杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

2014年01月

廣徳2年764-8-2 《贈別賀蘭銛》 蜀中転々 杜甫 <658-2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3680 杜甫詩1000-658-2-930/1500752-2

《贈別賀蘭銛》国の進んでいく路も国の始めのころは正しい施政に立ち返る。それが今、天地には未だに戦火の風塵が舞っているのだ。ここの悲しい歌ばかりではこのように白髪頭になってしまう。だから今度の旅立ちでは湘水地方や呉の国(湘水・)に行けば春を迎えることになる赴任になる。


2014年1月31日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固)《東都賦》(24) 文選 賦 賦<113―24>18分割38回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1026 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3678
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《潮州刺史謝上表》(7)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <939>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3679韓愈詩-242-(7)
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 11 -17 鳳樓春一首 歐陽舍人炯十七首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-427-11-#17  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3682
 
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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廣徳2764-8-2 《贈別賀蘭銛》 蜀中転々 杜甫 <658-2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3680 杜甫詩1000-658-2-930/1500752-2

 

 

作時年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 贈別賀蘭銛 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  湖州 (江南東道 湖州 湖州) 別名:興、   ・岷山 (劍南道北部 茂州 岷山) 別名:西山、汶山     

交遊人物/地點: 賀蘭銛 當地交遊(山南西道 閬州 閬州)

 

 

贈別賀蘭銛 #1

(賀蘭銛君にこの詩を贈って別れる。)

黃雀飽野粟,群飛動荊榛。 

食べ飽きることがないという「黃雀」でさえ、野になっている粟に飽きてしまったら、群れをなして飛んで、イバラとハシバミが茂る雑木林に移動するだろう。

今君抱何恨,寂寞向時人。 

今の君の立場はそのようなもので、何の怨みを抱くことがあろうか。それはたしかに、一般人の中に入っていくのは心寂しく淋しい思うことであろう。

老驥倦驤首,蒼鷹愁易馴。 

年を取った馬は飛び跳ねて走ることを嫌がる。情け容赦のない蒼鷹でさえ愁うことには容易になれるものだ。

高賢世未識,固合嬰飢貧。

高士であり、賢人である儒者がいまだ世に知られていないことではあるが、その清廉潔白な生活で、自分はもとより、かわいいわが乳飲み子でさえ飢えさせているのである。

#2 

國步初返正,乾坤尚風塵。 

国の進んでいく路も国の始めのころは正しい施政に立ち返る。それが今、天地には未だに戦火の風塵が舞っているのだ。

悲歌鬢髮白,遠赴湘春。 

ここの悲しい歌ばかりではこのように白髪頭になってしまう。だから今度の旅立ちでは湘水地方や呉の国(湘水・)に行けば春を迎えることになる赴任になる。

我戀岷下芋,君思千里蓴。 

わたしは岷山を下って草や芋生い茂る平原を恋しいと思うし、君は千里先の蓴羹鱸膾を楽しめると思う。

生離與死別,自古鼻酸辛。 

今の世は、生きていても別れれば死に別れを受けると同じだ、この事は古より別れは辛酸が鼻をついて涙が出るほどのことだといわれているのだ。

 

(賀蘭銛【がらんせん】に贈り別る)

黃雀 野粟に飽き,群飛して 荊榛に動く。 

今君は何の恨を抱きしか,寂寞として 時として人に向う。 

老驥 驤首を倦き,蒼鷹 愁いて馴み易し。 

高賢 世未だ識らざるなり,固より嬰 飢貧せしに合う。

#2 

國の步みは初めて正に返し,乾坤 尚お風塵。 

悲歌 鬢髮白にし,遠赴 湘春。 

我れ戀きは岷下り芋とし,君思う千里の蓴を。 

生離れるは死別を與う,古え自り 鼻 酸辛たり。 

玄武門 

 

『贈別賀蘭銛』 現代語訳と訳註

(本文) #2 

國步初返正,乾坤尚風塵。 

悲歌鬢髮白,遠赴湘春。 

我戀岷下芋,君思千里蓴。 

生離與死別,自古鼻酸辛。 

 

(下し文) #2 

國の步みは初めて正に返し,乾坤 尚お風塵。 

悲歌 鬢髮白にし,遠赴 湘春。 

我れ戀きは岷下り芋とし,君思う千里の蓴を。 

生離れるは死別を與う,古え自り 鼻 酸辛たり。 

 

(現代語訳)

国の進んでいく路も国の始めのころは正しい施政に立ち返る。それが今、天地には未だに戦火の風塵が舞っているのだ。

ここの悲しい歌ばかりではこのように白髪頭になってしまう。だから今度の旅立ちでは湘水地方や呉の国(湘水・)に行けば春を迎えることになる赴任になる。

わたしは岷山を下って草や芋生い茂る平原を恋しいと思うし、君は千里先の蓴羹鱸膾を楽しめると思う。

今の世は、生きていても別れれば死に別れを受けると同じだ、この事は古より別れは辛酸が鼻をついて涙が出るほどのことだといわれているのだ。

 

(訳注) #2

贈別賀蘭銛

(賀蘭銛君にこの詩を贈って別れる。)

○賀蘭銛 事歴は詳かでない。別にこの詩の数か月後に作った「寄賀蘭銛」詩がある。

朝野歡後,乾坤震盪中。相隨萬里日,總作白頭翁。

晚仍分袂,江邊更轉蓬。勿雲俱異域,飲啄幾回同。

一時太平全盛で朝となく野となく歓娯をつくしたあと、にわかに兵乱がおこって天地がうごきだしたまっさいちゅう。そのとき君と自分とは万里の遠くまで相随ってきたが、いまやふたりとも白髪のじいさんとなってしまった。いま歳の晩だというのにもやっぱり袂を分かたねばならぬそのうえ此の蜀の江辺で蓬のごとくころがりあるくのである。ここはおたがい他郷の地だから悲しいなどとはいいたもうな、こうやっていっしょに飲食することのできることは生涯に幾度あるのだとおもわれるか、そこを楽しむべきではないか。

kimo003 

 

國步 返正 ,乾坤 尚風塵

国の進んでいく路も国の始めのころは正しい施政に立ち返る。それが今、天地には未だに戦火の風塵が舞っているのだ。

「國步」国の進んでいく路。正しい施政。

「乾坤」1 (えき)の卦()の乾と坤。2 天と地。天地。「奔騰狂転せる風は…、―を震撼し、樹石を動盪(どうとう)しぬ」〈露伴・運命〉3 陰陽。4 いぬい(北西)の方角とひつじさる(南西)の方角。5 2巻で一組となっている書物の、上巻と下巻。

 

悲歌 鬢髮 ,遠赴

ここの悲しい歌ばかりではこのように白髪頭になってしまう。だから今度の旅立ちでは湘水地方や呉の国(湘水・)に行けば春を迎えることになる赴任になる。

「湘」湘水、興。

 

我戀 岷下 ,君思 千里

わたしは岷山を下って草や芋生い茂る平原を恋しいと思うし、君は千里先の蓴羹鱸膾を楽しめると思う。

「岷」山嶺地名、岷山。岷江

「蓴」蓴羹鱸膾【じゅんこうろかい】故郷を懐かしく思い慕う情のこと。「蓴羹」は蓴菜じゅんさいの吸い物。「羹」はあつもの・吸い物。「鱸膾」は鱸すずきのなますの意。

 

生離 與死別 ,自古 酸辛

今の世は、生きていても別れれば死に別れを受けると同じだ、この事は古より別れは辛酸が鼻をついて涙が出るほどのことだといわれているのだ。
帽子03 

廣徳2年764-8-1 《贈別賀蘭銛》 蜀中転々 杜甫 <658-1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3675 杜甫詩1000-658-1-929/1500752-1

杜甫《贈別賀蘭銛》  年を取った馬は飛び跳ねて走ることを嫌がる。情け容赦のない蒼鷹でさえ愁うことには容易になれるものだ。高士であり、賢人である儒者がいまだ世に知られていないことではあるが、その清廉潔白な生活で、自分はもとより、かわいいわが乳飲み子でさえ飢えさせているのである。


2014年1月30日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 11 -16 江城子一首 歐陽舍人炯十七首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-426-11-#16  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3677
 
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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
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廣徳2764-8-1 《贈別賀蘭銛》 蜀中転々 杜甫 <658-1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3675 杜甫詩1000-658-1-929/1500752-1

 

 

年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 贈別賀蘭銛 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  湖州 (江南東道 湖州 湖州) 別名:興、   ・岷山 (劍南道北部 茂州 岷山) 別名:西山、汶山     

交遊人物/地點: 賀蘭銛 當地交遊(山南西道 閬州 閬州)

 

 

贈別賀蘭銛 #1

(賀蘭銛君にこの詩を贈って別れる。)

黃雀飽野粟,群飛動荊榛。 

食べ飽きることがないという「黃雀」でさえ、野になっている粟に飽きてしまったら、群れをなして飛んで、イバラとハシバミが茂る雑木林に移動するだろう。

今君抱何恨,寂寞向時人。 

今の君の立場はそのようなもので、何の怨みを抱くことがあろうか。それはたしかに、一般人の中に入っていくのは心寂しく淋しい思うことであろう。

老驥倦驤首,蒼鷹愁易馴。 

年を取った馬は飛び跳ねて走ることを嫌がる。情け容赦のない蒼鷹でさえ愁うことには容易になれるものだ。

高賢世未識,固合嬰飢貧。

高士であり、賢人である儒者がいまだ世に知られていないことではあるが、その清廉潔白な生活で、自分はもとより、かわいいわが乳飲み子でさえ飢えさせているのである。#2 

國步初返正,乾坤尚風塵。 

悲歌鬢髮白,遠赴湘春。 

我戀岷下芋,君思千里蓴。 

生離與死別,自古鼻酸辛。 

蜀中転々圖 

(賀蘭銛【がらんせん】に贈り別る)

黃雀 野粟に飽き,群飛して 荊榛に動く。 

今君は何の恨を抱きしか,寂寞として 時として人に向う。 

老驥 驤首を倦き,蒼鷹 愁いて馴み易し。 

高賢 世未だ識らざるなり,固より嬰 飢貧せしに合う。

#2 

國の步みは初めて正に返し,乾坤 尚お風塵。 

悲歌 鬢髮白にし,遠赴 湘春。 

我れ戀きは岷下り芋とし,君思う千里の蓴を。 

生離れるは死別を與う,古え自り 鼻 酸辛たり。 

杏の白花012 

 

『贈別賀蘭銛』 現代語訳と訳註

(本文)

贈別賀蘭銛 #1

黃雀飽野粟,群飛動荊榛。 

今君抱何恨,寂寞向時人。 

老驥倦驤首,蒼鷹愁易馴。 

高賢世未識,固合嬰飢貧。

 

(下し文)

(賀蘭銛【がらんせん】に贈り別る)

黃雀 野粟に飽き,群飛して 荊榛に動く。 

今君は何の恨を抱きしか,寂寞として 時として人に向う。 

老驥 驤首を倦き,蒼鷹 愁いて馴み易し。 

高賢 世未だ識らざるなり,固より嬰 飢貧せしに合う。

 

(現代語訳)

(賀蘭銛君にこの詩を贈って別れる。)

食べ飽きることがないという「黃雀」でさえ、野になっている粟に飽きてしまったら、群れをなして飛んで、イバラとハシバミが茂る雑木林に移動するだろう。

今の君の立場はそのようなもので、何の怨みを抱くことがあろうか。それはたしかに、一般人の中に入っていくのは心寂しく淋しい思うことであろう。

年を取った馬は飛び跳ねて走ることを嫌がる。情け容赦のない蒼鷹でさえ愁うことには容易になれるものだ。

高士であり、賢人である儒者がいまだ世に知られていないことではあるが、その清廉潔白な生活で、自分はもとより、かわいいわが乳飲み子でさえ飢えさせているのである。

 

 

(訳注)

贈別賀蘭銛

(賀蘭銛君にこの詩を贈って別れる。)

○賀蘭銛 事歴は詳かでない。別にこの詩の数か月後に作った「寄賀蘭銛」詩がある。

朝野歡後,乾坤震盪中。相隨萬里日,總作白頭翁。

晚仍分袂,江邊更轉蓬。勿雲俱異域,飲啄幾回同。

一時太平全盛で朝となく野となく歓娯をつくしたあと、にわかに兵乱がおこって天地がうごきだしたまっさいちゅう。そのとき君と自分とは万里の遠くまで相随ってきたが、いまやふたりとも白髪のじいさんとなってしまった。いま歳の晩だというのにもやっぱり袂を分かたねばならぬそのうえ此の蜀の江辺で蓬のごとくころがりあるくのである。ここはおたがい他郷の地だから悲しいなどとはいいたもうな、こうやっていっしょに飲食することのできることは生涯に幾度あるのだとおもわれるか、そこを楽しむべきではないか。

玄武門 

 

黃雀 野粟 ,群飛 荊榛

食べ飽きることがないという「黃雀」でさえ、野になっている粟に飽きてしまったら、群れをなして飛んで、イバラとハシバミが茂る雑木林に移動するだろう。

「黃雀」飛禽、雀。陰暦5月に吹く東南の風。この風の吹くころ海魚が変じて黄雀になるという中国の言い伝えによる。《季 夏》

「野粟」粟。中国の華北・中原において、黄河文明以来の主食は専ら粟米(谷子)であり、「米」という漢字も本来はアワを示す文字であったといわれている。また、隋唐で採用された税制である租庸調においても、穀物を納付する「租」は粟で納付されるのが原則(本色)であった。「螳螂、蝉を窺い、黄雀、後に在り」を成語として用い、目先の利益にばかり気をとられて後ろから迫っている危険に気がつかないことのたとえに使うようになった。

「荊榛」イバラとハシバミ。また、それらが茂る雑木林。 

 

今君 抱何恨 ,寂寞 時人

今の君の立場はそのようなもので、何の怨みを抱くことがあろうか。それはたしかに、一般人の中に入っていくのは心寂しく淋しい思うことであろう。

「寂寞」1 ひっそりとして寂しいさま。じゃくまく。「人居を遠く離れた―たる別世界にも」〈柳田・山の人生〉2 心が満たされずにもの寂しいさま。じゃくまく。 

 

老驥 驤首 ,蒼鷹 易馴

年を取った馬は飛び跳ねて走ることを嫌がる。情け容赦のない蒼鷹でさえ愁うことには容易になれるものだ。

「倦」【倦きる】あきる. 疲れていやになる。長く続けてぐったりし、うんざりする。 【倦む】あぐむ. 物事をしとげられないで、どうしてよいか困る。 同じ状態が長くつづいて、いやになる。もてあます。あぐねる。 「攻め倦む」. 【倦む】うむ. 物事にあきて、いやになる。退屈する。。

「驤首」馬が走る時に首を持ち上げること。馬がはねて躍り上がること。馬が払いのけるように首を振りもたげる。

頭。

「蒼鷹」1 羽毛が青色を帯びている鷹(たか)。しらたか。2 1が猛々しいところから》情け容赦のない役人のたとえ。。

 

高賢 未識 ,固合嬰飢貧

高士であり、賢人である儒者がいまだ世に知られていないことではあるが、その清廉潔白な生活で、自分はもとより、かわいいわが乳飲み子でさえ飢えさせているのである。

「高賢」高士であり、賢人である儒者。高潔、誠実な人が多いといっても、国を成り立たせることができない。嬰児を飢餓から守ってやることもできない。杜甫自身も、羌村にいた娘を飢餓で死なせてしまった。
珠櫻001 

廣徳2年764-7-#2 《釋悶》 蜀中転々 杜甫 <657-2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3670 杜甫詩1000-657-2-928/1500751-2

杜甫《釋悶》この度、天子は吐蕃の長安侵略に対し、これを懼れて奔走された。並いる諸侯はもとより天子に合わせて太平になることを思い衝き従った。ただ殺し合いだけを求めるというのは懼れることではあるが、兵列を改め整えないといけないのにそれさえしていない。聞くところによると未だにあのかんがんどもがいまだにいきながらえているという。


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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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廣徳2764-7-#2 《釋悶》 蜀中転々 杜甫 <657-2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3670 杜甫詩1000-657-2-928/1500751-2

 

 

詩 題:釋悶 作時:764 廣德二年 杜甫53歳 

作時年:  764  廣德二年  53 

卷別: 卷二二○  文體: 七言古詩 

詩題: 釋悶 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都

掲 載; 杜甫1000首の657-2首目

杜甫ブログ1500回予定の-928回目

 

 

釋悶

(文章に書くことさえもだえ苦しんでいるほどの日々を過ごしている)

四海十年不解兵,犬戎也復臨咸京。

中国、この10年の時代は兵がその武器を緩めて暮らしていくことはなかった。西域の異民族の国々に侵略され、その上都長安まで侵入され、大明宮までも臨まれたのである。

失道非關出襄野,揚鞭忽是過胡城。

天下の正道に基づかなければいけないことを忘れている、というのも『荘子』がいっている「天下を治めようとせず、日が昇れば襄城の野で気ままに過ごせるように、害するものをとりのぞくことだけする」ということを、危難の時期こそ、智謀が必要とされる時に鞭を振り上げるそれもウイグルという異民族に援軍を頼み、ただち、取り除くべき「害になるもの」を用いたのである。そのためこのように長安の城郭を異民族で一杯にしたのだ。

豺狼塞路人斷烽火照夜屍縱橫。

異民族の暴略は国内を混乱させ、強盗・野盗と化し長安に向かう蜀道を閉鎖し人の行き来を断絶した。烽火は日夜絶えることもなく、屍も、道々に縦横に放置されている。

 

天子亦應厭奔走,群公固合思升平。

この度、天子は吐蕃の長安侵略に対し、これを懼れて奔走された。並いる諸侯はもとより天子に合わせて太平になることを思い衝き従った。

但恐誅求不改轍,聞道嬖孽能全生。

ただ殺し合いだけを求めるというのは懼れることではあるが、兵列を改め整えないといけないのにそれさえしていない。聞くところによると未だにあのかんがんどもがいまだにいきながらえているという。

江邊老翁錯料事,眼暗不見風塵清。

大江のほとりのこの老人にはこの事態に対しての仕事というのはやりようもつかない。この眼も暗くてよく見ることもできない。そこにこの塵蒙を風で吹き飛ばしてすがすがしくしてくれてもだめだと思う。

 

(釋悶【しゃくもん】)

四海の十年 兵を解けず,犬戎 也し復た咸京【かんきょう】を臨む。

道を失い關に非らずして襄野に出づ,鞭を揚げ忽ち是に胡城を過る。

豺狼 路を塞ぎ 人斷烽火 照夜 屍 縱橫す。

 

天子 亦た應えて厭し奔走し,群公 固より合して升平を思う。

但し 誅求し改轍をめざるを恐れん,聞道ならく嬖孽【へきげつ】 能く生を全うす。

江邊 老翁 事を料るを錯し,眼 暗く風塵 清くするをも見えず。

 

隋堤01

 

『釋悶』 現代語訳と訳註

(本文)

釋悶 #2

天子亦應厭奔走,群公固合思升平。

但恐誅求不改轍,聞道嬖孽能全生。

江邊老翁錯料事,眼暗不見風塵清。

 

(下し文)

天子 亦た應えて厭し奔走し,群公 固より合して升平を思う。

但し 誅求し改轍をめざるを恐れん,聞道ならく嬖孽【へきげつ】 能く生を全うす。

江邊 老翁 事を料るを錯し,眼 暗く風塵 清くするをも見えず。

 

(現代語訳)

この度、天子は吐蕃の長安侵略に対し、これを懼れて奔走された。並いる諸侯はもとより天子に合わせて太平になることを思い衝き従った。

ただ殺し合いだけを求めるというのは懼れることではあるが、兵列を改め整えないといけないのにそれさえしていない。聞くところによると未だにあのかんがんどもがいまだにいきながらえているという。

大江のほとりのこの老人にはこの事態に対しての仕事というのはやりようもつかない。この眼も暗くてよく見ることもできない。そこにこの塵蒙を風で吹き飛ばしてすがすがしくしてくれてもだめだと思う。

珠櫻001 

 

(訳注)

釈悶 

(文章に書くことさえもだえ苦しんでいるほどの日々を過ごしている)

釈とは?隠語辞典。 (1) ()仏教徒が、釈迦の宗教的一族であるとして、法名の上に姓として付ける語。 ()浄土真宗で、戒名の上に付ける語。 (2)経や論に対し、中国や日本の仏教徒の書いた注釈のこと。 (3)文章・語句.

悶とは。意味や解説。非常な苦しみの形容。立っていることができないほど悶 もだ え苦しんで、転がってはいずり回ること。▽「悶絶」は悶え苦しんで意識を失うこと。苦しんで気絶すること。「

迹門しゃくもん【迹門】とは。意味や解説。天台宗で、法華経28品のうち、序品(じょぼん)から安楽行品までの前半14品の称。

 

天子 亦應 奔走 ,群公 固合思 升平

この度、天子は吐蕃の長安侵略に対し、これを懼れて奔走された。並いる諸侯はもとより天子に合わせて太平になることを思い衝き従った。

「天子」代宗、天子。

「應」語義類別:人、狀態、心理能願、應。

「升平」世局が太平であること。世の中が平和でよく治まっていること。

杏の花0055 

 

但恐 誅求 改轍 ,聞道 嬖孽 全生

ただ殺し合いだけを求めるというのは懼れることではあるが、兵列を改め整えないといけないのにそれさえしていない。聞くところによると未だにあのかんがんどもがいまだにいきながらえているという。

「恐」語義類別:人、情感詞(綜合情感)、負面情感(擔驚受怕)、恐。

「誅求」問題点が起こる前に対処することをしないで、侵入者、謀反が起これば殺すということをする。

「改轍」王朝軍の整備異民族との連合軍という在り方を改める事。

「嬖孽」庶妾をさす。ここでは禍の元凶である宦官をいう。嬖臣【へいしん】お気に入りの家来。寵臣(ちょうしん)。 孽:わきばら、 ひこばえ、 わざわい

 

 

江邊 老翁 錯料 ,眼暗 不見 風塵

大江のほとりのこの老人にはこの事態に対しての仕事というのはやりようもつかない。この眼も暗くてよく見ることもできない。そこにこの塵蒙を風で吹き飛ばしてすがすがしくしてくれてもだめだと思う。

「江邊」自然景觀、大江のほとり。杜甫がこの5年錦江であり、涪江、西漢水のほとりに住まいしたこと。

「老翁」老人、杜甫のこと。

「料事」厳武の尽力で再びに朝廷に迎えられ、どれほどの仕事をすることができるというのか。

「風塵」戦火による風塵。

廣徳2年764-7-#1 《釋悶》 蜀中転々 杜甫 <657-1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3665 杜甫詩1000-657-1-927/1500751-1

《釋悶》天下の正道に基づかなければいけないことを忘れている、というのも『荘子』がいっている「天下を治めようとせず、日が昇れば襄城の野で気ままに過ごせるように、害するものをとりのぞくことだけする」ということを、危難の時期こそ、智謀が必要とされる時に鞭を振り上げるそれもウイグルという異民族に援軍を頼み、ただち、取り除くべき「害になるもの」を用いたのである。そのためこのように長安の城郭を異民族で一杯にしたのだ。


2014年1月28日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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班孟堅(班固)《東都賦》(21)#11(有徳の餐宴)-2 文選 賦 賦<113―21>18分割38回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1023 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3663
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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《潮州刺史謝上表》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <936>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3664韓愈詩-242-(4)
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-7-#1 《釋悶》 蜀中転々 杜甫 <657-1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3665 杜甫詩1000-657-1-927/1500751-1
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 11 -14 賀明朝二首 其一 歐陽舍人炯十七首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-424-11-#14  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3667
 
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
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於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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廣徳2764-7-#1 《釋悶》 蜀中転々 杜甫 <657-1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3665 杜甫詩1000-657-1-927/1500751-1

 

 

 

作時年:  764  廣德二年  53 

卷別: 卷二二○  文體: 七言古詩 

詩題: 釋悶 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都

 

釋悶

四海十年不解兵,犬戎也復臨咸京。

失道非關出襄野,揚鞭忽是過胡城。

豺狼塞路人斷烽火照夜屍縱橫。

(文章に書くことさえもだえ苦しんでいるほどの日々を過ごしている)

中国、この10年の時代は兵がその武器を緩めて暮らしていくことはなかった。西域の異民族の国々に侵略され、その上都長安まで侵入され、大明宮までも臨まれたのである。

天下の正道に基づかなければいけないことを忘れている、というのも『荘子』がいっている「天下を治めようとせず、日が昇れば襄城の野で気ままに過ごせるように、害するものをとりのぞくことだけする」ということを、危難の時期こそ、智謀が必要とされる時に鞭を振り上げるそれもウイグルという異民族に援軍を頼み、ただち、取り除くべき「害になるもの」を用いたのである。そのためこのように長安の城郭を異民族で一杯にしたのだ。

異民族の暴略は国内を混乱させ、強盗・野盗と化し長安に向かう蜀道を閉鎖し人の行き来を断絶した。烽火は日夜絶えることもなく、屍も、道々に縦横に放置されている。

 

天子亦應厭奔走,群公固合思升平。

但恐誅求不改轍,聞道嬖孽能全生。

江邊老翁錯料事,眼暗不見風塵清。

 

(釋悶【しゃくもん】)

四海の十年 兵を解けず,犬戎 也し復た咸京【かんきょう】を臨む。

道を失い關に非らずして襄野に出づ,鞭を揚げ忽ち是に胡城を過る。

豺狼 路を塞ぎ 人斷烽火 照夜 屍 縱橫す。

 

天子 亦た應えて厭し奔走し,群公 固より合して升平を思う。

但し 誅求し改轍をめざるを恐れん,聞道ならく嬖孽【へきげつ】 能く生を全うす。

江邊 老翁 事を料るを錯し,眼 暗く風塵 清くするをも見えず。

 

 

『釋悶』 現代語訳と訳註

(本文)

釋悶

四海十年不解兵,犬戎也復臨咸京。

失道非關出襄野,揚鞭忽是過胡城。

豺狼塞路人斷烽火照夜屍縱橫。

 

 

(下し文)

 

 

(現代語訳)

(文章に書くことさえもだえ苦しんでいるほどの日々を過ごしている)

中国、この10年の時代は兵がその武器を緩めて暮らしていくことはなかった。西域の異民族の国々に侵略され、その上都長安まで侵入され、大明宮までも臨まれたのである。

天下の正道に基づかなければいけないことを忘れている、というのも『荘子』がいっている「天下を治めようとせず、日が昇れば襄城の野で気ままに過ごせるように、害するものをとりのぞくことだけする」ということを、危難の時期こそ、智謀が必要とされる時に鞭を振り上げるそれもウイグルという異民族に援軍を頼み、ただち、取り除くべき「害になるもの」を用いたのである。そのためこのように長安の城郭を異民族で一杯にしたのだ。

異民族の暴略は国内を混乱させ、強盗・野盗と化し長安に向かう蜀道を閉鎖し人の行き来を断絶した。烽火は日夜絶えることもなく、屍も、道々に縦横に放置されている。

 

 

(訳注)

釈悶 

(文章に書くことさえもだえ苦しんでいるほどの日々を過ごしている)

釈とは?隠語辞典。 (1) ()仏教徒が、釈迦の宗教的一族であるとして、法名の上に姓として付ける語。 ()浄土真宗で、戒名の上に付ける語。 (2)経や論に対し、中国や日本の仏教徒の書いた注釈のこと。 (3)文章・語句.

悶とは。意味や解説。非常な苦しみの形容。立っていることができないほど悶 もだ え苦しんで、転がってはいずり回ること。▽「悶絶」は悶え苦しんで意識を失うこと。苦しんで気絶すること。「

迹門しゃくもん【迹門】とは。意味や解説。天台宗で、法華経28品のうち、序品(じょぼん)から安楽行品までの前半14品の称。

 

 

四海 十年 解兵 ,犬戎 也復臨 咸京

中国、この10年の時代は兵がその武器を緩めて暮らしていくことはなかった。西域の異民族の国々に侵略され、その上都長安まで侵入され、大明宮までも臨まれたのである。

「四海」中國全域、四海。

「十年」755年安史の乱以来の、十年。

「犬戎」ウイグルから吐蕃にかけて、中国の西域にあった、民族邦國名、犬戎。

「咸京」咸陽、長安。

 

 

失道 非關 襄野 ,揚鞭 忽是 胡城

天下の正道に基づかなければいけないことを忘れている、というのも『荘子』がいっている「天下を治めようとせず、日が昇れば襄城の野で気ままに過ごせるように、害するものをとりのぞくことだけする」ということを、危難の時期こそ、智謀が必要とされる時に鞭を振り上げるそれもウイグルという異民族に援軍を頼み、ただち、取り除くべき「害になるもの」を用いたのである。そのためこのように長安の城郭を異民族で一杯にしたのだ。

「出襄野」《莊子》雜篇·卷八中《徐無鬼》に基づく。

黃帝將見大隗乎具茨之山,方明為御,昌驂乘,張若朋前馬,昆閽滑稽後車;至於襄城之野,七聖皆迷,無所問塗。適遇牧馬童子,問塗焉,曰:「若知具茨之山乎?」曰:「然。」「若知大隗之所存乎?」曰:「然。」 黃帝曰:「異哉小童!非徒知具茨之山,又知大隗之所存。請問為天下。」 小童曰:「夫為天下者,亦若此而已矣,又奚事焉!予少而自遊於六合之,予適有瞀病,有長者教予曰:『若乘日之車而遊於襄城之野。』今予病少痊,予又且復遊於六合之外。夫為天下亦若此而已。予又奚事焉!」 黃帝曰:「夫為天下者,則誠非吾子之事。雖然,請問為天下。」

小童辭。黃帝又問。小童曰:「夫為天下者,亦奚以異乎牧馬者哉!亦去其害馬者而已矣!」黃帝再拜稽首,稱天師而退。

 

豺狼 塞路 ,烽火 照夜 縱橫

異民族の暴略は国内を混乱させ、強盗・野盗と化し長安に向かう蜀道を閉鎖し人の行き来を断絶した。烽火は日夜絶えることもなく、屍も、道々に縦横に放置されている。

「豺狼」各地で反乱を起こした者たち、重税に堪えかね逃亡した者たちが山野に住み、農村を襲ったため狼豺という。

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杜甫《憶昔,二首之二》#3私はこのわが君に対したてまつり、いにしえの周の宜王のごとき、中興の業をなしとげたまわんことを期待しつつ、江漢の地に、涙をそそいで、衰残の身を生きながらえているのである。


2014年1月27日 の紀頌之5つのブログ
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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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746廣徳2764年―6-3 《憶昔,二首之二》#3 蜀中転々 杜甫 <6563>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3660 杜甫詩1000-6563-926/1500 750-3

 

 

憶昔二首之二

(その昔、玄宗皇帝の開元年問、唐朝全盛の日をおもい、その後の不幸なる大変化をのべ、身は天涯におうて、憂国の涙をそそぎつつ唐朝の復興をまちのぞむ心持ちをうたったのである。その第二首。)

憶昔開元全盛日,小邑猶藏萬家室。

憶い起こす昔、開元の全盛時代には、小さな町でも万戸の家があり、夜逃げすることもなかった。

稻米流脂粟米白,公私倉廩俱豐實。

田地には米がよくできて、白く脂を流すようであり、公私の穀物蔵と米蔵にはみな食糧が一杯詰まっていた、

九州道路無豺虎,遠行不勞吉日出。

天下じゅうの道路に盗賊などおらず、遠方へ出かけるのにも、特に吉日をうらなうような苦労はなかった。

齊紈魯縞車班班,男耕女桑不相失。

斉の白いねりぎぬや魯の白絹をつんだ車は続々来るし、男は耕作、女は養蚕、それぞれその時期をはずされることがなく作業に勤しんだ。

杏の花0055


 

宮中聖人奏雲門,天下朋友皆膠漆。

宮中では聖天子の御前でめでたい雲門の楽が奏せられる、天下の朋友は皆、「うるし」や「にかわ」のように親密であった。

百餘年間未災變,叔孫禮樂蕭何律。

この百年もの間、災害というものも無く、叔孫通の礼楽、藷何の法律にも比すべき礼楽律令が行なわれて、まことに世の中は平和で暮らしよかった。

豈聞一絹直萬錢,有田種穀今流血。

そのころは、絹一匹の値段が万銭もするというようなことは聞いたことがないし、田があれば、そこに穀物を植えるということが当たり前のことであるのに、今はそこにいくさの血を流している。

洛陽宮殿燒焚盡,宗廟新除狐兔穴。

洛陽の宮殿は安史の乱で焼きつくされ、宗廟の修理をして新しくしたばかりのきざはしに狐や兎が穴をはって住んでいる始末だ。

 

傷心不忍問耆舊,複恐初從亂離

心は傷んで、年よりたちに尋ねるにはもう忍びない。尋ねたならば、きっとまた私の大嫌いな戦乱のはじめから説きおこさねばならないからである。

小臣魯鈍無所能,朝廷記識蒙祿秩。

このわたしは小心でおろかでにぶい者であり、何一つできることもないのに、このたび朝廷では、私の名前を話されて、俸禄官位をたまわる仰せをこうむったのです。

周宣中興望我皇,灑血江漢身衰疾。

私はこのわが君に対したてまつり、いにしえの周の宜王のごとき、中興の業をなしとげたまわんことを期待しつつ、江漢の地に、涙をそそいで、衰残の身を生きながらえているのである。

杏の白花012 

 

『憶昔,二首之二』 現代語訳と訳註

(本文)#3

傷心不忍問耆舊,複恐初從亂離

小臣魯鈍無所能,朝廷記識蒙祿秩。

周宣中興望我皇,灑血江漢身衰疾。

 

(下し文)

傷心 忍びず耆舊に問うに,複た恐る初め從亂離よりかんことを

小臣 魯鈍【ろどん】能くする所無し,朝廷 記識して祿秩【ろくちつ】を蒙【こうむ】る。

周宣の中興 我が皇に望み,血を江漢に灑【そそ】いで身は衰疾【すいしつ】なり。

 

 (現代語訳)

心は傷んで、年よりたちに尋ねるにはもう忍びない。尋ねたならば、きっとまた私の大嫌いな戦乱のはじめから説きおこさねばならないからである。

このわたしは小心でおろかでにぶい者であり、何一つできることもないのに、このたび朝廷では、私の名前を話されて、俸禄官位をたまわる仰せをこうむったのです。

私はこのわが君に対したてまつり、いにしえの周の宜王のごとき、中興の業をなしとげたまわんことを期待しつつ、江漢の地に、涙をそそいで、衰残の身を生きながらえているのである。

miyajima0033221107930 

 

(訳注)

傷心不忍問耆舊,複恐初從亂離

心は傷んで、年よりたちに尋ねるにはもう忍びない。尋ねたならば、きっとまた私の大嫌いな戦乱のはじめから説きおこさねばならないからである。

○耆旧 老人たちをいう。耆は年六十の人。

○乱離 世がみだれて人人のちりぢりになること。

 

小臣魯鈍無所能,朝廷記識蒙祿秩。

このわたしは小心でおろかでにぶい者であり、何一つできることもないのに、このたび朝廷では、私の名前を話されて、俸禄官位をたまわる仰せをこうむったのです。

○小臣 つまらないけらい、謙辞で、自己をさす。

 

周宣中興望我皇,灑血江漢身衰疾。

私はこのわが君に対したてまつり、いにしえの周の宜王のごとき、中興の業をなしとげたまわんことを期待しつつ、江漢の地に、涙をそそいで、衰残の身を生きながらえているのである。

○周宜 周の宣王は夷秋を撰い中興をなした。

○我皇 代宗。

○江漢 江は錦江、漢は閬州の西漢江(嘉陵江)、西漢水、涪江などいうもの、成都と閬州地方とに奔走したゆえに二水を挙げる。古代の移動は基本が川である。もしこの漢の字に重きを置くならば本第は浦氏の説のごとく広徳元年聞州にあっての作とすべきが如くであるが、「尚書郎」(その一の詩)といい、「蒙禄秩」というのは厳武が都に迎え入れたいということ。杜甫は長安には帰りたくなかった。天子は吐蕃にまたいつか占領されるかもしれない所に留まるべきではなく、外敵の侵入のない、叛乱なども比較ていない江陵が一番良い所であると考え、そこに向かいたいと考えていたのだ。

○衰疾 おとろえ、やむ。以上は天宝末以来の変乱をのべて復興をいのることをのべている。
洞庭湖鄂州02 

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杜甫《憶昔,二首之二》#2 宮中では聖天子の御前でめでたい雲門の楽が奏せられる、天下の朋友は皆、「うるし」や「にかわ」のように親密であった。この百年もの間、災害というものも無く、叔孫通の礼楽、藷何の法律にも比すべき礼楽律令が行なわれて、まことに世の中は平和で暮らしよかった。


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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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班孟堅(班固)《東都賦》(19)#10-2 文選 賦<113―19>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1021 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3653
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 11 -12 南鄉子八首 其八 歐陽舍人炯十七首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-422-11-#12  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3657
 
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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746廣徳2764年―6-2 《憶昔,二首之二》 蜀中転々 杜甫 <6562>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3655 杜甫詩1000-6562-925/1500750-2

 

 

憶昔二首之二

(その昔、玄宗皇帝の開元年問、唐朝全盛の日をおもい、その後の不幸なる大変化をのべ、身は天涯におうて、憂国の涙をそそぎつつ唐朝の復興をまちのぞむ心持ちをうたったのである。その第二首。)

憶昔開元全盛日,小邑猶藏萬家室。

憶い起こす昔、開元の全盛時代には、小さな町でも万戸の家があり、夜逃げすることもなかった。

稻米流脂粟米白,公私倉廩俱豐實。

田地には米がよくできて、白く脂を流すようであり、公私の穀物蔵と米蔵にはみな食糧が一杯詰まっていた、

九州道路無豺虎,遠行不勞吉日出。

天下じゅうの道路に盗賊などおらず、遠方へ出かけるのにも、特に吉日をうらなうような苦労はなかった。

齊紈魯縞車班班,男耕女桑不相失。

斉の白いねりぎぬや魯の白絹をつんだ車は続々来るし、男は耕作、女は養蚕、それぞれその時期をはずされることがなく作業に勤しんだ。

 

宮中聖人奏雲門,天下朋友皆膠漆。

宮中では聖天子の御前でめでたい雲門の楽が奏せられる、天下の朋友は皆、「うるし」や「にかわ」のように親密であった。

百餘年間未災變,叔孫禮樂蕭何律。

この百年もの間、災害というものも無く、叔孫通の礼楽、藷何の法律にも比すべき礼楽律令が行なわれて、まことに世の中は平和で暮らしよかった。

豈聞一絹直萬錢,有田種穀今流血。

そのころは、絹一匹の値段が万銭もするというようなことは聞いたことがないし、田があれば、そこに穀物を植えるということが当たり前のことであるのに、今はそこにいくさの血を流している。

洛陽宮殿燒焚盡,宗廟新除狐兔穴。

洛陽の宮殿は安史の乱で焼きつくされ、宗廟の修理をして新しくしたばかりのきざはしに狐や兎が穴をはって住んでいる始末だ。

 

傷心不忍問耆舊,複恐初從亂離

小臣魯鈍無所能,朝廷記識蒙祿秩。

周宣中興望我皇,灑血江漢身衰疾。

 

憶昔二首之二 #1

憶う昔 開元の全盛なる日び,小邑 猶お藏し 萬家室とす。

稻米 脂を流し 粟米 白く,公私の倉廩【そうりん】俱に豐實たり。

九州の道路 豺虎無く,遠行にも勞せず吉日に出づるを。

齊の紈 魯の縞 車班班にし,男は耕し 女は桑す 相い失わず。

#2

宮中には聖人 雲門を奏し,天下の朋友は皆 膠漆【こうしつ】なり。

百餘年間 未だ災變あらず,叔孫の禮樂 蕭何が律とす。

豈に聞んや一絹 直い萬錢なるを,田有りて穀を種えしに今は血を流す。

洛陽の宮殿 燒焚【しょうふん】し盡し,宗廟の新除に狐兔【こと】穴す。

#3

傷心 忍びず耆舊に問うに,複た恐る初め從亂離よりかんことを

小臣 魯鈍【ろどん】能くする所無し,朝廷 記識して祿秩【ろくちつ】を蒙【こうむ】る。

周宣の中興 我が皇に望み,血を江漢に灑【そそ】いで身は衰疾【すいしつ】なり。

カンナ223 

 

『憶昔,二首之二』 現代語訳と訳註

(本文)

宮中聖人奏雲門,天下朋友皆膠漆。

百餘年間未災變,叔孫禮樂蕭何律。

豈聞一絹直萬錢,有田種穀今流血。

洛陽宮殿燒焚盡,宗廟新除狐兔穴。

 

(下し文)

宮中には聖人 雲門を奏し,天下の朋友は皆 膠漆【こうしつ】なり。

百餘年間 未だ災變あらず,叔孫の禮樂 蕭何が律とす。

豈に聞んや一絹 直い萬錢なるを,田有りて穀を種えしに今は血を流す。

洛陽の宮殿 燒焚【しょうふん】し盡し,宗廟の新除に狐兔【こと】穴す。

 

 

(現代語訳)

宮中では聖天子の御前でめでたい雲門の楽が奏せられる、天下の朋友は皆、「うるし」や「にかわ」のように親密であった。

この百年もの間、災害というものも無く、叔孫通の礼楽、藷何の法律にも比すべき礼楽律令が行なわれて、まことに世の中は平和で暮らしよかった。

そのころは、絹一匹の値段が万銭もするというようなことは聞いたことがないし、田があれば、そこに穀物を植えるということが当たり前のことであるのに、今はそこにいくさの血を流している。

洛陽の宮殿は安史の乱で焼きつくされ、宗廟の修理をして新しくしたばかりのきざはしに狐や兎が穴をはって住んでいる始末だ。

 

DCF00048 

(訳注)

憶昔二首之二 #2

(その昔、玄宗皇帝の開元年問、唐朝全盛の日をおもい、その後の不幸なる大変化をのべ、身は天涯におうて、憂国の涙をそそぎつつ唐朝の復興をまちのぞむ心持ちをうたったのである。その第二首。)

憶昔とは、この詩の首二字をとって名づけたもの。広徳二年成都において作る。

 

宮中聖人奏雲門,天下朋友皆膠漆。

宮中では聖天子の御前でめでたい雲門の楽が奏せられる、天下の朋友は皆、うるしやにかわのように親密であった。

○聖人 天子。皇帝。

○奏雲門 奏は楽官(大司楽)がかなでるのであり、聖人がなすのではない、聖人は奏させるものである、雲門は楽の名、「周礼」(大司楽)に「大司楽は大呂を歌い、雲門を舞わし、以て天神を祀る」とみえる。

○膠漆 にかわ、うるし、共によくひっつくもの、交わりの親密なことをいう。

 

百餘年間未災變,叔孫禮樂蕭何律。

この百年もの間、災害というものも無く、叔孫通の礼楽、藷何の法律にも比すべき礼楽律令が行なわれて、まことに世の中は平和で暮らしよかった。

〇百余年間 唐の武徳の初め(618年)より742年開元の末年まで124年である。

○災変 災はわざわい、天災をいう、変は変事。

○叔孫礼楽 漢の高祖が天下を平定するや叔孫通(前漢の儒者。号、稷嗣君。薛(せつ)(山東省)の人。高祖・恵帝に仕え、漢の諸儀法を制定。武帝のときの儒教国教化の基礎をつくった。生没年未詳。)をして礼儀を制させた、唐の開元二十年九月に「開元通礼」ができ上がった、同二十九年八月には太常が所定の雅楽を奏した、詩句は其の事をさす。

○蕭何律 漢の粛何(蕭何は、秦末から前漢初期にかけての政治家。劉邦に天下を取らせた、漢の三傑の一人。)、秦代の法をひろい、其の時にかなうものを取って律九章を作った。唐では開元前格・後格などの刑法を作った。詩句はそれをいう。以上開元時代の平和を称揚する。

 

豈聞一絹直萬錢,有田種穀今流血。

そのころは、絹一匹の値段が万銭もするというようなことは聞いたことがないし、田があれば、そこに穀物を植えるということが当たり前のことであるのに、今はそこにいくさの血を流している。

○豈聞 聞いたことがない。

〇一絹直万銭 杜甫の作詩の時期、十年のつづいた戦火に倚る物価騰貴をいう、直は値に同じ、一絹は一匹のきぬ、柳芳の「唐暦」に「開元二十八年、天下雄富、京師の米価、斛二百(銭)に盈たず、絹も亦た之の如し、東のかた汴宋より、西のかた岐鳳(岐山・鳳翔)を歴るに、路を爽みて店を列し、酒践を陳ねて客を待つ、行人万里、寸刃を持せず」とみえる、いかに開元時代の物価が安くて海内が平和であったかをみることができる

○有田種穀 五穀豊穣の昔時をいう。

○流血 戦争のあることをいう。

 

洛陽宮殿燒焚盡,宗廟新除狐兔穴。

洛陽の宮殿は安史の乱で焼きつくされ、宗廟の修理をして新しくしたばかりのきざはしに狐や兎が穴をはって住んでいる始末だ。

○洛陽宮殿燒焚盡 安史の乱による影響をいう。

○宗廟新除狐兎穴 除は堦除の除である、きざはし・どえんをいう、新は修繕したでであることをいう、穴とは穴をうがつことをいう。玄武門

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(その昔、玄宗皇帝の開元年問、唐朝全盛の日をおもい、その後の不幸なる大変化をのべ、身は天涯におうて、憂国の涙をそそぎつつ唐朝の復興をまちのぞむ心持ちをうたったのである。その第二首。)

憶い起こす昔、開元の全盛時代には、小さな町でも万戸の家があり、夜逃げすることもなかった。


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廣徳2764年―6-1 《憶昔,二首之二》 蜀中転々 杜甫 <6561>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3650 杜甫詩1000-6561-924/1500 750-1

 

作時年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 七言古詩 

詩題: 憶昔,二首之一 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  朔方節度使 ( 靈州 朔方節度使) 別名:朔方   霊武  

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸     

陰山 ( 豐州 陰山)     

相州 (河北道南部 相州 相州) 別名:鄴城、鄴、鄴中     

未央宮 (京畿道 京兆府 長安

 

 

憶昔二首之一

(昔のことを憶えば残念至極であることを詠う。)

憶昔先皇巡朔方,千乘萬騎入咸陽。

昔のことを思いおこすと、先の天子、粛宗は安禄山の叛乱で朔方の霊武に避巡され、行在所より態勢を立て直し、千乘萬騎、百万の軍勢で叛乱より長安を奪還し入城された。

陰山驕子汗血馬,長驅東胡胡走藏。

陰山山脈を越えてウイグル軍が大宛国の駿馬の汗血馬で援軍したのである。安史軍は東部、北部を征圧しており、長安は長躯している地点で補給路を断たれると全滅するとして東に走り隠れたのである。

鄴城反覆不足怪,關中小兒壞紀綱,張後不樂上為忙。

しかし、洛陽より北の鄴城では、反復され勢いをつけているといういったいどういうことなのか、そして、今、長安の宮殿では宦官の横暴で、宮廷内の風紀、規律は壊れてしまっているというではないか。「張皇后」というべきお方でもその意見や要望さえも取り次ぐこともしないで不自由な生活を強いているという。

至今今上猶撥亂,勞身焦思補四方。

しかし、ウイグル軍という異民族に援軍を求めたことがここにきて、この騒乱を招くことに起因しているのである。この身をどれ程務め尽くしても焦燥感を消してくれる術というものが四方尽くしても全くないのが現状であろう。

 

我昔近侍叨奉引,出兵整肅不可當。

私が近侍の左拾遺であった時にこの事は、くどくどと申し上げていた。「出兵宿に際しては、整備され、粛々としてこれにあたらなければいけないのである」と、やみくもに、異民族の援軍を得てはならない、古くからの重臣の心を一つにして是にあたらねばならないと申し上げていたのだ。

為留猛士守未央,致使岐雍防西羌。

したがって、今は長安の宮殿をどんな猛者がお守りしても、肝心の鳳翔、岐山、雍州の西の守り、ウイグル、吐蕃の異民族からの守りに問題が出てしまったのである。

犬戎直來坐禦林,百官跣足隨天王。

吐蕃とウイグルなど「犬戎」の者たちが今度は直接に侵入し、国の西域に居座ってしまい、百官、重臣は這う這うの体で逃げ出し、天子は郭子儀を引き連れて陜州へ回避された。

願見北地傅介子,老儒不用尚書郎。

願う事なら、今こそ、北地郡義渠の「傅介子」を見たいものである、此の老いぼれた儒学者の隠遁したものには、尚書郎に任命するといわれてもお断りするしかないのである。

 

憶昔二首之二

(その昔、玄宗皇帝の開元年問、唐朝全盛の日をおもい、その後の不幸なる大変化をのべ、身は天涯におうて、憂国の涙をそそぎつつ唐朝の復興をまちのぞむ心持ちをうたったのである。その第二首。)

憶昔開元全盛日,小邑猶藏萬家室。

憶い起こす昔、開元の全盛時代には、小さな町でも万戸の家があり、夜逃げすることもなかった。

稻米流脂粟米白,公私倉廩俱豐實。

田地には米がよくできて、白く脂を流すようであり、公私の穀物蔵と米蔵にはみな食糧が一杯詰まっていた、

九州道路無豺虎,遠行不勞吉日出。

天下じゅうの道路に盗賊などおらず、遠方へ出かけるのにも、特に吉日をうらなうような苦労はなかった。

齊紈魯縞車班班,男耕女桑不相失。

斉の白いねりぎぬや魯の白絹をつんだ車は続々来るし、男は耕作、女は養蚕、それぞれその時期をはずされることがなく作業に勤しんだ。

 

宮中聖人奏雲門,天下朋友皆膠漆。

百餘年間未災變,叔孫禮樂蕭何律。

豈聞一絹直萬錢,有田種穀今流血。

洛陽宮殿燒焚盡,宗廟新除狐兔穴。

 

傷心不忍問耆舊,複恐初從亂離

小臣魯鈍無所能,朝廷記識蒙祿秩。

周宣中興望我皇,灑血江漢身衰疾。

カンナ223 

 

『憶昔二首之二』 現代語訳と訳註

(本文)

憶昔二首之二

憶昔開元全盛日,小邑猶藏萬家室。

稻米流脂粟米白,公私倉廩俱豐實。

九州道路無豺虎,遠行不勞吉日出。

齊紈魯縞車班班,男耕女桑不相失。

 

 

(下し文)

憶昔二首之二

憶う昔 開元の全盛なる日び,小邑 猶お藏し 萬家室とす。

稻米 脂を流し 粟米 白く,公私の倉廩【そうりん】俱に豐實たり。

九州の道路 豺虎無く,遠行にも勞せず吉日に出づるを。

齊の紈 魯の縞 車班班にし,男は耕し 女は桑す 相い失わず。

 

 

(現代語訳)

(その昔、玄宗皇帝の開元年問、唐朝全盛の日をおもい、その後の不幸なる大変化をのべ、身は天涯におうて、憂国の涙をそそぎつつ唐朝の復興をまちのぞむ心持ちをうたったのである。その第二首。)

憶い起こす昔、開元の全盛時代には、小さな町でも万戸の家があり、夜逃げすることもなかった。

田地には米がよくできて、白く脂を流すようであり、公私の穀物蔵と米蔵にはみな食糧が一杯詰まっていた、

天下じゅうの道路に盗賊などおらず、遠方へ出かけるのにも、特に吉日をうらなうような苦労はなかった。

斉の白いねりぎぬや魯の白絹をつんだ車は続々来るし、男は耕作、女は養蚕、それぞれその時期をはずされることがなく作業に勤しんだ。

杏の花01 

(訳注)

憶昔二首之二

(その昔、玄宗皇帝の開元年問、唐朝全盛の日をおもい、その後の不幸なる大変化をのべ、身は天涯におうて、憂国の涙をそそぎつつ唐朝の復興をまちのぞむ心持ちをうたったのである。その第二首。)

憶昔とは、この詩の首二字をとって名づけたもの。広徳二年成都において作る。

 

憶昔開元全盛日,小邑猶藏萬家室。

憶い起こす昔、開元の全盛時代には、小さな町でも万戸の家があり、夜逃げすることもなかった。

○開元 開元の治のこと。 唐の玄宗の年号(713741)。「開元の治」といわれ唐時代最高の時期といわれる。杜甫は712年生まれ。『丹青引』「開元之中常引見,承恩數上南熏殿。」(開元の中 常に引見せられ、恩を承けて数【しばし】ば上る「南薫殿」。)

○全盛 極盛のとき。

○小邑 小県。

〇万家 万戸。

○租庸調の重税と賄賂政治がない時代である。杜甫がこの制度の崩壊を『三吏三別』詩に触れている。

新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1019 杜甫詩集700- 304 

石壕吏 杜甫 三吏三別詩<216>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1028 杜甫詩集700- 307 

潼関吏  杜甫 三吏三別詩<217>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1037 杜甫詩集700- 310

新婚別  杜甫 三吏三別詩<218>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1043 杜甫詩集700- 312

無家別 杜甫 三吏三別詩 <219>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1052 杜甫詩集700- 315 

垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1061 杜甫詩集700- 318

 

稻米流脂粟米白,公私倉廩俱豐實。

田地には米がよくできて、白く脂を流すようであり、公私の穀物蔵と米蔵にはみな食糧が一杯詰まっていた、

稲米 いねになっている米。

・粟米 もみの米。どちらも白く脂ぎって、豊作であったことをいう。

倉廩 穀蔵を倉、米蔵を魔というと。

 

九州道路無豺虎,遠行不勞吉日出。

天下じゅうの道路に盗賊などおらず、遠方へ出かけるのにも、特に吉日をうらなうような苦労はなかった。

九州 都を中心に九ブロックに分ける中華思想。天下というに同じ。

豺虎 盗賊の類い。重税から逃れて、山野に住み農家を襲うもの。

 

齊紈魯縞車班班,男耕女桑不相失。

斉の白いねりぎぬや魯の白絹をつんだ車は続々来るし、男は耕作、女は養蚕、それぞれその時期をはずされることがなく作業に勤しんだ。

齊紈魯縞 斉(山東臨溜地方)の白いねりぎぬ。魯(山東臨溜地方)のしろぎぬ。

班班 衆多のさま。物資を積んだ車が行き交うこと。

不相失 それぞれその生業の大切な時期をあやまたぬこと。
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杜甫《憶昔,二首之一》私が近侍の左拾遺であった時にこの事は、くどくどと申し上げていた。「出兵宿に際しては、整備され、粛々としてこれにあたらなければいけないのである」と、やみくもに、異民族の援軍を得てはならない、古くからの重臣の心を一つにして是にあたらねばならないと申し上げていたのだ。


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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
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『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

746廣徳2764年―5-2 《憶昔,二首之一》 蜀中転々 杜甫 <655-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3645 杜甫詩1000-655-2-923/15007492

 

 

作時年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 七言古詩 

詩題: 憶昔,二首之一 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  朔方節度使 ( 靈州 朔方節度使) 別名:朔方   霊武  

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸     

陰山 ( 豐州 陰山)     

相州 (河北道南部 相州 相州) 別名:鄴城、鄴、鄴中     

未央宮 (京畿道 京兆府 長安

 

 

憶昔二首之一

憶昔先皇巡朔方,千乘萬騎入咸陽。

陰山驕子汗血馬,長驅東胡胡走藏。

鄴城反覆不足怪,關中小兒壞紀綱,張後不樂上為忙。

至今今上猶撥亂,勞身焦思補四方。

(昔のことを憶えば残念至極であることを詠う。)

昔のことを思いおこすと、先の天子、粛宗は安禄山の叛乱で朔方の霊武に避巡され、行在所より態勢を立て直し、千乘萬騎、百万の軍勢で叛乱より長安を奪還し入城された。

陰山山脈を越えてウイグル軍が大宛国の駿馬の汗血馬で援軍したのである。安史軍は東部、北部を征圧しており、長安は長躯している地点で補給路を断たれると全滅するとして東に走り隠れたのである。

しかし、洛陽より北の鄴城では、反復され勢いをつけているといういったいどういうことなのか、そして、今、長安の宮殿では宦官の横暴で、宮廷内の風紀、規律は壊れてしまっているというではないか。「張皇后」というべきお方でもその意見や要望さえも取り次ぐこともしないで不自由な生活を強いているという。

しかし、ウイグル軍という異民族に援軍を求めたことがここにきて、この騒乱を招くことに起因しているのである。この身をどれ程務め尽くしても焦燥感を消してくれる術というものが四方尽くしても全くないのが現状であろう。

 

我昔近侍叨奉引,出兵整肅不可當。

為留猛士守未央,致使岐雍防西羌。

犬戎直來坐禦林,百官跣足隨天王。

願見北地傅介子,老儒不用尚書郎。

私が近侍の左拾遺であった時にこの事は、くどくどと申し上げていた。「出兵宿に際しては、整備され、粛々としてこれにあたらなければいけないのである」と、やみくもに、異民族の援軍を得てはならない、古くからの重臣の心を一つにして是にあたらねばならないと申し上げていたのだ。

したがって、今は長安の宮殿をどんな猛者がお守りしても、肝心の鳳翔、岐山、雍州の西の守り、ウイグル、吐蕃の異民族からの守りに問題が出てしまったのである。

吐蕃とウイグルなど「犬戎」の者たちが今度は直接に侵入し、国の西域に居座ってしまい、百官、重臣は這う這うの体で逃げ出し、天子は郭子儀を引き連れて陜州へ回避された。

願う事なら、今こそ、北地郡義渠の「傅介子」を見たいものである、此の老いぼれた儒学者の隠遁したものには、尚書郎に任命するといわれてもお断りするしかないのである。

 

憶昔二首之二

憶昔開元全盛日,小邑猶藏萬家室。

稻米流脂粟米白,公私倉廩俱豐實。

九州道路無豺虎,遠行不勞吉日出。

齊紈魯縞車班班,男耕女桑不相失。

 

宮中聖人奏雲門,天下朋友皆膠漆。

百餘年間未災變,叔孫禮樂蕭何律。

豈聞一絹直萬錢,有田種穀今流血。

洛陽宮殿燒焚盡,宗廟新除狐兔穴。

 

傷心不忍問耆舊,複恐初從亂離

小臣魯鈍無所能,朝廷記識蒙祿秩。

周宣中興望我皇,灑血江漢身衰疾。

 

 

『憶昔,二首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

我昔近侍叨奉引,出兵整肅不可當。

為留猛士守未央,致使岐雍防西羌。

犬戎直來坐禦林,百官跣足隨天王。

願見北地傅介子,老儒不用尚書郎。

 

(下し文)

我が昔 近侍にありて奉引を叨す,出兵には整肅して當る可らず。

留るを為すは猛士が未央を守れども,使致りて岐雍 西羌を防ぐ。

犬戎 直ちに來りて禦林に坐し,百官 跣足し 天王に隨う。

願わくば見よ北地の傅介子を,老儒は尚書郎に用いず。

唐長安城図 

(現代語訳)

私が近侍の左拾遺であった時にこの事は、くどくどと申し上げていた。「出兵宿に際しては、整備され、粛々としてこれにあたらなければいけないのである」と、やみくもに、異民族の援軍を得てはならない、古くからの重臣の心を一つにして是にあたらねばならないと申し上げていたのだ。

したがって、今は長安の宮殿をどんな猛者がお守りしても、肝心の鳳翔、岐山、雍州の西の守り、ウイグル、吐蕃の異民族からの守りに問題が出てしまったのである。

吐蕃とウイグルなど「犬戎」の者たちが今度は直接に侵入し、国の西域に居座ってしまい、百官、重臣は這う這うの体で逃げ出し、天子は郭子儀を引き連れて陜州へ回避された。

願う事なら、今こそ、北地郡義渠の「傅介子」を見たいものである、此の老いぼれた儒学者の隠遁したものには、尚書郎に任命するといわれてもお断りするしかないのである。

 

(訳注)#2

憶昔二首之一

(昔のことを憶えば残念至極であることを詠う。)

「憶昔」詩篇の首二字を切りとって用いたもの。この第一首は粛宗・代宗二朝の政治に失政・遺憾の点のあることをいう。

粛宗・代宗二朝の政治に遺憾の点のあることをいう。

 

我昔 近侍 叨奉引 ,出兵 整肅 不可 當。

私が近侍の左拾遺であった時にこの事は、くどくどと申し上げていた。「出兵宿に際しては、整備され、粛々としてこれにあたらなければいけないのである」と、やみくもに、異民族の援軍を得てはならない、古くからの重臣の心を一つにして是にあたらねばならないと申し上げていたのだ。

「近侍」天子のおそば近くの職。当時、左拾遺を拝命していた。

「奉引」四書五経を引用して諫言すること。

「出兵整肅」粛宗は、古くからの賢臣を排斥し、気まぐれ人事で唐国軍を無統率なものにしていた。杜甫は、ウイグルなどの外国軍を頼りにするのではなく子飼いの重臣を中心にして態勢を整え出兵すべきと諫言した。粛宗は逆に玄宗皇帝時代の重臣を根こそぎ排斥したのである。

「整肅」 行儀作法などの整っておごそかな・こと(さま)。

 

為留 猛士 守 未央 ,致使岐雍 防 西羌 。

したがって、今は長安の宮殿をどんな猛者がお守りしても、肝心の鳳翔、岐山、雍州の西の守り、ウイグル、吐蕃の異民族からの守りに問題が出てしまったのである。

「未央」漢の長安の未央宮。ここでは、大明宮をいう。

「岐雍」西、玉門関を破られると、隴西、秦州で防御し、更に雍州、岐山が長安最終の守りの塞となる。

「防西羌」西羌は、西の異民族国家のこと。ここでは、吐蕃、ウイグル、匈奴である。

 

犬戎 直來 坐 御床 ,百官 跣足 隨 天王 。

吐蕃とウイグルなど「犬戎」の者たちが今度は直接に侵入し、国の西域に居座ってしまい、百官、重臣は這う這うの体で逃げ出し、天子は郭子儀を引き連れて陜州へ回避された。

「犬戎」【けんじゅう】古代中国の西戎(せいじゅう)の一。殷・周・春秋の時代に陝西省方面で勢力を振るったが、秦に圧迫されて衰えた。犬夷(けんい)。昆夷(こんい)

『愁坐』

高齋常見野,愁坐更臨門。 

十月山寒重,孤城月水昏。 

葭萌氐種迥,左擔犬戎 

終日憂奔走,歸期未敢論。 

738 《愁坐〔草堂逸詩拾遺〕》 蜀中転々 杜甫 <645  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3535 杜甫詩1000-645-901/1500〔草堂逸詩拾遺-(14)

「天王」763年吐蕃が長安に攻め入り、軍は総崩れとなったために天子:代宗は王:郭子儀に守られて、陜州に回避したことを言う。この事を杜甫『江陵望幸』で希望を持った表現で歌っている。724 《江陵望幸〔註:廣德元年,復以衛伯玉尹江陵。〕》 蜀中転々 杜甫 <631  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3465 杜甫詩1000-631-887/1500

 

 

 

願見 北地 傅介子 ,老儒 不用 尚書郎 。

願う事なら、今こそ、北地郡義渠の「傅介子」を見たいものである、此の老いぼれた儒学者の隠遁したものには、尚書郎に任命するといわれてもお断りするしかないのである。

「願」語義類別:人、狀態、心智狀態、願。

「見」語義類別:人、感官詞、視覺、見。

「北地」傅介子の出身地。

「傅介子」傅 介子(ふ かいし、未詳 - 紀元前65年)は、前漢の人。北地郡義渠の人。傅介子は大宛への使者となりそれまで漢の使者を殺していた楼蘭、亀茲を責める役を負い、策略をもって攻め落とした。

「老儒」老人の儒者。杜甫自身のこと。

「不」語義類別:其他、其他詞彙、否定詞、不。

「用」語義類別:人、行為動作、一般行為(其他部)、用。

「尚書郎」尚書省の課長職といったもの。厳武・高適のはからいで、杜甫を京兆府の功曹参軍(庶務課長)に任ずる命が下ったこと。 
長安洛陽鳳翔Map 

746廣徳2年764年―5-#1 《憶昔,二首之一》 蜀中転々 杜甫 <655-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3640 杜甫詩1000-655-1-922/1500749-1

杜甫《憶昔,二首之一》昔のことを憶って作る。「憶昔」というのは詩篇の首二字を切りとって用いたもの。この第一首は粛宗・代宗二朝の政治に遺憾の点のあることをいう。


2014年1月23日 の紀頌之5つのブログ
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Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 263 《招揚之罦一首》 韓愈  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3641 (01/23)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
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廣徳2764年―5-#1 《憶昔,二首之一》 蜀中転々 杜甫 <655-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3640 杜甫詩1000-655-1-922/15007491

 

 

作時年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 七言古詩 

詩題: 憶昔,二首之一 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  朔方節度使 ( 靈州 朔方節度使) 別名:朔方   霊武  

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸     

陰山 ( 豐州 陰山)     

相州 (河北道南部 相州 相州) 別名:鄴城、鄴、鄴中      

未央宮 (京畿道 京兆府 長安

 

 

憶昔二首之一

(昔のことを憶えば残念至極であることを詠う。)

憶昔先皇巡朔方,千乘萬騎入咸陽。

昔のことを思いおこすと、先の天子、粛宗は安禄山の叛乱で朔方の霊武に避巡され、行在所より態勢を立て直し、千乘萬騎、百万の軍勢で叛乱より長安を奪還し入城された。

陰山驕子汗血馬,長驅東胡胡走藏。

陰山山脈を越えてウイグル軍が大宛国の駿馬の汗血馬で援軍したのである。安史軍は東部、北部を征圧しており、長安は長躯している地点で補給路を断たれると全滅するとして東に走り隠れたのである。

鄴城反覆不足怪,關中小兒壞紀綱,張後不樂上為忙。

しかし、洛陽より北の鄴城では、反復され勢いをつけているといういったいどういうことなのか、そして、今、長安の宮殿では宦官の横暴で、宮廷内の風紀、規律は壊れてしまっているというではないか。「張皇后」というべきお方でもその意見や要望さえも取り次ぐこともしないで不自由な生活を強いているという。

至今今上猶撥亂,勞身焦思補四方。

しかし、ウイグル軍という異民族に援軍を求めたことがここにきて、この騒乱を招くことに起因しているのである。この身をどれ程務め尽くしても焦燥感を消してくれる術というものが四方尽くしても全くないのが現状であろう。

 

 

我昔近侍叨奉引,出兵整肅不可當。

為留猛士守未央,致使岐雍防西羌。

犬戎直來坐禦林,百官跣足隨天王。

願見北地傅介子,老儒不用尚書郎。

 

憶昔二首之二

憶昔開元全盛日,小邑猶藏萬家室。

稻米流脂粟米白,公私倉廩俱豐實。

九州道路無豺虎,遠行不勞吉日出。

齊紈魯縞車班班,男耕女桑不相失。

 

宮中聖人奏雲門,天下朋友皆膠漆。

百餘年間未災變,叔孫禮樂蕭何律。

豈聞一絹直萬錢,有田種穀今流血。

洛陽宮殿燒焚盡,宗廟新除狐兔穴。

 

傷心不忍問耆舊,複恐初從亂離

小臣魯鈍無所能,朝廷記識蒙祿秩。

周宣中興望我皇,灑血江漢身衰疾。

 

(昔を憶う二首の一)

昔を憶う 先皇 朔方を巡り,千乘 萬騎 咸陽に入る。

陰山 驕子 汗血の馬,長驅 東胡 胡 藏に走る。

鄴城 反覆し怪むに足らず,關中 小兒 紀綱を壞し,張後に上は忙と為し樂しまず。

今に至って今上 猶お亂を撥し,身を勞し 焦思して四方を補う。

 

我れ昔 近侍にして奉引を叨し,出兵 整肅し當る可からず。

為留の猛士は未央を守り,使を致して岐雍 西羌を防ぐ。

犬戎 直ちに來り 禦林に坐し,百官 跣足し 天王に隨う。

願わくば見ん 北地 介子に傅し,老儒 尚書郎を用いず。

 

 

『憶昔二首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

憶昔二首之一

憶昔先皇巡朔方,千乘萬騎入咸陽。

陰山驕子汗血馬,長驅東胡胡走藏。

鄴城反覆不足怪,關中小兒壞紀綱,張後不樂上為忙。

至今今上猶撥亂,勞身焦思補四方。

 

(下し文)

(昔を憶う二首の一)

昔を憶う 先皇 朔方を巡り,千乘 萬騎 咸陽に入る。

陰山 驕子 汗血の馬,長驅 東胡 胡 藏に走る。

鄴城 反覆し怪むに足らず,關中 小兒 紀綱を壞し,張後に上は忙と為し樂しまず。

今に至って今上 猶お亂を撥し,身を勞し 焦思して四方を補う。

 

 

(現代語訳)

(昔のことを憶えば残念至極であることを詠う。)

昔のことを思いおこすと、先の天子、粛宗は安禄山の叛乱で朔方の霊武に避巡され、行在所より態勢を立て直し、千乘萬騎、百万の軍勢で叛乱より長安を奪還し入城された。

陰山山脈を越えてウイグル軍が大宛国の駿馬の汗血馬で援軍したのである。安史軍は東部、北部を征圧しており、長安は長躯している地点で補給路を断たれると全滅するとして東に走り隠れたのである。

しかし、洛陽より北の鄴城では、反復され勢いをつけているといういったいどういうことなのか、そして、今、長安の宮殿では宦官の横暴で、宮廷内の風紀、規律は壊れてしまっているというではないか。「張皇后」というべきお方でもその意見や要望さえも取り次ぐこともしないで不自由な生活を強いているという。

しかし、ウイグル軍という異民族に援軍を求めたことがここにきて、この騒乱を招くことに起因しているのである。この身をどれ程務め尽くしても焦燥感を消してくれる術というものが四方尽くしても全くないのが現状であろう。

 

(訳注)

憶昔二首之一

(昔のことを憶えば残念至極であることを詠う。)

「憶昔」詩篇の首二字を切りとって用いたもの。この第一首は粛宗・代宗二朝の政治に失政・遺憾の点のあることをいう。

粛宗・代宗二朝の政治に遺憾の点のあることをいう。

 

 

憶昔 先皇 巡 朔方 ,千乘 萬騎 入 咸陽 。

昔のことを思いおこすと、先の天子、粛宗は安禄山の叛乱で朔方の霊武に避巡され、行在所より態勢を立て直し、千乘萬騎、百万の軍勢で叛乱より長安を奪還し入城された。

「先皇」謂肅宗。皇室稱謂、皇帝。

「巡」語義類別:人、行為動作、一般行為(辵部)、巡。

「朔方」朔方。

○ 7566,玄 宗 の命令 により、哥舒翰軍は潼関より東に出撃.哥舒翰は敗北して敵の手中に。

○ 長安では楊国忠の主張により、蜀(四川)への蒙塵を決定.

○ 756613日 未明、玄宗、皇太子夫妻、楊貴妃 とその一族、楊国忠一家、公主たちが、極秘裏に宮殿を脱出。

○ その後,玄宗は蜀へ蒙塵し、玄宗は皇太子に長安を奪回せよと命ず。皇太子は捲土重来を期して霊武へ向かう。霊武は西北辺境の要衝であり、かつ朔方節度使・郭子儀の本拠地.

75607,皇太子は群臣の懇望を受けて、蜀にある玄宗を上皇にまつりあげ、粛宗として霊武で即位.至徳と改元。援軍を得るためには皇太子が皇帝にならなければ要請できない。

75609,粛宗はウイグルに援軍を求めるために使者を。漠北のモンゴリアに派遣使者となったのは,王族の一人(敦 煙郡王承粟)とトルコ系武将の僕固懐恩とソグド系 武将の石定番.

このあたりは、黄河二首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 194

「咸陽」西側から攻め、咸陽側から長安に入城した。広い意味では咸陽≒長安ということ。

toubanrimap044

 

陰山 驕子 汗血馬 ,長驅 東胡 胡 走藏。

陰山山脈を越えてウイグル軍が大宛国の駿馬の汗血馬で援軍したのである。安史軍は東部、北部を征圧しており、長安は長躯している地点で補給路を断たれると全滅するとして東に走り隠れたのである。

「陰山」語義類別:地、地名、山嶺地名、陰山山脈。

「驕子」ウイグル、胡人。

「汗血馬」大宛国の駿馬。血のような汗をかくことでいう。杜甫の詩にはよくでる。朱汗 あかい汗、駿馬は血のあせを流すという。。○汗血 汗血の馬をいう。「漢書」西域伝に大宛国に善馬多くその馬は血を汗にするという。ここは大宛の天馬の如き名馬をさす。房兵曹胡馬詩
胡馬
大宛名、鋒稜痩骨成。
竹批双耳峻、風入四蹄軽。
所向無空闊、真堪託死生。
驍騰有如此、万里可横行。
『房兵曹胡馬詩』 杜甫
杜甫『沙苑行』
君不見左輔白沙如白水,繚以周牆百餘裡。
龍媒昔是渥洼生,汗血今稱獻於此。
苑中騋牝三千匹,豐草青青寒不死。
食之豪健西域無,每
攻駒冠邊鄙。』

沙苑行 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 91 

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杜甫『洗兵行(洗兵馬)』
中興諸將收山東,捷書夜報清晝同。
河廣傳聞一葦過,胡危命在破竹中。
秖殘鄴城不日得,獨任朔方無限功。
京師皆騎
汗血馬,回紇喂肉蒲萄宮。
已喜皇威清海岱,常思仙仗過崆峒。
三年笛裡關山月,萬國兵前草木風。』

驄馬行  杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 102

痩馬行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 258

『洗兵行(洗兵馬)』#1
中興諸將收山東,捷書夜報
清晝同。
河廣傳聞一葦過,胡危命在破竹中。
秖殘鄴城不日得,獨任朔方無限功。
京師皆騎
汗血馬,回紇喂肉蒲萄宮。
已喜皇威清海岱,常思仙仗過崆峒。
三年笛裡關山月,萬國兵前草木風。』

洗兵行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ990 杜甫特集700- 295

 

鄴城 反覆不足 怪 ,關中 小兒 壞 紀綱 ,張后 不樂 上為忙 。

しかし、洛陽より北の鄴城では、反復され勢いをつけているといういったいどういうことなのか、そして、今、長安の宮殿では宦官の横暴で、宮廷内の風紀、規律は壊れてしまっているというではないか。粛宗の張皇后を結託し、専権を古い、上奏すべき意見や要望さえも取り次ぐこともしないで皇帝に不自由な生活を強いていたのだ。

「鄴城」行政地名、鄴城。(下図H5

「關中小兒」 李輔国(李輔國、り ほこく、704 - 762年)は唐代粛宗の時代に専権をふるった宦官。本名は静忠、後に護国と賜名され、更に輔国と改名している。 元来は宦官である高力士の僕役として宮廷に入り、40歳以降になり閒を掌握、後に太子李亨に入侍した。宦官、五坊小兒が横暴な振る舞いをしていること。〔李輔國,閑馬家小兒。〕

「紀綱」刑責法規、法規、法。

「張后」張皇后(唐)。皇后張氏(?~762)

  唐の肅宗(李亨)の張皇后。鄧州向城の人。李亨が忠王のとき、宮に入り、良娣となった。安禄山が叛乱を起こすと、太子李亨に霊武にうつるよう勧めた。肅宗が立つと、寵愛を受けて淑妃となった。乾元元年(758)、皇后に立てられた。宦官の李輔国と結んで専権をふるった。建寧王李倓をひそかに殺し、太上皇(玄宗)を幽閉し、太子李豫の廃立をはかるなど、粛宗にも掣肘できなかった。のちに李輔国と権を争った。粛宗が危篤におちいると、越王李系を立てようとはかったため、李輔国と程元振が兵を率いて宮殿に入り、このとき殺された。

「不樂」粛宗が宦官と張皇后によって不自由な生活を強いられていた。

「忙」忙しいと天子に上奏を一切しなかった。。

洛陽・鄴州00 

 

至今 今上 猶撥亂 ,勞身 焦思 補 四方 。

しかし、ウイグル軍という異民族に援軍を求めたことがここにきて、この騒乱を招くことに起因しているのである。この身をどれ程務め尽くしても焦燥感を消してくれる術というものが四方尽くしても全くないのが現状であろう。

「今」語義類別:時、時間、範圍時間(今昔)、今。

「今上」代宗のこと謂う。稱謂、皇室稱謂、皇帝。

746廣徳2年764年―4-4 《南池》 蜀中転々 杜甫 <654-4>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3635 杜甫詩1000-654-4-921/1500748-4

《南池》 蜀中転々 杜甫 いまの生活は、この身は騒乱、戦乱に遭遇して息苦しい身になっているけれど、間もなく長江にのって東へ下っていくことになる。もう旅の馬を留めて舟の漁師に質問をしてみると、あなたは「自由を束縛することをなぐさめ、改めることに躊躇しているだけだ。」と。


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746廣徳2764年―4-4 《南池》 蜀中転々 杜甫 <6544  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3635 杜甫詩1000-6544-921/15007484

 

 

作時年: 764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 南池〔在閬中縣東南,即彭道將魚池。〕 

作地點: 閬州(山南西道/ 閬州

及地點: 南池 (山南西道 閬州) ・漢王祠 (山南西道 閬州 閬州)     

 

 

南池〔在閬中縣東南,即彭道將魚池。〕  1

(南池。閬中県の東南にあり、この地域で食す魚が取れる池である。)

崢嶸巴閬間,所向盡山谷。

巴地方と閬州の間には聳えるような山脈がどちらに向うにしても、ことごとく山や谷がある。

安知有蒼池,萬頃浸坤軸。

しかしこの地の安心できるところは、緑不可囲炉裏にかこまれた池があることである。万頃の広さがあろうか天地が一体となるほどの広さがある、深さも地の軸に届くばかりに深い。

呀然閬城南,枕帶巴江腹。

気が付いてみるとおおしいその池は閬州城の南にある、城は枕にするのか、帯にするかのように巴江をお腹にの位置にあるようだ。

芰荷入異縣,粳稻共比屋。

この池と大江があれば菱と蓮がありそうなものだが、これは他の縣からはいってくる。粳と稻とはともにここの官舎の蔵に納めてある。

皇天不無意,美利戒止足。 

この地は天候にも恵まれており、何か異なるの意見をすることもない。こんな住みやすいところだからといってこのままここに居座るというのも自分を誡めないといけない。

高田失西成,此物頗豐熟。 

この高い評価の出来る田畑であってもそのものはすこぶる豊年満作であったというのに秋に植物が熟すことをうしなうことがあるという。

清源多眾魚,遠岸富喬木。 

すがすがしいほどの水源であるこの池には多くの魚が集まっている。反対側の岸には生活に使う喬木が豊富にある。

獨歎楓香林,春時好顏色。

しかし、ここに一人で居ると、西の楓のかんばしい木が春のころには若々しいほどの萌黄色であったというのに、赤く色づくと月日の経過と老化することを感じて嘆かわしく思ってしまう。

#3 

南有漢王祠,終朝走巫祝。 

その南には漢王劉邦を祀った祠があり、そこでは夜明けから夕刻まで神巫女が、その奥には女妓たちがいそがしくうごきまわっている。

歌舞散靈衣,荒哉舊風俗。 

神技の着物を歌や踊りを舞うことでさんざ乱れるほどであり、ここは古くからかなり乱れた風俗である。

高堂亦明王,魂魄猶正直。 

高楼の講堂には漢王ばかりか宗教上の明王が並んでいる。その像からは神秘的な気魄はなおもその正面から直接伝わってくる。

不應空陂上,縹緲親酒食。

その気迫は大空から山並みの上伝わるものだろうがそれには答えることが出来ない。そんな果てしなくはっきりしないことより、わたしは酒と肴に親しみを感じている。


#4
 

淫祀自古昔,非唯一川瀆。 

こういった祠でのいかがわしいものを神として祭るというのは、古き昔よりあったことなのだ。ただ四瀆の一の河が汚れてしまったということではない。

干戈浩茫茫,地僻傷極目。 

それよりも、ここまで戦争の方がこの国を茫茫としたものをひろげていった。ここのような辺地、僻地までも目の届く限り傷めつけられてしまっている。

平生江海興,遭亂身局促。 

いまの生活は、この身は騒乱、戦乱に遭遇して息苦しい身になっているけれど、間もなく長江にのって東へ下っていくことになる。

駐馬問漁舟,躊躇慰羈束。 

もう旅の馬を留めて舟の漁師に質問をしてみると、あなたは「自由を束縛することをなぐさめ、改めることに躊躇しているだけだ。」と。

 

(南池)〔閬中縣の東南に在り,即ち彭道 將に魚池なり。〕#1

崢嶸なるは巴閬の間なり,向う所は盡く山谷なり。 

安ぞ知る 蒼池有るを,萬頃【ばんけい】たり 坤軸を浸すを。 

呀然とする閬城の南,枕帶する 巴江の腹。

芰荷 異縣より入り,粳稻 共に比の屋にあり。

皇天 意を無しとせざる,美利 足を止むを戒しむ。 

高田 西成に失し,此物 頗ぶる豐熟せり。 

清源 眾魚を多くし,遠岸 喬木を富す。 

獨り歎くは楓香の林,春時 顏色を好しとす。

#3 

南に漢王の祠有り,終に朝に 巫祝に走る。 

歌舞 靈衣に散じ,荒哉 舊風の俗に。 

高堂 亦た明王あり,魂魄 猶お正直なり。 

空しく陂上に應えず,縹緲 酒食を親す。

#4 

淫祀 古き昔自りなり,唯だ一川の瀆に非らず。 

干戈 浩く茫茫たり,地僻 極目を傷む。 

平生 江海び興り,遭亂 身局 促す。 

駐馬 漁舟に問う,躊躇して 羈束を慰う。 

 

 

『南池』 現代語訳と訳註

(本文) #4  

淫祀自古昔,非唯一川瀆。 

干戈浩茫茫,地僻傷極目。 

平生江海興,遭亂身局促。 

駐馬問漁舟,躊躇慰羈束。 

 

(下し文)#4 

淫祀 自ら古昔なり,唯だ一川の瀆に非らず。 

干戈 浩く茫茫たり,地僻 極目を傷む。 

平生 江海び興り,遭亂 身局 促す。 

駐馬 漁舟に問う,躊躇して 羈束を慰う。 

 

(現代語訳)

こういった祠でのいかがわしいものを神として祭るというのは、古き昔よりあったことなのだ。ただ四瀆の一の河が汚れてしまったということではない。

それよりも、ここまで戦争の方がこの国を茫茫としたものをひろげていった。ここのような辺地、僻地までも目の届く限り傷めつけられてしまっている。

いまの生活は、この身は騒乱、戦乱に遭遇して息苦しい身になっているけれど、間もなく長江にのって東へ下っていくことになる。

もう旅の馬を留めて舟の漁師に質問をしてみると、あなたは「自由を束縛することをなぐさめ、改めることに躊躇しているだけだ。」と。

山南西道02 

(訳注)

南池〔在閬中縣東南,即彭道將魚池。〕  4

(南池。閬中県の東南にあり、この地域で食す魚が取れる池である。)

閬州は嘉陵江と東游水の合流点にあり、船旅が基本の時代にあって交通の要衝の地であった。杜甫が長安に向うには一番適した場所であった。

 

淫祀 自古昔 ,非唯 川瀆

こういった祠でのいかがわしいものを神として祭るというのは、古き昔よりあったことなのだ。ただ四瀆の一の河が汚れてしまったということではない。

「淫祀」いかがわしいものを神として祭ること。また、そのやしろ。この時代の道教寺観、寺院は駆け込み場所であり、聖女祠(道女)、芸妓がいるし、また、売春目的の女たちもいた。

「川瀆」瀆けがす. よごす。また名誉などを傷つけること。長江,黄河,淮水(わいすい),済水をいう

 

干戈 茫茫 ,地僻 極目

それよりも、ここまで戦争の方がこの国を茫茫としたものをひろげていった。ここのような辺地、僻地までも目の届く限り傷めつけられてしまっている。

「干戈」戰爭活動、戰爭。『寄題江外草堂』「干戈未偃息,安得酣歌眠。」戦火は続いていていまだ横になって休むことがなく、何処で、どうしたら心行くまでおいしいお酒に歌を謡い眠ることが出来るのだろうか。663五言古詩 《寄題江外草堂》 蜀中転々 杜甫 <569-#3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3130 杜甫詩1000-569-#3-820/1500

「浩」浩大。

「茫茫」遠くはるかに広がっているさま。 []: vast. [使い方]. 〔悠悠〕(形動(たる・と))悠々たる天地; 〔渺渺〕(形動(たる・と))渺々たる大海; 〔渺茫〕(形動(たる・と))渺茫たる大海原;。「鳥雀夜各歸,中原杳茫茫。」成都紀行(12)”  成都府 杜甫詩1000 <352#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1711 杜1500- 527

「地僻」偏遠場域、偏僻。

「極目」目のとどく限り。見渡す限り。

 

平生 江海 ,遭亂 局促

いまの生活は、この身は騒乱、戦乱に遭遇して息苦しい身になっているけれど、間もなく長江にのって東へ下っていくことになる。

「平生」語義類別:時、時間、範圍時間(生)、平生。

「局促」](1) 狭苦しい.【同】狭小(2) 《方》慌ただしい,時間がない.(3) ぎこちない,堅苦しい.

 

駐馬 漁舟 ,躊躇 羈束

もう旅の馬を留めて舟の漁師に質問をしてみると、あなたは「自由を束縛することをなぐさめ、改めることに躊躇しているだけだ。」と。

「躊躇」徘徊。あれこれ迷って決心できないこと。ためらうこと。

「慰」喜悅欣樂。

「羈束」つなぎしばること。自由を束縛すること。拘束。
nat0019 

746廣徳2年764年―4-3 《南池》 蜀中転々 杜甫 <654-3>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3630 杜甫詩1000-654-3-920/1500748-3

《南池》 蜀中転々 杜甫 その南には漢王劉邦を祀った祠があり、そこでは夜明けから夕刻まで神巫女が、その奥には女妓たちがいそがしくうごきまわっている。神技の着物を歌や踊りを舞うことでさんざ乱れるほどであり、ここは古くからかなり乱れた風俗である。


2014年1月21日 の紀頌之5つのブログ
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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746廣徳2764年―4-3 《南池》 蜀中転々 杜甫 <6543  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3630 杜甫詩1000-6543-920/15007483

 

 

作時年: 764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 南池〔在閬中縣東南,即彭道將魚池。〕 

作地點: 閬州(山南西道/ 閬州

及地點: 南池 (山南西道 閬州) ・漢王祠 (山南西道 閬州 閬州)     

 

 

南池〔在閬中縣東南,即彭道將魚池。〕  1

(南池。閬中県の東南にあり、この地域で食す魚が取れる池である。)

崢嶸巴閬間,所向盡山谷。

巴地方と閬州の間には聳えるような山脈がどちらに向うにしても、ことごとく山や谷がある。

安知有蒼池,萬頃浸坤軸。

しかしこの地の安心できるところは、緑不可囲炉裏にかこまれた池があることである。万頃の広さがあろうか天地が一体となるほどの広さがある、深さも地の軸に届くばかりに深い。

呀然閬城南,枕帶巴江腹。

気が付いてみるとおおしいその池は閬州城の南にある、城は枕にするのか、帯にするかのように巴江をお腹にの位置にあるようだ。

芰荷入異縣,粳稻共比屋。

この池と大江があれば菱と蓮がありそうなものだが、これは他の縣からはいってくる。粳と稻とはともにここの官舎の蔵に納めてある。

皇天不無意,美利戒止足。 

この地は天候にも恵まれており、何か異なるの意見をすることもない。こんな住みやすいところだからといってこのままここに居座るというのも自分を誡めないといけない。

高田失西成,此物頗豐熟。 

この高い評価の出来る田畑であってもそのものはすこぶる豊年満作であったというのに秋に植物が熟すことをうしなうことがあるという。

清源多眾魚,遠岸富喬木。 

すがすがしいほどの水源であるこの池には多くの魚が集まっている。反対側の岸には生活に使う喬木が豊富にある。

獨歎楓香林,春時好顏色。

しかし、ここに一人で居ると、西の楓のかんばしい木が春のころには若々しいほどの萌黄色であったというのに、赤く色づくと月日の経過と老化することを感じて嘆かわしく思ってしまう。

#3 

南有漢王祠,終朝走巫祝。 

その南には漢王劉邦を祀った祠があり、そこでは夜明けから夕刻まで神巫女が、その奥には女妓たちがいそがしくうごきまわっている。

歌舞散靈衣,荒哉舊風俗。 

神技の着物を歌や踊りを舞うことでさんざ乱れるほどであり、ここは古くからかなり乱れた風俗である。

高堂亦明王,魂魄猶正直。 

高楼の講堂には漢王ばかりか宗教上の明王が並んでいる。その像からは神秘的な気魄はなおもその正面から直接伝わってくる。

不應空陂上,縹緲親酒食。

その気迫は大空から山並みの上伝わるものだろうがそれには答えることが出来ない。そんな果てしなくはっきりしないことより、わたしは酒と肴に親しみを感じている。

#4 

淫祀自古昔,非唯一川瀆。 

干戈浩茫茫,地僻傷極目。 

平生江海興,遭亂身局促。 

駐馬問漁舟,躊躇慰羈束。 

杏の白花012 

 

(南池)〔閬中縣の東南に在り,即ち彭道 將に魚池なり。〕#1

崢嶸なるは巴閬の間なり,向う所は盡く山谷なり。 

安ぞ知る 蒼池有るを,萬頃【ばんけい】たり 坤軸を浸すを。 

呀然とする閬城の南,枕帶する 巴江の腹。

芰荷 異縣より入り,粳稻 共に比の屋にあり。

皇天 意を無しとせざる,美利 足を止むを戒しむ。 

高田 西成に失し,此物 頗ぶる豐熟せり。 

清源 眾魚を多くし,遠岸 喬木を富す。 

獨り歎くは楓香の林,春時 顏色を好しとす。

#3 

南に漢王の祠有り,終に朝に 巫祝に走る。 

歌舞 靈衣に散じ,荒哉 舊風の俗に。 

高堂 亦た明王あり,魂魄 猶お正直なり。 

空しく陂上に應えず,縹緲 酒食を親す。

#4 

淫祀 古き昔自りなり,唯だ一川の瀆に非らず。  

干戈 浩く茫茫たり,地僻 極目を傷む。  

平生 江海び興り,遭亂 身局 促す。  

駐馬 漁舟に問う,躊躇して 羈束を慰う。 

 山南西道02 

『南池』 現代語訳と訳註

(本文) #3 

南有漢王祠,終朝走巫祝。 

歌舞散靈衣,荒哉舊風俗。 

高堂亦明王,魂魄猶正直。 

不應空陂上,縹緲親酒食。

 

 

(下し文)

#3 

南に漢王の祠有り,終に朝に 巫祝に走る。 

歌舞 靈衣に散じ,荒哉 舊風の俗に。 

高堂 亦た明王あり,魂魄 猶お正直なり。 

空しく陂上に應えず,縹緲 酒食を親す。

 

(現代語訳)

その南には漢王劉邦を祀った祠があり、そこでは夜明けから夕刻まで神巫女が、その奥には女妓たちがいそがしくうごきまわっている。

神技の着物を歌や踊りを舞うことでさんざ乱れるほどであり、ここは古くからかなり乱れた風俗である。

高楼の講堂には漢王ばかりか宗教上の明王が並んでいる。その像からは神秘的な気魄はなおもその正面から直接伝わってくる。

その気迫は大空から山並みの上伝わるものだろうがそれには答えることが出来ない。そんな果てしなくはっきりしないことより、わたしは酒と肴に親しみを感じている。

 

(訳注)

南池〔在閬中縣東南,即彭道將魚池。〕  #3

(南池。閬中県の東南にあり、この地域で食す魚が取れる池である。)

閬州は嘉陵江と東游水の合流点にあり、船旅が基本の時代にあって交通の要衝の地であった。杜甫が長安に向うには一番適した場所であった。

 

 

南有 漢王祠 ,終朝 巫祝

その南には漢王劉邦を祀った祠があり、そこでは夜明けから夕刻まで神巫女が、その奥には女妓たちがいそがしくうごきまわっている。

「南」語義類別:地、空間、方向、南。

「有」語義類別:其他、形容詞彙、對比詞、有無(有)。

「漢王祠」語義類別:物、建築物、建築專名(寺廟道觀)、漢王祠。

「太史傳」太史公曰世之傳酈生書。

太史公曰世之傳酈生書

多曰漢王已拔三秦東擊項籍而引軍於鞏洛之閒

酈生被儒衣往漢王乃非也

自沛公未入關與項羽別而至高陽得酈生兄弟

余讀陸生新語書十二篇固當世之辯士

至平原君子與余善是以得具論之

太史公曰く、「世間の酈生(酈食其)を伝える書は、

多くが曰く、漢王劉邦がすでに三秦を攻め落とし、東に西楚覇王項籍(項羽)を撃ちに進んで、漢軍を鞏、洛の間に引いたとき、酈生(酈食其)が儒者の衣を着て、漢王劉邦を説いたと。すなわちそうではないのである。

沛公劉邦が未だ関に入らないうちより、項羽と別れて(陳留の)高陽に至ったときに酈生(酈食其)の兄弟を得た。

余は陸生(陸賈)の「新語」の書、十二篇を読んだが、まことに当世の弁士である。

平原君(朱建)の子に至って、余と仲が善く、ここにこれを具(つぶさ)に論ずるを得たのである」と。

「終朝」終日。

「巫祝」神事をつかさどる者。みこ。はふり。かんなぎ。

 

歌舞 靈衣 ,荒哉 風俗

神技の着物を歌や踊りを舞うことでさんざ乱れるほどであり、ここは古くからかなり乱れた風俗である。

「風俗」地域や階層に特徴的にみられる、衣食住など日常生活上のしきたりや習わし、風習のこと。広く、世相や生活文化の特色をいう場合もある。類似語に世俗や習俗(習慣と風俗)がある。。

 

高堂 亦明王 ,魂魄 猶正直

高楼の講堂には漢王ばかりか宗教上の明王が並んでいる。その像からは神秘的な気魄はなおもその正面から直接伝わってくる。

「高堂」高楼の講堂。

「明王」、密教における尊格及び称号で、如来の変化身ともされる。

「魂魄」魂は精神を支える気、魄は肉体を支える気を指した。合わせて魂魄(こんぱく)とも言う。魂と魄は易の思想と結びつき、魂は陽に属して天に帰し(魂銷)、魄は陰に属して地に帰すと考えられていた。

 

不應 空陂 ,縹緲 酒食

その気迫は大空から山並みの上伝わるものだろうがそれには答えることが出来ない。そんな果てしなくはっきりしないことより、わたしは酒と肴に親しみを感じている。

「縹緲」1 広くはてしないさま。「―たる雪の広野を隔てて」〈鏡花・註文帳〉2 かすかではっきりとしないさま。

「親」語義類別:人、情感詞(綜合情感)、正面情感(親近褻狎)、親近。
nat0019 

746廣徳2年764年―4-2 《南池》 蜀中転々 杜甫 <654-2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3625 杜甫詩1000-654-2-919/1500748-2

《南池》#2すがすがしいほどの水源であるこの池には多くの魚が集まっている。反対側の岸には生活に使う喬木が豊富にある。しかし、ここに一人で居ると、西の楓のかんばしい木が春のころには若々しいほどの萌黄色であったというのに、赤く色づくと月日の経過と老化することを感じて嘆かわしく思ってしまう。
 

2014年1月20日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固) 《東都賦》(13)#7(狩の準備) 文選 賦<113―11>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1015 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3623
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Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《宿曾江口示姪孫湘,二首之二〔湘,字北渚,老成之子,愈兄弇之孫。此赴潮州作也。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <928>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3624韓愈詩-240
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 746廣徳2年764年―4-2 《南池》 蜀中転々 杜甫 <654-2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3625 杜甫詩1000-654-2-919/1500748-2
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 260 《秋懐詩十一首之十(10)》韓愈kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3626 (01/20)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 11 -6 南鄉子八首 其二 歐陽舍人炯十七首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-416-11-#6  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3627
 
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
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温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
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746廣徳2764年―4-2 《南池》 蜀中転々 杜甫 <6542>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3625 杜甫詩1000-6542-919/15007482

 

 

作時年: 764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 南池〔在閬中縣東南,即彭道將魚池。〕 

作地點: 閬州(山南西道/ 閬州

及地點: 南池 (山南西道 閬州) ・漢王祠 (山南西道 閬州 閬州)     

 

 

南池〔在閬中縣東南,即彭道將魚池。〕  1

崢嶸巴閬間,所向盡山谷。

安知有蒼池,萬頃浸坤軸。

呀然閬城南,枕帶巴江腹。

芰荷入異縣,粳稻共比屋。

(南池。閬中県の東南にあり、この地域で食す魚が取れる池である。)

巴地方と閬州の間には聳えるような山脈がどちらに向うにしても、ことごとく山や谷がある。

しかしこの地の安心できるところは、緑不可囲炉裏にかこまれた池があることである。万頃の広さがあろうか天地が一体となるほどの広さがある、深さも地の軸に届くばかりに深い。

気が付いてみるとおおしいその池は閬州城の南にある、城は枕にするのか、帯にするかのように巴江をお腹にの位置にあるようだ。

この池と大江があれば菱と蓮がありそうなものだが、これは他の縣からはいってくる。粳と稻とはともにここの官舎の蔵に納めてある。

皇天不無意,美利戒止足。 

この地は天候にも恵まれており、何か異なるの意見をすることもない。こんな住みやすいところだからといってこのままここに居座るというのも自分を誡めないといけない。

高田失西成,此物頗豐熟。 

この高い評価の出来る田畑であってもそのものはすこぶる豊年満作であったというのに秋に植物が熟すことをうしなうことがあるという。

清源多眾魚,遠岸富喬木。 

すがすがしいほどの水源であるこの池には多くの魚が集まっている。反対側の岸には生活に使う喬木が豊富にある。
獨歎楓香林,春時好顏色。

しかし、ここに一人で居ると、西の楓のかんばしい木が春のころには若々しいほどの萌黄色であったというのに、赤く色づくと月日の経過と老化することを感じて嘆かわしく思ってしまう。

#3 

南有漢王祠,終朝走巫祝。 

歌舞散靈衣,荒哉舊風俗。 

高堂亦明王,魂魄猶正直。 

不應空陂上,縹緲親酒食。

#4 

淫祀自古昔,非唯一川瀆。 

干戈浩茫茫,地僻傷極目。 

平生江海興,遭亂身局促。 

駐馬問漁舟,躊躇慰羈束。 

 

 

(南池)〔閬中縣の東南に在り,即ち彭道 將に魚池なり。〕#1

崢嶸なるは巴閬の間なり,向う所は盡く山谷なり。 

安ぞ知る 蒼池有るを,萬頃【ばんけい】たり 坤軸を浸すを。 

呀然とする閬城の南,枕帶する 巴江の腹。

芰荷 異縣より入り,粳稻 共に比の屋にあり。

皇天 意を無しとせざる,美利 足を止むを戒しむ。 

高田 西成に失し,此物 頗ぶる豐熟せり。 

清源 眾魚を多くし,遠岸 喬木を富す。 

獨り歎くは楓香の林,春時 顏色を好しとす。

#3 

南に漢王の祠有り,終に朝 巫祝に走る。 

歌舞 靈衣に散じ,荒哉 舊風の俗に。 

高堂 亦た明王あり,魂魄 猶お正直なり。 

空しく陂上に應えず,縹緲 酒食を親す。

#4 

淫祀 古き昔自りなり,唯だ一川の瀆に非らず。  

干戈 浩く茫茫たり,地僻 極目を傷む。  

平生 江海び興り,遭亂 身局 促す。  

駐馬 漁舟に問う,躊躇して 羈束を慰う。 

aki010 

 

『南池』 現代語訳と訳註

(本文)

皇天不無意,美利戒止足。 

高田失西成,此物頗豐熟。 

清源多眾魚,遠岸富喬木。 

獨歎楓香林,春時好顏色。

 

(下し文)

皇天 意を無しとせざる,美利 足を止むを戒しむ。 

高田 西成に失し,此物 頗ぶる豐熟せり。 

清源 眾魚を多くし,遠岸 喬木を富す。 

獨り歎くは楓香の林,春時 顏色を好しとす。

 

 

(現代語訳)

この地は天候にも恵まれており、何か異なるの意見をすることもない。こんな住みやすいところだからといってこのままここに居座るというのも自分を誡めないといけない。

この高い評価の出来る田畑であってもそのものはすこぶる豊年満作であったというのに秋に植物が熟すことをうしなうことがあるという。

すがすがしいほどの水源であるこの池には多くの魚が集まっている。反対側の岸には生活に使う喬木が豊富にある。

しかし、ここに一人で居ると、西の楓のかんばしい木が春のころには若々しいほどの萌黄色であったというのに、赤く色づくと月日の経過と老化することを感じて嘆かわしく思ってしまう。

 

 

(訳注)

南池〔在閬中縣東南,即彭道將魚池。〕  2

(南池。閬中県の東南にあり、この地域で食す魚が取れる池である。)

閬州は嘉陵江と東游水の合流点にあり、船旅が基本の時代にあって交通の要衝の地であった。杜甫が長安に向うには一番適した場所であった。

 

皇天 無意 ,美利 戒止足。

この地は天候にも恵まれており、何か異なるの意見をすることもない。こんな住みやすいところだからといってこのままここに居座るというのも自分を誡めないといけない。

「皇天」天与の棲みやすい場所であるということ。。

 

高田 失西成 ,此物 頗豐熟

この高い評価の出来る田畑であってもそのものはすこぶる豊年満作であったというのに秋に植物が熟すことをうしなうことがあるという。

「高田」郊原村野の評価の出来る田畑。

「西成」秋に植物が熟すこと。

 

清源 眾魚 ,遠岸 喬木

すがすがしいほどの水源であるこの池には多くの魚が集まっている。反対側の岸には生活に使う喬木が豊富にある。

○この二句はこの池の周りのようすを云う。魚は貴重なタンパク源であったのと薪は生活の絶対必要なものである。

 

獨歎 香林 ,春時 顏色

しかし、ここに一人で居ると、西の楓のかんばしい木が春のころには若々しいほどの萌黄色であったというのに、赤く色づくと月日の経過と老化することを感じて嘆かわしく思ってしまう。

「歎」語義類別:人、行為動作、言語動作、嘆。

「楓」楓は春先の萌黄色がきれいであるだけに、紅葉のうつくしは最後の美しさであるという、自分の身に置き換えて嘆かわしく思うのである。
nat0019 

746廣徳2年764年―4-1 《南池》 蜀中転々 杜甫 <654-1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3620 杜甫詩1000-654-1-918/1500748-1

杜甫《南池》 蜀中転々  巴地方と閬州の間には聳えるような山脈がどちらに向うにしても、ことごとく山や谷がある。しかしこの地の安心できるところは、緑不可囲炉裏にかこまれた池があることである。万頃の広さがあろうか天地が一体となるほどの広さがある、深さも地の軸に届くばかりに深い。


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746廣徳2764年―4-1 《南池》 蜀中転々 杜甫 <6541  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3620 杜甫詩1000-6541-918/15007481

 

 

作時年: 764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 南池〔在閬中縣東南,即彭道將魚池。〕 

作地點: 閬州(山南西道/ 閬州

及地點: 南池 (山南西道 閬州) ・漢王祠 (山南西道 閬州 閬州)     

 

 

南池〔在閬中縣東南,即彭道將魚池。〕  1

(南池。閬中県の東南にあり、この地域で食す魚が取れる池である。)

崢嶸巴閬間,所向盡山谷。

巴地方と閬州の間には聳えるような山脈がどちらに向うにしても、ことごとく山や谷がある。

安知有蒼池,萬頃浸坤軸。

しかしこの地の安心できるところは、緑不可囲炉裏にかこまれた池があることである。万頃の広さがあろうか天地が一体となるほどの広さがある、深さも地の軸に届くばかりに深い。

呀然閬城南,枕帶巴江腹。

気が付いてみるとおおしいその池は閬州城の南にある、城は枕にするのか、帯にするかのように巴江をお腹にの位置にあるようだ。

芰荷入異縣,粳稻共比屋。

この池と大江があれば菱と蓮がありそうなものだが、これは他の縣からはいってくる。粳と稻とはともにここの官舎の蔵に納めてある。

皇天不無意,美利戒止足。 

高田失西成,此物頗豐熟。 

清源多眾魚,遠岸富喬木。 

獨歎楓香林,春時好顏色。

#3 

南有漢王祠,終朝走巫祝。 

歌舞散靈衣,荒哉舊風俗。 

高堂亦明王,魂魄猶正直。 

不應空陂上,縹緲親酒食。

#4 

淫祀自古昔,非唯一川瀆。 

干戈浩茫茫,地僻傷極目。 

平生江海興,遭亂身局促。 

駐馬問漁舟,躊躇慰羈束。 

05saiko01 

 

『南池』 現代語訳と訳註

(本文)

南池〔在閬中縣東南,即彭道將魚池。〕  1

崢嶸巴閬間,所向盡山谷。 

安知有蒼池,萬頃浸坤軸。 

呀然閬城南,枕帶巴江腹。 

芰荷入異縣,粳稻共比屋。

 

(下し文)

南池〔閬中縣の東南に在り,即ち彭道 將に魚池なり。〕  1

崢嶸なるは巴閬の間なり,向う所は盡く山谷なり。 

安ぞ知る 蒼池有るを,萬頃【ばんけい】たり 坤軸を浸すを。 

呀然とする閬城の南,枕帶する 巴江の腹。

芰荷 異縣より入り,粳稻 共に比の屋にあり。

 

(現代語訳)

(南池。閬中県の東南にあり、この地域で食す魚が取れる池である。)

巴地方と閬州の間には聳えるような山脈がどちらに向うにしても、ことごとく山や谷がある。

しかしこの地の安心できるところは、緑不可囲炉裏にかこまれた池があることである。万頃の広さがあろうか天地が一体となるほどの広さがある、深さも地の軸に届くばかりに深い。

気が付いてみるとおおしいその池は閬州城の南にある、城は枕にするのか、帯にするかのように巴江をお腹にの位置にあるようだ。

この池と大江があれば菱と蓮がありそうなものだが、これは他の縣からはいってくる。粳と稻とはともにここの官舎の蔵に納めてある。

 

(訳注)

南池〔在閬中縣東南,即彭道將魚池。〕  1

(南池。閬中県の東南にあり、この地域で食す魚が取れる池である。)

閬州は嘉陵江と東游水の合流点にあり、船旅が基本の時代にあって交通の要衝の地であった。杜甫が長安に向うには一番適した場所であった。

 

崢嶸 巴閬 ,所向 盡山谷

巴地方と閬州の間には聳えるような山脈がどちらに向うにしても、ことごとく山や谷がある。

「崢嶸」急峻に聳え立つ山々が四方にある河川の合流点には広い盆地が形成される。。

「巴閬」閬州と山南東道の各地(巴)

 山南西道02

安知 蒼池 ,萬頃 坤軸

しかしこの地の安心できるところは、緑不可囲炉裏にかこまれた池があることである。万頃の広さがあろうか天地が一体となるほどの広さがある、深さも地の軸に届くばかりに深い。

「知」語義類別:人、狀態、心智狀態、知。

「有」語義類別:其他、形容詞彙、對比詞、有無(有)。

「蒼池」木々のかこまれた緑深い池。。

「萬頃」〔「頃」は百畝の耕地の意〕地面または水面が広々としていること。

「坤軸」天と地、地軸。

 

呀然 閬城 ,枕帶 巴江

気が付いてみるとおおしいその池は閬州城の南にある、城は枕にするのか、帯にするかのように巴江をお腹にの位置にあるようだ。

「呀然」はっと気づいた時の驚きを示す。口をあけて飲みこむようだといっている。気が付いてみるとおおしいその池と河川の関係を表現している。

「枕帶」河川が蛇行して閬州城を取り囲んでいるように見えるのだろう。。

「巴江」閬州は嘉陵江と東游水の合流点であることの表現の一つで巴江といっている。

この2句は、地図でも確認できるように二つの大江が合流して南下するが、平坦部では河川が蛇行しているので合流点から閬州城を見ろ景色をのべている。。

 

 

芰荷 異縣 ,粳稻 共比屋

この池と大江があれば菱と蓮がありそうなものだが、これは他の縣からはいってくる。粳と稻とはともにここの官舎の蔵に納めてある。

「芰荷」ヒシの実と蓮

「粳」イネ,トウモロコシ,オオムギなど。

「屋」官舎の蔵。
 

杜甫の人生 蜀中転々 762年~764年にかけて (まとめ)

杜甫の人生 蜀中転々 764年にかけて広徳二年874年の春、出発準備の整った杜甫は家族を携えて州に向かった。そこから船を出して嘉陵江に入り、液州(重慶)に出て三峡の険を下り、その昔、二十代のころ遊んだ呉の地に行くつもりであったらしい。


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762年厳武が成都に着任して、杜甫は安定した気持ちになった。宝応元年の四月に玄宗が七十八歳で崩じ、その十二日後に粛宗が五十二歳の若さで崩じる。厳武はこの年、両帝の橋道使に任ぜられ、都に呼びもどされた。

 

762年6月、杜甫は弟杜占を伴って厳武を綿州(陝西省綿陽県)まで見送り、さらに綿州の北20kmの奉済駅までついていって、別れた。ここでの厳武との交友は5,6ヶ月であった。

 

奉送厳公入朝十韻』(厳公の入朝を送り奉る十韻)を作り、この時以下の通りの作がある。

奉送嚴公入朝十韻

鼎湖瞻望遠,象闕憲章新。四海猶多難,中原憶舊臣。

與時安反側,自昔有經綸。感激張天步,從容靜塞塵。

南圖回羽翮,北極捧星辰。

漏鼓還思晝,宮鶯罷囀春。空留玉帳術,愁殺錦城人。

閣道通丹地,江潭隱白蘋。此生那老蜀,不死會歸秦。

公若登臺輔,臨危莫愛身。

奉送嚴公入朝十韻  蜀中転々 杜甫 <534-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2870 杜甫詩1000-534-#1-768/1500

 

奉酬嚴公寄題野亭之作 蜀中転々 杜甫 <528  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2835 杜甫詩1000-528-761/1500

《寄題杜二錦江野亭》 厳武  蜀中転々 <528(附)  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2840 杜甫詩1000-528(附)-762/1500

中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之一 蜀中転々 杜甫 <529  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2845 

中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之二蜀中転々 杜甫 <530  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2850 杜甫詩1000-530-764/1500

謝嚴中丞送青城山道士乳酒一瓶 蜀中転々 杜甫 <531  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2855 杜甫詩1000-531-765/1500

嚴公仲夏枉駕草堂兼攜酒饌得寒字 蜀中転々 杜甫 <532  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2860 杜甫詩1000-532-766/1500

嚴公廳宴同詠蜀道畫圖【案:得空字。】 蜀中転々 杜甫 <533  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2865 杜甫詩1000-533-767/1500

奉送嚴公入朝十韻  蜀中転々 杜甫 <534-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2870 杜甫詩1000-534-#1-768/1500

奉送嚴公入朝十韻 蜀中転々 杜甫 <534-#2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2870 杜甫詩1000-534-#2-768/1500

 

此生那老蜀,不死會歸秦。

自分の生涯はどうしてこんな蜀に老いはてることができよう、死なずにいのちさえあるなら自分はきっと長安へかえるつもりだ。
公若登臺輔,臨危莫愛身。

君はもし中央で宰相の位にでものぼるであろうから、決して危難にさしかかっても一身を愛惜することなかれ、身命をなげだして国家のためにつくされるであろう。 

と、やがて政府の中枢に登るであろう厳武を激励している。

 

ところが厳武帰京のすきをついて、それまで厳武の下にあった剣南兵馬使の徐知道が反乱を起こした。徐知道は兵を北に派遣して剣門の道を塞ぎ、西は卭州を攻め取り、中国西境を寇略していた羌族と手を結んだ。このために成都は大混乱に陥った。

 

杜甫は道路が塞がれたために成都に帰れなくなり、そのまま梓州に留まって、その地の刺史になっていた杜済のもとに身を寄せた。一方、都に出発した厳武も、途中で進めなくなり、巴州のあたりで立往生していた。

 

762年8月になって、徐知道は義賊の将軍と勢力争いを始め、厳武の後任として成都尹となっていた高適に撃破され、のちに義将の李忠厚に殺された。しかし杜甫は、しばらくは成都に帰れず、家族の安否を気遣いながら梓州に留まっている。

 

経済的な理由か何か、詳しいことは分からないが、杜甫はなかなか成都に帰ることができず、秋も末になって、やっと成都に帰り、家族を連れて梓州に引き返した。なお、この年の十一月、李白が当塗(安徽省)の令の李陽妹の家で亡くなっている。六十二歳であった。しかし杜甫は、そのことを知るよしもなかった。

 

梓州において杜甫は、頻繁に周辺の各地に出かけている。その年の秋には綿州に行き、冬には射洪県、通川県に行き、翌年の春には涪城県に出向き、梓州に帰ってくると、すぐまた塩亭県に行く。その次には漢州に出かけて夏まで逗留。秋になると閬州へ行き、冬になって梓州に帰る、という調子である。おそらくこれは、各地の刺史や県令にしたがって、送別、歓迎や游賞の宴に加わって詩を作り、生活の資を得ていたものと思われる。したがってこの時期には送別の作や宴席に陪しての作が多い。

このとき蜀州(四川省崇慶県)の刺史であった高適が兵を出して、叛乱は一か月で鎮圧している。杜甫はその間、乱を避けて綿州にとどまるが、乱が平定しても成都にもどらない、連合軍のウイグルが各地で略奪を繰り返し、世情は不安定のままであった。それにこの期を狙い吐蕃が兵を動かしていたためであった。梓州(四川省三台県)に移って梓州刺史で東川留後の章彝(しょうい)のもとに身を寄せ、そこでは、杜甫自身、安寧した生活を期待したのである。

 

杜甫は涪江沿いの諸城市で過ごすことを考えた。成都にいた家族も呼び寄せている。同年十月、政府軍は洛陽の史朝義軍を攻めていたが、内紛で弱体化した史朝義軍は敗走し、政府軍は河南・河北を奪回した。

 

 

 史朝義は北に追い詰められ、寝返った部将たちによって翌広徳元年(763)正月に平州(河北省盧龍県)で自殺した。十年近くに及んだ安史の乱は、やっと終息した。杜甫はこれを梓州で聞きこの詩を作った。

 

聞官軍收河南河北

〔時史朝義兵敗,走死廣陽,諸將田承嗣、李懷仙等俱來降。〕

劍外忽傳收薊北,初聞涕淚滿衣裳。

卻看妻子愁何在,漫捲詩書喜欲狂。

白日放歌須縱酒,青春作伴好還

即從巴峽穿巫峽,便下襄陽向洛陽。

672 《聞官軍收河南河北》 蜀中転々4-P179 杜甫 <578  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3200 杜甫詩1000-578-834/1500

 

しかし、このたびの勝利を自分たちの手柄と考える回紇(ウィグル)軍は、到る所で暴行略奪をはたらき、わが物顔で洛陽・長安を横行していた。また、西方では吐蕃の勢力が日増しに大きくなり、一触即発の危機を迎えていた。そのため杜甫の帰郷の望みは、かなえられそうにもなかったのである。

蜀中転々圖

 

 

杜甫は梓州刺史章彝(前任の杜済は綿州刺史に転じていた)の客分となり、その主催する送別や歓迎の宴に出席したり、遊覧・遊猟に随行している。杜甫の詩人としての名も、かなり揚がっていたらしく、彼はそれによって一家の生活を支え、また東下の旅費を蓄えていた。しかしこのころ、辺境の情勢は緊迫の度を加え、吐蕃の軍は長安に迫り、西南方面においては巴・蜀を圧迫していた。そうして、十月になるとついに長安に攻めこみ、代宗は東の方の陝州(河南省陝県)に逃げてしまった。しばらくして郭子儀が反撃に転じ、吐蕃軍は遁走したが、まさに安禄山の乱の再現かと思われた。

 

杜甫はそれらの情報を伝え聞きながら、今はただ一つしか残されていない東方への道、長江を下るべく、ひたすら旅の準備をととのえていた。その大部分は章彝の援助に頼るしかなかったため、彼は章彝とその幕僚の機嫌を損ねないように、言行を慎重にしていたらしい。そのためであろう、杜甫が東方の旅に出発することを申し出ると、彼らは送別会を開いてくれ、章彝は無事な旅を祈って、梓州特産の桃竹の杖を二本、杜甫に贈った。

 

出発も間近に迫ったある日、都に帰った厳武のはからいであろうか、杜甫を京兆府の功曹参軍(庶務課長)に任ずるとの連絡があった。しかし、すでに三峡を下って呉・楚の地に赴く決心をしていた杜甫は、それを辞退した。

 

翌広徳二年874年の春、出発準備の整った杜甫は家族を携えて州に向かった。そこから船を出して嘉陵江に入り、液州(重慶)に出て三峡の険を下り、その昔、二十代のころ遊んだ呉の地に行くつもりであったらしい。

杜甫は、いったい呉の地のだれの所へ行こうとしていたのであろうか。おそらくそれは浙江あたりにいるはずの三番めの弟卦を訪ねてゆくつもりであったろう。二、三年後、夔州での作に「第五弟豊、独在江左、近三四載、寂無消息。覓使寄此。二首」(第五第豊、独り江左に在り、近ごろ三四載、寂として消息無し。使いを覚めて比を寄す。二首)という詩があり、その中で、

第五弟豐獨在江左,近三四載寂無消息,覓使寄此 二首

亂後嗟吾在,羈棲見汝難。草黃騏驥病,沙晚鶺鴒寒。

楚設關城險,吞水府寬。十年朝夕淚,衣袖不曾幹。

 

(第五弟豊、独り江左に在り、近三四載、寂として消息なし、使いを覓めて此を寄す 二首)

乱後嗟吾在り 轟棲汝が難きを見る

辛夷にして駐駿病む 沙晩れて鶴鵠寒し

楚は設く関城の険 呉は呑まる水府の寛なるに

十年朝夕の涙 衣袖曾て乾かず

(その一)ああ自分は天宝の騒乱後ふしぎとまだ生存している。おまえが旅住居をしているのはさぞかし困難なことと見うける。今や秋となって草が黄ばんで、駿馬かとおもう自分も病みつかれている江上の抄は晩れかかって鶴鴇が寒げに飛んでおるがおまえをなつかしくおもう。ここの楚地は関城の険を設けておるから出にくいし、おまえのおる呉の地は水面がむやみと広くて其の地を呑まんばかりであるからこれまたゆきにくい。十年というもの自分は朝夕おまえを思う涙を流して衣の袖は乾くまも無い。

おまえのいる呉の地も水の中に浮いているようでなかなか行きにくい。この十年のあいだ、私はおまえを思って涙に袖の乾く間もない」と詠い、また、

影著囁猿樹  影は著く 噂猿の樹

 

南へ行って景色を楽しみたいのか。

魂諷絵島壕

明年下春水

東壷白雲求

魂は親る 結贋の楼

明年 春水を下らは

東 白雲を尽くして求めん(その二)

186

「私の体は猿の囁くこの巫暁の地にあるが、心はおまえの住んでいる贋気榛の立つ呉の地に飛んでいる。明年、春の江水を下ろうと思うが、そのときには東のかた白雲の果てまでも、おまえを探し求めよう」と詠っている。

豊の居場所もこのようにだいたい分かっていたが、上の二人の弟、穎・観の住んでいる場所も、豊に寄せた詩と同じころの作「遠く舎弟の頴・観らを憶う」詩によれは、穎ほ陽雀(河南省開封の近く)に、観は江陵(湖北省)にいると分かっていた。なお末弟の占は、杜甫が局の梓州にいたころの「舎弟占、草堂に帰りて検校す。柳か此の詩を示す」詩によれば、少なくとも杜甫が苛に滞在しているころはいっしょにいたようである。あともう一人、妹がいたが、杜甫が同谷にいるときに作った

「乾元中、同谷県に寓屈し、歌を作る、七首」の第四首に、

有妹有妹在鐘離,良人早歿諸孤癡。
わたしには妹がいる、鳳陽府鍾離に妹がいる。夫を早くなくして残された四人もいるまだ幼児たちは知恵がついていないのだ。
長淮浪高蛟龍怒,十年不見來何時?
淮水のあたりは風浪が高く安史軍の盗賊のように人を害する者が蚊竃のように怒りつつあるのだ。わたしは十年も彼女とかおをあわせていないがいつ彼女はこちらへ来ることができよう。

とあるように、結婚して鍾離(安徽省臨鍾)にいたが、夫を亡くし、多くの子供をかかえて苦労していた。これら五人の弟妹は、いずれも継母慮氏の腹であったが、杜甫は常にその安否を気づかい、会える日をひたすら待ち望んでいた。しかし、会えたのはけっきょく占のほかは観ひとりだけであった。

“同谷” 乾元中寓居同谷県作歌七首 其一 杜甫1000<332> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1580 杜甫詩 1500- 491

“同谷” 乾元中寓居同谷県作歌七首 其二 杜甫1000<333> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1583 杜甫詩1500- 492

“同谷” 乾元中寓居同谷県作歌七首 其三 杜甫1000<334> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1586 杜甫詩1500- 493

“同谷” 乾元中寓居同谷県作歌七首 其四 杜甫1000<335> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1589 杜甫詩1500- 494

“同谷” 乾元中寓居同谷県作歌七首 其五 杜甫1000<336># 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1592 杜甫詩1500- 495

“同谷” 乾元中寓居同谷県作歌七首 其六 杜甫1000<337>#6 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1595 杜甫詩1500- 496

“同谷” 乾元中寓居同谷県作歌七首 其七 杜甫1000<338> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1598 杜甫詩1500- 497

 

②一つの印象に残る詩がある。国土の中で、江陵のあたりは杜甫が外敵の侵入がない唯一の地域であると確信していた。杜甫は秦州から、同谷、成都、蜀中転々と漂浪生活したのは戦争・戦乱・混乱トラウマの回避、それが隠遁生活というものであった。杜甫はそういう安寧の場所を求めていたのである。その安寧の場所、あるいは近くに兄弟親族がいてくれたらベストであるということなのだ。

724 《江陵望幸〔註:廣德元年,復以衛伯玉尹江陵。〕》 蜀中転々 杜甫 <631  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3465 杜甫詩1000-631-887/1500

江陵望幸〔肅宗上元元年,置南都於荊州,號江陵府,以呂為尹,尋罷。廣德元年,復以衛伯玉尹江陵。〕

雄都元壯麗,望幸欻威神。  地利西通蜀,天文北照秦。 

風煙含越鳥,舟楫控人。  未枉周王駕,終朝漢武巡。 

甲兵分聖旨,居守付忠臣。  早發雲臺仗,恩波起涸鱗。 

(江陵の人民は、天子の行幸を望んでいる。) 

760年肅宗上元元年のときこれまで荊州に南都とされた。そこに江陵府をおかれ、それで呂を尹と為し、二年後の763年廣德元年また、衛伯玉を江陵府の長官にされた〕

南都にしようと議論された立派な都市である江陵は、はじめから厳(おごそ)かで麗しいものであったが、長安の世情が不安で、安定しているこの地への行幸を望んで、にわかに威厳が増してきている。 

地の利を得た場所であり、西の方は、蜀の地とつながっており。星辰は北の方の国都長安の方角を照らしている。

今となって人々の思いは風塵のように越の地の鳥を包み込むほどの勢いになっているし、船脚という交通手段は、呉の国の人を引き寄せて心待ちにしている。

周・穆王の御来駕は叶わなかったのではあるが、最終的に漢の武帝の巡幸の機会を賜ったのである。

武装した兵士に天子様のおぼしめしを命じられれば良いのであるし、江陵城の守備は譜代の重臣に任せることが大切なことなのだ。 

早く儀仗兵を出立させて、恩沢をおこし波及させて、危機に瀕した人民をして恩沢に浴さしめることが轍鮒(てっぷ)の急で、いまこそ、危機に瀕した人民を救うべきである。

 

 

ふたたび成都へ

二月に入って、いよいよ閬州を出発しょうとしていたとき、厳武が再び成都尹・兼剣南東西川節度使として成都に帰ってくるという知らせを聞いた。杜甫は出発間際まで東下の決心がつかずにいたらしく、さっそく船を出すことをやめ、暮春三月、家族を連れて、懐かしい成都に帰っていった。
成都関連地図 00 

746廣徳2年764年―3-5 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <656>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3610 杜甫詩1000-656-916/1500746-5

杜甫《丹青引,贈曹將軍霸》  人生の途に行きつまっては、君のような人柄は、かえって世俗の人からは白眼視され、そのため世間を見わたしても、将軍ほど貧乏している者はない。だがしかし、見たまえ、古来高い名声をもつ芸術家という者であればあるほど、その生涯とかく、不遇な境遇につきまとわれるものであるということなのだ。


2014年1月17日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
班孟堅(班固)《東都賦》(10)#5(永平の治)-1 文選 賦<113―8>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1012 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3608
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《初南食貽元十八協律 》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <925>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3609韓愈詩-238-3
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 746廣徳2年764年―3-5 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <656>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3610 杜甫詩1000-656-916/1500746-5
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 257 《秋懐詩十一首之七(7)》韓愈kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3611 (01/17)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 11 -3 浣渓沙 三首 其三 歐陽舍人炯十七首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-413-11-#3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3612
 
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746廣徳2764年―3-5 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <656>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3610 杜甫詩1000-656-916/15007465

 

 

作時年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 七言古詩 

詩題: 丹青引贈曹將軍霸 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

及地點:  南熏殿 (京畿道 京兆府 長安) 別名:南薰殿     

凌煙閣 (京畿道 京兆府 長安)     

交遊人物: 曹霸

 

掲 載; 杜甫1000首の652首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-912回目

 

 

丹青引,贈曹將軍霸 #1

(左武衛将軍曹覇が画技に妙を得て、しかも時世に遇わぬ次第をのべた歌で曹覇に贈ったもの。)

將軍魏武之子孫,於今為庶為清門。

曹将軍は魏の武帝の子孫であって、今では普通人であるが上品な家がらの人である。

英雄割據雖已矣,文彩風流猶尚存。

だから三権鼎立という英雄割拠といわれるようなことはもはやなくなってしまったが、お家がらの文彩風流は今日までまだのこっているのである。

學書初學衛夫人,但恨無過王右軍。

実証をあげると、将軍は初め衛夫人の書を学ばれて書もなかなか素晴らしく、王右軍(王義之)以上に評価されないのが恨めしいというくらいである。

丹青不知老將至,富貴於我如浮雲。』

図画は最も好まれる所で画のためには『論語、述而』にいう身に年の寄ることさえうち忘れるというものであり、、さらに、富貴なんぞは自分にとっては浮雲の大空をすぎるがごとくなんでもないものとみておられるのである。』

#2

開元之中常引見,承恩數上南熏殿。

開元年中にはいつも天子(玄宗)にお目みえをし、御恩寵をうけてたびたび南薫殿にのぼられた。

淩煙功臣少顏色,將軍下筆開生面。

太宗時代に画かれた淩煙闇の功臣図像がふるぼけておぼろになったときは将軍が筆を下したので忽ち功臣らの生き生きした面色があらわれた。

良相頭上進賢冠,猛將腰間大羽箭。

即ち文臣では良い宰相たちの頭にいただいている進賢冠や、武臣では猛き将軍の腰にたばさんでいる羽つきの大箭、さようなものがはっきりでてくる。

褒公鄂公毛發動,英姿颯爽來酣戰。』

なかにも褒国公段志玄・鄂国公尉遅敬徳二人のごときはその毛髪が動いており、その颯爽たる英姿は戦いのまっただなかからここへやって来たかとおもわれるほどであった。』

#3

先帝天馬玉花驄,畫工如山貌不同。

先帝(玄宗)の御馬に「玉花驄」というのがあった。山ほどたくさんの画工がそのすがたをかいたが実物とちがう。

是日牽來赤墀下,迥立閶闔生長風。

当日になると御殿のきざはし際の土縁のところまで「玉花驄」をびっぱってきた。かの馬の姿と云ったら、遠く宮門に立ったときから、はや風が吹きおこるというくらいの逸物であった。

詔謂將軍拂絹素,意匠慘澹經營中。

そのとき天子は将軍に「絵絹のほこりをはらってこの馬のさまをかかれよ」と仰せになった。これをうけたまわって将軍は惨澹と苦心の工夫をこらしながら構図をした。

須臾九重真龍出,一洗萬古凡馬空。』

その結果、やがて九重の奥にはんものの竜馬(実は画馬)があらわれでた。これがためこれまでえがかれた凡俗の馬はすっかり洗い去られてしまった。』

#4

玉花卻在禦榻上,榻上庭前屹相向。

見ると御腰掛の上にかえってほんものの玉花驄が居るようで、御腰掛のうえの画馬とお庭前の玉花驄の実物とで二つのほんものが向きあいに突っ立っている。

至尊含笑催賜金,圉人太僕皆惆悵。

至尊玄宗には、にっこり御覧あって御近侍をうながして黄金を御下賜になる。太僕・国人の馬のかかりのものどももこの画をみてはみな首をうなだれて感歎するばかり。

弟子韓幹早入室,亦能畫馬窮殊相。

なるほど韓幹も夙に将軍の伝授許しの弟子で、彼もよく馬をえがいて特別なすがたを窮めてはいる。

幹惟畫肉不畫骨,忍使驊騮氣凋喪。』

おしいことには肉をえがいて骨をえがかず、あたら駿馬を気のぬけたものにしてしまうことは到底見るものの忍びうる所でない。』

#5

將軍畫善蓋有神,必逢佳士亦寫真。

将軍の弟子の韓幹は、早くから師の奥儀を極め、彼もまた馬の画が上手で、すぐれた貌を十分に描いたが、惜しいことではあるが、彼はただ馬の肉を描いて骨を描いてはいないのである。従っていかなる駿馬を描いても、気骨というものが現われず、みすみすその意気が凋んでしまう。これにくらべて将軍の絵は実にりっばだが、それは思うにその絵に魂がこもっているからだ。だから、馬ばかりではない。りっはな人物に出逢ったら、きっとまたその真の姿をうつし出すであろう。

即今飄泊干戈際,屢貌尋常行路人。

だから、馬ばかりではない。りっはな人物に出逢ったら、きっとまたその真の姿をうつし出すであろう。ところが今はこの戦乱の時世にあい、漂泊の身の上となって、糊口のために、しばしばつまらぬ行きずりの人を写している。

途窮反遭俗眼白,世上未有如公貧。

このように人生の途に行きつまっては、君のような人柄は、かえって世俗の人からは白眼視され、そのため世間を見わたしても、将軍ほど貧乏している者はない。

但看古來盛名下,終日坎壈纏其身。』

だがしかし、見たまえ、古来高い名声をもつ芸術家という者であればあるほど、その生涯とかく、不遇な境遇につきまとわれるものであるということなのだ。

 

(丹青の引,曹将軍覇に贈る)#1

将軍は魏武の子孫、今に於ては庶たれども清門為【た】り。

英雄割拠己【や】んぬと雖も、文彩風流 猶尚お存す。

書を学びで初め衛夫人を学ぶ、但だ恨む王右軍に過ぐる無きを。

丹青 知らず老の将に至らんとするを、富貴は我に於て浮雲の如し。』

#2

開元の中 常に引見せられ、恩を承けて数【しばし】ば上る「南薫殿」。

淩煙【りょうえん】の功臣顔色少なり、将軍筆を下せば生面開く。

良相【りょうそう】頭上の進賢冠、猛将 腰間の大羽箭。

褒公【ほうこう】鄂公【がくこう】毛髪動き、英姿【えいし】颯爽として酣戰【かんせん】より来たる。』

#3

先帝の御馬「玉花驄」、画工山の如く貌すれども同じからず。

是の日 牽【ひ】き来たる赤墀【せきち】の下、迥かに閶闔【しょうこう】に立てば長風を生ず。

詔して将軍に謂う絹素【けんそ】を払えと、意匠惨澹【さんたん】たり経営の中【うち】。

須臾【しゅゆ】にして九重に真竜出づ、万古の凡馬を一洗して空し。』

#4

玉花却って御榻【ぎょとう】の上に在り、榻上 庭前屹【きつ】として相い向う。

至尊【しそん】笑いを含んで金を賜わるを催し、圉人【ぎょじん】太僕【たいぼく】皆惆悵【ちゅうちょう】す。

弟子韓幹【かんかん】早く室に入る、亦た能く馬を画いて殊相【しゅそう】を窮む。

幹は惟だ肉を画いて骨を画かず、忍んで驊騮【かりゅう】をして気凋【きちょう】喪せしむ。』 

#5

将軍 画の善きこと蓋し神有り、必ず佳士に逢わば亦た真を写さん。

即今 漂泊す干戈【かんか】の際、屡【しばし】ば貌【ばく】す尋常行路の人。

途窮っては反って俗眼の白きに遭う、世上 未だ公の貧しきが如くなるは有らず。

但だ看よ 古来盛名の下、終日 坎壈【かんらん】其の身を纏うを。』

玄武門 

 

『丹青引』#5 現代語訳と訳註

(本文)

將軍畫善蓋有神,必逢佳士亦寫真。

即今飄泊干戈際,屢貌尋常行路人。

途窮反遭俗眼白,世上未有如公貧。

但看古來盛名下,終日坎壈纏其身。』

 

(下し文)

将軍 画の善きこと蓋し神有り、必ず佳士に逢わば亦た真を写さん。

即今 漂泊す干戈【かんか】の際、屡【しばし】ば貌【ばく】す尋常行路の人。

途窮っては反って俗眼の白きに遭う、世上 未だ公の貧しきが如くなるは有らず。

但だ看よ 古来盛名の下、終日 坎壈【かんらん】其の身を纏うを。』

 

(現代語訳)

将軍の弟子の韓幹は、早くから師の奥儀を極め、彼もまた馬の画が上手で、すぐれた貌を十分に描いたが、惜しいことではあるが、彼はただ馬の肉を描いて骨を描いてはいないのである。従っていかなる駿馬を描いても、気骨というものが現われず、みすみすその意気が凋んでしまう。これにくらべて将軍の絵は実にりっばだが、それは思うにその絵に魂がこもっているからだ。だから、馬ばかりではない。りっはな人物に出逢ったら、きっとまたその真の姿をうつし出すであろう。

だから、馬ばかりではない。りっはな人物に出逢ったら、きっとまたその真の姿をうつし出すであろう。ところが今はこの戦乱の時世にあい、漂泊の身の上となって、糊口のために、しばしばつまらぬ行きずりの人を写している。

このように人生の途に行きつまっては、君のような人柄は、かえって世俗の人からは白眼視され、そのため世間を見わたしても、将軍ほど貧乏している者はない。

だがしかし、見たまえ、古来高い名声をもつ芸術家という者であればあるほど、その生涯とかく、不遇な境遇につきまとわれるものであるということなのだ。

 

 

(訳注)

將軍畫善蓋有神,必逢佳士亦寫真。

将軍の弟子の韓幹は、早くから師の奥儀を極め、彼もまた馬の画が上手で、すぐれた貌を十分に描いたが、惜しいことではあるが、彼はただ馬の肉を描いて骨を描いてはいないのである。従っていかなる駿馬を描いても、気骨というものが現われず、みすみすその意気が凋んでしまう。これにくらべて将軍の絵は実にりっばだが、それは思うにその絵に魂がこもっているからだ。だから、馬ばかりではない。りっはな人物に出逢ったら、きっとまたその真の姿をうつし出すであろう。

画善 えがうまい。

有神 不思議な妙処。

佳士 よい人物。立派な人物。

写真 その真相をうつす。

 

即今飄泊干戈際,屢貌尋常行路人。

だから、馬ばかりではない。りっはな人物に出逢ったら、きっとまたその真の姿をうつし出すであろう。ところが今はこの戦乱の時世にあい、漂泊の身の上となって、糊口のために、しばしばつまらぬ行きずりの人を写している。

即今 いま。

貌 えがく。

常行路人 ゆきずりのただのひとたち。

 

途窮反遭俗眼白,世上未有如公貧。

このように人生の途に行きつまっては、君のような人柄は、かえって世俗の人からは白眼視され、そのため世間を見わたしても、将軍ほど貧乏している者はない。

途窮・眼自 ともに院籍の故事、すでにしばしば見える。

遭俗眼白 『晋書・巻四十九・阮籍伝』「籍又能為青白眼、見禮俗之士、以白眼對之。」(籍、又能く青白眼を為し、禮俗の士に見ゆるに、白眼を以て之に對す。)阮籍は、黒目と白目を使い分ける事ができ、礼儀作法にとらわれている俗人と会う時には、白目をむいて向かい合った。

 

但看古來盛名下,終日坎壈纏其身。』

だがしかし、見たまえ、古来高い名声をもつ芸術家という者であればあるほど、その生涯とかく、不遇な境遇につきまとわれるものであるということなのだ。

盛名 さかんな名声。

下 名声の下にあるもの、名声を荷なうものの意。

坎壈 車の行くことの平らかでないさま、人の不遇、逆境にあるをま、以上は曹覇が妙技を抱いて不遇なのに同情する。こころざしをえずふぐうなさま。
駿馬02 

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杜甫《丹青引》#4  至尊玄宗には、にっこり御覧あって御近侍をうながして黄金を御下賜になる。太僕・国人の馬のかかりのものどももこの画をみてはみな首をうなだれて感歎するばかり。なるほど韓幹も夙に将軍の伝授許しの弟子で、彼もよく馬をえがいて特別なすがたを窮めてはいる。


2014年1月16日 の紀頌之5つのブログ
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作時年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 七言古詩 

詩題: 丹青引贈曹將軍霸 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

及地點:  南熏殿 (京畿道 京兆府 長安) 別名:南薰殿     

凌煙閣 (京畿道 京兆府 長安)     

交遊人物: 曹霸

 

掲 載; 杜甫1000首の652首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-912回目

 

 

丹青引,贈曹將軍霸 #1

(左武衛将軍曹覇が画技に妙を得て、しかも時世に遇わぬ次第をのべた歌で曹覇に贈ったもの。)

將軍魏武之子孫,於今為庶為清門。

曹将軍は魏の武帝の子孫であって、今では普通人であるが上品な家がらの人である。

英雄割據雖已矣,文彩風流猶尚存。

だから三権鼎立という英雄割拠といわれるようなことはもはやなくなってしまったが、お家がらの文彩風流は今日までまだのこっているのである。

學書初學衛夫人,但恨無過王右軍。

実証をあげると、将軍は初め衛夫人の書を学ばれて書もなかなか素晴らしく、王右軍(王義之)以上に評価されないのが恨めしいというくらいである。

丹青不知老將至,富貴於我如浮雲。』

図画は最も好まれる所で画のためには『論語、述而』にいう身に年の寄ることさえうち忘れるというものであり、、さらに、富貴なんぞは自分にとっては浮雲の大空をすぎるがごとくなんでもないものとみておられるのである。』

#2

開元之中常引見,承恩數上南熏殿。

開元年中にはいつも天子(玄宗)にお目みえをし、御恩寵をうけてたびたび南薫殿にのぼられた。

淩煙功臣少顏色,將軍下筆開生面。

太宗時代に画かれた淩煙闇の功臣図像がふるぼけておぼろになったときは将軍が筆を下したので忽ち功臣らの生き生きした面色があらわれた。

良相頭上進賢冠,猛將腰間大羽箭。

即ち文臣では良い宰相たちの頭にいただいている進賢冠や、武臣では猛き将軍の腰にたばさんでいる羽つきの大箭、さようなものがはっきりでてくる。

褒公鄂公毛發動,英姿颯爽來酣戰。』

なかにも褒国公段志玄・鄂国公尉遅敬徳二人のごときはその毛髪が動いており、その颯爽たる英姿は戦いのまっただなかからここへやって来たかとおもわれるほどであった。』

#3

先帝天馬玉花驄,畫工如山貌不同。

先帝(玄宗)の御馬に「玉花驄」というのがあった。山ほどたくさんの画工がそのすがたをかいたが実物とちがう。

是日牽來赤墀下,迥立閶闔生長風。

当日になると御殿のきざはし際の土縁のところまで「玉花驄」をびっぱってきた。かの馬の姿と云ったら、遠く宮門に立ったときから、はや風が吹きおこるというくらいの逸物であった。

詔謂將軍拂絹素,意匠慘澹經營中。

そのとき天子は将軍に「絵絹のほこりをはらってこの馬のさまをかかれよ」と仰せになった。これをうけたまわって将軍は惨澹と苦心の工夫をこらしながら構図をした。

須臾九重真龍出,一洗萬古凡馬空。』

その結果、やがて九重の奥にはんものの竜馬(実は画馬)があらわれでた。これがためこれまでえがかれた凡俗の馬はすっかり洗い去られてしまった。』

#4

玉花卻在禦榻上,榻上庭前屹相向。

見ると御腰掛の上にかえってほんものの玉花驄が居るようで、御腰掛のうえの画馬とお庭前の玉花驄の実物とで二つのほんものが向きあいに突っ立っている。

至尊含笑催賜金,圉人太僕皆惆悵。

至尊玄宗には、にっこり御覧あって御近侍をうながして黄金を御下賜になる。太僕・国人の馬のかかりのものどももこの画をみてはみな首をうなだれて感歎するばかり。

弟子韓幹早入室,亦能畫馬窮殊相。

なるほど韓幹も夙に将軍の伝授許しの弟子で、彼もよく馬をえがいて特別なすがたを窮めてはいる。

幹惟畫肉不畫骨,忍使驊騮氣凋喪。』

おしいことには肉をえがいて骨をえがかず、あたら駿馬を気のぬけたものにしてしまうことは到底見るものの忍びうる所でない。』

#5

將軍畫善蓋有神,必逢佳士亦寫真。

即今飄泊干戈際,屢貌尋常行路人。

途窮反遭俗眼白,世上未有如公貧。

但看古來盛名下,終日坎壈纏其身。』

 

(丹青の引,曹将軍覇に贈る)#1

将軍は魏武の子孫、今に於ては庶たれども清門為【た】り。

英雄割拠己【や】んぬと雖も、文彩風流 猶尚お存す。

書を学びで初め衛夫人を学ぶ、但だ恨む王右軍に過ぐる無きを。

丹青 知らず老の将に至らんとするを、富貴は我に於て浮雲の如し。』

#2

開元の中 常に引見せられ、恩を承けて数【しばし】ば上る「南薫殿」。

淩煙【りょうえん】の功臣顔色少なり、将軍筆を下せば生面開く。

良相【りょうそう】頭上の進賢冠、猛将 腰間の大羽箭。

褒公【ほうこう】鄂公【がくこう】毛髪動き、英姿【えいし】颯爽として酣戰【かんせん】より来たる。』

#3

先帝の御馬「玉花驄」、画工山の如く貌すれども同じからず。

是の日 牽【ひ】き来たる赤墀【せきち】の下、迥かに閶闔【しょうこう】に立てば長風を生ず。

詔して将軍に謂う絹素【けんそ】を払えと、意匠惨澹【さんたん】たり経営の中【うち】。

須臾【しゅゆ】にして九重に真竜出づ、万古の凡馬を一洗して空し。』

#4

玉花却って御榻【ぎょとう】の上に在り、榻上 庭前屹【きつ】として相い向う。

至尊【しそん】笑いを含んで金を賜わるを催し、圉人【ぎょじん】太僕【たいぼく】皆惆悵【ちゅうちょう】す。

弟子韓幹【かんかん】早く室に入る、亦た能く馬を画いて殊相【しゅそう】を窮む。

幹は惟だ肉を画いて骨を画かず、忍んで驊騮【かりゅう】をして気凋【きちょう】喪せしむ。』 

#5

将軍 画の善きこと蓋し神有り、必ず佳士に逢わば亦た真を写さん。

即今 漂泊す干戈【かんか】の際、屡【しばし】ば貌【ばく】す尋常行路の人。

途窮っては反って俗眼の白きに遭う、世上 未だ公の貧しきが如くなるは有らず。

但だ看よ 古来盛名の下、終日 坎壈【かんらん】其の身を纏うを。』

DCF00048 

 

『丹 青 引』 現代語訳と訳註

(本文) #4

玉花卻在禦榻上,榻上庭前屹相向。

至尊含笑催賜金,圉人太僕皆惆悵。

弟子韓幹早入室,亦能畫馬窮殊相。

幹惟畫肉不畫骨,忍使驊騮氣凋喪。』

 

(下し文)

#4

玉花却って御榻【ぎょとう】の上に在り、榻上 庭前屹【きつ】として相い向う。

至尊【しそん】笑いを含んで金を賜わるを催し、圉人【ぎょじん】太僕【たいぼく】皆惆悵【ちゅうちょう】す。

弟子韓幹【かんかん】早く室に入る、亦た能く馬を画いて殊相【しゅそう】を窮む。

幹は惟だ肉を画いて骨を画かず、忍んで驊騮【かりゅう】をして気凋【きちょう】喪せしむ。』

 

 

(現代語訳)

見ると御腰掛の上にかえってほんものの玉花驄が居るようで、御腰掛のうえの画馬とお庭前の玉花驄の実物とで二つのほんものが向きあいに突っ立っている。

至尊玄宗には、にっこり御覧あって御近侍をうながして黄金を御下賜になる。太僕・国人の馬のかかりのものどももこの画をみてはみな首をうなだれて感歎するばかり。

なるほど韓幹も夙に将軍の伝授許しの弟子で、彼もよく馬をえがいて特別なすがたを窮めてはいる。

おしいことには肉をえがいて骨をえがかず、あたら駿馬を気のぬけたものにしてしまうことは到底見るものの忍びうる所でない。』

 

珠櫻001 

(訳注) #4

玉花卻在禦榻上,榻上庭前屹相向。

見ると御腰掛の上にかえってほんものの玉花驄が居るようで、御腰掛のうえの画馬とお庭前の玉花驄の実物とで二つのほんものが向きあいに突っ立っている。

玉花 玉玉花驄をいう。

御榻 おんこしかけ、長く狭くしてひくいものである。

榻上 画馬をいう。

庭前 実物の御馬。

屹 聾え立つさま。

相向 相い対することをいう。

 

至尊含笑催賜金,圉人太僕皆惆悵。

至尊にはにっこり御覧あって御近侍をうながして黄金を御下賜になる。太僕・国人の馬のかかりのものどももこの画をみてはみな首をうなだれて感歎するばかり。

至尊 天子、玄宗のこと。

圉人【ぎょじん】 馬を養い牧場をつかさどる役人。

太僕 天子の輿や馬を掌る官。

惆悵 うらみいたむこと、ここはあまりに画のよくできたことを驚歎するさまに用いている。

 

弟子韓幹早入室,亦能畫馬窮殊相。

なるほど韓幹も夙に将軍の伝授許しの弟子で、彼もよく馬をえがいて特別なすがたを窮めてはいる。

弟子韓幹 幹は大梁の人、官は大府寺丞に至った、善く人物をえがき、甚だ鞍馬に巧みであった、初め曹覇を師としたが、のち独り自ずからほしいままにした。王維は幹を見て推奨した。玄宗は大馬を好み、西域大宛より年年来たり献ずるものがあれば幹に命じてことごとくえがかせた、玄宗の駿馬には玉花驄・照夜白などがあり、時に岐・薛・申・寧諸王の厩中にもみな善馬があったが、幹はこれらの馬をえがいて遂に古今独歩となった。杜甫にはまた幹の画馬の讃がある。

入室 「論語」(先進)に、「由や堂に升れり、未だ室に人らざるなり」とみえる、堂はおもて座敷、講堂、室はもひとつその奥のへやである、入室は技能の奥まで入りこんだことをいう。

殊相 特絶のすがた。

 

幹惟畫肉不畫骨,忍使驊騮氣凋喪。』

おしいことには肉をえがいて骨をえがかず、あたら駿馬を気のぬけたものにしてしまうことは到底見るものの忍びうる所でない。』

画肉 肥大に失することをいう。

画骨 内部の骨ぐみをかく。

忍 反語によむ。

驊騮【かりゅう】 周の穆王八駿の一つ、ここは単に駿馬をいう。

気凋喪 意気のしぼみうせること。以上は曹馬の妙をいい陪客として韓馬を説く。

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746廣徳2764年―3-3 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <654>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3600 杜甫詩1000-654-914/15007463

 

 

 

作時年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 七言古詩 

詩題: 丹青引贈曹將軍霸 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

及地點:  南熏殿 (京畿道 京兆府 長安) 別名:南薰殿     

凌煙閣 (京畿道 京兆府 長安)     

交遊人物: 曹霸

 

掲 載; 杜甫1000首の652首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-912回目

 

 

 

丹青引,贈曹將軍霸 #1

(左武衛将軍曹覇が画技に妙を得て、しかも時世に遇わぬ次第をのべた歌で曹覇に贈ったもの。)

將軍魏武之子孫,於今為庶為清門。

曹将軍は魏の武帝の子孫であって、今では普通人であるが上品な家がらの人である。

英雄割據雖已矣,文彩風流猶尚存。

だから三権鼎立という英雄割拠といわれるようなことはもはやなくなってしまったが、お家がらの文彩風流は今日までまだのこっているのである。

學書初學衛夫人,但恨無過王右軍。

実証をあげると、将軍は初め衛夫人の書を学ばれて書もなかなか素晴らしく、王右軍(王義之)以上に評価されないのが恨めしいというくらいである。

丹青不知老將至,富貴於我如浮雲。』

図画は最も好まれる所で画のためには『論語、述而』にいう身に年の寄ることさえうち忘れるというものであり、、さらに、富貴なんぞは自分にとっては浮雲の大空をすぎるがごとくなんでもないものとみておられるのである。』

#2

開元之中常引見,承恩數上南熏殿。

開元年中にはいつも天子(玄宗)にお目みえをし、御恩寵をうけてたびたび南薫殿にのぼられた。

淩煙功臣少顏色,將軍下筆開生面。

太宗時代に画かれた淩煙闇の功臣図像がふるぼけておぼろになったときは将軍が筆を下したので忽ち功臣らの生き生きした面色があらわれた。

良相頭上進賢冠,猛將腰間大羽箭。

即ち文臣では良い宰相たちの頭にいただいている進賢冠や、武臣では猛き将軍の腰にたばさんでいる羽つきの大箭、さようなものがはっきりでてくる。

褒公鄂公毛發動,英姿颯爽來酣戰。』

なかにも褒国公段志玄・鄂国公尉遅敬徳二人のごときはその毛髪が動いており、その颯爽たる英姿は戦いのまっただなかからここへやって来たかとおもわれるほどであった。』

#3

先帝天馬玉花驄,畫工如山貌不同。

先帝(玄宗)の御馬に「玉花驄」というのがあった。山ほどたくさんの画工がそのすがたをかいたが実物とちがう。

是日牽來赤墀下,迥立閶闔生長風。

当日になると御殿のきざはし際の土縁のところまで「玉花驄」をびっぱってきた。かの馬の姿と云ったら、遠く宮門に立ったときから、はや風が吹きおこるというくらいの逸物であった。

詔謂將軍拂絹素,意匠慘澹經營中。

そのとき天子は将軍に「絵絹のほこりをはらってこの馬のさまをかかれよ」と仰せになった。これをうけたまわって将軍は惨澹と苦心の工夫をこらしながら構図をした。

須臾九重真龍出,一洗萬古凡馬空。』

その結果、やがて九重の奥にはんものの竜馬(実は画馬)があらわれでた。これがためこれまでえがかれた凡俗の馬はすっかり洗い去られてしまった。』

#4

玉花卻在禦榻上,榻上庭前屹相向。

至尊含笑催賜金,圉人太僕皆惆悵。

弟子韓幹早入室,亦能畫馬窮殊相。

幹惟畫肉不畫骨,忍使驊騮氣凋喪。』

#5

將軍畫善蓋有神,必逢佳士亦寫真。

即今飄泊干戈際,屢貌尋常行路人。

途窮反遭俗眼白,世上未有如公貧。

但看古來盛名下,終日坎壈纏其身。』

 

(丹青の引,曹将軍覇に贈る)#1

将軍は魏武の子孫、今に於ては庶たれども清門為【た】り。

英雄割拠己【や】んぬと雖も、文彩風流 猶尚お存す。

書を学びで初め衛夫人を学ぶ、但だ恨む王右軍に過ぐる無きを。

丹青 知らず老の将に至らんとするを、富貴は我に於て浮雲の如し。』

#2

開元の中 常に引見せられ、恩を承けて数【しばし】ば上る「南薫殿」。

淩煙【りょうえん】の功臣顔色少なり、将軍筆を下せば生面開く。

良相【りょうそう】頭上の進賢冠、猛将 腰間の大羽箭。

褒公【ほうこう】鄂公【がくこう】毛髪動き、英姿【えいし】颯爽として酣戰【かんせん】より来たる。』

#3

先帝の御馬「玉花驄」、画工山の如く貌すれども同じからず。

是の日 牽【ひ】き来たる赤墀【せきち】の下、迥かに閶闔【しょうこう】に立てば長風を生ず。

詔して将軍に謂う絹素【けんそ】を払えと、意匠惨澹【さんたん】たり経営の中【うち】。

須臾【しゅゆ】にして九重に真竜出づ、万古の凡馬を一洗して空し。』

#4

玉花却って御榻【ぎょとう】の上に在り、榻上 庭前屹【きつ】として相い向う。

至尊【しそん】笑いを含んで金を賜わるを催し、圉人【ぎょじん】太僕【たいぼく】皆惆悵【ちゅうちょう】す。

弟子韓幹【かんかん】早く室に入る、亦た能く馬を画いて殊相【しゅそう】を窮む。

幹は惟だ肉を画いて骨を画かず、忍んで驊騮【かりゅう】をして気凋【きちょう】喪せしむ。』

#5

将軍 画の善きこと蓋し神有り、必ず佳士に逢わば亦た真を写さん。

即今 漂泊す干戈【かんか】の際、屡【しばし】ば貌【ばく】す尋常行路の人。

途窮っては反って俗眼の白きに遭う、世上 未だ公の貧しきが如くなるは有らず。

但だ看よ 古来盛名の下、終日 坎壈【かんらん】其の身を纏うを。』

 

大明宮-座標02 

 

『丹青引』 現代語訳と訳註

(本文)#3

先帝天馬玉花驄,畫工如山貌不同。

是日牽來赤墀下,迥立閶闔生長風。

詔謂將軍拂絹素,意匠慘澹經營中。

須臾九重真龍出,一洗萬古凡馬空。』

 

(下し文)

#3

先帝の御馬「玉花驄」、画工山の如く貌すれども同じからず。

是の日 牽【】き来たる赤墀【せきち】の下、迥かに閶闔【しょうこう】に立てば長風を生ず。

詔して将軍に謂う絹素【けんそ】を払えと、意匠惨澹【さんたん】たり経営の中【うち】。

須臾【しゅゆ】にして九重に真竜出づ、万古の凡馬を一洗して空し。』 

 

(現代語訳)

先帝(玄宗)の御馬に「玉花驄」というのがあった。山ほどたくさんの画工がそのすがたをかいたが実物とちがう。

当日になると御殿のきざはし際の土縁のところまで「玉花驄」をびっぱってきた。かの馬の姿と云ったら、遠く宮門に立ったときから、はや風が吹きおこるというくらいの逸物であった。

そのとき天子は将軍に「絵絹のほこりをはらってこの馬のさまをかかれよ」と仰せになった。これをうけたまわって将軍は惨澹と苦心の工夫をこらしながら構図をした。

その結果、やがて九重の奥にはんものの竜馬(実は画馬)があらわれでた。これがためこれまでえがかれた凡俗の馬はすっかり洗い去られてしまった。』

 

 

(訳注)#3

先帝天馬玉花驄,畫工如山貌不同。

先帝(玄宗)の御馬に「玉花驄」というのがあった。山ほどたくさんの画工がそのすがたをかいたが実物とちがう。

先帝 玄宗。

御馬 御の字は一に天に作る、御馬・天馬ともに天子の御乗馬をいう。

花驄 玄宗が乗る所の馬に玉花驄・照夜目があったことが「明皇雜録」にみえる。

画工如山 山の如し、とは多いことをいう。

貌 かたちをえがくこと。

不同 画く所が兵馬と異なることをいう。

 

是日牽來赤墀下,迥立閶闔生長風。

当日になると御殿のきざはし、丹砂をしいた階下のところまで「玉花驄」をびっぱってきた。かの馬の姿と云ったら、遠く宮門に立ったときから、はや風が吹きおこるというくらいの逸物であった。

是日 官需が筆を揮った当日。

牽来 玉花組をたづなでひいてくる。

赤墀 丹砂をしいた階下の土縁。

過立 まだ遠くに立つ。

闇聞 天の紫微官の門をいう、ここは宮門をさす。

生長風 遠くから風が吹きおこる、馬の威風あることをいう。

 

詔謂將軍拂絹素,意匠慘澹經營中。

そのとき天子は将軍に「絵絹のほこりをはらってこの馬のさまをかかれよ」と仰せになった。これをうけたまわって将軍は惨澹と苦心の工夫をこらしながら構図をした。

払絹素 絹素はしろいえぎぬ、払とは塵境をはらってのぺ画く用意をすること。

意匠 陸機の「文賦」に「憲契りを司りて匠を為す」とみえる、匠は木工である、意を巧みに運用するものが意匠であり、意匠は工夫(くふう)というがごとくである。

惨澹 苦心するさま。

経営 「詩経」(霊台)にみえる、孔穎達は「縄もて度り表(ひどけい)を立つること」とといている、建築をするときのことばである、ここは画図を構造する意に用いている、画の六法の一つに「位置を経営す」ということがあり、構図のことをさす。

 

須臾九重真龍出,一洗萬古凡馬空。』

その結果、やがて九重の奥にはんものの竜馬(実は画馬)があらわれでた。これがためこれまでえがかれた凡俗の馬はすっかり洗い去られてしまった。』

須臾 しばしのまに。

九重 君門九重ということが「楚辞」にみえる、最も速い外方より内方へかぞえて関門・遠郊門・近郊門・城門・皐門・雉門・応門・庫門・路門の九種があるが、九重は九重の門の奥にある宮中をいう。

真竜 いま画きだされて真に迫る御馬をいう。

万古凡馬 古来えがかれたつまらぬ馬。以上は曹覇が詔をうけて始めて真の御馬を写しいだしたことをのべる。
長安城皇城図
長安城図 座標






























 






 

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杜甫《丹青引》#2 開元年中にはいつも天子(玄宗)にお目みえをし、御恩寵をうけてたびたび南薫殿にのぼられた。太宗時代に画かれた淩煙闇の功臣図像がふるぼけておぼろになったときは将軍が筆を下したので忽ち功臣らの生き生きした面色があらわれた。


2014年1月14日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 254 《秋懐詩十一首之四(4)》 韓愈  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3596 (01/14)
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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作時年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 七言古詩 

詩題: 丹青引贈曹將軍霸 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

及地點:  南熏殿 (京畿道 京兆府 長安) 別名:南薰殿     

凌煙閣 (京畿道 京兆府 長安)     

交遊人物: 曹霸

 

掲 載; 杜甫1000首の652首目-場面

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丹青引,贈曹將軍霸 #1

(左武衛将軍曹覇が画技に妙を得て、しかも時世に遇わぬ次第をのべた歌で曹覇に贈ったもの。)

將軍魏武之子孫,於今為庶為清門。

曹将軍は魏の武帝の子孫であって、今では普通人であるが上品な家がらの人である。

英雄割據雖已矣,文彩風流猶尚存。

だから三権鼎立という英雄割拠といわれるようなことはもはやなくなってしまったが、お家がらの文彩風流は今日までまだのこっているのである。

學書初學衛夫人,但恨無過王右軍。

実証をあげると、将軍は初め衛夫人の書を学ばれて書もなかなか素晴らしく、王右軍(王義之)以上に評価されないのが恨めしいというくらいである。

丹青不知老將至,富貴於我如浮雲。』

図画は最も好まれる所で画のためには『論語、述而』にいう身に年の寄ることさえうち忘れるというものであり、、さらに、富貴なんぞは自分にとっては浮雲の大空をすぎるがごとくなんでもないものとみておられるのである。』

#2

開元之中常引見,承恩數上南熏殿。

開元年中にはいつも天子(玄宗)にお目みえをし、御恩寵をうけてたびたび南薫殿にのぼられた。

淩煙功臣少顏色,將軍下筆開生面。

太宗時代に画かれた淩煙闇の功臣図像がふるぼけておぼろになったときは将軍が筆を下したので忽ち功臣らの生き生きした面色があらわれた。

良相頭上進賢冠,猛將腰間大羽箭。

即ち文臣では良い宰相たちの頭にいただいている進賢冠や、武臣では猛き将軍の腰にたばさんでいる羽つきの大箭、さようなものがはっきりでてくる。

褒公鄂公毛發動,英姿颯爽來酣戰。』

なかにも褒国公段志玄・鄂国公尉遅敬徳二人のごときはその毛髪が動いており、その颯爽たる英姿は戦いのまっただなかからここへやって来たかとおもわれるほどであった。』

#3

先帝天馬玉花驄,畫工如山貌不同。

是日牽來赤墀下,迥立閶闔生長風。

詔謂將軍拂絹素,意匠慘澹經營中。

須臾九重真龍出,一洗萬古凡馬空。』

#4

玉花卻在禦榻上,榻上庭前屹相向。

至尊含笑催賜金,圉人太僕皆惆悵。

弟子韓幹早入室,亦能畫馬窮殊相。

幹惟畫肉不畫骨,忍使驊騮氣凋喪。』

#5

將軍畫善蓋有神,必逢佳士亦寫真。

即今飄泊干戈際,屢貌尋常行路人。

途窮反遭俗眼白,世上未有如公貧。

但看古來盛名下,終日坎壈纏其身。』

 

(丹青の引,曹将軍覇に贈る)#1

将軍は魏武の子孫、今に於ては庶たれども清門為【た】り。

英雄割拠己【や】んぬと雖も、文彩風流 猶尚お存す。

書を学びで初め衛夫人を学ぶ、但だ恨む王右軍に過ぐる無きを。

丹青 知らず老の将に至らんとするを、富貴は我に於て浮雲の如し。』

#2

開元の中 常に引見せられ、恩を承けて数【しばし】ば上る「南薫殿」。

淩煙【りょうえん】の功臣顔色少なり、将軍筆を下せば生面開く。

良相【りょうそう】頭上の進賢冠、猛将 腰間の大羽箭。

褒公【ほうこう】鄂公【がくこう】毛髪動き、英姿【えいし】颯爽として酣戰【かんせん】より来たる。』

#3

先帝の御馬「玉花驄」、画工山の如く貌すれども同じからず。

是の日 牽【】き来たる赤墀【せきち】の下、迥かに閶闔【しょうこう】に立てば長風を生ず。

詔して将軍に謂う絹素【けんそ】を払えと、意匠惨澹【さんたん】たり経営の中【うち】。

須臾【しゅゆ】にして九重に真竜出づ、万古の凡馬を一洗して空し。』

#4

玉花却って御榻【ぎょとう】の上に在り、榻上 庭前屹【きつ】として相い向う。

至尊【しそん】笑いを含んで金を賜わるを催し、圉人【ぎょじん】太僕【たいぼく】皆惆悵【ちゅうちょう】す。

弟子韓幹【かんかん】早く室に入る、亦た能く馬を画いて殊相【しゅそう】を窮む。

幹は惟だ肉を画いて骨を画かず、忍んで驊騮【かりゅう】をして気凋【きちょう】喪せしむ。』

#5

将軍 画の善きこと蓋し神有り、必ず佳士に逢わば亦た真を写さん。

即今 漂泊す干戈【かんか】の際、屡【しばし貌【ばく】す尋常行路の人。

途窮っては反って俗眼の白きに遭う、世上 未だ公の貧しきが如くなるは有らず。

但だ看よ 古来盛名の下、終日 坎壈【かんらん】其の身を纏うを。』

oushokun01 

 

『丹青引』 現代語訳と訳註

(本文) #2

開元之中常引見,承恩數上南熏殿。

淩煙功臣少顏色,將軍下筆開生面。

良相頭上進賢冠,猛將腰間大羽箭。

褒公鄂公毛發動,英姿颯爽來酣戰。』

 

(下し文) #2

開元の中 常に引見せられ、恩を承けて数【しばし】ば上る「南薫殿」。

淩煙【りょうえん】の功臣顔色少なり、将軍筆を下せば生面開く。

良相【りょうそう】頭上の進賢冠、猛将 腰間の大羽箭。

褒公【ほうこう】鄂公【がくこう】毛髪動き、英姿【えいし】颯爽として酣戰【かんせん】より来たる。』

 

(現代語訳)

開元年中にはいつも天子(玄宗)にお目みえをし、御恩寵をうけてたびたび南薫殿にのぼられた。

太宗時代に画かれた淩煙闇の功臣図像がふるぼけておぼろになったときは将軍が筆を下したので忽ち功臣らの生き生きした面色があらわれた。

即ち文臣では良い宰相たちの頭にいただいている進賢冠や、武臣では猛き将軍の腰にたばさんでいる羽つきの大箭、さようなものがはっきりでてくる。

なかにも褒国公段志玄・鄂国公尉遅敬徳二人のごときはその毛髪が動いており、その颯爽たる英姿は戦いのまっただなかからここへやって来たかとおもわれるほどであった。』

帽子03 

 (訳注) #2

開元之中常引見,承恩數上南熏殿。

開元年中にはいつも天子(玄宗)にお目みえをし、御恩寵をうけてたびたび南薫殿にのぼられた。

○開元 盛唐の玄宗の年号(713741)。「開元の治」といわれ唐時代最高の時期といわれる。杜甫は712年生まれ。

○常 つねに、一に嘗に作る。常は嘗と通ずる字であるがここでは常の本義による。

○引見 みちびかれてお目みえする。

○承恩 天子の御恩寵をうける。

○南薫殿 唐の長安の南内である興慶宮内の正殿を興慶殿という、殿前に瀛州門があり、門内に南薫殿があり、殿の北には竜池がある。

 

淩煙功臣少顏色,將軍下筆開生面。

太宗時代に画かれた淩煙闇の功臣図像がふるぼけておぼろになったときは将軍が筆を下したので忽ち功臣らの生き生きした面色があらわれた。

○凌煙功臣 凌煙は閣の名、唐の太宗の貞観十七年二月、長孫無忌ら勲臣二十四人を凌煙閣に図画した。「五代会要」によると凌煙閣は西内の三清殿の側にあり、閣内にはしきりがあり、しきりの内には北に面して功の高い宰輔を写し、南に面して功の高い侯王を写し、しきりの外には次第に図画にされた功臣の題賛を書した。

○少顔色 丹青が剥落して旧跡の消えうせようとすることをいう。

○開生面 生きたような面色があらわれでる。

 

良相頭上進賢冠,猛將腰間大羽箭。

即ち文臣では良い宰相たちの頭にいただいている進賢冠や、武臣では猛き将軍の腰にたばさんでいる羽つきの大箭、さようなものがはっきりでてくる。

○良相 賢良な宰相、房玄齢・杜如晦の類い。

○進賢冠 緇布(くろぬの)でつくった冠。

○猛将 尉遅敬徳・段志玄の輩。

○大羽箭 四羽(よつぱ)の太笴(ふとみき)の長箭。

 

褒公鄂公毛發動,英姿颯爽來酣戰。』

なかにも褒国公段志玄・鄂国公尉遅敬徳二人のごときはその毛髪が動いており、その颯爽たる英姿は戦いのまっただなかからここへやって来たかとおもわれるほどであった。』

○褒公 褒国大将軍・揚州都督・褒国息壮公段志玄。

○鄂公 開府儀同三司・郡国公尉遅敬徳。

○毛筆動 画容の生動しているさま。

○英姿 ひいでたすがた。

○颯爽 威風あたりをはらうさま。

○来酣戦 戦いの酣な処からここへ来ているよう。以上は功臣の人物を写すのに巧みなことをのべる。
長安城皇城図 

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杜甫《丹青引》曹将軍は魏の武帝の子孫であって、今では普通人であるが上品な家がらの人である。だから三権鼎立という英雄割拠といわれるようなことはもはやなくなってしまったが、お家がらの文彩風流は今日までまだのこっているのである。


2014年1月13日  の紀頌之5つのブログ
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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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746廣徳2764年―3-1 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <652>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3590 杜甫詩1000-652-912/1500 7461

 

 

作時年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 七言古詩 

詩題: 丹青引贈曹將軍霸 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

及地點:  南熏殿 (京畿道 京兆府 長安) 別名:南薰殿     

凌煙閣 (京畿道 京兆府 長安)     

交遊人物: 曹霸

 

掲 載; 杜甫1000首の652首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-912回目

美女004
 

 

丹青引,贈曹將軍霸 #1

(左武衛将軍曹覇が画技に妙を得て、しかも時世に遇わぬ次第をのべた歌で曹覇に贈ったもの。)

將軍魏武之子孫,於今為庶為清門。

曹将軍は魏の武帝の子孫であって、今では普通人であるが上品な家がらの人である。

英雄割據雖已矣,文彩風流猶尚存。

だから三権鼎立という英雄割拠といわれるようなことはもはやなくなってしまったが、お家がらの文彩風流は今日までまだのこっているのである。

學書初學衛夫人,但恨無過王右軍。

実証をあげると、将軍は初め衛夫人の書を学ばれて書もなかなか素晴らしく、王右軍(王義之)以上に評価されないのが恨めしいというくらいである。

丹青不知老將至,富貴於我如浮雲。』

図画は最も好まれる所で画のためには『論語、述而』にいう身に年の寄ることさえうち忘れるというものであり、、さらに、富貴なんぞは自分にとっては浮雲の大空をすぎるがごとくなんでもないものとみておられるのである。』

#2

開元之中常引見,承恩數上南熏殿。

淩煙功臣少顏色,將軍下筆開生面。

良相頭上進賢冠,猛將腰間大羽箭。

褒公鄂公毛發動,英姿颯爽來酣戰。』

#3

先帝天馬玉花驄,畫工如山貌不同。

是日牽來赤墀下,迥立閶闔生長風。

詔謂將軍拂絹素,意匠慘澹經營中。

須臾九重真龍出,一洗萬古凡馬空。』

#4

玉花卻在禦榻上,榻上庭前屹相向。

至尊含笑催賜金,圉人太僕皆惆悵。

弟子韓幹早入室,亦能畫馬窮殊相。

幹惟畫肉不畫骨,忍使驊騮氣凋喪。』

#5

將軍畫善蓋有神,必逢佳士亦寫真。

即今飄泊干戈際,屢貌尋常行路人。

途窮反遭俗眼白,世上未有如公貧。

但看古來盛名下,終日坎壈纏其身。』

 

(丹青の引,曹将軍覇に贈る)#1

将軍は魏武の子孫、今に於ては庶たれども清門為【た】り。

英雄割拠己【】んぬと雖も、文彩風流 猶尚お存す。

書を学びで初め衛夫人を学ぶ、但だ恨む王右軍に過ぐる無きを。

丹青 知らず老の将に至らんとするを、富貴は我に於て浮雲の如し。』

#2

開元の中 常に引見せられ、恩を承けて数しばしば上る「南薫殿」。

淩煙【りょうえん】の功臣顔色少なり、将軍筆を下せば生面開く。

良相【りょうそう】頭上の進賢冠、猛将 腰間の大羽箭。

褒公【ほうこう】鄂【がくこう】毛髪動き、英姿【えいし】颯爽として酣戰【かんせん】より来たる。』

#3

先帝の御馬「玉花驄」、画工山の如く貌すれども同じからず。

是の日 牽【】き来たる赤墀せきちの下、迥かに閶闔しょうこうに立てば長風を生ず。

詔して将軍に謂う絹素けんそを払えと、意匠惨澹【さんたん】たり経営の中うち】。

須臾しゅゆ】にして九重に真竜出づ、万古の凡馬を一洗して空し。』

#4

玉花却って御榻ぎょとうの上に在り、榻上 庭前屹きつとして相い向う。

至尊【しそん】笑いを含んで金を賜わるを催し、圉人ぎょじん太僕たいぼく皆惆悵ちゅうちょうす。

弟子韓幹【かんかん】早く室に入る、亦た能く馬を画いて殊相【しゅそう】を窮む。

幹は惟だ肉を画いて骨を画かず、忍んで驊騮【かりゅう】をして気凋【きちょう】喪せしむ。』

#5

将軍 画の善きこと蓋し神有り、必ず佳士に逢わば亦た真を写さん。

即今 漂泊す干戈【かんか】の際、屡しばしばくす尋常行路の人。

途窮っては反って俗眼の白きに遭う、世上 未だ公の貧しきが如くなるは有らず。

但だ看よ 古来盛名の下、終日 坎壈かんらん其の身を纏うを。』

楊貴妃清華池002 

 

丹青引』 現代語訳と訳註

(本文)

丹青引,贈曹將軍霸

〔原注〕 贈曹将軍覇(曹将軍薪に贈る)

將軍魏武之子孫,於今為庶為清門。

英雄割據雖已矣,文彩風流猶尚存。

學書初學衛夫人,但恨無過王右軍。

丹青不知老將至,富貴於我如浮雲。』

 

 

(下し文)

(丹青の引、曹将軍薪に贈る)

将軍は魏武の子孫、今に於ては庶たれども清門為【た】り。

英雄割拠己【】んぬと雖も、文彩風流 猶尚お存す。

書を学びで初め衛夫人を学ぶ、但だ恨む王右軍に過ぐる無きを。

丹青 知らず老の将に至らんとするを、富貴は我に於て浮雲の如し。』

 

(現代語訳)

(左武衛将軍曹覇が画技に妙を得て、しかも時世に遇わぬ次第をのべた歌で曹覇に贈ったもの。)

曹将軍は魏の武帝の子孫であって、今では普通人であるが上品な家がらの人である。

だから三権鼎立という英雄割拠といわれるようなことはもはやなくなってしまったが、お家がらの文彩風流は今日までまだのこっているのである。

実証をあげると、将軍は初め衛夫人の書を学ばれて書もなかなか素晴らしく、王右軍(王義之)以上に評価されないのが恨めしいというくらいである。

図画は最も好まれる所で画のためには『論語、述而』にいう身に年の寄ることさえうち忘れるというものであり、、さらに、富貴なんぞは自分にとっては浮雲の大空をすぎるがごとくなんでもないものとみておられるのである。』

 

(訳注)

丹青引

〔原注〕 贈曹将軍覇

(左武衛将軍曹覇が画技に妙を得て、しかも時世に遇わぬ次第をのべた歌で曹覇に贈ったもの。)

丹青引 丹青は画をいうが基本の色である丹の赤と青とでかかれたことからくる、引は歌の一種である。

曹将軍覇 唐の左武衛将軍曹覇をいう、覇は魏の曹髦の子孫〔曹操の曾孫・高貴郷公と呼ばれ、後に司馬昭に殺されたが、文学を好み、ことに絵画に巧みであった。〕である、髦は画を以て魏の代に称せられた、覇は玄宗の開元中にすでに有名になり、天宝の末には詔によって御馬及び功臣の像を写した。官は左武衛将軍に至った。

この一代の名人も、安史の乱後は、おちぶれて蜀の地に流れて来ていた。作者はこの人の不遇に同情し、あわせて自身の感慨を托したのである。

杏の白花012 

將軍魏武之子孫,於今為庶為清門。

曹将軍は魏の武帝の子孫であって、今では普通人であるが上品な家がらの人である。

将軍 曹覇をさす。左武衛将軍曹覇(そうは)は、三国志に登場する曹操の曾孫で、文学を好みことに絵画に才能を発揮した。唐の時代、度々宮中に呼ばれ、建国の功臣たちの肖像画が歳月と共に色あせてきたのでその修復を命じられた。曹覇がひとたび筆を下ろすと、たちまち生き生きとした相貌をあらわした。勇将たちは毛髪も動き出すかと思われ、その颯爽とした英姿は、たった今、戦場から出てきたかのように思われた。また名馬を描いては真の名馬が再現され、古来描かれてきた平凡な馬を完全に一洗した。それはその絵に魂がこもっているからだ。また立派な人物に出逢ったら、きっとその真の姿を写しだすだろう。(落詩選杜甫、目加田誠訳)“必逢佳士亦写真”これが文献に出て来た最初の「写真」で、今から1250年前なのだ。

魏武 魏の武帝曹操をいう、操の後商が髦となり、髦の後商が覇となったのである。

於今為庶 「左伝」(昭公三十二年)に、晋の史墨が璃簡子に答えたことばに、「三后の姓、今に於て庶たるは、主の知る所なり」とみえる。三后は虞・夏・商の君である、昔三王の姓であったものも其の子孫となれば耗簡子の時代には庶人となったというのである、庶人は普通の人民をいう。玄宗の末年に覇が罪を得て籍を削られ庶人とされたことを引いているが、それまでを引くのはどうであろうか。作者の意は曹覇は昔ならば国姓の家すじにあたるはずの人であるが、唐の今では同姓は「李」であるので、ただの人民であるというにとどまるであろう。

清門 上品の家がら。

 

英雄割據雖已矣,文彩風流猶尚存。

だから三権鼎立という英雄割拠といわれるようなことはもはやなくなってしまったが、お家がらの文彩風流は今日までまだのこっているのである。

英雄割拠 魏の曹操は蜀の劉備、呉の孫権と天下を三分して相い争ったことをさしていう。

文彩風流  曹操は武人でありながら、詩賦をよくし、風流の心がけがあった。その子曹丕・曹値もみな一流の詩人であった。

 

學書初學衛夫人,但恨無過王右軍。

実証をあげると、将軍は初め衛夫人の書を学ばれて書もなかなか素晴らしく、王右軍(王義之)以上に評価されないのが恨めしいというくらいである。

学書 書は文字の書法。

衛夫人 晋の衛鑠、字は茂猗、廷尉展の妹で恒のめいにあたり、汝陰の太守李矩に嫁した、隷書にはなはだすぐれ魂の鍾繇を手本とした、王右軍は若いとき嘗て彼女を師としたことがある、永和五年(西紀349年)に卒した。

王右軍 晋の右軍将軍・会稽内史王義之をいう。義之、字は逸少、家より起こって秘書郎となり、のち右軍将軍に至った。古今の書聖として知られる。義之の父は王曠といい王導の従弟である、曠は衛氏と親戚の関係によって衛鑠より蔡邕の書法を得て、これを子の義之に授けた。

 

丹青不知老將至,富貴於我如浮雲。』

図画は最も好まれる所で画のためには『論語、述而』にいう身に年の寄ることさえうち忘れるというものであり、、さらに、富貴なんぞは自分にとっては浮雲の大空をすぎるがごとくなんでもないものとみておられるのである。』

不知老將至、富貴於我如浮雲 これもまた「論語、述而」に本づく、以上は曹覇の家世と書画の能事とを叙する。

《論語注疏述而》子曰:「女奚不曰,其為人也,發憤忘食,樂以忘憂,不知老之將至云爾。」

《論語注疏述而》「不義而富且貴,於我如浮雲。」
miyajima0033221107930 

745廣徳2年764年―2 《送韋諷上閬州錄事參軍》 蜀中転々 杜甫 <651-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3585 杜甫詩1000-651-#2-911/1500745

杜甫《送韋諷上閬州錄事參軍》-#2 かならず、この野党盗賊が多くいて、無政府状態のような傷跡残している状況を救いなおしてもらいたいし、とに角、その前に、国や人民に有害な人物、虫けらどもを追い散らしてもらいたい。君を送別するにあたって涙をぬぐいこの大江を臨み見るのである。天は高くはれ渡っているけれど、心に思うことは悲しみ痛むものである。


2014年1月12日  の紀頌之5つのブログ
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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送韋諷上閬州錄事參軍 #1

(韋諷が閬州の錄事參軍に上奏するために送別する。)

國步猶艱難,兵革未衰息。

この国の歩むべき道のりは今なお、艱難辛苦に立ち向かっている。国軍の兵卒たちは未だに可哀相で、安息できる暇もないのである。

萬方哀嗷嗷,十載供軍食。

国の各機関、人民に至るまでどこを向いてみても、非難ごうごう、悲しくなるように満足できる状況ではないのである。あなたにしてみれば、この十年、戰場での食事を兵卒たちと一緒にとることの繰り返しということなのだ。

庶官務割剝,不暇憂反側。

余り高くない爵位職責で身を裂かれ剥れるほどの職務を全うされたのであるが、この先を憂うことばかり、ゆっくりすること、安寧であることなどなく全く反対側に居続けていて暇もない状態であった。

誅求何多門,賢者貴為德。

天による誅殺を求めるとしたならば、何と多くのグループ、一族、官僚に至る多くの門があるというものであろうか。儒者、賢者は仁徳でもって施政を行うということを貴きものとしている。

韋生富春秋,洞徹有清識。

韋諷殿にはきっと陶淵明の様な充実した四季、山水の春秋生活を過せる時が来る。清廉な知識者として存在していただくことを貫ぬき徹して欲しいのだ。

#2

操持紀綱地,喜見朱絲直。

喜ばしいことは、琴の朱い絃もまっすぐと張られたように、国家を治める上で根本となる制度や規則をしっかりと守り続けているのである。

當令豪奪吏,自此無顏色。

まさに悪人どもをやっつける豪奪の吏と命令され任とされたいし、これによって悪人どもは顔色もなくなっているという。

必若救瘡痍,先應去蟊賊。

かならず、この野党盗賊が多くいて、無政府状態のような傷跡残している状況を救いなおしてもらいたいし、とに角、その前に、国や人民に有害な人物、虫けらどもを追い散らしてもらいたい。

揮淚臨大江,高天意悽惻。

君を送別するにあたって涙をぬぐいこの大江を臨み見るのである。天は高くはれ渡っているけれど、心に思うことは悲しみ痛むものである。

行行樹佳政,慰我深相憶。

この旅を行き、幕府に行き着いて、どうぞよい政治を樹立していただきたいものだ。私の心を慰めてくれるものは、こうして互いに深く思いあうことである。

 

韋諷が閬州の錄事參軍に上つるを送る #1

國步 猶お艱難たり,兵革 未だ衰息せず。

萬方 哀嗷嗷として,十載 軍食を供にする。

庶官 割剝に務め,暇わず 反側を憂う。

誅求は何ぞ門多からん,賢者は德を為すを貴しとす。

韋 富める春秋を生じ,清識有るを洞徹せよ。

#2

操持して紀綱の地,喜見して朱絲の直。

當に 豪奪の吏に令めるべし,此れ自り顏色無し。

必ず瘡痍を救わんとするが若し,先ず應に蟊賊去る。

淚を揮って大江に臨み,高天 意 悽惻たり。

行き行きて佳政を樹て,我を慰む 深く相い憶うを。

帽子03 

 

『送韋諷上閬州錄事參軍』 現代語訳と訳註

(本文)#2

#2

操持紀綱地,喜見朱絲直。

當令豪奪吏,自此無顏色。

必若救瘡痍,先應去蟊賊。

揮淚臨大江,高天意悽惻。

行行樹佳政,慰我深相憶。

 

(下し文) #2

操持して紀綱の地,喜見して朱絲の直。

當に 豪奪の吏に令めるべし,此れ自り顏色無し。

必ず瘡痍を救わんとするが若し,先ず應に蟊賊去る。

淚を揮って大江に臨み,高天 意 悽惻たり。

行き行きて佳政を樹て,我を慰む 深く相い憶うを。

 

(現代語訳)

喜ばしいことは、琴の朱い絃もまっすぐと張られたように、国家を治める上で根本となる制度や規則をしっかりと守り続けているのである。

まさに悪人どもをやっつける豪奪の吏と命令され任とされたいし、これによって悪人どもは顔色もなくなっているという。

かならず、この野党盗賊が多くいて、無政府状態のような傷跡残している状況を救いなおしてもらいたいし、とに角、その前に、国や人民に有害な人物、虫けらどもを追い散らしてもらいたい。

君を送別するにあたって涙をぬぐいこの大江を臨み見るのである。天は高くはれ渡っているけれど、心に思うことは悲しみ痛むものである。

この旅を行き、幕府に行き着いて、どうぞよい政治を樹立していただきたいものだ。私の心を慰めてくれるものは、こうして互いに深く思いあうことである。

 

玄武門(訳注)

送韋諷上閬州錄事參軍

(韋諷が閬州の錄事參軍に上奏するために送別する。)#2

 

操持 紀綱 地 ,喜見 朱絲 直 。

喜ばしいことは、琴の朱い絃もまっすぐと張られたように、国家を治める上で根本となる制度や規則をしっかりと守り続けているのである。

「操持」しっかりと守り続けること。主義・志などをかたく守りつづけること。処理する,対応する.【同】料理(2) 計画する,準備する.【同】筹划

「紀綱」【きこう】《「紀」は細い綱、「綱」は太い綱》国家を治める上で根本となる制度や規則。綱紀。

「朱絲」朱糸縄は琴舷である、杜句はこれを借用して、絃がまっすぐであると断絶することのあることをいう。

杜甫『棕拂子』

棕拂且薄陋,豈知身效能。 

不堪代白羽,有足除蒼蠅。 

熒熒金錯刀,濯濯朱絲繩。 

非獨顏色好,亦用顧盼稱。

#7

舊好腸堪斷,新愁眼欲穿。翠幹危棧竹,紅膩小湖蓮。

賈筆論孤憤,嚴詩賦幾篇。定知深意苦,莫使眾人傳。

貝錦無停織,朱絲有斷弦。浦鷗防碎首,霜鶻不空拳。

寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#7> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1466 杜甫詩 700- 453

「直」率直、正直、素直。 儒者として実直であること。

 

當令豪奪 吏 ,自此無 顏色 。

まさに悪人どもをやっつける豪奪の吏と命令され任とされたいし、これによって悪人どもは顔色もなくなっているという。

 

必若 救 瘡痍 ,先應 去 蟊賊 。

かならず、この野党盗賊が多くいて、無政府状態のような傷跡残している状況を救いなおしてもらいたいし、とに角、その前に、国や人民に有害な人物、虫けらどもを追い散らしてもらいたい。

「瘡痍」語義類別:事、事件、世局、瘡痍。西極最瘡痍,連山暗烽燧。』

この西極の地は叛乱軍と野盗・盗賊入り混じって、最も刃傷をうけたものが多いのだ、そのため山々に昼夜とものろし火があがり世情を暗くとざしている。』

○西極 西方のはて、河西の地をさす。○瘡痍 きりきず。野党盗賊が多くいて、無政府の部分があったことを示す。○烽燧 昼の狼煙を烽、夜のものを燧という。昼も夜も戦いを強いられた。無政府状態の不安定さを示す。送從弟亞赴河西判官 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 184

 707 《送陵州路使君赴任〔送陵州路使君之任〕》#1 蜀中転々 杜甫 <614  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3380 杜甫詩1000-614-870/1500

「蟊賊」国や人民に有害な人物、盜匪。

 

揮淚 臨 大江 ,高天 意 悽惻 。

君を送別するにあたって涙をぬぐいこの大江を臨み見るのである。天は高くはれ渡っているけれど、心に思うことは悲しみ痛むものである。

「悽惻」悲しみいたむこと。また、そのさま。

 

行行 樹 佳政 ,慰我 深 相憶 。

この旅を行き、幕府に行き着いて、どうぞよい政治を樹立していただきたいものだ。私の心を慰めてくれるものは、こうして互いに深く思いあうことである。

 

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杜甫《送韋諷上閬州錄事參軍 》 韋諷殿にはきっと陶淵明の様な充実した四季、山水の春秋生活を過せる時が来る。清廉な知識者として存在していただくことを貫ぬき徹して欲しいのだ。


2014年1月11日  の紀頌之5つのブログ
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744廣徳2764年―2 《送韋諷上閬州錄事參軍 》 蜀中転々 杜甫 <651-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3580 杜甫詩1000-651-#1-910/1500744

 

詩 題:送韋諷上閬州錄事參軍 

作時:764年 廣德二年 杜甫53

 

掲 載; 杜甫1000首の654首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-910回目

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 送韋諷上閬州錄事參軍 

及地點:  閬州 (山南西道 閬州 閬州) 別名:閬、巴城     

交遊人物/地點: 韋諷

 

 

763年この年の夏ごろから、杜甫は梓州刺史章彝(前任の杜済は綿州刺史に転じていた)の客分となり、その主催する送別や歓迎の宴に出席したり、遊覧・遊猟に随行している。杜甫の詩人としての名も、かなり揚がっていたらしく、彼はそれによって一家の生活を支え、また東下の旅費を蓄えていた。しかしこのころ、辺境の情勢は緊迫の度を加え、吐蕃の軍は長安に迫り、西南方面(松・雅・保州)においては巴・蜀を圧迫していた。そうして、十月になるとついに長安に攻めこみ、代宗は東の方の陝州(河南省陝県)に逃げてしまった。しばらくして郭子儀が反撃に転じ、吐蕃軍は遁走したが、まさに安禄山の乱の再現かと思われた。

杜甫はそれらの情報を伝え聞きながら、今はただ一つしか残されていない東方への道、長江を下るべく、ひたすら旅の準備をととのえていた。その大部分は章彝の援助に頼るしかなかったため、彼は章彝とその幕僚の機嫌を損ねないように、言行を慎重にしていたらしい。そのためであろう、杜甫が東方の旅に出発することを申し出ると、彼らは送別会を開いてくれ、章彝は無事な旅を祈って、梓州特産の桃竹の杖を二本、杜甫に贈った。

出発も間近に迫ったある日、都に帰った厳武のはからいであろうか、杜甫を京兆府の功曹参軍(庶務課長)に任ずるとの連絡があった。しかし、すでに三峡を下って呉・楚の地に赴く決心をしていた杜甫は、それを辞退した。

 

 

送韋諷上閬州錄事參軍 #1

(韋諷が閬州の錄事參軍に上奏するために送別する。)

國步猶艱難,兵革未衰息。

この国の歩むべき道のりは今なお、艱難辛苦に立ち向かっている。国軍の兵卒たちは未だに可哀相で、安息できる暇もないのである。

萬方哀嗷嗷,十載供軍食。

国の各機関、人民に至るまでどこを向いてみても、非難ごうごう、悲しくなるように満足できる状況ではないのである。あなたにしてみれば、この十年、戰場での食事を兵卒たちと一緒にとることの繰り返しということなのだ。

庶官務割剝,不暇憂反側。

余り高くない爵位職責で身を裂かれ剥れるほどの職務を全うされたのであるが、この先を憂うことばかり、ゆっくりすること、安寧であることなどなく全く反対側に居続けていて暇もない状態であった。

誅求何多門,賢者貴為德。

天による誅殺を求めるとしたならば、何と多くのグループ、一族、官僚に至る多くの門があるというものであろうか。儒者、賢者は仁徳でもって施政を行うということを貴きものとしている。

韋生富春秋,洞徹有清識。

韋諷殿にはきっと陶淵明の様な充実した四季、山水の春秋生活を過せる時が来る。清廉な知識者として存在していただくことを貫ぬき徹して欲しいのだ。

#2

操持紀綱地,喜見朱絲直。

當令豪奪吏,自此無顏色。

必若救瘡痍,先應去蟊賊。

揮淚臨大江,高天意悽惻。

行行樹佳政,慰我深相憶。

 

韋諷が閬州の錄事參軍に上つるを送る #1

國步 猶お艱難たり,兵革 未だ衰息せず。

萬方 哀嗷嗷として,十載 軍食を供にする。

庶官 割剝に務め,暇わず 反側を憂う。

誅求は何ぞ門多からん,賢者は德を為すを貴しとす。

韋 富める春秋を生じ,清識有るを洞徹せよ。

#2

操持して紀綱の地,喜見して朱絲の直。

當令 豪奪の吏,此れ自り顏色無し。

必ず瘡痍を救わんとするが若し,先ず應に蟊賊去る。

淚を揮って大江に臨み,高天 意 悽惻たり。

行き行きて佳政を樹て,我を慰む 深く相い憶うを。

 

 

『送韋諷上閬州錄事參軍』 現代語訳と訳註

(本文) 送韋諷上閬州錄事參軍 #1

國步猶艱難,兵革未衰息。

萬方哀嗷嗷,十載供軍食。

庶官務割剝,不暇憂反側。

誅求何多門,賢者貴為德。

韋生富春秋,洞徹有清識。

 

(下し文)

韋諷が閬州の錄事參軍に上つるを送る #1

國步 猶お艱難たり,兵革 未だ衰息せず。

萬方 哀嗷嗷として,十載 軍食を供にする。

庶官 割剝に務め,暇わず 反側を憂う。

誅求は何ぞ門多からん,賢者は德を為すを貴しとす。

韋 富める春秋を生じ,清識有るを洞徹せよ。

 

(現代語訳)

(韋諷が閬州の錄事參軍に上奏するために送別する。)

この国の歩むべき道のりは今なお、艱難辛苦に立ち向かっている。国軍の兵卒たちは未だに可哀相で、安息できる暇もないのである。

国の各機関、人民に至るまでどこを向いてみても、非難ごうごう、悲しくなるように満足できる状況ではないのである。あなたにしてみれば、この十年、戰場での食事を兵卒たちと一緒にとることの繰り返しということなのだ。

余り高くない爵位職責で身を裂かれ剥れるほどの職務を全うされたのであるが、この先を憂うことばかり、ゆっくりすること、安寧であることなどなく全く反対側に居続けていて暇もない状態であった。

天による誅殺を求めるとしたならば、何と多くのグループ、一族、官僚に至る多くの門があるというものであろうか。儒者、賢者は仁徳でもって施政を行うということを貴きものとしている。

韋諷殿にはきっと陶淵明の様な充実した四季、山水の春秋生活を過せる時が来る。清廉な知識者として存在していただくことを貫ぬき徹して欲しいのだ。

 

(訳注)

送韋諷上閬州錄事參軍

(韋諷が閬州の錄事參軍に上奏するために送別する。)

『東津送韋諷攝閬州錄事』

江山好,憐君吏隱兼。 

寵行舟遠泛,怯別酒頻添。 

推薦非承乏,操持必去嫌。 

他時如按縣,不得慢陶潛。

650五言律詩 《東津送韋諷攝閬州錄事》 蜀中転々 杜甫 <555  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3000 杜甫詩1000-555-794/1500

○錄事參軍 古代の官職。衛門尉の別称。常是軍政長官的幕僚。衛門府(えもんふ)とは、律令制における官司。当初は1つであったが、大同3年(808年)に(左右)衛士府と統合されて一旦廃止され、弘仁3年(811年)に左右衛士府の改称に伴って復置された際、左衛門府と右衛門府の2つが置かれた。和訓にて「ゆげひのつかさ」と呼び、「靫負」という漢字をあてる場合がある。唐名は金吾。監門。監府。長は衛門督 (後に左衛門督・右衛門督)である。「柏木」は王朝和歌における衛門府、衛門督の雅称である。

 

國步 猶艱難 ,兵革 未 衰息 。

この国の歩むべき道のりは今なお、艱難辛苦に立ち向かっている。国軍の兵卒たちは未だに可哀相で、安息できる暇もないのである。

國步」国の歩むべき道のり、世局。

艱難」艱難辛苦に立ち向かっている。

兵革」国軍の兵卒たち。

 

萬方 哀 嗷嗷 ,十載 供 軍食 。

国の各機関、人民に至るまでどこを向いてみても、非難ごうごう、悲しくなるように満足できる状況ではないのである。あなたにしてみれば、この十年、戰場での食事を兵卒たちと一緒にとることの繰り返しということなのだ。

萬方」国の各機関、人民に至るまでどこを向いてみても。

嗷嗷」【ごうごう】叫び声などが騒がしいさま。口やかましく非難するさま。

十載」十年。

 

庶官 務割剝,不暇 憂 反側。

余り高くない爵位職責で身を裂かれ剥れるほどの職務を全うされたのであるが、この先を憂うことばかり、ゆっくりすること、安寧であることなどなく全く反対側に居続けていて暇もない状態であった。

庶官」余り高くない爵位職責。

割剝 中国では皮剥ぎの刑を「剥皮」(はくひ)「割剝」(かつはく)と呼ぶ。

前漢の景帝の御世、皇族の広川王劉去が「生の人を割剥した」との記録が「漢書」にある。ここでは、10年来軍に務めあげることをこれほどの辛い思いをして勤め上げたことを云う。

 

誅求 何多門 ,賢者 貴為德 。

天による誅殺を求めるとしたならば、何と多くのグループ、一族、官僚に至る多くの門があるというものであろうか。儒者、賢者は仁徳でもって施政を行うということを貴きものとしている。

誅求」天による誅殺を求めること。

 

韋生 富春秋 ,洞徹 有 清識 。

韋諷殿にはきっと陶淵明の様な充実した四季、山水の春秋生活を過せる時が来る。清廉な知識者として存在していただくことを貫ぬき徹して欲しいのだ。

韋生」韋諷。

春秋」陶淵明の様な充実した四季、山水の春秋生活を過せる時が来ることをいう。

洞徹」知ること、貫通する。通り抜ける。

清識」清廉な知識者。清玩・清幽・清談・清閑・清貧を理解する。

清玩:」「清雅:清らかで上品な美しさのあること。」「清幽:世俗を離れ、清らかで静かなこと。」「清談:知識人たちの哲学的な談話のこと。 概要[編集]. 中国思想史において、儒教思想全盛の漢代から、魏の時代になり、知識人たちは常識的な儒教道徳を超えて、主に老荘思想を題材とする幽玄な哲学的議論を交わしていた」「清閑:俗事にわずらわされず静かなこと。」「清貧:私欲をすてて行いが正しいために、貧しく生活が質素であること。」

法書名画、古鼎宋硯、そのほかくさぐさの文房具をつらねて、香を焚き、茶をすすり、花竹を愛でつつ、窓外に奇峰遠水を眺めて、佳客とともに清玩する。 このような文房生活の境地をいつしか文房清玩とよぶようになった。

743廣徳2年764-1 《韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖-#4》 蜀中転々 杜甫 <653>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3575 杜甫詩1000-653-909/1500743

杜甫《韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖-#4》あのとき躍りつ馳せつした馬は三万匹という大多数のものであったが、その馬はいずれも今此の図で見る馬と同じようなすぐれた筋骨をしていたのだ、実に盛んなことであったのだ。それが周の穆王が西征して河伯を朝せしめ宝物を献らしめられたごとく、先帝も西方(蜀)に御巡遊になって以来、復た漢の武帝の南巡の時のごとく江上に蚊を射るというようなことをなされぬままに崩御あそばされてしまった。


2014年1月10日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固)《東都賦》(3)#2(光武帝の即位)-1 文選 賦<113―1>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1005 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3573
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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《贈別元十八協律,六首之二〔元十八集虛,見《白樂天集》。桂林伯,桂管觀察使裴行立也。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <918>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3574韓愈詩-233
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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743廣徳2764-1 《韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖-#4》 蜀中転々 杜甫 <653>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3575 杜甫詩1000-653-909/1500743

 

作時:763年 廣德元年 杜甫52歳 

掲 載; 杜甫1000首の650首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-906回目

 

韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖 #1

(録事である韋諷の宅において曹覇将軍の九馬の図を見てよんだ詩。)

國初已來畫鞍馬,神妙獨數江都王。

吾が唐の開国以来、鞍馬を画くのに神妙とかぞえられる人は江都王の李緒だけである。

將軍得名三十載,人間又見真乘。』

ついで曹将軍が画名を得ることおよそ三十年、人間界に、また兵の名馬をみることができたのである。』

曾貌先帝照夜白,龍池十日飛霹靂。

将軍はかつて先帝である玄宗の御馬「照夜白」をかいたが、そのおりには十日にして画の成るや興慶宮内の竜池で竜精相感じて霹靂が飛ぶというようなことがあった。

府殷紅馬腦碗,婕妤傳詔才人索。

この画に対して先帝は側室の婕妤におおせがあり、婕妤はさらに詔をつたえて才人に命じ、内府に就いて殷紅色の瑪瑙の大皿をさがしださせてそれを将軍に賜わった。

#2

碗賜將軍拜舞歸,輕紈細綺相追飛。

将軍は恩賜の品を拝受して舞踏の礼をもって私第に帰ったところが、そのあとから追っかけて更に急の御使いを以て軽い紈・細綺 錦 などくさぐさを御下賜になった。

貴戚權門得筆跡,始覺屏障生光輝。』
宮中がかくのごとくであるから、貴戚、権門のやからも、将軍の筆跡を得てはじめて其の家の屏風やついたてにかがやきが生ずるようなここちがしたのである。』

昔日太宗拳毛騧,近時郭家師子花。

さていま見る将軍の九馬の図であるが、昔でいうなら太宗の「拳毛騧」、近頃でいうなら郭子儀氏の獅子花であろう。
今之新圖有二馬,複令識者久歎嗟。

この二つの馬は共に図のなかにかかれてあって、従来の馬図とおなじく眼識のあるものに感歎されているのである。

 

#3

此皆騎戰一敵萬,縞素漠漠開風沙。

この二馬はこれに騎って戦えば一人で万人にも敵することができるもので、これをみると、縞素【えぎぬ】のうえに漠漠と風沙の世界があらわしだされている。

其餘七匹亦殊,迥若寒空動煙雪。

其の余の七匹も特別の姿をした馬であり、そのさまをながめるとずっととおくして冬の寒空に煙や雪が動いているようだ。

霜蹄蹴踏長楸間,馬官廝養森成列。』

すなわち椒樹のつづく並樹のあいだに馬は霜ざえの蹄を蹴たてており、また馬のかかりの官員や小ものの兵卒が多く行列しているのである。』

可憐九馬爭神駿,顧視清高氣深穩。

九匹の馬がいずれおとらず神駿なすがたをしているのは愛すべきみものである。横をむき、前をみつめている彼らの眼付きは澄んでいて、うえの方を見ており、気象はおちついておだやかなのである。

借問苦心愛者誰,後有韋諷前支遁。』

そもそも、この馬の姿を愛する者はたれかと問うならば、前には支道林、後では吾が韋諷があるというものだ。』

#4

憶昔巡幸新豐宮,翠華拂天來向東。

これについてわたしは憶う、昔先帝(玄宗)が新豊の離宮へ御巡幸あそばされたとき、翠華の御旗を天になびかせて東へとおでかけになった。

騰驤磊落三萬匹,皆與此圖筋骨同。

あのとき躍りつ馳せつした馬は三万匹という大多数のものであったが、その馬はいずれも今此の図で見る馬と同じようなすぐれた筋骨をしていたのだ、実に盛んなことであったのだ。

自從獻寶朝河宗,無複射蛟江水中。

それが周の穆王が西征して河伯を朝せしめ宝物を献らしめられたごとく、先帝も西方(蜀)に御巡遊になって以来、復た漢の武帝の南巡の時のごとく江上に蚊を射るというようなことをなされぬままに崩御あそばされてしまった。

君不見金粟堆前松柏裏,龍媒去盡鳥呼風。』

それで、諸君みたことがないだろう、先帝の御陵金粟堆の前にある松柏のうち側には、いまは竜媒の天馬は皆いなくなって、いたずらに鳥がかなしく風に向かって呼び合っているばかりである。』

 

(韋諷錄事の宅 曹將軍の「畫馬圖」を觀る) #1

國初めに已に鞍馬を畫く來たる,神妙にするは 獨り數しば江都王に。

將軍 名を得る 三十載,人間 又た真に黃にるを見る。』

曾貌す 先帝の「照夜白」,龍池 十日 霹靂に飛ぶ。

府 殷紅 馬腦の碗,婕妤 詔を傳えて 才人索む。

#2

碗 將軍に賜わり 拜舞して歸り,輕紈 細綺して 相い追い飛ぶ。

貴戚 權門 筆跡を得,始めて覺ゆ 屏障 光輝を生ずを。』

昔日 太宗の「拳毛騧」,近時 郭家の「師子花」。

今の新圖 二馬有り,複た 識者に令して 久しく歎嗟せる。

#3

此れ皆 騎戰 一つに 萬を敵す,縞素 漠漠として 風沙を開く。

其の餘 七匹 亦た殊,迥として寒空 煙雪動くが若し。

霜蹄 長楸の間に蹴踏し,馬官 廝養【しよう】森として列を成す。』

憐れむ可し九馬 神駿を爭う,顧視 清高 氣 深く穩かに。

借問す 苦心 愛する者は誰ぞ,後には韋諷有り 前には支遁あり。』

#4

憶う昔 巡幸す「新豐宮」,翠華 天を拂うて來って東に向う。

騰驤【とうじょう】磊落【らいらく】して三萬匹,皆 此の圖と筋骨同じゅうす。

寶を獻じて朝河宗を從【せし】めし自【よ】り,複た蛟を江水の中に射る無し。

君見ずや 金粟【きんぞく】堆前【たいぜん】松柏の裏【うち】に,龍媒【りょうばい】去り盡くして鳥 風を呼ぶを。』

 楊貴妃清華池002

 

 

韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖』 現代語訳と訳註

(本文) #4

憶昔巡幸新豐宮,翠華拂天來向東。

騰驤磊落三萬匹,皆與此圖筋骨同。

自從獻寶朝河宗,無複射蛟江水中。

君不見金粟堆前松柏裏,龍媒去盡鳥呼風。』

 

(下し文) #4

憶う昔 巡幸す「新豐宮」,翠華 天を拂うて來って東に向う。

騰驤【とうじょう】磊落【らいらく】して三萬匹,皆 此の圖と筋骨同じゅうす。

寶を獻じて朝河宗を從【せし】めし自【よ】り,複た蛟を江水の中に射る無し。

君見ずや 金粟【きんぞく】堆前【たいぜん】松柏の裏【うち】に,龍媒【りょうばい】去り盡くして鳥 風を呼ぶを。』

 

 (現代語訳)

これについてわたしは憶う、昔先帝(玄宗)が新豊の離宮へ御巡幸あそばされたとき、翠華の御旗を天になびかせて東へとおでかけになった。

あのとき躍りつ馳せつした馬は三万匹という大多数のものであったが、その馬はいずれも今此の図で見る馬と同じようなすぐれた筋骨をしていたのだ、実に盛んなことであったのだ。

それが周の穆王が西征して河伯を朝せしめ宝物を献らしめられたごとく、先帝も西方(蜀)に御巡遊になって以来、復た漢の武帝の南巡の時のごとく江上に蚊を射るというようなことをなされぬままに崩御あそばされてしまった。

それで、諸君みたことがないだろう、先帝の御陵金粟堆の前にある松柏のうち側には、いまは竜媒の天馬は皆いなくなって、いたずらに鳥がかなしく風に向かって呼び合っているばかりである。』

駿馬02 

(訳注) #4

憶昔巡幸新豐宮,翠華拂天來向東。

これについてわたしは憶う、昔先帝(玄宗)が新豊の離宮へ御巡幸あそばされたとき、翠華の御旗を天になびかせて東へとおでかけになった。

昔 開元の頃をさす。

巡幸 天子がおでましになる。

新豐宮 新豊は県の名、長安の東にある、のちには会昌県、昭応県などを分けたがはじめは新豊である、その東南にあたり驪山の温泉宮(後には華清宮と名づける)があり、新豊の宮とは温泉宮をさす。

翠華 天子の旗、翠羽を以て旗を飾るのによって名づける。司馬相如『上林賦』「建翠華之旗,樹靈鼉之鼓。」とみえる。打ち鳴らし、劣翠の旗を建て、わに皮の鼓を設ける。

払天 高くなびかすことをいう。

東 長安よりいえば新豊は東にあたる。

 

騰驤磊落三萬匹,皆與此圖筋骨同。

あのとき躍りつ馳せつした馬は三万匹という大多数のものであったが、その馬はいずれも今此の図で見る馬と同じようなすぐれた筋骨をしていたのだ、実に盛んなことであったのだ。

騰驤 騰は超えること、驤は馳せること。

磊落 衆多なさま。

三万匹 検校内外閑厩・兼知監牧使・霍国公王毛仲が開元十三年に玄宗の泰山の封に従ったときには、牧馬数万匹を取り、毛色により一色ごとに一隊となし、相いまじわること錦繍のごとくであったというから、新豊の巡幸にもおびただしい馬隊の随従があったと思われる。

此図 九馬の図をさす。

 

自從獻寶朝河宗,無複射蛟江水中。

それが周の穆王が西征して河伯を朝せしめ宝物を献らしめられたごとく、先帝も西方(蜀)に御巡遊になって以来、復た漢の武帝の南巡の時のごとく江上に蚊を射るというようなことをなされぬままに崩御あそばされてしまった。

自從 二字で「より」の意。

献宝朝河宗「穆天子伝」に「天子西に征き、陽紵の山に至る、河伯馮夷の都居する所なり、是れ惟れ河宗氏。天子 乃ち珪璧を沈めて焉に礼す。河伯乃ち天子と図を披(ひら)き典を視、以て天子の宝器なる玉果・璇珠・燭銀・金膏等の物を観る。」とみえる。献宝とは河伯が玉果以下のたからものを天子に献上したことをいう。朝河宗とは河宗(河伯)が天子に朝したことをいう。周の穆王の西征の事を借りて玄宗の蜀に幸したことに比する。

射蛟江水中 漢の武帝は元封五年に蒋陽より長江に浮かび親ら蛟(みずち)を江中に射てこれを獲た。玄宗も生存されたならば南に巡幸して武帝のごとくされたであろうが、崩御されたのでそのことはなかった。故に上に「無復」という。

 

君不見金粟堆前松柏裏,龍媒去盡鳥呼風。』

それで、諸君みたことがないだろう、先帝の御陵金粟堆の前にある松柏のうち側には、いまは竜媒の天馬は皆いなくなって、いたずらに鳥がかなしく風に向かって呼び合っているばかりである。』

金粟堆 山の名、奉先県の東北二十里にある、玄宗の泰陵の在る所である、玄宗が嘗て睿宗の橋陵(奉先県にある)に至り金粟山岡の竜盤虎鋸の勢いのあるのを見て、侍臣にむかっていうのに、吾、千秋万歳の後ここに葬られんと、崩ずるに及んで群臣は先旨にしたがって帝をここに葬った。広徳元年三月のことである。

松柏 御陵にうえてあるまつ、東に松、西に柏をうえる。。

龍媒 天馬をいう。『沙苑行』に「龍媒昔是渥洼生,汗血今稱獻於此。」昔、漢の世に竜媒と称せられた天馬が渥洼の川から生じたといわれているが、唐の今の世では汗血の名馬がこの沙苑の牧場から献上されているといわれている。

○竜媒、渥洼 「漢書」武帝紀によれば、武帝の元鼎四年(礼楽志には元狩三年)に馬が渥洼水中に生じたので天馬の歌を作った。又太初四年にも作る。渥洼は川の名、沙州(今の敦煌)の境にあり、竜媒は天馬をいう。「天馬歌」に「天馬徠タル、竜ノ媒」とみえる○昔 漢の元狩・元鼎の時代をさす。○汗血 汗血の馬をいう。「漢書」西域伝に大宛国に善馬多くその馬は血を汗にするという。ここは大宛の天馬の如き名馬をさす。○

沙苑行 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 91 

鳥呼風 風の吹くのに鳥がかなしく風に向かって呼び合っているばかりである。とはさびしい様子をいったものである。以上は玄宗の盛時をのべ其の崩後に及び感慨を以て結んだ。
玄武門 

743廣徳2年764-1 《韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖-#3》 蜀中転々 杜甫 <652>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3570 杜甫詩1000-652-908/1500

杜甫《韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖-#3》九匹の馬がいずれおとらず神駿なすがたをしているのは愛すべきみものである。横をむき、前をみつめている彼らの眼付きは澄んでいて、うえの方を見ており、気象はおちついておだやかなのである。そもそも、この馬の姿を愛する者はたれかと問うならば、前には支道林、後では吾が韋諷があるというものだ。』


2014年1月9日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固)《東都賦》(2)#1-2 文選 賦<112―50>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1004 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3568
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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《贈別元十八協律,六首之一》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <917>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3569韓愈詩-232-3
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 743廣徳2年764-1 《韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖-#3》 蜀中転々 杜甫 <652>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3570 杜甫詩1000-652-908/1500
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Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 10 -8 臨江仙七首其四 牛學士希濟(牛希濟)ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-405-10-#8  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3572
 
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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

743廣徳2764-1 《韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖-#3》 蜀中転々 杜甫 <652>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3570 杜甫詩1000-652-908/1500

 

 

作時:763年 廣德元年 杜甫52歳 

掲 載; 杜甫1000首の650首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-906回目

 

韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖 #1

(録事である韋諷の宅において曹覇将軍の九馬の図を見てよんだ詩。)

國初已來畫鞍馬,神妙獨數江都王。

吾が唐の開国以来、鞍馬を画くのに神妙とかぞえられる人は江都王の李緒だけである。

將軍得名三十載,人間又見真乘。』

ついで曹将軍が画名を得ることおよそ三十年、人間界に、また兵の名馬をみることができたのである。』

曾貌先帝照夜白,龍池十日飛霹靂。

将軍はかつて先帝である玄宗の御馬「照夜白」をかいたが、そのおりには十日にして画の成るや興慶宮内の竜池で竜精相感じて霹靂が飛ぶというようなことがあった。

府殷紅馬腦碗,婕妤傳詔才人索。

この画に対して先帝は側室の婕妤におおせがあり、婕妤はさらに詔をつたえて才人に命じ、内府に就いて殷紅色の瑪瑙の大皿をさがしださせてそれを将軍に賜わった。

#2

碗賜將軍拜舞歸,輕紈細綺相追飛。

将軍は恩賜の品を拝受して舞踏の礼をもって私第に帰ったところが、そのあとから追っかけて更に急の御使いを以て軽い紈・細綺 錦 などくさぐさを御下賜になった。

貴戚權門得筆跡,始覺屏障生光輝。』
宮中がかくのごとくであるから、貴戚、権門のやからも、将軍の筆跡を得てはじめて其の家の屏風やついたてにかがやきが生ずるようなここちがしたのである。』

昔日太宗拳毛騧,近時郭家師子花。

さていま見る将軍の九馬の図であるが、昔でいうなら太宗の「拳毛騧」、近頃でいうなら郭子儀氏の獅子花であろう。
今之新圖有二馬,複令識者久歎嗟。

この二つの馬は共に図のなかにかかれてあって、従来の馬図とおなじく眼識のあるものに感歎されているのである。

 

#3

此皆騎戰一敵萬,縞素漠漠開風沙。

この二馬はこれに騎って戦えば一人で万人にも敵することができるもので、これをみると、縞素【えぎぬ】のうえに漠漠と風沙の世界があらわしだされている。

其餘七匹亦殊,迥若寒空動煙雪。

其の余の七匹も特別の姿をした馬であり、そのさまをながめるとずっととおくして冬の寒空に煙や雪が動いているようだ。

霜蹄蹴踏長楸間,馬官廝養森成列。』

すなわち椒樹のつづく並樹のあいだに馬は霜ざえの蹄を蹴たてており、また馬のかかりの官員や小ものの兵卒が多く行列しているのである。』

可憐九馬爭神駿,顧視清高氣深穩。

九匹の馬がいずれおとらず神駿なすがたをしているのは愛すべきみものである。横をむき、前をみつめている彼らの眼付きは澄んでいて、うえの方を見ており、気象はおちついておだやかなのである。

借問苦心愛者誰,後有韋諷前支遁。』

そもそも、この馬の姿を愛する者はたれかと問うならば、前には支道林、後では吾が韋諷があるというものだ。』

#4

憶昔巡幸新豐宮,翠華拂天來向東。

騰驤磊落三萬匹,皆與此圖筋骨同。

自從獻寶朝河宗,無複射蛟江水中。

君不見金粟堆前松柏裏,龍媒去盡鳥呼風。』

 

(韋諷錄事の宅 曹將軍の「畫馬圖」を觀る) #1

國初めに已に鞍馬を畫く來たる,神妙にするは 獨り數しば江都王に。

將軍 名を得る 三十載,人間 又た真に黃にるを見る。』

曾貌す 先帝の「照夜白」,龍池 十日 霹靂に飛ぶ。

府 殷紅 馬腦の碗,婕妤 詔を傳えて 才人索む。

#2

碗 將軍に賜わり 拜舞して歸り,輕紈 細綺して 相い追い飛ぶ。

貴戚 權門 筆跡を得,始めて覺ゆ 屏障 光輝を生ずを。』

昔日 太宗の「拳毛騧」,近時 郭家の「師子花」。

今の新圖 二馬有り,複た 識者に令して 久しく歎嗟せる。

#3

此れ皆 騎戰 一つに 萬を敵す,縞素 漠漠として 風沙を開く。

其の餘 七匹 亦た殊,迥として寒空 煙雪動くが若し。

霜蹄 長楸の間に蹴踏し,馬官 廝養【しよう】森として列を成す。』

憐れむ可し九馬 神駿を爭う,顧視 清高 氣 深く穩かに。

借問す 苦心 愛する者は誰ぞ,後には韋諷有り 前には支遁あり。』

#4

憶う昔 巡幸す「新豐宮」,翠華 天を拂うて來って東に向う。

騰驤【とうじょう】磊落【らいらく】して三萬匹,皆 此の圖と筋骨同じゅうす。

寶を獻じて朝河宗を從【せし】めし自【よ】り,複た蛟を江水の中に射る無し。

君見ずや 金粟【きんぞく】堆前【たいぜん】松柏の裏【うち】に,龍媒【りょうばい】去り盡くして鳥 風を呼ぶを。』


駿馬02
 
 

『韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖』 現代語訳と訳註

(本文) #3

此皆騎戰一敵萬,縞素漠漠開風沙。

其餘七匹亦殊,迥若寒空動煙雪。

霜蹄蹴踏長楸間,馬官廝養森成列。』

可憐九馬爭神駿,顧視清高氣深穩。

借問苦心愛者誰,後有韋諷前支遁。』

 

(下し文)

此れ皆 騎戰 一つに 萬を敵す,縞素 漠漠として 風沙を開く。

其の餘 七匹 亦た殊,迥として寒空 煙雪動くが若し。

霜蹄 長楸の間に蹴踏し,馬官 廝養【しよう】森として列を成す。』

憐れむ可し九馬 神駿を爭う,顧視 清高 氣 深く穩かに。

借問す 苦心 愛する者は誰ぞ,後には韋諷有り 前には支遁あり。』

 

(現代語訳)

この二馬はこれに騎って戦えば一人で万人にも敵することができるもので、これをみると、縞素【えぎぬ】のうえに漠漠と風沙の世界があらわしだされている。

其の余の七匹も特別の姿をした馬であり、そのさまをながめるとずっととおくして冬の寒空に煙や雪が動いているようだ。

すなわち椒樹のつづく並樹のあいだに馬は霜ざえの蹄を蹴たてており、また馬のかかりの官員や小ものの兵卒が多く行列しているのである。』

九匹の馬がいずれおとらず神駿なすがたをしているのは愛すべきみものである。横をむき、前をみつめている彼らの眼付きは澄んでいて、うえの方を見ており、気象はおちついておだやかなのである。

そもそも、この馬の姿を愛する者はたれかと問うならば、前には支道林、後では吾が韋諷があるというものだ。』

 

玄武門 

(訳注) #3

此皆騎戰一敵萬,縞素漠漠開風沙。

この二馬はこれに騎って戦えば一人で万人にも敵することができるもので、これをみると、縞素【えぎぬ】のうえに漠漠と風沙の世界があらわしだされている。

此 二馬をさす。

騎戦 騎って戦うことをいう。

一敵万 一人を以て万人に相当する。

縞素 白いきぬ、画絹のこと。

漠漠 ひろく散敷するさま。

開風沙 開とは眼前に展開しあらわれでること。「開生面」の開に同じ、風抄は沙漠の風抄をいう。

 

其餘七匹亦殊,迥若寒空動煙雪。

其の余の七匹も特別の姿をした馬であり、そのさまをながめるとずっととおくして冬の寒空に煙や雪が動いているようだ。

七匹 九馬の図において上に二馬を挙げたのでのこりは七匹である。

殊絶 特別に良い馬であることをいう。

 はるか、迢遠のさま。

寒空動煙雪 風沙の状をたとえる。寒天のおり、煙や雪のうごくがごとくである、それは馬が駆け砂塵をあげるためである。

 

霜蹄蹴踏長楸間,馬官廝養森成列。』

すなわち椒樹のつづく並樹のあいだに馬は霜ざえの蹄を蹴たてており、また馬のかかりの官員や小ものの兵卒が多く行列しているのである。』

霜蹄 霜を践むひづめ。

蹴踏 ける、ふむ。

長楸 「かや」の木の類、長とは遠くまで連なることをいう。

馬官 馬のかかりの役人。

廝養 兵卒で薪をさくものを廝、炊烹をなすものを養という。

森成列 森は木の多いさま、列は行列。以上は九馬図の本題に入って正写する。

 

可憐九馬爭神駿,顧視清高氣深穩。

九匹の馬がいずれおとらず神駿なすがたをしているのは愛すべきみものである。横をむき、前をみつめている彼らの眼付きは澄んでいて、うえの方を見ており、気象はおちついておだやかなのである。

○可憐 愛すべきことをいう。

争神駿 争は競う、神駿はふしぎにすぐれていること。

顧視 思うに二つのことをいい、顧は横をふりむくこと、視は前面を直視すること。馬が首をもちあげながら為す態度である。

清高 きよらかにたかい、眼つきがすんでうえの方をみる。

気 気象、意気。

深穩 おちついておだやか、馬の順良なさま。

 

借問苦心愛者誰,後有韋諷前支遁。』

そもそも、この馬の姿を愛する者はたれかと問うならば、前には支道林、後では吾が韋諷があるというものだ。』

借間 かりに質問する。

苦心 心をくるしませるほど。

愛 この馬の姿を愛することをいう。

支遁 晋の僧である、「世親」にいう、支道林(支遁)嘗て数匹の馬を養う、或るひと言う、道人馬を番うは韻(おもむき)あらずと、支が日く、貧道は其の神駿なるを重んずるのみ、と。以上は支遁を陪客として韋諷が馬を愛することをいう。
楊貴妃清華池002 

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杜甫《韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖-#2》宮中がかくのごとくであるから、貴戚、権門のやからも、将軍の筆跡を得てはじめて其の家の屏風やついたてにかがやきが生ずるようなここちがしたのである。』


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743     廣徳2764-1

卷別: 卷二二○  文體: 七言古詩 

詩題: 韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖

〔韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖歌〕

〔曹霸官左武衛將軍。〕 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

及地點: 龍池 (京畿道 京兆府 長安・新豐宮 (京畿道 京兆府 驪山・金粟山 (京畿道 京兆府 金粟山)     

交遊人物/地點: 韋諷 當地交遊(劍南道北部 益州成都) 曹霸 當地交遊(劍南道北部 益州 成都)

作時:763年 廣德元年 杜甫52歳 掲 載; 杜甫1000首の650首目-場面杜甫ブログ1500回予定の-906回目

 

韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖 #1

(録事である韋諷の宅において曹覇将軍の九馬の図を見てよんだ詩。)

國初已來畫鞍馬,神妙獨數江都王。

吾が唐の開国以来、鞍馬を画くのに神妙とかぞえられる人は江都王の李緒だけである。

將軍得名三十載,人間又見真乘。』

ついで曹将軍が画名を得ることおよそ三十年、人間界に、また兵の名馬をみることができたのである。』

曾貌先帝照夜白,龍池十日飛霹靂。

将軍はかつて先帝である玄宗の御馬「照夜白」をかいたが、そのおりには十日にして画の成るや興慶宮内の竜池で竜精相感じて霹靂が飛ぶというようなことがあった。

府殷紅馬腦碗,婕妤傳詔才人索。

この画に対して先帝は側室の婕妤におおせがあり、婕妤はさらに詔をつたえて才人に命じ、内府に就いて殷紅色の瑪瑙の大皿をさがしださせてそれを将軍に賜わった。

#2

碗賜將軍拜舞歸,輕紈細綺相追飛。

将軍は恩賜の品を拝受して舞踏の礼をもって私第に帰ったところが、そのあとから追っかけて更に急の御使いを以て軽い紈・細綺 錦 などくさぐさを御下賜になった。

貴戚權門得筆跡,始覺屏障生光輝。』
宮中がかくのごとくであるから、貴戚、権門のやからも、将軍の筆跡を得てはじめて其の家の屏風やついたてにかがやきが生ずるようなここちがしたのである。』

昔日太宗拳毛騧,近時郭家師子花。

さていま見る将軍の九馬の図であるが、昔でいうなら太宗の「拳毛騧」、近頃でいうなら郭子儀氏の獅子花であろう。
今之新圖有二馬,複令識者久歎嗟。

この二つの馬は共に図のなかにかかれてあって、従来の馬図とおなじく眼識のあるものに感歎されているのである。

#3

此皆騎戰一敵萬,縞素漠漠開風沙。

其餘七匹亦殊,迥若寒空動煙雪。

霜蹄蹴踏長楸間,馬官廝養森成列。』

可憐九馬爭神駿,顧視清高氣深穩。

借問苦心愛者誰,後有韋諷前支遁。』

#4

憶昔巡幸新豐宮,翠華拂天來向東。

騰驤磊落三萬匹,皆與此圖筋骨同。

自從獻寶朝河宗,無複射蛟江水中。

君不見金粟堆前松柏裏,龍媒去盡鳥呼風。』

 

(韋諷錄事の宅 曹將軍の「畫馬圖」を觀る) #1

國初めに已に鞍馬を畫く來たる,神妙にするは 獨り數しば江都王に。

將軍 名を得る 三十載,人間 又た真に黃にるを見る。』

曾貌す 先帝の「照夜白」,龍池 十日 霹靂に飛ぶ。

府 殷紅 馬腦の碗,婕妤 詔を傳えて 才人索む。

#2

碗 將軍に賜わり 拜舞して歸り,輕紈 細綺して 相い追い飛ぶ。

貴戚 權門 筆跡を得,始めて覺ゆ 屏障 光輝を生ずを。』

昔日 太宗の「拳毛騧」,近時 郭家の「師子花」。

今の新圖 二馬有り,複た 識者に令して 久しく歎嗟せる。

#3

此れ皆 騎戰 一つに 萬を敵す,縞素 漠漠として 風沙を開く。

其の餘 七匹 亦た殊,迥として寒空 煙雪動くが若し。

霜蹄 長楸の間に蹴踏し,馬官 廝養【しよう】森として列を成す。』

憐れむ可し九馬 神駿を爭う,顧視 清高 氣 深く穩かに。

借問す 苦心 愛する者は誰ぞ,後には韋諷有り 前には支遁あり。』

#4

憶う昔 巡幸す「新豐宮」,翠華 天を拂うて來って東に向う。

騰驤【とうじょう】磊落【らいらく】して三萬匹,皆 此の圖と筋骨同じゅうす。

寶を獻じて朝河宗を從【せし】めし自【よ】り,複た蛟を江水の中に射る無し。

君見ずや 金粟【きんぞく】堆前【たいぜん】松柏の裏【うち】に,龍媒【りょうばい】去り盡くして鳥 風を呼ぶを。』

80022008 






玄武門









『韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖』 現代語訳と訳註

(本文)#2

碗賜將軍拜舞歸,輕紈細綺相追飛。

貴戚權門得筆跡,始覺屏障生光輝。』

昔日太宗拳毛騧,近時郭家師子花。

今之新圖有二馬,複令識者久歎嗟。

 

(下し文)#2

碗 將軍に賜わり 拜舞して歸り,輕紈 細綺して 相い追い飛ぶ。

貴戚 權門 筆跡を得,始めて覺ゆ 屏障 光輝を生ずを。』

昔日 太宗の「拳毛騧」,近時 郭家の「師子花」。

今の新圖 二馬有り,複た 識者に令して 久しく歎嗟せる。

 

(現代語訳)

将軍は恩賜の品を拝受して舞踏の礼をもって私第に帰ったところが、そのあとから追っかけて更に急の御使いを以て軽い紈・細綺 錦 などくさぐさを御下賜になった。

宮中がかくのごとくであるから、貴戚、権門のやからも、将軍の筆跡を得てはじめて其の家の屏風やついたてにかがやきが生ずるようなここちがしたのである。』

さていま見る将軍の九馬の図であるが、昔でいうなら太宗の「拳毛騧」、近頃でいうなら郭子儀氏の獅子花であろう。

この二つの馬は共に図のなかにかかれてあって、従来の馬図とおなじく眼識のあるものに感歎されているのである。

 

青城山06(訳注)

韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖

(録事である韋諷の宅において曹覇将軍の九馬の図を見てよんだ詩。) #2

碗賜將軍拜舞歸,輕紈細綺相追飛。

将軍は恩賜の品を拝受して舞踏の礼をもって私第に帰ったところが、そのあとから追っかけて更に急の御使いを以て軽い紈・細綺 錦 などくさぐさを御下賜になった。

碗賜 碗は#1の瑪瑙碗。

拝舞 将軍が賜を拝して舞うこと。

軽執細綺相迫飛 此の句も仇注は「杜臆」を引いて貴戚権門の画を求めるものをさすとし、倒插法(あとにいうべきことをさきにのべる法)としているが、これも其の説に従いがたい、倒插法も一句飛びこえようなことはありえないことである。此の「軽執」一句は、明らかに「碗賜将軍」の句を順当に受けているもので、将軍に対する従賜の物のことをのべたものとみるべきである。紈・綺はうすぎぬ、あやぎぬ、相追飛とは将軍が御殿を退出したあとから碗だけではまだ足らぬとして追いかけて至急に持たせておつかわしになることをいう。

 

貴戚權門得筆跡,始覺屏障生光輝。』

宮中がかくのごとくであるから、貴戚、権門のやからも、将軍の筆跡を得てはじめて其の家の屏風やついたてにかがやきが生ずるようなここちがしたのである。』

貴戚 身分の貴い皇室の御親戚。

権門 権勢ある家。

筆跡 将軍の揮毫。

屏障 屏風、ついたて。障壁

生光輝 かがやきわたる。以上は将軍が御馬をかいて賞品を賜わったこととその画が権貴の家にも重んぜられることをのべる。

 

 

昔日太宗拳毛騧,近時郭家師子花。

さていま見る将軍の九馬の図であるが、昔でいうなら太宗の「拳毛騧」、近頃でいうなら郭子儀氏の獅子花であろう。

拳毛駒 太宗の六駿の一つ、劉黒闥を平らげたとき乗った馬である、太宗の昭陵の北闕の六駿石刻第五に存している、駒は黄馬黒喙(くりげでくちもとのくろいこと)の馬をいう、拳毛はちぢれげ。拳毛騧(昭陵六駿)【和:けんもうか】隋・唐・五代|彫刻・書画|>拳毛騧(昭陵六駿)唐時代高172cm 幅204cm

近時 代宗の朝廷をさす。

郭家 郭子儀の家。

獅子花 馬の名、九花虯のことであるという、代宗が陝州より帰還されたとき御馬の九花虯・紫玉鞭・轡(たづな)を郭子儀に賜わったという。九花虯は額高九寸、拳毛、麟の如くであったという。

 

今之新圖有二馬,複令識者久歎嗟。

この二つの馬は共に図のなかにかかれてあって、従来の馬図とおなじく眼識のあるものに感歎されているのである。

今之新図 今日眼前に見る所の曹覇のこの図。

二馬 拳毛騧と獅子花。

復 従前画いた所のものにそえでまたという。

識者 眼識のあるもの。

歎嗟 感歎する。

長安城皇城図 

廣徳2年764-1 《韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖》 蜀中転々 杜甫 <650>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3560 杜甫詩1000-650-906/1500743

《韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖》 杜甫(録事である韋諷の宅において曹覇将軍の九馬の図を見てよんだ詩。)吾が唐の開国以来、鞍馬を画くのに神妙とかぞえられる人は江都王の李緒だけである。
 


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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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廣徳2764-1 《韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖》 蜀中転々 杜甫 <650>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3560 杜甫詩1000-650-906/1500743

 

743     廣徳2764-1

卷別: 卷二二○  文體: 七言古詩 

詩題: 韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖

〔韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖歌〕

〔曹霸官左武衛將軍。〕 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

及地點: 龍池 (京畿道 京兆府 長安・新豐宮 (京畿道 京兆府 驪山・金粟山 (京畿道 京兆府 金粟山)     

交遊人物/地點: 韋諷 當地交遊(劍南道北部 益州 成都) 曹霸 當地交遊(劍南道北部 益州 成都)

作時:763年 廣德元年 杜甫52歳 掲 載; 杜甫1000首の650首目-場面杜甫ブログ1500回予定の-906回目

 

韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖 #1

(録事である韋諷の宅において曹覇将軍の九馬の図を見てよんだ詩。)

國初已來畫鞍馬,神妙獨數江都王。

吾が唐の開国以来、鞍馬を画くのに神妙とかぞえられる人は江都王の李緒だけである。

將軍得名三十載,人間又見真乘。』

ついで曹将軍が画名を得ることおよそ三十年、人間界に、また兵の名馬をみることができたのである。』

曾貌先帝照夜白,龍池十日飛霹靂。

将軍はかつて先帝である玄宗の御馬「照夜白」をかいたが、そのおりには十日にして画の成るや興慶宮内の竜池で竜精相感じて霹靂が飛ぶというようなことがあった。

府殷紅馬腦碗,婕妤傳詔才人索。

この画に対して先帝は側室の婕妤におおせがあり、婕妤はさらに詔をつたえて才人に命じ、内府に就いて殷紅色の瑪瑙の大皿をさがしださせてそれを将軍に賜わった。

#2

碗賜將軍拜舞歸,輕紈細綺相追飛。

貴戚權門得筆跡,始覺屏障生光輝。』

昔日太宗拳毛騧,近時郭家師子花。

今之新圖有二馬,複令識者久歎嗟。

#3

此皆騎戰一敵萬,縞素漠漠開風沙。

其餘七匹亦殊,迥若寒空動煙雪。

霜蹄蹴踏長楸間,馬官廝養森成列。』

可憐九馬爭神駿,顧視清高氣深穩。

借問苦心愛者誰,後有韋諷前支遁。』

#4

憶昔巡幸新豐宮,翠華拂天來向東。

騰驤磊落三萬匹,皆與此圖筋骨同。

自從獻寶朝河宗,無複射蛟江水中。

君不見金粟堆前松柏裏,龍媒去盡鳥呼風。』

 

(韋諷錄事の宅 曹將軍の「畫馬圖」を觀る) #1

國初めに已に鞍馬を畫く來たる,神妙にするは 獨り數しば江都王に。

將軍 名を得る 三十載,人間 又た真に黃にるを見る。』

曾貌す 先帝の「照夜白」,龍池 十日 霹靂に飛ぶ。

府 殷紅 馬腦の碗,婕妤 詔を傳えて 才人索む。

#2

碗 將軍に賜わり 拜舞して歸り,輕紈 細綺して 相い追い飛ぶ。

貴戚 權門 筆跡を得,始めて覺ゆ 屏障 光輝を生ずを。』

昔日 太宗の「拳毛騧」,近時 郭家の「師子花」。

今の新圖 二馬有り,複た 識者に令して 久しく歎嗟せる。

#3

此れ皆 騎戰 一つに 萬を敵す,縞素 漠漠として 風沙を開く。

其の餘 七匹 亦た殊,迥として寒空 煙雪動くが若し。

霜蹄 長楸の間に蹴踏し,馬官 廝養【しよう】森として列を成す。』

憐れむ可し九馬 神駿を爭う,顧視 清高 氣 深く穩かに。

借問す 苦心 愛する者は誰ぞ,後には韋諷有り 前には支遁あり。』

#4

憶う昔 巡幸す「新豐宮」,翠華 天を拂うて來って東に向う。

騰驤【とうじょう】磊落【らいらく】して三萬匹,皆 此の圖と筋骨同じゅうす。

寶を獻じて朝河宗を從【せし】めし自【よ】り,複た蛟を江水の中に射る無し。

君見ずや 金粟【きんぞく】堆前【たいぜん】松柏の裏【うち】に,龍媒【りょうばい】去り盡くして鳥 風を呼ぶを。』

長安城郭015 

 

韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖』 現代語訳と訳註

(本文)

韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖

國初已來畫鞍馬,神妙獨數江都王。

將軍得名三十載,人間又見真乘。』

曾貌先帝照夜白,龍池十日飛霹靂。

府殷紅馬腦碗,婕妤傳詔才人索。

 

(下し文)

(韋諷錄事の宅 曹將軍の「畫馬圖」を觀る) #1

國初めに已に鞍馬を畫く來たる,神妙にするは 獨り數しば江都王に。

將軍 名を得る 三十載,人間 又た真に黃にるを見る。』

曾貌す 先帝の「照夜白」,龍池 十日 霹靂に飛ぶ。

府 殷紅 馬腦の碗,婕妤 詔を傳えて 才人索む。

 

(現代語訳)

(録事である韋諷の宅において曹覇将軍の九馬の図を見てよんだ詩。)

吾が唐の開国以来、鞍馬を画くのに神妙とかぞえられる人は江都王の李緒だけである。

ついで曹将軍が画名を得ることおよそ三十年、人間界に、また兵の名馬をみることができたのである。』

将軍はかつて先帝である玄宗の御馬「照夜白」をかいたが、そのおりには十日にして画の成るや興慶宮内の竜池で竜精相感じて霹靂が飛ぶというようなことがあった。

この画に対して先帝は側室の婕妤におおせがあり、婕妤はさらに詔をつたえて才人に命じ、内府に就いて殷紅色の瑪瑙の大皿をさがしださせてそれを将軍に賜わった。

 

 

(訳注)

韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖

(録事である韋諷の宅において曹覇将軍の九馬の図を見てよんだ詩。)

諷録事 録事参軍諷。前年に『東津送韋諷攝閬州錄事』があり、後に諷が閬州にゆくのを送る詩『送韋諷上閬州錄事參軍』がある。

650五言律詩 《東津送韋諷攝閬州錄事》 蜀中転々 杜甫 <555  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3000 杜甫詩1000-555-794/1500

○宅 閬州の韋諷の宅。

○曹将軍 曹将軍覇で唐の左武衛将軍曹覇をいう、曹覇は魏の曹操の後商である、毫は画を以て魏の代に称せられた、曹覇は玄宗の開元中にすでに有名になり、天宝の末には詔によって御馬及び功臣の像を写した。官は左武衛将軍に至った。

○画馬図 これは九馬図をいう、後に宋に入り、この図は薛紹彰の家に伝わり、蘇東陂がその贅を作っている。

 

國初已來畫鞍馬,神妙獨數江都王。

吾が唐の開国以来、鞍馬を画くのに神妙とかぞえられる人は江都王の李緒だけである。

国初 唐の開国の初め。

巳来 以来。

江都王 名を緒といい、霍王元軌の子で太宗のおいである。才芸に富み書画を善くした、鞍馬に名を接にし、官は金州刺史に至った。

 

將軍得名三十載,人間又見真乘黃。』

ついで曹将軍が画名を得ることおよそ三十年、人間界に、また兵の名馬をみることができたのである。』

将軍 曹覇。

得名 画名を世間から得る。

真乘黃 乘黃は神馬であり、この画に見える兵の駿馬の姿をさしていう。ただ「瑞応図」・「竹書紀年」・「山海経」などにみえる、又「穆天子伝」に「渠黄ノ乗」があり、この馬は一に飛黄ともいい、狐に似ていて背の上に両角があるという怪獣をいうばあいもある。詩意は江都王李緒を陪客として曹将軍の画馬に妙であることをのべるもの。

 

曾貌先帝照夜白,龍池十日飛霹靂。

将軍はかつて先帝である玄宗の御馬「照夜白」をかいたが、そのおりには十日にして画の成るや興慶宮内の竜池で竜精相感じて霹靂が飛ぶというようなことがあった。

貌 えがく。

先帝 この詩では玄宗のこと。玄宗から粛宗、そして代宗になって二年目であるから、実際は先々帝になる。

照夜白 玄宗の愛乗の馬の名。

竜池 南薫殿の北にある池である。玄宗がまだ王であった時の故宅であったが、井戸があふれて池となり、深さ数丈、其の中より黄竜がおどり出ることがあった。玄宗は即位ののちここに興慶宮を建て池を竜池と呼んだ。南薫殿は唐の長安の南内である興慶宮内の正殿を興慶殿という、殿前に瀛州門があり、門内に南薫殿があり、殿の北には竜池がある。

 

十日 画の期間である。

飛霹靂 霹靂はいなずま、急疾の宵をいう、此の句は地中の竜が動きだしたことをいう、動きだしたことをいうのは将軍の画鳥が霊奇なのによってそれに感動したことをいうのである。

 

府殷紅馬腦碗,婕妤傳詔才人索。

この画に対して先帝は側室の婕妤におおせがあり、婕妤はさらに詔をつたえて才人に命じ、内府に就いて殷紅色の瑪瑙の大皿をさがしださせてそれを将軍に賜わった。

内府 御宝物の蔵。

殿紅殿とは赤黒色のこと。

馬腦碗 めのうの大皿。

婕妤 倢伃(せつよ、慣用として「しょうよ」とよむ)は中国前漢以降の後宮における皇帝の側室の称号である。、正三品官で九人ある。

才人 文芸・歌舞をもって後宮に仕えた女官。、正四品で七人ある。

索 内府に就いて碗盤を索め取ることをいう。画はすでにかき終ってここはそれに対する賞賜物をさがし出すことをのべる所である。
 駿馬02

742 《漢州王大錄事宅作》 蜀中転々 杜甫 <649>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3555 杜甫詩1000-649-905/1500

杜甫《漢州王大錄事宅作》 王大録事のお宅の庭の岸は川が増水して同じ高さまで嵩が上がっている。この家に書斎を見てみると寝台牀のまわりには詩文をしたためた書が散らばっていっぱいになっている。
 

2014年1月6日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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《瀧吏》嶺南行(4)-9(最終回)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <914>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3554韓愈詩-239
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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742 《漢州王大錄事宅作》 蜀中転々 杜甫 <649  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3555 杜甫詩1000-649-905/1500




作時:
763 廣德元年 杜甫52歳 

卷別: 卷八八二  文體: 五言律詩 

詩題: 漢州王大錄事宅作 

作地點: 漢州(劍南道北部 / 漢州 / 漢州

及地點: 漢州 (劍南道北部 漢州 漢州)     

交遊人物: 王大錄事

掲 載; 杜甫1000首の649首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-905回目

 

 

漢州王大錄事宅作

(漢州の王大錄事の宅にてこの詩を作る。)

komichi03南溪老病客,相見下肩輿。 

南に渓谷には老人で持病を持った旅客の私がいる。そこで他の人の助けで互いに肩車をしてもらって下って行く。

近髮看烏帽,催蓴煮白魚。 

神輿の上から、近くに髪の毛がみられ、烏帽子も近くに見る。そのあとで、じゅんさいを用意してこの地の白魚を煮込んでくれる。

宅中平岸水,身外滿床書。 

王大録事のお宅の庭の岸は川が増水して同じ高さまで嵩が上がっている。この家に書斎を見てみると寝台牀のまわりには詩文をしたためた書が散らばっていっぱいになっている。

憶爾才名叔,含悽意有餘。 

貴方は才能も名声も知れ渡った方だということであるが、それでもすこしものたりないとおもうのは心意気ばかりがありあまっているところだ。

 

『漢州王大錄事宅作』 現代語訳と訳註

(本文)

漢州王大錄事宅作

南溪老病客,相見下肩輿。 

近髮看烏帽,催蓴煮白魚。 

宅中平岸水,身外滿床書。 

憶爾才名叔,含悽意有餘。 

長安城皇城図 

 

(下し文)

(漢州の王大錄事の宅で作る)

南溪 老病の客,相見る 肩輿に下るを。 

近髮 烏帽を看,催蓴 白魚を煮る。 

宅中 岸水を平にし,身外 床書を滿す。 

爾を憶えば才名叔とす,悽を含めば意餘るに有る。 

 

 

(現代語訳)

(漢州の王大錄事の宅にてこの詩を作る。)

南に渓谷には老人で持病を持った旅客の私がいる。そこで他の人の助けで互いに肩車をしてもらって下って行く。

神輿の上から、近くに髪の毛がみられ、烏帽子も近くに見る。そのあとで、じゅんさいを用意してこの地の白魚を煮込んでくれる。

王大録事のお宅の庭の岸は川が増水して同じ高さまで嵩が上がっている。この家に書斎を見てみると寝台牀のまわりには詩文をしたためた書が散らばっていっぱいになっている。

貴方は才能も名声も知れ渡った方だということであるが、それでもすこしものたりないとおもうのは心意気ばかりがありあまっているところだ。

 

(訳注)

漢州王大錄事宅作

(漢州の王大錄事の宅にてこの詩を作る。)

 

南溪 老病 ,相見 肩輿

南に渓谷には老人で持病を持った旅客の私がいる。そこで他の人の助けで互いに肩車をしてもらって下って行く。

「南溪」漢州の南の渓谷。

「客」旅客者、杜甫自身のこと。

「肩輿」輿を肩でかつぐ。

烏紗帽00 

 

近髮 烏帽 ,催蓴 白魚

神輿の上から、近くに髪の毛がみられ、烏帽子も近くに見る。そのあとで、じゅんさいを用意してこの地の白魚を煮込んでくれる。

「烏帽」官人や庶民が日常的に着用した様である。 黒い薄物の布帛製ではあるが、 形状は良く分かっておらず袋状の帽子だったのではと推測されている

「催」1 準備をすること。用意を整えること。2 名詞の下に付けて、その物事のきざしが見えることを表す。

「蓴」蓴菜(じゆんさい)

 

宅中 岸水 ,身外 滿床

王大録事のお宅の庭の岸は川が増水して同じ高さまで嵩が上がっている。この家に書斎を見てみると寝台牀のまわりには詩文をしたためた書が散らばっていっぱいになっている。

「平」宅地の高さまで川水の嵩があがっておなじたかさとなること。

 

憶爾 才名 叔,含悽 有餘

貴方は才能も名声も知れ渡った方だということであるが、それでもすこしものたりないとおもうのは心意気ばかりがありあまっているところだ。
帽子03 

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杜甫《又送》涪江を中に左右に峯が広がり、寂しさが広がるこの春の梓州の高楼を前にして立つ。傍にはたけの林が青々としてあり、送別の宴において旅客者として酒をすすめられ、その盃に日が射している。
 

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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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詩 題:又送(惠義寺園送辛員外)〔草堂逸詩拾遺〕

作時:763 廣德元年 杜甫52歳 

卷別: 卷二三四  文體: 七言律詩 

詩題: 又送(惠義寺園送辛員外)〔草堂逸詩拾遺-(17) 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  惠義寺 (劍南道北部 梓州 ・綿州 (劍南道北部 綿州 綿州)     

交遊人物: 辛員外 當地交遊(劍南道北部 梓州 )

 

掲 載; 杜甫1000首の648首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-904回目

 

 

〔草堂逸詩拾遺-(17)

又送(惠義寺園送辛員外)

(惠義寺の園で辛員外で送別の宴をし、綿州まで送ってそこ施また送別の宴をする)

峰寂寂對春臺,萬竹青青照客杯。

涪江を中に左右に峯が広がり、寂しさが広がるこの春の梓州の高楼を前にして立つ。傍にはたけの林が青々としてあり、送別の宴において旅客者として酒をすすめられそのれに日が射している。

細草留連侵坐軟,殘花悵望近人開。

芽生え始めた草は少し続いて、断続し、草の上の筵の宴はすわり心地をやわらかくする。散り残った花がこの別れで寂しく望んでいるけれど、人々は近くに集まって宴を楽しく始めている。

同舟昨日何由得,並馬今朝未擬迴。

昨日は同じ船に乗って遊んだが、何というわけがあったのだろうか。この朝は馬を並べてすすめるけれど、未だにグルッとまわってかえってくるようなことはない。

直到綿州始分首,江邊樹裡共誰來。

くつわを並べていくとただちに綿州に到着するだろう、すると始めて行く方向を変えることする、この涪江のほとりの樹林の中の宴では今度は誰と一緒に來るのだろうか。

 竹林0021

 

『又送』 現代語訳と訳註

(本文)

又送(惠義寺園送辛員外)

雙峰寂寂對春臺,萬竹青青照客杯。

細草留連侵坐軟,殘花悵望近人開。

同舟昨日何由得,並馬今朝未擬迴。

直到綿州始分首,江邊樹裡共誰來。

 

(下し文)

又た送る(惠義寺の園で辛員外を送る)

雙峰 寂寂として春臺に對し,萬竹 青青として客杯を照す。

細草 留連して坐るを侵して軟かなり,殘花 悵望して人を近くし開く。

同舟 昨日のこと 何ぞ由し得て,並馬 今朝のこと 未だ迴えらんと擬わず。

直に綿州に到れば始めて首を分つ,江邊 樹の裡 共に誰か來らん。

 

(現代語訳)

(惠義寺の園で辛員外で送別の宴をし、綿州まで送ってそこ施また送別の宴をする)

涪江を中に左右に峯が広がり、寂しさが広がるこの春の梓州の高楼を前にして立つ。傍にはたけの林が青々としてあり、送別の宴において旅客者として酒をすすめられ、その盃に日が射している。

芽生え始めた草は少し続いて、断続し、草の上の筵の宴はすわり心地をやわらかくする。散り残った花がこの別れで寂しく望んでいるけれど、人々は近くに集まって宴を楽しく始めている。

昨日は同じ船に乗って遊んだが、何というわけがあったのだろうか。この朝は馬を並べてすすめるけれど、未だにグルッとまわってかえってくるようなことはない。

くつわを並べていくとただちに綿州に到着するだろう、すると始めて行く方向を変えることする、この涪江のほとりの樹林の中の宴では今度は誰と一緒に來るのだろうか。


四川省西部地区略図

 

(訳注)

又送(惠義寺園送辛員外)

(惠義寺の園で辛員外で送別の宴をし、綿州まで送ってそこ施また送別の宴をする)

惠義寺園で辛員外を送別の宴を開かれ、杜甫は船で、綿州まで送っていった。そこで辛外員を送別し、杜甫は梓州に帰ることになるということをつげているのである。

 

雙峰 寂寂 對春臺 ,萬竹 青青 客杯

涪江を中に左右に峯が広がり、寂しさが広がるこの春の梓州の高楼を前にして立つ。傍にはたけの林が青々としてあり、送別の宴において旅客者として酒をすすめられ、その盃に日が射している。

「雙峰」涪江を真ん中に両側に山峰崖嶺。

「寂寂」語義類別:物、形容詞彙(物)、環境狀態、寂寂。

「春臺」春たけなわの惠義寺の庭園の楼閣。

「萬竹」一帯に、一杯に竹林。

 

細草 留連侵 坐軟 ,殘花 悵望 近人

芽生え始めた草は少し続いて、断続し、草の上の筵の宴はすわり心地をやわらかくする。散り残った花がこの別れで寂しく望んでいるけれど、人々は近くに集まって宴を楽しく始めている。

「細草」細いシュッとした草。芽吹いたばかりの若い草。

「侵坐軟」草深い所に筵を引いた様子を云う。

「殘花」散り始めた中で花を咲かせている。

「悵望」心をいためて思いやること。うらめしげに見やること。魚玄機『光・威・裒、姉妹三人、小孤、而始姸乃有是作。』「悵望佳人何處在,行雲歸北又歸南。」(悵望す 佳人 何れの處にか 在る、行雲は 北に歸り 叉 南に歸る。)

 

同舟 昨日 何由得,並馬 今朝 未擬

昨日は同じ船に乗って遊んだが、何というわけがあったのだろうか。この朝は馬を並べてすすめるけれど、未だにグルッとまわってかえってくるようなことはない。

「舟昨日、馬今朝」昨日は船に同乗っする。今朝からは轡を並べて一緒に進む。綿州にはひと山越えるので、このようにいう。

「未」語義類別:其他、其他詞彙、否定詞、不。

「擬」はかるなぞらえるまがいもどき1 どうしようかとはかり考える。思案する。「擬議」2 他のものと引き比べてみる。本物らしく似せる。なぞらえる。

 

直到 綿州 始分首 ,江邊 樹裡 共誰

くつわを並べていくとただちに綿州に到着するだろう、すると始めて行く方向を変えることする、この涪江のほとりの樹林の中の宴では今度は誰と一緒に來るのだろうか。

「到綿州」無粋礼を越えて、綿州に到着する。

綿州。

「分首」ここまで送ってきて綿州で別れる。

「江邊」涪江のほとり。
成都遂州00 

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杜甫《惠義寺園送辛員外》 君とは万里先のこんなところで互いに遭遇し、手を貪り取り合うことが出来るなんて思いもしなかった。君の才能が高いことは分かっていて、この別れの宴でもって十分発揮されることを希望するものである。
 

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作時:763年 廣德元年 杜甫52歳 

卷別: 卷二三四  文體: 七言 

詩題: 惠義寺園送辛員外〔草堂逸詩拾遺-(16)

及地點:  惠義寺 (劍南道北部 梓州 )     

交遊人物: 辛員外 當地交遊(劍南道北部 梓州 )

 

 

掲 載; 杜甫1000首の647首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-903回目

 

 

〔草堂逸詩拾遺-(16)

惠義寺園送辛員外

(惠義寺の中庭の園で辛員外君を送別する)

朱櫻此日垂朱實, 郭外誰家負郭田。 

さくらんぼがこの送別の日に紅い実を垂らしている。城外のその家には城内のどこぞの家で実っていたものをもらって植えたものであるという。

萬里相逢貪握手, 高才卻望足離筵。 

君とは万里先のこんなところで互いに遭遇し、手を貪り取り合うことが出来るなんて思いもしなかった。君の才能が高いことは分かっていて、この別れの宴でもって十分発揮されることを希望するものである。

桜桃002 

 

『惠義寺園送辛員外』 現代語訳と訳註

(本文)

惠義寺園送辛員外

朱櫻此日垂朱實, 郭外誰家負郭田。 

萬里相逢貪握手, 高才卻望足離筵。 

 

 

(下し文)

惠義寺の園 辛員外を送る

朱櫻 此日 朱實を垂る, 郭外 誰が家に 郭田を負わんか。 

萬里 相い逢い握手を貪り, 高才 卻て筵を離るを足らんとするを望む。 

 

(現代語訳)

(惠義寺の中庭の園で辛員外君を送別する)

さくらんぼがこの送別の日に紅い実を垂らしている。城外のその家には城内のどこぞの家で実っていたものをもらって植えたものであるという。

君とは万里先のこんなところで互いに遭遇し、手を貪り取り合うことが出来るなんて思いもしなかった。君の才能が高いことは分かっていて、この別れの宴でもって十分発揮されることを希望するものである。

 

 

(訳注)

惠義寺園送辛員外

(惠義寺の中庭の園で辛員外君を送別する)

 

朱櫻 此日 垂 朱實 ,郭外 誰家 負郭田 。

さくらんぼがこの送別の日に紅い実を垂らしている。城外のその家には城内のどこぞの家で実っていたものをもらって植えたものであるという。

「朱櫻」桜桃【おうとう】のこと。1㋐バラ科サクラ属の落葉小高木。晩春、葉より先に白い花をつけ、6月ごろ、球形で紅色の果実がなる。中国の原産で、日本へは明治初期に渡来。みざくら。しなみざくら。㋑食用になる桜ん坊。、中国には昔から華北・華中を中心に、支那桜桃(シナノミザクラ, Prunus pseudocerasus)・唐実桜(カラミザクラ)がある。口に含んで食べることから一名を含桃といい[5]、漢の時代に編纂された礼記『月令』の仲夏(旧暦5月)の条に「是月也,天子乃以雛嘗黍,羞以含桃,先薦寢廟」との記述がある。

「郭外」城郭都市(じょうかくとし)とは周囲を堀、土塁、城壁(市壁)などの防御施設によって囲んだ都市をいう。囲郭都市、城塞都市ともいい、城壁で囲んでいる場合は特に城壁都市をいう。

「郭田」 城郭内にある田畑。

 

 

萬里 相逢 貪 握手 ,高才 卻望 足離筵 。

君とは万里先のこんなところで互いに遭遇し、手を貪り取り合うことが出来るなんて思いもしなかった。君の才能が高いことは分かっていて、この別れの宴でもって十分発揮されることを希望するものである。

「萬里」おそらく長安で知り合っていたものであろう。長安から見て万里の先で出会ったことを云う。

「貪握手」久しぶりに出会ったことで手を取り合って喜びあったのだろう。

「離筵」別離の宴席。 
珠櫻001 

739 《惠義寺送王少尹赴成都〔得峰字。〕〔草堂逸詩拾遺-(15)〕》 蜀中転々 杜甫 <646>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3540 杜甫詩1000-646-902/1500〔草堂逸詩拾遺-(15)〕

杜甫≪惠義寺送王少尹赴成都≫広範囲なところで草が盛んに繁る谷の中にこのてらがある。美しく清らかな建物は林のに在り、その林は峯の方まで続いている。寺の高楼に上って欄干からとおくをみる。寺にはうまく建物が配置されており、いつもなんとなくここに何度もやってくる。
 

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班孟堅(班固)《西都賦》(44)#17(狩猟後の饗宴と昆明地ⅱ)-1 文選 賦<112―44>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩998 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3538
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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《瀧吏》嶺南行(4)-6韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <911>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3539韓愈詩-236
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 739 《惠義寺送王少尹赴成都〔得峰字。〕〔草堂逸詩拾遺-(15)〕》 蜀中転々 杜甫 <646>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3540 杜甫詩1000-646-902/1500〔草堂逸詩拾遺-(15)〕
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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739 《惠義寺送王少尹赴成都〔得峰字。〕〔草堂逸詩拾遺-(15)〕》 蜀中転々 杜甫 <646  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3540 杜甫詩1000-646-902/1500〔草堂逸詩拾遺-(15)

 

詩 題:惠義寺送王少尹赴成都〔得峰字。〕〔草堂逸詩拾遺-(15)

作時:763 廣德元年 杜甫52歳 

卷別: 卷二三四  文體: 五言律詩 

作地點: 梓州(劍南道北部 / 梓州 / 梓州

及地點: 惠義寺 (劍南道北部 梓州 )    ・成都 (劍南道北部 益州 成都) 別名:蜀    

交遊人物: 王少尹

掲 載; 杜甫1000首の646首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-902回目   41001

〔草堂逸詩拾遺-(15)

 

 

〔草堂逸詩拾遺-(15)

惠義寺送王少尹赴成都〔得峰字。〕

(惠義寺において王少尹どのが成都に赴くというのを送別する〔「峰」韻字を得る。〕)

苒苒谷中寺,娟娟林表峰。 

広範囲なところで草が盛んに繁る谷の中にこのてらがある。美しく清らかな建物は林のに在り、その林は峯の方まで続いている。

闌干上處遠,結構坐來重。 

寺の高楼に上って欄干からとおくをみる。寺にはうまく建物が配置されており、いつもなんとなくここに何度もやってくる。

騎馬行春徑,衣冠起晚鐘。 

昼には馬に乗って春けしにに変わったこの道をゆく。正式の衣服を整えて夕方には,四時の終わりの鐘をついて鳴らす。

雲門青寂寂,此別惜相從。 

高い所にある寺の門には雲がかかり、木々の青さの野かに静かに存在する。こうした中であなたとのこの別れをするというのは互いに惜しいということがついて回る。

泰山の道観02 

 

『惠義寺送王少尹赴成都〔得峰字。〕』 現代語訳と訳註

(本文) 〔草堂逸詩拾遺-(15)

惠義寺送王少尹赴成都〔得峰字。〕

苒苒谷中寺,娟娟林表峰。 

闌干上處遠,結構坐來重。 

騎馬行春徑,衣冠起晚鐘。 

雲門青寂寂,此別惜相從。 

 

(下し文)

惠義寺にて王少尹を成都に赴むくを送る〔得峰字。〕

苒苒【ぜんぜん】として谷中の寺,娟娟【えんえん】として林表の峰。 

闌干 遠くする處に上り,結構 坐ろに重ね來る。 

騎馬 春徑を行き,衣冠 晚鐘に起る。 

雲門 青くして寂寂たり,此の別 相に從って惜む。 

杏の白花012

(現代語訳)

(惠義寺において王少尹どのが成都に赴くというのを送別する〔「峰」韻字を得る。〕)

広範囲なところで草が盛んに繁る谷の中にこのてらがある。美しく清らかな建物は林のに在り、その林は峯の方まで続いている。

寺の高楼に上って欄干からとおくをみる。寺にはうまく建物が配置されており、いつもなんとなくここに何度もやってくる。

昼には馬に乗って春けしにに変わったこの道をゆく。正式の衣服を整えて夕方には,四時の終わりの鐘をついて鳴らす。

高い所にある寺の門には雲がかかり、木々の青さの野かに静かに存在する。こうした中であなたとのこの別れをするというのは互いに惜しいということがついて回る。

 

(訳注)

〔草堂逸詩拾遺-(15)

惠義寺送王少尹赴成都〔得峰字。〕

(惠義寺において王少尹どのが成都に赴くというのを送別する〔「峰」韻字を得る。〕)

658 《陪章留後惠義寺餞嘉州崔都督赴州》 蜀中転々 杜甫 <563-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3050 杜甫詩1000-563-#1-804/1500

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739 《惠義寺送王少尹赴成都【案:得峰字。】〔草堂逸詩拾遺〕》 蜀中転々 杜甫 <646>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3540 杜甫詩1000-646-902/1500〔草堂逸詩拾遺-(15)

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741 《又送(惠義寺園送辛員外)〔草堂逸詩拾遺〕》 蜀中転々 杜甫 <648>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3550 杜甫詩1000-648-904/1500〔草堂逸詩拾遺-(17)

『赴青城縣出成都寄陶王二少尹』

老被樊籠役,貧嗟出入勞。

客情投異縣,詩態憶吾曹。

東郭滄江合,西山白雪高。

文章差底病,回首興滔滔。

赴青城縣出成都寄陶王二少尹 成都5-(4) 杜甫 <457  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2230 杜甫詩1000-457-640/1500

 

苒苒 谷中 ,娟娟 林表

広範囲なところで草が盛んに繁る谷の中にこのてらがある。美しく清らかな建物は林のに在り、その林は峯の方まで続いている。

「苒苒」苒は草が盛んに繁るさま。やわらかく弱いさま。くさがしだいにのびるさま。苒苒となるから広範囲なところでが盛んに繁る様子、荏苒。

「娟娟」美しいさま。美しく清らかなさま。しなやかに舞うさま。

「峰」山峰崖嶺、峰。 杜甫が韻字として与えられたもの。

 

闌干 上處 ,結構 坐來

寺の高楼に上って欄干からとおくをみる。寺にはうまく建物が配置されており、いつもなんとなくここに何度もやってくる。

「結構」1 全体の構造や組み立てを考えること。また、その構造や組み立て。構成。2 もくろみ。計画。

 

騎馬 春徑 ,衣冠 晚鐘

昼には馬に乗って春けしにに変わったこの道をゆく。正式の衣服を整えて夕方には,四時の終わりの鐘をついて鳴らす。

「晚鐘」○四時 ・1年の四つの季節、春夏秋冬の総称。四季。・1か月中の四つの時。晦(かい)・朔(さく)・弦・望。・一日中の4回の読経の時。早晨(そうしん)(朝午前4時)・晡時(ほじ)(昼午前10時)・黄昏(こうこん)(夕方午後8時)・後夜(ごや)(夜午後8時)の座禅。ここでは一日中の4回の読経のとき。

 

雲門 寂寂 ,此別 相從

高い所にある寺の門には雲がかかり、木々の青さの野かに静かに存在する。こうした中であなたとのこの別れをするというのは互いに惜しいということがついて回る。
DCF00047 

738 《愁坐〔草堂逸詩拾遺〕》 蜀中転々 杜甫 <645>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3535 杜甫詩1000-645-901/1500〔草堂逸詩拾遺-(14)〕

《愁坐》梓州の州官舎の事務室から常時、野原の景色を見ることが出来る。そして憂いて座り臨んでみたりするのは、私が帰郷する蜀道の門関のことなのである。

 

《愁坐》十月に入ると山には寒気が入り込み、空模様も重たくなってくる。野にポツンとある梓城郭からは宵に月が出ると水に月をうつすのだ。

 

《愁坐》このとき杜甫は梓州の州官舎の事務室によく出入りしており、長安洛陽に帰りたいと願っていたがこの詩の中で葭萌関と左擔関が異民族によって侵略され封鎖されていたため、蜀道を旅して帰郷することが出来ず愁いていたということを詠う。


2014年1月2日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
班孟堅(班固)《西都賦》(43)#16-3 文選 賦<112―43>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩997 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3533
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《瀧吏》嶺南行(4)-5韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <910>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3534韓愈詩-235
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
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738 《愁坐〔草堂逸詩拾遺〕》 蜀中転々 杜甫 <645  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3535 杜甫詩1000-645-901/1500〔草堂逸詩拾遺-(14)

 

詩 題:愁坐〔草堂逸詩拾遺〕

作時:763 廣德元年 杜甫52歳 

卷別: 卷二三四  文體: 五言律詩 

詩題: 愁坐【〔草堂逸詩拾遺-(14) 

作地點: 梓州(劍南道北部 / 梓州 / 梓州

及地點: 高齋 (劍南道北部 梓州 梓州・葭萌 (山南西道 利州 葭萌)   ・左擔 (劍南道北部 劍州 陰平)     

掲 載; 杜甫1000首の645首目-場面

杜甫ブログ1500回予定の-901回目

 

 

〔草堂逸詩拾遺-(14)

愁坐

(蜀道を旅して帰郷することが出来ず愁いていたことを詠う。)

高齋常見野,愁坐更臨門。 

梓州の州官舎の事務室から常時、野原の景色を見ることが出来る。そして憂いて座り臨んでみたりするのは、私が帰郷する蜀道の門関のことなのである。

十月山寒重,孤城月水昏。 

十月に入ると山には寒気が入り込み、空模様も重たくなってくる。野にポツンとある梓城郭からは酔いに月が出ると水に月をうつすのだ。

葭萌氐種迥,左擔犬戎存。 

利州の葭萌関というところでは昔から異民族の氐種族との戦いを繰り広げたところであり、西隣の剣州の左擔(陰平)でも、異民族の西戎がいるのである。

終日憂奔走,歸期未敢論。 

明けても暮れても戦いに明け暮れて困ったものである。私が故郷に帰る時期は未だにかなわぬことで論じても仕方いことなのだ。

 

愁坐

高齋 常に野を見て,愁坐して更に門を臨む。 

十月 山 寒く重くなり,孤城 月 水昏す。 

葭萌 氐種 迥い,左擔 犬戎 存す。 

終日 奔走するを憂い,歸期 未だ敢えて論ぜず。 

剣門関01 

 

『愁坐』 現代語訳と訳註

(本文)

愁坐

高齋 常見野,愁坐更臨門。 

十月山寒重,孤城月水昏。 

葭萌氐種迥,左擔犬戎存。 

終日憂奔走,歸期未敢論。 

異文

高齋常見野,愁坐更臨門。

十月山寒重,孤城月水昏【孤城水氣昏】。

葭萌氐種迥,左擔犬戎存【左擔犬戎屯】。

終日憂奔走,歸期未敢論。 

 

(下し文)

愁坐

高齋 常に野を見て,愁坐して更に門を臨む。 

十月 山 寒く重くなり,孤城 月 水昏す。 

葭萌【かみょう】氐種【ししゅ】 迥【むか】い,左擔【さたん】犬戎【けんじゅう】存す。 

終日 奔走するを憂い,歸期 未だ敢えて論ぜず。 

 nat0017

(現代語訳)

(蜀道を旅して帰郷することが出来ず愁いていたことを詠う。)

梓州の州官舎の事務室から常時、野原の景色を見ることが出来る。そして憂いて座り臨んでみたりするのは、私が帰郷する蜀道の門関のことなのである。

十月に入ると山には寒気が入り込み、空模様も重たくなってくる。野にポツンとある梓城郭からは宵に月が出ると水に月をうつすのだ。

利州の葭萌関というところでは昔から異民族の氐種族との戦いを繰り広げたところであり、西隣の剣州の左擔(陰平)でも、異民族の西戎がいるのである。

明けても暮れても戦いに明け暮れて困ったものである。私が故郷に帰る時期は未だにかなわぬことで論じても仕方いことなのだ。

 

 

(訳注)

愁坐

(蜀道を旅して帰郷することが出来ず愁いていたことを詠う。)

このとき杜甫は梓州の州官舎の事務室によく出入りしており、長安洛陽に帰りたいと願っていたがこの詩の中で葭萌関と左擔関が異民族によって侵略され封鎖されていたため、蜀道を旅して帰郷することが出来ず愁いていたということを詠う。

 

 

高齋 常見 ,愁坐 更臨門

梓州の州官舎の事務室から常時、野原の景色を見ることが出来る。そして憂いて座り臨んでみたりするのは、私が帰郷する蜀道の門関のことなのである。

「高齋」州の州官舎の事務室。

「門」長安に向かう剣門一帯方面のこと。 杜甫は3年前の同じ時期に北の秦州方面から蜀道で剣門を経てせいとにはいったのである。

 

十月 山寒 ,孤城 月水

十月に入ると山には寒気が入り込み、空模様も重たくなってくる。野にポツンとある梓城郭からは酔いに月が出ると水に月をうつすのだ。

「孤城」涪江の西側にある梓城。近くには何もなくポツンとある。月が黄昏時に出てくるということは十月半ばころということになる。したがって山には雪が積もり始めている。

 

葭萌 氐種 迥,左擔 犬戎

利州の葭萌関というところでは昔から異民族の氐種族との戦いを繰り広げたところであり、西隣の剣州の左擔(陰平)でも、異民族の西戎がいるのである。

「葭萌」利州、葭萌関。()〔所在地:四川省広元市昭化古城〕現在は昭化古城という地名になっている。葭萌関に戦いにおいて、張飛と馬超が死闘を繰り広げたと言われる場所。百合とも言われる一騎打ちは決着が付かず、野戦をするため松明を用いて勝負したが結局、勝敗が付かなかった。古城内には蜀の武将の塑像が作られている。

「氐種」紀元前3世紀から1世紀ごろにかけて東アジア、中央アジアに存在した遊牧民族、民族邦國名、氐族は「後漢書」の西南諸国の中に、昆明の東北に「氐種属する白馬国がある」とみえることから、氐氏は本来雲南地方に発するとおもわれる。

「左擔」剣南道北部剣州陰平(e)地名、行政地名、左擔。

「犬戎」【けんじゅう】古代中国の西戎(せいじゅう)の一。殷・周・春秋の時代に陝西省方面で勢力を振るったが、秦に圧迫されて衰えた。犬夷(けんい)。昆夷(こんい)

 

終日 奔走 ,歸期 未敢

明けても暮れても戦いに明け暮れて困ったものである。私が故郷に帰る時期は未だにかなわぬことで論じても仕方いことなのだ。

成都遂州00 

 

 

〔草堂逸詩拾遺-(14)

愁坐

高齋常見野,愁坐更臨門。 

十月山寒重,孤城月水昏。 

葭萌氐種迥,左擔犬戎存。 

終日憂奔走,歸期未敢論。 

 

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(蜀道を旅して帰郷することが出来ず愁いていたことを詠う。)

梓州の州官舎の事務室から常時、野原の景色を見ることが出来る。そして憂いて座り臨んでみたりするのは、私が帰郷する蜀道の門関のことなのである。

十月に入ると山には寒気が入り込み、空模様も重たくなってくる。野にポツンとある梓城郭からは酔いに月が出ると水に月をうつすのだ。

利州の葭萌関というところでは昔から異民族の氐種族との戦いを繰り広げたところであり、西隣の剣州の左擔(陰平)でも、異民族の西戎がいるのである。

明けても暮れても戦いに明け暮れて困ったものである。私が故郷に帰る時期は未だにかなわぬことで論じても仕方いことなのだ。

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《閬州奉送二十四舅使,自京赴任青城》吐蕃が侵略している隴右道東部 秦州の秦嶺縣にも別の使者を遣わせているとういことだが心配でならないし、西漢水の閬州にいて、涪江に舟を泛べて酔っぱらうような場違いな事ではないのだろうか。靑城では謀叛に続き、吐蕃の侵略によって汚され入り混じる混乱を起こしている、私の舅はその地が荒らされ凄然としたさびしい状況であることにつよいこころでいてほしいものである。
 

2014年1月1日  の紀頌之5つのブログ
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737 《閬州奉送二十四舅使,自京赴任青城〔草堂逸詩拾遺〕》 蜀中転々 杜甫 <644  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3530 杜甫詩1000-644-900/1500

〔草堂逸詩拾遺-(13)

詩 題:閬州奉送二十四舅使,自京赴任青城〔草堂逸詩拾遺〕 作時:763 廣德元年 杜甫52歳 掲 載; 杜甫1000首の644首目-場面杜甫ブログ1500回予定の-900回目

 

〔草堂逸詩拾遺-(13)

作時年:  763年廣德元年  52

卷別: 卷二三四  文體: 五言律詩 

詩題: 閬州奉送二十四舅使,自京赴任青城

作地點: 閬州(山南西道 / 閬州 / 閬州

及地點: 閬州 (山南西道 閬州 閬州) 別名:閬、巴城   長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都   青城 (劍南道北部 蜀州 青城)    紫微殿 (京畿道 京兆府 長安)   秦嶺 (隴右道東部 秦州 秦嶺縣) 別名:秦嶺     

交遊人物: 崔二十四

 

〔草堂逸詩拾遺-(13)

閬州奉送二十四舅使,自京赴任青城

(閬州に立ち寄った使者である舅(長安から青城に赴任する)を送り奉る)

聞道王喬舄,名因太史傳。 

聞くところに倚れば鶴に乗って現れた仙人の王子喬が靴を履いただろうか、それは有名な話で、「太史公曰世之傳酈生書」にでてくることだ。

如何碧雞使,把詔紫微天。 

「碧雞」といわれる今様仙人のこちらの使者は紫微殿の天子から詔を束ねて使者としておられるのだけれどいかがなものでしょうか。

秦嶺愁回馬,涪江醉泛船。 

吐蕃が侵略している隴右道東部 秦州の秦嶺縣にも別の使者を遣わせているとういことだが心配でならないし、西漢水の閬州にいて、涪江に舟を泛べて酔っぱらうような場違いな事ではないのだろうか。

青城漫雜,吾舅意淒然。 

靑城では謀叛に続き、吐蕃の侵略によって汚され入り混じる混乱を起こしている、私の舅はその地が荒らされ凄然としたさびしい状況であることにつよいこころでいてほしいものである。

(閬州 二十四舅の使に送り奉る,京自青城に赴任するを)

聞道らく王喬の舄,名因して太史の傳。 

如何ぞ碧雞の使,把詔して紫微の天。 

秦嶺 回馬を愁い,涪江 泛船に醉う。 

青城 漫ろに雜じ,吾が舅 意 淒然たり。 

 

 杏の白花012

『閬州奉送二十四舅使,自京赴任青城』 現代語訳と訳註

(本文)

閬州奉送二十四舅使,自京赴任青城

聞道王喬舄,名因太史傳。 

如何碧雞使,把詔紫微天。 

秦嶺愁回馬,涪江醉泛船。 

青城漫雜,吾舅意淒然。 

 

(下し文)

(閬州 二十四舅の使に送り奉る,京自青城に赴任するを)

聞道らく王喬の舄,名因して太史の傳。 

如何ぞ碧雞の使,把詔して紫微の天。 

秦嶺 回馬を愁い,涪江 泛船に醉う。 

青城 漫ろに雜じ,吾が舅 意 淒然たり。 

 

(現代語訳)

(閬州に立ち寄った使者である舅(長安から青城に赴任する)を送り奉る)

聞くところに倚れば鶴に乗って現れた仙人の王子喬が靴を履いただろうか、それは有名な話で、「太史公曰世之傳酈生書」にでてくることだ。

「碧雞」といわれる今様仙人のこちらの使者は紫微殿の天子から詔を束ねて使者としておられるのだけれどいかがなものでしょうか。

吐蕃が侵略している隴右道東部 秦州の秦嶺縣にも別の使者を遣わせているとういことだが心配でならないし、西漢水の閬州にいて、涪江に舟を泛べて酔っぱらうような場違いな事ではないのだろうか。

靑城では謀叛に続き、吐蕃の侵略によって汚され入り混じる混乱を起こしている、私の舅はその地が荒らされ凄然としたさびしい状況であることにつよいこころでいてほしいものである。

泰山の道観02

 

(訳注)

〔草堂逸詩拾遺-(13)

閬州奉送二十四舅使,自京赴任青城

(閬州に立ち寄った使者である舅(長安から青城に赴任する)を送り奉る)

 

聞道 王喬 ,名因 太史

聞くところに倚れば鶴に乗って現れた仙人の王子喬が靴を履いただろうか、それは有名な話で、「太史公曰世之傳酈生書」にでてくることだ。

「聞道」きくならく。

「王喬」 鶴に乗って昇天したといわれる神仙で、周の霊王(在位前572~前545)の38人の子の一人である太子晋のこと。王喬ともいう。

 伝説によると、王子喬は若くから才能豊かで、笙を吹いては鳳凰が鳴くような音を出すことができた。伊水、洛水(河南省洛陽南部)あたりを巡り歩いていたとき、道士の浮丘公に誘われ中岳嵩山に入った。30年以上後、友人の桓良が山上で王子喬を探していると、ふいに本人が現れ、「7月7日に緱氏山の頂上で待つように家族に伝えてくれ」といった。

 その日、家族がいわれたとおり山に登ると、王子喬が白鶴に乗って山上に舞い降りた。だが、山が険しく家族は近づくことができなかった。と、王子喬は手を上げて家族に挨拶し、数日後白鶴に乗って飛び去ったという。

 そこで、人々は緱氏山の麓や嵩山の山頂に祠を建てて、王子喬を祀ったといわれている。。

「舄」、鞋:足を覆うように作った履物の総称。。

「太史傳」太史公曰世之傳酈生書。

太史公曰世之傳酈生書

多曰漢王已拔三秦東擊項籍而引軍於鞏洛之閒

酈生被儒衣往漢王乃非也

自沛公未入關與項羽別而至高陽得酈生兄弟

余讀陸生新語書十二篇固當世之辯士

至平原君子與余善是以得具論之

太史公曰く、「世間の酈生(酈食其)を伝える書は、

多くが曰く、漢王劉邦がすでに三秦を攻め落とし、東に西楚覇王項籍(項羽)を撃ちに進んで、漢軍を鞏、洛の間に引いたとき、酈生(酈食其)が儒者の衣を着て、漢王劉邦を説いたと。すなわちそうではないのである。

沛公劉邦が未だ関に入らないうちより、項羽と別れて(陳留の)高陽に至ったときに酈生(酈食其)の兄弟を得た。

余は陸生(陸賈)の「新語」の書、十二篇を読んだが、まことに当世の弁士である。

平原君(朱建)の子に至って、余と仲が善く、ここにこれを具(つぶさ)に論ずるを得たのである」と。

 

如何碧雞 使 ,把詔 紫微 天。

「碧雞」といわれる今様仙人のこちらの使者は紫微殿の天子から詔を束ねて使者としておられるのだけれどいかがなものでしょうか。

「碧雞」神鬼仙人の碧雞。

「使」使者。

「紫微」宮城の紫微殿。太宗皇帝は貞観二二年(六四八)二月に玉華宮を視察し、玉華太宗皇帝は王孝積に命じて顕道門の奥に十三軒の紫微殿を建てさせた。

 

秦嶺 回馬 ,涪江 泛船

吐蕃が侵略している隴右道東部 秦州の秦嶺縣にも別の使者を遣わせているとういことだが心配でならないし、西漢水の閬州にいて、涪江に舟を泛べて酔っぱらうような場違いな事ではないのだろうか。

「秦嶺」隴右道東部 秦州 秦嶺縣。

「涪江」閬州を流れているのは西漢水(嘉陵江)であり、成都に向かうのはひと山越えて涪江に入り、遡って岷江に向かう運河に入って成都に下って入ってゆく。

 

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