杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

2012年11月

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”成都紀行(1)” 發同穀縣 杜甫詩1000 <340>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1616 杜甫1500- 503

詩 題:”成都紀行(1)” 發同穀縣 作時759年11月
掲 載; 杜甫1000の340首目-#2
杜甫ブログ1500-503回目

華州から秦州へ、秦州に居る時、同谷を旅立つまではほとんどが律詩で、題材は身近なことをのべている。これは隠遁する場所を見つけるための支援、応援、情報収集のために作ったものである。したがって今度の成都紀行では詩の趣きが全く異なるものとなっている。(だから、杜甫の詩集本では割愛されることが多い。漢文委員会はすべて紹介掲載する。)



發同穀縣 #1
賢有不黔突,聖有不暖席。
賢人の墨子は「常に世のために奔走しかまどが煤で黒くなる暇のなかった」と人でもあり、聖人の孔子は「坐席に長く末あることなく、世のために東西に奔走した人」でもある。
況我饑愚人,焉能尚安宅?
ましてわたしは、稼ぎがなく飢えていてかつ儒家でありながらいまだに愚者なものであるから、どうして落ちついた居場所などにやすらいでいることが出来るのであろうか。
始來茲山中,休駕喜地僻。
始めてここの山中に来たときは、車や馬を休めて土地の辺都であることを喜んだのだ。
奈何迫物累,一歲四行役!
どういうわけか戦の憂いや、物ごとの心配事が積み重なってしまうのだ、そのため今年一年で四回も旅をしてしまうことになってしまった。
忡忡去絕境,杳杳更遠適。
私はここにいても戦の恐怖からいろんな心配事が集まって來るのでこの国境のかけ離れた土地を去って、はるばる遠い所、さらに戦の心配のないところに行きたいのである。
#2
停驂龍潭雲,回首虎崖石。
一行の馬を停めてしばらく龍潭の雲を眺め、虎崖の石場を振り返って眺めるのである。
臨岐別數子,握手淚再滴。
分かれ道にあたって、数人の人々と別れの言葉を告げるのである。そして手を握りあうと、涙をふたたび流すのである。
交情無舊深,窮老多慘戚。
昔からの付き合いの人ではあったが此処ではほとんどまじわりがなかったとはいえ、この老い先短い身には、悲しさに堪えられないのだ。
平生懶拙意,偶值棲遁跡。
平生の渡りにずぼらで下手な私である、そういうことではここはいい隠棲の地であったのだが、ここはとどまるにおよばないとおもうのだ。
去住與願違,仰慚林間翮。
行くか戻るかといっても、留まる気持ちはないが友人と別れがたい気持ちには違いはないのである。仰いで林間に、住む所を得て楽しく嘲っている鳥に対しては、わたしはほんとにはずかしく思うのである。


『發同谷縣』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
停驂龍潭雲,回首虎崖石。臨岐別數子,握手淚再滴。
交情無舊深,窮老多慘戚。平生懶拙意,偶值棲遁跡。
去住與願違,仰慚林間翮。


(下し文) #2
驂を停む 龍潭の雲,首を回らす虎崖の石。
岐に臨んで數子と別る,手を握りて淚再び滴る。
交情 舊深無きも,窮老慘戚多し。
平生 懶拙の意,偶ま棲遁の跡に值いしに。
去住 願と違う,仰いで林間の翮に慚づ。


(現代語訳)
一行の馬を停めてしばらく龍潭の雲を眺め、虎崖の石場を振り返って眺めるのである。
分かれ道にあたって、数人の人々と別れの言葉を告げるのである。そして手を握りあうと、涙をふたたび流すのである。
昔からの付き合いの人ではあったが此処ではほとんどまじわりがなかったとはいえ、この老い先短い身には、悲しさに堪えられないのだ。
平生の渡りにずぼらで下手な私である、そういうことではここはいい隠棲の地であったのだが、ここはとどまるにおよばないとおもうのだ。
行くか戻るかといっても、留まる気持ちはないが友人と別れがたい気持ちには違いはないのである。仰いで林間に、住む所を得て楽しく嘲っている鳥に対しては、わたしはほんとにはずかしく思うのである。


(訳注) #2
停驂龍潭雲,回首虎崖石。

一行の馬を停めてしばらく龍潭の雲を眺め、虎崖の石場を振り返って眺めるのである。
・停驂 驂はそえ馬をいう。ここは一行の馬を停めること。
・龍潭 龍がすむという万丈潭。
・虎崖 やはり同谷の附近にあるのだろう。


臨岐別數子,握手淚再滴。
分かれ道にあたって、数人の人々と別れの言葉を告げるのである。そして手を握りあうと、涙をふたたび流すのである。
・臨岐 分かれみちにのぞんで。
・数子 数人の人々。


交情無舊深,窮老多慘戚。
昔からの付き合いの人ではあったが此処ではほとんどまじわりがなかったとはいえ、この老い先短い身には、悲しさに堪えられないのだ。
・無舊深 昔深い付き合いをしたがそのようなことはここではなかったというほどの意味。


平生懶拙意,偶值棲遁跡。
平生の渡りにずぼらで下手な私である、そういうことではここはいい隠棲の地であったのだが、ここはとどまるにおよばないとおもうのだ。
・懶拙意 世渡りにかけて物憂く、へたくそである。秦州でもこの言葉を発している。戦の恐怖をひととの付き合いも飲んだ意にしていると思う。


去住與願違,仰慚林間翮。
行くか戻るかといっても、留まる気持ちはないが友人と別れがたい気持ちには違いはないのである。仰いで林間に、住む所を得て楽しく嘲っている鳥に対しては、わたしはほんとにはずかしく思うのである。
去住 行くか戻るか、留まる気持ちはないが、友人と別れがたい気持ちの表現である。


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”成都紀行(1)” 發同穀縣 杜甫詩1000 <340>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1613 杜甫1500- 502

詩 題:”成都紀行(1)” 發同穀縣 作時759年12月
乾元二年十二月一日,自隴右赴成都紀行。
掲 載; 杜甫1000の340首目-#1
杜甫ブログ1500-502回目



發同穀縣 #1
賢有不黔突,聖有不暖席。
賢人の墨子は「常に世のために奔走しかまどが煤で黒くなる暇のなかった」と人でもあり、聖人の孔子は「坐席に長く末あることなく、世のために東西に奔走した人」でもある。
況我饑愚人,焉能尚安宅?
ましてわたしは、稼ぎがなく飢えていてかつ儒家でありながらいまだに愚者なものであるから、どうして落ちついた居場所などにやすらいでいることが出来るのであろうか。
始來茲山中,休駕喜地僻。
始めてここの山中に来たときは、車や馬を休めて土地の辺都であることを喜んだのだ。
奈何迫物累,一歲四行役!
どういうわけか戦の憂いや、物ごとの心配事が積み重なってしまうのだ、そのため今年一年で四回も旅をしてしまうことになってしまった。
忡忡去絕境,杳杳更遠適。
私はここにいても戦の恐怖からいろんな心配事が集まって來るのでこの国境のかけ離れた土地を去って、はるばる遠い所、さらに戦の心配のないところに行きたいのである。
#2
停驂龍潭雲,回首虎崖石。臨岐別數子,握手淚再滴。
交情無舊深,窮老多慘戚。平生懶拙意,偶值棲遁跡。
去住與願違,仰慚林間翮。


發同谷縣   同谷縣發す
(原注) 乾元二年十二月一日、隴右ヨリ成都二赴ク紀行。
 作者はかくて同谷にも落ちつくことができず、ちかし遂にまた乾元二年十二月一日、同谷を出発して、成都に向かった。前に秦州から同谷に赴くときと同じく、このたびもこの詩を始め以下、木皮嶺・白沙渡・水会渡・飛仙閣・五盤・龍門閣・石櫃閣・桔柏渡・剣門・鹿頭山、そして成都府の十一篇、合わせて十二篇の紀行詩をのこした。

華州から秦州へ、秦州に居る時、同谷を旅立つまではほとんどが律詩で、題材は身近なことをのべている。これは隠遁する場所を見つけるための支援、応援、情報収集のために作ったものである。したがって今度の成都紀行では詩の趣きが全く異なるものとなっている。(だから、杜甫の詩集本では割愛されることが多い。漢文委員会はすべて紹介掲載する。)


『發同谷縣』 現代語訳と訳註
(本文)

發同穀縣 #1
賢有不黔突,聖有不暖席。況我饑愚人,焉能尚安宅?
始來茲山中,休駕喜地僻。奈何迫物累,一歲四行役!
忡忡去絕境,杳杳更遠適。


(下し文)同穀縣を發す #1
賢にも突を黔くせざる有り,聖にも席を暖くせざる有り。
況んや我 饑愚の人をや,焉んぞ能く尚お、宅に安んぜむ?
始め茲の山中に來り,駕を休めて地の僻を喜べり。
奈何んぞ物累に迫られて,一歲に四たび行役するや!
忡忡として絕境を去り,杳杳として更に遠く適く。


(現代語訳)
賢人の墨子は「常に世のために奔走しかまどが煤で黒くなる暇のなかった」と人でもあり、聖人の孔子は「坐席に長く末あることなく、世のために東西に奔走した人」でもある。
ましてわたしは、稼ぎがなく飢えていてかつ儒家でありながらいまだに愚者なものであるから、どうして落ちついた居場所などにやすらいでいることが出来るのであろうか。
始めてここの山中に来たときは、車や馬を休めて土地の辺都であることを喜んだのだ。
どういうわけか戦の憂いや、物ごとの心配事が積み重なってしまうのだ、そのため今年一年で四回も旅をしてしまうことになってしまった。
私はここにいても戦の恐怖からいろんな心配事が集まって來るのでこの国境のかけ離れた土地を去って、はるばる遠い所、さらに戦の心配のないところに行きたいのである。


(訳注)
發同穀縣 #1

同谷県を出発する。
・原注隴右、秦州も同谷もみな隴右道の地であり、青海以西新疆も含まれていたので隴右道東部といわれていた。同谷は、隴右道・剣南道・山南西道の境界の集まったあたりである。この詩は蜀(四川)の成都に赴く紀行である。

秦州同谷0002k52

賢有不黔突,聖有不暖席。
賢人の墨子は「常に世のために奔走しかまどが煤で黒くなる暇のなかった」と人でもあり、聖人の孔子は「坐席に長く末あることなく、世のために東西に奔走した人」でもある。
・賢有不黔突 昔、賢人は、いつも東酉に奔走して世を救おうおうとしていたのべ同じかまどを、黒くなるまで焚くことがなかった。
聖有不暖席 聖人は同じ席に長く坐ることもなく、常に世のために奔走した。
『淮南子、第十九卷、脩務訓篇』「孔子無黔突,墨子無煖席。」「孔子ハ突ヲ黔ニセズ、墨子ハ席ヲ暖タムル無シ」とある。この詩では孔子と墨子の表現が淮南子とあべこべになっているので、淮南子に言うのと違う言い回しをしても、世のため奔走することには変わりないということが言いたいのである。


況我饑愚人,焉能尚安宅?
ましてわたしは、稼ぎがなく飢えていてかつ儒家でありながらいまだに愚者なものであるから、どうして落ちついた居場所などにやすらいでいることが出来るのであろうか。
・安宅 安居の意。落ちついた居場所。


始來茲山中,休駕喜地僻。
始めてここの山中に来たときは、車や馬を休めて土地の辺都であることを喜んだのだ。


奈何迫物累,一歲四行役!
どういうわけか戦の憂いや、物ごとの心配事が積み重なってしまうのだ、そのため今年一年で四回も旅をしてしまうことになってしまった。
物累 物はものごと。事情。累は累積。戦争に対するトラウマ、それに土地取得のむつかしさ、その上の衣食や妻子のわずらいのことと累積されていったことを云う。。
四行役 杜甫は今の年759年、華州、鞏州、洛陽から華州ヘ帰える三吏三別の旅、華州から秦州へ秦州紀行秦州抒情詩の旅、、秦州から同谷へ同谷紀行の旅、そして今また同谷から成都に行こうとする成都紀行の旅の「四旅行」である。


忡忡去絕境,杳杳更遠適。
私はここにいても戦の恐怖からいろんな心配事が集まって來るのでこの国境のかけ離れた土地を去って、はるばる遠い所、さらに戦の心配のないところに行きたいのである。
忡忡 心を痛める憂思の形容。杜甫は安禄山軍に掴まった苦い経験がありそれがトラウマになっている。男子たる者戦が怖いとは言えないが戦の匂いが感じられると即行動を起こして逃げている。ここでも戦という憂い概中心に遭ってそこに諸処雑多の愁いが集まって心を痛めるのである。
絶境`かけはなれたところ。同谷をさす。この地は吐蕃が攻めてくるという恐怖があった。
杳杳 はるばる。


“同谷” 萬丈潭 杜甫1000<339>#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1610 杜甫詩1500- 501

 
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“同谷” 萬丈潭 杜甫1000<339>#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1610 杜甫詩1500- 501 


詩 題:“同谷” 萬丈潭 :759年11月作
掲 載; 杜甫1000の339首目-#3
杜甫ブログ1500-501回目


萬丈潭 #1
(水面に沿って万丈くらい空に上れば進めば鳳凰山に通じる潭。)
青溪合冥寞,神物有顯晦。龍依積水蟠,窟壓萬丈內。
谷に緑を残し、青渓の水は冥漠なる大空と一体になっている。ここには神物が住み、現れたり隠れたりしている。
自分はそこへ達するために時には這いずりながら歩いてそして岸の崖をのぼるのである。

跼步淩垠堮,側身下煙靄。前臨洪濤寬,却立蒼石大。
また身体を片方へよせながら煙靄の間を下方へと下っていくのである。
今度は潭の水べりの前へ進み出てみる、大波が広くおおきく動いている、復た一足下がってみると巨大な蒼色の石壁を背負って立っているのである。
#2
山危一徑盡,岸絕兩壁對。削成根虛無,倒影垂澹濧。
ここにては危険な山の一本道が尽きるまで続き、左右両方の岸壁がそそり対立している。
その削り形成された崖壁は根の部分が削られてないように見える、そしてその逆さまにうつる影は清くたたえた水面に落ちこんでいる。

黑知灣寰底,清見光炯碎。孤雲到來深,飛鳥不在外。
水の色の違いでどす黒いのを見ることで各方向から流れこんで水があつめられた底であろうことがわかる、そして、清らかな水面はきらきらした光が砕けているのである。
一片の雲はこの水面に浮かび来てそのみずの深い所に浮んでいる、雲がこんなに深い所にいるから飛んでいる鳥はここから外へ出ることはできないのだ。
高蘿成帷幄,寒木壘旌旆。
姫葛がちょうどいいように初夏の幔幕を張りつめたようにしているし、冬枯れの木は旗と旗竿を積み重ね連ねているのである。
#3
遠川曲通流,嵌竇潛泄瀨。
この流れは遠方につづき、川も曲がりながら流れを通わしており、川に穴があり、そこをくぐって水が噴き出し、早瀬をもたらしている。
造幽無人境,發興自我輩。
この誰もいないこの空間は静かな淋しい風景を作り出している、私はこの幽静な場所をまえにして私にしかわからないであろう風流な興をおこすのである。
告歸遺恨多,將老斯遊最。
ここを立ち帰えろうとするにあたっては残り惜しさがいっぱいであり、まさに老年にさしかかっているものにとってはこんなおもしろい遊びはほかにない最もたのしいものであるのだ。
閉藏脩鱗蟄,出入巨石礙。
いまここに冬眠しているのは長身のウロコを光らせた龍がこもっているのだ。ただ出入往来するには巨大なる岸壁によってさまたげられてているようだ。
何當暑天過,快意風雲會。

いつか夏にあたってここへたずねてきて、竜が風雲をまき起こすのにであうはずで、きっとこころもち愉快になることであろう。

青渓 冥寞【めいばく】を含む、神物 顕晦【けんかい】有り
竜は積水に依りて蟠【わだかま】る、窟は圧せらる万丈の内。
跼歩【きょくほ】垠堮【ぎんがく】を凌ぎ、身を側てて煙靄【えんあい】より下る。
前みて洪濤【こうとう】の寛なるに臨む、却立すれば蒼石【そうせき】大なり
#2
山危くして一径尽き、岸絶えて両壁対す。
削成【さくせい】虚無に根す、倒影【とうえい】澹濧【たんたい】たるに垂る。
黒は知る湾寰【わんかん】たる底、清は見る光炯【こうけい】碎【くだ】くるを。
孤雲 到来深し、飛鳥外に在らず。
高羅【こうら】帷幄【いあく】を成す、寒木【かんぼく】旌旆【せいはい】を畳【じょう】す。
遠く川曲りて流れを通じ、嵌竇【かんとう】潜【ひそ】みて瀬【らい】を洩らす。
#3
幽に造る無人の境、興を発するは我が輩よりす。
帰を告ぐるは遺恨多し、将に老いんとして斯の遊最なり。
閉蔵【へいぞう】は鱗蟄【りんちつ】を脩【しゅう】し、出入は巨石に礙【ささ】えらる。
何【いつ】か当【まさ】に炎天に過【よ】ぎりて、快意風雲に会すべき。



『萬丈潭』 現代語訳と訳註
(本文) #3

遠川曲通流,嵌竇潛泄瀨。造幽無人境,發興自我輩。
告歸遺恨多,將老斯遊最。閉藏脩鱗蟄,出入巨石礙。
何當暑天過,快意風雲會。


(下し文) #3
遠く川曲りて流れを通じ、嵌竇【かんとう】潜【ひそ】みて瀬【らい】を洩らす。
幽に造る無人の境、興を発するは我が輩よりす。
帰を告ぐるは遺恨多し、将に老いんとして斯の遊最なり。
閉蔵【へいぞう】は鱗蟄【りんちつ】を脩【しゅう】し、出入は巨石に礙【ささ】えらる。
何【いつ】か当【まさ】に炎天に過【よ】ぎりて、快意風雲に会すべき。


(現代語訳)
この流れは遠方につづき、川も曲がりながら流れを通わしており、川に穴があり、そこをくぐって水が噴き出し、早瀬をもたらしている。
この誰もいないこの空間は静かな淋しい風景を作り出している、私はこの幽静な場所をまえにして私にしかわからないであろう風流な興をおこすのである。
ここを立ち帰えろうとするにあたっては残り惜しさがいっぱいであり、まさに老年にさしかかっているものにとってはこんなおもしろい遊びはほかにない最もたのしいものであるのだ。
いまここに冬眠しているのは長身のウロコを光らせた龍がこもっているのだ。ただ出入往来するには巨大なる岸壁によってさまたげられてているようだ。
いつか夏にあたってここへたずねてきて、竜が風雲をまき起こすのにであうはずで、きっとこころもち愉快になることであろう。


(訳注) #3
遠川曲通流,嵌竇潛泄瀨。
この流れは遠方につづき、川も曲がりながら流れを通わしており、川に穴があり、そこをくぐって水が噴き出し、早瀬をもたらしている。
○蕨賓 あな。○潜 地下をもぐる。○泄瀨 はやせとなって流れる水をもらす。


造幽無人境,發興自我輩。
この誰もいないこの空間は静かな淋しい風景を作り出している、私はこの幽静な場所をまえにして私にしかわからないであろう風流な興をおこすのである。

造幽 静かな淋しい風景、この幽と無人境とは同一物である、無人の境である幽処に至ることをいう。

告歸遺恨多,將老斯遊最。
ここを立ち帰えろうとするにあたっては残り惜しさがいっぱいであり、まさに老年にさしかかっているものにとってはこんなおもしろい遊びはほかにない最もたのしいものであるのだ。
○最 最上のおもしろいあそび。


閉藏脩鱗蟄,出入巨石礙。
いまここに冬眠しているのは長身のウロコを光らせた龍がこもっているのだ。ただ出入往来するには巨大なる岸壁によってさまたげられてているようだ。
閉蔵 とじこもる。冬眠という意味。
鱗蟄 長身のうろこのある生物、竜をさす。
○出入 自己がここへ往来すること
巨石 上の蒼石大の蒼石のことであろう。


何當暑天過,快意風雲會。
いつか夏にあたってここへたずねてきて、竜が風雲をまき起こすのにであうはずで、きっとこころもち愉快になることであろう。
○何当 何は何時に同じ。○暑 夏時をいう。
風雲 竜が住む岩場の中から雲が湧き出て、風と一緒になる様子は竜が巻き起こすということになる。

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『菩薩蠻 一』温庭筠   花間集

 
 
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“同谷” 萬丈潭 杜甫1000<339>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1607 杜甫詩1500- 500 

詩 題:“同谷” 萬丈潭  759年11月作
掲 載; 杜甫1000の339首目-#2
杜甫ブログ1500-500回目


萬丈潭 #1
(水面に沿って万丈くらい空に上れば進めば鳳凰山に通じる潭。)
青溪合冥寞,神物有顯晦。龍依積水蟠,窟壓萬丈內。
谷に緑を残し、青渓の水は冥漠なる大空と一体になっている。ここには神物が住み、現れたり隠れたりしている。龍は潭の水が深く静かに色を重ねている水の中での隠れている時である、すなわち竜はこのたんとつもっている水に依ってとぐろをまいているのである。
跼步淩垠堮,側身下煙靄。前臨洪濤寬,却立蒼石大。
自分はそこへ達するために時には這いずりながら歩いてそして岸の崖をのぼるのである。また身体を片方へよせながら煙靄の間を下方へと下っていくのである。
今度は潭の水べりの前へ進み出てみる、大波が広くおおきく動いている、復た一足下がってみると巨大な蒼色の石壁を背負って立っているのである。
#2
山危一徑盡,岸絕兩壁對。
ここにては危険な山の一本道が尽きるまで続き、左右両方の岸壁がそそり対立している。
削成根虛無,倒影垂澹濧。
その削り形成された崖壁は根の部分が削られてないように見える、そしてその逆さまにうつる影は清くたたえた水面に落ちこんでいる。
黑知灣寰底,清見光炯碎。
水の色の違いでどす黒いのを見ることで各方向から流れこんで水があつめられた底であろうことがわかる、そして、清らかな水面はきらきらした光が砕けているのである。
孤雲到來深,飛鳥不在外。
一片の雲はこの水面に浮かび来てそのみずの深い所に浮んでいる、雲がこんなに深い所にいるから飛んでいる鳥はここから外へ出ることはできないのだ。
高蘿成帷幄,寒木壘旌旆。

姫葛がちょうどいいように初夏の幔幕を張りつめたようにしているし、冬枯れの木は旗と旗竿を積み重ね連ねているのである。
#3
遠川曲通流,嵌竇潛泄瀨。造幽無人境,發興自我輩。
告歸遺恨多,將老斯遊最。閉藏脩鱗蟄,出入巨石礙。
何當暑天過,快意風雲會。

萬丈潭

青渓 冥寞【めいばく】を含む、神物 顕晦【けんかい】有り
竜は積水に依りて蟠【わだかま】る、窟は圧せらる万丈の内。
跼歩【きょくほ】垠堮【ぎんがく】を凌ぎ、身を側てて煙靄【えんあい】より下る。
前みて洪濤【こうとう】の寛なるに臨む、却立すれば蒼石【そうせき】大なり
#2
山危くして一径尽き、岸絶えて両壁対す。
削成【さくせい】虚無に根す、倒影【とうえい】澹濧【たんたい】たるに垂る。
黒は知る湾寰【わんかん】たる底、清は見る光炯【こうけい】碎【くだ】くるを。
孤雲 到来深し、飛鳥外に在らず。
高羅【こうら】帷幄【いあく】を成す、寒木【かんぼく】旌旆【せいはい】を畳【じょう】す。

#3
遠く川曲りて流れを通じ、嵌竇【かんとう】潜【ひそ】みて瀬【らい】を洩らす。
幽に造る無人の境、興を発するは我が輩よりす。
帰を告ぐるは遺恨多し、将に老いんとして斯の遊最なり。
閉蔵【へいぞう】は鱗蟄【りんちつ】を脩【しゅう】し、出入は巨石に礙【ささ】えらる。
何【いつ】か当【まさ】に炎天に過【よ】ぎりて、快意風雲に会すべき。



同谷紀行『萬丈潭 作』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
山危一徑盡,岸絕兩壁對。削成根虛無,倒影垂澹濧。
黑知灣寰底,清見光炯碎。孤雲到來深,飛鳥不在外。
高蘿成帷幄,寒木壘旌旆。


(下し文)#2
山危くして一径尽き、岸絶えて両壁対す。
削成【さくせい】虚無に根す、倒影【とうえい】澹濧【たんたい】たるに垂る。
黒は知る湾寰【わんかん】たる底、清は見る光炯【こうけい】碎【くだ】くるを。
孤雲 到来深し、飛鳥外に在らず。
高羅【こうら】帷幄【いあく】を成す、寒木【かんぼく】旌旆【せいはい】を畳【じょう】す。


(現代語訳)
ここにては危険な山の一本道が尽きるまで続き、左右両方の岸壁がそそり対立している。
その削り形成された崖壁は根の部分が削られてないように見える、そしてその逆さまにうつる影は清くたたえた水面に落ちこんでいる。
水の色の違いでどす黒いのを見ることで各方向から流れこんで水があつめられた底であろうことがわかる、そして、清らかな水面はきらきらした光が砕けているのである。
一片の雲はこの水面に浮かび来てそのみずの深い所に浮んでいる、雲がこんなに深い所にいるから飛んでいる鳥はここから外へ出ることはできないのだ。
姫葛がちょうどいいように初夏の幔幕を張りつめたようにしているし、冬枯れの木は旗と旗竿を積み重ね連ねているのである。


(訳注) #2
山危一徑盡,岸絕兩壁對。
ここにては危険な山の一本道が尽きるまで続き、左右両方の岸壁がそそり対立している。
〇一径 この潭へかよう一本のこみち。
○両壁對 潭まで両側に対立したそそり立つ岸壁があるのであろう。低い壁ではこの表現はしない。


削成根虛無,倒影垂澹濧。
その削り形成された崖壁は根の部分が削られてないように見える、そしてその逆さまにうつる影は清くたたえた水面に落ちこんでいる。
○削成 水流が崖璧の根元を削り形成されたため絶壁となった様子をいう。
○根虚無 虚無は潭水が結構おおくながれだしているので水深があることをさす、根とは崖壁の根の部分が水深により切れてないように見える、深くつき入っていることをいう。
○倒影 壁のさかさまに水にうつるかげ。
○垂 水面に落ちていること。
○澹濧 清くたたえているさま。


黑知灣寰底,清見光炯碎。
水の色の違いでどす黒いのを見ることで各方向から流れこんで水があつめられた底であろうことがわかる、そして、清らかな水面はきらきらした光が砕けているのである
○黑 深水のくろずんでいる色。
○灣寰 水のまがり、あっまってながれるさま。
○清 水のすんでいること。
○光炯 ひかりかがやくこと。


孤雲到來深,飛鳥不在外。
一片の雲はこの水面に浮かび来てそのみずの深い所に浮んでいる、雲がこんなに深い所にいるから飛んでいる鳥はここから外へ出ることはできないのだ。
○孤雲 一片のくも。
○到来深 到来とはこの潭の水面上へ来ること、深とは空が高いのか、水深が深いのかを連想させ、この深いという語をつけたためにこの句ががぜんよい句になっている。そして下の句と対語を生かすのである。。
○不在外 壁が高いので飛ぶ鳥もその以内にあるということ。


高蘿成帷幄,寒木壘旌旆。
姫葛がちょうどいいように初夏の幔幕を張りつめたようにしているし、冬枯れの木は旗と旗竿を積み重ね連ねているのである。
帷幄 帷はよこにはる幔幕、幄はうえにはるまく、ともに春の行楽は横に春巻くだけで、初夏以降は天上にも日よけの幕を張るので季節は初夏ということ。
 たたみあげること。積み上げること。
旌旆 はたと旗竿。

“同谷” 萬丈潭 杜甫1000<339>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1604 杜甫詩1500- 499

 
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“同谷” 萬丈潭 杜甫1000<339>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1604 杜甫詩1500- 499


詩 題:“同谷” 萬丈潭 作759年11月
掲 載; 杜甫1000の339首目-#1
杜甫ブログ1500-499回目
鈴木虎雄の註には「同谷県にある万丈潭にあそんで竜のことに感じて作る。竜は暗に自己を此したものである。* 〔原注〕 同谷縣作。(同谷県の作)」としている。
乾元2年11月759年 48歳
漆山又四郎注釈杜詩には以下のように述べられている。
「◎杜群.萬丈潭を過ぎてその臠ハの幽峡異常なるを見て此詩を賦せり。萬丈潭は一名鳳凰潭といい、同谷縣に在り。是、乾元二年、.秦より同谷に行きし時のなるべし。」

 よほど印象に残った場所だったのだろう「七首、其六」にも次のように詠っている。
乾元中寓居同谷県作歌七首 其六
南有龍兮在山湫,古木巃嵷枝相樛。
木葉黃落龍正蟄,蝮蛇東來水上游。
我行怪此安敢出,拔劍欲斬且複休。』
嗚呼六歌兮歌思遲,溪壑為我回春姿。』

(乾元中同谷県に寓居し歌を作る 七首其の六)
南に竜有り 山湫に在り、古木 巃嵷 枝 相膠す。
木葉 黄落し 竜正に蟄す、蝮蛇 東来し 水上に沸す。
我行いて此を怪しむ安んぞ敢て出でん、剣を抜き斬らんと欲して且つ復た休す。』
鳴呼 六歌す 歌思遅し、渓壑 我が為めに春姿を廻えさん。』
 

駅亭の池01

萬丈潭 #1
(水面に沿って万丈くらい空に上れば進めば鳳凰山に通じる潭。)
青溪合冥寞,神物有顯晦。
谷に緑を残し、青渓の水は冥漠なる大空と一体になっている。ここには神物が住み、現れたり隠れたりしている。
龍依積水蟠,窟壓萬丈內。
龍は潭の水が深く静かに色を重ねている水の中での隠れている時である、すなわち竜はこのたんとつもっている水に依ってとぐろをまいているのである。その住む巌谷は万丈の石壁の内に圧せられて奥底にある
跼步淩垠堮,側身下煙靄。
自分はそこへ達するために時には這いずりながら歩いてそして岸の崖をのぼるのである。また身体を片方へよせながら煙靄の間を下方へと下っていくのである。
前臨洪濤寬,却立蒼石大。

今度は潭の水べりの前へ進み出てみる、大波が広くおおきく動いている、復た一足下がってみると巨大な蒼色の石壁を背負って立っているのである。
#2
山危一徑盡,岸絕兩壁對。削成根虛無,倒影垂澹濧。
黑知灣寰底,清見光炯碎。孤雲到來深,飛鳥不在外。
高蘿成帷幄,寒木壘旌旆。
#3
遠川曲通流,嵌竇潛泄瀨。造幽無人境,發興自我輩。
告歸遺恨多,將老斯遊最。閉藏脩鱗蟄,出入巨石礙。
何當暑天過,快意風雲會。

青渓 冥寞【めいばく】を含む、神物 顕晦【けんかい】有り
竜は積水に依りて蟠【わだかま】る、窟は圧せらる万丈の内。
跼歩【きょくほ】垠堮【ぎんがく】を凌ぎ、身を側てて煙靄【えんあい】より下る。
前みて洪濤【こうとう】の寛なるに臨む、却立すれば蒼石【そうせき】大なり
#2
山危くして一径尽き、岸絶えて両壁対す。
削成【さくせい】虚無に根す、倒影【とうえい】澹濧【たんたい】たるに垂る。
黒は知る湾寰【わんかん】たる底、清は見る光炯【こうけい】碎【くだ】くるを。
孤雲 到来深し、飛鳥外に在らず。
高羅【こうら】帷幄【いあく】を成す、寒木【かんぼく】旌旆【せいはい】を畳【じょう】す。
#3
遠く川曲りて流れを通じ、嵌竇【かんとう】潜【ひそ】みて瀬【らい】を洩らす。
幽に造る無人の境、興を発するは我が輩よりす。
帰を告ぐるは遺恨多し、将に老いんとして斯の遊最なり。
閉蔵【へいぞう】は鱗蟄【りんちつ】を脩【しゅう】し、出入は巨石に礙【ささ】えらる。
何【いつ】か当【まさ】に炎天に過【よ】ぎりて、快意風雲に会すべき。。


『萬丈潭』 現代語訳と訳註
(本文)
#1
青溪合冥寞,神物有顯晦。龍依積水蟠,窟壓萬丈內。
跼步淩垠堮,側身下煙靄。前臨洪濤寬,却立蒼石大。


(下し文)
青渓 冥寞【めいばく】を含む、神物 顕晦【けんかい】有り
竜は積水に依りて蟠【わだかま】る、窟は圧せらる万丈の内。
跼歩【きょくほ】垠堮【ぎんがく】を凌ぎ、身を側てて煙靄【えんあい】より下る。
前みて洪濤【こうとう】の寛なるに臨む、却立すれば蒼石【そうせき】大なり


(現代語訳)
(水面に沿って万丈くらい空に上れば進めば鳳凰山に通じる潭。)
谷に緑を残し、青渓の水は冥漠なる大空と一体になっている。ここには神物が住み、現れたり隠れたりしている。
龍は潭の水が深く静かに色を重ねている水の中での隠れている時である、すなわち竜はこのたんとつもっている水に依ってとぐろをまいているのである。その住む巌谷は万丈の石壁の内に圧せられて奥底にある
自分はそこへ達するために時には這いずりながら歩いてそして岸の崖をのぼるのである。また身体を片方へよせながら煙靄の間を下方へと下っていくのである。
今度は潭の水べりの前へ進み出てみる、大波が広くおおきく動いている、復た一足下がってみると巨大な蒼色の石壁を背負って立っているのである。


(訳注)
萬丈潭

水面に沿って万丈くらい空に上れば進めば鳳凰山に通じる潭。
万丈潭 同谷県の東南七里(約4km)にある。鳳凰山の谷あいにあったものと思う。それから思うと杜甫が同谷を出発して成都に向かう途中での作と思われるが、成都紀行と補註はない。


青溪合冥寞,神物有顯晦。
谷に緑を残し、青渓の水は冥漠なる大空と一体になっている。ここには神物が住み、現れたり隠れたりしている。
○青渓含冥実 潭の水面が周辺渓谷の色と空が一体化している様子を云う。青渓はここの景色が春をおもわせる様な岩場であり、青色の水をたたえた渓、潭は渓の或る部分に在るのであろう、冥寞は冥漠に同じであろう、天をいうものと思われる、含とはそれを容れることをいう、この青色の渓水は上に天をひたしいれておるということである、
遊龍門奉先寺
己従招提遊、更宿招提境。
陰壑生虚籟、月林散清影。
天闕象緯逼、雲臥衣裳冷。
欲覚間島鐘、令人畿深省。
杜甫 2 遊龍門奉先寺


秦州雑詩二十首 其十一
蕭蕭古塞冷,漠漠秋雲低。
黃鵠翅垂雨,蒼鷹饑啄泥。
薊門誰自北,漢將獨徵西。
不意書生耳,臨衰厭鼓鼙。
秦州雜詩二十首 其十一 杜甫 第3部 <264> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1241 杜甫詩 700- 378


秦州雑詩二十首 其十二
山頭南郭寺、水号北流泉。
老樹空庭得、清渠一邑伝。
秋花危石底、晩景臥鐘辺。
俛仰悲身世、渓風為颯然。
秦州雜詩二十首 其十二 杜甫 第3部 <265> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1244 杜甫詩 700- 379このように杜甫は秦州雑詩でもこの「万丈潭」と同じ心境で詠っているのである。
○神物 不思議なもの、竜をいう。
○顕晦 あらわれるとかくれると。


龍依積水蟠,窟壓萬丈內。
龍は潭の水が深く静かに色を重ねている水の中での隠れている時である、すなわち竜はこのたんとつもっている水に依ってとぐろをまいているのである。その住む巌谷は万丈の石壁の内に圧せられて奥底にある
○積水 潭にある水がグラデーションを重ねている様子を云う。積もっている水。○窟 いわやは雲を発生するところであり、雲を吐くのはりゅうであるので竜の住む穴ということ。○万丈 崖壁の色と水面と空の色が同化しており、果てしない高さの山を云う、ここでは鳳凰山のこと。。

“同谷紀行(12)” 鳳凰台 杜甫 1000<331>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1571 杜甫詩 1500- 488


跼步淩垠堮,側身下煙靄。
自分はそこへ達するために時には這いずりながら歩いてそして岸の崖をのぼるのである。また身体を片方へよせながら煙靄の間を下方へと下っていくのである。
○跼歩 這いずりながらあゆむ。
淩垠堮 垠堮は水のそばの岸壁、凌とはそれをのぼること。○側身 身をかたえによせかける。
○下煙靄 高い峠に上って今度は下に降りてゆく様子を云う。


前臨洪濤寬,却立蒼石大。
今度は潭の水べりの前へ進み出てみる、大波が広くおおきく動いている、復た一足下がってみると巨大な蒼色の石壁を背負って立っているのである。
 前進。○洪濤寬 潭面のさま。
○却立一歩しりぞいて立つ。
○蒼石 岸壁をさす、これは壁の実質によっていう。



“同谷” 乾元中寓居同谷県作歌七首 其七 杜甫1000<338> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1598 杜甫詩1500- 497

 
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 上代・後漢・三国・晉南北朝・隋初唐・盛唐・中唐・晩唐北宋の詩人  
 
“同谷” 乾元中寓居同谷県作歌七首 其七 杜甫1000<338># 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1598 杜甫詩1500- 497 


詩 題:“同谷” 乾元中寓居同谷県作歌七首 其七 作759年11月
掲 載; 杜甫1000の338首目
杜甫ブログ1500-497回目


(7)七言句の七番目の詩である。昔はどうであれこれからの人生に立ち向かって行こうというものである。同谷「数え歌」の終。
乾元中寓居同谷県作歌七首 其七

男兒生不成名身已老,三年饑走荒山道。
わたしは男児に生まれてこのかた、功名を成しとげるということができてはいない。その内年をとってしまって、三年の間、あれはてた山中の道を飢餓に駆られて走っているようなありさまだ。
長安卿相多少年,富貴應須致身早。
長安で知り合った卿相たちは多くは若い時からの付き合いではあるが、かれらはまだ若いのである。してみれば老いてはだめなので、早くその身をなんとしてでも富貴の地位に致さないといけないというものなのだ。
山中儒生舊相識,但話宿昔傷懷抱。』
この山中にいるとはいえ、儒生たるわたしはふるくから彼ら富貴の人人とは知り合いなのだが、この隔たりはどうだ。だからこうして昔話をしたりすれば自分は胸のうちがかなしくなってくるのである。』
嗚呼七歌兮悄終曲。仰視皇天白日速。』

ああ ここまで詠った七言のこれは第七の歌である。これで心のひきたたぬままに曲を終るのである。そうであれば、太陽がどんどん早くはしりゆく大空を眺め、これからの人生に向かって行こうではないか。』 
男児 生まれて名を成さず 身己に老い、三年 飢走【きそう】す 荒山の道。
長安の卿相【けいそう】少年多し、富貴には応に須らく身を致すこと早かるべし。
山中の儒生 旧相識【きゅうそうしき】、但だ宿昔【しゅくせき】を話【かた】りて懐抱【かいほう】を痛ましむ。』
鳴呼 七歌す 悄として曲を終う、仰いで皇天【こうてん】を視れば白日速【すみ】やかなり。』


現代語訳と訳註
(本文)

男兒生不成名身已老,三年饑走荒山道。
長安卿相多少年,富貴應須致身早。
山中儒生舊相識,但話宿昔傷懷抱。』
嗚呼七歌兮悄終曲。仰視皇天白日速。』


(下し文)
男児 生まれて名を成さず 身己に老い、三年 飢走【きそう】す 荒山の道。
長安の卿相【けいそう】少年多し、富貴には応に須らく身を致すこと早かるべし。
山中の儒生 旧相識【きゅうそうしき】、但だ宿昔【しゅくせき】を話【かた】りて懐抱【かいほう】を痛ましむ。』
鳴呼 七歌す 悄として曲を終う、仰いで皇天【こうてん】を視れば白日速【すみ】やかなり。』


(現代語訳)
わたしは男児に生まれてこのかた、功名を成しとげるということができてはいない。その内年をとってしまって、三年の間、あれはてた山中の道を飢餓に駆られて走っているようなありさまだ。
長安で知り合った卿相たちは多くは若い時からの付き合いではあるが、かれらはまだ若いのである。してみれば老いてはだめなので、早くその身をなんとしてでも富貴の地位に致さないといけないというものなのだ。
この山中にいるとはいえ、儒生たるわたしはふるくから彼ら富貴の人人とは知り合いなのだが、この隔たりはどうだ。だからこうして昔話をしたりすれば自分は胸のうちがかなしくなってくるのである。』
ああ ここまで詠った七言のこれは第七の歌である。これで心のひきたたぬままに曲を終るのである。そうであれば、太陽がどんどん早くはしりゆく大空を眺め、これからの人生に向かって行こうではないか。』 


(訳注)
男兒生不成名身已老,三年饑走荒山道。
わたしは男児に生まれてこのかた、功名を成しとげるということができてはいない。その内年をとってしまって、三年の間、あれはてた山中の道を飢餓に駆られて走っているようなありさまだ。
〇男兒生不成名  『文選卷第四十一 書上』にある李少卿(李陵)の『答蘇武書』
「苟怨陵以不死。然陵不死,罪也;子卿視陵,豈偸生之士,而惜死之人哉?寧有背君親,捐妻子,而反爲利者乎?然陵不死,有所爲也」とある。なお、この最後の方に「昔人有言:『雖忠不烈,視死如歸。』…男兒生以不成名,死則葬蠻夷中,誰復能屈身稽顙,還向北闕,使刀筆之吏,弄其文墨邪?願足下勿復望陵。嗟乎,子卿!夫復何言!相去萬里,人絶路殊,生爲別世之人,死爲異域之鬼,長與足下,生死辭矣!」と、生死、離別について述べている。胸に迫る名文である。 
〇三年 この間の代表作。
757:羌村三首 北征  行次昭陵  彭衙行  喜聞官軍已臨賊境二十韻
758:題鄭牌亭子  望岳  早秋苦熱堆安相仍 九日藍田崔氏荘 崔氏東山草堂
759:三吏三別、遣興三首 佳人 夢李白二首 有懷台州鄭十八司鄭虔 遣興五首 遣興二首 遣興五首 秦州雜詩二十首 同谷紀行
まで足かけ三年。。
○荒山 あれはてた山。


長安卿相多少年,富貴應須致身早。
長安で知り合った卿相たちは多くは若い時からの付き合いではあるが、かれらはまだ若いのである。してみれば老いてはだめなので、早くその身をなんとしてでも富貴の地位に致さないといけないというものなのだ。
○卿相 卿や宰相。
○致身 敦とは富貴の地位へ身をもってゆくこと。


山中儒生舊相識,但話宿昔傷懷抱。』
この山中にいるとはいえ、儒生たるわたしはふるくから彼ら富貴の人人とは知り合いなのだが、この隔たりはどうだ。だからこうして昔話をしたりすれば自分は胸のうちがかなしくなってくるのである。』
山中儒生 作者自身のことであるが、同谷に来たのは、姪杜佐、孫許、阮隱居、寄張十二山人彪、兩當縣十侍禦などの山中の友(すべて同谷における杜甫の詩に登場する人である)が儒者であるということである。
旧相識 ふるくからのしりあい、これは杜甫が詩文を売文するためのコネクション、仕官活動した長安卿相とのあいだがらをいうが、これらについてもこのブログで掲載している。
○但講 話はだれかとはなしをすること、旧説によれば作者が儒生と話しをすることである。
○宿昔 むかしの事がら、昔話。
○懐抱 杜甫の胸中をいう。さま。


嗚呼七歌兮悄終曲。仰視皇天白日速。』
ああ ここまで詠った七言のこれは第七の歌である。これで心のひきたたぬままに曲を終るのである。そうであれば、太陽がどんどん早くはしりゆく大空を眺め、これからの人生に向かって行こうではないか。』 
○悄 しょんぼり、心のひきたたぬ。
○終曲 曲はこの七歌の曲。
○速 走ることのすみやかなこと、時間の早くすぎること。日が暮れるのが早い。この年の暮れるのが早い。人生が早い。



この詩にシリーズは「順番数値」をキーワードにして詠っている。いわば『杜甫の七つの数え歌』というところか。
(1)自分。客居貧苦のさまをいう。
乾元中寓居同谷縣作歌 七首 其一
有客有客字子美,白頭亂發垂過耳。
歲拾橡栗隨狙公,天寒日暮山谷裡。
中原無書歸不得,手腳凍皴皮肉死。』
嗚呼一歌兮歌已哀,悲風為我從天來。』

ここに『詩経』でいう旅人がいるその名前は子美という、男の頭は白く乱れた髪が垂れて耳よりもさがっている。
今年も年の暮になろうとするのに、山谷のうちで天候は凍えるように寒くもう日暮れにさしかかる、『荘子』にいう猿回しのあとにくっついて橡の実や栗をひらって歩くのだ。
中原の故郷たる方からは手紙もなく様子が知れないから帰ることもならず、手や脚は凍えしわだって皮膚も肉もひからびている。』
ああここに第一歌をうたう、この歌声は初からすでにあわれであり、悲しそうな風が吹いてきて自分のために天もそれに感ずるように天から吹き下ろして來る
。』


(2)二人称の歌。
乾元中寓居同谷県作歌七首 其二
長鑱長鑱白木柄,我生托子以為命。
黃獨無苗山雪盛,短衣數挽不掩脛。
此時與子空歸來,男呻女吟四壁靜。』
嗚呼二歌兮歌始放,閭裡為我色惆悵。』

長い鉄の頭のついた犂、長い柄の鉄の犂、きみには白木の柄がついている。われわれの生活はきみによって生命の親としているのだ。
土イモは山中の雪が盛んにつもっていてその苗もかれてみつからない、(その雪の中私と云えば)短い裾の衣を着ていくらひっぱっても脛をかくすことはできないのだ。
この時きみと収穫なしのから手でうちへもどってくる、家族の男の子呻き、女の子は吟じているようにおなかがすいているというががらんどうの部屋の四方の壁はひっそり立っている。』
ああ、これは二の歌だ、だからはじめて大声出してきままに歌うのだ、これをきいては近所の人たちも集まって収穫なしの自分のために恨み嘆く顔つきをしてくれる。』


(3)三人称弟をおもってつくる。
乾元中寓居同谷県作歌七首 其三
有弟有弟在遠方,三人各瘦何人強?
生別展轉不相見,胡塵暗天道路長。
東飛駕鵝後鶖鶬,安得送我置汝旁?』
嗚呼三歌兮歌三發,汝歸何處收兄骨?』
あそこの二男弟、あちらの三男弟、遠方に居る四男。彼ら三人どれもやせているが、だれが強健でいるやつがいるであろうか。
彼らとはいきわかれをして、各地をうつりあるいて面会せずにいるのである、安史叛乱軍の兵馬が天下をくらくして、天下を分断しているので、そうでなくてもながいみちのりが、弟達とのあいだの道路はさらに長くなってしまった。
東にむかって駕鵝が飛び、そのあとを追っかけて鶖鶬が飛んでいるが、どうしたらその鳥に送られておまえ達の傍へ私を置いてもらうことができるのだろうか。』
ああ、これが第三の歌であるから三回歌うことにしよう。おまえ達がは帰ってこられるところ、この兄の骨をおさめてくれるところ、それがどこであるのか。(この戦乱で分断されていても平穏でいられるところ。)』


(4)妹をおもう作。
乾元中寓居同谷県作歌七首 其四
有妹有妹在鐘離,良人早歿諸孤癡。
長淮浪高蛟龍怒,十年不見來何時?
扁舟欲往箭滿眼,杳杳南國多旌旗。』
嗚呼四歌兮歌四奏,林猿為我啼清晝。』
わたしには妹がいる、鳳陽府鍾離に妹がいる。夫を早くなくして残された四人もいるまだ幼児たちは知恵がついていないのだ。
淮水のあたりは風浪が高く安史軍の盗賊のように人を害する者が蚊竃のように怒りつつあるのだ。わたしは十年も彼女とかおをあわせていないがいつ彼女はこちらへ来ることができよう。
ああ、これは第四の歌だ。この歌は四度、奏ねるのである。この歌をきいては林の猿も私のために晴れあがった昼に啼きたててくれる。』


(5)冬の窮谷の情景に浸り、隠棲の思いと帰郷の思いをのべることでどうもこの地は違うようだという。。
乾元中寓居同谷県作歌七首 其五
四山多風溪水急,寒雨颯颯枯樹濕。
黃蒿古城雲不開,白狐跳樑黃狐立。
我生何為在窮穀?中夜起坐萬感集。』
嗚呼五歌兮歌正長,魂招不來歸故鄉。』
四方の山には冬の風が吹きまくり、谷川の水の流れは急である。極寒の雨はつめたく、風はびゅうぴゅう吹き、枯れた樹木がぬれている。
黄色いよもぎがはびこっており、古城に雲が門をとざすようにかかっている、白狐ははねまわり、黄狐はつっ立っている。
わたしは生涯を決める意味で隠棲の谷を極めるつもりであったが、どうしてここが窮極の谷といえるのだろうか。夜なかに起きてみても坐ってみてもただ万感せまり、集まり来るのである。』
ああ、これは第五の歌である、五回も詠うとその歌もながいものだ。屈原は「招魂」したというがわたしはここが隠遁先でなく魂がこられないだろうし、それなら故郷にかえることしかないのか。』


(6)冬のこの地は隠遁の地にはふさわしくない。山湫の竜もそう思っている。(此の詩は五行思想をもじってお遊びしている)
乾元中寓居同谷県作歌七首 其六
南有龍兮在山湫,古木巃嵷枝相樛。
木葉黃落龍正蟄,蝮蛇東來水上游。
我行怪此安敢出,拔劍欲斬且複休。』
嗚呼六歌兮歌思遲,溪壑為我回春姿。』
ここの南方の山に竜がいる。そこは「窪地」で湿地になっているところだ。古木がいかめしくしげりあい、枝がたがいに垂れさがっているところである。
木の葉は黄ばんで落ちたので竜は今まさに冬眠をしたのだ、そこへまむしや蛇が東の方からやってきて「窪地」の水の上にあそんでいるのだ。
わたしはそこへ出掛けてはみたがこんなふしぎな様子を目にしてどうしてその場に出られるというのか、剣をぬいてそのへびを斬ろうかとも思ったのだがそれはまたやめたのである。』
ああ、この歌は第六の歌であるから、六にまつわる歌となるとやくはでてこないものだ。このような渓谷がわたしのために早く春のすがたを回復してくれることだ。(それならわたしも竜もその地にでかけることができるだろう。)』


(7)七言句の七番目の詩である。昔はどうであれこれからの人生に立ち向かって行こうというものである。同谷「数え歌」の終。
乾元中寓居同谷県作歌七首 其七
男兒生不成名身已老,三年饑走荒山道。
長安卿相多少年,富貴應須致身早。
山中儒生舊相識,但話宿昔傷懷抱。』
嗚呼七歌兮悄終曲。仰視皇天白日速。』
わたしは男児に生まれてこのかた、功名を成しとげるということができてはいない。その内年をとってしまって、三年の間、あれはてた山中の道を飢餓に駆られて走っているようなありさまだ。
長安で知り合った卿相たちは多くは若い時からの付き合いではあるが、かれらはまだ若いのである。してみれば老いてはだめなので、早くその身をなんとしてでも富貴の地位に致さないといけないというものなのだ。
この山中にいるとはいえ、儒生たるわたしはふるくから彼ら富貴の人人とは知り合いなのだが、この隔たりはどうだ。だからこうして昔話をしたりすれば自分は胸のうちがかなしくなってくるのである。』
ああ ここまで詠った七言のこれは第七の歌である。これで心のひきたたぬままに曲を終るのである。そうであれば、太陽がどんどん早くはしりゆく大空を眺め、これからの人生に向かって行こうではないか。』 

“同谷” 乾元中寓居同谷県作歌七首 其六 杜甫1000<337>#6 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1595 杜甫詩1500- 496

 
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“同谷” 乾元中寓居同谷県作歌七首 其六 杜甫1000<337>#6 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1595 杜甫詩1500- 496 


詩 題:“同谷” 乾元中寓居同谷県作歌七首 其六 作759年11月
掲 載; 杜甫1000の337首目-#6
杜甫ブログ1500-496回目



この詩にシリーズは「順番数値」をキーワードにして詠っている。
(1)自分。客居貧苦のさまをいう。
乾元中寓居同谷縣作歌 七首 其一
有客有客字子美,白頭亂發垂過耳。
歲拾橡栗隨狙公,天寒日暮山谷裡。
中原無書歸不得,手腳凍皴皮肉死。』
嗚呼一歌兮歌已哀,悲風為我從天來。』


(2)二人称の歌。
乾元中寓居同谷県作歌七首 其二
長鑱長鑱白木柄,我生托子以為命。
黃獨無苗山雪盛,短衣數挽不掩脛。
此時與子空歸來,男呻女吟四壁靜。』
嗚呼二歌兮歌始放,閭裡為我色惆悵。』


(3)三人称弟をおもってつくる。
乾元中寓居同谷県作歌七首 其三
有弟有弟在遠方,三人各瘦何人強?
生別展轉不相見,胡塵暗天道路長。
東飛駕鵝後鶖鶬,安得送我置汝旁?』
嗚呼三歌兮歌三發,汝歸何處收兄骨?』


(4)妹をおもう作。
乾元中寓居同谷県作歌七首 其四
有妹有妹在鐘離,良人早歿諸孤癡。
長淮浪高蛟龍怒,十年不見來何時?
扁舟欲往箭滿眼,杳杳南國多旌旗。』
嗚呼四歌兮歌四奏,林猿為我啼清晝。』


(5)冬の窮谷の情景に浸り、隠棲の思いと帰郷の思いをのべることでどうもこの地は違うようだという。。
乾元中寓居同谷県作歌七首 其五
四山多風溪水急,寒雨颯颯枯樹濕。
黃蒿古城雲不開,白狐跳樑黃狐立。
我生何為在窮穀?中夜起坐萬感集。』
嗚呼五歌兮歌正長,魂招不來歸故鄉。』


(6)冬のこの地は隠遁の地にはふさわしくない。山湫の竜もそう思っている。(此の詩は五行思想をもじってお遊びしている)
乾元中寓居同谷県作歌七首 其六
南有龍兮在山湫,古木巃嵷枝相樛。
ここの南方の山に竜がいる。そこは「窪地」で湿地になっているところだ。古木がいかめしくしげりあい、枝がたがいに垂れさがっているところである。
木葉黃落龍正蟄,蝮蛇東來水上游。
木の葉は黄ばんで落ちたので竜は今まさに冬眠をしたのだ、そこへまむしや蛇が東の方からやってきて「窪地」の水の上にあそんでいるのだ。
我行怪此安敢出,拔劍欲斬且複休。』
わたしはそこへ出掛けてはみたがこんなふしぎな様子を目にしてどうしてその場に出られるというのか、剣をぬいてそのへびを斬ろうかとも思ったのだがそれはまたやめたのである。』
嗚呼六歌兮歌思遲,溪壑為我回春姿。』

ああ、この歌は第六の歌であるから、六にまつわる歌となるとやくはでてこないものだ。このような渓谷がわたしのために早く春のすがたを回復してくれることだ。(それならわたしも竜もその地にでかけることができるだろう。)』


『乾元中寓居同谷県作歌七首 其六』現代語訳と訳註
(本文)

南有龍兮在山湫,古木巃嵷枝相樛。
木葉黃落龍正蟄,蝮蛇東來水上游。
我行怪此安敢出,拔劍欲斬且複休。』
嗚呼六歌兮歌思遲,溪壑為我回春姿。』


(下し文)
(乾元中同谷県に寓居し歌を作る 七首)
南に竜有り 山湫に在り、古木 巃嵷 枝 相膠す。
木葉 黄落し 竜正に蟄す、蝮蛇 東来し 水上に沸す。
我行いて此を怪しむ安んぞ敢て出でん、剣を抜き斬らんと欲して且つ復た休す。』
鳴呼 六歌す 歌思遅し、渓壑 我が為めに春姿を廻えさん。』

(現代語訳) (乾元中同谷県に寓居し歌を作る 七首)
ここの南方の山に竜がいる。そこは「窪地」で湿地になっているところだ。古木がいかめしくしげりあい、枝がたがいに垂れさがっているところである。
木の葉は黄ばんで落ちたので竜は今まさに冬眠をしたのだ、そこへまむしや蛇が東の方からやってきて「窪地」の水の上にあそんでいるのだ。
わたしはそこへ出掛けてはみたがこんなふしぎな様子を目にしてどうしてその場に出られるというのか、剣をぬいてそのへびを斬ろうかとも思ったのだがそれはまたやめたのである。』
ああ、この歌は第六の歌であるから、六にまつわる歌となるとやくはでてこないものだ。このような渓谷がわたしのために早く春のすがたを回復してくれることだ。(それならわたしも竜もその地にでかけることができるだろう。)』


(訳注) 乾元中寓居同谷県作歌七首 其六

南有龍兮在山湫,古木巃嵷枝相樛。
ここの南方の山に竜がいる。そこは「窪地」で湿地になっているところだ。古木がいかめしくしげりあい、枝がたがいに垂れさがっているところである。
○南 同谷県東南の万丈澤をさすと.いう、澤のことは次第に見える。
○山湫 竜のすむふち。・湫 湿気が多くて水草などが生えている所。低湿地。
○巃嵷 いかめしくしげりあうさま。
○樛 枝のまがり垂下するさま。


木葉黃落龍正蟄,蝮蛇東來水上游。
木の葉は黄ばんで落ちたので竜は今まさに冬眠をしたのだ、そこへまむしや蛇が東の方からやってきて「窪地」の水の上にあそんでいるのだ。
○黄落 きばんでおちる。
○蟄 穴ごもりする冬眠する。
○蝮蛇 まむし、竜は君に此し蛇は盗賊に此するという、しかし竜を自己に此し蛇を他の小人に比したものかも知れない、「万丈滞」の竜は自己らしいからである。蛇は干支の順は六番目である。
○訪 道の音借であろう、あそぶ。


我行怪此安敢出,拔劍欲斬且複休。』
わたしはそこへ出掛けてはみたがこんなふしぎな様子を目にしてどうしてその場に出られるというのか、剣をぬいてそのへびを斬ろうかとも思ったのだがそれはまたやめたのである。』
○此 蝮、蛇のいるようなところのさまをさす。
○出 居処よりその場所へでる。
○斬 蛇をきる。そうして騒げば龍が出て來るからやめるという。


嗚呼六歌兮歌思遲,溪壑為我回春姿。』
ああ、この歌は第六の歌であるから、六にまつわる歌となるとやくはでてこないものだ。このような渓谷がわたしのために早く春のすがたを回復してくれることだ。(それならわたしも竜もその地にでかけることができるだろう。)』
歌思 竜が六頭、ヘビが六匹という六に因んだ歌が思い浮かばないということ。
廻春姿 春時の姿を回復する、冬なればこそ竜は蟄する、春になれば穴より出る、出ても緑に囲まれて乾燥しないので安心である。春が来ることを願うというのである。


兮在山湫,古嵷枝相樛。
夏4 - 6月      春、夏

木葉正蟄,蝮蛇上游。
真中 土用        夏、春、 冬 


五行の互いの関係には、「相生」「相剋(相克)」「比和」「相乗」「相侮」という性質が付与されていることを詩の中で述べているのである。これ以上詳しくはここでは触れないで、私的だけしておく。

 五行関係図

五行     木    火    土     金     水

五色   青(緑)   紅    黄     白    玄(黒)

五方    東     南    中     西     北
五獣    青竜    朱雀   黄麟   白虎   玄武
                 や黄竜

五竜    青竜    赤竜   黄竜   白竜   黒竜

五金   錫(青金) 銅(赤金) 金(黄金) 銀(白金) 鉄(黒金)

十干   甲・乙   丙・丁   戊・己   庚・辛   壬・癸
十二   寅・卯   巳・午   辰・未   申・酉   亥・子
                  ・戌・丑
(旧暦)1 - 3月  4 - 6月  (割当なし) 7 - 9月  10 - 12月


“同谷” 乾元中寓居同谷県作歌七首 其五 杜甫1000<336># 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1592 杜甫詩1500- 495

 
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詩 題:“同谷” 乾元中寓居同谷県作歌七首 其五 作759年11月
掲 載; 杜甫1000の336首目
杜甫ブログ1500-495回目



この詩にシリーズはは「順番数値」をキーワードにして詠っている。

(1)自分。客居貧苦のさまをいう。
乾元中寓居同谷縣作歌 七首 其一
有客有客字子美,白頭亂發垂過耳。
歲拾橡栗隨狙公,天寒日暮山谷裡。
中原無書歸不得,手腳凍皴皮肉死。』
嗚呼一歌兮歌已哀,悲風為我從天來。』


(2)二人称の歌。
乾元中寓居同谷県作歌七首 其二
長鑱長鑱白木柄,我生托子以為命。
黃獨無苗山雪盛,短衣數挽不掩脛。
此時與子空歸來,男呻女吟四壁靜。』
嗚呼二歌兮歌始放,閭裡為我色惆悵。』


(3)三人称弟をおもってつくる。
乾元中寓居同谷県作歌七首 其三
有弟有弟在遠方,三人各瘦何人強?
生別展轉不相見,胡塵暗天道路長。
東飛駕鵝後鶖鶬,安得送我置汝旁?』
嗚呼三歌兮歌三發,汝歸何處收兄骨?』


(4)妹をおもう作。
乾元中寓居同谷県作歌七首 其四
有妹有妹在鐘離,良人早歿諸孤癡。
長淮浪高蛟龍怒,十年不見來何時?
扁舟欲往箭滿眼,杳杳南國多旌旗。』
嗚呼四歌兮歌四奏,林猿為我啼清晝。』

nat0004


(5)冬の窮谷の情景に浸り、隠棲の思いと帰郷の思いをのべることでどうもこの地は違うようだという。。
乾元中寓居同谷県作歌七首 其五
四山多風溪水急,寒雨颯颯枯樹濕。
四方の山には冬の風が吹きまくり、谷川の水の流れは急である。極寒の雨はつめたく、風はびゅうぴゅう吹き、枯れた樹木がぬれている。
黃蒿古城雲不開,白狐跳樑黃狐立。
黄色いよもぎがはびこっており、古城に雲が門をとざすようにかかっている、白狐ははねまわり、黄狐はつっ立っている。
我生何為在窮穀?中夜起坐萬感集。』
わたしは生涯を決める意味で隠棲の谷を極めるつもりであったが、どうしてここが窮極の谷といえるのだろうか。夜なかに起きてみても坐ってみてもただ万感せまり、集まり来るのである。』
嗚呼五歌兮歌正長,魂招不來歸故鄉。』

ああ、これは第五の歌である、五回も詠うとその歌もながいものだ。屈原は「招魂」したというがわたしはここが隠遁先でなく魂がこられないだろうし、それなら故郷にかえることしかないのか。』
四山風多くして渓水急なり、寒雨 颯颯【さつさつ】として枯樹【こじゅ】湿う。
黄蒿【こうこう】の古城 雲開けず、白狐は跳梁【ちょうりょう】し 黄狐【こうこ】は立つ。
我が生 何為れぞ窮谷【きゅうこく】に在る、中夜起坐して万感集まる。』
鳴呼 五歌す 歌正に長し、魂招けども来たらす 故郷に帰らん。』


現代語訳と訳註
(本文)

四山多風溪水急,寒雨颯颯枯樹濕。
黃蒿古城雲不開,白狐跳樑黃狐立。
我生何為在窮穀?中夜起坐萬感集。』
嗚呼五歌兮歌正長,魂招不來歸故鄉。』


(下し文)
四山風多くして渓水急なり、寒雨 颯颯【さつさつ】として枯樹【こじゅ】湿う。
黄蒿【こうこう】の古城 雲開けず、白狐は跳梁【ちょうりょう】し 黄狐【こうこ】は立つ。
我が生 何為れぞ窮谷【きゅうこく】に在る、中夜起坐して万感集まる。』
鳴呼 五歌す 歌正に長し、魂招けども来たらす 故郷に帰らん。』


(現代語訳)
四方の山には冬の風が吹きまくり、谷川の水の流れは急である。極寒の雨はつめたく、風はびゅうぴゅう吹き、枯れた樹木がぬれている。
黄色いよもぎがはびこっており、古城に雲が門をとざすようにかかっている、白狐ははねまわり、黄狐はつっ立っている。
わたしは生涯を決める意味で隠棲の谷を極めるつもりであったが、どうしてここが窮極の谷といえるのだろうか。夜なかに起きてみても坐ってみてもただ万感せまり、集まり来るのである。』
ああ、これは第五の歌である、五回も詠うとその歌もながいものだ。屈原は「招魂」したというがわたしはここが隠遁先でなく魂がこられないだろうし、それなら故郷にかえることしかないのか。』


(訳注) 乾元中寓居同谷県作歌七首 其五
四山多風溪水急,寒雨颯颯枯樹濕。
四方の山には冬の風が吹きまくり、谷川の水の流れは急である。極寒の雨はつめたく、風はびゅうぴゅう吹き、枯れた樹木がぬれている。
〇四山 四山は自分の立ち位置を考慮すると五になる五行思想の数値の考えである。
○颯颯 はたはた風のあおるさま。


黃蒿古城雲不開,白狐跳樑黃狐立。
黄色いよもぎがはびこっており、古城に雲が門をとざすようにかかっている、白狐ははねまわり、黄狐はつっ立っている
 よもぎ。
古城 成(同谷)県城。
跳梁 はねくりまわる。


我生何為在窮穀?中夜起坐萬感集。』
わたしは生涯を決める意味で隠棲の谷を極めるつもりであったが、どうしてここが窮極の谷といえるのだろうか。夜なかに起きてみても坐ってみてもただ万感せまり、集まり来るのである。』
窮谷 ゆきつまったたに、同谷の地をいう。窮は窮極、つまり、杜甫は、官を辞しして家族と共に隠棲をしたいのである。その隠棲のちは谷であり、果たしてこの地が求めている隠棲の地であるのかといえばそうではないということが言いたいのである。
起坐 一起一坐。これも隠棲を前提の言葉である。


嗚呼五歌兮歌正長,魂招不來歸故鄉。』
ああ、これは第五の歌である、五回も詠うとその歌もながいものだ。屈原は「招魂」したというがわたしはここが隠遁先でなく魂がこられないだろうし、それなら故郷にかえることしかないのか。』
魂招不來歸故鄉  『楚辞』の大意に基づいた句である。一般に故郷に帰りたいと解釈する説が多いようだが違う。杜甫は隠棲する土地を求めているのであり、この地がどうもいい土地ではなさそうだということをのべているのである。秦州に来て東柯谷のことを述べた詩、あの「ワクワク感」を持った詩と比較してみると面白いし、よくわかるはずである。
杜甫は、土地購入資金を集めをするために詩を送って協力を求めているがどうもここではなさそうだということを云っているのである。




乾元中寓居同谷県作歌七首 其五
四山多風溪水急,寒雨颯颯枯樹濕。
黃蒿古城雲不開,白狐跳樑黃狐立。
我生何為在窮穀?中夜起坐萬感集。』
嗚呼五歌兮歌正長,魂招不來歸故鄉。』

四山風多くして渓水急なり、寒雨 颯颯【さつさつ】として枯樹【こじゅ】湿う。
黄蒿【こうこう】の古城 雲開けず、白狐は跳梁【ちょうりょう】し 黄狐【こうこ】は立つ。
我が生 何為れぞ窮谷【きゅうこく】に在る、中夜起坐して万感集まる。』
鳴呼 五歌す 歌正に長し、魂招けども来たらす 故郷に帰らん。』

“同谷” 乾元中寓居同谷県作歌七首 其四 杜甫1000<335> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1589 杜甫詩1500- 494

 
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“同谷” 乾元中寓居同谷県作歌七首 其四 杜甫1000<335> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1589 杜甫詩1500- 494 


詩 題:“同谷” 乾元中寓居同谷県作歌七首 其四 作759年11月の作
掲 載; 杜甫1000の335首目
杜甫ブログ1500-494回目




(4)妹をおもう作。
乾元中寓居同谷県作歌七首 其四
有妹有妹在鐘離,良人早歿諸孤癡。
わたしには妹がいる、鳳陽府鍾離に妹がいる。夫を早くなくして残された四人もいるまだ幼児たちは知恵がついていないのだ。
長淮浪高蛟龍怒,十年不見來何時?
淮水のあたりは風浪が高く安史軍の盗賊のように人を害する者が蚊竃のように怒りつつあるのだ。わたしは十年も彼女とかおをあわせていないがいつ彼女はこちらへ来ることができよう。
扁舟欲往箭滿眼,杳杳南國多旌旗。』
こちらから小舟に乗って往こうかとおもえば見わたすかぎり弓箭ばかりである、はるばるとおい南国の方も軍隊の旗ばかりたくさんある。』
嗚呼四歌兮歌四奏,林猿為我啼清晝。』

ああ、これは第四の歌だ。この歌は四度、奏ねるのである。この歌をきいては林の猿も私のために晴れあがった昼に啼きたててくれる。』



現代語訳と訳註
(本文)

有妹有妹在鐘離,良人早歿諸孤癡。
長淮浪高蛟龍怒,十年不見來何時?
扁舟欲往箭滿眼,杳杳南國多旌旗。』
嗚呼四歌兮歌四奏,林猿為我啼清晝。』


(下し文)

妹有り 妹有り 鍾離【しょうり】に在り、良人早く歿【ぼつ】して諸孤【しょこ】癡【ち】なり。
長准【ちょうわい】浪高うして蛟竜【こうりゅう】怒る、十年見ず 来たるは何の時ぞ。
扁舟【へんしゅう】柱かんと欲すれば箭【や】眼に満つ、杳杳【ようよう】南國旌旗【せいき】多し。』
鳴呼四歌す歌四たび奏す、林猿【りんえん】我が為めに清昼【せいちゅう】に啼く。』


(現代語訳)
わたしには妹がいる、鳳陽府鍾離に妹がいる。夫を早くなくして残された四人もいるまだ幼児たちは知恵がついていないのだ。
淮水のあたりは風浪が高く安史軍の盗賊のように人を害する者が蚊竃のように怒りつつあるのだ。わたしは十年も彼女とかおをあわせていないがいつ彼女はこちらへ来ることができよう。
こちらから小舟に乗って往こうかとおもえば見わたすかぎり弓箭ばかりである、はるばるとおい南国の方も軍隊の旗ばかりたくさんある。』
ああ、これは第四の歌だ。この歌は四度、奏ねるのである。この歌をきいては林の猿も私のために晴れあがった昼に啼きたててくれる。』


(訳注)
有妹有妹在鐘離,良人早歿諸孤癡。

わたしには妹がいる、鳳陽府鍾離に妹がいる。夫を早くなくして残された四人もいるまだ幼児たちは知恵がついていないのだ。
○妹 杜甫には韋氏に嫁した妹があった。
杜甫756年45歳春の作『元日寄韋氏妹』詩
近聞韋氏妹,迎在漢鐘離。
郎伯殊方鎮,京華舊國移。
秦城回北斗,郢樹發南枝。
不見朝正使,啼痕滿面垂。

近ごろ聞く韋氏妹、迎えられて漢鍾離に在り。
郎伯は殊方に鎮す、京華は旧国移る。
秦城回りて北の斗い,郢樹 南枝を發す。
朝に正に使するを見えず,啼痕 滿面垂るる。
とある妹である。
○鍾離 安徽省鳳陽府臨准県。叛乱軍の支配している地の向こう側である。
○良人 おっと、韋某をいう。
○諸孤癡 孤とは遺児をいう、癡は稚くして知のないことをいう。頑是ない子供たちであるという程度の意味である。


長淮浪高蛟龍怒,十年不見來何時?
淮水のあたりは風浪が高く安史軍の盗賊のように人を害する者が蚊竃のように怒りつつあるのだ。わたしは十年も彼女とかおをあわせていないがいつ彼女はこちらへ来ることができよう。
○長准 中國四大河川で「長」をつけている淮水をいう、鳳陽は淮水の南にある。
○蛟龍 安史軍の盗賊のような人を害する者に此する。
○来 妹がこちらへくること。(叛乱軍が平定されることと、杜甫が自分の生活を安定させることなどがある。)


扁舟欲往箭滿眼,杳杳南國多旌旗。』
こちらから小舟に乗って往こうかとおもえば見わたすかぎり弓箭ばかりである、はるばるとおい南国の方も軍隊の旗ばかりたくさんある。』
○往 こちらから妹の方へゆく。
箭満眼 眼中見る所は弓箭のみの意。
杳杳 はるか。
古詩十九首之第十三首
驅車上東門,遙望郭北墓。
白楊何蕭蕭,松柏夾廣路。
下有陳死人,杳杳即長暮。
潛寐黃泉下,千載永不寤。
○南国 淮水地方をいう。
○多旌旗 旌旗は軍隊の用いるもの、其の多いことはどこも軍隊ばかりであることをいう。旌旗は鳥の羽をばさばさにして頭に飾りにつけているはた、旌は竜を交叉して画いたはた。
奉和賈至舍人早朝大明宮
五夜漏聲催曉箭,九重春色醉仙桃。
旌旗日暖龍蛇動,宮殿風微燕雀高。
朝罷香煙攜滿袖,詩成珠玉在揮毫。
欲知世掌絲綸美。池上於今有鳳毛。


嗚呼四歌兮歌四奏,林猿為我啼清晝。』
ああ、これは第四の歌だ。この歌は四度、奏ねるのである。この歌をきいては林の猿も私のために晴れあがった昼に啼きたててくれる。』
〇四奏 四たびその歌曲を奏でる。
〇清晝 まひるなか。平穏な清々しい昼間。杜甫がは清昼という語を使うときは反対側に暗いものがある時に、その暗いものを意識して導き出すために平穏な昼ということを云うのである。妹の生活、境遇が決して安寧ではないであろう、安史軍の影響下にあるであろうという暗雲を連想させてくれる後の使い方である。したがって、猿が悲しそうに啼くといわなくても「清昼」ということで哀しさを出しているのである。ここでの表現は晴れあがったひる程度にとどめる。
杜甫『洗兵行(洗兵馬)』#1
中興諸將收山東,捷書夜報清晝同。
河廣傳聞一葦過,胡危命在破竹中。
秖殘鄴城不日得,獨任朔方無限功。
京師皆騎汗血馬,回紇喂肉蒲萄宮。
已喜皇威清海岱,常思仙仗過崆峒。
三年笛裡關山月,萬國兵前草木風。』

洗兵行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ990 杜甫特集700- 295


乾元中寓居同谷県作歌七首 其四
有妹有妹在鐘離,良人早歿諸孤癡。
長淮浪高蛟龍怒,十年不見來何時?
扁舟欲往箭滿眼,杳杳南國多旌旗。』
嗚呼四歌兮歌四奏,林猿為我啼清晝。』

妹有り 妹有り 鍾離【しょうり】に在り、良人早く歿【ぼつ】して諸孤【しょこ】癡【ち】なり。
長准【ちょうわい】浪高うして蛟竜【こうりゅう】怒る、十年見ず 来たるは何の時ぞ。
扁舟【へんしゅう】柱かんと欲すれば箭【や】眼に満つ、杳杳【ようよう】南國旌旗【せいき】多し。』
鳴呼四歌す歌四たび奏す、林猿【りんえん】我が為めに清昼【せいちゅう】に啼く。』

“同谷” 乾元中寓居同谷県作歌七首 其三 杜甫1000<334> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1586 杜甫詩1500- 493

 
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“同谷” 乾元中寓居同谷県作歌七首 其三 杜甫1000<334> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1586 杜甫詩1500- 493 




詩 題:“同谷” 乾元中寓居同谷県作歌七首 其三 作759年11月
掲 載; 杜甫1000の334首目
杜甫ブログ1500-493回目



(3)弟をおもってつくる。第「三」の歌(「三」がキーワード)
乾元中寓居同谷県作歌七首 其三
有弟有弟在遠方,三人各瘦何人強?
あそこの二男弟、あちらの三男弟、遠方に居る四男。彼ら三人どれもやせているが、だれが強健でいるやつがいるであろうか。
生別展轉不相見,胡塵暗天道路長。
彼らとはいきわかれをして、各地をうつりあるいて面会せずにいるのである、安史叛乱軍の兵馬が天下をくらくして、天下を分断しているので、そうでなくてもながいみちのりが、弟達とのあいだの道路はさらに長くなってしまった。
東飛駕鵝後鶖鶬,安得送我置汝旁?』
東にむかって駕鵝が飛び、そのあとを追っかけて鶖鶬が飛んでいるが、どうしたらその鳥に送られておまえ達の傍へ私を置いてもらうことができるのだろうか。』
嗚呼三歌兮歌三發,汝歸何處收兄骨?』
ああ、これが第三の歌であるから三回歌うことにしよう。おまえ達がは帰ってこられるところ、この兄の骨をおさめてくれるところ、それがどこであるのか。(この戦乱で分断されていても平穏でいられるところ。)』
弟有り 弟有り 遠方に在り、三人各痩せたり 何の人強【まさ】れるや。
生別 展転して相見ざらず、胡塵【こじん】天を暗くして 道路長ず。
東に飛ぶは駕鵝【かが】後は鶖鶬【しゅうそう】なり、安【いずく】んぞ我を送って汝が傍【かたわら】に置くことを得ん。』
鳴呼 三の歌をして歌うは三発、汝帰るも何処【いずこ】にか兄が骨を収めん。』



現代語訳と訳註
(本文)
乾元中寓居同谷県作歌七首 其三
有弟有弟在遠方,三人各瘦何人強?
生別展轉不相見,胡塵暗天道路長。
東飛駕鵝後鶖鶬,安得送我置汝旁?』
嗚呼三歌兮歌三發,汝歸何處收兄骨?』


(下し文)
弟有り 弟有り 遠方に在り、三人各痩せたり 何の人強【まさ】れるや。
生別 展転して相見ざらず、胡塵【こじん】天を暗くして 道路長ず。
東に飛ぶは駕鵝【かが】後は鶖鶬【しゅうそう】なり、安【いずく】んぞ我を送って汝が傍【かたわら】に置くことを得ん。』
鳴呼 三の歌をして歌うは三発、汝帰るも何処【いずこ】にか兄が骨を収めん。』


(現代語訳)
あそこの二男弟、あちらの三男弟、遠方に居る四男。彼ら三人どれもやせているが、だれが強健でいるやつがいるであろうか。
彼らとはいきわかれをして、各地をうつりあるいて面会せずにいるのである、安史叛乱軍の兵馬が天下をくらくして、天下を分断しているので、そうでなくてもながいみちのりが、弟達とのあいだの道路はさらに長くなってしまった。
東にむかって駕鵝が飛び、そのあとを追っかけて鶖鶬が飛んでいるが、どうしたらその鳥に送られておまえ達の傍へ私を置いてもらうことができるのだろうか。』
ああ、これが第三の歌であるから三回歌うことにしよう。おまえ達がは帰ってこられるところ、この兄の骨をおさめてくれるところ、それがどこであるのか。(この戦乱で分断されていても平穏でいられるところ。)』


(訳注)
乾元中寓居同谷県作歌七首 其三
お金の無心の詩である。先祖からの土地は、安史軍の占領下にあり、弟4人のうちの3人の誰も先祖からの土地に倚ることが出来ない。骨を埋める地をきっと探すから応援を頼むということを含んだ詩で、苦しい、悲しい現状を詠うものではない。
この詩は「三」というキーワードで詠っている。


有弟有弟在遠方,三人各瘦何人強?
あそこの二男弟、あちらの三男弟、遠方に居る四男。彼ら三人どれもやせているが、だれが強健でいるやつがいるであろうか。
○弟 作者の弟は四人あり、穎・観・豊・占という、うち占は作者に従って旅をしている。
三人 占を除いた他の三人。


生別展轉不相見,胡塵暗天道路長。
彼らとはいきわかれをして、各地をうつりあるいて面会せずにいるのである、安史叛乱軍の兵馬が天下をくらくして、天下を分断しているので、そうでなくてもながいみちのりが、弟達とのあいだの道路はさらに長くなってしまった。
○展転 各地をうつりあるく、洛陽より長安、長安より秦州・同谷とかわってゆく。
○胡塵 安史叛乱軍の兵馬のちり。漢民族の反乱分子、北方の不満分子、西方の異民族の参軍。


東飛駕鵝後鶖鶬,安得送我置汝旁?』
東にむかって駕鵝が飛び、そのあとを追っかけて鶖鶬が飛んでいるが、どうしたらその鳥に送られておまえ達の傍へ私を置いてもらうことができるのだろうか。』
駕鵝 雁のたぐい、野鶴のこと。
○鶖鶬 禿鶬(おおとり)のことという。
○安得 希望の辞。
○送我 鳥によって送られるのである。
 三弟をさす。


嗚呼三歌兮歌三發,汝歸何處收兄骨?』
ああ、これが第三の歌であるから三回歌うことにしよう。おまえ達がは帰ってこられるところ、この兄の骨をおさめてくれるところ、それがどこであるのか。(この戦乱で分断されていても平穏でいられるところ。)』
収兄骨 兄とは自己をさす、収骨とは自己の死後の事にいい及んだものである。


“同谷” 乾元中寓居同谷県作歌七首 其二 杜甫1000<333> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1583 杜甫詩1500- 492

 
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“同谷” 乾元中寓居同谷県作歌七首 其二 杜甫1000<333> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1583 杜甫詩1500- 492 



詩 題:“同谷” 乾元中寓居同谷県作歌七首 其二 作759年11月
掲 載; 杜甫1000の333首目
杜甫ブログ1500-492回目

乾元中寓居同谷縣作歌 七首 其一
有客有客字子美,白頭亂發垂過耳。
ここに『詩経』でいう旅人がいるその名前は子美という、男の頭は白く乱れた髪が垂れて耳よりもさがっている。
歲拾橡栗隨狙公,天寒日暮山谷裡。
今年も年の暮になろうとするのに、山谷のうちで天候は凍えるように寒くもう日暮れにさしかかる、『荘子』にいう猿回しのあとにくっついて橡の実や栗をひらって歩くのだ。
中原無書歸不得,手腳凍皴皮肉死。』
中原の故郷たる方からは手紙もなく様子が知れないから帰ることもならず、手や脚は凍えしわだって皮膚も肉もひからびている。』
嗚呼一歌兮歌已哀,悲風為我從天來。』
ああここに第一歌をうたう、この歌声は初からすでにあわれであり、悲しそうな風が吹いてきて自分のために天もそれに感ずるように天から吹き下ろして來る。』


(2)この時の子供らの様子をいう。この詩は「二」というキーワードで詠っている。二人称の歌。
乾元中寓居同谷県作歌七首 其二
長鑱長鑱白木柄,我生托子以為命。
長い鉄の頭のついた犂、長い柄の鉄の犂、きみには白木の柄がついている。われわれの生活はきみによって生命の親としているのだ。
黃獨無苗山雪盛,短衣數挽不掩脛。
土イモは山中の雪が盛んにつもっていてその苗もかれてみつからない、(その雪の中私と云えば)短い裾の衣を着ていくらひっぱっても脛をかくすことはできないのだ。
此時與子空歸來,男呻女吟四壁靜。』
この時きみと収穫なしのから手でうちへもどってくる、家族の男の子呻き、女の子は吟じているようにおなかがすいているというががらんどうの部屋の四方の壁はひっそり立っている。』
嗚呼二歌兮歌始放,閭裡為我色惆悵。』
ああ、これは二の歌だ、だからはじめて大声出してきままに歌うのだ、これをきいては近所の人たちも集まって収穫なしの自分のために恨み嘆く顔つきをしてくれる。』

長鑱【ちょうさん】長鑱【ちょうさん】白木の柄【へい】、我が生子に託して以て命と為す。
黄独【こうどく】苗【びょう】無く山雪盛んなり、短衣数【しばしば】挽けども脛を掩【おお】わず。
此の時子と空しく帰り来たる、男坤【だんしん】女吟【じょぎん】四壁静かなり。』
鳴呼二の歌をして歌始めて放つ、閭里【りょり】我が為めに色 惆悵【ちゅうちょう】す。』



現代語訳と訳註
(本文)

乾元中寓居同谷県作歌七首 其二
長鑱長鑱白木柄,我生托子以為命。
黃獨無苗山雪盛,短衣數挽不掩脛。
此時與子空歸來,男呻女吟四壁靜。』
嗚呼二歌兮歌始放,閭裡為我色惆悵。』

(下し文)

長鑱【ちょうさん】長鑱【ちょうさん】白木の柄【へい】、我が生子に託して以て命と為す。
黄独【こうどく】苗【びょう】無く山雪盛んなり、短衣数【しばしば】挽けども脛を掩【おお】わず。
此の時子と空しく帰り来たる、男坤【だんしん】女吟【じょぎん】四壁静かなり。』
鳴呼二の歌をして歌始めて放つ、閭里【りょり】我が為めに色 惆悵【ちゅうちょう】す。』

(現代語訳)
長い鉄の頭のついた犂、長い柄の鉄の犂、きみには白木の柄がついている。われわれの生活はきみによって生命の親としているのだ。
土イモは山中の雪が盛んにつもっていてその苗もかれてみつからない、(その雪の中私と云えば)短い裾の衣を着ていくらひっぱっても脛をかくすことはできないのだ。
この時きみと収穫なしのから手でうちへもどってくる、家族の男の子呻き、女の子は吟じているようにおなかがすいているというががらんどうの部屋の四方の壁はひっそり立っている。』
ああ、これは二の歌だ、だからはじめて大声出してきままに歌うのだ、これをきいては近所の人たちも集まって収穫なしの自分のために恨み嘆く顔つきをしてくれる。』


(訳注)
乾元中寓居同谷県作歌七首 其二

同谷について腹をすかしている子供におやつとして土イモを取ってきてやると言って出掛けたが、あいにく雪が降り積もっていて雪用の服を着ていないので奥まで入ることが出来ず、無収獲で帰って来た時の詩である。暗いイメージの詩ではない。この詩は「二」というキーワードで詠っている。二人称の歌。

長鑱長鑱白木柄,我生托子以為命
長い鉄の頭のついた犂、長い柄の鉄の犂、きみには白木の柄がついている。われわれの生活はきみによって生命の親としているのだ。
○長鑱 ながいすき鉄。
 すきのえ。
 キミ、すきをさす。
 生命。


黃獨無苗山雪盛,短衣數挽不掩脛。
土イモは山中の雪が盛んにつもっていてその苗もかれてみつからない、(その雪の中私と云えば)短い裾の衣を着ていくらひっぱっても脛をかくすことはできないのだ。
黄独 一に「黄精」に作る、土イモの名。肉は白く、河は黄色で、蒸して食べるという。黄精はその根の部分を薬草とする。
数挽 たびたびひっぱる。
掩脛 イモは雪の吹き溜まりの中にあるのだろう。掩は雪の中をの意、おさえてかぶせること、脛ははぎ。


此時與子空歸來,男呻女吟四壁靜。』
この時きみと収穫なしのから手でうちへもどってくる、家族の男の子呻き、女の子は吟じているようにおなかがすいているというががらんどうの部屋の四方の壁はひっそり立っている。』
○此時 帰り来るときをいう。
空帰 黄独を掘りとることができずむだにかえる。
○男呻女吟 男女は家族中のそれをいう、坤吟はうめきうなること。
四壁静 静は静立のことで、さびしく立っておることをいう、四壁は四方のかべ、貧しいゆえ室中は空虚でかべのみ立っていることをいう。秦州から同谷に着いたばかりでこの部屋においての生活の実感がまだない様子を示している。貧しくて飢餓状態というのではない


嗚呼二歌兮歌始放,閭裡為我色惆悵。』
ああ、これは二の歌だ、だからはじめて大声出してきままに歌うのだ、これをきいては近所の人たちも集まって収穫なしの自分のために恨み嘆く顔つきをしてくれる。』
○放 ほしいままにうたうこと。
閭裡 閭は里の門、閭裡で近隣の人人をいう。
 顔色。
惆悵 うらめしいさま。恨み嘆くこと。

“同谷” 乾元中寓居同谷県作歌七首 其一 杜甫1000<332> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1580 杜甫詩 1500- 491

 
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“同谷” 乾元中寓居同谷県作歌七首 其一 杜甫 1000<332># 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1580 杜甫詩 1500- 491 

詩 題:“同谷” 乾元中寓居同谷県作歌七首 其一 作759年11月
掲 載; 杜甫1000の332首目
杜甫ブログ1500-491回目
秦州成州00

乾元中寓居同谷縣作歌 七首 (乾元中同谷県に寓居し歌を作る 七首)
作者は乾元二年十一月に同谷に到著して十二月に蜀に入った。期待をして同谷にはいったが、同谷に寓居したのは、わずかに一か月だけであった。
 
(1)すべてを一人称で詠っている詩である。

乾元中寓居同谷縣作歌 七首 其一
有客有客字子美,白頭亂發垂過耳。
ここに『詩経』でいう旅人がいるその名前は子美という、男の頭は白く乱れた髪が垂れて耳よりもさがっている。
歲拾橡栗隨狙公,天寒日暮山谷裡。
今年も年の暮になろうとするのに、山谷のうちで天候は凍えるように寒くもう日暮れにさしかかる、『荘子』にいう猿回しのあとにくっついて橡の実や栗をひらって歩くのだ。
中原無書歸不得,手腳凍皴皮肉死。』
中原の故郷たる方からは手紙もなく様子が知れないから帰ることもならず、手や脚は凍えしわだって皮膚も肉もひからびている。』
嗚呼一歌兮歌已哀,悲風為我從天來。』
ああここに第一の歌をうたう、この歌声は初からすでにあわれであり、悲しそうな風が吹いてきて自分のために天もそれに感ずるように天から吹き下ろして來る。』
(乾元中同谷県に寓居し歌を作る 七首 其の一)
客有り客有り字は子美、白頭乱髪垂れて耳を過ぐ。
歳を拾うて橡栗【しょうりつ】狙公【しょこう】に随う、天寒く日暮る山谷の裏。
中原 書無うして帰り得ず、手脚 凍皴【とうしゅん】皮肉は死す。』
鳴呼 一歌す 歌己に哀し、悲風 我が為めに天従り来たる。』


現代語訳と訳註
(本文)
乾元中寓居同谷縣作歌 七首 其一
有客有客字子美,白頭亂發垂過耳。
歲拾橡栗隨狙公,天寒日暮山谷裡。
中原無書歸不得,手腳凍皴皮肉死。』
嗚呼一歌兮歌已哀,悲風為我從天來。』


(下し文) (乾元中同谷県に寓居し歌を作る 七首 其の一)
客有り客有り字は子美、白頭乱髪垂れて耳を過ぐ。
歳を拾うて橡栗【しょうりつ】狙公【しょこう】に随う、天寒く日暮る山谷の裏。
中原 書無うして帰り得ず、手脚 凍皴【とうしゅん】皮肉は死す。』
鳴呼 一歌す 歌己に哀し、悲風 我が為めに天従り来たる。』


(現代語訳)
ここに『詩経』でいう旅人がいるその名前は子美という、男の頭は白く乱れた髪が垂れて耳よりもさがっている。
今年も年の暮になろうとするのに、山谷のうちで天候は凍えるように寒くもう日暮れにさしかかる、『荘子』にいう猿回しのあとにくっついて橡の実や栗をひらって歩くのだ。
中原の故郷たる方からは手紙もなく様子が知れないから帰ることもならず、手や脚は凍えしわだって皮膚も肉もひからびている。』
ああここに第一の歌をうたう、この歌声は初からすでにあわれであり、悲しそうな風が吹いてきて自分のために天もそれに感ずるように天から吹き下ろして來る。』


(訳注)
乾元中寓居同谷縣作歌 七首 其一

○同谷県 甘粛省秦州の西南にあたる階州成県の地である、唐では成州といい同谷県に治所をおく、秦州をさること二百六十五里約153kmである。

この詩は「一」というキーワードで詠っている。すべてを一人称で詠っている詩である。


有客有客字子美,白頭亂發垂過耳。
ここに『詩経』でいう旅人がいるその名前は子美という、男の頭は白く乱れた髪が垂れて耳よりもさがっている。
 作者自身。たびびと、杜甫は嫡子で生地から離れている身のことをいう。『詩経、周頌、有客』「有客有客.亦白其馬.有萋有且.敦琢其旅.有客宿宿.有客信信.」


歲拾橡栗隨狙公,天寒日暮山谷裡。
今年も年の暮になろうとするのに、山谷のうちで天候は凍えるように寒くもう日暮れにさしかかる、『荘子』にいう猿回しのあとにくっついて橡の実や栗をひらって歩くのだ。
 歳歳。○ とちのみ。○狙公 さるまわし。荘子 齊物論 「狙公賦茅、曰朝三而莫四。衆狙皆怒、曰然則朝四而莫三、衆狙皆悦。」
(狙公 茅を賦するに 曰く 朝は三にして 暮は四と 衆狙皆怒る 曰く 然らば則ち朝は四して暮は三と 衆狙皆悦ぶ)


中原無書歸不得,手腳凍皴皮肉死。』
中原の故郷たる方からは手紙もなく様子が知れないから帰ることもならず、手や脚は凍えしわだって皮膚も肉もひからびている。』
中原 黄河の河南省を流れる地方、洛陽附近をさす。
 書信。朝廷からの召喚登庁の命令書。
帰不得 「不得帰」帰るを得ずの意。
凍皴 しわだつ。○皮肉死 乾枯の甚しいことをいう。


嗚呼一歌兮歌已哀,悲風為我從天來。』
ああここに第一の歌をうたう、この歌声は初からすでにあわれであり、悲しそうな風が吹いてきて自分のために天もそれに感ずるように天から吹き下ろして來る。』



DCF00218

乾元中寓居同谷縣作歌 七首 其一
有客有客字子美,白頭亂發垂過耳。
歲拾橡栗隨狙公,天寒日暮山谷裡。
中原無書歸不得,手腳凍皴皮肉死。』
嗚呼一歌兮歌已哀,悲風為我從天來。』
(乾元中同谷県に寓居し歌を作る 七首 其の一)
客有り客有り字は子美、白頭乱髪垂れて耳を過ぐ。
歳を拾うて橡栗【しょうりつ】狙公【しょこう】に随う、天寒く日暮る山谷の裏。
中原 書無うして帰り得ず、手脚 凍皴【とうしゅん】皮肉は死す。』
鳴呼 一歌す 歌己に哀し、悲風 我が為めに天従り来たる。』

杜甫 同谷紀行のIndex


 
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乾元2年 759年 48歳
作者は秦州にも居ることができなくなり、乾元二年の10月に秦州から出発して途中11月になり、成州同谷県に赴いた、その途中の紀行をかいたのが以下十二首で、これはその第一首である。作者時に四十八歳。同谷に赴いた理由は詩のなかにみえている。

1 發秦州
我衰更懶拙,生事不自謀。無食問樂土,無衣思南州。
漢源十月交,天氣涼如秋。草木未黃落,況聞山水幽。」
栗亭名更嘉,下有良田疇。充腸多薯蕷,崖蜜亦易求。
密竹複冬筍,清池可方舟。雖傷旅寓遠,庶遂平生遊。」
此邦俯要沖,實恐人事稠。應接非本性,登臨未銷憂。
溪穀無異名,塞田始微收。豈複慰老夫?惘然難久留。」
日色隱孤樹,烏啼滿城頭。中宵驅車去,飲馬寒塘流。
磊落星月高,蒼茫雲霧浮。大哉乾坤內,吾道長悠悠!」
“同谷紀行(1)” 發秦州 杜甫 <321>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1511 杜甫詩 
“同谷紀行(1)” 發秦州 杜甫 <321>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1514 杜甫詩 
“同谷紀行(1)” 發秦州 杜甫 <321>#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1517 杜甫詩 
“同谷紀行(1)” 發秦州 杜甫 <321>#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1520 杜甫詩 

 
秦州を立って最初に詠んだ場所がこの詩にある赤谷だ。秦州から南へ4キロほどの地点にある。まだ旅は始まったばかりだが、杜甫の思いは未来への希望というより、現実苦に集中している。ここでもやはり子供たちが、飢えを訴えて泣いているのだ。 
2 赤穀
天寒霜雪繁,遊子有所之。豈但歲月暮?重來未有期。
晨發赤穀亭,險艱方自茲。亂石無改轍,我車已載脂。」
山深苦多風,落日童稚饑。悄然村墟迥。煙火何由追?
貧病轉零落,故鄉不可思。常恐死道路。永為高人嗤。」
 “同谷紀行(2)” 赤穀 杜甫 <322>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1523 杜甫詩 700- 472
 “同谷紀行(2)” 赤穀 杜甫 <322>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1526 杜甫詩 700- 473


759年鉄堂峽経過のときの作。秦州から約50km離れたとこにある谷あいの場所である。

3 鐵堂峽
山風吹遊子,縹緲乘險絕。峽形藏堂隍,壁色立精鐵。
徑摩穹蒼蟠,石與厚地裂。修纖無垠竹,嵌空太始雪。」
威遲哀壑底,徒旅慘不悅。水寒長冰橫,我馬骨正折。
生涯抵弧矢,盜賊殊未滅。飄蓬逾三年,回首肝肺熱。」
“同谷紀行(3)” 鐵堂峽 杜甫 <323-#1># 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1529 杜甫詩 700- 474
“同谷紀行(3)” 鐵堂峽 杜甫 <323>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1532 杜甫詩 700- 475

 
同谷紀行の第四首。塩井をすぎて塩商の暴利をむさぼるのを批評した詩である。 
4 鹽井
鹵中草木白,青者官鹽煙。官作既有程,煮鹽煙在川。
汲井歲螖螖,出車日連連。自公鬥三百,轉致斛六千。
君子慎止足,小人苦喧闐。我何良嘆嗟,物理固自然。
“同谷紀行(4)” 鹽井 杜甫 <324>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1535 杜甫詩 700- 476


峽の名か、単に寒天の峽をいうかは不明であるとされる。分水嶺を超える前の北斜面の峡谷を登ったのであろう。地名であってもおかしくないが、季節的な表現が多いことから寒い状況からの詩題と考える方がよかろう。 
5 寒峽
行邁日悄悄,山谷勢多端。雲門轉絕岸,積阻霾天寒。
寒峽不可度,我實衣裳單。況當仲冬交,沂沿增波瀾。
野人尋煙語,行子傍水餐。此生免荷殳,未敢辭路難。
“同谷紀行(5)” 寒峽 杜甫 <324> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1538 杜甫詩 700- 477

 
1.發秦州→ 2.赤穀→ 3.鐵堂峽→ 4.鹽井→ 5.寒峡→ 6.法鏡寺→ 7.青陽峡→ 8.龍門鎮→ 9.石龕→ 10.積草嶺→ 11.泥功山→ 12.鳳凰台
みれば寺前に青ごけがしきつめてあるのであでやかで美しい感じになっている、こちらでは竹の皮が寒風に吹きよせられてさびしい様子である
。 
6 法鏡寺
身危適他州,勉強終勞苦。神傷山行深,愁破崖寺古。
嬋娟碧蘚淨,蕭寒籜聚。回回山根水,冉冉松上雨。
泄雲蒙清晨,初日翳複吐。朱甍半光炯,戶牖粲可數。
拄策忘前期,出蘿已亭午。冥冥子規叫,微徑不複取。
“同谷紀行(6)” 法鏡寺 杜甫 <325>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1541 杜甫詩 700- 478
“同谷紀行(6)” 法鏡寺 杜甫 <325>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1544 杜甫詩 700- 479

 
1.發秦州→ 2.赤穀→ 3.鐵堂峽→ 4.鹽井→ 5.寒峡→ 6.法鏡寺→ 7.青陽峡→ 8.龍門鎮→ 9.石龕→ 10.積草嶺→ 11.泥功山→ 12.鳳凰台
溪の西側およそ五里の間岩場が続く、その巌石は怒っていて我々に向かって落ちようとしている。 
7 青陽峽
塞外苦厭山,南行道彌惡。岡巒相經亙,雲水氣參錯。
林回峽角來,天窄壁面削。溪西五裡石,奮怒向我落。
仰看日車側,俯恐坤軸弱。魑魅嘯有風,霜霰浩漠漠。
憶昨逾隴阪,高秋視吳嶽。東笑蓮華卑,北知崆峒薄。
超然侔壯觀,始謂殷寥廓。突兀猶趁人,及茲嘆冥寞。
“同谷紀行(7)” 青陽峽 杜甫 <326>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1547 杜甫詩 700- 480
 “同谷紀行(7)” 青陽峽 杜甫 <326>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1550 杜甫詩 700- 481

  
同谷紀行の第八首。竜門鋲を過ぎてその戍卒をみて、朝廷の無策振りを批評した作。 
8 龍門鎮
細泉兼輕冰,沮洳棧道濕。不辭辛苦行,迫此短景急。
石門雲雪隘,古鎮峰巒集。旌竿暮慘澹,風水白刃澀。
胡馬屯成皋,防虞此何及!嗟爾遠戍人,山寒夜中泣!
“同谷紀行(8)” 龍門鎮 杜甫 <327> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1553 杜甫詩 700- 482

同谷紀行の第九首。山中の竹きりを見て、世情批判の作。 
9 石龕
熊羆咆我東,虎豹號我西。我後鬼長嘯,我前狨又啼。
天寒昏無日,山遠道路迷。驅車石龕下,仲冬見虹霓。
伐竹者誰子?悲歌上雲梯。為官采美箭,五歲供梁齊。
苦雲直竿盡,無以充提攜。奈何漁陽騎,颯颯驚蒸黎!
“同谷紀行(9)” 石龕 杜甫 <328>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1556 杜甫詩 700- 483 
 “同谷紀行(9)” 石龕 杜甫 <328>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1559 杜甫詩 700- 484

1.發秦州→ 2.赤穀→ 3.鐵堂峽→ 4.鹽井→ 5.寒峡→ 6.法鏡寺→ 7.青陽峡→ 8.龍門鎮→ 9.石龕→ 10.積草嶺→ 11.泥功山→ 12.鳳凰台
秦州、同谷間の距離的には中間あたりの右側にある山であるが、当時は川に沿って道があるものであるから、流域が、渭水黄河流域から長江上流嘉陵江の支流鳳渓水に変わって同谷の上流であるから、時間的には70~80%という感じであろうか。 
10 積草嶺
連風積長陰,白日遞隱見。颼颼林響交,慘慘石狀變。
山分積草嶺,路異鳴水縣。旅泊吾道窮,衰年歲時倦。
卜居尚百裡,休駕投諸彥。邑有佳主人,情如已會面。
來書語絕妙,遠客驚深眷。食蕨不願餘,茅茨眼中見。
 “同谷紀行(10)” 積草嶺 杜甫 1000<329>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1562 杜甫詩 1500- 485
“同谷紀行(10)” 積草嶺 杜甫 1000<329>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1565 杜甫詩 1500- 486 

11 泥功山
朝行青泥上,暮在青泥中。泥濘非一時,版築勞人功。
不畏道途永,乃將汩沒同?白馬為鐵驪,小兒成老翁。
哀猿透卻墜,死鹿力所窮。寄語北來人,後來莫匆匆。
 “同谷紀行(11)” 泥功山 杜甫 1000<330> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1568 杜甫詩 1500- 487
 
 
12 鳳凰台
亭亭鳳凰台,北對西康州。西伯今寂寞,凰聲亦悠悠。
山峻路絕蹤,石林氣高浮。安得萬丈梯,為君上上頭?
恐有母無雛,饑寒日啾啾。我能剖心血,飲啄慰孤愁。
心以當竹實,炯然無外求。血以當醴泉,豈徒比清流?
所重王者瑞,敢辭微命休。坐看彩翮長,舉意八極周。
自天銜瑞圖,飛下十二樓。圖以奉至尊,鳳以垂鴻猷。
再光中興業,一洗蒼生憂。深衷正為此,群盜何淹留。
“同谷紀行(12)” 鳳凰台 杜甫 1000<331>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1571 杜甫詩 1500- 488
“同谷紀行(12)” 鳳凰台 杜甫 1000<331>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1574 杜甫詩 1500- 489
“同谷紀行(12)” 鳳凰台 杜甫 1000<331>#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1577 杜甫詩 1500- 490


 
乾元中寓居同穀縣作歌七首

其一
有客有客字子美,白頭亂發垂過耳。
歲拾橡栗隨狙公,天寒日暮山谷裡。
中原無書歸不得,手腳凍皴皮肉死。
嗚呼一歌兮歌已哀,悲風為我從天來。

其二
長鑱長?白木柄,我生托子以為命。
黃獨無苗山雪盛,短衣數挽不掩脛。
此時與子空歸來,男呻女吟四壁靜。
嗚呼二歌兮歌始放,鄰裡為我色惆悵。

其三
有弟有弟在遠方,三人各瘦何人強?
生別展轉不相見,胡塵暗天道路長。
東飛駕鵝後鶖鶬,安得送我置汝旁?
嗚呼三歌兮歌三發,汝歸何處收兄骨?

其四
有妹有妹在鐘離,良人早歿諸孤癡。
長淮浪高蛟龍怒,十年不見來何時?
扁舟欲往箭滿眼,杳杳南國多旌旗。
嗚呼四歌兮歌四奏,林猿為我啼清晝。

其五
四山多風溪水急,寒雨颯颯枯樹濕。
黃蒿古城雲不開,白狐跳樑黃狐立。
我生何為在窮穀?中夜起坐萬感集。
嗚呼五歌兮歌正長,魂招不來歸故鄉。

其六
南有龍兮在山湫,古木巃嵷枝相樛。
木葉黃落龍正蟄,蝮蛇東來水上游。
我行怪此安敢出,拔劍欲斬且複休。
嗚呼六歌兮歌思遲,溪壑為我回春姿。

其七
男兒生不成名身已老,三年饑走荒山道。
長安卿相多少年,富貴應須致身早。
山中儒生舊相識,但話宿昔傷懷抱。
嗚呼七歌兮悄終曲。仰視皇天白日速。


萬丈潭
青溪合冥寞,神物有顯晦。龍依積水蟠,窟壓萬丈內。
局步淩垠堮,側身下煙靄。前臨洪濤寬,卻立蒼石大。
山色一徑盡,岸絕兩壁對。削成根虛無,倒影垂澹濧。
黑知灣寰底,清見光炯碎。孤雲到來深,飛鳥不在外。
高蘿成帷幄,寒木壘旌旆。遠川曲通流,嵌竇潛泄瀨。
造幽無人境,發興自我輩。告歸遺恨多,將老斯遊最。
閉藏修鱗蟄,出入巨石礙。何當暑天過,快意風雲會。


“同谷紀行(12)” 鳳凰台 杜甫 1000<331>#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1577 杜甫詩 1500- 490

 
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“同谷紀行(12)” 鳳凰台 杜甫 1000<331>#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1577 杜甫詩 1500- 490 


詩 題:“同谷紀行(12)” 鳳凰台 759年11月
掲 載; 杜甫1000の331首目-#3
杜甫ブログ;1500-490回目





鳳凰台 #1
亭亭鳳凰台,北對西康州。
樹木などが高く生えて山がそびえたっているのが鳳風台である、その山の北には昔西康州といわれた地域に向かいあっているのである。
西伯今寂寞,凰聲亦悠悠。
周の文王のような聖人は今は現れず寂しい限りである、鳳凰の台といわれても鳳凰の声もまた絶えて聞くことがないのだろう。
山峻路絕蹤,石林氣高浮。
この山はけわしくて道には人の足跡も絶えているようだし、石柱の林の上に「仁徳の気」が高く浮かんでいて降りてきてはくれないのだ。
安得萬丈梯,為君上上頭?
どうにかして一万丈もある梯子を手に入れたいものだ、そうすれば君子のためにあの頂上の上に昇ってみることができるだろう。
#2
恐有母無雛,饑寒日啾啾。
ひょっとすると母のない鳳凰の雛がいるのか心配だ、そうだとすると、ひもじさと極寒をうったえて毎日ぴいぴいちいちいと鳴いていることだろう。
我能剖心血,飲啄慰孤愁。
わたしはよく「自分の心臓を引き裂いて取り出し、その血を飲ませ、肉を啄ませてその孤独なさびしさを慰めてやろう」という経典がある。
心以當竹實,炯然無外求。
心臓をもって竹の実の代わりにするというのなら、ひなたちはきらきらと輝く心臓あればほかのものを求めることをしないであろう。
血以當醴泉,豈徒比清流?
血をもって甘い泉の水の代わりにするというのなら、ひなたちにとってそれは清流の水とくらべられるものではないだろう。
所重王者瑞,敢辭微命休。
こんなに鳳凰を愛重するわけはその鳥が帝王の 瑞相のめでたいしるしであるからであり、この鳥のためならばわたしのつまらぬ命が絶えるのもいといはしない。
#3
坐看彩翮長,舉意八極周。
やがてはその五色の羽がのびているのを普通に見ることができだろう、それは、思う存分に世界の四方と四隅の果てまでくまなくめぐるのである。
自天銜瑞圖,飛下十二樓。
そして天にめでたい神の予言は図形をさずけられそれをくわえて、神仙の降る場である「五城十二楼」に飛び下りて来るのである。
圖以奉至尊,鳳以垂鴻猷。
その図書を天子に献上たてまつり、鳳凰をもってする大いなる計画を後々まで残すのである。
再光中興業,一洗蒼生憂。
そうすれば唐朝中興の大事業をあらためて輝かせることができ、人民の憂いをすっかり洗い落としてしまうことができるのである。
深衷正為此,群盜何淹留。
わたしがこの鳳凰山を見て深い思いに沈むのはまさにこのことのためなのである、安史軍の盗賊の群れとなっている叛徒の者たち、お前たちは何時までも留まり続けることはできるはずがないのだ。

(鳳凰台) 
亭亭【ていてい】たる鳳凰【ほうおう】の台、北のかた西康州【こうしゅう】に対す。
西伯【さいはく】今は寂寞【せきばく】、鳳声【ほうせい】 亦た悠悠。
山は峻しくして路は蹤【あと】を絶ち、石林に気は高く浮かぶ。
安【いずく】にか万丈の梯【てい】を得て、君の為に上頭に上らん。

恐らくは無母の雛【すう】有りて、饑寒して日びに啾啾たらん。

我は能く心を剖【き】きて出だし、飲啄【いんたく】して孤愁【こしゅう】を慰めん。
心は以て竹実に当つれば、炯然【けいぜん】外に求むる無し。
血は以て醴泉に当つれば、豈に徒【た】だ清流に比するのみならんや。

重んずる所は王者の瑞【ずい】なればなり、敢て辞せんや 徴命の休するを。

坐に看ん 彩翮【さいかく】長じて、意を縦ままにして八極に周【あまね】きを。
天より瑞図【ずいと】を銜み、飛びて十二楼に下る。
鳳は以て至尊に奉じ、鳳は以て鴻猷【こうゆう】を垂れん。
再び中興の業を光かせ、蒼生の憂いを一洗せん。」
深衷【しんちゅう】 正に此れが為なり、群盗 何ぞ掩留【えんりゅう】するや。」


終南山03

現代語訳と訳註
(本文)
#3
坐看彩翮長,舉意八極周。自天銜瑞圖,飛下十二樓。
圖以奉至尊,鳳以垂鴻猷。」
再光中興業,一洗蒼生憂。深衷正為此,群盜何淹留。」


(下し文)
重んずる所は王者の瑞【ずい】なればなり、敢て辞せんや 徴命の休するを。
坐に看ん 彩翮【さいかく】長じて、意を縦ままにして八極に周【あまね】きを。
天より瑞図【ずいと】を銜み、飛びて十二楼に下る。
鳳は以て至尊に奉じ、鳳は以て鴻猷【こうゆう】を垂れん。
再び中興の業を光かせ、蒼生の憂いを一洗せん。」
深衷【しんちゅう】 正に此れが為なり、群盗 何ぞ掩留【えんりゅう】するや。」


(現代語訳)
やがてはその五色の羽がのびているのを普通に見ることができだろう、それは、思う存分に世界の四方と四隅の果てまでくまなくめぐるのである。
そして天にめでたい神の予言は図形をさずけられそれをくわえて、神仙の降る場である「五城十二楼」に飛び下りて来るのである。
その図書を天子に献上たてまつり、鳳凰をもってする大いなる計画を後々まで残すのである。
そうすれば唐朝中興の大事業をあらためて輝かせることができ、人民の憂いをすっかり洗い落としてしまうことができるのである。
わたしがこの鳳凰山を見て深い思いに沈むのはまさにこのことのためなのである、安史軍の盗賊の群れとなっている叛徒の者たち、お前たちは何時までも留まり続けることはできるはずがないのだ。


(訳注)#3
坐看彩翮長,舉意八極周。

やがてはその五色の羽がのびているのを普通に見ることができだろう、それは、思う存分に世界の四方と四隅の果てまでくまなくめぐるのである。
・翮 (1) 鳥の羽の茎.(2) 翼.
舉意 めでたい気運の気持ちを持ってはばたくこと。
・八極 四方と四隅。東・西・南・北、乾(けん)・坤(こん)・艮(ごん)・巽(そん)の八方。また、八方の遠い土地。


自天銜瑞圖,飛下十二樓。
そして天にめでたい神の予言は図形をさずけられそれをくわえて、神仙の降る場である「五城十二楼」に飛び下りて来るのである。
・瑞図 めでたい図形を書いた文書。神の予言は図形をもって示されると考えられていた。
・十二楼 「五城十二楼」の十二の高楼のこと。史記巻28『封禅書』「曰、黄帝時為五城十二楼、以候神人。」(黄帝の時、五城十二楼を為り、以て神人を候う。)伝説三皇五帝・黄帝の時代、五つの宮殿、十二の高殿を造って、ここに神秘のひとたちをお迎えした。神仙の降る場をいう。『抱朴子』によればこの五城十二楼は、今も崑崙山の山頂にあるという。『漢書』郊祀志下にも見える。


圖以奉至尊,鳳以垂鴻猷。」
その図書を天子に献上たてまつり、鳳凰をもってする大いなる計画を後々まで残すのである。
・鴻猷 大きなはかりごと


再光中興業,一洗蒼生憂。
そうすれば唐朝中興の大事業をあらためて輝かせることができ、人民の憂いをすっかり洗い落としてしまうことができるのである。
・中興業 唐朝中興の大事業。玄宗皇帝の初期は「開元の治」といわれたが、李林甫の専横、楊一族の頽廃、安禄山史思明の叛乱のため滅亡寸前まで崩壊しかけた唐王朝を復活させることは悲願であった。
・蒼生 人民。『行次昭陵』#2「往者災猶降,蒼生喘未蘇。」(往者災猶降る、蒼生喘ぎて未だ蘇せず。)


深衷正為此,群盜何淹留。」
わたしがこの鳳凰山を見て深い思いに沈むのはまさにこのことのためなのである、安史軍の盗賊の群れとなっている叛徒の者たち、お前たちは何時までも留まり続けることはできるはずがないのだ。
群盗 史思明の安史軍をさしていう。この詩の作られたころには史思明の軍隊がどうせき潼関の近くまでおし寄せて来ていた。



○韻字 州・悠/浮・頭/雛・啾・愁・求/・流・休/・周・楼・猷/業・憂・留。


鳳凰台 #1
亭亭鳳凰台,北對西康州。西伯今寂寞,凰聲亦悠悠。
山峻路絕蹤,石林氣高浮。安得萬丈梯,為君上上頭?」
#2
恐有母無雛,饑寒日啾啾。我能剖心血,飲啄慰孤愁。
心以當竹實,炯然無外求。血以當醴泉,豈徒比清流?
所重王者瑞,敢辭微命休。」
#3
坐看彩翮長,舉意八極周。自天銜瑞圖,飛下十二樓。
圖以奉至尊,鳳以垂鴻猷。」
再光中興業,一洗蒼生憂。深衷正為此,群盜何淹留。」

“同谷紀行(12)” 鳳凰台 杜甫 1000<331>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1574 杜甫詩 1500- 489

 
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“同谷紀行(12)” 鳳凰台 杜甫 1000<331>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1574 杜甫詩 1500- 489


鳳凰台 #1
亭亭鳳凰台,北對西康州。
樹木などが高く生えて山がそびえたっているのが鳳風台である、その山の北には昔西康州といわれた地域に向かいあっているのである。
西伯今寂寞,凰聲亦悠悠。
周の文王のような聖人は今は現れず寂しい限りである、鳳凰の台といわれても鳳凰の声もまた絶えて聞くことがないのだろう。
山峻路絕蹤,石林氣高浮。
この山はけわしくて道には人の足跡も絶えているようだし、石柱の林の上に「仁徳の気」が高く浮かんでいて降りてきてはくれないのだ。
安得萬丈梯,為君上上頭?

どうにかして一万丈もある梯子を手に入れたいものだ、そうすれば君子のためにあの頂上の上に昇ってみることができるだろう。
#2
恐有母無雛,饑寒日啾啾。
ひょっとすると母のない鳳凰の雛がいるのか心配だ、そうだとすると、ひもじさと極寒をうったえて毎日ぴいぴいちいちいと鳴いていることだろう。
我能剖心血,飲啄慰孤愁。
わたしはよく「自分の心臓を引き裂いて取り出し、その血を飲ませ、肉を啄ませてその孤独なさびしさを慰めてやろう」という経典がある。
心以當竹實,炯然無外求。
心臓をもって竹の実の代わりにするというのなら、ひなたちはきらきらと輝く心臓あればほかのものを求めることをしないであろう。
血以當醴泉,豈徒比清流?
血をもって甘い泉の水の代わりにするというのなら、ひなたちにとってそれは清流の水とくらべられるものではないだろう。
所重王者瑞,敢辭微命休。

こんなに鳳凰を愛重するわけはその鳥が帝王の 瑞相のめでたいしるしであるからであり、この鳥のためならばわたしのつまらぬ命が絶えるのもいといはしない。
#3
坐看彩翮長,舉意八極周。自天銜瑞圖,飛下十二樓。
圖以奉至尊,鳳以垂鴻猷。再光中興業,一洗蒼生憂。
深衷正為此,群盜何淹留。


(鳳凰台) 
亭亭【ていてい】たる鳳凰【ほうおう】の台、北のかた西康州【こうしゅう】に対す。
西伯【さいはく】今は寂寞【せきばく】、鳳声【ほうせい】 亦た悠悠。
山は峻しくして路は蹤【あと】を絶ち、石林に気は高く浮かぶ。
安【いずく】にか万丈の梯【てい】を得て、君の為に上頭に上らん。
#2
恐らくは無母の雛【すう】有りて、饑寒して日びに啾啾たらん。
我は能く心を剖【き】きて出だし、飲啄【いんたく】して孤愁【こしゅう】を慰めん。
心は以て竹実に当つれば、炯然【けいぜん】外に求むる無し。
血は以て醴泉に当つれば、豈に徒【た】だ清流に比するのみならんや。

#3
重んずる所は王者の瑞【ずい】なればなり、敢て辞せんや 徴命の休するを。
坐に看ん 彩翮【さいかく】長じて、意を縦ままにして八極に周【あまね】きを。
天より瑞図【ずいと】を銜み、飛びて十二楼に下る。
鳳は以て至尊に奉じ、鳳は以て鴻猷【こうゆう】を垂れん。
再び中興の業を光かせ、蒼生の憂いを一洗せん。
深衷【しんちゅう】 正に此れが為なり、群盗 何ぞ掩留【えんりゅう】するや。



現代語訳と訳註
(本文)
#2
恐有母無雛,饑寒日啾啾。我能剖心血,飲啄慰孤愁。
心以當竹實,炯然無外求。血以當醴泉,豈徒比清流?
所重王者瑞,敢辭微命休。


(下し文)
恐らくは無母の雛【すう】有りて、饑寒して日びに啾啾たらん。
我は能く心を剖【き】きて出だし、飲啄【いんたく】して孤愁【こしゅう】を慰めん。
心は以て竹実に当つれば、炯然【けいぜん】外に求むる無し。
血は以て醴泉に当つれば、豈に徒【た】だ清流に比するのみならんや。


(現代語訳)
ひょっとすると母のない鳳凰の雛がいるのか心配だ、そうだとすると、ひもじさと極寒をうったえて毎日ぴいぴいちいちいと鳴いていることだろう。
わたしはよく「自分の心臓を引き裂いて取り出し、その血を飲ませ、肉を啄ませてその孤独なさびしさを慰めてやろう」という経典がある。
心臓をもって竹の実の代わりにするというのなら、ひなたちはきらきらと輝く心臓あればほかのものを求めることをしないであろう。
血をもって甘い泉の水の代わりにするというのなら、ひなたちにとってそれは清流の水とくらべられるものではないだろう。
こんなに鳳凰を愛重するわけはその鳥が帝王の 瑞相のめでたいしるしであるからであり、この鳥のためならばわたしのつまらぬ命が絶えるのもいといはしない。


(訳注) #2
恐有母無雛,饑寒日啾啾。
ひょっとすると母のない鳳凰の雛がいるのか心配だ、そうだとすると、ひもじさと極寒をうったえて毎日ぴいぴいちいちいと鳴いていることだろう。
○啾啾 鳳凰の雛の鳴き声の形容。古楽府の「瀧西行」に「鳳凰鳴啾啾、一母将九雛。」(鳳凰鳴いて啾啾たり、一母は九雛を将【ひさ】ゆ)とある。
 

我能剖心血,飲啄慰孤愁。
わたしはよく「自分の心臓を引き裂いて取り出し、その血を飲ませ、肉を啄ませてその孤独なさびしさを慰めてやろう」という経典がある。
○我能剖心血 母鳥をなくした鳳凰の雛のために、自分の心臓の血と肉とを裂き与えるとする発想には、飢えた虎の母子を助けるためにおのれの生命をなげうったという『金光明経』捨身品に見える摩珂薩埵太子の話に基づいている。『金光明経』捨身品第十七「有一虎。適産七日而有七子。圍繞周匝飢餓窮悴。身體羸瘦命將欲絶。」


心以當竹實,炯然無外求。
心臓をもって竹の実の代わりにするというのなら、ひなたちはきらきらと輝く心臓あればほかのものを求めることをしないであろう。
○竹実 竹の実。鳳風の食べ物とされる。
炯然 きらきらと輝くさま。心臓の色についていう。


血以當醴泉,豈徒比清流?
血をもって甘い泉の水の代わりにするというのなら、ひなたちにとってそれは清流の水とくらべられるものではないだろう。
醴泉 甘泉の水。『荘子』秋水農に鵷雛(鳳雛)は、「非練実不食、非醴泉不飲。」(練実に非ざれば食わず、醴泉に非ざれば飲まず。)とある。


所重王者瑞,敢辭微命休。
こんなに鳳凰を愛重するわけはその鳥が帝王の 瑞相のめでたいしるしであるからであり、この鳥のためならばわたしのつまらぬ命が絶えるのもいといはしない。

“同谷紀行(12)” 鳳凰台 杜甫 1000<331>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1571 杜甫詩 1500- 488

 
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“同谷紀行(12)” 鳳凰台 杜甫 1000<331>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1571 杜甫詩 1500- 488 


詩 題:“同谷紀行(12)” 鳳凰台 759年11月
掲 載; 杜甫1000の331首目-#1
杜甫ブログ;1500-488回目
五言古詩。同谷紀行の第十二首。同谷の東南にそびえる岩山鳳風山を眺めつつ同谷に入るとき、同谷を祝福する讃歌として作る。
同谷は、北に積草嶺、西に仇池山、南に泥功山、南南東に宝井堡、東南に鳳凰山がある。


鳳凰台 #1
亭亭鳳凰台,北對西康州。
樹木などが高く生えて山がそびえたっているのが鳳風台である、その山の北には昔西康州といわれた地域に向かいあっているのである。
西伯今寂寞,凰聲亦悠悠。
周の文王のような聖人は今は現れず寂しい限りである、鳳凰の台といわれても鳳凰の声もまた絶えて聞くことがないのだろう。
山峻路絕蹤,石林氣高浮。
この山はけわしくて道には人の足跡も絶えているようだし、石柱の林の上に「仁徳の気」が高く浮かんでいて降りてきてはくれないのだ。
安得萬丈梯,為君上上頭?

どうにかして一万丈もある梯子を手に入れたいものだ、そうすれば君子のためにあの頂上の上に昇ってみることができるだろう。
#2
恐有母無雛,饑寒日啾啾。我能剖心血,飲啄慰孤愁。
心以當竹實,炯然無外求。血以當醴泉,豈徒比清流?
所重王者瑞,敢辭微命休。
#3
坐看彩翮長,舉意八極周。自天銜瑞圖,飛下十二樓。
圖以奉至尊,鳳以垂鴻猷。再光中興業,一洗蒼生憂。
深衷正為此,群盜何淹留。


(鳳凰台) 
亭亭【ていてい】たる鳳凰【ほうおう】の台、北のかた西康州【こうしゅう】に対す。
西伯【さいはく】今は寂寞【せきばく】、鳳声【ほうせい】 亦た悠悠。
山は峻しくして路は蹤【あと】を絶ち、石林に気は高く浮かぶ。
安【いずく】にか万丈の梯【てい】を得て、君の為に上頭に上らん。

恐らくは無母の雛【すう】有りて、饑寒して日びに啾啾たらん。
我は能く心を剖【き】きて出だし、飲啄【いんたく】して孤愁【こしゅう】を慰めん。
心は以て竹実に当つれば、炯然【けいぜん】外に求むる無し。
血は以て醴泉に当つれば、豈に徒【た】だ清流に比するのみならんや。

重んずる所は王者の瑞【ずい】なればなり、敢て辞せんや 徴命の休するを。
坐に看ん 彩翮【さいかく】長じて、意を縦ままにして八極に周【あまね】きを。
天より瑞図【ずいと】を銜み、飛びて十二楼に下る。
鳳は以て至尊に奉じ、鳳は以て鴻猷【こうゆう】を垂れん。
再び中興の業を光かせ、蒼生の憂いを一洗せん。
深衷【しんちゅう】 正に此れが為なり、群盗 何ぞ掩留【えんりゅう】するや。


 

現代語訳と訳註
(本文)
鳳凰台 #1
亭亭鳳凰台,北對西康州。西伯今寂寞,凰聲亦悠悠。
山峻路絕蹤,石林氣高浮。安得萬丈梯,為君上上頭?


(下し文)
亭亭【ていてい】たる鳳凰【ほうおう】の台、北のかた西康州【こうしゅう】に対す。
西伯【さいはく】今は寂寞【せきばく】、鳳声【ほうせい】 亦た悠悠。
山は峻しくして路は蹤【あと】を絶ち、石林に気は高く浮かぶ。
安【いずく】にか万丈の梯【てい】を得て、君の為に上頭に上らん。


(現代語訳)
樹木などが高く生えて山がそびえたっているのが鳳風台である、その山の北には昔西康州といわれた地域に向かいあっているのである。
周の文王のような聖人は今は現れず寂しい限りである、鳳凰の台といわれても鳳凰の声もまた絶えて聞くことがないのだろう。
この山はけわしくて道には人の足跡も絶えているようだし、石柱の林の上に「仁徳の気」が高く浮かんでいて降りてきてはくれないのだ。
どうにかして一万丈もある梯子を手に入れたいものだ、そうすれば君子のためにあの頂上の上に昇ってみることができるだろう。


(訳注) #1
鳳凰台
 同谷:甘粛省成県の東南にある鳳凰山。地図参照。
現・甘粛省東南端の成県。『中国歴史地図集』第五冊 隋・唐・五代十国時期(中国地図出版社)52―53ページ「唐 山南東道山南西道」にある。

秦州同谷0002k52


亭亭鳳凰台,北對西康州。
樹木などが高く生えて山がそびえたっているのが鳳風台である、その山の北には昔西康州といわれた地域に向かいあっているのである。
亭亭  1 樹木などが高くまっすぐにそびえているさま。2 遠くはるかなさま。
・西康州 唐の高祖の武徳の初めに同谷に置かれたが、太宗の貞観中に廃せられた。ここではわざと古名を用いて同谷を呼ぶ。


西伯今寂寞,凰聲亦悠悠。
周の文王のような聖人は今は現れず寂しい限りである、鳳凰の台といわれても鳳凰の声もまた絶えて聞くことがないのだろう。
西伯 周の文王姫昌をいう。文王(ぶんのう、未詳 - 紀元前1152年-紀元前1056年 寿命 97才)のことで、中国の周朝の始祖であり、西の統括をする西伯に任じられたことでこう呼ぶ。儒家からは武王と並んで聖王として崇められ、為政者の手本となった。
鳳声 ほうおうの声。ほうおうは想像上の瑞鳥で、周の文王のとき、岐山に飛んで来て鳴いたといわれる(『国語』周語上、『詩経』大雅・巻阿)。ほうおうは聖人の出現の前兆とされる。
悠悠 はるかなさま、さびしいさまの両義があるが、ここでは聴こえてもはるかさきであり、聞こえないことがさびしいと、その両義を含む。


山峻路絕蹤,石林氣高浮。
この山はけわしくて道には人の足跡も絶えているようだし、石柱の林の上に「仁徳の気」が高く浮かんでいて降りてきてはくれないのだ。


安得萬丈梯,為君上上頭?
どうにかして一万丈もある梯子を手に入れたいものだ、そうすれば君子のためにあの頂上の上に昇ってみることができるだろう。
為君 君は君子であり、杜甫を迎えてくれた土地の人を指す。○上頭 いただき。唐のころの口語であり、現在も使われている。

“同谷紀行(11)” 泥功山 杜甫 1000<330> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1568 杜甫詩 1500- 487

 
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2012年12月1日から連載開始
唐五代詞詩・宋詞詩

『菩薩蠻 一』温庭筠   花間集

“同谷紀行(11)” 泥功山 杜甫 1000<330> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1568 杜甫詩 1500- 487 


詩 題:“同谷紀行(11)” 泥功山  759年11月
掲 載; 杜甫700の330首目-#1
杜甫ブログ;487回目
1.發秦州→ 2.赤穀→ 3.鐵堂峽→ 4.鹽井→ 5.寒峡→ 6.法鏡寺→ 7.青陽峡→ 8.龍門鎮→ 9.石龕→ 10.積草嶺→ 
11.泥功山→ 12.鳳凰台

秦州同谷0002k52

泥功山
朝行青泥上,暮在青泥中。
(此処の泥田に遭遇すると王維との思いでに、)朝方青泥城に上った、夕方には青泥の堤の中でジュンサイを取ったことがあった。
泥濘非一時,版築勞人功。
しかしこの地のぬかるみは雪解けの一時的なものとは違うようだ、土を層状につき固めて堤をつくる労働者たちの功績によって、やっと通ることが出来るのである。
不畏道途永,乃將汩沒同?
自分の信じる道はいかに遠くて長い道のりであっても恐れることはないのである。それはまさに屈原が自分の信念を曲げないが途中であきらめて汨羅に身を投じた故事でわかるではないか。
白馬為鐵驪,小兒成老翁。
白馬にのって鉄山や驪山を制覇したというても、いつまでも若いばかりでなく老人になっていくものである。
哀猿透卻墜,死鹿力所窮。
悲しい声で叫ぶ猿も何もなくなった木からは落ちてしまうだろうし、詩経にいう死鹿は狩りにより囲まれれば力尽きてしまうものである。
寄語北來人,後來莫匆匆。

そんな風に思っていると秦州の方から書簡を持ってきてくれた人がいる。それによると人生、年を取っていくとしてもあくせくするものではないということであった。

現代語訳と訳註
(本文)
泥功山
朝行青泥上,暮在青泥中。泥濘非一時,版築勞人功。
不畏道途永,乃將汩沒同?白馬為鐵驪,小兒成老翁。
哀猿透卻墜,死鹿力所窮。寄語北來人,後來莫匆匆。


(下し文) 泥功山
朝に行く 青泥【せいでい】の上,暮に在る 青泥の中。
泥濘【でいねい】は一時に非らず,版築【はんちく】人功を勞す。
道は永らく途くを畏れず,乃ち將って汩に沒すと同じうす?
白馬 鐵驪【てつり】を為し,小兒 老翁と成す。
哀猿 卻【かえ】て透して墜る,死鹿【しろく】力窮きる所なり。
北より來人して語を寄せる,來りて後 匆匆【そうそう】とする莫れ。


(現代語訳)
(此処の泥田に遭遇すると王維との思いでに、)朝方青泥城に上った、夕方には青泥の堤の中でジュンサイを取ったことがあった。
しかしこの地のぬかるみは雪解けの一時的なものとは違うようだ、土を層状につき固めて堤をつくる労働者たちの功績によって、やっと通ることが出来るのである。
自分の信じる道はいかに遠くて長い道のりであっても恐れることはないのである。それはまさに屈原が自分の信念を曲げないが途中であきらめて汨羅に身を投じた故事でわかるではないか。
白馬にのって鉄山や驪山を制覇したというても、いつまでも若いばかりでなく老人になっていくものである。
悲しい声で叫ぶ猿も何もなくなった木からは落ちてしまうだろうし、詩経にいう死鹿は狩りにより囲まれれば力尽きてしまうものである。
そんな風に思っていると秦州の方から書簡を持ってきてくれた人がいる。それによると人生、年を取っていくとしてもあくせくするものではないということであった。


(訳注)
泥功山 
中國歴史地図唐時代で確認すると「泥功山」は同谷の南に位置し、杜甫一行は同谷に到着したのであろう。崖の切り立った山の上に田があるという。同谷はに積草嶺、西に仇池山、南に泥功山、南南東に宝井堡、東南に鳳凰山がある。
・ とりで土や石で築いた宝井堡の小城がある。「堡塞(ほうさい)・堡塁(ほうるい)のことをうたったもの。
麻姑は古代神話中の人物で、相伝によると、毎年3月3日、西王母の長寿を祝う蟠桃盛会が行なわれるが、麻姑は霊芝を醸した美酒を携え、西王母の寿礼を献じる伝説が伝わる地域である。


朝行青泥上,暮在青泥中。
(此処の泥田に遭遇すると王維との思いでに、)朝方青泥城に上った、夕方には青泥の堤の中でジュンサイを取ったことがあった。
青泥 青泥城は藍田県南七里にある。
崔氏東山草堂
愛汝玉山草堂靜,高秋爽氣相鮮新。
有時自發鐘磬響,落日更見漁樵人。
盤剝白鴉谷口栗,飯煮青泥坊底蓴。
何為西莊王給事,柴門空閉鎖松筠?


泥濘非一時,版築勞人功。
しかしこの地のぬかるみは雪解けの一時的なものとは違うようだ、土を層状につき固めて堤をつくる労働者たちの功績によって、やっと通ることが出来るのである。
・泥濘 雨や雪解けなどで地面がぬかっている所。
・版築 土を層状につき固めて建物の基壇や壁,築地塀,城壁などをつくる方法。〈ばんちく〉ともいう。中国では夯土(こうど)といい,三方囲いの板枠を用いて家の壁や塀に広く用いられる。最古の例は殷代早期の河南省偃師二里頭遺跡の宮殿基壇で,竜山文化期から戦国時代にかけての城壁や大墓にみられるほか,漢代から現在まで引き続き行われている。


不畏道途永,乃將汩沒同?
自分の信じる道はいかに遠くて長い道のりであっても恐れることはないのである。それはまさに屈原が自分の信念を曲げないが途中であきらめて汨羅に身を投じた故事でわかるではないか。
・汩沒 楚の屈原が自己の信じて諫言をしたが天子が改めることをしないことを儚んで、汨羅に身を投じて死んだ故事。


白馬為鐵驪,小兒成老翁。
白馬にのって鉄山や驪山を制覇したというても、いつまでも若いばかりでなく老人になっていくものである。
白馬 白馬については杜甫は故事を例にとった詩を多く残している。①曹植『白馬篇』「白馬飾金羈、連翩西北馳。」
②後漢代の末に白馬氐(はくばてい)部族の楊駒が仇池国を興し、三百八十年にわたり周辺を支配した。
③白馬は梁の叛将侯景の故事。ここは史思明等の賊将をさす、史思明は時に魏州(河北省大名府元城県東)を陥落させている。侯景は北魏の爾朱栄軍で頭角を現し、北魏が東西に分裂すると東魏の高歓の旗下に入り、河南大行台に任じられる。高歓死去後、東魏への叛乱を起こし、支配する州郡と共に梁の武帝に帰順した。その後、東魏の武将慕容紹宗に敗れ、寿春(安徽省)へ退いた。梁と東魏の間に和議成立の情勢となると、梁への叛乱を起こす。548年(太清2年)、梁宗室の蕭正徳を味方に就けて10万の兵を集め、都の建康に迫った。この時白馬にまたがっていたのが侯景であった。
『秦州雑詩』、『遣興』、『先兵馬』、『哀江頭』、『驄馬行』などに白馬の記述が見える。


哀猿透卻墜,死鹿力所窮。
悲しい声で叫ぶ猿も何もなくなった木からは落ちてしまうだろうし、詩経にいう死鹿は狩りにより囲まれれば力尽きてしまうものである。
哀猿 『九成宮』「哀猿啼一聲,客淚迸林叢。」(哀猿啼くこと一声、客涙林叢に迸【ほとばし】る。)
『奉贈太常張卿洎二十韻』「檻束哀猿叫,枝驚夜鵲棲。」(檻に束ねられて哀猿叫び 枝に驚きて夜鵲棲む)
死鹿 『詩経、召南、野有死麕』「林有樸浤、野有死鹿。白茅純束、女有り如玉。」(林に樸浤有り、野に死鹿有り。白茅純束、有女玉の如し。) 


寄語北來人,後來莫匆匆。
そんな風に思っていると秦州の方から書簡を持ってきてくれた人がいる。それによると人生、年を取っていくとしてもあくせくするものではないということであった。
・匆匆 あわただしいさま。烏兎匆匆 意味。歳月のあわただしく過ぎ去るたとえ。「匆匆」は急ぐさま、あわただしいさま。「匆匆」は「怱怱」とも書く。
酬孟雲卿
樂極傷頭白,更長愛燭紅。
相逢難袞袞,告別匆匆
但恐天河落,寧辭酒盞空?
明朝牽世務,揮淚各西東。
孟雲卿に酬ゆ
樂しみ極まれて頭白を傷む,更長【こうちょう】燭紅を愛す。
相い逢いて袞袞【こんこん】としするが難し,告別は匆匆【そうそう】とする莫れ
但恐れる天河の落るを,寧ぞ酒盞空を辭さんや?
明朝 世務に牽き,淚を揮って各々西東たり。

“同谷紀行(10)” 積草嶺 杜甫 1000<329>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1565 杜甫詩 1500- 486

 
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 上代・後漢・三国・晉南北朝・隋初唐・盛唐・中唐・晩唐北宋の詩人  
 
“同谷紀行(10)” 積草嶺 杜甫 1000<329>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1565 杜甫詩 1500- 486 


詩 題:“同谷紀行(10)” 積草嶺 759年11月
掲 載; 杜甫1000の329首目-#2 同谷は、北に積草嶺、西に仇池山、南に泥功山、南南東に宝井堡、東南に鳳凰山がある。
杜甫ブログ;1500-486回目


積草嶺
連風積長陰,白日遞隱見。
冬の風は止むことがなく重たい雲は幾重にも重なりどこまでも長く続いている。真昼の太陽は雲の合間から見え隠れしている。
颼颼林響交,慘慘石狀變。
しゅうしゅうと雨、風の音がかすかに林を抜けて行く音を起している、岩場はさんざんとして、進むにつれて形を変えている。
山分積草嶺,路異鳴水縣。
山の稜線が分かれてくると積草の嶺であり,ここからは路は異って下流に向かうことになり、鳴水の縣にむかうのである。
旅泊吾道窮,衰年歲時倦。

旅をし、泊まり仕度を重ねたが我々の行く路はようやく目的地が分かってきたことになる。こんなに衰えて老人になり、おまけにこの年も暮れかかる時期になってきている。

卜居尚百裡,休駕投諸彥。
住居とするところを決めたかと思うと、又こうして百里の道を進んでいる。こんな旅はもうやめにして、隠遁生活をしている諸先輩の中に収まることにしたいものだ。
邑有佳主人,情如已會面。
その村には隠遁者のいい先輩がいたのである。心情的にも旧知の人たちのようにしてくれていい人たちであった。
來書語絕妙,遠客驚深眷。
到着した書簡はいい言葉、絶妙な言い回しのものであった、遠い地に旅する私としては私の心情を読み取った深い見識に驚かされたものであった。
食蕨不願餘,茅茨眼中見。
ただその土地は、山菜の蕨を食べたりできてはいたが、食べきれないほどあるわけではないのだ、だからこうして旅をしていると茅や茨の苦しいものであって私の目は山中の山菜に向けられるのである。


連風 長陰 積り,白日 遞【たが】いに 隱見す。
颼颼【しょうしょう】として 林の響くは交わり,慘慘【さんさん】として石狀は變す。
山 分れて積草の嶺,路 異りて鳴水の縣。
旅泊して吾が道の窮み,衰年となり歲 時として倦く。
卜居して尚お百裡する,駕を休みて諸彥に投ずる。
邑に佳き主人有り,情 已に會面するが如し。
來書 絕妙に語る,遠客 深く眷【かえりみ】らるるを驚く。
蕨を食いて餘を願わず,茅茨 眼は中ほどに見す。


現代語訳と訳註
(本文)

卜居尚百裡,休駕投諸彥。
邑有佳主人,情如已會面。
來書語絕妙,遠客驚深眷。
食蕨不願餘,茅茨眼中見。


(下し文)
卜居して尚お百裡する,駕を休みて諸彥に投ずる。
邑に佳き主人有り,情 已に會面するが如し。
來書 絕妙に語る,遠客 深く眷【かえりみ】らるるを驚く。
蕨を食いて餘を願わず,茅茨 眼は中ほどに見す。


(現代語訳)
住居とするところを決めたかと思うと、又こうして百里の道を進んでいる。こんな旅はもうやめにして、隠遁生活をしている諸先輩の中に収まることにしたいものだ。
その村には隠遁者のいい先輩がいたのである。心情的にも旧知の人たちのようにしてくれていい人たちであった。
到着した書簡はいい言葉、絶妙な言い回しのものであった、遠い地に旅する私としては私の心情を読み取った深い見識に驚かされたものであった。
ただその土地は、山菜の蕨を食べたりできてはいたが、食べきれないほどあるわけではないのだ、だからこうして旅をしていると茅や茨の苦しいものであって私の目は山中の山菜に向けられるのである。


(訳注)
ト居尚百里、休駕投諸彦。

住居とするところを決めたかと思うと、又こうして百里の道を進んでいる。こんな旅はもうやめにして、隠遁生活をしている諸先輩の中に収まることにしたいものだ。
・諸彦 1 多くのすぐれた人。2 主に男性が、多くの男性に対して敬意を込めていう語。多く、手紙などで用いる。みなさん。


邑有佳主人、情如已會面。
その村には隠遁者のいい先輩がいたのである。心情的にも旧知の人たちのようにしてくれていい人たちであった。


来書語絶妙、遠客驚深眷。
到着した書簡はいい言葉、絶妙な言い回しのものであった、遠い地に旅する私としては私の心情を読み取った深い見識に驚かされたものであった。


食蕨不願餘,茅茨眼中見。
ただその土地は、山菜の蕨を食べたりできてはいたが、食べきれないほどあるわけではないのだ、だからこうして旅をしていると茅や茨の苦しいものであって私の目は山中の山菜に向けられるのである。

“同谷紀行(10)” 積草嶺 杜甫 1000<329>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1562 杜甫詩 1500- 485

 
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“同谷紀行(10)” 積草嶺 杜甫 1000<329>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1562 杜甫詩 1500- 485


詩 題:“同谷紀行(10)” 積草嶺 759年11月
掲 載; 杜甫1000の329首目-#1
杜甫ブログ;1500-485回目


積草嶺
連風積長陰,白日遞隱見。
冬の風は止むことがなく重たい雲は幾重にも重なりどこまでも長く続いている。真昼の太陽は雲の合間から見え隠れしている。
颼颼林響交,慘慘石狀變。
しゅうしゅうと雨、風の音がかすかに林を抜けて行く音を起している、岩場はさんざんとして、進むにつれて形を変えている。
山分積草嶺,路異鳴水縣。
山の稜線が分かれてくると積草の嶺であり,ここからは路は異って下流に向かうことになり、鳴水の縣にむかうのである。
旅泊吾道窮,衰年歲時倦。
旅をし、泊まり仕度を重ねたが我々の行く路はようやく目的地が分かってきたことになる。こんなに衰えて老人になり、おまけにこの年も暮れかかる時期になってきている

卜居尚百裡,休駕投諸彥。邑有佳主人,情如已會面。
來書語絕妙,遠客驚深眷。食蕨不願餘,茅茨眼中見。


連風 長陰 積り,白日 遞【たが】いに 隱見す。
颼颼【しょうしょう】として 林の響くは交わり,慘慘【さんさん】として石狀は變す。
山 分れて積草の嶺,路 異りて鳴水の縣。
旅泊して吾が道の窮み,衰年となり歲 時として倦く。
卜居して尚お百裡する,駕を休みて諸彥に投ずる。
邑に佳き主人有り,情 已に會面するが如し。
來書 絕妙に語る,遠客 深く眷【かえりみ】らるるを驚く。
蕨を食いて餘を願わず,茅茨 眼は中ほどに見す。


現代語訳と訳註
(本文)
積草嶺
連風積長陰,白日遞隱見。颼颼林響交,慘慘石狀變。
山分積草嶺,路異鳴水縣。旅泊吾道窮,衰年歲時倦。


(下し文)
連風 長陰 積り,白日 遞いに 隱見す。
颼颼として 林の響くは交わり,慘慘として石狀は變す。
山分す積草の嶺,路異りて鳴水の縣。
旅泊して吾 道の窮み,衰年となり歲 時として倦く。


(現代語訳)
冬の風は止むことがなく重たい雲は幾重にも重なりどこまでも長く続いている。真昼の太陽は雲の合間から見え隠れしている。
しゅうしゅうと雨、風の音がかすかに林を抜けて行く音を起している、岩場はさんざんとして、進むにつれて形を変えている。
山の稜線が分かれてくると積草の嶺であり,ここからは路は異って下流に向かうことになり、鳴水の縣にむかうのである。
旅をし、泊まり仕度を重ねたが我々の行く路はようやく目的地が分かってきたことになる。こんなに衰えて老人になり、おまけにこの年も暮れかかる時期になってきている。


(訳注)
積草嶺

秦州、同谷間の距離的には中間あたりの右側にある山であるが、当時は川に沿って道があるものであるから、流域が、渭水黄河流域から長江上流嘉陵江の支流鳳渓水に変わって同谷の上流であるから、時間的には70~80%という感じであろうか。同谷は、北に積草嶺、西に仇池山、南に泥功山、南南東に宝井堡、東南に鳳凰山がある。

秦州同谷0002k52

連風積長陰,白日遞隱見。
冬の風は止むことがなく重たい雲は幾重にも重なりどこまでも長く続いている。真昼の太陽は雲の合間から見え隠れしている。


颼颼林響交,慘慘石狀變。
しゅうしゅうと雨、風の音がかすかに林を抜けて行く音を起している、岩場はさんざんとして、進むにつれて形を変えている。
颼颼  雨や風の音がかすかであるさま。しゅうしゅう。
慘慘 次から次へと 「いたましい。みじめ。 むごい。むごたらしい。」平坦でない様子を云う。


山分積草嶺,路異鳴水縣。
山の稜線が分かれてくると積草の嶺であり,ここからは路は異って下流に向かうことになり、鳴水の縣にむかうのである。


旅泊吾道窮,衰年歲時倦。
旅をし、泊まり仕度を重ねたが我々の行く路はようやく目的地が分かってきたことになる。こんなに衰えて老人になり、おまけにこの年も暮れかかる時期になってきている。
 疲れていやになる。長く続けてぐったりし、うんざりする。 【倦む】あぐむ. 物事をしとげられないで、どうしてよいか困る。 同じ状態が長くつづいて、いやになる。もてあます。あぐねる。 「攻め倦む」. 【倦む】うむ. 物事にあきて、いやになる。退屈する。

“同谷紀行(9)” 石龕 杜甫 1000<328>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1559 杜甫詩 1500- 484

 
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“同谷紀行(9)” 石龕 杜甫 1000<328>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1559 杜甫詩 1500- 484


石龕 #1
熊羆咆我東,虎豹號我西。
東には熊や羆がほえていて、西には虎や豹が叫んでいる。
我後鬼長嘯,我前狨又啼。
うしろはというと山鬼がうそぶいているし、前には尾長ざるが、怖ろしいことに啼いているのだ。
天寒昏無日,山遠道路迷。
天は凍りつくように寒く、たそがれはじめたかとおもうと、日は落ちてしまい、山のみちはとおくして道路をゆきまようようになる。
驅車石龕下,仲冬見虹霓。

あたかも石龕の下の道を、車を駆りたててゆくと、仲冬であるというのに時ならぬ「にじ」がみえるのである。
#2
伐竹者誰子?悲歌上雲梯。
このとき悲しくなるような歌を詠うどこのだれか知らないものだけれど、たかいはしごにのぼって竹を伐っているものがある。
為官采美箭,五歲供梁齊。
これは唐王朝のために美しいりっぱな箭竹をとっているのだ、五年のあいだ戦が続いている梁・斉の地方へ供給しているのだ。
苦雲直竿盡,無以充提攜。
そのものに聞くと困ったようにして、「もうまっすぐな竹のみきはなくなって、兵卒が手に携えるほどのものに応ずることができぬ」というのだ。
奈何漁陽騎,颯颯驚蒸黎!

ああ、なんであの漁陽の叛乱の軍らは、風の吹きまくる如く人民を驚かしつづけるのであろうか。

(石龕)#1
熊羆【ゆうひ】我が東に咆【ほ】え、虎豹【こひょう】我が西に号【さけ】ぶ。
我が後【うしろ】には鬼長く嘯【うそぶ】く、我が前には狨【じゅう】又た啼く。
天寒くして昏れて日無く、山遠くして道路迷う。
車を駆る石龕【せきがん】の下、仲冬【ちゅうとう】虹霓【こうげい】を見る。

#2
竹を伐る者は誰が子ぞ、悲歌【ひか】して雲梯【うんてい】に上る。
官【かん】の為めに美箭【びぜん】を採り、五歳【ごさい】梁斉【りょうせい】に供す。
苦【ねんごろ】に云う直幹【ちょくかん】尽きて、以て提携【ていけい】に応ずる無しと。
奈何【いかん】ぞ漁陽【ぎょよう】の騎【き】、颯颯【さつさつ】として蒸黎【じょうれい】を驚かすや。


現代語訳と訳註
(本文) 石龕
 #2
伐竹者誰子?悲歌上雲梯。
為官采美箭,五歲供梁齊。
苦雲直竿盡,無以充提攜。
奈何漁陽騎,颯颯驚蒸黎!


(下し文) #2
竹を伐る者は誰が子ぞ、悲歌【ひか】して雲梯【うんてい】に上る。
官【かん】の為めに美箭【びぜん】を採り、五歳【ごさい】梁斉【りょうせい】に供す。
苦【ねんごろ】に云う直幹【ちょくかん】尽きて、以て提携【ていけい】に応ずる無しと。
奈何【いかん】ぞ漁陽【ぎょよう】の騎【き】、颯颯【さつさつ】として蒸黎【じょうれい】を驚かすや。


(現代語訳)
このとき悲しくなるような歌を詠うどこのだれか知らないものだけれど、たかいはしごにのぼって竹を伐っているものがある。
これは唐王朝のために美しいりっぱな箭竹をとっているのだ、五年のあいだ戦が続いている梁・斉の地方へ供給しているのだ。
そのものに聞くと困ったようにして、「もうまっすぐな竹のみきはなくなって、兵卒が手に携えるほどのものに応ずることができぬ」というのだ。
ああ、なんであの漁陽の叛乱の軍らは、風の吹きまくる如く人民を驚かしつづけるのであろうか。


(訳注) 石龕 #2
伐竹者誰子?悲歌上雲梯。

このとき悲しくなるような歌を詠うどこのだれか知らないものだけれど、たかいはしごにのぼって竹を伐っているものがある。
・雲梯 たかいはしご。
悲歌 聞く方が悲歌としてとらえる。したくもない作業を強制的にさせられていることをあらわす意味。


為官采美箭,五歲供梁齊。
これは唐王朝のために美しいりっぱな箭竹をとっているのだ、五年のあいだ戦が続いている梁・斉の地方へ供給しているのだ。
・美箭 戦争道具をつくる材料としての竹。
・五歳 755年天宝十四載安禄山が反してより759年乾元二年までをいう。数え年。
・梁 河南地方。
・斉 山東地方。


苦雲直竿盡,無以充提攜。
そのものに聞くと困ったようにして、「もうまっすぐな竹のみきはなくなって、兵卒が手に携えるほどのものに応ずることができぬ」というのだ。
苦云 こまった様子でものを云うこと。
直幹 矢の材料としてまっすぐなみき。
提携 射手が手でもつこと。


奈何漁陽騎,颯颯驚蒸黎!
ああ、なんであの漁陽の叛乱の軍らは、風の吹きまくる如く人民を驚かしつづけるのであろうか。
奈何二句 詩人杜甫の語。
漁陽騎 漁は安禄山が鯨で表現されるので、陽はその根拠地、今の河北省順天府地方、これは安史軍の兵軍をさす。
觀兵 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 286
觀兵
北庭送壯士,貔虎數尤多。
精銳舊無敵,邊隅今若何?
妖氛擁白馬,元帥待雕戈。
莫守鄴城下,斬鯨遼海波。

奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 188

自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 105 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700-105-1・颯颯 風の吹くさま。
蒸黎 人民のこと、『無家別』「人生無家別,何以為蒸黎?」(人生 無家の別れ,何を似ってか蒸黎【じょうれい】と為さん。)
・蒸黎 蒸は衆に同じ、もろもろ、おおくの意で人民。黎は黒いこと、頭になにもかぶらずかみの黒いことをあらわしておる人民をいう。

無家別 杜甫 三吏三別詩 <219#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1058 杜甫詩集700- 317 

“同谷紀行(9)” 石龕 杜甫 1000<328>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1556 杜甫詩 1500- 483

 
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“同谷紀行(9)” 石龕 杜甫 1000<328>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1556 杜甫詩 1500- 483 


詩 題:“同谷紀行(9)” 石龕 759年11月
掲 載; 杜甫1000の328首目-#1杜甫
ブログ; 杜甫1500-483回目 :同谷紀行の第九首。山中の竹きりを見て、世情批判の作。


石龕 #1
熊羆咆我東,虎豹號我西。
東には熊や羆がほえていて、西には虎や豹が叫んでいる。
我後鬼長嘯,我前狨又啼。
うしろはというと山鬼がうそぶいているし、前には尾長ざるが、怖ろしいことに啼いているのだ。
天寒昏無日,山遠道路迷。
天は凍りつくように寒く、たそがれはじめたかとおもうと、日は落ちてしまい、山のみちはとおくして道路をゆきまようようになる。
驅車石龕下,仲冬見虹霓。
あたかも石龕の下の道を、車を駆りたててゆくと、仲冬であるというのに時ならぬ「にじ」がみえるのである。
#2
伐竹者誰子?悲歌上雲梯。
為官采美箭,五歲供梁齊。
苦雲直竿盡,無以充提攜。
奈何漁陽騎,颯颯驚蒸黎!

(石龕)#1
熊羆【ゆうひ】我が東に咆【ほ】え、虎豹【こひょう】我が西に号【さけ】ぶ。
我が後【うしろ】には鬼長く嘯【うそぶ】く、我が前には狨【じゅう】又た啼く。
天寒くして昏れて日無く、山遠くして道路迷う。
車を駆る石龕【せきがん】の下、仲冬【ちゅうとう】虹霓【こうげい】を見る。

#2
竹を伐る者は誰が子ぞ、悲歌【ひか】して雲梯【うんてい】に上る。
官【かん】の為めに美箭【びぜん】を採り、五歳【ごさい】梁斉【りょうせい】に供す。
苦【ねんごろ】に云う直幹【ちょくかん】尽きて、以て提携【ていけい】に応ずる無しと。
奈何【いかん】ぞ漁陽【ぎょよう】の騎【き】、颯颯【さつさつ】として蒸黎【じょうれい】を驚かすや。


現代語訳と訳註
(本文)
石龕 #1
熊羆咆我東,虎豹號我西。
我後鬼長嘯,我前狨又啼。
天寒昏無日,山遠道路迷。
驅車石龕下,仲冬見虹霓。


(下し文) (石龕)#1
熊羆【ゆうひ】我が東に咆【ほ】え、虎豹【こひょう】我が西に号【さけ】ぶ。
我が後【うしろ】には鬼長く嘯【うそぶ】く、我が前には狨【じゅう】又た啼く。
天寒くして昏れて日無く、山遠くして道路迷う。
車を駆る石龕【せきがん】の下、仲冬【ちゅうとう】虹霓【こうげい】を見る。


(現代語訳)
東には熊や羆がほえていて、西には虎や豹が叫んでいる。
うしろはというと山鬼がうそぶいているし、前には尾長ざるが、怖ろしいことに啼いているのだ。
天は凍りつくように寒く、たそがれはじめたかとおもうと、日は落ちてしまい、山のみちはとおくして道路をゆきまようようになる。
あたかも石龕の下の道を、車を駆りたててゆくと、仲冬であるというのに時ならぬ「にじ」がみえるのである。


(訳注)
石龕 
#1
○石龕 龕は石室のこと。山璧を、穿って作る石室の事である。仇池山に洞窟が嵩山の山頂の洞穴とつながっているという。『寄贊上人』「徘徊虎穴上,面勢龍泓頭。」:この地に隠遁をして仙人の仲間入りをして仇池山の洞穴などを訪ね歩き、土地を耕し、水の奥底に潜む龍のように奥深い所に隠棲するのである。・虎穴 仇池山の洞穴は古来からある、そこははるか河南の王屋山にある小有天の洞穴とひそかに通じているという、仙人の住むところである。隠遁という生活に入り込むという意味。『秦州雜詩二十首 其十四
萬古仇池穴,潛通小有天。
神魚今不見,福地語真傳。
近接西南境,長懷十九泉。
何當一茅屋,送老白雲邊。
秦州雜詩二十首 其二十
唐堯真自聖、野老復何知。
曬薬能無婦、応門幸有児。
蔵書聞禹穴、読記憶仇池。
為報鴛行旧、鷦鷯在一枝。
この地において洞穴、石室が結構あったのであろう。所在は不明。

秦州同谷0002k52

熊羆咆我東,虎豹號我西。
東には熊や羆がほえていて、西には虎や豹がさけんでいる。


我後鬼長嘯,我前狨又啼。
うしろはというと山鬼がうそぶいているし、前には尾長ざるが、怖ろしいことに啼いているのだ。
・鬼 山鬼。
 猿のたぐいで金色の尾を有するという。『楚辞、九歌、山鬼』
雷填填兮雨冥冥、猿啾啾兮又夜鳴。
風颯颯兮木蕭蕭、思公子兮徒離憂。
雷填填として雨冥冥たり、啾啾として又夜鳴く。
風颯颯として木蕭蕭たり公子を思へば徒らに憂ひに離るのみ。


天寒昏無日,山遠道路迷。
天は凍りつくように寒く、たそがれはじめたかとおもうと、日は落ちてしまい、山のみちはとおくして道路をゆきまようようになる。
杜甫 体系 地図459同谷紀行


驅車石龕下,仲冬見虹霓。
あたかも石龕の下の道を、車を駆りたててゆくと、仲冬であるというのに時ならぬ「にじ」がみえるのである。
○仲冬 十一月。
虹霓 共ににじのこと、明暗の差がある。


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“同谷紀行(8)” 龍門鎮 杜甫 1000<327> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1553 杜甫詩 1500- 482

 
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“同谷紀行(8)” 龍門鎮 杜甫 1000<327> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1553 杜甫詩 1500- 482 


詩 題:“同谷紀行(8)” 龍門鎮 759年11月
掲 載; 杜甫1000の327首目-#1杜
甫ブログ;1500-482回目 同谷紀行の第八首。竜門鋲を過ぎてその戍卒をみて、朝廷の無策振りを批評した作。


龍門鎮
細泉兼輕冰,沮洳棧道濕。
細い湧き泉と薄氷を帯びている、低いところでじくじく流れだし桟道がぬれている。
不辭辛苦行,迫此短景急。
そこを 辛苦をものともせず歩いてゆく、そこに十一月の日日がはやく落ちくれるのが迫っている。
石門雲雪隘,古鎮峰巒集。
石壁の門形をなしているところは雲や雪にふさがれており、この古い鎮所はぐるり峰々と山々が取り囲んでいるのである。
旌竿暮慘澹,風水白刃澀。
鎮所の様子は旗竿の色も夕暮にあたって憂いの色をふくんでいる、風に鳴る水の流れに戍卒が砥ごうとしている白刃にも光がないのだ。
胡馬屯成皋,防虞此何及!
いまや安史軍の兵馬は遠く鄭州の成皋のあたりで勢力を伸ばしているという、それをふせぐにはこんな場所に軍隊を集積しておいて何になるのか。
嗟爾遠戍人,山寒夜中泣!

ああ 汝ら この遠くの鎮をまもる人々よ、山の中は凍える寒さで夜中に泣いていることだろう。
細泉と軽水と、沮洳【しょじょ】棧道【さんどう】湿【うるお】う。
辞せず辛苦【しんく】して行くを、此の短景【たんけい】の急なるに迫る。
石門【せきもん】雲雪【うんせつ】隘【ふさ】ぐ、古鎮【こちん】に峰巒【ほうらん】集まる。
旌竿【せいかん】暮に惨澹【さんたん】たり、風水に白刃渋る。
胡馬【こば】成皋【せいこう】に屯す、防虞【ぼうぐ】此【これ】何ぞ及ばん。
嗟 爾 遠戍【えんじゅ】の人、山寒くして夜中に泣かん。


現代語訳と訳註
(本文)
龍門鎮
細泉兼輕冰,沮洳棧道濕。不辭辛苦行,迫此短景急。
石門雲雪隘,古鎮峰巒集。旌竿暮慘澹,風水白刃澀。
胡馬屯成皋,防虞此何及!嗟爾遠戍人,山寒夜中泣!


(下し文)
細泉と軽水と、沮洳【しょじょ】棧道【さんどう】湿【うるお】う。
辞せず辛苦【しんく】して行くを、此の短景【たんけい】の急なるに迫る。
石門【せきもん】雲雪【うんせつ】隘【ふさ】ぐ、古鎮【こちん】に峰巒【ほうらん】集まる。
旌竿【せいかん】暮に惨澹【さんたん】たり、風水に白刃渋る。
胡馬【こば】成皋【せいこう】に屯す、防虞【ぼうぐ】此【これ】何ぞ及ばん。
嗟 爾 遠戍【えんじゅ】の人、山寒くして夜中に泣かん。


(現代語訳)
細い湧き泉と薄氷を帯びている、低いところでじくじく流れだし桟道がぬれている。
そこを 辛苦をものともせず歩いてゆく、そこに十一月の日日がはやく落ちくれるのが迫っている。
石壁の門形をなしているところは雲や雪にふさがれており、この古い鎮所はぐるり峰々と山々が取り囲んでいるのである。
鎮所の様子は旗竿の色も夕暮にあたって憂いの色をふくんでいる、風に鳴る水の流れに戍卒が砥ごうとしている白刃にも光がないのだ。
いまや安史軍の兵馬は遠く鄭州の成皋のあたりで勢力を伸ばしているという、それをふせぐにはこんな場所に軍隊を集積しておいて何になるのか。
ああ 汝ら この遠くの鎮をまもる人々よ、山の中は凍える寒さで夜中に泣いていることだろう。


(訳注)
龍門鎮

○竜門鎮 甘粛鞏昌府 成県の東にあるという、鎮は戍兵の屯する所。


細泉兼輕冰,沮洳棧道濕。
細い湧き泉と薄氷を帯びている、低いところでじくじく流れだし桟道がぬれている。
○細泉 はそく流れるわきみず。
○兼 …と…。
○軽水 うすくて浮かんでいるこおり。
○狙伽 低くてしめりけの多い地。『詩経、魏風、汾沮洳』「彼汾沮洳、言采其莫」(彼の. 汾(汾水という川)の沮洳、言に其の莫. (野菜の一種)を采る)とある。「集伝」で. は、この「沮洳」を「水浸処、下湿之地」. という。
○桟道 道路の上に水が流れ、氷が張って居る、氷っていないところは泥濘で進めないので、架け橋を渡した道路を桟道としてその上を行くもの。


不辭辛苦行,迫此短景急。
そこを 辛苦をものともせず歩いてゆく、そこに十一月の日日がはやく落ちくれるのが迫っている。
○短景 日のみじかいこと、冬至の月(11月)であるから日がはやく落ちる。


石門雲雪隘,古鎮峰巒集。
石壁の門形をなしているところは雲や雪にふさがれており、この古い鎮所はぐるり峰々と山々が取り囲んでいるのである。
○石門 竜門の地形は石壁が立って門のようになっているのである。
○隘 雲や雪に塞がれることで其処をせまくするという意味。
○古鎮 この古い鎮所をさす。


旌竿暮慘澹,風水白刃澀。
鎮所の様子は旗竿の色も夕暮にあたって憂いの色をふくんでいる、風に鳴る水の流れに戍卒が砥ごうとしている白刃にも光がないのだ。
○旗竿 はたぎお、鎮所にある軍旗。
○惨澹 あたりの気象がものがなしい。
○白刃 成卒の帯びる刀のしらは。
○渋 さびて光らぬこと。


胡馬屯成皋,防虞此何及!
いまや安史軍の兵馬は遠く鄭州の成皋のあたりで勢力を伸ばしているという、それをふせぐにはこんな場所に軍隊を集積しておいて何になるのか。
○胡馬 異民族の兵士が入り混じっている安史軍をさす。
○屯成皋 屯はたむろする、あつまること、成皋は漢時の県名、今の河南省開封府汜水県の西北にあたり、洛陽の東方にある、乾元二年九月に史思明は洛陽)を再度陥落、斉・汝・鄭・滑の四州に及んだ、成皋は鄭州のあたりである。
○防虞 虞は安史軍を示す。唐王朝に対する不満分子、はみ出しものというほどの意味。安史軍をふせぎ、安史軍に備える準備、整備をしめすもの。
○此 竜門鎮の軍隊をさす。
○何及 おいつかぬ。洛陽付近で安史軍が勢力を伸ばしているのに、ここに軍隊を集積しておいて何になるのかという意味。


嗟爾遠戍人,山寒夜中泣!
ああ 汝ら この遠くの鎮をまもる人々よ、山の中は凍える寒さで夜中に泣いていることだろう。
○遠戍成人 この鎮の戍卒らをさす、遠とは成皋方面とかけはなれたことをいう。





龍門鎮
細泉兼輕冰,沮洳棧道濕。
不辭辛苦行,迫此短景急。
石門雲雪隘,古鎮峰巒集。
旌竿暮慘澹,風水白刃澀。
胡馬屯成皋,防虞此何及!
嗟爾遠戍人,山寒夜中泣!

(竜門鎮)
細泉と軽水と、沮洳【しょじょ】棧道【さんどう】湿【うるお】う。
辞せず辛苦【しんく】して行くを、此の短景【たんけい】の急なるに迫る。
石門【せきもん】雲雪【うんせつ】隘【ふさ】ぐ、古鎮【こちん】に峰巒【ほうらん】集まる。
旌竿【せいかん】暮に惨澹【さんたん】たり、風水に白刃渋る。
胡馬【こば】成皋【せいこう】に屯す、防虞【ぼうぐ】此【これ】何ぞ及ばん。
嗟 爾 遠戍【えんじゅ】の人、山寒くして夜中に泣かん。


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“同谷紀行(7)” 青陽峽 杜甫 1000<326>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1550 杜甫詩 1500- 481

 
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“同谷紀行(7)” 青陽峽 杜甫 1000<326>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1550 杜甫詩 1500- 481 

詩 題:“同谷紀行(7)” 青陽峽 759年10月
掲 載; 杜甫700の326首目-#2
杜甫ブログ;481回目


青陽峽
塞外苦厭山,南行道彌惡。
国境の塞の外といわれる秦州地方から既に山を越えに越えて飽き飽きするほどであるが、南行すると同谷に向かって道路はいよいよ悪くなる。
岡巒相經亙,雲水氣參錯。
岡や小山が縦にはえ、横に渉っていりまじり、雲水の気が互いに相まじわる。
林回峽角來,天窄壁面削。
はるか遠くにつづく峡角の林がみえるとやがてそれが次第に近づいてくる。断崖の壁面が削られたようにそそり立ち空もせまくなってくる。
溪西五裡石,奮怒向我落。
溪の西側およそ五里の間岩場が続く、その巌石は怒っていて我々に向かって落ちようとしている。
仰看日車側,俯恐坤軸弱。
崖璧が高く仰ぎみれば太陽は早くかたむくかのようである、目を俯してみると谷の地軸もこの険阻を載せるには力が足らないのではないかと心配になる。

(青陽峽)#1
塞外【さいがい】苦【はなは】だ山に厭【いと】う、南行すれば道弥【いよいよ】悪し。
岡巒【こうらん】相い經亙【けいこう】し、雲水 気は参錯【さんさく】す。
林 回【はる】かに峽角【こうかく】来たり、天 窄【せま】くして壁面削る。
溪西【けいせい】五里の石、奮怒【ふんど】我に向かいて落つ。
仰いで日車【にっしゃ】の側【かたむ】くを看、俯して坤軸【こんじゅく】の弱からんことを恐る。
#2
魑魅嘯有風,霜霰浩漠漠。
風の鳴るのは魑魅が嘯くのであろうし、霜やあられさえ吹かれて広々と一面に敷かれていく。
憶昨逾隴阪,高秋視吳嶽。
前の月にわたしは隴坂を逾えて秦州に来たときをおもいだした、秋ふかく呉嶽を視たときのことである。
東笑蓮華卑,北知崆峒薄。
あの時は、東の華山をひくくて卑しと笑い、北は崆峒山に相迫っていくのをおぼえたものだった。
超然侔壯觀,始謂殷寥廓。
その時はやいかにも呉嶽は大空に当たった雄姿を逞しくしておるものだと感じたが、この峡まできてもまた其の壮観両者匹敵している。
突兀猶趁人,及茲嘆冥寞。
即ち、先日見た呉嶽の突兀たる姿が現になお我々につきまとって来る、ここにおよんで我々は造化のカの不可測なるを感嘆せざるを得ないのである。
魑魅【ちみ】嘯【うそぶ】いて風有り、霜霰【そうせん】浩【こう】として漠漠【ばくばく】たり。
咋【さく】憶う 隴阪【ろうばん】を逾【こ】えしとき、高秋【こうしゅう】呉岳【ごがく】を視き、東に蓮華【れんげ】の卑【ひく】きを笑い、北に崆峒【くうどう】の薄【せま】るを知る。
超然【ちょうぜん】として壮観を倖【ひと】しくす、己に謂【おも】えらく寥廓【りょうかく】に殷【あた】ると。
突冗【とつこつ】として猶お人を趁【お】う、茲【ここ】に及びて冥漠【めいばく】なるを嘆【たん】ず。


現代語訳と訳註
(本文)
#2
魑魅嘯有風,霜霰浩漠漠。憶昨逾隴阪,高秋視吳嶽。
東笑蓮華卑,北知崆峒薄。超然侔壯觀,始謂殷寥廓。
突兀猶趁人,及茲嘆冥寞。


(下し文)
魑魅【ちみ】嘯【うそぶ】いて風有り、霜霰【そうせん】浩【こう】として漠漠【ばくばく】たり。
咋【さく】憶う 隴阪【ろうばん】を逾【こ】えしとき、高秋【こうしゅう】呉岳【ごがく】を視き、東に蓮華【れんげ】の卑【ひく】きを笑い、北に崆峒【くうどう】の薄【せま】るを知る。
超然【ちょうぜん】として壮観を倖【ひと】しくす、己に謂【おも】えらく寥廓【りょうかく】に殷【あた】ると。
突冗【とつこつ】として猶お人を趁【お】う、茲【ここ】に及びて冥漠【めいばく】なるを嘆【たん】ず。


(現代語訳)
風の鳴るのは魑魅が嘯くのであろうし、霜やあられさえ吹かれて広々と一面に敷かれていく。
前の月にわたしは隴坂を逾えて秦州に来たときをおもいだした、秋ふかく呉嶽を視たときのことである。
あの時は、東の華山をひくくて卑しと笑い、北は崆峒山に相迫っていくのをおぼえたものだった。
その時はやいかにも呉嶽は大空に当たった雄姿を逞しくしておるものだと感じたが、この峡まできてもまた其の壮観両者匹敵している。
即ち、先日見た呉嶽の突兀たる姿が現になお我々につきまとって来る、ここにおよんで我々は造化のカの不可測なるを感嘆せざるを得ないのである。


(訳注) #2
魑魅嘯有風,霜霰浩漠漠。

風の鳴るのは魑魅が嘯くのであろうし、霜やあられさえ吹かれて広々と一面に敷かれていく。
魑魅 人面獣身の山のばけもの。
○浩 大いなるさま。
○漠漠 ひろくよこたわるさま。


憶昨逾隴阪,高秋視吳嶽。
前の月にわたしは隴坂を逾えて秦州に来たときをおもいだした、秋ふかく呉嶽を視たときのことである。
咋憶 往月のことを追憶する、これは長安より秦州へ赴く時のことである。
隴阪 鳳翔府隴州西北にある大坂。
呉岳 鳳翔府千陽県西にある山。


東笑蓮華卑,北知崆峒薄。
あの時は、東の華山をひくくて卑しと笑い、北は崆峒山に相迫っていくのをおぼえたものだった。
蓮華 華山のこと、駅西省西安府華陰県にある。
崆峒 甘粛省千陽縣の西にある山。
 迫る、接近すること。


超然侔壯觀,始謂殷寥廓。
その時はやいかにも呉嶽は大空に当たった雄姿を逞しくしておるものだと感じたが、この峡まできてもまた其の壮観両者匹敵している。
○超然 物事にこだわらず、平然としているさま。世俗に関与しないさま。超然は衆山をたかく抜くさま。
 ひとしい、 そろう、 したがう、 つとめる、 とる。
○始謂 そのときは・・・という。
 当たる。
寥廓 広々として大きいさま。空虚で広いさま。大空のひろいすがたをいう。
この峡にあって衆山をみおろす壮大なながめと、隴坂において呉岳を見たときのながめとが匹敵しひとしいことをいう。


突兀猶趁人,及茲嘆冥寞。
即ち、先日見た呉嶽の突兀たる姿が現になお我々につきまとって来る、ここにおよんで我々は造化のカの不可測なるを感嘆せざるを得ないのである。
突先 つきたつさま、呉岳の姿をいう。
猶趁人 今なお我につきまとって来る。
及嘉 嘉とは現在の時をさす。
 感嘆する。
冥寞 天道造化の力の不可測をいう、冥暗茫漠としてはっきりせぬこと。


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“同谷紀行(7)” 青陽峽 杜甫 <326>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1547 杜甫詩 700- 480

 
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“同谷紀行(7)” 青陽峽 杜甫 <326>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1547 杜甫詩 700- 480 


詩 題:“同谷紀行(7)” 青陽峽 759年10月
掲 載; 杜甫700の326首目-#1
杜甫ブログ;480回目
同谷紀行の第七首。静陽暁の状を写し、兼ねて往月隴坂をこえたときのさまと対照してのべて
いる。


青陽峽
塞外苦厭山,南行道彌惡。
国境の塞の外といわれる秦州地方から既に山を越えに越えて飽き飽きするほどであるが、南行すると同谷に向かって道路はいよいよ悪くなる。
岡巒相經亙,雲水氣參錯。
岡や小山が縦にはえ、横に渉っていりまじり、雲水の気が互いに相まじわる。
林回峽角來,天窄壁面削。
はるか遠くにつづく峡角の林がみえるとやがてそれが次第に近づいてくる。断崖の壁面が削られたようにそそり立ち空もせまくなってくる。
溪西五裡石,奮怒向我落。
溪の西側およそ五里の間岩場が続く、その巌石は怒っていて我々に向かって落ちようとしている。
仰看日車側,俯恐坤軸弱。

崖璧が高く仰ぎみれば太陽は早くかたむくかのようである、目を俯してみると谷の地軸もこの険阻を載せるには力が足らないのではないかと心配になる。#2
魑魅嘯有風,霜霰浩漠漠。憶昨逾隴阪,高秋視吳嶽。
東笑蓮華卑,北知崆峒薄。超然侔壯觀,始謂殷寥廓。
突兀猶趁人,及茲嘆冥寞。

(青陽峽)#1
塞外【さいがい】苦【はなは】だ山に厭【いと】う、南行すれば道弥【いよいよ】悪し。
岡巒【こうらん】相い經亙【けいこう】し、雲水 気は参錯【さんさく】す。
林 回【はる】かに峽角【こうかく】来たり、天 窄【せま】くして壁面削る。
溪西【けいせい】五里の石、奮怒【ふんど】我に向かいて落つ。
仰いで日車【にっしゃ】の側【かたむ】くを看、俯して坤軸【こんじゅく】の弱からんことを恐る。

#2
魑魅【ちみ】嘯【うそぶ】いて風有り、霜霰【そうせん】浩【こう】として漠漠【ばくばく】たり。
咋【さく】憶う 隴阪【ろうばん】を逾【こ】えしとき、高秋【こうしゅう】呉岳【ごがく】を視き、東に蓮華【れんげ】の卑【ひく】きを笑い、北に崆峒【くうどう】の薄【せま】るを知る。
超然【ちょうぜん】として壮観を倖【ひと】しくす、己に謂【おも】えらく寥廓【りょうかく】に殷【あた】ると。
突冗【とつこつ】として猶お人を趁【お】う、茲【ここ】に及びて冥漠【めいばく】なるを嘆【たん】ず。


現代語訳と訳註
(本文)

塞外苦厭山,南行道彌惡。岡巒相經亙,雲水氣參錯。
林回峽角來,天窄壁面削。溪西五裡石,奮怒向我落。
仰看日車側,俯恐坤軸弱。


(下し文)
(青陽峡)

塞外【さいがい】苦【はなは】だ山に厭【いと】う、南行すれば道弥【いよいよ】悪し。
岡巒【こうらん】相い經亙【けいこう】し、雲水 気は参錯【さんさく】す。
林 回【はる】かに峽角【こうかく】来たり、天 窄【せま】くして壁面削る。
溪西【けいせい】五里の石、奮怒【ふんど】我に向かいて落つ。
仰いで日車【にっしゃ】の側【かたむ】くを看、俯して坤軸【こんじゅく】の弱からんことを恐る。


(現代語訳)
国境の塞の外といわれる秦州地方から既に山を越えに越えて飽き飽きするほどであるが、南行すると同谷に向かって道路はいよいよ悪くなる。
岡や小山が縦にはえ、横に渉っていりまじり、雲水の気が互いに相まじわる。
はるか遠くにつづく峡角の林がみえるとやがてそれが次第に近づいてくる。断崖の壁面が削られたようにそそり立ち空もせまくなってくる。
溪の西側およそ五里の間岩場が続く、その巌石は怒っていて我々に向かって落ちようとしている。
崖璧が高く仰ぎみれば太陽は早くかたむくかのようである、目を俯してみると谷の地軸もこの険阻を載せるには力が足らないのではないかと心配になる。


(訳注)
青陽峽

青陽峡 秦州からの南路にあたっている塩井城までの峡の名か、そこを越えて同谷の間かもしれないが所在不明。

華州から秦州同谷成都00



塞外苦厭山,南行道彌惡。
国境の塞の外といわれる秦州地方から既に山を越えに越えて飽き飽きするほどであるが、南行すると同谷に向かって道路はいよいよ悪くなる。
○塞外 秦州地方をさす。
○南行 岡谷をさして南にゆく。


岡巒相經亙,雲水氣參錯。
岡や小山が縦にはえ、横に渉っていりまじり、雲水の気が互いに相まじわる。
岡巒 岡や小山。
経亙 縦にはえ、横に渉る。
○気 雲水の気。
参錯 いりまじる。


林回峽角來,天窄壁面削。
はるか遠くにつづく峡角の林がみえるとやがてそれが次第に近づいてくる。断崖の壁面が削られたようにそそり立ち空もせまくなってくる。
 峡角の林。
峡角 峡の一隅をいう。
 こちらが進むことであるが峡角を主にしていう。
天窄 絶壁のひまよりながめる故に天はせまい。


溪西五裡石,奮怒向我落。
溪の西側およそ五里の間岩場が続く、その巌石は怒っていて我々に向かって落ちようとしている。


仰看日車側,俯恐坤軸弱。
崖璧が高く仰ぎみれば太陽は早くかたむくかのようである、目を俯してみると谷の地軸もこの険阻を載せるには力が足らないのではないかと心配になる。
日車側 日車は太陽をいう、古伝説では太陽は車にのってはしると考えられた。
坤軸弱 坤軸は地軸、現今いう所の地軸とはちがい大地をささえる柱軸である、弱とはこの厚地を載せるのに力のたらぬこと。


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“同谷紀行(6)” 法鏡寺 杜甫 <325>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1544 杜甫詩 700- 479

 
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“同谷紀行(6)” 法鏡寺 杜甫 <325>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1544 杜甫詩 700- 479 

詩 題:“同谷紀行(6)” 法鏡寺 759年11月
掲 載; 杜甫700の325首目-#2
杜甫ブログ;479回目
法鏡寺のさまをのべる2/2回目。


法鏡寺
身危適他州,勉強終勞苦。
身の危険を覚悟の上で他の州の方へゆくのであるが、苦を厭わないことに努めようとはするが、結構きつい旅である。
神傷山行深,愁破崖寺古。
自分の精神は山道を余りに深く入るのでしんぱいになってくる、愁いのこころがうち破られたのは突然に崖のところに古寺がみえてきたのだ。
嬋娟碧蘚淨,蕭槭寒籜聚。
みれば寺前に青ごけがしきつめてあるのであでやかで美しい感じになっている、こちらでは竹の皮が寒風に吹きよせられてさびしい様子である。
回回山根水,冉冉松上雨。

山の下をながれる水は回りうねって音をたてて流れる、そうしていると松の上からはぽつりぽつり次第に雨がふりそそいでくる。

洩雲蒙清晨,初日翳複吐。
岩場の洞窟からわきでた雲がすがすがしい朝方の山中をおおいかくすように広がる、11月初日の出そめの太陽はかげったところから吐きだされるように昇っている。
朱甍半光炯,戸牖粲可數。
大屋根の赤い甍の波の半分くらいに日が射して輝いている。扉と連子窓、出入り口にも日が当たりきらめき、明らかに幾枚とかぞえられるようになる。
拄策忘前期,出蘿已亭午。
朝の景色に風流を感じ取り杖をついたままでゆくさきの旅の日程期限をもう忘れかけているが、松柏にかずらがからむようにここにいたが出発しようとして気がついてみるともう真昼どきになっている。
冥冥子規叫,微徑不複取。
日陰のくらがりのあたりで子規がなきさけぶ。この寺へつづく小みちは通り初めが通り納めなのである。

(法鏡寺)
身危【あやう】くして他州に適【ゆ】く、勉強するも終【つい】に労苦なり。
神は傷む山行の深きに、愁いは破る崖寺の古りたるに。
嬋娟【せんけん】として碧蘚【へきせん】浄く、粛槭【しょうしゅく】として寒籜【かんたく】聚【あつ】まる。
回回たり山根の水、冉冉【ぜんぜん】たり松上の雨。
洩雲【せつうん】清晨【せいしん】に蒙【おおう】う、初日翳【おお】われて復た吐かる。
朱甍【しゅぼう】半ば光炯【こうけい】、戶牖粲【ゆうさん】として数う可し。
策に拄えられて前期を忘る、蘿【ら】を出づれば己に亭午【ていご】なり。
冥冥【めいめい】 子規【しき】叫ぶ,微徑【びけい】複た取らず。


現代語訳と訳註
(本文)

洩雲蒙清晨,初日翳複吐。
朱甍半光炯,戸牖粲可數。
拄策忘前期,出蘿已亭午。
冥冥子規叫,微徑不複取。


(下し文)
洩雲【せつうん】清晨【せいしん】に蒙【おおう】う、初日翳【おお】われて復た吐かる。
朱甍【しゅぼう】半ば光炯【こうけい】、戶牖粲【ゆうさん】として数う可し。
策に拄えられて前期を忘る、蘿【ら】を出づれば己に亭午【ていご】なり。
冥冥【めいめい】 子規【しき】叫ぶ,微徑【びけい】複た取らず。


(現代語訳)
岩場の洞窟からわきでた雲がすがすがしい朝方の山中をおおいかくすように広がる、11月初日の出そめの太陽はかげったところから吐きだされるように昇っている。
大屋根の赤い甍の波の半分くらいに日が射して輝いている。扉と連子窓、出入り口にも日が当たりきらめき、明らかに幾枚とかぞえられるようになる。
朝の景色に風流を感じ取り杖をついたままでゆくさきの旅の日程期限をもう忘れかけているが、松柏にかずらがからむようにここにいたが出発しようとして気がついてみるともう真昼どきになっている。
日陰のくらがりのあたりで子規がなきさけぶ。この寺へつづく小みちは通り初めが通り納めなのである。


(訳注)
洩雲蒙清晨,初日翳複吐。
岩場の洞窟からわきでた雲がすがすがしい朝方の山中をおおいかくすように広がる、11月初日の出そめの太陽はかげったところから吐きだされるように昇っている。
洩雲 山よりもれ出る雲。岩場の洞窟の奥から雲が発生するということにもとづいた湧き雲のこと。
 山谷におおいかぶさる。低い位置の雲による。
清晨 はれたあさ方。
初日 11月の月はじめの出そめの太陽。
 雲のかげにされること。
 雲からはきだされる。


朱甍半光炯,戸牖粲可數。
大屋根の赤い甍の波の半分くらいに日が射して輝いている。扉と連子窓、出入り口にも日が当たりきらめき、明らかに幾枚とかぞえられるようになる。
朱甍 あかいいらか。
 かがやく。
戸牖 扉と連子窓。出入り口。
 きらめくさま。
可数 二かぞえることができる。


拄策忘前期,出蘿已亭午。
朝の景色に風流を感じ取り杖をついたままでゆくさきの旅の日程期限をもう忘れかけているが、松柏にかずらがからむようにここにいたが出発しようとして気がついてみるともう真昼どきになっている。
拄策 つえに身をささえられる、つえをつくこと。
前期 将来の旅程期限。
出蘿 蘿はひめかつら、松柏にはからみつくをこと云い、『詩経』以来松柏を朝廷、天子の孝徳にして姫葛を奸臣に喩えられてきた。あるいは松柏を志を枉げないことの比喩とされてきた。この意味を含みつつ、蘿が杜甫一行で寺林からたびだつことをしめす。
亭午 正午。


冥冥子規叫,微徑不複取。
日陰のくらがりのあたりで子規がなきさけぶ。この寺へつづく小みちは通り初めが通り納めなのである。
冥冥 くらがりのさま。
子規 ほととぎす。蜀の望帝の春を思う心は、血を吐いて悲しげになく杜鵑(ホトトギス)に魂を托(たく)した。(そのように、血を吐きながらなく思いである)。
徴径 ほそいこみち、この寺へはいるみち。
不復取 復はふたたびの意。寺は通路よりこのこみちをとおっていりこむものと思われる、寺より出ればこの径はふたたびとおることがない。


法鏡寺
身危適他州,勉強終勞苦。
神傷山行深,愁破崖寺古。
嬋娟碧蘚淨,蕭槭寒籜聚。
回回山根水,冉冉松上雨。


洩雲蒙清晨,初日翳複吐。
朱甍半光炯,戸牖粲可數。
拄策忘前期,出蘿已亭午。
冥冥子規叫,微徑不複取。


(法鏡寺)
身危【あやう】くして他州に適【ゆ】く、勉強するも終【つい】に労苦なり。
神は傷む山行の深きに、愁いは破る崖寺の古りたるに。
嬋娟【せんけん】として碧蘚【へきせん】浄く、粛槭【しょうしゅく】として寒籜【かんたく】聚【あつ】まる。
回回たり山根の水、冉冉【ぜんぜん】たり松上の雨。
洩雲【せつうん】清晨【せいしん】に蒙【おおう】う、初日翳【おお】われて復た吐かる。
朱甍【しゅぼう】半ば光炯【こうけい】、戶牖粲【ゆうさん】として数う可し。
策に拄えられて前期を忘る、蘿【ら】を出づれば己に亭午【ていご】なり。
冥冥【めいめい】 子規【しき】叫ぶ,微徑【びけい】複た取らず。


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“同谷紀行(6)” 法鏡寺 杜甫 <325>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1541 杜甫詩 700- 478

 
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“同谷紀行(6)” 法鏡寺 杜甫 <325>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1541 杜甫詩 700- 478 

詩 題:“同谷紀行(6)” 法鏡寺 759年10月
掲 載; 杜甫700の325首目-#1
杜甫ブログ;478回目 同谷紀行の第六首。
法鏡寺のさまをのべる。1/2。


法鏡寺
身危適他州,勉強終勞苦。
身の危険を覚悟の上で他の州の方へゆくのであるが、苦を厭わないことに努めようとはするが、結構きつい旅である。
神傷山行深,愁破崖寺古。
自分の精神は山道を余りに深く入るのでしんぱいになってくる、愁いのこころがうち破られたのは突然に崖のところに古寺がみえてきたのだ。
嬋娟碧蘚淨,蕭槭寒籜聚。
みれば寺前に青ごけがしきつめてあるのであでやかで美しい感じになっている、こちらでは竹の皮が寒風に吹きよせられてさびしい様子である。
回回山根水,冉冉松上雨。
山の下をながれる水は回りうねって音をたてて流れる、そうしていると松の上からはぽつりぽつり次第に雨がふりそそいでくる。

洩雲蒙清晨,初日翳複吐。
朱甍半光炯,戸牖粲可數。
拄策忘前期,出蘿已亭午。
冥冥子規叫,微徑不複取。


(法鏡寺)
身危【あやう】くして他州に適【ゆ】く、勉強するも終【つい】に労苦なり。
神は傷む山行の深きに、愁いは破る崖寺の古りたるに。
嬋娟【せんけん】として碧蘚【へきせん】浄く、粛槭【しょうしゅく】として寒籜【かんたく】聚【あつ】まる。
回回たり山根の水、冉冉【ぜんぜん】たり松上の雨。
#2
洩雲【せつうん】清晨【せいしん】に蒙【おおう】う、初日翳【おお】われて復た吐かる。
朱甍【しゅぼう】半ば光炯【こうけい】、戶牖粲【ゆうさん】として数う可し。
策に拄えられて前期を忘る、蘿【ら】を出づれば己に亭午【ていご】なり。
冥冥【めいめい】 子規【しき】叫ぶ,微徑【びけい】複た取らず。

秦州成州00


現代語訳と訳註
(本文)
法鏡寺
身危適他州,勉強終勞苦。
神傷山行深,愁破崖寺古。
嬋娟碧蘚淨,蕭槭寒籜聚。
回回山根水,冉冉松上雨。


(下し文)
身危【あやう】くして他州に適【ゆ】く、勉強するも終【つい】に労苦なり。
神は傷む山行の深きに、愁いは破る崖寺の古りたるに。
嬋娟【せんけん】として碧蘚【へきせん】浄く、粛槭【しょうしゅく】として寒籜【かんたく】聚【あつ】まる。
回回たり山根の水、冉冉【ぜんぜん】たり松上の雨。


(現代語訳)
身の危険を覚悟の上で他の州の方へゆくのであるが、苦を厭わないことに努めようとはするが、結構きつい旅である。
自分の精神は山道を余りに深く入るのでしんぱいになってくる、愁いのこころがうち破られたのは突然に崖のところに古寺がみえてきたのだ。
みれば寺前に青ごけがしきつめてあるのであでやかで美しい感じになっている、こちらでは竹の皮が寒風に吹きよせられてさびしい様子である。
山の下をながれる水は回りうねって音をたてて流れる、そうしていると松の上からはぽつりぽつり次第に雨がふりそそいでくる。


(訳注)
法鏡寺

○法鏡寺 寺の名、所在は不明であるが、秦州にあるのであろうという。
1.發秦州→ 2.赤穀→ 3.鐵堂峽→ 4.鹽井→ 5.寒峡→ 6.法鏡寺→ 7.青陽峡→ 8.龍門鎮→ 9.石龕→ 10.積草嶺→ 11.泥功山→ 12.鳳凰台


身危適他州,勉強終勞苦。
身の危険を覚悟の上で他の州の方へゆくのであるが、苦を厭わないことに努めようとはするが、結構きつい旅である。
○他州 隴右道秦州から同道成州へ行くのである。黄河流域から長江流域に変わる。
○勉強 苦を厭わないことに努めること。


神傷山行深,愁破崖寺古。
自分の精神は山道を余りに深く入るのでしんぱいになってくる、愁いのこころがうち破られたのは突然に崖のところに古寺がみえてきたのだ。
○神 精神。
○愁破 なぐさめられること。愁いのこころがうち破られること。
○崖寺 法鏡寺をさす。山が深くなるから心配だったが、崖のところに古寺が急に表れたので愁いをやわらげたのだ。


嬋娟碧蘚淨,蕭槭寒籜聚。
みれば寺前に青ごけがしきつめてあるのであでやかで美しい感じになっている、こちらでは竹の皮が寒風に吹きよせられてさびしい様子である。
○嬋娟/嬋妍 容姿のあでやかで美しいさま。
○蘚 ぜにごけ。
○蕭槭 さびしいさま。
○籜 竹のかわ。


回回山根水,冉冉松上雨。
山の下をながれる水は回りうねって音をたてて流れる、そうしていると松の上からはぽつりぽつり次第に雨がふりそそいでくる。
回回 紆回のさま。
冉冉 次第に生じるさま。
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“同谷紀行(5)” 寒峽 杜甫 <324> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1538 杜甫詩 700- 477

 
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“同谷紀行(5)” 寒峽 杜甫 <324> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1538 杜甫詩 700- 477
 
詩 題:“同谷紀行(5)” 寒峽
 759年10月
掲 載; 杜甫700の324首目
杜甫ブログ;477回目
寒峡のさまと、経過の感想をのべる。

寒峽』 同谷紀行の第五首。
行邁日悄悄,山谷勢多端。
日旅行を続けてゆくと次第に心が物悲しくなってくる、それに峠に近くなってくると山や谷のありさまがますますさまざまな形になっていくのだ。
雲門轉絕岸,積阻霾天寒。
空が大きく近くなって、雲の門ともみまちがえるようであり、絶壁や巌谷の岸が移り変わってゆくし、積み重なっている険阻にくると寒空から土の雨がふってくる。
寒硤不可度,我實衣裳單。
かような寒い山間峡谷はなかなか越すことが難しいものだ、それにわたしは単衣の衣裳をきているだけなのだ。
況當仲冬交,沂沿增波瀾。
ましてのこと、十月おわり頃冬の最中のことである、谷川に沿うように行き、遡ったりすると波もよけいにおこるのである。
野人尋煙語,行子傍水餐。
野の人と煙の昇っているのをたずねて話をしたり、また我々旅の一行で川べりにならんで食事を取ったりする。
此生免荷殳,未敢辭路難。

此の世に士族として生れて武器を担って戦に出る苦しみから免れているわたしのである、それと比べれば道路の難儀ぐらいのことは何でもないことではないか。
(寒 峡)
行邁【こうまい】日に悄悄【しょうしょう】たり、山谷勢い多端【たたん】なり。
雲門【うんもん】絕岸【ぜつがん】転ず、積阻【せきそ】天寒に霾【つちふ】る。
寒硤【かんきょう】度【わた】る可からず、我 実に衣裳単なり。
況んや仲冬の交に当り、沂沿【そえん】波瀾【はらん】を増すをや。
野人煙を尋ねて語り、行子水に傍うて餐す。
此の生 殳【しゅ】を荷【に】なうことを免【まぬが】る。未だ敢て路の難きを辞せず。

杜甫 体系 地図459同谷紀行

現代語訳と訳註
(本文)
寒峽
行邁日悄悄,山谷勢多端。雲門轉絕岸,積阻霾天寒。
寒硤不可度,我實衣裳單。況當仲冬交,沂沿增波瀾。
野人尋煙語,行子傍水餐。此生免荷殳,未敢辭路難。


(下し文) (寒 峡)
行邁【こうまい】日に悄悄【しょうしょう】たり、山谷勢い多端【たたん】なり。
雲門【うんもん】絕岸【ぜつがん】転ず、積阻【せきそ】天寒に霾【つちふ】る。
寒硤【かんきょう】度【わた】る可からず、我 実に衣裳単なり。
況んや仲冬の交に当り、沂沿【そえん】波瀾【はらん】を増すをや。
野人煙を尋ねて語り、行子水に傍うて餐す。
此の生 殳【しゅ】を荷【に】なうことを免【まぬが】る。未だ敢て路の難きを辞せず。


(現代語訳) 寒峽
日旅行を続けてゆくと次第に心が物悲しくなってくる、それに峠に近くなってくると山や谷のありさまがますますさまざまな形になっていくのだ。
空が大きく近くなって、雲の門ともみまちがえるようであり、絶壁や巌谷の岸が移り変わってゆくし、積み重なっている険阻にくると寒空から土の雨がふってくる。
かような寒い山間峡谷はなかなか越すことが難しいものだ、それにわたしは単衣の衣裳をきているだけなのだ。
ましてのこと、十月おわり頃冬の最中のことである、谷川に沿うように行き、遡ったりすると波もよけいにおこるのである。
野の人と煙の昇っているのをたずねて話をしたり、また我々旅の一行で川べりにならんで食事を取ったりする。
此の世に士族として生れて武器を担って戦に出る苦しみから免れているわたしのである、それと比べれば道路の難儀ぐらいのことは何でもないことではないか。


(訳注)
寒峽

寒峡 峽の名か、単に寒天の峽をいうかは不明であるとされる。分水嶺を超える前の北斜面の峡谷を登ったのであろう。地名であってもおかしくないが、季節的な表現が多いことから寒い状況からの詩題と考える方がよかろう。


行邁日悄悄,山谷勢多端。
日日旅行を続けてゆくと次第に心が物悲しくなってくる、それに峠に近くなってくると山や谷のありさまがますますさまざまな形になっていくのだ。
行遇 ゆきゆく。
悄悄 段々心のうれえていくさま。
多端 一様でないことをいう。山の上近くになると、空の色、大きさも、山の色深さ、木々の様子、日の当たり方も、谷も・・・、川も…、氷もそれぞれ変わってきたことをいう。


雲門轉絕岸,積阻霾天寒。
空が大きく近くなって、雲の門ともみまちがえるようであり、絶壁や巌谷の岸が移り変わってゆくし、積み重なっている険阻にくると寒空から土の雨がふってくる。
雲門 雲の横たわっている門、絶岸をさしていう。
 歩につれてかわることをいう。
絶岸 きったての崖岸。
横阻 積みかさなっている険阻の地。
霾 つちの雨がふる。
天寒 さむぞら。


寒峽不可度,我實衣裳單。
かような寒い山間峡谷はなかなか越すことが難しいものだ、それにわたしは単衣の衣裳をきているだけなのだ。
寒秋 題の寒暁と同じ。
○度 こえること。
○衣裳單 単衣の着物。冬用の裏地が付けていない着物だろう。


況當仲冬交,沂沿增波瀾。
ましてのこと、十月おわり頃冬の最中のことである、谷川に沿うように行き、遡ったりすると波もよけいにおこるのである
沂沿 水をさかのぼり、或は水にそう。


野人尋煙語,行子傍水餐。
野の人と煙の昇っているのをたずねて話をしたり、また我々旅の一行で川べりにならんで食事を取ったりする。
野人附近に住む農民。○行子 旅行するもの、自己の一行をさす。


此生免荷殳,未敢辭路難。
此の世に士族として生れて武器を担って戦に出る苦しみから免れているわたしのである、それと比べれば道路の難儀ぐらいのことは何でもないことではないか。
荷殳 『詩経、伯兮』(伯也荷殳を執り、王の為めに前駆す)に「」とみえる、殳は一丈二尺のほこ、荷殳とは兵役に従事することをいう。杜甫は唐王朝の初期祖父杜審が功労があり租庸調が免除される身分であった。


秦州同谷0002k52

『寒峽』 同谷紀行の第五首。
行邁日悄悄,山谷勢多端。
雲門轉絕岸,積阻霾天寒。
寒硤不可度,我實衣裳單。
況當仲冬交,沂沿增波瀾。
野人尋煙語,行子傍水餐。
此生免荷殳,未敢辭路難。

(寒 峡)
行邁【こうまい】日に悄悄【しょうしょう】たり、山谷勢い多端【たたん】なり。
雲門【うんもん】絕岸【ぜつがん】転ず、積阻【せきそ】天寒に霾【つちふ】る。
寒硤【かんきょう】度【わた】る可からず、我 実に衣裳単なり。
況んや仲冬の交に当り、沂沿【そえん】波瀾【はらん】を増すをや。
野人煙を尋ねて語り、行子水に傍うて餐す。
此の生 殳【しゅ】を荷【に】なうことを免【まぬが】る。未だ敢て路の難きを辞せず。


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“同谷紀行(4)” 鹽井 杜甫 <324>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1535 杜甫詩 700- 476

 
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孟浩然index孟浩然の詩韓愈詩index韓愈詩集
杜甫詩index杜甫詩 李商隠index李商隠詩
李白詩index 李白350首女性詩index女性詩人 
 上代~隋南北朝・隋の詩人初唐・盛唐・中唐・晩唐 
 
“同谷紀行(4)” 鹽井 杜甫 <324>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1535 杜甫詩 700- 476 
詩 題:“同谷紀行(4)” 鹽井(塩 井)
掲 載; 杜甫700の324首目-#1
杜甫ブログ;476回目

同谷紀行の第四首。塩井をすぎて塩商の暴利をむさぼるのを批評した詩である。



鹽井
鹵中草木白,青者官鹽煙。
塩分を含んたこの地方は草木、葉まで白くなっている。そこに青青とたちのぼっていのは官製の塩を焼く煙だけである。
官作既有程,煮鹽煙在川。
官の作業には一日の製塩責任生産量のきまりがある、それでひたすら塩を煮るので煙が川の上に充満するのである。
汲井年搰搰,出車日連連。
年中骨を折って井から塩を汲みだし、毎日ひききりなしにできた塩を車に積んでは積み出す。
自公鬥三百,轉致斛六千。
官から払いさげる価は一斗三百銭だが、民に転送される時には四倍の一斗一千二百銭になる。
君子慎止足,小人苦喧闐。
君子は老子の「止足の戒め」を知って暴利を貪らぬようにすることである。そうでないと小民は喧嘩騒ぎ暴動に発展することもある。
我何良嘆嗟,物理固自然。

私がそんなことをいったとしても、無駄ごとだのになんでそれを嘆いてしまうのか。利を争うことは物ごとの道理においてもとよりあたりまえのことであるのだ。

 秦州同谷0002k52

現代語訳と訳註
(本文)
鹽井
鹵中草木白,青者官鹽煙。官作既有程,煮鹽煙在川。
汲井年搰搰,出車日連連。自公鬥三百,轉致斛六千。
君子慎止足,小人苦喧闐。我何良嘆嗟,物理固自然。


(下し文)
鹵中【ろちゅう】草木白し、青き者は官塩の煙なり。
官作 既に程有り、塩を煮れば煙川に在り。
井を汲むこと歳に搰搰【こつこつ】たり、車を出だすこと日に連連たり。
公自りす 斗に三百、転致【てんち】す、斛【こく】に六千。
君子止足を慎む、小人 喧闐【けんてん】なるに苦しむ。
我何ぞ良【まことに】歎嗟【たんさ】せん、物理固【もと】より自ずから然り。


(現代語訳)
塩分を含んたこの地方は草木、葉まで白くなっている。そこに青青とたちのぼっていのは官製の塩を焼く煙だけである。
官の作業には一日の製塩責任生産量のきまりがある、それでひたすら塩を煮るので煙が川の上に充満するのである。
年中骨を折って井から塩を汲みだし、毎日ひききりなしにできた塩を車に積んでは積み出す。
官から払いさげる価は一斗三百銭だが、民に転送される時には四倍の一斗一千二百銭になる。
君子は老子の「止足の戒め」を知って暴利を貪らぬようにすることである。そうでないと小民は喧嘩騒ぎ暴動に発展することもある。
私がそんなことをいったとしても、無駄ごとだのになんでそれを嘆いてしまうのか。利を争うことは物ごとの道理においてもとよりあたりまえのことであるのだ。


(訳注)
鹽井

塩井 しおをくみ取る井戸のこと、「元和郡国志」にはいう、「塩井は成州長道県の東三十里に在り、水、岸と斉し、塩極めて甘美、之を食すれば気を破る、塩官の故城は県の東三十里二在り、幡家(山名)ノ西四十里に在り、相い承けて蓑るこトを営む、味、海塩ぼく同じ。」と。長道県は中国歴史地図「唐」によると塩官城とある所である。同谷紀行(3)鐵堂峽は籍水(峰水)の渓谷で渭水の流域であったが、塩井は嘉陵江ッ上流の西漢水の最上流部にあたる。また、今の筆昌府西和県にあり、成州よりは東北にあたっている。


鹵中草木白,青者官鹽煙。
塩分を含んたこの地方は草木、葉まで白くなっている。そこに青青とたちのぼっていのは官製の塩を焼く煙だけである
【ろ】 塩分を含んた地をいう。
官塩煙 官製のしおをやくけむり。


官作既有程,煮鹽煙在川。
官の作業には一日の製塩責任生産量のきまりがある、それでひたすら塩を煮るので煙が川の上に充満するのである。
官作 官の作業。
有程 定めの課程、製塩額の進度。一日の責任生産量。


汲井年搰搰,出車日連連。
年中骨を折って井から塩を汲みだし、毎日ひききりなしにできた塩を車に積んでは積み出す。
 一歳のうち。
滑掃 力を用いるさま。
出車 できたしおを積んだ車を出すこと。
 日日。
連連 ひきつづくさま。


自公鬥三百,轉致斛六千。
官から払いさげる価は一斗三百銭だが、民に転送される時には四倍の一斗一千二百銭になる。
自公 官から払いさげること。
斗三百一斗につき三百銭。一斛は五斗なので民には四倍の一千二百銭となる。流通を考えれば常識的なものであるが杜甫には。暴利と感じられたのであろう
転致 払いさげをうけた商人が需用者へうつし売ること。


君子慎止足,小人苦喧闐。
君子は老子の「止足の戒め」を知って暴利を貪らぬようにすることである。そうでないと小民は喧嘩騒ぎ暴動に発展することもある。
○慎止足 謹慎して止どまり足ることをつとめる。『老子、聖徳第三十二』に「夫亦將知止、知止所以不殆也」(夫れ亦將に止まるを知らんとす、止どまるを知るは殆からざる所以也)とあり、止足の戒め:易経第四十四章第四十四章) 余分な財産を持っていると、志を損なったり、過ちを犯しやすくなる。
喧聞 やかましくさわぎ立て暴動を起こす。塩価のたかいことについて不平の声の多いことをいい、暴動に転ずることがある。


我何良嘆嗟,物理固自然。
私がそんなことをいったとしても、無駄ごとだのになんでそれを嘆いてしまうのか。利を争うことは物ごとの道理においてもとよりあたりまえのことであるのだ。
我何良嘆嗟 我何ぞ良【まことに】歎嗟【たんさ】せん。役人と一部の業者に卸売業者にほとんどの利益が集積された時代である。
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“同谷紀行(3)” 鐵堂峽 杜甫 <323>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1532 杜甫詩 700- 475

 
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“同谷紀行(3)” 鐵堂峽 杜甫 <323>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1532 杜甫詩 700- 475 

詩 題:“同谷紀行(3)” 鐵堂峽
掲 載; 杜甫700の323首目-#2
杜甫ブログ;475回目

759年鉄堂峽経過のときの作。秦州から約50km離れたとこにある谷あいの場所である。鉄堂峡の最終回



鐵堂峽
山風吹遊子,縹緲乘險絕。
山の風が旅人であるわたしに吹きつけていく。わたしは底冷えのする空気がかすかにつらなっているとても嶮しい道をのぼってゆく。
硤形藏堂隍,壁色立精鐵。
この峡谷の形は殿堂のそばに空堀をほってあるようなさまで、片方の絶壁の色は鉄鉱石という感じでなく精錬された鉄が立てられてるようだ。
徑摩穹蒼蟠,石與厚地裂。
山のこみちはあお空がアーチ状にみえるほどに高くまがりくねっている。厳石は大地と共に引き裂かれている。
修纖無垠竹,嵌空太始雪。』

峡側にはながくほそい竹林が際限もなくつづいて生えており、ひくい処には太古以来の雪がまるで空のすきとおるようにきれいにのこっている。』
山風遊子を吹く、縹緲【ひょうぼう】険絶に乗ず。
硤形【きょうけい】堂隍【どうこう】を蔵す、壁色精鉄【せいてつ】立つ。
径は穹蒼【きゅうそう】を摩して蟠【わだかま】り、石は厚地【こうち】と與に裂く。
修繊【しゅうせん】なり無垠【むこん】の竹、嵌空【かんくう】なり太始の雪。』

威遲哀壑底,徒旅慘不悅。
こうしてうねりくねりした道を寂しい谷の底の方へ下ると、一行の皆はもの悲しく不機嫌になるのである。
水寒長冰橫,我馬骨正折。
谷川の水は底冷えで寒く、長い氷塊などがよこにひろがっている。我々の馬がこの氷の上でことによると骨が折れるかもしれないほどである。
生涯抵弧矢,盜賊殊未滅。
自分の生涯を振り返るとやっと士官がかなったときには、3年前に安禄山の叛乱がおこり、討伐のため王朝の軍が弓矢をうごかす時にあたったし、こうして旅人になっている。残念な事には盗賊の安史軍がまだ亡びていないことだ。
飄蓬逾三年,回首肝肺熱。』

もはや根無し蓬の生活を送ること丸三年をこえたのだ、首をめぐらすように思い返すと、心の中が火のように熱くなるのを覚えるのである。
#2
威遲【いち】たり哀壑【あいがく】の底、徒旅【とりょ】惨として悦ばず。
水寒くして長冰【ちょうひょう】橫たわる、我が馬骨正に折る。
生涯弧矢【こし】に抵【あた】る、盗賊【とうぞく】殊に未だ滅せず。
飄蓬【ひょうほう】三年を逾【こ】ゆ、首を回らせば肝肺【かんはい】熟す。』


現代語訳と訳註
(本文)

威遲哀壑底,徒旅慘不悅。
水寒長冰橫,我馬骨正折。
生涯抵弧矢,盜賊殊未滅。
飄蓬逾三年,回首肝肺熱。』


(下し文)
威遲【いち】たり哀壑【あいがく】の底、徒旅【とりょ】惨として悦ばず。
水寒くして長冰【ちょうひょう】橫たわる、我が馬骨正に折る。
生涯弧矢【こし】に抵【あた】る、盗賊【とうぞく】殊に未だ滅せず。
飄蓬【ひょうほう】三年を逾【こ】ゆ、首を回らせば肝肺【かんはい】熟す。』


(現代語訳)
こうしてうねりくねりした道を寂しい谷の底の方へ下ると、一行の皆はもの悲しく不機嫌になるのである。
谷川の水は底冷えで寒く、長い氷塊などがよこにひろがっている。我々の馬がこの氷の上でことによると骨が折れるかもしれないほどである。
自分の生涯を振り返るとやっと士官がかなったときには、3年前に安禄山の叛乱がおこり、討伐のため王朝の軍が弓矢をうごかす時にあたったし、こうして旅人になっている。残念な事には盗賊の安史軍がまだ亡びていないことだ。
もはや根無し蓬の生活を送ること丸三年をこえたのだ、首をめぐらすように思い返すと、心の中が火のように熱くなるのを覚えるのである。


(訳注)
威遲哀壑底,徒旅慘不悅。

こうしてうねりくねりした道を寂しい谷の底の方へ下ると、一行の皆はもの悲しく不機嫌になるのである。
威遅 道のうねうねするさま。
哀壑 あわれをもよおす谷。
徒旅 行旅のなかま、杜甫一行十数名のものをさす。


水寒長冰橫,我馬骨正折。
谷川の水は底冷えで寒く、長い氷塊などがよこにひろがっている。我々の馬がこの氷の上でことによると骨が折れるかもしれないほどである。
〇谷底の道は、氷っていて足をすべらせそうである。家財道具を満載した荷車を引いている馬が歩きにくそであったのであろう。


生涯抵弧矢,盜賊殊未滅。
自分の生涯を振り返るとやっと士官がかなったときには、3年前に安禄山の叛乱がおこり、討伐のため王朝の軍が弓矢をうごかす時にあたったし、こうして旅人になっている。残念な事には盗賊の安史軍がまだ亡びていないことだ。
抵弧矢 弧矢:『易経、繋辞下』「」弦木爲弓、剟木爲矢。弧矢之利、以威天下。(木に弦して弓と爲し、木を剟りて矢と爲す。孤矢の利、以て天下を威す。)を用いる、弧矢は弓矢、征伐軍の武力をさす、「あたる」とはそのときにぶっつかったことをいう。
盗賊 安史軍をさす。755年11月安禄山に始まり、史忠明がこれを引き継ぎおこした叛乱をいう。


飄蓬逾三年,回首肝肺熱。』
もはや根無し蓬の生活を送ること丸三年をこえたのだ、首をめぐらすように思い返すと、心の中が火のように熱くなるのを覚えるのである。
飄蓬 轉蓬という語もよく使う。秋のよもぎの根が切れて塊になって風に吹かれる様子。
杜甫は当時、一族の故郷洛陽近くの偃師に陸渾荘を建てており先祖をまつっていたが、安史軍によりその当たりが戦場になっており、帰ることが全くできなかった。したがってその故郷から根が切れて転法のようであるといっているのである。
逾三年 755年11月初(天宝末)よりかぞえて今は759年10月四年になる。当時の計算は三年といえば足かけ三年で一年を超えると「三年」と表現し、このように四年だと「逾三年」といい、五年越えると「十年」という表現をしている。計算上の年数をいうのではなく経過年に感情を加えた表現をするのである。この詩人の年数表現の事例は枚挙にいとまがない、たいていの年数表現がそれである。わざわざ数字を出すのは数字の背景があることと理解する必要があるのである。

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“同谷紀行(3)” 鐵堂峽 杜甫 <323-#1># 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1529 杜甫詩 700- 474 
詩 題:“同谷紀行(3)” 鐵堂峽
     同谷紀行の第三首目。
時 期:乾元2年10月 759年 48歳
掲 載; 杜甫700の323首目-#1
杜甫ブログ;474回目
759年鉄堂峽経過のときの作。秦州から約50km離れたとこにある谷あいの場所である。


鐵堂峽
山風吹遊子,縹緲乘險絕。
山の風が旅人であるわたしに吹きつけていく。わたしは底冷えのする空気がかすかにつらなっているとても嶮しい道をのぼってゆく。
硤形藏堂隍,壁色立精鐵。
この峡谷の形は殿堂のそばに空堀をほってあるようなさまで、片方の絶壁の色は鉄鉱石という感じでなく精錬された鉄が立てられてるようだ。
徑摩穹蒼蟠,石與厚地裂。
山のこみちはあお空がアーチ状にみえるほどに高くまがりくねっている。厳石は大地と共に引き裂かれている。
修纖無垠竹,嵌空太始雪。』
峡側にはながくほそい竹林が際限もなくつづいて生えており、ひくい処には太古以来の雪がまるで空のすきとおるようにきれいにのこっている。』

威遲哀壑底,徒旅慘不悅。
水寒長冰橫,我馬骨正折。
生涯抵弧矢,盜賊殊未滅。
飄蓬逾三年,回首肝肺熱。』


(鉄堂峡)
山風遊子を吹く、縹緲【ひょうぼう】険絶に乗ず。
硤形【きょうけい】堂隍【どうこう】を蔵す、壁色精鉄【せいてつ】立つ。
径は穹蒼【きゅうそう】を摩して蟠【わだかま】り、石は厚地【こうち】と與に裂く。
修繊【しゅうせん】なり無垠【むこん】の竹、嵌空【かんくう】なり太始の雪。』


威遲【いち】たり哀壑【あいがく】の底、徒旅【とりょ】惨として悦ばず。
水寒くして長冰【ちょうひょう】橫たわる、我が馬骨正に折る。
生涯弧矢【こし】に抵【あた】る、盗賊【とうぞく】殊に未だ滅せず。
飄蓬【ひょうほう】三年を逾【こ】ゆ、首を回らせば肝肺【かんはい】熟す。』



現代語訳と訳註
(本文)
鐵堂峽
山風吹遊子,縹緲乘險絕。
硤形藏堂隍,壁色立精鐵。
徑摩穹蒼蟠,石與厚地裂。
修纖無垠竹,嵌空太始雪。』


(下し文) (鉄堂峡)
山風遊子を吹く、縹緲【ひょうぼう】険絶に乗ず。
硤形【きょうけい】堂隍【どうこう】を蔵す、壁色精鉄【せいてつ】立つ。
径は穹蒼【きゅうそう】を摩して蟠【わだかま】り、石は厚地【こうち】と與に裂く。
修繊【しゅうせん】なり無垠【むこん】の竹、嵌空【かんくう】なり太始の雪。』



(現代語訳)
山の風が旅人であるわたしに吹きつけていく。わたしは底冷えのする空気がかすかにつらなっているとても嶮しい道をのぼってゆく。
この峡谷の形は殿堂のそばに空堀をほってあるようなさまで、片方の絶壁の色は鉄鉱石という感じでなく精錬された鉄が立てられてるようだ。
山のこみちはあお空がアーチ状にみえるほどに高くまがりくねっている。厳石は大地と共に引き裂かれている。
峡側にはながくほそい竹林が際限もなくつづいて生えており、ひくい処には太古以来の雪がまるで空のすきとおるようにきれいにのこっている。』


(訳注)
鐵堂峽

○鉄堂峡
 奏州の東南六十五里約40km(1里576m)ばかりの処にある峡の名、峡は「山陗の水を爽むものを峡と日う」。また〔「交(か)ひ」と同源〕山と山との間の狭く細長い土地。
ここに山塊が殿堂のような形のなった、厓璧の色黒く固く鉄のようであったのであろう。


山風吹遊子,縹緲乘險絕。
山の風が旅人であるわたしに吹きつけていく。わたしは底冷えのする空気がかすかにつらなっているとても嶮しい道をのぼってゆく。
遊子 旅人。杜甫のこと。同谷紀行(2)『赤穀』「天寒霜雪繁,遊子有所之。」
標緲 (現在でいう放射冷却による霞現象)気がつらなってかすかにみえるさま。
険絶 絶険と同じ、絶ははなはだしいことをいう。けわしいところ。


硤形藏堂隍,壁色立精鐵。
この峡谷の形は殿堂のそばに空堀をほってあるようなさまで、片方の絶壁の色は鉄鉱石という感じでなく精錬された鉄が立てられてるようだ。
硤形 硤は峡と別字であるが同意に用いる。硤形は峡谷の形。
蔵堂隍 堂はたかいざしき、隍は城のからぼり(隍)をいう、山体を堂とみ、渓谷を隍とみたのであろう、ここの硤暁の形はここに堂と隍とを蔵するがごとくである。峡谷の形がまわりにからぼりのある殿堂をかくすようにみえる渓谷のようすをいう。
壁色 山の崖壁のいろ。
精鉄 鉄鉱石という感じでなく精錬された鉄のようである。別のテクストでは積惙に作る。その場合、堆積した鉄が立てられてる様子。 


徑摩穹蒼蟠,石與厚地裂。
山のこみちはあお空がアーチ状にみえるほどに高くまがりくねっている。厳石は大地と共に引き裂かれている。
 こみち。
○摩 こする、接近の甚しいことをいう。
穹蒼 弓なりのあおぞら。空がアーチ状にみえる。
 とぐろをまく。わだかまる。まがりくねっている。
厚地 大地をいう。


修纖無垠竹,嵌空太始雪。』
峡側にはながくほそい竹林が際限もなくつづいて生えており、ひくい処には太古以来の雪がまるで空のすきとおるようにきれいにのこっている。』
修練 修はながい、織はほそい。
無垠 はてしない、広がりをいう。垠はさかい。
嵌空 空が透き通るような美しいさま。
太始雪 天地のはじめ以来とけぬ雪。
 
 杜甫 体系 地図459同谷紀行

1.發秦州→ 2.赤穀→ 3.鐵堂峽→ 4.鹽井→ 5.寒峡→ 6.法鏡寺→ 7.青陽峡→ 8.龍門鎮→ 9.石龕→ 10.積草嶺→ 11.泥功山→ 12.鳳凰台

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