杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

2014年02月

廣徳2年764-36-4 《太子張舍人遺織成褥段―#4》 ふたたび成都 杜甫<667-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3820 杜甫詩1000-667-#4-958/1500 777

杜甫《太子張舍人遺織成褥段―#4そういうことなので、錦の鯨を巻いてお客どのにおかえしした。それでやっと心が平和になった気持ちになりました。そうしてお粗末な一席として、その座の塵を振り払って、お客どのにはあかぎ汁をたべさせるしかないほどで、これはお客に対して、おはずかしいことであります。


2014年2月28日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
張平子(張衡)《西京賦》(17)#7-2 文選 賦<114―(17)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1054 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3818
孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 諸葛亮(孔明)出師表
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ

《除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫〔李程也。元和十五年,自袁州詔拜國子祭酒,行次盆城作。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <967  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3819韓愈詩-260-#3

李商隠詩 (1) 李商隠詩 (2)
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-36-4 《太子張舍人遺織成褥段―#4》 ふたたび成都 杜甫<667-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3820 杜甫詩1000-667-#4-958/1500 777
杜甫詩 作時(1) 青年李白 杜甫詩 作時(2)青年期・就活
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ
●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 13-3《 虞美人六首 其三 》顧太尉敻(顧夐【こけい】)五十五首Ⅻ唐五代詞・『花間集」Gs-455-13-(3) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3822
薛濤の全詩 花間集(1) 花間集(2) 花間集(3) 花間集(4) 花間集(5)
魚玄機全詩
温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻
毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻
魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 古詩源 花間集


 

廣徳2764-36-4 《太子張舍人遺織成褥段―#4》 ふたたび成都 杜甫<667-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3820 杜甫詩1000-667-#4-958/1500 777

 

 

太子張舍人遺織成褥段#1

(太子舎人張某が「しとね」にする毛織の絨段をくれたことをよんだ詩。広徳二年、成都にあっての作。)#1

客從西北來,遺我翠織成。

シルクロード通過して西北の地方から来たひとりの客が自分に翠色の毛織物をくれた。

開緘風濤湧,中有掉尾鯨。

はこの封緘を開くと風涛が湧きおこり、なかに尾をうごかしている鯨がみえる。

逶迤羅水族,瑣細不足名。

また魚類がうねうねとつづいているがそんな小さなものはとりたてていうほどのこともない。

客雲充君褥,承君終宴榮。

客が云うには、“此の品はあなたの「しとね」にあててください、あなたが宴席のとき始終しいてくださるご光栄を頂きたいものでございます。”

空堂魑魅走,高枕形神清。

“これをおしきになればさびしい座敷でも怪物でさえも逃げ出し、この上は、高枕でおやすみになれば身体も心もすがすがしくなるとおもいます。”と。

#2

領客珍重意,顧我非公卿。

自分はこれに答えていう、「あなたの貴いお心持ちは受け入れるのですが、冷静に顧みて、わたくしは三公九卿、高位の臣ではありません。

留之懼不祥,施之混柴荊。

このようないい物をもら貰うことは身に余るもので、今度は不吉こと起りはしないかと懼れてしますのです。これほどのものをこのあばら家に敷きこんだとしても、他のものとごちゃごちゃにしてしまうことになる。

服飾定尊卑,大哉萬古程。

人の服飾というものはこれによって身分の尊卑をきめるものであり、大切な万古の昔から永久の決まりというべきものです。

今我一賤老,裋褐更無營。

今わたくしは一介のいやしい老人で粗末な毛織のうわチョッキを着て満足しておるもので、ほかに何かを得たいというようなことはないのです。

煌煌珠宮物,寢處禍所嬰。

こんな煌煌とかがやいた竜宮や宮中の品物は、その上に寝たり居たりしては禍にかかることになるでしょう。」

#3

歎息當路子,干戈尚縱橫。

「なげかわしいことには今権勢の地位にある臣がのさばり、天下には兵乱がまだ縦横にひろがっている。

掌握有權柄,衣馬自肥輕。

彼らは手に権柄をにぎり、論語に言う「軽い衣をきて肥えた馬にのっている」のだ。

李鼎死岐陽,實以驕貴盈。

李鼎が岐陽で死んだのは実はあまりに驕貴をきわめたためである。

來瑱賜自盡,氣豪直阻兵。

来瑱が自殺の罰を賜わったのも気があらくただ兵を恃んだためである。

#4

皆聞黃金多,坐見悔吝生。

聞けば李鼎と驕貴の二人ともみな金銭をたくさんためていたというがそんなことではやがて栄枯盛衰、悔吝の運勢がでてくることは想像されることである。

奈何田舍翁,受此厚貺情。

かようなわけでありますから、どうしてこのいなかの爺いがこのような厚い賜物をくださるおこころをそのままおうけすることができましょう。」

錦鯨卷還客,始覺心和平。

そういうことなので、錦の鯨を巻いてお客どのにおかえしした。それでやっと心が平和になった気持ちになりました。

振我粗席塵,愧客茹藜羹。

そうしてお粗末な一席として、その座の塵を振り払って、お客どのにはあかぎ汁をたべさせるしかないほどで、これはお客に対して、おはずかしいことであります。

 

(太子の張舎人織成の褥段【じょくだん】を遺る)

客西北より来たり、我に翠織【すいしょく】成を遺る。

鍼を開けば風涛【ふうとう】湧き、中に掉尾【とうび】の鯨有り。

逶迤【いい】水族羅なり、瑣細【ささい】名いうに足らず。

客は云う君が褥【しとね】に充てて、君が終宴の栄を承けしめん。

空堂 魑魅【ちみ】走り、枕を高くすれば形神しと。』

 

客の珍重なる意を領す、顧【おも】うに我は公卿に非ず。

之を留むるは不祥ならんことを懼れ、之を施せば柴荊【さいけい】に混ず。

服飾は尊卑を定め、大なる哉 万古の程。

今我一賤の老なり、裋褐【じゅかつ】更に営むこと無し。

煌煌たり珠宮の物、寝処するは禍の嬰【かか】る所なり。』

 

嘆息す当路の子、千戈尚お縦横なり。

掌握 権柄【けんぺい】有り、衣馬自ずから肥軽【ひけい】。

李鼎【りてい】 岐陽【きよう】に死するは、実に驕貴【きょうき】盈【み】つるを以てなり。

【らいてん】自尽を賜うは、気豪にして直ちに兵もて阻めばなり。

 

皆聞く黄金多しと、坐ろに見る悔吝【かいりん】の生ずるを。

奈何ぞ田舎翁、此の厚貺【こうきょう】の情を受けん。』

錦鯨【きんげい】巻きて客に還す、始めて覚ゆ心の和平なるを。

我が粗席の塵を振い 客に藜羹【れいこう】を茄【く】らわしむるに愧ず。』

成都関連地図 00 

 

『太子張舍人遺織成褥段』 現代語訳と訳註

(本文) #4

皆聞黃金多,坐見悔吝生。

奈何田舍翁,受此厚貺情。

錦鯨卷還客,始覺心和平。

振我粗席塵,愧客茹藜羹。

 

(下し文)

皆聞く黄金多しと、坐ろに見る悔吝【かいりん】の生ずるを。

奈何ぞ田舎翁、此の厚貺【こうきょう】の情を受けん。』

錦鯨【きんげい】巻きて客に還す、始めて覚ゆ心の和平なるを。

我が粗席の塵を振い 客に藜羹【れいこう】を茄【く】らわしむるに愧ず。』

 

(現代語訳)

聞けば李鼎と驕貴の二人ともみな金銭をたくさんためていたというがそんなことではやがて栄枯盛衰、悔吝の運勢がでてくることは想像されることである。

かようなわけでありますから、どうしてこのいなかの爺いがこのような厚い賜物をくださるおこころをそのままおうけすることができましょう。」

そういうことなので、錦の鯨を巻いてお客どのにおかえしした。それでやっと心が平和になった気持ちになりました。

そうしてお粗末な一席として、その座の塵を振り払って、お客どのにはあかぎ汁をたべさせるしかないほどで、これはお客に対して、おはずかしいことであります。

菖蒲02 

(訳注)#4

皆聞黃金多,坐見悔吝生。

聞けば李鼎と驕貴の二人ともみな金銭をたくさんためていたというがそんなことではやがて栄枯盛衰、悔吝の運勢がでてくることは想像されることである。

○皆聞 李鼎と驕貴の二人ともみな、富貴のものは誰でも。

○黄金多 かねをたくさんためこむ。かねはいずれも人民のものを搾取、略奪・奪取したもの。

○悔吝 ・悔は後悔、・吝りん【吝】[漢字項目]とは。意味や解説。[音]リン(呉)(漢)[訓]やぶさかしわい物惜しみをする。けち。「吝嗇(りんしょく)/倹吝・慳吝(けんりん)」。

 

奈何田舍翁,受此厚貺情。

かようなわけでありますから、どうしてこのいなかの爺いがこのような厚い賜物をくださるおこころをそのままおうけすることができましょう。」

○田舎翁 いなかおやじ、自己をいう。

○厚貺 あついたまもの。

以上は更に推しひろめて奪惨の例をひき、縟段をうけるべきではないことをいう。

 

錦鯨卷還客,始覺心和平。

そういうことなので、錦の鯨を巻いてお客どのにおかえしした。それでやっと心が平和になった気持ちになりました。

○錦鯨 にしきのくじら、禅段の模様。

○還 返す、もどす。

 

振我粗席塵,愧客茹藜羹。

そうしてお粗末な一席として、その座の塵を振り払って、お客どのにはあかぎ汁をたべさせるしかないほどで、これはお客に対して、おはずかしいことであります。

○粗席 粗末なむしろ、杜甫が客をもてなすこと。。

○茄 食ろう、くわせることをいう。

○藜羹 【れいこう】あかぎのお汁。アカザのあつもの。転じて、粗食。藜羹を食らう者は大牢の滋味を知らず。《「藜羹」は粗食、「大牢」はすばらしいごちそうの意》粗食に慣れた者にはごちそうの味がわからない。つまらない人間には高尚なことや重大なことは理解できないことのたとえ。

以上は自己の貧賎を以て満足することをいう。
杜甫像0012 

廣徳2年764-36-3 《太子張舍人遺織成褥段―#3》 ふたたび成都 杜甫<667-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3815 杜甫詩1000-667-#3-957/1500

杜甫《太子張舍人遺織成褥段―#3「なげかわしいことには今権勢の地位にある臣がのさばり、天下には兵乱がまだ縦横にひろがっている。彼らは手に権柄をにぎり、論語に言う「軽い衣をきて肥えた馬にのっている」のだ。李鼎が岐陽で死んだのは実はあまりに驕貴をきわめたためである。来瑱が自殺の罰を賜わったのも気があらくただ兵を恃んだためである。


2014年2月27日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
張平子(張衡)《西京賦》(16)(華麗な後宮)#7-1 文選 賦<114―(16)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1053 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3813
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫〔李程也。元和十五年,自袁州詔拜國子祭酒,行次盆城作。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <966>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3814韓愈詩-260-#2
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ廣徳2年764-36-3 《太子張舍人遺織成褥段―#3》 ふたたび成都 杜甫<667-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3815 杜甫詩1000-667-#3-957/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor13 -2 虞美人六首 其二 顧太尉敻(顧夐【こけい】)五十五首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-454-13-#2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3817
 花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5)
     
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 魚玄機の全詩 訳注解説 案内表薛濤の全詩 訳注解説 案内表李白詩 訳注解説 案内表 
■ 花間集から
温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻
毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻
魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻
『花間集』継続中 
杜甫全詩韓愈全詩李白全集文選古詩源花間集

 

廣徳2764-36-3 《太子張舍人遺織成褥段―#3》 ふたたび成都 杜甫<667-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3815 杜甫詩1000-667-#3-957/1500

 

 

太子張舍人遺織成褥段#1

(太子舎人張某が「しとね」にする毛織の絨段をくれたことをよんだ詩。広徳二年、成都にあっての作。)#1

客從西北來,遺我翠織成。

シルクロード通過して西北の地方から来たひとりの客が自分に翠色の毛織物をくれた。

開緘風濤湧,中有掉尾鯨。

はこの封緘を開くと風涛が湧きおこり、なかに尾をうごかしている鯨がみえる。

逶迤羅水族,瑣細不足名。

また魚類がうねうねとつづいているがそんな小さなものはとりたてていうほどのこともない。

客雲充君褥,承君終宴榮。

客が云うには、“此の品はあなたの「しとね」にあててください、あなたが宴席のとき始終しいてくださるご光栄を頂きたいものでございます。”

空堂魑魅走,高枕形神清。

“これをおしきになればさびしい座敷でも怪物でさえも逃げ出し、この上は、高枕でおやすみになれば身体も心もすがすがしくなるとおもいます。”と。

#2

領客珍重意,顧我非公卿。

自分はこれに答えていう、「あなたの貴いお心持ちは受け入れるのですが、冷静に顧みて、わたくしは三公九卿、高位の臣ではありません。

留之懼不祥,施之混柴荊。

このようないい物をもら貰うことは身に余るもので、今度は不吉こと起りはしないかと懼れてしますのです。これほどのものをこのあばら家に敷きこんだとしても、他のものとごちゃごちゃにしてしまうことになる。

服飾定尊卑,大哉萬古程。

人の服飾というものはこれによって身分の尊卑をきめるものであり、大切な万古の昔から永久の決まりというべきものです。

今我一賤老,裋褐更無營。

今わたくしは一介のいやしい老人で粗末な毛織のうわチョッキを着て満足しておるもので、ほかに何かを得たいというようなことはないのです。

煌煌珠宮物,寢處禍所嬰。

こんな煌煌とかがやいた竜宮や宮中の品物は、その上に寝たり居たりしては禍にかかることになるでしょう。」

#3

歎息當路子,干戈尚縱橫。

「なげかわしいことには今権勢の地位にある臣がのさばり、天下には兵乱がまだ縦横にひろがっている。

掌握有權柄,衣馬自肥輕。

彼らは手に権柄をにぎり、論語に言う「軽い衣をきて肥えた馬にのっている」のだ。

李鼎死岐陽,實以驕貴盈。

李鼎が岐陽で死んだのは実はあまりに驕貴をきわめたためである。

來瑱賜自盡,氣豪直阻兵。

来瑱が自殺の罰を賜わったのも気があらくただ兵を恃んだためである。

#4

皆聞黃金多,坐見悔吝生。奈何田舍翁,受此厚貺情。

錦鯨卷還客,始覺心和平。振我粗席塵,愧客茹藜羹。

江畔独歩尋花 

(太子の張舎人織成の褥段【じょくだん】を遺る)

客西北より来たり、我に翠織【すいしょく】成を遺る。

鍼を開けば風涛【ふうとう】湧き、中に掉尾【とうび】の鯨有り。

逶迤【いい】水族羅なり、瑣細【ささい】名いうに足らず。

客は云う君が褥【しとね】に充てて、君が終宴の栄を承けしめん。

空堂 魑魅【ちみ】走り、枕を高くすれば形神しと。』

 

客の珍重なる意を領す、顧【おも】うに我は公卿に非ず。

之を留むるは不祥ならんことを懼れ、之を施せば柴荊【さいけい】に混ず。

服飾は尊卑を定め、大なる哉 万古の程。

今我一賤の老なり、裋褐【じゅかつ】更に営むこと無し。

煌煌たり珠宮の物、寝処するは禍の嬰【かか】る所なり。』

 

嘆息す当路の子、千戈尚お縦横なり。

掌握 権柄【けんぺい】有り、衣馬自ずから肥軽【ひけい】。

李鼎【りてい】 岐陽【きよう】に死するは、実に驕貴【きょうき】盈【み】つるを以てなり。

【らいてん】自尽を賜うは、気豪にして直ちに兵もて阻めばなり。

 

皆聞く黄金多しと、坐ろに見る悔吝【かいりん】の生ずるを。

奈何ぞ田舎翁、此の厚貺【こうきょう】の情を受けん。』

錦鯨【きんげい】巻きて客に還す、始めて覚ゆ心の和平なるを。

我が粗席の塵を振い 客に藜羹【れいこう】を茄【く】らわしむるに愧ず』

成都関連地図 00 

 

『太子張舍人遺織成褥段』 現代語訳と訳註

(本文) #3

歎息當路子,干戈尚縱橫。

掌握有權柄,衣馬自肥輕。

李鼎死岐陽,實以驕貴盈。

來瑱賜自盡,氣豪直阻兵。

 

(下し文)

嘆息す当路の子、千戈尚お縦横なり。

掌握 権柄【けんぺい】有り、衣馬自ずから肥軽【ひけい】。

李鼎【りてい】 岐陽【きよう】に死するは、実に驕貴【きょうき】盈【み】つるを以てなり。

来瑱【らいてん】自尽を賜うは、気豪にして直ちに兵もて阻めばなり。

(現代語訳)

「なげかわしいことには今権勢の地位にある臣がのさばり、天下には兵乱がまだ縦横にひろがっている。

彼らは手に権柄をにぎり、論語に言う「軽い衣をきて肥えた馬にのっている」のだ。

李鼎が岐陽で死んだのは実はあまりに驕貴をきわめたためである。

来瑱が自殺の罰を賜わったのも気があらくただ兵を恃んだためである。

 

(訳注) #3

歎息當路子,干戈尚縱橫。

「なげかわしいことには今権勢の地位にある臣がのさばり、天下には兵乱がまだ縦横にひろがっている。

○当路子 要路に当たっている人、権勢の地位にある臣。上の権威、権力を利用し、その権勢をほしいままにするもの。

 

掌握有權柄,衣馬自肥輕。

彼らは手に権柄をにぎり、論語に言う「軽い衣をきて肥えた馬にのっている」のだ。

○衣馬肥軽 『論語(雍也)』「乗肥馬、衣軽裘」軽くて美しいかわごろもと肥えた馬。富貴な人の外出の時のいでたち。転じて富貴な人。

 

李鼎死岐陽,實以驕貴盈。

李鼎が岐陽で死んだのは実はあまりに驕貴をきわめたためである。

○李鼎死岐陽 粛宗の上元二年、羽林大将軍李鼎を以て鳳翔尹・興鳳隴陳等州節度使と為した、二月、党項羌が宝雞に寇して、大散関に入り、鳳州を陥れたとき、鼎はこれを邀え撃った。六月、鼎を以て鄯州刺史・隴右節度史と為した、しかし其の死は史書には見えない。此の詩に「死岐陽」というのは、思うにまだ瀧右に至らぬうちに非命に死んだものであろう。

○驕貴盈 驕貴はおごりと、地位の貴いこと、盈は十分驕貴を極めたこと。

 

來瑱賜自盡,氣豪直阻兵。

来瑱が自殺の罰を賜わったのも気があらくただ兵を恃んだためである。

○来瑱 宝応元年、来瑱が山南東道節度使となったとき、裴莪は瑱を屈強にして制し難しと表したため、粛宗は潜かに莪をして瑱を図らしめたが、六月、瑱は莪を申口に擒にし入朝して罪を謝した、広徳元年正月、莪を播州の尉に配し、翌日死を鄂県に賜うた。

〇自盡 自殺すること。

○気豪 気のあらいこと。

○阻兵 兵を恃むこと、「左伝」(隠公四年)に「兵を阻みて忍に安んず」「兵を阻めば衆なし」とみえる。
8世紀唐と周辺国00 

廣徳2年764-36-2 《太子張舍人遺織成褥段―#2》 ふたたび成都 杜甫<667-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3810 杜甫詩1000-667-#2-956/1500775

杜甫《太子張舍人遺織成褥段―#2このようないい物をもら貰うことは身に余るもので、今度は不吉こと起りはしないかと懼れてしますのです。これほどのものをこのあばら家に敷きこんだとしても、他のものとごちゃごちゃにしてしまうことになる。人の服飾というものはこれによって身分の尊卑をきめるものであり、大切な万古の昔から永久の決まりというべきものです。


2014年2月26日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
張平子(張衡)《西京賦》(15)(末央宮の内外)#6 文選 賦<114―(15)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1052 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3808
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《除官赴闕至江州寄鄂岳李大夫〔李程也。元和十五年,自袁州詔拜國子祭酒,行次盆城作。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <965>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3809韓愈詩-260
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-36-2 《太子張舍人遺織成褥段―#2》 ふたたび成都 杜甫<667-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3810 杜甫詩1000-667-#2-956/1500775
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 13 -1 虞美人六首 其一 顧太尉敻(顧夐【こけい】)五十五首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-453-13-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3812
  花間集(1) 花間集(2) 花間集(3) 花間集(4) 花間集(5)
           
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機の全詩 訳注解説 案内表 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3816 (02/27)
薛濤の全詩 訳注解説 案内表 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3811 (02/26)
■ 花間集から
温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻
毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻
魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 古詩源 花間集

 

廣徳2764-36-2 《太子張舍人遺織成褥段―#2》 ふたたび成都 杜甫<667-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3810 杜甫詩1000-667-#2-956/1500775

 

 

太子張舍人遺織成褥段#1

(太子舎人張某が「しとね」にする毛織の絨段をくれたことをよんだ詩。広徳二年、成都にあっての作。)#1

客從西北來,遺我翠織成。

シルクロード通過して西北の地方から来たひとりの客が自分に翠色の毛織物をくれた。

開緘風濤湧,中有掉尾鯨。

はこの封緘を開くと風涛が湧きおこり、なかに尾をうごかしている鯨がみえる。

逶迤羅水族,瑣細不足名。

また魚類がうねうねとつづいているがそんな小さなものはとりたてていうほどのこともない。

客雲充君褥,承君終宴榮。

客が云うには、“此の品はあなたの「しとね」にあててください、あなたが宴席のとき始終しいてくださるご光栄を頂きたいものでございます。”

空堂魑魅走,高枕形神清。

“これをおしきになればさびしい座敷でも怪物でさえも逃げ出し、この上は、高枕でおやすみになれば身体も心もすがすがしくなるとおもいます。”と。

#2

領客珍重意,顧我非公卿。

自分はこれに答えていう、「あなたの貴いお心持ちは受け入れるのですが、冷静に顧みて、わたくしは三公九卿、高位の臣ではありません。

留之懼不祥,施之混柴荊。

このようないい物をもら貰うことは身に余るもので、今度は不吉こと起りはしないかと懼れてしますのです。これほどのものをこのあばら家に敷きこんだとしても、他のものとごちゃごちゃにしてしまうことになる。
服飾定尊卑,大哉萬古程。

人の服飾というものはこれによって身分の尊卑をきめるものであり、大切な万古の昔から永久の決まりというべきものです。

今我一賤老,裋褐更無營。

今わたくしは一介のいやしい老人で粗末な毛織のうわチョッキを着て満足しておるもので、ほかに何かを得たいというようなことはないのです。

煌煌珠宮物,寢處禍所嬰。

こんな煌煌とかがやいた竜宮や宮中の品物は、その上に寝たり居たりしては禍にかかることになるでしょう。」

#3

歎息當路子,干戈尚縱橫。掌握有權柄,衣馬自肥輕。

李鼎死岐陽,實以驕貴盈。來瑱賜自盡,氣豪直阻兵。

#4

皆聞黃金多,坐見悔吝生。奈何田舍翁,受此厚貺情。

錦鯨卷還客,始覺心和平。振我粗席塵,愧客茹藜羹。

 

(太子の張舎人織成の褥段【じょくだん】を遺る)

客西北より来たり、我に翠織【すいしょく】成を遺る。

鍼を開けば風涛【ふうとう】湧き、中に掉尾【とうび】の鯨有り。

逶迤【いい】水族羅なり、瑣細【ささい】名いうに足らず。

客は云う君が褥【しとね】に充てて、君が終宴の栄を承けしめん。

空堂 魑魅【ちみ】走り、枕を高くすれば形神しと。』

 

客の珍重なる意を領す、顧【おも】うに我は公卿に非ず。

之を留むるは不祥ならんことを懼れ、之を施せば柴荊【さいけい】に混ず。

服飾は尊卑を定め、大なる哉 万古の程。

今我一賤の老なり、裋褐【じゅかつ】更に営むこと無し。

煌煌たり珠宮の物、寝処するは禍の嬰【かか】る所なり。』

 

嘆息す当路の子、千戈尚お縦横なり。

掌握 権柄【けんぺい】有り、衣馬自ずから肥軽【ひけい】。

李鼎【りてい】 岐陽【きよう】に死するは、実に驕貴【きょうき】盈【み】つるを以てなり。

【らいてん】自尽を賜うは、気豪にして直ちに兵もて阻めばなり。

皆聞く黄金多しと、坐ろに見る悔吝【かいりん】の生ずるを。

奈何ぞ田舎翁、此の厚貺【こうきょう】の情を受けん。』

錦鯨【きんげい】巻きて客に還す、始めて覚ゆ心の和平なるを。

我が粗席の塵を振い 客に藜羹【れいこう】を茄【く】らわしむるに愧ず』

 

8世紀唐と周辺国00 

太子張舍人遺織成褥段』 現代語訳と訳註

(本文)

#2

領客珍重意,顧我非公卿。

留之懼不祥,施之混柴荊。

服飾定尊卑,大哉萬古程。

今我一賤老,裋褐更無營。

煌煌珠宮物,寢處禍所嬰。

 

(下し文)

客の珍重なる意を領す、顧【おも】うに我は公卿に非ず。

之を留むるは不祥ならんことを懼れ、之を施せば柴荊【さいけい】に混ず。

服飾は尊卑を定め、大なる哉 万古の程。

今我一賤の老なり、裋褐【じゅかつ】更に営むこと無し。

煌煌たり珠宮の物、寝処するは禍の嬰【かか】る所なり。』

 

(現代語訳)

自分はこれに答えていう、「あなたの貴いお心持ちは受け入れるのですが、冷静に顧みて、わたくしは三公九卿、高位の臣ではありません。

このようないい物をもら貰うことは身に余るもので、今度は不吉こと起りはしないかと懼れてしますのです。これほどのものをこのあばら家に敷きこんだとしても、他のものとごちゃごちゃにしてしまうことになる。

人の服飾というものはこれによって身分の尊卑をきめるものであり、大切な万古の昔から永久の決まりというべきものです。

今わたくしは一介のいやしい老人で粗末な毛織のうわチョッキを着て満足しておるもので、ほかに何かを得たいというようなことはないのです。

こんな煌煌とかがやいた竜宮や宮中の品物は、その上に寝たり居たりしては禍にかかることになるでしょう。」

江畔独歩尋花 

(訳注) 2

太子張舍人遺織成褥段

(太子舎人張某が「しとね」にする毛織の絨段をくれたことをよんだ詩。広徳二年、成都にあっての作。)

 

領客珍重意,顧我非公卿。

自分はこれに答えていう、「あなたの貴いお心持ちは受け入れるのですが、冷静に顧みて、わたくしは三公九卿、高位の臣ではありません。

○領 うけいれる。

○珍重意 珍重とは珍とし貴重なものであることをいう。

○公卿 三公九卿、高位の臣。

 

留之懼不祥,施之混柴荊。

このようないい物をもら貰うことは身に余るもので、今度は不吉こと起りはしないかと懼れてしますのです。これほどのものをこのあばら家に敷きこんだとしても、他のものとごちゃごちゃにしてしまうことになる。

○留之 之とは樽段をさす、留とはもらって自分の手もとにとめおくこと。

○不祥 不書。

○施之 施とは用いること、敷きこむことをいう、之は褥段。

○混柴荊 柴荊の門庭において他物と混雑することをいう。

 

服飾定尊卑,大哉萬古程。

人の服飾というものはこれによって身分の尊卑をきめるものであり、大切な万古の昔から永久の決まりというべきものです。

○服飾 身につけかざるもの。

○定尊卑 人の身分のとうときといやしきとをきめる。

○万古程 千年万年にわたってかわらぬ「のり」のこと。

 

今我一賤老,裋褐更無營。

今わたくしは一介のいやしい老人で粗末な毛織のうわチョッキを着て満足しておるもので、ほかに何かを得たいというようなことはないのです。

○裋褐 毛で織った粗末な着物の上に着る毛布のような上チョッキ。裋褐の意味や日本語訳。ピンインshùhè((文語文[昔の書き言葉])) 粗末な木綿の服.

○更無営 他に求め為すことがない、それで満足している。

 

煌煌珠宮物,寢處禍所嬰。

こんな煌煌とかがやいた竜宮や宮中の品物は、その上に寝たり居たりしては禍にかかることになるでしょう。」

○煌煌 かがやくさま、「物」へかかる語。

○珠宮「楚辞」にみえる、竜宮のこと、禁中をさしていう。

○寝処 寝たり起きたりその上に居ることをいう。以上は褥段を受けてはならぬことをいう。
成都遂州00 

廣徳2年764-36-1 《太子張舍人遺織成褥段―#1》 ふたたび成都 杜甫<667-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3805 杜甫詩1000-667-#1-955/1500774

杜甫《太子張舍人遺織成褥段―#1》 シルクロード通過して西北の地方から来たひとりの客が自分に翠色の毛織物をくれた。はこの封緘を開くと風涛が湧きおこり、なかに尾をうごかしている鯨がみえる。また魚類がうねうねとつづいているがそんな小さなものはとりたてていうほどのこともない。客が云うには、“此の品はあなたの「しとね」にあててください、あなたが宴席のとき始終しいてくださるご光栄を頂きたいものでございます。”


2014年2月25日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
張平子(張衡)《西京賦》(14) #5-2 文選 賦<114―(14)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1051 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3803
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《題秀禪師房》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <964>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3804韓愈詩-259
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-36-1 《太子張舍人遺織成褥段―#1》 ふたたび成都 杜甫<667-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3805 杜甫詩1000-667-#1-955/1500774
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 296 《奉酬盧給事雲夫四兄曲江荷花行見寄并呈上錢七兄》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3806 (02/25)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 『花間集』 このブログで花間集全詩、訳注解説します。(5)和凝と顧夐 詩目次 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3807
  花間集(1) 花間集(2) 花間集(3) 花間集(4) 花間集(5)
           
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 古詩源 花間集

 

廣徳2764-36-1 《太子張舍人遺織成褥段―#1》 ふたたび成都 杜甫<667-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3805 杜甫詩1000-667-#1-955/1500774

 

 

太子張舍人遺織成褥段#1

(太子舎人張某が「しとね」にする毛織の絨段をくれたことをよんだ詩。広徳二年、成都にあっての作。)#1

客從西北來,遺我翠織成。

シルクロード通過して西北の地方から来たひとりの客が自分に翠色の毛織物をくれた。

開緘風濤湧,中有掉尾鯨。

はこの封緘を開くと風涛が湧きおこり、なかに尾をうごかしている鯨がみえる。

逶迤羅水族,瑣細不足名。

また魚類がうねうねとつづいているがそんな小さなものはとりたてていうほどのこともない。

客雲充君褥,承君終宴榮。

客が云うには、“此の品はあなたの「しとね」にあててください、あなたが宴席のとき始終しいてくださるご光栄を頂きたいものでございます。”

空堂魑魅走,高枕形神清。

“これをおしきになればさびしい座敷でも怪物でさえも逃げ出し、この上は、高枕でおやすみになれば身体も心もすがすがしくなるとおもいます。”と。

#2

領客珍重意,顧我非公卿。留之懼不祥,施之混柴荊。

服飾定尊卑,大哉萬古程。今我一賤老,裋褐更無營。

煌煌珠宮物,寢處禍所嬰。

#3

歎息當路子,干戈尚縱橫。掌握有權柄,衣馬自肥輕。

李鼎死岐陽,實以驕貴盈。來瑱賜自盡,氣豪直阻兵。

#4

皆聞黃金多,坐見悔吝生。奈何田舍翁,受此厚貺情。

錦鯨卷還客,始覺心和平。振我粗席塵,愧客茹藜羹。

 

(太子の張舎人織成の褥段【じょくだん】を遺る)

客西北より来たり、我に翠織【すいしょく】成を遺る。

鍼を開けば風涛【ふうとう】湧き、中に掉尾【とうび】の鯨有り。

逶迤【いい】水族羅なり、瑣細【ささい】名いうに足らず。

客は云う君が褥【しとね】に充てて、君が終宴の栄を承けしめん。

空堂 魑魅【ちみ】走り、枕を高くすれば形神しと。』

カンナ223 

客の珍重なる意を領す 顧【おも】うに我は公卿に非ず

之を留むるは不祥ならんことを憤る 之を施せば柴荊【さいけい】に混ず

服飾は尊卑を定む、大なる哉 万古の程。

今我一機老なり 短裾更に営むこと無し

塩焼たり珠宮の物 寝処するは禍の嬰る所なり』

【】

嘆息す当路の子 千曳尚お縦横なり

掌握権柄有り 衣馬自ずから肥軽

李鼎岐陽に死するは 実に騎貴盈つるを以てなり

来項目尽を賜うは 気豪にして直ちに兵もて阻めばなり

皆聞く黄金多しと 坐ろに見る悔香の生ずるを

奈何ぞ田舎翁 此の厚姐の情を受けん』

錦鯨巻きて客に還す 始めて覚ゆ心の和平なるを

我が鹿席の塵を振い 客に奉糞を茄らわしむるに愧ず』

江畔独歩尋花 

 

『太子張舍人遺織成褥段』 現代語訳と訳註

(本文) #1

客從西北來,遺我翠織成。

開緘風濤湧,中有掉尾鯨。

逶迤羅水族,瑣細不足名。

客雲充君褥,承君終宴榮。

空堂魑魅走,高枕形神清。

 

(下し文)

(太子の張舎人織成の褥段【じょくだん】を遺る)

客西北より来たり、我に翠織【すいしょく】成を遺る。

鍼を開けば風涛【ふうとう】湧き、中に掉尾【とうび】の鯨有り。

逶迤【いい】水族羅なり、瑣細【ささい】名いうに足らず。

客は云う君が褥【しとね】に充てて、君が終宴の栄を承けしめん。

空堂 魑魅【ちみ】走り、枕を高くすれば形神清しと。』

 

(現代語訳)

(太子舎人張某が「しとね」にする毛織の絨段をくれたことをよんだ詩。広徳二年、成都にあっての作。)#1

シルクロード通過して西北の地方から来たひとりの客が自分に翠色の毛織物をくれた。

はこの封緘を開くと風涛が湧きおこり、なかに尾をうごかしている鯨がみえる。

また魚類がうねうねとつづいているがそんな小さなものはとりたてていうほどのこともない。

客が云うには、“此の品はあなたの「しとね」にあててください、あなたが宴席のとき始終しいてくださるご光栄を頂きたいものでございます。”

“これをおしきになればさびしい座敷でも怪物でさえも逃げ出し、この上は、高枕でおやすみになれば身体も心もすがすがしくなるとおもいます。”と。

杜甫像00杜甫像00 

(訳注) #1

太子張舍人遺織成褥段

(太子舎人張某が「しとね」にする毛織の絨段をくれたことをよんだ詩。広徳二年、成都にあっての作。)

○太子張舎人 太子舎人張某。

○遺 貽【おく】る。

○織成 毛織りもの。

○褥段 しとねにする絨段。

 

客從西北來,遺我翠織成。

シルクロード通過して西北の地方から来たひとりの客が自分に翠色の毛織物をくれた。

○客 つかいの人。

○西北 何れの地をさすかは不明だからこう表現した。ペルシャ織物がシルクロード通過する北西の方向になる。

○翠 みどり。

 

開緘風濤湧,中有掉尾鯨。

はこの封緘を開くと風涛が湧きおこり、なかに尾をうごかしている鯨がみえる。

○緘 篋をカラガクもの、封緘。

○風涛 海の波模様をいう。

○掉尾鯨 尾をうごかすくじら。

 

逶迤羅水族,瑣細不足名。

また魚類がうねうねとつづいているがそんな小さなものはとりたてていうほどのこともない。

○逶迤 うねりつづく。

○水族 魚類。

○瑣細 こまかなもの。

○名 名ざしていう。

 

客雲充君褥,承君終宴榮。

客が云うには、“此の品はあなたの「しとね」にあててください、あなたが宴席のとき始終しいてくださるご光栄を頂きたいものでございます。”

○充君褥 以下、次の聯「形神清」までは客の言である。

○君終宴栄 栄を荷なうというのに似る、謙遜のあいさつである。終宴は宴が始まって終りまで。

 

空堂魑魅走,高枕形神清。

“これをおしきになればさびしい座敷でも怪物でさえも逃げ出し、この上は、高枕でおやすみになれば身体も心もすがすがしくなるとおもいます。”と。

○空堂 人のいない座敷。

○魑魅走 怪物が逃走する。

○高枕 たかまくらで寝る。

○形神 肉体も精神も。

○清 すがすがしい。以上は客、樽段を持っておくりその効能を述べたことを叙する。

8世紀唐と周辺国00

廣徳2年764-35-3 《揚旗―#3》 ふたたび成都 杜甫<666-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3800 杜甫詩1000-666-#3-954/1500773

杜甫《揚旗―#3》去年、西蜀の松、維と保の三州は吐蕃や異民族の羌らによって侵略され城を陥落されたけれど、西嶺山脈辺りではこの春には奪回され緑の地に回復されたという。このわたしとしても、ここでこうして飲み且つ御馳走をいただけることになり、南蛮と荊楚の方面にはもう行かないことにした。


2014年2月24日 の紀頌之5つのブログ  
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
張平子(張衡)《西京賦》(13)(未央宮の正殿) #5-1 文選 賦<114―(13)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1050 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3798
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《將至韶州,先寄張端公使君借圖經〔將入韶州,先寄張端公使君借圖經〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <963>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3799韓愈詩-258
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-35-3 《揚旗―#3》 ふたたび成都 杜甫<666-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3800 杜甫詩1000-666-#3-954/1500773
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 295 《奉和錢七兄曹長盆池所植》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3801 (02/24)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 『花間集』 このブログで花間集全詩、訳注解説します。(4)毛文錫、牛希濟と欧陽烱 詩目次 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3802
  花間集(1) 花間集(2) 花間集(3) 花間集(4)    
             
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 古詩源 玉台新詠 花間集

 

廣徳2764-35-3 《揚旗―#3》 ふたたび成都 杜甫<666-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3800 杜甫詩1000-666-#3-954/1500773

 

 

広徳二年(七六四)三月、長安も、成都も安定し、加えて、厳武が成都に帰って來る。東・西川節度使の幕府の杜工部を杜甫のために開設してくれることとなり、杜甫は妻子をつれて、成都の草堂に戻って来た。草堂は荒れていたが、近所の人々は喜んで彼を迎えてくれた。もとの犬もよろこんで裾にまといついた。草堂の門に入って、四本の松や、五本の桃の木が、それぞれ生長しているのを見るのも彼をよろこばせた。彼はここで以前のように静かに耕作して暮らそうと思っていたのだが、厳武は彼を推薦して、節度参謀とし、工部員外部を兼ね、緋魚袋を賜わることになった。

 

成都の節度使の幕府に移った厳武は、蜀に返ってくると、大いに軍容を盛んにして、九月には吐審七万の兵を破り、当狗城や、塩川城を奪いかえし、西方国境における唐軍の勢いをもり返した。杜甫も詩を作って讃辞を惜しまなかった。厳武も杜甫をいたわり、いつも幕僚と共に宴に招き、韻を分かって詩を作った。

 

しかし、厳武の好意があればあるほど、幕中の生活は杜甫にとっては楽しいものではなかった。杜甫は、どうしても同僚のものたちと合わないのである。それにまた幕中の生活はかなり忙しく厳しいものであった。毎朝日の出前に役所に入り、世更けて退所するのである。如何に、半官半隠が理想の杜甫にとって他の役人との関係において難しいものであった。

江畔独歩尋花 

 

揚旗
(旗をかかげる。)
〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕  

〔廣徳二年夏六月、成都の長官である厳武公が節度使幕府の講堂に宴会をもようされた。その際、騎士団の新しい軍旗が出来上がり試みに端にもとずいて観閲されたのである。〕#1

江雨颯長夏,府中有餘清。 

錦江に降る雨は長い夏に颯爽とした風を伴っている。西川節度使の幕府に清々しさがいっぱいに広がる。
我公會賓客,肅肅有異聲。 

我が厳武公は次々と賓客と会見される。粛々として進み時には異民族の言葉も飛び交うようだ。

初筵軍裝,羅列照廣庭。 

節度使軍ばかりか来賓の軍隊を謁見されてから初めて宴がひらかれ、廣い庭にきちんとした並びに、明かりに照らされてととのえられる。

庭空六馬入,駊騀揚旗旌。

厳武公にあっては「六馬」の故事にあたることはなく準備万端整っており、節度使軍の騎馬隊の旌旗と歩兵軍団旗がそろって並ぶのがどこまでも続いている。

#2 

回回偃飛蓋,熠熠迸流星。

成都尹から都に呼び戻され、車の大傘を飛ばすほど急いで都に帰り、賊を追い散らし、そして今度は成都を安寧にするために戻ってきた來るという、そしてその光輝く雄姿は流れる星のごとくその輝きを迸るのである。

來纏風飆急,去擘山岳傾。

疾風のように来られたと思うと、竜巻のように賊共を退治し、まとめられた。山岳の方に賊が逃げると山を駆け上がってかたずけられた。

材歸俯身盡,妙取略地平。

その持たれている能力はことごとくひれ伏せられて帰ってこられたのである。侵略されたところも巧妙な作戦で平定され、とりもどされたのである。

虹霓就掌握,舒卷隨人輕。

大空にかかる虹のごとくその手にこの地を掌握されて、その臨機応変なことは文武両道に通じており人をして軽やかに随いついてゆくようになるのである。

#3 

三州陷犬戎,但見西嶺青。 

去年、西蜀の松、維と保の三州は吐蕃や異民族の羌らによって侵略され城を陥落されたけれど、西嶺山脈辺りではこの春には奪回され緑の地に回復されたという。

公來練猛士,欲奪天邊城。 

厳武公が成都の幕府に来られたということで壮士たちの精神が練られ、勢いづいてきたので、保寧都堵府など国境周辺の城郭を奪回しようとしているのだ。

此堂不易升,庸蜀日已寧。 

私自身が東西川節度使の幕府の奥の堂に昇るとするにはそう簡単なものではないが、厳武公の蜀に雇われるということは、日一日と既に安寧な状態になっているのである。

吾徒且加餐,休適蠻與荊。 

このわたしとしても、ここでこうして飲み且つ御馳走をいただけることになり、南蛮と荊楚の方面にはもう行かないことにした。

 

揚旗〔二年 夏六月,成都尹嚴公 公堂に置酒し,騎士を觀し 新旗幟を試る。〕  #1

江雨 長夏に颯とし,府中 餘清有り。 

我が公は賓客に會し,肅肅として異聲有り。 

初筵 軍裝をし,羅列して 廣庭を照す。 

庭空は六馬入り,駊騀 旗旌を揚ぐ。

#2 

回回として蓋を飛ばし偃【のいふ】し,熠熠として流星を迸る。

來纏すれば 風飆急なり,去擘するは山岳傾けり。

材は 身盡くし俯して歸り,略地の平らかにするを妙取す。

虹霓【こうげい】掌握に就き,舒卷【じょかん】人輕に隨う。

#3 

三州 犬戎に陷ち,但し西嶺の青を見ん。 

公 來りて猛士に練り,天邊の城を奪んと欲す。 

此の堂は升るに易からず,蜀に庸すは日び已に寧す。 

吾が徒 且つ加餐し,蠻と荊とに適くを休む。 

 

『揚旗』 現代語訳と訳註

(本文) #3

揚旗〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕  

#3 

三州陷犬戎,但見西嶺青。 

公來練猛士,欲奪天邊城。 

此堂不易升,庸蜀日已寧。 

吾徒且加餐,休適蠻與荊。 

 

(下し文)

三州 犬戎に陷ち,但し西嶺の青を見ん。 

公 來りて猛士に練り,天邊の城を奪んと欲す。 

此の堂は升るに易からず,蜀に庸すは日び已に寧す。 

吾が徒 且つ加餐し,蠻と荊とに適くを休む。 

 

(現代語訳)

去年、西蜀の松、維と保の三州は吐蕃や異民族の羌らによって侵略され城を陥落されたけれど、西嶺山脈辺りではこの春には奪回され緑の地に回復されたという。

厳武公が成都の幕府に来られたということで壮士たちの精神が練られ、勢いづいてきたので、保寧都堵府など国境周辺の城郭を奪回しようとしているのだ。

私自身が東西川節度使の幕府の奥の堂に昇るとするにはそう簡単なものではないが、厳武公の蜀に雇われるということは、日一日と既に安寧な状態になっているのである。

このわたしとしても、ここでこうして飲み且つ御馳走をいただけることになり、南蛮と荊楚の方面にはもう行かないことにした。

成都西側002

(訳注)

揚旗#3〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕 

旗をかかげる。〔廣徳二年夏六月、成都の長官である厳武公が節度使幕府の講堂に宴会をもようされた。その際、騎士団の新しい軍旗が出来上がり試みに端にもとずいて観閲されたのである。〕

成都尹 成都の市長、長官。この時、東、西川節度使と兼務していた。

嚴公 杜甫の幼友達の子供。

置酒 盛大に酒宴を催すこと。また、酒宴のこと。・「置酒」は酒宴を開くこと。「高会」は盛大な宴会のこと。 

公堂 幕府の公の講堂。

新旗幟 新しい軍旗が出来上がったこと。

 

三州 犬戎 ,但見 西嶺

去年、西蜀の松、維と保の三州は吐蕃や異民族の羌らによって侵略され城を陥落されたけれど、西嶺山脈辺りではこの春には奪回され緑の地に回復されたという。

「三州」松州、雅州、卭州。廣德元年,劍南節度高適の軍が間に合わず、吐蕃が来寇し保寧都堵府の管轄の松、維と保三州が陥落した

「陷」戰爭活動、陷落。侵略

「犬戎」西方異民族、ここでは吐蕃。

「西嶺」西嶺山脈。元来吐蕃国境の山脈をいう。

「青」綠。雪をかぶった山脈に春が来て緑に変わること。

 

 

公來 練猛士 ,欲奪 天邊

厳武公が成都の幕府に来られたということで壮士たちの精神が練られ、勢いづいてきたので、保寧都堵府など国境周辺の城郭を奪回しようとしているのだ。

「公」厳武公。成都尹、東西川節度使

「「猛士」壯士。

「天邊城」保寧都堵府など国境周辺の城郭。

 

此堂不易 升,庸蜀 已寧

私自身が東西川節度使の幕府の奥の堂に昇るとするにはそう簡単なものではないが、厳武公の蜀に雇われるということは、日一日と既に安寧な状態になっているのである。

「此堂」成都尹、東西川節度使の幕府の奥の堂。幕府のスタッフ。

 

吾徒 且加餐 ,休適 與荊

このわたしとしても、ここでこうして飲み且つ御馳走をいただけることになり、南蛮と荊楚の方面にはもう行かないことにした。
成都遂州00

廣徳2年764-35-2 《揚旗―#2》 ふたたび成都 杜甫<666-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3795 杜甫詩1000-666-#2-953/1500772

杜甫《揚旗―#2》杜甫は妻子をつれて、成都の草堂に戻って来た。草堂は荒れていたが、近所の人々は喜んで彼を迎えてくれた。彼はここで以前のように静かに耕作して暮らそうと思っていたのだが、厳武は彼を推薦して、節度参謀とし、工部員外部を兼ね、緋魚袋を賜わることになった。


2014年2月23日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
張平子(張衡)《西京賦》(12)#4-3 文選 賦<114―(12)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1049 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3793
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《從潮州量移袁州,張韶州端公以詩相賀,因酬之〔時憲宗元和十四年十月。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <962>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3794韓愈詩-257
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 徳2年764-35-2 《揚旗―#2》 ふたたび成都 杜甫<666-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3795 杜甫詩1000-666-#2-953/1500772
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 294 《 題張十八所居【張籍。】》 韓愈kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3796 (02/23)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 『花間集』 このブログで花間集全詩、訳注解説します。(3)薛昭蘊、牛嶠と張泌 詩目次 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3797
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

廣徳2764-35-2 《揚旗―#2》 ふたたび成都 杜甫<666-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3795 杜甫詩1000-666-#2-953/1500772

 

 

広徳二年(七六四)三月、長安も、成都も安定し、加えて、厳武が成都に帰って來る。東・西川節度使の幕府の杜工部を杜甫のために開設してくれることとなり、杜甫は妻子をつれて、成都の草堂に戻って来た。草堂は荒れていたが、近所の人々は喜んで彼を迎えてくれた。もとの犬もよろこんで裾にまといついた。草堂の門に入って、四本の松や、五本の桃の木が、それぞれ生長しているのを見るのも彼をよろこぼせた。彼はここで以前のように静かに耕作して暮らそうと思っていたのだが、厳武は彼を推薦して、節度参謀とし、工部員外部を兼ね、緋魚袋を賜わることになった。

 

成都の節度使の幕府に移った厳武は、蜀に返ってくると、大いに軍容を盛んにして、九月には吐審七万の兵を破り、当狗城や、塩川城を奪いかえし、西方国境における唐軍の勢いをもり返した。杜甫も詩を作って讃辞を惜しまなかった。厳武も杜甫をいたわり、いつも幕僚と共に宴に招き、韻を分かって詩を作った。

 

しかし、厳武の好意があればあるほど、幕中の生活は杜甫にとっては楽しいものではなかった。杜甫は、どうしても同僚のものたちと合わないのである。それにまた幕中の生活はかなり忙しく厳しいものであった。毎朝日の出前に役所に入り、世更けて退所するのである。如何に、半官半隠が理想の杜甫にとって他の役人との関係において難しいものであった。

 

 

揚旗
(旗をかかげる。)
〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕  

〔廣徳二年夏六月、成都の長官である厳武公が節度使幕府の講堂に宴会をもようされた。その際、騎士団の新しい軍旗が出来上がり試みに端にもとずいて観閲されたのである。〕#1

江雨颯長夏,府中有餘清。 

錦江に降る雨は長い夏に颯爽とした風を伴っている。西川節度使の幕府に清々しさがいっぱいに広がる。

我公會賓客,肅肅有異聲。 

我が厳武公は次々と賓客と会見される。粛々として進み時には異民族の言葉も飛び交うようだ。

初筵軍裝,羅列照廣庭。 

節度使軍ばかりか来賓の軍隊を謁見されてから初めて宴がひらかれ、廣い庭にきちんとした並びに、明かりに照らされてととのえられる。

庭空六馬入,駊騀揚旗旌。

厳武公にあっては「六馬」の故事にあたることはなく準備万端整っており、節度使軍の騎馬隊の旌旗と歩兵軍団旗がそろって並ぶのがどこまでも続いている。

#2 

回回偃飛蓋,熠熠迸流星。

成都尹から都に呼び戻され、車の大傘を飛ばすほど急いで都に帰り、賊を追い散らし、そして今度は成都を安寧にするために戻ってきた來るという、そしてその光輝く雄姿は流れる星のごとくその輝きを迸るのである。

來纏風飆急,去擘山岳傾。

疾風のように来られたと思うと、竜巻のように賊共を退治し、まとめられた。山岳の方に賊が逃げると山を駆け上がってかたずけられた。

材歸俯身盡,妙取略地平。

その持たれている能力はことごとくひれ伏せられて帰ってこられたのである。侵略されたところも巧妙な作戦で平定され、とりもどされたのである。

虹霓就掌握,舒卷隨人輕。

大空にかかる虹のごとくその手にこの地を掌握されて、その臨機応変なことは文武両道に通じており人をして軽やかに随いついてゆくようになるのである。

#3 

三州陷犬戎,但見西嶺青。 

公來練猛士,欲奪天邊城。 

此堂不易升,庸蜀日已寧。 

吾徒且加餐,休適蠻與荊。 

 

揚旗〔二年 夏六月,成都尹嚴公 公堂に置酒し,騎士を觀し 新旗幟を試る。〕 

江雨 長夏に颯とし,府中 餘清有り。 

我が公は賓客に會し,肅肅として異聲有り。 

初筵 軍裝をし,羅列して 廣庭を照す。 

庭空は六馬入り,駊騀 旗旌を揚ぐ。

 

回回として蓋を飛ばし偃【のいふ】し,熠熠として流星を迸る。

來纏すれば 風飆急なり,去擘するは山岳傾けり。

材は 身盡くし俯して歸り,略地の平らかにするを妙取す。

虹霓【こうげい】掌握に就き,舒卷【じょかん】人輕に隨う。

 

三州 犬戎に陷ち,但し西嶺の青を見ん。 

公 來りて猛士に練り,天邊の城を奪んと欲す。 

此の堂は升るに易からず,蜀に庸すは日び已に寧す。 

吾が徒 且つ加餐し,蠻と荊とに適くを休む。 

松03 

『揚旗』 現代語訳と訳註

(本文) #2

揚旗〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕  

回回偃飛蓋,熠熠迸流星。

來纏風飆急,去擘山岳傾。

材歸俯身盡,妙取略地平。

虹霓就掌握,舒卷隨人輕。

 

(下し文)

回回として飛蓋を偃し,熠熠として流星を迸ぶ。

來纏は 風飆して急なり,去擘するは山岳傾けり。

材歸る 俯して身は盡くするを,妙取す 略地は平らかにするを。

虹霓 掌握に就き,舒卷 人輕に隨う。

 

(現代語訳)

成都尹から都に呼び戻され、車の大傘を飛ばすほど急いで都に帰り、賊を追い散らし、そして今度は成都を安寧にするために戻ってきた來るという、そしてその光輝く雄姿は流れる星のごとくその輝きを迸るのである。

疾風のように来られたと思うと、竜巻のように賊共を退治し、まとめられた。山岳の方に賊が逃げると山を駆け上がってかたずけられた。

その持たれている能力はことごとくひれ伏せられて帰ってこられたのである。侵略されたところも巧妙な作戦で平定され、とりもどされたのである。

大空にかかる虹のごとくその手にこの地を掌握されて、その臨機応変なことは文武両道に通じており人をして軽やかに随いついてゆくようになるのである。

杜甫像00 

 

(訳注)

揚旗#2〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕 

旗をかかげる。〔廣徳二年夏六月、成都の長官である厳武公が節度使幕府の講堂に宴会をもようされた。その際、騎士団の新しい軍旗が出来上がり試みに端にもとずいて観閲されたのである。〕

成都尹 成都の市長、長官。この時、東、西川節度使と兼務していた。

嚴公 杜甫の幼友達の子供。

置酒 盛大に酒宴を催すこと。また、酒宴のこと。・「置酒」は酒宴を開くこと。「高会」は盛大な宴会のこと。 

公堂 幕府の公の講堂。

新旗幟 新しい軍旗が出来上がったこと。

 

回回 飛蓋 ,熠熠 流星

成都尹から都に呼び戻され、車の大傘を飛ばすほど急いで都に帰り、賊を追い散らし、そして今度は成都を安寧にするために戻ってきた來るという、そしてその光輝く雄姿は流れる星のごとくその輝きを迸るのである。

「回回」成都尹から都に呼び戻され、そして今度は成都に戻ってきたこと。

(若い時から定住していないこと、しかも、762年厳武が都に還されるときに梓州まで見送って以来実質一年半年閬州を中心にめぐり廻った。)周り回って、移動し、風に吹かれ、車の傘の大きなものを飛ばすほど急いで車を走らせ、逃げ惑ったものだ。

「偃」1 風になびく。「草に風を加ふる時は―・さずといふ事なし」〈太平記・八〉2 ひれ伏す。平伏する。付き従う。のいふす。

「飛蓋」屋根の変わりに車に立てた傘の大きなものを飛ばすほど急いで車を走らせる。東晉・陶潛の『詠荊軻』「登車何時顧,飛蓋入秦庭。」(車に登りては何れの時にか顧りみん,蓋を飛ばして秦庭に入る。)。

「熠熠」光芒、閃閃、光り輝くさま。

「迸」ほとばしる【迸る】とは。意味や解説。[動ラ五(四)]《古くは「ほとはしる」「ほどはしる」とも》1 勢いよく飛び散る。また、激しく流れ出る。噴き出る。「鮮血が―・る」「蛇口から水が―・る」2 とびあがる。おどりあがる。

「流星」語義類別:物、天文、星、流星。

 

來纏 風飆 ,去擘 山岳

疾風のように来られたと思うと、竜巻のように賊共を退治し、まとめられた。山岳の方に賊が逃げると山を駆け上がってかたずけられた。

「風飆」【飆風】ひょうふう. つむじかぜ。はやて。暴風。 「飄風」とも書く。 【狂飆】きょうひょう. 吹き荒れる大風。暴風。

 

材歸俯身 盡,妙取 略地

その持たれている能力はことごとくひれ伏せられて帰ってこられたのである。侵略されたところも巧妙な作戦で平定され、とりもどされたのである。

「略地」吐蕃の侵入地、略地。隴西、蜀の西部から北部のかけての地域のこと。

 

虹霓 就掌握 ,舒卷 隨人

大空にかかる虹のごとくその手にこの地を掌握されて、その臨機応変なことは文武両道に通じており人をして軽やかに随いついてゆくようになるのである。

「虹霓」【こうげい】とは。意味や解説。《竜の一種と考え、雄を虹、雌を霓・蜺としたところから》にじ。

「舒卷」 時に応じて進退をすること。書物を開くこと。・舒(1) 伸びる,伸ばす.(2) 伸びやかな.(3) ( S )姓.舒 shūchàng[]伸びやかで楽しい心情舒気持ちがゆったりして愉快だ.舒服 shūfu[]気分がいい,心地よい舒服的生活快適な生活.・卷 まくこと
江畔独歩尋花 

廣徳2年764-35-1 《揚旗―#1》 ふたたび成都 杜甫<666-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3790 杜甫詩1000-666-#1-952/1500 771

杜甫《揚旗―#1》錦江に降る雨は長い夏に颯爽とした風を伴っている。西川節度使の幕府に清々しさがいっぱいに広がる。我が厳武公は次々と賓客と会見される。粛々として進み時には異民族の言葉も飛び交うようだ。


2014年2月22日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
張平子(張衡)《西京賦》(11)#4-2 文選 賦<114―(11)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1048 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3788
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《韶州留別張端公使君〔時憲宗元和十四年十月。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <961>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3789韓愈詩-256
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-35-1 《揚旗―#1》 ふたたび成都 杜甫<666-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3790 杜甫詩1000-666-#1-952/1500 771
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 293 《奉和庫部盧四兄曹長元日朝廻》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3791 (02/22)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 花間集』 このブログで花間集全詩、訳注解説します。(2)皇甫松と韋荘 詩目次
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

廣徳2764-35-1 《揚旗―#1》 ふたたび成都 杜甫<666-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3790 杜甫詩1000-666-#1-952/1500 771

 

 

作時年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 揚旗〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕 

作地點: 目前尚無資料 

 

揚旗
(旗をかかげる。)〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕  

〔廣徳二年夏六月、成都の長官である厳武公が節度使幕府の講堂に宴会をもようされた。その際、騎士団の新しい軍旗が出来上がり試みに端にもとずいて観閲されたのである。〕#1

江雨颯長夏,府中有餘清。 

錦江に降る雨は長い夏に颯爽とした風を伴っている。西川節度使の幕府に清々しさがいっぱいに広がる。

我公會賓客,肅肅有異聲。 

我が厳武公は次々と賓客と会見される。粛々として進み時には異民族の言葉も飛び交うようだ。

初筵軍裝,羅列照廣庭。 

節度使軍ばかりか来賓の軍隊を謁見されてから初めて宴がひらかれ、廣い庭にきちんとした並びに、明かりに照らされてととのえられる。

庭空六馬入,駊騀揚旗旌。

厳武公にあっては「六馬」の故事にあたることはなく準備万端整っており、節度使軍の騎馬隊の旌旗と歩兵軍団旗がそろって並ぶのがどこまでも続いている。

#2 

回回偃飛蓋,熠熠迸流星。

來纏風飆急,去擘山岳傾。

材歸俯身盡,妙取略地平。

虹霓就掌握,舒卷隨人輕。

#3 

三州陷犬戎,但見西嶺青。 

公來練猛士,欲奪天邊城。 

此堂不易升,庸蜀日已寧。 

吾徒且加餐,休適蠻與荊。 

 

揚旗〔二年 夏六月,成都尹嚴公 公堂に置酒し,騎士を觀し 新旗幟を試る。〕 

江雨 長夏に颯とし,府中 餘清有り。 

我が公は賓客に會し,肅肅として異聲有り。 

初筵 軍裝をし,羅列して 廣庭を照す。 

庭空は六馬入り,駊騀 旗旌を揚ぐ。

 

回回として蓋を飛ばし偃【のいふ】し,熠熠として流星を迸る。

來纏すれば 風飆急なり,去擘するは山岳傾けり。

材は 身盡くし俯して歸り,略地の平らかにするを妙取す。

虹霓【こうげい】掌握に就き,舒卷【じょかん】人輕に隨う。

 

三州 犬戎に陷ち,但し西嶺の青を見ん。 

公 來りて猛士に練り,天邊の城を奪んと欲す。 

此の堂は升るに易からず,蜀に庸すは日び已に寧す。 

吾が徒 且つ加餐し,蠻と荊とに適くを休む。 

杜甫像00 

 

『揚旗』 現代語訳と訳註

(本文) #1

揚旗〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕  

江雨颯長夏,府中有餘清。 

我公會賓客,肅肅有異聲。 

初筵軍裝,羅列照廣庭。 

庭空六馬入,駊騀揚旗旌。
 

(下し文)

揚旗〔二年 夏六月,成都尹嚴公 公堂に置酒し,騎士を觀し 新旗幟を試る。〕 

江雨 長夏に颯とし,府中 餘清有り。 

我が公は賓客に會し,肅肅として異聲有り。 

初筵 軍裝をし,羅列して 廣庭を照す。 

庭空は六馬入り,駊騀 旗旌を揚ぐ。

 

(現代語訳)

(旗をかかげる。)〔廣徳二年夏六月、成都の長官である厳武公が節度使幕府の講堂に宴会をもようされた。その際、騎士団の新しい軍旗が出来上がり試みに端にもとずいて観閲されたのである。〕#1

錦江に降る雨は長い夏に颯爽とした風を伴っている。西川節度使の幕府に清々しさがいっぱいに広がる。

我が厳武公は次々と賓客と会見される。粛々として進み時には異民族の言葉も飛び交うようだ。

節度使軍ばかりか来賓の軍隊を謁見されてから初めて宴がひらかれ、廣い庭にきちんとした並びに、明かりに照らされてととのえられる。

厳武公にあっては「六馬」の故事にあたることはなく準備万端整っており、節度使軍の騎馬隊の旌旗と歩兵軍団旗がそろって並ぶのがどこまでも続いている。

松01 

 

(訳注)

揚旗〔二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。〕 

旗をかかげる。〔廣徳二年夏六月、成都の長官である厳武公が節度使幕府の講堂に宴会をもようされた。その際、騎士団の新しい軍旗が出来上がり試みに端にもとずいて観閲されたのである。〕

成都尹 成都の市長、長官。この時、東、西川節度使と兼務していた。

嚴公 杜甫の幼友達の子供。

置酒 盛大に酒宴を催すこと。また、酒宴のこと。・「置酒」は酒宴を開くこと。「高会」は盛大な宴会のこと。 

公堂 幕府の公の講堂。

新旗幟 

 

江雨 長夏 ,府中 有餘

錦江に降る雨は長い夏に颯爽とした風を伴っている。西川節度使の幕府に清々しさがいっぱいに広がる。

「江」錦江。

「府」幕府。

 

 

我公 賓客 ,肅肅 異聲

我が厳武公は次々と賓客と会見される。粛々として進み時には異民族の言葉も飛び交うようだ。

「公」厳武公。

「會」會見。

「賓客」賓客が訪れることは、政治情勢が落ち着いてきたことを示す。

「異聲」異民族の言葉も飛び交う。

 

初筵 軍裝 ,羅列 廣庭

節度使軍ばかりか来賓の軍隊を閲見されてから初めて宴がひらかれ、廣い庭にきちんとした並びに、明かりに照らされてととのえられる。

「初筵」飲食、宴席の初のころ。

」検閲、閲覧、閲見する。

「軍裝」軍服。

「羅列」語義類別:人、行為動作、一般行為(手部)、排。

「照」語義類別:其他、現象、自然現象、照。

「廣」語義類別:物、形容詞彙(物)、景物形態、廣。

「庭」語義類別:物、建築物、園林院落、庭。

 

庭空 六馬 駊騀揚旗旌。 

厳武公にあっては「六馬」の故事にあたることはなく準備万端整っており、節度使軍の騎馬隊の旌旗と歩兵軍団旗がそろって並ぶのがどこまでも続いている。

「庭空」庭の空地に六頭の馬が入っている。馬車は5頭立てまでで、六頭までは取り換え用の馬を同時に走らせることはあるにしても空地にはおくことはない。

六馬 六馬についてよいことわざはない。・朽索の六馬を馭するが如しとは。《「書経」五子之歌から》腐った縄で六頭の馬を操るように、非常に困難で危険なことのたとえ。

・六馬和せざれば造父ももって遠きを致すあたわず. , 六馬和せざれば造父も以て遠きを致す能わずとは、どんなことでも、人々の気持ちが一つにならなければ、最後までやりとげることはできないことのたとえ。

駊騀 とっきがどこまでもつづく

『甘泉賦』 

攢幷閭與兮,紛被麗其亡鄂。

崇丘陵之駊騀兮,深溝嶔巖而為谷。

𨓹𨓹離宮般以相燭兮,封巒石關施靡乎延屬。

幷閭【へいりょ】と茇【ばつかつ】とを攢【あつ】め,紛として被麗【ひり】として其れ鄂【かぎ】り亡し。

丘陵の駊騀【はが】たるを崇くし,深溝【しんこう】嶔巖【かんがん】として谷を為す。

𨓹𨓹【おうおう】にして離宮ありて、般【つら】なり以って相い燭【て】らし,封巒【ほうらん】石關ありて、施靡【いび】として延屬【えんぞく】す。

棕櫚やはっかも群生し、散らばってどこまでも茂っている。

丘陵は険しくそびえそれがどこまでも続いて、そこに深く切り立った岩場の谷がある。

その辺りには、あちこちに離宮が立ち並び、それでもって輝きを競っており、封巒観・石関観などが、長く延び、つながっている。

揚雄 《甘泉賦 (8)#3-2 文選 賦<108-(8)#3-29分割26回 Ⅱ李白に影響を与えた詩861 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2853

旗旌 節度使軍のはたとのぼり。旗幟(きし)。騎馬隊の旌旗と歩兵軍団旗
江畔独歩尋花 

廣徳2年764-34-2 《水檻―#2》 ふたたび成都 杜甫<665-2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3785 杜甫詩1000-665-2-951/1500770

杜甫 《水檻―#2》 悪事を続けて子孫におそれを抱くのは見識のあるものにとっては嘲られるべきことだ。この国は、既にこともあろうに大屋根の家が傾きかけているのである。たった一本の木でささえてたもっているのだ。


2014年2月21日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
張平子(張衡)《西京賦》(10)(宮殿の造営)#4-1 文選 賦<114―(10)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1047 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3783
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《過始興江口感懷》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <960>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3784韓愈詩-255
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-34-2 《水檻―#2》 ふたたび成都 杜甫<665-2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3785 杜甫詩1000-665-2-951/1500770
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 292 《早赴街西行香,贈盧、李二中舍人》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3786 (02/21)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 『花間集」 このブログで花間集全詩、訳注解説します。(1)温庭筠の詩目次
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

廣徳2764-34-2 《水檻―#2》 ふたたび成都 杜甫<6652> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3785 杜甫詩1000-6652-951/1500770

 

 

年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 水檻 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

 

水檻 #1

川に臨んだ船着き場の欄干
蒼江多風飆,雲雨晝夜飛。 

緑深い大江に強風が渦を巻きながら激しく舞い上がる風が多い、そこに雲が湧き、雨を呼んでくると、昼も夜も飛んでくる。

茅軒駕巨浪,焉得不低垂。 

時には大江に大きな波があがって茅葺の軒まで来ることがあったし、また、どうしたわけか水が干上がって、欄干が低く垂れさがってしまうことなどないという水深を得ている。

遊子久在外,門無人持。 

旅人として久しくここから閬州方面へ外出していたが、ここの門戸たずねてだれもくるものはいなかった。

高岸尚如谷,何傷浮柱攲。

岸の高い所から見ればまるで谷のようであるし、浮んでいる水檻の柱に寄って立っているとどうしてと感傷的になってしまうのだろうか。

#2

扶顛有勸誡,恐貽識者嗤。 

頂を広げるのは公明正大であって悪を制することであり、悪事を続けて子孫におそれを抱くのは見識のあるものにとっては嘲られるべきことだ。

既殊大廈傾,可以一木支。 

この国は、既にこともあろうに大屋根の家が傾きかけているのである。たった一本の木でささえてたもっているのだ。

臨川視萬里,何必闌檻為。 

そしてこの川を臨むと万里の先まで見ることが出来るし、この水檻の欄干は何のために必要なのだろうか。

人生感故物,慷慨有餘悲。 

人生というものは理由あってのもの、馴染んだものに感情を持ち、どんなに意気盛んであっても私にはあまりに悲しいことがありあまるほどあるのだ。

 

水檻 #1

蒼江 風飆多く,雲雨 晝夜飛ぶ。 

茅軒 巨浪に駕け,焉ぞ低く垂れざるを得ん。 

遊子 久しく外に在り,門 人持つ無し。 

高岸 尚お谷の如し,何ぞ傷かん 柱攲を浮ぶを。

#2

顛を扶け 勸誡有り,貽を恐れ 識者嗤る。 

既に殊に大廈傾き,以て一木支う可し。 

川に臨み 萬里を視,何ぞ必ずしも闌檻為さんや。 

人生 故物を感じ,慷慨して餘悲しむ有り。 

松01 

 

『水檻 #2』 現代語訳と訳註

(本文) #2

扶顛有勸誡,恐貽識者嗤。 

既殊大廈傾,可以一木支。 

臨川視萬里,何必闌檻為。 

人生感故物,慷慨有餘悲。 

 

(下し文)#2

顛を扶け 勸誡有り,貽を恐れ 識者嗤る。 

既に殊に大廈傾き,以て一木支う可し。 

川に臨み 萬里を視,何ぞ必ずしも闌檻為さんや。 

人生 故物を感じ,慷慨して餘悲しむ有り。 

 

(現代語訳)

頂を広げるのは公明正大であって悪を制することであり、悪事を続けて子孫におそれを抱くのは見識のあるものにとっては嘲られるべきことだ。

この国は、既にこともあろうに大屋根の家が傾きかけているのである。たった一本の木でささえてたもっているのだ。

そしてこの川を臨むと万里の先まで見ることが出来るし、この水檻の欄干は何のために必要なのだろうか。

人生というものは理由あってのもの、馴染んだものに感情を持ち、どんなに意気盛んであっても私にはあまりに悲しいことがありあまるほどあるのだ。

杜甫像00 

 

(訳注)

水檻 #2

 

扶顛 勸誡 ,恐貽 識者

頂を広げるのは公明正大であって悪を制することであり、悪事を続けて子孫におそれを抱くのは見識のあるものにとっては嘲られるべきことだ。

・「扶顛」國を治める道、何処から見られてもやましいことがない。

・「勸誡」善をすすめ、悪を制すること

・「恐貽」悪事を続けて子孫におそれを抱く。

・「識者」見識のあるもの。

・「嗤」ばかにした気持ちを顔に表す。あざける。嘲笑する。 「愚かしさを-・う」 「陰で-・っている」 「鼻先で-・う」 「天の下に-・はれなまし/日本書紀 継体訓」. . つぼみが開く,花が咲く。 「花が-・い,鳥が歌う」. . 果実が熟して割れ目ができる。。

 

既殊 大廈 ,可以一木

この国は、既にこともあろうに大屋根の家が傾きかけているのである。たった一本の木でささえてたもっているのだ。

「殊」語義類別:其他、形容詞彙、對比詞、異同(異)。

「大廈」国は、既にこともあろうに大屋根、宮室屋廬。

「傾」語義類別:物、形容詞彙(物)、物品形態、傾。

・「可以」(1) …できる,可能である.◇否定は不能.(2) …してよい,許される.儿可以打球ここではボール遊びをしてもよい.◇否定は不可以不能(3) …するに値する.◇否定は不得.━ [](1) けっこうな,なかなかよい写得.

 

臨川 萬里 ,何必 闌檻 為。

そしてこの川を臨むと万里の先まで見ることが出来るし、この水檻の欄干は何のために必要なのだろうか。

 

人生 故物 ,慷慨 餘悲

人生というものは理由あってのもの、馴染んだものに感情を持ち、どんなに意気盛んであっても私にはあまりに悲しいことがありあまるほどあるのだ。

「人生」人生機遇。杜甫は半官半隠が理想と考えている。

「感」感情。

「故」故郷に帰れる保証もないが、ここにいて満足できる人生というものがあるのか。

「慷慨」1 世間の悪しき風潮や社会の不正などを、怒り嘆くこと。「社会の矛盾を―する」「悲憤―」2 意気が盛んなこと。また、そのさま。

「餘悲」悲哀傷痛が余りあり人生を送ってきた。

 陶潜『挽歌三首其三』「親戚或餘悲,他人亦已歌。」(;親戚或は餘悲【よひ】あらんも. 他人亦た已に歌えり.)親戚は引き続き悲しんでくれるだろうが、他人はもう鼻歌を歌っているにちがいない
江畔独歩尋花 

廣徳2年764-34-1 《水檻―#1》 ふたたび成都 杜甫<665-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3780 杜甫詩1000-665-1-950/1500769

杜甫《水檻―#1》時には大江に大きな波があがって茅葺の軒まで来ることがあったし、また、どうしたわけか水が干上がって、欄干が低く垂れさがってしまうことなどないという水深を得ている。旅人として久しくここから閬州方面へ外出していたが、ここの門戸たずねてだれもくるものはいなかった。


2014年2月20日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
張平子(張衡)《西京賦》(9)#3-2 文選 賦<114―(9)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1046 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3778
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《晚次宣溪辱韶州張端公使君惠書敘別酬以絕句二章,二首之二〔晚次宣溪,二首之二〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <959>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3779韓愈詩-254
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-34-1 《水檻―#1》 ふたたび成都 杜甫<665-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3780 杜甫詩1000-665-1-950/1500769
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 291 《遊城南十六首:遣興》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3781 (02/20)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 12 -20 漁父一首 其一 和學士凝(和凝【わぎょう】)二十首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-447-12-#20  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3782
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

廣徳2764-34-1 《水檻―#1》 ふたたび成都 杜甫<6651 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3780 杜甫詩1000-6651-950/1500769

 

 

年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 水檻 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

 

水檻 #1

川に臨んだ船着き場の欄干

蒼江多風飆,雲雨晝夜飛。 

緑深い大江に強風が渦を巻きながら激しく舞い上がる風が多い、そこに雲が湧き、雨を呼んでくると、昼も夜も飛んでくる。

茅軒駕巨浪,焉得不低垂。 

時には大江に大きな波があがって茅葺の軒まで来ることがあったし、また、どうしたわけか水が干上がって、欄干が低く垂れさがってしまうことなどないという水深を得ている。

遊子久在外,門無人持。 

旅人として久しくここから閬州方面へ外出していたが、ここの門戸たずねてだれもくるものはいなかった。

高岸尚如谷,何傷浮柱攲。

岸の高い所から見ればまるで谷のようであるし、浮んでいる水檻の柱に寄って立っているとどうしてと感傷的になってしまうのだろうか。

#2

扶顛有勸誡,恐貽識者嗤。 

既殊大廈傾,可以一木支。 

臨川視萬里,何必闌檻為。 

人生感故物,慷慨有餘悲。 

 

水檻 #1

蒼江 風飆多く,雲雨 晝夜飛ぶ。 

茅軒 巨浪に駕け,焉ぞ低く垂れざるを得ん。 

遊子 久しく外に在り,門 人持つ無し。 

高岸 尚お谷の如し,何ぞ傷かん 柱攲を浮ぶを。

#2

顛を扶け 勸誡有り,貽を恐れ 識者嗤る。 

既に殊に大廈傾き,以て一木支う可し。 

川に臨み 萬里を視,何ぞ必ずしも闌檻為さんや。 

人生 故物を感じ,慷慨して餘悲しむ有り。 

成都関連地図 00 

 

『水檻 #1』 現代語訳と訳註

(本文)

水檻 #1

蒼江多風飆,雲雨晝夜飛。 

茅軒駕巨浪,焉得不低垂。 

遊子久在外,門無人持。 

高岸尚如谷,何傷浮柱攲。

 

(下し文)

水檻 #1

蒼江 風飆多く,雲雨 晝夜飛ぶ。 

茅軒 巨浪に駕け,焉ぞ低く垂れざるを得ん。 

遊子 久しく外に在り,門 人持つ無し。 

高岸 尚お谷の如し,何ぞ傷かん 柱攲を浮ぶを。

 

(現代語訳)

川に臨んだ船着き場の欄干

緑深い大江に強風が渦を巻きながら激しく舞い上がる風が多い、そこに雲が湧き、雨を呼んでくると、昼も夜も飛んでくる。

時には大江に大きな波があがって茅葺の軒まで来ることがあったし、また、どうしたわけか水が干上がって、欄干が低く垂れさがってしまうことなどないという水深を得ている。

旅人として久しくここから閬州方面へ外出していたが、ここの門戸たずねてだれもくるものはいなかった。

岸の高い所から見ればまるで谷のようであるし、浮んでいる水檻の柱に寄って立っているとどうしてと感傷的になってしまうのだろうか。

隋堤01 

(訳注)

水檻 #1

川に臨んだ船着き場の欄干

761年春、この水檻について述べている。『江上水如海勢聊短述』に見えた水檻に立ち、あたりをながめて隠棲生活をたのしむことをのべる。『水檻(遣心は、川に臨んだ欄干に寄りかかってあたりを眺めやるという意味で、草堂のから一年たった2月の作である。この年は去年の春雪解けの水より、増水が多く岸いっぱいに流れたのだ。

春水生 二絶其一 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 9)  杜甫 <414  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2015 杜甫詩1000-414-597/1500

春水生 二絶其二 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 10)  杜甫 <415  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2020 杜甫詩1000-415-598/1500

江上水如海勢聊短述 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 11)  杜甫 <416  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2025 杜甫詩1000-416-599/1500

水檻遣心二首其一 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 12)  杜甫 <417  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2030 

水檻遣心二首其二 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 13)  杜甫 <418  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2035 杜甫詩1000-418-601/1500

 

 

蒼江 風飆 ,雲雨 晝夜

緑深い大江に強風が渦を巻きながら激しく舞い上がる風が多い、そこに雲が湧き、雨を呼んでくると、昼も夜も飛んでくる。

「蒼江」綠の流れの大江。

「風飆」渦を巻きながら激しく舞い上がる風。大風。 「飄」「颶」「旋風」とも書く。 【飆飆】ひょうひょう. 風の激しく吹くようす。 【飆風】ひょうふう. つむじかぜ。はやて。暴風。 「飄風」とも書く。 【狂飆】きょうひょう. 吹き荒れる大風。暴風。。

「雲雨」語義類別:物、天候氣象、合稱(相異詞)、雲雨。

「晝夜」語義類別:時、時間、相對時間、晝夜。

「飛」語義類別:其他、現象、自然現象、飛。

 

茅軒 駕巨浪 ,焉得不 低垂

時には大江に大きな波があがって茅葺の軒まで来ることがあったし、また、どうしたわけか水が干上がって、欄干が低く垂れさがってしまうことなどないという水深を得ている。

「茅」茅葺きの家。浣花渓草堂。

「軒」軒下。窗。

「巨浪」大浪。杜甫草堂前の濯錦江の暴風が吹いて大波が起こる。

「低垂」水檻は杜甫の家、あるいはこの地域の船着き場で、この河川には、干ばつでも水が絶えることはなかったことをいう。

 

遊子 在外 ,門 無人

旅人としてここ久しくここから閬州方面へ外出していたが、ここの門戸たずねてだれもくるものはいなかった。

「遊子」この草堂を離れて、閬州、梓州を転々としていた自分をいう。

 

高岸 尚如谷 ,何傷 浮 柱攲

岸の高い所から見ればまるで谷のようであるし、浮んでいる水檻の柱に寄って立っているとどうしてと感傷的になってしまうのだろうか。

「柱攲」この水檻は四阿からつづいてあったもので、四阿の柱か、欄干の柱であろう。その柱に倚りかかってこの川を眺めているとということ。

 nat0019

廣徳2年764-33-2 《 破船ー#2》 ふたたび成都 杜甫<664-2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3775 杜甫詩1000-664-2-949/1500768

杜甫《 破船ー#2》天を仰いて大局を見れば、西の成都に向かって翼をつかって飛んで帰ると途が良いのか、下を見て、卑近の恥ずかしいこととして言えば、長江を下って東に向かうことがよいのだろうか。近しい友人たちはなかなか得難いものであり、新しくできる知人というものは、また求めやすいというものだろう。


2014年2月19日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
張平子(張衡)《西京賦》(8)(帝都の計画)#3-1 文選 賦<114―(8)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1045 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3773
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《晚次宣溪辱韶州張端公使君惠書敘別酬以絕句二章,二首之一〔晚次宣溪,二首之一〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <958>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3774韓愈詩-253
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-33-2 《 破船ー#2》 ふたたび成都 杜甫<664-2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3775 杜甫詩1000-664-2-949/1500768
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 290 《遊城南十六首:楸樹》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3776 (02/19)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 12 -19 柳枝三首 其三 和學士凝(和凝【わぎょう】)二十首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-446-12-#19  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3777
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

廣徳2764-33-2 破船ー#2》 ふたたび成都 杜甫<6642 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3775 杜甫詩1000-6642-949/1500768

 

 

年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 破船 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

 

 

破船  #1

平生江海心,宿昔具扁舟。 

この頃いつも思っているのは江陵や長沙・紹興あたりへ心が動いていることであり、昔若いころには、仲間と連れ立って小舟でその辺りを回って遊んだからだ。

豈惟青溪上,日傍柴門遊。 

どういうわけか春の盛りのうららかな渓谷のほとりでのんびり過ごしたことや、陽だまりの柴門に入ってのんびり遊学したことがあるからである。
蒼皇避亂兵,緬邈懷舊丘。 

その後、安史の乱により敵方に捕縛され、監禁されたところから逃げ出したり、こうしてはるか遠い所に来てしまい、そこさえもまた逃げ出して、転蓬の身でいるのだ。

鄰人亦已非,野竹獨修修。

良き隣人も、散りじりバラバラで、また、既にここにはいない、原野に単独に生えてきた竹の様なもので身よりもなくシュウシュウと小さくおさまって立っている。

#2

船舷不重扣,埋沒已經秋。 

舟を用意できたものの送別までしてもらったものの逡巡しているが何時までもこうして船を止めておることできない。とはいうもののこうしてここに埋没して既に秋を過ぎようとしている。

仰看西飛翼,下愧東逝流。 

天を仰いて大局を見れば、西の成都に向かって翼をつかって飛んで帰ると途が良いのか、下を見て、卑近の恥ずかしいこととして言えば、長江を下って東に向かうことがよいのだろうか。

故者或可掘,新者亦易求。 

近しい友人たちはなかなか得難いものであり、新しくできる知人というものは、また求めやすいというものだろう。

所悲數奔竄,白屋難久留。 

こんな悲しいことばかり考え、心も往ったり来たりしたり、逃げ隠れして決めることもできないのだ、だからこんなに白髪頭を載せてしまい窮極の考えに到達することもできないのだ。

 

破船  #1

平生 江海への心,宿昔 具に扁舟せん。 

豈に惟れ青溪の上り,日傍 柴門に遊ぶ。 

蒼皇 亂兵を避け,緬邈 舊丘を懷う。 

鄰人 亦た已に非らず,野竹 獨り修修たり。

#2

船舷 不扣を重ねず,埋沒して 已に秋を經る。 

仰看て 西に飛翼し,下愧じて 東に逝流せんとす。 

故者 或いは掘らる可し,新者 亦た求むる易し。 

悲しむ所 數しば奔竄し,白屋して 久しく留り難し。 

成都関連地図 00

 

『破船』 現代語訳と訳註

(本文)#2

船舷不重扣,埋沒已經秋。 

仰看西飛翼,下愧東逝流。 

故者或可掘,新者亦易求。 

所悲數奔竄,白屋難久留。 

 

(下し文) #2

船舷 不扣を重ねず,埋沒して 已に秋を經る。 

仰看て 西に飛翼し,下愧じて 東に逝流せんとす。 

故者 或いは掘らる可し,新者 亦た求むる易し。 

悲しむ所 數しば奔竄し,白屋して 久しく留り難し。 

 

(現代語訳)

舟を用意できたものの送別までしてもらったものの逡巡しているが何時までもこうして船を止めておることできない。とはいうもののこうしてここに埋没して既に秋を過ぎようとしている。

天を仰いて大局を見れば、西の成都に向かって翼をつかって飛んで帰ると途が良いのか、下を見て、卑近の恥ずかしいこととして言えば、長江を下って東に向かうことがよいのだろうか。

近しい友人たちはなかなか得難いものであり、新しくできる知人というものは、また求めやすいというものだろう。

こんな悲しいことばかり考え、心も往ったり来たりしたり、逃げ隠れして決めることもできないのだ、だからこんなに白髪頭を載せてしまい窮極の考えに到達することもできないのだ。

江畔独歩尋花 

 

(訳注)

破船

764  廣德二年  53 のとき、江陵に向かうと決めたものの可江南にも若干不安定要素があり、忸怩していたころの気持ちを詠う。

 

船舷 不重 ,埋沒 已經秋

舟を用意できたものの送別までしてもらったものの逡巡しているが何時までもこうして船を止めておることできない。とはいうもののこうしてここに埋没して既に秋を過ぎようとしている。

・「船舷」ふなばた。ふなべり。杜甫は、760761の詩に成都浣花渓草堂で舟を持っていたことを述べており、近隣街に行っている。。草堂の前に流れる濯錦江に係留したのである。

・「扣」ひか・える〔ひかへる〕【控える/×扣える】㋐用事や順番に備えて、すぐ近くの場所にいて待つ。待機する。㋑目立たないようにしてそばにいる。㋒空間的・時間的に迫っている。近くに位置する。また、近い将来に予定される。㋐度を越さないように、分量・度数などを少なめにおさえる。節制する。㋑自制や配慮をして、それをやめておく。見合わせる。㋒空間的・時間的にすぐ近くにある。近い所に持つ。あまり時を置かないで予定している。㋓忘れないように、また、念のため書きとめておく。㋔衣服などを、おさえつかんで、行かせないようにする。引きとめる。㋕引く。引っぱる。

・「埋沒」浣花渓草堂に隠遁することから、梓州、閬州に逃避していたことを云う。。

 

仰看 西 飛翼 ,下愧 逝流

天を仰いて大局を見れば、西の成都に向かって翼をつかって飛んで帰ると途が良いのか、下を見て、卑近の恥ずかしいこととして言えば、長江を下って東に向かうことがよいのだろうか。

「仰看」下句「下愧」が「仰看」と上と下の対語、対句であるが、ここでは大局観と卑近なものの見方ということ。

・「西」成都。

・「東流」東部、江南方面に行くということではあるが、ここでは長いものにまかれる。卑近なことに流されていくということ。

 

故者 或可掘 ,新者 亦易求

近しい友人たちはなかなか得難いものであり、新しくできる知人というものは、また求めやすいというものだろう。

 

所悲 奔竄 ,白屋 久留

こんな悲しいことばかり考え、心も往ったり来たりしたり、逃げ隠れして決めることもできないのだ、だからこんなに白髪頭を載せてしまい窮極の考えに到達することもできないのだ。

・「奔竄」【ほんざん】にげかくれること。

・「白屋」頭のてっぺんに白いものを載せている。白髪頭。
杜甫像00 

廣徳2年764-33-1 《 破船ー#1》 ふたたび成都3240 杜甫<664-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3770 杜甫詩1000-664-1-948/1500767

杜甫《 破船ー#1》この頃いつも思っているのは江陵や長沙・紹興あたりへ心が動いていることであり、昔若いころには、仲間と連れ立ってどういうわけか春の盛りのうららかな渓谷のほとりでのんびり過ごしたことや、陽だまりの柴門に入ってのんびり遊学したことがあるからである。


2014年2月18日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
張平子(張衡)《西京賦》(7)#2-4 文選 賦<114―(7)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1044 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3768
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《題臨瀧寺》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <957>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3769韓愈詩-252
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-33-1 《 破船ー#1》 ふたたび成都3240 杜甫<664-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3770 杜甫詩1000-664-1-948/1500767
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 289 《遊城南十六首:嘲少年》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3771 (02/18)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 12 -18 柳枝三首  其二 和學士凝(和凝【わぎょう】)二十首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-445-12-#18  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3772
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

廣徳2764-33-1 《 破船ー#1》 ふたたび成都3240 杜甫<6641> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3770 杜甫詩1000-6641-948/1500767

 

 

年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 破船 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

 

 

破船  #1

平生江海心,宿昔具扁舟。 

この頃いつも思っているのは江陵や長沙・紹興あたりへ心が動いていることであり、昔若いころには、仲間と連れ立って小舟でその辺りを回って遊んだからだ。
豈惟青溪上,日傍柴門遊。 

どういうわけか春の盛りのうららかな渓谷のほとりでのんびり過ごしたことや、陽だまりの柴門に入ってのんびり遊学したことがあるからである。

蒼皇避亂兵,緬邈懷舊丘。 

その後、安史の乱により敵方に捕縛され、監禁されたところから逃げ出したり、こうしてはるか遠い所に来てしまい、そこさえもまた逃げ出して、転蓬の身でいるのだ。

鄰人亦已非,野竹獨修修。

良き隣人も、散りじりバラバラで、また、既にここにはいない、原野に単独に生えてきた竹の様なもので身よりもなくシュウシュウと小さくおさまって立っている。

#2

船舷不重扣,埋沒已經秋。 

仰看西飛翼,下愧東逝流。 

故者或可掘,新者亦易求。 

所悲數奔竄,白屋難久留。 

 

破船  #1

平生 江海への心,宿昔 具に扁舟せん。 

豈に惟れ青溪の上り,日傍 柴門に遊ぶ。 

蒼皇 亂兵を避け,緬邈 舊丘を懷う。 

鄰人 亦た已に非らず,野竹 獨り修修たり。

#2

船舷 不扣を重ねず,埋沒して 已に秋を經る。 

仰看て 西に飛翼し,下愧じて 東に逝流せんとす。 

故者 或いは掘らる可し,新者 亦た求むる易し。 

悲しむ所 數しば奔竄し,白屋して 久しく留り難し。 

 

江畔独歩尋花 

『破船』 現代語訳と訳註

(本文)

破船  #1

平生江海心,宿昔具扁舟。 

豈惟青溪上,日傍柴門遊。 

蒼皇避亂兵,緬邈懷舊丘。 

鄰人亦已非,野竹獨修修。

 

 

(下し文)

破船  #1

平生 江海への心,宿昔 具に扁舟せん。 

豈に惟れ青溪の上り,日傍 柴門に遊ぶ。 

蒼皇 亂兵を避け,緬邈 舊丘を懷う。 

鄰人 亦た已に非らず,野竹 獨り修修たり。

 

(現代語訳)

この頃いつも思っているのは江陵や長沙・紹興あたりへ心が動いていることであり、昔若いころには、仲間と連れ立ってどういうわけか春の盛りのうららかな渓谷のほとりでのんびり過ごしたことや、陽だまりの柴門に入ってのんびり遊学したことがあるからである。

小舟でその辺りを回って遊んだからだ。

その後、安史の乱により敵方に捕縛され、監禁されたところから逃げ出したり、こうしてはるか遠い所に来てしまい、そこさえもまた逃げ出して、転蓬の身でいるのだ。

良き隣人も、散りじりバラバラで、また、既にここにはいない、原野に単独に生えてきた竹の様なもので身よりもなくシュウシュウと小さくおさまって立っている。

成都遂州00 

(訳注)

破船

764  廣德二年  53 のとき、江陵に向かうと決めたものの可江南にも若干不安定要素があり、忸怩していたころの気持ちを詠う。

 

平生 江海 ,宿昔 扁舟

この頃いつも思っているのは江陵や長沙・紹興あたりへ心が動いていることであり、昔若いころには、仲間と連れ立って小舟でその辺りを回って遊んだからだ。

・「平生」語義類別:時、時間、範圍時間(生)、平生。

・「江」江陵、江南。

・「海」長江下流域。滄海、紹興など呉越地方。

・「心」語義類別:人、狀態、心神氣力、心。

・「宿昔」今からいう昔、ここでは若いころ。

・「具」準備。

・「扁舟」小舟を浮かべること。孤独の旅を意味する。

 

豈惟青溪 ,日傍 柴門

どういうわけか春の盛りのうららかな渓谷のほとりでのんびり過ごしたことや、陽だまりの柴門に入ってのんびり遊学したことがあるからである。

・「青溪」春麗らかな渓谷。のんびり過ごしたことを云う。呉越地方に良い印象を持っているということ。

・「上」川、渓谷のほとり。水に泛ぶ

・「柴門遊」寺に泊まって勉強したことを言う。

 

蒼皇 避亂 ,緬邈 舊丘

その後、安史の乱により敵方に捕縛され、監禁されたところから逃げ出したり、こうしてはるか遠い所に来てしまい、そこさえもまた逃げ出して、転蓬の身でいるのだ。

・「蒼皇」驚いて肝をつぶし、恐れおののく気持ち。ここは安史の乱によって家族と飛散し、自身は安史軍に掴まった。そこから命からがら逃げだした。しかしこれら一連のことは、杜甫には恐怖体験のトラウマが強く残っているのである。

「緬邈」綿邈【めんばく】 はるかに遠いこと。

「懷舊丘」秦州、同谷、成都と紀行しやっと落ち着いた浣花渓草堂も「舊丘」となってしまったことをいう。

 

鄰人 亦已非 ,野竹 獨修修

良き隣人も、散りじりバラバラで、また、既にここにはいない、原野に単独に生えてきた竹の様なもので身よりもなくシュウシュウと小さくおさまって立っている。
竹林001 

廣徳2年764-32 《四松#3》 ふたたび成都 杜甫<663-3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3765 杜甫詩1000-663-3-947/1500766

杜甫《四松》#3 この松は私の老後を過ごす友として充分の資格があるのであって、これがその内傘を大きく広げてくれるだろうことを期待できることだろう。だからといって、我が人生においては、木の根や果実の蔕、しっかりつなぎとめておくものがないが、お前が松としてあいてをしてくれるとしてもまた、ぼんやりかすんではっきりしない。

 

2014年2月17日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
張平子(張衡)《西京賦》(6) #2-3 文選 賦<114―(6)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1043 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3763
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《次鄧州界》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <956>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3764韓愈詩-251
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-32 《四松#3》 ふたたび成都 杜甫<663-3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3765 杜甫詩1000-663-3-947/1500766
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 288 《遊城南十六首:把酒》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3766 (02/17)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 12 -17 柳枝三首  其一 和學士凝(和凝【わぎょう】)二十首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-444-12-#17  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3767
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠
 

廣徳2764-32 《四松》 ふたたび成都 杜甫<663-3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3765 杜甫詩1000-663-3-947/1500766

 


 


作時年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 四松 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都) 

 


 


四松 #1

762年春に移植した4本の松)

四松初移時,大抵三尺強。 

この四松を始めて此処に移し植えた春の時というのは、おおよそ1m位の背丈であった。

別來忽三載,離立如人長。 

この木と別れて帰ってくるまで、あっという間の足掛け三年(762春~764年春実質2年、当時は数え年で計算)であるが、今や仲良く2本ずつ並んで大人の背丈に成長している。

會看根不拔,莫計枝凋傷。 

留守をしている間にきっと根こそぎ抜けてしまっているとおもわまかったが枝が萎れたり傷ついてしまうことは避けられないと思っていた。

幽色幸秀發,疏柯亦昂藏。

まあ、少しの損傷はあるものの、幸いにおちついた深緑のいきた色を発しているし、疎らではあるが枝ぶりも成長しているのだ。

所插小藩籬,本亦有隄防。 

この松のまわりには籬を結わえてかこってやって、もともとの松の幹を保護してやっていたのだ。

#2

終然撥損,得吝千葉黃。 

その籬は結局のところ、何かに跳ね飛ばされて損なわれてしまってはいたものの、多くの葉が黄ばむのを防ぐ役割をしていたのだ。

敢為故林主,黎庶猶未康。 

一旦は東下して江陵にいき所であったものを、あえてこのもとの農林園の主となったのだが、多くの人民は今もなお、未だに安寧の居場所をえることはできていないのだ。

避賊今始歸,春草滿空堂。

盗賊や戦乱を避けて、飛散していたものを、今やっとここへ帰ってこられたのだ。ただここには春草が一杯に生えて、この草堂には空しさが一杯になっていたのだ。

覽物歎衰謝,及茲慰淒涼。 

こんなにも勢いよくのびた春草を見ると自分の老衰した姿を歎いてしまうのであるが、その一方でこの「四松」を見ることは空虚な侘しい気持ちをなぐさめることができるものなのだ。

清風為我起,灑面若微霜。 

この松の木の葉にはすずやかな風が通り抜け、私の為に沸き起こってくれる。そして、その風が私の顔を撫でてくれると、私の皮膚でさえ細かい霜が降りた奇麗な面のような気がしてくる。

#3

足以送老姿,聊待偃蓋張。 

この松は私の老後を過ごす友として充分の資格があるのであって、これがその内傘を大きく広げてくれるだろうことを期待できることだろう。

我生根帶,配爾亦茫茫

だからといって、我が人生においては、木の根や果実の蔕、しっかりつなぎとめておくものがないが、お前が松としてあいてをしてくれるとしてもまた、ぼんやりかすんではっきりしない。

有情且賦詩,事跡可兩忘。 

こうした感情を、まあ、「賦詩」につくるのであるが、お前も今日のこと忘れることはないだろう。

勿矜千載後,慘澹蟠穹蒼。 

かといってお前自身だけで独りよがりはいけない、千年後のことを考えなさい、その頃には、この青空に鬱蒼と茂っているのだから、今ぐらい成長したからといって自慢してはいけないのだ。 

松03 

四松 #1

四松 初め移せし時,大抵 三尺より強。 

別來 忽ち三載なり,離立 人の如く長し。 

會らず 根 拔けざるを看ん,計ること 枝 凋傷する莫し。 

幽色 幸にして秀發し,疏柯 亦た昂藏たり。

插む所 小藩籬,本と亦た隄防有り。 

#2

終然とし 撥【ちょうはつ】して損うも,千葉の黃ばむを吝【ふせ】ぎ得たり。 

敢て故林の主と為り,黎庶【れいしょ】猶お未だ康からず。 

賊を避けて今 始めて歸り,春草 空しく堂に滿つ。

物を覽て衰謝【すいしゃ】歎き,茲【ここ】に及びて淒涼を慰む。 

清風は我が為に起き,面に灑ぐは 微霜【びそう】の若し。 

#3

送老の姿を以て足り,聊【いささ】か偃蓋の張るを待つ。 

我が生 根帶無し,爾に配 亦た茫茫たり。 

情有りて且つ賦詩し,事跡 兩つながら忘る可けんや。 

矜る勿れ 千載の後,慘澹とす 穹蒼【きゅうす】に蟠【わだかま】る。 

 

松01 


 


『四松』 現代語訳と訳註

(本文) #3

足以送老姿,聊待偃蓋張。 

我生無根帶,配爾亦茫茫。 

有情且賦詩,事跡可兩忘。 

勿矜千載後,慘澹蟠穹蒼。 

 


(下し文) #3

送老の姿を以て足り,聊【いささ】か偃蓋の張るを待つ。 

我が生 根帶無し,爾に配 亦た茫茫たり。 

情有りて且つ賦詩し,事跡 兩つながら忘る可けんや。 

矜る勿れ 千載の後,慘澹とす 穹蒼【きゅうす】に蟠【わだかま】る。 

 


(現代語訳)

この松は私の老後を過ごす友として充分の資格があるのであって、これがその内傘を大きく広げてくれるだろうことを期待できることだろう。

だからといって、我が人生においては、木の根や果実の蔕、しっかりつなぎとめておくものがないが、お前が松としてあいてをしてくれるとしてもまた、ぼんやりかすんではっきりしない。

こうした感情を、まあ、「賦詩」につくるのであるが、お前も今日のこと忘れることはないだろう。

かといってお前自身だけで独りよがりはいけない、千年後のことを考えなさい、その頃には、この青空に鬱蒼と茂っているのだから、今ぐらい成長したからといって自慢してはいけないのだ。
 


(訳注)

四松---762年春に移植した4本の松)#3

この四松を始めて此処に移し植えた春の時というのは、おおよそ1m位の背丈であった。

 


足以送 老姿 ,聊待 偃蓋 張。

この松は私の老後を過ごす友として充分の資格があるのであって、これがその内傘を大きく広げてくれるだろうことを期待できることだろう。

・「送老姿」この松は私の老後を過ごす友とする。

・「偃蓋」偃蓋のように末が成長することを云う。。

 


我生 根帶 ,配爾 亦茫茫

だからといって、我が人生においては、木の根や果実の蔕、しっかりつなぎとめておくものがないが、お前が松としてあいてをしてくれるとしてもまた、ぼんやりかすんではっきりしない。

・「無根帶」木の根や果実の蔕、しっかりつなぎとめておくものがない。陶淵明『雑詩十二首其一』「人生無根帶、飄如陌上塵。」(人生 根帯無し、飄たること陌上の塵のごとし。)

・「茫茫」1 広々としてはるかなさま。「―とした大海原」「―たる砂漠」2 ぼんやりかすんではっきりしないさま。「―たる記憶」「―と暗路(やみじ)に物を探るごとく」〈露伴・五重塔〉3 草・髪などが伸びて乱れているさま。

 


有情 且賦詩 ,事跡 可兩忘

こうした感情を、まあ、「賦詩」につくるのであるが、お前も今日のこと忘れることはないだろう。

 


勿矜 千載 ,慘澹 穹蒼

かといってお前自身だけで独りよがりはいけない、千年後のことを考えなさい、その頃には、この青空に鬱蒼と茂っているのだから、今ぐらい成長したからといって自慢してはいけないのだ。

・「矜」負面情感、驕矜自恃。

・「穹蒼」天文、天空、穹。
江畔独歩尋花

竹林001


 

廣徳2年764-31 《四松#2》 ふたたび成都 杜甫<671> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3760 杜甫詩1000-671-946/1500765

杜甫《四松#2》一旦は東下して江陵にいき所であったものを、あえてこのもとの農林園の主となったのだが、多くの人民は今もなお、未だに安寧の居場所をえることはできていないのだ。盗賊や戦乱を避けて、飛散していたものを、今やっとここへ帰ってこられたのだ。ただここには春草が一杯に生えて、この草堂には空しさが一杯になっていたのだ。


2014年2月16日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
張平子(張衡)《西京賦》(5) #2-2 文選 賦<114―(5)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1042 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3758
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《武關西逢配流吐蕃〔謫潮州時途中作〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <955> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3759韓愈詩-250
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-31 《四松#2》 ふたたび成都 杜甫<671> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3760 杜甫詩1000-671-946/1500765
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 287 《遊城南十六首:出城》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3761 (02/16)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 12 -16 採桑子一首  和學士凝(和凝【わぎょう】)二十首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-443-12-#16  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3762
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

  

廣徳2764-31 《四松#2》 ふたたび成都 杜甫<671 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3760 杜甫詩1000-671-946/1500765

 

 

作時年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 四松 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

 

四松 #1

762年春に移植した4本の松)

四松初移時,大抵三尺強。 

この四松を始めて此処に移し植えた春の時というのは、おおよそ1m位の背丈であった。

別來忽三載,離立如人長。 

この木と別れて帰ってくるまで、あっという間の足掛け三年(762春~764年春実質2年、当時は数え年で計算)であるが、今や仲良く2本ずつ並んで大人の背丈に成長している。

會看根不拔,莫計枝凋傷。 

留守をしている間にきっと根こそぎ抜けてしまっているとおもわまかったが枝が萎れたり傷ついてしまうことは避けられないと思っていた。

幽色幸秀發,疏柯亦昂藏。

まあ、少しの損傷はあるものの、幸いにおちついた深緑のいきた色を発しているし、疎らではあるが枝ぶりも成長しているのだ。

所插小藩籬,本亦有隄防。 

この松のまわりには籬を結わえてかこってやって、もともとの松の幹を保護してやっていたのだ。

#2

終然撥損,得吝千葉黃。 

その籬は結局のところ、何かに跳ね飛ばされて損なわれてしまってはいたものの、多くの葉が黄ばむのを防ぐ役割をしていたのだ。

敢為故林主,黎庶猶未康。 

一旦は東下して江陵にいき所であったものを、あえてこのもとの農林園の主となったのだが、多くの人民は今もなお、未だに安寧の居場所をえることはできていないのだ。

避賊今始歸,春草滿空堂。

盗賊や戦乱を避けて、飛散していたものを、今やっとここへ帰ってこられたのだ。ただここには春草が一杯に生えて、この草堂には空しさが一杯になっていたのだ。

覽物歎衰謝,及茲慰淒涼。 

こんなにも勢いよくのびた春草を見ると自分の老衰した姿を歎いてしまうのであるが、その一方でこの「四松」を見ることは空虚な侘しい気持ちをなぐさめることができるものなのだ。

清風為我起,灑面若微霜。 

この松の木の葉にはすずやかな風が通り抜け、私の為に沸き起こってくれる。そして、その風が私の顔を撫でてくれると、私の皮膚でさえ細かい霜が降りた奇麗な面のような気がしてくる。

#3

足以送老姿,聊待偃蓋張。 

我生無根帶,配爾亦茫茫。 

有情且賦詩,事跡可兩忘。 

勿矜千載後,慘澹蟠穹蒼。 

 

四松 #1

四松 初め移せし時,大抵 三尺より強。 

別來 忽ち三載なり,離立 人の如く長し。 

會らず 根 拔けざるを看ん,計ること 枝 凋傷する莫し。 

幽色 幸にして秀發し,疏柯 亦た昂藏たり。

插む所 小藩籬,本と亦た隄防有り。 

#2

終然とし 撥【ちょうはつ】して損うも,千葉の黃ばむを吝【ふせ】ぎ得たり。 

敢て故林の主と為り,黎庶【れいしょ】猶お未だ康からず。 

賊を避けて今 始めて歸り,春草 空しく堂に滿つ。

物を覽て衰謝【すいしゃ】歎き,茲【ここ】に及びて淒涼を慰む。 

清風は我が為に起き,面に灑ぐは 微霜【びそう】の若し。 

#3

送老の姿を以て足り,聊【いささ】か偃蓋の張るを待つ。 

我が生 根帶無し,爾に配 亦た茫茫たり。 

情有りて且つ賦詩し,事跡 兩つながら忘る可けんや。 

矜る勿れ 千載の後,慘澹とす 穹蒼【きゅうす】に蟠【わだかま】る。 

松02 

 

『四松』 現代語訳と訳註

(本文) #2

終然撥損,得吝千葉黃。 

敢為故林主,黎庶猶未康。 

避賊今始歸,春草滿空堂。

覽物歎衰謝,及茲慰淒涼。 

清風為我起,灑面若微霜。 

 

(下し文) #2

終然とし 撥【ちょうはつ】して損うも,千葉の黃ばむを吝【ふせ】ぎ得たり。 

敢て故林の主と為り,黎庶【れいしょ】猶お未だ康からず。 

賊を避けて今 始めて歸り,春草 空しく堂に滿つ。

物を覽て衰謝【すいしゃ】歎き,茲【ここ】に及びて淒涼を慰む。 

清風は我が為に起き,面に灑ぐは 微霜【びそう】の若し。 

 

(現代語訳)

その籬は結局のところ、何かに跳ね飛ばされて損なわれてしまってはいたものの、多くの葉が黄ばむのを防ぐ役割をしていたのだ。

一旦は東下して江陵にいき所であったものを、あえてこのもとの農林園の主となったのだが、多くの人民は今もなお、未だに安寧の居場所をえることはできていないのだ。

盗賊や戦乱を避けて、飛散していたものを、今やっとここへ帰ってこられたのだ。ただここには春草が一杯に生えて、この草堂には空しさが一杯になっていたのだ。

こんなにも勢いよくのびた春草を見ると自分の老衰した姿を歎いてしまうのであるが、その一方でこの「四松」を見ることは空虚な侘しい気持ちをなぐさめることができるものなのだ。

この松の木の葉にはすずやかな風が通り抜け、私の為に沸き起こってくれる。そして、その風が私の顔を撫でてくれると、私の皮膚でさえ細かい霜が降りた奇麗な面のような気がしてくる。

松03 

 

(訳注)

四松---762年春に移植した4本の松)

この四松を始めて此処に移し植えた春の時というのは、おおよそ1m位の背丈であった。 

 

終然 損,得吝 千葉

その籬は結局のところ、何かに跳ね飛ばされて損なわれてしまってはいたものの、多くの葉が黄ばむのを防ぐ役割をしていたのだ。

」跳ね飛ばされて。ふきとばされること。

「吝」防ぐ役割をする。

「千葉黃」多くの葉が黄ばむ。 

 

敢為 故林 ,黎庶 猶未

一旦は東下して江陵にいき所であったものを、あえてこのもとの農林園の主となったのだが、多くの人民は今もなお、未だに安寧の居場所をえることはできていないのだ。

「敢」一旦は東下して江陵にいき所であったものを、あえて~する。

「故林主」もとの農林園の主となった。

「黎庶」おおくの人民。 

 

避賊 今始 ,春草 滿 空堂

盗賊や戦乱を避けて、飛散していたものを、今やっとここへ帰ってこられたのだ。ただここには春草が一杯に生えて、この草堂には空しさが一杯になっていたのだ。

「避賊」盗賊や戦乱を避けて、飛散していた。 

 

覽物 衰謝 ,及茲慰 淒涼

こんなにも勢いよくのびた春草を見ると自分の老衰した姿を歎いてしまうのであるが、その一方でこの「四松」を見ることは空虚な侘しい気持ちをなぐさめることができるものなのだ。

「淒涼」空虚な侘しい気持ち。 

 

清風 為我 ,灑面 若微霜

この松の木の葉にはすずやかな風が通り抜け、私の為に沸き起こってくれる。そして、その風が私の顔を撫でてくれると、私の皮膚でさえ細かい霜が降りた奇麗な面のような気がしてくる。

「清風」松はおごそかなもので、五陵の東側に植えられるもので、そこでの雰囲気がここにもあると詩人らしく強調する。。

「灑面」ここは強い風ではなくそよ風に頬を撫でられるということ。

「微霜」細かい霜が降りた奇麗な面。

廣徳2年764-30 《四松#1》再び成都 杜甫<670> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3755 杜甫詩1000-670-945/1500764

杜甫《四松》#1 この四松を始めて此処に移し植えた春の時というのは、おおよそ1m位の背丈であった。この木と別れて帰ってくるまで、あっという間の足掛け三年(762春~764年春実質2年、当時は数え年で計算)であるが、今や仲良く2本ずつ並んで大人の背丈に成長している。


2014年2月15日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
張平子(張衡)《西京賦》(4)(長安の地勢) #2-1 文選 賦<114―(4)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1041 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3753
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
左遷至藍關示姪孫湘〔湘,愈姪十二郎之子,登長慶三年進士第。〕》117韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <954>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3754韓愈詩-249
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-30 《四松#1》再び成都 杜甫<670> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3755 杜甫詩1000-670-945/1500764
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 286 《遊城南十六首:晚雨》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3756 (02/15)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 12 -15 春光好二首 其二 和學士凝(和凝【わぎょう】)二十首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-442-12-#15  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3757
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

廣徳2764-30 《四松》再び成都 杜甫<670 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3755 杜甫詩1000-670-945/1500764

 

松03 

764年二月に入って、いよいよ閬州を出発して、江陵に向おうとしていたとき、厳武が再び成都尹・兼剣南東西川節度使として成都に帰ってくるという知らせを聞いた。杜甫は出発間際まで東下の決心がつかずにいたらしく、さっそく船を出すことをやめ、暮春三月、家族を連れて、懐かしい成都に帰っていった。

「草堂」の詩には、成都の草堂に帰ったときの様子を次のように詠っている。「入門四松在、歩履萬竹疏。」

(「門に入ると、わが手で植えた四本の松はちゃんとあったが、草履はきでぶらついてみると、密生していた竹はまばらになっている。)廣徳2年764-22 《草堂 #1》 ふたたび成都 杜甫<662>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3715 杜甫詩1000-662-937/1500756

 

草堂に帰ってきた杜甫は、そこに腰を落ち着けて、畠を耕し薬草を栽培して暮らそうとしていたが、厳武は親しい友に野老暮らしをさせるに忍びなかったのか、杜甫を朝廷に推薦して、節度使の参謀・検校工部員外郎(工部の員外郎は従六品上の加官で、実際の仕事は節度使の参謀)とした。杜甫は仕方なく、成都城内の役所に出かけて、幕僚としての生活を始めた。

 

作時年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 四松 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

 

 

四松 #1

762年春に移植した4本の松)

四松初移時,大抵三尺強。 

この四松を始めて此処に移し植えた春の時というのは、おおよそ1m位の背丈であった。

別來忽三載,離立如人長。 

この木と別れて帰ってくるまで、あっという間の足掛け三年(762春~764年春実質2年、当時は数え年で計算)であるが、今や仲良く2本ずつ並んで大人の背丈に成長している。

會看根不拔,莫計枝凋傷。 

留守をしている間にきっと根こそぎ抜けてしまっているとおもわまかったが枝が萎れたり傷ついてしまうことは避けられないと思っていた。

幽色幸秀發,疏柯亦昂藏。

まあ、少しの損傷はあるものの、幸いにおちついた深緑のいきた色を発しているし、疎らではあるが枝ぶりも成長しているのだ。

所插小藩籬,本亦有隄防。 

この松のまわりには籬を結わえてかこってやって、もともとの松の幹を保護してやっていたのだ。

#2

終然撥損,得吝千葉黃。 

敢為故林主,黎庶猶未康。 

避賊今始歸,春草滿空堂。

覽物歎衰謝,及茲慰淒涼。 

清風為我起,灑面若微霜。 

#3

足以送老姿,聊待偃蓋張。 

我生無根帶,配爾亦茫茫。 

有情且賦詩,事跡可兩忘。 

勿矜千載後,慘澹蟠穹蒼。 

 

四松 #1

四松 初め移せし時,大抵 三尺より強。 

別來 忽ち三載なり,離立 人の如く長し。 

會らず 根 拔けざるを看ん,計ること 枝 凋傷する莫し。 

幽色 幸にして秀發し,疏柯 亦た昂藏たり。

插む所 小藩籬,本と亦た隄防有り。 

#2

終然とし 撥【ちょうはつ】して損うも,千葉の黃ばむを吝【ふせ】ぎ得たり。 

敢て故林の主と為り,黎庶【れいしょ】猶お未だ康からず。 

賊を避けて今 始めて歸り,春草 空しく堂に滿つ。

物を覽て衰謝【すいしゃ】歎き,茲【ここ】に及びて淒涼を慰む。 

清風は我が為に起き,面に灑ぐは 微霜【びそう】の若し。 

#3

送老の姿を以て足り,聊【いささ】か偃蓋の張るを待つ。 

我が生 根帶無し,爾に配 亦た茫茫たり。 

情有りて且つ賦詩し,事跡 兩つながら忘る可けんや。 

矜る勿れ 千載の後,慘澹とす 穹蒼【きゅうす】に蟠【わだかま】る。 
杜甫像0012 

 

『四松』 現代語訳と訳註

(本文)

四松 #1

四松初移時,大抵三尺強。 

別來忽三載,離立如人長。 

會看根不拔,莫計枝凋傷。 

幽色幸秀發,疏柯亦昂藏。

所插小藩籬,本亦有隄防。 

 

 

(下し文)

四松 #1

四松 初め移せし時,大抵 三尺より強。 

別來 忽ち三載なり,離立 人の如く長し。 

會らず 根 拔けざるを看ん,計ること 枝 凋傷する莫し。 

幽色 幸にして秀發し,疏柯 亦た昂藏たり。

插む所 小藩籬,本と亦た隄防有り。 

 

(現代語訳)

762年春に移植した4本の松)

この四松を始めて此処に移し植えた春の時というのは、おおよそ1m位の背丈であった。

この木と別れて帰ってくるまで、あっという間の足掛け三年(762春~764年春実質2年、当時は数え年で計算)であるが、今や仲良く2本ずつ並んで大人の背丈に成長している。

留守をしている間にきっと根こそぎ抜けてしまっているとおもわまかったが枝が萎れたり傷ついてしまうことは避けられないと思っていた。

まあ、少しの損傷はあるものの、幸いにおちついた深緑のいきた色を発しているし、疎らではあるが枝ぶりも成長しているのだ。

この松のまわりには籬を結わえてかこってやって、もともとの松の幹を保護してやっていたのだ。

松01 

(訳注)

四松---762年春に移植した4本の松)

杜甫は、成都浣花渓に家と農園を作った。杜甫一家の生活や草堂の建築費用について、成都に到着して10首の詩でわかる。

1.詩人の友人高適)が成都の北40kmほどのところにある彭州(四川省彭県)の刺史をしており、禄米をまわしている(『酬高使君相贈』「古寺僧牢落,空房客寓居。故人分祿米,鄰舍與園蔬。雙樹容聽法,三車肯載書。草玄吾豈敢,賦或似相如。」)。

2.卜居 まず雨露がしのげる小屋を建て、その後に本宅を建てたもので、期間的には小屋は12日、草堂が23週間ではなかろうか。

3.母方の従兄弟で成都尹の王十五(『王十五司馬弟出郭相訪兼遺營草堂資』)、「憂我營茅棟,攜錢過野橋。」

4蕭実には桃の苗百本、

奉乞桃栽一百根,春前為送浣花村。

河陽縣裡雖無數,濯錦江邊未滿園。

5韋続には綿竹県の竹を、

華軒藹藹他年到,綿竹亭亭出縣高。

江上舍前無此物,幸分蒼翠拂波濤。

6. 何邕には三年で大木になるという榿木の苗を、

「覓榿木栽」「榿木三年大。與致溪邊十畝陰。」

7. 韋班には松の苗木を、

落落出羣非柳,青青不朽豈楊梅?

欲存老蓋千年意,為覓霜根數寸栽。

8. 韋班には更に大邑県産の白い磁碗をたのんでいる。

大邑燒瓷輕且堅,扣如哀玉錦城傳。

君家白碗勝霜雪,急送茅齋也可憐

9. 石筍街呆園坊の主人徐卿には果樹の苗を、

詣徐卿覓果栽

草堂少花今欲栽,不問綠李與黄梅。

石筍街中卻歸去,果園坊裡為求來。

・裴冕幕下の従侄(従兄弟の子)杜済と、

10.そしてこうした親戚、友人の援助によって草堂は晩春までにはできあがる。『堂成』

草堂が完成した喜びや満足感が表されているのだが、草堂と成都城の位置関係を、「背郭堂成蔭白茅、縁江路熟俯青郊。」(郭を背にし堂は成って 白茅の蔭(おお)い、江に縁う路は熟して たかきより青郊をしたに俯す。)のように述べている。草堂が成都城の西側の外に位置し、高台にある草堂から見ると、川沿いの道が郊外を突き抜けて成都の方へ続いていることがわかる。

 番号は掲載順である。

そして、この地に761年春、

西郊 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 2)  杜甫 <407 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai頌之の漢詩ブログ1980 杜甫詩1000-407-590/1500

客至 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 3)  杜甫 <408 七言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1985 杜甫詩1000-408-591/1500

春夜喜雨 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 8)  杜甫 <413  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2010 杜甫詩1000-413-596/1500

春水生 二絶其一 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 9)  杜甫 <414  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2015 杜甫詩1000-414-597/1500

春水生 二絶其二 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 10)  杜甫 <415  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2020 杜甫詩1000-415-598/1500

江上水如海勢聊短述 杜甫 成都(4)浣花渓の草堂(4 - 11)  杜甫 <416>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2025 杜甫詩1000-416-599/1500

檻遣心二首其一 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 12)  杜甫 <417  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2030 

水檻遣心二首其二 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 13)  杜甫 <418  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2035 杜甫詩1000-418-601/1500

と、挙げればきりがないほどこの地を愛した。それを最もよく表しているのが、『江畔獨步尋花七句』と『絶句漫興九首』である。この時期に庭に四本の「松」を植えたのである。

江畔獨步尋花七句 杜甫 <437 其一 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2130 杜甫詩1000-437-620/1500

絶句漫興九首 其一 成都浣花渓 杜甫 <445  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2170 杜甫詩1000-445-628/1500 

その秋には台風によって茅葺の屋根を飛ばしている。

楠樹為風雨所拔嘆 成都5-(11-1) 杜甫 <464-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2270 杜甫詩1000-464-#1-648/1500

茅屋為秋風所破歌 成都5-(12-1) 杜甫 <465-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2280 杜甫詩1000-465-#1-650/1500

この成都浣花渓での詩にはこの地が嫌になったとか、離れたいとか言った内容のものは皆無なのである。その愛すべきこの地の象徴は、草堂であり、最も安定した時期に植えた、「四松」であったのだ。

 

四松 初移 ,大抵三尺 強。

この四松を始めて此処に移し植えた春の時というのは、おおよそ1m位の背丈であった。

「四松」語義類別:其他、數詞、定量數詞、四。

「移」語義類別:人、行為動作、一般行為(其他部)、移。

「大抵」1 事柄の主要な部分。「事の―を知る」2 事柄のあらまし。だいたいのようす。また、全体のうちの大部分。おおよそ。おおかた。

「三尺」三尺強は、三尺は93cmであるから1m程度の高さがあったということ。

 

別來 三載 ,離立 如人

この木と別れて帰ってくるまで、あっという間の足掛け三年(762春~764年春実質2年、当時は数え年で計算)であるが、今や仲良く2本ずつ並んで大人の背丈に成長している。

「三載」三年。 762~764年。

「離立」2本ずつを間隔を置いて並べて。

「人長」大人の背丈。

 

會看 不拔 ,莫計 凋傷

留守をしている間にきっと根こそぎ抜けてしまっているとおもわまかったが枝が萎れたり傷ついてしまうことは避けられないと思っていた。

 

幽色 秀發 ,疏柯 亦昂藏

まあ、少しの損傷はあるものの、幸いにおちついた深緑のいきた色を発しているし、疎らではあるが枝ぶりも成長しているのだ。

「幽」松の葉が松の葉を陰にするさま。濃い緑をさらに濃くするさま。

「昂藏」意気の盛んなさま。元気に成長。

 

所插 藩籬 ,本亦有 隄防

この松のまわりには籬を結わえてかこってやって、もともとの松の幹を保護してやっていたのだ。

「藩籬」幹を守るため籬を立てて保護すること。

「隄防」川の傍であるため杭を打っておいたもの。

江畔独歩尋花 

廣徳2年764-29 《草堂 #8》 ふたたび成都 杜甫<669> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3750 杜甫詩1000-669-944/1500763

杜甫《草堂 #8》兵馬による風塵のふわふわとただよいつつある際に、この老いぼれ爺の身はいったいどこに置いたらよいのだ。この時世にあたって邪魔物にされるわたしだが幸いに骨髄は枯れきったのではない。


2014年2月14日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
張平子(張衡)《西京賦》(3) 文選 賦<114―(3)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1040 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3748
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《元日酬蔡州馬十二尚書去年蔡州元日見寄之什》115韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <953>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3749韓愈詩-248
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-29 《草堂 #8》 ふたたび成都 杜甫<669> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3750 杜甫詩1000-669-944/1500763
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 285 《遊城南十六首:題韋氏莊》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3751 (02/14)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 12 -14 春光好二首 其一 和學士凝(和凝【わぎょう】)二十首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-441-12-#14  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3752
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

廣徳2764-29 《草堂 #8》 ふたたび成都 杜甫<669> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3750 杜甫詩1000-669-944/1500763

 

 

#1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

今我歸草堂,成都適無虞。』

むかし、わたしが厳武の送別で梓州まで行くに草堂を去った。その後、たまたま、蛮夷の兵が成都へ帰る道を塞いでしまった。

このたび、わたしが草堂に帰る気になったのは、成都が高適の手によって、まさに平穏なところとなったからである。』

昔 我れ草堂を去りしとき、蛮夷 成都を塞ぐ。

今 我れ草堂に帰り、成都 虞【おそ】れ無しに適す。』

#2

請陳初亂時,反復乃須臾。

大將赴朝廷,群小起異圖。

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。

西取邛南兵,北斷劍閣隅。

まず、あの徐知道の乱の初めのころのことを述べさせていただく。あのときはほんのしばしの間のことであったが、形勢がひっくりかえっていた。

東・西川節度使の厳武大将が朝廷の方へ赴いた隙をついて、つまらぬ野郎どもが小細工な企てで謀反を起こしたのだ。

彼らは夜中に白馬を斬り殺してその血を口のまわりにぬって盟約して、意気を昂揚し、粗暴になった。

それから成都の西領域、卭州から以南の異民族兵などを配下に取り、北の方は剣閣の一角を遮断した。

請う 初め乱れし時を陳べん、反覆 乃ち須臾なり。

大将 朝廷に赴き、群小異図を起こす。

中宵 白馬を斬り、盟歃【めいそう】氣已に粗なり。

西のかた邛南【きょうなん】の兵を取り、北のかた剣関の隅を断つ。

 

#3

布衣數十人,亦擁專城居。

其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。

焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

これまでただの庶民であったものども数十人が徐知道が授けた府の管内に属する偽刺史となり、急に一城の主になった。

しかし、もともと、蕃兵と漢兵とは別なものだと始めからきいており、この二つの者が其の同じ勢力の中で両方とも大きく並び立つわけにはゆかないのである。

とうとう西卒即ち蕃兵は叛徒に対してかえって戈を倒に向けるようになり、叛賊どものあいだで互いに誅殺しあうことになったのである。

意外にも膝下からおきた禍が賊徒の渠魁の徐知道たちまでに及んでしまったのだ。』

 

布衣 数十人、亦た専城の居を擁す。

其の勢い 両つながら大ならず、始めて聞く蕃漢の殊なるを。

西卒 却って戈を倒【さかさ】にし、賊臣 互いに相い誅す。

焉【いずく】んぞ知らん肘腋【ちゅうえき】の禍、自ずから梟獍の徒に及ばんとは。

 

#4

義士皆痛憤,紀綱亂相逾。

一國實三公,萬人欲為魚。

唱和作威福,孰肯辨無辜。

眼前列杻械,背後吹笙竽。

そのころの秩序というものはまるで乱れ、秩序以外にふみこえるものが多く、正義の士はみなこれをいたくいきどおった。

一国のうちで三人の家老があるという政権の不統一は万民にとっては彼らのために俎上の魚肉として肴にされ、或は、溺らされて魚の糧にされんとした。

謀反の者同士がおたがいに唱和して威福の権をほしいままにする、だれが罪あるものなのか、無いものなのかの区別をつけることができるのだろうか、罪のないものまで殺戮した。

被刑者の眼のまえに手かせ、足かせをならべ、その後ろでは笙や竽の楽器を演奏した。

#5

談笑行殺戮,濺血滿長衢。

到今用鉞地,風雨聞號呼。

鬼妾與鬼馬,色悲充爾

國家法令在,此又足驚籲。』

わらいばなしをしながら殺戮を行う、そのそそぐ血はながい街いっぱいになった。

今に至るまで、あのとき刑罰のマサカリを用いた刑場は今日になってもまだ風雨に交じって被刑者のさけびの声がきこえるのだ。

被刑者のあとに残される妾や馬は心で泣いて、顔つきで悲しんでいるのに、蛮族である彼らはそれを自己の娯楽の用に充てていた。

国家には不正を罰する法令が存在しているのにこれはなんとしたことか、実に我我をして驚きなげかしめるのに十分である。』

#4

義士 皆 痛憤し、紀綱 乱れて相い逾ゆるを。

一国 実に三公あり、万人 魚為らんと欲す。

唱和して威福を作す、孰か肯て無事を弁ぜん。

眼前 杻械【ちゅうかい】を列ね、背後に笙竽【しょうう】を吹く。

#5

談笑して殺戮【さつりく】を行う、濺血【せんけつ】長衢【ちょうく】に満つ。

今に到るまで鉞【みつ】を用いし地は、風雨に号呼【ごうこ】を聞く。

鬼妾【きしょう】と鬼馬と、色 悲しむに爾が娯しみに充つ。

国家法令在り、此れ又た驚籲【きょうく】するに足れり。』

#6

賤子且奔走,三年望東

弧矢暗江海,難為遊五湖。

不忍竟舍此,複來薙榛蕪。

入門四松在,步屟萬竹疏。

わたしはしばし梓州と閬州を拠点にしてあちらこちら駆け廻っており、その三年のあいだ長江を下って、呉門にあたる江陵、江蘇方面に行きたいと思っていた。

ところが江海の地方でも内乱があってくらくとざし、征伐の弓矢がとんだというし、江蘇の五湖に遊ぶことはしにくくなった。

つまりは此の草堂の地を捨てる気にはなれず、再びもどってきて草茫茫の荒れ地をなぎはろうたのである。

門にはいってみると手植の四本の松が枯れないで育っている。草履ばきでぶらぶらしてみると万竿の竹が疎らになっている。

賊子且つ奔走し、三年 東呉を望む。

弧矢【こし】江海に暗く、五湖に遊ぶを為し難し。

竟【つい】に此を舎【す】つるに忍びず、復た来たって榛蕪【しんぶ】を薙【な】ぐ。

門に入れば四松在り、歩屟【ほしょう】すれば万竹疏【そ】なり。

#7

舊犬喜我歸,低徊入衣裾。

鄰舍喜我歸,酤酒攜胡蘆。

大官喜我來,遣騎問所須。

城郭喜我來,賓客隘村墟。』

以前ここにいた時に飼ってある犬は自分の帰ったことを喜んでわたしのころもの裾にまといついてくる。

近所の人たちは自分が帰ったことを喜んで酒を買って瓢箪をもってきてくれる。

幕府の大官の人は自分が来たことを喜んで騎兵をよこして何かいりようのものはないかとたずねさせる。

城郭の人人は自分が来たことを喜んで、賓客としてやってきてこの片田舎がせまっこく感ぜられるほどである。』

 

旧犬 我が帰るを喜び、低徊して衣裾【いきょ】に入る。

隣舍 我が帰るを喜び、酒を酤【か】いて胡蘆【ころ】を携う。

大官 我が来たるを喜び、騎を遣わして須【ま】つ所を問う。

城郭 我が来たるを喜び、賓客 村墟【そんきょ】を隘【あい】にす』

#8

天下尚未甯,健兒勝腐儒。

いまだに天下はまだやすらかになってはおらぬ。一介の腐れ儒者であるより武卒である方がましなのだ。

飄搖風塵際,何地置老夫。

兵馬による風塵のふわふわとただよいつつある際に、この老いぼれ爺の身はいったいどこに置いたらよいのだ。

于時見疣贅,骨髓幸未枯。

この時世にあたって邪魔物にされるわたしだが幸いに骨髄は枯れきったのではない。

飲啄愧殘生,食薇不敢餘。』

老いていきながらえ飲食をしておるのは自分の愧ずるところである。自分は薇を食らうだけの貧乏に満足していてそのほかのことはねがわぬのである。』

天下尚お未だ甯【やす】からず、健児 腐儒に勝る。

風塵の際に飄搖して、何の地にか老夫を置かん。

時に於て疣贅【ゆうぜい】とせらるも、骨髄【こつずい】幸いに未だ枯れず。

飲啄 残生に塊す、薇を食ろうて敢て余さず。』

隋堤01 

 

『草堂』 現代語訳と訳註

(本文) #8

天下尚未甯,健兒勝腐儒。

飄搖風塵際,何地置老夫。

于時見疣贅,骨髓幸未枯。

飲啄愧殘生,食薇不敢餘。』

 

(下し文)

天下尚お未だ甯【やす】からず、健児 腐儒に勝る。

風塵の際に飄搖して、何の地にか老夫を置かん。

時に於て疣贅【ゆうぜい】とせらるも、骨髄【こつずい】幸いに未だ枯れず。

飲啄 残生に塊す、薇を食ろうて敢て余さず。』

 

(現代語訳)

いまだに天下はまだやすらかになってはおらぬ。一介の腐れ儒者であるより武卒である方がましなのだ。

兵馬による風塵のふわふわとただよいつつある際に、この老いぼれ爺の身はいったいどこに置いたらよいのだ。

この時世にあたって邪魔物にされるわたしだが幸いに骨髄は枯れきったのではない。

老いていきながらえ飲食をしておるのは自分の愧ずるところである。自分は薇を食らうだけの貧乏に満足していてそのほかのことはねがわぬのである。』

 

 (訳注)

草堂

○草堂 浣花村の草堂。

杜甫が三年ぶりに草堂にもどってきたことをのべた詩。作者は宝応元年夏、厳武が召されて入朝するにつき成都の草堂を離れ綿州にいたった。同年七月に剣南西川兵馬使徐知道が叛き、八月に誅に伏した。当時作者は家族をたずさえて乱を避け梓州に赴いた。其の後、梓・閬の間を往来していたが、広徳二年の春厳武が再び剣南節度使として来任するということをきいて成都へもどってきた。

 

天下尚未甯,健兒勝腐儒。

いまだに天下はまだやすらかになってはおらぬ。一介の腐れ儒者であるより武卒である方がましなのだ。

○甯 安寧。

○健児 兵士、武卒をいう。

 

飄搖風塵際,何地置老夫。

兵馬による風塵のふわふわとただよいつつある際に、この老いぼれ爺の身はいったいどこに置いたらよいのだ。

○飄搖 ただようさま。

○風塵 かぜほこり、兵馬よるものをいう。

○老夫 おやじ、杜甫の謙遜語。

 

于時見疣贅,骨髓幸未枯。

この時世にあたって邪魔物にされるわたしだが幸いに骨髄は枯れきったのではない。

○于時 時は時人をさす。この時世にあたって。

○疣贅 床も賓もともにこぶのこと、邪魔物であることをいう。○骨髓幸 精力の尚お在ることをいう。

 

飲啄愧殘生,食薇不敢餘。』

老いていきながらえ飲食をしておるのは自分の愧ずるところである。自分は薇を食らうだけの貧乏に満足していてそのほかのことはねがわぬのである。』

○飲啄 鳥に関する語である、水をのむ、ものをついばむ。人の飲食のこと。

○残生 老いてのちの生活、「飲啄悦残生」とは残生にあたり飲啄することを愧じる意である。

○食薇不敢余 一本に敢を願に作る、「食薇不願余」は古詩の成句であり、薇を食うほどの粗食に甘んじて其の他をねがわないことをいう、以上は帰ってのちの身世の感をのべる。

杏の花01 

------------------------------------------------------

 

詩文(含異文)

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

今我歸草堂,成都適無虞【都適無虞】。

請陳初亂時,反復乃須臾【反復乃斯須】。

大將赴朝廷,群小起異圖〔初,嚴武入朝,徐知道反,旋為其下李忠厚所殺。〕

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。

西取邛南兵,北斷劍閣隅。

布衣數十人,亦擁專城居。

其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。

焉知肘腋禍,自及梟獍徒【自及梟徒】。

義士皆痛憤,紀綱亂相踰。

一國實三公,萬人欲為魚。

唱和作威福,孰肯辨無辜【孰能辨無辜】。

眼前列杻械,背後吹笙竽。

談笑行殺戮,濺血滿長衢【血滿長衢】。

到今用鉞地,風雨聞號呼。

鬼妾與鬼馬【妾與鬼馬】,色悲充爾

國家法令在,此又足驚吁。

賤子且奔走,三年望東

弧矢暗江海,難為遊五湖。

不忍竟舍此,復來薙榛蕪。

入門四松在,步屧萬竹疏。

舊犬喜我歸,低徊入衣裾。

鄰舍喜我歸,酤酒攜胡蘆【酤酒提壺】。

大官喜我來【大官我來】,遣騎問所須。

城郭喜我來【城郭我來】,賓客隘村墟【賓客村墟】。

天下尚未寧,健兒勝腐儒。

飄颻風塵際【飄風塵際】,何地置老夫【何地老夫】。

於時見疣贅【於時疣贅】,骨髓幸未枯。

飲啄愧殘生,食薇不敢餘。 

 

 

 

743廣徳2年764-1 《韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖-#2》 蜀中転々 杜甫 <651  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3565 杜甫詩1000-651-907/1500743

743廣徳2年764-1 《韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖-#3》 蜀中転々 杜甫 <652  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3570 杜甫詩1000-652-908/1500

743廣徳2年764-1 《韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖-#4》 蜀中転々 杜甫 <653  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3575 杜甫詩1000-653-909/1500743

744廣徳2年764年―2 《送韋諷上閬州錄事參軍 蜀中転々 杜甫 <651-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3580 杜甫詩1000-651-#1-910/1500744

745廣徳2年764―2 《送韋諷上閬州錄事參軍》 蜀中転々 杜甫 <651-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3585 杜甫詩1000-651-#2-911/1500745

746廣徳2年764年―3-1 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <652  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3590 杜甫詩1000-652-912/1500 746-1

746廣徳2年764年―3-2 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <653  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3595 杜甫詩1000-653-913/1500746-2

746廣徳2年764年―3-3 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <654  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3600 杜甫詩1000-654-914/1500746-3

746廣徳2年764年―3-4 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <655  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3605 杜甫詩1000-655-915/1500746-4

746廣徳2年764年―3-5 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <656  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3610 杜甫詩1000-656-916/1500746-5

杜甫の人生 蜀中転々 762年~764年にかけて (まとめ)

746廣徳2年764年―4-1 《南池》 蜀中転々 杜甫 <654-1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3620 杜甫詩1000-654-1-918/1500748-1

746廣徳2年764年―4-2 《南池》 蜀中転々 杜甫 <654-2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3625 杜甫詩1000-654-2-919/1500748-2

746廣徳2年764年―4-3 《南池》 蜀中転々 杜甫 <654-3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3630 杜甫詩1000-654-3-920/1500748-3

746廣徳2年764年―4-4 《南池》 蜀中転々 杜甫 <654-4  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3635 杜甫詩1000-654-4-921/1500748-4

746廣徳2年764年―5-#1 《憶昔,二首之一》 蜀中転々 杜甫 <655-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3640 杜甫詩1000-655-1-922/1500749-1

746廣徳2年764年―5-#2 《憶昔,二首之一》 蜀中転々 杜甫 <655-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3645 杜甫詩1000-655-2-923/1500749-2

746廣徳2年764年―6-#1 《憶昔,二首之二》 蜀中転々 杜甫 <656-1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3650 杜甫詩1000-656-1-924/1500 750-1

746廣徳2年764年―6-#2 憶昔,二首之二》 蜀中転々 杜甫 <656-2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3655 杜甫詩1000-656-2-925/1500750-2

746廣徳2年764年―6-#3 《憶昔,二首之二》#3 蜀中転々 杜甫 <656-3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3660 杜甫詩1000-656-3-926/1500 750-3

廣徳2年764-7-#1 《釋悶》 蜀中転々 杜甫 <657-1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3665 杜甫詩1000-657-1-927/1500751-1

廣徳2年764-7-#2 《釋悶》 蜀中転々 杜甫 <657-2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3670 杜甫詩1000-657-2-928/1500751-2

廣徳2年764-8-1 《贈別賀蘭銛》 蜀中転々 杜甫 <658-1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3675 杜甫詩1000-658-1-929/1500752-1

廣徳2年764-8-2 《贈別賀蘭銛》 蜀中転々 杜甫 <658-2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3680 杜甫詩1000-658-2-930/1500752-2

廣徳2年764-9-1 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3685 杜甫詩1000-659-1-931/1500753-1 4分割

廣徳2年764-9-2 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3690 杜甫詩1000-659-2-932/1500753-2

廣徳2年764-9-3 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3695 杜甫詩1000-659-3-933/1500753-3

 

l   韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖【韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖歌】【韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖引】【案:曹霸官左武衛將軍。】

l   送韋諷上閬州錄事參軍

l   丹青引贈曹將軍霸

l   南池【案:在閬中縣東南,即彭道將魚池。】

l   憶昔,二首之一

l   憶昔,二首之二

l   釋悶

l   贈別賀蘭銛

l   別唐十五誡因寄禮部賈侍郎【案:賈至。】

l   閬山歌

l   閬水歌

l   草堂

l   四松

l   水檻

l   破船

l   揚旗【案:自注:二年夏六月,成都尹嚴公置酒公堂,觀騎士試新旗幟。】

l   太子張舍人遺織成褥段

l   過南鄰朱山人水亭

l   寄賀蘭銛

l   觀李固請司馬弟山水圖,三首之一

l   觀李固請司馬弟山水圖,三首之二

l   觀李固請司馬弟山水圖,三首之三

l   題桃樹

l   懷舊

l   有感,五首之一

l   有感,五首之二

l   有感,五首之三

l   有感,五首之四

l   有感,五首之五

l   送李卿曄【案:曄,淮安忠公琇之子,時以罪貶嶺南。】

l   城上【空城】

l   傷春,五首之一【案:自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。】

l   傷春,五首之二【案:自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。】

l   傷春,五首之三【案:自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。】

l   傷春,五首之四【案:自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。】

l   傷春,五首之五【案:自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。】

l   奉待嚴大夫

l   奉寄高常侍【寄高三十五大夫】

l   奉寄章十侍御【案:自注:時初罷梓州刺史東川留後,將赴朝廷,章彝初為嚴武判官,後為武所殺。武再鎮蜀,彝已入覲,豈未行而殺之耶?】

l   將赴荊南寄別李劍州

l   奉寄別馬巴州【案:自注:時甫除京兆功曹,在東川。】

l   泛江

l   陪王使君晦日泛江就黃家亭子,二首之一

l   陪王使君晦日泛江就黃家亭子,二首之二

l   暮寒

l   雙燕

l   百舌

l   遊子

l   江亭王閬州筵餞蕭遂州

l   句,二首之一

l   句,二首之二

l   滕王【案:元嬰。】亭子【案:自注:亭在玉臺觀。王,高宗調露年中,任閬州刺史。】

l   玉臺觀【案:自注:滕王造。】

l   滕王亭子

l   玉臺觀

l   渡江

l   將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之一【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】

l   將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之二【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】

l   將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之三【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】

l   將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之四【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】

l   將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之五【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】

l   別房太尉墓【案:在閬州。】

l   自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之一

l   自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之二

l   自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之三

l   登樓

l   春歸

l   歸雁

l   贈王二十四侍御契四十韻【案:王契,字佐卿,京兆人。元結有〈送契之西蜀序〉。】

l   寄董卿嘉榮十韻

l   寄司馬山人十二韻

l   黃河,二首之一

l   黃河,二首之二

l   寄李十四員外布十二韻【案:自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。】

l   歸來

l   王錄事許修草堂貲不到聊小詰

l   寄邛州崔錄事

l   過故斛斯校書莊,二首之一【案:自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。】【案:《英華》注:「即斛斯融。」】

l   過故斛斯校書莊,二首之二【案:自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。】【案:《英華》注:「即斛斯融。」】

l   立秋雨院中有作【立秋日雨院中有作】

l   奉和嚴大夫軍城早秋

l   院中晚晴懷西郭茅舍

l   到村

l   宿府

l   遣悶奉呈嚴公二十韻【遣悶奉呈鄭公二十韻】

l   送舍弟頻赴齊州,三首之一【送舍弟潁赴齊州,三首之一】【送舍弟穎赴齊州,三首之一】

l   送舍弟頻赴齊州,三首之二【送舍弟潁赴齊州,三首之二】【送舍弟穎赴齊州,三首之二】

l   送舍弟頻赴齊州,三首之三【送舍弟潁赴齊州,三首之三】【送舍弟穎赴齊州,三首之三】

l   嚴鄭公階下新松【案:得霑字。】

l   嚴鄭公宅同詠竹【案:得香字。】

l   奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻【案:得忘字。】

l   晚秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟【案:得溪字。池在張儀子城。】

l   初冬

l   至後

l   村雨

l   軍中醉飲寄沈八劉叟【案:一作暢當詩。】【案:他集互見。】

l   送司馬入京【案:草堂逸詩拾遺。】

l   收京【收京闕】【案:草堂逸詩拾遺。】

l   巴西聞收宮闕送班司馬入京【案:草堂逸詩拾遺。】

l   陪鄭公秋晚北池臨眺【案:草堂逸詩拾遺。】

l   哭台州鄭司蘇少監【案:草堂逸詩拾遺。】

l   送王侍御往東川放生池祖席【案:草堂逸詩拾遺。】

廣徳2年764-28 《草堂 #7》 ふたたび成都 杜甫<668> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3745 杜甫詩1000-668-943/1500 762

杜甫《草堂 #7》以前ここにいた時に飼ってある犬は自分の帰ったことを喜んでわたしのころもの裾にまといついてくる。近所の人たちは自分が帰ったことを喜んで酒を買って瓢箪をもってきてくれる。幕府の大官の人は自分が来たことを喜んで騎兵をよこして何かいりようのものはないかとたずねさせる。


2014年2月13日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
張平子(張衡)《西京賦》(2) 文選 賦<114―(2)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1039 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3743
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《題楚昭王廟〔襄州宜城縣驛東北有井,傳是王井,井東北數十步,有昭王廟。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <952>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3744韓愈詩-247
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-28 《草堂 #7》 ふたたび成都 杜甫<668> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3745 杜甫詩1000-668-943/1500 762
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 284 《遊城南十六首:贈張十八助教》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3746 (02/13)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 12 -13 天仙子二首 其二  和學士凝(和凝【わぎょう】)二十首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-440-12-#13  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3747
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

廣徳2764-28 《草堂 #7》 ふたたび成都 杜甫<668> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3745 杜甫詩1000-668-943/1500762

 

#4

賤子且奔走,三年望東

わたしはしばし梓州と閬州を拠点にしてあちらこちら駆け廻っており、その三年のあいだ長江を下って、呉門にあたる江陵、江蘇方面に行きたいと思っていた。

弧矢暗江海,難為遊五湖。

ところが江海の地方でも内乱があってくらくとざし、征伐の弓矢がとんだというし、江蘇の五湖に遊ぶことはしにくくなった。

不忍竟舍此,複來薙榛蕪。

つまりは此の草堂の地を捨てる気にはなれず、再びもどってきて草茫茫の荒れ地をなぎはろうたのである。

入門四松在,步屟萬竹疏。

門にはいってみると手植の四本の松が枯れないで育っている。草履ばきでぶらぶらしてみると万竿の竹が疎らになっている。

#5

舊犬喜我歸,低徊入衣裾。

以前ここにいた時に飼ってある犬は自分の帰ったことを喜んでわたしのころもの裾にまといついてくる。

鄰舍喜我歸,酤酒攜胡蘆。

近所の人たちは自分が帰ったことを喜んで酒を買って瓢箪をもってきてくれる。

大官喜我來,遣騎問所須。

幕府の大官の人は自分が来たことを喜んで騎兵をよこして何かいりようのものはないかとたずねさせる。

城郭喜我來,賓客隘村墟。』

城郭の人人は自分が来たことを喜んで、賓客としてやってきてこの片田舎がせまっこく感ぜられるほどである。』

賊子且つ奔走し、三年 東呉を望む。

弧矢【こし】江海に暗く、五湖に遊ぶを為し難し。

竟【つい】に此を舎【す】つるに忍びず、復た来たって榛蕪【しんぶ】を薙【な】ぐ。

門に入れば四松在り、歩屟【ほしょう】すれば万竹疏【そ】なり。

 

旧犬 我が帰るを喜び、低徊して衣裾【いきょ】に入る。

隣舍 我が帰るを喜び、酒を酤【か】いて胡蘆【ころ】を携う。

大官 我が来たるを喜び、騎を遣わして須【ま】つ所を問う。

城郭 我が来たるを喜び、賓客 村墟【そんきょ】を隘【あい】にす』

杜甫像0012 

 

『草堂』 現代語訳と訳註

(本文)

舊犬喜我歸,低徊入衣裾。

鄰舍喜我歸,酤酒攜胡蘆。

大官喜我來,遣騎問所須。

城郭喜我來,賓客隘村墟。』

 

(下し文)

旧犬 我が帰るを喜び、低徊して衣裾【いきょ】に入る。

隣舍 我が帰るを喜び、酒を酤【か】いて胡蘆【ころ】を携う。

大官 我が来たるを喜び、騎を遣わして須【ま】つ所を問う。

城郭 我が来たるを喜び、賓客 村墟【そんきょ】を隘【あい】にす』

 

(現代語訳)

以前ここにいた時に飼ってある犬は自分の帰ったことを喜んでわたしのころもの裾にまといついてくる。

近所の人たちは自分が帰ったことを喜んで酒を買って瓢箪をもってきてくれる。

幕府の大官の人は自分が来たことを喜んで騎兵をよこして何かいりようのものはないかとたずねさせる。

城郭の人人は自分が来たことを喜んで、賓客としてやってきてこの片田舎がせまっこく感ぜられるほどである。』

 

(訳注)

草堂

○草堂 浣花村の草堂。

杜甫が三年ぶりに草堂にもどってきたことをのべた詩。作者は宝応元年夏、厳武が召されて入朝するにつき成都の草堂を離れ綿州にいたった。同年七月に剣南西川兵馬使徐知道が叛き、八月に誅に伏した。当時作者は家族をたずさえて乱を避け梓州に赴いた。其の後、梓・閬の間を往来していたが、広徳二年の春厳武が再び剣南節度使として来任するということをきいて成都へもどってきた。

 

舊犬喜我歸,低徊入衣裾。

以前ここにいた時に飼ってある犬は自分の帰ったことを喜んでわたしのころもの裾にまといついてくる。

○低掴 さまよう。

 

鄰舍喜我歸,酤酒攜胡蘆。

近所の人たちは自分が帰ったことを喜んで酒を買って瓢箪をもってきてくれる。

○酤酒 酒を買ってくる。

○胡産 ふくべ、瓢箪。

 

大官喜我來,遣騎問所須。

幕府の大官の人は自分が来たことを喜んで騎兵をよこして何かいりようのものはないかとたずねさせる。

○大官 厳武節度使、幕府の役人らをさす。

○所須 いりようなもの。須:用いる、必要とする。

 

城郭喜我來,賓客隘村墟。』

城郭の人人は自分が来たことを喜んで、賓客としてやってきてこの片田舎がせまっこく感ぜられるほどである。』

○城郭 そこの人人。

○隘 せまいと感ぜられるほどたくさんに集まって来る。草堂に帰ったことをのべる。
江畔独歩尋花 

廣徳2年764-27 《草堂 #6》 ふたたび成都 杜甫<667> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3740 杜甫詩1000-667-942/1500 761

杜甫《草堂 #4》わたしはしばし梓州と閬州を拠点にしてあちらこちら駆け廻っており、その三年のあいだ長江を下って、呉門にあたる江陵、江蘇方面に行きたいと思っていた。ところが江海の地方でも内乱があってくらくとざし、征伐の弓矢がとんだというし、江蘇の五湖に遊ぶことはしにくくなった。


2014年2月12日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
張平子(張衡)《西京賦》(1) 文選 賦<114―(1)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1038 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3738
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《別趙子》#4韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <951>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3739韓愈詩-246
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-27 《草堂 #6》 ふたたび成都 杜甫<667> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3740 杜甫詩1000-667-942/1500 761
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 283 《遊城南十六首:贈同遊》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3741 (02/12)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 12 -12 天仙子二首 其一 和學士凝(和凝【わぎょう】)二十首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-439-12-#12  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3742
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

廣徳2764-27 《草堂 #6》 ふたたび成都 杜甫<667> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3740 杜甫詩1000-667-942/1500761

 

 

#1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

むかし、わたしが厳武の送別で梓州まで行くに草堂を去った。その後、たまたま、蛮夷の兵が成都へ帰る道を塞いでしまった。

今我歸草堂,成都適無虞。』

このたび、わたしが草堂に帰る気になったのは、成都が高適の手によって、まさに平穏なところとなったからである。』

 

昔 我れ草堂を去りしとき、蛮夷 成都を塞ぐ。

今 我れ草堂に帰り、成都 虞【おそ】れ無しに適す。』

#2

請陳初亂時,反復乃須臾。

まず、あの徐知道の乱の初めのころのことを述べさせていただく。あのときはほんのしばしの間のことであったが、形勢がひっくりかえっていた。

大將赴朝廷,群小起異圖。

東・西川節度使の厳武大将が朝廷の方へ赴いた隙をついて、つまらぬ野郎どもが小細工な企てで謀反を起こしたのだ。

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。

彼らは夜中に白馬を斬り殺してその血を口のまわりにぬって盟約して、意気を昂揚し、粗暴になった。

西取邛南兵,北斷劍閣隅。

それから成都の西領域、卭州から以南の異民族兵などを配下に取り、北の方は剣閣の一角を遮断した。


#3

布衣數十人,亦擁專城居。

これまでただの庶民であったものども数十人が徐知道が授けた府の管内に属する偽刺史となり、急に一城の主になった。

其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

しかし、もともと、蕃兵と漢兵とは別なものだと始めからきいており、この二つの者が其の同じ勢力の中で両方とも大きく並び立つわけにはゆかないのである。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。

とうとう西卒即ち蕃兵は叛徒に対してかえって戈を倒に向けるようになり、叛賊どものあいだで互いに誅殺しあうことになったのである。

焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

意外にも膝下からおきた禍が賊徒の渠魁の徐知道たちまでに及んでしまったのだ。』

 

請う 初め乱れし時を陳べん、反覆 乃ち須臾なり。

大将 朝廷に赴き、群小異図を起こす。

中宵 白馬を斬り、盟歃【めいそう】氣已に粗なり。

西のかた邛南【きょうなん】の兵を取り、北のかた剣関の隅を断つ。

 

布衣 数十人、亦た専城の居を擁す。

其の勢い 両つながら大ならず、始めて聞く蕃漢の殊なるを。

西卒 却って戈を倒【さかさ】にし、賊臣 互いに相い誅す。

焉【いずく】んぞ知らん肘腋【ちゅうえき】の禍、自ずから梟獍の徒に及ばんとは。

 

#4

賤子且奔走,三年望東

わたしはしばし梓州と閬州を拠点にしてあちらこちら駆け廻っており、その三年のあいだ長江を下って、呉門にあたる江陵、江蘇方面に行きたいと思っていた。

弧矢暗江海,難為遊五湖。

ところが江海の地方でも内乱があってくらくとざし、征伐の弓矢がとんだというし、江蘇の五湖に遊ぶことはしにくくなった。

不忍竟舍此,複來薙榛蕪。

つまりは此の草堂の地を捨てる気にはなれず、再びもどってきて草茫茫の荒れ地をなぎはろうたのである。

入門四松在,步屟萬竹疏。

門にはいってみると手植の四本の松が枯れないで育っている。草履ばきでぶらぶらしてみると万竿の竹が疎らになっている。

#5

舊犬喜我歸,低徊入衣裾。

鄰舍喜我歸,酤酒攜胡蘆。

大官喜我來,遣騎問所須。

城郭喜我來,賓客隘村墟。』

 

賊子且つ奔走し、三年 東呉を望む。

弧矢【こし】江海に暗く、五湖に遊ぶを為し難し。

竟【つい】に此を舎【す】つるに忍びず、復た来たって榛蕪【しんぶ】を薙【な】ぐ。

門に入れば四松在り、歩屟【ほしょう】すれば万竹疏【そ】なり。

 

旧犬 我が帰るを喜び、低徊して衣裾【いきょ】に入る。

隣舍 我が帰るを喜び、酒を酤【か】いて胡蘆【ころ】を携う。

大官 我が来たるを喜び、騎を遣わして須【ま】つ所を問う。

城郭 我が来たるを喜び、賓客 村墟【そんきょ】を隘【あい】にす』

成都遂州00 

 

『草堂』 現代語訳と訳註

(本文) #4

賤子且奔走,三年望東

弧矢暗江海,難為遊五湖。

不忍竟舍此,複來薙榛蕪。

入門四松在,步屟萬竹疏。

 

(下し文)

賊子且つ奔走し、三年 東呉を望む。

弧矢【こし】江海に暗く、五湖に遊ぶを為し難し。

竟【つい】に此を舎【す】つるに忍びず、復た来たって榛蕪【しんぶ】を薙【な】ぐ。

門に入れば四松在り、歩屟【ほしょう】すれば万竹疏【そ】なり。

 

(現代語訳)

わたしはしばし梓州と閬州を拠点にしてあちらこちら駆け廻っており、その三年のあいだ長江を下って、呉門にあたる江陵、江蘇方面に行きたいと思っていた。

ところが江海の地方でも内乱があってくらくとざし、征伐の弓矢がとんだというし、江蘇の五湖に遊ぶことはしにくくなった。

つまりは此の草堂の地を捨てる気にはなれず、再びもどってきて草茫茫の荒れ地をなぎはろうたのである。

門にはいってみると手植の四本の松が枯れないで育っている。草履ばきでぶらぶらしてみると万竿の竹が疎らになっている。

 

(訳注) #4

賤子且奔走,三年望東

わたしはしばし梓州と閬州を拠点にしてあちらこちら駆け廻っており、その三年のあいだ長江を下って、呉門にあたる江陵、江蘇方面に行きたいと思っていた。

○賤子 いやしいもの、自己をさす。

○且 しばらく、いささか。

○奔走 かけまわる、梓州・閬州の方面へいったこと。

〇三年 762年宝応元年秋より764年広徳二年春まで。実質1年半である。

○望東呉 長江を下って、呉門にあたる江陵、江蘇方面に行きたいとしてながめる。中國の常識で川の流れは西から東へと流れるもの、東は下る意味を持つ。

 

弧矢暗江海,難為遊五湖。

ところが江海の地方でも内乱があってくらくとざし、征伐の弓矢がとんだというし、江蘇の五湖に遊ぶことはしにくくなった。

○弧矢 ゆみ、や、兵乱を征定するために用いるもの。「易」(繋辞)にいう、「木二弦シテ弧卜為シ、木ヲ則リテ矢卜為シ、弧失ノ利、以テ天下ヲ威ス」と。○江海 揚子江や海、江蘇の地方をいう。

〇五湖 菱湖・游湖・莫湖・貢湖・胥湖。みな太湖の東岸の五湾である。

 

不忍竟舍此,複來薙榛蕪。

つまりは此の草堂の地を捨てる気にはなれず、再びもどってきて草茫茫の荒れ地をなぎはろうたのである。

○舎此 「此れを捨てる」草堂の地を捨て去ること。

○復来 またかえってきて。

○薙 なぎ刈る。

○榛蕪 はりのやぶ、草むら。

 

入門四松在,步屟萬竹疏。

門にはいってみると手植の四本の松が枯れないで育っている。草履ばきでぶらぶらしてみると万竿の竹が疎らになっている。

〇四松 前年植えた四本のまつ。

○歩履 草履であるく。
竹林001 

廣徳2年764-26 《草堂 #5》 ふたたび成都 杜甫<666> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3735 杜甫詩1000-666-941/1500760

杜甫《草堂 #5》被刑者のあとに残される妾や馬は心で泣いて、顔つきで悲しんでいるのに、蛮族である彼らはそれを自己の娯楽の用に充てていた。国家には不正を罰する法令が存在しているのにこれはなんとしたことか、実に我我をして驚きなげかしめるのに十分である。

2014年2月11日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
班孟堅(班固)《東都賦》(35)(白雉の詩) 文選 賦 賦<113―35>18分割35回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1037kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3733 (35)(白雉の詩)
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《別趙子》#3韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <950>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3734韓愈詩-245
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-26 《草堂 #5》 ふたたび成都 杜甫<666> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3735 杜甫詩1000-666-941/1500760
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 282 《遊城南十六首:風折花枝》 韓愈kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3736 (02/11)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 12 -11 望梅花一首  和學士凝(和凝【わぎょう】)二十首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-438-12-#11  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3737
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

廣徳2764-26 《草堂 #5》 ふたたび成都 杜甫<666> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3735 杜甫詩1000-666-941/1500760

 

 

草堂 #1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

むかし、わたしが厳武の送別で梓州まで行くに草堂を去った。その後、たまたま、蛮夷の兵が成都へ帰る道を塞いでしまった。

今我歸草堂,成都適無虞。』

このたび、わたしが草堂に帰る気になったのは、成都が高適の手によって、まさに平穏なところとなったからである。』

 

昔 我れ草堂を去りしとき、蛮夷 成都を塞ぐ。

今 我れ草堂に帰り、成都 虞【おそ】れ無しに適す。』

#2

請陳初亂時,反復乃須臾。

まず、あの徐知道の乱の初めのころのことを述べさせていただく。あのときはほんのしばしの間のことであったが、形勢がひっくりかえっていた。

大將赴朝廷,群小起異圖。

東・西川節度使の厳武大将が朝廷の方へ赴いた隙をついて、つまらぬ野郎どもが小細工な企てで謀反を起こしたのだ。

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。

彼らは夜中に白馬を斬り殺してその血を口のまわりにぬって盟約して、意気を昂揚し、粗暴になった。

西取邛南兵,北斷劍閣隅。

それから成都の西領域、卭州から以南の異民族兵などを配下に取り、北の方は剣閣の一角を遮断した。

#3

布衣數十人,亦擁專城居。

これまでただの庶民であったものども数十人が徐知道が授けた府の管内に属する偽刺史となり、急に一城の主になった。

其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

しかし、もともと、蕃兵と漢兵とは別なものだと始めからきいており、この二つの者が其の同じ勢力の中で両方とも大きく並び立つわけにはゆかないのである。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。

とうとう西卒即ち蕃兵は叛徒に対してかえって戈を倒に向けるようになり、叛賊どものあいだで互いに誅殺しあうことになったのである。

焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

意外にも膝下からおきた禍が賊徒の渠魁の徐知道たちまでに及んでしまったのだ。』

 

請う 初め乱れし時を陳べん、反覆 乃ち須臾なり。

大将 朝廷に赴き、群小異図を起こす。

中宵 白馬を斬り、盟歃【めいそう】氣已に粗なり。

西のかた邛南【きょうなん】の兵を取り、北のかた剣関の隅を断つ。

 

布衣 数十人、亦た専城の居を擁す。

其の勢い 両つながら大ならず、始めて聞く蕃漢の殊なるを。

西卒 却って戈を倒【さかさ】にし、賊臣 互いに相い誅す。

焉【いずく】んぞ知らん肘腋【ちゅうえき】の禍、自ずから梟獍の徒に及ばんとは。

くちなしの花 

#4

義士皆痛憤,紀綱亂相逾。

そのころの秩序というものはまるで乱れ、秩序以外にふみこえるものが多く、正義の士はみなこれをいたくいきどおった。

一國實三公,萬人欲為魚。

一国のうちで三人の家老があるという政権の不統一は万民にとっては彼らのために俎上の魚肉として肴にされ、或は、溺らされて魚の糧にされんとした。

唱和作威福,孰肯辨無辜。

謀反の者同士がおたがいに唱和して威福の権をほしいままにする、だれが罪あるものなのか、無いものなのかの区別をつけることができるのだろうか、罪のないものまで殺戮した。

眼前列杻械,背後吹笙竽。

被刑者の眼のまえに手かせ、足かせをならべ、その後ろでは笙や竽の楽器を演奏した。

#5

談笑行殺戮,濺血滿長衢。

わらいばなしをしながら殺戮を行う、そのそそぐ血はながい街いっぱいになった。

到今用鉞地,風雨聞號呼。

今に至るまで、あのとき刑罰のマサカリを用いた刑場は今日になってもまだ風雨に交じって被刑者のさけびの声がきこえるのだ。

鬼妾與鬼馬,色悲充爾

被刑者のあとに残される妾や馬は心で泣いて、顔つきで悲しんでいるのに、蛮族である彼らはそれを自己の娯楽の用に充てていた。

國家法令在,此又足驚籲。』

国家には不正を罰する法令が存在しているのにこれはなんとしたことか、実に我我をして驚きなげかしめるのに十分である。』

#4

義士 皆 痛憤し、紀綱 乱れて相い逾ゆるを。

一国 実に三公あり、万人 魚為らんと欲す。

唱和して威福を作す、孰か肯て無事を弁ぜん。

眼前 杻械【ちゅうかい】を列ね、背後に笙竽【しょうう】を吹く。

#5

談笑して殺戮【さつりく】を行う、濺血【せんけつ】長衢【ちょうく】に満つ。

今に到るまで鉞【みつ】を用いし地は、風雨に号呼【ごうこ】を聞く。

鬼妾【きしょう】と鬼馬と、色 悲しむに爾が娯しみに充つ。

国家法令在り、此れ又た驚籲【きょうく】するに足れり。』

鶯00成都関連地図 00 

 

『草堂』 現代語訳と訳註

(本文)  #5

談笑行殺戮,濺血滿長衢。

到今用鉞地,風雨聞號呼。

鬼妾與鬼馬,色悲充爾

國家法令在,此又足驚籲。』

 

(下し文) #5

談笑して殺戮【さつりく】を行う、濺血【せんけつ】長衢【ちょうく】に満つ。

今に到るまで鉞【みつ】を用いし地は、風雨に号呼【ごうこ】を聞く。

鬼妾【きしょう】と鬼馬と、色 悲しむに爾が娯しみに充つ。

国家法令在り、此れ又た驚籲【きょうく】するに足れり。』

 

(現代語訳)

わらいばなしをしながら殺戮を行う、そのそそぐ血はながい街いっぱいになった。

今に至るまで、あのとき刑罰のマサカリを用いた刑場は今日になってもまだ風雨に交じって被刑者のさけびの声がきこえるのだ。

被刑者のあとに残される妾や馬は心で泣いて、顔つきで悲しんでいるのに、蛮族である彼らはそれを自己の娯楽の用に充てていた。

国家には不正を罰する法令が存在しているのにこれはなんとしたことか、実に我我をして驚きなげかしめるのに十分である。』

 

(訳注) #5

談笑行殺戮,濺血滿長衢。

わらいばなしをしながら殺戮を行う、そのそそぐ血はながい街いっぱいになった。

○談笑行殺戮 わらいばなしをしながら。惨忍なさまである。

○濺血 そそぐところの血。

 

到今用鉞地,風雨聞號呼。

今に至るまで、あのとき刑罰のマサカリを用いた刑場は今日になってもまだ風雨に交じって被刑者のさけびの声がきこえるのだ。

○用鉞地 鉞は死刑につかわれるまさかり。用鉞とは人殺しの刑を行なったことをいう。

〇号呼 被殺者のなきさけぶこえ。

 

鬼妾與鬼馬,色悲充爾

被刑者のあとに残される妾や馬は心で泣いて、顔つきで悲しんでいるのに、蛮族である彼らはそれを自己の娯楽の用に充てていた。

○鬼妾・鬼馬 鬼は殺されてしまった者をいう、鬼妾鬼馬とは被殺者のあとに残され存している妾と馬のこと。

○色悲 口ではいえないが顔色では悲痛のありさまをしておるのにとの意。

○爾 賊徒をさす。

 

國家法令在,此又足驚籲。』

国家には不正を罰する法令が存在しているのにこれはなんとしたことか、実に我我をして驚きなげかしめるのに十分である。』

○此 前述の惨膚な挙動をさす。

○籲 うれえる、以上は乱兵の虐殺をのぺる。
草堂002 

廣徳2年764-25 《草堂 #4》 ふたたび成都 杜甫<665>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3730 杜甫詩1000-665-940/1500759

杜甫《草堂 #4》謀反の者同士がおたがいに唱和して威福の権をほしいままにする、だれが罪あるものなのか、無いものなのかの区別をつけることができるのだろうか、罪のないものまで殺戮した。被刑者の眼のまえに手かせ、足かせをならべ、その後ろでは笙や竽の楽器を演奏した。


2014年2月10日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
班孟堅(班固)《東都賦》(34)(寶鼎の詩) 文選 賦 賦<113―34>18分割35回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1036 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3728
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《別趙子》#2韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <949>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3729韓愈詩-244
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ廣徳2年764-25 《草堂 #4》 ふたたび成都 杜甫<665>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3730 杜甫詩1000-665-940/1500759
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor12 -10 薄命女一首 其一 和學士凝(和凝【わぎょう】)二十首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-437-12-#10  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3732
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩韓愈全詩李白全集文選花間集 古詩源 玉台新詠

 

廣徳2764-25 《草堂 #4》 ふたたび成都 杜甫<665>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3730 杜甫詩1000-665-940/1500759

 

草堂 #1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

今我歸草堂,成都適無虞。』

むかし、わたしが厳武の送別で梓州まで行くに草堂を去った。その後、たまたま、蛮夷の兵が成都へ帰る道を塞いでしまった。

このたび、わたしが草堂に帰る気になったのは、成都が高適の手によって、まさに平穏なところとなったからである。』

 

昔 我れ草堂を去りしとき、蛮夷 成都を塞ぐ。

今 我れ草堂に帰り、成都 虞【おそ】れ無しに適す。』

#2

請陳初亂時,反復乃須臾。

大將赴朝廷,群小起異圖。

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。

西取邛南兵,北斷劍閣隅。

まず、あの徐知道の乱の初めのころのことを述べさせていただく。あのときはほんのしばしの間のことであったが、形勢がひっくりかえっていた。

東・西川節度使の厳武大将が朝廷の方へ赴いた隙をついて、つまらぬ野郎どもが小細工な企てで謀反を起こしたのだ。

彼らは夜中に白馬を斬り殺してその血を口のまわりにぬって盟約して、意気を昂揚し、粗暴になった。

それから成都の西領域、卭州から以南の異民族兵などを配下に取り、北の方は剣閣の一角を遮断した。

#3

布衣數十人,亦擁專城居。

其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。

焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

これまでただの庶民であったものども数十人が徐知道が授けた府の管内に属する偽刺史となり、急に一城の主になった。

しかし、もともと、蕃兵と漢兵とは別なものだと始めからきいており、この二つの者が其の同じ勢力の中で両方とも大きく並び立つわけにはゆかないのである。

とうとう西卒即ち蕃兵は叛徒に対してかえって戈を倒に向けるようになり、叛賊どものあいだで互いに誅殺しあうことになったのである。

意外にも膝下からおきた禍が賊徒の渠魁の徐知道たちまでに及んでしまったのだ。』

 

請う 初め乱れし時を陳べん、反覆 乃ち須臾なり。

大将 朝廷に赴き、群小異図を起こす。

中宵 白馬を斬り、盟歃【めいそう】氣已に粗なり。

西のかた邛南【きょうなん】の兵を取り、北のかた剣関の隅を断つ。

 

布衣 数十人、亦た専城の居を擁す。

其の勢い 両つながら大ならず、始めて聞く蕃漢の殊なるを。

西卒 却って戈を倒【さかさ】にし、賊臣 互いに相い誅す。

焉【いずく】んぞ知らん肘腋【ちゅうえき】の禍、自ずから梟獍の徒に及ばんとは。

 

#4

義士皆痛憤,紀綱亂相逾。

そのころの秩序というものはまるで乱れ、秩序以外にふみこえるものが多く、正義の士はみなこれをいたくいきどおった。

一國實三公,萬人欲為魚。

一国のうちで三人の家老があるという政権の不統一は万民にとっては彼らのために俎上の魚肉として肴にされ、或は、溺らされて魚の糧にされんとした。

唱和作威福,孰肯辨無辜。

謀反の者同士がおたがいに唱和して威福の権をほしいままにする、だれが罪あるものなのか、無いものなのかの区別をつけることができるのだろうか、罪のないものまで殺戮した。

眼前列杻械,背後吹笙竽。

被刑者の眼のまえに手かせ、足かせをならべ、その後ろでは笙や竽の楽器を演奏した。

#5

談笑行殺戮,濺血滿長衢。

到今用鉞地,風雨聞號呼。

鬼妾與鬼馬,色悲充爾

國家法令在,此又足驚籲。』

#4

義士 皆 痛憤し、紀綱 乱れて相い逾ゆるを。

一国 実に三公あり、万人 魚為らんと欲す。

唱和して威福を作す、孰か肯て無事を弁ぜん。

眼前 杻械【ちゅうかい】を列ね、背後に笙竽【しょうう】を吹く。

#5

談笑して殺戮【さつりく】を行う、濺血【せんけつ】長衢【ちょうく】に満つ。

今に到るまで鉞【みつ】を用いし地は、風雨に号呼【ごうこ】を聞く。

鬼妾【きしょう】と鬼馬と、色 悲しむに爾が娯しみに充つ。

国家法令在り、此れ又た驚籲【きょうく】するに足れり。』

江畔独歩尋花 

 

『草堂』 現代語訳と訳註

(本文) #4

義士皆痛憤,紀綱亂相逾。

一國實三公,萬人欲為魚。

唱和作威福,孰肯辨無辜。

眼前列杻械,背後吹笙竽。

 

(下し文) #4

義士 皆 痛憤し、紀綱 乱れて相い逾ゆるを。

一国 実に三公あり、万人 魚為らんと欲す。

唱和して威福を作す、孰か肯て無事を弁ぜん。

眼前 杻械【ちゅうかい】を列ね、背後に笙竽【しょうう】を吹く。

 

(現代語訳)

そのころの秩序というものはまるで乱れ、秩序以外にふみこえるものが多く、正義の士はみなこれをいたくいきどおった。

一国のうちで三人の家老があるという政権の不統一は万民にとっては彼らのために俎上の魚肉として肴にされ、或は、溺らされて魚の糧にされんとした。

謀反の者同士がおたがいに唱和して威福の権をほしいままにする、だれが罪あるものなのか、無いものなのかの区別をつけることができるのだろうか、罪のないものまで殺戮した。

被刑者の眼のまえに手かせ、足かせをならべ、その後ろでは笙や竽の楽器を演奏した。

 

紅梅002 

(訳注)#4

義士皆痛憤,紀綱亂相逾。

そのころの秩序というものはまるで乱れ、秩序以外にふみこえるものが多く、正義の士はみなこれをいたくいきどおった。

○義士 義の士。

○紀綱 紀は糸の乱れを治めるくくりめ、綱は網をひきしめる大づな、秩序をさしていう。

○逾 乱徒がこえることをいう。

 

一國實三公,萬人欲為魚。

一国のうちで三人の家老があるという政権の不統一は万民にとっては彼らのために俎上の魚肉として肴にされ、或は、溺らされて魚の糧にされんとした。

○一国実三公 一つの国に三人の家老がある、「左伝」(僖公五年)にみえる。李忠厚らの同輩をさす。ここは政権の不統一をいう。

○為魚 「史記」(項羽紀)に、「今、人は方に刀狙たり、我は魚肉たり」とあるのによれば姐上の魚肉のごとく肴にされることをいう。「左伝」(昭公五年)に、劉定公のことばとして「南なかりせば吾は其れ魚たらんか」とあり、「後漢書」(光武紀)に、「之を決して之に港げば、百万の衆、皆魚たらしむべし」とあるのによれば人が溺死して魚のごとくになることをいう。

 

唱和作威福,孰肯辨無辜。

謀反の者同士がおたがいに唱和して威福の権をほしいままにする、だれが罪あるものなのか、無いものなのかの区別をつけることができるのだろうか、罪のないものまで殺戮した。

○唱和 謀反の者同士がおたがいに唱和すること、甲がとなえて乙が賛成附和する。特に国内外の異民族と唱和するケースが多くあった。

○作威福 「尚書」(洪範)には人君のみが「威を作し福を作す」ことをといている、ここは賊徒が権力を専らにし威をも福をもなすことをいう、威を弄するというのが主である。

○弁無事 つみあるものとつみなきものとを区別する。

 

眼前列杻械,背後吹笙竽。 

被刑者の眼のまえに手かせ、足かせをならべ、その後ろでは笙や竽の楽器を演奏した。

〇位 あしかせ。

○城 でかせ。

○笙竽 共に楽器の名、笙は十三簧、竽は三十六簧、簧は空気を振動させる舌。
杜甫像0012 

廣徳2年764-24 《草堂 #3》 ふたたび成都 杜甫 <664>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3725 杜甫詩1000-664-939/1500758

ふたたび成都《草堂 #3》これまでただの庶民であったものども数十人が徐知道が授けた府の管内に属する偽刺史となり、急に一城の主になった。とうとう西卒即ち蕃兵は叛徒に対してかえって戈を倒に向けるようになり、叛賊どものあいだで互いに誅殺しあうことになったのである。


2014年2月9日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
班孟堅(班固)《東都賦》(33) 文選 賦 賦<113―33>18分割35回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1035 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3723
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《別趙子》#1韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <948>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3724韓愈詩-243
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-23 《草堂 #2》 ふたたび成都 杜甫 <663>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3720 杜甫詩1000-663-938/1500757
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 280 《遊城南十六首:楸樹,二首之一》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3726 (02/09)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 12 -9 河滿子二首 其二  和學士凝二十首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-436-12-#9  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3727
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

廣徳2764-24 《草堂 #3》 ふたたび成都 杜甫 <664>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3725 杜甫詩1000-664-939/1500758

 

 

#1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

むかし、わたしが厳武の送別で梓州まで行くに草堂を去った。その後、たまたま、蛮夷の兵が成都へ帰る道を塞いでしまった。

今我歸草堂,成都適無虞。』

このたび、わたしが草堂に帰る気になったのは、成都が高適の手によって、まさに平穏なところとなったからである。』

 

昔 我れ草堂を去りしとき、蛮夷 成都を塞ぐ。

今 我れ草堂に帰り、成都 虞【おそ】れ無しに適す。』

#2

請陳初亂時,反復乃須臾。

まず、あの徐知道の乱の初めのころのことを述べさせていただく。あのときはほんのしばしの間のことであったが、形勢がひっくりかえっていた。

大將赴朝廷,群小起異圖。

東・西川節度使の厳武大将が朝廷の方へ赴いた隙をついて、つまらぬ野郎どもが小細工な企てで謀反を起こしたのだ。

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。

彼らは夜中に白馬を斬り殺してその血を口のまわりにぬって盟約して、意気を昂揚し、粗暴になった。

西取邛南兵,北斷劍閣隅。

それから成都の西領域、卭州から以南の異民族兵などを配下に取り、北の方は剣閣の一角を遮断した。


#3

布衣數十人,亦擁專城居。

これまでただの庶民であったものども数十人が徐知道が授けた府の管内に属する偽刺史となり、急に一城の主になった。

其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

しかし、もともと、蕃兵と漢兵とは別なものだと始めからきいており、この二つの者が其の同じ勢力の中で両方とも大きく並び立つわけにはゆかないのである。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。

とうとう西卒即ち蕃兵は叛徒に対してかえって戈を倒に向けるようになり、叛賊どものあいだで互いに誅殺しあうことになったのである。

焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

意外にも膝下からおきた禍が賊徒の渠魁の徐知道たちまでに及んでしまったのだ。』

 

請う 初め乱れし時を陳べん、反覆 乃ち須臾なり。

大将 朝廷に赴き、群小異図を起こす。

中宵 白馬を斬り、盟歃【めいそう】氣已に粗なり。

西のかた邛南【きょうなん】の兵を取り、北のかた剣関の隅を断つ。

 

布衣 数十人、亦た専城の居を擁す。

其の勢い 両つながら大ならず、始めて聞く蕃漢の殊なるを。

西卒 却って戈を倒【さかさ】にし、賊臣 互いに相い誅す。

焉【いずく】んぞ知らん肘腋【ちゅうえき】の禍、自ずから梟獍の徒に及ばんとは。

 

成都遂州00 

『草堂』 現代語訳と訳註

(本文)#3

布衣數十人,亦擁專城居。

其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。

焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

 

(下し文)

布衣 数十人、亦た専城の居を擁す。

其の勢い 両つながら大ならず、始めて聞く蕃漢の殊なるを。

西卒 却って戈を倒【さかさ】にし、賊臣 互いに相い誅す。

焉【いずく】んぞ知らん肘腋【ちゅうえき】の禍、自ずから梟獍の徒に及ばんとは。

 

(現代語訳)

これまでただの庶民であったものども数十人が徐知道が授けた府の管内に属する偽刺史となり、急に一城の主になった。

しかし、もともと、蕃兵と漢兵とは別なものだと始めからきいており、この二つの者が其の同じ勢力の中で両方とも大きく並び立つわけにはゆかないのである。

とうとう西卒即ち蕃兵は叛徒に対してかえって戈を倒に向けるようになり、叛賊どものあいだで互いに誅殺しあうことになったのである。

意外にも膝下からおきた禍が賊徒の渠魁の徐知道たちまでに及んでしまったのだ。』

 

(訳注)

布衣數十人,亦擁專城居。

これまでただの庶民であったものども数十人が徐知道が授けた府の管内に属する偽刺史となり、急に一城の主になった。

○布衣 庶民階級のもので「即ち楊子琳・栢正節の徒なり」という。

○擁 有すること。

○専城居 城を専有して住居すること。徐知道が授けた府の管内に属する偽刺史輩をさす。古楽府「羅敷行」に「四十にして城を専らにして居る」の句に基づく。

 

其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

しかし、もともと、蕃兵と漢兵とは別なものだと始めからきいており、この二つの者が其の同じ勢力の中で両方とも大きく並び立つわけにはゆかないのである。

○不両大 両とは下の蕃と漢との二つをいう。

○蕃漢殊 蕃は羌兵をいい漢は本土人の兵をいう。

 

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。

とうとう西卒即ち蕃兵は叛徒に対してかえって戈を倒に向けるようになり、叛賊どものあいだで互いに誅殺しあうことになったのである。

○西卒 先兵をさす。

○卻倒戈 徐知道は兵馬使で漢兵の統領であるが、羌夷をおびやかして叛乱に加わらしめた。ところが叛軍の中において内輪争いがあり、羌兵が徐知道の下に付かなくなったのに乗じて李息厚という者が先兵をおだてて徐知遇を殺させるようにした。すなわちはじめ味方とした羌夷が戈を倒して刃向かうようになったのである。「尚書」(武成)に「前徒戈を倒にす」の語がみえる。

○賊臣 叛徒をさす。

 

焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

意外にも膝下からおきた禍が賊徒の渠魁の徐知道たちまでに及んでしまったのだ。』

○肘腋禍 てぢかに起こったわざわい、李忠厚の裏切りをいう、肘はひじ、腋はわき。

○兵鏡徒 徐知道ら叛徒の渠魁をいう、梟はふくろう、母を食べるという、獍は破獍という獣で父を食べるという、いずれもわるい鳥獣である、以上は叛乱が錯乱になったことをいう。カンナ223

廣徳2年764-23 《草堂 #2》 ふたたび成都 杜甫 <663>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3720 杜甫詩1000-663-938/1500757

ふたたび成都《草堂 #2》まず、あの徐知道の乱の初めのころのことを述べさせていただく。あのときはほんのしばしの間のことであったが、形勢がひっくりかえっていた。東・西川節度使の厳武大将が朝廷の方へ赴いた隙をついて、つまらぬ野郎どもが小細工な企てで謀反を起こしたのだ。

2014年2月8日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
班孟堅(班固)《東都賦》(32)(辟雍の詩) 文選 賦 賦<113―32>18分割35回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1034 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3718
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《潮州刺史謝上表》(15)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <947>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3719韓愈詩-242-(15) 15分割
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-23 《草堂 #2》 ふたたび成都 杜甫 <663>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3720 杜甫詩1000-663-938/1500757
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 279 《遊城南十六首:落花》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3721 (02/08)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 12 -8 河滿子二首 其一 和學士凝二十首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-435-12-#8  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3722
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

廣徳2764-23 《草堂 #2》 ふたたび成都 杜甫 <663>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3720 杜甫詩1000-663-938/1500757

 

 

広徳元年(763)十一月、朝廷居る厳武が、杜甫を京兆功曹に推薦したが、その時、長安が不安定と考え、安定的な江陵に向おうとした。杜甫は、閬州から舟にのって、蜀を出てゆこうと、これをことわった。

広徳二年(七六四)三月、長安も、成都も安定し、加えて、厳武が成都に帰って來る。東・西川節度使の幕府の杜工部を杜甫のために開設してくれることとなり、杜甫は妻子をつれて、成都の草堂に戻って来た。草堂は荒れていたが、近所の人々は喜んで彼を迎えてくれた。もとの犬もよろこんで裾にまといついた。草堂の門に入って、四本の松や、五本の桃の木が、それぞれ生長しているのを見るのも彼をよろこぼせた。彼はここで以前のように静かに耕作して暮らそうと思っていたのだが、厳武は彼を推薦して、節度参謀とし、工部員外部を兼ね、緋魚袋を賜わることになった。

成都の節度使の幕府に移った厳武は、蜀に返ってくると、大いに軍容を盛んにして、九月には吐審七万の兵を破り、当狗城や、塩川城を奪いかえし、西方国境における唐軍の勢いをもり返した。杜甫も詩を作って讃辞を惜しまなかった。厳武も杜甫をいたわり、いつも幕僚と共に宴に招き、韻を分かって詩を作った。

しかし、厳武の好意があればあるほど、幕中の生活は杜甫にとっては楽しいものではなかった。杜甫は、どうしても同僚のものたちと合わないのである。それにまた幕中の生活はかなり忙しく厳しいものであった。毎朝日の出前に役所に入り、世更けて退所するのである。如何に、半官半隠が理想の杜甫にとって他の役人との関係において難しいものであった。

その様子は

遣悶奉呈嚴公二十韻【遣悶奉呈鄭公二十韻】

懷舊

宿府

に見える。

 

 

作時年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 草堂 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都、別名:蜀・ 草堂 ・一室、西郭茅舍。 ・劍閣 (劍南道北部 劍州 劍閣)

 

草堂 #1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。今我歸草堂,成都適無虞。』

#2

請陳初亂時,反復乃須臾。大將赴朝廷,群小起異圖。

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。西取邛南兵,北斷劍閣隅。

#3

布衣數十人,亦擁專城居。其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

#4

義士皆痛憤,紀綱亂相逾。一國實三公,萬人欲為魚。

唱和作威福,孰肯辨無辜。眼前列杻械,背後吹笙竽。

#5

談笑行殺戮,濺血滿長衢。到今用鉞地,風雨聞號呼。

鬼妾與鬼馬,色悲充爾。國家法令在,此又足驚籲。』

#6

賤子且奔走,三年望東。弧矢暗江海,難為遊五湖。

不忍竟舍此,複來薙榛蕪。入門四松在,步屟萬竹疏。

#7

舊犬喜我歸,低徊入衣裾。鄰舍喜我歸,酤酒攜胡蘆。

大官喜我來,遣騎問所須。城郭喜我來,賓客隘村墟。』

#8

天下尚未甯,健兒勝腐儒。飄搖風塵際,何地置老夫。

于時見疣贅,骨髓幸未枯。飲啄愧殘生,食薇不敢餘。』

 

 

#1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

むかし、わたしが厳武の送別で梓州まで行くに草堂を去った。その後、たまたま、蛮夷の兵が成都へ帰る道を塞いでしまった。

今我歸草堂,成都適無虞。』

このたび、わたしが草堂に帰る気になったのは、成都が高適の手によって、まさに平穏なところとなったからである。』

 

昔 我れ草堂を去りしとき、蛮夷 成都を塞ぐ。

今 我れ草堂に帰り、成都 虞【おそ】れ無しに適す。』

#2

請陳初亂時,反復乃須臾。

まず、あの徐知道の乱の初めのころのことを述べさせていただく。あのときはほんのしばしの間のことであったが、形勢がひっくりかえっていた。

大將赴朝廷,群小起異圖。

東・西川節度使の厳武大将が朝廷の方へ赴いた隙をついて、つまらぬ野郎どもが小細工な企てで謀反を起こしたのだ。

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。

彼らは夜中に白馬を斬り殺してその血を口のまわりにぬって盟約して、意気を昂揚し、粗暴になった。

西取邛南兵,北斷劍閣隅。

それから成都の西領域、卭州から以南の異民族兵などを配下に取り、北の方は剣閣の一角を遮断した。

#3

布衣數十人,亦擁專城居。

其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。

焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

 

請う 初め乱れし時を陳べん、反覆 乃ち須臾なり。

大将 朝廷に赴き、群小異図を起こす。

中宵 白馬を斬り、盟歃【めいそう】氣已に粗なり。

西のかた邛南【きょうなん】の兵を取り、北のかた剣関の隅を断つ。

 

布衣 数十人、亦た専城の居を擁す。

其の勢い 両つながら大ならず、始めて聞く蕃漢の殊なるを。

西卒 却って戈を倒【さかさ】にし、賊臣 互いに相い誅す。

焉【いずく】んぞ知らん肘腋【ちゅうえき】の禍、自ずから梟獍の徒に及ばんとは。

古桟道0001 

『草堂』 現代語訳と訳註

(本文) #2

請陳初亂時,反復乃須臾。

大將赴朝廷,群小起異圖。

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。

西取邛南兵,北斷劍閣隅。

 

(下し文)

請う 初め乱れし時を陳べん、反覆 乃ち須臾なり。

大将 朝廷に赴き、群小異図を起こす。

中宵 白馬を斬り、盟歃【めいそう】氣已に粗なり。

西のかた邛南【きょうなん】の兵を取り、北のかた剣関の隅を断つ。

 

(現代語訳)

まず、あの徐知道の乱の初めのころのことを述べさせていただく。あのときはほんのしばしの間のことであったが、形勢がひっくりかえっていた。

東・西川節度使の厳武大将が朝廷の方へ赴いた隙をついて、つまらぬ野郎どもが小細工な企てで謀反を起こしたのだ。

彼らは夜中に白馬を斬り殺してその血を口のまわりにぬって盟約して、意気を昂揚し、粗暴になった。

それから成都の西領域、卭州から以南の異民族兵などを配下に取り、北の方は剣閣の一角を遮断した。

 

 

(訳注) #2

請陳初亂時,反復乃須臾。

まず、あの徐知道の乱の初めのころのことを述べさせていただく。あのときはほんのしばしの間のことであったが、形勢がひっくりかえっていた。

 

大將赴朝廷,群小起異圖。

東・西川節度使の厳武大将が朝廷の方へ赴いた隙をついて、つまらぬ野郎どもが小細工な企てで謀反を起こしたのだ。

○大将 東・西川節度使の厳武をいう。

○群小 多くの小人、徐知道らをいう。

○異図 尋常でないくわだて、小細工、謀叛をいう。

 

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。

彼らは夜中に白馬を斬り殺してその血を口のまわりにぬって盟約して、意気を昂揚し、粗暴になった。

○中宵 よなか。

○斬白馬 戦国以来のならわしで盟約のあかしとして、白馬を切り殺して其の血を用いた。

○盟歃 盟はちかう、歃は口のまわりに血をぬることをいう。

○気 意気を昂揚させる。

○粗 粗暴。

 

西取邛南兵,北斷劍閣隅。

それから成都の西領域、卭州から以南の異民族兵などを配下に取り、北の方は剣閣の一角を遮断した。

○卭南 卭州は臨卭県、成都の西南二百里(115km)にある、その南に雅州があり、其の地はもと羌に附いていたが徐知道はこれをひきいて乱をおこした。

○剣閣 剣南道剣州(四川省剣閣県)剣門県界(中国歴史地図)剣南道8-③地点)にある、大剣山または梁山ともいう。其の北三十里(17.3km)に小剣山がある。晋の張載が「剣閣銘」をつくったのも此処である。この険阻な要害を見て英雄がこの地を割拠して乱をなしたことを憂慮した気持ちをのべている。

杜甫成都紀行十二首其十『劍閣』

”成都紀行(10)” 剣門 杜甫詩1000 <350#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1691 杜甫1500- 522
剣門関01 

廣徳2年764-22 《草堂 #1》 ふたたび成都 杜甫<662>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3715 杜甫詩1000-662-937/1500756

広徳二年(七六四)三月、長安も、成都も安定し、加えて、厳武が成都に帰って來る。東・西川節度使の幕府のさんぼうとして、杜工部を杜甫のために開設してくれることとなり、杜甫は妻子をつれて、成都の草堂に戻って来た。草堂は荒れていたが、近所の人々は喜んで彼を迎えてくれた。


2014年2月7日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
班孟堅(班固)《東都賦》(31) 文選 賦 賦<113―31>18分割35回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1033 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3713
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《潮州刺史謝上表》(14)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <946>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3714韓愈詩-242-(14) 15分割
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-22 《草堂 #1》 ふたたび成都 杜甫<662>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3715 杜甫詩1000-662-937/1500756
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 278 《遊城南十六首:晚春》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3716 (02/07)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 12 -7 山花子二首 其二  和學士凝二十首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-434-12-#7  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3717
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

廣徳2764-22 《草堂 #1》 ふたたび成都 杜甫<662>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3715 杜甫詩1000-662-937/1500756

 

広徳元年(763)十一月、朝廷居る厳武が、杜甫を京兆功曹に推薦したが、その時、長安が不安定と考え、安定的な江陵に向おうとした。杜甫は、閬州から舟にのって、蜀を出てゆこうと、これをことわった。

広徳二年(七六四)三月、長安も、成都も安定し、加えて、厳武が成都に帰って來る。東・西川節度使の幕府の杜工部を杜甫のために開設してくれることとなり、杜甫は妻子をつれて、成都の草堂に戻って来た。草堂は荒れていたが、近所の人々は喜んで彼を迎えてくれた。もとの犬もよろこんで裾にまといついた。草堂の門に入って、四本の松や、五本の桃の木が、それぞれ生長しているのを見るのも彼をよろこぼせた。彼はここで以前のように静かに耕作して暮らそうと思っていたのだが、厳武は彼を推薦して、節度参謀とし、工部員外部を兼ね、緋魚袋を賜わることになった。

成都の節度使の幕府に移った厳武は、蜀に返ってくると、大いに軍容を盛んにして、九月には吐審七万の兵を破り、当狗城や、塩川城を奪いかえし、西方国境における唐軍の勢いをもり返した。杜甫も詩を作って讃辞を惜しまなかった。厳武も杜甫をいたわり、いつも幕僚と共に宴に招き、韻を分かって詩を作った。

しかし、厳武の好意があればあるほど、幕中の生活は杜甫にとっては楽しいものではなかった。杜甫は、どうしても同僚のものたちと合わないのである。それにまた幕中の生活はかなり忙しく厳しいものであった。毎朝日の出前に役所に入り、世更けて退所するのである。如何に、半官半隠が理想の杜甫にとって他の役人との関係において難しいものであった。

その様子は

遣悶奉呈嚴公二十韻【遣悶奉呈鄭公二十韻】

懷舊

宿府

に見える。

 

 

作時年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 草堂 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都、別名:蜀・ 草堂 ・一室、西郭茅舍。 ・劍閣 (劍南道北部 劍州 劍閣)

 

草堂 #1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。今我歸草堂,成都適無虞。』

#2

請陳初亂時,反復乃須臾。大將赴朝廷,群小起異圖。

中宵斬白馬,盟歃氣已粗。西取邛南兵,北斷劍閣隅。

#3

布衣數十人,亦擁專城居。其勢不兩大,始聞蕃漢殊。

西卒卻倒戈,賊臣互相誅。焉知肘腋禍,自及梟獍徒。』

#4

義士皆痛憤,紀綱亂相逾。一國實三公,萬人欲為魚。

唱和作威福,孰肯辨無辜。眼前列杻械,背後吹笙竽。

#5

談笑行殺戮,濺血滿長衢。到今用鉞地,風雨聞號呼。

鬼妾與鬼馬,色悲充爾。國家法令在,此又足驚籲。』

#6

賤子且奔走,三年望東。弧矢暗江海,難為遊五湖。

不忍竟舍此,複來薙榛蕪。入門四松在,步屟萬竹疏。

#7

舊犬喜我歸,低徊入衣裾。鄰舍喜我歸,酤酒攜胡蘆。

大官喜我來,遣騎問所須。城郭喜我來,賓客隘村墟。』

#8

天下尚未甯,健兒勝腐儒。飄搖風塵際,何地置老夫。

于時見疣贅,骨髓幸未枯。飲啄愧殘生,食薇不敢餘。』

 

 

#1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

今我歸草堂,成都適無虞。』

むかし、わたしが厳武の送別で梓州まで行くに草堂を去った。その後、たまたま、蛮夷の兵が成都へ帰る道を塞いでしまった。

このたび、わたしが草堂に帰る気になったのは、成都が高適の手によって、まさに平穏なところとなったからである。』

 

昔 我れ草堂を去りしとき、蛮夷 成都を塞ぐ。

今 我れ草堂に帰り、成都 虞【おそ】れ無しに適す。』

 

『草堂』 現代語訳と訳註

(本文) #1

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

今我歸草堂,成都適無虞。』

 

(下し文)

(草堂)

昔 我れ草堂を去りしとき、蛮夷 成都を塞ぐ。

今 我れ草堂に帰り、成都 虞【おそ】れ無しに適す。』

 

(現代語訳)

むかし、わたしが厳武の送別で梓州まで行くに草堂を去った。その後、たまたま、蛮夷の兵が成都へ帰る道を塞いでしまった。

このたび、わたしが草堂に帰る気になったのは、成都が高適の手によって、まさに平穏なところとなったからである。』

杏の花01 

 

(訳注) #1

草堂

○草堂 浣花村の草堂。

杜甫が三年ぶりに草堂にもどってきたことをのべた詩。作者は宝応元年夏、厳武が召されて入朝するにつき成都の草堂を離れ綿州にいたった。同年七月に剣南西川兵馬使徐知道が叛き、八月に誅に伏した。当時作者は家族をたずさえて乱を避け梓州に赴いた。其の後、梓・閬の間を往来していたが、広徳二年の春厳武が再び剣南節度使として来任するということをきいて成都へもどってきた。

 

昔我去草堂,蠻夷塞成都。

むかし、わたしが厳武の送別で梓州まで行くに草堂を去った。その後、たまたま、蛮夷の兵が成都へ帰る道を塞いでしまった。

○昔 762年、宝応元年の夏をいう、時に厳武が入朝することになったので杜甫は梓州まで見送りの為草堂を離れた。

○蛮夷 徐知遇は厳武の入朝で後任の高適が成都に入幕する隙をついて、叛乱し、その後、安史の乱の終結の時期に合わせて、吐蕃が隴西に攻め入り、一気に西都から、長安に攻め込んだ。

 

今我歸草堂,成都適無虞。』

このたび、わたしが草堂に帰る気になったのは、成都が高適のてによって、まさに平穏なところとなったからである。』

○適 別の注釈に、たまたまとよませ、偶然にという意味で解釈するものがあるが、まちがい。厳武の成都尹、東・西川節度使赴任に合わせて、完全に平穏になったのを確認して、草堂に帰ったのであって、帰ってみたら偶然にも平穏になっていたというのではない。杜甫は成都が不安定だから梓州、閬州に滞在したのであり、其の地も不安定になりそうであったから、江陵遷都といううわさを信じて安定的な江陵に行こうとしていた。したがって杜甫が「たまたま帰ってみたら」ということはありえないのである。

○無虞 心配ごとがない、平和である、以上は全体についてのべる。


この年(764)の 杜甫の作品成都遂州00

743廣徳2年764-1 《韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖-#2》 蜀中転々 杜甫 <651  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3565 杜甫詩1000-651-907/1500743

743廣徳2年764-1 《韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖-#3》 蜀中転々 杜甫 <652  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3570 杜甫詩1000-652-908/1500

743廣徳2年764-1 《韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖-#4》 蜀中転々 杜甫 <653  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3575 杜甫詩1000-653-909/1500743

744廣徳2年764年―2 《送韋諷上閬州錄事參軍 蜀中転々 杜甫 <651-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3580 杜甫詩1000-651-#1-910/1500744

745廣徳2年764年―2 《送韋諷上閬州錄事參軍》 蜀中転々 杜甫 <651-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3585 杜甫詩1000-651-#2-911/1500745

746廣徳2年764年―3-1 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <652  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3590 杜甫詩1000-652-912/1500 746-1

746廣徳2年764年―3-2 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <653  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3595 杜甫詩1000-653-913/1500746-2

746廣徳2年764年―3-3 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <654  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3600 杜甫詩1000-654-914/1500746-3

746廣徳2年764年―3-4 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <655  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3605 杜甫詩1000-655-915/1500746-4

746廣徳2年764年―3-5 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <656  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3610 杜甫詩1000-656-916/1500746-5

杜甫の人生 蜀中転々 762年~764年にかけて (まとめ)

746廣徳2年764年―4-1 《南池》 蜀中転々 杜甫 <654-1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3620 杜甫詩1000-654-1-918/1500748-1

746廣徳2年764年―4-2 《南池》 蜀中転々 杜甫 <654-2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3625 杜甫詩1000-654-2-919/1500748-2

746廣徳2年764年―4-3 《南池》 蜀中転々 杜甫 <654-3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3630 杜甫詩1000-654-3-920/1500748-3

746廣徳2年764年―4-4 《南池》 蜀中転々 杜甫 <654-4  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3635 杜甫詩1000-654-4-921/1500748-4

746廣徳2年764年―5-#1 《憶昔,二首之一》 蜀中転々 杜甫 <655-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3640 杜甫詩1000-655-1-922/1500749-1

746廣徳2年764年―5-#2 《憶昔,二首之一》 蜀中転々 杜甫 <655-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3645 杜甫詩1000-655-2-923/1500749-2

746廣徳2年764年―6-#1 《憶昔,二首之二》 蜀中転々 杜甫 <656-1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3650 杜甫詩1000-656-1-924/1500 750-1

746廣徳2年764年―6-#2 《憶昔,二首之二》 蜀中転々 杜甫 <656-2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3655 杜甫詩1000-656-2-925/1500750-2

746廣徳2年764年―6-#3 《憶昔,二首之二》#3 蜀中転々 杜甫 <656-3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3660 杜甫詩1000-656-3-926/1500 750-3

廣徳2年764-7-#1 《釋悶》 蜀中転々 杜甫 <657-1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3665 杜甫詩1000-657-1-927/1500751-1

廣徳2年764-7-#2 《釋悶》 蜀中転々 杜甫 <657-2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3670 杜甫詩1000-657-2-928/1500751-2

廣徳2年764-8-1 《贈別賀蘭銛》 蜀中転々 杜甫 <658-1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3675 杜甫詩1000-658-1-929/1500752-1

廣徳2年764-8-2 《贈別賀蘭銛》 蜀中転々 杜甫 <658-2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3680 杜甫詩1000-658-2-930/1500752-2

廣徳2年764-9-1 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3685 杜甫詩1000-659-1-931/1500753-1 4分割

廣徳2年764-9-2 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3690 杜甫詩1000-659-2-932/1500753-2

廣徳2年764-9-3 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3695 杜甫詩1000-659-3-933/1500753-3

 

l   韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖

l   送韋諷上閬州錄事參軍

l   丹青引贈曹將軍霸

l   南池

l   憶昔,二首之一

l   憶昔,二首之二

l   釋悶

l   贈別賀蘭銛

l   別唐十五誡因寄禮部賈侍郎

l   閬山歌

l   閬水歌

l   草堂

l   四松

l   水檻

l   破船

l   揚旗 

l   太子張舍人遺織成褥段

l   過南鄰朱山人水亭

l   寄賀蘭銛

l   觀李固請司馬弟山水圖,三首之一

l   觀李固請司馬弟山水圖,三首之二

l   觀李固請司馬弟山水圖,三首之三

l   題桃樹

l   懷舊

l   有感,五首之一

l   有感,五首之二

l   有感,五首之三

l   有感,五首之四

l   有感,五首之五

l   送李卿曄

l   城上〔空城〕

l   傷春,五首之一

l   傷春,五首之二

l   傷春,五首之三

l   傷春,五首之四

l   傷春,五首之五

l   奉待嚴大夫

l   奉寄高常侍【寄高三十五大夫】

l   奉寄章十侍御【案:自注:時初罷梓州刺史東川留後,將赴朝廷,章彝初為嚴武判官,後為武所殺。武再鎮蜀,彝已入覲,豈未行而殺之耶?】

l   將赴荊南寄別李劍州

l   奉寄別馬巴州【案:自注:時甫除京兆功曹,在東川。】

l   泛江

l   陪王使君晦日泛江就黃家亭子,二首之一

l   陪王使君晦日泛江就黃家亭子,二首之二

l   暮寒

l   雙燕

l   百舌

l   遊子

l   江亭王閬州筵餞蕭遂州

l   句,二首之一

l   句,二首之二

l   滕王【案:元嬰。】亭子【案:自注:亭在玉臺觀。王,高宗調露年中,任閬州刺史。】

l   玉臺觀【案:自注:滕王造。】

l   滕王亭子

l   玉臺觀

l   渡江

l   將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之一【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】

l   將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之二【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】

l   將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之三【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】

l   將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之四【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】

l   將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之五【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】

l   別房太尉墓【案:在閬州。】

l   自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之一

l   自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之二

l   自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之三

l   登樓

l   春歸

l   歸雁

l   贈王二十四侍御契四十韻【案:王契,字佐卿,京兆人。元結有〈送契之西蜀序〉。】

l   寄董卿嘉榮十韻

l   寄司馬山人十二韻

l   黃河,二首之一

l   黃河,二首之二

l   寄李十四員外布十二韻【案:自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。】

l   歸來

l   王錄事許修草堂貲不到聊小詰

l   寄邛州崔錄事

l   過故斛斯校書莊,二首之一【案:自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。】【案:《英華》注:「即斛斯融。」】

l   過故斛斯校書莊,二首之二【案:自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。】【案:《英華》注:「即斛斯融。」】

l   立秋雨院中有作【立秋日雨院中有作】

l   奉和嚴大夫軍城早秋

l   院中晚晴懷西郭茅舍

l   到村

l   宿府

l   遣悶奉呈嚴公二十韻【遣悶奉呈鄭公二十韻】

l   送舍弟頻赴齊州,三首之一【送舍弟潁赴齊州,三首之一】【送舍弟穎赴齊州,三首之一】

l   送舍弟頻赴齊州,三首之二【送舍弟潁赴齊州,三首之二】【送舍弟穎赴齊州,三首之二】

l   送舍弟頻赴齊州,三首之三【送舍弟潁赴齊州,三首之三】【送舍弟穎赴齊州,三首之三】

l   嚴鄭公階下新松【案:得霑字。】

l   嚴鄭公宅同詠竹【案:得香字。】

l   奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻【案:得忘字。】

l   晚秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟【案:得溪字。池在張儀子城。】

l   初冬

l   至後

l   村雨

l   軍中醉飲寄沈八劉叟【案:一作暢當詩。】【案:他集互見。】

l   送司馬入京【案:草堂逸詩拾遺。】

l   收京【收京闕】【案:草堂逸詩拾遺。】

l   巴西聞收宮闕送班司馬入京【案:草堂逸詩拾遺。】

l   陪鄭公秋晚北池臨眺【案:草堂逸詩拾遺。】

l   哭台州鄭司蘇少監【案:草堂逸詩拾遺。】

l   送王侍御往東川放生池祖席【案:草堂逸詩拾遺。】 

廣徳2年764-21 《閬水歌》 蜀中転々 杜甫 <661>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3710 杜甫詩1000-661-936/1500755

《閬水歌》巴のこども達は櫂を動かして舟を横にむきに加減にこぎつつ過ぎ行くし、水雞は魚をくわえて、往ったり来たりして飛んでいる。この閬州の城の南面の風景は天下にめったにないものだ、この絶景をみるにつけてどうしてか故郷の景色に重なり、わたしの腸はちぎれるばかりにかなしくなるのである。


2014年2月6日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
班孟堅(班固)《東都賦》(30)#15(五篇の詩について) 文選 賦 賦<113―30>18分割35回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1032 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3708
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《潮州刺史謝上表》(13)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <945>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3709韓愈詩-242-(13)
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-21 《閬水歌》 蜀中転々 杜甫 <661>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3710 杜甫詩1000-661-936/1500755
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 277 《遊城南十六首:題于賓客莊》 韓愈kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3711 (02/06)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 12 -6 山花子二首 其一 和學士凝二十首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-433-12-#6  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3712
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

廣徳2764-21 《閬水歌》 蜀中転々 杜甫 <661>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3710 杜甫詩1000-661-936/1500755

 

同時期の作品

・閬山歌

・閬水歌

・草堂

・四松

・水檻

・破船

 

作時年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 樂府 (七言歌行)

詩題: 閬水歌 

作地點: 閬州(山南西道 / 閬州 / 閬州

及地點: 閬水 (山南西道 閬州 閬州)     

 

閬水歌

(閬州の城南にあって嘉陵江のうつくしいさまをながめてよんだ歌。)

嘉陵江色何所似,石黛碧玉相因依。

嘉陵江の水の色は何に似ているか、まるで石黛と碧玉とが一緒になり、くっつきあっているようである。

正憐日破浪花出,更複春從沙際歸。

わたしは今ちょうど浪花のあいだから太陽のあらわれ出たのをおもしろいとおもっているが、そのうえちょうど春の時節に自分は沙はらのあたりからこの地にたちかえったのであるからなおさらおもしろいとおもう。

巴童蕩槳欹側過,水雞銜魚來去飛。

巴のこども達は櫂を動かして舟を横にむきに加減にこぎつつ過ぎ行くし、水雞は魚をくわえて、往ったり来たりして飛んでいる。

閬中勝事可腸斷,閬州城南天下稀。

この閬州の城の南面の風景は天下にめったにないものだ、この絶景をみるにつけてどうしてか故郷の景色に重なり、わたしの腸はちぎれるばかりにかなしくなるのである。

翠冠001 

『閬水歌』 現代語訳と訳註

(本文)閬水歌

嘉陵江色何所似,石黛碧玉相因依。

正憐日破浪花出,更複春從沙際歸。

巴童蕩槳欹側過,水雞銜魚來去飛。

閬中勝事可腸斷,閬州城南天下稀。

 

(下し文)

(閬水の歌)

嘉陵の江色 何の似たる所ぞ、石黛 碧玉 相い因り依る。

正に憐れむ日の浪花を破りて貯づるを、更に復た春沙際より帰る。

巴童薬を蕩かして敵側して過ぎ、水難魚を街みて来去して飛ぶ。

間中の勝事腸断ゆるにたえたり、閲州城南は天下に稀なり。

 

(現代語訳)

(閬州の城南にあって嘉陵江のうつくしいさまをながめてよんだ歌。)

嘉陵江の水の色は何に似ているか、まるで石黛と碧玉とが一緒になり、くっつきあっているようである。

わたしは今ちょうど浪花のあいだから太陽のあらわれ出たのをおもしろいとおもっているが、そのうえちょうど春の時節に自分は沙はらのあたりからこの地にたちかえったのであるからなおさらおもしろいとおもう。

巴のこども達は櫂を動かして舟を横にむきに加減にこぎつつ過ぎ行くし、水雞は魚をくわえて、往ったり来たりして飛んでいる。

この閬州の城の南面の風景は天下にめったにないものだ、この絶景をみるにつけてどうしてかこきょうのけしきにかさなり、わたしの腸はちぎれるばかりにかなしくなるのである。

 

(訳注)

閬水歌

(閬州の城南にあって嘉陵江のうつくしいさまをながめてよんだ歌。)広徳二年の作。

○閬水 閬州の川をいう、すなわち嘉陵江。この川の源は陝西省の鳳県の嘉陵谷からでており、閬中県ではその西、南、東の三方を流れる。

山南西道02 

嘉陵江色何所似,石黛碧玉相因依。

嘉陵江の水の色は何に似ているか、まるで石黛と碧玉とが一緒になり、くっつきあっているようである。

○嘉陵江色 素陵江は題の閬水である。江色とはこの地域で作り出す江の水の色をいう。

○石黛 いしずみ、青黒色で女性の眉をえがくのに用いる、これは水の深い処の色をいう。

○碧玉 みどりのぎょく、これは水の浅い場処の色をいう。

○因依 よりそう、くっつきあう。

 

正憐日破浪花出,更複春從沙際歸。

わたしは今ちょうど浪花のあいだから太陽のあらわれ出たのをおもしろいとおもっているが、そのうえちょうど春の時節に自分は沙はらのあたりからこの地にたちかえったのであるからなおさらおもしろいとおもう。

〇日破浪花 浪花のあいだから太陽のあらわれ出たという意味の破とはその中央からでることをいう。

○春従沙際帰 春節にあたって自己が帰って来たこと、帰るとは梓州よりこの閬州にかえったことをいうのであろう

 

巴童蕩槳欹側過,水雞銜魚來去飛。

巴のこども達は櫂を動かして舟を横にむきに加減にこぎつつ過ぎ行くし、水雞は魚をくわえて、往ったり来たりして飛んでいる。

○巴童 土地のこどもら、間中は巴国の地である。

○蕩槳 かいをうごかす、舟をあやつること。

○根側 かたむき、かたむく、水流の急なため舟体がよこになることをいう。

○水雞 くいな。

○銜 口でくわえること。

 

閬中勝事可腸斷,閬州城南天下稀。

この閬州の城の南面の風景は天下にめったにないものだ、この絶景をみるにつけてどうしてかこきょうのけしきにかさなり、わたしの腸はちぎれるばかりにかなしくなるのである。

○勝事 風景のすぐれていることども。

○可腸断 可はたえたりの意、腸断というのは前詩の「中原未ダ帰ラズ」というのと同意で、佳景をみてかえって故郷をおもい悲しんではらわたをたつこと。

○城南 この語によれば作者は城の南面の江水をながめて此の詩をよんだのである。

廣徳2年764-20 《閬山歌》 蜀中転々 杜甫 <660>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3705 杜甫詩1000-660-935/1500754

杜甫《閬山歌》 わたしは中原(洛陽)地方が不安定であるので、いまだに故郷へかえらずにいる、あの山の崖の絶壁のところに茅ぶきの書斎をこしらえるべきと考えている。


2014年2月5日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
班孟堅(班固)《東都賦》(29)#14(東都漢の美点)-4 文選 賦 賦<113―29>18分割35回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1031 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3703
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《潮州刺史謝上表》(12)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <944>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3704韓愈詩-242-(12)
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-20 《閬山歌》 蜀中転々 杜甫 <660>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3705 杜甫詩1000-660-935/1500754
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 276 《遊城南十六首:賽神》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3706 (02/05)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 12 -5 菩薩蠻一首 其一 和學士凝二十首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-432-12-#5  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3707
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

廣徳2764-20 《閬山歌》 蜀中転々 杜甫 <660>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3705 杜甫詩1000-660-935/1500754

 

 

作時年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二○  文體: 樂府 (七言歌行)

詩題: 閬山歌 

関係地点

閬州 (山南西道 閬州 閬州) 別名:閬、巴城     

靈山 (山南西道 閬州 靈山)     

玉臺山 (山南西道 閬州 閬州) 別名:玉臺     

嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高     

華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳     

 

 

閬山歌

閬州城東靈山白,閬州城北玉台碧。

松浮欲盡不盡雲,江動將崩未崩石。

那知根無鬼神會,已覺氣與嵩華敵。

中原格鬥且未歸,應結茅齋看青壁。

閬州の城の東北には霊山が白くみえ、また城の北には玉台山が碧にみえている。

山の松の期には尽きるかと思えども尽きることない雲が浮かんでおり、山の麓に流れるか陵江の水には今にも崩れるかとおもえどもまだくずれずにいるところの石に水が流れ、揺れ動いているようだ。

このありさまを見ると、この山の根もとには神仙のたぐいが集会しているかもしれないし、集会していないということがどうしてわかるか、こうして観たところで、もはや山の高い雲気が嵩山や華山とひとしいかと思える感じがする。

わたしは中原(洛陽)地方が不安定であるので、いまだに故郷へかえらずにいる、あの山の崖の絶壁のところに茅ぶきの書斎をこしらえるべきと考えている。

 

(閬山の歌)

閬州城東 霊山白く、閬州城北玉台碧なり。

松には浮かぶ 尽きんと欲して 尽きざるの雲、江には動く将に崩れんとして 未だ崩れざるの石。

那ぞ知らん根に鬼神の会する無きを、己に覚ゆ気嵩華と敵するを。

中原 格闘 且つ未だ帰らず、応に茅斎を結びて青壁に著くべし。

 

nat0001 

閬山歌』 現代語訳と訳註

(本文)

閬山歌

閬州城東靈山白,閬州城北玉台碧。

松浮欲盡不盡雲,江動將崩未崩石。

那知根無鬼神會,已覺氣與嵩華敵。

中原格鬥且未歸,應結茅齋看青壁。

 

 

(下し文)

(閬山の歌)

閬州城東 霊山白く、閬州城北玉台碧なり。

松には浮かぶ 尽きんと欲して 尽きざるの雲、江には動く将に崩れんとして 未だ崩れざるの石。

那ぞ知らん根に鬼神の会する無きを、己に覚ゆ気嵩華と敵するを。

中原 格闘 且つ未だ帰らず、応に茅斎を結びて青壁に著くべし。

 

 

(現代語訳)

閬州の城の東北には霊山が白くみえ、また城の北には玉台山が碧にみえている。

山の松の期には尽きるかと思えども尽きることない雲が浮かんでおり、山の麓に流れるか陵江の水には今にも崩れるかとおもえどもまだくずれずにいるところの石に水が流れ、揺れ動いているようだ。

このありさまを見ると、この山の根もとには神仙のたぐいが集会しているかもしれないし、集会していないということがどうしてわかるか、こうして観たところで、もはや山の高い雲気が嵩山や華山とひとしいかと思える感じがする。

わたしは中原(洛陽)地方が不安定であるので、いまだに故郷へかえらずにいる、あの山の崖の絶壁のところに茅ぶきの書斎をこしらえるべきと考えている。

 

 

(訳注)

閬山歌

○閬山 閬州の山。

閬州の山を見て感ずる所をのべた。広徳二年間州にあっての作。

梓州において杜甫は、頻繁に周辺の各地に出かけている。その年の秋には綿州に行き、冬には射洪県、通川県に行き、翌年の春には涪城県に出向き、梓州に帰ってくると、すぐまた塩亭県に行く。その次には漢州に出かけて夏まで逗留。秋になると閬州へ行き、冬になって梓州に帰る、という調子である。おそらくこれは、各地の刺史や県令にしたがって、送別、歓迎や游賞の宴に加わって詩を作り、生活の資を得ていたものと思われる。したがってこの時期には送別の作や宴席に陪しての作が多い。

 

閬州城東靈山白,閬州城北玉台碧。

閬州の城の東北には霊山が白くみえ、また城の北には玉台山が碧にみえている。

○閬州 四川省保寧府閬中県、梓潼の南にあたる。

○城東 東とはおおよその方位をいう、実は東北である。

○霊山 現在名雲台山、当時の別名仙穴山といい、閬中県の東北十里にあるという。(e

○玉台 山の名、聞州城北七里にある。

 

松浮欲盡不盡雲,江動將崩未崩石。

山の松の期には尽きるかと思えども尽きることない雲が浮かんでおり、山の麓に流れるか陵江の水には今にも崩れるかとおもえどもまだくずれずにいるところの石に水が流れ、揺れ動いているようだ。

○雲 山上にあるくも。

○江 嘉陵江。

○石 江流に横たわる石。

 

那知根無鬼神會,已覺氣與嵩華敵。

このありさまを見ると、この山の根もとには神仙のたぐいが集会しているかもしれないし、集会していないということがどうしてわかるか、こうして観たところで、もはや山の高い雲気が嵩山や華山とひとしいかと思える感じがする。

○根 山根をいう、深谷の洞窟などをさすのであろう。

○鬼神 神仙をいう。

○会 集合する。

○気 雲気。

○与嵩華敵 嵩華は五岳の中にある中岳嵩山と西岳華山。敵は匹敵、雲気のたちのぼる高さが嵩葦とひとしいことをいう。

 

中原格鬥且未歸,應結茅齋看青壁。

わたしは中原(洛陽)地方が不安定であるので、いまだに故郷へかえらずにいる、あの山の崖の絶壁のところに茅ぶきの書斎をこしらえるべきと考えている。

○中原 洛陽地方。

○格闘 うちあいたたかう、戦争のあることをいう。

○結 構えること。

○茅斉 かやぶきの書斎。

○著 その処にくっつけて置く。

○青壁 あおい山崖の絶壁。

 山南西道02

廣徳2年764-9-4 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-4>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3700 杜甫詩1000-659-4-934/1500753-4

杜甫《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 礼部省にはいま私の親友である賈至がいる。彼は金の盤陀を飾った白馬にのっている。彼の素晴らしい雄筆は千古に映ずる文才の持ち主であるが、賢者を見てはよろこんでそれを迎えてくれる、双こころはもつひとではない。だから君は善く彼に師としつかえなさい、季節が寒くなっても緑の色のもとの枝をたもってかわらぬ操を維持することがよいことでそれに応えてくれる人である。


2014年2月4日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
班孟堅(班固)《東都賦》(28)#14(東都漢の美点)-3 文選 賦 賦<113―28>18分割35回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1030 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3698
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《潮州刺史謝上表》(11)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <943>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3699韓愈詩-242-(11)
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-9-4 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-4>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3700 杜甫詩1000-659-4-934/1500753-4
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 275 《病鴟》 韓愈  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3701 (02/04)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 12 -4 臨江仙二首其二 和學士凝二十首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-431-12-#4  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3702
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

廣徳2764-9-4 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-4  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3700 杜甫詩1000-659-4-934/1500753-4

 

 

別唐十五誡因寄禮部賈侍郎  #1

(唐誡君と別れるによってこの詩を礼部の賈至侍郎に寄せる)#1
 九載一相逢,百年能幾何。

君とは九年もたって、やっと一見することができたのだが、それというのも我々の生涯はたかだか百年というがその年月というものがどれだけのものか。

複為萬里別,送子山之阿。

ところがまた万里のお別れをするということで、君を山の隈まで送ろうとするのである。

白鶴久同林,潛魚本同河。

君とはながらく同じ林野にすんだ白鶴のごとく良い詩を交わし合ったし、また同じ河にひそんでいた魚のように仲間内であったものだ。

未知棲集期,衰老強高歌。

ここでわかれてしまうと、いつまた同じところで棲み同じところに集まり得るかという時期はわからないものである、だから、衰老の身を以て強いて高く歌って別れのこころをのべることにするのである。

#2

歌罷兩淒惻,六龍忽蹉跎。

歌がおわれば君と私の二人とも心に悲しみが湧き、六匹の竜に牽かれた夕日も落ちかかろうとする。

相視發皓白,況難駐羲和。』

互に見返せば白髪あたまに夕日が当たって真白なのだ、ましてこの日脚をひきとめておくことができぬ以上はますます悲し身から逃れること至難のことだ。』

胡星墜燕地,漢將仍橫戈。

異民族で乱れていた燕の地方ではその兵乱のもと、象徴である胡星が墜ちたとはいうことであり、唐王朝の武将どもがまだ戈を横たえて掃討してくれる。

蕭條四海,人少豺虎多。

四海、天下の内は随分静かにはなったが、農地を棄てて人は少なっていて盗賊が多いのである。

#3

少人慎莫投,多虎信所過。

君は人の少ないところへはいりこまぬように用心するしかないのだが、実際には、虎の多いところはとおってみなければわからないというもので用心のしようがないかもしれ無いのだ。

饑有易子食,獸猶畏虞羅。

今、人人は飢えてしまい、安易に子どもを食べるものがあるという。けだものも虞人の網にひっかけられることを畏れている。

子負經濟才,天門鬱嵯峨。

このとき天子の門は幾重にも高くそびえて入る事が難しいものであるが、君ほどの者は経済の才をもってのりきり、天子の門に進んでもらいたい。

飄搖適東周,來往若崩波。』

君がふらふらさまよいつつ東周の地、洛陽へ行きつくならば、そこはまだ安定しておらず、往来する人人が崩れたつ波のごとくみだれていることだろう。』

#4

#4

南宮吾故人,白馬金盤陀。

礼部省にはいま私の親友である賈至がいる。彼は金の盤陀を飾った白馬にのっている。

雄筆映千古,見賢心靡他。

彼の素晴らしい雄筆は千古に映ずる文才の持ち主であるが、賢者を見てはよろこんでそれを迎えてくれる、双こころはもつひとではない。

念子善師事,寒守舊柯。

だから君は善く彼に師としつかえなさい、季節が寒くなっても緑の色のもとの枝をたもってかわらぬ操を維持することがよいことでそれに応えてくれる人である。

為吾謝賈公,病肺臥江沱。』

最後に私の「言伝」をしてもらいたいのは、わたしはいま肺の病を抱いて蜀の錦江や陀水の流れる処に臥しているとことづててもらいたいのだ。』

 

(唐十五誡【かい】に別る、因って礼部の賈侍郎に寄す。)

九載一たび相見て、百年能く幾何ぞ。

復た万里の別を為し、子を送る山の阿。

白鶴久しく林を同じくし、潜魚本河を同じくす。

未だ知らず棲集【せいしゅう】の期を、衰老強いて高歌す。

 

歌罷みて両ながら棲惻し、六竜忽ち蹉跎たり。

相視るに髪皓白なり、況や義和を駐め難きをや。』

胡星 燕地に墜ちしも、漢将 仍お戈を横とう。

蕭條【しょうじょう】たり四海の内、人少なくして豺虎多し。

 

少人には慎みて投ずること莫れ、多虎は信【まこと】に過ぐる所なり。

飢えては子を易えて食する有り、獣すら猶お虞羅【ぐら】を畏る。

子経済の才を負い、天門鬱として嵯峨【さが】たり。

飄搖【ひょうよう】東周に適【ゆ】き、来往 崩波の若くならん。』

 

南宮の吾が故人【こじん】、白馬 金盤の陀。

雄筆 千古に映じ、賢を見ては心 他靡【たひ】し。

念う子が善く師事して、歳寒まで舊柯【きゅうか】を守らんことを。

我が為に賈公に謝せよ、肺を病みて江花に臥すと。』

 

 

『別唐十五誡因寄禮部賈侍郎』 現代語訳と訳註

(本文) #4

南宮吾故人,白馬金盤陀。雄筆映千古,見賢心靡他。

念子善師事,寒守舊柯。為吾謝賈公,病肺臥江沱。』

 

(下し文)

南宮の吾が故人【こじん】、白馬 金盤の陀。

雄筆 千古に映じ、賢を見ては心 他靡【たひ】し。

念う子が善く師事して、歳寒まで舊柯【きゅうか】を守らんことを。

我が為に賈公に謝せよ、肺を病みて江花に臥すと。』

 

 

(現代語訳)

礼部省にはいま私の親友である賈至がいる。彼は金の盤陀を飾った白馬にのっている。

彼の素晴らしい雄筆は千古に映ずる文才の持ち主であるが、賢者を見てはよろこんでそれを迎えてくれる、双こころはもつひとではない。

だから君は善く彼に師としつかえなさい、季節が寒くなっても緑の色のもとの枝をたもってかわらぬ操を維持することがよいことでそれに応えてくれる人である。

最後に私の「言伝」をしてもらいたいのは、わたしはいま肺の病を抱いて蜀の錦江や陀水の流れる処に臥しているとことづててもらいたいのだ。』

 

蜀中転々圖 

(訳注)#4

南宮吾故人,白馬金盤陀。

礼部省にはいま私の親友である賈至がいる。彼は金の盤陀を飾った白馬にのっている。

○南宮 漢代にはひろく尚書の府を南宮といったが、後世は礼部省のことを南宮ということになった、賈至は礼部の役人なので南宮という。

○故人 旧識の人、賈至をさす。

○金盤陀 盤陀は破撃仏像などを鉾かして鋳た金属、銅と金との雜りがね。金盤陀は装飾の実質をいう。杜甫『魏將軍歌』「星躔寶校金盤陀,夜騎天駟超天河。」君は雑金でつくった馬具の装飾の星の動きのようにめぐっている馬にのって天上の河を超えられる。

將軍歌  杜甫kanbuniinkai頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集700- 104

 

雄筆映千古,見賢心靡他。

彼の素晴らしい雄筆は千古に映ずる文才の持ち主であるが、賢者を見てはよろこんでそれを迎えてくれる、双こころはもつひとではない。

見賢 賢は賢人。

○心靡他 邪な二心はない。『詩経、鄘風、柏舟』「死に之るまで矢って他()靡し。」とみえる、ここは信じてくれて、よくもてなしてくれることをいう。

汎彼柏舟、在彼中河。 

湛彼兩髦、實維我儀。

之死矢靡慝。 

母也天只、不諒人只。 

汎たる彼の柏舟、彼の中河に在り。

湛たる彼の兩髦、實に維れ我が儀。

死に之【いた】るまで矢【ちか】って慝【とく】靡し。

母や天や、人を諒とせず。

 

念子善師事,寒守舊柯。

だから君は善く彼に師としつかえなさい、季節が寒くなっても緑の色のもとの枝をたもってかわらぬ操を維持することがよいことでそれに応えてくれる人である。

○師事 師としてつかえる。

〇歳寒守旧 節操をかえぬこと、『論語、子罕第九』「子曰、歳寒。然後知松柏之後彫也。」歳寒くして、然る後に松柏の後れて凋むを知る」とみえる、旧はもとのえだ、守とは同じ色を保っておることをいう。

 

為吾謝賈公,病肺臥江沱。』

最後に私の「言伝」をしてもらいたいのは、わたしはいま肺の病を抱いて蜀の錦江や陀水の流れる処に臥しているとことづててもらいたいのだ。』

○為吾 自分の言伝を賈至にしてもらいたい

○謝 ことわりをいう、あいさつする。

○江陀 江は長江の上流域西都を流れる岷江、錦江をいい、陀は成都の東をながれる陀江、ともに蜀で、長江の上流にある。

成都遂州00

廣徳2年764-9-3 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-3>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3695 杜甫詩1000-659-3-933/1500753-3

《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》#3 天子の門は幾重にも高くそびえて入る事が難しいものであるが、君ほどの者は経済の才をもってのりきり、天子の門に進んでもらいたい。君がふらふらさまよいつつ東周の地、洛陽へ行きつくならば、そこはまだ安定しておらず、往来する人人が崩れたつ波のごとくみだれていることだろう。』

2014年2月3日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
班孟堅(班固)《東都賦》(27)#14(東都漢の美点)-2 文選 賦 賦<113―27>18分割35回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1029 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3693
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
潮州刺史謝上表》(10)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <942>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3694韓愈詩-242-(10)
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-9-3 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-3>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3695 杜甫詩1000-659-3-933/1500753-3
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 274 《人日城南登高》 韓愈  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3696 (02/03)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 12 -3 臨江仙二首 其一  和學士凝二十首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-430-12-#3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3697
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

  

廣徳2764-9-3 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-3>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3695 杜甫詩1000-659-3-933/1500753-3

 

 

作時年: 廣德二年 

寫作時間: 764 

寫作年紀: 53 

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 別唐十五誡因寄禮部賈侍郎【案:賈至。】 

及地點:  天門 (河南道 兗州 泰山)     

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下     

交遊人物/地點: 賈至 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

唐誡 當地交遊(劍南道北部 益州 成都)

 

 

 別唐十五誡因寄禮部賈侍郎  #1

(唐誡君と別れるによってこの詩を礼部の賈至侍郎に寄せる)#1
 九載一相逢,百年能幾何。

君とは九年もたって、やっと一見することができたのだが、それというのも我々の生涯はたかだか百年というがその年月というものがどれだけのものか。

複為萬里別,送子山之阿。

ところがまた万里のお別れをするということで、君を山の隈まで送ろうとするのである。

白鶴久同林,潛魚本同河。

君とはながらく同じ林野にすんだ白鶴のごとく良い詩を交わし合ったし、また同じ河にひそんでいた魚のように仲間内であったものだ。

未知棲集期,衰老強高歌。

ここでわかれてしまうと、いつまた同じところで棲み同じところに集まり得るかという時期はわからないものである、だから、衰老の身を以て強いて高く歌って別れのこころをのべることにするのである。

#2

歌罷兩淒惻,六龍忽蹉跎。

歌がおわれば君と私の二人とも心に悲しみが湧き、六匹の竜に牽かれた夕日も落ちかかろうとする。

相視發皓白,況難駐羲和。』

互に見返せば白髪あたまに夕日が当たって真白なのだ、ましてこの日脚をひきとめておくことができぬ以上はますます悲し身から逃れること至難のことだ。』

胡星墜燕地,漢將仍橫戈。

異民族で乱れていた燕の地方ではその兵乱のもと、象徴である胡星が墜ちたとはいうことであり、唐王朝の武将どもがまだ戈を横たえて掃討してくれる。

蕭條四海,人少豺虎多。

四海、天下の内は随分静かにはなったが、農地を棄てて人は少なっていて盗賊が多いのである。

#3

少人慎莫投,多虎信所過。

君は人の少ないところへはいりこまぬように用心するしかないのだが、実際には、虎の多いところはとおってみなければわからないというもので用心のしようがないかもしれ無いのだ。

饑有易子食,獸猶畏虞羅。

今、人人は飢えてしまい、安易に子どもを食べるものがあるという。けだものも虞人の網にひっかけられることを畏れている。

子負經濟才,天門鬱嵯峨。

このとき天子の門は幾重にも高くそびえて入る事が難しいものであるが、君ほどの者は経済の才をもってのりきり、天子の門に進んでもらいたい。

飄搖適東周,來往若崩波。』

君がふらふらさまよいつつ東周の地、洛陽へ行きつくならば、そこはまだ安定しておらず、往来する人人が崩れたつ波のごとくみだれていることだろう。』

#4

南宮吾故人,白馬金盤陀。雄筆映千古,見賢心靡他。

念子善師事,寒守舊柯。為吾謝賈公,病肺臥江沱。』

 

(唐十五誡【かい】に別る、因って礼部の賈侍郎に寄す。)

九載一たび相見て、百年能く幾何ぞ。

復た万里の別を為し、子を送る山の阿。

白鶴久しく林を同じくし、潜魚本河を同じくす。

未だ知らず棲集【せいしゅう】の期を、衰老強いて高歌す。

 

歌罷みて両ながら棲惻し、六竜忽ち蹉跎たり。

相視るに髪皓白なり、況や義和を駐め難きをや。』

胡星 燕地に墜ちしも、漢将 仍お戈を横とう。

蕭條【しょうじょう】たり四海の内、人少なくして豺虎多し。

 

少人には慎みて投ずること莫れ、多虎は信【まこと】に過ぐる所なり。

飢えては子を易えて食する有り、獣すら猶お虞羅【ぐら】を畏る。

子経済の才を負い、天門鬱として嵯峨【さが】たり。

飄搖【ひょうよう】東周に適【ゆ】き、来往 崩波の若くならん。』

 

南宮の吾が故人【こじん】、白馬 金盤の陀。

雄筆 千古に映じ、賢を見ては心 他靡【たひ】し。

念う子が善く師事して、歳寒まで舊柯【きゅうか】を守らんことを。

我が為に賈公に謝せよ、肺を病みて江花に臥すと。』

 

 

『別唐十五誡因寄禮部賈侍郎』 現代語訳と訳註

(本文)

#3

少人慎莫投,多虎信所過。饑有易子食,獸猶畏虞羅。

子負經濟才,天門鬱嵯峨。飄搖適東周,來往若崩波。』

 

(下し文)

少人には慎みて投ずること莫れ、多虎は信【まこと】に過ぐる所なり。

飢えては子を易えて食する有り、獣すら猶お虞羅【ぐら】を畏る。

子経済の才を負い、天門鬱として嵯峨【さが】たり。

飄搖【ひょうよう】東周に適【ゆ】き、来往 崩波の若くならん。』

 唐長安城図

 

(現代語訳)

君は人の少ないところへはいりこまぬように用心するしかないのだが、実際には、虎の多いところはとおってみなければわからないというもので用心のしようがないかもしれ無いのだ。

今、人人は飢えてしまい、安易に子どもを食べるものがあるという。けだものも虞人の網にひっかけられることを畏れている。

このとき天子の門は幾重にも高くそびえて入る事が難しいものであるが、君ほどの者は経済の才をもってのりきり、天子の門に進んでもらいたい。

君がふらふらさまよいつつ東周の地、洛陽へ行きつくならば、そこはまだ安定しておらず、往来する人人が崩れたつ波のごとくみだれていることだろう。』

 

(訳注)#3

別唐十五誡因寄禮部賈侍郎 2

(唐誡君と別れるによってこの詩を礼部の賈至侍郎に寄せる)

唐誡が洛陽へゆくのに別れ、ついでに礼部侍郎賈至に寄せるためによんだ詩。広徳二年秋の作。

○唐十五誡 唐誡は姓名、十五は排行、誡の事蹟は評かでない、此の時誠は東京(洛陽)に赴いて試験をうけるもののようである、作者はそのために彼を貫至に紹介したのである。

○礼部費侍郎 礼部侍郎賈至をいう。至は宝応二年に尚書左丞となり、広徳二年に礼部侍郡に転じた。同年九月、至は楊棺とともに両京の選挙を分掌した、両都に挙人を試みることは至より始まる。

作者と賈至との関係は密なるものがあったことは末尾に示す詩篇があるのによって知ることができる。

 

少人慎莫投,多虎信所過。

君は人の少ないところへはいりこまぬように用心するしかないのだが、実際には、虎の多いところはとおってみなければわからないというもので用心のしようがないかもしれ無いのだ。

投 我が身をそちらへ投入すること。

信所過 そこをとおってみてやっとそれがほんとうだとわかるであろうという意味であるが、国を揺るがす大泥棒、謀反物は居なくなったが旅人を襲うもの、泊り客を襲うものが多いことを言い、何処にいるかわからないことを言っている。

 

饑有易子食,獸猶畏虞羅。

今、人人は飢えてしまい、安易に子どもを食べるものがあるという。けだものも虞人の網にひっかけられることを畏れている。

○易子食 子どもをとりかえでその内をたべる、吾が子はさすがに食うに忍びないのである、此の事は古くは「左伝」(宜公十五年)に見える。

○虞羅 虞は山沢をつかさどるもの虞人。羅はあみ。

 

子負經濟才,天門鬱嵯峨。

このとき天子の門は幾重にも高くそびえて入る事が難しいものであるが、君ほどの者は経済の才をもってのりきり、天子の門に進んでもらいたい。

○子 唐誠をさす。

○経済才 「経レ国済レ民」(国ヲ経シ民ヲ済り)の才、政治の才をいう。

○天門 君のおいでになる宮城の門をみたてて天の門という。

○鬱 さかんなさま。

○嵯峨 たかいさま。唐誡は試験を受けるためにゆくので、試験の難関が高く妨げることだろうことをいう。

 

飄搖適東周,來往若崩波。』

君がふらふらさまよいつつ東周の地、洛陽へ行きつくならば、そこはまだ安定しておらず、往来する人人が崩れたつ波のごとくみだれていることだろう。』

○東周 古代周のくにであった、洛陽をいう。

○来往 ゆききの人。

○若崩波 紛乱、戦火の中心であったため、安史の乱が集結したといっても城郭は大半が焼失していたのでこのさまをいう。以上は道路ならびに前程に困難のあることをいう。
 洛陽・鄴州00

廣徳2年764-9-2 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3690 杜甫詩1000-659-2-932/1500753-2

杜甫《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》#2 異民族で乱れていた燕の地方ではその兵乱のもと、象徴である胡星が墜ちたとはいうことであり、唐王朝の武将どもがまだ戈を横たえて掃討してくれる。四海、天下の内は随分静かにはなったが、農地を棄てて人は少なっていて盗賊が多いのである。


2014年2月2日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
班孟堅(班固)《東都賦》(26)#14(東都漢の美点)-1 文選 賦 賦<113―26>18分割35回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1028 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3688
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《潮州刺史謝上表》(9) 韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <941>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3689韓愈詩-242-(9)
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-9-2 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3690 杜甫詩1000-659-2-932/1500753-2
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 273 《符讀書城南》 韓愈  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3691 (02/02)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 12 -2 小重山二首其二 和學士凝二十首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-429-12-#2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3692
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

廣徳2764-9-2 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3690 杜甫詩1000-659-2-932/1500753-2

 

 

作時年: 廣德二年 

寫作時間: 764 

寫作年紀: 53 

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 別唐十五誡因寄禮部賈侍郎【案:賈至。】 

及地點:  天門 (河南道 兗州 泰山)     

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下     

交遊人物/地點: 賈至 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

唐誡 當地交遊(劍南道北部 益州 成都)

 

 別唐十五誡因寄禮部賈侍郎  #1

(唐誡君と別れるによってこの詩を礼部の賈至侍郎に寄せる)#1
 九載一相逢,百年能幾何。

君とは九年もたって、やっと一見することができたのだが、それというのも我々の生涯はたかだか百年というがその年月というものがどれだけのものか。

複為萬里別,送子山之阿。

ところがまた万里のお別れをするということで、君を山の隈まで送ろうとするのである。

白鶴久同林,潛魚本同河。

君とはながらく同じ林野にすんだ白鶴のごとく良い詩を交わし合ったし、また同じ河にひそんでいた魚のように仲間内であったものだ。

未知棲集期,衰老強高歌。

ここでわかれてしまうと、いつまた同じところで棲み同じところに集まり得るかという時期はわからないものである、だから、衰老の身を以て強いて高く歌って別れのこころをのべることにするのである。

#2

歌罷兩淒惻,六龍忽蹉跎。

歌がおわれば君と私の二人とも心に悲しみが湧き、六匹の竜に牽かれた夕日も落ちかかろうとする。

相視發皓白,況難駐羲和。』

互に見返せば白髪あたまに夕日が当たって真白なのだ、ましてこの日脚をひきとめておくことができぬ以上はますます悲し身から逃れること至難のことだ。』

胡星墜燕地,漢將仍橫戈。

異民族で乱れていた燕の地方ではその兵乱のもと、象徴である胡星が墜ちたとはいうことであり、唐王朝の武将どもがまだ戈を横たえて掃討してくれる。

蕭條四海,人少豺虎多。

四海、天下の内は随分静かにはなったが、農地を棄てて人は少なっていて盗賊が多いのである。

#3

少人慎莫投,多虎信所過。饑有易子食,獸猶畏虞羅。

子負經濟才,天門鬱嵯峨。飄搖適東周,來往若崩波。』

#4

南宮吾故人,白馬金盤陀。雄筆映千古,見賢心靡他。

念子善師事,寒守舊柯。為吾謝賈公,病肺臥江沱。』

 

(唐十五誡【かい】に別る、因って礼部の賈侍郎に寄す。)

九載一たび相見て、百年能く幾何ぞ。

復た万里の別を為し、子を送る山の阿。

白鶴久しく林を同じくし、潜魚本河を同じくす。

未だ知らず棲集【せいしゅう】の期を、衰老強いて高歌す。

 

歌罷みて両ながら棲惻し、六竜忽ち蹉跎たり。

相視るに髪皓白なり、況や義和を駐め難きをや。』

胡星 燕地に墜ちしも、漢将 仍お戈を横とう。

蕭條【しょうじょう】たり四海の内、人少なくして豺虎多し。

 

少人には慎みて投ずること莫れ、多虎は信【まこと】に過ぐる所なり。

飢えては子を易えて食する有り、獣すら猶お虞羅【ぐら】を畏る。

子経済の才を負い、天門鬱として嵯峨【さが】たり。

飄搖【ひょうよう】東周に適【ゆ】き、来往 崩波の若くならん。』

 

南宮の吾が故人【こじん】、白馬 金盤の陀。

雄筆 千古に映じ、賢を見ては心 他靡【たひ】し。

念う子が善く師事して、歳寒まで舊柯【きゅうか】を守らんことを。

我が為に賈公に謝せよ、肺を病みて江花に臥すと。』

海棠花05 

 

『別唐十五誡因寄禮部賈侍郎』 現代語訳と訳註

(本文) #2

歌罷兩淒惻,六龍忽蹉跎。相視發皓白,況難駐羲和。』

胡星墜燕地,漢將仍橫戈。蕭條四海,人少豺虎多。

 

(下し文)#2

歌罷みて両ながら棲惻し、六竜忽ち蹉跎たり。

相視るに髪皓白なり、況や義和を駐め難きをや。』

胡星 燕地に墜ちしも、漢将 仍お戈を横とう。

蕭條【しょうじょう】たり四海の内、人少なくして豺虎多し。

 

(現代語訳)

歌がおわれば君と私の二人とも心に悲しみが湧き、六匹の竜に牽かれた夕日も落ちかかろうとする。

互に見返せば白髪あたまに夕日が当たって真白なのだ、ましてこの日脚をひきとめておくことができぬ以上はますます悲し身から逃れること至難のことだ。』

異民族で乱れていた燕の地方ではその兵乱のもと、象徴である胡星が墜ちたとはいうことであり、唐王朝の武将どもがまだ戈を横たえて掃討してくれる。

四海、天下の内は随分静かにはなったが、農地を棄てて人は少なっていて盗賊が多いのである。

 

(訳注) #2

別唐十五誡因寄禮部賈侍郎 2

(唐誡君と別れるによってこの詩を礼部の賈至侍郎に寄せる)

唐誡が洛陽へゆくのに別れ、ついでに礼部侍郎賈至に寄せるためによんだ詩。広徳二年秋の作。

○唐十五誡 唐誡は姓名、十五は排行、誡の事蹟は評かでない、此の時誠は東京(洛陽)に赴いて試験をうけるもののようである、作者はそのために彼を貫至に紹介したのである。

○礼部費侍郎 礼部侍郎賈至をいう。至は宝応二年に尚書左丞となり、広徳二年に礼部侍郡に転じた。同年九月、至は楊棺とともに両京の選挙を分掌した、両都に挙人を試みることは至より始まる。

作者と賈至との関係は密なるものがあったことは末尾に示す詩篇があるのによって知ることができる。

杏の白花012 

歌罷兩淒惻,六龍忽蹉跎。

歌がおわれば君と私の二人とも心に悲しみが湧き、六匹の竜に牽かれた夕日も落ちかかろうとする。

〇両 二人ともに。

〇六龍 太陽をいう。日輪は六匹の竜がひくと考えられる。

○蹉跎 つまずくさま、ここは夕日の傾くさまをいう。

 

相視發皓白,況難駐羲和。』

互に見返せば白髪あたまに夕日が当たって真白なのだ、ましてこの日脚をひきとめておくことができぬ以上はますます悲し身から逃れること至難のことだ。』

○駐羲和 義和は古伝説の日輪の車を御する御者の名、鮭は馬をとどめること、駐義和は日脚をとどめ時を経過させぬこと、以上は別れを惜しむことをのべる。

 

胡星墜燕地,漢將仍橫戈。

異民族で乱れていた燕の地方ではその兵乱のもと、象徴である胡星が墜ちたとはいうことであり、唐王朝の武将どもがまだ戈を横たえて掃討してくれる。

○胡星 旗頭ともいう、兵乱の表象とされる、賊徒史朝義をさす、朝義は広徳元年九月幽州の医巫間山の嗣下に溢れ死に、その首は京師に伝えられた。

○燕地 むかしの燕国の地、燕は幽州近接の地である。安禄山の本拠地。

○漢將 唐王朝の武将。

○仍橫戈 戈を横とうとは、戈は刀部分が重いため通常持ち歩く場合、盾にしているが。闘う時には横てに持ち拂うように使う。したがって安史軍の残党を掃討することをいう。

 

蕭條四海,人少豺虎多。

四海、天下の内は随分静かにはなったが、農地を棄てて人は少なっていて盗賊が多いのである。

○人少 安史の乱前の人口が半減、6千万人死亡および逃亡したという。

豺虎 逃亡したものが盗賊になったことをいう。

楊貴妃清華池002 

 

賈至(かし) 718年~772年、安史の乱には、玄宗に従って、蜀に避れる。時に中書舎人であった。閣老とは舎人の牛深きものをいう尊称とし、或は門下省と呼びあう場合の称号とする、賈至をさしていうものである。汝州は河南省南陽府に属する。賈至は河南洛陽の人である。此の詩は中書舎人である貿至が長安から河南の汝州へ刺史として出かけるのを送るために作る。

 

 

送賈閣老出汝州

西掖梧桐樹,空留一院陰。

艱難歸故裡,去住損春心。

宮殿青門隔,雲山紫邏深。

人生五馬貴,莫受二毛侵。

送賈閣老出汝州 杜甫

 

 

寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1448 杜甫詩 700- 447

 

早朝大明宮呈両省僚友 賈至 杜甫の「奉和賈至舍人早朝大明宮」に関連した詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 233

留別賈嚴二閣老兩院補缺 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 275

 

賈至に『嶽陽樓宴王員外貶長沙』というのがあり、別詩題に『作南州有贈』とある。
極浦三春草,高樓萬里心。楚山晴靄碧,湘水暮流深。
忽與朝中舊,同爲澤畔吟。停杯試北望,還欲淚沾襟。

早朝大明宮呈両省僚友 賈至  

賈至が『早朝大明宮呈両省僚友』で「銀燭朝熏紫陌長、禁城春色暁蒼蒼。千條弱柳垂青瑣、百囀流鶯繞建章。劍佩聲髄玉墀歩、衣冠身惹御爐香。共沐恩波鳳池上、朝朝染翰侍君王。」中書省にある池をいう。長安大明宮図確認すると門下省側には龍首池があり、龍のように曲がりくねり長い池がある。賈至は故事にならって鳳池としたのだろう。

 

杜甫「奉和賈至舍人早朝大明宮」   

 

 早朝大明宮呈両省僚友 賈至

銀燭朝熏紫陌長、禁城春色暁蒼蒼。

 銀燭 朝に熏じて 紫陌 長し、禁城の春色 暁に蒼蒼たり。

千條弱柳垂青瑣、百囀流鶯繞建章。

 千条の弱柳は青瑣に垂れ、百囀の流鶯は建章を繞る。

劍佩聲髄玉墀歩、衣冠身惹御爐香。

 剣佩 声を玉墀の歩に随い、衣冠 身には御炉の香を惹けり。

共沐恩波鳳池上、朝朝染翰侍君王。

 共に恩波に沐す 鳳池の上とり、朝朝翰を染めて君王に侍す。

 和賈舎人早朝大明宮之作  王維

絳幘雞人報暁籌、尚衣方進翠雲裘。

 絳幘【こうさく】の鶏人 暁籌【ぎょうちゅう】を報じ、尚衣【しょうい】方【まさ】に進む 翠雲の裘【きゅう】。

九天閶闔開宮殿、万国衣冠拝冕旒。

九天の閶闔(しょうこう) 宮殿を開き、万国の衣冠 冕旒【べんりゅう】を拝す

日色纔臨仙掌動、香煙欲傍袞龍浮。

日色 纔【わず】かに仙掌【せんしょう】に臨んで動き、香煙 傍【そ】わんと欲して袞龍【こんりゅう】浮ぶ。

朝罷須裁五色詔、佩声帰到鳳池頭。

朝【ちょう】罷【や】んで須らく裁すべし 五色の詔、佩声【はいせい】は帰り到る 鳳池の頭【ひとり】。

 奉和中書賈舎人早朝大明宮  岑參

雞鳴紫陌曙光寒,鶯囀皇州春色闌。

 鶏鳴いて紫陌曙光寒し、鶯囁じて皇州春色闌なり。

金闕曉鐘開萬,玉階仙仗擁千官。

 金闕の暁鐘万戸を開き、玉階の仙仗千官を擁す。

花迎劍珮星初落,柳拂旌旗露未乾。

 花は剣侃を迎えて星初めて落ち、柳は旋旗を払って露未だ乾かず。

獨有鳳凰池上客,陽春一曲和皆難。

 独り鳳皇池上の客有り、陽春の一曲和すること皆難し。

 奉和賈至舍人早朝大明宮  杜甫

 賈至舎人が早【つと】に大明宮に朝するを和し奉る

五夜漏聲催曉箭,九重春色醉仙桃。

五夜の漏声【ろうせい】暁箭【ぎょうせん】を催す、九重の春色仙桃【せんとう】酔う。

旌旗日暖龍蛇動,宮殿風微燕雀高。

旌旗【せいき】日 暖【あたた】かにして竜蛇【りゅうだ】動き、宮殿 風 徴【び】にして燕雀【えんじゃく】高し。

朝罷香煙攜滿袖,詩成珠玉在揮毫。

朝【ちょう】罷【や】みて 香煙【こうえん】携【たずさ】えて 袖に満つ、詩成りて珠玉【しゅぎょく】揮毫【きごう】に在り。

欲知世掌絲綸美。池上於今有鳳毛。

世々 絲綸【しりん】掌【つかさど】るの美を知らんと欲せば、地上 今に於て鳳毛【ほうもう】有り。

 

廣徳2年764-9-1 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3685 杜甫詩1000-659-1-931/1500753-1 4分割

《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》#1君とは九年もたって、やっと一見することができたのだが、それというのも我々の生涯はたかだか百年というがその年月というものがどれだけのものか。ところがまた万里のお別れをするということで、君を山の隈まで送ろうとするのである。


2014年2月1日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
班孟堅(班固)《東都賦》(25) 文選 賦 賦<113―25>18分割35回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1027 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3683
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
《潮州刺史謝上表》(8)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <940>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3684韓愈詩-242-(8)
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-9-1 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3685 杜甫詩1000-659-1-931/1500753-1 4分割
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 272 《嘲魯連子》 韓愈  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3686 (02/01)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 12 -1 小重山二首其一 和學士凝二十首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-428-12-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3687
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

廣徳2764-9-1 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3685 杜甫詩1000-659-1-931/1500753-1 4分割

 

 

年: 廣德二年 

寫作時間: 764 

寫作年紀: 53 

卷別: 卷二二○  文體: 五言古詩 

詩題: 別唐十五誡因寄禮部賈侍郎【案:賈至。】 

及地點:  天門 (河南道 兗州 泰山)     

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下     

交遊人物/地點: 賈至 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

唐誡 當地交遊(劍南道北部 益州 成都)
 

 

 別唐十五誡因寄禮部賈侍郎  #1

(唐誡君と別れるによってこの詩を礼部の賈至侍郎に寄せる)#1

九載一相逢,百年能幾何。

君とは九年もたって、やっと一見することができたのだが、それというのも我々の生涯はたかだか百年というがその年月というものがどれだけのものか。

複為萬里別,送子山之阿。

ところがまた万里のお別れをするということで、君を山の隈まで送ろうとするのである。

白鶴久同林,潛魚本同河。

君とはながらく同じ林野にすんだ白鶴のごとく良い詩を交わし合ったし、また同じ河にひそんでいた魚のように仲間内であったものだ。

未知棲集期,衰老強高歌

ここでわかれてしまうと、いつまた同じところで棲み同じところに集まり得るかという時期はわからないものである、だから、衰老の身を以て強いて高く歌って別れのこころをのべることにするのである。

#2

歌罷兩淒惻,六龍忽蹉跎。相視發皓白,況難駐羲和。』

胡星墜燕地,漢將仍橫戈。蕭條四海,人少豺虎多。

#3

少人慎莫投,多虎信所過。饑有易子食,獸猶畏虞羅。

子負經濟才,天門鬱嵯峨。飄搖適東周,來往若崩波。』

#4

南宮吾故人,白馬金盤陀。雄筆映千古,見賢心靡他。

念子善師事,寒守舊柯。為吾謝賈公,病肺臥江沱。』

 

(唐十五誡【かい】に別る、因って礼部の賈侍郎に寄す。)

九載一たび相見て、百年能く幾何ぞ。

復た万里の別を為し、子を送る山の阿。

白鶴久しく林を同じくし、潜魚本河を同じくす。

未だ知らず棲集【せいしゅう】の期を、衰老強いて高歌す。

 

歌罷みて両ながら棲惻し、六竜忽ち蹉跎たり。

相視るに髪皓白なり、況や義和を駐め難きをや。』

胡星 燕地に墜ちしも、漢将 仍お戈を横とう。

蕭條【しょうじょう】たり四海の内、人少なくして豺虎多し。

 

少人には慎みて投ずること莫れ、多虎は信【まこと】に過ぐる所なり。

飢えては子を易えて食する有り、獣すら猶お虞羅【ぐら】を畏る。

子経済の才を負い、天門鬱として嵯峨【さが】たり。

飄搖【ひょうよう】東周に適【ゆ】き、来往 崩波の若くならん。』

 

南宮の吾が故人【こじん】、白馬 金盤の陀。

雄筆 千古に映じ、賢を見ては心 他靡【たひ】し。

念う子が善く師事して、歳寒まで舊柯【きゅうか】を守らんことを。

我が為に賈公に謝せよ、肺を病みて江花に臥すと。』

 

denen05520 

『別唐十五誡因寄禮部賈侍郎』 現代語訳と訳註

(本文)#1

九載一相逢,百年能幾何。複為萬里別,送子山之阿。

白鶴久同林,潛魚本同河。未知棲集期,衰老強高歌。

 

(下し文)

(唐十五誡【かい】に別る、因って礼部の賈侍郎に寄す。)

九載一たび相見て、百年能く幾何ぞ。

復た万里の別を為し、子を送る山の阿。

白鶴久しく林を同じくし、潜魚本河を同じくす。

未だ知らず棲集【せいしゅう】の期を、衰老強いて高歌す。

 

(現代語訳)

(唐誡君と別れるによってこの詩を礼部の賈至侍郎に寄せる)#1

君とは九年もたって、やっと一見することができたのだが、それというのも我々の生涯はたかだか百年というがその年月というものがどれだけのものか。

ところがまた万里のお別れをするということで、君を山の隈まで送ろうとするのである。

君とはながらく同じ林野にすんだ白鶴のごとく良い詩を交わし合ったし、また同じ河にひそんでいた魚のように仲間内であったものだ。

ここでわかれてしまうと、いつまた同じところで棲み同じところに集まり得るかという時期はわからないものである、だから、衰老の身を以て強いて高く歌って別れのこころをのべることにするのである。

成都遂州002 

(訳注)

別唐十五誡因寄禮部賈侍郎 #1

(唐誡君と別れるによってこの詩を礼部の賈至侍郎に寄せる)

唐誡が洛陽へゆくのに別れ、ついでに礼部侍郎賈至に寄せるためによんだ詩。広徳二年秋の作。

○唐十五誡 唐誡は姓名、十五は排行、誡の事蹟は評かでない、此の時誠は東京(洛陽)に赴いて試験をうけるもののようである、作者はそのために彼を貫至に紹介したのである。

○礼部費侍郎 礼部侍郎賈至をいう。至は宝応二年に尚書左丞となり、広徳二年に礼部侍郡に転じた。同年九月、至は楊棺とともに両京の選挙を分掌した、両都に挙人を試みることは至より始まる。

作者と賈至との関係は密なるものがあったことは末尾に示す詩篇があるのによって知ることができる。

 

九載一相逢,百年能幾何。

君とは九年もたって、やっと一見することができたのだが、それというのも我々の生涯はたかだか百年というがその年月というものがどれだけのものか。

○阿 曲隅(くま)をいう。

複為萬里別,送子山之阿。

ところがまた万里のお別れをするということで、君を山の隈まで送ろうとするのである。

 

白鶴久同林,潛魚本同河。

君とはながらく同じ林野にすんだ白鶴のごとく良い詩を交わし合ったし、また同じ河にひそんでいた魚のように仲間内であったものだ。

〇白鶴・潜魚 詩人のグループの喩えとして用いる。この頃の詩人は仲間・グループ・徒党内で集まって詠みあった。

 

未知棲集期,衰老強高歌。

ここでわかれてしまうと、いつまた同じところで棲み同じところに集まり得るかという時期はわからないものである、だから、衰老の身を以て強いて高く歌って別れのこころをのべることにするのである。

○棲集 同じところで棲み同じところに集まる、棲の字は鶴についていい、集の字は魚についていうのである。

楊貴妃清華池002 

 

賈至(かし) 718年~772年、安史の乱には、玄宗に従って、蜀に避れる。時に中書舎人であった。閣老とは舎人の牛深きものをいう尊称とし、或は門下省と呼びあう場合の称号とする、賈至をさしていうものである。汝州は河南省南陽府に属する。賈至は河南洛陽の人である。此の詩は中書舎人である貿至が長安から河南の汝州へ刺史として出かけるのを送るために作る。

 

 

送賈閣老出汝州

西掖梧桐樹,空留一院陰。

艱難歸故裡,去住損春心。

宮殿青門隔,雲山紫邏深。

人生五馬貴,莫受二毛侵。

送賈閣老出汝州 杜甫

 

 

寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1448 杜甫詩 700- 447

 

早朝大明宮呈両省僚友 賈至 杜甫の「奉和賈至舍人早朝大明宮」に関連した詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 233

留別賈嚴二閣老兩院補缺 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 275

 

賈至に『嶽陽樓宴王員外貶長沙』というのがあり、別詩題に『作南州有贈』とある。
極浦三春草,高樓萬里心。楚山晴靄碧,湘水暮流深。
忽與朝中舊,同爲澤畔吟。停杯試北望,還欲淚沾襟。

早朝大明宮呈両省僚友 賈至  

賈至が『早朝大明宮呈両省僚友』で「銀燭朝熏紫陌長、禁城春色暁蒼蒼。千條弱柳垂青瑣、百囀流鶯繞建章。劍佩聲髄玉墀歩、衣冠身惹御爐香。共沐恩波鳳池上、朝朝染翰侍君王。」中書省にある池をいう。長安大明宮図確認すると門下省側には龍首池があり、龍のように曲がりくねり長い池がある。賈至は故事にならって鳳池としたのだろう。

 

杜甫「奉和賈至舍人早朝大明宮」   

 

 早朝大明宮呈両省僚友 賈至

銀燭朝熏紫陌長、禁城春色暁蒼蒼。

 銀燭 朝に熏じて 紫陌 長し、禁城の春色 暁に蒼蒼たり。

千條弱柳垂青瑣、百囀流鶯繞建章。

 千条の弱柳は青瑣に垂れ、百囀の流鶯は建章を繞る。

劍佩聲髄玉墀歩、衣冠身惹御爐香。

 剣佩 声を玉墀の歩に随い、衣冠 身には御炉の香を惹けり。

共沐恩波鳳池上、朝朝染翰侍君王。

 共に恩波に沐す 鳳池の上とり、朝朝翰を染めて君王に侍す。

 和賈舎人早朝大明宮之作  王維

絳幘雞人報暁籌、尚衣方進翠雲裘。

 絳幘【こうさく】の鶏人 暁籌【ぎょうちゅう】を報じ、尚衣【しょうい】方【まさ】に進む 翠雲の裘【きゅう】。

九天閶闔開宮殿、万国衣冠拝冕旒。

九天の閶闔(しょうこう) 宮殿を開き、万国の衣冠 冕旒【べんりゅう】を拝す

日色纔臨仙掌動、香煙欲傍袞龍浮。

日色 纔【わず】かに仙掌【せんしょう】に臨んで動き、香煙 傍【そ】わんと欲して袞龍【こんりゅう】浮ぶ。

朝罷須裁五色詔、佩声帰到鳳池頭。

朝【ちょう】罷【や】んで須らく裁すべし 五色の詔、佩声【はいせい】は帰り到る 鳳池の頭【ひとり】。

 奉和中書賈舎人早朝大明宮  岑參

雞鳴紫陌曙光寒,鶯囀皇州春色闌。

 鶏鳴いて紫陌曙光寒し、鶯囁じて皇州春色闌なり。

金闕曉鐘開萬,玉階仙仗擁千官。

 金闕の暁鐘万戸を開き、玉階の仙仗千官を擁す。

花迎劍珮星初落,柳拂旌旗露未乾。

 花は剣侃を迎えて星初めて落ち、柳は旋旗を払って露未だ乾かず。

獨有鳳凰池上客,陽春一曲和皆難。

 独り鳳皇池上の客有り、陽春の一曲和すること皆難し。

 奉和賈至舍人早朝大明宮  杜甫

 賈至舎人が早【つと】に大明宮に朝するを和し奉る

五夜漏聲催曉箭,九重春色醉仙桃。

五夜の漏声【ろうせい】暁箭【ぎょうせん】を催す、九重の春色仙桃【せんとう】酔う。

旌旗日暖龍蛇動,宮殿風微燕雀高。

旌旗【せいき】日 暖【あたた】かにして竜蛇【りゅうだ】動き、宮殿 風 徴【び】にして燕雀【えんじゃく】高し。

朝罷香煙攜滿袖,詩成珠玉在揮毫。

朝【ちょう】罷【や】みて 香煙【こうえん】携【たずさ】えて 袖に満つ、詩成りて珠玉【しゅぎょく】揮毫【きごう】に在り。

欲知世掌絲綸美。池上於今有鳳毛。

世々 絲綸【しりん】掌【つかさど】るの美を知らんと欲せば、地上 今に於て鳳毛【ほうもう】有り。

プロフィール

紀 頌之

Twitter プロフィール
記事検索
最新記事(画像付)
最新記事
記事検索
カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
QRコード
QRコード
記事検索
  • ライブドアブログ