奉節-2杜甫《客堂 -#5》いま、天子は悩まれているのに、何の助勢もできず、こうして都から離れた遠方にいる身でその職責をあけたままにして何にもできないでいる。
766年大暦元年55歲-10-5 《奉節-2客堂 -#5》 杜甫index-15 杜甫<877> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5195
杜甫詩1500-877-1210/2500766年大暦元年55歲-10-5
年:766年大暦元年55歲-春
卷別: 卷二二一 文體: 五言古詩
詩題: 客堂
作地點: 夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州) 奉節。*2
及地點:
少城 (劍南道北部 益州 成都) 別名:小城
雲安 (山南東道 夔州 雲安) 別名:南楚
客堂
憶昨離少城,而今異楚蜀。
舍舟復深山,窅窕一林麓。
棲泊雲安縣,消中內相毒。
舊疾甘載來,衰年得無足。
(飲み水で苦心した雲安から移居してその心情を述べる。)
おもうに自分は前に成都の西の少城から離れて今では楚の雲安とも違う奉節に居場所がかわった。
さて舟をすておいて、陸にあがってみるとまた深山に囲まれており、おくふかい一つの林の麓の地に住むことになった。
雲安県に泊まったのは澄んだのは、やむを得なかったのだ、というのも、持病の消渇の病が内部で自分を酷く苦しめたからだ。
その持病である旧い疾をしかたなく船にのせてやってきたが、くわえて、老衰になって、足が弱ってきたうえ、きかなくなった。
(客堂)
憶う昨 少城を離れしことを、而今【じこん】 楚蜀 異なれるを。
舟を捨つれば復た深山あり、窅宨【ようちょう】たり一林麓。
棲泊【せいはく】す 雲安県、消中にあって内は 相い毒す。
旧疾 甘んじて載せ来たり、衰年 弱足を得たり。
#2
死為殊方鬼,頭白免短促。
老馬終望雲,南雁意在北。
別家長兒女,欲起慚筋力。
客堂序節改,具物對羈束。
ここで死んで他郷の鬼神となったとしても、この白髪あたまは、若死には免れたということの証明ではあるのだ。
ただ北からきた馬は老いてもやっぱり生まれた北方の雲をながめる、雁は南に飛んでもこころは北にあるので故郷は忘れない。
故郷の家に別れてからこどもやむすめは生長したが、自分ははずかしながら起きあがるにも筋力が衰えてしまった。
この魚復の寓居へ移居してきて季候がかわり、旅の身の目の前にさまざまの束縛の物がでてきた。
死して殊方【しゅほう】の鬼 為るも、頭白 短促を免【まぬが】る。
老馬 終【つい】に雲を望む、南雁 意 北に在り。
家に別れしより児女 長ず、起きむと欲するも 筋力に慚ず。
客堂 序節改まる、具物 羇束【きそく】に対す。
#3
石暄蕨芽紫,渚秀蘆筍綠。
巴鶯紛未稀,徼麥早向熟。
悠悠日動江,漠漠春辭木。
臺郎選才俊,自顧亦已極。
ひなたの石があたたかになり、そばにはぜんまいの芽が紫に生え、渚には芦の芽が綠に秀でてきた。
鶯はまだなかなかたくさん鳴いているし、さすが南境で麦は早く熟しかかっている。
日の光は遙かに長江の上に動き、一帯にわたって春の色は樹木から去ろうとしている。
尚書省の郎官は本来才俊のものを選でいる、それに自分が選ばれたことは自分としては栄誉の極みである。
石暄【あたたか】にして蕨芽【けつが】紫に、渚に秀でて芦笋【ろじゅん】緑なり。
巴鶯【はおう】 粉として末だ稀ならず、徼麦【きょうばく】 早く熟するに向かう。
悠悠として 日 江に動き、漠漠として 春 木を辞す。
台郎 才俊を選ぶ、自ら顧るに亦た已に極きわまれり。
#4
前輩聲名人,埋沒何所得。
居然綰章紱,受性本幽獨。
平生憩息地,必種數竿竹。
事業只濁醪,營葺但草屋。
しかし、前輩で名声のあった人々はいくらでもいるが、何の官にもならずそのまま埋もれた人は何を得ただろうか。(得るものはなかったはずである)
というのも、本性として、幽独を好む、幽靜な隠遁と半官半隠を理想としているのであり、かといって自分ごときものがあつかましくもそのまま官の礼服を身につけておるということなのだ。
だから、平生は、つまり半隠のときは、幽独な性質ゆえふだん休息する土地には幽靜に欠かせない幾本かの竹をうえるのである。
杜工部の半官、つまり、仕事はにごり酒を飲むことであり、それはかやぶきの屋根の家で、ただし、草堂といえるものにきまっている。
前輩 声名の人、埋没何の得る所ぞ。
居然 章紱【しょうふつ】を綰【つが】ぬ、受性 本と 幽独なり。
平生 憩息の地、必ず数竿の竹を種【う】う。
事業 只だ独醪【どくろう】、営葺【えいしゅう】 但だ草屋。
#5
上公有記者,累奏資薄祿。
そんな私でも覚えていた上官(鄭国公厳武)があり、奏上して俸禄を受ける身にしてくれた。
主憂豈濟時,身遠彌曠職。
いま、天子は悩まれているのに、何の助勢もできず、こうして都から離れた遠方にいる身でその職責をあけたままにして何にもできないでいる。
循文廟算正,獻可天衢直。
はたして、文徳は修まり遵守され、朝廷の施政は正しく行なわれ、臣下の献言は真っ直ぐ天に達しているということなのだろう。
尚想趨朝廷,毫髮裨社稷。
それでもなお私は思っているのは、朝廷にすすみ出て、わずかでも国に裨益したいことなのだ。
形骸今若是,進退委行色。
しかるに私の体はご覧の通りであるが国の体も形骸化しており、進退はこれからの状態次第である。
上公【じょうこう】記する者有り、累奏せられて薄禄に資【よ】る。
主 憂うるも豈に時を済【すく】わんや、身遠くして弥々【いよいよ】 曠職【こうしょく】す。
修文 廟算【びょうさん】正しく、献可 天衢【てんく】直す。
尚お想う 朝廷に趨して、毫髪 社稷【しゃしょく】を裨【ひ】せむことを。
形骸 今 是【かく】の若し、進退 行色に委【ま】かす。
『客堂』 現代語訳と訳註解説
(本文) #5
上公有記者,累奏資薄祿。
主憂豈濟時,身遠彌曠職。
循文廟算正,獻可天衢直。
尚想趨朝廷,毫髮裨社稷。
形骸今若是,進退委行色。
(下し文)
上公【じょうこう】記する者有り、累奏せられて薄禄に資【よ】る。
主 憂うるも豈に時を済【すく】わんや、身遠くして弥々【いよいよ】 曠職【こうしょく】す。
修文 廟算【びょうさん】正しく、献可 天衢【てんく】直す。
尚お想う 朝廷に趨して、毫髪 社稷【しゃしょく】を裨【ひ】せむことを。
形骸 今 是【かく】の若し、進退 行色に委【ま】かす。
(現代語訳)
そんな私でも覚えていた上官(鄭国公厳武)があり、奏上して俸禄を受ける身にしてくれた。
いま、天子は悩まれているのに、何の助勢もできず、こうして都から離れた遠方にいる身でその職責をあけたままにして何にもできないでいる。
はたして、文徳は修まり遵守され、朝廷の施政は正しく行なわれ、臣下の献言は真っ直ぐ天に達しているということなのだろう。
それでもなお私は思っているのは、朝廷にすすみ出て、わずかでも国に裨益したいことなのだ。
しかるに私の体はご覧の通りであるが国の体も形骸化しており、進退はこれからの状態次第である。
(訳注) #5
客堂
(飲み水で苦心した雲安から移居してその心情を述べる。)
○客堂 客寓している座敷、夔州奉節にあっての寓居をいう。66年大暦元年55歲-春。この前の詩《引水》(夔州最初の詩)を参考。766年大暦元年55歲-9 《引水》 杜甫index-15 杜甫<872> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5170 杜甫詩1500-872-1205/2500766年大暦元年55歲-9
上公有記者,累奏資薄祿。
そんな私でも覚えていた上官(鄭国公厳武)があり、奏上して俸禄を受ける身にしてくれた。
○上公 上官にして公位にあるもの、鄭国公厳武をいう。
○記 旧交を記憶する。
○累奏 しきりに朝廷へ奏聞する。
○資 とる、もとでをとる。
○薄禄 すこしの俸禄。上公二句は《憶昔》「小臣魯鈍無所能,朝廷記識蒙祿秩。」(小臣 魯鈍【ろどん】能くする所無し,朝廷 記識して祿秩【ろくちつ】を蒙【こうむ】る。)このわたしは小心でおろかでにぶい者であり、何一つできることもないのに、このたび朝廷では、私の名前を話されて、俸禄官位をたまわる仰せをこうむったのです。の意。
746廣徳2年764年―5-#1 《憶昔,二首之一》 蜀中転々 杜甫 <655-#1> |
主憂豈濟時,身遠彌曠職。
いま、天子は悩まれているのに、何の助勢もできず、こうして都から離れた遠方にいる身でその職責をあけたままにして何にもできないでいる。
○主憂 君主たる人がしんはいすること。「主憂臣辱」にもとづく。君主に憂い患い有れば是れ臣子の恥辱なる作す。宋·魏了翁《辭免督視軍馬乞以參贊軍事從丞相行奏劄》「臣竊念主憂臣辱,義不得辭,跼蹐受命。」とある。
○身遠 遠とは都よりとおくはなれていること。
○曠職 職務をむなしくして仕事をせぬ。
循文廟算正,獻可天衢直。
はたして、文徳は修まり遵守され、朝廷の施政は正しく行なわれ、臣下の献言は真っ直ぐ天に達しているということなのだろう。
○循文/修文。① 学問や芸術を学びおさめること。 ② 礼儀・法度をととのえること。平和の徳をおさめること、君をいう。❶遵守する,従う,沿う.そのまま受け継ぐべき前例がある.❷(古い方法・規則・伝統などを)踏襲する,従う,よる
○廟算 朝廷のはかりごと。「孫子」のことば。『孫子』戦略論の特色は、「廟算」の重視にある。廟算とは開戦の前に廟堂(祖先祭祀の霊廟)で行われる軍議のことで、「算」とは敵味方の実情分析と比較を指す。では廟算とは敵味方の何を比較するのか。それは、道:為政者と民とが一致団結するような政治や教化のあり方、天:天候などの自然、地:地形、将:戦争指導者の力量、法 : 軍の制度・軍規の「五事」である。
○献可 「左伝」(昭公二十年)に、「晏子日く、君可と謂う所にして否なる有れば、臣其ノ否を献じて以て其の可を成す、君否と謂う所にして、可なる有れば、其の可を献じて以て其の否を成す」とみえる。献可とは君が否という所でも可なる所があれば可なる所を献ずることをいう。斉公が晏子と君臣の関係について議論した際に、晏子が臣下の理想的な役割について話した喩えの一節である。
○天衢 天上の路、有形の路と無形の道とかけて用いる。「易」(大畜卦)に「而上九處天衢之亨」とみえることば。衢:ちまた、四方に通じる道。よつつじ。
尚想趨朝廷,毫髮裨社稷。
それでもなお私は思っているのは、朝廷にすすみ出て、わずかでも国に裨益したいことなのだ。
○趨 足をふんばってあるく。朝廷に参列する際つきしたがってあるく様子をいう。
○毫髮 産毛程度。すこしばかり。
○稗 益す。
○社稷 ① 古代中国で、天子や諸侯が祭った土地の神(社)と五穀の神(稷)。② 朝廷または国家。③ 朝廷または国家の尊崇する神。【社稷墟】《「淮南子」人間訓》社稷が祭られず、祭場が荒地になる。国家が滅びる。【社稷臣】《「礼記」檀弓下から》国家の危急存亡のとき、その危難を一身に引き受けて、事に当たる臣。国家の重臣。
杜甫《喜達行在所三首其三》
死去憑誰報、帰来始自憐。
猶瞻太白雪、喜遇武功天。
影静千官裏、心蘇七校前。
今朝漢社稷、新数中興年。
死し去らば誰に憑(よ)ってか報ぜん、帰り来たりて始めて自ら憐(あわ)れむ。
猶(な)お瞻(み)る 太白の雪、遇(あ)うを喜ぶ 武功(ぶこう)の天。
影は静かなり 千官(せんかん)の裏(うち)、心は蘇(よみがえ)る 七校(しちこう)の前。
今朝(こんちょう)より漢の社稷(しゃしょく)は、新たに興るに中(あたる)の年を数(かぞ)えん。
形骸今若是,進退委行色。
しかるに私の体はご覧の通りであるが国の体も形骸化しており、進退はこれからの状態次第である。
○形骸 ① (精神に対して)人の体。肉体。身体。 ② 建物などの骨組み。 ③ 内容・意義を失って形だけが残ったもの。杜甫の体が衰えていることをいうが、杜甫は、朝廷の経済政策、安史の乱を集結させるために問った数々の失政それらのために国の経済が形骸化していること、宦官の意向が文武に強く、朝廷の文武を凌駕しているために起こっている政治の形骸化を自己の老衰に喩えて示唆している。
○若是 衰えていることをいう。


























