杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

2014年06月

廣徳2年764-97 《歸雁》 杜甫index-14 764年歸雁 杜甫<769> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4430 杜甫詩1500-769-1057/25004

(春さき北方へかえる雁をみてよんだ詩。)東の方からもどって来た、本当は万里東の遠方の旅人である私は、こんどは幾年たったら兵乱が平定して生まれ故郷へ帰ることができるだろう。いま錦官城の上を渡る雁をみると自分の腸はちぎれるばかりだ、なぜかというと、その雁はちょうど高高と北、故郷の方へむかって飛んでゆくではないか。

 
 2014年6月30日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
21 《古風五十九首之二十一》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳270古風,五十九首之二十一郢客吟白雪, <21> Ⅰ李白詩1171 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4403 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
000 《和韓侍郎題楊舎人林池見寄》白居易(白楽天) Ⅱ中唐<1089>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4429 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-97 《歸雁》 杜甫index-14 764年歸雁 杜甫<769> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4430 杜甫詩1500-769-1057/25004 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor14-394《思越人二首 其二》孫光憲(54)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-577-14-(394) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4432 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

廣徳2764-97 《歸雁》 杜甫index-14 764年歸雁 杜甫<769 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4430 杜甫詩1500-769-1057/25004

 

春さき北方へかえる雁をみてよんだ詩。広徳二年春、成都にあっての作。

廣徳2764-97

index-14 769

卷別:卷二二八  文體: 五言 

詩題:歸雁

 

 

歸雁

東來萬里客,亂定幾年歸。

腸斷江城雁,高高正北飛。

(春さき北方へかえる雁をみてよんだ詩。)

東の方からもどって来た、本当は万里東の遠方の旅人である私は、こんどは幾年たったら兵乱が平定して生まれ故郷へ帰ることができるだろう。

いま錦官城の上を渡る雁をみると自分の腸はちぎれるばかりだ、なぜかというと、その雁はちょうど高高と北、故郷の方へむかって飛んでゆくではないか。

(帰 雁)

東來萬里の客,亂定りて幾年にか歸らん。

腸は断ゆ 江城の雁 高高 正に北に飛ぶに。

 

太白山001 

歸雁』 現代語訳と訳註

(本文)

歸雁

東來萬里客,亂定幾年歸。

腸斷江城雁,高高正北飛。

 

東來萬里客,亂定幾年歸【亂走幾年歸】。

腸斷江城雁,高高正北飛【高高向北飛】。

 

(下し文)

(帰 雁)

東來萬里の客,亂定りて幾年にか歸らん。

腸は断ゆ 江城の雁 高高 正に北に飛ぶに。

 

 

(現代語訳)

(春さき北方へかえる雁をみてよんだ詩。)

東の方からもどって来た、本当は万里東の遠方の旅人である私は、こんどは幾年たったら兵乱が平定して生まれ故郷へ帰ることができるだろう。

いま錦官城の上を渡る雁をみると自分の腸はちぎれるばかりだ、なぜかというと、その雁はちょうど高高と北、故郷の方へむかって飛んでゆくではないか。

 

(訳注)

歸雁

(春さき北方へかえる雁をみてよんだ詩。)

○帰雁 北へかえるかり。

 

江畔独歩尋花

東來萬里客,亂定幾年歸。

東の方からもどって来た、本当は万里東の遠方の旅人である私は、こんどは幾年たったら兵乱が平定して生まれ故郷へ帰ることができるだろう。

○東来 東方より来る、梓州・閬州の方向より来たことをいう。

○幾年帰 幾年は何年の意。乱定幾年帰は幾年乱定帰というのに同じ。

 

腸斷江城雁,高高正北飛。

いま錦官城の上を渡る雁をみると自分の腸はちぎれるばかりだ、なぜかというと、その雁はちょうど高高と北、故郷の方へむかって飛んでゆくではないか。

○江城 錦江ぞいの城、錦官城:成都城をいう。

○北飛 北は長安の在る方位

廣徳2年764-96 《歸來》 杜甫index-14 764年歸來 杜甫<768> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4425 杜甫詩1500-768-1056/25003

(周り回って草堂に帰ってきてまず酒を造り、肴を載せる小皿を拭きとることからだしこれからもこうした隠遁生活を続けていくことになるのだろうと詠う)自分は既に客遇の身でありながら、さらに他郷に出かけていき、ようやくここにもとってきたが、人生というものは「行路難」であることがよくわかった。

 
 2014年6月29日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
20-#3 《古風五十九首之二十》Index-23Ⅲ-1 744年天寶三年44歳365古風,五十九首之二十昔我遊齊都, <20-#3> Ⅰ李白詩1175 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4423 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
403 《早春與張十八博士籍遊楊尚書林亭,寄第三閣老兼呈白馮二閣老》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1088>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4424韓愈詩-403 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-96 《歸來》 杜甫index-14 764年歸來 杜甫<768> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4425 杜甫詩1500-768-1056/25003 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor14-393《思越人二首 其一》孫光憲(53)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-576-14-(393) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4427 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

廣徳2764-96 《歸來》 杜甫index-14 764年歸來 杜甫<768 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4425 杜甫詩1500-768-1056/25003

 

 

製作年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 五言律詩 

詩題: 歸來 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

 

歸來

(周り回って草堂に帰ってきてまず酒を造り、肴を載せる小皿を拭きとることからだしこれからもこうした隠遁生活を続けていくことになるのだろうと詠う)

客裡有所過,歸來知路難。 

自分は既に客遇の身でありながら、さらに他郷に出かけていき、ようやくここにもとってきたが、人生というものは「行路難」であることがよくわかった。

開門野鼠走,散帙壁魚乾。 

柴門を開けて家に向かうと野鼠が走って横切る。書斎に入ると書帙が散乱してあろうことか本、紙を食べる虫でさえ干からびて死んでいる。

洗杓開新醞,低頭拭小盤。 

真っ先にすることは柄杓を洗って、新春の新酒を汲み取ることをする、次には頭を低く屈んで酒の肴を載せる小皿の埃を拭い取ることをする。

憑誰給麴櫱,細酌老江干。 

此の酒を造る材料は誰に与えてもらっているというのだろうか、そうして出来上がったお酒を少しずつ飲んで、少しずつ老いさらばえて、この濯錦江のほとりで過ごしていくほかないのだろう。

 

(歸り來る)

客裡 過る所有り,歸り來って路難を知る。 

門を開けば 野鼠【やそ】走り,帙【ちつ】を散んずれば 壁魚乾く。 

杓を洗って 新醞【しんうん】を開き,頭を低れて 小盤を拭く。 

誰に憑りてか 麴櫱【きくげつ】を給せられ,細酌して江干に老いむ。 

 

杜甫草堂柴門06 

『歸來』 現代語訳と訳註

(本文)

歸來

客裡有所過,歸來知路難。 

開門野鼠走,散帙壁魚乾。 

洗杓開新醞,低頭拭小盤。 

憑誰給麴櫱,細酌老江干。 

 

客裡有所過【客裡有所適】,歸來知路難。

開門野鼠走,散帙壁魚乾。

洗杓開新醞,低頭拭小盤【低頭著小冠】

憑誰給麴櫱,細酌老江干。  

 

(下し文)

(歸り來る)

客裡 過る所有り,歸り來って路難を知る。 

門を開けば 野鼠【やそ】走り,帙【ちつ】を散んずれば 壁魚乾く。 

杓を洗って 新醞【しんうん】を開き,頭を低れて 小盤を拭く。 

誰に憑りてか 麴櫱【きくげつ】を給せられ,細酌して江干に老いむ。 

 

(現代語訳)

(周り回って草堂に帰ってきてまず酒を造り、肴を載せる小皿を拭きとることからだしこれからもこうした隠遁生活を続けていくことになるのだろうと詠う)

自分は既に客遇の身でありながら、さらに他郷に出かけていき、ようやくここにもとってきたが、人生というものは「行路難」であることがよくわかった。

柴門を開けて家に向かうと野鼠が走って横切る。書斎に入ると書帙が散乱してあろうことか本、紙を食べる虫でさえ干からびて死んでいる。

真っ先にすることは柄杓を洗って、新春の新酒を汲み取ることをする、次には頭を低く屈んで酒の肴を載せる小皿の埃を拭い取ることをする。

此の酒を造る材料は誰に与えてもらっているというのだろうか、そうして出来上がったお酒を少しずつ飲んで、少しずつ老いさらばえて、この濯錦江のほとりで過ごしていくほかないのだろう。

太白山001 

(訳注)

歸來

(周り回って草堂に帰ってきてまず酒を造り、肴を載せる小皿を拭きとることからだしこれからもこうした隠遁生活を続けていくことになるのだろうと詠う)
764
  廣德二年  53の春に閬州より成都浣花渓草堂に帰ってきたことを述べる。

 

客裡 有所 ,歸來 路難

自分は既に客遇の身でありながら、さらに他郷に出かけていき、ようやくここにもとってきたが、人生というものは「行路難」であることがよくわかった。

「客裡」官を辞して成都に草堂を建てて棲むことそのものが客遇であるのに、その上、梓州の章彝刺史にお世話になった。

「路難」道を行くのに難儀すること。転じて、世渡りの困難なこと。行路難>魯郡東石門送杜二甫. 行路難 三首 李白. 行路難 三首. ------- 李白杜甫に悩みを打ち分ける 杜甫は、洛陽にいて血縁とか、貴族の子息などとの付き合いに辟易していた。

 

開門 野鼠 ,散帙 壁魚

柴門を開けて家に向かうと野鼠が走って横切る。書斎に入ると書帙が散乱してあろうことか本、紙を食べる虫でさえ干からびて死んでいる。

「開門」杜甫の草堂には南西方向に柴門を建てていた。蓬門。

『贈別鄭鍊赴襄陽』

戎馬交馳際,柴門老病身。

把君詩過日,念此別驚神。

地闊峨眉晚,天高峴首春。

為於耆舊,試覓姓龐人。

「散帙」帙は書物を包むもの。それがばらけて散乱している。

「壁魚」昆蟲爬蟲をいうが本、紙を食べる虫。

「乾」乾燥して干乾しになる。

 

洗杓 新醞 ,低頭 小盤

真っ先にすることは柄杓を洗って、新春の新酒を汲み取ることをする、次には頭を低く屈んで酒の肴を載せる小皿の埃を拭い取ることをする。

「開」亀の蓋は、油紙でひもで縛ってあるものをあける。

「新醞」新酒、醞は醸造する前の酒。

「低頭 小盤」埃がしつこい感じでついているのを拭い取るために、力を入れる動作をいう。

 

憑誰 麴櫱 ,細酌 老江干

此の酒を造る材料は誰に与えてもらっているというのだろうか、そうして出来上がったお酒を少しずつ飲んで、少しずつ老いさらばえて、この濯錦江のほとりで過ごしていくほかないのだろう。

「麴櫱」酒を造る麹とかの材料。

「細酌」いわゆる、ちびちびと酒を呑むことをいう。

「江干」濯錦江のほとり。
江畔独歩尋花 

廣徳2年764-95 《春歸》 杜甫index-14 764年春歸 杜甫<767> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4420 杜甫詩1500-767-1055/25002

世間を行く路は障碍物だらけとはいうものの、わが人生において、運命にばかりしばられているわけにはゆかない、限られた人生だ、なんとか楽しみもせねばならないのだ。だからいま、自分が酒から醒めたときには、また酔うことにしており、自己の興に乗ずるところ、そこを以て即ち自己の安んずる家としておるのである。

 
 2014年6月28日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
20-#2 《古風五十九首之二十》Index-23Ⅲ-1 744年天寶三年44歳365古風,五十九首之二十昔我遊齊都, <20-#2> Ⅰ李白詩1174 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4418 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
403 《和裴僕射相公假山十一韻》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1087>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4419韓愈詩-403 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-95 《春歸》 杜甫index-14 764年春歸 杜甫<767> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4420 杜甫詩1500-767-1055/25002 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor14-392《謁金門一首》孫光憲(52)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-575-14-(392) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4422 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

廣徳2764-95 《春歸》杜甫index-14 764年春歸 杜甫<767> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4420 杜甫詩1500-767-1055/25002

 

杜甫index-14 764年廣徳2764-95

卷別:巻十三 , 卷二二八  文體: 五言古詩 

 

 

春歸 

(春、成都の草堂に帰ってきたことをよんだ。)

苔徑臨江竹,茅簷覆地花。

苔が小道にまで生えており、濯錦江を覗き込むように丈が繁っている。茅葺の軒端にまで竹が伸びていて、家の平地にかぶさるばかりに花が咲いている。

別來頻甲子,倏忽又春華。

この草堂と別れてから何度も第一日目の干支である「甲子」を経過し、月日がたったのだが、こうして戻って来てみれば思いがけずにこのような春の華やかさにめぐり会うのだ。

倚杖看孤石,傾壺就淺沙。

自分は杖によりかかってただひとつ横たわっている庭石をながめたり、水の浅い沙原のところまでいって酒壷を傾けて飲む。
遠鷗浮水靜,輕燕受風斜。

遠方を飛んでいた鴎は静かに水に浮いているし、身軽に飛び交う燕は翼に風を受けてうまく斜めに飛んでゆく。

世路雖多梗,吾生亦有涯。

世間を行く路は障碍物だらけとはいうものの、わが人生において、運命にばかりしばられているわけにはゆかない、限られた人生だ、なんとか楽しみもせねばならないのだ。

此身醒複醉,乘興即為家。

だからいま、自分が酒から醒めたときには、また酔うことにしており、自己の興に乗ずるところ、そこを以て即ち自己の安んずる家としておるのである。

 

(春に帰る)

苔の径 江に臨める竹あり、茅の簷 地を覆うの花あり。

別来して 頻りに甲子たり、帰到すれば忽ち春華なり。

杖に倚りて孤石を看、壷を傾けて浅沙に就く。

遠く鴎は水に浮かび静かにし、軽やかな燕は風を受けて斜めにす。

世路 多梗なりと雄も 吾が生 亦た涯り有り。

此の身 醒めれば復た酔うし、興に乗じて即ち家と為す。

竹林001 

 

『春歸』 現代語訳と訳註

(本文)

苔徑臨江竹,茅簷覆地花。

別來頻甲子,倏忽又春華。

倚杖看孤石,傾壺就淺沙。

遠鷗浮水靜,輕燕受風斜。

世路雖多梗,吾生亦有涯。

此身醒複醉,乘興即為家。

 

 

(下し文)

(春に帰る)

苔の径 江に臨める竹あり、茅の簷 地を覆うの花あり。

別来して 頻りに甲子たり、帰到すれば忽ち春華なり。

杖に倚りて孤石を看、壷を傾けて浅沙に就く。

遠く鴎は水に浮かび静かにし、軽やかな燕は風を受けて斜めにす。

世路 多梗なりと雄も 吾が生 亦た涯り有り。

此の身 醒めれば復た酔うし、興に乗じて即ち家と為す。

 

 

(現代語訳)

(春、成都の草堂に帰ってきたことをよんだ。)

苔が小道にまで生えており、濯錦江を覗き込むように丈が繁っている。茅葺の軒端にまで竹が伸びていて、家の平地にかぶさるばかりに花が咲いている。

この草堂と別れてから何度も第一日目の干支である「甲子」を経過し、月日がたったのだが、こうして戻って来てみれば思いがけずにこのような春の華やかさにめぐり会うのだ。

自分は杖によりかかってただひとつ横たわっている庭石をながめたり、水の浅い沙原のところまでいって酒壷を傾けて飲む。

遠方を飛んでいた鴎は静かに水に浮いているし、身軽に飛び交う燕は翼に風を受けてうまく斜めに飛んでゆく。

世間を行く路は障碍物だらけとはいうものの、わが人生において、運命にばかりしばられているわけにはゆかない、限られた人生だ、なんとか楽しみもせねばならないのだ。

だからいま、自分が酒から醒めたときには、また酔うことにしており、自己の興に乗ずるところ、そこを以て即ち自己の安んずる家としておるのである。

 

(訳注)

春歸 

(春、成都の草堂に帰ってきたことをよんだ。)

広徳二年季春の作。同時期に以下の諸篇を草堂にあっての作とす。

登樓

春歸

歸雁

贈王二十四侍御契四十韻

寄董卿嘉榮十韻

寄司馬山人十二韻

黃河,二首之一

黃河,二首之二

寄李十四員外布十二韻

歸來

○春帰 春時にあたって自己が草堂に帰ったこと。

江畔独歩尋花 

苔徑臨江竹,茅簷覆地花。

苔が小道にまで生えており、濯錦江を覗き込むように丈が繁っている。茅葺の軒端にまで竹が伸びていて、家の平地にかぶさるばかりに花が咲いている。

○苔径 こけむしたこみち。

○茅簷 かやぶきの軒端。

○覆地花 地面におおいかぶさる花。いきかうひとがなかったことをおもわせるもの。

 

別來頻甲子,倏忽又春華。

この草堂と別れてから何度も第一日目の干支である「甲子」を経過し、月日がたったのだが、こうして戻って来てみれば思いがけずにこのような春の華やかさにめぐり会うのだ。

○頻甲子 甲子は第一日目の干支であり、724日目が12回目となる。

○春葦 春のはなやかさ。

 

倚杖看孤石,傾壺就淺沙。

自分は杖によりかかってただひとつ横たわっている庭石をながめたり、水の浅い沙原のところまでいって酒壷を傾けて飲む。

○倚杖 梓州刺史章彝にもらった杖である。

662 《桃竹杖引贈章留後》 蜀中転々 杜甫 <568-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3105 杜甫詩1000-568-#1-815/1500

719 《倚杖〔原注 鹽亭縣作〕》 蜀中転々 杜甫 <626  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3440 杜甫詩1000-626-882/1500五言律詩

 

遠鷗浮水靜,輕燕受風斜。

遠方を飛んでいた鴎は静かに水に浮いているし、身軽に飛び交う燕は翼に風を受けてうまく斜めに飛んでゆく。

 

世路雖多梗,吾生亦有涯。

世間を行く路は障碍物だらけとはいうものの、わが人生において、運命にばかりしばられているわけにはゆかない、限られた人生だ、なんとか楽しみもせねばならないのだ。

○多梗 梗は梗塞、障碍物があってふさがることが多い、長安・洛陽にかえることも荊州越呉の地に遊ぶこともみな自由でにならないが、楽しみを持っていたい。

○吾生亦有涯 『荘子:養生主第三篇』 「吾生也有涯,而知也無涯。以有涯隨無涯,殆已!」(吾が生や涯りあり。而して知や涯りなし。涯あるを以て涯なきに隨うは、殆【あやう】きのみ。」とみえる。此の句は吾が生には涯(かぎり)があるから、酒を飲まねばならぬとの意をふくんでいる。この句は老荘思想に基づくもの。

 

此身醒複醉,乘興即為家。

だからいま、自分が酒から醒めたときには、また酔うことにしており、自己の興に乗ずるところ、そこを以て即ち自己の安んずる家としておるのである。

 成都関連地図 00

廣徳2年764-94 《登樓》 杜甫index-14 764年登樓 杜甫<766> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4415 杜甫詩1500-766-1054/25001

ああ、蜀の後主の祠廟があれにみえる。後主のような人でさえ輔佐に諸葛亮の様な人を得ればかく廟食することができるのだ。いまはいかがであるか、これをおもえば感慨無量で遂に日暮れにあたって聊かこの諸葛亮が口遊んだ「梁甫吟」を詠ずる次第である。

 
 2014年6月27日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
20 《古風五十九首之二十》Index-23Ⅲ-1 744年天寶三年44歳365古風,五十九首之二十昔我遊齊都, <20-#1> Ⅰ李白詩1168 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4388 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
402 《和裴僕射相公假山十一韻》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集<1086>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4414韓愈詩-402 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-94 《登樓》 杜甫index-14 764年登樓 杜甫<766> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4415 杜甫詩1500-766-1054/25001 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor14-391《上行盃二首 其二》孫光憲(51)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-574-14-(391) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4417 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

廣徳2764-94 《登樓》 杜甫index-14 764年登樓 杜甫<766> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4415 杜甫詩1500-766-1054/25001成都の城楼にのぼって見る所と感ずる所とをのべた。広徳二年春の作。

 

 

製作年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 七言律詩 

詩題: 登樓 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

及地點:  錦江 (劍南道北部 益州 成都)     

玉壘山 (劍南道北部 無第二級行政層級 玉壘山) 別名:玉壘     

 

 

登樓

(成都に帰って来て間もないころ成都の城楼に登って思うところを述べる。)

花近高樓傷客心,萬方多難此登臨。

高殿近く花が咲きみだれているけれどこれをみるとわたしの旅ごころが傷みます。なぜならいま諸方に艱難が多いのでにここに登って眺めているから。

錦江春色來天地,玉壘浮雲變古今。

天地から生じている春景色は錦江にみなぎっているけど、玉塁山に浮かぶ雲は古今と泣く常に変動しているのです。

北極朝廷終不改,西山寇盜莫相侵。

いかに何者が騒いだとして北辰のごとき吾が朝廷はあくまで改易することのないものである。西の雪嶺山脈の寇どもよ、決して吾が国内へ侵入してきてはなりません。

可憐後主還祠廟,日暮聊為梁甫吟。

ああ、蜀の後主の祠廟があれにみえる。後主のような人でさえ輔佐に諸葛亮の様な人を得ればかく廟食することができるのだ。いまはいかがであるか、これをおもえば感慨無量で遂に日暮れにあたって聊かこの諸葛亮が口遊んだ「梁甫吟」を詠ずる次第である。

 

(楼に登る)

花 高楼に近うして 客心を傷ましむ、万方 多難 此に登臨す。

錦江の春色 天地より来たり、玉塁の浮雲古今 変ず。

北極の朝廷は終に改まらず、西山の寇盜 相い侵すこと莫れ。

憐む可し後主 還た祠廟、日暮 聊か梁父の吟を為す。

 

 

『登樓』 現代語訳と訳註

(本文)

花近高樓傷客心,萬方多難此登臨。

錦江春色來天地,玉壘浮雲變古今。

北極朝廷終不改,西山寇盜莫相侵。

可憐後主還祠廟,日暮聊為梁甫吟。

 

(下し文)

(楼に登る)

花 高楼に近うして 客心を傷ましむ、万方 多難 此に登臨す。

錦江の春色 天地より来たり、玉塁の浮雲古今 変ず。

北極の朝廷は終に改まらず、西山の寇盜 相い侵すこと莫れ。

憐む可し後主 還た祠廟、日暮 聊か梁父の吟を為す。

 

(現代語訳)

(成都に帰って来て間もないころ成都の城楼に登って思うところを述べる。)

高殿近く花が咲きみだれているけれどこれをみるとわたしの旅ごころが傷みます。なぜならいま諸方に艱難が多いのでにここに登って眺めているから。

天地から生じている春景色は錦江にみなぎっているけど、玉塁山に浮かぶ雲は古今と泣く常に変動しているのです。

いかに何者が騒いだとして北辰のごとき吾が朝廷はあくまで改易することのないものである。西の雪嶺山脈の寇どもよ、決して吾が国内へ侵入してきてはなりません。

ああ、蜀の後主の祠廟があれにみえる。後主のような人でさえ輔佐に諸葛亮の様な人を得ればかく廟食することができるのだ。いまはいかがであるか、これをおもえば感慨無量で遂に日暮れにあたって聊かこの諸葛亮が口遊んだ「梁甫吟」を詠ずる次第である。

 

 

(訳注)

登樓

(成都に帰って来て間もないころ成都の城楼に登って思うところを述べる。)

○楼 成都の城楼であろう。

 

花近高樓傷客心,萬方多難此登臨。

高殿近く花が咲きみだれているけれどこれをみるとわたしの旅ごころが傷みます。なぜならいま諸方に艱難が多いのでにここに登って眺めているから。

○客心 旅ごころ。

〇万万 諸方。

○多難 難とは天下兵乱の難。

○此 高楼をさす。

○登臨 高きに登って下に俯し臨む。

 

錦江春色來天地,玉壘浮雲變古今。

天地から生じている春景色は錦江にみなぎっているけど、玉塁山に浮かぶ雲は古今と泣く常に変動しているのです。

○錦江 眠江の支流で流江ともいう。郫県の西より分流し、府城の東南に至り、郫江に合し、折れて西南の彰山県界に入る。

○来天地 来とは来たり生ずる意であろう、此の句の句法は「春従天上來」のごとき意を用いたものであろう。和気の発生をいって暗に下の「朝廷不改」の伏線とする。

○玉塁 山の名、灌県の西北にあり、唐の貞観年中に関を其の下に設けた、吐蕃往来の衝に当たるところである。

○浮雲 うかんでいるくも。

○変古今 古今ともに雲の変化があるの意、雲変は騒乱の象である。景を叙して暗に下の「遥盗相侵」の伏線とする。

 

北極朝廷終不改,西山寇盜莫相侵。

いかに何者が騒いだとして北辰のごとき吾が朝廷はあくまで改易することのないものである。西の雪嶺山脈の寇どもよ、決して吾が国内へ侵入してきてはなりません。

○北極 北辰に同じ、北辰は自己は其の所に居て動かず、衆星がこれに向かって扶する所のものである、故に朝廷の位をこれに此する。

○不改 改易ないことをいう。

○西山 雪山。雪嶺山脈

○寇盗 吐蕃をさす。

○相侵 相の字は相互の意にはかぎらず、こちらに関係があれば相といってさしつかえない、「相い侵す」といっても吐蕃のみがこちらへ侵入して来ることをいう。車実は広徳元年十月、吐蕃が長安を陥れ代宗は出奔し、郭子儀の力によって十二月長安に還った。またこの月に吐蕃は局の方面にあっては松・維・保の三州を陥れたが、高速はこれを救うことができなかった。

 

可憐後主還祠廟,日暮聊為梁甫吟。

ああ、蜀の後主の祠廟があれにみえる。後主のような人でさえ輔佐に諸葛亮の様な人を得ればかく廟食することができるのだ。いまはいかがであるか、これをおもえば感慨無量で遂に日暮れにあたって聊かこの諸葛亮が口遊んだ「梁甫吟」を詠ずる次第である。

○可憐 憫然同情の意を起こすこと。

○後主 蜀の後主劉禅をいう、蜀先主廟は中央室に先主、西室に諸葛武侯、東室に後主を祀ったという。

○還詞廟 遠は亦に同じ、後主のような不肖のものでも亦た嗣廟に祭祀をうけることをいう。一説に代宗を後主の暗愚に此するというのは甚だしく体を失するというものではないか。

○梁甫吟 梁甫は泰山の傍にある山の名である、梁父ともいう。梁甫吟は山東地方の民謡。三国志に諸葛亮(孔明)が父の死後、既成のメロディーに合わせて歌詞をつくったとある。諸葛亮が愛詞した詩篇、其の辞にいう、「歩して斉の城門を出で、造かに蕩陰里を望む。里中に三墳有り、索索として相い似たり。閉り是れ誰が家の墓ぞ、田彊と古治子と。カは能く南山を排し、文は能く地紀を絶つ。一朝謹言を被り、二桃三士を殺す。誰か能く此の謀を為せる、国相たる斉の量子なり」と。梁甫は泰山の下の小山の名、孔明は山東に耕して此の詩を好んで吟じたという。其の意は妟子の陰謀を悪むに在るもののようである。

同李太守登歷下古城員外新亭 杜甫

同李太守登歷下古城員外新亭

新亭結構罷,隱見清湖陰。

跡籍台觀舊,氣冥海嶽深。

圓荷想自昔,遺堞感至今。』

芳宴此時具,哀絲千古心。

主稱壽尊客,筵秩宴北林。

不阻蓬蓽興,得兼梁甫吟。』

李太守が歴下にある古城の駕部員外郎李之芳の新亭に登って、李太守の詩に唱和した。

新しい亭が組み立てられよく仕上がっている、そこは清らかな鵲山湖の南に見え隠れしている。

この場所は、まえあった道教の台観を利用してそのまま建てたのであり、其のあたりには仙人の靄が立ち込め静かなたたずまい遠くには海岳が望める。

水中のはす葉は、昔からはえて渝處ある感じで自然になじんでいる。台観にあったひめがきが残っていることは今日までのよくこっていたと感心するのである。』

酒肉の芬芳な宴席ということでこの時、御馳走が十分に並べられた、席上に奏でられる哀しき琴音は千古の情にさそわれるようだ。

主人たる李之芳君はお礼をのべて尊客である李邕公に一家の弥栄を祈ったのだ、賓客は泥酔するものはなく湖面に面した北林で酒を飲んだ。

自分のようないまだ粗末な門しか作っていないものまでお招きにあずかり、その上小山の分際の私が詠う諸葛亮の好んだ歌「梁甫吟」を披露させていただいた。

 

(李太守が歴下の古城の員外の新亭に登るに同す)

新亭結構罷む 隠見す清湖の陰(みなみ)

跡は台観の旧なるに籍()る 気冥(くら)くして海岳深し

円荷 昔よりするを想う 遺堞(いちょう)今に至るに感ず』

芳宴 此の時具(そなわ)る 哀糸千古の心

主は称して尊客に寿す 筵秩(えんちつ)北林に宴す

蓬蓽(ほうひつ)の興を阻(へだ)てず 梁甫の吟を兼ぬることを得たり』

廣徳2年764-93 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之五》 杜甫index-14 764<765> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4410 杜甫詩1500-765-1053/2500

錦官城の西なる吾が草堂へかえったところで自分は貧乏でくらしむきはあいもかわらぬものでしかないのだが、つかいならした黒皮の脇息が残っているのを思い出すとやっぱり貧乏でも帰りたいとおもう次第だ。昔は乱兵が侵入しはせぬかと気づこうて立ち去ったのだが、さて今もどるとなるとまた去る前にも、空き家があったので近所の人たちも前とはうってかわったものになっていいるのではないかと案ぜられるのである。

 
 2014年6月26日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
19 《古風五十九首之十九》Index-35Ⅳ-10 756年至德元年年;56歳730古風,五十九首之十九西嶽蓮花山, <19> Ⅰ李白詩1167 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4383 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
504-5 《祭柳子厚文》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ唐宋八大家読本<1085>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4409韓愈詩-504-5 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-93 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之五》 杜甫index-14 764<765> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4410 杜甫詩1500-765-1053/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ417 韓昌黎集 巻五 350《晩春》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 4411 (06/26) 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor14-390《上行盃二首 其一》孫光憲(50)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-573-14-(390) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4412 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

廣徳2764-93 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之五》 杜甫index-14 764765> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4410 杜甫詩1500-765-1053/2500

 

草堂の前後の世情をいい将来の画策についてのべている。

將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之五

錦官城西生事微,烏皮幾在還思歸。

昔去為憂亂兵入,今來已恐鄰人非。

側身天地更懷古,回首風塵甘息機。

總戎雲鳥陣,不妨遊子芰荷衣。

(将に成都の草堂に赴かんとして途中に作有り 先ず厳鄭公に寄す 五首  其の五)

錦官城西生事なり、烏皮幾【うひき】在り還た帰るを思う。

昔去りしは乱兵の入らんことを憂えしが為なり、今来たれば已に恐る隣人の非ならんことを。

身を天地に側てて更に懐古し、首を風塵に回らして息機を甘んず。

共に説かん 総戎雲鳥の陣、妨げず遊子芰荷の衣。

 

『将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首』 現代語訳と訳註

(本文)

將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之五。

錦官城西生事微,烏皮幾在還思歸。

昔去為憂亂兵入,今來已恐鄰人非。

側身天地更懷古,回首風塵甘息機。

總戎雲鳥陣,不妨遊子芰荷衣。

 

(下し文)

(将に成都の草堂に赴かんとして途中に作有り 先ず厳鄭公に寄す 五首  其の五)

錦官城西生事微なり、烏皮幾【うひき】在り還た帰るを思う。

昔去りしは乱兵の入らんことを憂えしが為なり、今来たれば已に恐る隣人の非ならんことを。

身を天地に側てて更に懐古し、首を風塵に回らして息機を甘んず。

共に説かん 総戎雲鳥の陣、妨げず遊子芰荷の衣。

 

(現代語訳)

草堂の前後の世情をいい将来の画策についてのべている。)その五

錦官城の西なる吾が草堂へかえったところで自分は貧乏でくらしむきはあいもかわらぬものでしかないのだが、つかいならした黒皮の脇息が残っているのを思い出すとやっぱり貧乏でも帰りたいとおもう次第だ。

昔は乱兵が侵入しはせぬかと気づこうて立ち去ったのだが、さて今もどるとなるとまた去る前にも、空き家があったので近所の人たちも前とはうってかわったものになっていいるのではないかと案ぜられるのである。

自分は天地の間に幅たかっておれぬゆえからだをかたえへとすぼめながら古代の平和に治まった時のことをしたわしくおもい、過去の騒乱へと追憶の首をふりむけながらこんどはじっとして心を小利巧にはたらかさずにいようとおもう。

あなたにお逢いすればいずれはごいっしょに陣形のおはなしもいたしましょうが、わたくしは隠居の身だから芰荷の衣をつけて応対してもさしつかえはないのではないかと、すこしわがままことをお許しのこととおもっておるしだいです。

 

 

(訳注)

將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之五。

草堂の前後の世情をいい将来の画策についてのべている。

 

錦官城西生事微,烏皮幾在還思歸。

錦官城の西なる吾が草堂へかえったところで自分は貧乏でくらしむきはあいもかわらぬものでしかないのだが、つかいならした黒皮の脇息が残っているのを思い出すとやっぱり貧乏でも帰りたいとおもう次第だ。

○錦官城 成都の城をいう。

○西 草堂のある浣花村は城の西にあたる。

○生事 生理に同じ、生計の事をいう。○生理 くらしむきのこと。

将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首 其四

常苦沙崩損藥欄,也從江檻落風湍。

新松恨不高千尺,惡竹應須斬萬竿。

生理只憑黃閣老,衰顏欲付紫金丹。

三年奔走空皮骨,信有人間行路難。

○微 かすか、振興せぬこと、貧乏なことをいう。

○烏皮幾 烏羔(くろびつじ)の皮を張った脇息(きようそく)をいう、平生につかうもの。

○在 草堂に存在している。

○還 亦に同じ、此の字は上旬の「生事徴」からかかる、「生事雄レ徴亦」の意。

 

昔去為憂亂兵入,今來已恐鄰人非。

昔は乱兵が侵入しはせぬかと気づこうて立ち去ったのだが、さて今もどるとなるとまた去る前にも、空き家があったので近所の人たちも前とはうってかわったものになっていいるのではないかと案ぜられるのである。

○昔去 去とは成都をさったこと。徐知道が乱する直前の頃で不穏な世情であった。

○乱兵入 徐知道の乱兵の侵入。

○非 昔日の状態ではないことをいう、或は逃亡し、或は死去する。

 

側身天地更懷古,回首風塵甘息機。

自分は天地の間に幅たかっておれぬゆえからだをかたえへとすぼめながら古代の平和に治まった時のことをしたわしくおもい、過去の騒乱へと追憶の首をふりむけながらこんどはじっとして心を小利巧にはたらかさずにいようとおもう。

○側身 からだをかたがわへよせること、身を容れる地のないさま。

○懐古 昔の治まった時代を思う。

○風塵 兵馬のちり、前年の騒乱をいう。

○甘心にあましとする、満足すること。

○息機 磯心(からくりのこころ)をやめること。「荘子」(天地)に子貢が漢陰を過ぎたときに一の老人が要を抱いて田に水をそそいでいるのを見た、子貢がはねつるぺを用いたならば力を用いることが少くして功を見ることが多いであろうといったところ、老人がいうのに、機械ある者は必ず機事あり、機事ある者は必ず機心あり、機心胸中に存すれば純白備わらず云云と。ここでは心を器用にはたらかさぬ意に用いている。

 

總戎雲鳥陣,不妨遊子芰荷衣。

あなたにお逢いすればいずれはごいっしょに陣形のおはなしもいたしましょうが、わたくしは隠居の身だから芰荷の衣をつけて応対してもさしつかえはないのではないかと、すこしわがままことをお許しのこととおもっておるしだいです。

○共説 諸家に明解がない、浦氏が「家人共二説キ敦ク勧ム」といっているのは取らぬ、思うに草堂の主客が相い共に説くことをいうのであろう、作者は此の時まだ厳武の参謀とはなっておらず(参謀となったのは六月のこと)、草堂においでは作者は主人、厳武は客である。

○総戎 軍をすべるもの、節度使をいう、厳武をさす。

○雲鳥陣 「握奇経」に八陣をといて、天・地・風・雲を四正、飛竜・巽虎・鳥翔・蛇蜂を四奇としている。種種の陣形をいう、これは吐巷を防禦するについて画策することをいう。○不妨 妨げない、さしつかえない。

○遊子 たびのもの、作者自己をさす。

芰荷衣 屈原の 「離騒」に「芰荷ヲ製シテ以テ衣ヲ為ル」とみえる、ひし、はすの葉をとりつづって衣をつくったもの、隠遁者の服である。

廣徳2年764-92 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之四》 杜甫index-14 764杜甫<764> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4405 杜甫詩1500-764-1052/2500

自分たちの暮らし向きは黄閣元老のあなたにすがるばかりである。この老衰した顔つきは紫金丹の効き目にまかせて蘇らさせようと思う。この三年もの間悪戯にあちこちと奔走するしかなかったために、骨と皮になり果てた、まことに人間には行路難というものがあると昔の人は言うけれどその通りだ。

 


 
 2014年6月25日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
18-#4 《古風五十九首之十八》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳582古風,五十九首之十八天津三月時, <18-#4> Ⅰ李白詩1171 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4403 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
504-4 《祭柳子厚文》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ唐宋八大家読本<1084>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4404韓愈詩-504-4 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-92 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之四》 杜甫index-14 764杜甫<764> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4405 杜甫詩1500-764-1052/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor14-389《思帝鄉一首》孫光憲(49)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-572-14-(389) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4407 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩 案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
   


廣徳2764-92 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之四》 杜甫index-14 764杜甫<764> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4405 杜甫詩1500-764-1052/2500

 

 

杜甫index-14 764將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公 五首

廣徳2764-89

將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之一

〔寶應二年春,嚴武封鄭國公,復節度劍南。〕

杜甫index-14

 

宝応2年        764年春 52

これまでの整理

 

1) 梓州に身を寄せていた宝応元年(762)の七月から一年九か月ほどのあいだ、杜甫は涪江沿いの城市を生活の資を得るため歩きまわり、売文の生活。

 

2) 広徳元年(763)の晩秋頃、杜甫は厳武公の推薦で京兆府の功曹参軍を任ずる辞令を受けが、それを辞退する。

3) 広徳元年(763)の暮に、杜甫は梓州で州刺史らの盛大に見送られて荊州に向け旅立とうとする。

4) 広徳二年の初春に妻子を伴なって閬州(四川省閬中県)に移る。閬州(ろうしゅう)は嘉陵江の渡津で、ここから船出して長江に出、江陵けいゆで、故郷洛陽にもどる予定だった。ところが杜甫は厳武が再び、成都尹、西川節度使に赴任するということで、出発をとどまる

5)厳武公が再び剣南両川節度使兼成都尹になって、成都に赴任してくるということになったので、成都にもどることにした。

 

 

(成都に赴くに至った次第をのべている。

将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首其一

得歸茅屋赴成都,直為文翁再剖符。

但使閭閻還揖讓,敢論松竹久荒蕪。

魚知丙穴由來美,酒憶郫筒不用酤。

五馬舊曾諳小徑,幾回書待潛夫。

(留守にしていた成都の草堂に赴こうとしている時にこの詩ができたので、予め厳鄭公に寄せた五首のその一)

自分がこのたび成都に赴き茅屋にかえることのできるのは、漢の文翁に此すべきあなたが再びここへ来任せられるがためにほかならない。

あなたの来任のため此の地方に揖譲の美風が行なわれるようになるならば、留守にしている吾が草堂の松や竹がながなが荒れ果てていることなどは取り立てていうに及ばぬことで、どうでもよいのだ。

自分は成都へかえれば丙穴の魚がもとからうまいものだということを知っているし、また郫筒の酒もわざわざ買わずとも飲めるなどと考える。

あなたは古くから吾が草堂の小径は良くご存知である。前年王符のようなこのわたくしを待っているとて何遍手紙をくだされたであろうか。実にお懐かしく思われるのである。

(将に成都の草堂に赴かんとして途中作有り、先ず、厳鄭公に寄す。 五首の其の一)

茅屋に帰り成都に赴くことを得るは、直ちに文翁の再び符を剖くが為なり。

但だ閭閻をして還た揖譲せしめば、敢て論ぜん 松竹の久しく荒蕪するを。

魚は知る 丙穴由来 美なるを、酒は憶う 郫筒 酤うを用いざるを。

五馬 旧と曾て小径を諳んず、幾回か書札潜夫を待ちしぞ。

 

(草堂の平和と厳武の来遊を予想することとをのべている。

将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首 其二

處處青江帶白蘋,故園猶得見殘春。

雪山斥候無兵馬,錦裏逢迎有主人。

休怪兒童延俗客,不教鵝鴨惱比鄰。

習池未覺風流盡,況複荊州賞更新。

(草堂の平和と厳武の来遊を予想することとをのべている。)

清らかな水をたたえた錦江は処処に白蘋をうかせている。成都浣花渓に作った農業施設にもどればまだ春のなごりの景色を見ることができる。

あなたが来任されれば雪嶺山脈へ斥候隊に偵察に出してはあっても兵馬のさわぎはなく、わたくしがかえれば錦江の村でお迎えをしてくれる地元の主人たちもいるのだ。

時としてうちの子供らが俗悪なお客さんをひきいれることがあったとしても不思議におもわれることはありません。鵞鳥や家鴨でこれまで近所迷惑をかけたことはたびたびだったがこれからはそんなことはさせません。

あなたというものが居られることゆえ山簡の習家池ともいうべきわが草堂において風流の遊びが尽きたとはおもわれることはなく、あなたは吾が草堂に対して更にあたらしく賞美を試みられるとおもうから、風流が依然継続することと信じておるところです。

(将に成都の草堂に赴かんとして途中作有り、先ず、厳鄭公に寄す。 五首の其の二)

処処 清江 白蘋を帯ぶ、故園 猶お残春を見ることを得。

雪山の斥候 兵馬無く、錦里の逢迎 主人有り。

怪しむを休めよ 児童の俗客を延くを、鵝鴨をして此隣を悩まさしめず。

習池未だ覚えず風流の尽くるを、況や復た荊州の賞 更に新たなるをや。

 

(草堂の荒れているさまをいい、その荒れ宿に飲みにこられる意はないかと尋ねている)

將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之三

竹寒沙碧浣花溪,菱刺藤梢咫尺迷。

過客徑須愁出入,居人不自解東西。

書簽藥裹封蛛網,野店山橋送馬蹄。

豈藉荒庭春草色,先判一飲醉如泥。

春であっても竹の林というものは寒色をたたえており、水際の沙まで碧にみえる浣花渓であります。そのそばには橘の刺、藤つるのこずえ、咫尺の間近な道さえ暗さにまようのです。

こんな宿では来る客も出入りについて心配されることだろうし、中に住んでいるものでさえ自分で東西がわからないくらいなのである。

ここでは書物にぶら下げた札も、薬をいれた袋も、蜘珠の巣が張っておるかのようなもので、ここをおとずれるならば野店や山ぞいの橋という自然の風景美が馬蹄を包んで送ってくれるのである。

いかがでしょう、あなたはこの荒れた庭の青青とした春の若草を籍いて、何よりも万事を放擲して頽倒爛泥(へべれけ)になるまでお飲みになろうということにはなりませんか。

 

(将に成都の草堂に赴かんとして途中作有り、先ず、厳鄭公に寄す。 五首の其の三)

竹寒く沙 碧なり  浣花渓、橘刺【きつし】 藤梢【とうしょう】咫尺【しせき】迷う。

過客は径【ただ】ちに須【すべか】らく出入を愁うるなるべし、居人も自ら東西を解せず。

書籤【しょせん】 薬裹【やくか】 蛛網【しゅもう】封ず、野店山橋 馬蹄を送る。

肯て荒庭の春草の色を藉【し】いて、先ず一飲  酔うて泥の如くなるを判せんや。

 

 

(荒れた草堂のようすを思いやり、生活のことは厳武公が頼りであると述べている。

将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首 其

常苦沙崩損藥欄,也從江檻落風湍。

新松恨不高千尺,惡竹應須斬萬竿。

生理只憑閣老,衰顏欲付紫金丹。

三年奔走空皮骨,信有人間行路難。

(将に成都の草堂に赴かんとして途中に作有り 先ず厳鄭公に寄す 五首 其の四)

常に苦しむ 沙崩れて薬欄【やくらん】を損ずるに、他【ま】た従【まか】す江檻に風湍の落つるに。

新松 高きこと千尺ならざるを恨む、悪竹は応【まさ】に須【すべか】らく万竿を斬るべし。

生理【せいり】は祗【た】だ憑【よ】る黄閣【こうかく】の老、衰顔は付せんと欲す紫金丹【しきんたん】。

三年  奔走  空しく皮骨【ひこつ】のみ、信【まこと】に人間行路の難有り。

 

 

『将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首 其四』 現代語訳と訳註

(本文)

将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首 其四

常苦沙崩損藥欄,也從江檻落風湍。

新松恨不高千尺,惡竹應須斬萬竿。

生理只憑黃閣老,衰顏欲付紫金丹。

三年奔走空皮骨,信有人間行路難。

 

(下し文)

(将に成都の草堂に赴かんとして途中に作有り 先ず厳鄭公に寄す 五首  其の四)

常に苦しむ 沙崩れて薬欄【やくらん】を損ずるに、他【ま】た従【まか】す江檻に風湍の落つるに。

新松 高きこと千尺ならざるを恨む、悪竹は応【まさ】に須【すべか】らく万竿を斬るべし。

生理【せいり】は祗【た】だ憑【よ】る黄閣【こうかく】の老、衰顔は付せんと欲す紫金丹【しきんたん】。

三年  奔走  空しく皮骨【ひこつ】のみ、信【まこと】に人間行路の難有り。

 

 

(現代語訳)

わたしはいつも錦江岸の砂があふれて、薬草畑の手摺やら、囲いが壊れてこまっているけれど、そこに風が吹いて急流や水しぶきと塵砂の飛沫が水檻のところでかかってくるのは放っておくよりないのである。

わたしが新たに植えた松が 千尺ほどの高さに伸びてもらいたいのにうらめしいことにそこまでのびてはいない。のびて困ってしまうのは、はびこる竹でこれだけは一万本ほどは切ってしまわねばならないのだ。

自分たちの暮らし向きは黄閣元老のあなたにすがるばかりである。この老衰した顔つきは紫金丹の効き目にまかせて蘇らさせようと思う。

この三年もの間悪戯にあちこちと奔走するしかなかったために、骨と皮になり果てた、まことに人間には行路難というものがあると昔の人は言うけれどその通りだ。

 

松01 

(訳注)

将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首 其四

其の四の詩も、其の三の詩と同じく荒れた草堂のようすを思いやるものだが、後半の四句では「生理は祗だ黄閣の老に憑り」とあるように、生活のことは厳武公が頼りであると述べている。

 厳武公のことを詩題では「鄭公」(ていこう)といい、詩中では「黄閣の老」と言っているが、厳武公が門下省の黄門侍郎(正四品上)で、鄭国公の称号を得ていたからだ。

 

常苦沙崩損藥欄,也從江檻落風湍。

わたしはいつも錦江岸の砂があふれて、薬草畑の手摺やら、囲いが壊れてこまっているけれど、そこに風が吹いて急流や水しぶきと塵砂の飛沫が水檻のところでかかってくるのは放っておくよりないのである。

○常苦 普段から困っている。

○沙崩 杜甫の家の前の砂の土手が崩れる。

○損藥欄 薬草を植えている畑の欄干が増水の際に壊れる。

○也從 それでまた~というほどの意。

○江檻 家の前の濯錦江の川沿いに設置した手摺。

江上水如海勢聊短述 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 11)  杜甫 <416  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2025 杜甫詩1000-416-599/1500

水檻遣心二首其一 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 12)  杜甫 <417  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2030 

水檻遣心二首其二 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 13)  杜甫 <418  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2035 杜甫詩1000-418-601/1500

春水 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 18)  杜甫 <423  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2060 杜甫詩1000-423-606/1500

江亭 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 19)  杜甫 <424  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2065 杜甫詩1000-424-607/1500

○落風湍 かぜがふくと川沿いに設置した手摺の端っこの方で、風が巻き込み時に水しぶきを上げる様子をいう。

竹林001 

新松恨不高千尺,惡竹應須斬萬竿。

わたしが新たに植えた松が 千尺ほどの高さに伸びてもらいたいのにうらめしいことにそこまでのびてはいない。のびて困ってしまうのは、はびこる竹でこれだけは一万本ほどは切ってしまわねばならないのだ。

○新松 杜甫が成都のこの草堂を手手てすむ最初に桃や、竹と共に松を植えた。

成都(1)浣花渓の草堂(7) 憑韋少府班覓松樹子 杜甫 <357  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1747 杜甫詩 700- 536

廣徳2年764-30 《四松#1》再び成都 杜甫<670 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3755 杜甫詩1000-670-945/1500764

廣徳2年764-31 《四松#2》 ふたたび成都 杜甫<671 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3760 杜甫詩1000-671-946/1500765

廣徳2年764-32 《四松#3》 ふたたび成都 杜甫<663-3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3765 杜甫詩1000-663-3-947/1500766

○高千尺 千尺ほどの高さになる。

○惡竹 南鄰とのさかえに竹林として育った。予想以上に伸びたこと言う。

○應須 まさにすべからく。ここは竹のすべてが想以上に伸びたこと。

○斬萬竿 一万本ほどは切ってしまわねばならない。

 

生理只憑黃閣老,衰顏欲付紫金丹。

自分たちの暮らし向きは黄閣元老のあなたにすがるばかりである。この老衰した顔つきは紫金丹の効き目にまかせて蘇らさせようと思う。

○生理 くらしむきのこと。

○只憑 ただそれに頼ること。

○黃閣老 黃閣元老の厳武のこと。

奉贈嚴八閣老 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 187

寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1448 杜甫詩 700- 447

寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1451 杜甫詩 700- 448

寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1454 杜甫詩 700- 449

寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1457 杜甫詩 700- 450

寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1460 杜甫詩 700- 451

寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1463 杜甫詩 700- 452

寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#7> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1466 杜甫詩 700- 453

寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#8> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1469 杜甫詩 700- 454

寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#9> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1472 杜甫詩 700- 455

○衰顏欲付 老衰した顔つきは~にまかせる。

○紫金丹 道教の道士が金石を砕いて練って作ったという不老不死の薬。原料の鉱物を釜の中で加熱する「火法」と鉱物を水溶液や懸濁液にする「水法」とがある[9]。典型的な金丹の製造法は「丹砂」(硫化水銀)、「汞」(水銀)、「鉛」などの薬物を調合して鼎炉にて火にかけて焼煉するものである。煉丹術ないしその萌芽は漢代に登場し、『抱朴子』(zh)を著した西晋・東晋の葛洪らによって金丹道として確立し、他の神仙方術とともにいつしか道教の一部とみなされるようになった。

 

三年奔走空皮骨,信有人間行路難。

この三年もの間悪戯にあちこちと奔走するしかなかったために、骨と皮になり果てた、まことに人間には行路難というものがあると昔の人は言うけれどその通りだ。

○三年奔走 762年から764年の三年間、梓州を中心に三巴を駆け巡ったことをいう。

○空皮骨 肉が落ちて骨と皮になる。

○信有人間 人間には・・・・ということがあるということをいわれてきたということは信用できる。

○行路難 人生を生きていくには多難なことがあるものである。

江畔独歩尋花

index-14廣徳2年764-91 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之三》 杜甫<763> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4400 杜甫詩1500-763-1051/2500

ここをおとずれるならば野店や山ぞいの橋という自然の風景美が馬蹄を包んで送ってくれるのである。いかがでしょう、あなたはこの荒れた庭の青青とした春の若草を籍いて、何よりも万事を放擲して頽倒爛泥(へべれけ)になるまでお飲みになろうということにはなりませんか。

 
 2014年6月24日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
18-#3 《古風五十九首之十八》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳582<18-#3> Ⅰ李白詩1170 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4398 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
504-3 《祭柳子厚文》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ唐宋八大家読本巻六<1083>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4399韓愈詩-504-3 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログindex-14廣徳2年764-91 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之三》 杜甫<763> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4400 杜甫詩1500-763-1051/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor14-388《竹枝二首其二》孫光憲(48)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-571-14-(388) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4402 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩 案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

index-14廣徳2764-91 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之三》 杜甫<763> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4400 杜甫詩1500-763-1051/2500

 

 

(成都に赴くに至った次第をのべている。

将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首其一

得歸茅屋赴成都,直為文翁再剖符。

但使閭閻還揖讓,敢論松竹久荒蕪。

魚知丙穴由來美,酒憶郫筒不用酤。

五馬舊曾諳小徑,幾回書待潛夫。

(留守にしていた成都の草堂に赴こうとしている時にこの詩ができたので、予め厳鄭公に寄せた五首のその一)

自分がこのたび成都に赴き茅屋にかえることのできるのは、漢の文翁に此すべきあなたが再びここへ来任せられるがためにほかならない。

あなたの来任のため此の地方に揖譲の美風が行なわれるようになるならば、留守にしている吾が草堂の松や竹がながなが荒れ果てていることなどは取り立てていうに及ばぬことで、どうでもよいのだ。

自分は成都へかえれば丙穴の魚がもとからうまいものだということを知っているし、また郫筒の酒もわざわざ買わずとも飲めるなどと考える。

あなたは古くから吾が草堂の小径は良くご存知である。前年王符のようなこのわたくしを待っているとて何遍手紙をくだされたであろうか。実にお懐かしく思われるのである。

(将に成都の草堂に赴かんとして途中作有り、先ず、厳鄭公に寄す。 五首の其の一)

茅屋に帰り成都に赴くことを得るは、直ちに文翁の再び符を剖くが為なり。

但だ閭閻をして還た揖譲せしめば、敢て論ぜん 松竹の久しく荒蕪するを。

魚は知る 丙穴由来 美なるを、酒は憶う 郫筒 酤うを用いざるを。

五馬 旧と曾て小径を諳んず、幾回か書札潜夫を待ちしぞ。

 

(草堂の平和と厳武の来遊を予想することとをのべている。

将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首 其二

處處青江帶白蘋,故園猶得見殘春。

雪山斥候無兵馬,錦裏逢迎有主人。

休怪兒童延俗客,不教鵝鴨惱比鄰。

習池未覺風流盡,況複荊州賞更新。

(草堂の平和と厳武の来遊を予想することとをのべている。)

清らかな水をたたえた錦江は処処に白蘋をうかせている。成都浣花渓に作った農業施設にもどればまだ春のなごりの景色を見ることができる。

あなたが来任されれば雪嶺山脈へ斥候隊に偵察に出してはあっても兵馬のさわぎはなく、わたくしがかえれば錦江の村でお迎えをしてくれる地元の主人たちもいるのだ。

時としてうちの子供らが俗悪なお客さんをひきいれることがあったとしても不思議におもわれることはありません。鵞鳥や家鴨でこれまで近所迷惑をかけたことはたびたびだったがこれからはそんなことはさせません。

あなたというものが居られることゆえ山簡の習家池ともいうべきわが草堂において風流の遊びが尽きたとはおもわれることはなく、あなたは吾が草堂に対して更にあたらしく賞美を試みられるとおもうから、風流が依然継続することと信じておるところです。

(将に成都の草堂に赴かんとして途中作有り、先ず、厳鄭公に寄す。 五首の其の二)

処処 清江 白蘋を帯ぶ、故園 猶お残春を見ることを得。

雪山の斥候 兵馬無く、錦里の逢迎 主人有り。

怪しむを休めよ 児童の俗客を延くを、鵝鴨をして此隣を悩まさしめず。

習池未だ覚えず風流の尽くるを、況や復た荊州の賞 更に新たなるをや。

 

(草堂の荒れているさまをいい、その荒れ宿に飲みにこられる意はないかと尋ねている)

將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之三

竹寒沙碧浣花溪,菱刺藤梢咫尺迷。

過客徑須愁出入,居人不自解東西。

書簽藥裹封蛛網,野店山橋送馬蹄。

豈藉荒庭春草色,先判一飲醉如泥。

春であっても竹の林というものは寒色をたたえており、水際の沙まで碧にみえる浣花渓であります。そのそばには橘の刺、藤つるのこずえ、咫尺の間近な道さえ暗さにまようのです。

こんな宿では来る客も出入りについて心配されることだろうし、中に住んでいるものでさえ自分で東西がわからないくらいなのである。

ここでは書物にぶら下げた札も、薬をいれた袋も、蜘珠の巣が張っておるかのようなもので、ここをおとずれるならば野店や山ぞいの橋という自然の風景美が馬蹄を包んで送ってくれるのである。

いかがでしょう、あなたはこの荒れた庭の青青とした春の若草を籍いて、何よりも万事を放擲して頽倒爛泥(へべれけ)になるまでお飲みになろうということにはなりませんか。

 

(将に成都の草堂に赴かんとして途中作有り、先ず、厳鄭公に寄す。 五首の其の三)

竹寒く沙 碧なり  浣花渓、橘刺【きつし】 藤梢【とうしょう】咫尺【しせき】迷う。

過客は径【ただ】ちに須【すべか】らく出入を愁うるなるべし、居人も自ら東西を解せず。

書籤【しょせん】 薬裹【やくか】 蛛網【しゅもう】封ず、野店山橋 馬蹄を送る。

肯て荒庭の春草の色を藉【し】いて、先ず一飲  酔うて泥の如くなるを判せんや。

成都遂州00

『将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首』 現代語訳と訳註

(本文)

將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之三

竹寒沙碧浣花溪,菱刺藤梢咫尺迷。

過客徑須愁出入,居人不自解東西。

書簽藥裹封蛛網,野店山橋送馬蹄。

豈藉荒庭春草色,先判一飲醉如泥。

 

(下し文)

(将に成都の草堂に赴かんとして途中作有り、先ず、厳鄭公に寄す。 五首の其の三)

竹寒く沙 碧なり  浣花渓、橘刺【きつし】 藤梢【とうしょう】 咫尺【しせき】迷う。

過客は径【ただ】ちに須【すべか】らく出入を愁うるなるべし、居人も自ら東西を解せず。

書籤【しょせん】 薬裹【やくか】 蛛網【しゅもう】封ず、野店山橋  馬蹄を送る。

肯て荒庭の春草の色を藉【し】いて、先ず一飲  酔うて泥の如くなるを判せんや。

 

 

(現代語訳)

(草堂の荒れているさまをいい、その荒れ宿に飲みにこられる意はないかと尋ねている)

春であっても竹の林というものは寒色をたたえており、水際の沙まで碧にみえる浣花渓であります。そのそばには橘の刺、藤つるのこずえ、咫尺の間近な道さえ暗さにまようのです。

こんな宿では来る客も出入りについて心配されることだろうし、中に住んでいるものでさえ自分で東西がわからないくらいなのである。

ここでは書物にぶら下げた札も、薬をいれた袋も、蜘珠の巣が張っておるかのようなもので、ここをおとずれるならば野店や山ぞいの橋という自然の風景美が馬蹄を包んで送ってくれるのである。

いかがでしょう、あなたはこの荒れた庭の青青とした春の若草を籍いて、何よりも万事を放擲して頽倒爛泥(へべれけ)になるまでお飲みになろうということにはなりませんか。

 

 

(訳注)

將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之三

(草堂の荒れているさまをいい、その荒れ宿に飲みにこられる意はないかと尋ねている)

 

江畔独歩尋花 

竹寒沙碧浣花溪,菱刺藤梢咫尺迷。

春であっても竹の林というものは寒色をたたえており、水際の沙まで碧にみえる浣花渓であります。そのそばには橘の刺、藤つるのこずえ、咫尺の間近な道さえ暗さにまようのです。

○竹寒沙碧 竹の寒色が水に映ずるゆえに抄の色がみどりに見える。

○浣花渓 草堂の西から流れてきて東に流れる。

○橘刺 みかんの木のとげ。

○咫尺迷 八寸一尺の近い距離でさえ暗くてまよう。

 

過客徑須愁出入,居人不自解東西。

こんな宿では来る客も出入りについて心配されることだろうし、中に住んでいるものでさえ自分で東西がわからないくらいなのである。

○過客 草堂をおとずれる人。

○径 直ちに。

○愁出入 薮のなかに入るゆえに出入につけて愁うという。

○居人 草堂に住居しているもの、自家をさす。

 

書簽藥裹封蛛網,野店山橋送馬蹄。

ここでは書物にぶら下げた札も、薬をいれた袋も、蜘珠の巣が張っておるかのようなもので、ここをおとずれるならば野店や山ぞいの橋という自然の風景美が馬蹄を包んで送ってくれるのである。

○書鼓 書物の名をしるしたふだ。

○薬塞 くすりを包んだもの。薬袋であろう。

○封昧網 くものあみが封じとざす。

○野店 野中のやすみ場所。

○山橋 山ぞいの橋。

○送馬蹄 過客の馬蹄を送り来たすこと、暗に厳武の来訪の場合をいう

 

豈藉荒庭春草色,先判一飲醉如泥。

いかがでしょう、あなたはこの荒れた庭の青青とした春の若草を籍いて、何よりも万事を放擲して頽倒爛泥(へべれけ)になるまでお飲みになろうということにはなりませんか。

○豈 此の字は二句を支配する、厳武に対して問いかけることである。

○藉 草を敷物に敷く。

○荒庭 草堂のにわ。

○判 「拝」の俗字、或は「拚」に作るが同意である、楚の地方語で物を揮い棄てることを拝という、唐時の俗語としては「万事を放擲してその事をなすこと」を意味する。

杜詩にしばしば用いられる。歴史民俗用語。 読み方:センパン(senpan)さきに押した判。

○酔如泥 泥を虫の名ととく説があり、それにはいう、南海に虫あり、骨なし、名づけて泥という、水中に在れば活き、水を失えば酔うて一塊の泥の如し、と。また或はいう、此の説しかるべからず、泥とは人の酔後の状、頽倒爛泥(へべれけ)の如くなるをいうのみ、と。
成都関連地図 00 

index14廣徳2年764-90 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之二》<762> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4395

あなたというものが居られることゆえ山簡の習家池ともいうべきわが草堂において風流の遊びが尽きたとはおもわれることはなく、あなたは吾が草堂に対して更にあたらしく賞美を試みられるとおもうから、風流が依然継続することと信じておるところです。

 
 2014年6月23日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
18-#2 《古風五十九首之十八》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳582<18-#2> Ⅰ李白詩1169 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4393 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
504-2 《祭柳子厚文》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ唐宋八大家読本巻六<1082>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4394韓愈詩-504-2 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログindex14廣徳2年764-90 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之二》<762> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4395 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor14-387《竹枝二首其一》孫光憲(47)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-570-14-(387) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4397 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩 案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

廣徳2764-90 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之二》 杜甫index-14 764年將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之二 杜甫<762> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4395 杜甫詩1500-762-1050/2500

 

 

(成都に赴くに至った次第をのべている。

将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首其一

得歸茅屋赴成都,直為文翁再剖符。

但使閭閻還揖讓,敢論松竹久荒蕪。

魚知丙穴由來美,酒憶郫筒不用酤。

五馬舊曾諳小徑,幾回書待潛夫。

(留守にしていた成都の草堂に赴こうとしている時にこの詩ができたので、予め厳鄭公に寄せた五首のその一)

自分がこのたび成都に赴き茅屋にかえることのできるのは、漢の文翁に此すべきあなたが再びここへ来任せられるがためにほかならない。

あなたの来任のため此の地方に揖譲の美風が行なわれるようになるならば、留守にしている吾が草堂の松や竹がながなが荒れ果てていることなどは取り立てていうに及ばぬことで、どうでもよいのだ。

自分は成都へかえれば丙穴の魚がもとからうまいものだということを知っているし、また郫筒の酒もわざわざ買わずとも飲めるなどと考える。

あなたは古くから吾が草堂の小径は良くご存知である。前年王符のようなこのわたくしを待っているとて何遍手紙をくだされたであろうか。実にお懐かしく思われるのである。

(将に成都の草堂に赴かんとして途中作有り、先ず、厳鄭公に寄す。 五首の其の一)

茅屋に帰り成都に赴くことを得るは、直ちに文翁の再び符を剖くが為なり。

但だ閭閻をして還た揖譲せしめば、敢て論ぜん 松竹の久しく荒蕪するを。

魚は知る 丙穴由来 美なるを、酒は憶う 郫筒 酤うを用いざるを。

五馬 旧と曾て小径を諳んず、幾回か書札潜夫を待ちしぞ。

 

(草堂の平和と厳武の来遊を予想することとをのべている。)

将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首 其二

處處青江帶白蘋,故園猶得見殘春。

雪山斥候無兵馬,錦裏逢迎有主人。

休怪兒童延俗客,不教鵝鴨惱比鄰。

習池未覺風流盡,況複荊州賞更新。

(草堂の平和と厳武の来遊を予想することとをのべている。)

清らかな水をたたえた錦江は処処に白蘋をうかせている。成都浣花渓に作った農業施設にもどればまだ春のなごりの景色を見ることができる。

あなたが来任されれば雪嶺山脈へ斥候隊に偵察に出してはあっても兵馬のさわぎはなく、わたくしがかえれば錦江の村でお迎えをしてくれる地元の主人たちもいるのだ。

時としてうちの子供らが俗悪なお客さんをひきいれることがあったとしても不思議におもわれることはありません。鵞鳥や家鴨でこれまで近所迷惑をかけたことはたびたびだったがこれからはそんなことはさせません。

あなたというものが居られることゆえ山簡の習家池ともいうべきわが草堂において風流の遊びが尽きたとはおもわれることはなく、あなたは吾が草堂に対して更にあたらしく賞美を試みられるとおもうから、風流が依然継続することと信じておるところです。

(将に成都の草堂に赴かんとして途中作有り、先ず、厳鄭公に寄す。 五首の其の二)

処処 清江 白蘋を帯ぶ、故園 猶お残春を見ることを得。

雪山の斥候 兵馬無く、錦里の逢迎 主人有り。

怪しむを休めよ 児童の俗客を延くを、鵝鴨をして此隣を悩まさしめず。

習池未だ覚えず風流の尽くるを、況や復た荊州の賞 更に新たなるをや。

 

『将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首 其二』 現代語訳と訳註

(本文)

将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首 其二

處處青江帶白蘋,故園猶得見殘春。

雪山斥候無兵馬,錦裏逢迎有主人。

休怪兒童延俗客,不教鵝鴨惱比鄰。

習池未覺風流盡,況複荊州賞更新。

 

(下し文)

(将に成都の草堂に赴かんとして途中作有り、先ず、厳鄭公に寄す。 五首の其の二)

処処 清江 白蘋を帯ぶ、故園 猶お残春を見ることを得。

雪山の斥候 兵馬無く、錦里の逢迎 主人有り。

怪しむを休めよ 児童の俗客を延くを、鵝鴨をして此隣を悩まさしめず。

習池未だ覚えず風流の尽くるを、況や復た荊州の賞 更に新たなるをや。

 

(現代語訳)

(草堂の平和と厳武の来遊を予想することとをのべている。)

清らかな水をたたえた錦江は処処に白蘋をうかせている。成都浣花渓に作った農業施設にもどればまだ春のなごりの景色を見ることができる。

あなたが来任されれば雪嶺山脈へ斥候隊に偵察に出してはあっても兵馬のさわぎはなく、わたくしがかえれば錦江の村でお迎えをしてくれる地元の主人たちもいるのだ。

時としてうちの子供らが俗悪なお客さんをひきいれることがあったとしても不思議におもわれることはありません。鵞鳥や家鴨でこれまで近所迷惑をかけたことはたびたびだったがこれからはそんなことはさせません。

あなたというものが居られることゆえ山簡の習家池ともいうべきわが草堂において風流の遊びが尽きたとはおもわれることはなく、あなたは吾が草堂に対して更にあたらしく賞美を試みられるとおもうから、風流が依然継続することと信じておるところです。

 

 

(訳注)

将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首 其二

(草堂の平和と厳武の来遊を予想することとをのべている。)

 

處處青江帶白蘋,故園猶得見殘春。

清らかな水をたたえた錦江は処処に白蘋をうかせている。成都浣花渓に作った農業施設にもどればまだ春のなごりの景色を見ることができる。

○清江 錦江をさす。春の増水のきれいな流れをいう。

○帯 うねりながらもっていることをいう。

○白頻 浮草の大なるもので、田字草または四葉菜というもののことという。夏から秋にかけて白い花をつける。杜甫「麗人行」「楊花雪落覆白蘋,青鳥飛去銜紅巾。」

歐陽舍人炯『南子八首 其八』

 白石爛 淚 黑貂裘

翡翠鵁鶄,白蘋香裏小沙汀。

島上陰陰秋雨色,蘆花撲,數隻漁舡何處宿。

翡翠のごとく、鵁鶄【こうせい】のごとく,白蘋【はくひん】の香の裏【うち】に小さき沙汀す。

島上 陰陰として秋雨の色になり,蘆花 撲し,數隻 漁の舡何處に宿せんか。

○故園 通常、故郷のことをいうが、ここでは成都浣花渓に作った農業施設をいう。

 

雪山斥候無兵馬,錦裏逢迎有主人。

あなたが来任されれば雪嶺山脈へ斥候隊に偵察に出してはあっても兵馬のさわぎはなく、わたくしがかえれば錦江の村でお迎えをしてくれる地元の主人たちもいるのだ。

○雪山 大雪山、西山。雪嶺山脈。

○斥候 敵の状況や地形などを探ること。また、そのために部隊から派遣する少数の兵士。吐蕃の侵入に対する物見のこと、斥は度(はかる)、候は視(みる)。

○無兵馬 冠乱のないことをいう、厳武の力によるのである。

○錦裏/錦里 錦江の里、浣花村。

○逢迎 杜甫が厳武を迎えること、人を迎えれば必ずこれと逢い見る。

○主人 この地域の地主(地かたのあるじ役)の意としてみるのである。或は隣里の人とみるものもある。

 

休怪兒童延俗客,不教鵝鴨惱比鄰。

時としてうちの子供らが俗悪なお客さんをひきいれることがあったとしても不思議におもわれることはありません。鵞鳥や家鴨でこれまで近所迷惑をかけたことはたびたびだったがこれからはそんなことはさせません。

○休怪 武に対する語である。

○児童 自家のこどもら。

○鵜鴨 がちょう、あひる、自家がやしなうところの水禽。

○此隣 近所の人家をいう、自分の家を中心に東西南北の五家を比となし、また東西南北の五家を隣となす。

 

習池未覺風流盡,況複荊州賞更新。

あなたというものが居られることゆえ山簡の習家池ともいうべきわが草堂において風流の遊びが尽きたとはおもわれることはなく、あなたは吾が草堂に対して更にあたらしく賞美を試みられるとおもうから、風流が依然継続することと信じておるところです。

○習池 習家池(高陽池)のこと、刑州にある、晋の山簡は永嘉三年に襄陽に鎮したが、常に習氏の池上に飲み、これを名づけて高陽池といった。杜甫は習池を以て草堂に比している。山簡は、字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。山公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。 李白 『襄陽曲四首 其三』「峴山臨漢江、水淥沙如雪。上有墮淚碑、青苔久磨滅。」(峴山 漢江に臨み、水は緑に 抄は雪の如し。上に堕涙の碑有り、青苔に 久しく磨滅す。)『襄陽曲四首 其四』「且醉習家池。 莫看墮淚碑。 山公欲上馬。 笑殺襄陽兒。」 (且らく酔わん 習家の池、堕涙の碑を看る莫れ。山公 馬に上らんと欲すれは、笑殺す 嚢陽の児。)『秋浦歌十七首其七』「醉上山公馬、寒歌甯戚牛。空吟白石爛、淚滿黑貂裘。」( 其の七 酔うて上る 山公(さんこう)の馬、寒歌(かんか)するは  寧戚(ねいせき)の牛。空しく白石爛(はくせきらん)を吟ずれば、泪は満つ  黒貂(こくちょう)の裘(かわごろも)

○高陽 嚢陽にある池の名。

〇荊州 山簡を称する、山間は征南将軍として荊・湘・交・広の四州を都督したので、山間を荊州と称した、ここは山簡をもって厳武に比する。

○賞 習池のさまを賞美することをいう。

○更新 今回は二度めであることから「あらた」という。

index-14廣徳2年764-89 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之一》 杜甫<761> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4390 

あなたの来任のため此の地方に揖譲の美風が行なわれるようになるならば、留守にしている吾が草堂の松や竹がながなが荒れ果てていることなどは取り立てていうに及ばぬことで、どうでもよいのだ。


廣徳2764-89 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之一》 杜甫index-14 764年將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之一 杜甫<761> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4390 杜甫詩1500-761-1049/2500

 

 

廣徳2764-89

將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之一

〔寶應二年春,嚴武封鄭國公,復節度劍南。〕

杜甫index-14

 

宝応2年        764年春 52

これまでの整理

 

1) 梓州に身を寄せていた宝応元年(762)の七月から一年九か月ほどのあいだ、杜甫は涪江沿いの城市を生活の資を得るため歩きまわり、売文の生活。

 

2) 広徳元年(763)の晩秋頃、杜甫は厳武公の推薦で京兆府の功曹参軍を任ずる辞令を受けが、それを辞退する。

3) 広徳元年(763)の暮に、杜甫は梓州で州刺史らの盛大に見送られて荊州に向け旅立とうとする。

4) 広徳二年の初春に妻子を伴なって閬州(四川省閬中県)に移る。閬州(ろうしゅう)は嘉陵江の渡津で、ここから船出して長江に出、江陵けいゆで、故郷洛陽にもどる予定だった。ところが杜甫は厳武が再び、成都尹、西川節度使に赴任するということで、出発をとどまる

5)厳武公が再び剣南両川節度使兼成都尹になって、成都に赴任してくるということになったので、成都にもどることにした。

 

 

(成都に赴くに至った次第をのべている。

将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首其一

得歸茅屋赴成都,直為文翁再剖符。

但使閭閻還揖讓,敢論松竹久荒蕪。

魚知丙穴由來美,酒憶郫筒不用酤。

五馬舊曾諳小徑,幾回書待潛夫。

(留守にしていた成都の草堂に赴こうとしている時にこの詩ができたので、予め厳鄭公に寄せた五首のその一)

自分がこのたび成都に赴き茅屋にかえることのできるのは、漢の文翁に此すべきあなたが再びここへ来任せられるがためにほかならない。

あなたの来任のため此の地方に揖譲の美風が行なわれるようになるならば、留守にしている吾が草堂の松や竹がながなが荒れ果てていることなどは取り立てていうに及ばぬことで、どうでもよいのだ。

自分は成都へかえれば丙穴の魚がもとからうまいものだということを知っているし、また郫筒の酒もわざわざ買わずとも飲めるなどと考える。

あなたは古くから吾が草堂の小径は良くご存知である。前年王符のようなこのわたくしを待っているとて何遍手紙をくだされたであろうか。実にお懐かしく思われるのである。

将に成都の草堂に赴かんとして途中作有り、先ず、厳鄭公に寄す。 五首の其の一

茅屋に帰り成都に赴くことを得るは、直ちに文翁の再び符を剖くが為なり。

但だ閭閻をして還た揖譲せしめば、敢て論ぜん 松竹の久しく荒蕪するを。

魚は知る 丙穴由来 美なるを、酒は憶う 郫筒 酤うを用いざるを。

五馬 旧と曾て小径を諳んず、幾回か書札潜夫を待ちしぞ。

 

『将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首其一』 現代語訳と訳註

(本文)

将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首其一

得歸茅屋赴成都,直為文翁再剖符。

但使閭閻還揖讓,敢論松竹久荒蕪。

魚知丙穴由來美,酒憶郫筒不用酤。

五馬舊曾諳小徑,幾回書劄待潛夫。

(下し文)

(将に成都の草堂に赴かんとして途中作有り、先ず、厳鄭公に寄す。 五首の其の一)

茅屋に帰り成都に赴くことを得るは、直ちに文翁の再び符を剖くが為なり。

但だ閭閻をして還た揖譲せしめば、敢て論ぜん 松竹の久しく荒蕪するを。

魚は知る 丙穴由来 美なるを、酒は憶う 郫筒 酤うを用いざるを。

五馬 旧と曾て小径を諳んず、幾回か書札潜夫を待ちしぞ。

 

(現代語訳)

(留守にしていた成都の草堂に赴こうとしている時にこの詩ができたので、予め厳鄭公に寄せた五首のその一)

自分がこのたび成都に赴き茅屋にかえることのできるのは、漢の文翁に此すべきあなたが再びここへ来任せられるがためにほかならない。

あなたの来任のため此の地方に揖譲の美風が行なわれるようになるならば、留守にしている吾が草堂の松や竹がながなが荒れ果てていることなどは取り立てていうに及ばぬことで、どうでもよいのだ。

自分は成都へかえれば丙穴の魚がもとからうまいものだということを知っているし、また郫筒の酒もわざわざ買わずとも飲めるなどと考える。

あなたは古くから吾が草堂の小径は良くご存知である。前年王符のようなこのわたくしを待っているとて何遍手紙をくだされたであろうか。実にお懐かしく思われるのである。

 

 

(訳注)

将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首其一

(留守にしていた成都の草堂に赴こうとしている時にこの詩ができたので、予め厳鄭公に寄せた五首のその一)

○成都草堂 浣花渓の草堂。

○厳鄭公 厳武をいう、武は宝応元年に成都より召還され京兆尹となり、二年に二聖山陵橋遣使となり鄭国公に封ぜられた、それより黄門侍邸に還り、広徳二年に成都尹・剣南節度使となった。

中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之一 蜀中転々 杜甫 <529  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2845 中丞嚴公雨中垂寄見憶一,奉答二,二首之二蜀中転々 杜甫 <530  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2850 杜甫詩1000-530-764/1500

謝嚴中丞送青城山道士乳酒一瓶 蜀中転々 杜甫 <531  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2855 杜甫詩1000-531-765/1500

嚴公仲夏枉駕草堂兼攜酒饌得寒字 蜀中転々 杜甫 <532  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2860 杜甫詩1000-532-766/1500

嚴公廳宴同詠蜀道畫圖【案:得空字。】 蜀中転々 杜甫 <533  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2865 杜甫詩1000-533-767/1500

奉送嚴公入朝十韻  蜀中転々 杜甫 <534-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2870 杜甫詩1000-534-#1-768/1500

奉送嚴公入朝十韻 蜀中転々 杜甫 <534-#2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2870 杜甫詩1000-534-#2-768/1500

《嚴氏溪放歌行》 蜀中転々 杜甫 <571  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3150 杜甫詩1000-571-824/1500 40923

665七言歌行 《嚴氏溪放歌行》 蜀中転々 杜甫 <571-#2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3155 杜甫詩1000-571-#2-825/1500

718 《行次鹽亭縣聊題四韻奉簡嚴遂州、蓬州兩使君諮議諸昆季》杜甫 <625  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3435 杜甫詩1000-625-881/1500

725 《與嚴二郎奉禮別〔草堂逸詩拾遺-(1)〕》 蜀中転々 杜甫 <632  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3470 杜甫詩1000-632-888/1500

2764-35-2 《揚旗―#2》 ふたたび成都 杜甫<666-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3795 杜甫詩1000-666-#2-953/1500772

奉待嚴大夫

殊方又喜故人來,重鎮還須濟世才。

常怪偏裨終日待,不知旌節隔年回。

欲辭巴徼啼鶯合,遠下荊門去鷁催。

身老時危思會面,一生襟抱向誰開。

廣徳2764-65 《奉待嚴大夫》 ふたたび成都81奉待嚴大夫 杜甫<741 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4035 杜甫詩1500-741-978/250029

 

得歸茅屋赴成都,直為文翁再剖符。

自分がこのたび成都に赴き茅屋にかえることのできるのは、漢の文翁に此すべきあなたが再びここへ来任せられるがためにほかならない。

○帰茅屋赴成都 成都に赴いて茅屋に帰ることをいう。茅屋はすなわち草堂をいう。

○直為 特為におなじ。

○文翁 漠の時局に教育を施した人(八〇ページ参照)。文翁をもって厳武に比する。

○再割符 再とは厳武は今度で二回めの来任であることをいう、割符とは元来は太守の任をいうが、今は成都声の職にあてていう。漢の文帝の時、郡守に銅虎符・竹使符を与えたのにはじまり、各土第一より第五まであり、「符」は信(しるし)のことで、これを両分し、左を京師に留め、右を郡守にわたした。銅虎符は中央において軍隊を発しょうとするとき使者を郡に遣わして符を合わせ、符が合えば郡は使者の命をきいた。竹使符の用もまたおなじである。銅符の長さは六寸、竹符は五寸。二つに分かつので「符を割く」という、わが国の割り符のこと。

 

但使閭閻還揖讓,敢論松竹久荒蕪。

あなたの来任のため此の地方に揖譲の美風が行なわれるようになるならば、留守にしている吾が草堂の松や竹がながなが荒れ果てていることなどは取り立てていうに及ばぬことで、どうでもよいのだ。

○間閻 間は里の門、闇は里中の門のこと、成都府の村里をさす。

○還揖譲 揖は立って会釈するさま、譲はへりくだってゆずりあうこと、村里の教化に浴するさまをいう。

○松竹 草堂に植えてある松竹をいう。

○荒蕪 あれる。

 

魚知丙穴由來美,酒憶郫筒不用酤。

自分は成都へかえれば丙穴の魚がもとからうまいものだということを知っているし、また郫筒の酒もわざわざ買わずとも飲めるなどと考える。

○丙穴 丙穴というものは諸処にあり、魚の居る穴のことであるが、これは卭州の丙穴をいうのである、卭州は成都の西南百五十里にある。

○美 うまいこと。

○郫筒 郫は県の名で、成都の西五十里にある、其の地は大竹を産し、竹筒を以て美酒を盛る、これを郫筒という。

○不用酤 酤は買うこと、買うを用いずとは厳武が供するためである。

 

五馬舊曾諳小徑,幾回書待潛夫。

あなたは古くから吾が草堂の小径は良くご存知である。前年王符のようなこのわたくしを待っているとて何遍手紙をくだされたであろうか。実にお懐かしく思われるのである。

〇五馬 太守の称、漢の制では太守は駟馬を通例とするけれども中央の朝臣が出て太守となるときは一馬を増して五馬を用いさせた、これは成都尹である厳武をさす。

○諳小徑 語はそらでおぼえていること、小径とは草堂にかようこみちをいう。

○幾回書劄待潛夫 書札はてがみ、厳武が作者に贈ったもの。

 
 2014年6月22日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
18-#1 《古風五十九首之十八》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳582Ⅰ李白詩1168 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4388 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
504-3 《祭柳子厚文》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ唐宋八大家読本巻六<1081>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4389韓愈詩-504-3 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログindex-14廣徳2年764-89 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之一》 杜甫<761> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4390  
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor14-386《八拍蠻一首》孫光憲(46)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-569-14-(386) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4392 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩 案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

758年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(9)》 杜甫index-14 764年 房琯関連 1-(9) 杜甫<1502-9> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4385 杜甫詩1500-1502-9-1048/2500

房琯の政策が現在最もとらなければいけない政策であること、宰相たるにふさわしい人物であり、十分な能力を持っていることとは枉げられないものと信じて申し上げたことで、国を思ってのことでこの点が罪にあたるとは思えない。

 
 2014年6月21日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
17 《古風五十九首之十七》Index-26Ⅳ-1 747年天寶六年47歳465古風,五十九首之十七金華牧羊兒, <17> Ⅰ李白詩1165 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4373 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
403-15(6段の3) 《柳子厚墓誌銘(全六段)》韓愈(韓退之)ID index-13 504Ⅱ唐宋八大家読本巻六<1080>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4384 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ758年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(9)》 杜甫index-14 764年 房琯関連 1-(9) 杜甫<1502-9> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4385 杜甫詩1500-1502-9-1048/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor14-385《玉蝴蝶一首》孫光憲(45)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-568-14-(385) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4387 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩 案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

758年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(9) 杜甫index-14 764 房琯関連 1-(9) 杜甫<1502-9 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4385 杜甫詩1500-1502-9-1048/2500

 

 

玄宗は受け入れていた房琯の政策は十分妥当性を持っていた。杜甫はそれが正しいと思っていたから、房琯を擁護し、弁護した。その意見を親である、玄宗・上皇が認めていることから、その息子である肅宗は、嫉妬といら立ちを募らせて激昂したのである。

兵力増強のために貨幣を発行するというのは歴史の必然であるがそれは一時的なもの限定的にされなければいけない。ところが、仏像をとかし、銅の比率を1/50と著しく低くしてそれを俸禄の支払い、朝廷、宦官の専横のために使用される。

 

租庸調のうち、租は大飢饉で徴収できず、庸調は売って現金にする。それがどこかに行って朝廷には入らない。倉庫に収められたものが根こそぎ安史軍に持っていかれる。江淮の備蓄、現金を利用して永王璘が叛乱を起すという事態は唐の築き上げてきた制度と組織を無視した、第五琦・賀蘭進明の間違った政策に原因がある。

 

杜甫は死んでも、その間違った政策を指摘しようとしたのである。房琯が軍事的素養に長けていたら、事態はもっと良い方に展開したであろう。陳濤斜、青坂の大敗は房琯の説得力を完全に奪った。

 

房琯関連1

奉謝口敕放三司推問狀

(1)

右。臣甫智識淺昧,向所論事,

涉近激訐,違忤圣旨,

既下有司,具已舉劾,

某從自棄,就戮為幸。

今日已時,中書侍郎平章事張鎬奉宣口敕,宜放推問。

右におります。臣下であります、わたくし()甫は勉強不足であることも顧みず、先に房琯について自己の主張の論をのべさせていただきました。

近場のことにわたって激しい直言を致したところ、聖天子の思いに決定的に逆らってしまいました。

どこぞの私めとしても自己を棄てることにより、たとえ殺されても喜んでうけるつもりで居ります。

今日ただ今終ってしまうとしており、中書侍郎、平章事張鎬殿に宣口の敕を奉り,推問を宜放いたすところであります。

 (2)

知臣愚戇,赦臣萬死,

曲居恩造,再賜骸骨。

臣甫誠頑誠蔽,死罪死罪。

臣以陷身賊庭,憤惋成疾,

實從間道,獲謁龍顏。

家臣としてそのあまりの愚かさを知りました。家臣として萬死をお許しいただきました。

腰を曲げ、ひれ伏して御恩を告げられたのです。それで再び、この骨体を賜りました。

家臣たるわたくし()甫は誠心誠意忠義を尽くし貫き、そうでなければ即、死罪、有無言わせず死罪をうけます。

私はこの身が安史軍の賊の手に陥ったために、憤り惋んで病気にまでなりました。

実際に、そこより間道つたいに脱出して、ようやくご竜顔を拝することができました。

 (3)

猾逆未除,愁痛難過,

猥廁袞職,愿少裨補。

竊見房以宰相子,少自樹立,

晚為醇儒,有大臣體。

しかし、校滑なる逆賊、安史軍はいまだ征伐されず、私の愁痛は、やりきれないものがあります。

そのため、諌官の末席に連なる身として、わが君の政治をいささかなりとも稗補うことができればと願った次第です。

ひそかに見るところでは、房琯は宰相の子として、若いころから立派に世に立ちました。

年をとってからは儒者としての仁徳を醸し出すほまれがあり、大臣の風格をそなえておりました。

 (4)

時論許琯必、位至公輔,康濟元元。

陛下果委以樞密,眾望甚允。

觀琯之深念主憂,義形於色,

況畫一保泰,素所蓄積者已。

而琯性失於簡,酷嗜鼓琴。

時論も房琯の能力を認めて、将来は必ず宰相の位に上り、人民を康んじ済うことであろうといっておりました。

わが君も、果たせるかな房琯に宰相の職をお委ねになり、はなはだ衆望がありました。

房琯は、わが君の憂いたもうところに深く思いを寄せ、正義の心はその顔色に表われておりました。

しかしながら房琯の性格ははなはだしく放漫であり、琴を鼓くことを過度に好みました。

 

(5)

董庭蘭今之琴工,游門下有日,

貧病之老,依倚為非,

之愛惜人情,一至於玷。

臣不自度量,嘆其功名未垂,

而志氣挫衄,覬望陛下棄細錄大,

所以冒死稱述,何思慮始竟,闕於再三。

琴師の董庭蘭は、長年にわたって房琯の家に毎日のように出入りしておりましたが、

貧乏と病に取りつかれた老人である彼が、その地位を頼んでよからぬことをいたしたということはないのです。

房琯は頼って来る董庭蘭への情にひかれて、このたび罪に問わ、名をけがすことになったものです。

私は身のほどもわきまえず、なげかわしいことに、与えられた職責の功名をいまだ遂げないのであります。

したがって、志気の挫折してしまうところであり、陛下が些細なことで、棄ておくようにと大いなる才能を思ってくださることを切に願いもうしあげるところです。

死を冒して申し述べたわけでございます。こうして思いましたことがどのように思われようともかまいません、そのため朝廷に再三参上いたしたのであります。

 (6)

陛下貸以仁慈,憐其懇到,

不書狂狷之罪,復解網羅之急,

是古之深容直臣、勸勉來者之意。

天下幸甚!天下幸甚!

豈小臣獨蒙全軀、就列待罪而已?

無任先懼後喜之至,謹詣閣門進狀奉謝以聞。謹進。

陛下は、そのような私に仁慈をおかけくださり、いちずな思いを憐れまれました。

それは一途に理想家で頑固者であるわたしが犯したことを罪とされてはいないのです、縄目にかからんとしていたのをお許しくださいました。

これは古来の伝統にそうものであり、深く直言の臣を型通り致したのであり、これからも諌言の臣であることを勤勉実直に勧めあげる所存であります。

天下の幸甚をせつにねがいものであります。天下を語らせていただきありがたき幸せに存じます。

どうして小者の私が、罪を許されてこの身を全うできるのでありましょうか。或は罪を受ける列に待っているということは既に終わったということでありましょうか。

ここに至って先のことを懼れるに任せることはなく、ただ弁明をさせていただく喜びに至って折るところであります。慎んで朝廷の推問の方々に上進狀を提出し、併せて申し開きの発言をお聴き取りいただき感謝申し上げるところであります。謹んでここに申し上げます。

 

 

 

『奉謝口敕放三司推問狀』 現代語訳と訳註

(本文)

(6)

陛下貸以仁慈,憐其懇到,

不書狂狷之罪,復解網羅之急,

是古之深容直臣、勸勉來者之意。

天下幸甚!天下幸甚!

豈小臣獨蒙全軀、就列待罪而已?

無任先懼後喜之至,謹詣閣門進狀奉謝以聞。謹進。

 

 

(下し文) (6)

陛下 貸すに仁慈を以てし、其の懇到なるを憐れみ、

狂洞の過ちを書せず、復た網羅の急なるを解く。

是れ古の深く直臣を容れ、来者を勤勉するの意なり

天下 幸甚!天下 幸甚!

豈に小臣 獨り全軀を蒙り、列に就く罪を待ち已まん?

先懼後喜 之に至るに任せる無く,謹んで閣門進狀謝して以って聞き奉り詣でる。謹進す。

 

 

(現代語訳)

陛下は、そのような私に仁慈をおかけくださり、いちずな思いを憐れまれました。

それは一途に理想家で頑固者であるわたしが犯したことを罪とされてはいないのです、縄目にかからんとしていたのをお許しくださいました。

これは古来の伝統にそうものであり、深く直言の臣を型通り致したのであり、これからも諌言の臣であることを勤勉実直に勧めあげる所存であります。

天下の幸甚をせつにねがいものであります。天下を語らせていただきありがたき幸せに存じます。

どうして小者の私が、罪を許されてこの身を全うできるのでありましょうか。或は罪を受ける列に待っているということは既に終わったということでありましょうか。

ここに至って先のことを懼れるに任せることはなく、ただ弁明をさせていただく喜びに至って折るところであります。慎んで朝廷の推問の方々に上進狀を提出し、併せて申し開きの発言をお聴き取りいただき感謝申し上げるところであります。謹んでここに申し上げます。

 

 

(訳注)(6)

陛下貸以仁慈,憐其懇到,

陛下は、そのような私に仁慈をおかけくださり、いちずな思いを憐れまれました。

仁慈 思いやりがあって情け深いこと。

懇到 懇到切至。すみずみまで心が行き届いて、このうえなく親切なこと。また、真心を尽くして十分に言い聞かせること。▽「懇到」「切至」ともに、ねんごろに行き届くこと。 -

不書狂狷之罪,復解網羅之急,

それは一途に理想家で頑固者であるわたしが犯したことを罪とされてはいないのです、縄目にかからんとしていたのをお許しくださいました。

狂狷 いちずに理想に走り、自分の意思をまげないこと。”:《論語·子路第十三・二十一

子曰、不得中行而與之、必也狂狷乎、狂者進取、狷者有所不爲也。

子曰わく、中行を得てこれに与【くみ】せずんば、必ずや狂狷【きょうけん】か。狂者は進みて取り、狷者【けんしゃ】は為さざる所あり。

孔子説かれて話される。

 「もし中庸の徳を心得た人物と交際ができなければ、狂者:理想家か狂者:頑固者と交際すると良い。狂者は進んで善い事を受け入れるし、狷者は悪い事をしないからだ。」

 

是古之深容直臣、勸勉來者之意。

これは古来の伝統にそうものであり、深く直言の臣を型通り致したのであり、これからも諌言の臣であることを勤勉実直に勧めあげる所存であります。

 

天下幸甚!天下幸甚!

天下の幸甚をせつにねがいものであります。天下を語らせていただきありがたき幸せに存じます。

幸甚 (多く手紙文で用いて)この上もない幸せ。大変ありがたいこと。また、そのさま。

 

豈小臣獨蒙全軀、就列待罪而已?

どうして小者の私が、罪を許されてこの身を全うできるのでありましょうか。或は罪を受ける列に待っているということは既に終わったということでありましょうか。

 

無任先懼後喜之至,謹詣閣門進狀奉謝以聞。謹進。

ここに至って先のことを懼れるに任せることはなく、ただ弁明をさせていただく喜びに至って折るところであります。慎んで朝廷の推問の方々に上進狀を提出し、併せて申し開きの発言をお聴き取りいただき感謝申し上げるところであります。謹んでここに申し上げます。

三者の思惑が合致 

 

罪をゆるされたのを感謝する文でありながら、内容は、房琯の政策が現在最もとらなければいけない政策であること、宰相たるにふさわしい人物であり、十分な能力を持っていることとは枉げられないものと信じて申し上げたことで、国を思ってのことでこの点が罪にあたるとは思えない。人民が一層の苦しみにおちいっている状態を改善する政策をとらなければ安史軍を真に討伐できるものではないということで、発言の時期を間違ったことはまことに申し訳なく、死罪に処されても甘んじて受けます。ということだ。その本質的なところがもし間違っていましたということであれば、杜甫は本当に詩材となっていたかもしれない。

 行ったことは反省するが、その中身については間違ったことは言ってないというのである。

 

757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(8)》 杜甫index-14 764年 房琯関連 1-(8) 杜甫<1502-8> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4380 杜甫詩1500-1502-8-1047/2500

琴師の董庭蘭は、長年にわたって房琯の家に毎日のように出入りしておりましたが、貧乏と病に取りつかれた老人である彼が、その地位を頼んでよからぬことをいたしたということはないのです。房琯は頼って来る董庭蘭への情にひかれて、このたび罪に問わ、名をけがすことになったものです。


757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(8)》 杜甫index-14 764年 房琯関連 1-(8) 杜甫<1502-8>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4380 杜甫詩1500-1502-8-1047/2500

 

 

このころ、杜甫の他の友人の消息を見てみると、李白は江南の地で粛宗の弟永王璘の軍に加わっていたが、この年の二月、永王が粛宗との仲たがいから反乱軍として討伐されたあとは、江南のあちこちを逃げまわっている。しかし、やがて捕らえられて尋陽の獄につながれることになる。

高適は、皮肉にも永王追討軍を指揮して江南を転戦し、そのまま推南節度使となって揚州にとどまっている。杜甫がのちに厨の成都でその庇護を受けることになる厳武は、杜甫と同じ役所の門下省に、給事中として勤めている。鄭度は賊の偽政府で水部郎中を授けられていたために、王維らとともに重陽里の牢獄に投ぜられ、のちに台州(浙江省の東海岸)の司戸参軍として流された。

鳳翔に来て以来、杜甫は鄜州に避難させている家族の安否を気づかい、あれこれ手を尽くして消息を知ろうとしたが、何の情報も得られなかった。時には、知らせが来ても、それが悪い知らせであるならば、むしろないほうがいい、と畏れながら、落ち着かぬ日々を過ごしていたが、涼風の立ち、白露の降りはじめる初秋になって、やっと家からの手紙が届けられた。

行商人にたのんで家族に手紙を持っていってもらったが、その人が返書を持ってきてくれた。

おかげで今日やっとその消息が分かり一安心。他郷ではあるけれど、ともかく旧の居にいるという。熊児(長男宗文の幼名)は幸いに志なく、咲子(次男宗武の幼名)も元気、それがほんとうにうれしい。年老いて旅空での孤独はたまらないが、こんな時世であるから会うこともできない。白髪頭で行在所勤め、低い位ながらも天子の側にお仕えしている。長安には今なお胡賊の妖気が満ちており、ここ初秋の鳳翔には白露が降り・て志気は張りつめている。

涼たい風は雁を吹き送り、秋の雨に魚もふえてくる。田舎に帰って人気のない山の中で畠を耕し、掛を荷いで暮らしたいものとしみじみ思う。

家族からの手紙を受け取り、その無事を確かめた杜甫は、安堵の胸をなで下ろし職務に励もうとしたことであろうが、思いもかけず、勅命によって休暇が与えられた。杜甫個人にとっては感謝すべき処置であったろうが、時に長安奪回作戦が開始されようとしており、その職務は作戦に直接関わりはないにしても、休暇が与えられる理由はまったくない。要するに杜甫は、さきごろの諌評によって粛宗に嫌われ、無用の人間とされたわけである。

粛宗は「房琯弁護事件」の罪として、鳳翔から邠州まで約二〇〇キロの道を、閏八月の初めから半月ばかりかかって、馬は与えられなという屈辱的な処罰(下僕扱い)のために、途中で馬を借りるまでは口笛をふいて徒歩でゆくのである。長安、洛陽の奪還には房琯一派ははじき出されたのである。その意味では『徒歩歸行』『北征』の一聯の紀行の関連司徒いえるかもしれない。(当然中の句には触れるものがある。)

 

(5)

董庭蘭今之琴工,游門下有日,

琴師の董庭蘭は、長年にわたって房琯の家に毎日のように出入りしておりましたが、

貧病之老,依倚為非,

貧乏と病に取りつかれた老人である彼が、その地位を頼んでよからぬことをいたしたということはないのです。

琯之愛惜人情,一至於玷琯。

房琯は頼って来る董庭蘭への情にひかれて、このたび罪に問わ、名をけがすことになったものです。

臣不自度量,嘆其功名未垂,

私は身のほどもわきまえず、なげかわしいことに、与えられた職責の功名をいまだ遂げないのであります。

而志氣挫衄,覬望陛下棄細錄大,

したがって、志気の挫折してしまうところであり、陛下が些細なことで、棄ておくようにと大いなる才能を思ってくださることを切に願いもうしあげるところです。

所以冒死稱述,何思慮始竟,闕於再三。

死を冒して申し述べたわけでございます。こうして思いましたことがどのように思われようともかまいません、そのため朝廷に再三参上いたしたのであります。

 (6)

陛下貸以仁慈,憐其懇到,

不書狂狷之罪,復解網羅之急,

是古之深容直臣、勸勉來者之意。

天下幸甚!天下幸甚!

豈小臣獨蒙全軀、就列待罪而已?

無任先懼後喜之至,謹詣閣門進狀奉謝以聞。謹進。

 

 

『奉謝口敕放三司推問狀』 現代語訳と訳註

(本文) (5)

董庭蘭今之琴工,游琯門下有日,

貧病之老,依倚為非,

琯之愛惜人情,一至於玷琯。

臣不自度量,嘆其功名未垂,

而志氣挫衄,覬望陛下棄細錄大,

所以冒死稱述,何思慮始竟,闕於再三。

 

(下し文) (5)

董庭蘭は今の琴工なり。琯の門下に遊びて日有り。

貧病の老にして、依倚して非を為す。

琯の人情を愛惜すること、一に玷琯に至る。

臣自ら度量せず、其の功名の未だ垂れずして、

而して志気 挫衄せん。陛下の細を棄てて大を録さるることを覬望す。

死を冒して称述せし所以なり。何ぞ思慮の始めに竟きず、再三に開けたるや。

 

(現代語訳)

琴師の董庭蘭は、長年にわたって房琯の家に毎日のように出入りしておりましたが、

貧乏と病に取りつかれた老人である彼が、その地位を頼んでよからぬことをいたしたということはないのです。

房琯は頼って来る董庭蘭への情にひかれて、このたび罪に問わ、名をけがすことになったものです。

私は身のほどもわきまえず、なげかわしいことに、与えられた職責の功名をいまだ遂げないのであります。

したがって、志気の挫折してしまうところであり、陛下が些細なことで、棄ておくようにと大いなる才能を思ってくださることを切に願いもうしあげるところです。

死を冒して申し述べたわけでございます。こうして思いましたことがどのように思われようともかまいません、そのため朝廷に再三参上いたしたのであります。

 

 

(訳注) (5)

董庭蘭今之琴工,游琯門下有日,

琴師の董庭蘭は、長年にわたって房琯の家に毎日のように出入りしておりましたが、

董庭蘭 房琯は高簡な性格。この時、国家は多難だったのに、房琯は病気と称して朝謁せず、 職務など気にしていなかった。庶子の劉秩、諫議大夫・李揖らと共に釈迦や老子を高談したり、 あるいは門客の董庭蘭の鼓琴を聞いたりしていた。 董庭蘭は、これでたくさんの権利を得た。董庭蘭が収賄したと、御史が上奏した。

丁巳、房琯をやめさせて太子少師とする。 諫議大夫 ・張鎬を中書侍郎、同平章事とした。

 

貧病之老,依倚為非,

貧乏と病に取りつかれた老人である彼が、その地位を頼んでよからぬことをいたしたということはないのです。

 

琯之愛惜人情,一至於玷琯。

房琯は頼って来る董庭蘭への情にひかれて、このたび罪に問わ、名をけがすことになったものです。

玷 。(1) 白玉のきず.(2) 汚す.玷辱 、辱める,名を汚す玷辱名声名を汚す.

 

臣不自度量,嘆其功名未垂,

私は身のほどもわきまえず、なげかわしいことに、与えられた職責の功名をいまだ遂げないのであります。

 

而志氣挫衄,覬望陛下棄細錄大,

したがって、志気の挫折してしまうところであり、陛下が些細なことで、棄ておくようにと大いなる才能を思ってくださることを切に願いもうしあげるところです。

 

所以冒死稱述,何思慮始竟,闕於再三。

死を冒して申し述べたわけでございます。こうして思いましたことがどのように思われようともかまいません、そのため朝廷に再三参上いたしたのであります。
三者の思惑が合致 房琯・杜甫のグループは朝廷からはじき出されたのである。 

 
 2014年6月20日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
16 《古風五十九首之十六》Index-10Ⅱ― 6-731年開元十九年31歳100古風,五十九首之十六寶劍雙蛟龍, <16> Ⅰ李白詩1166 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4378 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
403-15(6段の2) 《柳子厚墓誌銘(全六段)》韓愈(韓退之)ID index-13 504Ⅱ唐宋八大家読本巻六<1079>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4379 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(8)》 杜甫index-14 764年 房琯関連 1-(8) 杜甫<1502-8> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4380 杜甫詩1500-1502-8-1047/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor14-384《河滿子一首》孫光憲(44)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-567-14-(384) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4382 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩 案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

続きを読む

757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(7)》 杜甫index-14 764年 房琯関連 1-(7) 杜甫<1502-7> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4375 杜甫詩1500-1502-7-1046/2500

わが君も、果たせるかな房琯に宰相の職をお委ねになり、はなはだ衆望がありました。房琯は、わが君の憂いたもうところに深く思いを寄せ、正義の心はその顔色に表われておりました。

 
 2014年6月19日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
15 《古風五十九首之十五》Index-10Ⅱ― 6-731年開元十九年31歳99古風,五十九首之十五燕昭延郭隗, <15> Ⅰ李白詩1165 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4373 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
403-14(5段の3) 《柳子厚墓誌銘(全六段)》韓愈(韓退之)ID 558Ⅱ唐宋八大家読本巻六<1077>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4369韓愈詩-403-14(5段の3) 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(7)》 杜甫index-14 764年 房琯関連 1-(7) 杜甫<1502-7> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4375 杜甫詩1500-1502-7-1046/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor14-383《定西番二首其二》孫光憲(43)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-566-14-(383) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4377 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩 案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(7)》 杜甫index-14 764年 房琯関連 1-(7) 杜甫<1502-7>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4375 杜甫詩1500-1502-7-1046/2500

 

 

玄宗は受け入れていた房琯の政策は十分妥当性を持っていた。杜甫はそれが正しいと思っていたから、房琯を擁護し、弁護した。その意見を親である、玄宗・上皇が認めていることから、その息子である肅宗は、嫉妬といら立ちを募らせて激昂したのである。

兵力増強のために貨幣を発行するというのは歴史の必然であるがそれは一時的なもの限定的にされなければいけない。ところが、仏像をとかし、銅の比率を1/50と著しく低くしてそれを俸禄の支払い、朝廷、宦官の専横のために使用される。

 

租庸調のうち、租は大飢饉で徴収できず、庸調は売って現金にする。それがどこかに行って朝廷には入らない。倉庫に収められたものが根こそぎ安史軍に持っていかれる。江淮の備蓄、現金を利用して永王璘が叛乱を起すという事態は唐の築き上げてきた制度と組織を無視した、第五琦・賀蘭進明の間違った政策に原因がある。

 

杜甫は死んでも、その間違った政策を指摘しようとしたのである。房琯が軍事的素養に長けていたら、事態はもっと良い方に展開したであろう。陳濤斜、青坂の大敗は房琯の説得力を完全に奪った。

 

房琯関連1

奉謝口敕放三司推問狀

(1)

右。臣甫智識淺昧,向所論事,

涉近激訐,違忤圣旨,

既下有司,具已舉劾,

某從自棄,就戮為幸。

今日已時,中書侍郎平章事張鎬奉宣口敕,宜放推問。

右におります。臣下であります、わたくし()甫は勉強不足であることも顧みず、先に房琯について自己の主張の論をのべさせていただきました。

近場のことにわたって激しい直言を致したところ、聖天子の思いに決定的に逆らってしまいました。

どこぞの私めとしても自己を棄てることにより、たとえ殺されても喜んでうけるつもりで居ります。

今日ただ今終ってしまうとしており、中書侍郎、平章事張鎬殿に宣口の敕を奉り,推問を宜放いたすところであります。

 (2)

知臣愚戇,赦臣萬死,

曲居恩造,再賜骸骨。

臣甫誠頑誠蔽,死罪死罪。

臣以陷身賊庭,憤惋成疾,

實從間道,獲謁龍顏。

家臣としてそのあまりの愚かさを知りました。家臣として萬死をお許しいただきました。

腰を曲げ、ひれ伏して御恩を告げられたのです。それで再び、この骨体を賜りました。

家臣たるわたくし()甫は誠心誠意忠義を尽くし貫き、そうでなければ即、死罪、有無言わせず死罪をうけます。

私はこの身が安史軍の賊の手に陥ったために、憤り惋んで病気にまでなりました。

実際に、そこより間道つたいに脱出して、ようやくご竜顔を拝することができました。

 (3)

猾逆未除,愁痛難過,

猥廁袞職,愿少裨補。

竊見房以宰相子,少自樹立,

晚為醇儒,有大臣體。

しかし、校滑なる逆賊、安史軍はいまだ征伐されず、私の愁痛は、やりきれないものがあります。

そのため、諌官の末席に連なる身として、わが君の政治をいささかなりとも稗補うことができればと願った次第です。

ひそかに見るところでは、房琯は宰相の子として、若いころから立派に世に立ちました。

年をとってからは儒者としての仁徳を醸し出すほまれがあり、大臣の風格をそなえておりました。

 (4)

時論許琯必、位至公輔,康濟元元。

陛下果委以樞密,眾望甚允。

觀琯之深念主憂,義形於色,

況畫一保泰,素所蓄積者已。

而琯性失於簡,酷嗜鼓琴。

時論も房琯の能力を認めて、将来は必ず宰相の位に上り、人民を康んじ済うことであろうといっておりました。

わが君も、果たせるかな房琯に宰相の職をお委ねになり、はなはだ衆望がありました。

房琯は、わが君の憂いたもうところに深く思いを寄せ、正義の心はその顔色に表われておりました。

しかしながら房琯の性格ははなはだしく放漫であり、琴を鼓くことを過度に好みました。

 (5)

董庭蘭今之琴工,游琯門下有日,

貧病之老,依倚為非,

琯之愛惜人情,一至於玷。

臣不自度量,嘆其功名未垂,

而志氣挫衄,覬望陛下棄細錄大,

所以冒死稱述,何思慮始竟,闕於再三。

(6)

陛下貸以仁慈,憐其懇到,

不書狂狷之罪,復解網羅之急,

是古之深容直臣、勸勉來者之意。

天下幸甚!天下幸甚!

豈小臣獨蒙全軀、就列待罪而已?

無任先懼後喜之至,謹詣閣門進狀奉謝以聞。謹進。

 

 

「房琯擁護事件」は、賀蘭進明、第五埼による増税高負担、ご都合主義と暗躍、陰険、朝廷の私物化、専横のための鋳造資金の宦官勢力、早く長安洛陽を奪還するためには唐王朝財政を破綻させる破壊的好条件のウイグル援軍採用策の粛宗という三者の思惑が一致したことから、はじき出されたのが房琯一党で、その真っ最中に、杜甫が起したことなのである。

『奉謝口敕放三司推問狀』 現代語訳と訳註

(本文)

(4)

時論許琯必位至公輔,康濟元元。

陛下果委以樞密,眾望甚允。

觀琯之深念主憂,義形於色,

況畫一保泰,素所蓄積者已。

而琯性失於簡,酷嗜鼓琴。

 

(下し文) (4)

時論琯に許すに、必ず位は公輔に至り、元元とから康済せん。

陛下果たして委ぬるに枢密を以てし、衆望 甚だ允す。

琯の深く主の憂ひを念ふを観るに、義は色に形る。

況んや一を画くがごとく保泰すること、其れ素より蓄積する所の者なるのみ。

而れども琯性簡に失し、酷だ琴を鼓すを嗜む。

 

(現代語訳)

時論も房琯の能力を認めて、将来は必ず宰相の位に上り、人民を康んじ済うことであろうといっておりました。

わが君も、果たせるかな房琯に宰相の職をお委ねになり、はなはだ衆望がありました。

房琯は、わが君の憂いたもうところに深く思いを寄せ、正義の心はその顔色に表われておりました。

しかしながら房琯の性格ははなはだしく放漫であり、琴を鼓くことを過度に好みました。

 

(訳注) (4)

時論許琯必位至公輔,康濟元元。

時論も房琯の能力を認めて、将来は必ず宰相の位に上り、人民を康んじ済うことであろうといっておりました。

康濟 安康、安泰、救済する。

元元 行動を起こす前と変わらないこと。損にも得にもならないこと。また、そのさま。「ふられて―だ」「失敗して―だ」[副]はじめから。もとから。

 

陛下果委以樞密,眾望甚允。

わが君も、果たせるかな房琯に宰相の職をお委ねになり、はなはだ衆望がありました。

樞密 政治上秘密にすべき大事。枢要な機密。

眾望 多くの人々からかけられている期待や信頼。

甚允 はなはだ、まことに。調和がとれて誠実なさま。穏やか。 ゆるす。かどをたてずに、相手の意見を聞き入れる。

 

觀琯之深念主憂,義形於色,

房琯は、わが君の憂いたもうところに深く思いを寄せ、正義の心はその顔色に表われておりました。

 

況畫一保泰,素所蓄積者已。

ましてその公平なる施政と国家を保つ軍謀については、平素から蓄積された、すぐれた力を持っておりました。

 

而琯性失於簡,酷嗜鼓琴。

しかしながら房琯の性格ははなはだしく放漫であり、琴を鼓くことを過度に好みました。

酷嗜鼓琴。

房琯は高簡な性格。この時、国家は多難だったのに、房琯は病気と称して朝謁せず、 職務など気にしていなかった。庶子の劉秩、諫議大夫・李揖らと共に釈迦や老子を高談したり、 あるいは門客の董庭蘭の鼓琴を聞いたりしていた。 董庭蘭は、これでたくさんの権利を得た。董庭蘭が収賄したと、御史が上奏した。

丁巳、房琯をやめさせて太子少師とする。 諫議大夫 ・張鎬を中書侍郎、同平章事とした。

 

 

 

三者の思惑が合致 房琯・杜甫のグループは朝廷からはじき出されたのである。

 

 

 

このころ、杜甫の他の友人の消息を見てみると、李白は江南の地で粛宗の弟永王璘の軍に加わっていたが、この年の二月、永王が粛宗との仲たがいから反乱軍として討伐されたあとは、江南のあちこちを逃げまわっている。しかし、やがて捕らえられて尋陽の獄につながれることになる。

高適は、皮肉にも永王追討軍を指揮して江南を転戦し、そのまま推南節度使となって揚州にとどまっている。杜甫がのちに厨の成都でその庇護を受けることになる厳武は、杜甫と同じ役所の門下省に、給事中として勤めている。鄭度は賊の偽政府で水部郎中を授けられていたために、王維らとともに重陽里の牢獄に投ぜられ、のちに台州(浙江省の東海岸)の司戸参軍として流された。

鳳翔に来て以来、杜甫は鄜州に避難させている家族の安否を気づかい、あれこれ手を尽くして消息を知ろうとしたが、何の情報も得られなかった。時には、知らせが来ても、それが悪い知らせであるならば、むしろないほうがいい、と畏れながら、落ち着かぬ日々を過ごしていたが、涼風の立ち、白露の降りはじめる初秋になって、やっと家からの手紙が届けられた。

行商人にたのんで家族に手紙を持っていってもらったが、その人が返書を持ってきてくれた。

おかげで今日やっとその消息が分かり一安心。他郷ではあるけれど、ともかく旧の居にいるという。熊児(長男宗文の幼名)は幸いに志なく、咲子(次男宗武の幼名)も元気、それがほんとうにうれしい。年老いて旅空での孤独はたまらないが、こんな時世であるから会うこともできない。白髪頭で行在所勤め、低い位ながらも天子の側にお仕えしている。長安には今なお胡賊の妖気が満ちており、ここ初秋の鳳翔には白露が降り・て志気は張りつめている。

涼たい風は雁を吹き送り、秋の雨に魚もふえてくる。田舎に帰って人気のない山の中で畠を耕し、掛を荷いで暮らしたいものとしみじみ思う。

家族からの手紙を受け取り、その無事を確かめた杜甫は、安堵の胸をなで下ろし職務に励もうとしたことであろうが、思いもかけず、勅命によって休暇が与えられた。杜甫個人にとっては感謝すべき処置であったろうが、時に長安奪回作戦が開始されようとしており、その職務は作戦に直接関わりはないにしても、休暇が与えられる理由はまったくない。要するに杜甫は、さきごろの諌評によって粛宗に嫌われ、無用の人間とされたわけである。

粛宗は「房琯弁護事件」の罪として、鳳翔から邠州まで約二〇〇キロの道を、閏八月の初めから半月ばかりかかって、馬は与えられなという屈辱的な処罰(下僕扱い)のために、途中で馬を借りるまでは口笛をふいて徒歩でゆくのである。長安、洛陽の奪還には房琯一派ははじき出されたのである。その意味では『徒歩歸行』『北征』の一聯の紀行の関連司徒いえるかもしれない。(当然中の句には触れるものがある。)

757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(6)》 杜甫index-14 764年 房琯関連 1-(6) 杜甫<1502-6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4370 杜甫詩1500-1502-6-1045/2500

「房琯擁護事件」は、賀蘭進明、第五埼による増税高負担、ご都合主義と暗躍、陰険、朝廷の私物化、専横のための鋳造資金の宦官勢力、早く長安洛陽を奪還するためには唐王朝財政を破綻させる破壊的好条件のウイグル援軍採用策の粛宗という三者の思惑が一致したことから、はじき出されたのが房琯一党で、その真っ最中に、杜甫が起したことなのである。

 
 2014年6月18日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
Index-28 《古風五十九首之十四》Index-28Ⅳ-3 749年天寶八年49歳526-#3古風,五十九首之十四胡關饒風沙, <Index-28> Ⅰ李白詩1164 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4368 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
403-15(6段の1) 《柳子厚墓誌銘(全六段)》韓愈(韓退之)ID 558Ⅱ唐宋八大家読本巻六<1078>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4374韓愈詩-403-15(6段の1) 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(6)》 杜甫index-14 764年 房琯関連 1-(6) 杜甫<1502-6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4370 杜甫詩1500-1502-6-1045/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor14-382《定西番二首其一》孫光憲(42)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-565-14-(382) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4372 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩 案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(6)》 杜甫index-14 764年 房琯関連 1-(6) 杜甫<1502-6>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4370 杜甫詩1500-1502-6-1045/2500

 

 

玄宗は受け入れていた房琯の政策は十分妥当性を持っていた。杜甫はそれが正しいと思っていたから、房琯を擁護し、弁護した。その意見を親である、玄宗・上皇が認めていることから、その息子である肅宗は、嫉妬といら立ちを募らせて激昂したのである。

兵力増強のために貨幣を発行するというのは歴史の必然であるがそれは一時的なもの限定的にされなければいけない。ところが、仏像をとかし、銅の比率を1/50と著しく低くしてそれを俸禄の支払い、朝廷、宦官の専横のために使用される。

 

租庸調のうち、租は大飢饉で徴収できず、庸調は売って現金にする。それがどこかに行って朝廷には入らない。倉庫に収められたものが根こそぎ安史軍に持っていかれる。江淮の備蓄、現金を利用して永王璘が叛乱を起すという事態は唐の築き上げてきた制度と組織を無視した、第五琦・賀蘭進明の間違った政策に原因がある。

 

杜甫は死んでも、その間違った政策を指摘しようとしたのである。房琯が軍事的素養に長けていたら、事態はもっと良い方に展開したであろう。陳濤斜、青坂の大敗は房琯の説得力を完全に奪った。

 

房琯関連1

奉謝口敕放三司推問狀

(1)

右。臣甫智識淺昧,向所論事,

涉近激訐,違忤圣旨,

既下有司,具已舉劾,

某從自棄,就戮為幸。

今日已時,中書侍郎平章事張鎬奉宣口敕,宜放推問。

右におります。臣下であります、わたくし()甫は勉強不足であることも顧みず、先に房琯について自己の主張の論をのべさせていただきました。

近場のことにわたって激しい直言を致したところ、聖天子の思いに決定的に逆らってしまいました。

どこぞの私めとしても自己を棄てることにより、たとえ殺されても喜んでうけるつもりで居ります。

今日ただ今終ってしまうとしており、中書侍郎、平章事張鎬殿に宣口の敕を奉り,推問を宜放いたすところであります。

 (2)

知臣愚戇,赦臣萬死,

曲居恩造,再賜骸骨。

臣甫誠頑誠蔽,死罪死罪。

臣以陷身賊庭,憤惋成疾,

實從間道,獲謁龍顏。

家臣としてそのあまりの愚かさを知りました。家臣として萬死をお許しいただきました。

腰を曲げ、ひれ伏して御恩を告げられたのです。それで再び、この骨体を賜りました。

家臣たるわたくし()甫は誠心誠意忠義を尽くし貫き、そうでなければ即、死罪、有無言わせず死罪をうけます。

私はこの身が安史軍の賊の手に陥ったために、憤り惋んで病気にまでなりました。

実際に、そこより間道つたいに脱出して、ようやくご竜顔を拝することができました。

 (3)

猾逆未除,愁痛難過,

猥廁袞職,愿少裨補。

竊見房以宰相子,少自樹立,

晚為醇儒,有大臣體。

しかし、校滑なる逆賊、安史軍はいまだ征伐されず、私の愁痛は、やりきれないものがあります。

そのため、諌官の末席に連なる身として、わが君の政治をいささかなりとも稗補うことができればと願った次第です。

ひそかに見るところでは、房琯は宰相の子として、若いころから立派に世に立ちました。

年をとってからは儒者としての仁徳を醸し出すほまれがあり、大臣の風格をそなえておりました。

 (4)

時論許琯必、位至公輔,康濟元元。

陛下果委以樞密,眾望甚允。

觀琯之深念主憂,義形於色,

況畫一保泰,素所蓄積者已。

而性失於簡,酷嗜鼓琴。

(5)

董庭蘭今之琴工,游琯門下有日,

貧病之老,依倚為非,

琯之愛惜人情,一至於玷。

臣不自度量,嘆其功名未垂,

而志氣挫衄,覬望陛下棄細錄大,

所以冒死稱述,何思慮始竟,闕於再三。

(6)

陛下貸以仁慈,憐其懇到,

不書狂狷之罪,復解網羅之急,

是古之深容直臣、勸勉來者之意。

天下幸甚!天下幸甚!

豈小臣獨蒙全軀、就列待罪而已?

無任先懼後喜之至,謹詣閣門進狀奉謝以聞。謹進。

 

 

『奉謝口敕放三司推問狀』 現代語訳と訳註

(本文)

(3)

猾逆未除,愁痛難過,

猥廁袞職,愿少裨補。

竊見房以宰相子,少自樹立,

晚為醇儒,有大臣體。

 

(下し文)

(3)

猾逆 未だ除かれず,愁痛 過ぎ難し,

猥廁【わいそく】して 袞職【コンショク】し,愿んで少しくも裨補す。

窺かに房琯を見るに、宰相の子を以て、少くして自ら樹立し、晩に醇儒と為る。大臣の体有り。

(現代語訳)

しかし、校滑なる逆賊、安史軍はいまだ征伐されず、私の愁痛は、やりきれないものがあります。

そのため、諌官の末席に連なる身として、わが君の政治をいささかなりとも稗補うことができればと願った次第です。

ひそかに見るところでは、房琯は宰相の子として、若いころから立派に世に立ちました。

年をとってからは儒者としての仁徳を醸し出すほまれがあり、大臣の風格をそなえておりました。

 

 

(訳注) (3)

猾逆未除,愁痛難過,

しかし、校滑なる逆賊、安史軍はいまだ征伐されず、私の愁痛は、やりきれないものがあります。

 

猥廁袞職,愿少裨補。

そのため、諌官の末席に連なる身として、わが君の政治をいささかなりとも稗補うことができればと願った次第です。

猥廁 卑猥で厠のようにげすといわれようと必死にする。

袞職【コンショク】: 天子の天職、即ち国家を統治する職.

 

竊見房琯,以宰相子,少自樹立,

ひそかに見るところでは、房琯は宰相の子として、若いころから立派に世に立ちました。

 

晚為醇儒,有大臣體。

年をとってからは儒者としての仁徳を醸し出すほまれがあり、大臣の風格をそなえておりました。
三者の思惑が合致 房琯・杜甫のグループは朝廷からはじき出されたのである。 

757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(5)》 杜甫 房琯関連 1-(5) 杜甫<1502-5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4365 杜甫詩1500-1502-5-1044/2500

粛宗は御史台・刑部・大理寺(いずれも司法機関)に命じて杜甫を弾劾裁判に付した。最悪の場合は死刑である。しかし、新任の宰相張鎬の「もし杜甫を罪に当てるようなことがあれは、今後、天子を諌める者はいなくなりましょう」という言葉によって、粛宗は仕方なく怒りを抑えた。

 
 2014年6月17日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
Index-28 《古風五十九首之十四》Index-28Ⅳ-3 749年天寶八年49歳526-#2古風,五十九首之十四胡關饒風沙, <Index-28> Ⅰ李白詩1163 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4363 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
403-13(5段の2) 《柳子厚墓誌銘(全六段)》韓愈(韓退之)ID 558Ⅱ唐宋八大家読本巻六<1076>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4364韓愈詩-403-13(5段の2) 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(5)》 杜甫 房琯関連 1-(5) 杜甫<1502-5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4365 杜甫詩1500-1502-5-1044/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor14-381《風流子三首其三》孫光憲(41)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-564-14-(381) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4367 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩 案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(5)》 杜甫 房琯関連 1-(5) 杜甫<1502-5>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4365 杜甫詩1500-1502-5-1044/2500

 

 

房琯関連1

奉謝口敕放三司推問狀

(1)

右。臣甫智識淺昧,向所論事,

涉近激訐,違忤圣旨,

既下有司,具已舉劾,

某從自棄,就戮為幸。

今日已時,中書侍郎平章事張鎬奉宣口敕,宜放推問。

右におります。臣下であります、わたくし()甫は勉強不足であることも顧みず、先に房琯について自己の主張の論をのべさせていただきました。

近場のことにわたって激しい直言を致したところ、聖天子の思いに決定的に逆らってしまいました。

どこぞの私めとしても自己を棄てることにより、たとえ殺されても喜んでうけるつもりで居ります。

今日ただ今終ってしまうとしており、中書侍郎、平章事張鎬殿に宣口の敕を奉り,推問を宜放いたすところであります。

 (2)

知臣愚戇,赦臣萬死,

曲居恩造,再賜骸骨。

臣甫誠頑誠蔽,死罪死罪。

臣以陷身賊庭,憤惋成疾,

實從間道,獲謁龍顏。

家臣としてそのあまりの愚かさを知りました。家臣として萬死をお許しいただきました。

腰を曲げ、ひれ伏して御恩を告げられたのです。それで再び、この骨体を賜りました。

家臣たるわたくし()甫は誠心誠意忠義を尽くし貫き、そうでなければ即、死罪、有無言わせず死罪をうけます。

私はこの身が安史軍の賊の手に陥ったために、憤り惋んで病気にまでなりました。

実際に、そこより間道つたいに脱出して、ようやくご竜顔を拝することができました。

 (3)

猾逆未除,愁痛難過,

猥廁袞職,愿少裨補。

竊見房以宰相子,少自樹立,

晚為醇儒,有大臣體。

(4)

時論許必位至公輔,康濟元元。

陛下果委以樞密,眾望甚允。

觀之深念主憂,義形於色,

況畫一保泰,素所蓄積者已。

而性失於簡,酷嗜鼓琴。

(5)

董庭蘭今之琴工,游門下有日,

貧病之老,依倚為非,

之愛惜人情,一至於玷。

臣不自度量,嘆其功名未垂,

而志氣挫衄,覬望陛下棄細錄大,

所以冒死稱述,何思慮始竟,闕於再三。

(6)

陛下貸以仁慈,憐其懇到,

不書狂狷之罪,復解網羅之急,

是古之深容直臣、勸勉來者之意。

天下幸甚!天下幸甚!

豈小臣獨蒙全軀、就列待罪而已?

無任先懼後喜之至,謹詣閣門進狀奉謝以聞。謹進。

三者の思惑が合致 

 房琯・杜甫のグループは朝廷からはじき出されたのである。

『奉謝口敕放三司推問狀』 現代語訳と訳註

(本文) (2)

知臣愚戇,赦臣萬死,

曲居恩造,再賜骸骨。

臣甫誠頑誠蔽,死罪死罪。

臣以陷身賊庭,憤惋成疾,

實從間道,獲謁龍顏。

 

(下し文)(2)

臣 愚戇【ぐとう】を知り,臣 萬死を赦さる,

曲居 恩造,再び骸骨を賜わる。

臣甫 誠頑 誠蔽,死罪 死罪。

臣 以って身 賊庭に陷ち,憤り惋んで疾と成る,

實に間道に從い,獲やく龍顏に謁す。

 

 

(現代語訳)

家臣としてそのあまりの愚かさを知りました。家臣として萬死をお許しいただきました。

腰を曲げ、ひれ伏して御恩を告げられたのです。それで再び、この骨体を賜りました。

家臣たるわたくし()甫は誠心誠意忠義を尽くし貫き、そうでなければ即、死罪、有無言わせず死罪をうけます。

私はこの身が安史軍の賊の手に陥ったために、憤り惋んで病気にまでなりました。

実際に、そこより間道つたいに脱出して、ようやくご竜顔を拝することができました。

 

 

(訳注) (2)

知臣愚戇,赦臣萬死,

家臣としてそのあまりの愚かさを知りました。家臣として萬死をお許しいただきました。

○愚戇 愚戇なる人、愚も戇も、「おろか」、という意味ですが、この人は、止の行(修行)はしているけれども、おろかである為に矯言(誤魔化しの言葉)することさえできないのである。

 

曲居恩造,再賜骸骨。

腰を曲げ、ひれ伏して御恩を告げられたのです。それで再び、この骨体を賜りました。

 

臣甫誠頑誠蔽,死罪死罪。

家臣たるわたくし()甫は誠心誠意忠義を尽くし貫き、そうでなければ即、死罪、有無言わせず死罪をうけます。

 

臣以陷身賊庭,憤惋成疾,

私はこの身が安史軍の賊の手に陥ったために、憤り惋んで病気にまでなりました。

賊庭 蘆子関で安史軍の手に捕縛され長安に送られたこと。

 

實從間道,獲謁龍顏。

実際に、そこより間道つたいに脱出して、ようやくご竜顔を拝することができました。

龍顏 天子の顔。天顔。りょうがん。
黄河二首の背景 杜甫 

757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(4)》 杜甫 房琯関連 1-(4) 杜甫<1502-4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4360 杜甫詩1500-1502-4-1043/2500

このとき、私は青蒲(玉座の敷物)に伏して諌言し、天子の御椅子にすがりついて離れなかった。君が胡賊に辱しめられているというのに、どうしてわが命を惜しんでおれようか。天子は赫怒されたが、幸いにも私は死罪を免れることができた。

 
 2014年6月16日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
Index-28 《古風五十九首之十四》Index-28Ⅳ-3 749年天寶八年49歳526-#1古風,五十九首之十四胡關饒風沙, <Index-28> Ⅰ李白詩1162 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4358 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
403-12(5段の1) 《柳子厚墓誌銘(全六段)》韓愈(韓退之)ID 558Ⅱ唐宋八大家読本巻六<1075>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4359韓愈詩-403-12(5段の1) 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(4)》 杜甫 房琯関連 1-(4) 杜甫<1502-4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4360 杜甫詩1500-1502-4-1043/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor14-380《風流子三首其二》孫光憲(40)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-563-14-(380) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4362 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩 案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 

757
年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(4)》 杜甫index-14 764年 房琯関連 1-(4) 杜甫<1502-4>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4360 杜甫詩1500-1502-4-1043/2500

 

 

杜甫の上奏文を読んで粛宗は激怒した。激怒したのは奏文の内容のためでもあったろうが、さらに、その諌奏の態度があまりに執拗であったこととも関係があろう。杜甫がのちに襲州で詠んだ「壮遊」の詩には、この時の諌評に触れて、

 

「斯時伏青蒲,延爭守御床。  君辱敢愛死,赫怒幸無傷。」 

 

斯の時 青蒲に伏し、延爭して御牀を守る。

君辱しめらるるに敢えて死を愛しまんや、赫怒さるるも 幸いに傷なわるること無し。

 

「このとき、私は青蒲(玉座の敷物)に伏して諌言し、天子の御椅子にすがりついて離れなかった。君が胡賊に辱しめられているというのに、どうしてわが命を惜しんでおれようか。天子は赫怒されたが、幸いにも私は死罪を免れることができた」とあるように、その諌辞の態度はきわめて激しいものであったらしい。杜甫にしてみれば、国のため民のためには一命を惜しまぬ決意であったから、その激しさも当然のことであったろう。

 

粛宗は御史台・刑部・大理寺(いずれも司法機関)に命じて杜甫を弾劾裁判に付した。最悪の場合は死刑である。しかし、新任の宰相張鎬の「もし杜甫を罪に当てるようなことがあれは、今後、天子を諌める者はいなくなりましょう」という言葉によって、粛宗は仕方なく怒りを抑えた。張鏑から、このたびの件についてはお各めなし、という連絡を受けた杜甫は、粛宗に謝罪文を奉った。それを挙げると次のごとくである。

 

 

「房琯擁護事件」

奉謝口敕放三司推問狀

 

房琯関連1

奉謝口敕放三司推問狀

(1)

右。臣甫智識淺昧,向所論事,

右におります。臣下であります、わたくし()甫は勉強不足であることも顧みず、先に房琯について自己の主張の論をのべさせていただきました。

涉近激訐,違忤圣旨,

近場のことにわたって激しい直言を致したところ、聖天子の思いに決定的に逆らってしまいました。

既下有司,具已舉劾,

既に、司法機関の三司人にとり調べを受けかのです、三者が共に既に弾劾点を挙げられました。
某從自棄,就戮為幸。

どこぞの私めとしても自己を棄てることにより、たとえ殺されても喜んでうけるつもりで居ります。

今日已時,中書侍郎平章事張鎬奉宣口敕,宜放推問。

今日ただ今終ってしまうとしており、中書侍郎、平章事張鎬殿に宣口の敕を奉り,推問を宜放いたすところであります。

 (2)

知臣愚戇,赦臣萬死,

曲居恩造,再賜骸骨。

臣甫誠頑誠蔽,死罪死罪。

臣以陷身賊庭,憤惋成疾,

實從間道,獲謁龍顏。

(3)

猾逆未除,愁痛難過,

猥廁袞職,愿少裨補。

竊見房以宰相子,少自樹立,

晚為醇儒,有大臣體。

(4)

時論許必位至公輔,康濟元元。

陛下果委以樞密,眾望甚允。

觀之深念主憂,義形於色,

況畫一保泰,素所蓄積者已。

而性失於簡,酷嗜鼓琴。

(5)

董庭蘭今之琴工,游門下有日,

貧病之老,依倚為非,

之愛惜人情,一至於玷。

臣不自度量,嘆其功名未垂,

而志氣挫衄,覬望陛下棄細錄大,

所以冒死稱述,何思慮始竟,闕於再三。

(6)

陛下貸以仁慈,憐其懇到,

不書狂狷之罪,復解網羅之急,

是古之深容直臣、勸勉來者之意。

天下幸甚!天下幸甚!

豈小臣獨蒙全軀、就列待罪而已?

無任先懼後喜之至,謹詣閣門進狀奉謝以聞。謹進。

 

 

『奉謝口敕放三司推問狀』 現代語訳と訳註

(本文) (1)

右。臣甫智識淺昧,向所論事,

涉近激訐,違忤圣旨,

既下有司,具已舉劾,

某從自棄,就戮為幸。

今日已時,中書侍郎平章事張鎬奉宣口敕,宜放推問。

 

(下し文)

右、臣甫は、智識淺昧にして、向に論ずる所の事、

激訐【げきけつ】に渉近し、圣旨【せいし】に違忤【いご】す。

既に有司に下る,具に已に劾を舉ぐ,

某 自ら棄てて從り,戮に幸を為すに就く。

今日 已む時,中書侍郎 平章事 張鎬 宣口の敕を奉り,推問を宜放す。

 

 

(現代語訳)

右におります。臣下であります、わたくし()甫は勉強不足であることも顧みず、先に房琯について自己の主張の論をのべさせていただきました。

近場のことにわたって激しい直言を致したところ、聖天子の思いに決定的に逆らってしまいました。

既に、司法機関の三司人にとり調べを受けかのです、三者が共に既に弾劾点を挙げられました。
どこぞの私めとしても自己を棄てることにより、たとえ殺されても喜んでうけるつもりで居ります。

今日ただ今終ってしまうとしており、中書侍郎、平章事張鎬殿に宣口の敕を奉り,推問を宜放いたすところであります。

 

 

(訳注)

(1)

右。臣甫智識淺昧,向所論事,

右に降ります。臣下であります、わたくし()甫は勉強不足であることも顧みず、先に房琯について自己の主張の論をのべさせていただきました。

 

涉近激訐,違忤圣旨,

近場のことにわたって激しい直言を致したところ、聖天子の思いに決定的に逆らってしまいました。

違忤 【いご】さからうこと。

 

既下有司,具已舉劾,

既に、司法機関の三司人にとり調べを受けかのです、三者が共に既に弾劾点を挙げられました。

有司 三司、御史台・刑部・大理寺の司法機関に命じて杜甫を弾劾裁判に付した。韋陟・崔光遠・顔真卿の三人にとり調べを受ける。

 

某從自棄,就戮為幸。

どこぞの私めとしても自己を棄てることにより、たとえ殺されても喜んでうけるつもりで居ります。

 

今日已時,中書侍郎平章事張鎬奉宣口敕,宜放推問。

今日ただ今終ってしまうとしており、中書侍郎、平章事張鎬殿に宣口の敕を奉り,推問を宜放いたすところであります。
三者の思惑が合致 房琯・杜甫のグループは朝廷からはじき出されたのである。

757年至徳二載 《杜甫と房琯房琯関連 1-(3)》 杜甫index-14 764年房琯関連 1-(3) 杜甫<1601-3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4355 杜甫詩1500-1601-3-1042/2500

房琯や杜甫たちは玄宗の戦略(下記に示す7567,7568月)に固執していた。ところが、唐王朝軍は局地戦では勝つものの全面戦ではことごとく敗れた。兵法が古いのと経験不足が原因であった。哥舒翰の潼関の戦い、房琯の陳濤斜、青坂の戦いなど、大敗を喫している。そのため肅宗は国家財政が破たん寸前であるにもかかわらず、ウイグル、吐蕃に援軍を要請している。それは、唐軍の歩兵戦では百戦錬磨の安史軍の騎馬軍団に勝てないからである。ウイグルの騎馬軍団が援軍になって初めて対等に戦えはじめたのである。

759年至徳二載 《杜甫と房琯房琯関連 1-(3)》 杜甫index-14 764年房琯関連 1-(3) 杜甫<1601-3>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4355 杜甫詩1500-1601-3-1042/2500

 

 
 2014年6月15日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
13Index-32 《古風五十九首之十三》Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳581<Index-32> Ⅰ李白詩1161 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4353 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
403-11(4段の4) 《柳子厚墓誌銘(全六段)》韓愈(韓退之)ID 558Ⅱ唐宋八大家読本巻六<1074>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4354韓愈詩-403-11(4段の4) 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ757年至徳二載 《杜甫と房琯房琯関連 1-(3)》 杜甫index-14 764年房琯関連 1-(3) 杜甫<1601-3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4355 杜甫詩1500-1601-3-1042/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor14-379《風流子三首其一》孫光憲(39)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-562-14-(379) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4357 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩 案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

756年7月  玄宗・上皇が制を下す。

太子の亨を天下兵馬元帥に充て、朔方、河北、平盧節度都使として、 長安、洛陽を奪取させる

・御史中丞・裴冕は左庶子を兼務させる。

・隴西郡司馬・劉秩は試守右庶子とする。

永王・李璘山南東道・嶺南・黔中・江南西道節度都使とし、

・少府監・竇紹をこれの傅とし、 長沙太守李峴を都副大使とする。

盛王・李琦廣陵大都督に充て、領江南東路及び淮南・河南等路節度都使とし、

・前の江陵都督府長史・劉彙をこれの傅とし、

・廣陵郡長史・李成式を都副大使とする。

豊王・李珙を武威都督に充て、領河西・隴右・安西・北庭等路節度都使とし、

・隴西太守の済陰の鄧景山をこれの傅とし、都副大使とする。

これらの士馬、甲仗、兵糧や兵士への給料は、 全て各路にて工面せよ。その諸路の本の節度使・虢王巨らは、従来通り節度使とする。 官属及び本路の郡県官は各々で選び、奏聞せよ。」

   この時、李琦も李珙も共に閣を出ず、ただ李璘だけが鎮へ赴いた。

 ・山南東道節度使を設置し、襄陽等九郡を領有させる。

 ・五府経略使を嶺南節度へ昇格させ、南海等二十二郡を領有させる。

 ・五溪経略使を黔南節度へ昇格させ、 黔中等諸郡を領有させる。

 ・江南を東西二道へ分け、 東道は餘杭を西道は豫章等諸郡を領有させた。

黄河二首の背景 杜甫 

 

7568月  玄宗・上皇が制を下す。

――――――――――――――――――――

  癸未、上皇が制を下して、天下へ恩赦を下した。

   北海太守の賀蘭進明は録事参軍・第五琦を蜀へ派遣して、事を上奏した。 第五琦は上皇へ言った。

   「今の用兵は、財賦が急務ですが、財賦の多くは江、淮にて生産されます。 どうか臣へ一職をください。そうすれば、兵糧の欠乏を防いで見せます。」

   上皇は悦び、即座に第五琦を監察御史、江淮租庸使とした。

 

つまり、唐王朝は闘うお金がないのでそれぞれが調達して賄えということで、払われたのは、名誉と爵位であった。

 

 

杜甫にとって房琯は私的には地位の上下をぬきにしたつきあいをしていた人で「布衣の交わりを為す」(『新居書』杜甫伝)あるし、また公的には、新政府の中で、仁徳のある宰相として彼以上の人物はいないと信じていた。あとのものは、宦官との癒着、金権体質、根っからの武将であった。国の良い時期は仁徳の政治が行われているから、房琯が左遷されたのを、そのまま見過ごしておくことはできなかった。そう、して、朝廷内の宦官勢力の専横、賀蘭進明、第五琦、の癒着政治に反対し、また左拾遺としての慣例などおかまいなしにやむに已まれず過激に擁護の論を述べたてて、「罪は細なり。宜しく大臣を免ずべからず」(『新唐書』杜甫傳)理想に向かって突っ走ろうとする、いかにも杜甫らしい行動であった。

 

杜甫の上奏文を読んで粛宗は激怒した。激怒したのは奏文の内容のためでもあったろうが、さらに、その諌奏の態度があまりに執拗であったこととも関係があろう。杜甫がのちに夔州で詠んだ「壮遊」の詩には、この時の諌評に触れて、「このとき、私は青蒲(玉座の敷物)に伏して諌言し、天子の御椅子にすがりついて離れなかった。君が胡賊に辱しめられているというのに、どうしてわが命を惜しんでおれようか。天子は赫怒されたが、幸いにも私は死罪を免れることができた」とあるように、その諌辞の態度はきわめて激しいものであったらしい。杜甫にしてみれば、国のため民のためには一命を惜しまぬ決意であったから、その激しさも当然のことであったろう。

 

左拾遺に任じられた杜甫は、上疏して房琯を救おうとして粛宗の逆鱗に触れ、粛宗は詔によって三司に推問(取り調べ)を命じた。宰相張鏑の弁護により罪は免ぜられたが、翌年房琯が左遷されると、杜甫も房琯一派とみなされて、華州司功参軍に左遷された。杜甫が房靖を弁護して危うく罪に問われそうになり、やがて房璃一派として左遷されたこの一連の事件をここでは(房琯擁護事件)と呼ぶこととする。

 

三者の思惑が合致 房琯・杜甫のグループは朝廷からはじき出されたのである。

ではなぜ杜甫は房琯を弁護したのだろうか。

① 甫と房琯が以前から交友があったこと、高適、岑参、鄭虔らも同じグループである。基本に儒者たちであり、復古主義であった。

② 756年、7月に玄宗上皇が制を下されたものを忠実に守って闘いを進めようとするもの。

③ このままでは国家財政は破たんする。急騰するインフレーションは悪貨鋳造にある。④ 租庸を中間搾取、収奪が人民の生活を苦しめている。特に、関中近畿には租庸が治められない状況が続いている。第五琦・賀蘭進明の経済政策に問題がある。

⑤ 杜甫が任命された左拾遺は皇帝の過失を諌言する役目であり、着任早々の杜甫は使命感に燃え、また周囲の状況を知らなかったこと、

⑥ 房琯が宰相を罷免された理由が現実に直面している問題に比較してさほど重大でないと考えられること、などである。

ただ、これまでの学説では、①、⑤、⑥と杜甫の経済分析に全く理解をしていないものが多かった。この「房琯擁護事件」を理解するためには杜甫書き残したものを時系列を反対にして詠んでいくと実に明快に論点が見えてくるのである。

765年廣徳2

永泰元年765-855 《承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之一》(遠聞房太守) 杜甫index-15 765年 杜甫<855 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4220 杜甫詩1500-855-1015/250053

永泰元年765-97-7 《承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之二》 杜甫index-14 764年(丹旐飛飛日) 杜甫<856 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4225 杜甫詩1500-856-1016/250054

764年廣徳2

廣徳2年764-88 《別房太尉墓》 杜甫index-14 764年閬州<764 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4150 杜甫詩1500-764-1001/250052

763年廣徳元年

720 《陪王漢州留杜綿州泛房公西湖【案:房琯刺漢州時所鑿。】》 蜀中転々 杜甫 <627  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3445 杜甫詩1000-627-883/1500五言律詩

721 《舟前小鵝兒〔自注:漢州城西北角官池作,官池即房公湖。〕》 蜀中転々 杜甫 <628  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3450 杜甫詩1000-628-884/1500

722 《得房公池鵝》 蜀中転々 杜甫 <629  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3455 杜甫詩1000-629-885/1500

763年廣徳元年

763年廣徳元年1501 《祭故相國清河房公文-(1) 杜甫index-13 763年祭故相國清河房公文-(1) 杜甫<765 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4155 杜甫詩1500-765-1002/2500

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(2) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4160 杜甫詩1500-1501-2-1003/250054

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(3) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4165 杜甫詩1500-1501-3-1004/250055

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(4) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4170 杜甫詩1500-1501-4-1005/250056

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(5) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4175 杜甫詩1500-1501-5-1006/250057

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(6) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-6 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4180 杜甫詩1500-1501-6-1007/250058

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(7) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-7 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4185 杜甫詩1500-1501-7-1008/250059

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(8) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-8 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4190 杜甫詩1500-1501-8-1009/250060

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(9) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-9 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4195 杜甫詩1500-1501-9-1010/250064

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(10) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-10 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4200 杜甫詩1500-1501-10-1011/250065

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(11) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-11 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4205 杜甫詩1500-1501-11-1012/250066-#1

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(12) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-12 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4210 杜甫詩1500-1501-12-1013/250066-#2

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(13) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-13 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4215 杜甫詩1500-1501-13-1014/2500

 

759年乾元二載

新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1019 杜甫詩集700- 304 

新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1022 杜甫詩集700- 305

新安吏 杜甫 三吏三別詩<215>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1025 杜甫詩集700- 306

石壕吏 杜甫 三吏三別詩<216>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1028 杜甫詩集700- 307 

石壕吏 杜甫 三吏三別詩<216>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1031 杜甫詩集700- 308

石壕吏 杜甫 三吏三別詩<216>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1034 杜甫詩集700- 309 

潼関吏  杜甫 三吏三別詩<217>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1037 杜甫詩集700- 310

潼関吏  杜甫 三吏三別詩<217>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1040 杜甫詩集700- 311

新婚別  杜甫 三吏三別詩<218>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1043 杜甫詩集700- 312

新婚別 杜甫 三吏三別詩 <218>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1046 杜甫詩集700- 313

新婚別 杜甫 三吏三別詩 <218>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1049 杜甫詩集700- 314

無家別 杜甫 三吏三別詩 <219>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1052 杜甫詩集700- 315 

無家別 杜甫 三吏三別詩 <219>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1055 杜甫詩集700- 316 

無家別 杜甫 三吏三別詩 <219>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1058 杜甫詩集700- 317 

垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1061 杜甫詩集700- 318

垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1064 杜甫詩集700- 319

垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1067 杜甫詩集700- 320

 

758年乾元元載

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首Q-1 -(1) 杜甫index-14 764年(1)Q-1-#1 杜甫<765 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4230 杜甫詩1500-765-1017/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (2) Q-1-#2 杜甫<766 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4235 杜甫詩1500-766-1018/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (3) Q-1-#3 杜甫index-14 764年 (3) Q-1-#3 杜甫<767 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4240 杜甫詩1500-767-1019/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (4) Q-2-#1 杜甫index-14 764年 (4) Q-2-#1 杜甫<768 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4245 杜甫詩1500-768-1020/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (5) Q-2-#2 杜甫index-14 764年 (5) Q-2-#2 杜甫<769 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4250 杜甫詩1500-769-1021/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (6) Q-2-#3 杜甫index-14 764年 (6) Q-2-#3 杜甫<770 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4255 杜甫詩1500-770-1022/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (7) Q-3-#1 杜甫index-14 764年 (7) Q-3-#1 杜甫<771 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4260 杜甫詩1500-771-1023/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (8) Q-3-#2 杜甫index-14 764年 (8) Q-3-#2 杜甫<772 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4265 杜甫詩1500-772-1024/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (9) Q-3-#3 杜甫index-14 764年 (9) Q-3-#3 杜甫<773 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4270 杜甫詩1500-773-1025/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (10) Q-3-#4 杜甫index-14 764年 (10) Q-3-#4 杜甫<774 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4275 杜甫詩1500-774-1026/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (11) Q-4-#1 杜甫index-14 764年 (11) Q-4-#1 杜甫<775 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4280 杜甫詩1500-775-1027/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (12) Q-4-#2 杜甫index-14 764年 (12) Q-4-#2 杜甫<776 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4285 杜甫詩1500-776-1028/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (13) Q-4-#3 杜甫index-14 764年 (13) Q-4-#3 杜甫<777 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4290 杜甫詩1500-777-1029/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (14) Q-5-#1 杜甫index-14 764年 (14) Q-5-#1 杜甫<778 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4295 杜甫詩1500-778-1030/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (15) Q-5-#2 杜甫index-14 764年 (15) Q-5-#2 杜甫<779 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4300 杜甫詩1500-779-1031/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (16) Q-5-#3 杜甫index-14 764年 (16) Q-5-#3 杜甫<1509-16 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4305 杜甫詩1500-1509-16-1032/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (17) Q-5-#4 杜甫index-14 764年 (17) Q-5-#4 杜甫<1509-17 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4310 杜甫詩1500-1509-17-1033/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (18) Q-5-#5 杜甫 <1509-18 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4315 杜甫詩1500-1509-18-1034/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (19) Q-5-#6 杜甫index-14 764年 (19) Q-5-#6 杜甫<1509-19 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4320 杜甫詩1500-1509-19-1035/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (20) Q-5-#7》杜甫<1509-20 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4325 杜甫詩1500-1509-20-1036/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (21) Q-5-#8 杜甫<1509-21 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4330 杜甫詩1500-1509-21-1037/2500index-21

乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (22) Q-5-#9》 杜甫index-14 764 (22) Q-5-#9 杜甫<1509-22> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4335 杜甫詩1500-1509-22-1038/2500index-21

757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首 (23) 全体》 杜甫index-14 764 (23) 全体 杜甫<1509-23> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340 杜甫詩1500-1509-23-1039/2500

 

757年至徳二載

奉謝口敕放三司推問狀 〔この項で次回から連載〕

 

①を理由としているのは主に『舊唐書』杜甫伝・『新唐書』杜甫伝である。

 

房琯布衣の時甫と善し。時に琯宰相為り。自ら師を帥ゐて賊を討たんことを講ひ、帝之を許す。其の年十月、房琯の陳濤斜に敗る。明年春、瑞相を罷む。甫上疏して琯の才有りて、宜しく罷免すべからざるを言ふ。粛宗怒り、瑞を乾して刺史と為し、甫を出して華州司功参軍と為す(『書庫書』巻一百九十下、杜甫伝)。

甫,字子美,少不自振,客吴越、斉越間。李邕奇其材,先往之。士不中第,困長安。

 

天宝十三,玄宗朝献太清及郊,甫奏三篇。帝奇之,使待制集院,命宰相文章,擢河西尉,不拜,改右率府胄曹参。数上賦頌,因高自称道,且言:“先臣恕、以来,承儒守官十一世,迨言,以文章中宗時。臣頼緒業,自七属辞,且四十年,然衣不蓋体,常寄食于人,窃恐死溝壑,伏惟天子哀怜之。若令先臣故事,拔泥涂之久辱,臣之述作不足鼓吹《六》,至沈郁挫,随雄、枚皋可企及也。有臣如此,陛下其忍弃之?”

 

会禄山乱,天子入蜀,甫避走三川。粛宗立,自鄜州羸服欲奔行在,爲賦所得。至德二年,亡走鳳翔上,拜右拾遺。与房琯布衣交,琯時敗陳涛斜,又以客董庭蘭宰相。甫上疏言:“罪,不宜免大臣。”帝怒,三司親問。宰相曰:“甫若抵罪,言者路。”帝乃解。甫,且称:“琯宰相子,少自醇儒,有大臣体,時論許琯才堪公,陛下果委而相之。其深念主形于色,然性失于。酷嗜鼓琴,庭托琯下,疾昏老,依倚非,琯惜人情,一至玷。臣其功名未就,志气挫衄,陛下弃细录大,所以冒死称述,涉近激,忤圣心。陛下赦臣百死,再骸骨,天下之幸,非臣独蒙。”然帝自是不甚省

 

所在寇,甫家寓鄜,弥年艰窭,孺弱至饿死,因甫自往省。从,出为华州司功参。关辅饥弃官去,客秦州,薪采橡栗自。流落南,结庐成都西郭。召京兆功曹参,不至。会、西川,往依焉。武再帅剑南,表校工部外郎。武以世旧,待甫甚善,至其家。甫之,或不巾,而性褊躁傲醉登武床,瞪曰:“挺之乃有此儿!”武亦暴猛,外若不忤,中之。一日欲甫及梓州刺史章彝,集吏于。武将出,冠于帘三,左右白其母,奔救得止,独彝。武卒,崔旰等乱,甫往来梓、夔

 

中,出瞿唐,下江陵,溯沅、湘以登衡山,因客耒阳。游岳祠,大水遽至,涉旬不得食,令具舟迎之,乃得。令尝馈牛炙白酒,大醉,一昔卒,年五十九。

拜右拾遺。房琯罷相。甫上疏言琯有才,不宜罷免。肅宗怒,貶琯為刺史,出甫為華州司功參軍。

房琯布衣時善甫。時爲琯宰相。

 

粛宗は御史台・刑部・大理寺(いずれも司法機関)に命じて杜甫を弾劾裁判に付した。最悪の場合は死刑である。しかし、新任の宰相張鏑の「もし杜甫を罪に当てるようなことがあれは、今後、天子を諌める者はいなくなりましょう」という言葉によって、粛宗は仕方なく怒りを抑えた。張鏑から、このたびの件についてはお各めなし、という連絡を受けた杜甫は、粛宗に謝罪文を奉った。それを挙げると次のごとくである。
(つづく)

757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(4)》 杜甫 房琯関連 1-(4) 杜甫<1502-4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4360 杜甫詩1500-1502-4-1043/2500
757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(5)》 杜甫 房琯関連 1-(5) 杜甫<1502-5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4365 杜甫詩1500-1502-5-1044/2500
757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(6)》 杜甫index-14 764年 房琯関連 1-(6) 杜甫<1502-6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4370 杜甫詩1500-1502-6-1045/2500
757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(7)》 杜甫index-14 764年 房琯関連 1-(7) 杜甫<1502-7> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4375 杜甫詩1500-1502-7-1046/2500
757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(8)》 杜甫index-14 764年 房琯関連 1-(8) 杜甫<1502-8> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4380 杜甫詩1500-1502-8-1047/2500
758年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(9)》 杜甫index-14 764年 房琯関連 1-(9) 杜甫<1502-9> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4385 杜甫詩1500-1502-9-1048/2500

757年至徳二載 《杜甫と房琯 房琯関連 1-(2)》 杜甫index-5 756年 房琯関連 1-(2) 杜甫<1601-2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4350 杜甫詩1500-1601-2-1041/2500

757年至徳二載 《杜甫と房琯 房琯関連 1-(2)》 杜甫index-5 756年 房琯関連 1-(2) 杜甫<1601-2>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4350 杜甫詩1500-1601-2-1041/2500

 

 
 2014年6月14日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
Index-22 《古風五十九首之十二》Ⅲ―2-741年269天寶二年43歳269Ⅰ李白詩1160 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4348 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
403-10(4段の3) 《柳子厚墓誌銘(全六段)》韓愈(韓退之)ID 558Ⅱ唐宋八大家読本巻六<1073>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4349韓愈詩-403-10(4段の3) 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ757年至徳二載 《杜甫と房琯 房琯関連 1-(2)》 杜甫index-5 756年 房琯関連 1-(2) 杜甫<1601-2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4350 杜甫詩1500-1601-2-1041/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor14-378《女冠子二首其二》孫光憲(38)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-561-14-(378) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4352 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩 案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

ところで胡賊は、長安・洛陽の両都を抑えてはいるものの、しだいに内部崩壊が進んでいた。すなわち757年、この年の一月初め、安禄山は洛陽において、重臣の厳荘にそそのかされた息子の安慶緒に殺されてしまい、動揺した安史軍は、分裂のきざしが見えていた。一方、粛宗は、この事態に乗じてさらに南下し、長安の西約二〇〇キロメートルの所にある鳳翔に行在を進めた。このような情勢のもと、洛陽に止められていた官吏たちはひそかに長安に帰ってくる者がふえ、また長安からは脱走して鳳翔に向かう官吏が続出した。

 

 

杜甫の親友である鄭虔も、安史軍に捕らえられ、脅迫されて偽政府の水部郎中に任じられていたが、このころひそかに長安に逃げ帰った。そうして杜甫と再会し、互いにその無事を喜びあい、久しぶりに杯を交わしている。鄭虔との再会を喜びながら、杜甫の心の中には長安脱出の決心が固まりつつあった。そうして四月に入ってのある日、長安西城の金光門から鳳翔に向かって脱出した。一説によれは、脱出の前に、朱雀街の南の懐遠坊にある大雲経寺に僧の賛公を訪れて決意を打ち明け、そこに数日間滞在して安史軍の目をくらましたともいう。

大雲寺贊公房四首其一

心在水精域,衣沾春雨時。

洞門盡徐步,深院果幽期。』

到扉開複閉,撞鐘齋及茲。

醍醐長發性,飲食過扶衰。

把臂有多日,開懷無愧辭。』

黃鸝度結構,紫鴿下罘

愚意會所適,花邊行自遲。

湯休起我病,微笑索題詩。』

大雲寺公房 四首 其一#1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 164

大雲寺贊公房 四首 其一# 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 165

其二
細軟青絲履,光明白氎巾。
深藏供老宿,取用及吾身。
自顧轉無趣,交情何尚新。
道林才不世,惠遠得過人。
雨瀉暮簷竹,風吹春井芹。
天陰對圖畫,最覺潤龍鱗。

大雲寺贊公房 四首 其二 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ  166

其三

燈影照無睡,心清聞妙香。

夜深殿突兀,風動金瑯璫。

天黑閉春院,地清棲暗芳。

玉繩迥斷,鐵鳳森翔。

梵放時出寺,鐘殘仍殷床。

明朝在沃野,苦見塵沙黃。』

大雲寺贊公 四首 其三 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ  167

大雲寺贊公房 四首 其四

童兒汲井華,慣捷瓶手在。

沾灑不濡地,掃除似無帚。

明霞爛複閣,霽霧搴高牖。

側塞被徑花,飄搖委墀柳。

艱難世事迫,隱遁佳期後。

晤語契深心,那能總鉗口?

奉辭還杖策,暫別終回首。

泱泱泥汙人,狺狺國多狗。

既未免羈絆,時來憩奔走。

近公如白雪,執熱煩何有?

大雲寺贊公房 四首 其四 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 168

大雲寺贊房 四首 其四 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 168

時に安史軍将の安守忠と李帰仁は、河東から軍を進めて、長安の西郊の清渠あたりに陣を布いており、郭子儀に率いられて橘橋を守る官軍と対時していた。杜甫はその間を、間道ぞいに必死の思いで進んだのであろう。そのときの様子は「行在所に達するを喜ぶ三首」の中に述べられている。

自京竄至鳳翔達連行在所三首 

喜達行在所三首 其一

西憶岐陽信,無人遂卻回。眼穿當落日,心死著寒灰。

霧樹行相引,連山望忽開。所親驚老瘦,辛苦賊中來。

自京竄至鳳翔達連在所 三首其一杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 

其二

愁思胡笳夕,淒涼漢苑春。生還今日事,間道暫時人。

司隸章初睹,南陽氣已新。喜心翻倒極,鳴咽淚沾巾。

自京竄至鳳翔達連行在所 三首其二杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 

其三

死去憑誰報,歸來始自憐。猶瞻太白雪,喜遇武功天。

影靜千官裡,心蘇七校前。今朝漢社稷,新數中興年。

自京竄至鳳翔達連行在所 三首其三杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ

 

鳳翔の行在にようやくたどりついた杜甫は五月十六日に左拾遺の官を授けられた。左拾遺ほは、天子の側近にあって、天子が政治上「通れ」残したことがらを「拾い」上げて知らせる、いわゆる諫官である。

 

黄河二首の背景 杜甫中国における政治の中枢は、中書省・門下省・尚書省の三省にあり、中書省で政策の立案、詔勅の起草がなされ、門下省で詔勅の内容の吟味が行なわれ、尚書省で詔勅が施行される。尚書省には吏部(官吏の選授・勲封)・戸部(戸籍・年貢)・礼部(礼儀・祠祭)・兵部(軍衛・武官の選授)・刑部(刑罰)・工部(百工・屯田・山沢・水利)の六部が置かれ、それぞれの政務を担当していた。杜甫の授かった左拾遺の官は門下省に属しており、長官の侍中(正三品)以下、左散騎常侍(従三品)、黄門侍郎(正四品上)、給事中(正五品上)と続く、その末端に置かれていて、位は従八品上であった。しかし、杜甫にとってほはじめての天子直属の官であり、その「述懐」(懐いを述ぶる)詩に、おも「洗涙して拾遺を授かり、流離して主恩は厚し」と詠っているように、感涙にむせびつつ左拾遺を授かっている。

それまで、杜甫が任命されようとした「河西の尉」は地方官で、天子の側に近寄ることなど夢にも考えられなかったし、次に就任した右衛率府兵曹参軍は東宮の職員であり、国政とは関わりのないものであった。今や杜甫は、天子の側近にあって国政に直接関わることのできる地位に就くことができたのである。

今こそ「君を尭・舜の上に致し、再び風俗をして淳からしめん」(「葦左丞丈に贈り奉る」二十二韻)という年来の志を果たすことができようと、杜甫は身の引き締まる思いをしながらも、心からうれしかったにちがいない。その左拾遺に任ずる詔書には、「襄陽杜甫,爾之才德,朕深知之。今特命為宣義郎行在左拾遺。授職之後,宜勤是職,毋怠。 命中書侍郎張鎬齎符告諭。至徳二載五月十六日行。」

襄陽の杜甫、爾の才徳は、朕深く之を知る。今、特に命じて宜義郎・行在の左拾遺と為す。

職を授けし後は、宜しく是の職に勤めて怠ること母かるべし。中書侍郎の張鎬に命じ、符を齎して告諭せしむ。至徳二載五月十六日行。

とあり、杜甫は「宜しく是の職に勤めて怠ることなかるべき」ことを誓った。

三者の思惑が合致 

そうして数日ののち、拾遺の職務に忠実に諌辞を行なったが、粛宗の激怒によって危うく一命を失いそうになる。諌評の内容は、杜甫が左拾遺を授けられる六日前、すなわち五月十日に宰相から太子少師の閑職に左遷された房棺の弁護であった。房琯は、蜀の玄宗のもとから派遣され霊武に赴いた際、粛宗の政府の宰相となっていたが、陳陶斜と青坂での敗戦の責任は、粛宗の信任あつい李泌のとりなしによってなんとか問われなかったものの、粛宗の信頼は失われてしまっていた。また、賀蘭進明・雀円ら粛宗直属の臣と、玄宗のもとから遣わされてきた者との対立、知識人宰相として実務家官僚たちと意見が合わずこりつしていた、などという事情を背景とし、直接には、房琯の取り巻きの一人である楽師が宰相への口利き料を取っていたのが露見して収賄罪で告訴され、それを房琯が救けようとした、ということが原因となって左遷されたものであった。

 

ではなぜ杜甫は房琯を弁護したのだろうか。

① 甫と房琯が以前から交友があったこと、高適、岑参、鄭虔らも同じグループである。基本に儒者たちであり、復古主義であった。

② 756年、7月に玄宗上皇が制を下されたものを忠実に守って闘いを進めようとするもの。

③ 杜甫が任命された左拾遺は皇帝の過失を諌言する役目であり、着任早々の杜甫は使命感に燃え、また周囲の状況を知らなかったこと、

④ 房琯が宰相を罷免された理由が杜甫にはさほど重大でないと考えられたこと、などがこれまで指摘されてきた。①を理由としているのは主に『舊唐書』杜甫伝・『新唐書』杜甫伝である。

756年至徳元から二載 《杜甫と房琯房琯関連 1-(1)》 杜甫index-5 756年房琯関連 1-(1) 杜甫<1601-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4345 杜甫詩1500-1601-1-1040/2500

757年至徳二載四月、安緑山の乱のさなか、長安で虜囚となって軟禁されていた杜甫は、安史軍の目を盗んで脱出した。間道を抜けて、鳳翔の行在所に駆けつけた。命がけであった。安史軍支配地から鳳翔行在所へ逃げのびて來る者たちは多かった。


 
 2014年6月13日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
Index-20 《古風五十九首之十一》Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳237古風,五十九首之十齊有倜儻生, <Index-20> Ⅰ李白詩1159 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4343 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
403-9(4段の2) 《柳子厚墓誌銘(全六段)》韓愈(韓退之)ID 558Ⅱ唐宋八大家読本巻六<1072>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4344韓愈詩-403-9(4段の2) 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ756年至徳元から二載 《杜甫と房琯房琯関連 1-(1)》 杜甫index-5 756年房琯関連 1-(1) 杜甫<1601-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4345 杜甫詩1500-1601-1-1040/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor14-377《女冠子二首其一》孫光憲(37)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-560-14-(377) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4347 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩 案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 

756年至徳元から二載 《杜甫と房琯房琯関連 1-(1)》 杜甫index-5 756年房琯関連 1-(1) 杜甫<1601-1>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4345 杜甫詩1500-1601-1-1040/2500


 

 

自京竄至鳳翔達連行在所 三首其一杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 

自京竄至鳳翔達連行在所 三首其二杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 

自京竄至鳳翔達連行在所 三首其三杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ

 

その功によって五月十六日、左拾遺の官を授けられる。

 

これに先立つ五月十日には宰相房琯が罷免されていた。

 

 

左拾遺に任じられた杜甫は、上疏して房琯を救おうとして粛宗の逆鱗に触れ、粛宗は詔によって三司に推問(取り調べ)を命じた。宰相張鏑の弁護により罪は免ぜられたが、翌年房琯が左遷されると、杜甫も房琯一派とみなされて、華州司功参軍に左遷された。杜甫が房靖を弁護して危うく罪に問われそうになり、やがて房璃一派として左遷されたこの一連の事件をここでは(房琯擁護事件)と呼ぶこととする。

 

ではなぜ杜甫は房琯を弁護したのだろうか。

それは、75810月に杜甫が『乾元元年華州試進士策問五首』試験問題を作成しているがこの中に見事に示しているがここまでの房琯についてのべてみる。

 

7567月霊武に到着行在所とする。

756年7月  玄宗・上皇が制を下す。

太子の亨を天下兵馬元帥に充て、朔方、河北、平盧節度都使として、 長安、洛陽を奪取させる

・御史中丞・裴冕は左庶子を兼務させる。

・隴西郡司馬・劉秩は試守右庶子とする。

永王・李璘山南東道・嶺南・黔中・江南西道節度都使とし、

・少府監・竇紹をこれの傅とし、 長沙太守李峴を都副大使とする。

盛王・李琦廣陵大都督に充て、領江南東路及び淮南・河南等路節度都使とし、

・前の江陵都督府長史・劉彙をこれの傅とし、

・廣陵郡長史・李成式を都副大使とする。

豊王・李珙を武威都督に充て、領河西・隴右・安西・北庭等路節度都使とし、

・隴西太守の済陰の鄧景山をこれの傅とし、都副大使とする。

これらの士馬、甲仗、兵糧や兵士への給料は、 全て各路にて工面せよ。その諸路の本の節度使・虢王巨らは、従来通り節度使とする。 官属及び本路の郡県官は各々で選び、奏聞せよ。」

   この時、李琦も李珙も共に閣を出ず、ただ李璘だけが鎮へ赴いた。

 ・山南東道節度使を設置し、襄陽等九郡を領有させる。

 ・五府経略使を嶺南節度へ昇格させ、南海等二十二郡を領有させる。

 ・五溪経略使を黔南節度へ昇格させ、 黔中等諸郡を領有させる。

 ・江南を東西二道へ分け、 東道は餘杭を西道は豫章等諸郡を領有させた。

 

 

7568月  玄宗・上皇が制を下す。

 

癸未、上皇が制を下して、天下へ恩赦を下した。

北海太守の賀蘭進明は録事参軍・第五琦を蜀へ派遣して、事を上奏した。7月の“すべて各自で工面して戦力を整えよ”にこたえ「今用兵するには、財賦が急務で、財賦の多くは江、淮にて生産されます。 ここで、兵糧の欠乏を防ぐことができます。」 上皇は、即座に第五琦を監察御史、江淮租庸使とした。

 

霊武にいた粛宗は、「16相」を決め、多くの事項を合議に書けた。やがて霊武を出発、南下を始めて順化に向かう。

肅宗の宰相十六人 韋見素・崔圓・房琯・裴冕・崔渙・李麟・苗晉卿・張鎬・王璵・呂・李峴・第五琦・李揆・蕭華・裴遵慶・元載。

654 《述古,三首之二》 蜀中転々 杜甫 <559  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3025 杜甫詩1000-559-799/1500

 

7569月 安史軍快進撃。

黄河二首の背景 杜甫

至徳元年(756)―――9月―――――――――――――――――

丙子、粛宗皇帝は順化へ到着した。

韋見素らが成都から来て、粛宗皇帝へ上皇の寶冊を献上する。粛宗皇帝は、固辞して「これは、中原が戦乱に巻き込まれたので、百官を統率するための処置だ。危難に乗じて即位するようなことはしない!」  群臣も固く請うたが、粛宗皇帝は許さない。寶冊は別殿へ、 定められた礼で朝夕拝礼する。

 韋見素はもともと楊国忠へ諂っていたので、粛宗皇帝は、彼を蔑視していた。 対して房琯の名声をもともと耳にしていたので、粛宗皇帝は虚心に彼を待った。 房琯は粛宗皇帝へ謁見すると時事を語った。その有様が悲憤慷慨していた為、 粛宗皇帝は居住まいを改めた。これによって、軍国の事の多くは房琯と謀った。 房琯もまた、天下を自分の仕事と思い、 知りて行わないことはなく、諸相は、手を拱ねいているだけだった。

房琯と賀蘭進明・第五琦らとは安史の乱以前、李林甫が宰相であった頃からことごとく反発し合っていた。

 

霊武にいた粛宗は、さらに南下を始めて彰原(甘粛省寧県)に行在所を移し、長安奪回の機をうかがう。

 

そうして十月、「房琯は口先だけの男」賀蘭進明・第五琦らに照って口撃されていたこともあって房琯は、自ら兵を率いて両京を回復することを上疏した。 粛宗皇帝はこれを許し、房琯は、自ら参佐を選ぶことを請い、御史中丞・鄧景山を副、戸部侍郎・李揖を 行軍司馬、給事中・劉秩を参謀とした。出発した後、また、兵部尚書・王思禮を副とした。この二人は書生で軍事は素人であった。

房琯は、全隊を三軍に分けた。

裨将・楊希文は南軍を率いて宜寿から入り、

劉貴哲は中軍を率いて武功から入り、

李光進は北軍を率いて奉天から入った。

賀蘭進明を河南節度使とした。

東方では安史軍の令狐潮、王福徳が歩騎万余を率いて、また雍丘を攻めた。 張巡は出撃し、これを大いに破って数千級の首を斬る。安史軍は逃げ去った。

三者の思惑が合致 房琯・杜甫のグループは朝廷からはじき出されたのである。

 房琯は渭水北岸道路沿いに勧める中軍戦車隊、奉天から東南に進む北軍を前鋒とした。

十月二十一日、二軍は咸陽の陳濤斜にて安史軍の将・安守忠と遭遇した。房琯は、古法に倣って車戦を用い、牛車二千乗を馬歩が挟むような陣立てをした。 安史軍は、順風に乗って軍鼓を打ち鳴らす。牛は皆、震え上がった。そこで燕軍は火を放ったので、 人畜共に大いに乱れた。官軍の死傷者は四万余人。生存者は数千人だけだった。 悲陳陶 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 152陳陶を悲しむ)は、その敗軍を痛んだ詩である。

『悲陳陶』 

孟冬十郡良家子、血作陳陶沢中水。

野曠天清無戦声、四万義軍同日死。

群胡帰来血洗箭、仍唱胡歌飲都市。

都人廻面向北啼、日夜更望官軍至。

陳陶を悲しむ)孟冬(もうとう)  十郡の良家(りょうか)の子()、血は陳陶(ちんとう)沢中(たくちゅう)の水と作()る。

()(むな)しく天清くして戦声(せんせい)無し、四万の義軍  同日に死す。群胡(ぐんこ)帰り来たって血もて箭()を洗い、仍()お胡歌(こか)を唱(うた)って都市に飲む。都人  面(かお)を廻(めぐ)らして北に向かって啼き、日夜  更に官軍の至るを望む。

冬の初めの月に凡そ十郡の良家出身の兵卒たちで構成されたものだった。しかし彼等の血は流れて陳陶の沢の水となってしまったのだ。

死の後には戦場の野原はむなしくひろい、空も青々として寂しい、さらに戦の声はまったくしないのだ。あれだけの兵士、四万という忠義の兵士がたった一日のうちで死んだのである。

勝ちほこった異民族の入り混じった叛乱軍の兵士どもはもどって来て血の箭をあらい流した。そして、そのまま異民族の歌を唱えながら、長安の繁華街で酒を飲んでいるのである。

都の人たちは之を見て面をそむけて北方に向いて啼いたのだ、昼となく夜となく王朝の官軍が到著してくれればよいとみんなが望んでいるのである。

ついで二十三日、態勢を立て直し房琯は自ら渭水南ルートの南軍を率いて青坂で戦ったが、ここでも敗れた。 楊希文、劉貴哲は共に賊へ降伏した。悲青坂 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 153

咸陽の東門ちかく青坂があった。房琯率いる王朝軍は至徳元載十月。五行思想での日にち計算により、辛丑:9日目、癸卯:11日目、たった11日間で敗れたのである。兵力の多さ、儒者で古式戦法の教条的な採用により、歩兵戦での兵量を過信した幼稚な作戦面で失敗である。

1021日、の青坂で敗れたことを悲しんで作る。杜甫は房琯が霊武、順化、彭原で賀蘭進明、第五琦、宦官らに追い詰められ、自らこの戦を買って出るよう仕向けられてことは全く知らない。ただ詩の内容から、房琯率いる軍であることは泯指揮していたようだ。

悲青坂   

我軍青坂在東門、天寒飲馬太白窟。

黄頭奚児日向西、数騎彎弓敢馳突。

山雪河冰野蕭瑟、青是烽煙白人骨。

焉得付書与我軍、忍待明年莫倉卒。

 (青坂を悲しむ)

我れ青坂(せいはん)に軍して東に門在り、天寒くして馬に飲(みずか)う太白の窟(いわや)

黄頭(こうとう)の奚児(けいじ)  日に西に向かう、数騎 弓を彎()いて敢(あえ)て馳突(ちとつ)す。

山雪  河冰 野に蕭瑟(しょうしつ)たり、青(せい)は是れ烽煙(ほうえん) 白は人骨。

(いずくん)ぞ書を付して我が軍に与え、忍んで明年を待って倉卒(そうそつ)なる莫かれと言い得む。

咸陽の東門外にある青坂の地での戦いの詩

我が王朝軍は咸陽の東門ちかく青坂に陣取っている。この冬の寒空に太白山の窟に馬に水かい、西の峻山道から進んできたのだ。

安禄山軍の黄頭の異民族の帽子の奚部族と漢民族の兵士等は勝ちに乗じて毎日だんだんと西へ向ってくる。それをいまいましがって味方(官軍)の二三騎が弓をひいてむりに馳せて突出してみるのだが、大勢的に劣勢で敗軍でどうにもならないのだ。

山には雪がふり河には冰がはり、原野は風が簫の笛や瑟琴のようにさびしく吹いていて、青くみえるのはのろし火の煙であり、白くみえるのは大殺戮による屍が、おびただしい数であった、今むりに戦をしても仕方がないというものなのだ。

どうしたら、我が王朝の軍隊へ手紙をとどけ与えて「我慢して明年を待て、今は戦力を整えるのだ、そうしてあわてて軍をしかけてはならないのだ」と言ってやることができるだろうか。

 

 粛宗皇帝は房琯の敗北を聞いて大いに怒った。だが、李泌が取りなしたので、 怒りもどうにか収まり、房琯とは従来通り接した。

官軍放る・の知らせは、官軍が長安の西に近づいていることを聞き、その勝利の報を心待ちにしていた長安の市民を落胆させたこと、いうまでもない。

次の「雪に対す」の詩は、官軍大敗の重苦しい気分のうちにあって、雪の舞う冬の夕暮れに作られたもので、食糧は乏しく、もちろん酒などはない、困窮した暮らしの中での落ちこんだ思いを詠んでいる。対雪 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 154

『対雪』

戦哭多新鬼、愁吟独老翁。

乱雲低薄暮、急雪舞廻風。

瓢棄樽無、炉存火似紅。

数州消息断、愁坐正書空。

(雪に対す)

戦哭【せんこく】  新鬼(しんき)多く、愁吟【しゅうぎん】  独り老翁。

乱雲 薄暮に低【た】れ、急雪( 廻風に舞う。

瓢【ひょう】棄てられて 樽【たる】に【ろく】無く、炉 存して  火は紅に似たり。

数州 消息断たれ、愁え 坐して 正に空に書す。

至るところが戦場で、そこでの号泣がひびきわたる、それは多くの新しい戦死者の声である。その声を聞きつつ愁えて吟じるものはただ一人、筋を通し生き抜いてきた初老のわたしである。

それなのに乱れた雲、崩れた王朝にたそがれが低くたれさがるのである。そこに急にふりそそいできた雪が吹き、風につれて舞いくるうように、異民族たちが街を覆うのである。

清酒を飲むため、自然その酒を小出しにする瓢もなげすてられている、樽盃には清酒の透き通った色が無くなってしまった。談義ができるわけもないのに炉のみは消えずにいて火が紅色を呈している。

天下九州の内二三の州は叛乱軍の手にでも落ちたものかどうか消息がとだえている。それがため自分は愁えた気持ちで座敷に座り、ちょうど殷浩の様に手で空中に文字を書いて不安な気持ちを抑えるのだ。

 

<!--[if !vml]-->

房琯は全隊を三軍にわけた

 

757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首 (23) 全体》 杜甫<1509-T> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340 杜甫詩1500/2500

杜甫が房琯を擁護発言をしたその理由が明確に述べられた唯一の論文である。当時の経済政策、第五琦、賀蘭進明の主張した租庸調政策、惡貨多量鋳造の結果インフレーションが激しくなり、加えて飢饉には人民を苦しめた。同じ時期の『三吏三別』と一緒に読まれることをお勧めする。 

 
 2014年6月12日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
Index-20 《古風五十九首之十》Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳237古風,五十九首之十齊有倜儻生, <Index-20> Ⅰ李白詩1158 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4338 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
403-8(4段の1) 《柳子厚墓誌銘(全六段)》韓愈(韓退之)ID 558Ⅱ唐宋八大家読本巻六<1071>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4339韓愈詩-403-8(4段の1) 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首 (23) 全体》 杜甫<1509-T> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340 杜甫詩1500/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor14-376《更漏子二首其二》孫光憲(36)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-559-14-(376) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4342 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩 案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 

乾元元年華州試進士策問五首 (まとめ)

 

続きを読む

乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (22) Q-5-#9》 杜甫<1509-22> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4335 杜甫詩1500-1509-22-1038/2500index-21

いやしくも凶作や豊作が対策もないままに極点に達し、穀物価格の貴賤が統制を失っているのが、今の現状である。漢の田千秋のように大抜擢をして丞相に封じても、民衆は困苦するだろうし、大農令を諸侯にしてもどうすることもなっていない。(穀物価格の急騰を抑える政策をとる必要があることをいう。そしてここには、第五琦を大抜擢して宰相にしたが、租庸調の国家収縫う葉支出とのバランスを崩し、貨幣の乱造はインフレに、塩の専売は人民苦になった大失敗である。なぜ房琯の主張をとりいれなかったのか、という主張が隠されている)


 
 2014年6月11日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
Index-24 《古風五十九首之九》Index-24Ⅲ-2 745年天寶四年45歳419古風,五十九首之九莊周夢蝴蝶, <Index-24> Ⅰ李白詩1157 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4333 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
403-7(3段の2) 《柳子厚墓誌銘(全六段)》韓愈(韓退之)ID 558Ⅱ唐宋八大家読本巻六<1070>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4334韓愈詩-403-7(3段の2) 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (22) Q-5-#9》 杜甫<1509-22> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4335 杜甫詩1500-1509-22-1038/2500index-21 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor14-375《更漏子二首其一》孫光憲(35)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-558-14-(375) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4337 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩 案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 

乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (22) Q-5-#9》 杜甫<1509-22> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4335 杜甫詩1500-1509-22-1038/2500index-21





Q-5

問:昔唐堯之為君也,則天之大,敬授人時,十六升自唐侯者已;昔帝舜之為臣也,舉禹之功,克平水土,三十登為天子者已。本之以文思聰明,加之以勞身焦思,既睦九族,協和萬邦,黜去四凶,舉十六相,故五帝之後,傳載唐虞之美,無德而稱焉。《易》曰:「君子終日乾乾。」《詩》曰:「文王小心翼翼。」竊觀古人之聖哲,未有不以君唱於上,臣和於下,致乎人和年豐,成乎無為而理者也。主上躬純孝之聖,樹非常之功,則拳拳然事親如有闕,外則悸悸然求賢如不及,伊百姓不知帝力、庶官但恭。已而已。寇孽未平,咎徵之至數也;倉廩未實,物理之固然也。今大軍虎步,列國鶴立,山東之諸將雲合,淇上之捷書日至。二三子議論宏正,詞氣高雅,則遺寢蕩滌之後,聖朝砥礪之辰。雖遭明主,必致之於堯舜;降及元輔,必要之於稷。驅蒼生於仁壽之域,反淳樸於羲皇之上。自古哲王立極,大臣為體,眇然坦途,利往何順,子有否?庶複見子之誌,豈徒瑣瑣射策、趨競一第哉?頃之問孝秀,取備尋常之對,多忽經濟之體,考諸詞學,自有文章在,策以徵事,曷成凡例焉?今愚之粗徵,貴切時務而已。夫時患錢輕,以至於量資幣、權子母。代複改鑄,或行乎前莢、後契刀。當此之際,百姓蒙利厚薄,何人所制輕重?又穀者,所以阜俗康時、聚人守位者也。下至十室之邑,必有千鍾之藏。苟凶穰以之,貴賤失度,雖封丞相而猶困,侯大農而謂何?是以繼表微,無或區分逾越,蒙實不敏,仁遠何哉?

続きを読む

乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (21) Q-5-#8》 杜甫<1509-21> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4330 杜甫詩1500-1509-21-1037/2500index-21

金がなくなれば鋳造し、代わる度に比率を徐々に落として改鋳し、前には漢の「銭」を用いたかと思うと、後には新の「契刀銭」を通行させるといった具合である。(仏像をとかして貨幣を鋳造し、造るごとに比率を落とした。)この戦時下に加え、インフレと飢饉、略奪、という時に当たって、人民には穀物備蓄、珍宝の有無などにより、利益を蒙ることに厚薄の違いが生じた、誰もその軽重を統制できないのである。


 
 2014年6月10日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
Index-32 #2 《古風五十九首之八》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳 梁苑にいて、秋、曹南から宜城、黄山から当塗で年越580Ⅰ李白詩1156 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4328 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
403-6(3段の1) 《柳子厚墓誌銘(全六段)》韓愈(韓退之)ID 558Ⅱ唐宋八大家読本巻六<1069>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4329韓愈詩-403-6(3段の1) 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (21) Q-5-#8》 杜甫<1509-21> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4330 杜甫詩1500-1509-21-1037/2500index-21 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor14-374《清平樂二首其二》孫光憲(34)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-557-14-(374) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4332 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩 案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (21) Q-5-#8》 杜甫<1509-21> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4330 杜甫詩1500-1509-21-1037/2500index-21


 

Q-54

主上躬純孝之聖,樹非常之功,

今上陛下は、みずから仁と孝の聖徳を体現しようとされている、世の常とはことなるほどの功績を立てられようとされている。

則拳拳然事親如有闕,外則悸悸然求賢如不及,

内に向ってはつつしみ深く、先祖を敬い玄宗上皇に親孝行をして、まだ仁徳に欠けたところがあるかのようにふるまわれている、外に向かってはまだ仁徳の力及ばないかと心配するように悸悸として鄭重に賢人を求められるのである。

伊百姓不知帝力、庶官但恭。

こうした皇帝の為政が慎み深いので)人民は皇帝の恩徳を受けていると気づかないのであり、こうして朝廷の百官までも己の身を正して恭順にふるまうようになるのである。

已而已。寇孽未平,咎徵之至數也;

孟子が言われる通り、「無理に終了させようとしても、仁徳の理にかなうものでなければ終了しない」といわれる。(ウイグル援軍と悪い貨幣の鋳造乱発。)それが証拠に安史の乱は平定せず、略奪、強盗がはびこっているのである。それは、天の咎めという懲罰であり、これを天地の至数でいっても極まれる数値におさまるものということなのだ。(天の理にかなった施政をしていない。)

倉廩未實,物理之固然也。

それも、国の米蔵がいまだに満杯にほど遠いのであり、これも物質の法則と仁徳の理というものが違ったままであるということなのだ。

主上 純孝の聖を躬らし,非常の功を樹て,

には則ち拳拳とし 然として親の事するに闕有るが如く,外には則ち 悸悸とし 然として 求賢をむるに及ばざるが如し,

伊れ 百姓 帝力を知らんがため、庶官 但だ恭しくする。

已むは而して已むのみ。

寇孽 未だ平らがざる,咎徵の至數なり;

倉廩 未だ實ちざる,物理の固然なり。

 

Q-55

今大軍虎步,列國鶴立,

今、大唐軍は虎のように威嚇して堂々と歩みはじめた、それに呼応して、安史軍に從わされていた列国は鶴のように高く立ちあがりはじめたのだ。

山東之諸將雲合,淇上之捷書日至。

山東の諸将達は、宴のように大勢集合し、洪水のほとりからは戦勝の報告書が毎日のようにもたらされている。

二三子議論宏正,詞氣高雅,

諸君よ、諸君が議論を正しく行い、また諸君の書く文章が気高く高雅であってほしい。

則遺寢蕩滌之後,聖朝砥礪之辰。

それはすなわち、依然として勢力が沈下しない洛陽の東北部の安史軍により、その動きが抑圧され、優秀な人材が眠っている地域が洗浄されたところから、大唐聖朝が人々に学問を修養させ、科挙を再開する時に当たったことからである。

雖遭明主,必致之於堯舜;

明主の世に遭遇できたということであっても、必ず明主を尭舜のように至らせ申し上げる必要があるのだ。

降及元輔,必要之於稷

下って天子の補佐役についても、これに必ず堯舜に仕えた稷と(契)、二人の名臣ようである人材が必要なのだ。

Q-55

今 大軍は虎の步みであり,列國は鶴のごとく立す,

山東の諸將は雲合し,淇上の捷書 日に至る。

二三子 議論は宏正にして,詞氣は高雅す,

則ち 遺寢 蕩滌の後,聖朝 砥礪の辰なるなり。

明主にう遭と雖も,必ず之を堯舜に於て致す;

降りて元輔に及ぶ,必ず之を稷於て要せよ

Q-56

驅蒼生於仁壽之域,反淳樸於羲皇之上。

多くの人々を仁徳にみちびき、そうすれば長命となるという領域に導くことであり、暗躍などない羲皇の三皇時代よりもさらに純朴な状態に帰らせることなのである。(朝廷は讒言、暗躍、足の引っ張り合いという状況であった。李輔国と張皇后、房琯一党を讒言で貶めるなど。)

自古哲王立極,大臣為體,

古より賢明な天子は、天下の道徳の柱を立てることをし、大臣が根幹・体制を作るらねばいけない。

眇然坦途,利往何順,子有否?

そうすれば、施政の道は高遠で平坦なもの、そうなれば「行くことにこそ利かあるのであり、順がどうこうというのではない」という『易経』のことばをふまえて、諸君の策説をつくってもらえるだろうか。

庶複見子之誌,豈徒瑣瑣射策、趨競一第哉?

諸君の志を示してほしい、この点について諸君の考えとはどんなものか、いちいちこまかにのべられたい、試験問題にお答えして第一の成績を得ようとしてほしいのだ。

Q-56

蒼生を仁壽に於て之を域に驅り,淳樸に羲皇の上に於て反せよ。

古より哲王 極みて立て,大臣 體を為す,

眇然として 坦途し,往くに利ありて何ぞ順なるか,子 有りや否や?

庶くば複た子の誌を見ん,豈に徒らに射策に瑣瑣とし、一第を趨競せんや?

 

Q-57

頃之問孝秀,取備尋常之對,

この頃、四書、孝経を励み、学んだ者たちに問う。わずかに通り一遍等なの答えを準備しているという。

多忽經濟之體,考諸詞學,

人民を救済するという経済の根本をないがしろにしているものが多いという。詞章の学問に深く沈潜して考えれば、すぐれた文章が生まれはするだろう。(第五琦が租庸調の宰相に任じられて、貨幣の鋳造比率を7561/107571/50に落して悪貨を作れば悪い世の中になる。この悪貨は百官に支払うべき録がないためだけに発行された。これが貨幣の流通量が少ないから醗酵されたというのではない。この時、軍に支払われるっものがないため、功勲にたいして、冠位がおびただしく出された。経済的にも、権威的にも地に落ちたことをいう。これに対して、房琯をはじめとする儒者たちは、仁徳しか持ち合わせていなかった。だから、房琯が将軍として戦っても、何ら恩賞が与えられないから真面目に戦わず、敗北を重ねた。)

自有文章在,策以徵事,曷成凡例焉?

だが、過去の事実に照らしてみる、そしてこれらの徴候を事実に照らしてまとめてみると、どうしてこれを一般原則とすることができるであろうか。

今愚之粗徵,貴切時務而已。

今、貨幣価値を1/50にまで落とした通貨の鋳造による愚かな施策の徴候は、今の今だけの時局のことを尊び、その場しのぎの政策でしかないのだ。(珍宝、穀物など略奪にあったが、王朝に入って來る税額に見合った経済規模にする必要がある。無理な、椀飯振舞をすれば後世に就けを廻す。ウイグルに略奪を許して援軍を依頼したりしている。)

Q-57

頃之【このごろ】 孝秀に問う,取【わずか】に 尋常の對を備うるのみ。

多くの經濟の體を忽とす,諸を詞學に考える。

自ら文章の在る有り,策 徵事を以てし,曷んぞ凡例を成さんや?

今愚の粗徵,時務に切なるを貴ぶのみ。

Q-58

夫時患錢輕,以至於量資幣、權子母。

そもそも、こんなに価値の軽い貨幣が経済にどれほどの悪影響をもたらすか、しかもこの貨幣を大量に鋳造して、百官の妻子の権威を維持するために為された施策である(金権体質の者たちが政治を行っている。肅宗は諸問題を合議制によって決めている。ここに鋳造錢のばらまきと宦官の暗躍があり、ここに李輔国と肅宗の張皇后による政治への介入があって、朝廷政治はまともではないということである。)

代複改鑄,或行乎前莢、後契刀。

金がなくなれば鋳造し、代わる度に比率を徐々に落として改鋳し、前には漢の「銭」を用いたかと思うと、後には新の「契刀銭」を通行させるといった具合である。(仏像をとかして貨幣を鋳造し、造るごとに比率を落とした。)

當此之際,百姓蒙利厚薄,何人所制輕重?

この戦時下に加え、インフレと飢饉、略奪、という時に当たって、人民には穀物備蓄、珍宝の有無などにより、利益を蒙ることに厚薄の違いが生じた、誰もその軽重を統制できないのである。

又穀者,所以阜俗康時、聚人守位者也。

また穀物生産者は、阜俗康の異民族(ウイグル援軍)の後任の略奪を目の当たりにして、人々を集め守るものが誰なのか理解をしたのである。

Q-58

夫れ時に錢の輕きなるに患い,以って資幣を量するに至り、子母を權す。

代りて複た改鑄し,或は 前に莢なるに行わんや、後に契刀す。

此の際に當り,百姓 利の厚薄を蒙り,何人か 輕重を制する所とならん?

又た 穀する者は,阜俗の康んずる時をってする所なり、聚人 位を守る者なり。

Q-59

下至十室之邑,必有千鍾之藏。

苟凶穰以之,貴賤失度,

雖封丞相而猶困,侯大農而謂何?

是以繼表微,無或區分逾越,

蒙實不敏,仁遠何哉?

Q-59

下って十室の邑に至り,必ず千鍾の藏有らしめん。

苟しくも凶穰之を以ってし,賤 失度を貴う。

丞相を封ぜらると雖も猶お困しみ,大農を侯とするも何をか謂わん?

是に以って繼し 表微す,或いは逾越を區分する無かれ,

蒙 實に不敏なり,仁 遠く 何ん?

 

 

『乾元元年華州試進士策問五首』 現代語訳と訳註

(本文) Q-58

夫時患錢輕,以至於量資幣、權子母。

代複改鑄,或行乎前莢、後契刀。

當此之際,百姓蒙利厚薄,何人所制輕重?

又穀者,所以阜俗康時、聚人守位者也。

 

(下し文) Q-58

夫れ時に錢の輕きなるに患い,以って資幣を量するに至り、子母を權す。

代りて複た改鑄し,或は 前に莢なるに行わんや、後に契刀す。

此の際に當り,百姓 利の厚薄を蒙り,何人か 輕重を制する所とならん?

又た 穀する者は,阜俗の康んずる時をってする所なり、聚人 位を守る者なり。

 

 

(現代語訳)

そもそも、こんなに価値の軽い貨幣が経済にどれほどの悪影響をもたらすか、しかもこの貨幣を大量に鋳造して、百官の妻子の権威を維持するために為された施策である(金権体質の者たちが政治を行っている。肅宗は諸問題を合議制によって決めている。ここに鋳造錢のばらまきと宦官の暗躍があり、ここに李輔国と肅宗の張皇后による政治への介入があって、朝廷政治はまともではないということである。)

金がなくなれば鋳造し、代わる度に比率を徐々に落として改鋳し、前には漢の「銭」を用いたかと思うと、後には新の「契刀銭」を通行させるといった具合である。(仏像をとかして貨幣を鋳造し、造るごとに比率を落とした。)

この戦時下に加え、インフレと飢饉、略奪、という時に当たって、人民には穀物備蓄、珍宝の有無などにより、利益を蒙ることに厚薄の違いが生じた、誰もその軽重を統制できないのである。

また穀物生産者は、阜俗康の異民族(ウイグル援軍)の後任の略奪を目の当たりにして、人々を集め守るものが誰なのか理解をしたのである。

 

(訳注) Q-58

(Q-5)

(三皇五帝の時代は質素倹約につとめ、仁徳ある施政、物理にのっとる政治を行ったが、現在、安史の乱を終わらせるためにとったウイグル援軍への多大な負担は国家財政を破たんに近いもので、それを補てんするための鋳造比率を悪化させて発行量を驚愕に増加させたことは、穀物の不作とで過激なインフレーションを起こしていることに対しての意見を述べることを求めている。)

 

夫時患錢輕,以至於量資幣、權子母。

そもそも、こんなに価値の軽い貨幣が経済にどれほどの悪影響をもたらすか、しかもこの貨幣を大量に鋳造して、百官の妻子の権威を維持するために為された施策である(金権体質の者たちが政治を行っている。肅宗は諸問題を合議制によって決めている。ここに鋳造錢のばらまきと宦官の暗躍があり、ここに李輔国と肅宗の張皇后による政治への介入があって、朝廷政治はまともではないということである。)

○患錢輕・量資幣 乾元元年7561/10に乾元二年7571/50(『舊唐書』巻一百二十三、第五琦伝 「年乾元二年、以本官加同中書門下平章事。初、琦以囲用末足、幣重貨軽、乃請鋳乾元垂賃銭、以一當十行用之。及作相、又講更鋳重輪乾元銭、一當五十、輿乾元鑓及開元通賓銭三品遊行。眈而穀慣騰貴、餓殖死亡、枕籍道路、叉盗鋳争起、中外皆以埼攣法之幣、封奏日間。」とある。

 

代複改鑄,或行乎前莢、後契刀。

金がなくなれば鋳造し、代わる度に比率を徐々に落として改鋳し、前には漢の「銭」を用いたかと思うと、後には新の「契刀銭」を通行させるといった具合である。(仏像をとかして貨幣を鋳造し、造るごとに比率を落とした。)

莢 秦の時代の貨幣は鋳造技術が劣っていたが、8gはあったが、前漢時代の「半両銭」の重さは、秦代の1/4程度で莢半両銭と言われて、悪貨の代名詞であった。楡莢銭と呼ばれ、その重さは1銖のものもあった。文帝代になると銭の私鋳を禁ずる法律を廃止したが、これにより資産家による大量の軽薄な私鋳銭の濫造が行われ、銭の価値は暴落した。

○契刀 新を建国した王莽は、春秋戦国時代に用いられていた刀貨と円貨をくっ付けた形の契刀・錯刀を貨幣として造った。これらの錢はいずれも悪貨であった。

 

當此之際,百姓蒙利厚薄,何人所制輕重?

この戦時下に加え、インフレと飢饉、略奪、という時に当たって、人民には穀物備蓄、珍宝の有無などにより、利益を蒙ることに厚薄の違いが生じた、誰もその軽重を統制できないのである。

 

又穀者,所以阜俗康時、聚人守位者也。

また穀物生産者は、阜俗康の異民族(ウイグル援軍)の後任の略奪を目の当たりにして、人々を集め守るものが誰なのか理解をしたのである。

○阜俗康 ウイグル援軍の事、ここではウイグル援軍により奪回された長安、洛陽で肅宗公認の略奪が行われたこと。

乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (20) Q-5-#7》杜甫<1509-20> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4325 杜甫詩1500-1509-20-1036/2500index-21

今、貨幣価値を1/50にまで落とした通貨の鋳造による愚かな施策の徴候は、今の今だけの時局のことを尊び、その場しのぎの政策でしかないのだ。(珍宝、穀物など略奪にあったが、王朝に入って來る税額に見合った経済規模にする必要がある。無理な、椀飯振舞をすれば後世に就けを廻す。ウイグルに略奪を許して援軍を依頼したりしている。)

 

 
 2014年6月9日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
Index-32 #1 《古風五十九首之八》Index-32 Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳 Ⅰ李白詩1155 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4323 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
403-5(2段の3) 《柳子厚墓誌銘(全六段)》韓愈(韓退之)ID 558Ⅱ唐宋八大家読本巻六<1068>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4324韓愈詩-403-5(2段の3) 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (20) Q-5-#7》杜甫<1509-20> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4325 杜甫詩1500-1509-20-1036/2500index-21 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor14-373《清平樂二首其一》孫光憲(33)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-556-14-(373) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4327 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩 案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 



 

Q-57

頃之問孝秀,取備尋常之對,

この頃、四書、孝経を励み、学んだ者たちに問う。わずかに通り一遍等なの答えを準備しているという。

多忽經濟之體,考諸詞學,

人民を救済するという経済の根本をないがしろにしているものが多いという。詞章の学問に深く沈潜して考えれば、すぐれた文章が生まれはするだろう。(第五琦が租庸調の宰相に任じられて、貨幣の鋳造比率を7561/107571/50に落して悪貨を作れば悪い世の中になる。この悪貨は百官に支払うべき録がないためだけに発行された。これが貨幣の流通量が少ないから醗酵されたというのではない。この時、軍に支払われるっものがないため、功勲にたいして、冠位がおびただしく出された。経済的にも、権威的にも地に落ちたことをいう。これに対して、房琯をはじめとする儒者たちは、仁徳しか持ち合わせていなかった。だから、房琯が将軍として戦っても、何ら恩賞が与えられないから真面目に戦わず、敗北を重ねた。)

自有文章在,策以徵事,曷成凡例焉?

だが、過去の事実に照らしてみる、そしてこれらの徴候を事実に照らしてまとめてみると、どうしてこれを一般原則とすることができるであろうか。

今愚之粗徵,貴切時務而已。

今、貨幣価値を1/50にまで落とした通貨の鋳造による愚かな施策の徴候は、今の今だけの時局のことを尊び、その場しのぎの政策でしかないのだ。(珍宝、穀物など略奪にあったが、王朝に入って來る税額に見合った経済規模にする必要がある。無理な、椀飯振舞をすれば後世に就けを廻す。ウイグルに略奪を許して援軍を依頼したりしている。)

Q-58

夫時患錢輕,以至於量資幣、權子母。

代複改鑄,或行乎前莢、後契刀。

當此之際,百姓蒙利厚薄,何人所制輕重?

又穀者,所以阜俗康時、聚人守位者也。

Q-59

下至十室之邑,必有千鍾之藏。

苟凶穰以之,貴賤失度,

雖封丞相而猶困,侯大農而謂何?

是以繼表微,無或區分逾越,

蒙實不敏,仁遠何哉?

Q-57

頃之【このごろ】 孝秀に問う,取【わずか】に 尋常の對を備うるのみ。

多くの經濟の體を忽とす,諸を詞學に考える。

自ら文章の在る有り,策 徵事を以てし,曷んぞ凡例を成さんや?

今愚の粗徵,時務に切なるを貴ぶのみ。

Q-58

夫れ時に錢の輕きなるに患い,以って資幣を量するに至り、子母を權す。

代りて複た改鑄し,或は 前に莢なるに行わんや、後に契刀す。

此の際に當り,百姓 利の厚薄を蒙り,何人か 輕重を制する所とならん?

又た 穀する者は,阜俗の康んずる時をってする所なり、聚人 位を守る者なり。

Q-59

下って十室の邑に至り,必ず千鍾の藏有らしめん。

苟しくも凶穰之を以ってし,賤 失度を貴う。

丞相を封ぜらると雖も猶お困しみ,大農を侯とするも何をか謂わん?

是に以って繼し 表微す,或いは逾越を區分する無かれ,

蒙 實に不敏なり,仁 遠く 何ん?

 

 

『乾元元年華州試進士策問五首』 現代語訳と訳註

(本文) Q-57

頃之問孝秀,取備尋常之對,

多忽經濟之體,考諸詞學,

自有文章在,策以徵事,曷成凡例焉?

今愚之粗徵,貴切時務而已。

 

(下し文)

頃之【このごろ】 孝秀に問う,取【わずか】に 尋常の對を備うるのみ。

多くの經濟の體を忽とす,諸を詞學に考える。

自ら文章の在る有り,策 徵事を以てし,曷んぞ凡例を成さんや?

今愚の粗徵,時務に切なるを貴ぶのみ。

 

 

(現代語訳)

この頃、四書、孝経を励み、学んだ者たちに問う。わずかに通り一遍等なの答えを準備しているという。

人民を救済するという経済の根本をないがしろにしているものが多いという。詞章の学問に深く沈潜して考えれば、すぐれた文章が生まれはするだろう。(第五琦が租庸調の宰相に任じられて、貨幣の鋳造比率を7561/107571/50に落して悪貨を作れば悪い世の中になる。この悪貨は百官に支払うべき録がないためだけに発行された。これが貨幣の流通量が少ないから醗酵されたというのではない。この時、軍に支払われるっものがないため、功勲にたいして、冠位がおびただしく出された。経済的にも、権威的にも地に落ちたことをいう。これに対して、房琯をはじめとする儒者たちは、仁徳しか持ち合わせていなかった。だから、房琯が将軍として戦っても、何ら恩賞が与えられないから真面目に戦わず、敗北を重ねた。)

だが、過去の事実に照らしてみる、そしてこれらの徴候を事実に照らしてまとめてみると、どうしてこれを一般原則とすることができるであろうか。

今、貨幣価値を1/50にまで落とした通貨の鋳造による愚かな施策の徴候は、今の今だけの時局のことを尊び、その場しのぎの政策でしかないのだ。(珍宝、穀物など略奪にあったが、王朝に入って來る税額に見合った経済規模にする必要がある。無理な、椀飯振舞をすれば後世に就けを廻す。ウイグルに略奪を許して援軍を依頼したりしている。)

 

(訳注)Q-57

頃之問孝秀,取備尋常之對,

この頃、四書、孝経を励み、学んだ者たちに問う。わずかに通り一遍等なの答えを準備しているという。

○孝秀 孝:儒教の信奉者が、それを徳目と認識するものの一つ。子がその子自身の親によく服従することを示す。身近なところから段階的に進められる儒教の徳治において、まず家庭で守られるべき徳として「悌」とともに重要視された。「孝悌」と併用され、「孝悌は仁を為すの本」とされる。秀:学習に励んで学識を積み、その体系付けられた知識で問題を解決できる能力があるとされる。

 

多忽經濟之體,考諸詞學,

人民を救済するという経済の根本をないがしろにしているものが多いという。詞章の学問に深く沈潜して考えれば、すぐれた文章が生まれはするだろう。(第五琦が租庸調の宰相に任じられて、貨幣の鋳造比率を7561/107571/50に落して悪貨を作れば悪い世の中になる。この悪貨は百官に支払うべき録がないためだけに発行された。これが貨幣の流通量が少ないから醗酵されたというのではない。この時、軍に支払われるっものがないため、功勲にたいして、冠位がおびただしく出された。経済的にも、権威的にも地に落ちたことをいう。これに対して、房琯をはじめとする儒者たちは、仁徳しか持ち合わせていなかった。だから、房琯が将軍として戦っても、何ら恩賞が与えられないから真面目に戦わず、敗北を重ねた。)

 

自有文章在,策以徵事,曷成凡例焉?

だが、過去の事実に照らしてみる、そしてこれらの徴候を事実に照らしてまとめてみると、どうしてこれを一般原則とすることができるであろうか。

 

今愚之粗徵,貴切時務而已。

今、貨幣価値を1/50にまで落とした通貨の鋳造による愚かな施策の徴候は、今の今だけの時局のことを尊び、その場しのぎの政策でしかないのだ。(珍宝、穀物など略奪にあったが、王朝に入って來る税額に見合った経済規模にする必要がある。無理な、椀飯振舞をすれば後世に就けを廻す。ウイグルに略奪を許して援軍を依頼したりしている。)

○愚之粗徵 貨幣価値を1/50にまで落とした通貨の鋳造による愚かな施策の兆候。

 


乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (20) Q-5-#7》杜甫<1509-20> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4325 杜甫詩1500-1509-20-1036/2500index-21

乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (19) Q-5-#6》 杜甫index-14 764年 (19) Q-5-#6 杜甫<1509-19> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4320 杜甫詩1500-1509-19-1035/2500index-21

多くの人々を仁徳にみちびき、そうすれば長命となるという領域に導くことであり、暗躍などない羲皇の三皇時代よりもさらに純朴な状態に帰らせることなのである。(朝廷は讒言、暗躍、足の引っ張り合いという状況であった。李輔国と張皇后、房琯一党を讒言で貶めるなど。)

 
 2014年6月8日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
Index-21 #2 《古風五十九首之七》Index-21Ⅲ― 1-742年天寶元年42歳 <Index-21 #2> Ⅰ李白詩1154 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4318 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
403-4(2段の2) 《柳子厚墓誌銘(全六段)》韓愈(韓退之)ID 558Ⅱ唐宋八大家読本巻六<1067>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4319韓愈詩-403-4(2段の2) 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (19) Q-5-#6》 杜甫index-14 764年 (19) Q-5-#6 杜甫<1509-19> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4320 杜甫詩1500-1509-19-1035/2500index-21 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor14-372《酒泉子三首其三》孫光憲(32)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-555-14-(372) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4322 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩 案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (19) Q-5-#6》 杜甫index-14 764 (19) Q-5-#6 杜甫<1509-19> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4320 杜甫詩1500-1509-19-1035/2500index-21

 

 

Q-54

主上躬純孝之聖,樹非常之功,

則拳拳然事親如有闕,外則悸悸然求賢如不及,

伊百姓不知帝力、庶官但恭。

已而已。寇孽未平,咎徵之至數也;

倉廩未實,物理之固然也。

今上陛下は、みずから仁と孝の聖徳を体現しようとされている、世の常とはことなるほどの功績を立てられようとされている。

内に向ってはつつしみ深く、先祖を敬い玄宗上皇に親孝行をして、まだ仁徳に欠けたところがあるかのようにふるまわれている、外に向かってはまだ仁徳の力及ばないかと心配するように悸悸として鄭重に賢人を求められるのである。

こうした皇帝の為政が慎み深いので)人民は皇帝の恩徳を受けていると気づかないのであり、こうして朝廷の百官までも己の身を正して恭順にふるまうようになるのである。

孟子が言われる通り、「無理に終了させようとしても、仁徳の理にかなうものでなければ終了しない」といわれる。(ウイグル援軍と悪い貨幣の鋳造乱発。)それが証拠に安史の乱は平定せず、略奪、強盗がはびこっているのである。それは、天の咎めという懲罰であり、これを天地の至数でいっても極まれる数値におさまるものということなのだ。(天の理にかなった施政をしていない。)

それも、国の米蔵がいまだに満杯にほど遠いのであり、これも物質の法則と仁徳の理というものが違ったままであるということなのだ。

主上 純孝の聖を躬らし,非常の功を樹て,

には則ち拳拳とし 然として親の事するに闕有るが如く,外には則ち 悸悸とし 然として 求賢をむるに及ばざるが如し,

伊れ 百姓 帝力を知らんがため、庶官 但だ恭しくする。

已むは而して已むのみ。

寇孽 未だ平らがざる,咎徵の至數なり;

倉廩 未だ實ちざる,物理の固然なり。

 

Q-55

今大軍虎步,列國鶴立,

山東之諸將雲合,淇上之捷書日至。

二三子議論宏正,詞氣高雅,

則遺寢蕩滌之後,聖朝砥礪之辰。

雖遭明主,必致之於堯舜;

降及元輔,必要之於稷

今、大唐軍は虎のように威嚇して堂々と歩みはじめた、それに呼応して、安史軍に從わされていた列国は鶴のように高く立ちあがりはじめたのだ。

山東の諸将達は、宴のように大勢集合し、洪水のほとりからは戦勝の報告書が毎日のようにもたらされている。

諸君よ、諸君が議論を正しく行い、また諸君の書く文章が気高く高雅であってほしい。

それはすなわち、依然として勢力が沈下しない洛陽の東北部の安史軍により、その動きが抑圧され、優秀な人材が眠っている地域が洗浄されたところから、大唐聖朝が人々に学問を修養させ、科挙を再開する時に当たったことからである。

明主の世に遭遇できたということであっても、必ず明主を尭舜のように至らせ申し上げる必要があるのだ。

下って天子の補佐役についても、これに必ず堯舜に仕えた稷と(契)、二人の名臣ようである人材が必要なのだ。

Q-55

今 大軍は虎の步みであり,列國は鶴のごとく立す,

山東の諸將は雲合し,淇上の捷書 日に至る。

二三子 議論は宏正にして,詞氣は高雅す,

則ち 遺寢 蕩滌の後,聖朝 砥礪の辰なるなり。

明主にう遭と雖も,必ず之を堯舜に於て致す;

降りて元輔に及ぶ,必ず之を稷於て要せよ

Q-56

驅蒼生於仁壽之域,反淳樸於羲皇之上。

自古哲王立極,大臣為體,

眇然坦途,利往何順,子有否?

庶複見子之誌,豈徒瑣瑣射策、趨競一第哉?

多くの人々を仁徳にみちびき、そうすれば長命となるという領域に導くことであり、暗躍などない羲皇の三皇時代よりもさらに純朴な状態に帰らせることなのである。(朝廷は讒言、暗躍、足の引っ張り合いという状況であった。李輔国と張皇后、房琯一党を讒言で貶めるなど。)

古より賢明な天子は、天下の道徳の柱を立てることをし、大臣が根幹・体制を作るらねばいけない。

そうすれば、施政の道は高遠で平坦なもの、そうなれば「行くことにこそ利かあるのであり、順がどうこうというのではない」という『易経』のことばをふまえて、諸君の策説をつくってもらえるだろうか。

諸君の志を示してほしい、この点について諸君の考えとはどんなものか、いちいちこまかにのべられたい、試験問題にお答えして第一の成績を得ようとしてほしいのだ。

Q-56

蒼生を仁壽に於て之を域に驅り,淳樸に羲皇の上に於て反せよ。

古より哲王 極みて立て,大臣 體を為す,

眇然として 坦途し,往くに利ありて何ぞ順なるか,子 有りや否や?

庶くば複た子の誌を見ん,豈に徒らに射策に瑣瑣とし、一第を趨競せんや?

 

 

『』 現代語訳と訳註

(本文)

Q-56

驅蒼生於仁壽之域,反淳樸於羲皇之上。

自古哲王立極,大臣為體,

眇然坦途,利往何順,子有否?

庶複見子之誌,豈徒瑣瑣射策、趨競一第哉?

 

(下し文)

Q-56

蒼生を仁壽に於て之を域に驅り,淳樸に羲皇の上に於て反せよ。

古より哲王 極みて立て,大臣 體を為す,

眇然として 坦途し,往くに利ありて何ぞ順なるか,子 く有りや否や?

庶くば複た子の誌を見ん,豈に徒らに射策に瑣瑣とし、一第を趨競せんや?

 

(現代語訳)

多くの人々を仁徳にみちびき、そうすれば長命となるという領域に導くことであり、暗躍などない羲皇の三皇時代よりもさらに純朴な状態に帰らせることなのである。(朝廷は讒言、暗躍、足の引っ張り合いという状況であった。李輔国と張皇后、房琯一党を讒言で貶めるなど。)

古より賢明な天子は、天下の道徳の柱を立てることをし、大臣が根幹・体制を作るらねばいけない。

そうすれば、施政の道は高遠で平坦なもの、そうなれば「行くことにこそ利かあるのであり、順がどうこうというのではない」という『易経』のことばをふまえて、諸君の策説をつくってもらえるだろうか。

諸君の志を示してほしい、この点について諸君の考えとはどんなものか、いちいちこまかにのべられたい、試験問題にお答えして第一の成績を得ようとしてほしいのだ。

 

(訳注) 

Q-56

驅蒼生於仁壽之域,反淳樸於羲皇之上。

多くの人々を仁徳にみちびき、そうすれば長命となるという領域に導くことであり、暗躍などない羲皇の三皇時代よりもさらに純朴な状態に帰らせることなのである。(朝廷は讒言、暗躍、足の引っ張り合いという状況であった。李輔国と張皇后、房琯一党を讒言で貶めるなど。)

○蒼生 多くの人々。人民。あおひとぐさ。蒼氓(そうぼう)

○仁壽 仁徳があるひとは長命なこと。〔論語 雍也〕「子曰、知者楽水、仁者楽山、知者動、仁者静、知者楽、仁者寿。」(子曰く、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿し。) 先生がいわれた。『知者は水を楽しんで、仁者は山を楽しむ。知者は動的であり、仁者は静的である。知者は人生を楽しみ、仁者は人生を長生きすることになる。』

○淳樸 無影響の単純さ、狡猾さや世間の経験のない特徴を見せるまたはそのように特徴的なすれてないこと。

○羲皇 伏羲のこと。古代中国神話に登場する神または伝説上の帝王。宓羲・包犠・庖犠・伏戯などとも書かれる。伏義、伏儀という表記も使われる。三皇の一人に挙げられる事が多い。姓は鳳姓。兄妹または夫婦と目される女媧と同様に、蛇身人首の姿で描かれる。伏羲の号には、縄の発明者葛天氏も含まれる。

 

自古哲王立極,大臣為體,

古より賢明な天子は、天下の道徳の柱を立てることをし、大臣が根幹・体制を作るらねばいけない。

○哲王 賢明な君主、王。「書経」酒誥に「茲殷多先哲王在天。越厥後王後民、茲服厥命。厥終智藏瘝在。」(茲殷に先哲王多く天に在り。越[ここ]に厥の後の王後の民、茲に厥の命に服[つ]く。厥れ終に智るものは藏れて瘝[や]めるものは在り。)而れども此の殷の先哲王、其の精爽天に在り、宜しく恃む可き者の若し。而れども商紂命を受けて、卒に賢智の者退き藏れ、民を病ましむ者位に在ることを致す。 とある。杜甫は、唐の太宗の貞観の治時代をいう。

 

眇然坦途,利往何順,子有否?

そうすれば、施政の道は高遠で平坦なもの、そうなれば「行くことにこそ利かあるのであり、順がどうこうというのではない」という『易経』のことばをふまえて、諸君の策説をつくってもらえるだろうか。

○眇然 小さいさま。取るに足りないさま。

○坦途 平坦な道。坦道。「

○利往何順 「往くを利とし、何と順せん」『易経』復之卦「反復其道、七日来復。利有斂往。」に基づく。

 

庶複見子之誌,豈徒瑣瑣射策、趨競一第哉?

諸君の志を示してほしい、この点について諸君の考えとはどんなものか、いちいちこまかにのべられたい、試験問題にお答えして第一の成績を得ようとしてほしいのだ。

○瑣瑣 【ささ】こまごまとしているさま。わずらわしいさま。「―たる問題」。

○射策 漢代の官吏登用試験の一。複数の竹札に問題を書いて伏せて隠し、その一つをとって対策の文を書かせる。試験には対策と射策とがあり、対策は経義を以て顕わに問い、射策は難問疑義を甲乙の策(ふだ)に書き、問題をくじびきでとって答えさせた。

杜甫『醉歌行』「只今年才十六七,射策君門期第一。」しかし今やっと十六七歳の少年であって、朝廷において試験問題にお答えして第一の成績を得ようとするのだ。

醉歌行 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 94

 

乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (18) Q-5-#5》 杜甫 <1509-18> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4315 杜甫詩1500-1509-18-1034/2500index-21

優秀な人材が眠っている地域が洗浄されたところから、大唐聖朝が人々に学問を修養させ、科挙を再開する時に当たることになった。必ず明主を尭舜のように至らせ申し上げる必要がり、天子の補佐役についても、これに必ず堯舜に仕えた稷と(契)、二人の名臣のような人材が必要なのだ。


 
 2014年6月7日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
Index-21 #1 《古風五十九首之七》Index-21Ⅲ― 1-742年天寶元年42歳 <Index-21 #1> Ⅰ李白詩1153 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4313 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
403-3(2段の1) 《柳子厚墓誌銘(全六段)》韓愈(韓退之)ID 558Ⅱ唐宋八大家読本巻六<1066>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4314韓愈詩-403-3(2段の1) 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (18) Q-5-#5》 杜甫 <1509-18> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4315 杜甫詩1500-1509-18-1034/2500index-21 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor14-371《酒泉子三首其二》孫光憲(31)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-554-14-(371) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4317 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩 案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (18) Q-5-#5》 杜甫index-14 764 (18) Q-5-#6 杜甫<1509-18> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4315 杜甫詩1500-1509-18-1034/2500index-21

 

 

Q-5

問:昔唐堯之為君也,則天之大,敬授人時,十六升自唐侯者已;昔帝舜之為臣也,舉禹之功,克平水土,三十登為天子者已。本之以文思聰明,加之以勞身焦思,既睦九族,協和萬邦,黜去四凶,舉十六相,故五帝之後,傳載唐虞之美,無德而稱焉。《易》曰:「君子終日乾乾。」《詩》曰:「文王小心翼翼。」竊觀古人之聖哲,未有不以君唱於上,臣和於下,致乎人和年豐,成乎無為而理者也。主上躬純孝之聖,樹非常之功,則拳拳然事親如有闕,外則悸悸然求賢如不及,伊百姓不知帝力、庶官但恭。已而已。寇孽未平,咎徵之至數也;倉廩未實,物理之固然也。今大軍虎步,列國鶴立,山東之諸將雲合,淇上之捷書日至。二三子議論宏正,詞氣高雅,則遺寢蕩滌之後,聖朝砥礪之辰。雖遭明主,必致之於堯舜;降及元輔,必要之於稷。驅蒼生於仁壽之域,反淳樸於羲皇之上。自古哲王立極,大臣為體,眇然坦途,利往何順,子有否?庶複見子之誌,豈徒瑣瑣射策、趨競一第哉?頃之問孝秀,取備尋常之對,多忽經濟之體,考諸詞學,自有文章在,策以徵事,曷成凡例焉?今愚之粗徵,貴切時務而已。夫時患錢輕,以至於量資幣、權子母。代複改鑄,或行乎前莢、後契刀。當此之際,百姓蒙利厚薄,何人所制輕重?又穀者,所以阜俗康時、聚人守位者也。下至十室之邑,必有千鍾之藏。苟凶穰以之,貴賤失度,雖封丞相而猶困,侯大農而謂何?是以繼表微,無或區分逾越,蒙實不敏,仁遠何哉?

 

Q-5#1

 

問:昔唐堯之為君也,則天之大,

Ⓠ―5、策を問う、昔、堯が君となったのは、天の大いなる道理法則にのっとるためである。

敬授人時,十六升自唐侯者已;

天より授かった種まきと収穫の時期を人民に教えたのである。十六歳から唐侯(陶と次に唐)から帝位に封建されたのである。

昔帝舜之為臣也,舉禹之功,

それより昔のこと、舜か臣下となると、禹の功労を列挙してこれを手本に用いた。

克平水土,三十登為天子者已。

水利工事・土木工事により整備され、洪水もなく平穏に治めたので、三十歳では天子の位に登ったのである。

 

問う、昔 唐堯の君と為るや、天の大いなるに 則っとる。

天より授かった種まきと収穫の時期を人民に教えたのである。十六歳から唐侯(陶と次に唐)から帝位に封建されたのである。

それより昔のこと、舜か臣下となると、禹の功労を列挙してこれを手本に用いた。

水利工事・土木工事により整備され、洪水もなく平穏に治めたので、三十歳では天子の位に登ったのである。

 

Q-52

本之以文思聰明,加之以勞身焦思,

これは堯と舜が聡明な智と深い道徳心を根幹としていて、それに加えて焦燥の時でもお互いが思いやり心身を労することをいとわなかったのである。(この時、朝廷は、宰相同士の足の引っ張り合いに加え、宦官の暗躍に倚り、まともでないく、都は行在所に遷ったり戻ったり、加えて安史軍が都から略奪した、宝物から穀物の不足、ウイグルに援軍を恃んだ際の約束上の負担の増大で国家財政は破たんしていた。杜甫や儒者は質素倹約、小さな政府から国家を立て直すというのが主張であった。)

既睦九族,協和萬邦,

また、当然のこととして九族の親戚間を仲むつまじくさせ、その考えを国家間にもひろげて万国を協力・和合させたのである。(この時期、東:燕=安史軍、西:吐蕃、ウイグル、南:南越、北:燕=安史軍 のことをいう。)

黜去四凶,舉十六相,

四凶を辺境の地に退け、そこで防御の体制を取り、舜は十六人の賢相を起用した。(これは肅宗も唐中興のため16人の宰相を起用している。杜甫はこの中で最も中心となるべき人材が房琯であるとして肅宗に諫言(房琯擁護事件)したのである。)

故五帝之後,傳載唐虞之美,無德而稱焉。

ぞのため、五帝の後、唐虞の美徳を記録に伝載したが、その後彼らに肩をならべる者はいなかった。肅宗の16相は金権がらみの者たちが多かったことをいうのである。貨幣の悪鋳造、租税の貨幣での納税に絡む汚職・収賄金権体質のため、清廉の儒者が施政者でないといけないという。)

之に本として文文思聰明なるを以ってし、之に加ふるに労身焦思を以ってす。

既に九族を睦ましめ、萬邦を協和せしめる。

四凶を黜去し、十六相を挙ぐ。

故に五帝の後、唐虞の美を伝載するも、徳として称【かな】う無し。

Q-53

《易》曰:「君子終日乾乾。」

『易経』では「君子は終日乾乾たり」と力があるものは常に危険と隣り合わせになっているのだ、君子たるものそのことを肝に銘じ、明るい間は努め励み、そして夕べにはその日のことを反省しおそれ慎む、このような態度であってやっと危険から免れることが出来るというものだ。

《詩》曰:「文王小心翼翼。」

『詩経』では「文王小心翼翼たり」といい、文王は慎み深く細かいことにも気を配り、天の神につかえ人民の幸福を願ったのだという。

竊觀古人之聖哲,未有不以君唱於上,

設問者が考えるに、古代聖哲、三皇五帝というものが君として唱和を唱えることで上にいるものが不調和になることなどないのである。

臣和於下,致乎人和年豐,成乎無為而理者也。

君と家臣とが唱和し、役割分担が図られ、指示が徹底し、人民にまで広がり和合し、豊かな収穫にいたった。上と下が和合すれば、為そうとするものが為すことができないということがないということを悟るものとなるのである。(この時の朝廷はすべてが正反対の状況であった。)

『易』に日く、「君子は終日乾乾たり」と。

『詩』に曰く、「文王小心翼翼たり」と。

竊かに観るに古人の聖哲は、未だ君上に唱し、

巨下に和するを以って、人の和と年の豊りを致し、無為にして理まるを成さざる名有らざるなり。

 

Q-54

主上躬純孝之聖,樹非常之功,

今上陛下は、みずから仁と孝の聖徳を体現しようとされている、世の常とはことなるほどの功績を立てられようとされている。

則拳拳然事親如有闕,外則悸悸然求賢如不及,

内に向ってはつつしみ深く、先祖を敬い玄宗上皇に親孝行をして、まだ仁徳に欠けたところがあるかのようにふるまわれている、外に向かってはまだ仁徳の力及ばないかと心配するように悸悸として鄭重に賢人を求められるのである。

伊百姓不知帝力、庶官但恭。

こうした皇帝の為政が慎み深いので)人民は皇帝の恩徳を受けていると気づかないのであり、こうして朝廷の百官までも己の身を正して恭順にふるまうようになるのである。

已而已。寇孽未平,咎徵之至數也;

孟子が言われる通り、「無理に終了させようとしても、仁徳の理にかなうものでなければ終了しない」といわれる。(ウイグル援軍と悪い貨幣の鋳造乱発。)それが証拠に安史の乱は平定せず、略奪、強盗がはびこっているのである。それは、天の咎めという懲罰であり、これを天地の至数でいっても極まれる数値におさまるものということなのだ。(天の理にかなった施政をしていない。)

倉廩未實,物理之固然也。

それも、国の米蔵がいまだに満杯にほど遠いのであり、これも物質の法則と仁徳の理というものが違ったままであるということなのだ。

主上 純孝の聖を躬らし,非常の功を樹て,

には則ち拳拳とし 然として親の事するに闕有るが如く,外には則ち 悸悸とし 然として 求賢をむるに及ばざるが如し,

伊れ 百姓 帝力を知らんがため、庶官 但だ恭しくする。

已むは而して已むのみ。

寇孽 未だ平らがざる,咎徵の至數なり;

倉廩 未だ實ちざる,物理の固然なり。

 

 

Q-55

今大軍虎步,列國鶴立,

今、大唐軍は虎のように威嚇して堂々と歩みはじめた、それに呼応して、安史軍に從わされていた列国は鶴のように高く立ちあがりはじめたのだ。

山東之諸將雲合,淇上之捷書日至。

山東の諸将達は、宴のように大勢集合し、洪水のほとりからは戦勝の報告書が毎日のようにもたらされている。

二三子議論宏正,詞氣高雅,

諸君よ、諸君が議論を正しく行い、また諸君の書く文章が気高く高雅であってほしい。

則遺寢蕩滌之後,聖朝砥礪之辰。

それはすなわち、依然として勢力が沈下しない洛陽の東北部の安史軍により、その動きが抑圧され、優秀な人材が眠っている地域が洗浄されたところから、大唐聖朝が人々に学問を修養させ、科挙を再開する時に当たったことからである。

雖遭明主,必致之於堯舜;

明主の世に遭遇できたということであっても、必ず明主を尭舜のように至らせ申し上げる必要があるのだ。

降及元輔,必要之於稷

下って天子の補佐役についても、これに必ず堯舜に仕えた稷と(契)、二人の名臣ようである人材が必要なのだ。

 

Q-55

今 大軍は虎の步みであり,列國は鶴のごとく立す,

山東の諸將は雲合し,淇上の捷書 日に至る。

二三子 議論は宏正にして,詞氣は高雅す,

則ち 遺寢 蕩滌の後,聖朝 砥礪の辰なるなり。

明主にう遭と雖も,必ず之を堯舜に於て致す;

降りて元輔に及ぶ,必ず之を稷於て要せよ

Q-56

驅蒼生於仁壽之域,反淳樸於羲皇之上。

自古哲王立極,大臣為體,

眇然坦途,利往何順,子有否?

庶複見子之誌,豈徒瑣瑣射策、趨競一第哉?

Q-56

蒼生を仁壽に於て之を域に驅り,淳樸に羲皇の上に於て反せよ。

古より哲王 極みて立て,大臣 體を為す,

眇然として 坦途し,往くに利ありて何ぞ順なるか,子 有りや否や?

庶くば複た子の誌を見ん,豈に徒らに射策に瑣瑣とし、一第を趨競せんや?

8世紀唐と周辺国00 

 

『乾元元年華州試進士策問五首 (15)Q-5-#4 現代語訳と訳註

(本文) Q-55

今大軍虎步,列國鶴立,

山東之諸將雲合,淇上之捷書日至。

二三子議論宏正,詞氣高雅,

則遺寢蕩滌之後,聖朝砥礪之辰。

雖遭明主,必致之於堯舜;

降及元輔,必要之於稷

 

(下し文)

今 大軍は虎の步みであり,列國は鶴のごとく立す,

山東の諸將は雲合し,淇上の捷書 日に至る。

二三子 議論は宏正にして,詞氣は高雅す,

則ち 遺寢 蕩滌の後,聖朝 砥礪の辰なるなり。

明主にう遭と雖も,必ず之を堯舜に於て致す;

降りて元輔に及ぶ,必ず之を稷に於て要せよ。

 

(現代語訳)

今、大唐軍は虎のように威嚇して堂々と歩みはじめた、それに呼応して、安史軍に從わされていた列国は鶴のように高く立ちあがりはじめたのだ。

山東の諸将達は、宴のように大勢集合し、洪水のほとりからは戦勝の報告書が毎日のようにもたらされている。

諸君よ、諸君が議論を正しく行い、また諸君の書く文章が気高く高雅であってほしい。

それはすなわち、依然として勢力が沈下しない洛陽の東北部の安史軍により、その動きが抑圧され、優秀な人材が眠っている地域が洗浄されたところから、大唐聖朝が人々に学問を修養させ、科挙を再開する時に当たったことからである。

明主の世に遭遇できたということであっても、必ず明主を尭舜のように至らせ申し上げる必要があるのだ。

下って天子の補佐役についても、これに必ず堯舜に仕えた稷と(契)、二人の名臣ようである人材が必要なのだ。

 

 長安と洛陽の大地図0048

(訳注) Q-55

今大軍虎步,列國鶴立,

今、大唐軍は虎のように威嚇して堂々と歩みはじめた、それに呼応して、安史軍に從わされていた列国は鶴のように高く立ちあがりはじめたのだ。

・虎步 他を威嚇して虎のように歩くこと。

 

山東之諸將雲合,淇上之捷書日至。

山東の諸将達は、宴のように大勢集合し、洪水のほとりからは戦勝の報告書が毎日のようにもたらされている。

・淇上 淇水のほとり。ここでは、洛陽以東の黄河中・下流域をいうがこの時、唐王朝軍が安慶緒らを取り囲んでいる鄭城を中々落せないことで、輸送路が分断されていた。淇水は『詩経 衛風』の地域。衛は黄河の中流域、中原の中心にあった国で、春秋時代には文化の中心であった。元々、商(殷)があった地域で、三監の乱の後に分割されて、北方が衛に、南方が宋になった。現在、河南省に当たる。春秋時代に開けていたのは河川の周辺部だけで、周辺の山地には森林が広がり、そこには狩猟採集民や、半農半猟の生活をしていた。

・捷書 社甫の「洗兵行」に「中興諸將收山東,捷書夜報清晝同。」わが唐の中興の諸将らは山東河北の土地を安慶緒らの手から奪回、回収して、その勝ちをしらせる旗印が夜中にくるし、昼もまた同じようにやってくる、とある。洗兵行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ992 杜甫特集700- 295


二三子議論宏正,詞氣高雅,

諸君よ、諸君が議論を正しく行い、また諸君の書く文章が気高く高雅であってほしい。

 

則遺寢蕩滌之後,聖朝砥礪之辰。

それはすなわち、依然として勢力が沈下しない洛陽の東北部の安史軍により、その動きが抑圧され、優秀な人材が眠っている地域が洗浄されたところから、大唐聖朝が人々に学問を修養させ、科挙を再開する時に当たったことからである。

・寢 安史軍により身動きが取れずに、隠れたり、眠ったふりをしていること。

・蕩滌 洗い流す

・砥礪 ① といし。 学問・修養などを高めようと努力すること。とぎみがくこと。

・之辰 この試験が実施されることになった時期。

 

雖遭明主,必致之於堯舜;

明主の世に遭遇できたということであっても、必ず明主を尭舜のように至らせ申し上げる必要があるのだ。

 

降及元輔,必要之於稷

下って天子の補佐役についても、これに必ず堯舜に仕えた稷と(契)、二人の名臣ようである人材が必要なのだ。

・稷 堯舜に仕えた稷と契)、二人の名臣で、稷は農業をつかさどり、契は教育をつかさどった。
Ta唐 長安近郊圖  新02 

乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (17) Q-5-#4》 杜甫index-14 764年 (17) Q-5-#4 杜甫<1509-17> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4310 杜甫詩1500-1509-17-1033/2500index-21

孟子が言われる通り、「無理に終了させようとしても、仁徳の理にかなうものでなければ終了しない」といわれる。(ウイグル援軍と悪い貨幣の鋳造乱発。)それが証拠に安史の乱は平定せず、略奪、強盗がはびこっているのである。それは、天の咎めという懲罰であり、これを天地の至数でいっても極まれる数値におさまるものということなのだ。(天の理にかなった施政をしていない。)

 
 2014年6月6日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
Index-28 #2 《古風五十九首之六》Index-28 Ⅳ-3-525 749年天寶八年49歳 <Index-28 #2> Ⅰ李白詩1152 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4308 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
403-2(1段の2) 《柳子厚墓誌銘(全六段)》韓愈(韓退之)ID 558Ⅱ唐宋八大家読本巻六<1065>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4309韓愈詩-403-2(1段の2) 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (17) Q-5-#4》 杜甫index-14 764年 (17) Q-5-#4 杜甫<1509-17> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4310 杜甫詩1500-1509-17-1033/2500index-21 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ397 韓昌黎集 巻五 329《晉公破賊回重拜台司,以詩示幕中賓客,愈奉和》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 4311 (06/06) 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor14-370《酒泉子三首其一》孫光憲(30)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-553-14-(370) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4312 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩 案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 


乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (17) Q-5-#4》 杜甫index-14 764 (17) Q-5-#4 杜甫<1509-17> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4310 杜甫詩1500-1509-17-1033/2500index-21

 

 

(Q-1)

(租庸調が崩れ、府兵制が崩壊している時において、賦税負担だけで軍を整備増強できる方法はあるか?)

            

(Q-2)

(軍は整備士増強することが臨まれるが、それ以外のことにも相当な負担を強いられている。人民も物納という税負担の為生産物の価値が下落することで税負担では生活ができない。両者の負担増をどうすればよいのか?

 

(Q-3)

(安史の乱による交通手段の遮断、陸上水路整備による駅伝制が整うことによる国領増強はできるのか?)

 

(Q-4)

(食糧が不足し、その上税負担、兵役負担が増大となるのをどうすべきか)

 

(Q-5)

(三皇五帝の時代は質素倹約につとめ、仁徳ある施政、物理にのっとる政治を行ったが、現在、安史の乱を終わらせるためにとったウイグル援軍への多大な負担は国家財政を破たんに近いもので、それを補てんするための鋳造比率を悪化させて発行量を驚愕に増加させたことは、穀物の不作とで過激なインフレーションを起こしていることに対しての意見を述べることを求めている。)

 

 

Q-5#1

問:昔唐堯之為君也,則天之大,

Ⓠ―5、策を問う、昔、堯が君となったのは、天の大いなる道理法則にのっとるためである。

敬授人時,十六升自唐侯者已;

天より授かった種まきと収穫の時期を人民に教えたのである。十六歳から唐侯(陶と次に唐)から帝位に封建されたのである。

昔帝舜之為臣也,舉禹之功,

それより昔のこと、舜か臣下となると、禹の功労を列挙してこれを手本に用いた。

克平水土,三十登為天子者已。

水利工事・土木工事により整備され、洪水もなく平穏に治めたので、三十歳では天子の位に登ったのである。

 

問う、昔 唐堯の君と為るや、天の大いなるに 則っとる。

天より授かった種まきと収穫の時期を人民に教えたのである。十六歳から唐侯(陶と次に唐)から帝位に封建されたのである。

それより昔のこと、舜か臣下となると、禹の功労を列挙してこれを手本に用いた。

水利工事・土木工事により整備され、洪水もなく平穏に治めたので、三十歳では天子の位に登ったのである。

 

Q-52

本之以文思聰明,加之以勞身焦思,

これは堯と舜が聡明な智と深い道徳心を根幹としていて、それに加えて焦燥の時でもお互いが思いやり心身を労することをいとわなかったのである。(この時、朝廷は、宰相同士の足の引っ張り合いに加え、宦官の暗躍に倚り、まともでないく、都は行在所に遷ったり戻ったり、加えて安史軍が都から略奪した、宝物から穀物の不足、ウイグルに援軍を恃んだ際の約束上の負担の増大で国家財政は破たんしていた。杜甫や儒者は質素倹約、小さな政府から国家を立て直すというのが主張であった。)

既睦九族,協和萬邦,

また、当然のこととして九族の親戚間を仲むつまじくさせ、その考えを国家間にもひろげて万国を協力・和合させたのである。(この時期、東:燕=安史軍、西:吐蕃、ウイグル、南:南越、北:燕=安史軍 のことをいう。)

黜去四凶,舉十六相,

四凶を辺境の地に退け、そこで防御の体制を取り、舜は十六人の賢相を起用した。(これは肅宗も唐中興のため16人の宰相を起用している。杜甫はこの中で最も中心となるべき人材が房琯であるとして肅宗に諫言(房琯擁護事件)したのである。)

故五帝之後,傳載唐虞之美,無德而稱焉。

ぞのため、五帝の後、唐虞の美徳を記録に伝載したが、その後彼らに肩をならべる者はいなかった。肅宗の16相は金権がらみの者たちが多かったことをいうのである。貨幣の悪鋳造、租税の貨幣での納税に絡む汚職・収賄金権体質のため、清廉の儒者が施政者でないといけないという。)

之に本として文文思聰明なるを以ってし、之に加ふるに労身焦思を以ってす。

既に九族を睦ましめ、萬邦を協和せしめる。

四凶を黜去し、十六相を挙ぐ。

故に五帝の後、唐虞の美を伝載するも、徳として称【かな】う無し。

Q-53

《易》曰:「君子終日乾乾。」

『易経』では「君子は終日乾乾たり」と力があるものは常に危険と隣り合わせになっているのだ、君子たるものそのことを肝に銘じ、明るい間は努め励み、そして夕べにはその日のことを反省しおそれ慎む、このような態度であってやっと危険から免れることが出来るというものだ。

《詩》曰:「文王小心翼翼。」

『詩経』では「文王小心翼翼たり」といい、文王は慎み深く細かいことにも気を配り、天の神につかえ人民の幸福を願ったのだという。

竊觀古人之聖哲,未有不以君唱於上,

設問者が考えるに、古代聖哲、三皇五帝というものが君として唱和を唱えることで上にいるものが不調和になることなどないのである。

臣和於下,致乎人和年豐,成乎無為而理者也。

君と家臣とが唱和し、役割分担が図られ、指示が徹底し、人民にまで広がり和合し、豊かな収穫にいたった。上と下が和合すれば、為そうとするものが為すことができないということがないということを悟るものとなるのである。(この時の朝廷はすべてが正反対の状況であった。)

『易』に日く、「君子は終日乾乾たり」と。

『詩』に曰く、「文王小心翼翼たり」と。

竊かに観るに古人の聖哲は、未だ君上に唱し、

巨下に和するを以って、人の和と年の豊りを致し、無為にして理まるを成さざる名有らざるなり。

 

Q-54

主上躬純孝之聖,樹非常之功,

今上陛下は、みずから仁と孝の聖徳を体現しようとされている、世の常とはことなるほどの功績を立てられようとされている。

則拳拳然事親如有闕,外則悸悸然求賢如不及,

内に向ってはつつしみ深く、先祖を敬い玄宗上皇に親孝行をして、まだ仁徳に欠けたところがあるかのようにふるまわれている、外に向かってはまだ仁徳の力及ばないかと心配するように悸悸として鄭重に賢人を求められるのである。

伊百姓不知帝力、庶官但恭。

こうした皇帝の為政が慎み深いので)人民は皇帝の恩徳を受けていると気づかないのであり、こうして朝廷の百官までも己の身を正して恭順にふるまうようになるのである。

已而已。寇孽未平,咎徵之至數也;

孟子が言われる通り、「無理に終了させようとしても、仁徳の理にかなうものでなければ終了しない」といわれる。(ウイグル援軍と悪い貨幣の鋳造乱発。)それが証拠に安史の乱は平定せず、略奪、強盗がはびこっているのである。それは、天の咎めという懲罰であり、これを天地の至数でいっても極まれる数値におさまるものということなのだ。(天の理にかなった施政をしていない。)

倉廩未實,物理之固然也。

それも、国の米蔵がいまだに満杯にほど遠いのであり、これも物質の法則と仁徳の理というものが違ったままであるということなのだ。

主上 純孝の聖を躬らし,非常の功を樹て,

には則ち拳拳とし 然として親の事するに闕有るが如く,外には則ち 悸悸とし 然として 求賢をむるに及ばざるが如し,

伊れ 百姓 帝力を知らんがため、庶官 但だ恭しくする。

已むは而して已むのみ。

寇孽 未だ平らがざる,咎徵の至數なり;

倉廩 未だ實ちざる,物理の固然なり。

 

洛陽 函谷関002 

『乾元元年華州試進士策問五首 (15)Q-5-#4 現代語訳と訳註

(本文)Q-54

主上躬純孝之聖,樹非常之功,

則拳拳然事親如有闕,外則悸悸然求賢如不及,

伊百姓不知帝力、庶官但恭。

已而已。寇孽未平,咎徵之至數也;

倉廩未實,物理之固然也。

 

(下し文)

主上 純孝の聖を躬らし,非常の功を樹て,

には則ち拳拳とし 然として親の事するに闕有るが如く,外には則ち 悸悸とし 然として 求賢をむるに及ばざるが如し,

伊れ 百姓 帝力を知らんがため、庶官 但だ恭しくする。

已むは而して已むのみ。

寇孽 未だ平らがざる,咎徵の至數なり;

倉廩 未だ實ちざる,物理の固然なり。

 

(現代語訳)

今上陛下は、みずから仁と孝の聖徳を体現しようとされている、世の常とはことなるほどの功績を立てられようとされている。

内に向ってはつつしみ深く、先祖を敬い玄宗上皇に親孝行をして、まだ仁徳に欠けたところがあるかのようにふるまわれている、外に向かってはまだ仁徳の力及ばないかと心配するように悸悸として鄭重に賢人を求められるのである。

こうした皇帝の為政が慎み深いので)人民は皇帝の恩徳を受けていると気づかないのであり、こうして朝廷の百官までも己の身を正して恭順にふるまうようになるのである。

孟子が言われる通り、「無理に終了させようとしても、仁徳の理にかなうものでなければ終了しない」といわれる。(ウイグル援軍と悪い貨幣の鋳造乱発。)それが証拠に安史の乱は平定せず、略奪、強盗がはびこっているのである。それは、天の咎めという懲罰であり、これを天地の至数でいっても極まれる数値におさまるものということなのだ。(天の理にかなった施政をしていない。)

それも、国の米蔵がいまだに満杯にほど遠いのであり、これも物質の法則と仁徳の理というものが違ったままであるということなのだ。

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

(訳注) Q-54

主上躬純孝之聖,樹非常之功,

今上陛下は、みずから仁と孝の聖徳を体現しようとされている、世の常とはことなるほどの功績を立てられようとされている。

 

則拳拳然事親如有闕,外則悸悸然求賢如不及,

内に向ってはつつしみ深く、先祖を敬い玄宗上皇に親孝行をして、まだ仁徳に欠けたところがあるかのようにふるまわれている、外に向かってはまだ仁徳の力及ばないかと心配するように悸悸として鄭重に賢人を求められるのである。

拳拳 1 捧げ持つさま。固く握って離さないさま。2 つつしむさま。

事親 先祖を敬い玄宗上皇にたいして親孝行をする。

悸悸 驚き恐れて胸さわぎするさま。

 

伊百姓不知帝力、庶官但恭。

こうした皇帝の為政が慎み深いので)人民は皇帝の恩徳を受けていると気づかないのであり、こうして朝廷の百官までも己の身を正して恭順にふるまうようになるのである。

 

已而已。寇孽未平,咎徵之至數也;

孟子が言われる通り、「無理に終了させようとしても、仁徳の理にかなうものでなければ終了しない」といわれる。(ウイグル援軍と悪い貨幣の鋳造乱発。)それが証拠に安史の乱は平定せず、略奪、強盗がはびこっているのである。それは、天の咎めという懲罰であり、これを天地の至数でいっても極まれる数値におさまるものということなのだ。(天の理にかなった施政をしていない。)

○已而已 「孟子曰 於不可已而已者 無所不已 於所厚者薄 無所不薄也 其進鋭者其退速」(孟子曰く 已むべからざるにおいて已むる者は 已まざるところなし。厚くすべき者において薄くするは 薄くせざるところなし。其の進むこと鋭【はや】き者は其の退くこと速やかなり。)やめてはならないときにやめてしまう者は、何をやってもやはりやめてしまう。手厚くするべきことを簡単にしてしまう者は、何においてもいい加減にやってしまう。せっかちに進む者は、やめるのも速い。

○寇孽 安史の乱が平定せず、略奪、強盗がはびこっていること。

○咎徵 天の咎めという徴候。天から受ける跋だという。

○至數 天地の至数は一に始まり九に終わる。「至数とは至極の数をいう。 九は奇数であり、天地の数はここに極まるのである。」「至数」とは天地がいかに大きく、万物がいかに多くともすべて数と無関係ではあり得ない。だから至数というのである。 数は一に始まり九に終わる。九に一を加えれば十になり、十はまた一の始まりである。だから「一に始まり九に終わる」というのである。五行思想の基本である。

 

倉廩未實,物理之固然也。

それも、国の米蔵がいまだに満杯にほど遠いのであり、これも物質の法則と仁徳の理というものが違ったままであるということなのだ。

○倉廩 #3のところで、「人和年豐」といい、今はそうなっていないと。国の米蔵は安史軍に略奪され、空にされたので、租庸調節度使に十六相の一人、第五琦を任じてこれにあたらせ、塩の専売、貨幣鋳造、淮南の庸調を売却して輕貨として回収して破綻した国庫に納めさせた。こうした政策は邪道と杜甫は言うのである。

○物理 物の道理。物の理法。人民の租庸調負担が重くなる施策は当面の繕いでしかないと杜甫は言うのである。

固然 …但是(可是・然而)…の形で,ある事実を承認しておきながら次にそれとくい違う事実を述べる場合)もとより…であるが(しかし…),…であることはもちろんであるが(しかし... -


乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (16) Q-5-#3》 杜甫index-14 764年 (16) Q-5-#3 杜甫<1509-16> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4305 杜甫詩1500-1509-16-1032/2500index-21

君と家臣とが唱和し、役割分担が図られ、指示が徹底し、人民にまで広がり和合し、豊かな収穫にいたった。上と下が和合すれば、為そうとするものが為すことができないということがないということを悟るものとなるのである。(この時の朝廷はすべてが正反対の状況であった。)


 
 2014年6月5日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
Index-28 #1 《古風五十九首之六》Index-28 Ⅳ-3-525 749年天寶八年49歳 <Index-28 #1> Ⅰ李白詩1151 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4303 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
403-1(1段の1) 《柳子厚墓誌銘(全六段)》韓愈(韓退之)ID 558Ⅱ唐宋八大家読本巻六<1064>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4304韓愈詩-403-1(1段の1) 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (16) Q-5-#3》 杜甫index-14 764年 (16) Q-5-#3 杜甫<1509-16> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4305 杜甫詩1500-1509-16-1032/2500index-21 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor14-369《臨江仙二首其二》孫光憲(29)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-552-14-(369) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4307 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩 案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (16) Q-5-#3 杜甫index-14 764 (16) Q-5-#3 杜甫<1509-16 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4305 杜甫詩1500-1509-16-1032/2500index-21

 

 

(Q-1)

(租庸調が崩れ、府兵制が崩壊している時において、賦税負担だけで軍を整備増強できる方法はあるか?)

            

(Q-2)

(軍は整備士増強することが臨まれるが、それ以外のことにも相当な負担を強いられている。人民も物納という税負担の為生産物の価値が下落することで税負担では生活ができない。両者の負担増をどうすればよいのか?

 

(Q-3)

(安史の乱による交通手段の遮断、陸上水路整備による駅伝制が整うことによる国領増強はできるのか?)

 

(Q-4)

(食糧が不足し、その上税負担、兵役負担が増大となるのをどうすべきか)

 

(Q-5)

(三皇五帝の時代は質素倹約につとめ、仁徳ある施政、物理にのっとる政治を行ったが、現在、安史の乱を終わらせるためにとったウイグル援軍への多大な負担は国家財政を破たんに近いもので、それを補てんするための鋳造比率を悪化させて発行量を驚愕に増加させたことは、穀物の不作とで過激なインフレーションを起こしていることに対しての意見を述べることを求めている。)

 

終南山03漢文委員会 kanbuniinkai 紀 頌之 

Q-5#1

 

問:昔唐堯之為君也,則天之大,

敬授人時,十六升自唐侯者已;

昔帝舜之為臣也,舉禹之功,

克平水土,三十登為天子者已。

Ⓠ―5、策を問う、昔、堯が君となったのは、天の大いなる道理法則にのっとるためである。

天より授かった種まきと収穫の時期を人民に教えたのである。十六歳から唐侯(陶と次に唐)から帝位に封建されたのである。

それより昔のこと、舜か臣下となると、禹の功労を列挙してこれを手本に用いた。

水利工事・土木工事により整備され、洪水もなく平穏に治めたので、三十歳では天子の位に登ったのである。

 

問う、昔 唐堯の君と為るや、天の大いなるに 則っとる。

天より授かった種まきと収穫の時期を人民に教えたのである。十六歳から唐侯(陶と次に唐)から帝位に封建されたのである。

それより昔のこと、舜か臣下となると、禹の功労を列挙してこれを手本に用いた。

水利工事・土木工事により整備され、洪水もなく平穏に治めたので、三十歳では天子の位に登ったのである。

 

Q-52

本之以文思聰明,加之以勞身焦思,

既睦九族,協和萬邦,

黜去四凶,舉十六相,

故五帝之後,傳載唐虞之美,無德而稱焉。

これは堯と舜が聡明な智と深い道徳心を根幹としていて、それに加えて焦燥の時でもお互いが思いやり心身を労することをいとわなかったのである。(この時、朝廷は、宰相同士の足の引っ張り合いに加え、宦官の暗躍に倚り、まともでないく、都は行在所に遷ったり戻ったり、加えて安史軍が都から略奪した、宝物から穀物の不足、ウイグルに援軍を恃んだ際の約束上の負担の増大で国家財政は破たんしていた。杜甫や儒者は質素倹約、小さな政府から国家を立て直すというのが主張であった。)

また、当然のこととして九族の親戚間を仲むつまじくさせ、その考えを国家間にもひろげて万国を協力・和合させたのである。(この時期、東:燕=安史軍、西:吐蕃、ウイグル、南:南越、北:燕=安史軍 のことをいう。)

四凶を辺境の地に退け、そこで防御の体制を取り、舜は十六人の賢相を起用した。(これは肅宗も唐中興のため16人の宰相を起用している。杜甫はこの中で最も中心となるべき人材が房琯であるとして肅宗に諫言(房琯擁護事件)したのである。)

ぞのため、五帝の後、唐虞の美徳を記録に伝載したが、その後彼らに肩をならべる者はいなかった。肅宗の16相は金権がらみの者たちが多かったことをいうのである。貨幣の悪鋳造、租税の貨幣での納税に絡む汚職・収賄金権体質のため、清廉の儒者が施政者でないといけないという。)

之に本として文文思聰明なるを以ってし、之に加ふるに労身焦思を以ってす。

既に九族を睦ましめ、萬邦を協和せしめる。

四凶を黜去し、十六相を挙ぐ。

故に五帝の後、唐虞の美を伝載するも、徳として称【かな】う無し。

Q-53

《易》曰:「君子終日乾乾。」

《詩》曰:「文王小心翼翼。」

竊觀古人之聖哲,未有不以君唱於上,

臣和於下,致乎人和年豐,成乎無為而理者也。

『易経』では「君子は終日乾乾たり」と力があるものは常に危険と隣り合わせになっているのだ、君子たるものそのことを肝に銘じ、明るい間は努め励み、そして夕べにはその日のことを反省しおそれ慎む、このような態度であってやっと危険から免れることが出来るというものだ。

『詩経』では「文王小心翼翼たり」といい、文王は慎み深く細かいことにも気を配り、天の神につかえ人民の幸福を願ったのだという。

設問者が考えるに、古代聖哲、三皇五帝というものが君として唱和を唱えることで上にいるものが不調和になることなどないのである。

君と家臣とが唱和し、役割分担が図られ、指示が徹底し、人民にまで広がり和合し、豊かな収穫にいたった。上と下が和合すれば、為そうとするものが為すことができないということがないということを悟るものとなるのである。(この時の朝廷はすべてが正反対の状況であった。)

『易』に日く、「君子は終日乾乾たり」と。

『詩』に曰く、「文王小心翼翼たり」と。

竊かに観るに古人の聖哲は、未だ君上に唱し、

巨下に和するを以って、人の和と年の豊りを致し、無為にして理まるを成さざる名有らざるなり。

 

Q-54

主上躬純孝之聖,樹非常之功,

則拳拳然事親如有闕,外則悸悸然求賢如不及,

伊百姓不知帝力、庶官但恭。

已而已。寇孽未平,咎徵之至數也;

倉廩未實,物理之固然也。

主上 純孝の聖を躬らし,非常の功を樹て,

には則ち拳拳とし 然として親の事するに闕有るが如く,外には則ち 悸悸とし 然として 求賢をむるに及ばざるが如し,

伊れ 百姓 帝力を知らんがため、庶官 但だ恭しくする。

已むは而して已むのみ。

寇孽 未だ平らがざる,咎徵の至數なり;

倉廩 未だ實ちざる,物理の固然なり。

 

洛陽 函谷関002 

『乾元元年華州試進士策問五首 (15)Q-5-#2 現代語訳と訳註

(本文) Q-53

《易》曰:「君子終日乾乾。」

《詩》曰:「文王小心翼翼。」

竊觀古人之聖哲,未有不以君唱於上,

臣和於下,致乎人和年豐,成乎無為而理者也。

 

(下し文)

『易』に日く、「君子は終日乾乾たり」と。

『詩』に曰く、「文王小心翼翼たり」と。

竊かに観るに古人の聖哲は、未だ君上に唱し、

巨下に和するを以って、人の和と年の豊りを致し、無為にして理まるを成さざる名有らざるなり。

 

(現代語訳)

『易経』では「君子は終日乾乾たり」と力があるものは常に危険と隣り合わせになっているのだ、君子たるものそのことを肝に銘じ、明るい間は努め励み、そして夕べにはその日のことを反省しおそれ慎む、このような態度であってやっと危険から免れることが出来るというものだ。

『詩経』では「文王小心翼翼たり」といい、文王は慎み深く細かいことにも気を配り、天の神につかえ人民の幸福を願ったのだという。

設問者が考えるに、古代聖哲、三皇五帝というものが君として唱和を唱えることで上にいるものが不調和になることなどないのである。

君と家臣とが唱和し、役割分担が図られ、指示が徹底し、人民にまで広がり和合し、豊かな収穫にいたった。上と下が和合すれば、為そうとするものが為すことができないということがないということを悟るものとなるのである。(この時の朝廷はすべてが正反対の状況であった。)

 

(訳注) Q-53

《易》曰:「君子終日乾乾。」

『易経』では「君子は終日乾乾たり」と力があるものは常に危険と隣り合わせになっているのだ、君子たるものそのことを肝に銘じ、明るい間は努め励み、そして夕べにはその日のことを反省しおそれ慎む、このような態度であってやっと危険から免れることが出来るというものだ。

○易経、爻辞(象辞)「君子終日乾乾.夕惕若厲.無咎.」 〔君子、終日乾乾し、夕べには惕若(てきじゃく)たり。厲(あやう)けれど咎無し。〕力があるものは常に危険と隣り合わせになっているのだ、君子たるものそのことを肝に銘じ、明るい間は努め励み、そして夕べにはその日のことを反省しおそれ慎む、このような態度であってやっと危険から免れることが出来るのです。

 

《詩》曰:「文王小心翼翼。」

『詩経』では「文王小心翼翼たり」といい、文王は慎み深く細かいことにも気を配り、天の神につかえ人民の幸福を願ったのだという。

○詩経、大雅・大明「維此文王、小心翼翼。 昭事上帝、聿懷多福。」 (維れ此の文王、小心翼翼たり、昭かに上帝に事へ、ここに多福を懐く). 「よく気を配り、天意に従い、人民の幸福に思いを馳せる」聖人君子として、文王を称えている。昭(あき)らかに上帝に事(つか)え、ここに多福を懐(おも)えり』 文王は慎み深く細かいことにも気を配り、天の神につかえ人民の幸福を願った。

 

竊觀古人之聖哲,未有不以君唱於上,

設問者が考えるに、古代聖哲、三皇五帝というものが君として唱和を唱えることで上にいるものが不調和になることなどないのである。

○古人之聖哲 杜甫は三皇五帝のことをいうが、肅宗はこれを学ぼうとしているので、これを例にとっている。しかし、内容は肅宗の家臣たちに問題があると指摘しているのだ。

 

臣和於下,致乎人和年豐,成乎無為而理者也。

君と家臣とが唱和し、役割分担が図られ、指示が徹底し、人民にまで広がり和合し、豊かな収穫にいたった。上と下が和合すれば、為そうとするものが為すことができないということがないということを悟るものとなるのである。(この時の朝廷はすべてが正反対の状況であった。)

○人和年豐 この時の朝廷は、家臣団は複数のグループに分かれ、足の引っ張り合いであったこと、時を同じくして、ここの語句と正反対の飢饉であった。
Ta唐 長安近郊圖  新02


乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (15) Q-5-#2》 杜甫index-14 764年 (15) Q-5-#2 杜甫<779> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4300 杜甫詩1500-779-1031/2500index-21

この時、朝廷は、宰相同士の足の引っ張り合いに加え、宦官の暗躍に倚り、まともでないく、都は行在所に遷ったり戻ったり、加えて安史軍が都から略奪した、宝物から穀物の不足、ウイグルに援軍を恃んだ際の約束上の負担の増大で国家財政は破たんしていた。杜甫や儒者は質素倹約、小さな政府から国家を立て直すというのが主張であった。

        
 2014年6月4日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
Index-23 《古風五十九首之五》Ⅲ-2 744年天寶三年44歳 364<Index-23> Ⅰ李白詩1150 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4298 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
402-10 《黄陵廟碑 -(10)四段の2》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家読本 巻五 <1063>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4299韓愈詩-402-10 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (15) Q-5-#2》 杜甫index-14 764年 (15) Q-5-#2 杜甫<779> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4300 杜甫詩1500-779-1031/2500index-21 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor14-368《臨江仙二首其一》孫光憲(28)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-551-14-(368) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4302 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩 案内李白全集文選古詩源花間集案内 
        


乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (15) Q-5-#2》 杜甫index-14 764 (15) Q-5-#2 杜甫<779> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4300 杜甫詩1500-779-1031/2500index-21

 

 

Q-5#1

問:昔唐堯之為君也,則天之大,

Ⓠ―5、策を問う、昔、堯が君となったのは、天の大いなる道理法則にのっとるためである。

敬授人時,十六升自唐侯者已;

天より授かった種まきと収穫の時期を人民に教えたのである。十六歳から唐侯(陶と次に唐)から帝位に封建されたのである。

昔帝舜之為臣也,舉禹之功,

それより昔のこと、舜か臣下となると、禹の功労を列挙してこれを手本に用いた。

克平水土,三十登為天子者已。

水利工事・土木工事により整備され、洪水もなく平穏に治めたので、三十歳では天子の位に登ったのである。

 

問う、昔 唐堯の君と為るや、天の大いなるに 則っとる。

天より授かった種まきと収穫の時期を人民に教えたのである。十六歳から唐侯(陶と次に唐)から帝位に封建されたのである。

それより昔のこと、舜か臣下となると、禹の功労を列挙してこれを手本に用いた。

水利工事・土木工事により整備され、洪水もなく平穏に治めたので、三十歳では天子の位に登ったのである。

 

Q-52

本之以文思聰明,加之以勞身焦思,

これは堯と舜が聡明な智と深い道徳心を根幹としていて、それに加えて焦燥の時でもお互いが思いやり心身を労することをいとわなかったのである。(この時、朝廷は、宰相同士の足の引っ張り合いに加え、宦官の暗躍に倚り、まともでないく、都は行在所に遷ったり戻ったり、加えて安史軍が都から略奪した、宝物から穀物の不足、ウイグルに援軍を恃んだ際の約束上の負担の増大で国家財政は破たんしていた。杜甫や儒者は質素倹約、小さな政府から国家を立て直すというのが主張であった。)

既睦九族,協和萬邦,

また、当然のこととして九族の親戚間を仲むつまじくさせ、その考えを国家間にもひろげて万国を協力・和合させたのである。(この時期、東:燕=安史軍、西:吐蕃、ウイグル、南:南越、北:燕=安史軍 のことをいう。)

黜去四凶,舉十六相,

四凶を辺境の地に退け、そこで防御の体制を取り、舜は十六人の賢相を起用した。(これは肅宗も唐中興のため16人の宰相を起用している。杜甫はこの中で最も中心となるべき人材が房琯であるとして肅宗に諫言(房琯擁護事件)したのである。)

故五帝之後,傳載唐虞之美,無德而稱焉。

ぞのため、五帝の後、唐虞の美徳を記録に伝載したが、その後彼らに肩をならべる者はいなかった。肅宗の16相は金権がらみの者たちが多かったことをいうのである。貨幣の悪鋳造、租税の貨幣での納税に絡む汚職・収賄金権体質のため、清廉の儒者が施政者でないといけないという。)

之に本として文文思聰明なるを以ってし、之に加ふるに労身焦思を以ってす。

既に九族を睦ましめ、萬邦を協和せしめる。

四凶を黜去し、十六相を挙ぐ。

故に五帝の後、唐虞の美を伝載するも、徳として称【かな】う無し。

Q-53

《易》曰:「君子終日乾乾。」

《詩》曰:「文王小心翼翼。」

竊觀古人之聖哲,未有不以君唱於上,

臣和於下,致乎人和年豐,成乎無為而理者也。

『易』に日く、「君子は終日乾乾たり」と。

『詩』に曰く、「文王小心翼翼たり」と。

竊かに観るに古人の聖哲は、未だ君上に唱し、

巨下に和するを以って、人の和と年の豊りを致し、無為にして理まるを成さざる名有らざるなり。

 

Q-54

主上躬純孝之聖,樹非常之功,

則拳拳然事親如有闕,外則悸悸然求賢如不及,

伊百姓不知帝力、庶官但恭。

已而已。寇孽未平,咎徵之至數也;

倉廩未實,物理之固然也。

主上 純孝の聖を躬らし,非常の功を樹て,

には則ち拳拳とし 然として親の事するに闕有るが如く,外には則ち 悸悸とし 然として 求賢をむるに及ばざるが如し,

伊れ 百姓 帝力を知らんがため、庶官 但だ恭しくする。

已むは而して已むのみ。

寇孽 未だ平らがざる,咎徵の至數なり;

倉廩 未だ實ちざる,物理の固然なり。

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

『乾元元年華州試進士策問五首 (15)Q-5-#2 現代語訳と訳註

(本文) Q-52

本之以文思聰明,加之以勞身焦思,

既睦九族,協和萬邦,

黜去四凶,舉十六相,

故五帝之後,傳載唐虞之美,無德而稱焉。

 

(下し文)

之に本として文文思聰明なるを以ってし、之に加ふるに労身焦思を以ってす。

既に九族を睦ましめ、萬邦を協和せしめる。

四凶を黜去し、十六相を挙ぐ。

 

(現代語訳)

これは堯と舜が聡明な智と深い道徳心を根幹としていて、それに加えて焦燥の時でもお互いが思いやり心身を労することをいとわなかったのである。(この時、朝廷は、宰相同士の足の引っ張り合いに加え、宦官の暗躍に倚り、まともでないく、都は行在所に遷ったり戻ったり、加えて安史軍が都から略奪した、宝物から穀物の不足、ウイグルに援軍を恃んだ際の約束上の負担の増大で国家財政は破たんしていた。杜甫や儒者は質素倹約、小さな政府から国家を立て直すというのが主張であった。)

また、当然のこととして九族の親戚間を仲むつまじくさせ、その考えを国家間にもひろげて万国を協力・和合させたのである。(この時期、東:燕=安史軍、西:吐蕃、ウイグル、南:南越、北:燕=安史軍 のことをいう。)

四凶を辺境の地に退け、そこで防御の体制を取り、舜は十六人の賢相を起用した。(これは肅宗も唐中興のため16人の宰相を起用している。杜甫はこの中で最も中心となるべき人材が房琯であるとして肅宗に諫言(房琯擁護事件)したのである。)

ぞのため、五帝の後、唐虞の美徳を記録に伝載したが、その後彼らに肩をならべる者はいなかった。肅宗の16相は金権がらみの者たちが多かったことをいうのである。貨幣の悪鋳造、租税の貨幣での納税に絡む汚職・収賄金権体質のため、清廉の儒者が施政者でないといけないという。)

 終南山03漢文委員会 kanbuniinkai 紀 頌之

(訳注) Q-52

(Q-5)

(三皇五帝の時代は質素倹約につとめ、仁徳ある施政、物理にのっとる政治を行ったが、現在、安史の乱を終わらせるためにとったウイグル援軍への多大な負担は国家財政を破たんに近いもので、それを補てんするための鋳造比率を悪化させて発行量を驚愕に増加させたことは、穀物の不作とで過激なインフレーションを起こしていることに対しての意見を述べることを求めている。)
 

本之以文思聰明,加之以勞身焦思,

これは堯と舜が聡明な智と深い道徳心を根幹としていて、それに加えて焦燥の時でもお互いが思いやり心身を労することをいとわなかったのである。

・文思聰明 「書経」堯典序に「昔在帝堯,聰明文思,光宅天下。將遜于位,讓于虞舜。 >昔、帝「堯」がいて、聡明さや道徳を、大きく天下に広げた。自ら帝位を降りて、虞舜に譲った。 >ぐ‐しゅん【虞舜】中国古代の伝説上の聖王、舜のこと。虞に都し、有虞氏といった。とある。

・勞身焦思 ここでは堯と舜の互いに思いやる気持ちをいう。意味合いとしては180度異なるが、杜甫『憶昔,二首之一』に「至今今上猶撥亂,勞身焦思補四方。」(今に至って今上 猶お亂を撥し,身を勞し 焦思して四方を補う。)とある。しかし、ウイグル軍という異民族に援軍を求めたことがここにきて、この騒乱を招くことに起因しているのである。この身をどれ程務め尽くしても焦燥感を消してくれる術というものが四方尽くしても全くないのが現状であろう。746廣徳2年764年―5-#1 《憶昔,二首之一》 蜀中転々 杜甫 <655-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3640 杜甫詩1000-655-1-922/1500749-1

 

既睦九族,協和萬邦,

また、当然のこととして九族の親戚間を仲むつまじくさせ、その考えを国家間にもひろげて万国を協力・和合させたのである。

・この二句は、『書経』堯典「「克明俊徳、以親九族。九族既睦、平章百姓。百姓昭明、協和万邦。黎民於変、時雍。」

生まれながらに持っている立派な良い性質を、自分の力で努力し辛抱して見事に発揮することにより、家族みんなが親しくなる。家族みんなが和気あいあいとして、自らの役割を理解して、仲よく力を合わせて暮らすと・・・そういう人たちが寄り集まることによって、すべての家々(百姓)が平和で明るく栄えていく。その和気は隣近所から町、郡、県と人々をことごとく和合し、果ては国中の民が平和を愛し、天下はよく治まる。更にその和気は広く万国に広がり、国同士が和合協力するようになる。・九族  自分を中心に、先祖・子孫の各4代を含めた9代の親族。高祖父母・曽(そう)祖父母・祖父母・父母・自分・子・孫・曽孫・玄孫。一説に、父方の四、母方の三、妻方の二の九つの親族をいう。ここでは血縁を一族についての平穏、親睦ということを国家間における親交、親睦に務めることをいう。

 

黜去四凶,舉十六相,

四凶を辺境の地に退け、そこで防御の体制を取り、舜は十六人の賢相を起用した。(これは肅宗も唐中興のため16人の宰相を起用している。杜甫はこの中で最も中心となるべき人材が房琯であるとして肅宗に諫言(房琯擁護事件)したのである。)

・黜去四凶 「天下謂之饕餮。天下惡之、比之三凶。舜賓於四門、乃流四凶族、遷于四裔、以御螭魅。於是四門辟。言毋凶人也。」(天下、これを饕餮【とうてつ】という。天下、これを悪み、これを三凶に比す。舜、四門に賓し、すなわち四凶族【しきょうぞく】を流して、四裔【しえい】に遷うつし、もって螭魅【ちみ】を御【ふせ】ぐ。ここにおいて四門辟【ひら】く。凶人なきをいうなり。)

・舉十六相 

杜甫『述古,三首之二』

市人日中集,於利競錐刀。

置膏烈火上,哀哀自煎熬。

農人望稔,相率除蓬蒿。

所務穀為本,邪贏無乃勞。

舜舉十六相,身尊道何高。根本的にいうと、むかし舜は十六人の賢相をあげて用いた、それで自身は尊くなり、その道は高尚である。(粛宗も宰相16人であるがとても酷いものが多いということ。)

秦時任商鞅,法令如牛毛。

十六相 八元八憶と称する十六人の賢い宰相をいう、事は「左伝」(文公十八年)にみえる。この時粛宗が任じたは宰相が16人であったためにこういう表現をしたのである。

肅宗の宰相十六人 韋見素・崔圓・房琯・裴冕・崔渙・李麟・苗晉卿・張鎬・王璵・呂・李峴・第五琦・李揆・蕭華・裴遵慶・元載。

654 《述古,三首之二》 蜀中転々 杜甫 <559  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3025 杜甫詩1000-559-799/1500

 

故五帝之後,傳載唐虞之美,無德而稱焉。

ぞのため、五帝の後、唐虞の美徳を記録に伝載したが、その後彼らに肩をならべる者はいなかった。

・唐虞 伝説時代の帝王堯(陶唐氏)と舜(有虞氏)を併せて「唐虞」という。
長安と洛陽の大地図0048

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (14) Q-5-#1》 杜甫index-14 764年 (14) Q-5-#1 杜甫<778> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4295 杜甫詩1500-778-1030/2500index-21

(Q-5)(三皇五帝の時代は質素倹約につとめ、仁徳ある施政、物理にのっとる政治を行ったが、現在、安史の乱を終わらせるためにとったウイグル援軍への多大な負担は国家財政を破たんに近いもので、それを補てんするための鋳造比率を悪化させて発行量を驚愕に増加させたことは、穀物の不作とで過激なインフレーションを起こしていることに対しての意見を述べることを求めている。)


        
 2014年6月3日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
Index-23 Ⅲ-1-364 《古風,五十九首之五》Ⅲ-1 744年天寶三年44歳 364<Index-23> Ⅰ李白詩1149 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4293 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
410 《黄陵廟碑 -(9)四段の1》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家読本 巻五 <1062>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4294韓愈詩-410 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (14) Q-5-#1》 杜甫index-14 764年 (14) Q-5-#1 杜甫<778> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4295 杜甫詩1500-778-1030/2500index-21 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ394 韓昌黎集 巻五 326《次潼關先寄張十二閣老使君〔張賈也。〕》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 4296 (06/03) 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor14-367《生查子三首其三》孫光憲(27)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-550-14-(367) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4297 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩 案内李白全集文選古詩源花間集案内 
        

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (14) Q-5-#1》 杜甫index-14 764 (14) Q-5-#1 杜甫<778> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4295 杜甫詩1500-778-1030/2500index-21

 

 

Q-5#1

問:昔唐堯之為君也,則天之大,

敬授人時,十六升自唐侯者已;

昔帝舜之為臣也,舉禹之功,

克平水土,三十登為天子者已。

Q-52

本之以文思聰明,加之以勞身焦思,

既睦九族,協和萬邦,

黜去四凶,舉十六相,

故五帝之後,傳載唐虞之美,無德而稱焉。

Q-53

《易》曰:「君子終日乾乾。」

《詩》曰:「文王小心翼翼。」

竊觀古人之聖哲,未有不以君唱於上,

臣和於下,致乎人和年豐,成乎無為而理者也。

Q-54

主上躬純孝之聖,樹非常之功,

則拳拳然事親如有闕,外則悸悸然求賢如不及,

伊百姓不知帝力、庶官但恭。

已而已。寇孽未平,咎徵之至數也;

倉廩未實,物理之固然也。

Q-55

今大軍虎步,列國鶴立,

山東之諸將雲合,淇上之捷書日至。

二三子議論宏正,詞氣高雅,

則遺寢蕩滌之後,聖朝砥礪之辰。

雖遭明主,必致之於堯舜;

降及元輔,必要之於稷

Q-56

驅蒼生於仁壽之域,反淳樸於羲皇之上。

自古哲王立極,大臣為體,

眇然坦途,利往何順,子有否?

庶複見子之誌,豈徒瑣瑣射策、趨競一第哉?

Q-57

頃之問孝秀,取備尋常之對,

多忽經濟之體,考諸詞學,

自有文章在,策以徵事,曷成凡例焉?

今愚之粗徵,貴切時務而已。

Q-58

夫時患錢輕,以至於量資幣、權子母。

代複改鑄,或行乎前莢、後契刀。

當此之際,百姓蒙利厚薄,何人所制輕重?

又穀者,所以阜俗康時、聚人守位者也。

Q-59

下至十室之邑,必有千鍾之藏。

苟凶穰以之,貴賤失度,

雖封丞相而猶困,侯大農而謂何?

是以繼表微,無或區分逾越,

蒙實不敏,仁遠何哉?

終南山03漢文委員会 kanbuniinkai 紀 頌之 

----------------------------------------------------------------

 

Q-5#1

問:昔唐堯之為君也,則天之大,

敬授人時,十六升自唐侯者已;

昔帝舜之為臣也,舉禹之功,

克平水土,三十登為天子者已。

Ⓠ―5、策を問う、昔、堯が君となったのは、天の大いなる道理法則にのっとるためである。

天より授かった種まきと収穫の時期を人民に教えたのである。十六歳から唐侯(陶と次に唐)から帝位に封建されたのである。

それより昔のこと、舜か臣下となると、禹の功労を列挙してこれを手本に用いた。

水利工事・土木工事により整備され、洪水もなく平穏に治めたので、三十歳では天子の位に登ったのである。

 

問う、昔 唐堯の君と為るや、天の大いなるに 則っとる。

天より授かった種まきと収穫の時期を人民に教えたのである。十六歳から唐侯(陶と次に唐)から帝位に封建されたのである。

それより昔のこと、舜か臣下となると、禹の功労を列挙してこれを手本に用いた。

水利工事・土木工事により整備され、洪水もなく平穏に治めたので、三十歳では天子の位に登ったのである。

 

洛陽 函谷関002 

『乾元元年華州試進士策問五首 (14)Q-5-#1 現代語訳と訳註

(本文) Q-5#1

問:昔唐堯之為君也,則天之大,

敬授人時,十六升自唐侯者已;

昔帝舜之為臣也,舉禹之功,

克平水土,三十登為天子者已。

 

 (下し文)Q-5#1

問う、昔 唐堯の君と為るや、天の大いなるに 則っとる。

敬しみて授けられしを人に時し、十六より唐侯に升るのみ。

昔 舜帝の臣と為るなり、禹の功を挙げ、

水土を克【よ】く平らかにし、三十 登りて天子と為るのみ。

 

(現代語訳)

Ⓠ―5、策を問う、昔、堯が君となったのは、天の大いなる道理法則にのっとるためである。

天より授かった種まきと収穫の時期を人民に教えたのである。十六歳から唐侯(陶と次に唐)から帝位に封建されたのである。

それより昔のこと、舜か臣下となると、禹の功労を列挙してこれを手本に用いた。

水利工事・土木工事により整備され、洪水もなく平穏に治めたので、三十歳では天子の位に登ったのである。

 

(訳注) Q-5#1

問:昔唐堯之為君也,則天之大,

Ⓠ―5、策を問う、昔、堯が君となったのは、天の大いなる道理法則にのっとるためである。

唐堯 堯、あるいは陶唐氏という。堯(尭、ぎょう)は中国神話に登場する君主。姓は伊祁(いき)、名は放勲(ほうくん)。陶、次いで唐に封建されたので陶唐氏ともいう。儒家により神聖視され、聖人と崇められた。『十八史略』によれば平陽に都したとし、質素な生活を送っていたとしている。別の書物での堯の伝説として、羿(羿の字は羽の下に廾、姓は后)を挙げる。その頃の太陽は全部で十個あり、交代で地上を照らしていたのだが、ある時に十個が一度に地上を照らすようになったために地上は灼熱地獄となった。堯は弓の名人である羿に何とかして来いと命令すると、羿は九個の太陽を打ち落として帰ってきて、救われた民衆は堯を褒め称え帝に迎えたという。後世には舜と共に聖天子として崇められ、堯舜と並び称される。

 

敬授人時,十六升自唐侯者已;

天より授かった種まきと収穫の時期を人民に教えたのである。十六歳にして唐侯(陶と次に唐)から帝位に封建されたのである。

・敬授人時 倚書尭典に「乃命義和、欽若発天暦象日月星辰、敬役人時。」とあり、『史記』五帝本紀の尭帝に「乃命義和、敬順昊天、数法日月星辰、敬授民時。」とある。羲氏、和氏に命じ、つつしんで大空に従い、計算して太陽、月、星辰を法則立てて、つつしんで民に時刻を授けさせた。農事の日程を計算し、その時期を知らせることをいう。ここから義和を太陽の動きとするようになった。

 

昔帝舜之為臣也,舉禹之功,

それより昔のこと、舜か臣下となると、禹の功労を列挙してこれを手本に用いた。

 

克平水土,三十登為天子者已。

水利工事・土木工事により整備され、洪水もなく平穏に治めたので、三十歳で天子の位に登ったのである。

平水土『史記』五帝本紀の舜帝に「皆曰伯禹為司空可美帝功,舜曰嗟然禹汝平水土維是勉哉。」(皆曰く『伯禹が司空となれば、帝の功をよくするでしょう。』と。 帝舜曰く『ああ、然り。禹よ、汝は水土を平らかにし、これ、ここに勉めよ。」と。ある。灌漑事業と水路運河事業、堤防護岸工事、道路整備、耕作地整備、都市計画事業などを指す。
Ta唐 長安近郊圖  新02 

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (13) Q-4-#3》 杜甫index-14 764年 (13) Q-4-#3 杜甫<777> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4290 杜甫詩1500-777-1029/2500index-21

徴兵期間はこれまで、瓜が実る時期とされてきたがこの新規徴兵に対して任期満了の日を選定する事さえ未だなされていないのである、農作物のとりいれができないようなら、人民は食うものがなく次第にかの翳桑の飢餓の人は人民を助けたが、これではただの飢餓になるのだ。こうなれば、ここにいる多くの役人たちでさえ自ら救う力はない。ここに受験する諸君はこの状態をどう解決したらよいというだろうか。意見を述べたまえ。

        
 2014年6月2日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
Index-33 《古風五十九首之四》Ⅳ-8 754年天寶十三年54歳 640<Index-33> Ⅰ李白詩1148 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4288 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
409 《黄陵廟碑 -(8)三段の4》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家読本 巻五 <1061>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4289韓愈詩-409 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (13) Q-4-#3》 杜甫index-14 764年 (13) Q-4-#3 杜甫<777> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4290 杜甫詩1500-777-1029/2500index-21 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor14-366《生查子三首其二》孫光憲(26)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-549-14-(366) 花間集 巻第八 (四十八首)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4292 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩 案内李白全集文選古詩源花間集案内 
        
 

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (13) Q-4-#3》 杜甫index-14 764 (13) Q-4-#3 杜甫<777> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4290 杜甫詩1500-777-1029/2500index-21

 

 

Q-4 #1(食糧が不足し、その上税負担、兵役負担が増大となるのをどうすべきか)

問:足食足兵,先哲雅誥,

第四の策を問う、「食物を十分に供し、兵を充分にそなえておけば、人民はその施政者を信頼するというのは、『論語』顔淵篇に見える先哲の正しくて立派な戒めである。

蓋有兵無食,是謂棄之。

これを踏まえて、食物が不足し供されない状況が続くのは、これは軍事を弱体化させ、人民の信頼を棄てるということである。

致能掉鞅,靡旌,斯可用矣。

特に軍に食料不足であっても、戦いに余裕を持って臨んだり、馬車を疾駆させることは、必ず用いるべき姿勢でなければいけないのである。

況寇猶作梗,兵不可去,

ましてや安史軍は今なお略奪、横暴で輸送ルートを塞いでおり、ここ司功参軍の兵隊を引き上げることはでききないのである。

日聞將軍之令,親睹司馬之法。

日々、将軍は状況に応じた命令を出しているのが聞こえてくる、司馬の兵法を間近に見ているのであるからなおさら軍の整備が重要なのである。

Q-4、問ふ、「食を足らしめ兵を足らしむ」とは、先哲の雅誥なり。

蓋し兵有りて食無きは、是れ之を棄つと謂ふ。

能く掉鞅 靡旌を致すは、斯れ用ふ可し。

況んや寇 猶ほ梗を作し、兵去る可からず、

日々将軍の令を聞き、親しく司馬の法を睹る。

 

Q-4#2

關中之卒未息,灞上之營何遠?

ところで、関中の軍隊には食料供給は特に不足であり、戦もまだ終息していない、長安の東、㶚水のほとりの幕営はここ華州司功参軍からそれほど遠くない。(華州は函谷関寄り西であり、長安と経済圏は一緒である)。

近者鄭南訓練,城下屯集,

近頃、鄭県の南で徴兵した民間人を訓練したが、それは城下に民兵として駐屯するため集合したのだ。

瞻彼三千之徒,有異什一而

その三千の新規徴兵の兵隊を見ると、これによって通常の税額と異なって十分の一税にいるようだ(過重な負担を強いられてわざと足の骨を折ることまであったと三吏三別『石豪吏』にある)。

竊見明發教以戰鬥,亭午放其庸保,

注意して見れば、明け方から戦闘訓練があったが、正午過ぎにはその兵労役を解放されはするのである。

課乃菽麥,以為尋常。

その上に豆と麦を農業することを課され、そうするのか尋常となっている。

關中の卒 未だ息まず、㶚上の営何ぞ遠からん。

近ごろ、鄭南に訓練し、城下に屯集す。

彼の三千の徒を瞻るに、什の一にして税するに異なる有り。

竊かに見るに 明発 教うるに戦闘を以ってし、亭午其の庸保を放ち、

課するは乃ち菽と麦にして、以て尋常と為す。

 

Q-4#3

夫悅以使人,是能用古,

そもそも人民を用いるには、愛撫し、人民が喜んで参加してくれるようにしなさいと、唐の太宗は制度を確立して、「貞觀の治」といわれるように人民を採用されたではないか。

則雲暮,實慮休止,

それなのに今年ももはや暮れようとしているのに、幕府の方では本当に財政破たんし、徴兵でもって兵の増員するのが中止になりはしないかと心配しているのである。

未卜及瓜之還,交比翳桑之餓。

徴兵期間はこれまで、瓜が実る時期とされてきたがこの新規徴兵に対して任期満了の日を選定する事さえ未だなされていないのである、農作物のとりいれができないようなら、人民は食うものがなく次第にかの翳桑の飢餓の人は人民を助けたが、これではただの飢餓になるのだ。

群有司自救不暇,二三子謂之何哉?

こうなれば、ここにいる多くの役人たちでさえ自ら救う力はない。ここに受験する諸君はこの状態をどう解決したらよいというだろうか。意見を述べたまえ。

 

夫れ悦しみて以て人を使うに、是れ能く古を用ふ。

伊れ歳 則ち雲に暮れ、実に休止せんことを慮る。

未だ及瓜の還を卜せず、交も翳桑の餓に比す。

群有 司自ら救ふに暇あらず。二三子 之を何と謂ふや。

 

 

『乾元元年華州試進士策問五首』 現代語訳と訳註

(本文) Q-4#3

夫悅以使人,是能用古,

則雲暮,實慮休止,

未卜及瓜之還,交比翳桑之餓。

群有司自救不暇,二三子謂之何哉?

 

(下し文)

夫れ悦しみて以て人を使うに、是れ能く古を用ふ。

伊れ歳 則ち雲に暮れ、実に休止せんことを慮る。

未だ及瓜の還を卜せず、交も翳桑の餓に比す。

群有 司自ら救ふに暇あらず。二三子 之を何と謂ふや。

 

(現代語訳)

そもそも人民を用いるには、愛撫し、人民が喜んで参加してくれるようにしなさいと、唐の太宗は制度を確立して、「貞觀の治」といわれるように人民を採用されたではないか。

それなのに今年ももはや暮れようとしているのに、幕府の方では本当に財政破たんし、徴兵でもって兵の増員するのが中止になりはしないかと心配しているのである。

徴兵期間はこれまで、瓜が実る時期とされてきたがこの新規徴兵に対して任期満了の日を選定する事さえ未だなされていないのである、農作物のとりいれができないようなら、人民は食うものがなく次第にかの翳桑の飢餓の人は人民を助けたが、これではただの飢餓になるのだ。

こうなれば、ここにいる多くの役人たちでさえ自ら救う力はない。ここに受験する諸君はこの状態をどう解決したらよいというだろうか。意見を述べたまえ。

 

 

(訳注) Q-4#3

乾元元年華州試進士策問五首

(乾元元年における華州進士を試する策問の五首)

表題の乾元元年(七五八)は、粛宗即位の翌年にあたる。この年の二月に(至徳三載)より乾元(元年)と改元された。この策問が作成された時期について、本文中に「伊歳則云暮」(伊れ歳則ち云うに暮れ)とあることから、十月と考えられる。杜甫か華州に左遷されたのは、同年六月であり、赴任から四ケ月ほど後に作成されたと考えられる。「策問」は、官吏登用試験において経義や政治上の意見を試問すること。「策」は、もともと問題を書いた竹札をいうし、正解を求めるということである。

この詩は杜甫の『三吏三別』の六首を生む基本的考えの表れた内容のものである。

 

夫悅以使人,是能用古,

そもそも人民を用いるには、愛撫し、人民が喜んで参加してくれるようにしなさいと、唐の太宗は制度を確立して、「貞觀の治」といわれるように人民を採用されたではないか。

○悅以使人の二句は唐の「貞觀の治」といわれ、治世が安定していたころの徳の政治を指している。太宗がその家臣に「為君之道,必須先存百姓,若損百姓以奉其身」と言って農業従事者をいたわった政治をすること「悅以使人,不竭其力」人民を兵力とする際には人民を愛し、喜んで参加させれば、その力は発揮されると述べている。この時は不平制度により徴兵制が確立されていた。安史の乱で唐王朝軍の崩壊で兵力が激減し、陥落した長安、洛陽を取り戻すための兵力確保が進まず、直接戦闘はウイグル軍に頼り切ったものの、都を守る兵も不足していたため、,徴兵に応じれば、租税を1/10に減ずるという策をとったのである。杜甫は人口増加、耕作地の増か、生産性が向上しているから、租庸調で、軍事はまかなえないのかということを問題定義している。

貞観の治(じょうがんのち)とは中国唐(618 - 907年)の第2代皇帝・太宗李世民の治世、貞観(元年 - 23年)時代(627 - 649年)の政治を指す。この時代、中国史上最も良く国内が治まった時代と言われ、後世、政治的な理想時代とされた。

僅かな異変でも改元を行った王朝時代において同一の元号が23年も続くと言うのは稀であり、その治世がいかに安定していたかが伺える。

この時代を示す言葉として、『資治通鑑』に、「-海内升平,路不拾遺,外戸不閉,商旅野宿焉。」(天下太平であり、道に置き忘れたものは盗まれない。家の戸は閉ざされること無く、旅の商人は野宿をする(ほど治安が良い))との評がある。

この時代の政治は『貞観政要』(太宗と大臣の対話集)として文書にまとめられ、長く政治のテキストとして用いられた。

 

則雲暮,實慮休止,

それなのに今年ももはや暮れようとしているのに、幕府の方では本当に財政破たんし、徴兵でもって兵の増員するのが中止になりはしないかと心配しているのである。

 

未卜及瓜之還,交比翳桑之餓。

徴兵期間はこれまで、瓜が実る時期とされてきたがこの新規徴兵に対して任期満了の日を選定する事さえ未だなされていないのである、農作物のとりいれができないようなら、人民は食うものがなく次第にかの翳桑の飢餓の人は人民を助けたが、これではただの飢餓になるのだ。

○卜 1 (かめ)の甲を用いて吉凶を判断すること。一般に、うらない。うらなう。2 選び定める。ここはどのみちをえらぶのかをせんたくすることをいう。農民にとって、売りを市場に出す若い者が兵役にとられたままだと瓜が腐ってしまう。瓜の足は速いので瓜の時期には兵を免除することが慣例であったことをいう。

○及瓜之還 任期が満ちて故郷に帰る日。及瓜は、任期が満ちて交代すること。「瓜:及瓜. 及瓜代及瓜而代 戍瓜瓜 瓜期 随瓜卸. 相关人物. 『春秋左氏伝』荘公八年に《春秋左》卷八〈庄公·八年〉~43侯使称。管至父。戍葵丘。瓜而往。曰。及瓜而代。期戍。公不至。代。弗。故作乱。僖公之母弟曰。夷仲年。とあるのを踏まえる。

 

「倒戟以禦公徒而免之。問何故。對曰、翳桑之餓人也。」( 戟を倒にして以て公の徒を禦ぎて之を免れしむ。何の故ぞと問う。對えて曰く、翳桑の餓人なり、と。)霊輙の報恩として使われた言葉である。『左伝』『太平記鈔』 晋の霊公のすることが道理に外れているので、趙盾(ちょうじゅん)が諌めたところ、霊公はそれが気に入らず、趙盾に酒を飲ませ、武装した兵に待ち伏せをさせて殺そうとしたが、ある人が、そのことを趙盾に知らせたので、急いで車に乗って逃げようとした。 霊公は逃がさないとの用意から、あらかじめ車の一輪を外しておいた。急難に襲われ逃れる術もなかったが、霊輙という者が車の一輪の軸を臂をもって受け、すばやく車を走らせて、ことなきを得た。 この人はどういう人かというと、趙盾が、かつて首山に狩りに出かけた時、そこの桑の木の茂った所に病に伏して三日、食を採っていない者がいたので哀れに思い、飯(めし)を食べさせた。のちにこの病人が霊公の侍臣となり、趙盾の恩を報じようと、戟(ほこ)をもって辺りを払い、霊公の兵を撃って逃がしてくれた。

  趙盾が喜びのまま名を尋ねると、「翳桑(えいそう=よく茂った葉陰の多い桑の木)の餓人なり」と答えて、名を言わずに立ち去って行った。

○種瓜人 広陵の人、邵平は、秦の時代に東陵侯であったが、秦が漢に破れると、平民となり、青門の門外で瓜畑を経営した。瓜はおいしく、当時の人びとはこれを東陵の瓜 押とよんだ。

 

群有司自救不暇,二三子謂之何哉?

こうなれば、ここにいる多くの役人たちでさえ自ら救う力はない。ここに受験する諸君はこの状態をどう解決したらよいというだろうか。意見を述べたまえ。

 

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (12) Q-4-#2》 杜甫index-14 764年 (12) Q-4-#2 杜甫<776> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4285 杜甫詩1500-776-1028/2500index-21

新規徴兵の兵隊を見ると、これによって通常の税額と異なって十分の一税にいるようだ(過重な負担を強いられてわざと足の骨を折ることまであったと三吏三別『石豪吏』にある)。注意して見れば、明け方から戦闘訓練があったが、正午過ぎにはその兵労役を解放されはするのである。

        
 2014年6月1日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
Index-33 《古風五十九首之四》Ⅳ-8 754年天寶十三年54歳 640<Index-33> Ⅰ李白詩1147 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4283 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
408 《黄陵廟碑 -(7)三段の3》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家読本 巻五 <1060>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4284韓愈詩-408 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (12) Q-4-#2》 杜甫index-14 764年 (12) Q-4-#2 杜甫<776> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4285 杜甫詩1500-776-1028/2500index-21 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor14-365《生查子三首其一》孫光憲(25)Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-548-14-(365) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4287 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩 案内李白全集文選古詩源花間集案内 
        
 

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (12) Q-4-#2》 杜甫index-14 764 (12) Q-4-#2 杜甫<776>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4285 杜甫詩1500-776-1028/2500index-21

 

 

Q-4 #1(食糧が不足し、その上税負担、兵役負担が増大となるのをどうすべきか)

問:足食足兵,先哲雅誥,

蓋有兵無食,是謂棄之。

致能掉鞅,靡旌,斯可用矣。

況寇猶作梗,兵不可去,

日聞將軍之令,親睹司馬之法。

第四の策を問う、「食物を十分に供し、兵を充分にそなえておけば、人民はその施政者を信頼するというのは、『論語』顔淵篇に見える先哲の正しくて立派な戒めである。

これを踏まえて、食物が不足し供されない状況が続くのは、これは軍事を弱体化させ、人民の信頼を棄てるということである。

特に軍に食料不足であっても、戦いに余裕を持って臨んだり、馬車を疾駆させることは、必ず用いるべき姿勢でなければいけないのである。

ましてや安史軍は今なお略奪、横暴で輸送ルートを塞いでおり、ここ司功参軍の兵隊を引き上げることはでききないのである。

日々、将軍は状況に応じた命令を出しているのが聞こえてくる、司馬の兵法を間近に見ているのであるからなおさら軍の整備が重要なのである。

Q-4、問ふ、「食を足らしめ兵を足らしむ」とは、先哲の雅誥なり。

蓋し兵有りて食無きは、是れ之を棄つと謂ふ。

能く掉鞅 靡旌を致すは、斯れ用ふ可し。

況んや寇 猶ほ梗を作し、兵去る可からず、

日々将軍の令を聞き、親しく司馬の法を睹る。

 

Q-4#2

關中之卒未息,灞上之營何遠?

近者鄭南訓練,城下屯集,

瞻彼三千之徒,有異什一而

竊見明發教以戰鬥,亭午放其庸保,

課乃菽麥,以為尋常。

ところで、関中の軍隊には食料供給は特に不足であり、戦もまだ終息していない、長安の東、㶚水のほとりの幕営はここ華州司功参軍からそれほど遠くない。(華州は函谷関寄り西であり、長安と経済圏は一緒である)。

近頃、鄭県の南で徴兵した民間人を訓練したが、それは城下に民兵として駐屯するため集合したのだ。

その三千の新規徴兵の兵隊を見ると、これによって通常の税額と異なって十分の一税にいるようだ(過重な負担を強いられてわざと足の骨を折ることまであったと三吏三別『石豪吏』にある)。

注意して見れば、明け方から戦闘訓練があったが、正午過ぎにはその兵労役を解放されはするのである。

その上に豆と麦を農業することを課され、そうするのか尋常となっている。

關中の卒 未だ息まず、㶚上の営何ぞ遠からん。

近ごろ、鄭南に訓練し、城下に屯集す。

彼の三千の徒を瞻るに、什の一にして税するに異なる有り。

竊かに見るに 明発 教うるに戦闘を以ってし、亭午其の庸保を放ち、

課するは乃ち菽と麦にして、以て尋常と為す。

 

Q-4#3

夫悅以使人,是能用古,

則雲暮,實慮休止,

未卜及瓜之還,交比翳桑之餓。

群有司自救不暇,二三子謂之何哉?

 

夫れ悦しみて以て人を使うに、是れ能く古を用ふ。

伊れ歳 則ち雲に暮れ、実に休止せんことを慮る。

未だ及瓜の還を卜せず、交も翳桑の餓に比す。

群有 司自ら救ふに暇あらず。二三子 之を何と謂ふや。

 

 

『乾元元年華州試進士策問五首』 現代語訳と訳註

(本文)

Q-4#2

關中之卒未息,灞上之營何遠?

近者鄭南訓練,城下屯集,

瞻彼三千之徒,有異什一而

竊見明發教以戰鬥,亭午放其庸保,

課乃菽麥,以為尋常。

 

(下し文)

關中の卒 未だ息まず、㶚上の営何ぞ遠からん。

近ごろ、鄭南に訓練し、城下に屯集す。

彼の三千の徒を瞻るに、什の一にして税するに異なる有り。

竊かに見るに 明発 教うるに戦闘を以ってし、亭午其の庸保を放ち、

課するは乃ち菽と麦にして、以て尋常と為す。

 

(現代語訳)

ところで、関中の軍隊には食料供給は特に不足であり、戦もまだ終息していない、長安の東、㶚水のほとりの幕営はここ華州司功参軍からそれほど遠くない。(華州は函谷関寄り西であり、長安と経済圏は一緒である)。

近頃、鄭県の南で徴兵した民間人を訓練したが、それは城下に民兵として駐屯するため集合したのだ。

その三千の新規徴兵の兵隊を見ると、これによって通常の税額と異なって十分の一税にいるようだ(過重な負担を強いられてわざと足の骨を折ることまであったと三吏三別『石豪吏』にある)。

注意して見れば、明け方から戦闘訓練があったが、正午過ぎにはその兵労役を解放されはするのである。

その上に豆と麦を農業することを課され、そうするのか尋常となっている。

 

 

(訳注) Q-4#2

乾元元年華州試進士策問五首

(乾元元年における華州進士を試する策問の五首)

表題の乾元元年(七五八)は、粛宗即位の翌年にあたる。この年の二月に(至徳三載)より乾元(元年)と改元された。この策問が作成された時期について、本文中に「伊歳則云暮」(伊れ歳則ち云うに暮れ)とあることから、十月と考えられる。杜甫か華州に左遷されたのは、同年六月であり、赴任から四ケ月ほど後に作成されたと考えられる。「策問」は、官吏登用試験において経義や政治上の意見を試問すること。「策」は、もともと問題を書いた竹札をいうし、正解を求めるということである。

この詩は杜甫の『三吏三別』の六首を生む基本的考えの表れた内容のものである。

 

關中之卒未息,灞上之營何遠?

ところで、関中の軍隊には食料供給は特に不足であり、戦もまだ終息していない、長安の東、㶚水のほとりの幕営はここ華州司功参軍からそれほど遠くない。(華州は函谷関寄り西であり、長安と経済圏は一緒である)。

関中【かんちゅう】函谷関の西側の地域を指す。現在の中国陝西省渭水盆地(同・渭河平原)の西安を中心とした一帯である。春秋戦国時代の秦の領地であり、その後の前漢や唐もこの地に首都を置いた。

 

近者鄭南訓練,城下屯集,

近頃、鄭県の南で徴兵した民間人を訓練したが、それは城下に民兵として駐屯するため集合したのだ。

・鄭南 「鄭南」は、鄭県の南。鄭県は、華州に属する県の。一つ。

・城下屯集 募兵があつまらず、洛陽以東に本兵を送り出したため兵が不足していたのである。この民間の負担が増えたこと、『三吏三別』を参考にするとよく状況がわかる。ただ、759年ごろから、安史軍からの脱走兵が増加したので兵不足が緩和されていく。

 

瞻彼三千之徒,有異什一而

その三千の新規徴兵の兵隊を見ると、これによって通常の税額と異なって十分の一税にいるようだ(過重な負担を強いられてわざと足の骨を折ることまであったと三吏三別『石豪吏』にある)。

・什一而 什一血税は、一分の一の地租のこと。75712月、長安を奪還したことで、この地祖軽減特令が出された。李チョウ、盧奕、顔杲卿、袁履謙、許遠、張巡、張介然、蒋清、龐堅らは皆、その子孫へ官位を加贈された。戦死者のいる家族には、二年間の賦役を免除する。 郡県の来年の租、 庸は三分の一を減らす。近いところは、郡名、官名を従来の名称に戻す。 蜀郡を南京、鳳翔を西京、長安を中京とした。

 

竊見明發教以戰鬥,亭午放其庸保,

注意して見れば、明け方から戦闘訓練があったが、正午過ぎにはその兵労役を解放されはするのである。

・明發 夜明け方。

・庸保 もと雇い人をいうが、ここでは雇い人としての雑役の任務をいうのであ ろう。

 

課乃菽麥,以為尋常。

その上に豆と麦を農業することを課され、そうするのか尋常となっている。

プロフィール

紀 頌之

Twitter プロフィール
記事検索
最新記事(画像付)
最新記事
記事検索
カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
QRコード
QRコード
記事検索
  • ライブドアブログ