杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

2013年02月

遣意二首其二 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 5)  杜甫 <410> 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1995 杜甫詩1000-410-593/1500

遣意二首其二 杜甫 成都(4部)

2013年2月28日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集遣意二首其二 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 5)  杜甫 <410> 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1995 杜甫詩1000-410-593/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集夜歸鹿門山歌 孟浩然 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 1996 (02/28)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性愁思 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-90-26-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1997
 
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李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首   
 

遣意二首其二 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 5)  杜甫 <410> 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1995 杜甫詩1000-410-593/1500

詩 題:遣意二首其二 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 5) 
作時761年1月杜甫50歳
掲 載; 杜甫1000首の410首目-#4 – 5
杜甫ブログ1500回予定の-593回目  
意を遣る。(世話になった人、家族に草堂の春夜をのべること。近況を知らせる)



遣意二首 其一
(世話になった人、家族に草堂での日常生活をのべること。近況を知らせる)
囀枝黃鳥近,泛渚白鷗輕。
春を愉しんで小枝に止まり囀っているのは黃鳥のうぐいすで近く枝にくる、渚に淀かんでいるのは白鳥のかもめであり、軽やかにすすむ。
一徑野花落,孤村春水生。
一すじの小道がつづく、自然にさいた花が咲き、そして落ちちっている、隣家が近くになくポツンとある村には春の雪解けの水がふえてきている。
衰年催釀黍,細雨更移橙。
わたしは老年なりかけ、そのうえ長旅で体力の衰えているが、せっせと黍で酒をつくっている、そして春雨の小ぬか雨に橙の木など移植時なので、更に作業をする。
漸喜交遊絕,幽居不用名。
ここにきて数か月、こんなことをして暮らしていると、友だちとの交際がなくなるのをだんだんうれしくおもうようになっている。この隠棲のわび住いに他の人から名声を得ることなどはいらなくて、一人静かに暮らしている。


遣意二首 其二 
簷影微微落,津流脈脈斜。
日がくれかかるので軒端の影がわずかにすこしずつ地上に落ちてくる。渡し場の水の流れはよく流れる一脈と一脈は斜めに流れている。
野船明細火,宿鷺聚圓沙。
遙か江に、景色に溶け込む船には小さい火があかるく燈っており、とまっている鷺は円形の沙はらに起ったままでいる。
雲掩初弦月,香傳小樹花。
せっかく上弦の月が出たのにすぐに雲におおわれはじめている。そんな暗い夜なのに香がつたわってくる。ちいさい樹に花がさいているのだ。
鄰人有美酒,稚子也能賒。
となりの人はうまい酒をもっている。こんな夜は子供に隣に行って掛買してきてもらうのだ。
(意を遣る。)
簷影【えいえい】徴徴【びび】として落ち、津流【しんりゅう】脈脈【みゃくみゃく】として斜めなり。
野船【やせん】細火【さいか】明らかに、宿鷺【しゅくろ】円沙【えんさ】に起つ。
雲は掩う初弦【しょげん】の月、香は伝わる小樹【しょうじゅ】の花。
隣人【りんじん】美酒有り、稚子【ちし】夜能く賒【おぎの】る。


ogawa010

現代語訳と訳註
(本文)
遣意二首 其二 
簷影微微落,津流脈脈斜。
野船明細火,宿鷺起圓沙。
雲掩初弦月,香傳小樹花。
鄰人有美酒,稚子也能賒。


(下し文)
簷影【えいえい】徴徴【びび】として落ち、津流【しんりゅう】脈脈【みゃくみゃく】として斜めなり。
野船【やせん】細火【さいか】明らかに、宿鷺【しゅくろ】円沙【えんさ】に起つ。
雲は掩う初弦【しょげん】の月、香は伝わる小樹【しょうじゅ】の花。
隣人【りんじん】美酒有り、稚子【ちし】夜能く賒【おぎの】る。


(現代語訳)
日がくれかかるので軒端の影がわずかにすこしずつ地上に落ちてくる。渡し場の水の流れはよく流れる一脈と一脈は斜めに流れている。
遙か江に、景色に溶け込む船には小さい火があかるく燈っており、とまっている鷺は円形の沙はらに起ったままでいる。
せっかく上弦の月が出たのにすぐに雲におおわれはじめている。そんな暗い夜なのに香がつたわってくる。ちいさい樹に花がさいているのだ。
となりの人はうまい酒をもっている。こんな夜は子供に隣に行って掛買してきてもらうのだ。

上弦の月
























(訳注) 遣意二首 其二 
簷影微微落,津流脈脈斜。

日がくれかかるので軒端の影がわずかにすこしずつ地上に落ちてくる。渡し場の水の流れはよく流れる一脈と一脈は斜めに流れている。
○微微 薄く、少しづつ、中途半端な様子。
『宣政殿退朝晚出左掖(掖門在兩旁如人之臂掖)』 杜甫
 天門日射黄金榜,春殿晴曛赤羽旗。
 宮草微微承委佩,鑪煙細細駐游絲。
 雲近蓬萊常好色,雪殘鳷鵲亦多時。
 侍臣緩步歸青瑣,退食從容出每遲。
○落 地上によこたわることをいう。
○津流 浣花の渓流をさ、淵のようなところを船着き場にする。
○脈脈 よく流れる一すじと水深の浅い斜めに流れる一すじの流れがある。


野船明細火,宿鷺起圓沙。
遙か江に、景色に溶け込む船には小さい火があかるく燈っており、とまっている鷺は円形の沙はらに起ったままでいる。
○野船 遙か江に泛ぶ景色に溶け込む船。
○細火 小火。漁火。
○起 起立していること。聚に作るもある。
〇円沙 まるい砂はら。


雲掩初弦月,香傳小樹花。
せっかく上弦の月が出たのにすぐに雲におおわれはじめている。そんな暗い夜なのに香がつたわってくる。ちいさい樹に花がさいているのだ。
○初弦 新月と満月の中間の月を上弦、陰暦で、7日頃の月を云う。弓形の月。上弦。下弦の月23日頃。


鄰人有美酒,稚子也能賒。
となりの人はうまい酒をもっている。こんな夜は子供に隣に行って掛買してきてもらうのだ。
○賒 かけで買う。


遣意二首 其二 
簷影微微落,津流脈脈斜。
野船明細火,宿鷺起圓沙。
雲掩初弦月,香傳小樹花。
鄰人有美酒,稚子也能賒。
(意を遣る 二首)
簷影【えいえい】徴徴【びび】として落ち、津流【しんりゅう】脈脈【みゃくみゃく】として斜めなり。
野船【やせん】細火【さいか】明らかに、宿鷺【しゅくろ】円沙【えんさ】に起つ。
雲は掩う初弦【しょげん】の月、香は伝わる小樹【しょうじゅ】の花。
隣人【りんじん】美酒有り、稚子【ちし】夜能く賒【おぎの】る。


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遣意二首其一 杜甫 成都(4部)

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遣意二首其一 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 4)  杜甫 <409> 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1990 杜甫詩1000-409-592/1500

詩 題:遣意二首其一 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 4)
作時761年2月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の409首目-#4 – 4
杜甫ブログ1500回予定の-592回目  
意を遣る。(世話になった人、家族に草堂での日常生活をのべること。近況を知らせる)。杜甫は後、菱州に行ってこの浣花渓の事を懐かしんでいるが、この場所を花でいっぱいにしたいからということで「濯錦江」を「浣花渓」と名付けたのだ。
さて、この詩では春の盛り、詩に色を意識させ8~9色使っている。あなたの読解力・連想力をたしかめられます。答えはページの後半。


遣意二首 其一
(世話になった人、家族に草堂での日常生活をのべること。近況を知らせる)
囀枝黃鳥近,泛渚白鷗輕。
春を愉しんで小枝に止まり囀っているのは黃鳥のうぐいすで近く枝にくる、渚に淀かんでいるのは白鳥のかもめであり、軽やかにすすむ。
一徑野花落,孤村春水生。
一すじの小道がつづく、自然にさいた花が咲き、そして落ちちっている、隣家が近くになくポツンとある村には春の雪解けの水がふえてきている。
衰年催釀黍,細雨更移橙。
わたしは老年なりかけ、そのうえ長旅で体力の衰えているが、せっせと黍で酒をつくっている、そして春雨の小ぬか雨に橙の木など移植時なので、更に作業をする。
漸喜交遊絕,幽居不用名。

ここにきて数か月、こんなことをして暮らしていると、友だちとの交際がなくなるのをだんだんうれしくおもうようになっている。この隠棲のわび住いに他の人から名声を得ることなどはいらなくて、一人静かに暮らしている。

DCF00055

其の一
枝に囀【さえず】りて 黄鳥【こうちょう】近く、渚に泛かびて 白鴎【はくおう】軽し。
一徑【いっけい】野花【やか】落ち、孤村【こそん】春水【しゅんすい】生ず。
衰年【すいねん】黍【しょ】を醸【かも】すを催【うなが】す、 細雨【さいう】更に橙【とう】を移す。
漸【ようや】く喜ぶ 交遊【こうゆう】の絶ゆるを、 幽居 名を用いず。




現代語訳と訳註
(本文)
其一
囀枝黃鳥近,泛渚白鷗輕。
一徑野花落,孤村春水生。
衰年催釀黍,細雨更移橙。
漸喜交遊絕,幽居不用名。


(下し文) 其の一
枝に囀【さえず】りて 黄鳥【こうちょう】近く、渚に泛かびて 白鴎【はくおう】軽し。
一徑【いっけい】野花【やか】落ち、孤村【こそん】春水【しゅんすい】生ず。
衰年【すいねん】黍【しょ】を醸【かも】すを催【うなが】す、 細雨【さいう】更に橙【とう】を移す。
漸【ようや】く喜ぶ 交遊【こうゆう】の絶ゆるを、 幽居 名を用いず。


(現代語訳)
(世話になった人、家族に草堂での日常生活をのべること。近況を知らせる)
春を愉しんで小枝に止まり囀っているのは黃鳥のうぐいすで近く枝にくる、渚に淀かんでいるのは白鳥のかもめであり、軽やかにすすむ。
一すじの小道がつづく、自然にさいた花が咲き、そして落ちちっている、隣家が近くになくポツンとある村には春の雪解けの水がふえてきている。
わたしは老年なりかけ、そのうえ長旅で体力の衰えているが、せっせと黍で酒をつくっている、そして春雨の小ぬか雨に橙の木など移植時なので、更に作業をする。
ここにきて数か月、こんなことをして暮らしていると、友だちとの交際がなくなるのをだんだんうれしくおもうようになっている。この隠棲のわび住いに他の人から名声を得ることなどはいらなくて、一人静かに暮らしている。


(訳注) 遣意二首其一
(世話になった人、家族に草堂での日常生活をのべること。近況を知らせる)760年上元元年の春早々、成都の西約6kmの濯錦江(後杜甫が命名:)浣花渓のそばに空地を得て、さしあたり一畝の地をきり開いて、茅ぶきの家(草堂)を設けた。杜甫は詩を作って、多くの人々に樹木の苗を求めた。蕭実には桃の苗百本、韋続には綿竹県の竹を、何邕には三年で大木になるという榿木の苗を、韋班には松の木の苗を、石筍街果園坊の主人徐卿には、すももでも、うめでもいいからといって、果樹の苗を、そして韋班には更に犬邑県産の白い磁碗をたのんでいる。やっとこの地に落ちつけると思った作者の心のはずみが感ぜられる。問題は持病が時折り出ることと、国の東と、北には安史軍の支配下となっていて、義母と異母兄弟の消息が分からないことである。
 草堂は一年前の暮春にはもういちおう出来上がった。それは成都の城郭を背に約6km西に進んだところにある。近くには錦江にかかる万里橋(三国時代、蜀皇帝劉備がここから呉征伐の戦争に出かけた。この橋の近所に諸葛亮を祭る廟がある)の西、浣花渓のほとりにあった。ここからはとおく西北に当たって、雪をいただく西嶺も眺められた。


囀枝黃鳥近,泛渚白鷗輕。
春を愉しんで小枝に止まり囀っているのは黃鳥のうぐいすで近く枝にくる、渚に淀かんでいるのは白鳥のかもめであり、軽やかにすすむ。
○黃鳥 うぐいす。杜甫『曲江對酒』
苑外江頭坐不歸,水精宮殿轉霏微。桃花細逐楊花落,黃鳥時兼白鳥飛。
縱飲久判人共棄,懶朝真與世相違。吏情更覺滄洲遠,老大悲傷未拂衣。
(曲江にて酒に對す)
苑外江頭に坐して帰らず、水精の宮殿 転【うたた】霏微【ひび】たり。桃花【とうか】細【こまや】かに梨花を逐うて落ち、黄鳥【こうちょう】時兼【とも】にして白鳥と飛ぶ。
飲を縦【ほしいまま】にし久しく判して人共に棄つ、朝するに懶【ものうし】く真に世と相違【たご】う。吏情【りじょう】更に覚ゆ滄洲【そうしゅう】の遠きを、老大【ろうだい】徒【いたずらに】に傷む未だ衣を払わざるを。
春景色に誘われ、わたしはこの芙蓉苑の外、曲江の池畔で官舎に帰らないままにすわりこんであたりをながめる、水の妖精が生まれ出て水の宮殿がその光を輝かせ、霧のように飛散する水珠も輝く。
それから桃の花は微細に落ちち、やなぎの花、柳絮の散るあとを追いかけて落ちてまた落ちる、黄色の鳥たちは時を同じにして一斉に白色の鳥たちと飛びたつ。
勝手きままにすきなだけ酒を呑んで長いあいだ自暴自棄になり人も相手をしてくれない、参朝することが億劫になってしまい、世間の人皆から見放されてしまっている、実際自分も世の人とは違背しているのである。
官吏としての今の心持は、これまでよりももっと滄洲の仙境と隔たりができた様な気がするばかりで、こんなに年を取ってからでは衣を払って仙境に向って去って行けないことを傷み悲しむだけなのである。
曲江封酒 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 246


一徑野花落,孤村春水生。
一すじの小道がつづく、自然にさいた花が咲き、そして落ちちっている、隣家が近くになくポツンとある村には春の雪解けの水がふえてきている。
客至   杜甫
舍南舍北皆春水、但見群鷗日日來。
花徑不曾緣客掃、篷門今始為君開。
盤飧市遠無兼味、樽酒家貧只舊醅。
肯與鄰翁相對飲、隔籬呼取盡餘杯。
舎南(しゃなん)舎北(しゃほく)皆 春水(しゅんすい)、但見る群鷗の日日に來るを
花径 曾(かつ)て客に縁って掃(はら)わず、篷門(ほうもん)今始めて君が為に開く
盤飧(ばんそん)市 遠くして兼味(けんみ)無く、樽酒(そんしゅ) 家貧にして只だ旧醅(きゅうばい)あるのみ
肯(あえ)て隣翁と相(あい)対して飲まんや、籬(まがき)を隔てて呼び取りて余杯(よはい)を尽さしめん


衰年催釀黍,細雨更移橙。
わたしは老年なりかけ、そのうえ長旅で体力の衰えているが、せっせと黍で酒をつくっている、そして春雨の小ぬか雨に橙の木など移植時なので、更に作業をする。
○衰年【すいねん】体力の衰える年齢。老年。衰齢。
○催 せきたてること。
○醸黍 きびを用いて酒を醸す。
○移橙 だいだいをうつしかえてうえる。


漸喜交遊絕,幽居不用名。
ここにきて数か月、こんなことをして暮らしていると、友だちとの交際がなくなるのをだんだんうれしくおもうようになっている。この隠棲のわび住いに他の人から名声を得ることなどはいらなくて、一人静かに暮らしている。
○交遊 人との交際。
○名 他人から名声を得ること、名誉。



この詩に「色」は何種類鏤められているか?



  遣意二首 其一
 桃園001
 
囀枝黃鳥近,泛渚白鷗輕。
 一徑野花落,孤村春水生。
 衰年催釀黍,細雨更移橙。
 漸喜交遊絕,幽居不用名。
  
 ヒント
  囀黃鳥近,泛渚白鷗輕。
  一徑落,孤村生。
  衰年催細雨
  漸喜交遊絕,幽居不用名。
 答え
1.囀枝:萌木色、または茶色(15)
2.黃鳥:うぐいす、うぐいす色。黄色。
3.泛渚:水に浮ぶ渚。小さい砂地の中洲。白砂。
4.白鷗:しろいかもめ。白砂の白とは違うはず。
5.野 :野原、草、春の新芽のみどり。
6.花 :色とりどりの花の色だが、杜甫は桃の木を百本以上植えているので、桃色、紅白(13)。
7.春 :五行思想で青。
8.春水:濃い緑。
9.釀 :この詩では作り立てのお酒は濁り酒、白濁。その上澄みは黄金色(14)。
10.黍 :黄色。醸造前の乾燥したもの。実は白。
11.細雨:雨は灰色。
12.橙 :だいだい色。
 評価 ・8色見つければ合格。
 ・6色以下は勉強不足
 ・15色は連想の屁理屈かもしれない。




客至 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 3)  杜甫 <408> 七言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1985 杜甫詩1000-408-591/1500

客至 杜甫 成都(4部)



2013年2月26日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩贈丁廙 曹植 魏詩<48-#2>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1983
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩原性 韓愈(韓退之) <116-2>Ⅱ中唐詩600 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1984
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集客至 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 3)  杜甫 <408> 七言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1985 杜甫詩1000-408-591/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集晚泊潯陽望廬山 孟浩然 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 1986 (02/26)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性和新及第悼亡詩二首 其二 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-88-24-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1987
 
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首 
 
 



客至 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 3)  杜甫 <408> 七言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1985 杜甫詩1000-408-591/1500

詩 題:客至 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 3) 
作時761年2月杜甫50歳
掲 載; 杜甫1000首の408首目-#4 – 3
杜甫ブログ1500回予定の-591回目 
崔明府(県令)がたずねてくれたことを喜んで作った詩。



客至   杜甫
*〔原注〕喜雀明府相過。
舍南舍北皆春水、但見群鷗日日來。
わが家は南も北もみな春の雪解け水でみずかさがあがっている。しばらくみていると、たくさんのかもめが毎日やってくるのです。
花徑不曾緣客掃、篷門今始為君開。
花が咲きみだれ、散って小道に敷きひろがるが、お客があるからといって風流なので掃除しないのです。きょうはめずらしくよもぎのしげっている門を君のためなればこそ開くこといたします。
盤飧市遠無兼味、樽酒家貧只舊醅。
ここは市場が遠いので皿に盛る御馳走が幾種類もの用意はできないし、家が貧しいから樽の酒もてづくりのふるい濁酒があるだけです。
肯與鄰翁相對飲、隔籬呼取盡餘杯。

それでも、南隣の御爺さんも仲間にして飲むおつもりはありませんか。この垣根越しに御爺さんを呼んで残りの濁酒を飲みほさせることにしましょう。

舎南【しゃなん】舎北【しゃほく】皆 春水【しゅんすい】、但見る群鷗【ぐんおう】の日日 來るを。
花径 曾【かつ】て客に縁って掃【はら】わず、篷門【ほうもん】今始めて君が為に開く。
盤飧【ばんそん】市 遠くして兼味【けんみ】無く、樽酒【そんしゅ】 家貧にして只だ旧醅【きゅうばい】あるのみ。
肯【あえ】)て隣翁【りんおう】と相い対して飲まむや、籬【まがき】を隔てて呼び取りて余杯【よはい】を尽さしめん。

楊柳00005
『客至』 現代語訳と訳註
(本文)

客至   杜甫
*〔原注〕喜雀明府相過。
舍南舍北皆春水、但見群鷗日日來。
花徑不曾緣客掃、篷門今始為君開。
盤飧市遠無兼味、樽酒家貧只舊醅。
肯與鄰翁相對飲、隔籬呼取盡餘杯。


(下し文)
舎南【しゃなん】舎北【しゃほく】皆 春水【しゅんすい】、但見る群鷗【ぐんおう】の日日 來るを。
花径 曾【かつ】て客に縁って掃【はら】わず、篷門【ほうもん】今始めて君が為に開く。
盤飧【ばんそん】市 遠くして兼味【けんみ】無く、樽酒【そんしゅ】 家貧にして只だ旧醅【きゅうばい】あるのみ。
肯【あえ】)て隣翁【りんおう】と相い対して飲まむや、籬【まがき】を隔てて呼び取りて余杯【よはい】を尽さしめん。


(現代語訳)
わが家は南も北もみな春の雪解け水でみずかさがあがっている。しばらくみていると、たくさんのかもめが毎日やってくるのです。
花が咲きみだれ、散って小道に敷きひろがるが、お客があるからといって風流なので掃除しないのです。きょうはめずらしくよもぎのしげっている門を君のためなればこそ開くこといたします。
ここは市場が遠いので皿に盛る御馳走が幾種類もの用意はできないし、家が貧しいから樽の酒もてづくりのふるい濁酒があるだけです。
それでも、南隣の御爺さんも仲間にして飲むおつもりはありませんか。この垣根越しに御爺さんを呼んで残りの濁酒を飲みほさせることにしましょう。

浣花峡556
(訳注)
客至 
  杜甫
*〔原注〕喜雀明府相過。
雀明府県令が家の前を通られたのを喜ぶ。
雀明府某県の県令雀某をいう


舍南舍北皆春水、但見群鷗日日來。
わが家は南も北もみな春の雪解け水でみずかさがあがっている。しばらくみていると、たくさんのかもめが毎日やってくるのです。
○春水 春の雪解け水で錦江の水位が上がっているので、船の通行が容易になったのではないだろうか。
○群鷗 群鷗の飛来は一定の水嵩や渚などの条件がそろわないとない。浣花渓の水深は通常浅いので渇水期には航行が難しかった。


花徑不曾緣客掃、篷門今始為君開。
花が咲きみだれ、散って小道に敷きひろがるが、お客があるからといって風流なので掃除しないのです。きょうはめずらしくよもぎのしげている門を君のためなればこそ開くこといたします。
○花径 花のちりしくこみち。王維『田園楽』孟浩然『春暁』と同じ隠遁者の常套である。孟浩然『春暁』 と王維『田園楽』 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 1941 (02/17)
○蓬門 よもぎのしげている門。普段門を開けることはないので蓬が映えるということ。古の門は浣花渓に面している。柴門や篷門は隠者の住まいの必需品。しかし杜甫は別の詩ではこの門を「柴門」と称している。
野老
野老籬邊江岸迴,柴門不正逐江開。
漁人網集澄潭下,估客船隨返照來。
長路關心悲劍閣,片雲何意傍琴台?
王師未報收東郡,城闕秋生畫角哀。
成都(2部)浣花渓の草堂(2 -10) 野老 杜甫 <373  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1799 杜甫詩 1000- 549
南鄰
錦裡先生烏角巾,園收芋栗未全貧。
慣看賓客兒童喜,得食階除鳥雀馴。
秋水纔深四五尺,野航恰受兩三人。
白沙翠竹江村暮,相送柴門月色新。
南鄰 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -1)  <383  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1859 杜甫詩1000-383-564/1500
江漲
江漲柴門外,兒童報急流。
下牀高數尺,倚杖沒中洲。
細動迎風燕,輕搖逐浪鷗。
漁人縈小楫,容易拔船頭。
成都(2)浣花渓の草堂(2 -9) 江漲 杜甫 <372  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1795 杜甫詩 1000- 548


盤飧市遠無兼味、樽酒家貧只舊醅。
ここは市場が遠いので皿に盛る御馳走が幾種類もの用意はできないし、家が貧しいから樽の酒もてづくりのふるい濁酒があるだけです。
○盤餐大皿の食物。
○兼味いく種類ものごちそう。
○旧酷ふるくからつくりこんだにごりざけ。


肯與鄰翁相對飲、隔籬呼取盡餘杯。
それでも、南隣の御爺さんも仲間にして飲むおつもりはありませんか。この垣根越しに御爺さんを呼んで残りの濁酒を飲みほさせることにしましょう。
○呼取 翁を呼ぶことをいう、取の字は意が軽い。
客至るというが、前を通った県令が声を掛けただけであろう、後のくだりは、杜甫の妄想であろう。杜甫の南隣の過南鄰朱山人水亭 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -2)  <384  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1863 杜甫詩1000-384-565/1500の老人とも声をかける程度の付き合いなのだ。
逢いに来て遭えず、自問自答、木こり、漁夫、老人、訪問者は隠遁者の常套句・語である。


此の詩は、孟浩然『春暁』、王維の『田園楽七首』に影響されて作るものである。
孟浩然『春暁』
春眠不覺曉,處處聞啼鳥。
夜來風雨聲,花落知多少。
春の眠りは心地よいので、夜が明けるのも分からずに眠ってしまう。ふと目覚めるとあちこちから鳥のさえずりが聞こえてくる。
そういえばゆうべの雨風の音が激しく寝つきが悪かったが、今朝の庭にはどれほどの花がたくさん散って庭を飾っているたことだろう。
田園楽 其六 王維
珍しい六言の絶句
歌うのに心地良いように、二言の語で啖呵を切るようにつくっている。
桃紅復含宿雨、柳緑更帯春煙。  
花落家童未掃、鶯啼山客猶眠。  
桃の花は、夕べの雨を含んでつやつやといっそう紅色あざやか、柳は青さを増して、春のかすみにけむる。
花が庭先に散り敷かれている、召使いの少年は掃き清めたりはしない。ウグイスがしきりに鳴くのに山荘のあるじはまだまだ夢うつつの中に有る。
孟浩然『春暁』 と王維『田園楽』 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 1941 (02/17)


西郊 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 2)  杜甫 <407> 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1980 杜甫詩1000-407-590/1500

西郊 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 2)  杜甫 <407> 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1980 杜甫詩1000-407-590/1500

2013年2月25日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩贈丁廙 曹植 曹植(曹子建) 魏詩<47>文選 贈答 二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1978
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩原性 韓愈(韓退之) <116-1>Ⅱ中唐詩599 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1979
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集西郊 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 2)  杜甫 <407> 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1980 杜甫詩1000-407-590/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集游鳳林寺西嶺 孟浩然 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 1981 (02/25)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性和新及第悼亡詩二首 其一 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-87-23-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1982
 
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 古詩十九首 (1) 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67676781.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩
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於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。李商隠詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首 
 


詩 題:西郊 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 2) 
作時761年1月杜甫50歳 
掲 載; 杜甫1000首の407首目-#4 – 2
杜甫ブログ1500回予定の-590回目  
城中を出て西郊より草堂にもどって来たことをのべる。上元二年早春の作である。


西郊
時出碧雞坊,西郊向草堂。
帰りたいと思い時がきたようなので、城内西南の碧雞坊を出る。城外の西郊を経て草堂へと向かうことになる。
市橋官柳細,江路野梅香。
市橋にさしかかると柳が芽吹く前でほそぼそと垂れており、東流する錦江の路ぞいには野梅の花がにおい始めたようだ。
傍架齊書帙,看題減藥囊。
部屋に入ると売却して隙間ができた書棚に書衣をそばへ寄せて補う。薬の標題を看ながら売って減った薬の嚢を確認する。
無人覺來往,疏懶意何長。

ちょっと人目を気にして出かけたのだが往きもかえりもだれもそれに気がつかれないようだ。こんな隠棲生活は元来無精なのんびりした気持ちにどんなにか良いことであろうか。
(西 郊)
時に碧雞坊を出で、西郊より草堂に向かう。
市橋には官柳細くあり、江路には野梅香しくある。
架に傍いて書帙を斉【ととの】え、題を看て薬嚢を検す。
人の来往するを覚【さと】るもの無く、疎憬にして意は何ぞ長きか。

浣花峡556

『西郊』 現代語訳と訳註
(本文)
時出碧雞坊,西郊向草堂。
市橋官柳細,江路野梅香。
傍架齊書帙,看題減藥囊。
無人覺來往,疏懶意何長。


(下し文)
(西 郊)
時に碧雞坊を出で、西郊より草堂に向かう。
市橋には官柳細くあり、江路には野梅香しくある。
架に傍いて書帙を斉【ととの】え、題を看て薬嚢を検す。
人の来往するを覚【さと】るもの無く、疎憬にして意は何ぞ長きか。


(現代語訳)
(西 郊)
帰りたいと思い時がきたようなので、城内西南の碧雞坊を出る。城外の西郊を経て草堂へと向かうことになる。
市橋にさしかかると柳が芽吹く前でほそぼそと垂れており、東流する錦江の路ぞいには野梅の花がにおい始めたようだ。
部屋に入ると売却して隙間ができた書棚に書衣をそばへ寄せて補う。薬の標題を看ながら売って減った薬の嚢を確認する。
ちょっと人目を気にして出かけたのだが往きもかえりもだれもそれに気がつかれないようだ。こんな隠棲生活は元来無精なのんびりした気持ちにどんなにか良いことであろうか。


(訳注)
西郊
○西郊
 成都城西南の城外付近。


時出碧雞坊,西郊向草堂。
帰りたいと思い時がきたようなので、城内西南の碧雞坊を出る。城外の西郊を経て草堂へと向かうことになる。
○碧難坊 成都城の西南の坊の名。『梁益記』「成都之坊,百有二十,第四曰碧雞坊。」


市橋官柳細,江路野梅香。
市橋にさしかかると柳が芽吹く前でほそぼそと垂れており、東流する錦江の路ぞいには野梅の花がにおい始めたようだ。
〇市橋 城の西南四里にあるという。参考図作成 参照。
○官柳細 市橋のながれにに沿って植えられている官でうえた柳が目吹く前で条だけの様子を云う。。
○江路 東流する錦江の路ぞい。
○野梅 錦江の川沿いに誰が植えたかわからないが梅が咲き始めた。

桃園001


傍架齊書帙,看題減藥囊。
部屋に入ると売却して隙間ができた書棚に書衣をそばへ寄せて補う。薬の標題を看ながら売って減った薬の嚢を確認する。
○架 本だな。
○帙 書衣、墨汁で染めた衣をいう。長安では質屋に通って酒を飲んだ。曲江
曲江二首 其一 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 244
曲江二首 其二 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 245
曲江封酒 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 246
曲江封雨 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 247
曲江陪鄭八丈南史 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 248
○題 薬の整理した棚に書いている標題。
○減 薬の減ったのをしらべる。


無人覺來往,疏懶意何長。
ちょっと人目を気にして出かけたのだが往きもかえりもだれもそれに気がつかれないようだ。こんな隠棲生活は元来無精なのんびりした気持ちにどんなにか良いことであろうか。
○無人覚来往 「人が杜甫の来往を知らぬ」(書籍と薬売却)をいう。往とは草堂より城中へでかけたことをいい、來とは城中より草堂へもどって来ることをいう、此の詩は人目を気にして本と薬を売りに行くその帰り以降をのべながら、その動と静を対させた隠棲生活を悦にいっているのである


奉酬李都督表丈早春作 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 1)  杜甫 <406> 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1975 杜甫詩1000-406-589/1500


奉酬李都督表丈早春作 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 1)  杜甫 <406> 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1975 杜甫詩1000-406-589/1500


2013年2月24日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩贈白馬王彪 其七 曹植(曹子建) 魏詩<46>文選 贈答二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1973
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道をたずねる 原道 17回~24回 まとめ(3) 韓愈(韓退之) <115-26>Ⅱ中唐詩598 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1974
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集奉酬李都督表丈早春作 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 1)  杜甫 <406> 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1975 杜甫詩1000-406-589/1500
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Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集宿桐廬江寄廣陵舊遊 孟浩然 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 1976 (02/24)
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 古詩十九首 (1) 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67676781.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。李商隠詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首 
 



詩 題:奉酬李都督表丈早春作 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(4 - 1) 
作時761年1月杜甫50歳 掲 載;
杜甫1000首の406首目-#4 – 1
杜甫ブログ1500回予定の-589回目  



奉酬李都督表丈早春作
(李表丈都督に酬いるのに「早春作」詩をお贈り申し上げます。)
力疾坐清曉,來詩悲早春。
持病でこの日は起き上がれず座ったままで清々しい夜明けを迎える。詩を衝くために行きたいけれどこの早春は悲しいものだ。
轉添愁伴客,更覺老隨人。
ますます介添えがいるようになってきて来客もみんなが心配をしてくれる。その上年を取ってきて付添い人の必要性さえ覚えるようである。
紅入桃花嫩,青歸柳葉新。
赤い花が目に入ってくるのは桃の若々しい花びらである。青いものが帰っていくのは柳の葉が新しく芽吹いてきているのである。
望鄉應未已,四海尚風塵。
故郷を望むことはまさにいまだに実現するに至ってはいない。というのも国中東西南北どこへ行ってもいまだに戰の砂塵がおさまっていないからなのだ。

(李都督表丈に酬い早春の作を奉つる)
力疾して清曉に坐し,來詩して早春に悲しむ。
轉【うた】た添うは 伴客を愁い,更に覺ゆ 老隨人。
紅入りて 桃花の嫩,青歸して 柳葉 新たなり。
望鄉 應に未だ已まず,四海 尚お風塵なり。


寒梅002


『奉酬李都督表丈早春作』 現代語訳と訳註
(本文)

奉酬李都督表丈早春作
力疾坐清曉,來詩悲早春。
轉添愁伴客,更覺老隨人。
紅入桃花嫩,青歸柳葉新。
望鄉應未已,四海尚風塵。


(下し文)
(李都督表丈に酬い早春の作を奉つる)
力疾して清曉に坐し,來詩して早春に悲しむ。
轉【うた】た添うは 伴客を愁い,更に覺ゆ 老隨人。
紅入りて 桃花の嫩,青歸して 柳葉 新たなり。
望鄉 應に未だ已まず,四海 尚お風塵なり。


(現代語訳)
(李表丈都督に酬いるのに「早春作」詩をお贈り申し上げます。)
持病でこの日は起き上がれず座ったままで清々しい夜明けを迎える。詩を衝くために行きたいけれどこの早春は悲しいものだ。
ますます介添えがいるようになってきて来客もみんなが心配をしてくれる。その上年を取ってきて付添い人の必要性さえ覚えるようである。
赤い花が目に入ってくるのは桃の若々しい花びらである。青いものが帰っていくのは柳の葉が新しく芽吹いてきているのである。
故郷を望むことはまさにいまだに実現するに至ってはいない。というのも国中東西南北どこへ行ってもいまだに戰の砂塵がおさまっていないからなのだ。

美女画557

(訳注)
奉酬李都督表丈早春作

李表丈都督に酬いるのに「早春作」詩をお贈り申し上げます。
・李表丈 錦城の李都督から新春の詩を要望されてそれに応えて作って贈った詩である。761年上元2年新春の作。
・都督(ととく)とは中国の官職または称号。三国時代に現れ、軍政を統轄した。本来、監督、統轄の意味で、軍司令官のことをいった。三国時代に諸州の軍権が民政から独立していき、都督が諸州諸軍事の長官とされた。多くは州の長官である刺史を兼ね、都督府を置いて府官を任じた。その後、六朝時代を通じて都督の官名が使われた。唐代には節度使が置かれたため、その権限は縮小した。


力疾坐清曉,來詩悲早春。
持病でこの日は起き上がれず座ったままで清々しい夜明けを迎える。詩を衝くために行きたいけれどこの早春は悲しいものだ。
・力疾 体に力を入れることが出来ない持病。【神経痛・リュウマチ】


轉添愁伴客,更覺老隨人。
ますます介添えがいるようになってきて来客もみんなが心配をしてくれる。その上年を取ってきて付添い人の必要性さえ覚えるようである。
・轉添 ますます、いよいよ介添えがいること。

紅入桃花嫩,青歸柳葉新。
赤い花が目に入ってくるのは桃の若々しい花びらである。青いものが帰っていくのは柳の葉が新しく芽吹いてきているのである。
・嫩 わかわかしい。


望鄉應未已,四海尚風塵。
故郷を望むことはまさにいまだに実現するに至ってはいない。というのも国中東西南北どこへ行ってもいまだに戰の砂塵がおさまっていないからなのだ。

寄贈王十將軍承俊 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -19) <405> 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1970 杜甫詩1000-405-588/1500

寄贈王十將軍承俊 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -19) <405> 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1970 杜甫詩1000-405-588/1500


2013年2月23日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩贈白馬王彪 其六 曹植(曹子建) 魏詩<45>文選 贈答二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1968
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Ⅱ中唐詩・晩唐詩道をたずねる。 原道 1回~12回 まとめ(1) 韓愈(韓退之) <25>Ⅱ中唐詩597 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1969
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Ⅲ杜甫詩1000詩集寄贈王十將軍承俊 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -19) <405> 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1970 杜甫詩1000-405-588/1500
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Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集望洞庭湖贈張丞相 孟浩然 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 1971 (02/23)
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩
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於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上 
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謝靈運詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー
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孟浩然の詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。李商隠詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
 
 
 

詩 題:寄贈王十將軍承俊 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -19) 
作時760年9月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000首の405首目-#3 -19
杜甫ブログ1500回予定の-588回目  



寄贈王十將軍承俊
(王承俊十將軍に送って寄せる詩。)
將軍膽氣雄。臂懸兩角弓。
将軍は気魄こもる度胸と勇壮なお方である。その両方の肩から腕に伝統の勇者が持つ角弓がかかっている。
纏結青驄馬,出入錦城中。
大宛国の若い青白色の駿馬のたてがみには纏いが結びつけてある。錦城を出入する隊列の中心的な存在である。
時危未授鉞,勢屈難為功!
ただ今は危急存亡の時であるのに、全権委任の天子からのマサカリはまだ授けられてはいないようだ。これではその勢いあるけれど勲功をあげるには難しく安史軍に屈せられてしまうではないか
賓客滿堂上,何人高義同?

此れだけの賓客がこの講堂にいっぱいになるだけ参集しているが、この将軍ほどの高い志、正義感を同じようにもつひとがどれだけいるだろうか、居りはしない。

(王十將軍承俊に贈りて寄せる)
將軍 膽氣の雄。臂 兩つながら角弓に懸る。
纏結するは青の驄馬,出入するは錦城の中。
時に危ゆくするは未だ鉞を授けざらん,勢いに屈するは功を為し難し!
賓客 堂の上に滿ち,何人か高義に同じゅうとせんや?


『寄贈王十將軍承俊』 現代語訳と訳註
(本文)
寄贈王十將軍承俊
將軍膽氣雄。臂懸兩角弓。
纏結青驄馬,出入錦城中。
時危未授鉞,勢屈難為功!
賓客滿堂上,何人高義同?


(下し文)
(王十將軍承俊に贈りて寄せる)
將軍 膽氣の雄。臂 兩つながら角弓に懸る。
纏結するは青の驄馬,出入するは錦城の中。
時に危ゆくするは未だ鉞を授けざらん,勢いに屈するは功を為し難し!
賓客 堂の上に滿ち,何人か高義に同じゅうとせんや?


(現代語訳)
(王承俊十將軍に送って寄せる詩。)
将軍は気魄こもる度胸と勇壮なお方である。その両方の肩から腕に伝統の勇者が持つ角弓がかかっている。
大宛国の若い青白色の駿馬のたてがみには纏いが結びつけてある。錦城を出入する隊列の中心的な存在である。
ただ今は危急存亡の時であるのに、全権委任の天子からのマサカリはまだ授けられてはいないようだ。これではその勢いあるけれど勲功をあげるには難しく安史軍に屈せられてしまうではないか
此れだけの賓客がこの講堂にいっぱいになるだけ参集しているが、この将軍ほどの高い志、正義感を同じようにもつひとがどれだけいるだろうか、居りはしない。


(訳注)
寄贈王十將軍承俊

王承俊十將軍に送って寄せる詩。


將軍膽氣雄。臂懸兩角弓。
将軍は気魄こもる度胸と勇壮なお方である。その両方の肩から腕に伝統の勇者が持つ角弓がかかっている。
・膽氣雄 膽:きも。膽氣:気魄こもる度胸 雄:勇壮。勇気。
・臂 ひじ肩から手首までの部分。腕。
・角弓 弓の端を角で固めたものでたんなるそうしょくではない。


纏結青驄馬,出入錦城中。
大宛国の若い青白色の駿馬のたてがみには纏いが結びつけてある。錦城を出入する隊列の中心的な存在である。
・纏 まとい
・驄馬 青白色の馬。杜甫『驄馬行』。杜甫は馬が好きで馬について大串を残している。それを紹介している秦州雜詩二十首 其三 杜甫 1部 <256> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1217 杜甫詩 700- 370を参照されたい。


時危未授鉞,勢屈難為功!
ただ今は危急存亡の時であるのに、全権委任の天子からのマサカリはまだ授けられてはいないようだ。これではその勢いあるけれど勲功をあげるには難しく安史軍に屈せられてしまうではないか
・授鉞 節鉞とおなじ。天子より軍権を御委任あるしるしとして賜わる鉞(まさかり)。・鉞 マサカリやオノは、鋭い刃先をもつ鉄部に細長い柄を取り付けた道具で、石器にも原形が見られる原始的な道具の一つ。鉞:中国の殷・周時代を中心として使用された青銅利器で,斧の類の大型のものをいう。


賓客滿堂上,何人高義同?
此れだけの賓客がこの講堂にいっぱいになるだけ参集しているが、この将軍ほどの高い志、正義感を同じようにもつひとがどれだけいるだろうか、居りはしない。
高義 高い志、正義感をもつひと。人間の行動・志操に関する概念を持つ。儒教の主要な思想であり、五常(仁・義・礼・智・信)のひとつである。正しい行いを守ることであり、人間の欲望を追求する「利」と対立する概念として考えられた(義利の辨)。

和裴迪登蜀州東亭送客逢早梅相憶見寄 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -18) <404> 七言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1965 杜甫詩1000-404-587/1500

和裴迪登蜀州東亭送客逢早梅相憶見寄 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -18) 



2013年2月22日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩贈白馬王彪 其五-#2 曹植(曹子建) 魏詩<44>文選 贈答二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1958
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Ⅱ中唐詩・晩唐詩原道 韓愈(韓退之) 14段目最終<115-24>Ⅱ中唐詩596 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1964
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Ⅲ杜甫詩1000詩集和裴迪登蜀州東亭送客逢早梅相憶見寄 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -18) <404> 七言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1965 杜甫詩1000-404-587/1500
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古詩十九首 (1) 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67676781.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
 





和裴迪登蜀州東亭送客逢早梅相憶見寄 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -18)  杜甫 <404> 七言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1965 杜甫詩1000-404-587/1500


詩 題:和裴迪登蜀州東亭送客逢早梅相憶見寄 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -18) 
作時760年12月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000首の404首目-#3 -18
杜甫ブログ1500回予定の-587回目    


和裴迪登蜀州東亭送客逢早梅相憶見寄
(裴迪が蜀州の東亭にのぼって人を送り、そのとき早咲きの梅花をみたので、自分を憤って詩をよこしてくれた。その詩に和して作った詩。)
東閣官梅動詩興,還如何遜在揚州。
あなたは東亭の樓閣の庭の官梅をみて詩興をうごかす。それはむかし何遜が揚州に居た時のことによく似ている。
此時對雪遙相憶,送客逢春可自由?
このときあなたは雪に対してはるかかなたにいたわたしのことを思うてくれたのだが、今日、あなたが旅立つのを送りながらこの春を思わせる景色に出くわして心も晴れやかに自由な気分になられて、此処だけの話をすることが出来るのだ。
幸不折來傷歲暮,若為看去亂鄉愁。
幸いにして王維殿が閑職になって自損状態であることは私にとってこの年の暮れを心傷まずにすんだということなのだ。ここの早咲きの梅を見て旅立たれることはどんなにか王維殿を思い、郷里の愁心がかきたてられるものである。
江邊一樹垂垂發,朝夕催人自白頭。

私の住む浣花渓の川縁にも一本梅があり、どの梅の木も枝垂れて咲いているのである。それをみて朝夕わたしの心に王維殿を思うため、この白髪頭がますますしろくしてしまうのではないかとおもうのである。

(裴迪【はいてき】が蜀州の東亭に登りて客を送り早梅に逢いて相憶うて寄せらるるに和す)
東閣の官梅【かんばい】詩興を動かす、還た何遜【かそん】が揚州【とうしゅう】に在りしが如し。
此の時雪に対して遙かに相憶う、客を送り春に逢う自由なる可し。
幸いにも歳暮を傷ましむことの折り来らず、若為【いかん】ぞ看らん去って郷愁を乱るるを。
江辺の一樹 垂垂【すいすい】として発す、朝夕【ちょうせき】人を催【うなが】して自ずから白頭ならしむ。

成都561

『和裴迪登蜀州東亭送客逢早梅相憶見寄』 現代語訳と訳註
(本文)
和裴迪登蜀州東亭送客逢早梅相憶見寄
東閣官梅動詩興,還如何遜在揚州。
此時對雪遙相憶,送客逢春可自由?
幸不折來傷歲暮,若為看去亂鄉愁。
江邊一樹垂垂發,朝夕催人自白頭。


(下し文)
(裴迪【はいてき】が蜀州の東亭に登りて客を送り早梅に逢いて相憶うて寄せらるるに和す)
東閣の官梅【かんばい】詩興を動かす、還た何遜【かそん】が揚州【とうしゅう】に在りしが如し。
此の時雪に対して遙かに相憶う、客を送り春に逢う自由なる可し。
幸いにも歳暮を傷ましむことの折り来らず、若為【いかん】ぞ看らん去って郷愁を乱るるを。
江辺の一樹 垂垂【すいすい】として発す、朝夕【ちょうせき】人を催【うなが】して自ずから白頭ならしむ。


(現代語訳)
(裴迪が蜀州の東亭にのぼって人を送り、そのとき早咲きの梅花をみたので、自分を憤って詩をよこしてくれた。その詩に和して作った詩。)
あなたは東亭の樓閣の庭の官梅をみて詩興をうごかす。それはむかし何遜が揚州に居た時のことによく似ている。
このときあなたは雪に対してはるかかなたにいたわたしのことを思うてくれたのだが、今日、あなたが旅立つのを送りながらこの春を思わせる景色に出くわして心も晴れやかに自由な気分になられて、此処だけの話をすることが出来るのだ。
幸いにして王維殿が閑職になって自損状態であることは私にとってこの年の暮れを心傷まずにすんだということなのだ。ここの早咲きの梅を見て旅立たれることはどんなにか王維殿を思い、郷里の愁心がかきたてられるものである。
私の住む浣花渓の川縁にも一本梅があり、どの梅の木も枝垂れて咲いているのである。それをみて朝夕わたしの心に王維殿を思うため、この白髪頭がますますしろくしてしまうのではないかとおもうのである。


(訳注)
和裴迪登蜀州東亭送客逢早梅相憶見寄

裴迪が蜀州の東亭にのぼって人を送り、そのとき早咲きの梅花をみたので、自分を憤って詩をよこしてくれた。その詩に和して作った詩。上元元年冬の作
○裴迪 詩人であり、王維の親友である。王維の弟王潜の所に来ていた。王維と数年かけて輞川集をつくる。

王維 罔川集 20

和裴迪登新津寺寄王侍郎 杜甫 成都(2)浣花渓の草堂(3 -6)388 紀頌之の漢詩ブログ1879

王維 『口號又示裴迪

○蜀州 成都府崇寧州の地、成都の西方百里(56km、直線40km地図参照)にある。
○東閣 東亭をさす。城郭の東にある駅舎の近くにある亭で簡単な宿泊と送別のための宴会をするための簡易料亭の様なもの。
○官梅 官のうえたうめ。


東閣官梅動詩興,還如何遜在揚州。
あなたは東亭の樓閣の庭の官梅をみて詩興をうごかす。それはむかし何遜が揚州に居た時のことによく似ている。
○動詩興 裴迪がうごかすのである。
○何遜在揚州 梁の何遜は507年天監六年揚州の刺史建安王偉の記室として彼に従って揚州にあり、「早梅詩」を作った、何遜‧詠早梅詩.
兔園標物序,驚時最是梅。 銜霜當路發,映雪擬寒開。
枝橫卻月觀,花繞凌風臺。 知應早飄落,故逐上春來。
(枝は横にして月観を椰け、花は遼りて風台を凌ぐ。まさに知る早に飄落するを,故に逐上す春來たるを。)の句がある。・何 遜(467年? - 518年?)は中国南北朝時代の文学者。東海郯の人。字は仲言。


此時對雪遙相憶,送客逢春可自由?
このときあなたは雪に対してはるかかなたにいたわたしのことを思うてくれたのだが、今日、あなたが旅立つのを送りながらこの春を思わせる景色に出くわして心も晴れやかに自由な気分になられて、此処だけの話をすることが出来るのだ。
○對雪遙相憶 冬の間長安から雪を見て裴迪が杜甫の事を憶うことをいう。王維は朝廷に弟の長安復帰を願い出ていたものでその関係で蜀州の王維の弟王潜の所に来ていた。杜甫の尊敬する王維の絶大に信頼している裴迪との関係を示すもの。
○送客逢春 裴迪をいう。
○可自由 裴迪を評することば、心の自由を得たのであろうという意。王維も官を辞しており、王維の本心、表向きに言えないことを話し合ったのではなかろうか。「南都問題」など朝廷批判の話をしたのだろう。、


幸不折來傷歲暮,若為看去亂鄉愁。
幸いにして王維殿が閑職になって自損状態であることは私にとってこの年の暮れを心傷まずにすんだということなのだ。ここの早咲きの梅を見て旅立たれることはどんなにか王維殿を思い、郷里の愁心がかきたてられるものである。
○折来 梅を折る。王維が仕事上の全く実権のない閑職に移されて朝廷での意欲がなくなっていること。(王維は給事中から尚書右丞(正四品上)に昇進したこと―このことで朝廷にでなくなる。半年後に死没。)春別れを告げる際には柳を折る。秋の進士試験に及第たら香桂を折る。早梅は希望を示すものでその希望(王維の弟の長安復帰)がかなえられたことを示す。代わりに閑職にされる。
○傷 こちらが心をいためる。
○看去 折り来たった梅花をみることをいう。
○乱郷愁 みれば思郷の愁心をみだす。王維のことを心配する。


江邊一樹垂垂發,朝夕催人自白頭。
私の住む浣花渓の川縁にも一本梅があり、どの梅の木も枝垂れて咲いているのである。それをみて朝夕わたしの心に王維殿を思うため、この白髪頭がますますしろくしてしまうのではないかとおもうのである。
○江辺 錦江のほとり。
○垂垂 何本かある梅の木の枝がしだれて咲くさま。
発 梅花のひらくことをいう。
○催人白頭 梅花をみればまた一年をすごすかと感ずる、花が人の老をうながすに似ている。王維のことを心配する。

nat0003

寄楊五桂州譚 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -17)  杜甫 <403> 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1960 杜甫詩1000-403-586/1500

寄楊五桂州譚

2013年2月21日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩贈白馬王彪 其五-#1 曹植(曹子建) 魏詩<44>文選 贈答二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1958
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩原道 韓愈(韓退之) 13段目-#2<115-23>Ⅱ中唐詩595 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1959
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集寄楊五桂州譚 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -17)  杜甫 <403> 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1960 杜甫詩1000-403-586/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集送杜十四之江南 孟浩然<34> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 1961 (02/21)
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Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性酬李郢夏日釣魚回見示 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-83-19  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1962
 
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 古詩十九首 (1) 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67676781.html
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為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。李商隠詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
 



寄楊五桂州譚 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -17)  杜甫 <403> 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1960 杜甫詩1000-403-586/1500
 
詩 題:寄楊五桂州譚 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -17) 
作時760年10月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000首の403首目-#3 -17
杜甫ブログ1500回予定の-586回目  
桂州の刺史楊譚のところへ、その参軍たる段某が赴任するのにつけて寄せた詩。
 中国の南の方は、暑くて毒気が充満しているので病気になるといわれている。桂州は南の方から北西の山に入っていくので生活するに毒気を考えなくてもよい場所だと述べます。当時、マラリアの発病は毒気から来ると思われていたのです。



寄楊五桂州譚
桂州の刺史楊譚によせる。
* 〔原注〕因州参軍段子之任
(成都より桂州の貴下のもとへ赴任する段君の送別に因んで。)
五嶺皆炎熱,宜人獨桂林。
五嶺地方はどこも暑いところで「炎熱」というマラリヤがはやっている。ところが、人体によろしいのはむかしから、ただ桂林ばかりであるという。
梅花萬裡外,雪片一冬深。
そこははるか万里の遠くに在るというのに梅の花がさくという、ただ奥深い所では冬中積雪も深いということだ。
聞此寬相憶,為邦複好音。
この話をきいてわたしはあなたを心配してたのが安堵に変わったのである。そんな場所で長官になるということはこんどはまことに良いお便りを聞くことであろうと思うのであります。
江邊送孫楚,遠附白頭吟。
ここ錦江のほとりでそちらへ段参軍が行かれるのを送り、そしてこの白髪頭が作った詩を送り届ける次第であります。

(楊五桂州譚に寄す)
*(州の参軍段子の任に之くに因る)。
五嶺は皆炎熱なり、人に宜しきは独り桂林のみ。
梅花 万里の外にあり、雪片 一冬に深きなり。
此れを聞いて相憶を寛にし 邦を為むる復好を音にす。
江辺 孫楚を送る 遠く附す白頭の吟。


natsusora01
 
『寄楊五桂州譚』 現代語訳と訳註
(本文)
寄楊五桂州譚
* 〔原注〕因州参軍段子之任
五嶺皆炎熱,宜人獨桂林。
梅花萬裡外,雪片一冬深。
聞此寬相憶,為邦複好音。
江邊送孫楚,遠附白頭吟。


(下し文)
(楊五桂州譚に寄す)
*(州の参軍段子の任に之くに因る)。
五嶺は皆炎熱なり、人に宜しきは独り桂林のみ。
梅花 万里の外にあり、雪片 一冬に深きなり。
此れを聞いて相憶を寛にし 邦を為むる復好を音にす。
江辺 孫楚を送る 遠く附す白頭の吟。


(現代語訳)
桂州の刺史楊譚によせる。(成都より桂州の貴下のもとへ赴任する段君の送別に因んで。)
五嶺地方はどこも暑いところで「炎熱」というマラリヤがはやっている。ところが、人体によろしいのはむかしから、ただ桂林ばかりであるという。
そこははるか万里の遠くに在るというのに梅の花がさくという、ただ奥深い所では冬中積雪も深いということだ。
この話をきいてわたしはあなたを心配してたのが安堵に変わったのである。そんな場所で長官になるということはこんどはまことに良いお便りを聞くことであろうと思うのであります。

ここ錦江のほとりでそちらへ段参軍が行かれるのを送り、そしてこの白髪頭が作った詩を送り届ける次第であります。

(訳注)
寄楊五桂州譚
* 〔原注〕因州参軍段子之任

桂州の刺史楊譚によせる。(成都より桂州の貴下のもとへ赴任する段君の送別に因んで。)
○楊五桂州譚 桂州の刺史楊譚。
○参軍段子 楊譚の部下の官である段某、段は成都より桂州へ赴任するのである。

韓愈の地図03

五嶺皆炎熱,宜人獨桂林。
五嶺地方はどこも暑いところで「炎熱」というマラリヤがはやっている。ところが、人体によろしいのはむかしから、ただ桂林ばかりであるという。
〇五嶺 広東・広酉の北にある五つの嶺、始安・越城・臨賀・大庚・腺嶺をいう。南蛮と呼ばれた地域でれきだい統治にも苦労した
竜門閣』 
目眩隕雜花,頭風吹過雨。百年不敢料,一墜那複取!
飽聞經瞿塘,足見度大庾。終身歷艱險,恐懼從此數!
○炎熱 昏炎瘴 炎熱の気、悪い水蒸気におおわれてくらい。瘴癘:マラリア。当時はムッとするような湿気を含んだ暖かい気候は毒ガスであると考えられていたことによる。杜甫『寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻』夢李白  二首 其一
死別已吞聲、 生別常惻惻。  
江南瘴癘地、 逐客無消息。』
故人入我夢、 明我長相憶。
恐非平生魂、 路遠不可測。」
夢李白二首 其一 <230-#1>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1118 杜甫特集700- 337

 ○桂林 桂州をいう、今の広酉省桂林府。


梅花萬裡外,雪片一冬深。
そこははるか万里の遠くに在るというのに梅の花がさくという、ただ奥深い所では冬中積雪も深いということだ。
○梅花 大庚嶺は最も梅を以て有名である、古来、桂林は梅が有名でこれを用いた。
○雪片 嶺南は北回帰線にあるため雪がなく、ただ桂林は北の冷気がおりやすい所にあるので冬雪がある。夏にも他所より涼しい地である。地図参照。


聞此寬相憶,為邦複好音。
この話をきいてわたしはあなたを心配してたのが安堵に変わったのである。そんな場所で長官になるということはこんどはまことに良いお便りを聞くことであろうと思うのである。
○此 梅があり、雪があるとのことをさす。
○寛相憶 おもうこころをくつろがす。心を落ち着ける。安堵する。
○為邦 桂州を治めること、其の地の長官であることをさす。
○好音 良い便り、思うに楊より書信のあったことをさすのであろう。


江邊送孫楚,遠附白頭吟。
ここ錦江のほとりでそちらへ段参軍が行かれるのを送り、そしてこの白髪頭が作った詩を送り届ける次第であります。
○江辺 錦江のほとり。 
○送孫楚 孫楚は晋の石笣の参軍であった。楊を石笣とみなし、段子を孫楚にあてていう。
○附 托すること。 
○白頭吟 此の詩篇をさす。杜甫が後輩の官僚に対して自分をさす言葉として、白頭を使う。 


寄楊五桂州譚
* 〔原注〕因州参軍段子之任
五嶺皆炎熱,宜人獨桂林。
梅花萬裡外,雪片一冬深。
聞此寬相憶,為邦複好音。
江邊送孫楚,遠附白頭吟。

(楊五桂州譚に寄す)
五嶺は皆炎熱なり 人に宜しきは独り桂林のみ
梅花万里の外 雪片一冬深し
此れを聞いて相憶を寛にす 邦を為むる復好音
江辺孫楚を送る 遠く附す白頭吟


村夜 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -14)  杜甫 <402> 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1955 杜甫詩1000-402-585/1500

村夜 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -14)  杜甫 <402> 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1955 杜甫詩1000-402-585/1500 




2013年2月20日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩贈白馬王彪 其四 曹植(曹子建) 魏詩<43>文選 贈答二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1953
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩原道 韓愈(韓退之) 13段目の#1<115-22>Ⅱ中唐詩594 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1954
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集村夜 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -14)  杜甫 <402> 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1955 杜甫詩1000-402-585/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集宿天台桐柏觀 孟浩然 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 1956 (02/20)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性冬夜寄溫飛卿 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-82-18-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1957
 
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謝靈運詩
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー
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孟浩然の詩
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http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
 


詩 題:村夜 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -14) 
作時760年10月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000首の402首目-#3 -14
杜甫ブログ1500回予定の-585回目  
真冬の夜は何もすることがない。浣花渓の村、静かな夜のさまをのべる。


村夜
風色蕭蕭暮,江頭人不行。
真冬になりあたりの様子が寂しく変わって日も暮れる。錦江のほとりに行き交う船も通る人もない。
村舂雨外急,鄰火夜深明。
時雨の降りしきる中、遠くに水車の音が聞こえてくる。夜も更けて隣の家の明かりがずっと点いていて、目に残る。
胡羯何多難?漁樵寄此生。
それにつけてもどうして安史の叛乱軍はどうしてこういろんな難儀の輩なのだ。わたしはここで隠遁して山で芝刈りや、猟師の間に寄せて生きているので影響は及ばない。
中原有兄弟,萬裡正含情。

兄弟達はその洛陽・河南池方にいるのだ。遙か彼方のことをいろいろ考えると、まさにじっとふさぎこんでしまう。

(村 夜)
風色 粛粛として暮る、江頭 人行かず。
村春 雨外に急なる、隣火 夜深に明らかなり。
胡羯 何ぞ多難なる、漁樵 寄せて此に生す。
中原に兄弟有り、万里正に情を含む。

moon4733


『村夜』 現代語訳と訳註
(本文)

村夜
風色蕭蕭暮,江頭人不行。
村舂雨外急,鄰火夜深明。
胡羯何多難?漁樵寄此生。
中原有兄弟,萬裡正含情。


(下し文)
(村 夜)
風色 粛粛として暮る、江頭 人行かず。
村春 雨外に急なる、隣火 夜深に明らかなり。
胡羯 何ぞ多難なる、漁樵 寄せて此に生す。
中原に兄弟有り、万里正に情を含む。


(現代語訳)
真冬になりあたりの様子が寂しく変わって日も暮れる。錦江のほとりに行き交う船も通る人もない。
時雨の降りしきる中、遠くに水車の音が聞こえてくる。夜も更けて隣の家の明かりがずっと点いていて、目に残る。
それにつけてもどうして安史の叛乱軍はどうしてこういろんな難儀の輩なのだ。わたしはここで隠遁して山で芝刈りや、猟師の間に寄せて生きているので影響は及ばない。
兄弟達はその洛陽・河南池方にいるのだ。遙か彼方のことをいろいろ考えると、まさにじっとふさぎこんでしまう。


(訳注)
村  夜
○村夜 江村の夜。
真冬の夜は何もすることがない。浣花渓の村、静かな夜のさまをのべる。


風色蕭蕭暮,江頭人不行。
真冬になりあたりの様子が寂しく変わって日も暮れる。錦江のほとりに行き交う船も通る人もない。
○江頭 錦江のほとり。


村舂雨外急,鄰火夜深明。
時雨の降りしきる中、遠くに水車の音が聞こえてくる。夜も更けて隣の家の明かりがずっと点いていて、目に残る。
○村春 むらびとの米つきのおと、水車を用いてつくのである。
○隣火 となりの家の火。
静かな中の、「風」「人」「雨」「音」「あかり」を描写することで何事もない夜の静けさをあらわす。ここまでの時と景色との動きの表現が素晴らしい。


胡羯何多難?漁樵寄此生。
それにつけてもどうして安史の叛乱軍はどうしてこういろんな難儀の輩なのだ。わたしはここで隠遁して山で芝刈りや、猟師の間に寄せて生きているので影響は及ばない。
○胡羯 安禄山・史思明の党。中国,魏晋南北朝時代の4世紀に北方に侵入した異民族の一つで,匈奴(きょうど)の一種族と考えられる。いわゆる〈五胡〉の一つ。華北に興亡した五胡十六国の一つの後趙(こうちょう)(319年―351年)を建国した石勒(せきろく)は羯人であった。
漁樵  隠遁者。あるいはそのすること。


中原有兄弟,萬裡正含情。
兄弟達はその洛陽・河南池方にいるのだ。遙か彼方のことをいろいろ考えると、まさにじっとふさぎこんでしまう。
○中原 洛陽・河南池方。
○含情 じっとおもいをむねのうちにもつ。




(村 夜)
風色蕭蕭暮,江頭人不行。村舂雨外急,鄰火夜深明。
胡羯何多難?漁樵寄此生。中原有兄弟,萬裡正含情。

風色粛粛として暮る 江頭人行かず
村春雨外に急に 隣火夜深に明らかなり
胡掲何ぞ多難なる 樵漁に此の生を寄す
中原に兄弟有り 万里正に情を含む


建都十二韻 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -13-#3)  杜甫 <401> #3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1950 杜甫詩1000-401-584/1500

建都十二韻 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -13-#3)  杜甫 <401> #3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1950 杜甫詩1000-401-584/1500
 

2013年2月19日 同じ日の紀頌之5つのブログ

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古詩十九首 (1) 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67676781.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
杜甫詩index 杜甫詩  
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


詩 題:建都十二韻 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -13-#3) 
作時760年11月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000首の401首目-#3 -13-#3
杜甫ブログ1500回予定の-584回目    建都十二韻 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -13-#3) 


建都十二韻
蒼生未蘇息,胡馬半乾坤。
人民はいまだに平穏な生活を取り戻すことに至っていない。安史軍の兵馬が天下の半分の地域にもひろがっている状態なのだ。
議在雲臺上,誰扶黃屋尊?』
このとき雲台といわれる朝廷において荊州を南都という建都の議論がなされるのである。こんなことをやろうというのはそもそも何人が唐王朝の太宗いらいつづいている天子の尊厳をおたすけすることになると思っているのであろうか。』
建都分魏闕,下韶闢荊門。
魏からつづく高い宮門を分けてしまうという。きけば詔を下して荊門の地方を新天地としてひらこうということである。
恐失東人望,其如西極存。
ただ、それをやめるならば荊州の東方の人々の失望することだろうし、気の毒なことである。そして、すでに鳳翔の西京というものがあるのをどうするか、安史軍の兵馬を平定できたところから幾つも都を置くというのだろう。
時危當雪恥,計大豈輕論?
時世は滅亡への道も予感として思うほど危い時なのであり、今は、これまでの恥辱をそそぐべき時である。こういう時期であるのに都をあらたに設けて人心を集めるなどの大なる計は軽はずみな論をすべきではないのである。
雖倚三堦正,終愁萬國翻。』
粛宗皇帝は正しい施政方針にのっとりおこなわれているということかもしれないが、この建都計画だけは天下万国がひっくりかえることにはしないかと心配をしてしまうのだ。』
牽裾恨不死,漏網荷殊恩。
自分は三年も前に房琯が事についてお諌めしたとき、魏の辛毗の故事のように強くお裾をひっぱって粛宗皇帝を怒らせたお諌めのために死ねばよかったのである。ただ、さいわいにも刑罰の網からゆるされて特別のご恩にあずかったのである。
永負漢庭哭,遙憐湘水魂。
それは、賈誼が漢の朝廷で文帝の前で呼び戻され哭したようにならないのは申し訳がないとはおもう。また、それに屈原のように湘水の魂と変わってしまうことは私とは少し考えが離れたもので憐れに思うのだ。

窮冬客江劍,隨事有田園。
いま冬の真っただ中という時節にこの嘉陵江を渡り、剣門を越えて蜀の地に客となっている。ともかく也依稀ではあるが田園までもっているのである。
風斷青蒲節,霜埋翠竹根。』
房琯を擁護する発言に端を発し、青い蒲の上で死ぬ気でお諌めいたした節以来の風雨に吹きちぎられたように官を辞した。夢と希望で左拾遺の職についていたがその翠竹の根は剣門を越えて都から離れ霜に埋められようとしている。』
衣冠空攘攘,關輔久昏昏。
私のみるところでは最近の長安の官員の数がむやみに多いようである。あれだけ重要知識人物、賢臣に輝いていた都の附近の地はいまや昏昏として日の光もささぬ媚を売る奸臣ばかりになっているのだ。
願枉長安日,光輝照北原。』

私の願いは、日の光をむりやりでも向けかえて、長安をてらしてほしいのだ。そして、その輝ける天子の光で安史軍の根拠地の河北の地方を照らすようにしてもらいたいものである。(人が増えたからといって、南都を新設するなどは急務のことではないのである)』

(都を建つ 十二韻)
蒼生未だ蘇息せず、胡馬乾坤に半ばなり。
議は雲台の上に在り、誰か黄屋の尊を扶けん。』
都建てて魏闕を分かつ、韶を下して荊門を闢く。
東人の望みを失わんことを恐るるも。其れ西極の存するを如せん。

時危くして当に恥を雪ぐべし、計大なり豊軽としく論ぜんや。
三堦の正しきに侍ると錐も、終に愁う万国の翻らんことを。』
裾を牽く恨むらくは死せざりしを、網より漏らす殊恩を辱のうす。
永く負く漢庭の哭、進かに憐れむ湘水の魂。

窮冬江剣に客たり、随事田園有り。
風は断つ青蒲の節、霜は埋む翠竹の根。』
衣冠空しく攘攘たり、関輔久しく昏昏たり。
願わくは長安の日を枉げて、光輝北原を照らさん。』

2012new02


『建都十二韻』 現代語訳と訳註
(本文)

窮冬客江劍,隨事有田園。
風斷青蒲節,霜埋翠竹根。』
衣冠空攘攘,關輔久昏昏。
願枉長安日,光輝照北原。』


(下し文)
窮冬江剣に客たり、随事田園有り。
風は断つ青蒲の節、霜は埋む翠竹の根。』
衣冠空しく穣穣たり、関輔久しく昏昏たり。
願わくは長安の日を枉げて、光輝北原を照らさん。』


(現代語訳)
いま冬の真っただ中という時節にこの嘉陵江を渡り、剣門を越えて蜀の地に客となっている。ともかく也依稀ではあるが田園までもっているのである。
房琯を擁護する発言に端を発し、青い蒲の上で死ぬ気でお諌めいたした節以来の風雨に吹きちぎられたように官を辞した。夢と希望で左拾遺の職についていたがその翠竹の根は剣門を越えて都から離れ霜に埋められようとしている。』
私のみるところでは最近の長安の官員の数がむやみに多いようである。あれだけ重要知識人物、賢臣に輝いていた都の附近の地はいまや昏昏として日の光もささぬ媚を売る奸臣ばかりになっているのだ。
私の願いは、日の光をむりやりでも向けかえて、長安をてらしてほしいのだ。そして、その輝ける天子の光で安史軍の根拠地の河北の地方を照らすようにしてもらいたいものである。(人が増えたからといって、南都を新設するなどは急務のことではないのである)』


(訳注)
建都十二韻
  #3
○建都 新たに都を建置することをいう、史によると至徳二載に蜀郡を南京となし、鳳翔を西京となし、長安を中京となした。上元元年九月改めて南都を荊州に置き荊州を以て江陵府となした。二年九月鳳翔の西都及び江陵の南都の号をやめたが、宝応元年にはまた旧に復した。此の詩は上元元年荊州を南都とするときの作である。荊州を南都とするということは時の荊州刺史呂陻なるものの建議に基づく。作者はこれに反対の意見をのべたのである。
そして、この頃、官に未練が出たのだろうか、昔の朝廷の知人たちに連絡と取って情報収集を行っている。


窮冬客江劍,隨事有田園。
いま冬の真っただ中という時節にこの嘉陵江を渡り、剣門を越えて蜀の地に客となっている。ともかく也依稀ではあるが田園までもっているのである。
○窮冬 冬の真ん中初冬、真冬、暮冬とある真冬陰暦11月を指す。
○江剣 江は嘉陵江、錦江、剣は剣門、蜀をさす。杜甫成都紀行十二首に出てくる

”成都紀行(10)剣門 』- 521

”成都紀行(9)” 桔柏渡』- 519

○随事 随便と同意で、気ままな,行きあたりばったりの随便地讲话気軽に話す.都合のいいようにする随你的便お好きなように.。
○田園 浣花渓草堂の居と農業を愉しむ田畑をさす。


風斷青蒲節,霜埋翠竹根。』
房琯を擁護する発言に端を発し、青い蒲の上で死ぬ気でお諌めいたした節以来の風雨に吹きちぎられたように官を辞した。夢と希望で左拾遺の職についていたがその翠竹の根は剣門を越えて都から離れ霜に埋められようとしている。』
○風斷青蒲節,霜埋翠竹根 房琯を擁護する発言に端を発してここに至ったことを比喩する二句である。自分の田園のことを謂いながら、自分を含め二心無い賢臣を数々貶めたことを批判するものである。単なる田園農業のむつかしさを云う解釈は間違い。。
杜甫『寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻』に「青蒲甘受教」とみえる青蒲は青色の蒲席をいう、これは天子の臥床の下敷きにするもの、むかし漢の元帝が太子を変えようとしたとき史丹というものが直ちに天子の臥内に入り青蒲のうえに伏して泣諌したという、此の句は杜甫が房琯の事について必死で強諌したことをいう、戮は誅殺。寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1463 杜甫詩 700- 452


衣冠空攘攘,關輔久昏昏。
私のみるところでは最近の長安の官員の数がむやみに多いようである。あれだけ重要知識人物、賢臣に輝いていた都の附近の地はいまや昏昏として日の光もささぬ媚を売る奸臣ばかりになっているのだ。
○衣冠 朝廷の官員をいう。
○攘攘 多いさま。
○関輔 関中の三輔。三輔(さんぽ)は前漢の首都圏である長安周辺(関中)の称。その地域を統治するのは元は内史であったが、武帝の太初元年に京兆尹、右扶風、左馮翊に分かれ、それらの官、及びその地域を三輔と呼んだ。長安近辺には前漢の皇帝陵が置かれ、皇帝陵には豪族や高級官僚が移住させられたため、三輔には豪族や高官の家が集まった。
○昏昏 日色のくらいこと、賢智者のないことをいう。宦官の影響が強く、朝廷の役人は骨抜きにされていることを云う。


願枉長安日,光輝照北原。』
私の願いは、日の光をむりやりでも向けかえて、長安をてらしてほしいのだ。そして、その輝ける天子の光で安史軍の根拠地の河北の地方を照らすようにしてもらいたいものである。(人が増えたからといって、南都を新設するなどは急務のことではないのである)』
○長安日 長安をてらす太陽。「天皇陛下万歳」の意味を含んだ「日本晴れ」のような意味合いの表現。
幽州新歲作(唐•張說)
去歲荆南梅似雪,今年薊北雪如梅。
共知人事何常定,且喜年華去復來。
邊鎮戍歌連夜動,京城燎火徹明開。
遙遙西向長安日,願上南山壽一杯。
○北原 河北の地、すなわち安史軍史思明の拠っている地方をさす。五行思想による地名で、中央に中原があり、北にあるから北原という。
・下級官僚を引き上げ役職を乱発して、皇帝の威光を示そうとし、安史軍への裏切りを食い止めようとした。ほとんど宦官の朝智慧のようなその場しのぎの対策をしていたのだ。杜甫のように朝廷の行く末を考え、地道に朝廷を改革し、国力を増強させ、軍隊を再強化する政策は皆無であった。これらを踏まえてこの詩を読む必要があるということがポイントである。

建都十二韻 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3-13)-#2  杜甫 <400> #2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1945 杜甫詩1000-400-583/1500

建都十二韻 #2杜甫

2013年2月18日 同じ日の紀頌之5つのブログ
Ⅰ.李白と李白に影響を与えた詩集
古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、曹植の詩
贈白馬王彪 其二 曹植(曹子建) 魏詩<41>文選 贈答二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1943
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67802430.html

Ⅱ.中唐詩・晩唐詩
 
唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
原道 韓退之(韓愈)詩12段目<115-20>Ⅱ中唐詩592 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1944
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6294131.html

Ⅲ.杜甫詩1000詩集
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。
建都十二韻 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3-13)-#2  杜甫 <400> #2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1945 杜甫詩1000-400-583/1500
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/archives/67802152.html

Ⅳ.漢詩・唐詩・宋詞詩詩集
道教に心酔していた孟浩然の真摯な詩。
越中逢天臺太乙子 孟浩然<29> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 1946 (02/18)
http://kanshi100x100.blog.fc2.com/blog-entry-634.html

Ⅴ.晩唐五代詞詩・宋詞詩
 
森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く
打球作 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-80-16-# 卷804_12 【打球作】魚玄機  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1947
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/archives/23387566.html


 


建都十二韻 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3-13)-#2  杜甫 <400> #2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1945 杜甫詩1000-400-583/1500


詩 題:建都十二韻 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(13)-#2 
作時760年11月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000首の400首目-#2
杜甫ブログ1500回予定の-583回目  


建都十二韻
蒼生未蘇息,胡馬半乾坤。
人民はいまだに平穏な生活を取り戻すことに至っていない。安史軍の兵馬が天下の半分の地域にもひろがっている状態なのだ。
議在雲臺上,誰扶黃屋尊?』
このとき雲台といわれる朝廷において荊州を南都という建都の議論がなされるのである。こんなことをやろうというのはそもそも何人が唐王朝の太宗いらいつづいている天子の尊厳をおたすけすることになると思っているのであろうか。』
建都分魏闕,下韶闢荊門。
魏からつづく高い宮門を分けてしまうという。きけば詔を下して荊門の地方を新天地としてひらこうということである。
恐失東人望,其如西極存。
魏からつづく高い宮門を分けてしまうという。きけば詔を下して荊門の地方を新天地としてひらこうということである。
ただ、それをやめるならば荊州の東方の人々の失望することだろうし、気の毒なことである。そして、すでに鳳翔の西京というものがあるのをどうするか、安史軍の兵馬を平定できたところから幾つも都を置くというのだろう。
時危當雪恥,計大豈輕論?
それは、賈誼が漢の朝廷で文帝の前で呼び戻され哭したようにならないのは申し訳がないとはおもう。また、それに屈原のように湘水の魂と化することは私とは少し考えが離れたもので憐れに思うのだ。
時世は滅亡への道も予感として思うほど危い時なのであり、今は、これまでの恥辱をそそぐべき時である。こういう時期であるのに都をあらたに設けて人心を集めるなどの大なる計は軽はずみな論をすべきではないのである。
雖倚三堦正,終愁萬國翻。』
粛宗皇帝は正しい施政方針にのっとりおこなわれているということかもしれないが、この建都計画だけは天下万国がひっくりかえることにはしないかと心配をしてしまうのだ。』
牽裾恨不死,漏網荷殊恩。
自分は三年も前に房琯が事についてお諌めしたとき、魏の辛毗の故事のように強くお裾をひっぱって粛宗皇帝を怒らせたお諌めのために死ねばよかったのである。ただ、さいわいにも刑罰の網からゆるされて特別のご恩にあずかったのである。
永負漢庭哭,遙憐湘水魂。


(都を建つ 十二韻)
蒼生未だ蘇息せず、胡馬乾坤に半ばなり。
議は雲台の上に在り、誰か黄屋の尊を扶けん。』
都建てて魏闕を分かつ、韶を下して荊門を闢く。
東人の望みを失わんことを恐るるも。其れ西極の存するを如せん。

時危くして当に恥を雪ぐべし、計大なり豊軽としく論ぜんや。
三堦の正しきに侍ると錐も、終に愁う万国の翻らんことを。』
裾を牽く恨むらくは死せざりしを、網より漏らす殊恩を辱のうす。
永く負く漢庭の哭、進かに憐れむ湘水の魂。

安史期のアジアssH

『建都十二韻』 現代語訳と訳註
(本文)
時危當雪恥,計大豈輕論?雖倚三堦正,終愁萬國翻。』
牽裾恨不死,漏網荷殊恩。永負漢庭哭,遙憐湘水魂。

(下し文)
時危くして当に恥を雪ぐべし、計大なり豊軽としく論ぜんや。
三堦の正しきに侍ると錐も、終に愁う万国の翻らんことを。』
裾を牽く恨むらくは死せざりしを、網より漏らす殊恩を辱のうす。
永く負く漢庭の哭、進かに憐れむ湘水の魂。


(現代語訳)
時世は滅亡への道も予感として思うほど危い時なのであり、今は、これまでの恥辱をそそぐべき時である。こういう時期であるのに都をあらたに設けて人心を集めるなどの大なる計は軽はずみな論をすべきではないのである。
粛宗皇帝は正しい施政方針にのっとりおこなわれているということかもしれないが、この建都計画だけは天下万国がひっくりかえることにはしないかと心配をしてしまうのだ。』
自分は三年も前に房琯が事についてお諌めしたとき、魏の辛毗の故事のように強くお裾をひっぱって粛宗皇帝を怒らせたお諌めのために死ねばよかったのである。ただ、さいわいにも刑罰の網からゆるされて特別のご恩にあずかったのである。
それは、賈誼が漢の朝廷で文帝の前で呼び戻され哭したようにならないのは申し訳がないとはおもう。また、それに屈原のように湘水の魂と化することは私とは少し考えが離れたもので憐れに思うのだ。


(訳注)
建都十二韻  #2

○建都
 新たに都を建置することをいう、史によると至徳二載に蜀郡を南京となし、鳳翔を西京となし、長安を中京となした。上元元年九月改めて南都を荊州に置き荊州を以て江陵府となした。二年九月鳳翔の西都及び江陵の南都の号をやめたが、宝応元年にはまた旧に復した。此の詩は上元元年荊州を南都とするときの作である。荊州を南都とするということは時の荊州刺史呂陻なるものの建議に基づく。作者はこれに反対の意見をのべたのである。

natsusora01

時危當雪恥,計大豈輕論?
時世は滅亡への道も予感として思うほど危い時なのであり、今は、これまでの恥辱をそそぐべき時である。こういう時期であるのに都をあらたに設けて人心を集めるなどの大なる計は軽はずみな論をすべきではないのである。
○雪恥 はじをそそぎきよめる、安史連合軍にうちまけたはじをいう。
○計大 人心が離れ、叛乱が贈ったので、叛乱を抑えるために東西中南北と都を建てることは大計である。


雖倚三堦正,終愁萬國翻。』
粛宗皇帝は正しい施政方針にのっとりおこなわれているということかもしれないが、この建都計画だけは天下万国がひっくりかえることにはしないかと心配をしてしまうのだ。』
〇倚三堦正 三堦は土を三段に積んだ檀の事で、批判的にとらえている粛宗を指すものと思う。粛宗皇帝は正しい施政方針にのっとりおこなわれているというほどの意味である。
○翻 みだれることをいう。


牽裾恨不死,漏網荷殊恩。
自分は三年も前に房琯が事についてお諌めしたとき、魏の辛毗の故事のように強くお裾をひっぱって粛宗皇帝を怒らせたお諌めのために死ねばよかったのである。ただ、さいわいにも刑罰の網からゆるされて特別のご恩にあずかったのである。
○牽裾 杜甫が左拾遺として天子の裾をひいて強諌することをいう、房琯のことについて諌めたことをさす、魏の辛毗が文帝を強諌したとき、帝が怒って内に入ろうとするのを辛毗がその裾を引いてとどめたという故事を引いている。
○死 諌めて死ぬこと。
○漏網 罪をゆるされること、「漢書」刑法志に「網呑舟の魚を漏らせり」の語がある。
○殊恩 特別のごおん。


永負漢庭哭,遙憐湘水魂。
それは、賈誼が漢の朝廷で文帝の前で呼び戻され哭したようにならないのは申し訳がないとはおもう。また、それに屈原のように湘水の魂と化することは私とは少し考えが離れたもので憐れに思うのだ。
○漢庭哭 漢の賈誼は国事をうれえて痛巽した。漢の賈誼が長沙に謫せられ三年にして鵩が飛んで合に入った、誼は傷んで「鵩賦」を作った。賈誼(前200年-前168年),西漢洛陽(今河南省洛陽市)人。由於當過長沙王太傅,故世稱賈太傅、賈生、賈長沙。漢朝著名的思想家、文學家。賈誼(賈生) 漢の孝文帝劉恒(紀元前202-157年)に仕えた文人賈誼(紀元前201―169年)のこと。洛陽の人。諸吉家の説に通じ、二十歳で博士となった。一年後、太中大夫すなわち内閣建議官となり、法律の改革にのりだして寵任されたが、若輩にして高官についたことを重臣たちに嫉まれ、長沙王の傅に左遷された。のち呼び戻され、孝文帝の鬼神の事に関する質問に答え、弁説して夜にまで及び、孝文帝は坐席をのりだして聴き入ったと伝えられる。その後、孝文帝の少子である梁の懐王の傅となり、まもなく三十三歳を以て死んだ。屈原を弔う文及び鵩(みみずく)の賦が有名。賈誼が長沙にいた時、「目鳥 其の承塵に集まる」。目鳥はふくろうに似た鳥というが、詩文のなかのみにあらわれ、その家の主人の死を予兆する不吉な鳥とされる。賈誼はその出現におびえ、「鵩鳥の賦」(『文選』巻一三)を著した○独泣向麒麟 麒麟に向かって独りで泣く、「春秋」(哀公十四年)に「西に狩して麟を獲たり」といい、「公羊伝」にはそのとき孔子は「訣を反し面を拭い、涕の袍を沾して日く、吾が道窮せりと」といったと記している、李白もその道の窮まったことをなげいて泣くのである。○再前席 前席は話に夢中になり座席の前方へと体をのりだすこと。漢の文帝のとき、賈誼が長沙の地よりよびかえされ、一夜鬼神のことを論じたときに文帝は「座を前のめり」になったとの故事がある。再とは亜の今回の論事に粛宗が席を前にのりだしためたことを想像していう。賈誼については、

賈生 李商隠:紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 64参照。又、杜甫は賈誼について多く詩に引用し、残している。

兩當縣十侍禦江上宅 杜甫 <320-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1502 杜甫詩 700- 465

寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1448 杜甫詩 700- 447

天末懷李白 杜甫 233 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1142 杜甫特集700- 345

寄李十二白 二十韻 杜甫 232-#3 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1136 杜甫特集700- 343

送從弟亞赴河西判官 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 184

○湘水魂 楚の屈原は懐王をいさめたために湘水のほとりに流され、嚢王のとき洞羅の淵に身を投じて死んだ。賓・屈を以て自ずからに比する。杜甫が屈原に触れている詩は枚挙にいとまがない。その一部を示す。
”成都紀行(11)”  鹿頭山 杜甫詩1000 <351>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1699 杜甫1500- 524
“同谷” 乾元中寓居同谷県作歌七首 其七 杜甫1000<338> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1598 杜甫詩1500- 497
兩當縣吳十侍禦江上宅 杜甫 <320-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1502 杜甫詩 700- 465
寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1448 杜甫詩 700- 447
秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻 杜甫 <315-#6> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1427 杜甫詩 700- 440
秦州抒情詩(6)  遺懷 杜甫 <291> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1340 杜甫詩 700- 411
秦州抒情詩(5)  即事 杜甫 <290> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1337 杜甫詩 700- 410
山寺 杜甫 <289> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1334 杜甫詩 700- 409

建都十二韻 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3)13-#1  杜甫 <399> #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1940 杜甫詩1000-399-582/1500

建都十二韻 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(13)-#1  杜甫 <399> #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1940 杜甫詩1000-399-582/1500 



2013年2月17日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩贈白馬王彪 其一  曹植(曹子建) 魏詩<40>文選 贈答二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1938
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩原道 韓愈 (韓退之) 11段目<115-19>Ⅱ中唐詩591 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1939
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集建都十二韻 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3)13-#1  杜甫 <399> #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1940 杜甫詩1000-399-582/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集孟浩然『春暁』 と王維『田園楽』 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 1941 (02/17)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性春情寄子安 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-79-15-# 卷804_11 【春情寄子安】魚玄機  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1942
 
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http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

 


詩 題:建都十二韻 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(13)-#1 
作時760年11月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000首の399首目-#1
杜甫ブログ1500回予定の-582回目  
荊州に南都を建てることにつき反対意見をのべた詩。
上元元年九月以後の作。



建都十二韻
蒼生未蘇息,胡馬半乾坤。議在雲臺上,誰扶黃屋尊?』
建都分魏闕,下韶闢荊門。恐失東人望,其如西極存。

時危當雪恥,計大豈輕論?雖倚三堦正,終愁萬國翻。』
牽裾恨不死,漏網荷殊恩。永負漢庭哭,遙憐湘水魂。

窮冬客江劍,隨事有田園。風斷青蒲節,霜埋翠竹根。』
衣冠空攘攘,關輔久昏昏。願枉長安日,光輝照北原。』

(都を建つ 十二韻)
蒼生未だ蘇息せず、胡馬乾坤に半ばなり。
議は雲台の上に在り、誰か黄屋の尊を扶けん。』
都建てて魏闕を分かつ、韶を下して荊門を闢く。
東人の望みを失わんことを恐るるも。其れ西極の存するを如せん。

時危くして当に恥を雪ぐべし、計大なり豊軽としく論ぜんや。
三堦の正しきに侍ると錐も、終に愁う万国の翻らんことを。』
裾を牽く恨むらくは死せざりしを、網より漏らす殊恩を辱のうす。
永く負く漢庭の哭、進かに憐れむ湘水の魂。

窮冬江剣に客たり、随事田園有り。
風は断つ青蒲の節、霜は埋む翠竹の根。』
衣冠空しく穣穣たり、関輔久しく昏昏たり。
願わくは長安の日を枉げて、光輝北原を照らさん。』

建都十二韻
蒼生未蘇息,胡馬半乾坤。
人民はいまだに平穏な生活を取り戻すことに至っていない。安史軍の兵馬が天下の半分の地域にもひろがっている状態なのだ。
議在雲臺上,誰扶黃屋尊?』
魏からつづく高い宮門を分けてしまうという。きけば詔を下して荊門の地方を新天地としてひらこうということである。
建都分魏闕,下韶闢荊門。
魏からつづく高い宮門を分けてしまうという。きけば詔を下して荊門の地方を新天地としてひらこうということである。
恐失東人望,其如西極存。

ただ、それをやめるならば荊州の東方の人々の失望することだろうし、気の毒なことである。そして、すでに鳳翔の西京というものがあるのをどうするか、安史軍の兵馬を平定できたところから幾つも都を置くというのだろう。

(都を建つ 十二韻)
蒼生未だ蘇息せず、胡馬乾坤に半ばなり。
議は雲台の上に在り、誰か黄屋の尊を扶けん。』
都建てて魏闕を分かつ、韶を下して荊門を闢く。
東人の望みを失わんことを恐るるも。其れ西極の存するを如せん。

函谷関長安地図座標005

『建都十二韻』 現代語訳と訳註
(本文)
蒼生未蘇息,胡馬半乾坤。議在雲臺上,誰扶黃屋尊?』
建都分魏闕,下韶闢荊門。恐失東人望,其如西極存。


(下し文)
(都を建つ 十二韻)
蒼生未だ蘇息せず、胡馬乾坤に半ばなり。
議は雲台の上に在り、誰か黄屋の尊を扶けん。』
都建てて魏闕を分かつ、韶を下して荊門を闢く。
東人の望みを失わんことを恐るるも。其れ西極の存するを如せん。


(現代語訳)
人民はいまだに平穏な生活を取り戻すことに至っていない。安史軍の兵馬が天下の半分の地域にもひろがっている状態なのだ。
魏からつづく高い宮門を分けてしまうという。きけば詔を下して荊門の地方を新天地としてひらこうということである。
魏からつづく高い宮門を分けてしまうという。きけば詔を下して荊門の地方を新天地としてひらこうということである。
ただ、それをやめるならば荊州の東方の人々の失望することだろうし、気の毒なことである。そして、すでに鳳翔の西京というものがあるのをどうするか、安史軍の兵馬を平定できたところから幾つも都を置くというのだろう。


(訳注)
建都十二韻

建都 新たに都を建置することをいう、史によると至徳二載に蜀郡を南京となし、鳳翔を西京となし、長安を中京となした。上元元年九月改めて南都を荊州に置き荊州を以て江陵府となした。二年九月鳳翔の西都及び江陵の南都の号をやめたが、宝応元年にはまた旧に復した。此の詩は上元元年荊州を南都とするときの作である。荊州を南都とするということは時の荊州刺史呂陻なるものの建議に基づく。作者はこれに反対の意見をのべたのである。

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蒼生未蘇息,胡馬半乾坤。
人民はいまだに平穏な生活を取り戻すことに至っていない。安史軍の兵馬が天下の半分の地域にもひろがっている状態なのだ。
○蒼生 人民。『行次昭陵』#2「往者災猶降,蒼生喘未蘇。」(往者災猶降る、蒼生喘ぎて未だ蘇せず。)『鳳凰台』「再光中興業,一洗蒼生憂。」(再び中興の業を光かせ、蒼生の憂いを一洗せん。)
○蘇息 よみがえり、休息する。
○胡馬 安史軍の兵馬。 


議在雲臺上,誰扶黃屋尊?』
このとき雲台といわれる朝廷において荊州を南都という建都の議論がなされるのである。こんなことをやろうというのはそもそも何人が唐王朝の太宗いらいつづいている天子の尊厳をおたすけすることになると思っているのであろうか。』
○雲台 後漢の時たてた宮中の高台、ここは朝廷をさす。
○黄屋尊 天子の尊いことをいう、黄屋は天子の乗られる奉養のうらを黄絹で張るのによりそれに乗る天子をもさす。『史記正義』「黃屋者,蓋以黃為裏。」とある。


建都分魏闕,下韶闢荊門。
魏からつづく高い宮門を分けてしまうという。きけば詔を下して荊門の地方を新天地としてひらこうということである。
〇分魏闕 分とは分設すること、荊州を南都とするのは中央の宮闕を分かつのと似ているということいっている。
○闢荊門 闢とは新天地をはじめひらくことをいう、荊門は山の名、刑州にあり、名山を借りてその地を示す。


恐失東人望,其如西極存。
ただ、それをやめるならば荊州の東方の人々の失望することだろうし、気の毒なことである。そして、すでに鳳翔の西京というものがあるのをどうするか、安史軍の兵馬を平定できたところから幾つも都を置くというのだろう。
○失東人望 東人とは刑州の人をいう、これは刑州を都とせぬときの場合にはかくの如しということである。
○如 如レ之何と同じ。
○西極 鳳翔をさす。鳳翔は西京とされたが、のちに上元二年には荊州の南都とともに廃止された。極は動かないことを意味し、北極というのを例とする。

散愁二首 其二 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -12)  杜甫 <399>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1935 杜甫詩1000-399-581/1500

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詩 題:散愁二首 其二 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -12) 
作時760年10月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000首の399首目-#3 -12
杜甫ブログ1500回予定の-581回目    



杜甫の成都の生活が559年12月から1年を迎えようとしているこの数か月の同系統の詩を並べてみると面白い。このブログでは、文学者に多い詩の一部分だけ切り取り、自分の結論に結び付ける論理がまかり通っているが、森を見て木を見る論法でなければ杜甫に失礼と思っている。ここに示す作品は

(1)江漲
江漲柴門外,兒童報急流。
下牀高數尺,倚杖沒中洲。
細動迎風燕,輕搖逐浪鷗。
漁人縈小楫,容易拔船頭。
柴門の外をみると錦江の水位があがってみなぎっている。すると、こどもらが錦江の水の流れが急になっていると報せてくる。
これをきいて川べりの平たい石の台をおりてみると二三尺も水嵩が高くなっている、杖に倚りかかって乗り出して見るとどうやら中洲が水没しているのだ。
軒端のツバメは出たり入ったり行動して風を切って飛んでいる。鴎は軽やかに揺らいで飛び、それから素早く動いて浪と追っかけっこをしている。
川上の漁師達は小さな舵を縄でくくりつけて下っていて、いとも簡単に波間を抜けて船の頭を操っているのだ。(江漲る)

(2)野老
野老籬邊江岸迴,柴門不正逐江開。
漁人網集澄潭下,估客船隨返照來。
長路關心悲劍閣,片雲何意傍琴台?
王師未報收東郡,城闕秋生畫角哀。

田野の老人の家の籬の一辺は錦江流れで岸がまがっている、だから柴の門もまがった江の流れに添うように家に平行でなくつくったのだ。
垣根の向こうに魚を取る人々は澄んだ潭に集まって網漁をしている。流れを下ってくる商人の船も夕日の照り返しとともに成都にやってくる。
こうしてみると華州、秦州、同谷から成都の西のこの地へ遠い道を旅をしたことをおもいだす、その上途中に剣閣という難所があり悲苦しいものであった。成都の琴台の方をみると一片の雲がこの樓閣に寄り添っているが、なんと司馬相如の所縁とでもいうのだろうか。
未だに唐王朝軍が安史軍に抑えられている洛陽以東の諸郡を取り返したという知らせはまだないけれど、この成都城の門闕には秋が生じている、軍隊の吹きならす角笛の音がまた秋の哀れにきこえるのである。

(3)所思
苦憶荊州醉司馬,謫官樽酒定常開。
九江日落醒何處?一柱觀頭眠幾回。
可憐懷抱向人盡,欲問平安無使來。
故憑錦水將雙淚,好過瞿塘灩預堆。
自分は荊州の酔っぱらいの崔司馬のことをたびたび強くおもいだすである。彼は流刑のように貶されていても、そこでまちがいなく常に樽の酒をひらいているはずである。
九江が流入する洞庭湖に日が落ちるときになると彼はどこで酔いをさますのだろうか。荊州の名所の一柱観で彼はきっとなんべんも酔って眠っていることだろう。
こうして彼に向かっての心持は、かくすところなくすべてはきだして、憐れに思うところである。それで彼の平安であるかどうかを問いたくおもうのだが、彼の方からは使いがこないのである。
しかたがないから、わたしはこの錦江の水でもって我が両眼の涙をもっていってもらおうとおもうのである、どうかこの水が無事に瞿塘峡、灩預堆の難場所をとおってくれるようにいのるのである。

(4)遣興
干戈猶未定,弟妹各何之!
拭淚沾襟血,梳頭滿面絲。
地卑荒野大,天遠暮江遲。
衰疾那能久,應無見汝期。
安史の乱は史思明が依然として洛陽を占拠しており、自分がいた秦州には異民族に侵略されたり、戦がいまだに平定していない。弟や妹はそれぞれどこでなにをしているのだろうか。
同谷紀行、成都紀行で艱難辛苦で、涙をぬぐい、襟もとを濡らすのは血の涙を流したのである、頭をくしでとかせば白髪がぬけおちて顔中にふりかかるほどなのだ。
家の外をながめると、地面は湿地帯のようでく平らで荒れた野はらが大きく横たわっている、天ははるか遠くつらなって夕ぐれの江はゆるくながれている。
老いてきて持病がある身ではとてもこの世に長く生きていることはできるとは思はない、きみたち(弟妹をさす)にこれからもう面会する時期はとても無いとおもう。

(5)南鄰
錦裡先生烏角巾,園收芋栗未全貧。
慣看賓客兒童喜,得食階除鳥雀馴。
秋水纔深四五尺,野航恰受兩三人。
白沙翠竹江村暮,相送柴門月色新。

浣花渓の錦裡先生は鳥角巾を頭に乗せて隠者のすがたをしている。小さな農園でつくっている芋や栗がとれるからまったくの貧乏というのではない。
子どもは南隣のお客をみなれているので来客をみて喜び歓迎しているようだ、小鳥や、雀などもいつも外のきざはしあたりに近づいてきて物がたべよく人になれてきている。
秋の澄んだ江水がそこまでよく見え、四五尺の水深だ、そこへ二三人のれる野の小舟をうかべている。
白い沙浜のむこうに翠の竹林があり、江村も夕暮れが近づいてくる。客の朱山人を送ろうと柴門にむかうと秋の夕暮れは速く月明かりが増して新たに月があらわれたようなのである。

(6)北鄰
明府豈辭滿,藏身方告勞。
青錢買野竹,白幘岸江皋。
愛酒晉山簡,能詩何水曹。
時來訪老疾,步屧到蓬蒿。
(南隣には朱山人が住んでいて北隣はわたしだ。)そのわたしは華州でここらが潮時と官を辞したのだ、秦州同谷と経てここに隠遁している身となっている。「不敢告労」という語もあるがわたしの場合はまさに労苦を語りたいというものだ。
青銭万選の詩文を売って家の周りに綿竹を買って植えた。役人の白い帽子のような花が岸辺の曲った所に咲いている。
白い帽子で思うのは酒を愛す西晋の山簡公であり、翼詩文を書き、いつも浣花渓の流れの隈の所でたむろしている自分と重なるのである。
隠棲をした今となって自分には年を重ねていくことと持病が時に見舞われ、なにもできないことがある。今は敷き藁の上のような貧乏生活であるがなにもできないことつづくと転蓬の草ぼうぼうの野原をさまようことになるのだろうか。

(7)恨別
洛城一別四千裡,胡騎長驅五六年。
草木變衰行劍外,兵戈阻絕老江邊。
思家步月清宵立,憶弟看雲白日眠。
聞道河陽近乘勝,司徒急為破幽燕。

一年前、洛陽城と別れてからここは、四千里の遠くの地にある。国の東部で安史軍の騎兵がとおく駆けて攻めよせてから五六年経過したことになる。
宋玉が言う「草木の色かわり衰うる悲秋」にあたって剣門を越えて蜀にきたのだ。私の最も嫌いな兵卒が戦闘をするということだが、それをのがれて此処、錦江のほとりにくらし老いぼれていこうとしている。
安禄山の乱により、離れ離れの家族と家のことを思っては、はれたわたる夜更け遅くまで月の光の下を歩くのである。弟のことを考えないことはないのだ、いまも雲をみながら昼寝をするのである。
先日も、聞くところによると河陽の地方では唐王朝軍が、近頃のこと、勝ち始め、反転攻勢になったということである。李光弼司徒殿が、我がために早く勝ち進んで河北地方、幽州・燕州の安史の根拠地を撃ち平定してもらいたいものだ。

(8)出郭
霜露晚淒淒,高天逐望低。
遠煙臨井上,斜景雪峰西。
故國猶兵馬,他鄉亦鼓鼙。
江城今夜客,還與舊烏啼。

夕方になると夜露や霜の季節になっていて、静かで冷え冷えとしてくる。昼間あれほど空が澄み渡り高かった空も夕闇が迫ってきて、眺めるたびに天空が暗く垂れさがってくるのだ。
遠く彼方に昇る煙は、成都特産の塩工場の上にあがるものだ。その向こうに雪峰がつづきの入り日の後のわずかなひかりが斜めに空に残し映している。
故国のある東の方角は未だに安史軍により兵馬が治まらず、他郷たるこの地にもまた叛乱か、吐蕃の不穏な動きで剣南節度使軍の戦いの大太鼓、小つづみの音がずっと止まないままだ。
今夜この江城からでたわたしは旅人となるのだろう。そして戰がおさまらない今、前からの烏とともに啼く詩をつくるより外になのだ。

(9)散愁二首 之一  
久客宜旋旆,興王未息戈。
蜀星陰見少,江雨夜聞多。
百萬傳深入,寰區望匪他。
司徒下燕趙,收取舊山河。

私はもう随分長く旅にでているけれど、兄弟親族が元々の故郷に帰えれればよいとおもっている。しかし、唐中興の呼び声高い天子たる粛宗はいまだ戦を止めさせることができてはいない。
ここ蜀では雨降りの日が多く星が陰っているので、星による占いもできることはすくない。錦江の雨は夜になると巫山神女の故事により雨の音を聞くことが多いのだ。
百万の大軍の唐王朝連合軍は敵の安史軍の奥深く入り込んだそうだが、天下の望む所は安史軍を打ち負かすこと、これ以外ほかにのぞむことはないのだ。
たから李光弼司徒殿が燕趙の安史軍支配地を征伐を下してもらい、この荒れ果てた山河をの前の緑豊かな山河を奪い返えしてもらうということなのである。


散愁二首 之二 
聞道並州鎮,尚書訓士齊。
これは並州の鎮所での事を聞き及んだことなのだ。李光粥からかわった太原府の王尚書は士卒訓練を良くして統率力でよくととのっているということのようだ。
幾時通薊北?當日報關西。
いつになったら安史軍の根拠地である薊州の北の方まで道路での意機会ができるようになり、同時にその日のうちに長安の都へ報知することになるといいのだけれど。
戀闕丹心破,沾衣皓首啼。
自分は都の朝廷の門闕にあこがれてつかえたものだったが、その丹き心がうちこわれてしまい、涙は衣をうるおしてこの田舎に隠遁している私の白髪あたまを抱えて泣きじゃくっているのだ。
老魂招不得,歸路恐長迷。

この老いの魂は、やがては故郷に招かれるものであろうが、今のように安史軍に東都以東抑えられている状況ではが招こうとしても招けるものではないのだ。このままでは故郷へのかえり路の途中で、永久に迷うことであろうと心配するのである。

聞道【きくなら】く並州の鎮、尚書士を訓すること斉しと。
幾時か薊北に通じて、当日関西に報ぜん。
闕を恋いて丹心破れ、衣を零して皓首啼く。
老魂招き得ず、帰路恐らくは長く迷わん。


sas0011


『散愁二首 之二』 現代語訳と訳註
(本文)
 
聞道並州鎮,尚書訓士齊。
幾時通薊北?當日報關西。
戀闕丹心破,沾衣皓首啼。
老魂招不得,歸路恐長迷。


(下し文)
聞道【きくなら】く並州の鎮、尚書士を訓すること斉しと。
幾時か薊北に通じて、当日関西に報ぜん。
闕を恋いて丹心破れ、衣を零して皓首啼く。
老魂招き得ず、帰路恐らくは長く迷わん。


(現代語訳)
これは並州の鎮所での事を聞き及んだことなのだ。李光粥からかわった太原府の王尚書は士卒訓練を良くして統率力でよくととのっているということのようだ。
いつになったら安史軍の根拠地である薊州の北の方まで道路での意機会ができるようになり、同時にその日のうちに長安の都へ報知することになるといいのだけれど。
自分は都の朝廷の門闕にあこがれてつかえたものだったが、その丹き心がうちこわれてしまい、涙は衣をうるおしてこの田舎に隠遁している私の白髪あたまを抱えて泣きじゃくっているのだ。
この老いの魂は、やがては故郷に招かれるものであろうが、今のように安史軍に東都以東抑えられている状況ではが招こうとしても招けるものではないのだ。このままでは故郷へのかえり路の途中で、永久に迷うことであろうと心配するのである。


(訳注)   
散愁二首 之二 
官軍の勢いがよいので気ばらしのためにつくった詩である。
○散愁 うれいのこころをちらす。この数か月前の作品と微妙に変化している。
上元(じょうげん)は中国唐代、粛宗の治世で使用された元号。760年閏4月 - 761年9月。
なお、上元は高宗の治世にも元号に用いられたことがある。
元年:史思明軍が洛陽を占領する。
2年:史思明が息子史朝義に殺害される。


聞道並州鎮,尚書訓士齊。
これは並州の鎮所での事を聞き及んだことなのだ。李光粥からかわった太原府の王尚書は士卒訓練を良くして統率力でよくととのっているということのようだ。
○幷州鎮 山西省太原府をいう、ここはもと李光粥の鎮所であったが光粥は河陽の方へやられてあとは王思礼が彼に代わった。
○尚書 王思礼をさす、乾元二年七月兵部尚書・路泌節度使・雀国公・王思礼を以て大原尹を兼ねさせ北京留守に充てた、ここでの北京は大原をいう。
○斉 ととのうこと。


幾時通薊北?當日報關西。
いつになったら安史軍の根拠地である薊州の北の方まで道路での意機会ができるようになり、同時にその日のうちに長安の都へ報知することになるといいのだけれど。
○薊北 都は薊州、燕の地。
○当日その日、薊州に通じる日をさす。
○関西 函谷関の西、関西・関中は長安をさす。


戀闕丹心破,沾衣皓首啼。
自分は都の朝廷の門闕にあこがれてつかえたものだったが、その丹き心がうちこわれてしまい、涙は衣をうるおしてこの田舎に隠遁している私の白髪あたまを抱えて泣きじゃくっているのだ。
沾衣皓首啼 杜甫は、心に決めたものに向かって進もうとするとき、「白髪頭」、「皓首」、などをつかう。皓は商山の四皓を意識している。すなわち、隠遁した老人という意味になる。
ブログ掲載分
・得家書(家書を得たり)至徳二載の秋七月。757年
・ ・送樊二十三侍禦赴漢中判官
送從弟亞赴河西判官
・ 月
・晚行口號
・送賈閣老出汝
・兩當縣吳十侍禦江上宅
・散愁二首其二

この時期以降はこの倍以上「白髪頭」使う。
未掲載、順次掲載予定。
・屏跡 三首
・寄賀蘭銛
・正月三日歸溪上有作,簡院內諸公
・白帝城最高楼
・日暮
・登高
・舟月對驛近寺
・醉歌行 贈公安顏少府請顧八題壁
・清明 二首其二
・題李尊師松樹障子歌
・夜歸
・陪王使君晦日泛江就黃家亭子 二首
・正月三日歸溪上有作,簡院內諸公 杜甫


老魂招不得,歸路恐長迷。
この老いの魂は、やがては故郷に招かれるものであろうが、今のように安史軍に東都以東抑えられている状況ではが招こうとしても招けるものではないのだ。このままでは故郷へのかえり路の途中で、永久に迷うことであろうと心配するのである。


散愁二首 之一 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -11)  杜甫 <399>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1930 杜甫詩1000-399-580/1500

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詩 題:散愁二首 之一 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -11) 
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掲 載; 杜甫1000首の399首目-#3 -11
杜甫ブログ1500回予定の-580回目    散愁二首 之一 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -11) 


杜甫の成都の生活が559年12月から1年を迎えようとしているこの数か月の同系統の詩を並べてみると面白い。このブログでは、文学者に多い詩の一部分だけ切り取り、自分の結論に結び付ける論理がまかり通っているが、森を見て木を見る論法でなければ杜甫に失礼と思っている。ここに示す作品は

(1)江漲
江漲柴門外,兒童報急流。
下牀高數尺,倚杖沒中洲。
細動迎風燕,輕搖逐浪鷗。
漁人縈小楫,容易拔船頭。
柴門の外をみると錦江の水位があがってみなぎっている。すると、こどもらが錦江の水の流れが急になっていると報せてくる。
これをきいて川べりの平たい石の台をおりてみると二三尺も水嵩が高くなっている、杖に倚りかかって乗り出して見るとどうやら中洲が水没しているのだ。
軒端のツバメは出たり入ったり行動して風を切って飛んでいる。鴎は軽やかに揺らいで飛び、それから素早く動いて浪と追っかけっこをしている。
川上の漁師達は小さな舵を縄でくくりつけて下っていて、いとも簡単に波間を抜けて船の頭を操っているのだ。(江漲る)

(2)野老
野老籬邊江岸迴,柴門不正逐江開。
漁人網集澄潭下,估客船隨返照來。
長路關心悲劍閣,片雲何意傍琴台?
王師未報收東郡,城闕秋生畫角哀。
田野の老人の家の籬の一辺は錦江流れで岸がまがっている、だから柴の門もまがった江の流れに添うように家に平行でなくつくったのだ。
垣根の向こうに魚を取る人々は澄んだ潭に集まって網漁をしている。流れを下ってくる商人の船も夕日の照り返しとともに成都にやってくる。
こうしてみると華州、秦州、同谷から成都の西のこの地へ遠い道を旅をしたことをおもいだす、その上途中に剣閣という難所があり悲苦しいものであった。成都の琴台の方をみると一片の雲がこの樓閣に寄り添っているが、なんと司馬相如の所縁とでもいうのだろうか。
未だに唐王朝軍が安史軍に抑えられている洛陽以東の諸郡を取り返したという知らせはまだないけれど、この成都城の門闕には秋が生じている、軍隊の吹きならす角笛の音がまた秋の哀れにきこえるのである。

(3)所思
苦憶荊州醉司馬,謫官樽酒定常開。
九江日落醒何處?一柱觀頭眠幾回。
可憐懷抱向人盡,欲問平安無使來。
故憑錦水將雙淚,好過瞿塘灩預堆。

自分は荊州の酔っぱらいの崔司馬のことをたびたび強くおもいだすである。彼は流刑のように貶されていても、そこでまちがいなく常に樽の酒をひらいているはずである。
九江が流入する洞庭湖に日が落ちるときになると彼はどこで酔いをさますのだろうか。荊州の名所の一柱観で彼はきっとなんべんも酔って眠っていることだろう。
こうして彼に向かっての心持は、かくすところなくすべてはきだして、憐れに思うところである。それで彼の平安であるかどうかを問いたくおもうのだが、彼の方からは使いがこないのである。
しかたがないから、わたしはこの錦江の水でもって我が両眼の涙をもっていってもらおうとおもうのである、どうかこの水が無事に瞿塘峡、灩預堆の難場所をとおってくれるようにいのるのである。

(4)遣興
干戈猶未定,弟妹各何之!
拭淚沾襟血,梳頭滿面絲。
地卑荒野大,天遠暮江遲。
衰疾那能久,應無見汝期。
安史の乱は史思明が依然として洛陽を占拠しており、自分がいた秦州には異民族に侵略されたり、戦がいまだに平定していない。弟や妹はそれぞれどこでなにをしているのだろうか。
同谷紀行、成都紀行で艱難辛苦で、涙をぬぐい、襟もとを濡らすのは血の涙を流したのである、頭をくしでとかせば白髪がぬけおちて顔中にふりかかるほどなのだ。
家の外をながめると、地面は湿地帯のようでく平らで荒れた野はらが大きく横たわっている、天ははるか遠くつらなって夕ぐれの江はゆるくながれている。
老いてきて持病がある身ではとてもこの世に長く生きていることはできるとは思はない、きみたち(弟妹をさす)にこれからもう面会する時期はとても無いとおもう。

(5)南鄰
錦裡先生烏角巾,園收芋栗未全貧。
慣看賓客兒童喜,得食階除鳥雀馴。
秋水纔深四五尺,野航恰受兩三人。
白沙翠竹江村暮,相送柴門月色新。

浣花渓の錦裡先生は鳥角巾を頭に乗せて隠者のすがたをしている。小さな農園でつくっている芋や栗がとれるからまったくの貧乏というのではない。
子どもは南隣のお客をみなれているので来客をみて喜び歓迎しているようだ、小鳥や、雀などもいつも外のきざはしあたりに近づいてきて物がたべよく人になれてきている。
秋の澄んだ江水がそこまでよく見え、四五尺の水深だ、そこへ二三人のれる野の小舟をうかべている。
白い沙浜のむこうに翠の竹林があり、江村も夕暮れが近づいてくる。客の朱山人を送ろうと柴門にむかうと秋の夕暮れは速く月明かりが増して新たに月があらわれたようなのである。

(6)北鄰
明府豈辭滿,藏身方告勞。
青錢買野竹,白幘岸江皋。
愛酒晉山簡,能詩何水曹。
時來訪老疾,步屧到蓬蒿。

(南隣には朱山人が住んでいて北隣はわたしだ。)そのわたしは華州でここらが潮時と官を辞したのだ、秦州同谷と経てここに隠遁している身となっている。「不敢告労」という語もあるがわたしの場合はまさに労苦を語りたいというものだ。
青銭万選の詩文を売って家の周りに綿竹を買って植えた。役人の白い帽子のような花が岸辺の曲った所に咲いている。
白い帽子で思うのは酒を愛す西晋の山簡公であり、翼詩文を書き、いつも浣花渓の流れの隈の所でたむろしている自分と重なるのである。
隠棲をした今となって自分には年を重ねていくことと持病が時に見舞われ、なにもできないことがある。今は敷き藁の上のような貧乏生活であるがなにもできないことつづくと転蓬の草ぼうぼうの野原をさまようことになるのだろうか。

(7)恨別
洛城一別四千裡,胡騎長驅五六年。
草木變衰行劍外,兵戈阻絕老江邊。
思家步月清宵立,憶弟看雲白日眠。
聞道河陽近乘勝,司徒急為破幽燕。
一年前、洛陽城と別れてからここは、四千里の遠くの地にある。国の東部で安史軍の騎兵がとおく駆けて攻めよせてから五六年経過したことになる。
宋玉が言う「草木の色かわり衰うる悲秋」にあたって剣門を越えて蜀にきたのだ。私の最も嫌いな兵卒が戦闘をするということだが、それをのがれて此処、錦江のほとりにくらし老いぼれていこうとしている。
安禄山の乱により、離れ離れの家族と家のことを思っては、はれたわたる夜更け遅くまで月の光の下を歩くのである。弟のことを考えないことはないのだ、いまも雲をみながら昼寝をするのである。
先日も、聞くところによると河陽の地方では唐王朝軍が、近頃のこと、勝ち始め、反転攻勢になったということである。李光弼司徒殿が、我がために早く勝ち進んで河北地方、幽州・燕州の安史の根拠地を撃ち平定してもらいたいものだ。

(8)出郭
霜露晚淒淒,高天逐望低。
遠煙臨井上,斜景雪峰西。
故國猶兵馬,他鄉亦鼓鼙。
江城今夜客,還與舊烏啼。
夕方になると夜露や霜の季節になっていて、静かで冷え冷えとしてくる。昼間あれほど空が澄み渡り高かった空も夕闇が迫ってきて、眺めるたびに天空が暗く垂れさがってくるのだ。
遠く彼方に昇る煙は、成都特産の塩工場の上にあがるものだ。その向こうに雪峰がつづきの入り日の後のわずかなひかりが斜めに空に残し映している。
故国のある東の方角は未だに安史軍により兵馬が治まらず、他郷たるこの地にもまた叛乱か、吐蕃の不穏な動きで剣南節度使軍の戦いの大太鼓、小つづみの音がずっと止まないままだ。
今夜この江城からでたわたしは旅人となるのだろう。そして戰がおさまらない今、前からの烏とともに啼く詩をつくるより外になのだ。

(9)散愁二首 之一  
久客宜旋旆,興王未息戈。
私はもう随分長く旅にでているけれど、兄弟親族が元々の故郷に帰えれればよいとおもっている。しかし、唐中興の呼び声高い天子たる粛宗はいまだ戦を止めさせることができてはいない。
蜀星陰見少,江雨夜聞多。
ここ蜀では雨降りの日が多く星が陰っているので、星による占いもできることはすくない。錦江の雨は夜になると巫山神女の故事により雨の音を聞くことが多いのだ。
百萬傳深入,寰區望匪他。
百万の大軍の唐王朝連合軍は敵の安史軍の奥深く入り込んだそうだが、天下の望む所は安史軍を打ち負かすこと、これ以外ほかにのぞむことはないのだ。
司徒下燕趙,收取舊山河。

たから李光弼司徒殿が燕趙の安史軍支配地を征伐を下してもらい、この荒れ果てた山河をの前の緑豊かな山河を奪い返えしてもらうということなのである。

散愁二首 之一(愁いを散ず 二首 之一)
久客宜しく旆【はい】を旋【かえ】すべし、興王【こうおう】未だ戈【ほこ】を息【やす】めず。
蜀星陰りて見ゆること少なく、江雨夜聞くこと多し。
百万深く入るを伝う、寰区【かんく】望むこと他に匪ず。
司徒【しと】燕趙【えんちょう】を下して、収取【しゅうしゅ】せよ旧山河。


(10)散愁二首 之二
 
聞道並州鎮,尚書訓士齊。
幾時通薊北?當日報關西。
戀闕丹心破,沾衣皓首啼。
老魂招不得,歸路恐長迷。
聞道ならく並州の鎮 尚書士を訓すること斉しと
幾時か薊北に通じて 当日関西に報ぜん
闕を恋いて丹心破れ、衣を零して皓首啼く
老魂招き得ず 帰路恐らくは長く迷わん


sas0033


『散愁二首 之一』 現代語訳と訳註
(本文)

散愁二首 之一  
久客宜旋旆,興王未息戈。
蜀星陰見少,江雨夜聞多。
百萬傳深入,寰區望匪他。
司徒下燕趙,收取舊山河。


(下し文)
散愁二首 之一(愁いを散ず 二首 之一)
久客宜しく旆【はい】を旋【かえ】すべし、興王【こうおう】未だ戈【ほこ】を息【やす】めず。
蜀星陰りて見ゆること少なく、江雨夜聞くこと多し。
百万深く入るを伝う、寰区【かんく】望むこと他に匪ず。
司徒【しと】燕趙【えんちょう】を下して、収取【しゅうしゅ】せよ旧山河。


(現代語訳)
私はもう随分長く旅にでているけれど、兄弟親族が元々の故郷に帰えれればよいとおもっている。しかし、唐中興の呼び声高い天子たる粛宗はいまだ戦を止めさせることができてはいない。
ここ蜀では雨降りの日が多く星が陰っているので、星による占いもできることはすくない。錦江の雨は夜になると巫山神女の故事により雨の音を聞くことが多いのだ。
百万の大軍の唐王朝連合軍は敵の安史軍の奥深く入り込んだそうだが、天下の望む所は安史軍を打ち負かすこと、これ以外ほかにのぞむことはないのだ。
たから李光弼司徒殿が燕趙の安史軍支配地を征伐を下してもらい、この荒れ果てた山河をの前の緑豊かな山河を奪い返えしてもらうということなのである。


(訳注)
散愁二首 之一
  
官軍の勢いがよいので気ばらしのためにつくった詩である。
○散愁 うれいのこころをちらす。この1~2か月前の作品と微妙に変化している。


久客宜旋旆,興王未息戈。
私はもう随分長く旅にでているけれど、兄弟親族が元々の故郷に帰えれればよいとおもっている。しかし、唐中興の呼び声高い天子たる粛宗はいまだ戦を止めさせることができてはいない。
○久客 ながくなったたびびと、自己をさす。
〇旋旆 (1)日月と昇竜・降竜を描いた大きな旗。昔、中国で天子または将軍が用いた。これで戦火を挙げて帰る。さくせんをかえる。 (2)堂々とした旗印。故郷へもどること。
○興王 中興の君、粛宗をさす。
○息曳 ほこを休息させる、いくさをやめること。
ずにおいでになる。


蜀星陰見少,江雨夜聞多。
ここ蜀では雨降りの日が多く星が陰っているので、星による占いもできることはすくない。錦江の雨は夜になると巫山神女の故事により雨の音を聞くことが多いのだ。
○江雨夜聞多 巫山の神女。雨は楚の王が夢のなかで交わった神女の化身。「重ねて聖女両を過ぎる」夢雨 楚の懐王の巫山神女を夢みるの故事にもとづき、男女の愛の喜びとその名残を夢雨という。雨が宋玉「高唐の賦」にある巫山神女の故事によるもので、懷王と交わった後、神女が「暮には行雨とならん」とどんな時でも一緒にいるといった意味を持つ雨である。


百萬傳深入,寰區望匪他。
百万の大軍の唐王朝連合軍は敵の安史軍の奥深く入り込んだそうだが、天下の望む所は安史軍を打ち負かすこと、これ以外ほかにのぞむことはないのだ。
〇百万 多くの唐王朝連合軍。安史軍がウィグルを味方にしようとしたのを食い止めふたたび粛宗の要請に答えたので、この頃、単独では呉六十万といわれており、百万という表現をしたのはウィグルの援軍と共にという意味である。 
○深入 賊境へふかくはいりこむ。 
○寰区 天下。
○望匪他 望むことはほかのことではない、即ち次の司徒二句はその説明である。


司徒下燕趙,收取舊山河。
たから李光弼司徒殿が燕趙の安史軍支配地を征伐を下してもらい、この荒れ果てた山河をの前の緑豊かな山河を奪い返えしてもらうということなのである。
○司徒 李光弼司徒。『恨別』でいう。
洛城一別四千裡,胡騎長驅五六年。
草木變衰行劍外,兵戈阻絕老江邊。
思家步月清宵立,憶弟看雲白日眠。
聞道河陽近乘勝,司徒急為破幽燕。
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○燕趙 ともに戦国時代の河北の北部のことで、安史軍の拠る所。 
旧山河 もと唐の朝廷に属していた山河。戦火に見舞われ荒廃した地域のことと、安史軍が支配している領域を云う。『春望』     
國破山河在,城春草木深。
感時花濺涙,恨別鳥驚心。
烽火連三月,家書抵萬金。
白頭掻更短,渾欲不勝簪。
春望  杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 155


恨別 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -10)  杜甫 <398> 七言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1919 杜甫詩1000-398-579/1500

恨別 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -10) 



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恨別 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -10)  杜甫 <398> 七言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1919 杜甫詩1000-398-579/1500 

詩 題:恨別 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -10) 
作時760年10月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000首の398首目-#3 -10
杜甫ブログ1500回予定の-579回目    
成都第三部の詩は、杜甫が成都草堂、浣花渓での生活に慣れてきて、友人や、戦況の情報を得るため行動している中で作った詩である。杜甫が暇を持て余して作る詩の定番、①弟、②戦況を題材にしたものである。


恨別
洛城一別四千裡,胡騎長驅五六年。
一年前、洛陽城と別れてからここは、四千里の遠くの地にある。国の東部で安史軍の騎兵がとおく駆けて攻めよせてから五六年経過したことになる。
草木變衰行劍外,兵戈阻絕老江邊。
宋玉が言う「草木の色かわり衰うる悲秋」にあたって剣門を越えて蜀にきたのだ。私の最も嫌いな兵卒が戦闘をするということだが、それをのがれて此処、錦江のほとりにくらし老いぼれていこうとしている。
思家步月清宵立,憶弟看雲白日眠。
安禄山の乱により、離れ離れの家族と家のことを思っては、はれたわたる夜更け遅くまで月の光の下を歩くのである。弟のことを考えないことはないのだ、いまも雲をみながら昼寝をするのである。
聞道河陽近乘勝,司徒急為破幽燕。

先日も、聞くところによると河陽の地方では唐王朝軍が、近頃のこと、勝ち始め、反転攻勢になったということである。李光弼司徒殿が、我がために早く勝ち進んで河北地方、幽州・燕州の安史の根拠地を撃ち平定してもらいたいものだ。

(別を恨む)
洛城で一別して四千里はなれた、胡騎【こき】は長駆【ちょうく】して五六年になる。
草木は変衰【へんすい】し剣外に行き、兵戈【へいか】阻絶【そぜつ】して江辺に老ゆ。
家を思い月に歩して清宵【せいしょう】に立ち、弟を憶い雲を看て白日に眠る。
聞道【きくな】らく河陽近ごろ勝に乗ずと、司徒急に為に幽燕を破れ。





『恨別』 現代語訳と訳註
(本文)
恨別
洛城一別四千裡,胡騎長驅五六年。
草木變衰行劍外,兵戈阻絕老江邊。
思家步月清宵立,憶弟看雲白日眠。
聞道河陽近乘勝,司徒急為破幽燕。


(下し文)
(別を恨む)
洛城で一別して四千里はなれた、胡騎【こき】は長駆【ちょうく】して五六年になる。
草木は変衰【へんすい】し剣外に行き、兵戈【へいか】阻絶【そぜつ】して江辺に老ゆ。
家を思い月に歩して清宵【せいしょう】に立ち、弟を憶い雲を看て白日に眠る。
聞道【きくな】らく河陽近ごろ勝に乗ずと、司徒急に為に幽燕を破れ。


(現代語訳)
一年前、洛陽城と別れてからここは、四千里の遠くの地にある。国の東部で安史軍の騎兵がとおく駆けて攻めよせてから五六年経過したことになる。
宋玉が言う「草木の色かわり衰うる悲秋」にあたって剣門を越えて蜀にきたのだ。私の最も嫌いな兵卒が戦闘をするということだが、それをのがれて此処、錦江のほとりにくらし老いぼれていこうとしている。
安禄山の乱により、離れ離れの家族と家のことを思っては、はれたわたる夜更け遅くまで月の光の下を歩くのである。弟のことを考えないことはないのだ、いまも雲をみながら昼寝をするのである。
先日も、聞くところによると河陽の地方では唐王朝軍が、近頃のこと、勝ち始め、反転攻勢になったということである。李光弼司徒殿が、我がために早く勝ち進んで河北地方、幽州・燕州の安史の根拠地を撃ち平定してもらいたいものだ。

草堂002

(訳注)
恨別

故郷の弟、義母家族と別れて随分経過している。それもこれも、安禄山の叛乱が起こったためなのだ。久しいのを恨んでつくった。
760年上元元年 秋49歳
このとしの四月、国軍側の朔方節度使李光弼(りこうひつ)が反乱軍史思明を河陽(河南省孟県)で破りました。河陽は杜甫の生地鞏県(きょうけん)に近いところです。秋になって、その報せが杜甫の耳に届きます。
758年秋に家族を詠っている。
得舎弟消息 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 289

憶弟二首其一 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 290

憶 弟 二首 其二(弟を憶う 二首其二) 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 291


洛城一別四千裡,胡騎長驅五六年。
一年前、洛陽城と別れてからここは、四千里の遠くの地にある。国の東部で安史軍の騎兵がとおく駆けて攻めよせてから五六年経過したことになる。
○洛城 洛陽城。官を辞することを決めたのは、華州から洛陽、鞏州と友人に相談し、決意したからこういう。
○四千裡 400里は計算上では2300kmになるが実際には半分の1200km程度である。詩は計算上の数値とは関係ない。杜甫は洛陽・華州から秦州までを2000里、秦州から成都までを2000里合わせて4000里といったのだ。
○胡騎 安史軍の騎兵。 このブログでは賊軍・官軍という語は使用しない。安史の乱はそう単純なとらえ方では説明がつかないからである。
〇五六年 天宝末安禄山の乱 (755年11月5日-760年満6年になる。)が起こって、上元元年までで6年である。


草木變衰行劍外,兵戈阻絕老江邊。
宋玉が言う「草木の色かわり衰うる悲秋」にあたって剣門を越えて蜀にきたのだ。私の最も嫌いな兵卒が戦闘をするということだが、それをのがれて此処、錦江のほとりにくらし老いぼれていこうとしている。
○草木変衰 宋玉の「九辨」の語、変衰とは色がかわりおとろえること、秋の時節をいう。物寂しい秋風の吹くさま。宋玉『九辨』「悲哉秋之為氣也!蕭瑟兮草木搖落而變衰」、魏 武帝『苦寒行』「北上太行山,艱哉何巍巍! 羊腸阪詰屈,車輪為之摧。 樹木何蕭瑟,北風聲正悲!」とある。これ以降、蕭瑟、悲愁、惆悵がセットのように使われる。特に宋玉『九辨』は「悲秋」感情のバイブルのようなものである。
○剣外 剣門の外、は蜀をさす。剣南道剣州(四川省剣閣県)剣門県界(中国歴史地図)剣南道8-③地点)にある、大剣山または梁山ともいう。其の北三十里(17.3km)に小剣山がある。晋の張載が「剣閣銘」をつくったのも此処である。
杜甫『剣門』
三皇五帝前,雞犬莫相放。後王尚柔遠,職貢道已喪。
至今英雄人,高視見霸王。幷呑與割據,極力不相讓。
吾將罪真宰,意欲鏟疊嶂。恐此複偶然,臨風默惆悵。
○阻絶 中間の道路をへだてられること。
○江辺 錦江のほとり。

剣門関01

思家步月清宵立,憶弟看雲白日眠。
安禄山の乱により、離れ離れの家族と家のことを思っては、はれたわたる夜更け遅くまで月の光の下を歩くのである。弟のことを考えないことはないのだ、いまも雲をみながら昼寝をするのである。
○思家・憶弟 家と弟とは洛陽及び其の東方に在る。


聞道河陽近乘勝,司徒急為破幽燕。
先日も、聞くところによると河陽の地方では唐王朝軍が、近頃のこと、勝ち始め、反転攻勢になったということである。李光弼司徒殿が、我がために早く勝ち進んで河北地方、幽州・燕州の安史の根拠地を撃ち平定してもらいたいものだ。
○河陽近東勝 上元元年三月に李光粥は賊の安太清を懐州城下に破り、夏四月にはまた史思明を河陽の西渚に破った。
○司徒 李光瑞をいう、至徳二載李光覇は検校司徒となった。
○幽燕  幽州と燕州、ともに河北省の北部で安史軍の根拠地である。



成都第三部の詩は、杜甫が成都草堂、浣花渓での生活に慣れてきて、友人や、戦況の情報を得るため行動している中で作った詩である。杜甫が暇を持て余して作る詩の定番、①弟、②戦況をだいざいにしたものである

出郭 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -9)  杜甫 <397> 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1915 杜甫詩1000-397-578/1500

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出郭 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -9)  杜甫 <397> 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1915 杜甫詩1000-397-578/1500


詩 題:出郭 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -9) 
作時760年10月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000首の397首目-#3 -9
杜甫ブログ1500回予定の-578回目


五言律詩  出郭
成都の城中より郭をでてゆうべに草堂の方へかえったことをのべる。あれほど平穏に暮らせていたものがこの2,3年で変わり果ててしまった。全土で両軍の殺戮が繰り返されており、逃げて、逃げて一番平穏だった成都に来てもこのありさま、どうしたら命を守れるのか。

霜露晚淒淒,高天逐望低。
夕方になると夜露や霜の季節になっていて、静かで冷え冷えとしてくる。昼間あれほど空が澄み渡り高かった空も夕闇が迫ってきて、眺めるたびに天空が暗く垂れさがってくるのだ。
遠煙臨井上,斜景雪峰西。
遠く彼方に昇る煙は、成都特産の塩工場の上にあがるものだ。その向こうに雪峰がつづきの入り日の後のわずかなひかりが斜めに空に残し映している。
故國猶兵馬,他鄉亦鼓鼙。
故国のある東の方角は未だに安史軍により兵馬が治まらず、他郷たるこの地にもまた叛乱か、吐蕃の不穏な動きで剣南節度使軍の戦いの大太鼓、小つづみの音がずっと止まないままだ。
江城今夜客,還與舊烏啼。

今夜この江城からでたわたしは旅人となるのだろう。そして戰がおさまらない今、前からの烏とともに啼く詩をつくるより外になのだ。
(郭を出づ)
霜露 晚に淒淒たり、高天 望みて逐えば低るる。
遠煙は塩井の上にあり、斜景は雪峰の西にある。
故国 猶お兵馬し、他郷 亦た鼓鼙す。
江城 今夜の客、還 旧烏と啼く。

 
yuugure02

  
『出郭』 現代語訳と訳註
(本文)
霜露晚淒淒,高天逐望低。
遠煙臨井上,斜景雪峰西。
故國猶兵馬,他鄉亦鼓鼙。
江城今夜客,還與舊烏啼。


(下し文)
(郭を出づ)
霜露 晚に淒淒たり、高天 望みて逐えば低るる。
遠煙は塩井の上にあり、斜景は雪峰の西にある。
故国 猶お兵馬し、他郷 亦た鼓鼙す。
江城 今夜の客、還 旧烏と啼く。


(現代語訳)
夕方になると夜露や霜の季節になっていて、静かで冷え冷えとしてくる。昼間あれほど空が澄み渡り高かった空も夕闇が迫ってきて、眺めるたびに天空が暗く垂れさがってくるのだ。
遠く彼方に昇る煙は、成都特産の塩工場の上にあがるものだ。その向こうに雪峰がつづきの入り日の後のわずかなひかりが斜めに空に残し映している。
故国のある東の方角は未だに安史軍により兵馬が治まらず、他郷たるこの地にもまた叛乱か、吐蕃の不穏な動きで剣南節度使軍の戦いの大太鼓、小つづみの音がずっと止まないままだ。
今夜この江城からでたわたしは旅人となるのだろう。そして戰がおさまらない今、前からの烏とともに啼く詩をつくるより外になのだ。


(訳注)
五言律詩  出郭
夕方になって、成都の城郭をでて草堂の方へかえるときに作る。杜甫に長安から家族を連れて鄜州羌村へ逃げる際の恐怖のトラウマが・・・・。
この10カ月あれほど平穏に暮らせていた。ここもだめなのか。この2,3年で変わり果ててしまった。全土で両軍の殺戮が繰り返されており、逃げて、逃げて一番平穏だった成都に来てもこのありさま、どうしたら命を守れるのか。不安がよぎるのである。


霜露晚淒淒,高天逐望低。
夕方になると夜露や霜の季節になっていて、静かで冷え冷えとしてくる。昼間あれほど空が澄み渡り高かった空も夕闇が迫ってきて、眺めるたびに天空が暗く垂れさがってくるのだ。
・淒淒 つめたい。・凄淒 (1) 寒い,冷え冷えする.(2) もの寂しい,うらさびれた.悲しい,胸ふさがる. 悲しみ、悼むさま。身にしみて感ずること。
白頭吟 卓文君
淒淒復淒淒,嫁娶不須啼。
願得一心人,白頭不相離。
竹竿何嫋嫋,魚尾何簁簁。
男兒重意氣,何用錢刀爲。
白頭吟 卓文君 <109-#2>玉台新詠集 女性詩 544 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1449

謝霊運 道路憶山中
采菱調易急,江南歌不緩。
楚人心昔絕,越客腸今斷。
斷絕雖殊念,俱為歸慮款。
存鄉爾思積,憶山我憤懣。
追尋棲息時,偃臥任縱誕。
得性非外求,自已為誰纂?
不怨秋夕長,常苦夏日短。
濯流激浮湍,息陰倚密竿。
懷故叵新歡,含悲忘春暖。
淒淒明月吹,惻惻廣陵散。
殷勤訴危柱,慷慨命促管!
道路憶山中 謝霊運(康楽) 詩<52#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩449 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1164


・逐望低 「秋の日はつるべ落とし」ということ。ながめて、次に見ると少し色が濃くなることをこういう表現にしたのだ。
hinode0200

遠煙臨井上,斜景雪峰西。
遠く彼方に昇る煙は、成都特産の塩工場の上にあがるものだ。その向こうに雪峰がつづきの入り日の後のわずかなひかりが斜めに空に残し映している。
・遠煙 遠方の煙、煙は塩工場のくけむり。成都は塩の産地。
・斜景 ななめにさす日光を云うが、ここでは日が沈んだ後の五光状態を云う。。
・雪峰 雪山をいう。色のコントラストを強調するもの。
・西 奉公を示すのは間違いないが、没落、凋落を意味する。入り日の後の空のわずかな明るさを云う。漢詩、古詩でよくみられる。


故國猶兵馬,他鄉亦鼓鼙。
故国のある東の方角は未だに安史軍により兵馬が治まらず、他郷たるこの地にもまた叛乱か、吐蕃の不穏な動きで剣南節度使軍の戦いの大太鼓、小つづみの音がずっと止まないままだ。
○故国 洛陽の近郊偃師、近くに宗之問の別荘がある。杜甫の家は陸渾荘。義母や異母兄弟は山東にいる。


江城今夜客,還與舊烏啼。
今夜この江城からでたわたしは旅人となるのだろう。そして戰がおさまらない今、前からの烏とともに啼く詩をつくるより外になのだ。
○江城 成都、錦江にそっている城。
○客 自己をさす。
○與舊烏啼 まえまえからの烏とともになくの意、杜甫が先行きに不安を持った時の表現である。これまでも旅に出ようとするときにこのような表現をしている。以下にあげる詩は、杜甫がその地から旅立とうと心に決めていることを示すものである。

1.758年春、杜甫は左拾遺で朝廷に務めていた時、役目から疎外されていた時に作った作品。
孤雁
孤雁不飲啄、飛鳴声念羣。
誰憐一片影、相失万重雲。
望尽似猶見、哀多如更聞。
野鵶無意緒、鳴噪自粉粉。
孤雁【こがん】は啄【ついば】みて飲【いん】せず、飛鳴【ひめい】するは 群を念【おも】う声なり。
誰か一片の影に憐れむや、相いに万重【ばんちょう】の雲に失する。
望み尽す 猶【な】お見るに似たりを、哀しみ多し 更に聞くが如し。
野鵶【やあ】  意緒【いしょ】無く、鳴噪【めいそう】  自【おのずか】ら粉粉【ふんぷん】たり。
孤雁(孤雁不飲啄) 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 283



2.『歸燕』秦州で同谷に旅する直前。759年秋。
不獨避霜雪,其如儔侶稀。四時無失序,八月自知歸。
春色豈相訪?眾雛還識機。故巢倘為毀,會傍主人飛。
獨ならずは霜雪を避けるなり,其れ儔侶【ちゅうりょ】稀れなるが如し。
四時【しじ】序を失うこと無し,八月 自ら歸えるを知る。
春色して豈に相訪んや?眾雛して還た機を識る。
故巢 倘【もし】毀【き】と為さば,會いて傍に主人飛ぶ。
歸燕 杜甫 <294> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1349 杜甫詩 700- 414


.歸雁 四首
(3) 大歴3年春 768年 57歳
東來千里客,亂定幾年歸。
腸斷江城雁,高高正北飛。
(4)
聞道今春雁,南歸自廣州。
見花辭漲海,避雪到羅浮。
是物關兵氣,何時免客愁。
年年霜露隔,不過五湖秋。
(5)大暦5年春 770年 59歳
萬里衡陽雁,今年又北歸。
雙雙瞻客上,一一背人飛。
雲裡相呼疾,沙邊自宿稀。
繫書元浪語,愁寂故山薇。
(6)
欲雪違胡地,先花別楚雲。
卻過清渭影,高起洞庭群。
塞北春陰暮,江南日色薰。
傷弓流落羽,行斷不堪聞。



7.
鄜州へ赴く途中で、日ぐれにあるきながら口ずさんだ詩。
晚行口號
三川不可到,歸路晚山稠。
落雁浮寒水,饑鳥集戍樓。
市朝今日異,喪亂幾時休?
遠愧梁江總,還家尚黑頭。

晚行口號  杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 199


8.
宣政殿退朝晚出左掖(掖門在兩旁如人之臂掖) 杜甫
天門日射黄金榜,春殿晴曛赤羽旗。
宮草微微承委佩,鑪煙細細駐游絲。
雲近蓬萊常好色,雪殘鳷鵲亦多時。
侍臣緩步歸青瑣,退食從容出每遲。
宣政殿退朝晚出左掖 杜甫kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 237


9.
紫宸殿退朝口號
戶外昭容紫袖垂,雙瞻御座引朝儀。
香飄合殿春風轉,花覆千宮淑景移。
晝漏稀聞高閣報,天顏有喜近臣知。
宮中每出歸東省,會送夔龍集鳳池。
紫宸殿退朝口號 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 238

10. 晚出左掖
晝刻傳呼淺,春旗簇仗齊。
退朝花底散,歸院柳邊迷。
樓雪融城濕,宮雲去殿低。
避人焚諫草,騎馬欲雞棲。
晚出左掖 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 240

春宿左省 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 238


11.成都(3)の詩からは杜甫の心に変化が生じているのでわけたのだ。抒情詩でも成都(1)と成都〈2〉の詩とは全く違ってきているのである。そうした目線で読まれると味わい深い。
泛溪
落景下高堂,進舟泛回溪。
誰謂築居小,未盡喬木西。
遠郊信荒僻,秋色有餘淒。
練練峰上雪,纖纖雲表霓。
#2
童戲左右岸,罟弋畢提擕。
翻倒荷芰亂,指揮徑路迷。
得魚已割鱗,采藕不洗泥。
人情逐鮮美,物賤事已睽。
#3
吾村靄暝姿,異舍雞亦棲。
蕭條欲何適,出處無可齊。
衣上見新月,霜中登故畦。
濁醪自初熟,東城多鼓鼙。

泛溪 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -8-#3)  杜甫 <396>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1911 杜甫詩1000-396-577/1500

泛溪 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -8-#3回目) 
 

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登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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泛溪 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -8-#3)  杜甫 <396>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1911 杜甫詩1000-396-577/1500 



詩 題:泛溪 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -8-#3) 
作時760年10月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000首の396首目-#3 -8-#3
杜甫ブログ1500回予定の-577回目    


泛溪
落景下高堂,進舟泛回溪。
日が落ちてきて私は寺の高い講堂のもとに立つ。小舟が静に推進して浮び、渓谷をめぐっている。
誰謂築居小,未盡喬木西。
わたしの建てた住居が小さいことを誰が言うのであろうか、ただあの年数を経た大きな高い樹の西にあっては家を十分に建てたかというとまだそうではないのはたしかだ。
遠郊信荒僻,秋色有餘淒。
城郭から遠く離れた郊外のこの地は荒れ果てた原野がひろがっている。そして秋も深まり十分すぎるほど肌寒くなってきている。
練練峰上雪,纖纖雲表霓。
もう、はるか遠くに見える峰々の上には積雪がつづいている、ほっそりとした箒雲の表面が虹色に染まっている。
#2
童戲左右岸,罟弋畢提擕。
子供らは左右の岸辺で遊んでいる。こっちの方では漁夫が魚取りの網で仕掛けを作っていて網や棹など携えて仕掛けももうすでに終ったようだ。
翻倒荷芰亂,指揮徑路迷。
舟はしばらく進むと蓮と菱が翻って乱雑に倒れている。これでは行先を支持しようとしてもどこに行ったらよいのか迷路の中に入ってしまったようだ。
得魚已割鱗,采藕不洗泥。
漁夫は魚を取り終えて既に鱗取り作業を始めている。レンコンを取った女たちはレンコンについて泥を落とすのに水で洗っている。
人情逐鮮美,物賤事已睽。
こうしたことを注目してみてみると、人の心に思うことは新鮮で、あざやかで、美しいものを追っているのであるが、物欲を追っかけているものにとって、作られるもの、手に入る物の量が乏しいと事は起こり、次には背き、裏切るものが出て來るものである。
#3
吾村靄暝姿,異舍雞亦棲。
わたしの浣花渓の村は夕暮れで暗くなりはじめ靄に覆われている。お隣の家にかっている鶏がまた巣箱に入って休んでいる。
蕭條欲何適,出處無可齊。
晩秋のひっそりとしてもの寂しいこの時にどこかに良い所があってどこへ行こうとしているのだろうか。ここを出て行ったとしても同じようなところがあるわけではないのだ。
衣上見新月,霜中登故畦。
舟を降りようと着物の袖を上にあげてみると新月のかすかな姿が見え、もう霜が降りておりわたしの畑の畦に登ってみるのである。
濁醪自初熟,東城多鼓鼙。
白濁の酒はもうすでに醗酵して熱を発しているのを初めて確認したし、平穏な生活を感じているのだ。しかし、成都東城に集結している節度使軍には太鼓や進軍の携帯用の鼓の音がしている。

(溪に泛ぶ)
落景 高堂にくだる、洲を進め溪を回りてうかぶ。
誰か言う、築居【ちくきょ】小なりや、未だ喬木【きょうき】西に尽きん。
遠郊 荒僻【こうへき】に 信なり、秋色 餘淒【よせい】有り。
練練として峰上の雪となし、纖纖【せんせん】として雲表 の霓【げい】なす。
#2
童 左右岸に戲れ,罟弋【こよく】 提攜【ていけい】するを畢【おわ】る。
翻倒【ほんとう】荷芰【かき】亂れる,指揮 徑路 迷う。
魚を得て已に鱗を割く,采藕【さいぐう】するも泥を洗わず。
人情は鮮美【せんび】を逐い,物賤【ぶつせん】は事已に睽く。
#3
吾が村は 暝【くら】き姿に靄【おお】われ
異舎には鶏も亦た棲む。 
蕭條【しょうじょう】として何にか適かんと欲っするも,處【ここ】を出でては齊なるべからず。
衣を上げて新月を見,霜中 故畦【こけい】に登る。
濁醪【だくびゅう】して自ら初熟【はつじゅく】し,東城 多く鼓鼙【こへい】す。


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『泛溪』 現代語訳と訳註
(本文)
#3
吾村靄暝姿,異舍雞亦棲。
蕭條欲何適,出處無可齊。
衣上見新月,霜中登故畦。
濁醪自初熟,東城多鼓鼙。


(下し文) #3
吾が村は ひぐれの暝【くら】き姿に靄【おお】われ
異舎には鶏も亦た棲む。 
蕭條【しょうじょう】として何にか適かんと欲っするも,處【ここ】を出でては齊なるべからず。
衣を上げて新月を見,霜中 故畦【こけい】に登る。
濁醪【だくびゅう】して自ら初熟【はつじゅく】し,東城 多く鼓鼙【こへい】す。


(現代語訳)
わたしの浣花渓の村は夕暮れで暗くなりはじめ靄に覆われている。お隣の家にかっている鶏がまた巣箱に入って休んでいる。
晩秋のひっそりとしてもの寂しいこの時にどこかに良い所があってどこへ行こうとしているのだろうか。ここを出て行ったとしても同じようなところがあるわけではないのだ。
着物の袖を上にあげてみると新月のかすかな姿が見えるのだ。もう霜が降りておりわたしの畑の畦に登ってみるのである。
舟を降りようと着物の袖を上にあげてみると新月のかすかな姿が見え、もう霜が降りておりわたしの畑の畦に登ってみるのである。
白濁の酒はもうすでに醗酵して熱を発しているのを初めて確認したし、平穏な生活を感じているのだ。しかし、成都東城に集結している節度使軍には太鼓や進軍の携帯用の鼓の音がしている。


(訳注)
泛溪

渓谷の滝川に水があふれるように流れるさまをのべる。新津で裴迪「和裴迪登新津寺寄王侍郎」、邱師兄「贈蜀僧閭邱師兄」らと寺の宿坊で過ごし翌日船で帰宅するその道中を詩にしたのである。


吾村靄暝姿,異舍雞亦棲。
わたしの浣花渓の村は夕暮れで暗くなりはじめ靄に覆われている。お隣の家にかっている鶏がまた巣箱に入って休んでいる。
(もや、英: mist)とは、霧と同様に空気中の水蒸気が凝結して細かい水滴となり浮かんでいて視程が妨げられている状態であるが、霧よりも薄いものを指す。
霧は視程が1km以下のものをいい靄は視程が1km以上のものをいう。 どちらも水蒸気で出来ていて、その水蒸気量で霧となるか靄となるかの違いで山や川・海・市街地関係無く視程の距離でどちらかになる。


蕭條欲何適,出處無可齊。
晩秋のひっそりとしてもの寂しいこの時にどこかに良い所があってどこへ行こうとしているのだろうか。ここを出て行ったとしても同じようなところがあるわけではないのだ。
蕭條 ひっそりとしてもの寂しいさま。晩秋の季語。 「十一月の近(ちかづ)いたことを思はせるやうな蕭條とした日」藤村
杜甫『詠懐古跡 其の二』
搖落深知宋玉悲,風流儒雅亦吾師。
悵望千秋一灑淚,蕭條異代不同時。
江山故宅空文藻,雲雨荒台豈夢思。
最是楚宮俱泯滅,舟人指點到今疑。
曲江三章 第一章五句
曲江蕭條秋氣高,菱荷枯折隨風濤。
遊子空嗟垂二毛,白石素沙亦相蕩,
哀鴻獨叫求其曹。


衣上見新月,霜中登故畦。
舟を降りようと着物の袖を上にあげてみると新月のかすかな姿が見え、もう霜が降りておりわたしの畑の畦に登ってみるのである。
・新月 10月の初め三日あたりということ。新月は希望を持つことを云う。月と太陽の視黄経が一致する瞬時。朔(さく)ともいう。太陰暦では一般にこれを含む日を各月のはじめの日(朔(ついたち))とした。この日,月は見えないが,日食となればその所在は知れる。
・故畦 少し前まで作物を作っていた自分の家の畑の畦。


濁醪自初熟,東城多鼓鼙。
白濁の酒はもうすでに醗酵して熱を発しているのを初めて確認したし、平穏な生活を感じているのだ。しかし、成都東城に集結している節度使軍には太鼓や進軍の携帯用の鼓の音がしている。
・濁醪 発酵させただけの、白く濁った酒。もろみ酒。にごりざけ。《季 秋》
・東城 成都の東城葉、剣南節度使軍のことである。徐知道の乱のおこる前年であること、吐蕃が不穏な動きをしていることから、兵を集結させていたものだ。
・鼓鼙 中国古代军队中用的小鼓(昔の軍隊が馬上で用いた小鼓)鼙は携帯用の鼓。


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泛溪
落景下高堂,進舟泛回溪。
誰謂築居小,未盡喬木西。
遠郊信荒僻,秋色有餘淒。
練練峰上雪,纖纖雲表霓。
#2
童戲左右岸,罟弋畢提擕。
翻倒荷芰亂,指揮徑路迷。
得魚已割鱗,采藕不洗泥。
人情逐鮮美,物賤事已睽。
#3
吾村靄暝姿,異舍雞亦棲。
蕭條欲何適,出處無可齊。
衣上見新月,霜中登故畦。
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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詩 題:泛溪 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -8-#2) 
作時760年10月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000首の395首目-#3 -8-#2
杜甫ブログ1500回予定の-576回目  



泛溪
落景下高堂,進舟泛回溪。
日が落ちてきて私は寺の高い講堂のもとに立つ。小舟が静に推進して浮び、渓谷をめぐっている。
誰謂築居小,未盡喬木西。
わたしの建てた住居が小さいことを誰が言うのであろうか、ただあの年数を経た大きな高い樹の西にあっては家を十分に建てたかというとまだそうではないのはたしかだ。
遠郊信荒僻,秋色有餘淒。
城郭から遠く離れた郊外のこの地は荒れ果てた原野がひろがっている。そして秋も深まり十分すぎるほど肌寒くなってきている。
練練峰上雪,纖纖雲表霓。
もう、はるか遠くに見える峰々の上には積雪がつづいている、ほっそりとした箒雲の表面が虹色に染まっている。
#2
童戲左右岸,罟弋畢提擕。
子供らは左右の岸辺で遊んでいる。こっちの方では漁夫が魚取りの網で仕掛けを作っていて網や棹など携えて仕掛けももうすでに終ったようだ。
翻倒荷芰亂,指揮徑路迷。
舟はしばらく進むと蓮と菱が翻って乱雑に倒れている。これでは行先を支持しようとしてもどこに行ったらよいのか迷路の中に入ってしまったようだ。
得魚已割鱗,采藕不洗泥。
漁夫は魚を取り終えて既に鱗取り作業を始めている。レンコンを取った女たちはレンコンについて泥を落とすのに水で洗っている。
人情逐鮮美,物賤事已睽。

こうしたことを注目してみてみると、人の心に思うことは新鮮で、あざやかで、美しいものを追っているのであるが、物欲を追っかけているものにとって、作られるもの、手に入る物の量が乏しいと事は起こり、次には背き、裏切るものが出て來るものである。
#3
吾村靄暝姿,異舍雞亦棲。
蕭條欲何適,出處無可齊。
衣上見新月,霜中登故畦。
濁醪自初熟,東城多鼓鼙。

(溪に泛ぶ)
落景 高堂にくだる、洲を進め溪を回りてうかぶ。
誰か言う、築居【ちくきょ】小なりや、未だ喬木【きょうき】西に尽きん。
遠郊 荒僻【こうへき】に 信なり、秋色 餘淒【よせい】有り。
練練として峰上の雪となし、纖纖【せんせん】として雲表 の霓【げい】なす。
#2
童 左右岸に戲れ,罟弋【こよく】 提攜【ていけい】するを畢【おわ】る。
翻倒【ほんとう】荷芰【かき】亂れる,指揮 徑路 迷う。
魚を得て已に鱗を割く,采藕【さいぐう】するも泥を洗わず。
人情は鮮美【せんび】を逐い,物賤【ぶつせん】は事已に睽く。
#3
吾が村は ひぐれの暝【くら】き姿に靄【おお】われ
異舎には鶏も亦た棲む。 
蕭條【しょうじょう】として何にか適かんと欲っするも,處【ここ】を出でては齊なるべからず。
衣を上げて新月を見,霜中 故畦【こけい】に登る。
濁醪【だくびゅう】して自ら初熟【はつじゅく】し,東城 多く鼓鼙【こへい】す。

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『泛溪』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
童戲左右岸,罟弋畢提擕。
翻倒荷芰亂,指揮徑路迷。
得魚已割鱗,采藕不洗泥。
人情逐鮮美,物賤事已睽。


(下し文) #2
童 左右岸に戲れ,罟弋【こよく】 提攜【ていけい】するを畢【おわ】る。
翻倒【ほんとう】荷芰【かき】亂れる,指揮 徑路 迷う。
魚を得て已に鱗を割く,采藕【さいぐう】するも泥を洗わず。
人情は鮮美【せんび】を逐い,物賤【ぶつせん】は事已に睽く。


(現代語訳)
子供らは左右の岸辺で遊んでいる。こっちの方では漁夫が魚取りの網で仕掛けを作っていて網や棹など携えて仕掛けももうすでに終ったようだ。
舟はしばらく進むと蓮と菱が翻って乱雑に倒れている。これでは行先を支持しようとしてもどこに行ったらよいのか迷路の中に入ってしまったようだ。
漁夫は魚を取り終えて既に鱗取り作業を始めている。レンコンを取った女たちはレンコンについて泥を落とすのに水で洗っている。
こうしたことを注目してみてみると、人の心に思うことは新鮮で、あざやかで、美しいものを追っているのであるが、物欲を追っかけているものにとって、作られるもの、手に入る物の量が乏しいと事は起こり、次には背き、裏切るものが出て來るものである。


(訳注) #2
泛溪

渓谷の滝川に水があふれるように流れるさまをのべる。新津で裴迪「和裴迪登新津寺寄王侍郎」、邱師兄「贈蜀僧閭邱師兄」らと寺の宿坊で過ごし翌日船で帰宅するその道中を詩にしたのである。


童戲左右岸,罟弋畢提擕。
子供らは左右の岸辺で遊んでいる。こっちの方では漁夫が魚取りの網で仕掛けを作っていて網や棹など携えて仕掛けももうすでに終ったようだ。
・罟弋:こよく 網でしかけをする。 罟:あみ 
提擕 擕 たずさえる。かかえる。提携 1 互いに助け合うこと。共同で物事を行うこと。タイアップ。「他社と―する」「業務―」 2 手に持つこと。たずさえること。


翻倒荷芰亂,指揮徑路迷。
舟はしばらく進むと蓮と菱が翻って乱雑に倒れている。これでは行先を支持しようとしてもどこに行ったらよいのか迷路の中に入ってしまったようだ。
・荷芰:はすとひし。
れんこん


得魚已割鱗,采藕不洗泥。
漁夫は魚を取り終えて既に鱗取り作業を始めている。レンコンを取った女たちはレンコンについて泥を落とすのに水で洗っている。
・采藕 :【植】レンコン.レンコンはちぎっても糸がつながっている>)(男女が)別れたのになお関係を断ち切れずにいる.藕粉 [名]レンコンの澱粉.


人情逐鮮美,物賤事已睽。
こうしたことを注目してみてみると、人の心に思うことは新鮮で、あざやかで、美しいものを追っているのであるが、物欲を追っかけているものにとって、作られるもの、手に入る物の量が乏しいと事は起こり、次には背き、裏切るものが出て來るものである。
・賤 卑しいこと。身分の低い者。「貴人(あてびと)、―が身何の変わりたる所あるべき」〈藤村・春〉 [代]一人称の人代名詞。拙者。わたし。
・睽  たがえる.

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孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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渓谷の滝川に水があふれるように流れるさまをのべる。




泛溪
落景下高堂,進舟泛回溪。
日が落ちてきて私は寺の高い講堂のもとに立つ。小舟が静に推進して浮び、渓谷をめぐっている。
誰謂築居小,未盡喬木西。
わたしの建てた住居が小さいことを誰が言うのであろうか、ただあの年数を経た大きな高い樹の西にあっては家を十分に建てたかというとまだそうではないのはたしかだ。
遠郊信荒僻,秋色有餘淒。
城郭から遠く離れた郊外のこの地は荒れ果てた原野がひろがっている。そして秋も深まり十分すぎるほど肌寒くなってきている。
練練峰上雪,纖纖雲表霓。

もう、はるか遠くに見える峰々の上には積雪がつづいている、ほっそりとした箒雲の表面が虹色に染まっている。
#2
童戲左右岸,罟弋畢提擕。
翻倒荷芰亂,指揮徑路迷。
得魚已割鱗,采藕不洗泥。
人情逐鮮美,物賤事已睽。
#3
吾村靄暝姿,異舍雞亦棲。
蕭條欲何適,出處無可齊。
衣上見新月,霜中登故畦。
濁醪自初熟,東城多鼓鼙。

(溪に泛ぶ)
落景 高堂にくだる、洲を進め溪を回りてうかぶ。
誰か言う、築居【ちくきょ】小なりや、未だ喬木【きょうき】西に尽きん。
遠郊 荒僻【こうへき】に 信なり、秋色 餘淒【よせい】有り。
練練として峰上の雪となし、纖纖【せんせん】として雲表 の霓【げい】なす。

#2
童 左右岸に戲れ,罟弋【こよく】 提攜【ていけい】するを畢【おわ】る。
翻倒【ほんとう】荷芰【かき】亂れる,指揮 徑路 迷う。
魚を得て已に鱗を割く,采藕【さいぐう】するも泥を洗わず。
人情は鮮美【せんび】を逐い,物賤【ぶつせん】は事已に睽く。
#3
吾が村は ひぐれの暝【くら】き姿に靄【おお】われ
異舎には鶏も亦た棲む。 
蕭條【しょうじょう】として何にか適かんと欲っするも,處【ここ】を出でては齊なるべからず。
衣を上げて新月を見,霜中 故畦【こけい】に登る。
濁醪【だくびゅう】して自ら初熟【はつじゅく】し,東城 多く鼓鼙【こへい】す。


ogawa010


『泛溪』 現代語訳と訳註
(本文)
泛溪
落景下高堂,進舟泛回溪。
誰謂築居小,未盡喬木西。
遠郊信荒僻,秋色有馀淒。
練練峰上雪,纖纖雲表霓。


(下し文) (溪に泛ぶ)
落景 高堂にくだる、洲を進め溪を回りてうかぶ
誰か言う、築居小なりや、未だ喬木西に尽きん
遠郊 荒僻に 信なり、秋色 餘淒 有り
練練 峰上雪となし、纖纖 雲表 霓げいなり


(現代語訳)
日が落ちてきて私は寺の高い講堂のもとに立つ。小舟が静に推進して浮び、渓谷をめぐっている。
わたしの建てた住居が小さいことを誰が言うのであろうか、ただあの年数を経た大きな高い樹の西にあっては家を十分に建てたかというとまだそうではないのはたしかだ。
城郭から遠く離れた郊外のこの地は荒れ果てた原野がひろがっている。そして秋も深まり十分すぎるほど肌寒くなってきている。
もう、はるか遠くに見える峰々の上には積雪がつづいている、ほっそりとした箒雲の表面が虹色に染まっている。


(訳注)
泛溪

渓谷の滝川に水があふれるように流れるさまをのべる。


落景下高堂,進舟泛回溪。
日が落ちてきて私は寺の高い講堂のもとに立つ。小舟が静に推進して浮び、渓谷をめぐっている。
・落景 日が落ちる。景は景色や風景、日陰、日が当たることを示す。


誰謂築居小,未盡喬木西。
わたしの建てた住居が小さいことを誰が言うのであろうか、ただあの年数を経た大きな高い樹の西にあっては家を十分に建てたかというとまだそうではないのはたしかだ。
・喬木 灌木(かんぼく)、年数を経た大きな高い樹。


遠郊信荒僻,秋色有餘淒。
城郭から遠く離れた郊外のこの地は荒れ果てた原野がひろがっている。そして秋も深まり十分すぎるほど肌寒くなってきている。
・信 1 うそのないこと。まこと。誠実。「―を示す」2 疑わないこと。信用。信頼。「―を置く」3 帰依すること。信仰。信心。4 のばす。のびる。=伸長
・餘淒 凄【セイ、すさまじい、すごい】1 肌寒い。「凄凄・凄然」2 すさまじい。すごい。「凄絶」


練練峰上雪,纖纖雲表霓。
もう、はるか遠くに見える峰々の上には積雪がつづいている、ほっそりとした箒雲の表面が虹色に染まっている。
・練練 白くやわらかく練り絹が長く伸びている状況を云う。
・纖纖 ほっそりとしているさま。かぼそいさま。 「纖纖たる細腰に軽綺の長裾を曳き/佳人之奇遇)」
・雲表霓 手の美しいさま。雲表面が虹色に染まる。

sas0013

贈蜀僧閭邱師兄 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -7-#5)  杜甫 <393>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1899 杜甫詩1000-393-574/1500

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女性詩人
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孟郊詩
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李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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詩 題:贈蜀僧閭邱師兄 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -7-#5) 
作時760年9月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000首の393首目-#3 -7-#5
杜甫ブログ1500回予定の-574回目  


贈蜀僧閭邱師兄 (最終回5回目)
太常博士均之孫,成都人。
大師銅梁秀,籍籍名家孫。嗚呼先博士,炳靈精氣奔。
丘大師は銅梁(重慶)において秀でたお方である。代々の百官の家系であり名家のお孫さんなのである。
ああ、尊敬する先の博士先生。あの炳靈寺の精氣を全身から放たれるお方なのである。

惟昔武皇後,臨軒禦乾坤。多士盡儒冠,墨客藹雲屯。
あの昔の偉人、漢の武帝以来、軒を並べて見比べてみてもこの天地を守り抜いてこられたのである。
多くの士太夫男たるものがことごとく儒教者であり、文人であり、絵描きを学ぼうとする者はむらがり立った雲のように集まったのである。

#2
當時上紫殿,不獨卿相尊。世傳閭丘筆,峻極逾昆侖。
博士先生はその当時、朝廷紫宸殿にまでのぼり天子にお仕えしている。博士先生を互いに尊敬しあうものは一人二人ということでなく沢山いたのだ。
後世にまで世間に伝わることとしては「閭邱筆」ということで書をのこされている。その名声はあの嶮しいことで限りがないといわれる崑崙山をも超えて神仙にまで伝わったのである。

鳳藏丹霄暮,龍去白水渾。青熒雪嶺東,碑碣舊製存。
五色の羽を輝かせ舞う鳳凰は天下泰平に出現するのだが今や夕方の空に隠れてしまっている。龍は去って居なくなり、きれいな澄みきった水も濁ってしまっているほど天下は乱れているのだ。
雪を頂いている嵩山の向こうの東の方では戦火で燃やされて続けている。そうした中で先生の石碑に刻まれているものは古くから今に至るも厳然として存在しているのだ。
#3
晚看作者意,妙絕與誰論。吾祖詩冠古,同年蒙主恩。
日が暮れてきてこの書画を見てみると作者の意図が良く理解できる。この画の持っている絶妙なものは誰と論じても納得できるものであろう。
わたしの先祖である杜審言は詩においてはその頂上にたるものであったと古くに言われたものだ。その祖先にも変わられたあまりよくない天子にも恩を感じるものである。

豫章夾日月,歲久空深根。小子思疏闊,豈能達詞門。
生きることは、六朝の詩人たちが「豫章行」で歌ったように人生は無情で儚いもの月日が経過するのも速いものなのだ。歳を重ねていくことは空しくその根本的なところは奥深いものなのだ。
この小さな取るに足らない私は天子からはあまり愛されておらない存在であった。したがってこうしてよく詩詞を書く文人の門に到達したというものなのだ。
#4
窮秋一揮淚,相遇即諸昆。我住錦官城,兄居衹樹圖。
秋も深まりこれまでのいろんな出来事思い浮かべていて、こうして諸兄にお会いすることが出来て溢れる涙をぬぐっているのだ。
私が住むのは成都錦感情の辺で、邱師兄がすまわれているのは、先祖のかかれた衹樹の絵図のもとだ。

地近慰旅愁,往來當丘樊。天涯歇滯雨,粳稻臥不翻。
このことはお互いの住まいするところは近接しているのでこうして旅の愁いにひたっているのを慰めることになる。
この天地の果てまで秋の長雨が続いてやっと止んだところだが、稲などの穀物は雨に遣られて倒れてしまい起き上がることはなかったようだ。

#5
漂然薄遊倦,始與道侶敦。
ぼんやりと留まるところがはっきりしないままに、これといった勉学対象を持たないで生きていくことに少し疲れてきた。初めから道を究めようとして修行しているひとびとというのは重々しく手厚いものである。
景晏步修廊,而無車馬喧。
この薄暗く光りがあまり入ってこないような修行場の廊下を歩くと、そこには車馬の音も街の喧噪もないのである。
夜闌接軟語,落月如金盆。
真夜中になると勉学や読経の声もやわらかく聞こえてくるようになる。やがてかたむきかけた月がまるで金のお盆のように宿坊の窓に輝いている。
漠漠世界黑,驅驅爭奪繁。
此処には世俗と違った漆黒の世界が果てしなく広がっている。一方ではやみくもに馬で駆け戦争を頻りにやっているところもあるのである。
惟有摩尼珠,可照濁水源。
ただ、そんなことばかりではなく望みをすべてかなえるという「摩尼珠」というものがあるのだ。これによってそのように汚れた水の源を奇麗にするために光り輝いてもらうということだ。

(蜀僧の閭 邱師兄に贈る)
太常博士均之孫,成都人。
大師 銅梁の秀にし,籍籍として名家の孫なり。
嗚呼 先の博士にして,炳靈【へいれい】の精氣 奔にす。
惟昔 武皇の後,臨軒して 乾坤を禦【ふせ】ぐ。
多士 盡く儒冠【じゅかん】し,墨客 藹雲【あいうん】のごとく屯【たむろ】す。
#2
時に當り紫殿に上り,獨りならずも卿相として尊ばる。
世傳するは閭邱の筆,峻極するは昆侖を逾ゆ。
鳳藏 丹霄の暮,龍去りて白水の渾。
青熒【せいけい】 雪嶺の東,碑碣【ひけつ】 舊製にして存る。
#3
晚看して作者の意をとる,妙絕なるは誰れとともに論ぜん。
吾が祖 詩冠たる古,同じ年 蒙主の恩することをす。
豫章 日月を夾み,歲久 空しく深根す。
小子 疏闊を思い,豈に能く詞門に達せん。
#4
秋窮りて一たび淚を揮う,相いに遇うて諸昆【しょこん】に即く。
我が住むところは錦官城,兄の居するところは衹樹の圖。
地近くして旅愁を慰め,往來して當に丘樊なり。
天涯 滯雨【たいう】歇【や】むも,粳稻【こうとう】 臥して翻らず。
#5
漂然【ひょうぜん】とするは薄遊の倦,始與するは道侶の敦。
景晏 修廊を步み,而る無し 車馬の喧。
夜闌にして 軟語に接し,落月 金盆の如し。
漠漠として世界 黑し,驅驅として爭奪 繁す。
惟だ 摩尼の珠有り,濁水の源を照らすべし。

DCF00214

『贈蜀僧閭邱師兄』 現代語訳と訳註
(本文) #5
漂然薄遊倦,始與道侶敦。景晏步修廊,而無車馬喧。
夜闌接軟語,落月如金盆。漠漠世界黑,驅驅爭奪繁。
惟有摩尼珠,可照濁水源。


(下し文) #5
漂然【ひょうぜん】とするは薄遊の倦,始與するは道侶の敦。
景晏 修廊を步み,而る無し 車馬の喧。
夜闌にして 軟語に接し,落月 金盆の如し。
漠漠として世界 黑し,驅驅として爭奪 繁す。
惟だ 摩尼の珠有り,濁水の源を照らすべし。


(現代語訳)
ぼんやりと留まるところがはっきりしないままに、これといった勉学対象を持たないで生きていくことに少し疲れてきた。初めから道を究めようとして修行しているひとびとというのは重々しく手厚いものである。
子の薄暗く光りがあまり入ってこないような修行場の廊下を歩くと、そこには車馬の音も街の喧噪もないのである。
真夜中になると勉学や読経の声もやわらかく聞こえてくるようになる。やがてかたむきかけた月がまるで金のお盆のように宿坊の窓に輝いている。
此処には世俗と違った漆黒の世界が果てしなく広がっている。一方ではやみくもに馬で駆け戦争を頻りにやっているところもあるのである。
ただ、そんなことばかりではなく望みをすべてかなえるという「摩尼珠」というものがあるのだ。これによってそのように汚れた水の源を奇麗にするために光り輝いてもらうということだ。


(訳注) #5
漂然薄遊倦,始與道侶敦。

ぼんやりと留まるところがはっきりしないままに、これといった勉学対象を持たないで生きていくことに少し疲れてきた。初めから道を究めようとして修行しているひとびとというのは重々しく手厚いものである。
漂然 漂って居場所が定まらないさま
 あきる. 疲れていやになる。長く続けてぐったりし、うんざりする。 【倦む】あぐむ. 物事をしとげられないで、どうしてよいか困る。 同じ状態が長くつづいて、いやになる。もてあます。あぐねる。
・道侶 道教の僧侶。修行の道を進む僧侶。
・敦 重々しく手厚い。


景晏步修廊,而無車馬喧
この薄暗く光りがあまり入ってこないような修行場の廊下を歩くと、そこには車馬の音も街の喧噪もないのである。
・景晏  景はあかり、けしき。晏 おくれる。とどかない。ここではがらんどうの大部屋(修行場)に小さな窓しかなくて月明かりが入らず真っ暗な状態をいうのであろう
・修廊 肉体を訓練し,その生理的欲求に禁圧を加えることを通して,精神の安定および神的なものとの交流や合一を達成しようとする自覚的な行為。


夜闌接軟語,落月如金盆。
真夜中になると勉学や読経の声もやわらかく聞こえてくるようになる。やがてかたむきかけた月がまるで金のお盆のように宿坊の窓に輝いている。
・夜闌 たける【長ける/闌ける】とは。意味や解説。[動カ下一][文]た・く[カ下二]1 盛りの時期・状態になる。たけなわになる。「日が―・ける」「春が―・ける」2 盛りの時期・状態を過ぎる。「年―・けた人」「更(こう)―・ける」3 ある方面にすぐれている。


漠漠世界黑,驅驅爭奪繁。
此処には世俗と違った漆黒の世界が果てしなく広がっている。一方ではやみくもに馬で駆け戦争を頻りにやっているところもあるのである。
・漠漠 果てしもなく広いさま。また、とりとめもなくぼんやりしたさま。
・驅驅 1 馬などを走らせる。かる。かける。「駆使・駆動/疾駆・先駆・前駆・馳駆(ちく)・長駆」2 追い払う。「駆除・駆逐」


惟有摩尼珠,可照濁水源。
ただ、そんなことばかりではなく望みをすべてかなえるという「摩尼珠」というものがあるのだ。これによってそのように汚れた水の源を奇麗にするために光り輝いてもらうということだ。
・摩尼珠 1 珠玉の総称。摩尼珠。 2 竜王の脳中から出て、望みをすべてかなえるという珠玉。如意宝珠。

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李商隠詩
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詩 題:贈蜀僧閭邱師兄 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(3 -7-#4) 
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贈蜀僧閭邱師兄
太常博士均之孫,成都人。
大師銅梁秀,籍籍名家孫。嗚呼先博士,炳靈精氣奔。
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惟昔武皇後,臨軒禦乾坤。多士盡儒冠,墨客藹雲屯。
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#2
當時上紫殿,不獨卿相尊。世傳閭丘筆,峻極逾昆侖。
博士先生はその当時、朝廷紫宸殿にまでのぼり天子にお仕えしている。博士先生を互いに尊敬しあうものは一人二人ということでなく沢山いたのだ。
後世にまで世間に伝わることとしては「閭邱筆」ということで書をのこされている。その名声はあの嶮しいことで限りがないといわれる崑崙山をも超えて神仙にまで伝わったのである。

鳳藏丹霄暮,龍去白水渾。青熒雪嶺東,碑碣舊製存。
五色の羽を輝かせ舞う鳳凰は天下泰平に出現するのだが今や夕方の空に隠れてしまっている。龍は去って居なくなり、きれいな澄みきった水も濁ってしまっているほど天下は乱れているのだ。
雪を頂いている嵩山の向こうの東の方では戦火で燃やされて続けている。そうした中で先生の石碑に刻まれているものは古くから今に至るも厳然として存在しているのだ。
#3
晚看作者意,妙絕與誰論。吾祖詩冠古,同年蒙主恩。
日が暮れてきてこの書画を見てみると作者の意図が良く理解できる。この画の持っている絶妙なものは誰と論じても納得できるものであろう。
わたしの先祖である杜審言は詩においてはその頂上にたるものであったと古くに言われたものだ。その祖先にも変わられたあまりよくない天子にも恩を感じるものである。

豫章夾日月,歲久空深根。小子思疏闊,豈能達詞門。

生きることは、六朝の詩人たちが「豫章行」で歌ったように人生は無情で儚いもの月日が経過するのも速いものなのだ。歳を重ねていくことは空しくその根本的なところは奥深いものなのだ。
この小さな取るに足らない私は天子からはあまり愛されておらない存在であった。したがってこうしてよく詩詞を書く文人の門に到達したというものなのだ。
#4
窮秋一揮淚,相遇即諸昆。
秋も深まりこれまでのいろんな出来事思い浮かべていて、こうして諸兄にお会いすることが出来て溢れる涙をぬぐっているのだ。
我住錦官城,兄居衹樹圖。
私が住むのは成都錦感情の辺で、邱師兄がすまわれているのは、先祖のかかれた衹樹の絵図のもとだ。
地近慰旅愁,往來當丘樊。
このことはお互いの住まいするところは近接しているのでこうして旅の愁いにひたっているのを慰めることになる。
天涯歇滯雨,粳稻臥不翻。
この天地の果てまで秋の長雨が続いてやっと止んだところだが、稲などの穀物は雨に遣られて倒れてしまい起き上がることはなかったようだ。

#5
漂然薄遊倦,始與道侶敦。景晏步修廊,而無車馬喧。
夜闌接軟語,落月如金盆。漠漠世界黑,驅驅爭奪繁。
惟有摩尼珠,可照濁水源。

(蜀僧の閭 邱師兄に贈る)
太常博士均之孫,成都人。
大師 銅梁の秀にし,籍籍として名家の孫なり。
嗚呼 先の博士にして,炳靈【へいれい】の精氣 奔にす。
惟昔 武皇の後,臨軒して 乾坤を禦【ふせ】ぐ。
多士 盡く儒冠【じゅかん】し,墨客 藹雲【あいうん】のごとく屯【たむろ】す。
#2
時に當り紫殿に上り,獨りならずも卿相として尊ばる。
世傳するは閭邱の筆,峻極するは昆侖を逾ゆ。
鳳藏 丹霄の暮,龍去りて白水の渾。
青熒【せいけい】 雪嶺の東,碑碣【ひけつ】 舊製にして存る。
#3
晚看して作者の意をとる,妙絕なるは誰れとともに論ぜん。
吾が祖 詩冠たる古,同じ年 蒙主の恩することをす。
豫章 日月を夾み,歲久 空しく深根す。
小子 疏闊を思い,豈に能く詞門に達せん。
#4
秋窮りて一たび淚を揮う,相いに遇うて諸昆【しょこん】に即く。
我が住むところは錦官城,兄の居するところは衹樹の圖。
地近くして旅愁を慰め,往來して當に丘樊なり。
天涯 滯雨【たいう】歇【や】むも,粳稻【こうとう】 臥して翻らず。


denen05520


『贈蜀僧閭邱師兄』 現代語訳と訳註
(本文)
#4
窮秋一揮淚,相遇即諸昆。我住錦官城,兄居衹樹圖。
地近慰旅愁,往來當丘樊。天涯歇滯雨,粳稻臥不翻。


(下し文) #4
秋窮りて一たび淚を揮う,相いに遇うて諸昆【しょこん】に即く。
我が住むところは錦官城,兄の居するところは衹樹の圖。
地近くして旅愁を慰め,往來して當に丘樊なり。
天涯 滯雨【たいう】歇【や】むも,粳稻【こうとう】 臥して翻らず。


(現代語訳)
秋も深まりこれまでのいろんな出来事思い浮かべていて、こうして諸兄にお会いすることが出来て溢れる涙をぬぐっているのだ。
私が住むのは成都錦感情の辺で、邱師兄がすまわれているのは、先祖のかかれた衹樹の絵図のもとだ。
このことはお互いの住まいするところは近接しているのでこうして旅の愁いにひたっているのを慰めることになる。
この天地の果てまで秋の長雨が続いてやっと止んだところだが、稲などの穀物は雨に遣られて倒れてしまい起き上がることはなかったようだ。


(訳注) #4
窮秋一揮淚,相遇即諸昆。

秋も深まりこれまでのいろんな出来事思い浮かべていて、こうして諸兄にお会いすることが出来て溢れる涙をぬぐっているのだ。
・窮秋 陰暦9月の中旬以降。
・揮ふるう1 手を振り回す。手に持って振り動かす。「揮毫(きごう)/指揮」 2 まき散らす。外にあらわし出す。「揮発油/発揮」
・諸昆 諸兄。男性が、多くの男性を親しみや敬意を込めていう語。代名詞的にも用いる。諸氏。倒句法。
・即 1 そのものにぴったりくっつく。つく。「即位・即物的/相即・不即不離」 2 すなわち。とりもなおさず。「色即是空」 3 ただちに。すぐさま。その場で。「即応・即興・即決・即座・即死・即時


我住錦官城,兄居衹樹圖。
私が住むのは成都錦感情の辺で、邱師兄がすまわれているのは、先祖のかかれた衹樹の絵図のもとだ。
・錦官城 成都市は戦国時代以来「蜀錦」と呼ばれる錦織の製造が盛んであり、蜀錦の品質の高さは雲錦・宋錦・壮錦と並び称された。漢代には、朝廷が成都に錦織物を扱う専門の官員を置いたため、成都は「錦官城」あるいは「錦城」と呼ばれていた。


地近慰旅愁,往來當丘樊。
このことはお互いの住まいするところは近接しているのでこうして旅の愁いにひたっているのを慰めることになる。
・丘樊 丘裏(鄉里);丘落(村落);丘園(家園;鄉村);丘樊(園圃;鄉村).


天涯歇滯雨,粳稻臥不翻。
この天地の果てまで秋の長雨が続いてやっと止んだところだが、稲などの穀物は雨に遣られて倒れてしまい起き上がることはなかったようだ。
・粳稻 イネ,トウモロコシ,オオムギなどイネ科の植物のデンプンにみられる性質で,糯よりもアミロースが多い。糯にくらべると煮たときに粘りが少ない。
杜甫はこの秋の長雨について『石筍行』で
君不見益州城西門,陌上石筍雙高蹲。
古來相傳是海眼,苔蘚蝕盡波濤痕。
雨多往往得瑟瑟,此事恍惚難明論。
恐是昔時卿相墓,立石為表今仍存。
惜哉俗態好蒙蔽,亦如小臣媚至尊。
政化錯迕失大體,坐看傾危受厚恩。
嗟爾石筍擅虛名,後來未識猶駿奔。
安得壯士擲天外,使人不疑見本根。
と大雨が降って湧水が良く出てくる様子を詠っている。
石筍行 杜甫 <378> 1 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -15-1) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1823 杜甫詩1000-377-555/1500

贈蜀僧閭邱師兄 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -7-#3)  杜甫 <391>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1891 杜甫詩1000-391-572/1500

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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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詩 題:贈蜀僧閭邱師兄 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -7-#3) 
作時760年9月杜甫49歳
掲 載; 杜甫1000首の391首目-#3 -7-#3
杜甫ブログ1500回予定の-572回目  


贈蜀僧閭邱師兄
太常博士均之孫,成都人。
大師銅梁秀,籍籍名家孫。嗚呼先博士,炳靈精氣奔。
丘大師は銅梁(重慶)において秀でたお方である。代々の百官の家系であり名家のお孫さんなのである。
ああ、尊敬する先の博士先生。あの炳靈寺の精氣を全身から放たれるお方なのである。

惟昔武皇後,臨軒禦乾坤。多士盡儒冠,墨客藹雲屯。
あの昔の偉人、漢の武帝以来、軒を並べて見比べてみてもこの天地を守り抜いてこられたのである。
多くの士太夫男たるものがことごとく儒教者であり、文人であり、絵描きを学ぼうとする者はむらがり立った雲のように集まったのである。
#2
當時上紫殿,不獨卿相尊。世傳閭丘筆,峻極逾昆侖。
博士先生はその当時、朝廷紫宸殿にまでのぼり天子にお仕えしている。博士先生を互いに尊敬しあうものは一人二人ということでなく沢山いたのだ。
後世にまで世間に伝わることとしては「閭邱筆」ということで書をのこされている。その名声はあの嶮しいことで限りがないといわれる崑崙山をも超えて神仙にまで伝わったのである。

鳳藏丹霄暮,龍去白水渾。青熒雪嶺東,碑碣舊製存。
五色の羽を輝かせ舞う鳳凰は天下泰平に出現するのだが今や夕方の空に隠れてしまっている。龍は去って居なくなり、きれいな澄みきった水も濁ってしまっているほど天下は乱れているのだ。
雪を頂いている嵩山の向こうの東の方では戦火で燃やされて続けている。そうした中で先生の石碑に刻まれているものは古くから今に至るも厳然として存在しているのだ。

#3
晚看作者意,妙絕與誰論。
日が暮れてきてこの書画を見てみると作者の意図が良く理解できる。この画の持っている絶妙なものは誰と論じても納得できるものであろう。
吾祖詩冠古,同年蒙主恩。
わたしの先祖である杜審言は詩においてはその頂上にたるものであったと古くに言われたものだ。その祖先にも変わられたあまりよくない天子にも恩を感じるものである。
豫章夾日月,歲久空深根。
生きることは、六朝の詩人たちが「豫章行」で歌ったように人生は無情で儚いもの月日が経過するのも速いものなのだ。歳を重ねていくことは空しくその根本的なところは奥深いものなのだ。
小子思疏闊,豈能達詞門。
この小さな取るに足らない私は天子からはあまり愛されておらない存在であった。したがってこうしてよく詩詞を書く文人の門に到達したというものなのだ。
#4
窮秋一揮淚,相遇即諸昆。我住錦官城,兄居衹樹圖。
地近慰旅愁,往來當丘樊。天涯歇滯雨,粳稻臥不翻。
#5
漂然薄遊倦,始與道侶敦。景晏步修廊,而無車馬喧。
夜闌接軟語,落月如金盆。漠漠世界黑,驅驅爭奪繁。
惟有摩尼珠,可照濁水源。

(蜀僧の閭 邱師兄に贈る)
太常博士均之孫,成都人。
大師 銅梁の秀にし,籍籍として名家の孫なり。
嗚呼 先の博士にして,炳靈【へいれい】の精氣 奔にす。
惟昔 武皇の後,臨軒して 乾坤を禦【ふせ】ぐ。
多士 盡く儒冠【じゅかん】し,墨客 藹雲【あいうん】のごとく屯【たむろ】す。
#2
時に當り紫殿に上り,獨りならずも卿相として尊ばる。
世傳するは閭邱の筆,峻極するは昆侖を逾ゆ。
鳳藏 丹霄の暮,龍去りて白水の渾。
青熒【せいけい】 雪嶺の東,碑碣【ひけつ】 舊製にして存る。
#3
晚看して作者の意をとる,妙絕なるは誰れとともに論ぜん。
吾が祖 詩冠たる古,同じ年 蒙主の恩することをす。
豫章 日月を夾み,歲久 空しく深根す。
小子 疏闊を思い,豈に能く詞門に達せん。

gogyu10680


『贈蜀僧閭邱師兄』 現代語訳と訳註
(本文)#3
晚看作者意,妙絕與誰論。吾祖詩冠古,同年蒙主恩。
豫章夾日月,歲久空深根。小子思疏闊,豈能達詞門。


(下し文)
晚看して作者の意をとる,妙絕なるは誰れとともに論ぜん。
吾が祖 詩冠たる古,同じ年 蒙主の恩することをす。
豫章 日月を夾み,歲久 空しく深根す。
小子 疏闊を思い,豈に能く詞門に達せん。


(現代語訳)
日が暮れてきてこの書画を見てみると作者の意図が良く理解できる。この画の持っている絶妙なものは誰と論じても納得できるものであろう。
わたしの先祖である杜審言は詩においてはその頂上にたるものであったと古くに言われたものだ。その祖先にも変わられたあまりよくない天子にも恩を感じるものである。
生きることは、六朝の詩人たちが「豫章行」で歌ったように人生は無情で儚いもの月日が経過するのも速いものなのだ。歳を重ねていくことは空しくその根本的なところは奥深いものなのだ。
この小さな取るに足らない私は天子からはあまり愛されておらない存在であった。したがってこうしてよく詩詞を書く文人の門に到達したというものなのだ。


(訳注)#3
贈蜀僧閭丘師兄
太常博士均之孫,成都人。

裴迪らと一緒に寺の宿坊に泊まり、お礼に作ったものである。太常博士であった閭丘均の孫にあたる丘僧侶である。
・閭丘均について中國古代人名辞典には〔唐〕(西暦709年前後在世)字不詳,益州成都の人。生卒年均不詳,約唐中宗景龍三年前後在世。以って文章著稱をおこなう。景龍中,(西暦708年頃)安樂公主の薦す所となり,起家して太常博士を拜す。循州司倉の上司に問題があり、連座して退官している。
・蜀僧 蜀の僧侶の中で指導的立場にあったのであろう。
・閭丘 百官の家系である。諸葛亮にも仕えている。
・太常博士 初唐の朝廷の事であろう。太常博士は従七品上で殿中侍御史、  左補闕、 右補闕に次ぐ地位のようだ。


晚看作者意,妙絕與誰論。
日が暮れてきてこの書画を見てみると作者の意図が良く理解できる。この画の持っている絶妙なものは誰と論じても納得できるものであろう。


吾祖詩冠古,同年蒙主恩。
わたしの先祖である杜審言は詩においてはその頂上にたるものであったと古くに言われたものだ。その祖先にも変わられたあまりよくない天子にも恩を感じるものである。
・詩冠 詩においてはその頂上にたるもの
・同年  1 同じ年。また、前に述べた、その年。「―の四月」 2 同じ年齢。


豫章夾日月,歲久空深根。
生きることは、六朝の詩人たちが「豫章行」で歌ったように人生は無情で儚いもの月日が経過するのも速いものなのだ。歳を重ねていくことは空しくその根本的なところは奥深いものなのだ。
・豫章 人生のこと。謝霊運に『豫章行』がある。
清調曲で歌う。この古辞は、白楊のはかない運命を歌ったものであるが、霊運はその詩意を強く意識して、人生の無常を歌ったもので、題材も内容もきわめて月並みである。豫章行苦相篇 傅玄 女のさだめ 六朝時代(3)
親友、謝蕙連にも同題の作がある。古辞には古詩十九首、挽歌、に同様な内容が見える。また、長江下流の街のなまえである。また、豫章とは?植物名。 読み方:ヨショウ(yoshou)クスノキの別称。クスノキ科の常緑高木、園芸植物ということである。
・夾 1 両わきから中のものをはさむ。「夾角・夾撃」 2 物の間に入りまじる。「夾雑」ここでは過ぎ去った歳月と是肩の月日に挟まれること、早く月日が過ぎ去ることを云う。


小子思疏闊,豈能達詞門。
この小さな取るに足らない私は天子からはあまり愛されておらない存在であった。したがってこうしてよく詩詞を書く文人の門に到達したというものなのだ。
疎闊(=疏闊)  疎遠なこと。久しくあわないこと。親しくないこと。また、そのさま。


贈蜀僧閭邱師兄 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(3 -7-#2)  杜甫 <390>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1887 杜甫詩1000-390-571/1500

贈蜀僧閭邱師兄 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(3 -7-#2)  杜甫 <390>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1887 杜甫詩1000-390-571/1500


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古詩十九首 (1) 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67676781.html
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為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。


李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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詩 題:贈蜀僧閭邱師兄 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(3 -7-#2) 
作時760年9月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000首の390首目-#3 -7-#2
杜甫ブログ1500回予定の-571回目  


贈蜀僧閭邱師兄
太常博士均之孫,成都人。
大師銅梁秀,籍籍名家孫。嗚呼先博士,炳靈精氣奔。
丘大師は銅梁(重慶)において秀でたお方である。代々の百官の家系であり名家のお孫さんなのである。
ああ、尊敬する先の博士先生。あの炳靈寺の精氣を全身から放たれるお方なのである。
惟昔武皇後,臨軒禦乾坤。多士盡儒冠,墨客藹雲屯。
あの昔の偉人、漢の武帝以来、軒を並べて見比べてみてもこの天地を守り抜いてこられたのである。
多くの士太夫男たるものがことごとく儒教者であり、文人であり、絵描きを学ぼうとする者はむらがり立った雲のように集まったのである。
#2
當時上紫殿,不獨卿相尊。
博士先生はその当時、朝廷紫宸殿にまでのぼり天子にお仕えしている。博士先生を互いに尊敬しあうものは一人二人ということでなく沢山いたのだ。
世傳閭丘筆,峻極逾昆侖。
後世にまで世間に伝わることとしては「閭邱筆」ということで書をのこされている。その名声はあの嶮しいことで限りがないといわれる崑崙山をも超えて神仙にまで伝わったのである。
鳳藏丹霄暮,龍去白水渾。
五色の羽を輝かせ舞う鳳凰は天下泰平に出現するのだが今や夕方の空に隠れてしまっている。龍は去って居なくなり、きれいな澄みきった水も濁ってしまっているほど天下は乱れているのだ。
青熒雪嶺東,碑碣舊製存。

雪を頂いている嵩山の向こうの東の方では戦火で燃やされて続けている。そうした中で先生の石碑に刻まれているものは古くから今に至るも厳然として存在しているのだ。
#3
晚看作者意,妙絕與誰論。吾祖詩冠古,同年蒙主恩。
豫章夾日月,歲久空深根。小子思疏闊,豈能達詞門。
#4
窮秋一揮淚,相遇即諸昆。我住錦官城,兄居衹樹圖。
地近慰旅愁,往來當丘樊。天涯歇滯雨,粳稻臥不翻。
#5
漂然薄遊倦,始與道侶敦。景晏步修廊,而無車馬喧。
夜闌接軟語,落月如金盆。漠漠世界黑,驅驅爭奪繁。
惟有摩尼珠,可照濁水源。


(蜀僧の閭 邱師兄に贈る)
太常博士均之孫,成都人。
大師 銅梁の秀にし,籍籍として名家の孫なり。
嗚呼 先の博士にして,炳靈【へいれい】の精氣 奔にす。
惟昔 武皇の後,臨軒して 乾坤を禦【ふせ】ぐ。
多士 盡く儒冠【じゅかん】し,墨客 藹雲【あいうん】のごとく屯【たむろ】す。
#2
時に當り紫殿に上り,獨りならずも卿相として尊ばる。
世傳するは閭邱の筆,峻極するは昆侖を逾ゆ。
鳳藏 丹霄の暮,龍去りて白水の渾。
青熒【せいけい】 雪嶺の東,碑碣【ひけつ】 舊製にして存る。

峨眉山003

 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -7-#1) 
『贈蜀僧閭丘師兄』 現代語訳と訳註
(本文)
贈蜀僧閭丘師兄#2
當時上紫殿,不獨卿相尊。世傳閭丘筆,峻極逾昆侖。
鳳藏丹霄暮,龍去白水渾。青熒雪嶺東,碑碣舊製存。


(下し文) #2
時に當り紫殿に上り,獨りならずも卿相として尊ばる。
世傳するは閭邱の筆,峻極するは昆侖を逾ゆ。
鳳藏 丹霄の暮,龍去りて白水の渾。
青熒【せいけい】 雪嶺の東,碑碣【ひけつ】 舊製にして存る。


(現代語訳)
博士先生はその当時、朝廷紫宸殿にまでのぼり天子にお仕えしている。博士先生を互いに尊敬しあうものは一人二人ということでなく沢山いたのだ。
後世にまで世間に伝わることとしては「閭邱筆」ということで書をのこされている。その名声はあの嶮しいことで限りがないといわれる崑崙山をも超えて神仙にまで伝わったのである。
五色の羽を輝かせ舞う鳳凰は天下泰平に出現するのだが今や夕方の空に隠れてしまっている。龍は去って居なくなり、きれいな澄みきった水も濁ってしまっているほど天下は乱れているのだ。
雪を頂いている嵩山の向こうの東の方では戦火で燃やされて続けている。そうした中で先生の石碑に刻まれているものは古くから今に至るも厳然として存在しているのだ。


(訳注) #2
當時上紫殿,不獨卿相尊。
博士先生はその当時、朝廷紫宸殿にまでのぼり天子にお仕えしている。博士先生を互いに尊敬しあうものは一人二人ということでなく沢山いたのだ。
・紫殿 紫宸殿の事で朝廷を云う。ただ、漢の未央宮、唐の大明宮に紫殿としてどうきょうのじかんをつくっている。「三輔黄図」にはまた「漢の武帝、紫殿を起す」とある。漢の武帝が神仙の道を信じ、道士たちにすすめられて、大規模な建造物をたくさん建てたことは、吉川幸次郎「漢の武帝」(岩波新書)にくわしい。玄宗も同じように道教のために寄進している。

宮中行樂詞八首其六 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白147

侍從宜春苑奉詔賦龍池柳色初青聽新鶯百囀歌 李白

にみえる。


世傳閭邱筆,峻極逾昆侖。
後世にまで世間に伝わることとしては「閭邱筆」ということで書をのこされている。その名声はあの嶮しいことで限りがないといわれる崑崙山をも超えて神仙にまで伝わったのである。
・昆侖 中国の神話伝説上の聖山。昆侖山とも書かれる。崑崙という呼び名は,混沌などと通じ,原初のカオスを意味したとされる。中国から見て北西方向の極遠の地にあるとされ,黄河はその源流をこの山に発するともされた。《山海経(せんがいきよう)》西山経にすでにその名が見え,そこに天帝の下都(地上に置いた都)があるとされる。《穆天子(ぼくてんし)伝》では,周の穆王がこの山に登り黄帝の建てた宮殿を見たという。こうした先秦・漢初の書物では,崑崙山はなお西方の多数の神山の一つにとどまったが,漢から魏晋南北朝へと時代が下るにしたがって,他の神山に卓越した位置が与えられ,東海の三神山とともに中国をはさんで東西に対峙する,西裔の地の聖山とされるようになる。


鳳藏丹霄暮,龍去白水渾。
五色の羽を輝かせ舞う鳳凰は天下泰平に出現するのだが今や夕方の空に隠れてしまっている。龍は去って居なくなり、きれいな澄みきった水も濁ってしまっているほど天下は乱れているのだ。
・鳳藏丹霄暮 禅語に「彩鳳舞丹霄」があり、 五色の羽を輝かせ舞う鳳凰は天下泰平に出現する幻の鳥。禅語では 丹~は真っ赤ではなく澄みきっているということ、霄~は雲ひとつ無い大空であるがここでは夕焼け空に鳳凰が隠れてしまって太平でないことを云う。。 このように奇しく美しい光景は天が治まっていないと見えないように己の心も澄みきっていることをいう。禅宗は西暦520年頃にインドから成都にへ布教に入ったとされていて南宋の圓悟勤禪師他中国の仏教の中心的な地域である。
・白水 秋のまだ氷ってはいない冷たい水。辺りがうす暗くなり、水面は暮れやらぬ空を映すさま。
・渾 1 にごる。「渾濁」 2 (「混」と通用)一つにまじりあう。「渾然・渾沌(こんとん)」 3 すべて。全部の。「渾身」 4 大きい。
杜甫『日暮』
日落風亦起,城頭烏尾訛。
黃雲高未動,白水已興波。
羌婦語還笑,胡兒行且歌。
將軍別換馬,夜出擁雕戈。

秦州抒情詩(18) 日暮 杜甫 <303> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1376 杜甫詩 700- 423

杜甫『新安吏』「肥男有母送、瘦男獨伶俜。
白水暮東流、青山猶哭聲。」
新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1022 杜甫詩集700- 305


青熒雪嶺東,碑碣舊製存。
雪を頂いている嵩山の向こうの東の方では戦火で燃やされて続けている。そうした中で先生の石碑に刻まれているものは古くから今に至るも厳然として存在しているのだ。
・青熒 【せいけい】 灯火などが青くともる・こと(さま)。
・碑碣【ひけつ】「碑」は方形のもの、「碣」は円柱形のものをいう石碑。いしぶみ。


(蜀僧の閭 邱師兄に贈る)
太常博士均之孫,成都人。
大師 銅梁の秀にし,籍籍として名家の孫なり。
嗚呼 先の博士にして,炳靈【へいれい】の精氣 奔にす。
惟昔 武皇の後,臨軒して 乾坤を禦【ふせ】ぐ。
多士 盡く儒冠【じゅかん】し,墨客 藹雲【あいうん】のごとく屯【たむろ】す。
#2
時に當り紫殿に上り,獨りならずも卿相として尊ばる。
世傳するは閭邱の筆,峻極するは昆侖を逾ゆ。
鳳藏 丹霄の暮,龍去りて白水の渾。
青熒【せいけい】 雪嶺の東,碑碣【ひけつ】 舊製にして存る。

贈蜀僧閭丘師兄 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -7-#1)  杜甫 <389>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1883 杜甫詩1000-389-570/1500

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女性詩人
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李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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詩 題:贈蜀僧閭丘師兄 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -7-#1) 
作時760年9月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000首の389首目-#3 -7-#1
杜甫ブログ1500回予定の-570回目  





贈蜀僧閭丘師兄
太常博士均之孫,成都人。
大師銅梁秀,籍籍名家孫。
丘大師は銅梁(重慶)において秀でたお方である。代々の百官の家系であり名家のお孫さんなのである。
嗚呼先博士,炳靈精氣奔。
ああ、尊敬する先の博士先生。あの炳靈寺の精氣を全身から放たれるお方なのである。
惟昔武皇後,臨軒禦乾坤。
あの昔の偉人、漢の武帝以来、軒を並べて見比べてみてもこの天地を守り抜いてこられたのである。
多士盡儒冠,墨客藹雲屯。

多くの士太夫男たるものがことごとく儒教者であり、文人であり、絵描きを学ぼうとする者はむらがり立った雲のように集まったのである
#2
當時上紫殿,不獨卿相尊。世傳閭丘筆,峻極逾昆侖。
鳳藏丹霄暮,龍去白水渾。青熒雪嶺東,碑碣舊製存。
#3
晚看作者意,妙絕與誰論。吾祖詩冠古,同年蒙主恩。
豫章夾日月,歲久空深根。小子思疏闊,豈能達詞門。
#4
窮秋一揮淚,相遇即諸昆。我住錦官城,兄居衹樹圖。
地近慰旅愁,往來當丘樊。天涯歇滯雨,粳稻臥不翻。
#5
漂然薄遊倦,始與道侶敦。景晏步修廊,而無車馬喧。
夜闌接軟語,落月如金盆。漠漠世界黑,驅驅爭奪繁。
惟有摩尼珠,可照濁水源。


DCF00201

 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -7-#1) 
『贈蜀僧閭丘師兄』 現代語訳と訳註
(本文)
贈蜀僧閭丘師兄
太常博士均之孫,成都人。
大師銅梁秀,籍籍名家孫。嗚呼先博士,炳靈精氣奔。
惟昔武皇後,臨軒禦乾坤。多士盡儒冠,墨客藹雲屯。


(下し文)
(蜀僧の閭 丘師兄に贈る)
太常博士均之孫,成都人。
大師 銅梁の秀にし,籍籍として名家の孫なり。
嗚呼 先の博士にして,炳靈【へいれい】の精氣 奔にす。
惟昔 武皇の後,臨軒して 乾坤を禦【ふせ】ぐ。
多士 盡く儒冠【じゅかん】し,墨客 藹雲【あいうん】のごとく屯【たむろ】す。


(現代語訳)
丘大師は銅梁(重慶)において秀でたお方である。代々の百官の家系であり名家のお孫さんなのである。
ああ、尊敬する先の博士先生。あの炳靈寺の精氣を全身から放たれるお方なのである。
あの昔の偉人、漢の武帝以来、軒を並べて見比べてみてもこの天地を守り抜いてこられたのである。
多くの士太夫男たるものがことごとく儒教者であり、文人であり、絵描きを学ぼうとする者はむらがり立った雲のように集まったのである。


(訳注)
贈蜀僧閭丘師兄

太常博士均之孫,成都人。
裴迪らと一緒に寺の宿坊に泊まり、お礼に作ったものである。太常博士であった閭丘均の孫にあたる丘僧侶である。
・閭丘均について中國古代人名辞典には〔唐〕(西暦709年前後在世)字不詳,益州成都の人。生卒年均不詳,約唐中宗景龍三年前後在世。以って文章著稱をおこなう。景龍中,(西暦708年頃)安樂公主の薦す所となり,起家して太常博士を拜す。循州司倉の上司に問題があり、連座して退官している。
・蜀僧 蜀の僧侶の中で指導的立場にあったのであろう。
・閭丘 百官の家系である。諸葛亮にも仕えている。
・太常博士 初唐の朝廷の事であろう。太常博士は従七品上で殿中侍御史、  左補闕、 右補闕に次ぐ地位のようだ。
    

大師銅梁秀,籍籍名家孫。
丘大師は銅梁(重慶)において秀でたお方である。代々の百官の家系であり名家のお孫さんなのである。
・銅梁 銅梁県(どうりょうけん)は中華人民共和国重慶市に位置する県で、唐代に銅梁県が設置された。


嗚呼先博士,炳靈精氣奔。
ああ、尊敬する先の博士先生。あの炳靈寺の精氣を全身から放たれるお方なのである。
・炳靈 甘肅蘭州炳靈寺のこと。晋の時代に建立され唐で隆盛を極めた。石仏がある。


惟昔武皇後,臨軒禦乾坤。
あの昔の偉人、漢の武帝以来、軒を並べて見比べてみてもこの天地を守り抜いてこられたのである。
・惟昔武皇 武力を以て国土を広げた皇帝や戦乱を平定した皇帝に送られる諡号である。
・臨軒 軒を並べて見比べる。
・禦乾坤 天と地を守り抜くこと。


多士盡儒冠,墨客藹雲屯。
多くの士太夫男たるものがことごとく儒教者であり、文人であり、絵描きを学ぼうとする者はむらがり立った雲のように集まったのである。
・儒冠 儒服のことで濡衣 ・ 儒冠。儒衣・儒家・儒学・儒冠・儒教・儒者・儒術・儒墨・儒流・儒林.は儒教者を云う。
・墨客 詩文や書画などの風流に親しむ人をいう。
・藹 雲(あいうん) むらがり立った雲。


和裴迪登新津寺寄王侍郎 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(3 -6)  杜甫 <388> 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1879 杜甫詩1000-388-569/1500

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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。


李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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詩 題:和裴迪登新津寺寄王侍郎 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(3 -6)
作時760年9月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000首の388首目-#3 -6
杜甫ブログ1500回予定の-569回目
裴迪が新津の寺にのぼって侍郎王潜に寄せた詩の意を和してつくる。
王潜は時に蜀州の長官であった。


和裴迪登新津寺寄王侍郎
<王維の弟子の裴迪君と一緒に蜀州の新津の寺に泊まり、重陽の節句で山に登りて王維の事を語り合う中で王維に寄せる詩を作った。>
*〔原注〕 王時牧蜀
(杜甫の注:この時王維の弟の王潜は益州の隣の蜀州の刺史長官をしていた。)
何恨倚山木,吟詩秋葉黃。
秋の蝉よ、おまえは何の恨みあり、山の木に留まっているのか、そして詩を吟ぜられるのか、こんなに秋の葉の黄ばんで間もなく枯れようとしているのに(お前もじっと我慢をしていたので仕方がないのか)。
蟬聲集古寺,鳥影度寒塘。
ここに多くの恨みの蝉の声がこのふるいお寺にあつまっているのだ。見回すと寒い色をしたつつみのうえを鳥が影をして渡っていく。
風物悲遊子,登臨憶侍郎。
この景色は裴迪君、詩人の旅人としてのあなたを悲しくさせるものなのだ。重陽の節句でこうして高い処へのぼったにつけて王侍都のことをおもいだされたことだろう。(杜甫も王維も朝廷に対して不遇であることを共通の恨みに思っている)。
老夫貪佛日,隨意宿僧房

このように年は取っているが士夫としてわたしはあなたとはちがい仏法を勉強することにまだまだ貧しい思いをしているので、こうして思いのままに僧房に泊まり込んで仏の教えでも充分聞く必要があるでしょう。
(裴迪が新津の寺に登りて王侍郎に寄するを和す)
*〔原注〕 (王時に蜀を牧す)
何恨みか山木に倚り,吟詩す秋葉の黃。
蟬聲 古寺に集り,鳥影 寒塘を度る。
風物 遊子を悲しまん,登臨 侍郎を憶う。
老夫佛日を貪【むさぼ】る,隨意 僧房に宿せん。

駅亭の 隠遁

『和裴迪登新津寺寄王侍郎』 現代語訳と訳註
(本文)

和裴迪登新津寺寄王侍郎
*〔原注〕 王時牧蜀
何恨倚山木,吟詩秋葉黃。
蟬聲集古寺,鳥影度寒塘。
風物悲遊子,登臨憶侍郎。
老夫貪佛日,隨意宿僧房


(下し文)
(裴迪が新津の寺に登りて王侍郎に寄するを和す)
*〔原注〕 (王時に蜀を牧す)
何恨みか山木に倚り,吟詩す秋葉の黃。
蟬聲 古寺に集り,鳥影 寒塘を度る。
風物 遊子を悲しまん,登臨 侍郎を憶う。
老夫佛日を貪【むさぼ】る,隨意 僧房に宿せん。


(現代語訳)
<王維の弟子の裴迪君と一緒に新津の寺に泊まり、重陽の節句で山に登りて王維殿の事を語り合う中で王維に寄せる詩を作った。>
(杜甫の注:この時王維の弟の王潜は益州の隣の蜀州の刺史長官をしていた。)
秋の蝉よ、おまえは何の恨みあり、山の木に留まっているのか、そして詩を吟ぜられるのか、こんなに秋の葉の黄ばんで間もなく枯れようとしているのに(お前もじっと我慢をしていたので仕方がないのか)。
ここに多くの恨みの蝉の声がこのふるいお寺にあつまっているのだ。見回すと寒い色をしたつつみのうえを鳥が影をして渡っていく。
この景色は裴迪君、詩人の旅人としてのあなたを悲しくさせるものなのだ。重陽の節句でこうして高い処へのぼったにつけて王侍都のことをおもいだされたことだろう。(杜甫も王維も朝廷に対して不遇であることを共通の恨みに思っている)。
このように年は取っているが士夫としてわたしはあなたとはちがい仏法を勉強することにまだまだ貧しい思いをしているので、こうして思いのままに僧房に泊まり込んで仏の教えでも充分聞く必要があるでしょう。


(訳注)
和裴迪登新津寺寄王侍郎

王維の弟子の裴迪君と一緒に新津の寺に泊まり、重陽の節句で山に登りて王維殿の事を語り合う中で王維に寄せる詩を作った。
○裴迪 詩人であり、王維の親友である。王維の弟王潜の所に来ていた。王維と数年かけて輞川集をつくる。 罔川集 20
○新津寺 新津は蜀州県名、成都府に属し、蜀州の東南70里にある。杜甫の家からは西南西40里の所にある。
成都561

○王侍郎 侍郎の官の王潜、王維の弟で、王維が弟を長安に戻すため尽力し、許され帰郷途中鳳翔まで帰った時期に王維が死去する。この詩の2年後のことである。 

  
*〔原注〕 王時牧蜀
この時王維の弟の王潜は益州の隣の蜀州の刺史長官をしていた。
○牧蜀 蜀州の刺史であることをいう。


何恨倚山木,吟詩秋葉黃。
秋の蝉よ、おまえは何の恨みあり、山の木に留まっているのか、そして詩を吟ぜられるのか、こんなに秋の葉の黄ばんで間もなく枯れようとしているのに(お前もじっと我慢をしていたので仕方がないのか)。
○何恨 何の恨あってか。平時に胸に収めている不平不磨を持っていること。下句の「蝉」にかけてある。蝉は地中で長い間生活し、わずか数日の生命であることに。、比喩している 
陳子昂 「置酒此南洲。 平生亦何恨。 夙昔在林丘。 違此鄉山別。 長謠去國愁。」


蟬聲集古寺,鳥影度寒塘。
ここに多くの恨みの蝉の声がこのふるいお寺にあつまっているのだ。見回すと寒い色をしたつつみのうえを鳥が影をして渡っていく。
○鳥影 鳥が飛ぶその影がと手の草に映るのは、草が枯れてスクリーンのような状態になっている。青い草ではその青さに紛れてわからない。杜甫の上手い表現である。ここまでの四句はそれらに加えてに、無情さを感じさせる


風物悲遊子,登臨憶侍郎。
この景色は裴迪君、詩人の旅人としてのあなたを悲しくさせるものなのだ。重陽の節句でこうして高い処へのぼったにつけて王侍都のことをおもいだされたことだろう。(杜甫も王維も朝廷に対して不遇であることを共通の恨みに思っている)。
○遊子 裴迪 をさす。 
○登臨 重陽の節句には高い所に昇って遠くの親族友人知人の健康を祈るのである。
○侍郎 王侍郎。王維のこと。2年前杜甫は華州に居る時、王維に会っていて、共通の不満があったのだ。裴迪は王維の弟子のような存在で王維の弟王潜に会いに来ていたのだ。


老夫貪佛日,隨意宿僧房
このように年は取っているが士夫としてわたしはあなたとはちがい仏法を勉強することにまだまだ貧しい思いをしているので、こうして思いのままに僧房に泊まり込んで仏の教えでも充分聞く必要があるでしょう。
○老夫 年を取っている割には仏教の勉強が足りないという意味。
○仏日 仏徳を日にたとえる、金光明経に「仏日大悲、一切ノ闇ヲ滅ス」の語があるが、ここでは仏教を勉強する日数の事。王維は禅宗の僧侶の資格があり、王維の輞川荘には寺を作っていたのでこういう表現をしたのだ。
○僧房 新津の寺中のへやをいう。

奉簡高三十五使君 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(3 -5)  杜甫 <387> 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1875 杜甫詩1000-387-568/1500

◆◆◆2013年2月3日紀頌之の5つの漢文ブログ◆◆◆
Ⅰ.李白と李白に影響を与えた詩集

古代中国の結婚感、女性感について述べる三国時代の三曹の一人、曹植の詩
送應氏二首 其二 曹植 魏詩<32>文選 祖餞 664 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1873
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Ⅱ.中唐詩・晩唐詩
 唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
原道 韓退之(韓愈)詩<115-5>Ⅱ中唐詩577 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1874
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Ⅲ.杜甫詩1000詩集
"●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 
●理想の地を求めて旅をする
●全詩1/3を掲載済。"
奉簡高三十五使君 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(3 -5)  杜甫 <387> 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1875 杜甫詩1000-387-568/1500
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Ⅳ.漢詩・唐詩・宋詞詩詩集
登鹿門山懐古 孟浩然 (02/03)
http://kanshi100x100.blog.fc2.com/blog-entry-619.html


Ⅴ.晩唐五代詞詩・宋詞詩
 森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”彼女の詩の先生として登場する 晩唐期の詩人 温庭筠(おんていいん)の作品を訳註解説する。
賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
古詩十九首 (1) 漢詩
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首




奉簡高三十五使君 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(3 -5)  杜甫 <387> 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1875 杜甫詩1000-387-568/1500

詩 題:奉簡高三十五使君 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(3 -5) 
作時760年9月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000首の387首目-#3 -5
杜甫ブログ1500回予定の-568回目  
  
杜甫は行在所、長安の朝廷で友好を深めていた高適を首を長くして待ちわびていたのですから。そのころ(758年)杜甫は、左拾位で王維、裴迪、賈至、岑參、厳武、高適・・・・たくさんの文人と交流していた。


奉簡高三十五使君
當代論才子,如公複幾人。
現代において才知にすぐれ、頭の働きのすばやい人はだれかと論じたなら、貴方をまず挙げてまた幾人のものを列挙できるというのか。
驊騮開道路,鷹隼出風塵。
このたび、貴公は栄転されたことは駿馬の前に千里の道路が開かれたというものであり、あるいは、鷹や隼が風塵からぬけだしたようなものと思っている。
行色秋將晚,交情老更親。
もう秋が暮れかかろうとしているときにまさに旅立とうとしている絶好の季節だ。貴公とは若いころからの交情をかさねてきたのだけれどこうして年をかさねると一層親しい深いものになってゆくものだ。
天涯喜相見,披豁對吾真。

この地にきて嬉しいことは洛陽・長安で付き合っていて、ここ天の果てともいうべきところで互いに合うことが出来ることである、そうして、出世している貴公が私に対して昔同様に胸襟をひらいてくれることだ。
(高三十五使君に簡し奉る)
当代才子を論ぜば、公が如き復幾人ぞ。
驊騮【かりゅう】道路開く、鷹隼【ようじゅん】風塵を出づ。
行色【こうしょく】秋将に晩れんとす、交情【こうじょう】老いて更に親し。
天涯相い見て喜び、吾が真に対するを披豁【ひかつ】す。


sas0040

『奉簡高三十五使君』 現代語訳と訳註
(本文)

當代論才子,如公複幾人。
驊騮開道路,鷹隼出風塵。
行色秋將晚,交情老更親。
天涯喜相見,披豁對吾真。


(下し文)
(高三十五使君に簡し奉る)
当代才子を論ぜば、公が如き復幾人ぞ。
驊騮【かりゅう】道路開く、鷹隼【ようじゅん】風塵を出づ。
行色【こうしょく】秋将に晩れんとす、交情【こうじょう】老いて更に親し。
天涯相い見て喜び、吾が真に対するを披豁【ひかつ】す。


(現代語訳)
現代において才知にすぐれ、頭の働きのすばやい人はだれかと論じたなら、貴方をまず挙げてまた幾人のものを列挙できるというのか。
このたび、貴公は栄転されたことは駿馬の前に千里の道路が開かれたというものであり、あるいは、鷹や隼が風塵からぬけだしたようなものと思っている。
もう秋が暮れかかろうとしているときにまさに旅立とうとしている絶好の季節だ。貴公とは若いころからの交情をかさねてきたのだけれどこうして年をかさねると一層親しい深いものになってゆくものだ。
この地にきて嬉しいことは洛陽・長安で付き合っていて、ここ天の果てともいうべきところで互いに合うことが出来ることである、そうして、出世している貴公が私に対して昔同様に胸襟をひらいてくれることだ。


(訳注)
奉簡高三十五使君

高適に寄せた詩。詩によれば高適が栄任したようで、彭州より蜀州に転じたことをいい、また作者がまさに高適を訪れようとしたときの作である。作時は詳らかでないが上元元年760年49歳と考える。上元元年(七六〇)の秋、. 崔五侍御を通じて彭州(四川省彭県)の刺史であった高適に援助を依頼した. 詩を書いている。頼みごとをする場合の律詩・絶句である。。
五言律詩。
高三十五使君 使君は刺史の敬称。


當代論才子,如公複幾人。
現代において才知にすぐれ、頭の働きのすばやい人はだれかと論じたなら、貴公をまず挙げてまた幾人のものを列挙できるというのか。
・才子 1 才知にすぐれ、頭の働きのすばやい人。多く男についていう。才人。才物。 2 抜けめがなく要領のよい人。「十で神童十五で才子二十過ぎればただの人」


驊騮開道路,鷹隼出風塵。
このたび、貴公は栄転されたことは駿馬の前に千里の道路が開かれたというものであり、あるいは、鷹や隼が風塵からぬけだしたようなものと思っている。
○驊騮 駿馬。
○開道 路すすむべき道路が前面にひらけたことをいう。
○鷹隼 一句たとえである。


行色秋將晚,交情老更親。
もう秋が暮れかかろうとしているときにまさに旅立とうとしている絶好の季節だ。貴公とは若いころからの交情をかさねてきたのだけれどこうして年をかさねると一層親しい深いものになってゆくものだ。
○行色 旅立ちの時の様子。
・交情 高適との交際は旅を
・744年 33歳 洛陽にあり、夏、初めて李白と遇う。秋、梁宋(河南)に遊び、李白・高適と吹台・琴台に登り、河を渡って玉屋山に遊ぶ。
・751年和 高適 (詩人の岑参、高適、薛拠、儲光羲らと交友)「同諸公登慈恩寺塔」 〔原注〕時高適。薛拠。先有作。天宝10載 751年 40歳

同諸公登慈恩寺塔 杜甫 紀頌之のkanbuniinkai漢詩ブログ杜甫詩 特集 39


・753年友人の高適が武威郡(甘粛省武威県)に駐屯する河西節度使の哥舒翰の書記として赴任するのを送る。

送高三十五書記 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 50


・753年『寄高三十五書記』(高三十五書記に寄す)
友人高適が哥舒翰の幕下にあったのに寄せた詩である。製作時は753年天宝十二載の夏42歳。

寄高三十五書記  杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 67


・758年乾元元年の作。太子少居事の官である高適に寄せた詩である。高適は至徳二載に揚州大都督府長史・准南節度使となって、永王燐を淮なんで破った功績があるにもかかわらず、、宦官の李輔国がしばしば高適を天子にあしざまにいったために太子少詹事を授けられた。詹事は東宮の三寺・十率府の政令を掌る、少詹事は詹事の副官で正四品上である。

寄高三十五詹事  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 268


・759年 『寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻』杜甫の成都依稀を決心させるべききっかけとなった書簡。秦州で書いている。その直後秦州を旅立つ。

寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻 杜甫 <316-1> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1430 杜甫詩 700- 441


760年春 成都草堂で、『酬高使君相贈』「古寺僧牢落,空房客寓居。故人分祿米,鄰舍與園蔬。雙樹容聽法,三車肯載書。草玄吾豈敢,賦或似相如。」

成都(1)浣花渓の草堂(1) 酬高使君相贈 杜甫 <354 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1723 杜甫詩 700- 530


・760年秋『因崔五侍禦寄高彭州一絶』食糧援助の内容の絶句を作る。
因崔五侍禦寄高彭州一絶
百年已過半,秋至轉饑寒。
為問彭州牧﹕何時救急難?

(崔五侍禦に因り高彭州に寄せる一絶)
百年 已に半を過ぎ,秋至【しゅうじ】 轉【うた】た饑寒【きかん】なり。
問を為さん 彭州【ほうしゅう】の牧に﹕何れの時にか急を救うは難きや?

因崔五侍禦寄高彭州一絶 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -4)  <386> 五言絶句 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1871 杜甫詩1000-386-567/1500

天涯喜相見,披豁對吾真。
この地にきて嬉しいことは洛陽・長安で付き合っていて、ここ天の果てともいうべきところで互いに合うことが出来ることである、そうして、出世している貴公が私に対して昔同様に胸襟をひらいてくれることだ。
○天涯二句 この二句は高適の栄転を喜ぶもの、高適が杜甫に接する態度に感謝してそれを表すもの。この詩はお互いが尊敬しあっての付き合いをしていることを示すものである。
○披豁 胸襟をびらく。
○対 高適が対すること。
・ 韻 人、親、眞。


奉簡高三十五使君
當代論才子,如公複幾人。
驊騮開道路,鷹隼出風塵。
行色秋將晚,交情老更親。
天涯喜相見,披豁對吾真。

(高三十五使君に簡し奉る)
当代才子を論ぜば、公が如き復幾人ぞ。
驊騮【かりゅう】道路開く、鷹隼【ようじゅん】風塵を出づ。
行色秋将に晩れんとす、交情老いて更に親し。
天涯相見て、披豁【ひかつ】吾が真に対するを喜ぶ。

因崔五侍禦寄高彭州一絶 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -4)  <386> 五言絶句 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1871 杜甫詩1000-386-567/1500


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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。


李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
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因崔五侍禦寄高彭州一絶 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -4)  <386> 五言絶句 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1871 杜甫詩1000-386-567/1500


詩 題:因崔五侍禦寄高彭州一絶 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -4) 
作時760年9月杜甫49歳 
掲 載; 杜甫1000首の386首目-#3 -4
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上元元年(七六〇)の秋、. 崔五侍御を通じて彭州(四川省彭県)の刺史であった高適に援助を依頼した. 詩である。


因崔五侍禦寄高彭州一絶
百年已過半,秋至轉饑寒。
人生百年であり、それも既に半分を過ぎてしまおうとしています。収獲の秋も晩秋を過ぎるころになり、飢餓と寒さ対策の季節となってきました。
為問彭州牧﹕何時救急難?
彭州の長官の高適殿にご質問したいのです。何時かのことでよろしいのですが我家の危急な状態をお助けくださいませんか。
(崔五侍禦に因り高彭州に寄せる一絶)
百年 已に半を過ぎ,秋至【しゅうじ】 轉【うた】た饑寒【きかん】なり。
問を為さん 彭州【ほうしゅう】の牧に﹕何れの時にか急を救うは難きや?

杜甫 体系 地図459同谷紀行


『因崔五侍禦寄高彭州一絶』 現代語訳と訳註
(本文)

因崔五侍禦寄高彭州一絶
百年已過半,秋至轉饑寒。
為問彭州牧﹕何時救急難?


(下し文)
(崔五侍禦に因り高彭州に寄せる一絶)
百年 已に半を過ぎ,秋至【しゅうじ】 轉【うた】た饑寒【きかん】なり。
問を為さん 彭州【ほうしゅう】の牧に﹕何れの時にか急を救うは難きや?


(現代語訳)
人生百年であり、それも既に半分を過ぎてしまおうとしています。収獲の秋も晩秋を過ぎるころになり、飢餓と寒さ対策の季節となってきました。
彭州の長官の高適殿にご質問したいのです。何時かのことでよろしいのですが我家の危急な状態をお助けくださいませんか。


(訳注)
因崔五侍禦寄高彭州一絶

同谷から成都にたどりついた杜甫は、ひとまず城西の寺の僧復空のもとに身を落ちつけた。そのとき彭州の刺史となって蜀に来ていた高適から彼に贈られた詩にこたえて、『酬高使君相贈』「古寺僧牢落,空房客寓居。故人分祿米,鄰舍與園蔬。雙樹容聽法,三車肯載書。草玄吾豈敢,賦或似相如。」(故人禄米を分し、郷舎園疏を与ふ」と詠じている。このことで高適から結構な量のコメをプレゼントされていたのであろうが、十数人が食べるにはそんなに長期間残っていたということもないだろうから、再度の援助は直接頼みにくかったのであろう。


百年已過半,秋至轉饑寒。
人生百年であり、それも既に半分を過ぎてしまおうとしています。収獲の秋も晩秋を過ぎるころになり、飢餓と寒さ対策の季節となってきました。
・百年已過半 人生百年という。中國の数え方は50歳を過ぎれば百歳というアバウトなものである。ここでは杜甫は49歳になっているので数学的にも正確な表現である。
・秋至 夏至、冬至は太陽の昼と夜のどちらかが最も長くなる日(または短い日)を云うわけで、同じような意味では春分、秋分であるから、ここでは穀物の収獲をいみするものとされる。「秋至って」と訓読みするは間違い。ここは季節の変わりを云うのではなくしゅうかくがおもわしくなくて援助を依頼するものであるから「秋至」【しゅうじ】とする。
・轉 1 ある状態が、どんどん進行してはなはだしくなるさま。いよいよ。ますます。転じて、そうした状態の変化を前にして心が深く感じ入るさまにいう。
・饑 「飢」と通用1 作物が実らないで乏しい。「饑饉(ききん)」 2 食糧が乏しくてひもじい。「饑餓」.


為問彭州牧﹕何時救急難?
彭州の長官の高適殿にご質問したいのです。何時かのことでよろしいのですが我家の危急な状態をお助けくださいませんか。
・彭州牧 彭州の長官。という場合はとくに食料担当長官というような意味になる。高適とは若い時からの友人であるから、この語にユーモアを込めているということである。
救急難 飢餓状態のような表現であるのは①頼みごとであること。②近況をわかりやすくすること。③詩的表現であること。

北鄰 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -3)  <385>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1867 杜甫詩1000-385-566/1500

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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。


李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
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北鄰 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -3)  <385>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1867 杜甫詩1000-385-566/1500 


詩 題:北鄰 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -3) 
作時760年9月杜甫49歳 
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北鄰
(南隣には朱山人が住んでいて北隣はわたしだ。)
明府豈辭滿,藏身方告勞。
そのわたしは華州でここらが潮時と官を辞したのだ、秦州同谷と経てここに隠遁している身となっている。「不敢告労」という語もあるがわたしの場合はまさに労苦を語りたいというものだ。
青錢買野竹,白幘岸江皋。
青銭万選の詩文を売って家の周りに綿竹を買って植えた。役人の白い帽子のような花が岸辺の曲った所に咲いている。
愛酒晉山簡,能詩何水曹。
白い帽子で思うのは酒を愛す西晋の山簡公であり、翼詩文を書き、いつも浣花渓の流れの隈の所でたむろしている自分と重なるのである。
時來訪老疾,步屧到蓬蒿。
隠棲をした今となって自分には年を重ねていくことと持病が時に見舞われ、なにもできないことがある。今は敷き藁の上のような貧乏生活であるがなにもできないことつづくと転蓬の草ぼうぼうの野原をさまようことになるのだろうか。
北鄰
明府 豈に滿を辭し,藏身【ぞうしん】方【まさ】に勞を告げる。
青錢【せいせん】買いたる野竹,白幘【はくさく】 岸なる江皋【こうこう】。
酒を愛す 晉の山簡,詩を能くする 何【いずこ】の水曹。
時來【じらい】老疾に訪れ,步屧【ほしょう】して蓬蒿【ほうこう】に到る。


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『北鄰』 現代語訳と訳註
(本文)
北鄰
明府豈辭滿,藏身方告勞。
青錢買野竹,白幘岸江皋。
愛酒晉山簡,能詩何水曹。
時來訪老疾,步屧到蓬蒿。


(下し文)
北鄰
明府 豈に滿を辭し,藏身【ぞうしん】方【まさ】に勞を告げる。
青錢【せいせん】買いたる野竹,白幘【はくさく】 岸なる江皋【こうこう】。
酒を愛す 晉の山簡,詩を能くする 何【いずこ】の水曹。
時來【じらい】老疾に訪れ,步屧【ほしょう】して蓬蒿【ほうこう】に到る。


(現代語訳)
(南隣には朱山人が住んでいて北隣はわたしだ。)そのわたしは華州でここらが潮時と官を辞したのだ、秦州同谷と経てここに隠遁している身となっている。「不敢告労」という語もあるがわたしの場合はまさに労苦を語りたいというものだ。
青銭万選の詩文を売って家の周りに綿竹を買って植えた。役人の白い帽子のような花が岸辺の曲った所に咲いている。
白い帽子で思うのは酒を愛す西晋の山簡公であり、翼詩文を書き、いつも浣花渓の流れの隈の所でたむろしている自分と重なるのである。
隠棲をした今となって自分には年を重ねていくことと持病が時に見舞われ、なにもできないことがある。今は敷き藁の上のような貧乏生活であるがなにもできないことつづくと転蓬の草ぼうぼうの野原をさまようことになるのだろうか。


(訳注)
北鄰

南隣には朱山人が住んでいて北隣の事にいてのべたもの。家の北には野竹林があり、浣花渓の曲って隈になったところに白い花が咲く。


明府豈辭滿,藏身方告勞。
(南隣には朱山人が住んでいて北隣はわたしだ。)そのわたしは華州でここらが潮時と官を辞したのだ、秦州同谷と経てここに隠遁している身となっている。「不敢告労」という語もあるがわたしの場合はまさに労苦を語りたいというものだ。
・明府 漢の時代の県令の尊称であった。明府は県令、少府は県尉のこと、親族が同じ県の長と次長をしていたことになるのである。陶淵明や友人の高適が県令職を辞したことをのべるブログ。官定後戲贈 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 100
『蕭八明府實處覓桃栽』『從韋二明府續處覓綿竹三數叢』などにもみある。
・辭滿 史記(越王勾践世家)[1]弓をいっぱいに引きしぼる。十分に用意して機会を待つ。満を持する。―・して待つ[2]物事が絶頂に達し、その状態を保つ。
・藏身 隠れる,身を潜める.
方告勞 儒教には「不敢告労」とある。正反対の意味である。


青錢買野竹,白幘岸江皋。
青銭万選の詩文を売って家の周りに綿竹を買って植えた。役人の白い帽子のような花が岸辺の曲った所に咲いている。
・青錢 青銭万選のこと。青銅の銭は質がよいので、一万回選び取っても、他の粗悪な銭と取り間違えたりしないこと。転じて、何度受けても必ず科挙(昔の中国の官吏登用試験)の試験に合格できるほどのすばらしい文章のこと。
・買野竹 『從韋二明府續處覓綿竹三數叢』
華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。
江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。

・白幘 御幘 - 冠の巾子(こじ)に結び下げる白の平絹(ひらぎぬ)。  おさく【御幘】. 御幘の冠に結ぶ白絹。纓(えい)を巾子(こじ)の上から前へ折って巾子ぐるみ後ろに結び垂れる。結び方に山科流と高倉流がある。
・皋 澤、湿地、沼。水辺の隈。


愛酒晉山簡,能詩何水曹。
白い帽子で思うのは酒を愛す西晋の山簡公であり、翼詩文を書き、いつも浣花渓の流れの隈の所でたむろしている自分と重なるのである。
・愛酒晉山簡 杜甫『曲江二首 其一』
一片花飛減却春、風飄万点正愁人。
且看欲尽花経眼、莫厭傷多酒入唇。
江上小堂巣翡翠、苑辺高塚臥麒麟。
細推物理須行楽、何用浮名絆此身。
『曲江二首』詩は西晋の山簡が荊州の知事として湖北省の荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。その故事に基づいている。曲江の池を廻りながら、山間と自分を重ねて詠ったものである。一年近く飼い殺しのような身分に置かれて刹那感を山簡に置き換えることで紛らわせたのかもしれない、というものであった。
・何水曹 上句の晉山簡の対句として晋に対して何処であり、山簡に対して水曹(水べりの官僚)すなわち、高陽池のみずのまわりでたむろしていたもの、ここでは浣花渓の流れの隈の所にいる杜甫を指すもの。


時來訪老疾,步屧到蓬蒿。
隠棲をした今となって自分には年を重ねていくことと持病が時に見舞われ、なにもできないことがある。今は敷き藁の上のような貧乏生活であるがなにもできないことつづくと転蓬の草ぼうぼうの野原をさまようことになるのだろうか。
・屧 しきわら
・蓬蒿 (1) シュンギク.(2) 草ぼうぼうの野原.


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