杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

2014年11月

766年大暦元年55歲-10-5 《奉節-2客堂 -#5》 杜甫index-15 杜甫<877> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5195

奉節-2杜甫《客堂 -#5》いま、天子は悩まれているのに、何の助勢もできず、こうして都から離れた遠方にいる身でその職責をあけたままにして何にもできないでいる。

 

 
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-10-5 《奉節-2客堂 -#5》 杜甫index-15 杜甫<877> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5195 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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766年大暦元年55-10-5 《奉節-2客堂 -#5》 杜甫index-15 杜甫<877> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5195

 

杜甫詩1500-877-1210/2500766年大暦元年55-10-5

 

 

年:766年大暦元年55-

卷別:  卷二二一        文體:  五言古詩

詩題:  客堂

作地點:        夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州) 奉節。*2

及地點:       

少城 (劍南道北部 益州 成都) 別名:小城   

雲安 (山南東道 夔州 雲安) 別名:南楚     

 

 

客堂

憶昨離少城,而今異楚蜀。

舍舟復深山,窅窕一林麓。

棲泊雲安縣,消中相毒。

舊疾甘載來,衰年得無足。

(飲み水で苦心した雲安から移居してその心情を述べる。)

おもうに自分は前に成都の西の少城から離れて今では楚の雲安とも違う奉節に居場所がかわった。

さて舟をすておいて、陸にあがってみるとまた深山に囲まれており、おくふかい一つの林の麓の地に住むことになった。

雲安県に泊まったのは澄んだのは、やむを得なかったのだ、というのも、持病の消渇の病が内部で自分を酷く苦しめたからだ。

その持病である旧い疾をしかたなく船にのせてやってきたが、くわえて、老衰になって、足が弱ってきたうえ、きかなくなった。

(客堂)

憶う昨 少城を離れしことを、而今【じこん】 楚蜀 異なれるを。

舟を捨つれば復た深山あり、窅宨【ようちょう】たり一林麓。

棲泊【せいはく】す 雲安県、消中にあって内は 相い毒す。

旧疾 甘んじて載せ来たり、衰年  弱足を得たり。

 

#2

死為殊方鬼,頭白免短促。

老馬終望雲,南雁意在北。

別家長兒女,欲起慚筋力。

客堂序節改,具物對羈束。

ここで死んで他郷の鬼神となったとしても、この白髪あたまは、若死には免れたということの証明ではあるのだ。

ただ北からきた馬は老いてもやっぱり生まれた北方の雲をながめる、雁は南に飛んでもこころは北にあるので故郷は忘れない。

故郷の家に別れてからこどもやむすめは生長したが、自分ははずかしながら起きあがるにも筋力が衰えてしまった。

この魚復の寓居へ移居してきて季候がかわり、旅の身の目の前にさまざまの束縛の物がでてきた。

死して殊方【しゅほう】の鬼 為るも、頭白 短促を免【まぬが】る。

老馬 終【つい】に雲を望む、南雁  意 北に在り。

家に別れしより児女 長ず、起きむと欲するも 筋力に慚ず。

客堂 序節改まる、具物 羇束【きそく】に対す。

 

#3

石暄蕨芽紫,渚秀蘆筍綠。

巴鶯紛未稀,徼麥早向熟。

悠悠日動江,漠漠春辭木。

臺郎選才俊,自顧亦已極。

ひなたの石があたたかになり、そばにはぜんまいの芽が紫に生え、渚には芦の芽が綠に秀でてきた。

鶯はまだなかなかたくさん鳴いているし、さすが南境で麦は早く熟しかかっている。

日の光は遙かに長江の上に動き、一帯にわたって春の色は樹木から去ろうとしている。

尚書省の郎官は本来才俊のものを選でいる、それに自分が選ばれたことは自分としては栄誉の極みである。

石暄【あたたか】にして蕨芽【けつが】紫に、渚に秀でて芦笋【ろじゅん】緑なり。

巴鶯【はおう】 粉として末だ稀ならず、徼麦【きょうばく】 早く熟するに向かう。

悠悠として 日 江に動き、漠漠として 春 木を辞す。

台郎 才俊を選ぶ、自ら顧るに亦た已に極きわまれり。

#4

前輩聲名人,埋沒何所得。

居然綰章紱,受性本幽獨。

平生憩息地,必種數竿竹。

事業只濁醪,營葺但草屋。

しかし、前輩で名声のあった人々はいくらでもいるが、何の官にもならずそのまま埋もれた人は何を得ただろうか。(得るものはなかったはずである)

というのも、本性として、幽独を好む、幽靜な隠遁と半官半隠を理想としているのであり、かといって自分ごときものがあつかましくもそのまま官の礼服を身につけておるということなのだ。

だから、平生は、つまり半隠のときは、幽独な性質ゆえふだん休息する土地には幽靜に欠かせない幾本かの竹をうえるのである。

杜工部の半官、つまり、仕事はにごり酒を飲むことであり、それはかやぶきの屋根の家で、ただし、草堂といえるものにきまっている。

前輩 声名の人、埋没何の得る所ぞ。

居然 章紱【しょうふつ】を綰【つが】ぬ、受性 本と 幽独なり。

平生 憩息の地、必ず数竿の竹を種【う】う。

事業 只だ独醪【どくろう】、営葺【えいしゅう】 但だ草屋。

 

#5

上公有記者,累奏資薄祿。

そんな私でも覚えていた上官(鄭国公厳武)があり、奏上して俸禄を受ける身にしてくれた。

主憂豈濟時,身遠彌曠職。

いま、天子は悩まれているのに、何の助勢もできず、こうして都から離れた遠方にいる身でその職責をあけたままにして何にもできないでいる。

循文廟算正,獻可天衢直。

はたして、文徳は修まり遵守され、朝廷の施政は正しく行なわれ、臣下の献言は真っ直ぐ天に達しているということなのだろう。

尚想趨朝廷,毫髮裨社稷。

それでもなお私は思っているのは、朝廷にすすみ出て、わずかでも国に裨益したいことなのだ。

形骸今若是,進退委行色。

しかるに私の体はご覧の通りであるが国の体も形骸化しており、進退はこれからの状態次第である。

上公【じょうこう】記する者有り、累奏せられて薄禄に資【よ】る。

主 憂うるも豈に時を済【すく】わんや、身遠くして弥々【いよいよ】 曠職【こうしょく】す。

修文 廟算【びょうさん】正しく、献可 天衢【てんく】直す。

尚お想う 朝廷に趨して、毫髪  社稷【しゃしょく】を裨【ひ】せむことを。

形骸 今 是【かく】の若し、進退 行色に委【ま】かす。

 

唐時代 地図山南 東・西道50 

『客堂』 現代語訳と訳註解説

(本文) #5

上公有記者,累奏資薄祿。

主憂豈濟時,身遠彌曠職。

循文廟算正,獻可天衢直。

尚想趨朝廷,毫髮裨社稷。

形骸今若是,進退委行色。

 

(下し文)

上公【じょうこう】記する者有り、累奏せられて薄禄に資【よ】る。

主 憂うるも豈に時を済【すく】わんや、身遠くして弥々【いよいよ】 曠職【こうしょく】す。

修文 廟算【びょうさん】正しく、献可 天衢【てんく】直す。

尚お想う 朝廷に趨して、毫髪  社稷【しゃしょく】を裨【ひ】せむことを。

形骸 今 是【かく】の若し、進退 行色に委【ま】かす。

 

(現代語訳)

そんな私でも覚えていた上官(鄭国公厳武)があり、奏上して俸禄を受ける身にしてくれた。

いま、天子は悩まれているのに、何の助勢もできず、こうして都から離れた遠方にいる身でその職責をあけたままにして何にもできないでいる。

はたして、文徳は修まり遵守され、朝廷の施政は正しく行なわれ、臣下の献言は真っ直ぐ天に達しているということなのだろう。

それでもなお私は思っているのは、朝廷にすすみ出て、わずかでも国に裨益したいことなのだ。

しかるに私の体はご覧の通りであるが国の体も形骸化しており、進退はこれからの状態次第である。

蜀中転々圖 

(訳注) #5

客堂

(飲み水で苦心した雲安から移居してその心情を述べる。)

○客堂 客寓している座敷、夔州奉節にあっての寓居をいう。66年大暦元年55-春。この前の詩《引水》(夔州最初の詩)を参考。766年大暦元年55-9 《引水》 杜甫index-15 杜甫<872 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5170 杜甫詩1500-872-1205/2500766年大暦元年55-9

 

上公有記者,累奏資薄祿。

そんな私でも覚えていた上官(鄭国公厳武)があり、奏上して俸禄を受ける身にしてくれた。

○上公 上官にして公位にあるもの、鄭国公厳武をいう。

○記 旧交を記憶する。

○累奏 しきりに朝廷へ奏聞する。

○資 とる、もとでをとる。

○薄禄 すこしの俸禄。上公二句は《憶昔》「小臣魯鈍無所能,朝廷記識蒙祿秩。」(小臣 魯鈍【ろどん】能くする所無し,朝廷 記識して祿秩【ろくちつ】を蒙【こうむ】る。)このわたしは小心でおろかでにぶい者であり、何一つできることもないのに、このたび朝廷では、私の名前を話されて、俸禄官位をたまわる仰せをこうむったのです。の意。

746廣徳2764年―5-#1 《憶昔,二首之一》 蜀中転々 杜甫 <655-#1

746廣徳2年764年―5-#2 《憶昔,二首之一》 蜀中転々 杜甫 <655-#2>

746廣徳2年764年―6-#1 《憶昔,二首之二》 蜀中転々 杜甫 <656-1

746廣徳2年764年―6-#2 《憶昔,二首之二》 蜀中転々 杜甫 <656-2

746廣徳2年764年―6-#3 《憶昔,二首之二》 蜀中転々 杜甫 <656-3

 

主憂豈濟時,身遠彌曠職。

いま、天子は悩まれているのに、何の助勢もできず、こうして都から離れた遠方にいる身でその職責をあけたままにして何にもできないでいる。

○主憂 君主たる人がしんはいすること。「主憂臣辱」にもとづく。君主に憂い患い有れば是れ臣子の恥辱なる作す。宋·魏了翁《辭免督視軍馬乞以參贊軍事從丞相行奏劄》「臣竊念主憂臣辱,義不得辭,跼蹐受命。」とある。

○身遠 遠とは都よりとおくはなれていること。

○曠職 職務をむなしくして仕事をせぬ。

 

循文廟算正,獻可天衢直。

はたして、文徳は修まり遵守され、朝廷の施政は正しく行なわれ、臣下の献言は真っ直ぐ天に達しているということなのだろう。

○循文/修文。① 学問や芸術を学びおさめること。 ② 礼儀・法度をととのえること。平和の徳をおさめること、君をいう。❶遵守する,従う,沿う.そのまま受け継ぐべき前例がある.❷(古い方法・規則・伝統などを)踏襲する,従う,よる

○廟算 朝廷のはかりごと。「孫子」のことば。『孫子』戦略論の特色は、「廟算」の重視にある。廟算とは開戦の前に廟堂(祖先祭祀の霊廟)で行われる軍議のことで、「算」とは敵味方の実情分析と比較を指す。では廟算とは敵味方の何を比較するのか。それは、:為政者と民とが一致団結するような政治や教化のあり方、:天候などの自然、:地形、:戦争指導者の力量、 : 軍の制度・軍規の「五事」である。

○献可 「左伝」(昭公二十年)に、「晏子日く、君可と謂う所にして否なる有れば、臣其ノ否を献じて以て其の可を成す、君否と謂う所にして、可なる有れば、其の可を献じて以て其の否を成す」とみえる。献可とは君が否という所でも可なる所があれば可なる所を献ずることをいう。斉公が晏子と君臣の関係について議論した際に、晏子が臣下の理想的な役割について話した喩えの一節である。

○天衢 天上の路、有形の路と無形の道とかけて用いる。「易」(大畜卦)に「而上九處天衢之亨」とみえることば。衢:ちまた、四方に通じる道。よつつじ。

 

尚想趨朝廷,毫髮裨社稷。

それでもなお私は思っているのは、朝廷にすすみ出て、わずかでも国に裨益したいことなのだ。

○趨 足をふんばってあるく。朝廷に参列する際つきしたがってあるく様子をいう。

○毫髮 産毛程度。すこしばかり。

○稗 益す。

○社稷 ① 古代中国で、天子や諸侯が祭った土地の神(社)と五穀の神(稷)。② 朝廷または国家。③ 朝廷または国家の尊崇する神。【社稷墟】《「淮南子」人間訓》社稷が祭られず、祭場が荒地になる。国家が滅びる。【社稷臣】《「礼記」檀弓下から》国家の危急存亡のとき、その危難を一身に引き受けて、事に当たる臣。国家の重臣。

杜甫《喜達行在所三首其三

死去憑誰報、帰来始自憐。

猶瞻太白雪、喜遇武功天。

影静千官裏、心蘇七校前。

今朝漢社稷、新数中興年。

死し去らば誰に憑()ってか報ぜん、帰り来たりて始めて自ら憐(あわ)れむ。

()お瞻()る  太白の雪、遇()うを喜ぶ  武功(ぶこう)の天。

影は静かなり  千官(せんかん)の裏(うち)、心は蘇(よみがえ)る  七校(しちこう)の前。

今朝(こんちょう)より漢の社稷(しゃしょく)は、新たに興るに中(あたる)の年を数(かぞ)えん。

 

形骸今若是,進退委行色。

しかるに私の体はご覧の通りであるが国の体も形骸化しており、進退はこれからの状態次第である。

○形骸 ① (精神に対して)人の体。肉体。身体。 ② 建物などの骨組み。  ③ 内容・意義を失って形だけが残ったもの。杜甫の体が衰えていることをいうが、杜甫は、朝廷の経済政策、安史の乱を集結させるために問った数々の失政それらのために国の経済が形骸化していること、宦官の意向が文武に強く、朝廷の文武を凌駕しているために起こっている政治の形骸化を自己の老衰に喩えて示唆している。

○若是 衰えていることをいう。

○行色 旅行の様子、もと形体的な様子をさす語であるがここは無形の情態のことに用いている。
華州から秦州同谷成都00 

766年大暦元年55歲-10-4奉節-2《客堂 -#4》 杜甫index-15 杜甫<876> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5190

奉節-2杜甫《客堂-#4》本性として、幽独を好む、幽靜な隠遁と半官半隠を理想としているのであり、かといって自分ごときものがあつかましくもそのまま官の礼服を身につけておるということなのだ。

 
 2014年11月29日の紀頌之5つのブログ 
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(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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27-#12 《此日足可惜贈張籍-12》韓愈(韓退之)ID <1241> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5189 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-10-4奉節-2《客堂 -#4》 杜甫index-15 杜甫<876> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5190 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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766年大暦元年55-10-4奉節-2《客堂 -#4》杜甫index-15 杜甫<876> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5190

 

杜甫詩1500-876-1209/2500766年大暦元年55-10-4

 

 

年:766年大暦元年55-

卷別:  卷二二一        文體:  五言古詩

詩題:  客堂

作地點:        夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州) 奉節。*2

及地點:       

少城 (劍南道北部 益州 成都) 別名:小城   

雲安 (山南東道 夔州 雲安) 別名:南楚     

 

 

客堂

憶昨離少城,而今異楚蜀。

舍舟復深山,窅窕一林麓。

棲泊雲安縣,消中相毒。

舊疾甘載來,衰年得無足。

(飲み水で苦心した雲安から移居してその心情を述べる。)

おもうに自分は前に成都の西の少城から離れて今では楚の雲安とも違う奉節に居場所がかわった。

さて舟をすておいて、陸にあがってみるとまた深山に囲まれており、おくふかい一つの林の麓の地に住むことになった。

雲安県に泊まったのは澄んだのは、やむを得なかったのだ、というのも、持病の消渇の病が内部で自分を酷く苦しめたからだ。

その持病である旧い疾をしかたなく船にのせてやってきたが、くわえて、老衰になって、足が弱ってきたうえ、きかなくなった。

(客堂)

憶う昨 少城を離れしことを、而今【じこん】 楚蜀 異なれるを。

舟を捨つれば復た深山あり、窅宨【ようちょう】たり一林麓。

棲泊【せいはく】す 雲安県、消中にあって内は 相い毒す。

旧疾 甘んじて載せ来たり、衰年  弱足を得たり。

 

#2

死為殊方鬼,頭白免短促。

老馬終望雲,南雁意在北。

別家長兒女,欲起慚筋力。

客堂序節改,具物對羈束。

ここで死んで他郷の鬼神となったとしても、この白髪あたまは、若死には免れたということの証明ではあるのだ。

ただ北からきた馬は老いてもやっぱり生まれた北方の雲をながめる、雁は南に飛んでもこころは北にあるので故郷は忘れない。

故郷の家に別れてからこどもやむすめは生長したが、自分ははずかしながら起きあがるにも筋力が衰えてしまった。

この魚復の寓居へ移居してきて季候がかわり、旅の身の目の前にさまざまの束縛の物がでてきた。

死して殊方【しゅほう】の鬼 為るも、頭白 短促を免【まぬが】る。

老馬 終【つい】に雲を望む、南雁  意 北に在り。

家に別れしより児女 長ず、起きむと欲するも 筋力に慚ず。

客堂 序節改まる、具物 羇束【きそく】に対す。

 

#3

石暄蕨芽紫,渚秀蘆筍綠。

巴鶯紛未稀,徼麥早向熟。

悠悠日動江,漠漠春辭木。

臺郎選才俊,自顧亦已極。

ひなたの石があたたかになり、そばにはぜんまいの芽が紫に生え、渚には芦の芽が綠に秀でてきた。

鶯はまだなかなかたくさん鳴いているし、さすが南境で麦は早く熟しかかっている。

日の光は遙かに長江の上に動き、一帯にわたって春の色は樹木から去ろうとしている。

尚書省の郎官は本来才俊のものを選でいる、それに自分が選ばれたことは自分としては栄誉の極みである。

石暄【あたたか】にして蕨芽【けつが】紫に、渚に秀でて芦笋【ろじゅん】緑なり。

巴鶯【はおう】 粉として末だ稀ならず、徼麦【きょうばく】 早く熟するに向かう。

悠悠として 日 江に動き、漠漠として 春 木を辞す。

台郎 才俊を選ぶ、自ら顧るに亦た已に極きわまれり。

#4

前輩聲名人,埋沒何所得。

しかし、前輩で名声のあった人々はいくらでもいるが、何の官にもならずそのまま埋もれた人は何を得ただろうか。(得るものはなかったはずである)

居然綰章紱,受性本幽獨。

というのも、本性として、幽独を好む、幽靜な隠遁と半官半隠を理想としているのであり、かといって自分ごときものがあつかましくもそのまま官の礼服を身につけておるということなのだ。

平生憩息地,必種數竿竹。

だから、平生は、つまり半隠のときは、幽独な性質ゆえふだん休息する土地には幽靜に欠かせない幾本かの竹をうえるのである。

事業只濁醪,營葺但草屋。

杜工部の半官、つまり、仕事はにごり酒を飲むことであり、それはかやぶきの屋根の家で、ただし、草堂といえるものにきまっている。

前輩 声名の人、埋没何の得る所ぞ。

居然 章紱【しょうふつ】を綰【つが】ぬ、受性 本と 幽独なり。

平生 憩息の地、必ず数竿の竹を種【う】う。

事業 只だ独醪【どくろう】、営葺【えいしゅう】 但だ草屋。

 

#5

上公有記者,累奏資薄祿。主憂豈濟時,身遠彌曠職。

循文廟算正,獻可天衢直。尚想趨朝廷,毫髮裨社稷。

形骸今若是,進退委行色。

上公【じょうこう】記する者有り、累奏せられて薄禄に資【よ】る。

主 憂うるも豈に時を済【すく】わんや、身遠くして弥々【いよいよ】 曠職【こうしょく】す。

修文 廟算【びょうさん】正しく、献可 天衢【てんく】直す。

尚お想う 朝廷に趨して、毫髪  社稷【しゃしょく】を裨【ひ】せむことを。

形骸 今 是【かく】の若し、進退 行色に委【ま】かす。

 

唐時代 地図山南 東・西道50 

『客堂』 現代語訳と訳註解説

(本文) #4

前輩聲名人,埋沒何所得。

居然綰章紱,受性本幽獨。

平生憩息地,必種數竿竹。

事業只濁醪,營葺但草屋。

 

(下し文)

前輩 声名の人、埋没何の得る所ぞ。

居然 章紱【しょうふつ】を綰【つが】ぬ、受性 本と 幽独なり。

平生 憩息の地、必ず数竿の竹を種【う】う。

事業 只だ独醪【どくろう】、営葺【えいしゅう】 但だ草屋。

 

(現代語訳)

しかし、前輩で名声のあった人々はいくらでもいるが、何の官にもならずそのまま埋もれた人は何を得ただろうか。(得るものはなかったはずである)

というのも、本性として、幽独を好む、幽靜な隠遁と半官半隠を理想としているのであり、かといって自分ごときものがあつかましくもそのまま官の礼服を身につけておるということなのだ。

だから、平生は、つまり半隠のときは、幽独な性質ゆえふだん休息する土地には幽靜に欠かせない幾本かの竹をうえるのである。

杜工部の半官、つまり、仕事はにごり酒を飲むことであり、それはかやぶきの屋根の家で、ただし、草堂といえるものにきまっている。

蜀中転々圖 

(訳注) #4

客堂

(飲み水で苦心した雲安から移居してその心情を述べる。)

○客堂 客寓している座敷、夔州奉節にあっての寓居をいう。66年大暦元年55-春。この前の詩《引水》(夔州最初の詩)を参考。766年大暦元年55-9 《引水》 杜甫index-15 杜甫<872 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5170 杜甫詩1500-872-1205/2500766年大暦元年55-9

 

前輩聲名人,埋沒何所得。

しかし、前輩で名声のあった人々はいくらでもいるが、何の官にもならずそのまま埋もれた人は何を得ただろうか。(得るものはなかったはずである)

○声名人 名声の高かった人人。

○埋没 官位を得ずうずもれてしまう。

 

居然綰章紱,受性本幽獨。

というのも、本性として、幽独を好む、幽靜な隠遁と半官半隠を理想としているのであり、かといって自分ごときものがあつかましくもそのまま官の礼服を身につけておるということなのだ。

○居然 そのまま、これは次の幽独へかかる。

○綰章紱 棺はまとう。事故は礼服をいう、緋衣をさす。

○幽独 幽静孤独。  以上草屋までは成都草堂の時の事をいう。

 

平生憩息地,必種數竿竹。

だから、平生は、つまり半隠のときは、幽独な性質ゆえふだん休息する土地には幽靜に欠かせない幾本かの竹をうえるのである。

○數竿竹 隠遁者の佇まいをいう。

 

事業只濁醪,營葺但草屋。

杜工部の半官、つまり、仕事はにごり酒を飲むことであり、それはかやぶきの屋根の家で、ただし、草堂といえるものにきまっている。

766年大暦元年55歲-10-3 《奉節-2客堂 -#3》 杜甫index-15 杜甫<875> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5185

杜甫《奉節-2客堂 -#3》尚書省の郎官は本来才俊のものを選でいる、それに自分が選ばれたことは自分としては栄誉の極みである。

 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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766年大暦元年55-10-3 《奉節-2客堂 -#3》 杜甫index-15 杜甫<875> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5185

 

杜甫詩1500-875-1208/2500766年大暦元年55-10-3

 

 

年:766年大暦元年55-

卷別:  卷二二一        文體:  五言古詩

詩題:  客堂

作地點:        夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州) 奉節。*2

及地點:       

少城 (劍南道北部 益州 成都) 別名:小城   

雲安 (山南東道 夔州 雲安) 別名:南楚     

 

 

客堂

(飲み水で苦心した雲安から移居してその心情を述べる。)

憶昨離少城,而今異楚蜀。

おもうに自分は前に成都の西の少城から離れて今では楚の雲安とも違う奉節に居場所がかわった。

舍舟復深山,窅窕一林麓。

さて舟をすておいて、陸にあがってみるとまた深山に囲まれており、おくふかい一つの林の麓の地に住むことになった。

棲泊雲安縣,消中相毒。

雲安県に泊まったのは澄んだのは、やむを得なかったのだ、というのも、持病の消渇の病が内部で自分を酷く苦しめたからだ。

舊疾甘載來,衰年得無足。

その持病である旧い疾をしかたなく船にのせてやってきたが、くわえて、老衰になって、足が弱ってきたうえ、きかなくなった。

(客堂)

憶う昨 少城を離れしことを、而今【じこん】 楚蜀 異なれるを。

舟を捨つれば復た深山あり、窅宨【ようちょう】たり一林麓。

棲泊【せいはく】す 雲安県、消中にあって内は 相い毒す。

旧疾 甘んじて載せ来たり、衰年  弱足を得たり。

 

#2

死為殊方鬼,頭白免短促。

ここで死んで他郷の鬼神となったとしても、この白髪あたまは、若死には免れたということの証明ではあるのだ。

老馬終望雲,南雁意在北。

ただ北からきた馬は老いてもやっぱり生まれた北方の雲をながめる、雁は南に飛んでもこころは北にあるので故郷は忘れない。

別家長兒女,欲起慚筋力。

故郷の家に別れてからこどもやむすめは生長したが、自分ははずかしながら起きあがるにも筋力が衰えてしまった。

客堂序節改,具物對羈束。

この魚復の寓居へ移居してきて季候がかわり、旅の身の目の前にさまざまの束縛の物がでてきた。

死して殊方【しゅほう】の鬼 為るも、頭白 短促を免【まぬが】る。

老馬 終【つい】に雲を望む、南雁  意 北に在り。

家に別れしより児女 長ず、起きむと欲するも 筋力に慚ず。

客堂 序節改まる、具物 羇束【きそく】に対す。

 

#3

石暄蕨芽紫,渚秀蘆筍綠。

ひなたの石があたたかになり、そばにはぜんまいの芽が紫に生え、渚には芦の芽が綠に秀でてきた。

巴鶯紛未稀,徼麥早向熟。

鶯はまだなかなかたくさん鳴いているし、さすが南境で麦は早く熟しかかっている。

悠悠日動江,漠漠春辭木。

日の光は遙かに長江の上に動き、一帯にわたって春の色は樹木から去ろうとしている。

臺郎選才俊,自顧亦已極。

尚書省の郎官は本来才俊のものを選でいる、それに自分が選ばれたことは自分としては栄誉の極みである。

石暄【あたたか】にして蕨芽【けつが】紫に、渚に秀でて芦笋【ろじゅん】緑なり。

巴鶯【はおう】 粉として末だ稀ならず、徼麦【きょうばく】 早く熟するに向かう。

悠悠として 日 江に動き、漠漠として 春 木を辞す。

台郎 才俊を選ぶ、自ら顧るに亦た已に極きわまれり。

#4

前輩聲名人,埋沒何所得。居然綰章紱,受性本幽獨。

平生憩息地,必種數竿竹。事業只濁醪,營葺但草屋。

#5

上公有記者,累奏資薄祿。主憂豈濟時,身遠彌曠職。

循文廟算正,獻可天衢直。尚想趨朝廷,毫髮裨社稷。

形骸今若是,進退委行色。

 

 

前輩 声名の人、埋没何の得る所ぞ。

居然 章紱【しょうふつ】を綰【つが】ぬ、受性 本と 幽独なり。

平生 憩息の地、必ず数竿の竹を種【う】う。

事業 只だ独醪【どくろう】、営葺【えいしゅう】 但だ草屋。

 

上公じょうこう記する者有り、累奏るいそうせられて薄禄はくろくに資

主 憂うるも豈に時を済すくわむや、身遠くして弥々いよいよ 曠職こうしょく

修文 廟算びょうさん正しく、献可けんか 天衢てんくなお

尚お想う 朝廷に趨すうして、毫髪ごうはつ  社稷しゃしょくを裨せむことを

形骸けいがい 今  是かくの若ごとし、進退 行色こうしょくに委まか

 

蜀中転々圖 

『客堂』 現代語訳と訳註解説

(本文) #3

石暄蕨芽紫,渚秀蘆筍綠。

巴鶯紛未稀,徼麥早向熟。

悠悠日動江,漠漠春辭木。

臺郎選才俊,自顧亦已極。

 

(含異文)

石暄蕨芽紫,渚秀蘆筍綠。巴鶯紛未稀【巴稼紛未稀】,徼麥早向熟。

悠悠日動江,漠漠春辭木。臺郎選才俊,自顧亦已極【案:嚴武奏甫為參謀檢校尚書工部員外郎。】。

 

(下し文)

石暄【あたたか】にして蕨芽【けつが】紫に、渚に秀でて芦笋【ろじゅん】緑なり。

巴鶯【はおう】 粉として末だ稀ならず、徼麦【きょうばく】 早く熟するに向かう。

悠悠として 日 江に動き、漠漠として 春 木を辞す。

台郎 才俊を選ぶ、自ら顧るに亦た已に極きわまれり。

 

(現代語訳)

ひなたの石があたたかになり、そばにはぜんまいの芽が紫に生え、渚には芦の芽が綠に秀でてきた。

鶯はまだなかなかたくさん鳴いているし、さすが南境で麦は早く熟しかかっている。

日の光は遙かに長江の上に動き、一帯にわたって春の色は樹木から去ろうとしている。

尚書省の郎官は本来才俊のものを選でいる、それに自分が選ばれたことは自分としては栄誉の極みである。

唐時代 地図山南 東・西道50 

(訳注) #3

客堂

(飲み水で苦心した雲安から移居してその心情を述べる。)

○客堂 客寓している座敷、夔州奉節にあっての寓居をいう。66年大暦元年55-春。この前の詩《引水》(夔州最初の詩)を参考。

 

石暄蕨芽紫,渚秀蘆筍綠。

ひなたの石があたたかになり、そばにはぜんまいの芽が紫に生え、渚には芦の芽が綠に秀でてきた。

○蕨 ぜんまい。

○直筆 あしの芽。

 

巴鶯紛未稀,徼麥早向熟。

鶯はまだなかなかたくさん鳴いているし、さすが南境で麦は早く熟しかかっている。

○巴鴬 巴地のうぐいす、巴は憂州をさす。

○徼麦 辺地のむぎ。

 

悠悠日動江,漠漠春辭木

日の光は遙かに長江の上に動き、一帯にわたって春の色は樹木から去ろうとしている。

○悠悠 はるかなさま。

○漠漠 ひろいさま。

○春辞木 春色が樹木から去って夏色に変わる。以上は客堂の時候のさまをのべる。

 

臺郎選才俊,自顧亦已極。

尚書省の郎官は本来才俊のものを選でいる、それに自分が選ばれたことは自分としては栄誉の極みである。

〇台郎 尚書省の郎官のこと、竜朔二年に尚書省を改めて中台となし、後また尚書省となした、またの名を省台ともいう、ここに台郎というのは自己が工部員外郎となったことをいう。

○己極 其の栄の極まることをいう。

巫山十二峰004 

766年大暦元年55歲-10-2 《奉節-2客堂 -#2》 杜甫index-15 杜甫<874> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5180

からきた馬は老いてもやっぱり生まれた北方の雲をながめる、雁は南に飛んでもこころは北にあるので故郷は忘れない。この魚復の寓居へ移居してきて季候がかわり、旅の身の目の前にさまざまの束縛の物がでてきた。

 
 2014年11月27日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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766年大暦元年55-10-2 《奉節-2客堂 -#2》杜甫index-15 杜甫<874> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5180

杜甫詩1500-874-1207/2500766年大暦元年55
-10-2

 

 

年:766年大暦元年55-

卷別:  卷二二一        文體:  五言古詩

詩題:  客堂

作地點:        夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州) 奉節。*2

及地點:       

少城 (劍南道北部 益州 成都) 別名:小城   

雲安 (山南東道 夔州 雲安) 別名:南楚     

 

 

客堂

(飲み水で苦心した雲安から移居してその心情を述べる。)

憶昨離少城,而今異楚蜀。

おもうに自分は前に成都の西の少城から離れて今では楚の雲安とも違う奉節に居場所がかわった。

舍舟復深山,窅窕一林麓。

さて舟をすておいて、陸にあがってみるとまた深山に囲まれており、おくふかい一つの林の麓の地に住むことになった。

棲泊雲安縣,消中相毒。

雲安県に泊まったのは澄んだのは、やむを得なかったのだ、というのも、持病の消渇の病が内部で自分を酷く苦しめたからだ。

舊疾甘載來,衰年得無足。

その持病である旧い疾をしかたなく船にのせてやってきたが、くわえて、老衰になって、足が弱ってきたうえ、きかなくなった。

(客堂)

憶う昨 少城を離れしことを、而今【じこん】 楚蜀 異なれるを。

舟を捨つれば復た深山あり、窅宨【ようちょう】たり一林麓。

棲泊【せいはく】す 雲安県、消中にあって内は 相い毒す。

旧疾 甘んじて載せ来たり、衰年  弱足を得たり。

 

#2

死為殊方鬼,頭白免短促。

ここで死んで他郷の鬼神となったとしても、この白髪あたまは、若死には免れたということの証明ではあるのだ。

老馬終望雲,南雁意在北。

ただ北からきた馬は老いてもやっぱり生まれた北方の雲をながめる、雁は南に飛んでもこころは北にあるので故郷は忘れない。

別家長兒女,欲起慚筋力。

故郷の家に別れてからこどもやむすめは生長したが、自分ははずかしながら起きあがるにも筋力が衰えてしまった。

客堂序節改,具物對羈束。

この魚復の寓居へ移居してきて季候がかわり、旅の身の目の前にさまざまの束縛の物がでてきた。

死して殊方【しゅほう】の鬼 為るも、頭白 短促を免【まぬが】る。

老馬 終【つい】に雲を望む、南雁  意 北に在り。

家に別れしより児女 長ず、起きむと欲するも 筋力に慚ず。

客堂 序節改まる、具物 羇束【きそく】に対す。

唐時代 地図山南 東・西道50 

『客堂』 現代語訳と訳註解説

(本文)

死為殊方鬼,頭白免短促。

老馬終望雲,南雁意在北。

別家長兒女,欲起慚筋力。

客堂序節改,具物對羈束。

 

(下し文)

死して殊方【しゅほう】の鬼 為るも、頭白 短促を免【まぬが】る。

老馬 終【つい】に雲を望む、南雁  意 北に在り。

家に別れしより児女 長ず、起きむと欲するも 筋力に慚ず。

客堂 序節改まる、具物 羇束【きそく】に対す。

 

(現代語訳)

ここで死んで他郷の鬼神となったとしても、この白髪あたまは、若死には免れたということの証明ではあるのだ。

ただ北からきた馬は老いてもやっぱり生まれた北方の雲をながめる、雁は南に飛んでもこころは北にあるので故郷は忘れない。

故郷の家に別れてからこどもやむすめは生長したが、自分ははずかしながら起きあがるにも筋力が衰えてしまった。

この魚復の寓居へ移居してきて季候がかわり、旅の身の目の前にさまざまの束縛の物がでてきた。

蜀中転々圖 

(訳注) 2

客堂

(飲み水で苦心した雲安から移居してその心情を述べる。)

○客堂 客寓している座敷、夔州奉節にあっての寓居をいう。66年大暦元年55-春。この前の詩《引水》(夔州最初の詩)を参考。

 

死為殊方鬼,頭白免短促。

ここで死んで他郷の鬼神となったとしても、この白髪あたまは、若死には免れたということの証明ではあるのだ。

○殊方鬼 異郷の死者。

○短 寿命の短く、詰まること。

 

老馬終望雲,南雁意在北。

ただ北からきた馬は老いてもやっぱり生まれた北方の雲をながめる、雁は南に飛んでもこころは北にあるので故郷は忘れない。

○老馬 杜甫自身と比する。

○望雲 生まれ故郷の北方の雲をしたってながめる。「胡馬北風二噺ク」の意、古詩に「代馬朔雲ヲ思り」とある。

○南雁 杜甫自身と比する。

 

別家長兒女,欲起慚筋力。

故郷の家に別れてからこどもやむすめは生長したが、自分ははずかしながら起きあがるにも筋力が衰えてしまった。

○別家 家は故郷の家をいぅ。

○筋力 筋力の衰えたことをいう。以上は客堂のたびごころをのべる。

 

客堂序節改,具物對羈束。

この魚復の寓居へ移居してきて季候がかわり、旅の身の目の前にさまざまの束縛の物がでてきた。

○序節 四季の順序、節候。

○具物 すべてのもの。

 旅の束縛。

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杜甫、奉節-2《客堂 -#1》(飲み水で苦心した雲安から移居してその心情を述べる。)おもうに自分は前に成都の西の少城から離れて今では楚の雲安とも違う奉節に居場所がかわった。

 
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 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor《花間集序 (1)》 欧陽烱『花間集』全詩訳注解説 0-(1) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5177 
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766年大暦元年55-10-1奉節-2《客堂 -#1》杜甫index-15 杜甫<873> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5175

 

 

杜甫詩1500-873-1206/2500766年大暦元年55-10-1

 

年:766年大暦元年55-

卷別:  卷二二一        文體:  五言古詩

詩題:  客堂

作地點:        夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州) 奉節。*2

及地點:       

少城 (劍南道北部 益州 成都) 別名:小城   

雲安 (山南東道 夔州 雲安) 別名:南楚     

 

夔州東川卜居図000 

客堂

(飲み水で苦心した雲安から移居してその心情を述べる。)

憶昨離少城,而今異楚蜀。

おもうに自分は前に成都の西の少城から離れて今では楚の雲安とも違う奉節に居場所がかわった。

舍舟復深山,窅窕一林麓。

さて舟をすておいて、陸にあがってみるとまた深山に囲まれており、おくふかい一つの林の麓の地に住むことになった。

棲泊雲安縣,消中相毒。

雲安県に泊まったのは澄んだのは、やむを得なかったのだ、というのも、持病の消渇の病が内部で自分を酷く苦しめたからだ。

舊疾甘載來,衰年得無足。

その持病である旧い疾をしかたなく船にのせてやってきたが、くわえて、老衰になって、足が弱ってきたうえ、きかなくなった。

(客堂)

憶う昨 少城を離れしことを、而今【じこん】 楚蜀 異なれるを。

舟を捨つれば復た深山あり、窅宨【ようちょう】たり一林麓。

棲泊【せいはく】す 雲安県、消中にあって内は 相い毒す。

旧疾 甘んじて載せ来たり、衰年  弱足を得たり。

#2

死為殊方鬼,頭白免短促。

老馬終望雲,南雁意在北。

別家長兒女,欲起慚筋力。

客堂序節改,具物對羈束。

#3

石暄蕨芽紫,渚秀蘆筍綠。

巴鶯紛未稀,徼麥早向熟。

悠悠日動江,漠漠春辭木。

臺郎選才俊,自顧亦已極。

#4

前輩聲名人,埋沒何所得。

居然綰章紱,受性本幽獨。

平生憩息地,必種數竿竹。

事業只濁醪,營葺但草屋。

#5

上公有記者,累奏資薄祿。

主憂豈濟時,身遠彌曠職。

循文廟算正,獻可天衢直。

尚想趨朝廷,毫髮裨社稷。

形骸今若是,進退委行色。

蜀中転々圖 

 

『客堂』 現代語訳と訳註解説

(本文)#1

客堂

憶昨離少城,而今異楚蜀。

舍舟復深山,窅窕一林麓。

棲泊雲安縣,消中相毒。

舊疾甘載來,衰年得無足。

 

(下し文) #1

(客堂)

憶う昨 少城を離れしことを、而今【じこん】 楚蜀 異なれるを。

舟を捨つれば復た深山あり、窅宨【ようちょう】たり一林麓。

棲泊【せいはく】す 雲安県、消中にあって内は 相い毒す。

旧疾 甘んじて載せ来たり、衰年  弱足を得たり。

 

(現代語訳) #1

(飲み水で苦心した雲安から移居してその心情を述べる。)

おもうに自分は前に成都の西の少城から離れて今では楚の雲安とも違う奉節に居場所がかわった。

さて舟をすておいて、陸にあがってみるとまた深山に囲まれており、おくふかい一つの林の麓の地に住むことになった。

雲安県に泊まったのは澄んだのは、やむを得なかったのだ、というのも、持病の消渇の病が内部で自分を酷く苦しめたからだ。

その持病である旧い疾をしかたなく船にのせてやってきたが、くわえて、老衰になって、足が弱ってきたうえ、きかなくなった。

唐時代 地図山南 東・西道50 

(訳注) #1

客堂

(飲み水で苦心した雲安から移居してその心情を述べる。)

○客堂 客寓している座敷、夔州奉節にあっての寓居をいう。66年大暦元年55-春。この前の詩《引水》(夔州最初の詩)を参考。

 

憶昨離少城,而今異楚蜀。

おもうに自分は前に成都の西の少城から離れて今では楚の雲安とも違う奉節に居場所がかわった。

○少城 秦の恵王(恵文王), 張儀と張若に命じて, 成都を築いたという。大城の西の城、張儀が築いたといわれるもの、大城に続いて“少城”をつくる。《九日奉寄厳大夫》「九日應愁思,經時冒險艱。不眠持漢節,何路出巴山。小驛香醪嫩,重岩細菊斑。遙知簇鞍馬,回首白雲間。」(九日厳大夫に寄せ奉る)九日応に愁思するなるべし 経時険難を冒す。眠らずして漢節を持す、何の路か巴山を出でん。

小駅香惨敗らかに、重巌細菊斑なり。造かに知る鞍馬を族らして、首を白雲の間に回らさんことを。

石犀行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -14-1)  <376> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1815 杜甫詩1000-376-553/1500

○異楚蜀 ここ夔州奉節をいい、楚は雲安、蜀は成都をいい、異なる所へ住むことをいう。

 

舍舟復深山,窅窕一林麓。

さて舟をすておいて、陸にあがってみるとまた深山に囲まれており、おくふかい一つの林の麓の地に住むことになった。

○窅窕 おくふかいさま。

 

棲泊雲安縣,消中相毒。

雲安県に泊まったのは澄んだのは、やむを得なかったのだ、というのも、持病の消渇の病が内部で自分を酷く苦しめたからだ。

○消中 病の名、消渇におなじ、多く食べれば数よ小便する病という。

 

舊疾甘載來,衰年得無足。

その持病である旧い疾をしかたなく船にのせてやってきたが、くわえて、老衰になって、足が弱ってきたうえ、きかなくなった。

○甘載来 甘はあまんじて、平気で。載来とは疾をのせてここにやって来たこと。

○得無足 無の字を弱に作っている本があるが、弱の字がまさっているもののごとくである。弱足は脚力のよわったことをいぅ、763年船で荊州に向おうと決意して宴会を開いてもらった。杜甫は、蜀中転々で梓州にいる時から、足が弱って、章彝県令から杖をもらっている。杜甫が東方の旅に出発することを申し出ると、彼らは送別会を開いてくれ、章彝は無事な旅を祈って、梓州特産の桃竹の杖を二本、杜甫に贈った。雲安では、歩行もかなり困難であったが少し良くなったので依拠したのだ。

719 《倚杖〔原注 鹽亭縣作〕》 蜀中転々 杜甫 <626  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3440 杜甫詩1000-626-882/1500五言律詩
成都関連地図 00 

766年大暦元年55歲-9 《引水》 杜甫index-15 杜甫<872> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5170 杜甫詩1500-872-1205/2500766年大暦元年55歲-9

杜甫 《引水》  明月峡も瞿塘峡も雲がその剣閣山から巴山十二晩峰の頂を成しており、岩石固く乱れて起っていて、そこには井戸がないからのどが乾く。だから、自分が療養している雲安では水を購入して呑まねばならんので、下僕の者たちはそれを悲しんだ。

 
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139 《鳳臺曲》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <139> Ⅰ李白詩1324 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5168 
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766年大暦元年55-9 《引水》 杜甫index-15 杜甫<872> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5170 杜甫詩1500-872-1205/2500766年大暦元年55-9

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    七言古詩

詩題:    引水

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州) 奉節。-1 

及地點:             

明月峽 (山南西道 渝州 巴縣) 別名:月峽     

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘     

雲 安 (山南東道 夔州 雲安) 別名:南楚     

奉 節 (山南東道 夔州 奉節) 別名:魚復     

白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城     

 

夔州東川卜居図詳細 001 

引水

(竹樋で水をひく。)

月峽瞿塘雲作頂,亂石崢嶸俗無井。

明月峡も瞿塘峡も雲がその剣閣山から巴山十二晩峰の頂を成しており、岩石固く乱れて起っていて、そこには井戸がないからのどが乾く。

雲安酤水奴僕悲,魚復移居心力省。

だから、自分が療養している雲安では水を購入して呑まねばならんので、下僕の者たちはそれを悲しんだが、奉節の魚復という湊町に移居してからは水の心配は少し省けて、下僕たちの力仕事も省けた。

白帝城西萬竹蟠,接筒引水喉不乾。

その一つに、白帝城の西に幾万本の竹林があって、そこの竹を伐採して、竹筒や樋にしてつなぎ合わせ、遠くから水をひいてきたので、のどが渇くことが無くなった。

人生留滯生理難,斗水何直百憂寬。

自分の人生、こうして他郷に過ごすということは、生活することにおいて暮らし向きというものに難儀をするもので、心の中の様々な愁いを分量で測るとすれば、一斗の水を汲み、運ぶのが大変であったが、その水の両とは比べ物にならないほど大変な量の愁いである。

 

(引水)

月峽 瞿塘 雲頂と作し,亂石 崢嶸【そうおう】俗 井無し。

雲安 水を酤うて奴僕悲しむ,魚復 居移して心力省く。

白帝城 西萬竹 蟠【わだかま】る,筒を接し水を引きて喉を乾かず。

人生 留滯 生理難し,斗水 何ぞ直【あた】らん百憂の寬なるに。

 

安史の乱当時の勢力図 

『引水』 現代語訳と訳註解説

(本文)

引水

月峽瞿塘雲作頂,亂石崢嶸俗無井。

雲安酤水奴僕悲,魚復移居心力省。

白帝城西萬竹蟠,接筒引水喉不乾。

人生留滯生理難,斗水何直百憂寬。

 

 

(下し文)

(引水)

月峽 瞿塘 雲頂と作し,亂石 崢嶸【そうおう】俗 井無し。

雲安 水を酤うて奴僕悲しむ,魚復 居移して心力省く。

白帝城 西萬竹 蟠【わだかま】る,筒を接し水を引きて喉を乾かず。

人生 留滯 生理難し,斗水 何ぞ直【あた】らん百憂の寬なるに。

 

(現代語訳)

(竹樋で水をひく。)

明月峡も瞿塘峡も雲がその剣閣山から巴山十二晩峰の頂を成しており、岩石固く乱れて起っていて、そこには井戸がないからのどが乾く。

だから、自分が療養している雲安では水を購入して呑まねばならんので、下僕の者たちはそれを悲しんだが、奉節の魚復という湊町に移居してからは水の心配は少し省けて、下僕たちの力仕事も省けた。

その一つに、白帝城の西に幾万本の竹林があって、そこの竹を伐採して、竹筒や樋にしてつなぎ合わせ、遠くから水をひいてきたので、のどが渇くことが無くなった。

自分の人生、こうして他郷に過ごすということは、生活することにおいて暮らし向きというものに難儀をするもので、心の中の様々な愁いを分量で測るとすれば、一斗の水を汲み、運ぶのが大変であったが、その水の両とは比べ物にならないほど大変な量の愁いである。

唐時代 地図山南 東・西道50 

(訳注)

引水

(竹樋で水をひく。)

766年大暦元年55山南東道夔州奉節にての作。

 

月峽瞿塘雲作頂,亂石崢嶸俗無井。

明月峡も瞿塘峡も雲がその剣閣山から巴山十二晩峰の頂を成しており、岩石固く乱れて起っていて、そこには井戸がないからのどが乾く。

月峽 山南西道渝州巴縣にある明月峽。

『奉贈射洪李四丈』

東征下月峽,掛席窮海島。

萬里須十金,妻孥未相保。

蒼茫風塵際,蹭蹬騏驎老。

志士懷感傷,心胸已傾倒。

東征 月峽を下る,席を掛け 海島に窮む。

萬里 十金を須いる,妻孥【さいど】未だ相い保たず。

蒼茫として風塵の際,蹭蹬【そうとう】して 騏驎老ゆ。

志士 感傷を懷【いたみ】み,心胸 已に傾倒す。

瞿塘 山南東道夔州瞿塘峽。瞿塘峡(くとうきょう)は中華人民共和国の長江本流に位置する峡谷。巫峡(ふきょう)、西陵峡(せいりょうきょう)と並び、三峡を構成する。別名は夔峡(ききょう)。瞿塘峡は三峡のもっとも上流にあり、西は重慶市奉節県の白帝城から、東は重慶市巫山県の大溪鎮までの区間である。四川盆地の東部では、東西方向に伸びる細長い褶曲山脈が多数平行に走っているが、その山脈のうち高さ1,000mを超える一本を長江本流が北西から東南へ貫通するところが瞿塘峡である。全長は8kmと三峡の他の峡谷に比べると際立って短いが、その川幅は三峡の中で最も狭く、風景の雄大さは三峡の中でも際立っている。瞿塘峡では長江の幅は広い所で150mを超えず、狭いところでは100mにもならない。この狭い川の北側には赤甲山、南側には白塩山があり、その高さは川面から1,200mに達し、間を通る船を圧迫するような急傾斜が聳え立っている。赤甲・白塩の両山に囲まれた門のような部分を夔門(きもん)と呼ぶが、「夔門天下雄」としてその雄大さは称えられている。

 

雲安酤水奴僕悲,魚復移居心力省。

だから、自分が療養している雲安では水を購入して呑まねばならんので、下僕の者たちはそれを悲しんだが、奉節の魚復という湊町に移居してからは水の心配は少し省けて、下僕たちの力仕事も省けた。

魚復 山南東道夔州奉節の別名を魚復という。

 

白帝城西萬竹蟠,接筒引水喉不乾。

その一つに、白帝城の西に幾万本の竹林があって、そこの竹を伐採して、竹筒や樋にしてつなぎ合わせ、遠くから水をひいてきたので、のどが渇くことが無くなった。

白帝城 白帝城は中国重慶市奉節県の長江三峡に位置する地名。かつて新末後漢初の群雄公孫述がこの地に築いた城が白帝城と呼ばれたことが由来。永安宮ともいう。 三国時代、蜀の建国者劉備が夷陵の戦いで呉に敗れ、逃れたのが白帝城。劉備は後事を諸葛亮に託し、この城で没した。

接筒引水 成都草堂での初めの年に、杜甫は土木工事をして引水工事をしている。

 

人生留滯生理難,斗水何直百憂寬。

自分の人生、こうして他郷に過ごすということは、生活することにおいて暮らし向きというものに難儀をするもので、心の中の様々な愁いを分量で測るとすれば、一斗の水を汲み、運ぶのが大変であったが、その水の両とは比べ物にならないほど大変な量の愁いである。

留滯 他郷に過ごすこと。

生理 生活することにおいて暮らし向きというもの。
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杜甫詩
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年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    樂府

詩題:    折檻行

 

 

折檻行

(天子に諫言をした故事を引き合いにして、「房琯擁護事件」を揶揄したもの。)

嗚呼房魏不復見,秦王學士時難羨。

ああ、唐建国に功績を残し、太宗に見いだされ唐王朝の礎、初唐文学を形成した房玄齡と魏徵と云える人物は再び見出すことはできない。名君といわれた太宗に見いだされた文学者、士太夫達は時には羨まれるというばかりではなかった。

青衿冑子困泥塗,白馬將軍若雷電。

科挙受験のために頼る門閥に入る書生のころというのは、貧困で、泥に見える苦労をしたものだが、おなじ、青衿を着ていても、南朝梁の侯景がおこした反乱は50年におよんだ梁の武帝時代の平和の夢が雷電のごとくやぶられただけでなく,江南の社会は上下をあげて壊滅的な打撃をこうむった。(安史の乱は、150年の平穏が打ち破られた。)

千載少似朱雲人,至今折檻空嶙峋。

もう千年前になるだろう漢の朱雲という人が、天子を諌めたが、私も少しは似たことをした。そのために今に至って天子に 折檻“をしたために、このように空しく山の岩石が)ごつごつと重なっているこのような場所で、旅人として、しかも病気療養をしているのだ。

婁公不語宋公語,尚憶先皇容直臣。

漢の劉敬は「匈奴を今攻めるべきではないといった」と適切な諫言をしたが拘束され、発言を止められたし、戦国宋の襄公のように、「いま攻めるべき」といった意見を無視して大敗をした、このように、太宗のように家臣の意見をよく聞いた聖天子もいれば、先の天子肅宗のように、賀蘭進明や第五琦の様な都合のいい意見だけを取り上げてこの国の経済を悪化させるのである。

 

(折檻の行【うた】)

嗚呼 房・魏 復た見えず,秦王の學士 時に羨み難し。

青衿の冑子 困って泥塗すれど,白馬の將軍 雷電の若し。

千載 少くも似る 朱雲の人,至今 折檻すれど 空しく嶙峋たり。

婁公は語れず 宋公は語る,尚お憶う 先皇 直臣を容す。

蜀中転々圖 

 

『折檻行』 現代語訳と訳註解説

(本文)

嗚呼房魏不復見,秦王學士時難羨。

青衿冑子困泥塗,白馬將軍若雷電。

千載少似朱雲人,至今折檻空嶙峋。

婁公不語宋公語,尚憶先皇容直臣。

 

 

(下し文)

(折檻の行【うた】)

嗚呼 房・魏 復た見えず,秦王の學士 時に羨み難し。

青衿の冑子 困って泥塗すれど,白馬の將軍 雷電の若し。

千載 少くも似る 朱雲の人,至今 折檻すれど 空しく嶙峋たり。

婁公は語れず 宋公は語る,尚お憶う 先皇 直臣を容す。

 

(現代語訳)

(天子に諫言をした故事を引き合いにして、「房琯擁護事件」を揶揄したもの。)

ああ、唐建国に功績を残し、太宗に見いだされ唐王朝の礎、初唐文学を形成した房玄齡と魏徵と云える人物は再び見出すことはできない。名君といわれた太宗に見いだされた文学者、士太夫達は時には羨まれるというばかりではなかった。

科挙受験のために頼る門閥に入る書生のころというのは、貧困で、泥に見える苦労をしたものだが、おなじ、青衿を着ていても、南朝梁の侯景がおこした反乱は50年におよんだ梁の武帝時代の平和の夢が雷電のごとくやぶられただけでなく,江南の社会は上下をあげて壊滅的な打撃をこうむった。(安史の乱は、150年の平穏が打ち破られた。)

もう千年前になるだろう漢の朱雲という人が、天子を諌めたが、私も少しは似たことをした。そのために今に至って天子に 折檻“をしたために、このように空しく山の岩石が)ごつごつと重なっているこのような場所で、旅人として、しかも病気療養をしているのだ。

漢の劉敬は「匈奴を今攻めるべきではないといった」と適切な諫言をしたが拘束され、発言を止められたし、戦国宋の襄公のように、「いま攻めるべき」といった意見を無視して大敗をした、このように、太宗のように家臣の意見をよく聞いた聖天子もいれば、先の天子肅宗のように、賀蘭進明や第五琦の様な都合のいい意見だけを取り上げてこの国の経済を悪化させるのである。

華州から秦州同谷成都00 

(訳注)

折檻行

(天子に諫言をした故事を引き合いにして、「房琯擁護事件」を揶揄したもの。)

嗚呼房魏不復  秦王學士時難羨
青衿冑子困泥塗  白馬將軍若雷
千載少似朱雲  至今折檻空嶙
婁公不語宋公語  尚憶先皇容直

○○○●△●●  ○△●●○△○

○○●●●△○  ●●△○△○●

○●●●○○○  ●○△●△△○

○○△●●○●  △●△○○●○

 

嗚呼房魏不復見,秦王學士時難羨。

ああ、唐建国に功績を残し、太宗に見いだされ唐王朝の礎、初唐文学を形成した房玄齡と魏徵と云える人物は再び見出すことはできない。名君といわれた太宗に見いだされた文学者、士太夫達は時には羨まれるというばかりではなかった。

房魏 初唐の房玄齡と魏徵のこと。

○房玄齢(ぼうげんれい 578 - 648年)は中国唐代の政治家・歴史家。玄齢は字で、諱は喬。杜如晦と共に太宗の謀臣として玄武門の変において太宗の権力奪取を助け、貞観の治の立役者の一人とされる。また正史編纂にも関わり、『北斉書』などを総監した。高祖李淵が統一を果たして以後、優秀な人材の確保に努め、貞観の治のもう一人の立役者である杜如梅を見出し、太宗に推挙もおこなっている。建国間もない唐の王朝で皇太子・建成と世民の間で継承争いが起きると、房玄齢杜如晦はその謀略の才を建成側に恐れられ、讒言を受けて秦王府への立ち入りを禁じられた。世民も建成に悟られないように策謀を進め、直前に二人に連絡を取り、玄武門の変を成功させて建成を殺して即位した。

○魏 (ぎ ちょう、580 - 643年)は唐の政治家。字は玄成。太宗らに仕え、諫議大夫・左光禄大夫に任じられ、鄭国公に封じられた。直諫(じかに諫言)することで有名であり、そのやりとりは『貞観政要』に多く載せられている。巨鹿曲城(今の河北省)の人。幼少時貧困で、隋末に李密(瓦崗軍)のもとへ身を寄せ、敗戦して唐へ帰する。竇建徳の捕虜となり、才能を見出される。建徳の兵が敗れ、唐へ帰り、太子洗馬つまり李建成の側近の地位を得た。玄武門の変で建成が死ぬと、太宗は率直さを評価して諫議大夫へ昇進させた、後に秘書監、侍中等の職を転任。癇癪を起こした太宗を二百回余りも諌めた。死亡時、太宗は非常に哀しみ、侍臣へ以下のように言ったという。

「人は銅を以て鏡と為し、衣冠を正すべし、古きを以て鏡と為し、興替を見るべし、人の為す鏡を以て、得失を知るべし。魏徴の沒、朕亡くせし一鏡矣。」(『資治通鑑』巻一九六)。

太宗の命で編纂した『隋書』の序論、『梁書』、『陳書』、『齊書』の総論など、多くの著作がある。その言論は『貞観政要』に多く収められている。「人生意気に感ず」の句で有名な「述懐」という詩を詠んだ。

○秦王 唐太宗(李世民)(598年-649年),太宗は、唐朝の第2代皇帝。高祖李淵の次男で、隋末の混乱期に父の李淵を補佐して主に軍を率いて各地を転戦、群雄を滅ぼし、後に玄武門の変にて兄の李建成を殺害し皇帝に即位した。貞観の治と言う、唐王朝の基礎を固める善政を行い、中国史上最高の名君の一人と称えられる。

隋末唐初の混乱から国土を回復させ、後の唐の土台を築く治世を行ったこと、唐の領土を広げ、北方異民族の脅威を長年に渡って取り除いたこと、兄の李建成に、李世民の存在が皇太子の座を危うくしていること感じて殺害することを進言した魏徴の命を助け、彼を始めとする部下たちの諫言をよく聞き入れたことなどから、中国史上でも有数の名君と称えられる。

 

青衿冑子困泥塗,白馬將軍若雷電。

科挙受験のために頼る門閥に入るの書生のころというのは、貧困で、泥に見える苦労をしたものだが、おなじ、青衿を着ていても、南朝梁の侯景がおこした反乱は50年におよんだ梁の武帝時代の平和の夢が雷電のごとくやぶられただけでなく,江南の社会は上下をあげて壊滅的な打撃をこうむった。(安史の乱は、150年の平穏が打ち破られた。)

青衿冑子 科挙受験のために頼る門閥に入るの書生のころ。

困泥塗 貧困で泥に見える苦労をした。・泥塗:泥まみれになること。また,ぬかるみ。低い地位の喩え。けがれ汚れた場所。

白馬將軍 東魏からの投降将軍であった南朝梁の南予州刺史の侯景がおこした反乱をいう。

杜甫《洗兵行》「青袍白馬更何有?後漢今周喜再昌。」(青砲 白馬更に何か有らん、後漢 今周【こんしゅう】再び昌【さかん】なるを喜ぶ。)にあるように

 

千載少似朱雲人,至今折檻空嶙峋。

もう千年前になるだろう漢の朱雲という人が、天子を諌めたが、私も少しは似たことをした。そのために今に至って天子に 折檻“をしたために、このように空しく山の岩石が)ごつごつと重なっているこのような場所で、旅人として、しかも病気療養をしているのだ。

朱雲・折檻 君主を強く諫(いさ)める意。わが国では転じて、広く、きびしく意見して戒める意。《漢書・朱雲伝》「上大怒曰、小臣居下訕上、廷辱師傅。罪死不赦。御史將雲下。雲攀殿檻。檻折。雲呼曰、臣得下從龍逢・比干、遊於地下、足矣。未知聖朝何如耳。御史遂將雲去。」

嶙峋 山の岩石が)ごつごつと重なっている.

 

婁公不語宋公語,尚憶先皇容直臣。

漢の劉敬は「匈奴を今攻めるべきではないといった」と適切な諫言をしたが拘束され、発言を止められたし、戦国宋の襄公のように、「いま攻めるべき」といった意見を無視して大敗をした、このように、太宗のように家臣の意見をよく聞いた聖天子もいれば、先の天子肅宗のように、賀蘭進明や第五琦の様な都合のいい意見だけを取り上げてこの国の経済を悪化させるのである。

婁公 漢の劉敬のこと。(前漢紀元前200年ごろ)は、中国前漢時代の政治家。斉の人。元の名は婁敬。劉敬は国境警備の兵として隴西へ行く途中劉邦のいる洛陽を通ったとき、同じ斉出身の虜将軍に劉邦と会わせて貰えるように頼んだ。この時劉敬は羊の皮の服を着ていたので虜将軍に新しい服を着るように言ったが、結局劉敬はそのまま劉邦に謁見することにした。劉敬は劉邦に洛陽を都とした周と漢との違いを述べ、天然の要害である秦の故地長安を都にすべきと進言した。しかし群臣の多くは秦が短命に終わり、周が長く続いたことをもって洛陽を推した。劉邦は決めかねていたが張良が長安を推したために長安に決した。最初に長安を勧めた功により劉敬は劉姓を賜り、婁敬から名を改め劉敬とし、郎中に任じられ奉春君の称号を貰った。

韓王信謀反の報を聞いた劉邦は軍を率いこれを討とうしたが、韓王信が匈奴と手を結んだことを聞き大いに怒り匈奴に使者を送った。匈奴は壮士や良馬は隠し、老弱な者ややせた家畜しか使者に見せなかったので、使者は皆大いに侮り劉邦に匈奴を攻撃するよう進言した。しかし同じく匈奴に使者としていった劉敬は「国同士が争うときは自国の良い所を相手に見せ誇るものです。しかし匈奴は老弱な者ややせた家畜しか見せない。これはわざと弱いところを見せて、伏兵によって勝利しようとしようとしてるのです。匈奴を攻撃するのはやめるべきです」と進言したが、この時すでに二十万余りの兵を発していた劉邦は進言を怒り劉敬を拘束してしまった。その後劉邦は平城にて匈奴の伏兵により囲まれ、陳平の奇策によってなんとか難を逃れると、劉敬の拘束を解き自分の非を認め、劉敬を関内侯とし二千戸の領地と建信侯の称号を与えた。

宋公 宋公(待考)戦国宋の襄公のここと。

泓水の戦いで、圧倒的に自軍が不利にも拘らず「敵が渡河している間に攻撃するべきだ」と言った意見を、襄公はこれを許さず、大敗した。こような行動をとったことから、身の程知らずの情けのことを「宋襄の仁」と呼ぶようになった。

先皇 代宗の前の皇帝は肅宗で、杜甫は、諫言した「房琯擁護事件」により、肅宗の逆鱗に触れた。唐王朝の先帝、太宗は諫言をよく聞き入れ、聖天子といわれる「貞観の治」を行った。

容直臣 肅宗は後宮と宦官などに都合のいい、意見を取り入れた。杜甫の「房琯擁護事件」の真相は、房琯杜甫ら一党の経済政策と賀蘭進明・第五琦らの経済政策との対立が原因である。

三者の思惑が合致 

 

 

《洗兵行》「青袍白馬更何有?後漢今周喜再昌。」(青砲 白馬更に何か有らん、後漢 今周【こんしゅう】再び昌【さかん】なるを喜ぶ。

もはや侯景の様な青袍白馬の大義のない叛乱の将等というのは物の数ではない。後漢光武の世、周の宣王の世が粛宗によって今日ふたたびさかんになるに至ったことはよろこばしいことである。 

○青袍白馬 梁の侯景の故事。大同中に「青糸白馬寿陽より来たる」という童謡がはやった。景が渦陽の敗に錦を求めたところ、朝廷は給するのに青布を以てした。景はことごとく用いて袍となし、白馬に乗り青糸を轡となして童謡の語に応じょぅとした。青袍白馬は侯景が叛いたときのいでたちであり、今借りて安史軍の史思明・安慶緒等をさす。○更何有 意とするに足らないことをいう。○後漢今周  後漢は光武帝の中興をさし、今周は今日において周の宜王の再起したことをいう、竝に粛宗をたとえていう。○再昌 「攀竜」の句より「後漢」の句までは、功臣は恩寵をたのむべからず、宰相は其の人を得て、唐朝復興の兆のあることを喜ぶことをいう。

侯景が身に靑袍を着け、靑袍白馬といふのは"梁の侯景の故事

【侯景の乱】

中国,南朝梁の武帝治下の548(太清2)8月,南予州刺史の侯景がおこした反乱。侯景は羯族(かつぞく)の出身,東魏からの投降将軍であった。反乱軍は寿春(安徽省寿県)からただちに都の建康(南京)を突き,翌年3月,数ヵ月にわたる籠城のすえ宮城は陥落。55111月に侯景は即位して国号を漢と定めたが,王僧弁と陳霸先の連合軍の攻撃をうけて敗死した。この乱によって,50年におよんだ梁の武帝時代の平和の夢がやぶられただけでなく,江南の社会は上下をあげて壊滅的な打撃をこうむった。

 

折檻 君主を強く諫(いさ)める意。わが国では転じて、広く、きびしく意見して戒める意。《漢書・朱雲伝》「上大怒曰、小臣居下訕上、廷辱師傅。罪死不赦。御史將雲下。雲攀殿檻。檻折。雲呼曰、臣得下從龍逢・比干、遊於地下、足矣。未知聖朝何如耳。御史遂將雲去。」

漢の朱雲が悪臣の張禹(ちょうう)を殺させてほしいと成帝に願い出た時、帝は大いに怒って朱雲を死罪にしようとした。御史(ぎょし)が朱雲を殿上から引きおろそうとしたが、朱雲が檻(てすり)にしがみついて動かないので檻が折れたという故事による。

上大怒曰、小臣居下訕上、廷辱師傅。罪死不赦。御史將雲下。雲攀殿檻。檻折。雲呼曰、臣得下從龍逢・比干、遊於地下、足矣。未知聖朝何如耳。御史遂將雲去。

66年大暦元年55歲-7 《近聞〔永泰元年,郭子儀與回紇約,共擊吐蕃。次年二月,吐蕃來朝,詩紀其事。〕》 杜甫index-15 杜甫<870> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5160

杜甫《近聞》近頃聞いた情報では、犬戎に等しい吐蕃国が郭子儀軍に追われて遠く逃げ去ったという、臨洮にまで侵寇していたのにそこではもう牧馬はできなくなった。

 
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766年大暦元年55-7 《近聞〔永泰元年,郭子儀與回紇約,共擊吐蕃。次年二月,吐蕃來朝,詩紀其事。〕》 杜甫index-15 杜甫<870 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5160

杜甫詩1500-870-1203/2500766年大暦元年55-7

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    七言古詩

詩題:    近聞〔永泰元年,郭子儀與回紇約,共擊吐蕃。次年二月,吐蕃來朝,詩紀其事。〕

地點:   

臨洮軍 (隴右道東部 鄯州 臨洮軍) 別名:臨洮            

隴山 (隴右道東部 無第二級行政層級 隴山) 別名:大隴山、六盤山、鹿盤山、鹿攀山         

崆峒山 (隴右道東部 岷州 崆峒山)    

五原 ( 鹽州 五原)    

北庭都護府 (隴右道西部 無第二級行政層級 北庭都護府) 別名:北庭     

 

近聞〔永泰元年,郭子儀與回紇約,共擊吐蕃。次年二月,吐蕃來朝,詩紀其事。〕

(昨年10月、郭子儀が吐蕃を破ったことで、2月に吐蕃が和睦に来朝したという最新の情報を聞いた)

近聞犬戎遠遁逃,牧馬不敢侵臨洮。

近頃聞いた情報では、犬戎に等しい吐蕃国が郭子儀軍に追われて遠く逃げ去ったという、臨洮にまで侵寇していたのにそこではもう牧馬はできなくなった。

渭水逶迤白日淨,隴山蕭瑟秋雲高。

そういうことで、その地を源流にしてうねうねと流れ出る渭水の上には太陽のひかりが清らかにふりそそぐのであり、隴山のあたりも風が蕭瑟の演奏を聞くように吹き、秋空のように高く晴れ渡っている。

崆峒五原亦無事,北庭數有關中使。

西の崆峒山の辺りから、長安の五原の辺りまで侵寇占領されていたのが、また、平穏無事を取り返した、霊武から陰山山脈の南の北庭の辺りへは度々使者を派遣して守りを固めている。

似聞贊普更求親,舅甥和好應難棄。

吐蕃の酋長どもが、和親講和をねがうというのは多分こういうことであろう、“叔父と甥とは仲良しでなければいけない、すなわち、まさにその血縁関係を棄ててはならん”ということなのだ。

 

(近ごろ聞く〔永泰元年(765),郭子儀と回紇と約し,共に吐蕃を擊す。次年(766)二月,吐蕃來朝す,詩 其の事を紀す。〕

近ごろ聞く 犬戎 遠く遁逃すと,牧馬 敢えて臨洮を侵さず。

渭水 逶迤【いい】白日淨なり,隴山 蕭瑟 秋雲高し。

崆峒 五原 亦た無事なり,北庭 數しば關中の使い有り。

聞くに似たり贊普【さんぷ】更に親をむと求,舅甥【きゅうせい】和好 應に棄て難かるべし。

Ta唐 長安近郊圖  新02 

 

『近聞』 現代語訳と訳註解説

(本文)

近聞〔永泰元年,郭子儀與回紇約,共擊吐蕃。次年二月,吐蕃來朝,詩紀其事。〕

近聞犬戎遠遁逃,牧馬不敢侵臨洮。

渭水逶迤白日淨,隴山蕭瑟秋雲高。

崆峒五原亦無事,北庭數有關中使。

似聞贊普更求親,舅甥和好應難棄。

 

(下し文)

(近ごろ聞く〔永泰元年(765),郭子儀と回紇と約し,共に吐蕃を擊す。次年(766)二月,吐蕃來朝す,詩 其の事を紀す。〕)

近ごろ聞く 犬戎 遠く遁逃すと,牧馬 敢えて臨洮を侵さず。

渭水 逶迤【いい】白日淨なり,隴山 蕭瑟 秋雲高し。

崆峒 五原 亦た無事なり,北庭 數しば關中の使い有り。

聞くに似たり贊普【さんぷ】更に親をむと求,舅甥【きゅうせい】和好 應に棄て難かるべし。

 

(現代語訳)

(昨年10月、郭子儀が吐蕃を破ったことで、2月に吐蕃が和睦に来朝したという最新の情報を聞いた)

近頃聞いた情報では、犬戎に等しい吐蕃国が郭子儀軍に追われて遠く逃げ去ったという、臨洮にまで侵寇していたのにそこではもう牧馬はできなくなった。

そういうことで、その地を源流にしてうねうねと流れ出る渭水の上には太陽のひかりが清らかにふりそそぐのであり、隴山のあたりも風が蕭瑟の演奏を聞くように吹き、秋空のように高く晴れ渡っている。

西の崆峒山の辺りから、長安の五原の辺りまで侵寇占領されていたのが、また、平穏無事を取り返した、霊武から陰山山脈の南の北庭の辺りへは度々使者を派遣して守りを固めている。

吐蕃の酋長どもが、和親講和をねがうというのは多分こういうことであろう、“叔父と甥とは仲良しでなければいけない、すなわち、まさにその血縁関係を棄ててはならん”ということなのだ。

 杜甫 体系 地図458華州から秦州

(訳注)

近聞〔永泰元年,郭子儀與回紇約,共擊吐蕃。次年二月,吐蕃來朝,詩紀其事。〕

(昨年10月、郭子儀が吐蕃を破ったことで、2月に吐蕃が和睦に来朝したという最新の情報を聞いた)

安史の乱終結に功績のあった僕固懐恩は764年吐蕃と結託、吐蕃20万を涇州に来寇させ、長安を一時占領その年には引き上げたが、成都の西嶺の四州を完全に占領、永泰元年765年にはこれに会コツまで連合を組んで来寇したが、僕固懐恩病死に倚り、郭子儀がこの連合を分断し、ウイグルと郭子儀軍の連合に成功し、10月吐蕃軍を破った。これに倚り、766年大暦元年2月吐蕃が和睦の為、来朝したのである

題は詩初めの句の二字をとって用いたもの。

 

近聞犬戎遠遁逃,牧馬不敢侵臨洮。

近頃聞いた情報では、犬戎に等しい吐蕃国が郭子儀軍に追われて遠く逃げ去ったという、臨洮にまで侵寇していたのにそこではもう牧馬はできなくなった。

犬戎 犬戎に等しい吐蕃国ということ。

牧馬 吐蕃は山岳が多く、青海の辺りで馬を放牧させることが富国強兵策であった。

不敢 その富国強兵策を和睦によって占領地を返還させたことによってできなくなったということ。

侵臨洮 涼州、臨洮の西域を侵寇、占領していた。

 

渭水逶迤白日淨,隴山蕭瑟秋雲高。

そういうことで、その地を源流にしてうねうねと流れ出る渭水の上には太陽のひかりが清らかにふりそそぐのであり、隴山のあたりも風が蕭瑟の演奏を聞くように吹き、秋空のように高く晴れ渡っている。

渭水 陝西(せんせい)省中央部を流れる川。甘粛(かんしゅく)省の渭源県に源を発して東流し、潼関(どうかん)の東方で黄河に合流する。長さ787キロ。流域の渭水盆地は中国古代文明の中心の一つ。長安八水の本流。

逶迤 ドグロを巻く。川の流れが蛇行して、うねうねと流れるさま。

隴山 中国,陝西・甘粛両省の境にある山。古来,長安から西域に通じる関門をなし,北西の異民族に対する隴関などの関が置かれた。

蕭瑟 ここを吹く風が蕭瑟の演奏を聞くようであること。

秋雲高 秋空のように高く晴れ渡っていること。季節が秋というのではない。

 

崆峒五原亦無事,北庭數有關中使。

西の崆峒山の辺りから、長安の五原の辺りまで侵寇占領されていたのが、また、平穏無事を取り返した、霊武から陰山山脈の南の北庭の辺りへは度々使者を派遣して守りを固めている。

崆峒 崆峒は山の名、甘粛省平涼府固原州の西百里(約8km)にある。杜甫《洗兵行》「已喜皇威清海岱,常思仙仗過崆峒。」(己に喜ぶ皇威【こうい】の海岱【かいたい】を清【きよ】うするを、常に思う仙仗【せんじょう】の崆峒【こうどう】に過【よ】りしを。)

洗兵行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ992 杜甫特集700- 295

五原 長安附近の五つの原(高地)をいう、畢原(ひつげん)・白鹿原・少陵原・高陽原・細柳原のこと。○空壁墨 とりでだけがいたずらに存する、無用となり役に立たぬこと。〇八水 涇水・滻水・㶚水・澇水・滈水・灃水・潏水の八つを関内八水と称する。

北庭 霊武から陰山山脈の南の辺り、回紇の国境付近をいう。杜甫《秦州雑詩》「風連西極動、月過北庭寒。」(風は西極【せいきょく】に連なりて動き、月は北庭【ほくてい】を過ぎて寒し。)

秦州雜詩二十首 其十九 杜甫 第5部 <272> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1265 杜甫詩 700- 386

關中使 度々朝廷からの使者を派遣して守りを固めている。回紇とはこの時同盟を組んでいたので、使者を送って国境を固めた。

 

似聞贊普更求親,舅甥和好應難棄。

吐蕃の酋長どもが、和親講和をねがうというのは多分こういうことであろう、“叔父と甥とは仲良しでなければいけない、すなわち、まさにその血縁関係を棄ててはならん”ということなのだ。

贊普 吐蕃の酋長ども。

更求親 和親講和条約の締結。

舅甥 安史の乱の前と後に公主(先帝の娘)を嫁がせて叔父と甥、姻戚関係であるということ。
題新津北橋棲00 

766年大暦元年55歲-6-3 《贈鄭十八賁 -#3》 杜甫index-15 杜甫<869-3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5155

杜甫《贈鄭十八賁 -#3自分の本心は都に帰り、朝謁したいと思っているのだが、自分の体力と心の願いとは矛盾しているのが現状なのだ。持病を抱えて、金門を排するということは、この老いさらばえてしまったものがどうして、俊敏にすることが出来ようか。

 

 
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 孟郊張籍     
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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766年大暦元年55-6-3 《贈鄭十八賁 -#3 杜甫index-15 杜甫<8693 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5155
杜甫詩
1500-8693-1202/2500766年大暦元年55-6-3

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    贈鄭十八賁【雲安令。】

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

交遊人物:鄭賁

 

 

贈鄭十八賁【雲安令。】

溫溫士君子,令我懷抱盡。

靈芝冠眾芳,安得闕親近。

遭亂意不歸,竄身跡非隱。

細人尚姑息,吾子色愈謹。

君は温厚な君子と云える人である、自分をして、胸の思いを十分に隠すことなく述べ尽くせることができる人である。

たとえば君は多くの芳しい草木の上に位する靈芝に喩えられるほどの人で、どうして親しくすることが出来ようか。

自分は十年以上も兵乱に遭遇し故郷に帰ることが出来ないかもしれないのだ、この身をずっと逃げ隠れして、山の中に隠遁者の行跡を追いかけているわけではないのである。

世にいる普通、あるいは小人であるなら、姑息なことをして人との交際をするのを好とするものであるが、君はそうではなくまじわればまじわるほど敬謹な面持ちで私と付き合ってくれる。

 

高懷見物理,識者安肯哂。

卑飛欲何待,捷徑應未忍。

示我百篇文,詩家一標準。

羈離交屈宋,牢落顏閔。

水路迷畏途,藥餌駐修軫。

君の胸中は凡人の俗人を抜けて事物の道理を見ているのである、そうした君の姿を見て見識のある人であれば笑ったりすることがあろうか。

それに、きみは立身出世を心がけずに地道に進もうとしている、これからもそうするのか、まさか、抜け駆けをするような不正手段をとることなど、いまさら忍びないことだろう。

この頃私に示してくれた百篇の詩文をみるに、詩家の一つの標準というべきものである。

わたしはもう十年以上親故と離れ離れになって旅に出ていて、屈原や宋玉というべき君と出会ったのだが、少し意気消沈して顔回、閔損にも比すべき君に出会ったのである。

 

古人日以遠,青史字不泯。

步趾詠唐虞,追隨飯葵

數杯資好事,異味煩縣尹。

心雖在朝謁,力與願矛盾。

抱病排金門,衰容豈為敏。

儒者古人は日々、我々と遠い存在になってゆくものであるが、青竹で編んだ彼らに関する青史の文字は決して亡びる事は無い。

我々は古人のその足跡を慕って歩くのであり、堯舜のことを詠じたり、その導き、指示に従って、葵菫の野菜を食べるのである。

或は、好事者から提供される数杯の酒をいただき、また、県令を煩わせて、珍味の御馳走を貰い受けたりしている。

自分の本心は都に帰り、朝謁したいと思っているのだが、自分の体力と心の願いとは矛盾しているのが現状なのだ。

持病を抱えて、金門を排するということは、この老いさらばえてしまったものがどうして、俊敏にすることが出来ようか。

 

鄭十八賁に贈る【雲安令。】

溫溫たる士は君子なり,我を令て懷抱を盡くさしむ。

靈芝 眾芳に冠たり,安んぞ親近を闕くことを得ん。

亂に遭う 意うに歸らざむ,身を竄す跡 隱に非ず。

細人は姑息を尚ぶ,吾子 色 愈よ謹しめり。

-2

高懷 物理を見る,識者 安んぞ肯て哂わん。

卑飛 何をか待んと欲する,捷徑【しょうけい】應に未だ忍びざるなるべし。

我に示す 百篇の文,詩家の一標準なり。

羈離 屈宋に交わる,牢落 顏閔【がんぴん】に

水路 畏途【いと】迷い,藥餌【やくじ】修軫【しゅうしん】を駐む。

-3

古人 日に以て遠し,青史 字 泯【ほろ】びず。

步趾 唐虞を詠じ,追隨 葵【ききん】を飯す

數杯 好事に資【よ】る,異味 縣尹【けんいん】煩わす。

心 朝謁【ちょうえつ】に在りと雖も,力 願と矛盾す。

病を抱きて金門を排す,衰容 豈に敏を為さんや。

 

『贈鄭十八賁』 現代語訳と訳註解説

(本文) -3

古人日以遠,青史字不泯。

步趾詠唐虞,追隨飯葵

數杯資好事,異味煩縣尹。

心雖在朝謁,力與願矛盾。

抱病排金門,衰容豈為敏。

 

(下し文) -3

古人 日に以て遠し,青史 字 泯【ほろ】びず。

步趾 唐虞を詠じ,追隨 葵【ききん】を飯す。

數杯 好事に資【よ】る,異味 縣尹【けんいん】煩わす。

心 朝謁【ちょうえつ】に在りと雖も,力 願と矛盾す。

病を抱きて金門を排す,衰容 豈に敏を為さんや。

 

(現代語訳) -3

儒者古人は日々、我々と遠い存在になってゆくものであるが、青竹で編んだ彼らに関する青史の文字は決して亡びる事は無い。

我々は古人のその足跡を慕って歩くのであり、堯舜のことを詠じたり、その導き、指示に従って、葵菫の野菜を食べるのである。

或は、好事者から提供される数杯の酒をいただき、また、県令を煩わせて、珍味の御馳走を貰い受けたりしている。

自分の本心は都に帰り、朝謁したいと思っているのだが、自分の体力と心の願いとは矛盾しているのが現状なのだ。

持病を抱えて、金門を排するということは、この老いさらばえてしまったものがどうして、俊敏にすることが出来ようか。

葭 あし002 

(訳注) -3

贈鄭十八賁【雲安令。】

鄭賁は雲安における友人で、この詩の半年前(この年は9月閏月がある)の9月重陽の日に鄭兄弟と六朝“陸機”兄弟に喩えて詩の贈答をしている。

765年永泰元年54-51 《雲安九日,鄭十八攜酒陪諸公宴》 杜甫index-15 杜甫<851 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4990

765年永泰元年54-52 《答鄭十七郎一 杜甫index-15 杜甫<852 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4995

 

古人日以遠,青史字不泯。

儒者古人は日々、我々と遠い存在になってゆくものであるが、青竹で編んだ彼らに関する青史の文字は決して亡びる事は無い。

古人 儒者である古人と現在の施政者とは遠く隔たった政治をしている。前に述べた「捷徑」(不正手段)などをさす。

青史 青竹で編んだものへ書き付けた教え。

字不泯 文字は決して亡びる事は無い。

 

步趾詠唐虞,追隨飯葵

我々は古人のその足跡を慕って歩くのであり、堯舜のことを詠じたり、その導き、指示に従って、葵菫の野菜を食べるのである。

唐虞 中国の伝説上の聖天子である陶唐氏(尭(ぎょう))と有虞氏(舜(しゅん))を併せてよぶ名。また、その二人の治めた時代。とうぐさんだい【唐虞三代】尭と舜に、夏・殷(いん)・周の3代を加えた呼び名。

追隨 儒学の導き、指示に従うこと。

 わさびとせり。

 

數杯資好事,異味煩縣尹。

或は、好事者から提供される数杯の酒をいただき、また、県令を煩わせて、珍味の御馳走を貰い受けたりしている。

 たすける。提供を受ける。

好事 物好きな人。おせっかいな人。面倒見の良い人。

異味 変わった味のもの。珍味。

縣尹 県の長官。県令。

 

心雖在朝謁,力與願矛盾。

自分の本心は都に帰り、朝謁したいと思っているのだが、自分の体力と心の願いとは矛盾しているのが現状なのだ。

 

抱病排金門,衰容豈為敏。

持病を抱えて、金門を排するということは、この老いさらばえてしまったものがどうして、俊敏にすることが出来ようか。

抱病 喘息、糖尿病、痛風などの持病を持っていた。

 門を押し開くこと。出入りすること。

金門 金馬門、翰林院に入る門、文官はそこから各省にいった。

衰容 容姿が老衰しているさま。

豈為敏 どうして、俊敏にすることが出来ようか。もう体が動かないということ。
唐時代 地図山南 東・西道50 

766年大暦元年55歲-6-2 《贈鄭十八賁 -#2》 杜甫index-15 杜甫<869-2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5150

杜甫《贈鄭十八賁 -#2きみは立身出世を心がけずに地道に進もうとしている、これからもそうするのか、まさか、抜け駆けをするような不正手段をとることなど、いまさら忍びないことだろう。

 
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-6-2 《贈鄭十八賁 -#2》 杜甫index-15 杜甫<869-2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5150 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor20-538《菩薩蠻三首,其三》十巻 李珣Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-721-20-(538) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5152 
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 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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766年大暦元年55-6-2 《贈鄭十八賁 -#2 杜甫index-15 杜甫<8692 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5150 


杜甫詩
1500-8692-1201/2500766年大暦元年55-6-2

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    贈鄭十八賁【雲安令。】

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

交遊人物:鄭賁

 

 

贈鄭十八賁【雲安令。】

溫溫士君子,令我懷抱盡。

君は温厚な君子と云える人である、自分をして、胸の思いを十分に隠すことなく述べ尽くせることができる人である。


芝冠眾芳,安得闕親近。

たとえば君は多くの芳しい草木の上に位する靈芝に喩えられるほどの人で、どうして親しくすることが出来ようか。

遭亂意不歸,竄身跡非隱。

自分は十年以上も兵乱に遭遇し故郷に帰ることが出来ないかもしれないのだ、この身をずっと逃げ隠れして、山の中に隠遁者の行跡を追いかけているわけではないのである。

細人尚姑息,吾子色愈謹。

世にいる普通、あるいは小人であるなら、姑息なことをして人との交際をするのを好とするものであるが、君はそうではなくまじわればまじわるほど敬謹な面持ちで私と付き合ってくれる。

 

高懷見物理,識者安肯哂。

君の胸中は凡人の俗人を抜けて事物の道理を見ているのである、そうした君の姿を見て見識のある人であれば笑ったりすることがあろうか。

卑飛欲何待,捷徑應未忍。

それに、きみは立身出世を心がけずに地道に進もうとしている、これからもそうするのか、まさか、抜け駆けをするような不正手段をとることなど、いまさら忍びないことだろう。

示我百篇文,詩家一標準。

この頃私に示してくれた百篇の詩文をみるに、詩家の一つの標準というべきものである。

羈離交屈宋,牢落顏閔。

わたしはもう十年以上親故と離れ離れになって旅に出ていて、屈原や宋玉というべき君と出会ったのだが、少し意気消沈して顔回、閔損にも比すべき君に出会ったのである。

水路迷畏途,藥餌駐修軫。

往くべき道が、航路か陸路か、迷えば恐ろしい道である。病気のために薬餌の必要でここの地に進めるべき車をとどめているのだ。 

古人日以遠,青史字不泯。

步趾詠唐虞,追隨飯葵

數杯資好事,異味煩縣尹。

心雖在朝謁,力與願矛盾。

抱病排金門,衰容豈為敏。

 

鄭十八賁に贈る【雲安令。】

溫溫たる士は君子なり,我を令て懷抱を盡くさしむ。

靈芝 眾芳に冠たり,安んぞ親近を闕くことを得ん。

亂に遭う 意うに歸らざむ,身を竄す跡 隱に非ず。

細人は姑息を尚ぶ,吾子 色 愈よ謹しめり。

-2

高懷 物理を見る,識者 安んぞ肯て哂わん。

卑飛 何をか待んと欲する,捷徑【しょうけい】應に未だ忍びざるなるべし。

我に示す 百篇の文,詩家の一標準なり。

羈離 屈宋に交わる,牢落 顏閔【がんぴん】に

水路 畏途【いと】迷い,藥餌【やくじ】修軫【しゅうしん】を駐む。

-3

古人 日に以て遠し,青史 字 泯【ほろ】びず。

步趾 唐虞を詠じ,追隨 葵【ききん】を飯す

數杯 好事に資【よ】る,異味 縣尹【けんいん】煩わす。

心 朝謁【ちょうえつ】に在りと雖も,力 願と矛盾す。

病を抱きて金門を排す,衰容 豈に敏を為さんや。

唐時代 地図山南 東・西道50 

『贈鄭十八賁』 現代語訳と訳註解説

(本文)-2

高懷見物理,識者安肯哂。

卑飛欲何待,捷徑應未忍。

示我百篇文,詩家一標準。

羈離交屈宋,牢落顏閔。

水路迷畏途,藥餌駐修軫。

 

(含異文)

高懷見物理,識者安肯哂。卑飛欲何待,捷徑應未忍。示我百篇文,詩家一標準。羈離交屈宋,牢落顏閔。水路迷畏途【水路迷長途】,藥餌駐修軫。

 

(下し文) -2

高懷 物理を見る,識者 安んぞ肯て哂わん。

卑飛 何をか待んと欲する,捷徑【しょうけい】應に未だ忍びざるなるべし。

我に示す 百篇の文,詩家の一標準なり。

羈離 屈宋に交わる,牢落 顏閔【がんぴん】にう。

水路 畏途【いと】迷い,藥餌【やくじ】修軫【しゅうしん】を駐む。

 

(現代語訳)

君の胸中は凡人の俗人を抜けて事物の道理を見ているのである、そうした君の姿を見て見識のある人であれば笑ったりすることがあろうか。

それに、きみは立身出世を心がけずに地道に進もうとしている、これからもそうするのか、まさか、抜け駆けをするような不正手段をとることなど、いまさら忍びないことだろう。

この頃私に示してくれた百篇の詩文をみるに、詩家の一つの標準というべきものである。

わたしはもう十年以上親故と離れ離れになって旅に出ていて、屈原や宋玉というべき君と出会ったのだが、少し意気消沈して顔回、閔損にも比すべき君に出会ったのである。

往くべき道が、航路か陸路か、迷えば恐ろしい道である。病気のために薬餌の必要でここの地に進めるべき車をとどめているのだ。 

蜀中転々圖

(訳注)2

贈鄭十八賁【雲安令。】

鄭賁は雲安における友人で、この詩の半年前(この年は9月閏月がある)の9月重陽の日に鄭兄弟と六朝“陸機”兄弟に喩えて詩の贈答をしている。

765年永泰元年54-51 《雲安九日,鄭十八攜酒陪諸公宴》 杜甫index-15 杜甫<851 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4990

765年永泰元年54-52 《答鄭十七郎一 杜甫index-15 杜甫<852 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4995

 

高懷見物理,識者安肯哂。

君の胸中は凡人の俗人を抜けて事物の道理を見ているのである、そうした君の姿を見て見識のある人であれば笑ったりすることがあろうか。

物理 事物の道理。

識者 見識の優れた人。

哂 わらう。

 

卑飛欲何待,捷徑應未忍。

それに、きみは立身出世を心がけずに地道に進もうとしている、これからもそうするのか、まさか、抜け駆けをするような不正手段をとることなど、いまさら忍びないことだろう。

卑飛 低く飛ぶ。立身出世を心がけずに進む。

捷徑 抜け道、近道。官途へ出るに不正手段を使ってでもすすむこと。

 

示我百篇文,詩家一標準。

この頃私に示してくれた百篇の詩文をみるに、詩家の一つの標準というべきものである。

標準 目印、手本。

 

羈離交屈宋,牢落顏閔。

わたしはもう十年以上親故と離れ離れになって旅に出ていて、屈原や宋玉というべき君と出会ったのだが、少し意気消沈して顔回、閔損にも比すべき君に出会ったのである。

羈離 旅に出て親故と離れ離れになっている身の上のこと。

牢落 さびしいさま。少し意気消沈しているさま。

顏閔 孔子の弟子。顔回、字は子淵、孔子より30歳年少。魯の人。孔門十哲の一人で、随一の秀才。孔子にその将来を嘱望されるも夭折する。顏回は名誉栄達を求めず、ひたすら孔子の教えを理解し実践することを求めた。その暮らしぶりは極めて質素であったという。このことから老荘思想発生の一源流とみなす説もある。・閔損、字は子騫、孔子より15歳年少; 「母在一子寒 母去三子寒」という言葉がある。昔、中国に閔損(びんそん)という子 供がいた。後に孔子の弟子になる人であるが、閔損の継母 (ままはは)が彼を邪険にして、寒い冬の日でも下の弟二人には綿入れを着せ、彼には単衣(ひとえ)の着物しか与えなかった。閔損の継母は腹を痛めた二人の子供が可愛い、だんだんと閔損を疎略(そりゃく)に扱うようになる。父はそのことに気付き、継母を家から追い出そうとした。その時、閔損が、 「母在(あ)れば一子(いっし)寒し、母去(ゆ)けば三 子寒し」と言って父を諌(いさ)めた。

 『今ここで母を家から出したら、三人の子供が母の温かい愛情を受けられずに淋しい思いをします。しかし、母が残れば私一人が少々淋しい思いをするだけで、下の二人は母の愛情を受けることができます。どうか、母を家から出さないで下さい。』と父に意見をしたという論語にある話である。

 

水路迷畏途,藥餌駐修軫。

往くべき道が、航路か陸路か、迷えば恐ろしい道である。病気のために薬餌の必要でここの地に進めるべき車をとどめているのだ。

畏途 恐ろしい道路。

藥餌 くすり、滋養食。

駐修軫 この地に進めるべき車をとどめている

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杜甫《贈鄭十八賁 -#1君は温厚な君子と云える人である、自分をして、胸の思いを十分に隠すことなく述べ尽くせることができる人である。たとえば君は多くの芳しい草木の上に位する靈芝に喩えられるほどの人で、どうして親しくすることが出来ようか。

 
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766年大暦元年55-6-1 《贈鄭十八賁 -#1》 杜甫index-15 杜甫<8691>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5145

杜甫詩1500-8691-1200/2500766年大暦元年55-6-1

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    贈鄭十八賁【雲安令。】

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

交遊人物:鄭賁

 

 

贈鄭十八賁【雲安令。】

溫溫士君子,令我懷抱盡。

君は温厚な君子と云える人である、自分をして、胸の思いを十分に隠すことなく述べ尽くせることができる人である。

靈芝冠眾芳,安得闕親近。

たとえば君は多くの芳しい草木の上に位する靈芝に喩えられるほどの人で、どうして親しくすることが出来ようか。

遭亂意不歸,竄身跡非隱。

自分は十年以上も兵乱に遭遇し故郷に帰ることが出来ないかもしれないのだ、この身をずっと逃げ隠れして、山の中に隠遁者の行跡を追いかけているわけではないのである。

細人尚姑息,吾子色愈謹。

世にいる普通、あるいは小人であるなら、姑息なことをして人との交際をするのを好とするものであるが、君はそうではなくまじわればまじわるほど敬謹な面持ちで私と付き合ってくれる。

鄭十八賁に贈る【雲安令。】

溫溫たる士は君子なり,我を令て懷抱を盡くさしむ。

靈芝 眾芳に冠たり,安んぞ親近を闕くことを得ん。

亂に遭う 意うに歸らざむ,身を竄す跡 隱に非ず。

細人は姑息を尚ぶ,吾子 色 愈よ謹しめり。

 

高懷見物理,識者安肯哂。

卑飛欲何待,捷徑應未忍。

示我百篇文,詩家一標準。

羈離交屈宋,牢落顏閔。

水路迷畏途,藥餌駐修軫。

-2

高懷 物理を見る,識者 安んぞ肯て哂わん。

卑飛 何をか待んと欲する,捷徑【しょうけい】應に未だ忍びざるなるべし。

我に示す 百篇の文,詩家の一標準なり。

羈離 屈宋に交わる,牢落 顏閔【がんぴん】に

水路 畏途【いと】迷い,藥餌【やくじ】修軫【しゅうしん】を駐む。

 

古人日以遠,青史字不泯。

步趾詠唐虞,追隨飯葵

數杯資好事,異味煩縣尹。

心雖在朝謁,力與願矛盾。

抱病排金門,衰容豈為敏。

-3

古人 日に以て遠し,青史 字 泯【ほろ】びず。

步趾 唐虞を詠じ,追隨 葵【ききん】を飯す

數杯 好事に資【よ】る,異味 縣尹【けんいん】煩わす。

心 朝謁【ちょうえつ】に在りと雖も,力 願と矛盾す。

病を抱きて金門を排す,衰容 豈に敏を為さんや。

 

唐時代 地図山南 東・西道50 

『贈鄭十八賁』 現代語訳と訳註解説

(本文)-1

贈鄭十八賁【雲安令。】

溫溫士君子,令我懷抱盡。

靈芝冠眾芳,安得闕親近。

遭亂意不歸,竄身跡非隱。

細人尚姑息,吾子色愈謹。

 

(下し文)

鄭十八賁に贈る【雲安令。】

溫溫たる士は君子なり,我を令て懷抱を盡くさしむ。

靈芝 眾芳に冠たり,安んぞ親近を闕くことを得ん。

亂に遭う 意うに歸らざむ,身を竄す跡 隱に非ず。

細人は姑息を尚ぶ,吾子 色 愈よ謹しめり。

 

(現代語訳)

君は温厚な君子と云える人である、自分をして、胸の思いを十分に隠すことなく述べ尽くせることができる人である。

たとえば君は多くの芳しい草木の上に位する靈芝に喩えられるほどの人で、どうして親しくすることが出来ようか。

自分は十年以上も兵乱に遭遇し故郷に帰ることが出来ないかもしれないのだ、この身をずっと逃げ隠れして、山の中に隠遁者の行跡を追いかけているわけではないのである。

世にいる普通、あるいは小人であるなら、姑息なことをして人との交際をするのを好とするものであるが、君はそうではなくまじわればまじわるほど敬謹な面持ちで私と付き合ってくれる。

 

(訳注)

贈鄭十八賁【雲安令。】

鄭賁は雲安における友人で、この詩の半年前(この年は9月閏月がある)の9月重陽の日に鄭兄弟と六朝“陸機”兄弟に喩えて詩の贈答をしている。

765年永泰元年54-51 《雲安九日,鄭十八攜酒陪諸公宴》 杜甫index-15 杜甫<851 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4990

765年永泰元年54-52 《答鄭十七郎一 杜甫index-15 杜甫<852 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4995

 

溫溫士君子,令我懷抱盡

君は温厚な君子と云える人である、自分をして、胸の思いを十分に隠すことなく述べ尽くせることができる人である。

溫溫 おとなしいさま。やさしいさま。おだやかなるさま。柔和「詩経・小雅・小宛」「溫溫恭人、如集于木。 惴惴小心、如臨于谷。 戰戰兢兢、如履薄冰。」(溫溫恭人、木に集うが如し。惴惴小心、谷に臨むが如し。戰戰兢兢、薄冰を履むが如し。)

日本では1 気持ちよくあたたかいさま。2 苦労や不自由がなく、満ち足りているさま。「3 周囲を気にせず、ずうずうしく振る舞うさま。ぬけぬけ。..

懷抱盡 思うところをすっかり空られる。

 

靈芝冠眾芳,安得闕親近。

たとえば君は多くの芳しい草木の上に位する靈芝に喩えられるほどの人で、どうして親しくすることが出来ようか。

靈芝 鄭賁をさす。温和な人は気のもとに集まるという詩経に基づき、その上その人は靈芝ほどの尊い人であるからもっと人が集まってくる。

 

遭亂意不歸,竄身跡非隱。

自分は十年以上も兵乱に遭遇し故郷に帰ることが出来ないかもしれないのだ、この身をずっと逃げ隠れして、山の中に隠遁者の行跡を追いかけているわけではないのである。

遭亂二句 安禄山の乱以来、兵乱、争乱、に纏われ、逃げ回っていることをいう。

 

細人尚姑息,吾子色愈謹。

世にいる普通、あるいは小人であるなら、姑息なことをして人との交際をするのを好とするものであるが、君はそうではなくまじわればまじわるほど敬謹な面持ちで私と付き合ってくれる。

細人 世にいる普通、あるいは小人であるもの。

姑息 一時の間に合わせにすること。また、そのさま。一時のがれ。その場しのぎ。先の詩、《雲安九日,鄭十八攜酒陪諸公宴》で鄭賁が酒を以てもてなしたことがあったがそれは「姑息」な事ではなかったこという。贈収賄を持っての付き合い。

吾子色 杜甫自身に対し、一目置いてくれる。杜甫に対して敬意を表してくれる。

愈謹 まじわればまじわるほど敬謹な態度をとる。
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杜甫《石研詩》-#2 平公は詔勅を起草する文章力と家柄、身分を持っておられ、その姿を明光殿でお見かけするのもそう遠くない咫尺のことであろう。汝、硯はきっと平公に愛顧されることだろうし、それに伴って公卿の座に伴い朝廷内を持ち歩かれて行くことだろう。

 
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766年大暦元年55-5-2 《石研詩【自注:平侍御者。】 -#2》 杜甫index-15 杜甫<8682 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5140
杜甫詩
1500-8682-1199/2500766年大暦元年55-5-2

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    石研詩〔平侍御者。〕

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

及地點:              明光殿 (京畿道 京兆府 長安)           

 

 

石研詩〔平侍御者。〕

(侍御史の平某という者が石の硯を得たのでそれを見て詠ったもの)

平公今詩伯,秀發吾所羨。

侍御史の平公は詩の仲間の長の役をしている。その才華の優れていて詩にあらわされていることは、実に羨ましいことである。

奉使三峽中,長嘯得石研。

平公はこの地、三峡の中で使命を奉じられているのであるが、作った詩を長く引っ張って嘯いているうちに石の硯を手に入れたのである。

巨璞禹鑿餘,異狀君獨見。

その掘り出したままで、まだ磨いていないというだけであって、それは禹が黄河の土木工事をしたときのあまりものとみたいなものである、その石は不思議な形状であり、それを認めるのは、平公ただ一人であった。

其滑乃波濤,其光或雷電。

その石の滑らかな事は波濤の如くであり、その石の目が光っているのは、雷電のようである。

聯坳各盡墨,多水遞隱現。

石の窪みは次々連なり、それぞれに磨り具合の違った墨をため、また多くの水気がたがいに見え隠れして潤っている。

 

揮灑容數人,十手可對面。

この硯で墨を磨るには五人の両手十本が必要で、その墨でもって筆を揮うのに数人で同時に使うことができるほどの物だ。

比公頭上冠,貞質未為賤。

この平公が頭上に頂いている鉄の冠と固さを比べても其の材質は負けないし、暗いとしてもとても賤しいものということではないのである。

當公賦佳句,況得終清宴。

まして、平公が良い句を作られるときは、この硯の威力は発揮され、その句会を見事に終わらせるほどの良い句が出来るだろう。

公含起草姿,不遠明光殿。

平公は詔勅を起草する文章力と家柄、身分を持っておられ、その姿を明光殿でお見かけするのもそう遠くない咫尺のことであろう。

致於丹青地,知汝隨顧眄。

汝、硯はきっと平公に愛顧されることだろうし、それに伴って公卿の座に伴い朝廷内を持ち歩かれて行くことだろう。

 

(石研詩〔平 侍御なる者なり。〕)-1

平公は今の詩伯なり,秀發 吾が羨む所なり。

使を奉ず三峽の中,長嘯 石研を得たり。

巨璞 禹の鑿餘【さくよ】,異狀 君 獨り見る。

其の滑は乃ち波濤なり,其の光は或いは雷電なり。

聯坳【れんおう】各の墨を盡し,多水 遞【たがい】に隱現【いんけん】す。

 -2

揮灑【きさい】數人を容る,十手 面に對す可し。

公が頭上の冠を比し,貞質 未だ賤しと為す。

公が佳句を賦すに當って,況んや清宴を終【しま】うを得るをや。

公の起草の姿を含む,遠からず 明光殿。

丹青の地に致されん,知る 汝が顧眄【こべん】に隨うことを。

 

 漢長安図02

『石研詩』 現代語訳と訳註解説

(本文)

揮灑容數人,十手可對面。

比公頭上冠,貞質未為賤。

當公賦佳句,況得終清宴。

公含起草姿,不遠明光殿。

致於丹青地,知汝隨顧眄。

 

(下し文)

揮灑【きさい】數人を容る,十手 面に對す可し。

公が頭上の冠を比し,貞質 未だ賤しと為す。

公が佳句を賦すに當って,況んや清宴を終【しま】うを得るをや。

公の起草の姿を含む,遠からず 明光殿。

丹青の地に致されん,知る 汝が顧眄【こべん】に隨うことを。

 

(現代語訳)

この硯で墨を磨るには五人の両手十本が必要で、その墨でもって筆を揮うのに数人で同時に使うことができるほどの物だ。

この平公が頭上に頂いている鉄の冠と固さを比べても其の材質は負けないし、暗いとしてもとても賤しいものということではないのである。

まして、平公が良い句を作られるときは、この硯の威力は発揮され、その句会を見事に終わらせるほどの良い句が出来るだろう。

平公は詔勅を起草する文章力と家柄、身分を持っておられ、その姿を明光殿でお見かけするのもそう遠くない咫尺のことであろう。

汝、硯はきっと平公に愛顧されることだろうし、それに伴って公卿の座に伴い朝廷内を持ち歩かれて行くことだろう。

 

(訳注)

石研詩〔平侍御者。〕

(侍御史の平某という者が石の硯を得たのでそれを見て詠ったもの)

 皇城001

揮灑容數人,十手可對面。

この硯で墨を磨るには五人の両手十本が必要で、その墨でもって筆を揮うのに数人で同時に使うことができるほどの物だ。

揮灑 墨色を十分生かし切って筆を揮うことをいう。

容數人 墨でもって筆を揮うのに数人で同時に使うことができるほどである。

十手 墨を磨るには五人の両手十本が必要である。

對面 硯の面に向かうこと、墨を磨るため、筆を整えるためである。

 

比公頭上冠,貞質未為賤。

この平公が頭上に頂いている鉄の冠と固さを比べても其の材質は負けないし、暗いとしてもとても賤しいものということではないのである。

頭上冠 硯の価値を材質的被比較するのと、硯の品格的に比較することをいう。

貞質 上記二面を比較してその資質が優れていることをいう。

 

當公賦佳句,況得終清宴。

まして、平公が良い句を作られるときは、この硯の威力は発揮され、その句会を見事に終わらせるほどの良い句が出来るだろう。

賦佳句 公が良い句を作られる

況得 いわんや、この硯によってとても良い詩が得られるということ。

終清宴 この硯の威力は発揮され、その句会を見事に終わらせるほどであること。

 

公含起草姿,不遠明光殿。

平公は詔勅を起草する文章力と家柄、身分を持っておられ、その姿を明光殿でお見かけするのもそう遠くない咫尺のことであろう。

起草 唐の玄宗が738年(開元26年)に設けた翰林学士院で行わせた。李白のために作らせたのがその起源で、唐中期以降、主に詔書の起草に当たった役所であるが、この詩においては漢の明光殿をいうことで、わざと不明確に言う詩的表現である。

明光殿 三·》:“ 未央台西の桂有る明光殿をいう。唐においては、中書省が詔勅(皇帝の命令)の起草、門下省がその審議を行ない、尚書省が配下の六部(礼部・吏部・戸部・兵部・刑部・工部)を通して詔勅を実行する。

 

致於丹青地,知汝隨顧眄。

汝、硯はきっと平公に愛顧されることだろうし、それに伴って公卿の座に伴い朝廷内を持ち歩かれて行くことだろう。

 審議のために門下省に持って行くことをいみする。

丹青地 朝廷、明光殿の庭の事で東の青い門から入城し、丹庭、丹階を経て天子に起草する。朝廷内の御門は五行思想による色づけられている。

汝 すずりをさす。

顧眄 平公が振り返ってみること。眄:1 流し目で見る。2 わき見をする。

766年大暦元年55歲-5-1 《石研詩【自注:平侍御者。】 -#1》 杜甫index-15 杜甫<868-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5155

杜甫《石研詩》-1その掘り出したままで、まだ磨いていないというだけであって、それは禹が黄河の土木工事をしたときのあまりものとみたいなものである、その石は不思議な形状であり、それを認めるのは、平公ただ一人であった。

 

 
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766年大暦元年55-5-1 《石研詩【自注:平侍御者。】 -#1》 杜甫index-15 杜甫<868-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5155

 

杜甫詩1500-868-1-1202/2500 766年大暦元年55-5-1

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    石研詩〔平侍御者。〕

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

及地點:              明光殿 (京畿道 京兆府 長安)           

 

 

石研詩〔平侍御者。〕

(侍御史の平某という者が石の硯を得たのでそれを見て詠ったもの)

平公今詩伯,秀發吾所羨。

侍御史の平公は詩の仲間の長の役をしている。その才華の優れていて詩にあらわされていることは、実に羨ましいことである。

奉使三峽中,長嘯得石研。

平公はこの地、三峡の中で使命を奉じられているのであるが、作った詩を長く引っ張って嘯いているうちに石の硯を手に入れたのである。

巨璞禹鑿餘,異狀君獨見。

その掘り出したままで、まだ磨いていないというだけであって、それは禹が黄河の土木工事をしたときのあまりものとみたいなものである、その石は不思議な形状であり、それを認めるのは、平公ただ一人であった。

其滑乃波濤,其光或雷電。

その石の滑らかな事は波濤の如くであり、その石の目が光っているのは、雷電のようである。

聯坳各盡墨,多水遞隱現。

石の窪みは次々連なり、それぞれに磨り具合の違った墨をため、また多くの水気がたがいに見え隠れして潤っている。

 

揮灑容數人,十手可對面。

比公頭上冠,貞質未為賤。

當公賦佳句,況得終清宴。

公含起草姿,不遠明光殿。

致於丹青地,知汝隨顧眄。

 

(石研詩〔平 侍御なる者なり。〕)-1

平公は今の詩伯なり,秀發 吾が羨む所なり。

使を奉ず三峽の中,長嘯 石研を得たり。

巨璞 禹の鑿餘【さくよ】,異狀 君 獨り見る。

其の滑は乃ち波濤なり,其の光は或いは雷電なり。

聯坳【れんおう】各の墨を盡し,多水 遞【たがい】に隱現【いんけん】す。

 -2

揮灑【きさい】數人を容る,十手 面に對す可し。

公が頭上の冠を比し,貞質 未だ賤しと為す。

公が佳句を賦すに當って,況んや清宴を終【しま】うを得るをや。

公の起草の姿を含む,遠からず 明光殿。

丹青の地に致されん,知る 汝が顧眄【こべん】に隨うことを。

 

 

 

『石研詩』-1 現代語訳と訳註解説

(本文)

石研詩〔平侍御者。〕

平公今詩伯,秀發吾所羨。

奉使三峽中,長嘯得石研。

巨璞禹鑿餘,異狀君獨見。

其滑乃波濤,其光或雷電。

聯坳各盡墨,多水遞隱現。

 

(下し文)

(石研詩〔平 侍御なる者なり。〕)

平公は今の詩伯なり,秀發 吾が羨む所なり。

使を奉ず三峽の中,長嘯 石研を得たり。

巨璞 禹の鑿餘【さくよ】,異狀 君 獨り見る。

其の滑は乃ち波濤なり,其の光は或いは雷電なり。

聯坳【れんおう】各の墨を盡し,多水 遞【たがい】に隱現【いんけん】す。

 

(現代語訳)

(侍御史の平某という者が石の硯を得たのでそれを見て詠ったもの)

侍御史の平公は詩の仲間の長の役をしている。その才華の優れていて詩にあらわされていることは、実に羨ましいことである。

平公はこの地、三峡の中で使命を奉じられているのであるが、作った詩を長く引っ張って嘯いているうちに石の硯を手に入れたのである。

その掘り出したままで、まだ磨いていないというだけであって、それは禹が黄河の土木工事をしたときのあまりものとみたいなものである、その石は不思議な形状であり、それを認めるのは、平公ただ一人であった。

その石の滑らかな事は波濤の如くであり、その石の目が光っているのは、雷電のようである。

石の窪みは次々連なり、それぞれに磨り具合の違った墨をため、また多くの水気がたがいに見え隠れして潤っている。

 

 

(訳注)

石研詩〔平侍御者。〕

(侍御史の平某という者が石の硯を得たのでそれを見て詠ったもの)

 

平公今詩伯,秀發吾所羨。

侍御史の平公は詩の仲間の長の役をしている。その才華の優れていて詩にあらわされていることは、実に羨ましいことである。

詩伯 詩の仲間の長の役をしている。

秀發 才華の優れていて詩にあらわされていること。

 

奉使三峽中,長嘯得石研。

平公はこの地、三峡の中で使命を奉じられているのであるが、作った詩を長く引っ張って嘯いているうちに石の硯を手に入れたのである。

長嘯 作った詩を長く引っ張って嘯いていること。閑適であることをいう。

 

巨璞禹鑿餘,異狀君獨見。

その掘り出したままで、まだ磨いていないというだけであって、それは禹が黄河の土木工事をしたときのあまりものとみたいなものである、その石は不思議な形状であり、それを認めるのは、平公ただ一人であった。

巨璞 おおきなあらたま。璞:掘り出したままで、まだ磨いていない玉。その真価や完成された姿をまだ発揮していないが、素質のある人。「

禹鑿餘 禹が黄河の土木工事をした才であっても余力を残していたということ。

 

其滑乃波濤,其光或雷電。

その石の滑らかな事は波濤の如くであり、その石の目が光っているのは、雷電のようである。

其滑 硯の墨を磨る部分をいう。

其光 硯石にある目のような、黒い石部分に稲妻のように光があることをいう。

 

聯坳各盡墨,多水遞隱現。

石の窪みは次々連なり、それぞれに磨り具合の違った墨をため、また多くの水気がたがいに見え隠れして潤っている。

聯坳 硯の海にあたるところが、いくつも連なっている。

各盡墨 墨を磨って、する具合を変えて窪みにそれぞれ違い色にする。

多水 水だけの所も多くあって潤っている。

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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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杜甫詩1500-869-1204/2500766年大暦元年55-6

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    水閣朝霽奉簡嚴雲安〔雲安嚴明府〕

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

及地點:             

水閣 (山南東道 夔州 雲安)            

雲安 (山南東道 夔州 雲安) 別名:南楚       

交遊人物/地點:             

嚴雲安 當地交遊(山南東道 夔州 雲安)

 

 

水閣朝霽奉簡嚴雲安〔雲安嚴明府〕

(病気療養に尽力してもらった厳明府に次第に良くなっている近況の報告をしたものである)

東城抱春岑,江閣鄰石面。

この雲安城の東閣は春の峻峰を抱いている、自分の居る江閣はその山の巌石の面にとなりあわせになっている。

崔嵬晨雲白,朝旭射芳甸。

岩のつみかさなったところに晨の雲が白くよこたわり、あさひの光は草花のにおいに溢れた先の郊外までを射光しておる。

雨檻臥花叢,風床展書卷。

自分は雨が降っていると、手摺のある四阿に花の草叢により添うて臥し、風のそよふく床には書巻をひろげて読むのである。

鉤簾宿鷺起,丸藥流鶯囀。

簾を鈎の留め金にまきあげ、江にとまっている白鷺がたちあがって飛んでゆくのをみるし、薬を粉に挽いて丸薬を作っていると、その時の音に呼応して鶯が啼く。
呼婢取酒壺,續兒誦《文選》。

また下女を呼んで酒壷をもって来させたりし、こどもらには毎日「文選」を誦読させ、前日のあとをつづけさせるのである。これがいまの自分の近状である。

晚交嚴明府,矧此數相見。

このような晩年になってから厳明府と交際することになり、まして昨今のようにたびたび面会できることは、ますます以てよろこばしい限りであります。

 

(水閣の朝霽に雲安の厳明府に簡し奉る)〔雲安の嚴明府〕

東城 春草を抱く、江閣 石面に隣る。

崔嵬晨雲白く、朝旭芳甸を射る。

雨檻 花叢に臥し、風床書巻を展ぶ。

簾を鉤すれば宿鷺起こり、薬を丸にすれば流鶯囀る。

婢を呼びて酒壷を取らしめ、児に続しめて文選を婢せしむ。

晩に厳明府に交わる、矧や此に数々相見るをや。

 

三峡 巫山十二峰001 

『水閣朝霽奉簡嚴雲安〔雲安嚴明府〕』 現代語訳と訳註解説

(本文)

水閣朝霽奉簡嚴雲安〔雲安嚴明府〕

東城抱春岑,江閣鄰石面。

崔嵬晨雲白,朝旭射芳甸。

雨檻臥花叢,風床展書卷。

鉤簾宿鷺起,丸藥流鶯囀。

呼婢取酒壺,續兒誦《文選》。

晚交嚴明府,矧此數相見。

(含異文)

東城抱春岑,江閣鄰石面。崔嵬晨雲白,朝旭射芳甸【朝日射芳甸】。雨檻臥花叢,風床展書卷【風床展輕幔】。鉤簾宿鷺起,丸藥流鶯囀。呼婢取酒壺,續兒誦《文選》。晚交嚴明府,矧此數相見。

 

(下し文)

(水閣の朝霽に雲安の厳明府に簡し奉る)〔雲安の嚴明府〕

東城 春草を抱く、江閣 石面に隣る。

崔嵬晨雲白く、朝旭芳甸を射る。

雨檻 花叢に臥し、風床書巻を展ぶ。

簾を鉤すれば宿鷺起こり、薬を丸にすれば流鶯囀る。

婢を呼びて酒壷を取らしめ、児に続しめて文選を婢せしむ。

晩に厳明府に交わる、矧や此に数々相見るをや。

 蜀中転々圖

(現代語訳)

(病気療養に尽力してもらった厳明府に次第に良くなっている近況の報告をしたものである)

この雲安城の東閣は春の峻峰を抱いている、自分の居る江閣はその山の巌石の面にとなりあわせになっている。

岩のつみかさなったところに晨の雲が白くよこたわり、あさひの光は草花のにおいに溢れた先の郊外までを射光しておる。

自分は雨が降っていると、手摺のある四阿に花の草叢により添うて臥し、風のそよふく床には書巻をひろげて読むのである。

簾を鈎の留め金にまきあげ、江にとまっている白鷺がたちあがって飛んでゆくのをみるし、薬を粉に挽いて丸薬を作っていると、その時の音に呼応して鶯が啼く。
また下女を呼んで酒壷をもって来させたりし、こどもらには毎日「文選」を誦読させ、前日のあとをつづけさせるのである。これがいまの自分の近状である。

このような晩年になってから厳明府と交際することになり、まして昨今のようにたびたび面会できることは、ますます以てよろこばしい限りであります。

 

唐時代 地図山南 東・西道50 

(訳注)

水閣朝霽奉簡嚴雲安〔雲安嚴明府〕

(病気療養に尽力してもらった厳明府に次第に良くなっている近況の報告をしたものである)

雲安の寓居の水辺の閣の朝晴れに雲安の県令厳某に手紙としてやった詩。大暦元年春、雲安にあっての作。

○水閣・江閣 いずれも江辺の闇である、「日満チテ楼前江霧黄ナリ」(「十二月一日」)の江楼もおなじ。

 

東城抱春岑,江閣鄰石面。

この雲安城の東閣は春の峻峰を抱いている、自分の居る江閣はその山の巌石の面にとなりあわせになっている。

○石面 山の岩石の表面。

 

崔嵬晨雲白,朝旭射芳甸。

岩のつみかさなったところに晨の雲が白くよこたわり、あさひの光は草花のにおいに溢れた先の郊外までを射光しておる。

○芳甸 甸は郊外、芳は草花のにおっていることをいう。

 

雨檻臥花叢,風床展書卷。

自分は雨が降っていると、手摺のある四阿に花の草叢により添うて臥し、風のそよふく床には書巻をひろげて読むのである。

雨檻 江のほとりにある四阿で手摺の下が花の草叢があるもの。

 

鉤簾宿鷺起,丸藥流鶯囀。

簾を鈎の留め金にまきあげ、江にとまっている白鷺がたちあがって飛んでゆくのをみるし、薬を粉に挽いて丸薬を作っていると、その時の音に呼応して鶯が啼く。

○鉤簾 すだれを巻いてかざに上すこと。

○丸薬 薬草を乾かして磨り潰し、まるめて丸薬をつくること。その時の音に呼応して鶯が啼く。

 

呼婢取酒壺,續兒誦《文選》。

また下女を呼んで酒壷をもって来させたりし、こどもらには毎日「文選」を誦読させ、前日のあとをつづけさせるのである。これがいまの自分の近状である。

○婢 1 女の召使い。下女。はしため。「婢僕/下婢・官婢・侍婢・奴婢(どひ・ぬひ)・僕婢」2 女性が自分をへりくだっていう語。「婢子」

○続児諦文選 「文選」は梁の昭明太子の撰する所、詩篇、賦篇と文章編を集めた書の名。児童に毎日これを誦読させ、前日のあとをつづけさせるのである。

『文選』(もんぜん)は、中国南北朝時代、南朝梁の昭明太子によって編纂された詩文集。全30巻。春秋戦国時代から梁までの文学者131名による賦・詩・文章800余りの作品を、37のジャンルに分類して収録する。隋唐以前を代表する文学作品の多くを網羅しており、中国古典文学の研究者にとって必読書とされる。収録作品のみならず、昭明太子自身による序文も六朝時代の文学史論として高く評価される。

 

晚交嚴明府,矧此數相見。

このような晩年になってから厳明府と交際することになり、まして昨今のようにたびたび面会できることは、ますます以てよろこばしい限りであります。

 

 

水閣朝霽、奉簡雲安厳明府

東城抱春岑,江閣鄰石面。崔嵬晨雲白,朝旭射芳甸。

雨檻臥花叢,風床展書卷。鉤簾宿鷺起,丸藥流鶯囀。

呼婢取酒壺,續兒誦文選。晚交嚴明府,矧此數相見。

 

 

 

(水閣の朝霽に雲安の厳明府に簡し奉る)〔雲安の嚴明府〕

東城 春草を抱く、江閣 石面に隣る。

崔嵬晨雲白く、朝旭芳甸を射る。

雨檻 花叢に臥し、風床書巻を展ぶ。

簾を鉤すれば宿鷺起こり、薬を丸にすれば流鶯囀る。

婢を呼びて酒壷を取らしめ、児に続しめて文選を婢せしむ。

晩に厳明府に交わる、矧や此に数々相見るをや。

766年大暦元年55歲-3-5 《客居 -#5》 杜甫index-15 杜甫<866ー#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5125

杜甫《客居 -#5》堯舜の時代の稷と契のような賢臣であれば仕事をするのになんら難しいことはないのだが、犬戎のような異民族の輩に、どうしてあんなにも容易く併呑されなければならないのであろうか。

 
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766年大暦元年55-3-5 《客居 -#5》 杜甫index-15 杜甫<866ー#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5125 杜甫詩1500-866ー#5-1196/2500766年大暦元年55-3-5

 

 

年:766年大曆元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    客居

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

 

 

客居#1

(雲安の寓居において、思いつくことを述べたもの)

客居所居堂,前江後山根。

旅の途中で持病の療養をするために雲安の寓居を居室としたが、その家の前は長江の流れがあり、後ろは、山の根元に建っている。

下塹萬尋岸,蒼濤鬱飛翻。

すぐ下には運河堀があり、一万尋の崖があり、本流には深緑の大波が断ち、盛んに翻っている。

蔥青眾木梢,邪豎雜石痕。

青青と盛んに繁り、おおくのこずえにはがしげっている。よこたてななめに石痕が入り混じっているのだ。

子規晝夜啼,壯士斂精魂。

ホトトギスが昼も夜も泣いているし、この泣き声を聞いていると、どんなに勇壮な武士であっても、その意気盛んな精魂を次第に失っていくのである。

(客居)

客居は居る所の堂,前には江 後には山根。

下塹は 萬尋の岸,蒼濤は鬱として飛翻す。

蔥青なり 眾木の梢,邪豎【じゃじゅ】石痕雜わる。

子規 晝夜啼く,壯士 精魂を斂【おさ】む。

 

#2

峽開四千里,水合數百源。

三峡を下ってからでも海洋まで4000里もあるし、数百の河川支流、源流があつまってながれるのである。

人虎相半居,相傷終兩存。

人と虎とが半分半分に棲んでいるのであるが、互いに傷害せしめながらも両方とも一緒に生存している。

蜀麻久不來,鹽擁荊門。

近頃、上流から蜀の麻が久しく来ず、下流では呉の塩が荊門の辺りで止められている。

西南失大將,商旅自星奔。

都の西南にある成都では大将(郭英乂)を失ったので、商人旅人は自然にみだれて逃げる。

峽は開く 四千里,水は合す 數百源。

人虎 相い半ばして居る,相い傷みても終に兩存す。

蜀麻 久しく來らず,鹽【ごえん】荊門を擁せらる。

西南 大將を失う,商旅 自ら星奔す。

 

#3

今又降元戎,已聞動行軒。

今、また元帥の杜鴻漸が成都に遣わされたというし、既に馬車が出発ということを聞いた。

舟子候利涉,亦憑節制尊。

舟人らは都合よく長江を行き交うことが出来ているだろうか、あるいはまた、これができれば、この事は軍権を尊くしていることによるものである。

我在路中央,生理不得論。

自分は今荊州に行く旅の途中であるが、暮らし向きの事は相変わらず安心できる方法が得られてはいない。

臥愁病廢,徐步視小園。

病気療養で寝たきりだと、足が役に立たくなることを心配していて、そろそろ歩むことを小さい中庭を眺めることにするのである。

#3

今 又た元戎を降す,已に聞く「行軒を動かす。」と。

舟子 利涉を候【うかが】う,亦た憑る 節制の尊。

我 路の中央に在り,生理 論ずるを得ず。

臥して愁う 病 廢するを,徐步して 小園を視る。

 

#4

短畦帶碧草,悵望思王孫。

そこには短いあぜ道があり、緑の草が帯状に満ちの両脇に生えていて、王孫が朝廷の参列の中を歩いて行くように思えてならない。

鳳隨其皇去,籬雀暮喧繁。

王孫ばかりではなく私ら夫婦も鳳に凰が随行して都を去っていったし、しかも、そこに、籬の雀がピーチクパーチク喧しく囀っている。

覽物想故國,十年別荒村。

成都を去ってからは見るもの聞くもの、すべて故郷を思い出すことばかり、もうかれこれ十年にもなり、荒れた我が村と分かれているのだ。

日暮歸幾翼,北林空自昏。

日暮れれば幾羽の鳥たちは塒に帰るものだ。ここの庭の北林の空しさを見るにつけ、自分の故郷の空しさ暗さを思うのである。

短畦 碧草を帶び,悵望 王孫を思う。

鳳 其の皇を隨えて去り,籬雀 暮に喧繁なり。

物を覽て故國を想い,十年 荒村に別る。

日暮 幾翼か歸り,北林 空しく自ら昏し。

 

#5

安得覆八溟,為君洗乾坤。

どうしたら、八方の大海の水をひっくり返して、わが君のために天と地を洗い清めることができるのだろう。

稷契易為力,犬戎何足吞。

堯舜の時代の稷と契のような賢臣であれば仕事をするのになんら難しいことはないのだが、犬戎のような異民族の輩に、どうしてあんなにも容易く併呑されなければならないのであろうか。

儒生老無成,臣子憂四番。

儒者を自認している自分としては江と詩を採って何もできなくなっていることが悔しいのだし、今となっては、家臣であったひとりとして、四方の国境の守りを心配するだけなのだ。

篋中有舊筆,情至時復援。

だからこうして、いま、自分が湧いてきた感情を著すために、篋に収めた使い古しの筆を出して述べているのである。

安んぞ得ん 八溟を覆し,君が為に 乾坤を洗うことを。

稷契は力を為し易し,犬戎 何ぞ吞むに足らん。

儒生 老いて成る無し,臣子 四番を憂う。

篋中 舊筆有り,情 至りて 時に復た援く。

 

 

『客居』 現代語訳と訳註解説

(本文) #5

安得覆八溟,為君洗乾坤。

稷契易為力,犬戎何足吞。

儒生老無成,臣子憂四番。

篋中有舊筆,情至時復援。

 

(下し文) #5

安んぞ得ん 八溟を覆し,君が為に 乾坤を洗うことを。

稷契は力を為し易し,犬戎 何ぞ吞むに足らん。

儒生 老いて成る無し,臣子 四番を憂う。

篋中 舊筆有り,情 至りて 時に復た援く。

 

(現代語訳)

どうしたら、八方の大海の水をひっくり返して、わが君のために天と地を洗い清めることができるのだろう。

堯舜の時代の稷と契のような賢臣であれば仕事をするのになんら難しいことはないのだが、犬戎のような異民族の輩に、どうしてあんなにも容易く併呑されなければならないのであろうか。

儒者を自認している自分としては江と詩を採って何もできなくなっていることが悔しいのだし、今となっては、家臣であったひとりとして、四方の国境の守りを心配するだけなのだ。

だからこうして、いま、自分が湧いてきた感情を著すために、篋に収めた使い古しの筆を出して述べているのである。

安史の乱当時の勢力図 

(訳注) #5

客居

(雲安の寓居において、思いつくことを述べたもの)

766年大曆元年55の三月頃の作。

 

安得覆八溟,為君洗乾坤。

どうしたら、八方の大海の水をひっくり返して、わが君のために天と地を洗い清めることができるのだろう。

為君洗乾坤 わが君のために天と地を洗い清めることができる。杜甫は、758年房琯弁護の発言ではっきりしたように天子を取り巻く奸臣(賀蘭進明・第五琦)と宦官とを一掃しないといけないと思っている。これらについては

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758年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(9) 杜甫index-14 764 房琯関連 1-(9) 杜甫<1502-9 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4385 杜甫詩1500-1502-9-1048/2500

等には詳しく述べている。

 

稷契易為力,犬戎何足吞。

堯舜の時代の稷と契のような賢臣であれば仕事をするのになんら難しいことはないのだが、犬戎のような異民族の輩に、どうしてあんなにも容易く併呑されなければならないのであろうか。

稷契(稷 堯舜に仕えた稷と(契)、二人の名臣で、稷は農業をつかさどり、契は教育をつかさどった。

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (18) Q-5-#5 杜甫 <1509-18 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4315 杜甫詩1500-1509-18-1034/2500index-21

犬戎何足吞 このころ、回紇、吐蕃、南韶、等、唐を取り巻く外敵から侵略されている。

 

儒生老無成,臣子憂四番。

儒者を自認している自分としては江と詩を採って何もできなくなっていることが悔しいのだし、今となっては、家臣であったひとりとして、四方の国境の守りを心配するだけなのだ。

憂四番 四方の国境の守りを心配する。番は防御する。籬。つまり、国境の守りを心配する。

 

篋中有舊筆,情至時復援。

だからこうして、いま、自分が湧いてきた感情を著すために、篋に収めた使い古しの筆を出して述べているのである。

情至 感情の生じた時。

援【ひ】く 筆を持ってかくこと。
三者の思惑が合致 

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杜甫《客居 -#4》そこには短いあぜ道があり、緑の草が帯状に満ちの両脇に生えていて、王孫が朝廷の参列の中を歩いて行くように思えてならない。王孫ばかりではなく私ら夫婦も鳳に凰が随行して都を去っていったし、しかも、そこに、籬の雀がピーチクパーチク喧しく囀っている。

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766年大暦元年55-3-4 《客居 -#4》 杜甫index-15 杜甫<866ー#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5120


杜甫詩
1500-866ー#4-1195/2500766年大暦元年55-3-4

 

年:766年大曆元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    客居

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

 

 

客居#1

(雲安の寓居において、思いつくことを述べたもの)

客居所居堂,前江後山根。

旅の途中で持病の療養をするために雲安の寓居を居室としたが、その家の前は長江の流れがあり、後ろは、山の根元に建っている。

下塹萬尋岸,蒼濤鬱飛翻。

すぐ下には運河堀があり、一万尋の崖があり、本流には深緑の大波が断ち、盛んに翻っている。

蔥青眾木梢,邪豎雜石痕。

青青と盛んに繁り、おおくのこずえにはがしげっている。よこたてななめに石痕が入り混じっているのだ。

子規晝夜啼,壯士斂精魂。

ホトトギスが昼も夜も泣いているし、この泣き声を聞いていると、どんなに勇壮な武士であっても、その意気盛んな精魂を次第に失っていくのである。

(客居)

客居は居る所の堂,前には江 後には山根。

下塹は 萬尋の岸,蒼濤は鬱として飛翻す。

蔥青なり 眾木の梢,邪豎【じゃじゅ】石痕雜わる。

子規 晝夜啼く,壯士 精魂を斂【おさ】む。

 

#2

峽開四千里,水合數百源。

三峡を下ってからでも海洋まで4000里もあるし、数百の河川支流、源流があつまってながれるのである。

人虎相半居,相傷終兩存。

人と虎とが半分半分に棲んでいるのであるが、互いに傷害せしめながらも両方とも一緒に生存している。

蜀麻久不來,鹽擁荊門。

近頃、上流から蜀の麻が久しく来ず、下流では呉の塩が荊門の辺りで止められている。

西南失大將,商旅自星奔。

都の西南にある成都では大将(郭英乂)を失ったので、商人旅人は自然にみだれて逃げる。

峽は開く 四千里,水は合す 數百源。

人虎 相い半ばして居る,相い傷みても終に兩存す。

蜀麻 久しく來らず,鹽【ごえん】荊門を擁せらる。

西南 大將を失う,商旅 自ら星奔す。

 

#3

今又降元戎,已聞動行軒。

今、また元帥の杜鴻漸が成都に遣わされたというし、既に馬車が出発ということを聞いた。

舟子候利涉,亦憑節制尊。

舟人らは都合よく長江を行き交うことが出来ているだろうか、あるいはまた、これができれば、この事は軍権を尊くしていることによるものである。

我在路中央,生理不得論。

自分は今荊州に行く旅の途中であるが、暮らし向きの事は相変わらず安心できる方法が得られてはいない。

臥愁病廢,徐步視小園。

病気療養で寝たきりだと、足が役に立たくなることを心配していて、そろそろ歩むことを小さい中庭を眺めることにするのである。

#3

今 又た元戎を降す,已に聞く「行軒を動かす。」と。

舟子 利涉を候【うかが】う,亦た憑る 節制の尊。

我 路の中央に在り,生理 論ずるを得ず。

臥して愁う 病 廢するを,徐步して 小園を視る。

 

#4

短畦帶碧草,悵望思王孫。

そこには短いあぜ道があり、緑の草が帯状に満ちの両脇に生えていて、王孫が朝廷の参列の中を歩いて行くように思えてならない。

鳳隨其皇去,籬雀暮喧繁。

王孫ばかりではなく私ら夫婦も鳳に凰が随行して都を去っていったし、しかも、そこに、籬の雀がピーチクパーチク喧しく囀っている。

覽物想故國,十年別荒村。

成都を去ってからは見るもの聞くもの、すべて故郷を思い出すことばかり、もうかれこれ十年にもなり、荒れた我が村と分かれているのだ。

日暮歸幾翼,北林空自昏。

日暮れれば幾羽の鳥たちは塒に帰るものだ。ここの庭の北林の空しさを見るにつけ、自分の故郷の空しさ暗さを思うのである。

短畦 碧草を帶び,悵望 王孫を思う。

鳳 其の皇を隨えて去り,籬雀 暮に喧繁なり。

物を覽て故國を想い,十年 荒村に別る。

日暮 幾翼か歸り,北林 空しく自ら昏し。

#5

安得覆八溟,為君洗乾坤。

稷契易為力,犬戎何足吞。

儒生老無成,臣子憂四番。

篋中有舊筆,情至時復援。

唐時代 地図山南 東・西道50 

 

『客居』 現代語訳と訳註解説

(本文)#4

短畦帶碧草,悵望思王孫。

鳳隨其皇去,籬雀暮喧繁。

覽物想故國,十年別荒村。

日暮歸幾翼,北林空自昏。

 

(下し文)#4

短畦 碧草を帶び,悵望 王孫を思う。

鳳 其の皇を隨えて去り,籬雀 暮に喧繁なり。

物を覽て故國を想い,十年 荒村に別る。

日暮 幾翼か歸り,北林 空しく自ら昏し。

 

(現代語訳)

そこには短いあぜ道があり、緑の草が帯状に満ちの両脇に生えていて、王孫が朝廷の参列の中を歩いて行くように思えてならない。

王孫ばかりではなく私ら夫婦も鳳に凰が随行して都を去っていったし、しかも、そこに、籬の雀がピーチクパーチク喧しく囀っている。

成都を去ってからは見るもの聞くもの、すべて故郷を思い出すことばかり、もうかれこれ十年にもなり、荒れた我が村と分かれているのだ。

日暮れれば幾羽の鳥たちは塒に帰るものだ。ここの庭の北林の空しさを見るにつけ、自分の故郷の空しさ暗さを思うのである。

瞿塘峡001 

(訳注)#4

客居

(雲安の寓居において、思いつくことを述べたもの)

766年大曆元年55の三月頃の作。

 

短畦帶碧草,悵望思王孫。

そこには短いあぜ道があり、緑の草が帯状に満ちの両脇に生えていて、王孫が朝廷の参列の中を歩いて行くように思えてならない。

短畦 短いあぜ道。零落れた王孫が歩く絨毯の道。杜甫も朝廷に上ったことがあるので登朝の際の絨毯の道のようであるということ。

悵望 心をいためて思いやること。うらめしげに見やること。

王孫 ① 王の子孫。また,貴族の後裔(こうえい)。 ツクバネソウの異名。

 

鳳隨其皇去,籬雀暮喧繁。

王孫ばかりではなく私ら夫婦も鳳に凰が随行して都を去っていったし、しかも、そこに、籬の雀がピーチクパーチク喧しく囀っている。

鳳隨其皇去 私ら夫婦も鳳に凰が随行して都を去っていった。

籬雀 籬の雀

 

覽物想故國,十年別荒村。

成都を去ってからは見るもの聞くもの、すべて故郷を思い出すことばかり、もうかれこれ十年にもなり、荒れた我が村と分かれているのだ。

覽物 成都を去ってからは見るもの聞くもの、すべてのできごと。

故國 長安洛陽、偃師、鄜州羌村をいう。

十年 757年至徳二年6月房琯を擁護したため、鄜州羌村の家族のもとで謹慎、11月家族とともに長安に帰り妻の故郷を離れた。

別荒村 手入れをしていない

 

日暮歸幾翼,北林空自昏。

日暮れれば幾羽の鳥たちは塒に帰るものだ。ここの庭の北林の空しさを見るにつけ、自分の故郷の空しさ暗さを思うのである。

幾翼 夕方に自分の巣へ帰って行く幾羽の鳥たち。

北林 長安洛陽は北にある、ここの小園の北側の林を見ていう。県令の厳某に頼んで借り受けた小閣の庭。
巫山十二峰002 

766年大暦元年55歲-3-3 《客居 -#3》 杜甫index-15 杜甫<866ー#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5115

杜甫《客居 -#3》自分は今荊州に行く旅の途中であるが、暮らし向きの事は相変わらず安心できる方法が得られてはいない。病気療養で寝たきりだと、足が役に立たくなることを心配していて、そろそろ歩むことを小さい中庭を眺めることにするのである。

 
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766年大暦元年55-3-3 《客居 -#3》 杜甫index-15 杜甫<866ー#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5115

 

 

杜甫詩1500-866ー#3-1194/2500766年大暦元年55-3-3

 

年:766年大曆元年55

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詩題:    客居

詩序:   

寫作地點:           雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

 

 

 

年:766年大曆元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    客居

詩序:   

寫作地點:           雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

 

 

客居#1

客居所居堂,前江後山根。

下塹萬尋岸,蒼濤鬱飛翻。

蔥青眾木梢,邪豎雜石痕。

子規晝夜啼,壯士斂精魂。

(雲安の寓居において、思いつくことを述べたもの)

旅の途中で持病の療養をするために雲安の寓居を居室としたが、その家の前は長江の流れがあり、後ろは、山の根元に建っている。

すぐ下には運河堀があり、一万尋の崖があり、本流には深緑の大波が断ち、盛んに翻っている。

青青と盛んに繁り、おおくのこずえにはがしげっている。よこたてななめに石痕が入り混じっているのだ。

ホトトギスが昼も夜も泣いているし、この泣き声を聞いていると、どんなに勇壮な武士であっても、その意気盛んな精魂を次第に失っていくのである。

(客居)

客居は居る所の堂,前には江 後には山根。

下塹は 萬尋の岸,蒼濤は鬱として飛翻す。

蔥青なり 眾木の梢,邪豎【じゃじゅ】石痕雜わる。

子規 晝夜啼く,壯士 精魂を斂【おさ】む。

 

#2

峽開四千里,水合數百源。

人虎相半居,相傷終兩存。

蜀麻久不來,鹽擁荊門。

西南失大將,商旅自星奔。

三峡を下ってからでも海洋まで4000里もあるし、数百の河川支流、源流があつまってながれるのである。

人と虎とが半分半分に棲んでいるのであるが、互いに傷害せしめながらも両方とも一緒に生存している。

近頃、上流から蜀の麻が久しく来ず、下流では呉の塩が荊門の辺りで止められている。

都の西南にある成都では大将(郭英乂)を失ったので、商人旅人は自然にみだれて逃げる。

峽は開く 四千里,水は合す 數百源。

人虎 相い半ばして居る,相い傷みても終に兩存す。

蜀麻 久しく來らず,鹽【ごえん】荊門を擁せらる。

西南 大將を失う,商旅 自ら星奔す。

 

#3

今又降元戎,已聞動行軒。

舟子候利涉,亦憑節制尊。

我在路中央,生理不得論。

臥愁病廢,徐步視小園。

今、また元帥の杜鴻漸が成都に遣わされたというし、既に馬車が出発ということを聞いた。

舟人らは都合よく長江を行き交うことが出来ているだろうか、あるいはまた、これができれば、この事は軍権を尊くしていることによるものである。

自分は今荊州に行く旅の途中であるが、暮らし向きの事は相変わらず安心できる方法が得られてはいない。

病気療養で寝たきりだと、足が役に立たくなることを心配していて、そろそろ歩むことを小さい中庭を眺めることにするのである。

#3

今 又た元戎を降す,已に聞く「行軒を動かす。」と。

舟子 利涉を候【うかが】う,亦た憑る 節制の尊。

我 路の中央に在り,生理 論ずるを得ず。

臥して愁う 病 廢するを,徐步して 小園を視る。

komichi03 

#4

短畦帶碧草,悵望思王孫。

鳳隨其皇去,籬雀暮喧繁。

覽物想故國,十年別荒村。

日暮歸幾翼,北林空自昏。

#5

安得覆八溟,為君洗乾坤。

稷契易為力,犬戎何足吞。

儒生老無成,臣子憂四番。

篋中有舊筆,情至時復援。

 

 

『客居』 現代語訳と訳註解説

(本文)#3

今又降元戎,已聞動行軒。

舟子候利涉,亦憑節制尊。

我在路中央,生理不得論。

臥愁病廢,徐步視小園。

 

(下し文) #3

今 又た元戎を降す,已に聞く「行軒を動かす。」と。

舟子 利涉を候【うかが】う,亦た憑る 節制の尊。

我 路の中央に在り,生理 論ずるを得ず。

臥して愁う 病 廢するを,徐步して 小園を視る。

 

(現代語訳)

今、また元帥の杜鴻漸が成都に遣わされたというし、既に馬車が出発ということを聞いた。

舟人らは都合よく長江を行き交うことが出来ているだろうか、あるいはまた、これができれば、この事は軍権を尊くしていることによるものである。

自分は今荊州に行く旅の途中であるが、暮らし向きの事は相変わらず安心できる方法が得られてはいない。

病気療養で寝たきりだと、足が役に立たくなることを心配していて、そろそろ歩むことを小さい中庭を眺めることにするのである。

aki010 

(訳注) #3

客居

(雲安の寓居において、思いつくことを述べたもの)

766年大曆元年55の三月頃の作。

 

今又降元戎,已聞動行軒。

今、また元帥の杜鴻漸が成都に遣わされたというし、既に馬車が出発ということを聞いた。

今又 この詩を作った時期をいう。

降元戎 帥の杜鴻漸が成都に遣わされた。

動行軒 旅行に出る馬車が出発ということ

 

舟子候利涉,亦憑節制尊。

舟人らは都合よく長江を行き交うことが出来ているだろうか、あるいはまた、これができれば、この事は軍権を尊くしていることによるものである。

舟子 舟人

候利涉 都合よく長江を行き交うことが出来ているだろうか

憑 おかげ。

節制尊 元帥が軍事を差配することをだれもが尊重すること。

 

我在路中央,生理不得論。

自分は今荊州に行く旅の途中であるが、暮らし向きの事は相変わらず安心できる方法が得られてはいない。

路中央 荊州に行く旅の途中であること。

生理 暮らし向きの事。

 

臥愁病廢,徐步視小園。

病気療養で寝たきりだと、足が役に立たくなることを心配していて、そろそろ歩むことを小さい中庭を眺めることにするのである。

廢 病気療養で寝たきりだと、足が役に立たくなること。

小園 小さい中庭。
隋堤01 

766年大暦元年55歲-3-2 《客居 -#2》 杜甫index-15 杜甫<866ー#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5110

杜甫《客居 -#2》近頃、上流から蜀の麻が久しく来ず、下流では呉の塩が荊門の辺りで止められている。都の西南にある成都では大将(郭英乂)を失ったので、商人旅人は自然にみだれて逃げる。

 
 2014年11月13日の紀頌之5つのブログ 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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766年大暦元年55-3-2 《客居 -#2》 杜甫index-15 杜甫<866ー#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5110

 

 

杜甫詩1500-866ー#2-1193/2500766年大暦元年55-3-2

 

年:766年大曆元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

杜少陵集 巻十四
詩題:
    客居

作地點:           雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

 

 

客居#1

(雲安の寓居において、思いつくことを述べたもの)

客居所居堂,前江後山根。

旅の途中で持病の療養をするために雲安の寓居を居室としたが、その家の前は長江の流れがあり、後ろは、山の根元に建っている。

下塹萬尋岸,蒼濤鬱飛翻。

すぐ下には運河堀があり、一万尋の崖があり、本流には深緑の大波が断ち、盛んに翻っている。

蔥青眾木梢,邪豎雜石痕。

青青と盛んに繁り、おおくのこずえにはがしげっている。よこたてななめに石痕が入り混じっているのだ。

子規晝夜啼,壯士斂精魂。

ホトトギスが昼も夜も泣いているし、この泣き声を聞いていると、どんなに勇壮な武士であっても、その意気盛んな精魂を次第に失っていくのである。

(客居)

客居は居る所の堂,前には江 後には山根。

下塹は 萬尋の岸,蒼濤は鬱として飛翻す。

蔥青なり 眾木の梢,邪豎【じゃじゅ】石痕雜わる。

子規 晝夜啼く,壯士 精魂を斂【おさ】む。

 

#2

峽開四千里,水合數百源。

三峡を下ってからでも海洋まで4000里もあるし、数百の河川支流、源流があつまってながれるのである。

人虎相半居,相傷終兩存。

人と虎とが半分半分に棲んでいるのであるが、互いに傷害せしめながらも両方とも一緒に生存している。

蜀麻久不來,鹽擁荊門。

近頃、上流から蜀の麻が久しく来ず、下流では呉の塩が荊門の辺りで止められている。

西南失大將,商旅自星奔。

都の西南にある成都では大将(郭英乂)を失ったので、商人旅人は自然にみだれて逃げる。

峽は開く 四千里,水は合す 數百源。

人虎 相い半ばして居る,相い傷みても終に兩存す。

蜀麻 久しく來らず,鹽【ごえん】荊門を擁せらる。

西南 大將を失う,商旅 自ら星奔す。

 

#3

今又降元戎,已聞動行軒。

舟子候利涉,亦憑節制尊。

我在路中央,生理不得論。

臥愁病廢,徐步視小園。

#4

短畦帶碧草,悵望思王孫。

鳳隨其皇去,籬雀暮喧繁。

覽物想故國,十年別荒村。

日暮歸幾翼,北林空自昏。

#5

安得覆八溟,為君洗乾坤。

稷契易為力,犬戎何足吞。

儒生老無成,臣子憂四番。

篋中有舊筆,情至時復援。

 

瞿塘峡001 

『客居』 現代語訳と訳註解説

(本文) #2

峽開四千里,水合數百源。

人虎相半居,相傷終兩存。

蜀麻久不來,鹽擁荊門。

西南失大將,商旅自星奔。

 

(下し文) #2

峽は開く 四千里,水は合す 數百源。

人虎 相い半ばして居る,相い傷みても終に兩存す。

蜀麻 久しく來らず,鹽【ごえん】荊門を擁せらる。

西南 大將を失う,商旅 自ら星奔す。

 

(現代語訳)

三峡を下ってからでも海洋まで4000里もあるし、数百の河川支流、源流があつまってながれるのである。

人と虎とが半分半分に棲んでいるのであるが、互いに傷害せしめながらも両方とも一緒に生存している。

近頃、上流から蜀の麻が久しく来ず、下流では呉の塩が荊門の辺りで止められている。

都の西南にある成都では大将(郭英乂)を失ったので、商人旅人は自然にみだれて逃げる。

 

唐時代 地図山南 東・西道50 

(訳注) #2

客居

(雲安の寓居において、思いつくことを述べたもの)

766年大曆元年55の三月頃の作。

 

峽開四千里,水合數百源。

三峡を下ってからでも海洋まで4000里もあるし、数百の河川支流、源流があつまってながれるのである。

峽開四千里 三峡を下ってからでも海洋まで4000

水合數百源 数百の河川支流、源流があつまってながれる

 

人虎相半居,相傷終兩存。

人と虎とが半分半分に棲んでいるのであるが、互いに傷害せしめながらも両方とも一緒に生存している。

・兩存 人と虎とが半分半分共存して棲んでいる

 

蜀麻久不來,鹽擁荊門。

近頃、上流から蜀の麻が久しく来ず、下流では呉の塩が荊門の辺りで止められている。

・蜀麻 蜀の麻。

鹽 呉の塩。

・荊門 荊州の門のように存在する山の名。

 

西南失大將,商旅自星奔。

都の西南にある成都では大将(郭英乂)を失ったので、商人旅人は自然にみだれて逃げる。

・西南 成都のこと。

・失大將 大将は、剣南西川節度使の郭英乂を指す。

・商旅 商人、旅人・旅客者。

・星奔 星が散るように離散すること。

766年大暦元年55歲-3-1 《客居 -#1》 杜甫index-15 杜甫<866ー#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5105

杜甫《客居 -#1》旅の途中で持病の療養をするために雲安の寓居を居室としたが、その家の前は長江の流れがあり、後ろは、山の根元に建っている。

すぐ下には運河堀があり、一万尋の崖があり、本流には深緑の大波が断ち、盛んに翻っている。

 

 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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766年大暦元年55-3-1 《客居 -#1》 杜甫index-15 杜甫<866ー#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5105


杜甫詩
1500-866ー#1-1192/2500766年大暦元年55-3-1

 

年:766年大曆元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

杜少陵集 巻十四
詩題:
    客居

作地點:           雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

 

 

客居#1

(雲安の寓居において、思いつくことを述べたもの)

客居所居堂,前江後山根。

旅の途中で持病の療養をするために雲安の寓居を居室としたが、その家の前は長江の流れがあり、後ろは、山の根元に建っている。

下塹萬尋岸,蒼濤鬱飛翻。

すぐ下には運河堀があり、一万尋の崖があり、本流には深緑の大波が断ち、盛んに翻っている。

蔥青眾木梢,邪豎雜石痕。

青青と盛んに繁り、おおくのこずえにはがしげっている。よこたてななめに石痕が入り混じっているのだ。

子規晝夜啼,壯士斂精魂。

ホトトギスが昼も夜も泣いているし、この泣き声を聞いていると、どんなに勇壮な武士であっても、その意気盛んな精魂を次第に失っていくのである。

(客居)

客居は居る所の堂,前には江 後には山根。

下塹は 萬尋の岸,蒼濤は鬱として飛翻す。

蔥青なり 眾木の梢,邪豎【じゃじゅ】石痕雜わる。

子規 晝夜啼く,壯士 精魂を斂【おさ】む。

#2

峽開四千里,水合數百源。

人虎相半居,相傷終兩存。

蜀麻久不來,鹽擁荊門。

西南失大將,商旅自星奔。

#3

今又降元戎,已聞動行軒。

舟子候利涉,亦憑節制尊。

我在路中央,生理不得論。

臥愁病廢,徐步視小園。

#4

短畦帶碧草,悵望思王孫。

鳳隨其皇去,籬雀暮喧繁。

覽物想故國,十年別荒村。

日暮歸幾翼,北林空自昏。

#5

安得覆八溟,為君洗乾坤。

稷契易為力,犬戎何足吞。

儒生老無成,臣子憂四番。

篋中有舊筆,情至時復援。

 

             

客居所居堂,前江後山根。下塹萬尋岸,蒼濤鬱飛翻。

蔥青眾木梢,邪豎雜石痕。子規晝夜啼,壯士斂精魂。

(含異文)

峽開四千里,水合數百源。人虎相半居,相傷終兩存。

蜀麻久不來,鹽擁荊門。西南失大將【案:謂郭英乂為崔旰所殺。】,商旅自星奔。

(含異文)

今又降元戎【案:時以杜鴻漸為蜀帥。】,已聞動行軒。舟子候利涉,亦憑節制尊。

我在路中央,生理不得論。臥愁病廢,徐步視小園。

(含異文)

短畦帶碧草,悵望思王孫。鳳隨其皇去,籬雀暮喧繁。

覽物想故國,十年別荒村【十年別村】。日暮歸幾翼,北林空自昏。

(含異文)

安得覆八溟,為君洗乾坤。稷契易為力,犬戎何足吞。

儒生老無成,臣子憂四番【臣子憂四藩】【臣子憂思翻】。篋中有舊筆,情至時復援。

 

 唐時代 地図山南 東・西道50

『客居』 現代語訳と訳註解説

(本文) #1

客居所居堂,前江後山根。

下塹萬尋岸,蒼濤鬱飛翻。

蔥青眾木梢,邪豎雜石痕。

子規晝夜啼,壯士斂精魂。

 

(下し文) #1

(客居)

客居は居る所の堂,前には江 後には山根。

下塹は 萬尋の岸,蒼濤は鬱として飛翻す。

蔥青なり 眾木の梢,邪豎【じゃじゅ】石痕雜わる。

子規 晝夜啼く,壯士 精魂を斂【おさ】む。

 

(現代語訳)

(雲安の寓居において、思いつくことを述べたもの)

旅の途中で持病の療養をするために雲安の寓居を居室としたが、その家の前は長江の流れがあり、後ろは、山の根元に建っている。

すぐ下には運河堀があり、一万尋の崖があり、本流には深緑の大波が断ち、盛んに翻っている。

青青と盛んに繁り、おおくのこずえにはがしげっている。よこたてななめに石痕が入り混じっているのだ。

ホトトギスが昼も夜も泣いているし、この泣き声を聞いていると、どんなに勇壮な武士であっても、その意気盛んな精魂を次第に失っていくのである。

 

蜀中転々圖 

(訳注) #1

客居

(雲安の寓居において、思いつくことを述べたもの)

766年大曆元年55の三月頃の作。

 

客居所居堂,前江後山根。

旅の途中で持病の療養をするために雲安の寓居を居室としたが、その家の前は長江の流れがあり、後ろは、山の根元に建っている。

客居 雲安の寓居

 

下塹萬尋岸,蒼濤鬱飛翻。

すぐ下には運河堀があり、一万尋の崖があり、本流には深緑の大波が断ち、盛んに翻っている。

下塹 すぐ下に運河堀がある。

萬尋 ・尋:中国古代の長さの単位である。 元々は、大人が両手を一杯に広げた長さとして定義された身体尺である。 一般には8尺を指したとされる。後世には使われることはなくなった。

 

蔥青眾木梢,邪豎雜石痕。

青青と盛んに繁り、おおくのこずえにはがしげっている。よこたてななめに石痕が入り混じっているのだ。

蔥青 草木の青い目を出すことをいう。青青と盛んに繁るさま。ねぎの葉。

邪豎 よこたてななめ。

雜石痕 石痕が入り混じる。

 

子規晝夜啼,壯士斂精魂。

ホトトギスが昼も夜も泣いているし、この泣き声を聞いていると、どんなに勇壮な武士であっても、その意気盛んな精魂を次第に失っていくのである。

斂精魂 意気盛んな精魂を次第に失っていく。

 

十二月一日,三首之一

今朝臘月春意動,雲安縣前江可憐。

一聲何處送書雁,百丈誰家上水船。

未將梅蕊驚愁眼,要取楸花媚遠天。

明光起草人所羨,肺病幾時朝日邊。

765年永泰元年54-43 《十二月一日,三首之一》 杜甫index-15 杜甫<843 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4950 杜甫詩1500-843-1161/2500765年永泰元年54-43

十二月一日,三首之二

寒輕市上山煙碧,日滿樓前江霧黃。

負鹽出井此谿女,打鼓發船何郡郎。

新亭舉目風景切,茂陵著書消渴長。

春花不愁不爛漫,楚客唯聽棹相將。

765年永泰元年54-44 《十二月一日,三首之二》 杜甫index-15 杜甫<844 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4955 杜甫詩1500-844-1162/2500765年永泰元年54-44

十二月一日,三首之三

即看燕子入山扉,豈有黃鸝歷翠微。

短短桃花臨水岸,輕輕柳絮點人衣。

春來準擬開懷久,老去親知見面稀。

他日一杯難強進,重嗟筋力故山違。

765年永泰元年54-45 《十二月一日,三首之三》 杜甫index-15 杜甫<845 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4960 杜甫詩1500-845-1163/2500

又雪

南雪不到地,青崖霑未消。

微微向日薄,脈脈去人遙。

冬熱鴛鴦病,峽深豺虎驕。

愁邊有江水,焉得北之朝。

765年永泰元年54-46 《又雪》 杜甫index-15 杜甫<846 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4965 杜甫詩1500-846-1164/2500

 

雲安九日,鄭十八攜酒陪諸公宴

寒花開已盡,菊蕊獨盈枝。

舊摘人頻異,輕香酒暫隨。

地偏初衣裌,山擁更登危。

萬國皆戎馬,酣歌淚欲垂。

765年永泰元年54-51 《雲安九日,鄭十八攜酒陪諸公宴》 杜甫index-15 杜甫<851 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4990

巫山十二峰004 

766年大暦元年55歲-2-3 《杜鵑 -#3》 杜甫index-15 杜甫<865ー#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5100

 
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128 《秋思》Index-8 Ⅱ―3 728年開元十六年28歳 7首 春陽如昨日,<128> Ⅰ李白詩1310 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5098 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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766年大暦元年55-2-3 《杜鵑 -#3》 杜甫index-15 杜甫<865ー#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5100 杜甫詩1500-865ー#3-1191/2500766年大暦元年55-2-3

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    杜鵑

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

及地點:             

劍南西川節度使 (成都) 別名:西川

劍南東川節度使 (梓州) 別名:東川

涪州 (山南西道 涪州 涪州)              

萬州 (山南東道 萬州 萬州)              

雲安 (山南東道 夔州 雲安) 別名:南楚         

 

杜鵑

(杜鵑について感じたことをのべたうた。)

西川有杜鵑,東川無杜鵑。

剣南西部西川には杜鵑が有るが、その東部東川にはいない。

涪萬無杜鵑,雲安有杜鵑。

涪州・万州には杜鵑がいないが、雲安には有る。

我昔遊錦城,結廬錦水邊。

自分はむかし成都の錦官城にあそんで盧を錦江のほとりに結んだ。

有竹一頃餘,喬木上參天。

そこには百畝ばかりの竹林があり喬木はたかく天にまじわるほどである。

#2

杜鵑暮春至,哀哀叫其間。

春の暮になるとほととぎすがやって来てかなしげにその間になきさけんだ。

我見常再拜,重是古帝魂。

自分はそれをみつけるといつも再拝した、それはほととぎすがむかしの蜀の帝王の魂だというからそれを尊重したのである。

生子百鳥巢,百鳥不敢嗔。

ほととぎすはその子を他のいろいろの鳥の巣にうみつけるが、他の鳥はそれをおこらない、

仍為餧其子,禮若奉至尊。

そうしてそのままほととぎすの子に餌をあたえて飼うてやり、これに奉仕する礼のうやうやしさはまるで天子にでもつかえるようである。

鴻雁及羔羊,有禮太古前。

雁と羔とは交際の進物として用いられ、雁や羔も太古には礼に用いられることを知っていた。

行飛與跪乳,識序如知恩。

すなわち雁は行列を為して飛ぶから兄弟長幼の順序を識っており、羔は母親の乳をのむのにひざまずいて飲んで親の恩を知っていた。

聖賢古法則,付與後世傳。

聖人賢人はそこを取って古の礼法を定め進物には卿は票、大夫は雁の贅を用うることとして後世にそれを伝えさせた。

君看禽鳥情,猶解事杜鵑。

諸君見よ、禽獣でさえ杜鵑に事えることをこころえているではないか。

今忽暮春間,我病經年。

ところが忽ち、今、晩春にあたってわたしが長年の持病で苦しんでいる時に、出あったかたと、ここのほととぎすが鳴くのである。

身病不能拜,淚下如迸泉。

杜鵑の声をききつけて、それが皇帝の声だと思ってみても、自分は病気だから成都の時とちがって拝することがもうできはしない、やるせない涙がほとばしり、泉のごとくくだるのである。

(杜鵑)

西川に杜鵑有り、東川に杜鵑無し。

涪万に杜鵑無し、雲安に杜鵑有り。』

我昔 錦城に遊び、庵を結ぶ 錦水の辺。

竹有り一頃余、喬木上天に参わる。

#2

杜鵑 暮春に至る、哀哀 其の間に叫ぶ。

我見て常に再拝す、是れ古帝の魂なるを重んず。

子を生む 百鳥の巣、百鳥 敢てらず。

お 為に其の子にわしむ、礼 至尊に奉ずるが若し。』

#3

鴻雁及び烹羊、礼有り 太古の前。

行飛と跪乳と、序を識り 如恩を知る。

聖賢 古法則、後世に付与して伝えしむ。

君看よ禽鳥の情、猶お杜鵑に事うるを解す。』

今 忽ち暮春の間、値う 我が病みて年を経るに。

身病みて 拝する能わず、涙下りて泉の如し。』

ホトトギス00 

 

『杜鵑』 現代語訳と訳註解説

(本文)

(含異文)

行飛與跪乳,識序如知恩【識序又知恩】。聖賢古法則【聖賢吾法則】,付與後世傳【付之後世傳】。君看禽鳥情,猶解事杜鵑。今忽暮春間,我病經年。身病不能拜,淚下如迸泉。

 

(下し文)#3

鴻雁及び烹羊、礼有り 太古の前。

行飛と跪乳と、序を識り 如恩を知る。

聖賢 古法則、後世に付与して伝えしむ。

君看よ禽鳥の情、猶お杜鵑に事うるを解す。』

今 忽ち暮春の間、値う 我が病みて年を経るに。

身病みて 拝する能わず、涙下りて迸泉の如し。』

 

(現代語訳)

雁と羔とは交際の進物として用いられ、雁や羔も太古には礼に用いられることを知っていた。

すなわち雁は行列を為して飛ぶから兄弟長幼の順序を識っており、羔は母親の乳をのむのにひざまずいて飲んで親の恩を知っていた。

聖人賢人はそこを取って古の礼法を定め進物には卿は票、大夫は雁の贅を用うることとして後世にそれを伝えさせた。

諸君見よ、禽獣でさえ杜鵑に事えることをこころえているではないか。

ところが忽ち、今、晩春にあたってわたしが長年の持病で苦しんでいる時に、出あったかたと、ここのほととぎすが鳴くのである。

杜鵑の声をききつけて、それが皇帝の声だと思ってみても、自分は病気だから成都の時とちがって拝することがもうできはしない、やるせない涙がほとばしり、泉のごとくくだるのである。

 

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766年大暦元年55歲-2-2 《杜鵑 -#2》 杜甫index-15 杜甫<865ー#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5095

杜甫《杜鵑 -#2》春の暮になるとほととぎすがやって来てかなしげにその間になきさけんだ。自分はそれをみつけるといつも再拝した、それはほととぎすがむかしの蜀の帝王の魂だというからそれを尊重したのである。

 
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766年大暦元年55-2-2 《杜鵑 -#2》 杜甫index-15 杜甫<865ー#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5095

杜甫詩1500-865ー#2-1190/2500766年大暦元年55
-2-2

 

 

蚕叢(さんそう)、柏灌(はくかん)、魚鳧(ぎょふ)に次いで蜀(四川省)を治めたとされる中国神話上の蜀王。最後にホトトギスになったという伝説がある。 
 望帝はもとは杜宇(とう)という名の天神だった。天から朱提山(しゅていざん)に降り、江源(こうげん)の井戸の中から現れた利という女を妻とした後、蜀王となって望帝と称した。
 その望帝が百余歳のころ、楚(そ)の国で鼈霊(べつれい)という男が死んだ。ところが、その死体は長江を遡(さかのぼ)り、蜀の都に流れ着いて生き返り、望帝に会いに来た。そこで、望帝は鼈霊を宰相に任命した。おりしも、蜀で大洪水が起こり、鼈霊がまるで禹と同じように活躍し、それを治めた。ところが、この後、望帝は鼈霊の妻と密通してしまい、良心の呵責(かしゃく)にさいなまれて鼈霊に位を譲った。王となった鼈霊は開明帝と称したが、望帝の方は退位後に修行を積んでホトトギスとなり、毎年春が来るたびに鳴いた。蜀の人々はその鳴き声を聞いて望帝をしのんだという。
それを知った杜宇ホトトギスは嘆き悲しみ、「不如帰去」(帰り去くに如かず。帰ることが出来ない。)と鳴きながら血を吐いた。ホトトギスの口が赤いのはそのためだ。
 以上がホトトギスを不如帰、杜宇、杜鵑、蜀魂、蜀鳥、杜魄、蜀魄などと表記するゆえんだ。

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    杜鵑

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

及地點:             

劍南西川節度使 (成都) 別名:西川

劍南東川節度使 (梓州) 別名:東川

涪州 (山南西道 涪州 涪州)              

萬州 (山南東道 萬州 萬州)              

雲安 (山南東道 夔州 雲安) 別名:南楚         

 

杜鵑

(杜鵑について感じたことをのべたうた。)

西川有杜鵑,東川無杜鵑。

剣南西部西川には杜鵑が有るが、その東部東川にはいない。

涪萬無杜鵑,雲安有杜鵑。

涪州・万州には杜鵑がいないが、雲安には有る。

我昔遊錦城,結廬錦水邊。

自分はむかし成都の錦官城にあそんで盧を錦江のほとりに結んだ。

有竹一頃餘,喬木上參天。

そこには百畝ばかりの竹林があり喬木はたかく天にまじわるほどである。

#2

杜鵑暮春至,哀哀叫其間。

春の暮になるとほととぎすがやって来てかなしげにその間になきさけんだ。

我見常再拜,重是古帝魂。

自分はそれをみつけるといつも再拝した、それはほととぎすがむかしの蜀の帝王の魂だというからそれを尊重したのである。

生子百鳥巢,百鳥不敢嗔。

ほととぎすはその子を他のいろいろの鳥の巣にうみつけるが、他の鳥はそれをおこらない、

仍為餧其子,禮若奉至尊。

そうしてそのままほととぎすの子に餌をあたえて飼うてやり、これに奉仕する礼のうやうやしさはまるで天子にでもつかえるようである。#3

鴻雁及羔羊,有禮太古前。

行飛與跪乳,識序如知恩。

聖賢古法則,付與後世傳。

君看禽鳥情,猶解事杜鵑。

今忽暮春間,我病經年。

身病不能拜,淚下如迸泉。

(杜鵑)

西川に杜鵑有り、東川に杜鵑無し。

涪万に杜鵑無し、雲安に杜鵑有り。』

我昔 錦城に遊び、庵を結ぶ 錦水の辺。

竹有り一頃余、喬木上天に参わる。

#2

杜鵑 暮春に至る、哀哀 其の間に叫ぶ。

我見て常に再拝す、是れ古帝の魂なるを重んず。

子を生む 百鳥の巣、百鳥 敢てらず。

お 為に其の子にわしむ、礼 至尊に奉ずるが若し。』

#3

鴻雁及び烹羊、礼有り 太古の前。

行飛と跪乳と、序を識り 如恩を知る。

聖賢 古法則、後世に付与して伝えしむ。

君看よ禽鳥の情、猶お杜鵑に事うるを解す。』

今 忽ち暮春の間、値う 我が病みて年を経るに。

身病みて 拝する能わず、涙下りて泉の如し。』

華州から秦州同谷成都00 

 

『杜鵑』 現代語訳と訳註解説

(本文) #2

杜鵑暮春至,哀哀叫其間。

我見常再拜,重是古帝魂。

生子百鳥巢,百鳥不敢嗔。

仍為餧其子,禮若奉至尊。

 

(含異文)

杜鵑暮春至,哀哀叫其間。我見常再拜,重是古帝魂。生子百鳥巢,百鳥不敢嗔【百鳥不敢喧】。仍為餧其子,禮若奉至尊。鴻雁及羔羊,有禮太古前。

 

(下し文) #2

杜鵑 暮春に至る、哀哀 其の間に叫ぶ。

我見て常に再拝す、是れ古帝の魂なるを重んず。

子を生む 百鳥の巣、百鳥 敢て嗔らず。

仍お 為に其の子に餧わしむ、礼 至尊に奉ずるが若し。』

 

(現代語訳)

春の暮になるとほととぎすがやって来てかなしげにその間になきさけんだ。

自分はそれをみつけるといつも再拝した、それはほととぎすがむかしの蜀の帝王の魂だというからそれを尊重したのである。

ほととぎすはその子を他のいろいろの鳥の巣にうみつけるが、他の鳥はそれをおこらない、

そうしてそのままほととぎすの子に餌をあたえて飼うてやり、これに奉仕する礼のうやうやしさはまるで天子にでもつかえるようである。

唐時代 地図山南 東・西道50

 

(訳注)  #2

杜鵑

(杜鵑について感じたことをのべたうた。)

大暦元年春、雲安にあっての作。同じ題でほかに二首ある。

○杜鵑  ほととぎす。蜀の望帝の春を思う心は、血を吐いて悲しげになく杜鵑(ホトトギス)に魂を托(たく)した。(そのように、血を吐きながらなく思いである)。
不如帰、杜宇、杜鵑、蜀魂、蜀鳥、杜魄、蜀魄、子規、躑躅。李白【宣城見杜鵑花】. 蜀國曾聞子規鳥,宣城還見杜鵑

成都に着いた翌年夏に『杜鵑行』を作っている。

杜鵑行 杜甫 成都(2部)花渓の堂(2 -16-1)  <379> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1831 杜甫詩1000-379-557/1500

杜鵑行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -16-2)  <379> 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1835 杜甫詩1000-379-558/1500

 

杜鵑暮春至,哀哀叫其間。

春の暮になるとほととぎすがやって来てかなしげにその間になきさけんだ。

 

我見常再拜,重是古帝魂。

自分はそれをみつけるといつも再拝した、それはほととぎすがむかしの蜀の帝王の魂だというからそれを尊重したのである。

古帝魂 望帝から帝位を譲られ、叢帝となり、望帝は山中に隠棲した。実は、望帝が叢帝の妻と親密になったのがばれたので望帝は隠棲したともいわれる。

 望帝杜宇は死ぬと、その霊魂はホトトギスに化身した。そして、杜宇が得意とした農耕を始める季節゜(春~初夏)が来ると、そのことを民に告げるため、杜宇の魂化身ホトトギスは鋭く鳴くようになったという。

 

生子百鳥巢,百鳥不敢嗔。

ほととぎすはその子を他のいろいろの鳥の巣にうみつけるが、他の鳥はそれをおこらない、

 

仍為餧其子,禮若奉至尊。

そうしてそのままほととぎすの子に餌をあたえて飼うてやり、これに奉仕する礼のうやうやしさはまるで天子にでもつかえるようである。

餧 (1)(動物を)飼育する,餌(えさ)をやる:*牛~草|牛に草を食べさせる.(2)(病人や赤ん坊などに)食べさせる,口に食べ物を運ぶ.

至尊 ① この上なく尊いこと。また,そのような人。 特に,天皇・天子のこと。

766年大暦元年55歲-2-1 《杜鵑 -#1》 杜甫index-15 杜甫<865ー#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5090

杜甫《杜鵑 -#1》 剣南西部西川には杜鵑が有るが、その東部東川にはいない。涪州・万州には杜鵑がいないが、雲安には有る。

 
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126 《峴山懷古》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27歳 6首 安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。<126> Ⅰ李白詩1308 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5088 
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24-7 《遠遊聯句〔韓愈、李翱、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1221> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5089 
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766

年大暦元年55-2-1 《杜鵑 -#1》 杜甫index-15 杜甫<865ー#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5090


杜甫詩
1500-865ー#1-1189/2500766年大暦元年55-2-1

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    杜鵑

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

及地點:             

劍南西川節度使 (成都) 別名:西川

劍南東川節度使 (梓州) 別名:東川

涪州 (山南西道 涪州 涪州)              

萬州 (山南東道 萬州 萬州)              

雲安 (山南東道 夔州 雲安) 別名:南楚         

 

杜鵑

(杜鵑について感じたことをのべたうた。)

西川有杜鵑,東川無杜鵑。

剣南西部西川には杜鵑が有るが、その東部東川にはいない。

涪萬無杜鵑,雲安有杜鵑。

涪州・万州には杜鵑がいないが、雲安には有る。

我昔遊錦城,結廬錦水邊。

自分はむかし成都の錦官城にあそんで盧を錦江のほとりに結んだ。

有竹一頃餘,喬木上參天。

そこには百畝ばかりの竹林があり喬木はたかく天にまじわるほどである。

#2

杜鵑暮春至,哀哀叫其間。

我見常再拜,重是古帝魂。

生子百鳥巢,百鳥不敢嗔。

仍為餧其子,禮若奉至尊。

#3

鴻雁及羔羊,有禮太古前。

行飛與跪乳,識序如知恩。

聖賢古法則,付與後世傳。

君看禽鳥情,猶解事杜鵑。

今忽暮春間,我病經年。

身病不能拜,淚下如迸泉。

(杜鵑)

西川に杜鵑有り、東川に杜鵑無し。

涪万に杜鵑無し、雲安に杜鵑有り。』

我昔 錦城に遊び、庵を結ぶ 錦水の辺。

竹有り一頃余、喬木上天に参わる。

#2

杜鵑 暮春に至る、哀哀 其の間に叫ぶ。

我見て常に再拝す、是れ古帝の魂なるを重んず。

子を生む 百鳥の巣、百鳥 敢てらず。

お 為に其の子にわしむ、礼 至尊に奉ずるが若し。』

#3

鴻雁及び烹羊、礼有り 太古の前。

行飛と跪乳と、序を識り 如恩を知る。

聖賢 古法則、後世に付与して伝えしむ。

君看よ禽鳥の情、猶お杜鵑に事うるを解す。』

今 忽ち暮春の間、値う 我が病みて年を経るに。

身病みて 拝する能わず、涙下りて泉の如し。』

 

唐時代 地図山南 東・西道50 

『杜鵑』 現代語訳と訳註解説

(本文)

杜鵑

西川有杜鵑,東川無杜鵑。

涪萬無杜鵑,雲安有杜鵑。

我昔遊錦城,結廬錦水邊。

有竹一頃餘,喬木上參天。

 

(含異文)

西川有杜鵑,東川無杜鵑。涪萬無杜鵑【涪南無杜鵑】,雲安有杜鵑。我昔遊錦城,結廬錦水邊。有竹一頃餘,喬木上參天。

 

(下し文)

(杜鵑)

西川に杜鵑有り、東川に杜鵑無し。

涪万に杜鵑無し、雲安に杜鵑有り。』

我昔 錦城に遊び、庵を結ぶ 錦水の辺。

竹有り一頃余、喬木上天に参わる。

 

(現代語訳)

(杜鵑について感じたことをのべたうた。)

剣南西部西川には杜鵑が有るが、その東部東川にはいない。

涪州・万州には杜鵑がいないが、雲安には有る。

自分はむかし成都の錦官城にあそんで盧を錦江のほとりに結んだ。

そこには百畝ばかりの竹林があり喬木はたかく天にまじわるほどである。

 

(訳注)

杜鵑

(杜鵑について感じたことをのべたうた。)

大暦元年春、雲安にあっての作。同じ題でほかに二首ある。

○杜鵑  ほととぎす。蜀の望帝の春を思う心は、血を吐いて悲しげになく杜鵑(ホトトギス)に魂を托(たく)した。(そのように、血を吐きながらなく思いである)。
不如帰、杜宇、杜鵑、蜀魂、蜀鳥、杜魄、蜀魄、子規、躑躅。李白【宣城見杜鵑花】. 蜀國曾聞子規鳥,宣城還見杜鵑

成都に着いた翌年夏に『杜鵑行』を作っている。

杜鵑行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -16-1)  <379> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1831 杜甫詩1000-379-557/1500

杜鵑行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -16-2)  <379> 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1835 杜甫詩1000-379-558/1500

 

西川有杜鵑,東川無杜鵑。

剣南西部西川には杜鵑が有るが、その東部東川にはいない。

○杜鵑 ほととぎす、「成都記」によれば、杜鵜は昔の蜀の天子の魂が化してなったものだという。

ホトトギスは、カッコウ目・カッコウ科に分類される鳥類の一種。特徴的な鳴き声とウグイスなどに托卵する習性で知られている。日本では古来から様々な文書に登場し、杜鵑、杜宇、蜀魂、不如帰、時鳥、子規、田鵑など、漢字表記や異名が多い。

劍南西川節度使 (成都) :治所在成都府,管成都府、彭州、蜀州、州、眉州、嘉州、邛州、州、嶲州、戎州、州、合州、文州、扶州、奉州、霸州、姚州、州、茂州、黎州、雅州。763年,增加通州、巴州、蓬州、渠州,

劍南東川節度使 (梓州) :治所在梓州(今三台縣),下轄梓州、遂州、綿州、劍州、龍州、普州、陵州、瀘州、榮州、資州、簡州、閬州。759年增加昌州、渝州、合州。764年和西川合併,767年再分東西川,開始治遂州,為東川都防禦觀察使,兼靜戎軍使。後來恢復東川節度使,治梓州。

 

涪萬無杜鵑,雲安有杜鵑。

涪州・万州には杜鵑がいないが、雲安には有る。

涪萬 涪州(-1)・万州(―2) 

 

我昔遊錦城,結廬錦水邊。

自分はむかし成都の錦官城にあそんで盧を錦江のほとりに結んだ。

錦水邊 杜甫は成都の浣花渓に住居を定めたことを「寄題江外草堂」詩に、「誅茅初一畝,廣地方連延。經營上元始,斷手寶應年。」とある。成都の中心から4kmほど離れた閑静な田園地帯で、浣花渓(錦江支流であり、河岸の西端、)の北の百花潭岸辺にあった。

成都(1)浣花渓の草堂(2) 卜居 杜甫 <354  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1727 杜甫詩 700- 531

成都(1)浣花渓の草堂(10) 堂成 杜甫 <363  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1759 杜甫詩 700- 539

 

有竹一頃餘,喬木上參天。

そこには百畝ばかりの竹林があり喬木はたかく天にまじわるほどである。

有竹・喬木 成都の草堂付近の環境について多くの作品を残している。

杜甫『堂  成』

背郭堂成蔭白茅,綠江路熟俯青郊。

榿林礙日吟風葉,籠竹和煙滴露梢。

暫止飛烏將數子,頻來語燕定新巣。

旁人錯比揚雄宅,懶惰無心作解嘲。

(堂成る)

郭を背に堂成りて白茅【はくぼう】に蔭【おお】わる、江に縁う路 熟【じゅく】して青郊に俯す。

榿林【きりん】日を礙【さえぎ】り 風葉は吟ず、籠竹【ろうちく】煙に和し 露梢より滴【したた】る。

暫く止まる飛鳥は数子を将【ひき】い、頻りに来たる語燕は新巣を定む。

旁人錯【あやま】って揚雄の宅を此す、懶惰【らんだ】にして解嘲【かいちょう】を作るに心無し。

成都(1)浣花渓の草堂(5) 從韋二明府續處覓綿竹 杜甫 <356  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1739 杜甫詩 700- 534

 

766年大暦元年55歲-1-5 《別蔡十四著作 -#5》 杜甫index-15 杜甫<864-#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5085

杜甫《別蔡十四著作》-#5 もしきみが都で、そうした南に下る使者か、小吏でもみつけたなら、そのとき、きみの書簡を委託して、天の果てのここへでもおくってくれれば、君の書簡は到着するであろうから、どうか手紙をよこしていただきたい。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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766年大暦元年55-1-5 《別蔡十四著作 -#5》 杜甫index-15 杜甫<864-#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5085


杜甫詩
1500-864-#5-1188/2500766年大暦元年55-1-5

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二○              文體:    五言古詩

詩題:    別蔡十四著作

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

及地點:咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸      

交遊人物:蔡十四著作

 

 

別蔡十四著作

(著作郎の蔡某が長安に帰る時、その別れに作ったもの。)

賈生慟哭後,寥落無其人。

むかし漢の賈誼が太中大夫として時事について心配して慟哭して以後、ひっそりしてその様な国家を憂ふる人は無いのである。

安知蔡夫子,高義邁等倫。

意外にも、吾が蔡先生はその節義の高いことは、房琯グループの同輩の中の上に出るひとであった。

獻書謁皇帝,志已清風塵。

前の粛宗皇帝に上書したときから巳に天下の風塵を清める志があった。

流涕灑丹極,萬乘為酸辛。

そうして涕を流して丹ぬりの御殿にそそいだので万乗の天子もそれがためにものが無しい思いをなされた。

(蔡十四著作に別る)

賈生 慟哭の後,寥落 其の人無し。

安んぞ知らん 蔡夫子,高義 等倫に邁ぐ。

書を獻じて皇帝に謁す,志 已に風塵を清めんとす。

流涕 丹極に灑ぎ,萬乘 為に酸辛なり。

#2

天地則創痍,朝廷當正臣。

天地の間には人民が疲弊し切っているが、朝廷にも正直の臣が多くこれにあたっているのである。

異才復間出,周道日惟新。

非凡の人才がまたときにはその中にまじって出るので、由緒ある周流れをくむ唐王朝の御政道は日日新たになってゆくのである。

使蜀見知己,別顏始一伸。

君はこのたび蜀に使いにきて知己の人、郭英乂を見て、久しぶりにその顔のしわをのばしたことであろう。

不幸にもあてにした主人の郭英乂が城府でなくなられたので、その柩をたすけて長安の方へ歸ろうとす主人薨城府,扶櫬歸咸秦。

るのである。

#2

天地 則ち創痍なるも,朝廷 當に正臣なるべし。

異才復た間出し,周道日に惟れ新なり。

蜀に使いして知己を見る,別顏 始めて一伸す。

主人 城府に薨【こう】ず,櫬を扶けて咸秦に歸る。

#3

巴道此相逢,會我病江濱。

その途中ここの巴国の道で自分とまた出会ったが、ちょうど自分は江のほとりで病気療養をしていたのである。

憶念鳳翔都,聚散俄十春。

あの鳳翔の都のときのことをかんがへるとおたがいの聚散は、はやくも十年を経過経しているのである。

我衰不足道,但願子意陳。

わたしは自分のからだが衰へたことはいわなくてもよいことであるが、ただあなたが天子の前で十分その意見をのべられんことを願う。

稍令社稷安,自契魚水親。

そうして君臣のあいだは魚と水となかのよい様に契り合い、だんだん社稷を安らかにさせてもらいたい。

#3

巴道 此に相い逢う,會【たまた】ま 我 江濱に病む。

憶念す 鳳翔の都,聚散 俄【にわか】に十春なり。

我が衰えるは道うに足らず,但し願う子が意の陳べられんことを。

稍【ようや】く 社稷をして安からしめ,自ら魚水の親を契らんことを。

#4

我雖消渴甚,敢忘帝力勤。

自分は消渴の病状がひどいけれども、吾が天子が政事におっとめておられることは忘れることはできない。

尚思未朽骨,復睹耕桑民。

わたしの骨も老いたらともまだ朽ちてはいないし、ふたたび平和な耕桑に従事する人民を見たいものと考えているのだ。

積水駕三峽,浮龍倚長津。

三峡という積み重なった水をのりこえる。うかべる龍は長い津湊をたのんでいばっている。

揚舲洪濤間,仗子濟物身。

そのあいだを君は窓付き船を揚げて大きな波をわけてゆく。万事は事をしでかす力のある君のからだをあてにしているのである。

#4

我 消渴 甚しと雖も,敢て忘んや 帝力の勤むるを。

尚お思う 未朽の骨,復た睹ん 耕桑の民。

積水 三峽に駕し,浮龍 長津に倚る。

舲を揚ぐ 洪濤の間,仗る子が 濟物の身。

#5

鞍馬下秦塞,王城通北辰。

船で渭水を上り、鞍馬に跨り、長安の都の参軍の塞に行けばよい、天子の皇城には北辰に向って大通りを通過してゆけばよいのである。

玄甲聚不散,兵久食恐貧。

塞には、鎧武者が終結し、都を守るため、統率を採り、散じることなどない、長く戦が続く場合は、その地形的弱点で、兵卒の食糧が乏しいことがあるのである。

窮谷無粟帛,使者來相因。

そのためか、ここ雲安のような峡中のゆき詰まった谷合で、なんにも粟帛もないところなのに朝廷から貯蔵の物をあさりにくる使者がひっきりなしである。

若憑南轅吏,書札到天垠。

もしきみが都で、そうした南に下る使者か、小吏でもみつけたなら、そのとき、きみの書簡を委託して、天の果てのここへでもおくってくれれば、君の書簡は到着するであろうから、どうか手紙をよこしていただきたい。

鞍馬 秦塞に下り,王城 北辰に通ぜん。

玄甲 聚りて散せず,兵 久しく 食 恐らくは貧しからん。

窮谷 粟帛無し,使者 來りて相い因る。

若し 南轅の吏に憑らば,書札 天垠に到らん。

 

長安付近図00 

『別蔡十四著作』-#5 現代語訳と訳註解説

(本文) 

鞍馬下秦塞,王城通北辰。

玄甲聚不散,兵久食恐貧。

窮谷無粟帛,使者來相因。

若憑南轅吏,書札到天垠。

 

(含異文)

鞍馬下秦塞,王城通北辰。玄甲聚不散,兵久食恐貧。窮谷無粟帛,使者來相因。若憑南轅吏【若憑南轅使】【若逢南轅吏】【若逢南轅使】,書札到天垠。

 

(下し文)

鞍馬 秦塞に下り,王城 北辰に通ぜん。

玄甲 聚りて散せず,兵 久しく 食 恐らくは貧しからん。

窮谷 粟帛無し,使者 來りて相い因る。

若し 南轅の吏に憑らば,書札 天垠に到らん。

 

(現代語訳)

船で渭水を上り、鞍馬に跨り、長安の都の参軍の塞に行けばよい、天子の皇城には北辰に向って大通りを通過してゆけばよいのである。

そのためか、ここ雲安のような峡中のゆき詰まった谷合で、なんにも粟帛もないところなのに朝廷から貯蔵の物をあさりにくる使者がひっきりなしである。

塞には、鎧武者が終結し、都を守るため、統率を採り、散じることなどない、長く戦が続く場合は、その地形的弱点で、兵卒の食糧が乏しいことがあるのである。

もしきみが都で、そうした南に下る使者か、小吏でもみつけたなら、そのとき、きみの書簡を委託して、天の果てのここへでもおくってくれれば、君の書簡は到着するであろうから、どうか手紙をよこしていただきたい。

巫山十二峰004 

 

(訳注) #5

別蔡十四著作

(著作郎の蔡某が長安に帰る時、その別れに作ったもの。)

○蔡十四著作 蔡著作は蔡著作郎で、著作郎は官名。

766年大暦元年55歳の作。

 

鞍馬下秦塞,王城通北辰。

船で渭水を上り、鞍馬に跨り、長安の都の参軍の塞に行けばよい、天子の皇城には北辰に向って大通りを通過してゆけばよいのである。

秦塞 長安城の南を除く三方に参軍の塞を配置していること。

王城 長安城内の皇城。

通北辰 長安は北極星の宮殿が配置されている。1 《北天の星の意》北極星の異称。2 《北極星が多くの星の中心であるところから》皇居。また、天子。

中国では見かけ上不動の恒星で,天空の星座がこの星を中心として回転することから,古来方位を定めるのに利用されるとともに,もっとも尊貴な星として崇拝されてきた。《史記》天官書などの記述によると,北極星は天帝太一神の居所であり,この星を中心とする星座は天上世界の宮廷に当てられて紫宮,紫微宮とよばれ,漢代には都の南東郊の太一祠においてしばしば太一神の祭祀が行われた。

 

玄甲聚不散,兵久食恐貧。

塞には、鎧武者が終結し、都を守るため、統率を採り、散じることなどない、長く戦が続く場合は、その地形的弱点で、兵卒の食糧が乏しいことがあるのである。

玄甲 殷代に青銅兜の実例があり,周代に革甲のあったことが文献史料にみえる。漢代以降,鉄製の鎧は,その色から〈玄甲(黒い鎧)〉と呼ばれた。使用された甲片は長さ30cmにも達する長方形の大きいものから,23cmの楕円形に近い小型のものまである。

兵久食恐貧 長安は人口に比較して、耕作地が狭く、耕作地の単位当たりの生産性はどの地方よりも高かったが、他地域、特に消費の約40%を江南からの補給で賄っていたため、水路輸送が欠かせないものであった。したがって、戦が長期化すると補給路が断たれ、餓死が起こった。

 

窮谷無粟帛,使者來相因。

そのためか、ここ雲安のような峡中のゆき詰まった谷合で、なんにも粟帛もないところなのに朝廷から貯蔵の物をあさりにくる使者がひっきりなしである。

窮谷 谷が迫ったようなところ。雲安は三峡の中継地で、人口に対しての物資は確保できてはいた。

無粟帛 生産性が低いことをいう。

使者 水路駅であるから使者は必ずここの施設を使用し、貯蔵の物をあさってもってゆく。

相因 ひっきりなし。

 

若憑南轅吏,書札到天垠。

もしきみが都で、そうした南に下る使者か、小吏でもみつけたなら、そのとき、きみの書簡を委託して、天の果てのここへでもおくってくれれば、君の書簡は到着するであろうから、どうか手紙をよこしていただきたい。

憑 引き寄せて、委託する。

南轅吏 馬のくつわを南に向ける吏官。南に下る使者か、小吏でもみつけたら。

書札 手紙。書簡。

到天垠 垠は岸で、天涯とおなじで、天の果て。

766年大暦元年55歲-1-4 《別蔡十四著作 -#4》 杜甫index-15 杜甫<864-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5080

杜甫《別蔡十四著作》-#4 自分は消渴の病状がひどいけれども、吾が天子が政事におっとめておられることは忘れることはできない。わたしの骨も老いたらともまだ朽ちてはいないし、ふたたび平和な耕桑に従事する人民を見たいものと考えているのだ。

 
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766年大暦元年55-1-4 《別蔡十四著作 -#4》 杜甫index-15 杜甫<864-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5080

 

 

杜甫詩1500-864-#4-1187/2500766年大暦元年55-1-4

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二○              文體:    五言古詩

詩題:    別蔡十四著作

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

及地點:咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸      

交遊人物:蔡十四著作

 

 

別蔡十四著作

(著作郎の蔡某が長安に帰る時、その別れに作ったもの。)

賈生慟哭後,寥落無其人。

むかし漢の賈誼が太中大夫として時事について心配して慟哭して以後、ひっそりしてその様な国家を憂ふる人は無いのである。

安知蔡夫子,高義邁等倫。

意外にも、吾が蔡先生はその節義の高いことは、房琯グループの同輩の中の上に出るひとであった。

獻書謁皇帝,志已清風塵。

前の粛宗皇帝に上書したときから巳に天下の風塵を清める志があった。

流涕灑丹極,萬乘為酸辛。

そうして涕を流して丹ぬりの御殿にそそいだので万乗の天子もそれがためにものが無しい思いをなされた。

(蔡十四著作に別る)

賈生 慟哭の後,寥落 其の人無し。

安んぞ知らん 蔡夫子,高義 等倫に邁ぐ。

書を獻じて皇帝に謁す,志 已に風塵を清めんとす。

流涕 丹極に灑ぎ,萬乘 為に酸辛なり。

#2

天地則創痍,朝廷當正臣。

天地の間には人民が疲弊し切っているが、朝廷にも正直の臣が多くこれにあたっているのである。

異才復間出,周道日惟新。

非凡の人才がまたときにはその中にまじって出るので、由緒ある周流れをくむ唐王朝の御政道は日日新たになってゆくのである。

使蜀見知己,別顏始一伸。

君はこのたび蜀に使いにきて知己の人、郭英乂を見て、久しぶりにその顔のしわをのばしたことであろう。

不幸にもあてにした主人の郭英乂が城府でなくなられたので、その柩をたすけて長安の方へ歸ろうとす主人薨城府,扶櫬歸咸秦。

るのである。

#2

天地 則ち創痍なるも,朝廷 當に正臣なるべし。

異才復た間出し,周道日に惟れ新なり。

蜀に使いして知己を見る,別顏 始めて一伸す。

主人 城府に薨【こう】ず,櫬を扶けて咸秦に歸る。

#3

巴道此相逢,會我病江濱。

その途中ここの巴国の道で自分とまた出会ったが、ちょうど自分は江のほとりで病気療養をしていたのである。

憶念鳳翔都,聚散俄十春。

あの鳳翔の都のときのことをかんがへるとおたがいの聚散は、はやくも十年を経過経しているのである。

我衰不足道,但願子意陳。

わたしは自分のからだが衰へたことはいわなくてもよいことであるが、ただあなたが天子の前で十分その意見をのべられんことを願う。

稍令社稷安,自契魚水親。

そうして君臣のあいだは魚と水となかのよい様に契り合い、だんだん社稷を安らかにさせてもらいたい。

#3

巴道 此に相い逢う,會【たまた】ま 我 江濱に病む。

憶念す 鳳翔の都,聚散 俄【にわか】に十春なり。

我が衰えるは道うに足らず,但し願う子が意の陳べられんことを。

稍【ようや】く 社稷をして安からしめ,自ら魚水の親を契らんことを。

#4

我雖消渴甚,敢忘帝力勤。

自分は消渴の病状がひどいけれども、吾が天子が政事におっとめておられることは忘れることはできない。

尚思未朽骨,復睹耕桑民。

わたしの骨も老いたらともまだ朽ちてはいないし、ふたたび平和な耕桑に従事する人民を見たいものと考えているのだ。

積水駕三峽,浮龍倚長津。

三峡という積み重なった水をのりこえる。うかべる龍は長い津湊をたのんでいばっている。

揚舲洪濤間,仗子濟物身。

そのあいだを君は窓付き船を揚げて大きな波をわけてゆく。万事は事をしでかす力のある君のからだをあてにしているのである。

#4

我 消渴 甚しと雖も,敢て忘んや 帝力の勤むるを。

尚お思う 未朽の骨,復た睹ん 耕桑の民。

積水 三峽に駕し,浮龍 長津に倚る。

舲を揚ぐ 洪濤の間,仗る子が 濟物の身。

#5

鞍馬下秦塞,王城通北辰。

玄甲聚不散,兵久食恐貧。

窮谷無粟帛,使者來相因。

若憑南轅吏,書札到天垠。

鞍馬 秦塞に下り,王城 北辰に通ぜん。

玄甲 聚りて散せず,兵 久しく 食 恐らくは貧しからん。

窮谷 粟帛無し,使者 來りて相い因る。

若し 南轅の吏に憑らば,書札 天垠に到らん。

 

華州から秦州同谷成都00 

『別蔡十四著作』-#4 現代語訳と訳註解説

(本文) #4

我雖消渴甚,敢忘帝力勤。

尚思未朽骨,復睹耕桑民。

積水駕三峽,浮龍倚長津。

揚舲洪濤間,仗子濟物身。

 

(含異文)

我雖消渴甚,敢忘帝力勤。尚思未朽骨,復賭耕桑民。積水駕三峽,浮龍倚長津【浮龍倚輪囷】。揚舲洪濤間,仗子濟物身。

 

(下し文) #4

我 消渴 甚しと雖も,敢て忘んや 帝力の勤むるを。

尚お思う 未朽の骨,復た睹ん 耕桑の民。

積水 三峽に駕し,浮龍 長津に倚る。

舲を揚ぐ 洪濤の間,仗る子が 濟物の身。

 

(現代語訳)

自分は消渴の病状がひどいけれども、吾が天子が政事におっとめておられることは忘れることはできない。

わたしの骨も老いたらともまだ朽ちてはいないし、ふたたび平和な耕桑に従事する人民を見たいものと考えているのだ。

三峡という積み重なった水をのりこえる。うかべる龍は長い津湊をたのんでいばっている。

そのあいだを君は窓付き船を揚げて大きな波をわけてゆく。万事は事をしでかす力のある君のからだをあてにしているのである。

 

 蜀中転々圖

(訳注) #4

別蔡十四著作

(著作郎の蔡某が長安に帰る時、その別れに作ったもの。)

○蔡十四著作 蔡著作は蔡著作郎で、著作郎は官名。

766年大暦元年55歳の作。
 

我雖消渴甚,敢忘帝力勤。

自分は消渴の病状がひどいけれども、吾が天子が政事におっとめておられることは忘れることはできない。

消渴 糖尿の病。

 

尚思未朽骨,復睹耕桑民。

わたしの骨も老いたらともまだ朽ちてはいないし、ふたたび平和な耕桑に従事する人民を見たいものと考えているのだ。

未朽 骨血気何は存するをいふ。

耕重民 平和のなかの農民をいう。蔡の平和につとめるべきをいう。

 

積水駕三峽,浮龍倚長津。

三峡という積み重なった水をのりこえる。うかべる龍は長い津湊をたのんでいばっている。

 のりこえる。

 よる、たのみにこしていばる。

 

揚舲洪濤間,仗子濟物身。

そのあいだを君は窓付き船を揚げて大きな波をわけてゆく。万事は事をしでかす力のある君のからだをあてにしているのである。

揚舲 舲は窓のある舟。

仗 よる、あてにする。

済物 事物を成す。
蜀成都1111 

766年大暦元年55歲-1-3 《別蔡十四著作 -#3》 杜甫index-15 杜甫<864-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5075

杜甫《別蔡十四著作》-#3 巴国の道で自分とまた出会ったが、ちょうど自分は江のほとりで病気療養をしていたのである。あの鳳翔の都のときのことをかんがへるとおたがいの聚散は、はやくも十年を経過経しているのである。

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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124-1 《寄弄月溪吳山人》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27歳 6首 安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。<124-1> Ⅰ李白詩1305 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5073 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
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24-4 《遠遊聯句〔韓愈、李翱、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1218> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5074 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor20-523《南鄉子十首,其六》十巻 李珣Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-706-20-(523) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5077 
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杜甫詩1500-864-#3-1186/2500766年大暦元年55-1-3

年:766年大暦元年55

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詩題:    別蔡十四著作

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

及地點:咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸      

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別蔡十四著作

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賈生慟哭後,寥落無其人。

むかし漢の賈誼が太中大夫として時事について心配して慟哭して以後、ひっそりしてその様な国家を憂ふる人は無いのである。

安知蔡夫子,高義邁等倫。

意外にも、吾が蔡先生はその節義の高いことは、房琯グループの同輩の中の上に出るひとであった。

獻書謁皇帝,志已清風塵。

前の粛宗皇帝に上書したときから巳に天下の風塵を清める志があった。

流涕灑丹極,萬乘為酸辛。

そうして涕を流して丹ぬりの御殿にそそいだので万乗の天子もそれがためにものが無しい思いをなされた。

(蔡十四著作に別る)

賈生 慟哭の後,寥落 其の人無し。

安んぞ知らん 蔡夫子,高義 等倫に邁ぐ。

書を獻じて皇帝に謁す,志 已に風塵を清めんとす。

流涕 丹極に灑ぎ,萬乘 為に酸辛なり。

#2

天地則創痍,朝廷當正臣。

天地の間には人民が疲弊し切っているが、朝廷にも正直の臣が多くこれにあたっているのである。

異才復間出,周道日惟新。

非凡の人才がまたときにはその中にまじって出るので、由緒ある周流れをくむ唐王朝の御政道は日日新たになってゆくのである。

使蜀見知己,別顏始一伸。

君はこのたび蜀に使いにきて知己の人、郭英乂を見て、久しぶりにその顔のしわをのばしたことであろう。

主人薨城府,扶櫬歸咸秦。

不幸にもあてにした主人の郭英乂が城府でなくなられたので、その柩をたすけて長安の方へ歸ろうとするのである。

#2

天地 則ち創痍なるも,朝廷 當に正臣なるべし。

異才復た間出し,周道日に惟れ新なり。

蜀に使いして知己を見る,別顏 始めて一伸す。

主人 城府に薨【こう】ず,櫬を扶けて咸秦に歸る。

#3

巴道此相逢,會我病江濱。

その途中ここの巴国の道で自分とまた出会ったが、ちょうど自分は江のほとりで病気療養をしていたのである。

憶念鳳翔都,聚散俄十春。

あの鳳翔の都のときのことをかんがへるとおたがいの聚散は、はやくも十年を経過経しているのである。

我衰不足道,但願子意陳。

わたしは自分のからだが衰へたことはいわなくてもよいことであるが、ただあなたが天子の前で十分その意見をのべられんことを願う。

稍令社稷安,自契魚水親。

そうして君臣のあいだは魚と水となかのよい様に契り合い、だんだん社稷を安らかにさせてもらいたい。

#3

巴道 此に相い逢う,會【たまた】ま 我 江濱に病む。

憶念す 鳳翔の都,聚散 俄【にわか】に十春なり。

我が衰えるは道うに足らず,但し願う子が意の陳べられんことを。

稍【ようや】く 社稷をして安からしめ,自ら魚水の親を契らんことを。

#4

我雖消渴甚,敢忘帝力勤。

尚思未朽骨,復睹耕桑民。

積水駕三峽,浮龍倚長津。

揚舲洪濤間,仗子濟物身。

#5

鞍馬下秦塞,王城通北辰。

玄甲聚不散,兵久食恐貧。

窮谷無粟帛,使者來相因。

若憑南轅吏,書札到天垠。

 華州から秦州同谷成都00

 

『別蔡十四著作』-#3 現代語訳と訳註解説

(本文)#3

巴道此相逢,會我病江濱。

憶念鳳翔都,聚散俄十春。

我衰不足道,但願子意陳。

稍令社稷安,自契魚水親。

 

(含異文)

巴道此相逢,會我病江濱。

憶念鳳翔都,聚散俄十春。

我衰不足道,但願子意陳【但願子音陳】。

稍令社稷安,自契魚水親。

 

(下し文)

巴道 此に相い逢う,會【たまた】ま 我 江濱に病む。

憶念す 鳳翔の都,聚散 俄【にわか】に十春なり。

我が衰えるは道うに足らず,但し願う子が意の陳べられんことを。

稍【ようや】く 社稷をして安からしめ,自ら魚水の親を契らんことを。

 

(現代語訳)

その途中ここの巴国の道で自分とまた出会ったが、ちょうど自分は江のほとりで病気療養をしていたのである。

あの鳳翔の都のときのことをかんがへるとおたがいの聚散は、はやくも十年を経過経しているのである。

わたしは自分のからだが衰へたことはいわなくてもよいことであるが、ただあなたが天子の前で十分その意見をのべられんことを願う。

そうして君臣のあいだは魚と水となかのよい様に契り合い、だんだん社稷を安らかにさせてもらいたい。

蜀中転々圖 

(訳注) #3

別蔡十四著作

(著作郎の蔡某が長安に帰る時、その別れに作ったもの。)

○蔡十四著作 蔡著作は蔡著作郎で、著作郎は官名。

766年大暦元年55歳の作。

 

巴道此相逢,會我病江濱。

その途中ここの巴国の道で自分とまた出会ったが、ちょうど自分は江のほとりで病気療養をしていたのである。

巴道 夔州の道、雲安をさす。

 

憶念鳳翔都,聚散俄十春。

あの鳳翔の都のときのことをかんがへるとおたがいの聚散は、はやくも十年を経過経しているのである。

鳳翔都 756年粛宗の時、今の陝西省鳳翔府扶風縣に臨時に鳳翔の都をおいた。杜甫の表現では行在所という表現が多くしている。

十春 十年なり、757年至徳二載り766年大暦元年の今年まで正に十年なり。以上は雲安にて蔡再会せることをのぶ。

 

我衰不足道,但願子意陳。

わたしは自分のからだが衰へたことはいわなくてもよいことであるが、ただあなたが天子の前で十分その意見をのべられんことを願う。

子意陳 陳は天子の前に舗き陳べることをいう。

 

稍令社稷安,自契魚水親。

そうして君臣のあいだは魚と水となかのよい様に契り合い、だんだん社稷を安らかにさせてもらいたい。

契魚水親 君臣の心の契合すること、魚水の相親しむがごとし、蜀漢の劉備、諸葛亮のことを述べて、「孤【われ】の孔明あるは、猶お、魚の水あるがごとし」というったものである。

766年大暦元年55歲-1-2 《別蔡十四著作 -#2》 杜甫index-15 杜甫<864-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5070

杜甫《別蔡十四著作》-#2 君はこのたび蜀に使いにきて知己の人、郭英乂を見て、久しぶりにその顔のしわをのばしたことであろう。不幸にもあてにした主人の郭英乂が城府でなくなられたので、その柩をたすけて長安の方へ歸ろうとするのである。

 
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 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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766年大暦元年55-1-2 《別蔡十四著作 -#2》 杜甫index-15 杜甫<864-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5070

 

杜甫詩1500-864-#2-1185/2500766年大暦元年55-1-2

 

 

別蔡十四著作

(著作郎の蔡某が長安に帰る時、その別れに作ったもの。)

賈生慟哭後,寥落無其人。

むかし漢の賈誼が太中大夫として時事について心配して慟哭して以後、ひっそりしてその様な国家を憂ふる人は無いのである。

安知蔡夫子,高義邁等倫。

意外にも、吾が蔡先生はその節義の高いことは、房琯グループの同輩の中の上に出るひとであった。

獻書謁皇帝,志已清風塵。

前の粛宗皇帝に上書したときから巳に天下の風塵を清める志があった。

流涕灑丹極,萬乘為酸辛。

そうして涕を流して丹ぬりの御殿にそそいだので万乗の天子もそれがためにものが無しい思いをなされた。

(蔡十四著作に別る)

賈生 慟哭の後,寥落 其の人無し。

安んぞ知らん 蔡夫子,高義 等倫に邁ぐ。

書を獻じて皇帝に謁す,志 已に風塵を清めんとす。

流涕 丹極に灑ぎ,萬乘 為に酸辛なり。

#2

天地則創痍,朝廷當正臣。

天地の間には人民が疲弊し切っているが、朝廷にも正直の臣が多くこれにあたっているのである。

異才復間出,周道日惟新。

非凡の人才がまたときにはその中にまじって出るので、由緒ある周流れをくむ唐王朝の御政道は日日新たになってゆくのである。

使蜀見知己,別顏始一伸。

君はこのたび蜀に使いにきて知己の人、郭英乂を見て、久しぶりにその顔のしわをのばしたことであろう。

主人薨城府,扶櫬歸咸秦。

不幸にもあてにした主人の郭英乂が城府でなくなられたので、その柩をたすけて長安の方へ歸ろうとするのである。

#2

天地 則ち創痍なるも,朝廷 當に正臣なるべし。

異才復た間出し,周道日に惟れ新なり。

蜀に使いして知己を見る,別顏 始めて一伸す。

主人 城府に薨【こう】ず,櫬を扶けて咸秦に歸る。

#3

巴道此相逢,會我病江濱。

憶念鳳翔都,聚散俄十春。

我衰不足道,但願子意陳。

稍令社稷安,自契魚水親。

#4

我雖消渴甚,敢忘帝力勤。

尚思未朽骨,復睹耕桑民。

積水駕三峽,浮龍倚長津。

揚舲洪濤間,仗子濟物身。

#5

鞍馬下秦塞,王城通北辰。

玄甲聚不散,兵久食恐貧。

窮谷無粟帛,使者來相因。

若憑南轅吏,書札到天垠。

 

 

『別蔡十四著作』 現代語訳と訳註解説

(本文) #2

天地則創痍,朝廷當正臣。

異才復間出,周道日惟新。

使蜀見知己,別顏始一伸。

主人薨城府,扶櫬歸咸秦。

 

(含異文)

天地則創痍,朝廷當正臣【朝廷多正臣】。異才復間出,周道日惟新。使蜀見知己,別顏始一伸。主人薨城府【案:謂嚴武。】,扶櫬歸咸秦。

 

(下し文) #2

天地 則ち創痍なるも,朝廷 當に正臣なるべし。

異才復た間出し,周道日に惟れ新なり。

蜀に使いして知己を見る,別顏 始めて一伸す。

主人 城府に薨【こう】ず,櫬を扶けて咸秦に歸る。

 

 

 

(現代語訳)

天地の間には人民が疲弊し切っているが、朝廷にも正直の臣が多くこれにあたっているのである。

非凡の人才がまたときにはその中にまじって出るので、由緒ある周流れをくむ唐王朝の御政道は日日新たになってゆくのである。

君はこのたび蜀に使いにきて知己の人、郭英乂を見て、久しぶりにその顔のしわをのばしたことであろう。

不幸にもあてにした主人の郭英乂が城府でなくなられたので、その柩をたすけて長安の方へ歸ろうとするのである。

蜀中転々圖 

(訳注) #2

 

天地則創痍,朝廷當正臣。

天地の間には人民が疲弊し切っているが、朝廷にも正直の臣が多くこれにあたっているのである。

瘡痍 きず、人民の疲弊をいう。

 

異才復間出,周道日惟新。

非凡の人才がまたときにはその中にまじって出るので、由緒ある周流れをくむ唐王朝の御政道は日日新たになってゆくのである。

異才 非凡の人才。

間出 間は雜(まじはる)なり、雜出とは他の凡人のなかによじりて出ること。

周道 周代の王道、周は即ち唐をいふ。以上に蔡の往年の忠義をいふ。戦国の王家は、もとをただせば、すべて周に通づることで、唐を周と表現する。

王道は、帝位(周代までは王位)を禅譲されて、天子の道を歩むこと。つまり、全ての諸侯を臣下に置き、君主として君臨することを言う。これに対して、 覇道は、大多数の諸侯に打ち勝ちながらも、帝位(王位)にはつけない状態を言い、王道を歩む皇帝(周代までは王)とは異なり、武力においてはまさっていても、徳目が足りなくて、君臨することのできないものと考えられていたことをいう。全ての諸侯を臣従させ、王朝を打ち立てられれば王道で、多くの諸侯よりは強いものの、それらを臣従させて、王朝を樹立できるほどでなければ、覇道ということになる。

 

使蜀見知己,別顏始一伸。

君はこのたび蜀に使いにきて知己の人、郭英乂を見て、久しぶりにその顔のしわをのばしたことであろう。

使蜀 蜀へ使いする。

知己 成都の都度使、郭英父をいう。

一伸 しわをのばす。

 

主人薨城府,扶櫬歸咸秦。

不幸にもあてにした主人の郭英乂が城府でなくなられたので、その柩をたすけて長安の方へ歸ろうとするのである。

主人 郭英乂をいう。

薨城府 成都でみまかりしこと。

英乂は簡州に奔りったおりに、普州の刺史韓澄といふもの其の首を斬りて崔旰に送った。英乂、必ず成都に殯せしならん、ここに城府に薨すといへるは事実を忌み、とりなしていったものである。薨【コウずる・みまかる】身分の高い人が死去する。

扶櫬 櫬は棺柩。

咸秦 咸陽、長安。
長安付近図00 

766年大暦元年55歲-1-1 《別蔡十四著作 -#1》 杜甫index-15 杜甫<864-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5065

(著作郎の蔡某が長安に帰る時、その別れに作ったもの。)むかし漢の賈誼が太中大夫として時事について心配して慟哭して以後、ひっそりしてその様な国家を憂ふる人は無いのである。

 
 2014年11月4日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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123 《白毫子歌》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27歳 6首 <123> Ⅰ李白詩1303 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5063 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
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24-2 《遠遊聯句〔韓愈、李翱、孟郊〕》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1216> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5064韓愈詩-24-2 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-1-1 《別蔡十四著作 -#1》 杜甫index-15 杜甫<864-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5065 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor20-521《南鄉子十首,其四》十巻 李珣Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-704-20-(521) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5067 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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766年大暦元年55-1-1 《別蔡十四著作 -#1》 杜甫index-15 杜甫<864-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5065
 杜甫詩1500-864-#1-1184/2500766年大暦元年55
-1-1

 

index-16 766年大暦元年55歲 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二○              文體:    五言古詩

詩題:    別蔡十四著作

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

及地點:咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸      

交遊人物:蔡十四著作

 

 

別蔡十四著作

(著作郎の蔡某が長安に帰る時、その別れに作ったもの。)

賈生慟哭後,寥落無其人。

むかし漢の賈誼が太中大夫として時事について心配して慟哭して以後、ひっそりしてその様な国家を憂ふる人は無いのである。

安知蔡夫子,高義邁等倫。

意外にも、吾が蔡先生はその節義の高いことは、房琯グループの同輩の中の上に出るひとであった。

獻書謁皇帝,志已清風塵。

前の粛宗皇帝に上書したときから巳に天下の風塵を清める志があった。

流涕灑丹極,萬乘為酸辛。

そうして涕を流して丹ぬりの御殿にそそいだので万乗の天子もそれがためにものが無しい思いをなされた。

(蔡十四著作に別る)

賈生 慟哭の後,寥落 其の人無し。

安んぞ知らん 蔡夫子,高義 等倫に邁ぐ。

書を獻じて皇帝に謁す,志 已に風塵を清めんとす。

流涕 丹極に灑ぎ,萬乘 為に酸辛なり。

#2

天地則創痍,朝廷當正臣。

異才復間出,周道日惟新。

使蜀見知己,別顏始一伸。

主人薨城府,扶櫬歸咸秦。

#3

巴道此相逢,會我病江濱。

憶念鳳翔都,聚散俄十春。

我衰不足道,但願子意陳。

稍令社稷安,自契魚水親。

#4

我雖消渴甚,敢忘帝力勤。

尚思未朽骨,復睹耕桑民。

積水駕三峽,浮龍倚長津。

揚舲洪濤間,仗子濟物身。

#5

鞍馬下秦塞,王城通北辰。

玄甲聚不散,兵久食恐貧。

窮谷無粟帛,使者來相因。

若憑南轅吏,書札到天垠。

 

 

『別蔡十四著作』 現代語訳と訳註解説

(本文)

別蔡十四著作

賈生慟哭後,寥落無其人。

安知蔡夫子,高義邁等倫。

獻書謁皇帝,志已清風塵。

流涕灑丹極,萬乘為酸辛。

 

(下し文)

(蔡十四著作に別る)

賈生 慟哭の後,寥落 其の人無し。

安んぞ知らん 蔡夫子,高義 等倫に邁ぐ。

書を獻じて皇帝に謁す,志 已に風塵を清めんとす。

流涕 丹極に灑ぎ,萬乘 為に酸辛なり。

 

(現代語訳)

(著作郎の蔡某が長安に帰る時、その別れに作ったもの。)

むかし漢の賈誼が太中大夫として時事について心配して慟哭して以後、ひっそりしてその様な国家を憂ふる人は無いのである。

意外にも、吾が蔡先生はその節義の高いことは、房琯グループの同輩の中の上に出るひとであった。

前の粛宗皇帝に上書したときから巳に天下の風塵を清める志があった。

そうして涕を流して丹ぬりの御殿にそそいだので万乗の天子もそれがためにものが無しい思いをなされた。

蜀中転々圖 

(訳注)

別蔡十四著作

(著作郎の蔡某が長安に帰る時、その別れに作ったもの。)

○蔡十四著作 蔡著作は蔡著作郎で、著作郎は官名。

766年大暦元年55歳の作。

 

賈生慟哭後,寥落無其人。

むかし漢の賈誼が太中大夫として時事について心配して慟哭して以後、ひっそりしてその様な国家を憂ふる人は無いのである。

○賈誼 漢の孝文帝劉恒(紀元前202157年)に仕えた文人賈誼(紀元前201―169年)のこと。洛陽の人。諸吉家の説に通じ、二十歳で博士となった。一年後、太中大夫すなわち内閣建議官となり、時事、法律の改革にのりだして寵任されたが、若輩にして高官についたことを重臣たちに嫉まれ、長沙王の傅に左遷された。のち呼び戻され、孝文帝の鬼神の事に関する質問に答え、弁説して夜にまで及び、孝文帝は坐席をのりだして聴き入ったと伝えられる。その後、孝文帝の少子である梁の懐王の傅となり、まもなく三十三歳を以て死んだ。屈原を弔う文及び鵩(みみずく)の賦が有名。賈誼が長沙にいた時、「目鳥 其の承塵に集まる」。目鳥はふくろうに似た鳥というが、詩文のなかのみにあらわれ、その家の主人の死を予兆する不吉な鳥とされる。賈誼はその出現におびえ、「鵩鳥の賦」(『文選』巻一三)を著した。

 

安知蔡夫子,高義邁等倫。

意外にも、吾が蔡先生はその節義の高いことは、房琯グループの同輩の中の上に出るひとであった。

○邁等倫 なかまよりも上に出る。邁【まい】1 どんどん進んで行く。「邁進」2 他を越して先・上に出る。「英邁・高邁・豪邁・俊邁」

 

獻書謁皇帝,志已清風塵。

前の粛宗皇帝に上書したときから巳に天下の風塵を清める志があった。

○獻書謁皇帝 鳳翔の時の事をいふ、皇帝は粛宗なり。杜甫は房琯を擁護して逆鱗に触れた。

 

流涕灑丹極,萬乘為酸辛。

そうして涕を流して丹ぬりの御殿にそそいだので万乗の天子もそれがためにものが無しい思いをなされた。

○丹極 極は梁、棟木であり、丹ぬりのむなぎとは、美しい御殿をいう。丹庭、丹墀、宮殿の階上の庭、天子の宮殿。

○萬乘 天子。

○酸辛 つらく苦しい,悲しくつらい.悲しき思いをいだくこと。

函谷関長安地図座標001

765年永泰元年54歲-63 《草堂逸詩拾遺。放船》 杜甫index-15 杜甫<863> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5060

杜甫《放船》(忠州から雲安(四川省雲陽県)まで長江を下るときの岸辺の寒々としたようすが詠われている。)忠州を発って長江の急流に差し掛かったので帆を片づけ、幔幕を巻いて次々と早瀬を左右に回りながら水を追うようにして進む。

 
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765年永泰元年54-63 《草堂逸詩拾遺。放船》 杜甫index-15 杜甫<863 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5060
杜甫詩
1500-863-1183/2500 765年永泰元年54-63

 

 

 

年:765年永泰元年54

卷別:    卷二三四              文體:    五言律詩

詩題:    放船【草堂逸詩拾遺。】

忠州では江辺の龍興寺に滞在し、華陰(陝西省華陰県)にかえる厳武の柩を見送っている。

 杜甫は忠州に三か月ほど滞在した。持病の悪化を治すためであった。忠州を離れたのは九月になってからである。

 詩は忠州から雲安(四川省雲陽県)まで長江を下るときの作とされており、岸辺の寒々としたようすが詠われている。長江に秋は深まり、雲安城下に船を繋いだのは、日暮れのまだ暗くならない時刻であった。

 

 

放船【草堂逸詩拾遺。】

(忠州から雲安(四川省雲陽県)まで長江を下るときの岸辺の寒々としたようすが詠われている。)

收帆下急水,卷幔逐回灘。

忠州を発って長江の急流に差し掛かったので帆を片づけ、幔幕を巻いて次々と早瀬を左右に回りながら水を追うようにして進む。

江市戎戎暗,山雲淰淰寒。

長江沿いの市街地には晩煙がさかんに揚がって暗くなるほどであり、そこに、山から湧き出る雲は何処の治まるのかゆらゆらあがっていくのを見ると寒さを覚えるのである。

荒林無徑入,獨鳥怪人看。

山は、入るべき小路もなく荒れ果てた林が続く、その中から、「怪し良い人か」と、こちらをにらんでいる一羽の鳥がいる。

已泊城樓底,何曾夜色闌。

やがて、雲安の城樓の街中に宿を見つけたが、宿で落ち着いてみると、まだまだ夜の盛りで、まだまだ更けていない、何と早く着いたものかと思うのだ。 

(船を放つ)

帆を収めて急水)を下り、幔を巻き 灘を回りて 逐う。

江市 戎戎として暗く、山雲淰淰【せんせん】として寒し。

荒林入るに径【こみち】無く、独鳥人を怪しみて看る。

已に泊す  城楼の底、何ぞ曾て夜色闌【たけなわ】ならん。

 

 

『放船』 現代語訳と訳註解説

(本文)

放船【草堂逸詩拾遺。】

收帆下急水,卷幔逐回灘。

江市戎戎暗,山雲淰淰寒。

荒林無徑入,獨鳥怪人看。

已泊城樓底,何曾夜色闌。

 

 

(下し文)

(船を放つ)

帆を収めて急水)を下り、幔を巻き 灘を回りて 逐う。

江市 戎戎として暗く、山雲淰淰【せんせん】として寒し。

荒林入るに径【こみち】無く、独鳥人を怪しみて看る。

已に泊す  城楼の底、何ぞ曾て夜色闌【たけなわ】ならん。

 

(現代語訳)

(忠州から雲安(四川省雲陽県)まで長江を下るときの岸辺の寒々としたようすが詠われている。)

忠州を発って長江の急流に差し掛かったので帆を片づけ、幔幕を巻いて次々と早瀬を左右に回りながら水を追うようにして進む。

長江沿いの市街地には晩煙がさかんに揚がって暗くなるほどであり、そこに、山から湧き出る雲は何処の治まるのかゆらゆらあがっていくのを見ると寒さを覚えるのである。

山は、入るべき小路もなく荒れ果てた林が続く、その中から、「怪し良い人か」と、こちらをにらんでいる一羽の鳥がいる。

やがて、雲安の城樓の街中に宿を見つけたが、宿で落ち着いてみると、まだまだ夜の盛りで、まだまだ更けていない、何と早く着いたものかと思うのだ。 

(訳注)

放船【草堂逸詩拾遺。】

(忠州から雲安(四川省雲陽県)まで長江を下るときの岸辺の寒々としたようすが詠われている。)

7659月から春まで雲安宮經にて過ごす。【草堂逸詩拾遺。】雲安で病気療養中に整理したためこの位置に置く。

○放船 船で出発したということ。

 

收帆下急水,卷幔逐回灘。

忠州を発って長江の急流に差し掛かったので帆を片づけ、幔幕を巻いて次々と早瀬を左右に回りながら水を追うようにして進む。

○收帆・卷幔 風がある内にかかわらず、急流に差し掛かるので帆や幔幕を巻き上げてしっかり括り付ける。この二句は、流れに逆らわず水流に乗って下ることをいう。

 

江市戎戎暗,山雲淰淰寒。

長江沿いの市街地には晩煙がさかんに揚がって暗くなるほどであり、そこに、山から湧き出る雲は何処の治まるのかゆらゆらあがっていくのを見ると寒さを覚えるのである。

○江市 長江沿いの市街地

○戎戎 ここは市街地の夕飯の支度の煙が谷間に充満することをいう。

○山雲 雲は、谷間、岩間、洞窟から湧き出るとされていた。ここでは煙と雲とで暗くなることをいう。

○淰淰 湧き出る雲が、留まることもなく曇ってきた厚い雲まで上がってゆくさまをいう。

 

荒林無徑入,獨鳥怪人看。

山は、入るべき小路もなく荒れ果てた林が続く、その中から、「怪し良い人か」と、こちらをにらんでいる一羽の鳥がいる。

○無徑入 入るべき小路もないことをいう。

 

已泊城樓底,何曾夜色闌。

やがて、雲安の城樓の街中に宿を見つけたが、宿で落ち着いてみると、まだまだ夜の盛りで、まだまだ更けていない、何と早く着いたものかと思うのだ。

○城樓底 城郭樓の下の繁華街のようなところ。

765年永泰元年54歲-62 《草堂逸詩拾遺。去蜀》 杜甫index-15 杜甫<862> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5055

杜甫《去蜀》自分は五か年のあいだ蜀郡の旅客となり、一か年のあいだ梓州で暮らした。どうしていつまでもこんな蜀盆地の関塞のなかにとじこめられているのか、これから方向をかえて南方滞湘の地方へ遊ぼうとおもうのだ。

 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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765年永泰元年54-62 《草堂逸詩拾遺。去蜀》 杜甫index-15 杜甫<862> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5055


杜甫詩1500-862-1182/2500765年永泰元年54
-62

 

年:765年永泰元年54

卷別:  卷二三四        文體:  五言律詩

詩題:  去蜀【案:草堂逸詩拾遺。】

杜少陵集 巻十四       

作地點:        成都(劍南道北部 / 益州 / 成都)

及地點:       

成都 (劍南道北部 益州 成都) 別名:蜀     

梓州 (劍南道北部 梓州 梓州)      

 

 

去蜀

五載客蜀郡,一年居梓州。

如何關塞阻,轉作瀟湘遊。

世事已黃髮,殘生隨白鷗。

安危大臣在,不必淚長流。

(戦のトラウマにいたたまれなくて、ながなが住んだ局の成都よりたち去ろうとしでよんだ詩。)

自分は五か年のあいだ蜀郡の旅客となり、一か年のあいだ梓州で暮らした。

どうしていつまでもこんな蜀盆地の関塞のなかにとじこめられているのか、これから方向をかえて南方滞湘の地方へ遊ぼうとおもうのだ。

髪のけがかく黄色になっては、万事はおしまいだ、これからの老いさきは白い鴎にしたがってすごすのだ。

国家安危の重大事については当局者たる大臣がおられることであるし、自分みたようなものがしじゅう涙を流しているにもあたるまい。 

 

(蜀を去る)

五載も蜀の郡に客たり、一年 梓州に居る。

如何ぞ 関塞に阻せらるる、転じて瀟湘の遊びを作す。

世事 己に黄髪なり、残生 白鴎に随わん。

安危には大臣あり、必ずしも 涙 長【とこしえ】に流れしめず。

 

 

『去蜀』 現代語訳と訳註解説

(本文)

去蜀

五載客蜀郡,一年居梓州。

如何關塞阻,轉作瀟湘遊。

世事已黃髮,殘生隨白鷗。

安危大臣在,不必淚長流。

 

(含異文)

五載客蜀郡,一年居梓州。

如何關塞阻,轉作瀟湘遊。世事已黃髮【萬事已黃髮】,殘生隨白鷗。

安危大臣在,不必淚長流【何必淚長流】。

 

(下し文)

(蜀を去る)

五載も蜀の郡に客たり、一年 梓州に居る。

如何ぞ 関塞に阻せらるる、転じて瀟湘の遊びを作す。

世事 己に黄髪なり、残生 白鴎に随わん。

安危には大臣あり、必ずしも 涙 長【とこしえ】に流れしめず。

 

 

(現代語訳)

(戦のトラウマにいたたまれなくて、ながなが住んだ局の成都よりたち去ろうとしでよんだ詩。)

自分は五か年のあいだ蜀郡の旅客となり、一か年のあいだ梓州で暮らした。

どうしていつまでもこんな蜀盆地の関塞のなかにとじこめられているのか、これから方向をかえて南方滞湘の地方へ遊ぼうとおもうのだ。

髪のけがかく黄色になっては、万事はおしまいだ、これからの老いさきは白い鴎にしたがってすごすのだ。

国家安危の重大事については当局者たる大臣がおられることであるし、自分みたようなものがしじゅう涙を流しているにもあたるまい。 

 

 

(訳注)

去蜀

(戦のトラウマにいたたまれなくて、ながなが住んだ局の成都よりたち去ろうとしでよんだ詩。)

 永泰元年(765)の正月に、杜甫は成都の厳武幕府から浣花渓の草堂にもどる。節度参謀の職を辞した。厳武公は杜甫の辞職を認めたが、四月になると厳武が四十歳の若さで急死した。蜀州の刺史であった友人の高適も、すでに都に転任し、正月に長安で亡くなっていた。杜甫は成都が吐蕃の侵寇、政情不安で、再び、戦場、殺戮、逃避、捕縛などの死のトラウマ状態になった。

 最早従来の計画通り、長江から江漢の地に出てことにした。夏五月、錦江の渡津万里橋のたもとから船出し、杜甫は一家をあげて草堂を去った。この詩はその時作ったものであるが、後雲安で整理したもの。

 

 

五載客蜀郡,一年居梓州。

自分は五か年のあいだ蜀郡の旅客となり、一か年のあいだ梓州で暮らした。

○五載 75912月から、7655月、当時の正月を過ごした年数でいうと7年になるが、途中梓州に同様計算で2年三巴を転々としているから五載となる。

○客蜀郡 蜀郡は607年隋の郡制施行に伴い益州を蜀郡としたことで、この表現を用いた。隋朝が成立すると当初は益州が設置され719県を管轄した。582年(開皇2年)の新州玄武郡の廃止に伴い、その管轄県であった伍城県が益州に移管されている。607年(大業3年)、郡制施行に伴い益州は蜀郡と改称され下部に13県を管轄した

○一年 762年寶應元年7月から763年寶應二年の1年間。2載。同年秋、閬州に移り、764年廣徳3月成都草堂に帰る。

○居梓州 梓州刺史章彝の世話で官舎に住む。

 

如何關塞阻,轉作瀟湘遊。

どうしていつまでもこんな蜀盆地の関塞のなかにとじこめられているのか、これから方向をかえて南方滞湘の地方へ遊ぼうとおもうのだ。

○關塞 長安から秦嶺山脈山脈をこえる際にいくつもの関所があり、成都盆地に入る剣門關がある。西の吐蕃、南の雲南、北の回紇に対しての塞が多く築かれていたので、成都は、四方に關塞があった。

○阻 四方に關塞があるということは、その地の領有主権者の意向に倚り、状況は大きく変化するのであり(高適・厳武)、その上、玄宗が、この地に逃避したところであり、成都はそうした意味で、杜甫は安全な地域だから居住したのである。

○瀟湘遊 瀟湘八景に遊びたいという風流人、隠遁者の誰もが持つ願望である。瀟湘は湖南省長沙一帯の地域。洞庭湖と流入する瀟水と湘江の合流するあたりを瀟湘といい、古来より風光明媚な水郷地帯として知られる。瀟湘八景(しょうしょうはっけい)とは、中国の山水画の伝統的な画題。またその8つの名所のこと。

 

世事已黃髮,殘生隨白鷗。

髪のけがかく黄色になっては、万事はおしまいだ、これからの老いさきは白い鴎にしたがってすごすのだ。

黃髮 五十代までの白髪という表現が六十台近くから、黃髮にかわってゆく。

 

安危大臣在,不必淚長流。

国家安危の重大事については当局者たる大臣がおられることであるし、自分みたようなものがしじゅう涙を流しているにもあたるまい。 

○安危 国家安危の重大事。

○大臣 杜甫は759年間を辞して秦州に行ったのであるが、758年房琯一派ということで、朝廷内の賀蘭進明・第五琦・宦官らにはじき出され、華州司功参軍に左遷されたわけで、大臣が良い政治を行っているということは皮肉以外の何でもないことである。

 

 

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(13) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-13 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4215 杜甫詩1500-1501-13-1014/2500永泰元年765-855 《承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之一》(遠聞房太守) 杜甫index-15 765年 杜甫<855 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4220 杜甫詩1500-855-1015/250053

永泰元年765-97-7 《承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之二》 杜甫index-14 764年(丹旐飛飛日) 杜甫<856 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4225 杜甫詩1500-856-1016/250054

 

 

 

杜甫を理解するためには、以下の三作品は雑多遺不可欠のものである。

758年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(9) 杜甫index-14 764 房琯関連 1-(9) 杜甫<1502-9 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4385 杜甫詩1500-1502-9-1048/2500

 

757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首 (23) 全体》 杜甫<1509-T 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340 杜甫詩1500/2500

 

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(13) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-13 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4215 杜甫詩1500-1501-13-1014/2500

 

 

765年永泰元年54歲-61-3 《狂歌行贈四兄》-#3 杜甫index-15 杜甫<861-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5050

杜甫《狂歌行贈四兄》 ああ、我が従兄殿よ! 我が従兄殿よ! あなたは昔から、巢父や許由の同類であるとは思っていたが、一生涯の間、喜怒哀楽をそのまま表すお方であるということに間違いはない。

 
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杜甫詩
1500-861-#3-1181/2500765年永泰元年54-61-3

草堂逸詩拾遺。狂歌行贈四兄【短歌行贈四兄】

年:765年永泰元年54

卷別:    卷二三四              文體:    樂府

杜少陵集 巻十四

詩題:    狂歌行贈四兄【短歌行贈四兄】【案:草堂逸詩拾遺。】

作地點:              嘉州(劍南道北部 / 嘉州 / 嘉州)

及地點:             

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京兆、京師、京畿、西都

嘉州 (劍南道北部 嘉州 嘉州)          

交遊人物:四兄

 

 

狂歌行贈四兄

與兄行年校一賢者是兄愚者弟。

兄將富貴等浮雲,弟切功名好權勢。

長安秋雨十日泥,我曹鞴馬聽晨雞。

公卿朱門未開鎖,我曹已到肩相齊。

(古い時代の志が高く小事こととしないものが戯れで作ったように戯れて作った詩を従兄に贈る。)

我が四兄と、私が経過した年齢を比べてみるとたった一つ違いであるが、賢いのはというと決まって兄の方で、おろかなのは弟というものである。

そして兄は富貴を浮雲のように軽いものと考えており、弟は巧名を狙って権勢を得ることを好んでいるというものだ。

長安の秋の雨の時には十日もぬかるみが乾かない、その時、我々は朝の鶏の鳴き声を聞いてから、馬に跨って出かける用意をする。

高級官僚、公卿はその邸宅の朱門をまだ明けないうちから、中堅以下の者たちは到着して、列を作って肩を揃えているのである。

 

吾兄睡穩方舒膝,不襪不巾蹋曉日。

男啼女哭莫我知,身上須繒腹中實。

今年思我來嘉州,嘉州酒重花繞樓。

樓頭喫酒樓下臥,長歌短詠還相酬。

その頃従兄は、穏やかに眠っていてまさに膝が伸びたままだった、それから、足袋も履かず、頭巾もかぶらず朝日を受けて、のっそのっそと散歩する。

男の子が泣き、女の子が泣きじゃくるということについて、我々は、ほとんどそのわけを知ろうとはしないけれど、彼等の身には、服を着せてやらねばならないし、腹の中に一杯になるまで食わしてやらねばならない。

今年になって、この従兄は、私が成都を旅だったことを知らせると、嘉州まで来てくれて落ち合ったのだ、というのも、嘉州は、酒が十分に芳醇で色濃く、花は楼閣の辺りには咲き誇っているからだ。

楼閣の辺りで喫酒して、楼閣の軒下で眠る、そうして起きれば酒を呑み、自分と長歌短詠のやり取りをするのである。

 

四時八節還拘禮,女拜弟妻男拜弟。

幅巾鞶帶不挂身,頭脂足垢何曾洗。

吾兄吾兄巢許倫,一生喜怒長任真。

日斜枕肘寢已熟,啾啾唧唧為何人。

それでも、四季節ごとの八回のめでたい日には、きちんと礼儀をわきまえて、すべきことをされる。自分の娘に私の妻に対しての礼を拝し、男の子には、私に対しれの礼儀を尽くすように言い聞かせている。

ところが自分のこととなると、頭の髷に巻き付ける一幅の布とか、幅ひろの革の帯も身に着けるわけでもなく、頭は、あぶらと汚れでべとべとになり、足の汚れと垢でカサカサになっていても、綺麗に洗ったりすることなどしないのである。

ああ、我が従兄殿よ! 我が従兄殿よ! あなたは昔から、巢父や許由の同類であるとは思っていたが、一生涯の間、喜怒哀楽をそのまま表すお方であるということに間違いはない。

日が傾いても、肘を枕にして昼寝であってもぐっすりと寝込み、す-す-、ぐう-ぐう-、大いびきをかいて眠るという、その人はだれか、何を隠そう我が従兄、その人である。

(狂歌行 四兄に贈る)

兄と行年 校するに一賢者は是れ兄 愚者は弟。

兄は富貴を將って浮雲に等しくし,弟は功名を切にし 權勢を好む。

長安 秋雨 十日泥あり,我が曹 馬を鞴【よそお】いて晨雞を聽く。

公卿の朱門 未だ鎖を開かず,我が曹 已に到りて 肩相い齊【そろ】う。

 

吾が兄 睡り穩やかにして方に膝を舒ぶ,襪せず 巾せず 曉日を蹋む。

男啼き 女哭するも 我 知ること莫し,身上には 繒を須ち 腹中には實を。

今年 我を思うて嘉州に來り,嘉州は 酒 重くして 花 樓を繞る。

樓頭 酒を喫して 樓の下 臥し,長歌 短詠 還た相いに酬ゆ。

 

四時 八節 還た禮に拘わり,女は 弟が妻を拜し 男は弟を拜す。

幅巾 鞶帶 身に挂けず,頭には脂らつき 足には垢つくも 何ぞ曾て洗わん。

吾が兄 吾が兄 巢許の倫【ともがら】,一生 喜怒 長く真に任す。

日斜に 肘を枕にして寢るは已に熟す,啾啾 唧唧【しょくしょく】たるは何人か為さん。

 

蜀中転々圖 

『狂歌行贈四兄』 現代語訳と訳註解説

(本文)

四時八節還拘禮,女拜弟妻男拜弟。

幅巾鞶帶不挂身,頭脂足垢何曾洗。

吾兄吾兄巢許倫,一生喜怒長任真。

日斜枕肘寢已熟,啾啾唧唧為何人。

 

(含異文)

四時八節還拘禮,女拜弟妻男拜弟。

幅巾鞶帶不挂身,頭脂足垢何曾洗。

吾兄吾兄巢許倫,一生喜怒長任真。

日斜枕肘寢已熟,啾啾唧唧為何人【啾啾唧唧何為人】。

 

(下し文)

四時 八節 還た禮に拘わり,女は 弟が妻を拜し 男は弟を拜す。

幅巾 鞶帶 身に挂けず,頭には脂らつき 足には垢つくも 何ぞ曾て洗わん。

吾が兄 吾が兄 巢許の倫【ともがら】,一生 喜怒 長く真に任す。

日斜に 肘を枕にして寢るは已に熟す,啾啾 唧唧【しょくしょく】たるは何人か為さん。

 

(現代語訳)

それでも、四季節ごとの八回のめでたい日には、きちんと礼儀をわきまえて、すべきことをされる。自分の娘に私の妻に対しての礼を拝し、男の子には、私に対しれの礼儀を尽くすように言い聞かせている。

ところが自分のこととなると、頭の髷に巻き付ける一幅の布とか、幅ひろの革の帯も身に着けるわけでもなく、頭は、あぶらと汚れでべとべとになり、足の汚れと垢でカサカサになっていても、綺麗に洗ったりすることなどしないのである。

ああ、我が従兄殿よ! 我が従兄殿よ! あなたは昔から、巢父や許由の同類であるとは思っていたが、一生涯の間、喜怒哀楽をそのまま表すお方であるということに間違いはない。

日が傾いても、肘を枕にして昼寝であってもぐっすりと寝込み、す-す-、ぐう-ぐう-、大いびきをかいて眠るという、その人はだれか、何を隠そう我が従兄、その人である。

蜀成都1111

(訳注)

狂歌行贈四兄

(古い時代の志が高く小事こととしないものが戯れで作ったように戯れて作った詩を従兄に贈る。)

狂歌行 古い時代の志が高く小事こととしないものが戯れに作った詩。

四兄 四は排行、兄はいとこ関係にある人物。

 

四時八節還拘禮,女拜弟妻男拜弟。

それでも、四季節ごとの八回のめでたい日には、きちんと礼儀をわきまえて、すべきことをされる。自分の娘に私の妻に対しての礼を拝し、男の子には、私に対しれの礼儀を尽くすように言い聞かせている。

○四時:指春夏秋冬四季。

1年の四つの季節、春夏秋冬の総称。四季。

1か月中の四つの時。晦(かい)・朔(さく)・弦・望。

一日中の4回の座禅の時。黄昏(こうこん)(午後8時)・後夜(ごや)(午前4時)・早晨(そうじん)(午前10時)・晡時(ほじ)(午後4時)。

○八節:指立春、春分、立夏、夏至、立秋、秋分、立冬、冬至。泛指一年四季中各節氣。

1年のうちの、八つの季節の変わり目。二十四節気の中の、立春・春分・立夏・夏至・立秋・秋分・立冬・冬至をいう。

2節が八つあること。垣などの結い目が八段になっていること。転じて、節や段がたくさんあること。

拘禮 動詞 礼儀にこだわる.礼儀に拘束される。

 

幅巾鞶帶不挂身,頭脂足垢何曾洗。

ところが自分のこととなると、頭の髷に巻き付ける一幅の布とか、幅ひろの革の帯も身に着けるわけでもなく、頭は、あぶらと汚れでべとべとになり、足の汚れと垢でカサカサになっていても、綺麗に洗ったりすることなどしないのである。

○幅巾 頭の髷に巻き付ける一幅の布。

○鞶帶 幅ひろの革の帯。

○頭脂 あぶらと汚れでべとべとになる。

○足垢 足の汚れと垢でカサカサになること。

 

吾兄吾兄巢許倫,一生喜怒長任真。

ああ、我が従兄殿よ! 我が従兄殿よ! あなたは昔から、巢父や許由の同類であるとは思っていたが、一生涯の間、喜怒哀楽をそのまま表すお方であるということに間違いはない。

○巢許倫 巢父や許由の同類、友達である

○任真 そのまま表すお方であるということに間違いはない。

 

日斜枕肘寢已熟,啾啾唧唧為何人。

日が傾いても、肘を枕にして昼寝であってもぐっすりと寝込み、す-す-、ぐう-ぐう-、大いびきをかいて眠るという、その人はだれか、何を隠そう我が従兄、その人である。

○枕肘 肘を枕にして昼寝。夜は枕で寝る。

○熟 ぐっすりと寝込むこと。

○啾啾唧唧 いびきをかいている音をいう。

為何人 いかなる人がなしているのであるか。誰でもない、我が従兄であるということ。
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