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詩 題:“同谷紀行(2)” 赤穀
掲 載; 杜甫700の322首目-#2
杜甫ブログ;473回目
1.發秦州→ 2.赤穀→ 3.鐵堂峽→ 4.鹽井→ 5.寒峡→ 6.法鏡寺→ 7.青陽峡→ 8.龍門鎮→ 9.石龕→ 10.積草嶺→ 11.泥功山→ 12.鳳凰台
厳しい寒さの中を、これから旅立つものがある、老年を迎え、いつまたここを訪れることが出来るか、定かならぬ身であるのに
朝に赤穀の亭を出発すれば、前途の険しい旅路が待っている、道には石が積もり、車の轍さえ刻めぬ、車はギクシャクとしてすでに幾度も脂を注いだ
深い山中で吹き荒れる風に苦しみながら、夕方になると幼い子供が飢えを訴えて泣く、村里ははるかかなた、施しを求めようにも余りに遠い
こんな年になって貧しさに落ちぶれ、故郷で安穏に暮らすこともままならぬ、このままでは旅にして行き倒れ、高人の笑いの種になるのではないかと恐れるばかりだ
赤穀
天寒霜雪繁,遊子有所之。
天気は寒く、霜と雪がふる季節になっても松柏が寒気にめげしげっている、こんな時旅人はひたすら旅を行くのである。
豈但歲月暮?重來未有期。
ただ、この年のくれにさしかかろうとしているが、ここには再びもう来ることはないだろうと思う。
晨發赤穀亭,險艱方自茲。
日出のころに赤谷の駅を出発するのである、行く路の艱難はこれからいよいよ始まるということになる。
亂石無改轍,我車已載脂。
道の乱れた石がすごいのにわだちを別に変えられる道はないし、我々一行の車には道に入る前に油を指している。
#2
山深苦多風,落日童稚饑。
山はやがて深くなるのに風が吹きまくるのにはとても苦しんだ、日の落ちかかるころになると幼い子供たちはおなかがすいたといっている。
悄然村墟迥。煙火何由追?
村里ははるか遠くとなっていく、あの見えているかまどの煙の上がっているところまでどうしたら着くことが出来るのだろうかとしょんぼりとなってしまう。
貧病轉零落,故鄉不可思。
わたしには持病があったが、こちらに来てから床に伏しがちで、その上貧しさのために治すこともしないままで落ちぶれ果てているのである。そして、いま、安史軍に分断された遠い東国の故郷のことを思うことさえできなくなっている。
常恐死道路。永為高人嗤。
こうして家族総出の旅人となって恐れることというのは、「論語」にいう「道端に野垂れ死する。」ということがあって、かの「虎渓三笑」の高士たちに何時までも笑われてしまうことになることなのである。
(赤穀)
天寒くして霜雪【そうせつ】繁し、遊子之く所有り。
豈に但に歲月の暮るるのみならんや、重ねて來ること未だ期有らず。
晨【あした】に赤穀の亭を發す、險艱【けんかん】方【まさ】に茲【ここ】よりす。
亂石【らんせき】轍を改むるべくなく、我が車已に載【すなわ】ち脂さす。
#2
山深こうして多風に苦しみ、落日 童稚【どうち】饑【う】う。
悄然【しょうぜん】たり村墟【そんきょ】の迥かなるに、煙火 何【いずこ】由よか追はん。
貧病【ひんびょう】轉【うた】た零落【れいらく】す、故鄉 思ふ可からず。
常に恐る 道路に死して、永く為す 高人の嗤【わら】われんことを。
現代語訳と訳註
(本文)
#2
山深苦多風,落日童稚饑。悄然村墟迥。煙火何由追?
貧病轉零落,故鄉不可思。常恐死道路。永為高人嗤。
(下し文) #2
山深こうして多風に苦しみ、落日 童稚【どうち】饑【う】う。
悄然【しょうぜん】たり村墟【そんきょ】の迥かなるに、煙火 何【いずこ】由よか追はん。
貧病【ひんびょう】轉【うた】た零落【れいらく】す、故鄉 思ふ可からず。
常に恐る 道路に死して、永く為す 高人の嗤【わら】われんことを
(現代語訳)
山はやがて深くなるのに風が吹きまくるのにはとても苦しんだ、日の落ちかかるころになると幼い子供たちはおなかがすいたといっている。
村里ははるか遠くとなっていく、あの見えているかまどの煙の上がっているところまでどうしたら着くことが出来るのだろうかとしょんぼりとなってしまう。
わたしには持病があったが、こちらに来てから床に伏しがちで、その上貧しさのために治すこともしないままで落ちぶれ果てているのである。そして、いま、安史軍に分断された遠い東国の故郷のことを思うことさえできなくなっている。
こうして家族総出の旅人となって恐れることというのは、「論語」にいう「道端に野垂れ死する。」ということがあって、かの「虎渓三笑」の高士たちに何時までも笑われてしまうことになることなのである。
(訳注) 赤穀 #2
山深苦多風,落日童稚饑。
山はやがて深くなるのに風が吹きまくるのにはとても苦しんだ、日の落ちかかるころになると幼い子供たちはおなかがすいたといっている。
・童稚 子供たち。
悄然村墟迥。煙火何由追?
村里ははるか遠くとなっていく、あの見えているかまどの煙の上がっているところまでどうしたら着くことが出来るのだろうかとしょんぼりとなってしまう。
・悄然 1 元気がなく、うちしおれているさま。しょんぼり。2 ひっそりと静かなさま。こころもしおしおとなる。
・煙火 村人の焚く炊煙。杜甫『秦州雑詩二十首 其十』
雲気椄崑崙、涔涔塞雨繁。
羌童看渭水、使客向河源。
煙火軍中幕、牛羊嶺上村。
所居秋草静、正閉小蓬門。
秦州雜詩二十首 其十 杜甫 第3部 <263> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1238 杜甫詩 700- 377
貧病轉零落,故鄉不可思。
わたしには持病があったが、こちらに来てから床に伏しがちで、その上貧しさのために治すこともしないままで落ちぶれ果てているのである。そして、いま、安史軍に分断された遠い東国の故郷のことを思うことさえできなくなっている。
・零落 1 落ちぶれること。2 草木の枯れ落ちること。『除架』「束薪已零落,瓠葉轉蕭疏。」
秦州抒情詩(15) 除架 杜甫 <300> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1367 杜甫詩 700- 420
『佳人』「自雲良家子,零落依草木。」
佳人 <229-#1>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1109 杜甫特集700- 334
常恐死道路。永為高人嗤。
こうして家族総出の旅人となって恐れることというのは、「論語」にいう「道端に野垂れ死する。」ということがあって、かの「虎渓三笑」の高士たちに何時までも笑われてしまうことになることなのである。
・死道路 道端に野垂れ死する。『論語・子罕』「予死於道路乎。」に基づく。
・爲髙人嗤:「爲髙人所嗤」の意。 髙人:徳の高い人。ここでの笑われたくない高士は「虎渓三笑」の故事にもとづいている。
参考1
<虎渓三笑>儒教、仏教、道教の三人の賢者が話しに夢中のあまり、気がつくと思いも掛けないところまで来ていたという故事に基づいている。 中国浄土教の開祖で廬山(江西省にある山)の東林精舎の主、慧遠(えおん)法師は来客を見送る際は精舎の下の虎渓という谷川の手前で足を止めまだ虎渓を渡ったことがなかった。 ところがある日、詩人・陶淵明(とうえんめい)と道士の陸修静(りくしゅうせい)の二文人高士を見送った時には、話に夢中で虎渓を越えてしまい虎の吠える声を聞いて初めてそれと気づいた三人はここで大笑をしたという.
参考2
人に笑われることが嫌だという詩は陶淵明の詩にもある。
陶淵明『擬古九首其六』
・・・・・
裝束既有日、 已與家人辭。
行行停出門、 還坐更自思。
不怨道裏長、 但畏人我欺。
萬一不合意、 永為世笑嗤。
伊懷難具道、 為君作此詩。









