杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
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2014年04月

廣徳2年764-83 《玉臺觀二首其二》 杜甫index-14 764年 杜甫<759> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4125 杜甫詩1500-759-996/250047

光が射すこの地は秦の蕭史がとどまるほどの所であり、書きつけてある文章は魯の恭王が残しておかれたもののようである。王子喬のような「笙鶴」伝説があるという。この山の頂上に、時折笙の笛を吹く仙人が鶴に乗って來るという、ここが仙郷ということなのだ。

        
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廣徳2764-83 《玉臺觀二首其二》 杜甫index-14 764年 杜甫<759> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4125 杜甫詩1500-759-996/250047

 

 

年:  764  廣德二年  53

卷別:巻十三  卷二二八  文體: 五言律詩 

詩題:玉臺觀二首其二 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  玉臺觀 (山南西道 閬州 閬州)     

 

 

玉臺觀二首其二

(昔の伝説とその人物に滕王に喩えて褒め称えた詩、その二)

浩劫因王造,平臺訪古遊。 

広範囲にわたる災禍を鎮めるために滕王はここに寺観をつくったのであるが、この平台に昔の人が遊んだあとを訪ねてみるとそれがよくわかる。

綵雲蕭史駐,文字魯恭留。 

五光が射すこの地は秦の蕭史がとどまるほどの所であり、書きつけてある文章は建築物を能くつくった漢代の魯の恭王が残しておかれたもののようである。

宮闕通群帝,乾坤到十洲。 

この寺観の御門は多くの仙人たちでさえ大いにここを通ることに満足するものであり、そのおおらかさは天地において仙郷の十洲のそれぞれに到達するほどのものである。

人傳有笙鶴,時過此山頭。 

このあたりの人は王子喬のような「笙鶴」伝説があるという。この山の頂上に、時折笙の笛を吹く仙人が鶴に乗って來るという、ここが仙郷ということなのだ。

 

(玉台観 二首其の一)

浩劫【こうごう】 王の造るに因る,平臺 古遊を訪【いざな】う。 

綵雲 蕭史 駐り,文字 魯恭 留む。 

宮闕 群帝を通ず,乾坤 十洲に到る。 

人傳う 笙鶴有るを,時に 此山の頭を過るを。  


王屋山00 

『玉臺觀二首其二』 現代語訳と訳註

(本文)

玉臺觀二首其二

浩劫因王造,平臺訪古遊。 

綵雲蕭史駐,文字魯恭留。 

宮闕通群帝,乾坤到十洲。 

人傳有笙鶴,時過此山頭。 

 

 

(下し文)

(玉台観 二首其の一)

浩劫【こうごう】 王の造るに因る,平臺 古遊を訪【いざな】う。 

綵雲 蕭史 駐り,文字 魯恭 留む。 

宮闕 群帝を通ず,乾坤 十洲に到る。 

人傳う 笙鶴有るを,時に 此山の頭を過るを。 

 

(現代語訳)

(昔の伝説とその人物に滕王に喩えて褒め称えた詩、その二)

広範囲にわたる災禍を鎮めるために滕王はここに寺観をつくったのであるが、この平台に昔の人が遊んだあとを訪ねてみるとそれがよくわかる。

五光が射すこの地は秦の蕭史がとどまるほどの所であり、書きつけてある文章は建築物を能くつくった漢代の魯の恭王が残しておかれたもののようである。

この寺観の御門は多くの仙人たちでさえ大いにここを通ることに満足するものであり、そのおおらかさは天地において仙郷の十洲のそれぞれに到達するほどのものである。

このあたりの人は王子喬のような「笙鶴」伝説があるという。この山の頂上に、時折笙の笛を吹く仙人が鶴に乗って來るという、ここが仙郷ということなのだ。

 

(訳注)

玉臺觀二首其二

(昔の伝説とその人物に滕王に喩えて褒め称えた詩、その二) 

 

浩劫因王造,平臺訪古遊。 

広範囲にわたる災禍を鎮めるために滕王はここに寺観をつくったのであるが、この平台に昔の人が遊んだあとを訪ねてみるとそれがよくわかる。

・浩劫 大規模な災害をいい,広範囲にわたる災禍十年浩劫10年にわたる災禍のこと。

・王造 滕王はここに寺観をつくった。

・平臺 玉臺観のこと。

・古遊 古跡を観賞してあるく。

 

綵雲蕭史駐,文字魯恭留。 

五光が射すこの地は秦の蕭史がとどまるほどの所であり、書きつけてある文章は建築物を能くつくった漢代の魯の恭王が残しておかれたもののようである。

綵雲 五色の雲。この場所の威厳を増す効果を示すもの。

・蕭史 蕭史という蕭(管楽器)の名人が居た。その音色は鳳凰の鳴き声の様であった。弄玉もまた蕭を吹くので、穆公は二人を結婚させた。何年も経った後に弄玉の吹奏も鳳の声のようになり、鳳凰が来てその家に止まった。『玉臺観二首其一』にものべる。

・駐 蕭史がここに留まること。

・魯恭 漢代の魯の恭王が建築物を能くつくり、霊光殿を作ったことを滕王に比す。

 

宮闕通群帝,乾坤到十洲。 

この寺観の御門は多くの仙人たちでさえ大いにここを通ることに満足するものであり、そのおおらかさは天地において仙郷の十洲のそれぞれに到達するほどのものである。

・通群帝 多くの仙人たちがここを往来する。

・乾坤 天地において。

・十洲 仙郷のこと。

 

人傳有笙鶴,時過此山頭。 

このあたりの人は王子喬のような「笙鶴」伝説があるという。この山の頂上に、時折笙の笛を吹く仙人が鶴に乗って來るという、ここが仙郷ということなのだ。

・笙鶴 鶴に乗って昇天したといわれる神仙で、周の霊王(在位前572~前545)の38人の子の一人である太子晋のこと。王喬ともいう。伝説によると、王子喬は若くから才能豊かで、笙を吹いては鳳凰が鳴くような音を出すことができた。伊水、洛水(河南省洛陽南部)あたりを巡り歩いていたとき、道士の浮丘公に誘われ中岳嵩山に入り、帰らなくなった。それから30年以上後、友人の桓良が山上で王子喬を探していると、ふいに本人が現れ、「7月7日に緱氏山(こうしざん)の頂上で待つように家族に伝えてくれ」といった。 その日、家族がいわれたとおり山に登ると、王子喬が白鶴に乗って山上に舞い降りた。だが、山が険しく家族は近づくことができなかった。と、王子喬は手を上げて家族に挨拶し、数日後白鶴に乗って飛び去ったという。 そこで、人々は緱氏山の麓や嵩山の山頂に祠を建てて、王子喬を祀ったといわれている。

・此山頭 閬州城北七里玉台山のこと。

 

 

詩文(含異文)

浩劫因王造【浩劫因王起】,平臺訪古遊。

綵雲蕭史駐,文字魯恭留。

宮闕通群帝,乾坤到十洲。

人傳有笙鶴,時過此山頭【時過北山頭】。 

蜀中転々圖 

 

 

 

 

 

 

 

○玄都壇 玄都とは道家のかんがえた一つの仙郷。「十洲記」に「玄洲ハ北海二在り、岸ヲ去ルコト三十六万里、上二大玄都有り、仙伯真公ノ治ムル所ナリ」とある。玄都壇は漢の武帝の築く所で長安の南山の子牛谷の中に在る。元逸人はここに隠れていたのである。

--- 

東海 祖州・・・方円五百里にして中國東方七万里という。不死の草あり。死者の上にその草を置くだけでよみがえるのである。

②東方大海中 瀛州・・・方円四千里。揚子江口から七十万里という。神芝仙草というのが生えている。また、玉石ありて高さ一千丈という。酒の味がする玉醴泉がある。これを飲むと長生するといい、神仙の家が多い。

③北海 玄州・・・中國の北西の間の方向に、三十六万里離れて在り。方円七千二百里。崑崙山のかなたにある。山々にかこまれ太玄都がある。神仙である真君が支配しているという。しかし、その太玄都近くに風山がある。この山には大いなる風が吹き止むことなく、また雷電の音と光が絶えるときがない。この山の上に天地の西北の門があるの。その門から、時に多数の大きな仙人たちの住居が見える。

④南海 炎州・・・中國から南へ九万里、方円二千里。この世界には不思議なドウブツがいるので名高い。

⑤南海 長州・・・中國の南東二十万里、方円五千里。山川が多く、森に覆われている。森には巨木多く、二千人で抱えてようやく一回りできるような大きなものもある。森が多いことから「青丘」とも言われる。仙草、霊薬、甘液、玉英を産する。

この大陸にも風山があり、その山はつねに震動し、轟々とうなっている。

⑥北海 元州・・・中國の北方十万里、方円三千里。この大陸には五芝玄澗と名づけられる谷があって、そこの水は蜜のように甘く、長生の効能がある。またこの谷に生えている五芝の方にも長生の効能があるのである。

⑦西海 流州・・・中國の西方十九万里、方円三千里。多くの山と川があるのであるが、特に大きな石の嶺があり「崑吾」と名づけられている。この露頭から掘削される鉄鉱を用いて製せられた剣は光かがやいてしかも透き通りまるで水晶のごとしという。この剣を以って玉を斬ればまるで泥を斬るようだとのこと。

⑧東海 生州・・・中國の東北方二十三万里、方円二千五百里。(蓬莱を離れること七十万里、ともいうのですが、蓬莱とチュウゴクと、この生洲との位置関係がよくわからない。)数万の神仙が住むといい、天気は常に晴朗で温暖、寒暑なく、万物がいつも生長しやすい環境にある。もちろん長生に資する霊芝や仙草もどんどこ成長する。飲み水もとても甘いという。

⑨西海 鳳鱗州・・・方円一千五百里。四方を波風の無い海の囲まれているゆえ人間には渡ることができないらしい。ここには鳳凰・麒麟が何万と住んでいる。もちろん神仙も多く住んでおられるのだ。鳳凰のくちばしと麒麟の角を煮て作ったにかわがあり、切断した弓の弦や刀をつなぎあわせることができるという。

⑩西海 集窟州・・・中國の西南、崑崙を離れること南に二十六万里、中國を離れること西に二十四万里という。神仙が多く住んで数え尽くせない。この大陸には獅子、避邪、サク歯、天鹿、長牙、銅頭、鉄額といった動物、人間の頭を持つ鳥がいる。この鳥の住む山を人鳥山というが、人鳥山には楓に似た樹木あり、還魂樹とよばれ、この木は香りがよい。

 

 

元都壇歌寄元逸人

故人昔隱東蒙峰,已佩含景蒼精龍。

故人今居子午穀,獨在陰崖結茅屋。』

屋前太古元都壇,青石漠漠常風寒。

子規夜啼山竹裂,王母晝下雲旗翻。』

知君此計誠長往,芝草瑯玕日應長。

鐵鎖高垂不可攀,致身福地何蕭爽。』

 

我が旧友たる君は昔東蒙峰にかくれていた頃から己に姿隠しの御守り札などを佩びた人のようであった。

君は、今、子牛谷に住んでいて、ただひとり北向きの崖に茅屋の庵を結んでいる。』

その茅屋の前には太古からあるらしい玄都壇があって、青色の石が平べったく横わり、吹きくる風はいつもつめたい。

夜にはほととぎすが啼いて山の竹が裂ける様な声をだし、昼は西王母の道士、仙人が雲旗をひるがえして天から下ってくる。』

君は世間に認知された、かかる山中の修行を計っては永久に自然界と一体化されているのである。そこでは気を吸い、霞をたべ、芝草や瑯玕の仙草が日々生長していることであろう。

そこへ行くには懸崖絶壁で鉄のくさりが高く垂れていてよじのぼることもできない。さような道教の福地というべきところに身を置くというはなんと「蕭爽な気」を身に吸い込んで一体化していくのであろう。』

 

玄都壇の歌元逸人に寄す

故人昔隠る東蒙峰、己に佩ぶ含景の蒼精竜。

故人今居る子牛谷、独り陰崖に在って茅屋を結ぶ。』

屋前太古の玄都壇、青石漠漠として常に風寒し。

子規夜啼いて山竹裂け、王母昼下りて雲旗翻る。』

知る君が此の計長往を成すを、芝草瑯玕日に応に長ずるなるべし。

鐵鎖高く垂れて攣す可からず、身を福地に致す何ぞ粛爽なる。』

廣徳2年764-82 《滕王亭子二首其二》 杜甫index-14 764年 <758> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4120 杜甫詩1500-758-995/2500

滕王亭子二首其二 杜甫≫ここに至る春の山の路はひっそりとしている。そこには膝王君はふたたびおでかけにはならないだろう。しかし古い牆にはいまだにむかしながらの竹の色がみえる、だれも居ない閣にはひとりでに松風の音がひびいている。


        
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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廣徳2764-82 《滕王亭子二首其二 杜甫index-14 764 <758> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4120 杜甫詩1500-758-995/2500

 

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別:巻十三 卷二二八  文體: 七言律詩 

詩題:滕王亭子

作地點:目前尚無資料 

及地點:  滕王亭子 (山南西道 閬州 閬州)   巴山 (山南西道 峽州 巴山

【自注:亭在玉臺觀。王,高宗調露年中,任閬州刺史。】

杏の白花012 

 

滕王亭子膝王に弔古の意を写した。)

(滕王のたてた亭にあそんでいにしえのことを思ったことを述べる。)

〔亭在玉臺觀王,高宗調露年中,任閬州刺史。王曾典此州。〕

〔この亭は道教の玉臺觀のに建てられている。滕王は高宗の治世の調露年間に閬州刺史ににんぜられている。滕王はかつてこの州をつかさどる。〕

君王台榭枕巴山,萬丈丹梯尚可攀。

膝王君のお築きになった台樹は閬州城北の山にさしかかってたっている、そこは今も万丈の丹梯をつたってよじることができる。

春日鶯啼修竹裏,仙家犬吠白雲間。

のぼってみれば春日であって、鶯が背の高い竹林のなかで鳴いており、仙郷の家で藥皿を舐めた犬が吠えて雲間に昇天しつつある。

清江錦石傷心麗,嫩蕊濃花滿目班。

水清き嘉陵江辺の錦石はうるわしいがそれをみると心が傷んでくる、そして、みずみずしい花蕊をもった濃い色の花が眼にうつり、みるかぎりまだら模様をなして咲いている。

人到於今歌出牧,來遊此地不知還。

今日にいたるもこの州の人民は「王がこの州を支配しておられたころには、この地(玉台山)へ遊びにこられておかえりになることをも知らずにおられた」ということを歌にいいあらわしている。

 

(滕王の亭子)

〔亭は玉臺觀の。王,高宗の調露年中に,閬州刺史に任ぜらる。〕

君王の台樹 巴山に枕し、万丈の丹梯 尚お 攀ず可し。

春日 鶯啼く 修竹の裏、仙家 犬吠ゆ 白雲の間。

清江の錦石 傷心麗わしく、嫩蕊の濃花 満目 斑なり。

人今に到るも出牧せしとき、「此の地に来遊して還るを知らざりき」と歌う。

 

滕王亭子二首其二 前作とおなじく弔古の意を写した。

(滕王のたてた亭にあそんでいにしえのことを思ったことを述べる。その二)

寂寞春山路,君王不復行。

ここに至る春の山の路はひっそりとしている。そこには膝王君はふたたびおでかけにはならないだろう。

古牆猶竹色,閣自松聲。

しかし古い牆にはいまだにむかしながらの竹の色がみえる、だれも居ない閣にはひとりでに松風の音がひびいている。

鳥雀荒村暮,雲霞過客情。

ここ荒れた村も夕ぐれになると鳥や雀が啼きさわいでいる、この夕ばえの雲霞がひろがっていると誰もが旅人の感情になって通り過ぎるだろう。

尚思歌吹入,千騎把霓旌。

いまさえ、なお、むかし王が、「千騎の兵が虹色の旗をかかげつつ」という曲を歌と吹奏楽を奏でてこの亭にはいってこられるだろうとしのばれるのである。

(滕王亭子二首其の二)

寂寞たり春山の路、君王復た行かず。

古牆 猶お竹色、虚閣 自ずから松声。

鳥雀 荒村の暮、雲霞 過客の情。

尚お 思う歌吹入りて、「千騎 霓旌を把ませしこと」を。

蜀中転々圖 

『滕王亭子二首其二』 現代語訳と訳註

(本文)

滕王亭子二首其二

寂寞春山路,君王不復行。

古牆猶竹色,虛閣自松聲。

鳥雀荒村暮,雲霞過客情。

尚思歌吹入,千騎把霓旌。

 

(下し文)

(滕王亭子二首其の二)

寂寞たり春山の路、君王復た行かず。

古牆 猶お竹色、虚閣 自ずから松声。

鳥雀 荒村の暮、雲霞 過客の情。

尚お 思う歌吹入りて、千騎 霓旌を把ませしことを。

 

(現代語訳)

(滕王のたてた亭にあそんでいにしえのことを思ったことを述べる。その二)

ここに至る春の山の路はひっそりとしている。そこには膝王君はふたたびおでかけにはならないだろう。

しかし古い牆にはいまだにむかしながらの竹の色がみえる、だれも居ない閣にはひとりでに松風の音がひびいている。

ここ荒れた村も夕ぐれになると鳥や雀が啼きさわいでいる、この夕ばえの雲霞がひろがっていると誰もが旅人の感情になって通り過ぎるだろう。

いまさえなおむかし王が、「千騎の兵が虹色の旗をかかげつつ」という曲を歌と吹奏楽を奏でてこの亭にはいってこられるだろうとしのばれるのである。

 

(訳注)

滕王亭子二首其二

(滕王のたてた亭にあそんでいにしえのことを思ったことを述べる。その二)

〔亭在玉臺觀。王,高宗調露年中,任閬州刺史。王曾典此州。〕

〔この亭は道教の玉臺觀のに建てられている。滕王は高宗の治世の調露年間に閬州刺史ににんぜられている。滕王はかつてこの州をつかさどる。〕

○滕王 名は元嬰、高祖二十二子、調露年間に寿州の刺史より隆州の刺史に移った、隆州は後に先天二年に玄宗の諱(隆基)を避けて閬州と改められた。

○玉臺觀 閬州城北七里玉臺山にある道教の寺観。同時期に玉臺觀という詩がある。

○調露(ちょうろ)は、唐の高宗李治の治世に使用された元号。679 - 680年。

○典 つかさどる、州の長官である刺史に任ぜられたことをいう。

 

寂寞春山路,君王不復行。

ここに至る春の山の路はひっそりとしている。そこには膝王君はふたたびおでかけにはならないだろう。

○君王 膝王。

 

古牆猶竹色,虛閣自松聲。

しかし古い牆にはいまだにむかしながらの竹の色がみえる、だれも居ない閣にはひとりでに松風の音がひびいている。

○虚閣 人のいない小閣。

 

鳥雀荒村暮,雲霞過客情。

ここ荒れた村も夕ぐれになると鳥や雀が啼きさわいでいる、この夕ばえの雲霞がひろがっていると誰もが旅人の感情になって通り過ぎるだろう。

○鳥雀 その声をいう。

○雲霞 その色をいう。

○過客 暗に自己をいう。

 

尚思歌吹入,千騎把霓旌。

いまさえなおむかし王が、「千騎の兵が虹色の旗をかかげつつ」という曲を歌と吹奏楽を奏でてこの亭にはいってこられるだろうとしのばれるのである。

○歌吹 歌の声、吹奏するものの声、この句は鳥雀より連想する。

○沸 かかえる。

○霓旌 にじのような色彩のはた、この句は雲霞より連想する。


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廣徳2年764-81 《玉臺觀 二首 之一》杜甫index-14 764年<757> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4115 杜甫詩1500-757-994/250045

玉臺觀 二首 之一》杜甫≫山の中腹から頂上まで木が鬱蒼と茂っていて、空の真ん中に届かんばかり高く玉台観がはるかにみえる。ここは上帝の住居せられる高地であって、もろもろの仙官が経節をたてて参朝にくる。

        
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廣徳2764-81 《玉臺觀 二首 之一》杜甫index-14 764年<757 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4115 杜甫詩1500-757-994/250045

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 巻十三 卷二二八  文體: 七言律詩 

詩題: 玉台觀 二首 之一

作地點: 山南西道 閬州 

及地點:  玉臺觀 (山南西道 閬州 閬州)   

 

 

玉台觀 二首 之一

(滕王のたてた玉台観の佇まいを述べる。)

中天積翠玉台遙,上帝高居絳節朝。

山の中腹から頂上まで木が鬱蒼と茂っていて、空の真ん中に届かんばかり高く玉台観がはるかにみえる。ここは上帝の住居せられる高地であって、もろもろの仙官が経節をたてて参朝にくる。

遂有馮夷來擊鼓,始知嬴女善吹簫。

いろいろなやつがくるが遂には「洛神賦」にいう馮夷という河伯が来て太鼓をうつし、また弄玉のような仙女が上手に簫を吹くというのもここ玉臺観なればこそとはじめて知られるのである。

江光隱見黿鼉窟,石勢參差烏鵲橋。

この山に立つ観の上からみわたすと江の水のてるところ黿鼉の窟が見えがくれしたりしている、石が互い違いにならんで七夕の日に烏鵲が造ったという橋にもみまがうようにみえる。

更肯紅顏生羽翼,便應發老漁樵。

自分はすこし慾張ったことをいうが、更にもし自分が紅顔であって羽翼がからだに生えるようになることができぬものだろうか。できるというのなら、甘んじてこの黄髪の老体をもってこの山間の漁礁とまじって隠遁してゆくであろう。

 

(玉台観 二首其の一)

中天 積翠 玉台逢かなり、上帝の高居 経節朝す。

遂に馮夷【ひょうい】の来たって鼓を撃つ有り、始めて知る嬴女【えいじょ】の善く寮を吹くを。

江光 隠見す黿鼉【げんだ】の窟、石勢 参差たり烏鵲橋【うじゃくきょう】。

更に肯て 紅顔羽翼を生ぜんや、便ち 応に黄髪 漁樵に老ゆべし。


王屋山00 

 

『玉台觀 二首 之一』 現代語訳と訳註

(本文)

玉台觀 二首 之一

中天積翠玉台遙,上帝高居絳節朝。

遂有馮夷來擊鼓,始知嬴女善吹簫。

江光隱見黿鼉窟,石勢參差烏鵲橋。

更肯紅顏生羽翼,便應黃發老漁樵。

 

(下し文)

(玉台観 二首其の一)

中天 積翠 玉台逢かなり、上帝の高居 経節朝す。

遂に馮夷【ひょうい】の来たって鼓を撃つ有り、始めて知る嬴女【えいじょ】の善く寮を吹くを。

江光 隠見す黿鼉【げんだ】の窟、石勢 参差たり烏鵲橋【うじゃくきょう】。

更に肯て 紅顔羽翼を生ぜんや、便ち 応に黄髪 漁樵に老ゆべし。

 

(現代語訳)

(滕王のたてた玉台観の佇まいを述べる。)

山の中腹から頂上まで木が鬱蒼と茂っていて、空の真ん中に届かんばかり高く玉台観がはるかにみえる。ここは上帝の住居せられる高地であって、もろもろの仙官が経節をたてて参朝にくる。

いろいろなやつがくるが遂には「洛神賦」にいう馮夷という河伯が来て太鼓をうつし、また弄玉のような仙女が上手に簫を吹くというのもここ玉臺観なればこそとはじめて知られるのである。

この山に立つ観の上からみわたすと江の水のてるところ黿鼉の窟が見えがくれしたりしている、石が互い違いにならんで七夕の日に烏鵲が造ったという橋にもみまがうようにみえる。

自分はすこし慾張ったことをいうが、更にもし自分が紅顔であって羽翼がからだに生えるようになることができぬものだろうか。できるというのなら、甘んじてこの黄髪の老体をもってこの山間の漁礁とまじって隠遁してゆくであろう。

 

(訳注)

玉台觀 二首 之一

(滕王のたてた玉台観の佇まいを述べる。)

○玉台観 閬州城北七里玉台山にある道教の寺で膝王の造ったものである、観内にある台を玉台という、山は台によって名を得たものであろう。

 

中天積翠玉台遙,上帝高居絳節朝。

山の中腹から頂上まで木が鬱蒼と茂っていて、空の真ん中に届かんばかり高く玉台観がはるかにみえる。ここは上帝の住居せられる高地であって、もろもろの仙官が経節をたてて参朝にくる。

○中天 九天の真中をいう、空の中だから高い空の部分に玉台山に寺観が建つことをいう。

○積翠 翠微がつみかさなっている。山の中腹から頂上まで木が鬱蒼と茂っていること。翠微は鬱蒼と茂る山の中腹。

○玉台 山の名前。玉台は道教において上帝の居る所と称される、観内の台はそれに象って造ったものである。

○上帝高居 玉台をさす、高居は高いところの住居である。

○緯節朝 緯節はえび色のはた、朝とは参朝すること、上帝のところへもろもろの仙官たちが敬礼のため経節をたでて参朝する。

 

遂有馮夷來擊鼓,始知嬴女善吹簫。

いろいろなやつがくるが遂には「洛神賦」にいう馮夷という河伯が来て太鼓をうつし、また弄玉のような仙女が上手に簫を吹くというのもここ玉臺観なればこそとはじめて知られるのである。

○馮夷 河をつかさどる神のような仙人である。

○撃鼓 魏の曹植の「洛神賦」に「馮夷鼓を撃つ」とある。

渼陂行

岑參兄弟皆好奇,攜我遠來遊渼陂。

天地黯慘忽異色,波濤萬頃堆琉璃。』

琉利汗漫泛舟入,事殊興極憂思集。

鼉作鯨不複知,惡風白浪何嗟及。』

主人錦帆相為開,舟子喜甚無氛埃。

鳧鷖散亂棹謳發,絲管啁啾空翠來。』

沉竿續蔓深莫測,菱葉荷花淨如拭。

宛在中流渤澥清,下歸無極終南黑。』

半陂以南純浸山,動影裊窕沖融間。

船舷暝戛雲際寺,水面月出藍田關。』

此時驪龍亦吐珠,馮夷擊鼓群龍趨。

湘妃漢女出歌舞,金支翠旗光有無。』

咫尺但愁雷雨至,蒼茫不曉神靈意。

少壯幾時奈老何,向來哀樂何其多?』

 

渼陂行  杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 66

〇嬴女善吹簫 嬴は秦の姓、善吹とは秦の穆公の娘の弄玉をいう。蕭史という蕭(管楽器)の名人が居た。その音色は鳳凰の鳴き声の様であった。弄玉もまた蕭を吹くので、穆公は二人を結婚させた。何年も経った後に弄玉の吹奏も鳳の声のようになり、鳳凰が来てその家に止まった。

杜甫『鄭駙馬宅宴洞中』

主家陰洞細煙霧,留客夏簟青瑯玕。

春酒杯濃琥珀薄,冰漿碗碧瑪瑙寒。

悞疑茅屋過江麓,已入風磴霾雲端。

自是秦樓壓鄭穀,時聞雜佩聲珊珊。

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

秦の穆公に女があり弄玉といったが、弄玉は簫の名人の蕭史を愛した。穆公は之を妻わしたところ、二人は日々楼上に於て簫を吹き鳳の鳴くが如くであったが、ある日鳳がやって来てその屋に止まり、夫妻はともにその鳳に随って飛び去った。秦楼とは弄玉のすむ楼をいい、臨晋公主の居楼に比する。

 

江光隱見黿鼉窟,石勢參差烏鵲橋。

この山に立つ観の上からみわたすと江の水のてるところ黿鼉の窟が見えがくれしたりしている、石が互い違いにならんで七夕の日に烏鵲が造ったという橋にもみまがうようにみえる。

○江光 嘉陵江の水のひかり。

○隠見 みえたりかくれたり。

○電篭 おおがめ、よろいがめ。

○石勢 江中の石のありさま。

○参差 たがいちがいのさま。

○烏鵲橋 「准南子」に烏鵲が河を埋めて橋をつくり織女を渡したとの古伝説がみえる、「江光」二句は台外の景をいう。

 

更肯紅顏生羽翼,便應黃發老漁樵。

自分はすこし慾張ったことをいうが、更にもし自分が紅顔であって羽翼がからだに生えるようになることができぬものだろうか。できるというのなら、甘んじてこの黄髪の老体をもってこの山間の漁礁とまじって隠遁してゆくであろう。

○紅顔 少年の血色のよいかおをいう。

○生羽翼 つばさが生え天へ飛べるようになること。

○黄髪 白髪がさらにすすむと当時はそんなに洗髪しないので黄色を呈する。

○老漁樵 漁樵は隠遁した老人、仙人をいい、年とることをいう。

 

(玉台観 二首其の一)

中天 積翠 玉台逢かなり、上帝の高居 経節朝す。

遂に馮夷【ひょうい】の来たって鼓を撃つ有り、始めて知る嬴女【えいじょ】の善く寮を吹くを。

江光 隠見す黿鼉【げんだ】の窟、石勢 参差たり烏鵲橋【うじゃくきょう】。

更に肯て 紅顔羽翼を生ぜんや、便ち 応に黄髪 漁樵に老ゆべし。

 

華山001 ---------------------------------------

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別:巻十三 卷二二八  文體: 七言律詩 

詩題:滕王亭子

作地點:目前尚無資料 

及地點:  滕王亭子 (山南西道 閬州 閬州)   巴山 (山南西道 峽州 巴山

【自注:亭在玉臺觀。王,高宗調露年中,任閬州刺史。】

 

 

滕王亭子膝王に弔古の意を写した。)

〔亭在玉臺觀王,高宗調露年中,任閬州刺史。王曾典此州。〕

君王台榭枕巴山,萬丈丹梯尚可攀。

春日鶯啼修竹裏,仙家犬吠白雲間。

清江錦石傷心麗,嫩蕊濃花滿目班。

人到於今歌出牧,來遊此地不知還。

(滕王のたてた亭にあそんでいにしえのことを思ったことを述べる。)

〔この亭は道教の玉臺觀のに建てられている。滕王は高宗の治世の調露年間に閬州刺史ににんぜられている。滕王はかつてこの州をつかさどる。〕

膝王君のお築きになった台樹は閬州城北の山にさしかかってたっている、そこは今も万丈の丹梯をつたってよじることができる。

のぼってみれば春日であって、鶯が背の高い竹林のなかで鳴いており、仙郷の家で藥皿を舐めた犬が吠えて雲間に昇天しつつある。

水清き嘉陵江辺の錦石はうるわしいがそれをみると心が傷んでくる、そして、みずみずしい花蕊をもった濃い色の花が眼にうつり、みるかぎりまだら模様をなして咲いている。

今日にいたるもこの州の人民は「王がこの州を支配しておられたころには、この地(玉台山)へ遊びにこられておかえりになることをも知らずにおられた」ということを歌にいいあらわしている。

 

(滕王の亭子)

〔亭は玉臺觀の。王,高宗の調露年中に,閬州刺史に任ぜらる。〕

君王の台樹 巴山に枕し、万丈の丹梯 尚お 攀ず可し。

春日 鶯啼く 修竹の裏、仙家 犬吠ゆ 白雲の間。

清江の錦石 傷心麗わしく、嫩蕊の濃花 満目 斑なり。

人今に到るも出牧せしとき、「此の地に来遊して還るを知らざりき」と歌う。

廣徳2年764-80 《滕王亭子二首其一》杜甫index-14 764年閬州 <756> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4110 杜甫詩1500-756-993/2500

のぼってみれば春日であって、鶯が背の高い竹林のなかで鳴いており、仙郷の家で藥皿を舐めた犬が吠えて雲間に昇天しつつある。水清き嘉陵江辺の錦石はうるわしいがそれをみると心が傷んでくる、そして、みずみずしい花蕊をもった濃い色の花が眼にうつり、みるかぎりまだら模様をなして咲いている。


        
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廣徳2764-80 《滕王亭子二首其一杜甫index-14 764年閬州 <756> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4110 杜甫詩1500-756-993/2500

 

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別:巻十三 卷二二八  文體: 七言律詩 

詩題:滕王亭子 二首其一

作地點:  山南西道 閬州

及地點:  滕王亭子 (山南西道 閬州 閬州)   巴山 (山南西道 峽州 巴山

【自注:亭在玉臺觀。王,高宗調露年中,任閬州刺史。】

 

 

滕王亭子膝王に弔古の意を写した。)

(滕王のたてた亭にあそんでいにしえのことを思ったことを述べる。)

〔亭在玉臺觀王,高宗調露年中,任閬州刺史。王曾典此州。〕

〔この亭は道教の玉臺觀のに建てられている。滕王は高宗の治世の調露年間に閬州刺史ににんぜられている。滕王はかつてこの州をつかさどる。〕

君王台榭枕巴山,萬丈丹梯尚可攀。

膝王君のお築きになった台樹は閬州城北の山にさしかかってたっている、そこは今も万丈の丹梯をつたってよじることができる。

春日鶯啼修竹裏,仙家犬吠白雲間。

のぼってみれば春日であって、鶯が背の高い竹林のなかで鳴いており、仙郷の家で藥皿を舐めた犬が吠えて雲間に昇天しつつある。

清江錦石傷心麗,嫩蕊濃花滿目班。

水清き嘉陵江辺の錦石はうるわしいがそれをみると心が傷んでくる、そして、みずみずしい花蕊をもった濃い色の花が眼にうつり、みるかぎりまだら模様をなして咲いている。

人到於今歌出牧,來遊此地不知還。

今日にいたるもこの州の人民は「王がこの州を支配しておられたころには、この地(玉台山)へ遊びにこられておかえりになることをも知らずにおられた」ということを歌にいいあらわしている。

 

(滕王の亭子)

〔亭は玉臺觀の。王,高宗の調露年中に,閬州刺史に任ぜらる。〕

君王の台樹 巴山に枕し、万丈の丹梯 尚お 攀ず可し。

春日 鶯啼く 修竹の裏、仙家 犬吠ゆ 白雲の間。

清江の錦石 傷心麗わしく、嫩蕊の濃花 満目 斑なり。

人今に到るも出牧せしとき、「此の地に来遊して還るを知らざりき」と歌う。

 

蜀中転々圖 

『滕王亭子』 現代語訳と訳註

(本文)

滕王亭子

 

君王台榭枕巴山,萬丈丹梯尚可攀。

春日鶯啼修竹裏,仙家犬吠白雲間。

清江錦石傷心麗,嫩蕊濃花滿目班。

人到於今歌出牧,來遊此地不知還。

 

(下し文)

(滕王の亭子)

〔亭は玉臺觀のに在り。王,高宗の調露年中に,閬州刺史に任ぜらる。〕

君王の台樹 巴山に枕し、万丈の丹梯 尚お 攀ず可し。

春日 鶯啼く 修竹の裏、仙家 犬吠ゆ 白雲の間。

清江の錦石 傷心麗わしく、嫩蕊の濃花 満目 斑なり。

人今に到るも出牧せしとき、「此の地に来遊して還るを知らざりき」と歌う。 

 

(現代語訳)

(滕王のたてた亭にあそんでいにしえのことを思ったことを述べる。)

〔この亭は道教の玉臺觀のに建てられている。滕王は高宗の治世の調露年間に閬州刺史ににんぜられている。滕王はかつてこの州をつかさどる。〕

膝王君のお築きになった台樹は閬州城北の山にさしかかってたっている、そこは今も万丈の丹梯をつたってよじることができる。

のぼってみれば春日であって、鶯が背の高い竹林のなかで鳴いており、仙郷の家で藥皿を舐めた犬が吠えて雲間に昇天しつつある。

今日にいたるもこの州の人民は「王がこの州を支配しておられたころには、この地(玉台山)へ遊びにこられておかえりになることをも知らずにおられた」ということを歌にいいあらわしている。

鶯00 

(訳注)

滕王亭子

(滕王のたてた亭にあそんでいにしえのことを思ったことを述べる。)

〔亭在玉臺觀。王,高宗調露年中,任閬州刺史。王曾典此州。〕

〔この亭は道教の玉臺觀のに建てられている。滕王は高宗の治世の調露年間に閬州刺史ににんぜられている。滕王はかつてこの州をつかさどる。〕

○滕王 名は元嬰、高祖二十二子、調露年間に寿州の刺史より隆州の刺史に移った、隆州は後に先天二年に玄宗の諱(隆基)を避けて閬州と改められた。

○玉臺觀 閬州城北七里玉臺山にある道教の寺観。同時期に玉臺觀という詩がある。

○調露(ちょうろ)は、唐の高宗李治の治世に使用された元号。679 - 680年。

○典 つかさどる、州の長官である刺史に任ぜられたことをいう。

 

君王台榭枕巴山,萬丈丹梯尚可攀。

膝王君のお築きになった台樹は閬州城北の山にさしかかってたっている、そこは今も万丈の丹梯をつたってよじることができる。

○君王 膝王をさす、君の字は敬称として用いる。

〇台樹 土を高く盛ったものを台という、台上に木があって室のないものを樹という。

○枕 のぞむ。

○巴山 巴の地の山の意味、閬州の城北七里にある玉台山をいう。

○丹梯 あかいはしご、赤色土の石段の道をいう。

○尚 今日もなお。

 

春日鶯啼修竹裏,仙家犬吠白雲間。

のぼってみれば春日であって、鶯が背の高い竹林のなかで鳴いており、仙郷の家で藥皿を舐めた犬が吠えて雲間に昇天しつつある。

○修竹 せのたかい竹、長くのびた竹。漢代に梁の孝王の園に修竹があった。

○仙家犬吠 「神仙伝」に八公が准帝王劉安と白日に天に昇ったとき、薬器をあまして中庭に置いたために、鶏や犬がこれをねぶり啄んでことごとく天に上ってしまったという。

 

清江錦石傷心麗,嫩蕊濃花滿目班。

水清き嘉陵江辺の錦石はうるわしいがそれをみると心が傷んでくる、そして、みずみずしい花蕊をもった濃い色の花が眼にうつり、みるかぎりまだら模様をなして咲いている。

○清江 嘉陵江、山の下にみえるもの。

○錦石 錦紋の石。

○傷心麗 わが心をいたましめながらうるわしい。

○嫩蕊 みずみずしい花しべ。

○濃花 色のこい花。

 

人到於今歌出牧,來遊此地不知還。

今日にいたるもこの州の人民は「王がこの州を支配しておられたころには、この地(玉台山)へ遊びにこられておかえりになることをも知らずにおられた」ということを歌にいいあらわしている。

〇人 州人をいう。

○歌 この一字は下句のことをいう。

○出牧 中央よりでて地方の人民を牧(やしな)うこと、王が刺史であったことをいう。

○来遊 王が来遊したことをいう、、この一句は王の出牧当時、すなわち昔のことを追叙した句である。
竹林001 

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句,二首之二》錦江の水が緑深いものだからそこに泛ぶ鳥は愈々真白に見える。山は草木が茂って青くそこに咲く花は燃える色が目立とうとしている。


        
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廣徳2764-79 句,二首之二》 ふたたび成都 杜甫<755 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4105 杜甫詩1500-755-992/2500

 

 

754句,二首之一(遲日江山麗,)755句,二首之二(江碧鳥逾白,)1263

 

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別:巻十三  卷二二八  文體: 五言 

詩題: 句,二首之二

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

杏の花01 

句,二首之一

(逃避生活から帰ってのんびりと過ごす日を詠う。二首の一)

遲日江山麗,春風花草香。 

春の日は次第にのびて暮れる時間も遅くなってゆく、かたむきはじめた春の日差しは映えて、錦江や山を麗しくしてくれる。春風は浣花渓を埋め尽くす花々、草草の萌える香りを運んでくれる。

泥融飛燕子,沙暖睡鴛鴦。 

田圃や畑はすっかり雪解け作物を植えはじめると、ツバメは子作りのために飛び交い始める。草堂前の中洲の砂は春の日をたっぷり浴びて暖かく鴛鴦が心地よく眠っている。

 

句,二首の一

遲日 江山麗し,春風 花草香し。 

泥融けて燕子飛び,沙暖かにして鴛鴦 睡る。  

 

句,二首之二  

(逃避生活から帰ってのんびりと過ごす日を詠う。二首の二)

江碧鳥逾白,山青花欲燃。 

錦江の水が緑深いものだからそこに泛ぶ鳥は愈々真白に見える。山は草木が茂って青くそこに咲く花は燃える色が目立とうとしている。

今春看又過,何日是歸年。 

まことに美しい景色となってはいるけれど、今年の春の景色も見る間にすぎ去って行こうとしている。そんなことでこんな春の日を後何年したら故郷に帰ることになるのだろう。

 

(二首の二)

江碧にして 鳥 逾【いよい】よ白く,山青くして花 燃えんと欲す。 

今春 看るみる又た過ぎ,何れの日にか 是れ歸年すぞ。 

ゆりかもめ000 

 

(句,二首之二』 現代語訳と訳註

(本文)

句,二首之二 

江碧鳥逾白,山青花欲燃。 

今春看又過,何日是歸年。 

 

(下し文)

(二首の二)

江碧にして 鳥 逾【いよい】よ白く,山青くして花 燃えんと欲す。 

今春 看るみる又た過ぎ,何れの日にか 是れ歸年すぞ。 

 

(現代語訳)

(逃避生活から帰ってのんびりと過ごす日を詠う。二首の二)

錦江の水が緑深いものだからそこに泛ぶ鳥は愈々真白に見える。山は草木が茂って青くそこに咲く花は燃える色が目立とうとしている。

まことに美しい景色となってはいるけれど、今年の春の景色も見る間にすぎ去って行こうとしている。そんなことでこんな春の日を後何年したら故郷に帰ることになるのだろう。

 

(訳注)

(逃避生活から帰ってのんびりと過ごす日を詠う。二首の二)

杜甫は草堂のまわりの春の景物を絶句で沢山読んでいる。

 

index

9

杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45

45

index

10

杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82

82

index

11

杜甫詩(11)762年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43

43

index

12

杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49

49

index

13

杜甫詩 (13)763年寶應二年 杜甫52歳 蜀中転々 92

92

index

14

杜甫詩 (14)764年廣徳2年 53歳 三月成都へ帰る 100

100

 

 

760

22

761

47

762

6

763

26

764

42

 

桃園001 

江碧 逾白 ,山青 欲燃

錦江の水が緑深いものだからそこに泛ぶ鳥は愈々真白に見える。山は草木が茂って青くそこに咲く花は燃える色が目立とうとしている。

「江」濯錦江。

「碧」草堂のまわりの綠。

「鳥」「白」「山」「青」「花」「燃」この聯は色彩の語を使って構成される。春の緑・靑から晩春から初夏に色彩に変わっていく様子をあらわしている。

 

今春 又過 ,何日 歸年

まことに美しい景色となってはいるけれど、今年の春の景色も見る間にすぎ去って行こうとしている。そんなことでこんな春の日を後何年したら故郷に帰ることになるのだろう。

「何日」この同じ春景色の日を何日、すなわち何年。

「歸年」故郷に帰る年。
杜甫詩 全詩INDEX02 

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(逃避生活から帰ってのんびりと過ごす日を詠う。二首の一)春の日は次第にのびて暮れる時間も遅くなってゆく、かたむきはじめた春の日差しは映えて、錦江や山を麗しくしてくれる。春風は浣花渓を埋め尽くす花々、草草の萌える香りを運んでくれる。


        
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754句,二首之一(遲日江山麗,)755句,二首之二(江碧鳥逾白,)1263

製作年:  764  廣德二年  53

卷別:巻十三  卷二二八  文體: 五言 

詩題: 句,二首之一 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

 

 

句,二首之一

(逃避生活から帰ってのんびりと過ごす日を詠う。二首の一)

遲日江山麗,春風花草香。 

春の日は次第にのびて暮れる時間も遅くなってゆく、かたむきはじめた春の日差しは映えて、錦江や山を麗しくしてくれる。春風は浣花渓を埋め尽くす花々、草草の萌える香りを運んでくれる。

泥融飛燕子,沙暖睡鴛鴦。 

田圃や畑はすっかり雪解け作物を植えはじめると、ツバメは子作りのために飛び交い始める。草堂前の中洲の砂は春の日をたっぷり浴びて暖かく鴛鴦が心地よく眠っている。

 

句,二首の一

遲日 江山麗し,春風 花草香し。 

泥融けて燕子飛び,沙暖かにして鴛鴦 睡る。 

 

 成都関連地図 00

句,二首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

句,二首之一

遲日江山麗,春風花草香。 

泥融飛燕子,沙暖睡鴛鴦。 

 

(下し文)

句,二首の一

遲日 江山麗し,春風 花草香し。 

泥融けて燕子飛び,沙暖かにして鴛鴦 睡る。 

 

(現代語訳)

(逃避生活から帰ってのんびりと過ごす日を詠う。二首の一)

春の日は次第にのびて暮れる時間も遅くなってゆく、かたむきはじめた春の日差しは映えて、錦江や山を麗しくしてくれる。春風は浣花渓を埋め尽くす花々、草草の萌える香りを運んでくれる。

田圃や畑はすっかり雪解け作物を植えはじめると、ツバメは子作りのために飛び交い始める。草堂前の中洲の砂は春の日をたっぷり浴びて暖かく鴛鴦が心地よく眠っている。

 杏の白花012

(訳注)

句,二首之一

(逃避生活から帰ってのんびりと過ごす日を詠う。二首の一)

杜甫は草堂のまわりの春の景物を絶句で沢山読んでいる。

 

index

9

杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45

45

index

10

杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82

82

index

11

杜甫詩(11)762年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43

43

index

12

杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49

49

index

13

杜甫詩 (13)763年寶應二年 杜甫52歳 蜀中転々 92

92

index

14

杜甫詩 (14)764年廣徳2年 53歳 三月成都へ帰る 100

100

 

 

760

22

761

47

762

6

763

26

764

42

 

 

遲日 江山 ,春風 花草

春の日は次第にのびて暮れる時間も遅くなってゆく、かたむきはじめた春の日差しは映えて、錦江や山を麗しくしてくれる。春風は浣花渓を埋め尽くす花々、草草の萌える香りを運んでくれる。

「遲日」ゆっくりとすぎてゆく。春の日は次第にのびて暮れる時間も遅くなってゆく。

「江山」錦江や西嶺の山々。

この聯は「日」「錦江」「山」「春風」「花草」「芳香」の季節語のみで作られている。

 

泥融 燕子 ,沙暖 鴛鴦

田圃や畑はすっかり雪解け作物を植えはじめると、ツバメは子作りのために飛び交い始める。草堂前の中洲の砂は春の日をたっぷり浴びて暖かく鴛鴦が心地よく眠っている。

「泥融」凍った大地が溶け、夜春寒で凍り、日が昇とすぐ溶けるさまをいう。ツバメの季節を考えれば田圃の水張の季節と見る方が正しい。

「沙」杜甫の草堂の前は濯錦江が大きく蛇行しており、中州が出来上がっていた。そこに、鴛鴦、鴎他いろんな鳥が来ている。

「暖」砂が暖められていてのどかな様子をいう。

「鴛鴦」おしどり。

 江畔独歩尋花杜甫像00

廣徳2年764-77 《江亭王閬州筵餞蕭遂州》 ふたたび成都江亭王閬州筵餞蕭遂州 杜甫<753> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4095 杜甫詩1500-753-990/2500

この送別の宴を催している亭は故郷のちにあるものではないが、今ここに広がる春景色は他郷のものである。後漢の蘇章の故事の「二天」にあるように王刺史が蕭刺史の餞にこの別宴を開催された。五頭立を許された太守には光輝が生じている。


        
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廣徳2764-77 《江亭王閬州筵餞蕭遂州》 ふたたび成都江亭王閬州筵餞蕭遂州 杜甫<753 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4095 杜甫詩1500-753-990/2500

 

 

年:  764  廣德二年  53

卷別: 巻十三 卷二二八  文體: 五言律詩 

詩題: 江亭王閬州筵餞蕭遂州 

作地點: 閬州(山南西道 / 閬州 / 閬州

寫及地點:  江亭 (山南西道 閬州 閬州  (地図2・閬州 (山南西道 閬州 閬州) 別名:閬、巴城 ・遂州 (劍南道北部 遂州 遂州)  (地図2)    

交遊人物: 王閬州 ・蕭遂州

 

 

江亭王閬州筵餞蕭遂州 

(嘉陵江の江辺の亭で王閬州刺史が催した送別の宴席で蕭遂州刺史に餞に贈った詩)

離亭非舊國,春色是他 

この送別の宴を催している亭は故郷のちにあるものではないが、今ここに広がる春景色は他郷のものである。

老畏歌聲斷,愁隨舞曲長。 

この年よりはこの宴席で歌声が途切れてしまうのは嫌なことだと思っている。心配なことは舞いようの曲が長引けば長引くほどそれにしたがって増してくる。

二天開寵餞,五馬爛生光。 

後漢の蘇章の故事の「二天」にあるように王刺史が蕭刺史の餞にこの別宴を開催された。五頭立を許された太守には光輝が生じている。

川路風煙接,俱宜下鳳皇。 

ここから遂州に赴かれる川沿いに続いている道は戦争の風塵がおさまらない場所に接しているのである。だから、両君は共によい施政を行って、天から鳳凰が下ってあつまってくるということにしていただきたいものだ。

 

(江亭王閬州が筵にて蕭遂州を餞【はなむけ】す。)

亭を離るるは舊國に非らず,春色 是れ他なり 

老いては歌聲の斷たることを畏れ,愁いは舞曲の長きことに隨う。 

二天 寵餞【ちょうせん】を開き,五馬 生光を爛ず。 

川路 風煙接し,俱に宜しく 鳳皇を下すべし。 
成都遂州00 

 

蜀中転々圖 

『江亭王閬州筵餞蕭遂州』 現代語訳と訳註

(本文)

江亭王閬州筵餞蕭遂州 

離亭非舊國,春色是他 

老畏歌聲斷,愁隨舞曲長。 

二天開寵餞,五馬爛生光。 

川路風煙接,俱宜下鳳皇。 

(異文)

離亭非舊國,春色是他

老畏歌聲斷【老畏歌聲短】【老畏歌聲繼】,愁隨舞曲長【愁從舞曲長】。

二天開寵餞,五馬爛生光【五馬爛輝光】。

川路風煙接,俱宜下鳳皇【俱看下鳳皇】。 

 

(下し文)

(江亭王閬州が筵にて蕭遂州を餞【はなむけ】す。)

亭を離るるは舊國に非らず,春色 是れ他なり。 

老いては歌聲の斷たることを畏れ,愁いは舞曲の長きことに隨う。 

二天 寵餞【ちょうせん】を開き,五馬 生光を爛ず。 

川路 風煙接し,俱に宜しく 鳳皇を下すべし。 

 

(現代語訳)

(嘉陵江の江辺の亭で王閬州刺史が催した送別の宴席で蕭遂州刺史に餞に贈った詩)

この送別の宴を催している亭は故郷のちにあるものではないが、今ここに広がる春景色は他郷のものである。

この年よりはこの宴席で歌声が途切れてしまうのは嫌なことだと思っている。心配なことは舞いようの曲が長引けば長引くほどそれにしたがって増してくる。

後漢の蘇章の故事の「二天」にあるように王刺史が蕭刺史の餞にこの別宴を開催された。五頭立を許された太守には光輝が生じている。

ここから遂州に赴かれる川沿いに続いている道は戦争の風塵がおさまらない場所に接しているのである。だから、両君は共によい施政を行って、天から鳳凰が下ってあつまってくるということにしていただきたいものだ。

 珠櫻001

 

(訳注)

江亭王閬州筵餞蕭遂州 

(嘉陵江の江辺の亭で王閬州刺史が催した送別の宴席で蕭遂州刺史に餞に贈った詩)

・江亭 嘉陵江の江辺の亭。

・王閬州 閬州の刺史の王某。
  (地図2

・蕭遂州 遂州の刺史の蕭某。
  (地図2

 

離亭 舊國 ,春色

この送別の宴を催している亭は故郷のちにあるものではないが、今ここに広がる春景色は他郷のものである。

・離亭 離れの宴をする亭。亭臺樓閣。

・舊國 故郷の国もと。

・春色 季節景物、春景色。

 

 

老畏 歌聲 ,愁隨 舞曲

この年よりはこの宴席で歌声が途切れてしまうのは嫌なことだと思っている。心配なことは舞いようの曲が長引けば長引くほどそれにしたがって増してくる。

 

 

二天 寵餞 ,五馬 爛生光

後漢の蘇章の故事の「二天」にあるように王刺史が蕭刺史の餞にこの別宴を開催された。五頭立を許された太守には光輝が生じている。

・二天 天文、天空、天空。後漢の蘇章が冀州刺史の時、清河太守の悪事を隠すため酒肴を設けた時、この太守は、「人は皆一天有りとするが、我には独り二天あり」といい、この太守は自分の悪事を隠してもらえる天がもう一つあるといったのだが、ここでは、王刺史と蕭刺史の二人の天があるといっている。

・寵餞 二人を寵愛しての餞別をいう。

・五馬 太守の馬車には五頭立てするということで、太守のことをいう。

 

川路 風煙 接,俱宜下 鳳皇

ここから遂州に赴かれる川沿いに続いている道は戦争の風塵がおさまらない場所に接しているのである。だから、両君は共によい施政を行って、天から鳳凰が下ってあつまってくるということにしていただきたいものだ。

・川路 川沿いに続いている道。

・接 閬州と遂州が接しているという地勢のことをいう。
 

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廣徳2年764-76 《遊子》 ふたたび成都遊子 杜甫<752> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4090 杜甫詩1500-752-989/250040

巴蜀の地における愁いは何人とともにこれを語ろうか、かたるべき人はない。呉門の方まで興に乗って遊びにゆきたいと思うがそれはあてどもなくはるかなものだ。いまここに春の草が生えつらなっておるが九江はその草のはてにある。暮の帆舟がめさきにみえるが三峡はその前の方に横たわっておるのだ。

        
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廣徳2764-76 《遊子》 ふたたび成都遊子 杜甫<752> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4090 杜甫詩1500-752-989/250040

 

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別:卷二二八  文體: 五言律詩 

詩題:遊子 

作地點:閬州(山南西道 / 閬州 / 閬州

及地點:  九江 (江南西道岳州 岳州)     

成都 (劍南道北部 益州 成都) 別名:蜀     

 

 

遊子

(旅に出よう)
巴蜀愁誰語,門興杳然。

巴蜀の地における愁いは何人とともにこれを語ろうか、かたるべき人はない。呉門の方まで興に乗って遊びにゆきたいと思うがそれはあてどもなくはるかなものだ。

九江春草外,三峽暮帆前。

いまここに春の草が生えつらなっておるが九江はその草のはてにある。暮の帆舟がめさきにみえるが三峡はその前の方に横たわっておるのだ。

厭就成都蔔,休為吏部眠。

自分は厳君平のように成都へいって売卜生活をするのはいやだ。隣合の同僚の酒を盗み飲んで眠るような畢卓のまねもしてはならぬ。(早くこの蜀を立ち去ることだ。)

蓬萊如可到,衰白問群仙。

東海はるかとおい蓬莱山にもし行きつけるものなら、老年ながらそこへ仙人たちをたずねていきたいと思うのだ。

 

遊  子(遊 子)

巴蜀 愁い誰とか語らん、呉門 興 然たり

九江 春草の外,三峽 暮帆の前。

就くことを厭【いと】う成都の蔔、為すことを休めよ 吏部の眠り。

蓬莱 如【も】し到る可くんば、衰白 群仙を問わん。

 

 

『遊子』 現代語訳と訳註

(本文)

遊子

巴蜀愁誰語,門興杳然。

九江春草外,三峽暮帆前。

厭就成都蔔,休為吏部眠。

蓬萊如可到,衰白問群仙。

 

(下し文)

(遊 子)

巴蜀 愁い誰とか語らん、呉門 興 杳然たり

九江 春草の外,三峽 暮帆の前。

就くことを厭【いと】う成都の蔔、為すことを休めよ 吏部の眠り。

蓬莱 如【も】し到る可くんば、衰白 群仙を問わん。

 

(現代語訳)

(旅に出よう)

巴蜀の地における愁いは何人とともにこれを語ろうか、かたるべき人はない。呉門の方まで興に乗って遊びにゆきたいと思うがそれはあてどもなくはるかなものだ。

いまここに春の草が生えつらなっておるが九江はその草のはてにある。暮の帆舟がめさきにみえるが三峡はその前の方に横たわっておるのだ。

自分は厳君平のように成都へいって売卜生活をするのはいやだ。隣合の同僚の酒を盗み飲んで眠るような畢卓のまねもしてはならぬ。(早くこの蜀を立ち去ることだ。)

東海はるかとおい蓬莱山にもし行きつけるものなら、老年ながらそこへ仙人たちをたずねていきたいと思うのだ。

蜀中転々圖 

(訳注)

遊子

(旅に出よう)

○遊子 たび人、自己をさす。

たび人としての感じをいう。蜀を出たいというのである。広徳二年春、閬州にあっての作。

 

巴蜀愁誰語,門興杳然。

巴蜀の地における愁いは何人とともにこれを語ろうか、かたるべき人はない。呉門の方まで興に乗って遊びにゆきたいと思うがそれはあてどもなくはるかなものだ。

○巴蜀 ひろく蜀の地をさす、ここは閬州を意味する。

○呉門 呉の城門、今の江蘇省城の地。

杳然 はるかなさま。

 

九江春草外,三峽暮帆前。

いまここに春の草が生えつらなっておるが九江はその草のはてにある。暮の帆舟がめさきにみえるが三峡はその前の方に横たわっておるのだ。

〇九江 江西省にある。長江の九支流が集まるところの要衝の地である。

〇三峡 雀唐峡・巫山峡・西陵峡をいう、四川省より湖北省に通ずる江の沿岸にあり、局より出て呉に向かうには先ず三暁を経て、次に九江を過ぎるのが順序である。

○暮帆 閬中の嘉陵江をわたるゆうぐれの舟の帆。作者は閬中より合州、巴州(重慶)に出て長江の本流を下り、東下しょうと準備を済ませていたのである。

 

厭就成都蔔,休為吏部眠。

自分は厳君平のように成都へいって売卜生活をするのはいやだ。隣合の同僚の酒を盗み飲んで眠るような畢卓のまねもしてはならぬ。(早くこの蜀を立ち去ることだ。)

○成都蔔 漢の厳君平の故華厳連、字は君平は成都の市中に売蔔し、日に数人を占って自ずから養うに足るだけの金を得れば、店を閉じ簾を下ろして「老子」を教授した。「就に成都蔔こというのは成都で売蔔をする事に従う意、必ずしも売蔔して生活することを意味せず、杜甫は間もなく出帆するとおもっていたので、成都に居住することがないということを茶化してかくいったものである。

○吏部眠 晋の畢卓の故事。卓が吏部の郎であったとき、或る夜、隣家に行って嚢の酒を盗んで飲み、酒の番人に縛られ、夜明けになって見あらわされた。吏部眠とは畢卓のごとく酔ってねむっていることをいう。

 

蓬萊如可到,衰白問群仙。

東海はるかとおい蓬莱山にもし行きつけるものなら、老年ながらそこへ仙人たちをたずねていきたいと思うのだ。

○蓬莱 これは東海上の仙山の三山のうちのひとつである蓬莱(・方丈・瀛州)をさす。

○衰白 おとろえてしらがになる。

○群仙 蓬莱の山に住んでおる多くの仙人。
王屋山00 

廣徳2年764-75 《百舌》 杜甫<751> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4085 杜甫詩1500-751-988/250039

杜甫《百舌》 程元振は、襄陽節度使の來瑱を常日頃から入朝させようとしていたが、來瑱は従わなかった。程元振が権力を握った後、入朝する事を承認したものの、色々理由を付けて入朝しようとしなかった。

        
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廣徳2764-75 《百舌》 杜甫<751>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4085 杜甫詩1500-751-988/250039

 

 

廣徳2年(764)

  正月、敕にて、程元振が変服にて不軌を図ったと称し、湊州へ流した。 だが、代宗皇帝は程元振の功績を想い、 再び令を下して江陵へ安置した。

   乙卯の日、雍王・李适を皇太子に立てた。

   さて、吐蕃軍が長安へ入った時、諸軍の逃亡兵や里の無頼の子弟が集まって盗賊となった。 吐蕃が去ってしまっても、彼等は南山や子午等の五谷に逃げ込んだ ままとなっていた。

   丁巳の日、太子賓客・薛景仙を南山五谷防禦使として、これを討たせたのだった。 数ヶ月掛けても鎮圧できない。代宗皇帝は、李抱玉へ討伐を命じた。 李抱玉は彼らを襲撃し、大いに破った。

   僕固懐恩は辛雲京から猜疑をかけられていて讒言されていた。ついに僕固懐恩は叛旗を翻し、河東都将の李竭を太原に潜入させて 奪取しようとした。しかし、辛雲京に事が露見し、李竭は捕らえられて 誅殺された。それを受けて僕固懐恩は息子の僕固瑒を派遣して太原を陥とそうとした。しかし僕固瑒は大いに敗れ、 帰還の途上で楡次へ進んで城を囲んだ。

 

程元振が有罪となった事件では、李峴が活躍した。 これによって、李峴は宦官達から憎まれた。 だから、劉晏と共にやめさせられたのだった。 右散騎常侍・王縉を黄門侍郎、太常卿・杜鴻漸を兵部侍郎とし、 共に同平章事とした。

   丁卯の日、郭子儀は朔方節度大使となった。

   2月、郭子儀は河中に至り、雲南の将が暴れたので、 郭子儀は十四人を斬首し、三十人を鞭打ちとした。

   さて、僕固瑒は楡次を包囲してから10日以上経ってもこれを 抜くことは出来なかったが、楡次の将士は包囲を突破して李光弼に 使者を派遣し、糧秣に困窮していることを伝えた。

   僕固懐恩が汾州を攻撃すると、郭子儀は汾州へ向かった。 僕固懐恩は郭子儀が接近するのを知ると、帰っていった。

   安禄山の騒乱以来、汴水の水路が壊れたので、 漕運業者は江、漢から梁、洋までは迂回せねばならず、 労費がかかって いた。

翠冠001 

程元振(ていげんしん) 未詳~764。三原(今の陜西省高陵県西北)の人。幼少の頃より宦官として内侍省に仕え、徐々に出世して内射生使となった。宝応(762)、粛宗が崩じると、張皇后は太子に怨みを持っていたので越王係を引き入れて監国にし、権力を握ろうとした。程元振はその謀を知って李輔国に密告し、越王係及びその党派を誅殺した。 

  代宗が即位すると、その功により飛龍副使、右監門将軍、上柱国、知内侍省事となった。まもなく、李輔国に代わって判元帥行軍司馬となって禁兵を掌握し、鎮軍大将軍、右監門大将軍を加えられ、保定県侯に封じられた。

  また、驃騎大将軍を加えられ、邠国公に封じられ、その父の元貞は司空を、母の郄氏は趙国夫人を贈られた。

  この時の程元振の権力はついに李輔国を超え、軍中では「十郎」と呼ばれていた。 

  程元振は、襄陽節度使の來瑱を常日頃から入朝させようとしていたが、來瑱(らいてん)は従わなかった。程元振が権力を握った後、入朝する事を承認したものの、色々理由を付けて入朝しようとしなかった。

  廣徳元年(763)、裴(はいじゅう)をうち破るとついに入朝したが、程元振は自らの権威を無視した振る舞いに報復を行おうとして、來瑱を誣告し、誅した。  また、山陵使の裴冕(はいべん)は、事ある毎に程元振と衝突していたが、程元振は裴冕の部下の役人が収賄したことを摘発し、裴冕を連座させて施州(湖北省西部)刺史に貶めた。 來瑱、裴冕のような名将、元勲を誣告して陥れたため、天下は騒然となり再び乱れ始めたが、程元振は権力を確保した事に安心して驕慢となり、全く顧みなかった。

  同じ年の9月、吐蕃が京畿(長安付近)に侵入してきたため、徴兵を行おうとしたが、詔に応じる者は誰も居なかった。10月、吐蕃軍が便橋に至ると、代宗は慌てふためき陜州に逃げ出さなければならなかった。吐蕃軍は長安を陥とし、府庫は尽く略奪された。太常博士の柳伉が、程元振を誅して天下に謝するべきだと諫言を行ったが、代宗は程元振の過去の功績を鑑みて、免官して故郷に追放するのみとした。

  12月に、代宗が長安に戻ると、程元振は密かに京城に入ったが捕らえ、再び放逐されて病死した。『新唐書』207 宦者上、『旧唐書』184

 

 

百舌

(この頃の口先だけの者たちを詠う)

百舌來何處,重重秖報春。

百舌の鳥はどこから来たか、たびたび鳴くがただ春だぞと告げ知らせるだけのことだ。

知音兼眾語,整翮豈多身。

この鳥は仲間意識が強く音のことをよく知ってさまざまのことばを兼ねてうまくつかう。そのうえ、たち羽を整えて様子を浴して啼くがその身はひとつで別な鳥が啼くわけではない。(朝廷内で奴らはそううごめく)

花密藏難見,枝高聽轉新。

花が密集して咲いているところで啼くから、からだは隠されて見えないのだ。枝の高いあたりに鳴くのでその声を聞けば聞くほど新しく聞こえる。

過時如發口,君側有讒人。

此れがその鳴くべき時節に鳴いているのはまだよいのだが、時節はずれに口をあいて鳴こうものなら、それこそ君のお側に讒言をするような悪人のある徴だ。

(百 舌)

百舌何の処よりか来たる、重重 秖だ春を報ず。

音を知りて衆語を兼ぬ、翮を整うる 豈に多身ならんや。

花蜜にして 蔵して見え難く、枝高くして聴けば転【うた】た新たなり。

時を過ぎて如【も】し口を発【ひら】かば、君側に讒人有るなり。

haru0004 

 

『百舌』 現代語訳と訳註

(本文)

百舌

百舌來何處,重重秖報春。

知音兼眾語,整翮豈多身。

花密藏難見,枝高聽轉新。

過時如發口,君側有讒人。

 

(下し文)

(百 舌【ひゃくぜつ】)

百舌 何の処よりか来たる、重重 秖だ春を報ず。

音を知りて衆語を兼ぬ、翮を整うる 豈に多身ならんや。

花蜜にして 蔵して見え難く、枝高くして聴けば転【うた】た新たなり。

時を過ぎて如【も】し口を発【ひら】かば、君側に讒人有るなり。

 

(現代語訳)

(この頃の口先だけの者たちを詠う)

百舌の鳥はどこから来たか、たびたび鳴くがただ春だぞと告げ知らせるだけのことだ。

この鳥は仲間意識が強く音のことをよく知ってさまざまのことばを兼ねてうまくつかう。そのうえ、たち羽を整えて様子を浴して啼くがその身はひとつで別な鳥が啼くわけではない。(朝廷内で奴らはそううごめく)

花が密集して咲いているところで啼くから、からだは隠されて見えないのだ。枝の高いあたりに鳴くのでその声を聞けば聞くほど新しく聞こえる。

此れがその鳴くべき時節に鳴いているのはまだよいのだが、時節はずれに口をあいて鳴こうものなら、それこそ君のお側に讒言をするような悪人のある徴だ。

 

 

(訳注)

百舌

(この頃の口先だけの者たちを詠う)

もずの鳥に感じてよんだ詩。君側の讒人をそしったもの。程元振を意味しているのであろうという。764年広徳二年春、梓州にあっての作。

 

百舌來何處,重重秖報春。

百舌の鳥はどこから来たか、たびたび鳴くがただ春だぞと告げ知らせるだけのことだ。

○百舌 もずのとり。朝廷の宦官に喩える。

○重重 かさねでかさねて。

 

知音兼眾語,整翮豈多身。

この鳥は仲間意識が強く音のことをよく知ってさまざまのことばを兼ねてうまくつかう。そのうえ、たち羽を整えて様子を浴して啼くがその身はひとつで別な鳥が啼くわけではない。(朝廷内で奴らはそううごめく)

○知音 音をよく知る。【ちいん】《中国の春秋時代、琴の名人伯牙は親友鍾子期が亡くなると、自分の琴の音を理解する者はもはやいないと愛用していた琴の糸を切って再び弾じなかったという「列子」湯問などの故事から》

1互いによく心を知り合った友。親友。「年来の―」

2知り合い。知己。「―を頼る」

3恋人となること。また、恋人。なじみの相手。

○衆語 さまざまのことば。

○整翮 たちばねをととのえでとぶ。

○豈多身 からだがいくつもあるのではない。

 

花密藏難見,枝高聽轉新。

花が密集して咲いているところで啼くから、からだは隠されて見えないのだ。枝の高いあたりに鳴くのでその声を聞けば聞くほど新しく聞こえる。

 

過時如發口,君側有讒人。

此れがその鳴くべき時節に鳴いているのはまだよいのだが、時節はずれに口をあいて鳴こうものなら、それこそ君のお側に讒言をするような悪人のある徴だ。

○過時 時節をはずれて。

○発口 くちをひらいて鳴くこと。

○君側有讒人 この詩の時代背景を『新・旧唐書』の要約を掲載しているので、杜甫の謂わんとしていることは理解できる。

木蘭02 

廣徳2年764-74 《雙燕》 ふたたび成都雙燕 杜甫<750> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4080 杜甫詩1500-750-987/2500

燕は兵乱の風塵が飛び交う中でも同じように子供を育てているのだ。ここまで来るのにとても長い距離を飛んできているのだ。私にとってこの秋は、天地が広くよいところがあるとおもっており、わたしはここを去って新しい地に行こうとしているのだ。


        
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廣徳2764-74 《雙燕》 ふたたび成都雙燕 杜甫<750 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4080 杜甫詩1500-750-987/2500

 

 

製作年: 764  廣德二年  53

卷別: 巻十二 卷二二八  文體: 五言律詩 

詩題: 雙燕 

作地點: 閬州(山南西道 / 閬州 / 閬州

 

 

雙燕  

(杜甫と妻とのことを喩えて詠う。)

旅食驚雙燕,銜泥入此堂。 

わたしは浣花渓草堂をおいて旅の空で、梓州の長官の世話になっていて番いの燕に驚ろかされた。それは泥を口に含んでこの北側の奥まった奥座敷に入ってきたことだ。

應同避燥且復過炎涼。 

それは彼らがまさに、乾かすことと湿らせることを避けることを同じように繰り返していることだ、そのうえ炎天であったり、涼しい時であっても同じように過ごしているということだ。

養子風塵際,來時道路長。 

かれらはこの兵乱の風塵が飛び交う中でも同じように子供を育てているのだ。それもここまで来るのにとても長い距離を飛んできたということなのである。

今秋天地在,吾亦離殊方。 

私にとってこの秋は、天地が広くよいところがあるとおもっており、わたしはここを去って新しい地に行こうとしているのだ。

 

雙燕  

旅食 雙燕に驚き,銜泥 此堂に入るに。 

應に同じく 燥【そうしつ】を避け且つ復た 炎涼を過すなるべし。 

子を養う 風塵の際,來る時 道路長し。 

今秋 天地 在り,吾亦た殊方に離れん。 

 

 

『雙燕』 現代語訳と訳註

(本文)

雙燕  

旅食驚雙燕,銜泥入此堂。 

應同避燥且復過炎涼。 

養子風塵際,來時道路長。 

今秋天地在,吾亦離殊方。 

 

(下し文)

雙燕 

旅食 雙燕に驚き,銜泥 此堂に入るに。 

應に同じく 燥【そうしつ】を避け,且つ復た 炎涼を過すなるべし。 

子を養う 風塵の際,來る時 道路長し。 

今秋 天地 在り,吾亦た殊方に離れん。 

 

(現代語訳)

(杜甫と妻とのことを喩えて詠う。)

わたしは浣花渓草堂をおいて旅の空で、梓州の長官の世話になっていて番いの燕に驚ろかされた。それは泥を口に含んでこの北側の奥まった奥座敷に入ってきたことだ。

それは彼らがまさに、乾かすことと湿らせることを避けることを同じように繰り返していることだ、そのうえ炎天であったり、涼しい時であっても同じように過ごしているということだ。

かれらはこの兵乱の風塵が飛び交う中でも同じように子供を育てているのだ。それもここまで来るのにとても長い距離を飛んできたということなのである。

私にとってこの秋は、天地が広くよいところがあるとおもっており、わたしはここを去って新しい地に行こうとしているのだ。

 tsubame

(訳注)

雙燕  

(杜甫と妻とのことを喩えて詠う。)

ツバメを見て詠ったものではなく、章彝に荊州・江南への旅を許されて、杜甫と妻とのことを喩えて詠う。

 

旅食 雙燕 ,銜泥 此堂

わたしは浣花渓草堂をおいて旅の空で、梓州の長官の世話になっていて番いの燕に驚ろかされた。それは泥を口に含んでこの北側の奥まった奥座敷に入ってきたことだ。

「旅食」旅の食客。梓州の章彝刺史の所に世話になり、送別、歓迎、季節の催し、遊覧、遊猟などに、その詩文を披露していた。

「入堂」北側の奥まった奥座敷。刺史の官舎の奥座敷、南側に入り口があり、ツバメは北側の入り口には巣を作らないものである。

 

 

應同 ,且復過 炎涼

それは彼らがまさに、乾かすことと湿らせることを避けることを同じように繰り返していることだ、そのうえ炎天であったり、涼しい時であっても同じように過ごしているということだ。

 

養子 風塵 ,來時 道路

かれらはこの兵乱の風塵が飛び交う中でも同じように子供を育てているのだ。それもここまで来るのにとても長い距離を飛んできたというのにである。

「風塵」人世の境、人間、風塵。兵乱の風塵が飛び交う中でも。

「道路」みちのり。

 

今秋 天地 ,吾亦 殊方

私にとってこの秋は、天地が広くよいところがあるとおもっており、わたしはここを去って新しい地に行こうとしているのだ。

「天地在」天から与えられる良い土地。
蜀中転々圖 

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廣徳2年764-73 《暮寒》 ふたたび成都 杜甫<749> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4075 杜甫詩1500-749-986/2500

まだ寒い春の夕刻、酒席の感慨を述べたもの。)こんな時、わたしは以前嘉陵江の盛んな宴会をした時の紅い着物を着た美人袖から出た白い手で、「雲和」の楽器をかき鳴らしたことをふと思い出した。


        
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廣徳2764-73 《暮寒》 ふたたび成都 杜甫<749 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4075 杜甫詩1500-749-986/2500

 

 

製作年: 764  廣德二年  53

卷別:巻十三 卷二二八  文體: 五言律詩 

詩題: 暮寒 

寫作地點: 閬州(山南西道 / 閬州 / 閬州

 

暮寒  

まだ寒い春の夕刻、酒席の感慨を述べたもの。)

霧隱平郊樹,風含廣岸波。

平らかに広がった野辺の樹木に霧がかかって見えなくなってきた。遠方の岸までの波を起たせる風が吹きわたる。

沈沈春色靜,慘慘暮寒多。

春の景色は静かにゆっくりと暮れてゆく。暮時の寒さがしみじみと増してくる。

戍鼓猶長擊,林鶯遂不歌。

東川幕府の屯戍の太鼓は今なお打ち続けられている。林の中から鶯が逃げてしまったのか、鳴く声も聞こえてこない。

忽思高宴會,朱袖拂雲和。

こんな時、わたしは以前嘉陵江の盛んな宴会をした時の紅い着物を着た美人袖から出た白い手で、「雲和」の楽器をかき鳴らしたことをふと思い出した。 

(暮寒)

霧に隱る 平郊の樹,風に含む 廣岸の波。

沈沈として 春色靜かなり,慘慘として 暮寒多し。

戍鼓【じゅうこ】猶お長擊し,林鶯 遂に歌わず。

忽【たちま】ち思う 高まる宴會を,朱袖 雲和を拂いしことを。

少陵台 

 

『暮寒』 現代語訳と訳註

(本文)

暮寒

霧隱平郊樹,風含廣岸波。

沈沈春色靜,慘慘暮寒多。

戍鼓猶長擊,林鶯遂不歌。

忽思高宴會,朱袖拂雲和。

 

(下し文)

(暮寒)

霧に隱る 平郊の樹,風に含む 廣岸の波。

沈沈として 春色靜かなり,慘慘として 暮寒多し。

戍鼓【じゅうこ】猶お長擊し,林鶯 遂に歌わず。

忽【たちま】ち思う 高まる宴會を,朱袖 雲和を拂いしことを。

 

(現代語訳)

まだ寒い春の夕刻、酒席の感慨を述べたもの。)

平らかに広がった野辺の樹木に霧がかかって見えなくなってきた。遠方の岸までの波を起たせる風が吹きわたる。

春の景色は静かにゆっくりと暮れてゆく。暮時の寒さがしみじみと増してくる。

東川幕府の屯戍の太鼓は今なお打ち続けられている。林の中から鶯が逃げてしまったのか、鳴く声も聞こえてこない。

こんな時、わたしは以前嘉陵江の盛んな宴会をした時の紅い着物を着た美人袖から出た白い手で、「雲和」の楽器をかき鳴らしたことをふと思い出した。

 カンナ223

(訳注)

暮寒

764 廣德二年、53の春、山南西道 閬州で、まだ寒い春の夕刻、酒席の感慨を述べたもの。)

 

霧隱平郊樹,風含廣岸波。

平らかに広がった野辺の樹木に霧がかかって見えなくなってきた。遠方の岸までの波を起たせる風が吹きわたる。

・平郊 平らかに広がった野辺。

・風含 顏や体には感じられないのに波が起こる様子をいう。

・廣岸 遠方の方まで岸が続いている。

 

沈沈春色靜,慘慘暮寒多。

春の景色は静かにゆっくりと暮れてゆく。暮時の寒さがしみじみと増してくる。

沈沈 静かに暮れてゆくこと。

春色 日が次第に長くなる様子と、みどりが次第にこくなってゆく景色。

慘慘 しみじみと寒さが「風含」として増してくること。

暮寒 日中が暖かく夕暮れの寒い、温度差があることをいう。

 

戍鼓猶長擊,林鶯遂不歌。

東川幕府の屯戍の太鼓は今なお打ち続けられている。林の中から鶯が逃げてしまったのか、鳴く声も聞こえてこない。

・戍鼓 夕刻に交代する兵士らを整列させる太鼓のおとであるが、杜甫は、この時吐蕃に対する守りを心配していたので特にこうした表現をしたのである。

・長擊 太鼓を打つのが普段より長く打ち続けていることをいう。

・遂不歌 太鼓の音が響けば、鶯は逃げてしまう。鶯は春を告げると李であり、春を呼ぶ鳥である。尾聯の「高宴會,朱袖拂雲和」の妓女もいなくなるということでつながる。

 

忽思高宴會,朱袖拂雲和。

こんな時、わたしは以前嘉陵江の盛んな宴会をした時の紅い着物を着た美人袖から出た白い手で、「雲和」の楽器をかき鳴らしたことをふと思い出した。

・高宴會 高貴なところでの宴会。楽曲が奏でられ、それに合わせて踊りがある。

・朱袖 妓女の紅い袖ということでそこから白い手で瑟を奏でることをいう。

・拂 瑟琴を引くこと。琵琶の様なこと。

・雲和 琴瑟の名産地。浙江省麗水市に位置する県。雲和瑟:雲和とは、山の名で,雲和山があり、その地方で作られる雲和琴瑟がある。また,弦琴樂曲を示すものである。

廣徳2年764-72 《陪王使君晦日泛江就黃家亭子,二首之二》杜甫<748> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4070 杜甫詩1500-748-985/250036

小道がありそこをすすむと日が照りつく金色の砂浜が続く、そこには人っ子一人いなくて緑の草が芳しく匂いを漂わせている。野のあぜ道には蝶々が並んで飛んでいる。嘉陵江沿いの欄干のもとによりそうように鴛鴦がみえる。

        
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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廣徳2764-72 《陪王使君晦日泛江就黃家亭子,二首之二》杜甫<748 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4070 杜甫詩1500-748-985/250036

 


陪王使君晦日泛江就黃家亭子,二首之一 

(閬州刺史王君の伴をして正月三十日に嘉陵江に舟をうかべ、黃家の亭に出かけてあそんだことをのべた詩。)

山豁何時斷,江平不肯流。

いつのまに断絶したのか知らぬ間に山がひらけて広がった、そうして嘉陵江の水はまったいらに広がってすこしも流れていかない。

稍知花改岸,始驗鳥隨舟。

次第に岸辺の花がかわるので、それでやっと飛んでいる鳥も自分たちの舟にくっついて下っているのだなという証拠になるようだ。

結束多紅粉,歡恨白頭。

我我の席に侍しているものは多く身づくろいをした紅粉の妓女たちであるが、おもしろく楽しむにつけても自分の頭の白いのを残念におもう。

非君愛人客,晦日更添愁。 

きょうは王君が賓客を愛してくれ、もてなしてくれるおかげで面白い思いをしたが、そうでなかったならばこの晦日にはさらに愁いを添えたことであろう。

 


(王使君に陪して晦日江に泣かび貴家の草子に就く 二首の一)

山豁にして何の時か断えたる、江平らかにして肯て流れず。

稍【ようや】く知る 花岸に改まるを 始めて験す鳥の舟に随うことを。

結束 紅粉多し 歓娯 白頭なるを恨む。

君が人客を愛するに非ずんば、晦日 更に愁いを添えん。

 


陪王使君晦日泛江就黃家亭子,二首之二

(黃家の亭子に就く様を述べる)

有徑金沙軟,無人碧草芳。

小道がありそこをすすむと日が照りつく金色の砂浜が続く、そこには人っ子一人いなくて緑の草が芳しく匂いを漂わせている。

野畦連蛺蝶,江檻俯鴛鴦。

野のあぜ道には蝶々が並んで飛んでいる。嘉陵江沿いの欄干のもとによりそうように鴛鴦がみえる。

煙花亂,風生錦繡香。

日が落ちかかり晩方になると靄が漂う中に花が咲き乱れる、そこに風が新たに沸き起こり踊り子の錦繡を抜けて來ると芳しい香りを載せてくる。

不須吹急管,衰老易悲傷。

だからといって、わたしはこれに合わせて竹管を急に吹くということなどしない、なぜなら、私は年老いているし、おまけに病気がちで若い女の子には悲しいことにしかならないからだ。

 


(王使君に陪して晦日江に泣かび貴家の草子に就く 二首の二)

徑有り 金沙軟かに,人無くして碧草芳し。

野畦 蛺蝶【きょうちょう】連り,江檻 鴛鴦に俯す。

晚れて 煙花亂れ,風生じて 錦繡【きんしょう】香し。

【もち】いず 急管を吹くを,衰老 悲傷し易し。

 


 


陪王使君晦日泛江就黃家亭子,二首之二』 現代語訳と訳註

(本文)

陪王使君晦日泛江就黃家亭子,二首之二

有徑金沙軟,無人碧草芳。

野畦連蛺蝶,江檻俯鴛鴦。

煙花亂,風生錦繡香。

不須吹急管,衰老易悲傷。

 


(下し文)

(王使君に陪して晦日江に泣かび貴家の草子に就く 二首の二)

徑有り 金沙軟かに,人無くして碧草芳し。

野畦 蛺蝶【きょうちょう】連り,江檻 鴛鴦に俯す。

日晚れて 煙花亂れ,風生じて 錦繡【きんしょう】香し。

須【もち】いず 急管を吹くを,衰老 悲傷し易し。

 


(現代語訳)

(黃家の亭子に就く様を述べる)

小道がありそこをすすむと日が照りつく金色の砂浜が続く、そこには人っ子一人いなくて緑の草が芳しく匂いを漂わせている。

野のあぜ道には蝶々が並んで飛んでいる。嘉陵江沿いの欄干のもとによりそうように鴛鴦がみえる。

日が落ちかかり晩方になると靄が漂う中に花が咲き乱れる、そこに風が新たに沸き起こり踊り子の錦繡を抜けて來ると芳しい香りを載せてくる。

だからといって、わたしはこれに合わせて竹管を急に吹くということなどしない、なぜなら、私は年老いているし、おまけに病気がちで若い女の子には悲しいことにしかならないからだ。

 


miyajima594 


(訳注)

陪王使君晦日泛江就黃家亭子,二首之二

(黃家の亭子に就く様を述べる)

 


有徑金沙軟,無人碧草芳。

小道がありそこをすすむと日が照りつく金色の砂浜が続く、そこには人っ子一人いなくて緑の草が芳しく匂いを漂わせている。

・金沙 金色に見える砂に日が射して輝いている。

 


野畦連蛺蝶,江檻俯鴛鴦。

野のあぜ道には蝶々が並んで飛んでいる。嘉陵江沿いの欄干のもとによりそうように鴛鴦がみえる。

・野畦 川の方からの腹の方に続くあぜ道。

・連蛺蝶 蝶々が並んで飛んでいる。

・江檻 嘉陵江沿いに手摺が設置されている。

 


煙花亂,風生錦繡香。

日が落ちかかり晩方になると靄が漂う中に花が咲き乱れる、そこに風が新たに沸き起こり踊り子の錦繡を抜けて來ると芳しい香りを載せてくる。

・錦繡香 踊り子の錦繡を風が抜けて來ると芳しい香りを載せてくる。

 


不須吹急管,衰老易悲傷。

だからといって、わたしはこれに合わせて竹管を急に吹くということなどしない、なぜなら、私は年老いているし、おまけに病気がちで若い女の子には悲しいことにしかならないからだ。

吹急管 調子の速い曲で竹管を吹奏すること。
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廣徳2年764-71 《陪王使君晦日泛江就黃家亭子,二首之一》 杜甫<747> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4065 杜甫詩1500-747-984/2500

(閬州刺史王君の伴をして正月三十日に嘉陵江に舟をうかべ、黃家の亭に出かけてあそんだことをのべた詩。)いつのまに断絶したのか知らぬ間に山がひらけて広がった、そうして嘉陵江の水はまったいらに広がってすこしも流れていかない。

        
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廣徳2764-71 《陪王使君晦日泛江就黃家亭子,二首之一》 杜甫<747> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4065 杜甫詩1500-747-984/250035

 

 

年: 764  廣德二年  53

卷別: 巻十三 卷二二八  文體: 五言律詩 

詩題: 陪王使君晦日泛江就黃家亭子,二首之一 

製作地: 閬州(山南西道 / 閬州 / 閬州

及地點:  黃家亭子 (山南西道 閬州 閬州)     

交遊人物: 王閬州

 

 

陪王使君晦日泛江就黃家亭子,二首之一 

山豁何時斷,江平不肯流。

稍知花改岸,始驗鳥隨舟。

結束多紅粉,歡恨白頭。

非君愛人客,晦日更添愁。 

(閬州刺史王君の伴をして正月三十日に嘉陵江に舟をうかべ、黃家の亭に出かけてあそんだことをのべた詩。)

いつのまに断絶したのか知らぬ間に山がひらけて広がった、そうして嘉陵江の水はまったいらに広がってすこしも流れていかない。

次第に岸辺の花がかわるので、それでやっと飛んでいる鳥も自分たちの舟にくっついて下っているのだなという証拠になるようだ。

我我の席に侍しているものは多く身づくろいをした紅粉の妓女たちであるが、おもしろく楽しむにつけても自分の頭の白いのを残念におもう。

きょうは王君が賓客を愛してくれ、もてなしてくれるおかげで面白い思いをしたが、そうでなかったならばこの晦日にはさらに愁いを添えたことであろう。

 

(王使君に陪して晦日江に泣かび貴家の草子に就く 二首の一)

山豁にして何の時か断えたる、江平らかにして肯て流れず。

稍【ようや】く知る 花岸に改まるを 始めて験す鳥の舟に随うことを。

結束 紅粉多し 歓娯 白頭なるを恨む。

君が人客を愛するに非ずんば、晦日 更に愁いを添えん。

 

陪王使君晦日泛江就黃家亭子,二首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

陪王使君晦日泛江就黃家亭子,二首之一 

山豁何時斷,江平不肯流。

稍知花改岸,始驗鳥隨舟。

結束多紅粉,歡恨白頭。

非君愛人客,晦日更添愁。 

 

(下し文)

(王使君に陪して晦日江に泣かび貴家の草子に就く 二首の一)

山豁にして何の時か断えたる、江平らかにして肯て流れず。

稍【ようや】く知る 花岸に改まるを 始めて験す鳥の舟に随うことを。

結束 紅粉多し 歓娯 白頭なるを恨む。

君が人客を愛するに非ずんば、晦日 更に愁いを添えん。

 

 

(現代語訳)

(閬州刺史王君の伴をして正月三十日に嘉陵江に舟をうかべ、黃家の亭に出かけてあそんだことをのべた詩。)

いつのまに断絶したのか知らぬ間に山がひらけて広がった、そうして嘉陵江の水はまったいらに広がってすこしも流れていかない。

次第に岸辺の花がかわるので、それでやっと飛んでいる鳥も自分たちの舟にくっついて下っているのだなという証拠になるようだ。

我我の席に侍しているものは多く身づくろいをした紅粉の妓女たちであるが、おもしろく楽しむにつけても自分の頭の白いのを残念におもう。

きょうは王君が賓客を愛してくれ、もてなしてくれるおかげで面白い思いをしたが、そうでなかったならばこの晦日にはさらに愁いを添えたことであろう。

 

 

(訳注)

陪王使君晦日泛江就黃家亭子,二首之一 

(閬州刺史王君の伴をして正月三十日に嘉陵江に舟をうかべ、黃家の亭に出かけてあそんだことをのべた詩。)

○王使君 王閬州をいう、使君は刺史の敬称。

○晦日 正月三十日、唐時の祝日である、のち徳宗の朝にいたり二月一日を中和節となした、それ以前は正月三十日を節目とした。

○江 嘉陵江。

○就 こちらからでむいてその場所にいたること。

○黃家草子 黄氏の設けた亭であろう。

 

山豁何時斷,江平不肯流。

いつのまに断絶したのか知らぬ間に山がひらけて広がった、そうして嘉陵江の水はまったいらに広がってすこしも流れていかない。

○山豁 山あいがからりとひろくひらけていること、閬中県の鋸山関という処あたりは平地の多いところであるという。

○断 山の高地がたちきれていること。

○不肯流 どうしてもながれぬ。

 

稍知花改岸,始驗鳥隨舟。

次第に岸辺の花がかわるので、それでやっと飛んでいる鳥も自分たちの舟にくっついて下っているのだなという証拠になるようだ。

○稍 すこしずつ次第に。

○花改岸 岸上における花がかわってゆく。

○験 まことのしるしのあることをいう。

○鳥随舟 鳥も舟についてさがってくる。

 

結束多紅粉,歡恨白頭。

我我の席に侍しているものは多く身づくろいをした紅粉の妓女たちであるが、おもしろく楽しむにつけても自分の頭の白いのを残念におもう。

○結束 装束におなじ、婦人は身にいろいろのものをつける。

○紅粉 べにやおしろいをつけたもの、すなわち妓女をいう。

 

非君愛人客,晦日更添愁。 

きょうは王君が賓客を愛してくれ、もてなしてくれるおかげで面白い思いをしたが、そうでなかったならばこの晦日にはさらに愁いを添えたことであろう。

○君 王閬州をさす。

〇人客 客人のこと、この日の賓客をいう。

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二艘をひとつにくくった舟は稗なしにひとりでに浮いてゆく。みわたすかぎりすこしも波がたたちはしない。春の日は日増しに長くなり、だから行楽の酒もりをしてくらすにさしつかえなく、河の水は深く澄みきって、妓女のつけた錦羅の舞衣のかげを映す。


        
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廣徳2764-70 《泛江》 ふたたび成都泛江 杜甫<746 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4060 杜甫詩1500-746-983/250034

 


 


製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 巻十三 卷二二八  文體: 五言律詩 

詩題: 泛江 

作地點: 閬州(山南西道 / 閬州 / 閬州) 

 


 


泛江

嘉陵江に舟をうかべたことをのべる。

方舟不用楫,極目總無波。

二艘をひとつにくくった舟は稗なしにひとりでに浮いてゆく。みわたすかぎりすこしも波がたたちはしない。

長日容杯酒,深江淨綺羅。

春の日は日増しに長くなり、だから行楽の酒もりをしてくらすにさしつかえなく、河の水は深く澄みきって、妓女のつけた錦羅の舞衣のかげを映す。

亂離還奏樂,飄泊且聽歌。

いま世は乱れているにもかかわらず音楽を奏し、風に流され漂泊の身のうえながらかりそめにも歌曲をきいているのだ。

故國流清渭,如今花正多。

故郷には清らかな渭水が流れている、そのあたりでは今ごろはちょうど花が多くさきほこっていることであろう。

 


(江に泛かぶ)

方舟 楫を用いず、極目 総て波無し。

長日 盃酒を容る、深江 綺羅に浄し。

乱離にも還た楽を奏す、飄泊 且つ歌を聴く。

故国には清流る、如今 花正に多からん。

 


蜀中転々圖 


泛江』 現代語訳と訳註

(本文)

泛江

方舟不用楫,極目總無波。

長日容杯酒,深江淨綺羅。

亂離還奏樂,飄泊且聽歌。

故國流清渭,如今花正多。

 


(下し文)

(江に泛かぶ)

方舟 楫を用いず、極目 総て波無し。

長日 盃酒を容る、深江 綺羅に浄し。

乱離にも還た楽を奏す、飄泊 且つ歌を聴く。

故国には清渭流る、如今 花正に多からん。

 


(現代語訳)

嘉陵江に舟をうかべたことをのべる。

二艘をひとつにくくった舟は稗なしにひとりでに浮いてゆく。みわたすかぎりすこしも波がたたちはしない。

春の日は日増しに長くなり、だから行楽の酒もりをしてくらすにさしつかえなく、河の水は深く澄みきって、妓女のつけた錦羅の舞衣のかげを映す。

いま世は乱れているにもかかわらず音楽を奏し、風に流され漂泊の身のうえながらかりそめにも歌曲をきいているのだ。

故郷には清らかな渭水が流れている、そのあたりでは今ごろはちょうど花が多くさきほこっていることであろう。

 杏の白花012


(訳注)

泛江

嘉陵江に舟をうかべたことをのべる。

○江 嘉陵江。

この時の様子は『陪王使君晦日泛江就黃家亭子二首』にも述べている。

 


方舟不用楫,極目總無波。

二艘をひとつにくくった舟は稗なしにひとりでに浮いてゆく。みわたすかぎりすこしも波がたたちはしない。

○方舟 舟を二つならべること。

 


長日容杯酒,深江淨綺羅。

春の日は日増しに長くなり、だから行楽の酒もりをしてくらすにさしつかえなく、河の水は深く澄みきって、妓女のつけた錦羅の舞衣のかげを映す。

○長日 春の日は日増しに長くなる、昼間の時間のながいことをいう。

○容盃酒 客は許容の意、そうしてもさしつかえ無いことをいう、盃酒は酒宴をすることをいう。

○淨綺羅 浄の字は深江浄とつづき、江水のきよらかなことをいう、綺羅は副詞として用いる、綺羅の照り映ろうところにの意、綺羅はあやあるうすぎぬ、妓女の着る所のものである。

 


亂離還奏樂,飄泊且聽歌。

いま世は乱れているにもかかわらず音楽を奏し、風に流され漂泊の身のうえながらかりそめにも歌曲をきいているのだ。

○乱離 世がみだれ人人がちりぢりになるとき。

 


故國流清渭,如今花正多。

故郷には清らかな渭水が流れている、そのあたりでは今ごろはちょうど花が多くさきほこっていることであろう。

○故国 長安・洛陽地方をさす。

○清渭 黄河の中で最も清流である渭水の清らかなながれ。

 


(江に泛かぶ)

方舟 楫を用いず、極目 総て波無し。

長日 盃酒を容る、深江 綺羅に浄し。

乱離にも還た楽を奏す、飄泊 且つ歌を聴く。

故国には清渭流る、如今 花正に多からん。

 


 


陪王使君晦日泛江就黃家亭子,二首之一 

山豁何時斷,江平不肯流。

稍知花改岸,始驗鳥隨舟。

結束多紅粉,歡恨白頭。

非君愛人客,晦日更添愁。 

(王使君に陪して晦日江に泣かび貴家の草子に就く 二首の一)

山豁にして何の時か断えたる、江平らかにして肯て流れず。

稍【ようや】く知る 花岸に改まるを 始めて験す鳥の舟に随うことを。

結束 紅粉多し 歓娯 白頭なるを恨む。

君が人客を愛するに非ずんば、晦日 更に愁いを添えん。

 


陪王使君晦日泛江就黃家亭子,二首之二

有徑金沙軟,無人碧草芳。

野畦連蛺蝶,江檻俯鴛鴦。

煙花亂,風生錦繡香。

不須吹急管,衰老易悲傷。

(王使君に陪して晦日江に泣かび貴家の草子に就く 二首の二)

徑有り 金沙軟かに,人無くして碧草芳し。

野畦 蛺蝶【きょうちょう】連り,江檻 鴛鴦に俯す。

晚れて 煙花亂れ,風生じて 錦繡【きんしょう】香し。

【もち】いず 急管を吹くを,衰老 悲傷し易し。

 


廣徳2年764-69 《奉寄別馬巴州》 ふたたび成都 杜甫<745> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4055 杜甫詩1500-745-982/250033

(荊南に赴こうとして馬巴州刺史に別れの詩を寄せる)ここにおいての勲業は漢の伏波将軍の馬猨のようなあなたにそそ帰すべきである。私はこの度京兆の功曹に任ぜられたけれど、それは漢の功曹の蕭何に比して似ても似つかぬものである。わたしは荊南に行こうとここ梓州の砂浜に小舟を長い間停泊させている。南国の荊州、江南地方の水上には多くの浮雲が浮いているのを見ることだろう。


        
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製作年:  764  廣德二年  53

卷別:巻十三 卷二二八  文體: 七言律詩 

詩題: 奉寄別馬巴州

〔自注:時甫除京兆功曹,在東川。〕 

及地點:  巴州 (山南西道 巴州 巴州) 別名:巴中、巴     

交遊人物: 馬巴州

 

 

奉寄別馬巴州

(荊南に赴こうとして馬巴州刺史に別れの詩を寄せる)

〔自注:時甫除京兆功曹,在東川。〕

〔杜甫自身の注:時に杜甫は長安地方の功曹に任ぜられた,東川(梓州の幕府)にいた。〕
勳業終歸馬伏波,功曹非復漢蕭何。 

ここにおいての勲業は漢の伏波将軍の馬猨のようなあなたにそそ帰すべきである。私はこの度京兆の功曹に任ぜられたけれど、それは漢の功曹の蕭何に比して似ても似つかぬものである。

扁舟繫纜沙邊久,南國浮雲水上多。 

わたしは荊南に行こうとここ梓州の砂浜に小舟を長い間停泊させている。南国の荊州、江南地方の水上には多くの浮雲が浮いているのを見ることだろう。

獨把魚竿終遠去,難隨鳥翼一相過。 

私が決意しているのは功曹にはつかず魚釣りの竿を手にどうしても遠くへ行こうと思っているのだ。この鳥が一たび、翼を使って飛び立ってしまえばあなたのもとを通過してしまいあなたに従っていくことが出来なくなるのである。

知君未愛春湖色,興在驪駒白玉珂。 

私はこれから春景色の洞庭湖を愛賞するけれどあなたはまだそのようなことはできないのだ。というのも、あなたはクロ駒に乗って白玉の馬飾を鳴らしてゆくことに趣きを持っておられそれをツラ抜かれるべきであるからである。

 

(異文)

勳業終歸馬伏波【勳業真歸馬伏波】,功曹非復漢蕭何【功曹無復漢蕭何】。

扁舟繫纜沙邊久,南國浮雲水上多。

獨把魚竿終遠去,難隨鳥翼一相過【難隨烏翼一相過】。

知君未愛春湖色,興在驪駒白玉珂。

 

(馬巴州に寄せ 別れ奉る)

〔自注:時に甫 京兆の功曹に除せられ,東川に在る。〕

勳業 終に歸す 馬 伏波たり,功曹 復た漢の蕭何に非ず。 

扁舟 繫纜【けいらん】沙邊に久しく,南國 浮雲 水上に多し。 

獨り魚竿を把んで 終に遠く去り,鳥翼に隨って一たび相い過【よぎ】り難し。 

知るや君 未だ春湖の色を愛せざるを,興は在り驪駒【りく】白玉珂。 

蜀中転々圖

 

『奉寄別馬巴州』 現代語訳と訳註

(本文)

奉寄別馬巴州

〔自注:時甫除京兆功曹,在東川。〕

勳業終歸馬伏波,功曹非復漢蕭何。 

扁舟繫纜沙邊久,南國浮雲水上多。 

獨把魚竿終遠去,難隨鳥翼一相過。 

知君未愛春湖色,興在驪駒白玉珂。 

 

(下し文)

(馬巴州に寄せ 別れ奉る)

〔自注:時に甫 京兆の功曹に除せられ,東川に在る。〕

勳業 終に歸す 馬 伏波たり,功曹 復た漢の蕭何に非ず。 

扁舟 繫纜【けいらん】沙邊に久しく,南國 浮雲 水上に多し。 

獨り魚竿を把んで 終に遠く去り,鳥翼に隨って一たび相い過【よぎ】り難し。 

知るや君 未だ春湖の色を愛せざるを,興は在り驪駒【りく】白玉珂。 

 

(現代語訳)

(荊南に赴こうとして馬巴州刺史に別れの詩を寄せる)

ここにおいての勲業は漢の伏波将軍の馬猨のようなあなたにそそ帰すべきである。私はこの度京兆の功曹に任ぜられたけれど、それは漢の功曹の蕭何に比して似ても似つかぬものである。

わたしは荊南に行こうとここ梓州の砂浜に小舟を長い間停泊させている。南国の荊州、江南地方の水上には多くの浮雲が浮いているのを見ることだろう。

私が決意しているのは功曹にはつかず魚釣りの竿を手にどうしても遠くへ行こうと思っているのだ。この鳥が一たび、翼を使って飛び立ってしまえばあなたのもとを通過してしまいあなたに従っていくことが出来なくなるのである。

私はこれから春景色の洞庭湖を愛賞するけれどあなたはまだそのようなことはできないのだ。というのも、あなたはクロ駒に乗って白玉の馬飾を鳴らしてゆくことに趣きを持っておられそれをツラ抜かれるべきであるからである。

 

 杏の花0055

(訳注)

奉寄別馬巴州

(荊南に赴こうとして馬巴州刺史に別れの詩を寄せる)

〔自注:時甫除京兆功曹,在東川。〕

〔杜甫自身の注:時に杜甫は長安地方の功曹に任ぜられた,東川(梓州の幕府)にいた。〕

杜甫は、764年廣德二年早春、梓州にいたが厳武の働きで京兆功曹に任ぜられたが赴任せず、荊南に赴こうとして馬巴州刺史に寄せた詩である。

 

勳業終歸馬伏波,功曹非復漢蕭何。 

ここにおいての勲業は漢の伏波将軍の馬猨のようなあなたにそそ帰すべきである。私はこの度京兆の功曹に任ぜられたけれど、それは漢の功曹の蕭何に比して似ても似つかぬものである。

馬伏波 後漢の政治家,武将。字は子淵,茂陵(陝西省興平県)の出身。若くして大志をいだき,王莽(おうもう)に仕えて新城大尹となったが,のち隗囂(かいごう)に身を寄せ,さらに光武帝に帰した。太中大夫に任ぜられて涼州を平定し,また隴西(ろうせい)太守となって先零の羌人(きようじん)を討ち,やがて中央に帰って虎賁(こふん)中郎将,ついで伏波将軍となり,交趾討伐に武功を立てて新息侯三千戸に封ぜられた。武陵蛮がそむくや,62歳の老齢で討伐におもむき,陣中で病没した。ここでは同姓でもじったもの。

漢蕭何 蕭 何(しょう か、? - 紀元前193年)は、秦末から前漢初期にかけての政治家。劉邦の天下統一を輔けた、漢の三傑の一人。

 

扁舟繫纜沙邊久,南國浮雲水上多。 

わたしは荊南に行こうとここ梓州の砂浜に小舟を長い間停泊させている。南国の荊州、江南地方の水上には多くの浮雲が浮いているのを見ることだろう。

繫纜 船を停泊させるため艫綱をつなぐことをいう。

 

獨把魚竿終遠去,難隨鳥翼一相過。 

私が決意しているのは功曹にはつかず魚釣りの竿を手にどうしても遠くへ行こうと思っているのだ。この鳥が一たび、翼を使って飛び立ってしまえばあなたのもとを通過してしまいあなたに従っていくことが出来なくなるのである。

 

知君未愛春湖色,興在驪駒白玉珂。

私はこれから春景色の洞庭湖を愛賞するけれどあなたはまだそのようなことはできないのだ。というのも、あなたはクロ駒に乗って白玉の馬飾を鳴らしてゆくことに趣きを持っておられそれをツラ抜かれるべきであるからである。

春湖 洞庭湖のことで、朝廷からの京兆功曹のお役を断って荊州、江南に向かうと決意していることをいう。

白玉珂 白玉の馬飾。馬が歩くとカランカランとなる。

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(荊南へ赴く剣州刺史李某に寄せて別れを告げた詩。)あなたの侠義の高い行いは古今の人をおいのけるほどであるが、この三年のあいださびしく剣州にじっとしておられたということだ。

        
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巻十三 

 

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別:巻十三 卷二二八  文體: 七言律詩 

詩題:將赴荊南寄別李劍州 

作地點:目前尚無資料 

及地點:  劍州 (劍南道北部劍州 劍州)/灩澦堆 (山南東道 夔州 夔州) /仲宣樓 (山南東道 荊州 當陽)     

交遊人物:李劍州

成都遂州00 

 

將赴荊南寄別李劍州

(荊南へ赴く剣州刺史李某に寄せて別れを告げた詩。)

使君高義驅今古,寥落三年坐劍州。

あなたの侠義の高い行いは古今の人をおいのけるほどであるが、この三年のあいださびしく剣州にじっとしておられたということだ。

但見文翁能化俗,焉知李廣未封侯。

ただ、われわれの見る所ではあなたの政治はむかし文翁が教育を以て蜀の風俗を感化したと同じであるが、李広にも此すべきあなたが意外にもいまだに侯位に封ぜられずにいるのである。

路經澦雙蓬鬢,天入滄浪一釣舟。

自分はこれから左右の鬢の毛のもつれた老体をもって急流の灩澦堆の路をとおり、一扁の釣舟に乗じて滄浪の天に入ろうとする。

戎馬相逢更何日,春風回首仲宣樓。

兵乱の際だからまたおあいするのはいつのことになるやら、定めし自分は荊州についたのち魏の王粲「登楼の賦」の遺跡で春風に対して、きっとあなたの方をふりむいてながめることでしょう。

 

(将に荊南に赴かんとして李剣州に寄せ別る)

使君の高義今古を駆る、蓼落三年剣州に坐す。

但だ文翁の能く俗を化するを見て、焉んぞ李広の未だ侯に封ぜられざるを知らん。

路は灩澦【えんよ】双蓬の鬢で経て、天槍 浪に一釣舟で入る。

戎馬相い逢う更に何の日ぞ、春風 仲宜が楼に首を廻らさん。

蜀中転々圖

『將赴荊南寄別李劍州』 現代語訳と訳註

(本文)

將赴荊南寄別李劍州

使君高義驅今古,寥落三年坐劍州。

但見文翁能化俗,焉知李廣未封侯。

路經澦雙蓬鬢,天入滄浪一釣舟。

戎馬相逢更何日,春風回首仲宣樓。

 

(下し文)

(将に荊南に赴かんとして李剣州に寄せ別る)

使君の高義今古を駆る、蓼落三年剣州に坐す。

但だ文翁の能く俗を化するを見て、焉んぞ李広の未だ侯に封ぜられざるを知らん。

路は灩澦【えんよ】双蓬の鬢で経て、天槍 浪に一釣舟で入る。

戎馬相い逢う更に何の日ぞ、春風 仲宜が楼に首を廻らさん。

 

(現代語訳)

(荊南へ赴く剣州刺史李某に寄せて別れを告げた詩。)

あなたの侠義の高い行いは古今の人をおいのけるほどであるが、この三年のあいださびしく剣州にじっとしておられたということだ。

ただ、われわれの見る所ではあなたの政治はむかし文翁が教育を以て蜀の風俗を感化したと同じであるが、李広にも此すべきあなたが意外にもいまだに侯位に封ぜられずにいるのである。

自分はこれから左右の鬢の毛のもつれた老体をもって急流の灩澦堆の路をとおり、一扁の釣舟に乗じて滄浪の天に入ろうとする。

兵乱の際だからまたおあいするのはいつのことになるやら、定めし自分は荊州についたのち魏の王粲「登楼の賦」の遺跡で春風に対して、きっとあなたの方をふりむいてながめることでしょう。

 

(訳注)

將赴荊南寄別李劍州

(荊南へ赴く剣州刺史李某に寄せて別れを告げた詩。)

○刑南 湖北省刑州府江陵県。

○李剣州 剣州の刺史李某、剣州は綿州梓憧県、聞州の西北にあたる。

 

使君高義驅今古,寥落三年坐劍州。

あなたの侠義の高い行いは古今の人をおいのけるほどであるが、この三年のあいださびしく剣州にじっとしておられたということだ。

○使君李をさす、使君は太守の敬称であるが唐人は刺史をさしてかくいう。

○駆今古 今人古人を駆逐するとの意で、たぐいのすくないことをいう。

○蓼落 さびしいさま。

〇三年 刺史の任期であろう。

○坐 じっとしている。

 

但見文翁能化俗,焉知李廣未封侯。

ただ、われわれの見る所ではあなたの政治はむかし文翁が教育を以て蜀の風俗を感化したと同じであるが、漢の李広にも此すべきあなたが意外にもいまだに侯位に封ぜられずにいるのである。

○文翁 漢の時、文翁は蜀郡の守となり、成都に学宮を修め起こし吏民を大いに教化した。

○李広 李広(り こう、? - 紀元前119年)は、中国前漢時代の将軍。文帝・景帝・武帝に仕えた。武勇に優れていたが戦功を認められることなく憤死した。秦の名将の李信の子孫である。従弟に丞相になった李蔡、孫に李陵がいる。

○封侯 侯の爵にとりたでられる。

 

路經澦雙蓬鬢,天入滄浪一釣舟。

自分はこれから左右の鬢の毛のもつれた老体をもって急流の灩澦堆の路をとおり、一扁の釣舟に乗じて滄浪の天に入ろうとする。

○灩澦 唯の名、瞿塘峡口にある。夔州より荊州へ赴く途中に経る所である。

○雙蓬鬢 左右のもつれたぴんの毛。

○天入滄浪 滄浪の天に入ることをいう、滄浪は緑水をいう。「高貴」の漢水は東流して滄浪の水となるとある「滄浪水」のことと説くのは当たらぬ、荊州へゆくのに滄浪水は関係がない。

 

戎馬相逢更何日,春風回首仲宣樓。

兵乱の際だからまたおあいするのはいつのことになるやら、定めし自分は荊州についたのち魏の王粲「登楼の賦」の遺跡で春風に対して、きっとあなたの方をふりむいてながめることでしょう。

○戎馬 兵乱の時をいう。

○仲宜楼 魏の王粲(字は仲宣)は荊州の劉表に依り、当陽県の城楼にのぼって懐郷の念をのべて「登楼賦」をつくった。荊州の州治は今の江陵県で当陽県ではないが、当陽は附近の地ゆえ、其の地の名蹟をあげ用いたのである。
成都関連地図 00 

廣徳2年764-67 《奉寄章十侍御》 ふたたび成都 杜甫<743> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4045 杜甫詩1500-743-980

貴方が朝廷にあがったとしてしめやかにゆったりとした調子で天子が「山野に隠遁しているものがおるか」とお尋ねになっても「江漢(巴蜀)の地に釣り糸をたれているもの(杜甫のこと)がおります」などと言ってはなりません。

  

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廣徳2764-67 《奉寄章十侍御》 ふたたび成都 杜甫<743 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4045 杜甫詩1500-743-980

 
製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 七言律詩 

詩題: 奉寄章十侍御

自注:時初罷梓州刺史東川留後,將赴朝廷,章彝初為嚴武判官,後為武所殺。武再鎮蜀,彝已入覲,豈未行而殺之耶? 

及地點:  揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海   ・河 (都畿道 懷州 )     

交遊人物: 章彝

地點:書信往來(山南西道 閬州 閬州)

 

 

奉寄章十侍御

(章彝に寄せ奉る)
〔時初罷梓州刺史東川留後,將赴朝廷,章彝初為嚴武判官,後為武所殺。武再鎮蜀,彝已入覲,豈未行而殺之耶?〕

(此の時、初めて梓州刺史と東川節度使留守居役をやめ、朝廷に向かうという。又この時初めて厳武判官と出会う、後に厳武は幕府でその役目を殺されていたが、蜀を再び鎮圧したが、章彝はこの時やる気をなくしていた、しかし、どういうわけか殺害するのだがこの期はそういうことにはならなかった。)

淮海維揚一俊人,金章紫綬照青春。 

あなたは淮海の揚州府の出身の者の中で飛び切りの一番すぐれた人であり、腰に佩びる金紫綬は晴れやかなこの春の日を照らしている。

指麾能事迴天地,訓練強兵動鬼神。 

あなたは天子の兵卒を指揮する能力が大いにあるということは天地をも廻旋するようであるとしている。その強兵を訓練する力は鬼神を冴え充分に動かすものである。

湘西不得歸關羽,猶宜借寇恂 

湘西という重要地点は関羽ともいうべき章彝殿の手にはかかることはできなくなるという、河内というこの地に漢の寇恂のような人である章彝殿を借りなくてよいのだ。

朝覲從容問幽仄,勿云江漢有垂綸。 

貴方が朝廷にあがったとしてしめやかにゆったりとした調子で天子が「山野に隠遁しているものがおるか」とお尋ねになっても「江漢(巴蜀)の地に釣り糸をたれているもの(杜甫のこと)がおります」などと言ってはなりません。 

章十侍御に寄せ奉る

〔時に初めて梓州刺史東川留後を罷め,將に朝廷に赴かんとす,章彝 初めて嚴武判官と為し,後 武 所殺と為す。武再び蜀を鎮め,彝 已に覲【きん】に入り,豈に未だ行きて之を殺さんや?〕

淮海【わいかい】維揚【いよう】一俊の人,金章 紫綬 青春を照らす。 

能事を指麾【しぼう】して天地を迴り,強兵を訓練して鬼神を動す。 

湘西【しょうさい】關羽に歸すを得ず,河 猶お宜しく寇恂【こうじゅん】を借るべし。 

朝覲【ちょうきん】從容【じゅうよう】幽仄【ゆうそく】を問うも,勿云れ 「江漢に垂綸有り」と。 

 

 

『奉寄章十侍御』現代語訳と訳註

(本文)

奉寄章十侍御

〔時初罷梓州刺史東川留後,將赴朝廷,章彝初為嚴武判官,後為武所殺。武再鎮蜀,彝已入覲,豈未行而殺之耶?〕

淮海維揚一俊人,金章紫綬照青春。 

指麾能事迴天地,訓練強兵動鬼神。 

湘西不得歸關羽,河猶宜借寇恂。 

朝覲從容問幽仄,勿云江漢有垂綸。 

 

 

(下し文)

章十侍御に寄せ奉る

〔時に初めて梓州刺史東川留後を罷め,將に朝廷に赴かんとす,章彝 初めて嚴武判官と為し,後 武 所殺と為す。武再び蜀を鎮め,彝 已に覲【きん】に入り,豈に未だ行きて之を殺さんや?〕

淮海【わいかい】維揚【いよう】一俊の人,金章 紫綬 青春を照らす。 

能事を指麾【しぼう】して天地を迴り,強兵を訓練して鬼神を動す。 

湘西【しょうさい】關羽に歸すを得ず,河 猶お宜しく寇恂【こうじゅん】を借るべし。 

朝覲【ちょうきん】從容【じゅうよう】幽仄【ゆうそく】を問うも,勿云れ 「江漢に垂綸有り」と。 

 

(現代語訳)

(章彝に寄せ奉る)

(此の時、初めて梓州刺史と東川節度使留守居役をやめ、朝廷に向かうという。又この時初めて厳武判官と出会う、後に厳武は幕府でその役目を殺されていたが、蜀を再び鎮圧したが、章彝はこの時やる気をなくしていた、しかし、どういうわけか殺害するのだがこの期はそういうことにはならなかった。)

あなたは淮海の揚州府の出身の者の中で飛び切りの一番すぐれた人であり、腰に佩びる金紫綬は晴れやかなこの春の日を照らしている。

あなたは天子の兵卒を指揮する能力が大いにあるということは天地をも廻旋するようであるとしている。その強兵を訓練する力は鬼神を冴え充分に動かすものである。

湘西という重要地点は関羽ともいうべき章彝殿の手にはかかることはできなくなるという、河内というこの地に漢の寇恂のような人である章彝殿を借りなくてよいのだ。

貴方が朝廷にあがったとしてしめやかにゆったりとした調子で天子が「山野に隠遁しているものがおるか」とお尋ねになっても「江漢(巴蜀)の地に釣り糸をたれているもの(杜甫のこと)がおります」などと言ってはなりません。

 

 yuugure02

(訳注)

奉寄章十侍御

(章彝に寄せ奉る)

〔時初罷梓州刺史東川留後,將赴朝廷,章彝初為嚴武判官,後為武所殺。武再鎮蜀,彝已入覲,豈未行而殺之耶?〕

(此の時、初めて梓州刺史と東川節度使留守居役をやめ、朝廷に向かうという。又この時初めて厳武判官と出会う、後に厳武は幕府でその役目を殺されていたが、蜀を再び鎮圧したが、章彝はこの時やる気をなくしていた、しかし、どういうわけか殺害するのだがこの期はそういうことにはならなかった。)

○梓州の刺史で東川節度使の留守薬で、侍御史の職を帯びる章彝【しょうい】が刺史と留守居役をやめ、朝廷に向かうというので、章彝の功績をたたえ、別れを惜しみ、合わせて杜甫自身を朝廷に推薦をしないように頼み寄せる詩である。閬州から梓州へ送ったもの早春のことである。

 

 

杜甫の交友「章彝」(章留後)

658 《陪章留後惠義寺餞嘉州崔都督赴州》 蜀中転々 杜甫 <563-#1  

658 《陪章留後惠義寺餞嘉州崔都督赴州》 蜀中転々 杜甫 <563-#2

659 《將適楚留別章使君留後兼幕府諸公得柳字》 蜀中転々 杜甫 <564-#1  

659 《將適楚留別章使君留後兼幕府諸公得柳字》 蜀中転々 杜甫 <564-#2  

659 《將適楚留別章使君留後兼幕府諸公得柳字》 蜀中転々 杜甫 <564-#3

659 《將適楚留別章使君留後兼幕府諸公得柳字》 蜀中転々 杜甫 <565

660 《山寺〔自注:得開字,章留後同遊。〕》 蜀中転々 杜甫 <566-#1>

660 《山寺〔自注:得開字,章留後同遊。〕》 蜀中転々 杜甫 <566-#2>

660 《山寺〔自注:得開字,章留後同遊。〕》 蜀中転々 杜甫 <566-#3>

662 《桃竹杖引贈章留後》 蜀中転々 杜甫 <568-#1>

662 《桃竹杖引贈章留後》 蜀中転々 杜甫 <568-#2> 

662 《桃竹杖引贈章留後》 蜀中転々 杜甫 <568-#3>

692 《陪章留後侍御宴南樓〔得風字。〕》#1 蜀中転々 杜甫 <598

692 《陪章留後侍御宴南樓〔得風字。〕》 蜀中転々 杜甫 <599

701 《章梓州水亭〔自注:時漢中王兼道士席謙在會,同用荷字韻。〕》蜀中転々 杜甫<608

706 《章梓州橘亭餞成都竇少尹〔章使君橘亭餞成都竇少尹〕〔得涼字。〕》 蜀中転々 杜甫 <613

735 《隨章留後新亭會送諸君〔草堂逸詩拾遺〕》 蜀中転々 杜甫 <642

 

 

淮海 維揚 俊人 ,金章 紫綬 青春

あなたは淮海の揚州府の出身の者の中で飛び切りの一番すぐれた人であり、腰に佩びる金紫綬は晴れやかなこの春の日を照らしている。

「淮海維揚」江蘇省、揚州府。章彝はこの地の出身者。

「一俊人」人材千人の中で一番の優れたものをいう。

「金章紫綬」黄金の印、それに掛ける紫の紐。高級官僚の服、

絲帛服飾、衣冠腰帶、綬などをいう。

「青春」青春。 五行思想でどちらも春をいう、盛春のこと。

 

指麾 能事 天地 ,訓練 強兵 動鬼神

あなたは天子の兵卒を指揮する能力が大いにあるということは天地をも廻旋するようであるとしている。その強兵を訓練する力は鬼神を冴え充分に動かすものである。

「指麾能事」兵卒を指揮する能力が大いにあるということ。

「迴天地」天地をも廻旋する力が備わっているようである。

 

湘西 不得 關羽 ,河 猶宜借 寇恂

湘西という重要地点は関羽ともいうべき章彝殿の手にはかかることはできなくなるという、河内というこの地に漢の寇恂のような人である章彝殿を借りなくてよいのだ。

「湘西」梓州のこと。

「歸」手にはかかること。

「關羽」三國蜀のひと。

「河」行政地名、河という重要地点

「借」語義類別:人、行為動作、一般行為(人部)、借。

「寇恂」寇 恂(こう じゅん、? - 建武12年(36年))は、後漢初期の武将、政治家である。字は子翼。上谷郡・昌平県(現在の北京市昌平区)の人(『後漢書』列伝6・本伝)。爵位は雍奴侯。諡号は威侯。光武帝の功臣であり、河内郡太守、潁川郡太守、汝南郡太守、執金吾などを歴任した。「雲台二十八将」の第5位に序せられる(『後漢書』列伝12)。漢の寇恂。寇恂あざなは子翼、上谷昌平の人で、代々の名家である。光武帝の時、寇恂は河内太守を拝命し、大将軍の仕事を代行している。寇恂は経に明るく行いは修まり、名は朝廷で重きをなし、得た秩奉は厚く朋友、胡人及び従っていた吏士に施した。

 

朝覲 從容 幽仄 ,勿云 江漢 垂綸

貴方が朝廷にあがったとしてしめやかにゆったりとした調子で天子が「山野に隠遁しているものがおるか」とお尋ねになっても「江漢(巴蜀)の地に釣り糸をたれているもの(杜甫のこと)がおります」などと言ってはなりません。

「朝覲」朝も覲も天子に見えること。朝は春に参朝することで覲は秋にまみえること。

「從容」ここは能力のあるものという意。

「幽仄」山野に隠遁しているもの、隱士。

「江漢」地名合稱、長江、と漢水。

「垂綸」太公望のように隠遁して川に釣り糸を垂れている人物、隱士をいう。

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(長安に散騎常侍となって帰る高適公に寄せ奉る)君と若いころに汶水のほとりでたがいに逢ってあそんだものたが今からみると随分多くの年を経たものだ。君は元気溌剌で自分の様なものはとても君のようにはなんとしようができはしないのだ。

        
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廣徳2764-66 《奉寄高常侍〔寄高三十五大夫〕》 ふたたび成都奉寄高常侍【寄高三十五大夫】 杜甫<742> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4040 杜甫詩1500-742-979/250030

 



製作年:  764  廣德二年  53

卷別:卷二二八  文體: 七言律詩 

詩題:奉寄高常侍〔寄高三十五大夫〕 

交遊人物/地點: 高適 書信往來(京畿道 京兆府 長安)

 

 

奉寄高常侍〔寄高三十五大夫〕

(長安に散騎常侍となって帰る高適公に寄せ奉る)

汶上相逢年頗多,飛騰無那故人何。

君と若いころに汶水のほとりでたがいに逢ってあそんだものたが今からみると随分多くの年を経たものだ。君は元気溌剌で自分の様なものはとても君のようにはなんとしようができはしないのだ。

總戎楚蜀應全未,方駕曹劉不啻過。

君は楚や蜀に軍務の長官となったがまだ君の才を十分尽くしたのではあるまい。また君の文才は曹楯や劉楯とならんで走っても遠く彼らにすぎているだろう。

今日朝廷須汲黯,中原將帥憶廉頗。

今日朝廷では汲舘のような直諌の臣がいりようなのである。また自分は中原の将帥としては廉頗のような君のことをおもうのである。

天涯春色催遲暮,別遙添錦水波。

いまこの天涯という蜀の春景色は次第に変わっていて、自分の人生、日一日と晩暮もせまり来たるということである。この時に君と直接おあいしてお別れをすることができないけれど、遠く錦江の波に添えて涙をお送りするのである。

 

(高常侍に寄せ奉る)

汶上【ぶんじょう】相い逢う年 頗る多し、飛騰 故人を那何ともする無し。

戎を楚蜀に総【す】ぶるは 応に全く未だなるべし、駕を曹劉に方【なら】ぶるは【ただ】に過ぐるのみならず。

今日 朝廷 汲黯【きゅうあん】を須【ま】つ、中原の将帥【しょうすい】廉頗【れんぱ】を憶う。

天涯の春色 遅暮【ちぼ】催【もよお】す、別涙 遙かに添う 錦水の波。

蜀の山50055 

 

奉寄高常侍』 現代語訳と訳註

(本文)

奉寄高常侍〔寄高三十五大夫〕

汶上相逢年頗多,飛騰無那故人何。

總戎楚蜀應全未,方駕曹劉不啻過。

今日朝廷須汲黯,中原將帥憶廉頗。

天涯春色催遲暮,別淚遙添錦水波。

 

(下し文)

(高常侍に寄せ奉る)

汶上【ぶんじょう】相い逢う年 頗る多し、飛騰 故人を那何ともする無し。

戎を楚蜀に総【す】ぶるは 応に全く未だなるべし、駕を曹劉に方【なら】ぶるは【ただ】に過ぐるのみならず。

今日 朝廷 汲黯【きゅうあん】を須【ま】つ、中原の将帥【しょうすい】廉頗【れんぱ】を憶う。

天涯の春色 遅暮【ちぼ】催【もよお】す、別涙 遙かに添う 錦水の波。

 

(現代語訳)

(長安に散騎常侍となって帰る高適公に寄せ奉る)

君と若いころに汶水のほとりでたがいに逢ってあそんだものたが今からみると随分多くの年を経たものだ。君は元気溌剌で自分の様なものはとても君のようにはなんとしようができはしないのだ。

君は楚や蜀に軍務の長官となったがまだ君の才を十分尽くしたのではあるまい。また君の文才は曹楯や劉楯とならんで走っても遠く彼らにすぎているだろう。

今日朝廷では汲舘のような直諌の臣がいりようなのである。また自分は中原の将帥としては廉頗のような君のことをおもうのである。

いまこの天涯という蜀の春景色は次第に変わっていて、自分の人生、日一日と晩暮もせまり来たるということである。この時に君と直接おあいしてお別れをすることができないけれど、遠く錦江の波に添えて涙をお送りするのである。

 

(訳注)

奉寄高常侍〔寄高三十五大夫〕

(長安に散騎常侍となって帰る高適公に寄せ奉る)

左散騎常侍高適が長安の都へかえるのにつき別れの意をのべて寄せた詩。広徳二年三月成都の作。

○高常侍 左散騎常侍高適のこと。高適は宝応元年夏、厳武の入朝後に成都尹となったが、吐蕃征伐に失敗して松・維・保などの三州を失った。ために厳武が再び高適に代り、高適は召し還された、764年広徳二年三月のことである、高適は京に還って刑部侍郎となり左散騎常侍に転じ、明年765年永泰元年正月に卒した。散騎常侍は過失をいさめ、侍従顧問にそなわる職である。此の詩は送別の作に似ていることからすれば散騎常侍は着京を待たずして任命されたものである。

 

汶上相逢年頗多,飛騰無那故人何。

君と若いころに汶水のほとりでたがいに逢ってあそんだものたが今からみると随分多くの年を経たものだ。君は元気溌剌で自分の様なものはとても君のようにはなんとしようができはしないのだ。

〇汶上 汶上のほとり、牧水は山東省兗州府の西北にある。

○相逢 高適とあう。

〇年頗多 年数を多く経た。作者が高速・李自らを知ったのは天宝三載ごろで今年広徳二年を去ること二十年前のことである。

○飛騰 元気溌剌としていること、「杜位ノ宅ニテ歳ヲ守ル」詩に「飛騰暮景斜メナリ」、守阿戎家,椒盤已頌花。盍簪喧櫪馬,列炬散林鴉。

四十明朝過,飛騰暮景斜。誰能更拘束,爛醉是生涯。

「贈高式顔」詩贈高式顔

昔別是何処、相逢皆老夫。

故人還寂寞、削跡共艱虞。

自失論文友、空知売酒壚。

平生飛動意、見爾不能無。

 (高式顔に贈る)

昔【むかし】別れしは是【こ】れ何れの処なりしぞ、相【あ】い逢えば皆な老夫【ろうふ】なり。

故人は還()た寂寞【せきばく】、跡を削られて 共に艱虞【かんぐ】。

論文【ろんぶん】の友を失いし自()り、空しく知る 売酒【ばいしゅ】の壚【ろ】。

平生【へいぜい】飛動【ひどう】の意【い】、爾【なんじ】を見ては無きこと能【あた】わず。(第二冊二二七ページ)に「平生飛動ノ意」の句がある、飛動も飛騰も意は同じ。ただこの時代、最も重要なのは、身分とされており、この詩題に暗いのあがったことを喜ぶものであることから飛騰を昇任の意ととく方がしぜんである。

○那故人何 故人は旧知の友、適をさす、那何は奈何に同じ、「那」と「何」との間に「故人」をはさんで動詞形とした。「奈何ともするなし」とは自己にはかなわないことをいう。

 

總戎楚蜀應全未,方駕曹劉不啻過。

君は楚や蜀に軍務の長官となったがまだ君の才を十分尽くしたのではあるまい。また君の文才は曹楯や劉楯とならんで走っても遠く彼らにすぎているだろう。

○総戎楚蜀 総戎は軍務をすべておこなえることをいう、楚は江南の地方をさす。高適はさきに揚州大都督・准南節度使であったことがある。蜀は四川省をさす、高適はさきに西川節度使であった。

○応全未 全未の未の字は未だ其の才を尽くさぬことをいう。

〇方駕曹劉 曹劉は三国魏の曹植、劉楨、方駕とは並び馳せることをいう。

○不啻過 はるかに過ぎることをいう。

 

今日朝廷須汲黯,中原將帥憶廉頗。

今日朝廷では汲舘のような直諌の臣がいりようなのである。また自分は中原の将帥としては廉頗のような君のことをおもうのである。

○汲 漢の武帝の臣、直諌を好む、常侍の職にあてていう。

○中原 洛陽地方をいう。

憶 作者がおもうのである。一般人が憶うこととするというのでもよい。

○廉頗 戦国の時の趙の良将である、のち漢の文帝は「廉頗・李牧のごとき将を得るならば匈奴を憂えぬ」と歎美した。

 

天涯春色催遲暮,別淚遙添錦水波。

いまこの天涯という蜀の春景色は次第に変わっていて、自分の人生、日一日と晩暮もせまり来たるということである。この時に君と直接おあいしてお別れをすることができないけれど、遠く錦江の波に添えて涙をお送りするのである。

○天涯 天のはて、局地をさす。

○遅暮 人生の晩暮、老衰をいう。

○別涙 送別のなみだ。

○錦水 錦江。

成都遂州00 

 

(高常侍に寄せ奉る)

汶上 相い逢う年 頗る多し、飛騰 故人を那何ともする無し。

戎を楚蜀に総【す】ぶるは 応に全く未だなるべし、駕を曹劉に方【なら】ぶるは【ただ】に過ぐるのみならず。

今日 朝廷 汲黯【きゅうあん】を須【ま】つ、中原の将帥【しょうすい】廉頗【れんぱ】を憶う。

天涯の春色 遅暮【ちぼ】催【もよお】す、別涙 遙かに添う 錦水の波。

 

 

 

高適の詩

 

kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 146 除夜作 高適

 

杜甫の高適に関する詩

 

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成都(1)浣花渓の草堂(1) 酬高使君相贈 杜甫 <354> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1723 杜甫詩 700- 530

 

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王竟攜酒,高亦同過,共用寒字 七言律詩 成都5-(39) 杜甫 <464  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2405 杜甫詩1000-464-675/1500

 

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聞高常侍亡【案:自注:忠州作。】

 


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この時期鶯が啼いて、四方の空にひびきわたっている、そんな時に巴の地を立ち去ろうとしていたのだ。遠く荊州の方へ下ろうと出船の用意までしたのだ。(ただ、厳武公が帰って来るのでそれはもはややめた。)


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廣徳2年(764)

  正月、敕にて、程元振が変服にて不軌を図ったと称し、湊州へ流した。 だが、代宗皇帝は程元振の功績を想い、 再び令を下して江陵へ安置した。

   乙卯の日、雍王・李适を皇太子に立てた。

   さて、吐蕃軍が長安へ入った時、諸軍の逃亡兵や里の無頼の子弟が集まって盗賊となった。 吐蕃が去ってしまっても、彼等は南山や子午等の五谷に逃げ込んだ ままとなっていた。

   丁巳の日、太子賓客・薛景仙を南山五谷防禦使として、これを討たせたのだった。 数ヶ月掛けても鎮圧できない。代宗皇帝は、李抱玉へ討伐を命じた。 李抱玉は彼らを襲撃し、大いに破った。

   僕固懐恩は辛雲京から猜疑をかけられていて讒言されていた。ついに僕固懐恩は叛旗を翻し、河東都将の李竭を太原に潜入させて 奪取しようとした。しかし、辛雲京に事が露見し、李竭は捕らえられて 誅殺された。それを受けて僕固懐恩は息子の僕固瑒を派遣して太原を陥とそうとした。しかし僕固瑒は大いに敗れ、 帰還の途上で楡次へ進んで城を囲んだ。

 

程元振が有罪となった事件では、李峴が活躍した。 これによって、李峴は宦官達から憎まれた。 だから、劉晏と共にやめさせられたのだった。 右散騎常侍・王縉を黄門侍郎、太常卿・杜鴻漸を兵部侍郎とし、 共に同平章事とした。

   丁卯の日、郭子儀は朔方節度大使となった。

   2月、郭子儀は河中に至り、雲南の将が暴れたので、 郭子儀は十四人を斬首し、三十人を鞭打ちとした。

   さて、僕固瑒は楡次を包囲してから10日以上経ってもこれを 抜くことは出来なかったが、楡次の将士は包囲を突破して李光弼に 使者を派遣し、糧秣に困窮していることを伝えた。

   僕固懐恩が汾州を攻撃すると、郭子儀は汾州へ向かった。 僕固懐恩は郭子儀が接近するのを知ると、帰っていった。

   安禄山の騒乱以来、汴水の水路が壊れたので、 漕運業者は江、漢から梁、洋までは迂回せねばならず、 労費がかかって いた。

 

 

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別:卷二二八  文體: 七言律詩 

詩題:奉待嚴大夫 

作地點:巴州(山南西道 / 巴州 / 巴州

交遊人物:嚴武

 

 

奉待嚴大夫

(厳士太夫をお待ち申し上げる詩。)
殊方又喜故人來,重鎮還須濟世才。

この異方の地でもうないと思っていた旧友が赴任してくるときいて又うれしくおもう。蜀を重ねてこの地を鎮圧するにはやはり時世を救済するだけの才能をもった人が必要なのだ。

常怪偏裨終日待,不知旌節隔年回。

どうして部下の旧将領があなたを朝から晩まで待っていたかを怪しんでいたのだが、あなたにはそれだけの徳があるのだ。それにこの一年挿んであなたの節度使の旗じるしがふたたびこちらへもどられるとは予想外にうれしいことだ。
欲辭巴徼啼鶯合,遠下荊門去鷁催。

この時期鶯が啼いて、四方の空にひびきわたっている、そんな時に巴の地を立ち去ろうとしていたのだ。遠く荊州の方へ下ろうと出船の用意までしたのだ。(ただ、厳武公が帰って来るのでそれはもはややめた。)
身老時危思會面,一生襟抱向誰開。

この身は老境にのぞみ、時世は危難が多いので、ただあなたに面会したいとばかりおもっております、私の一生のむねのうちをあなた以外の誰に向かってぶちまけられようというのです。

 

(厳大夫を待ち奉る)

殊方 又た喜ぶ 故人の来たるを、重鎮 還た須【ま】つ済世の才を。

常に怪しむ 偏碑【へんぴ】終日 持ちしことを、知らず 旌節【せいせつ】隔年に回るを。

巴徼【はきょう】を辞せんと欲すれば啼鶯【ていおう】合す、遠く荊門に下らんとして去鷁【きょげき】催す。

身老い時危くして会面を思い、一生 襟抱 誰に向かってか開かん。

 

蜀中転々圖 

奉待嚴大夫』 現代語訳と訳註

(本文)

奉待嚴大夫

殊方又喜故人來,重鎮還須濟世才。

常怪偏裨終日待,不知旌節隔年回。

欲辭巴徼啼鶯合,遠下荊門去鷁催。

身老時危思會面,一生襟抱向誰開。

 

(下し文)

(厳大夫を待ち奉る)

殊方 又た喜ぶ 故人の来たるを、重鎮 還た須【ま】つ済世の才を。

常に怪しむ 偏碑【へんぴ】終日 持ちしことを、知らず 旌節【せいせつ】隔年に回るを。

巴徼【はきょう】を辞せんと欲すれば啼鶯【ていおう】合す、遠く荊門に下らんとして去鷁【きょげき】催す。

身老い時危くして会面を思い、一生 襟抱 誰に向かってか開かん。

 

(現代語訳)

(厳士太夫をお待ち申し上げる詩。)

この異方の地でもうないと思っていた旧友が赴任してくるときいて又うれしくおもう。蜀を重ねてこの地を鎮圧するにはやはり時世を救済するだけの才能をもった人が必要なのだ。

どうして部下の旧将領があなたを朝から晩まで待っていたかを怪しんでいたのだが、あなたにはそれだけの徳があるのだ。それにこの一年挿んであなたの節度使の旗じるしがふたたびこちらへもどられるとは予想外にうれしいことだ。

この時期鶯が啼いて、四方の空にひびきわたっている、そんな時に巴の地を立ち去ろうとしていたのだ。遠く荊州の方へ下ろうと出船の用意までしたのだ。(ただ、厳武公が帰って来るのでそれはもはややめた。)

この身は老境にのぞみ、時世は危難が多いので、ただあなたに面会したいとばかりおもっております、私の一生のむねのうちをあなた以外の誰に向かってぶちまけられようというのです。

 

 

(訳注)

奉待嚴大夫

(厳士太夫をお待ち申し上げる詩。)

広徳二年の春二月、作者は厳武が剣南節度使となって来任すると聞き、武を待つこころをのべて寄せた詩。巴州においての作。

○厳大夫 剣南節度使厳武をいう。節度使を称して大夫という。宝応元年、武は東川節度使となり、更に西川節度使に任ぜられて東川を摂し、六月召されて入朝した、厳武が杜甫に贈った詩

《寄題杜二錦江野亭》 厳武  蜀中転々 <528(附)  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2840 杜甫詩1000-528(附)-762/1500

酬別杜二  厳武 蜀中転々 杜甫 <534(附-#1)>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2880 杜甫詩1000-534(附-#1)-770/1500

酬別杜二 厳武  蜀中転々 杜甫 <534(附-#2)>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2880 杜甫詩1000-534(附-#2)-770/1500

杜甫がつくった厳武に関する詩は末尾に示す。

厳武について「唐書」では、おおむね次のように示している。

厳武は剣南を三回鎮守したが、いつも重税を課して奢侈を窮めた。ある時は、梓州刺史・章彝のことが少し意に添わなかったので、 呼び出して杖で殴り殺した。吐蕃は厳武を畏れて、 敢えて国境を犯そうとしなかった。

   母は、彼の驕暴をしばしば戒めたが、厳武は従わない。厳武が死ぬ時、母は「これでようやく、官の婢とならずに済みました!」と言った。杜甫とは気が合ったようだ。

 

殊方又喜故人來,重鎮還須濟世才。

この異方の地でもうないと思っていた旧友が赴任してくるときいて又うれしくおもう。蜀を重ねてこの地を鎮圧するにはやはり時世を救済するだけの才能をもった人が必要なのだ。

○殊方 他方、異方、都よりして蜀の地をさす。

○故人 旧知の人、厳武をさす。

○重鎮 重要なしずめの場所。厳武が重ねてこの地を鎮圧すること。

 

常怪偏裨終日待,不知旌節隔年回。

どうして部下の旧将領があなたを朝から晩まで待っていたかを怪しんでいたのだが、あなたにはそれだけの徳があるのだ。それにこの一年挿んであなたの節度使の旗じるしがふたたびこちらへもどられるとは予想外にうれしいことだ。

○偏裨 部下の将領。

○終日待 あさから晩まで来たれかしとまつ。

○旌節 ふさふさとした羽をつけたはたじるし、節度使の象徴。

○隔年回 762年宝応元年より764年今年まであしかけ三年、中一年のへだてである。

 

欲辭巴徼啼鶯合,遠下荊門去鷁催。

この時期鶯が啼いて、四方の空にひびきわたっている、そんな時に巴の地を立ち去ろうとしていたのだ。遠く荊州の方へ下ろうと出船の用意までしたのだ。(ただ、厳武公が帰って来るのでそれはもはややめた。)

○辞 いとまごいして去る。

○巴徼 巴地の国境。

○啼鶯合 合とは四方にとりまくことをいう、篤の鳴くのは二月であろう。

○下荊門 刑門は山の名、刑州にある、刑門に下るとは刺州に下ることをいう。

○去鷁催 鶴は水鳥の名、船首にこの鳥をえがくのにより船首を錦首という、去鶴は立ち去ろうとする船の意、催はせまってきたとの意。

 

身老時危思會面,一生襟抱向誰開。

この身は老境にのぞみ、時世は危難が多いので、ただあなたに面会したいとばかりおもっております、私の一生のむねのうちをあなた以外の誰に向かってぶちまけられようというのです。

○会面 武と面会すること。

〇一生 生涯。

○襟抱 むねのうち。

○向誰開 だれに向かって開こうかとは、あなたより外には開くべき人がないとの意。

 

 

中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之一 蜀中転々 杜甫 <529  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2845 

中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之二蜀中転々 杜甫 <530  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2850 杜甫詩1000-530-764/1500

謝嚴中丞送青城山道士乳酒一瓶 蜀中転々 杜甫 <531  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2855 杜甫詩1000-531-765/1500

嚴公仲夏枉駕草堂兼攜酒饌得寒字 蜀中転々 杜甫 <532  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2860 杜甫詩1000-532-766/1500

嚴公廳宴同詠蜀道畫圖【案:得空字。】 蜀中転々 杜甫 <533  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2865 杜甫詩1000-533-767/1500

奉送嚴公入朝十韻  蜀中転々 杜甫 <534-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2870 杜甫詩1000-534-#1-768/1500

奉送嚴公入朝十韻 蜀中転々 杜甫 <534-#2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2870 杜甫詩1000-534-#2-768/1500

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廣徳2764-89 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之五【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】》 ふたたび成都將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之五【案:寶應二年,嚴武封鄭國公,復節度劍南。】 杜甫<765> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4155 杜甫詩1500-765-1002/250053

遣悶奉呈嚴公二十韻【遣悶奉呈鄭公二十韻】

嚴鄭公階下新松【案:得霑字。】

嚴鄭公宅同詠竹【案:得香字。】

奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻【案:得忘字。】

晚秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟【案:得溪字。池在張儀子城。】

弊廬遣興奉寄嚴公

哭嚴僕射歸櫬

渝州候嚴六侍御不到先下峽

撥悶【贈嚴二別駕】

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廣徳2年764-64 《傷春,五首之五【案:自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。】》 ふたたび成都 杜甫<740> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4030 杜甫詩1500-740-977/250028

(此の篇は軍士が逃散し、残ったのは、宦官で、天子を恨むものがおおく、平和を至すためには君も臣の仁徳を修めることからはじめることが大切だということを説いている。)きくところによると天子、代宗が東方の陜州へ巡幸(実は逃げだしたのである)あそばされたときに、近衛羽林軍はおそれて孤児のように退却逃走したものが多かったというのだ。


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傷春五首(春を傷む)

(春が来ても心は痛む)

〔原注〕 巴闇僻遠、傷春離、始知春前己収宮闕。

(巴蜀の閬州は僻地の田舎だからこの「傷春」の詩をつくってしまったけれど、そのあとに「やっと春より前(76312月)に代宗が長安の御殿に帰りついたことを知った」というのである。)

 

傷春五首〔一〕

〔一〕(代宗が長安から陜州へ逃げたことを悲しんだもの)

天下兵雖滿,春光日自濃。

西京疲百戰,北闕任群凶。

關塞三千里,煙花一萬重。

蒙塵清路急,禦宿且誰供。

殷複前王道,周遷舊國容。

蓬萊足雲氣,應合總從龍。

 

傷春,五首 〔二〕 

(この第二首は家事がままならぬ国事のあり方に傷んだ)

鶯入新年語,花開滿故枝。

天青風卷幔,草碧水通池。

牢落官軍速,蕭條萬事危。

鬢毛元自白,點向來垂。

不是無兄弟,其如有別離。

巴山春色靜,北望轉逶迤。

 

傷春,五首 〔三〕

お守りしなくてはならないものが裏切ったり、逃散して、集結し、一体化して危機にあたらないのを傷ましいと述べる。)

日月還相鬥,星辰屢合圍。

不成誅執法,焉得變危機。

大角纏兵氣,鉤陳出帝畿。

煙塵昏禦道,耆舊把天衣。

行在諸軍闕,來朝大將稀。

賢多隱屠釣,王肯載同歸。

 

傷春,五首 〔

(代宗に仁徳が薄いこと、老化した奸臣、宦官に頼らざるを得なくなった天子と朝廷のあり方、心が痛むことばかりである。『傷春五首』の中で最も痛烈な皮肉を述べる。)

再有朝廷亂,難知消息真。

近傳王在洛,複道使歸秦。

奪馬悲公主,登車泣貴嬪。

蕭關迷北上,滄海欲東巡。

敢料安危體,猶多老大臣。

豈無紹血,沾灑屬車塵。

 

傷春 五首〔五〕(春を傷む 〔五〕)

(此の第は軍士が逃散し、残ったのは、宦官で、天子を恨むものがおおく、平和を至すためには君も臣の仁徳を修めることからはじめることが大切だということを説いている。)

初東幸,孤兒卻走多。

難分太倉粟,競棄魯陽戈。

胡虜登前殿,王公出禦河。

得無中夜舞,誰憶大風歌。

春色生烽燧,幽人泣薜蘿。

君臣重修德,猶足見時和。

 

 

傷春 五首〔五(春を傷む 〔五〕)

(此の第は軍士が逃散し、残ったのは、宦官で、天子を恨むものがおおく、平和を至すためには君も臣の仁徳を修めることからはじめることが大切だということを説いている。)

初東幸,孤兒卻走多。

きくところによると天子、代宗が東方の陜州へ巡幸(実は逃げだしたのである)あそばされたときに、近衛羽林軍はおそれて孤児のように退却逃走したものが多かったというのだ。

難分太倉粟,競棄魯陽戈。

募兵をしても集まらないのは、天子の御倉米を分給することをさせない悪者がいたのであり、それこそが、天日を引き戻らせるという、劣勢挽回の切り札であった「魯陽戈」なげすてたということなのである。

胡虜登前殿,王公出禦河。

その結果は異民族の吐蕃が大明宮紫微殿かけのぼるという、王公の御歴歴のお方が渭水・黄河のほとりへと並んで出てゆくことになった。

得無中夜舞,誰憶大風歌。

れほどの国の危機というのに、祖逖のごとく夜なかに難の声を聞いて起きて舞って、「誓う」という憂国の士が無いということはありえないことであるし、天下を平らげて「大風歌」にいうごとくみんなに酒を振る舞いができることを憶うものはだれも居ない。

春色生烽燧,幽人泣薜蘿。

昼ののろしに次いで夜ののろしが相次ぐ様な風雲急を告げるような事態が生じても、それに対して何も手を打たなくてものどかな春景色にはなるものである。蔦蔓にまかれて、静かに隠遁している者の所にもこの悲しい事態は聞こえてきて泣くばかりである。

君臣重修德,猶足見時和

天子も官僚たち、家臣臣もろともに重ねて仁徳を修めることである。そうすれば季節が変わって行く様にまだ時世の平和を見ることに充分なってゆくものであって、決しておそくはないのである。

傷春,五首 〔五〕

聞く説【なら】く 初めて東幸せしとき、孤児 却走せしもの多かりきと。

分かつを難【はばか】る 太倉の粟【ぞく】、競いで棄つ 魯陽の戈。

胡虜 前殿に登り、王公 御河に出づ。

「中夜の舞」無きを得んや、誰か憶わん「大風の歌」を。

春色あるも烽燧【ほうすい】に生じ、幽人は薜羅【へいら】に泣く。

君臣は重ねて徳を修めれば、猶お時和を見るに足らん。

大明宮-座標02 

 

『傷春,五首 〔五〕』 現代語訳と訳註

(本文)

傷春 五首〔五〕(春を傷む 〔五〕)

初東幸,孤兒卻走多。

難分太倉粟,競棄魯陽戈。

胡虜登前殿,王公出禦河。

得無中夜舞,誰憶大風歌。

春色生烽燧,幽人泣薜蘿。

君臣重修德,猶足見時和。

 

(下し文)

傷春,五首 〔五〕

聞く説【なら】く 初めて東幸せしとき、孤児 却走せしもの多かりきと。

分かつを難【はばか】る 太倉の粟【ぞく】、競いで棄つ 魯陽の戈。

胡虜 前殿に登り、王公 御河に出づ。

「中夜の舞」無きを得んや、誰か憶わん「大風の歌」を。

春色あるも烽燧【ほうすい】に生じ、幽人は薜羅【へいら】に泣く。

君臣は重ねて徳を修めれば、猶お時和を見るに足らん。

 

(現代語訳)

(此の第は軍士が逃散し、残ったのは、宦官で、天子を恨むものがおおく、平和を至すためには君も臣の仁徳を修めることからはじめることが大切だということを説いている。)

きくところによると天子、代宗が東方の陜州へ巡幸(実は逃げだしたのである)あそばされたときに、近衛羽林軍はおそれて孤児のように退却逃走したものが多かったというのだ。

募兵をしても集まらないのは、天子の御倉米を分給することをさせない悪者がいたのであり、それこそが、天日を引き戻らせるという、劣勢挽回の切り札であった「魯陽戈」なげすてたということなのである。

その結果は異民族の吐蕃が大明宮紫微殿かけのぼるという、王公の御歴歴のお方が渭水・黄河のほとりへと並んで出てゆくことになった。

これほどの国の危機というのに、祖逖のごとく夜なかに難の声を聞いて起きて舞って、「誓う」という憂国の士が無いということはありえないことであるし、天下を平らげて「大風歌」にいうごとくみんなに酒を振る舞いができることを憶うものはだれも居ない。

昼ののろしに次いで夜ののろしが相次ぐ様な風雲急を告げるような事態が生じても、それに対して何も手を打たなくてものどかな春景色にはなるものである。蔦蔓にまかれて、静かに隠遁している者の所にもこの悲しい事態は聞こえてきて泣くばかりである。

天子も官僚たち、家臣臣もろともに重ねて仁徳を修めることである。そうすれば季節が変わって行く様にまだ時世の平和を見ることに充分なってゆくものであって、決しておそくはないのである。

 

 

(訳注)

傷春 五首〔五〕

初東幸,孤兒卻走多。

きくところによると天子、代宗が東方の陜州へ巡幸(実は逃げだしたのである)あそばされたときに、近衛羽林軍はおそれて孤児のように退却逃走したものが多かったというのだ。

○聞説 他人の説くのを聞くこと、「聞道」と同意。

○東幸 代宗が長安より逃がれて東の方陜州に行幸した。

○孤児 漢の時、「軍に従いて事に死する者」の子を取って羽林(禁軍)に養いこれに武技を教え、これを「羽林孤児」と号した、ここは近衛軍をさす。

○却走 しりぞきはしる。

 

難分太倉粟,競棄魯陽戈。

募兵をしても集まらないのは、天子の御倉米を分給することをさせない悪者がいたのであり、それこそが、天日を引き戻らせるという、劣勢挽回の切り札であった「魯陽戈」なげすてたということなのである。

○難分 難ははばかる、それを容易にできないようにすること。分は分給すること。

○大倉 天子のおこめぐら。これを守備管理していたのは宦官の軍隊である驃騎大将軍の程元振は横暴に振る舞っていて手を出せなかったことをいう。

○粟 もみのままの米。

○競棄 きそいあらそうてすてる。

○魯陽戈 「淮南子」に魯陽公、韓と戦いて日暮る、文を援きて之を磨けば日返ること三舎(一合は三十里)なり、との話がみえる、魯陽戈は落ちかかる太陽を呼び返す方法であり、劣勢を挽回する武器の意に用いている。

 

胡虜登前殿,王公出禦河。

その結果は異民族の吐蕃が大明宮紫微殿かけのぼるという、王公の御歴歴のお方が渭水・黄河のほとりへと並んで出てゆくことになった。

○胡虜 異民族のえびす、吐蕃をさす。

○前殿 大明宮紫微殿。

○御河 天子の巡幸中に属する河。河は黄河、隣州は黄河のほとりにある。

 

得無中夜舞,誰憶大風歌。

これほどの国の危機というのに、祖逖のごとく夜なかに難の声を聞いて起きて舞って、「誓う」という憂国の士が無いということはありえないことであるし、天下を平らげて「大風歌」にいうごとくみんなに酒を振る舞いができることを憶うものはだれも居ない。

○中夜舞 晋の祖逖の故事、祖逖之誓のことをいう。 •命がけの決意。目的が達成されるまでは生きて帰らないという、命がけの誓い。•東晋の祖逖が、夜鶏が鳴くのを聞き、飛びあっておき上がり、ひと躍りして、これは非常の知らせであると、異民族討伐に出陣する際、目的を果たさなければ二度と帰らないと誓った故事からの語です。

○大風歌 漢の高祖が天下を平らげてのち故郷の浦に帰り宴をなしたとき作った歌である。その歌にはいう、 漢の高祖(劉邦)『大風歌』 

 大風起兮雲飛揚。 威加海内兮歸故鄕。 安得猛士兮守四方!

(大風の歌) 大風起きて 雲飛揚す。 威は 海内に 加わりて 故鄕に歸る。 安(いづ)くにか 猛士を 得て 四方を 守らしめん!

「天下は一統したが猛士を得て四方を守りさらに平和をつづけてゆきたいものだ」との意を述べた歌である。このような、天下平定の業が終えかけている時に、郷里の沛を通って村のみんなに酒を振る舞い、健児・漢児を得て、高祖自らが筑を持って舞い歌ったという、得意の絶頂期の作とも謂えるものである。

 

春色生烽燧,幽人泣薜蘿。

昼ののろしに次いで夜ののろしが相次ぐ様な風雲急を告げるような事態が生じても、それに対して何も手を打たなくてものどかな春景色にはなるものである。蔦蔓にまかれて、静かに隠遁している者の所にもこの悲しい事態は聞こえてきて泣くばかりである。

○烽燧 昼ののろし火と夜ののろし火、或はその逆ともいう、危急を報知するあいずに用いるもの。

○幽人 幽静にくらす人、隠遁者、自己をさす。

○薜蘿 つたかずら、山中にあるもの、隠退生活の象徴である。

 

君臣重修德,猶足見時和。

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〇時和 いまの時、世の平和。

廣徳2年764-63 《 傷春,五首〔四〕 》 ふたたび成都 杜甫<739> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4025 杜甫詩1500-739-976/250027

(代宗に仁徳が薄いこと、老化した奸臣、宦官に頼らざるを得なくなった天子と朝廷のあり方、心が痛むことばかりである。『傷春五首』の中で最も痛烈な皮肉を述べる。)吐蕃の侵略に加え、また朝廷のなかでは叛乱や裏切りがあってまた乱れた。代宗は陜州にお逃げになられその消息はわかりにくい。

 

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廣徳2764-63 《 傷春,五首〔四〕 》  杜甫<739> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4025 杜甫詩1500-739-976/250027

 


詩の背景(唐書を抜粋して、この時の情勢解説)

76310月 吐蕃が入寇した時、程元振はすぐには上奏しなかったので、結局は代宗皇帝が慌てふためいて疎開する羽目となった。 代宗皇帝が詔を発して諸道の兵を徴発しても、李光弼らは程元振が居ることを忌み、だれも駆けつけなかった。 中外は歯がみしたが、敢えて口に出す者はいなかった。


 
  まもなく吐蕃軍は長安を陥落した。吐蕃軍は 広武王・李承宏を皇帝に立てて傀儡とした。吐蕃軍は府庫を掠奪、士民は皆、乱を避けて山中や谷間に逃げる者は、数え切れないほどであった。

余りに簡単に陥落したので、吐蕃人は疑り深く、また、長安を占領しているものの吐蕃軍は間延びした形になっていた。ただ唐軍の主力に出くわしておらず、 心に疑念をもっていたのである。計略を恐れていたのである。」


 
  郭子儀は疑兵を用いて敵を退けることにした。郭子儀は一部隊に城外の山上に登らせ、一万以上のたいまつとかがり火をたかせ、太鼓を激しく打たせ、 威勢のある大声をあげさせ、それと同時に騎兵一隊を派遣して四方から出て城下を巡らせ、大軍が迫っている 様子を演出し、 しかも人を派遣して長安城内に潜入させて数百人の少年を誘って、夜中に四方で太鼓を打たせ、大声で、   「郭子儀様がやってきたぞ!唐軍が攻めてきたぞ!」   と叫ばせた。果たして、吐蕃軍は驚き慌てて長安から 急いで西方に撤収していった。


 12月 丁亥の日、吐蕃軍が去ったことを知り、代宗の車駕が陜州を出発し、京師へ戻った。
この時、左丞・顔眞卿は、まず陵廟へ謁してから宮へ帰るよう 代宗皇帝へ請うた。この時の側近、元載は従わないまま宮殿に入った。この元載も、後、裏切る。

楓の花001 


傷春,五首之四

(代宗に仁徳が薄いこと、老化した奸臣、宦官に頼らざるを得なくなった天子と朝廷のあり方、心が痛むことばかりである。『傷春五首』の中で最も痛烈な皮肉を述べる。)

再有朝廷亂,難知消息真。

吐蕃の侵略に加え、また朝廷のなかでは叛乱や裏切りがあってまた乱れた。代宗は陜州にお逃げになられその消息はわかりにくい。近傳王在洛,複道使歸秦。

ちかごろ聞いた話では「吾が君王は洛陽におられるというが、また反復常なきこと張儀のごとき使者(郭子儀)は吐蕃がおさえている秦の地、長安に向い、帰られる道を整えてくれるだろう。
奪馬悲公主,登車泣貴嬪。

吐蕃の侵入のためには、馬をうばわれて悲しんでいる公主(天子の姫宮)もあり、虜にしてつれてゆかれようとして単にのぼらせられて泣く貴嬪もある。

蕭關迷北上,滄海欲東巡。

吾が君王は漢の武帝のように粛関の方へ北行されると迷われ、或はさらに秦の始皇帝のように東方に巡幸しょうとお考えになってほしいと思うのである。

敢料安危體,猶多老大臣。

朝廷は何とこんなにも危なっかしい体制で、その上まだ、老年の大臣が多く居られることだから、かれこれと私がおしはかることは全く意味のないことである。

豈無紹血,沾灑屬車塵。

また、いざ大事という際には晋の恵帝の嵇紹のごとく敵の前に身を捨てておまもりするものがいないのか、御供の車の塵まですぐきれいにしめった布で拭き直しなおし、きめ細やかにお世話をし、御守りするものがいないのであろうか。

 


傷春,五首 〔四〕

再び 朝廷 乱れる有り、知り難し 消息の真なるを。

近ごろ伝う 王 洛に在りと、復た道【い】う 使い秦に帰ると。

奪馬 公主悲しみ、登車 貴嬪を泣かす。

蕭関 北上に迷い、滄海 東巡せんと欲す。

敢て料らんや 安危の体を、猶お多し 老いたる大臣。

豈に紹【けいしょう】の血のごとく、属車の塵に沾灑する無からんや。

 


 


『傷春,五首之四』 現代語訳と訳註

(本文)

傷春,五首之四

再有朝廷亂,難知消息真。

近傳王在洛,複道使歸秦。

奪馬悲公主,登車泣貴嬪。

蕭關迷北上,滄海欲東巡。

敢料安危體,猶多老大臣。

豈無紹血,沾灑屬車塵。

 


(下し文)

傷春,五首 〔四〕

再び 朝廷 乱れる有り、知り難し 消息の真なるを。

近ごろ伝う 王 洛に在りと、復た道【い】う 使い秦に帰ると。

奪馬 公主悲しみ、登車 貴嬪を泣かす。

蕭関 北上に迷い、滄海 東巡せんと欲す。

敢て料らんや 安危の体を、猶お多し 老いたる大臣。

豈に紹【けいしょう】の血のごとく、属車の塵に沾灑する無からんや。

 


 


(現代語訳)

(代宗に仁徳が薄いこと、老化した奸臣、宦官に頼らざるを得なくなった天子と朝廷のあり方、心が痛むことばかりである。『傷春五首』の中で最も痛烈な皮肉を述べる。)

吐蕃の侵略に加え、また朝廷のなかでは叛乱や裏切りがあってまた乱れた。代宗は陜州にお逃げになられその消息はわかりにくい。

ちかごろ聞いた話では「吾が君王は洛陽におられるというが、また反復常なきこと張儀のごとき使者(郭子儀)は吐蕃がおさえている秦の地、長安に向い、帰られる道を整えてくれるだろう。

吐蕃の侵入のためには、馬をうばわれて悲しんでいる公主(天子の姫宮)もあり、虜にしてつれてゆかれようとして単にのぼらせられて泣く貴嬪もある。

吾が君王は漢の武帝のように粛関の方へ北行されると迷われ、或はさらに秦の始皇帝のように東方に巡幸しょうとお考えになってほしいと思うのである。

朝廷は何とこんなにも危なっかしい体制で、その上まだ、老年の大臣が多く居られることだから、かれこれと私がおしはかることは全く意味のないことである。

また、いざ大事という際には晋の恵帝の嵇紹のごとく敵の前に身を捨てておまもりするものがいないのか、御供の車の塵まですぐきれいにしめった布で拭き直しなおし、きめ細やかにお世話をし、御守りするものがいないのであろうか。

 


傷春五首〔四〕〔原注〕 巴闇僻遠、傷春離、始知春前己収宮閲

(春が来ても心は痛む)

(巴蜀の閬州は僻地の田舎だからこの「傷春」の詩をつくってしまったけれど、そのあとに「やっと春より前(76312月)に代宗が長安の御殿に帰りついたことを知った」というのである。)これは収京の事実を知ってからかきそえた文句なのだ。したがって、詩のなかにはすこしも収京を知ったことにふれていない。○傷春 寿げしきを見て心をいたましめたこと、代宗がお逃げになられたことを悲しんだものである。

○巴閬 巴蜀、閬州をいう。

○傷春罷 この「傷春」の詩をつくりおわったことをいう。

○春前 春より以前に。(76312月)

○収宮闕 長安の宮門をとりかえす。吐蕃は広徳元年十月に長安を陥落させ、十二月に退却した。代宗は十二月に還京されたことをいう。

五首之四

此の第は、代宗に仁徳が薄いこと、老化した奸臣、宦官に頼らざるを得なくなった天子と朝廷のあり方、心が痛むことばかりである。『傷春五首』の中で最も痛烈な皮肉を述べる。)

 


再有朝廷亂,難知消息真。

吐蕃の侵略に加え、また朝廷のなかでは叛乱や裏切りがあってまた乱れた。代宗は陜州にお逃げになられその消息はわかりにくい。

○再有 再とはさきに安禄山の乱、今また吐蕃が侵略、長安が陥落は、朝廷内の内乱、裏切りにより、吐蕃を引き入れ、傀儡の皇帝まで宦官の程元振が首謀者で長安は大パニックになったことをいう。

○消息 代宗が陜州に逃げ、大衆のもとに過信が終結しなくて反撃ができないことまでは分かっているが、洛陽には敵がいないことでどうやら安全ということで洛陽に入られたようだという、実際には、代宗は長安に帰っていた。反撃して長安に帰ったのであれば、歓呼に迎えられ、歸朝を大々的に発信されるのであろうが、逃げ回っているため、発表されなかったもの。

 


近傳王在洛,複道使歸秦。

ちかごろ聞いた話では「吾が君王は洛陽におられるというが、また反復常なきこと張儀のごとき使者(郭子儀)は吐蕃がおさえている秦の地、長安に向い、帰られる道を整えてくれるだろう。

○王在洛 王は代宗。

○洛 洛陽、仇氏は後漢の献帝が洛陽に帰った故事を用いているとしている。代宗は洛陽に入っていない。

○使帰秦 秦は長安のこと。陜州から長安に使いを出して、交渉し、策略で帰京しようとした。

 


奪馬悲公主,登車泣貴嬪。

吐蕃の侵入のためには、馬をうばわれて悲しんでいる公主(天子の姫宮)もあり、虜にしてつれてゆかれようとして単にのぼらせられて泣く貴嬪もある。

○奪馬悲公主 北魂の高歓が晋陽より鍪口に出るとき、道で北郷長公主に逢い、その馬三百匹を尽く奪ってこれを売った。吐蕃が侵入するさい、したときこれに類した行為があったことをいう。侵略を防御すべき涇州刺史の高暉はまもるべきをこともあろうに、これに降り、吐蕃の為に道案内となって深く引き入れたのである。

○登車泣貴嬪 晋の成帝の威和三年五月、蘇唆が迫って天子を石頭城に遷したとき、帝は衷泣して車に乗り、宮中は慟哭した。長安を陥落させた吐蕃軍は 広武王・李承宏を皇帝に立てて傀儡とした。吐蕃軍は府庫を掠奪、士民は皆、乱を避けて山中や谷間に逃げる者が 数え切れないほどであった。そして後宮の貴女・宮女を捕虜にして去ったことをいう。

 


蕭關迷北上,滄海欲東巡。

吾が君王は漢の武帝のように粛関の方へ北行されると迷われ、或はさらに秦の始皇帝のように東方に巡幸しょうとお考えになってほしいと思うのである。

○粛関 関の名、甘粛省平涼府鎮原県の西北にある、漠の武帝は元封四年に確に行幸して五時を弼り、回申の道を通じ、遂に北のかた弄関を出た。代宗を武帝に此する。

○迷北上 北上は北行に同じ、北の地勢がたかいので北上という、迷とはゆくともあてどのないことをいう。

○滄海欲東巡 滄海はひろいうみ、東巡とは始皇帝が天下統一のために東方を巡視したこと。秦の始皇は帝位に即いて三年、東のかた郡県を巡り、雛の嶧山を祠り、また渤海にそって東し、黄・睡を過ぎ、成山の頂を窮め、之芣に登り石を立てて秦の徳を頌した。代宗が始皇のようにしてくれたらいいという希望を述べている。杜甫はできるとは全く思っていない。

 


敢料安危體,猶多老大臣。

朝廷は何とこんなにも危なっかしい体制で、その上まだ、老年の大臣が多く居られることだから、かれこれと私がおしはかることは全く意味のないことである。

○敢料 反語である、おしはかることをせぬという意である。全く意味のないことである。

○安危体 国家の安危のさま。

○老大臣 朝廷にある大臣の年寄り。元気のいいものは宦官を懼れて朝廷に寄りつかなくて、残ったのは意見を述べない、行動できない年寄りばかりであったことをいう。

 


豈無紹血,沾灑屬車塵。

また、いざ大事という際には晋の恵帝の嵇紹のごとく敵の前に身を捨てておまもりするものがいないのか、御供の車の塵まですぐきれいにしめった布で拭き直しなおし、きめ細やかにお世話をし、御守りするものがいないのであろうか。

○豈無 無いことはあるまい、あるだろう。

○嵇紹血 晋の恵帝の時八王の乱あり、「成都王頴、京師に入り丞相となり己にして鄴に還る、東海王越、帝の命を奉じて頴を征す、司馬穎、之を蕩陰に拒ぐ、帝を奉じたる越が軍敗績す、侍中嵇紹、身を以て帝を衛り殺さる、血、帝の衣に濺ぐ、司馬司馬頴、帝を迎えて鄴に入る、左右帝の衣を浣わんと欲す、帝日く、嵇紹侍中が血なり、洗うことなかれと、頴、帝を奉じて洛に還る。」とある。八王の乱(はちおうのらん)とは、中国の王朝晋(西晋)の滅亡のきっかけを作った皇族同士の内乱である。晋により、中国は100年に渡る三国時代に終止符を打って全土が統一されたが、その平和は僅か数十年で崩れ去り、この後中国は隋が統一するまでのおよそ300年にわたり、再び動乱の時代となる。八王の乱の流れはとても複雑であるが、端的に言えば十の事件(クーデター・内戦・市街戦)を総称して八王の乱という。

○沾灑 うるおし、そそぐ。天子の車を汚れてもすぐきれいにしめった布で拭き直しなおすこと。きめ細やかにお世話をし、御守りすること。

○屬車 おとものくるま。

 


杏の花022 


傷春五首(春を傷む)

(春が来ても心は痛む)

〔原注〕 巴闇僻遠、傷春離、始知春前己収宮闕。

(巴蜀の閬州は僻地の田舎だからこの「傷春」の詩をつくってしまったけれど、そのあとに「やっと春より前(76312月)に代宗が長安の御殿に帰りついたことを知った」というのである。)

 


傷春五首〔一〕

〔一〕(代宗が長安から陜州へ逃げたことを悲しんだもの)

天下兵雖滿,春光日自濃。

西京疲百戰,北闕任群凶。

關塞三千里,煙花一萬重。

蒙塵清路急,禦宿且誰供。

殷複前王道,周遷舊國容。

蓬萊足雲氣,應合總從龍。

 


傷春,五首 〔二〕 

(この第二首は家事がままならぬ国事のあり方に傷んだ)

鶯入新年語,花開滿故枝。

天青風卷幔,草碧水通池。

牢落官軍速,蕭條萬事危。

鬢毛元自白,點向來垂。

不是無兄弟,其如有別離。

巴山春色靜,北望轉逶迤。

 


傷春,五首 〔三〕

お守りしなくてはならないものが裏切ったり、逃散して、集結し、一体化して危機にあたらないのを傷ましいと述べる。)

日月還相鬥,星辰屢合圍。

不成誅執法,焉得變危機。

大角纏兵氣,鉤陳出帝畿。

煙塵昏禦道,耆舊把天衣。

行在諸軍闕,來朝大將稀。

賢多隱屠釣,王肯載同歸。

 


傷春,五首 〔

(代宗に仁徳が薄いこと、老化した奸臣、宦官に頼らざるを得なくなった天子と朝廷のあり方、心が痛むことばかりである。『傷春五首』の中で最も痛烈な皮肉を述べる。)

再有朝廷亂,難知消息真。

近傳王在洛,複道使歸秦。

奪馬悲公主,登車泣貴嬪。

蕭關迷北上,滄海欲東巡。

敢料安危體,猶多老大臣。

豈無紹血,沾灑屬車塵。

 


傷春 五首〔五〕(春を傷む 〔五〕)

初東幸,孤兒卻走多。

難分太倉粟,競棄魯陽戈。

胡虜登前殿,王公出禦河。

得無中夜舞,誰憶大風歌。

春色生烽燧,幽人泣薜蘿。

君臣重修德,猶足見時和。

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日と月でさえ、互いに闘い日蝕をおこすことがあり、星座同士はたびたび一方が他のものを包囲することがある。(役職で諫言をすべきもの、朝廷の百官は星座であり、天子を囲みお助けするものである。)

2014年4月9日

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廣徳2764-62 《傷春,五首之三【案:自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。】》ふたたび成都 杜甫<738> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4020 杜甫詩1500-738-975/250026

 

([唐書]の抜粋)

廣徳元年(763)  10月、

吐蕃が涇州へ来寇した。涇州刺史の高暉は城を以てこれに降り、彼の為に道案内となって、吐蕃軍を深く引き入れる。 吐蕃軍が奉天、武功へ来寇し、京師はパニックとなった。代宗皇帝は兵を動員しようとしていたが、 吐蕃軍は既に便橋を渡ったので、慌てふためいて為す術を知らなかった。代宗皇帝は陜州へ疎開する。吐蕃軍は長安を陥落させた。吐蕃軍は 広武王・李承宏を皇帝に立てて傀儡とした。吐蕃軍は府庫を掠奪、士民は皆、乱を避けて山中や谷間に逃げる者が数え切れないほどであった。 官吏はあちこち逃げ回り、六軍は逃げ散った。代宗皇帝は詔を下して、雍王・李适を関内元帥とし、郭子儀を副元帥として吐蕃軍に当たらせることとした。郭子儀は只ちに動いたが、吐蕃軍が20万の大軍で 侵攻して来ていたので、募兵することにした。
 

代宗は『士を募って朝廷へ集まれ。朕の悪が改まらないと思うのなら、帝王の大器を天下の聖賢へ譲ろう。』と号令したが、それでも兵がやって来ず、人々も感動せず、天下が服従しなかった
 

  12月 略奪の限りを尽くした吐蕃軍が戦力を整えるため引き去った。(この詩ではこの情報が伝わっていない。)ただ、吐蕃帝国が新たに占領した松州・維州・保州及び雲山に新しく城を築いた。西川節度使の高适は 大唐帝国の旧領土を救うことができず、かえって剣南及び西山地方が 吐蕃帝国の領土に編入された。

廣徳2年(764)

吐蕃軍が長安へ入った時、 諸軍の逃亡兵や里の無頼の子弟が集まって盗賊となった。 吐蕃が去ってしまっても、彼等は南山や子午等の五谷に逃げ込んだ ままとなっていた。

子賓客・薛景仙を南山五谷防禦使として、 これを討たせたのだが、 数ヶ月掛けても鎮圧できない。

僕固懐恩が叛旗を翻した。

3月、己酉の日、劉晏を河南、江、淮以来転運使として、 汴水の水路を開くことを計画した。

7月、代宗皇帝は青苗銭という税を取りはじめる。

8月、僕固懐恩はウイグルと吐蕃兵十万を誘って侵攻して来た。 長安は震感した。

  僕固懐恩と10万の吐蕃軍のは 奉天に迫った。首都・長安は震撼し、 急いで郭子儀が涇陽に駐屯させられた。

 

 

傷春,五首 〔三〕
(お守りしなくてはならないものが裏切ったり、逃散して、集結し、一体化して危機にあたらないのを傷ましいと述べる。) 

日月還相鬥,星辰屢合圍。

日と月でさえ、互いに闘い日蝕をおこすことがあり、星座同士はたびたび一方が他のものを包囲することがある。(役職で諫言をすべきもの、朝廷の百官は星座であり、天子を囲みお助けするものである。)

不成誅執法,焉得變危機。

ここはどうしても、執法の星宿にあたる悪者である、宦官の程元振を誅するのでなければどうして危機を逆転させることができるというのか。

大角纏兵氣,鉤陳出帝畿。

今、宇宙の中心、長安の大明宮の中心である大角が事もあろうか戦の気にまとわりつかれているという、鈎陳に相当する八将神の宿衛の六軍が京畿の地へと出かけてお守りせねばならないのである。

煙塵昏禦道,耆舊把天衣。

いまは、天子のお通り筋の道が煙塵によって暗くたちこめ、民間の父老たちまでもが御衣にすがって行く手を遮る。

行在諸軍闕,來朝大將稀。

行在所にはおまもりをすべき諸軍隊がかけつけておるはずであるのに、天子のもとに参朝にくる大将は至ってまれというのである。

賢多隱屠釣,王肯載同歸。

賢人というものは多く屠者・釣者のなかにかくれているものということであり、天子は、(周の文王が三顧の礼で太公望をひろいあげられたように。)賢者を集めることが出来て、軍を立て直して長安の都にいかえりになることができるのだろうか。 

傷春,五首 〔三〕

日と月 還た相い鬥い,星辰 屢ば合い圍う。

執法を誅するを成らずして,焉ぞ危機を變ずるを得んや。

大角 兵氣を纏い,鉤陳 帝畿を出づ。

煙塵 禦道を昏くし,耆舊 天衣を把む。

行在 諸軍の闕,來朝する大將 稀れなり。

賢の多くは屠釣に隱れ,王 肯えて 同歸するに載せんや。

yuugure02 

 

『傷春,五首 〔三〕』 現代語訳と訳註

(本文)

傷春,五首 〔三〕

日月還相鬥,星辰屢合圍。

不成誅執法,焉得變危機。

大角纏兵氣,鉤陳出帝畿。

煙塵昏禦道,耆舊把天衣。

行在諸軍闕,來朝大將稀。

賢多隱屠釣,王肯載同歸。

 

 

(下し文)

傷春,五首 〔三〕

日と月 還た相い鬥い,星辰 屢ば合い圍う。

執法を誅するを成らずして,焉ぞ危機を變ずるを得んや。

大角 兵氣を纏い,鉤陳 帝畿を出づ。

煙塵 禦道を昏くし,耆舊 天衣を把む。

行在 諸軍の闕,來朝する大將 稀れなり。

賢の多くは屠釣に隱れ,王 肯えて 同歸するに載せんや。

 

(現代語訳)

(お守りしなくてはならないものが裏切ったり、逃散して、集結し、一体化して危機にあたらないのを傷ましいと述べる。)

日と月でさえ、互いに闘い日蝕をおこすことがあり、星座同士はたびたび一方が他のものを包囲することがある。(役職で諫言をすべきもの、朝廷の百官は星座であり、天子を囲みお助けするものである。)

ここはどうしても、執法の星宿にあたる悪者である、宦官の程元振を誅するのでなければどうして危機を逆転させることができるというのか。

今、宇宙の中心、長安の大明宮の中心である大角が事もあろうか戦の気にまとわりつかれているという、鈎陳に相当する八将神の宿衛の六軍が京畿の地へと出かけてお守りせねばならないのである。

いまは、天子のお通り筋の道が煙塵によって暗くたちこめ、民間の父老たちまでもが御衣にすがって行く手を遮る。

行在所にはおまもりをすべき諸軍隊がかけつけておるはずであるのに、天子のもとに参朝にくる大将は至ってまれというのである。

賢人というものは多く屠者・釣者のなかにかくれているものということであり、天子は、(周の文王が三顧の礼で太公望をひろいあげられたように。)賢者を集めることが出来て、軍を立て直して長安の都にいかえりになることができるのだろうか。

蜀中転々圖 

 

(訳注)

傷春,五首 〔三〕

(お守りしなくてはならないものが裏切ったり、逃散して、集結し、一体化して危機にあたらないのを傷ましいと述べる。)

杜甫は宦官と奸臣たちに、相当立腹していることがわかる詩である。昔から、政治の在り方、政治組織をせいざにたとえてひはんにいうものである。

 

日月還相鬥,星辰屢合圍。

日と月でさえ、互いに闘い日蝕をおこすことがあり、星座同士はたびたび一方が他のものを包囲することがある。(役職で諫言をすべきもの、朝廷の百官は星座であり、天子を囲みお助けするものである。)

○日月・闘 日蝕のことをいう。古書には不吉。大乱を予知するものとされるが、ここでは、ただしいことを天子に諫言せねばならないことをいう。

○星辰屢合圍 「漢書」(天文志)に、高祖の七年に月章の参・畢(星宿の名)を囲むこと七重、とみえる。朝廷の百官は危機に際して一致して(囲んで)お守りし、お助けせねばならないことをいう。この時、朝廷の者は逃散して組織的に天子を守ることをしなかった。中には、吐蕃軍を迎い入れたもの、盗賊になったものが多数いたことをいう。

○合圍 つつんでかこむこと。

 

不成誅執法,焉得變危機。

ここはどうしても、執法の星宿にあたる悪者である、宦官の程元振を誅するのでなければどうして危機を逆転させることができるというのか。

○執法 吐蕃来寇の道案内をした涇州刺史の高暉は宦官の程元振と示し合わし、長安を陥落させ、パニックを起こした悪人であること。また、唐王朝軍・六軍をだまし、逃散させたのも程元振と高暉の宦官勢力であった。この頃宦官の数も6000人を超えたとされ、軍隊化していた。

○危機 国家の危い場合。

 

大角纏兵氣,鉤陳出帝畿。

今、宇宙の中心、長安の大明宮の中心である大角が事もあろうか戦の気にまとわりつかれているという、鈎陳に相当する八将神の宿衛の六軍が京畿の地へと出かけてお守りせねばならないのである。

○大角 北斗七星の南東に橙色に輝く、牛飼い座のα(アルファ)星アルクトゥルスの中国名。麦星(むぎぼし)。大微(天帝の朝廷に当たる星座)の中で、黄帝(土徳を示す)の星座は常に明るく輝いて いる。五行始祖の中心をなすものである。星宿図中央にある紫微宮(しびきゅう)の天体図を、中国漢代には長安の都に描いている。「史記」(天官書)に大角は天王の帝廷なり、とみえる、大角をもって帝王の居る所にかたどったもの。

○兵気 いくさの気。

○鉤陳 八将神のこと。『甘泉賦』に「詔招搖與泰陰兮,伏鉤陳使當兵。」とあり、天子を取り巻く八将神に敬語をさせるということである。

揚雄 《甘泉賦 》 文選 賦<108-(3)#1-29分割26回 Ⅱ李白に影響を与えた詩856 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2828

 

煙塵昏禦道,耆舊把天衣。

いまは、天子のお通り筋の道が煙塵によって暗くたちこめ、民間の父老たちまでもが御衣にすがって行く手を遮る。

○煙塵 兵乱のちり。

○禦道 天子のおとおりになるみち。

○耆舊 老人、民間の父老。

○把 つかまえて前へやるまいとひきとめること。

○天衣 天子の御衣。

 

行在諸軍闕,來朝大將稀。

行在所にはおまもりをすべき諸軍隊がかけつけておるはずであるのに、天子のもとに参朝にくる大将は至ってまれというのである。

○行在 行在所、陜州の代宗のかりみやをさす。

○来朝 朝は朝廷へでむくことをいう。

○大将 天子をおまもりするための地方の武将。

○稀 百官や六軍が逃散したので、天子が兵を募集したが集まらず、家臣たちも天子のもとに参朝するものがなかったことをいう。

 

賢多隱屠釣,王肯載同歸。

賢人というものは多く屠者・釣者のなかにかくれているものということであり、天子は、(周の文王が三顧の礼で太公望をひろいあげられたように。)賢者を集めることが出来て、軍を立て直して長安の都にいかえりになることができるのだろうか。

○賢 賢人。

○隠屠釣 周代の政治家、姓は呂、名は尚、字は子牙である太公望は、牛を朝歌(地名)に屠り、渭水の磻渓で釣りをしていて、周の文王に見いだされ、先君太公の望んでいた賢人だとして太公望とよばれたといわれる。文王・武王を助けて殷(いん)を滅ぼし、その功によって斉に封ぜられた。兵書「六韜(りくとう)」の著者ともいわれる。

○王 天子(代宗)。

○載 自己の車にのせること。

廣徳2年764-61 《傷春,五首之二》 ふたたび成都 杜甫<737> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4015 杜甫詩1500-737-974/2500

巴山をみると春の景色がしずかに横たわっているが、朝廷のある北をながめると都には異民族がたむろし、その山はいよいよ遠くまでつづいていて、その道も危なくて、とても都の役人になれと言われてもその気にはなれないのである。


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廣徳2764-61 《傷春,五首之二》 ふたたび成都 杜甫<737> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4015 杜甫詩1500-737-974/250025

 

傷春,五首 〔二〕 
(この第二首は国事より家事に及んで傷んだ)

〔自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。〕

(巴蜀の閬州は僻地の田舎だからこの「傷春」の詩をつくってしまったけれど、そのあとに「やっと春より前(76312月)に代宗が長安の御殿に帰りついたことを知った」というのである。)
鶯入新年語,花開滿故枝。
新年になれば庭に入って鶯は春を告げることばを云うし、花はもとの枝にそのままいっぱいに咲き満ちちるものだ。
天青風卷幔,草碧水通池。

天も春の青さを知らせてくれ、風も行楽の幔幕を巻きあげて報せ、草の色はみどりにして成長し、春水が豊かさを池のもほうに運んでくれる。
牢落官軍速,蕭條萬事危。
国の方はというと唐の国軍兵士は外敵に攻められて簡単に陥落して逃散し、形勢さびしく振るわず万事が危いことだらけである。
鬢毛元自白,點向來垂。

自分の髪の毛はもとから白いがもっと白くなったのではないか、この有様では涙のしずくの上に涙が至り、これまでもこれからもに垂れつづけることだろう。

不是無兄弟,其如有別離。

国の事ばかりではない。自分には兄弟がいないのと同然なのだ、いるのに別れたままで連絡も取れないという事実のあることをどうすることもできないのである。

巴山春色靜,北望轉逶迤。

巴山をみると春の景色がしずかに横たわっているが、朝廷のある北をながめると都には異民族がたむろし、その山はいよいよ遠くまでつづいていて、その道も危なくて、とても都の役人になれと言われてもその気にはなれないのである。

 

(春を傷む 五首〔二〕)

鶯入りて 新年語なり、花開きて故枝【こし】に満つ。

天 靑くして 風 幔【まん】を巻き、草碧にして 水 池に通づ。

牢落【ろうらく】官軍 速く、蕭条 万事 危し。

鬢毛 元【もとも】と自ずから白し、涙点【るいてん】 向い来たりて垂る。

是れ兄弟 無きならず、其れ別離 有るを如せん。

巴山 春色 静なり、北望 転【うた】た透迤【いい】たり。

蜀中転々圖

『傷春,五首 〔二〕』 現代語訳と訳註

(本文)

傷春,五首 〔二〕

〔自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。〕

鶯入新年語,花開滿故枝。天青風卷幔,草碧水通池。

牢落官軍速,蕭條萬事危。鬢毛元自白,點向來垂。

不是無兄弟,其如有別離。巴山春色靜,北望轉逶迤。

 

 

(下し文)

(春を傷む 五首〔二〕)

鶯入りて 新年語なり、花開きて故枝【こし】に満つ。

天 靑くして 風 幔【まん】を巻き、草碧にして 水 池に通づ。

牢落【ろうらく】官軍 速く、蕭条 万事 危し。

鬢毛 元【もとも】と自ずから白し、涙点【るいてん】 向い来たりて垂る。

是れ兄弟 無きならず、其れ別離 有るを如せん。

巴山 春色 静なり、北望 転【うた】た透迤【いい】たり。

 

(現代語訳)

(この第二首は家事がままならぬ国事のあり方に傷んだ)

新年になれば庭に入って鶯は春を告げることばを云うし、花はもとの枝にそのままいっぱいに咲き満ちちるものだ。

天も春の青さを知らせてくれ、風も行楽の幔幕を巻きあげて報せ、草の色はみどりにして成長し、春水が豊かさを池のもほうに運んでくれる。

国の方はというと唐の国軍兵士は外敵に攻められて簡単に陥落して逃散し、形勢さびしく振るわず万事が危いことだらけである。

自分の髪の毛はもとから白いがもっと白くなったのではないか、この有様では涙のしずくの上に涙が至り、これまでもこれからもに垂れつづけることだろう。

国の事ばかりではない。自分には兄弟がいないのと同然なのだ、いるのに別れたままで連絡も取れないという事実のあることをどうすることもできないのである。

巴山をみると春の景色がしずかに横たわっているが、朝廷のある北をながめると都には異民族がたむろし、その山はいよいよ遠くまでつづいていて、その道も危なくて、とても都の役人になれと言われてもその気にはなれないのである。

 

8世紀唐と周辺国00 

(訳注)

傷春,五首 〔二〕 (この第二首は家事がままならぬ国事のあり方に傷んだ)

〔自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。〕

鶯、花、天、山の青さ、風、草、池と春は当たり前のように來るし、自分の白髪頭も白さを増していくし、涙を止めようにも止まらず、兄弟は離れ離れのままである。どうしてこんな国になったのか。北の朝廷の方にきたいをしてもだめなのか。

 

鶯入新年語,花開滿故枝。

新年になれば庭に入って鶯は春を告げることばを云うし、花はもとの枝にそのままいっぱいに咲き満ちちるものだ。

 

天青風卷幔,草碧水通池。

天も春の青さを知らせてくれ、風も行楽の幔幕を巻きあげて報せ、草の色はみどりにして成長し、春水が豊かさを池のもほうに運んでくれる。

○幌 まく。

 

牢落官軍速,蕭條萬事危。

国の方はというと唐の国軍兵士は外敵に攻められて簡単に陥落して逃散し、形勢さびしく振るわず万事が危いことだらけである。

○牢落さびしいさま。

*杜甫は、現皇帝の代宗、その前の粛宗に対して厳しい見方をしている。左拾遺から左遷したのも粛宗である。代宗もイェスマンだけを取りたて、気ままな政治をしている。

 

鬢毛元自白,點向來垂。

自分の髪の毛はもとから白いがもっと白くなったのではないか、この有様では涙のしずくの上に涙が至り、これまでもこれからもに垂れつづけることだろう。

*ここはこの国は、この天子、それを支える官僚たちではどうしようもないことをいう。

 

不是無兄弟,其如有別離。

国の事ばかりではない。自分には兄弟がいないのと同然なのだ、いるのに別れたままで連絡も取れないという事実のあることをどうすることもできないのである。

○如「如何」とおなじ。

*唐は30里に一か所の駅伝制(駅亭・水亭)を整備していた玄宗の時代はきちんと書簡通っていたが、道路・水路もズタズタになっていることをいう。

 

巴山春色靜,北望轉逶迤。

巴山をみると春の景色がしずかに横たわっているが、朝廷のある北をながめると都には異民族がたむろし、その山はいよいよ遠くまでつづいていて、その道も危なくて、とても都の役人になれと言われてもその気にはなれないのである。

○巴山 閬州の山。

○逶迤 はるかに遠いさま、巴山のさまをいう。
月明峡01 

廣徳2年764-60 《傷春,五首之一》 ふたたび成都 杜甫<736> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4010 杜甫詩1500-736-973/2500

大明宮には風水から雲気が多いところだというので建設された最良のところであるのだが、代宗は群臣たちにかこまれて、まさに「みんな竜につき従うことしか考えない者たちの集まり」といわねばなるまい。

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index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など
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廣徳2764-60 《傷春,五首之一》 ふたたび成都 杜甫<736> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4010 杜甫詩1500-736-973/2500

 

 

製作年:764  廣德二年  53 ID14-736

卷別:巻十三 (卷二二八)  文體: 五言古詩 

詩題: 傷春,五首之一【案:自注:巴閬僻遠,傷春罷,始知春前已收宮闕。】 

製作作地: 閬州(山南西道 / 閬州 / 閬州

及地點:  長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都 

 

 

傷春五首〔一〕〔原注〕 巴闇僻遠、傷春離、始知春前己収宮闕。

天下兵雖滿,春光日自濃。

西京疲百戰,北闕任群凶。

關塞三千里,煙花一萬重。

蒙塵清路急,禦宿且誰供。

殷複前王道,周遷舊國容。

蓬萊足雲氣,應合總從龍。

(春が来ても心は痛む)〔一〕【代宗が長安から陜州へ逃げたことを悲しんだもの】

(巴蜀の閬州は僻地の田舎だからこの「傷春」の詩をつくってしまったけれど、そのあとに「やっと春より前(76312月)に代宗が長安の御殿に帰りついたことを知った」というのである。)

いま、天下の其処ら中に兵が満ち、戦に満ち溢れている、それというのにいつものように春のひかりは日一日と春景色を自然に色濃くしている。

西域異民族に近い長安の都はたびたびの戦いに疲れ、禁苑と北の門は多くのわるものどもの手にゆだねられている。

ここの閬州の関塞は都から三千里の遠いところにあり、煙花のながめは無数にかさなってみえるのである。

このとき天子は都から一目散に地煙を上げてお逃げになったというが、御宿が都から離れてしまい、ご先祖の五陵への道路の掃除をすることもできまいし、大切なお供えをだれができるというのか。

殷は賢王がふたたび先王の政道にたちもどらせたものであるし、周の国はえびすに攻められ東にうつっても、古き良き時代の国の姿かたちに遷らせたということなのだ。

大明宮には風水から雲気が多いところだというので建設された最良のところであるのだが、代宗は群臣たちにかこまれて、まさに「みんな竜につき従うことしか考えない者たちの集まり」といわねばなるまい。

 

(春を傷む 五首〔一〕)

天下 兵 満つと雖も、春光 日びに自ずから濃くなる。

西京 百戦に疲れ、北闕 群兇に任す。

関塞 三千里、煙花 一万重。

蒙塵 清路 急なり、御宿 且つ誰か供せん。

殷は複す 前王の道を、周は遷る 旧えの国容に。

蓬莱 雲気足り、応合【まさ】に総て竜に従うなるべし。

 

 

『傷春五首〔一〕』 現代語訳と訳註

(本文)

傷春五首〔一〕〔原注〕 巴闇僻遠、傷春離、始知春前己収宮閲

天下兵雖滿,春光日自濃。

西京疲百戰,北闕任群凶。

關塞三千里,煙花一萬重。

蒙塵清路急,禦宿且誰供。

殷複前王道,周遷舊國容。

蓬萊足雲氣,應合總從龍。

 

 

(下し文)

(春を傷む 五首〔一〕)

天下 兵 満つと雖も、春光 日びに自ずから濃くなる。

西京 百戦に疲れ、北闕 群兇に任す。

関塞 三千里、煙花 一万重。

蒙塵 清路 急なり、御宿 且つ誰か供せん。

殷は複す 前王の道を、周は遷る 旧えの国容に。

蓬莱 雲気足り、応合【まさ】に総て竜に従うなるべし。

 

(現代語訳)

(春が来ても心は痛む)〔一〕【代宗が長安から陜州へ逃げたことを悲しんだもの】

(巴蜀の閬州は僻地の田舎だからこの「傷春」の詩をつくってしまったけれど、そのあとに「やっと春より前(76312月)に代宗が長安の御殿に帰りついたことを知った」というのである。)

いま、天下の其処ら中に兵が満ち、戦に満ち溢れている、それというのにいつものように春のひかりは日一日と春景色を自然に色濃くしている。

西域異民族に近い長安の都はたびたびの戦いに疲れ、禁苑と北の門は多くのわるものどもの手にゆだねられている。

ここの閬州の関塞は都から三千里の遠いところにあり、煙花のながめは無数にかさなってみえるのである。

このとき天子は都から一目散に地煙を上げてお逃げになったというが、御宿が都から離れてしまい、ご先祖の五陵への道路の掃除をすることもできまいし、大切なお供えをだれができるというのか。

殷は賢王がふたたび先王の政道にたちもどらせたものであるし、周の国はえびすに攻められ東にうつっても、古き良き時代の国の姿かたちに遷らせたということなのだ。

大明宮には風水から雲気が多いところだというので建設された最良のところであるのだが、代宗は群臣たちにかこまれて、まさに「みんな竜につき従うことしか考えない者たちの集まり」といわねばなるまい。

 

(訳注)

傷春五首〔一〕〔原注〕 巴闇僻遠、傷春離、始知春前己収宮閲

(春が来ても心は痛む)〔一〕【代宗が長安から陜州へ逃げたことを悲しんだもの】

(巴蜀の閬州は僻地の田舎だからこの「傷春」の詩をつくってしまったけれど、そのあとに「やっと春より前(76312月)に代宗が長安の御殿に帰りついたことを知った」というのである。)これは収京の事実を知ってからかきそえた文句なのだ。したがって、詩のなかにはすこしも収京を知ったことにふれていない。○傷春 寿げしきを見て心をいたましめたこと、代宗がお逃げになられたことを悲しんだものである。

○巴閬 巴蜀、閬州をいう。

○傷春罷 この「傷春」の詩をつくりおわったことをいう。

○春前 春より以前に。(76312月)

○収宮闕 長安の宮門をとりかえす。吐蕃は広徳元年十月に長安を陥落させ、十二月に退却した。代宗は十二月に還京されたことをいう。

 

天下兵雖滿,春光日自濃。

いま、天下の其処ら中に兵が満ち、戦に満ち溢れている、それというのにいつものように春のひかりは日一日と春景色を自然に色濃くしている。

 

西京疲百戰,北闕任群凶。

西域異民族に近い長安の都はたびたびの戦いに疲れ、禁苑と北の門は多くのわるものどもの手にゆだねられている。

○西京 天下の二京のなかでも特別な都である長安。この時、代宗は長安が西域異民族(ウイグルと吐蕃)に近いため洛陽【東都】を都にしようとしていた。この聯は、つまり、逃げる事ばかり考えていたということ。

〇百戦 たびたびの戦。

○北闕 北方の披(わき)の門、北というのは禁苑に面した門で、攻めやすいし、逃げやすいのでこういう。吐蕃侵入の方位である。

○群兇 多くのわるもの。吐蕃を導き入れた高暉・王献忠の輩をさす。「通鑑」に、「広徳元年、冬十月、吐蕃、京畿を陥る、渭北行営兵馬使呂月将、精卒三千を将いて吐蕃と蟄屋に戦い擒にせらる、又た涇州刺史高暉・射生将王献忠等、吐蕃を迎えて長安に入れ、郡王守礼が孫の承宏を立てて帝となす、」とみえる。

 

關塞三千里,煙花一萬重。

ここの閬州の関塞は都から三千里の遠いところにあり、煙花のながめは無数にかさなってみえるのである。(だから客観情勢がよく見える。)

○関塞 閬州のとりでをさす。

○三千里 長安よりの距離。

○煙花 煙を帯びた春の花。

〇一万重 多くかさなってみえる。

 

蒙塵清路急,禦宿且誰供。

このとき天子は都から一目散に地煙を上げてお逃げになったというが、御宿が都から離れてしまい、ご先祖の五陵への道路の掃除をすることもできまいし、大切なお供えをだれができるというのか。

○蒙塵 天子の逃げだされたこと。

○清路急 清路は御通過の路すじをはききよめること、急とは掃除の暇のないことをいう。○御宿 天子の宿泊されるとこるが陜州という敵に見つかりにくい所ではあるが、縁もゆかりも少ない所であること。

○供 唐王朝の御先祖に対する政を放棄することは、国を放棄するのとおなじことである。

 

殷複前王道,周遷舊國容。

殷は賢王がふたたび先王の政道にたちもどらせたものであるし、周の国はえびすに攻められ東にうつっても、古き良き時代の国の姿かたちに遷らせたということなのだ。

○殷復 殷の武丁(高宗)は行いを修めて先王の政を復した。

○周遷 遷すのは「旧国容」(古き良き時代の国の姿かたち)である、国のすがたがかわったということ、周ははじめ鏑に都したが、犬戎に攻められ、平王のとき東方の洛邑に都をうつした。都を遷すのは、それによってよき施政を行うためである。先祖に恥ずかしくないのかということである。仁徳を忘れ、好き嫌いの政治を行っていることが前提にある。

 

蓬萊足雲氣,應合總從龍。

大明宮には風水から雲気が多いところだというので建設された最良のところであるのだが、代宗は群臣たちにかこまれて、まさに「みんな竜につき従うことしか考えない者たちの集まり」といわねばなるまい。

○蓬莱 唐の大明宮の大掖池の中にある御殿の名。唐の宮中の象徴的存在で、大明宮のほぼ中心にあった。

○足雲氣 風水から雲気が多いところだというので建設された最良のところである。

○応合 二字で「まさに云云すべし」。

○総 雲気のすべてが。

○従竜 「易」(文言)に「雲は竜に従い、風は虎に従り」とあり、竜は天子に此し、雲は群臣に比する。杜甫はこれまで玄宗をよく龍に喩えていた。

廣徳2年764-59 《空城【城上】》 ふたたび成都 杜甫<735> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4005 杜甫詩1500-735-972/250023

杜甫《空城》一夜で5000km 走るという8頭の駿馬は穆王という良い天子のもとだから付き従ったのであり、(何もしない、強くもない代宗のまわりには賢臣がいなくて)群臣の者たちは、武力の強い天子に盲目的に従うだけだ。

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廣徳2764-59 《空城【城上】》 ふたたび成都 杜甫<735 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4005 杜甫詩1500-735-972/250023

 

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二七  文體: 五言律詩 

詩題: 城上【空城】 

及地點:  巴西 (劍南道北部 綿州 巴西)     

 

 

空城〔城上〕

(何にも施政が届かない空しい城郭を詠う)

草滿巴西綠,空城白日長。

希望の春で草草が成長している巴西辺りには緑いっぱいである。誰もいない空しい城郭には日差しが長く当たっている。

風吹花片片,春動水茫茫。

風が吹けば、さきほこるはなはゆらゆらゆれているし、春景色に増水した春水にゆったりと遙か先まで流れて行く。

八駿隨天子,群臣從武皇。

一夜で5000km 走るという8頭の駿馬は穆王という良い天子のもとだから付き従ったのであり、(何もしない、強くもない代宗のまわりには賢臣がいなくて)群臣の者たちは、武力の強い天子に盲目的に従うだけだ。

遙聞出巡守,早晚遍遐荒。

遠くのほうだけで聞こえるという、国を立て直すためには主要の各地を視察・巡守の出征をすることであるの声だが、(これに全く耳をかたむけない代宗であるから、)まあじきに、ここの空城のようにどこもかしこも、遠く離れた未開の異民族の地のようになってしまうことだろう。

詩文(含異文)

草滿巴西綠,空城白日長【城空白日長】。

風吹花片片,春動水茫茫【春送雨茫茫】【春蕩水茫茫】。

八駿隨天子,群臣從武皇。

遙聞出巡守,早晚遍遐荒。 

 

空城〔城上〕

草滿ちる巴西の綠,空城 白日長し。

風吹き花片片たりて,春動き水茫茫たり。

八駿 天子に隨い,群臣 武皇に從う。

遙に聞く巡守に出るを,早晚 遐荒なるを遍ねからん。

姑蘇台02 

 

『空城〔城上〕』現代語訳と訳註

(本文)

空城〔城上〕

草滿巴西綠,空城白日長。

風吹花片片,春動水茫茫。

八駿隨天子,群臣從武皇。

遙聞出巡守,早晚遍遐荒。

 

 

(下し文)

空城〔城上〕

草滿ちる巴西の綠,空城 白日長し。

風吹き花片片たりて,春動き水茫茫たり。

八駿 天子に隨い,群臣 武皇に從う。

遙に聞く巡守に出るを,早晚 遐荒なるを遍ねからん。

 

(現代語訳)

(何にも施政が届かない空しい城郭を詠う)

希望の春で草草が成長している巴西辺りには緑いっぱいである。誰もいない空しい城郭には日差しが長く当たっている。

風が吹けば、さきほこるはなはゆらゆらゆれているし、春景色に増水した春水にゆったりと遙か先まで流れて行く。

一夜で5000km 走るという8頭の駿馬は穆王という良い天子のもとだから付き従ったのであり、(何もしない、強くもない代宗のまわりには賢臣がいなくて)群臣の者たちは、武力の強い天子に盲目的に従うだけだ。

遠くのほうだけで聞こえるという、国を立て直すためには主要の各地を視察・巡守の出征をすることであるの声だが、(これに全く耳をかたむけない代宗であるから、)まあじきに、ここの空城のようにどこもかしこも、遠く離れた未開の異民族の地のようになってしまうことだろう。

 

少陵台 

(訳注)

空城〔城上〕

(何にも施政が届かない空しい城郭を詠う)

○城 綿州巴西の城。
ここ数年、この地は叛乱軍の者たちにいれかわりたちかわり支配され、異民族にも支配された。その間に住民は逃散したということで、荒れ果てた城郭をいうのだが、詩の内容からすると、代宗の無策を批判して、国中が「空城」になってしまうと憂いているのである。全部の聯が対句となっている。

 

草滿巴西綠,空城白日長。

希望の春で草草が成長している巴西辺りには緑いっぱいである。誰もいない空しい城郭には春の日差しが長く当たっている。

 

風吹花片片,春動水茫茫。

風が吹けば、さきほこるはなはゆらゆらゆれているし、春景色に増水した春水にゆったりと遙か先まで流れて行く。

○片々 風が吹いては長い甫方向に向いてしまうこと。強いものには巻かれろ。風の吹くままに揺れていくことをいう。① 二つあるうちの一方。かたほう。かたつかた。   かたすみ。かたわら。

○春動 春けしが変わっていくこと。ここではまず雪解けで河川の水量が増水し、万物が成長していくさまをいう。この聯でこれらの語「片片・茫茫」を次の聯のかたや「穆王八駿」にたいしてどこ捜しても、遙か先まで「群臣」しかいないということをあらわしている。

○茫茫 1 広々としてはるかなさま。「―とした大海原」「―たる砂漠」 2 ぼんやりかすんではっきりしないさま。「―たる記憶」「―と暗路(やみじ)に物を探るごとく」〈露伴・五重塔〉 3 草・髪などが伸びて乱れている。

 

八駿隨天子,群臣從武皇。

一夜で5000km 走るという8頭の駿馬は穆王という良い天子のもとだから付き従ったのであり、(何もしない、強くもない代宗のまわりには賢臣がいなくて)群臣の者たちは、武力の強い天子に盲目的に従うだけだ。

○八駿 穆王八駿のこと。中国の伝説に登場する8頭の駿馬(しゅんめ・よく走る 馬の称)。 紀元前11世紀頃の周王朝の穆王が所有していたとされる。 土を踏まない ほど速く走れる「絶地(ぜっち)」、鳥を追い越せる「翻羽(ほんう)」、一夜で5000km 走るという。

 

遙聞出巡守,早晚遍遐荒。

遠くのほうだけで聞こえるという、国を立て直すためには主要の各地を視察・巡守の出征をすることであるの声だが、(これに全く耳をかたむけない代宗であるから、)まあじきに、ここの空城のようにどこもかしこも、遠く離れた未開の異民族の地のようになってしまうことだろう。

○遐荒 王城からはるか遠く離れた未開の異民族の地。
景陽楼001 

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杜甫《送李卿曄》少し前ではあるが、天子でさえ、衣を露で濡らすような状況で陜州に行在所を置かれていたし、吐蕃が退却してやっと馬を走らせて、承明蘆のある長安にむかうことができたのである。

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廣徳2764-58 《送李卿曄》 ふたたび成都 杜甫<734 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4000 杜甫詩1500-734-971/250022

 

 

製作年: 764  廣德二年  53

卷別: 卷二二七  文體: 五言律詩 

詩題: 送李卿曄

及地點:  長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都     

承明廬 (京畿道 京兆府 長安) 別名:承明     

晉山 (山南西道 閬州 晉安(晋安))  (山南西道 閬州 閬州)     

交遊人物: 李曄

 

 

送李卿曄

(嶺南に貶められる李嘩卿を送る。)

王子思歸日,長安已亂兵。

王子である李曄は長安に帰る日があるというように思うことである。今長安は安史の乱に続いて、吐蕃が攻め入り、乱れておるのである。

霑衣問行在,走馬向承明。

少し前ではあるが、天子でさえ、衣を露で濡らすような状況で陜州に行在所を置かれていたし、吐蕃が退却してやっと馬を走らせて、承明蘆のある長安にむかうことができたのである。

暮景巴蜀僻,春風江漢清。

まあ、確かにここ巴蜀の夕暮というのは辺鄙な所と思われるけれど、この春風に乗って漢水を下り、長江の清々しい所を下ってゆかれるのである。

晉山雖自棄,魏闕尚含情。

閬州晋山での地位というものを自ずから捨てられるということではありますが、古くから由緒ある家系のことでもあり、唐の朝廷からしてもまだなお厚情というのがあるものです。

 

李卿曄 を送る

王子 歸日を思い,長安 已に兵に亂る。

霑衣して 行在に問い,走馬して 承明に向う。

暮景 巴蜀の僻,春風 江漢の清。

晉山 自棄すると雖も,魏闕 尚お情を含まん。

 王屋山00

 

『送李卿曄』 現代語訳と訳註

(本文)

送李卿曄

王子思歸日,長安已亂兵。

霑衣問行在,走馬向承明。

暮景巴蜀僻,春風江漢清。

晉山雖自棄,魏闕尚含情。

 

 

(下し文)

李卿曄 を送る

王子 歸日を思い,長安 已に兵に亂る。

霑衣して 行在に問い,走馬して 承明に向う。

暮景 巴蜀の僻,春風 江漢の清。

晉山 自棄すると雖も,魏闕 尚お情を含まん。

 

(現代語訳)

(嶺南に貶められる李嘩卿を送る。)

王子である李曄は長安に帰る日があるというように思うことである。今長安は安史の乱に続いて、吐蕃が攻め入り、乱れておるのである。

少し前ではあるが、天子でさえ、衣を露で濡らすような状況で陜州に行在所を置かれていたし、吐蕃が退却してやっと馬を走らせて、承明蘆のある長安にむかうことができたのである。

まあ、確かにここ巴蜀の夕暮というのは辺鄙な所と思われるけれど、この春風に乗って漢水を下り、長江の清々しい所を下ってゆかれるのである。

閬州晋山での地位というものを自ずから捨てられるということではありますが、古くから由緒ある家系のことでもあり、唐の朝廷からしてもまだなお厚情というのがあるものです。

 

 

(訳注)

送李卿曄

(嶺南に貶められる李嘩卿を送る。)

・李卿曄 曄は部尚書淮安郡國公であった李琇の子で、刑部侍郎ある。杜甫が出会ったのは山南西道閬州の晉安であり、この時、罪により嶺南に貶められることになったもの。

李琇は字琇といい,淮安の忠公であり、宗正卿 李齊晏のことである,陝王府曹參軍までなった。

この詩で、代宗の気まぐれの逆鱗に触れたものと思われるが、何らかの罪で、嶺南・広東へ流されるのを見送ったもの。

杏の花01 

王子思歸日,長安已亂兵。

王子である李曄は長安に帰る日があるというように思うことである。今長安は安史の乱に続いて、吐蕃が攻め入り、乱れておるのである。

○杜甫が、3月に成都に帰るが正月から2月にかけて閬州で送別の宴があったのだろう。

 

霑衣問行在,走馬向承明。

少し前ではあるが、天子でさえ、衣を露で濡らすような状況で陜州に行在所を置かれていたし、吐蕃が退却してやっと馬を走らせて、承明蘆のある長安にむかうことができたのである。

 

暮景巴蜀僻,春風江漢清。

まあ、確かにここ巴蜀の夕暮というのは辺鄙な所と思われるけれど、この春風に乗って漢水を下り、長江の清々しい所を下ってゆかれるのである。

・巴蜀僻 巴蜀の辺鄙な所。剣南道、山南西道三巴をいうが、長安に比較して辺鄙であること。

 

晉山雖自棄,魏闕尚含情。 

閬州晋山での地位というものを自ずから捨てられるということではありますが、古くから由緒ある家系のことでもあり、唐の朝廷からしてもまだなお厚情というのがあるものです。

・晉山 古くからある住持職(住持)の略称。住職になることを出世(しゆつせ)といい,住職として実際にその寺に入ることを入院(じゆいん),あるいは晋住(しんじゆう),また晋山(しんざん)という。【案:介山在綿上,以子推自比。】 綿山の抱腹寺は曹魏の太和年間に建立されたものである。綿山の『大唐汾州抱腹寺碑』の記載よると、同寺は曹魏の太和年間の高僧・迪公が考察したうえ、朝廷に建設案を上奏して魏明帝の勅令によって建立し、さらに抱腹寺という名を勅封した。
蜀中転々圖 

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安史軍の殲滅は人々を安史の乱のまえに還した。敗残兵はそれらの出身でもって自分らでうたがいあって自滅した。朝廷に上がる高級官僚たちは、差配も名目上のもので断絶したかりのものであったし、君主や主に対する酬いることはそれぞれがどういうわけか遅れた。

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廣徳2764-57 《有感,五首之五》 ふたたび成都 杜甫<733> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3995 杜甫詩1500-733-970/250021



卷別: 卷二二七  文體: 五言律詩 

詩題: 有感,五首之五 



有感,五首之一  

(その一は西域のことについて思うことがある)

將帥蒙恩澤,兵戈有年。

郭子儀を筆頭にした大将たちは、天子の慈しみを大いに受けているというのに、戦火はこの年内にもまだまだあるのだ。

至今勞聖主,何以報皇天。

今に至っても聖天子にも苦労が絶えないし、そんなことでは、皇天子にどうやって恩を酬いたらよいというのか。

白骨新交戰,雲臺舊拓邊。

この騒乱の中に路上や原野に放置された白骨を片付けてもいないうちに、新たに交戦をしているし、漢の光武帝は洛陽に雲台を設置して国境を開拓して異民族から防衛をすることをしたのにその雲台も古くしてしまっている。
乘槎斷消息,無處覓張騫。

こんなことではわたしが船筏の乗船して消息を絶ってしまいたいと思うようになるし、西域の情報を的確に知らしめて、大勝利に貢献した張騫のような人物を探し求めてもどこにもいやしないというものだ。

 


(感有り,五首の一)  

將帥 恩澤を蒙り,兵戈 年に有る

今に至り聖主勞し,何を以て 皇天に報ゆ。

白骨 交戰を新たにし,雲臺 拓邊を舊す。

槎に乘じて消息を斷つは,張騫を覓むる處無し。

華山001 


有感,五首之二  

(その二は北域幽州のこと、西と南の地域への政策批判について詠う)

幽薊餘蛇豕,乾坤尚虎狼。

北域幽州・薊州には蛇や豬などであふれた。天上天下はいまだなお虎や狼だらけである。

諸侯春不貢,使者日相望。

その地の諸侯は前年中にしないといけないのに春というのに貢納しないし、租庸使は困って朝廷に報告し援軍や援助を求めても 朝廷からの使者は一日中ただ待ちのぞんでいるのだ。

慎勿吞青海,無勞問越裳。

北西部の青海は吐蕃に侵略されたままで何もしないで慎んでいることはないはずだし、五嶺山脈を越えた南のヴェトナムの異民族に問いかけて講和する努力もしていない。

大君先息戰,歸馬華山陽。  

代宗は今まず、戰が終結して一息ついているところであり、やっと馬でもって華山を越えて、長安に帰ったところだ。

 

(感有り,五首の二)  

幽薊 蛇豕を餘し,乾坤 尚お虎狼あり。

諸侯 春貢がず,使者 日び相い望む。

慎む勿れ青海を吞むを,勞しむ無し 越裳を問うを。

大君 先ず戰を息み,馬を歸すは華山の陽に。  

 

有感,五首之三 

(その三は都を洛陽に移すというが、そのことについて思うことがある)

洛下舟車入,天中貢賦均。

洛陽には水路と陸路を整備して船と車が入れるようにするため、朝廷は納貢賦役をひとしく加重された。

日聞紅粟腐,寒待翠華春。

それなのに日々聞かれるようになるのは実る稲が腐るし寒さが続き緑の花さく春も遅くなった。

莫取金湯固,長令宇宙新。

金城湯池の守りを固めることを取り去ることはいけないし、この天下世界を新しくすることを使命としなければいけないのだ。

不過行儉德,盜賊本王臣。  


倹約と仁徳を行い華美・奢侈の行きすぎをやめ、今はびこる盗賊たちはもともと奢侈と仁徳から漏れた天子の家臣たちだったのだ。

 

(感有り,五首の三) 

洛下 舟車入るに,天中 貢賦均す。

日に聞く 紅粟腐り,寒待す 翠華の春を。

金湯の固を取る莫れ,長く宇宙新たにしましむ。

儉德を行うを過ぎずして,盜賊 本もと王の臣なり。

 

 Ta唐 長安近郊圖  新02

有感,五首之四 

(その四は朝廷のあり方について思うことがある)

丹桂風霜急,青梧日夜凋。

天子の庭、朝廷には風雲急を告げ厳しい霜にあっていて、梧桐の青葉の後宮にも昼も夜もはなやいだことはなく凋落の様相を呈している。

由來強幹地,未有不臣朝。

この地はもともと強い地の利を持っていて国の根幹をなすところなのだ。それなのにいまだに家臣たちで朝廷ウィ立て直すことさえできずにいるのだ。

受鉞親賢往,卑宮制詔遙。

親族や賢臣の者たちが武器を受けたならば朝廷のもとに行かねばならない、今は卑しいものによって宮殿を征圧されており天子の詔もはるかとどかない状態なのだ。

終依古封建,豈獨聽簫韶。

今は古の仁徳と、忠義の封建制度というものは終焉したというのか。どうしてなのだろうか、一人だけでも虞舜の時代の音楽の簫韶九成をきくという、仁徳で施政するということができないのだろうか。

 

有感,五首之四 

丹桂 風霜急なり,青梧 日夜凋む。

強幹の地に由來し,未だ臣朝ならざるに有らず。

鉞を受けて 親賢往き,宮を卑くして詔を制す遙なり。

古の封建に依るを終る,豈に獨り簫韶を聽かん。

 

其五

(その五は 国を治める筋道が狂っているということについて思うことがある)

盜滅人還亂,兵殘將自疑。

安史軍の殲滅は人々を安史の乱のまえに還した。敗残兵はそれらの出身でもって自分らでうたがいあって自滅した。

登壇名假,報主爾何遲。

朝廷に上がる高級官僚たちは、差配も名目上のもので断絶したかりのものであったし、君主や主に対する酬いることはそれぞれがどういうわけか遅れた。

領郡輒無色,之官皆有詞。

所領や郡域のものたちもどうしてかどっち附かずという色を見せない。官僚の仕事は皆が詞にして言うだけにした。

願聞哀痛詔,端拱問瘡痍。

皆が願うことは適切な天子の詔であって、悲しいこと、傷ましい天子の言葉ではない。國を治める道筋が満身創痍であることが問題なのである。


感有り,五首の五 

盜滅 人 還える亂る,兵殘 將て自疑す。

登壇 名 假に,主に報うは 爾 何に遲る。

領郡 輒んぞ色無し,之官 皆 詞有り。

願いて聞く 哀痛の詔,端拱 瘡痍を問う。   



『有感,五首之五』 現代語訳と訳註

(本文)

有感,五首之五 

盜滅人還亂,兵殘將自疑。

登壇名假,報主爾何遲。

領郡輒無色,之官皆有詞。

願聞哀痛詔,端拱問瘡痍。


(下し文)

感有り,五首の五 

盜滅 人 還える亂る,兵殘 將て自疑す。

登壇 名 假にち,主に報うは 爾 何に遲る。

領郡 輒んぞ色無し,之官 皆 詞有り。

願いて聞く 哀痛の詔,端拱 瘡痍を問う。  


(現代語訳)

(その五は 国を治める筋道が狂っているということについて思うことがある)

安史軍の殲滅は人々を安史の乱のまえに還した。敗残兵はそれらの出身でもって自分らでうたがいあって自滅した。

朝廷に上がる高級官僚たちは、差配も名目上のもので断絶したかりのものであったし、君主や主に対する酬いることはそれぞれがどういうわけか遅れた。

所領や郡域のものたちもどうしてかどっち附かずという色を見せない。官僚の仕事は皆が詞にして言うだけにした。

皆が願うことは適切な天子の詔であって、悲しいこと、傷ましい天子の言葉ではない。國を治める道筋が満身創痍であることが問題なのである。



(訳注)

有感,五首之五

(その五は 国を治める筋道が狂っているということについて思うことがある)


盜滅 還亂,兵殘 自疑

安史軍の殲滅は人々を安史の乱のまえに還した。敗残兵はそれらの出身でもって自分らでうたがいあって自滅した。

「盜」安史軍は各地で略奪の限りを尽くした。

「滅」10年近くかかって安史軍は殲滅された。

「自疑」安史軍は寄せ集めの軍隊で、その軍の中で勢力争いをして自滅したことをいう。


登壇 ,報主 何遲

朝廷に上がる高級官僚たちは、差配も名目上のもので断絶したかりのものであったし、君主や主に対する酬いることはそれぞれがどういうわけか遅れた。

「登壇」寺廟道觀の壇をいうが、ここでは、朝廷や幕府の施政側の高級官僚のこと。


領郡 輒無色 ,之官 皆有詞

所領や郡域のものたちもどうしてかどっち附かずという色を見せない。官僚の仕事は皆が詞にして言うだけにした。

「領郡」潘鎮、郡令。

「無色」無気力、忠誠信を持って仕事をしないこと。


願聞 哀痛 ,端拱 瘡痍

皆が願うことは適切な天子の詔であって、悲しいこと、傷ましい天子の言葉ではない。國を治める道筋が満身創痍であることが問題なのである。

「詔」天子の詔。ここでは適切な詔が必要ということ。

「端拱」國を治める道筋。

「問」問題点があること。

大明宮-座標02

 

 

 

 

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

 

 

木蘭02 

 

 



有感,五首之五 

 


 


 


 


 
















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天子の庭、朝廷には風雲急を告げ厳しい霜にあっていて、梧桐の青葉の後宮にも昼も夜もはなやいだことはなく凋落の様相を呈している。今は古の仁徳と、忠義の封建制度というものは終焉したというのか。どうしてなのだろうか、一人だけでも虞舜の時代の音楽の簫韶九成をきくという、仁徳で施政するということができないのだろうか。


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卷別: 卷二二七  文體: 五言律詩 

詩題: 有感,五首之四 


有感,五首之一  

(その一は西域のことについて思うことがある)

將帥蒙恩澤,兵戈有年。

郭子儀を筆頭にした大将たちは、天子の慈しみを大いに受けているというのに、戦火はこの年内にもまだまだあるのだ。

至今勞聖主,何以報皇天。

今に至っても聖天子にも苦労が絶えないし、そんなことでは、皇天子にどうやって恩を酬いたらよいというのか。

白骨新交戰,雲臺舊拓邊。

この騒乱の中に路上や原野に放置された白骨を片付けてもいないうちに、新たに交戦をしているし、漢の光武帝は洛陽に雲台を設置して国境を開拓して異民族から防衛をすることをしたのにその雲台も古くしてしまっている。
乘槎斷消息,無處覓張騫。

こんなことではわたしが船筏の乗船して消息を絶ってしまいたいと思うようになるし、西域の情報を的確に知らしめて、大勝利に貢献した張騫のような人物を探し求めてもどこにもいやしないというものだ。

 


(感有り,五首の一)  

將帥 恩澤を蒙り,兵戈 年に有る

今に至り聖主勞し,何を以て 皇天に報ゆ。

白骨 交戰を新たにし,雲臺 拓邊を舊す。

槎に乘じて消息を斷つは,張騫を覓むる處無し。

華山001 


有感,五首之二  

(その二は北域幽州のこと、西と南の地域への政策批判について詠う)

幽薊餘蛇豕,乾坤尚虎狼。

北域幽州・薊州には蛇や豬などであふれた。天上天下はいまだなお虎や狼だらけである。

諸侯春不貢,使者日相望。

その地の諸侯は前年中にしないといけないのに春というのに貢納しないし、租庸使は困って朝廷に報告し援軍や援助を求めても 朝廷からの使者は一日中ただ待ちのぞんでいるのだ。

慎勿吞青海,無勞問越裳。

北西部の青海は吐蕃に侵略されたままで何もしないで慎んでいることはないはずだし、五嶺山脈を越えた南のヴェトナムの異民族に問いかけて講和する努力もしていない。

大君先息戰,歸馬華山陽。  

代宗は今まず、戰が終結して一息ついているところであり、やっと馬でもって華山を越えて、長安に帰ったところだ。

 

(感有り,五首の二)  

幽薊 蛇豕を餘し,乾坤 尚お虎狼あり。

諸侯 春貢がず,使者 日び相い望む。

慎む勿れ青海を吞むを,勞しむ無し 越裳を問うを。

大君 先ず戰を息み,馬を歸すは華山の陽に。  

 

有感,五首之三 

(その三は都を洛陽に移すというが、そのことについて思うことがある)

洛下舟車入,天中貢賦均。

洛陽には水路と陸路を整備して船と車が入れるようにするため、朝廷は納貢賦役をひとしく加重された。

日聞紅粟腐,寒待翠華春。

それなのに日々聞かれるようになるのは実る稲が腐るし寒さが続き緑の花さく春も遅くなった。

莫取金湯固,長令宇宙新。

金城湯池の守りを固めることを取り去ることはいけないし、この天下世界を新しくすることを使命としなければいけないのだ。

不過行儉德,盜賊本王臣。  


倹約と仁徳を行い華美・奢侈の行きすぎをやめ、今はびこる盗賊たちはもともと奢侈と仁徳から漏れた天子の家臣たちだったのだ。

 

(感有り,五首の三) 

洛下 舟車入るに,天中 貢賦均す。

日に聞く 紅粟腐り,寒待す 翠華の春を。

金湯の固を取る莫れ,長く宇宙新たにしましむ。

儉德を行うを過ぎずして,盜賊 本もと王の臣なり。

 

 Ta唐 長安近郊圖  新02

有感,五首之四 

(その四は朝廷のあり方について思うことがある)

丹桂風霜急,青梧日夜凋。

天子の庭、朝廷には風雲急を告げ厳しい霜にあっていて、梧桐の青葉の後宮にも昼も夜もはなやいだことはなく凋落の様相を呈している。

由來強幹地,未有不臣朝。

この地はもともと強い地の利を持っていて国の根幹をなすところなのだ。それなのにいまだに家臣たちで朝廷ウィ立て直すことさえできずにいるのだ。

受鉞親賢往,卑宮制詔遙。

親族や賢臣の者たちが武器を受けたならば朝廷のもとに行かねばならない、今は卑しいものによって宮殿を征圧されており天子の詔もはるかとどかない状態なのだ。

終依古封建,豈獨聽簫韶。

今は古の仁徳と、忠義の封建制度というものは終焉したというのか。どうしてなのだろうか、一人だけでも虞舜の時代の音楽の簫韶九成をきくという、仁徳で施政するということができないのだろうか。

 

有感,五首之四 

丹桂 風霜急なり,青梧 日夜凋む。

強幹の地に由來し,未だ臣朝ならざるに有らず。

鉞を受けて 親賢往き,宮を卑くして詔を制す遙なり。

古の封建に依るを終る,豈に獨り簫韶を聽かん。

 

 

『有感,五首之四』 現代語訳と訳註

(本文)

有感,五首之四 

丹桂風霜急,青梧日夜凋。由來強幹地,未有不臣朝。

受鉞親賢往,卑宮制詔遙。終依古封建,豈獨聽簫韶。

 

 

(下し文)

有感,五首之四 

丹桂 風霜急なり,青梧 日夜凋む。

強幹の地に由來し,未だ臣朝ならざるに有らず。

鉞を受けて 親賢往き,宮を卑くして詔を制す遙なり。

古の封建に依るを終る,豈に獨り簫韶を聽かん。

 

(現代語訳)

(その四は朝廷のあり方について思うことがある)

天子の庭、朝廷には風雲急を告げ厳しい霜にあっていて、梧桐の青葉の後宮にも昼も夜もはなやいだことはなく凋落の様相を呈している。

この地はもともと強い地の利を持っていて国の根幹をなすところなのだ。それなのにいまだに家臣たちで朝廷ウィ立て直すことさえできずにいるのだ。

親族や賢臣の者たちが武器を受けたならば朝廷のもとに行かねばならない、今は卑しいものによって宮殿を征圧されており天子の詔もはるかとどかない状態なのだ。

今は古の仁徳と、忠義の封建制度というものは終焉したというのか。どうしてなのだろうか、一人だけでも虞舜の時代の音楽の簫韶九成をきくという、仁徳で施政するということができないのだろうか。

唐長安城図

 

(訳注)

有感,五首之四 

(その四は朝廷のあり方について思うことがある)

 

丹桂風霜急,青梧日夜凋。

天子の庭、朝廷には風雲急を告げ厳しい霜にあっていて、梧桐の青葉の後宮にも昼も夜もはなやいだことはなく凋落の様相を呈している。

・青梧 梧桐の青葉の中に天子と皇后が棲む。

 

由來強幹地,未有不臣朝。

この地はもともと強い地の利を持っていて国の根幹をなすところなのだ。それなのにいまだに家臣たちで朝廷ウィ立て直すことさえできずにいるのだ。

 

受鉞親賢往,卑宮制詔遙。

親族や賢臣の者たちが武器を受けたならば朝廷のもとに行かねばならない、今は卑しいものによって宮殿を征圧されており天子の詔もはるかとどかない状態なのだ。

・鉞 中国の殷・周時代を中心として使用された青銅利器で,斧の類の大型のものをいう。首を飛ばす、足に致命的な打撃を加え動けなくするための武器をいう。《説文(せつもん)》では〈戉〉字を使っている。刃巾の狭い細長い「オノ」を斧、刃巾が広く片側がくびれている「オノ」を鉞(まさかり)と呼ぶ。 斧は大きく切斧と割斧とに分けられる。

 

終依古封建,豈獨聽簫韶。

今は古の仁徳と、忠義の封建制度というものは終焉したというのか。どうしてなのだろうか、一人だけでも虞舜の時代の音楽の簫韶九成をきくという、仁徳で施政するということができないのだろうか。

・簫韶 古代虞舜の時代の音楽の簫韶九成をいうが、仁徳で施政するということをいう。三皇五帝の時代に仁徳の施政がなされ、音楽が確立された。帝舜 天下の徳を明らかにする、皆虞舜より始まるということ。

 杜甫像00


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洛陽には水路と陸路を整備して船と車が入れるようにするため、朝廷は納貢賦役をひとしく加重された。それなのに日々聞かれるようになるのは実る稲が腐るし寒さが続き緑の花さく春も遅くなった。

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廣徳2764-55 《有感,五首之三》 ふたたび成都 杜甫<731 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3985 杜甫詩1500-731-968/



卷別: 卷二二七  文體: 五言律詩 

詩題: 有感,五首之三 

地點:  洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下     

 

廣徳元年(763)

  10月、吐蕃が涇州へ来寇した。刺史の高暉は城を以てこれに降り、彼の為に道案内となって、吐蕃軍を 深く引き入れる。 吐蕃軍が奉天、武功へ来寇し、京師はパニックとなった。代宗皇帝は兵を動員しようとしていたが、 吐蕃軍は既に便橋を渡ったので、慌てふためいて為す術を知らなかった。代宗皇帝は陜州へ疎開する。 官吏はあちこち逃げ回り、六軍は逃げ散った。代宗皇帝は詔を下して、雍王・李适を関内元帥とし、 郭子儀を副元帥として吐蕃軍に当たらせることとした。郭子儀は只ちに動いたが、吐蕃軍が20万の大軍で 侵攻して来ていたので、募兵することにした。


  驃騎大将軍の程元振は横暴に振る舞っていて、人々は李輔国以上に畏れた。 そして程元振は、大功を建てた 諸将全員を忌疾し、彼等を害そうと思っていた。 吐蕃が入寇した時、程元振はすぐには上奏しなかったので、結局は代宗皇帝が慌てふためいて疎開する羽目となったのだ。 代宗皇帝が詔を発して諸道の兵を徴発しても、李光弼らは程元振が居ることを忌み、だれも駆けつけなかった。 中外は歯がみしたが、敢えて口に出す者はいなかった。


  まもなく吐蕃軍は長安を陥落させた。吐蕃軍は 広武王・李承宏を皇帝に立てて傀儡とした。吐蕃軍は府庫を掠奪、士民は皆、乱を避けて山中や谷間に逃げる者が 数え切れないほどであった。諸軍の逃亡兵や里の無頼の子弟は集まって盗賊となった。 吐蕃が去ってしまっても、彼等は南山や子午等の五谷に逃げ込んだ ままとなっていた。


有感,五首之一  

(その一は西域のことについて思うことがある)

將帥蒙恩澤,兵戈有年。

郭子儀を筆頭にした大将たちは、天子の慈しみを大いに受けているというのに、戦火はこの年内にもまだまだあるのだ。

至今勞聖主,何以報皇天。

今に至っても聖天子にも苦労が絶えないし、そんなことでは、皇天子にどうやって恩を酬いたらよいというのか。

白骨新交戰,雲臺舊拓邊。

この騒乱の中に路上や原野に放置された白骨を片付けてもいないうちに、新たに交戦をしているし、漢の光武帝は洛陽に雲台を設置して国境を開拓して異民族から防衛をすることをしたのにその雲台も古くしてしまっている。
乘槎斷消息,無處覓張騫。

こんなことではわたしが船筏の乗船して消息を絶ってしまいたいと思うようになるし、西域の情報を的確に知らしめて、大勝利に貢献した張騫のような人物を探し求めてもどこにもいやしないというものだ。

 


(感有り,五首の一)  

將帥 恩澤を蒙り,兵戈 年に有る

今に至り聖主勞し,何を以て 皇天に報ゆ。

白骨 交戰を新たにし,雲臺 拓邊を舊す。

槎に乘じて消息を斷つは,張騫を覓むる處無し。

華山001 


有感,五首之二  

(その二は北域幽州のこと、西と南の地域への政策批判について詠う)

幽薊餘蛇豕,乾坤尚虎狼。

北域幽州・薊州には蛇や豬などであふれた。天上天下はいまだなお虎や狼だらけである。

諸侯春不貢,使者日相望。

その地の諸侯は前年中にしないといけないのに春というのに貢納しないし、租庸使は困って朝廷に報告し援軍や援助を求めても 朝廷からの使者は一日中ただ待ちのぞんでいるのだ。

慎勿吞青海,無勞問越裳。

北西部の青海は吐蕃に侵略されたままで何もしないで慎んでいることはないはずだし、五嶺山脈を越えた南のヴェトナムの異民族に問いかけて講和する努力もしていない。

大君先息戰,歸馬華山陽。  

代宗は今まず、戰が終結して一息ついているところであり、やっと馬でもって華山を越えて、長安に帰ったところだ。

 

(感有り,五首の二)  

幽薊 蛇豕を餘し,乾坤 尚お虎狼あり。

諸侯 春貢がず,使者 日び相い望む。

慎む勿れ青海を吞むを,勞しむ無し 越裳を問うを。

大君 先ず戰を息み,馬を歸すは華山の陽に。  

 

有感,五首之三 

(その三は都を洛陽に移すというが、そのことについて思うことがある)

洛下舟車入,天中貢賦均。

洛陽には水路と陸路を整備して船と車が入れるようにするため、朝廷は納貢賦役をひとしく加重された。

日聞紅粟腐,寒待翠華春。

それなのに日々聞かれるようになるのは実る稲が腐るし寒さが続き緑の花さく春も遅くなった。

莫取金湯固,長令宇宙新。

金城湯池の守りを固めることを取り去ることはいけないし、この天下世界を新しくすることを使命としなければいけないのだ。

不過行儉德,盜賊本王臣。  


倹約と仁徳を行い華美・奢侈の行きすぎをやめ、今はびこる盗賊たちはもともと奢侈と仁徳から漏れた天子の家臣たちだったのだ。

 

(感有り,五首の三) 

洛下 舟車入るに,天中 貢賦均す。

日に聞く 紅粟腐り,寒待す 翠華の春を。

金湯の固を取る莫れ,長く宇宙新たにしましむ。

儉德を行うを過ぎずして,盜賊 本もと王の臣なり。

 

洛陽・鄴州00


 


『有感,五首之三』 現代語訳と訳註

(本文)

有感,五首之三 

洛下舟車入,天中貢賦均。

日聞紅粟腐,寒待翠華春。

莫取金湯固,長令宇宙新。

不過行儉德,盜賊本王臣。

 


(下し文)

(感有り,五首の三) 

洛下 舟車入るに,天中 貢賦均す。

日に聞く 紅粟腐り,寒待す 翠華の春を。

金湯の固を取る莫れ,長く宇宙新たにしましむ。

儉德を行うを過ぎずして,盜賊 本もと王の臣なり。

 


(現代語訳)

(その三は都を洛陽に移すというが、そのことについて思うことがある)

洛陽には水路と陸路を整備して船と車が入れるようにするため、朝廷は納貢賦役をひとしく加重された。

それなのに日々聞かれるようになるのは実る稲が腐るし寒さが続き緑の花さく春も遅くなった。

金城湯池の守りを固めることを取り去ることはいけないし、この天下世界を新しくすることを使命としなければいけないのだ。

倹約と仁徳を行い華美・奢侈の行きすぎをやめ、今はびこる盗賊たちはもともと奢侈と仁徳から漏れた天子の家臣たちだったのだ。

カンナ223 


(訳注)

有感,五首之三

(その三は都を洛陽に移すというが、そのことについて思うことがある)

 


洛下 舟車 ,天中貢賦 均。

洛陽には水路と陸路を整備して船と車が入れるようにするため、朝廷は納貢賦役をひとしく加重された。

「洛下」行政地名、洛陽のこと。

「舟車入」安史の乱のため、水路と主要道路が寸断されていて、これを整備するのに近隣の住民に負担を課した。

「貢賦」重税と、賦役を課したこと

 


日聞 紅粟 ,寒待 翠華

それなのに日々聞かれるようになるのは実る稲が腐るし寒さが続き緑の花さく春も遅くなった。、

前年とこの年は天候不順であった。税負担が治められる状態ではないのに重税を課したために逃散し、盗賊が増えた。

 


莫取 金湯固,長令宇宙

金城湯池の守りを固めることを取り去ることはいけないし、この天下世界を新しくすることを使命としなければいけないのだ。

・金湯 金城湯池のこと。1 《「漢書」蒯通伝から。「湯池」は熱湯をたたえた堀》守りが非常に固く、攻めるのが難しい城。金湯。2 堅固で、他から侵害されにくい勢力範囲。

 


不過 儉德 ,盜賊 本王臣

倹約と仁徳を行い華美・奢侈の行きすぎをやめ、今はびこる盗賊たちはもともと奢侈と仁徳から漏れた天子の家臣たちだったのだ。

漢魏隋唐の洛陽城

廣徳2年764-54 《有感,五首之二》 ふたたび成都 杜甫<730> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3980 杜甫詩1500-730-967/250018

北域幽州・薊州には蛇や豬などであふれた。天上天下はいまだなお虎や狼だらけである。その地の諸侯は前年中にしないといけないのに春というのに貢納しないし、租庸使は困って朝廷に報告し援軍や援助を求めても 朝廷からの使者は一日中ただ待ちのぞんでいるのだ。



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卷別: 卷二二七  文體: 五言律詩 

詩題: 有感,五首之二 

及地點:  幽州 (河北道南部 幽州 幽州)    ・薊州 (河北道南部 薊州 薊州)    ・越裳 (嶺南道西部 驩州 越裳)  ・華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳     

  

 

有感,五首之一 

(その一は西域のことについて思うことがある)

將帥蒙恩澤,兵戈有年。

郭子儀を筆頭にした大将たちは、天子の慈しみを大いに受けているというのに、戦火はこの年内にもまだまだあるのだ。

至今勞聖主,何以報皇天。

今に至っても聖天子にも苦労が絶えないし、そんなことでは、皇天子にどうやって恩を酬いたらよいというのか。

白骨新交戰,雲臺舊拓邊。

この騒乱の中に路上や原野に放置された白骨を片付けてもいないうちに、新たに交戦をしているし、漢の光武帝は洛陽に雲台を設置して国境を開拓して異民族から防衛をすることをしたのにその雲台も古くしてしまっている。
乘槎斷消息,無處覓張騫。

こんなことではわたしが船筏の乗船して消息を絶ってしまいたいと思うようになるし、西域の情報を的確に知らしめて、大勝利に貢献した張騫のような人物を探し求めてもどこにもいやしないというものだ。

 

(感有り,五首の一) 

將帥 恩澤を蒙り,兵戈 年に有る

今に至り聖主勞し,何を以て 皇天に報ゆ。

白骨 交戰を新たにし,雲臺 拓邊を舊す。

槎に乘じて消息を斷つは,張騫を覓むる處無し。

華山001 


有感,五首之二 

(その二は北域幽州のこと、西と南の地域への政策批判について詠う)

幽薊餘蛇豕,乾坤尚虎狼。

北域幽州・薊州には蛇や豬などであふれた。天上天下はいまだなお虎や狼だらけである。

諸侯春不貢,使者日相望。

その地の諸侯は前年中にしないといけないのに春というのに貢納しないし、租庸使は困って朝廷に報告し援軍や援助を求めても 朝廷からの使者は一日中ただ待ちのぞんでいるのだ。

慎勿吞青海,無勞問越裳。

北西部の青海は吐蕃に侵略されたままで何もしないで慎んでいることはないはずだし、五嶺山脈を越えた南のヴェトナムの異民族に問いかけて講和する努力もしていない。

大君先息戰,歸馬華山陽。 

代宗は今まず、戰が終結して一息ついているところであり、やっと馬でもって華山を越えて、長安に帰ったところだ。


(感有り,五首の二) 

幽薊 蛇豕を餘し,乾坤 尚お虎狼あり。

諸侯 春貢がず,使者 日び相い望む。

慎む勿れ青海を吞むを,勞しむ無し 越裳を問うを。

大君 先ず戰を息み,馬を歸すは華山の陽に。   


杜甫 体系 地図458華州から秦州

『有感,五首之二』 現代語訳と訳註

(本文)

有感,五首之二 

幽薊餘蛇豕,乾坤尚虎狼。

諸侯春不貢,使者日相望。

慎勿吞青海,無勞問越裳。

大君先息戰,歸馬華山陽。 

 


(下し文)

(感有り,五首の二) 

幽薊 蛇豕を餘し,乾坤 尚お虎狼あり。

諸侯 春貢がず,使者 日び相い望む。

慎む勿れ青海を吞むを,勞しむ無し 越裳を問うを。

大君 先ず戰を息み,馬を歸すは華山の陽に。 

 

(現代語訳)

(その二は北域幽州のこと、西と南の地域への政策批判について詠う)

北域幽州・薊州には蛇や豬などであふれた。天上天下はいまだなお虎や狼だらけである。

その地の諸侯は前年中にしないといけないのに春というのに貢納しないし、租庸使は困って朝廷に報告し援軍や援助を求めても 朝廷からの使者は一日中ただ待ちのぞんでいるのだ。

北西部の青海は吐蕃に侵略されたままで何もしないで慎んでいることはないはずだし、五嶺山脈を越えた南のヴェトナムの異民族に問いかけて講和する努力もしていない。

代宗は今まず、戰が終結して一息ついているところであり、やっと馬でもって華山を越えて、長安に帰ったところだ。

 

(訳注)

有感,五首之二 

(その二は北域幽州のこと、西と南の地域への政策批判について詠う)

 

幽薊 蛇豕 ,乾坤 尚虎狼

北域幽州・薊州には蛇や豬などであふれた。天上天下はいまだなお虎や狼だらけである。

「幽薊」幽州、薊州。安史軍が放棄した拠点地点。

「餘」語義類別:其他、數詞、概量數詞、餘。

「蛇豕」語義類別:物、生物、動物專名(合稱)、蛇豬。

「乾坤」語義類別:其他、專業術語、道家語、乾坤。

「虎狼」語義類別:物、生物、動物專名(合稱)、虎狼。

 

諸侯 不貢 ,使者 相望

その地の諸侯は前年中にしないといけないのに春というのに貢納しないし、租庸使は困って朝廷に報告し援軍や援助を求めても 朝廷からの使者は一日中ただ待ちのぞんでいるのだ。

〈この聯の背景〉

安史の乱の間、租庸の徴収できなかった分や逃散した人間の分を計算して、全て徴発した。 豪吏を選んで県令として、これを督促させる。未収分の有無や貨の高下を問わず、 民が粟や帛を持っていたら全て摘発して、その半分を徴収する。甚だしい者は、 八、九割を租庸として奪って行った。 これを「白著」と言った。

  不服な者は厳刑へ処する。穀物を十斛も持っている民は、足枷をつけられて処罰を待つ有様だから、 大勢の人間が、山や沢に集まって群盗となった。 州県は、これを止められなかった。

他方、民間が飢饉で、租庸の徴収もできない。 将士への兵糧や棒給も不十分だった。朔方邏諸道行営都統・李国貞は、書状で訴えたが、朝廷からは返答がない。 軍中に不満が渦巻いた。


慎勿 吞青海 ,無勞 越裳

北西部の青海は吐蕃に侵略されたままで何もしないで慎んでいることはないはずだし、五嶺山脈を越えた南のヴェトナムの異民族に問いかけて講和する努力もしていない。

「青海」青海省辺りの地域は吐蕃によって侵略された地域である。

「越裳」越裳(えつしょう)は、中国後漢の王充の著書『論衡』にあらわれる、中国南部に居住していたとみられる民族の名称である。。


大君 先息戰 ,歸馬 華山

代宗は今まず、戰が終結して一息ついているところであり、やっと馬でもって華山を越えて、長安に帰ったところだ。

「陽」76312月、渭水の北を通って長安に帰ったことをいう。

 

廣徳元年(763)10月、吐蕃が涇州へ来寇した。刺史の高暉は城を以てこれに降り、彼の為に道案内となって、吐蕃軍を 深く引き入れる。 吐蕃軍が奉天、武功へ来寇し、京師はパニックとなった。代宗皇帝は兵を動員しようとしていたが、 吐蕃軍は既に便橋を渡ったので、慌てふためいて為す術を知らなかった。代宗皇帝は陜州へ疎開する。 官吏はあちこち逃げ回り、六軍は逃げ散った。
  まもなく吐蕃軍は長安を陥落させた。吐蕃軍は
広武王・李承宏を皇帝に立てて傀儡とした。吐蕃軍は府庫を掠奪、士民は皆、乱を避けて山中や谷間に逃げる者が 数え切れないほどであった。


  11月、代宗皇帝は程元振の官爵を削り、田里へ放帰した。


  12月 丁亥の日、吐蕃軍が去ったことを知り、車駕が陜州を出発し、京師へ戻った。
この時、左丞・顔眞卿は、まず陵廟へ謁してから宮へ帰るよう 代宗皇帝へ請うた。

  甲午の日、代宗皇帝が長安へ到着する。

  吐蕃帝国が新たに占領した松州・維州・保州及び雲山 に新しく城を築いた。西川節度使の高适は 大唐帝国の旧領土を救うことができず、かえって剣南及び西山地方が 吐蕃帝国の領土に編入された。

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