(食糧が不足し、その上税負担、兵役負担が増大となるのをどうすべきか)食物が不足し供されない状況が続くのは、これは軍事を弱体化させ、人民の信頼を棄てるということである。特に軍に食料不足であっても、戦いに余裕を持って臨んだり、馬車を疾駆させることは、必ず用いるべき姿勢でなければいけないのである。
乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (11) Q-4-#1》 杜甫index-14 764年 (11) Q-4-#1 杜甫<775>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4280 杜甫詩1500-775-1027/2500index-21
当時、安史軍は毎日、各城下にて掠奪する。大唐軍が出陣すると、すぐに陣へ逃げ帰るのだ。諸軍の人馬牛車は日々損失を受け、 薪の補給も難しい。大唐の警備兵は、二十四時間緊張を強いられた。
天下は飢饉で、兵糧の運搬は、南は江、淮から、西は并、汾から、船や車が途切れずに続いていた。史思明は、壮士へ官軍の扮装をさせてあちこちへ派遣し、 運搬隊へ対して期日の遅れなどを責めて妄りに殺した。 運搬者は驚き懼れた。また、船や車が密集していたら、 これを焼き払った。史思明の安史軍は神出鬼没で集合離散も変幻自在。大唐軍が捕まえようとしても、なかなか見つけきれない。
これによって大唐諸軍は兵糧が乏しくなり、人々は戦意を無くした。それを見透かして、史思明は大軍を率いて城下へ結集し、大唐軍と時刻を決めて 決戦を挑んだ。
(Q-1)
(租庸調が崩れ、府兵制が崩壊している時において、賦税負担だけで軍を整備増強できる方法はあるか?)
(Q-2)
(軍は整備士増強することが臨まれるが、それ以外のことにも相当な負担を強いられている。人民も物納という税負担の為生産物の価値が下落することで税負担では生活ができない。両者の負担増をどうすればよいのか?)
(Q-3)
(安史の乱による交通手段の遮断、陸上水路整備による駅伝制が整うことによる国領増強はできるのか?)
(Q-4)
(食糧が不足し、その上税負担、兵役負担が増大となるのをどうすべきか)
(Q-5)
(三皇五帝の時代は質素倹約につとめ、仁徳ある施政、物理にのっとる政治を行ったが、現在、安史の乱を終わらせるためにとったウイグル援軍への多大な負担は国家財政を破たんに近いもので、それを補てんするための鋳造比率を悪化させて発行量を驚愕に増加させたことは、穀物の不作とで過激なインフレーションを起こしていることに対しての意見を述べることを求めている。)
Q-4 #1(食糧が不足し、その上税負担、兵役負担が増大となるのをどうすべきか)
問:足食足兵,先哲雅誥,
第四の策を問う、「食物を十分に供し、兵を充分にそなえておけば、人民はその施政者を信頼するというのは、『論語』顔淵篇に見える先哲の正しくて立派な戒めである。
蓋有兵無食,是謂棄之。
これを踏まえて、食物が不足し供されない状況が続くのは、これは軍事を弱体化させ、人民の信頼を棄てるということである。
致能掉鞅,靡旌,斯可用矣。
特に軍に食料不足であっても、戦いに余裕を持って臨んだり、馬車を疾駆させることは、必ず用いるべき姿勢でなければいけないのである。
況寇猶作梗,兵不可去,
ましてや安史軍は今なお略奪、横暴で輸送ルートを塞いでおり、ここ司功参軍の兵隊を引き上げることはでききないのである。
日聞將軍之令,親睹司馬之法。
日々、将軍は状況に応じた命令を出しているのが聞こえてくる、司馬の兵法を間近に見ているのであるからなおさら軍の整備が重要なのである。
Q-4、問ふ、「食を足らしめ兵を足らしむ」とは、先哲の雅誥なり。
蓋し兵有りて食無きは、是れ之を棄つと謂ふ。
能く掉鞅 靡旌を致すは、斯れ用ふ可し。
況んや寇 猶ほ梗を作し、兵去る可からず、
日々将軍の令を聞き、親しく司馬の法を睹る。
關中之卒未息,灞上之營何遠?
近者鄭南訓練,城下屯集,
瞻彼三千之徒,有異什一而稅。
竊見明發教以戰鬥,亭午放其庸保,
課乃菽麥,以為尋常。
夫悅以使人,是能用古,
伊歲則雲暮,實慮休止,
未卜及瓜之還,交比翳桑之餓。
群有司自救不暇,二三子謂之何哉?
關中の卒 未だ息まず、㶚上の営何ぞ遠からん。
近ごろ、鄭南に訓練し、城下に屯集す。
彼の三千の徒を瞻るに、什の一にして税するに異なる有り。
竊かに見るに 明発 教うるに戦闘を以ってし、亭午其の庸保を放ち、
課するは乃ち菽と麦にして、以て尋常と為す。
夫れ悦しみて以て人を使うに、是れ能く古を用ふ。
伊れ歳 則ち雲に暮れ、実に休止せんことを慮る。
未だ及瓜の還を卜せず、交も翳桑の餓に比す。
群有 司自ら救ふに暇あらず。二三子 之を何と謂ふや。
『乾元元年華州試進士策問五首』 現代語訳と訳註
(本文) Q-4 #1(食糧が不足し、その上税負担、兵役負担が増大となるのをどうすべきか)
問:足食足兵,先哲雅誥,
蓋有兵無食,是謂棄之。
致能掉鞅,靡旌,斯可用矣。
況寇猶作梗,兵不可去,
日聞將軍之令,親睹司馬之法。
(下し文) Q-4、問ふ、「食を足らしめ兵を足らしむ」とは、先哲の雅誥なり。
蓋し兵有りて食無きは、是れ之を棄つと謂ふ。
能く掉鞅 靡旌を致すは、斯れ用ふ可し。
況んや寇 猶ほ梗を作し、兵去る可からず、
日々将軍の令を聞き、親しく司馬の法を睹る。
(現代語訳)
第四の策を問う、「食物を十分に供し、兵を充分にそなえておけば、人民はその施政者を信頼するというのは、『論語』顔淵篇に見える先哲の正しくて立派な戒めである。
これを踏まえて、食物が不足し供されない状況が続くのは、これは軍事を弱体化させ、人民の信頼を棄てるということである。
特に軍に食料不足であっても、戦いに余裕を持って臨んだり、馬車を疾駆させることは、必ず用いるべき姿勢でなければいけないのである。
ましてや安史軍は今なお略奪、横暴で輸送ルートを塞いでおり、ここ司功参軍の兵隊を引き上げることはでききないのである。
日々、将軍は状況に応じた命令を出しているのが聞こえてくる、司馬の兵法を間近に見ているのであるからなおさら軍の整備が重要なのである。
(訳注) Q-4 #1(食糧が不足し、その上税負担、兵役負担が増大となるのをどうすべきか)
乾元元年華州試進士策問五首
(乾元元年における華州進士を試する策問の五首)
表題の乾元元年(七五八)は、粛宗即位の翌年にあたる。この年の二月に(至徳三載)より乾元(元年)と改元された。この策問が作成された時期について、本文中に「伊歳則云暮」(伊れ歳則ち云うに暮れ)とあることから、十月と考えられる。杜甫か華州に左遷されたのは、同年六月であり、赴任から四ケ月ほど後に作成されたと考えられる。「策問」は、官吏登用試験において経義や政治上の意見を試問すること。「策」は、もともと問題を書いた竹札をいうし、正解を求めるということである。
この詩は杜甫の『三吏三別』の六首を生む基本的考えの表れた内容のものである。
問:足食足兵,先哲雅誥,
第四の策を問う、「食物を十分に供し、兵を充分にそなえておけば、人民はその施政者を信頼するというのは、『論語』顔淵篇に見える先哲の正しくて立派な戒めである。
・足食足兵 『論語』顔淵篇、「子貢問政。子曰。足食。足兵。民信之矣。」(子貢、政を問う。子曰く、食を足らし、兵を足らし、民之を信ず)孔子か政治の根本についてと述べ、もっとも重要なのは人民の信義であり、そのもとに食糧を不足させてはいけない、軍事整備を怠らずにしていることである。
・先哲 昔の哲人。昔のすぐれた思想家。前哲。
・雅誥 上品で優雅なこと。宮廷風・都会風であること。風采の立派なこと。「誥」は天子の言葉。ここは先哲の正しくて立派な戒めである。
蓋有兵無食,是謂棄之。
これを踏まえて、食物が不足し供されない状況が続くのは、これは軍事を弱体化させ、人民の信頼を棄てるということである。
・是謂棄之 『論語』子路に、「子日、以不教民戦、是謂棄之。」とあり、民に十分な教育を施さないで、戦わせるのは、敗亡を招くのみならず、人民を無駄に棄てることだとの意ともいえるが。ここでは、軍の試験であり、関中が自給自足できず、他地域からの穀物を補給しなければいけないのができなく、そのことにより「無食」となり、軍の体制が崩壊すること、人民の信頼はなくなる。この考え方は、杜甫の「三吏三別」見事に言い表されている。
致能掉鞅,靡旌,斯可用矣。
特に軍に食料不足であっても、戦いに余裕を持って臨んだり、馬車を疾駆させることは、必ず用いるべき姿勢でなければいけないのである。
・掉鞅 もと敵に挑戦するに当たって、馬のむなかいを整える意で、そこから余裕のある様子や、戦闘において主導権を握る様を表す。
・靡旌 馬車を疾駆させるさま。
況寇猶作梗,兵不可去,
ましてや安史軍は今なお略奪、横暴で輸送ルートを塞いでおり、ここ司功参軍の兵隊を引き上げることはでききないのである。
日聞將軍之令,親睹司馬之法。
日々、将軍は状況に応じた命令を出しているのが聞こえてくる、司馬の兵法を間近に見ているのであるからなおさら軍の整備が重要なのである。