杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
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2014年08月

765年永泰元年54歲-03 《莫相疑行-#1》 杜甫index-15<803-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4740 杜甫詩1500-803-#1-1119/2500

思い起こせば、自分はかって、蓬莱宮において、三代礼の賦を奉ったことがある。あの時は一日の内に自分の名声が光り輝いたことは自分でも不思議に思えるほどであった。また、集賢殿の学士たちは人垣を作って自分が中書堂で文章を書き下ろすのを見物したものだった。』

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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765年永泰元年54-03 《莫相疑行-#1 杜甫index-15803-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4740 杜甫詩1500-803-#1-1119/2500

 

 

制作年:              765年永泰元年54

卷別:    卷二二○               文體:              樂府

杜少陵集 巻十四

詩題:    莫相疑行

大明宮 (京畿道 京兆府 長安) 別名:永安宮、蓬萊宮、含元殿、蓬萊殿

集賢殿 (京畿道 京兆府 長安) 別名:集仙殿  

杜甫は、厳武の留守中に幕府での仕事中に若い者たちに侮辱されたことを腹に据えかねて、詩を作っている。以下の七首である。

1.    除草

2.    莫相疑行

3.    三韻三篇,三首之一

4.    三韻三篇,三首之二

5.    三韻三篇,三首之三

6.    青絲

7.    赤霄行 

 

莫相疑行

(厳武の幕府内の年少のものの軽薄な言動に我慢ならない旨を詠ったものは数首あり、そのひとつ)

男兒生無所成頭皓白,牙齒欲落真可惜。

男児に生れてこの方、これといって為すべきことを為さないで白髪頭だけは進み、牙歯が落ちかかっているというのはまことに惜しむべきことである。

憶獻三賦蓬萊宮,自怪一日聲輝赫。

思い起こせば、自分はかって、蓬莱宮において、三代礼の賦を奉ったことがある。あの時は一日の内に自分の名声が光り輝いたことは自分でも不思議に思えるほどであった。

集賢學士如堵牆,觀我落筆中書堂。』

また、集賢殿の学士たちは人垣を作って自分が中書堂で文章を書き下ろすのを見物したものだった。』

#2

往時文彩動人主,此日飢寒趨路旁。

晚將末契託年少,當面輸心背面笑。

寄謝悠悠世上兒,不爭好惡莫相疑。』

 

莫相疑行

男兒 生れて成す所無く頭皓白,牙齒落ちんと欲して真に惜む可し。

憶う 三賦を獻ず 蓬萊宮,自ら怪しむ 一日 聲 輝赫たるを。

集賢の學士 堵牆【としょう】の如し,觀る我が筆を落す中書堂。

#2

往時 文彩 人主を動かす,此の日 飢寒 路旁に趨る。

晚 末契を將って年少に託し,當面 心を輸し 背面には笑う。

寄謝す 悠悠 世上の兒,好惡を爭わず 相い疑うこと莫れ。

太白山001唐長安城図 

 

『莫相疑行』 現代語訳と訳註

(本文)#1

莫相疑行

男兒生無所成頭皓白,牙齒欲落真可惜。

憶獻三賦蓬萊宮,自怪一日聲輝赫。

集賢學士如堵牆,觀我落筆中書堂。

 

(含異文)           

男兒生無所成頭皓白【男兒一生無成頭皓白】,牙齒欲落真可惜。

憶獻三賦蓬萊宮,自怪一日聲輝赫【自怪一日聲燀赫】【自怪一日聲烜赫】。

集賢學士如堵牆,觀我落筆中書堂。

 

(下し文)

 (莫相疑行)

男兒 生れて成す所無く頭皓白,牙齒落ちんと欲して真に惜む可し。

憶う 三賦を獻ず 蓬萊宮,自ら怪しむ 一日 聲 輝赫たるを。

集賢の學士 堵牆【としょう】の如し,觀る我が筆を落す中書堂。

 

(現代語訳)

(厳武の幕府内の年少のものの軽薄な言動に我慢ならない旨を詠ったものは数首あり、そのひとつ)

男児に生れてこの方、これといって為すべきことを為さないで白髪頭だけは進み、牙歯が落ちかかっているというのはまことに惜しむべきことである。

思い起こせば、自分はかって、蓬莱宮において、三代礼の賦を奉ったことがある。あの時は一日の内に自分の名声が光り輝いたことは自分でも不思議に思えるほどであった。

また、集賢殿の学士たちは人垣を作って自分が中書堂で文章を書き下ろすのを見物したものだった。』

 

辟雍00 

(訳注)

莫相疑行 #1

(厳武の幕府内の年少のものの軽薄な言動に我慢ならない旨を詠ったものは数首あり、そのひとつ)

 

男兒生無所成頭皓白,牙齒欲落真可惜。

男児に生れてこの方、これといって為すべきことを為さないで白髪頭だけは進み、牙歯が落ちかかっているというのはまことに惜しむべきことである。

 

憶獻三賦蓬萊宮,自怪一日聲輝赫。

思い起こせば、自分はかって、蓬莱宮において、三代礼の賦を奉ったことがある。あの時は一日の内に自分の名声が光り輝いたことは自分でも不思議に思えるほどであった。

獻三賦 天寶九載に作り、十載に行われた進三大禮賦の表のことで,獻納上表,進明主《朝獻太清宮》、《朝享太廟》、《有事於南郊》等の三賦を以っていう。

蓬萊宮 大明宮の旧名。634(貞観8)に建設。662(竜朔2)に重建,蓬萊宮と改称し,705(神竜1)より旧名に復した。含元殿を正殿,丹鳳門を正門とし,含元の北に宣政殿(左右に中書,門下省)や紫宸殿などを配した。

 

集賢學士如堵牆,觀我落筆中書堂。

また、集賢殿の学士たちは人垣を作って自分が中書堂で文章を書き下ろすのを見物したものだった。』

集賢學士 集賢殿書院の学士。

如堵牆 土塀のように人垣を作ったこと。

落筆 文章をきちんと作り終えたことをいう。

中書堂 中書省の中にある政治堂、試験場をいう。

 終南山03漢文委員会 kanbuniinkai 紀 頌之

765年永泰元年54歲-02 《除草》 杜甫index-15 杜甫<802-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4735 杜甫詩1500-802-#2-1118/2500

此の草を刈り取って平らげてしまうことは絶対必要な事と考える。自分は、悪いものを憎み取り払うことは本当に仇を憎むのと同じように思わないといけないのだ。(朝廷内の毒草の様なものを取り払うことが出来なかったことが残念無念である)

 
 2014年8月30日の紀頌之5つのブログ 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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765年永泰元年54-02 《除草 杜甫index-15 杜甫<802-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4735 杜甫詩1500-802-2-1118/2500

 

 

作 年:              765年永泰元年54

卷別:    卷二二○              文體:    五言古詩

杜少陵集 巻十四

詩題:除草〔自注:去草也,音潛。

作地點:              成都(劍南道北部 / 益州 / 成都)

杜甫は、厳武の留守中に幕府での仕事中に若い者たちに侮辱されたことを腹に据えかねて、詩を作っている。以下の七首である。

1.    除草

2.    莫相疑行

3.    三韻三篇,三首之一

4.    三韻三篇,三首之二

5.    三韻三篇,三首之三

6.    青絲

7.    赤霄行
 

除草  #1

という毒草を除き去ったことを詠んだ詩。)

草有害於人,曾何生阻修。

此の草は人に害があるもので、それは必ずしも遠方に生ずるというわけではない。

其毒甚蜂蠆,其多彌道周。

その毒のあることは蜂やサソリよりもひどく、その多いことは道端にまで広がっている。

清晨步前林,江色未散憂。

晴れた清々しい朝、林に散歩する、濯錦江の川の色を見渡して未だ憂いを晴らしていない。

芒刺在我眼,焉能待高秋。

そんな時に急にこの毒草の棘が私の目に留まったのだ、これを見てどうして秋になって枯れ凋むまで待つことはできない。

霜露一霑凝,蕙葉亦難留。

秋になれば、露や霜が固まり、一対になって潤すようなことになれば香草である蕙の葉さえもこの毒草と一緒に枯れてわからなくなってしまう。

#2

荷鋤先童稚,日入仍討求。

それで、子供らより先になって鋤を荷い、日が落ち入ってもまだこの毒草をさがしたのである。

轉致水中央,豈無雙釣舟。

幸いにもニ艘の釣り船がないわけではないので、その船で、刈り取った毒草を川の真ん中の中州の砂地へと転送すればいいのだ。

頑根易滋蔓,敢使依舊丘。』

それから、この毒草は放置しているとあの頑丈な根がはびこりやすいから、あえて元の丘へ頼らせておいておくことが出来るものか。』

自茲藩籬曠,更覺松竹幽。

草を棄てた後は、藩籬の辺りも広々とさっぱりとし、松や竹も其の幽邃な趣を増したようである。

芟荑不可闕,疾惡信如讎。

此の草を刈り取って平らげてしまうことは絶対必要な事と考える。自分は、悪いものを憎み取り払うことは本当に仇を憎むのと同じように思わないといけないのだ。(朝廷内の毒草の様なものを取り払うことが出来なかったことが残念無念である)

 

(草を除く)  #1

草 有害於人に,曾て何ぞ阻修に生ぜん。

其の毒 蜂蠆よりも甚し,其の多きこと道周に彌る。

清晨 前林に步し,江色 未だ憂いを散ぜず。

芒刺 我が眼に在り,焉んぞ能く高秋を待たん。

霜露 一たび霑凝せば,蕙葉も亦た留り難し。

#2

鋤を荷いて童稚に先ち,日入りて仍お討求す。

水の中央に轉致し,豈に雙釣の舟無からんや。

頑根 滋蔓し易し,敢て舊丘に依ら使めんや。

茲より 藩籬曠【むな】しく,更に松竹の幽なるを覺ゆ。

芟荑【さんい】闕く可らず,惡を疾【にく】むこと信に讎【あた】の如し。

 

杜甫草堂詳細図02 

『除草』 現代語訳と訳註

(本文) #2

荷鋤先童稚,日入仍討求。

轉致水中央,豈無雙釣舟。

頑根易滋蔓,敢使依舊丘。

自茲藩籬曠,更覺松竹幽。

芟荑不可闕,疾惡信如讎。

 

(下し文) #2

鋤を荷いて童稚に先ち,日入りて仍お討求す。

水の中央に轉致し,豈に雙釣の舟無からんや。

頑根 滋蔓し易し,敢て舊丘に依ら使めんや。

茲より 藩籬曠【むな】しく,更に松竹の幽なるを覺ゆ。

芟荑【さんい】闕く可らず,惡を疾【にく】むこと信に讎【あた】の如し。

 

(現代語訳)

それで、子供らより先になって鋤を荷い、日が落ち入ってもまだこの毒草をさがしたのである。

幸いにもニ艘の釣り船がないわけではないので、その船で、刈り取った毒草を川の真ん中の中州の砂地へと転送すればいいのだ。

それから、この毒草は放置しているとあの頑丈な根がはびこりやすいから、あえて元の丘へ頼らせておいておくことが出来るものか。』

草を棄てた後は、藩籬の辺りも広々とさっぱりとし、松や竹も其の幽邃な趣を増したようである。

此の草を刈り取って平らげてしまうことは絶対必要な事と考える。自分は、悪いものを憎み取り払うことは本当に仇を憎むのと同じように思わないといけないのだ。(朝廷内の毒草の様なものを取り払うことが出来なかったことが残念無念である)

江畔独歩尋花 

(訳注) #2

除草 〔自注:去草也,音潛。 #2

という毒草を除き去ったことを詠んだ詩。)〔草を取り去ったものである〕

草 麻草。イラクサ属 は、30から45種の顕花植物を含むイラクサ科の分類群である。主に温帯地域の都市部に分布する。ほとんどは草本の多年生植物であるが、一年生のものや低木になるものもある。

 

荷鋤先童稚,日入仍討求。

それで、子供らより先になって鋤を荷い、日が落ち入ってもまだこの毒草をさがしたのである。

 

轉致水中央,豈無雙釣舟。

幸いにもニ艘の釣り船がないわけではないので、その船で、刈り取った毒草を川の真ん中の中州の砂地へと転送すればいいのだ。

轉致 転送してそこにやる。

雙釣舟 ニ艘の釣り船、これで毒草をはこぶ。

 

頑根易滋蔓,敢使依舊丘。』

それから、この毒草は放置しているとあの頑丈な根がはびこりやすいから、あえて元の丘へ頼らせておいておくことが出来るものか。』

頑根 頑強、頑丈な根であること。

滋蔓 しげりはびこる。

 

自茲藩籬曠,更覺松竹幽。

草を棄てた後は、藩籬の辺りも広々とさっぱりとし、松や竹も其の幽邃な趣を増したようである。

自茲 毒草を抜いた後のこと。

 ひろびろとすること、さっぱりとする。

 

芟荑不可闕,疾惡信如讎。

此の草を刈り取って平らげてしまうことは絶対必要な事と考える。自分は、悪いものを憎み取り払うことは本当に仇を憎むのと同じように思わないといけないのだ。(朝廷内の毒草の様なものを取り払うことが出来なかったことが残念無念である)

芟荑 草を刈り取って平らげてしまうこと。

不可闕 必要不可欠。

疾惡 悪いものを憎む。悪いものを憎み取り払うことは本当に仇を憎むのと同じように思わないといけない。朝廷に仕える時に、房琯を宰相に良い流れの段階があったことをいう。

如讎 讎するものを仇とする考え方。
三者の思惑が合致 

765年永泰元年54歲-02 《除草》 杜甫index-14 764年 杜甫<802-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4730 杜甫詩1500-802-#1-1117/2500

晴れた清々しい朝、林に散歩する、濯錦江の川の色を見渡して未だ憂いを晴らしていない。そんな時に急にこの毒草の棘が私の目に留まったのだ、これを見てどうして秋になって枯れ凋むまで待つことはできない。

 
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765年永泰元年54-02 《除草》杜甫index-14 764年 杜甫<802-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4730 杜甫詩1500-802-1-1117/2500

 

 

作 年:              765年永泰元年54

卷別:    卷二二○              文體:    五言古詩

杜少陵集 巻十四

詩題:除草〔自注:去草也,音潛。

作地點:              成都(劍南道北部 / 益州 / 成都)

杜甫は、厳武の留守中に幕府での仕事中に若い者たちに侮辱されたことを腹に据えかねて、詩を作っている。以下の七首である。

1.    除草

2.    莫相疑行

3.    三韻三篇,三首之一

4.    三韻三篇,三首之二

5.    三韻三篇,三首之三

6.    青絲

7.    赤霄行
 

除草  #1

という毒草を除き去ったことを詠んだ詩。)

草有害於人,曾何生阻修。

此の草は人に害があるもので、それは必ずしも遠方に生ずるというわけではない。

其毒甚蜂蠆,其多彌道周。

その毒のあることは蜂やサソリよりもひどく、その多いことは道端にまで広がっている。

清晨步前林,江色未散憂。

晴れた清々しい朝、林に散歩する、濯錦江の川の色を見渡して未だ憂いを晴らしていない。

芒刺在我眼,焉能待高秋。

そんな時に急にこの毒草の棘が私の目に留まったのだ、これを見てどうして秋になって枯れ凋むまで待つことはできない。

霜露一霑凝,蕙葉亦難留。

秋になれば、露や霜が固まり、一対になって潤すようなことになれば香草である蕙の葉さえもこの毒草と一緒に枯れてわからなくなってしまう。

#2

荷鋤先童稚,日入仍討求。

轉致水中央,豈無雙釣舟。

頑根易滋蔓,敢使依舊丘。

自茲藩籬曠,更覺松竹幽。

芟荑不可闕,疾惡信如讎。

 

(草を除く)  #1

草 有害於人に,曾て何ぞ阻修に生ぜん。

其の毒 蜂蠆よりも甚し,其の多きこと道周に彌る。

清晨 前林に步し,江色 未だ憂いを散ぜず。

芒刺 我が眼に在り,焉んぞ能く高秋を待たん。

霜露 一たび霑凝せば,蕙葉も亦た留り難し。

#2

鋤を荷いて童稚に先ち,日入りて仍お討求す。

水の中央に轉致し,豈に雙釣の舟無からんや。

頑根 滋蔓し易し,敢て舊丘に依ら使めんや。

茲より 藩籬曠【むな】しく,更に松竹の幽なるを覺ゆ。

芟荑【さんい】闕く可らず,惡を疾【にく】むこと信に讎【あた】の如し。

 

(含異文)           

草有害於人,曾何生阻修。

其毒甚蜂蠆,其多彌道周。

清晨步前林,江色未散憂。

芒刺在我眼,焉能待高秋。

霜露一霑凝【霜露一霑衣】【霜雪一霑凝】【霜雪一霑衣】,蕙葉亦難留。

荷鋤先童稚,日入仍討求。

轉致水中央,豈無雙釣舟。

頑根易滋蔓,敢使依舊丘。

自茲藩籬曠【自移藩籬曠】,更覺松竹幽。

芟荑不可闕,疾惡信如讎。

 

pla015 

『除草』 現代語訳と訳註

(本文)

除草  〔自注:去草也,音潛。#1

草有害於人,曾何生阻修。

其毒甚蜂蠆,其多彌道周。

清晨步前林,江色未散憂。

芒刺在我眼,焉能待高秋。

霜露一霑凝,蕙葉亦難留。

 

(下し文) (草を除く)  #1

草 有害於人に,曾て何ぞ阻修に生ぜん。

其の毒 蜂蠆よりも甚し,其の多きこと道周に彌る。

清晨 前林に步し,江色 未だ憂いを散ぜず。

芒刺 我が眼に在り,焉んぞ能く高秋を待たん。

霜露 一たび霑凝せば,蕙葉も亦た留り難し。

 

(現代語訳)

という毒草を除き去ったことを詠んだ詩。)

此の草は人に害があるもので、それは必ずしも遠方に生ずるというわけではない。

その毒のあることは蜂やサソリよりもひどく、その多いことは道端にまで広がっている。

晴れた清々しい朝、林に散歩する、濯錦江の川の色を見渡して未だ憂いを晴らしていない。

そんな時に急にこの毒草の棘が私の目に留まったのだ、これを見てどうして秋になって枯れ凋むまで待つことはできない。

秋になれば、露や霜が固まり、一対になって潤すようなことになれば香草である蕙の葉さえもこの毒草と一緒に枯れてわからなくなってしまう。

 pla014

(訳注)

除草 〔自注:去草也,音潛。 #1

という毒草を除き去ったことを詠んだ詩。)〔草を取り去ったものである〕

 

草 麻草。イラクサ属 は、30から45種の顕花植物を含むイラクサ科の分類群である。主に温帯地域の都市部に分布する。ほとんどは草本の多年生植物であるが、一年生のものや低木になるものもある。

 

草有害於人,曾何生阻修。

此の草は人に害があるもので、それは必ずしも遠方に生ずるというわけではない。

阻修 道路の遠い所に隔てられ處。

 

其毒甚蜂蠆,其多彌道周。

その毒のあることは蜂やサソリよりもひどく、その多いことは道端にまで広がっている。

蜂蠆 蜂やサソリ。

彌 わたる、はびこる。

道周 路の隈。

 

清晨步前林,江色未散憂。

晴れた清々しい朝、林に散歩する、濯錦江の川の色を見渡して未だ憂いを晴らしていない。

 

芒刺在我眼,焉能待高秋。

そんな時に急にこの毒草の棘が私の目に留まったのだ、これを見てどうして秋になって枯れ凋むまで待つことはできない。

芒刺 毛先、棘。

在我眼 まじかにみる。

待高秋 放射冷却が起こりはじめて、草木が枯れ、凋む頃。

 

霜露一霑凝,蕙葉亦難留。

秋になれば、露や霜が固まり、一対になって潤すようなことになれば香草である蕙の葉さえもこの毒草と一緒に枯れてわからなくなってしまう。

霑凝 うるおす、かたまる。

蕙葉 蘭の種類。花茎より枝を派生するものである。

765年永泰元年54歲-02 《營屋》 杜甫index-14 764年 杜甫<801-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4725 杜甫詩1500-801-#2-1116/2500765年永泰元年54歲-02

さっぱりとして心は自分の気の向いたとおりになるし、この労働は食欲増進法などより、十分効果的である。段々作業が進んで、ひっそり斧の響きがなくなるにつれて、こいねがうことはゆっくりと休息するということの楽しさを遂げたいものである。

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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71 《登錦城散花樓》Index-2Ⅰ- 2-720年開元八年20歳12登錦城散花樓日照錦城頭, <60> Ⅰ李白詩1224 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4668 
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436-#6 《孟生詩【孟先生詩】》韓愈(韓退之)ID <1148> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4724韓愈詩-436-#6 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ765年永泰元年54歲-02 《營屋》 杜甫index-14 764年 杜甫<801-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4725 杜甫詩1500-801-#2-1116/2500765年永泰元年54歲-02 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor15-453《生查子二首》魏承班Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-636-15-(453) 巻九漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4727 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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765年永泰元年54-02 《營屋》 杜甫index-14 764年 杜甫<801-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4725 杜甫詩1500-801-2-1116/2500765年永泰元年54-02

 

 

作年:    765年永泰元年54

卷別:    卷二二○              文體:    五言古詩

詩題:    營屋

作地點:              成都(劍南道北部 / 益州 / 成都)

 

營屋

(自分で家屋をこしらえたことを詠んだもの。)

我有陰江竹,能令朱夏寒。

我が草堂には、濯錦江にかぶさるように竹林が繁っている。しかしこれが真夏の暑さを寒からしめてくれるのである。

陰通積水高入浮雲端。

この竹林の陰りは堆積された濯錦江の内側にまで通じており、この竹林の高さと云えば、浮雲の端まで入っている。

甚疑鬼物憑,不顧翦伐殘。

余りに繁っているので怪物でも住んでいるのではないかと疑われるから、切り倒して若干残せばいいと思っているというわけでもない。

東偏若面勢,牖永可安。

東側にはそれほどの繁りはなく、丁度形勢につかわしく、扉や窓を長く安置すべきと思っているところだ。

愛惜已六載,茲晨去千竿。

こんなことからもう6年もの間、この地に愛惜しているのだが、今朝方から、千本ほどこの竹林を切り払ったのである。

#2

蕭蕭見白日,洶洶開奔湍。

もの寂しく感じられていたのが、昼間の太陽が輝くようになり、今まで見えなかった奔り流れる早瀬が洶洶とどよめいて現れ出たのである。

度堂匪華麗,養拙異考槃。

自分が自宅の堂を見積もって建てるのは華麗なものではないということ、自分は持ち前の不器用さを養うということなのだ。いにしえの賢臣が山澗に退いて楽しみをしたようなこととは違っている。

草茅雖薙葺,衰疾方少寬。

自分で茅で屋根を吹く、草をなぎ倒し、刈取りなど、こまごましたことをやったのであるが、老衰や持病もこれをしたことでまさに少しくつろいだようだ。

洗然順所適,此足代加餐。

さっぱりとして心は自分の気の向いたとおりになるし、この労働は食欲増進法などより、十分効果的である。

寂無斤斧響,庶遂憩息歡。

段々作業が進んで、ひっそり斧の響きがなくなるにつれて、こいねがうことはゆっくりと休息するということの楽しさを遂げたいものである。

(屋を營む)

我 陰江の竹有り,能く朱夏をして寒から令む。

陰は通ず 積水の高は入る 浮雲の端。

甚だ 疑う 鬼物の憑るかと,顧みず 翦伐して殘るを。

東偏 面勢に若【したが】う,【こゆう】永く安んず可し。

愛惜すること已に六載,茲の晨 千竿を去る。

#2

蕭蕭として 白日を見る,洶洶として 奔湍を開く。

堂を度る 華麗に匪らず,拙を養う 考槃に異り。

草茅 薙葺【ていしゅう】すと雖も,衰疾 方に少しく寬なり。

洗然【しゃぜん】適する所に順う,此れ加餐に代わるに足れり。

寂として 斤斧の響く無くんば,庶【こいねが】わくば 憩息の歡を遂げん。

 

(營屋)

我有陰江竹,能令朱夏寒。陰通積水,高入浮雲端。

甚疑鬼物憑【如疑鬼物憑】,不顧翦伐殘。東偏若面勢,牖永可安。

愛惜已六載,茲晨去千竿。蕭蕭見白日,洶洶開奔湍。

度堂匪華麗,養拙異考槃。草茅雖薙葺,衰疾方少寬。

洗然順所適,此足代加餐。寂無斤斧響,庶遂憩息歡。

杜甫草堂詳細図02 

 

『營屋』 現代語訳と訳註

(本文)

#2

蕭蕭見白日,洶洶開奔湍。

度堂匪華麗,養拙異考槃。

草茅雖薙葺,衰疾方少寬。

洗然順所適,此足代加餐。

寂無斤斧響,庶遂憩息歡。

 

(下し文)

#2

蕭蕭として 白日を見る,洶洶として 奔湍を開く。

堂を度る 華麗に匪らず,拙を養う 考槃に異り。

草茅 薙葺【ていしゅう】すと雖も,衰疾 方に少しく寬なり。

洗然【しゃぜん】適する所に順う,此れ加餐に代わるに足れり。

寂として 斤斧の響く無くんば,庶【こいねが】わくば 憩息の歡を遂げん。

 

(現代語訳)

もの寂しく感じられていたのが、昼間の太陽が輝くようになり、今まで見えなかった奔り流れる早瀬が洶洶とどよめいて現れ出たのである。

自分が自宅の堂を見積もって建てるのは華麗なものではないということ、自分は持ち前の不器用さを養うということなのだ。いにしえの賢臣が山澗に退いて楽しみをしたようなこととは違っている。

自分で茅で屋根を吹く、草をなぎ倒し、刈取りなど、こまごましたことをやったのであるが、老衰や持病もこれをしたことでまさに少しくつろいだようだ。

さっぱりとして心は自分の気の向いたとおりになるし、この労働は食欲増進法などより、十分効果的である。

段々作業が進んで、ひっそり斧の響きがなくなるにつれて、こいねがうことはゆっくりと休息するということの楽しさを遂げたいものである。

 

成都関連地図 00 

(訳注) #2

營屋

(自分で家屋をこしらえたことを詠んだもの。)

營屋 家屋を経営すること。家をよくすること。

 

蕭蕭見白日,洶洶開奔湍。

もの寂しく感じられていたのが、昼間の太陽が輝くようになり、今まで見えなかった奔り流れる早瀬が洶洶とどよめいて現れ出たのである。

蕭蕭 1 もの寂しく感じられるさま。「―たる晩秋の野」2 雨や風の音などがもの寂しいさま。

洶洶 1 波などがわき立つさま。水音が騒がしいさま。「須臾(しゅゆ)にして波濤(はとう)―の音漸く高く」〈鴎外訳・即興詩人〉2 騒ぎどよめくさま。

開 

奔湍 奔:1 勢いよく駆ける。はしる。2 走って逃げる。「出奔」3 男女が正しくない性関係を結ぶ。  湍:(1) 流れが急である.(2) 急流.湍急 tuānjí[]《書》水の流れが急である.湍流 tuānliú[]《書》急流.

 

度堂匪華麗,養拙異考槃。

自分が自宅の堂を見積もって建てるのは華麗なものではないということ、自分は持ち前の不器用さを養うということなのだ。いにしえの賢臣が山澗に退いて楽しみをしたようなこととは違っている。

度堂 留守中に竹林が増殖し、草堂の庭にまで無秩序に生え、「度」はかるは、廣さを見積もる。

匪華麗 華麗なものではない

養拙 杜甫は持ち前の不器用さを養う

考槃 《詩経衛風・考槃篇》(世を避けて自分の楽しみにふける意。)

 

草茅雖薙葺,衰疾方少寬。

自分で茅で屋根を吹く、草をなぎ倒し、刈取りなど、こまごましたことをやったのであるが、老衰や持病もこれをしたことでまさに少しくつろいだようだ。

雖薙葺 草をなぎ倒し、刈取りなど、こまごましたことをやったのであるといえども。これまでこれほどのことをしたことがないという「雖」。

衰疾 老衰や持病という杜甫自身のこと。

少寬 少しくつろいだようだ

 

洗然順所適,此足代加餐。

さっぱりとして心は自分の気の向いたとおりになるし、この労働は食欲増進法などより、十分効果的である。

洗然 さっぱりとすると。

順所適 自分の気の向いたとおりになるということ。

 住まいの営繕をしたこと。

代加餐 食欲増進法にかわるもの。

 

寂無斤斧響,庶遂憩息歡。

段々作業が進んで、ひっそり斧の響きがなくなるにつれて、こいねがうことはゆっくりと休息するということの楽しさを遂げたいものである。

斤斧響 おの、まさかりの音が響く。

 いねがうことは。

憩息歡 休息するということの楽しさ。体を動かした後休む楽しみ。

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我が草堂には、濯錦江にかぶさるように竹林が繁っている。しかしこれが真夏の暑さを寒からしめてくれるのである。東側にはそれほどの繁りはなく、丁度形勢につかわしく、扉や窓を長く安置すべきと思っているところだ。

 
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765

年永泰元年54-01 《營屋》 杜甫index-15 765年永泰元年54 杜甫<801-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4720 杜甫詩1500-801-1-1115/2500765年永泰元年54-01

 

index-15 765年永泰元年54 

作年:    765年永泰元年54

卷別:    卷二二○              文體:    五言古詩

杜少陵集 巻十四
詩題:
    營屋

作地點:              成都(劍南道北部 / 益州 / 成都)

 

營屋

(自分で家屋をこしらえたことを詠んだもの。)

我有陰江竹,能令朱夏寒。

我が草堂には、濯錦江にかぶさるように竹林が繁っている。しかしこれが真夏の暑さを寒からしめてくれるのである。

陰通積水高入浮雲端。

この竹林の陰りは堆積された濯錦江の内側にまで通じており、この竹林の高さと云えば、浮雲の端まで入っている。

甚疑鬼物憑,不顧翦伐殘。

余りに繁っているので怪物でも住んでいるのではないかと疑われるから、切り倒して若干残せばいいと思っているというわけでもない。

東偏若面勢,牖永可安。

東側にはそれほどの繁りはなく、丁度形勢につかわしく、扉や窓を長く安置すべきと思っているところだ。

愛惜已六載,茲晨去千竿。

こんなことからもう6年もの間、この地に愛惜しているのだが、今朝方から、千本ほどこの竹林を切り払ったのである。

#2

蕭蕭見白日,洶洶開奔湍。

度堂匪華麗,養拙異考槃。

草茅雖薙葺,衰疾方少寬。

洗然順所適,此足代加餐。

寂無斤斧響,庶遂憩息歡。

(屋を營む)

我 陰江の竹有り,能く朱夏をして寒から令む。

陰は通ず 積水の高は入る 浮雲の端。

甚だ 疑う 鬼物の憑るかと,顧みず 翦伐して殘るを。

東偏 面勢に若【したが】う,【こゆう】永く安んず可し。

愛惜すること已に六載,茲の晨 千竿を去る。

#2

蕭蕭として 白日を見る,洶洶として 奔湍を開く。

堂を度る 華麗に匪らず,拙を養う 考槃に異り。

草茅 薙葺【ていしゅう】すと雖も,衰疾 方に少しく寬なり。

洗然【しゃぜん】適する所に順う,此れ加餐に代わるに足れり。

寂として 斤斧の響く無くんば,庶【こいねが】わくば 憩息の歡を遂げん。

 

(營屋)

我有陰江竹,能令朱夏寒。陰通積水,高入浮雲端。

甚疑鬼物憑【如疑鬼物憑】,不顧翦伐殘。東偏若面勢,牖永可安。

愛惜已六載,茲晨去千竿。蕭蕭見白日,洶洶開奔湍。

度堂匪華麗,養拙異考槃。草茅雖薙葺,衰疾方少寬。

洗然順所適,此足代加餐。寂無斤斧響,庶遂憩息歡。

 

杜甫草堂柴門06 

『營屋』 現代語訳と訳註

(本文)

營屋

我有陰江竹,能令朱夏寒。

陰通積水高入浮雲端。

甚疑鬼物憑,不顧翦伐殘。

東偏若面勢,牖永可安。

愛惜已六載,茲晨去千竿。

 

(下し文)

(屋を營む)

我 陰江の竹有り,能く朱夏をして寒から令む。

陰は通ず 積水の高は入る 浮雲の端。

甚だ 疑う 鬼物の憑るかと,顧みず 翦伐して殘るを。

東偏 面勢に若【したが】う,【こゆう】永く安んず可し。

愛惜すること已に六載,茲の晨 千竿を去る。

 

(現代語訳)

(自分で家屋をこしらえたことを詠んだもの。)

我が草堂には、濯錦江にかぶさるように竹林が繁っている。しかしこれが真夏の暑さを寒からしめてくれるのである。

この竹林の陰りは堆積された濯錦江の内側にまで通じており、この竹林の高さと云えば、浮雲の端まで入っている。

余りに繁っているので怪物でも住んでいるのではないかと疑われるから、切り倒して若干残せばいいと思っているというわけでもない。

東側にはそれほどの繁りはなく、丁度形勢につかわしく、扉や窓を長く安置すべきと思っているところだ。

こんなことからもう6年もの間、この地に愛惜しているのだが、今朝方から、千本ほどこの竹林を切り払ったのである。

 

杜甫草堂詳細図02

(訳注)

營屋

(自分で家屋をこしらえたことを詠んだもの。)

營屋 家屋を経営すること。家をよくすること。

 

我有陰江竹,能令朱夏寒。

我が草堂には、濯錦江にかぶさるように竹林が繁っている。しかしこれが真夏の暑さを寒からしめてくれるのである。

朱夏 真夏の暑さ。正午以降の南の夏の日を遮るほど高く、且つ、西日を遮ってくれる。

 

陰通積水高入浮雲端。

この竹林の陰りは堆積された濯錦江の内側にまで通じており、この竹林の高さと云えば、浮雲の端まで入っている。

 

甚疑鬼物憑,不顧翦伐殘。

余りに繁っているので怪物でも住んでいるのではないかと疑われるから、切り倒して若干残せばいいと思っているというわけでもない。

鬼物 竹が繁っているので怪物でも住んでいること。

 

東偏若面勢,牖永可安。

東側にはそれほどの繁りはなく、丁度形勢につかわしく、扉や窓を長く安置すべきと思っているところだ。

東偏 成都に向かう道がある。

若面勢 丁度形勢につかわしい状況。若はしたがう、地形に似つかわしいという意。

 扉と窓。牖は影や扉にくりぬいた窓をいう。

 

愛惜已六載,茲晨去千竿。

こんなことからもう6年もの間、この地に愛惜しているのだが、今朝方から、千本ほどこの竹林を切り払ったのである。

六載 成都紀行で75912月に到着し、765年正月で6年になるということ。
竹林001 

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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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廣徳2764-99 《送王侍御往東川放生池祖席【案:草堂逸詩拾遺。】》杜甫index-14 764年 杜甫<800> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4715 杜甫詩1500-800-1114/2500廣徳2764-99

 

 

制作年:              764年廣德二年53

卷別:    卷二三四              文體:    五言律詩

詩題:    送王侍御往東川放生池祖席〔草堂逸詩拾遺。〕

及地點:              東川放生池 (劍南道北部 梓州 梓州)              

交遊人物:王契    當地交遊(劍南道北部 梓州 梓州)

 

 

送王侍御往東川放生池祖席

(王契侍御が東川に行くのを放生池の送別の宴席で送った詩。)

東川詩友合,此贈怯輕為。

貴方が行く剣南東川幕府において詩友が会合するということだが、この詩を贈るくらいの軽い作詩だけでは恐縮な事ではある。

況復傳宗近,空然惜別離。

ましてあなたの様な宗匠の手で伝播されるとあっては、またなお更恐れ入ることだ、だから、いたずらに詩など無しで別れを惜しむことにしたい。

梅花交近野,草色向平池。

今、このあたりでは梅の花が花影を交えているし、草の色は、平地に向って連なってきている。

儻憶江邊臥,歸期願早知。

もし、あなたがあちらに行っても、濯錦江の水辺に病気がちで伏せている爺が居ることを思われたならば、詩友会合の内容を早く知りたいので帰られる時期を知らせていただきたいと願うところである。

 

(王侍御が東川に往くを送る、放生池の祖席)

東川の詩友 合す,此の贈 輕為を怯る。

況んや復た宗近より傳えらるるをや,空然 別離を惜む。

梅花 近野に交り,草色 平池に向う。

儻【も】し江邊の臥を憶わば,歸期 願わくば早く知らしめんことを。

 

杜甫草堂詳細図02 

 

『送王侍御往東川放生池祖席』 現代語訳と訳註

(本文)

送王侍御往東川放生池祖席

東川詩友合,此贈怯輕為。

況復傳宗近,空然惜別離。

梅花交近野,草色向平池。

儻憶江邊臥,歸期願早知。

 

(下し文)

(王侍御が東川に往くを送る、放生池の祖席)

東川の詩友 合す,此の贈 輕為を怯る。

況んや復た宗近より傳えらるるをや,空然 別離を惜む。

梅花 近野に交り,草色 平池に向う。

儻【も】し江邊の臥を憶わば,歸期 願わくば早く知らしめんことを。

 

(現代語訳)

(王契侍御が東川に行くのを放生池の送別の宴席で送った詩。)

貴方が行く剣南東川幕府において詩友が会合するということだが、この詩を贈るくらいの軽い作詩だけでは恐縮な事ではある。

ましてあなたの様な宗匠の手で伝播されるとあっては、またなお更恐れ入ることだ、だから、いたずらに詩など無しで別れを惜しむことにしたい。

今、このあたりでは梅の花が花影を交えているし、草の色は、平地に向って連なってきている。

もし、あなたがあちらに行っても、濯錦江の水辺に病気がちで伏せている爺が居ることを思われたならば、詩友会合の内容を早く知りたいので帰られる時期を知らせていただきたいと願うところである。

成都関連地図 00 

(訳注)

送王侍御往東川放生池祖席

(王契侍御が東川に行くのを放生池の送別の宴席で送った詩。)

東川 梓州の剣南東川幕府。

放生池 精と錦江にあるという。

祖席 送別の祭りを祖道ということで、送別の宴席をいう。

 

東川詩友合,此贈怯輕為。

貴方が行く剣南東川幕府において詩友が会合するということだが、この詩を贈るくらいの軽い作詩だけでは恐縮な事ではある。

此贈 この詩を贈る。元気でいれば、本来なら別れのための詩篇、詩友会合のために特別に詩篇を送りたいところであるということをいう。

 

況復傳宗近,空然惜別離。

ましてあなたの様な宗匠の手で伝播されるとあっては、またなお更恐れ入ることだ、だから、いたずらに詩など無しで別れを惜しむことにしたい。

傳宗近 作詩の宗匠の手で伝播される。王契のこと。

空然 いたずらに詩など無しということ。

 

梅花交近野,草色向平池。

今、このあたりでは梅の花が花影を交えているし、草の色は、平地に向って連なってきている。

 枝がたがいにまじわり、花がひらくことをいう。

近野 近郊にある田野、放生池の辺りの様子をいう。

 

儻憶江邊臥,歸期願早知。

もし、あなたがあちらに行っても、濯錦江の水辺に病気がちで伏せている爺が居ることを思われたならば、詩友会合の内容を早く知りたいので帰られる時期を知らせていただきたいと願うところである。

江邊 濯錦江の水辺。

 病気がちで伏せている爺が居ること

歸期 帰られる時期。

願早知 詩友会合の内容を早く知りたい。
蜀中転々圖 

廣徳2年764-98-#5 《哭台州鄭司戶蘇少監》 杜甫index-14 764年 杜甫<799ー#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4710 杜甫詩1500-799ー#5-1113/2500

持病の瘧が出て、治療方がた巴地の水に食し、人々は兵乱の傷を負うている間に、今度は蜀の都で老いつつあるのである。このように零落れては、蘇源明・鄭虔の両君を哭するにも、何処でこくし、涙を灌ぐのか迷うほどなのだ。天地は、日々に、榛蕪、荊棘が生え、雑草が生えるばかりであるからだ。

 
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廣徳2764-98-#5 《哭台州鄭司蘇少監》 杜甫index-14 764年 杜甫<799ー#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4710 杜甫詩1500-799ー#5-1113/2500

 

 

作時年:              764年廣德二年53

卷別:    卷二三四              文體:    五言古詩

杜少陵集 巻十四
詩題:
    哭台州鄭司蘇少監【案:草堂逸詩拾遺。】

及地點:              台州 (江南東道 台州 台州)              

綿谷 (山南西道 利州 綿谷)           

雪山 (劍南道北部 無第二級行政層級 雪山) 別名:雪嶺         

交遊人物:鄭虔;詩文提及  蘇源明:詩文提及

 

 

哭台州鄭司蘇少監 #1

(台州の司戸参軍鄭虔と秘書少監蘇源明の死を聞いてそれを哭して作ったもの。)764年廣德二年53 秋の作。

故舊誰憐我,平生鄭與蘇。

若い時からの旧友であるということであるが、誰が自分を気の毒がってくれたのかといえば、平生から、鄭虔と蘇源明である。

存亡不重見,喪亂獨前途。』

それがどうだ、今、私だけ存命であって、彼等は亡くなり、再び見ることはできない、これから先のことは自分ただ一人で喪亂のこの世を生きてゆくのだ。』

豪俊何人在,文章掃地無。

かれらが亡くなったことで、今の世にどこを探せば、豪俊なものがいるというのか、彼らが大切のしてきた文章というものは地を掃って亡くなってしまったといえるのである。

羇遊萬里闊,凶問一年俱。

自分はこうして万里の遠きに旅してきていて去年の房琯の死から一年の間に最も不吉な「凶」の報知を三通も一緒に受けたのである。

#2

白首中原上,清秋大海隅。

この老人の白髪頭を両雄の活躍した中原の上にやってみれば、清々しい秋空のもと、大海のかなたには蘇源明と遊んだ地が広がっている。

夜臺當北斗,泉路著東

夜になれば星がきらめく北斗七星の方角には蘇源明の墓があり、鄭虔の眠っている黄泉の国は東呉のはるか先にある。

得罪台州去,時危棄碩儒。

鄭虔は房琯一派ということで、罪を得て台州に貶め去られたし、その時には、朝廷には暗躍する宦官と利権を固執する賀蘭進明・第五琦らが讒言したもので大儒家を棄てられたのである。

移官蓬閣後,穀貴沒潛夫。

蘇源明は、秘書省に移官された頃に、賀蘭進明、第五琦の経済政策と貨幣乱造で米価が高騰し、社会の積弊を暴露して時政を攻撃したが、そのどさくさに巻き込まれ死亡した。

流慟嗟何及,銜冤有是夫。』

この両雄のためにいくら哭いても嘆いても追いつきはしない、冤罪や飢饉物価高騰というのは昔の話というだけのことではなく、これが現在にあったのだから嘆くよりないのである。』

#3

道消詩興廢,心息酒為徒。

これまでのことを考えてみるに、我々は世間で君子の道が減退していたので詩において自己の興を出し、心を休息させるためには酒の場において飲み仲間としていたのだ。

許與才雖薄,追隨跡未拘。

仲間から許されていた自分の文才は薄弱なものであると思っているが、仲間のみんなについて行くにあたっては未だかってない形跡にかかわるようなことはない精神的な交際であった。

班揚名甚盛,嵇阮逸相須。

仲間たちは、昔の班固・揚雄ほどの人たちであり、名声も盛んである、あるいは、竹林の七賢の嵆康・阮籍のように俗世からの隠遁したいことは互いを必要としたということのように互いになくてはならないものであった。

會取君臣合,寧銓品命殊。

あの時、朝廷に出仕するにあたって天子と家臣の間がぴったり合致しさえすればよいという点において、互いを尊重し合っていて、冠位の階級の高下の違いがあることなど眼中になかったのである。

#4

賢良不必展,廊廟偶然趨。

仕える中で賢良のものたちはその志が必ず述べることができはしなかった、そうした中で、朝廷に出ていて偶然とはいえ安禄さの乱がおこり、慌てふためいた。
勝決風塵際,功安造化鑪。

兵馬の塵が風雲のように広がった際でも、朝廷は勝つのである。征伐の戦の結果、天下は囲炉裏の中の火を消すように太平となった。

從容拘舊學,慘澹閟陰符。』

蘇源明はそのゆったりとした容貌に、以前先生であったという関係で聖天子の粛宗から相談される秘書少監にとりたてられたが、鄭虔の方はとても惨澹たるもので、安禄山の乱以前にも、儒者の将軍は、閑職しりぞけられ、兵法、兵略に長けていながら、書物の中にしまいこんで出す機会のないままであった。』

擺落嫌疑久,哀傷志力輸。

自分は蘇源明・鄭虔の両者を絶対的に信じているから初めから嫌疑など微塵も持ちはしなかった。両者の運命を見てからは自分の心も気力も哀傷にむかっていったのだ。

俗依綿谷異,客對雪山孤。

自分は今、ここ蜀にいるが、綿谷の異風俗により添うて生きており、そして、旅人として、孤立している雪山とは相対しているのである。

 

#5

童稚思諸子,交朋列友于。

自分は子供のころから蘇源明・鄭虔を慕っていたが、後に交友を重ね兄弟のような関係に列せられるようになった。

情乖清酒送,望撫墳呼。

それが今、ありがたいことに儒者が酌み交わす清酒をおくってもらうような厚情を担うことが出来なくなり、親しくその墳土をさすって呼びかけてみたいと思っても、その望みは絶望なのである。

瘧病餐巴水,瘡痍老蜀都。

持病の瘧が出て、治療方がた巴地の水に食し、人々は兵乱の傷を負うている間に、今度は蜀の都で老いつつあるのである。

飄零迷哭處,天地日榛蕪。

このように零落れては、蘇源明・鄭虔の両君を哭するにも、何処でこくし、涙を灌ぐのか迷うほどなのだ。天地は、日々に、榛蕪、荊棘が生え、雑草が生えるばかりであるからだ。

 

(台州の鄭司蘇少監とをす) #1

故舊 誰か我を憐む,平生 鄭と蘇となり。

存亡 重ねて見ず,喪亂 獨り前途。』

豪俊 何人か在る,文章 地を掃うて無し。

羇遊 萬里 闊なり,凶問 一年俱にす。

#2

白首 中原の上,清秋 大海の隅。

夜臺 北斗に當る,泉路 東著なり

罪を得て台州に去り,時危くして 碩儒を棄つ。

官を 蓬閣に移してより後に,穀 貴くして潛夫沒す。

流慟するも 嗟 何ぞ及ばん,銜冤 是れ有る夫【かな】。』

#3

道 消して詩 興を廢し,心息するは酒に徒と為ればなり。

許與 才 薄しと雖も,追隨 跡 未だ拘わらず。

班揚 名 甚だ盛んなり,嵇 阮 逸つ 相い須【ま】つ。

會【かばら】ず君臣の合するを取り,寧【なん】ぞ 品命の殊なるを銓【はか】らんや。

#4

賢良 必らずしも展べず,廊廟 偶然に趨【おもむ】けり。

勝は決す 風塵の際,功は安んず 造化の鑪。

從容 舊學に拘【と】う,慘澹 陰符閟【と】ず。』

嫌疑を擺落【はらく】すること久し,哀傷 志力 輸【いた】す。

俗は依る 綿谷の異なれるに,客は對す雪山の孤なるに。

#5

童稚より 諸子を思い,交朋 友于に列す。

情は乖く 清酒の送,望はゆ 撫墳の呼。

瘧病【ぎゃくびょう】巴水 餐し,瘡痍【そうい】蜀都に老ゆ。

飄零 哭處に迷う,天地 日【ひび】に榛蕪なり。』

 

安史の乱当時の勢力図 

『哭台州鄭司蘇少監』 現代語訳と訳註

(本文) #5

童稚思諸子,交朋列友于。

情乖清酒送,望撫墳呼。

瘧病餐巴水,瘡痍老蜀都。

飄零迷哭處,天地日榛蕪。

 

(下し文) #5

童稚より 諸子を思い,交朋 友于に列す。

情は乖く 清酒の送,望はゆ 撫墳の呼。

瘧病【ぎゃくびょう】巴水 餐し,瘡痍【そうい】蜀都に老ゆ。

飄零 哭處に迷う,天地 日【ひび】に榛蕪なり。』

 

(現代語訳)

自分は子供のころから蘇源明・鄭虔を慕っていたが、後に交友を重ね兄弟のような関係に列せられるようになった。

それが今、ありがたいことに儒者が酌み交わす清酒をおくってもらうような厚情を担うことが出来なくなり、親しくその墳土をさすって呼びかけてみたいと思っても、その望みは絶望なのである。

持病の瘧が出て、治療方がた巴地の水に食し、人々は兵乱の傷を負うている間に、今度は蜀の都で老いつつあるのである。

このように零落れては、蘇源明・鄭虔の両君を哭するにも、何処でこくし、涙を灌ぐのか迷うほどなのだ。天地は、日々に、榛蕪、荊棘が生え、雑草が生えるばかりであるからだ。

 

蜀の山50055 

(訳注) 5

哭台州鄭司蘇少監 

(台州の司戸参軍鄭虔と秘書少監蘇源明の死を聞いてそれを哭して作ったもの。)764年廣德二年53 秋の作。

台州鄭司 浙江省台州府。鄭司は房琯一党であり、房琯が左遷された際、杜甫,共に左遷された。杜甫は儒者学者である鄭虔と若い時から交際している。

駙馬宅宴洞中 杜甫

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩 誠実な詩人杜甫特集 55

奉陪鄭駙馬韋曲二首其一 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 75

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送鄭十八虔貶台州司、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 231

有懷台州鄭十八司虔 杜甫 <234-#1> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1145 杜甫特集700- 346

蘇少監 蘇源明も若い時から交際している。房琯事件の際左遷されている。755年天宝十四年、杜甫は前年、山東から国子監司業(国立大学教授)として長安に帰ってきた蘇源明や、広文館博士の鄭度と、酒を都合しては文学論をたたかわせている。

後出塞五首 其一 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 95

壮遊』「放蕩斉趙間、裘馬頗清狂。春歌叢台上、冬猟青丘旁。呼鷹皂櫪林、逐獣雲雪岡。射飛曾縦鞚、引臂落鶖鶬。蘇侯拠鞍喜、忽如携葛彊。
それから斉趙の間を気ままに歩き、軽裘肥馬(けいきゅうひば)  放逸の限りをつくした。春は叢台の上で歌を吟じ、冬は青丘のかたわらで狩りをする。櫟(いちい)の林で鷹を呼び、降りつむ雪の岡で獣(けもの)を追う。手綱(たづな)を放して飛鳥をねらい、弓をしぼって鶖鶬を射落とす。友人の蘇預は鞍を寄せてよろこび、葛彊が山簡に従うような親しさである
一緒に旅をしたのは「蘇侯」と書かれ、杜甫の自注によると蘇預(そよ後に蘇源明)のこと。ふたりは「青丘」で狩りをした。「青丘」は地図に示す青州(山東省益都県)の丘。蘇預が馬を寄せてきて杜甫の弓の腕前を褒めるのを、杜甫は晋の将軍山簡(さんかん)が部下の葛彊(かつきょう)を褒めるのに例えて、親しみをあらわしている。

望嶽 杜甫 <7> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ98 杜甫詩 700- 7

 

童稚思諸子,交朋列友于。

自分は子供のころから蘇源明・鄭虔を慕っていたが、後に交友を重ね兄弟のような関係に列せられるようになった。

童稚 子供のころから

諸子 蘇源明・鄭虔のこと。

 

情乖清酒送,望撫墳呼。

それが今、ありがたいことに儒者が酌み交わす清酒をおくってもらうような厚情を担うことが出来なくなり、親しくその墳土をさすって呼びかけてみたいと思っても、その望みは絶望なのである。

清酒 儒者の飲む清酒。

撫墳呼 墳土を手で撫でて哭ることだ友人としてすべきこと。

 

瘧病餐巴水,瘡痍老蜀都。

持病の瘧が出て、治療方がた巴地の水に食し、人々は兵乱の傷を負うている間に、今度は蜀の都で老いつつあるのである。

瘧病 持病のおこり。

巴水 嘉陵江の流域。

瘡痍 兵乱が十年も続き、人々は満身創痍であること。

蜀都 成都のこと。

 

飄零迷哭處,天地日榛蕪。

このように零落れては、蘇源明・鄭虔の両君を哭するにも、何処でこくし、涙を灌ぐのか迷うほどなのだ。天地は、日々に、榛蕪、荊棘が生え、雑草が生えるばかりであるからだ。

○この二句は、天地の雑草をきれいに掃除をするような仁徳の者がいなくなったことをいう。

蜀中転々圖 

 

 

詩文(含異文)    

故舊誰憐我,平生鄭與蘇。存亡不重見,喪亂獨前途。

豪俊何人在【豪俊人誰在】,文章掃地無。羇遊萬里闊,凶問一年俱。

白首中原上,清秋大海隅。夜臺當北斗,泉路著東【泉路窅東】。

得罪台州去,時危棄碩儒。移官蓬閣後,穀貴沒潛夫。

流慟嗟何及,銜冤有是夫。道消詩興廢,心息酒為徒。

許與才雖薄,追隨跡未拘。班揚名甚盛,嵇阮逸相須。

會取君臣合,寧銓品命殊。賢良不必展,廊廟偶然趨。

勝決風塵際,功安造化鑪。從容拘舊學【從容詢舊學】,慘澹閟陰符

擺落嫌疑久,哀傷志力輸。俗依綿谷異,客對雪山孤。

童稚思諸子,交朋列友于。情乖清酒送,望撫墳呼。

瘧病餐巴水【瘧痢餐巴水】,瘡痍老蜀都。飄零迷哭處,天地日榛蕪。





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蘇源明はそのゆったりとした容貌に、以前先生であったという関係で聖天子の粛宗から相談される秘書少監にとりたてられたが、鄭虔の方はとても惨澹たるもので、安禄山の乱以前にも、儒者の将軍は、閑職しりぞけられ、兵法、兵略に長けていながら、書物の中にしまいこんで出す機会のないままであった。』

 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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廣徳2764-98-#4 《哭台州鄭司蘇少監》 杜甫index-14 764年 杜甫<799ー#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4705 杜甫詩1500-799ー#4-1112/2500

 

 

作時年:              764年廣德二年53

卷別:    卷二三四              文體:    五言古詩

詩題:    哭台州鄭司蘇少監【案:草堂逸詩拾遺。】

及地點:              台州 (江南東道 台州 台州)              

綿谷 (山南西道 利州 綿谷)           

雪山 (劍南道北部 無第二級行政層級 雪山) 別名:雪嶺         

交遊人物:鄭虔;詩文提及  蘇源明:詩文提及

 

 

哭台州鄭司蘇少監 #1

(台州の司戸参軍鄭虔と秘書少監蘇源明の死を聞いてそれを哭して作ったもの。)764年廣德二年53 秋の作。

故舊誰憐我,平生鄭與蘇。

若い時からの旧友であるということであるが、誰が自分を気の毒がってくれたのかといえば、平生から、鄭虔と蘇源明である。

存亡不重見,喪亂獨前途。』

それがどうだ、今、私だけ存命であって、彼等は亡くなり、再び見ることはできない、これから先のことは自分ただ一人で喪亂のこの世を生きてゆくのだ。』

豪俊何人在,文章掃地無。

かれらが亡くなったことで、今の世にどこを探せば、豪俊なものがいるというのか、彼らが大切のしてきた文章というものは地を掃って亡くなってしまったといえるのである。

羇遊萬里闊,凶問一年俱。

自分はこうして万里の遠きに旅してきていて去年の房琯の死から一年の間に最も不吉な「凶」の報知を三通も一緒に受けたのである。

#2

白首中原上,清秋大海隅。

この老人の白髪頭を両雄の活躍した中原の上にやってみれば、清々しい秋空のもと、大海のかなたには蘇源明と遊んだ地が広がっている。

夜臺當北斗,泉路著東

夜になれば星がきらめく北斗七星の方角には蘇源明の墓があり、鄭虔の眠っている黄泉の国は東呉のはるか先にある。

得罪台州去,時危棄碩儒。

鄭虔は房琯一派ということで、罪を得て台州に貶め去られたし、その時には、朝廷には暗躍する宦官と利権を固執する賀蘭進明・第五琦らが讒言したもので大儒家を棄てられたのである。

移官蓬閣後,穀貴沒潛夫。

蘇源明は、秘書省に移官された頃に、賀蘭進明、第五琦の経済政策と貨幣乱造で米価が高騰し、社会の積弊を暴露して時政を攻撃したが、そのどさくさに巻き込まれ死亡した。

流慟嗟何及,銜冤有是夫。』

この両雄のためにいくら哭いても嘆いても追いつきはしない、冤罪や飢饉物価高騰というのは昔の話というだけのことではなく、これが現在にあったのだから嘆くよりないのである。』

#3

道消詩興廢,心息酒為徒。

これまでのことを考えてみるに、我々は世間で君子の道が減退していたので詩において自己の興を出し、心を休息させるためには酒の場において飲み仲間としていたのだ。

許與才雖薄,追隨跡未拘。

仲間から許されていた自分の文才は薄弱なものであると思っているが、仲間のみんなについて行くにあたっては未だかってない形跡にかかわるようなことはない精神的な交際であった。

班揚名甚盛,嵇阮逸相須。

仲間たちは、昔の班固・揚雄ほどの人たちであり、名声も盛んである、あるいは、竹林の七賢の嵆康・阮籍のように俗世からの隠遁したいことは互いを必要としたということのように互いになくてはならないものであった。

會取君臣合,寧銓品命殊。

あの時、朝廷に出仕するにあたって天子と家臣の間がぴったり合致しさえすればよいという点において、互いを尊重し合っていて、冠位の階級の高下の違いがあることなど眼中になかったのである。

#4

賢良不必展,廊廟偶然趨。

仕える中で賢良のものたちはその志が必ず述べることができはしなかった、そうした中で、朝廷に出ていて偶然とはいえ安禄さの乱がおこり、慌てふためいた。
勝決風塵際,功安造化鑪。

兵馬の塵が風雲のように広がった際でも、朝廷は勝つのである。征伐の戦の結果、天下は囲炉裏の中の火を消すように太平となった。

從容拘舊學,慘澹閟陰符。』

蘇源明はそのゆったりとした容貌に、以前先生であったという関係で聖天子の粛宗から相談される秘書少監にとりたてられたが、鄭虔の方はとても惨澹たるもので、安禄山の乱以前にも、儒者の将軍は、閑職しりぞけられ、兵法、兵略に長けていながら、書物の中にしまいこんで出す機会のないままであった。』

擺落嫌疑久,哀傷志力輸。

自分は蘇源明・鄭虔の両者を絶対的に信じているから初めから嫌疑など微塵も持ちはしなかった。両者の運命を見てからは自分の心も気力も哀傷にむかっていったのだ。

俗依綿谷異,客對雪山孤。

自分は今、ここ蜀にいるが、綿谷の異風俗により添うて生きており、そして、旅人として、孤立している雪山とは相対しているのである。

#5

童稚思諸子,交朋列友于。

情乖清酒送,望撫墳呼。

瘧病餐巴水,瘡痍老蜀都。

飄零迷哭處,天地日榛蕪。

 

(台州の鄭司蘇少監とをす) #1

故舊 誰か我を憐む,平生 鄭と蘇となり。

存亡 重ねて見ず,喪亂 獨り前途。』

豪俊 何人か在る,文章 地を掃うて無し。

羇遊 萬里 闊なり,凶問 一年俱にす。

#2

白首 中原の上,清秋 大海の隅。

夜臺 北斗に當る,泉路 東著なり

罪を得て台州に去り,時危くして 碩儒を棄つ。

官を 蓬閣に移してより後に,穀 貴くして潛夫沒す。

流慟するも 嗟 何ぞ及ばん,銜冤 是れ有る夫【かな】。』

#3

道 消して詩 興を廢し,心息するは酒に徒と為ればなり。

許與 才 薄しと雖も,追隨 跡 未だ拘わらず。

班揚 名 甚だ盛んなり,嵇 阮 逸つ 相い須【ま】つ。

會【かばら】ず君臣の合するを取り,寧【なん】ぞ 品命の殊なるを銓【はか】らんや。

#4

賢良 必らずしも展べず,廊廟 偶然に趨【おもむ】けり。

勝は決す 風塵の際,功は安んず 造化の鑪。

從容 舊學に拘【と】う,慘澹 陰符閟【と】ず。』

嫌疑を擺落【はらく】すること久し,哀傷 志力 輸【いた】す。

俗は依る 綿谷の異なれるに,客は對す雪山の孤なるに。

#5

童稚より 諸子を思い,交朋 友于に列す。

情は乖く 清酒の送,望はゆ 撫墳の呼。

瘧病【ぎゃくびょう】巴水 餐し,瘡痍【そうい】蜀都に老ゆ。

飄零 哭處に迷う,天地 日【ひび】に榛蕪なり。』

蜀の山50055

 

『哭台州鄭司蘇少監』 現代語訳と訳註

(本文) #4

賢良不必展,廊廟偶然趨。

勝決風塵際,功安造化鑪。

從容拘舊學,慘澹閟陰符。』

擺落嫌疑久,哀傷志力輸。

俗依綿谷異,客對雪山孤。

 

(下し文) #4

賢良 必らずしも展べず,廊廟 偶然に趨【おもむ】けり。

勝は決す 風塵の際,功は安んず 造化の鑪。

從容 舊學に拘【と】う,慘澹 陰符閟【と】ず。』

嫌疑を擺落【はらく】すること久し,哀傷 志力 輸【いた】す。

俗は依る 綿谷の異なれるに,客は對す雪山の孤なるに。

 

(現代語訳)

仕える中で賢良のものたちはその志が必ず述べることができはしなかった、そうした中で、朝廷に出ていて偶然とはいえ安禄さの乱がおこり、慌てふためいた。

兵馬の塵が風雲のように広がった際でも、朝廷は勝つのである。征伐の戦の結果、天下は囲炉裏の中の火を消すように太平となった。

蘇源明はそのゆったりとした容貌に、以前先生であったという関係で聖天子の粛宗から相談される秘書少監にとりたてられたが、鄭虔の方はとても惨澹たるもので、安禄山の乱以前にも、儒者の将軍は、閑職しりぞけられ、兵法、兵略に長けていながら、書物の中にしまいこんで出す機会のないままであった。』

自分は蘇源明・鄭虔の両者を絶対的に信じているから初めから嫌疑など微塵も持ちはしなかった。両者の運命を見てからは自分の心も気力も哀傷にむかっていったのだ。

自分は今、ここ蜀にいるが、綿谷の異風俗により添うて生きており、そして、旅人として、孤立している雪山とは相対しているのである。

 

 (訳注) #4

哭台州鄭司蘇少監 

(台州の司戸参軍鄭虔と秘書少監蘇源明の死を聞いてそれを哭して作ったもの。)764年廣德二年53 秋の作。

台州鄭司 浙江省台州府。鄭司は房琯一党であり、房琯が左遷された際、杜甫,共に左遷された。杜甫は儒者学者である鄭虔と若い時から交際している。

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

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送鄭十八虔貶台州司、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 231

有懷台州鄭十八司虔 杜甫 <234-#1> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1145 杜甫特集700- 346

蘇少監 蘇源明も若い時から交際している。房琯事件の際左遷されている。755年天宝十四年、杜甫は前年、山東から国子監司業(国立大学教授)として長安に帰ってきた蘇源明や、広文館博士の鄭度と、酒を都合しては文学論をたたかわせている。

後出塞五首 其一 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 95

壮遊』「放蕩斉趙間、裘馬頗清狂。春歌叢台上、冬猟青丘旁。呼鷹皂櫪林、逐獣雲雪岡。射飛曾縦鞚、引臂落鶖鶬。蘇侯拠鞍喜、忽如携葛彊。
それから斉趙の間を気ままに歩き、軽裘肥馬(けいきゅうひば)  放逸の限りをつくした。春は叢台の上で歌を吟じ、冬は青丘のかたわらで狩りをする。櫟(いちい)の林で鷹を呼び、降りつむ雪の岡で獣(けもの)を追う。手綱(たづな)を放して飛鳥をねらい、弓をしぼって鶖鶬を射落とす。友人の蘇預は鞍を寄せてよろこび、葛彊が山簡に従うような親しさである
一緒に旅をしたのは「蘇侯」と書かれ、杜甫の自注によると蘇預(そよ後に蘇源明)のこと。ふたりは「青丘」で狩りをした。「青丘」は地図に示す青州(山東省益都県)の丘。蘇預が馬を寄せてきて杜甫の弓の腕前を褒めるのを、杜甫は晋の将軍山簡(さんかん)が部下の葛彊(かつきょう)を褒めるのに例えて、親しみをあらわしている。

望嶽 杜甫 <7> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ98 杜甫詩 700- 7

 

 

賢良不必展,廊廟偶然趨。

仕える中で賢良のものたちはその志が必ず述べることができはしなかった、そうした中で、朝廷に出ていて偶然とはいえ安禄さの乱がおこり、慌てふためいた。

不必展 開元の治を過ぎると、李林甫の横暴、楊国忠の横暴と玄宗は彼らに任せきりで、陽気人の頽廃におぼれていた。安史の乱以降、房琯一派は、経済政策政治理念の違いから発言場所は与えられなかった。

廊廟 朝廷内のいろんな場所。(安史の乱で慌てふためくため、朝廷内の各所で混乱する)

趨 混乱をあらわす走り回ることを意味する。

 

勝決風塵際,功安造化鑪。

兵馬の塵が風雲のように広がった際でも、朝廷は勝つのである。征伐の戦の結果、天下は囲炉裏の中の火を消すように太平となった。

風塵際 安禄山の叛乱で兵馬の塵が風雲のように広がった際のこと。

功 征伐の戦の結果うまく平定したこと。

安造化鑪 天地、万物を造化するけれどそれは天子にとって囲炉裏の中の出来事の様なもので、最後はきちんと灰をかけて消し去るというほどの意味。

 

從容拘舊學,慘澹閟陰符。』

蘇源明はそのゆったりとした容貌に、以前先生であったという関係で聖天子の粛宗から相談される秘書少監にとりたてられたが、鄭虔の方はとても惨澹たるもので、安禄山の乱以前にも、儒者の将軍は、閑職しりぞけられ、兵法、兵略に長けていながら、書物の中にしまいこんで出す機会のないままであった。』

從容 そのゆったりとした容貌。

拘舊學 以前先生であったという関係で聖天子の粛宗から相談される秘書少監にとりたてられたこと。

慘澹 ① いたましくて見るに忍びないさま。 -たる結果に終わる」 -たる殺戮を世上に見るのみなりき/日本開化小史 卯吉」 あれこれと心を砕くさま。

閟陰符 陰符は太公望の兵法。鄭虔は、天寶軍防録という兵法をまとめた書物を作って著したが、閟は、その書物を閉じてしまうこと。中国,道教経典の一つ。その源流は,戦国末,あるいは北魏の寇謙之にさかのぼるかと言われるが,現存のテキストは,唐の玄宗時代の道士,李筌の手を経るとされる。李筌によれば,陰符とは闇合の意で,造化の機密が人事の機密と暗合していると説くのがこの書の主旨と言う。唐・宋以後,その簡潔さもあって広く行われ,朱熹(しゆき)(朱子)も《陰符経考異》を著し,道を深く理解した人でなければ作れぬ書としている。

 

擺落嫌疑久,哀傷志力輸。

自分は蘇源明・鄭虔の両者を絶対的に信じているから初めから嫌疑など微塵も持ちはしなかった。両者の運命を見てからは自分の心も気力も哀傷にむかっていったのだ。

擺落 払い落とす。ここは嫌疑というものが微塵もないという意味。

 

俗依綿谷異,客對雪山孤。

自分は今、ここ蜀にいるが、綿谷の異風俗により添うて生きており、そして、旅人として、孤立している雪山とは相対しているのである。

綿谷異 綿州の谷地方の異風俗。

雪山 西山。雪嶺山脈。
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仲間たちは、昔の班固・揚雄ほどの人たちであり、名声も盛んである、あるいは、竹林の七賢の嵆康・阮籍のように俗世からの隠遁したいことは互いを必要としたということのように互いになくてはならないものであった。あの時、朝廷に出仕するにあたって天子と家臣の間がぴったり合致しさえすればよいという点において、互いを尊重し合っていて、冠位の階級の高下の違いがあることなど眼中になかったのである。

 

 
 2014年8月23日の紀頌之5つのブログ 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor15-448《訴衷情五首》魏承班Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-631-15-(448) 巻九漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4702 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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廣徳2764-98-#3 《哭台州鄭司蘇少監》 杜甫index-14 764年 杜甫<799ー#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4700 杜甫詩1500-799ー#3-1111/2500

 

 

作時年:              764年廣德二年53

卷別:    卷二三四              文體:    五言古詩

詩題:    哭台州鄭司蘇少監【案:草堂逸詩拾遺。】

及地點:              台州 (江南東道 台州 台州)              

綿谷 (山南西道 利州 綿谷)           

雪山 (劍南道北部 無第二級行政層級 雪山) 別名:雪嶺         

交遊人物:鄭虔;詩文提及  蘇源明:詩文提及

 

 

哭台州鄭司蘇少監 #1

(台州の司戸参軍鄭虔と秘書少監蘇源明の死を聞いてそれを哭して作ったもの。)764年廣德二年53 秋の作。

故舊誰憐我,平生鄭與蘇。

若い時からの旧友であるということであるが、誰が自分を気の毒がってくれたのかといえば、平生から、鄭虔と蘇源明である。

存亡不重見,喪亂獨前途。』

それがどうだ、今、私だけ存命であって、彼等は亡くなり、再び見ることはできない、これから先のことは自分ただ一人で喪亂のこの世を生きてゆくのだ。』

豪俊何人在,文章掃地無。

かれらが亡くなったことで、今の世にどこを探せば、豪俊なものがいるというのか、彼らが大切のしてきた文章というものは地を掃って亡くなってしまったといえるのである。

羇遊萬里闊,凶問一年俱。

自分はこうして万里の遠きに旅してきていて去年の房琯の死から一年の間に最も不吉な「凶」の報知を三通も一緒に受けたのである。

#2

白首中原上,清秋大海隅。

この老人の白髪頭を両雄の活躍した中原の上にやってみれば、清々しい秋空のもと、大海のかなたには蘇源明と遊んだ地が広がっている。

夜臺當北斗,泉路著東

夜になれば星がきらめく北斗七星の方角には蘇源明の墓があり、鄭虔の眠っている黄泉の国は東呉のはるか先にある。

得罪台州去,時危棄碩儒。

鄭虔は房琯一派ということで、罪を得て台州に貶め去られたし、その時には、朝廷には暗躍する宦官と利権を固執する賀蘭進明・第五琦らが讒言したもので大儒家を棄てられたのである。

移官蓬閣後,穀貴沒潛夫。

蘇源明は、秘書省に移官された頃に、賀蘭進明、第五琦の経済政策と貨幣乱造で米価が高騰し、社会の積弊を暴露して時政を攻撃したが、そのどさくさに巻き込まれ死亡した。

流慟嗟何及,銜冤有是夫。』

この両雄のためにいくら哭いても嘆いても追いつきはしない、冤罪や飢饉物価高騰というのは昔の話というだけのことではなく、これが現在にあったのだから嘆くよりないのである。』

#3

道消詩興廢,心息酒為徒。

これまでのことを考えてみるに、我々は世間で君子の道が減退していたので詩において自己の興を出し、心を休息させるためには酒の場において飲み仲間としていたのだ。

許與才雖薄,追隨跡未拘。

仲間から許されていた自分の文才は薄弱なものであると思っているが、仲間のみんなについて行くにあたっては未だかってない形跡にかかわるようなことはない精神的な交際であった。

班揚名甚盛,嵇阮逸相須。

仲間たちは、昔の班固・揚雄ほどの人たちであり、名声も盛んである、あるいは、竹林の七賢の嵆康・阮籍のように俗世からの隠遁したいことは互いを必要としたということのように互いになくてはならないものであった。

會取君臣合,寧銓品命殊。

あの時、朝廷に出仕するにあたって天子と家臣の間がぴったり合致しさえすればよいという点において、互いを尊重し合っていて、冠位の階級の高下の違いがあることなど眼中になかったのである。

#4

賢良不必展,廊廟偶然趨。

勝決風塵際,功安造化鑪。

從容拘舊學,慘澹閟陰符。』

擺落嫌疑久,哀傷志力輸。

俗依綿谷異,客對雪山孤。

#5

童稚思諸子,交朋列友于。

情乖清酒送,望撫墳呼。

瘧病餐巴水,瘡痍老蜀都。

飄零迷哭處,天地日榛蕪。

 

(台州の鄭司蘇少監とをす) #1

故舊 誰か我を憐む,平生 鄭と蘇となり。

存亡 重ねて見ず,喪亂 獨り前途。』

豪俊 何人か在る,文章 地を掃うて無し。

羇遊 萬里 闊なり,凶問 一年俱にす。

#2

白首 中原の上,清秋 大海の隅。

夜臺 北斗に當る,泉路 東著なり

罪を得て台州に去り,時危くして 碩儒を棄つ。

官を 蓬閣に移してより後に,穀 貴くして潛夫沒す。

流慟するも 嗟 何ぞ及ばん,銜冤 是れ有る夫【かな】。』

#3

道 消して詩 興を廢し,心息するは酒に徒と為ればなり。

許與 才 薄しと雖も,追隨 跡 未だ拘わらず。

班揚 名 甚だ盛んなり,嵇 阮 逸つ 相い須【ま】つ。

會【かばら】ず君臣の合するを取り,寧【なん】ぞ 品命の殊なるを銓【はか】らんや。

#4

賢良 必らずしも展べず,廊廟 偶然に趨【おもむ】けり。

勝は決す 風塵の際,功は安んず 造化の鑪。

從容 舊學に拘【と】う,慘澹 陰符閟【と】ず。』

嫌疑を擺落【はらく】すること久し,哀傷 志力 輸【いた】す。

俗は依る 綿谷の異なれるに,客は對す雪山の孤なるに。

#5

童稚より 諸子を思い,交朋 友于に列す。

情は乖く 清酒の送,望はゆ 撫墳の呼。

瘧病【ぎゃくびょう】巴水 餐し,瘡痍【そうい】蜀都に老ゆ。

飄零 哭處に迷う,天地 日【ひび】に榛蕪なり。』

三者の思惑が合致 

 

『哭台州鄭司蘇少監』 現代語訳と訳註

(本文) #3

道消詩興廢,心息酒為徒。

許與才雖薄,追隨跡未拘。

班揚名甚盛,嵇阮逸相須。

會取君臣合,寧銓品命殊。

 

(下し文)

#3

道 消して詩 興を廢し,心息するは酒に徒と為ればなり。

許與 才 薄しと雖も,追隨 跡 未だ拘わらず。

班揚 名 甚だ盛んなり,嵇 阮 逸つ 相い須【ま】つ。

會【かばら】ず君臣の合するを取り,寧【なん】ぞ 品命の殊なるを銓【はか】らんや。

 

(現代語訳)

これまでのことを考えてみるに、我々は世間で君子の道が減退していたので詩において自己の興を出し、心を休息させるためには酒の場において飲み仲間としていたのだ。

仲間から許されていた自分の文才は薄弱なものであると思っているが、仲間のみんなについて行くにあたっては未だかってない形跡にかかわるようなことはない精神的な交際であった。

仲間たちは、昔の班固・揚雄ほどの人たちであり、名声も盛んである、あるいは、竹林の七賢の嵆康・阮籍のように俗世からの隠遁したいことは互いを必要としたということのように互いになくてはならないものであった。

あの時、朝廷に出仕するにあたって天子と家臣の間がぴったり合致しさえすればよいという点において、互いを尊重し合っていて、冠位の階級の高下の違いがあることなど眼中になかったのである。

 

安史の乱当時の勢力図 

(訳注) #3

哭台州鄭司蘇少監 

(台州の司戸参軍鄭虔と秘書少監蘇源明の死を聞いてそれを哭して作ったもの。)764年廣德二年53 秋の作。

台州鄭司 浙江省台州府。鄭司は房琯一党であり、房琯が左遷された際、杜甫,共に左遷された。杜甫は儒者学者である鄭虔と若い時から交際している。

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

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送鄭十八虔貶台州司、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 231

有懷台州鄭十八司虔 杜甫 <234-#1> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1145 杜甫特集700- 346

蘇少監 蘇源明も若い時から交際している。房琯事件の際左遷されている。755年天宝十四年、杜甫は前年、山東から国子監司業(国立大学教授)として長安に帰ってきた蘇源明や、広文館博士の鄭度と、酒を都合しては文学論をたたかわせている。

後出塞五首 其一 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 95

壮遊』「放蕩斉趙間、裘馬頗清狂。春歌叢台上、冬猟青丘旁。呼鷹皂櫪林、逐獣雲雪岡。射飛曾縦鞚、引臂落鶖鶬。蘇侯拠鞍喜、忽如携葛彊。
それから斉趙の間を気ままに歩き、軽裘肥馬(けいきゅうひば)  放逸の限りをつくした。春は叢台の上で歌を吟じ、冬は青丘のかたわらで狩りをする。櫟(いちい)の林で鷹を呼び、降りつむ雪の岡で獣(けもの)を追う。手綱(たづな)を放して飛鳥をねらい、弓をしぼって鶖鶬を射落とす。友人の蘇預は鞍を寄せてよろこび、葛彊が山簡に従うような親しさである
一緒に旅をしたのは「蘇侯」と書かれ、杜甫の自注によると蘇預(そよ後に蘇源明)のこと。ふたりは「青丘」で狩りをした。「青丘」は地図に示す青州(山東省益都県)の丘。蘇預が馬を寄せてきて杜甫の弓の腕前を褒めるのを、杜甫は晋の将軍山簡(さんかん)が部下の葛彊(かつきょう)を褒めるのに例えて、親しみをあらわしている。

望嶽 杜甫 <7> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ98 杜甫詩 700- 7

 

 

道消詩興廢,心息酒為徒。

これまでのことを考えてみるに、我々は世間で君子の道が減退していたので詩において自己の興を出し、心を休息させるためには酒の場において飲み仲間としていたのだ。

○道消 世間で君子の道が減退していたこと。

○心息 心を休息させる。

○酒為徒 酒の場において飲み仲間とする。

 

許與才雖薄,追隨跡未拘。

仲間から許されていた自分の文才は薄弱なものであると思っているが、仲間のみんなについて行くにあたっては未だかってない形跡にかかわるようなことはない精神的な交際であった。

○許與 鄭虔と蘇源明(房琯)が杜甫の文才があると許していた。

○才 杜甫の文才。

○薄 薄弱、謙遜語。

○追隨 杜甫が鄭虔と蘇源明(房琯)に追随して交遊すること。

○跡未拘 外形上のことに拘束せず、精神的な交際をすること。

 

班揚名甚盛,嵇阮逸相須。

仲間たちは、昔の班固・揚雄ほどの人たちであり、名声も盛んである、あるいは、竹林の七賢の嵆康・阮籍のように俗世からの隠遁したいことは互いを必要としたということのように互いになくてはならないものであった。

○班揚 鄭虔と蘇源明(房琯)を班固・揚雄ほどの名声がある。

○嵇阮 鄭虔と蘇源明(房琯)を竹林の七賢の嵆康・阮籍のように俗世からの隠遁する人として尊重する。

○逸相須 互いを必要としたということのように互いになくてはならないもの。

 

會取君臣合,寧銓品命殊。

あの時、朝廷に出仕するにあたって天子と家臣の間がぴったり合致しさえすればよいという点において、互いを尊重し合っていて、冠位の階級の高下の違いがあることなど眼中になかったのである。

○此の句は、房琯一派の基本的な考え方であり、こうした交友を旧唐書でもふれている。あくまでも体制側のものである。

黄河二首の背景 杜甫 

7569月、房琯は賓客を喜び、談論を好んだ。知名の士を多く引き抜き、無名の者を軽視したので、 大勢の人が怨んだ。

   北海太守・賀蘭進明が行在所へやって来ると、粛宗皇帝は、南海太守、兼御史大夫として嶺南節度使に充てるよう 房琯へ命じた。それなのに、房琯は摂御史大夫とした。賀蘭進明が入って謝すると、 粛宗皇帝は摂御史大夫となったことを訝しんだ。そこで賀蘭進明は、房琯への不満を語り、 かつ言った。

房琯は、自ら兵を率いて両京を回復することを上疏した。 粛宗皇帝はこれを許し、房琯は、自ら参佐を選ぶことを請い、御史中丞・鄧景山を副、戸部侍郎・李揖を 行軍司馬、給事中・劉秩を参謀とした。出発した後、また、兵部尚書・王思禮を副とした。

   房琯は、軍務を全て李揖と劉秩へ任せたが、 二人とも書生で軍事のことは素人だった。 房琯は、人へ言った。

 

   「川を渡った賊徒は数こそ多いけれども、どうして我が劉秩へかなおうか!」

 

   房琯は、全隊を三軍に分けた。裨将・楊希文は南軍を率いて宜寿から入り、 劉貴哲は中軍を率いて武功から入り、李光進は北軍を率いて奉天から入った。

 

   賀蘭進明を河南節度使とした。

 

   東方では燕の令狐潮、王福徳が歩騎万余を率いて、また雍丘を攻めた。 張巡は出撃し、これを大いに破って数千級の首を斬る。燕軍は逃げ去った。

 

   房琯は中軍、北軍を前鋒とした。

   庚子、便橋へ到着する。

   辛丑、二軍は咸陽の陳濤斜にて賊将・安守忠と遭遇した。 房琯は、古法に倣って車戦を用い、牛車二千乗を馬歩が挟むような陣立てをした。 燕軍は、順風に乗って軍鼓を打ち鳴らす。牛は皆、震え上がった。そこで燕軍は火を放ったので、 人畜共に大いに乱れた。官軍の死傷者は四万余人。生存者は数千人だけだった。

   癸卯、房琯は自ら南軍を率いて戦ったが、また敗れた。 楊希文、劉貴哲は共に賊へ降伏した。

   粛宗皇帝は房琯の敗北を聞いて大いに怒った。だが、李泌が取りなしたので、 怒りもどうにか収まり、房琯とは従来通り接した。

   粛宗皇帝は薛景仙を関内節度副使とした。

7576月、房琯は高簡な性格。この時、国家は多難だったのに、房琯は病気と称して朝謁せず、 職務など気にしていなかった。庶子の劉秩、諫議大夫・李揖らと共に釈迦や老子を高談したり、 あるいは門客の董庭蘭の鼓琴を聞いたりしていた。 董庭蘭は、これでたくさんの権利を得た。

   董庭蘭が収賄したと、御史が上奏した。

   丁巳、房琯をやめさせて太子少師とする。 諫議大夫 ・張鎬を中書侍郎、同平章事とした。

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蘇源明は、秘書省に移官された頃に、賀蘭進明、第五琦の経済政策と貨幣乱造で米価が高騰し、社会の積弊を暴露して時政を攻撃したが、そのどさくさに巻き込まれ死亡した。

この両雄のためにいくら哭いても嘆いても追いつきはしない、冤罪や飢饉物価高騰というのは昔の話というだけのことではなく、これが現在にあったのだから嘆くよりないのである。』

 
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廣徳

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作時年:              764年廣德二年53

卷別:    卷二三四              文體:    五言古詩

詩題:    哭台州鄭司蘇少監【案:草堂逸詩拾遺。】

及地點:              台州 (江南東道 台州 台州)              

綿谷 (山南西道 利州 綿谷)           

雪山 (劍南道北部 無第二級行政層級 雪山) 別名:雪嶺         

交遊人物:鄭虔;詩文提及  蘇源明:詩文提及

 

 

哭台州鄭司蘇少監 #1

(台州の司戸参軍鄭虔と秘書少監蘇源明の死を聞いてそれを哭して作ったもの。)764年廣德二年53 秋の作。

故舊誰憐我,平生鄭與蘇。

若い時からの旧友であるということであるが、誰が自分を気の毒がってくれたのかといえば、平生から、鄭虔と蘇源明である。

存亡不重見,喪亂獨前途。』

それがどうだ、今、私だけ存命であって、彼等は亡くなり、再び見ることはできない、これから先のことは自分ただ一人で喪亂のこの世を生きてゆくのだ。』

俊何人在,文章掃地無。

かれらが亡くなったことで、今の世にどこを探せば、豪俊なものがいるというのか、彼らが大切のしてきた文章というものは地を掃って亡くなってしまったといえるのである。

羇遊萬里闊,凶問一年俱。

自分はこうして万里の遠きに旅してきていて去年の房琯の死から一年の間に最も不吉な「凶」の報知を三通も一緒に受けたのである。

#2

白首中原上,清秋大海隅。

この老人の白髪頭を両雄の活躍した中原の上にやってみれば、清々しい秋空のもと、大海のかなたには蘇源明と遊んだ地が広がっている。

夜臺當北斗,泉路著東

夜になれば星がきらめく北斗七星の方角には蘇源明の墓があり、鄭虔の眠っている黄泉の国は東呉のはるか先にある。

得罪台州去,時危棄碩儒。

鄭虔は房琯一派ということで、罪を得て台州に貶め去られたし、その時には、朝廷には暗躍する宦官と利権を固執する賀蘭進明・第五琦らが讒言したもので大儒家を棄てられたのである。

移官蓬閣後,穀貴沒潛夫。

蘇源明は、秘書省に移官された頃に、賀蘭進明、第五琦の経済政策と貨幣乱造で米価が高騰し、社会の積弊を暴露して時政を攻撃したが、そのどさくさに巻き込まれ死亡した。

流慟嗟何及,銜冤有是夫。』

この両雄のためにいくら哭いても嘆いても追いつきはしない、冤罪や飢饉物価高騰というのは昔の話というだけのことではなく、これが現在にあったのだから嘆くよりないのである。』#3

道消詩興廢,心息酒為徒。

許與才雖薄,追隨跡未拘。

班揚名甚盛,嵇阮逸相須。

會取君臣合,寧銓品命殊。

#4

賢良不必展,廊廟偶然趨。

勝決風塵際,功安造化鑪。

從容拘舊學,慘澹閟陰符。』

擺落嫌疑久,哀傷志力輸。

俗依綿谷異,客對雪山孤。

#5

童稚思諸子,交朋列友于。

情乖清酒送,望撫墳呼。

瘧病餐巴水,瘡痍老蜀都。

飄零迷哭處,天地日榛蕪。

 

(台州の鄭司蘇少監とをす) #1

故舊 誰か我を憐む,平生 鄭と蘇となり。

存亡 重ねて見ず,喪亂 獨り前途。』

豪俊 何人か在る,文章 地を掃うて無し。

羇遊 萬里 闊なり,凶問 一年俱にす。

#2

白首 中原の上,清秋 大海の隅。

夜臺 北斗に當る,泉路 東著なり

罪を得て台州に去り,時危くして 碩儒を棄つ。

官を 蓬閣に移してより後に,穀 貴くして潛夫沒す。

流慟するも 嗟 何ぞ及ばん,銜冤 是れ有る夫【かな】。』

#3

道 消して詩 興を廢し,心息するは酒に徒と為ればなり。

許與 才 薄しと雖も,追隨 跡 未だ拘わらず。

班揚 名 甚だ盛んなり,嵇 阮 逸つ 相い須【ま】つ。

會【かばら】ず君臣の合するを取り,寧【なん】ぞ 品命の殊なるを銓【はか】らんや。

#4

賢良 必らずしも展べず,廊廟 偶然に趨【おもむ】けり。

勝は決す 風塵の際,功は安んず 造化の鑪。

從容 舊學に拘【と】う,慘澹 陰符閟【と】ず。』

嫌疑を擺落【はらく】すること久し,哀傷 志力 輸【いた】す。

俗は依る 綿谷の異なれるに,客は對す雪山の孤なるに。

#5

童稚より 諸子を思い,交朋 友于に列す。

情は乖く 清酒の送,望はゆ 撫墳の呼。

瘧病【ぎゃくびょう】巴水 餐し,瘡痍【そうい】蜀都に老ゆ。

飄零 哭處に迷う,天地 日【ひび】に榛蕪なり。』

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かれらが亡くなったことで、今の世にどこを探せば、豪俊なものがいるというのか、彼らが大切のしてきた文章というものは地を掃って亡くなってしまったといえるのである。自分はこうして万里の遠きに旅してきていて去年の房琯の死から一年の間に最も不吉な「凶」の報知を三通も一緒に受けたのである。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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廣徳2764-98-#1 《哭台州鄭司蘇少監》 杜甫index-14 764年 杜甫<799ー#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4690 杜甫詩1500-799ー#1-1109/2500

 

 

 

作時年:              764年廣德二年53

卷別:    卷二三四              文體:    五言古詩

詩題:    哭台州鄭司蘇少監【案:草堂逸詩拾遺。】

及地點:  台州 (江南東道 台州 台州)              

綿谷 (山南西道 利州 綿谷)           

雪山 (劍南道北部 無第二級行政層級 雪山) 別名:雪嶺         

交遊人物:鄭虔;詩文提及  蘇源明:詩文提及

 

 

哭台州鄭司蘇少監 #1

(台州の司戸参軍鄭虔と秘書少監蘇源明の死を聞いてそれを哭して作ったもの。)764年廣德二年53 秋の作。

故舊誰憐我,平生鄭與蘇。

若い時からの旧友であるということであるが、誰が自分を気の毒がってくれたのかといえば、平生から、鄭虔と蘇源明である。

存亡不重見,喪亂獨前途。』

それがどうだ、今、私だけ存命であって、彼等は亡くなり、再び見ることはできない、これから先のことは自分ただ一人で喪亂のこの世を生きてゆくのだ。』

豪俊何人在,文章掃地無。

かれらが亡くなったことで、今の世にどこを探せば、豪俊なものがいるというのか、彼らが大切のしてきた文章というものは地を掃って亡くなってしまったといえるのである。

羇遊萬里闊,凶問一年俱。

自分はこうして万里の遠きに旅してきていて去年の房琯の死から一年の間に最も不吉な「凶」の報知を三通も一緒に受けたのである。

#2

白首中原上,清秋大海隅。

夜臺當北斗,泉路著東

得罪台州去,時危棄碩儒。

移官蓬閣後,穀貴沒潛夫。

流慟嗟何及,銜冤有是夫。』

#3

道消詩興廢,心息酒為徒。

許與才雖薄,追隨跡未拘。

班揚名甚盛,嵇阮逸相須。

會取君臣合,寧銓品命殊。

#4

賢良不必展,廊廟偶然趨。

勝決風塵際,功安造化鑪。

從容拘舊學,慘澹閟陰符。』

擺落嫌疑久,哀傷志力輸。

俗依綿谷異,客對雪山孤。

#5

童稚思諸子,交朋列友于。

情乖清酒送,望撫墳呼。

瘧病餐巴水,瘡痍老蜀都。

飄零迷哭處,天地日榛蕪。

 

(台州の鄭司蘇少監とをす) #1

故舊 誰か我を憐む,平生 鄭と蘇となり。

存亡 重ねて見ず,喪亂 獨り前途。』

豪俊 何人か在る,文章 地を掃うて無し。

羇遊 萬里 闊なり,凶問 一年俱にす。

#2

白首 中原の上,清秋 大海の隅。

夜臺 北斗に當る,泉路 東著なり

罪を得て台州に去り,時危くして 碩儒を棄つ。

官を 蓬閣に移してより後に,穀 貴くして潛夫沒す。

流慟するも 嗟 何ぞ及ばん,銜冤 是れ有る夫【かな】。』

#3

道 消して詩 興を廢し,心息するは酒に徒と為ればなり。

許與 才 薄しと雖も,追隨 跡 未だ拘わらず。

班揚 名 甚だ盛んなり,嵇 阮 逸つ 相い須【ま】つ。

會【かばら】ず君臣の合するを取り,寧【なん】ぞ 品命の殊なるを銓【はか】らんや。

#4

賢良 必らずしも展べず,廊廟 偶然に趨【おもむ】けり。

勝は決す 風塵の際,功は安んず 造化の鑪。

從容 舊學に拘【と】う,慘澹 陰符閟【と】ず。』

嫌疑を擺落【はらく】すること久し,哀傷 志力 輸【いた】す。

俗は依る 綿谷の異なれるに,客は對す雪山の孤なるに。

#5

童稚より 諸子を思い,交朋 友于に列す。

情は乖く 清酒の送,望はゆ 撫墳の呼。

瘧病【ぎゃくびょう】巴水 餐し,瘡痍【そうい】蜀都に老ゆ。

飄零 哭處に迷う,天地 日【ひび】に榛蕪なり。』

 

成都関連地図 00『哭台州鄭司蘇少監』 現代語訳と訳註

(本文)

哭台州鄭司蘇少監 #1

故舊誰憐我,平生鄭與蘇。

存亡不重見,喪亂獨前途。』

豪俊何人在,文章掃地無。

羇遊萬里闊,凶問一年俱。

 

(下し文)

(台州の鄭司と蘇少監とを哭す) #1

故舊 誰か我を憐む,平生 鄭と蘇となり。

存亡 重ねて見ず,喪亂 獨り前途。』

豪俊 何人か在る,文章 地を掃うて無し。

羇遊 萬里 闊なり,凶問 一年俱にす。

 

(現代語訳)

(台州の司戸参軍鄭虔と秘書少監蘇源明の死を聞いてそれを哭して作ったもの。)764年廣德二年53 秋の作。

若い時からの旧友であるということであるが、誰が自分を気の毒がってくれたのかといえば、平生から、鄭虔と蘇源明である。

それがどうだ、今、私だけ存命であって、彼等は亡くなり、再び見ることはできない、これから先のことは自分ただ一人で喪亂のこの世を生きてゆくのだ。』

かれらが亡くなったことで、今の世にどこを探せば、豪俊なものがいるというのか、彼らが大切のしてきた文章というものは地を掃って亡くなってしまったといえるのである。

自分はこうして万里の遠きに旅してきていて去年の房琯の死から一年の間に最も不吉な「凶」の報知を三通も一緒に受けたのである。

 

安史の乱当時の勢力図 

(訳注)

哭台州鄭司蘇少監 #1

(台州の司戸参軍鄭虔と秘書少監蘇源明の死を聞いてそれを哭して作ったもの。)764年廣德二年53 秋の作。

台州鄭司 浙江省台州府。鄭司は房琯一党であり、房琯が左遷された際、杜甫,共に左遷された。杜甫は儒者学者である鄭虔と若い時から交際している。

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩 誠実な詩人杜甫特集 55

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送鄭十八虔貶台州司、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 231

有懷台州鄭十八司虔 杜 <234-#1> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1145 杜甫特集700- 346

蘇少監 蘇源明も若い時から交際している。房琯事件の際左遷されている。755年天宝十四年、杜甫は前年、山東から国子監司業(国立大学教授)として長安に帰ってきた蘇源明や、広文館博士の鄭度と、酒を都合しては文学論をたたかわせている。

後出塞五首 其一 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 95

壮遊』「放蕩斉趙間、裘馬頗清狂。春歌叢台上、冬猟青丘旁。呼鷹皂櫪林、逐獣雲雪岡。射飛曾縦鞚、引臂落鶖鶬。蘇侯拠鞍喜、忽如携葛彊。
それから斉趙の間を気ままに歩き、軽裘肥馬(けいきゅうひば)  放逸の限りをつくした。春は叢台の上で歌を吟じ、冬は青丘のかたわらで狩りをする。櫟(いちい)の林で鷹を呼び、降りつむ雪の岡で獣(けもの)を追う。手綱(たづな)を放して飛鳥をねらい、弓をしぼって鶖鶬を射落とす。友人の蘇預は鞍を寄せてよろこび、葛彊が山簡に従うような親しさである
一緒に旅をしたのは「蘇侯」と書かれ、杜甫の自注によると蘇預(そよ後に蘇源明)のこと。ふたりは「青丘」で狩りをした。「青丘」は地図に示す青州(山東省益都県)の丘。蘇預が馬を寄せてきて杜甫の弓の腕前を褒めるのを、杜甫は晋の将軍山簡(さんかん)が部下の葛彊(かつきょう)を褒めるのに例えて、親しみをあらわしている。

望嶽 杜甫 <7> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ98 杜甫詩 700- 7

 

故舊誰憐我,平生鄭與蘇。

若い時からの旧友であるということであるが、誰が自分を気の毒がってくれたのかといえば、平生から、鄭虔と蘇源明である。

 

存亡不重見,喪亂獨前途。』

それがどうだ、今、私だけ存命であって、彼等は亡くなり、再び見ることはできない、これから先のことは自分ただ一人で喪亂のこの世を生きてゆくのだ。』

 

豪俊何人在,文章掃地無。

かれらが亡くなったことで、今の世にどこを探せば、豪俊なものがいるというのか、彼らが大切のしてきた文章というものは地を掃って亡くなってしまったといえるのである。

 

羇遊萬里闊,凶問一年俱。

自分はこうして万里の遠きに旅してきていて去年の房琯の死から一年の間に最も不吉な「凶」の報知を三通も一緒に受けたのである。

杜甫が房琯との付き合いで経済学・政治学に長けていたことがよくわかるのは、房琯に関連した下記にしめす文章にはっきりと示されている。この文章について、経済学を理解していない人たちの訳は間違っているものが多く、このブログで、国内唯一の訳(20145/520146/21)を参考にされたい。

奉謝口敕放三司推問狀757年至徳二載

乾元元年華州試進士策問五首

祭故相國清河房公文

廣徳2年764-88 《別房太尉墓》 杜甫index-14 764年閬州<764 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4150 杜甫詩1500-764-1001/250052

763年廣徳元年1501 《祭故相國清河房公文-(1) 杜甫index-13 763年祭故相國清河房公文-(1) 杜甫<765 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4155 杜甫詩1500-765-1002/2500

756年至徳元から二載 《杜甫と房琯房琯関連 1-(1) 杜甫index-5 756年房琯関連 1-(1) 杜甫<1601-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4345 杜甫詩1500-1601-1-1040/2500

757年至徳二載 《杜甫と房琯 房琯関連 1-(2) 杜甫index-5 756年 房琯関連 1-(2) 杜甫<1601-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4350 杜甫詩1500-1601-2-1041/2500

757年至徳二載 《杜甫と房琯房琯関連 1-(3) 杜甫index-14 764年房琯関連 1-(3) 杜甫<1601-3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4355 杜甫詩1500-1601-3-1042/2500

 

廣徳2年764-97-#2 《陪鄭公秋晚北池臨眺》 杜甫index-14 764年 杜甫<798-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4685 杜甫詩1500-798-#2

未だ城の戸締りはされてはいないが宴席はもはや終わりにせねばならない。自分は節度使参謀に仕えているものの、政治には何らの補う仕事をしてはいないが、薄徳で病弱の体の自分にこの地宴の楽しみの機会を与えてもらったことはありがたいことである。

 
 2014年8月20日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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433 《青青水中蒲,三首之一》韓愈(韓退之)ID <1140> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4684韓愈詩-433 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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廣徳2764-97-#2 《陪鄭公秋晚北池臨眺》 杜甫index-14 764年 杜甫<798-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4685 杜甫詩1500-798-#2

 

 

作年:    764年廣德二年53

卷別:    卷二三四              文體:    五言古詩

詩題:    陪鄭公秋晚北池臨眺【草堂逸詩拾遺。】

作地點:              成都(劍南道北部 / 益州 / 成都)

交遊人物:嚴武    當地交遊(劍南道北部 益州 成都)

 

 

【草堂逸詩拾遺。】

陪鄭公秋晚北池臨眺

(鄭公厳武が秋の暮れに節度使官邸の北池に遊んで、眺め、詩を作るに陪席してこの詩を作った。)

北池雲水闊,華館闢秋風。

官邸の北池は、雲水が広々と広がっている。それをながめるため、美しい館の戸を開ければ秋風が入ってくる。

獨鶴元依渚,衰荷且映空。

渚の奥まったもとよりの所に一羽の鶴がいる。秋の暮れになると衰えた蓮の葉は多い空を映す池の水面の色を同じくする。

采菱寒刺上,蹋藕野泥中。

水の上では、寒くなると棘がかたくなる菱のみを採っているし、泥の中の蓮根を踏んで掘り起こしている。

素楫分曹往,金盤小徑通。

それには役所の人々がそれぞれの役割で組を分けて木肌に何も塗っていない白木の楫で舟を漕ぎながら菱の実や蓮根を取りに行く。池の中に小舟の通った道ができて、採り集めた菱の実や蓮根を金の飾りを施した大皿にかざる、

萋萋露草碧,片片晚旗紅。

やがて、夕暮れの露を含んだ草は萋萋と緑は色濃く映えている。それぞれの船には日暮れ色に染まった旗が片片と紅になびいている。

#2

杯酒霑津吏,衣裳與釣翁。

酒の盃は渡し場の役人、舟の係官にまでほどこされ、歳とった手伝いの漁父まで褒美の衣裳を分かち合うよう与えられている。

異方初豔菊,故里亦高桐。

こんな他郷で初めてこんなに艶やかな菊の花を見た。ここにはまた高い桐の木があるが自分の故郷にもこのような桐の木があるのである。

搖落關山思,淹留戰伐功。

今、秋風が吹くのに出会い、その葉が揺れ落ちているのを見て、官を辞して秦州、成都紀行で通過した関山について思い出し、吐蕃の城を包囲する遠方を眺めて此処に逗留するのは、厳武公の戰伐の功を期待しているからである。

嚴城殊未掩,清宴已知終。

未だ城の戸締りはされてはいないが宴席はもはや終わりにせねばならない。

何補參卿事,歡到薄躬。

自分は節度使参謀に仕えているものの、政治には何らの補う仕事をしてはいないが、薄徳で病弱の体の自分にこの地宴の楽しみの機会を与えてもらったことはありがたいことである。

 

(鄭公が秋晚北池に臨眺するに陪す)

北池 雲水 闊し,華館 秋風に闢く。

獨鶴 元 渚に依り,衰荷 且つ空に映ず。

菱を采る 寒刺の上,藕を蹋む 野泥の中。

素楫 曹を分ちて往く,金盤 小徑 通ず。

萋萋 露草 碧に,片片 晚旗 紅なり。

#2

杯酒 津吏に霑し,衣裳 釣翁に與う。

異方 初めて 豔菊,故里 亦た 高桐。

搖落 關山の思,淹留するは 戰伐の功。

嚴城 殊に未だ掩わず,清宴 已に 終るを知る。

何をか補わん 參卿の事,歡 薄躬に到る。

安史の乱当時の勢力図 

 

『陪鄭公秋晚北池臨眺』 【草堂逸詩拾遺。】現代語訳と訳註

(本文)

 #2

杯酒霑津吏,衣裳與釣翁。

異方初豔菊,故里亦高桐。

搖落關山思,淹留戰伐功。

嚴城殊未掩,清宴已知終。

何補參卿事,歡到薄躬。

 

(下し文) #2

杯酒 津吏に霑し,衣裳 釣翁に與う。

異方 初めて 豔菊,故里 亦た 高桐。

搖落 關山の思,淹留するは 戰伐の功。

嚴城 殊に未だ掩わず,清宴 已に 終るを知る。

何をか補わん 參卿の事,歡 薄躬に到る。

 

(現代語訳)

(鄭公厳武が秋の暮れに節度使官邸の北池に遊んで、眺め、詩を作るに陪席してこの詩を作った。)

酒の盃は渡し場の役人、舟の係官にまでほどこされ、歳とった手伝いの漁父まで褒美の衣裳を分かち合うよう与えられている。

こんな他郷で初めてこんなに艶やかな菊の花を見た。ここにはまた高い桐の木があるが自分の故郷にもこのような桐の木があるのである。

今、秋風が吹くのに出会い、その葉が揺れ落ちているのを見て、官を辞して秦州、成都紀行で通過した関山について思い出し、吐蕃の城を包囲する遠方を眺めて此処に逗留するのは、厳武公の戰伐の功を期待しているからである。

未だ城の戸締りはされてはいないが宴席はもはや終わりにせねばならない。

自分は節度使参謀に仕えているものの、政治には何らの補う仕事をしてはいないが、薄徳で病弱の体の自分にこの地宴の楽しみの機会を与えてもらったことはありがたいことである。

題新津北橋棲00 

(訳注) #2

陪鄭公秋晚北池臨眺【草堂逸詩拾遺。】

(鄭公厳武が秋の暮れに節度使官邸の北池に遊んで、眺め、詩を作るに陪席してこの詩を作った。)

鄭公 剣南西川節度使・成都尹の厳武。

北池 杜甫《立秋雨院中有作》「解衣開北,高枕對南樓。」(衣を解きて北戸を開き、高枕 南楼に対す。)とあって、北側に池がある。

《立秋雨院中有作》 杜甫index-14 764年 杜甫<778-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4545 杜甫詩1500-778-#1-1080/2500

成都には《晚秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟》〔得溪字。池在張儀子城。〕(秋の末、厳武に同伴して摩訶池に船を浮かべて遊んだ時詠んだ詩、764年廣德二年53)〔作詩にあたって「溪」の字を課題として得た。池は張儀の子城のに在る。〕というのもある。

 

杯酒霑津吏,衣裳與釣翁。

酒の盃は渡し場の役人、舟の係官にまでほどこされ、歳とった手伝いの漁父まで褒美の衣裳を分かち合うよう与えられている。

津吏 渡し場の役人、ここでは舟の係官。

釣翁 歳とった手伝いの漁父。

 

異方初豔菊,故里亦高桐。

こんな他郷で初めてこんなに艶やかな菊の花を見た。ここにはまた高い桐の木があるが自分の故郷にもこのような桐の木があるのである。

異方 他郷をいう。

初豔菊 初めてこんなに艶やかな菊の花。

故里 自分の故郷。

 

搖落關山思,淹留戰伐功。

今、秋風が吹くのに出会い、その葉が揺れ落ちているのを見て、官を辞して秦州、成都紀行で通過した関山について思い出し、吐蕃の城を包囲する遠方を眺めて此処に逗留するのは、厳武公の戰伐の功を期待しているからである。

搖落 秋風が吹くのに出会い、その葉が揺れ落ちているさま。

關山思 官を辞して秦州、成都紀行で通過した関山について思い出すこと。

淹留 此処にひさしく逗留すること。

戰伐功 厳武公の戰伐の功を期待していること。

 

嚴城殊未掩,清宴已知終。

未だ城の戸締りはされてはいないが宴席はもはや終わりにせねばならない

嚴城 守りの厳重な城。

 

何補參卿事,歡到薄躬。

自分は節度使参謀に仕えているものの、政治には何らの補う仕事をしてはいないが、薄徳で病弱の体の自分にこの地宴の楽しみの機会を与えてもらったことはありがたいことである。

何補參卿事 節度使参謀に仕えているものの、政治には何らの補う仕事をしてはいないということ。
成都関連地図 00 

廣徳2年764-97-#1 《陪鄭公秋晚北池臨眺》 杜甫index-14 764年 杜甫<798-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4680 杜甫詩1500-798-#1-1107/2500

それには役所の人々がそれぞれの役割で組を分けて木肌に何も塗っていない白木の楫で舟を漕ぎながら菱の実や蓮根を取りに行く。池の中に小舟の通った道ができて、採り集めた菱の実や蓮根を金の飾りを施した大皿にかざる、やがて、夕暮れの露を含んだ草は萋萋と緑は色濃く映えている。それぞれの船には日暮れ色に染まった旗が片片と紅になびいている。

 
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廣徳2764-97-#1 《陪鄭公秋晚北池臨眺》杜甫index-14 764年 杜甫<798-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4680 杜甫詩1500-798-#1-1107/2500

 

 

 

作年:    764年廣德二年53

卷別:    卷二三四              文體:    五言古詩

詩題:    陪鄭公秋晚北池臨眺【草堂逸詩拾遺。】

作地點:              成都(劍南道北部 / 益州 / 成都)

交遊人物:嚴武    當地交遊(劍南道北部 益州 成都)

 

 

陪鄭公秋晚北池臨眺【草堂逸詩拾遺。】

(鄭公厳武が秋の暮れに節度使官邸の北池に遊んで、眺め、詩を作るに陪席してこの詩を作った。)

北池雲水闊,華館闢秋風。

官邸の北池は、雲水が広々と広がっている。それをながめるため、美しい館の戸を開ければ秋風が入ってくる。

獨鶴元依渚,衰荷且映空。

渚の奥まったもとよりの所に一羽の鶴がいる。秋の暮れになると衰えた蓮の葉は多い空を映す池の水面の色を同じくする。

采菱寒刺上,蹋藕野泥中。

水の上では、寒くなると棘がかたくなる菱のみを採っているし、泥の中の蓮根を踏んで掘り起こしている。

素楫分曹往,金盤小徑通。

それには役所の人々がそれぞれの役割で組を分けて木肌に何も塗っていない白木の楫で舟を漕ぎながら菱の実や蓮根を取りに行く。池の中に小舟の通った道ができて、採り集めた菱の実や蓮根を金の飾りを施した大皿にかざる、

萋萋露草碧,片片晚旗紅。

やがて、夕暮れの露を含んだ草は萋萋と緑は色濃く映えている。それぞれの船には日暮れ色に染まった旗が片片と紅になびいている。

#2

杯酒霑津吏,衣裳與釣翁。

異方初豔菊,故里亦高桐。

搖落關山思,淹留戰伐功。

嚴城殊未掩,清宴已知終。

何補參卿事,歡到薄躬。

 

(鄭公が秋晚北池に臨眺するに陪す)

北池 雲水 闊し,華館 秋風に闢く。

獨鶴 元 渚に依り,衰荷 且つ空に映ず。

菱を采る 寒刺の上,藕を蹋む 野泥の中。

素楫 曹を分ちて往く,金盤 小徑 通ず。

萋萋 露草 碧に,片片 晚旗 紅なり。

#2

杯酒 津吏に霑し,衣裳 釣翁に與う。

異方 初めて 豔菊,故里 亦た 高桐。

搖落 關山の思,淹留するは 戰伐の功。

嚴城 殊に未だ掩わず,清宴 已に 終るを知る。

何をか補わん 參卿の事,歡 薄躬に到る。

 題新津北橋棲00 

 

『陪鄭公秋晚北池臨眺』 【草堂逸詩拾遺。】現代語訳と訳註

(本文)

陪鄭公秋晚北池臨眺【草堂逸詩拾遺。】

北池雲水闊,華館闢秋風。

獨鶴元依渚,衰荷且映空。

采菱寒刺上,蹋藕野泥中。

素楫分曹往,金盤小徑通。

萋萋露草碧,片片晚旗紅。

 

(下し文)

(鄭公が秋晚北池に臨眺するに陪す)

北池 雲水 闊し,華館 秋風に闢く。

獨鶴 元 渚に依り,衰荷 且つ空に映ず。

菱を采る 寒刺の上,藕を蹋む 野泥の中。

素楫 曹を分ちて往く,金盤 小徑 通ず。

萋萋 露草 碧に,片片 晚旗 紅なり。

 

(現代語訳)

(鄭公厳武が秋の暮れに節度使官邸の北池に遊んで、眺め、詩を作るに陪席してこの詩を作った。)

官邸の北池は、雲水が広々と広がっている。それをながめるため、美しい館の戸を開ければ秋風が入ってくる。

渚の奥まったもとよりの所に一羽の鶴がいる。秋の暮れになると衰えた蓮の葉は多い空を映す池の水面の色を同じくする。

水の上では、寒くなると棘がかたくなる菱のみを採っているし、泥の中の蓮根を踏んで掘り起こしている。

それには役所の人々がそれぞれの役割で組を分けて木肌に何も塗っていない白木の楫で舟を漕ぎながら菱の実や蓮根を取りに行く。池の中に小舟の通った道ができて、採り集めた菱の実や蓮根を金の飾りを施した大皿にかざる、

やがて、夕暮れの露を含んだ草は萋萋と緑は色濃く映えている。それぞれの船には日暮れ色に染まった旗が片片と紅になびいている。

nat0019 

(訳注)

陪鄭公秋晚北池臨眺【草堂逸詩拾遺。】

(鄭公厳武が秋の暮れに節度使官邸の北池に遊んで、眺め、詩を作るに陪席してこの詩を作った。)

鄭公 剣南西川節度使・成都尹の厳武。

北池 杜甫《立秋雨院中有作》「解衣開北,高枕對南樓。」(衣を解きて北戸を開き、高枕 南楼に対す。)とあって、北側に池がある。

《立秋雨院中有作》 杜甫index-14 764年 杜甫<778-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4545 杜甫詩1500-778-#1-1080/2500

成都には《晚秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟》〔得溪字。池在張儀子城。〕(秋の末、厳武に同伴して摩訶池に船を浮かべて遊んだ時詠んだ詩、764年廣德二年53)〔作詩にあたって「溪」の字を課題として得た。池は張儀の子城のに在る。〕というのもある。

 

北池雲水闊,華館闢秋風。

官邸の北池は、雲水が広々と広がっている。それをながめるため、美しい館の戸を開ければ秋風が入ってくる。

華館 美しい館。厳武の官邸。

闢 戸を開く。

 

獨鶴元依渚,衰荷且映空。

渚の奥まったもとよりの所に一羽の鶴がいる。秋の暮れになると衰えた蓮の葉は多い空を映す池の水面の色を同じくする。

獨鶴 一羽の鶴。

衰荷 秋の暮れになると衰えた蓮の葉。

 

采菱寒刺上,蹋藕野泥中。

水の上では、寒くなると棘がかたくなる菱のみを採っているし、泥の中の蓮根を踏んで掘り起こしている。

采菱 菱の実。

寒刺 秋も深まれば寒くなると棘がかたくなる菱の実のこと。

藕 蓮根。

 

素楫分曹往,金盤小徑通。

それには役所の人々がそれぞれの役割で組を分けて木肌に何も塗っていない白木の楫で舟を漕ぎながら菱の実や蓮根を取りに行く。池の中に小舟の通った道ができて、採り集めた菱の実や蓮根を金の飾りを施した大皿にかざる、

素楫 木肌に何も塗っていない白木の楫。

分曹往 役所の課の役割を分ける組み分けをすること。

金盤 金の飾りを施した大皿。菱の実や蓮根を飾る皿。

小徑通 池の中に小舟の通って道ができること。

 

萋萋露草碧,片片晚旗紅。

やがて、夕暮れの露を含んだ草は萋萋と緑は色濃く映えている。それぞれの船には日暮れ色に染まった旗が片片と紅になびいている。

萋萋 草草が繁っているさま。

露草 夕方になって、露を含んだ草は色濃くなっているさま。

片片 所の課の役割を分ける組み分けをしたそれぞれの船に旗を付けている一片一片のありさまをいう。

晚旗 日暮れ色に染まった旗。

安史の乱当時の勢力図 

廣徳2年764-96 《巴西聞收宮闕送班司馬入京【案:草堂逸詩拾遺。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<797> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4675 杜甫詩1500-797-1106/2500廣徳2年764-96

聞くところによると、郭子儀の唐王朝軍が宗廟をわが手に収め、我が君主には車につけた鈴を鳴らして陜州からお帰りになったそうだ。都が傾くほど人々は天子の黃屋の馬車をお迎えしてみたことだろう、また宮城の正殿では朱衣の官が朝礼の際、それぞれの立ち位置に引率して整列させていることだろう。

 
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廣徳2764-96 《巴西聞收宮闕送班司馬入京【案:草堂逸詩拾遺。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<797 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4675 杜甫詩1500-797-1106/2500廣徳2764-96

 

 

作年:    764年廣德二年53

卷別:    卷二三四              文體:    五言律詩

詩題:    巴西聞收宮闕送班司馬入京【案:草堂逸詩拾遺。】

作地點:              閬州(山南西道 / 閬州 / 閬州)

及地點:              巴西 (劍南道北部 綿州 巴西)            長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都            

交遊人物:班司馬              當地交遊(山南西道 閬州 閬州)

 

 

巴西聞收宮闕送班司馬入京

(閬州で郭子儀の唐王朝軍が都の宮闕を取り返したと聞き及んだ、その折、班司馬がの入京されるというのでこの詩で送る)
聞道收宗廟,鳴鑾自陝歸。

聞くところによると、郭子儀の唐王朝軍が宗廟をわが手に収め、我が君主には車につけた鈴を鳴らして陜州からお帰りになったそうだ。
傾都看黃屋,正殿引朱衣。

都が傾くほど人々は天子の黃屋の馬車をお迎えしてみたことだろう、また宮城の正殿では朱衣の官が朝礼の際、それぞれの立ち位置に引率して整列させていることだろう。

劍外春天遠,巴西敕使稀。

この剣閣の外の蜀の地は天子の春の空遠く離れており、巴西のこの地に宮闕を取り返したことを告げる天子のお使いが来ることなどほとんどない。

念君經世亂,匹馬向王畿。

ここに至っては、既に世乱を経た身を以て君が匹馬を飛ばして近畿の地へ向われるのを思う時、感慨するところである。 

(巴西にて宮闕を收むと聞き班司馬が京に入るを送る)

聞道く宗廟を收めて,鳴鑾 陝より歸ると。

都を傾けて黃屋を看て,正殿には朱衣引かん。

劍外 春天遠く,巴西 敕使 稀れなり。

念う 君が世亂を經て,匹馬 王畿に向うことを。

 

蜀中転々圖

『巴西聞收宮闕送班司馬入京』 現代語訳と訳註

(本文)

巴西聞收宮闕送班司馬入京

聞道收宗廟,鳴鑾自陝歸。

傾都看黃屋,正殿引朱衣。

劍外春天遠,巴西敕使稀。

念君經世亂,匹馬向王畿。

 

 

(下し文)

(巴西にて宮闕を收むと聞き班司馬が京に入るを送る)

聞道く宗廟を收めて,鳴鑾 陝より歸ると。

都を傾けて黃屋を看て,正殿には朱衣引かん。

劍外 春天遠く,巴西 敕使 稀れなり。

念う 君が世亂を經て,匹馬 王畿に向うことを。

 

(現代語訳)

(閬州で郭子儀の唐王朝軍が都の宮闕を取り返したと聞き及んだ、その折、班司馬がの入京されるというのでこの詩で送る)

聞くところによると、郭子儀の唐王朝軍が宗廟をわが手に収め、我が君主には車につけた鈴を鳴らして陜州からお帰りになったそうだ。

都が傾くほど人々は天子の黃屋の馬車をお迎えしてみたことだろう、また宮城の正殿では朱衣の官が朝礼の際、それぞれの立ち位置に引率して整列させていることだろう。

この剣閣の外の蜀の地は天子の春の空遠く離れており、巴西のこの地に宮闕を取り返したことを告げる天子のお使いが来ることなどほとんどない。

ここに至っては、既に世乱を経た身を以て君が匹馬を飛ばして近畿の地へ向われるのを思う時、感慨するところである。

太白山001 

(訳注)

巴西聞收宮闕送班司馬入京

(閬州で郭子儀の唐王朝軍が都の宮闕を取り返したと聞き及んだ、その折、班司馬がの入京されるというのでこの詩で送る)

巴西 三巴の閬州

宮闕 朝廷の門の両脇の小門。

班司馬 《送司馬入京》と同人物。閬州の属官。

 

聞道收宗廟,鳴鑾自陝歸。

聞くところによると、郭子儀の唐王朝軍が宗廟をわが手に収め、我が君主には車につけた鈴を鳴らして陜州からお帰りになったそうだ。

聞道 きくならく。ひとの謂うことには。聞くところによると。

鳴鑾 車のヨコギにつけた鈴。

 河南道陜州、代宗が逃げ延びたところ。

 

傾都看黃屋,正殿引朱衣。

都が傾くほど人々は天子の黃屋の馬車をお迎えしてみたことだろう、また宮城の正殿では朱衣の官が朝礼の際、それぞれの立ち位置に引率して整列させていることだろう。

黃屋 天子の馬車、天子の車は車の屋根の裏を黄色の絹張りをいう。

正殿 礼儀を行う表御殿。

朱衣 御史太夫の從官の着る服で、この官が朝礼の際引率してそれぞれの立ち位置に引率する。

 

劍外春天遠,巴西敕使稀。

この剣閣の外の蜀の地は天子の春の空遠く離れており、巴西のこの地に宮闕を取り返したことを告げる天子のお使いが来ることなどほとんどない。

劍外 剣閣の外、つまり蜀の地をいう。

敕使 天子の仰せをつたえるお使い。

 

念君經世亂,匹馬向王畿。

ここに至っては、既に世乱を経た身を以て君が匹馬を飛ばして近畿の地へ向われるのを思う時、感慨するところである。

 王司馬のこと。

匹馬 一匹の馬。

王畿 都近くの地方。
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そこで、文武の官員が天子の乗り物が長安に帰った後で、それを確認してから朝廷に帰ってきたこと、なさけないことに、後からお供をするというものであったそうだという。元通りに回復するというのはこの通りの有様であったが、その安心な部分と危険な部分が両方ある都の平穏さを取り戻すのは、朝廷を司る数人の宰相のかたにかかっている。

 
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廣徳元年(763) 10月、吐蕃が涇州へ来寇した。刺史の高暉は城を以てこれに降り、彼の為に道案内となって、吐蕃軍を 深く引き入れる。 吐蕃軍が奉天、武功へ来寇し、京師はパニックとなった。代宗皇帝は兵を動員しようとしていたが、 吐蕃軍は既に便橋を渡ったので、慌てふためいて為す術を知らなかった。代宗皇帝は陜州へ疎開する。 官吏はあちこち逃げ回り、六軍は逃げ散った。代宗皇帝は詔を下して、雍王・李适を関内元帥とし、 郭子儀を副元帥として吐蕃軍に当たらせることとした。郭子儀は只ちに動いたが、吐蕃軍が20万の大軍で 侵攻して来ていたので、募兵することにした。

  驃騎大将軍の程元振は横暴に振る舞っていて、人々は李輔国以上に畏れた。 そして程元振は、大功を建てた 諸将全員を忌疾し、彼等を害そうと思っていた。 吐蕃が入寇した時、程元振はすぐには上奏しなかったので、結局は代宗皇帝が慌てふためいて疎開する羽目となったのだ。 代宗皇帝が詔を発して諸道の兵を徴発しても、李光弼らは程元振が居ることを忌み、だれも駆けつけなかった。 中外は歯がみしたが、敢えて口に出す者はいなかった。

  まもなく吐蕃軍は長安を陥落させた。吐蕃軍は 広武王・李承宏を皇帝に立てて傀儡とした。吐蕃軍は府庫を掠奪、士民は皆、乱を避けて山中や谷間に逃げる者が 数え切れないほどであった。

 

 11月、代宗皇帝は程元振の官爵を削り、田里へ放帰した。

  郭子儀は30騎で御宿川の楯山の東に至る

 

12月 丁亥の日、吐蕃軍が去ったことを知り、車駕が陜州を出発し、京師へ戻った。 この時、左丞・顔眞卿は、まず陵廟へ謁してから宮へ帰るよう 代宗皇帝へ請うた。元載は従わない。顔眞卿は怒って言った。

 

  「相公が再び請われることに、朝廷がどうして耐えられようか!」

 

  元載は、これを根に持った。

  甲午の日、代宗皇帝が長安へ到着する。 魚朝恩を天下観軍容宣慰置使として、禁兵・神策軍を統率させた。 寵を得ること比類なかった。鄠県と中渭橋に城を築き、 兵を駐屯させて吐蕃帝国の襲撃に備えた。 駱奉仙を鄠県築城使とし、その兵を指揮させる。

 

  乙未の日、苗晋卿を太保、裴遵慶を太子少傅として、 共に政事をやめさせた。宗正卿・李峴を黄門侍郎、同平章事と する。

  裴遵慶が去ってしまうと、元載の権勢は益々盛んになった。 賄賂を贈って内侍の董秀や使主書卓・英倩と密かに往来する。 だから元載は、代宗皇帝が望んでいることを必ず先に知り、 細かく心を配って迎合したので、発言は全て意向に叶った。 それ故、代宗皇帝はますます元載を寵愛した。

 

  吐蕃軍が去った後に広武王・李承宏は野に身を隠していたが、 代宗皇帝は広武王・李承宏を華州へ放逐した。

 

  さて、程元振は、罪を得た後に三原へ帰っていたが、代宗皇帝が宮殿へ 帰ったと聞くと、布陣の衣を着て私的に長安へ入り、 密かに復帰の機会を窺った。 京兆府は、これを捕らえて報告した。

<大唐朝誌>

 

 

制作年:              764年廣德二年53

卷別:    卷二三四              文體:    五言律詩

詩題:    收京〔收京闕〕【草堂逸詩拾遺】

及地點:              長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都      

 

收京

復道收京邑,兼聞殺犬戎。

衣冠卻扈從,車駕已還宮。

克復成如此,安危在數公。

莫令回首地,慟哭起悲風。

(唐王朝軍の郭子儀が吐蕃の手から都長安を取り返したことを詠う。)

世間のうわさを聞くと、王朝軍の郭子儀が吐蕃の手から都長安を取り返したというし、その上、犬戎ともいう吐蕃をも殺したともいうのである。

そこで、文武の官員が天子の乗り物が長安に帰った後で、それを確認してから朝廷に帰ってきたこと、なさけないことに、後からお供をするというものであったそうだという。

元通りに回復するというのはこの通りの有様であったが、その安心な部分と危険な部分が両方ある都の平穏さを取り戻すのは、朝廷を司る数人の宰相のかたにかかっている。

その場からあちこちを見回してみると、何度も、こうして逃げ出さなければいけなくて、何度も慟哭するような事態が起こらないようにしてもらいたいものだ。

 

(收京)

復た道う 京邑を收むと,兼ねて聞く 犬戎を殺すと。

衣冠 卻って扈從【こじゅう】す,車駕 已に宮に還える。

克復【こくふく】 成【まこと】に此の如し,安危【あんき】數公に在り。

回首の地を令て,慟哭 悲風を起さしむること莫れ。

 

閶闔門001 

『收京』 現代語訳と訳註

(本文)

收京

復道收京邑,兼聞殺犬戎。

衣冠卻扈從,車駕已還宮。

克復成如此,安危在數公。

莫令回首地,慟哭起悲風。

 

(含異文)           

復道收京邑,兼聞殺犬戎。

衣冠卻扈從,車駕已還宮。

克復成如此,安危在數公【扶持在數公】。

莫令回首地,慟哭起悲風。

 

(下し文)

(收京)

復た道う 京邑を收むと,兼ねて聞く 犬戎を殺すと。

衣冠 卻って扈從【こじゅう】す,車駕 已に宮に還える。

克復【こくふく】 成【まこと】に此の如し,安危【あんき】數公に在り。

回首の地を令て,慟哭 悲風を起さしむること莫れ。

 

(現代語訳)

(唐王朝軍の郭子儀が吐蕃の手から都長安を取り返したことを詠う。)

世間のうわさを聞くと、王朝軍の郭子儀が吐蕃の手から都長安を取り返したというし、その上、犬戎ともいう吐蕃をも殺したともいうのである。

そこで、文武の官員が天子の乗り物が長安に帰った後で、それを確認してから朝廷に帰ってきたこと、なさけないことに、後からお供をするというものであったそうだという。

元通りに回復するというのはこの通りの有様であったが、その安心な部分と危険な部分が両方ある都の平穏さを取り戻すのは、朝廷を司る数人の宰相のかたにかかっている。

その場からあちこちを見回してみると、何度も、こうして逃げ出さなければいけなくて、何度も慟哭するような事態が起こらないようにしてもらいたいものだ。

 

安史の乱当時の勢力図 

(訳注)

收京

(唐王朝軍の郭子儀が吐蕃の手から都長安を取り返したことを詠う。)

この詩は、76312月に長安を収め、代宗が帰られたということを杜甫が年明けに聞きこの詩をつくったが、764年秋、厳武の幕府から草堂に帰って整理している。

 

復道收京邑,兼聞殺犬戎。

世間のうわさを聞くと、王朝軍の郭子儀が吐蕃の手から都長安を取り返したというし、その上、犬戎ともいう吐蕃をも殺したともいうのである。

復道 安禄山の時も天子は蜀と霊武に逃げたが、吐蕃侵入に代宗は千秋ににげたことで「復道」という。

京邑 長安、長安近郊。

犬戎 侵攻した吐蕃を指す。

 

衣冠卻扈從,車駕已還宮。

そこで、文武の官員が天子の乗り物が長安に帰った後で、それを確認してから朝廷に帰ってきたこと、なさけないことに、後からお供をするというものであったそうだという。

衣冠 文武の官員。

卻扈從 後からお供をする。飛散していた朝廷の官僚は天子が長安に帰った後で、それを確認してから朝廷に帰ってきたことをいう。

車駕 天子の乗り物。

還宮 長安の宮殿に帰って来る。

 

克復成如此,安危在數公。

元通りに回復するというのはこの通りの有様であったが、その安心な部分と危険な部分が両方ある都の平穏さを取り戻すのは、朝廷を司る数人の宰相のかたにかかっている。

克復 元通りに回復する。

安危 安心な部分と危険な部分が両方あること。

數公 朝廷を司る数人の宰相。

 

莫令回首地,慟哭起悲風。

その場からあちこちを見回してみると、何度も、こうして逃げ出さなければいけなくて、何度も慟哭するような事態が起こらないようにしてもらいたいものだ。

回首地 杜甫がその場からあちこちを見回すことをいう。
三者の思惑が合致 

廣徳2年764-94 《送司馬入京【案:草堂逸詩拾遺。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<795> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4665 杜甫詩1500-795-1104/2500廣徳2年764-94

黃閣ともいえる大臣にしたがって左拾遺というような仕事を久しく承り諫言を申し上げたりした。天子の宮殿への丹庭、階において拝謁も叶えられ、今も友人たちはその朝廷にいるのである。

 
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廣徳

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制作年:              764年廣德二年53

卷別:    卷二三四              文體:    五言律詩

詩題:    送司馬入京【案:草堂逸詩拾遺。】

作地點:              閬州(山南西道 / 閬州 / 閬州)

及地點:              巴西 (劍南道北部 綿州 巴西)           

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都 

交遊人物:班司馬              當地交遊(山南西道 閬州 閬州)

 

 

送司馬入京

群盜至今日,先朝忝從臣。

歎君能戀主,久客羨歸秦。

黃閣長司諫,丹墀有故人。

向來論社稷,為話涕霑巾。

(班司馬の入京されるを送る)

安史の乱が終結しても、今日に至るも各地に盗賊や、叛乱を起こすものが後を絶たない。自分も先ごろまで、かたじけないことに従臣の一員としていた。

君主として歎くこともあったが君主をよくお慕いしていた、久しく旅客の人となっているけれども、長安方面に帰られる方を羨ましいと思うものである。

黃閣ともいえる大臣にしたがって左拾遺というような仕事を久しく承り諫言を申し上げたりした。天子の宮殿への丹庭、階において拝謁も叶えられ、今も友人たちはその朝廷にいるのである。

その頃は国家の事、経済のことをおおいに論じ合ったものである。こんな話をしていると涙は溢れ、こうして持っている服の袖まで塗れてしまうのである。

 

(送司馬入京)

群盜 今日に至り,先朝 忝けなくも臣に從う。

君に歎き能く主に戀し,久客 秦に歸るを羨む。

黃閣 長司諫め,丹墀 故人有り。

向來して社稷を論じ,話を為して涕巾を霑す。

 

安史の乱当時の勢力図 

『送司馬入京』 現代語訳と訳註

(本文)

送司馬入京

群盜至今日,先朝忝從臣。

歎君能戀主,久客羨歸秦。

黃閣長司諫,丹墀有故人。

向來論社稷,為話涕霑巾。

 

 

(下し文)

(送司馬入京)

群盜 今日に至り,先朝 忝けなくも臣に從う。

君に歎き能く主に戀し,久客 秦に歸るを羨む。

黃閣 長司諫め,丹墀 故人有り。

向來して社稷を論じ,話を為して涕巾を霑す。

 

(現代語訳)

(班司馬の入京されるを送る)

安史の乱が終結しても、今日に至るも各地に盗賊や、叛乱を起こすものが後を絶たない。自分も先ごろまで、かたじけないことに従臣の一員としていた。

君主として歎くこともあったが君主をよくお慕いしていた、久しく旅客の人となっているけれども、長安方面に帰られる方を羨ましいと思うものである。

黃閣ともいえる大臣にしたがって左拾遺というような仕事を久しく承り諫言を申し上げたりした。天子の宮殿への丹庭、階において拝謁も叶えられ、今も友人たちはその朝廷にいるのである。

その頃は国家の事、経済のことをおおいに論じ合ったものである。こんな話をしていると涙は溢れ、こうして持っている服の袖まで塗れてしまうのである。

 

三者の思惑が合致 

(訳注)

送司馬入京

(班司馬の入京されるを送る)

 

群盜至今日,先朝忝從臣。

安史の乱が終結しても、今日に至るも各地に盗賊や、叛乱を起こすものが後を絶たない。自分も先ごろまで、かたじけないことに従臣の一員としていた。

 

歎君能戀主,久客羨歸秦。

君主として歎くこともあったが君主をよくお慕いしていた、久しく旅客の人となっているけれども、長安方面に帰られる方を羨ましいと思うものである。

 

黃閣長司諫,丹墀有故人。

黃閣ともいえる大臣にしたがって左拾遺というような仕事を久しく承り諫言を申し上げたりした。天子の宮殿への丹庭、階において拝謁も叶えられ、今も友人たちはその朝廷にいるのである。

黃閣 古代の官職。大臣の別称。ここでは房琯を示す。

丹墀 宮殿の階上の庭、天子の宮殿。

 

向來論社稷,為話涕霑巾。

その頃は国家の事、経済のことをおおいに論じ合ったものである。こんな話をしていると涙は溢れ、こうして持っている服の袖まで塗れてしまうのである。

社稷 社(土地神を祭る祭壇)と稷(穀物の神を祭る祭壇)の総称。天壇・地壇や宗廟などとともに、中国の国家祭祀の中枢を担う。本項で記述。 転じて、国家のことを意味する。古代中国に於いては、土地とそこから収穫される作物が、国家の基礎であると考えられており、村ごとに土地の神と五穀の神を祀っていたが、やがて古代王朝が発生するようになると、天下を治める君主が国家の祭祀を行うようになり、やがて国家そのものを意味するようになった。

新しい国が興ると、社稷の祭壇と宗廟が設置された。帝王の都は、左に太祖と呼ばれる先祖(宗廟)を、右に土地神を(社稷)祀ることとされており、現在残る社稷の多くが、この形式にしたがっている。この形式は、古くは周の時代より存在したとされる。

中国では戦争に勝つと、戦いに勝利した国が敗北した国家の社稷の祭壇を破壊し、周囲の森を斬り拓いて天地のつながりを絶ち、前の王朝の廟や墓を破壊して祭祀を滅することによって、すなわち国家を滅ぼすこととされた。

廣徳2年764-93 《軍中醉飲寄沈八劉叟【案:一作暢當詩。】【案:他集互見。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<794> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4660 杜甫詩1500-794-1103/2500廣徳2年764-93

酒を呑むほどにのどが渇くときには錦江の水がきよらかにながれているのはうれしいことだ。だから、酔った挙句、夕暮れの波打ち際言って口を灌ぐのだ。そして、河原の軟らかい砂に穏やかに傾いて座る、暫く眠ったようで冷たい石の側で眠りが醒めたところだ。

 
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制作年:              764年廣德二年53

卷別:    卷二三四              文體:    五言律詩

詩題:    軍中醉飲寄沈八劉叟〔暢當詩〕

交遊人物:沈八・ 劉叟    <書信往來>

 

 

軍中醉飲寄沈八劉叟

(節度使軍、幕府で川辺に幔幕を張って、宴を催した時に、沈八、劉叟にこの詩を寄せたものである)

酒渴愛江清,餘甘漱晚汀。

酒を呑むほどにのどが渇くときには錦江の水がきよらかにながれているのはうれしいことだ。だから、酔った挙句、夕暮れの波打ち際言って口を灌ぐのだ。

軟沙攲坐穩,冷石醉眠醒。

そして、河原の軟らかい砂に穏やかに傾いて座る、暫く眠ったようで冷たい石の側で眠りが醒めたところだ。

野膳隨行帳,華音發從伶。

将軍が出向いて来て幔幕を張ったところに、野外の宴用のお膳が用意されている。都から随行してきた音楽人、妓優たちはこの地方の音楽ではない雅な音楽が歌いだされる。

數杯君不見,醉已遣沈冥。

君達、見たまえ、ほんの数杯の酒で、すっかりこんな前後不覚の態になってしまうというしまつだ。

 

(軍中の醉飲 沈八、劉叟に寄す)        

酒渴 江の清きを愛し,餘甘 晚汀に漱ぐ。

軟沙 攲坐【きざ】穩やかに,冷石 醉眠 醒む。

野膳 行帳に隨い,華音 從伶より發す。

數杯 君見ずや,都て已に沈冥なら遣む。

木蘭01

 

『軍中醉飲寄沈八劉叟』 現代語訳と訳註

(本文)

軍中醉飲寄沈八劉叟

酒渴愛江清,餘甘漱晚汀。

軟沙攲坐穩,冷石醉眠醒。

野膳隨行帳,華音發從伶。

數杯君不見,醉已遣沈冥。

 

(下し文)

(軍中の醉飲 沈八、劉叟に寄す)

酒渴 江の清きを愛し,餘甘 晚汀に漱ぐ。

軟沙 攲坐【きざ】穩やかに,冷石 醉眠 醒む。

野膳 行帳に隨い,華音 從伶より發す。

數杯 君見ずや,都て已に沈冥なら遣む。


(現代語訳)

(節度使軍、幕府で川辺に幔幕を張って、宴を催した時に、沈八、劉叟にこの詩を寄せたものである)

酒を呑むほどにのどが渇くときには錦江の水がきよらかにながれているのはうれしいことだ。だから、酔った挙句、夕暮れの波打ち際言って口を灌ぐのだ。

そして、河原の軟らかい砂に穏やかに傾いて座る、暫く眠ったようで冷たい石の側で眠りが醒めたところだ。

将軍が出向いて来て幔幕を張ったところに、野外の宴用のお膳が用意されている。都から随行してきた音楽人、妓優たちはこの地方の音楽ではない雅な音楽が歌いだされる。

君達、見たまえ、ほんの数杯の酒で、すっかりこんな前後不覚の態になってしまうというしまつだ。

砂浜001 

(訳注)

軍中醉飲寄沈八劉叟

(節度使軍、幕府で川辺に幔幕を張って、宴を催した時に、沈八、劉叟にこの詩を寄せたものである)

軍中 厳武の剣南西川節度使軍、幕府。

沈八劉叟 この二人の人物については未詳。

酒渴愛江清  餘甘漱晚
軟沙攲坐穩  冷石醉眠
野膳隨行帳  華音發從
數杯君不見  已遣沈

●●●○○  ○○●●△

●△△●●  △●●○△

●●○△●  △○●△○

●○○△●  ○●●△○

 

酒渴愛江清,餘甘漱晚汀。【餘酣漱晚汀】

酒を呑むほどにのどが渇くときには錦江の水がきよらかにながれているのはうれしいことだ。だから、酔った挙句、夕暮れの波打ち際言って口を灌ぐのだ。

酒渴 酒を呑むほどにのどが渇くこと。

餘甘 酔った挙句~をする。

 口をそそぐ。

晚汀 夕暮れの波打ち際。

 

軟沙攲坐穩,冷石醉眠醒。

そして、河原の軟らかい砂に穏やかに傾いて座る、暫く眠ったようで冷たい石の側で眠りが醒めたところだ。

軟沙 かわらの砂がやわらかいこと。

攲坐 傾いて座る。

 

野膳隨行帳,華音發從伶。

将軍が出向いて来て幔幕を張ったところに、野外の宴用のお膳が用意されている。都から随行してきた音楽人、妓優たちはこの地方の音楽ではない雅な音楽が歌いだされる。

野膳 野外の宴でのお膳。

行帳 出向いて来て幔幕を張ること。

華音 蜀や否かの音楽でなく、都の音楽。

從伶 追従してきた音楽

 

數杯君不見,都已遣沈冥。【醉已遣沈冥】

君達、見たまえ、ほんの数杯の酒で、すっかりこんな前後不覚の態になってしまうというしまつだ。

 すべて。

沈冥 酔って正体を失うさまをいう。
haqro01 

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草堂に帰ってきたが、何にもできないこと、悶々としていることなど雨が上がったら、秋風に吹っ飛ばすことにする。自分は一方では、帯を手に取って、朱紱をみて官僚の姿を見るけれど、他方、箱を開けて黒の皮衣を見ると、隠遁者でいたいと思うが、いまは、半官半隠というのは許されないのだ。

 
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廣徳2764-92 《村雨》 杜甫index-14 764年 杜甫<793> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4655 杜甫詩1500-793-1102/2500廣徳2764-92

 

 

制作年:              764年廣德二年53

卷 別:              卷二二八              文體:    七言律詩

詩題:    村雨

作地點:              成都(劍南道北部 / 益州 / 成都)

 

 

 村雨

(浣花渓にそぼ降る雨音を聞きながら、その感を詠う)

雨聲傳兩夜,寒事颯高秋。

外に出ないで床に伏していると雨の音はふたばん続いて伝わってくる。幕府で仕事をしたくない、かといって、草堂に帰ってきたが、何にもできないこと、悶々としていることなど雨が上がったら、秋風に吹っ飛ばすことにする。

挈帶看朱紱,開箱睹黑裘。

自分は一方では、帯を手に取って、朱紱をみて官僚の姿を見るけれど、他方、箱を開けて黒の皮衣を見ると、隠遁者でいたいと思うが、いまは、半官半隠というのは許されないのだ。

世情只益睡,盜賊敢忘憂。

世間の事情を考えれば、その考えがどうにもならないものだとわかり、ただ、ますます横になって眠らせるだけであり、今の時代に、盗賊のような輩が絶えないことを思えば、こうして寝ていても、国家を憂い、幕府のことを心配することを忘れることが出来ないのである。

松菊新霑洗,茅齋慰遠遊。

晩秋であっても、この雨で新たに色濃くしている松の木と菊の花が庭にある。それは、我が茅葺の書斎にいて、こうした遠游の旅情の慰めてくれているのだ。

 

(村雨)

雨聲 兩夜に傳わり,寒事 高秋に颯とす。

帶を挈りて 朱紱を看,箱を開きて 黑裘を睹る。

世情に 只だ 益【ますま】す睡り,盜賊に 敢て 憂を忘れんや。

松菊 新に霑洗し,茅齋 遠遊を慰む。

 

晩菊001 

『村雨』 現代語訳と訳註

(本文)

村雨

雨聲傳兩夜,寒事颯高秋。

挈帶看朱紱,開箱睹黑裘。

世情只益睡,盜賊敢忘憂。

松菊新霑洗,茅齋慰遠遊。

 

(下し文)

(村雨)

雨聲 兩夜に傳わり,寒事 高秋に颯とす。

帶を挈りて 朱紱を看,箱を開きて 黑裘を睹る。

世情に 只だ 益【ますま】す睡り,盜賊に 敢て 憂を忘れんや。

松菊 新に霑洗し,茅齋 遠遊を慰む。

 

(現代語訳)

(浣花渓にそぼ降る雨音を聞きながら、その感を詠う)

外に出ないで床に伏していると雨の音はふたばん続いて伝わってくる。幕府で仕事をしたくない、かといって、草堂に帰ってきたが、何にもできないこと、悶々としていることなど雨が上がったら、秋風に吹っ飛ばすことにする。

自分は一方では、帯を手に取って、朱紱をみて官僚の姿を見るけれど、他方、箱を開けて黒の皮衣を見ると、隠遁者でいたいと思うが、いまは、半官半隠というのは許されないのだ。

世間の事情を考えれば、その考えがどうにもならないものだとわかり、ただ、ますます横になって眠らせるだけであり、今の時代に、盗賊のような輩が絶えないことを思えば、こうして寝ていても、国家を憂い、幕府のことを心配することを忘れることが出来ないのである。

晩秋であっても、この雨で新たに色濃くしている松の木と菊の花が庭にある。それは、我が茅葺の書斎にいて、こうした遠游の旅情の慰めてくれているのだ。

金燈花03 

(訳注)

村雨

(浣花渓にそぼ降る雨音を聞きながら、その感を詠う)

村雨 浣花渓に降る雨。そぼ降る雨。

 

雨聲傳兩夜,寒事颯高秋。

外に出ないで床に伏していると雨の音はふたばん続いて伝わってくる。幕府で仕事をしたくない、かといって、草堂に帰ってきたが、何にもできないこと、悶々としていることなど雨が上がったら、秋風に吹っ飛ばすことにする。

寒事 ここの寒は苦しいこと、幕府で仕事をしたくない、かといって、草堂に帰ってきたが、何にもできないこと、悶々としていることなど。

 

【攬】帶看朱紱,開箱睹黑裘。

自分は一方では、帯を手に取って、朱紱をみて官僚の姿を見るけれど、他方、箱を開けて黒の皮衣を見ると、隠遁者でいたいと思うが、いまは、半官半隠というのは許されないのだ。

挈【攬】帶 帯を手に取ること。

朱紱 大夫の朱の皮前だれ、緋衣を賜っていることをいう。

睹 みる。

黑裘 隠遁者が着る上着。

 

世情只益睡,盜賊敢忘憂。

世間の事情を考えれば、その考えがどうにもならないものだとわかり、ただ、ますます横になって眠らせるだけであり、今の時代に、盗賊のような輩が絶えないことを思えば、こうして寝ていても、国家を憂い、幕府のことを心配することを忘れることが出来ないのである。

世情只益睡 世間の事情を考えれば、その考えがどうにもならないものだとわかり、ただ、ますます横になって眠らせるだけであるということ。

忘憂 国家を憂い、幕府のことを心配することを忘れることが出来ない。

 

松菊新霑洗,茅齋慰遠遊。

晩秋であっても、この雨で新たに色濃くしている松の木と菊の花が庭にある。それは、我が茅葺の書斎にいて、こうした遠游の旅情の慰めてくれているのだ。

松菊 古人が愛したもの、陶淵明はじめ詩人が愛した必須アイテム。

霑洗 この雨で新たに色濃くしている

茅齋 杜甫草堂、茅葺の書斎

慰 上句の松菊のことをいう。

遠遊 長い遠い旅をしていること。遠游の旅情。

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節度使の参謀になって青袍をきて、白馬の将軍に就きしだがって、何の意味があるというのだろうか、というのも、洛陽近郊の金谷澗や、洛陽の市街地の銅駝陌、それらの名所も安史の乱以降もとの姿をしていることはないというのにである。

 
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廣徳

2764-91 《至後》 杜甫index-14 764年 杜甫<792 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4650 杜甫詩1500-792-1101/2500廣徳2764-91

 

 

制作年:              764年廣德二年53

卷 別:              卷二二八              文體:    七言律詩

詩 題:              至後

及地點:              洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下     金谷園 (都畿道 河南府 洛陽)  

              銅駝街 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:銅駝陌  

 

 

至後

(当時が過ぎたある日の思いを詠んだ詩。)

冬至至後日初長,遠在劍南思洛陽。

冬至、冬至が過ぎるとやっと日中の方が長くなりはじめるというものだが、自分は遠い、剣南の地にあって、洛陽のことを思い出す。

青袍白馬有何意,金谷銅駝非故

節度使の参謀になって青袍をきて、白馬の将軍に就きしだがって、何の意味があるというのだろうか、というのも、洛陽近郊の金谷澗や、洛陽の市街地の銅駝陌、それらの名所も安史の乱以降もとの姿をしていることはないというのにである。

梅花欲開不自覺,棣萼一別永相望。

梅の花は咲くための準備をしているのか、そんな事には気が付きもしない。「棣鄂之情」ともいう弟とは一度別れてから永らくの間互に思いをやるばかりなのだ。

愁極本憑詩遣興,詩成吟詠轉淒涼。

詩を作れば作ったで、吟じれば吟じるほどに愈々悲しさが募って来るのは仕方のないことだ。

 

(至後)

冬至 至後 日初めて長し,遠く劍にみ在って洛陽を思う。

青袍 白馬 何の意有らん,金谷 銅駝 故らず

梅花 開かんと欲すれども 自ら覺えず,棣萼【ていがく】一別永く相い望むだけ。

愁 極れば 本と 詩に憑りて 興を遣り,詩成りて 吟詠すれば 轉【うた】た淒涼なり。

桃園001 

 

至後』 現代語訳と訳註

(本文)

至後

冬至至後日初長,遠在劍南思洛陽。

青袍白馬有何意,金谷銅駝非故

梅花欲開不自覺,棣萼一別永相望。

愁極本憑詩遣興,詩成吟詠轉淒涼。

 

(下し文)

(至後)

冬至 至後 日初めて長し,遠く劍にみ在って洛陽を思う。

青袍 白馬 何の意有らん,金谷 銅駝 故に非らず。

梅花 開かんと欲すれども 自ら覺えず,棣萼【ていがく】一別永く相い望むだけ。

愁 極れば 本と 詩に憑りて 興を遣り,詩成りて 吟詠すれば 轉【うた】た淒涼なり。

 

(現代語訳)

(当時が過ぎたある日の思いを詠んだ詩。)

冬至、冬至が過ぎるとやっと日中の方が長くなりはじめるというものだが、自分は遠い、剣南の地にあって、洛陽のことを思い出す。

節度使の参謀になって青袍をきて、白馬の将軍に就きしだがって、何の意味があるというのだろうか、というのも、洛陽近郊の金谷澗や、洛陽の市街地の銅駝陌、それらの名所も安史の乱以降もとの姿をしていることはないというのにである。

梅の花は咲くための準備をしているのか、そんな事には気が付きもしない。「棣鄂之情」ともいう弟とは一度別れてから永らくの間互に思いをやるばかりなのだ。

詩を作れば作ったで、吟じれば吟じるほどに愈々悲しさが募って来るのは仕方のないことだ。

 

(訳注)

至後

(当時が過ぎたある日の思いを詠んだ詩。)

冬至至後日初  遠在劍南思洛
青袍白馬有何意  金谷銅駝非故
梅花欲開不自覺  棣萼一別永相
愁極本憑詩遣興  詩成吟詠轉淒

○●●●●○△  ●●●○△●○

○○●●●△●  ○●○○○●○

○○●○△●●  ●●●●●△△

○●●○○●△  ○○△●●○△

 

冬至至後日初長,遠在劍南思洛陽。

冬至、冬至が過ぎるとやっと日中の方が長くなりはじめるというものだが、自分は遠い、剣南の地にあって、洛陽のことを思い出す。

冬至至後 冬至(とうじ)は、二十四節気の第22。一年で最も昼が短い。十一月中(旧暦11月内)。 現在広まっている定気法では太陽黄経が270度のときで1222日ごろ。それより数日後ということ。

劍南 剣閣よりみなみ、ここでは、劍南道北部 益州 成都ということ。

洛陽 故郷の偃師は洛陽の東隣である。

 

青袍白馬有何意,金谷銅駝非故

節度使の参謀になって青袍をきて、白馬の将軍に就きしだがって、何の意味があるというのだろうか、というのも、洛陽近郊の金谷澗や、洛陽の市街地の銅駝陌、それらの名所も安史の乱以降もとの姿をしていることはないというのにである。

青袍 下級官僚の役所の制服。杜甫《遣悶奉呈嚴公二十韻》「黃卷真如律,青袍也自公。」(黄巻 真に律の如し、青袍も也た公よりす。)役人としての功過を記される黄色の巻物は自分を束縛すること律令のごとく、役所から退出してからも青砲を着けているというふうである。

白馬 白馬に金の飾りをつけるのは、将軍で、ここでは厳武の馬に随うという意。杜甫《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》「南宮吾故人,白馬金盤陀。」(南宮の吾が故人【こじん】、白馬 金盤の陀。)礼部省にはいま私の親友である賈至がいる。彼は金の盤陀を飾った白馬にのっている。

金谷銅駝 金谷は洛陽近くの河南にある風光明媚な谷間。銅駝は銅駝陌で洛陽の大通り、市街地。

非故 杜甫が知っている故郷の姿ではない。

 

梅花欲開不自覺,棣萼一別永相望。

梅の花は咲くための準備をしているのか、そんな事には気が付きもしない。「棣鄂之情」ともいう弟とは一度別れてから永らくの間互に思いをやるばかりなのだ。

棣萼 にわうめの花。比兄弟。「棣鄂之情(ていがくのじょう)」. 意味は、 兄弟が大変仲良く、互いに尊敬と愛情とをそそぎ合っていること。 「 棣 」はにわうめのこと。 にわうめは花が沢山かたまって咲き、とても美しいことから。詩経「詩経」小雅・常棣の「常棣之華、鄂不、凡今之人、莫如兄弟」(常棣の華、鄂(いい)たらず、凡そ今の人、兄弟に如くは莫し)から。

 

愁極本憑詩遣興,詩成吟詠轉淒涼。

そんな心配事が極限になると、本来、死を作って、興を遣り、心の整理をするのだが、詩を作れば作ったで、吟じれば吟じるほどに愈々悲しさが募って来るのは仕方のないことだ。

遣興 杜甫は此の題で二十二首作っている。

 

遣興五首其一 杜甫 <235>遣興22首の⑧番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1154 杜甫特集700- 349

遣興五首其二 杜甫 <236>遣興22首の⑨番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1157 杜甫特集700- 350

遣興五首其三 杜甫 <237>遣興22首の⑩番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1160 杜甫特集700- 351

遣興五首其四 杜甫 <238>遣興22首の⑪番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1163 杜甫特集700- 352

遣興五首其五 杜甫 <239>遣興22首の⑫番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1166 杜甫特集700- 353

遣興二首其一 杜甫 <240>遣興22首の⑬番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1169 杜甫特集700- 354

遣興二首其二 杜甫 <241>遣興22首の⑭番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1172 杜甫特集700- 355

遣興 杜甫 <242>遣興22首の①番 kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1175 杜甫特集700- 356

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(この年十月、厳武が吐蕃の築いた鹽川城を攻めるので成都の西川節度使幕府を留守にしたので、杜甫は暇をもらってそうどうにかえった。その時に読んだ詩である。764年廣德二年53初冬。)追いかかったこの身には、軍服を来ているのは窮屈で仕方がない。草堂に帰って休んでいると冬の景色が深くなってきた。

 
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制作年:              764年廣德二年53

卷別:    卷二二八              文體:    五言律詩

詩題:    初冬

及地點:              習家池 (山南東道 襄州 峴山) 別名:習池      

 

 

初冬

(この年十月、厳武が吐蕃の築いた鹽川城を攻めるので成都の西川節度使幕府を留守にしたので、杜甫は暇をもらってそうどうにかえった。その時に読んだ詩である。764年廣德二年53初冬。)

垂老戎衣窄,歸休寒色深。

老いかかったこの身には、軍服を来ているのは窮屈で仕方がない。草堂に帰って休んでいると冬の景色が深くなってきた。

漁舟上急水,獵火著高林。

それは、漁舟は上流へ登ってゆくし、獣狩りをするために焼く火は高い林の上に着けられている。

日有習池醉,愁來〈梁甫吟〉。

自分は毎日、習池にも比すべき我が家近くの池で酔っ払っており、愁いが起これば、例によって「梁甫吟」を歌って慰めている。

干戈未偃息,出處遂何心。

近年続いている吐蕃の侵略による兵乱はこの年十月、厳武が吐蕃の築いた鹽川城を攻めているけれど、未だに終息したとは聞いていない。幕府に出所すべきか、引退すべきか自分の考えがあいまいでどうしたらよいのか。

 

(初冬)

垂老 戎衣窄【せま】し,歸休すれば 寒色深し。

漁舟 急水を上り,獵火 高林に著く。

日に 習池の醉有り,愁い來れば〈梁甫吟〉をす。

干戈 未だ偃息せず,出處 遂に何の心ぞ。

 

杜甫草堂詳細図02 

『初冬』 現代語訳と訳註

(本文)

初冬

垂老戎衣窄,歸休寒色深。

漁舟上急水,獵火著高林。

日有習池醉,愁來〈梁甫吟〉。

干戈未偃息,出處遂何心。

 

 

(下し文)

(初冬)

垂老 戎衣窄【せま】し,歸休すれば 寒色深し。

漁舟 急水を上り,獵火 高林に著く。

日に 習池の醉有り,愁い來れば〈梁甫吟〉をす。

干戈 未だ偃息せず,出處 遂に何の心ぞ。

 

(現代語訳)

(この年十月、厳武が吐蕃の築いた鹽川城を攻めるので成都の西川節度使幕府を留守にしたので、杜甫は暇をもらってそうどうにかえった。その時に読んだ詩である。764年廣德二年53初冬。)

追いかかったこの身には、軍服を来ているのは窮屈で仕方がない。草堂に帰って休んでいると冬の景色が深くなってきた。

それは、漁舟は上流へ登ってゆくし、獣狩りをするために焼く火は高い林の上に着けられている。

自分は毎日、習池にも比すべき我が家近くの池で酔っ払っており、愁いが起これば、例によって「梁甫吟」を歌って慰めている。

近年続いている吐蕃の侵略による兵乱はこの年十月、厳武が吐蕃の築いた鹽川城を攻めているけれど、未だに終息したとは聞いていない。幕府に出所すべきか、引退すべきか自分の考えがあいまいでどうしたらよいのか。

成都関連地図 00

 

(訳注)

初冬

(この年十月、厳武が吐蕃の築いた鹽川城を攻めるので成都の西川節度使幕府を留守にしたので、杜甫は暇をもらってそうどうにかえった。その時に読んだ詩である。764年廣德二年53初冬。)

 

垂老戎衣窄,歸休寒色深。【歸休寒氣深】

老いかかったこの身には、軍服を来ているのは窮屈で仕方がない。草堂に帰って休んでいると冬の景色が深くなってきた。

○垂老 老ゆるになんなんとす、老境にちかづくことをいう。 

 杜 甫《垂老別》「四郊未寧静、垂老不得安。子孫陣亡尽、焉用身獨完。」(四郊 未だ寧静【ねいせい】ならず,老いて垂【なんな】んとして安らかなるを得ず。)

垂老別 杜甫 三吏三別詩 <220>#1 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1061 杜甫詩集700- 318

戎衣 軍服。

窄 身幅が狭いこと。

歸休 家に帰って休むこと。

寒色深 冬景色、冬の気配が深くなる。

 

漁舟上急水,獵火著高林。

それは、漁舟は上流へ登ってゆくし、獣狩りをするために焼く火は高い林の上に着けられている。

 

日有習池醉,愁來〈梁甫吟〉。

自分は毎日、習池にも比すべき我が家近くの池で酔っ払っており、愁いが起これば、例によって「梁甫吟」を歌って慰めている。

習池醉 晋の山簡の故事。○習池 習家池(高陽池)のこと、刑州にある、晋の山簡は永嘉三年に襄陽に鎮したが、常に習氏の池上に飲み、これを名づけて高陽池といった。杜甫は習池を以て草堂に比している。山簡は、字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。山公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。 李白 『襄陽曲四首 其三』「峴山臨漢江、水淥沙如雪。上有墮淚碑、青苔久磨滅。」(峴山 漢江に臨み、水は緑に 抄は雪の如し。上に堕涙の碑有り、青苔に 久しく磨滅す。)『襄陽曲四首 其四』「且醉習家池。 莫看墮淚碑。 山公欲上馬。 笑殺襄陽兒。」 (且らく酔わん 習家の池、堕涙の碑を看る莫れ。山公 馬に上らんと欲すれは、笑殺す 嚢陽の児。)『秋浦歌十七首其七』「醉上山公馬、寒歌甯戚牛。空吟白石爛、淚滿黑貂裘。」( 其の七 酔うて上る 山公(さんこう)の馬、寒歌(かんか)するは  寧戚(ねいせき)の牛。空しく白石爛(はくせきらん)を吟ずれば、泪は満つ  黒貂(こくちょう)の裘(かわごろも)

○高陽 嚢陽にある池の名。

〇荊州 山簡を称する、山間は征南将軍として荊・湘・交・広の四州を都督したので、山間を荊州と称した、ここは山簡をもって厳武に比する。

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梁甫吟 ○梁甫吟 梁甫は泰山の傍にある山の名である、梁父ともいう。梁甫吟は山東地方の民謡。三国志に諸葛亮(孔明)が父の死後、既成のメロディーに合わせて歌詞をつくったとある。諸葛亮が愛詞した詩篇、其の辞にいう、「歩して斉の城門を出で、造かに蕩陰里を望む。里中に三墳有り、索索として相い似たり。閉り是れ誰が家の墓ぞ、田彊と古治子と。カは能く南山を排し、文は能く地紀を絶つ。一朝謹言を被り、二桃三士を殺す。誰か能く此の謀を為せる、国相たる斉の量子なり」と。梁甫は泰山の下の小山の名、孔明は山東に耕して此の詩を好んで吟じたという。其の意は妟子の陰謀を悪むに在るもののようである。

同李太守登歷下古城員外新亭 杜甫

同李太守登歷下古城員外新亭

新亭結構罷,隱見清湖陰。

跡籍台觀舊,氣冥海嶽深。

圓荷想自昔,遺堞感至今。』

芳宴此時具,哀絲千古心。

主稱壽尊客,筵秩宴北林。

不阻蓬蓽興,得兼梁甫吟。』

杜甫『登樓』

花近高樓傷客心,萬方多難此登臨。

錦江春色來天地,玉壘浮雲變古今。

北極朝廷終不改,西山寇盜莫相侵。

可憐後主還祠廟,日暮聊為梁甫吟。

廣徳2764-94 《登樓》 杜甫index-14 764年登樓 杜甫<766 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4415 杜甫詩1500-766-1054/25001

 

干戈未偃息,出處遂何心。

近年続いている吐蕃の侵略による兵乱はこの年十月、厳武が吐蕃の築いた鹽川城を攻めているけれど、未だに終息したとは聞いていない。幕府に出所すべきか、引退すべきか自分の考えがあいまいでどうしたらよいのか。

干戈 近年続いている吐蕃の侵略による兵乱。

未偃息 この年十月、厳武が吐蕃の築いた鹽川城を攻めていた。

出處遂何心 幕府に出所すべきか、引退すべきか自分の考えがあいまいであることをいう。
江畔独歩尋花 

廣徳2年764-89 《晚秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟〔得溪字。池在張儀子城內。〕》 杜甫index-14 764年 杜甫<790> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4640 杜甫詩1500-790-1099/2500廣徳2年764-89

(秋の末、厳武に同伴して摩訶池に船を浮かべて遊んだ時詠んだ詩、764年廣德二年53)〔作詩にあたって「溪」の字を課題として得た。池は張儀の子城のに在る。〕この池に流入する早瀬には流れが速いので、そこを抜けてきた風は酒の酔いを吹き醒ます、池に浮かべた船はゆっくりと迴えそうとするころには霧が立ち上りだした。

 

 
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制作年:              764年廣德二年53

卷別:    卷二二八              文體:    五言律詩

詩題:    晚秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟〔得溪字。池在張儀子城。〕

及地點: 摩訶池 (劍南道北部 益州 成都)    

交遊人物:嚴武    當地交遊(劍南道北部 益州 成都)

 

 

晚秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟〔得溪字。池在張儀子城。〕

(秋の末、厳武に同伴して摩訶池に船を浮かべて遊んだ時詠んだ詩、764年廣德二年53)〔作詩にあたって「溪」の字を課題として得た。池は張儀の子城のに在る。〕

湍駛風醒酒,船迴霧起堤。

この池に流入する早瀬には流れが速いので、そこを抜けてきた風は酒の酔いを吹き醒ます、池に浮かべた船はゆっくりと迴えそうとするころには霧が立ち上りだした。

高城秋自落,雜樹晚相迷。

高い城には自ずからもう秋も終ろうとして葉を落して、そうした雜樹に葉がなくなれば、夕暮れてくらくなれば何を目印に舟を進めるのに迷ってしまう。

坐觸鴛鴦起,巢傾翡翠低。

坐して安息していた鴛鴦は船の進行する気配に起きだしたし、巣が傾いて住んでいるカワセミまでもが木から垂れ下がってしまっている。

莫須驚白鷺,為伴宿清溪。

こんなことではつがいで仲良く安住している白鷺まで驚かしてはならないだろう、こんな面倒な摩訶池なんかにいないで、私の居る浣花渓の清流で泊まるほうがきっと良いと思う。

 

晚秋 嚴鄭公に陪して摩訶池に舟を泛ぶ〔「溪」の字を得たり。池は張儀の子城。〕

湍 駛くして 風は酒を醒まし,船 迴れば 霧は堤に起る。

高城 秋自ら落ち,雜樹 晚れて相い迷う。

坐して觸れれば 鴛鴦起き,巢傾けば翡翠低る。

須らく白鷺を驚かす莫れ,伴を為して 清溪に宿せん。

 

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『晚秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟〔得溪字。池在張儀子城。〕』 現代語訳と訳註

(本文)

晚秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟〔得溪字。池在張儀子城。〕

湍駛風醒酒,船迴霧起堤。

高城秋自落,雜樹晚相迷。

坐觸鴛鴦起,巢傾翡翠低。

莫須驚白鷺,為伴宿清溪。

 

(下し文)

晚秋 嚴鄭公に陪して摩訶池に舟を泛ぶ〔「溪」の字を得たり。池は張儀の子城に在る。〕

湍 駛くして 風は酒を醒まし,船 迴れば 霧は堤に起る。

高城 秋自ら落ち,雜樹 晚れて相い迷う。

坐して觸れれば 鴛鴦起き,巢傾けば翡翠低る。

須らく白鷺を驚かす莫れ,伴を為して 清溪に宿せん。

 

(現代語訳)

(秋の末、厳武に同伴して摩訶池に船を浮かべて遊んだ時詠んだ詩、764年廣德二年53)〔作詩にあたって「溪」の字を課題として得た。池は張儀の子城のに在る。〕

この池に流入する早瀬には流れが速いので、そこを抜けてきた風は酒の酔いを吹き醒ます、池に浮かべた船はゆっくりと迴えそうとするころには霧が立ち上りだした。

高い城には自ずからもう秋も終ろうとして葉を落して、そうした雜樹に葉がなくなれば、夕暮れてくらくなれば何を目印に舟を進めるのに迷ってしまう。

坐して安息していた鴛鴦は船の進行する気配に起きだしたし、巣が傾いて住んでいるカワセミまでもが木から垂れ下がってしまっている。

こんなことではつがいで仲良く安住している白鷺まで驚かしてはならないだろう、こんな面倒な摩訶池なんかにいないで、私の居る浣花渓の清流で泊まるほうがきっと良いと思う。

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(訳注)

晚秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟〔得溪字。池在張儀子城。〕

(秋の末、厳武に同伴して摩訶池に船を浮かべて遊んだ時詠んだ詩、764年廣德二年53)〔作詩にあたって「溪」の字を課題として得た。池は張儀の子城のに在る。〕

摩訶池 この池は隋の時代、成都を守っていた蜀王楊秀が成都に小さな城を増築する際に、土を掘りすぎた部分を人工湖としたもの。大きさについては、成都の水利専門家・陳渭忠(チェン・ウェイジョン)氏が「摩訶池の興廃」という本の中で、「摩訶池が完成した当初、面積は500ムー(約33万平方メートル)だったが、増築後の水域面積は約1000ムー(約66万平方メートル)と、一般的なサッカー場約100個分の大きさとなった」と記している。 唐代の詩人・杜甫らもこの摩訶池を詠んでおり、中国ではよく知られている。摩訶池は初唐、元末明初、明末と3度にわたる埋め立て作業により、水域面積が次第に縮小し、1914年にはすべてが埋め立てられ演武場となっている。2013年発掘調査されている。

摩訶 仏語。優れていること。大きいこと。偉大なこと。池の語の上に付いて美称として用いたもの。

85 《嚴鄭公階下新松【案:得霑字。】》

86 《嚴鄭公宅同詠竹【案:得香字。】》

87 《奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻【案:得忘字。】》

89 《晚秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟〔得溪字。池在張儀子城。〕》

以上の四首が同時期に作られたものである。

 

湍駛風醒酒,船迴霧起堤。【船行霧起堤】

この池に流入する早瀬には流れが速いので、そこを抜けてきた風は酒の酔いを吹き醒ます、池に浮かべた船はゆっくりと迴えそうとするころには霧が立ち上りだした。

湍駛 湍ははやせのこと。駛は迅疾な様子を感じさせる有様。

 

高城秋自落,雜樹晚相迷。

高い城には自ずからもう秋も終ろうとして葉を落して、そうした雜樹に葉がなくなれば、夕暮れてくらくなれば何を目印に舟を進めるのに迷ってしまう。

高城 人工的な池の土で作った城は、池から見れば高い。

秋自落、晚相迷 人工的に作った池は趣きがなく、秋も終わりになろうとすると木々の葉が落ちて、動物、鳥、の目標物がなくなるし、舟の目印もなくなって迷ってしまうという意。

鴛鴦0022 

坐觸鴛鴦起,巢傾翡翠低。

坐して安息していた鴛鴦は船の進行する気配に起きだしたし、巣が傾いて住んでいるカワセミまでもが木から垂れ下がってしまっている。

この二句は、前の「迷」ことから、「鴛鴦起」し「翡翠低」れさせてしまうことをいう。

 

莫須驚白鷺,為伴宿清溪。

こんなことではつがいで仲良く安住している白鷺まで驚かしてはならないだろう、こんな面倒な摩訶池なんかにいないで、私の居る浣花渓の清流で泊まるほうがきっと良いと思う。

清溪 杜甫の居る浣花渓の清流。
 

廣徳2年764-88 《奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻【案:得忘字。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<789-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4635 杜甫詩1500-789-#2-1098/2500廣徳2年764-88

谷が暗そうにみえるがそれは雨がふりだすためではなく、谷が奥深く見えるためであり、楓が丹くみえるがそれは霜がおいて紅くなったためではなく、秋が深いと見えるためである。この図をみていると秋の成都の城も仙境である所の懸田の外に、また一つの懸圃であるかのようである、又、すべての景物は洞庭湖のそばにあるそれのように広大で悠々として見えるのである。


 
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(鄭国公厳武の客間にかけてある眠山沱江の画図を観てよんだ詩。764年廣德二年53秋の作。)陀水は座席の中ほどにかかってながれていて、眠山はこの家の奥ざしきへやってきている。漆喰の壁には白い波が吹きつけられ、青いやまが彫刻したはり木にさしはさんである。』

 
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廣徳2764-87 《奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻【案:得忘字。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<789-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4630 杜甫詩1500-789-#1-1097/2500廣徳2764-87

 

 

制作年:764    廣德二年53

卷別:    卷二二八              文體:    五言古詩

詩題:    奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻〔得忘字。〕

及地點:              岷山 (劍南道北部 茂州 岷山) 別名:西山、汶山         

沱江 (劍南道北部 益州 新繁) 別名:沱水      

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭      

交遊人物:嚴武    當地交遊(劍南道北部 益州 成都)

 

 

奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻〔得忘字。〕

(鄭国公厳武の客間にかけてある眠山沱江の画図を観てよんだ詩。764年廣德二年53秋の作。)

沱水流中座,岷山到此堂。

陀水は座席の中ほどにかかってながれていて、眠山はこの家の奥ざしきへやってきている。

白波吹粉壁,青嶂插雕梁。

漆喰の壁には白い波が吹きつけられ、青いやまが彫刻したはり木にさしはさんである。』

直訝杉松冷,兼疑菱荇香。

そこには杉や松が冷やかに立っているかといぶかられ、また菱やアサザが香っているのかと疑われる。

雪雲虛點綴,沙草得微茫。

鉛色の雲から、いたずらに、書物をつづる糸のように点々として雪が書かれ、沙原に生じた草はかすかに春化気姿を得ている。

嶺雁隨毫末,川蜺飲練光。

雪嶺山脈にとぶ雁は微小な形が相い随って列をなす、川にかかれる蜺【にじ】は練絹の光のような水面のみずを飲みこもうとしているようにみえる。

#2

霏紅洲蕊亂,拂黛石蘿長。

暗谷非關雨,丹楓不為霜。

秋成玄圃外,景物洞庭旁。

繪事功殊幽襟興激昂。

從來謝太傅,丘壑道難忘。

 

(嚴鄭公が廳事の岷山、沱江の畫圖を觀て奉る十韻〔「忘」字を得たり。〕)

沱水 中座に流れ,岷山 此堂に到る。

白波 粉壁に吹き,青嶂 雕梁に插さむ。

直ちに訝ぶる 杉松の冷やかなるかと,兼ねて疑う 菱荇【りょうこう】の香しきかと。

雪雲 虛しく點綴【ていてい】し,沙草 微茫を得たり。

嶺雁 毫末に隨い,川蜺【せんげい】 練光に飲む。

#2

霏紅 洲蕊【しゅうずい】亂れ,拂黛 石蘿 長し。

谷暗くして 雨に關するに非らず,楓を丹くして 霜の為にならず。

秋成 玄圃の外,景物 洞庭の旁。

繪事 功殊 幽襟 興に激昂す。

從來 謝太傅,丘壑 道 忘れ難し。

 

蜀中転々圖 

 

『奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻〔得忘字。〕』 現代語訳と訳註

(本文)

奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻〔得忘字。〕

沱水流中座,岷山到此堂。

白波吹粉壁,青嶂插雕梁。

直訝杉松冷,兼疑菱荇香。

雪雲虛點綴,沙草得微茫。

嶺雁隨毫末,川蜺飲練光。

 

(含異文)

沱水流中座【沱水中座】,岷山到此堂【岷山到堂】【岷山對此堂】【岷山赴此堂】。

白波吹粉壁【白波侵粉壁】,青嶂插雕梁。

直訝杉松冷,兼疑菱荇香。

雪雲虛點綴,沙草得微茫。

嶺雁隨毫末,川蜺飲練光。

 

(下し文)

嚴鄭公が廳事の岷山、沱江の畫圖を觀て奉る十韻〔「忘」字を得たり。〕

沱水 中座に流れ,岷山 此堂に到る。

白波 粉壁に吹き,青嶂 雕梁に插さむ。

直ちに訝ぶる 杉松の冷やかなるかと,兼ねて疑う 菱荇【りょうこう】の香しきかと。

雪雲 虛しく點綴【ていてい】し,沙草 微茫を得たり。

嶺雁 毫末に隨い,川蜺【せんげい】 練光に飲む。

 

(現代語訳)

(鄭国公厳武の客間にかけてある眠山沱江の画図を観てよんだ詩。764年廣德二年53秋の作。)

陀水は座席の中ほどにかかってながれていて、眠山はこの家の奥ざしきへやってきている。

漆喰の壁には白い波が吹きつけられ、青いやまが彫刻したはり木にさしはさんである。』

そこには杉や松が冷やかに立っているかといぶかられ、また菱やアサザが香っているのかと疑われる。

鉛色の雲から、いたずらに、書物をつづる糸のように点々として雪が書かれ、沙原に生じた草はかすかに春化気姿を得ている。

雪嶺山脈にとぶ雁は微小な形が相い随って列をなす、川にかかれる蜺【にじ】は練絹の光のような水面のみずを飲みこもうとしているようにみえる。

都江堰002 

(訳注)

奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻〔得忘字。〕

(嚴鄭公が廳事の岷山、沱江の畫圖を觀て奉る十韻〔「忘」字を得たり。〕)

(鄭国公厳武の客間にかけてある眠山花江の画図を観てよんだ詩。764年廣德二年53秋の作。)

○得忘字 これは主客同座において、詩を賦すときに韻字を分け合うもので、杜甫は、「忘」の字を得た。同時期の作品として下記の三首と共に四首ある

晚秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟〔得溪字。池在張儀子城。〕<790

廣徳2764-85 《嚴鄭公階下新松〔得霑字。〕》 杜甫index-14 764年 <787

廣徳2764-86 《嚴鄭公宅同詠竹〔得香字。〕》 杜甫index-14 764年 <788

○庁事 客間をいう。

○岷山 茂州汶山県にある。

○沱江 沱水をいう、都江堰によりいわゆる放水路の形で分水された東側の河水であって、成都府新繁県を経て金堂に到り、岷山を源とする中江水に合流する。

 

沱水流中座,岷山到此堂。

陀水は座席の中ほどにかかってながれていて、眠山はこの家の奥ざしきへやってきている。

○中座 座席のなかほど。

○此堂 ここの奥座敷(北堂 北のざしき。)

 

白波吹粉壁,青嶂插雕梁。

漆喰の壁には白い波が吹きつけられ、青いやまが彫刻したはり木にさしはさんである。』

○粉壁 漆喰の壁。

○青嶂 嶂は屏風のように険しい山のこと。

○雕梁 彫刻をしたはり。

以上は庁事における江山をのべる。

 

 <以下十二句は江山画図のなかの江と山との景を対立してのべている。>

直訝杉松冷,兼疑菱荇香。

そこには杉や松が冷やかに立っているかといぶかられ、また菱やアサザが香っているのかと疑われる。

○菱芹ひし、あさざ。

 

雪雲虛點綴,沙草得微茫。

鉛色の雲から、いたずらに、書物をつづる糸のように点々として雪が書かれ、沙原に生じた草はかすかに春化気姿を得ている。

○雪雲 雪意をおびている雲。鉛色の雲。

○虚点綴 いたずらに、書物をつづる糸のように点々として見えること。点綴はつづってあること。

○沙草沙辺に生えたくさ。

○得徴茫 かすかにはるかな姿を得ていること。

 

嶺雁隨毫末,川蜺飲練光。

雪嶺山脈にとぶ雁は微小な形が相い随って列をなす、川にかかれる蜺【にじ】は練絹の光のような水面のみずを飲みこもうとしているようにみえる。

○嶺雁 雪嶺山脈の方にとびわたるかり。

○隨毫末 毫末はけすじのさきほどの小さなものをいう、隨毫末は毫末随の意、その微小の形が相い随うことをいう、意味は「画筆のさきのまにまに」。

○川蜺 川にたれているにじ。

○飲練光 練光とは川の水の色をたとえていう、飲とは水をのもうとするかのように垂れかかることをいう。

○雁が雪嶺山脈を越えて飛んで行こうとするのに、沱江の水面に虹が射しこんでいる情景が書かれているということ。

 

廣徳2年764-86 《嚴鄭公宅同詠竹【案:得香字。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<788> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4625 杜甫詩1500-788-1096/2500廣徳2年764-86

この竹林に雨が降ると、それに洗われて娟娟として淨らかになる。風雅竹林を吹きぬける時は微かではあるが、竹の香りがしてくるのである。この竹林をただ、切らずにおくことを命じてくれさえすれば、必ず、雲を拂うほど長く成長するのをきっと見ることが出来るだろう。

 
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廣徳2764-86 《嚴鄭公宅同詠竹【案:得香字。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<788 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4625 杜甫詩1500-788-1096/2500廣徳2764-86

 

 

制作年: 764年廣德二年53

卷別:    卷二二八              文體:    五言律詩

詩題:    嚴鄭公宅同詠竹〔得香字。〕

交遊人物:嚴武    當地交遊(劍南道北部 益州 成都)

 

 

嚴鄭公宅同詠竹〔得香字。〕

(鄭国公厳武の住居の庭の竹のことを、杜甫は、「香」の字を得たて、詠んだ詩である。764年廣德二年53秋の作。)

綠竹半含籜,新梢纏出牆。

みどりに繁った竹林には半分くらいの若竹が多くあり、新しい梢がやっと牆から頭を出したところだ。

色侵書帙晚,陰過酒樽涼。

読書三昧の夕暮に、その色はこちらに入り込んでいる。その影が通ると、酒席の樽盃のあたりも涼しく感じられる。

雨洗娟娟淨,風吹細細香。

この竹林に雨が降ると、それに洗われて娟娟として淨らかになる。風雅竹林を吹きぬける時は微かではあるが、竹の香りがしてくるのである。

但令無剪伐,會見拂雲長。

この竹林をただ、切らずにおくことを命じてくれさえすれば、必ず、雲を拂うほど長く成長するのをきっと見ることが出来るだろう。

 

嚴鄭公が宅にて同じく竹を詠ず〔香の字を得る。〕

綠竹 半ば籜【たく】を含み,新梢 纏【わずか】に牆を出づ。

色侵して 書帙 晚れ,陰過ぎて 酒樽 涼し。

雨に洗れて 娟娟として淨く,風に吹かれて 細細として香し。

但だ 剪伐無から令む,會【かなら】ず 雲を拂うて長からんことを見ん。

 

竹林001 

『嚴鄭公宅同詠竹〔得香字。〕』 現代語訳と訳註

(本文)

嚴鄭公宅同詠竹〔得香字。〕

綠竹半含籜,新梢纏出牆。

色侵書帙晚,陰過酒樽涼。

雨洗娟娟淨,風吹細細香。

但令無剪伐,會見拂雲長。

 

(下し文)

嚴鄭公が宅にて同じく竹を詠ず〔香の字を得る。〕

綠竹 半ば籜【たく】を含み,新梢 纏【わずか】に牆を出づ。

色侵して 書帙 晚れ,陰過ぎて 酒樽 涼し。

雨に洗れて 娟娟として淨く,風に吹かれて 細細として香し。

但だ 剪伐無から令む,會【かなら】ず 雲を拂うて長からんことを見ん。

 

(現代語訳)

(鄭国公厳武の住居の庭の竹のことを、杜甫は、「香」の字を得たて、詠んだ詩である。764年廣德二年53秋の作。)

みどりに繁った竹林には半分くらいの若竹が多くあり、新しい梢がやっと牆から頭を出したところだ。

読書三昧の夕暮に、その色はこちらに入り込んでいる。その影が通ると、酒席の樽盃のあたりも涼しく感じられる。

この竹林に雨が降ると、それに洗われて娟娟として淨らかになる。風雅竹林を吹きぬける時は微かではあるが、竹の香りがしてくるのである。

この竹林をただ、切らずにおくことを命じてくれさえすれば、必ず、雲を拂うほど長く成長するのをきっと見ることが出来るだろう。

 

 

(訳注)

嚴鄭公宅同詠竹〔得香字。〕

(鄭国公厳武の住居の庭の竹のことを、杜甫は、「香」の字を得たて、詠んだ詩である。764年廣德二年53秋の作。)

得香字 これは主客同座において、詩を賦すときに韻字を分け合うもので、杜甫は、「香」の字を得た。

 

綠竹半含籜,新梢纏出牆。

みどりに繁った竹林には半分くらいの若竹が多くあり、新しい梢がやっと牆から頭を出したところだ。

綠竹 みどりに繁った竹林。

 竹林の半分。

含籜 籜は竹の皮であり、含とは、竹林の若竹が多くあることを言う。

 

色侵書帙晚,陰過酒樽涼。

読書三昧の夕暮に、その色はこちらに入り込んでいる。その影が通ると、酒席の樽盃のあたりも涼しく感じられる。

書帙晚 読書三昧の夕暮。

 

雨洗娟娟淨,風吹細細香。

この竹林に雨が降ると、それに洗われて娟娟として淨らかになる。風雅竹林を吹きぬける時は微かではあるが、竹の香りがしてくるのである。

娟娟 美しい姿、かたち。

細細 細やかに、微かなもの、繊細であること。

 

但令無剪伐,會見拂雲長。

この竹林をただ、切らずにおくことを命じてくれさえすれば、必ず、雲を拂うほど長く成長するのをきっと見ることが出来るだろう。

剪伐 剪定したり、伐採すること。
nat0019 

廣徳2年764-85 《嚴鄭公階下新松【案:得霑字。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<787> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4620 杜甫詩1500-787-1095/2500廣徳2年764-85

(鄭国公厳武の住居のきざはしのもとの松のことを、杜甫は、「霑」の字を得たて、詠んだ詩であるが、松をもって杜甫自身に喩えたものである。764年廣德二年53秋の作。)この松は軟弱な性格であるから決して自分が自分を恃みにすることはないものであるが、こんな場所に根を移植されたために、こうして見られることになったのである。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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廣徳2764-85 《嚴鄭公階下新松【案:得霑字。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<787 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4620 杜甫詩1500-787-1095/2500廣徳2764-85

 

 

作年:    764年廣德二年53

卷別:    卷二二八              文體:    五言律詩

詩題:    嚴鄭公階下新松〔得霑字。〕

交遊人物:嚴武    當地交遊(劍南道北部 益州 成都)

 

 

嚴鄭公階下新松〔得霑字。〕

(鄭国公厳武の住居のきざはしのもとの松のことを、杜甫は、「霑」の字を得たて、詠んだ詩であるが、松をもって杜甫自身に喩えたものである。764年廣德二年53秋の作。)

弱質豈自負,移根方爾瞻。

この松は軟弱な性格であるから決して自分が自分を恃みにすることはないものであるが、こんな場所に根を移植されたために、こうして見られることになったのである。

細聲聞玉帳,疏翠近珠簾。

この若松は、やっとか細い風音が幕陣の幔幕の辺りまで入り込み、疎らな緑色が幕陣の戸前の珠をかざした簾のほとりに近づく位のものである。

未見紫煙集,虛蒙清露霑。

松が成長すればそこに紫煙も集まるだろうがいまだそんなものはない、いたずらに清らかな露の潤しの何も効能がないというものである。

何當一百丈,攲蓋擁高簷。

何時になったら百丈ばかりの松に成長して、枝をよく張って、横にした車蓋のようになり、幕府の軒先が高くご意向を示されるところである。

 

(嚴鄭公が階下の新松〔霑の字を得たり。〕)

弱質 豈に自負せんや,移根 方に 爾を瞻る。

細聲 玉帳に聞き,疏翠 珠簾に近し。

未だ見ず 紫煙集るを,虛しく蒙る 清露の霑すを。

何か當に 一百丈,攲蓋 高簷を擁す。

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『嚴鄭公階下新松〔得霑字。〕』 現代語訳と訳註

(本文)

嚴鄭公階下新松〔得霑字。〕

弱質豈自負,移根方爾瞻。

細聲聞玉帳,疏翠近珠簾。

未見紫煙集,虛蒙清露霑。

何當一百丈,攲蓋擁高簷。

 

(含異文)           

弱質豈自負,移根方爾瞻。

細聲聞玉帳【細聲侵玉帳】,疏翠近珠簾。

未見紫煙集,虛蒙清露霑。

何當一百丈,攲蓋擁高簷。

 

(下し文)

(嚴鄭公が階下の新松〔霑の字を得たり。〕)

弱質 豈に自負せんや,移根 方に 爾を瞻る。

細聲 玉帳に聞き,疏翠 珠簾に近し。

未だ見ず 紫煙集るを,虛しく蒙る 清露の霑すを。

何か當に 一百丈,攲蓋 高簷を擁す。

 

(現代語訳)

(鄭国公厳武の住居のきざはしのもとの松のことを、杜甫は、「霑」の字を得たて、詠んだ詩であるが、松をもって杜甫自身に喩えたものである。764年廣德二年53秋の作。)

この松は軟弱な性格であるから決して自分が自分を恃みにすることはないものであるが、こんな場所に根を移植されたために、こうして見られることになったのである。

この若松は、やっとか細い風音が幕陣の幔幕の辺りまで入り込み、疎らな緑色が幕陣の戸前の珠をかざした簾のほとりに近づく位のものである。

松が成長すればそこに紫煙も集まるだろうがいまだそんなものはない、いたずらに清らかな露の潤しの何も効能がないというものである。

何時になったら百丈ばかりの松に成長して、枝をよく張って、横にした車蓋のようになり、幕府の軒先が高くご意向を示されるところである。

安史の乱当時の勢力図 

(訳注)

嚴鄭公階下新松〔得霑字。〕

(鄭国公厳武の住居のきざはしのもとの松のことを、杜甫は、「霑」の字を得たて、詠んだ詩であるが、松をもって杜甫自身に喩えたものである。764年廣德二年53秋の作。)

得霑字 これは主客同座において、詩を賦すときに韻字を分け合うもので、杜甫は、「霑」の字を得た。

 

弱質豈自負,移根方爾瞻。

この松は軟弱な性格であるから決して自分が自分を恃みにすることはないものであるが、こんな場所に根を移植されたために、こうして見られることになったのである。

弱質 移植間もない若松であることをいう。軟弱な性格であること。

自負 自分で自分を恃みにすること。

移根 他の場所から移植する。

 ここの松をいう。

 

細聲聞玉帳,疏翠近珠簾。

この若松は、やっとか細い風音が幕陣の幔幕の辺りまで入り込み、疎らな緑色が幕陣の戸前の珠をかざした簾のほとりに近づく位のものである。

細聲 またの風切音が、若松で軟弱であるから、貧弱な音であること。

玉帳 厳武の幕陣の幔幕。

疏翠 この松の緑は疎らである。

珠簾 幕陣の戸前の珠をかざした簾。

 

未見紫煙集,虛蒙清露霑。

松が成長すればそこに紫煙も集まるだろうがいまだそんなものはない、いたずらに清らかな露の潤しの何も効能がないというものである。

紫煙集 松が成長すればそこに紫煙も集まるということ

虛蒙 何も効能がないことをいう。

 

何當一百丈,攲蓋擁高簷。

何時になったら百丈ばかりの松に成長して、枝をよく張って、横にした車蓋のようになり、幕府の軒先が高くご意向を示されるところである。

何當 何のときにか、当たる。

攲蓋 松の枝が横に広がる様子を車蓋に喩えたもの。

 抱きかかえる。

高簷 幕府の軒先が高い、威厳の様子をいう。
題新津北橋棲00 

Index-14廣徳2年764-88 《送舍弟潁赴齊州,三首之三》 杜甫index-14 764年 杜甫<786> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4615 杜甫詩1500-786-1094/2500Index-14廣徳2年764-88

送舍弟潁赴齊州,三首之三》杜甫≫もしかして、その地が大変なことになっていても、君まで零落れ果てるようではいけないのだ、わたしは、君と彼らのことをいつも思い続けているから、君は、山東の北にある渤海湾秦皇島の付近にある海中の石門の方からくる鴻に信書を託してくれれば、私はそれを待っている。

 
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製作年:        764年廣德二年53

卷 別:  卷二二八       文體:  五言律詩

     杜少陵集 巻十四

詩 題:  送舍弟頻赴齊州,三首之三【送舍弟潁赴齊州,三首之三】

作地點:        成都(劍南道北部 / 益州 / 成都)

寫及地點:齊州 (河南道 齊州 齊州)        

 岷山 (劍南道北部 茂州 岷山) 別名:西山、汶山    

 淄川 (河南道 淄州 淄川) 別名:徐關      

交遊人物:杜穎  當地交遊(劍南道北部 益州 成都)

 

 

送舍弟潁赴齊州,三首之一

実弟の穎が齊州へ赴くのを送った詩で、第一首は別れを惜しむ意をのべる。)764年広徳二年秋、成都での作。

岷嶺南蠻北,徐關東海西。

この地は南に雲南という南蛮があり、北側に岷山など雪嶺山脈が横たわっている、君のゆく斉州には東海の西に徐関がある。

此行何日到,送汝萬行啼。

このたびの旅行では君はいつむこうへ到着するだろうか、わたしは君を送るために万行の涙をそそいで啼くだけである。

域惟高枕,清風獨杖藜。

わたしは都からこんな遠いところで、ただ枕を高くして寝ているだけだ、秋のすがすがしい風にただひとり友からもらったあかぎの枚を点いて暮らしてゆくのである。

危時暫相見,衰白意都迷。

しかし、こんな危険な時世であるから、君と面会することも、ただ、しばしの間にとどまることであろうとおもうのに、今、また別れねばならぬとあっては、老いのこの身にとっては、意の中がすべて昏乱してしまうばかりである。

 

(舍弟〔潁〕が頻に齊州に赴くを送るその一)

岷嶺 南蛮の北、徐関 東海の西。

此の行 何の日か到らん、汝を送りて万行啼く。

絶域 惟だ高枕、清風独り蔾【れい】を杖く。

時 危くして暫く相い見る、衰白 意 都【すべ】て迷う。

 

送舍弟潁赴齊州,三首之二

(実弟の穎が齊州へ赴くのを送った詩で、第二首は別れた後、弟に思い続けているということの意をのべる。その2)

風塵暗不開,汝去幾時來。

君が行こうとする東部は、戦乱兵馬の巻き起こす風塵はまだ依然として暗く閉ざして開かない。だから帰って来るのが何時の事になるだろうか。

兄弟分離苦,形容老病催。

ここで、兄弟が別れることは本当に苦しいことだ。特に私の形容は老化と病気がちであることで崩れてしまっている。

江通一柱觀,日落望臺。

君が長江に船を浮かべてゆく先には、一柱觀があり、そこを通るだろう、そこに行くまでには途中にある、望臺を通るころ、日が落ちかかるのを見ることだろう。

客意長東北,齊州安在哉。

私の思いは、とこしえに東北の方角にある長安・洛陽の故郷へと馳せるが、昔、若い時に遊んだ斉州が今わ何処にあるやら、どうなっているやらわからないが何時までも思いを追い続けていることにする。

 

(舍弟〔潁〕が頻に齊州に赴くを送るその二)

風塵 暗うして開けず,汝去って 幾時か來らん。

兄弟 分離苦しむ,形容 老病催す。

江は 一柱觀に通じ,日は 望臺に落つ

客意 長に東北にあり,齊州 安くに在り哉。

 

送舍弟潁赴齊州,三首之三

(実弟の穎が齊州へ赴くのを送った詩で、第三首は別れるけれども、二人が落ちぶれてはいけない、帰って来るにはとても大変だけど待っているとの意をのべる。その3)764年広徳二年秋、成都での作。

諸姑今海畔,兩弟亦山東。

自分たちのおばさまたちは今、海の畔に住んでおられるようであれば寄ってみてくれ、又二人の実弟の豐、觀も山濤の何処かにいるはずだ。

去傍干戈覓,來看道路通。

往くときの注意点は一緒に行く矛や盾をもった人たちの側にくっ付いてよく守ってもらうことを求めればいいのだが、帰って来るときは、どの道路が一番安全であるかをよく観察し、通行しないといけないのだ。

短衣防戰地,匹馬逐秋風。

まず、裾の短い衣をつけること、騒乱に巻き込まれないようにすることと、盗賊に襲われないように防備をすることが大事なことで、ぼやぼやしないで、一頭の馬でぶっ飛ばし、秋風を追い越すような速さで行動することだ。

莫作俱流落,長瞻碣石鴻。

もしかして、その地が大変なことになっていても、君まで零落れ果てるようではいけないのだ、わたしは、君と彼らのことをいつも思い続けているから、君は、山東の北にある渤海湾秦皇島の付近にある海中の石門の方からくる鴻に信書を託してくれれば、私はそれを待っている。

 

(舍弟〔潁〕が頻に齊州に赴くを送るその三)

諸姑 今 海畔にあり,兩弟 亦た山東にある。

去って 干戈に傍いて覓む,來って 道路を看て通ず。

短衣 戰地を防げ,匹馬 秋風を逐う。

俱に流落するを作すこと莫れ,長く瞻る 碣石の鴻を。

 

taigennankin88 

『送舍弟潁赴齊州,三首之三』 現代語訳と訳註

(本文)

送舍弟潁赴齊州,三首之三

諸姑今海畔,兩弟亦山東。

去傍干戈覓,來看道路通。

短衣防戰地,匹馬逐秋風。

莫作俱流落,長瞻碣石鴻。

 

(下し文)

(舍弟〔潁〕が頻に齊州に赴くを送るその三)

諸姑 今 海畔にあり,兩弟 亦た山東にある。

去って 干戈に傍いて覓む,來って 道路を看て通ず。

短衣 戰地を防げ,匹馬 秋風を逐う。

俱に流落するを作すこと莫れ,長く瞻る 碣石の鴻を。

 

(現代語訳)

(実弟の穎が齊州へ赴くのを送った詩で、第三首は別れるけれども、二人が落ちぶれてはいけない、帰って来るにはとても大変だけど待っているとの意をのべる。その3)764年広徳二年秋、成都での作。

自分たちのおばさまたちは今、海の畔に住んでおられるようであれば寄ってみてくれ、又二人の実弟の豐、觀も山濤の何処かにいるはずだ。

往くときの注意点は一緒に行く矛や盾をもった人たちの側にくっ付いてよく守ってもらうことを求めればいいのだが、帰って来るときは、どの道路が一番安全であるかをよく観察し、通行しないといけないのだ。

まず、裾の短い衣をつけること、騒乱に巻き込まれないようにすることと、盗賊に襲われないように防備をすることが大事なことで、ぼやぼやしないで、一頭の馬でぶっ飛ばし、秋風を追い越すような速さで行動することだ。

もしかして、その地が大変なことになっていても、君まで零落れ果てるようではいけないのだ、わたしは、君と彼らのことをいつも思い続けているから、君は、山東の北にある渤海湾秦皇島の付近にある海中の石門の方からくる鴻に信書を託してくれれば、私はそれを待っている。

 

安史の乱当時の勢力図 

(訳注)

送舍弟潁赴齊州,三首之三

(実弟の穎が齊州へ赴くのを送った詩で、第三首は別れるけれども、二人が落ちぶれてはいけない、帰って来るにはとても大変だけど待っているとの意をのべる。その3)764年広徳二年秋、成都での作。

○舎弟穎 作者の弟、名は

○斉州 今の山東省済南府。

 

諸姑今海畔,兩弟亦山東。

自分たちのおばさまたちは今、海の畔に住んでおられるようであれば寄ってみてくれ、又二人の実弟の豐、觀も山濤の何処かにいるはずだ。

諸姑 おばさまたち。中國の女性は通常記録に留めないので不明、祖父杜審言の娘、と先妻薛士に三人、後妻盧氏に三人とされるが海の側かどうかも不明。

兩弟 山東にいる豐、觀のふたりのこと。

 

去傍干戈覓,來看道路通。

往くときの注意点は一緒に行く矛や盾をもった人たちの側にくっ付いてよく守ってもらうことを求めればいいのだが、帰って来るときは、どの道路が一番安全であるかをよく観察し、通行しないといけないのだ。

傍干戈覓 往くときの注意点は一緒に行く矛や盾をもった人たちの側にくっ付いてよく守ってもらうことを求めればいい。

看道路通 帰って来るときは、どの道路が一番安全であるかをよく観察し、通行しないといけないという意味。

 

短衣防戰地,匹馬逐秋風。

まず、裾の短い衣をつけること、騒乱に巻き込まれないようにすることと、盗賊に襲われないように防備をすることが大事なことで、ぼやぼやしないで、一頭の馬でぶっ飛ばし、秋風を追い越すような速さで行動することだ。

短衣 裾の短い衣。貧しいものの格好をいう。

防戰地 騒乱に巻き込まれないようにすることと、盗賊に襲われないように防備をすること。

 

莫作俱流落,長瞻碣石鴻。

もしかして、その地が大変なことになっていても、君まで零落れ果てるようではいけないのだ、わたしは、君と彼らのことをいつも思い続けているから、君は、山東の北にある渤海湾秦皇島の付近にある海中の石門の方からくる鴻に信書を託してくれれば、私はそれを待っている。

俱流落 倶は両兄弟が落ちぶれていても訪ねて行く君までも、流されて零落する。

長瞻 いつも見ている。いつも思い続けているということ。

碣石鴻 大鳥が信書を携えて北からくるものであることから、山東の北にある渤海湾秦皇島の付近にある海中の石門をいい、そこからくる鴻に信書を託せということ。
 

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製作年:        764年廣德二年53

卷別:  卷二二八       文體:  五言律詩

    杜少陵集 巻十四

詩題:  送舍弟頻赴齊州,三首之二【送舍弟潁赴齊州,三首之二】

作地點:        成都(劍南道北部 / 益州 / 成都)

寫及地點:齊州 (河南道 齊州 齊州)        

岷山 (劍南道北部 茂州 岷山) 別名:西山、汶山   

淄川 (河南道 淄州 淄川) 別名:徐關     

交遊人物:杜穎  當地交遊(劍南道北部 益州 成都)

 

送舍弟潁赴齊州,三首之一

実弟の穎が齊州へ赴くのを送った詩で、第一首は別れを惜しむ意をのべる。)764年広徳二年秋、成都での作。

岷嶺南蠻北,徐關東海西。

この地は南に雲南という南蛮があり、北側に岷山など雪嶺山脈が横たわっている、君のゆく斉州には東海の西に徐関がある。

此行何日到,送汝萬行啼。

このたびの旅行では君はいつむこうへ到着するだろうか、わたしは君を送るために万行の涙をそそいで啼くだけである。

域惟高枕,清風獨杖藜。

わたしは都からこんな遠いところで、ただ枕を高くして寝ているだけだ、秋のすがすがしい風にただひとり友からもらったあかぎの枚を点いて暮らしてゆくのである。

危時暫相見,衰白意都迷。

しかし、こんな危険な時世であるから、君と面会することも、ただ、しばしの間にとどまることであろうとおもうのに、今、また別れねばならぬとあっては、老いのこの身にとっては、意の中がすべて昏乱してしまうばかりである。

 

(舍弟〔潁〕が頻に齊州に赴くを送るその一)

岷嶺 南蛮の北、徐関 東海の西。

此の行 何の日か到らん、汝を送りて万行啼く。

絶域 惟だ高枕、清風独り蔾【れい】を杖く。

時 危くして暫く相い見る、衰白 意 都【すべ】て迷う。

 

送舍弟潁赴齊州,三首之二

(実弟の穎が齊州へ赴くのを送った詩で、第二首は別れた後、弟に思い続けているということの意をのべる。その2)

風塵暗不開,汝去幾時來。

君が行こうとする東部は、戦乱兵馬の巻き起こす風塵はまだ依然として暗く閉ざして開かない。だから帰って来るのが何時の事になるだろうか。

兄弟分離苦,形容老病催。

ここで、兄弟が別れることは本当に苦しいことだ。特に私の形容は老化と病気がちであることで崩れてしまっている。

江通一柱觀,日落望臺。

君が長江に船を浮かべてゆく先には、一柱觀があり、そこを通るだろう、そこに行くまでには途中にある、望臺を通るころ、日が落ちかかるのを見ることだろう。

客意長東北,齊州安在哉。

私の思いは、とこしえに東北の方角にある長安・洛陽の故郷へと馳せるが、昔、若い時に遊んだ斉州が今わ何処にあるやら、どうなっているやらわからないが何時までも思いを追い続けていることにする。

 

(舍弟〔潁〕が頻に齊州に赴くを送るその二)

風塵 暗うして開けず,汝去って 幾時か來らん。

兄弟 分離苦しむ,形容 老病催す。

江は 一柱觀に通じ,日は 望臺に落つ

客意 長に東北にあり,齊州 安くに在り哉。

 

送舍弟潁赴齊州,三首之三

諸姑今海畔,兩弟亦山東。

去傍干戈覓,來看道路通。

短衣防戰地,匹馬逐秋風。

莫作俱流落,長瞻碣石鴻。

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送舍弟潁赴齊州,三首之二』 現代語訳と訳註

(本文)

送舍弟潁赴齊州,三首之二

風塵暗不開,汝去幾時來。

兄弟分離苦,形容老病催。

江通一柱觀,日落望臺。

客意長東北,齊州安在哉。

 

(下し文)

(舍弟〔潁〕が頻に齊州に赴くを送るその二)

風塵 暗うして開けず,汝去って 幾時か來らん。

兄弟 分離苦しむ,形容 老病催す。

江は 一柱觀に通じ,日は 望臺に落つ。

客意 長に東北にあり,齊州 安くに在り哉。

 

(現代語訳)

(実弟の穎が齊州へ赴くのを送った詩で、第二首は別れた後、弟に思い続けているということの意をのべる。その2)

君が行こうとする東部は、戦乱兵馬の巻き起こす風塵はまだ依然として暗く閉ざして開かない。だから帰って来るのが何時の事になるだろうか。

ここで、兄弟が別れることは本当に苦しいことだ。特に私の形容は老化と病気がちであることで崩れてしまっている。

君が長江に船を浮かべてゆく先には、一柱觀があり、そこを通るだろう、そこに行くまでには途中にある、望臺を通るころ、日が落ちかかるのを見ることだろう。

私の思いは、とこしえに東北の方角にある長安・洛陽の故郷へと馳せるが、昔、若い時に遊んだ斉州が今わ何処にあるやら、どうなっているやらわからないが何時までも思いを追い続けていることにする。

 

(訳注)

送舍弟潁赴齊州,三首之二

(実弟の穎が齊州へ赴くのを送った詩で、第二首は別れた後、弟に思い続けているということの意をのべる。その2)764年広徳二年秋、成都での作。

○舎弟穎 作者の弟、名は

○斉州 今の山東省済南府。

唐時代剣南道北部075 

 

風塵暗不開,汝去幾時來。

君が行こうとする東部は、戦乱兵馬の巻き起こす風塵はまだ依然として暗く閉ざして開かない。だから帰って来るのが何時の事になるだろうか。

風塵 安史軍は平定されたものの、諸公・潘鎮が不安定であり、緊張状態にあった。

 

兄弟分離苦,形容老病催。

ここで、兄弟が別れることは本当に苦しいことだ。特に私の形容は老化と病気がちであることで崩れてしまっている。

 

江通一柱觀,日落望臺。

君が長江に船を浮かべてゆく先には、一柱觀があり、そこを通るだろう、そこに行くまでには途中にある、望臺を通るころ、日が落ちかかるのを見ることだろう。

江 長江をいう。

〇一柱観 湖北省荊州府松滋縣の東、邱家湖の中にあるという。六朝宋の臨川王劉義慶が、荊州の長官であったとき羅公洲に大きな道観を立ててただ一本の柱を用いたという、杜甫が行こうとしていた荊州の名所をあげたものである。

杜甫『所思』 

苦憶荊州醉司馬,謫官樽酒定常開。

九江日落醒何處,一柱觀頭眠幾回?

可憐懷抱向人盡,欲問平安無使來。

故憑錦水將霜淚,好過瞿唐灩澦堆。

(思う所あり)

苦だ憶う荊州の酔司馬、謫官【たくかん】樽酒定めて常に開かん。

九江 日落ちて醒【さ】むる何れの処ぞ、一柱 観頭【かんとう】眠ること幾回ぞ。

憐れむ可し 懐抱【かいほう】人に向かって尽す、平安を問わんと欲すれども使いの来たる無し。

故に錦水に憑りて双涙【そうるい】を将【も】ちゆかしむ、好し過ぎよ瞿唐【くとう】灩堆【よんよたい】。

所思 七言律詩  成都5-(32) 杜甫 <480  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2370 杜甫詩1000-480-668/1500

臺 成都の北 5kmにあるが、ここは杜甫が弟の事を思っているところをいう。

蜀中九日  王勃

九月九日望鄕臺, 他席他鄕送客杯。

人情已厭南中苦, 鴻雁那從北地來。

九月九日  望鄕臺, 他席他鄕  客を送る杯。

 人情 已に厭ふ  南中の苦, 鴻雁 那ぞ 北地より來る。

 

客意長東北,齊州安在哉。

私の思いは、とこしえに東北の方角にある長安・洛陽の故郷へと馳せるが、昔、若い時に遊んだ斉州が今、何処にあるやら、どうなっているやらわからないが何時までも思いを追い続けていることにする。

客意 

長東北 成都から長安・洛陽が北、そこから斉州が東。

齊州 杜甫が20代後半736年~741年蘇源明と遊ぶ。

安在哉 今、何処にあるやら、どうなっているやらわからないが何時までも思いを追い続けていることにする。
taigennankin88 

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わたしは都からこんな遠いところで、ただ枕を高くして寝ているだけだ、秋のすがすがしい風にただひとり友からもらったあかぎの枚を点いて暮らしてゆくのである。しかし、こんな危険な時世であるから、君と面会することも、ただ、しばしの間にとどまることであろうとおもうのに、今、また別れねばならぬとあっては、老いのこの身にとっては、意の中がすべて昏乱してしまうばかりである。

 
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弟親が斉州へ赴くのを送った詩、第一首は別れを惜しむ意をのべる。広徳二年秋、成都の作。

送舍弟頻赴齊州 三首

1       岷嶺南蠻北,徐關東海西。此行何日到,送汝萬行啼。

        域惟高枕,清風獨杖藜。危時暫相見,衰白意都迷。

 

2       風塵暗不開,汝去幾時來。兄弟分離苦,形容老病催。

        江通一柱觀,日落望台。客意長東北,齊州安在哉。

 

3       諸姑今海畔,兩弟亦山東。去傍干戈覓,來看道路通。

        短衣防戰地,匹馬逐秋風。莫作流落,長瞻碣石鴻。

 

 

製作年:        764年廣德二年53

卷別:  卷二二八       文體:  五言律詩

    杜少陵集 巻十四

詩題:  送舍弟頻赴齊州,三首之一【送舍弟潁赴齊州,三首之一】

作地點:        成都(劍南道北部 / 益州 / 成都)

寫及地點:齊州 (河南道 齊州 齊州)        

岷山 (劍南道北部 茂州 岷山) 別名:西山、汶山   

淄川 (河南道 淄州 淄川) 別名:徐關     

交遊人物:杜穎  當地交遊(劍南道北部 益州 成都)

 

 

送舍弟潁赴齊州,三首之一

実弟の穎が齊州へ赴くのを送った詩で、第一首は別れを惜しむ意をのべる。)764年広徳二年秋、成都での作。

岷嶺南蠻北,徐關東海西。

この地は南に雲南という南蛮があり、北側に岷山など雪嶺山脈が横たわっている、君のゆく斉州には東海の西に徐関がある。

此行何日到,送汝萬行啼。

このたびの旅行では君はいつむこうへ到着するだろうか、わたしは君を送るために万行の涙をそそいで啼くだけである。

域惟高枕,清風獨杖藜。

わたしは都からこんな遠いところで、ただ枕を高くして寝ているだけだ、秋のすがすがしい風にただひとり友からもらったあかぎの枚を点いて暮らしてゆくのである。

危時暫相見,衰白意都迷。

しかし、こんな危険な時世であるから、君と面会することも、ただ、しばしの間にとどまることであろうとおもうのに、今、また別れねばならぬとあっては、老いのこの身にとっては、意の中がすべて昏乱してしまうばかりである。

 

(舍弟〔潁〕が頻に齊州に赴くを送るその一)

岷嶺 南蛮の北、徐関 東海の西。

此の行 何の日か到らん、汝を送りて万行啼く。

絶域 惟だ高枕、清風独り蔾【れい】を杖く。

時 危くして暫く相い見る、衰白 意 都【すべ】て迷う。

 

黄河二首の背景 杜甫 

送舍弟潁赴齊州,三首之一』 現代語訳と訳註

(本文)

送舍弟潁赴齊州,三首之一

岷嶺南蠻北,徐關東海西。

此行何日到,送汝萬行啼。

域惟高枕,清風獨杖藜。

危時暫相見,衰白意都迷。

 

(下し文)

(舍弟〔潁〕が頻に齊州に赴くを送るその一)

岷嶺 南蛮の北、徐関 東海の西。

此の行 何の日か到らん、汝を送りて万行啼く。

絶域 惟だ高枕、清風 独り蔾【れい】を杖く。

時 危くして暫く相い見る、衰白 意 都【すべ】て迷う。

 

(現代語訳)

実弟の穎が齊州へ赴くのを送った詩で、第一首は別れを惜しむ意をのべる。)764年広徳二年秋、成都での作。

この地は南に雲南という南蛮があり、北側に岷山など雪嶺山脈が横たわっている、君のゆく斉州には東海の西に徐関がある。

このたびの旅行では君はいつむこうへ到着するだろうか、わたしは君を送るために万行の涙をそそいで啼くだけである。

わたしは都からこんな遠いところで、ただ枕を高くして寝ているだけだ、秋のすがすがしい風にただひとり友からもらったあかぎの枚を点いて暮らしてゆくのである。

しかし、こんな危険な時世であるから、君と面会することも、ただ、しばしの間にとどまることであろうとおもうのに、今、また別れねばならぬとあっては、老いのこの身にとっては、意の中がすべて昏乱してしまうばかりである。

 

(訳注)

送舍弟潁赴齊州,三首之一

(実弟の穎が齊州へ赴くのを送った詩で、第一首は別れを惜しむ意をのべる。)764年広徳二年秋、成都での作。

○舎弟穎 作者の弟、名は

○斉州 今の山東省済南府。

nat0001 

岷嶺南蠻北,徐關東海西。

この地は南に雲南という南蛮があり、北側に岷山など雪嶺山脈が横たわっている、君のゆく斉州には東海の西に徐関がある。

○岷嶺 岷山や、雪嶺山脈のこと、茂州汶山県にある。蜀の名山をあげる。

○南蛮 南詔蛮をいう、今の雲南地方、此の句は自己の所在地をいう。

○徐関 斉の古蹟、「左伝」(成公十七年)に「斉侯之と徐関に盟って之を復す」「齊侯自徐關入」との事がある。

○東海 山東省の東の海をいう、此の句は穎の赴く所の地をいう。

 

此行何日到,送汝萬行啼。

このたびの旅行では君はいつむこうへ到着するだろうか、わたしは君を送るために万行の涙をそそいで啼くだけである。

〇万行 万行の涙。

 

域惟高枕,清風獨杖藜。

わたしは都からこんな遠いところで、ただ枕を高くして寝ているだけだ、秋のすがすがしい風にただひとり友からもらったあかぎの枚を点いて暮らしてゆくのである。

○絶域 都よりかけはなれた地。

杖藜 秦はあかぎ、その茎を以て杖につくる。この杖は梓州の章彝刺史からもらったもの。719 《倚杖〔原注 鹽亭縣作〕》 蜀中転々 杜甫 <626  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3440 杜甫詩1000-626-882/1500五言律詩

 

危時暫相見,衰白意都迷。

しかし、こんな危険な時世であるから、君と面会することも、ただ、しばしの間にとどまることであろうとおもうのに、今、また別れねばならぬとあっては、老いのこの身にとっては、意の中がすべて昏乱してしまうばかりである。

〇時危 時世が危険である。

○暫相見 相い見ること暫時のあいだのみ。

衰白 老衰白髪。

○迷 昏乱することをいう。

安史の乱当時の勢力図 

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夜明け前、あかつきの頃には役所の朱の扉が啓かれると入ってゆき、昏には角笛の吹き終りのころにやっともどってくる。こんなことではいま、別業としている草堂を尋ねでもよらなければどうしてもこの身体を休ませることはできないのである。』

 
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製作年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

    杜少陵集 巻十四

詩題: 遣悶奉呈嚴公二十韻【遣悶奉呈鄭公二十韻】 

交遊人物: 嚴武 書信往來(劍南道北部益州 成都)

 

 

遣悶奉呈嚴公二十韻

(胸中のもだえを遣るためにつくって厳武にたてまつった詩。764年  廣德二年  53 秋、幕中にあっての作。)

白水魚竿客,清秋鶴發翁。

元々私はすんだ水に釣り竿をたれているおとこであり、清らかな秋に鶴の毛のような白髪をいただいておるおやじであります。

胡為來幕下,只合在舟中。

この私はなんで節度使の幕府へなどやってきたのか、身分相応にやっぱり荊州に向かう舟のなかにいるべきであったのである。』

卷真如律,青袍也自公。

役人としての功過を記される黄色の巻物は自分を束縛すること律令のごとく、役所から退出してからも青砲を着けているというふうである。

老妻憂坐痹,幼女問頭風。

坐っていると足にしびれがきれるので老妻はそれを心配する、時時、頭痛がするので幼い女はきょうはどうかとたずねてくれる。

 

(悶を遣らんとして嚴公に呈し奉る 二十韻)

白水魚竿の客、清秋鶴発の翁。

胡為れぞ 幕下に来たれる、只だ合に舟中に在るべきのみ。』

黄巻 真に律の如し、青袍も也た公よりす。

老妻 坐痹を憂え、幼女 頭風を問う。

#2

平地專欹倒,分曹失異同。

平地でも、もっぱら横倒れに寝てばかり居る始末であり、他課の人たちとは意見の衝突があるということが幕府にとって欠点となることである。

禮甘衰力就,義忝上官通。

老衰の体力であるにもかかわらず礼法に就いているのだが、それは上官たる厳武公が今以て友情を通じてくれられるからということなのだ。

疇昔論詩早,光輝仗鉞雄。

厳武公とはずっと以前から詩を論じあった仲で、今、ここにおいて節度使として兵馬の雄権を握っておられるその光栄を自分も担うておるのである。

寬容存性拙,剪拂念途窮。

厳武公は寛大であって自分のような不器用な性質のものをそっとそのままにしておかれる、自分が逆境に居ることを気の毒におもわれて馬の毛並みに手をいれるように自分を世話してくださるのである。

平地 専ら欹倒す、分曹 異同に失す。

礼は甘んず衰力就くを、義は忝うす 上官の通ずるを。

疇昔 詩を論ずること早かりき、光輝 仗鉞雄なり

寛容 性拙を存す、剪払 途窮を念う。

#3

露裛思藤架,煙霏想桂叢。

しかし、草堂の藤架が露につつまれている頃だろうと思ったり、桂の木が叢ったり、煙霧がこまかくとびひろがっているのではないかとかんがえたりする。

信然龜觸網,直作鳥窺籠。

幕府の役所勤めをしているとほんとうに亀が網にひっかかってしまったようで、あるいは、鳥が籠の中から外をのぞいているようなものである。』

西嶺紆村北,南江繞舍東。

草堂のことを考えると、村の北のほうには西嶺がうねり横たわっており、家舎の東には南江がめぐっておる。

竹皮寒舊翠,椒實雨新紅。

竹の皮はむかしながらの寒くても翠色をたたえていて、山椒の実はちかごろの雨に紅に色づいたであろう。

露裛 藤架を思い、煙霏 桂叢を想う。

信然 亀網に触る、直ちに鳥の籠を窺うを作す。』

西嶺 村北に紆る、南江 舎東を繞る。

竹皮 旧翠寒く、椒実 雨に新たに紅なり。

#4

浪簸船應坼,杯幹甕即空。

つないである船はあまり浪にあおられるのでこわれたかも知れないが、酒は例のとおり杯がほされるとともに甕まですぐ空になるだろう。

藩籬生野徑,斤斧任樵童。

籬は藩うてはあるがそこにはひとりでにこみちができ、樵の童らが勝手に斧をもってではいりしているだろう。

束縛酬知己,蹉跎效小忠。

自分は知己である厳武に酬いるためにはわれとわが身を束縛し、蹉跎とつまずいていて境界ながら、心ばかりの誠を尽くしているのである。

周防期稍稍,太簡遂匆匆。

しだい次第に人からあれこれ言われぬようにとは、努めているのだが、もちまえの簡略すぎる性格から、ついそそっかしいことも出てきたのである。

浪に簸られて船応に坼くなるべし、杯 乾きて甕即ち空し。

藩籬 野径生ず、斤斧 樵童に任す。

束縛 知己に酬い、瑳蛇 小忠を効す。

周防 稍稍を期す、太簡遂に匆匆たり。

#5

曉入朱扉,昏歸畫角終。

夜明け前、あかつきの頃には役所の朱の扉が啓かれると入ってゆき、昏には角笛の吹き終りのころにやっともどってくる。

不成尋別業,未敢息微躬。

こんなことではいま、別業としている草堂を尋ねでもよらなければどうしてもこの身体を休ませることはできないのである。』

烏鵲愁銀漢,駑駘怕錦幪。

草堂に帰りたいと思う自分のこころは烏鵲が銀漢をうずめたい とおもいながらうずめることができずに心配しておるようなものであり、また駑駘が力はないのにただ錦の鞍布だけ着飾らせられることをおそれているようなものである。

會希全物色,時放倚梧桐。

どうぞ馬ならばその毛並みを損わぬようにとりあっかわれ、鳥ならば時としてはこれを解放して梧桐の樹にでも借りかかるようにさせていただきたいものである。』

暁入 朱扉啓、昏帰画角終る。

別業を尋ぬるを成さずんば、未だ敢て微躬を息せしめず。』

烏鵲 銀漢に愁え、駑駘 錦幪を伯る。

会ず希う 物色を全うして、時に放ちて梧桐に倚らしめんことを。』

成都関連地図 00 

 

『遣悶奉呈嚴公二十韻』 現代語訳と訳註

(本文) #5

曉入朱扉,昏歸畫角終。

不成尋別業,未敢息微躬。

烏鵲愁銀漢,駑駘怕錦幪。

會希全物色,時放倚梧桐。

 

(下し文)

暁入 朱扉啓、昏帰画角終る。

別業を尋ぬるを成さずんば、未だ敢て微躬を息せしめず。』

烏鵲 銀漢に愁え、駑駘 錦幪を伯る。

会ず希う 物色を全うして、時に放ちて梧桐に倚らしめんことを。』

 

(現代語訳)

夜明け前、あかつきの頃には役所の朱の扉が啓かれると入ってゆき、昏には角笛の吹き終りのころにやっともどってくる。

こんなことではいま、別業としている草堂を尋ねでもよらなければどうしてもこの身体を休ませることはできないのである。』

草堂に帰りたいと思う自分のこころは烏鵲が銀漢をうずめたい とおもいながらうずめることができずに心配しておるようなものであり、また駑駘が力はないのにただ錦の鞍布だけ着飾らせられることをおそれているようなものである。

どうぞ馬ならばその毛並みを損わぬようにとりあっかわれ、鳥ならば時としてはこれを解放して梧桐の樹にでも借りかかるようにさせていただきたいものである。』

 

(訳注) #5

遣悶奉呈嚴公二十韻

(胸中のもだえを遣るためにつくって厳武にたてまつった詩。広徳二年秋、幕中にあっての作。)

○遣悶 心のもだえをおいやること。

○厳公 厳武。

押韻 四平韻 終、躬、幪、桐。

構成

●●○○●  ○○●●○

△○○●●  ●●●○○

○●○○●  ○△●●○

●○○●●  ○●△○○

杜甫草堂詳細図02 

曉入朱扉,昏歸畫角終。

夜明け前、あかつきの頃には役所の朱の扉が啓かれると入ってゆき、昏には角笛の吹き終りのころにやっともどってくる。

○暁入 あさ早く出勤することをいう。

○朱扉 節度使の役所のあかいとびら。

○昏帰 夕ぐれに退出してかえる。

○画角 えがいて飾った角笛。

 

不成尋別業,未敢息微躬。

こんなことではいま、別業としている草堂を尋ねでもよらなければどうしてもこの身体を休ませることはできないのである。』

○別業 別荘、草堂をさす。

○息 休息。

○微躬 ささいなからだ、以上は草堂のさまをのべて幕府勤めにくいことをいう。

 

烏鵲愁銀漢,駑駘怕錦幪。

草堂に帰りたいと思う自分のこころは烏鵲が銀漢をうずめたい とおもいながらうずめることができずに心配しておるようなものであり、また駑駘が力はないのにただ錦の鞍布だけ着飾らせられることをおそれているようなものである。

○烏鵲 かささぎ。

○愁銀漢 銀漢は天の川で、かささぎが河を埋めて橋を成して、牽牛・織女の星を渡して逢わせるという話がある、愁とは河を埋めることができないことを愁えること、意は事に補いの無いことを歎ずる。

○駑駘 どば。

○錦幪 幪は鞍をおおう布のこと。

 

會希全物色,時放倚梧桐。

どうぞ馬ならばその毛並みを損わぬようにとりあっかわれ、鳥ならば時としてはこれを解放して梧桐の樹にでも借りかかるようにさせていただきたいものである。』

○全物色 物色は馬の縁語であろう、馬の毛色などをいう、全とは害さぬことをいう。

〇倚梧桐 きりの木によりかかる。これは鳥(鳳凰)の縁語を用い、自己を鳳凰に此する。

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杜甫詩1500-783-#4-1090/2500Index-14廣徳2764-85

 

 

製作年:764  廣德二年  53

卷別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

    杜少陵集 巻十四

詩題: 遣悶奉呈嚴公二十韻【遣悶奉呈鄭公二十韻】 

交遊人物: 嚴武 書信往來(劍南道北部益州 成都)

 

 

遣悶奉呈嚴公二十韻

(胸中のもだえを遣るためにつくって厳武にたてまつった詩。764年  廣德二年  53 秋、幕中にあっての作。)

白水魚竿客,清秋鶴發翁。

元々私はすんだ水に釣り竿をたれているおとこであり、清らかな秋に鶴の毛のような白髪をいただいておるおやじであります。

胡為來幕下,只合在舟中。

この私はなんで節度使の幕府へなどやってきたのか、身分相応にやっぱり荊州に向かう舟のなかにいるべきであったのである。』

卷真如律,青袍也自公。

役人としての功過を記される黄色の巻物は自分を束縛すること律令のごとく、役所から退出してからも青砲を着けているというふうである。

老妻憂坐痹,幼女問頭風。

坐っていると足にしびれがきれるので老妻はそれを心配する、時時、頭痛がするので幼い女はきょうはどうかとたずねてくれる。

 

(悶を遣らんとして嚴公に呈し奉る 二十韻)

白水魚竿の客、清秋鶴発の翁。

胡為れぞ 幕下に来たれる、只だ合に舟中に在るべきのみ。』

黄巻 真に律の如し、青袍も也た公よりす。

老妻 坐痹を憂え、幼女 頭風を問う。

#2

平地專欹倒,分曹失異同。

平地でも、もっぱら横倒れに寝てばかり居る始末であり、他課の人たちとは意見の衝突があるということが幕府にとって欠点となることである。

禮甘衰力就,義忝上官通。

老衰の体力であるにもかかわらず礼法に就いているのだが、それは上官たる厳武公が今以て友情を通じてくれられるからということなのだ。

疇昔論詩早,光輝仗鉞雄。

厳武公とはずっと以前から詩を論じあった仲で、今、ここにおいて節度使として兵馬の雄権を握っておられるその光栄を自分も担うておるのである。

寬容存性拙,剪拂念途窮。

厳武公は寛大であって自分のような不器用な性質のものをそっとそのままにしておかれる、自分が逆境に居ることを気の毒におもわれて馬の毛並みに手をいれるように自分を世話してくださるのである。

平地 専ら欹倒す、分曹 異同に失す。

礼は甘んず衰力就くを、義は忝うす 上官の通ずるを。

疇昔 詩を論ずること早かりき、光輝 仗鉞雄なり

寛容 性拙を存す、剪払 途窮を念う。

#3

露裛思藤架,煙霏想桂叢。

しかし、草堂の藤架が露につつまれている頃だろうと思ったり、桂の木が叢ったり、煙霧がこまかくとびひろがっているのではないかとかんがえたりする。

信然龜觸網,直作鳥窺籠。

幕府の役所勤めをしているとほんとうに亀が網にひっかかってしまったようで、あるいは、鳥が籠の中から外をのぞいているようなものである。』

西嶺紆村北,南江繞舍東。

草堂のことを考えると、村の北のほうには西嶺がうねり横たわっており、家舎の東には南江がめぐっておる。

竹皮寒舊翠,椒實雨新紅。

竹の皮はむかしながらの寒くても翠色をたたえていて、山椒の実はちかごろの雨に紅に色づいたであろう。

露裛 藤架を思い、煙霏 桂叢を想う。

信然 亀網に触る、直ちに鳥の籠を窺うを作す。』

西嶺 村北に紆る、南江 舎東を繞る。

竹皮 旧翠寒く、椒実 雨に新たに紅なり。

#4

浪簸船應坼,杯幹甕即空。

つないである船はあまり浪にあおられるのでこわれたかも知れないが、酒は例のとおり杯がほされるとともに甕まですぐ空になるだろう。

藩籬生野徑,斤斧任樵童。

籬は藩うてはあるがそこにはひとりでにこみちができ、樵の童らが勝手に斧をもってではいりしているだろう。

束縛酬知己,蹉跎效小忠。

自分は知己である厳武に酬いるためにはわれとわが身を束縛し、蹉跎とつまずいていて境界ながら、心ばかりの誠を尽くしているのである。

周防期稍稍,太簡遂匆匆。

しだい次第に人からあれこれ言われぬようにとは、努めているのだが、もちまえの簡略すぎる性格から、ついそそっかしいことも出てきたのである。

浪に簸られて船応に坼くなるべし、杯 乾きて甕即ち空し。

藩籬 野径生ず、斤斧 樵童に任す。

束縛 知己に酬い、瑳蛇 小忠を効す。

周防 稍稍を期す、太簡遂に匆匆たり。

#5

曉入朱扉,昏歸畫角終。不成尋別業,未敢息微躬。

烏鵲愁銀漢,駑駘怕錦幪。會希全物色,時放倚梧桐。

 

暁入 朱扉啓、昏帰画角終る。

別業を尋ぬるを成さずんば、未だ敢て微躬を息せしめず。』

烏鵲 銀漢に愁え、駑駘 錦幪を伯る。

会ず希う 物色を全うして、時に放ちて梧桐に倚らしめんことを。』

安史の乱当時の勢力図 

 

『遣悶奉呈嚴公二十韻』 現代語訳と訳註

(本文) #4

浪簸船應坼,杯幹甕即空。

藩籬生野徑,斤斧任樵童。

束縛酬知己,蹉跎效小忠。

周防期稍稍,太簡遂匆匆。

 

(下し文)

浪に簸られて船応に坼くなるべし、杯 乾きて甕即ち空し。

藩籬 野径生ず、斤斧 樵童に任す。

束縛 知己に酬い、瑳蛇 小忠を効す。

周防 稍稍を期す、太簡遂に匆匆たり。

 

(現代語訳)

つないである船はあまり浪にあおられるのでこわれたかも知れないが、酒は例のとおり杯がほされるとともに甕まですぐ空になるだろう。

籬は藩うてはあるがそこにはひとりでにこみちができ、樵の童らが勝手に斧をもってではいりしているだろう。

自分は知己である厳武に酬いるためにはわれとわが身を束縛し、蹉跎とつまずいていて境界ながら、心ばかりの誠を尽くしているのである。

しだい次第に人からあれこれ言われぬようにとは、努めているのだが、もちまえの簡略すぎる性格から、ついそそっかしいことも出てきたのである。

 

(訳注) #4

遣悶奉呈嚴公二十韻

(胸中のもだえを遣るためにつくって厳武にたてまつった詩。広徳二年秋、幕中にあっての作。)

○遣悶 心のもだえをおいやること。

○厳公 厳武。

押韻 匆。

構成

△●○△●  ○●●●△

○○△●●  △●△○○

●●○○●  ○○●●○

○△○●●  ●●●○○

成都関連地図 00 

浪簸船應坼,杯幹甕即空。

つないである船はあまり浪にあおられるのでこわれたかも知れないが、酒は例のとおり杯がほされるとともに甕まですぐ空になるだろう。

○浪簸 浪にあおられる。

○船 杜甫が荊州・江南に出帆しようと準備していた船を草堂の淵に繋留していたもの。

○坼 さけひらくこと。

○幹 のみはすこと。

○甕即空 襲は多く酒を貯えるもの、杯のかわくとともにそれが空になるとは酒の貯えのないことをいう。

 

藩籬生野徑,斤斧任樵童。

籬は藩うてはあるがそこにはひとりでにこみちができ、樵の童らが勝手に斧をもってではいりしているだろう。

○生野径 「野径製に同じ、野中のこみちがそこにできる、他人が侵入して往来するためであることは、下旬を見て知ることができる。

○斤斧 斤も斧もともにおの、樹木をきるのに用いる。

○樵童 木を刈りとるこども。

 

束縛酬知己,蹉跎效小忠。

自分は知己である厳武に酬いるためにはわれとわが身を束縛し、蹉跎とつまずいていて境界ながら、心ばかりの誠を尽くしているのである。

○束縛 礼法に身をしばりつける。

○知己 厳武をさす。

○蹉跎 つまずくさま。

○效小忠 小さな忠節をつくすこと。

 

周防期稍稍,太簡遂匆匆。

しだい次第に人からあれこれ言われぬようにとは、努めているのだが、もちまえの簡略すぎる性格から、ついそそっかしいことも出てきたのである。

○周防 手落ちなく身を防ぐ、他人に諌言などされぬ用心をすること。

○稍稍 しだい次第。

○太簡 あんまり簡略にすぎる。

○忽忽 草率なことをいう。
題新津北橋棲00 

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廣徳2764-85 《遣悶奉呈嚴公二十韻【遣悶奉呈鄭公二十韻】》杜甫index-14 764年 杜甫<783-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4590 杜甫詩1500-783-#3-1089/2500Index-14廣徳2764-85

 

 

製作年:764  廣德二年  53

卷 別: 卷二二八  文體: 五言古詩 

    杜少陵集 巻十四

詩 題: 遣悶奉呈嚴公二十韻【遣悶奉呈鄭公二十韻】 

交遊人物: 嚴武 書信往來(劍南道北部益州 成都)

 

 

遣悶奉呈嚴公二十韻

(胸中のもだえを遣るためにつくって厳武にたてまつった詩。764  廣德二年  53 秋、幕中にあっての作。)

白水魚竿客,清秋鶴發翁。

元々私はすんだ水に釣り竿をたれているおとこであり、清らかな秋に鶴の毛のような白髪をいただいておるおやじであります。

胡為來幕下,只合在舟中。

この私はなんで節度使の幕府へなどやってきたのか、身分相応にやっぱり荊州に向かう舟のなかにいるべきであったのである。』

卷真如律,青袍也自公。

役人としての功過を記される黄色の巻物は自分を束縛すること律令のごとく、役所から退出してからも青砲を着けているというふうである。

老妻憂坐痹,幼女問頭風。

坐っていると足にしびれがきれるので老妻はそれを心配する、時時、頭痛がするので幼い女はきょうはどうかとたずねてくれる。

 

(悶を遣らんとして嚴公に呈し奉る 二十韻)

白水魚竿の客、清秋鶴発の翁。

胡為れぞ 幕下に来たれる、只だ合に舟中に在るべきのみ。』

黄巻 真に律の如し、青袍も也た公よりす。

老妻 坐痹を憂え、幼女 頭風を問う。

#2

平地專欹倒,分曹失異同。

平地でも、もっぱら横倒れに寝てばかり居る始末であり、他課の人たちとは意見の衝突があるということが幕府にとって欠点となることである。

禮甘衰力就,義忝上官通。

老衰の体力であるにもかかわらず礼法に就いているのだが、それは上官たる厳武公が今以て友情を通じてくれられるからということなのだ。

疇昔論詩早,光輝仗鉞雄。

厳武公とはずっと以前から詩を論じあった仲で、今、ここにおいて節度使として兵馬の雄権を握っておられるその光栄を自分も担うておるのである。

寬容存性拙,剪拂念途窮。

厳武公は寛大であって自分のような不器用な性質のものをそっとそのままにしておかれる、自分が逆境に居ることを気の毒におもわれて馬の毛並みに手をいれるように自分を世話してくださるのである。

平地 専ら欹倒す、分曹 異同に失す。

礼は甘んず衰力就くを、義は忝うす 上官の通ずるを。

疇昔 詩を論ずること早かりき、光輝 仗鉞雄なり

寛容 性拙を存す、剪払 途窮を念う。

#3

露裛思藤架,煙霏想桂叢。

しかし、草堂の藤架が露につつまれている頃だろうと思ったり、桂の木が叢ったり、煙霧がこまかくとびひろがっているのではないかとかんがえたりする。

信然龜觸網,直作鳥窺籠。

幕府の役所勤めをしているとほんとうに亀が網にひっかかってしまったようで、あるいは、鳥が籠の中から外をのぞいているようなものである。』

西嶺紆村北,南江繞舍東。

草堂のことを考えると、村の北のほうには西嶺がうねり横たわっており、家舎の東には南江がめぐっておる。

竹皮寒舊翠,椒實雨新紅。

竹の皮はむかしながらの寒くても翠色をたたえていて、山椒の実はちかごろの雨に紅に色づいたであろう。

露裛 藤架を思い、煙霏 桂叢を想う。

信然 亀網に触る、直ちに鳥の籠を窺うを作す。』

西嶺 村北に紆る、南江 舎東を繞る。

竹皮 旧翠寒く、椒実 雨に新たに紅なり。

#4

浪簸船應坼,杯幹甕即空。藩籬生野徑,斤斧任樵童。

束縛酬知己,蹉跎效小忠。周防期稍稍,太簡遂匆匆。

#5

曉入朱扉,昏歸畫角終。不成尋別業,未敢息微躬。

烏鵲愁銀漢,駑駘怕錦幪。會希全物色,時放倚梧桐。

 

 

浪に簸られて船応に坼くなるべし、杯 乾きて甕即ち空し。

藩籬 野径生ず、斤斧 樵童に任す。

束縛 知己に酬い、瑳蛇 小忠を効す。

周防 稍稍を期す、太簡遂に匆匆たり。

 

暁入 朱扉啓、昏帰画角終る。

別業を尋ぬるを成さずんば、未だ敢て微躬を息せしめず。』

烏鵲 銀漢に愁え、駑駘 錦幪を伯る。

会ず希う 物色を全うして、時に放ちて梧桐に倚らしめんことを。』

成都関連地図 00 

 

『遣悶奉呈嚴公二十韻』 現代語訳と訳註

(本文)#3

露裛思藤架,煙霏想桂叢。

信然龜觸網,直作鳥窺籠。

西嶺紆村北,南江繞舍東。

竹皮寒舊翠,椒實雨新紅。

 

(下し文)

露裛 藤架を思い、煙霏 桂叢を想う。

信然 亀網に触る、直ちに鳥の籠を窺うを作す。』

西嶺 村北に紆る、南江 舎東を繞る。

竹皮 旧翠寒く、椒実 雨に新たに紅なり。

 

(現代語訳)

しかし、草堂の藤架が露につつまれている頃だろうと思ったり、桂の木が叢ったり、煙霧がこまかくとびひろがっているのではないかとかんがえたりする。

幕府の役所勤めをしているとほんとうに亀が網にひっかかってしまったようで、あるいは、鳥が籠の中から外をのぞいているようなものである。』

草堂のことを考えると、村の北のほうには西嶺がうねり横たわっており、家舎の東には南江がめぐっておる。

竹の皮はむかしながらの寒くても翠色をたたえていて、山椒の実はちかごろの雨に紅に色づいたであろう。

杜甫草堂詳細図02

(訳注)#3

遣悶奉呈嚴公二十韻

(胸中のもだえを遣るためにつくって厳武にたてまつった詩。広徳二年秋、幕中にあっての作。)

○遣悶 心のもだえをおいやること。

○厳公 厳武。

押韻 紅。

構成

●●△○●  ○○●●○

△○○●●  ●●●○△

○●○○●  ○○●●○

●○○●●  ○●●○○

 

露裛思藤架,煙霏想桂叢。

しかし、草堂の藤架が露につつまれている頃だろうと思ったり、桂の木が叢ったり、煙霧がこまかくとびひろがっているのではないかとかんがえたりする。

○露裛 露につつまれている、裛はつつむこと。

○藤架 ふじだな。

○煙霏 けむりのこまかにとぶこと。

○桂叢 桂の木のむらがり、藤、桂は草堂の植物についていう。

 

信然龜觸網,直作鳥窺籠。

幕府の役所勤めをしているとほんとうに亀が網にひっかかってしまったようで、あるいは、鳥が籠の中から外をのぞいているようなものである。』

○信然 まことに。

○亀触網 かめは霊力のあるものであるが網に入れられれば、ただその中であちこちと触れるばかりで外へは出られぬ。

○鳥窺籠 寵のなかから外部のひろいところをのぞいて出たいとおもうばかり、以上は幕府にいる不自由をのべる。

 

西嶺紆村北,南江繞舍東。

草堂のことを考えると、村の北のほうには西嶺がうねり横たわっており、家舎の東には南江がめぐっておる。

○西嶺 西山。

○紆 うねり横たわることをいう。

○南江 汶江とも流江ともいう、成都の南七里にある。

 

竹皮寒舊翠,椒實雨新紅。

竹の皮はむかしながらの寒くても翠色をたたえていて、山椒の実はちかごろの雨に紅に色づいたであろう。

○椒実 さんしょうのみ。
題新津北橋棲00 

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