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詩 題:”成都紀行(1)” 發同穀縣 作時759年11月
掲 載; 杜甫1000の340首目-#2
杜甫ブログ1500-503回目
華州から秦州へ、秦州に居る時、同谷を旅立つまではほとんどが律詩で、題材は身近なことをのべている。これは隠遁する場所を見つけるための支援、応援、情報収集のために作ったものである。したがって今度の成都紀行では詩の趣きが全く異なるものとなっている。(だから、杜甫の詩集本では割愛されることが多い。漢文委員会はすべて紹介掲載する。)
發同穀縣 #1
賢有不黔突,聖有不暖席。
賢人の墨子は「常に世のために奔走しかまどが煤で黒くなる暇のなかった」と人でもあり、聖人の孔子は「坐席に長く末あることなく、世のために東西に奔走した人」でもある。
況我饑愚人,焉能尚安宅?
ましてわたしは、稼ぎがなく飢えていてかつ儒家でありながらいまだに愚者なものであるから、どうして落ちついた居場所などにやすらいでいることが出来るのであろうか。
始來茲山中,休駕喜地僻。
始めてここの山中に来たときは、車や馬を休めて土地の辺都であることを喜んだのだ。
奈何迫物累,一歲四行役!
どういうわけか戦の憂いや、物ごとの心配事が積み重なってしまうのだ、そのため今年一年で四回も旅をしてしまうことになってしまった。
忡忡去絕境,杳杳更遠適。
私はここにいても戦の恐怖からいろんな心配事が集まって來るのでこの国境のかけ離れた土地を去って、はるばる遠い所、さらに戦の心配のないところに行きたいのである。
#2
停驂龍潭雲,回首虎崖石。
一行の馬を停めてしばらく龍潭の雲を眺め、虎崖の石場を振り返って眺めるのである。
臨岐別數子,握手淚再滴。
分かれ道にあたって、数人の人々と別れの言葉を告げるのである。そして手を握りあうと、涙をふたたび流すのである。
交情無舊深,窮老多慘戚。
昔からの付き合いの人ではあったが此処ではほとんどまじわりがなかったとはいえ、この老い先短い身には、悲しさに堪えられないのだ。
平生懶拙意,偶值棲遁跡。
平生の渡りにずぼらで下手な私である、そういうことではここはいい隠棲の地であったのだが、ここはとどまるにおよばないとおもうのだ。
去住與願違,仰慚林間翮。
行くか戻るかといっても、留まる気持ちはないが友人と別れがたい気持ちには違いはないのである。仰いで林間に、住む所を得て楽しく嘲っている鳥に対しては、わたしはほんとにはずかしく思うのである。
『發同谷縣』 現代語訳と訳註
(本文) #2
停驂龍潭雲,回首虎崖石。臨岐別數子,握手淚再滴。
交情無舊深,窮老多慘戚。平生懶拙意,偶值棲遁跡。
去住與願違,仰慚林間翮。
(下し文) #2
驂を停む 龍潭の雲,首を回らす虎崖の石。
岐に臨んで數子と別る,手を握りて淚再び滴る。
交情 舊深無きも,窮老慘戚多し。
平生 懶拙の意,偶ま棲遁の跡に值いしに。
去住 願と違う,仰いで林間の翮に慚づ。
(現代語訳)
一行の馬を停めてしばらく龍潭の雲を眺め、虎崖の石場を振り返って眺めるのである。
分かれ道にあたって、数人の人々と別れの言葉を告げるのである。そして手を握りあうと、涙をふたたび流すのである。
昔からの付き合いの人ではあったが此処ではほとんどまじわりがなかったとはいえ、この老い先短い身には、悲しさに堪えられないのだ。
平生の渡りにずぼらで下手な私である、そういうことではここはいい隠棲の地であったのだが、ここはとどまるにおよばないとおもうのだ。
行くか戻るかといっても、留まる気持ちはないが友人と別れがたい気持ちには違いはないのである。仰いで林間に、住む所を得て楽しく嘲っている鳥に対しては、わたしはほんとにはずかしく思うのである。
(訳注) #2
停驂龍潭雲,回首虎崖石。
一行の馬を停めてしばらく龍潭の雲を眺め、虎崖の石場を振り返って眺めるのである。
・停驂 驂はそえ馬をいう。ここは一行の馬を停めること。
・龍潭 龍がすむという万丈潭。
・虎崖 やはり同谷の附近にあるのだろう。
臨岐別數子,握手淚再滴。
分かれ道にあたって、数人の人々と別れの言葉を告げるのである。そして手を握りあうと、涙をふたたび流すのである。
・臨岐 分かれみちにのぞんで。
・数子 数人の人々。
交情無舊深,窮老多慘戚。
昔からの付き合いの人ではあったが此処ではほとんどまじわりがなかったとはいえ、この老い先短い身には、悲しさに堪えられないのだ。
・無舊深 昔深い付き合いをしたがそのようなことはここではなかったというほどの意味。
平生懶拙意,偶值棲遁跡。
平生の渡りにずぼらで下手な私である、そういうことではここはいい隠棲の地であったのだが、ここはとどまるにおよばないとおもうのだ。
・懶拙意 世渡りにかけて物憂く、へたくそである。秦州でもこの言葉を発している。戦の恐怖をひととの付き合いも飲んだ意にしていると思う。
去住與願違,仰慚林間翮。
行くか戻るかといっても、留まる気持ちはないが友人と別れがたい気持ちには違いはないのである。仰いで林間に、住む所を得て楽しく嘲っている鳥に対しては、わたしはほんとにはずかしく思うのである。
・去住 行くか戻るか、留まる気持ちはないが、友人と別れがたい気持ちの表現である。