杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
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2014年07月

Index-14廣徳2年764-85 《遣悶奉呈嚴公二十韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<783-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4585

もっぱら横倒れに寝てばかり居る始末であり、他課の人たちとは意見の衝突があるということが幕府にとって欠点となることである。老衰の体力であるにもかかわらず礼法に就いているのだが、それは上官たる厳武公が今以て友情を通じてくれられるからということなのだ。

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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Index-14廣徳2764-85 《遣悶奉呈嚴公二十韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<783-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4585 

杜甫詩1500-783-#2-1088/2500Index-14廣徳2764-85

 

 

製作年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

    杜少陵集 巻十四

詩題: 遣悶奉呈嚴公二十韻【遣悶奉呈鄭公二十韻】 

交遊人物: 嚴武 書信往來(劍南道北部益州 成都)

 

 

遣悶奉呈嚴公二十韻

(胸中のもだえを遣るためにつくって厳武にたてまつった詩。764  廣德二年  53 秋、幕中にあっての作。)

白水魚竿客,清秋鶴發翁。

元々私はすんだ水に釣り竿をたれているおとこであり、清らかな秋に鶴の毛のような白髪をいただいておるおやじであります。

胡為來幕下,只合在舟中。

この私はなんで節度使の幕府へなどやってきたのか、身分相応にやっぱり荊州に向かう舟のなかにいるべきであったのである。』

卷真如律,青袍也自公。

役人としての功過を記される黄色の巻物は自分を束縛すること律令のごとく、役所から退出してからも青砲を着けているというふうである。

老妻憂坐痹,幼女問頭風。

坐っていると足にしびれがきれるので老妻はそれを心配する、時時、頭痛がするので幼い女はきょうはどうかとたずねてくれる。

 

(悶を遣らんとして嚴公に呈し奉る 二十韻)

白水魚竿の客、清秋鶴発の翁。

胡為れぞ 幕下に来たれる、只だ合に舟中に在るべきのみ。』

黄巻 真に律の如し、青袍も也た公よりす。

老妻 坐痹を憂え、幼女 頭風を問う。

#2

平地專欹倒,分曹失異同。

平地でも、もっぱら横倒れに寝てばかり居る始末であり、他課の人たちとは意見の衝突があるということが幕府にとって欠点となることである。

禮甘衰力就,義忝上官通。

老衰の体力であるにもかかわらず礼法に就いているのだが、それは上官たる厳武公が今以て友情を通じてくれられるからということなのだ。

疇昔論詩早,光輝仗鉞雄。

厳武公とはずっと以前から詩を論じあった仲で、今、ここにおいて節度使として兵馬の雄権を握っておられるその光栄を自分も担うておるのである。

寬容存性拙,剪拂念途窮。

厳武公は寛大であって自分のような不器用な性質のものをそっとそのままにしておかれる、自分が逆境に居ることを気の毒におもわれて馬の毛並みに手をいれるように自分を世話してくださるのである。

平地 専ら欹倒す、分曹 異同に失す。

礼は甘んず衰力就くを、義は忝うす 上官の通ずるを。

疇昔 詩を論ずること早かりき、光輝 仗鉞雄なり

寛容 性拙を存す、剪払 途窮を念う。

#3

露裛思藤架,煙霏想桂叢。信然龜觸網,直作鳥窺籠。

西嶺紆村北,南江繞舍東。竹皮寒舊翠,椒實雨新紅。

#4

浪簸船應坼,杯幹甕即空。藩籬生野徑,斤斧任樵童。

束縛酬知己,蹉跎效小忠。周防期稍稍,太簡遂匆匆。

#5

曉入朱扉,昏歸畫角終。不成尋別業,未敢息微躬。

烏鵲愁銀漢,駑駘怕錦幪。會希全物色,時放倚梧桐。

 

露裛 藤架を思い、煙霏 桂叢を想う。

信然 亀網に触る、直ちに鳥の籠を窺うを作す。』

西嶺 村北に紆る、南江 舎東を繞る。

竹皮 旧翠寒く、椒実 雨に新たに紅なり。

 

浪に簸られて船応に坼くなるべし、杯 乾きて甕即ち空し。

藩籬 野径生ず、斤斧 樵童に任す。

束縛 知己に酬い、瑳蛇 小忠を効す。

周防 稍稍を期す、太簡遂に匆匆たり。

 

暁入 朱扉啓、昏帰画角終る。

別業を尋ぬるを成さずんば、未だ敢て微躬を息せしめず。』

烏鵲 銀漢に愁え、駑駘 錦幪を伯る。

会ず希う 物色を全うして、時に放ちて梧桐に倚らしめんことを。』

 

江畔独歩尋花 

『遣悶奉呈嚴公二十韻』 現代語訳と訳註

(本文)

#2

平地專欹倒,分曹失異同。

禮甘衰力就,義忝上官通。

疇昔論詩早,光輝仗鉞雄。

寬容存性拙,剪拂念途窮。

 

(下し文)

平地 専ら欹倒す、分曹 異同に失す。

礼は甘んず衰力就くを、義は忝うす 上官の通ずるを。

疇昔 詩を論ずること早かりき、光輝 仗鉞雄なり

寛容 性拙を存す、剪払 途窮を念う。

 

(現代語訳)

平地でも、もっぱら横倒れに寝てばかり居る始末であり、他課の人たちとは意見の衝突があるということが幕府にとって欠点となることである。

老衰の体力であるにもかかわらず礼法に就いているのだが、それは上官たる厳武公が今以て友情を通じてくれられるからということなのだ。

厳武公とはずっと以前から詩を論じあった仲で、今、ここにおいて節度使として兵馬の雄権を握っておられるその光栄を自分も担うておるのである。

厳武公は寛大であって自分のような不器用な性質のものをそっとそのままにしておかれる、自分が逆境に居ることを気の毒におもわれて馬の毛並みに手をいれるように自分を世話してくださるのである。

杜甫草堂詳細図02 

(訳注) #2

遣悶奉呈嚴公二十韻

(胸中のもだえを遣るためにつくって厳武にたてまつった詩。広徳二年秋、幕中にあっての作。)

○遣悶 心のもだえをおいやること。

○厳公 厳武。

構成 押韻 同。。雄。

○●○○●  △○●●○

●○○●●  ●●●○○

○●△○●  △○●●○

○○○●●  ●●●○○

 

平地專欹倒,分曹失異同。

平地でも、もっぱら横倒れに寝てばかり居る始末であり、他課の人たちとは意見の衝突があるということが幕府にとって欠点となることである。

○平地 平らな地面。

○欹倒 かたむきたおれる。倒の字は一に側に作る。側もかたむくこと、身体を正しくしておれぬこと、上[#1]でみた坐痹、頭風の結果である。

〇分曹 幕府の職務分担の諸課をいう。

○失異同 「失於有異同」(異同あるに失す)の意、杜甫と諸官とのあいだに意見のちがいが有ることが克服できない、。我慢ならないという欠点がある。

 

禮甘衰力就,義忝上官通。

老衰の体力であるにもかかわらず礼法に就いているのだが、それは上官たる厳武公が今以て友情を通じてくれられるからということなのだ。

○礼甘衰力就 [就礼]+[甘衰力]此の句は就礼の二字を分けて用いた、礼に就くとは

杜甫《立秋雨、院中有作》「已費清晨謁,那成長者謀。」(己に清晨の謁を費す)などいうのがそれである。《立秋雨院中有作》 杜甫index-14 764年 杜甫<778-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4545 杜甫詩1500-778-#1-1080/2500

○義忝上官通 [通義]+[忝上官]此の句は通義の二字を分けて用いた、義を通ずるとは朋友としての情義を相い通じることをいう、上官は厳武をさす。

 

疇昔論詩早,光輝仗鉞雄。

厳武公とはずっと以前から詩を論じあった仲で、今、ここにおいて節度使として兵馬の雄権を握っておられるその光栄を自分も担うておるのである。

○疇昔 疇昔は嚢(さきに)に同じ、疇昔は前日というがごとくであるがここでは、「早」で強調され、ずっと以前からという意。

○光輝 こちらが光栄をうけることをいう。

〇仗鉞雄 鉞(まさかり)に仗るとは節度使の職をいう、雄はおおしいこと。

 

寬容存性拙,剪拂念途窮。

厳武公は寛大であって自分のような不器用な性質のものをそっとそのままにしておかれる、自分が逆境に居ることを気の毒におもわれて馬の毛並みに手をいれるように自分を世話してくださるのである。

○寛容 心が広くて、よく人の言動を受け入れること。他の罪や欠点などをきびしく責めないこと。また、そのさま。厳武の懐の深さをいう。

○存性拙 存とはそのままにしておくこと、性拙は杜甫の世渡りの不器用なことをいう。

○剪拂 馬に関する語である、剪は毛をはさみきること、払は毛のほこりをはらうこと、馬の手入れを細やかにしてやること。

○途窮 逆境にあることをいう、阮籍の故事「途窮哭」時世を憤っては不意に車に乗ってでかけ途が窮まると慟哭してかえったという。前漢の季布の故事を引いて鄭氏の義気を言い、自身の窮状を阮籍に比して言う。杜甫はよく使う。

《秦州雜詩二十首 其十五》

秦州雜詩二十首 其十五 杜甫 第4部 <268> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1253 杜甫詩 700- 382

《投贈哥舒開府翰二十韻》「幾年春草歇,今日暮途窮。」

投贈哥舒開府翰二十韻  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 82

杜甫《奉寄河南韋尹丈人》「尊榮瞻地,疏放憶途窮。

奉寄河南韋尹丈人 杜甫
安史の乱当時の勢力図 

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元々私はすんだ水に釣り竿をたれているおとこであり、清らかな秋に鶴の毛のような白髪をいただいておるおやじであります。この私はなんで節度使の幕府へなどやってきたのか、身分相応にやっぱり荊州に向かう舟のなかにいるべきであったのである。』

 
 2014年7月30日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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43 《古風五十九首之四十三》Index-23Ⅲ-1 744年天寶三年44歳369 <43> Ⅰ李白詩1205 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4573 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログndex-14廣徳2年764-85 《遣悶奉呈嚴公二十韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<783-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4580 杜甫詩1500-783-#1-1087/2500Index-14廣徳2年764-85 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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Index-14

廣徳2764-85 《遣悶奉呈嚴公二十韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<783-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4580 杜甫詩1500-783-#1-1087/2500Index-14廣徳2764-85

 

製作年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

    杜少陵集 巻十四

詩題: 遣悶奉呈嚴公二十韻【遣悶奉呈鄭公二十韻】 

交遊人物: 嚴武 書信往來(劍南道北部益州 成都)

 

 

遣悶奉呈嚴公二十韻

(胸中のもだえを遣るためにつくって厳武にたてまつった詩。764  廣德二年  53 秋、幕中にあっての作。)

白水魚竿客,清秋鶴發翁。

元々私はすんだ水に釣り竿をたれているおとこであり、清らかな秋に鶴の毛のような白髪をいただいておるおやじであります。

胡為來幕下,只合在舟中。

この私はなんで節度使の幕府へなどやってきたのか、身分相応にやっぱり荊州に向かう舟のなかにいるべきであったのである。』

卷真如律,青袍也自公。

役人としての功過を記される黄色の巻物は自分を束縛すること律令のごとく、役所から退出してからも青砲を着けているというふうである。

老妻憂坐痹,幼女問頭風。

坐っていると足にしびれがきれるので老妻はそれを心配する、時時、頭痛がするので幼い女はきょうはどうかとたずねてくれる。

 

(悶を遣らんとして嚴公に呈し奉る 二十韻)

白水魚竿の客、清秋鶴発の翁。

胡為れぞ 幕下に来たれる、只だ合に舟中に在るべきのみ。』

黄巻 真に律の如し、青袍も也た公よりす。

老妻 坐痹を憂え、幼女 頭風を問う。

#2

平地專欹倒,分曹失異同。禮甘衰力就,義忝上官通。

疇昔論詩早,光輝仗鉞雄。寬容存性拙,剪拂念途窮。

#3

露裛思藤架,煙霏想桂叢。信然龜觸網,直作鳥窺籠。

西嶺紆村北,南江繞舍東。竹皮寒舊翠,椒實雨新紅。

#4

浪簸船應坼,杯幹甕即空。藩籬生野徑,斤斧任樵童。

束縛酬知己,蹉跎效小忠。周防期稍稍,太簡遂匆匆。

#5

曉入朱扉,昏歸畫角終。不成尋別業,未敢息微躬。

烏鵲愁銀漢,駑駘怕錦幪。會希全物色,時放倚梧桐。

 

 

 

平地 専ら欹倒す、分曹 異同に失す。

礼は甘んず衰力就くを、義は忝うす 上官の通ずるを。

疇昔 詩を論ずること早かりき、光輝 仗鉞雄なり

寛容 性拙を存す、剪払 途窮を念う。

露裛 藤架を思い、煙霏 桂叢を想う。

信然 亀網に触る、直ちに鳥の籠を窺うを作す。』

西嶺 村北に紆る、南江 舎東を繞る。

竹皮 旧翠寒く、椒実 雨に新たに紅なり。

浪に簸られて船応に坼くなるべし、杯 乾きて甕即ち空し。

藩籬 野径生ず、斤斧 樵童に任す。

束縛 知己に酬い、瑳蛇 小忠を効す。

周防 稍稍を期す、太簡遂に匆匆たり。

暁入 朱扉啓、昏帰画角終る。

別業を尋ぬるを成さずんば、未だ敢て微躬を息せしめず。』

烏鵲 銀漢に愁え、駑駘 錦幪を伯る。

会ず希う 物色を全うして、時に放ちて梧桐に倚らしめんことを。』

 

題新津北橋棲00 

『遣悶奉呈嚴公二十韻』 現代語訳と訳註

(本文)

遣悶奉呈嚴公二十韻

白水魚竿客,清秋鶴發翁。胡為來幕下,只合在舟中。

卷真如律,青袍也自公。老妻憂坐痹,幼女問頭風。

 

(下し文)

(悶を遣らんとして嚴公に呈し奉る 二十韻)

白水魚竿の客、清秋鶴発の翁。

胡為れぞ 幕下に来たれる、只だ合に舟中に在るべきのみ。』

黄巻 真に律の如し、青袍も也た公よりす。

老妻 坐痹を憂え、幼女 頭風を問う。

 

(現代語訳)

(胸中のもだえを遣るためにつくって厳武にたてまつった詩。764  廣德二年  53 秋、幕中にあっての作。)

元々私はすんだ水に釣り竿をたれているおとこであり、清らかな秋に鶴の毛のような白髪をいただいておるおやじであります。

この私はなんで節度使の幕府へなどやってきたのか、身分相応にやっぱり荊州に向かう舟のなかにいるべきであったのである。』

役人としての功過を記される黄色の巻物は自分を束縛すること律令のごとく、役所から退出してからも青砲を着けているというふうである。

坐っていると足にしびれがきれるので老妻はそれを心配する、時時、頭痛がするので幼い女はきょうはどうかとたずねてくれる。

 

 

(訳注)

遣悶奉呈嚴公二十韻

(胸中のもだえを遣るためにつくって厳武にたてまつった詩。広徳二年秋、幕中にあっての作。)

○遣悶 心のもだえをおいやること。

○厳公 厳武。

構成 押韻 翁。中。公。風。

●●○○●  ○○●●○

○○△●●  △●●○△

○△○△●  ○○●●○

●△○●●  ●●●○△

成都関連地図 00 

白水魚竿客,清秋鶴發翁。

元々私はすんだ水に釣り竿をたれているおとこであり、清らかな秋に鶴の毛のような白髪をいただいておるおやじであります。

○白水 すんでいる水の色を白という。川底が砂地であまり水深が浅い場合。

○魚竿 魚と、つりざおをいう、魚竿の客とは半官半隠の自己をさす。

○鶴発翁 しらがの老人、自己をさす。

 

胡為來幕下,只合在舟中。

この私はなんで節度使の幕府へなどやってきたのか、身分相応にやっぱり荊州に向かう舟のなかにいるべきであったのである。』

○胡為 胡は何に同じ、何為とはどうしての意。

○幕下 節度使厳武の幕府をいう。

○舟中 漁舟のうち。厳武の誘いがなければ船で荊州・江南に向かっていた。

 

卷真如律,青袍也自公。

役人としての功過を記される黄色の巻物は自分を束縛すること律令のごとく、役所から退出してからも青砲を着けているというふうである。

○黄巻 今日の官吏の勤怠簿のたぐいをいう、役人の闕失(とがあやまち)をかきしるす巻きものをいう。

○如律 律令のごとく堅くしたがわなければならないことをいう。

○青袖也自公 青袍は青色のうわぎ、これは通常の礼服である。此の句の意は「自公也青袍(公ヨリスルモマタ青袍)とほとんど同じである、自公は「詩経」(羔羊)の「公ヨリ退食ス」の略であり、公の場所より退出して食事をとること、転じて単に退出の意となる、青袍をつけてはいるがそれは退出のときであるというのは即ち退出していても青袍をつけているというのとおなじ。

 

老妻憂坐痹,幼女問頭風。

坐っていると足にしびれがきれるので老妻はそれを心配する、時時、頭痛がするので幼い女はきょうはどうかとたずねてくれる。

○坐痔 すわっであしにしびれのきれること。

○頭風 頭痛のすること。
安史の乱当時の勢力図 

《到村》 杜甫index-14 764年 杜甫<781> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4570 杜甫詩1500-781-1085/2500

草堂の前を流れる濯錦江には蛟龍が棲む深い淵があり、そこに子供を引き連れて通ったものだろう波が立っている。蓮と菱とかの花が増水で道にまで流れ後を追ってきて、頭を低く垂れてくれる。老人である自分は幕府に参与しているが今日はこうして帰ってきて、馬で散歩しているのだ。

 
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《到村》 杜甫index-14 764年 杜甫<781>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4570 杜甫詩1500-781-1085/2500

 

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

    戸少陵集 巻十四

詩題: 到村 

 

 

到村

(厳武の幕府に宿まって過ごした後、草堂に帰ってきた。半官半隠の生活を理想としていた杜甫が、隠遁の部分を詠ったものである。764  廣德二年  53の作。

碧澗雖多雨,秋沙先少泥。 

浣花渓の緑の谷間の道に雨が多く降っているけれども、馬で行き交うものもなく、秋のこの沙道は泥が意外と少ない。

蛟龍引子過,荷芰逐花低。 

草堂の前を流れる濯錦江には蛟龍が棲む深い淵があり、そこに子供を引き連れて通ったものだろう波が立っている。蓮と菱とかの花が増水で道にまで流れ後を追ってきて、頭を低く垂れてくれる。

老去參戎幕,歸來散馬蹄。 

老人である自分は幕府に参与しているが今日はこうして帰ってきて、馬で散歩しているのだ。

稻粱須就列,榛草即相迷。 

「稻粱の謀」のためには官吏の列からすべて離れるわけにはいかないのだが、幕府に仕えている間に、帰ってみればこのように榛や草がはびこって何処が路なのかわからなくて迷いそうだ。

蓄積思江漢,疏頑惑町畦。 

兼ねて念願に思っているところの江漢方面に行きたいとすることを未だに捨てきれない、世渡り下手で、なかたくなな此の性格というものが、どうすればよいのか進退を決めかねているのだ。

稍酬知己分,還入故林棲。 

壮ではあるが、暫くの間は、折角知己の厳武公の分誼にむくいて、その後また故郷の古巣に入って住むことにしようと思うのだ。

 

到村

碧澗【へきかん】 雨多しと雖も,秋沙【しゅうさ】 先ず泥少し。 

蛟龍【こうりゅう】 子を引きて過ぎ,荷芰【かき】 花を逐うて低る。 

老い去って 戎幕【じゅうばく】に參し,歸り來って 馬蹄【ばてい】を散す。 

稻粱【とうりょう】 須らく列に就くべし,榛草【しんそう】 即ち相い迷わしむ。 

蓄積【ちくし】 江漢を思う,疏頑【そがん】 町畦【ちょうけい】に惑う。 

稍【やや】知己の分に酬い,還た故林に入るて棲まん。 

成都関連地図 00 

 

『到村』 現代語訳と訳註

(本文)

到村

碧澗雖多雨,秋沙先少泥。 

蛟龍引子過,荷芰逐花低。 

老去參戎幕,歸來散馬蹄。 

稻粱須就列,榛草即相迷。 

蓄積思江漢,疏頑惑町畦。 

稍酬知己分,還入故林棲。 

 

(含異文) 碧澗雖多雨,秋沙先【案:去聲。】少泥【秋沙亦少泥】。

蛟龍引子過,荷芰逐花低。

老去參戎幕,歸來散馬蹄。

稻粱須就列,榛草即相迷。

蓄積思江漢,疏頑惑町畦【疏頑感町畦】【頑疏惑町畦】【頑疏感町畦】。

稍酬知己分【暫酬知己分】,還入故林棲。 

 

(下し文)

到村

碧澗【へきかん】 雨多しと雖も,秋沙【しゅうさ】 先ず泥少し。 

蛟龍【こうりゅう】 子を引きて過ぎ,荷芰【かき】 花を逐うて低る。 

老い去って 戎幕【じゅうばく】に參し,歸り來って 馬蹄【ばてい】を散す。 

稻粱【とうりょう】 須らく列に就くべし,榛草【しんそう】 即ち相い迷わしむ。 

蓄積【ちくし】 江漢を思う,疏頑【そがん】 町畦【ちょうけい】に惑う。 

稍【やや】 知己の分に酬い,還た故林に入るて棲まん。 

 

(現代語訳)

(厳武の幕府に宿まって過ごした後、草堂に帰ってきた。半官半隠の生活を理想としていた杜甫が、隠遁の部分を詠ったものである。764  廣德二年  53の作。

浣花渓の緑の谷間の道に雨が多く降っているけれども、馬で行き交うものもなく、秋のこの沙道は泥が意外と少ない。

草堂の前を流れる濯錦江には蛟龍が棲む深い淵があり、そこに子供を引き連れて通ったものだろう波が立っている。蓮と菱とかの花が増水で道にまで流れ後を追ってきて、頭を低く垂れてくれる。

老人である自分は幕府に参与しているが今日はこうして帰ってきて、馬で散歩しているのだ。

「稻粱の謀」のためには官吏の列からすべて離れるわけにはいかないのだが、幕府に仕えている間に、帰ってみればこのように榛や草がはびこって何処が路なのかわからなくて迷いそうだ。

兼ねて念願に思っているところの江漢方面に行きたいとすることを未だに捨てきれない、世渡り下手で、なかたくなな此の性格というものが、どうすればよいのか進退を決めかねているのだ。

壮ではあるが、暫くの間は、折角知己の厳武公の分誼にむくいて、その後また故郷の古巣に入って住むことにしようと思うのだ。

 

杜甫草堂詳細図02 

(訳注)

到村

(厳武の幕府に宿まって過ごした後、草堂に帰ってきた。半官半隠の生活を理想としていた杜甫が、隠遁の部分を詠ったものである。764  廣德二年  53の作。

 

碧澗雖多雨,秋沙先少泥。 

浣花渓の緑の谷間の道に雨が多く降っているけれども、馬で行き交うものもなく、秋のこの沙道は泥が意外と少ない。

碧澗 緑いっぱいの谷間の小川が流れるところ、「澗」とあるから秋雨によって小川がたくさんできていたことをいう。

先少泥 成都の街の馬道とか、幕府の道は少しの雨でも泥だらけになるが、隠遁者の居る静かな浣花渓では、道に泥がないということを強調する。

 

蛟龍引子過,荷芰逐花低。 

草堂の前を流れる濯錦江には蛟龍が棲む深い淵があり、そこに子供を引き連れて通ったものだろう波が立っている。蓮と菱とかの花が増水で道にまで流れ後を追ってきて、頭を低く垂れてくれる。

蛟龍引子過 成都から草堂までに、百花潭という淵がある。

荷芰逐花低 成都の西、杜甫の草堂付近は、成都を洪水から守る、遊水地のようなところと考えられ、砂地、竹藪、沼地が点在していた。そこに蓮とか菱が花を咲かせていた。秋の長雨で増水して道路に砂が流れ込み、蓮の花や皮脂の花が道路でお辞儀をしてくれたという、隠遁者風に物事をとらえている。

 

老去參戎幕,歸來散馬蹄。 

老人である自分は幕府に参与しているが今日はこうして帰ってきて、馬で散歩しているのだ。

參戎幕 幕府参与であること。

散馬蹄 馬であちこち歩き回ること。

 

稻粱須就列,榛草即相迷。 

「稻粱の謀」のためには官吏の列からすべて離れるわけにはいかないのだが、幕府に仕えている間に、帰ってみればこのように榛や草がはびこって何処が路なのかわからなくて迷いそうだ。

稻粱 稲梁を求めるはかりごと、梁はよい米。生活上のはかりごと。自身、幕府の参与であるから、会議をすることをいう。「稻粱の謀」

杜甫《同諸公登慈恩寺墖》「君看隨陽雁,各有稻粱謀。」同諸公登慈恩寺塔 杜甫 紀頌之のkanbuniinkai漢詩ブログ杜甫詩 特集 39

 

蓄積思江漢,疏頑惑町畦。 

兼ねて念願に思っているところの江漢方面に行きたいとすることを未だに捨てきれない、世渡り下手で、なかたくなな此の性格というものが、どうすればよいのか進退を決めかねているのだ。

蓄積 兼ねて念願に思っている

江漢 長江下流域の荊州、江漢方面に行きたいとすること。

疏頑 世事に疎く、頑なな性格。

惑町畦 町畦は荘子にあり、理想は何かということをいうが、ここは一番いいのが何か迷ってしまうことをいう。

 

稍酬知己分,還入故林棲。 

壮ではあるが、暫くの間は、折角知己の厳武公の分誼にむくいて、その後また故郷の古巣に入って住むことにしようと思うのだ。

稍 【やや・漸】. . 〔副詞「や」を重ねた語〕. . 分量・程度がわずかであるさま。 -右寄り」 -大きめ」 -不機嫌そう」. . しばらくの間。 -待つうちに」. . 次第に程度が増すさま。一層。 「年は-さだ過ぎ行くに/更級」. [句]. 稍あって

知己分 知己の分誼。よしみ:誼み。1 親しいつきあい。また、その親しみ。交誼(こうぎ)。「―を結ぶ」2 何らかの縁によるつながり。縁故。
唐時代剣南道北部075 

《宿府》 杜甫index-14 764年 杜甫<782> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4575 杜甫詩1500-782-1086/2500

(剣南西川節度使の厳武の幕府にとまったことをよんだ詩。広徳二年秋の作。)清々しいかぜがたつ秋になって幕府の井戸端にある梧桐も寒そうに立っている。幕府の宿直にただびとり錦官城にいると夜もふけてくると大蝋燭が燃えるのがやたら目立って残っている。

 
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《宿府》 杜甫index-14 764年 杜甫<782> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4575 杜甫詩1500-782-1086/2500

 

 

製作年:  764年廣德二年  53

卷別:卷二二八  文體: 七言律詩 

詩題:宿府 

 

宿府

(剣南西川節度使の厳武の幕府にとまったことをよんだ詩。広徳二年秋の作。)
清秋幕府井梧寒,獨宿江城蠟炬殘。

清々しいかぜがたつ秋になって幕府の井戸端にある梧桐も寒そうに立っている。幕府の宿直にただびとり錦官城にいると夜もふけてくると大蝋燭が燃えるのがやたら目立って残っている。
夜角聲悲自語,中天月色好誰看。

秋の夜長に軍営の角笛を聞いていると、悲しみがふかくなり、自然にびとりごとを言っている。空の一番高い所に、上弦の月がすみわたっているが、どんなに良くてもだれがそれを愛でて眺めているというのか。
塵荏苒音書,關塞蕭條行路難。

兵乱の塵に逃避して次第に時のたつままに肉親からのたよりは途絶えてまったくこず、国境近くの偏ったの関所の塞は寂しくしてあいかわらず楽府雑曲歌辞の『行路難』にいう人世は難儀なものである。

已忍伶俜十年事,強移棲息一枝安。

自分はこれまではや十年間のおちぶれた生活を我慢してきたのだ、今度ここの参謀になったのも決して満足いたしてのものではなく、荘子が言う「鷦鷯が一枝の安泰な場所を求める」ように無理に引き移って来たにとどまるのである。

 

(府に宿す)

清秋 幕府 井梧寒し、独宿すれば 江城 蠟炬残る。

永夜の角声 悲しみて自ら語る、中天の月 色好し誰か看ん。

風塵 荏苒 音書絶え、関塞 蕭條 「行路難」。

己に忍ぶ伶俜十年の事、強いて移りて棲息す 一枝の安きに。

 

成都関連地図 00 

『宿府』 現代語訳と訳註

(本文)

宿府

清秋幕府井梧寒,獨宿江城蠟炬殘。

永夜角聲悲自語,中天月色好誰看。

風塵荏苒音書,關塞蕭條行路難。

已忍伶俜十年事,強移棲息一枝安。

 

(下し文)

(府に宿す)

清秋 幕府 井梧寒し、独宿すれば 江城 蠟炬残る。

永夜の角声 悲しみて自ら語る、中天の月 色好し誰か看ん。

風塵 荏苒 音書絶え、関塞 蕭條 「行路難」。

己に忍ぶ伶俜十年の事、強いて移りて棲息す 一枝の安きに。

 

(現代語訳)

(剣南西川節度使の厳武の幕府にとまったことをよんだ詩。広徳二年秋の作。)

清々しいかぜがたつ秋になって幕府の井戸端にある梧桐も寒そうに立っている。幕府の宿直にただびとり錦官城にいると夜もふけてくると大蝋燭が燃えるのがやたら目立って残っている。

秋の夜長に軍営の角笛を聞いていると、悲しみがふかくなり、自然にびとりごとを言っている。空の一番高い所に、上弦の月がすみわたっているが、どんなに良くてもだれがそれを愛でて眺めているというのか。

兵乱の塵に逃避して次第に時のたつままに肉親からのたよりは途絶えてまったくこず、国境近くの偏ったの関所の塞は寂しくしてあいかわらず楽府雑曲歌辞の『行路難』にいう人世は難儀なものである。

自分はこれまではや十年間のおちぶれた生活を我慢してきたのだ、今度ここの参謀になったのも決して満足いたしてのものではなく、荘子が言う「鷦鷯が一枝の安泰な場所を求める」ように無理に引き移って来たにとどまるのである。

 

(訳注)

宿府

(剣南西川節度使の厳武の幕府にとまったことをよんだ詩。広徳二年秋の作。)

○府 剣南西川節度使の厳武の幕府。

 

清秋幕府井梧寒,獨宿江城蠟炬殘。

清々しいかぜがたつ秋になって幕府の井戸端にある梧桐も寒そうに立っている。幕府の宿直にただびとり錦官城にいると夜もふけてくると大蝋燭が燃えるのがやたら目立って残っている。

○清秋 すがすがしい秋。重陽の節句の常套語。

孟浩然《秋登蘭山寄張》

北山白雲裏,隱者自怡悅。

相望試登高,心飛逐鳥滅。

愁因薄暮起,興是清秋發。

時見歸村人,沙行渡頭歇。

天邊樹若薺,江畔舟如月。

何當載酒來,共醉重陽節。

○井梧 いどばたのあおぎり。

○独宿 家族は草堂におこし、幕府では一人で宿直するのである。

○江城 成都の錦官城をいう。

○蠟炬 漆黒の中の大ろうそくをいう。

 

永夜角聲悲自語,中天月色好誰看。

秋の夜長に軍営の角笛を聞いていると、悲しみがふかくなり、自然にびとりごとを言っている。空の一番高い所に、上弦の月がすみわたっているが、どんなに良くてもだれがそれを愛でて眺めているというのか。

○角 楽器の名、角で作る。

杜甫《暮》

暮遠為客,邊隅還用兵。

煙塵犯雪嶺,鼓角動江城。

天地日流血,朝廷誰請纓。

濟時敢愛死,寂寞壯心驚。

668 暮》 蜀中転々 杜甫 <574  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3180 杜甫詩1000-574-830/1500

留別賈嚴二閣老兩院補缺,得雲字

田園須暫往,戎馬惜離群。

去遠留詩別,愁多任酒醺。

一秋常苦雨,今日始無雲。

山路晴吹角,那堪處處聞!

留別賈嚴二閣老兩院補缺 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 275

○悲自話 悲しみつつ独り言する。

○好誰看 好は感授詞「まあ」に近い、

○角声悲・月色好として悲・好を上語に属させてみる。

 

風塵荏苒音書,關塞蕭條行路難。

兵乱の塵に逃避して次第に時のたつままに肉親からのたよりは途絶えてまったくこず、国境近くの偏ったの関所の塞は寂しくしてあいかわらず楽府雑曲歌辞の『行路難』にいう人世は難儀なものである。

○荏再 しだいに時のたつさま。

○行路難 行路難- 道を行くのに難儀すること。転じて、世渡りの困難なこと。漢代の楽府『行路難』に擬(なぞら)えて(人生の憂愁をうたう)。南朝・宋の組詩名。『楽府詩集』の「雑曲歌辞」に収められる。本来、『行路難』は漢代の楽府旧題で、世を過ごす上での辛酸と憂愁を詠い、「君不見…」から始まるものが多いが、晋・袁山松がその音調を改めて新詞を創った。南朝宋の鮑照は楽府旧題に基づいて『擬行路難』を作り、官途の不遇や人生の失意などの憂愁をうたいあげた。(『中国詩学大辞典』浙江教育出版社 1999年杭州)。全十八首あり、これはその第四首。 ・擬:なぞらえる。 ・行路難:漢代の歌謡で、楽府雑曲歌辞の『行路難』のこと。

 

已忍伶俜十年事,強移棲息一枝安。

自分はこれまではや十年間のおちぶれた生活を我慢してきたのだ、今度ここの参謀になったのも決して満足いたしてのものではなく、荘子が言う「鷦鷯が一枝の安泰な場所を求める」ように無理に引き移って来たにとどまるのである。

○伶俜 おちぶれるさま。

〇十年 天宝十四歳安禄山が反してより今年まで十年である。

○強移 むりにひきうつる。

○棲息 すみ、やすむ、自己を鳥にたとえる。

〇一枝安 「荘子」(逍遥遊)に「鷦鷯巣於深林、不過一枝(鷦鷯、深林に巣くうも、一枝に過ぎず)」とみえる一枝の安とは一枝の安泰な場所をいう、節度の参謀である微官を以て一枝の安息所となすことをいう。
題新津北橋棲00 

《院中晚晴懷西郭茅舍》 杜甫index-14 764年 杜甫<780> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4565 杜甫詩1500-780-1084/2500

剣南東川節度の幕府で秋風が吹いてくるようになり、夜昼清々しくなってきた、それに、あわい雲やまばらな雨が高い城をとおりすぎてゆく。木の葉の繁りの中心部あたりにあかく見えていた木の実が見ている間にぽとりと落ちる、階の表面についている青苔が古ぼけながらまた新しく生える。

 
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《院中晚晴懷西郭茅舍》杜甫index-14 764年 杜甫<780> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4565 杜甫詩1500-780-1084/2500

 

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 七言律詩 

    杜少陵集 巻十四

詩題: 院中晚晴懷西郭茅舍 

及地點:  草堂 (劍南道北部益州 成都) 別名:一室、西郭茅舍     

浣花溪 (劍南道北部 益州 益州) 別名:花溪     

 

 

院中晴懷西郭茅舍

(成都城郭の東にあった節度使官邸の奥座敷で夕晴れにあい城西の先にある草堂のことをおもってよんだ詩。広徳二年秋の作。)

幕府秋風日夜清,澹雲疏雨過高城。

剣南東川節度の幕府で秋風が吹いてくるようになり、夜昼清々しくなってきた、それに、あわい雲やまばらな雨が高い城をとおりすぎてゆく。

葉心朱實看時落,階面青苔先自生。

木の葉の繁りの中心部あたりにあかく見えていた木の実が見ている間にぽとりと落ちる、階の表面についている青苔が古ぼけながらまた新しく生える。

複有樓臺銜暮景,不勞鐘鼓報新晴。

近くの楼台をみるとまた夕ぐれの日光が射していてまるで日差しをふくんでいるようだ、これでは鐘鼓の音の知らせを煩わすまでもなく、新たに天気が晴れている知らせをしなくてもわかるというものだ。

浣花溪裏花饒笑,肯信吾兼吏隱名。

さて、私は、浣花渓と名付けたのは花いっぱいの場所にしたかったからで、そこにはもう多くの秋の花が咲いているだろう、それを見ずに私がここにいるというのは、半官半隠を自負していたのに、果たしてどうだか疑わしく、隠遁者としての名は兼有していないということにしかならないのである。

 

(院中の晩晴に西郭の茅合を懐う)

幕府 秋風 日夜清し、澹雲 疏雨 高城を過ぐ。

葉心の朱実は看時に落ち、階面の青苔 先ず更に生ず。

復た楼台の暮景をむ有り、労せず鐘鼓の新晴を報ずるを。

浣花渓 裏花 く笑う、肯て信ぜんや 吾 吏隠の名を兼ぬるを。

 

 

院中晴懷西郭茅舍』 現代語訳と訳註

(本文)

院中晴懷西郭茅舍

幕府秋風日夜清,澹雲疏雨過高城。

葉心朱實看時落,階面青苔先自生。

複有樓臺銜暮景,不勞鐘鼓報新晴。

浣花溪裏花饒笑,肯信吾兼吏隱名。

 

(下し文)

(院中の晩晴に西郭の茅合を懐う)

幕府 秋風 日夜清し、澹雲 疏雨 高城を過ぐ。

葉心の朱実は看時に落ち、階面の青苔 先ず更に生ず。

復た楼台の暮景を銜む有り、労せず鐘鼓の新晴を報ずるを。

浣花渓 裏花 饒く笑う、肯て信ぜんや 吾 吏隠の名を兼ぬるを。

 

(現代語訳)

(成都城郭の東にあった節度使官邸の奥座敷で夕晴れにあい城西の先にある草堂のことをおもってよんだ詩。広徳二年秋の作。)

剣南東川節度の幕府で秋風が吹いてくるようになり、夜昼清々しくなってきた、それに、あわい雲やまばらな雨が高い城をとおりすぎてゆく。

木の葉の繁りの中心部あたりにあかく見えていた木の実が見ている間にぽとりと落ちる、階の表面についている青苔が古ぼけながらまた新しく生える。

近くの楼台をみるとまた夕ぐれの日光が射していてまるで日差しをふくんでいるようだ、これでは鐘鼓の音の知らせを煩わすまでもなく、新たに天気が晴れている知らせをしなくてもわかるというものだ。

さて、私は、浣花渓と名付けたのは花いっぱいの場所にしたかったからで、そこにはもう多くの秋の花が咲いているだろう、それを見ずに私がここにいるというのは、半官半隠を自負していたのに、果たしてどうだか疑わしく、隠遁者としての名は兼有していないということにしかならないのである。

 

(訳注)

院中晩晴懐西郭茅舎

(成都城郭の東にあった節度使官邸の奥座敷で夕晴れにあい城西の先にある草堂のことをおもってよんだ詩。広徳二年秋の作。)

○西郭茅舎 城西の郭の茅葺の小屋、浣花渓の杜甫草堂をさす。

成都関連地図 00 

幕府秋風日夜清,澹雲疏雨過高城。

剣南東川節度の幕府で秋風が吹いてくるようになり、夜昼清々しくなってきた、それに、あわい雲やまばらな雨が高い城をとおりすぎてゆく。

○幕府 剣南東川節度の幕府、厳武の幕府。

〇滴 すずしいこと。

○澹雲 あわいくも。

疏雨 ばらばらあめ。

 

葉心朱實看時落,階面青苔先自生。

木の葉の繁りの中心部あたりにあかく見えていた木の実が見ている間にぽとりと落ちる、階の表面についている青苔が古ぼけながらまた新しく生える。

○葉心 心とは中央をいう。

○看時 みているときに。

○先 ふるぼけること。

 

複有樓臺銜暮景,不勞鐘鼓報新晴。

近くの楼台をみるとまた夕ぐれの日光が射していてまるで日差しをふくんでいるようだ、これでは鐘鼓の音の知らせを煩わすまでもなく、新たに天気が晴れている知らせをしなくてもわかるというものだ。

銜暮景 夕ぐれの日光が射していてまるで日差しをふくんでいるようだ、、晴れたさまをいう。

○不労 わずらわすまでもない。

○鐘鼓報新晴 太鼓の音で鐘鼓の音の知らせを煩わすまでもなく、新たに天気が晴れている知らせをしなくてもわかるというものだ。

 

浣花溪裏花饒笑,肯信吾兼吏隱名。

さて、私は、浣花渓と名付けたのは花いっぱいの場所にしたかったからで、そこにはもう多くの秋の花が咲いているだろう、それを見ずに私がここにいるというのは、半官半隠を自負していたのに、果たしてどうだか疑わしく、隠遁者としての名は兼有していないということにしかならないのである。

花饒笑 は多いこと。浣花渓という名称は杜甫がこの地にもともと花が咲いていたが、更に花を植えて、花が一杯の谷間という意味である。

信 反語、不信とおなじ意。旧解に「信」字の主語を上旬の「花」としているが、省略されている「我」の字であると考えるのがよい。「我不レ信」とは言い換えれば「我自ズカラ疑り」ということである。

○吏隠名 役人と隠遁者と二つの名。この頃の隠遁者の理想は半官半隠ということであり、杜甫もそうしたいと思っていたことをいう。

 

 

(院中の晩晴に西郭の茅合を懐う)

幕府 秋風 日夜清し、澹雲 疏雨 高城を過ぐ。

葉心の朱実は看時に落ち、階面の青苔 先ず更に生ず。

復た楼台の暮景を銜む有り、労せず鐘鼓の新晴を報ずるを。

浣花渓 裏花 饒く笑う、肯て信ぜんや 吾 吏隠の名を兼ぬるを。

院中晴懷西郭茅舍

幕府秋風日夜清,澹雲疏雨過高城。

葉心朱實看時落,階面青苔先自生。

複有樓臺銜暮景,不勞鐘鼓報新晴。

浣花溪裏花饒笑,肯信吾兼吏隱名。
安史の乱当時の勢力図 

《奉和嚴大夫軍城早秋》 杜甫index-14 764年 杜甫<779> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4560 杜甫詩1500-779-1083/2500

(厳武が「軍城早秋」と題する詩を作ったので、それに和してつくった詩。広徳二年七月の作。)雲間にそびえる滴博嶺の戍る場所はもはやこちらの手に奪還したのであるが、これからは雪のみねのかなたに横たわる蓬婆山の城を奪おうという了見なのである。

 
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《奉和嚴大夫軍城早秋》 杜甫index-14 764年 杜甫<779> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4560 杜甫詩1500-779-1083/2500

 

 

詩題: 奉和嚴大夫軍城早秋 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 七言 

杜少陵集巻十四 

及地點:  的博嶺 (劍南道北部 維州 的博嶺) 別名:滴博     

蓬婆山 (劍南道北部 柘州 蓬婆山)     

交遊人物: 嚴武 書信往來(劍南道北部 益州 成都)

 

 

 

厳武《軍城早秋》

昨夜秋風入漢関 朔雲辺雪満西山 

更催飛将追臨虜 莫遣沙場匹馬還

(軍務中の城の早秋のことをよんだ。)

吾が唐の国境の関所には昨日あたり秋風が吹き入って、雲も西山の下にみる、雪も(或は「月の光も」)一ぱいになった。

このとき味方は更に漢の李広にも此すべき名将をうながして、吐蕃の騎れる虜を追い撃ちさせる、戦場での敵の馬は、たとい一匹たりとも無事にかえしてはならぬ。

(軍城の早秋)

昨夜 秋風 漢関に入る、朔雲 辺雪 西山に満つ。

更に飛将を催して臨虜を追わしむ、沙場の匹馬をして還らしむること莫れ。

 

 

杜甫《奉和厳鄭公軍城早秋

秋風褭褭動高旌,玉帳分弓射虜營。

已收滴博雲間戍,更奪蓬婆雪外城。

(厳武が「軍城早秋」と題する詩を作ったので、それに和してつくった詩。広徳二年七月の作。)

秋風がなよなよと高い族のうえに吹きそめた。このとき将軍は陣幕のなかで部将に弓を分かち授けてそれで異民族の吐蕃の軍営を射させるのである。

雲間にそびえる滴博嶺の戍る場所はもはやこちらの手に奪還したのであるが、これからは雪のみねのかなたに横たわる蓬婆山の城を奪おうという了見なのである。

 

(厳鄭公が軍城早秋を和し奉る)

秋風 褭褭 高旌に動く、玉帳 弓を分かちて虜営を射る。

己に収む 滴博雲間の戍、奪わんと欲す 蓬婆 雪外の城。

nat0001 

 

奉和厳鄭公軍城早秋』 現代語訳と訳註

(本文)

奉和厳鄭公軍城早秋

秋風褭褭動高旌,玉帳分弓射虜營。

已收滴博雲間戍,更奪蓬婆雪外城。

 

(含異文)

秋風褭褭動高旌,玉帳分弓射虜營。

已收滴博【案:嶺在維州。】雲間戎,更奪蓬婆雪外城【次取蓬婆雪外城】【案:雪山外有蓬婆嶺。】。

 

(下し文)

(厳鄭公が軍城早秋を和し奉る)

秋風 褭褭 高旌に動く、玉帳 弓を分かちて虜営を射る。

己に収む 滴博雲間の戍、奪わんと欲す 蓬婆 雪外の城。

 

(現代語訳)

(厳武が「軍城早秋」と題する詩を作ったので、それに和してつくった詩。広徳二年七月の作。)

秋風がなよなよと高い族のうえに吹きそめた。このとき将軍は陣幕のなかで部将に弓を分かち授けてそれで異民族の吐蕃の軍営を射させるのである。

雲間にそびえる滴博嶺の戍る場所はもはやこちらの手に奪還したのであるが、これからは雪のみねのかなたに横たわる蓬婆山の城を奪おうという了見なのである。

題新津北橋棲00 

(訳注)

奉和厳鄭公軍城早秋

(厳武が「軍城早秋」と題する詩を作ったので、それに和してつくった詩。広徳二年七月の作。)

○厳鄭公 鄭国公厳武をさす。

○軍城早秋 厳武が作った詩の題である。

 

秋風褭褭動高旌,玉帳分弓射虜營。

秋風がなよなよと高い族のうえに吹きそめた。このとき将軍は陣幕のなかで部将に弓を分かち授けてそれで異民族の吐蕃の軍営を射させるのである。

褭褭 なよなよと風の吹くさま。

○動 吹きそめることをいう。

高旌 は羽をふさふさにして竿につけたはた。軍旗のふきながし。

○玉帳 将軍のりっぱな陣幕。

〇分弓 分とは部下の諸将に配分して授けることをいう。

○虜営 虜は吐番のえびすをさす。

 

 

已收滴博雲間戍,更奪蓬婆雪外城。

雲間にそびえる滴博嶺の戍る場所はもはやこちらの手に奪還したのであるが、これからは雪のみねのかなたに横たわる蓬婆山の城を奪おうという了見なのである。

○収 こちらの手に入れること。

〇滴博雲間戍 「雲間滴博戍」というのを置きかえた形である。滴博は嶺の名、維州に

ある、雲間とは高いことをいう。

○蓬婆雪外城 これも「雪外蓬婆城」というのを置きかえた形である、蓬婆は山の名、一に大雪山ともいう、柘県の西北百里にあるという、そこに吐蕃の城があるのである、雪外とは地が高く雪をいただいた山山のそのまた外方にあることをいう。

 

(厳鄭公が軍城早秋を和し奉る)

秋風 褭褭 高旌に動く、玉帳 弓を分かちて虜営を射る。

己に収む 滴博雲間の戍、奪わんと欲す 蓬婆 雪外の城。
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厳武《軍城早秋》

昨夜秋風入漢関 朔雲辺雪満西山 

更催飛将追臨虜 莫遣沙場匹馬還

 

杜甫《奉和厳鄭公軍城早秋

秋風褭褭動高旌,玉帳分弓射虜營。

已收滴博雲間戍,更奪蓬婆雪外城。

 

 

詩題: 奉和嚴大夫軍城早秋 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 七言 

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及地點:  的博嶺 (劍南道北部 維州 的博嶺) 別名:滴博     

蓬婆山 (劍南道北部 柘州 蓬婆山)     

交遊人物: 嚴武 書信往來(劍南道北部 益州 成都)

 

 

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軍城早秋(軍城の早秋) 厳武

 

 

軍城早秋

昨夜秋風入漢関,朔雲辺雪満西山。

更催飛将追臨虜,莫遣沙場匹馬還。

(軍務中の城の早秋のことをよんだ。)

吾が唐の国境の関所には昨日あたり秋風が吹き入って、雲も西山の下にみる、雪も(或は「月の光も」)一ぱいになった。

このとき味方は更に漢の李広にも此すべき名将をうながして、吐蕃の騎れる虜を追い撃ちさせる、戦場での敵の馬は、たとい一匹たりとも無事にかえしてはならぬ。

 

(軍城の早秋)

昨夜 秋風 漢関に入る、朔雲 辺雪 西山に満つ。

更に飛将を催して臨虜を追わしむ、沙場の匹馬をして還らしむること莫れ。

 

安史の乱当時の勢力図 

軍城早秋』 現代語訳と訳註

(本文)

軍城早秋

昨夜秋風入漢関 朔雲辺雪満西山 

更催飛将追臨虜 莫遣沙場匹馬還

 

(下し文)

(軍城の早秋)

昨夜 秋風 漢関に入る、朔雲 辺雪 西山に満つ。

更に飛将を催して臨虜を追わしむ、沙場の匹馬をして還らしむること莫れ。

 

(現代語訳)

(軍務中の城の早秋のことをよんだ。)

吾が唐の国境の関所には昨日あたり秋風が吹き入って、雲も西山の下にみる、雪も(或は「月の光も」)一ぱいになった。

このとき味方は更に漢の李広にも此すべき名将をうながして、吐蕃の騎れる虜を追い撃ちさせる、戦場での敵の馬は、たとい一匹たりとも無事にかえしてはならぬ。

 

(訳注)

軍城早秋(軍城の早秋)

(軍務中の城の早秋のことをよんだ。)

764年、広徳二年七月の作。此の年、九月に厳武の軍は吐蕃七万余の衆を当狗城に破り、遂に塩川城を収めた。詩はその二か月前に成ったのでこれより吐蕃を攻め破ろうとの意気込みでよんだものである。

○軍城 軍務中の城、成都の城をいう。

 

昨夜秋風入漢関,朔雲辺雪満西山。

吾が唐の国境の関所には昨日あたり秋風が吹き入って、雲も西山の下にみる、雪も(或は「月の光も」)一ぱいになった。

○昨夜 ゆうべ、必ずしも、ただちに前日の夜をさすというわけではない。

○漢関 漢地の関、唐の吐蕃境に接する関をいう。

○朔雲 北方よりのくも、雪雲のこと。

○辺雪 辺境の雪、「雪」の字を或は「月」に作る、月は月光をいう、雪の意はすでに朔雲のうちにこもっているので「月」の字が妙に思われる。

○西山 雪山をさす、すでにしばしばみえる。

 

更催飛将追臨虜莫遣沙場匹馬還

このとき味方は更に漢の李広にも此すべき名将をうながして、吐蕃の騎れる虜を追い撃ちさせる、戦場での敵の馬は、たとい一匹たりとも無事にかえしてはならぬ。

○更催 更とはこれまでよりももっとということ、催は催促。

○飛将 湊の武帝の時の名将李広を称して旬奴はこれを飛将軍といった、その兵をやることの神速なことをいうのである、ここは部下の将軍をさしていう。

○臨虜 えびすにのぞむ、吐蕃をさす。

○遣 俗用、「して1-せしむる」こと。

○沙場 沙漠をいう、ここは単に戦場をいう。

〇匹馬 一匹の馬さえもの意、敵の馬についていう。

 

(軍城の早秋)

昨夜 秋風 漢関に入る、朔雲 辺雪 西山に満つ。

更に飛将を催して臨虜を追わしむ、沙場の匹馬をして還らしむること莫れ

 

軍城早秋

昨夜秋風入漢関,朔雲辺雪満西山。

更催飛将追臨虜,莫遣沙場匹馬還。
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《立秋雨院中有作》 杜甫index-14 764年 杜甫<778-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4550 杜甫詩1500-778-#2-1081/2500

長官とは政治経済について共通の意識を持っており、理解してくれているので寛大に対応してくれるのだ、持病も国の経済状態も少しずつ好転してきたがもう少し見まもる必要がある。幕府の主人公、厳武はやがて、都にのぼって宰相にでもなるだろうが、そのときは自分はまたもどって旧の林丘を訪うだけのことだ。』

 
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《立秋雨院中有作》 杜甫index-14 764年 杜甫<778-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4550 杜甫詩1500-778-#2-1081/2500

 

 

製作年:764年  廣德二年  53

卷別:卷二二八  文體: 五言古詩 

   杜少陵集 巻十四

詩題:立秋雨院中有作〔立秋日雨院中有作〕 

 

 

立秋雨、院中有作

(杜甫が節度の参謀となって立秋の日に節度使の官邸において雨にあい感ずる所をのべた詩。864年広徳二年七月の作。)
山雲行塞,大火複西流。

山の雲がうごきだし、吐蕃や雲南の蠻夷との重要防御基地である蜀のとりでには秋らしく大火、心星が西へずっと低くなってきている。

飛雨動華屋,蕭蕭梁棟秋。

東川幕府のうつくしい官宅に横殴りの雨が飛んで来て、梁も棟も蕭条と音がしてさびしい秋を感じさせるのである。

窮途愧知己,暮齒借前籌。

わたしは直前まで職を転々として、荊州へも行けず、往き詰まっていたおりに知己である厳武から、晩年に傾いている私に知恵をかりたいといわれてこうしていることは恐れ多いことであると愧じ入っているところである。

已費清晨謁,那成長者謀。』

この年で、幕僚として毎朝、おっとめである謁見の手数をするようなことが、そのことが長官の厳武の謀をたすけてそれを成就させてやるということであっても持病持ちのじぶんとしてできようか。』

#2

解衣開北,高枕對南樓。

だから、自分はすこし引いた感じで、礼服の上衣などは解きすて、ある程度自由に発言できるぐらいの北の戸を開けることはできるけれど、もっと自由に高枕で南の楼にむきあってねころぶのが一番いいのだ。

樹濕風涼進,江喧水氣浮。

気楽に務めさせていただけるなら、樹木はしめっていてすずしい風が室のなかまでやって来て、江の水おとはやかましくみずけむりを浮かせているのを風流に感じられるというものだ。

禮寬心有適,節爽病微瘳。

長官とは政治経済について共通の意識を持っており、理解してくれているので寛大に対応してくれるのだ、持病も国の経済状態も少しずつ好転してきたがもう少し見まもる必要がある。

主將歸調鼎,吾還訪舊丘。』

幕府の主人公、厳武はやがて、都にのぼって宰相にでもなるだろうが、そのときは自分はまたもどって旧の林丘を訪うだけのことだ。』

 

(立秋雨ふる、院中にて作有り)

山雲 絶塞に行き、大火 復た西に流る。

飛雨 華屋に動き、蕭蕭 梁棟秋なり。

窮途 知己の、暮歯【ぼし】前籌を借るに愧ず。

己に清晨の謁を費す、那ぞ長者の謀を成さん。』

 

衣を解きて北戸を開き、高枕 南楼に対す。

樹湿いて風涼進み、江 喧【かまびす】しくて水気浮かぶ。

礼寛にして心通する有り、節 爽やかにして病微しく瘳【い】ゆ。

主将 調鼎【ちょうてい】に帰せば、吾還りて旧丘を訪わん。』

杜甫草堂詳細図02 

 

『立秋雨院中有作』 現代語訳と訳註

(本文)

#2

解衣開北,高枕對南樓。

樹濕風涼進,江喧水氣浮。

禮寬心有適,節爽病微瘳。

主將歸調鼎,吾還訪舊丘。』

 

(下し文)

衣を解きて北戸を開き、高枕 南楼に対す。

樹湿いて風涼進み、江 喧【かまびす】しくて水気浮かぶ。

礼寛にして心通する有り、節 爽やかにして病微しく瘳【い】ゆ。

主将 調鼎【ちょうてい】に帰せば、吾還りて旧丘を訪わん。』

 

(現代語訳)

だから、自分はすこし引いた感じで、礼服の上衣などは解きすて、ある程度自由に発言できるぐらいの北の戸を開けることはできるけれど、もっと自由に高枕で南の楼にむきあってねころぶのが一番いいのだ。

気楽に務めさせていただけるなら、樹木はしめっていてすずしい風が室のなかまでやって来て、江の水おとはやかましくみずけむりを浮かせているのを風流に感じられるというものだ。

長官とは政治経済について共通の意識を持っており、理解してくれているので寛大に対応してくれるのだ、持病も国の経済状態も少しずつ好転してきたがもう少し見まもる必要がある。

幕府の主人公、厳武はやがて、都にのぼって宰相にでもなるだろうが、そのときは自分はまたもどって旧の林丘を訪うだけのことだ。』

 

(訳注)

立秋雨院中有作

(杜甫が節度の参謀となって立秋の日に節度使の官邸において雨にあい感ずる所をのべた詩。864年広徳二年七月の作。)

○立秋 節の名。二十四節気の第13。七月節(旧暦6月後半から7月前半)。 現在広まっている定気法では太陽黄経が135度のときで87日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。

○院中 節度使の官邸の奥座敷をいう。

蜀成都1111 

解衣開北,高枕對南樓。

だから、自分はすこし引いた感じで、礼服の上衣などは解きすて、ある程度自由に発言できるぐらいの北の戸を開けることはできるけれど、もっと自由に高枕で南の楼にむきあってねころぶのが一番いいのだ。

○解衣 礼服の上衣をときすてる。儀礼に沿った幕府勤めは嫌だという意味。厳武は、房琯一派で、経済政策では房琯、杜甫らの考えに近かった。幕府の内部に組み込まれると、無政策の賀蘭進明・第五琦らの中央朝廷と必ずぶっつかり合うので厳武に迷惑がかかるということを基本にこの詩を読むとこれまでの学説では、杜甫が我儘をいったという解釈をしているがそれは間違い。

○高枕 枕をたかくして臥す。

 

風涼進,江喧水氣浮。

気楽に務めさせていただけるなら、樹木はしめっていてすずしい風が室のなかまでやって来て、江の水おとはやかましくみずけむりを浮かせているのを風流に感じられるというものだ。

○風涼進 進は進み入ること、此の句は「北戸」を承ける。

○水気浮 此の句は「商楼」を承ける。

 

禮寬心有適,節爽病微瘳。

長官とは政治経済について共通の意識を持っており、理解してくれているので寛大に対応してくれるのだ、持病も国の経済状態も少しずつ好転してきたがもう少し見まもる必要がある。

○礼寛 厳武が杜甫の経済政策などの考えを理解しており、そうしたことで、幕府に務めること、礼法の寛大なことをいう。

○心有通 通はこころにかなうことをいう。

○節爽 時候がさわやか。国家財政も杜甫の体も逼迫していたが、どちらとも少しずつかいふくしてきたことをいう。

○蓼 なおる。

 

主將歸調鼎,吾還訪舊丘。

幕府の主人公、厳武はやがて、都にのぼって宰相にでもなるだろうが、そのときは自分はまたもどって旧の林丘を訪うだけのことだ。』

○主将 主人である将軍、厳武をいう。

○帰調鼎 帰はそこにおちつくこと、調鼎は鼎のなかの物の味わいをととのえること、いわゆる塩梅(あんばい)をよくすること、「尚書」(説命)に殿の高宗が賢臣の侍説にむかって「若シ和美ヲ作ラバ、爾ハ惟レ塩梅」とみえる、塩梅調理は宰相の任である。

○旧丘 浣花渓の林丘をいう。以上はつづいて雨中の景を国と自分の体に置き換えて所感とをのべたものである。

 江畔独歩尋花

《立秋雨院中有作》 杜甫index-14 764年 杜甫<778-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4545 杜甫詩1500-778-#1-1080/2500

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卷別:卷二二八  文體: 五言古詩 

   杜少陵集 巻十四

詩題:立秋雨院中有作〔立秋日雨院中有作〕 

 

 

立秋雨、院中有作

山雲行塞,大火複西流。

飛雨動華屋,蕭蕭梁棟秋。

窮途愧知己,暮齒借前籌。

已費清晨謁,那成長者謀。』

(杜甫が節度の参謀となって立秋の日に節度使の官邸において雨にあい感ずる所をのべた詩。864年広徳二年七月の作。)

山の雲がうごきだし、吐蕃や雲南の蠻夷との重要防御基地である蜀のとりでには秋らしく大火、心星が西へずっと低くなってきている。

東川幕府のうつくしい官宅に横殴りの雨が飛んで来て、梁も棟も蕭条と音がしてさびしい秋を感じさせるのである。

わたしは直前まで職を転々として、荊州へも行けず、往き詰まっていたおりに知己である厳武から、晩年に傾いている私に知恵をかりたいといわれてこうしていることは恐れ多いことであると愧じ入っているところである。

この年で、幕僚として毎朝、おっとめである謁見の手数をするようなことが、そのことが長官の厳武の謀をたすけてそれを成就させてやるということであっても持病持ちのじぶんとしてできようか。』

#2

解衣開北,高枕對南樓。樹濕風涼進,江喧水氣浮。

禮寬心有適,節爽病微瘳。主將歸調鼎,吾還訪舊丘。』

 

(立秋雨ふる、院中にて作有り)

山雲 絶塞に行き、大火 復た西に流る。

飛雨 華屋に動き、蕭蕭 梁棟秋なり。

窮途 知己の、暮歯【ぼし】前籌を借るに愧ず。

己に清晨の謁を費す、那ぞ長者の謀を成さん。』

 

衣を解きて北戸を開き、高枕 南楼に対す。

樹湿いて風涼進み、江 喧【かまびす】しくて水気浮かぶ。

礼寛にして心通する有り、節 爽やかにして病微しく瘳【い】ゆ。

主将 調鼎【ちょうてい】に帰せば、吾還りて旧丘を訪わん。』

 

成都関連地図 00 

『立秋雨、院中有作』 現代語訳と訳註

(本文)

立秋雨、院中有作

山雲行塞,大火複西流。

飛雨動華屋,蕭蕭梁棟秋。

窮途愧知己,暮齒借前籌。

已費清晨謁,那成長者謀。』

 

(下し文)

(立秋雨ふる、院中にて作有り)

山雲 絶塞に行き、大火 復た西に流る。

飛雨 華屋に動き、蕭蕭 梁棟秋なり。

窮途 知己の、暮歯【ぼし】前籌を借るに愧ず。

己に清晨の謁を費す、那ぞ長者の謀を成さん。』

 

(現代語訳)

(杜甫が節度の参謀となって立秋の日に節度使の官邸において雨にあい感ずる所をのべた詩。864年広徳二年七月の作。)

山の雲がうごきだし、吐蕃や雲南の蠻夷との重要防御基地である蜀のとりでには秋らしく大火、心星が西へずっと低くなってきている。

東川幕府のうつくしい官宅に横殴りの雨が飛んで来て、梁も棟も蕭条と音がしてさびしい秋を感じさせるのである。

わたしは直前まで職を転々として、荊州へも行けず、往き詰まっていたおりに知己である厳武から、晩年に傾いている私に知恵をかりたいといわれてこうしていることは恐れ多いことであると愧じ入っているところである。

この年で、幕僚として毎朝、おっとめである謁見の手数をするようなことが、そのことが長官の厳武の謀をたすけてそれを成就させてやるということであっても持病持ちのじぶんとしてできようか。』

 

(訳注)

立秋雨院中有作

(杜甫が節度の参謀となって立秋の日に節度使の官邸において雨にあい感ずる所をのべた詩。864年広徳二年七月の作。)

○立秋 節の名。二十四節気の第13。七月節(旧暦6月後半から7月前半)。 現在広まっている定気法では太陽黄経が135度のときで87日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。

○院中 節度使の官邸の奥座敷をいう。

岳陽樓詩人0051 

山雲行塞,大火複西流。

山の雲がうごきだし、吐蕃や雲南の蠻夷との重要防御基地である蜀のとりでには秋らしく大火、心星が西へずっと低くなってきている。

○行 運行すること。

○絶塞 遠いはての地のとりで、吐蕃や雲南の蠻夷との重要防御基地である蜀のとりでをさしていう。

○大火 大火心星という星である。詩経·国風·豳風·七月》

○西流 流は下ること。大火、心星は六月の黄昏には正南に申し、七月となればそれより西方にうつってひくくなる。

 

飛雨動華屋,蕭蕭梁棟秋。

東川幕府のうつくしい官宅に横殴りの雨が飛んで来て、梁も棟も蕭条と音がしてさびしい秋を感じさせるのである。

○飛雨動 動とはふりだすこと。秋風が強く、横殴りの雨。

○華屋 りっばなやね、剣南東川節度使の居る家屋をいう。

○粛粛 さびしいさま。

○梁棟 はり、むなぎ、「飛雨」二句は謝桃の「朝雨ヲ観ル」詩の「朔風飛雨ヲ吹キテ、粛条江上二束タル」に本づく。

 

窮途愧知己,暮齒借前籌。

わたしは直前まで職を転々として、荊州へも行けず、往き詰まっていたおりに知己である厳武から、晩年に傾いている私に知恵をかりたいといわれてこうしていることは恐れ多いことであると愧じ入っているところである。

○塊 此の字は下旬までへかかる。

○知己 我を知ってくれる人、厳武をさす。

○暮歯 晩年をいう。

〇借前籌 漢の張良は高祖の前で御膳の薯を借りて漢の運命を寄った、筆は筈で数をよむことである、ここは厳武が作者の智恵を借りたことをいう、広徳元年六月、厳武が作者をすすめて節度の参謀となしたのはその智恵をかりたのである。

 

已費清晨謁,那成長者謀。』

この年で、幕僚として毎朝、おっとめである謁見の手数をするようなことが、そのことが長官の厳武の謀をたすけてそれを成就させてやるということであっても持病持ちのじぶんとしてできようか。』

○費 でかずをかけることをいう。

〇清晨謁 あさの謁見、作者は参謀ゆえ幕僚である、厳武は節度使であるから長官である、幕僚には長官に対する朝の謁見がある。

○那成長者謀 長者は目上の人、厳武をさす、朝、謁見などをしては厳武のためにその謀を成就させてやることはできぬ、作者は武に対して不平の口気がある。以上立秋に院中で雨にあったことと、其の時の意中をのぺる。

 

廣徳2年764-105 《過故斛斯校書莊,二首之二》 杜甫index-14 764年 杜甫<777> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4540 杜甫詩1500-777-1079/2500

杜甫≫過故斛斯校書莊,二首之二≫今私は、竹林の七賢の河内郡山陽で嵆康が死んでから、向秀がこの山陽を通り、思舊賦を作ったように君を悼む詩を作り、あるいは、斉の管中、鮑叔のように、生んでくれた父母より、私のことを知ってくれていたのは斛斯融であることに恐れ入っている。

 
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37-#1 《古風五十九首之三十七》Index-26Ⅳ-1 747年天寶六年47歳466古風,五十九首之三十七 燕臣昔慟哭, <37> Ⅰ李白詩1197 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4533 
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417ー#1 《和李相公攝事南郊覽物興懷呈一二知舊》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 823年長慶三年<1111> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4539韓愈詩-417ー#1 
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廣徳2764-105 《過故斛斯校書莊,二首之二》 杜甫index-14 764年 杜甫<777 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4540 杜甫詩1500-777-1079/2500

 

 

過故斛斯校書莊,二首之一

(この詩は、764年廣徳2年、この時すでに亡くなっていた校書の官、斛斯融の邸宅におとずれてよんだものである。)

〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕〔《英華》注:「即斛斯融。」〕

〔老人の儒者である自分は国事艱難の時に蜀で病んでおり、斛斯融が没後に、はじめて一官を授けられたことを気の毒に思うものである。〔ここに言う「其」は《英華の詩集》に注とする:「即ち斛斯融。」である。〕

此老已雲歿,鄰人嗟亦休。

この老人はもはや亡くなったということではあるが、近所の人は、未だに嘆いている。

竟無宣室召,徒有茂陵求。

気の毒な事には、この方は、賈誼のように宣室に召されることもなく、いたずらに司馬相如が死後に、遺著を求められたようなものである。

妻子寄他食,園林非昔遊。

妻子はよそへ居候に行ってしまい、園林の様子は、昔一緒に遊んだ時の様子とは違っている。

空餘繐帷在,淅淅野風秋。

ただ、霊室に布のとばりが垂れているだけで、この野原を吹く風がさびしく秋の音を立てている。

 

(故の斛斯校書が莊に過る,二首の一)

〔自注:老儒艱難の時,庸蜀に病む,其の沒後 方に一官を授けられしを歎す。〕〔《英華》注:「即ち斛斯融。」〕

此の老 已に雲【ここ】に歿す,鄰人 嗟すること亦た休む。

竟に宣室の召無し,徒らに茂陵求め有り。

妻子 他食に寄る,園林 昔遊に非ず。

空しく繐帷【けいい】を餘して在り,淅淅として野風秋なり。

 

過故斛斯校書莊,二首之二

(この詩も、斛斯融の居宅が荒れたままであること、名残のものを見て、融の人となりを思い、旧友が没したことを歎いたものである。764年廣徳2年夏の作。)

〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕〔《英華》注:「即斛斯融。」〕

〔老人の儒者である自分は国事艱難の時に蜀で病んでおり、斛斯融が没後に、はじめて一官を授けられたことを気の毒に思うものである。〔ここに言う「其」は《英華の詩集》に注とする:「即ち斛斯融。」である。〕

燕入非旁舍,鷗歸只故池。

もう夏になっているというのに、隣の家には、ツバメが飛び込んでくることはない。鴎が帰って来るけれど、これもまた、もと居た池にもどってきているのだ。

斷橋無複板,臥柳自生枝。

渡した板が途絶えた橋で何も修理がされていない。柳は一部伏せてたおれかけ、ひとりでに枝を伸ばしている。

遂有山陽作,多慚鮑叔知。

今私は、竹林の七賢の河内郡山陽で嵆康が死んでから、向秀がこの山陽を通り、思舊賦を作ったように君を悼む詩を作り、あるいは、斉の管中、鮑叔のように、生んでくれた父母より、私のことを知ってくれていたのは斛斯融であることに恐れ入っている。

素交零落盡,白首淚雙垂。

思えば普段からまじりあいのある人々は、ことごとく零落してゆくのであり、この白髪頭の私は両眼から涙がこぼれてやまないのだ。

(故の斛斯校書が莊に過る,二首の二)

〔自注:老儒艱難の時,庸蜀に病む,其の沒後 方に一官を授けられしを歎す。〕〔《英華》注:「即ち斛斯融。」〕

燕 入るは旁舍に非ず,鷗 歸るは只だ 故池なり。

斷橋 複た板あること無し,臥柳 自ら枝を生ず。

遂に山陽の作有り,多く慚ず 鮑叔の知るに。

素交 零落し盡す,白首 淚 雙垂す。

 

竹林001 

『過故斛斯校書莊,二首之二』 現代語訳と訳註

(本文)

過故斛斯校書莊,二首之二〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕〔《英華》注:「即斛斯融。」〕

燕入非旁舍,鷗歸只故池。斷橋無複板,臥柳自生枝。

遂有山陽作,多慚鮑叔知。素交零落盡,白首淚雙垂。

 

(下し文)

(故の斛斯校書が莊に過る,二首の二)

〔自注:老儒艱難の時,庸蜀に病む,其の沒後 方に一官を授けられしを歎す。〕〔《英華》注:「即ち斛斯融。」〕

燕 入るは旁舍に非ず,鷗 歸るは只だ 故池なり。

斷橋 複た板あること無し,臥柳 自ら枝を生ず。

遂に山陽の作有り,多く慚ず 鮑叔の知るに。

素交 零落し盡す,白首 淚 雙垂す。

 

(現代語訳)

(この詩も、斛斯融の居宅が荒れたままであること、名残のものを見て、融の人となりを思い、旧友が没したことを歎いたものである。764年廣徳2年夏の作。)

もう夏になっているというのに、隣の家には、ツバメが飛び込んでくることはない。鴎が帰って来るけれど、これもまた、もと居た池にもどってきているのだ。

渡した板が途絶えた橋で何も修理がされていない。柳は一部伏せてたおれかけ、ひとりでに枝を伸ばしている。

今私は、竹林の七賢の河内郡山陽で嵆康が死んでから、向秀がこの山陽を通り、思舊賦を作ったように君を悼む詩を作り、あるいは、斉の管中、鮑叔のように、生んでくれた父母より、私のことを知ってくれていたのは斛斯融であることに恐れ入っている。

思えば普段からまじりあいのある人々は、ことごとく零落してゆくのであり、この白髪頭の私は両眼から涙がこぼれてやまないのだ。

江畔独歩尋花

 

(訳注)

過故斛斯校書莊,二首之二

(この詩も、斛斯融の居宅が荒れたままであること、名残のものを見て、融の人となりを思い、旧友が没したことを歎いたものである。764年廣徳2年夏の作。)

〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕〔《英華》注:「即斛斯融。」〕

〔老人の儒者である自分は国事艱難の時に蜀で病んでおり、斛斯融が没後に、はじめて一官を授けられたことを気の毒に思うものである。〔ここに言う「其」は《英華の詩集》に注とする:「即ち斛斯融。」である。〕

 ここは、死んで故人となっている。

斛斯融 杜甫草堂の南隣の隠遁者のこと、ふたりでよく酒を呑んでいる。この酒好きの友について三首ある。襄陽の山濤のような隠遁者であった。この時の様子は杜甫456『聞斛斯六官未歸』に別に述べている。ある解釈にはこの南の隣人が二人いるような解釈をしているもの有るが南の隣人は独りである。錦裡先生という表現は、「山濤」をもじっており、朱山人は隠遁者であることを云い、斛斯六官の斛斯融が本人をあらわす名前であろうと思う。三者、同一人物である。

南鄰
錦裡先生烏角巾,園收芋栗未全貧。
慣看賓客兒童喜,得食階除鳥雀馴。
秋水纔深四五尺,野航恰受兩三人。
白沙翠竹江村暮,相送柴門月色新。

南鄰 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -1)  <383  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1859 杜甫詩1000-383-564/1500

過南鄰朱山人水亭
相近竹参差、相通人不知。
幽花敬満樹、細水曲通池。
辟客村非違、残樽席吏移。
看君多道東、従此敷追随。

過南鄰朱山人水亭 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -2)  <384  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1863 杜甫詩1000-384-565/1500

聞斛斯六官未歸
故人南郡去,去索作碑錢。
本賣文為活,翻令室倒懸。
荊扉深蔓草,土銼冷寒煙。
老罷休無賴,歸來省醉眠。
聞斛斯六官未歸 成都5-(3) 杜甫 <456  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2225 杜甫詩1000-456-639/1500

江畔濁歩尋花七絶句 之一 
江上被花惱不徹,無處告訴只顛狂。
走覓南鄰愛酒伴,經旬出飲獨空床。

江畔獨步尋花七句 杜甫 <437 其一 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2130 杜甫詩1000-437-620/1500

校書 官名。

莊 邸宅、やしき。

老儒 老人の儒者である自分、杜甫のこと。

艱難 国事艱難の時。

庸蜀 庸岷、庸蜀ということで、漠然とした蜀をいう。

其 ここに言う「其」は《英華の詩集》に注とする:「即ち斛斯融。」である。

杜甫草堂詳細図02

 

燕入非旁舍,鷗歸只故池。

もう夏になっているというのに、隣の家には、ツバメが飛び込んでくることはない。鴎が帰って来るけれど、これもまた、もと居た池にもどってきているのだ。

旁舍 となりのいえ。

故池 もとのいけ。

 

斷橋無複板,臥柳自生枝。

渡した板が途絶えた橋で何も修理がされていない。柳は一部伏せてたおれかけ、ひとりでに枝を伸ばしている。

斷橋 途絶えた橋。

 橋に渡した板。

柳自生枝 柳の枝がひとりでに枝を伸ばしている。

 

遂有山陽作,多慚鮑叔知。

今私は、竹林の七賢の河内郡山陽で嵆康が死んでから、向秀がこの山陽を通り、思舊賦を作ったように君を悼む詩を作り、あるいは、斉の管中、鮑叔のように、生んでくれた父母より、私のことを知ってくれていたのは斛斯融であることに恐れ入っている。

山陽作 竹林の七賢がいたところ。中国・魏(三国時代)の時代末期に、河内郡山陽(河南省新郷市輝県市と焦作市修武県の間あたり)の竹林によくたむろしていた。ここでは、嵆康が死んでから、向秀が山陽を通り、思舊賦を作ったこと指す。

鮑叔知 斉の管中、鮑叔が「我を生む者は父母、我を知る者は鮑子なり。」ことにもとづき、斛斯融を以て、鮑叔とした。

 

素交零落盡,白首淚雙垂。

思えば普段からまじりあいのある人々は、ことごとく零落してゆくのであり、この白髪頭の私は両眼から涙がこぼれてやまないのだ。

素交 もとからの交わり。

《過故斛斯校書莊,二首之一〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕》 杜甫index-14 764年 杜甫<776> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4535 杜甫詩1500-776-1078/2500

(この詩は、764年廣徳2年、この時すでに亡くなっていた校書の官、斛斯融の邸宅におとずれてよんだものである。)〔老人の儒者である自分は国事艱難の時に蜀で病んでおり、斛斯融が没後に、はじめて一官を授けられたことを気の毒に思うものである。〔ここに言う「其」は《英華の詩集》に注とする:「即ち斛斯融。」である。〕

 
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《過故斛斯校書莊,二首之一》 杜甫index-14 764年 杜甫<776 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4535 杜甫詩1500-776-1078/2500

 

 

過故斛斯校書莊,二首之一

〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕〔《英華》注:「即斛斯融。」〕

此老已雲歿,鄰人嗟亦休。

竟無宣室召,徒有茂陵求。

妻子寄他食,園林非昔遊。

空餘繐帷在,淅淅野風秋。

(この詩は、764年廣徳2年、この時すでに亡くなっていた校書の官、斛斯融の邸宅におとずれてよんだものである。)

〔老人の儒者である自分は国事艱難の時に蜀で病んでおり、斛斯融が没後に、はじめて一官を授けられたことを気の毒に思うものである。〔ここに言う「其」は《英華の詩集》に注とする:「即ち斛斯融。」である。〕

この老人はもはや亡くなったということではあるが、近所の人は、未だに嘆いている。

気の毒な事には、この方は、賈誼のように宣室に召されることもなく、いたずらに司馬相如が死後に、遺著を求められたようなものである。

妻子はよそへ居候に行ってしまい、園林の様子は、昔一緒に遊んだ時の様子とは違っている。

ただ、霊室に布のとばりが垂れているだけで、この野原を吹く風がさびしく秋の音を立てている。

 

(故の斛斯校書が莊に過る,二首の一)

〔自注:老儒艱難の時,庸蜀に病む,其の沒後 方に一官を授けられしを歎す。〕〔《英華》注:「即ち斛斯融。」〕

此の老 已に雲【ここ】に歿す,鄰人 嗟すること亦た休む。

竟に宣室の召無し,徒らに茂陵求め有り。

妻子 他食に寄る,園林 昔遊に非ず。

空しく繐帷【けいい】を餘して在り,淅淅として野風秋なり。

 

過故斛斯校書莊,二首之二〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕〔《英華》注:「即斛斯融。」〕

 

燕入非旁舍,鷗歸只故池。斷橋無複板,臥柳自生枝。

遂有山陽作,多慚鮑叔知。素交零落盡,白首淚雙垂。

 

 

(故の斛斯校書が莊に過る,二首の二)

〔自注:老儒艱難の時,庸蜀に病む,其の沒後 方に一官を授けられしを歎す。〕〔《英華》注:「即ち斛斯融。」〕

燕 入るは旁舍に非ず,鷗 歸るは只だ 故池なり。

斷橋 複た板あること無し,臥柳 自ら枝を生ず。

遂に山陽の作有り,多く慚ず 鮑叔の知るに。

素交 零落し盡す,白首 淚 雙垂す。

杜甫草堂詳細図02 

 

『過故斛斯校書莊,二首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

過故斛斯校書莊,二首之一

〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕〔《英華》注:「即斛斯融。」〕

此老已雲歿,鄰人嗟亦休。

竟無宣室召,徒有茂陵求。

妻子寄他食,園林非昔遊。

空餘繐帷在,淅淅野風秋。

 

(下し文)

(故の斛斯校書が莊に過る,二首の一)

〔自注:老儒艱難の時,庸蜀に病む,其の沒後 方に一官を授けられしを歎す。〕〔《英華》注:「即ち斛斯融。」〕

此の老 已に雲【ここ】に歿す,鄰人 嗟すること亦た休む。

竟に宣室の召無し,徒らに茂陵求め有り。

妻子 他食に寄る,園林 昔遊に非ず。

空しく繐帷【けいい】を餘して在り,淅淅として野風秋なり。

 

(現代語訳)

(この詩は、764年廣徳2年、この時すでに亡くなっていた校書の官、斛斯融の邸宅におとずれてよんだものである。)

〔老人の儒者である自分は国事艱難の時に蜀で病んでおり、斛斯融が没後に、はじめて一官を授けられたことを気の毒に思うものである。〔ここに言う「其」は《英華の詩集》に注とする:「即ち斛斯融。」である。〕

この老人はもはや亡くなったということではあるが、近所の人は、未だに嘆いている。

気の毒な事には、この方は、賈誼のように宣室に召されることもなく、いたずらに司馬相如が死後に、遺著を求められたようなものである。

妻子はよそへ居候に行ってしまい、園林の様子は、昔一緒に遊んだ時の様子とは違っている。

ただ、霊室に布のとばりが垂れているだけで、この野原を吹く風がさびしく秋の音を立てている。

江畔独歩尋花 

(訳注)

過故斛斯校書莊,二首之一

(この詩は、764年廣徳2年、この時すでに亡くなっていた校書の官、斛斯融の邸宅におとずれてよんだものである。)

〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕〔《英華》注:「即斛斯融。」〕

〔老人の儒者である自分は国事艱難の時に蜀で病んでおり、斛斯融が没後に、はじめて一官を授けられたことを気の毒に思うものである。〔ここに言う「其」は《英華の詩集》に注とする:「即ち斛斯融。」である。〕

 ここは、死んで故人となっている。

斛斯融 杜甫草堂の南隣の隠遁者のこと、ふたりでよく酒を呑んでいる。この酒好きの友について三首ある。襄陽の山濤のような隠遁者であった。この時の様子は杜甫456『聞斛斯六官未歸』に別に述べている。ある解釈にはこの南の隣人が二人いるような解釈をしているもの有るが南の隣人は独りである。錦裡先生という表現は、「山濤」をもじっており、朱山人は隠遁者であることを云い、斛斯六官の斛斯融が本人をあらわす名前であろうと思う。三者、同一人物である。

南鄰
錦裡先生烏角巾,園收芋栗未全貧。
慣看賓客兒童喜,得食階除鳥雀馴。
秋水纔深四五尺,野航恰受兩三人。
白沙翠竹江村暮,相送柴門月色新。

南鄰 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -1)  <383  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1859 杜甫詩1000-383-564/1500

過南鄰朱山人水亭
相近竹参差、相通人不知。
幽花敬満樹、細水曲通池。
辟客村非違、残樽席吏移。
看君多道東、従此敷追随。

過南鄰朱山人水亭 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -2)  <384  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1863 杜甫詩1000-384-565/1500

聞斛斯六官未歸
故人南郡去,去索作碑錢。
本賣文為活,翻令室倒懸。
荊扉深蔓草,土銼冷寒煙。
老罷休無賴,歸來省醉眠。
聞斛斯六官未歸 成都5-(3) 杜甫 <456  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2225 杜甫詩1000-456-639/1500

江畔濁歩尋花七絶句 之一 
江上被花惱不徹,無處告訴只顛狂。
走覓南鄰愛酒伴,經旬出飲獨空床。

江畔獨步花七句 杜甫 <437 其一 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2130 杜甫詩1000-437-620/1500

校書 官名。

莊 邸宅、やしき。

老儒 老人の儒者である自分、杜甫のこと。

艱難 国事艱難の時。

庸蜀 庸岷、庸蜀ということで、漠然とした蜀をいう。

其 ここに言う「其」は《英華の詩集》に注とする:「即ち斛斯融。」である。

 

此老已雲歿,鄰人嗟亦休。

この老人はもはや亡くなったということではあるが、近所の人は、未だに嘆いている。

此老 この老人、即ち斛斯融のこと。

已雲歿 もはや亡くなったということではある

 その死について嘆くこと。

 

竟無宣室召,徒有茂陵求。

気の毒な事には、この方は、賈誼のように宣室に召されることもなく、いたずらに司馬相如が死後に、遺著を求められたようなものである。

宣室召 もはや亡くなったということである。

茂陵求 司馬相如は晩年に茂陵に住んで、そこで病気になった。病気の状態は悪かったが、武帝は相如に著書を求めた。司馬相如が死んで、その妻に問いて封禅のことを言える遺書を持ち帰った。それで、死後官を授けられたことをいう。

 

妻子寄他食,園林非昔遊。

妻子はよそへ居候に行ってしまい、園林の様子は、昔一緒に遊んだ時の様子とは違っている。

寄他食 よそへ居候に行ってしまっている。

非昔遊 昔一緒に遊んだ時の様子とは違っている。

 

空餘繐帷在,淅淅野風秋。

ただ、霊室に布のとばりが垂れているだけで、この野原を吹く風がさびしく秋の音を立てている。

繐帷在 霊室に布のとばりが垂れている。

淅淅 風の音。

廣徳2年764-103 《寄邛州崔錄事》 杜甫index-14 764年 杜甫<775> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4530 杜甫詩1500-775-1077/2500五言律詩

卭州の録事をしている崔くんへ、聞くところによると君は成都、果園坊にいるそうではないか。長いこと君の消息を知りたいと思っていたがまったく音沙汰がなかった。朝の間どれほどいそがしいというのか。

 
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寄邛州崔錄事

邛州崔錄事,聞在果園坊。

久待無消息,終朝有底忙。

應愁江樹遠,怯見野亭荒。

浩蕩風塵外,誰知酒熟香。

764年廣徳二年の春。卭州の録事であった崔某によせたものである。)

卭州の録事をしている崔くんへ、聞くところによると君は成都、果園坊にいるそうではないか。

長いこと君の消息を知りたいと思っていたがまったく音沙汰がなかった。朝の間どれほどいそがしいというのか。

私が住まいしている濯錦江のほとりの樹木が君取ってはずいぶん遠いということで愁いているということなのだろうか。心配かけるね。それとも、私の、あばら家である草堂が荒れ果てたのを見るのが怖いということなのだろうか。

今のように、世の中が乱れて戦の風塵がこんな外にまで振り掛かるというときである。我が家でこしらえた新酒が熟してちょうど芳しくなってきたことを、君のほか誰が知っているというのか。

(邛州【きょうしゅう】崔錄事に寄す)

邛州の崔錄事,果園坊に在りと聞く。

久しく待てど 消息無く,終朝 底【なん】の忙有り。

應に江樹の遠きを愁うべし,野亭の荒れるを見ることを怯【おそ】る。

浩蕩たる 風塵の外,誰か知らん 酒 熟すれば香ばしきを。

 

成都関連地図 00

  

『寄邛州崔錄事』 現代語訳と訳註

(本文)

寄邛州崔錄事

邛州崔錄事,聞在果園坊。

久待無消息,終朝有底忙。

應愁江樹遠,怯見野亭荒。

浩蕩風塵外,誰知酒熟香。

 

(下し文)

(邛州【きょうしゅう】崔錄事に寄す)

邛州の崔錄事,果園坊に在りと聞く。

久しく待てど 消息無く,終に朝 底【なん】の忙有り。

應に江樹の遠きを愁うべし,野亭の荒れるを見ることを怯【おそ】る。

浩蕩たる 風塵の外,誰か知らん 酒 熟すれば香ばしきを。

 

(現代語訳)

764年廣徳二年の春。卭州の録事であった崔某によせたものである。)

卭州の録事をしている崔くんへ、聞くところによると君は成都、果園坊にいるそうではないか。

長いこと君の消息を知りたいと思っていたがまったく音沙汰がなかった。朝の間どれほどいそがしいというのか。

私が住まいしている濯錦江のほとりの樹木が君取ってはずいぶん遠いということで愁いているということなのだろうか。心配かけるね。それとも、私の、あばら家である草堂が荒れ果てたのを見るのが怖いということなのだろうか。

今のように、世の中が乱れて戦の風塵がこんな外にまで振り掛かるというときである。我が家でこしらえた新酒が熟してちょうど芳しくなってきたことを、君のほか誰が知っているというのか。

 

 

(訳注)

寄邛州崔錄事

764年廣徳二年の春。卭州の録事であった崔某によせたものである。)

邛州 邛州(きょうしゅう)は中国にかつて存在した州。現在の中華人民共和国四川省邛崍市近郊に相当する。梁の蕭紀(皇位僭称552-553年)により設置された楚州を前身とする。隋代になると605年(大業元年)に廃止となり、管轄区域は雅州に移管された。

崔錄事 卭州の録事であった崔某、詳細は分からない。

○果園坊 成都の中の坊の名称で、成都の西側にあった。徐卿の居處があった。

杜甫《詣徐卿覓果栽》「草堂少花今欲栽,不問綠李與黄梅。石筍街中卻歸去,果園坊裡為求來。」(卿に詣りて 果栽を覓む。草堂花少うして今栽ゑんと欲し、問はず 緑李と黄梅とを。石筍街中 卻つて歸り去って、果園坊裏 爲に來るを求めらる。)

成都(1)浣花渓の草堂(9) 詣徐卿覓果栽 杜甫 <362 ..\杜甫と農業.doc 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1755 杜甫詩 700- 538

 

邛州崔錄事,聞在果園坊。

卭州の録事をしている崔くんへ、聞くところによると君は成都、果園坊にいるそうではないか。

 

久待無消息,終朝有底忙。

長いこと君の消息を知りたいと思っていたがまったく音沙汰がなかった。朝の間どれほどいそがしいというのか。

有底忙 何か忙しいことでもあるのか。この詩は杜甫の冗談である。

 

應愁江樹遠,怯見野亭荒。

私が住まいしている濯錦江のほとりの樹木が君取ってはずいぶん遠いということで愁いているということなのだろうか。心配かけるね。それとも、私の、あばら家である草堂が荒れ果てたのを見るのが怖いということなのだろうか。

 愁いているということなのだろうか。心配かけるね。

江樹遠 濯錦江のほとりの樹木が君取ってはずいぶん遠いということ

怯見 見るのが怖いということ

野亭 あばら家である草堂

 

浩蕩風塵外,誰知酒熟香。

今のように、世の中が乱れて戦の風塵がこんな外にまで振り掛かるというときである。我が家でこしらえた新酒が熟してちょうど芳しくなってきたことを、君のほか誰が知っているというのか。

浩蕩 大にうごく。

風塵外 世の中が乱れて戦の風塵がこんな外にまで振り掛かるというとき

酒熟香 春は新酒が熟してちょうど芳しくなってきたこと。
江畔独歩尋花 

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杜甫《王錄事許修草堂貲不到聊小詰》(杜甫の草堂の修繕費用を用立てると承諾していたのに、それがなかなか手元に届かないためいらだってこの詩を寄せたものである。)

 
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廣徳2764-102 《王錄事許修草堂貲不到聊小詰》 杜甫index-14 764年 杜甫<774 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4525 杜甫詩1500-774-1076/2500七言絶句

 

 

年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 五言 

詩題: 王錄事許修草堂貲不到聊小詰 

及地點:  草堂 (劍南道北部 益州 成都) 別名:一室、西郭茅舍     

交遊人物: 王錄事 當地交遊(劍南道北部 益州 成都)

 

王錄事許修草堂貲不到聊小詰

為嗔王錄事,不寄草堂貲。

昨屬愁春雨,能忘欲漏時。  

(杜甫の草堂の修繕費用を用立てると承諾していたのに、それがなかなか手元に届かないためいらだってこの詩を寄せたものである。)

私は王録事が既に承知しながら、未だに草堂の修繕費を届けてくれないことで怒りで叱咤した。

昨日、丁度、春の長雨を心配したところであった。君はまさか私の草堂が雨漏りしていてサラにひどくなりそうだということを忘れたのではないだろうね。

(王錄事 草堂を修むる貲を許す 到らず 聊さか小詰す)

為に嗔【いか】る 王錄事が,草堂の貲を寄せざるを。

昨【きのう】 春雨を愁うるに屬す,能く忘れんや 漏れんと欲する時を。 

杜甫像0012 

 

『王錄事許修草堂貲不到聊小詰』現代語訳と訳註

(本文)

王錄事許修草堂貲不到聊小詰

為嗔王錄事,不寄草堂貲。

昨屬愁春雨,能忘欲漏時。 

 

(下し文)

(王錄事 草堂を修むる貲を許す 到らず 聊さか小詰す)

為に嗔【いか】る 王錄事が,草堂の貲を寄せざるを。

昨【きのう】 春雨を愁うるに屬す,能く忘れんや 漏れんと欲する時を。 

 

(現代語訳)

(杜甫の草堂の修繕費用を用立てると承諾していたのに、それがなかなか手元に届かないためいらだってこの詩を寄せたものである。)

私は王録事が既に承知しながら、未だに草堂の修繕費を届けてくれないことで怒りで叱咤した。

昨日、丁度、春の長雨を心配したところであった。君はまさか私の草堂が雨漏りしていてサラにひどくなりそうだということを忘れたのではないだろうね。

 

 

(訳注)

王錄事許修草堂貲不到聊小詰

(杜甫の草堂の修繕費用を用立てると承諾していたのに、それがなかなか手元に届かないためいらだってこの詩を寄せたものである。)

○王錄事 録事である王某。

○貲 たから。ここでは修繕費の金銭。

○到 杜甫の手元に届くこと。

○小詰 少々なじる。

 

為嗔王錄事,不寄草堂貲。

私は王録事が既に承知しながら、未だに草堂の修繕費を届けてくれないことで怒りで叱咤した。

○為嗔 杜甫自身のためにしてくれていないことを瞋る。

 

昨屬愁春雨,能忘欲漏時。 

昨日、丁度、春の長雨を心配したところであった。君はまさか私の草堂が雨漏りしていてサラにひどくなりそうだということを忘れたのではないだろうね。

○屬 丁度。たまたま。

○愁春雨 の長雨を心配したところであった。小ぶりの雨ではなく、長雨だと、雨漏りがひどくなるという意味での「愁い」をいう。

○能忘 能くはここでは反語。忘れたわけではないだろうね。
杜甫草堂詳細図02 

廣徳2年764-101-#3 《寄李十四員外布十二韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<773-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4520 杜甫詩1500-773-#3-1075/2500

ひっそりと静かに暮らすうちに夏も先ずくれかかっている。さらさらと涼しく吹く風は余りあるほどだ。ここらあたりの長江の水は澄みわたり、試み清くすることが出来るし、竹林は冷ややかであり、竹は櫛にして傍で梳くこともできる。

 
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 孟郊張籍     
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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廣徳

2764-101-#3 《寄李十四員外布十二韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<773-#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4520 杜甫詩1500-773-#3-1075/2500

 

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

詩題: 寄李十四員外布十二韻〔自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。〕 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

及地點: 博望苑 (京畿道 京兆府 長安) 別名:望苑     

黃牛峽 (山南東道 峽州 黃牛山) 別名:黃牛     

交遊人物: 李布 書信往來

 

 

寄李十四員外布十二韻〔自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。〕

名參漢望苑,職述景題輿。 

巫峽將之郡,荊門好附書。 

遠行無自苦,熱比何如。 

正是炎天闊,那堪野館疏。 

(某省員外郎の李布があらたに司議郎に除せられ、萬州の別駕を兼ねたというのでこの詩を寄せた。)

君は東宮付きであるから君の名は漢の博望苑の諸官にまじわったようなものであるし、君の職はむかし後漢の周景が陳蕃の別駕の輿に題した職とおなじになったことを述べるのである。

君は巫峡のある夔州の郡へ行かれようとするが、荊州の方に手紙を託するのに好都合なので恃みたい。

しかし、君は決して遠くへ旅行するのにわざとおのれをくるしめるようなことはならないことだ。病気で発熱することが多いと聞いたがこの頃はどうなのだ。

まさにこれからは炎天が続きそれに炎天の道が広く遠くまで続くし、この度は田野で宿すこと窗めったにないから耐えられるだろう。

#2

黃牛平駕浪,畫鷁上凌虛。 

試待盤渦歇,方期解纜初。 

悶能過小徑,自為摘嘉蔬。 

渚柳元幽僻,村花不掃除。 

三峡を過ぎようとする西陵峡の末端の部分にあ黄牛峡のあたりでは、高浪が乗り越して牛石があるころから平らかになり、三峡の水嵩が増して船が行くときは虚空を凌いで上るようである。

だから自分の考えでは、ためしに、長江の水の渦巻きがやむ頃待ってそこで初めて出発ということにその時期を決めるということにしてはどうだろうか。

君が病気で気が晴れ晴れしないというのならば、私の浣花渓草堂の小道へたずねてきたらよい、私は君のためにいい野菜を摘み、出してあげようと思う。

長江の渚の柳は元々幽僻な場所にあって、ひっそりとしているものだ。村に咲く花葉浦散り落ちていて、掃除をしていないからきれい絨毯を引いたままだ。

#3

宿陰繁素柰,過雨亂紅蕖。 

寂寂夏先晚,泠泠風有餘。 

江清心可瑩,竹冷髮堪梳。 

直作移巾几,秋帆發弊廬。 

曇りの天候が続くけれど白花の唐梨子が繁るほどの季節になり、とおりすぎる雨には紅の蜂須の花が乱れ立っている。

ひっそりと静かに暮らすうちに夏も先ずくれかかっている。さらさらと涼しく吹く風は余りあるほどだ。

ここらあたりの長江の水は澄みわたり、試み清くすることが出来るし、竹林は冷ややかであり、竹は櫛にして傍で梳くこともできる。

私の住居はこのようなところだから頭巾や肘掛け椅子を君のために移動してもいいので、秋まで待って船の帆を張って私の家から出発してはどうだろうか。

 

(李十四員外布に寄す十二韻〔新たに司議郎に除せられ,萬州の別駕を兼ね,尚お伏枕にすと雖も,已に裝を理むと聞く。〕

#1

名は參わる漢の望苑,職は述ぶ景が題輿。 

巫峽 將に郡に之かんとす,荊門 好し書を附す。 

遠行 自ら苦しむこと無れ,熱 比のごろ 何如。 

正に是れ 炎天 闊し,那ぞ堪えん 野館の疏なるに。 

#2

黃牛 駕浪平らかに,畫鷁【がげき】上りて 虛を凌ぐ。 

試みて盤渦の歇むを待ちて,方に期せよ 解纜【かいらん】の初め。 

悶 能く小徑に過らば,自ら為に嘉蔬を摘まん。 

渚柳 元と幽僻なり,村花 掃除せず。 

#3

宿陰 素柰【そたい】繁く,過雨 紅蕖【こうきょ】亂る。 

寂寂 夏先づ晚る,泠泠 風 餘り有る。 

江 清くして 心 瑩【きよ】くす可し,竹 冷にして 髮 梳くに堪える。 

直ちに巾几【きんき】を移すを作し,秋帆 弊廬を發せよ。 

杜甫草堂詳細図02 

 

『寄李十四員外布十二韻』 現代語訳と訳註

(本文) #3

宿陰繁素柰,過雨亂紅蕖。 

寂寂夏先晚,泠泠風有餘。 

江清心可瑩,竹冷髮堪梳。 

直作移巾几,秋帆發弊廬。 

 

(下し文) #3

宿陰 素柰【そたい】繁く,過雨 紅蕖【こうきょ】亂る。 

寂寂 夏先づ晚る,泠泠 風 餘り有る。 

江 清くして 心 瑩【きよ】くす可し,竹 冷にして 髮 梳くに堪える。 

直ちに巾几【きんき】を移すを作し,秋帆 弊廬を發せよ。

 

(現代語訳)

曇りの天候が続くけれど白花の唐梨子が繁るほどの季節になり、とおりすぎる雨には紅の蜂須の花が乱れ立っている。

ひっそりと静かに暮らすうちに夏も先ずくれかかっている。さらさらと涼しく吹く風は余りあるほどだ。

ここらあたりの長江の水は澄みわたり、試み清くすることが出来るし、竹林は冷ややかであり、竹は櫛にして傍で梳くこともできる。

私の住居はこのようなところだから頭巾や肘掛け椅子を君のために移動してもいいので、秋まで待って船の帆を張って私の家から出発してはどうだろうか。

 

江畔独歩尋花 

(訳注)

寄李十四員外布十二韻〔自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。〕 

李十四員外布に寄す十二韻〔新たに司議郎に除せられ,萬州の別駕を兼ね,尚お伏枕にすと雖も,已に裝を理むと聞く。

(某省員外郎の李布があらたに司議郎に除せられ、萬州の別駕を兼ねたというのでこの詩を寄せた。)

司義郎 東宮の官属で侍従規諌し、啓奏を駁正し、東宮の記注を記録することをつかさどる。太子左春坊に司議郎四人を設けるとされている。 

萬州 夔州府の萬縣。

別駕 州の属官。

伏枕 病気で寝付いたこと。

理裝 旅の出発準備の旅支度すること

 #3

 

宿陰繁素柰,過雨亂紅蕖。 

曇りの天候が続くけれど白花の唐梨子が繁るほどの季節になり、とおりすぎる雨には紅の蜂須の花が乱れ立っている。

宿陰 曇りの天候が続くこと。

素柰 白花の唐梨子。

蕖 はちす花。

 

寂寂夏先晚,泠泠風有餘。 

ひっそりと静かに暮らすうちに夏も先ずくれかかっている。さらさらと涼しく吹く風は余りあるほどだ。

寂寂 ひっそりと静かに暮らす。

泠泠 涼風が吹く音をいう。

 

江清心可瑩,竹冷髮堪梳。 

ここらあたりの長江の水は澄みわたり、試み清くすることが出来るし、竹林は冷ややかであり、竹は櫛にして傍で梳くこともできる。


直作移巾几,秋帆發弊廬。 

私の住居はこのようなところだから頭巾や肘掛け椅子を君のために移動してもいいので、秋まで待って船の帆を張って私の家から出発してはどうだろうか。

移巾几 頭巾をして肘掛け椅子を君のために移動する。

弊廬 やぶれかけたいおり、杜甫の草堂のこと。
題新津北橋棲00 

廣徳2年764-101-#2 《寄李十四員外布十二韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<773-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4515 杜甫詩1500-773-#2-1074/2500

杜甫《寄李十四員外布十二韻》三峡を過ぎようとする西陵峡の末端の部分にあ黄牛峡のあたりでは、高浪が乗り越して牛石があるころから平らかになり、三峡の水嵩が増して船が行くときは虚空を凌いで上るようである。

 

 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

詩題: 寄李十四員外布十二韻〔自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。〕 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

及地點: 博望苑 (京畿道 京兆府 長安) 別名:望苑     

黃牛峽 (山南東道 峽州 黃牛山) 別名:黃牛     

交遊人物: 李布 書信往來

 

 

寄李十四員外布十二韻〔自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。〕

(某省員外郎の李布があらたに司議郎に除せられ、萬州の別駕を兼ねたというのでこの詩を寄せた。)

名參漢望苑,職述景題輿。 

君は東宮付きであるから君の名は漢の博望苑の諸官にまじわったようなものであるし、君の職はむかし後漢の周景が陳蕃の別駕の輿に題した職とおなじになったことを述べるのである。

巫峽將之郡,荊門好附書。 

君は巫峡のある夔州の郡へ行かれようとするが、荊州の方に手紙を託するのに好都合なので恃みたい。

遠行無自苦,熱比何如。 

しかし、君は決して遠くへ旅行するのにわざとおのれをくるしめるようなことはならないことだ。病気で発熱することが多いと聞いたがこの頃はどうなのだ。

正是炎天闊,那堪野館疏。 

まさにこれからは炎天が続きそれに炎天の道が広く遠くまで続くし、この度は田野で宿すこと窗めったにないから耐えられるだろう。

#2

黃牛平駕浪,畫鷁上凌虛。 

三峡を過ぎようとする西陵峡の末端の部分にあ黄牛峡のあたりでは、高浪が乗り越して牛石があるころから平らかになり、三峡の水嵩が増して船が行くときは虚空を凌いで上るようである。

試待盤渦歇,方期解纜初。 

だから自分の考えでは、ためしに、長江の水の渦巻きがやむ頃待ってそこで初めて出発ということにその時期を決めるということにしてはどうだろうか。

悶能過小徑,自為摘嘉蔬。 

君が病気で気が晴れ晴れしないというのならば、私の浣花渓草堂の小道へたずねてきたらよい、私は君のためにいい野菜を摘み、出してあげようと思う。

渚柳元幽僻,村花不掃除。 

長江の渚の柳は元々幽僻な場所にあって、ひっそりとしているものだ。村に咲く花葉浦散り落ちていて、掃除をしていないからきれい絨毯を引いたままだ。

#3

宿陰繁素柰,過雨亂紅蕖。 

寂寂夏先晚,泠泠風有餘。 

江清心可瑩,竹冷髮堪梳。 

直作移巾几,秋帆發弊廬。 

 

 

名參漢望苑【案:漢武為太子置博望苑以通賓客。】,職述景題輿【案:周景為陳蕃題輿。】。巫峽將之郡,荊門好附書。

遠行無自苦,熱比何如。

正是炎天闊,那堪野館疏。

黃牛平駕浪,畫鷁上凌虛。

試待盤渦歇,方期解纜初。

悶能過小徑,自為摘嘉蔬【日為摘嘉蔬】。

渚柳元幽僻,村花不掃除。

宿陰繁素柰,過雨亂紅蕖。

寂寂夏先晚,泠泠風有餘。

江清心可瑩,竹冷髮堪梳【竹冷髮宜梳】。

直作移巾几,秋帆發弊廬。 

 

(李十四員外布に寄す十二韻〔新たに司議郎に除せられ,萬州の別駕を兼ね,尚お伏枕にすと雖も,已に裝を理むと聞く。〕

#1

名は參わる漢の望苑,職は述ぶ景が題輿。 

巫峽 將に郡に之かんとす,荊門 好し書を附す。 

遠行 自ら苦しむこと無れ,熱 比のごろ 何如。 

正に是れ 炎天 闊し,那ぞ堪えん 野館の疏なるに。 

#2

黃牛 駕浪平らかに,畫鷁【がげき】上りて 虛を凌ぐ。 

試みて盤渦の歇むを待ちて,方に期せよ 解纜【かいらん】の初め。 

悶 能く小徑に過らば,自ら為に嘉蔬を摘まん。 

渚柳 元と幽僻なり,村花 掃除せず。 

#3

宿陰 素柰【そたい】繁く,過雨 紅蕖【こうきょ】亂る。 

寂寂 夏先づ晚る,泠泠 風 餘り有る。 

江 清くして 心 瑩【きよ】くす可し,竹 冷にして 髮 梳くに堪える。 

直ちに巾几【きんき】を移すを作し,秋帆 弊廬を發せよ。 

 

杜甫草堂詳細図02 

『寄李十四員外布十二韻』 現代語訳と訳註

(本文) #2

黃牛平駕浪,畫鷁上凌虛。 

試待盤渦歇,方期解纜初。 

悶能過小徑,自為摘嘉蔬。 

渚柳元幽僻,村花不掃除。 

 

(下し文) #2

黃牛 駕浪平らかに,畫鷁【がげき】上りて 虛を凌ぐ。 

試みて盤渦の歇むを待ちて,方に期せよ 解纜【かいらん】の初め。 

悶 能く小徑に過らば,自ら為に嘉蔬を摘まん。 

渚柳 元と幽僻なり,村花 掃除せず。 

 

(現代語訳)

三峡を過ぎようとする西陵峡の末端の部分にあ黄牛峡のあたりでは、高浪が乗り越して牛石があるころから平らかになり、三峡の水嵩が増して船が行くときは虚空を凌いで上るようである。

だから自分の考えでは、ためしに、長江の水の渦巻きがやむ頃待ってそこで初めて出発ということにその時期を決めるということにしてはどうだろうか。

君が病気で気が晴れ晴れしないというのならば、私の浣花渓草堂の小道へたずねてきたらよい、私は君のためにいい野菜を摘み、出してあげようと思う。

長江の渚の柳は元々幽僻な場所にあって、ひっそりとしているものだ。村に咲く花葉浦散り落ちていて、掃除をしていないからきれい絨毯を引いたままだ。

 

桃園001 

(訳注)

寄李十四員外布十二韻〔自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。〕 

李十四員外布に寄す十二韻〔新たに司議郎に除せられ,萬州の別駕を兼ね,尚お伏枕にすと雖も,已に裝を理むと聞く。

(某省員外郎の李布があらたに司議郎に除せられ、萬州の別駕を兼ねたというのでこの詩を寄せた。)

司義郎 東宮の官属で侍従規諌し、啓奏を駁正し、東宮の記注を記録することをつかさどる。太子左春坊に司議郎四人を設けるとされている。 

萬州 夔州府の萬縣。

別駕 州の属官。

伏枕 病気で寝付いたこと。

理裝 旅の出発準備の旅支度すること

 #2

黃牛平駕浪,畫鷁上凌虛。 

三峡を過ぎようとする西陵峡の末端の部分にあ黄牛峡のあたりでは、高浪が乗り越して牛石があるころから平らかになり、三峡の水嵩が増して船が行くときは虚空を凌いで上るようである。

○黃牛 黄牛峡 峡名、三峡の一角で西陵峡の末端の部分にある。長江にある三峡のことで、天険として有名。上流から瞿塘峡・巫峡・西陵峡夷陵州(今の湖北省宜昌)の西九里にあり、高崖の間に石があって、人が刀を負って牛を牽くがごとくであり、人は黒く牛は黄いろ。

杜甫《送韓十四江東省覲》

兵戈不見老萊衣,嘆息人間萬事非。

我已無家尋弟妹,君今何處訪庭闈?

黃牛峽靜灘聲轉,白馬江寒樹影稀。

此別應須各努力,故猶恐未同歸。

 

試待盤渦歇,方期解纜初。 

だから自分の考えでは、ためしに、長江の水の渦巻きがやむ頃待ってそこで初めて出発ということにその時期を決めるということにしてはどうだろうか。

 

悶能過小徑,自為摘嘉蔬。 

君が病気で気が晴れ晴れしないというのならば、私の浣花渓草堂の小道へたずねてきたらよい、私は君のためにいい野菜を摘み、出してあげようと思う。

 

渚柳元幽僻,村花不掃除。 

長江の渚の柳は元々幽僻な場所にあって、ひっそりとしているものだ。村に咲く花葉浦散り落ちていて、掃除をしていないからきれい絨毯を引いたままだ。

不掃除 この時代は花が散ってすぐには掃除をしないというのが風流とされる。杜甫の先輩の孟浩然、王維は花の散っている夜明けを詠っている。

孟浩然春曉
春眠不覺曉,處處聞啼鳥。
夜來風雨聲,花落知多少。

春の眠りは心地よいので、夜が明けるのも分からずに眠ってしまう。ふと目覚めるとあちこちから鳥のさえずりが聞こえてくる。
そういえばゆうべの雨風の音が激しかったが、今朝の庭にはどれほどの花がたくさん散ったことだろう。

王維田園楽 

桃紅復含宿雨、柳緑更帯春煙。  

花落家童未掃、鶯啼山客猶眠。

桃の花は、夕べの雨を含んでつやつやといっそう紅色あざやか、柳は青さを増して、春のかすみにけむる。
花が庭先に散り敷かれている、召使いの少年は掃き清めたりはしない。ウグイスがしきりに鳴くのに山荘のあるじはまだまだ夢うつつの中に有る。
海棠花021 

廣徳2年764-101-#1 《寄李十四員外布十二韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<773-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4510 杜甫詩1500-773-#1-1073/2500

(某省員外郎の李布があらたに司議郎に除せられ、萬州の別駕を兼ねたというのでこの詩を寄せた。)君は東宮付きであるから君の名は漢の博望苑の諸官にまじわったようなものであるし、君の職はむかし後漢の周景が陳蕃の別駕の輿に題した職とおなじになったことを述べるのである。

 
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製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

詩題: 寄李十四員外布十二韻〔自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。〕 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

及地點: 博望苑 (京畿道 京兆府 長安) 別名:望苑     

黃牛峽 (山南東道 峽州 黃牛山) 別名:黃牛     

交遊人物: 李布 書信往來

 

 

寄李十四員外布十二韻〔自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。〕

名參漢望苑,職述景題輿。 

(某省員外郎の李布があらたに司議郎に除せられ、萬州の別駕を兼ねたというのでこの詩を寄せた。)

巫峽將之郡,荊門好附書。 

君は東宮付きであるから君の名は漢の博望苑の諸官にまじわったようなものであるし、君の職はむかし後漢の周景が陳蕃の別駕の輿に題した職とおなじになったことを述べるのである。

遠行無自苦,熱比何如。 

君は巫峡のある夔州の郡へ行かれようとするが、荊州の方に手紙を託するのに好都合なので恃みたい。

しかし、君は決して遠くへ旅行するのにわざとおのれをくるしめるようなことはならないことだ。病気で発熱することが多いと聞いたがこの頃はどうなのだ。

正是炎天闊,那堪野館疏。 

まさにこれからは炎天が続きそれに炎天の道が広く遠くまで続くし、この度は田野で宿すこと窗めったにないから耐えられるだろう。

#2

黃牛平駕浪,畫鷁上凌虛。 

試待盤渦歇,方期解纜初。 

悶能過小徑,自為摘嘉蔬。 

渚柳元幽僻,村花不掃除。 

#3

宿陰繁素柰,過雨亂紅蕖。 

寂寂夏先晚,泠泠風有餘。 

江清心可瑩,竹冷髮堪梳。 

直作移巾几,秋帆發弊廬。 

 

 

名參漢望苑【案:漢武為太子置博望苑以通賓客。】,職述景題輿【案:周景為陳蕃題輿。】。巫峽將之郡,荊門好附書。

遠行無自苦,熱比何如。

正是炎天闊,那堪野館疏。

黃牛平駕浪,畫鷁上凌虛。

試待盤渦歇,方期解纜初。

悶能過小徑,自為摘嘉蔬【日為摘嘉蔬】。

渚柳元幽僻,村花不掃除。

宿陰繁素柰,過雨亂紅蕖。

寂寂夏先晚,泠泠風有餘。

江清心可瑩,竹冷髮堪梳【竹冷髮宜梳】。

直作移巾几,秋帆發弊廬。 

 

(李十四員外布に寄す十二韻〔新たに司議郎に除せられ,萬州の別駕を兼ね,尚お伏枕にすと雖も,已に裝を理むと聞く。〕

#1

名は參わる漢の望苑,職は述ぶ景が題輿。 

巫峽 將に郡に之かんとす,荊門 好し書を附す。 

遠行 自ら苦しむこと無れ,熱 比のごろ 何如。 

正に是れ 炎天 闊し,那ぞ堪えん 野館の疏なるに。 

#2

黃牛 駕浪平らかに,畫鷁【がげき】上りて 虛を凌ぐ。 

試みて盤渦の歇むを待ちて,方に期せよ 解纜【かいらん】の初め。 

悶 能く小徑に過らば,自ら為に嘉蔬を摘まん。 

渚柳 元と幽僻なり,村花 掃除せず。 

#3

宿陰 素柰【そたい】繁く,過雨 紅蕖【こうきょ】亂る。 

寂寂 夏先づ晚る,泠泠 風 餘り有る。 

江 清くして 心 瑩【きよ】くす可し,竹 冷にして 髮 梳くに堪える。 

直ちに巾几【きんき】を移すを作し,秋帆 弊廬を發せよ。 

蜀中転々圖 

 

『寄李十四員外布十二韻』 現代語訳と訳註

(本文)

寄李十四員外布十二韻〔自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。〕 

#1

名參漢望苑,職述景題輿。 

巫峽將之郡,荊門好附書。 

遠行無自苦,熱比何如。 

正是炎天闊,那堪野館疏。 

 

(下し文)

(李十四員外布に寄す十二韻〔新たに司議郎に除せられ,萬州の別駕を兼ね,尚お伏枕にすと雖も,已に裝を理むと聞く。〕

#1

名は參わる漢の望苑,職は述ぶ景が題輿。 

巫峽 將に郡に之かんとす,荊門 好し書を附す。 

遠行 自ら苦しむこと無れ,熱 比のごろ 何如。 

正に是れ 炎天 闊し,那ぞ堪えん 野館の疏なるに。 

 

(現代語訳)

(某省員外郎の李布があらたに司議郎に除せられ、萬州の別駕を兼ねたというのでこの詩を寄せた。)

君は東宮付きであるから君の名は漢の博望苑の諸官にまじわったようなものであるし、君の職はむかし後漢の周景が陳蕃の別駕の輿に題した職とおなじになったことを述べるのである。

君は巫峡のある夔州の郡へ行かれようとするが、荊州の方に手紙を託するのに好都合なので恃みたい。

しかし、君は決して遠くへ旅行するのにわざとおのれをくるしめるようなことはならないことだ。病気で発熱することが多いと聞いたがこの頃はどうなのだ。

まさにこれからは炎天が続きそれに炎天の道が広く遠くまで続くし、この度は田野で宿すこと窗めったにないから耐えられるだろう。

 

題新津北橋棲00 

(訳注)

寄李十四員外布十二韻〔自注:新除司議郎,兼萬州別駕,雖尚伏枕,已聞理裝。〕 

李十四員外布に寄す十二韻〔新たに司議郎に除せられ,萬州の別駕を兼ね,尚お伏枕にすと雖も,已に裝を理むと聞く。

(某省員外郎の李布があらたに司議郎に除せられ、萬州の別駕を兼ねたというのでこの詩を寄せた。)

司義郎 東宮の官属で侍従規諌し、啓奏を駁正し、東宮の記注を記録することをつかさどる。太子左春坊に司議郎四人を設けるとされている。 

萬州 夔州府の萬縣。

別駕 州の属官。

伏枕 病気で寝付いたこと。

理裝 旅の出発準備の旅支度すること

 

#1

名參漢望苑,職述景題輿。 

君は東宮付きであるから君の名は漢の博望苑の諸官にまじわったようなものであるし、君の職はむかし後漢の周景が陳蕃の別駕の輿に題した職とおなじになったことを述べるのである。

漢望苑 漢の博望苑のこと。漢の武帝の時戻太子冠す。賓客を通じせしめ東宮にあった博望苑で司議郎が対応した。

職述 能く古人の職に倣うをいうという職のことを述べる。

景題輿 後漢の周景が陳蕃の別駕の輿に題した職になったことをいう。

 

巫峽將之郡,荊門好附書。 

君は巫峡のある夔州の郡へ行かれようとするが、荊州の方に手紙を託するのに好都合なので恃みたい。

巫峽 中国・長江三峡の二番目の峡谷。重慶市巫山県の大寧河の河口から湖北省巴東県官渡口まで全長45km 上流側の巫山県は四川盆地東端にあり、巫山山脈をはじめ東西方向に伸びる細長い褶曲山脈多数が並行して走っている。

○荊門 荊州。湖北省荊州府をさす。この江水(嘉陵江)は南流して長江に入り東流して荊州、南京、上海に達する。孟浩然峴山送蕭員外之荊州』とか李白『贈王判官時余歸隱居廬山屏風疊「荊門倒屈宋、梁苑傾鄒枚。」では荊州のことを指す。

附書 手紙を付託する。

 

遠行無自苦,熱比何如。 

しかし、君は決して遠くへ旅行するのにわざとおのれをくるしめるようなことはならないことだ。病気で発熱することが多いと聞いたがこの頃はどうなのだ。

○自苦 自分で自分を苦しめる。

熱 病気で発熱する。

比 このごろ。

 

正是炎天闊,那堪野館疏。 

まさにこれからは炎天が続きそれに炎天の道が広く遠くまで続くし、この度は田野で宿すこと窗めったにないから耐えられるだろう。

○闊 遠くへ広がる

○野館 幔幕に倚り田野で宿すこと。

○疏 まばら、稀少である。

廣徳2年764-100-#3 《寄司馬山人十二韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<772-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4505 杜甫詩1500-772-#3-1072/2500

寄司馬山人十二韻》 杜甫≫このような詩を作る可哀相な身の上を案じてくださるなら、あなたなら、俗骨を仙骨に替えることが出来るでしょう。また、昔の仙人のように、わたくしを清風にまたがらせてくれて天へ登るようにしていただきたいと思うのであります。

 
 2014年7月15日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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 孟郊張籍     
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-100-#3 《寄司馬山人十二韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<772-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4505 杜甫詩1500-772-#3-1072/2500 
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製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

詩題: 寄司馬山人十二韻 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

及地點: 玉壘山 (劍南道北部 無第二級行政層級 玉壘山) 別名:玉壘     

交遊人物: 司馬山人 書信往來

 

 

寄司馬山人十二韻

(仙道を習得した司馬山人に寄せる)

昔分袂,天邊今轉蓬。

私はむかし関中に住んでいる時、あなたと袂を分かっていましたが、今、天の果てと思っていたこの成都の地に来て流浪を続けているのです。

驅馳不可,談笑偶然同。

その間も、あちこちかけめぐったことはいちいち言うことはできないほどであるのだが、それがまたあなたとこうしていっしょに談笑できるというのも偶然のことである。

道術曾留意,先生早擊蒙。

わたしは、かつて儒教を勉強し、心に留めていたこともあったが、先生は早速に私の蒙昧を打開してくれたのです。

家家迎薊子,處處識壺公。

長安にいる頃、どの家でも、薊子でしかないこのわたくしを迎えていただいたし、またいたるところで壺公とおもわれるあなたを知らぬものなどいなかったのである。

#2

長嘯峨嵋北,潛行玉壘東。

ところがあなたは、峨嵋山の北に隠れ長く嘯かれておられる、わたしはというと、玉壘山の東に叛乱軍を避けて、巴蜀を潛行しておりました。


時騎猛虎,虛室使仙童。

また、わたしは時として、猛虎に乗るような危険な目に遭うけれど、あなたは誰もいない部屋で仙童を使役にしておられる。

髮少何勞白,顏衰肯更紅。

私は髪が抜けて少なくなって白髪になるには、何の手間などかからないけれど、あなたはというと顔つきが衰えてもどうしたものか更に紅になっておられる。

望雲悲轗軻,畢景羨沖融。

わたしは、青雲の高きを眺め見るこの身の不遇を悲しむ顏をするが、あなたは人生の晩暮になりながらも陽春の和気の様な心意気を持ち続けられていることを羨ましく思うのである。

#3

喪亂形仍役,淒涼信不通。

私は喪乱にあったために、心を形付けること、乃ち、役割を果たすことを思ってはおりましたが、悲しくも何もできず、あなたの安否を知りたくても書簡を通じることさえできなかったのであります。

懸旌要路口,倚劍短亭中。

私は成都への入り口要衝の地に旗を差し掛けているのですが、出たり入ったり落ち着きのないこと致しております、ところがあなたは、国事を慨き思うことでも短い丁場の駅舎で行き交うほどの余裕のある落ち着いた生活をされていた。

永作殊方客,殘生一老翁。

もう長いこと故郷を離れたまま旅をし続けていることしかできず、残り少なくなくなった一介の老人であります。

相哀骨可換,亦遣馭清風。 

このような詩を作る可哀相な身の上を案じてくださるなら、あなたなら、俗骨を仙骨に替えることが出来るでしょう。また、昔の仙人のように、わたくしを清風にまたがらせてくれて天へ登るようにしていただきたいと思うのであります。

 

(司馬山人に寄す十二韻)#1

 昔袂を分ち,天邊 今 轉蓬なり。

驅馳 からず,談笑 偶然 同じ。

道術 曾て意を留む,先生 早く蒙を擊つ。

家家 薊子を迎う,處處 壺公を識る。

#2

長嘯す 峨嵋の北,潛行す 玉壘の東。

時に有ってか 猛虎に騎る,虛室 仙童を使う。

髮少し 何ぞ白なるを勞せん,顏 衰うるも肯えて更に紅なり。

雲を望みて 轗軻を悲み,畢景に沖融なるを羨む。

#3

喪亂に形に 仍お役せらる,淒涼 信 通ぜず。

旌を懸く要路の口,劍に倚る短亭の中。

永く殊方の客と作る,殘生 一老翁。

相哀むは 骨 換う可けん,亦た 清風に馭せ遣めん。 

 

蜀中転々圖 

『寄司馬山人十二韻』 現代語訳と訳註

(本文) #3

喪亂形仍役,淒涼信不通。

懸旌要路口,倚劍短亭中。

永作殊方客,殘生一老翁。

相哀骨可換,亦遣馭清風。 

 

(下し文) #3

喪亂に形に 仍お役せらる,淒涼 信 通ぜず。

旌を懸く要路の口,劍に倚る短亭の中。

永く殊方の客と作る,殘生 一老翁。

相哀むは 骨 換う可けん,亦た 清風に馭せ遣めん。 

 

 

(現代語訳)

私は喪乱にあったために、心を形付けること、乃ち、役割を果たすことを思ってはおりましたが、悲しくも何もできず、あなたの安否を知りたくても書簡を通じることさえできなかったのであります。

私は成都への入り口要衝の地に旗を差し掛けているのですが、出たり入ったり落ち着きのないこと致しております、ところがあなたは、国事を慨き思うことでも短い丁場の駅舎で行き交うほどの余裕のある落ち着いた生活をされていた。

もう長いこと故郷を離れたまま旅をし続けていることしかできず、残り少なくなくなった一介の老人であります。

このような詩を作る可哀相な身の上を案じてくださるなら、あなたなら、俗骨を仙骨に替えることが出来るでしょう。また、昔の仙人のように、わたくしを清風にまたがらせてくれて天へ登るようにしていただきたいと思うのであります。

蜀成都1111 

(訳注) #3

寄司馬山人十二韻

(仙道を習得した司馬山人に寄せる)

司馬山人 仙道を習得した山中に住む人。長安で交流していた。

 

喪亂形仍役,淒涼信不通。

私は喪乱にあったために、心を形付けること、乃ち、役割を果たすことを思ってはおりましたが、悲しくも何もできず、あなたの安否を知りたくても書簡を通じることさえできなかったのであります。

喪亂 安禄山の叛乱に始まる安史の乱や、厳武が長安に勝れることから蜀で反乱を起こしたことで、蜀巴を廻ったことをいう。

形仍役 形をとる、役割を果たすこと、ここでは司馬山の安否を気遣うために何か行動をすること。

淒涼 悲しいかな何にもないというほどの意。

信不通 音信不通。

 

懸旌要路口,倚劍短亭中。

私は成都への入り口要衝の地に旗を差し掛けているのですが、出たり入ったり落ち着きのないこと致しております、ところがあなたは、国事を慨き思うことでも短い丁場の駅舎で行き交うほどの余裕のある落ち着いた生活をされていた。

懸旌 はためかずぶら下がっている旗。意志が発揮できない様子。

要路口 西から成都に入って来る要衝の地。

倚劍 国事を慨き思う

短亭中 駅亭間が短く感じられる。唐の駅伝制:道路には、30里(約17km)ごとに駅站(駅館、公営の宿)が置かれ、公文書を運ぶ政府の使者や地方へ赴任し、帰ってくる官僚が利用した。駅站の近くには、往々において民間の宿が存在した。宿の名称の最後には、『駅』、『館』、『店』とつくことが多かった。唐全土には1,639もの駅站が存在し、水駅が260、水陸駅が86か所設置されていた。駅站を利用できる政府関係者は、食糧、運送、宿泊が無料であった。また、道路の五里ごとに『里隔柱』という標識が置かれ、十里ごとに別の標識を立てられた。幹線道路沿いには多数の店舗が建ち並び、交通は大いに発達した。唐代後半には、軍事伝達が余りに頻繁となり、駅站が増大して、駅伝制度は崩れていった。この事を杜甫は、757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首 (23) 全体》 杜甫<1509-T 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340 杜甫詩1500/2500  のなかでしっかりと述べている。

 

永作殊方客,殘生一老翁。

もう長いこと故郷を離れたまま旅をし続けていることしかできず、残り少なくなくなった一介の老人であります。

永作 ながく~をする。

殊方客 故郷を離れたまま旅客をし続けていること

殘生 余生。残り少なくなくなった人生。

一老翁 

 

相哀骨可換,亦遣馭清風。

このような詩を作る可哀相な身の上を案じてくださるなら、あなたなら、俗骨を仙骨に替えることが出来るでしょう。また、昔の仙人のように、わたくしを清風にまたがらせてくれて天へ登るようにしていただきたいと思うのであります。

骨可換 司馬山人の仙道によって俗骨を仙骨に替えることが出来るという。

《漢武内伝》に服薬して仙人になる九年の過程を述べ、「六年にして骨を易う」藥轉 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-85

《漢武内伝》一年易氣,二年易血,三年易精,四年易肉,五年易髓,六年易筋,七年易骨,八年易髪,九年易形。

馭清風 昔の仙人のように清風にまたがらせてくれて天へ登ること。
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わたしは時として、猛虎に乗るような危険な目に遭うけれど、あなたは誰もいない部屋で仙童を使役にしておられる。私は髪が抜けて少なくなって白髪になるには、何の手間などかからないけれど、あなたはというと顔つきが衰えてもどうしたものか更に紅になっておられる。

 
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製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

詩題: 寄司馬山人十二韻 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

及地點: 玉壘山 (劍南道北部 無第二級行政層級 玉壘山) 別名:玉壘     

交遊人物: 司馬山人 書信往來

 

 

寄司馬山人十二韻

(仙道を習得した司馬山人に寄せる)

昔分袂,天邊今轉蓬。

私はむかし関中に住んでいる時、あなたと袂を分かっていましたが、今、天の果てと思っていたこの成都の地に来て流浪を続けているのです。

驅馳不可,談笑偶然同。

その間も、あちこちかけめぐったことはいちいち言うことはできないほどであるのだが、それがまたあなたとこうしていっしょに談笑できるというのも偶然のことである。

道術曾留意,先生早擊蒙。

わたしは、かつて儒教を勉強し、心に留めていたこともあったが、先生は早速に私の蒙昧を打開してくれたのです。

家家迎薊子,處處識壺公。

長安にいる頃、どの家でも、薊子でしかないこのわたくしを迎えていただいたし、またいたるところで壺公とおもわれるあなたを知らぬものなどいなかったのである。

#2

長嘯峨嵋北,潛行玉壘東。

ところがあなたは、峨嵋山の北に隠れ長く嘯かれておられる、わたしはというと、玉壘山の東に叛乱軍を避けて、巴蜀を潛行しておりました。

有時騎猛虎,虛室使仙童。

また、わたしは時として、猛虎に乗るような危険な目に遭うけれど、あなたは誰もいない部屋で仙童を使役にしておられる。

髮少何勞白,顏衰肯更紅。

私は髪が抜けて少なくなって白髪になるには、何の手間などかからないけれど、あなたはというと顔つきが衰えてもどうしたものか更に紅になっておられる。

望雲悲轗軻,畢景羨沖融。

わたしは、青雲の高きを眺め見るこの身の不遇を悲しむ顏をするが、あなたは人生の晩暮になりながらも陽春の和気の様な心意気を持ち続けられていることを羨ましく思うのである。

 

喪亂形仍役,淒涼信不通。懸旌要路口,倚劍短亭中。

永作殊方客,殘生一老翁。相哀骨可換,亦遣馭清風。 

 

(司馬山人に寄す十二韻)#1

 昔袂を分ち,天邊 今 轉蓬なり。

驅馳 からず,談笑 偶然 同じ。

道術 曾て意を留む,先生 早く蒙を擊つ。

家家 薊子を迎う,處處 壺公を識る。

#2

長嘯す 峨嵋の北,潛行す 玉壘の東。

時に有ってか 猛虎に騎る,虛室 仙童を使う。

髮少し 何ぞ白なるを勞せん,顏 衰うるも肯えて更に紅なり。

雲を望みて 轗軻を悲み,畢景に沖融なるを羨む。

#3

喪亂に形に 仍お役せらる,淒涼 信 通ぜず。

旌を懸く要路の口,劍に倚る短亭の中。

永く殊方の客と作る,殘生 一老翁。

相哀むは 骨 換う可けん,亦た 清風に馭せ遣めん。 

 

 題新津北橋棲00

『寄司馬山人十二韻』 現代語訳と訳註

(本文) #2

長嘯峨嵋北,潛行玉壘東。

有時騎猛虎,虛室使仙童。

髮少何勞白,顏衰肯更紅。

望雲悲轗軻,畢景羨沖融。

 

 

(下し文) #2

長嘯す 峨嵋の北,潛行す 玉壘の東。

時に有ってか 猛虎に騎る,虛室 仙童を使う。

髮少し 何ぞ白なるを勞せん,顏 衰うるも肯えて更に紅なり。

雲を望みて 轗軻を悲み,畢景に沖融なるを羨む。

 

(現代語訳)

ところがあなたは、峨嵋山の北に隠れ長く嘯かれておられる、わたしはというと、玉壘山の東に叛乱軍を避けて、巴蜀を潛行しておりました。

また、わたしは時として、猛虎に乗るような危険な目に遭うけれど、あなたは誰もいない部屋で仙童を使役にしておられる。

私は髪が抜けて少なくなって白髪になるには、何の手間などかからないけれど、あなたはというと顔つきが衰えてもどうしたものか更に紅になっておられる。

わたしは、青雲の高きを眺め見るこの身の不遇を悲しむ顏をするが、あなたは人生の晩暮になりながらも陽春の和気の様な心意気を持ち続けられていることを羨ましく思うのである。

 

(訳注)

寄司馬山人十二韻

(仙道を習得した司馬山人に寄せる)

司馬山人 仙道を習得した山中に住む人。長安で交流していた。

 唐時代剣南道北部075

長嘯峨嵋北,潛行玉壘東。

ところがあなたは、峨嵋山の北に隠れ長く嘯かれておられる、わたしはというと、玉壘山の東に叛乱軍を避けて、巴蜀を潛行しておりました。

長嘯 ながくうそぶく。

峨嵋 峨嵋山のこと。道教の本山があり、山に隠遁するものが多くあった。

潛行 人目につかないようにして歩く。杜甫『哀頭江』「少陵野老呑聲哭,春日潛行曲江曲。」

玉壘 玉壘山、四川省灌縣の西北にあり、吐蕃交通の関所がおかれている。(都江堰市玉壘山公園、網上在都江堰市)

 

有時騎猛虎,虛室使仙童。

また、わたしは時として、猛虎に乗るような危険な目に遭うけれど、あなたは誰もいない部屋で仙童を使役にしておられる。

騎猛虎 きけんにであうこと。

虛室 誰もいない部屋。

仙童 子供の仙人。

 

髮少何勞白,顏衰肯更紅。

私は髪が抜けて少なくなって白髪になるには、何の手間などかからないけれど、あなたはというと顔つきが衰えてもどうしたものか更に紅になっておられる。

何勞白 白くなることを煩わすことなど何でもない。

顏衰肯更紅 山人のことをいう。

 

望雲悲轗軻,畢景羨沖融。

わたしは、青雲の高きを眺め見るこの身の不遇を悲しむ顏をするが、あなたは人生の晩暮になりながらも陽春の和気の様な心意気を持ち続けられていることを羨ましく思うのである。

望雲 青雲の高きを眺め見る。

轗軻 不遇である顔つきをしていること。

畢景 夕日の光、人生の晩暮。

沖融 水面が穏やかに静まりかえすこと、陽春の和気の様子をいうことで、山人の若々しさをいう。
江畔独歩尋花 

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 2014年7月13日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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31 《古風五十九首之三十一》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳583古風,五十九首之二十五世道日交喪, <31> Ⅰ李白詩1189 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4493 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ廣徳2年764-100-#1 《寄司馬山人十二韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<772-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4495 杜甫詩1500-772-#1-1070/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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廣徳2764-100-#1 《寄司馬山人十二韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<772-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4495 杜甫詩1500-772-#1-1070/2500

 

 

製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

詩題: 寄司馬山人十二韻 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

及地點: 玉壘山 (劍南道北部 無第二級行政層級 玉壘山) 別名:玉壘     

交遊人物: 司馬山人 書信往來

 

 

寄司馬山人十二韻

(仙道を習得した司馬山人に寄せる)

昔分袂,天邊今轉蓬。

私はむかし関中に住んでいる時、あなたと袂を分かっていましたが、今、天の果てと思っていたこの成都の地に来て流浪を続けているのです。

驅馳不可,談笑偶然同。

その間も、あちこちかけめぐったことはいちいち言うことはできないほどであるのだが、それがまたあなたとこうしていっしょに談笑できるというのも偶然のことである。

道術曾留意,先生早擊蒙。

わたしは、かつて儒教を勉強し、心に留めていたこともあったが、先生は早速に私の蒙昧を打開してくれたのです。

家家迎薊子,處處識壺公。

長安にいる頃、どの家でも、薊子でしかないこのわたくしを迎えていただいたし、またいたるところで壺公とおもわれるあなたを知らぬものなどいなかったのである。

 

長嘯峨嵋北,潛行玉壘東。有時騎猛虎,虛室使仙童。

髮少何勞白,顏衰肯更紅。望雲悲轗軻,畢景羨沖融。

 

喪亂形仍役,淒涼信不通。懸旌要路口,倚劍短亭中。

永作殊方客,殘生一老翁。相哀骨可換,亦遣馭清風。 

 

(司馬山人に寄す十二韻)#1

 昔袂を分ち,天邊 今 轉蓬なり。

驅馳 からず,談笑 偶然 同じ。

道術 曾て意を留む,先生 早く蒙を擊つ。

家家 薊子を迎う,處處 壺公を識る。

#2

長嘯す 峨嵋の北,潛行す 玉壘の東。

時に有ってか 猛虎に騎る,虛室 仙童を使う。

髮少し 何ぞ白なるを勞せん,顏 衰うるも肯えて更に紅なり。

雲を望みて 轗軻を悲み,畢景に沖融なるを羨む。

#3

喪亂に形に 仍お役せらる,淒涼 信 通ぜず。

旌を懸く要路の口,劍に倚る短亭の中。

永く殊方の客と作る,殘生 一老翁。

相哀むは 骨 換う可けん,亦た 清風に馭せ遣めん。 

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

『寄司馬山人十二韻』 現代語訳と訳註

(本文)

寄司馬山人十二韻

昔分袂,天邊今轉蓬。

驅馳不可,談笑偶然同。

道術曾留意,先生早擊蒙。

家家迎薊子,處處識壺公。

 

(下し文)

(司馬山人に寄す十二韻)#1

 昔袂を分ち,天邊 今 轉蓬なり。

驅馳 く可からず,談笑 偶然 同じ。

道術 曾て意を留む,先生 早く蒙を擊つ。

家家 薊子を迎う,處處 壺公を識る。

 

(現代語訳)

(仙道を習得した司馬山人に寄せる)

私はむかし関中に住んでいる時、あなたと袂を分かっていましたが、今、天の果てと思っていたこの成都の地に来て流浪を続けているのです。

その間も、あちこちかけめぐったことはいちいち言うことはできないほどであるのだが、それがまたあなたとこうしていっしょに談笑できるというのも偶然のことである。

わたしは、かつて儒教を勉強し、心に留めていたこともあったが、先生は早速に私の蒙昧を打開してくれたのです。

長安にいる頃、どの家でも、薊子でしかないこのわたくしを迎えていただいたし、またいたるところで壺公とおもわれるあなたを知らぬものなどいなかったのである。

題新津北橋棲00 

(訳注)

寄司馬山人十二韻

 (仙道を習得した司馬山人に寄せる)

司馬山人 仙道を習得した山中に住む人。長安で交流していた。

 

昔分袂,天邊今轉蓬。

私はむかし関中に住んでいる時、あなたと袂を分かっていましたが、今、天の果てと思っていたこの成都の地に来て流浪を続けているのです。

 長安をいう。

分袂 別れること。この時は杜甫が長安にいて送り出したことをいう。

天邊 長安から見ると天涯の地であることをいう成都のこと。

轉蓬 ヨモギの根が断ち切れ、枯れて寄せあつまって風に吹かれて移動すること。定住することなく彷徨う旅人。

 

驅馳不可,談笑偶然同。

その間も、あちこちかけめぐったことはいちいち言うことはできないほどであるのだが、それがまたあなたとこうしていっしょに談笑できるというのも偶然のことである。

驅馳 安史の乱に翻弄され、朝廷から疎外と政策批判などによりはじき出されたことをいう。

 

道術曾留意,先生早擊蒙。

わたしは、かつて儒教を勉強し、心に留めていた問題点を指摘され、先生は早速に私の蒙昧を打開してくれたのです。

道術 儒教の勉強。

留意 問題点を指摘する。

擊蒙 擊去童蒙。蒙昧を打開すること。

 

家家迎薊子,處處識壺公。

長安にいる頃、どの家でも、薊子でしかないこのわたくしを迎えていただいたし、またいたるところで壺公とおもわれるあなたを知らぬものなどいなかったのである。

○迎薊子 後漠の薊子訓をいう、彼は神異の道を知り京師に到るや公卿以下数百人の家を訪問し、道の話をした。これを自分に此する。

識壺公 昔、唐の長安に常に薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は薬を相手の言い値で売っていた。この老人がどういう人なのか、知る人はいなかった。 そのとき、汝南しょなんの費長房という人が町の奉行に就任した。被が楼の上に立って町を見回していると、翁は一つの壺を持っていて、日暮れ時になると人に知られずにこの壺の中に躍り入った。長房はこれをたびたび目撃して、この翁はただ人でないと知り訪ねて行き、敬って食物などをすすめると翁は非常に喜んだ。かくして何年か経たって、翁が長房に「君には金骨の相がある。仙道を学ぶことができよう。日が暮れて人のいない時分に来なさい」と告げた。言われたとおり日暮れに行くと、翁は 「我われに続いて壺の中に躍り入れ」と言って、先に翁が躍り入り、長房がそれに続いた。壺の中には天地、日月があり、宮殿、楼閣は見事であった。侍者は数千人いて老翁を助け敬っていた。長房は快楽に浸ひたりながらも、なお故郷を忘れることができなかった。老翁はそのような長房の気持ちを察して「もし君が帰りたいと思っているなら、これに乗って行きなさい」と、一つの竹の竿さおを与えた。長房はこの竹の竿に乗って長安に帰ってきたのである。

 

 この竿を葛陂かっぴという所の水の中に投げ捨てると、竿はすぐに青い竜となって天に登り去った。

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かならず唐王朝軍の盾や矛を鋭利にして、軍を強兵にして戦を勝ち取ることであり、決して、物見の兵や、尖兵に勝ったからといっていばらせないようにしないといけない。そうすればきっときみは《馬武傳》の捕虜將軍と並ぶ二人目の将軍となるだろうし、自ずから、匈奴の異民族軍を破った一人の漢の武帝の時の名将霍去病と称されることだろう。

 
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製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 巻十四 卷二二八  文體: 五言古詩 

詩題: 寄董卿嘉榮十韻 

寫及地點:  五繩橋 (劍南道北部 茂州 茂州)     

交遊人物: 董嘉榮 書信往來

 

 

寄董卿嘉榮十韻 #1

聞道君牙帳,防秋近赤霄。

下臨千雪嶺,卻背五繩橋。

久戎服,京師今晏朝。

犬羊曾爛熳,宮闕尚蕭條。

猛將宜嘗膽,龍泉必在腰。

(董嘉榮が吐蕃進攻防御の為に、国境へ出征してゆくのに寄せた詩。)#1

聞くところでは君の本営は秋になると北狄、西夷の侵入を防ぐために、赤色の空に近い所に髙い場所にあるという。

下をのぞけば先人の谷で、上は雪嶺山脈の全ての頂が続き、緊急に作られた五つの縄橋の向うに雪嶺山脈があり、敵を背にしている。

天下は軍服をぬぐことがなく久しく戦が続いている、都京師では今、朝の朝礼が長引き御退出が遅くまでかかるという。

かつては西域の異民族が国内を犬羊のようにはびこっていたものであるが、長安の朝廷や宮殿は彼らにあらされて、国庫破綻状況、食料、資金不足が、未だに解消されていなくていまだに淋しい状況が続いているのである。

だからこそ、朝廷は、越王勾践の臥薪嘗胆の故事のように嘗膽をするのがよろしいのである。きみは、猛将たるもの、必ず、あの名刀の誉れ高い龍泉の剣を腰につけて、胸を張って闘うのだ。

#2

黃圖遭辱,月窟可焚燒。

會取干戈利,無令斥候驕。

居然雙捕虜,自是一嫖姚。

落日思輕騎,高天憶射雕。

雲臺畫形像,皆為掃氛妖。

三輔黄図にある京兆尹,左馮翊,右扶風の地域を汚され、辱められたのであるから、今度は、彼等の拠点である月屈の地を焼き払ってしかるべきなのだ。

かならず唐王朝軍の盾や矛を鋭利にして、軍を強兵にして戦を勝ち取ることであり、決して、物見の兵や、尖兵に勝ったからといっていばらせないようにしないといけない。

そうすればきっときみは《馬武傳》の捕虜將軍と並ぶ二人目の将軍となるだろうし、自ずから、匈奴の異民族軍を破った一人の漢の武帝の時の名将霍去病と称されることだろう。

君はその地に行っては秋の夕暮に軽装の騎兵を從えていると思うし、秋の高天にクマタカを弓で射抜いたりするだろう。

洛陽南宮の雲台に二十八将の肖像画を描かせたと同じように評価されるだろうし、すべての人民は国家のために悪い兵乱の雰囲気を払い除けてくれたと喜んでくれることだろう。

 

(董卿【とうきょう】嘉榮に寄す十韻) #1

聞道【きくなら】く君が牙帳,防秋 赤霄に近く。

下は千の雪嶺に臨み,卻って五繩の橋に背くと。

 久しく戎服し,京師 今 晏朝なり。

犬羊 曾て爛熳たり,宮闕 尚お蕭條たり。

猛將 宜しく膽を嘗むべし,龍泉 必ず腰に在らむ。

#2

黃圖 辱にう,月窟 焚燒【ふんしょう】す

會【かなら】ず干戈【かんか】の利なるを取り,斥候をして驕ら令むこと無れ。

居然 雙捕虜なり,自ら是れ一嫖【いちひょう】姚なり。

落日 輕騎を思い,高天 射雕【しゃちょう】を憶う。

雲臺 形像を畫かるるは,皆 氛妖【ふんよう】を掃いしが為なり。

 

 蜀成都1111

寄董卿嘉榮十韻』 現代語訳と訳註

(本文) #2

黃圖遭辱,月窟可焚燒。

會取干戈利,無令斥候驕。

居然雙捕虜,自是一嫖姚。

落日思輕騎,高天憶射雕。

雲臺畫形像,皆為掃氛妖。

 

(下し文) #2

黃圖 辱に遭う,月窟 焚燒【ふんしょう】す可し。

會【かなら】ず干戈【かんか】の利なるを取り,斥候をして驕ら令むこと無れ。

居然 雙捕虜なり,自ら是れ一嫖【いちひょう】姚なり。

落日 輕騎を思い,高天 射雕【しゃちょう】を憶う。

雲臺 形像を畫かるるは,皆 氛妖【ふんよう】を掃いしが為なり。

 

(現代語訳)

三輔黄図にある京兆尹,左馮翊,右扶風の地域を汚され、辱められたのであるから、今度は、彼等の拠点である月屈の地を焼き払ってしかるべきなのだ。

かならず唐王朝軍の盾や矛を鋭利にして、軍を強兵にして戦を勝ち取ることであり、決して、物見の兵や、尖兵に勝ったからといっていばらせないようにしないといけない。

そうすればきっときみは《馬武傳》の捕虜將軍と並ぶ二人目の将軍となるだろうし、自ずから、匈奴の異民族軍を破った一人の漢の武帝の時の名将霍去病と称されることだろう。

君はその地に行っては秋の夕暮に軽装の騎兵を從えていると思うし、秋の高天にクマタカを弓で射抜いたりするだろう。

洛陽南宮の雲台に二十八将の肖像画を描かせたと同じように評価されるだろうし、すべての人民は国家のために悪い兵乱の雰囲気を払い除けてくれたと喜んでくれることだろう。

杜甫草堂詳細図02 

(訳注)

寄董卿嘉榮十韻 #2

(董嘉榮が吐蕃進攻防御の為に、国境へ出征してゆくのに寄せた詩。)#1

764年、廣德二年、杜甫 53の作。

董卿嘉榮 卿は敬称。武将。

 

黃圖遭辱,月窟可焚燒。

三輔黄図にある京兆尹,左馮翊,右扶風の地域を汚され、辱められたのであるから、今度は、彼等の拠点である月屈の地を焼き払ってしかるべきなのだ。

○黃圖 三輔黄図【さんぽこうと】のことである。中国,長安(現,西安)を中心にその近郊に位置する三輔(京兆尹(けいちよういん),左馮翊(さひようよく),右扶風(ゆうふふう))の地域の,主として漢代の古跡を記述した地理書。宮殿,苑囿(えんゆう),陵墓などの来歴を述べ,ときにそうした場所にまつわる伝説も引用される。筆者は不明。原本は南北朝期にできたと考えられるが,中唐以降の付加になる部分もある。テキストには,古書の引用で現行本を対校したものがいくつかあるが,陳直《三輔黄図校正》が最も新しい成果である。

○遭 763年廣徳元年十月、吐蕃が長安を陥れたため、代宗は陜州に出奔されたことをいう。

○月窟 西域のこと。ここでは吐蕃をいう。

 

會取干戈利,無令斥候驕。

かならず唐王朝軍の盾や矛を鋭利にして、軍を強兵にして戦を勝ち取ることであり、決して、物見の兵や、尖兵に勝ったからといっていばらせないようにしないといけない。

○會 かならず。

○干戈利 唐王朝軍の盾や矛を鋭利にする。軍を強兵にする。

○斥候 物見の兵。

 

居然雙捕虜,自是一嫖姚。

そうすればきっときみは《馬武傳》の捕虜將軍と並ぶ二人目の将軍となるだろうし、自ずから、匈奴の異民族軍を破った一人の漢の武帝の時の名将霍去病と称されることだろう。

○居然 そうすればきっと。そのまま。なんと,驚いたことに,(【同】竟然)

○雙捕虜 《後漢書》卷二十二《馬武傳》世祖即位する,以って武 侍中と為る、都尉に騎す,山都侯に封ぜらる。建武四年,虎牙將軍と蓋延等とで劉永を討ち,武 濟陰を別擊し,下って武を成す、楚丘,捕虜將軍を拜す。雙捕虜とは馬武と董嘉榮が二人の捕虜将軍となることをいう。

○一嫖姚 霍嫖姚のこと。漢の武帝の時の名将霍去病【かくきょへい】。彼は嫖姚校尉となった。騎射に優れており、18歳で衛青に従って匈奴征伐に赴いている。その後も何度も匈奴征伐に功績を挙げ、3万の首を上げ、紀元前121年に驃騎将軍に、更に紀元前119年には匈奴の本拠地を撃破し、衛青と並んで大司馬とされた。大功と武帝の寵愛により権勢並ぶ物が無くなった霍去病だが、紀元前117年、わずか24歳で病死した。

 

落日思輕騎,高天憶射雕。

君はその地に行っては秋の夕暮に軽装の騎兵を從えていると思うし、秋の高天にクマタカを弓で射抜いたりするだろう。

○雕 ワシ(washi)タカ目のうち、大形で強力な鳥の総称.

 

雲臺畫形像,皆為掃氛妖。

洛陽南宮の雲台に二十八将の肖像画を描かせたと同じように評価されるだろうし、すべての人民は国家のために悪い兵乱の雰囲気を払い除けてくれたと喜んでくれることだろう。

○雲臺 後漢明帝の雲臺。永平年間に明帝が前代の後漢の光武帝の天下統一を助けた功臣たちに感じて、洛陽南宮の雲台に二十八将の肖像画を描かせたことから「雲台二十八将」と称される。

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製作年:  764  廣德二年  53

卷別: 巻十四 卷二二八  文體: 五言古詩 

詩題: 寄董卿嘉榮十韻 

寫及地點:  五繩橋 (劍南道北部 茂州 茂州)     

交遊人物: 董嘉榮 書信往來

 

 

寄董卿嘉榮十韻 #1

(董嘉榮が吐蕃進攻防御の為に、国境へ出征してゆくのに寄せた詩。)#1

聞道君牙帳,防秋近赤霄。

聞くところでは君の本営は秋になると北狄、西夷の侵入を防ぐために、赤色の空に近い所に髙い場所にあるという。

下臨千雪嶺,卻背五繩橋。

下をのぞけば先人の谷で、上は雪嶺山脈の全ての頂が続き、緊急に作られた五つの縄橋の向うに雪嶺山脈があり、敵を背にしている。

久戎服,京師今晏朝。

天下は軍服をぬぐことがなく久しく戦が続いている、都京師では今、朝の朝礼が長引き御退出が遅くまでかかるという。

犬羊曾爛熳,宮闕尚蕭條。

かつては西域の異民族が国内を犬羊のようにはびこっていたものであるが、長安の朝廷や宮殿は彼らにあらされて、国庫破綻状況、食料、資金不足が、未だに解消されていなくていまだに淋しい状況が続いているのである。

猛將宜嘗膽,龍泉必在腰。

だからこそ、朝廷は、越王勾践の臥薪嘗胆の故事のように嘗膽をするのがよろしいのである。きみは、猛将たるもの、必ず、あの名刀の誉れ高い龍泉の剣を腰につけて、胸を張って闘うのだ。

#2

黃圖遭辱,月窟可焚燒。

會取干戈利,無令斥候驕。

居然雙捕虜,自是一嫖姚。

落日思輕騎,高天憶射雕。

雲臺畫形像,皆為掃氛妖。

 

(董卿【とうきょう】嘉榮に寄す十韻) #1

聞道【きくなら】く君が牙帳,防秋 赤霄に近く。

下は千の雪嶺に臨み,卻って五繩の橋に背くと。

 久しく戎服し,京師 今 晏朝なり。

犬羊 曾て爛熳たり,宮闕 尚お蕭條たり。

猛將 宜しく膽を嘗むべし,龍泉 必ず腰に在らむ。

#2

黃圖 辱にう,月窟 焚燒【ふんしょう】す

會【かなら】ず干戈【かんか】の利なるを取り,斥候をして驕ら令むこと無れ。

居然 雙捕虜なり,自ら是れ一嫖【いちひょう】姚なり。

落日 輕騎を思い,高天 射雕【しゃちょう】を憶う。

雲臺 形像を畫かるるは,皆 氛妖【ふんよう】を掃いしが為なり。

 

題新津北橋棲00 

『寄董卿嘉榮十韻』 現代語訳と訳註

(本文)

寄董卿嘉榮十韻 #1

聞道君牙帳,防秋近赤霄。

下臨千雪嶺,卻背五繩橋。

久戎服,京師今晏朝。

犬羊曾爛熳,宮闕尚蕭條。

猛將宜嘗膽,龍泉必在腰。

 

(含異文)

聞道君牙帳,防秋近赤霄。

下臨千雪嶺【下臨千仞雪】,卻背五繩橋。

久戎服,京師今晏朝。

犬羊曾爛熳,宮闕尚蕭條。

猛將宜嘗膽,龍泉必在腰。

黃圖遭辱,月窟可焚燒。

會取干戈利,無令斥候驕。

居然雙捕虜,自是一嫖姚。

落日思輕騎,高天憶射雕【秋天憶射雕】。

雲臺畫形像,皆為掃氛妖。 

 

(下し文)

(董卿【とうきょう】嘉榮に寄す十韻) #1

聞道【きくなら】く君が牙帳,防秋 赤霄に近く。

下は千の雪嶺に臨み,卻って五繩の橋に背くと。

 久しく戎服し,京師 今 晏朝なり。

犬羊 曾て爛熳たり,宮闕 尚お蕭條たり。

猛將 宜しく膽を嘗むべし,龍泉 必ず腰に在らむ。

 

(現代語訳)

(董嘉榮が吐蕃進攻防御の為に、国境へ出征してゆくのに寄せた詩。)#1

聞くところでは君の本営は秋になると北狄、西夷の侵入を防ぐために、赤色の空に近い所に髙い場所にあるという。

下をのぞけば先人の谷で、上は雪嶺山脈の全ての頂が続き、緊急に作られた五つの縄橋の向うに雪嶺山脈があり、敵を背にしている。

天下は軍服をぬぐことがなく久しく戦が続いている、都京師では今、朝の朝礼が長引き御退出が遅くまでかかるという。

かつては西域の異民族が国内を犬羊のようにはびこっていたものであるが、長安の朝廷や宮殿は彼らにあらされて、国庫破綻状況、食料、資金不足が、未だに解消されていなくていまだに淋しい状況が続いているのである。

だからこそ、朝廷は、越王勾践の臥薪嘗胆の故事のように嘗膽をするのがよろしいのである。きみは、猛将たるもの、必ず、あの名刀の誉れ高い龍泉の剣を腰につけて、胸を張って闘うのだ。

 

蜀中転々圖 

(訳注)

寄董卿嘉榮十韻 #1

(董嘉榮が吐蕃進攻防御の為に、国境へ出征してゆくのに寄せた詩。)#1

764年、廣德二年、杜甫 53の作。

董卿嘉榮 卿は敬称。武将。

 

聞道君牙帳,防秋近赤霄。

聞くところでは君の本営は秋になると北狄、西夷の侵入を防ぐために、赤色の空に近い所に髙い場所にあるという。

牙帳 軍の本営、牙は牙旗。帳は幔幕。軍の号令を牙旗の前で下すが、軍前の大旗をいうが、旗竿の上先端に象牙を飾っているためという。

防秋 北狄、西夷の侵入を防ぐ。

近赤霄 夕映えの空、近くの地勢が高く赤く染まる。

 

下臨千雪嶺,卻背五繩橋。

下をのぞけば先人の谷で、上は雪嶺山脈の全ての頂が続き、緊急に作られた五つの縄橋の向うに雪嶺山脈があり、敵を背にしている。

○下臨千雪嶺 下をのぞけば先人の谷で、上は雪嶺山脈の全ての頂。五つの縄橋の向うに雪嶺山脈があり、敵を背にしている。

卻背五繩橋 卻背:五つの縄橋の向うに雪嶺山脈があり、成都から見て縄橋の背にあるということ。繩橋:食糧を運び、竹の橋を手早く縄で縛って作られ、決死の覚悟で敵地に赴く勇者たちのためのものである。杜甫《入奏行贈西山檢察使竇侍禦》「運糧繩橋壯士喜,斬木火井窮猿呼。」  制圧のための準備の木を伐採し、火器を準備し、叛乱の奴らの去る呼ばわりして追いつめられるであろう。・運糧 食糧を運び。

・繩橋 竹の橋を手早く縄で縛って作る。入奏行贈西山檢察使竇侍禦 五言律詩 成都(6-(2-#4)) 杜甫 <469-#4  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2440 杜甫詩1000-469#4-683/1500

 

 

久戎服,京師今晏朝。

天下は軍服をぬぐことがなく久しく戦が続いている、都京師では今、朝の朝礼が長引き御退出が遅くまでかかるという。

○戎服 軍服を付ける。

 

犬羊曾爛熳,宮闕尚蕭條。

かつては西域の異民族が国内を犬羊のようにはびこっていたものであるが、長安の朝廷や宮殿は彼らにあらされて、国庫破綻状況、食料、資金不足が、未だに解消されていなくていまだに淋しい状況が続いているのである。

○犬羊 ウイグルは安史軍にも手を貸し、王朝軍の援軍にはウイグル正規軍として参加した。しかし援軍のウイグル軍は略奪の賈誼を盡したのだ。これらの間断をついて吐蕃の夷狄が侵入していたことをいう。

○爛熳 はびこるさま。

宮闕尚蕭條 一年以上の安史軍の占領時に王朝の蔵は、食料、珍品を運び出されたことで、国庫破綻し、未だに食料、資金不足が解消されていないことをいう。朝廷内での金権主義、賀蘭進明、第五琦のその場主義の経済政策、そのために人民は疲弊し、一方で悪がはびこることに目を向けられていないことをいう。この杜甫の主張は房琯を筆頭としたグループを形成していた。これが宦官らの暗躍により、全員左遷され、勢力を失ったことなどを示すものである。

杜甫の三吏三別 「新安吏」「石壕吏」「潼関吏」(三吏),「新婚別」「垂老別」「無家別」(三別)に明確に状況を述べている。そして、当時の経済政策についての明確な批判は次の二文献に示されている。

763年廣徳元年1501 《祭故相國清河房公文-(1) 杜甫index-13 763年祭故相國清河房公文-(1) 杜甫<765 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4155 杜甫詩1500-765-1002/2500

757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首 (23) 全体》 杜甫<1509-T 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340 杜甫詩1500/2500

 

猛將宜嘗膽,龍泉必在腰。

だからこそ、朝廷は、越王勾践の臥薪嘗胆の故事のように嘗膽をするのがよろしいのである。きみは、猛将たるもの、必ず、あの名刀の誉れ高い龍泉の剣を腰につけて、胸を張って闘うのだ。

○嘗膽 越王勾践の臥薪嘗胆の故事。呉の恨みを忘れぬため膽を舐め、薪の上に伏したことをいう。

○龍泉【りょうせん】『晋書』「張華伝」 雷煥と張華晋代の故事、雷煥(らいかん)が牛星と斗星のあいだに剣の気があるのを見て、龍泉・太阿の二つの名剣を掘り出した話を踏まえている。 名剣の名。
三者の思惑が合致 

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いま聖天子の徳教はきよらかで淳朴だが、諸国は兵乱で暗い状況に変わりない。わたくしは極悪非道な邪悪な怪物である悪賊が除き去られたというはなしをききたいとおもう。あなたは徒に麒麟閣に像を画かれるようなことを念としてはなりませせんし、あなたほどの人、実功をあげることをつとめていただきたいのです。



 
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贈王二十四侍御契四十韻#8~#10

#8

石鏡通幽魄,琴台隱絳唇。

送終惟糞土,結愛獨荊榛。

置酒高林下,觀棋積水濱。

區區甘累趼,稍稍息勞筋。

蜀の古王開明の妃の塚だと伝える石鏡をおとずれてみれば、そこには古王妃のたましいがまだ往来するかとおもい、卓王孫の娘文君に、琴歌をもっていどんだところの琴台をたずねれば、そこには美人の紅い唇はすでにかくれてみえないのである。

いかに古代の王がその王妃を丁寧に葬ったところでのこっているものはただ糞土ばかり、いかに生前に佳人と才子とが愛を結んだところで年をへてみればただ荊や榛の木ばかりがのこるのである。

またあるときは高い林のもとで酒宴を設けたり、あるときは多く水のある川べりで碁をうつのをながめたり、じつに種種さまざまの処に遊びをした。

自分のこせこせした心ではかく遊ぶためにはいくら足に豆ができようとかまわぬと思うが、そうばかりもならぬので労らした筋にもすこしずつ休息をあたえるようにした。』

#8

石鏡幽魄【ゆうはく】を通ず、琴台 絳唇【こうしん】隠る。

終を送る 惟だ糞土のみ、愛を結ぶ 独り荊榛【けいしん】のみ。

酒を置く 高林の下、棋を観る 積水の浜。

区区 累趼【るいけん】を甘んず、稍稍 労筋を息【いこ】わしむ。』

#9

網聚粘圓鯽,絲繁煮細蓴。

長歌敲柳癭,小睡憑藤輪。

農月須知課,田家敢忘勤。

浮生難去食,良會惜清晨。

またお宅でおもてなしにあずかると、網うちをして肥った鮒が附着してかかるとそれを料理したり、糸すじがたくさんの細いじゅんさいを煮てくださったりする。

自分は柳癖の瓢を敲きながらうれしいので節を長くして歌をうたい、あるいは藤蔓の坐蒲団によりかかっていねむりをする。愉快なことこのうえない。

しかし今は農繁期でせわしい月で、我我は毎日、耕作日程をこころえておかねばならないのだ。農家では、勤勉に勤めるということを忘れるわけにはゆかないのである。

我々の生活においては絶対条件の食物というものをとり去ることはできぬ、だからごいっしょに会合しているのは面白いがお別れをせねばならぬので今朝のあさげが惜しまれるのである。』

#9

網衆まりて円鯽【えんせき】粘し、糸繁くして細蓴【さいじゅん】を煮る。

長歌 柳癭【りゅうえい】を敲き、小睡 藤輪に憑る。

農月須らく課を知るべし、田家敢て勤むるを忘れんや。

浮生食を去り難し、艮会清晨を惜しむ。』

10

列國兵戈暗,今王德教淳。

要聞除貐,休作畫麒麟。

洗眼看輕薄,懷任屈伸。

莫令膠漆地,萬古重雷陳。

いま聖天子の徳教はきよらかで淳朴だが、諸国は兵乱で暗い状況に変わりない。

わたくしは極悪非道な邪悪な怪物である悪賊が除き去られたというはなしをききたいとおもう。あなたは徒に麒麟閣に像を画かれるようなことを念としてはなりませせんし、あなたほどの人、実功をあげることをつとめていただきたいのです。

自分は官を辞して「耳ならぬ眼を洗って」よく見てみると今の世の人の交際の軽薄なことがみにつくのです。一方、あなたは在朝と在野とを問わず胸のうちをひろくしておられるのである。

むかしから親密な友情のためしとして雷義と陳重とを重んじているが、千年万年たっても彼らばかりを交わりの厚い例とするようにはさせることではなく、我我の交わりは彼ら以上となるべきであるとおもっているのです。

10

列国兵戈暗し、今王徳敦淳なり。

【あつゆ】を除くを聞かんと要す、麒麟に画かるるを作すを休めよ。

眼を洗うて軽薄を看る、虚懐【きょかい】屈伸に任す。

膠漆【こうしつ】の地をして 万古 雷陳を重んぜしむること莫れ。』

 

題新津北橋棲00 

『贈王二十四侍禦契四十韻』 現代語訳と訳註

(本文)

贈王二十四侍禦契四十韻 #10

列國兵戈暗,今王德教淳。

要聞除貐,休作畫麒麟。

洗眼看輕薄,虛懷任屈伸。

莫令膠漆地,萬古重雷陳。』

 

(下し文)

10

列国兵戈暗し、今王徳敦淳なり。

貐【あつゆ】を除くを聞かんと要す、麒麟に画かるるを作すを休めよ。

眼を洗うて軽薄を看る、虚懐【きょかい】屈伸に任す。

膠漆【こうしつ】の地をして 万古 雷陳を重んぜしむること莫れ。』

 

(現代語訳)

いま聖天子の徳教はきよらかで淳朴だが、諸国は兵乱で暗い状況に変わりない。

わたくしは極悪非道な邪悪な怪物である悪賊が除き去られたというはなしをききたいとおもう。あなたは徒に麒麟閣に像を画かれるようなことを念としてはなりませせんし、あなたほどの人、実功をあげることをつとめていただきたいのです。

自分は官を辞して「耳ならぬ眼を洗って」よく見てみると今の世の人の交際の軽薄なことがみにつくのです。一方、あなたは在朝と在野とを問わず胸のうちをひろくしておられるのである。

むかしから親密な友情のためしとして雷義と陳重とを重んじているが、千年万年たっても彼らばかりを交わりの厚い例とするようにはさせることではなく、我我の交わりは彼ら以上となるべきであるとおもっているのです。

 

(訳注) #8~#10

贈王二十四侍禦契四十韻 #10

(侍御史王契に贈った詩)

〔王契,字佐卿,京兆人。元結有〈送契之西蜀序〉。〕

王契、字は佐卿、京兆の人 である。元結の注が有り〈契が西蜀に之くを送る序〉。

○王二十四侍御実 侍御史王契のこと、二説ある。詩の内容からは京兆の人のようだ。

京兆の人 王契(字は佐卿)。

蜀の人  王契

江畔独歩尋花 

列國兵戈暗,今王德教淳。

いま聖天子の徳教はきよらかで淳朴だが、諸国は兵乱で暗い状況に変わりない。

○列国 諸国。

○今王/今重 代宗。

○淳 まじりけなし、清し。淳風・淳朴。

 

要聞除貐,休作畫麒麟。

わたくしは極悪非道な邪悪な怪物である悪賊が除き去られたというはなしをききたいとおもう。あなたは徒に麒麟閣に像を画かれるようなことを念としてはなりませせんし、あなたほどの人、実功をあげることをつとめていただきたいのです。

○要聞 自己がきこうともとめるのである。

○除 【あゆつ】は中国神話に登場する怪物。獣の中で最大とされ、虎の身体に龍の頭、馬の尾を持ち、全長80メートルもある。元々は天の神だったが、神々の抗争により、危(ウエイ,き)という神に殺された。しかし、貐は崑崙山にて不死の薬で甦り、それ以降、邪悪な怪物となった。山猫に似て走るのが速く、中原をものすごく速さで走り回り、人を喰らった。そこで、后羿(ホウイー,こうげい)という英雄がこの怪物を退治したという。后羿は、その当時、中国に10個あった太陽を9個を撃ち落とす程の弓の名手だった。これは盗賊をたとえていう。

○画麒麟 麒麟閣上に画かれること、徒らに閣上に画かれることをのみ考えてはならぬとみている。

 

洗眼看輕薄,虛懷任屈伸。

自分は官を辞して「耳ならぬ眼を洗って」よく見てみると今の世の人の交際の軽薄なことがみにつくのです。一方、あなたは在朝と在野とを問わず胸のうちをひろくしておられるのである。

○洗眼 長安中に豪家の軽薄子の多いのを見ていうのに、吾当に眼を洗って繭が菅を見るべし、と。荘子の「逍遙遊」に、「穎水(えいすい)に耳を洗う」の故事がある。聖天子、堯が巷間に隠れ棲む高士の許由に天下を譲ろうと言った。それを聞いた許由は、耳が汚れたとして、穎水で耳を洗い清めた。杜甫が「洗眼」といったのは官を辞すに到った、朝廷内での金権主義、賀蘭進明、第五琦のその場主義の経済政策、そのために人民は疲弊し、一方で悪がはびこることに目を向けられていないことをいう。この杜甫の主張は房琯を筆頭としたグループを形成していた。これが宦官らの暗躍により、全員左遷され、勢力を失ったことなどを示すものである。

杜甫の三吏三別 「新安吏」「石壕吏」「潼関吏」(三吏),「新婚別」「垂老別」「無家別」(三別)に明確に状況を述べている。そして、当時の経済政策についての明確な批判は次の二文献に示されている。

763年廣徳元年1501 《祭故相國清河房公文-(1) 杜甫index-13 763年祭故相國清河房公文-(1) 杜甫<765 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4155 杜甫詩1500-765-1002/2500

757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首 (23) 全体》 杜甫<1509-T 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340 杜甫詩1500/2500

○軽薄 世間の交際のまじめでないさま、此の句は自己についていう。

○虚慎 むねにわだかまりのないこと。

○任屈伸 在官を伸といい、退処を屈という、此の句は王侍御についていう。

 

莫令膠漆地,萬古重雷陳。』

むかしから親密な友情のためしとして雷義と陳重とを重んじているが、千年万年たっても彼らばかりを交わりの厚い例とするようにはさせることではなく、我我の交わりは彼ら以上となるべきであるとおもっているのです。

○膠漆地 漆とニカワのように一旦結ばれれば離れることのない交情の親密な境地。

○雷陳 後漢の雷義と陳重をいう、二人の交わりは至って親密であり、当時の人の語にいう、「膠膝自ズカラ堅シト謂ウモ、雷卜陳トニ如カズ」と。官吏に推薦された雷義は、それを親友の陳重に譲りましたが、役人に認められなかったため、髪を振り乱し、気違いのふりをして命令に応じませんでした。「膠や漆がかたく結びつくといっても、雷義と陳重ほどではない」とうわさされた故事。

以上身世の感をいい交情の密ならんことを希望して結びとする。
杜甫草堂詳細図02 

廣徳2年764-98-#9 《贈王二十四侍御契四十韻》 杜甫index-14 764年贈王二十四侍御契四十韻 杜甫<770-#9> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4475 杜甫詩1500-770-#9-1066/2500

自分は柳癖の瓢を敲きながらうれしいので節を長くして歌をうたい、あるいは藤蔓の坐蒲団によりかかっていねむりをする。愉快なことこのうえない。しかし今は農繁期でせわしい月で、我我は毎日、耕作日程をこころえておかねばならないのだ。農家では、勤勉に勤めるということを忘れるわけにはゆかないのである。

 
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贈王二十四侍御契四十韻#8~#10

#8

石鏡通幽魄,琴台隱絳唇。

送終惟糞土,結愛獨荊榛。

置酒高林下,觀棋積水濱。

區區甘累趼,稍稍息勞筋。』

蜀の古王開明の妃の塚だと伝える石鏡をおとずれてみれば、そこには古王妃のたましいがまだ往来するかとおもい、卓王孫の娘文君に、琴歌をもっていどんだところの琴台をたずねれば、そこには美人の紅い唇はすでにかくれてみえないのである。

いかに古代の王がその王妃を丁寧に葬ったところでのこっているものはただ糞土ばかり、いかに生前に佳人と才子とが愛を結んだところで年をへてみればただ荊や榛の木ばかりがのこるのである。

またあるときは高い林のもとで酒宴を設けたり、あるときは多く水のある川べりで碁をうつのをながめたり、じつに種種さまざまの処に遊びをした。

自分のこせこせした心ではかく遊ぶためにはいくら足に豆ができようとかまわぬと思うが、そうばかりもならぬので労らした筋にもすこしずつ休息をあたえるようにした。』

#8

石鏡幽魄【ゆうはく】を通ず、琴台 絳唇【こうしん】隠る。

終を送る 惟だ糞土のみ、愛を結ぶ 独り荊榛【けいしん】のみ。

酒を置く 高林の下、棋を観る 積水の浜。

区区 累趼【るいけん】を甘んず、稍稍 労筋を息【いこ】わしむ。』

#9

網聚粘圓鯽,絲繁煮細蓴。

長歌敲柳癭,小睡憑藤輪。

農月須知課,田家敢忘勤。

浮生難去食,良會惜清晨。』

またお宅でおもてなしにあずかると、網うちをして肥った鮒が附着してかかるとそれを料理したり、糸すじがたくさんの細いじゅんさいを煮てくださったりする。

自分は柳癖の瓢を敲きながらうれしいので節を長くして歌をうたい、あるいは藤蔓の坐蒲団によりかかっていねむりをする。愉快なことこのうえない。

しかし今は農繁期でせわしい月で、我我は毎日、耕作日程をこころえておかねばならないのだ。農家では、勤勉に勤めるということを忘れるわけにはゆかないのである。

我々の生活においては絶対条件の食物というものをとり去ることはできぬ、だからごいっしょに会合しているのは面白いがお別れをせねばならぬので今朝のあさげが惜しまれるのである。』

#9

網衆まりて円鯽【えんせき】粘し、糸繁くして細蓴【さいじゅん】を煮る。

長歌 柳癭【りゅうえい】を敲き、小睡 藤輪に憑る。

農月須らく課を知るべし、田家敢て勤むるを忘れんや。

浮生食を去り難し、艮会清晨を惜しむ。』

10

列國兵戈暗,今王德教淳。

要聞除貐,休作畫麒麟。

洗眼看輕薄,懷任屈伸。

莫令膠漆地,萬古重雷陳。』

 

10

列国兵戈暗し、今王徳敦淳なり。

【あつゆ】を除くを聞かんと要す、麒麟に画かるるを作すを休めよ。

眼を洗うて軽薄を看る、虚懐【きょかい】屈伸に任す。

膠漆【こうしつ】の地をして 万古 雷陳を重んぜしむること莫れ。』

題新津北橋棲00 

 

『贈王二十四侍禦契四十韻』 現代語訳と訳註

(本文)

贈王二十四侍禦契四十韻 #

#9

網聚粘圓鯽,絲繁煮細蓴。

長歌敲柳癭,小睡憑藤輪。

農月須知課,田家敢忘勤。

浮生難去食,良會惜清晨。』

 

(下し文)

#9

網衆まりて円鯽【えんせき】粘し、糸繁くして細蓴【さいじゅん】を煮る。

長歌 柳癭【りゅうえい】を敲き、小睡 藤輪に憑る。

農月須らく課を知るべし、田家敢て勤むるを忘れんや。

浮生食を去り難し、艮会清晨を惜しむ。』

 

(現代語訳)

またお宅でおもてなしにあずかると、網うちをして肥った鮒が附着してかかるとそれを料理したり、糸すじがたくさんの細いじゅんさいを煮てくださったりする。

自分は柳癖の瓢を敲きながらうれしいので節を長くして歌をうたい、あるいは藤蔓の坐蒲団によりかかっていねむりをする。愉快なことこのうえない。

しかし今は農繁期でせわしい月で、我我は毎日、耕作日程をこころえておかねばならないのだ。農家では、勤勉に勤めるということを忘れるわけにはゆかないのである。

我々の生活においては絶対条件の食物というものをとり去ることはできぬ、だからごいっしょに会合しているのは面白いがお別れをせねばならぬので今朝のあさげが惜しまれるのである。』

 

 

(訳注)#8~#9

贈王二十四侍禦契四十韻 #9

(侍御史王契に贈った詩)

〔王契,字佐卿,京兆人。元結有〈送契之西蜀序〉。〕

王契、字は佐卿、京兆の人 である。元結の注が有り〈契が西蜀に之くを送る序〉。

○王二十四侍御実 侍御史王契のこと、二説ある。詩の内容からは京兆の人のようだ。

京兆の人 王契(字は佐卿)。

蜀の人  王契

杜甫草堂詳細図02 

網聚粘圓鯽,絲繁煮細蓴。

またお宅でおもてなしにあずかると、網うちをして肥った鮒が附着してかかるとそれを料理したり、糸すじがたくさんの細いじゅんさいを煮てくださったりする。

○網衆 一所にあみをあつめること。

○粘円鯽 粘とはあみに附着すること、円鯽は思うに幅のわりあいに丈の短いふなのこと。

○糸繁 糸はじゅんさいの線をいう。

○蓴 じゅんさい。

 

長歌敲柳癭,小睡憑藤輪。

自分は柳癖の瓢を敲きながらうれしいので節を長くして歌をうたい、あるいは藤蔓の坐蒲団によりかかっていねむりをする。愉快なことこのうえない。

○柳癭 曹植の詩に「吾道癭瓢在,酣歌且莫疏。」(我に柳癭瓢あり)とみえる、柳のこぶのようなひさご、酒をいれるものである。

○小睡 いねむり。

○憑 もたれる。

○藤輪 藤蔓で作った蒲団のことと、後説に従う、輪は円形をいう。

 

農月須知課,田家敢忘勤。

しかし今は農繁期でせわしい月で、我我は毎日、耕作日程をこころえておかねばならないのだ。農家では、勤勉に勤めるということを忘れるわけにはゆかないのである。

○農月 農事をはげむべき月。農繁期。

○知課 課は日課、日日わりつけてする仕事。

 

浮生難去食,良會惜清晨。』

我々の生活においては絶対条件の食物というものをとり去ることはできぬ、だからごいっしょに会合しているのは面白いがお別れをせねばならぬので今朝のあさげが惜しまれるのである。』

○田家 農家。

○浮生 人生。

○去食 食物をとりさる。

○良会 親友との会合。

○清晨 天気のよい午前中。ここまで、王侍御のもとで飲み、しかも農月なのでいつまでも留まっているわけにはゆかぬことをいう。
三者の思惑が合致 

この三者の思惑が一致したことで房琯グループ、杜甫を含めて全員左遷され、中央朝廷からはじき出されたのである。華州司功参軍に左遷され、官を辞すのである。 

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蜀の古王開明の妃の塚だと伝える石鏡をおとずれてみれば、そこには古王妃のたましいがまだ往来するかとおもい、卓王孫の娘文君に、琴歌をもっていどんだところの琴台をたずねれば、そこには美人の紅い唇はすでにかくれてみえないのである。いかに古代の王がその王妃を丁寧に葬ったところでのこっているものはただ糞土ばかり、いかに生前に佳人と才子とが愛を結んだところで年をへてみればただ荊や榛の木ばかりがのこるのである。

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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27 《古風五十九首之二十七》Index-7Ⅱ― 3-728年開元十六年28歳70古風,五十九首之二十七燕趙有秀色, <27> Ⅰ李白詩1184 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4468 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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贈王二十四侍御契四十韻#8~#10

#8

石鏡通幽魄,琴台隱絳唇。

送終惟糞土,結愛獨荊榛。

置酒高林下,觀棋積水濱。

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蜀の古王開明の妃の塚だと伝える石鏡をおとずれてみれば、そこには古王妃のたましいがまだ往来するかとおもい、卓王孫の娘文君に、琴歌をもっていどんだところの琴台をたずねれば、そこには美人の紅い唇はすでにかくれてみえないのである。

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#8

石鏡幽魄【ゆうはく】を通ず、琴台 絳唇【こうしん】隠る。

終を送る 惟だ糞土のみ、愛を結ぶ 独り荊榛【けいしん】のみ。

酒を置く 高林の下、棋を観る 積水の浜。

区区 累趼【るいけん】を甘んず、稍稍 労筋を息【いこ】わしむ。』

#9

網聚粘圓鯽,絲繁煮細蓴。

長歌敲柳癭,小睡憑藤輪。

農月須知課,田家敢忘勤。

浮生難去食,良會惜清晨。』

10

列國兵戈暗,今王德教淳。

要聞除貐,休作畫麒麟。

洗眼看輕薄,懷任屈伸。

莫令膠漆地,萬古重雷陳。』

 

#9

網衆まりて円鯽粘し、糸繁くして細を煮る。

長歌 柳き、小睡 藤輪にる。

農月須らく課を知るべし、田家敢て勤むるを忘れんや

浮生食を去り難し 艮会清晨を惜しむ。』

10

列国兵戈暗し、今王徳敦淳なり。

を除くを聞かんと要す、麒麟に画かるるを作すを休めよ。

眼を洗うて軽薄を看る、虚懐屈伸に任す。

膠漆の地をして 万古雷陳を重んぜしむること莫れ。』

 

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『贈王二十四侍禦契四十韻』 現代語訳と訳註

(本文)

贈王二十四侍御契四十韻#8~#10

#8

石鏡通幽魄,琴台隱絳唇。

送終惟糞土,結愛獨荊榛。

置酒高林下,觀棋積水濱。

區區甘累趼,稍稍息勞筋。』

 

 

(下し文)#8

石鏡幽魄【ゆうはく】を通ず、琴台 絳唇【こうしん】隠る。

終を送る 惟だ糞土のみ、愛を結ぶ 独り荊榛【けいしん】のみ。

酒を置く 高林の下、棋を観る 積水の浜。

区区 累趼【るいけん】を甘んず、稍稍 労筋を息【いこ】わしむ。』

 

(現代語訳)

蜀の古王開明の妃の塚だと伝える石鏡をおとずれてみれば、そこには古王妃のたましいがまだ往来するかとおもい、卓王孫の娘文君に、琴歌をもっていどんだところの琴台をたずねれば、そこには美人の紅い唇はすでにかくれてみえないのである。

いかに古代の王がその王妃を丁寧に葬ったところでのこっているものはただ糞土ばかり、いかに生前に佳人と才子とが愛を結んだところで年をへてみればただ荊や榛の木ばかりがのこるのである。

またあるときは高い林のもとで酒宴を設けたり、あるときは多く水のある川べりで碁をうつのをながめたり、じつに種種さまざまの処に遊びをした。

自分のこせこせした心ではかく遊ぶためにはいくら足に豆ができようとかまわぬと思うが、そうばかりもならぬので労らした筋にもすこしずつ休息をあたえるようにした。』

 

(訳注)

贈王二十四侍御契四十韻#8~#10

#8

石鏡通幽魄,琴台隱絳唇。

蜀の古王開明の妃の塚だと伝える石鏡をおとずれてみれば、そこには古王妃のたましいがまだ往来するかとおもい、卓王孫の娘文君に、琴歌をもっていどんだところの琴台をたずねれば、そこには美人の紅い唇はすでにかくれてみえないのである。

○石鏡 成都の北角に武担という塚があるが、その塚の上に鏡の幅は1メートル、高さは120cm程の石である、すきとおることは鏡のごとくであるという。蜀の古王開明の妃の塚だと伝える。蜀王が好色であることから様々な物語が伝えられている。杜甫は昨年760年の夏にも石犀行』、『石筍行』、『杜鵑行という蜀の故事をもとに詩を作っている。この詩はその続編というところである。成都の街に出てこの場所に来て作った。

杜甫「石鏡」

蜀王將此鏡,送死置空山。
冥寞憐香骨,提攜近玉顏。
眾妃無複歡,千騎亦虛還。
獨有傷心石,埋輪月宇間。

石鏡 杜甫 <431  漢委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2100 杜甫詩1000-431-614/1500

○幽魄 開明王の妃のたましい。

○琴台 漢の司馬相加が琴をひいて卓文君に挑んだという遺跡。相知がまだ若くて貧乏であったころ、成都の金持の卓王孫の娘文君に、琴歌をもっていどんだところ、文君は夜家を逃げ出して相如のもとに走ったという。台は浣花渓の東に成都の西部分にある。花街は西側白門にあるもの。

杜甫『琴台』 

茂陵多病後,尚愛卓文君。

酒肆人間世,琴台日暮雲。

野花留寶靨,蔓草見羅裙。

歸鳳求凰意,寥寥不複聞。

琴台 杜甫 <432  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2105 杜甫詩1000-432-615/1500

杜甫『野老』
野老籬邊江岸迴,柴門不正逐江開。
漁人網集澄潭下,估客船隨返照來。
長路關心悲劍閣,片雲何意傍琴台
王師未報收東郡,城闕秋生畫角哀 
 野老 杜甫 <373  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1799 杜甫詩 1000- 549

〇絳唇 卓文君文君のあかいくちびる。

 

送終惟糞土,結愛獨荊榛。

いかに古代の王がその王妃を丁寧に葬ったところでのこっているものはただ糞土ばかり、いかに生前に佳人と才子とが愛を結んだところで年をへてみればただ荊や榛の木ばかりがのこるのである。

○送終 妃の最後を送って葬ったこと、此の句は上の石鏡の句を承ける。

○惟糞士 ただ糞土をあますのみ。

○結愛 相如が文君と愛をむすんだこと、此の句は上の琴台の句を承ける。

○独荊榛 いばら・はりのみをあます。

 

置酒高林下,觀棋積水濱。

またあるときは高い林のもとで酒宴を設けたり、あるときは多く水のある川べりで碁をうつのをながめたり、じつに種種さまざまの処に遊びをした。

○高林・積水 これは一定の場所をいわないが思うに導江、都江堰附近についていったもの。

 

區區甘累趼,稍稍息勞筋。』

自分のこせこせした心ではかく遊ぶためにはいくら足に豆ができようとかまわぬと思うが、そうばかりもならぬので労らした筋にもすこしずつ休息をあたえるようにした。』

○区区 自己のこせこせとした心。

○累趼 趼は足に豆をでかすこと、作者は時として「繭」の字をも用いるが同意である。「荘子」(天道)に重断の語があるが、累趼は重趼に同じ、豆をかさねてでかすことをいう、奔走すれば豆ができる。

○稍稍 すこしずつ、しだいに、以上は王侍御との諸方への同遊をのべる。
唐時代剣南道北部075 

廣徳2764-98-#8 《贈王二十四侍御契四十韻》 杜甫index-14 764年贈王二十四侍御契四十韻 杜甫<770-#8> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4470 杜甫詩1500-770-#8-1065/2500

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我我の間の交際にはただ「芝蘭のようなかんばしい」すぐれた人物と長くつきあっていると、知らないうちにその人のよい影響を受けて感化されるものであり、隣あいにくっ付いて住んでいなくてもよろしいのである。竹林七賢の住んだ山陽に比すべきここには俗物はいないし、鄭当時が駅馬を置いて賓客をもてなしたようにあなたはお客をおひきとめになるのである。』


 
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浪跡同生死,無心恥賤貧。

偶然存蔗芋,幸各對松筠。

麤飯依他日,窮愁怪此辰。

女長裁褐穩,男大卷書勻。』

わたくしは流浪のみの上で生も死も同じように見なしておるもので、貧賤を恥ずるような心はすこしもないのです。

偶然ではあるがわが草堂には砂糖きびや芋があるのでそんなものをおそなえし、しあわせとお互いに松や竹にうちむかってこれと節操をくらべてみる。

わたくしは今も過去の日のように粗末なご飯をたべて平気でいるが、きょうこそはなんでかく困窮憂愁を去り難いのかと怪しまれるのである。

というのは女児も生長して毛織の着物を具合よく裁てるようになったし、男の児も大きくなって巻物の書を不揃いでなく巻けるようになったのでございます。』#6

#5

浪跡 生死を同じくす、賤貧を恥ずるに心無し。

偶然 庶芋【しょ・う】存す、幸いに各の松筠【しょういん】に対す。

麤飯【そはん】他日に依る、窮愁 此の辰を怪しむ。

女長じて褐を裁すること穏かに、男大にして書を巻くこと勻し。』

#6

漰口江如練,蠶崖雪似銀。

名園當翠巘,野棹沒青蘋.

屢喜王侯宅,時邀江海人。

追隨不覺晚,款曲動彌旬。

あなたのお住まいになっている導江県の漰口では眠江が練絹のごとくながれ、蠶崖では雪が銀のようによこたわっている。

あなたの名園は青い高い山の頂上のうえに設けてあり、野水に船をうかべれば棹は青いうき草のなかに没する。

自分は王侯のようなあなたがたのお宅が時としてわたくしのような生涯旅人の様な江海人をむかえてくださることをこころから喜ぶものなのです。

あなたに随って遊ぶのであれば毎日、日の暮れるのもわすれてあそぶし、こまかに心おきなくものがたりしてややもすれば十日以上にわたることになるでしょう。

#6

漰口江【ほうこうこう】練の如し、蚕崖【さんがい】雪 銀に似たり。

名園 翠巘【すいけん】に当たる、野棹【やとう】青蘋【せいひん】に没す。

屢【しばし】ば喜ぶ王侯の宅、時に江海の人を邀むかえるを。

追随 晩を覚えず、款曲【かんきょく】動【やや】もすれば旬を弥【わた】る。

#7

但使芝蘭秀,何煩棟宇鄰。

山陽無俗物,鄭驛正留賓。』

出入並鞍馬,光輝參席珍。

重遊先主廟,更曆少城闉。

我我の間の交際にはただ「芝蘭のようなかんばしい」すぐれた人物と長くつきあっていると、知らないうちにその人のよい影響を受けて感化されるものであり、隣あいにくっ付いて住んでいなくてもよろしいのである。

竹林七賢の住んだ山陽に比すべきここには俗物はいないし、鄭当時が駅馬を置いて賓客をもてなしたようにあなたはお客をおひきとめになるのである。』

それだけではない。わたくしは席上の珍である珪璋に此すべき賓客にまじわるほどの光栄をにない、出るにも入るにもあなたと鞍馬をならべさせていただいた。

或は再び成都の蜀の先主廟にあそび、または少城の升形門を通り、経ることもできた。

 #7

但だ 芝蘭をして秀でしめん、何ぞ須いん棟宇の隣るを。

山陽 俗物無く、鄭駅 正に賓を留む。』

出入 鞍馬を並ぶ、光輝 席珍に参【まじ】わる。

重ねて遊ぶ 先主の廟、更に歴少【ふしょう】城の闉【いん】。

 

 

 

『贈王二十四侍禦契四十韻』 現代語訳と訳註

(本文)

贈王二十四侍禦契四十韻 ##7

但使芝蘭秀,何煩棟宇鄰。

山陽無俗物,鄭驛正留賓。』

出入並鞍馬,光輝參席珍。

重遊先主廟,更曆少城闉。

 

(下し文)

但だ 芝蘭をして秀でしめん、何ぞ須いん棟宇の隣るを。

山陽 俗物無く、鄭駅 正に賓を留む。』

出入 鞍馬を並ぶ、光輝 席珍に参【まじ】わる。

重ねて遊ぶ 先主の廟、更に歴少【ふしょう】城の闉【いん】。

 

(現代語訳)

我我の間の交際にはただ「芝蘭のようなかんばしい」すぐれた人物と長くつきあっていると、知らないうちにその人のよい影響を受けて感化されるものであり、隣あいにくっ付いて住んでいなくてもよろしいのである。

竹林七賢の住んだ山陽に比すべきここには俗物はいないし、鄭当時が駅馬を置いて賓客をもてなしたようにあなたはお客をおひきとめになるのである。』

それだけではない。わたくしは席上の珍である珪璋に此すべき賓客にまじわるほどの光栄をにない、出るにも入るにもあなたと鞍馬をならべさせていただいた。

或は再び成都の蜀の先主廟にあそび、または少城の升形門を通り、経ることもできた。

 

 

(訳注)

贈王二十四侍禦契四十韻 #7

(侍御史王契に贈った詩)

〔王契,字佐卿,京兆人。元結有〈送契之西蜀序〉。〕

王契、字は佐卿、京兆の人 である。元結の注が有り〈契が西蜀に之くを送る序〉。

○王二十四侍御実 侍御史王契のこと、二説ある。詩の内容からは京兆の人のようだ。

京兆の人 王契(字は佐卿)。

蜀の人  王契

 

但使芝蘭秀,何煩棟宇鄰。

我我の間の交際にはただ「芝蘭のようなかんばしい」すぐれた人物と長くつきあっていると、知らないうちにその人のよい影響を受けて感化されるものであり、隣あいにくっ付いて住んでいなくてもよろしいのである。

○芝蘭秀 芝蘭のような香りの高い草がある部屋に長くいると、いつの間にか芳香が身にしみついて、気持ちよくなる。善人と長くつきあっていると、知らないうちにその人のよい影響を受けて感化されるたとえである。「芝蘭」霊芝と蘭(ふじばかま)。ともによい香りを放つ草。転じて、すぐれた人や物のたとえ。「孔子家語」「与善人居如入芝蘭之室 久而不聞其香 即与之化」(善人と居るときは 芝蘭の室に入るが如し 久しくして其の香を聞かず 即ちこれと化するなり)の「善人と居るときは、芝蘭の室に入るが如し」を引いている。

○棟宇 むなぎ、やね。

 

山陽無俗物,鄭驛正留賓。』

竹林七賢の住んだ山陽に比すべきここには俗物はいないし、鄭当時が駅馬を置いて賓客をもてなしたようにあなたはお客をおひきとめになるのである。』

○山陽 河内の山陽という、魏末に嵆康・向秀ら竹林七賢の居った処、今の河南省懐慶府修武県の北にある。河内郡位置 太行山 東南と 黄河 北。領 県 十六: 汲県 、共県、林慮県、 嘉県 、 修武県 、 野王県 、州県、 懐県 (郡治)、 平皋県 、 河阳県 、 沁水県 、 山陽県 、 温 、朝歌県、 武徳県 。

○俗物 晋書の王戎伝に院籍(七賢の一人)が王戎にむかっていうのに、「俗物己二復夕来タリ、人意ヲ敗ル」とある。

○鄭駅 漢の鄭当時(字は荘)は常に長安の諸郊に駅馬を置いて日夜賓客を送迎した、山陽と鄭駅はともに王侍御のことに比する。以上は作者が王侍御の導江県の宅を訪問して款待されたことを叙する。

 

出入並鞍馬,光輝參席珍。

それだけではない。わたくしは席上の珍である珪璋に此すべき賓客にまじわるほどの光栄をにない、出るにも入るにもあなたと鞍馬をならべさせていただいた。

○並鞍馬 杜甫と王と鞍馬してならべる。

○光輝 光栄あること。

○席珍 珪璋埠のごとき美玉をさす、坐中の美賓に比する、「士者国之宝,儒席上珍。」「席上珍」=せきじょうのちん宴席の珍味。古来伝来の貴重な学徳の例えとされる。転じて、展示されている古書画の類を指すことあり。

 

重遊先主廟,更曆少城闉。

或は再び成都の蜀の先主廟にあそび、または少城の升形門を通り、経ることもできた。

○先主廟 蜀の先主劉備の廟である、成都府城南八里、恵陵の東にある。

○少城 成都の西城、錦官城とよぶのにおなじ、張儀の築いた所で、大城の西にある。

○闉 城内の重門、城のますがたの所の門をいう。

廣徳2年764-98-#6 《贈王二十四侍御契四十韻》 杜甫index-14 764年贈王二十四侍御契四十韻 杜甫<770-#6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4460 杜甫詩1500-770-#6-1063/2500

自分は王侯のようなあなたがたのお宅が時としてわたくしのような生涯旅人の様な江海人をむかえてくださることをこころから喜ぶものなのです。あなたに随って遊ぶのであれば毎日、日の暮れるのもわすれてあそぶし、こまかに心おきなくものがたりしてややもすれば十日以上にわたることになるでしょう。

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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#5

浪跡同生死,無心恥賤貧。

偶然存蔗芋,幸各對松筠。

麤飯依他日,窮愁怪此辰。

女長裁褐穩,男大卷書勻。』

わたくしは流浪のみの上で生も死も同じように見なしておるもので、貧賤を恥ずるような心はすこしもないのです。

偶然ではあるがわが草堂には砂糖きびや芋があるのでそんなものをおそなえし、しあわせとお互いに松や竹にうちむかってこれと節操をくらべてみる。

わたくしは今も過去の日のように粗末なご飯をたべて平気でいるが、きょうこそはなんでかく困窮憂愁を去り難いのかと怪しまれるのである。

というのは女児も生長して毛織の着物を具合よく裁てるようになったし、男の児も大きくなって巻物の書を不揃いでなく巻けるようになったのでございます。』#6

#5

浪跡 生死を同じくす、賤貧を恥ずるに心無し。

偶然 庶芋【しょ・う】存す、幸いに各の松筠【しょういん】に対す。

麤飯【そはん】他日に依る、窮愁 此の辰を怪しむ。

女長じて褐を裁すること穏かに、男大にして書を巻くこと勻し。』

#6

漰口江如練,蠶崖雪似銀。

名園當翠巘,野棹沒青蘋.

屢喜王侯宅,時邀江海人。

追隨不覺晚,款曲動彌旬。

あなたのお住まいになっている導江県の漰口では眠江が練絹のごとくながれ、蠶崖では雪が銀のようによこたわっている。

あなたの名園は青い高い山の頂上のうえに設けてあり、野水に船をうかべれば棹は青いうき草のなかに没する。

自分は王侯のようなあなたがたのお宅が時としてわたくしのような生涯旅人の様な江海人をむかえてくださることをこころから喜ぶものなのです。

あなたに随って遊ぶのであれば毎日、日の暮れるのもわすれてあそぶし、こまかに心おきなくものがたりしてややもすれば十日以上にわたることになるでしょう。

#6

漰口江【ほうこうこう】練の如し、蚕崖【さんがい】雪 銀に似たり。

名園 翠巘【すいけん】に当たる、野棹【やとう】青蘋【せいひん】に没す。

屢【しばし】ば喜ぶ王侯の宅、時に江海の人を邀むかえるを。

追随 晩を覚えず、款曲【かんきょく】動【やや】もすれば旬を弥【わた】る。

#7

但使芝蘭秀,何煩棟宇鄰。

山陽無俗物,鄭驛正留賓。』

出入並鞍馬,光輝參席珍。

重遊先主廟,更曆少城闉。

#7

但だ 芝蘭をして秀でしめん、何ぞ須いん棟宇の隣るを。

山陽 俗物無く、鄭駅 正に賓を留む。』

出入 鞍馬を並ぶ、光輝 席珍に参【まじ】わる。

重ねて遊ぶ 先主の廟、更に歴少【ふしょう】城の闉【いん】。

杜甫草堂詳細図02 

『贈王二十四侍禦契四十韻』 現代語訳と訳註

(本文)

贈王二十四侍禦契四十韻 #6

漰口江如練,蠶崖雪似銀。

名園當翠巘,野棹沒青蘋.

屢喜王侯宅,時邀江海人。

追隨不覺晚,款曲動彌旬。

 

(下し文) #6

漰口江【ほうこうこう】練の如し、蚕崖【さんがい】雪 銀に似たり。

名園 翠巘【すいけん】に当たる、野棹【やとう】青蘋【せいひん】に没す。

屢【しばし】ば喜ぶ王侯の宅、時に江海の人を邀むかえるを。

追随 晩を覚えず、款曲【かんきょく】動【やや】もすれば旬を弥【わた】る。

 

(現代語訳)

あなたのお住まいになっている導江県の漰口では眠江が練絹のごとくながれ、蠶崖では雪が銀のようによこたわっている。

あなたの名園は青い高い山の頂上のうえに設けてあり、野水に船をうかべれば棹は青いうき草のなかに没する。

自分は王侯のようなあなたがたのお宅が時としてわたくしのような生涯旅人の様な江海人をむかえてくださることをこころから喜ぶものなのです。

あなたに随って遊ぶのであれば毎日、日の暮れるのもわすれてあそぶし、こまかに心おきなくものがたりしてややもすれば十日以上にわたることになるでしょう。

 

 

(訳注)

贈王二十四侍禦契四十韻 #6

(侍御史王契に贈った詩)

〔王契,字佐卿,京兆人。元結有〈送契之西蜀序〉。〕

王契、字は佐卿、京兆の人 である。元結の注が有り〈契が西蜀に之くを送る序〉。

○王二十四侍御実 侍御史王契のこと、二説ある。詩の内容からは京兆の人のようだ。

京兆の人 王契(字は佐卿)。

蜀の人  王契

題新津北橋棲00

漰口江如練,蠶崖雪似銀。

あなたのお住まいになっている導江県の漰口では眠江が練絹のごとくながれ、蠶崖では雪が銀のようによこたわっている。

〇漰口 漰。蜀人は堰のことを堋というという。導江県(今の灌県の一部)の都安県にある都江堰。漰作堋。蜀人謂堰爲堋。(BC-6)

○江 眠江をいう。

○蠶崖 導江県西北四十七里にある関。吐蕃から維州を経て成都に入って来る際の関所。
(B-6)

 

名園當翠巘,野棹沒青蘋.

あなたの名園は青い高い山の頂上のうえに設けてあり、野水に船をうかべれば棹は青いうき草のなかに没する。

○名園 有名の園林、王侍御の園。

○翠巘 巘は峰,山頂.高い山の頂上.

○野樟 野水にうかべた舟のさお。

○蘋 うきぐさ。ジュンサイのとれる浮草。

 

屢喜王侯宅,時邀江海人。

自分は王侯のようなあなたがたのお宅が時としてわたくしのような生涯旅人の様な江海人をむかえてくださることをこころから喜ぶものなのです。

○王侯宅 王や侯のような身分の高いひとの宅、厳武や王侍御をびきくるめていう。王は姓で王侯とは王君をいうという仇注、時に侍御は故侯の廃宅を賃貸りして住居としたのであろうとの浦注は取らぬ。

○江海人 江海にさまよう浪人、自己をさす。

 

追隨不覺晚,款曲動彌旬。

あなたに随って遊ぶのであれば毎日、日の暮れるのもわすれてあそぶし、こまかに心おきなくものがたりしてややもすれば十日以上にわたることになるでしょう。

○追随 あとにつきそう。

○晩 日の暮れることをいう。

○款曲 款曲は委曲の意、款曲【かんきょく】うちとてけ交わるこまかに語りあうこと。謝霊運の「酬従弟謝惠運 五首」従弟ノ恵連二酬ユ」詩に「辛勤風波事,款曲洲渚言。」(辛勤【して】風波【ふうは】の事,款曲【かんきょく】して洲渚【しゅうしょ】の言。)とみえる。酬従弟謝惠運 五首その(3) 謝霊運(康楽) 詩<49>Ⅱ李白に影響を与えた詩436 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1125

○旬 十日。
蜀成都1111 

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偶然ではあるがわが草堂には砂糖きびや芋があるのでそんなものをおそなえし、しあわせとお互いに松や竹にうちむかってこれと節操をくらべてみる。わたくしは今も過去の日のように粗末なご飯をたべて平気でいるが、きょうこそはなんでかく困窮憂愁を去り難いのかと怪しまれるのである。

 
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侍御史王契に贈った詩。広徳二年春の作。

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

詩題: 贈王二十四侍御契四十韻〔王契,字佐卿,京兆人。元結有〈送契之西蜀序〉。〕 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都) 

関係地點:  赤壁 (江南西道 鄂州 蒲圻)      

錦官城 (劍南道北部 益州 成都) 別名:錦里     

浣花溪 (劍南道北部 益州 成都) 別名:花溪     

蠶崖關 (劍南道北部 彭州 蠶崖關) 別名:蠶崖     

朋笮守捉 (劍南道北部 彭州 朋笮守捉) 別名:堋口     

交遊人物: 王契  書信(劍南道北部 蜀州 蜀州) 

 

#5

浪跡同生死,無心恥賤貧。

わたくしは流浪のみの上で生も死も同じように見なしておるもので、貧賤を恥ずるような心はすこしもないのです。

偶然存蔗芋,幸各對松筠。

偶然ではあるがわが草堂には砂糖きびや芋があるのでそんなものをおそなえし、しあわせとお互いに松や竹にうちむかってこれと節操をくらべてみる。

麤飯依他日,窮愁怪此辰。

わたくしは今も過去の日のように粗末なご飯をたべて平気でいるが、きょうこそはなんでかく困窮憂愁を去り難いのかと怪しまれるのである。

女長裁褐穩,男大卷書勻。

というのは女児も生長して毛織の着物を具合よく裁てるようになったし、男の児も大きくなって巻物の書を不揃いでなく巻けるようになったのでございます。』#6

漰口江如練,蠶崖雪似銀。

名園當翠巘,野棹沒青蘋.

屢喜王侯宅,時邀江海人。

追隨不覺晚,款曲動彌旬。

#7

但使芝蘭秀,何煩棟宇鄰。

山陽無俗物,鄭驛正留賓。』

出入並鞍馬,光輝參席珍。

重遊先主廟,更曆少城闉。

#5

浪跡 生死を同じくす、賤貧を恥ずるに心無し。

偶然 庶芋【しょ・う】存す、幸いに各の松筠【しょういん】に対す。

麤飯【そはん】他日に依る、窮愁 此の辰を怪しむ。

女長じて褐を裁すること穏かに、男大にして書を巻くこと勻し。』

#6

漰口江【ほうこうこう】練の如し、蚕崖【さんがい】雪 銀に似たり。

名園 翠巘【すいけん】に当たる、野棹【やとう】青蘋【せいひん】に没す。

屢【しばし】ば喜ぶ王侯の宅、時に江海の人を邀むかえるを。

追随 晩を覚えず、款曲【かんきょく】動【やや】もすれば旬を弥【わた】る。

#7

但だ 芝蘭をして秀でしめん、何ぞ須いん棟宇の隣るを。

山陽 俗物無く、鄭駅 正に賓を留む。』

出入 鞍馬を並ぶ、光輝 席珍に参【まじ】わる。

重ねて遊ぶ 先主の廟、更に歴少【ふしょう】城の闉【いん】。

 

杜甫像0012 

『贈王二十四侍禦契四十韻』 現代語訳と訳註

(本文)

贈王二十四侍禦契四十韻 #5

浪跡同生死,無心恥賤貧。

偶然存蔗芋,幸各對松筠。

麤飯依他日,窮愁怪此辰。

女長裁褐穩,男大卷書勻。』

 

(下し文)#5

浪跡 生死を同じくす、賤貧を恥ずるに心無し。

偶然 庶芋【しょ・う】存す、幸いに各の松筠【しょういん】に対す。

麤飯【そはん】他日に依る、窮愁 此の辰を怪しむ。

女長じて褐を裁すること穏かに、男大にして書を巻くこと勻し。』

 

(現代語訳)

わたくしは流浪のみの上で生も死も同じように見なしておるもので、貧賤を恥ずるような心はすこしもないのです。

偶然ではあるがわが草堂には砂糖きびや芋があるのでそんなものをおそなえし、しあわせとお互いに松や竹にうちむかってこれと節操をくらべてみる。

わたくしは今も過去の日のように粗末なご飯をたべて平気でいるが、きょうこそはなんでかく困窮憂愁を去り難いのかと怪しまれるのである。

というのは女児も生長して毛織の着物を具合よく裁てるようになったし、男の児も大きくなって巻物の書を不揃いでなく巻けるようになったのでございます。』

 

江畔独歩尋花 

贈王二十四侍禦契四十韻 #5

(侍御史王契に贈った詩)

〔王契,字佐卿,京兆人。元結有〈送契之西蜀序〉。〕

王契、字は佐卿、京兆の人 である。元結の注が有り〈契が西蜀に之くを送る序〉。

○王二十四侍御実 侍御史王契のこと、二説ある。詩の内容からは京兆の人のようだ。

京兆の人 王契(字は佐卿)。

蜀の人  王契

 

浪跡同生死,無心恥賤貧。

わたくしは流浪のみの上で生も死も同じように見なしておるもので、貧賤を恥ずるような心はすこしもないのです。

○浪跡 流浪する。

○同生死 生も死も同様に見なす。

 

偶然存蔗芋,幸各對松筠。

偶然ではあるがわが草堂には砂糖きびや芋があるのでそんなものをおそなえし、しあわせとお互いに松や竹にうちむかってこれと節操をくらべてみる。

○存庶芋 草堂に野菜畠を有することをいう。庶は砂糖きび、芋はいも。

○松筠 靖は竹色をいうが竹の意として用いる。

 

麤飯依他日,窮愁怪此辰。

わたくしは今も過去の日のように粗末なご飯をたべて平気でいるが、きょうこそはなんでかく困窮憂愁を去り難いのかと怪しまれるのである。

○麤飯 粗末なめし。

○依他日 他日は往日に同じ、依るとは過去のとおりに依り従うことをいう。

○窮愁 困窮憂愁の意、ゆきづまり、心配する。

○怪此辰 辰は時に同じ、次の二句が怪しむ理由である。

 

女長裁褐穩,男大卷書勻。』

というのは女児も生長して毛織の着物を具合よく裁てるようになったし、男の児も大きくなって巻物の書を不揃いでなく巻けるようになったのでございます。』

○裁褐穏 おだやかに粗末な毛織物をたつ、裁縫ができること。

○卷書勻 でこぼこせぬように巻物の書物をまく、男児や女児が一人前になれば親として結婚させぬわけにはいかぬ、愁いを増す理由である、以上は王侍御の草堂への来訪をいって自己の胸中を訴えている。
成都遂州002 

廣徳2年764-98-#4 《贈王二十四侍御契四十韻》 杜甫index-14 764年贈王二十四侍御契四十韻 杜甫<770-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4450 杜甫詩1500-770-#4-1061/2500

そのあなたが辞職をしてわたくしの方へおいでになった、もとより我我の交わりは始めて車蓋を傾けて語りあうごとき昨今のものではなし、原来お互いの意気が投合している上にあなたはわたくしの性情のかざらぬところをお取りになっているのである。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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侍御史王契に贈った詩。広徳二年春の作。

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

詩題: 贈王二十四侍御契四十韻〔王契,字佐卿,京兆人。元結有〈送契之西蜀序〉。〕 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

関係地點:  赤壁 (江南西道 鄂州 蒲圻)      

錦官城 (劍南道北部 益州 成都) 別名:錦里     

浣花溪 (劍南道北部 益州 成都) 別名:花溪     

蠶崖關 (劍南道北部 彭州 蠶崖關) 別名:蠶崖     

朋笮守捉 (劍南道北部 彭州 朋笮守捉) 別名:堋口     

交遊人物: 王契  書信(劍南道北部 蜀州 蜀州)

 

 

贈王二十四侍禦契四十韻 #1

(侍御史王契に贈った詩)

往往雖相見,飄飄愧此身。

あなたとは時時、面会しているのではあるが、いつもこの身はあちこちただよっており、まことにおはずかしいことである。

不關輕紱冕,俱是避風塵。

そのただよいつつあるのは官位を軽ろんじているとか、なんとかということとはまったく関係ないのである、ただ乱世の風塵を避けているために外ならない。

一別星橋夜,三移斗柄春。

成都星橋での夜にお別れの宴会をしてから、はや春を指す北斗星の柄が三たびうつり三年も過ぎたのです。

敗亡非赤壁,奔走為黃巾。』

此の間、自分は黄巾の賊ともいえる徐知遺らの乱のために他方に奔走し、賊徒はかの赤壁の敗軍ではないがともかく敗亡してしまった。』

#1(王二十四侍御契に贈る 四十韻)

往往 相見ると雖も、飄飄 此の身を愧ず。

関せず 紱冕【ふつべん】を軽んずるに、但だ 是れ風塵を避く。

一別 星橋の夜、三たび移る 斗柄の春。

敗亡 赤壁に非ず、奔走 黄巾の為なり。』

 

#2

子去何瀟灑,余藏異隱淪。

あなたはまたさらりとして何の苦もなげに都の方へおいでになったし、わたくしは隠遁者というではないがかくれておりました。

書成無過雁,衣故有懸鶉。

あなたはお手紙を書くことはできたでしょうが、各地分断され、書いた手紙をもってきてくれる雁は無く、わたくしはふるびた衣を着けてまるでうずらをつるしたような体裁でありました。

恐懼行裝數,伶俜臥疾頻。

わたくしはたびたび旅行仕度するので、もう心は懼れ参ってしまうのです、そのうえ、おちぶれながらしきりに病気をしておったのであります。

曉鶯工迸,秋月解傷神。』

こうして暁のうぐいすが鳴く春になりましたが、それはただ巧みにわたくしをして悲しみの涙をほとばしらせるだけのものであり、秋の月はさやかに照るがそれはただわたくしのこころをいたましめることをこころえているに過ぎないのです。』

#2

子去る何ぞ瀟灑【しょうしゃ】たる、余は蔵する隠淪に異なり。

書成りても 雁 過る無く、衣 故りて懸鶉【けんじゅ】有り。

恐懼す 行装の数【しばし】ばなるに、伶俜【れいへい】として臥疾 頻【しき】りなり。

暁鶯工みに涙を迸【ほとばし】らしめ、秋月 神を傷ましむるを解す。』

#3

會面嗟黧黑,含淒話苦辛。

やがて成都に帰って知人に面会すると自分の顔つきは黄黒色をしているといわれ、そして、胸に悲しみを持ちながら苦辛話をしたのです。

接輿還入楚,王粲不歸秦。

自分の帰ったのは狂者接輿が楚にもどったようなもの、またが故郷の秦へもどらぬようなものである。

錦裏殘丹竈,花溪得釣綸。

錦江の里には以前のごとく丹薬を錬るかまどが残っており、浣花渓には以前のごとく釣糸を手にすることができるのだ。

消中只自惜,晚起索誰親。』

それに持病の消渇をわずらう身にはひとりで吾が身を惜しみ、ゆっくり朝寝をしては誰かをさがしだして親しいつきあいをしたいと求めるのである。』

#3

会面嗟【ああ】黧黑【れいこく】なり、淒を含みで苦辛を話す。

接輿 還た楚に入る、王粲 秦に帰らず。

錦里 丹竈【たんそう】残る、花渓 釣輪を得。

消中 只だ自ら惜しむ、晩起 誰を索めてか親しまん。』

 

伏柱聞周史,乘槎有漢臣。

そのときあなたは御史の職に在って老子のごとく「周史の伏柱をきく」と遠国へお使いにゆかれた張騫のようである。

鴛鴻不易狎,龍虎未宜馴。

あなたはたとえば「鴛鴻の狎れ易からざるがごとく」、「竜虎のいまだ馴らしにくい」ごときものである。

客則掛冠至,交非傾蓋新。

そのあなたが辞職をしてわたくしの方へおいでになった、もとより我我の交わりは始めて車蓋を傾けて語りあうごとき昨今のものではなし、

由來意氣合,直取性情真。』

原来お互いの意気が投合している上にあなたはわたくしの性情のかざらぬところをお取りになっているのである。』#4

伏柱 周史を聞く、乗槎 漢臣有り。

鴛鴻【えんこう】狎【な】れ易からず、竜虎 未だ馴るるに宜しからず。

客 則ち冠を掛けて至る、交わりは蓋を傾くるの新たなるに非ず。

由来 意気合す、直ちに性情の真なるを取る。』

 

四川省西部地区略図 

『贈王二十四侍禦契四十韻』 現代語訳と訳註 

(本文)

贈王二十四侍禦契四十韻 #4

伏柱聞周史,乘槎有漢臣。

鴛鴻不易狎,龍虎未宜馴。

客則掛冠至,交非傾蓋新。

由來意氣合,直取性情真。』#4

 

(下し文)

伏柱 周史を聞く、乗槎 漢臣有り。

鴛鴻【えんこう】狎【な】れ易からず、竜虎 未だ馴るるに宜しからず。

客 則ち冠を掛けて至る、交わりは蓋を傾くるの新たなるに非ず。

由来 意気合す、直ちに性情の真なるを取る。』

 

(現代語訳)

そのときあなたは御史の職に在って老子のごとく「周史の伏柱をきく」と遠国へお使いにゆかれた張騫のようである。

あなたはたとえば「鴛鴻の狎れ易からざるがごとく」、「竜虎のいまだ馴らしにくい」ごときものである。

そのあなたが辞職をしてわたくしの方へおいでになった、もとより我我の交わりは始めて車蓋を傾けて語りあうごとき昨今のものではなし、

原来お互いの意気が投合している上にあなたはわたくしの性情のかざらぬところをお取りになっているのである。』

 

(訳注)

贈王二十四侍禦契四十韻 #4

(侍御史王契に贈った詩)

〔王契,字佐卿,京兆人。元結有〈送契之西蜀序〉。〕

王契、字は佐卿、京兆の人 である。元結の注が有り〈契が西蜀に之くを送る序〉。

○王二十四侍御実 侍御史王契のこと、二説ある。詩の内容からは京兆の人のようだ。

京兆の人 王契(字は佐卿)。

蜀の人  王契

江畔独歩尋花 

伏柱聞周史,乘槎有漢臣。

そのときあなたは御史の職に在って老子のごとく「周史の伏柱をきく」と遠国へお使いにゆかれた張騫のようである。

○伏柱聞周史 「周史の伏柱をきく」の意、老子は周の柱下の史となった、老子とは無関係のことであるが、秦以後は柱下御史の官があるのにより文字だけ同じ所から老子をひいてこれを王侍御にあてて用いている。

○乘槎有漢臣 「漢臣の桂に乗ずるあり」の意、乘槎は漢の張騫の故事。王に此する。張 騫(未詳- 紀元前114年)は中国前漢代の政治家、外交官。字は子文。漢中郡(顔師古注によると成固)の出身。武帝の命により匈奴に対する同盟を説くために大月氏へと赴き、漢に西域の情報をもたらした。

 

鴛鴻不易狎,龍虎未宜馴。

あなたはたとえば「鴛鴻の狎れ易からざるがごとく」、「竜虎のいまだ馴らしにくい」ごときものである。

○鴛鴻 ともにおおとりをいう、『荘子』秋水篇には「鵷鶵、南海を発して北海に飛ぶ。」とみえる、以て王に比する。

○竜虎 王に此する。

 

客則掛冠至,交非傾蓋新。

そのあなたが辞職をしてわたくしの方へおいでになった、もとより我我の交わりは始めて車蓋を傾けて語りあうごとき昨今のものではなし、

○客 王をさす。

○掛冠 辞職すること、後漢の蓬萌は王莽が摂政となったとき冠を解き東都の門に掛けて去った。

○傾蓋 孔子と郯の程子との故事。二人ははじめて途でであい、車をとめ車蓋を傾けて語った、「漢書」鄒陽伝に「白頭如新、傾蓋如故」(白頭まで新なるが如く、傾蓋も故の如し)とみえる。

 

由來意氣合,直取性情真。』

原来お互いの意気が投合している上にあなたはわたくしの性情のかざらぬところをお取りになっているのである。』

○取 王がとる。

○性情真 自己の真、以上は主として王侍御のがわを叙する。
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やがて成都に帰って知人に面会すると自分の顔つきは黄黒色をしているといわれ、そして、胸に悲しみを持ちながら苦辛話をしたのです。自分の帰ったのは狂者接輿が楚にもどったようなもの、またが故郷の秦へもどらぬようなものである。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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廣徳2764-98-#3 《贈王二十四侍御契四十韻》 杜甫index-14 764年贈王二十四侍御契四十韻 杜甫<770-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4445 杜甫詩1500-770-#3-1060/2500

 

 

贈王二十四侍禦契四十韻

往往雖相見,飄飄愧此身。

不關輕紱冕,俱是避風塵。

一別星橋夜,三移斗柄春。

敗亡非赤壁,奔走為黃巾。』#1

子去何瀟灑,余藏異隱淪。

書成無過雁,衣故有懸鶉。

恐懼行裝數,伶俜臥疾頻。

曉鶯工迸淚,秋月解傷神。』#2

會面嗟黧黑,含淒話苦辛。

接輿還入楚,王粲不歸秦。

錦裏殘丹竈,花溪得釣綸。

消中只自惜,晚起索誰親。』#3

伏柱聞周史,乘槎有漢臣。

鴛鴻不易狎,龍虎未宜馴。

客則掛冠至,交非傾蓋新。

由來意氣合,直取性情真。』#4

浪跡同生死,無心恥賤貧。偶然存蔗芋,幸各對松筠。

麤飯依他日,窮愁怪此辰。女長裁褐穩,男大卷書勻。』#5

漰口江如練,蠶崖雪似銀。名園當翠巘,野棹沒青蘋.

屢喜王侯宅,時邀江海人。追隨不覺晚,款曲動彌旬。#6

但使芝蘭秀,何煩棟宇鄰。山陽無俗物,鄭驛正留賓。』

出入並鞍馬,光輝參席珍。重遊先主廟,更曆少城闉。#7

石鏡通幽魄,琴台隱絳唇。送終惟糞土,結愛獨荊榛。

置酒高林下,觀棋積水濱。區區甘累趼,稍稍息勞筋。』#8

網聚粘圓鯽,絲繁煮細蓴。長歌敲柳癭,小睡憑藤輪。

農月須知課,田家敢忘勤。浮生難去食,良會惜清晨。』#9

列國兵戈暗,今王德教淳。要聞除貐,休作畫麒麟。

洗眼看輕薄,虛懷任屈伸。莫令膠漆地,萬古重雷陳。』#10

 

 

 

侍御史王契に贈った詩。広徳二年春の作。

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

詩題: 贈王二十四侍御契四十韻〔王契,字佐卿,京兆人。元結有〈送契之西蜀序〉。〕 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

関係地點:  赤壁 (江南西道 鄂州 蒲圻)      

錦官城 (劍南道北部 益州 成都) 別名:錦里     

浣花溪 (劍南道北部 益州 成都) 別名:花溪     

蠶崖關 (劍南道北部 彭州 蠶崖關) 別名:蠶崖     

朋笮守捉 (劍南道北部 彭州 朋笮守捉) 別名:堋口     

交遊人物: 王契  書信(劍南道北部 蜀州 蜀州)

 

 

贈王二十四侍禦契四十韻 #1

往往雖相見,飄飄愧此身。

不關輕紱冕,俱是避風塵。

一別星橋夜,三移斗柄春。

敗亡非赤壁,奔走為黃巾。』

(侍御史王契に贈った詩)

あなたとは時時、面会しているのではあるが、いつもこの身はあちこちただよっており、まことにおはずかしいことである。

そのただよいつつあるのは官位を軽ろんじているとか、なんとかということとはまったく関係ないのである、ただ乱世の風塵を避けているために外ならない。

成都星橋での夜にお別れの宴会をしてから、はや春を指す北斗星の柄が三たびうつり三年も過ぎたのです。

此の間、自分は黄巾の賊ともいえる徐知遺らの乱のために他方に奔走し、賊徒はかの赤壁の敗軍ではないがともかく敗亡してしまった。』

#1(王二十四侍御契に贈る 四十韻)

往往 相見ると雖も、飄飄 此の身を愧ず。

関せず 紱冕【ふつべん】を軽んずるに、但だ 是れ風塵を避く。

一別 星橋の夜、三たび移る 斗柄の春。

敗亡 赤壁に非ず、奔走 黄巾の為なり。』

 

#2

子去何瀟灑,余藏異隱淪。

書成無過雁,衣故有懸鶉。

恐懼行裝數,伶俜臥疾頻。

曉鶯工迸,秋月解傷神。』

あなたはまたさらりとして何の苦もなげに都の方へおいでになったし、わたくしは隠遁者というではないがかくれておりました。

あなたはお手紙を書くことはできたでしょうが、各地分断され、書いた手紙をもってきてくれる雁は無く、わたくしはふるびた衣を着けてまるでうずらをつるしたような体裁でありました。

わたくしはたびたび旅行仕度するので、もう心は懼れ参ってしまうのです、そのうえ、おちぶれながらしきりに病気をしておったのであります。

こうして暁のうぐいすが鳴く春になりましたが、それはただ巧みにわたくしをして悲しみの涙をほとばしらせるだけのものであり、秋の月はさやかに照るがそれはただわたくしのこころをいたましめることをこころえているに過ぎないのです。』

#2

子去る何ぞ瀟灑【しょうしゃ】たる、余は蔵する隠淪に異なり。

書成りても 雁 過る無く、衣 故りて懸鶉【けんじゅ】有り。

恐懼す 行装の数【しばし】ばなるに、伶俜【れいへい】として臥疾 頻【しき】りなり。

暁鶯工みに涙を迸【ほとばし】らしめ、秋月 神を傷ましむるを解す。』

#3

會面嗟黧黑,含淒話苦辛。

接輿還入楚,王粲不歸秦。

錦裏殘丹竈,花溪得釣綸。

消中只自惜,晚起索誰親。』

やがて成都に帰って知人に面会すると自分の顔つきは黄黒色をしているといわれ、そして、胸に悲しみを持ちながら苦辛話をしたのです。

自分の帰ったのは狂者接輿が楚にもどったようなもの、またが故郷の秦へもどらぬようなものである。

錦江の里には以前のごとく丹薬を錬るかまどが残っており、浣花渓には以前のごとく釣糸を手にすることができるのだ。

それに持病の消渇をわずらう身にはひとりで吾が身を惜しみ、ゆっくり朝寝をしては誰かをさがしだして親しいつきあいをしたいと求めるのである。』

#3

会面嗟【ああ】黧黑【れいこく】なり、淒を含みで苦辛を話す。

接輿 還た楚に入る、王粲 秦に帰らず。

錦里 丹竈【たんそう】残る、花渓 釣輪を得。

消中 只だ自ら惜しむ、晩起 誰を索めてか親しまん。』

 

伏柱聞周史,乘槎有漢臣。

鴛鴻不易狎,龍虎未宜馴。

客則掛冠至,交非傾蓋新。

由來意氣合,直取性情真。』

#4

伏柱 周史を聞く、乗槎 漢臣有り。

鴛鴻【えんこう】狎【な】れ易からず、竜虎 未だ馴るるに宜しからず。

客 則ち冠を掛けて至る、交わりは蓋を傾くるの新たなるに非ず。

由来 意気合す、直ちに性情の真なるを取る。』

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

『贈王二十四侍禦契四十韻』 現代語訳と訳註

(本文)

贈王二十四侍禦契四十韻 #

會面嗟黧黑,含淒話苦辛。

接輿還入楚,王粲不歸秦。

錦裏殘丹竈,花溪得釣綸。

消中只自惜,晚起索誰親。』#3

 

(下し文)

会面嗟【ああ】黧黑【れいこく】なり、淒を含みで苦辛を話す。

接輿 還た楚に入る、王粲 秦に帰らず。

錦里 丹竈【たんそう】残る、花渓 釣輪を得。

消中 只だ自ら惜しむ、晩起 誰を索めてか親しまん。』

 

(現代語訳)

やがて成都に帰って知人に面会すると自分の顔つきは黄黒色をしているといわれ、そして、胸に悲しみを持ちながら苦辛話をしたのです。

自分の帰ったのは狂者接輿が楚にもどったようなもの、またが故郷の秦へもどらぬようなものである。

錦江の里には以前のごとく丹薬を錬るかまどが残っており、浣花渓には以前のごとく釣糸を手にすることができるのだ。

それに持病の消渇をわずらう身にはひとりで吾が身を惜しみ、ゆっくり朝寝をしては誰かをさがしだして親しいつきあいをしたいと求めるのである。』

江畔独歩尋花 

(訳注)

贈王二十四侍禦契四十韻 #3

(侍御史王契に贈った詩)

〔王契,字佐卿,京兆人。元結有〈送契之西蜀序〉。〕

王契、字は佐卿、京兆の人 である。元結の注が有り〈契が西蜀に之くを送る序〉。

○王二十四侍御実 侍御史王契のこと、二説ある。詩の内容からは京兆の人のようだ。

京兆の人 王契(字は佐卿)。

蜀の人  王契

 

 

會面嗟黧黑,含淒話苦辛。

やがて成都に帰って知人に面会すると自分の顔つきは黄黒色をしているいわれ、そして、胸に悲しみを持ちながら苦辛話をしたのです。

○会面 面会に同じ、草堂に帰って成都の人人と逢ったことをいう。

○黧 黄ばんでくろい、自己の顔面をいう。

 

接輿還入楚,王粲不歸秦。

自分の帰ったのは狂者接輿が楚にもどったようなもの、またが故郷の秦へもどらぬようなものである。

○接輿 楚の狂者の名、「論語」・「荘子」などにみえる、自己を此する。

『論語微子第十八』

楚狂接輿、歌而過孔子日、鳳兮鳳兮、何徳之衰。往者不可諫、来者猶可追。

已而已而。今之従政者殆而。孔子下欲與之言。趨而辟之、不得與之言。

楚の狂接輿、歌いて孔子を過ぎて曰く、鳳や鳳や、何ぞ徳の衰えたる。往く者は諌むべからず、来たる者ものは猶お追うべし、已みなん已みなん。今の政りごとに従がう者は殆うし。孔子下りて之と言わんと欲っす。趨りて之を辟け、之れと言うことを得ず。

楚の変人接輿が、歌を歌いながら孔子の宿舎を通りかかった。歌の内容は、「鳳(おおとり)よ、鳳よ(孔子に喩えて)、お前は聖王が世に出る時に来て舞う霊鳥だと聞くが、よりにもよってこんな乱世に出るなんて、何と徳の衰えたことよ。過ぎてしまったことは諫めても取り返しがつかないが、将来のことならまだ間に合う。よしなさいよしなさい、このご時世に政治に関わることは。身を危うくする元だよ」というものであった。孔子はこれを聞くと急いで表に出て接輿と話したいと思ったが、接輿が小走りで立ち去ってしまったので、話しをすることが出来なかった。

孔子は、人間の生き方、学問・経験・修養のある人間がいかに社会的責任を果たすべきか、そのことについて、議論をしたかった。だから、車から降りて、その男と議論をしようとしたのだ。

○王粲一句 三国魏の王粲をいう、謝霊運の「魂ノ太子ノ郭中集ノ詩二擬ス」詩の序に、「家本秦川,貴公子孫,遭亂流寓,自傷情多。」(家は本々 秦川にして、貴公の子孫なり。乱に遭ひて流寓し、自ら傷みて情多し。)とみえる、王粲の流寓を以て自ずから此する。

《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運 六朝詩<79-#1>文選 雜擬 上 779 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2443

《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運 六朝詩<79-#2>文選 雜擬 上 780 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2448

《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運 六朝詩<79-#3>文選 雜擬 上 781 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2453

 

錦裏殘丹竈,花溪得釣綸。

錦江の里には以前のごとく丹薬を錬るかまどが残っており、浣花渓には以前のごとく釣糸を手にすることができるのだ。

○錦里 錦江の里。

○丹竜 丹薬を錬るかまど。

○花渓 浣花渓。

○釣輪 つりいと。

 

消中只自惜,晚起索誰親。』

それに持病の消渇をわずらう身にはひとりで吾が身を惜しみ、ゆっくり朝寝をしては誰かをさがしだして親しいつきあいをしたいと求めるのである。』

○消中 病の名、消渇ともいう、多く食べれば数〜小便する病であるという。

○晩起 あさおそくおきでる。

○索誰親 素を求の意とみる、何人を求めて親しむべきか、素を索居(さびしく居る)ととく説があるが、取ちぬ。以上は再会をのべて、先ず自己を叙する。
太白山001 

謝靈運『擬魏太子鄴中集詩八首 王粲』

(本文) 王粲

家本秦川,貴公子孫,

遭亂流寓,自傷情多。

幽厲昔崩亂,桓靈今板蕩。

伊洛既燎煙,函崤沒無像。

整裝辭秦川,秣馬赴楚壤。

《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運 六朝詩<79-#1>文選 雜擬 上 779 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2443

#2

沮漳自可美,客心非外獎。

常歎詩人言,式微何由往。

上宰奉皇靈,侯伯咸宗長。

雲騎亂漢南,紀郢皆掃蕩。

排霧屬盛明,披雲對清朗。

《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運 六朝詩<79-#2>文選 雜擬 上 780 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2448

#3

慶泰欲重疊,公子特先賞。

不謂息肩願,一旦明兩。

並載游鄴京,方舟泛河廣。

綢繆清燕,寂寥梁棟響。

既作長夜飲,豈顧乘日養!

《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運 六朝詩<79-#3>文選 雜擬 上 781 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2453

(王粲)

家は本々 秦川にして、貴公の子孫なり。

乱に遭ひて流寓し、自ら傷みて情多し。

 

幽厲のとき昔崩乱し、桓霊のとき今板蕩す。

伊洛は既に燎煙せられ、函崤は沒して像無し。

裝を整へて秦川を辞し、馬に秣ひて楚壤に赴く。

#2

沮漳は自ら美なる可きも、客心は外奨に非ず。

常に詩人の言を歎く、式微何に由りてか往かん。

上宰は皇靈を奉じ、侯伯は咸宗長とす。

雲騎は漢南を乳め、紀邸は皆掃塗せらる。

霧を排して盛明に属し、雲を披いて清朗に対す。

#3

慶泰は重畳を欲し、公子は特り先づ賞す。

謂はざりき、肩を息はすの願、一旦明兩に値はんとは。

載を遊べて鄴京に遊び、舟を方べて河の廣きに汎ぶ。

綢繆たり清燕のしみ、寂蓼たり梁棟の響。

既に長夜の飲を作す、豈に乘日の養を顧みんや。 

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あなたはお手紙を書くことはできたでしょうが、各地分断され、書いた手紙をもってきてくれる雁は無く、わたくしはふるびた衣を着けてまるでうずらをつるしたような体裁でありました。わたくしはたびたび旅行仕度するので、もう心は懼れ参ってしまうのです、そのうえ、おちぶれながらしきりに病気をしておったのであります。

 
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侍御史王契に贈った詩。広徳二年春の作。

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

詩題: 贈王二十四侍御契四十韻〔王契,字佐卿,京兆人。元結有〈送契之西蜀序〉。〕 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

関係地點:  赤壁 (江南西道 鄂州 蒲圻)     

錦官城 (劍南道北部 益州 成都) 別名:錦里     

浣花溪 (劍南道北部 益州 成都) 別名:花溪     

蠶崖關 (劍南道北部 彭州 蠶崖關) 別名:蠶崖     

朋笮守捉 (劍南道北部 彭州 朋笮守捉) 別名:堋口     

交遊人物: 王契  書信(劍南道北部 蜀州 蜀州)

 

 

贈王二十四侍禦契四十韻 #1

往往雖相見,飄飄愧此身。

不關輕紱冕,俱是避風塵。

一別星橋夜,三移斗柄春。

敗亡非赤壁,奔走為黃巾。』

(侍御史王契に贈った詩)

あなたとは時時、面会しているのではあるが、いつもこの身はあちこちただよっており、まことにおはずかしいことである。

そのただよいつつあるのは官位を軽ろんじているとか、なんとかということとはまったく関係ないのである、ただ乱世の風塵を避けているために外ならない。

成都星橋での夜にお別れの宴会をしてから、はや春を指す北斗星の柄が三たびうつり三年も過ぎたのです。

此の間、自分は黄巾の賊ともいえる徐知遺らの乱のために他方に奔走し、賊徒はかの赤壁の敗軍ではないがともかく敗亡してしまった。』

#1(王二十四侍御契に贈る 四十韻)

往往 相見ると雖も、飄飄 此の身を愧ず。

関せず 紱冕【ふつべん】を軽んずるに、但だ 是れ風塵を避く。

一別 星橋の夜、三たび移る 斗柄の春。

敗亡 赤壁に非ず、奔走 黄巾の為なり。』

 

#2

子去何瀟灑,余藏異隱淪。

書成無過雁,衣故有懸鶉。

恐懼行裝數,伶俜臥疾頻。

曉鶯工迸,秋月解傷神。』

あなたはまたさらりとして何の苦もなげに都の方へおいでになったし、わたくしは隠遁者というではないがかくれておりました。

あなたはお手紙を書くことはできたでしょうが、各地分断され、書いた手紙をもってきてくれる雁は無く、わたくしはふるびた衣を着けてまるでうずらをつるしたような体裁でありました。

わたくしはたびたび旅行仕度するので、もう心は懼れ参ってしまうのです、そのうえ、おちぶれながらしきりに病気をしておったのであります。

こうして暁のうぐいすが鳴く春になりましたが、それはただ巧みにわたくしをして悲しみの涙をほとばしらせるだけのものであり、秋の月はさやかに照るがそれはただわたくしのこころをいたましめることをこころえているに過ぎないのです。』

 

子去る何ぞ瀟灑【しょうしゃ】たる、余は蔵する隠淪に異なり。

書成りても 雁 過る無く、衣 故りて懸鶉【けんじゅ】有り。

恐懼す 行装の数【しばし】ばなるに、伶俜【れいへい】として臥疾 頻【しき】りなり。

暁鶯工みに涙を迸【ほとばし】らしめ、秋月 神を傷ましむるを解す。』

江畔独歩尋花 

 

『贈王二十四侍禦契四十韻』 現代語訳と訳註

(本文) #2

子去何瀟灑,余藏異隱淪。

書成無過雁,衣故有懸鶉。

恐懼行裝數,伶俜臥疾頻。

曉鶯工迸,秋月解傷神。』

 

(下し文)#2

子去る何ぞ瀟灑【しょうしゃ】たる、余は蔵する隠淪に異なり。

書成りても 雁 過る無く、衣 故りて懸鶉【けんじゅ】有り。

恐懼す 行装の数【しばし】ばなるに、伶俜【れいへい】として臥疾 頻【しき】りなり。

暁鶯工みに涙を迸【ほとばし】らしめ、秋月 神を傷ましむるを解す。』

 

(現代語訳)

あなたはまたさらりとして何の苦もなげに都の方へおいでになったし、わたくしは隠遁者というではないがかくれておりました。

あなたはお手紙を書くことはできたでしょうが、各地分断され、書いた手紙をもってきてくれる雁は無く、わたくしはふるびた衣を着けてまるでうずらをつるしたような体裁でありました。

わたくしはたびたび旅行仕度するので、もう心は懼れ参ってしまうのです、そのうえ、おちぶれながらしきりに病気をしておったのであります。

こうして暁のうぐいすが鳴く春になりましたが、それはただ巧みにわたくしをして悲しみの涙をほとばしらせるだけのものであり、秋の月はさやかに照るがそれはただわたくしのこころをいたましめることをこころえているに過ぎないのです。』

 

 

(訳注) #2

贈王二十四侍禦契四十韻 #2

(侍御史王契に贈った詩)

〔王契,字佐卿,京兆人。元結有〈送契之西蜀序〉。〕

王契、字は佐卿、京兆の人 である。元結の注が有り〈契が西蜀に之くを送る序〉。

○王二十四侍御実 侍御史王契のこと、二説ある。

京兆の人 王契(字は佐卿)。

蜀の人  王契

四川省西部地区略図 

子去何瀟灑,余藏異隱淪。

あなたはまたさらりとして何の苦もなげに都の方へおいでになったし、わたくしは隠遁者というではないが蔵れておりました。

○子去 子は王侍御をさす、去とは京師に赴いたことをいう。

○瀟灑 さっぱりとしたさま、往来の苦を意とせぬこと。

○隱淪 隠遁して世の下層にしずむもの、単に隠士をいう。

 

書成無過雁,衣故有懸鶉。

あなたはお手紙を書くことはできたでしょうが、各地分断され、書いた手紙をもってきてくれる雁は無く、わたくしはふるびた衣を着けてまるでうずらをつるしたような体裁でありました。

○書成 書は王の手紙。

○過雁 蘇武の故事。漢の遠征軍が胡国との戦いに敗れたとき,大将軍の蘇武は捕らえられ,片足を斬って追放された。蘇武は,木の実や草の根を採り,田の落ち穂を拾いなどして生き長らえたが,田に降り立った雁を見て,その翼に都への文を結んで空へ放したという。

○衣 自己の衣。

○懸鶉 鶉(うずら)の羽はまだらにして散乱する、貧士の衣はこれに似ている、「筍子」に「子夏家貧シク、衣懸鶉ノ若シ」とみえる、懸鶉とはつるしたうずら。

 

恐懼行裝數,伶俜臥疾頻。

わたくしはたびたび旅行仕度するので、もう心は懼れ参ってしまうのです、そのうえ、おちぶれながらしきりに病気をしておったのであります。

○行装数 たびたび旅装をととのえる、あちこち奔走するゆえである。

○伶俜 おちぶれたさま。

 

曉鶯工迸,秋月解傷神。』

こうして暁のうぐいすが鳴く春になりましたが、それはただ巧みにわたくしをして悲しみの涙をほとばしらせるだけのものであり、秋の月はさやかに照るがそれはただわたくしのこころをいたましめることをこころえているに過ぎないのです。』

○工迸涙 巧みに我をして涙をほとばしらせる。

○解傷神 我がこころを傷ましめることを知っている、以上は別後の事をのべる。

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成都星橋での夜にお別れの宴会をしてから、はや春を指す北斗星の柄が三たびうつり三年も過ぎたのです。此の間、自分は黄巾の賊ともいえる徐知遺らの乱のために他方に奔走し、賊徒はかの赤壁の敗軍ではないがともかく敗亡してしまった。

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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侍御史王契に贈った詩。広徳二年春の作。

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

詩題: 贈王二十四侍御契四十韻〔王契,字佐卿,京兆人。元結有〈送契之西蜀序〉。〕 

作地點: 成都(劍南道北部 / 益州 / 成都

関係地點:  赤壁 (江南西道鄂州 蒲圻)     

錦官城 (劍南道北部 益州 成都) 別名:錦里     

浣花溪 (劍南道北部 益州 成都) 別名:花溪     

蠶崖關 (劍南道北部 彭州 蠶崖關) 別名:蠶崖     

朋笮守捉 (劍南道北部 彭州 朋笮守捉) 別名:堋口     

交遊人物: 王契  書信(劍南道北部 蜀州 蜀州)

 

 

贈王二十四侍禦契四十韻

往往雖相見,飄飄愧此身。不關輕紱冕,是避風塵。

一別星橋夜,三移斗柄春。敗亡非赤壁,奔走為巾。』#1

子去何瀟灑,余藏異隱淪。書成無過雁,衣故有懸鶉。

恐懼行裝數,伶俜臥疾頻。曉鶯工迸,秋月解傷神。』#2

會面嗟黧黑,含淒話苦辛。接輿還入楚,王粲不歸秦。

錦裏殘丹竈,花溪得釣綸。消中只自惜,起索誰親。』#3

伏柱聞周史,乘槎有漢臣。鴛鴻不易狎,龍虎未宜馴。

客則掛冠至,交非傾蓋新。由來意氣合,直取性情真。』#4

浪跡同生死,無心恥賤貧。偶然存蔗芋,幸各對松筠。

麤飯依他日,窮愁怪此辰。女長裁褐穩,男大卷書。』#5

漰口江如練,蠶崖雪似銀。名園當翠巘,野棹沒青蘋.

屢喜王侯宅,時邀江海人。追隨不覺,款曲動彌旬。#6

但使芝蘭秀,何煩棟宇鄰。山陽無俗物,鄭驛正留賓。』

出入並鞍馬,光輝參席珍。重遊先主廟,更少城闉。#7

石鏡通幽魄,琴台隱絳唇。送終惟糞土,結愛獨荊榛。

置酒高林下,觀棋積水濱。區區甘累趼,稍稍息勞筋。』#8

網聚粘圓鯽,絲繁煮細蓴。長歌敲柳癭,小睡憑藤輪。

農月須知課,田家敢忘勤。浮生難去食,良會惜清晨。』#9

列國兵戈暗,今王德教淳。要聞除貐,休作畫麒麟。

洗眼看輕薄,懷任屈伸。莫令膠漆地,萬古重雷陳。』#10

 

贈王二十四侍禦契四十韻 #1

(侍御史王契に贈った詩)

往往雖相見,飄飄愧此身。

あなたとは時時、面会しているのではあるが、いつもこの身はあちこちただよっており、まことにおはずかしいことである。

不關輕紱冕,俱是避風塵。

そのただよいつつあるのは官位を軽ろんじているとか、なんとかということとはまったく関係ないのである、ただ乱世の風塵を避けているために外ならない。

一別星橋夜,三移斗柄春。

成都星橋での夜にお別れの宴会をしてから、はや春を指す北斗星の柄が三たびうつり三年も過ぎたのです。

敗亡非赤壁,奔走為黃巾。』

此の間、自分は黄巾の賊ともいえる徐知遺らの乱のために他方に奔走し、賊徒はかの赤壁の敗軍ではないがともかく敗亡してしまった。』

#1(王二十四侍御契に贈る 四十韻)

往往 相見ると雖も、飄飄 此の身を愧ず。

関せず 紱冕【ふつべん】を軽んずるに、但だ 是れ風塵を避く。

一別 星橋の夜、三たび移る 斗柄の春。

敗亡 赤壁に非ず、奔走 黄巾の為なり。』

成都関連地図 00 

 

『贈王二十四侍禦契四十韻』 現代語訳と訳註

(本文)

贈王二十四侍禦契四十韻 #1

往往雖相見,飄飄愧此身。

不關輕紱冕,俱是避風塵。

一別星橋夜,三移斗柄春。

敗亡非赤壁,奔走為黃巾。』

 

 

(下し文)

#1(王二十四侍御契に贈る 四十韻)

往往 相見ると雖も、飄飄 此の身を愧ず。

関せず 紱冕【ふつべん】を軽んずるに、但だ 是れ風塵を避く。

一別 星橋の夜、三たび移る 斗柄の春。

敗亡 赤壁に非ず、奔走 黄巾の為なり。』

 

(現代語訳)

(侍御史王契に贈った詩)

あなたとは時時、面会しているのではあるが、いつもこの身はあちこちただよっており、まことにおはずかしいことである。

そのただよいつつあるのは官位を軽ろんじているとか、なんとかということとはまったく関係ないのである、ただ乱世の風塵を避けているために外ならない。

成都星橋での夜にお別れの宴会をしてから、はや春を指す北斗星の柄が三たびうつり三年も過ぎたのです。

此の間、自分は黄巾の賊ともいえる徐知遺らの乱のために他方に奔走し、賊徒はかの赤壁の敗軍ではないがともかく敗亡してしまった。』

 

 

(訳注)

贈王二十四侍禦契四十韻 #1

(侍御史王契に贈った詩)

〔王契,字佐卿,京兆人。元結有〈送契之西蜀序〉。〕

王契、字は佐卿、京兆の人 である。元結の注が有り〈契が西蜀に之くを送る序〉。

○王二十四侍御実 侍御史王のこと、二説ある。

京兆の人 王(字は佐卿)。

蜀の人  王

 

往往雖相見,飄飄愧此身。

あなたとは時時、面会しているのではあるが、いつもこの身はあちこちただよっており、まことにおはずかしいことである。

 

不關輕紱冕,俱是避風塵。

そのただよいつつあるのは官位を軽ろんじているとか、なんとかということとはまったく関係ないのである、ただ乱世の風塵を避けているために外ならない。

○軽級冤 軽はかろく視る、級は赤い革の前垂れ、高官の礼服、冤は礼冠、服装をもって官位をさす。実際には、玄宗上皇、房琯、鄭虔などと肅宗、賀蘭進明、第五琦などの行う経済政策を相容れないことで、批判めいた文章の作成の為居れなくなって辞したものである。詳細は756年至徳元から二載 《杜甫と房琯房琯関連 1-(1) 杜甫index-5 756年房琯関連 1-(1) 杜甫<1601-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4345 杜甫詩1500-1601-1-1040/2500

757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首 (23) 全体》 杜甫<1509-T 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340 杜甫詩1500/2500

763年廣徳元年1501 《祭故相國清河房公文-(1) 杜甫index-13 763年祭故相國清河房公文-(1) 杜甫<765 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4155 杜甫詩1500-765-1002/2500

など詳しく述べている。

 

一別星橋夜,三移斗柄春。

成都星橋での夜にお別れの宴会をしてから、はや春を指す北斗星の柄が三たびうつり三年も過ぎたのです。

○星橋 成都をさす。秦の李氷、局の長官であったとき七橋を造って、天の斗魁七星に応じたもの。成都星橋のたもとの高楼で送別をしたのであろう。

三移 三たびかわる。

斗柄春 天文において北斗七星の第一より第四に至る星を魁といい、第五より第七に至る星を杓という、杓とは柄(ひしゃくのえ)をいう、斗柄は時候により指す方向が同じくない、黄昏にそれが東を指すときは春である、それが三移するとは三年たったことをいう。

 

敗亡非赤壁,奔走為黃巾。』

此の間、自分は黄巾の賊ともいえる徐知遺らの乱のために他方に奔走し、賊徒はかの赤壁の敗軍ではないがともかく敗亡してしまった。』

○敗亡一句 徐知道が叛いて敗れ誅に伏したことをいう、三国の時、魏の曹操は、蜀の諸葛売と呉の周喩の謀計のために、赤壁(湖北省武昌府蒲圻県西百二十里にある)においてうち破られた。

○奔走 綿・梓・間の方へいったこと。

○黄巾 後漢末の鋸鹿の張角の叛乱軍をいう、黄巾を以て蜀の徐知道の叛賊に此する、以上王侍御との集散をのべる。
蜀中転々圖 

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