杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

2012年12月

成都(1)浣花渓の草堂(5) 從韋二明府續處覓綿竹 杜甫 <358>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1739 杜甫詩 700- 534

從韋二明府續處覓綿竹 杜甫

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 Ⅲ杜甫詩1000詩集成都(1)浣花渓の草堂(5) 從韋二明府續處覓綿竹 杜甫 <356>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1739 杜甫詩 700- 534 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集元和聖徳詩 韓退之(韓愈)詩<80-#16> (12/31) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩『南歌子七首』(二)温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-31-5-#9 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1740 
      
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成都(1)浣花渓の草堂(5) 從韋二明府續處覓綿竹 杜甫 <358>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1739 杜甫詩 700- 534 

詩 題:成都(1)浣花渓の草堂(5) 從韋二明府續處覓綿竹
作 時:760年3月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の356首目-#5
杜甫ブログ1500-534回目



杜甫一家の生活や草堂の建築費用について、成都に到着して10首の詩でわかる。
1.詩人の友人高適)が成都の北40kmほどのところにある彭州(四川省彭県)の刺史をしており、禄米をまわしている(『酬高使君相贈』「古寺僧牢落,空房客寓居。故人分祿米,鄰舍與園蔬。雙樹容聽法,三車肯載書。草玄吾豈敢,賦或似相如。」)。


2.卜居 まず雨露がしのげる小屋を建て、その後に本宅を建てたもので、期間的には小屋は1~2日、草堂が2,3週間ではなかろうか。
3.母方の従兄弟で成都尹の十五(『王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資』)、「憂我營茅棟,攜錢過野橋。」


4.蕭実には桃の苗百本、
奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。
河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。

5.韋続には綿竹県の竹を、
從韋二明府續處覓綿竹三數
華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。
江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。

6. 何邕には三年で大木になるという榿木の苗を、
7. 韋班には松の木の苗を、
8. 韋班には更に大邑県産の白い磁碗をたのんでいる。
9. 石筍街呆園坊の主人徐卿には果樹の苗を、
・裴冕幕下の従侄(従兄弟の子)杜済と、
10.そしてこうした親戚、友人の援助によって草堂は晩春までにはできあがる。『堂成』
草堂が完成した喜びや満足感が表されているのだが、草堂と成都城の位置関係を、「背郭堂成蔭白茅、縁江路熟俯青郊。」(郭を背にし堂は成って 白茅の蔭(おお)い、江に縁う路は熟して たかきより青郊をしたに俯す。)のように述べている。草堂が成都城の西側の外に位置し、高台にある草堂から見ると、川沿いの道が郊外を突き抜けて成都の方へ続いていることがわかる。
 番号は掲載順である。


從韋二明府續處覓綿竹三數叢
親戚筋の県令に務める韋続君に草堂の周囲のいい場所に三か所の竹林ができる綿竹を求めるのだ。
華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。
家の欄干の先に竹林がこんもりと茂り、それも多年にわたって満たしてくれる。この綿竹は高くまっすぐにそびえてそだつのであるが、綿竹県において高く育つものとして出荷してくれる。
江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。

錦江の川辺に立つ舎の前に何もないのであるが、幸いなことに情念青青として自兮ってくれて錦江の大波から守ってくれるものである。

從 韋二明府の續 處に綿竹 三數の叢を覓める。
軒を華すは藹藹として他年に到るあり,綿竹亭亭として縣高に出でむ。
江上舍の前 此物無く,幸にして蒼翠 波濤を拂うためにくる。


『從韋二明府續處覓綿竹三數叢』 現代語訳と訳註
(本文)
從韋二明府續處覓綿竹三數叢
華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。
江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。


(下し文)
從 韋二明府の續 處に綿竹 三數の叢を覓める。
軒を華すは藹藹として他年に到るあり,綿竹亭亭として縣高に出でむ。
江上舍の前 此物無く,幸にして蒼翠 波濤を拂うためにくる。


(現代語訳)
親戚筋の県令に務める韋続君に草堂の周囲のいい場所に三か所の竹林ができる綿竹を求めるのだ。
家の欄干の先に竹林がこんもりと茂り、それも多年にわたって満たしてくれる。この綿竹は高くまっすぐにそびえてそだつのであるが、綿竹県において高く育つものとして出荷してくれる。
錦江の川辺に立つ舎の前に何もないのであるが、幸いなことに情念青青として自兮ってくれて錦江の大波から守ってくれるものである。


(訳注)
從韋二明府續處覓綿竹三數叢

親戚筋の県令に務める韋続君に草堂の周囲のいい場所に三か所の竹林ができる綿竹を求めるのだ。
・ 綿竹 成都湧州に綿竹縣有り、縣に紫巖山有り、綿竹は蓋し此の山に産すとある。


華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。
家の欄干の先に竹林がこんもりと茂り、それも多年にわたって満たしてくれる。この綿竹は高くまっすぐにそびえてそだつのであるが、綿竹県において高く育つものとして出荷してくれる。
・藹藹 草木がこんもりと茂っているさま。
・亭亭 1 樹木などが高くまっすぐにそびえているさま。2 遠くはるかなさま。


江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。
錦江の川辺に立つ舎の前に何もないのであるが、幸いなことに情念青青として自兮ってくれて錦江の大波から守ってくれるものである。
・ 此物 綿竹のこと
・ 蒼翠。竹の色が常緑であること。
・ 拂波濤 錦江の波を払うとは、防波の役割をいう。



從韋二明府續處覓綿竹三數叢
華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。
江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。

從 韋二明府の續 處に綿竹 三數の叢を覓める。
軒を華すは藹藹として他年に到るあり,綿竹亭亭として縣高に出でむ。
江上舍の前 此物無く,幸にして蒼翠 波濤を拂うためにくる。

成都(1)浣花渓の草堂(4) 蕭八明府實處覓桃栽 杜甫 <357>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1735 杜甫詩 700- 533

蕭八明府實處覓桃栽 杜甫(蕭八明府實に 處に桃の栽【なえ】を覓める)詩
◆◆◆2012年12月26日紀頌之の5つの漢文ブログ◆◆◆

Ⅰ.李白と李白に影響を与えた詩集
古代中国の結婚感、女性感について述べる三国時代の三曹の一人、曹丕魏文帝の詩
至廣陵於馬上作 曹丕(魏文帝) 魏詩<8-#2>古詩源 巻五 女性詩629 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1733
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67765496.html

Ⅱ.中唐詩・晩唐詩
 唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
秋懐詩十一首(7) 韓愈 韓退之(韓愈)詩<107>Ⅱ中唐詩542 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1734
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6162341.html

Ⅲ.杜甫詩1000詩集
"●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 
●理想の地を求めて旅をする
●全詩1/3を掲載済。"
成都(1)浣花渓の草堂(4) 蕭八明府實處覓桃栽 杜甫 <355>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1735 杜甫詩 700- 533
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/archives/67764563.html

Ⅳ.漢詩・唐詩・宋詞詩詩集
元和聖徳詩 韓退之(韓愈)詩<80-#15> (12/30) http://kanshi100x100.blog.fc2.com/blog-entry-583.html

Ⅴ.晩唐五代詞詩・宋詞詩
 森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”彼女の詩の先生として登場する 晩唐期の詩人 温庭筠(おんていいん)の作品を訳註解説する。
『南歌子七首』(一) 温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-30-5-#8 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1736
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/archives/21534541.html


謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html
謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。

孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html
盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html
古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。

孟郊詩  http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html
「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。

李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

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成都(1)浣花渓の草堂(4) 蕭八明府實處覓桃栽 杜甫 <357>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1735 杜甫詩 700- 533


杜甫一家の生活や草堂の建築費用について、成都に到着して10首の詩でわかる。
1.詩人の友人高適)が成都の北40kmほどのところにある彭州(四川省彭県)の刺史をしており、禄米をまわしている(『酬高使君相贈』「古寺僧牢落,空房客寓居。故人分祿米,鄰舍與園蔬。雙樹容聽法,三車肯載書。草玄吾豈敢,賦或似相如。」)。

2.卜居 まず雨露がしのげる小屋を建て、その後に本宅を建てたもので、期間的には小屋は1~2日、草堂が2,3週間ではなかろうか。
3.母方の従兄弟で成都尹の王十五(『王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資』)、「憂我營茅棟,攜錢過野橋。」

4.蕭実には桃の苗百本、
奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。
河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。

5.韋続には綿竹県の竹を、
6. 何邕には三年で大木になるという榿木の苗を、
7. 韋班には松の木の苗を、
8. 韋班には更に大邑県産の白い磁碗をたのんでいる。
9. 石筍街呆園坊の主人徐卿には果樹の苗を、
・裴冕幕下の従侄(従兄弟の子)杜済と、
10.そしてこうした親戚、友人の援助によって草堂は晩春までにはできあがる。『堂成』
草堂が完成した喜びや満足感が表されているのだが、草堂と成都城の位置関係を、「背郭堂成蔭白茅、縁江路熟俯青郊。」(郭を背にし堂は成って 白茅の蔭(おお)い、江に縁う路は熟して たかきより青郊をしたに俯す。)のように述べている。草堂が成都城の西側の外に位置し、高台にある草堂から見ると、川沿いの道が郊外を突き抜けて成都の方へ続いていることがわかる。
 番号は掲載順である。


蕭八明府實處覓桃栽
<県令の八番目の書記をしている蕭實君に畑に植えたい桃の苗を求める詩。>
奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。
桃の苗百本を春になる前に100本ほど濯錦江が錦江に注ぎ込む地を「花を洗う村」としたいので送ってほしい。
河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。

桃の木は西晉の潘岳が河陽當縣令であった時に植樹し「河陽県花」と称されるほど河陽縣にはたくさんあるというがいまここ濯錦江の川辺の農園にいっぱいになるほどに全くなっていない。


(蕭八明府實に 處に桃の栽【なえ】を覓める)詩
桃の栽【なえ】一百の根、春の前に爲【まさ】に浣花の村に送らんことを乞い奉る。
河陽縣の裏 無數なりと雖も、濯錦江の邊り、未だ園に滿たず。


桃園005



『蕭八明府實處覓桃栽』 現代語訳と訳註
(本文)

奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。
河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。


(下し文)
(蕭八明府實に 處に桃の栽【なえ】を覓める)詩
桃の栽【なえ】一百の根、春の前に爲【まさ】に浣花の村に送らんことを乞い奉る。
河陽縣の裏 無數なりと雖も、濯錦江の邊り、未だ園に滿たず。


(現代語訳)
<県令の八番目の書記をしている蕭實君に畑に植えたい桃の苗を求める詩。>
桃の苗百本を春になる前に100本ほど濯錦江が錦江に注ぎ込む地を「花を洗う村」としたいので送ってほしい。
桃の木は西晉の潘岳が河陽當縣令であった時に植樹し「河陽県花」と称されるほど河陽縣にはたくさんあるというがいまここ濯錦江の川辺の農園にいっぱいになるほどに全くなっていない。


(訳注)
蕭八明府實處覓桃栽

県令の八番目の書記をしている蕭實君に畑に植えたい桃の苗を求める詩。

・七言絶句 ここまで杜甫はほとんど絶句を書いていない。(貧交行、黄河二首)成都に来て、これ以降激増する。・韻 根、村、園。

奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。
桃の苗百本を春になる前に100本ほど濯錦江が錦江に注ぎ込む地を「花を洗う村」としたいので送ってほしい。
・桃 春には五弁または多重弁の花を咲かせ、夏には水分が多く甘い球形の果実を実らせる。中国原産。食用・観賞用として世界各地で栽培されている。
・浣花村 花を浣【あら】う村とこの時初めて「浣花」という語を使ったのではないかと思う。頼みごとをするにしてもその贈られた桃に花が咲くころ、雪解けの水が満水になる。夢のあるネーミングである。杜甫のこの地での意気込みを感じるものである。


河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。
桃の木は西晉の潘岳が河陽當縣令であった時に植樹し「河陽県花」と称されるほど河陽縣にはたくさんあるというがいまここ濯錦江の川辺の農園にいっぱいになるほどに全くなっていない。
河陽縣の裏 「河陽一縣花」の桃が咲く河陽縣の県内には。
西晉の潘岳あり。潘岳在河陽當縣の令の時に,桃柳を多植し,號して花縣と稱し,以って自己の清高にして廉潔たることを表示す。庾信『枯樹賦』に “「若非金谷滿園樹,即是河陽一縣花。」と 有る。又『春賦』に雲う:「河陽一縣並是花。金谷從來滿園樹。」潘岳 河陽一縣花とする,甚だ “五柳先生”の陶淵明は相い提し並びに論ずるを與って還るに至る。
「河陽」 とは、 かの溝掘袖県に 令として赴任した際に桃李の花で県中を埋め尽くしたという故事ー. 成句としては 「即是河陽一県花」 (北周・庚信 「枯樹賦」)、 「河陽一 県. 併是花」 (同 「春賦」) などーで中国文学史上有名な地名であっ た。

晉の潘岳河陽の令と爲り、満縣に跳李を種う。人、號して河陽一縣の花といふ
《淮南子》雲:『木葉落,長年悲。』斯之謂矣。乃為歌曰:『建章三月火,黃河千里槎。若非金谷滿園樹,即是河陽一縣花。』桓大司馬聞而歎曰:『昔年移柳,依依漢南;今看搖落,淒江潭。樹猶如此,人何以堪。』にみえる。
・濯錦江 長江の支流錦江に注ぎ込む浣花渓の別名。


桃園001


(蕭八明府實に 處に桃の栽【なえ】を覓める)詩)
桃の栽【なえ】一百の根、春の前に爲【まさ】に浣花の村に送らんことを乞い奉る。
河陽縣の裏 無數なりと雖も、濯錦江の邊り、未だ園に滿たず。


蕭八明府實處覓桃栽
奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。
河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。

成都(1)浣花渓の草堂(3) 王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資 杜甫 <356>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1731 杜甫詩 700- 532

杜甫 王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資(王十五司馬の弟が郭を出で相訪れ兼ねて草堂を營むを資を遺【おく】る)

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 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集元和聖徳詩 韓退之(韓愈)詩<80-#14> (12/29) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩『定西番三首』(三) 温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-29-4-#7 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1732 
      
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成都(1)浣花渓の草堂(3) 王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資 杜甫 <356>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1731 杜甫詩 700- 532 



詩 題:成都(1)浣花渓の草堂(3)
 王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資
作時760年3月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の356首目-浣花渓の草堂#3
杜甫ブログ1500-532回目



草堂の建築費用は、詩人の友人高適)が成都の北40kmほどのところにある彭州(四川省彭県)の刺史をしており、禄米をまわしている(『酬高使君相贈』「古寺僧牢落,空房客寓居。故人分祿米,鄰舍與園蔬。雙樹容聽法,三車肯載書。草玄吾豈敢,賦或似相如。」)。
母方の従兄弟で成都尹の王十五(『王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資』)、「憂我營茅棟,攜錢過野橋。」
裴冕幕下の従侄(従兄弟の子)杜済と、蕭実には桃の苗百本、韋続には綿竹県の竹を、何邕には三年で大木になるという榿木の苗を、
韋班には松の木の苗を、石筍街呆園坊の主人徐卿には果樹の苗を、そして韋班には更に大邑県産の白い磁碗をたのんでいる。こうした親戚、友人の援助によって草堂は春のおわりまでにはできあがるのである。


王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資
(王十五司馬の弟が郭を出で相訪れ兼ねて草堂を營むを資を遺【おく】る)
<母がた王氏の十五番目のつながりの司馬の弟が城郭出て尋ねてくれ、草堂の経営を助ける資金を置いて行ってくれる。>
客裡何遷次?江邊正寂寥。
長く旅をしていてどこに落ち着いて住むことが出来るだろうかと思っていたが、ここは錦江の畔にまさにひっそりとしてもの寂しいところである。
肯來尋一老,愁破是今朝。
そんなところに思いがけずこんな老人を尋ねてきてくれる、それは今朝の事で今まで心配で仕方がなかったことがすっ飛んだのだ。
憂我營茅棟,攜錢過野橋。
というのも私の愁いの種は茅屋を棟上げをして営むことだ巧く出来るかなと思っていたことだが、家の資金の手助けにお金を携えてそこの野橋を通過してきているのだ。
他鄉惟表弟,還往莫辭遙。

今まで他郷にいるただのははがたの遠い親戚のいとことぐらいに思っていたのだが、これからは往ったり来たりして詩文や言葉を掛け合って縁遠くならないようにしようと思う。

(王十五司馬の弟が郭を出で相訪れ兼ねて草堂を營むを資を遺【おく】る)
客裡 何ぞ遷次せん?江邊 正に寂寥【せきりょう】たり。
肯えて一老を尋ね來る,愁は 是れ今朝に破る。
我が憂いは茅棟を營むことなるが,錢を攜えて野橋を過ぎる。
他鄉 惟れ表弟なり,往きて還らむは辭遙する莫れ。


『王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資』 現代語訳と訳註
(本文)
客裡何遷次?江邊正寂寥。
肯來尋一老,愁破是今朝。
憂我營茅棟,攜錢過野橋。
他鄉惟表弟,還往莫辭遙。


(下し文)
(王十五司馬の弟が郭を出で相訪れ兼ねて草堂を營むを資を遺【おく】る)
客裡 何ぞ遷次せん?江邊 正に寂寥【せきりょう】たり。
肯えて一老を尋ね來る,愁は 是れ今朝に破る。
我が憂いは茅棟を營むことなるが,錢を攜えて野橋を過ぎる。
他鄉 惟れ表弟なり,往きて還らむは辭遙する莫れ。


(現代語訳)
<母がた王氏の十五番目のつながりの司馬の弟が城郭出て尋ねてくれ、草堂の経営を助ける資金を置いて行ってくれる。>
長く旅をしていてどこに落ち着いて住むことが出来るだろうかと思っていたが、ここは錦江の畔にまさにひっそりとしてもの寂しいところである。
そんなところに思いがけずこんな老人を尋ねてきてくれる、それは今朝の事で今まで心配で仕方がなかったことがすっ飛んだのだ。
というのも私の愁いの種は茅屋を棟上げをして営むことだ巧く出来るかなと思っていたことだが、家の資金の手助けにお金を携えてそこの野橋を通過してきているのだ。
今まで他郷にいるただのははがたの遠い親戚のいとことぐらいに思っていたのだが、これからは往ったり来たりして詩文や言葉を掛け合って縁遠くならないようにしようと思う。


(訳注)
王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資

母がた王氏の十五番目のつながりの司馬の弟が城郭出て尋ねてくれ、草堂の経営を助ける資金を置いて行ってくれる。


客裡何遷次?江邊正寂寥。
長く旅をしていてどこに落ち着いて住むことが出来るだろうかと思っていたが、ここは錦江の畔にまさにひっそりとしてもの寂しいところである。
・客裡 1 まだ一寺の住職にならず、寺から寺へと修行して回る僧。行脚(あんぎゃ)僧。2 旅行中であること。
・遷次 1宿舎を移す。2官職を進める。3居を移す。④季節が変わる。
・寂寥 心が満ち足りず、もの寂しいこと。ひっそりとしてもの寂しいさま。


肯來尋一老,愁破是今朝。
そんなところに思いがけずこんな老人を尋ねてきてくれる、それは今朝の事で今まで心配で仕方がなかったことがすっ飛んだのだ。


憂我營茅棟,攜錢過野橋。
というのも私の愁いの種は茅屋を棟上げをして営むことだ巧く出来るかなと思っていたことだが、家の資金の手助けにお金を携えてそこの野橋を通過してきているのだ。


他鄉惟表弟,還往莫辭遙。
今まで他郷にいるただのははがたの遠い親戚のいとことぐらいに思っていたのだが、これからは往ったり来たりして詩文や言葉を掛け合って縁遠くならないようにしようと思う。
表弟 表妹、表姐、表弟、表哥はもともと母親の兄弟の子供たちに対しての呼びかたで、父親の兄弟の子供たちに対して、堂兄,堂弟,堂姐,堂妹と言う。
血族上、母親の方の親戚は父親の方の親戚より血縁関係が遠いため、遠い親戚を「表妹、表姐、表弟、表哥」と呼ぶ場合もある。古代より男女自由に会うことができない時代、一緒に遊べるのが親戚の兄弟だけなので「堂兄,堂弟,堂姐,堂妹は兄弟と言いが、「表妹、表姐、表弟、表哥」は親戚ではあるが、成人して、自然に恋愛関係になってしまうことが多かった。それを引用して、「表妹」は彼女、「表哥」が彼氏のことを指すことになった。
又は親戚ではないが、普通の人より仲が親密であると示すためにはお互いに「表妹、表姐、表弟、表哥」と呼ぶこともある。

成都(1)浣花渓の草堂(2) 卜居 杜甫 <355>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1727 杜甫詩 700- 531

卜居 杜甫 <355>
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 
●理想の地を求めてっ旅をする
●全詩1/3を掲載済。


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成都(1)浣花渓の草堂(2) 卜居 杜甫 <355>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1727 杜甫詩 700- 531
 
詩 題:成都(1)浣花渓草堂(2) 卜居
作時760年3月杜甫49歳 七言律詩
掲 載; 杜甫1000の354首目
杜甫ブログ1500-531回目



成都(1)
屋敷の回りには灌木などが茂り、まだ手つかずの自然が残っていたようである。そういう部分も含めて草堂では、杜甫はかなり広い土地(総合的にみて2000坪程度と判断しているがもう少し広いかもしれない)を自由に使ってよいとされていたようである。


そのような成都郊外の土地を新参者の杜甫に提供し、屋敷造りを援助してくれたのは、その地域の最高権力者であったと思われる。この人物が誰であるかについては諸説があるが、①当時の成都尹・剣南西川節度使の裴冕(?―769)であった可能性が強いとされているが、裴冕は杜甫が草堂造りを始めた初年度にはもうその任をやめており、三月には杜甫とは関係の薄い李若幽が後任となっているので、②彭州(四川省彭県)の刺史詩人の友人高適。③厳武、というところで、厳武の働きかけが一番ではなかったというところであろうか。


草堂が完成した喜びや満足感が表されているのだが、草堂と成都城の位置関係を、「背郭堂成蔭白茅、縁江路熟俯青郊。」(郭を背にし堂は成って 白茅の蔭(おお)い、江に縁う路は熟して たかきより青郊をしたに俯す。)のように述べている。草堂が成都城の西側の外に位置し、高台にある草堂から見ると、川沿いの道が郊外を突き抜けて成都の方へ続いていることがわかる。




杜甫一家の生活や草堂の建築費用について、成都に到着して10首の詩でわかる。

1.詩人の友人高適)が成都の北40kmほどのところにある彭州(四川省彭県)の刺史をしており、禄米をまわしている(『酬高使君相贈』「古寺僧牢落,空房客寓居。故人分祿米,鄰舍與園蔬。雙樹容聽法,三車肯載書。草玄吾豈敢,賦或似相如。」)。


2.卜居 まず雨露がしのげる小屋を建て、その後に本宅を建てたもので、期間的には小屋は1~2日、草堂が2,3週間ではなかろうか。

3.母方の従兄弟で成都尹の王十五(『王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資』)、「憂我營茅棟,攜錢過野橋。」


4.蕭実には桃の苗百本、
奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。
河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。


5.韋続には綿竹県の竹を、
華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。
江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。


6. 何邕には三年で大木になるという榿木の苗を、
「覓榿木栽」「榿木三年大。與致溪邊十畝陰。」


7. 韋班には松の苗木を、
落落出羣非櫸柳,青青不朽豈楊梅?
欲存老蓋千年意,為覓霜根數寸栽。


8. 韋班には更に大邑県産の白い磁碗をたのんでいる。
大邑燒瓷輕且堅,扣如哀玉錦城傳。
君家白碗勝霜雪,急送茅齋也可憐。


9. 石筍街呆園坊の主人徐卿には果樹の苗を、
詣徐卿覓果栽
草堂少花今欲栽,不問綠李與黄梅。
石筍街中卻歸去,果園坊裡為求來。

・裴冕幕下の従侄(従兄弟の子)杜済と、


10.そしてこうした親戚、友人の援助によって草堂は晩春までにはできあがる。『堂成』
草堂が完成した喜びや満足感が表されているのだが、草堂と成都城の位置関係を、「背郭堂成蔭白茅、縁江路熟俯青郊。」(郭を背にし堂は成って 白茅の蔭(おお)い、江に縁う路は熟して たかきより青郊をしたに俯す。)のように述べている。草堂が成都城の西側の外に位置し、高台にある草堂から見ると、川沿いの道が郊外を突き抜けて成都の方へ続いていることがわかる。
 番号は掲載順である。
すべてにお礼を込めた詩を贈っている。

上元元年  760年 49歳

卜居
浣花溪水水西頭,主人為卜林塘幽。
浣花渓の雪解け水の流れるその西のほとり、そこに自分は林と堤の幽遂なところに建設して住居ときめた。
已知出郭少塵事,更有澄江銷客愁。
そこは成都の城郭をはなれていて私の苦手な俗事がすくないことはもう知ることが出来た。その上に、自分の旅の愁いを解消してくれる澄み切ったきれいな江辺がある。
無數蜻蜓齊上下,一雙鸂鶒對沈浮。
そのあたりには数知れないたくさんのとんぼが水の上をそろってのぼりくだりをしているし、一対のおしどりはむきあって浮きつ沈みつしている。
東行萬裡堪乘興,須向山陰上小舟。

更に興に乗ずれば東のかた万里の遠くまでもゆくことはできるだろう。こんなよい渓谷に住むとなるといつか小舟にのって王獻之の故事の山陰地方にまででかけるべきである。

浣花渓水 水の西頭、主人為に卜【ぼく】す林塘【りんとう】の幽なるを。
已に知る 郭を出でて塵事【じんじ】の少【まれ】なるを、更に澄江【ちょうこう】の客愁を銷【しょう】する有り。
無数の蜻蜓【せいてい】 斉【ひと】しく上下し、一双の鸂鶒【けいせき】 対して沈浮【ちんぷ】す。
東行万里  興に乗ずるに堪えたり、須【すべから】く山陰に向かって小舟に入るべし。


『卜居』 現代語訳と訳註
(本文)

卜居
浣花溪水水西頭,主人為卜林塘幽。
已知出郭少塵事,更有澄江銷客愁。
無數蜻蜓齊上下,一雙鸂鶒對沈浮。
東行萬裡堪乘興,須向山陰上小舟。


(下し文)
浣花渓水 水の西頭、主人為に卜【ぼく】す林塘【りんとう】の幽なるを。
已に知る 郭を出でて塵事【じんじ】の少【まれ】なるを、更に澄江【ちょうこう】の客愁を銷【しょう】する有り。
無数の蜻蜓【せいてい】 斉【ひと】しく上下し、一双の鸂鶒【けいせき】 対して沈浮【ちんぷ】す。
東行万里  興に乗ずるに堪えたり、須【すべから】く山陰に向かって小舟に入るべし。


(現代語訳)
浣花渓の雪解け水の流れるその西のほとり、そこに自分は林と堤の幽遂なところに建設して住居ときめた。
そこは成都の城郭をはなれていて私の苦手な俗事がすくないことはもう知ることが出来た。その上に、自分の旅の愁いを解消してくれる澄み切ったきれいな江辺がある。
そのあたりには数知れないたくさんのとんぼが水の上をそろってのぼりくだりをしているし、一対のおしどりはむきあって浮きつ沈みつしている。
更に興に乗ずれば東のかた万里の遠くまでもゆくことはできるだろう。こんなよい渓谷に住むとなるといつか小舟にのって王獻之の故事の山陰地方にまででかけるべきである。


(訳注)
卜居

杜甫は成都の浣花渓に住居を定めたことを「寄題江外草堂」詩に、「誅茅初一畝,廣地方連延。經營上元始,斷手寶應年。」とある。成都の中心から4kmほど離れた閑静な田園地帯で、浣花渓(錦江支流であり、河岸の西端、)の北の百花潭岸辺にあった。此の詩は到着の翌760年上元元年春の作である。

卜居 住居のよしあしをうらなってさだめる。

浣花溪水水西頭,主人為卜林塘幽。
浣花渓の雪解け水の流れるその西のほとり、そこに自分は林と堤の幽遂なところに建設して住居ときめた。
浣花渓 渓は成都の西郭外にあり、一に百花澤ともいう。○主人 自ずからいう。
為卜 為めにとは自己のためにということ。


已知出郭少塵事,更有澄江銷客愁。
そこは成都の城郭をはなれていて私の苦手な俗事がすくないことはもう知ることが出来た。その上に、自分の旅の愁いを解消してくれる澄み切ったきれいな江辺がある。
出郭 くるわをはなれること。
澄江 錦江をいう、澄は水のすんでいることをいう。


無數蜻蜓齊上下,一雙鸂鶒對沈浮。
そのあたりには数知れないたくさんのとんぼが水の上をそろってのぼりくだりをしているし、一対のおしどりはむきあって浮きつ沈みつしている。
○蜻蜓 とんぼ。
上下 のぼり、くだる。
鸂鶒 おしどり。


東行萬裡堪乘興,須向山陰上小舟。
更に興に乗ずれば東のかた万里の遠くまでもゆくことはできるだろう。こんなよい渓谷に住むとなるといつか小舟にのって王獻之の故事の山陰地方にまででかけるべきである。
乗興 この句は王献之の故事。「吾は本と輿に乗じて行く、輿尽きて返る。」
山陰 晋の王献之の故事、献之、字は子猷が山陰(浙江省紹興府)に居たとき、雪の夜にふと剡渓にあった戴安道を思い出し、舟に乗ってでかけたが、その門まで行ってひきかえしてしまった、人が其のわけをたずねたところ、子猷は「吾は本と輿に乗じて行く、輿尽きて返る。」と答えたという。

成都(1)浣花渓の草堂(1) 酬高使君相贈 杜甫 <354> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1723 杜甫詩 700- 530

酬高使君相贈 杜甫 <354>

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成都(1)浣花渓の草堂(1) 酬高使君相贈 杜甫 <354> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1723 杜甫詩 700- 530 


詩 題:成都(1)浣花渓草堂(1) 酬高使君相贈
作時759/12/末ー760年1月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000の354首目-#1
杜甫ブログ1500-530回目 
乾元二年(759)十二月、同谷から成都にたどりついた杜甫は、ひとまず城西の寺(浣花寺宿坊)の僧復空のもとに身を落ちつけた。


酬高使君相贈
友人である高適君が私に対して贈り物をしてくれたことに報いるためにこの詩を作る。
古寺僧牢落,空房客寓居。
この浣花寺というのは由緒ある古いお寺であり、ここの住職は人格者でこころが広いお方で、突然の訪問者の私に空いている宿坊に客人としてしばらく宿泊させてくれるという。
故人分祿米,鄰舍與園蔬。
古い友人の高適君は禄米の中からを米などを分けてくれ、高適の部下の成都府の官舎のお隣の人が畑の野菜を分けてくれる。
雙樹容聽法,三車肯載書。
寺には二つ並んだりっぱな大樹があり、お経を大切に聴きいれると、法華三部経により宇宙の真理を理解し、三車法師が出家したときのようにここで過ごすことを承諾するのである。
草玄吾豈敢,賦或似相如。
これから先、心配だらけだけど私は『論語』でいうようにやってみようと思うし、詩人として詩賦を作り、それは賦の名手であった漢の司馬相如をまねてやっていこうと思うのである。

高使君の相贈せらるに酬ゆ
古寺の僧 牢落し,空房の客として 寓居せり。
故人 祿米を分ち,鄰舍 園蔬【えんそ】を与う。
雙樹 法を聽きくを容し,三車して載書を肯【がえん】ずる。
草 玄くして吾 豈に敢えてせん,賦 或いは相如に似せんとす。


『酬高使君相贈』 現代語訳と訳註
(本文)
酬高使君相贈
古寺僧牢落,空房客寓居。
故人分祿米,鄰舍與園蔬。
雙樹容聽法,三車肯載書。
草玄吾豈敢,賦或似相如。


(下し文)
高使君の相贈せらるに酬ゆ
古寺の僧 牢落し,空房の客として 寓居せり。
故人 祿米を分ち,鄰舍 園蔬【えんそ】を与う。
雙樹 法を聽きくを容し,三車して載書を肯【がえん】ずる。
草 玄くして吾 豈に敢えてせん,賦 或いは相如に似せんとす。


(現代語訳)
友人である高適君が私に対して贈り物をしてくれたことに報いるためにこの詩を作る。
この浣花寺というのは由緒ある古いお寺であり、ここの住職は人格者でこころが広いお方で、突然の訪問者の私に空いている宿坊に客人としてしばらく宿泊させてくれるという。
古い友人の高適君は禄米の中からを米などを分けてくれ、高適の部下の成都府の官舎のお隣の人が畑の野菜を分けてくれる。
寺には二つ並んだりっぱな大樹があり、お経を大切に聴きいれると、法華三部経により宇宙の真理を理解し、三車法師が出家したときのようにここで過ごすことを承諾するのである。
これから先、心配だらけだけど私は『論語』でいうようにやってみようと思うし、詩人として詩賦を作り、それは賦の名手であった漢の司馬相如をまねてやっていこうと思うのである。


(訳注)
酬高使君相贈

友人である高適君が私に対して贈り物をしてくれたことに報いるためにこの詩を作る。
高使君 高適、厳武、岑参、賈至詩人仲間で、特に高適とは、李白と共に山東方面を旅している詩人の友である。乾元二年(759)十二月、同谷から成都にたどりついた杜甫は、ひとまず城西の寺の僧復空のもとに身を落ちつけた。そのとき彭州の刺史となって蜀に来ていた高適から彼に贈られた詩にこたえて、『酬高使君相贈』を詠じたのだが、そのほか厳武、あるいは当時成都尹兼剣南西川節度使であった裴冕の幕下にあった作者の従侄(いとこの子)杜済あたりが、経済的な援助をしてくれたようである。高適についてたくさんの詩を書いているがその一部を下記に示す。

寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻 杜甫 <316-6> 

寄高三十五詹事  杜甫詩268

贈高式顔(昔別是何処) 杜甫詩 269

送高三十五書記 杜甫 : 50
寄高三十五書記  杜甫: 67

送蔡希魯都尉還隴右,因寄高三十五書記 杜甫 : 93



古寺僧牢落,空房客寓居。
この浣花寺というのは由緒ある古いお寺であり、ここの住職は人格者でこころが広いお方で、突然の訪問者の私に空いている宿坊に客人としてしばらく宿泊させてくれるという。
○牢落 ふしあわせ。まばら。心が広く、人に優れている。 
○空房客寓居 杜甫一行は十数人であるし、数か月近く宿泊することになるから、たいへんである。宿坊に客人としてしばらく宿泊させてくれること。


故人分祿米,鄰舍與園蔬。
古い友人の高適君は禄米の中からを米などを分けてくれ、高適の部下の成都府の官舎のお隣の人が畑の野菜を分けてくれる。
○故人 古くからの友人。死んだ人。高適のこと。 
○祿米 官僚の給料。
○鄰舍 舎は成都府の官舎で、高適の部下で且つ農業もしている。 
○園蔬 畑の青物野菜。 


雙樹容聽法,三車肯載書。
寺には二つ並んだりっぱな大樹があり、お経を大切に聴きいれると、法華三部経により宇宙の真理を理解し、三車法師が出家したときのようにここで過ごすことを承諾するのである。
三車肯載書 ・三車 法華三部経(無量義経・妙法蓮華経・仏説観普賢菩薩行法経)のエキスをまとめたもの。宇宙の絶対の真理・法で釈尊が「三車火宅の譬え」によって衆生を仏の境地へ導く手順を説く。・載書 長安の大慈恩寺に住した。出家のはじめ,師の玄奘に誓って,女色と飲酒を断たぬことを条件とし,その出遊には,生涯酒と女と経典をのせる三車を連ねたことから,三車法師の名を得たといわれる ・ 承諾する。聞き入れる。引き受ける。がえんじる。・ のせる。積む。行う。従事する。ものを覚える。


草玄吾豈敢,賦或似相如。
これから先、心配だらけだけど私は『論語』でいうようにやってみようと思うし、詩人として詩賦を作り、それは賦の名手であった漢の司馬相如をまねてやっていこうと思うのである。
草玄 此れから始まるここでの生活のことを謂う。・:草むら、始める、草屋、草庵。・玄:黒、暗い、天の色、北、冬、深い、遠い、神妙、老子の教え。
吾豈敢 『論語』述而第三十三、子曰:「若聖與仁。則吾豈敢?抑爲之不厭。誨人不倦。則可謂云爾已矣。公西華曰。正唯。弟子不能學也。」(子曰く、聖と仁とのごときは、われ豈にあえてせんや。そもそもこれを為して厭わず、人を誨えて倦まざるは、すなわち云爾と謂うべきのみ。公西華曰く、まさに唯、弟子、学ぶあたわざるなり。)に基づいている。
司馬相如 中国の前漢の頃の文章家である。蜀郡成都の人。賦の名人として知られ、武帝に仕え、その才能を高く評価された。また妻である卓氏との恋愛も有名である。



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 成都(1)浣花渓の草堂(0)  杜甫詩 index 杜甫 <353>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1719 杜甫詩 1500- 529


成都(1)
  乾元二年(759)十二月、同谷から成都にたどりついた杜甫は、ひとまず城西の寺の僧復 空のもとに身を落ちつけた。そのとき彭州の刺史となって蜀に来ていた高適から彼に贈られた詩にこたえて、『酬高使君相贈』「古寺僧牢落,空房客寓居。故人分祿米,鄰舍與園蔬。雙樹容聽法,三車肯載書。草玄吾豈敢,賦或似相如。」(故人禄米を分し、郷舎園疏を与ふ」と詠じているが、そのほかあるいは当時成都尹兼剣南西川節度使であった裴冕の幕下にあった作者の従侄(いとこの子)杜済あたりが、経済的な援助をしてくれたようである。


759年乾元2年12月
   1 ・酬高使君相贈
 
 
 760年◆ 上元元年
 
しかしその寺には長くおらず、明けて翌上元元年(760)の春早々、城西七里の浣花渓のそばに空地を得て、さしあたり一畝の地をきり開いて、茅ぶきの草堂を設けた。これについても親戚故旧の合力にまつよりはかなかったが、まず司馬の役をしていた表弟(いとこ)の王十五が訪ねてきて、草堂の建築費を送ってくれた。また杜甫は詩を作って、多くの人々に樹木の苗を求めた。蕭実には桃の苗百本、韋続には綿竹県の竹を、何邕には三年で大木になるという榿木の苗を、
韋班には松の木の苗を、石筍街呆園坊の主人徐卿には、すももでも、うめでもいいからといって、果樹の苗を、そして韋班には更に大邑県産の白い磁碗をたのんでいる。やっとこの地に落ちつけると思った作者の心のはずみが感ぜられる。 
  2 ・卜居(浣花渓水水西頭)  裴冕の世話で、成都から4km離れた閑静な田園地帯に草堂を建てる。
  3 ・王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資
  4 ・蕭八明府實處覓桃栽
  5 ・從韋二明府續處覓綿竹
  6 ・憑何十一少府邕覓榿木栽
  7 ・憑韋少府班覓松樹子
  8 ・又於韋處乞大邑瓷碗
  9 ・詣徐卿覓果栽



草堂は暮春にはもういちおう出来上がった。それは成都の城郭を背にし、錦江にかかる万里橋の西、浣花渓のほとりにあった。ここからはとおく西北に当たって、雪をいただく西嶺も眺められた。

われわれは杜甫の伝記を読んで、この浣花草堂の時期に及ぶと、ほっと息をつく感じがする。むろん当時、長安一帯は飢饉におそわれ、社会経済は混乱し、中原の兵戈と辺境のさわがしさは少しも改まっていないが、蜀というところは、もともと中原と隔絶した、物資もなお豊かなところで、人の心もまだ多少のゆとりがあったのであろう。

10 ・成堂
11 ・蜀相(丞相祠堂何処尋)杜甫は身辺が落ち着くとさっそく、かねて尊敬する孔明の祠堂を訪ねました。
12 ・梅雨 草堂のつゆのさまをのぺる、上元元年四月の作
13 ・為農  農民となって住むことを述べる、五言律詩。上元元年春の末の作。
14 ・有客(患気経時久)760年 成都  賓客 「草堂本」による
15 ・賓至 賓至 760年 成都 草堂本による 呉若本では「有客」となっている。
16 ・狂夫(万里橋西一草堂)
17 ・田舍
18 ・江村(清江一曲抱村流)
19 ・江漲
20 ・野老
21 ・所思
22 ・雲山
23 ・遣興
24 ・石筍行
25 ・石犀行
26 ・杜鵑行
27 ・贈衛八處士
28 ・題壁上韋偃畫馬歌
29 ・戯題画山水圖歌
30 ・戯題双松圖歌
 
草堂002


杜甫はここにようやく衰疲の身を息わせ、草堂のまわりを耕し、子供らと釣に興じた。したがってこのころの詩には、自然を歌詠した、愛すべき絶句がある。これは従来の彼には見られなかったものであり、作者の心の寛ろぎを覚える。その間にもこの作者の常として、国家の運命、人民の苦難に思いをよせ、遠くはなれた弟妹を恋う切なる歌はもとよりあるが、それにしてもかつて奉先県の詩や、北征や、三吏三別などを作った詩人としては、ほのかな安らぎを見せている。
このころ裴迪(かつて王維と輞川荘で唱和した詩人)が新津に来ているのを訪れたり、また彭州の高適を訪れたりしている。


31 ・北鄰
32 ・南鄰
33 ・過南鄰朱山人水亭  この篇は作者が南鄰の朱山人の水辺の亭によぎったことをしのぶ。
34 ・因崔五侍禦寄高彭州一絕
35 ・奉簡高三十五使君   高適に寄せた詩。詩によれば高適が栄任したようで、彭州より蜀州に転じた
36 ・和裴迪登新津寺寄王侍郎
37 ・贈蜀僧閭丘師兄
38 ・泛溪
39 ・出郭  成都の城中より郭をでてゆうべに草堂の方へかえったことをのべる。
40 ・恨 別(洛城一別四千里) 上元元年 故郷の家族との別れが久しいのを恨んでつくった。
41 ・散愁二首  官軍の勢いがよいので気ばらしのためにつくった詩である。
42 ・建都十二韻   荊州に南都を建てることにつき反対意見をのべた詩。
43 ・村 夜  江村の夜のさまと兄弟を思う情とをのべる。
44 ・寄楊五桂州譚  桂州の刺史楊譚のところへ、その参軍たる段某が赴任するのにつけて寄せた詩。
45 ・西 郊  城中を出て酉郊より草堂にもどって来たことをのべる。上元元年冬の作であろうという。
46 ・寄贈王十將軍承俊
47 ・和裴迪登蜀州東亭送客逢早梅相憶見寄  裴迪が蜀州の東亭にのぼって人を送り、そのとき早咲きの梅花をみたので、自分を憤って詩をよこしてくれた。その詩に和して作った詩。上元元年冬の作
 
 
 
 
761年 ◆ 上元2年
 
48 ・奉酬李都督表丈早春作
49 ・題新津北橋樓  新津県の北の橋のほとりの楼で県令の酒宴にあずかって作った詩。
50 ・游修覺寺   新津県の修覚寺にあそんで作った詩。上元二年の春の作
51 ・後遊   修覚寺に二度めにあそんだ詩。
52 ・客 至(舎南舎北皆春水)  草堂二年目の春を詠う。崔明府がたずねてくれたことを喜んで作った詩。
53 ・遣意二首 1 草堂での日常生活をのべる。 2 草堂の春夜のさまをのべる。
54 ・漫 成二首 そぞろにふとできあがった詩である。上元二年春成都浣花渓の草堂に居ったときの作。
55 ・春夜喜雨 761年春の夜雨が降るのを喜ぶ
56 ・春水生 二絕  春 水  春の出水のことをのべた。
57 ・春水  春の出水のことをのべた。
58 ・江 亭(坦腹江亭暖)
59 ・早起  庭仕事のため早く起きたことをのべる。
60 ・落日 761年 草堂の春の夕暮れをうたう


杜甫詩 成都紀行まとめ(詩index)  <353> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1715 杜甫詩 1000- 528

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杜甫詩 成都紀行まとめ(詩index)  <353> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1715 杜甫詩 700- 528


杜甫 成都紀行

華州から秦州へ、秦州に居る時、同谷を旅立つまではほとんどが律詩で、題材は身近なことをのべている。これは隠遁する場所を見つけるための支援、応援、情報収集のために作ったものである。したがって今度の成都紀行では詩の趣きが全く異なるものとなっている。(だから、杜甫の詩集本では割愛されることが多い。漢文委員会はすべて紹介掲載する。)

秦州から岡谷への道中で紀行の詩を作ったように、發同谷、以下、木皮嶺-白沙渡-水会渡-飛仙閣-五盤-竜門閣-石橋閣-桔柏渡-剣門-鹿頭山-成都府と、出発の詩と合わせて十二首が歌いつがれてゆく。秦州から岡谷への旅に比べ、距離的にも数倍はあり、嘉陵江の上流を渡り剣関を越える路は、険阻さも杜甫のはじめて経験するものであった。


1同谷県を出発する。
・原注隴右、秦州も同谷もみな隴右道の地であり、青海以西新疆も含まれていたので隴右道東部といわれていた。同谷は、隴右道・剣南道・山南西道の境界の集まったあたりである。この詩は蜀(四川)の成都に赴く紀行である。
(1) 發同穀縣
葭 あし002
發同穀縣
賢有不黔突,聖有不暖席。況我饑愚人,焉能尚安宅?
始來茲山中,休駕喜地僻。奈何迫物累,一歲四行役!
忡忡去絕境,杳杳更遠適。停驂龍潭雲,回首虎崖石。
臨岐別數子,握手淚再滴。交情無舊深,窮老多慘戚。
平生懶拙意,偶值棲遁跡。去住與願違,仰慚林間翮。


2.  木皮嶺
木皮嶺は同谷県の東南20里(12km)。栗亭の西から門出してはじめての道を行くことになる。栗亭は隋の時代の県名、成県の東五十里(29km)にあり、秦州を去ること百九十五里(112km)である。
DCF00212

(2)木皮嶺
首路栗亭西,尚想鳳凰村。季冬攜童稚,辛苦赴蜀門。
南登木皮嶺,艱險不易論。汗流被我體,祁寒為之喧。
遠岫爭輔佐,千岩自崩奔。始知五嶽外,別有他山尊。
仰幹塞大明,俯入裂厚坤。再聞虎豹鬥,屢局風水昏。
高有廢閣道,摧折如斷轅。下有冬青林,石上走長根。
西崖特秀發,煥若靈芝繁。潤聚金碧氣,清無沙土痕。
憶觀昆侖圖,目擊玄圃存。對此欲何適?默傷垂老魂。


3.  白沙渡
この渡場は山南西道興州順政までゆく、四川劍閣縣北百四十里(80.6km)にあり,現昭化縣の境界にある。この地は清水の嘉陵江の入り江のようなところに渡し場がある。兩岸には白沙が雪のようである。
木皮嶺を越えてここまで来たがここから山越えの道は子供連れの旅には危険なところがあり不向きで心配だ。それで嘉陵江を船で降ることにした。渡し場は絶壁の岸が迫っている下の所にある。
(3)白沙渡
畏途隨長江,渡口下絕岸。差池上舟楫,窈窕入雲漢。
天寒荒野外,日暮中流半。我馬向北嘶,山猿飲相喚。
水清石礧礧,沙白灘漫漫。迥然洗愁辛,多病一疏散。
高壁抵嶔崟,洪濤越淩亂。臨風獨回首,攬轡複三嘆。
    

4.  水會渡
嘉陵江が西漢水と合流し、の街に入る渡し場であろう。略陽に入る東谷などの水をあつめる処という。略陽は山南西道興州の県名、今は陝西省漢中府に属する。
(4)水會渡
山行有常程,中夜尚未安。微月沒已久,崖傾路何難!
大江動我前,洶若溟渤寬。蒿師暗理楫,歌笑輕波瀾。
霜濃木石滑,風急手足寒。入舟已千憂,陟巘仍萬盤。
回眺積水外,始知眾星幹。遠遊令人瘦,衰疾慚加餐。


5.  飛仙閣
飛仙閣は木で組んで作られた閣道すなわち桟道、飛仙閣は漢中府略陽県東南四十里(23km成都紀行図参照)飛仙嶺を抜ける山道である。蜀の桟道は、唐時、三泉県(漢中府光寧県治)から利州(四川省保寧府広元県治)までに橋といい闇というものを合わせて一万九百八十間あり、其の他の険阻を保護する欄干四万七千一百三十四間があったという。飛仙閣は、三泉よりさらに北に在るもので百四間の長さのようである。
(5)飛仙閣
土門山行窄,微徑緣秋毫。棧雲闌幹峻,梯石結構牢。
萬壑欹疏林,積陰帶奔濤。寒日外澹泊,長風中怒號。
歇鞍在地底,始覺所歷高。往來雜坐臥,人馬同疲勞。
浮生有定分,饑飽豈可逃。嘆息謂妻子,我何隨汝曹?
   

6.  五盤
舟を降りて陸路を進む杜甫の一行、道がまるで樓閣の骨組のような飛仙閣を通過すると前にはこの詩題の五盤嶺が見える成都までやく1/3の地点に来た。
(6)五盤
五盤雖雲險,山色佳有餘。仰淩棧道細,俯映江木疏。
地僻無網罟,水清反多魚。好鳥不妄飛,野人半巢居。
喜見淳樸俗,坦然心神舒。東郊尚格鬥,巨猾何時除?
故鄉有弟妹,流落隨丘墟。成都萬事好,豈若歸吾廬?


7.  龍門閣
山南西道利州保寧府錦谷県(四川省現広元県)の嘉陵江のほとりにある。地図参照。この桟道は江水の岸壁の大きな谷流入部分(龍門)に架けて渡したものであることが詩によってうかがわれる。
(7)龍門閣
清江下龍門,絕壁無尺土。長風駕高浪,浩浩自太古。
危途中縈盤,仰望垂線縷。滑石欹誰鑿,浮梁裊相拄。
目眩隕雜花,頭風吹過雨。百年不敢料,一墜那複取!
飽聞經瞿塘,足見度大庾。終身歷艱險,恐懼從此數!

8.  石櫃閣
成都紀行の第八首。山南西道利州の北二十五里(14.4km)にあるという。石櫃閣のさまと所感とをのべる。この半年旅をしているのか住まいを転移しているのか静かに風流な気分で風景をもてあそぶ気持ちなどでいることはできない。そうはいっても成都にいる厳武に期待して、歓声をもらしつつ成都という絶好の地へ向かうのだ。
(8)石櫃閣
季冬日已長,山晚半天赤。蜀道多早花,江間饒奇石。
石櫃曾波上,臨虛蕩高壁。清暉回群鷗,暝色帶遠客。
羈棲負幽意,感嘆向絕跡。信甘孱懦嬰,不獨凍餒迫。
優游謝康樂,放浪陶彭澤。吾衰未自由,謝爾性所適。


9.  桔柏渡
成都紀行の第九首。桔柏渡のさまをいい、嘉陵江は南流するが成都へは西に向山越えをする。水と別れようとする情をのべる。この桔柏の渡船場にくると水清く、青く、暗くみえる、渡し場には竹をわたした長い桟橋をかけている。
(9)桔柏渡
青冥寒江渡,駕竹為長橋。竿濕煙漠漠,江永風蕭蕭。
連笮動裊娜,徵衣颯飄搖。急流鴇鷁散,絕岸黿鼉驕。
西轅自茲異,東逝不可要。高通荊門路,闊會滄海潮。
孤光隱顧盼,遊子悵寂寥。無以洗心胸,前登但山椒。


10.  劍門
剣南道剣州(四川省剣閣県)剣門県界(中国歴史地図)剣南道8-③地点)にある、大剣山または梁山ともいう。其の北三十里(17.3km)に小剣山がある。晋の張載が「剣閣銘」をつくったのも此処である。この険阻な要害を見て英雄がこの地を割拠して乱をなしたことを憂慮した気持ちをのべている。
(10)劍門
惟天有設險,劍門天下壯。連山抱西南,石角皆北向。
兩崖崇墉倚,刻畫城郭狀。一夫怒臨關,百萬未可傍。
珠玉走中原,岷峨氣淒愴。三皇五帝前,雞犬莫相放。
後王尚柔遠,職貢道已喪。至今英雄人,高視見霸王。
井吞與割據,極力不相讓。吾將罪真宰,意欲鏟疊嶂。
恐此複偶然,臨風默惆悵。
  

11.  鹿頭山
鹿頭山(山上有關,在德陽縣治北)
鹿頭山の山頂【峠】には関所塞がある、剣南道漢州徳陽縣の県庁の北はずれにある。
『剣門』の詩のあったのは山南西道利州と剣南道剣州、同錦州を経て漢州に入る成都のある益州の隣の集まで来ている、いわば最後の峠道という位置に来たのである。この詩は厳武や高適、などの武将で詩人の友人に贈って資金援助の一環としたものである。
(11)鹿頭山
鹿頭何亭亭?是日慰饑渴。連山西南斷,俯見千裡豁。
遊子出京華,劍門不可越。及茲險阻盡,始喜原野闊。
殊方昔三分,霸氣曾間發。天下今一家,雲端失雙闕。
悠然想揚馬,繼起名硉兀。有文令人傷,何處埋爾骨!
紆餘脂膏地,慘澹豪俠窟。仗鉞非老臣,宣風豈專達?
冀公柱石姿,論道邦國活。斯人亦何幸,公鎮逾歲月。


12.   成都府
四川省の都会。756年玄宗が安禄山軍を避けてこの地に避難した。
(12)成都府
翳翳桑榆日,照我徵衣裳。我行山川異,忽在天一方。
但逢新人民,未蔔見故鄉。大江東流去,遊子日月長。
曾城填華屋,季冬樹木蒼。喧然名都會,吹簫間笙簧。
信美無與適,側身望川梁。鳥雀夜各歸,中原杳茫茫。
初月出不高,眾星尚爭光。自古有羈旅,我何苦哀傷!


(13)
酬高使君相贈
古寺僧牢落,空房客寓居。故人分祿米,鄰舍與園蔬。
雙樹容聽法,三車肯載書。草玄吾豈敢,賦或似相如。

”成都紀行(12)”  成都府 杜甫詩1000 <352>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1711 杜甫1500- 527

”成都紀行(12)”  成都府 杜甫詩1000 <352>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1711 杜甫1500- 527 

古代中国の結婚感、女性感について述べる三国時代の三曹の一人、曹丕魏文帝の詩
燕歌行二首 其一 曹丕(魏文帝)

◆◆◆2012年12月24日紀頌之の5つの漢文ブログ◆◆◆
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古代中国の結婚感、女性感について述べる三国時代の三曹の一人、曹丕魏文帝の詩
燕歌行二首 其一 曹丕(魏文帝) 魏詩<4-#2>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻三 623 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1709
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Ⅱ.中唐詩・晩唐詩
 唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
秋懐詩十一首(1)-#2 韓愈 韓退之(韓愈)詩<101>Ⅱ中唐詩536 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1710
        http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6150165.html


Ⅲ.杜甫詩1000詩集
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説するブログ 
●詩人として生きていくことを決めた杜甫が理想の地を求めてっ旅をする
●人生としては4/5前で、全詩1/3を掲載済。
”成都紀行(12)”  成都府 杜甫詩1000 <352>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1711 杜甫1500- 527
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Ⅳ.漢詩・唐詩・宋詞詩詩集
元和聖徳詩 韓退之(韓愈)詩<80-#9> (12/24)
        http://kanshi100x100.blog.fc2.com/blog-entry-577.html

Ⅴ.晩唐五代詞詩・宋詞詩
 森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”彼女の詩の先生として登場する 晩唐期の詩人 温庭筠(おんていいん)の作品を訳註解説する。
『酒泉子』四首(二) 温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-22-3-#2 花間集 i紀頌之の漢詩ブログ1704
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謝靈運詩   http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html
李商隠詩   http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
女性詩人   http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html




詩 題:”成都紀行(12)”  成都府
作時759年12月杜甫48歳 
掲 載; 杜甫1000の352首目-#2
杜甫ブログ1500-527回目



成都紀行の第十二首。紀行の最終であり、成都に入り目にして作ったものである。
 成都へ着いたのは年末で、夕暮れせまる時であった。初めて見る成都は家が立ち並び、冬だというのに樹々は青々と茂っていた。成都は賑やかな大都会で期待感は増した。杜甫一行は、成都城外の西郊にあった浣花渓寺に旅装を解いた。

成都府
翳翳桑楡日,照我徵衣裳。我行山川異,忽在天一方。
但逢新人民,未蔔見故鄉。大江東流去,遊子日月長。
曾城填華屋,季冬樹木蒼。喧然名都會,吹簫間笙簧。
信美無與適,側身望川梁。鳥雀夜各歸,中原杳茫茫。
初月出不高,眾星尚爭光。自古有羈旅,我何苦哀傷!





成都府
翳翳桑楡日,照我徵衣裳。我行山川異,忽在天一方。
桑と楡との間に日が沈みはじめ、うすぐらく夕暮れにかげった残る夕日がわたしの旅衣を照らす。
われわれが旅をした山や川が次々違った趣であった。そうして、忽ちこうして天地の果てへきたことを実感している。

但逢新人民,未卜見故鄉。大江東流去,遊子日月長。
ただ、ここで逢うもの、初めて経験する人々であり、まだこの地に来て占ってはいないのだが故郷へはいつかえれるのか見込みもついてはいない。
大江の水が東に流れ去るように年月、日々は過ぎ去っていく。故郷を後にして旅人になって、随分日を重ね、月を重ねてもう長くなる。

曾城填華屋,季冬樹木蒼。

成都はかさなった城郭であり、城内にはりっぱな家屋がたくさんある。そして季節は真冬というのに樹木が蒼蒼としているのだ。
#2
喧然名都會,吹簫間笙簧。
にぎやかである、さすが名高い都会なのだ。通りを歩くと簫を吹く音が簧の音にいりまじってきこえる。
信美無與適,側身望川梁。
まことによい場所であろうとは思うのであるが、わたしの隠遁したいという思いとは通ずるところがないのである、だから身を道路のそばによって行き、これまでも苦しい時に渉った川に架かる舟橋の方を眺めるのである。
鳥雀夜各歸,中原杳茫茫。
夜になって鳥雀はそれぞれねぐらへかえってゆくけれど、中原から発した暗雲がはるかに立ち込め、茫茫としてどこでどうなるのかわからない状況だ。
初月出不高,眾星尚爭光。
8月3日王朝軍は反撃を開始したがあまり戦況は三日月のように高くもなく期待されるほどではないし、たくさんの星がそれと光を争うているようでは、安定した世の中になるのはなかなか困難の事である 
自古有羈旅,我何苦哀傷!
むかしから旅するということはあることで今にはじまったことではないが、、私の旅はどうしてこんなにもひどく苦しく、悲しく、傷つくのであろうか。


(成都府)
翳翳【えいえい】たり桑稔【そうゆ】の日、我が征の衣裳を照らす。
我れ行きて山川異なり、忽ち天の一方に在り。
但だ新人民に逢う、未だ故郷を見るを卜せず。
大江東に流れ去り、遊子日月長し。
曾城【そうじょう】華屋【かおく】墳【うず】め、季冬【きとう】樹木蒼し。

喧然【けんぜん】たり名都会、簫を吹き笙簧【しょうこう】に間【まじ】う。
信に美なれども与【とも】に適する無く、身を側てて川梁【せんりょう】を望む。
烏雀【ちょうじゃく】夜各【おのお】の帰り、中原【ちゅうげん】として茫茫たり。
初月 出づる高からず、衆星【しゅうせい】尚お光を争う。
古より羈旅【きりょ】あり、我何ぞ苦しみて哀傷【あいしょう】せん。


成都紀行(12) 『成都府』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
喧然名都會,吹簫間笙簧。信美無與適,側身望川梁。
鳥雀夜各歸,中原杳茫茫。初月出不高,眾星尚爭光。
自古有羈旅,我何苦哀傷!


(下し文)
喧然【けんぜん】たり名都会、簫を吹き笙簧【しょうこう】に間【まじ】う。
信に美なれども与【とも】に適する無く、身を側てて川梁【せんりょう】を望む。
烏雀【ちょうじゃく】夜各【おのお】の帰り、中原【ちゅうげん】として茫茫たり。
初月 出づる高からず、衆星【しゅうせい】尚お光を争う。
古より羈旅【きりょ】あり、我何ぞ苦しみて哀傷【あいしょう】せん。


(現代語訳)
にぎやかである、さすが名高い都会なのだ。通りを歩くと簫を吹く音が簧の音にいりまじってきこえる。
まことによい場所であろうとは思うのであるが、わたしの隠遁したいという思いとは通ずるところがないのである、だから身を道路のそばによって行き、これまでも苦しい時に渉った川に架かる舟橋の方を眺めるのである。
夜になって鳥雀はそれぞれねぐらへかえってゆくけれど、中原から発した暗雲がはるかに立ち込め、茫茫としてどこでどうなるのかわからない状況だ。
8月3日王朝軍は反撃を開始したがあまり戦況は三日月のように高くもなく期待されるほどではないし、たくさんの星がそれと光を争うているようでは、安定した世の中になるのはなかなか困難の事である 
むかしから旅するということはあることで今にはじまったことではないが、、私の旅はどうしてこんなにもひどく苦しく、悲しく、傷つくのであろうか。


(訳注)#2
喧然名都會,吹簫間笙簧。
にぎやかである、さすが名高い都会なのだ。通りを歩くと簫を吹く音が簧の音にいりまじってきこえる。
喧然 にぎやかであるさま。
・名都會 名高い都会。長安・洛陽に次ぐ都会であった。
 雅わること。
○笙簧  笙は十三管ある笛。簧は笙の舌。笛の中の、音を出す薄葉である。『詩経、鹿鳴』「我有嘉賓、鼓瑟吹笙。 吹笙鼓簧、承筐是將。 人之好我、示我周行。」とある。


信美無與適,側身望川梁。
まことによい場所であろうとは思うのであるが、わたしの隠遁したいという思いとは通ずるところがないのである、だから身を道路のそばによって行き、これまでも苦しい時に渉った川に架かる舟橋の方を眺めるのである。
信美 王粲『登樓賦』.「登茲樓以四望兮,聊暇日以銷憂。覽斯宇之所處兮,實顯敞而寡仇。挾清漳之通浦兮,倚曲沮之長洲。背墳衍之廣陸兮,臨皋隰之沃流。北彌陶牧,西接昭丘,華實敝野,黍稷盈疇。雖信美而非吾土兮,曾何足以少留?」、すなわち、剤州は景色が美しいが留まるのには足らぬとあるが、其の語を借用する。
無与通  隠遁したいという思いとは通ずるところがない。杜甫は秦州で詠った律詩に多く述べているように、川の傍の静かなところで隠棲したいのである。こんなににぎやかなところはダメだから舟橋を眺めるのである。
望川梁 梁は舟橋、これをわたること。

『三川觀水漲二十韻』「普天無川梁,欲濟願水縮。」  
『自京赴奉先縣詠懷五百字』「河梁幸未坼,枝撐聲窣。

”成都紀行(7)”『龍門閣』「滑石欹誰鑿,浮梁裊相拄。」



鳥雀夜各歸,中原杳茫茫。
夜になって鳥雀はそれぞれねぐらへかえってゆくけれど、中原から発した暗雲がはるかに立ち込め、茫茫としてどこでどうなるのかわからない状況だ。
・鳥雀帰 ねぐらに帰ること。暗に帰るところがないということを強調する。


初月出不高,眾星尚爭光。
8月3日王朝軍は反撃を開始したがあまり戦況は三日月のように高くもなく期待されるほどではないし、たくさんの星がそれと光を争うているようでは、安定した世の中になるのはなかなか困難の事である 
・初月 初月(はつづき、しょげつ). 三日月。陰暦3日(ごろ)の、月で最初に見え始める月。特に、陰暦8月の初月。唐朝の中興も未だ力微に、群盗の勢いなお盛んなることを暗示する。杜甫は同谷を出発したのは11月の終わりで成都に着いたのは12月20日を過ぎているはずである。したがってこの詩の「初月」はこの夜、昇った月ではない。秦州における杜甫の五言律詩『初月』「光細弦欲上,影斜輪未安。微升古塞外,已隱暮雲端。河漢不改色,關山空自寒。庭前有白露,暗滿菊花團。」秦州抒情詩(8)  初月 杜甫 <293>に“「八月三日の月」初月、三日月は、その光が細くこの日その弦形の尖端をうわむきにしている、しかしその影の部分は半円形の底辺のあたりはおちつかぬさまだ。三日月の影の部分が広がって満月になるエネルギー、そのことは自分の夢、希望を満たすことであり、それが自分とその家族の安寧、安定、おちつきにつながる輪、満月の満足までにはなっていない。”この『初月』に基づいている。


自古有羈旅,我何苦哀傷!
むかしから旅するということはあることで今にはじまったことではないが、、私の旅はどうしてこんなにもひどく苦しく、悲しく、傷つくのであろうか。
・韓旅 たび。
・苦 切実に。ひどく苦しく。



杜甫が官僚としての出世を断念したのは、乾元二年(七五九、杜甫48歳)の秋、華州司考參軍の職を去って秦州に赴くときだったとされている。

いったんは官を断念した杜甫ではあるが、その後は官界への復帰を全く望まなくなっていたというわけでもなかった。チャンスがあれば官に就きたい気持ちは十分にある。杜甫が成都の地で旧知の厳武と再会しだのをきっかけに、厳武は杜甫の再度の任用を中央政府に対してはたらきかけている。

杜甫か京兆功曹參軍に召されたのも、ついで検校工部員外郎に任ぜられたのも、いずれも厳武の助力に出たものである。杜甫は、こうして名目的ではあるが、中央の官界に復帰することになる。764年廣徳二年、杜甫53歳の春、すでに出峡の用意にかかっていた杜甫が、厳武の成都への再来を知ってただちに計画をとりやめて成都へと引返していることは、この後。成都に到着して以降、厳武の存在なくしては語れないのである。


”成都紀行(12)”  成都府 杜甫詩1000 <352>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1707 杜甫1500- 526

”成都紀行(12)”  成都府 杜甫詩1000 <352>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1707 杜甫1500- 526


詩 題:”成都紀行(12)”  成都府
作時759年12月杜甫48歳 
掲 載; 杜甫1000の352首目-#1
杜甫ブログ1500-526回目




成都紀行の第十二首。紀行の最終であり、成都に入り目にして作ったものである。
 成都へ着いたのは年末で、夕暮れせまる時であった。初めて見る成都は家が立ち並び、冬だというのに樹々は青々と茂っていた。成都は賑やかな大都会で期待感は増した。杜甫一行は、成都城外の西郊にあった浣花渓寺に旅装を解いた。
成都府
翳翳桑楡日,照我徵衣裳。我行山川異,忽在天一方。
但逢新人民,未蔔見故鄉。大江東流去,遊子日月長。
曾城填華屋,季冬樹木蒼。喧然名都會,吹簫間笙簧。
信美無與適,側身望川梁。鳥雀夜各歸,中原杳茫茫。
初月出不高,眾星尚爭光。自古有羈旅,我何苦哀傷!




成都府
翳翳桑楡日,照我徵衣裳。
桑と楡との間に日が沈みはじめ、うすぐらく夕暮れにかげった残る夕日がわたしの旅衣を照らす。
我行山川異,忽在天一方。
われわれが旅をした山や川が次々違った趣であった。そうして、忽ちこうして天地の果てへきたことを実感している。
但逢新人民,未卜見故鄉。
ただ、ここで逢うもの、初めて経験する人々であり、まだこの地に来て占ってはいないのだが故郷へはいつかえれるのか見込みもついてはいない。
大江東流去,遊子日月長。
大江の水が東に流れ去るように年月、日々は過ぎ去っていく。故郷を後にして旅人になって、随分日を重ね、月を重ねてもう長くなる。
曾城填華屋,季冬樹木蒼。
成都はかさなった城郭であり、城内にはりっぱな家屋がたくさんある。そして季節は真冬というのに樹木が蒼蒼としているのだ。
#2
喧然名都會,吹簫間笙簧。信美無與適,側身望川梁。
鳥雀夜各歸,中原杳茫茫。初月出不高,眾星尚爭光。
自古有羈旅,我何苦哀傷!

(成都府)
翳翳【えいえい】たり桑稔【そうゆ】の日、我が征の衣裳を照らす。
我れ行きて山川異なり、忽ち天の一方に在り。
但だ新人民に逢う、未だ故郷を見るを卜せず。
大江東に流れ去り、遊子日月長し。
曾城【そうじょう】華屋【かおく】墳【うず】め、季冬【きとう】樹木蒼し。

喧然【けんぜん】たり名都会、簫を吹き笙簧【しょうこう】に間【まじ】う。
信に美なれども与【とも】に適する無く、身を側てて川梁【せんりょう】を望む。
烏雀【ちょうじゃく】夜各【おのお】の帰り、中原【ちゅうげん】として茫茫たり。
初月 出づる高からず、衆星【しゅうせい】尚お光を争う。
古より羈旅【きりょ】あり、我何ぞ苦しみて哀傷【あいしょう】せん。



『成都府』 現代語訳と訳註
(本文)
翳翳桑楡日,照我徵衣裳。我行山川異,忽在天一方。
但逢新人民,未蔔見故鄉。大江東流去,遊子日月長。
曾城填華屋,季冬樹木蒼。
喧然名都會,吹簫間笙簧。信美無與適,側身望川梁。
鳥雀夜各歸,中原杳茫茫。初月出不高,眾星尚爭光。
自古有羈旅,我何苦哀傷!


(下し文)
(成都府)
翳翳【えいえい】たり桑稔【そうゆ】の日、我が征の衣裳を照らす。
我れ行きて山川異なり、忽ち天の一方に在り。
但だ新人民に逢う、未だ故郷を見るを卜せず。
大江東に流れ去り、遊子日月長し。
曾城【そうじょう】華屋【かおく】墳【うず】め、季冬【きとう】樹木蒼し。


(現代語訳)
桑と楡との間に日が沈みはじめ、うすぐらく夕暮れにかげった残る夕日がわたしの旅衣を照らす。
われわれが旅をした山や川が次々違った趣であった。そうして、忽ちこうして天地の果てへきたことを実感している。
ただ、ここで逢うもの、初めて経験する人々であり、まだこの地に来て占ってはいないのだが故郷へはいつかえれるのか見込みもついてはいない。
大江の水が東に流れ去るように年月、日々は過ぎ去っていく。故郷を後にして旅人になって、随分日を重ね、月を重ねてもう長くなる。
成都はかさなった城郭であり、城内にはりっぱな家屋がたくさんある。そして季節は真冬というのに樹木が蒼蒼としているのだ。


(訳注)
成都府
成都府 四川省の都会。756年玄宗が安禄山軍を避けてこの地に避難した。成都紀行の第十二首。紀行の最終詩。


翳翳桑楡日,照我徵衣裳。
桑と楡との間に日が沈みはじめ、うすぐらく夕暮れにかげった残る夕日がわたしの旅衣を照らす。
○翳翳 日のかげるさま。
○桑楡 くわとにれ。日の落ちる方位、西方。桑と楡との間に日が沈む夕暮れを云う。
○征衣裳 たびごろも。


我行山川異,忽在天一方。
われわれが旅をした山や川が次々違った趣であった。そうして、忽ちこうして天地の果てへきたことを実感している。
・在天一方 天地の果てへきたことを実感している。・在:この地に存在している。



但逢新人民,未卜見故鄉。
ただ、ここで逢うもの、初めて経験する人々であり、まだこの地に来て占ってはいないのだが故郷へはいつかえれるのか見込みもついてはいない。
○未卜一句 故郷を見ることのできる時期はいつかとうらなわぬ、その時期がないからである。


大江東流去,遊子日月長。
大江の水が東に流れ去るように年月、日々は過ぎ去っていく。故郷を後にして旅人になって、随分日を重ね、月を重ねてもう長くなる。
○大江 長江支流岷江。
○東流去 大江の水は東に流れ去る、中国の大河は東流するので当然の帰結をあらわす語としている。常識という使い方と、光陰矢のごとしと使う。
○日月長 詩人にとって、日々の積み重ねを実感している。杜甫は若い時山東に、李白と呉越を旅し、長安も旅の地であり、官を辞して華州、秦州、同谷、成都に達する三十年に及ぶ旅の年月を経過しているのである。


曾城填華屋,季冬樹木蒼。
成都はかさなった城郭であり、城内にはりっぱな家屋がたくさんある。そして季節は真冬というのに樹木が蒼蒼としているのだ。
○曾城 曾は層に同じ、かさなっている城郭、成都の城。
○華屋 りっぱな家が多くあること。

”成都紀行(11)”  鹿頭山 杜甫詩1000 <351>#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1703 杜甫1500- 525

 鹿頭山 杜甫


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”成都紀行(11)”  鹿頭山 杜甫詩1000 <351>#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1703 杜甫1500- 525 

詩 題:”成都紀行(11)”  鹿頭山
作時759年12月杜甫48歳 
掲 載; 杜甫1000の351首目-#3
杜甫ブログ1500-525回目


鹿頭山(山上有關,在德陽縣治北)
鹿頭何亭亭?是日慰饑渴。 連山西南斷, 俯見千裡豁。
遊子出京華, 劍門不可越。 及茲險阻盡, 始喜原野闊。
殊方昔三分, 霸氣曾間發。 天下今一家, 雲端失雙闕。
悠然想揚馬, 繼起名硉兀。 有文令人傷, 何處埋爾骨!
紆餘脂膏地, 慘澹豪俠窟。 仗鉞非老臣, 宣風豈專達?
冀公柱石姿, 論道邦國活。 斯人亦何幸, 公鎮逾歲月。

鹿頭山(山上 關有り,德陽縣の治の北に在る)
鹿頭 何ぞ亭亭たるか?是れ日は饑渴【きかつ】を慰む。
連山 西南に斷ち,俯して見る千裡に豁すを。
遊子 京華を出で,劍門 越える可からず。
茲に及んで險阻盡す,始めて喜ぶは原野闊くをなり。
殊方に昔三分す,霸氣曾て間發せり。
天下今一家,雲端 雙闕を失う。
悠然として揚馬を想う,繼起して硉兀【しんこつ】を名す。
有文 人傷を令し,何處にか爾の骨を埋ん!
紆餘して脂膏の地,慘澹たる豪俠の窟。
仗鉞 老臣に非らず,宣風 豈に專ら達せんや?
冀公 柱石の姿,道を論じて邦國活く。
斯人 亦た何んぞ幸ならん,公鎮 歲月逾く。

鹿頭山(山上有關,在德陽縣治北)

#1
鹿頭何亭亭?是日慰饑渴。連山西南斷,俯見千裡豁。
頭の嶺には何と能くたくさんの樹木が高くそびえていることだろうか、この日ここまで必死に昇って来る途中では腹もすき、のども渇いたのであったがこの峠の見晴らしには癒されるのである。
山々は連なっているのだが西南に向かっては谷で遮断されている。目を下に向けると千里先まで次第に広々としていく。

遊子出京華,劍門不可越。及茲險阻盡,始喜原野闊。
ここに來る旅人は長安の方からのものだが、この剣門を越えて通過することはしない方がよい。
これに及ぶ道は険し過ぎるもので、ここへ来て初めて原野がひらかれたので見晴らしが良くなってやっと喜んだのである。
#2
殊方昔三分,霸氣曾間發。天下今一家,雲端失雙闕。
昔、天下はそれぞれの遠い位置関係で三権鼎立という時代があった。その時のそれぞれの覇者曹操、劉備、孫権の戦いは間に期間を入れて行われていた。
ところが今の天下国家のことであるが、安禄山が反乱を起こして天下に暗雲を垂れこめこともあろうに、唐王朝は長安・洛陽の二つの都を失ったのである。
悠然想揚馬,繼起名硉兀。有文令人傷,何處埋爾骨!

そのような時代になっても悠然としていられるのは漢の時代に国難を救った揚雄とこの蜀の出身である司馬相如のような存在があるからである。
わたしにはない文武力のある厳武、高適とともにこの文章の力でもって叛乱軍どもを殺傷してやりたいのである、そうしてことを挙げたらそいつらの屍を一体どこかに埋めてやるのだ。
#3
紆餘脂膏地,慘澹豪俠窟。
そうでなければこの関係者にとってまた何の幸せがあるというのか、そうはいっても天下が鎮静化するにはあとどのくらいの歳月をやり過ごさなければいけないのだろうか。
それにしてもこの曲がりくねった路は油を練り上げて軟膏にしたような軟弱な土地であろうか、そしてあれこれと心を砕くのはびっくりするような洞窟があるかと思えば狭く小さなものもある。(これでは成都に就くのが遅くなる)
仗鉞非老臣,宣風豈專達?
少しでも早くつけば小さい戈や大長刀を添えるとこれでも年老いた家臣ということではないのだ、通り抜ける風を起こしぐらいはできて、どうにかして厳武や高適の隊列に加わることが出来ようか。
冀公柱石姿,論道邦國活。
あの旁鵲無人な後漢の梁冀公はすでに石の柱の姿になっているのであるから、安史軍ごときは論理、議論、道理を尽くしてこの国を再び活性化させるのである。
斯人亦何幸,公鎮逾歲月。

#1
鹿頭 何ぞ亭亭たるか?是れ日は饑渴【きかつ】を慰む。
連山 西南に斷ち,俯して見る千裡に豁すを。
遊子 京華を出で,劍門 越える可からず。
茲に及んで險阻盡す,始めて喜ぶは原野闊くをなり。
#2
殊方に昔三分す,霸氣曾て間發せり。
天下今一家,雲端 雙闕を失う。
悠然として揚馬を想う,繼起して硉兀【しんこつ】を名す。
有文 人傷を令し,何處にか爾の骨を埋ん!
#3
紆餘して脂膏の地,慘澹たる豪俠の窟。
仗鉞 老臣に非らず,宣風 豈に專ら達せんや?
冀公 柱石の姿,道を論じて邦國活く。
斯人 亦た何んぞ幸ならん,公鎮 歲月逾く。


『鹿頭山』 現代語訳と訳註
(本文) #3
紆餘脂膏地,慘澹豪俠窟。仗鉞非老臣,宣風豈專達?
冀公柱石姿,論道邦國活。斯人亦何幸,公鎮逾歲月。


(下し文)
#3
紆餘して脂膏の地,慘澹たる豪なる俠窟。
仗鉞 老臣に非らず,宣風 豈に專ら達せんや?
冀公 柱石の姿,道を論じて邦國活く。
斯人 亦た何んぞ幸ならん,公鎮 歲月逾く。


(現代語訳)
それにしてもこの曲がりくねった路は油を練り上げて軟膏にしたような軟弱な土地であろうか、そしてあれこれと心を砕くのはびっくりするような洞窟があるかと思えば狭く小さなものもある。(これでは成都に就くのが遅くなる)
少しでも早く付けば小さい戈や大長刀を添えるとこれでも年老いた家臣ということではないのだ、通り抜ける風を起こしぐらいはできて、どうにかして厳武や高適の隊列に加わることが出来ようか。
あの旁鵲無人な後漢の梁冀公はすでに石の柱の姿になっているのであるから、安史軍ごときは論理、議論、道理を尽くしてこの国を再び活性化させるのである。
そうでなければこの関係者にとってまた何の幸せがあるというのか、そうはいっても天下が鎮静化するにはあとどのくらいの歳月をやり過ごさなければいけないのだろうか。


(訳注) #3
紆餘脂膏地,慘澹豪俠窟。

それにしてもこの曲がりくねった路は油を練り上げて軟膏にしたような軟弱な土地であろうか、そしてあれこれと心を砕くのはびっくりするような洞窟があるかと思えば狭く小さなものもある。(これでは成都に就くのが遅くなる)
・紆余 《「紆」は曲がりくねる意》1 うねり曲がっていること。2 伸び伸びとしてゆとりのあること。
・慘澹 (1)いたましくて見るに忍びないさま。  (2)あれこれと心を砕くさま。
・豪 1 すぐれて力強い。勢いが盛ん。「豪快・豪傑・豪族・豪放・豪勇」 2 能力・財力などがぬきん出た人。「強豪・剣豪・酒豪・土豪・富豪・文豪」 3 並み外れている。大いに。


仗鉞非老臣,宣風豈專達?
少しでも早くつけば小さい戈や大長刀を添えるとこれでも年老いた家臣ということではないのだ、通り抜ける風を起こしぐらいはできて、どうにかして厳武や高適の隊列に加わることが出来ようか。
仗鉞 仗:1 柄の長い武器。「儀仗・兵仗」2 宮殿の護衛。鉞:中国の殷・周時代を中心として使用された青銅利器で,斧の類の大型のものをいう。
・宣風 通り抜ける風。


冀公柱石姿,論道邦國活。
あの旁鵲無人な後漢の梁冀公はすでに石の柱の姿になっているのであるから、安史軍ごときは論理、議論、道理を尽くしてこの国を再び活性化させるのである。
・冀公 梁冀のこと。後漢の外戚で権臣。安定(甘粛省涇川県)の人。字は伯卓。妹が順帝の皇后となるに及んで外戚として権力をふるい,順帝から桓帝にいたる4代およそ20年,大将軍となって政治をほしいままにした。


斯人亦何幸,公鎮逾歲月。
そうでなければこの関係者にとってまた何の幸せがあるというのか、そうはいっても天下が鎮静化するにはあとどのくらいの歳月をやり過ごさなければいけないのだろうか。
・公鎮 天下の鎮静化して安寧すること。
逾歲月 歳月をやり過ごすこと。




杜甫の心は既に成都に到着しているようなもので軟弱でどろどろになりながら道を進んだのである。ここからは毛に三日でつくのだ。この成都紀行はほとんど苦しいこともなく朝がひらけるような気持ちが伝わってくる。杜甫の詩は割愛して読むと杜甫の気持ちを理解することはできない。よく順番もできるだけ忠実にし、できることなら時節も杜甫の作時に合わせて読むことが最善の読み方である。
 さあ、いよいよ成都紀行最後の詩に移ろう。

”成都紀行(11)”  鹿頭山 杜甫詩1000 <351>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1699 杜甫1500- 524

 鹿頭山 杜甫

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詩 題:”成都紀行(11)”  鹿頭山
作 時 759年12月杜甫48歳 
掲 載; 杜甫1000の351首目-#2
杜甫ブログ1500-524回目



鹿頭山(山上有關,在德陽縣治北)
鹿頭何亭亭?是日慰饑渴。連山西南斷,俯見千裡豁。
遊子出京華,劍門不可越。及茲險阻盡,始喜原野闊。
殊方昔三分,霸氣曾間發。天下今一家,雲端失雙闕。
悠然想揚馬,繼起名硉兀。有文令人傷,何處埋爾骨!
紆餘脂膏地,慘澹豪俠窟。仗鉞非老臣,宣風豈專達?
冀公柱石姿,論道邦國活。斯人亦何幸,公鎮逾歲月。

鹿頭山(山上 關有り,德陽縣の治の北に在る)
鹿頭 何ぞ亭亭たるか?是れ日は饑渴【きかつ】を慰む。
連山 西南に斷ち,俯して見る千裡に豁すを。
遊子 京華を出で,劍門 越える可からず。
茲に及んで險阻盡す,始めて喜ぶは原野闊くをなり。
殊方に昔三分す,霸氣曾て間發せり。
天下今一家,雲端 雙闕を失う。
悠然として揚馬を想う,繼起して硉兀【しんこつ】を名す。
有文 人傷を令し,何處にか爾の骨を埋ん!
紆餘して脂膏の地,慘澹たる豪俠の窟。
仗鉞 老臣に非らず,宣風 豈に專ら達せんや?
冀公 柱石の姿,道を論じて邦國活く。
斯人 亦た何んぞ幸ならん,公鎮 歲月逾く。


鹿頭山(山上有關,在德陽縣治北)

鹿頭山の山頂【峠】には関所塞がある、剣南道漢州徳陽縣の県庁の北はずれにある。
#1
鹿頭何亭亭?是日慰饑渴。連山西南斷,俯見千裡豁。
頭の嶺には何と能くたくさんの樹木が高くそびえていることだろうか、この日ここまで必死に昇って来る途中では腹もすき、のども渇いたのであったがこの峠の見晴らしには癒されるのである。
山々は連なっているのだが西南に向かっては谷で遮断されている。目を下に向けると千里先まで次第に広々としていく。
遊子出京華,劍門不可越。及茲險阻盡,始喜原野闊。
ここに來る旅人は長安の方からのものだが、この剣門を越えて通過することはしない方がよい。
これに及ぶ道は険し過ぎるもので、ここへ来て初めて原野がひらかれたので見晴らしが良くなってやっと喜んだのである。
#2
殊方昔三分,霸氣曾間發。
昔、天下はそれぞれの遠い位置関係で三権鼎立という時代があった。その時のそれぞれの覇者曹操、劉備、孫権の戦いは間に期間を入れて行われていた。
天下今一家,雲端失雙闕。
ところが今の天下国家のことであるが、安禄山が反乱を起こして天下に暗雲を垂れこめこともあろうに、唐王朝は長安・洛陽の二つの都を失ったのである。
悠然想揚馬,繼起名硉兀。
そのような時代になっても悠然としていられるのは漢の時代に国難を救った揚雄とこの蜀の出身である司馬相如のような存在があるからである。
有文令人傷,何處埋爾骨!

わたしにはない文武力のある厳武、高適とともにこの文章の力でもって叛乱軍どもを殺傷してやりたいのである、そうしてことを挙げたらそいつらの屍を一体どこかに埋めてやるのだ。
#3
紆餘脂膏地,慘澹豪俠窟。仗鉞非老臣,宣風豈專達?
冀公柱石姿,論道邦國活。斯人亦何幸,公鎮逾歲月。

#1鹿頭山(山上 關有り,德陽縣の治の北に在る)
鹿頭 何ぞ亭亭たるか?是れ日は饑渴【きかつ】を慰む。
連山 西南に斷ち,俯して見る千裡に豁すを。
遊子 京華を出で,劍門 越える可からず。
茲に及んで險阻盡す,始めて喜ぶは原野闊くをなり。
#2
殊方に昔三分す,霸氣曾て間發せり。
天下今一家,雲端 雙闕を失う。
悠然として揚馬を想う,繼起して硉兀【しんこつ】を名す。
有文 人傷を令し,何處にか爾の骨を埋ん!

#3
紆餘して脂膏の地,慘澹たる豪俠の窟。
仗鉞 老臣に非らず,宣風 豈に專ら達せんや?
冀公 柱石の姿,道を論じて邦國活く。
斯人 亦た何んぞ幸ならん,公鎮 歲月逾く。


『鹿頭山』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
殊方昔三分,霸氣曾間發。天下今一家,雲端失雙闕。
悠然想揚馬,繼起名硉兀。有文令人傷,何處埋爾骨!


(下し文)
殊方に昔三分す,霸氣曾て間發せり。
天下今一家,雲端 雙闕を失う。
悠然として揚馬を想う,繼起して硉兀【しんこつ】を名す。
有文 人傷を令し,何處にか爾の骨を埋ん!


(現代語訳)
昔、天下はそれぞれの遠い位置関係で三権鼎立という時代があった。その時のそれぞれの覇者曹操、劉備、孫権の戦いは間に期間を入れて行われていた。
ところが今の天下国家のことであるが、安禄山が反乱を起こして天下に暗雲を垂れこめこともあろうに、唐王朝は長安・洛陽の二つの都を失ったのである。
そのような時代になっても悠然としていられるのは漢の時代に国難を救った揚雄とこの蜀の出身である司馬相如のような存在があるからである。
わたしにはない文武力のある厳武、高適とともにこの文章の力でもって叛乱軍どもを殺傷してやりたいのである、そうしてことを挙げたらそいつらの屍を一体どこかに埋めてやるのだ。


(訳注) #2
鹿頭山(山上有關,在德陽縣治北)
鹿頭山の山頂【峠】には関所塞がある、剣南道漢州徳陽縣の県庁の北はずれにある。
『剣門』の詩のあったのは山南西道利州と剣南道剣州、同錦州を経て漢州に入る成都のある益州の隣の集まで来ている、いわば最後の峠道という位置に来たのである。この詩は厳武や高適、などの武将で詩人の友人に贈って資金援助の一環としたものである。


殊方昔三分,霸氣曾間發。
昔、天下はそれぞれの遠い位置関係で三権鼎立という時代があった。その時のそれぞれの覇者曹操、劉備、孫権の戦いは間に期間を入れて行われていた。
・殊方 遠方。異域:異邦、外國,指遠方或國外。それぞれ互いの国が離れて存在すること。この二句は許都・洛陽の魏、建業の呉、蜀・成都の蜀漢のことを謂う。


天下今一家,雲端失雙闕。
ところが今の天下国家のことであるが、安禄山が反乱を起こして天下に暗雲を垂れこめこともあろうに、唐王朝は長安・洛陽の二つの都を失ったのである。
・雲端 雲は安禄山の叛乱以来の史思明の乱を安史の乱として755年から763年までの騒乱を云う。この詩の759年12月は史思明軍に圧倒され唐王朝は危機に直面していた。
雙闕 二つの朝廷の入城門を指す。唐王朝は長安を西京、洛陽を東都としていたことを示す。


悠然想揚馬,繼起名硉兀。
そのような時代になっても悠然としていられるのは漢の時代に国難を救った揚雄とこの蜀の出身である司馬相如のような存在があるからである。
揚馬 揚雄と司馬相如。李白『古風』其一に見える。杜甫が描く当時、揚馬と云えば友人である厳武と高適である。この時厳武は成都にいた。高適は永王軍を打ち破った事の情報を耳にしていたのである。
司馬相如 前漢の頃の文章家である。蜀郡成都の人。字は長卿、名は犬子(けんし)と言った。
揚雄 前漢末の思想家,文学者。蜀(四川省成都)の人。楊雄と書かれる場合もある。字は子雲。若いころから口吃で,学問を好み沈思を旨とした。およそ富貴や名声には関心がなく,司馬相如や屈原の賦を好み,みずからもまた賦を作った。屈原の〈離騒〉にいたく感激したが,みずからの不遇を嘆いて自殺した屈原の生き方に反論して,有名な《反離騒》を著した。年41にして初めてその文才を認められた。時に成帝の奢侈(しやし)を風刺した〈甘泉賦(かんせんふ)〉を奏上したところ,帝はこれを珍重したという。


有文令人傷,何處埋爾骨!
わたしにはない文武力のある厳武、高適とともにこの文章の力でもって叛乱軍どもを殺傷してやりたいのである、そうしてことを挙げたらそいつらの屍を一体どこかに埋めてやるのだ。


”成都紀行(11)”  鹿頭山 杜甫詩1000 <350>#1/3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1695 杜甫1500- 523


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”成都紀行(11)”  鹿頭山 杜甫詩1000 <350>#1/3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1695 杜甫1500- 523 


詩 題:”成都紀行(11)”  鹿頭山
作 時 759年12月杜甫48歳 
掲 載; 杜甫1000の350首目-#1/3
杜甫ブログ1500-523回目


鹿頭山(山上有關,在德陽縣治北)
鹿頭何亭亭?是日慰饑渴。連山西南斷,俯見千裡豁。
遊子出京華,劍門不可越。及茲險阻盡,始喜原野闊。
殊方昔三分,霸氣曾間發。天下今一家,雲端失雙闕。
悠然想揚馬,繼起名硉兀。有文令人傷,何處埋爾骨!
紆餘脂膏地,慘澹豪俠窟。仗鉞非老臣,宣風豈專達?
冀公柱石姿,論道邦國活。斯人亦何幸,公鎮逾歲月。

鹿頭 何ぞ亭亭たるか?是れ日は饑渴【きかつ】を慰む。
連山 西南に斷ち,俯して見る千裡に豁すを。
遊子 京華を出で,劍門 越える可からず。
茲に及んで險阻盡す,始めて喜ぶは原野闊くをなり。
殊方に昔三分す,霸氣曾て間發せり。
天下今一家,雲端 雙闕を失う。
悠然として揚馬を想う,繼起して硉兀【しんこつ】を名す。
有文 人傷を令し,何處にか爾の骨を埋ん!
紆餘して脂膏の地,慘澹たる豪俠の窟。
仗鉞 老臣に非らず,宣風 豈に專ら達せんや?
冀公 柱石の姿,道を論じて邦國活く。
斯人 亦た何んぞ幸ならん,公鎮 歲月逾く。

#1
鹿頭山(山上有關,在德陽縣治北)
鹿頭山の山頂【峠】には関所塞がある、剣南道漢州徳陽縣の県庁の北はずれにある。
鹿頭何亭亭?是日慰饑渴。
鹿頭の嶺には何と能くたくさんの樹木が高くそびえていることだろうか、この日ここまで必死に昇って来る途中では腹もすき、のども渇いたのであったがこの峠の見晴らしには癒されるのである。
連山西南斷,俯見千裡豁。
山々は連なっているのだが西南に向かっては谷で遮断されている。目を下に向けると千里先まで次第に広々としていく。
遊子出京華,劍門不可越。
ここに來る旅人は長安の方からのものだが、この剣門を越えて通過することはしない方がよい。
及茲險阻盡,始喜原野闊

これに及ぶ道は険し過ぎるもので、ここへ来て初めて原野がひらかれたので見晴らしが良くなってやっと喜んだのである。

#2
殊方昔三分,霸氣曾間發。天下今一家,雲端失雙闕。
悠然想揚馬,繼起名硉兀。有文令人傷,何處埋爾骨!
#3
紆餘脂膏地,慘澹豪俠窟。仗鉞非老臣,宣風豈專達?
冀公柱石姿,論道邦國活。斯人亦何幸,公鎮逾歲月。

#1
鹿頭 何ぞ亭亭たるか?是れ日は饑渴【きかつ】を慰む。
連山 西南に斷ち,俯して見る千裡に豁すを。
遊子 京華を出で,劍門 越える可からず。
茲に及んで險阻盡す,始めて喜ぶは原野闊くをなり。
#2
殊方に昔三分す,霸氣曾て間發せり。
天下今一家,雲端 雙闕を失う。
悠然として揚馬を想う,繼起して硉兀【しんこつ】を名す。
有文 人傷を令し,何處にか爾の骨を埋ん!
#3
紆餘して脂膏の地,慘澹たる豪俠の窟。
仗鉞 老臣に非らず,宣風 豈に專ら達せんや?
冀公 柱石の姿,道を論じて邦國活く。
斯人 亦た何んぞ幸ならん,公鎮 歲月逾く。


現代語訳と訳註
(本文)
#1
鹿頭何亭亭?是日慰饑渴。連山西南斷,俯見千裡豁。
遊子出京華,劍門不可越。及茲險阻盡,始喜原野闊。


(下し文)
鹿頭 何ぞ亭亭たるか?是れ日は饑渴【きかつ】を慰む。
連山 西南に斷ち,俯して見る千裡に豁すを。
遊子 京華を出で,劍門 越える可からず。
茲に及んで險阻盡す,始めて喜ぶは原野闊くをなり。


(現代語訳)
鹿頭山の山頂【峠】には関所塞がある、剣南道漢州徳陽縣の県庁の北はずれにある。
頭の嶺には何と能くたくさんの樹木が高くそびえていることだろうか、この日ここまで必死に昇って来る途中では腹もすき、のども渇いたのであったがこの峠の見晴らしには癒されるのである。
山々は連なっているのだが西南に向かっては谷で遮断されている。目を下に向けると千里先まで次第に広々としていく。
ここに來る旅人は長安の方からのものだが、この剣門を越えて通過することはしない方がよい。
これに及ぶ道は険し過ぎるもので、ここへ来て初めて原野がひらかれたので見晴らしが良くなってやっと喜んだのである。

杜甫 体系 地図459同谷紀行

(訳注) #1
鹿頭山(山上有關,在德陽縣治北)

鹿頭山の山頂【峠】には関所塞がある、剣南道漢州徳陽縣の県庁の北はずれにある。
『剣門』の詩のあったのは山南西道利州と剣南道剣州、同錦州を経て漢州に入る成都のある益州の隣の集まで来ている、いわば最後の峠道という位置に来たのである。

鹿頭何亭亭?是日慰饑渴。
鹿頭の嶺には何と能くたくさんの樹木が高くそびえていることだろうか、この日ここまで必死に昇って来る途中では腹もすき、のども渇いたのであったがこの峠の見晴らしには癒されるのである。
亭亭 [1]樹木などの高くそびえているさま。天を封ずる老幹の―と行儀よく並ぶ〔出典: 虞美人草(漱石)〕 [2]はるかに遠いさま。
 1 作物が実らないで乏しい。「饑饉(ききん)」 2 食糧が乏しくてひもじい。
 のどが乾いた。のどがからからだ.解渴渇(かつ)をいやす.切に,心底から渴念思い慕う,心から案じる.渴慕 心から慕う.渴求 心底から願う.渴望切望する


連山西南斷,俯見千裡豁。
山々は連なっているのだが西南に向かっては谷で遮断されている。目を下に向けると千里先まで次第に広々としていく。
・豁 広々と開けているさま。あけっぴろげ。


遊子出京華,劍門不可越
ここに來る旅人は長安の方からのものだが、この剣門を越えて通過することはしない方がよい。
遊子出京華 この剣門を超える旅人は京華、長安からのものである。


及茲險阻盡,始喜原野闊
これに及ぶ道は険し過ぎるもので、ここへ来て初めて原野がひらかれたので見晴らしが良くなってやっと喜んだのである。

”成都紀行(10)” 剣門 杜甫詩1000 <350>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1691 杜甫1500- 522

◆◆◆2012年12月19日紀頌之の5つの漢文ブログ◆◆◆  



Ⅰ.李白と李白に影響を与えた詩集 
古代中国の結婚感、女性感について述べる、最大長編の漢詩訳注解説(31回分割して掲載) 
寡婦 曹丕(魏文帝) 魏詩<1-#1>古詩源 巻三 女性詩618 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1689 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67757903.html


Ⅱ.中唐詩・晩唐詩 
 唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ 
招揚之罦一首 韓愈 韓退之(韓愈)詩<98-#2>Ⅱ中唐詩531 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1690 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6137603.html


Ⅲ.杜甫詩1000詩集 
"●杜甫の全作品1141首のほとんどを取り上げて訳注解説するブログ 
●詩人として生きていくことを決めた杜甫が理想の地を求めてっ旅をする
●人生としては4/5前で、詩としては1/3を過ぎたあたり。 " 
”成都紀行(10)” 剣門 杜甫詩1000 <350>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1691 杜甫1500- 522 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/archives/67757315.html


Ⅳ.漢詩・唐詩・宋詞詩詩集 
元和聖徳詩 韓退之(韓愈)詩<80-#4>4/18 (12/19) 
http://kanshi100x100.blog.fc2.com/blog-entry-572.html 


Ⅴ.晩唐五代詞詩・宋詞詩 
 森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”彼女の詩の先生として登場する 晩唐期の詩人 温庭筠(おんていいん)の作品を訳註解説する。 
『更漏子 五』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-19-2-#5 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1692 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/archives/21169405.html
 
謝靈運詩     http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html
李商隠詩     http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
女性詩人     http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html



”成都紀行(10)” 剣門 杜甫詩1000 <350>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1691 杜甫1500- 522

詩 題:”成都紀行(10)” 『剣門』
作 時 759年12月杜甫48歳 
掲 載; 杜甫1000の350首目-#2
杜甫ブログ1500-522回目
成都紀行の第十首。剣門の険を見て英雄が此の地に割拠することをおそれる気持ちをのべる




『剣門』
惟天有設險,劍門天下壯。連山抱西南,石角皆北向。
ここにあるのは天が険阻を設地してくれたということである、剣門の険といえば天下の「壮」であるということだ。
この峻険な連山は西南に向かって抱きかかえていて、嶺の石角はみな北にむきになっている。

兩崖崇墉倚,刻畫城郭狀。一夫怒臨關,百萬未可傍。
それに左右の崖は高い城壁であり、互いにそそり立ちまさしく城門のようである。そして複雑な仕掛けにも見える状況は城郭といえるほどのものである。
ここで一人が怒って立ち上がり、剣南をまもるために関門にのぞむなら、百万人の敵もこの剣門により、傍へよりつくことさえできないだろう。

珠玉走中原,岷峨氣淒愴。

しかしこの蜀の珠玉の宝がどしどし中原の方はこびだしたことで、眠山から峨眉山にかこまれた成都は国力が低下し、かなしそうな気色をおびてきたという。

三皇五帝前,雞犬莫相放。
三皇五帝などの大むかしの良い時代には蜀は蜀だけでよく治まり鷄や犬も誰もがそれぞれはなし飼いにして争いもなかったのである。
後王尚柔遠,職貢道已喪。
ところが後世中原の王はこの富沃な土地を懐柔しようとしたが、職は其の人の才能に応じ、貢物はその土地の有るものに応じて貢物とするという古代聖人の道はなくなってしまった。
至今英雄人,高視見霸王。
いまに至るまで英雄といわれるものがたくさんいるが、その者達はいばって覇王のように見下しているのである。
幷呑與割據,極力不相讓。
彼等は幷呑するか、割拠するか、いずれにしても極力抗争して中原の権力者に対して譲らないようにしてきた。
吾將罪真宰,意欲鏟疊嶂。
わたしはむしろこの地の造物主を罰して、この峻険な山山をけずりとってしまいたいと思うのである。
恐此複偶然,臨風默惆悵

そうはいってもわたしのこの「山を削れ」と想像したことが偶然にも本当に起こりはしないかと、ここに吹き付ける強風に臨んでただだまって心をいため、心配をしてしまうのである。

(剣 門)
惟れ天 険を設くる有り、剣門は天下の壮なり。
連山西南を抱き、石角皆北に向う。
両崖 崇墉【すうよう】のごとく倚り、城郭の状を刻画【こくがく】す。
一夫怒って関に臨めば、百万未だ傍【そ】う可からず。
珠玉【しゅぎょく】中原に走り、岷峨【みんが】氣淒【きせい】愴たり。

三皇五帝の前、雞犬【けいけん】各【おのお】の相い放つ。
後王 柔遠【じゅうえん】を尚【たっと】び、職貢【しょくこう】道 己に喪【うしな】わる。
今に至るも英雄の人、高視して覇王を見る。
幷呑【へいどん】と割拠とを、極力相い譲らず。
吾将に真宰【しんさい】を罪せんとし、意は疊嶂【じょうしょう】を鏟【けづ】らんと欲す。
恐らくは此れ復た偶【たまた】ま然らんことを、風に臨みて黙して惆悵【ちゅうちょう】す。

剣門関01

”成都紀行(10)” 『剣門 現代語訳と訳註
(本文)
三皇五帝前,雞犬莫相放。後王尚柔遠,職貢道已喪。
至今英雄人,高視見霸王。幷呑與割據,極力不相讓。
吾將罪真宰,意欲鏟疊嶂。恐此複偶然,臨風默惆悵。

(下し文)
三皇五帝の前、雞犬【けいけん】各【おのお】の相い放つ。
後王 柔遠【じゅうえん】を尚【たっと】び、職貢【しょくこう】道 己に喪【うしな】わる。
今に至るも英雄の人、高視して覇王を見る。
幷呑【へいどん】と割拠とを、極力相い譲らず。
吾将に真宰【しんさい】を罪せんとし、意は疊嶂【じょうしょう】を鏟【けづ】らんと欲す。
恐らくは此れ復た偶【たまた】ま然らんことを、風に臨みて黙して惆悵【ちゅうちょう】す。


(現代語訳)
三皇五帝などの大むかしの良い時代には蜀は蜀だけでよく治まり鷄や犬も誰もがそれぞれはなし飼いにして争いもなかったのである。
ところが後世中原の王はこの富沃な土地を懐柔しようとしたが、職は其の人の才能に応じ、貢物はその土地の有るものに応じて貢物とするという古代聖人の道はなくなってしまった。
いまに至るまで英雄といわれるものがたくさんいるが、その者達はいばって覇王のように見下しているのである。
彼等は幷呑するか、割拠するか、いずれにしても極力抗争して中原の権力者に対して譲らないようにしてきた。わたしはむしろこの地の造物主を罰して、この峻険な山山をけずりとってしまいたいと思うのである。
そうはいってもわたしのこの「山を削れ」と想像したことが偶然にも本当に起こりはしないかと、ここに吹き付ける強風に臨んでただだまって心をいため、心配をしてしまうのである。


(訳注)
○剣門
 剣南道剣州(四川省剣閣県)剣門県界(中国歴史地図)剣南道8-③地点)にある、大剣山または梁山ともいう。其の北三十里(17.3km)に小剣山がある。晋の張載が「剣閣銘」をつくったのも此処である。この険阻な要害を見て英雄がこの地を割拠して乱をなしたことを憂慮した気持ちをのべている。

杜甫 体系 地図459同谷紀行

三皇五帝前,雞犬莫相放。
三皇五帝などの大むかしの良い時代には蜀は蜀だけでよく治まり鷄や犬も誰もがそれぞれはなし飼いにして争いもなかったのである。
〇三皇 中国の神話伝説時代の帝王。現在ではこれらは実在の人物とは考えられていない。三皇は神、五帝は聖人としての性格を持つとされた。伝説では、最初の世襲王朝夏の以前の時代とされる。『史記』の三皇本紀(補三皇本紀または補史記という)では三皇を伏羲、女媧、神農とするが、天皇・地皇・人皇という説も並記している。
〇五帝 『史記』では黄帝、顓頊、嚳、尭、舜としているが禹を入れる場合も多い。謝靈運も多く三皇五帝を詩材にしている。謝靈運『初去郡』「即是羲唐化,獲我擊壤聲!」」○羲唐化 三皇五帝のことで、伏義と唐堯とが無爲にして世を収めた時の天子の民に対する影響。○擊壤 堯の時老人が土壌を撃って太平を謳歌した故事。撃壤 〔撃壌歌の故事から〕 (1)地面をたたいて拍子をとること。平和な世の中を楽しむありさまをいう。 →鼓腹(こふく)撃壌 (2)中国の遊び。木靴に似た木を地面に立て、同じ形の別の木でねらいうつ。下駄打ち。○、謝靈運『七里瀬既秉上皇心,豈屑末代誚。」○上皇心 上古の三皇五帝の素朴な心。詩譜序の疏に「上皇とは伏羲を謂ふ。三皇の般も先なる者」とある。三皇は神、五帝は聖人としての性格を持つとされた皇帝をいう。
杜甫も『秦州雜詩二十首 其二十』始め、『醉歌』などに多くみえる。
○莫相放 中原と蜀との交通がなく蜀だけで十分安定したくらしができたとをいう意味にもとれるが、各個人で放し飼いをする。或はここでは蜀の政治が争いをせずに行われたことを云うものと思える。又蛇足ではあるが、三皇五帝とつきものとして「十二楼」 「五城十二楼」の十二の高楼がある。史記巻28『封禅書』「曰、黄帝時為五城十二楼、以候神人。」(黄帝の時、五城十二楼を為り、以て神人を候う。)伝説三皇五帝・黄帝の時代、五つの宮殿、十二の高殿を造って、ここに神秘のひとたちをお迎えした。神仙の降る場をいう。『抱朴子』によればこの五城十二楼は、今も崑崙山の山頂にあるという。『漢書』郊祀志下にも見える。


後王尚柔遠,職貢道已喪。
ところが後世中原の王はこの富沃な土地を懐柔しようとしたが、職は其の人の才能に応じ、貢物はその土地の有るものに応じて貢物とするという古代聖人の道はなくなってしまった。
○後王 後世の帝王。
○尚柔遠 柔遠は遠方の民をなでやすんじること、ここはむしろ姑息な手段で手なずけ「懐柔策」を意味している。
職貢 地方の官に在る者は其の才能によって職に居り、其の土地の有する所のものを以て貢とすることをいう。
○道 職貢の道。いずれも儒教の精神に基づくもの。
 

至今英雄人,高視見霸王。
いまに至るまで英雄といわれるものがたくさんいるが、その者達はいばって覇王のように見下しているのである。
○高視 うえをむく、威張って人もなげなさまをいう。
 見下すことである。
覇王 英雄人が覇となり王となること。杜甫にとって玄宗の時、蜀から宰相にのし上がった楊国忠を指しているものと思う。


幷呑與割據,極力不相讓。
彼等は幷呑するか、割拠するか、いずれにしても極力抗争して中原の権力者に対して譲らないようにしてきた。
○幷呑 蜀より進んで他の地をあわせのむこと。
○割拠 蜀の地内のみでその地をさき取りして取り込んで囲い込むこと。
○不相譲 他のもの(多くは中央権力者、ここでは前の方の句を受けて中原の権力者)には譲らぬ。


吾將罪真宰,意欲鏟疊嶂。
わたしはむしろこの地の造物主を罰して、この峻険な山山をけずりとってしまいたいと思うのである。
○罪 罰すること。
真宰 造物主。天による真の宰相。
 けずりとる。
○畳嘩 かさなった山。


恐此複偶然,臨風默惆悵。
そうはいってもわたしのこの「山を削れ」と想像したことが偶然にも本当に起こりはしないかと、ここに吹き付ける強風に臨んでただだまって心をいため、心配をしてしまうのである。
○此 前聯の「罪真宰,意欲鏟疊嶂」の事をさす。
○偶然 この強い風のために、想像したことが偶然にも本当に起こりはしないかというほどの意味。

”成都紀行(10)” 剣門 杜甫詩1000 <349>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1687 杜甫1500- 521

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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩為焦仲卿妻作 (まとめ-3) 漢詩<32>古詩源 巻三 女性詩615 漢文委員会 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩招揚之罦一首 韓愈 韓退之(韓愈)詩<98-#1>Ⅱ中唐詩530 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1686 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集”成都紀行(10)” 剣門 杜甫詩1000 <349>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1687 杜甫1500- 521 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集元和聖徳詩 韓退之(韓愈)詩<80-#3> (12/18) 
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”成都紀行(10)” 剣門 杜甫詩1000 <349>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1687 杜甫1500- 521
 
詩 題:”成都紀行(10)” 剣門
作時759年12月杜甫48歳 
掲 載; 杜甫1000の349首目-#1
杜甫ブログ1500-521回目
成都紀行の第十首。剣門の険を見て英雄が此の地に割拠することをおそれる気持ちをのべる



成都紀行(10)” 剣門

惟天有設險,劍門天下壯。
ここにあるのは天が険阻を設地してくれたということである、剣門の険といえば天下の「壮」であるということだ。
連山抱西南,石角皆北向。
この峻険な連山は西南に向かって抱きかかえていて、嶺の巌石角はみな刃のように北にむきに突き出ている。
兩崖崇墉倚,刻畫城郭狀。
それに左右の崖は高い城壁であり、互いにそそり立ちまさしく城門のようである。そして複雑な仕掛けにも見える状況は城郭といえるほどのものである。
一夫怒臨關,百萬未可傍。
ここで一人が怒って立ち上がり、剣南をまもるために関門にのぞむなら、百万人の敵もこの剣門により、傍へよりつくことさえできないだろう。
珠玉走中原,岷峨氣淒愴。

しかしこの蜀の珠玉の宝がどしどし中原の方はこびだしたことで、眠山から峨眉山にかこまれた成都は国力が低下し、かなしそうな気色をおびてきたという。
三皇五帝前,雞犬莫相放。後王尚柔遠,職貢道已喪。
至今英雄人,高視見霸王。幷呑與割據,極力不相讓。
吾將罪真宰,意欲鏟疊嶂。恐此複偶然,臨風默惆悵。


(剣 門)
惟れ天 険を設くる有り、剣門は天下の壮なり。
連山西南を抱き、石角皆北に向う。
両崖 崇墉【すうよう】のごとく倚り、城郭の状を刻画【こくがく】す。
一夫怒って関に臨めば、百万未だ傍【そ】う可からず。
珠玉【しゅぎょく】中原に走り、岷峨【みんが】氣淒【きせい】愴たり。

三皇五帝の前、雞犬【けいけん】各【おのお】の相い放つ。
後王 柔遠【じゅうえん】を尚【たっと】び、職貢【しょくこう】道 己に喪【うしな】わる。
今に至るも英雄の人、高視して覇王を見る。
幷呑【へいどん】と割拠とを、極力相い譲らず。
吾将に真宰【しんさい】を罪せんとし、意は疊嶂【じょうしょう】を鏟【けづ】らんと欲す。
恐らくは此れ復た偶【たまた】ま然らんことを、風に臨みて黙して惆悵【ちゅうちょう】す。




『剣 門』 現代語訳と訳註
(本文)
惟天有設險,劍門天下壯。連山抱西南,石角皆北向。
兩崖崇墉倚,刻畫城郭狀。一夫怒臨關,百萬未可傍。
珠玉走中原,岷峨氣淒愴。


(下し文)
(剣 門)
惟れ天 険を設くる有り、剣門は天下の壮なり。
連山西南を抱き、石角皆北に向う。
両崖 崇墉【すうよう】のごとく倚り、城郭の状を刻画【こくがく】す。
一夫怒って関に臨めば、百万未だ傍【そ】う可からず。
珠玉【しゅぎょく】中原に走り、岷峨【みんが】氣淒【きせい】愴たり。


(現代語訳)
ここにあるのは天が険阻を設地してくれたということである、剣門の険といえば天下の「壮」であるということだ。
この峻険な連山は西南に向かって抱きかかえていて、嶺の巌石角はみな刃のように北にむきに突き出ている。それに左右の崖は高い城壁であり、互いにそそり立ちまさしく城門のようである。そして複雑な仕掛けにも見える状況は城郭といえるほどのものである。
ここで一人が怒って立ち上がり、剣南をまもるために関門にのぞむなら、百万人の敵もこの剣門により、傍へよりつくことさえできないだろう。
しかしこの蜀の珠玉の宝がどしどし中原の方はこびだしたことで、眠山から峨眉山にかこまれた成都は国力が低下し、かなしそうな気色をおびてきたという。


(訳注)
『剣 門』

○剣門 剣南道剣州(四川省剣閣県)剣門県界(中国歴史地図)剣南道8-③地点)にある、大剣山または梁山ともいう。其の北三十里(17.3km)に小剣山がある。晋の張載が「剣閣銘」をつくったのも此処である。この険阻な要害を見て英雄がこの地を割拠して乱をなしたことを憂慮した気持ちをのべている。

杜甫 体系 地図459同谷紀行

惟天有設險,劍門天下壯。
ここにあるのは天が険阻を設地してくれたということである、剣門の険といえば天下の「壮」であるということだ。
○設険 「易経」(坎卦)に、「天險不可升也,地險山川丘陵也,王 公設險以守其國, 險之時用大矣哉。」(天険は升るべからざるなり、地険は山川丘陵なり、王公険を設けて以て其の国を守る、険の時用大いなる哉。)とみえる。三国志の曹操、曹丕も蜀には攻め入らず、北、東、見なにへ攻撃したのもこの天涯の要害があるからであった。ここを越えて蜀へ攻め入ったのは、秦の始皇帝だけで、隋の文帝も長江下流から蜀へ入った。
○壯 1 血気盛んな年ごろ。勢いが盛ん。「壮健・壮士・壮丁・壮年/強壮・少壮」2 意気に燃えている。勇ましい。「壮挙・壮絶・壮図・壮烈/悲壮・勇壮」3 元気づける。「壮行会」4 大きくて立派。「壮観・壮大・壮麗/広壮」


連山抱西南,石角皆北向。
この峻険な連山は西南に向かって抱きかかえていて、嶺の巌石角はみな刃のように北にむきに突き出ている。

剣門関00

兩崖崇墉倚,刻畫城郭狀。
それに左右の崖は高い城壁であり、互いにそそり立ちまさしく城門のようである。そして複雑な仕掛けにも見える状況は城郭といえるほどのものである。
〇両崖 倚 左右のがけ。城壁であり、城門のようである。
○崇墉 そそり立つ高い城壁。
○刻画 いろいろと仕掛け、仕組みをすること。

剣門関01

一夫怒臨關,百萬未可傍。
ここで一人が怒って立ち上がり、剣南をまもるために関門にのぞむなら、百万人の敵もこの剣門により、傍へよりつくことさえできないだろう。
〇百万 百万人の敵。
○傍 そばへちかづく。


珠玉走中原,岷峨氣淒愴。
しかしこの蜀の珠玉の宝がどしどし中原の方はこびだしたことで、眠山から峨眉山にかこまれた成都は国力が低下し、かなしそうな気色をおびてきたという。
○珠玉 蜀地の産物。
○走中原 中原は洛陽地方をいう、走とは運び去られることの速かなことをいう、上にあるものの誅求によってもち去られること、一本に「珠玉」の句の前に「川嶽儲二精英↓天府興二宝蔵この二句があるとのことであるが、まだ依拠を詳かにしないゆえそれには従わぬ。
○岷峨 岷山、峨眉山、かこまれ、岷江の恵みによってはぐくまれたのが成都である。したがって、闘争心の薄い平和的な地方であった。岷山は西にあり、峨眉山は西南にある。
○淒愴 うれわしいさま。平和的な地方が中原に収奪されて様子が変わったのではないかという、杞憂の念をいう。

”成都紀行(9)” 桔柏渡 杜甫詩1000 <349>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1683 杜甫1500- 520


◆◆◆2012年12月17日紀頌之の5つの漢文ブログ◆◆◆  

Ⅰ.李白と李白に影響を与えた詩集 
古代中国の結婚感、女性感について述べる、最大長編の漢詩訳注解説(31回分割して掲載) 
為焦仲卿妻作 (まとめ その-2) 漢詩<32>古詩源 巻三 女性詩615 漢文委員会 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67755196.html

Ⅱ.中唐詩・晩唐詩 
 唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ 
石鼓歌 韓愈 韓退之(韓愈)詩<97-#8-(最終回)>Ⅱ中唐詩529 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1682 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6134505.html

Ⅲ.杜甫詩1000詩集 
"●杜甫の全作品1141首のほとんどを取り上げて訳注解説するブログ 
●詩人として生きていくことを決めた杜甫が理想の地を求めてっ旅をする
●人生としては4/5前で、詩としては1/3を過ぎたあたり。 " 
”成都紀行(9)” 桔柏渡 杜甫詩1000 <349>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1683 杜甫1500- 520 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/archives/67755568.html

Ⅳ.漢詩・唐詩・宋詞詩詩集 
元和聖徳詩 幷序 韓退之(韓愈)詩<80> (12/17) 
http://kanshi100x100.blog.fc2.com/blog-entry-570.html 


Ⅴ.晩唐五代詞詩・宋詞詩 
 森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”彼女の詩の先生として登場する 晩唐期の詩人 温庭筠(おんていいん)の作品を訳註解説する。 
『更漏子 三』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-17-2-#3 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1684 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/archives/21062932.html
 
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
女性詩人  http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html


”成都紀行(9)” 桔柏渡 杜甫詩1000 <349>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1683 杜甫1500- 520 


詩 題:”成都紀行(9)” 桔柏渡
作時759年12月 杜甫48歳 
掲 載; 杜甫1000の349首目-#2
杜甫ブログ1500-520回目


華州から秦州へ、秦州に居る時、同谷を旅立つまではほとんどが律詩で、題材は身近なことをのべている。これは隠遁する場所を見つけるための支援、応援、情報収集のために作ったものである。したがって今度の成都紀行では詩の趣きが全く異なるものとなっている。(だから、杜甫の詩集本では割愛されることが多い。漢文委員会はすべて紹介掲載する。)


成都紀行の第九首。桔柏渡のさまをいい、嘉陵江は南流するが成都へは西に向山越えをする。水と別れようとする情を自分の人生の岐路としてのべる。

杜甫 体系 地図459同谷紀行

桔柏渡
青冥寒江渡,駕竹為長橋。竿濕煙漠漠,江永風蕭蕭。
この桔柏の渡船場にくると水清く、青く、暗くみえる、渡し場には竹をわたした長い桟橋をかけている。
その竹竿は水に湿ってはえており、そこへ煙が広がってくる。嘉陵江の古くからの長くのびる水面を風がさびしくヒューッと吹きわたってくる。

連笮動嫋娜,徵衣颯飄颻。急流鴇鷁散,絕岸黿鼉驕。
竹のなわの吊橋がしなやかにゆれてうごき、旅ごろもは吹き上げる風にあおられてふわふわひるがえる。
流れが急で鴇だの鷁だの水鳥がとび散り、絶壁の岸辺には大がめなどがのさばって泳いでいる。
#2
西轅自茲異,東逝不可要。
此れだけきれいな水の流れであったので私の穢れた胸の思いを洗い流してくれていたが、これからはもうない。これからは前面に進んでただ登ってゆく、そこには山の頂ばかりがあるというのである。
成都へゆくみちがここから西の方へ楫をきり、はっきり違う道を行く。物事は最終的に東流するものでその流れを変えることはできないのだ。
高通荊門路,闊會滄海潮。
そして、その水は高い所から三峡を経て荊州を通過して、広々とした滄海の潮に出会うのである。
孤光隱顧盼,遊子悵寂寥。
これから先は陸路を行くので江水の白い川光をみおさめとなる、だからわたしは左と右とをふりかえってみる、旅人というものは過去を振り返ると恨めしくもあり、さびしさを感ずるものである。
無以洗心胸,前登但山椒。


(桔 柏 渡)
青冥【せいめい】たり寒江の渡、竹を駕して長橋と為す。
竿湿いて煙漠漠【ばくばく】たり、江永くして風粛粛【しょうしょう】たり。
連笮【れんさく】動いて嫋娜【じょうだ】たり 征衣【せいい】颯として飄搖【ひょうよう】たり
急流 鴇鷁【ほうげき】散じ、絶岸 黿鼉【げんた】驕【おご】る。
西轅【せいえん】茲【これ】自り異なり 東逝【とうせい】要む可からず
高は通ず荊門【けいもん】の路に、闊は会す槍海【そうかい】の潮に
孤光隠れて顧盼【こひん】す、遊子悵として寂蓼【せきひょう】たり。
以て心胸を洗う無し、前みて登るは但だ山椒【さんしょう】のみ。

古桟道0001

杜甫 成都紀行(9) 『桔柏渡』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
西轅自茲異,東逝不可要。高通荊門路,闊會滄海潮。
孤光隱顧盼,遊子悵寂寥。無以洗心胸,前登但山椒。


(下し文)
西轅【せいえん】茲【これ】自り異なり 東逝【とうせい】要む可からず
高は通ず荊門【けいもん】の路に、闊は会す槍海【そうかい】の潮に
孤光隠れて顧盼【こひん】す、遊子悵として寂蓼【せきひょう】たり。
以て心胸を洗う無し、前みて登るは但だ山椒【さんしょう】のみ。


(現代語訳)
成都へゆくみちがここから西の方へ楫をきり、はっきり違う道を行く。物事は最終的に東流するものでその流れを変えることはできないのだ。
そして、その水は高い所から三峡を経て荊州を通過して、広々とした滄海の潮に出会うのである。
これから先は陸路を行くので江水の白い川光をみおさめとなる、だからわたしは左と右とをふりかえってみる、旅人というものは過去を振り返ると恨めしくもあり、さびしさを感ずるものである。
此れだけきれいな水の流れであったので私の穢れた胸の思いを洗い流してくれていたが、これからはもうない。これからは前面に進んでただ登ってゆく、そこには山の頂ばかりがあるというのである。


(訳注) #2
西轅自茲異,東逝不可要。
成都へゆくみちがここから西の方へ楫をきり、はっきり違う道を行く。物事は最終的に東流するものでその流れを変えることはできないのだ。
○西轅 車のかじ棒をとり西にむけること、西南に向かって陸行することをいう。杜甫は人生の岐路をこの言葉で表したのだ
○東逝 嘉陵江は南流して重慶に向い長江に合流する。そして、川の水が東にながれ去ること。物の流れというものは、結局は東に流れ去るという道理を云う。
○要 むりにひきとめること。


高通荊門路,闊會滄海潮。
そして、その水は高い所から荊州を通過して、広々とした滄海の潮に出会うのである。
○高、闊 この河勢水勢をいう、高は三峡が刑門にいたり、最終的には闊の蒼海にいたる。前句は艱難辛苦のこれまでのことを謂い、下句は成都に往くことは仙界に向かう蒼海のようなもので、きっといいことがあるといっているのである。ここまでの4句は杜甫が成都に期待していること、ポジティブな一面を見せているところである
○荊門 荊州。湖北省荊州府をさす。この江水(嘉陵江)は南流して長江に入り東流して荊州、南京、上海に達する。孟浩然峴山送蕭員外之荊州』とか李白『贈王判官時余歸隱居廬山屏風疊「荊門倒屈宋、梁苑傾鄒枚。」では荊州のことを指す。
○愴海 ひろいうみ、東海の三山に至るまでの海を云うが長江の河口の先にあるということ。


孤光隱顧盼,遊子悵寂寥。
これから先は陸路を行くので江水の白い川光をみおさめとなる、だからわたしは左と右とをふりかえってみる、旅人というものは過去を振り返ると恨めしくもあり、さびしさを感ずるものである。
○孤光隠 孤光とは川もの映る日のひかりは必ず一片のひかり、川光をいう、ここをすぎて陸路を行くので、しばらく山に入っていくので「隠る」というひょうげんをした。
○遊子 旅人、自己をいう。
○悵 うらむさま。


無以洗心胸,前登但山椒。
此れだけきれいな水の流れであったので私の穢れた胸の思いを洗い流してくれていたが、これからはもうない。これからは前面に進んでただ登ってゆく、そこには山の頂ばかりがあるというのである。
洗心胸 洗は水の縁語である。嘉陵江の水がきれいで心が表れるというのは成都紀行では随所に出ている。
山椒 山頂。淑は丘。山のいただき。謝靈運『石室山詩』
清旦索幽異。放舟越坰郊。苺苺蘭渚急。藐藐苔嶺高。
石室冠林陬。飛泉發山椒。虛泛徑千載。崢嶸非一朝。

石室山詩』 謝霊運(康楽) 詩<55-#1442 紀頌之の漢詩ブログ1143


謝靈運『従遊京口北固應詔』「鳴笳發春渚、税鑾登山椒。」謝霊運<6> 『従遊京口北固應詔』 #1 詩集 362


”成都紀行(9)” 桔柏渡 杜甫詩1000 <348>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1679 杜甫1500- 519

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”成都紀行(9)” 桔柏渡 杜甫詩1000 <348>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1679 杜甫1500- 519




詩 題:”成都紀行(9)” 桔柏渡
作時759年12月    杜甫48歳
掲 載; 杜甫1000の348首目-#1
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華州から秦州へ、秦州に居る時、同谷を旅立つまではほとんどが律詩で、題材は身近なことをのべている。これは隠遁する場所を見つけるための支援、応援、情報収集のために作ったものである。したがって今度の成都紀行では詩の趣きが全く異なるものとなっている。(だから、杜甫の詩集本では割愛されることが多い。漢文委員会はすべて紹介掲載する。)


成都紀行の第九首。桔柏渡のさまをいい、嘉陵江は南流するが成都へは西に向山越えをする。水と別れようとする情をのべる。


桔柏渡
青冥寒江渡,駕竹為長橋。
この桔柏の渡船場にくると水清く、青く、暗くみえる、渡し場には竹をわたした長い桟橋をかけている。
竿濕煙漠漠,江永風蕭蕭。
その竹竿は水に湿ってはえており、そこへ煙が広がってくる。嘉陵江の古くからの長くのびる水面を風がさびしくヒューッと吹きわたってくる。
連笮動嫋娜,徵衣颯飄颻。
竹のなわの吊橋がしなやかにゆれてうごき、旅ごろもは吹き上げる風にあおられてふわふわひるがえる。
急流鴇鷁散,絕岸黿鼉驕。

流れが急で鴇だの鷁だの水鳥がとび散り、絶壁の岸辺には大がめなどがのさばって泳いでいる。

西轅自茲異,東逝不可要。高通荊門路,闊會滄海潮。
孤光隱顧盼,遊子悵寂寥。無以洗心胸,前登但山椒。

(桔 柏 渡)
青冥【せいめい】たり寒江の渡、竹を駕して長橋と為す。
竿湿いて煙漠漠【ばくばく】たり、江永くして風粛粛【しょうしょう】たり。
連笮【れんさく】動いて嫋娜【じょうだ】たり 征衣【せいい】颯として飄搖【ひょうよう】たり
急流 鴇鷁【ほうげき】散じ、絶岸 黿鼉【げんた】驕【おご】る。

西轅【せいえん】茲【これ】自り異なり 東逝【とうせい】要む可からず
高は通ず荊門【けいもん】の路に、闊は会す槍海【そうかい】の潮に
孤光隠れて顧盼【こひん】す、遊子悵として寂蓼【せきひょう】たり。
以て心胸を洗う無し、前みて登るは但だ山椒【さんしょう】のみ。

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『桔柏渡』 現代語訳と訳註
(本文)
桔柏渡
青冥寒江渡,駕竹為長橋。竿濕煙漠漠,江永風蕭蕭。
連笮動嫋娜,徵衣颯飄颻。急流鴇鷁散,絕岸黿鼉驕。


(下し文)
(桔 柏 渡)
青冥【せいめい】たり寒江の渡、竹を駕して長橋と為す。
竿湿いて煙漠漠【ばくばく】たり、江永くして風粛粛【しょうしょう】たり。
連笮【れんさく】動いて嫋娜【じょうだ】たり 征衣【せいい】颯として飄搖【ひょうよう】たり
急流 鴇鷁【ほうげき】散じ、絶岸 黿鼉【げんた】驕【おご】る。


(現代語訳)
この桔柏の渡船場にくると水清く、青く、暗くみえる、渡し場には竹をわたした長い桟橋をかけている。
その竹竿は水に湿ってはえており、そこへ煙が広がってくる。嘉陵江の古くからの長くのびる水面を風がさびしくヒューッと吹きわたってくる。
竹のなわの吊橋がしなやかにゆれてうごき、旅ごろもは吹き上げる風にあおられてふわふわひるがえる。
流れが急で鴇だの鷁だの水鳥がとび散り、絶壁の岸辺には大がめなどがのさばって泳いでいる。


(訳注)
桔柏渡
○桔柏渡
 山南西道利州螫昌県の東北三里(中国歴史地図52-53 座標2・③)にあり、嘉陵江に白水が合流する処である。


青冥寒江渡,駕竹為長橋。
この桔柏の渡船場にくると水清く、青く、暗くみえる、渡し場には竹をわたした長い桟橋をかけている。
○青冥 あおくくらい、水のさま。
○駕竹 駕は架に作るべきである、わたすこと。


竿濕煙漠漠,江永風蕭蕭。
その竹竿は水に湿ってはえており、そこへ煙が広がってくる。嘉陵江の古くからの長くのびる水面を風がさびしくヒューッと吹きわたってくる
○漠漢 ひろがるさま。


連笮動嫋娜,徵衣颯飄颻。
竹のなわの吊橋がしなやかにゆれてうごき、旅ごろもは吹き上げる風にあおられてふわふわひるがえる。
○連笮 ひきはえた竹の索橋(吊り橋)。
○嫋娜 しなやかなさま。
○征衣 たびごろも、自己の衣をいう。
○颯 風にあおられるさま。
○飄颻 びるがえるさま。


急流鴇鷁散,絕岸黿鼉驕。
流れが急で鴇だの鷁だの水鳥がとび散り、絶壁の岸辺には大がめなどがのさばって泳いでいる。
○鴇 しぎ、雁に似てあとあしがない。
○鷁 水鳥である。
○黿鼉 大がめ。
嘉陵江の岸壁

”成都紀行(8)” 石櫃閣 杜甫詩1000 <348>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1675 杜甫1500- 518


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”成都紀行(8)” 石櫃閣 杜甫詩1000 <348>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1675 杜甫1500- 518



詩 題:”成都紀行(8)” 石櫃閣
作時759年12月
掲 載; 杜甫1000の348首目-#2
杜甫ブログ1500-518回目


成都紀行の第八首。石櫃閣のさまと所感とをのべる。
華州から秦州へ、秦州に居る時、同谷を旅立つまではほとんどが律詩で、題材は身近なことをのべている。これは隠遁する場所を見つけるための支援、応援、情報収集のために作ったものである。したがって今度の成都紀行では詩の趣きが全く異なるものとなっている。(だから、杜甫の詩集本では割愛されることが多い。漢文委員会はすべて紹介掲載する。)


石櫃閣
季冬日已長,山晚半天赤。蜀道多早花,江間饒奇石。
冬という季節ではあるが冬至をすぎたのでもう日が僅かづつ長くなっていく、山は暮れかかり、見上げる空を半分赤くそめている。
蜀へ続く道は暖かで早ざきの花なのか多く咲いている、嘉陵江には奇妙な石がたくさんある。

石櫃曾波上,臨虛蕩高壁。清暉回群鷗,暝色帶遠客。

この石橋闇は幾重もの波の上にあり、それが水面にのぞんでたかい崖壁を波上に映しゆらつかせている。
水上では傾きかけた太陽が輝き、群れをなす鴎が飛び回、そして廻っている、陸では山陰にくらがりの色に染まり、遠くゆく旅人をつつむ。
羈棲負幽意,感嘆向絕跡。
この半年旅をしているのか住まいを転移しているのか静かに風流な気分で風景をもてあそぶ気持ちなどでいることはできない。そうはいっても成都にいる厳武に期待して、歓声をもらしつつ成都という絶好の地へ向かうのだ。
信甘孱懦嬰,不獨凍餒迫。
安易な考えと思われるかもしれないが成都に行けば「生活力に乏しく、身体がよわいと子供連れということに加え、この冬凍えそうに冷たいことやと食い物に餓えるということに一人で乗り越えるというのではない。」ということと思っている。
優游謝康樂,放浪陶彭澤。
やはり私の理想は、「むかし晋の謝霊運は山水の間にゆったりとあそび、陶淵明は田園の間にきままにくらした。」ということである。
吾衰未自由,謝爾性所適。
わたしは老衰してきてはいるがいまだ自由な生活をなすことはできていない、あなたがたの自分の理想とする考えを貫き実践されたということに対して敬意と感謝を申し上げる。
(石櫃閣)
季冬日己に長し、山晩れて半天赤し。
蜀道早花多し、江間奇石餞【おお】し。
石橋曾(層)紺の上、虚に臨みて高壁を蕩かす。
清暉【せいき】に群鴎回り、瞑色【めいしょく】遠客を帯ぶ。
羈棲【きせい】幽意に負く、感嘆絶跡【ぜっせき】に向こう。
信に甘んず孱懦【せんだ】に嬰かかるを、独り凍骸に迫らるるのみにあらず。
優游【ゆうゆう】す謝康楽【しゃこうらく】、放浪す陶彭沢。
吾衰えて未だ自由ならず、爾が性の通する所に謝す。


『石櫃閣』 現代語訳と訳註
 (本文)

羈棲負幽意,感嘆向絕跡。信甘孱懦嬰,不獨凍餒迫。
優游謝康樂,放浪陶彭澤。吾衰未自由,謝爾性所適。


(下し文)
羈棲【きせい】幽意に負く、感嘆絶跡【ぜっせき】に向こう。
信に甘んず孱懦【せんだ】に嬰かかるを、独り凍骸に迫らるるのみにあらず。
優游【ゆうゆう】す謝康楽【しゃこうらく】、放浪す陶彭沢。
吾衰えて未だ自由ならず、爾が性の通する所に謝す。


(現代語訳)
この半年旅をしているのか住まいを転移しているのか静かに風流な気分で風景をもてあそぶ気持ちなどでいることはできない。そうはいっても成都にいる厳武に期待して、歓声をもらしつつ成都という絶好の地へ向かうのだ。
安易な考えと思われるかもしれないが成都に行けば「生活力に乏しく、身体がよわいと子供連れということに加え、この冬凍えそうに冷たいことやと食い物に餓えるということに一人で乗り越えるというのではない。」ということと思っている。
やはり私の理想は、「むかし晋の謝霊運は山水の間にゆったりとあそび、陶淵明は田園の間にきままにくらした。」ということである。
わたしは老衰してきてはいるがいまだ自由な生活をなすことはできていない、あなたがたの自分の理想とする考えを貫き実践されたということに対して敬意と感謝を申し上げる。


(訳注)
石櫃閣

石櫃閣 山南西道利州の北二十五里(14.4km)にあるという。地図に示す。


羈棲負幽意,感嘆向絕跡。
この半年旅をしているのか住まいを転移しているのか静かに風流な気分で風景をもてあそぶ気持ちなどでいることはできない。そうはいっても成都にいる厳武に期待して、歓声をもらしつつ成都という絶好の地へ向かうのだ。
○羈棲 たびにすむ。杜甫は普通は覊旅、轉蓬、などと使うが、「覊棲」という語は珍しい。杜甫のこの時の旅の様子は難民のようであったのだ。家財道具を積んだ荷車、幼い子供と妻弟、従人と十名を超える一行であって、野宿をしながら旅をしている。すすむ距離数もわずかである。食事のため付近で食べられるものを収拾する時間に追われているだろう。まして、華州で職を辞して半年の間はずっと旅をしているようなものであったと思われる。ということを感じさせる語である。
○幽意 風景に親しむの意。
○絶跡 成都にいる厳武に期待して、歓声をもらしつつ成都という絶好の地へ向かう。この時に厳武からの招待、応援・支援の申し出があったかどうかについては文献的には見いだせていないが、結果論でいうと、厳武から誘いがあったと思う。そうでなければ、秦州で三カ月いても何もできず。秦州、同谷、成都紀行に比較して、成都では三カ月で新居まで立てているのである。これは成都に行っていかにうまく運んだとしても、杜甫に変わって進めてくれているかなりの力を持った人でなければできえないことである。
したがって杜甫が同谷を出たのは、厳武が段取りをしてくれることが期待できると思ってのことである。
それに、いろんな解説を見ると成都紀行について、悲観、絶望という見方をしているものが多いが、この句、この聯は希望に胸を脹らませていることをのべているのである。そういう「絶」である。次の二句、も全く同じ心境と考える。

信甘孱懦嬰,不獨凍餒迫。
安易な考えと思われるかもしれないが成都に行けば「生活力に乏しく、身体がよわいと子供連れということに加え、この冬凍えそうに冷たいことやと食い物に餓えるということに一人で乗り越えるというのではない。」ということと思っている。
○孱懦 孱は弱いことではあるが、子供がいて生活力が弱いという意味。懦は身体のかよわいこと。
得舎弟消息 二首 
歸無計,吾衰往未期。
浪傳鳥鵲喜,深負鶺鴒詩。
生理何顏面,憂端且歲時。
兩京三十口,雖在命如絲。
○凍餒 こごえ、うえる。

優游謝康樂,放浪陶彭澤。
やはり私の理想は、「むかし晋の謝霊運は山水の間にゆったりとあそび、陶淵明は田園の間にきままにくらした。」ということである。
○優游 ゆったりとすぐれてたのしむこと。
○謝康楽 東晋・宋の謝霊運のこと、康楽公に封ぜられたのでかくいう。山水の遊びをなし詩賦に長じていた。
謝霊運  385~433 南朝の宋の詩人。陽夏(河南省)の人。永嘉太守・侍中などを歴任。のち、反逆を疑われ、広州で処刑された。江南の自然美を精緻(せいち)な表現によって山水詩にうたった。謝靈運詩indexhttp://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html に掲載している詩は約100首リンクして訳注解説を参考にされたい。
放浪 きままにくらす。
陶彰沢 彰沢県令陶潜、陶淵明のこと。
陶淵明 六朝時代の東晋の詩人。江西の人。名は潜。淵明は字。一説に名は淵明、字は元亮。官職に就いたが、束縛を嫌い、彭沢(ほうたく)県の県令を最後に「帰去来辞」を作って官を辞し、故郷へ戻った。自然を愛する田園生活を送り、すぐれた詩を残した。詩では「飲酒」、文では「桃花源記」が有名。五柳先生。

吾衰未自由,謝爾性所適。
わたしは老衰してきてはいるがいまだ自由な生活をなすことはできていない、あなたがたの自分の理想とする考えを貫き実践されたということに対して敬意と感謝を申し上げる。
○謝 遜謝の意、敬意と感謝を申し上げるというほどの意味。
○爾 謝と陶とをさしながら、同時にこの詩を呼んでくれる杜甫の支援者に対して云っているのである。
○性所適 性分、性格に適したところ。謝霊運の「遊名山志」に、「山水は性分の適く所なり。」とみえる、性分のにあっていること。

”成都紀行(8)” 石櫃閣 杜甫詩1000 <347>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1671 杜甫1500- 517

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”成都紀行(8)” 石櫃閣 杜甫詩1000 <347>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1671 杜甫1500- 517 



詩 題:”成都紀行(8)” 石櫃閣
作時759年12月
掲 載; 杜甫1000の347首目-#1
杜甫ブログ1500-517回目


成都紀行の第八首。石櫃閣のさまと所感とをのべる。
華州から秦州へ、秦州に居る時、同谷を旅立つまではほとんどが律詩で、題材は身近なことをのべている。これは隠遁する場所を見つけるための支援、応援、情報収集のために作ったものである。したがって今度の成都紀行では詩の趣きが全く異なるものとなっている。(だから、杜甫の詩集本では割愛されることが多い。漢文委員会はすべて紹介掲載する。)


石櫃閣
季冬日已長,山晚半天赤。
冬という季節ではあるが冬至をすぎたのでもう日が僅かづつ長くなっていく、山は暮れかかり、見上げる空を半分赤くそめている。
蜀道多早花,江間饒奇石。
蜀へ続く道は暖かで早ざきの花なのか多く咲いている、嘉陵江には奇妙な石がたくさんある。
石櫃曾波上,臨虛蕩高壁。
この石橋闇は幾重もの波の上にあり、それが水面にのぞんでたかい崖壁を波上に映しゆらつかせている。
清暉回群鷗,暝色帶遠客。
水上では傾きかけた太陽が輝き、群れをなす鴎が飛び回、そして廻っている、陸では山陰にくらがりの色に染まり、遠くゆく旅人をつつむ。
羈棲負幽意,感嘆向絕跡。信甘孱懦嬰,不獨凍餒迫。
優游謝康樂,放浪陶彭澤。吾衰未自由,謝爾性所適。
(石櫃閣)
季冬日己に長し、山晩れて半天赤し。
蜀道早花多し、江間奇石餞【おお】し。
石橋曾(層)紺の上、虚に臨みて高壁を蕩かす。
清暉【せいき】に群鴎回り、瞑色【めいしょく】遠客を帯ぶ。

羈棲【きせい】幽意に負く、感嘆絶跡【ぜっせき】に向こう。
信に甘んず孱懦【せんだ】に嬰かかるを、独り凍骸に迫らるるのみにあらず。
優游【ゆうゆう】す謝康楽【しゃこうらく】、放浪す陶彭沢。
吾衰えて未だ自由ならず、爾が性の通する所に謝す。

嘉陵江の岸壁

『石櫃閣』 現代語訳と訳註
(本文)

季冬日已長,山晚半天赤。蜀道多早花,江間饒奇石。
石櫃曾波上,臨虛蕩高壁。清暉回群鷗,暝色帶遠客。


(下し文) (石櫃閣)
季冬日己に長し、山晩れて半天赤し。
蜀道早花多し、江間奇石餞【おお】し。
石橋曾(層)紺の上、虚に臨みて高壁を蕩かす。
清暉【せいき】に群鴎回り、瞑色【めいしょく】遠客を帯ぶ。


(現代語訳)
冬という季節ではあるが冬至をすぎたのでもう日が僅かづつ長くなっていく、山は暮れかかり、見上げる空を半分赤くそめている。
蜀へ続く道は暖かで早ざきの花なのか多く咲いている、嘉陵江には奇妙な石がたくさんある。
この石橋闇は幾重もの波の上にあり、それが水面にのぞんでたかい崖壁を波上に映しゆらつかせている。
水上では傾きかけた太陽が輝き、群れをなす鴎が飛び回、そして廻っている、陸では山陰にくらがりの色に染まり、遠くゆく旅人をつつむ。

杜甫 体系 地図459同谷紀行

(訳注)
石櫃閣

○石櫃閣 山南西道利州の北二十五里(14.4km)にあるという。地図に示す。


季冬日已長,山晚半天赤。
冬という季節ではあるが冬至をすぎたのでもう日が僅かづつ長くなっていく、山は暮れかかり、見上げる空を半分赤くそめている。
〇日己長 冬至をすぎたのでもう日々僅かづつ長くなっていく。


蜀道多早花,江間饒奇石。
蜀へ続く道は暖かで早ざきの花なのか多く咲いている、嘉陵江には奇妙な石がたくさんある。
○蜀道 蜀(四川省)へ通じる道。
○多早花 気候の暖かいためである。


石櫃曾波上,臨虛蕩高壁。
この石橋闇は幾重もの波の上にあり、それが水面にのぞんでたかい崖壁を波上に映しゆらつかせている。
○曾波 層波に同じ。
○臨虛 虚は水面をさす。


清暉回群鷗,暝色帶遠客。
水上では傾きかけた太陽が輝き、群れをなす鴎が飛び回、そして廻っている、陸では山陰にくらがりの色に染まり、遠くゆく旅人をつつむ。
〇清暉 水面の日の光をいう。
〇回 飛びめぐる。
  

”成都紀行(7)” 龍門閣 杜甫詩1000 <347>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1667 杜甫1500- 516

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”成都紀行(7)” 龍門閣 杜甫詩1000 <347>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1667 杜甫1500- 516 



詩 題:”成都紀行(7)” 龍門閣
作時759年12月
掲 載; 杜甫1000の347首目-#2
杜甫ブログ1500-516回目 成都紀行七首目
 




清江【せいこう】龍門【りゅうもん】を下る、絶壁【ぜっぺき】尺土【せきど】無し。
長風【ちょうふう】高浪【こうろう】に駕【が】し、浩浩【こうこう】 太古【たいこ】自【よ】りす。
危途【きと】中ごろ縈盤【えいばん】す、仰ぎ望めば綫縷【せんる】垂【た】る。
滑石【かっせき】欹【かたむ】いて誰か鑿【うが】てる、浮梁【ふりょう】裊【じょう】として相い拄【ささ】う。
#2
目は眩【くら】みて雑花【ざつか】隕【お】ち、頭【かしら】は風ふきて過雨【かう】を吹く。
百年敢【あえ】て料(はか)らず、一墜那【なん】ぞ取ることを得ん。
飽くまで聞く瞿塘【くとう】を経【ふ】るを、見るに足る   大庾【たいゆ】を度【わた】るを。
終身艱難【かんなん】を歴【へ】ん、恐懼【きょうく】此れに従いて数えん。

杜甫 体系 地図459同谷紀行

龍門閣
清江下龍門,絕壁無尺土。長風駕高浪,浩浩自太古。
嘉陵江の清流に左の龍門の谷から下落して流入している、岸の絶壁にはわずかの土もない岩だらけである。
嘉陵江には遠く吹く風が高浪をお越し、波に乗って吹き抜ける、この大いなる光景は大むかしからつづいていることだろう。

危途中縈盤,仰望垂線縷。滑石欹誰鑿,浮梁裊相拄。
あぶなそうでこわい途が中腹の方までうねうねしているが、そこまで行ってから上を仰いでみると上に向かう途は糸筋が垂れたように急な道がつづいている。
そして進むと、滑りやすそうな岩石が傾斜しているがそれには誰かが穴をあけてくれている、そのさきの浮桟橋は水に浮かせて並べた柱は互いに支えてはいるもののフワフワしている。
#2
目眩隕雜花,頭風吹過雨。
こんなフワフワな処を通ると、目は眩み、いろんな花が乱れおちるような感覚になるし、頭に風が吹いてきて滴り落ちる水が通り雨のような感じになる。
百年不敢料,一墜那複取!
人の一生涯を百年としてもこれからがどうなるかわからない。一度こんなところから墜落したらどうして再び取りあげることができるのか。
飽聞經瞿塘,足見度大庾。
あの長江三峡の瞿塘峡をくだるのが危険なことは飽きるほど聞いているが、この山越えも五嶺山脈の大庾嶺をわたる険もここで体験することができるというものだ。
終身歷艱險,恐懼從此數!

私の生涯はいつも艱難辛苦と険阻なところを経過することがついて回るのだろ。こんなにも恐ろしく怖いことはこの経験も数の内の一つに数えられることであろう。
浮桟橋00

『竜門閣』 現代語訳と訳註
(本文)
目眩隕雜花,頭風吹過雨。百年不敢料,一墜那複取!
飽聞經瞿塘,足見度大庾。終身歷艱險,恐懼從此數!


(下し文) #2
目は眩【くら】みて雑花【ざつか】隕【お】ち、頭【かしら】は風ふきて過雨【かう】を吹く。
百年敢【あえ】て料(はか)らず、一墜那【なん】ぞ取ることを得ん。
飽くまで聞く瞿塘【くとう】を経【ふ】るを、見るに足る   大庾【たいゆ】を度【わた】るを。
終身艱難【かんなん】を歴【へ】ん、恐懼【きょうく】此れに従いて数えん。。


(現代語訳)
こんなフワフワな処を通ると、目は眩み、いろんな花が乱れおちるような感覚になるし、頭に風が吹いてきて滴り落ちる水が通り雨のような感じになる。
人の一生涯を百年としてもこれからがどうなるかわからない。一度こんなところから墜落したらどうして再び取りあげることができるのか。
あの長江三峡の瞿塘峡をくだるのが危険なことは飽きるほど聞いているが、この山越えも五嶺山脈の大庾嶺をわたる険もここで体験することができるというものだ。
私の生涯はいつも艱難辛苦と険阻なところを経過することがついて回るのだろ。こんなにも恐ろしく怖いことはこの経験も数の内の一つに数えられることであろう。


(訳注)
目眩隕雜花,頭風吹過雨。

こんなフワフワな処を通ると、目は眩みいろんな花が乱れおちるような感覚になるし、頭に風が吹いてきて滴り落ちる水が通り雨のような感じになる。
○隕雜花 くらクラッとして眼から火花がちるよう。○頭風 あたまに吹きつける風。
○吹過雨 崖から滴り落ちる水、龍門はおそらく滝のようなところで水しぶきが掛かることを云うのである。通り雨が風にふきつけられるようということ。


百年不敢料,一墜那複取!
人の一生涯を百年としてもこれからがどうなるかわからない。一度こんなところから墜落したらどうして再び取りあげることができるのか。
〇百年 人の一生涯をいう。三十を越えれば百という程度の意味。


飽聞經瞿塘,足見度大庾。
あの長江三峡の瞿塘峡をくだるのが危険なことは飽きるほど聞いているが、この山越えも五嶺山脈の大庾嶺をわたる険もここで体験することができるというものだ。
○瞿塘 三峡、峡谷の名、四川省夔州府にあり、水の険阻をもってきこえる。上流から瞿塘峡(くとうきょう、8km)、巫峡(ふきょう、45km)、西陵峡(せいりょうきょう、66km) とある。
○度 すぎること。
○大庾 江西省と広東省との境にある南嶺山脈の山。唐代に張九齢が梅を植えて梅嶺と名づけ、名所となった。別名は五嶺山脈(ごれいさんみゃく、五嶺)といい、西から東の順に、越城嶺(えつじょうれい)、都龐嶺(とほうれい)、萌渚嶺(ほうしょれい)、騎田嶺(きでんれい)、大庾嶺(だいゆれい)の五つの山並みが組み合わさっているためこの名がある。山路の険をいう。韓愈の詩に多く出る、韓愈が流刑になった地域に往復したである。


終身歷艱險,恐懼從此數!
私の生涯はいつも艱難辛苦と険阻なところを経過することがついて回るのだろ。こんなにも恐ろしく怖いことはこの経験も数の内の一つに数えられることであろう。
・終身歷艱險 ①名門の出であるのに、士官に付けない辛苦、②家族を連れ立って、安禄山の乱の中を鄜州羌村に洪水の中を逃げる時の艱難、③叛乱軍に捕縛され生命の危険を感じたこと、④叛乱軍に拘束されたところから夜脱出をした時の詩に対する恐怖、⑤左拾遺に取り上げられて間もないころ、房琯を擁護して、粛宗皇帝の逆鱗に触れ死罪を受けそうになったこと、⑥一年以上も朝廷の中で疎外を受けた辛苦、⑦華州司公軍に左遷され事務をする役回りになった時の辛苦、⑧官を辞して秦州に夢であった隠遁生活が叶わないこと、など、詩人としての環境はそろっているということだ。
・從此數 岩波文庫 『杜詩』鈴木虎雄第三冊P204-205には「此れより数えん」と下し文としている。「従此」を「此れより」と読んで「これから」という意味にとしている。しかし、杜甫のこれまでの経験からすると、「此れに從いて數えん」という意味で、ここに来て初めて怖い、恐ろしい経験をしたというのではないのである。これまでの恐怖体験が半端なものでないことは杜甫のたくさんの詩に有る。それを踏まえての「従此」という味わい深い言葉となるものである。

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清江下龍門,絕壁無尺土。
嘉陵江の清流に左の龍門の谷から下落して流入している、岸の絶壁にはわずかの土もない岩だらけである。
長風駕高浪,浩浩自太古。
嘉陵江には遠く吹く風が高浪をお越し、波に乗って吹き抜ける、この大いなる光景は大むかしからつづいていることだろう。
危途中縈盤,仰望垂線縷。
あぶなそうでこわい途が中腹の方までうねうねしているが、そこまで行ってから上を仰いでみると上に向かう途は糸筋が垂れたように急な道がつづいている。
滑石欹誰鑿,浮梁裊相拄。

そして進むと、滑りやすそうな岩石が傾斜しているがそれには誰かが穴をあけてくれている、そのさきの浮桟橋は水に浮かせて並べた柱は互いに支えてはいるもののフワフワしている。
#2
目眩隕雜花,頭風吹過雨。百年不敢料,一墜那複取!
飽聞經瞿塘,足見度大庾。終身歷艱險,恐懼從此數!

#1
清江【せいこう】龍門【りゅうもん】を下る、絶壁【ぜっぺき】尺土【せきど】無し。
長風【ちょうふう】高浪【こうろう】に駕【が】し、浩浩【こうこう】 太古【たいこ】自【よ】りす。
危途【きと】中ごろ縈盤【えいばん】す、仰ぎ望めば綫縷【せんる】垂【た】る。
滑石【かっせき】欹【かたむ】いて誰か鑿【うが】てる、浮梁【ふりょう】裊【じょう】として相い拄【ささ】う。

#2
目は眩【くら】みて雑花【ざつか】隕【お】ち、頭【かしら】は風ふきて過雨【かう】を吹く。
百年敢【あえ】て料(はか)らず、一墜那【なん】ぞ取ることを得ん。
飽くまで聞く瞿塘【くとう】を経【ふ】るを、見るに足る   大庾【たいゆ】を度【わた】るを。
終身艱難【かんなん】を歴【へ】ん、恐懼【きょうく】此れ従【よ】り数えん。


『竜門閣』 現代語訳と訳註
(本文)
#1
清江下龍門,絕壁無尺土。長風駕高浪,浩浩自太古。
危途中縈盤,仰望垂線縷。滑石欹誰鑿,浮梁裊相拄。


(下し文) #1
清江【せいこう】龍門【りゅうもん】を下る、絶壁【ぜっぺき】尺土【せきど】無し。
長風【ちょうふう】高浪【こうろう】に駕【が】し、浩浩【こうこう】 太古【たいこ】自【よ】りす。
危途【きと】中ごろ縈盤【えいばん】す、仰ぎ望めば綫縷【せんる】垂【た】る。
滑石【かっせき】欹【かたむ】いて誰か鑿【うが】てる、浮梁【ふりょう】裊【じょう】として相い拄【ささ】う。


(現代語訳) #1
嘉陵江の清流に左の龍門の谷から下落して流入している、岸の絶壁にはわずかの土もない岩だらけである。
嘉陵江には遠く吹く風が高浪をお越し、波に乗って吹き抜ける、この大いなる光景は大むかしからつづいていることだろう。
あぶなそうでこわい途が中腹の方までうねうねしているが、そこまで行ってから上を仰いでみると上に向かう途は糸筋が垂れたように急な道がつづいている。
そして進むと、滑りやすそうな岩石が傾斜しているがそれには誰かが穴をあけてくれている、そのさきの浮桟橋は水に浮かせて並べた柱は互いに支えてはいるもののフワフワしている。


(訳注) #1
龍門閣
○竜門閣
 山南西道利州保寧府錦谷県(四川省現広元県)の嘉陵江のほとりにある。地図参照。この桟道は江水の岸壁の大きな谷流入部分(龍門)に架けて渡したものであることが詩によってうかがわれる。


清江下龍門,絕壁無尺土。
嘉陵江の清流に左の龍門の谷から下落して流入している、岸の絶壁にはわずかの土もない岩だらけである。
○清江 嘉陵江。黄河の上流渭水の最上流部分と分水嶺により長江の最上流部西漢水、嘉陵江は地質的には河川に土砂の流入がないU字河川で、流れは速くないきれいな流水の川であろう。


長風駕高浪,浩浩自太古。
嘉陵江には遠く吹く風が高浪をお越し、波に乗って吹き抜ける、この大いなる光景は大むかしからつづいていることだろう。
○駕 下流から吹き上げてくる風がなみをおこしている。杜甫からみれば風が波に乗るという表現になる。
○浩浩 大きなさま。本流は川幅が広々として、直流してはるか先まで見通せる景色ということ。
○太古 秦の始皇帝もこの川を下って蜀、巴を制覇したということであろう。


危途中縈盤,仰望垂線縷。
あぶなそうでこわい途が中腹の方までうねうねしているが、そこまで行ってから上を仰いでみると上に向かう途は糸筋が垂れたように急な道がつづいている。
○中 川崖の中腹の所をいう。
○縈盤 めぐりわだかまる。うねうねしている山道。
○耗績 いとすじ。


滑石欹誰鑿,浮梁裊相拄。
そして進むと、滑りやすそうな岩石が傾斜しているがそれには誰かが穴をあけてくれている、そのさきの浮桟橋は水に浮かせて並べた柱は互いに支えてはいるもののフワフワしている。
○浮梁 水中にうかべて立てられたはり。支流河川に架けられた浮桟橋と考えられる。
 たおやか。浮桟橋がフワフワしていることをあらわす。
浮桟橋00「浮梁裊相拄」はこの写真の奥の方に見える。

”成都紀行(6)” 五盤 杜甫詩1000 <345>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1659 杜甫1500- 514


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”成都紀行(6)” 五盤 杜甫詩1000 <345>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1659 杜甫1500- 514



詩 題:”成都紀行(6)” 五盤
作時759年12月
掲 載; 杜甫1000の345首目-#2
杜甫ブログ1500-513回目
華州から秦州へ、秦州に居る時、同谷を旅立つまではほとんどが律詩で、題材は身近なことをのべている。これは隠遁する場所を見つけるための支援、応援、情報収集のために作ったものである。したがって今度の成都紀行では詩の趣きが全く異なるものとなっている。(だから、杜甫の詩集本では割愛されることが多い。漢文委員会はすべて紹介掲載する。)




五盤
五盤雖雲險,山色佳有餘。
五盤嶺が見える。雲がかかっていて嶮しい嶺であるけれど、冬というのに山の色は緑に覆われて佳い色に溢れている。
仰淩棧道細,俯映江木疏。
この路は上を見上げれば橋桁がかかった道が細く山の上まで続いている。下を見れば嘉陵江にまばらにかぶさって生えている木々に日が射して映えている。
地僻無網罟,水清反多魚。
こんな辺鄙な土地にまで狩猟の網や漁網などしかけたりはしないし、こんなに水がきれいに流れているので帰って魚が多くいるというものだ
好鳥不妄飛,野人半巢居。

縁起の良い、(あるいは筋道の通った)立派な鳥というものは淫らな飛び方はしない。こんな田舎に住む人(官に仕えぬ人)は半ば鳥の巣のような住居にすむというものである。

喜見淳樸俗,坦然心神舒。
こういうところに住むということは、喜んで、素直に質素で飾り気なく普通のひとになることであり、平穏な精神で詩文をのべることである。
東郊尚格鬥,巨猾何時除?
この国の東都洛陽の郊外では依然として叛乱の戦がなされており、巨漢の意地汚い野郎がいつになったら除去され、征伐されるのであろうか。
故鄉有弟妹,流落隨丘墟。
洛陽の偃師の故郷の事が思われる詩弟や妹が潼ディているのか心配の気持ちを持っている。川は流れおちていくものであり、丘も高い丘もあるものだからそれに随うことである。
成都萬事好,豈若歸吾廬?

成都に行けば戦も何も万事がよい環境であるという、だから洛陽のあばら家に帰ろうと思うことがあろうか。


五盤
五盤 雲險しくと雖ども,山色 佳く餘り有る。
仰げば棧道細くするを淩ぎ,俯せば江 木疏を映し。
地僻れて 網罟【もうこ】する無し,水清ければ反きて魚多し。
好鳥 妄り【みだ】りに飛ぶなし,野人 巢居半ばなり。
喜んで淳く樸俗するを見,坦然として心神舒【の】べる。
東郊 尚 格鬥う,巨猾 何時に除くか?
故鄉 弟妹有り,流落 丘墟に隨う。
成都 萬事好く,豈に吾廬に歸えるを若【したが】う?


『五盤』 現代語訳と訳註
(本文)

喜見淳樸俗,坦然心神舒。東郊尚格鬥,巨猾何時除?
故鄉有弟妹,流落隨丘墟。成都萬事好,豈若歸吾廬?


(下し文)
喜んで淳く樸俗するを見,坦然として心神舒【の】べる。
東郊 尚 格鬥う,巨猾 何時に除くか?
故鄉 弟妹有り,流落 丘墟に隨う。
成都 萬事好く,豈に吾廬に歸えるを若【したが】う?


(現代語訳)
こういうところに住むということは、喜んで、素直に質素で飾り気なく普通のひとになることであり、平穏な精神で詩文をのべることである。
この国の東都洛陽の郊外では依然として叛乱の戦がなされており、巨漢の意地汚い野郎がいつになったら除去され、征伐されるのであろうか。
洛陽の偃師の故郷の事が思われる詩弟や妹が潼ディているのか心配の気持ちを持っている。川は流れおちていくものであり、丘も高い丘もあるものだからそれに随うことである。
成都に行けば戦も何も万事がよい環境であるという、だから洛陽のあばら家に帰ろうと思うことがあろうか。


(訳注)
喜見淳樸俗,坦然心神舒。
こういうところに住むということは、喜んで、素直に質素で飾り気なく普通のひとになることであり、平穏な精神で詩文をのべることである
・樸俗 質素で飾り気なく世俗のひと
・坦然 平坦なさま。平穏なさま。


東郊尚格鬥,巨猾何時除?
この国の東都洛陽の郊外では依然として叛乱の戦がなされており、巨漢の意地汚い野郎がいつになったら除去され、征伐されるのであろうか。
東郊 東は東都、洛陽の事で郊外では東も北側も史忠明の叛乱軍に制覇され、唐王朝軍は全く歯が立たなかった。
・巨猾 巨は安禄山、猾は史忠明ら叛乱軍を示す。


故鄉有弟妹,流落隨丘墟。
洛陽の偃師の故郷の事が思われる詩弟や妹が潼ディているのか心配の気持ちを持っている。川は流れおちていくものであり、丘も高い丘もあるものだからそれに随うことである。


成都萬事好,豈若歸吾廬?
成都に行けば戦も何も万事がよい環境であるという、だから洛陽のあばら家に帰ろうと思うことがあろうか。
・成都萬事好 この同谷にいるとき、成都に友人の厳武からの御招きがあったようだ。この頃、成都には戦の雰囲気はなかったのだ。


”成都紀行(6)” 五盤 杜甫詩1000 <345>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1655 杜甫1500- 513

     

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”成都紀行(6)” 五盤 杜甫詩1000 <345>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1655 杜甫1500- 513 


詩 題:”成都紀行(6)” 五盤
作時759年12月
掲 載; 杜甫1000の345首目-#1
杜甫ブログ1500-513回目
舟を降りて陸路を進む杜甫の一行、道がまるで樓閣の骨組のような飛仙閣を通過すると前にはこの詩題の五盤嶺が見える成都までやく1/3の地点に来た。

華州から秦州へ、秦州に居る時、同谷を旅立つまではほとんどが律詩で、題材は身近なことをのべている。これは隠遁する場所を見つけるための支援、応援、情報収集のために作ったものである。したがって今度の成都紀行では詩の趣きが全く異なるものとなっている。(だから、杜甫の詩集本では割愛されることが多い。漢文委員会はすべて紹介掲載する。)


五盤
五盤雖雲險,山色佳有餘。
五盤嶺が見える。雲がかかっていて嶮しい嶺であるけれど、冬というのに山の色は緑に覆われて佳い色に溢れている。
仰淩棧道細,俯映江木疏。
この路は上を見上げれば橋桁がかかった道が細く山の上まで続いている。下を見れば嘉陵江にまばらにかぶさって生えている木々に日が射して映えている。
地僻無網罟,水清反多魚。
こんな辺鄙な土地にまで狩猟の網や漁網などしかけたりはしないし、こんなに水がきれいに流れているので帰って魚が多くいるというものだ
好鳥不妄飛,野人半巢居。

縁起の良い、(あるいは筋道の通った)立派な鳥というものは淫らな飛び方はしない。こんな田舎に住む人(官に仕えぬ人)は半ば鳥の巣のような住居にすむというものである。

喜見淳樸俗,坦然心神舒。東郊尚格鬥,巨猾何時除?
故鄉有弟妹,流落隨丘墟。成都萬事好,豈若歸吾廬?

五盤
五盤 雲險しくと雖ども,山色 佳く餘り有る。
仰げば棧道細くするを淩ぎ,俯せば江 木疏を映し。
地僻れて 網罟【もうこ】する無し,水清ければ反きて魚多し。
好鳥 妄り【みだ】りに飛ぶなし,野人 巢居半ばなり。

喜んで淳く樸俗するを見,坦然として心神舒【の】べる。

東郊 尚 格鬥う,巨猾 何時に除くか?
故鄉 弟妹有り,流落 丘墟に隨う。
成都 萬事好く,豈に吾廬に歸えるを若【したが】う?


『五盤』 現代語訳と訳註
(本文)
五盤
五盤雖雲險,山色佳有餘。仰淩棧道細,俯映江木疏。
地僻無網罟,水清反多魚。好鳥不妄飛,野人半巢居。


(下し文) 五盤
五盤 雲險しくと雖ども,山色 佳く餘り有る。
仰げば棧道細くするを淩ぎ,俯せば江 木疏を映し。
地僻れて 網罟【もうこ】する無し,水清ければ反きて魚多し。
好鳥 妄り【みだ】りに飛ぶなし,野人 巢居半ばなり。


(現代語訳)
五盤嶺が見える。雲がかかっていて嶮しい嶺であるけれど、冬というのに山の色は緑に覆われて佳い色に溢れている。
この路は上を見上げれば橋桁がかかった道が細く山の上まで続いている。下を見れば嘉陵江にまばらにかぶさって生えている木々に日が射して映えている。
こんな辺鄙な土地にまで狩猟の網や漁網などしかけたりはしないし、こんなに水がきれいに流れているので帰って魚が多くいるというものだ
縁起の良い、(あるいは筋道の通った)立派な鳥というものは淫らな飛び方はしない。こんな田舎に住む人(官に仕えぬ人)は半ば鳥の巣のような住居にすむというものである。


(訳注)
 五盤
・五盤
 五盤嶺


五盤雖雲險,山色佳有餘。
五盤嶺が見える。雲がかかっていて嶮しい嶺であるけれど、冬というのに山の色は緑に覆われて佳い色に溢れている。


仰淩棧道細,俯映江木疏。
この路は上を見上げれば橋桁がかかった道が細く山の上まで続いている。下を見れば嘉陵江にまばらにかぶさって生えている木々に日が射して映えている。
・江 嘉陵江


地僻無網罟,水清反多魚。
こんな辺鄙な土地にまで狩猟の網や漁網などしかけたりはしないし、こんなに水がきれいに流れているので帰って魚が多くいるというものだ
・地僻 杜甫はこの語を多く使う。あまりその土地が気に入っていない場合が多いようだ。辺地に住みたいと思うのは理想としているようではあるようだ。
秦州雜詩二十首 其十八
地僻秋將盡,山高客未歸。塞雲多斷績,邊日少光輝。
警急烽常報,傳聞檄屢飛。西戎外甥國,何得迕天威。
發同穀縣
賢有不黔突,聖有不暖席。況我饑愚人,焉能尚安宅?
始來茲山中,休駕喜地僻。奈何迫物累,一歲四行役!
忡忡去絕境,杳杳更遠適。停驂龍潭雲,回首虎崖石。
臨岐別數子,握手淚再滴。交情無舊深,窮老多慘戚。
平生懶拙意,偶值棲遁跡。去住與願違,仰慚林間翮。


好鳥不妄飛,野人半巢居。
縁起の良い、(あるいは筋道の通った)立派な鳥というものは淫らな飛び方はしない。こんな田舎に住む人(官に仕えぬ人)は半ば鳥の巣のような住居にすむというものである。
・野人 粗野である、あるいは田舎じみて洗練されていない人のことを指す言葉。 戦国時代までの古代中国において、邑(集落、都市国家)に帰属せず、その外に居住・生活していた人間の事。官に仕えぬ人。


”成都紀行(5)”  飛仙閣 杜甫詩1000 <344>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1651 杜甫1500- 512

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 Ⅲ杜甫詩1000詩集”成都紀行(5)”  飛仙閣 杜甫詩1000 <344>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1651 杜甫1500- 512 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集(10) 琴操十首殘形操 曾子夢見一狸,不見其首作 韓退之(韓愈)詩<66-#10>Ⅱ中唐詩440 (12/09) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩『菩薩蠻 九』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-9-9-#9 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1652 
      
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”成都紀行(5)”  飛仙閣 杜甫詩1000 <344>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1651 杜甫1500- 512

 
詩 題:”成都紀行(5)” 『飛仙閣』 
作時 759年12月 杜甫48歳
掲 載; 杜甫1000の345首目-#2
杜甫ブログ1500-512回目

華州から秦州へ、秦州に居る時、同谷を旅立つまではほとんどが律詩で、題材は身近なことをのべている。これは隠遁する場所を見つけるための支援、応援、情報収集のために作ったものである。したがって今度の成都紀行では詩の趣きが全く異なるものとなっている。(だから、杜甫の詩集本では割愛されることが多い。漢文委員会はすべて紹介掲載する。)


成都紀行(5)  飛仙閣
土門山行窄,微徑緣秋毫。棧雲闌幹峻,梯石結構牢。
山路をゆくと崖が土でできた門のようになりせばまって通るところがあり、そこをさらに細くなる秋の毛筋ほどの小みちによりそって行くのである。
桟道をつつむ雲は高い峰にさかんに筋をなして昇っていく、踏みしめて登る石階段はその組み立てがなかなかしっかりしている。

萬壑欹疏林,積陰帶奔濤。寒日外澹泊,長風中怒號。
ここに見える多くの谷には山水画のようにまばらな林が斜めに生えており、厚みをもった雲の陰々たる気は渓流のたぎる流れの音を帯びている。
谷の外の方では寒々とした冬の日が光うすくさし、谷の内では遠くから吹きわたる風が怒号のように聞こえている。
#2
歇鞍在地底,始覺所歷高。
それから下の方へ下って地の底のようなところに鞍をやすませると、このときはじめて今まで通って来た所が高い所だったと気がついたのである。
往來雜坐臥,人馬同疲勞。
他の往来の旅人が我々が坐臥している処へまじわってきたのである。ここにいるのは人も馬も同じようにつかれているということだ。
浮生有定分,饑飽豈可逃。
人生にはそれぞれ定められて運命がある、飢えるにしても飽くとしても、どうしてのがれることができるというのか。
嘆息謂妻子,我何隨汝曹?

それにしても私は歎息しながら妻子にむかっていう、どうして私がおまえたちをつれて飢寒に駆られてこんな旅をつづけるのであるか、と。

飛仙閣#1
土門 山行窄【せま】し、微径【びけい】秋毫【しゅうごう】に縁る。
桟雲闌幹【らんかん】として闌幹しく、梯石【ていせき】結構牢【かた】し。
万壑【ばんがく】疎林【そりん】欹【かたむ】き 積陰【せきいん】奔濤【ほんとう】を帯ぶ。
寒日外に澹泊【たんはく】、長風中に怒号す。

#2
鞍を歇【や】めて地底に在り、始めて覚ゆ歴【ふ】る所の高きを。
往来雑【まじ】わりて坐臥【ざが】す、人馬同じく疲労す。
浮生【ふせい】定分あり、飢飽【きほう】豈に逃る可けんや。
嘆息妻子に謂う、我何ぞ汝が曹【そう】を随うるやと。


『飛仙閣』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
歇鞍在地底,始覺所歷高。
往來雜坐臥,人馬同疲勞。
浮生有定分,饑飽豈可逃。
嘆息謂妻子,我何隨汝曹?


(下し文)#2
鞍を歇【や】めて地底に在り、始めて覚ゆ歴【ふ】る所の高きを。
往来雑【まじ】わりて坐臥【ざが】す、人馬同じく疲労す。
浮生【ふせい】定分あり、飢飽【きほう】豈に逃る可けんや。
嘆息妻子に謂う、我何ぞ汝が曹【そう】を随うるやと。


(現代語訳)
それから下の方へ下って地の底のようなところに鞍をやすませると、このときはじめて今まで通って来た所が高い所だったと気がついたのである。
他の往来の旅人が我々が坐臥している処へまじわってきたのである。ここにいるのは人も馬も同じようにつかれているということだ。
人生にはそれぞれ定められて運命がある、飢えるにしても飽くとしても、どうしてのがれることができるというのか。
それにしても私は歎息しながら妻子にむかっていう、どうして私がおまえたちをつれて飢寒に駆られてこんな旅をつづけるのであるか、と。


(訳注) #2
歇鞍在地底,始覺所歷高。
それから下の方へ下って地の底のようなところに鞍をやすませると、このときはじめて今まで通って来た所が高い所だったと気がついたのである。
 やすませる。
地底 山より下りた渓辺をいう。
所歴 すでにとおってきた場所。


往來雜坐臥,人馬同疲勞。
他の往来の旅人が我々が坐臥している処へまじわってきたのである。ここにいるのは人も馬も同じようにつかれているということだ。
○往来 道を往来する旅人。
○雑 雑居する。
○坐臥 主として自己の一行の態度をいう。


浮生有定分,饑飽豈可逃。
人生にはそれぞれ定められて運命がある、飢えるにしても飽くとしても、どうしてのがれることができるというのか
浮生 人生。
定分 きまった分限、運命の差をいう。


嘆息謂妻子,我何隨汝曹?
それにしても私は歎息しながら妻子にむかっていう、どうして私がおまえたちをつれて飢寒に駆られてこんな旅をつづけるのであるか、と。
○随 ともにつれている。
○汝曹 汝ら。



成都紀行(5)  飛仙閣
土門山行窄,微徑緣秋毫。棧雲闌幹峻,梯石結構牢。
萬壑欹疏林,積陰帶奔濤。寒日外澹泊,長風中怒號。
#2
歇鞍在地底,始覺所歷高。往來雜坐臥,人馬同疲勞。
浮生有定分,饑飽豈可逃。嘆息謂妻子,我何隨汝曹?

飛仙閣#1
土門 山行窄【せま】し、微径【びけい】秋毫【しゅうごう】に縁る。
桟雲闌幹【らんかん】として闌幹しく、梯石【ていせき】結構牢【かた】し。
万壑【ばんがく】疎林【そりん】欹【かたむ】き 積陰【せきいん】奔濤【ほんとう】を帯ぶ。
寒日外に澹泊【たんはく】、長風中に怒号す。
#2
鞍を歇【や】めて地底に在り、始めて覚ゆ歴【ふ】る所の高きを。
往来雑【まじ】わりて坐臥【ざが】す、人馬同じく疲労す。
浮生【ふせい】定分あり、飢飽【きほう】豈に逃る可けんや。
嘆息妻子に謂う、我何ぞ汝が曹【そう】を随うるやと。

”成都紀行(5)”  飛仙閣 杜甫詩1000 <344>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1647 杜甫1500- 511

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”成都紀行(5)”  飛仙閣 杜甫詩1000 <344>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1647 杜甫1500- 511
 
詩 題:”成都紀行(5)”  飛仙閣
作 時: 759年12月
掲 載; 杜甫1000の344首目-#1
杜甫ブログ1500-511回目 
華州から秦州へ、秦州に居る時、同谷を旅立つまではほとんどが律詩で、題材は身近なことをのべている。これは隠遁する場所を見つけるための支援、応援、情報収集のために作ったものである。したがって今度の成都紀行では詩の趣きが全く異なるものとなっている。(だから、杜甫の詩集本では割愛されることが多い。漢文委員会はすべて紹介掲載する。)


成都紀行(5)  飛仙閣
土門山行窄,微徑緣秋毫。
山路をゆくと崖が土でできた門のようになりせばまって通るところがあり、そこをさらに細くなる秋の毛筋ほどの小みちによりそって行くのである。
棧雲闌幹峻,梯石結構牢。
桟道をつつむ雲は高い峰にさかんに筋をなして昇っていく、踏みしめて登る石階段はその組み立てがなかなかしっかりしている。
萬壑欹疏林,積陰帶奔濤。
ここに見える多くの谷には山水画のようにまばらな林が斜めに生えており、厚みをもった雲の陰々たる気は渓流のたぎる流れの音を帯びている。
寒日外澹泊,長風中怒號。
谷の外の方では寒々とした冬の日が光うすくさし、谷の内では遠くから吹きわたる風が怒号のように聞こえている。
歇鞍在地底,始覺所歷高。往來雜坐臥,人馬同疲勞。
浮生有定分,饑飽豈可逃。嘆息謂妻子,我何隨汝曹?
飛仙閣#1
土門 山行窄【せま】し、微径【びけい】秋毫【しゅうごう】に縁る。
桟雲闌幹【らんかん】として闌幹しく、梯石【ていせき】結構牢【かた】し。
万壑【ばんがく】疎林【そりん】欹【かたむ】き 積陰【せきいん】奔濤【ほんとう】を帯ぶ。
寒日外に澹泊【たんはく】、長風中に怒号す。
#2
鞍を歇【や】めて地底に在り、始めて覚ゆ歴【ふ】る所の高きを。
往来雑【まじ】わりて坐臥【ざが】す、人馬同じく疲労す。
浮生【ふせい】定分あり、飢飽【きほう】豈に逃る可けんや。
嘆息妻子に謂う、我何ぞ汝が曹【そう】を随うるやと。

杜甫 体系 地図459同谷紀行

成都紀行(5) 『飛仙閣』 現代語訳と訳註
(本文)
成都紀行(5)  飛仙閣
土門山行窄,微徑緣秋毫。棧雲闌幹峻,梯石結構牢。
萬壑欹疏林,積陰帶奔濤。寒日外澹泊,長風中怒號。


(下し文) 飛仙閣#1
土門 山行窄【せま】し、微径【びけい】秋毫【しゅうごう】に縁る。
桟雲闌幹【らんかん】として闌幹しく、梯石【ていせき】結構牢【かた】し。
万壑【ばんがく】疎林【そりん】欹【かたむ】き 積陰【せきいん】奔濤【ほんとう】を帯ぶ。
寒日外に澹泊【たんはく】、長風中に怒号す。


(現代語訳)
山路をゆくと崖が土でできた門のようになりせばまって通るところがあり、そこをさらに細くなる秋の毛筋ほどの小みちによりそって行くのである。
桟道をつつむ雲は高い峰にさかんに筋をなして昇っていく、踏みしめて登る石階段はその組み立てがなかなかしっかりしている。
ここに見える多くの谷には山水画のようにまばらな林が斜めに生えており、厚みをもった雲の陰々たる気は渓流のたぎる流れの音を帯びている。
谷の外の方では寒々とした冬の日が光うすくさし、谷の内では遠くから吹きわたる風が怒号のように聞こえている。


(訳注)
成都紀行(5)  飛仙閣
飛仙閣 閣は木で組んで作られた閣道すなわち桟道、飛仙閣は漢中府略陽県東南四十里(23km成都紀行図参照)飛仙嶺を抜ける山道である。蜀の桟道は、唐時、三泉県(漢中府光寧県治)から利州(四川省保寧府広元県治)までに橋といい闇というものを合わせて一万九百八十間あり、其の他の険阻を保護する欄干四万七千一百三十四間があったという。飛仙閣は、三泉よりさらに北に在るもので百四間の長さのようである。


土門山行窄,微徑緣秋毫。
山路をゆくと崖が土でできた門のようになりせばまって通るところがあり、そこをさらに細くなる秋の毛筋ほどの小みちによりそって行くのである。
○土門 土壁門の形をなす。
 みちの間隔のせばまること。
緣秋毫 秋の毛筋補どの細さの小道による。


棧雲闌幹峻,梯石結構牢。
桟道をつつむ雲は高い峰にさかんに筋をなして昇っていく、踏みしめて登る石階段はその組み立てがなかなかしっかりしている。
○桟雲 桟道をつつむくも。
○欄干 さかんなさま。ここは雨降りなど気性の急変により雲が盛んに高く昇っていくこと、しかも一筋の雲で登るのをを謂う。雨降りの山によく見る。
○梯石 階段に用いる石。石段。


萬壑欹疏林,積陰帶奔濤。
ここに見える多くの谷には山水画のようにまばらな林が斜めに生えており、厚みをもった雲の陰々たる気は渓流のたぎる流れの音を帯びている。
○欹 傾斜する、直立せぬことをいう。
○積陰 あつみのあるくもり気。谷間に込める陰々たる雲海のような雲。
奔涛 渓流のおと。


寒日外澹泊,長風中怒號。
谷の外の方では寒々とした冬の日が光うすくさし、谷の内では遠くから吹きわたる風が怒号のように聞こえている。
○外 谷の外の見える部分。
○澹泊 寒い日の光のうすいさま。
○長風 とおく吹きわたる風。


”成都紀行(4)” 水會渡 杜甫詩1000 <343>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1643 杜甫1500- 510

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”成都紀行(4)” 水會渡 杜甫詩1000 <343>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1643 杜甫1500- 510 


詩 題:”成都紀行(4)” 水會渡
作時759年12月
掲 載; 杜甫1000の344首目-#2
杜甫ブログ1500-510回目

華州から秦州へ、秦州に居る時、同谷を旅立つまではほとんどが律詩で、題材は身近なことをのべている。これは隠遁する場所を見つけるための支援、応援、情報収集のために作ったものである。したがって今度の成都紀行では詩の趣きが全く異なるものとなっている。(だから、杜甫の詩集本では割愛されることが多い。漢文委員会はすべて紹介掲載する。)


水會渡
山行有常程,中夜尚未安。微月沒已久,崖傾路何難!
山路をゆくには泊まる場所の関係で行くところまで行かないといけない、夜なかでもおちついているわけにゆかないで進行する。
かすかな月もすでに山陰に没してしまって随分経つ、崖は傾斜していて路はなんとひどくわるいのだ。

大江動我前,洶若溟渤寬。蒿師暗理楫,歌笑輕波瀾。

ところがずいぶん進んだら、前面に大きな江水がうごいているのがわかる、浪がわきたつ様子はひろうみの大波のようである。
船頭はくらがりにうまく楫を使い、波があっても平気で笑ったり歌ったりしている。

#2
霜濃木石滑,風急手足寒。
舟からあがって陸をゆくとこまやかに霜が降りて積もり、桟木、木の根や巌角で滑って歩きにくい、冬の夜風は身を斬るようで、つよく吹いて手足が凍るようにつめたい。
入舟已千憂,陟巘仍萬盤。
渡り舟にのればのったで心配事が多くあり、山路行けば行ったで、急なのぼり下りやうねうね曲り道はとても辛い。
回眺積水外,始知眾星幹。
大江の船の上では水と空が一体化していて、星も水にひたっているように思われたが、船から降りて峠に來てながめると、はじめて、空の星も水から離れて輝いているのがわかるのである。
遠遊令人瘦,衰疾慚加餐。

通常でも令人はまんぷくにたべないのに、遠くへ旅すること人を痩せさせるものだ、古人がいうには「痩せぬために努力し餐飯を加えよ。」とすすめておるがわたしのように衰残疾病のものは加餐などとてもできそうにないから、その語に対して恥ずかしいと思うのである。
#1
山行常程【じょうてい】有り、中夜尚お未だ安んぜず。
徴月【びげつ】没する己に久し、崖傾いて路何ぞ難き。
大江我が前に動く、洶【きょう】として溟渤【めいぼつ】寬【ひろ】きが若し。
蒿師【こうし】暗きに楫【しゅう】を理【おさ】め,歌笑【かしょう】波瀾【はらん】を輕【かろん】ず。

#2
霜濃【こま】やかにして木石滑らかに,風急にして手足寒し。
舟に入りて已に千憂【せんゆう】,巘【けん】に陟【のぼ】りて仍お萬盤【ばんばん】。
積水の外に回眺【かいちょう】すれば,始めて知る眾星【しゅうせい】の幹【かん】を。
遠遊は人をして瘦せしむ,衰疾【すいしつ】加餐【かさん】に慚【は】ず。


『水會渡』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
霜濃木石滑,風急手足寒。入舟已千憂,陟巘仍萬盤。
回眺積水外,始知眾星幹。遠遊令人瘦,衰疾慚加餐。


(下し文)
霜濃やかにして木石滑らかに,風急にして手足寒し
舟に入りて已に千憂,巘けんに陟のぼりて仍お萬盤。
回眺す積水の外,始めて知る眾星しゅうせいの幹。
遠遊 人をして瘦せしむ,衰疾すいしつ加餐かさんに慚ず。


(現代語訳)
舟からあがって陸をゆくとこまやかに霜が降りて積もり、桟木、木の根や巌角で滑って歩きにくい、冬の夜風は身を斬るようで、つよく吹いて手足が凍るようにつめたい。
渡り舟にのればのったで心配事が多くあり、山路行けば行ったで、急なのぼり下りやうねうね曲り道はとても辛い。
大江の船の上では水と空が一体化していて、星も水にひたっているように思われたが、船から降りて峠に來てながめると、はじめて、空の星も水から離れて輝いているのがわかるのである。
通常でも令人はまんぷくにたべないのに、遠くへ旅すること人を痩せさせるものだ、古人がいうには「痩せぬために努力し餐飯を加えよ。」とすすめておるがわたしのように衰残疾病のものは加餐などとてもできそうにないから、その語に対して恥ずかしいと思うのである。


(訳注)#2
霜濃木石滑,風急手足寒。
舟からあがって陸をゆくとこまやかに霜が降りて積もり、桟木、木の根や巌角で滑って歩きにくい、冬の夜風は身を斬るようで、つよく吹いて手足が凍るようにつめたい


入舟已千憂,陟巘仍萬盤。
渡り舟にのればのったで心配事が多くあり、山路行けば行ったで、急なのぼり下りやうねうね曲り道はとても辛い。
○陟巘 やまにのぼる、舟よりあがってからのことである。
〇万盤みちがいくうねりにもまがりくねる。


回眺積水外,始知眾星幹。
大江の船の上では水と空が一体化していて、星も水にひたっているように思われたが、船から降りて峠に來てながめると、はじめて、空の星も水から離れて輝いているのがわかるのである。
廻眺 ふりかえって眺めてみる。
積水 江の水量の多いことをいうが、峠から見ても川の見える部分が大きい。
衆星乾 水に浮かんでいるときは水面が広いので水と天とくっつき星も水のなかにひたされたように見える、今山路にかかってから見れば星はやはり水から離れている、それを「乾く」といったのである、「湿める」の反対。


遠遊令人瘦,衰疾慚加餐。
通常でも令人はまんぷくにたべないのに、遠くへ旅すること人を痩せさせるものだ、古人がいうには「痩せぬために努力し餐飯を加えよ。」とすすめておるがわたしのように衰残疾病のものは加餐などとてもできそうにないから、その語に対して恥ずかしいと思うのである。
令人痩 労苦のためである。令人はりっぱなひと。儒家の言葉で「令人不 滿也」ということに基づく。
衰疾 老衰、疾病。○恵加餐 加餐の語に対してはずる、「古詩十九首」の第一首に、「棄捐勿復道、努力加餐飯。」
(棄捐 復た道う勿からん、努力し 餐飯を加えよ。)
とあり、痩せぬように御飯を多くたべようということに基づく。

古詩十九首 (1) 漢詩<88>Ⅱ李白に影響を与えた詩520 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1377

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詩 題:”成都紀行(4)” 水會渡
作 時:759年12月 嘉陵江の上流の渡し場。
掲 載; 杜甫1000の343首目-#1
杜甫ブログ1500-509回目
759年乾元二年十二月一日、ついに同谷より出発して南のかた成都に赴こうした。その旅中のさまを写して凡そ十二首の紀行詩を作った。これはその第四首。水会渡のさまをのべる。

華州から秦州へ、秦州に居る時、同谷を旅立つまではほとんどが律詩で、題材は身近なことをのべている。これは隠遁する場所を見つけるための支援、応援、情報収集のために作ったものである。したがって今度の成都紀行では詩の趣きが全く異なるものとなっている。(だから、杜甫の詩集本では割愛されることが多い。漢文委員会はすべて紹介掲載する。)




白砂渡で船に乗り、水会渡でおりる。

水會渡
山行有常程,中夜尚未安。
山路をゆくには泊まる場所の関係で行くところまで行かないといけない、夜なかでもおちついているわけにゆかないで進行する。
微月沒已久,崖傾路何難!
かすかな月もすでに山陰に没してしまって随分経つ、崖は傾斜していて路はなんとひどくわるいのだ。
大江動我前,洶若溟渤寬。
ところがずいぶん進んだら、前面に大きな江水がうごいているのがわかる、浪がわきたつ様子はひろうみの大波のようである。
蒿師暗理楫,歌笑輕波瀾。

船頭はくらがりにうまく楫を使い、波があっても平気で笑ったり歌ったりしている。
#2
霜濃木石滑,風急手足寒。入舟已千憂,陟巘仍萬盤。
回眺積水外,始知眾星幹。遠遊令人瘦,衰疾慚加餐。

#1
山行常程【じょうてい】有り、中夜尚お未だ安んぜず。
徴月【びげつ】没する己に久し、崖傾いて路何ぞ難き。
大江我が前に動く、洶【きょう】として溟渤【めいぼつ】寬【ひろ】きが若し。
蒿師【こうし】暗きに楫【しゅう】を理【おさ】め,歌笑【かしょう】波瀾【はらん】を輕【かろん】ず。
#2
霜濃【こま】やかにして木石滑らかに,風急にして手足寒し。
舟に入りて已に千憂【せんゆう】,巘【けん】に陟【のぼ】りて仍お萬盤【ばんばん】。
積水の外に回眺【かいちょう】すれば,始めて知る眾星【しゅうせい】の幹【かん】を。
遠遊は人をして瘦せしむ,衰疾【すいしつ】加餐【かさん】に慚【は】ず。

杜甫 体系 地図459同谷紀行

『水會渡』 現代語訳と訳註
(本文)
水會渡
山行有常程,中夜尚未安。微月沒已久,崖傾路何難!
大江動我前,洶若溟渤寬。蒿師暗理楫,歌笑輕波瀾。


(下し文)
山行常程【じょうてい】有り、中夜尚お未だ安んぜず。
徴月【びげつ】没する己に久し、崖傾いて路何ぞ難き。
大江我が前に動く、洶【きょう】として溟渤【めいぼつ】寬【ひろ】きが若し。
蒿師【こうし】暗きに楫【しゅう】を理【おさ】め,歌笑【かしょう】波瀾【はらん】を輕【かろん】ず。


(現代語訳)
山路をゆくには泊まる場所の関係で行くところまで行かないといけない、夜なかでもおちついているわけにゆかないで進行する。
かすかな月もすでに山陰に没してしまって随分経つ、崖は傾斜していて路はなんとひどくわるいのだ。
ところがずいぶん進んだら、前面に大きな江水がうごいているのがわかる、浪がわきたつ様子はひろうみの大波のようである。
船頭はくらがりにうまく楫を使い、波があっても平気で笑ったり歌ったりしている。


(訳注)
水會渡
水会渡 これは嘉陵江が西漢水と合流し、の街に入る渡し場であろう。略陽に入る東谷などの水をあつめる処という。略陽は山南西道興州の県名、今は陝西省漢中府に属する。


山行有常程,中夜尚未安。
山路をゆくに泊まる場所の関係で行くところまで行かないといけない、夜なかでもおちついているわけにゆかないでしんこうする。
・常程 一定のきまった旅程、途中に宿処がないのでそのある処まで必ず進まねばならないということ。
・安 おちついていること。その場所に安屯すること。


微月沒已久,崖傾路何難!
かすかな月もすでに山陰に没してしまって随分経つ、崖は傾斜していて路はなんとひどくわるいのだ。


大江動我前,洶若溟渤寬。
ところがずいぶん進んだらと前面に大きな江水がうごいているのがわかる、浪がわきたつ様子はひろうみの大波のようである。
・大江 嘉陵江。
・洶 水のわきたつさま。
溟渤 ひろうみ。


蒿師暗理楫,歌笑輕波瀾。
船頭はくらがりにうまく楫を使い、波があっても平気で笑ったり歌ったりしている。
蒿師 水竿をあやつる船頭。
・理楫 かいをうまくつかう。




舟に乗った時の詩
白沙渡
畏途隨長江,渡口下絕岸。差池上舟楫,窈窕入雲漢。
天寒荒野外,日暮中流半。我馬向北嘶,山猿飲相喚。

水清石礧礧,沙白灘漫漫。迥然洗愁辛,多病一疏散。
高壁抵嶔崟,洪濤越淩亂。臨風獨回首,攬轡複三嘆。


途を畏るるに長江に隨う,渡り口は絕岸に下る。
差池 上【こいねがわく】は舟楫【しゅうしゅう】なり,窈窕【ようちょう】は雲漢に入る。
天寒く野外荒【すさ】ぶ,日暮れて中流の半。
我馬 北に向いて嘶く,山猿は相い喚ぶを飲む。

水清く 石礧礧【らいらい】,沙白く灘漫漫。
迥然【けいぜん】として愁辛を洗う,多病 一び疏散す。
高壁 嶔崟【きんきん】に抵【こば】む,洪濤【こうとう】淩亂【りょうらん】を越す。風に臨みて獨り首を回す,轡を攬【と】るは 複た三嘆す。

”成都紀行(3)” 白沙渡 杜甫詩1000 <342>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1635 杜甫1500- 508

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 Ⅲ杜甫詩1000詩集”成都紀行(3)” 白沙渡 杜甫詩1000 <343>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1635 杜甫1500- 508 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集琴操十首 (6)岐山操 周公為太王作 韓退之(韓愈)詩<72-(6)>Ⅱ中唐詩436 (12/05) 
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 謝靈運index謝靈運詩古詩index漢の無名氏  
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李白詩index 李白350首女性詩index女性詩人 
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”成都紀行(3)” 白沙渡 杜甫詩1000 <342>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1635 杜甫1500- 508 


詩 題:”成都紀行(3)” 白沙渡
作 時:759年12月
掲 載; 杜甫1000詩集の343首目-#2
杜甫ブログ1500-508回目

華州から秦州へ、秦州に居る時、同谷を旅立つまではほとんどが律詩で、題材は身近なことをのべている。これは隠遁する場所を見つけるための支援、応援、情報収集のために作ったものである。したがって今度の成都紀行では詩の趣きが全く異なるものとなっている。(だから、杜甫の詩集本では割愛されることが多い。漢文委員会はすべて紹介掲載する。)


白沙渡 #1
(白砂の渡し)
畏途隨長江,渡口下絕岸。差池上舟楫,窈窕入雲漢。
木皮嶺を越えてここまで来たがここから山越えの道は子供連れの旅には危険なところがあり不向きで心配だ。それで嘉陵江を船で降ることにした。渡し場は絶壁の岸が迫っている下の所にある。
船着き場から船に乗るここからは願うことはうまく船のかじ取りをされることだ。水辺は静かで深い谷の底にありこれから先はくものなかにはいっていくようである。
天寒荒野外,日暮中流半。我馬向北嘶,山猿飲相喚。

気候はさむく極寒で山野は落葉して荒れ果てている。そうしているうち日が真上時から暮に差し掛かって舟の旅は流れの半ばになってきている。
私の愛馬は北の方を向いて嘶き、山の中の猿は水を飲みに来て嘶きに合わせて鳴いている。

#2
水清石礧礧,沙白灘漫漫。
清く澄んだ水であり船が進むと『楚辞』で詠うように石がごろごろしており、蔓でなくここには白砂の渚が漫々と続いている。
迥然洗愁辛,多病一疏散。
この清い水とはるか遠くまで見渡せる景色はこれまでの憂愁や辛苦をあらいながしてくれるし、ずっと病気がちであったことを一つにまとめて、そしてどこかに蹴散らせてくれるのだ。
高壁抵嶔崟,洪濤越淩亂。
この高楼のような壁は唐の王朝であり、岩が険しく高く聳えることで阻むんでいるし、この大水と大波は安史の乱を凌駕し超越してくれるものである。
臨風獨回首,攬轡複三嘆。
舟首に風が吹き私も風に向かう、そして、一人首を廻して振り返ってみるのである、愛馬のくつわをつかんで又三度この風景を感嘆するのである。
#1
途を畏るるに長江に隨う,渡り口は絕岸に下る。
差池 上【こいねがわく】は舟楫【しゅうしゅう】なり,窈窕【ようちょう】は雲漢に入る。
天寒く野外荒【すさ】ぶ,日暮れて中流の半。
我馬 北に向いて嘶く,山猿は相い喚ぶを飲む。

#2
水清く 石礧礧【らいらい】,沙白く灘漫漫。
迥然【けいぜん】として愁辛を洗う,多病 一び疏散す。
高壁 嶔崟【きんきん】に抵【こば】む,洪濤【こうとう】淩亂【りょうらん】を越す。
風に臨みて獨り首を回す,轡を攬【と】るは 複た三嘆す。


成都紀行(3)『白沙渡』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
水清石礧礧,沙白灘漫漫。迥然洗愁辛,多病一疏散。
高壁抵嶔崟,洪濤越淩亂。臨風獨回首,攬轡複三嘆。


(下し文)#2
水清く 石礧礧【らいらい】,沙白く灘漫漫。
迥然【けいぜん】として愁辛を洗う,多病 一び疏散す。
高壁 嶔崟【きんきん】に抵【こば】む,洪濤【こうとう】淩亂【りょうらん】を越す。風に臨みて獨り首を回す,轡を攬【と】るは 複た三嘆す。

(現代語訳)
清く澄んだ水であり船が進むと『楚辞』で詠うように石がごろごろしており、蔓でなくここには白砂の渚が漫々と続いている。
この清い水とはるか遠くまで見渡せる景色はこれまでの憂愁や辛苦をあらいながしてくれるし、ずっと病気がちであったことを一つにまとめて、そしてどこかに蹴散らせてくれるのだ。
この高楼のような壁は唐の王朝であり、岩が険しく高く聳えることで阻むんでいるし、この大水と大波は安史の乱を凌駕し超越してくれるものである。
舟首に風が吹き私も風に向かう、そして、一人首を廻して振り返ってみるのである、愛馬のくつわをつかんで又三度この風景を感嘆するのである。


(訳注) #2
水清石礧礧,沙白灘漫漫。

清く澄んだ水であり船が進むと『楚辞』で詠うように石がごろごろしており、蔓でなくここには白砂の渚が漫々と続いている。
『楚辞、九歌、山鬼』「採三秀兮於山間、石磊磊兮葛蔓蔓。」(三秀を山間に採るに石磊磊として葛蔓蔓たり。)年に三度花咲く霊草を山間にとろうとすると、石はごろごろとしてカズラが漫々とはびこっています。沈約詩 『早發定山詩』「夙齡愛遠壑,晚蒞見奇山。標峰綵虹外,置嶺白雲間。 傾壁忽斜豎,絕頂復孤圓。歸海流漫漫,出浦水濺濺。」


迥然洗愁辛,多病一疏散。
この清い水とはるか遠くまで見渡せる景色はこれまでの憂愁や辛苦をあらいながしてくれるし、ずっと病気がちであったことを一つのまとめて、そしてどこかにケチらせてくれるのだ。
・迥然 はるかにとおいさま。(迥迥)


高壁抵嶔崟,洪濤越淩亂。
この高楼のような壁は唐の王朝であり、岩が険しく高く聳えることで阻むんでいるし、この大水と大波は安史の乱を凌駕し超越してくれるものである。
・高壁 唐王朝を暗示させている。
・嶔崟【きんきん】岩が険しく高く聳えるさま。


臨風獨回首,攬轡複三嘆。
舟首に風が吹き私も風に向かう、そして、一人首を廻して振り返ってみるのである、愛馬のくつわをつかんで又三度この風景を感嘆するのである。
複三嘆 この嘆は「なげく」いみではない、杜甫はこの嘆をよく使うが決して歎くのではない。詩人としての矜持を持っており、この景色、①水が清いこと、渚の白く続いていること、②嶔崟である岸、③この兵乱を制圧してくれるような洪濤などを大いに感嘆しているのである。
此の詩は船に乗り込み、進んでゆく様子をこれまでの人生に置き換え、そして明日に向かって生きて行こうというものである。この詩を単なる嘆きとして解釈してはいけないと思う。

”成都紀行(3)” 白沙渡 杜甫詩1000 <342>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1631 杜甫1500- 507

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”成都紀行(3)” 白沙渡 杜甫詩1000 <342>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1631 杜甫1500- 507

詩 題:”成都紀行(3)” 白沙渡
作  時:759年12月
掲 載; 杜甫1000の342首目-#1
杜甫ブログ1500-507回目
華州から秦州へ、秦州に居る時、同谷を旅立つまではほとんどが律詩で、題材は身近なことをのべている。これは隠遁する場所を見つけるための支援、応援、情報収集のために作ったものである。したがって今度の成都紀行では詩の趣きが全く異なるものとなっている。(だから、杜甫の詩集本では割愛されることが多い。漢文委員会はすべて紹介掲載する。)


白沙渡 #1
(白砂の渡し)
畏途隨長江,渡口下絕岸。
木皮嶺を越えてここまで来たがここから山越えの道は子供連れの旅には危険なところがあり不向きで心配だ。それで嘉陵江を船で降ることにした。渡し場は絶壁の岸が迫っている下の所にある。
差池上舟楫,窈窕入雲漢。
船着き場から船に乗るここからは願うことはうまく船のかじ取りをされることだ。水辺は静かで深い谷の底にありこれから先はくものなかにはいっていくようである。
天寒荒野外,日暮中流半。
気候はさむく極寒で山野は落葉して荒れ果てている。そうしているうち日が真上時から暮に差し掛かって舟の旅は流れの半ばになってきている。
我馬向北嘶,山猿飲相喚。
私の愛馬は北の方を向いて嘶き、山の中の猿は水を飲みに来て嘶きに合わせて鳴いている。
#2
水清石礧礧,沙白灘漫漫。迥然洗愁辛,多病一疏散。
高壁抵嶔崟,洪濤越淩亂。臨風獨回首,攬轡複三嘆。
#1
途を畏るるに長江に隨う,渡り口は絕岸に下る。
差池 上【こいねがわく】は舟楫【しゅうしゅう】なり,窈窕【ようちょう】は雲漢に入る。
天寒く野外荒【すさ】ぶ,日暮れて中流の半。
我馬 北に向いて嘶く,山猿は相い喚ぶを飲む。
#2
水清く 石礧礧【らいらい】,沙白く灘漫漫。
迥然【けいぜん】として愁辛を洗う,多病 一び疏散す。
高壁 嶔崟【きんきん】に抵【こば】む,洪濤【こうとう】淩亂【りょうらん】を越す。
風に臨みて獨り首を回す,轡を攬【と】るは 複た三嘆す。


『白沙渡』 #1 現代語訳と訳註
(本文)
畏途隨長江,渡口下絕岸。差池上舟楫,窈窕入雲漢。
天寒荒野外,日暮中流半。我馬向北嘶,山猿飲相喚。


(下し文)
途を畏るるに長江に隨う,渡り口は絕岸に下る。
差池 上【こいねがわく】は舟楫【しゅうしゅう】なり,窈窕【ようちょう】は雲漢に入る。
天寒く野外荒【すさ】ぶ,日暮れて中流の半。
我馬 北に向いて嘶く,山猿は相い喚びて飲む。

(現代語訳)
(白砂の渡し)

木皮嶺を越えてここまで来たがここから山越えの道は子供連れの旅には危険なところがあり不向きで心配だ。それで嘉陵江を船で降ることにした。渡し場は絶壁の岸が迫っている下の所にある。
船着き場から船に乗るここからは願うことはうまく船のかじ取りをされることだ。水辺は静かで深い谷の底にありこれから先はくものなかにはいっていくようである。
気候はさむく極寒で山野は落葉して荒れ果てている。そうしているうち日が真上時から暮に差し掛かって舟の旅は流れの半ばになってきている。
私の愛馬は北の方を向いて嘶き、山の中の猿は水を飲みに来て嘶きに合わせて鳴いている。


(訳注)
白沙渡
(白砂の渡し)
この渡場は山南西道興州順政までゆく、四川劍閣縣北百四十里(80.6km)にあり,現昭化縣の境界にある。この地は清水の嘉陵江の入り江のようなところに渡し場がある。兩岸には白沙が雪のようである。


畏途隨長江,渡口下絕岸。
木皮嶺を越えてここまで来たがここから山越えの道は子供連れの旅には危険なところがあり不向きで心配だ。それで嘉陵江を船で降ることにした。渡し場は絶壁の岸が迫っている下の水の澱んだ所にある。


差池上舟楫,窈窕入雲漢。
船着き場から船に乗るここからは願うことはうまく船のかじ取りをされることだ。水辺は静かで深い谷の底にありこれから先は天の川にはいっていくようである。
・差池 差は沙で沙池。岸から張り出した砂地に掘割のように入り江が作られているところ。船着き場。
・窈窕 美しくしとやかなさま。上品で奥ゆかしいさま。奥深いさま。陶淵明『帰去来辭』「既窈窕以尋壑、亦崎嶇而經丘。」(既に窈窕として以て壑を尋ね、亦た崎嶇として丘を経。)奥深い谷に降りたり、けわしい丘に登ったりする。
・雲漢 天の川。白砂の渚がくものようであり、漢は天空ととらえる。嘉陵江に仇池山からの西漢水が合流する地点でもあることからこの漢を川の名前とする場合もある。


天寒荒野外,日暮中流半。
気候はさむく極寒で山野は落葉して荒れ果てている。そうしているうち日が真上時から暮に差し掛かって舟の旅は流れの半ばになってきている。


我馬向北嘶,山猿飲相喚。
私の愛馬は北の方を向いて嘶き、山の中の猿は水を飲みに来て嘶きに合わせて鳴いている。


”成都紀行(2)” 木皮嶺 杜甫詩1000 <341>#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1627 杜甫1500- 506



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”成都紀行(2)” 木皮嶺 杜甫詩1000 <342>#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1627 杜甫1500- 506
 
詩 題:”成都紀行(2)” 木皮嶺
作時759年12月
掲 載; 杜甫1000の342首目-#3
杜甫ブログ1500-506回目


華州から秦州へ、秦州に居る時、同谷を旅立つまではほとんどが律詩で、題材は身近なことをのべている。これは隠遁する場所を見つけるための支援、応援、情報収集のために作ったものである。したがって今度の成都紀行では詩の趣きが全く異なるものとなっている。(だから、杜甫の詩集本では割愛されることが多い。漢文委員会はすべて紹介掲載する。)


木皮嶺 #1
首路栗亭西,尚想鳳凰村。季冬攜童稚,辛苦赴蜀門。
栗亭の西から門出してはじめての道を行くことになる、鳳凰台の農村のことなどいまさら想うのである。
この季冬十二月に、子供たちをつれて、難儀しながら剣門の方へ向かった。
南登木皮嶺,艱險不易論。汗流被我體,祁寒為之暄。
南に向って歩くと木皮嶺にのぼっていく、その路の険しく難儀なことは言葉にあらわしがたい。
汗はわれわれのからだに吹き出て流れてくる、厳寒の候とはいえ、そのために暖かく感ぜられる

#2
遠岫爭輔佐,千岩自崩奔。始知五嶽外,別有他山尊。
登ってみると遠い山々は争ってこの嶺を輔佐するかのようである。多くの巌石みえ、あちこちで自然に崩れ走っている。
この山に登り始めて、五嶽のほかにも尊い山々があることを知った。

仰幹塞大明,俯入裂厚坤。再聞虎豹鬥,屢跼風水昏。
進んでくると仰ぎみればこの山は高く太陽の光をふさぐほどであり、伏して下って行けば谷は深く大地が裂けたかのようだ。
そうしているとまた虎豹のたたかう声を聞き、しばしば山川の雰囲気を予測気配を感じさせる暗きあたりに身をかがめるのである。

高有廢閣道,摧折如斷轅。
高いところに使っていない壊れかけた架け橋があり、それはくだけ折れて、ちぎれた車のながえのように見えるのである。
#3
下有冬青林,石上走長根。
その下の方には冬青のあおきりの林があり、その長い根を岩場の上を走らせている。
西崖特秀發,煥若靈芝繁。
西方の崖は特にひときわ目立って飛び出ており、光りかがやいていて、霊芝がたくさん茂ってそうである。
潤聚金碧氣,清無沙土痕。
金色や碧によって何かしらの気をあつめて潤いをしめしている。その清らかなことは、すこしの流砂や崩壊の土の痕さえ見えないのである。
憶觀昆侖圖,目擊玄圃存。
私は昔、昆侖の図を観たことを憶い出したが、今ここで目撃する景色はまるでその玄圃の仙境が再現されているというものだ。
對此欲何適?默傷垂老魂。

この仙境のようなところに対しながら、ほかのどんなところにどこに行こうとしているのか、ただ黙ってこの風景を見やることは、老いてきたわたしの魂を傷つけてしまうことになってしまうことなのである。

首路 栗亭の西、尚想ふ鳳凰の村。
季冬 童椎を攜へ、辛苦してどう蜀門に赴く。
南のかた木皮嶺に登るに、難険 論じ易からず。
汗流れて我が体に被り、祁寒も之が爲めに暄か。
#2
遠岫争うて輔佐し、千巌自ら崩奔す。
始めて知る五嶽の外、別に他山の尊き有るを。
仰ぎ干しては大明を塞ぎ、俯し入りては厚坤裂く。
再び聞く虎豹の闘ふを、屡ば風水の昏きに跼まる
高きには腐れし閣道有り、擢折して断轅の如し。
#3
下には冬青の林有り、石上に長根走る。
西崖は特に秀發、煥として靈芝の繁きが若し。
潤は聚む金碧の気、清くして沙土の痕無し。
憶ふ昆侖の図を親しことを、目撃す玄圃の存するを。
此に射して何に適かむと欲する、默して垂老の魂を傷ましむ。


『木皮嶺』 現代語訳と訳註
(本文) #3
下有冬青林,石上走長根。西崖特秀發,煥若靈芝繁。
潤聚金碧氣,清無沙土痕。憶觀昆侖圖,目擊玄圃存。
對此欲何適?默傷垂老魂。


(下し文) #3
下には冬青の林有り、石上に長根走る。
西崖は特に秀發、煥として靈芝の繁きが若し。
潤は聚む金碧の気、清くして沙土の痕無し。
憶ふ昆侖の図を親しことを、目撃す玄圃の存するを。
此に射して何に適かむと欲する、默して垂老の魂を傷ましむ。


(現代語訳)
その下の方には冬青のあおきりの林があり、その長い根を岩場の上を走らせている。
西方の崖は特にひときわ目立って飛び出ており、光りかがやいていて、霊芝がたくさん茂ってそうである。
金色や碧によって何かしらの気をあつめて潤いをしめしている。その清らかなことは、すこしの流砂や崩壊の土の痕さえ見えないのである。
私は昔、昆侖の図を観たことを憶い出したが、今ここで目撃する景色はまるでその玄圃の仙境が再現されているというものだ。
この仙境のようなところに対しながら、ほかのどんなところにどこに行こうとしているのか、ただ黙ってこの風景を見やることは、老いてきたわたしの魂を傷つけてしまうことになってしまうことなのである。


(訳注) #3
下有冬青林,石上走長根。
その下の方には冬青のあおきりの林があり、その長い根を岩場の上を走らせている。
・冬青 常緑の喬木。あおきりの類。


西崖特秀發,煥若靈芝繁。
西方の崖は特にひときわ目立って飛び出ており、光りかがやいていて、霊芝がたくさん茂ってそうである。
秀發 ひときわ目立って飛び出ているさま。
・「」次句の「」、「」というは、みな秀発の形容。
霊芝 仙草。

潤聚金碧氣,清無沙土痕。
金色や碧によって何かしらの気をあつめて潤いをしめしている。その清らかなことは、すこしの流砂や崩壊の土の痕さえ見えないのである


憶觀昆侖圖,目擊玄圃存。
私は昔、昆侖の図を観たことを憶い出したが、今ここで目撃する景色はまるでその玄圃の仙境が再現されているというものだ。
昆侖圖 安禄山が反乱を起こした際杜甫は家族を連れて鄜州羌村に逃げた。その途中で世話になった劉少府のところで見た絵のことで、以下に示す。
『奉先劉少府新畫山水障歌

堂上不合生楓樹,怪底江山起煙霧。

聞君掃卻赤縣圖,乘興譴畫滄洲趣。』

畫師亦無數,好手不可遇。

對此融心神,知君重毫素。』

豈但祁嶽與鄭虔,筆跡遠過楊契丹。』

得非元圃裂?無乃瀟湘翻?

悄然坐我天姥下,耳邊已是聞清猿。

反思前夜風雨急,乃是蒲城鬼神入。

元氣淋灕障猶濕,真宰上訴天應泣。』

野亭春還雜花遠,魚翁暝踏孤舟立。

滄浪水深青且闊,欹岸側島秋毫末。

不見湘妃鼓瑟時,至今斑竹臨江活。』

劉侯天機精,愛畫入骨髓。

自有兩兒郎,揮灑亦莫比。

大兒聰明到,能添老樹崖裡。

小兒心孔開,貌得山僧及童子。』

若耶溪,雲門寺,

吾獨胡為在泥滓?青鞋布襪從此始。』
奉先劉少府新畫山水障歌 杜甫 137 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 136-#2

秦州雑詩二十首 其十

雲気椄崑崙、涔涔塞雨繁。

羌童看渭水、使客向河源。

煙火軍中幕、牛羊嶺上村。

所居秋草静、正閉小蓬門。

秦州雜詩二十首 其十 杜甫 第3部 <263> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1238 杜甫詩 700- 377
・目撃 まのあたり見ること。
玄圃 昆侖山上の神仙の住むところ。《元圃とするテクストもある。》


對此欲何適?默傷垂老魂。
この仙境のようなところに対しながら、ほかのどんなところにどこに行こうとしているのか、ただ黙ってこの風景を見やることは、老いてきたわたしの魂を傷つけてしまうことになってしまうことなのである。






 

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詩 題:”成都紀行(2)” 木皮嶺
作 時:759年12月
掲 載; 杜甫1000の341首目-#2
杜甫ブログ1500-505回目


木皮嶺 #1
首路栗亭西,尚想鳳凰村。季冬攜童稚,辛苦赴蜀門。
栗亭の西から門出してはじめての道を行くことになる、鳳凰台の農村のことなどいまさら想うのである。
この季冬十二月に、子供たちをつれて、難儀しながら剣門の方へ向かった。

南登木皮嶺,艱險不易論。汗流被我體,祁寒為之暄。

南に向って歩くと木皮嶺にのぼっていく、その路の険しく難儀なことは言葉にあらわしがたい。
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#2
遠岫爭輔佐,千岩自崩奔。
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仰幹塞大明,俯入裂厚坤。
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再聞虎豹鬥,屢跼風水昏。
そうしているとまた虎豹のたたかう声を聞き、しばしば山川の雰囲気を予測気配を感じさせる暗きあたりに身をかがめるのである。
高有廢閣道,摧折如斷轅。
高いところに使っていない壊れかけた架け橋があり、それはくだけ折れて、ちぎれた車のながえのように見えるのである。
#3
下有冬青林,石上走長根。西崖特秀發,煥若靈芝繁。
潤聚金碧氣,清無沙土痕。憶觀昆侖圖,目擊玄圃存。
對此欲何適?默傷垂老魂。

首路 栗亭の西、尚想ふ鳳凰の村。
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南のかた木皮嶺に登るに、難険 論じ易からず。
汗流れて我が体に被り、祁寒も之が爲めに暄か。
#2
遠岫争うて輔佐し、千巌自ら崩奔す。
始めて知る五嶽の外、別に他山の尊き有るを。
仰ぎ干しては大明を塞ぎ、俯し入りては厚坤裂く。
再び聞く虎豹の闘ふを、屡ば風水の昏きに跼まる
高きには腐れし閣道有り、擢折して断轅の如し。

#3
下には冬青の林有り、石上に長根走る。
西崖は特に秀發、煥として靈芝の繁きが若し。
潤は聚む金碧の気、清くして沙土の痕無し。
憶ふ昆侖の図を親しことを、目撃す玄圃の存するを。
此に射して何に適かむと欲する、默して垂老の魂を傷ましむ。

杜甫 体系 地図459同谷紀行

『木皮嶺』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
遠岫爭輔佐,千岩自崩奔。始知五嶽外,別有他山尊。
仰幹塞大明,俯入裂厚坤。再聞虎豹鬥,屢跼風水昏。
高有廢閣道,摧折如斷轅。


(下し文) #2
遠岫争うて輔佐し、千巌自ら崩奔す。
始めて知る五嶽の外、別に他山の尊き有るを。
仰ぎ干しては大明を塞ぎ、俯し入りては厚坤裂く。
再び聞く虎豹の闘ふを、屡ば風水の昏きに跼まる
高きには腐れし閣道有り、擢折して断轅の如し。


(現代語訳)
登ってみると遠い山々は争ってこの嶺を輔佐するかのようである。多くの巌石みえ、あちこちで自然に崩れ走っている。
この山に登り始めて、五嶽のほかにも尊い山々があることを知った。
進んでくると仰ぎみればこの山は高く太陽の光をふさぐほどであり、伏して下って行けば谷は深く大地が裂けたかのようだ。
そうしているとまた虎豹のたたかう声を聞き、しばしば山川の雰囲気を予測気配を感じさせる暗きあたりに身をかがめるのである。
高いところに使っていない壊れかけた架け橋があり、それはくだけ折れて、ちぎれた車のながえのように見えるのである。


(訳注) #2
遠岫爭輔佐,千岩自崩奔。
登ってみると遠い山々は争ってこの嶺を輔佐するかのようである。多くの巌石みえ、あちこちで自然に崩れ走っている。
・遠岫 遠い山。岫は山に巌穴あるもの。
・補佐 木皮嶺が一番高いので、群山はそれに対してまるで家来が主を補佐しているように見える。
・崩奔 崩れ走る。あっちもこっちもという状況だろう。


始知五嶽外,別有他山尊。
この山に登り始めて、五嶽のほかにも尊い山々があることを知った。
・五嶽 中周の最も等き山・泰山東嶽・華山西嶽・霍山南嶽・恒山北嶽・嵩山中嶽。華山(西嶽;2,160m陝西省渭南市華陰市)
嵩山(中嶽;1,440m河南省鄭州市登封市)、
泰山(東嶽;1,545m山東省泰安市泰山区)、
衡山(南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、
恒山(北嶽;2,016,m山西省大同市渾源県)


仰幹塞大明,俯入裂厚坤。
進んでくると仰ぎみればこの山は高く太陽の光をふさぐほどであり、伏して下って行けば谷は深く大地が裂けたかのようだ。
・仰千 千はおかす。
・大明 太陽をいぅ。
・厚坤 大地。


再聞虎豹鬥,屢跼風水昏。
そうしているとまた虎豹のたたかう声を聞き、しばしば山川の雰囲気を予測気配を感じさせる暗きあたりに身をかがめるのである。
・跼 せぐ要る。せなかをかがめる。


高有廢閣道,摧折如斷轅。
高いところに使っていない壊れかけた架け橋があり、それはくだけ折れて、ちぎれた車のながえのように見えるのである。
・閣道 桟道。絶壁に、石をうがち木をわたして作りたかけはし。
断轅 きれた車のながえ。

”成都紀行(2)” 木皮嶺 杜甫詩1000 <341>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1619 杜甫1500- 504

 
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”成都紀行(2)” 木皮嶺 杜甫詩1000 <341>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1619 杜甫1500- 504 

詩 題:”成都紀行(2)” 木皮嶺  作時759年12月
掲 載; 杜甫1000の341首目-#1
杜甫ブログ1500-504回目

華州から秦州へ、秦州に居る時、同谷を旅立つまではほとんどが律詩で、題材は身近なことをのべている。これは隠遁する場所を見つけるための支援、応援、情報収集のために作ったものである。したがって今度の成都紀行では詩の趣きが全く異なるものとなっている。(だから、杜甫の詩集本では割愛されることが多い。漢文委員会はすべて紹介掲載する。)

木皮嶺 #1
首路栗亭西,尚想鳳凰村。
栗亭の西から門出してはじめての道を行くことになる、鳳凰台の農村のことなどいまさら想うのである。
季冬攜童稚,辛苦赴蜀門。
この季冬十二月に、子供たちをつれて、難儀しながら剣門の方へ向かった。
南登木皮嶺,艱險不易論。
南に向って歩くと木皮嶺にのぼっていく、その路の険しく難儀なことは言葉にあらわしがたい。
流被我體,祁寒為之暄。

汗はわれわれのからだに吹き出て流れてくる、厳寒の候とはいえ、そのために暖かく感ぜられる。
#2
遠岫爭輔佐,千岩自崩奔。始知五嶽外,別有他山尊。
仰幹塞大明,俯入裂厚坤。再聞虎豹鬥,屢跼風水昏。
高有廢閣道,摧折如斷轅。
#3
下有冬青林,石上走長根。西崖特秀發,煥若靈芝繁。
潤聚金碧氣,清無沙土痕。憶觀昆侖圖,目擊玄圃存。
對此欲何適?默傷垂老魂。

首路 栗亭の西、尚想ふ鳳凰の村。
季冬 童椎を攜へ、辛苦してどう蜀門に赴く。
南のかた木皮嶺に登るに、難険 論じ易からず。
汗流れて我が体に被り、祁寒も之が爲めに暄か。

#2
遠岫争うて輔佐し、千巌自ら崩奔す。
始めて知る五嶽の外、別に他山の尊き有るを。
仰ぎ干しては大明を塞ぎ、俯し入りては厚坤裂く。
再び聞く虎豹の闘ふを、屡ば風水の昏きに跼まる
高きには腐れし閣道有り、擢折して断轅の如し。
#3
下には冬青の林有り、石上に長根走る。
西崖は特に秀發、煥として靈芝の繁きが若し。
潤は聚む金碧の気、清くして沙土の痕無し。
憶ふ昆侖の図を親しことを、目撃す玄圃の存するを。
此に射して何に適かむと欲する、默して垂老の魂を傷ましむ。

秦州同谷0002k52

『木皮嶺』 現代語訳と訳註
(本文)
木皮嶺 #1
首路栗亭西,尚想鳳凰村。季冬攜童稚,辛苦赴蜀門。
南登木皮嶺,艱險不易論。汗流被我體,祁寒為之暄。


(下し文)
首路【しゅろ】栗亭【りつてい】の西、尚想ふ鳳凰の村。
季冬【きとう】童稚を攜へ、辛苦して蜀門に赴く。
南のかた木皮嶺に登るに、艱險【かんけん】論じ易からず。
汗流れて我が体に被【こうむ】り、祁寒【きかん】も之が爲めに暄【あたた】か。


(現代語訳)
栗亭の西から門出してはじめての道を行くことになる、鳳凰台の農村のことなどいまさら想うのである。
この季冬十二月に、子供たちをつれて、難儀しながら剣門の方へ向かった。
南に向って歩くと木皮嶺にのぼっていく、その路の険しく難儀なことは言葉にあらわしがたい。
汗はわれわれのからだに吹き出て流れてくる、厳寒の候とはいえ、そのために暖かく感ぜられる。


(訳注)
木皮嶺 
#1
 同谷県の東南20里(12km)。
杜甫 体系 地図459同谷紀行

首路栗亭西,尚想鳳凰村。
栗亭の西から門出してはじめての道を行くことになる、鳳凰台の農村のことなどいまさら想うのである。
首路 はじめてゆく道のこと。
・栗亭 隋の時代の県名、成県の東五十里(29km)にあり、秦州を去ること百九十五里(112km)。
發秦州#2
栗亭名更嘉,下有良田疇。充腸多薯蕷,崖蜜亦易求。
密竹複冬筍,清池可方舟。雖傷旅寓遠,庶遂平生遊。』

“同谷紀行(1)” 發秦州 杜甫 <321>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1511 杜甫詩 700- 468
鳳凰村 同谷の東南十里に鳳凰台があり、(鳳凰台の詩がある)その附近の村であろう。
“同谷紀行(12)” 鳳凰台 杜甫 1000<331>#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1571 杜甫詩 1500- 488
季冬 旧暦十二月の初めの極寒の季節を云う。


季冬攜童稚,辛苦赴蜀門。
この季冬十二月に、子供たちをつれて、難儀しながら剣門の方へ向かった。
・蜀門 剣門。


登木皮嶺,艱險不易論。
南に向って歩くと木皮嶺にのぼっていく、その路の険しく難儀なことは言葉にあらわしがたい。
・南登木皮嶺 尾根声をして行く様子をいう。


汗流被我體,祁寒為之暄。
汗はわれわれのからだに吹き出て流れてくる、厳寒の候とはいえ、そのために暖かく感ぜられる。
・祁寒 はなはだしい寒さ。
・暄 あたたかくなること。

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