江畔獨步尋花七絕句 其五 杜甫
| 2013年3月31日 | 同じ日の紀頌之5つのブログ |
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江畔獨步尋花七絕句 其五 成都浣花渓 杜甫 <441> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2150 杜甫詩1000-441-624/1500
詩 題:江畔獨步尋花七絕句 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 36)
作時761年5月杜甫50歳
掲 載; 杜甫1000首の441首目-場面4 – 36
杜甫ブログ1500回予定の-624回目
1
江畔濁歩尋花七絶句 之一
江上被花惱不徹,無處告訴只顛狂。
走覓南鄰愛酒伴,經旬出飲獨空床。
浣花渓の水面にまで花がせき、乱れ散るのに私を悩ませるのはこの花を見るのを盡し切れないことがあるからだ。そのことを訴えようにも訴えるところがないのだ。真剣に考えるあまり、ほかの事が全く考えられないほどになっている。
そこで南隣の隣人であり酒を愛し、酒の友である、朱山人の斛斯六官の所へ急いて来てみたのである。するとどうも酒を呑みに行って10日前後もたっているだろうその部屋には空しく寝台がポツンと一つあるだけである。
2江畔獨步尋花七絕句 其二
稠花亂蕊裹江濱,行步敧危實怕春。
詩酒尚堪驅使在,未須料理白頭人。
多くの花がさきあふれ、花びらが落ち始め、みだれた花蕊がむき出しになるものが出始める晩春の濯錦江のほとりをつつみかこんでいる、それをながめながらあるく自分の足つきは酒によってあぶなげであり、これでは酒をすすませる春をおそろしいものとおもう。
そうはいってもまだわたしは詩と酒に充分にこきつかわれているわけでもないし、十分存在かんをたもっているのである。まだまだ、この白髪のあたまの隠棲者を料理されるほどくたばってはいないのだ。(まだまだ飲めるぞ)
3江畔獨步尋花七絕句 其三 杜甫
江深竹靜兩三家,多事紅花映白花。
報答春光知有處,應須美酒送生涯。
濯錦江のくびれは水面深く、竹林のしずけさをおとしている三軒の家がある。それなのになやまされる沢山の事が、今もこうして赤い花が咲き、白い花がさきほこるのである。
これに加えて春の暖かい光がここに降り注ぐところがあることを知るので、子ににも酬答えてやらねばいけないのである。だから春の新酒の美酒を用意してわが生涯における今のこのひと時を送ろうというのである。
4江畔獨步尋花七絕句 其四
東望少城花滿煙,百花高樓更可憐。
誰能載酒開金盞,喚取佳人舞繡筵?
自分の家から東のかた少城をながめると花にいっぱい咲き、朝もやに包まれている。百か繚乱の向こうに高楼があり、そこからの景色がとても良くてうらやましく思われるものでだろう。
成都のまちではだれがそこへ満載した酒をもってきて金の新酒の甕壺を開き、美人たちをよんで花の宴のうつくしい筵で舞をさせて見せてくれるだろう。
5江畔獨步尋花七絕句 其五
黃師塔前江水東,春光懶困倚微風。
私の家から濯錦江の東側に江水を前にして黄法師の墓がある。春の風光のなかひとり歩くのも暖かで体も気怠くなり、ひとやすみするとそよ風に気怠い心を支えられる。
桃花一簇開無主,可愛深紅愛淺紅?
そこには桃の花がひとかたまり咲いている、見てくれる主もなく咲いているのだ。しかし、わたしはその愛する花のなかで紅色を愛すべきなのか、うす紅色の花を愛すべきなのか考えるが、どちらも美しくさいているのだ。だからどちらも愛すべきなのだ。
黄師 塔は 江水の東に前し、春光 懶困【らんこん】するも 微風に倚る。
桃花 一族 開けども 主無く、深紅を愛す可きや浅紅を愛すべきや。

『江畔獨步尋花七絕句 之五』 現代語訳と訳註
(本文) 江畔獨步尋花七絕句 其五
黃師塔前江水東,春光懶困倚微風。
桃花一簇開無主,可愛深紅愛淺紅?
(下し文)
黄師 塔は 江水の東に前し、春光 懶困【らんこん】するも 微風に倚る。
桃花 一族 開けども 主無く、深紅を愛す可きや浅紅を愛すべきや。
(現代語訳)
(江のほとりをひとりあるいて花をたずねてつくった詩。)
私の家から濯錦江の東側に江水を前にして黄法師の墓がある。春の風光のなかひとり歩くのも暖かで体も気怠くなり、ひとやすみするとそよ風に気怠い心を支えられる。
そこには桃の花がひとかたまり咲いている、見てくれる主もなく咲いているのだ。しかし、わたしはその愛する花のなかで紅色を愛すべきなのか、うす紅色の花を愛すべきなのか考えるが、どちらも美しくさいているのだ。だからどちらも愛すべきなのだ。
(訳注)
江畔獨步尋花七絕句 其五
江のほとりをひとりあるいて花をたずねてつくった詩。
上元二年の晩春から夏の作である。
黃師塔前江水東,春光懶困倚微風。
私の家から濯錦江の東側に江水を前にして黄法師の墓がある。春の風光のなかひとり歩くのも暖かで体も気怠くなり、ひとやすみするとそよ風に気怠い心を支えられる。
○黃師塔 塔は塔に同じ、黄師塔とは黄姓の法師の墓である。其六の詩にも出て來ることからこの一角に黄という一族がいたのではなかろうか。解釈のイメージつくりに草堂からの市を設定してみる。この場合杜甫の自宅から位置決めをした。
○懶困 だるいこと。春の陽気にけだるくなること。
桃花一簇開無主,可愛深紅愛淺紅?
そこには桃の花がひとかたまり咲いている、見てくれる主もなく咲いているのだ。しかし、わたしはその愛する花のなかで紅色を愛すべきなのか、うす紅色の花を愛すべきなのか考えるが、どちらも美しくさいているのだ。だからどちらも愛すべきなのだ。
〇一簇 ひとむらがり。
○無主 黄某という村人が居ればその場所で酒を呑むのだ当時の寒食の習慣で、その時以来何度もとおって見て留守にしていてせっかく咲いている花がもったいないという意味である。
○可愛深紅愛淺紅 深紅を愛で、淺紅を愛でるべき。隠遁者、陶淵明になっている杜甫は花を口実に飲みたい気持ちを詠っているのである。春の花に浮かれた杜甫の姿を想像する詩である。






多くの花がさきあふれ、花びらが落ち始め、みだれた花蕊がむき出しになるものが出始める晩春の濯錦江のほとりをつつみかこんでいる、それをながめながらあるく自分の足つきは酒によってあぶなげであり、これでは酒をすすませる春をおそろしいものとおもう。

こうしてみるとこの私はよくよく才能にかけているということなのだろう。まあ、長生きをして段々年を取って自然にしおれていく人生もよいのではないだろうか。

高楠
(本文)


私は独り此処に傷心の石があるだけであると思う。

芹泥隨燕觜,花蕊上蜂須。
琴台





(訳注)
(修覚寺に遊ぶ)












