杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
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● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
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2014年12月

766年大暦元年55歲-20-1奉節-12 《毒熱寄簡崔評事十六弟 -#1》 杜甫index-15 杜甫<892> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5345

(大暦元年初秋、残暑が厳しくたまらない暑さの中、従弟の評事官である徘行13の崔公輔より年少の徘行16の内弟崔某にこの詩を手紙として送った)

 
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 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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766年大暦元年55-20-1奉節-12 《毒熱寄簡崔評事十六弟 -#1》 杜甫index-15 杜甫<892 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5345


杜甫詩
1500-892-1240/2500766年大暦元年55-20-1

 

年:766年大暦元年55-20-1

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    毒熱寄簡崔評事十六弟

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:荊州 (山南東道 荊州 荊州) 別名:郢門         

揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海     

交遊人物:崔評事              書信往來

 

 

毒熱寄簡崔評事十六弟 #1

(大暦元年初秋、残暑が厳しくたまらない暑さの中、従弟の評事官である徘行13の崔公輔より年少の徘行16の内弟崔某にこの詩を手紙として送った)

大暑運金氣,荊揚不知秋。

「大暑」の厳しい暑さの中、それでも、天の金星が下りはじめて秋の気配を運んで来ようとしているが、此処荊揚の楚の地ではとんでもない暑さで、秋の気配など全く感じさせるものはない。

林下有塌翼,水中無行舟。

というのも、林の木陰には暑さに翼をやられて垂らしたままの鳥がいるし、河江に舟の行き交うことすらない。

千室但掃地,閉關人事休。

ここに在る千軒の家々でも、とにかく家の中で、地面に臥して涼を求めようとしているだけだ、そればかりか家の門の閂を閉じて、仕事も休んでじっとしている。

老夫轉不樂,旅次兼百憂。

自分は歳をとっているのでこの暑さは愈々面白くない、また、旅の途中のみで寓居に宿しているので、先々の事、心配事がおおくて苦慮している。

-#2

蝮蛇暮偃蹇,空床難暗投。

炎宵惡明燭,況乃懷舊丘。

開襟仰弟,執熱露白頭。

束帶負芒刺,接居成阻修。

何當清霜飛,會子臨江樓。

-#3

載聞大易義,諷興詩家流。

蘊藉異時輩,檢身非苟求。

皇皇使臣體,信是德業優。

楚材擇杞梓,漢苑歸驊騮。

短章達我心,理為識者籌。

 

(含異文)

大暑運金氣【大火運金氣】,荊揚不知秋。林下有塌翼,水中無行舟。千室但掃地,閉關人事休。老夫轉不樂【老大轉不樂】,旅次兼百憂。蝮蛇暮偃蹇,空床難暗投。炎宵惡明燭,況乃懷舊丘。開襟仰弟【開襟仰第】,執熱露白頭。束帶負芒刺,接居成阻修。何當清霜飛,會子臨江樓。載聞大易義,諷興詩家流【諷詠詩家流】。蘊藉異時輩,檢身非苟求。皇皇使臣體,信是德業優。楚材擇杞梓,漢苑歸驊騮。短章達我心,理為識者籌【理待識者籌】。

 

 

(毒熱 崔評事十六弟に寄簡す。)

#1

大暑 金氣を運び,荊揚 秋を知らず。

林下 塌翼【とうよく】有り,水中 行舟無し。

千室 但だ地を掃い,關を閉じて人事休す。

老夫 轉た樂しまず,旅次 百憂を兼ぬ。

-#2

蝮蛇 暮に偃蹇【えんてん】たり,空床 暗に投じ難し。

炎宵 明燭を惡む,況んや乃ち舊丘を懷うえをや。

開襟 弟を仰ぎ,執熱 白頭を露わす。

束帶 芒刺を負い,接居 阻修を成す。

何【いつ】か當に清霜飛びて,子に臨江の樓に會さん。

-#3

載【すなわ】ち大易の義を聞き,諷興【ふうきょう】せん 詩家の流。

蘊藉【うんしゃ】時輩に異なり,檢身 苟【いやし】くも求むるに非ず。

皇皇たり使臣の體,信に是れ德業優なり。

楚材 杞梓【きし】擇ばれ,漢苑 驊騮【かりゅうる】歸る。

短章 達我が心をし,理 識者の籌と為らん。

 唐時代 地図山南 東・西道50

 

『毒熱寄簡崔評事十六弟』現代語訳と訳註解説

(本文)

毒熱寄簡崔評事十六弟 #1

大暑運金氣,荊揚不知秋。

林下有塌翼,水中無行舟。

千室但掃地,閉關人事休。

老夫轉不樂,旅次兼百憂。

 

(下し文)

(毒熱 崔評事十六弟に寄簡す。)#1

大暑 金氣を運び,荊揚 秋を知らず。

林下 塌翼【とうよく】有り,水中 行舟無し。

千室 但だ地を掃い,關を閉じて人事休す。

老夫 轉た樂しまず,旅次 百憂を兼ぬ。

 

(現代語訳)

(大暦元年初秋、残暑が厳しくたまらない暑さの中、従弟の評事官である徘行13の崔公輔より年少の徘行16の内弟崔某にこの詩を手紙として送った)

「大暑」の厳しい暑さの中、それでも、天の金星が下りはじめて秋の気配を運んで来ようとしているが、此処荊揚の楚の地ではとんでもない暑さで、秋の気配など全く感じさせるものはない。

というのも、林の木陰には暑さに翼をやられて垂らしたままの鳥がいるし、河江に舟の行き交うことすらない。

ここに在る千軒の家々でも、とにかく家の中で、地面に臥して涼を求めようとしているだけだ、そればかりか家の門の閂を閉じて、仕事も休んでじっとしている。

自分は歳をとっているのでこの暑さは愈々面白くない、また、旅の途中のみで寓居に宿しているので、先々の事、心配事がおおくて苦慮している。

夔州東川卜居図001唐時代 地図山南 東・西道50 

 

(訳注)

毒熱寄簡崔評事十六弟 #1

(大暦元年初秋、残暑が厳しくたまらない暑さの中、従弟の評事官である徘行13の崔公輔より年少の徘行16の内弟崔某にこの詩を手紙として送った)

毒熱 たまらないあつさ。

崔評事十六弟 杜甫に『1523 贈崔十三評事公輔』詩あり。大理寺に属す出張裁判官の官名、母方の従弟の崔公輔より年少の徘行の内弟。

 

大暑運金氣,荊揚不知秋。

「大暑」の厳しい暑さの中、それでも、天の金星が下りはじめて秋の気配を運んで来ようとしているが、此処荊揚の楚の地ではとんでもない暑さで、秋の気配など全く感じさせるものはない。

大暑大火 大暑(たいしょ)は、二十四節気の第12六月中から下旬立秋まで(通常旧暦6月内)。 現在広まっている定気法では太陽黄経が120度のときで723日ごろ。大火:暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。大火心星、おおよそ七月に下る星。

金気 秋の気をいう。五行思想で秋は金が支配す、「月令」に「孟秋之月盛徳在金」とみえる。

 

林下有塌翼,水中無行舟。

というのも、林の木陰には暑さに翼をやられて垂らしたままの鳥がいるし、河江に舟の行き交うことすらない。

荊揚 荊揚、即ち江蘇省の地をいう。しかし、厳密には楚の地、杜甫は南方の義としてみている。

塌翼 くづれた翼、つばさ垂れて飛べない鳥。

 

千室但掃地,閉關人事休。

ここに在る千軒の家々でも、とにかく家の中で、地面に臥して涼を求めようとしているだけだ、そればかりか家の門の閂を閉じて、仕事も休んでじっとしている。

千室 千家。

掃地 地面に臥して涼を求めようとすること。

開閉 かんぬきをとざす。

人事休 仕事をやすむ。ここまで、楚地が灼熱であることをいう。

 

老夫轉不樂,旅次兼百憂。

自分は歳をとっているのでこの暑さは愈々面白くない、また、旅の途中のみで寓居に宿しているので、先々の事、心配事がおおくて苦慮している。

老夫 自己をいう。

旅次 たびでやどをすること。

766年大暦元年55歲-19-4奉節-11 《巻15-46 牽牛織女 -#4》 杜甫index-15 杜甫<882-4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5340

杜甫 奉節-11 《巻15-46 牽牛織女 -4だから君臣の間には、かりに方円相合わない場合があったとしても、臣たるもの丈夫ならば、丈夫には英雄が多きもの、故に彼は決して苟進苟合をするものではない、それは、あたかも女が、非礼以て男子に合を求めててはいけないというのと同様である。

 

 
 2014年12月29日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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155-#4 《巻02-04 梁甫吟 -#4》(改訂)Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <155-#4> Ⅰ李白詩1358 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5338 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
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 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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30-(3) §1-3 《讀巻05-05 畫記 -(3)》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1271> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5339 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
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 孟郊張籍     
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-19-4奉節-11 《巻15-46 牽牛織女 -#4》 杜甫index-15 杜甫<882-4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5340 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor『花間集』全詩訳注解説(改訂)-1溫庭筠29《巻1-29 定西番三首其三》溫庭筠66首巻一29-〈29〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5342 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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766年大暦元年55-19-4奉節-11 《巻15-46 牽牛織女 -4 杜甫index-15 杜甫<882-4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5340

 

 

杜甫詩1500-882-4-1239/2500766年大暦元年55-19-4

年:766年大暦元年55-19-3

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    牽牛織女

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

 

 

牽牛織女 -#1

(奉節で未婚女性を見て、牽牛星と織女星との事に感じて詠んだ詩。大層元年七月夔州奉節での作。)

牽牛出河西,織女處其東。

牽牛星は伸びた天の河の西から出で、織女星は天の河の東にいる。

萬古永相望,七夕誰見同。

二つの星は萬年たっても東西に在り、かくして永久に望みおうているのだ、たしかに、だれが七夕の日に二つの星が会合するのを見たものがあろうか。

神光意難候,此事終蒙朧。

彼等は年に一回會合するといわれてはいるが、その時明るく不思議な光となるけれど、結局うかがうことがむつかしく、曾合するということまではつまりぼんやりとしてはっきりしないことなのだ。

颯然精靈合,何必秋遂通。

星の神のすることであるなら、さっと風の吹きわたる様に牛女二星の二つの魂が寄り合うても良いのである、なんで秋になるのを待ってはじめてであう必要があるというものか。

-#2

亭亭新妝立,龍駕具曾空。

ともかく夕方になると天上では織女星が活け高くお化粧を新しくして立ち、高い空には龍駕が用意されることだろう。

世人亦為爾,祈請走兒童。

これを見て世人もまた彼等のために祭りをして、御利益にあずかろうといろいろの願い事をし、子供らまで願い事で奔走する。

稱家隨豐儉,白屋達公宮。

お祭りのしかたは家々の貧富に応じてするもので、茅葺のあばら屋から、上は公の身分御殿にまでお祭りは達せられる。

膳夫翊堂殿,鳴玉淒房櫳。

料理方はつつしんで表座敷や正殿に御馳走をならべる、婦女子等は佩び玉を鳴らして、適齢の男がいないので寂しそうなあきらめの面持ちで、閨の格子窓から出かけてくる。

-#3

曝衣遍天下,曳月揚微風。

衣裳のむしぼしをするのは天下ではだれもがおこなわねばならないことであり、婦女子等は、月経前に着物のもすそを曳いてそよ吹く風にそれをひるがへす。

蛛絲小人態,曲綴瓜果中。

またつまらぬ小人たちのすることではあるが、機織り、裁縫が上手になりたいために、瓜などにわざわざ蜘蛛の絲でもってぐるぐる巻きにする。

初筵裛重露,日出甘所終。

祭筵の初めのころは露がおもくふってくる頃であって-夜があけて太陽がでる頃になるとはじめて祭りの終ることに得心する。

嗟汝未嫁女,秉心鬱忡忡。

ああ、この地に多い未婚の処女らよ。汝等はふだんなら物思うに胸をふさいで心配しているだけではあろう。

防身動如律,竭力機杼中。

峯動厳格に身を守り、節操をうしなわないようにすること、機織りの作業を引き続いてしつつ勉強している。

-#4

雖無姑舅事,敢昧織作功。

たとえ舅姑には仕えていないものでも、はたおり、裁縫を学んでないからといって機織りの業をすることができないということをなくしたいとおもっているのだ。

明明君臣契,咫尺或未容。

この祭りで自身が感じたのは、「明明白白たる君臣の契り」もごく近い所にいる二つながら相い容れないことがあるということだ。

義無棄禮法,恩始夫婦恭。

合い容れないことというのは、君臣の義に於いて、臣たるものは決して礼法を棄てることはない、丁度それは男女が夫婦たらんとするにあたりで、その恩義においては、両者の間に恭順尊敬の礼が存するところから始まると似た関係にある。

小大有佳期,戒之在至公。

その関係は夫婦が小であり、君臣について大ということで、二者それぞれに佳期といふものがあるが、之を爲すには無私至公を以てせねばならないということだ。

方圓苟齟齬,丈夫多英雄。

だから君臣の間には、かりに方円相合わない場合があったとしても、臣たるもの丈夫ならば、丈夫には英雄が多きもの、故に彼は決して苟進苟合をするものではない、それは、あたかも女が、非礼以て男子に合を求めててはいけないというのと同様である。

 

(牽牛織女)#1

牽牛河西に出で、織女其の東に處る。

万古 永く相望む、七ダ 誰か同じくするを見む。

神光 竟に候【うかが】い難し、此の事終に朦朧たり。

颯然 精靈合す、何ぞ必ずしも秋遂に逢わんや。

#2

亭亭 薪粧立つ、龍駕 曾空に具う。

世人 亦た爾が虜めに、祈請して兒童走る。

家に称【かな】いて豐儉に随い、白屋より公宮に達す。

膳夫堂殿に翊【つつし】む、鳴玉 房櫳に凄たり。

#3

曝衣は天下に遍【あまね】し、月に曳きて微風に揚る。

蛛絲は小人の態、曲綴【きょくてい】す瓜果の中。

初筵 重露に裛まる、日出 終る所に甘んず。

嗟 汝 未嫁の女、秉心 鬱として忡忡たり。

防身 動くこと律の如く、力を竭【つく】す機杼【きちょ】の中。

#4

舅姑の事無しと雖も、散で昧からむや織作の功。

明明君臣の契、咫尺 或は未だ容れず。

義 禮法を棄つる無し、恩は夫婦の恭なるより始まる。

小大 佳期有り、之を戒むること至公なるに在り。

方圓 筍くも齟齬するも、丈夫には英雄多し。」

 

 唐時代 地図山南 東・西道50

『牽牛織女』 現代語訳と訳註解説

(本文)4

雖無姑舅事,敢昧織作功。

明明君臣契,咫尺或未容。

義無棄禮法,恩始夫婦恭。

小大有佳期,戒之在至公。

方圓苟齟齬,丈夫多英雄。

 

(下し文) #4

舅姑の事無しと雖も、散で昧からむや織作の功。

明明君臣の契、咫尺 或は未だ容れず。

義 禮法を棄つる無し、恩は夫婦の恭なるより始まる。

小大 佳期有り、之を戒むること至公なるに在り。

方圓 筍くも齟齬するも、丈夫には英雄多し。」

 

(現代語訳)

たとえ舅姑には仕えていないものでも、はたおり、裁縫を学んでないからといって機織りの業をすることができないということをなくしたいとおもっているのだ。

この祭りで自身が感じたのは、「明明白白たる君臣の契り」もごく近い所にいる二つながら相い容れないことがあるということだ。

合い容れないことというのは、君臣の義に於いて、臣たるものは決して礼法を棄てることはない、丁度それは男女が夫婦たらんとするにあたりで、その恩義においては、両者の間に恭順尊敬の礼が存するところから始まると似た関係にある。

その関係は夫婦が小であり、君臣について大ということで、二者それぞれに佳期といふものがあるが、之を爲すには無私至公を以てせねばならないということだ。

だから君臣の間には、かりに方円相合わない場合があったとしても、臣たるもの丈夫ならば、丈夫には英雄が多きもの、故に彼は決して苟進苟合をするものではない、それは、あたかも女が、非礼以て男子に合を求めててはいけないというのと同様である。

 

夔州東川卜居図001(訳注) -#4

牽牛織女 -2

(奉節で適齢期を過ぎた未婚女性を見て、牽牛星と織女星との事に感じて詠んだ詩。大層元年七月夔州奉節での作。)

牽牛織女 牽牛はひこ星。織女はたなばた星、《「晉書」天文志》、「織女三星,在天紀東端,天女也,主果蓏絲帛珍寶也。」(織女三星は天紀の東端にあり、天女なり、果蔬絲帛珍寶を主る、と。)

 

雖無姑舅事,敢昧織作功。

たとえ舅姑には仕えていないものでも、はたおり、裁縫を学んでないからといって機織りの業をすることができないということをなくしたいとおもっているのだ。

姑舅事 しゅうと、しゅうとめに仕える事がら。

 不知案内。

織作功 はたおりのわざ。

 

明明君臣契,咫尺或未容。

この祭りで自身が感じたのは、「明明白白たる君臣の契り」もごく近い所にいる二つながら相い容れないことがあるということだ。

君臣契 君と臣とのちぎり。

咫尺或未容 咫尺はわずかの距離、そばちかくをいふ、未容とは君臣相容れざるなり。そのあいだがぴったりあっていないことをいう。

 

義無棄禮法,恩始夫婦恭。

合い容れないことというのは、君臣の義に於いて、臣たるものは決して礼法を棄てることはない、丁度それは男女が夫婦たらんとするにあたりで、その恩義においては、両者の間に恭順尊敬の礼が存するところから始まると似た関係にある。

義 君臣の雫 

棄禮法 主として臣下たる者が臣としての礼法をすてことをいう。

恩始夫婦恭 上に義をいい、ここに恩をいうも、恩義二着は互にかねていっている、上の義にも恩をふくみ、この恩にも義を含む。恭とは夫婦の間に恭敬の礼を存するをいう。これは巳に夫婦となれるもりについて言うに非ず、未婚の男女、まさに夫婦たらんとするものについていう。夫婦恭は男女恭なりと知るべし。

 

小大有佳期,戒之在至公。

その関係は夫婦が小であり、君臣について大ということで、二者それぞれに佳期といふものがあるが、之を爲すには無私至公を以てせねばならないということだ。

小大 小は男女夫婦間をいう。大は君臣間をさす。

佳期 男女、君臣、両者が相会するを佳期という。

至公 公平の極、私邪のないことをいう。

 

方圓苟齟齬,丈夫多英雄。

だから君臣の間には、かりに方円相合わない場合があったとしても、臣たるもの丈夫ならば、丈夫には英雄が多きもの、故に彼は決して苟進苟合をするものではない、それは、あたかも女が、非礼以て男子に合を求めててはいけないというのと同様である。

方圓苟齟齬 楚辞九辯に、「圜鑿而方枘兮,吾固知其鉏鋙而難入。」(圜鑿【えんそう】にして方枘【ほうぜい】、吾 固【もと】より其の【そご】して入り難きを知る。)ノミで開けた円い穴に四角なくさびをとめる、私はもともとそのくいちがっているものが入り難いことを知っている。のみで孔をあける、方枘は四角形にした材木のさしこみの頭なり、四角のさしこみを囲いあなにはめようとしてもくいちがって遭わない。句の意味は、此処でも、君主と家臣のあひだくいちがって合和ない旨をいう。

九辯 第五段-2 宋玉  <00-#12>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 641 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2189

丈夫多英雄 英雄多しというは英雄なれば礼法を棄ててまで君主に近づかんとするものは無しとの意なり。以上は男女、夫婦の事より君臣の関係に及び、男女の苟合すべからざるごとく君臣も苟合すべからざるなりといえり。ここでは杜甫自身が感じたことをいう。

 

 

 

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杜甫詩
1500-882-3-1238/2500766年大暦元年55-19-3

 

 

年:766年大暦元年55-19-3

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    牽牛織女

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

 

 

 

牽牛織女 -#1

(奉節で未婚女性を見て、牽牛星と織女星との事に感じて詠んだ詩。大層元年七月夔州奉節での作。)

牽牛出河西,織女處其東。

牽牛星は伸びた天の河の西から出で、織女星は天の河の東にいる。

萬古永相望,七夕誰見同。

二つの星は萬年たっても東西に在り、かくして永久に望みおうているのだ、たしかに、だれが七夕の日に二つの星が会合するのを見たものがあろうか。

神光意難候,此事終蒙朧。

彼等は年に一回會合するといわれてはいるが、その時明るく不思議な光となるけれど、結局うかがうことがむつかしく、曾合するということまではつまりぼんやりとしてはっきりしないことなのだ。

颯然精靈合,何必秋遂通。

星の神のすることであるなら、さっと風の吹きわたる様に牛女二星の二つの魂が寄り合うても良いのである、なんで秋になるのを待ってはじめてであう必要があるというものか。

-#2

亭亭新妝立,龍駕具曾空。

ともかく夕方になると天上では織女星が活け高くお化粧を新しくして立ち、高い空には龍駕が用意されることだろう。

世人亦為爾,祈請走兒童。

これを見て世人もまた彼等のために祭りをして、御利益にあずかろうといろいろの願い事をし、子供らまで願い事で奔走する。

稱家隨豐儉,白屋達公宮。

お祭りのしかたは家々の貧富に応じてするもので、茅葺のあばら屋から、上は公の身分御殿にまでお祭りは達せられる。

膳夫翊堂殿,鳴玉淒房櫳。

料理方はつつしんで表座敷や正殿に御馳走をならべる、婦女子等は佩び玉を鳴らして、適齢の男がいないので寂しそうなあきらめの面持ちで、閨の格子窓から出かけてくる。

-#3

曝衣遍天下,曳月揚微風。

衣裳のむしぼしをするのは天下ではだれもがおこなわねばならないことであり、婦女子等は、月経前に着物のもすそを曳いてそよ吹く風にそれをひるがへす。

蛛絲小人態,曲綴瓜果中。

またつまらぬ小人たちのすることではあるが、機織り、裁縫が上手になりたいために、瓜などにわざわざ蜘蛛の絲でもってぐるぐる巻きにする。

初筵裛重露,日出甘所終。

祭筵の初めのころは露がおもくふってくる頃であって-夜があけて太陽がでる頃になるとはじめて祭りの終ることに得心する。

嗟汝未嫁女,秉心鬱忡忡。

ああ、この地に多い未婚の処女らよ。汝等はふだんなら物思うに胸をふさいで心配しているだけではあろう。

防身動如律,竭力機杼中。

峯動厳格に身を守り、節操をうしなわないようにすること、機織りの作業を引き続いてしつつ勉強している。

-#4

雖無姑舅事,敢昧織作功。

明明君臣契,咫尺或未容。

義無棄禮法,恩始夫婦恭。

小大有佳期,戒之在至公。

方圓苟齟齬,丈夫多英雄。

 

(牽牛織女)#1

牽牛河西に出で、織女其の東に處る。

万古 永く相望む、七ダ 誰か同じくするを見む。

神光 竟に候【うかが】い難し、此の事終に朦朧たり。

颯然 精靈合す、何ぞ必ずしも秋遂に逢わんや。

#2

亭亭 薪粧立つ、龍駕 曾空に具う。

世人 亦た爾が虜めに、祈請して兒童走る。

家に称【かな】いて豐儉に随い、白屋より公宮に達す。

膳夫堂殿に翊【つつし】む、鳴玉 房櫳に凄たり。

#3

曝衣は天下に遍【あまね】し、月に曳きて微風に揚る。

蛛絲は小人の態、曲綴【きょくてい】す瓜果の中。

初筵 重露に裛まる、日出 終る所に甘んず。

嗟 汝 未嫁の女、秉心 鬱として忡忡たり。

防身 動くこと律の如く、力を竭【つく】す機杼【きちょ】の中。

#4

舅姑の事無しと雖も、散で昧からむや織作の功。

明明君臣の契、咫尺 或は未だ容れず。

義 禮法を棄つる無し、恩は夫婦の恭なるより始まる。

小大 佳期有り、之を戒むること至公なるに在り。

方圓 筍くも齟齬するも、丈夫には英雄多し。」

夔州東川卜居図001 

 

『牽牛織女』 現代語訳と訳註解説

(本文)

-#3

曝衣遍天下,曳月揚微風。

蛛絲小人態,曲綴瓜果中。

初筵裛重露,日出甘所終。

嗟汝未嫁女,秉心鬱忡忡。

防身動如律,竭力機杼中。

 

(下し文) #3

曝衣は天下に遍【あまね】し、月に曳きて微風に揚る。

蛛絲は小人の態、曲綴【きょくてい】す瓜果の中。

初筵 重露に裛まる、日出 終る所に甘んず。

嗟 汝 未嫁の女、秉心 鬱として忡忡たり。

防身 動くこと律の如く、力を竭【つく】す機杼【きちょ】の中。

 

(現代語訳)

衣裳のむしぼしをするのは天下ではだれもがおこなわねばならないことであり、婦女子等は、月経前に着物のもすそを曳いてそよ吹く風にそれをひるがへす。

またつまらぬ小人たちのすることではあるが、機織り、裁縫が上手になりたいために、瓜などにわざわざ蜘蛛の絲でもってぐるぐる巻きにする。

祭筵の初めのころは露がおもくふってくる頃であって-夜があけて太陽がでる頃になるとはじめて祭りの終ることに得心する。

ああ、この地に多い未婚の処女らよ。汝等はふだんなら物思うに胸をふさいで心配しているだけではあろう。

峯動厳格に身を守り、節操をうしなわないようにすること、機織りの作業を引き続いてしつつ勉強している。

銀河002 

(訳注) -#3

牽牛織女 -2

(奉節で適齢期を過ぎた未婚女性を見て、牽牛星と織女星との事に感じて詠んだ詩。大層元年七月夔州奉節での作。)

牽牛織女 牽牛はひこ星。織女はたなばた星、《「晉書」天文志》、「織女三星,在天紀東端,天女也,主果蓏絲帛珍寶也。」(織女三星は天紀の東端にあり、天女なり、果蔬絲帛珍寶を主る、と。) 

曝衣遍天下,曳月揚微風。

衣裳のむしぼしをするのは天下ではだれもがおこなわねばならないことであり、婦女子等は、月経前に着物のもすそを曳いてそよ吹く風にそれをひるがへす。

曝衣 七夕には経書及び衣裳をさらす風習あった。

曳月 婦女が月前にもすそをひくをいう。

揚微風 衣のすそがそよふく風にまくれあがる。

 

蛛絲小人態,曲綴瓜果中。

またつまらぬ小人たちのすることではあるが、機織り、裁縫が上手になりたいために、瓜などにわざわざ蜘蛛の絲でもってぐるぐる巻きにする。

蛛絲小人態,曲綴瓜果中 二句「刑楚歳時記」にいう。・七夕に、人家の婦女・綵縷を結び七孔の針を穿ち瓜果ね庭中にならべて巧を乞ふ、蜘蛛が瓜上に網するものあれば以て巧み得たりとなす。蛛絲はくもりいと、小人とは世間なみの人人をいう。曲綴は人手でからがくこと。瓜果は「うり」などのくだもの。縄やロープで物の周りをグルグル巻きにして強く縛る意味をもっていて、荷造りとか捕まえた泥棒の手足等を解けない様にガッチリと縛る時に使う。

 

初筵裛重露,日出甘所終。

祭筵の初めのころは露がおもくふってくる頃であって-夜があけて太陽がでる頃になるとはじめて祭りの終ることに得心する。

初筵 祭筵の初めのころ。

裛重露 おもきつゆにつつまれる、宵のふんいきにのらないさまをいう。

日出 翌日の朝太陽のでること。

甘所終 得心して祭りの終りとする。以上世俗の祭事をのぶ。

 

 

嗟汝未嫁女,秉心鬱忡忡。

ああ、この地に多い未婚の処女らよ。汝等はふだんなら物思うに胸をふさいで心配しているだけではあろう。

嗟汝 汝は未嫁女をさす。

未嫁女 未婚のおんな。いかず後家。

秉心 心のもちかた。

鬱忡忡 忡忡は憂えているすがた。鬱は胸のふさがるさま、未嫁の女婚前にあるのでいろいろ内心に思うところがあるということ。

 

防身動如律,竭力機杼中。

峯動厳格に身を守り、節操をうしなわないようにすること、機織りの作業を引き続いてしつつ勉強している。

防身 節操を失はないように、身をふせぐこと。この頃は、夜這い婚が多いため。

動如律 節操を護るため律令の如く規律を厳格に挙動する。

竭力 勤勉、勉励すること。

機杼中 機は織機、機織り作業中をいう。
00大豆畑 

766年大暦元年55歲-19-2奉節-11 《巻15-46 牽牛織女 -#2》 杜甫index-15 杜甫<882-2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5330

杜甫 奉節-11 《巻15-46 牽牛織女 -2ともかく夕方になると天上では織女星が活け高くお化粧を新しくして立ち、高い空には龍駕が用意されることだろう。

 

 
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杜甫詩1500-882-2-1237/2500766年大暦元年55-19-2

 

 

 

年:66年大暦元年55-19-2

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    牽牛織女

作地點: 夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

 

 

牽牛織女 -#1

(奉節で適齢期を過ぎた未婚女性を見て、牽牛星と織女星との事に感じて詠んだ詩。大層元年七月夔州奉節での作。)

牽牛出河西,織女處其東。

牽牛星は伸びた天の河の西から出で、織女星は天の河の東にいる。

萬古永相望,七夕誰見同。

二つの星は萬年たっても東西に在り、かくして永久に望みおうているのだ、たしかに、だれが七夕の日に二つの星が会合するのを見たものがあろうか。

神光意難候,此事終蒙朧。

彼等は年に一回會合するといわれてはいるが、その時明るく不思議な光となるけれど、結局うかがうことがむつかしく、曾合するということまではつまりぼんやりとしてはっきりしないことなのだ。

颯然精靈合,何必秋遂通。

星の神のすることであるなら、さっと風の吹きわたる様に牛女二星の二つの魂が寄り合うても良いのである、なんで秋になるのを待ってはじめてであう必要があるというものか。

-#2

亭亭新妝立,龍駕具曾空。

ともかく夕方になると天上では織女星が活け高くお化粧を新しくして立ち、高い空には龍駕が用意されることだろう。

世人亦為爾,祈請走兒童。

これを見て世人もまた彼等のために祭りをして、御利益にあずかろうといろいろの願い事をし、子供らまで願い事で奔走する。

稱家隨豐儉,白屋達公宮。

お祭りのしかたは家々の貧富に応じてするもので、茅葺のあばら屋から、上は公の身分御殿にまでお祭りは達せられる。

膳夫翊堂殿,鳴玉淒房櫳。

料理方はつつしんで表座敷や正殿に御馳走をならべる、婦女子等は佩び玉を鳴らして、適齢の男がいないので寂しそうなあきらめの面持ちで、閨の格子窓から出かけてくる。

-#3

曝衣遍天下,曳月揚微風。

蛛絲小人態,曲綴瓜果中。

初筵裛重露,日出甘所終。

嗟汝未嫁女,秉心鬱忡忡。

防身動如律,竭力機杼中。

-#4

雖無姑舅事,敢昧織作功。

明明君臣契,咫尺或未容。

義無棄禮法,恩始夫婦恭。

小大有佳期,戒之在至公。

方圓苟齟齬,丈夫多英雄。

 

(牽牛織女)#1

牽牛河西に出で、織女其の東に處る。

万古 永く相望む、七ダ 誰か同じくするを見む。

神光 竟に候【うかが】い難し、此の事終に朦朧たり。

颯然 精靈合す、何ぞ必ずしも秋遂に逢わんや。

#2

亭亭 薪粧立つ、龍駕 曾空に具う。

世人 亦た爾が虜めに、祈請して兒童走る。

家に称【かな】いて豐儉に随い、白屋より公宮に達す。

膳夫堂殿に翊【つつし】む、鳴玉 房櫳に凄たり。

#3

曝衣は天下に遍し、月に曳きて微風に揚る。

蛛絲は小人の態、曲綴す瓜果の中。

初筵 重露に裛まる、日出 終る所に甘んず。

嗟 汝 未嫁の女、秉心 鬱として忡忡たり。

防身動くこと律の如く、力を竭す機杼の中。

#4

舅姑の事無しと雖も、散で昧からむや織作の功。

明明君臣の契、咫尺 或は未だ容れず。

義 禮法を棄つる無し、恩は夫婦の恭なるより始まる。

小大 佳期有り、之を戒むること至公なるに在り。

方圓 筍くも齟齬するも、丈夫には英雄多し。」

 

 

『牽牛織女』 現代語訳と訳註解説

(本文)#2

亭亭新妝立,龍駕具曾空。

世人亦為爾,祈請走兒童。

稱家隨豐儉,白屋達公宮。

膳夫翊堂殿,鳴玉淒房櫳。

 

 

(下し文)

#2

亭亭 薪粧立つ、龍駕 曾空に具う。

世人 亦た爾が虜めに、祈請して兒童走る。

家に称【かな】いて豐儉に随い、白屋より公宮に達す。

膳夫堂殿に翊【つつし】む、鳴玉 房櫳に凄たり。

 

(現代語訳)

ともかく夕方になると天上では織女星が活け高くお化粧を新しくして立ち、高い空には龍駕が用意されることだろう。

これを見て世人もまた彼等のために祭りをして、御利益にあずかろうといろいろの願い事をし、子供らまで願い事で奔走する。

お祭りのしかたは家々の貧富に応じてするもので、茅葺のあばら屋から、上は公の身分御殿にまでお祭りは達せられる。

料理方はつつしんで表座敷や正殿に御馳走をならべる、婦女子等は佩び玉を鳴らして、適齢の男がいないので寂しそうなあきらめの面持ちで、閨の格子窓から出かけてくる。

 

(訳注)

牽牛織女 -2

(奉節で未婚女性を見て、牽牛星と織女星との事に感じて詠んだ詩。大層元年七月夔州奉節での作。)

牽牛織女 牽牛はひこ星。織女はたなばた星、《「晉書」天文志》、「織女三星,在天紀東端,天女也,主果蓏絲帛珍寶也。」(織女三星は天紀の東端にあり、天女なり、果蔬絲帛珍寶を主る、と。)

 

亭亭新妝立,龍駕具曾空。

ともかく夕方になると天上では織女星が活け高くお化粧を新しくして立ち、高い空には龍駕が用意されることだろう。

亭亭 1 樹木などが高くまっすぐにそびえているさま。2 遠くはるかなさま。

新妝立 織姫女星が装って立っていること。

龍駕 龍にひかせるくるま、これは、妻とか妾の所に行く場合は、男の馬車ということだが、中国は、嫁に行く場合だけ、紅い着物で紅い隠し袋に包まれて向う。牽牛星の所に向かう車を用意したということ。

 

世人亦為爾,祈請走兒童。

これを見て世人もまた彼等のために祭りをして、御利益にあずかろうといろいろの願い事をし、子供らまで願い事で奔走する。

為爾 汝がために、汝とは牛女のふたりをさす。

祈請 七夕の際に願い事をいのりたのむこと、男女の縁に恵まれること、身近な女としての願い、織物が上手くなることのいのりごとをいう。

 

稱家隨豐儉,白屋達公宮。

お祭りのしかたは家々の貧富に応じてするもので、茅葺のあばら屋から、上は公の身分御殿にまでお祭りは達せられる。

稱家 家家の財カにかなうほどの祭り。

豐儉 財力の多少料理を〕 

白屋 茅ぶきの家、貧家をさす。

公宮 身分ある者の家。

 

膳夫翊堂殿,鳴玉淒房櫳。

料理方はつつしんで表座敷や正殿に御馳走をならべる、婦女子等は佩び玉を鳴らして、適齢の男がいないので寂しそうなあきらめの面持ちで、閨の格子窓から出かけてくる。

膳夫 料理を作り、並べる者たち。

翊堂殿 翊は敬うすがたをいう。つつしみて供えものを陳設することをいう。

鳴玉 婦女子が、閨室より出で来るのに、佩び玉を鳴らしながらでてくること。

淒房櫳 淒は音の響きがつめたくかんじることで、その場を去ることをいう。房は、女たちの閨、櫳は格子窓。

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    牽牛織女

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

 

 

牽牛織女 -#1

(奉節で未婚女性を見て、牽牛星と織女星との事に感じて詠んだ詩。大層元年七月夔州奉節での作。)

牽牛出河西,織女處其東。

牽牛星は伸びた天の河の西から出で、織女星は天の河の東にいる。

萬古永相望,七夕誰見同。

二つの星は萬年たっても東西に在り、かくして永久に望みおうているのだ、たしかに、だれが七夕の日に二つの星が会合するのを見たものがあろうか。

神光意難候,此事終蒙朧。

彼等は年に一回會合するといわれてはいるが、その時明るく不思議な光となるけれど、結局うかがうことがむつかしく、曾合するということまではつまりぼんやりとしてはっきりしないことなのだ。

颯然精靈合,何必秋遂通。

星の神のすることであるなら、さっと風の吹きわたる様に牛女二星の二つの魂が寄り合うても良いのである、なんで秋になるのを待ってはじめてであう必要があるというものか。

-#2

亭亭新妝立,龍駕具曾空。

世人亦為爾,祈請走兒童。

稱家隨豐儉,白屋達公宮。

膳夫翊堂殿,鳴玉淒房櫳。

-#3

曝衣遍天下,曳月揚微風。

蛛絲小人態,曲綴瓜果中。

初筵裛重露,日出甘所終。

嗟汝未嫁女,秉心鬱忡忡。

防身動如律,竭力機杼中。

-#4

雖無姑舅事,敢昧織作功。

明明君臣契,咫尺或未容。

義無棄禮法,恩始夫婦恭。

小大有佳期,戒之在至公。

方圓苟齟齬,丈夫多英雄。

 

(牽牛織女)#1

牽牛河西に出で、織女其の東に處る。

万古 永く相望む、七ダ 誰か同じくするを見む。

神光 竟に候【うかが】い難し、此の事終に朦朧たり。

颯然 精靈合す、何ぞ必ずしも秋遂に逢わんや。

#2

亭亭 薪粧立つ、龍駕 曾空に具う。

世人 亦た爾が虜めに、祈請して兒童走る。

家に称【かな】いて豐儉に随い、白屋より公宮に達す。

膳夫堂殿に翊【つつし】む、鳴玉 房櫳に凄たり。

#3

曝衣は天下に遍し、月に曳きて微風に揚る。

蛛絲は小人の態、曲綴す瓜果の中。

初筵 重露に裛まる、日出 終る所に甘んず。

嗟 汝 未嫁の女、秉心 鬱として忡忡たり。

防身動くこと律の如く、力を竭す機杼の中。

#4

舅姑の事無しと雖も、散で昧からむや織作の功。

明明君臣の契、咫尺 或は未だ容れず。

義 禮法を棄つる無し、恩は夫婦の恭なるより始まる。

小大 佳期有り、之を戒むること至公なるに在り。

方圓 筍くも齟齬するも、丈夫には英雄多し。」

 

 

『牽牛織女』 現代語訳と訳註解説

(本文)

牽牛織女 -#1

牽牛出河西,織女處其東。

萬古永相望,七夕誰見同。

神光意難候,此事終蒙朧。

颯然精靈合,何必秋遂通。

 

(下し文)

(牽牛織女)

牽牛河西に出で、織女其の東に處る。

万古 永く相望む、七ダ 誰か同じくするを見む。

神光 竟に候【うかが】い難し、此の事終に朦朧たり。

颯然 精靈合す、何ぞ必ずしも秋遂に逢わんや。

 

(現代語訳)

(奉節で未婚女性を見て、牽牛星と織女星との事に感じて詠んだ詩。大層元年七月夔州奉節での作。)

牽牛星は伸びた天の河の西から出で、織女星は天の河の東にいる。

二つの星は萬年たっても東西に在り、かくして永久に望みおうているのだ、たしかに、だれが七夕の日に二つの星が会合するのを見たものがあろうか。

彼等は年に一回會合するといわれてはいるが、その時明るく不思議な光となるけれど、結局うかがうことがむつかしく、曾合するということまではつまりぼんやりとしてはっきりしないことなのだ。

星の神のすることであるなら、さっと風の吹きわたる様に牛女二星の二つの魂が寄り合うても良いのである、なんで秋になるのを待ってはじめてであう必要があるというものか。

夔州東川卜居図001 

(訳注)

牽牛織女 -#1

(奉節で未婚女性を見て、牽牛星と織女星との事に感じて詠んだ詩。大層元年七月夔州奉節での作。)

牽牛織女 牽牛はひこ星。織女はたなばた星、《「晉書」天文志》、「織女三星,在天紀東端,天女也,主果蓏絲帛珍寶也。」(織女三星は天紀の東端にあり、天女なり、果蔬絲帛珍寶を主る、と。)

 

牽牛出河西,織女處其東。

牽牛星は伸びた天の河の西から出で、織女星は天の河の東にいる。

河西 河は銀河、あまのがわであり、銀河の西にかかるまでの様子。

 

萬古永相望,七夕誰見同。

二つの星は萬年たっても東西に在り、かくして永久に望みおうているのだ、たしかに、だれが七夕の日に二つの星が会合するのを見たものがあろうか。

七夕誰見同 七夕同とけ七月七日のタに二星が会同するこという。 呉均《續齊諧記》謂「曰桂陽城武丁、有仙道、忽謂其弟曰、七月七日織女當渡河。吾向巳被召、弟問織女何事渡河。答曰荅曰暫詣牽牛。」(桂陽の成武丁、仙遺あり、忽ち弟に謂って曰く、七月七日に織女まさに河を渡るべし、吾さきに巳に召さると、弟曰く、何事ありてか織女河を渡るや、武丁曰く、暫く牽牛に謂るなり。)

 

神光意難候,此事終蒙朧。

彼等は年に一回會合するといわれてはいるが、その時明るく不思議な光となるけれど、結局うかがうことがむつかしく、曾合するということまではつまりぼんやりとしてはっきりしないことなのだ。

神光 白く明るく瞬く不思議なる星の光り。

 うかがふ。

此事 牛女星の會合のこと。

蒙脂 おぼろげ。

 

颯然精靈合,何必秋遂通。

星の神のすることであるなら、さっと風の吹きわたる様に牛女二星の二つの魂が寄り合うても良いのである、なんで秋になるのを待ってはじめてであう必要があるというものか。

颯然 風のわたるさま。

精霊合 二星のたましいが合体する。 

秋遂通 秋時をまって遂ににであふ。

ここまで、牛女二星会合のことの俗説にとどまることであるという。 
銀河002 三峡 巫山十二峰001


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奉節-10 《巻15-45 七月三日亭午已後較熱退晚・・・・曹長 #-5 杜甫兵乱兵馬の塵埃のあいだに右往左往しているうちにあかぎの杖をついてしまうことになり、面貌は老醜なものとかわりはて、徒年の名馬もとても手をかけて毛なみをうつくしくしてやることはむつかしい。

 

 
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766-18-5奉節-10 《巻15-45 七月三日亭午已後較熱退晚,加小涼穩睡有詩,因論壯年樂事,戲呈元二十一曹長 #-5 杜甫index-15881-5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5320

杜甫詩1500-881-5-1235/2500766年大暦元年55-18-5

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    七月三日亭午已後較熱退晚,加小涼穩睡有詩,因論壯年樂事,戲呈元二十一曹長

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

交遊人物:元二十一曹長    書信往來

詩文:

 

七月三日亭午已後較熱退晚,加小涼穩睡有詩,

(七月三日の正午過ぎに炎熱が少しひき、夕方には幾分の涼しささえ加わって穏やかに眠ることができたので詩が出来た、

因論壯年樂事,戲呈元二十一曹長

それでついでに自分の壮年時代の楽しく面白かったことなどを論じて、戯れに元曹長へ贈った詩である。)

今茲商用事,餘熱亦已末。

今、商調の音が支配する秋の季節となって、暑さもほとぼりが冷めて終ることになる。

衰年旅炎方,生意從此活。

自分は老衰の年で暑い地方の旅をしているがこれからやっと活気づくことであろう。

亭午減汗流,北鄰耐人聒。

正午になっても汗の流れ方は減ってきたし、辺り近所で人がやかましくしてもそれにたえられるようになった。

晚風爽烏匼,筋力蘇摧折。

夕方の風もさわやかにまわり集まり吹きだし、自分の筋力もくじけかかっていたのが少しずつ蘇ってきたようだ。

-#2

閉目逾十旬,大江不止渴。

長江の水は大らかに流れているが、のどの渇きをとめてはくれず、自分はあつさをがまんして百日以上もじっと目を閉じていたのである。

退藏恨雨師,健步聞旱魃。

なんで雨の降らせ神はひっこんで出てはこぬかと恨み、旱魃の怪物がやたらに闊歩しているとだけ聞かされるのである。

園蔬抱金玉,無以供采掇。

いくら黄金珠玉を抱きかかえていても、それを供へて野菜を実らせ、収穫することはできないのである。

密雲雖聚散,徂暑終衰歇。

とはいうものの、なるほど密集した雲がかたまったり散らばったりし始めてきたように思えるので、すぎ去る暑さは次第に衰えていき、終ってしまうというものだ。

-#3

前聖慎焚巫,武王親救暍。

むかしの聖人はひでりがあるからといって、やたらに巫を焚いたりはしなかった。周の武王のごときは自から日射病患者をいたわり救ったというほどである。これは気候の事をむやみに人間に責任としないということであった。

陰陽相主客,時序遞回斡。

天地問に於で陰陽の二気は互に主となり、客となるもので、一方ばかりが主客とはびこるものではない、四時の順序は互いにめぐりめぐらされているものである。

灑落唯清秋,昏霾一空闊。

そのなかでさっぱりとした時候といえば、ただ清らかな秋であり、秋には暗くて土ふる様なことは全く無くなってしまうではないか。

蕭蕭紫塞雁,南向欲行列。

そうして長城の紫色の城壁の方からさびしくとんでくる雁は空に向って行列して来ようとするのである。

-#4

欻思紅顏日,霜露凍階闥。

それにつけ、すぐ思いだすのは自分がまだ少壮紅顔のころのことだ。あの頃は露霜がおりている庭の小門や階段が凍りかけると狩の季節である。

胡馬挾雕弓,鳴弦不虛發。

胡馬に跨って彫刻をほどこした士太夫階級の弓を小わきにかかえ、弦の音を鳴らせば、矢を無駄に放つことなく獲物をしとめた。

逐狡兔,突羽當滿月。

それから満月にも匹敵するほど弓をひきしぼつて羽箭をほとばしらせ、長當滿月でずる賢い免を逐ひまわしたものだ。

惆悵白頭吟,蕭條遊俠窟。

それがどうだろう、いまやうらめしくも白髪あたまをして詩を吟ずるだけの生活をする様になり、むかし飛びまわった任侠・遊侠の世界はさびしくもゆかりもないものになってしまった。

臨軒望山閣,縹緲安可越。

いまこの家の軒端に差し掛かってあなたのいる山際の楼閣の方をながめるが、あなたと私の間は、はるかにたなびくほどのもので、どうしてそれを越えて、近ずくことができるのだろうかと思っている。

-#5

高人煉丹砂,未念將朽骨。

少壯跡頗疏,歡樂曾倏忽。

杖藜風塵際,老醜難翦拂。

吾子得神仙,本是池中物。

賤夫美一睡,煩促嬰詞筆。

 

(七月三日 亭午已後 較や熱 晚に退く,小涼に加わり 穩かに睡る詩有り,因って壯年の樂事を論じて,戲れの元二十一曹長に呈す) -#1

今 茲に 商 事を用し,餘 熱亦た已に末なり。

衰年 炎方に旅し,生意 此れより活きむ。

亭午 汗流を減し,北鄰 人の聒【かまびす】しきに耐ゆ。

晚風 爽かにして烏匼【うごう】たり,筋力 摧折せるに蘇す。

-#2

閉目 十旬に逾ゆ,大江 渴を止めず。

退藏 雨師を恨み,健步 旱魃を聞く。

園蔬 金玉を抱くも,以て采掇【さいてつ】に供する無し。

密雲 聚散すと雖も,徂暑 終に衰歇す。

-#3

前聖 焚巫を慎【つつし】む,武王親【みずか】ら暍【えつ】を救う。

陰陽 相いに主客たり,時序 遞【たがい】に回斡【かいあつ】す。

灑落なるは唯だ清秋なり,昏霾【こんはい】一に空闊なり。

蕭蕭たり 紫塞の雁,南向 行列せんと欲す。

-#4

欻思【くつし】する紅顏の日,霜露なる凍の階闥。

胡馬 雕弓を挾【わきはさ】み,鳴弦 虛發せず。

 狡兔を逐い,突羽 滿月に當る。

惆悵すは白頭吟なり,蕭條たるは遊俠の窟なり。

軒に臨みて山閣を望み,縹緲 安んぞ越ゆ可し。

-#5

高人 丹砂を煉り,未だ朽ちんと將る骨を念わず。

少壯 跡 頗ぶる疏なり,歡樂 曾て倏忽【しゅくこつ】たり。

藜を杖にすは 風塵の際なり,醜を老せば 翦拂し難し。

吾子は神仙を得て,本と是れ池中の物なり。

賤夫は 一睡を美とし,煩促【はんそく】詞筆に嬰【かか】る。

夔州東川卜居図001 

『七月三日亭午已後較熱退晚,加小涼穩睡有詩,因論壯年樂事,戲呈元二十一曹長』 現代語訳と訳註解説

(本文) #5

-#5

高人煉丹砂,未念將朽骨。

少壯跡頗疏,歡樂曾倏忽。

杖藜風塵際,老醜難翦拂。

吾子得神仙,本是池中物。

賤夫美一睡,煩促嬰詞筆。

 

(下し文) -#5

高人 丹砂を煉り,未だ朽ちんと將る骨を念わず。

少壯 跡 頗ぶる疏なり,歡樂 曾て倏忽【しゅくこつ】たり。

藜を杖にすは 風塵の際なり,醜を老せば 翦拂し難し。

吾子は神仙を得て,本と是れ池中の物なり。

賤夫は 一睡を美とし,煩促【はんそく】詞筆に嬰【かか】る。

 

(現代語訳)

あなたは仙術をまなんで丹砂を錬っているが、このわたくしの朽ちようとしている骨のことは念うてくださらぬのであろう。

自分はわかいときは遣りっ放しな行動・行跡をしてきたが、かつて耽った歓楽はいまでは忽然ときえうせた。

兵乱兵馬の塵埃のあいだに右往左往しているうちにあかぎの杖をついてしまうことになり、面貌は老醜なものとかわりはて、徒年の名馬もとても手をかけて毛なみをうつくしくしてやることはむつかしい。

だが、あなたもいかに仙術を得ているとはいえ、こんな所にいるのでは、池中からでられないでいる蚊龍にすぎないというものだ。

自分も今は、居睡りするぐらいが最上の快楽であって、うるさくもまた文筆にわずらわされてこんな役にもたたぬ詩など作っているのである。

 

(訳注) -#5

七月三日亭午已後較熱退晚,加小涼穩睡有詩,因論壯年樂事,戲呈元二十一曹長

(七月三日の正午過ぎに炎熱が少しひき、夕方には幾分の涼しささえ加わって穏やかに眠ることができたので詩が出来た、それでついでに自分の壮年時代の楽しく面白かったことなどを論じて、戯れに元曹長へ贈った詩である。)

七月三日 立秋の日

亭午 卓午、正午のこと。

 :校 やや。

元二十一曹長 元曹長。

 

高人煉丹砂,未念將朽骨。

あなたは仙術をまなんで丹砂を錬っているが、このわたくしの朽ちようとしている骨のことは念うてくださらぬのであろう。

高人 高尚な人物をいい、元曹長をさす。

煉丹砂 仙藥の丹を練る。道士の修業をいう。上薬は,生命を延ばし,天に昇って鬼神を使役する効能を持ち,中薬は人間の本性を養い,下薬は病を治す効果を持っているとする。仙薬の最上のものは丹砂で,その次が黄金,以下,白銀,諸芝,五玉,雲母などが上位を占める。これらの仙薬の採集方法としては,例えば諸芝(石芝,木芝,草芝,肉芝,菌芝の五芝)を採集する場合,特定の日に祭祀を行い,禹歩という特殊な歩き方で息をとめて近よって開山却害符というおふだをその上においてこれを獲得するといった呪術的な方法が説かれる。

未念將朽骨 元曹長が念うことで、將朽骨は杜甫の骨をいう。

 

少壯跡頗疏,歡樂曾倏忽。

自分はわかいときは遣りっ放しな行動・行跡をしてきたが、かつて耽った歓楽はいまでは忽然ときえうせた。

跡頗疏 疎に疎放、やりっぱなし、無頓着。

曾倏忽 かつてしていたことをある時を契機に全くしなくなる。

 

杖藜風塵際,老醜難翦拂。

兵乱兵馬の塵埃のあいだに右往左往しているうちにあかぎの杖をついてしまうことになり、面貌は老醜なものとかわりはて、徒年の名馬もとても手をかけて毛なみをうつくしくしてやることはむつかしい。

翦拂 剪拂 馬に関する語である、剪は毛をはさみきること、払は毛のほこりをはらうこと、馬の手入れを細やかにしてやること。杜甫《1412 遣悶奉呈嚴公二十韻》「寬容存性拙,剪拂念途窮。」厳武公は寛大であって自分のような不器用な性質のものをそっとそのままにしておかれる、自分が逆境に居ることを気の毒におもわれて馬の毛並みに手をいれるように自分を世話してくださるのである。

Index-14廣徳2764-85 《遣悶奉呈嚴公二十韻》 杜甫index-14 764年 杜甫<783-#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4585

 

吾子得神仙,本是池中物。

だが、あなたもいかに仙術を得ているとはいえ、こんな所にいるのでは、池中からでられないでいる蚊龍にすぎないというものだ。

吾子 おまへ、元曹長をさす。

地中物 周瑜が劉備を許せる語、これは蛟龍なれども地中を脱出できないという物をいう。

 

賤夫美一睡,煩促嬰詞筆。

自分も今は、居睡りするぐらいが最上の快楽であって、うるさくもまた文筆にわづらわされてこんな役にもたたぬ詩など作っているのである。

賤夫 杜甫、自己をさす。

美一睡 美は「甘美なり」とするが、ここでは、最上の快楽とした。

煩促 わづらわしくこぜつく。 

嬰詞筆 嬰はかかる、「つながるる」をいう、同筆に文章をいう。

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766-18-4奉節-10 《巻15-45 七月三日亭午已後較熱退晚,加小涼穩睡有詩,因論壯年樂事,戲呈元二十一曹長 #-4 杜甫index-15881-4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5315

 杜甫詩1500-881-4-1234/2500766年大暦元年55-18-4 



年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    七月三日亭午已後較熱退晚,加小涼穩睡有詩,因論壯年樂事,戲呈元二十一曹長

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

交遊人物:元二十一曹長    書信往來

詩文:

 

七月三日亭午已後較熱退晚,加小涼穩睡有詩,

(七月三日の正午過ぎに炎熱が少しひき、夕方には幾分の涼しささえ加わって穏やかに眠ることができたので詩が出来た、

因論壯年樂事,戲呈元二十一曹長

それでついでに自分の壮年時代の楽しく面白かったことなどを論じて、戯れに元曹長へ贈った詩である。)

今茲商用事,餘熱亦已末。

今、商調の音が支配する秋の季節となって、暑さもほとぼりが冷めて終ることになる。

衰年旅炎方,生意從此活。

自分は老衰の年で暑い地方の旅をしているがこれからやっと活気づくことであろう。

亭午減汗流,北鄰耐人聒。

正午になっても汗の流れ方は減ってきたし、辺り近所で人がやかましくしてもそれにたえられるようになった。

晚風爽烏匼,筋力蘇摧折。

夕方の風もさわやかにまわり集まり吹きだし、自分の筋力もくじけかかっていたのが少しずつ蘇ってきたようだ。

-#2

閉目逾十旬,大江不止渴。

長江の水は大らかに流れているが、のどの渇きをとめてはくれず、自分はあつさをがまんして百日以上もじっと目を閉じていたのである。

退藏恨雨師,健步聞旱魃。

なんで雨の降らせ神はひっこんで出てはこぬかと恨み、旱魃の怪物がやたらに闊歩しているとだけ聞かされるのである。

園蔬抱金玉,無以供采掇。

いくら黄金珠玉を抱きかかえていても、それを供へて野菜を実らせ、収穫することはできないのである。

密雲雖聚散,徂暑終衰歇。

とはいうものの、なるほど密集した雲がかたまったり散らばったりし始めてきたように思えるので、すぎ去る暑さは次第に衰えていき、終ってしまうというものだ。

-#3

前聖慎焚巫,武王親救暍。

むかしの聖人はひでりがあるからといって、やたらに巫を焚いたりはしなかった。周の武王のごときは自から日射病患者をいたわり救ったというほどである。これは気候の事をむやみに人間に責任としないということであった。

陰陽相主客,時序遞回斡。

天地問に於で陰陽の二気は互に主となり、客となるもので、一方ばかりが主客とはびこるものではない、四時の順序は互いにめぐりめぐらされているものである。

灑落唯清秋,昏霾一空闊。

そのなかでさっぱりとした時候といえば、ただ清らかな秋であり、秋には暗くて土ふる様なことは全く無くなってしまうではないか。

蕭蕭紫塞雁,南向欲行列。

そうして長城の紫色の城壁の方からさびしくとんでくる雁は空に向って行列して来ようとするのである。

-#4

欻思紅顏日,霜露凍階闥。

それにつけ、すぐ思いだすのは自分がまだ少壮紅顔のころのことだ。あの頃は露霜がおりている庭の小門や階段が凍りかけると狩の季節である。

胡馬挾雕弓,鳴弦不虛發。

胡馬に跨って彫刻をほどこした士太夫階級の弓を小わきにかかえ、弦の音を鳴らせば、矢を無駄に放つことなく獲物をしとめた。

逐狡兔,突羽當滿月。

それから満月にも匹敵するほど弓をひきしぼつて羽箭をほとばしらせ、長當滿月でずる賢い免を逐ひまわしたものだ。

惆悵白頭吟,蕭條遊俠窟。

それがどうだろう、いまやうらめしくも白髪あたまをして詩を吟ずるだけの生活をする様になり、むかし飛びまわった任侠・遊侠の世界はさびしくもゆかりもないものになってしまった。

臨軒望山閣,縹緲安可越。

いまこの家の軒端に差し掛かってあなたのいる山際の楼閣の方をながめるが、あなたと私の間は、はるかにたなびくほどのもので、どうしてそれを越えて、近ずくことができるのだろうかと思っている。

-#5

高人煉丹砂,未念將朽骨。

少壯跡頗疏,歡樂曾倏忽。

杖藜風塵際,老醜難翦拂。

吾子得神仙,本是池中物。

賤夫美一睡,煩促嬰詞筆。

 

(七月三日 亭午已後 較や熱 晚に退く,小涼に加わり 穩かに睡る詩有り,因って壯年の樂事を論じて,戲れの元二十一曹長に呈す) -#1

今 茲に 商 事を用し,餘 熱亦た已に末なり。

衰年 炎方に旅し,生意 此れより活きむ。

亭午 汗流を減し,北鄰 人の聒【かまびす】しきに耐ゆ。

晚風 爽かにして烏匼【うごう】たり,筋力 摧折せるに蘇す。

-#2

閉目 十旬に逾ゆ,大江 渴を止めず。

退藏 雨師を恨み,健步 旱魃を聞く。

園蔬 金玉を抱くも,以て采掇【さいてつ】に供する無し。

密雲 聚散すと雖も,徂暑 終に衰歇す。

-#3

前聖 焚巫を慎【つつし】む,武王親【みずか】ら暍【えつ】を救う。

陰陽 相いに主客たり,時序 遞【たがい】に回斡【かいあつ】す。

灑落なるは唯だ清秋なり,昏霾【こんはい】一に空闊なり。

蕭蕭たり 紫塞の雁,南向 行列せんと欲す。

-#4

欻思【くつし】する紅顏の日,霜露なる凍の階闥。

胡馬 雕弓を挾【わきはさ】み,鳴弦 虛發せず。

 狡兔を逐い,突羽 滿月に當る。

惆悵すは白頭吟なり,蕭條たるは遊俠の窟なり。

軒に臨みて山閣を望み,縹緲 安んぞ越ゆ可し。

唐時代 地図山南 東・西道50 

『七月三日亭午已後較熱退晚,加小涼穩睡有詩,因論壯年樂事,戲呈元二十一曹長』 現代語訳と訳註解説

(本文) #4

-#4

欻思紅顏日,霜露凍階闥。

胡馬挾雕弓,鳴弦不虛發。

逐狡兔,突羽當滿月。

惆悵白頭吟,蕭條遊俠窟。

臨軒望山閣,縹緲安可越。

 

(下し文) -#4

欻思【くつし】する紅顏の日,霜露なる凍の階闥。

胡馬 雕弓を挾【わきはさ】み,鳴弦 虛發せず。

 狡兔を逐い,突羽 滿月に當る。

惆悵すは白頭吟なり,蕭條たるは遊俠の窟なり。

軒に臨みて山閣を望み,縹緲 安んぞ越ゆ可し。

 

 

(現代語訳)

それにつけ、すぐ思いだすのは自分がまだ少壮紅顔のころのことだ。あの頃は露霜がおりている庭の小門や階段が凍りかけると狩の季節である。

胡馬に跨って彫刻をほどこした士太夫階級の弓を小わきにかかえ、弦の音を鳴らせば、矢を無駄に放つことなく獲物をしとめた。

それから満月にも匹敵するほど弓をひきしぼつて羽箭をほとばしらせ、長當滿月でずる賢い免を逐ひまわしたものだ。

それがどうだろう、いまやうらめしくも白髪あたまをして詩を吟ずるだけの生活をする様になり、むかし飛びまわった任侠・遊侠の世界はさびしくもゆかりもないものになってしまった。

いまこの家の軒端に差し掛かってあなたのいる山際の楼閣の方をながめるが、あなたと私の間は、はるかにたなびくほどのもので、どうしてそれを越えて、近ずくことができるのだろうかと思っている。

 

夔州東川卜居図001 

(訳注) -#4

 

欻思紅顏日,霜露凍階闥。

それにつけ、すぐ思いだすのは自分がまだ少壮紅顔のころのことだ。あの頃は露霜がおりている庭の小門や階段が凍りかけると狩の季節である。

欻思 それにつけ、すぐ思いだす。・欻 1(行進する足音)ザックザック.民兵隊がザックザックと,足並みをそろえて行進して行った.2(迅速に行動する時の)さっ.

紅顏日 少壮紅顔のころのこと。

階闥 ・階 建物の外側がの気が出ているところが一段、あるいは二段階段状に髙くする。建物の基礎と大水対策のためである。・闥 内部の小門。

 

胡馬挾雕弓,鳴弦不虛發。

胡馬に跨って彫刻をほどこした士太夫階級の弓を小わきにかかえ、弦の音を鳴らせば、矢を無駄に放つことなく獲物をしとめた。

胡馬 北産の馬。騎馬用の馬である。 

雕弓 彫刻をほどこした士太夫階級の弓。 

虛發 矢を無駄に放つ。 

 

逐狡兔,突羽當滿月。

それから満月にも匹敵するほど弓をひきしぼつて羽箭をほとばしらせ、長當滿月でずる賢い免を逐ひまわしたものだ。

 は錍と同じ、「方言に箭鍍慶長にして薄鎌なるを錍といい」とあり、鎌のような役割をするもので、兔等の足の筋肉を損傷させて逃げられなくするのが目的の矢じりである。長い鎌矢じりの矢。

狡兔 ずるがしこいうさぎ。 

突羽 奔突せんとする箭羽。

當滿月 上弦・下弦という状態でなく、弓を十分に聞き搾った状態をいう。

 

惆悵白頭吟,蕭條遊俠窟。

それがどうだろう、いまやうらめしくも白髪あたまをして詩を吟ずるだけの生活をする様になり、むかし飛びまわった任侠・遊侠の世界はさびしくもゆかりもないものになってしまった。

白頭吟 白頭を以て詩を吟すること.現今の老いた状況をいう。 

遊俠窟 任侠・遊侠の世界、過去の各地を遊侠した生活をいう。

 

臨軒望山閣,縹緲安可越。

いまこの家の軒ばに差し掛かってあなたのいる山際の楼閣の方をながめるが、あなたと私の間は、はるかにたなびくほどのもので、どうしてそれを越えて、近ずくことができるのだろうかと思っている。

山閣 元曹長のいる城樓閣。

縹緲 気持ちがはるかにたなびくこと。

766年-18-3奉節-10 《巻15-45 七月三日亭午已後較熱退晚,加小涼穩睡有詩,因論壯年樂事,戲呈元二十一曹長 #-3》 杜甫index-15<881-3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5310

杜甫 奉節-10 《巻15-45 七月三日亭午已後較熱退晚,・・・・曹長 #-3むかしの聖人はひでりがあるからといって、やたらに巫を焚いたりはしなかった。周の武王のごときは自から日射病患者をいたわり救ったというほどである。これは気候の事をむやみに人間に責任としないということであった。

 

 
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766-18-3奉節-10 《巻15-45 七月三日亭午已後較熱退晚,加小涼穩睡有詩,因論壯年樂事,戲呈元二十一曹長 #-3》 杜甫index-15881-3>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5310

 

 

杜甫詩1500-881-3-1233/2500 766年大暦元年55-18-3

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    七月三日亭午已後較熱退晚,加小涼穩睡有詩,因論壯年樂事,戲呈元二十一曹長

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

交遊人物:元二十一曹長    書信往來

詩文:

 

七月三日亭午已後較熱退晚,加小涼穩睡有詩,

(七月三日の正午過ぎに炎熱が少しひき、夕方には幾分の涼しささえ加わって穏やかに眠ることができたので詩が出来た、

因論壯年樂事,戲呈元二十一曹長

それでついでに自分の壮年時代の楽しく面白かったことなどを論じて、戯れに元曹長へ贈った詩である。)

今茲商用事,餘熱亦已末。

今、商調の音が支配する秋の季節となって、暑さもほとぼりが冷めて終ることになる。

衰年旅炎方,生意從此活。

自分は老衰の年で暑い地方の旅をしているがこれからやっと活気づくことであろう。

亭午減汗流,北鄰耐人聒。

正午になっても汗の流れ方は減ってきたし、辺り近所で人がやかましくしてもそれにたえられるようになった。

晚風爽烏匼,筋力蘇摧折。

夕方の風もさわやかにまわり集まり吹きだし、自分の筋力もくじけかかっていたのが少しずつ蘇ってきたようだ。

-#2

閉目逾十旬,大江不止渴。

長江の水は大らかに流れているが、のどの渇きをとめてはくれず、自分はあつさをがまんして百日以上もじっと目を閉じていたのである。

退藏恨雨師,健步聞旱魃。

なんで雨の降らせ神はひっこんで出てはこぬかと恨み、旱魃の怪物がやたらに闊歩しているとだけ聞かされるのである。

園蔬抱金玉,無以供采掇。

いくら黄金珠玉を抱きかかえていても、それを供へて野菜を実らせ、収穫することはできないのである。

密雲雖聚散,徂暑終衰歇。

とはいうものの、なるほど密集した雲がかたまったり散らばったりし始めてきたように思えるので、すぎ去る暑さは次第に衰えていき、終ってしまうというものだ。

-#3

前聖慎焚巫,武王親救暍。

むかしの聖人はひでりがあるからといって、やたらに巫を焚いたりはしなかった。周の武王のごときは自から日射病患者をいたわり救ったというほどである。これは気候の事をむやみに人間に責任としないということであった。

陰陽相主客,時序遞回斡。

天地問に於で陰陽の二気は互に主となり、客となるもので、一方ばかりが主客とはびこるものではない、四時の順序は互いにめぐりめぐらされているものである。

灑落唯清秋,昏霾一空闊。

そのなかでさっぱりとした時候といえば、ただ清らかな秋であり、秋には暗くて土ふる様なことは全く無くなってしまうではないか。

蕭蕭紫塞雁,南向欲行列。

そうして長城の紫色の城壁の方からさびしくとんでくる雁は空に向って行列して来ようとするのである。

-#4

欻思紅顏日,霜露凍階闥。

胡馬挾雕弓,鳴弦不虛發。

逐狡兔,突羽當滿月。

惆悵白頭吟,蕭條遊俠窟。

臨軒望山閣,縹緲安可越。

-#5

高人煉丹砂,未念將朽骨。

少壯跡頗疏,歡樂曾倏忽。

杖藜風塵際,老醜難翦拂。

吾子得神仙,本是池中物。

賤夫美一睡,煩促嬰詞筆。

 

(七月三日 亭午已後 較や熱 晚に退く,小涼に加わり 穩かに睡る詩有り,因って壯年の樂事を論じて,戲れの元二十一曹長に呈す) -#1

今 茲に 商 事を用し,餘 熱亦た已に末なり。

衰年 炎方に旅し,生意 此れより活きむ。

亭午 汗流を減し,北鄰 人の聒【かまびす】しきに耐ゆ。

晚風 爽かにして烏匼【うごう】たり,筋力 摧折せるに蘇す。

-#2

閉目 十旬に逾ゆ,大江 渴を止めず。

退藏 雨師を恨み,健步 旱魃を聞く。

園蔬 金玉を抱くも,以て采掇【さいてつ】に供する無し。

密雲 聚散すと雖も,徂暑 終に衰歇す。

-#3

前聖 焚巫を慎【つつし】む,武王親【みずか】ら暍【えつ】を救う。

陰陽 相いに主客たり,時序 遞【たがい】に回斡【かいあつ】す。

灑落なるは唯だ清秋なり,昏霾【こんはい】一に空闊なり。

蕭蕭たり 紫塞の雁,南向 行列せんと欲す。

 

 

夔州東川卜居図001 

『七月三日亭午已後較熱退晚,加小涼穩睡有詩,因論壯年樂事,戲呈元二十一曹長』 現代語訳と訳註解説

(本文) #3

-#3

前聖慎焚巫,武王親救暍。

陰陽相主客,時序遞回斡。

灑落唯清秋,昏霾一空闊。

蕭蕭紫塞雁,南向欲行列。

 

(下し文)

-#3

前聖 焚巫を慎【つつし】む,武王親【みずか】ら暍【えつ】を救う。

陰陽 相いに主客たり,時序 遞【たがい】に回斡【かいあつ】す。

灑落なるは唯だ清秋なり,昏霾【こんはい】一に空闊なり。

蕭蕭たり 紫塞の雁,南向 行列せんと欲す。 


(現代語訳)

むかしの聖人はひでりがあるからといって、やたらに巫を焚いたりはしなかった。周の武王のごときは自から日射病患者をいたわり救ったというほどである。これは気候の事をむやみに人間に責任としないということであった。

天地問に於で陰陽の二気は互に主となり、客となるもので、一方ばかりが主客とはびこるものではない、四時の順序は互いにめぐりめぐらされているものである。

そのなかでさっぱりとした時候といえば、ただ清らかな秋であり、秋には暗くて土ふる様なことは全く無くなってしまうではないか。

そうして長城の紫色の城壁の方からさびしくとんでくる雁は空に向って行列して来ようとするのである。

00大豆畑 

 (訳注) -#3

七月三日亭午已後較熱退晚,加小涼穩睡有詩,因論壯年樂事,戲呈元二十一曹長

(七月三日の正午過ぎに炎熱が少しひき、夕方には幾分の涼しささえ加わって穏やかに眠ることができたので詩が出来た、それでついでに自分の壮年時代の楽しく面白かったことなどを論じて、戯れに元曹長へ贈った詩である。)

七月三日 立秋の日

亭午 卓午、正午のこと。

 :校 やや。

元二十一曹長 元曹長。

 

前聖慎焚巫,武王親救暍。

むかしの聖人はひでりがあるからといって、やたらに巫を焚いたりはしなかった。周の武王のごときは自から日射病患者をいたわり救ったというほどである。これは気候の事をむやみに人間に責任としないということであった。

前聖 前代の聖徳ある人、臧文仲の類をさす。臧文仲(-前617年),中国春秋時期魯國政治人物,名辰,臧孫氏,曾祖父臧僖伯,其父伯氏瓶。在莊公、僖公、文公国著名的大夫。《論語 公冶長第五之十八》臧文仲、居蔡「子曰、臧文仲居蔡、山節藻梲、何如其知也。」(子曰わく、臧文仲【ぞうぶんちゅう】、蔡を居く。節を山にし梲【せつ】を藻にす、何如【いかん】ぞ其れ知ならん。)

慎焚巫 暴 セムシの巫女を晒せば、天が憐れんで雨を降らすという雨乞い伝説がある。

武王親救暍 周の武王孟津よりかえりて周に及正んとして暍人をみる、王、左より擁して右より扇ぐ、と「帝王世紀」にみえる。暍は日射病患者。

 

陰陽相主客,時序遞回斡。

天地問に於で陰陽の二気は互に主となり、客となるもので、一方ばかりが主客とはびこるものではない、四時の順序は互いにめぐりめぐらされているものである。

主客 主なると客となるとは消長するをいう。

時序 四時の順序。

回斡 幹はめぐらすなり。

 

灑落唯清秋,昏霾一空闊。

そのなかでさっぱりとした時候といえば、ただ清らかな秋であり、秋には暗くて土ふる様なことは全く無くなってしまうではないか。

昏霾 さっぱりとした顔かたち。

昏霾 くらさ、つちふるくらさをいう。

一空闊 一は「全く」、空闊はからりとはれわたること。

 

蕭蕭紫塞雁,南向欲行列。

そうして長城の紫色の城壁の方からさびしくとんでくる雁は空に向って行列して来ようとするのである。

紫塞 長城をいう、長城の甍甎は紫色の土を用いたことによりこれを紫塞という。

行列 行も亦列なり。ここまで秋涼のありさまをいう。 

766年-18-2奉節-10 《1545 七月三日亭午已後較熱退晚,加小涼穩睡有詩,因論壯年樂事,戲呈元二十一曹長 #-2》 杜甫index-15<884> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5305 

杜甫 奉節-10 1545七月三日亭午已後較熱退晚,・・・・》いくら黄金珠玉を抱きかかえていても、それを供へて野菜を実らせ、収穫することはできないのである。とはいうものの、なるほど密集した雲がかたまったり散らばったりし始めてきたように思えるので、すぎ去る暑さは次第に衰えていき、終ってしまうというものだ。

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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154-#2 《巻02-03 蜀道難 #2》(改訂) Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <154-#2> Ⅰ李白詩1351 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5303 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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766-18-2奉節-10 1545 七月三日亭午已後較熱退晚,加小涼穩睡有詩,因論壯年樂事,戲呈元二十一曹長 #-2 杜甫index-15884 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5305 

 

杜甫詩1500-884-1232/2500766年大暦元年55-18-2

15-45

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    七月三日亭午已後較熱退晚,加小涼穩睡有詩,因論壯年樂事,戲呈元二十一曹長

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

交遊人物:元二十一曹長    書信往來

詩文:

 

七月三日亭午已後較熱退晚,加小涼穩睡有詩,

(七月三日の正午過ぎに炎熱が少しひき、夕方には幾分の涼しささえ加わって穏やかに眠ることができたので詩が出来た、

因論壯年樂事,戲呈元二十一曹長

それでついでに自分の壮年時代の楽しく面白かったことなどを論じて、戯れに元曹長へ贈った詩である。)

今茲商用事,餘熱亦已末。

今、商調の音が支配する秋の季節となって、暑さもほとぼりが冷めて終ることになる。

衰年旅炎方,生意從此活。

自分は老衰の年で暑い地方の旅をしているがこれからやっと活気づくことであろう。

亭午減汗流,北鄰耐人聒。

正午になっても汗の流れ方は減ってきたし、辺り近所で人がやかましくしてもそれにたえられるようになった。

晚風爽烏匼,筋力蘇摧折。

夕方の風もさわやかにまわり集まり吹きだし、自分の筋力もくじけかかっていたのが少しずつ蘇ってきたようだ。

-#2

閉目逾十旬,大江不止渴。

長江の水は大らかに流れているが、のどの渇きをとめてはくれず、自分はあつさをがまんして百日以上もじっと目を閉じていたのである。

退藏恨雨師,健步聞旱魃。

なんで雨の降らせ神はひっこんで出てはこぬかと恨み、旱魃の怪物がやたらに闊歩しているとだけ聞かされるのである。

園蔬抱金玉,無以供采掇。

いくら黄金珠玉を抱きかかえていても、それを供へて野菜を実らせ、収穫することはできないのである。

密雲雖聚散,徂暑終衰歇。

とはいうものの、なるほど密集した雲がかたまったり散らばったりし始めてきたように思えるので、すぎ去る暑さは次第に衰えていき、終ってしまうというものだ。

-#3

前聖慎焚巫,武王親救暍。

陰陽相主客,時序遞回斡。

灑落唯清秋,昏霾一空闊。

蕭蕭紫塞雁,南向欲行列。

-#4

欻思紅顏日,霜露凍階闥。

胡馬挾雕弓,鳴弦不虛發。

逐狡兔,突羽當滿月。

惆悵白頭吟,蕭條遊俠窟。

臨軒望山閣,縹緲安可越。

-#5

高人煉丹砂,未念將朽骨。

少壯跡頗疏,歡樂曾倏忽。

杖藜風塵際,老醜難翦拂。

吾子得神仙,本是池中物。

賤夫美一睡,煩促嬰詞筆。

 

(七月三日 亭午已後 較や熱 晚に退く,小涼に加わり 穩かに睡る詩有り,因って壯年の樂事を論じて,戲れの元二十一曹長に呈す) -#1

今 茲に 商 事を用し,餘 熱亦た已に末なり。

衰年 炎方に旅し,生意 此れより活きむ。

亭午 汗流を減し,北鄰 人の聒【かまびす】しきに耐ゆ。

晚風 爽かにして烏匼【うごう】たり,筋力 摧折せるに蘇す。

-#2

閉目 十旬に逾ゆ,大江 渴を止めず。

退藏 雨師を恨み,健步 旱魃を聞く。

園蔬 金玉を抱くも,以て采掇【さいてつ】に供する無し。

密雲 聚散すと雖も,徂暑 終に衰歇す。

 

唐時代 地図山南 東・西道50 

『七月三日亭午已後較熱退晚,加小涼穩睡有詩,因論壯年樂事,戲呈元二十一曹長』 現代語訳と訳註解説

(本文) -#2

閉目逾十旬,大江不止渴。

退藏恨雨師,健步聞旱魃。

園蔬抱金玉,無以供采掇。

密雲雖聚散,徂暑終衰歇。

 

(下し文)

閉目 十旬に逾ゆ,大江 渴を止めず。

退藏 雨師を恨み,健步 旱魃を聞く。

園蔬 金玉を抱くも,以て采掇【さいてつ】に供する無し。

密雲 聚散すと雖も,徂暑 終に衰歇す。

 

(現代語訳)

長江の水は大らかに流れているが、のどの渇きをとめてはくれず、自分はあつさをがまんして百日以上もじっと目を閉じていたのである。

なんで雨の降らせ神はひっこんで出てはこぬかと恨み、旱魃の怪物がやたらに闊歩しているとだけ聞かされるのである。

いくら黄金珠玉を抱きかかえていても、それを供へて野菜を実らせ、収穫することはできないのである。

とはいうものの、なるほど密集した雲がかたまったり散らばったりし始めてきたように思えるので、すぎ去る暑さは次第に衰えていき、終ってしまうというものだ。

 

 夔州東川卜居図001

(訳注) -#2

七月三日亭午已後較熱退晚,加小涼穩睡有詩,因論壯年樂事,戲呈元二十一曹長

(七月三日の正午過ぎに炎熱が少しひき、夕方には幾分の涼しささえ加わって穏やかに眠ることができたので詩が出来た、それでついでに自分の壮年時代の楽しく面白かったことなどを論じて、戯れに元曹長へ贈った詩である。)

七月三日 立秋の日

亭午 卓午、正午のこと。

 :校 やや。

元二十一曹長 元曹長。

 

閉目逾十旬,大江不止渴。

長江の水は大らかに流れているが、のどの渇きをとめてはくれず、自分はあつさをがまんして百日以上もじっと目を閉じていたのである。

逾十旬 旬は十日、百日を超える。この場合50を超えると100という詩的な表現とは異なり、三月以上、しかも百日を超えるときっちりとした日数の表現である。

 

退藏恨雨師,健步聞旱魃。

なんで雨の降らせ神はひっこんで出てはこぬかと恨み、旱魃の怪物がやたらに闊歩しているとだけ聞かされるのである。

退藏 雨を降らせる神がひきこんでいること。

雨師 雨を降らせる神。

健步 ひでりの紳がたつしやにあるく。やたらに闊歩している。

旱魃 ひでりの神。『本草綱目』や前漢初期の書『神異経』によれば、南方には「𪕰」または「魃」がおり、身長2尺から3尺(40から60センチメートル)、頭の上に目があり、風のように走り、これが現れると大旱魃になるが、厠に投げ込むと死んでしまうという。女神の「魃」は、『山海経』の「大荒北経」に記述がある。もとの名は妭(ばつ)。黄帝の娘である。黄帝が蚩尤と戦った際、蚩尤陣営の風雨を司る雨師と風伯に対抗して、体内に大量の熱を蓄えている娘の魃を呼び寄せて対抗した。魃が雨を止めることで無事勝利を掴んだ黄帝であったが、魃は力を使いすぎて天へ帰れなくなっていた。魃の力はそこにいるだけで周囲に旱魃をもたらす。彼女を処刑することもできないため、やむなく黄帝は彼女を赤水河の北方の係昆山へ幽閉した。しかし魃は時折中原へやってきて旱魃を起こすので、人々は「神よ、北へ帰りたまえ」と言って魃を帰すのだという。一説によれば、本来の名の「妭」は美女の意味だが、人間に害をなすようになってからは、邪悪の意味をこめて部首の女を鬼に変えられて「魃」の名が用いられ、これが「旱魃」の語源になったともいう。

 

園蔬抱金玉,無以供采掇。

いくら黄金珠玉を抱きかかえていても、それを供へて野菜を実らせ、収穫することはできないのである。

園蔬 はたけのやさい。

抱金玉 下句へつづける語である。金玉は黄金珠玉を指す。野菜などをいうのではない。

采掇 野菜を採って収獲する。

 

密雲雖聚散,徂暑終衰歇。

とはいうものの、なるほど密集した雲がかたまったり散らばったりし始めてきたように思えるので、すぎ去る暑さは次第に衰えていき、終ってしまうというものだ。

密雲雖聚散 夏時の積乱雲による夕立、スコールのような気象状態をいうものの、若干の変化が見られ始めたということ。旱干照りではなくなり始めたが、依然として圧、残暑が厳しい。

徂暑 去るところの暑さ。

衰歇 おとろへやむこと。

766年奉節-10 《1545 七月三日亭午已後較熱退晚,加小涼穩睡有詩,因論壯年樂事,戲呈元二十一曹長 #-1》 杜甫index-15 <883> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5300

(七月三日の正午過ぎに炎熱が少しひき、夕方には幾分の涼しささえ加わって穏やかに眠ることができたので詩が出来た、それでついでに自分の壮年時代の楽しく面白かったことなどを論じて、戯れに元曹長へ贈った詩である。)

 

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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杜甫詩1500-883-1231/2500766年大暦元年55-18-1

 

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    七月三日亭午已後較熱退晚,加小涼穩睡有詩,因論壯年樂事,戲呈元二十一曹長

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

交遊人物:元二十一曹長    書信往來

詩文:

 

七月三日亭午已後較熱退晚,加小涼穩睡有詩,

(七月三日の正午過ぎに炎熱が少しひき、夕方には幾分の涼しささえ加わって穏やかに眠ることができたので詩が出来た、

因論壯年樂事,戲呈元二十一曹長

それでついでに自分の壮年時代の楽しく面白かったことなどを論じて、戯れに元曹長へ贈った詩である。)

今茲商用事,餘熱亦已末。

今、商調の音が支配する秋の季節となって、暑さもほとぼりが冷めて終ることになる。

衰年旅炎方,生意從此活。

自分は老衰の年で暑い地方の旅をしているがこれからやっと活気づくことであろう。

亭午減汗流,北鄰耐人聒。

正午になっても汗の流れ方は減ってきたし、辺り近所で人がやかましくしてもそれにたえられるようになった。

晚風爽烏匼,筋力蘇摧折。

夕方の風もさわやかにまわり集まり吹きだし、自分の筋力もくじけかかっていたのが少しずつ蘇ってきたようだ。

-#2

閉目逾十旬,大江不止渴。

退藏恨雨師,健步聞旱魃。

園蔬抱金玉,無以供采掇。

密雲雖聚散,徂暑終衰歇。

-#3

前聖慎焚巫,武王親救暍。

陰陽相主客,時序遞回斡。

灑落唯清秋,昏霾一空闊。

蕭蕭紫塞雁,南向欲行列。

-#4

欻思紅顏日,霜露凍階闥。

胡馬挾雕弓,鳴弦不虛發。

逐狡兔,突羽當滿月。

惆悵白頭吟,蕭條遊俠窟。

臨軒望山閣,縹緲安可越。

-#5

高人煉丹砂,未念將朽骨。

少壯跡頗疏,歡樂曾倏忽。

杖藜風塵際,老醜難翦拂。

吾子得神仙,本是池中物。

賤夫美一睡,煩促嬰詞筆。

 

(七月三日 亭午已後 較や熱 晚に退く,小涼に加わり 穩かに睡る詩有り,因って壯年の樂事を論じて,戲れの元二十一曹長に呈す) -#1

今 茲に 商 事を用し,餘 熱亦た已に末なり。

衰年 炎方に旅し,生意 此れより活きむ。

亭午 汗流を減し,北鄰 人の聒【かまびす】しきに耐ゆ。

晚風 爽かにして烏匼【うごう】たり,筋力 摧折せるに蘇す。

 

夔州東川卜居図001 

『七月三日亭午已後較熱退晚,加小涼穩睡有詩,因論壯年樂事,戲呈元二十一曹長』 現代語訳と訳註解説

(本文)

七月三日亭午已後較熱退晚,加小涼穩睡有詩,因論壯年樂事,戲呈元二十一曹長

今茲商用事,餘熱亦已末。

衰年旅炎方,生意從此活。

亭午減汗流,北鄰耐人聒。

晚風爽烏匼,筋力蘇摧折。

 

(下し文)

(七月三日 亭午已後 較や熱 晚に退く,小涼に加わり 穩かに睡る詩有り,因って壯年の樂事を論じて,戲れの元二十一曹長に呈す)

今 茲に 商 事を用し,餘 熱亦た已に末なり。

衰年 炎方に旅し,生意 此れより活きむ。

亭午 汗流を減し,北鄰 人の聒【かまびす】しきに耐ゆ。

晚風 爽かにして烏匼【うごう】たり,筋力 摧折せるに蘇す。

 

 

(現代語訳)

(七月三日の正午過ぎに炎熱が少しひき、夕方には幾分の涼しささえ加わって穏やかに眠ることができたので詩が出来た、それでついでに自分の壮年時代の楽しく面白かったことなどを論じて、戯れに元曹長へ贈った詩である。)

今、商調の音が支配する秋の季節となって、暑さもほとぼりが冷めて終ることになる。

自分は老衰の年で暑い地方の旅をしているがこれからやっと活気づくことであろう。

正午になっても汗の流れ方は減ってきたし、辺り近所で人がやかましくしてもそれにたえられるようになった。

夕方の風もさわやかにまわり集まり吹きだし、自分の筋力もくじけかかっていたのが少しずつ蘇ってきたようだ。

 

(訳注) #1

七月三日亭午已後較熱退晚,加小涼穩睡有詩,因論壯年樂事,戲呈元二十一曹長

(七月三日の正午過ぎに炎熱が少しひき、夕方には幾分の涼しささえ加わって穏やかに眠ることができたので詩が出来た、それでついでに自分の壮年時代の楽しく面白かったことなどを論じて、戯れに元曹長へ贈った詩である。)

七月三日 立秋の日

亭午 卓午、正午のこと。

 :校 やや。

元二十一曹長 元曹長。

 

今茲商用事,餘熱亦已末。

今、商調の音が支配する秋の季節となって、暑さもほとぼりが冷めて終ることになる。

商用事 音の高低により、五声の音調があり、商の音調が支配するとき七月のこと。五声は、中国音楽で使われる五つの音高。五音(ごいん)ともいう。宮(きゅう)、商(しょう)、 角(かく)、 徴(ち)、 羽(う)の五つ。音の高低によって並べると、五音音階ができる。西洋古典音楽の階名で大体、宮はド(Do)、商はレ(Re)、角はミ(Mi)、徴はソ(Sol)、羽はラ(La)にあたると説明されることが多い。後に変宮(宮の低半音)と変徴(徴の低半音)が加えられ、七声または七音となった。変宮と変徴は大体、シと#ファ(fis)に相当する。音の低いものから並べると、宮・商・角・変徴・徴・羽・変宮で、七音音階を形成する。秦以降、七声は、宮・商・角・清角(角の高半音の意)・徴・羽・変宮、または宮・商・清角・徴・羽・清羽などでも表された。なお中国伝統音楽にはファに相当する音がない。

 

衰年旅炎方,生意從此活。

自分は老衰の年で暑い地方の旅をしているがこれからやっと活気づくことであろう。

旅炎方 暑い地方の旅をしている。

生意 いきて行こうとする気概。

 

亭午減汗流,北鄰耐人聒。

正午になっても汗の流れ方は減ってきたし、辺り近所で人がやかましくしてもそれにたえられるようになった。

北鄰 南側が長江に面しているので、隣人たちはみんな北側の人たちである。

聒 やかましくする。山焼きなどしたり、集まって騒ぎ立てる。

 

晚風爽烏匼,筋力蘇摧折。

夕方の風もさわやかにまわり集まり吹きだし、自分の筋力もくじけかかっていたのが少しずつ蘇ってきたようだ。

烏匼 涼しい風がまわりからあつまること。

蘇摧折 暑さによってくじけかかっていたのが少しずつ蘇ってきたことをいう。

766年大暦元年55歲-17-3奉節-9 《巻15-27 火 -3》 杜甫index-15 杜甫<882> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5295

杜甫 奉節-9 《巻15-27 火 -3だんだん山焚きの火が盛んになって遠方までうつり、ひろがってしまったら、いったいだれがそれをたたき消すのか。それこそ自分のぐるりと囲んだ土塀を越えて火の手が来るのかと懼れるのである。

 
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766年大暦元年55-17-3奉節-9 《巻15-27 火 -3 杜甫index-15 杜甫<882 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5295 杜甫詩1500-882-1230/2500766年大暦元年55-17-3

 

年:766年大暦元年55-17首目

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

奉節-9 《巻15-27 火 -3

詩題:   

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

 

 


(雨乞いのための山火事についてのべた詩。)春、杜甫が菱州に来てすぐに種まきをしたけれど、旱魃に遭い困ってこの詩を作った。

〔楚俗。大旱則樊山撃鼓。有合神農書。〕

 〔ここ楚の地に伝説があり、それは大旱魃の雨乞いの儀式には、やまを焼き、太鼓を敲くけれど、古代の神農の書に有り、それと合致するものである。〕

楚山經月火,大旱則斯舉。

この地方では干ばつの雨乞いに、一月以上にもわたって山に火をつけることがあるが、それは旱魃が非常な場合にはじめて行はれるということである。

舊俗燒蛟龍,驚惶致雷雨。

これまでの俗説によると蛟龍を焼くとそれが驚きおそれて雷雨をまねきよせることができるというのである。

爆嵌魑魅泣,崩凍嵐陰昈。

谷間の雲の湧きでる巌穴のあるところで火をおこすから魅魅の類が泣くし、雲を生じることになる。いままでは凍りついて水が滴り落ちなかったが、焼かれたことでそれが崩れ、嵐も陰ったところもあかあかとあかるくなるから、水になり雨となるというのだ。

羅落沸百泓,根源皆萬古。

火がぐるりと取り巻いてしまうと、太古からそこに水を敲経ている、さまざまの水たまりから湧き上がり、雨降らしの雲になるのだ。

#2

青林一灰燼,雲氣無處所。

周囲の木立が青々として繁っているところまで、すっかりら灰燼となり、どこここも煙雲に蔽われたのである。

入夜殊赫然,新秋照牛女。

夜になれば一層赤々と燃えて明るくなる、新秋の七夕の時期にあたって、其の光は天の牽牛・織女の星までも照らす。

風吹巨燄作,河櫂騰煙柱。

風が吹いてくると大きな炎が燃え上がりおこると、火煙の柱が河漢まで煙があがって、天の河もけむりの櫂で漕ぎ渡ることができる。

勢欲焚崑崙,光彌焮洲渚。

その勢は崑崙山までも焚かうとしているようだが、その光らはいよいよ洲や渚をあぶりたてるのである。

腥至焦長蛇,聲吼纏猛虎。

そうなると、長い大蛇が焦がされてなまぐさいにおいがたちこめてくるし、おうおう吼えたてる聲は猛虎たちが臭いにつきまとっているのだろう。

#3

神物已高飛,不見石與土。

そのうちとおもっていた、淵にすんでいる神物までもが、すでに、空高く飛びあがっているのだろう、それほどまでに、この焦土の巌と土状態がどれほどひどいものか誰も見たことはないだろう。

爾寧要謗讟,憑此近熒侮。

人々よ、汝等は龍が雨をふらさないからといって、どうして龍を悪く言ったり、怨んだりする必要があるというのか、龍を焼きたでることは龍を惑はし、そして龍をあなどるに近いものではないか。

薄關長吏憂,甚昧至精主。

汝等は、龍が真にいかなるものであるかといふことをよく心得ていないとうことはこの地の長官たるもの憂えるべきことに関係しているものであり、長官が普段からこのような蒙昧を、教えを啓いておくべきことなのだ。

遠遷誰撲滅,將恐及環堵。

だんだん山焚きの火が盛んになって遠方までうつり、ひろがってしまったら、いったいだれがそれをたたき消すのか。それこそ自分のぐるりと囲んだ土塀を越えて火の手が来るのかと懼れるのである。

流汗臥江亭,更深氣如縷。

自分はこんなことを思って、苦汗を流しながら、長江の沿いに臨んだ水陸の駅亭。その周りの繁華街に臥して、夜ふけに絲すじほどの呼吸をしてくるしんでいるところだ。

 

(火)

 〔楚の俗あり。大旱 則ち樊山して 撃鼓す。神農の書に合する有り。〕

楚山 經月の火、大旱には則ち斯に舉ぐ。

舊俗 蛟龍を燒き,惶を驚かせて雷雨に致る。

嵌を爆すれば魑魅泣き,凍を崩して嵐陰 昈【あきら】かなり。

羅落せらて 百泓を沸かし,根源 皆 萬古よりす。

#2

青林 一に灰燼となり,雲氣 處所無し。

夜に入りて 殊に赫然たり,新秋 牛女を照らす。

風吹いて巨燄【きょえん】作【おこ】り,河櫂まで 煙柱騰がる。

勢いは崑崙を焚かんと欲し,光 彌【いよい】よ 洲渚を焮【あぶ】る。

腥【せい】至りて 長蛇を焦し,聲吼えて猛虎に纏う。

#3

神物 已に高く飛び,見ずや 石と土とを。

爾じ 寧ぞ謗讟【ぼうとく】せんと要し,此れに憑るは熒侮【けいぶ】に近し。

薄【いささ】か長吏の憂いに關し,甚だ至精の主に昧【くら】し。

遠く遷らば誰か撲滅せん,將に恐る及環堵にばんことを。

汗を流して臥江亭にす,更 深くして 氣 縷の如し。

 

夔州東川卜居図001 

『火』 現代語訳と訳註解説

(本文)#3

神物已高飛,不見石與土。

爾寧要謗讟,憑此近熒侮。

薄關長吏憂,甚昧至精主。

遠遷誰撲滅,將恐及環堵。

流汗臥江亭,更深氣如縷。

 

(下し文)

 

 

(現代語訳)

そのうちとおもっていた、淵にすんでいる神物までもが、すでに、空高く飛びあがっているのだろう、それほどまでに、この焦土の巌と土状態がどれほどひどいものか誰も見たことはないだろう。

人々よ、汝等は龍が雨をふらさないからといって、どうして龍を悪く言ったり、怨んだりする必要があるというのか、龍を焼きたでることは龍を惑はし、そして龍をあなどるに近いものではないか。

汝等は、龍が真にいかなるものであるかといふことをよく心得ていないとうことはこの地の長官たるもの憂えるべきことに関係しているものであり、長官が普段からこのような蒙昧を、教えを啓いておくべきことなのだ。

だんだん山焚きの火が盛んになって遠方までうつり、ひろがってしまったら、いったいだれがそれをたたき消すのか。それこそ自分のぐるりと囲んだ土塀を越えて火の手が来るのかと懼れるのである。

自分はこんなことを思って、苦汗を流しながら、長江の沿いに臨んだ水陸の駅亭。その周りの繁華街に臥して、夜ふけに絲すじほどの呼吸をしてくるしんでいるところだ。

 

sas0011 

(訳注) #3


(雨乞いのための山火事についてのべた詩。)春、杜甫が菱州に来てすぐに種まきをしたけれど、旱魃に遭い困ってこの詩を作った。

 〔楚俗。大旱則樊山撃鼓。有合神農書。〕

 〔ここ楚の地に伝説があり、それは大旱魃の雨乞いの儀式には、やまを焼き、太鼓を敲くけれど、古代の神農の書に有り、それと合致するものである。〕

神農書

「水経注」によるに廣渓峡(即ち瞿塘峡のこと)の北岸山上に神淵あり、淵北に白鹽崖あり、高さ千余丈ばかり、俯して神淵に臨む。天旱すれば火を岸上に燃し、其の灰燼を推して下神淵を穢すときは則ち雨を降らすといえり。蓋し神淵の周囲の山を焚くなり。大暦元年秋の初、夔州にての作。

杜甫《雷》「封必舞雩,峽中喧擊鼓。」(封は必ず舞雩【ぶう】し,峽中は擊鼓を喧しとす。

擊鼓 雨乞いのために太鼓を打ち鳴らす。「神農禱雨書」・《神農求雨書》曰:春甲乙不雨,東爲青龍,又爲大龍,東方老人舞之,壬癸雨。 又曰:北如此不雨,命巫祝雨,曝之不雨,禱山神,積薪其旁,擊鼓而焚之。

 

 

杜甫は夔州到着後まもなく、ある畑を確保して自家用のための野菜を作ろうとした。しかしその夏は日照りが続き、当初の思惑ははずれてしまった。秋になると豪雨が襲ったりもしたが、いい雨も降り、野菜はある程度順調にそだった。そういう中で住家の軒先に萵苣を作ったりもしたが、それはみごと失敗に終わった。

 

 夔州一年目、大暦元年の夏は異常な旱魃続きだった。

そのことは杜甫の《雷》《火》《熱三首》《毒熱寄簡崔評事十六弟》などの詩に連続して描かれている。雨乞いのため当地独特の風習も行われたが、旱魃は三ヶ月あまりの長きに及んだ。そのことは《七月三日亭午已後較熱退晚,加小涼穩睡有詩,因論壯年樂事,戲呈元二十一曹長》の詩に、

  閉目踰十旬、 目を閉ずること十旬を踰ゆるも

  大江不止渇。 大江もこの渇()るるを止(とど)めず

とあることからわかる。目も開けられぬほどの旱天が十旬、つまり百日も続き、長江の大河の流れでさえ、この天気枯渇の状態は止めることができなかったという。

 一年目の夏の《雷》の詩によれば、そんな思いがけない大旱のなかで、杜甫の野菜作りの目論見はすっかり当てが外れてしまった。

 

神物已高飛,不見石與土。

そのうちとおもっていた、淵にすんでいる神物までもが、すでに、空高く飛びあがっているのだろう、それほどまでに、この焦土の巌と土状態がどれほどひどいものか誰も見たことはないだろう。

神物 縁に住むのは蛟龍であるが、ここでは雨降らしの湧きあがる雲をいう。。

不見 「見ずや」とよむ。~見たことが無いこと。焦土の状態がこれほどまでにひどいものか誰も見たことはないだろうというほどの意。

 

爾寧要謗讟,憑此近熒侮。

人々よ、汝等は龍が雨をふらさないからといって、どうして龍を悪く言ったり、怨んだりする必要があるというのか、龍を焼きたでることは龍を惑はし、そして龍をあなどるに近いものではないか。

爾・汝 この土地の者に限らず、人をさす。

謗讟 そしり、うらむ、わるくいったり、怨んだりする。

憑此 此のやまやきによって~する。

熒侮 熒はまどわず、侮はあなどる。焚き立てて龍に雨をふらせようとすることは、龍を惑はし且つあなどるものである。

 

薄關長吏憂,甚昧至精主。

汝等は、龍が真にいかなるものであるかといふことをよく心得ていないとうことはこの地の長官たるもの憂えるべきことに関係しているものであり、長官が普段からこのような蒙昧を、教えを啓いておくべきことなのだ。

薄關 薄は「いささかしなり」 軽く用いた語。関は関係すること。

長吏 地方長官。

甚昧 昧はその道に「くらい」こと、この地方の人が、迷信を信じて古文書に書いてあることを知らないことをいう。

至精主 龍の事であるが、龍は精霊のもちぬし。千人を乗せて仙界に向かう乗り物とされるが雲をつたってあがるので、龍は雲と不可欠のものであるということ。

 

遠遷誰撲滅,將恐及環堵。

だんだん山焚きの火が盛んになって遠方までうつり、ひろがってしまったら、いったいだれがそれをたたき消すのか。それこそ自分のぐるりと囲んだ土塀を越えて火の手が来るのかと懼れるのである。

遠遷 火がとはくまでひろがってゆくこと。

撲滅 草原の火をけしさってしまうこと。

將恐 それこそ~することをおそれる。

環堵 ぐるりとかこんだ土塀。

 

流汗臥江亭,更深氣如縷。

自分はこんなことを思って、苦汗を流しながら、長江の沿いに臨んだ水陸の駅亭。その周りの繁華街に臥して、夜ふけに絲すじほどの呼吸をしてくるしんでいるところだ。

江亭 長江沿いに臨んだ水陸の駅亭。その周りの繁華街。

更深 よふけ。五更の真ん中、真夜中。

氣如縷 息を喘ぎながらすること。息苦しいさま。のどが苦しくて吸引吐泄するのが糸すじのごとくほそいいことをいう。以上、杜甫の住んでいる家に煙が充満してまともに息が出来ないこと、自家に延焼するのではないかとしんぱいをしている。

 

766年大暦元年55歲-17-2奉節-9 《巻15-27 火 -2》 杜甫index-15 杜甫<881> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5290

杜甫 奉節-9 《巻15-25 火 -2夜になれば一層赤々と燃えて明るくなる、新秋の七夕の時期にあたって、其の光は天の牽牛・織女の星までも照らす。風が吹いてくると大きな炎が燃え上がりおこると、火煙の柱が河漢まで煙があがって、天の河もけむりの櫂で漕ぎ渡ることができる。

 
 2014年12月19日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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152 《卷23-05 擬古,十二首之二》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <152> Ⅰ李白詩1348 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5288 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-17-2奉節-9 《巻15-27 火 -2》 杜甫index-15 杜甫<881> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5290 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor『花間集』全詩訳注解説(改訂)-1溫庭筠19《更漏子六首其五》溫庭筠66首巻一19-〈19〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5292 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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766年大暦元年55-17-2奉節-9 《巻15-27 火 -2》 杜甫index-15 杜甫<881> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5290 杜甫詩1500-881-1229/2500766年大暦元年55-17-2

 

 

年:766年大暦元年55-17首目

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

奉節-9 《巻15-27 火 -2

詩題:   

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

 

 


(雨乞いのための山火事についてのべた詩。)春、杜甫が菱州に来てすぐに種まきをしたけれど、旱魃に遭い困ってこの詩を作った。

〔楚俗。大旱則樊山撃鼓。有合神農書。〕

 〔ここ楚の地に伝説があり、それは大旱魃の雨乞いの儀式には、やまを焼き、太鼓を敲くけれど、古代の神農の書に有り、それと合致するものである。〕

楚山經月火,大旱則斯舉。

この地方では干ばつの雨乞いに、一月以上にもわたって山に火をつけることがあるが、それは旱魃が非常な場合にはじめて行はれるということである。

舊俗燒蛟龍,驚惶致雷雨。

これまでの俗説によると蛟龍を焼くとそれが驚きおそれて雷雨をまねきよせることができるというのである。

爆嵌魑魅泣,崩凍嵐陰昈。

谷間の雲の湧きでる巌穴のあるところで火をおこすから魅魅の類が泣くし、雲を生じることになる。いままでは凍りついて水が滴り落ちなかったが、焼かれたことでそれが崩れ、嵐も陰ったところもあかあかとあかるくなるから、水になり雨となるというのだ。

羅落沸百泓,根源皆萬古。

火がぐるりと取り巻いてしまうと、太古からそこに水を敲経ている、さまざまの水たまりから湧き上がり、雨降らしの雲になるのだ。

#2

青林一灰燼,雲氣無處所。

周囲の木立が青々として繁っているところまで、すっかりら灰燼となり、どこここも煙雲に蔽われたのである。

入夜殊赫然,新秋照牛女。

夜になれば一層赤々と燃えて明るくなる、新秋の七夕の時期にあたって、其の光は天の牽牛・織女の星までも照らす。

風吹巨燄作,河櫂騰煙柱。

風が吹いてくると大きな炎が燃え上がりおこると、火煙の柱が河漢まで煙があがって、天の河もけむりの櫂で漕ぎ渡ることができる。

勢欲焚崑崙,光彌焮洲渚。

その勢は崑崙山までも焚かうとしているようだが、その光らはいよいよ洲や渚をあぶりたてるのである。

腥至焦長蛇,聲吼纏猛虎。

そうなると、長い大蛇が焦がされてなまぐさいにおいがたちこめてくるし、おうおう吼えたてる聲は猛虎たちが臭いにつきまとっているのだろう。

#3

神物已高飛,不見石與土。

爾寧要謗讟,憑此近熒侮。

薄關長吏憂,甚昧至精主。

遠遷誰撲滅,將恐及環堵。

流汗臥江亭,更深氣如縷。

 

(火)

 〔楚の俗あり。大旱 則ち樊山して 撃鼓す。神農の書に合する有り。〕

楚山 經月の火、大旱には則ち斯に舉ぐ。

舊俗 蛟龍を燒き,惶を驚かせて雷雨に致る。

嵌を爆すれば魑魅泣き,凍を崩して嵐陰 昈【あきら】かなり。

羅落せらて 百泓を沸かし,根源 皆 萬古よりす。

#2

青林 一に灰燼となり,雲氣 處所無し。

夜に入りて 殊に赫然たり,新秋 牛女を照らす。

風吹いて巨燄【きょえん】作【おこ】り,河櫂まで 煙柱騰がる。

勢いは崑崙を焚かんと欲し,光 彌【いよい】よ 洲渚を焮【あぶ】る。

腥【せい】至りて 長蛇を焦し,聲吼えて猛虎に纏う。

#3

神物已高飛,不見石與土。

爾寧要謗讟,憑此近熒侮。

薄關長吏憂,甚昧至精主。

遠遷誰撲滅,將恐及環堵。

流汗臥江亭,更深氣如縷。

 

sas0011 

『火』 現代語訳と訳註解説

(本文)

#2

青林一灰燼,雲氣無處所。

入夜殊赫然,新秋照牛女。

風吹巨燄作,河櫂騰煙柱。

勢欲焚崑崙,光彌焮洲渚。

腥至焦長蛇,聲吼纏猛虎。

 

(下し文)#2

青林 一に灰燼となり,雲氣 處所無し。

夜に入りて 殊に赫然たり,新秋 牛女を照らす。

風吹いて巨燄【きょえん】作【おこ】り,河櫂まで 煙柱騰がる。

勢いは崑崙を焚かんと欲し,光 彌【いよい】よ 洲渚を焮【あぶ】る。

腥【せい】至りて 長蛇を焦し,聲吼えて猛虎に纏う。

 

(現代語訳)

周囲の木立が青々として繁っているところまで、すっかりら灰燼となり、どこここも煙雲に蔽われたのである。

夜になれば一層赤々と燃えて明るくなる、新秋の七夕の時期にあたって、其の光は天の牽牛・織女の星までも照らす。

風が吹いてくると大きな炎が燃え上がりおこると、火煙の柱が河漢まで煙があがって、天の河もけむりの櫂で漕ぎ渡ることができる。

その勢は崑崙山までも焚かうとしているようだが、その光らはいよいよ洲や渚をあぶりたてるのである。

そうなると、長い大蛇が焦がされてなまぐさいにおいがたちこめてくるし、おうおう吼えたてる聲は猛虎たちが臭いにつきまとっているのだろう。

夔州東川卜居図001 

(訳注) #2


(雨乞いのための山火事についてのべた詩。)春、杜甫が菱州に来てすぐに種まきをしたけれど、旱魃に遭い困ってこの詩を作った。

 〔楚俗。大旱則樊山撃鼓。有合神農書。〕

 〔ここ楚の地に伝説があり、それは大旱魃の雨乞いの儀式には、やまを焼き、太鼓を敲くけれど、古代の神農の書に有り、それと合致するものである。〕

神農書

「水経注」によるに廣渓峡(即ち瞿塘峡のこと)の北岸山上に神淵あり、淵北に白鹽崖あり、高さ千余丈ばかり、俯して神淵に臨む。天旱すれば火を岸上に燃し、其の灰燼を推して下神淵を穢すときは則ち雨を降らすといえり。蓋し神淵の周囲の山を焚くなり。大暦元年秋の初、夔州にての作。

杜甫《雷》「封必舞雩,峽中喧擊鼓。」(封は必ず舞雩【ぶう】し,峽中は擊鼓を喧しとす。

擊鼓 雨乞いのために太鼓を打ち鳴らす。「神農禱雨書」・《神農求雨書》曰:春甲乙不雨,東爲青龍,又爲大龍,東方老人舞之,壬癸雨。 又曰:北如此不雨,命巫祝雨,曝之不雨,禱山神,積薪其旁,擊鼓而焚之。

 

 

杜甫は夔州到着後まもなく、ある畑を確保して自家用のための野菜を作ろうとした。しかしその夏は日照りが続き、当初の思惑ははずれてしまった。秋になると豪雨が襲ったりもしたが、いい雨も降り、野菜はある程度順調にそだった。そういう中で住家の軒先に萵苣を作ったりもしたが、それはみごと失敗に終わった。

 

 夔州一年目、大暦元年の夏は異常な旱魃続きだった。

そのことは杜甫の《雷》《火》《熱三首》《毒熱寄簡崔評事十六弟》などの詩に連続して描かれている。雨乞いのため当地独特の風習も行われたが、旱魃は三ヶ月あまりの長きに及んだ。そのことは《七月三日亭午已後較熱退晚,加小涼穩睡有詩,因論壯年樂事,戲呈元二十一曹長》の詩に、

  閉目踰十旬、 目を閉ずること十旬を踰ゆるも

  大江不止渇。 大江もこの渇()るるを止(とど)めず

とあることからわかる。目も開けられぬほどの旱天が十旬、つまり百日も続き、長江の大河の流れでさえ、この天気枯渇の状態は止めることができなかったという。

 一年目の夏の《雷》の詩によれば、そんな思いがけない大旱のなかで、杜甫の野菜作りの目論見はすっかり当てが外れてしまった。

 

青林一灰燼,雲氣無處所。

周囲の木立が青々として繁っているところまで、すっかりら灰燼となり、どこここも煙雲に蔽われたのである。

青林 周囲の木立が青々として繁っている。

雲気 煙気をさす、火煙が雲のようにみえることをいう。

無處所 一定の處がないことをいう。すべてが煙気におおわれていることをいう。以上は日中の火をいう。

 

入夜殊赫然,新秋照牛女。

夜になれば一層赤々と燃えて明るくなる、新秋の七夕の時期にあたって、其の光は天の牽牛・織女の星までも照らす。

牛女 牽牛・織女の星をいう。

 

風吹巨燄作,河櫂騰煙柱。【河漢騰煙柱】

風が吹いてくると大きな炎が燃え上がりおこると、火煙の柱が河漢まで煙があがって、天の河もけむりの櫂で漕ぎ渡ることができる。

河櫂騰煙柱。【河漢騰煙柱】 火煙の柱が河漢まで煙があがって、天の河もけむりの櫂で漕ぎ渡る(火煙の柱が河漢まで煙があがる。)

 

勢欲焚崑崙,光彌焮洲渚。

その勢は崑崙山までも焚かうとしているようだが、その光らはいよいよ洲や渚をあぶりたてるのである。

焚崑崙 崑崙は山の名。西王母の崑崙山まで焼き尽くして辱めることで雨を降らすのであるから、こういう表現をした。

 火気にあぶられることをいう。

洲渚 淵のすやなぎさなどをいう。

 

腥至焦長蛇,聲吼纏猛虎。

そうなると、長い大蛇が焦がされてなまぐさいにおいがたちこめてくるし、おうおう吼えたてる聲は猛虎たちが臭いにつきまとっているのだろう。

腥至焦長蛇 長蛇焦而腥至の意味。結果を先に言う。

聲吼 聲は虎のこえ。

766年大暦元年55歲-17-1奉節-9《巻15-27 火 -1》 杜甫index-15 杜甫<880> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5285

杜甫 奉節-9 《1527 火 -1(雨乞いのための山火事についてのべた詩。)春、杜甫が菱州に来てすぐに種まきをしたけれど、旱魃に遭い困ってこの詩を作った。 〔ここ楚の地に伝説があり、それは大旱魃の雨乞いの儀式には、やまを焼き、太鼓を敲くけれど、古代の神農の書に有り、それと合致するものである。〕

 
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766年大暦元年55-17-1奉節-9 《1527火 -1 杜甫index-15 杜甫<880 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5285 杜甫詩1500-880-1228/2500766年大暦元年55-17-1

 

 

年:766年大暦元年55-17首目

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

奉節-9 《巻15-27 火 -1

詩題:   

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

 

 


(雨乞いのための山火事についてのべた詩。)春、杜甫が菱州に来てすぐに種まきをしたけれど、旱魃に遭い困ってこの詩を作った。

〔楚俗。大旱則樊山撃鼓。有合神農書。〕

 〔ここ楚の地に伝説があり、それは大旱魃の雨乞いの儀式には、やまを焼き、太鼓を敲くけれど、古代の神農の書に有り、それと合致するものである。〕

楚山經月火,大旱則斯舉。

この地方では干ばつの雨乞いに、一月以上にもわたって山に火をつけることがあるが、それは旱魃が非常な場合にはじめて行はれるということである。

舊俗燒蛟龍,驚惶致雷雨。

これまでの俗説によると蛟龍を焼くとそれが驚きおそれて雷雨をまねきよせることができるというのである。

爆嵌魑魅泣,崩凍嵐陰昈。

谷間の雲の湧きでる巌穴のあるところで火をおこすから魅魅の類が泣くし、雲を生じることになる。いままでは凍りついて水が滴り落ちなかったが、焼かれたことでそれが崩れ、嵐も陰ったところもあかあかとあかるくなるから、水になり雨となるというのだ。

羅落沸百泓,根源皆萬古。

火がぐるりと取り巻いてしまうと、太古からそこに水を敲経ている、さまざまの水たまりから湧き上がり、雨降らしの雲になるのだ。

#2

青林一灰燼,雲氣無處所。

入夜殊赫然,新秋照牛女。

風吹巨燄作,河櫂騰煙柱。

勢欲焚崑崙,光彌焮洲渚。

腥至焦長蛇,聲吼纏猛虎。

#3

神物已高飛,不見石與土。

爾寧要謗讟,憑此近熒侮。

薄關長吏憂,甚昧至精主。

遠遷誰撲滅,將恐及環堵。

流汗臥江亭,更深氣如縷。

 

(火)

 〔楚の俗あり。大旱 則ち樊山して 撃鼓す。神農の書に合する有り。〕

楚山 經月の火、大旱には則ち斯に舉ぐ。

舊俗 蛟龍を燒き,惶を驚かせて雷雨に致る。

嵌を爆すれば魑魅泣き,凍を崩して嵐陰 昈【あきら】かなり。

羅落せらて 百泓を沸かし,根源 皆 萬古よりす。

#2

青林 一に灰燼となり,雲氣 處所無し。

夜に入りて 殊に赫然たり,新秋 牛女を照らす。

風吹いて巨燄【きょえん】作【おこ】り,河櫂まで 煙柱騰がる。

勢いは崑崙を焚かんと欲し,光 彌【いよい】よ 洲渚を焮【あぶ】る。

腥【せい】至りて 長蛇を焦し,聲吼えて猛虎に纏う。

#3

神物已高飛,不見石與土。

爾寧要謗讟,憑此近熒侮。

薄關長吏憂,甚昧至精主。

遠遷誰撲滅,將恐及環堵。

流汗臥江亭,更深氣如縷。

sas0011 

 

『火』 現代語訳と訳註解説

(本文)


楚山經月火,大旱則斯舉。

舊俗燒蛟龍,驚惶致雷雨。

爆嵌魑魅泣,崩凍嵐陰昈。

羅落沸百泓,根源皆萬古。

 

(下し文)

(火)

 〔楚の俗あり。大旱 則ち樊山して 撃鼓す。神農の書に合する有り。〕

楚山 經月の火、大旱には則ち斯に舉ぐ。

舊俗 蛟龍を燒き,惶を驚かせて雷雨に致る。

嵌を爆すれば魑魅泣き,凍を崩して嵐陰 昈【あきら】かなり。

羅落せらて 百泓を沸かし,根源 皆 萬古よりす。

 

(現代語訳)

(雨乞いのための山火事についてのべた詩。)春、杜甫が菱州に来てすぐに種まきをしたけれど、旱魃に遭い困ってこの詩を作った。

 〔ここ楚の地に伝説があり、それは大旱魃の雨乞いの儀式には、やまを焼き、太鼓を敲くけれど、古代の神農の書に有り、それと合致するものである。〕

この地方では干ばつの雨乞いに、一月以上にもわたって山に火をつけることがあるが、それは旱魃が非常な場合にはじめて行はれるということである。

これまでの俗説によると蛟龍を焼くとそれが驚きおそれて雷雨をまねきよせることができるというのである。

谷間の雲の湧きでる巌穴のあるところで火をおこすから魅魅の類が泣くし、雲を生じることになる。いままでは凍りついて水が滴り落ちなかったが、焼かれたことでそれが崩れ、嵐も陰ったところもあかあかとあかるくなるから、水になり雨となるというのだ。

火がぐるりと取り巻いてしまうと、太古からそこに水を敲経ている、さまざまの水たまりから湧き上がり、雨降らしの雲になるのだ。

夔州東川卜居図001 

(訳注)


(雨乞いのための山火事についてのべた詩。)春、杜甫が菱州に来てすぐに種まきをしたけれど、旱魃に遭い困ってこの詩を作った。

 〔楚俗。大旱則樊山撃鼓。有合神農書。〕

 〔ここ楚の地に伝説があり、それは大旱魃の雨乞いの儀式には、やまを焼き、太鼓を敲くけれど、古代の神農の書に有り、それと合致するものである。〕

神農書

「水経注」によるに廣渓峡(即ち瞿塘峡のこと)の北岸山上に神淵あり、淵北に白鹽崖あり、高さ千余丈ばかり、俯して神淵に臨む。天旱すれば火を岸上に燃し、其の灰燼を推して下神淵を穢すときは則ち雨を降らすといえり。蓋し神淵の周囲の山を焚くなり。大暦元年秋の初、夔州にての作。

杜甫《雷》「封必舞雩,峽中喧擊鼓。」(封は必ず舞雩【ぶう】し,峽中は擊鼓を喧しとす。

擊鼓 雨乞いのために太鼓を打ち鳴らす。「神農禱雨書」・《神農求雨書》曰:春甲乙不雨,東爲青龍,又爲大龍,東方老人舞之,壬癸雨。 又曰:北如此不雨,命巫祝雨,曝之不雨,禱山神,積薪其旁,擊鼓而焚之。

 

 

杜甫は夔州到着後まもなく、ある畑を確保して自家用のための野菜を作ろうとした。しかしその夏は日照りが続き、当初の思惑ははずれてしまった。秋になると豪雨が襲ったりもしたが、いい雨も降り、野菜はある程度順調にそだった。そういう中で住家の軒先に萵苣を作ったりもしたが、それはみごと失敗に終わった。

 

 夔州一年目、大暦元年の夏は異常な旱魃続きだった。

そのことは杜甫の《雷》《火》《熱三首》《毒熱寄簡崔評事十六弟》などの詩に連続して描かれている。雨乞いのため当地独特の風習も行われたが、旱魃は三ヶ月あまりの長きに及んだ。そのことは《七月三日亭午已後較熱退晚,加小涼穩睡有詩,因論壯年樂事,戲呈元二十一曹長》の詩に、

  閉目踰十旬、 目を閉ずること十旬を踰ゆるも

  大江不止渇。 大江もこの渇()るるを止(とど)めず

とあることからわかる。目も開けられぬほどの旱天が十旬、つまり百日も続き、長江の大河の流れでさえ、この天気枯渇の状態は止めることができなかったという。

 一年目の夏の《雷》の詩によれば、そんな思いがけない大旱のなかで、杜甫の野菜作りの目論見はすっかり当てが外れてしまった。

 

 

楚山經月火,大旱則斯舉。

この地方では干ばつの雨乞いに、一月以上にもわたって山に火をつけることがあるが、それは旱魃が非常な場合にはじめて行はれるということである。

楚山 夔州の山。

 

舊俗燒蛟龍,驚惶致雷雨。

これまでの俗説によると蛟龍を焼くとそれが驚きおそれて雷雨をまねきよせることができるというのである。

驚惶 蛟龍が懼れ驚くこと。

 

爆嵌魑魅泣,崩凍嵐陰昈。

谷間の雲の湧きでる巌穴のあるところで火をおこすから魅魅の類が泣くし、雲を生じることになる。いままでは凍りついて水が滴り落ちなかったが、焼かれたことでそれが崩れ、嵐も陰ったところもあかあかとあかるくなるから、水になり雨となるというのだ。

爆嵌魑魅泣 いわやの洞窟の中から雲を生じると考えられていたので、その洞窟の前でいぶすように火を焚くことで雨の雲を呼ぶということ。その洞窟に魑魅魍魎が棲んでいていぶされて泣くことで、起きだし雲を湧かせるということになる。

崩凍 地底で凍ったままだと雲が湧いてこないので火で焼けばとける。それが雲となる。

嵐陰 嵐は山の気で、陰はくも。

昈 火の手が空を染めること。

 

羅落沸百泓,根源皆萬古。

火がぐるりと取り巻いてしまうと、太古からそこに水を敲経ている、さまざまの水たまりから湧き上がり、雨降らしの雲になるのだ。

羅落 日の勢いが周りを包み込むこと。

沸百泓 凍っていたものが溶け、百の水たまりになり、その水が沸騰する。

766年大暦元年55歲-16-4奉節-8 《巻15-26 雷 -4》 杜甫index-15 杜甫<879-4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5280

杜甫 奉節-8 《1526雷 -4旱天が続けば農業こそ真っ先にその被害をこうむるのだと述べている。この詩を作った前日、雷が鳴って風が吹き、ひと雨来るかと大いに期待させられたのだが、結局雨雲は吹き散らされて雨は一滴も降らなかった。

 

 
 2014年12月17日の紀頌之5つのブログ 
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 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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766年大暦元年55-16首目《巻15-26 雷 -4

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:   

 


(夏になって、大干ばつに遭遇したが、遠くで雷を聞いてこの時の様子を詠った。)

大旱山岳燋,密雲復無雨。

ただでさえ灼熱であるのに、大干ばつになっているから見渡す山岳まで焦げているようだ、そこへ厚い雲がかかってきても、また、雨が降る事は無い。

南方瘴癘地,罹此農事苦。

南方というのは水蒸気と熱射による毒気のあるところで、農業にとって干ばつ床の毒気には苦しめられるというダブルの被害をこうむった。

必舞雩,峽中喧擊鼓。

王朝の支配する領地内であればどこでも、《周禮•春官•司巫》にのっとり、雨乞いのために舞をするが、三峡内の町々では、その上、喧しいほど太鼓を打ち鳴らすのである。

真龍竟寂寞,土梗空俯僂。

しかし、雨降らしの神である真龍は何の沙汰もなく寂寞としているのであって、それでも、泥人形をやら、桃の木で作った人形やら、龍の人形やらを祀って背をかがめ、空しく最敬礼の土下座をしている。

#2

吁嗟公私病,斂缺不補。

ああ今はこの国の全員が貧苦に苦しみ、官民とも疲れ病んでおり、税金の取り立てもたでもできずに、国庫に補われずにいるのである。

故老仰面啼,瘡痍向誰數。

老人たちは面をあおむけて啼きながら、この満身瘡痍である痛手を誰に向って訴えようかといっている。

或前聞,鞭石非稽古。

雨乞いにセムシをさらし者にするということは前に聞いたことがあったが、石を鞭うつことで、雨をふらせるということは古典には無いことだ。

請先偃甲兵,處分聽人主。

そんなことをするより、何よりも真っ先に兵乱をやめてしまうことだ。そうして政事の処分は天子におまかせをすれば良いのだ。

#3

萬邦但各業,一物休盡取。

諸国めいめい自分の業をつとめ、一物の微と雖もそれを取りつくすということは、食べる事も出来なければつくるものがいなくなり、種もみを残しておかなければ、翌年は農作物が出来なくて自然の循環を止めることになる。

水旱其數然,堯湯免親睹。

大水があり、大旱があることはれは万物の道理であることは当然のことであり、堯や湯の様な聖人でもそれを目の当たり見ることを免れるわけにはゆかぬものである。

上天鑠金石,群盜亂豺虎。

上天が金石をとかすほどの暑さをくだすのと、安史の乱以降、各地で謀叛による騒乱があり、誰が盗賊化、兵隊かわからないほど、略奪がはびこって豺や虎の様なやつが大勢いるのである。

二者存一端,愆陽不猶愈。

二つのうち一つをのこすとしたならば、陽気が立ちあがつて暑すぎるといふ方がとうぞくよりまだましではないか。 

#4

昨宵殷其雷,風過齊萬弩。

ゆうべはごろごろと大雷が鳴り、風は萬の石弓をそろえて同時に放った時の音のように強く吹きすぎていた。

復吹霾翳散,虛覺神靈聚。

ところがそれが、また、強く吹き、今度は曇り気をみな吹きはらして、せっかく雨の神があつまったのが、無駄になったことをはっきりさせたのだ。

氣暍腸胃融,汙滋衣裳

自分は、暑気にはあてられて、そのおかげで胃腸に下痢をおこした、生汗と暑さの汗で、衣裳はしとしとで汚くなった。

吾衰尤拙計,失望築場圃。

そんな中、老衰の自分が、一番まずいことをしたとおもうのは、秋に収穫したり、耕して、仕事場を築かうとおもつていたことが、収穫の見込みのなくなったことである。

 

(雷)

大旱にして山岳燋げたり,雲に密なるも復た雨無し。

南方 瘴癘の地,此れを農事の苦しみと罹る。

必ず舞雩【ぶう】し,峽中は擊鼓を喧しとす。

真龍 竟に寂寞たり,土梗 空しく僂に俯す。

#2

吁嗟 公私 病めり,斂 缺【か】けて補わず。

故老 面を仰いで啼き,瘡痍【そうい】誰に向って數えん。

【おう】を暴す或いは前聞し,石を鞭つは稽古に非ず。

請うは 先ず甲兵を偃せ,處分 人主に聽【まか】せん。

#3

萬邦 但だ各の業をし,一物も盡く取るを休まん。

水旱は其の數 然り,堯・湯 親【みずか】ら睹【み】ること免れん。

上天は金石を鑠【とか】し,群盜は豺虎に亂る。

二者は一端を存し,愆陽【けんよう】は猶お愈【まさ】らずや。

#4

昨宵 殷たる其の雷あり,風過ぎて萬弩齊し。

復た霾翳【ばいえい】を吹いて散ぜしむ,虛しく神靈の聚まるを覺ゆ。

氣暍【きえつ】して腸胃融【とお】る,汙 滋【うるお】して衣裳がる

吾 衰えて尤【も】っとも 計 拙なり,失望す 「場圃を築くこと」に。

 

唐時代 地図山南 東・西道50 

『雷』 現代語訳と訳註解説

(本文)   #4

昨宵殷其雷,風過齊萬弩。

復吹霾翳散,虛覺神靈聚。

氣暍腸胃融,汙滋衣裳

吾衰尤拙計,失望築場圃。

 

(含異文)-4

昨宵殷其雷,風過齊萬弩。復吹霾翳散,虛覺神靈聚。

氣暍腸胃融,汙滋衣裳【汙滋衣裳腐】【汙衣裳】【汙衣裳腐】。吾衰尤拙計【吾衰尤計拙】【吾衰猶拙計】【吾衰猶計拙】,失望築場圃。

 

 (下し文) #4

昨宵 殷たる其の雷あり,風過ぎて萬弩齊し。

復た霾翳【ばいえい】を吹いて散ぜしむ,虛しく神靈の聚まるを覺ゆ。

氣暍【きえつ】して腸胃融【とお】る,汙 滋【うるお】して衣裳がる。

吾 衰えて尤【も】っとも 計 拙なり,失望す 「場圃を築くこと」に。

 

(現代語訳)

ゆうべはごろごろと大雷が鳴り、風は萬の石弓をそろえて同時に放った時の音のように強く吹きすぎていた。

ところがそれが、また、強く吹き、今度は曇り気をみな吹きはらして、せっかく雨の神があつまったのが、無駄になったことをはっきりさせたのだ。

自分は、暑気にはあてられて、そのおかげで胃腸に下痢をおこした、生汗と暑さの汗で、衣裳はしとしとで汚くなった。

そんな中、老衰の自分が、一番まずいことをしたとおもうのは、秋に収穫したり、耕して、仕事場を築かうとおもつていたことが、収穫の見込みのなくなったことである。

夔州東川卜居図001 

(訳注) #4


(夏になって、大干ばつに遭遇したが、遠くで雷を聞いてこの時の様子を詠った。)766年大暦元年55

夔州一年目、大暦元年の夏は異常な旱魃続きだった。

そのことは杜甫の《雷》《火》《熱三首》《毒熱寄簡崔評事十六弟》などの詩に連続して描かれている。雨乞いのため当地独特の風習も行われたが、旱魃は三ヶ月あまりの長きに及んだ。

 

昨宵殷其雷,風過齊萬弩。

ゆうべはごろごろと大雷が鳴り、風は萬の石弓をそろえて同時に放った時の音のように強く吹きすぎていた。

齊萬弩 萬の石弓をそろえて同時に放った時の音

 

復吹霾翳散,虛覺神靈聚。

ところがそれが、また、強く吹き、今度は曇り気をみな吹きはらして、せっかく雨の神があつまったのが、無駄になったことをはっきりさせたのだ。

霾翳 まきあげられた土砂が空をおおって暗いこと。【霾霧】(バイム )まきあげられた土砂と、霧。また、そのために暗くなること。

 

氣暍腸胃融,汙滋衣裳

自分は、暑気にはあてられて、そのおかげで胃腸に下痢をおこした、生汗と暑さの汗で、衣裳はしとしとで汚くなった。

汙滋 下痢をおこしたことによるくるしい生汗と暑さの汗の両方。

 

吾衰尤拙計,失望築場圃。

そんな中、老衰の自分が、一番まずいことをしたとおもうのは、秋に収穫したり、耕して、仕事場を築かうとおもつていたことが、収穫の見込みのなくなったことである。

築場圃 場圃を築くというのは、収穫をしてその後に別の作物を植えるために畝を築くことをいう。『詩経』国風・豳風「七月」の詩「九月築場圃、十月納禾稼。」(九月は場を圃【ホ】に築き、十月は禾稼【かか】を納【い】る)を踏まえた言い方である。その毛伝「毛傳:「春夏為圃,秋冬為場。」場圃就是園地,春夏耕而種菜則為圃,秋冬壓平使堅以理穀實則為場。(春夏は圃と為し、秋冬は場と為す)とあり、「場と圃は地を同じくするのみ。物生ずるの時、之を耕やし治めて以て菜茹【やさい】を種【う】え、物の尽く成熟するに至りて、築き堅めて以て場と為す」という。これからすると場圃は一つの土地を二度利用するやり方で、春夏は耕して畑にして野菜を作り、秋冬には土を固めて穀類などの収穫の作業場として用いるのである。以上から杜甫がこの夏(旧暦で四~六月)に作った詩のなかで、日照りのため場圃を築く望みを失ったと述べているのは、一般的な農事というより夏の野菜作りが水の泡と帰したことを嘆いていると考えてよいであろう。ということは、杜甫は夔州一年目にすでに何らかの野菜畑を持っていたのである。

 この長い旱魃でいっそう暑かった夏も、さすがに暦の上で秋になるといくらか涼しさがおとずれた。しかしまだ雨は降らない。そのため畑の野菜はとても貴重で、食卓用に摘み取ってくるなど、とてもできるものではなかった。

詩経、国風豳風「七月」

七月流火、九月授衣。

一之日觱發、二之日栗烈。

無衣無褐、何以卒

三之日于耜、四之日舉趾。

同我婦子、'233;彼南畝、田畯至喜。

 

七月流火、九月授衣。

春日載陽、有鳴倉庚。

女執懿筐、遵彼微行、爰求柔桑。

春日遲遲、采蘩祁祁。

女心傷悲、殆及公子同歸。

 

七月流火、八月萑葦。

蠶月條桑、取彼斧、以伐遠揚、猗彼女桑。

七月鳴鵙、八月載績。

載玄載黃、我朱孔陽、為公子裳。

 

四月秀葽、五月鳴蜩。

八月其穫、十月隕蘀。

一之日于貉、取彼狐狸、為公子裘。

二之日其同、載纘武功、言私其豵、獻于公。

 

五月斯螽動股、六月莎雞振羽。

七月在野、八月在宇、九月在

十月蟋蟀、入我牀下。

穹窒熏鼠。

塞向墐

嗟我婦子、曰為改、入此室處。

 

六月食鬱及薁、七月亨葵及菽。

八月剝棗、十月穫稻。

為此春酒、以介眉壽。

七月食瓜、八月斷壺、九月叔苴、采荼薪樗。

食我農夫。

 

九月築場圃、十月納禾稼。

黍稷重、禾麻菽麥。

嗟我農夫、我稼既同、上入執宮功。

晝爾于茅、宵爾索綯。

亟其乘屋、其始播百穀。

 

二之日鑿冰沖沖、三之日納于凌陰。

四之日其蚤、獻羔祭韭。

九月肅霜、十月滌場。

朋酒斯饗、曰殺羔羊。

躋彼公堂、稱彼兕觥、萬壽無疆。

 

(読み下し)

七月には流れる火(アンタレス)、九月には衣を授ける(衣替え)。

一の日(十一月のこと)には觱發(ひっぱつ、風寒冷)し、二の日(十二月)には栗烈(りつれつ、慄烈、はだがひりひり寒い)たり。

衣なく褐(粗布)なくんば、何を以ってを卒(お)えん。

三の日(翌年一月)には于(ここ)に耜(すき、鋤の手入れ)し、四の日(二月)には趾(あし)を舉げる(農耕を開始する)。

我が婦子も同じくし、かの南畝に'233;(かれいい、弁当)すれば、田畯(でんしゅん、見張り役人と古説、あるいは田の神と近説)至り喜ぶ。

 

七月には流れる火(アンタレス)、九月には衣を授く。

春の日は載(すなわ)ち陽(あたたか)く、鳴く倉庚(そうこう、うぐいす;72候では啓蟄の次)あり。

女(おんな)は懿(ふか)き筐(はこ、かご)を執り、彼の微行に遵(したが)い、爰(ここ)に柔かき桑を求む。

春の日は遲遲とし、蘩(よもぎ)采(と)るは祁祁(きき、おおいに、さかん)たり。

女の心は傷悲し、殆及(まさに)公子と同(とも)に歸らん(結婚の意味も)。

 

七月には流れる火(アンタレス)、八月には萑(よし)と葦(あるいは萑(=刈)る葦)。

蠶月(蚕月、三月)には條(えだ)の桑、かの斧(ふしょう、ておのを執り以って遠く揚えるを伐ち、かの女桑を猗(美大にする、あるいはしご)く。

七月には鳴く鵙(げき、もず)、八月には載む績(つむぎ)。

玄(くろ)を載み黃を載む、我が朱は孔(はなは)だ陽(よう、あざやか)なり、公子の裳となす。

 

四月には秀たる葽(よう、ひめはぎ)、五月には鳴く蜩(せみ)。

八月には其れ穫し(粟・ひえを収穫する)、十月には隕ちる蘀(たく、おちば)。

一の日(十一月)には于(ここ)に貉(かく、むじな)し、かの狐狸を取り、公子の裘(けがわ)とす。

二の日(十二月)には其れ同(とも)に、載(すなわ)ち武功を纘(つ)ぎ、言(ここ)にその豵(そう、一歳の子猪)を私し(けん、三歳の大猪)を公に獻ず。

 

五月には斯螽(ししゅう、バッタ類きりぎりす)股を動かし(羽を鳴らし)、六月には莎雞(さけい、くつわむし)羽を振るう(鳴く)。

七月には野にあり、八月は宇(のき)にあり、九月はにあり。

十月には蟋蟀(しつしゅつ、こおろぎ)我が牀(しょう、ベッド)の下に入る。

穹窒(きゅうちつ、穴をふさぐ、部屋を掃除する)して鼠を熏じ、

(北向きの窓)を塞ぎ戸を墐(すきまをめばり)する。

嗟(ああ)我が婦子よ、曰(ここ)にを改めんとす、この室に入て處れ。

 

六月には鬱(うつ、香草、にわうめ)及び薁(いく、野ぶどう)を食す、七月には葵(あおい)及び菽(まめ、だいず)を亨(に)る。

八月には棗を剥ぐ(実を収穫する)、十月には稻を穫す。

此れを春酒となし、以って眉壽を介ける。

七月には瓜を食し、八月には壷(ひょうたん)を斷つ、九月には苴(しょ、麻の実)を叔(ひら)い、荼(と、のげし、にがな)を釆(採)り樗(役に立たない雑木)を薪にす。

我が農夫を食(やしな)う。

 

九月には場圃を築き(菜園圃を脱穀取り入れ作業場に換え)、十月には禾稼(かか、収穫物)を納める。

黍稷(しょしょく、もちきび・うるちきび)重(ちょうりく、おくて・わせ)、禾麻(かま、あわ・あさ)菽麥(しゅくばく、まめ・むぎ)。

嗟(ああ)我が農夫よ、我が稼(か、収穫)既に同(あつま)れり、上に入りて宮功(室内作業)を執(と)れ。

晝には爾(なんじ)于(ここ)に茅(かや)し、宵には爾綯(なわ)を索(な)え。

亟(すみや)かにそれ屋に乘り、それ始めて百穀を播(ま)かん。

 

二の日(十二月)には冰(こおり)を鑿(うが)つこと沖沖、三の日(一月)には凌陰(ひむろ)に納める。

四の日(二月)にはその蚤(つと、早朝)、羔(こひつじ)を獻じ韭(にら)を祭る。

九月には肅たる霜、十月には場(取入れ場)を滌(てき、清掃清める)す。

朋に酒して斯(ここ)に饗し、曰(ここ)に羔羊を殺す。

彼の公堂に躋(のぼ)り、彼の兕觥(じこう、牛角型の杯)を稱(あげたた)え、萬壽疆(かぎり)なし。

 

詩意↓、すべて旧暦です。

七月には南にある赤い星アンタレスの高度が下がる、夏が終わり涼しくなる、九月には(家長は)衣を授けて衣替え。

十一月には風寒冷し、十二月には肌がひりひりするほど寒い。

衣服なしでは年は越せないものだ。

翌年一月には耜や農具の手入れをし、二月には農作業開始だ。

(年寄りも)女子供と共に弁当をもって南畝で手伝えば、田の見張り(あるいは田の神様)も喜ぶ。

 

七月には南にある赤い星アンタレスの高度が下がる、夏が終わり涼しくなる、九月には(家長は)衣を授けて衣替え。

春の日が暖かくなり、うぐいすの鳴くころ(啓蟄の5日後だから旧暦二月頭、太陽暦なら3月10日ころ)、

女(おんな)は深い籠をかついで細い道に従って桑の新葉を摘みにいく。

春の日は遲遲とのどかであり、蘩(よもぎ)摘みもさかんだ。

(恋の季節でもあり)女の心は傷悲しいい人(公子、男女どちらもあり)と一緒になりたいと思うもの。

 

七月には南にある赤い星アンタレスの高度が下がる、夏が終わり涼しくなる、八月には葦を刈りとり(冬への下準備開始)。

蠶月(蚕月、三月)には桑の枝とり、手斧で遠くの枝葉を伐ち、桑葉をしごき執る。(二月は娘が籠で新葉を取るだけだったが三月には本格的に桑の葉を集め蚕に与える)

七月には鳴く鵙(げき、もず。これも72候では夏至の10日前だから太陽暦で6月10日項)、八月には績(つむぎ)を完成する。

玄や黃色に染色する。我が朱は大変鮮やかだからいい人(公子)の裳にしてもらおう。

 

四月には葽(ひめはぎ)の実がなり、五月には蜩(せみ)が鳴く(中国72候では夏至の5日後、日本では立秋)。

八月には粟を収穫する、十月には落ち葉。

十一月には貉(かく、むじな)や狐狸を取り、公子の裘(革衣)とす。

十二月にはみんなで狩をし、小物は私し大物は公に獻ず。

 

五月にはバッタ類が登場し、六月にはくつわむしが鳴く。

(こおろぎは)七月に野、八月は軒、九月はにあり、

十月には蟋蟀(こおろぎ)は我が牀(しょう、ベッド)の下で鳴く。

穴をふさいで鼠を熏じ、窓を塞ぎ戸には目張りして(冬に備える)。

嗟(ああ)我が婦子よ、を改めるのだから、室に入って静粛にしなさい。

 

六月には鬱(にわうめ)と薁(野ぶどう)を食べ、七月には葵(あおい)及び菽(まめ)を煮る。

八月には棗の実を払い落とし収穫する、十月には稻を収穫する。

稲は春には酒とし長寿に役立てる。

七月には瓜を食べ、八月には壷(ひょうたん)をちぎり、九月には苴(麻の実)を拾い、荼(にがな)を採り樗(役に立たない雑木)を薪にす。

こうしてわが農夫たちは生活する。

 

九月には菜園圃を脱穀取り入れ作業場に換え、十月には禾稼(収穫物)を納屋に納める。

黍稷(もちきび・うるちきび)重(おくて・わせ)、禾麻(あわ・あさ)菽麥(まめ・むぎ)などだ。

嗟(ああ)我が農夫たちよ、収穫物の取入れが終わったら、次は家に入って室内作業だ。

晝には茅を切り揃え、宵には綯(なわ)を索(な)う。

亟(すみや)かに屋根の修繕だ。うかうかしていると穀物の種播(ま)きだ。

 

十二月には冰(こおり)を割って、一月には凌陰(ひむろ)に納める。

二月には早朝に羔(こひつじ)を獻じ韭(にら)を祭る。

九月には厳粛な霜が降り、十月には場(取入れ場)を清掃清める。

朋に酒して饗し、羔羊を殺す。

公堂に躋(のぼ)り、兕觥(じこう、牛角型の杯)をかかげて萬壽疆(かぎり)なしと称する。
00大豆畑 

 蜀中転々圖

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《讀巻03-12 答崔立之書 -(4)§2-1》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1258> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5274韓愈詩-32 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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766年大暦元年55-16-3奉節-8 巻15-26 雷 -3 杜甫index-15 杜甫<879-3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5275 杜甫詩1500-879-3-1226/2500766年大暦元年55-16-3

 

 


(夏になって、大干ばつに遭遇したが、遠くで雷を聞いてこの時の様子を詠った。)

大旱山岳燋,密雲復無雨。

ただでさえ灼熱であるのに、大干ばつになっているから見渡す山岳まで焦げているようだ、そこへ厚い雲がかかってきても、また、雨が降る事は無い。

南方瘴癘地,罹此農事苦。

南方というのは水蒸気と熱射による毒気のあるところで、農業にとって干ばつ床の毒気には苦しめられるというダブルの被害をこうむった。

必舞雩,峽中喧擊鼓。

王朝の支配する領地内であればどこでも、《周禮•春官•司巫》にのっとり、雨乞いのために舞をするが、三峡内の町々では、その上、喧しいほど太鼓を打ち鳴らすのである。

真龍竟寂寞,土梗空俯僂。

しかし、雨降らしの神である真龍は何の沙汰もなく寂寞としているのであって、それでも、泥人形をやら、桃の木で作った人形やら、龍の人形やらを祀って背をかがめ、空しく最敬礼の土下座をしている。

#2

吁嗟公私病,斂缺不補。

ああ今はこの国の全員が貧苦に苦しみ、官民とも疲れ病んでおり、税金の取り立てもたでもできずに、国庫に補われずにいるのである。

故老仰面啼,瘡痍向誰數。

老人たちは面をあおむけて啼きながら、この満身瘡痍である痛手を誰に向って訴えようかといっている。

或前聞,鞭石非稽古。

雨乞いにセムシをさらし者にするということは前に聞いたことがあったが、石を鞭うつことで、雨をふらせるということは古典には無いことだ。

請先偃甲兵,處分聽人主。

そんなことをするより、何よりも真っ先に兵乱をやめてしまうことだ。そうして政事の処分は天子におまかせをすれば良いのだ。

#3

萬邦但各業,一物休盡取。

諸国めいめい自分の業をつとめ、一物の微と雖もそれを取りつくすということは、食べる事も出来なければつくるものがいなくなり、種もみを残しておかなければ、翌年は農作物が出来なくて自然の循環を止めることになる。

水旱其數然,堯湯免親睹。

大水があり、大旱があることはれは万物の道理であることは当然のことであり、堯や湯の様な聖人でもそれを目の当たり見ることを免れるわけにはゆかぬものである。

上天鑠金石,群盜亂豺虎。

上天が金石をとかすほどの暑さをくだすのと、安史の乱以降、各地で謀叛による騒乱があり、誰が盗賊化、兵隊かわからないほど、略奪がはびこって豺や虎の様なやつが大勢いるのである。

二者存一端,愆陽不猶愈。

二つのうち一つをのこすとしたならば、陽気が立ちあがつて暑すぎるといふ方がとうぞくよりまだましではないか。 #4

昨宵殷其雷,風過齊萬弩。

復吹霾翳散,虛覺神靈聚。

氣暍腸胃融,汙滋衣裳

吾衰尤拙計,失望築場圃。

 

(雷)

大旱にして山岳燋げたり,雲に密なるも復た雨無し。

南方 瘴癘の地,此れを農事の苦しみと罹る。

必ず舞雩【ぶう】し,峽中は擊鼓を喧しとす。

真龍 竟に寂寞たり,土梗 空しく僂に俯す。

#2

吁嗟 公私 病めり,斂 缺【か】けて補わず。

故老 面を仰いで啼き,瘡痍【そうい】誰に向って數えん。

【おう】を暴す或いは前聞し,石を鞭つは稽古に非ず。

請うは 先ず甲兵を偃せ,處分 人主に聽【まか】せん。

#3

萬邦 但だ各の業をし,一物も盡く取るを休まん。

水旱は其の數 然り,堯・湯 親【みずか】ら睹【み】ること免れん。

上天は金石を鑠【とか】し,群盜は豺虎に亂る。

二者は一端を存し,愆陽【けんよう】は猶お愈【まさ】らずや。

#4

昨宵 殷たる其の雷あり,風過ぎて萬弩齊し。

復た霾翳【ばいえい】を吹いて散ぜしむ,虛しく神靈の聚まるを覺ゆ。

氣暍【きえつ】して腸胃融【とお】る,汙 滋【うるお】して衣裳がる

吾 衰えて尤【も】っとも 計 拙なり,失望す 「場圃を築くこと」に。

夔州東川卜居図001 

 

『雷』 現代語訳と訳註解説

(本文)  #3

萬邦但各業,一物休盡取。

水旱其數然,堯湯免親睹。

上天鑠金石,群盜亂豺虎。

二者存一端,愆陽不猶愈。

 

(含異文)-3

萬邦但各業,一物休盡取。水旱其數然【水旱數至然】,堯湯免親睹。

上天鑠金石,群盜亂豺虎。二者存一端,愆陽不猶愈。

 

(下し文) #3

萬邦 但だ各の業をし,一物も盡く取るを休まん。

水旱は其の數 然り,堯・湯 親【みずか】ら睹【み】ること免れん。

上天は金石を鑠【とか】し,群盜は豺虎に亂る。

二者は一端を存し,愆陽【けんよう】は猶お愈【まさ】らずや。

 

(現代語訳)

諸国めいめい自分の業をつとめ、一物の微と雖もそれを取りつくすということは、食べる事も出来なければつくるものがいなくなり、種もみを残しておかなければ、翌年は農作物が出来なくて自然の循環を止めることになる。

大水があり、大旱があることはれは万物の道理であることは当然のことであり、堯や湯の様な聖人でもそれを目の当たり見ることを免れるわけにはゆかぬものである。

上天が金石をとかすほどの暑さをくだすのと、安史の乱以降、各地で謀叛による騒乱があり、誰が盗賊化、兵隊かわからないほど、略奪がはびこって豺や虎の様なやつが大勢いるのである。

二つのうち一つをのこすとしたならば、陽気が立ちあがつて暑すぎるといふ方がとうぞくよりまだましではないか。 

唐時代 地図山南 東・西道50 

(訳注) #3


(夏になって、大干ばつに遭遇したが、遠くで雷を聞いてこの時の様子を詠った。)766年大暦元年55

夔州一年目、大暦元年の夏は異常な旱魃続きだった。

そのことは杜甫の《雷》《火》《熱三首》《毒熱寄簡崔評事十六弟》などの詩に連続して描かれている。雨乞いのため当地独特の風習も行われたが、旱魃は三ヶ月あまりの長きに及んだ。

 

萬邦但各業,一物休盡取。

諸国めいめい自分の業をつとめ、一物の微と雖もそれを取りつくすということは、食べる事も出来なければつくるものがいなくなり、種もみを残しておかなければ、翌年は農作物が出来なくて自然の循環を止めることになる。

各業 諸国は諸国それぞれにおいてなすべきことを為す。

盡取 すべて召し上げる、取りつくす。種もみ、食べるものを残す。取りつくせば、自然の循環を止めることになる。

 

水旱其數然,堯湯免親睹。

大水があり、大旱があることはれは万物の道理であることは当然のことであり、堯や湯の様な聖人でもそれを目の当たり見ることを免れるわけにはゆかぬものである。

其數然 それは万物の道理であることは当然のこと。

堯湯 堯王と湯王のこと。共に国の在り方について後世に特に農業にその教訓の残した。ここでは、堯の九年の時、大洪水があった事、湯王の七年に大旱魃があったことをいう。

堯 堯王《中庸》「夫堯・舜・禹、天下之大聖也。以天下相伝、天下之大事也。以天下之大聖、行天下之大事、而其授受之際、丁寧告戒、不過如此、則天下之理、豈有以加於此哉。」 夫れ堯・舜・禹は天下の大聖なり。天下をもって相伝うるは天下の大事なり。天下の大聖をもって天下の大事を行いて、而してその授受の際、丁寧告戒(こっかい)此の如きに過ぎざれば、則ち天下の理、豈にもって此れに加うる有らん哉。

湯王:中国古代殷王朝の創設者。殷の始祖契(せつ)より14世目。武湯,武王,天乙,成湯ともいわれ,卜辞では唐(湯と同音),成,大乙と書く。亳(はく)(河南省偃師県)に都をおき,伊尹(いいん)などの賢臣を用い,異民族をも心服させ,その徳は禽獣にもおよんだという。夏の属国の韋(河南省滑県南東),昆吾(河南省許昌県東)などを滅ぼして疆域を拡大した。夏王の桀は暴政を行い,人心が離反したので,これを攻めて滅ぼし,殷王朝を創設した。

免親睹 「豈免親睹」(豈親【みずか】ら睹【み】ること免れん)の意味で、これを見るをいう。

 

上天鑠金石,群盜亂豺虎。

上天が金石をとかすほどの暑さをくだすのと、安史の乱以降、各地で謀叛による騒乱があり、誰が盗賊化、兵隊かわからないほど、略奪がはびこって豺や虎の様なやつが大勢いるのである。

群盜 安史の乱以降、各地で謀叛による騒乱があり、誰が盗賊化、兵隊かわからないほど、略奪がはびこり、逃散した農民は、山地に隠れ、農作物、農家を襲ったことをいう。杜甫は、「群盜」「亂」「豺虎」の語をよく用いているがこのようなことを意味している。杜甫《自閬州領妻子卻赴蜀山行 三首之一》「汩汩避群盜,悠悠經十年。」(汨汨【いついつ】として群盗を避く、悠悠 十年を経る。)わたしは水の流れにもてあそばれるがごとく多くの盗賊を避けてあるいているが、それは安禄山が叛乱し、以来ゆうに十年のはるかな月日を経てしまった。

廣徳2764-86 《自閬州領妻子卻赴蜀山行,三首之二》 杜甫index-14 764年ふたたび成都 杜甫<762 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4140 杜甫詩1500-762-999/250050 

 

二者存一端,愆陽不猶愈。

二つのうち一つをのこすとしたならば、陽気が立ちあがつて暑すぎるといふ方がとうぞくよりまだましではないか。 

二者存一端 灼熱と盗賊、二つのうち一つをのこすこと。

愆陽 陽気が立ちがつて暑すぎること。左傳·昭公四年:「冬無愆陽,夏無伏陰,春無淒風,秋無苦雨。」とある。

不猶愈 「不猶愈乎。」まさっているということ。

766年大暦元年55歲-16-2奉節-8 《巻15-26 雷 -2》 杜甫index-15 杜甫<879-2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5270

杜甫 奉節-8 《1526 雷 -2ああ今はこの国の全員が貧苦に苦しみ、官民とも疲れ病んでおり、税金の取り立てもたでもできずに、国庫に補われずにいるのである。

 
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《讀巻03-12 答崔立之書 -(3)§1-3》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1257> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5269韓愈詩-31 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-16-2奉節-8 《巻15-24 雷 -2》 杜甫index-15 杜甫<879-2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5270 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor『花間集』全詩訳注解説(再)-1溫庭筠15《更漏子六首其一》溫庭筠66首巻一15-〈15〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5272 
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766年大暦元年55-16-2奉節-8 巻15-26  雷 -2 杜甫index-15 杜甫<879-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5270

杜甫詩
1500-879-2-1225/2500766年大暦元年55-16-2

 

杜甫は夔州到着後まもなく、ある畑を確保して自家用のための野菜を作ろうとした。しかしその夏は日照りが続き、当初の思惑ははずれてしまった。秋になると豪雨が襲ったりもしたが、いい雨も降り、野菜はある程度順調にそだった。そういう中で住家の軒先に萵苣を作ったりもしたが、それはみごと失敗に終わった。

 

 夔州一年目、大暦元年の夏は異常な旱魃続きだった。

そのことは杜甫の《雷》《火》《熱三首》《毒熱寄簡崔評事十六弟》などの詩に連続して描かれている。雨乞いのため当地独特の風習も行われたが、旱魃は三ヶ月あまりの長きに及んだ。そのことは《七月三日亭午已後較熱退晚,加小涼穩睡有詩,因論壯年樂事,戲呈元二十一曹長》の詩に、

  閉目踰十旬、 目を閉ずること十旬を踰ゆるも

  大江不止渇。 大江もこの渇()るるを止(とど)めず

とあることからわかる。目も開けられぬほどの旱天が十旬、つまり百日も続き、長江の大河の流れでさえ、この天気枯渇の状態は止めることができなかったという。

 一年目の夏の《雷》の詩によれば、そんな思いがけない大旱のなかで、杜甫の野菜作りの目論見はすっかり当てが外れてしまった。

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:   

 

 


(夏になって、大干ばつに遭遇したが、遠くで雷を聞いてこの時の様子を詠った。)

大旱山岳燋,密雲復無雨。

ただでさえ灼熱であるのに、大干ばつになっているから見渡す山岳まで焦げているようだ、そこへ厚い雲がかかってきても、また、雨が降る事は無い。

南方瘴癘地,罹此農事苦。

南方というのは水蒸気と熱射による毒気のあるところで、農業にとって干ばつ床の毒気には苦しめられるというダブルの被害をこうむった。

必舞雩,峽中喧擊鼓。

王朝の支配する領地内であればどこでも、《周禮•春官•司巫》にのっとり、雨乞いのために舞をするが、三峡内の町々では、その上、喧しいほど太鼓を打ち鳴らすのである。

真龍竟寂寞,土梗空俯僂。

しかし、雨降らしの神である真龍は何の沙汰もなく寂寞としているのであって、それでも、泥人形をやら、桃の木で作った人形やら、龍の人形やらを祀って背をかがめ、空しく最敬礼の土下座をしている。

#2

吁嗟公私病,斂缺不補。

ああ今はこの国の全員が貧苦に苦しみ、官民とも疲れ病んでおり、税金の取り立てもたでもできずに、国庫に補われずにいるのである。

故老仰面啼,瘡痍向誰數。

老人たちは面をあおむけて啼きながら、この満身瘡痍である痛手を誰に向って訴えようかといっている。

或前聞,鞭石非稽古。

雨乞いにセムシをさらし者にするということは前に聞いたことがあったが、石を鞭うつことで、雨をふらせるということは古典には無いことだ。

請先偃甲兵,處分聽人主。

そんなことをするより、何よりも真っ先に兵乱をやめてしまうことだ。そうして政事の処分は天子におまかせをすれば良いのだ。

#3

萬邦但各業,一物休盡取。

水旱其數然,堯湯免親睹。

上天鑠金石,群盜亂豺虎。

二者存一端,愆陽不猶愈。

#4

昨宵殷其雷,風過齊萬弩。

復吹霾翳散,虛覺神靈聚。

氣暍腸胃融,汙滋衣裳

吾衰尤拙計,失望築場圃。

 

(雷)

大旱にして山岳燋げたり,雲に密なるも復た雨無し。

南方 瘴癘の地,此れを農事の苦しみと罹る。

必ず舞雩【ぶう】し,峽中は擊鼓を喧しとす。

真龍 竟に寂寞たり,土梗 空しく僂に俯す。

#2

吁嗟 公私 病めり,斂 缺【か】けて補わず。

故老 面を仰いで啼き,瘡痍【そうい】誰に向って數えん。

【おう】を暴す或いは前聞し,石を鞭つは稽古に非ず。

請うは 先ず甲兵を偃せ,處分 人主に聽【まか】せん。

#3

萬邦 但だ各の業をし,一物も盡く取るを休まん。

水旱は其の數 然り,堯・湯 親【みずか】ら睹【み】ること免れん。

上天は金石を鑠【とか】し,群盜は豺虎に亂る。

二者は一端を存し,愆陽【けんよう】は猶お愈【まさ】らずや。

#4

昨宵 殷たる其の雷あり,風過ぎて萬弩齊し。

復た霾翳【ばいえい】を吹いて散ぜしむ,虛しく神靈の聚まるを覺ゆ。

氣暍【きえつ】して腸胃融【とお】る,汙 滋【うるお】して衣裳がる

吾 衰えて尤【も】っとも 計 拙なり,失望す 「場圃を築くこと」に。

 

夔州東川卜居図001 

『雷』 現代語訳と訳註解説

(本文) #2

吁嗟公私病,斂缺不補。

故老仰面啼,瘡痍向誰數。

或前聞,鞭石非稽古。

請先偃甲兵,處分聽人主。

 

(下し文)

吁嗟 公私 病めり,斂 缺【か】けて補わず。

故老 面を仰いで啼き,瘡痍【そうい】誰に向って數えん。

【おう】を暴す或いは前聞し,石を鞭つは稽古に非ず。

請うは 先ず甲兵を偃せ,處分 人主に聽【まか】せん。

 

(現代語訳)

ああ今はこの国の全員が貧苦に苦しみ、官民とも疲れ病んでおり、税金の取り立てもたでもできずに、国庫に補われずにいるのである。

老人たちは面をあおむけて啼きながら、この満身瘡痍である痛手を誰に向って訴えようかといっている。

雨乞いにセムシをさらし者にするということは前に聞いたことがあったが、石を鞭うつことで、雨をふらせるということは古典には無いことだ。

そんなことをするより、何よりも真っ先に兵乱をやめてしまうことだ。そうして政事の処分は天子におまかせをすれば良いのだ。

 唐時代 地図山南 東・西道50

(訳注) #2


(夏になって、大干ばつに遭遇したが、遠くで雷を聞いてこの時の様子を詠った。)766年大暦元年55

夔州一年目、大暦元年の夏は異常な旱魃続きだった。

そのことは杜甫の《雷》《火》《熱三首》《毒熱寄簡崔評事十六弟》などの詩に連続して描かれている。雨乞いのため当地独特の風習も行われたが、旱魃は三ヶ月あまりの長きに及んだ。

吁嗟公私病,斂缺不補。

ああ今はこの国の全員が貧苦に苦しみ、官民とも疲れ病んでおり、税金の取り立てもたでもできずに、国庫に補われずにいるのである。

公私病 この国の全員が貧苦に苦しむこと。官民とも疲れ病んでお

 税の徴収が出来ないほど、戦争で貧困になり、その上の凶作であるがため。

 

故老仰面啼,瘡痍向誰數。

老人たちは面をあおむけて啼きながら、この満身瘡痍である痛手を誰に向って訴えようかといっている。

瘡痍 満身瘡痍。 戦争による傷を内部にもっている。ここでは、治安が悪く、無政府状態のところ多いことを言っている。農民は農地を捨てて逃げ、兵士、地方官僚も収入がないので、人里離れたり、夜には盗賊になる。杜甫《北征》詩:「乾坤含瘡痍,憂虞何時畢?」今、天下はどこでも治安が悪く、無政府状態のところ多くなっているのだ、だからわたしの胸中の心配は増えつづけていったい何時終わるのだろうか。北征 #2(北征全12回) 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 209

 

或前聞,鞭石非稽古。

雨乞いにセムシをさらし者にするということは前に聞いたことがあったが、石を鞭つことで、雨をふらせるということは古典には無いことだ。

 セムシの巫女を晒せば、天が憐れんで雨を降らすという雨乞い伝説がある。

鞭石 陽石をムチ打てば晴れ、陰石をムチ打てば雨が降るという伝説をいう。

稽古 古を稽える。稽:1 引きとめる。とどまる。「稽留」2 かんがえる。「稽古/滑稽(こっけい)・不稽・無稽」3 頭を地につける。

 

請先偃甲兵,處分聽人主。

そんなことをするより、何よりも真っ先に兵乱をやめてしまうことだ。そうして政事の処分は天子におまかせをすれば良いのだ。

偃甲兵 武器を伏せて使わないこと。兵乱をやめてしまうこと

處分 政事上の処分、処置すること。

人主 天子。

766年大暦元年55歲-16-1奉節-8 《巻15-26 雷 -1》 杜甫index-15 杜甫<879-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5265

杜甫 奉節-8 巻15-26 雷 》南方というのは水蒸気と熱射による毒気のあるところで、農業にとって干ばつ床の毒気には苦しめられるというダブルの被害をこうむった。

 

 
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766年大暦元年55-16-1奉節-8 《1526 雷 -1 杜甫index-15 杜甫<879-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5265

 

 

杜甫詩1500-879-1-1224/2500 766年大暦元年55-16-1

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:   

 

 


(夏になって、大干ばつに遭遇したが、遠くで雷を聞いてこの時の様子を詠った。)

大旱山岳燋,密雲復無雨。

ただでさえ灼熱であるのに、大干ばつになっているから見渡す山岳まで焦げているようだ、そこへ厚い雲がかかってきても、また、雨が降る事は無い

南方瘴癘地,罹此農事苦。

南方というのは水蒸気と熱射による毒気のあるところで、農業にとって干ばつ床の毒気には苦しめられるというダブルの被害をこうむった。

必舞雩,峽中喧擊鼓。

王朝の支配する領地内であればどこでも、《周禮•春官•司巫》にのっとり、雨乞いのために舞をするが、三峡内の町々では、その上、喧しいほど太鼓を打ち鳴らすのである。

真龍竟寂寞,土梗空俯僂。

しかし、雨降らしの神である真龍は何の沙汰もなく寂寞としているのであって、それでも、泥人形をやら、桃の木で作った人形やら、龍の人形やらを祀って背をかがめ、空しく最敬礼の土下座をしている。

 

吁嗟公私病,斂缺不補。

故老仰面啼,瘡痍向誰數。

或前聞,鞭石非稽古。

請先偃甲兵,處分聽人主。

 

萬邦但各業,一物休盡取。

水旱其數然,堯湯免親睹。

上天鑠金石,群盜亂豺虎。

二者存一端,愆陽不猶愈。

 

昨宵殷其雷,風過齊萬弩。

復吹霾翳散,虛覺神靈聚。

氣暍腸胃融,汙滋衣裳

吾衰尤拙計,失望築場圃。

 

(雷)

大旱にして山岳燋げたり,雲に密なるも復た雨無し。

南方 瘴癘の地,此れを農事の苦しみと罹る。

必ず舞雩【ぶう】し,峽中は擊鼓を喧しとす。

真龍 竟に寂寞たり,土梗 空しく僂に俯す。

#2

吁嗟 公私 病めり,斂 缺【か】けて補わず。

故老 面を仰いで啼き,瘡痍【そうい】誰に向って數えん。

【おう】を暴す或いは前聞し,石を鞭つは稽古に非ず。

請うは 先ず甲兵を偃せ,處分 人主に聽【まか】せん。

#3

萬邦 但だ各の業をし,一物も盡く取るを休まん。

水旱は其の數 然り,堯・湯 親【みずか】ら睹【み】ること免れん。

上天は金石を鑠【とか】し,群盜は豺虎に亂る。

二者は一端を存し,愆陽【けんよう】は猶お愈【まさ】らずや。

#4

昨宵 殷たる其の雷あり,風過ぎて萬弩齊し。

復た霾翳【ばいえい】を吹いて散ぜしむ,虛しく神靈の聚まるを覺ゆ。

氣暍【きえつ】して腸胃融【とお】る,汙 滋【うるお】して衣裳がる

吾 衰えて尤【も】っとも 計 拙なり,失望す 「場圃を築くこと」に。

 

夔州東川卜居図001

『雷』 現代語訳と訳註解説

(本文)


大旱山岳燋,密雲復無雨。

南方瘴癘地,罹此農事苦。

必舞雩,峽中喧擊鼓。

真龍竟寂寞,土梗空俯僂。

 

(含異文)

大旱山岳燋,密雲復無雨【密雲覆如雨】。南方瘴癘地,罹此農事苦。

必舞雩,峽中喧擊鼓。真龍竟寂寞,土梗【案:土人也。】空俯僂【土梗空僂俯】。

 

(下し文)

(雷)

大旱にして山岳燋げたり,雲に密なるも復た雨無し。

南方 瘴癘の地,此れを農事の苦しみと罹る。

は必ず舞雩【ぶう】し,峽中は擊鼓を喧しとす。

真龍 竟に寂寞たり,土梗 空しく僂に俯す。

 

(現代語訳)

(夏になって、大干ばつに遭遇したが、遠くで雷を聞いてこの時の様子を詠った。)

ただでさえ灼熱であるのに、大干ばつになっているから見渡す山岳まで焦げているようだ、そこへ厚い雲がかかってきても、また、雨が降る事は無い

南方というのは水蒸気と熱射による毒気のあるところで、農業にとって干ばつ床の毒気には苦しめられるというダブルの被害をこうむった。

王朝の支配する領地内であればどこでも、《周禮•春官•司巫》にのっとり、雨乞いのために舞をするが、三峡内の町々では、その上、喧しいほど太鼓を打ち鳴らすのである。

しかし、雨降らしの神である真龍は何の沙汰もなく寂寞としているのであって、それでも、泥人形をやら、桃の木で作った人形やら、龍の人形やらを祀って背をかがめ、空しく最敬礼の土下座をしている。

唐時代 地図山南 東・西道50 

(訳注)


(夏になって、大干ばつに遭遇したが、遠くで雷を聞いてこの時の様子を詠った。)766年大暦元年55

夔州一年目、大暦元年の夏は異常な旱魃続きだった。

そのことは杜甫の《雷》《火》《熱三首》《毒熱寄簡崔評事十六弟》などの詩に連続して描かれている。雨乞いのため当地独特の風習も行われたが、旱魃は三ヶ月あまりの長きに及んだ。

 

大旱山岳燋,密雲復無雨。

ただでさえ灼熱であるのに、大干ばつになっているから見渡す山岳まで焦げているようだ、そこへ厚い雲がかかってきても、また、雨が降る事は無い

大旱 766年大暦元年春より、3カ月足らず雨が降らず干ばつとなり、庚子(68日)に到りてはじめて雨が降ったという。

 

南方瘴癘地,罹此農事苦。

南方というのは水蒸気と熱射による毒気のあるところで、農業にとって干ばつ床の毒気には苦しめられるというダブルの被害をこうむった。

瘴癘地 水蒸気と熱射による毒気をいう。実際にはマラリヤである。

 

必舞雩,峽中喧擊鼓。

王朝の支配する領地内であればどこでも、《周禮•春官•司巫》にのっとり、雨乞いのために舞をするが、三峡内の町々では、その上、喧しいほど太鼓を打ち鳴らすのである。

 王朝の支配する領地内。

舞雩 雨乞いの祭りを行い、巫女によって舞をする。《周禮》司巫職,《周禮·春官·司巫》「司巫,掌群巫之政令,若國大旱,則帥巫而舞雩。」とある。

峽中 三峡内の町々では。

擊鼓 雨乞いのために太鼓を打ち鳴らす。「神農禱雨書」・《神農求雨書》曰:春甲乙不雨,東爲青龍,又爲大龍,東方老人舞之,壬癸雨。 又曰:北如此不雨,命巫祝雨,曝之不雨,禱山神,積薪其旁,擊鼓而焚之。


 

真龍竟寂寞,土梗空俯僂。

しかし、雨降らしの神である真龍は何の沙汰もなく寂寞としているのであって、それでも、泥人形をやら、桃の木で作った人形やら、龍の人形やらを祀って背をかがめ、空しく最敬礼の土下座をしている。

真龍 雨降らしの神。雷と風雲を起すものとされる。

寂寞 1 ひっそりとして寂しいさま。2 心が満たされずにもの寂しいさま。

土梗 土は泥人形、梗は桃の木で作った人形、龍の人形やらを祀るもの。

俯僂 神に祈る形を言い、背をかがめて最敬礼、土下座をすること。

766年大暦元年55歲-15-5奉節-7 《貽華陽柳少府 -#5》 杜甫index-15 杜甫<878-5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5260

杜甫 奉節-7 《貽華陽柳少府 -#5自分のこれから先、生きのこる年月はたぶん鳥が目のさきをとおるくいらいのはやさで過ぎるくらいだろうし、故里はいまだれも人のすまぬ村になりはでているのであるから、自分はここに入るうちはどうしても君にたよらねばならぬのである。

 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor『花間集』全詩訳注解説(再)-1溫庭筠13《菩薩蠻十四首 其十三》溫庭筠66首巻一13-〈13〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5262 
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766年大暦元年55-15-5奉節-7 《貽華陽柳少府 -#5》 杜甫index-15 杜甫<878-5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5260

杜甫詩1500-878-5-1223/2500766年大暦元年55
-15-5

 

 

年:766年大暦元年55

杜少陵集 巻十五

卷別: 卷二二一      文體: 五言古詩

詩題: 貽華陽柳少府

作地點:夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:華陽 (山南西道洋州 華陽)   

夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州       

交遊人物:柳少府     書信往來(山南西道 洋州華陽)

 

 

 

貽華陽柳少府 #1

繫馬喬木間,問人野寺門。柳侯披衣笑,見我顏色溫。

並坐石下堂,俯視大江奔。火雲洗月露,壁上朝暾。

-#2

自非曉相訪,觸熱生病根。南方六七月,出入異中原。

老少多暍死,汗踰水漿翻。俊才得之子,筋力不辭煩。

-#3

指揮當世事,語及戎馬存。涕淚濺我裳,悲氣排帝閽。

鬱陶抱長策,義仗知者論。吾衰臥江漢,但愧識璵璠。

-#4

文章一小技,於道未為尊。起予幸斑白,因是托子孫。

俱客古信州,結廬依毀垣。相去四五里,徑微山葉繁。

#5

時危挹佳士,況免軍旅喧。醉從趙女舞,歌鼓秦人盆。

子壯顧我傷,我驩兼淚痕。餘生如過鳥,故里今空村。

 

貽華陽柳少府 #1

華陽縣の尉官であった柳某を尋ねて貽った詩。)766年大暦元年55

繫馬喬木間,問人野寺門。

自分は喬木の間に馬をつないで、辺りの人に野寺の門がどこにあるのか尋ねて入っていった。

柳侯披衣笑,見我顏色溫。

柳侯はにこにこと着物を着て出てきたが、我を見て温和な顏をしている。

並坐石下堂,俯視大江奔。

大きな岩の下の講堂に二人並んで座り、そこから俯いて見てみると長江の流れが走っている。

火雲洗月露,壁上朝暾。

時あたかも朝焼け空の雲がひろがって月の光をおびた朝露に洗われて、絶壁から朝日が昇ってくる。

(華陽の柳少府に貽【おく】る) #1

馬を繫ぐ 喬木の間,人に問う 野寺の門。

柳侯 衣を披いて笑う,我を見て 顏色溫なり。

並び坐す 石下の堂,俯して視る 大江に奔るを。

火雲 月露に洗われ,壁に 朝暾【ちょうとん】上る。

-#2

自非曉相訪,觸熱生病根。

この土地においてはこんな夜明け時に訪問しなければ、日中、熱気に侵されて病気のもとを作るようなものなのだ。

南方六七月,出入異中原。

特に南方の六・七月の暑さときたら、大変なもので、人が家から出入りするのは自分の様な体で中原の生活を基準にしたものからすると、全く異なるものなのだ。

老少多暍死,汗踰水漿翻。

流れる汗は、水か、お汁を、ぶちまけた以上にふきでて、身体が出来ていない子供や、老人たちの多くが熱中症で死んでいるのだ。

俊才得之子,筋力不辭煩。

しかし、柳少府、君のように俊才を得ているものは、どんなに暑くても自分の筋力を動かすことを煩わしいと思ったり、厭だというようなことはないはずである。

-#2

曉に相い訪うに非ざる自りは,熱に觸れて病根生ぜん。

南方 六七月,出入 中原に異なり。

老少 多く暍死【えつし】し,汗は 水漿の翻るに踰【こ】ゆ。

俊才 之の子を得,筋力 煩【はん】を辭せず。

-#3

指揮當世事,語及戎馬存。

君との話が、今なお天下に兵馬、戦火のやまない事に及ぶと、これに対する施政がいかに為されているのか、いかに処置すべきかと論じあった。

涕淚濺我裳,悲氣排帝閽。

意見が一致し、その愁いに涙を衣裳にそそぎ、その座上に、悲しい雰囲気の風が吹いて来て、それに乘じて直ちに天子の宮門をおしひらいて、我々の意見を天子に奏聞したいと思うのである。

鬱陶抱長策,義仗知者論。

ただせっかく良計をもっていても朝廷からはじき出され、以後それを施すことができず、ただ胸をふさぐのみで、如何に忠義の節を持ち続けていても、わずかに知己の者たちと、これを論じるだけなのである。

吾衰臥江漢,但愧識璵璠。

自分は老衰して、ここの江漢の地方に臥しているのであるが、はずかしくも君は自分の文章を「璵璠なり」として知ってくれた。

-#3

指揮す 當世の事,語は及ぶ 戎馬の存するに。

涕淚 我裳に濺ぐ,悲氣に帝閽【ていこん】を排せん。

鬱陶 長策を抱く,義は知者の論に仗る。

吾衰えて江漢に臥し,但だ愧ず 璵璠【よはん】を識らるるを。

 

-#4

文章一小技,於道未為尊。

文章は道徳の精神に比べると一の小さな枝葉の問題であって、尊い精神のものではないのである。

起予幸斑白,因是托子孫。

頭髪の胡麻塩になった自分にとつては幸にも君の様な自分を啓発してくれる者があるので、自分の死後には自分の子孫をも君に委託したいと思っているところである。

俱客古信州,結廬依毀垣。

我々は共に、むかしでいう信州(夔州)の庵に客遇していて、たがいの住まいが、このくずれた垣根に依りそって近所であるのでこうして、議論を重ねている。

相去四五里,徑微山葉繁。

それは、おたがいの住んでいるところは、ほんの四五里であるし、其間の小道はかすかに、山樹の葉は繁り、重なっているのである。

-#4

文章は一小技なり,道に於いて未だ尊しと為さず。

起予 幸いにして斑白なり,是れに因って子孫を托せんとおもう。

俱に 古信州の客たり,結廬して毀垣【きえん】に依る。

相い去ること四五里なり,徑 微にして 山葉繁し。

#5

時危挹佳士,況免軍旅喧。

自分は危険な時世に君の様な佳い人物に交わり敬禮することができた、ましてここにいたために兵乱のやかましさから免れることができたのである。

醉從趙女舞,歌鼓秦人盆。

だから酔っては趙女のあとについて舞い、歌っては秦人が打ち鳴らす様に盆をたたいてうたう。

子壯顧我傷,我驩兼淚痕。

君は壮年ながら自分を顧みて同情してかなしんでくれる.自分は君を見て歓ばしくはあるが、おのずと涙が注がれるのである。

餘生如過鳥,故里今空村。

自分のこれから先、生きのこる年月はたぶん鳥が目のさきをとおるくいらいのはやさで過ぎるくらいだろうし、故里はいまだれも人のすまぬ村になりはでているのであるから、自分はここに入るうちはどうしても君にたよらねばならぬのである。

#5

時危くして 佳士に挹し,況んや軍旅の喧しきを免がるるをや。

醉うては趙女の舞いに從い,歌うて秦人の盆に鼓す。

子 壯【さか】んにして我を顧みて傷み,我 驩【よろこ】びて淚痕を兼ぬ。

餘生 過鳥の如し,故里 今 空村なり。

唐時代 地図山南 東・西道50 

『貽華陽柳少府』 現代語訳と訳註解説

(本文)#5

時危挹佳士,況免軍旅喧。

醉從趙女舞,歌鼓秦人盆。

子壯顧我傷,我驩兼淚痕。

餘生如過鳥,故里今空村。

 

(下し文)

時危くして 佳士に挹し,況んや軍旅の喧しきを免がるるをや。

醉うては趙女の舞いに從い,歌うて秦人の盆に鼓す。

子 壯【さか】んにして我を顧みて傷み,我 驩【よろこ】びて淚痕を兼ぬ。

餘生 過鳥の如し,故里 今 空村なり。

 

(現代語訳)

自分は危険な時世に君の様な佳い人物に交わり敬禮することができた、ましてここにいたために兵乱のやかましさから免れることができたのである。

だから酔っては趙女のあとについて舞い、歌っては秦人が打ち鳴らす様に盆をたたいてうたう。

君は壮年ながら自分を顧みて同情してかなしんでくれる.自分は君を見て歓ばしくはあるが、おのずと涙が注がれるのである。

自分のこれから先、生きのこる年月はたぶん鳥が目のさきをとおるくいらいのはやさで過ぎるくらいだろうし、故里はいまだれも人のすまぬ村になりはでているのであるから、自分はここに入るうちはどうしても君にたよらねばならぬのである。

 

夔州東川卜居図001 

(訳注)

貽華陽柳少府 #1

(華陽縣の尉官であった柳某を尋ねて貽った詩。)766年大暦元年55

華陽 山南西道洋州 華陽

柳少府 野寺にきている華陽縣の尉官であった柳某。

 

時危挹佳士,況免軍旅喧。

自分は危険な時世に君の様な佳い人物に交わり敬禮することができた、ましてここにいたために兵乱のやかましさから免れることができたのである。

挹佳士 佳い人物に交わり敬禮すること。

軍旅喧 兵乱のやかましさ。

 

醉從趙女舞,歌鼓秦人盆。

だから酔っては趙女のあとについて舞い、歌っては秦人が打ち鳴らす様に盆をたたいてうたう。

趙女 妓女、美人の趙(現・山西省)の女性が、美しく彩ったたかどのに上って。・趙女:趙の女。(美人女性の多い)趙(現・山西省)の国の女性。昔から山西省地方には美人が多い)とされる。

 

子壯顧我傷,我驩兼淚痕。

君は壮年ながら自分を顧みて同情してかなしんでくれる.自分は君を見て歓ばしくはあるが、おのずと涙が注がれるのである。

 

餘生如過鳥,故里今空村。

自分のこれから先、生きのこる年月はたぶん鳥が目のさきをとおるくいらいのはやさで過ぎるくらいだろうし、故里はいまだれも人のすまぬ村になりはでているのであるから、自分はここに入るうちはどうしても君にたよらねばならぬのである。

故里 ふるさと。河南、洛陽近郊偃師。
蜀中転々圖 

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66年大暦元年55-15-4奉節-7 《貽華陽柳少府 -#4》 杜甫index-15 杜甫<878-4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5255

 

 

杜甫詩1500-878-4-1222/2500766年大暦元年55-15-4

 

年:766年大暦元年55

杜少陵集 巻十五

卷別: 卷二二一      文體: 五言古詩

詩題: 貽華陽柳少府

作地點:夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:華陽 (山南西道洋州 華陽)   

夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州       

交遊人物:柳少府     書信往來(山南西道 洋州華陽)

 

 

 

貽華陽柳少府 #1

繫馬喬木間,問人野寺門。柳侯披衣笑,見我顏色溫。

並坐石下堂,俯視大江奔。火雲洗月露,壁上朝暾。

-#2

自非曉相訪,觸熱生病根。南方六七月,出入異中原。

老少多暍死,汗踰水漿翻。俊才得之子,筋力不辭煩。

-#3

指揮當世事,語及戎馬存。涕淚濺我裳,悲氣排帝閽。

鬱陶抱長策,義仗知者論。吾衰臥江漢,但愧識璵璠。

-#4

文章一小技,於道未為尊。起予幸斑白,因是托子孫。

俱客古信州,結廬依毀垣。相去四五里,徑微山葉繁。

#5

時危挹佳士,況免軍旅喧。醉從趙女舞,歌鼓秦人盆。

子壯顧我傷,我驩兼淚痕。餘生如過鳥,故里今空村。

 

貽華陽柳少府 #1

華陽縣の尉官であった柳某を尋ねて貽った詩。)766年大暦元年55

繫馬喬木間,問人野寺門。

自分は喬木の間に馬をつないで、辺りの人に野寺の門がどこにあるのか尋ねて入っていった。

柳侯披衣笑,見我顏色溫。

柳侯はにこにこと着物を着て出てきたが、我を見て温和な顏をしている。

並坐石下堂,俯視大江奔。

大きな岩の下の講堂に二人並んで座り、そこから俯いて見てみると長江の流れが走っている。

火雲洗月露,壁上朝暾。

時あたかも朝焼け空の雲がひろがって月の光をおびた朝露に洗われて、絶壁から朝日が昇ってくる。

(華陽の柳少府に貽【おく】る) #1

馬を繫ぐ 喬木の間,人に問う 野寺の門。

柳侯 衣を披いて笑う,我を見て 顏色溫なり。

並び坐す 石下の堂,俯して視る 大江に奔るを。

火雲 月露に洗われ,壁に 朝暾【ちょうとん】上る。

-#2

自非曉相訪,觸熱生病根。

この土地においてはこんな夜明け時に訪問しなければ、日中、熱気に侵されて病気のもとを作るようなものなのだ。

南方六七月,出入異中原。

特に南方の六・七月の暑さときたら、大変なもので、人が家から出入りするのは自分の様な体で中原の生活を基準にしたものからすると、全く異なるものなのだ。

老少多暍死,汗踰水漿翻。

流れる汗は、水か、お汁を、ぶちまけた以上にふきでて、身体が出来ていない子供や、老人たちの多くが熱中症で死んでいるのだ。

俊才得之子,筋力不辭煩。

しかし、柳少府、君のように俊才を得ているものは、どんなに暑くても自分の筋力を動かすことを煩わしいと思ったり、厭だというようなことはないはずである。

-#2

曉に相い訪うに非ざる自りは,熱に觸れて病根生ぜん。

南方 六七月,出入 中原に異なり。

老少 多く暍死【えつし】し,汗は 水漿の翻るに踰【こ】ゆ。

俊才 之の子を得,筋力 煩【はん】を辭せず。

-#3

指揮當世事,語及戎馬存。

君との話が、今なお天下に兵馬、戦火のやまない事に及ぶと、これに対する施政がいかに為されているのか、いかに処置すべきかと論じあった。

涕淚濺我裳,悲氣排帝閽。

意見が一致し、その愁いに涙を衣裳にそそぎ、その座上に、悲しい雰囲気の風が吹いて来て、それに乘じて直ちに天子の宮門をおしひらいて、我々の意見を天子に奏聞したいと思うのである。

鬱陶抱長策,義仗知者論。

ただせっかく良計をもっていても朝廷からはじき出され、以後それを施すことができず、ただ胸をふさぐのみで、如何に忠義の節を持ち続けていても、わずかに知己の者たちと、これを論じるだけなのである。

吾衰臥江漢,但愧識璵璠。

自分は老衰して、ここの江漢の地方に臥しているのであるが、はずかしくも君は自分の文章を「璵璠なり」として知ってくれた。

-#3

指揮す 當世の事,語は及ぶ 戎馬の存するに。

涕淚 我裳に濺ぐ,悲氣に帝閽【ていこん】を排せん。

鬱陶 長策を抱く,義は知者の論に仗る。

吾衰えて江漢に臥し,但だ愧ず 璵璠【よはん】を識らるるを。

 

-#4

文章一小技,於道未為尊。

文章は道徳の精神に比べると一の小さな枝葉の問題であって、尊い精神のものではないのである。

起予幸斑白,因是托子孫。

頭髪の胡麻塩になった自分にとつては幸にも君の様な自分を啓発してくれる者があるので、自分の死後には自分の子孫をも君に委託したいと思っているところである。

俱客古信州,結廬依毀垣。

我々は共に、むかしでいう信州(夔州)の庵に客遇していて、たがいの住まいが、このくずれた垣根に依りそって近所であるのでこうして、議論を重ねている。

相去四五里,徑微山葉繁。

それは、おたがいの住んでいるところは、ほんの四五里であるし、其間の小道はかすかに、山樹の葉は繁り、重なっているのである。

-#4

文章は一小技なり,道に於いて未だ尊しと為さず。

起予 幸いにして斑白なり,是れに因って子孫を托せんとおもう。

俱に 古信州の客たり,結廬して毀垣【きえん】に依る。

相い去ること四五里なり,徑 微にして 山葉繁し。

#5

時危挹佳士,況免軍旅喧。

醉從趙女舞,歌鼓秦人盆。

子壯顧我傷,我驩兼淚痕。

餘生如過鳥,故里今空村。

#5

時危くして 佳士に挹し,況んや軍旅の喧しきを免がるるをや。

醉うては趙女の舞いに從い,歌うて秦人の盆に鼓す。

子 壯【さか】んにして我を顧みて傷み,我 驩【よろこ】びて淚痕を兼ぬ。

餘生 過鳥の如し,故里 今 空村なり。 

 

夔州東川卜居図001 

『貽華陽柳少府』 現代語訳と訳註解説

(本文) -#4

文章一小技,於道未為尊。

起予幸斑白,因是托子孫。

俱客古信州,結廬依毀垣。

相去四五里,徑微山葉繁。

 

(含異文) 

文章一小技,於道未為尊。起予幸斑白,因是托子孫。

俱客古信州【案:夔本梁信州。】,結廬依毀垣。相去四五里,徑微山葉繁。

 

(下し文)

文章は一小技なり,道に於いて未だ尊しと為さず。

起予 幸いにして斑白なり,是れに因って子孫を托せんとおもう。

俱に 古信州の客たり,結廬して毀垣【きえん】に依る。

相い去ること四五里なり,徑 微にして 山葉繁し。

 

(現代語訳)

文章は道徳の精神に比べると一の小さな枝葉の問題であって、尊い精神のものではないのである。

頭髪の胡麻塩になった自分にとつては幸にも君の様な自分を啓発してくれる者があるので、自分の死後には自分の子孫をも君に委託したいと思っているところである。

我々は共に、むかしでいう信州(夔州)の庵に客遇していて、たがいの住まいが、このくずれた垣根に依りそって近所であるのでこうして、議論を重ねている。

それは、おたがいの住んでいるところは、ほんの四五里であるし、其間の小道はかすかに、山樹の葉は繁り、重なっているのである。

唐時代 地図山南 東・西道50 

(訳注)-#4

貽華陽柳少府 #1

(華陽縣の尉官であった柳某を尋ねて貽った詩。)766年大暦元年55

華陽 山南西道洋州 華陽

柳少府 野寺にきている華陽縣の尉官であった柳某。

 

文章一小技,於道未為尊。

文章は道徳の精神に比べると一の小さな枝葉の問題であって、本筋の問題ではなく、尊い精神のものではないのである。

一小技 ちいさなわざ。本筋の問題ではない。

 聖人の大道。

 

起予幸斑白,因是托子孫。

頭髪の胡麻塩になった自分にとつては幸にも君の様な自分を啓発してくれる者があるので、自分の死後には自分の子孫をも君に委託したいと思っているところである。

起予幸斑白 「斑白幸起予」(斑白は幸いにして起予なり)ということである。斑白は白髪交じり、老いて頭髪の胡麻塩であることをいう。起予とは、彼の云う所が我をして啓発せられるものがあるということ。論語「子曰。起予者商也。始可與言詩已矣。」(子曰く、予を起す者は商なり。始めて与に詩を言う可きのみ。)

 

俱客古信州,結廬依毀垣。

我々は共に、むかしでいう信州(夔州)の庵に客遇していて、たがいの住まいが、このくずれた垣根に依りそって近所であるのでこうして、議論を重ねている。

古信州 夔州の事であるが、南朝梁の時、普通四年(523年)益州を分けて信州を置いた。

結廬 杜甫の住まいが近所であることをいう。一緒に生活する。ここでは、議論を重ねているとした。

依毀垣 壊れた垣根に倚りそう。

 

相去四五里,徑微山葉繁。

それは、おたがいの住んでいるところは、ほんの四五里であるし、其間の小道はかすかに、山樹の葉は繁り、重なっているのである。

四五里 23km。

766年大暦元年55歲-15-3奉節-7 《貽華陽柳少府 -#3》 杜甫index-15 杜甫<878-3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5250

杜甫 奉節-7 《貽華陽柳少府 -#3ただせっかく良計をもっていても朝廷からはじき出され、以後それを施すことができず、ただ胸をふさぐのみで、如何に忠義の節を持ち続けていても、わずかに知己の者たちと、これを論じるだけなのである。

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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766年大暦元年55-15-3奉節-7 《貽華陽柳少府 -#3》 杜甫index-15 杜甫<878-3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5250

 

 

杜甫詩1500-878-3-1221/2500766年大暦元年55-15-3

 

 

年:766年大暦元年55

杜少陵集 巻十五

卷別: 卷二二一      文體: 五言古詩

詩題: 貽華陽柳少府

作地點:夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:華陽 (山南西道洋州 華陽)   

夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州       

交遊人物:柳少府     書信往來(山南西道 洋州華陽)

 

 

 

貽華陽柳少府 #1

繫馬喬木間,問人野寺門。柳侯披衣笑,見我顏色溫。

並坐石下堂,俯視大江奔。火雲洗月露,壁上朝暾。

-#2

自非曉相訪,觸熱生病根。南方六七月,出入異中原。

老少多暍死,汗踰水漿翻。俊才得之子,筋力不辭煩。

-#3

指揮當世事,語及戎馬存。涕淚濺我裳,悲氣排帝閽。

鬱陶抱長策,義仗知者論。吾衰臥江漢,但愧識璵璠。

-#4

文章一小技,於道未為尊。起予幸斑白,因是托子孫。

俱客古信州,結廬依毀垣。相去四五里,徑微山葉繁。

#5

時危挹佳士,況免軍旅喧。醉從趙女舞,歌鼓秦人盆。

子壯顧我傷,我驩兼淚痕。餘生如過鳥,故里今空村。

 

貽華陽柳少府 #1

華陽縣の尉官であった柳某を尋ねて貽った詩。)766年大暦元年55

繫馬喬木間,問人野寺門。

自分は喬木の間に馬をつないで、辺りの人に野寺の門がどこにあるのか尋ねて入っていった。

柳侯披衣笑,見我顏色溫。

柳侯はにこにこと着物を着て出てきたが、我を見て温和な顏をしている。

並坐石下堂,俯視大江奔。

大きな岩の下の講堂に二人並んで座り、そこから俯いて見てみると長江の流れが走っている。

火雲洗月露,壁上朝暾。

時あたかも朝焼け空の雲がひろがって月の光をおびた朝露に洗われて、絶壁から朝日が昇ってくる。

(華陽の柳少府に貽【おく】る) #1

馬を繫ぐ 喬木の間,人に問う 野寺の門。

柳侯 衣を披いて笑う,我を見て 顏色溫なり。

並び坐す 石下の堂,俯して視る 大江に奔るを。

火雲 月露に洗われ,壁に 朝暾【ちょうとん】上る。

-#2

自非曉相訪,觸熱生病根。

この土地においてはこんな夜明け時に訪問しなければ、日中、熱気に侵されて病気のもとを作るようなものなのだ。

南方六七月,出入異中原。

特に南方の六・七月の暑さときたら、大変なもので、人が家から出入りするのは自分の様な体で中原の生活を基準にしたものからすると、全く異なるものなのだ。

老少多暍死,汗踰水漿翻。

流れる汗は、水か、お汁を、ぶちまけた以上にふきでて、身体が出来ていない子供や、老人たちの多くが熱中症で死んでいるのだ。

俊才得之子,筋力不辭煩。

しかし、柳少府、君のように俊才を得ているものは、どんなに暑くても自分の筋力を動かすことを煩わしいと思ったり、厭だというようなことはないはずである。

-#2

曉に相い訪うに非ざる自りは,熱に觸れて病根生ぜん。

南方 六七月,出入 中原に異なり。

老少 多く暍死【えつし】し,汗は 水漿の翻るに踰【こ】ゆ。

俊才 之の子を得,筋力 煩【はん】を辭せず。

-#3

指揮當世事,語及戎馬存。

君との話が、今なお天下に兵馬、戦火のやまない事に及ぶと、これに対する施政がいかに為されているのか、いかに処置すべきかと論じあった。

涕淚濺我裳,悲氣排帝閽。

意見が一致し、その愁いに涙を衣裳にそそぎ、その座上に、悲しい雰囲気の風が吹いて来て、それに乘じて直ちに天子の宮門をおしひらいて、我々の意見を天子に奏聞したいと思うのである。

鬱陶抱長策,義仗知者論。

ただせっかく良計をもっていても朝廷からはじき出され、以後それを施すことができず、ただ胸をふさぐのみで、如何に忠義の節を持ち続けていても、わずかに知己の者たちと、これを論じるだけなのである。

吾衰臥江漢,但愧識璵璠。

自分は老衰して、ここの江漢の地方に臥しているのであるが、はずかしくも君は自分の文章を「璵璠なり」として知ってくれた。

-#3

指揮す 當世の事,語は及ぶ 戎馬の存するに。

涕淚 我裳に濺ぐ,悲氣に帝閽【ていこん】を排せん。

鬱陶 長策を抱く,義は知者の論に仗る。

吾衰えて江漢に臥し,但だ愧ず 璵璠【よはん】を識らるるを。

 

夔州東川卜居図001 

『貽華陽柳少府』 現代語訳と訳註解説

(本文)-#3

指揮當世事,語及戎馬存。涕淚濺我裳,悲氣排帝閽。

鬱陶抱長策,義仗知者論。吾衰臥江漢,但愧識璵璠。

 

(含異文) -#3

指揮當世事,語及戎馬存。涕淚濺我裳【流涕濺我裳】,悲氣排帝閽【悲風排帝閽】。

鬱陶抱長策,義仗知者論。吾衰臥江漢,但愧識璵璠。

 

(下し文) -#3

指揮す 當世の事,語は及ぶ 戎馬の存するに。

涕淚 我裳に濺ぐ,悲氣に帝閽【ていこん】を排せん。

鬱陶 長策を抱く,義は知者の論に仗る。

吾衰えて江漢に臥し,但だ愧ず 璵璠【よはん】を識らるるを。

 

(現代語訳)

君との話が、今なお天下に兵馬、戦火のやまない事に及ぶと、これに対する施政がいかに為されているのか、いかに処置すべきかと論じあった。

意見が一致し、その愁いに涙を衣裳にそそぎ、その座上に、悲しい雰囲気の風が吹いて来て、それに乘じて直ちに天子の宮門をおしひらいて、我々の意見を天子に奏聞したいと思うのである。

ただせっかく良計をもっていても朝廷からはじき出され、以後それを施すことができず、ただ胸をふさぐのみで、如何に忠義の節を持ち続けていても、わずかに知己の者たちと、これを論じるだけなのである。

自分は老衰して、ここの江漢の地方に臥しているのであるが、はずかしくも君は自分の文章を「璵璠なり」として知ってくれた。

唐時代 地図山南 東・西道50 

(訳注) -#3

 

指揮當世事,語及戎馬存。

君との話が、今なお天下に兵馬、戦火のやまない事に及ぶと、これに対する施政がいかに為されているのか、いかに処置すべきかと論じあった。

指揮 さしずする、処置の方をとくをいう。杜甫のグループであった房琯の一党と肅宗の皇后・宦官、賀蘭進明・第五琦らと全ての施政,方針、経済政策がことごとく違っていた。

 

涕淚濺我裳,悲氣排帝閽。

意見が一致し、その愁いに涙を衣裳にそそぎ、その座上に、悲しい雰囲気の風が吹いて来て、それに乘じて直ちに天子の宮門をおしひらいて、我々の意見を天子に奏聞したいと思うのである。

悲氣排帝閽 悲風はかなしむべきか風色にあたりての意。帝閽は天子宮門。

 

鬱陶抱長策,義仗知者論。

ただせっかく良計をもっていても朝廷からはじき出され、以後それを施すことができず、ただ胸をふさぐのみで、如何に忠義の節を持ち続けていても、わずかに知己の者たちと、これを論じるだけなのである。

鬱陶 おもいふさがる容貌。

長策 最良計なり。

義 忠義をいう。

知者 知己の人、杜甫自ら比す。

 

吾衰臥江漢,但愧識璵璠。

自分は老衰して、ここの江漢の地方に臥しているのであるが、はずかしくも君は自分の文章を「璵璠なり」として知ってくれた。

江漢 夔州の地をさしていう。

識璵璠 識は柳が知っていることをいう。璵璠はともに美玉のこと。作者の文章を美玉にたとえていうも。「孔子家語」に、璵璠は,魯の寶玉である。「孔子曰:美哉,璵璠。遠而望之,奐若也。」とある。

766年大暦元年55歲-15-2奉節-7 《貽華陽柳少府 -#2》 杜甫index-15 杜甫<878-2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5245

杜甫 奉節-7 《貽華陽柳少府 -#2流れる汗は、水か、お汁を、ぶちまけた以上にふきでて、身体が出来ていない子供や、老人たちの多くが熱中症で死んでいるのだ。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor『花間集』全詩訳注解説(再)-1溫庭筠10《菩薩蠻十四首 其十》溫庭筠66首巻一10-〈10〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5247 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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年:766年大暦元年55

杜少陵集 巻十五

卷別: 卷二二一      文體: 五言古詩

詩題: 貽華陽柳少府

作地點:夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:華陽 (山南西道洋州 華陽)   

夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州       

交遊人物:柳少府     書信往來(山南西道 洋州華陽)

 

 

 

貽華陽柳少府 #1

繫馬喬木間,問人野寺門。柳侯披衣笑,見我顏色溫。

並坐石下堂,俯視大江奔。火雲洗月露,壁上朝暾。

-#2

自非曉相訪,觸熱生病根。南方六七月,出入異中原。

老少多暍死,汗踰水漿翻。俊才得之子,筋力不辭煩。

-#3

指揮當世事,語及戎馬存。涕淚濺我裳,悲氣排帝閽。

鬱陶抱長策,義仗知者論。吾衰臥江漢,但愧識璵璠。

-#4

文章一小技,於道未為尊。起予幸斑白,因是托子孫。

俱客古信州,結廬依毀垣。相去四五里,徑微山葉繁。

#5

時危挹佳士,況免軍旅喧。醉從趙女舞,歌鼓秦人盆。

子壯顧我傷,我驩兼淚痕。餘生如過鳥,故里今空村。

 

貽華陽柳少府 #1

華陽縣の尉官であった柳某を尋ねて貽った詩。)766年大暦元年55

繫馬喬木間,問人野寺門。

自分は喬木の間に馬をつないで、辺りの人に野寺の門がどこにあるのか尋ねて入っていった。

柳侯披衣笑,見我顏色溫。

柳侯はにこにこと着物を着て出てきたが、我を見て温和な顏をしている。

並坐石下堂,俯視大江奔。

大きな岩の下の講堂に二人並んで座り、そこから俯いて見てみると長江の流れが走っている。

火雲洗月露,壁上朝暾。

時あたかも朝焼け空の雲がひろがって月の光をおびた朝露に洗われて、絶壁から朝日が昇ってくる。

(華陽の柳少府に貽【おく】る) #1

馬を繫ぐ 喬木の間,人に問う 野寺の門。

柳侯 衣を披いて笑う,我を見て 顏色溫なり。

並び坐す 石下の堂,俯して視る 大江に奔るを。

火雲 月露に洗われ,壁に 朝暾【ちょうとん】上る。

-#2

自非曉相訪,觸熱生病根。

この土地においてはこんな夜明け時に訪問しなければ、日中、熱気に侵されて病気のもとを作るようなものなのだ。

南方六七月,出入異中原。

特に南方の六・七月の暑さときたら、大変なもので、人が家から出入りするのは自分の様な体で中原の生活を基準にしたものからすると、全く異なるものなのだ。

老少多暍死,汗踰水漿翻。

流れる汗は、水か、お汁を、ぶちまけた以上にふきでて、身体が出来ていない子供や、老人たちの多くが熱中症で死んでいるのだ。

俊才得之子,筋力不辭煩。

しかし、柳少府、君のように俊才を得ているものは、どんなに暑くても自分の筋力を動かすことを煩わしいと思ったり、厭だというようなことはないはずである。

-#2

曉に相い訪うに非ざる自りは,熱に觸れて病根生ぜん。

南方 六七月,出入 中原に異なり。

老少 多く暍死【えつし】し,汗は 水漿の翻るに踰【こ】ゆ。

俊才 之の子を得,筋力 煩【はん】を辭せず。

 

夔州東川卜居図000 

『貽華陽柳少府』 現代語訳と訳註解説

(本文) 貽華陽柳少府 #2

-#2

自非曉相訪,觸熱生病根。

南方六七月,出入異中原。

老少多暍死,汗踰水漿翻。

俊才得之子,筋力不辭煩。

 

(下し文)

-#2

曉に相い訪うに非ざる自りは,熱に觸れて病根生ぜん。

南方 六七月,出入 中原に異なり。

老少 多く暍死【えつし】し,汗は 水漿の翻るに踰【こ】ゆ。

俊才 之の子を得,筋力 煩【はん】を辭せず。

 

(現代語訳)

この土地においてはこんな夜明け時に訪問しなければ、日中、熱気に侵されて病気のもとを作るようなものなのだ。

特に南方の六・七月の暑さときたら、大変なもので、人が家から出入りするのは自分の様な体で中原の生活を基準にしたものからすると、全く異なるものなのだ。

流れる汗は、水か、お汁を、ぶちまけた以上にふきでて、身体が出来ていない子供や、老人たちの多くが熱中症で死んでいるのだ。

しかし、柳少府、君のように俊才を得ているものは、どんなに暑くても自分の筋力を動かすことを煩わしいと思ったり、厭だというようなことはないはずである。

 

 

(訳注)-#2

貽華陽柳少府 #1

(華陽縣の尉官であった柳某を尋ねて貽った詩。)766年大暦元年55

華陽 山南西道洋州 華陽

柳少府 野寺にきている華陽縣の尉官であった柳某。

 

自非曉相訪,觸熱生病根。

曉に相い訪うに非ざる自りは,熱に觸れて病根生ぜん。

この土地においてはこんな夜明け時に訪問しなければ、日中、熱気に侵されて病気のもとを作るようなものなのだ。

 

南方六七月,出入異中原。

南方 六七月,出入 中原に異なり。

特に南方の六・七月の暑さときたら、大変なもので、人が家から出入りするのは自分の様な体で中原の生活を基準にしたものからすると、全く異なるものなのだ。

中原 黄河中流域、河南省方面をいう。中原(ちゅうげん)は中華文化の発祥地である黄河中下流域にある平原のこと。狭義では春秋戦国時代に周の王都があった現在の河南省一帯を指していたが、後に漢民族の勢力拡大によって広く黄河中下流域を指すようになり、河南省を中心として山東省の西部から、河北省・山西省の南部、陝西省の東部にわたる華北平原を指すようにもなった。

古代でいわゆる「中国」や「中州」と同義で、異民族から隔てられる文明の中心地という意味があった。その後、南方へと発展していった漢民族にとって中原は民族の発祥の地とされてきた。また周王のいたこの地域は権力の象徴とみられることがあり、天下を取るために争うことを「中原に鹿を逐う」という成語が生まれた。

 

老少多暍死,汗踰水漿翻。

老少 多く暍死【えつし】し,汗は 水漿の翻るに踰【こ】ゆ。

流れる汗は、水か、お汁を、ぶちまけた以上にふきでて、身体が出来ていない子供や、老人たちの多くが熱中症で死んでいるのだ。

暍死 熱中症で死ぬこと。

汗踰水漿翻 流れる汗は、水か、お汁を、ぶちまけた以上にふきでてくるようすをいう。

 

俊才得之子,筋力不辭煩。

俊才 之の子を得,筋力 煩【はん】を辭せず。

しかし、柳少府、君のように俊才を得ているものは、どんなに暑くても自分の筋力を動かすことを煩わしいと思ったり、厭だというようなことはないはずである。

之子 柳少府のこと。

辭煩 煩わしいと思ったり、厭だというようなこと。杜甫が夜明けに訪問したことをいう。
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奉節-7 《貽華陽柳少府 -#1》 杜甫 自分は喬木の間に馬をつないで、辺りの人に野寺の門がどこにあるのか尋ねて入っていった。柳侯はにこにこと着物を着て出てきたが、我を見て温和な顏をしている。

 

 
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766年大暦元年55-15-1奉節-7 《貽華陽柳少府 -#1》 杜甫index-15 杜甫<878-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5240

 

 

杜甫詩1500-878-1-1219/2500766年大暦元年55-15-1

 

 

年:766年大暦元年55

卷別: 卷二二一      文體: 五言古詩

詩題: 貽華陽柳少府

作地點:夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:華陽 (山南西道洋州 華陽)   

夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州       

交遊人物:柳少府     書信往來(山南西道 洋州華陽)

 

 

 

貽華陽柳少府 #1

繫馬喬木間,問人野寺門。柳侯披衣笑,見我顏色溫。

並坐石下堂,俯視大江奔。火雲洗月露,壁上朝暾。

-#2

自非曉相訪,觸熱生病根。南方六七月,出入異中原。

老少多暍死,汗踰水漿翻。俊才得之子,筋力不辭煩。

-#3

指揮當世事,語及戎馬存。涕淚濺我裳,悲氣排帝閽。

鬱陶抱長策,義仗知者論。吾衰臥江漢,但愧識璵璠。

-#4

文章一小技,於道未為尊。起予幸斑白,因是托子孫。

俱客古信州,結廬依毀垣。相去四五里,徑微山葉繁。

#5

時危挹佳士,況免軍旅喧。醉從趙女舞,歌鼓秦人盆。

子壯顧我傷,我驩兼淚痕。餘生如過鳥,故里今空村。

 

貽華陽柳少府 #1

華陽縣の尉官であった柳某を尋ねて貽った詩。)766年大暦元年55

繫馬喬木間,問人野寺門。

自分は喬木の間に馬をつないで、辺りの人に野寺の門がどこにあるのか尋ねて入っていった。

柳侯披衣笑,見我顏色溫。

柳侯はにこにこと着物を着て出てきたが、我を見て温和な顏をしている。

並坐石下堂,俯視大江奔。

大きな岩の下の講堂に二人並んで座り、そこから俯いて見てみると長江の流れが走っている。

火雲洗月露,壁上朝暾。

時あたかも朝焼け空の雲がひろがって月の光をおびた朝露に洗われて、絶壁から朝日が昇ってくる。

(華陽の柳少府に貽【おく】る) #1

馬を繫ぐ 喬木の間,人に問う 野寺の門。

柳侯 衣を披いて笑う,我を見て 顏色溫なり。

並び坐す 石下の堂,俯して視る 大江に奔るを。

火雲 月露に洗われ,壁に 朝暾【ちょうとん】上る。

-#2

曉に相い訪うに非ざる自りは,熱に觸れて病根生ぜん。

南方 六七月,出入 中原に異なり。

老少 多く暍死【えつし】し,汗は 水漿の翻るに踰【こ】ゆ。

俊才 之の子を得,筋力 煩【はん】を辭せず。 

夔州東川卜居図000 

 

『貽華陽柳少府』 現代語訳と訳註解説

(本文) 貽華陽柳少府 #1

繫馬喬木間,問人野寺門。

柳侯披衣笑,見我顏色溫。

並坐石下堂,俯視大江奔。

火雲洗月露,壁上朝暾。

 

(含異文) -#1

繫馬喬木間,問人野寺門。柳侯披衣笑【柳侯披衣嘯】,見我顏色溫。

並坐石下堂【並坐堂下石】【並坐石堂下】,俯視大江奔。火雲洗月露,壁上朝暾。

 

(下し文)

(華陽の柳少府に貽【おく】る) #1

馬を繫ぐ 喬木の間,人に問う 野寺の門。

柳侯 衣を披いて笑う,我を見て 顏色溫なり。

並び坐す 石下の堂,俯して視る 大江に奔るを。

火雲 月露に洗われ,壁に 朝暾【ちょうとん】上る。

 

(現代語訳)

華陽縣の尉官であった柳某を尋ねて貽った詩。)766年大暦元年55

自分は喬木の間に馬をつないで、辺りの人に野寺の門がどこにあるのか尋ねて入っていった。

柳侯はにこにこと着物を着て出てきたが、我を見て温和な顏をしている。

大きな岩の下の講堂に二人並んで座り、そこから俯いて見てみると長江の流れが走っている。

時あたかも朝焼け空の雲がひろがって月の光をおびた朝露に洗われて、絶壁から朝日が昇ってくる。

 

(訳注)

貽華陽柳少府 #1

(華陽縣の尉官であった柳某を尋ねて貽った詩。)766年大暦元年55

華陽 山南西道洋州 華陽

柳少府 野寺にきている華陽縣の尉官であった柳某。

 

繫馬喬木間,問人野寺門。

自分は喬木の間に馬をつないで、辺りの人に野寺の門がどこにあるのか尋ねて入っていった。

 

柳侯披衣笑,見我顏色溫。

柳侯はにこにこと着物を着て出てきたが、我を見て温和な顏をしている。

 

並坐石下堂,俯視大江奔。

大きな岩の下の講堂に二人並んで座り、そこから俯いて見てみると長江の流れが走っている。

石下堂 寺の御堂が谷間の崖の下に位置していること。

 

火雲洗月露,壁上朝暾。

時あたかも朝焼け空の雲がひろがって月の光をおびた朝露に洗われて、絶壁から朝日が昇ってくる。

洗月露 谷間の巌崖に生えた木々に露が残月の光に光っている様子をいう。

朝暾 朝日。谷間の朝日であるから、上る様子が岩場から急に上がることをいう。
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766年大暦元年55歲-14-2奉節-6 《最能行 -#2》 杜甫index-15 杜甫<877-2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5235

奉節-6杜甫《最能行 -#2だがこのことを「船頭の気まぐれで度量が狭い」とこの地に英俊の才のある人がいないというのなら、どうして山の中に屈原の故宅があるのか。

 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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766年大暦元年55-14-2奉節-6 《最能行 -#2 杜甫index-15 杜甫<877-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5235


杜甫詩
1500-877-2-1218/2500766年大暦元年55-14-2

 

 

杜甫は夔州に来て以来、さかんに詩を作った。なにしろその約二年間に、実に四百三十首あまりの詩ができている。それは彼の全集の三割弱に当たる数である。彼は蜀に入って後は、もはや国家の政治の上で、取り上げてくれる強力者がなく、また特に経済政策の面で自分との距離がありすぎ、最早、何らなすべき力のないことを感じていたと思われるが、その上、彼の知己であった厳武も死んでしまって、この菱州まで流れて来て、今はただ残された全精力をもって作詩に注ぎ、わが家の伝統である詩の道を、その子供に伝えようとしたものである。その詩はいよいよ格律きびしく、字句に鍛錬した結果、従来書き溜め、未完成であったものを手直しし世に出したことで、これほどの詞が出来上がったのである。そうはいうものの、その詩には、もはや以前のような、きびしい、露わな社会批判や、はげしい怒りは稀であった。むしろそれらは民に沈んで、ただ重い憂愁と、人間に対するほのぼのとした愛情とがしみじみうたいこめられるのであった。

 

 

同じころの儒教哲学を論じる作品。

縛雞行

小奴縛雞向市賣,雞被縛急相喧爭。

家中厭雞食蟲蟻,不知雞賣還遭烹。

蟲雞與人何厚薄,吾叱奴人解其縛。

雞蟲得失無了時,注目寒江倚山閣。

 

負薪行

夔州處女髮半華,四十五十無夫家。

更遭喪亂嫁不售,一生抱恨堪咨嗟。

土風坐男使女立,應當門女出入。

十猶八九負薪歸,賣薪得錢應供給。

 

至老雙鬟只垂頸,野花山葉銀釵並。

筋力登危集市門,死生射利兼鹽井。

面妝首飾雜啼痕,地褊衣寒困石根。

若道巫山女粗醜,何得此有昭君村。

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    樂府

詩題:    最能行

及地點:白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城      

江陵 (山南東道 荊州 江陵)              

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘     

虎鬚潭 (山南東道 荊州 江陵) 別名:虎鬚灘、虎鬚     

歸州 (山南東道 歸州 歸州)              

 

最能行

(三峡を下る船頭の中で最も巧みに舟を操る物の歌)

峽中丈夫輕死,少在公門多在水。

この峡中の男たちは死を非常に軽く見ており、役人や土豪の家に雇われて働く者は少なく、江に出る者が多い。

富豪有錢駕大舸,貧窮取給行子。

金のある者は大きな船を作ってそれに乗り、貧乏人は手間賃をもらって小舟をあやつる。

小兒學問止《論語》,大兒結束隨商旅。

子供の勉強は『論語』どまり、大きくなると仲間をつくって商人について行く。

攲帆側柁入波濤,撇漩捎濆無險阻。

帆を傾け柁をあやつって波涛に乗り入れ、引き込まれそうな水流の渦巻きを巧みにかわして入る早瀬や湧き立ちぶつかり合ううずを巧みによけて、難所などないかのようだ。

 

朝發白帝暮江陵,頃來目擊幸有徵。

朝方、白帝城を発って暮れには江陵というが、近ごろこの目で確かめてみて、ほんとうにうそではないと知った。

瞿塘漫天虎鬚怒,歸州長年行最能。

瞿塘峡の水の勢いが天にまで広がるようであり、虎鬚灘の水は怒り狂うが、帰州生まれの船頭の長は、その難所を通るのがいちばんうまい。

之人氣量窄,誤競南風疏北客。

しかし、この土地の人たちの中でもこの船頭たちは度量が狭く、舟を出すのに細心をはらっている。南風が強い時にはその風と競うような誤りはしない。了見が狭いと誤解している、北地の旅人を相手にもしない。

若道土無英俊才,何得山有屈原宅。

だがこのことを「船頭の気まぐれで度量が狭い」とこの地に英俊の才のある人がいないというのなら、どうして山の中に屈原の故宅があるのか。

 

(最能行)

峽中の丈夫は【はなは】だ死を輕んず,公門に在るもの少く 水に在るもの多し。

富豪は錢に有りて大舸に駕す,貧窮なるは給を取りて子に行【や】る。

小兒は學問するに《論語》で止み,大兒は結束して商旅に隨う。

帆を攲【かたむ】け柁を側し波濤に入り,漩【せん】を【はら】いて濆を捎して險阻を無とす。

 

朝に白帝を發して暮には江陵なる,頃來 目擊するに幸に徵有り。

瞿塘 天に漫り 虎鬚怒り,歸州 長年に 最能なるを行【や】る。

此の 之れの人 氣量 窄【せま】し,誤って南風を競いして 北客を疏んず。

若し 土に英俊の才無しと道わば,何んぞ山に屈原の宅有ることを得んや。

 

夔州東川卜居図000 

『最能行』 現代語訳と訳註解説

(本文)

朝發白帝暮江陵,頃來目擊幸有徵。

瞿塘漫天虎鬚怒,歸州長年行最能。

之人氣量窄,誤競南風疏北客。

若道土無英俊才,何得山有屈原宅。

 

(含異文)

朝發白帝暮江陵,頃來目擊幸有徵。

瞿塘漫天虎鬚怒【瞿塘漫天虎眼怒】,歸州長年【案:蜀中呼柁師為長年三老。】行最能【歸州長年與最能】。

之人氣量窄【此之人器量窄】,誤競南風疏北客。

若道土無英俊才【若道士無英俊才】,何得山有屈原宅【案:宅在秭歸縣北。】。

 

(下し文)

朝に白帝を發して暮には江陵なる,頃來 目擊するに幸に徵有り。

瞿塘 天に漫り 虎鬚怒り,歸州 長年に 最能なるを行【や】る。

此の 之れの人 氣量 窄【せま】し,誤って南風を競いして 北客を疏んず。

若し 土に英俊の才無しと道わば,何んぞ山に屈原の宅有ることを得んや。

 

(現代語訳)

朝方、白帝城を発って暮れには江陵というが、近ごろこの目で確かめてみて、ほんとうにうそではないと知った。

瞿塘峡の水の勢いが天にまで広がるようであり、虎鬚灘の水は怒り狂うが、帰州生まれの船頭の長は、その難所を通るのがいちばんうまい。

しかし、この土地の人たちの中でもこの船頭たちは度量が狭く、舟を出すのに細心をはらっている。南風が強い時にはその風と競うような誤りはしない。了見が狭いと誤解している、北地の旅人を相手にもしない。

だがこのことを「船頭の気まぐれで度量が狭い」とこの地に英俊の才のある人がいないというのなら、どうして山の中に屈原の故宅があるのか。

 

 唐時代 地図山南 東・西道50

(訳注)

最能行

(三峡を下る船頭の中で最も巧みに舟を操る物の歌)

最能行 (最も能く之を爲す)の義。

「帰州」は湖北省の西端にある今の姉帰県で、巫峡の下流、西陵暁の入り口にある。「南風」とは『左氏伝』襄公十八年の、晋の楽師の師曠が律管を吹いて南北の風の強さ(土地の勢力の強弱)を比較したときの言葉にもとづく。すなわち、「吾驟歌北風.又歌南風.南風不競.多死聲.楚必無功.」(吾、驟かに北風に歌い、又た南風に歌うに、南風は競わず、死声多し。楚は必ず功無けん」。ここでは南方の習俗をいう。「屈原」は戦国時代、楚の忠臣で、この歸州府興山縣北30里(n-3地点)。に故宅があったらしい。

 

朝發白帝暮江陵,頃來目擊幸有徵。

朝方、白帝城を発って暮れには江陵というが、近ごろこの目で確かめてみて、ほんとうにうそではないと知った。

朝發白帝暮江陵 長江の水の流れが速いことをいう。盛弘之《荊州記》「朝發白帝暮宿江陵,凡一千二百余里,雖乘奔御風,不以疾也。」(朝に白帝を發して暮には江陵なる,凡そ一千二百余里なり,乘奔し風に御すと雖も,以って疾とならざるなり。)・白帝 白帝城(はくていじょう)は中国重慶市奉節県の長江三峡に位置する地名。かつて新末後漢初の群雄公孫述がこの地に築いた城が白帝城と呼ばれたことが由来。永安宮ともいう。

・江陵 山南東道 荊州 江陵、現在の荊州市荊州区に位置する。江陵県(Jiangling-xian - 中華人民共和国湖北省荊州市に位置する県。

頃來 このごろ。

目擊 眼でつぶさに見る事。

 しるし、証拠。

 

瞿塘漫天虎鬚怒,歸州長年行最能。

瞿塘峡の水の勢いが天にまで広がるようであり、虎鬚灘の水は怒り狂うが、帰州生まれの船頭の長は、その難所を通るのがいちばんうまい。

瞿塘 瞿塘峡は中華人民共和国の長江本流に位置する峡谷。巫峡、西陵峡と並び、三峡を構成する。別名は夔峡。瞿塘峡は三峡のもっとも上流にあり、西は重慶市奉節県の白帝城から、東は重慶市巫山県の大溪鎮までの区間である。

漫天 水の勢いが天にまで広がるようである。

虎鬚 虎鬚灘。奉節縣東30里(17.3km)にある早瀬地点をいう。

歸州 山南東道 歸州、(湖北省宜昌市秭歸縣歸州鎮歸)夔州府巫山縣の下流。

長 おさ。船頭のおさ。

行最能 難所を通るのがいちばんうまく操って行く。

 

之人氣量窄,誤競南風疏北客。

しかし、この土地の人たちの中でもこの船頭たちは度量が狭く、舟を出すのに細心をはらっている。南風が強い時にはその風と競うような誤りはしない。了見が狭いと誤解している、北地の旅人を相手にもしない。

之人 この土地の人たちの中の船頭たちのこと。

氣量窄 舟を出す時には細心の注意を払うため、素人が出してほしいと頼んでも断ることがある。例えば、夏場によくある南からの強風に対して、横波を食らって転覆する恐れがある日には舟を出さないというような意味である。この二句は、船頭の舟の操縦術はその細心の注意力にもあるということをいう。この解釈を“船頭の気まぐれ”と誤訳し、まちがっている人が多い。

 

若道土無英俊才,何得山有屈原宅。

だがこのことを「船頭の気まぐれで度量が狭い」とこの地に英俊の才のある人がいないというのなら、どうして山の中に屈原の故宅があるのか。

屈原宅 歸州府興山縣北30里(n-3地点)。屈原(くつげん、紀元前343121日頃 - 紀元前27855日頃)は、中国戦国時代の楚の政治家、詩人。姓は羋、氏は屈。諱は平または正則。字が原。春秋戦国時代を代表する詩人であり、政治家としては秦の張儀の謀略を見抜き踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して入水自殺した。

766年大暦元年55歲-14-1奉節-6 《最能行 -#1》 杜甫index-15 杜甫<877> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5230

杜甫 奉節-6 《最能行 -#1(三峡を下る船頭の中で最も巧みに舟を操る物の歌)この峡中の男たちは死を非常に軽く見ており、役人や土豪の家に雇われて働く者は少なく、江に出る者が多い。

 
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766年大暦元年55-14-1奉節-6 《最能行 -#1》 杜甫index-15 杜甫<877>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5230

 

 

杜甫詩1500-877-1217/2500 766年大暦元年55-14首目-1 奉節での6作品目

 

夔州は今の四川省奉節県城の東十数里のところであり、三峡の一つの瞿塘峡かその近くにある。ここは唐時代山南東道に属して、都督府もあり、後漢の公孫述の築いた自帝城がすぐそばにあった。杜甫は大暦元年(766)春の末から、大暦三年(768)の春まで、約二年間をこの地で暮らした。もっとも彼はこの地において、たびたびその住居をかえている。夔州に着いた当初は、山中の「客堂」に寓居した。この「客堂」のようすは、彼の詩に詳しくのべられているが、山の傾斜に木を組んで架けた、鳥の巣のような小屋であった。その家のそばに、鶏を飼い、疏菜をうえた。そしてこの地の人の例に習って、長くつないだ竹の筒で、日中の泉から水を引いた。こうした仕事は、この他でやとった蛮族の下男の阿段がよくやってくれた。

766年大暦元年55-9 《引水》 杜甫index-15 杜甫<872 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5170 杜甫詩1500-872-1205/2500766年大暦元年55-9

766年大暦元年55-10-5 《奉節-2客堂 -#5》 杜甫index-15 杜甫<877 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5195

 

秋、西閣に移る。ここはそれまでの「客堂」にくらべればよほどましで、江に臨み、朱檻をめぐらした可成りな住居であった。彼はここにいて、ほど近い白帝城や、西郊の武侯廟、江中にある八陣図、城東の先主廟、そのほか灔澦堆・瞿塘峡など、夔州の名勝を訪ねては詩を作った。秋がすぎて、柏茂琳が夔州の都督となって以来、杜甫はこの人のたすけを得ることが多かった。その詩に「諸侯數賜金。」(諸侯数々金を賜う)(峡口二首の二)とあり、原注に「主人柏中丞,頻分月俸。」(主人相中丞、頻りに月俸を分つ)とうたっているとおりである。

 

杜甫は夔州に来て以来、さかんに詩を作った。なにしろその約二年間に、実に四百三十首あまりの詩ができている。それは彼の全集の三割弱に当たる数である。彼は蜀に入って後は、もはや国家の政治の上で、取り上げてくれる強力者がなく、また特に経済政策の面で自分との距離がありすぎ、最早、何らなすべき力のないことを感じていたと思われるが、その上、彼の知己であった厳武も死んでしまって、この菱州まで流れて来て、今はただ残された全精力をもって作詩に注ぎ、わが家の伝統である詩の道を、その子供に伝えようとしたものである。その詩はいよいよ格律きびしく、字句に鍛錬した結果、従来書き溜め、未完成であったものを手直しし世に出したことで、これほどの詞が出来上がったのである。そうはいうものの、その詩には、もはや以前のような、きびしい、露わな社会批判や、はげしい怒りは稀であった。むしろそれらは民に沈んで、ただ重い憂愁と、人間に対するほのぼのとした愛情とがしみじみうたいこめられるのであった。

 

同じころの儒教哲学を論じる作品。

縛雞行

小奴縛雞向市賣,雞被縛急相喧爭。

家中厭雞食蟲蟻,不知雞賣還遭烹。

蟲雞與人何厚薄,吾叱奴人解其縛。

雞蟲得失無了時,注目寒江倚山閣。

 

負薪行

夔州處女髮半華,四十五十無夫家。

更遭喪亂嫁不售,一生抱恨堪咨嗟。

土風坐男使女立,應當門女出入。

十猶八九負薪歸,賣薪得錢應供給。

 

至老雙鬟只垂頸,野花山葉銀釵並。

筋力登危集市門,死生射利兼鹽井。

面妝首飾雜啼痕,地褊衣寒困石根。

若道巫山女粗醜,何得此有昭君村。 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    樂府

詩題:    最能行

及地點:白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城      

江陵 (山南東道 荊州 江陵)              

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘     

虎鬚潭 (山南東道 荊州 江陵) 別名:虎鬚灘、虎鬚     

歸州 (山南東道 歸州 歸州)              

 

最能行

(三峡を下る船頭の中で最も巧みに舟を操る物の歌)

峽中丈夫輕死,少在公門多在水。

この峡中の男たちは死を非常に軽く見ており、役人や土豪の家に雇われて働く者は少なく、江に出る者が多い。

富豪有錢駕大舸,貧窮取給行子。

金のある者は大きな船を作ってそれに乗り、貧乏人は手間賃をもらって小舟をあやつる。

小兒學問止《論語》,大兒結束隨商旅。

子供の勉強は『論語』どまり、大きくなると仲間をつくって商人について行く。

攲帆側柁入波濤,撇漩捎濆無險阻。

帆を傾け柁をあやつって波涛に乗り入れ、引き込まれそうな水流の渦巻きを巧みにかわして入る早瀬や湧き立ちぶつかり合ううずを巧みによけて、難所などないかのようだ。

 

朝發白帝暮江陵,頃來目擊幸有徵。

瞿塘漫天虎鬚怒,歸州長年行最能。

之人氣量窄,誤競南風疏北客。

若道土無英俊才,何得山有屈原宅。

 

(最能行)

峽中の丈夫は【はなは】だ死を輕んず,公門に在るもの少く 水に在るもの多し。

富豪は錢に有りて大舸に駕す,貧窮なるは給を取りて子に行【や】る。

小兒は學問するに《論語》で止み,大兒は結束して商旅に隨う。

帆を攲【かたむ】け柁を側し波濤に入り,漩【せん】を【はら】いて濆を捎して險阻を無とす。

 

朝に白帝を發して暮には江陵なる,頃來 目擊するに幸に徵有り。

瞿塘 天に漫り 虎鬚怒り,歸州 長年に 最能なるを行【や】る。

此の 之れの人 氣量 窄【せま】し,誤って南風を競いして 北客を疏んず。

若し 土に英俊の才無しと道わば,何んぞ山に屈原の宅有ることを得んや。

 

夔州東川卜居図001

『最能行』 現代語訳と訳註解説

(本文)

 

(含異文)

峽中丈夫輕死,少在公門多在水。

富豪有錢駕大舸,貧窮取給行【案:音葉,舟小如葉也。】子。

小兒學問止《論語》,大兒結束隨商旅。

攲帆側柁入波濤,撇漩捎濆無險阻。

 

(下し文)

(最能行)

峽中の丈夫は【はなは】だ死を輕んず,公門に在るもの少く 水に在るもの多し。

富豪は錢に有りて大舸に駕す,貧窮なるは給を取りて子に行【や】る。

小兒は學問するに《論語》で止み,大兒は結束して商旅に隨う。

帆を攲【かたむ】け柁を側し波濤に入り,漩【せん】を撇【はら】いて濆を捎して險阻を無とす。

 

(現代語訳)

(三峡を下る船頭の中で最も巧みに舟を操る物の歌)

この峡中の男たちは死を非常に軽く見ており、役人や土豪の家に雇われて働く者は少なく、江に出る者が多い。

金のある者は大きな船を作ってそれに乗り、貧乏人は手間賃をもらって小舟をあやつる。

子供の勉強は『論語』どまり、大きくなると仲間をつくって商人について行く。

帆を傾け柁をあやつって波涛に乗り入れ、引き込まれそうな水流の渦巻きを巧みにかわして入る早瀬や湧き立ちぶつかり合ううずを巧みによけて、難所などないかのようだ。

唐時代 地図山南 東・西道50 

(訳注)

最能行

(三峡を下る船頭の中で最も巧みに舟を操る物の歌)

最能行 (最も能く之を爲す)の義。

「帰州」は湖北省の西端にある今の姉帰県で、巫峡の下流、西陵暁の入り口にある。「南風」とは『左氏伝』襄公十八年の、晋の楽師の師曠が律管を吹いて南北の風の強さ(土地の勢力の強弱)を比較したときの言葉にもとづく。すなわち、「吾驟歌北風.又歌南風.南風不競.多死聲.楚必無功.」(吾、驟かに北風に歌い、又た南風に歌うに、南風は競わず、死声多し。楚は必ず功無けん」。ここでは南方の習俗をいう。「屈原」は戦国時代、楚の忠臣で、このあたりに故宅があったらしい。

 

峽中丈夫輕死,少在公門多在水。

この峡中の男たちは死を非常に軽く見ており、役人や土豪の家に雇われて働く者は少なく、江に出る者が多い。

公門 職事の門、しかるべき官吏、紳士の家をいう。

在水 水上で働く者のこと。

 

富豪有錢駕大舸,貧窮取給行子。

金のある者は大きな船を作ってそれに乗り、貧乏人は手間賃をもらって小舟をあやつる。

駕大舸 大きな船に乗る。

 木の葉舟で船出を強行す。

 

小兒學問止《論語》,大兒結束隨商旅。

子供の勉強は『論語』どまり、大きくなると仲間をつくって商人について行く。

論語 中国,儒教の根本文献。 20編。孔子とその門弟との問答を主とし,孔子の行為,その高弟の言葉を合せて記録しており,孔子の教えを伝える最も確実な古文献。短い文章の間に,孔子の人物,道徳説樹立の苦心,それぞれ個性のある弟子たちの勉学の様子などがまざまざと偲ばれる。

結束 ① ひもや縄などで結んで束にすること。② 志を同じくする者が団結すること。③ 衣服や甲冑(かっちゅう)を身に着けること。旅の身じたくすること。

 

攲帆側柁入波濤,撇漩捎濆無險阻。

帆を傾け柁をあやつって波涛に乗り入れ、引き込まれそうな水流の渦巻きを巧みにかわして入る早瀬や湧き立ちぶつかり合ううずを巧みによけて、難所などないかのようだ。

攲帆側柁 帆のむきによって方向性を取るのと、楫に余て舟の向きを操る。

撇漩 引き込まれそうな水流の渦巻きを巧みにかわして進む。水底が深くなることでおこるもの。

捎濆 湧き上がりぶつかり立ちあがって起るうず。水底の暗礁によっておこるもので、この渦は転覆を起こしやすいものである。

無險阻 船頭の巧みさを表現するもので、どんな嶮しい難関、難所もないかのようだという意味。
蜀中転々圖 

766年大暦元年55歲-13-2奉節-5 《負薪行 -#2》 杜甫index-15 杜甫<876-2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5225

巫山地方の地場の女はすべて労働ばかりしているから、真っ黒で、荒々しくて醜いというのなら、ここから、北東の方に、なぜ王昭君の生まれた村があるのか。女たちは、素材が醜いのではなく、環境がそうさせたのだ。

 

 
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766年大暦元年55-13-2奉節-5 《負薪行 -#2》 杜甫index-15 杜甫<876-2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5225

 

 

杜甫詩1500-876-2-1216/2500766年大暦元年55-13-2

 

長安を、万里も隔てた夔州の江辺で病み衰身してゆく杜甫は、悲秋の季節に当たり、かつて長安で活躍していた、その詩文は天子の心さえもとらえ、宮中に出仕したこともある己れの姿をしのびつつ、今やそのような世界とは緑のない江湖の一漁翁となり果ててしまったことを嘆く。しかし「孤舟一に繋ぐ 故園の心」と詠うごとく、故郷長安に帰ろうとの思いはいまや執念となって、その心をかき立てる。 この連作に流れている杜甫の心情は、およそこのようなものであるが、そこに哀愁に満ちた美しきが漂っているのは、その詩境が、ただ一個人の嘆きにとどまらず、人間の運命、人生の真実を語る次元にまで高められているからなのであろう。

 

 

年:766年大暦元年55 での13作目 奉節で5作目

卷別: 卷二二一      文體: 樂府

詩題: 負薪行

作地點:      夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:      夔州 (山南東道 夔州夔州) 別名:夔府、信州        

巫山 (山南東道 夔州 巫山)    

昭君村 (山南東道 歸州 興山)  

 

 

負薪行

(夔州の女は、ほとんどの女は嫁に行けず、夜も昼も休みなく働き、その上薪拾いをして、それを売って生活に当てていることを詠う。)

夔州處女髮半華,四十五十無夫家。

夔州には生娘のまま髪が半ば白いのが目立つ女がいる、四十、五十になるのに夫がいないのである。

更遭喪亂嫁不售,一生抱恨堪咨嗟。

まして世が乱れたために嫁入りの口はなく、生涯嫁ぎ先がなく、恨みを抱きつつ嘆き暮らす。

土風坐男使女立,應當門女出入。

土地のならわしとして、男は家にいて、座ったままで働かないで、留守番をしていて、内の死後とも、外の仕事も女に立ち働かせる。

十猶八九負薪歸,賣薪得錢應供給。

女は十人のうち八、九人まで薪を背負って帰り、それを売って銭をかせぎ家計にあてている。

 

至老雙鬟只垂頸,野花山葉銀釵並。

年老いても振り分け髪は童女の髪型であり、編込んだ髪先が頸筋にだらりと垂らし、髪飾りに野の花と山の葉が、銀の簪と並べて挿してある。

筋力登危集市門,死生射利兼鹽井。

筋力を使って薪を拾い集めるために急峻で危険を伴う山を駆け上り、薪を市場に売りに女たちが集まってくる。命がけで金を稼ぐことはこのほかに、塩井の仕事もするのである。

面妝首飾雜啼痕,地褊衣寒困石根。

ここの女たちの顔に施した化粧、その首飾りにも、汗と涙の痕が混じっており、それは、狭生まれた狭い地域から、出たことが無く、付き合う範囲がせまいことや、誰もが身に着る物が寒そうなかっこうのままであるからそれが寒くて当たり前になっているし、農業生産物が、石地であるために限られたものしかできず、生活に苦しむのも当たり前となっているのである。

若道巫山女粗醜,何得此有昭君村。

もし巫山地方の地場の女はすべて労働ばかりしているから、真っ黒で、荒々しくて醜いというのなら、ここから、北東の方に、なぜ王昭君の生まれた村があるのか。女たちは、素材が醜いのではなく、環境がそうさせたのだ。

 

(薪を負うものの行【うた】)

夔州の處女は髮半ば華とし,四十 五十 夫家無し。

更らに喪亂遭うて 嫁 售【う】れず,一生 恨みを抱きて堪えて咨嗟【しさ】す。

土風 男は坐し女は立た使め,應に門女は出入す。

十 猶お八九あるは 薪を負いて歸る,薪を賣り錢を得て供給に應ず。

 

老 雙鬟に至るも 只だ頸に垂る,野花も山葉も銀釵に並ぶ。

筋力 危きに登りて市門に集り,死生 利を射て鹽井【えんせい】を兼ぬ。

面妝と首飾は啼痕を雜いて,地褊 衣 寒くして石根に困す。

若し巫山の女 粗醜【そしゅう】なりと道うなれば,何ぞ 此に昭君の村に有ることを得ん。

 

巫山十二峰003 

『負薪行』 現代語訳と訳註解説

(本文)#2

至老雙鬟只垂頸,野花山葉銀釵並。

筋力登危集市門,死生射利兼鹽井。

面妝首飾雜啼痕,地褊衣寒困石根。

若道巫山女粗醜,何得此有昭君村。

 

(含異文)

至老雙鬟只垂頸【至老雙鐶只垂頸】,野花山葉銀釵並。

筋力登危集市門,死生射利兼鹽井。

面妝首飾雜啼痕,地褊衣寒困石根。

若道巫山女粗醜,何得此有昭君村【何得北有昭君村】

 

(下し文)

老 雙鬟に至るも 只だ頸に垂る,野花も山葉も銀釵に並ぶ。

筋力 危きに登りて市門に集り,死生 利を射て鹽井【えんせい】を兼ぬ。

面妝と首飾は啼痕を雜いて,地褊 衣 寒くして石根に困す。

若し巫山の女 粗醜【そしゅう】なりと道うなれば,何ぞ 此に昭君の村に有ることを得ん。

 

(現代語訳)

年老いても振り分け髪は童女の髪型であり、編込んだ髪先が頸筋にだらりと垂らし、髪飾りに野の花と山の葉が、銀の簪と並べて挿してある。

筋力を使って薪を拾い集めるために急峻で危険を伴う山を駆け上り、薪を市場に売りに女たちが集まってくる。命がけで金を稼ぐことはこのほかに、塩井の仕事もするのである。

ここの女たちの顔に施した化粧、その首飾りにも、汗と涙の痕が混じっており、それは、狭生まれた狭い地域から、出たことが無く、付き合う範囲がせまいことや、誰もが身に着る物が寒そうなかっこうのままであるからそれが寒くて当たり前になっているし、農業生産物が、石地であるために限られたものしかできず、生活に苦しむのも当たり前となっているのである。

もし巫山地方の地場の女はすべて労働ばかりしているから、真っ黒で、荒々しくて醜いというのなら、ここから、北東の方に、なぜ王昭君の生まれた村があるのか。女たちは、素材が醜いのではなく、環境がそうさせたのだ。

唐時代 地図山南 東・西道50 

(訳注)

王昭君は漢の元帝の宮人であったが、絵師に賄賂を送らなかったために醜く措かれ、元帝の寵愛を受けることができなかった。のちに匈奴の単于に嫁することになってはじめてその美貌を知った帝は、このうえなく残念がったが、どうすることもできなかったという。杜甫は、本来は美しかるべき菱州の女たちが、吐蕃・雲南の異民族との日常的な戦争、安史の乱などで、男手がないこと(杜甫《三吏三別の六詩》でも同じ論調)働かざるを得ないこと、生産性がない地域で生活の苦しさの中に年老いてゆくのに同情しているのである。

 

至老雙鬟只垂頸,野花山葉銀釵並。

年老いても振り分け髪は童女の髪型であり、編込んだ髪先が頸筋にだらりと垂らし、髪飾りに野の花と山の葉が、銀の簪と並べて挿してある。

雙鬟 束ねあげた子どもの髪。あげまき。つのがみ。頭の上左右に髪を結って束ねた髪型であるが、古代における童女の髪型をいうが、,ここでは、仕事ばかりするため、子供の時のままの髪型が作業に邪魔をしない。また、女を意識することが無いという意味にも理解できる。

◍頭を長く洗わないので、髪飾りという意味と、芳草などを髪に挿すことでポプリの役割もあった。

 

筋力登危集市門,死生射利兼鹽井。

筋力を使って薪を拾い集めるために急峻で危険を伴う山を駆け上り、薪を市場に売りに女たちが集まってくる。命がけで金を稼ぐことはこのほかに、塩井の仕事もするのである。

筋力登危 筋力を使って薪を拾い集めるために急峻で危険を伴う山を駆け上ること。

集市門 女たちが薪を市場に売りに集まってくる。

死生射利 命がけで金を稼ぐことは山に柴狩りに行くばかりか。

 このほかに。

鹽井 四川は岩塩の生産地である。ここでは、切りだした岩塩運びや、製造された塩製品を船着き場まで運ぶ仕事をいう。

 

面妝首飾雜啼痕,地褊衣寒困石根。

ここの女たちの顔に施した化粧、その首飾りにも、汗と涙の痕が混じっており、それは、狭生まれた狭い地域から、出たことが無く、付き合う範囲がせまいことや、誰もが身に着る物が寒そうなかっこうのままであるからそれが寒くて当たり前になっているし、農業生産物が、石地であるために限られたものしかできず、生活に苦しむのも当たり前となっているのである。

面妝 顔に施した化粧。

首飾 首に飾りをつける。

雜啼痕 涙の痕が加わっている。

地褊 ごく小さい邑共同体のような状態を表す。生まれた狭い地域から、出たことが無く、付き合う範囲がせまいこと。

困石根 農業生産物が、石地であるために限られたものしかできず、生活に苦しむ、

 

若道巫山女粗醜,何得此有昭君村。

もし巫山地方の地場の女はすべて労働ばかりしているから、真っ黒で、荒々しくて醜いというのなら、ここから、北東の方に、なぜ王昭君の生まれた村があるのか。女たちは、素材が醜いのではなく、環境がそうさせたのだ。

粗醜 労働ばかりしているから、荒々しくて醜いこと。男手がないから、労働力として欠かせない。働き手があれば、口減らしに、容姿がきれいなものは、幼少の内に巫女になり、娼屋に売られていることを意味する。

昭君 湖北省歸州府興山縣で生まれた。南郡(現在の湖北省沙市)出身であること、この近く、巫山の祠には大勢の美人がいた。王昭君(おう しょうくん、紀元前1世紀ごろ)は、匈奴の呼韓邪単于、復株累若鞮単于の時代の閼氏(単于の妻)。姓を王、諱を嬙とも(出典は、班固『漢書』)。字を昭君。日本では通常、王昭君と呼ばれるが、地元(フフホトの方)では単に昭君と呼ばれている。荊州南郡(現在の湖北省沙市)出身で、楊貴妃・西施・貂蝉と並ぶ古代中国四大美人の一人に数えられる。【村連坐峽,有王昭君宅,宅旁有擣練石,傍香溪。】。

怨詩 王昭君  漢詩<110-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩545 漢文委員会kannuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1452

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李白33-35 王昭君を詠う 三首

王昭君歎二首 其一 沈満願(梁の征西記室范靖の妻) <114-#1>玉台新詠集 女性詩 551 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1470

王昭君歎二首 其二 沈満願(梁の征西記室范靖の妻) 女流<115>玉台新詠集 女性詩 552 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1473

766年大暦元年55歲-13-1奉節-5《負薪行 -#1》 杜甫index-15 杜甫<882> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5220

杜甫 奉節-5《負薪行 -#1》(夔州の女は、ほとんどの女は嫁に行けず、夜も昼も休みなく働き、その上薪拾いをして、それを売って生活に当てていることを詠う。)#1

 
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-13-1奉節-5《負薪行 -#1》 杜甫index-15 杜甫<882> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5220 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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766年大暦元年55-13-1奉節-5《負薪行 -#1》 杜甫index-15 杜甫<882> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5220

 

 

杜甫詩1500-882-1215/2500766年大暦元年55-13-1

 

長安を、万里も隔てた夔州の江辺で病み衰身してゆく杜甫は、悲秋の季節に当たり、かつて長安で活躍していた、その詩文は天子の心さえもとらえ、宮中に出仕したこともある己れの姿をしのびつつ、今やそのような世界とは緑のない江湖の一漁翁となり果ててしまったことを嘆く。しかし「孤舟一に繋ぐ 故園の心」と詠うごとく、故郷長安に帰ろうとの思いはいまや執念となって、その心をかき立てる。 この連作に流れている杜甫の心情は、およそこのようなものであるが、そこに哀愁に満ちた美しきが漂っているのは、その詩境が、ただ一個人の嘆きにとどまらず、人間の運命、人生の真実を語る次元にまで高められているからなのであろう。

 

 

年:7766年大暦元年55 での13作目 奉節で5作目

卷別:    卷二二一              文體:    樂府

詩題:    負薪行

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州             

巫山 (山南東道 夔州 巫山)              

昭君村 (山南東道 歸州 興山)           

 

 

負薪行

(夔州の女は、ほとんどの女は嫁に行けず、夜も昼も休みなく働き、その上薪拾いをして、それを売って生活に当てていることを詠う。)

夔州處女髮半華,四十五十無夫家。

夔州には生娘のまま髪が半ば白いのが目立つ女がいる、四十、五十になるのに夫がいないのである。

更遭喪亂嫁不售,一生抱恨堪咨嗟。

まして世が乱れたために嫁入りの口はなく、生涯嫁ぎ先がなく、恨みを抱きつつ嘆き暮らす。

土風坐男使女立,應當門女出入。

土地のならわしとして、男は家にいて、座ったままで働かないで、留守番をしていて、内の死後とも、外の仕事も女に立ち働かせる。

十猶八九負薪歸,賣薪得錢應供給。

女は十人のうち八、九人まで薪を背負って帰り、それを売って銭をかせぎ家計にあてている。

 

至老雙鬟只垂頸,野花山葉銀釵並。

筋力登危集市門,死生射利兼鹽井。

面妝首飾雜啼痕,地褊衣寒困石根。

若道巫山女粗醜,何得此有昭君村。

 

(薪を負うものの行【うた】)

夔州の處女は髮半ば華とし,四十 五十 夫家無し。

更らに喪亂遭うて 嫁 售【う】れず,一生 恨みを抱きて堪えて咨嗟【しさ】す。

土風 男は坐し女は立た使め,應に門女は出入す。

十 猶お八九あるは 薪を負いて歸る,薪を賣り錢を得て供給に應ず。

 

老 雙鬟に至るも 只だ頸に垂る,野花も山葉も銀釵に並ぶ。

筋力 危きに登りて市門に集り,死生 利を射て鹽井【えんせい】を兼ぬ。

面妝と首飾は啼痕を雜いて,地褊 衣 寒くして石根に困す。

若し巫山の女 粗醜【そしゅう】なりと道うなれば,何ぞ 此に昭君の村に有ることを得ん。

 

 唐時代 地図山南 東・西道50

『負薪行』 現代語訳と訳註解説

(本文)

負薪行

夔州處女髮半華,四十五十無夫家。

更遭喪亂嫁不售,一生抱恨堪咨嗟。

土風坐男使女立,應當門女出入。

十猶八九負薪歸,賣薪得錢應供給。

(含異文)

夔州處女髮半華,四十五十無夫家。更遭喪亂嫁不售,一生抱恨堪咨嗟【一生抱恨長咨嗟】。

土風坐男使女立,應當門女出入【男當門女出入】。

十猶八九負薪歸【十有八九負薪歸】,賣薪得錢應供給【賣薪得錢當供給】。

 

(下し文)

(薪を負うものの行【うた】)

夔州の處女は髮半ば華とし,四十 五十 夫家無し。

更らに喪亂遭うて 嫁 售【う】れず,一生 恨みを抱きて堪えて咨嗟【しさ】す。

土風 男は坐し女は立た使め,應に門に當り女は出入す。

十 猶お八九あるは 薪を負いて歸る,薪を賣り錢を得て供給に應ず。

 

(現代語訳)

(夔州の女は、ほとんどの女は嫁に行けず、夜も昼も休みなく働き、その上薪拾いをして、それを売って生活に当てていることを詠う。)

夔州には生娘のまま髪が半ば白いのが目立つ女がいる、四十、五十になるのに夫がいないのである。

まして世が乱れたために嫁入りの口はなく、生涯嫁ぎ先がなく、恨みを抱きつつ嘆き暮らす。

土地のならわしとして、男は家にいて、座ったままで働かないで、留守番をしていて、内の死後とも、外の仕事も女に立ち働かせる。

女は十人のうち八、九人まで薪を背負って帰り、それを売って銭をかせぎ家計にあてている。

葭 あし002 

(訳注)

負薪行

(夔州の女は、ほとんどの女は嫁に行けず、夜も昼も休みなく働き、その上薪拾いをして、それを売って生活に当てていることを詠う。)

王昭君は漢の元帝の宮人であったが、絵師に賄賂を送らなかったために醜く措かれ、元帝の寵愛を受けることができなかった。のちに匈奴の単于に嫁することになってはじめてその美貌を知った帝は、このうえなく残念がったが、どうすることもできなかったという。杜甫は、本来は美しかるべき菱州の女たちが、吐蕃・雲南の異民族との日常的な戦争、安史の乱などで、男手がないこと(杜甫《三吏三別の六詩》でも同じ論調)働かざるを得ないこと、生産性がない地域で生活の苦しさの中に年老いてゆくのに同情しているのである。

 

夔州處女髮半華,四十五十無夫家。

夔州には生娘のまま髪が半ば白いのが目立つ女がいる、四十、五十になるのに夫がいないのである。

處女 ① 〔家に処(い)る女の意〕 未婚の女性。男性と交わったことのない女性。きむすめ。おとめ。バージン。 他の漢語の上に付いて用いる。 人が一度も手をつけていないこと。 初めての経験であること。

 花さくこと。白いことを表す。

夫家 夫がいること。

 

更遭喪亂嫁不售,一生抱恨堪咨嗟。

まして世が乱れたために嫁入りの口はなく、生涯嫁ぎ先がなく、恨みを抱きつつ嘆き暮らす。

喪亂 死亡することと、争乱、それによる逃散。

嫁不售 嫁入り先がないこと。男は兵役、徴用、税が決まる。戦争、争乱が続いて死者が出て嫁ぎ先がない。

咨嗟 嫁ぎ先がないことを歎く。

 

土風坐男使女立,應當門女出入。

土地のならわしとして、男は家にいて、座ったままで働かないで、留守番をしていて、内の死後とも、外の仕事も女に立ち働かせる。

土風 土地のならわし。風習、しきたり。

坐・立 坐は、座ったままで働かない。・立は座ることもなく働き通しであること。

當門 留守番をしている。

 

十猶八九負薪歸,賣薪得錢應供給。

女は十人のうち八、九人まで薪を背負って帰り、それを売って銭をかせぎ家計にあてている。

十猶八九 十人のうち八、九人まで。

應供給 生活必要品を調達する。
瞿塘峡001 

766年大暦元年55歲-12奉節-4《縛雞行》 杜甫index-15 杜甫<881> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5215

奉節-4杜甫《縛雞行》(鶏に喰われる蟲、売られて人に喰われる鶏、鶏を縛る奴僕、それを見ている自分、それを見下ろす巫山、そこを流れる大河長江を対比させ慈愛の念を詠う)蟲と鶏とにとって、人はどうすれば厚情であり、どうすれば薄情ということになるのだろう、私からすれば、市場に持って行く、奴僕をしかりつけてその縛り付けを解いてやるといいのだろうか。

 
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766年大暦元年55-12奉節-4《縛雞行》 杜甫index-15 杜甫<881 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5215

 

 

杜甫詩1500-881-1214/2500766年大暦元年55-12

 

作年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    樂府

詩題:    縛雞行

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

 

 

縛雞行

(鶏に喰われる蟲、売られて人に喰われる鶏、鶏を縛る奴僕、それを見ている自分、それを見下ろす巫山、そこを流れる大河長江を対比させ慈愛の念を詠う)

小奴縛雞向市賣,雞被縛急相喧爭。

奴僕のものが三鶏を縛って朝市で売ろうとして向う、鶏には災難が降る掛る、急に追いかけられ縛られるのであるから喧嘩のように大騒ぎしている。

家中厭雞食蟲蟻,不知雞賣還遭烹。

ところがその鶏が蟲とか蟻とかを食べるというので、それを見ている家中の者は見たくないと嫌がる。その嫌がられた鳥は、人に売られて、今度は煮たりして料理されるということは分かっていない。

蟲雞與人何厚薄,吾叱奴人解其縛。

蟲と鶏とにとって、人はどうすれば厚情であり、どうすれば薄情ということになるのだろう、私からすれば、市場に持って行く、奴僕をしかりつけてその縛り付けを解いてやるといいのだろうか。

雞蟲得失無了時,注目寒江倚山閣。

鶏と蟲の関係からすると蟲を鷄が、鶏を奴僕がしばり売り、そして料理される。奴僕は主人の私に叱られる。というように完了する事は無いというものであるが、注目すべきことは、それらすべては、未だ寒い長江のほとりの山懐の二階からただみているだけということだ。

 

 (縛雞の行)

小奴 雞を縛りて 市向うて賣らんとし,雞は 縛らるること急しくして 相い喧爭す。

家中は雞の蟲蟻を食うを厭い,雞の賣らるれば 還た烹らるるに遭うを知らず。

蟲雞と人とは何が厚く なんぞ薄きか,吾は奴人を叱って其の縛れるを解かしむ。

雞と蟲は 得失 了の時無し,注目す 寒江 山閣に倚るを。

瞿塘峡001 

 

『縛雞行』 現代語訳と訳註解説

(本文)

縛雞行

小奴縛雞向市賣,雞被縛急相喧爭。

家中厭雞食蟲蟻,不知雞賣還遭烹。

蟲雞與人何厚薄,吾叱奴人解其縛。

雞蟲得失無了時,注目寒江倚山閣。

 

 

(下し文)

(縛雞の行)

小奴 雞を縛りて 市向うて賣らんとし,雞は 縛らるること急しくして 相い喧爭す。

家中は雞の蟲蟻を食うを厭い,雞の賣らるれば 還た烹らるるに遭うを知らず。

蟲雞と人とは何が厚く なんぞ薄きか,吾は奴人を叱って其の縛れるを解かしむ。

雞と蟲は 得失 了の時無し,注目す 寒江 山閣に倚るを。

 

 

(現代語訳)

(鶏に喰われる蟲、売られて人に喰われる鶏、鶏を縛る奴僕、それを見ている自分、それを見下ろす巫山、そこを流れる大河長江を対比させ慈愛の念を詠う)

奴僕のものが三鶏を縛って朝市で売ろうとして向う、鶏には災難が降る掛る、急に追いかけられ縛られるのであるから喧嘩のように大騒ぎしている。

ところがその鶏が蟲とか蟻とかを食べるというので、それを見ている家中の者は見たくないと嫌がる。その嫌がられた鳥は、人に売られて、今度は煮たりして料理されるということは分かっていない。

蟲と鶏とにとって、人はどうすれば厚情であり、どうすれば薄情ということになるのだろう、私からすれば、市場に持って行く、奴僕をしかりつけてその縛り付けを解いてやるといいのだろうか。

鶏と蟲の関係からすると蟲を鷄が、鶏を奴僕がしばり売り、そして料理される。奴僕は主人の私に叱られる。というように完了する事は無いというものであるが、注目すべきことは、それらすべては、未だ寒い長江のほとりの山懐の二階からただみているだけということだ。

云亭 

(訳注)

縛雞行

(鶏に喰われる蟲、売られて人に喰われる鶏、鶏を縛る奴僕、それを見ている自分、それを見下ろす巫山、そこを流れる大河長江を対比させ慈愛の念を詠う)

輪廻転生の仏教的精神科、博愛的儒教精神の表れということであるが、私に叱られる奴僕、鶏に喰われる蟲、売られて人に喰われる鶏を対比させ慈愛の念を述べるが、それらの出来事も、神霊から巫山までの大きな山の連なり、前には長江の豊かな流れを前にして、小さき出来事であろうか。杜甫が「泰山に昇って孔子の小山を見下ろす」《望嶽》詩の様に儒学的に詠ったものである。《望嶽》         杜甫「會當凌絶頂,一覽衆山小。」このような心境になれたからにはいつか必ずやこの山の最頂上によじのぼり、足もとにみえる山々のよう「我も我もと往きたるは小人の常」の気持ちを見下していく。

『孟子』尽心上、「揚子法言」学行篇に、孔子が泰山に登って天下を小としたとある。

望嶽 杜甫 <7> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ98 杜甫詩 700- 7

 

小奴縛雞向市賣,雞被縛急相喧爭。

奴僕のものが三鶏を縛って朝市で売ろうとして向う、鶏には災難が降る掛る、急に追いかけられ縛られるのであるから喧嘩のように大騒ぎしている。

 

家中厭雞食蟲蟻,不知雞賣還遭烹。

ところがその鶏が蟲とか蟻とかを食べるというので、それを見ている家中の者は見たくないと嫌がる。その嫌がられた鳥は、人に売られて、今度は煮たりして料理されるということは分かっていない。

 

蟲雞與人何厚薄,吾叱奴人解其縛。

蟲と鶏とにとって、人はどうすれば厚情であり、どうすれば薄情ということになるのだろう、私からすれば、市場に持って行く、奴僕をしかりつけてその縛り付けを解いてやるといいのだろうか。

 

雞蟲得失無了時,注目寒江倚山閣。

鶏と蟲の関係からすると蟲を鷄が、鶏を奴僕がしばり売り、そして料理される。奴僕は主人の私に叱られる。というように完了する事は無いというものであるが、注目すべきことは、それらすべては、未だ寒い長江のほとりの山懐の二階からただみているだけということだ。

寒江 長江。

山閣 西閣。
三峡 巫山十二峰001 

766年大暦元年55歲-11-3奉節-3《古柏行 -#3》 杜甫index-15 杜甫<874-3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5210

奉節-3杜甫《古柏行 -#3志士であり隠遁している幽人であるもの、決してうらんだり嘆いたりすることはないのだ、昔から材木は大き過ぎれば役にはたたぬものときまったものだ。

 

 
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27-#16 《此日足可惜贈張籍-16》韓愈(韓退之)ID <1245> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5209韓愈詩-27-#16 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
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766年大暦元年55-11-3奉節-3《古柏行 -#3》 杜甫index-15 杜甫<874-3>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5210

 

 

杜甫詩1500-874-3-1213/2500766年大暦元年55-11-3

 

年:766年大暦元年55

卷別:卷二二一  文體:  樂府

詩題:古柏行〔此夔州諸葛廟柏,即夔州十句(夔州歌十句,十首之九)所云:「武侯祠堂不可忘,中有松柏參天長。」也。〕

作地點:        夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:        武侯廟 (山南東道夔州 奉節) 別名:諸葛廟、武侯祠、武侯祠堂、孔明廟       

夔州東川卜居図000 

 

古柏行〔此夔州諸葛廟柏,即夔州十句(夔州歌十句,十首之九)所云:「武侯祠堂不可忘,中有松柏參天長。」也。〕

(古い松柏の歌)

〔この菱州の諸葛亮の廟には松柏がある。即ち、夔州十絶句(夔州歌十絶句,十首の九)その中でいう、「諸葛亮孔明の祠の講堂こそは忘れることはできかねる、廟庭には天にまじわらんばかりに伸びた松柏が茂っている。」とある。〕
孔明廟前有老柏,柯如青銅根如石。

夔州にもの孔明の廟があり、その廟の前に老いた柏の樹がある、その枝は青銅のごとく根は石のごとく霜をへた皮に雨をしたたらせている。

霜皮溜雨四十圍,黛色參天二千尺。

霜のように真っ白な樹皮の幹には四十かかえもあり、天までわりこんで立っている黛の色は高さ二千尺もある。

君臣已與時際會,樹木猶為人愛惜。

先主、孔明の二人はすでに当時を救わんがためにうまく出会ったので、これに対する同情から彼らの廟にある樹でさえも人に愛惜されている。

雲來氣接巫峽長,月出寒通雪山白。

この樹のそばに雲が来るとその気は遠く巫峡の長くよこたわっているあたりまでつづき、月でも出たときにはこの樹の寒色ははるかに雪嶺山脈の白くそびえているあたりまでも通ずるのである。」


(古柏行〔此こ夔州の諸葛廟の柏,即ち夔州十句(夔州の歌十句,十首の九)云う所は、「武侯の祠堂は忘る可らず,中に松柏 天長に參ずる有り。」とあるなり。〕

孔明が廟前に老柏有り、柯は青銅の如く根は石の如し。

霜皮 雨を溜す 四十囲、黛色 天に参す 二千尺。

君臣 巳に時の与【ため】に 際会し、樹木 猶お人に愛惜せらる。

雲 来たって 気 巫暁の長きに接し、月 出でて  寒 雪山の白きに通ず。」

#2

憶昨路繞錦亭東,先主武侯同閟宮。

思い起こせば、自分は前年成都の錦江の草堂の亭から東の方にうねった路をとおって成都の彼らの蜀相廟へいったことがあるけれど、あそこでは先主も武侯も同じ廟域にあった。

崔嵬枝幹郊原古,窈窕丹青牖空。

そこは郊原が急にたかくなっていて、松柏樹の枝幹が鬱蒼としているために土地も古めかしく見え、赤や青の彩色をした戸や窓は奥深く見えているが誰もおとなうものはなかった。

落落盤踞雖得地,冥冥孤高多烈風。

かの地の廟の松柏は落落と枝打をしているけれど、平地にしっかりと蟠踞して誠に適当な場所を得ていたが、この地の松柏はくらがりを作るほどに髙く孤立して生えているから烈風をうけることが多いのだ。

扶持自是神明力,正直原因造化功。

いずれにしても、昔の英雄の廟は、こうして見て、ここには自然に、神明の力に扶助され、維持されてきたものであるし、もとより、真っ直ぐに育つというのは天地の創造者のしわざにちがいないのである。

#2

憶う昨 路 繞めぐる錦亭の東、先主 武侯 同じく閟宮【ひきゅう】。

崔嵬【さいかい】として枝幹に 郊原 古たり、窈窕【ようちょう】として 丹青に 戸牖【こゆう】空し。

落落 盤踞【ばんきょ】するは 地を得たりと雖も、冥冥 孤高なるは 烈風多し。

扶持 自ずから是れ神明の力、正直 元と因る造化の功。」

#3

大廈如傾要梁棟,萬牛回首丘山重。

これほどの老柏はもしどこかの大屋が傾きかけて棟梁の材が必要なときには無くではならないものである、問題はこれを運搬する際に、おおきくて重く、丘山の重さのごとくで万匹の牛に牽かせても彼らが首をひねるだけ大変なことであろう。

不露文章世已驚,未辭翦伐誰能送。

この柏は外部に綺麗なあやなどはみせびらかしはしないが、世の人はすでに驚いている。この柏が必要であれば、伐られることは問題ないのだが、誰がそれを使われるその場所へ送りとどけられるであろうか。

苦心豈免容螻蟻,香葉終經宿鸞鳳。

この柏の虫ばまれた心は螻蛄や蟻をいれないわけにはゆかないで害せられてはいるが、その香しい葉にはこれでも曾て鸞鳳のような麗禽をとまわらせたこともあるのだ。

志士幽人莫怨嗟,古來材大難為用。

志士であり隠遁している幽人であるもの、決してうらんだり嘆いたりすることはないのだ、昔から材木は大き過ぎれば役にはたたぬものときまったものだ。

 

#3

大廈【たいか】如【も】し傾いて 梁棟を要せば、万牛 首を廻らして丘山重からん。

文章を露さざれども 世 己に驚き、未だ翦伐を辞せざるも誰か能く送らん。

苦心 豈に免れんや螻蟻【ろうぎ】を容るるを、香葉 曾て経たり鸞鳳を宿せしめしを。

唐時代 地図山南 東・西道50 

 

『古柏行』 現代語訳と訳註解説

(本文) #3

大廈如傾要梁棟,萬牛回首丘山重。

不露文章世已驚,未辭翦伐誰能送。

苦心豈免容螻蟻,香葉終經宿鸞鳳。

志士幽人莫怨嗟,古來材大難為用。

 

(含異文)

大廈如傾要梁棟,萬牛回首丘山重。

不露文章世已驚,未辭翦伐誰能送。

苦心豈免容螻蟻,香葉終經宿鸞鳳【香葉曾經宿鸞鳳】【香葉曾驚宿鸞鳳】【香葉終驚宿鸞鳳】【密葉終經宿鸞鳳】【密葉曾經宿鸞鳳】【密葉終驚宿鸞鳳】【密葉曾驚宿鸞鳳】。

志士幽人莫怨嗟【志士幽人莫怨傷】,古來材大難為用【古來材大皆難用】。

 

(下し文) #3

大廈【たいか】如【も】し傾いて 梁棟を要せば、万牛 首を廻らして丘山重からん。

文章を露さざれども 世 己に驚き、未だ翦伐を辞せざるも誰か能く送らん。

苦心 豈に免れんや螻蟻【ろうぎ】を容るるを、香葉 曾て経たり鸞鳳を宿せしめしを。

 

 

(現代語訳)

これほどの老柏はもしどこかの大屋が傾きかけて棟梁の材が必要なときには無くではならないものである、問題はこれを運搬する際に、おおきくて重く、丘山の重さのごとくで万匹の牛に牽かせても彼らが首をひねるだけ大変なことであろう。

この柏は外部に綺麗なあやなどはみせびらかしはしないが、世の人はすでに驚いている。この柏が必要であれば、伐られることは問題ないのだが、誰がそれを使われるその場所へ送りとどけられるであろうか。

この柏の虫ばまれた心は螻蛄や蟻をいれないわけにはゆかないで害せられてはいるが、その香しい葉にはこれでも曾て鸞鳳のような麗禽をとまわらせたこともあるのだ。

志士であり隠遁している幽人であるもの、決してうらんだり嘆いたりすることはないのだ、昔から材木は大き過ぎれば役にはたたぬものときまったものだ。

蜀中転々圖 

(訳注) 3

古柏行〔此夔州諸葛廟柏,即夔州十句(夔州歌十句,十首之九)所云:「武侯祠堂不可忘,中有松柏參天長。」也。〕

(古柏行〔此こ夔州の諸葛廟の柏,即ち夔州十句(夔州の歌十句,十首の九)云う所は、「武侯の祠堂は忘る可らず,中に松柏 天長に參ずる有り。」とあるなり。〕

(古い松柏の歌)

この菱州の諸葛亮の廟には松柏がある。即ち、夔州十絶句(夔州歌十絶句,十首の九)その中でいう、「諸葛亮孔明の祠の講堂こそは忘れることはできかねる、廟庭には天にまじわらんばかりに伸びた松柏が茂っている。」とある。

夔州の諸葛武侯の廟にある古柏についてよんだうた。大暦元年の作。

 

大廈如傾要梁棟,萬牛回首丘山重。

これほどの老柏はもしどこかの大屋が傾きかけて棟梁の材が必要なときには無くではならないものである、問題はこれを運搬する際に、おおきくて重く、丘山の重さのごとくで万匹の牛に牽かせても彼らが首をひねるだけ大変なことであろう。

○大廈 おおやねの家屋。

○梁棟 はり、むなぎ。

〇万牛廻首丘山重 はりやむなぎにあてるべき柏が甚だ重いであろうことをいう。丘山重とは丘山のごとくに重いことをいう、かく重いためにこれを牛にひかせようとするときは万匹の牛力を用いても牛はなお首を左右にして前進になやむだろうというのである。

 

不露文章世已驚,未辭翦伐誰能送。

この柏は外部に綺麗なあやなどはみせびらかしはしないが、世の人はすでに驚いている。この柏が必要であれば、伐られることは問題ないのだが、誰がそれを使われるその場所へ送りとどけられるであろうか。

○不露文章 文章は綺麗なあやのこと、柏のことゆえ外部には何らのうつくしいあやのないことをいう。

○翦伐 幹をきりとること、これを梁棟として用いるためである。

○誰能送 送とはその使われるその場所へこれを送りとどけることをいう。

 

苦心豈免容螻蟻,香葉終經宿鸞鳳。

この柏の虫ばまれた心は螻蛄や蟻をいれないわけにはゆかないで害せられてはいるが、その香しい葉にはこれでも曾て鸞鳳のような麗禽をとまわらせたこともあるのだ。

○苦心 樹のにがい中心と、苦しめる人心と、二様にひきかけて用いた語である。○容螻蟻 けらやありをいれておく、裏面にはつまらぬ小人に害せられるとの意をともなう。

○香葉 柏のかんばしい葉。

○終經 かつてさようなめにもあった。

○宿鸞鳳 鸞鳳のような麗禽をとまらせた。

 

志士幽人莫怨嗟,古來材大難為用。

志士であり隠遁している幽人であるもの、決してうらんだり嘆いたりすることはないのだ、昔から材木は大き過ぎれば役にはたたぬものときまったものだ。

○志士幽人 志気ある人、幽静に世から退いておる人。

○材大 材は木材、同時に人の技能の意をふくむ。以上「大廈」からの八句は柏樹と自己と、二物一体となって感慨をのべている。

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奉節-3杜甫《古柏行》-#2 いずれにしても、昔の英雄の廟は、こうして見て、ここには自然に、神明の力に扶助され、維持されてきたものであるし、もとより、真っ直ぐに育つというのは天地の創造者のしわざにちがいないのである。


 
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766年大暦元年55-11-2奉節-3 《古柏行 -#2》 杜甫index-15 杜甫<874-2>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5205

 

 

杜甫詩1500-874-2-1212/2500766年大暦元年55-11-2

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:卷二二一  文體:  樂府

詩題:古柏行〔此夔州諸葛廟柏,即夔州十句(夔州歌十句,十首之九)所云:「武侯祠堂不可忘,中有松柏參天長。」也。〕

作地點:        夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:        武侯廟 (山南東道夔州 奉節) 別名:諸葛廟、武侯祠、武侯祠堂、孔明廟       

 

夔州東川卜居図000 

古柏行〔此夔州諸葛廟柏,即夔州十句(夔州歌十句,十首之九)所云:「武侯祠堂不可忘,中有松柏參天長。」也。〕

(古い松柏の歌)

〔この菱州の諸葛亮の廟には松柏がある。即ち、夔州十絶句(夔州歌十絶句,十首の九)その中でいう、「諸葛亮孔明の祠の講堂こそは忘れることはできかねる、廟庭には天にまじわらんばかりに伸びた松柏が茂っている。」とある。〕
孔明廟前有老柏,柯如青銅根如石。

夔州にもの孔明の廟があり、その廟の前に老いた柏の樹がある、その枝は青銅のごとく根は石のごとく霜をへた皮に雨をしたたらせている。

霜皮溜雨四十圍,黛色參天二千尺。

霜のように真っ白な樹皮の幹には四十かかえもあり、天までわりこんで立っている黛の色は高さ二千尺もある。

君臣已與時際會,樹木猶為人愛惜。

先主、孔明の二人はすでに当時を救わんがためにうまく出会ったので、これに対する同情から彼らの廟にある樹でさえも人に愛惜されている。

雲來氣接巫峽長,月出寒通雪山白。

この樹のそばに雲が来るとその気は遠く巫峡の長くよこたわっているあたりまでつづき、月でも出たときにはこの樹の寒色ははるかに雪嶺山脈の白くそびえているあたりまでも通ずるのである。」

#2

憶昨路繞錦亭東,先主武侯同閟宮。

思い起こせば、自分は前年成都の錦江の草堂の亭から東の方にうねった路をとおって成都の彼らの蜀相廟へいったことがあるけれど、あそこでは先主も武侯も同じ廟域にあった。

崔嵬枝幹郊原古,窈窕丹青牖空。

そこは郊原が急にたかくなっていて、松柏樹の枝幹が鬱蒼としているために土地も古めかしく見え、赤や青の彩色をした戸や窓は奥深く見えているが誰もおとなうものはなかった。

落落盤踞雖得地,冥冥孤高多烈風。

かの地の廟の松柏は落落と枝打をしているけれど、平地にしっかりと蟠踞して誠に適当な場所を得ていたが、この地の松柏はくらがりを作るほどに髙く孤立して生えているから烈風をうけることが多いのだ。

扶持自是神明力,正直原因造化功。

いずれにしても、昔の英雄の廟は、こうして見て、ここには自然に、神明の力に扶助され、維持されてきたものであるし、もとより、真っ直ぐに育つというのは天地の創造者のしわざにちがいないのである。

#2

憶う昨 路 繞めぐる錦亭の東、先主 武侯 同じく閟宮【ひきゅう】。

崔嵬【さいかい】として枝幹に 郊原 古たり、窈窕【ようちょう】として 丹青に 戸牖【こゆう】空し。

落落 盤踞【ばんきょ】するは 地を得たりと雖も、冥冥 孤高なるは 烈風多し。

扶持 自ずから是れ神明の力、正直 元と因る造化の功。」

#3

大廈如傾要梁棟,萬牛回首丘山重。

不露文章世已驚,未辭翦伐誰能送。

苦心豈免容螻蟻,香葉終經宿鸞鳳。

志士幽人莫怨嗟,古來材大難為用。

 

#3

大廈【たいか】如【も】し傾いて 梁棟を要せば、万牛 首を廻らして丘山重からん。

文章を露さざれども 世 己に驚き、未だ翦伐を辞せざるも誰か能く送らん。

苦心 豈に免れんや螻蟻【ろうぎ】を容るるを、香葉 曾て経たり鸞鳳を宿せしめしを。

 

唐時代 地図山南 東・西道50 

『古柏行』 現代語訳と訳註解説

(本文) #2

憶昨路繞錦亭東,先主武侯同閟宮。

崔嵬枝幹郊原古,窈窕丹青牖空。

落落盤踞雖得地,冥冥孤高多烈風。

扶持自是神明力,正直原因造化功。

 

(含異文)

憶昨路繞錦亭東【憶昨路繞錦城東】,先主武侯同閟宮。

崔嵬枝幹郊原古,窈窕丹青牖空。

落落盤踞雖得地,冥冥孤高多烈風。

扶持自是神明力,正直原因造化功。

 

 (下し文) #2

憶う昨 路 繞めぐる錦亭の東、先主 武侯 同じく閟宮【ひきゅう】。

崔嵬【さいかい】として枝幹に 郊原 古たり、窈窕【ようちょう】として 丹青に 戸牖【こゆう】空し。

落落 盤踞【ばんきょ】するは 地を得たりと雖も、冥冥 孤高なるは 烈風多し。

扶持 自ずから是れ神明の力、正直 元と因る造化の功。」

 

(現代語訳)

思い起こせば、自分は前年成都の錦江の草堂の亭から東の方にうねった路をとおって成都の彼らの蜀相廟へいったことがあるけれど、あそこでは先主も武侯も同じ廟域にあった。

そこは郊原が急にたかくなっていて、松柏樹の枝幹が鬱蒼としているために土地も古めかしく見え、赤や青の彩色をした戸や窓は奥深く見えているが誰もおとなうものはなかった。

かの地の廟の松柏は落落と枝打をしているけれど、平地にしっかりと蟠踞して誠に適当な場所を得ていたが、この地の松柏はくらがりを作るほどに髙く孤立して生えているから烈風をうけることが多いのだ。

いずれにしても、昔の英雄の廟は、こうして見て、ここには自然に、神明の力に扶助され、維持されてきたものであるし、もとより、真っ直ぐに育つというのは天地の創造者のしわざにちがいないのである。

蜀中転々圖 

 (訳注) #2

古柏行〔此夔州諸葛廟柏,即夔州十句(夔州歌十句,十首之九)所云:「武侯祠堂不可忘,中有松柏參天長。」也。〕

(古柏行〔此こ夔州の諸葛廟の柏,即ち夔州十句(夔州の歌十句,十首の九)云う所は、「武侯の祠堂は忘る可らず,中に松柏 天長に參ずる有り。」とあるなり。〕

(古い松柏の歌)

この菱州の諸葛亮の廟には松柏がある。即ち、夔州十絶句(夔州歌十絶句,十首の九)その中でいう、「諸葛亮孔明の祠の講堂こそは忘れることはできかねる、廟庭には天にまじわらんばかりに伸びた松柏が茂っている。」とある。

 

憶昨路繞錦亭東,先主武侯同閟宮。

憶う昨 路 繞めぐる錦亭の東、先主 武侯 同じく閟宮【ひきゅう】。

思い起こせば、自分は前年成都の錦江の草堂の亭から東の方にうねった路をとおって成都の彼らの蜀相廟へいったことがあるけれど、あそこでは先主も武侯も同じ廟域にあった。

○錦亭東 錦亭とは成都浣花渓の草草をいう。厳武に下に示す詩があるのにより錦亭という。

《寄題杜二錦江野亭》(杜二が錦江の野亭に寄せ題す)

漫向江頭把釣竿、懶眠沙草愛風湍。

莫倚蓄題鸚鵡賦、何須不著鵔義冠。

腹中書籍幽時曬、肘後醫方静處看。

興發會能馳駿馬、應須直到使君灘。

《寄題杜二錦江野亭》 厳武  蜀中転々 <528()  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2840 杜甫詩1000-528()-762/1500

○先主武侯同閟宮 成都の先主廟は成都府の南西八里、恵陵の東七十歩にある、廟の西に武侯祠がある、閟宮とは廟をいう、閟は閉じること、廟は平生とざしてあるゆえに閟宮という、文字は『詩経』魯頌「閟宮」に見える。

《蜀相》 (作時7604月 上元元年49
丞相祠堂何處尋,錦官城外柏森森。
映堦碧草自春色,隔葉黄鸝空好音。
三顧頻煩天下計,兩朝開濟老臣心。
出師未捷身先死,長使英雄涙滿襟。

成都(2)浣花渓の草堂(2-1) 蜀相 杜甫 <364  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1763 杜甫詩 700- 540

 

崔嵬枝幹郊原古,窈窕丹青牖空。

崔嵬【さいかい】として枝幹に 郊原 古たり、窈窕【ようちょう】として 丹青に 戸牖【こゆう】空し。

そこは郊原が急にたかくなっていて、松柏樹の枝幹が鬱蒼としているために土地も古めかしく見え、赤や青の彩色をした戸や窓は奥深く見えているが誰もおとなうものはなかった。

○崔嵬 ① 山の,ごつごつして険しいさま。② 殿舎・楼閣の高く,立派なさま。

枝幹 柏のえだ、みき。

○郊原古 郊野の高原、老柏のあるために、苔むして古めかしくみえる。

窈窕 幽深にして閑静なさま。

○丹青 まどに彩色を施してあるのである。

 は壁に穴をあけた窓。

 

落落盤踞雖得地,冥冥孤高多烈風。

落落 盤踞【ばんきょ】するは 地を得たりと雖も、冥冥 孤高なるは 烈風多し。

かの地の廟の松柏は落落と枝打をしているけれど、平地にしっかりと蟠踞して誠に適当な場所を得ていたが、この地の松柏はくらがりを作るほどに髙く孤立して生えているから烈風をうけることが多いのだ。

○落落 高く群を抜いたさま。

○盤踞 蟠踞。根幹のさまがわだかまり、うずくまるっている。しっかりと根を張って動かないこと。

○得地 平地に生じその場処を得ていることをいう。此の一句は成都廟郊原の柏をいう。

○冥冥 くらい、雲気の中にあるためである。

○孤高 孤立して高くそびえる。此の夔州廟の松柏をいう。落落・冥冥の二句は、実にしっかりと根を張って立派に立っている様子をいう。

 

扶持自是神明力,正直原因造化功。

扶持 自ずから是れ神明の力、正直 元と因る造化の功。」

いずれにしても、昔の英雄の廟は、こうして見て、ここには自然に、神明の力に扶助され、維持されてきたものであるし、もとより、真っ直ぐに育つというのは天地の創造者のしわざにちがいないのである。

○扶持 たすけささえる。夔州の古柏をいう。

○神明 かみ。

○正直 柏幹のまっすぐなことをいう。

○造化 天地の創造者。以上「憶咋」八句は陪客として成都柏を添え、また夔州柏をのべている。

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766年大暦元年55-11-1奉節-3《古柏行 -#1》 杜甫index-15 杜甫<878>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5200

 

 

杜甫詩1500-878-1211/2500766年大暦元年55-11-1奉節-3

 

年:766年大暦元年55

卷別:卷二二一  文體:  樂府

詩題:古柏行〔此夔州諸葛廟柏,即夔州十句(夔州歌十句,十首之九)所云:「武侯祠堂不可忘,中有松柏參天長。」也。〕

作地點:        夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:        武侯廟 (山南東道夔州 奉節) 別名:諸葛廟、武侯祠、武侯祠堂、孔明廟       

 

夔州東川卜居図000 

古柏行〔此夔州諸葛廟柏,即夔州十句(夔州歌十句,十首之九)所云:「武侯祠堂不可忘,中有松柏參天長。」也。〕

(古い松柏の歌)

〔この菱州の諸葛亮の廟には松柏がある。即ち、夔州十絶句(夔州歌十絶句,十首の九)その中でいう、「諸葛亮孔明の祠の講堂こそは忘れることはできかねる、廟庭には天にまじわらんばかりに伸びた松柏が茂っている。」とある。〕
孔明廟前有老柏,柯如青銅根如石。

夔州にもの孔明の廟があり、その廟の前に老いた柏の樹がある、その枝は青銅のごとく根は石のごとく霜をへた皮に雨をしたたらせている。

霜皮溜雨四十圍,黛色參天二千尺。

霜のように真っ白な樹皮の幹には四十かかえもあり、天までわりこんで立っている黛の色は高さ二千尺もある。

君臣已與時際會,樹木猶為人愛惜。

先主、孔明の二人はすでに当時を救わんがためにうまく出会ったので、これに対する同情から彼らの廟にある樹でさえも人に愛惜されている。

雲來氣接巫峽長,月出寒通雪山白。

この樹のそばに雲が来るとその気は遠く巫峡の長くよこたわっているあたりまでつづき、月でも出たときにはこの樹の寒色ははるかに雪嶺山脈の白くそびえているあたりまでも通ずるのである。」

#2

憶昨路繞錦亭東,先主武侯同閟宮。

崔嵬枝幹郊原古,窈窕丹青牖空。

落落盤踞雖得地,冥冥孤高多烈風。

扶持自是神明力,正直原因造化功。

#3

大廈如傾要梁棟,萬牛回首丘山重。

不露文章世已驚,未辭翦伐誰能送。

苦心豈免容螻蟻,香葉終經宿鸞鳳。

志士幽人莫怨嗟,古來材大難為用。

 

(古柏行〔此こ夔州の諸葛廟の柏,即ち夔州十句(夔州の歌十句,十首の九)云う所は、「武侯の祠堂は忘る可らず,中に松柏 天長に參ずる有り。」とあるなり。〕

孔明が廟前に老柏有り、柯は青銅の如く根は石の如し。

霜皮 雨を溜す 四十囲、黛色 天に参す 二千尺。

君臣 巳に時の与【ため】に 際会し、樹木 猶お人に愛惜せらる。

雲 来たって 気 巫暁の長きに接し、月 出でて  寒 雪山の白きに通ず。」

#2

憶う昨 路 繞めぐる錦亭の東、先主 武侯 同じく閟宮【ひきゅう】。

崔嵬【さいかい】として枝幹に 郊原 古たり、窈窕【ようちょう】として 丹青に 戸牖【こゆう】空し。

落落 盤踞【ばんきょ】するは 地を得たりと雖も、冥冥 孤高なるは 烈風多し。

扶持 自ずから是れ神明の力、正直 元と因る造化の功。」

#3

大廈【たいか】如【も】し傾いて 梁棟を要せば、万牛 首を廻らして丘山重からん。

文章を露さざれども 世 己に驚き、未だ翦伐を辞せざるも誰か能く送らん。

苦心 豈に免れんや螻蟻【ろうぎ】を容るるを、香葉 曾て経たり鸞鳳を宿せしめしを。

 

唐時代 地図山南 東・西道50 

 

『古柏行』 現代語訳と訳註解説

(本文)

古柏行〔此夔州諸葛廟柏,即夔州十句(夔州歌十句,十首之九)所云:「武侯祠堂不可忘,中有松柏參天長。」也。〕

孔明廟前有老柏,柯如青銅根如石。

霜皮溜雨四十圍,黛色參天二千尺。

君臣已與時際會,樹木猶為人愛惜。

雲來氣接巫峽長,月出寒通雪山白。

 

(含異文)

孔明廟前有老柏【孔明廟階有老柏】,柯如青銅根如石。

霜皮溜雨四十圍【霜皮溜水四十圍】【蒼皮溜雨四十圍】【蒼皮溜水四十圍】,黛色參天二千尺。

君臣已與時際會,樹木猶為人愛惜。

雲來氣接巫峽長,月出寒通雪山白【日出寒通雪山白】。

 

(下し文)

(古柏行)

孔明が廟前に老柏有り、柯は青銅の如く根は石の如し。

霜皮 雨を溜す 四十囲、黛色 天に参す 二千尺。

君臣 巳に時の与【ため】に 際会し、樹木 猶お人に愛惜せらる。

雲 来たって 気 巫暁の長きに接し、月 出でて  寒 雪山の白きに通ず。」

 

(現代語訳)

(古い松柏の歌)

夔州にもの孔明の廟があり、その廟の前に老いた柏の樹がある、その枝は青銅のごとく根は石のごとく霜をへた皮に雨をしたたらせている。

霜のように真っ白な樹皮の幹には四十かかえもあり、天までわりこんで立っている黛の色は高さ二千尺もある。

先主、孔明の二人はすでに当時を救わんがためにうまく出会ったので、これに対する同情から彼らの廟にある樹でさえも人に愛惜されている。

この樹のそばに雲が来るとその気は遠く巫峡の長くよこたわっているあたりまでつづき、月でも出たときにはこの樹の寒色ははるかに雪嶺山脈の白くそびえているあたりまでも通ずるのである。」

蜀中転々圖 

(訳注)

古柏行〔此夔州諸葛廟柏,即夔州十句(夔州歌十句,十首之九)所云:「武侯祠堂不可忘,中有松柏參天長。」也。〕

(古柏行〔此こ夔州の諸葛廟の柏,即ち夔州十句(夔州の歌十句,十首の九)云う所は、「武侯の祠堂は忘る可らず,中に松柏 天長に參ずる有り。」とあるなり。〕
(古い松柏の歌)

この菱州の諸葛亮の廟には松柏がある。即ち、夔州十絶句(夔州歌十絶句,十首の九)その中でいう、「諸葛亮孔明の祠の講堂こそは忘れることはできかねる、廟庭には天にまじわらんばかりに伸びた松柏が茂っている。」とある。

 

孔明廟前有老柏,柯如青銅根如石。

夔州にもの孔明の廟があり、その廟の前に老いた柏の樹がある、その枝は青銅のごとく根は石のごとく霜をへた皮に雨をしたたらせている。

孔明廟 夔州の白帝城の西郊にあり先主廟のさらに西にあった。成都草堂を建ててまもなくに杜甫は《蜀相》      

丞相祠堂何處尋,錦官城外柏森森。

映堦碧草自春色,隔葉黄鸝空好音。

三顧頻煩天下計,兩朝開濟老臣心。

出師未捷身先死,長使英雄涙滿襟。

(丞相の 祠堂何處にか尋ねん、錦官の城外に森森たる柏あり。堦【かい】に映ずる碧草【へきそう】は自ら春色、葉を隔つる黄鸝【こうり】は空しく好音【こういん】。三顧頻煩【ひんぼん】なるは天下の 計【はかりごと】、兩朝開濟【かいさい】するは老臣の心。出師未【いま】だ捷【か】たざるに身先【ま】づ 死せるも、長【なが】く英雄をして涙襟【きん】に滿たしむ。)

成都南西に、三国時代蜀漢の丞相諸葛孔明の祠堂があり、杜甫は草堂が出来上がると少し時間がとれたようで、かねて尊敬する孔明の祠堂を訪ねている。諸葛亮孔明を祀る武侯祠は成都西南の郊外、柏の杜(もり)のなかにある。前にすでに「武侯廟」成都(2)浣花渓の草堂(2-1) 蜀相 杜甫 <364  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1763 杜甫詩 700- 540

また《夔州歌十句,十首之九

武侯祠堂不可忘,中有松柏參天長。

干戈滿地客愁破,雲日如火炎天涼。

(武侯の嗣堂忘る可からず、中に松柏の天に参して長き有り。干戈 滿地 客愁破れ,雲日 火の如し 炎天にも涼し。とある。

○老柏 柏は真相をいう。東側に松を、西側に柏を植える。

○柯 えだ。

○青銅 からかね。

 

霜皮溜雨四十圍,黛色參天二千尺。

霜のように真っ白な樹皮の幹には四十かかえもあり、天までわりこんで立っている黛の色は高さ二千尺もある。

〇四十囲 国はひとかかえ。

○黛色 葉の青黒い色。

 

君臣已與時際會,樹木猶為人愛惜。

先主、孔明の二人はすでに当時を救わんがためにうまく出会ったので、これに対する同情から彼らの廟にある樹でさえも人に愛惜されている。

○君臣 劉備と諸葛亮。

○与時際会 与時とは時世を済わんがためにの意、際会はおりよくであったこと。○樹木 老柏をさす。

 

雲來氣接巫峽長,月出寒通雪山白。

この樹のそばに雲が来るとその気は遠く巫峡の長くよこたわっているあたりまでつづき、月でも出たときにはこの樹の寒色ははるかに雪嶺山脈の白くそびえているあたりまでも通ずるのである。」

○気接 気は柏傍の雲気、接は連接すること。

○寒通 寒は柏の翠の寒げな色。

○雪山 雪嶺山脈、西山ともいう、成都にあって吐蕃の境ちかくに見える山。此の句は次段の錦草を喚び起こす、以上起八句は夔州の廟柏をいう。

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