく】を加う、長吟静便【せいべん】を阻【そ】せらる。
公が如きは尽く雄俊なり、志 必ず騰騫(鶱)【とうけん】するに在らん。』


(現代語訳)
むかし漢の穆生の故事では天子に愛想をつかして、「可以逝矣」“我等がいても仕方がない”と言ったのは、今の君たちと一緒だし、私にしてもここ東柯谷で隠棲の終焉の地を選び取得しつつある。
そこで都から外れた隴右道のこんなところまで入り込んできたが、漁陽の地方からまた弓づるを引いて安史軍が攻勢をかけているという。
わたしは体調が悪く妻子に面倒をかけることがあっておかしくおもいながら時間の経過するままに移している。
親族、親しい友人が近くにだんだん少なくなってきたし、兵乱のある地域は今また点から線へ、面へと変化してゆくようだ。
こんな他郷の空の下で夢みることが多く、友だちに連絡も取れず、失意の気分であるのもあたりまえのことだ。
両君はともに雄俊の人たちであることに間違いなく、その志は必ず猛鳥駿馬のように舞い上がり躍り上がるところに在る、わたしはと云えばそうはいかないのだ。』


(訳注) §4#9
古人稱逝矣,吾道蔔終焉。
むかし漢の穆生の故事では天子に愛想をつかして、「可以逝矣」“我等がいても仕方がない”と言ったのは、今の君たちと一緒だし、私にしてもここ東柯谷で隠棲の終焉の地を選び取得しつつある。
古人稱逝矣,吾道蔔終焉。 上句は賈至・厳武についていい、下句は杜甫のこと。
称逝矣 穆生の故事。
《漢書》卷三十六《楚元王傳》
初,元王敬禮申公等,穆生不耆酒,元王每置酒,常為穆生設醴。及王戊即位,常設,後忘設焉。
穆生退曰:「可以逝矣!醴酒不設,王之意怠,不去,楚人將鉗我於市。」稱疾臥。
古代、楚の元王は、穆生、白生、申公の三人に学問を学んだ。
酒好きの元王は講義が終わってから酒を酌み交わすのが常で、酒を好まない穆生には、醴酒(甘酒)を用意することにしていた。
ところが、元王の孫・戊王の時代になると、学者を軽んじ、甘酒を出すのも忘れるようになったので、穆生は病気と称し、寝込んでしまった。白生と申公が、今王が多少礼を欠いたからといってそうまでしないでいいだろう、というと、「先王が我等に厚くしたのは、道を行おうとしたからだ。今王はその意がない。道を行う意志のないところに我等がいても仕方がないというわけだ」と答えた故事による。
吾道 儒者としての無形の道をいう。
卜終焉 身を終わる地を卜する。東柯谷で隠棲を送ろうとすることをいう。


隴外翻投跡,漁陽複控弦。
そこで都から外れた隴右道のこんなところまで入り込んできたが、漁陽の地方からまた弓づるを引いて安史軍が攻勢をかけているという。
隴外 隴右道東部のうち、秦州をさす。○翻 反って。
投跡 あしあとをいれる、ふみこんで来たことをいう。
漁陽 范陽のこと、史思明はその地において叛した。この時期、相州彭城で九節度使軍を破り、洛陽を再奪回しつつあった。
控弦 ゆみづるをひく、弓をいることをいう。


笑為妻子累,甘與歲時遷。
わたしは体調が悪く妻子に面倒をかけることがあっておかしくおもいながら時間の経過するままに移している。
 作者みずからわらう。
為妻子累 (為に妻子累する所)の意、妻子の係累を受けること。妻子に面倒をかける、あるいは面倒を見る。
与歳時遷 時は四時、一歳四時のうつるままにうつる。


親故行稀少,兵戈動接聯。
親族、親しい友人が近くにだんだん少なくなってきたし、兵乱のある地域は今また点から線へ、面へと変化してゆくようだ。
親政 親戚故旧。親族、親しい友人が近くにいないこと。手紙を自由にやり取りできないことをいう。
 だんだん。○兵戈 武器、兵乱をいう。
接連 場所的につづくことをいう。范陽から洛陽に点から線へ、面へと変化していることをいう。
 

他鄉饒夢寐,失侶自忳邅。
こんな他郷の空の下で夢みることが多く、友だちに連絡も取れず、失意の気分であるのもあたりまえのことだ。
他郷 秦州をいう。○饒夢寐 親故を思うゆえにゆめみることが多い、寐は寢こと。同時期に夢李白などを作っている。

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失侶 なかまを失う。○忳邅 行きて進まぬさま、失意のさま。


多病加淹泊,長吟阻靜便。
そのうえ、多病のためここに長逗留をすることになったし、いたずらに長吟しつつ静かに人間の本性を求めるための方使を得るという結果になったのをじゃまされることになっている。
淹泊 溢れるほど泊まるさま。一か処にひさしくとまっている。
長吟 声をながくひいて吟ずる、歎息の詩をうたうこと。
阻静便 静便は幽静を好む者の都合のよいことをいう、阻はじゃまされること。謝霊運の「過始寧墅」詩に、「拙疾相倚薄、還得静者便。」(拙と疾と相い倚薄【いはく】して、還【かえ】って静者の便を得たり。)“それでも世渡りの下手なことと病気とが相寄り一緒になって、閑職に任ぜられたことが、かえってそのために静かに人間の本性を求めるための方使を得るという結果になったのである。 
”と謝靈運も病気がちで、官を辞しており、杜甫の心境とおなじようであったのである。

過始寧墅 謝霊運 #1 詩集 374

過始寧墅 謝霊運 #2 詩集 375


如公盡雄俊,誌在必騰騫。』
両君はともに雄俊の人たちであることに間違いなく、その志は必ず猛鳥駿馬のように舞い上がり躍り上がるところに在る、わたしはと云えばそうはいかないのだ。』
如公 公は賈至・厳武の二人をさす。○雄俊 おおしくすぐれている。○ 二人の志。○騰騫 鳥のあがること、騰は馬のあがることである。

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§3#6
每覺升元輔,深期列大賢。
その時私がおもったのは両君が大臣宰相の地位にのぼるであろうということであり、きたるべき日が来たときは必ず両君は大賢の居ならぶ列にあるだろう。
秉鈞方咫尺,鎩翮再聊翩。
宰相たる者は一国の公平を手にするものであるその地位にもう少しという距離の処であるが、両君は鳥の発ち羽を削がれて再び一緒に飛び出すことになっている。
禁掖朋從改,微班性命全。
わたしは禁中の掖門をくぐって以降まったく友達がかわってしまい、取るに足らない官位についていて無事に命を取り留めるだけであった。
青蒲甘受戮,白發竟誰憐?
吾が天子をお諌め申したときは青蒲のむしろにおいて甘んじて誅殺を受けるつもりであった、生き残ったのだけれど、その後は誰がこの白髪首をきのどくがってくれるものがあったであろうか。
弟子貧原憲,諸生老伏虔。
自分は孔子の弟子原憲のごとく貧しく、後漢の諸生服虔のごとく老いてしまっている。
師資謙未達,鄉黨敬何先?
他人の師資となるほどまでに達してはいないと謙遜しているけれど、何故か郷党の人々はわたしを先に敬ってくるのであるが(これには少し恥じ入るところである)。
#7
舊好腸堪斷,新愁眼欲穿。
両君との昔からの交際のことを思うと左遷の事、腸がちぎれるよう腹が立ち、近頃新しく愁いをおもうと、君らのいる所へ眼で孔をあけたいほど眺めるのである。
翠幹危棧竹,紅膩小湖蓮。
厳君の地に向かう剣門の桟道では竹の翠に生色が無くなってきただろう。賈君の地にある江南の小湖では蓮花がさいて紅色があぶらぎっているであろう。
賈筆論孤憤,嚴詩賦幾篇。
賈至君は筆を執って詩文で孤憤を論じ、厳武君は幾篇の詩を作っていることだろう。
定知深意苦,莫使眾人傳。
両君とも奥深いこころ、旧友だからわかる真意を詩文に含めることに苦心をしたと思うが、そのことは決して一般の人々に伝ってはいけないことである。
貝錦無停織,朱絲有斷弦。
讒人は織物女工がたえず貝錦の紋を織りつづけ止めることがないように粛宗皇帝に耳元でささやき続けたし、清廉なことを示すまっすぐな朱き琴糸も裏切りに遭えば信頼の絲は断ちきられるものである。
浦鷗防碎首,霜鶻不空拳。
秋のハヤブサは他の餌物を襲撃するに無駄な拳を使わず狙った獲物は逃がさない、だから入り江で静かにしている鴎は首を打ち砕かれぬように用心することが大切なのだ。
#8
地僻昏炎瘴,山稠隘石泉。
君たちのような才智の者が去ってしまったら再び諸両君のような才知のものを得ることが難しいというもので、実に天道というものはその理が深くてわからぬものだ。(讒言を聞き入れ我々(房琯のグループとされた一派)を左遷をした粛宗のやることは訳のわからないことをやっているということだ)』
賈君の処はムッとするような湿気を含んだ暖かい気候は毒ガスがいりまじっているかたよってところだし、厳君の処は山だらけで巌や泉のみで地面が窮屈なことであろう。
且將棋度日,應用酒為年。
今の二人は、日がな一日棋や酒ですごし、年をすごしていることだろう。
典郡終微眇。治中實棄捐。
君らが一郡の長官におかれていているのはつまりひくい地位におかれたままなのだ。一「治中」の職では棄てられていることと同じではないか。
安排求傲吏,比興展歸田。
その地位におかれるがままに運命に身をまかせ『荘子』にいうような傲吏の生活を求めるのだろうか、あるいは。『詩経』の六義の比と興にのっとり辞賦を詠い、 田園に帰ろうとの郷土愛をうたい思いをのべられるのだろうか。
去去才難得,蒼蒼理又玄。』


現代語訳と訳註
(本文) #8

地僻昏炎瘴,山稠隘石泉。且將棋度日,應用酒為年。
典郡終微眇。治中實棄捐。安排求傲吏,比興展歸田。
去去才難得,蒼蒼理又玄。』


(下し文)
地僻【ちへき】にして炎瘴【えんしょう】昏【くら】く、山 稠【おお】くして石泉【せきせん】隘【おお】し。
且つ棋【き】を将【もっ】て日【ひ】を度るならん、応【まさ】に酒を用いて年を為すなるべし。
典郡【てんぐん】終【つい】に微眇【びびょう】なり、 治中【ちちゅう】実に棄捐【きえん】せらる。
安排【あんはい】傲吏【ごうり】を求め、此興【ひきょう】帰田を展【の】ぶ。
去去【きょきょ】才 得難し、蒼蒼【そうそう】理 又た玄なり。』


(現代語訳)
賈君の処はムッとするような湿気を含んだ暖かい気候は毒ガスがいりまじっているかたよってところだし、厳君の処は山だらけで巌や泉のみで地面が窮屈なことであろう。
今の二人は、日がな一日棋や酒ですごし、年をすごしていることだろう。
君らが一郡の長官におかれていているのはつまりひくい地位におかれたままなのだ。一「治中」の職では棄てられていることと同じではないか。
その地位におかれるがままに運命に身をまかせ『荘子』にいうような傲吏の生活を求めるのだろうか、あるいは。『詩経』の六義の比と興にのっとり辞賦を詠い、 田園に帰ろうとの郷土愛をうたい思いをのべられるのだろうか。
君たちのような才智の者が去ってしまったら再び諸両君のような才知のものを得ることが難しいというもので、実に天道というものはその理が深くてわからぬものだ。(讒言を聞き入れ我々(房琯のグループとされた一派)を左遷をした粛宗のやることは訳のわからないことをやっているということだ)』


 (訳注) #8
地僻昏炎瘴,山稠隘石泉。

賈君の処はムッとするような湿気を含んだ暖かい気候は毒ガスがいりまじっているかたよってところだし、厳君の処は山だらけで巌や泉のみで地面が窮屈なことであろう。
地僻 此の句は賈至の地をいう、僻はかたよっていること。
昏炎瘴 炎熱の気、悪い水蒸気におおわれてくらい。瘴癘:マラリア。当時はムッとするような湿気を含んだ暖かい気候は毒ガスであると考えられていたことによる。
隘石泉 石や泉のためにその地形がせばまっていることをいう。谷底には人は住めなかったこと、中腹より上に住居を構えた。
江南の湿地帯、洞庭湖などは洪水時には十倍の広さになって平地に住めない状況のことを謂う。


且將棋度日,應用酒為年。
今の二人は、日がな一日棋や酒ですごし、年をすごしていることだろう。
且将棋 二人に通じていう、将棋は棋をうつことによっての意。
度日 時日を経過する。
為年一年をわたること。


典郡終微眇。治中實棄捐。
君らが一郡の長官におかれていているのはつまりひくい地位におかれたままなのだ。一「治中」の職では棄てられていることと同じではないか。
典郡 郡をつかさどるもの、刺史の官をいう、厳武をさしていう。
微眇 ひくい地位にいること。
治中 官職の名、晋の時、州に別駕・治中・従事があり、隋唐以後治中を改めて司馬という、賈至をさす。
棄捐 朝廷からすてておかれることをいう。


安排求傲吏,比興展歸田。
その地位におかれるがままに運命に身をまかせ『荘子』にいうような傲吏の生活を求めるのだろうか、あるいは。『詩経』の六義の比と興にのっとり辞賦を詠い、 田園に帰ろうとの郷土愛をうたい思いをのべられるのだろうか。
安排 事の推移に甘んじ、変化に従っていくこと。『荘子、大宗師、第六』
「造適不及笑、獻笑不及排、安排而去化、乃入於寥天一。」(造るところに適すれば笑うに及ばず、獻もて笑えば排するに及ばず、排に安んじて化に去れば、乃ち寥に入りて天と一たらん。)≪どこに行っても楽しいなら特別に楽しみ笑うには及ばないし、良いことをして楽しむならそこには選択があるのだから事の推移に従えない。事の推移に甘んじ、変化に従っていくならば広々としたところに入り、天と一体になるでしょう。≫
求傲吏 傲吏たることを求めること、傲吏は人に屈せずいばっている下役人である、荘周が漆園の吏となったとき、楚の威王が彼を採り立てて丞相となそうとしたところ、周が使者に告げていうのに「すみやかに去って我を汚すことなかれ」と。晋の郭璞の「遊仙詩」に「漆園二傲吏アリ」とある。
比興 たとえを以て自然界の景物に托して思いをのぺる方法で、そうして本心をのべる詠い方をいう。『詩経』の六義の比と興。『詩経、大序』「故詩有六義焉、一曰風、二曰賦、三曰比、四曰興、五曰雅、六曰頌。」に基づいている。
展帰田 田園に帰ろうとの郷土愛をうたい、郷土の情をのべる、後漢の張衡(平子)に「帰田賦」がある。


去去才難得,蒼蒼理又玄。』
君たちのような才智の者が去ってしまったら再び諸両君のような才知のものを得ることが難しいというもので、実に天道というものはその理が深くてわからぬものだ。(讒言を聞き入れ我々(房琯のグループとされた一派)を左遷をした粛宗のやることは訳のわからないことをやっているということだ)』
去去 其の人の去って留まることしないことをいう。
才難得 人才は得ることがむずかしい。
蒼蒼 天の色をいい、天をさす。
理又玄 玄は黒、奥深いことをいう、「老子」(一章)に「玄之又玄、衆妙之門」(玄の又た玄、衆妙の門)≪この奥深いかすかな所、これが様々な現象を生み出す門なのである。≫とあるに基づいて作る。 


寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#7> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1466 杜甫詩 700- 453

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#7
舊好腸堪斷,新愁眼欲穿。
翠幹危棧竹,紅膩小湖蓮。
賈筆論孤憤,嚴詩賦幾篇。
定知深意苦,莫使眾人傳。
貝錦無停織,朱絲有斷弦。
浦鷗防碎首,霜鶻不空拳。
両君との昔からの交際のことを思うと左遷の事、腸がちぎれるよう腹が立ち、近頃新しく愁いをおもうと、君らのいる所へ眼で孔をあけたいほど眺めるのである。
厳君の地に向かう剣門の桟道では竹の翠に生色が無くなってきただろう。賈君の地にある江南の小湖では蓮花がさいて紅色があぶらぎっているであろう。
賈至君は筆を執って詩文で孤憤を論じ、厳武君は幾篇の詩を作っていることだろう。
両君とも奥深いこころ、旧友だからわかる真意を詩文に含めることに苦心をしたと思うが、そのことは決して一般の人々に伝ってはいけないことである。
讒人は織物女工がたえず貝錦の紋を織りつづけ止めることがないように粛宗皇帝に耳元でささやき続けたし、清廉なことを示すまっすぐな朱き琴糸も裏切りに遭えば信頼の絲は断ちきられるものである。
秋のハヤブサは他の餌物を襲撃するに無駄な拳を使わず狙った獲物は逃がさない、だから入り江で静かにしている鴎は首を打ち砕かれぬように用心することが大切なのだ。


現代語訳と訳註
(本文) #7
舊好腸堪斷,新愁眼欲穿。翠幹危棧竹,紅膩小湖蓮。
賈筆論孤憤,嚴詩賦幾篇。定知深意苦,莫使眾人傳。
貝錦無停織,朱絲有斷弦。浦鷗防碎首,霜鶻不空拳。


(下し文)
旧好 腸【はらわた】断【た】ゆるに堪えたり、新愁【しんしゅう】眼【め】穿【うが】たれんと欲す。
翠は乾く危桟【きさん】の竹、紅は膩【じ】なり小湖の蓮。
賈筆 孤憤【こふん】を論ず、厳詩 賦すること幾篇ぞ。
定めて知る深意の苦しめるを、衆人をして伝えしむること莫れ。
貝錦【ばいきん】停織【ていしょく】無く、朱糸【しゅし】断絃【だんげん】あり。
浦鴎【ほおう】砕首【さいしゅ】を防ぐ、霜鶻【そうこつ】空拳【くうけん】あらず。


(現代語訳)
両君との昔からの交際のことを思うと左遷の事、腸がちぎれるよう腹が立ち、近頃新しく愁いをおもうと、君らのいる所へ眼で孔をあけたいほど眺めるのである。
厳君の地に向かう剣門の桟道では竹の翠に生色が無くなってきただろう。賈君の地にある江南の小湖では蓮花がさいて紅色があぶらぎっているであろう。
賈至君は筆を執って詩文で孤憤を論じ、厳武君は幾篇の詩を作っていることだろう。
両君とも奥深いこころ、旧友だからわかる真意を詩文に含めることに苦心をしたと思うが、そのことは決して一般の人々に伝ってはいけないことである。
讒人は織物女工がたえず貝錦の紋を織りつづけ止めることがないように粛宗皇帝に耳元でささやき続けたし、清廉なことを示すまっすぐな朱き琴糸も裏切りに遭えば信頼の絲は断ちきられるものである。
秋のハヤブサは他の餌物を襲撃するに無駄な拳を使わず狙った獲物は逃がさない、だから入り江で静かにしている鴎は首を打ち砕かれぬように用心することが大切なのだ。


(訳注) #7
舊好腸堪斷,新愁眼欲穿。
両君との昔からの交際のことを思うと左遷の事、腸がちぎれるよう腹が立ち、近頃新しく愁いをおもうと、君らのいる所へ眼で孔をあけたいほど眺めるのである。
○旧好 ふるい時の仲のよさ、此の句は「旧好を憶いては」の意。○新愁 今日のうれい、新愁をいだいてはの意。○眼欲穿 眼に穴があきそう、質厳の居る地を見つめることをいう。


翠幹危棧竹,紅膩小湖蓮。
厳君の地に向かう剣門の桟道では竹の翠に生色が無くなってきただろう。賈君の地にある江南の小湖では蓮花がさいて紅色があぶらぎっているであろう。
○翠乾 みどりの色がかわいて生色のうすいこと。○危桟竹 あぶなげなかけはしの竹、桟道の通路に叢生した竹をさすもの、厳の居地についていう。○紅膩 膩はあぶらざること、此の句は賈の居地についていう。


賈筆論孤憤,嚴詩賦幾篇。
賈至君は筆を執って詩文で孤憤を論じ、厳武君は幾篇の詩を作っていることだろう。
○賈筆 賈至の詩文。筆は筆を執る。○孤憤 一人のいかり、韓非は「孤憤」の篇を著わした。


定知深意苦,莫使眾人傳。
両君とも奥深いこころ、旧友だからわかる真意を詩文に含めることに苦心をしたと思うが、そのことは決して一般の人々に伝ってはいけないことである。
○深意 詩文にふくめたおく深いこころ。旧友だからわかる真意。○伝 伝播させる。


貝錦無停織,朱絲有斷弦。
讒人は織物女工がたえず貝錦の紋を織りつづけ止めることがないように粛宗皇帝に耳元でささやき続けたし、清廉なことを示すまっすぐな朱き琴糸も裏切りに遭えば信頼の絲は断ちきられるものである。
○貝錦 『詩経、小雅、巷伯』「萋兮斐兮、成是貝錦。彼譖人者、亦已大甚。」(萋【せい】たり斐たり、この貝錦を成す。かの人を譖【そし】る者、亦た已【すで】に大いに甚し。)に本づく、萋斐は文章あるさまをいい、貝錦は貝の錦紋である、女工が彩色の糸を集めて錦紋を織ってゆくが、讒人というものは他人の過ちをよせあつめて罪を構成するのでそれと似ている。
○無停織 織ることをとどめるものがない、断えず織ることをいう。讒言をいうものを止める方法はない。それを聞く天子の徳、才知に頼るしかない。○朱糸有断絃 宋の鮑照の「白頭吟」詩に
擬樂府白頭吟 鮑照《玉臺新詠》採桑詩
白頭吟
直如朱絲繩、清如玉壺冰。
何慙宿昔意、猜恨坐相仍。
人情賤恩舊、世義逐衰興。
毫髮一為瑕、丘山不可勝。
食苗實碩鼠、點白信蒼蠅。
鳧鵠遠成美、薪芻前見凌。
申黜褒女進、班去趙姬升。
周王日淪惑、漢帝益嗟稱。
心賞猶難恃、貌恭豈易憑。
古來共如此、非君獨撫膺。
「直ちに朱糸の縄の如し、 清きは 玉壷の冰(こおり)の如し」とある、朱糸縄は琴舷である、杜句はこれを借用して、絃がまっすぐであると断絶することのあることをいう。
白頭吟 卓文君
皚如山上雪,皎若雲間月。
聞君有兩意,故來相決絶。
今日斗酒會,明旦溝水頭。
躞蹀御溝上,溝水東西流。

淒淒復淒淒,嫁娶不須啼。
願得一心人,白頭不相離。
竹竿何嫋嫋,魚尾何簁簁。
男兒重意氣,何用錢刀爲。
卓文君、鮑照の詩どちらも貞操を守る女性を裏切った夫に対する歌ではじめにともに白髪の映えるまでと約束して一緒になったのに裏切られたことを詠うものであり、どんなに清廉潔白であっても讒言を聞く人によっては清廉潔白の「絲」は断ち切られてしまう、という意味である。杜甫が前聯「定知深意苦,莫使眾人傳。」行ったことは粛宗が宦官などの讒言を聞いて賢臣を左遷したことの批判をしているのである。


浦鷗防碎首,霜鶻不空拳。
秋のハヤブサは他の餌物を襲撃するに無駄な拳を使わず狙った獲物は逃がさない、だから入り江で静かにしている鴎は首を打ち砕かれぬように用心することが大切なのだ。
○浦鴎 入り江の静かな水面にいるカモメ。○防砕首 猛鳥に首をくだかれぬようにふせぐ必要がある。○霜鶻 霜のおくころの鶻(はやぶさ)、法を執る官吏をたとえていう。○不空拳 むだなこぶしをふるわない、必ず他の鳥を持撃することをいう。他の獲物の動きが悪くなるに比して逆に鋭くなることをいう。狙った獲物は逃がさない。

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§3:前皇帝玄宗一派の排除ということで、有能な人材がことごとく左遷されたり、免職されたりしている。賈至、厳武、高適、岑参らも左遷された。宦官の影響もあった。特に杜甫は、左拾遺任官直後に玄宗系房琯を擁護する発言をしたことがその後の朝廷での疎外されることにつながった。


§3#6
每覺升元輔,深期列大賢。
その時私がおもったのは両君が大臣宰相の地位にのぼるであろうということであり、きたるべき日が来たときは必ず両君は大賢の居ならぶ列にあるだろう。
秉鈞方咫尺,鎩翮再聊翩。
宰相たる者は一国の公平を手にするものであるその地位にもう少しという距離の処であるが、両君は鳥の発ち羽を削がれて再び一緒に飛び出すことになっている。
禁掖朋從改,微班性命全。
わたしは禁中の掖門をくぐって以降まったく友達がかわってしまい、取るに足らない官位についていて無事に命を取り留めるだけであった。
青蒲甘受戮,白發竟誰憐?
吾が天子をお諌め申したときは青蒲のむしろにおいて甘んじて誅殺を受けるつもりであった、生き残ったのだけれど、その後は誰がこの白髪首をきのどくがってくれるものがあったであろうか。
弟子貧原憲,諸生老伏虔。
自分は孔子の弟子原憲のごとく貧しく、後漢の諸生服虔のごとく老いてしまっている。
師資謙未達,鄉黨敬何先?
他人の師資となるほどまでに達してはいないと謙遜しているけれど、何故か郷党の人々はわたしを先に敬ってくるのであるが(これには少し恥じ入るところである)。
#7
舊好腸堪斷,新愁眼欲穿。
翠幹危棧竹,紅膩小湖蓮。
賈筆論孤憤,嚴詩賦幾篇。
定知深意苦,莫使眾人傳。
貝錦無停織,朱絲有斷弦。
浦鷗防碎首,霜鶻不空拳。
#8
地僻昏炎瘴,山稠隘石泉。
且將棋度日,應用酒為年。
典郡終微眇。治中實棄捐。
安排求傲吏,比興展歸田。
去去才難得,蒼蒼理又玄。』


#6
毎【つね】に覺ゆ元輔に昇らんことを、深く期す大賢に列せられんと。
秉鈞【へいきん】方に咫尺、鎩翮 再び聊翩たり。
禁掖朋從改まり、徴班性命全し。
青蒲甘んじて戮を受く、白髪竟に誰か憐れまん。
弟子 原憲貧しく、諸生伏(服)虔老ゆ。
師資謙して未だ達せずとす、郷党敬すること何ぞ先にする。

#7
旧好 腸断ゆるに堪えたり、新愁眼穿たれんと欲す。
翠は乾く危桟の竹、紅は膩なり小湖の蓮。
賈筆 孤憤を論ず、厳詩賦すること幾篇ぞ。
定めて知る深意の苦しめるを、衆人をして伝えしむること莫れ。
貝錦 停織無く、朱糸断絃あり。
浦鴎 砕首を防ぐ、霜鶻 空拳あらず。
#8
地僻にして炎瘴昏く、山稠くして石泉隘し。
且つ棋を将て日を度るならん、応に酒を用いて年を為すなるべし。
典郡 移【つい】に微眇なり、治中実に棄捐【きえん】せらる。
安排 傲吏を求め、此興帰田を展のぶ。
去去才 得難し、蒼蒼理 又た玄なり。』


現代語訳と訳註
(本文) §3#6
每覺升元輔,深期列大賢。
秉鈞方咫尺,鎩翮再聊翩。
禁掖朋從改,微班性命全。
青蒲甘受戮,白發竟誰憐?
弟子貧原憲,諸生老伏虔。
師資謙未達,鄉黨敬何先?


(下し文) #6
毎【つね】に覺ゆ元輔に昇らんことを 深く期す大賢に列せられんと
秉鈞【へいきん】方に咫尺 鎩翮 再び聊翩たり
禁掖朋從改まり 徴班性命全し
青蒲甘んじて戮を受く 白髪竟に誰か憐れまん
弟子 原憲貧しく 諸生伏(服)虔老ゆ
師資謙して未だ達せずとす 郷党敬すること何ぞ先にする


(現代語訳)
その時私がおもったのは両君が大臣宰相の地位にのぼるであろうということであり、きたるべき日が来たときは必ず両君は大賢の居ならぶ列にあるだろう。
宰相たる者は一国の公平を手にするものであるその地位にもう少しという距離の処であるが、両君は鳥の発ち羽を削がれて再び一緒に飛び出すことになっている。
わたしは禁中の掖門をくぐって以降まったく友達がかわってしまい、取るに足らない官位についていて無事に命を取り留めるだけであった。
吾が天子をお諌め申したときは青蒲のむしろにおいて甘んじて誅殺を受けるつもりであった、生き残ったのだけれど、その後は誰がこの白髪首をきのどくがってくれるものがあったであろうか。
自分は孔子の弟子原憲のごとく貧しく、後漢の諸生服虔のごとく老いてしまっている。
他人の師資となるほどまでに達してはいないと謙遜しているけれど、何故か郷党の人々はわたしを先に敬ってくるのであるが(これには少し恥じ入るところである)。


(訳注) §3#6
每覺升元輔,深期列大賢。
その時私がおもったのは両君が大臣宰相の地位にのぼるであろうということであり、きたるべき日が来たときは必ず両君は大賢の居ならぶ列にあるだろう。
毎覚 覚は知るというほどの意。
昇元輔 賈厳が大臣宰相の地位にのぼること。
列大賢 賢人の居るべき位に列する、これも賈厳についていう。同じ意味のことを語を変えていうことで出世をすることを強調している。


秉鈞方咫尺,鎩翮再聊翩。
宰相たる者は一国の公平を手にするものであるその地位にもう少しという距離の処であるが、両君は鳥の発ち羽を削がれて再び一緒に飛び出すことになっている。
秉鈞 『詩経、小雅、節南山』に「秉国之鈞、四方是維。」(国の釣を乗る、四方を是れ維ぐ。)とある、宰相は国中の均衡をたもつものである、ここは宰相の地位をさしていう。
杜甫『奉贈鮮於京兆二十韻』「破膽遭前政,陰謀獨秉鈞。」(破胆前政の陰謀独り鈞を秉るに遭う) 宰相たる者は一国の公平を手にするものであるということを独りで独占する。
咫尺 すぐそこにあること。「咫」は中国の周の制度で8寸、「尺」は10寸。1 距離が非常に近いこと。2 貴人の前近くに出て拝謁すること。○鎩翮 立羽根をそこなわれる、賈厳が罪によって貶められたことを鳥にたとえていう
○聊翩
 ともに羽をつらねてとぶ。


禁掖朋從改,微班性命全。
わたしは禁中の掖門をくぐって以降まったく友達がかわってしまい、取るに足らない官位についていて無事に命を取り留めるだけであった。
○禁掖 宮禁の掖門、ここは諌官等の出入する門である。宮殿の正門の左右にある小さな門。旁門(ぼうもん)。杜甫『宣政殿退朝晚出左掖』『紫宸殿退朝口號』『晚出左掖』。
朋従改 ともだちがかわる。
徴班 微小な位、杜甫の左拾遺の地位をさしていう。
性命全 無事にいきる。


青蒲甘受戮,白發竟誰憐?
吾が天子をお諌め申したときは青蒲のむしろにおいて甘んじて誅殺を受けるつもりであった、生き残ったのだけれど、その後は誰がこの白髪首をきのどくがってくれるものがあったであろうか。
青蒲甘受教 青蒲は青色の蒲席をいう、これは天子の臥床の下敷きにするもの、むかし漢の元帝が太子を変えようとしたとき史丹というものが直ちに天子の臥内に入り青蒲のうえに伏して泣諌したという、此の句は杜甫が房琯の事について必死で強諌したことをいう、戮は誅殺。
白髪 杜甫ことでその老容。


弟子貧原憲,諸生老伏虔。
自分は孔子の弟子原憲のごとく貧しく、後漢の諸生服虔のごとく老いてしまっている。
弟子 杜甫の事、弟子は孔子の弟子であることをいう。
原憲 貧を以て有名である。
○諸生 書生。○老伏虔 伏は服。服虔は後漢の儒者。


師資謙未達,鄉黨敬何先?
他人の師資となるほどまでに達してはいないと謙遜しているけれど、何故か郷党の人々はわたしを先に敬ってくるのであるが(これには少し恥じ入るところである)。
師資 師となり、もとでとなるもの、「老子」(二十七草)に「善人ハ不善人ノ師、不善人ハ善人ノ資」とみえる。
謙未達 杜甫自身、師資ある地位の所に至らないと謙遜する。
郷党 秦州に来て周囲の人人をさす。○敬何先 郷においては年長者を敬して先とする。この地において住むにつけてよい処であることを示す。援助に結びつくところである。

寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1460 杜甫詩 700- 451

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§2
#2
憶昨趨行殿,殷憂捧禦筵。
おもいだすと前年(758年夏)わたしは叛乱軍の拘束から逃げ、粛宗皇帝の鳳翔の行在所に出向いて出仕し、国事についてさかんな憂いる役目でもって御筵を捧げるお傍近く仕えまつった。
討胡愁李廣,奉使待張騫。
その頃は異民族軍、叛乱軍を討伐して結果のよからぬため李広に比する哥舒翰の如き名将の大敗をうれえ、外国に対しては援兵を乞うの使命をもちゆく張騫が待たるることであった。
無複雲台仗,虛修水戰船。
儀式をおこなう際にも、とても以前のような儀仗を御殿に並べることは無く、漢の武帝がむだな舟戦の準備したものの無駄に終わって都は攻め落とされたようなものだ。
蒼茫城七十,流落劍三千。
はるかに茫漠たる地方まで味方の城は七十も安史軍にうばわれ、集められた趙の三千の剣士がちりぢりに散じた様に九節度使軍も散りじりになった。
畫角吹秦晉,旄頭俯澗瀍。
胡笳の角笛は秦から晋の地方にまで吹きならされ、暗雲を示す旄頭星は澗瀍の水の上を俯して照らしているのである。(洛陽城は再び安史軍に陥落された。)
#3
小儒輕董卓,有識笑苻堅。
我々小儒ものは後漢の董卓を軽い人間として見ており今の史忠明がそうであり、有識の者は東晋期の異民族の苻堅が暴挙をしたが今の安禄山であり、いかに権力を持ち、乱暴をなしてもたかがしれたものだと軽蔑し嘲笑するのである。
浪作禽填海,那將血射天。
私はできもしないことではあるが忠義心の精衛の鳥が海水を埋めんとしたことの真似をするようである、どうして安史の逆賊が殷の天子を血嚢を作って天神を射ようとしたこととどうようなことをするのかとあやしんでいるのだ。
萬方思助順,一鼓氣無前。
各地方の人々から諸侯は義理と道理にしたがい王朝軍を助けようということで、一度鼓を打つや味方の勇気奮い起こって前面に敵があっても認めないほどの勢いで突き進む。
陰散陳倉北,晴燻太白巔。
陳倉の北には安史軍の陰気は消散した、太白山の頂は晴れ晴れしい日色が匂うほどになっている。
亂麻屍積衛,破竹勢臨燕。

衛では安史軍安太清敗北して、屍は乱れた麻のごとく積もり、味方は破竹の勢いを以て燕にさしかかるに至ったのである。
#4
法駕還雙闕,王師下八川。
かくて吾が天子、粛宗の正式の奉賀のため長安の宮闕に還幸になったのである、唐王朝連合軍は関中八水の流域を完全制覇したのだ。
此時沾奉引,佳氣拂周旋。
わたしはこの時有りがたいことに車駕の御先導の任に加わっていた、おめでたい勃興の気を全身に受け払いつつ立居振舞ったのである。
貔虎開金甲,麒麟受玉鞭。
また貔虎という名のように強い近衛の武士は鎧の光を日光に輝かせ、麟鱗といわれた御馬は玉でかざられた鞭を当てられて光らせて進む。
侍臣諳人仗,廄馬解登仙。
天子おそばの諸臣はよく心得ていることとして儀供にはいっていく、天子の厩舎にいた多くの馬の列をなして宮城へと乗り込んできたのである。
花動朱樓雪,城凝碧樹煙。
朱楼のあたりに動く花をみれば雪のように咲き誇り、城辺の碧樹には青煙がじっと浮かんで早くも城郭の活気を感じさせたのである。
衣冠心慘愴,故老淚潺湲。
百官はいままで心ものがなしくいためておったのであり、古老たちは水の流れるおとをさせんばかりの涙を流してむかえた。
#5
哭廟悲風急,朝正霽景鮮。
吾が天子は先ず宗廟において哭礼をせられ、悲しみの風気が急がれた、元日の朝は晴れ渡った日の光が鮮やかに輝いて、太平の正気におおわれた。
月分梁漢米,春給水衡錢。
官吏に対して長江流域の梁漢の地から奉った米を毎月分けてくだされ、春にあたっては水衡の内蔵金を支給し下される。
內蘂繁於纈,宮莎軟勝綿。
大明宮苑内の花は麗しく彩絹でくくって織物のかざりのように繁り、莎草は綿よりも軟らかそうに生えている。
恩榮同拜手,出入最隨肩。
そこで我らは同じように恩寵栄誉を拜手した、それから肩下りに伴行して出入りしたのである。
晚著華堂醉,寒重繡被眠。
晩になると華堂で酔ことにひたった、寒ければともにぬいとりのかいまきを重ねて眠った。
轡齊兼秉燭,書枉滿懷箋。』

また日中は馬を並べ手綱をそろえて遊んで、さらに夜まで燭をとってあそびつづけ、懐中に一ばいになるほどの詩文箋をもらって兩君と親しく交わったのである。』


現代語訳と訳註
(本文) #5

哭廟悲風急,朝正霽景鮮。月分梁漢米,春給水衡錢。
內蘂繁於纈,宮莎軟勝綿。恩榮同拜手,出入最隨肩。
晚著華堂醉,寒重繡被眠。轡齊兼秉燭,書枉滿懷箋。』


(下し文)
哭廟【こくびょう】悲風急に、朝正 霽景【せいけい】鮮かなり。
月に分かつ梁漢の米、春には給す水衡の銭。
內蘂【ないずい】は纈【けつ】よりも繁く、宮莎【きゅうさ】は軟らかくして綿に勝れり。
恩栄同じく拝手す、出入最も肩を随う。
晩には著す 華堂の酔い、寒には繍被【しゅうひ】を重ねて眠る。
轡【ひ】斉【ひと】しくして兼ねて燭を秉【と】り、書は枉【ま】ぐ滿懷【まんかい】の箋【せ】ん。』


(現代語訳)
吾が天子は先ず宗廟において哭礼をせられ、悲しみの風気が急がれた、元日の朝は晴れ渡った日の光が鮮やかに輝いて、太平の正気におおわれた。
官吏に対して長江流域の梁漢の地から奉った米を毎月分けてくだされ、春にあたっては水衡の内蔵金を支給し下される。
大明宮苑内の花は麗しく彩絹でくくって織物のかざりのように繁り、莎草は綿よりも軟らかそうに生えている。
そこで我らは同じように恩寵栄誉を拜手した、それから肩下りに伴行して出入りしたのである。
晩になると華堂で酔ことにひたった、寒ければともにぬいとりのかいまきを重ねて眠った。
また日中は馬を並べ手綱をそろえて遊んで、さらに夜まで燭をとってあそびつづけ、懐中に一ばいになるほどの詩文箋をもらって兩君と親しく交わったのである。』


(訳注) #5
哭廟悲風急,朝正霽景鮮。
吾が天子は先ず宗廟において哭礼をせられ、悲しみの風気が急がれた、元日の朝は晴れ渡った日の光が鮮やかに輝いて、太平の正気におおわれた。
哭廟 唐の太廟が安史軍に焚かれたので、郭子儀が長安を回復するや神主(いわい)を大内の長安殿に移し、粛宗は古礼に従って素い服をき三日間廟に向かって哭された。
朝正 正月元日に参朝すること、乾元元年正月元日戊寅の日に玄宗(時に上皇であった)は宜政殿に出御されて粛宗に受命伝国の宝(印)を授けられた。○雰景 ほれた日光。


月分梁漢米,春給水衡錢。
官吏に対して長江流域の梁漢の地から奉った米を毎月分けてくだされ、春にあたっては水衡の内蔵金を支給し下される。
月分 毎月の分給。
梁漢米 南朝梁の地域、長江流域、三巴・湖北の地方の年貢米、禄米としてたまわるものである。
水衡銭 水衝は官名、税をつかさどる、漢の時、財用をつかさどるものに司農・少府・水衝の三つがあり、少府・水衝は天子の私蔵をつかさどる。


內蘂繁於纈,宮莎軟勝綿。
大明宮苑内のはなは麗しく彩絹でくくって織物のかざりのように繁り、莎草は綿よりも軟らかそうに生えている。
内蘂 大明宮苑内のはな。
 彩絹をくくって織物のかざりとする仕方である。
○宮莎 莎は一に香附子ともいい茎は三稜に似、根のぐるりに毛の多い草であるという。ささめ【莎草】 スゲやチガヤのようなしなやかな草。編んで蓑(みの)やむしろを作った。


恩榮同拜手,出入最隨肩。
そこで我らは同じように恩寵栄誉を拜手した、それから肩下りに伴行して出入りしたのである。
恩栄 恩寵栄誉。
同拝手 賈至・厳武と同じく敬礼拝受する、賈至は時に中書舎人、厳武は給事中である。
出入 朝廷へではいりする。
随肩一歩おくれてついてゆくこと。


晚著華堂醉,寒重繡被眠。
晩になると華堂で酔ことにひたった、寒ければともにぬいとりのかいまきを重ねて眠った。
著酔 酔いをおびること。○華堂 宮中のうつくしい堂。○繍被 ぬいとりのかいまき。


轡齊兼秉燭,書枉滿懷箋。』
また日中は馬を並べ手綱をそろえて遊んで、さらに夜まで燭をとってあそびつづけ、懐中に一ばいになるほどの詩文箋をもらって兩君と親しく交わったのである。』
轡斉 たづなをそろえて馬を進める。
乗燭 ひるより遊びつづけて夜になってともし火をとる。
書枉 書は詩文箋、枉とはこちらへよこしてくれること。

寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1457 杜甫詩 700- 450

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#4
法駕還雙闕,王師下八川。
かくて吾が天子、粛宗の正式の奉賀のため長安の宮闕に還幸になったのである、唐王朝連合軍は関中八水の流域を完全制覇したのだ。
此時沾奉引,佳氣拂周旋。
わたしはこの時有りがたいことに車駕の御先導の任に加わっていた、おめでたい勃興の気を全身に受け払いつつ立居振舞ったのである。
貔虎開金甲,麒麟受玉鞭。
また貔虎という名のように強い近衛の武士は鎧の光を日光に輝かせ、麟鱗といわれた御馬は玉でかざられた鞭を当てられて光らせて進む。
侍臣諳人仗,廄馬解登仙。
天子おそばの諸臣はよく心得ていることとして儀供にはいっていく、天子の厩舎にいた多くの馬の列をなして宮城へと乗り込んできたのである。
花動朱樓雪,城凝碧樹煙。
朱楼のあたりに動く花をみれば雪のように咲き誇り、城辺の碧樹には青煙がじっと浮かんで早くも城郭の活気を感じさせたのである。
衣冠心慘愴,故老淚潺湲。」
百官はいままで心ものがなしくいためておったのであり、古老たちは水の流れるおとをさせんばかりの涙を流してむかえた。



現代語訳と訳註
(本文) #4

法駕還雙闕,王師下八川。
此時沾奉引,佳氣拂周旋。
貔虎開金甲,麒麟受玉鞭。
侍臣諳人仗,廄馬解登仙。
花動朱樓雪,城凝碧樹煙。
衣冠心慘愴,故老淚潺湲。」


(下し文)
法駕【ほうが】双闕【そうけつ】に還り、王師【おうし】八川【はちせん】に下る。
此の時奉引【ほういん】に沾う、佳気【けいき】払うて周旋【しゅうせん】す。
貔虎【ひこ】金甲開き、麟麟【きりん】玉鞭【ぎょくべん】を受く。
侍臣【じしん】入仗【にゅうじょう】を諳【そら】んじ、厩馬【きゅうば】登仙を解す。
花は動く朱楼【しゅろう】の雪、城には凝【こお】る碧樹【へきじゅ】の煙。
衣冠【いかん】心惨槍【さんそう】、故老【ころう】涙 潺湲【せんえん】たり


(現代語訳)
かくて吾が天子、粛宗の正式の奉賀のため長安の宮闕に還幸になったのである、唐王朝連合軍は関中八水の流域を完全制覇したのだ。
わたしはこの時有りがたいことに車駕の御先導の任に加わっていた、おめでたい勃興の気を全身に受け払いつつ立居振舞ったのである。
また貔虎という名のように強い近衛の武士は鎧の光を日光に輝かせ、麟鱗といわれた御馬は玉でかざられた鞭を当てられて光らせて進む。
天子おそばの諸臣はよく心得ていることとして儀供にはいっていく、天子の厩舎にいた多くの馬の列をなして宮城へと乗り込んできたのである。
朱楼のあたりに動く花をみれば雪のように咲き誇り、城辺の碧樹には青煙がじっと浮かんで早くも城郭の活気を感じさせたのである。
百官はいままで心ものがなしくいためておったのであり、古老たちは水の流れるおとをさせんばかりの涙を流してむかえた。


(訳注) #4
法駕還雙闕,王師下八川。
かくて吾が天子、粛宗の正式の奉賀のため長安の宮闕に還幸になったのである、唐王朝連合軍は関中八水の流域を完全制覇したのだ。
法駕 天子の正式のおのりもの、粛宗の長安への遷幸は至徳二載十二月のこと。
双闕 宮城正門の左右の小門。
王師 官軍、唐王朝連合軍。
下八 川下とは八川の流れる地方へ降りてきたことをいう、行在所は鳳翔にあったし、上流から下った。その地形が高い、故に「下る」ということでもある。八川は関中の八つの川、渭水に流れ込む長安の中心にした周辺の軍事的にも重要な川。黒水・澇水・灃水・潏水・滻水・㶚水・涇水・滄水。
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此時沾奉引,佳氣拂周旋。
わたしはこの時有りがたいことに車駕の御先導の任に加わっていた、おめでたい勃興の気を全身に受け払いつつ立居振舞ったのである。
 君のめぐみの露にうるおう。
奉引 前導して車を引くこと、作者は拾遺として粛宗に屈従して長安にかえった。
佳気 めでたい気、帝王勃興の気をいう。○払 こちらが佳気を払うこと。
周旋 天子に首を垂れてそのまま身体を一回転させること(体操の「まわれ右」に似る)、朝廷における動作の様子である。


貔虎開金甲,麒麟受玉鞭。
また貔虎という名のように強い近衛の武士は鎧の光を日光に輝かせ、麟鱗といわれた御馬は玉でかざられた鞭を当てられて光らせて進む。
○貌虎 猛獣の名、近衛兵の武士をいう、「尚書」(牧誓)に「虎の如く貌の如く」とある。
開金甲 開は耀光があらわれでることをいう、金はかねで作ったよろいが日の光で輝くさま。
麒麟 天子の御馬をいう。
 むちをあてられること。○玉鞭 玉にてかざったむちで、これも輝く。


侍臣諳人仗,廄馬解登仙。
天子おそばの諸臣はよく心得ていることとして儀供にはいっていく、天子の厩舎にいた多くの馬の列をなして宮城へと乗り込んできたのである。 
侍臣 天子おそばの臣。
諳人仗 諳はそらでおぼえていること、人仗は儀仗の列内にはいること。○厩馬 おうまやのうま。
解登仙 今まで他所にあった馬がこのたび宮城に入りこんで来たことをさして登仙といったものかと考える、宮城を人間に対して天上と看倣していったもの。重ねて、黄帝が飛黄という馬に乗って仙人となって去ったと「淮南子」にある話に基づき、玄宗の舞馬が回復されたことをいみする。
玄宗の舞馬とは、玄宗百匹の馬に舞を教え杯をくわえて寿をたてまつらしめたということ。
かいふくとは、その馬を安禄山軍に奪われ洛陽に持ちいかれたもの、長安・洛陽の奪回により、馬を取り戻せたこと言う。


花動朱樓雪,城凝碧樹煙。
朱楼のあたりに動く花をみれば雪のように咲き誇り、城辺の碧樹には青煙がじっと浮かんで早くも城郭の活気を感じさせたのである。
花動 花枝のゆれるさま。
朱楼雪 雪は花をたとえていう。

寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1454 杜甫詩 700- 449

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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
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   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     
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§2 #2~#5
#3
小儒輕董卓,有識笑苻堅。
我々小儒ものは後漢の董卓を軽い人間として見ており今の史忠明がそうであり、有識の者は東晋期の異民族の苻堅が暴挙をしたが今の安禄山であり、いかに権力を持ち、乱暴をなしてもたかがしれたものだと軽蔑し嘲笑するのである。
浪作禽填海,那將血射天。
私はできもしないことではあるが忠義心の精衛の鳥が海水を埋めんとしたことの真似をするようである、どうして安史の逆賊が殷の天子を血嚢を作って天神を射ようとしたこととどうようなことをするのかとあやしんでいるのだ。
萬方思助順,一鼓氣無前。
各地方の人々から諸侯は義理と道理にしたがい王朝軍を助けようということで、一度鼓を打つや味方の勇気奮い起こって前面に敵があっても認めないほどの勢いで突き進む。
陰散陳倉北,晴燻太白巔。
陳倉の北には安史軍の陰気は消散した、太白山の頂は晴れ晴れしい日色が匂うほどになっている。
亂麻屍積衛,破竹勢臨燕。」
衛では安史軍安太清敗北して、屍は乱れた麻のごとく積もり、味方は破竹の勢いを以て燕にさしかかるに至ったのである。


現代語訳と訳註
(本文) #3
小儒輕董卓,有識笑苻堅。浪作禽填海,那將血射天。
萬方思助順,一鼓氣無前。陰散陳倉北,晴燻太白巔。
亂麻屍積衛,破竹勢臨燕。」


(下し文)
小儒【こじゅ】董卓【とうたく】を軽んず、有識苻堅【ふけん】を笑う。
浪【みだ】りに禽【きん】の海を填【てん】するを作す、那ぞ血を将て天を射るや。
万方【ばんぽう】助順【じょじゅん】を思う、一鼓 気前を無【な】みす。
陰は散ず陳倉【ちんそう】の北、晴は燻【くん】ず太白【たいはく】の巔【いただき】。
乱麻【らんま】屍【かばね】衛に積み、破竹勢い燕に臨む。


(現代語訳)
我々小儒ものは後漢の董卓を軽い人間として見ており今の史忠明がそうであり、有識の者は東晋期の異民族の苻堅が暴挙をしたが今の安禄山であり、いかに権力を持ち、乱暴をなしてもたかがしれたものだと軽蔑し嘲笑するのである。
私はできもしないことではあるが忠義心の精衛の鳥が海水を埋めんとしたことの真似をするようである、どうして安史の逆賊が殷の天子を血嚢を作って天神を射ようとしたこととどうようなことをするのかとあやしんでいるのだ。
各地方の人々から諸侯は義理と道理にしたがい王朝軍を助けようということで、一度鼓を打つや味方の勇気奮い起こって前面に敵があっても認めないほどの勢いで突き進む。
陳倉の北には安史軍の陰気は消散した、太白山の頂は晴れ晴れしい日色が匂うほどになっている。
衛では安史軍安太清敗北して、屍は乱れた麻のごとく積もり、味方は破竹の勢いを以て燕にさしかかるに至ったのである。


(訳注) #3
小儒輕董卓,有識笑苻堅。

我々小儒ものは後漢の董卓を軽い人間として見ており今の史忠明がそうであり、有識の者は東晋期の異民族の苻堅が暴挙をしたが今の安禄山であり、いかに権力を持ち、乱暴をなしてもたかがしれたものだと軽蔑し嘲笑するのである。
小儒 儒者である自分。
董卓 後漢末宦官誅滅計画にのって洛陽に入り偶然に帝を手中にし権力を握る。後袁紹、曹操らが挙兵されると洛陽を焼き払い長安に入って横暴をつづけた。董卓はのちに呂布に殺された。○有識 識見あるもの、作者が自ずから比する。
苻堅 東晉の時に長安地方に拠った夷種、漢人の王猛を重用して華北統一に成功し、前秦の全盛期を築く。中国統一を目指したが、大軍を南下させたところを淝水の戦いで大敗し、以後諸部族が反乱・自立して前秦は衰退して苻堅もかつての部下姚萇に殺害され、前秦は実質的に滅亡した。董卓・荷堅は安禄山・史思明に比する。


浪作禽填海,那將血射天。
私はできもしないことではあるが忠義心の精衛の鳥が海水を埋めんとしたことの真似をするようである、どうして安史の逆賊が殷の天子を血嚢を作って天神を射ようとしたこととどうようなことをするのかとあやしんでいるのだ。
浪作 みだりになす、できもしないこと。作者は謙遜してこのようにいう。
禽墳海 赤帝の娘、東海に溺れて死に、化して鳥となった、精衛と名づける、この鳥が西山の木石を取って海をうずめようとしたということが「山海経」に見える、鳥の意は海をうずめることによって自己を溺れさせたものを絶滅しょうとしたのであろう、此の句は作者が安史軍を絶滅し隊と思っても実際に自分では何もできないことをその実効のないことを比した。
那將血射天 那は何ぞの意、とがめる言葉である。将血は血嚢をもっての意で、むかし殷の天子に帝乙というものがあり、偶人(にんぎょう)をつくって天神といい、これと賭博をして天神に代わってかけをして、天神が勝たなければ革の嚢に血を盛り仰いでこれを射て、天を射ると称したという、事は「史記」殷本紀に見える、此の句は安史軍が無法にも唐の天子に向かって弓をひくことを比していう。


萬方思助順,一鼓氣無前。
各地方の人々から諸侯は義理と道理にしたがい王朝軍を助けようということで、一度鼓を打つや味方の勇気奮い起こって前面に敵があっても認めないほどの勢いで突き進む。
万方 諸地方の人人。
助順 順は義理と道理にしたがうもので王朝軍をさし、安史軍は逆である。
一鼓気無前 一鼓はひとたび進軍の太鼓をうちならすこと、気は勇気、無前は眼中に前敵を無視すること。


陰散陳倉北,晴燻太白巔。
陳倉の北には安史軍の陰気は消散した、太白山の頂は晴れ晴れしい日色が匂うほどになっている。
陰散 陰は陰気。○陳倉北 陳倉は陝西省鳳翔府宝鷄県の古名、陳倉の北とは鳳翔の地方をさす。
晴燻 太陽の晴れた光のにおうことをいう。
太白 山名、鳳翔府都県に属する、武功県の渭水南にあたる、鳳翔近地の名山をあげる。


亂麻屍積衛,破竹勢臨燕。」
衛では安史軍安太清敗北して、屍は乱れた麻のごとく積もり、味方は破竹の勢いを以て燕にさしかかるに至ったのである。
乱麻 多いさま。
屍積衛 屍は賊軍のしかばね、衛は衛州、758年乾元元年郭子儀が兵を率いて河をわたり、東して獲嘉に至って安史軍将安太清を破り、更に衛州を囲み、衛州に来援した安史軍将安慶緒の軍七万を破った。安慶緒は彭城に逃げ込む。○破竹勢 「洗兵行」758年乾元元年十月郭子儀は杏園より黄河を渡り、東にむかい獲嘉に至り、安太清を破った。太清は衛州に敗走したが、郭子儀はこれを囲んで勝った。太清は史思明のもとに敗走した。また魯炅は陽武より渡り、李光環・雀光速は酸棗より渡り、李嗣業とともに皆衛州の郭子儀のもとに集結した。安慶緒は鄴城一帯の衆七万を以て鄴城に逃げ込むものを救ったが、郭子儀は次第に追い詰めていった。そして、安慶緒の弟安慶和を獲てこれを殺し、遂に衛州を手中にした。衛州は今の河南省衛輝府の汲県治である。この時から安慶緒は鄴城に籠城する。ネズミ一匹二千両、壁土のわらを馬糞と混ぜて馬に食わせたといわれる。これを救ったのが史思明である。

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洗兵行 #4 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1001 杜甫特集700- 298
官軍の猛勢をいう。
 安禄山の根拠地范陽地方をさす、昔の燕国の地である。

寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1451 杜甫詩 700- 448

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§2 #2~#5
#2
憶昨趨行殿,殷憂捧禦筵。
おもいだすと前年(758年夏)わたしは叛乱軍の拘束から逃げ、粛宗皇帝の鳳翔の行在所に出向いて出仕し、国事についてさかんな憂いる役目でもって御筵を捧げるお傍近く仕えまつった。
討胡愁李廣,奉使待張騫。
その頃は異民族軍、叛乱軍を討伐して結果のよからぬため李広に比する哥舒翰の如き名将の大敗をうれえ、外国に対しては援兵を乞うの使命をもちゆく張騫が待たるることであった。
無複雲台仗,虛修水戰船。
儀式をおこなう際にも、とても以前のような儀仗を御殿に並べることは無く、漢の武帝がむだな舟戦の準備したものの無駄に終わって都は攻め落とされたようなものだ。
蒼茫城七十,流落劍三千。
はるかに茫漠たる地方まで味方の城は七十も安史軍にうばわれ、集められた趙の三千の剣士がちりぢりに散じた様に九節度使軍も散りじりになった。
畫角吹秦晉,旄頭俯澗瀍。」
胡笳の角笛は秦から晋の地方にまで吹きならされ、暗雲を示す旄頭星は澗瀍の水の上を俯して照らしているのである。(洛陽城は再び安史軍に陥落された。)


現代語訳と訳註
(本文)

憶昨趨行殿,殷憂捧禦筵。
討胡愁李廣,奉使待張騫。
無複雲台仗,虛修水戰船。
蒼茫城七十,流落劍三千。
畫角吹秦晉,旄頭俯澗瀍。」


(下し文)
憶う昨 行殿【こうでん】に趨し、殷憂【いんゆう】禦筵【ぎょえん】を捧げしを。
討胡【とうこ】李広【りこう】愁え、奉使【ほうし】張騫【ちょうけん】を待つ。
復た雲台【うんだい】の仗【じょう】なし 虚しく修む水戦の船。
蒼茫【そうぼう】城 七十、流落 剣 三千。
画角【がかく】秦晋【しんしん】に吹かる、旄頭【ぼうとう】澗瀍【かんてん】俯す。
小儒【しょうじゅ】董卓【とうたく】を軽んず、有識 苻堅【ふけん】を笑う。


(現代語訳)#2
おもいだすと前年(758年夏)わたしは叛乱軍の拘束から逃げ、粛宗皇帝の鳳翔の行在所に出向いて出仕し、国事についてさかんな憂いる役目でもって御筵を捧げるお傍近く仕えまつった。
その頃は異民族軍、叛乱軍を討伐して結果のよからぬため李広に比する哥舒翰の如き名将の大敗をうれえ、外国に対しては援兵を乞うの使命をもちゆく張騫が待たるることであった。
儀式をおこなう際にも、とても以前のような儀仗を御殿に並べることは無く、漢の武帝がむだな舟戦の準備したものの無駄に終わって都は攻め落とされたようなものだ。
はるかに茫漠たる地方まで味方の城は七十も安史軍にうばわれ、集められた趙の三千の剣士がちりぢりに散じた様に九節度使軍も散りじりになった。
胡笳の角笛は秦から晋の地方にまで吹きならされ、暗雲を示す旄頭星は澗瀍の水の上を俯して照らしているのである。(洛陽城は再び安史軍に陥落された。)


(訳注)
憶昨趨行殿,殷憂捧禦筵。
おもいだすと前年(758年夏)わたしは叛乱軍の拘束から逃げ、粛宗皇帝の鳳翔の行在所に出向いて出仕し、国事についてさかんな憂いる役目でもって御筵を捧げるお傍近く仕えまつった。
億咋 作者が往年のことを追憶する。
趨行殿 趨は朝廷内における歩く姿であり、すこしく歩みをはやめこまたにあるくこと、行殿は天子の御旅の御所、これは粛宗の鳳翔の行在所をさしていう。
殷憂 さかんな憂い。
捧御筵 むしろをささげるというのは拾遺の官となり御傍近くに仕えたことをいう。

 
討胡愁李廣,奉使待張騫。
その頃は異民族軍、叛乱軍を討伐して結果のよからぬため李広に比する哥舒翰の如き名将の大敗をうれえ、外国に対しては援兵を乞うの使命をもちゆく張騫が待たるることであった。
討胡愁李広 胡は安禄山の叛乱軍をさす、李広は漢の武帝の時の名将、今借りて哥舒翰にあてる、愁とは哥舒翰が安史軍に大敗したことでそういう。
奉使待張騫 張騫は漢の武帝の時に使者となって始めて西域諸国との交通を開いた人、奉使とは使命を奉ずることをいう、此の句は唐より回紇・吐蕃へ使者をやって援軍兵を求めたことをいう。


無複雲台仗,虛修水戰船。
儀式をおこなう際にも、とても以前のような儀仗を御殿に並べることは無く、漢の武帝がむだな舟戦の準備したものの無駄に終わって都は攻め落とされたようなものだ。
無復雲台仗 雲台は宮中の高い台殿をさしていう、仗は儀仗、儀式にあたってたでならぶほこはたの類、伎無しとは或はいう、行在所のことゆえ昔日の盛んな杖のないことをいうと、また重ねた意味で、玄宗の出奔したことをいう。
虚修水戦船 漢の武帝が雲南地方を伐とうとして其の地に渦池があるときいて長安に昆明地をうがって水戦を習わせた、虚修とはむだに船の用意をなしたことをいう、此の句については、長安に兵備し、安史軍の数倍の軍事を誇っていたことをいう。しながら安史軍に破られたことをいうと、


蒼茫城七十,流落劍三千。
はるかに茫漠たる地方まで味方の城は七十も安史軍にうばわれ、集められた趙の三千の剣士がちりぢりに散じた様に九節度使軍も散りじりになった。
蒼茫 茫漠としたさま、ひろく見さかいのつかぬさま。
城七十 戦国の時、燕は斉を攻めて七十余城を取った、借りて禄山が河北二十余郡を陥れたことに当てる。○流落 ちりぢりになること。
剣三千 超の文王は剣を喜び、彼のもとに集まって来た剣客は三千余人あったということが「荘子」に見える、借りて官軍の武士にあてる、或はいう、「越絶書」に見える呉王開聞の故事を用いたもので、剣三千は開聞が虎邸に葬られたときの届諸の剣三千、流落は散薄の意、三千の剣が散落するとは、長安の陵墓が発掘され土中の剣が世間に出たことをいうと。これも一説であるが杜甫の云いたかったことは、集められた九節度使が彭城を囲んだが史忠明軍により大敗し散りじりになったことをいう。


畫角吹秦晉,旄頭俯澗瀍。」
胡笳の角笛は秦から晋の地方にまで吹きならされ、暗雲を示す旄頭星は澗瀍の水の上を俯して照らしているのである。(洛陽城は再び安史軍に陥落された。)
画角  彩色したつのぶえ、官軍のふきならすもの。○秦晋 駅西省、山西省の地。
旗頭 星の名、また昂という、妖星で兵乱の象があるという。
俯澗瀍 俯とは俯して下を照らすことをいう、潤瀍は洛陽附近にあって洛水にそそぐ二つの川の名。澗水は新安県の南にある白石山より出て東南流して洛に入り、浸水は穀城県の北山より出て東して偃師県を過ぎて洛に入る。


寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1448 杜甫詩 700- 447

寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1448 杜甫詩 700- 447

     
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岳州の司馬賈至と巴州の刺史厳武とに寄せた詩である。近況を知らせ、隠棲地取得の資金応援を頼んだもの。759年乾元二年秦州、秋の作。


寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻
 気の置けない友人の賈至と厳武に当てたものである。
§1:二人は立派な人材であると切り出し、

§2:安禄山の反乱軍から、霊武行在所で即位、それから鳳翔に行在所を移し、都長安を奪還し、さらに、永王鄰の叛乱の平定、長安で正式に皇帝が即位の儀ができたのは、両君の働きによるものだ。皇帝から一定の評価を受けていたはずであった。

§3:前皇帝玄宗一派の排除ということで、有能な人材がことごとく左遷されたり、免職されたりしている。賈至、厳武、高適、岑参らも左遷された。宦官の影響もあった。特に杜甫は、左拾遺任官直後に玄宗系房琯を擁護する発言をしたことがその後の朝廷での疎外されることにつながった。

§4:これからも反乱が続くことが予想され、援軍に来ている外国軍も不穏な動きをしている。これを収められるのは心ある二人のような人材である。杜甫自身はこれからも隠遁生活のような生活は続く。


寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻
  #1
§1衡嶽猿啼裡,巴州鳥道邊。故人俱不利,謫宦兩悠然。
開闢乾坤正,榮枯雨露偏。長沙才子遠,釣瀨客星懸。』
#2
§2憶昨趨行殿,殷憂捧禦筵。討胡愁李廣,奉使待張騫。
無複雲台仗,虛修水戰船。蒼茫城七十,流落劍三千。
畫角吹秦晉,旄頭俯澗瀍。」
#3
小儒輕董卓,有識笑苻堅。浪作禽填海,那將血射天。
萬方思助順,一鼓氣無前。陰散陳倉北,晴燻太白巔。
亂麻屍積衛,破竹勢臨燕。」
#4
法駕還雙闕,王師下八川。此時沾奉引,佳氣拂周旋。
貔虎開金甲,麒麟受玉鞭。侍臣諳人仗,廄馬解登仙。
花動朱樓雪,城凝碧樹煙。衣冠心慘愴,故老淚潺湲。」
#5
哭廟悲風急,朝正霽景鮮。月分梁漢米,春給水衡錢。
內蘂繁於纈,宮莎軟勝綿。恩榮同拜手,出入最隨肩。
晚著華堂醉,寒重繡被眠。轡齊兼秉燭,書枉滿懷箋。』
#6
§3每覺升元輔,深期列大賢。秉鈞方咫尺,鎩翮再聊翩。
禁掖朋從改,微班性命全。青蒲甘受戮,白發竟誰憐?
弟子貧原憲,諸生老伏虔。師資謙未達,鄉黨敬何先?
#7
舊好腸堪斷,新愁眼欲穿。翠幹危棧竹,紅膩小湖蓮。
賈筆論孤憤,嚴詩賦幾篇。定知深意苦,莫使眾人傳。
貝錦無停織,朱絲有斷弦。浦鷗防碎首,霜鶻不空拳。
#8
地僻昏炎瘴,山稠隘石泉。且將棋度日,應用酒為年。
典郡終微眇。治中實棄捐。安排求傲吏,比興展歸田。
去去才難得,蒼蒼理又玄。』
#9
§4古人稱逝矣,吾道蔔終焉。隴外翻投跡,漁陽複控弦。
笑為妻子累,甘與歲時遷。親故行稀少,兵戈動接聯。
他鄉饒夢寐,失侶自忳邅。多病加淹泊,長吟阻靜便。
如公盡雄俊,誌在必騰騫。』



寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻
湖南岳州府賈至司馬君が排行六であると四川の巴州重慶府の厳刺史が排行八である。兩閣老にたいし五十韻の詩を寄せる。
#1 §1
衡嶽猿啼裡,巴州鳥道邊。
賈君の居る五岳南岳の衡岳のある地方は猿の鳴き声のうちにあり、厳君の居る巴州は高く鳥の通い路をこえたあたりにある。
故人俱不利,謫宦兩悠然。
わたしの旧友である両君はともに幸せが無くて遙かなる地方に罪として左遷されて官途に仕えている。
開闢乾坤正,榮枯雨露偏。
今や叛乱暴挙など暗闇の天と地を立て直されたのである、しかし、天子の恵みの雨や露の掛りぐあいが栄枯の違いができているのだ。
長沙才子遠,釣瀨客星懸。』
才子たる賈君は漢の賈誼のように長沙の遠き地に貶められた、厳君は後漢の厳光が客星であるといわれたが釣陵瀬に高くひかりをはなっておられる。』


現代語訳と訳註
(本文)
#1
寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻
§1
衡嶽猿啼裡,巴州鳥道邊。故人俱不利,謫宦兩悠然。
開闢乾坤正,榮枯雨露偏。長沙才子遠,釣瀨客星懸。』


(下し文)
(岳州の貫司馬六丈・巴州の厳八使君・兩閣老に寄す 五十韻)
衡岳【こうがく】は啼猿【ていえん】の裏【うち】、巴州【はしゅう】は鳥道【ちょうどう】の辺【ほとり】。
故人供に利あらず、謫宦【たくかん】両【ふたり】ながら悠然【ゆうぜん】たり。
開闢【かいへき】乾坤【けんこん】正しく、栄枯雨露偏なり。
長沙才子遠く、釣瀬【ちょうらい】客星懸かる。』


(現代語訳)
湖南岳州府賈至司馬君が排行六であると四川の巴州重慶府の厳刺史が排行八である。兩閣老にたいし五十韻の詩を寄せる。
賈君の居る五岳南岳の衡岳のある地方は猿の鳴き声のうちにあり、厳君の居る巴州は高く鳥の通い路をこえたあたりにある。
わたしの旧友である両君はともに幸せが無くて遙かなる地方に罪として左遷されて官途に仕えている。
今や叛乱暴挙など暗闇の天と地を立て直されたのである、しかし、天子の恵みの雨や露の掛りぐあいが栄枯の違いができているのだ。
才子たる賈君は漢の賈誼のように長沙の遠き地に貶められた、厳君は後漢の厳光が客星であるといわれたが釣陵瀬に高くひかりをはなっておられる。』


(訳注)
寄岳州賈司馬六丈・巴州八使君・兩閣老五十韻

湖南岳州府賈至司馬君が排行六であると四川の巴州重慶府の厳刺史が排行八である。兩閣老にたいし五十韻の詩を寄せる。
岳州賈司馬六丈 岳州は今の湖南岳州府、賈司馬は賈至のこと、賈至が汝州にゆくのを送る詩がある。送賈閣老出汝州 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 242  (758年乾元元年47歳)
758年乾元二年三月九節度の軍隊が相州に敗れたとき賈至は汝州より裏罫に奔ったが、その罪によって岳州の司馬に貶せられた、六は排行、丈は年長者に対する敬称、文人の略語。早朝大明宮呈両省僚友 賈至 杜甫の「奉和賈至舍人早朝大明宮」に関連した詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 233

巴州厳八使君 巴州は四川の重慶府、厳八使君は厳武のこと、八は排行、使君は刺史の敬称、武は房琯の事に連坐して757年乾元元年六月に巴州の刺史に定せられた。
閣老 貫は中書舎人、厳は給事中、二人を敬して称する。
厳八 厳八は厳武、厳武の父挺之は作者の友人であり、武は後輩である。杜甫の強力な援助者である。特に成都紀行、成都浣花渓草堂期に世話になる。厳武が没して成都を離れる。 
閣老 唐人は給事中をよぶのに閣老といった。また、宰相は堂老といい、両省のものは閣老といった。閣老は両省呼びあうので、給事中をよぶのに限られるわけではない。又このとき厳武は給事中、杜甫は左拾遺であるから同じく門下省に属し同省であるが、両省で呼び合う口称しあったとおもわれる。
留別嚴二閣老兩院補缺 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 275

奉贈嚴八閣老 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 187



衡嶽猿啼裡,巴州鳥道邊。
賈君の居る五岳南岳の衡岳のある地方は猿の鳴き声のうちにあり、厳君の居る巴州は高く鳥の通い路をこえたあたりにある。
衡岳 湖南省衡州府衡陽県にある名山で五岳のひとつ衡山(南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、名山をあげて賈至の居る岳州を表わす。
猿啼 猿声をいう。手長猿で、悲しい鳴き声をする。
巴州 厳武の居る地をいう。
鳥道 長安から剣門を超えることを鳥の通う道、山の高い処をさす、巴州は山地なのでかくいう。
 

故人俱不利,謫宦兩悠然。
わたしの旧友である両君はともに幸せが無くて遙かなる地方に罪として左遷されて官途に仕えている。
○故人 旧友賈・厳をさす。
不利 身に利福のないこと。不遇であると。
謫宦 罪として左遷されて官途に仕えていること。
 賈・厳の二人ともに。
悠然 はるかなさま、杜甫自身とは遠くへだたっていることをいう。


開闢乾坤正,榮枯雨露偏。
今や叛乱暴挙など暗闇の天と地を立て直されたのである、しかし、天子の恵みの雨や露の掛りぐあいが栄枯の違いができているのだ。
○開闢乾坤正 粛宗が天下をひとまず落ち着くところまでなったことをいう、開闢は暗闇を開くこと、乾坤は天と地、世の中。正とは今まで叛乱があって天地が歪み曲がっていたのを正したことをいう。
○榮枯雨露偏 偏はかたよる、一方へ多くかかることをいう、栄枯は臣下の身のうえの二面がでたことをいう、長安洛陽の奪還の後、家臣の人によって栄えるものもあれば、枯れてしぼむものもある、栄えるものは雨露を多くうけるということであり、、枯れるものは雨露がかからないことをいい、賈厳の二人が官を貶めるのは枯の側であることをいう。


長沙才子遠,釣瀨客星懸。』
才子たる賈君は漢の賈誼のように長沙の遠き地に貶められた、厳君は後漢の厳光が客星であるといわれたが釣陵瀬に高くひかりをはなっておられる。』
○長沙才子遠 漢の賈誼の故事、漢代の洛陽の人。わずか二十歳で孝文帝に召されて博士となり、一年のうちに大中大夫となり、法制の改革にカをつくしたが、重臣である絳侯の周勃や穎陰侯の潅嬰に妬まれ、長沙王の傅に左遷された。のち梁の懐王の大将となり、三十三歳で死んだ。屈原とともに、すぐれた才能をもつがゆえに不遇であった文人としてよく例にひかれる。同姓の故事を借りて賈至のことをいう。
○釣瀨客星懸 後漢の厳光、字は子陵の故事、光は光武帝の友人で、一夜帝と共に臥し足を帝の腹に加えたところ、太史は「客星の帝座を犯すこと甚だ急なり」と奏したという、光は天上では客星に当たる人である、光は帝に仕えず浙江省厳州府桐鹿県の富春山に隠れて釣を垂れていたが、其の釣りをした処を厳陵瀬という、釣瀬は厳陵瀬をさす、此の句はまた同姓の故事を借りて厳武のことをいう。厳光が釣りをしていた場所(桐盧県の南、富春江の湖畔)は「厳陵瀬」と名づけられた。釣臺は東西に一つずつあり、高さはそれぞれ数丈、その下には羊裘軒・客星館・招隠堂があった。


寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻 杜甫 <316-#6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1445 杜甫詩 700- 446

寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻 杜甫 <316-#6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1445 杜甫詩 700- 446

     
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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻
彭州の高適使君と虢州の岑参長史參に寄せる三十韻
#1
故人何寄寞?今我獨淒涼。
君たちがいなくなるのはなんと寂しくなることであろうか、今、私は一人でものさびしい気持ちだけが残っている。
老去才難盡,秋來興甚長。
老いてきたわたしは先日官を去ったけれどもその才能というものは尽きるものではない。今年も秋が来てもうすでにずいぶん長く逢っていないし、はなはだ夜が長くなってきた。
物情尤可見,詞客未能忘。
万物の情というものはよくよく考えて見なければいけない。詞詩で生きる旅人になっても未だに忘れ去ることはない。
海內知名士,雲端各異方。
両君は中国国内において名士として認知されてきた。遠く雲の切れる端まで各々異民族のいる辺りまで知れ渡ってきた。
高岑殊緩步,沈鮑得同行。
高適・岑参の両君は粛宗の評価を得られず、まことにゆるゆると歩いている、宋の鮑照、宋・斉の沈約たちも不遇で同じようにゆっくり歩いたのだ。
彭州【ほうしゅう】高三十五使君適に寄せる、虢州【がくしゅう】岑二十七長史參三十韻

故人 何ぞ寄寞【きばく】?今 我 獨り淒涼【せいりょう】。
老い去りて才は盡き難し,秋來 興に甚だ長し。
物情 尤【とが】めて見る可し,詞客 未だ能く忘れず。
海內 名士を知る,雲端 各の異方。
高 岑 殊に緩步,沈鮑 同行するを得ん。

#2
意愜關飛動,篇終接混茫。
関中にいて飛び回る活動している時は憂いが無く満足感を得ていた、その後、仲間で詩を持ち寄り聯句したりすることも終わってしまった。
舉天悲富駱,近代惜盧王。
則武天に見出されていた高い評価を得た駱賓王がかなしいことになり、近代にはそれに盧照鄰、王勃ら初唐四傑は同じように皇帝から疎まれ、文人たちからは惜しまれた。
似爾官仍貴,前賢命可傷。
君たちに似ていることは、官僚であり、貴族であることだろう、前の玄宗皇帝が発せられた勅命は我々を傷つけるものであった。
諸侯非棄擲,半刺已翱翔。
君たちのような忠君の諸公、将軍が投げ捨てられということがあってはならないのである、半ば刺されたようでも鷹などが空に輪を描いて飛ぶような両君である。
詩好幾時見,書成無使將。
それでも詩を作る良い気分はどんな時であっても見ることはできるが、今、書を編成することは、虢州の刺史、永王璘討伐将軍である君たちにはできないこととなったのだろう。
意愜するは關飛動することを,篇終るは 混茫に接す。
天を舉ぎて 富駱を悲しみ,近代 盧王を惜む。
爾似るは官仍ち貴し,賢を前にして命 傷つく可し。
諸侯 棄擲にあらず,半刺 已に翱翔【こうしょう】す。
詩好して 幾時に見る,書成して 使將に無し。

#3
男兒行處是,客子鬥身強。
男子として生まれたからには行く場所としてはこれに決めたということで、そして、旅に出た以上は戦い自分の身を強くしていくものだ。
羈旅推賢聖,沈綿抵咎殃。
遠いはるかな地へのたびをつづけ賢人と聖人たる生活に心掛けてきたが、持病がなかなか治らず旅に出た選択について咎めと禍となることになってしまった。
三年猶瘧疾,一鬼不消亡。
この三年のあいだ悪性の流行病に苦しみ、一つの神に頼ってみたがこれが消えるはずもなかった。
隔日搜脂髓,增寒抱雪霜。
日を開けて新しい薬を探したが、寒さが増してきて雪が降り積もってくる季節になってしまった。
徒然潛隙地,有靦屢鮮妝。
やるべき事がなくて、手持ち無沙汰なまま、この東柯谷の谷間に潜むようにしている、でも、時折、自分の顔緒よく見て元気を出すよう顔や髪の毛を装うのである。
男兒 行く處ろ是なり,客子 鬥い身強くする。
羈旅【はりょ】賢聖【けんせい】を推す,沈綿【ちんめん】して咎殃【きゅうおう】に抵【いた】る。
この三年 猶お瘧【おこり】の疾【やまい】あり、一つのやまいの鬼は 銷【き】え亡びず。
日を隔てて わがからだの脂(あぶらみ)と髓【ずい】とを捜し、寒を増すこと 雪霜を抱くがごとし。
徒然に隙地に潛む,靦有りて屢ば妝【よそおい】を鮮にす。

4
何太龍鐘極,於今出處妨。
わたしは、年老いて疲れ病むことがこんなにもきついことかと、そして、ここにきて外に出ることも妨げになるほど体力がないのだ。
無錢居帝裡,盡室在邊疆。
都で朝廷に務めている時でさえ金がなかった、それで家族全員でこの辺境の地にあるのだ。
劉表雖遺恨,龐公至死藏。
三国の荊州の劉表は龐徳公が軍師として味方してくれれば、自分の死後に敵の曹操に降伏するという遺恨を持つこととなかったろうに、龐徳公は劉表の家督争いがなければ鹿門山に隠遁しそのまま世俗には出ないということもなかったろうに。
心微傍魚鳥,肉瘦怯豺狼。
わたしのここでの生活は心安らかにわずかな事に気を向け、魚や小鳥を傍にしているようなものであり、しかしやせ細っていて、安史軍や異民族の恐怖に怯えているのである。
隴草蕭蕭白,洮雲片片黃。
いまや隴西地方の草々はしょうしょうと白いものに覆われ吐蕃軍の恐怖があるし、、そして臨洮地方にかかる雲は片々として黄色に染まっているのはウイグルの異民族の恐怖である。
何と太【はなはだ】しいことか龍鐘【りょうしょう】の極【きわ】み,今に於て出處の妨げ。
銭無くて帝里【ていり】に居り、尽室【じんしつ】は みな辺疆【へんきょう】に在る。
劉表【りゅうひょう】恨を遺ると雖ども,龐公【ろうこう】死して藏に至る。
心微かにして傍に魚鳥あり,肉瘦【や】せて豺狼【ひょうろう】に怯【おび】える。
隴【ろう】の草 蕭蕭として白,洮の雲 片片として黃。

5
彭門劍閣外,虢略鼎湖旁。
高適君は彭州西川節度使となって蜀の守りをしているが、都からは大剣、小剣の二山を闕門として外にあるということだ、岑参くんは江南の虢州にあり、鼎湖の傍にいる。
荊玉簪頭冷,巴箋染翰光。
今の私はいばらと宝玉でもって頭に付けようとしても髪が減って頭が冷えてしまうほどであり、役に立たないものであり、巻手紙は墨と光によって染められたようにちぐはぐな状況だろう。
烏麻蒸續曬,丹橘露應嘗。
もっと言えば、烏紗巾に葬儀の格好して蒸された上に天日に晒され続けられている、赤くなった蜜柑がそのままにされているのである。
豈異神仙宅?俱兼山水鄉。
これがどうして神仙の里で住まいしていることとは違うというのであり、共に山水の桃源郷にいるということではなかろうか。
竹齋燒藥灶,花嶼讀書堂。
竹で作った書斎は薬草をかまどで焼きつくるものである、花いっぱいの花壇に読書の座敷を造りたい。
門【ほうもん】は劍閣【けんかく】の外,虢略【がいらく】は鼎湖【ていこ】の旁【ほとり】。
荊玉は簪頭【しん】の冷,巴箋【はせん】は翰光【かんこう】を染る。
烏麻【きゅうま】蒸して續曬【ぞくさい】し,丹橘【たんきつ】露【あらわ】して應【まさに】嘗すべし。
豈に神仙の宅異ならんや?俱に山水の鄉に兼ねん。
竹齋 燒藥の灶【かまど】,花嶼【かしょ】讀書の堂。

更得清新否?遙知對屬忙。
そのような場所にすれば、さらに、清廉で新鮮な感じでいることが出来るだろうか、いやできないであろう。この事態になっておぼろげながら知り得たことは、忙しさというものを遮断できたことであろう。
舊宮寧改漢,淳俗本歸唐。
旧都洛陽は漢を再興改める役割をしたが、心豊かな篤い世俗のものが本質的に唐をよみがえらせるものになるものだ。
濟世宜公等,安貧亦士常。
あなたがたふたりは官僚の世界をうまくわたっていくべきであり、私のような士族はまた貧乏生活におちつくというのが常である。
蚩尤終戮辱,胡羯漫倡狂。
叛乱を予告した星はついに殺戮と屈辱・凌辱をなさしめた、匈奴の異民族は勝手気ままに乱れ狂ったようにふるまっている。
會待妖氛靜,論文暫裹糧。
今度会うことがあれば今の時期どこで戦があってもおかしくないような雲行きがおさまってからにしよう、それまでは、こうした論文でもってしばらく生活するものとしていくのである。
(杜甫は、隠棲の地を取得する資金の援助、もしくは生活の援助を得たいとしてこの詩を作り贈ったのである。秦州における詩のほとんどが援助目的の「売文」であった。)
更に清新の否なるを得んや?遙に知る對して忙を屬するを。
舊宮は寧ろ漢を改め,淳俗は本として唐に歸る。
宜しく公等は世を濟るべし,貧に安じるは亦た士の常なり。
蚩尤【しゆう】終に戮辱【りくじょく】され,胡羯【こかつ】倡狂【しょうきょう】を漫【ほしいまま】にする。
會は妖氛【ようふん】の靜を待ち,論文は暫く糧を裹する。


現代語訳と訳註
(本文)

更得清新否?遙知對屬忙。
舊宮寧改漢,淳俗本歸唐。
濟世宜公等,安貧亦士常。
蚩尤終戮辱,胡羯漫倡狂。
會待妖氛靜,論文暫裹糧。


(下し文)
更に清新の否なるを得んや?遙に知る對して忙を屬するを。
舊宮は寧ろ漢を改め,淳俗は本として唐に歸る。
宜しく公等は世を濟るべし,貧に安じるは亦た士の常なり。
蚩尤【しゆう】終に戮辱【りくじょく】され,胡羯【こかつ】倡狂【しょうきょう】を漫【ほしいまま】にする。
會は妖氛【ようふん】の靜を待ち,論文は暫く糧を裹する。


(現代語訳)
そのような場所にすれば、さらに、清廉で新鮮な感じでいることが出来るだろうか、いやできないであろう。この事態になっておぼろげながら知り得たことは、忙しさというものを遮断できたことであろう。
旧都洛陽は漢を再興改める役割をしたが、心豊かな篤い世俗のものが本質的に唐をよみがえらせるものになるものだ。
あなたがたふたりは官僚の世界をうまくわたっていくべきであり、私のような士族はまた貧乏生活におちつくというのが常である。
叛乱を予告した星はついに殺戮と屈辱・凌辱をなさしめた、匈奴の異民族は勝手気ままに乱れ狂ったようにふるまっている。
今度会うことがあれば今の時期どこで戦があってもおかしくないような雲行きがおさまってからにしよう、それまでは、こうした論文でもってしばらく生活するものとしていくのである。
(杜甫は、隠棲の地を取得する資金の援助、もしくは生活の援助を得たいとしてこの詩を作り贈ったのである。秦州における詩のほとんどが援助目的の「売文」であった。)


(訳注)
更得清新否?遙知對屬忙。
更に清新の否なるを得んや?遙に知る對して忙を屬するを。
そのような場所にすれば、さらに、清廉で新鮮な感じでいることが出来るだろうか、いやできないであろう。この事態になっておぼろげながら知り得たことは、忙しさというものを遮断できたことであろう。
 析(きる)に同じ、ただしここは土壌をきりけずることで、剣を掘り取ることをいう。


舊宮寧改漢,淳俗本歸唐。
舊宮は寧ろ漢を改め,淳俗は本として唐に歸る。
旧都洛陽は漢を再興改める役割をしたが、心豊かな篤い世俗のものが本質的に唐をよみがえらせるものになるものだ。


濟世宜公等,安貧亦士常。
宜しく公等は世を濟るべし,貧に安じるは亦た士の常なり。
あなたがたふたりは官僚の世界をうまくわたっていくべきであり、私のような士族はまた貧乏生活におちつくというのが常である。
公等 あなたがた。高適と岑参のこと。


蚩尤終戮辱,胡羯漫倡狂。
蚩尤【しゆう】終に戮辱【りくじょく】され,胡羯【こかつ】倡狂【しょうきょう】を漫【ほしいまま】にする。
叛乱を予告した星はついに殺戮と屈辱・凌辱をなさしめた、匈奴の異民族は勝手気ままに乱れ狂ったようにふるまっている。
蚩尤 黄帝の時の諸侯。叛乱予告の星。
戮辱 殺戮と屈辱、凌辱。刑せられ、はずかしめられる。


會待妖氛靜,論文暫裹糧。
會は妖氛【ようふん】の靜を待ち,論文は暫く糧を裹する。
今度会うことがあれば今の時期どこで戦があってもおかしくないような雲行きがおさまってからにしよう、それまでは、こうした論文でもってしばらく生活するものとしていくのである。


(杜甫は、隠棲の地を取得する資金の援助、もしくは生活の援助を得たいとしてこの詩を作り贈ったのである。秦州における詩のほとんどが援助目的の「売文」であった。)


寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻 杜甫 <316-#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1442 杜甫詩 700- 445

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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

彭門劍閣外,虢略鼎湖旁。
高適君は彭州西川節度使となって蜀の守りをしているが、都からは大剣、小剣の二山を闕門として外にあるということだ、岑参くんは江南の虢州にあり、鼎湖の傍にいる。
荊玉簪頭冷,巴箋染翰光。
今の私はいばらと宝玉でもって頭に付けようとしても髪が減って頭が冷えてしまうほどであり、役に立たないものであり、巻手紙は墨と光によって染められたようにちぐはぐな状況だろう。
烏麻蒸續曬,丹橘露應嘗。
もっと言えば、烏紗巾に葬儀の格好して蒸された上に天日に晒され続けられている、赤くなった蜜柑がそのままにされているのである。
豈異神仙宅?俱兼山水鄉。
これがどうして神仙の里で住まいしていることとは違うというのであり、共に山水の桃源郷にいるということではなかろうか。
竹齋燒藥灶,花嶼讀書堂。
竹で作った書斎は薬草をかまどで焼きつくるものである、花いっぱいの花壇に読書の座敷を造りたい。



現代語訳と訳註
(本文)

彭門劍閣外,虢略鼎湖旁。荊玉簪頭冷,巴箋染翰光。
烏麻蒸續曬,丹橘露應嘗。豈異神仙宅?俱兼山水鄉。
竹齋燒藥灶,花嶼讀書堂。


(下し文)

彭門【ほうもん】は劍閣【けんかく】の外,虢略【がいらく】は鼎湖【ていこ】の旁【ほとり】。

荊玉は簪頭【しん】の冷,巴箋【はせん】は翰光【かんこう】を染る。

烏麻【きゅうま】蒸して續曬【ぞくさい】し,丹橘【たんきつ】露【あらわ】して應【まさに】嘗すべし。

豈に神仙の宅異ならんや?山水の兼ねん。

竹齋 燒藥の灶【かまど】,花嶼【かしょ】讀書の堂。



(現代語訳)
高適君は彭州西川節度使となって蜀の守りをしているが、都からは大剣、小剣の二山を闕門として外にあるということだ、岑参くんは江南の虢州にあり、鼎湖の傍にいる。
今の私はいばらと宝玉でもって頭に付けようとしても髪が減って頭が冷えてしまうほどであり、役に立たないものであり、巻手紙は墨と光によって染められたようにちぐはぐな状況だろう。
もっと言えば、烏紗巾に葬儀の格好して蒸された上に天日に晒され続けられている、赤くなった蜜柑がそのままにされているのである。
これがどうして神仙の里で住まいしていることとは違うというのであり、共に山水の桃源郷にいるということではなかろうか。
竹で作った書斎は薬草をかまどで焼きつくるものである、花いっぱいの花壇に読書の座敷を造りたい。


(訳注)
彭門劍閣外,虢略鼎湖旁。

高適君は彭州西川節度使となって蜀の守りをしているが、都からは大剣、小剣の二山を闕門として外にあるということだ、岑参くんは江南の虢州にあり、鼎湖の傍にいる。
彭門汶山といわれる山に、天彭闕という場所がある。天彭門とも言う。死者は、悉くその中で過ごし、鬼神の精霊が数多く見られる場所だった。 県政庁の前に、二つの石があり、それは闕のような形をしていたため、彭門と呼ばれた。
劍閣 長安から蜀の国に入ったところにある大剣、小剣の二山。閣道(架け橋)が多くあることから剣閣という。四川省に入って、後二百キロメートルで成都に着くというところにある。杜甫『哀江頭』「清渭東流劍閣深,去住彼此無消息。」(清渭は東流して劍閣は深く,去住彼比消息無し。)
虢略 現在の河南省西部の霊宝県あたりにあった虢州を、宋代に虢略と改めた。・鼎湖 太湖、西湖、鏡湖


荊玉簪頭冷,巴箋染翰光。
今の私はいばらと宝玉でもって頭に付けようとしても髪が減って頭が冷えてしまうほどであり、役に立たないものであり、巻手紙は墨と光によって染められたようにちぐはぐな状況だろう。
荊玉 いばらと宝玉。巴箋 巻き込んだ手紙。
・翰1 羽毛でつくった筆。「翰墨」 2 書いたもの。文章。手紙。「貴翰・書翰・尊翰・来翰」 3 学問。学者。「翰林」 4 太い柱。守りとなるもの。


烏麻蒸續曬,丹橘露應嘗。
もっと言えば、烏紗巾に葬儀の格好して蒸された上に天日に晒され続けられている、赤くなった蜜柑がそのままにされているのである。
烏麻 くろいものとあさ。烏紗巾、葬儀の格好。
晒(曬)とは。意味や日本語訳。[動](1) 日が照りつける晒黑了日焼けした.西晒西日が照りつける.(2) 日に干す,日に当てる晒被子掛けぶとんを干す.丹橘 あかいたちばな。


豈異神仙宅?俱兼山水鄉。
これがどうして神仙の里で住まいしていることとは違うというのであり、共に山水の桃源郷にいるということではなかろうか。


竹齋燒藥灶,花嶼讀書堂。
竹で作った書斎は薬草をかまどで焼きつくるものである、花いっぱいの花壇に読書の座敷を造りたい。


寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻 杜甫 <316-#4> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1439 杜甫詩 700- 444

寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻 杜甫 <316-#4> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1439 杜甫詩 700- 444

     
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寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻
彭州の高適使君と虢州の岑参長史參に寄せる三十韻
#1
故人何寄寞?今我獨淒涼。
君たちがいなくなるのはなんと寂しくなることであろうか、今、私は一人でものさびしい気持ちだけが残っている。
老去才難盡,秋來興甚長。
老いてきたわたしは先日官を去ったけれどもその才能というものは尽きるものではない。今年も秋が来てもうすでにずいぶん長く逢っていないし、はなはだ夜が長くなってきた。
物情尤可見,詞客未能忘。
万物の情というものはよくよく考えて見なければいけない。詞詩で生きる旅人になっても未だに忘れ去ることはない。
海內知名士,雲端各異方。
両君は中国国内において名士として認知されてきた。遠く雲の切れる端まで各々異民族のいる辺りまで知れ渡ってきた。
高岑殊緩步,沈鮑得同行。
高適・岑参の両君は粛宗の評価を得られず、まことにゆるゆると歩いている、宋の鮑照、宋・斉の沈約たちも不遇で同じようにゆっくり歩いたのだ。
#2
意愜關飛動,篇終接混茫。
関中にいて飛び回る活動している時は憂いが無く満足感を得ていた、その後、仲間で詩を持ち寄り聯句したりすることも終わってしまった。
舉天悲富駱,近代惜盧王。
則武天に見出されていた高い評価を得た駱賓王がかなしいことになり、近代にはそれに盧照鄰、王勃ら初唐四傑は同じように皇帝から疎まれ、文人たちからは惜しまれた。
似爾官仍貴,前賢命可傷。
君たちに似ていることは、官僚であり、貴族であることだろう、前の玄宗皇帝が発せられた勅命は我々を傷つけるものであった。
諸侯非棄擲,半刺已翱翔。
君たちのような忠君の諸公、将軍が投げ捨てられということがあってはならないのである、半ば刺されたようでも鷹などが空に輪を描いて飛ぶような両君である。
詩好幾時見,書成無使將。
それでも詩を作る良い気分はどんな時であっても見ることはできるが、今、書を編成することは、虢州の刺史、永王璘討伐将軍である君たちにはできないこととなったのだろう。
#3
男兒行處是,客子鬥身強。
男子として生まれたからには行く場所としてはこれに決めたということで、そして、旅に出た以上は戦い自分の身を強くしていくものだ。
羈旅推賢聖,沈綿抵咎殃。
遠いはるかな地へのたびをつづけ賢人と聖人たる生活に心掛けてきたが、持病がなかなか治らず旅に出た選択について咎めと禍となることになってしまった。
三年猶瘧疾,一鬼不消亡。
この三年のあいだ悪性の流行病に苦しみ、一つの神に頼ってみたがこれが消えるはずもなかった。
隔日搜脂髓,增寒抱雪霜。
日を開けて新しい薬を探したが、寒さが増してきて雪が降り積もってくる季節になってしまった。
徒然潛隙地,有靦屢鮮妝。
やるべき事がなくて、手持ち無沙汰なまま、この東柯谷の谷間に潜むようにしている、でも、時折、自分の顔緒よく見て元気を出すよう顔や髪の毛を装うのである。
#4
何太龍鐘極,於今出處妨。
わたしは、年老いて疲れ病むことがこんなにもきついことかと、そして、ここにきて外に出ることも妨げになるほど体力がないのだ。
無錢居帝裡,盡室在邊疆。
都で朝廷に務めている時でさえ金がなかった、それで家族全員でこの辺境の地にあるのだ。
劉表雖遺恨,龐公至死藏。
三国の荊州の劉表は龐徳公が軍師として味方してくれれば、自分の死後に敵の曹操に降伏するという遺恨を持つこととなかったろうに、龐徳公は劉表の家督争いがなければ鹿門山に隠遁しそのまま世俗には出ないということもなかったろうに。
心微傍魚鳥,肉瘦怯豺狼。
わたしのここでの生活は心安らかにわずかな事に気を向け、魚や小鳥を傍にしているようなものであり、しかしやせ細っていて、安史軍や異民族の恐怖に怯えているのである。
隴草蕭蕭白,洮雲片片黃。
いまや隴西地方の草々はしょうしょうと白いものに覆われ吐蕃軍の恐怖があるし、、そして臨洮地方にかかる雲は片々として黄色に染まっているのはウイグルの異民族の恐怖である。

#5
彭門劍閣外,虢略鼎湖旁。荊玉簪頭冷,巴箋染翰光。
烏麻蒸續曬,丹橘露應嘗。豈異神仙宅?俱兼山水鄉。
竹齋燒藥灶,花嶼讀書堂。
#6
更得清新否?遙知對屬忙。舊宮寧改漢,淳俗本歸唐。
濟世宜公等,安貧亦士常。蚩尤終戮辱,胡羯漫倡狂。
會待妖氛靜,論文暫裹糧。


現代語訳と訳註
(本文)

何太龍鐘極,於今出處妨。無錢居帝裡,盡室在邊疆。
劉表雖遺恨,龐公至死藏。心微傍魚鳥,肉瘦怯豺狼。
隴草蕭蕭白,洮雲片片黃。


(下し文)
何と太【はなはだ】しいことか龍鐘【りょうしょう】の極【きわ】み,今に於て出處の妨げ。
銭無くて帝里【ていり】に居り、尽室【じんしつ】は みな辺疆【へんきょう】に在る。
劉表【りゅうひょう】恨を遺ると雖ども,龐公【ろうこう】死して藏に至る。
心微かにして傍に魚鳥あり,肉瘦【や】せて豺狼【ひょうろう】に怯【おび】える。
隴【ろう】の草 蕭蕭として白,洮の雲 片片として黃。


(現代語訳)
わたしは、年老いて疲れ病むことがこんなにもきついことかと、そして、ここにきて外に出ることも妨げになるほど体力がないのだ。
都で朝廷に務めている時でさえ金がなかった、それで家族全員でこの辺境の地にあるのだ。
三国の荊州の劉表は龐徳公が軍師として味方してくれれば、自分の死後に敵の曹操に降伏するという遺恨を持つこととなかったろうに、龐徳公は劉表の家督争いがなければ鹿門山に隠遁しそのまま世俗には出ないということもなかったろうに。
わたしのここでの生活は心安らかにわずかな事に気を向け、魚や小鳥を傍にしているようなものであり、しかしやせ細っていて、安史軍や異民族の恐怖に怯えているのである。
いまや隴西地方の草々はしょうしょうと白いものに覆われ吐蕃軍の恐怖があるし、、そして臨洮地方にかかる雲は片々として黄色に染まっているのはウイグルの異民族の恐怖である。


(訳注)
何太龍鐘極,於今出處妨。
わたしは、年老いて疲れ病むことがこんなにもきついことかと、そして、ここにきて外に出ることも妨げになるほど体力がないのだ。
・龍鐘 年老いて疲れ病むさま。失意のさま。涙を流すさま。行き悩むさま。岑參『逢入京使』「故園東望路漫漫,雙袖龍鐘涙不乾。馬上相逢無紙筆,憑君傳語報平安。」


無錢居帝裡,盡室在邊疆。
都で朝廷に務めている時でさえ金がなかった、それで家族全員でこの辺境の地にあるのだ。
帝里 みやこ。
尽室 官を辞して家族全員で移動するほどの意。


劉表雖遺恨,龐公至死藏。
三国の荊州の劉表は龐徳公が軍師として味方してくれれば、自分の死後に敵の曹操に降伏するという遺恨を持つこととなかったろうに、龐徳公は劉表の家督争いがなければ鹿門山に隠遁しそのまま世俗には出ないということもなかったろうに。
劉表(142年漢安元年- 208年建安13年8月)は、中国後漢末期の政治家・儒学者。字は景升(けいしょう)。山陽郡高平県の人。前漢の景帝の第4子である魯恭王劉余の子孫。後漢の統制力が衰えた後に荊州に割拠した。建安13年(208年)、曹操が荊州に侵攻を開始。劉表は曹操が荊州入りする直前に病死した。享年67(65の説あり)[11]。死後、庶子の劉琮が家督を継いだが、長子の劉琦も劉備によって江夏の主として盛り立てられた。
龐公 龐徳公『遣興五首其二 ⑨』の「龐徳公」の条を参照。
遣興五首其二
昔者龐德公,未曾入州府。
襄陽耆舊間,處士節獨苦。
豈無濟時策?終竟畏網罟。
林茂鳥有歸,水深魚知聚。
舉家隱鹿門,劉表焉得取。
秦州雜詩二十首 其十五』 
未暇泛蒼海,悠悠兵馬間。
塞門風落木,客舍雨連山。
阮籍行多興,龐公隱不還。
東柯遂疏懶,休鑷鬢毛斑。


心微傍魚鳥,肉瘦怯豺狼。
わたしのここでの生活は心安らかにわずかな事に気を向け、魚や小鳥を傍にしているようなものであり、しかしやせ細っていて、安史軍や異民族の恐怖に怯えているのである。


隴草蕭蕭白,洮雲片片黃。
いまや隴西地方の草々はしょうしょうと白いものに覆われ吐蕃軍の恐怖があるし、、そして臨洮地方にかかる雲は片々として黄色に染まっているのはウイグルの異民族の恐怖である。
 秦州は隴右道であるが、隴西は西方への主要重点都市であった。吐蕃軍の恐怖の表現である。
 秦州から北西方面の重要都市の臨洮のこと。ここで軍が動けば、黄土の砂塵が凄まじいのでこの句の表現をしたもの。ウイグルの異民族の恐怖の表現である。

寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻 杜甫 <316-#3> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1436 杜甫詩 700- 443

寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻 杜甫 <316-#3> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1436 杜甫詩 700- 443

     
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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

寄彭州高三十五使君適、
虢州岑二十七長史參三十韻
彭州の高適使君と虢州の岑参長史參に寄せる三十韻
#1
故人何寄寞?今我獨淒涼。
君たちがいなくなるのはなんと寂しくなることであろうか、今、私は一人でものさびしい気持ちだけが残っている。
老去才難盡,秋來興甚長。
老いてきたわたしは先日官を去ったけれどもその才能というものは尽きるものではない。今年も秋が来てもうすでにずいぶん長く逢っていないし、はなはだ夜が長くなってきた。
物情尤可見,詞客未能忘。
万物の情というものはよくよく考えて見なければいけない。詞詩で生きる旅人になっても未だに忘れ去ることはない。
海內知名士,雲端各異方。
両君は中国国内において名士として認知されてきた。遠く雲の切れる端まで各々異民族のいる辺りまで知れ渡ってきた。
高岑殊緩步,沈鮑得同行。

高適・岑参の両君は粛宗の評価を得られず、まことにゆるゆると歩いている、宋の鮑照、宋・斉の沈約たちも不遇で同じようにゆっくり歩いたのだ。
#2
意愜關飛動,篇終接混茫。
関中にいて飛び回る活動している時は憂いが無く満足感を得ていた、その後、仲間で詩を持ち寄り聯句したりすることも終わってしまった。
舉天悲富駱,近代惜盧王。
則武天に見出されていた高い評価を得た駱賓王がかなしいことになり、近代にはそれに盧照鄰、王勃ら初唐四傑は同じように皇帝から疎まれ、文人たちからは惜しまれた。
似爾官仍貴,前賢命可傷。
君たちに似ていることは、官僚であり、貴族であることだろう、前の玄宗皇帝が発せられた勅命は我々を傷つけるものであった。
諸侯非棄擲,半刺已翱翔。
君たちのような忠君の諸公、将軍が投げ捨てられということがあってはならないのである、半ば刺されたようでも鷹などが空に輪を描いて飛ぶような両君である。
詩好幾時見,書成無使將。
それでも詩を作る良い気分はどんな時であっても見ることはできるが、今、書を編成することは、虢州の刺史、永王璘討伐将軍である君たちにはできないこととなったのだろう。
#3
男兒行處是,客子鬥身強。
男子として生まれたからには行く場所としてはこれに決めたということで、そして、旅に出た以上は戦い自分の身を強くしていくものだ。
羈旅推賢聖,沈綿抵咎殃。
遠いはるかな地へのたびをつづけ賢人と聖人たる生活に心掛けてきたが、持病がなかなか治らず旅に出た選択について咎めと禍となることになってしまった。
三年猶瘧疾,一鬼不消亡。
この三年のあいだ悪性の流行病に苦しみ、一つの神に頼ってみたがこれが消えるはずもなかった。
隔日搜脂髓,增寒抱雪霜。
日を開けて新しい薬を探したが、寒さが増してきて雪が降り積もってくる季節になってしまった。
徒然潛隙地,有靦屢鮮妝。

やるべき事がなくて、手持ち無沙汰なまま、この東柯谷の谷間に潜むようにしている、でも、時折、自分の顔緒よく見て元気を出すよう顔や髪の毛を装うのである。
#4
何太龍鐘極,於今出處妨。無錢居帝裡,盡室在邊疆。
劉表雖遺恨,龐公至死藏。心微傍魚鳥,肉瘦怯豺狼。
隴草蕭蕭白,洮雲片片黃。
#5
彭門劍閣外,虢略鼎湖旁。荊玉簪頭冷,巴箋染翰光。
烏麻蒸續曬,丹橘露應嘗。豈異神仙宅?俱兼山水鄉。
竹齋燒藥灶,花嶼讀書堂。
#6
更得清新否?遙知對屬忙。舊宮寧改漢,淳俗本歸唐。
濟世宜公等,安貧亦士常。蚩尤終戮辱,胡羯漫倡狂。
會待妖氛靜,論文暫裹糧。


現代語訳と訳註
(本文)

男兒行處是,客子鬥身強。羈旅推賢聖,沈綿抵咎殃。
三年猶瘧疾,一鬼不消亡。隔日搜脂髓,增寒抱雪霜。
徒然潛隙地,有靦屢鮮妝。


(下し文)
男兒 行く處ろ是なり,客子 鬥い身強くする。
羈旅【はりょ】賢聖【けんせい】を推す,沈綿【ちんめん】して咎殃【きゅうおう】に抵【いた】る。
この三年 猶お瘧【おこり】の疾【やまい】あり、一つのやまいの鬼は 銷【き】え亡びず。
日を隔てて わがからだの脂(あぶらみ)と髓【ずい】とを捜し、寒を増すこと 雪霜を抱くがごとし。
徒然に隙地に潛む,靦有りて屢ば妝【よそおい】を鮮にす。


(現代語訳)
男子として生まれたからには行く場所としてはこれに決めたということで、そして、旅に出た以上は戦い自分の身を強くしていくものだ。
遠いはるかな地へのたびをつづけ賢人と聖人たる生活に心掛けてきたが、持病がなかなか治らず旅に出た選択について咎めと禍となることになってしまった。
この三年のあいだ悪性の流行病に苦しみ、一つの神に頼ってみたがこれが消えるはずもなかった。
日を開けて新しい薬を探したが、寒さが増してきて雪が降り積もってくる季節になってしまった。
やるべき事がなくて、手持ち無沙汰なまま、この東柯谷の谷間に潜むようにしている、でも、時折、自分の顔緒よく見て元気を出すよう顔や髪の毛を装うのである。


(訳注)
男兒行處是,客子鬥身強。

男子として生まれたからには行く場所としてはこれに決めたということで、そして、旅に出た以上は戦い自分の身を強くしていくものだ。


羈旅推賢聖,沈綿抵咎殃。
遠いはるかな地へのたびをつづけ賢人と聖人たる生活に心掛けてきたが、持病がなかなか治らず旅に出た選択について咎めと禍となることになってしまった。
賢聖 賢人と聖人。人格や才能を持っている人たち。
沈綿 病気がなかなか治らないこと。
咎殃 とがめとわざわい。


三年猶瘧疾,一鬼不消亡。
この三年のあいだ悪性の流行病に苦しみ、一つの神に頼ってみたがこれが消えるはずもなかった。
瘧疾 悪性の流行病。やくびょう。ときのけ。えきびょう。《疫病》マラリア。


隔日搜脂髓,增寒抱雪霜。
日を開けて新しい薬を探したが、寒さが増してきて雪が降り積もってくる季節になってしまった。
脂髓 油の塊と物事の本質。人の体の別の言い方。表面的な問題と物の本質。


徒然潛隙地,有靦屢鮮妝。
やるべき事がなくて、手持ち無沙汰なまま、この東柯谷の谷間に潜むようにしている、でも、時折、自分の顔緒よく見て元気を出すよう顔や髪の毛を装うのである
徒然 やるべき事がなくて、手持ち無沙汰なさま。
隙地 空いている小さな場所
 あつかましくみる。
よそおう、めかす


<解説>
杜甫はこの秦州時代にいたる三年、熱病が完治せず再発を繰り返していた。友人の高適と岑参に自分の病歴をユーモアをまじえて訴えかけている。詩の原注(杜甫の自注)にも「時に瘧病を患う」(王洙本巻十ほか)とある。もらったラッキョウがマラリアに効くとは聞かないが、「寒熱を除く」効き目があることは、唐の孫思邈『備急千金要方』などの医書に多く記載がある。元来ラッキョウは温性の食物でもある。こうした当時の半病みの健康状態からも、杜甫はこの冷えの病を治してくれそうなラッキョウを切実に求めていたのだった。
秦州抒情詩(29) 秋日阮隠者致薤三十束 杜甫 <314> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1409 杜甫詩 700- 434
 この詩ではもう一つ、杜甫が生活上の物資をもらった経緯を詩の中に書き込み、詩によって返事を書き送っていることが注目される。杜甫詩には物を贈与された際、詩によって答礼を行い、その詩がまた名篇となっていることが多い。こうした現象は中唐以降次第に流行しはじめ、文人趣味の勃興と相俟って北宋にもっとも盛んとなる現象であるが'⑿'、その先駆性などについてはここでは触れないことにする。この詩も、何らかの援助を内に秘めた期待としてつづられているとみるべきである。

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