光が射すこの地は秦の蕭史がとどまるほどの所であり、書きつけてある文章は魯の恭王が残しておかれたもののようである。王子喬のような「笙鶴」伝説があるという。この山の頂上に、時折笙の笛を吹く仙人が鶴に乗って來るという、ここが仙郷ということなのだ。
廣徳2年764-83 《玉臺觀二首其二》 杜甫index-14 764年 杜甫<759> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4125 杜甫詩1500-759-996/250047
年: 764年 廣德二年 53歲
卷別:巻十三 卷二二八 文體: 五言律詩
詩題:玉臺觀二首其二
作地點: 目前尚無資料
及地點: 玉臺觀 (山南西道 閬州 閬州)
玉臺觀二首其二
(昔の伝説とその人物に滕王に喩えて褒め称えた詩、その二)
浩劫因王造,平臺訪古遊。
広範囲にわたる災禍を鎮めるために滕王はここに寺観をつくったのであるが、この平台に昔の人が遊んだあとを訪ねてみるとそれがよくわかる。
綵雲蕭史駐,文字魯恭留。
五光が射すこの地は秦の蕭史がとどまるほどの所であり、書きつけてある文章は建築物を能くつくった漢代の魯の恭王が残しておかれたもののようである。
宮闕通群帝,乾坤到十洲。
この寺観の御門は多くの仙人たちでさえ大いにここを通ることに満足するものであり、そのおおらかさは天地において仙郷の十洲のそれぞれに到達するほどのものである。
人傳有笙鶴,時過此山頭。
このあたりの人は王子喬のような「笙鶴」伝説があるという。この山の頂上に、時折笙の笛を吹く仙人が鶴に乗って來るという、ここが仙郷ということなのだ。
(玉台観 二首其の一)
浩劫【こうごう】 王の造るに因る,平臺 古遊を訪【いざな】う。
綵雲 蕭史 駐り,文字 魯恭 留む。
宮闕 群帝を通ず,乾坤 十洲に到る。
人傳う 笙鶴有るを,時に 此山の頭を過るを。
『玉臺觀二首其二』 現代語訳と訳註
(本文)
玉臺觀二首其二
浩劫因王造,平臺訪古遊。
綵雲蕭史駐,文字魯恭留。
宮闕通群帝,乾坤到十洲。
人傳有笙鶴,時過此山頭。
(下し文)
(玉台観 二首其の一)
浩劫【こうごう】 王の造るに因る,平臺 古遊を訪【いざな】う。
綵雲 蕭史 駐り,文字 魯恭 留む。
宮闕 群帝を通ず,乾坤 十洲に到る。
人傳う 笙鶴有るを,時に 此山の頭を過るを。
(現代語訳)
(昔の伝説とその人物に滕王に喩えて褒め称えた詩、その二)
広範囲にわたる災禍を鎮めるために滕王はここに寺観をつくったのであるが、この平台に昔の人が遊んだあとを訪ねてみるとそれがよくわかる。
五光が射すこの地は秦の蕭史がとどまるほどの所であり、書きつけてある文章は建築物を能くつくった漢代の魯の恭王が残しておかれたもののようである。
この寺観の御門は多くの仙人たちでさえ大いにここを通ることに満足するものであり、そのおおらかさは天地において仙郷の十洲のそれぞれに到達するほどのものである。
このあたりの人は王子喬のような「笙鶴」伝説があるという。この山の頂上に、時折笙の笛を吹く仙人が鶴に乗って來るという、ここが仙郷ということなのだ。
(訳注)
玉臺觀二首其二
(昔の伝説とその人物に滕王に喩えて褒め称えた詩、その二)
浩劫因王造,平臺訪古遊。
広範囲にわたる災禍を鎮めるために滕王はここに寺観をつくったのであるが、この平台に昔の人が遊んだあとを訪ねてみるとそれがよくわかる。
・浩劫 大規模な災害をいい,広範囲にわたる災禍十年浩劫10年にわたる災禍のこと。
・王造 滕王はここに寺観をつくった。
・平臺 玉臺観のこと。
・古遊 古跡を観賞してあるく。
綵雲蕭史駐,文字魯恭留。
五光が射すこの地は秦の蕭史がとどまるほどの所であり、書きつけてある文章は建築物を能くつくった漢代の魯の恭王が残しておかれたもののようである。
・綵雲 五色の雲。この場所の威厳を増す効果を示すもの。
・蕭史 蕭史という蕭(管楽器)の名人が居た。その音色は鳳凰の鳴き声の様であった。弄玉もまた蕭を吹くので、穆公は二人を結婚させた。何年も経った後に弄玉の吹奏も鳳の声のようになり、鳳凰が来てその家に止まった。『玉臺観二首其一』にものべる。
・駐 蕭史がここに留まること。
・魯恭 漢代の魯の恭王が建築物を能くつくり、霊光殿を作ったことを滕王に比す。
宮闕通群帝,乾坤到十洲。
この寺観の御門は多くの仙人たちでさえ大いにここを通ることに満足するものであり、そのおおらかさは天地において仙郷の十洲のそれぞれに到達するほどのものである。
・通群帝 多くの仙人たちがここを往来する。
・乾坤 天地において。
・十洲 仙郷のこと。
人傳有笙鶴,時過此山頭。
このあたりの人は王子喬のような「笙鶴」伝説があるという。この山の頂上に、時折笙の笛を吹く仙人が鶴に乗って來るという、ここが仙郷ということなのだ。
・笙鶴 鶴に乗って昇天したといわれる神仙で、周の霊王(在位前572~前545)の38人の子の一人である太子晋のこと。王喬ともいう。伝説によると、王子喬は若くから才能豊かで、笙を吹いては鳳凰が鳴くような音を出すことができた。伊水、洛水(河南省洛陽南部)あたりを巡り歩いていたとき、道士の浮丘公に誘われ中岳嵩山に入り、帰らなくなった。それから30年以上後、友人の桓良が山上で王子喬を探していると、ふいに本人が現れ、「7月7日に緱氏山(こうしざん)の頂上で待つように家族に伝えてくれ」といった。 その日、家族がいわれたとおり山に登ると、王子喬が白鶴に乗って山上に舞い降りた。だが、山が険しく家族は近づくことができなかった。と、王子喬は手を上げて家族に挨拶し、数日後白鶴に乗って飛び去ったという。 そこで、人々は緱氏山の麓や嵩山の山頂に祠を建てて、王子喬を祀ったといわれている。
・此山頭 閬州城北七里玉台山のこと。
詩文(含異文):
浩劫因王造【浩劫因王起】,平臺訪古遊。
綵雲蕭史駐,文字魯恭留。
宮闕通群帝,乾坤到十洲。
人傳有笙鶴,時過此山頭【時過北山頭】。
○玄都壇 玄都とは道家のかんがえた一つの仙郷。「十洲記」に「玄洲ハ北海二在り、岸ヲ去ルコト三十六万里、上二大玄都有り、仙伯真公ノ治ムル所ナリ」とある。玄都壇は漢の武帝の築く所で長安の南山の子牛谷の中に在る。元逸人はここに隠れていたのである。
①---
東海 祖州・・・方円五百里にして中國東方七万里という。不死の草あり。死者の上にその草を置くだけでよみがえるのである。
②東方大海中 瀛州・・・方円四千里。揚子江口から七十万里という。神芝仙草というのが生えている。また、玉石ありて高さ一千丈という。酒の味がする玉醴泉がある。これを飲むと長生するといい、神仙の家が多い。
③北海 玄州・・・中國の北西の間の方向に、三十六万里離れて在り。方円七千二百里。崑崙山のかなたにある。山々にかこまれ太玄都がある。神仙である真君が支配しているという。しかし、その太玄都近くに風山がある。この山には大いなる風が吹き止むことなく、また雷電の音と光が絶えるときがない。この山の上に天地の西北の門があるの。その門から、時に多数の大きな仙人たちの住居が見える。
④南海 炎州・・・中國から南へ九万里、方円二千里。この世界には不思議なドウブツがいるので名高い。
⑤南海 長州・・・中國の南東二十万里、方円五千里。山川が多く、森に覆われている。森には巨木多く、二千人で抱えてようやく一回りできるような大きなものもある。森が多いことから「青丘」とも言われる。仙草、霊薬、甘液、玉英を産する。
この大陸にも風山があり、その山はつねに震動し、轟々とうなっている。
⑥北海 元州・・・中國の北方十万里、方円三千里。この大陸には五芝玄澗と名づけられる谷があって、そこの水は蜜のように甘く、長生の効能がある。またこの谷に生えている五芝の方にも長生の効能があるのである。
⑦西海 流州・・・中國の西方十九万里、方円三千里。多くの山と川があるのであるが、特に大きな石の嶺があり「崑吾」と名づけられている。この露頭から掘削される鉄鉱を用いて製せられた剣は光かがやいてしかも透き通りまるで水晶のごとしという。この剣を以って玉を斬ればまるで泥を斬るようだとのこと。
⑧東海 生州・・・中國の東北方二十三万里、方円二千五百里。(蓬莱を離れること七十万里、ともいうのですが、蓬莱とチュウゴクと、この生洲との位置関係がよくわからない。)数万の神仙が住むといい、天気は常に晴朗で温暖、寒暑なく、万物がいつも生長しやすい環境にある。もちろん長生に資する霊芝や仙草もどんどこ成長する。飲み水もとても甘いという。
⑨西海 鳳鱗州・・・方円一千五百里。四方を波風の無い海の囲まれているゆえ人間には渡ることができないらしい。ここには鳳凰・麒麟が何万と住んでいる。もちろん神仙も多く住んでおられるのだ。鳳凰のくちばしと麒麟の角を煮て作ったにかわがあり、切断した弓の弦や刀をつなぎあわせることができるという。
⑩西海 集窟州・・・中國の西南、崑崙を離れること南に二十六万里、中國を離れること西に二十四万里という。神仙が多く住んで数え尽くせない。この大陸には獅子、避邪、サク歯、天鹿、長牙、銅頭、鉄額といった動物、人間の頭を持つ鳥がいる。この鳥の住む山を人鳥山というが、人鳥山には楓に似た樹木あり、還魂樹とよばれ、この木は香りがよい。
元都壇歌寄元逸人
故人昔隱東蒙峰,已佩含景蒼精龍。
故人今居子午穀,獨在陰崖結茅屋。』
屋前太古元都壇,青石漠漠常風寒。
子規夜啼山竹裂,王母晝下雲旗翻。』
知君此計誠長往,芝草瑯玕日應長。
鐵鎖高垂不可攀,致身福地何蕭爽。』
我が旧友たる君は昔東蒙峰にかくれていた頃から己に姿隠しの御守り札などを佩びた人のようであった。
君は、今、子牛谷に住んでいて、ただひとり北向きの崖に茅屋の庵を結んでいる。』
その茅屋の前には太古からあるらしい玄都壇があって、青色の石が平べったく横わり、吹きくる風はいつもつめたい。
夜にはほととぎすが啼いて山の竹が裂ける様な声をだし、昼は西王母の道士、仙人が雲旗をひるがえして天から下ってくる。』
君は世間に認知された、かかる山中の修行を計っては永久に自然界と一体化されているのである。そこでは気を吸い、霞をたべ、芝草や瑯玕の仙草が日々生長していることであろう。
そこへ行くには懸崖絶壁で鉄のくさりが高く垂れていてよじのぼることもできない。さような道教の福地というべきところに身を置くというはなんと「蕭爽な気」を身に吸い込んで一体化していくのであろう。』
玄都壇の歌元逸人に寄す
故人昔隠る東蒙峰、己に佩ぶ含景の蒼精竜。
故人今居る子牛谷、独り陰崖に在って茅屋を結ぶ。』
屋前太古の玄都壇、青石漠漠として常に風寒し。
子規夜啼いて山竹裂け、王母昼下りて雲旗翻る。』
知る君が此の計長往を成すを、芝草瑯玕日に応に長ずるなるべし。
鐵鎖高く垂れて攣す可からず、身を福地に致す何ぞ粛爽なる。』




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