杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

2015年01月

766年大暦元年55歲-30-#3奉節-21 -#3 《巻15-43 催宗文樹雞柵 -#3》 杜甫index-15 杜甫<894-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5480 

杜甫 奉節-21 -#3 《巻15-43 催宗文樹雞柵 -#3お前たちは、籠を編んで、その中に鶏をあつめ、そして、組み分けして容れなさい、この時投げ入れるようなことはするな。また網目が荒いとにわとりが突進して抜け出ることができるし、抜け出れば、今度は蓆座敷をくちばしや爪でよごすことになる。

 
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766年大暦元年55-30-3奉節-21 -#3 《巻15-43 催宗文樹雞柵 -#3》 杜甫index-15 杜甫<894-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5480 

 

 

杜甫詩1500-894-1-1267/2500766年大暦元年55-30-3

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    催宗文樹雞柵

及地點:尸 (都畿道 河南府 偃師) 別名:西亳 、新蔡鎮       

杜甫やその家族が日常生活の中で彼らと身近に接していた、あるいは農作業や労働体験を共にしていたことを、我々に教えてくれる詩がある。

 夔州に来た最初の春から、杜甫は病気を癒すためにニワトリを飼い始めたようで、夏には親鳥や雛鳥やら合わせて五十羽にもなろうとしていた。それらが家屋の中にまで入り込んで、あまりにも狼藉を働くので杜甫は柵を作って制止したり、ニワトリ籠を作ったりしなければならなかった。

 まず青竹を火で焼いて殺青して強くした。その竹でニワトリが入ってくる小道をふさぎ、垣根の東の空き地には高い柵を作った。また竹かごを編んでその中にニワトリをひとまとめごとに入れ、飛び出していかないようにした。一方、柵や竹かごの目が荒いと、すり抜けて来るものがいるから、このことにも注意しなければならなかった。杜甫はこうしたこまごまとした仕事を、長男の宗文にあてがった。

 

催宗文樹雞柵

(長男の宗文をうながして鶏の馬背垣を組み結わせたことを詠う。)

吾衰怯行邁,旅次展崩迫。

私は、歳を取り衰えてきたので、旅路を行くのに臆病になってきて、ここで旅の宿りをすることで英気を養っている。少し切迫した思いを少しずつくつろいだ気分になりつつある。

愈風傳烏雞,秋卵方漫喫。

聞くところでは黒い鶏は、中風の病を治すということなので今丁度秋に産卵したものをむやみに食べているところだ。

自春生成者,隨母向百翮。

春から産ませてこうして育ててきた雛が母鶏につき随っていたが、50羽になろうとしている。

驅趁制不禁,喧呼山腰宅。

これらは追い立てて来させまいと静止するが留めきれず、山の半腹の自宅の庭でがやがやと鳴きたてている。

(宗文を催し雞柵を樹てしむ)

吾 衰えて行邁を怯れ,旅次 崩迫を展ぶ。

愈風 烏雞を傳う,秋卵 方に漫喫す。

春自り生成する者は、母に随いて 百の翮【つばさ】に向【なんな】んとす。

駆【か】り趁【お】うも われは制し禁ぜずして、ニワトリは山腰の宅に 喧呼【けんこ】す。

 

課奴殺青竹,終日憎赤幘。

自分は朝から晩まで、紅いとさかをしたやつが憎たらしいほど騒ぐので、下僕たちに云いつけて青竹を伐採してこさせた。

蹋藉盤案翻,塞蹊使之隔。

大皿とか御膳とか踏んだり、敷いたり、ひっくり返したりすることを憎く思うので、火であぶり、路を塞いで鶏が我が物顔で来ないようにしようというものである。

牆東有隙地,可以樹高柵。

籬の東に空き地があるからそこへ、高い柵作りや竹籠作りを組み結って立てさせたのである。

避熱時來歸,問兒所為跡。

暑さを避けに出かけ、そして帰ってきて、子供(長男の宗文)にどのようにしていたのか問いただしてみた。

奴【やっこ】に課して 青き竹を殺せしめ、終日われは 赤き幘【かんむり】のニワトリを憎む。

踏み藉【ふ】みて盤や案をば翻(ひるがえ)せば、蹊【みち】を塞(ふさ)ぎて 之をして隔たしめんとす。

牆【かき】の東に隙地有り、以て高き柵を樹【た】つべし。

われは熱を避けしところより 時に来たり帰り、児に為せる所の跡を問う

 

《巻15-43 催宗文樹雞柵 -#3

織籠曹其令入不得擲。

お前たちは、籠を編んで、その中に鶏をあつめ、そして、組み分けして容れなさい、この時投げ入れるようなことはするな。

稀間可突過,嘴爪還席。

また網目が荒いとにわとりが突進して抜け出ることができるし、抜け出れば、今度は蓆座敷をくちばしや爪でよごすことになる。

我寬螻蟻遭,彼免狐貉厄。

だから柵を厳重にし、籠の網目をしっかり結えば、我々が螻蛄やありんこの鶏に喰われる運命を寛大にしてやることができるということだ。そして彼ら鶏には狐や貉からの厄難から免れることになるのだ。

應宜各長幼,自此均勍敵。

まさにこれから、ここに生きるそれぞれのものの長幼を決することになるし、これらの強弱の力を平均化させることになるのである。

籠柵念有修,近身見損益。

この籠柵を作るということは、これほど大切なことだが、いつも注意してみていて修理することを念頭に入れて置くようにせよ、これらを自分の責務として役割分担を決めてやりなさい。

また籠【かご】を織りて 其の内に曹【むらが】らしめ、なかに入れて擲【とびあが】るを得ざらしむ。

稀【まばら】なる間なれば 突過すべし、觜【くちばし】と距【つめ】は 還た席を汚さん。

我は螻蟻【ロウギ】がニワトリの遭を寛【ゆる】くし、彼(ニワトリ)は狐や貉【むじな】の厄【わざわい】を免れん。

応【まさ】に宜しく 各おの長、幼たらしめ、此れよりのちは 勍【つよ】き敵を均【ひと】しくすべし。

籠と柵は修むること有るを念【おも】い、身に近づけてその損と益とを見よ。

明明領處分,一一當剖析。

不昧風雨晨,亂離減憂慼。

其流則凡鳥,其氣心匪石。

倚賴窮晏,撥煩去冰釋。

未似尸翁,拘留蓋阡陌。

明明に処分すべきを領せば、一一に当【まさ】に剖析【ボウセキ】すべし。

昧かず風雨の晨,亂離 憂慼を減ず。

其の流は則ち凡鳥なり,其の氣は心 石に匪らず。

倚賴して窮 晏【やす】し,煩を撥いて冰釋【ヒョウシャク】を去る。

未だ似ず 尸【シキョウ】の翁の,拘留して阡陌に蓋いしに。

夔州東川卜居図詳細 001 

 

《巻15-43 催宗文樹雞柵 -#3

『催宗文樹雞柵』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

織籠曹其,令入不得擲。

稀間可突過,嘴爪還席。

我寬螻蟻遭,彼免狐貉厄。

應宜各長幼,自此均勍敵。

籠柵念有修,近身見損益。


(下し文)
また籠【かご】を織りて 其の内に曹【むらが】らしめ、なかに入れて擲【とびあが】るを得ざらしむ。

稀【まばら】なる間なれば 突過すべし、觜【くちばし】と距【つめ】は 還た席を汚さん。

我は螻蟻【ロウギ】がニワトリの遭を寛【ゆる】くし、彼(ニワトリ)は狐や貉【むじな】の厄【わざわい】を免れん。

応【まさ】に宜しく 各おの長、幼たらしめ、此れよりのちは 勍【つよ】き敵を均【ひと】しくすべし。

籠と柵は修むること有るを念【おも】い、身に近づけてその損と益とを見よ。

(現代語訳)
お前たちは、籠を編んで、その中に鶏をあつめ、そして、組み分けして容れなさい、この時投げ入れるようなことはするな。

また網目が荒いとにわとりが突進して抜け出ることができるし、抜け出れば、今度は蓆座敷をくちばしや爪でよごすことになる。

だから柵を厳重にし、籠の網目をしっかり結えば、我々が螻蛄やありんこの鶏に喰われる運命を寛大にしてやることができるということだ。そして彼ら鶏には狐や貉からの厄難から免れることになるのだ。

まさにこれから、ここに生きるそれぞれのものの長幼を決することになるし、これらの強弱の力を平均化させることになるのである。

この籠柵を作るということは、これほど大切なことだが、いつも注意してみていて修理することを念頭に入れて置くようにせよ、これらを自分の責務として役割分担を決めてやりなさい。


(訳注)

《巻15-43 催宗文樹雞柵 -#3

 宗文が杜甫から柵作りの仕事をまかせられたと言っても、もちろん宗文一人でやるわけではない。それは「奴に課して青竹を殺せしめる」と言っていることからも明らかである。この「奴」というのは、いままで出てきた杜甫の使用人の阿段、信行、伯夷、辛秀らであろう。だから宗文が実際に柵作りや竹籠作りの仕事をしたかどうかを疑う人もいる。浦起竜は「宗文を催すとは、必ず宗文自ら之を為すに非ざるなり。但だ奴に課して其の事を領するなり」(巻一之四)と言い、楊倫は「柵を樹て籠を織るは、本は奴僕の事なり。而して課して之を督()る者は、則ち宗文なり」(巻十三)と言う。たしかに宗文がどこまでその仕事に加わり、或いは加わらなかったかを見極めるのはむずかしい。

 杜甫は、しばらく熱さを避けていた所から帰ってくると、子供たちにどのように仕事をしたかを尋ね、#2「課奴殺青竹,終日憎赤幘。蹋藉盤案翻,塞蹊使之隔。牆東有隙地,可以樹高柵。避熱時來歸,問兒所為跡。」のように詠じて、今回#3に続いている。

 

織籠曹其,令入不得擲。

お前たちは、籠を編んで、その中に鶏をあつめ、そして、組み分けして容れなさい、この時投げ入れるようなことはするな。

織籠 籠を編むこと。

 まず柵の中にあつめる。

入 籠に組み分けしていれる。

 投げ入れるようなこと。乱雑、荒っぽくしないことをいう。

 

稀間可突過,嘴爪還席。

また網目が荒いとにわとりが突進して抜け出ることができるし、抜け出れば、今度は蓆座敷をくちばしや爪でよごすことになる。

稀間 柵の間隔、籠の網目がしっかり止めること。ルーズにしないことをいう。

突過 柵の間隔、籠の網目が廣いとかゆるいと抜け出てしまうこと。

嘴爪 くちばしや爪。

 

我寬螻蟻遭,彼免狐貉厄。

だから柵を厳重にし、籠の網目をしっかり結えば、我々が螻蛄やありんこの鶏に喰われる運命を寛大にしてやることができるということだ。そして彼ら鶏には狐や貉からの厄難から免れることになるのだ。

寬螻蟻遭 螻蛄やありんこの鶏に喰われる運命を寛大にしてやることができる。

 にわとりをさす。

狐貉厄 狐や貉からの鶏の厄難。

 

應宜各長幼,自此均勍敵。

まさにこれから、ここに生きるそれぞれのものの長幼を決することになるし、これらの強弱の力を平均化させることになるのである。

各長幼 「各ゝ成其長幼。」(各ゝの其の長幼を成す。)養鶏がきちんとできれば杜甫家の人はにわとりから受け、鶏は狐や貉からの鶏の厄難を免れ、螻蛄やありんこの鶏に喰われることを免れる。

均勍敵 勍敵は強敵、均は均等、均一、平均。鶏は闘鶏するので、強弱により、弱い者が卵を産まなくなることを防ぐことをいう。

 

籠柵念有修,近身見損益。

この籠柵を作るということは、これほど大切なことだが、いつも注意してみていて修理することを念頭に入れて置くようにせよ、これらを自分の責務として役割分担を決めてやりなさい。

近身 この仕事、役割を自分の事とせよ。

損益 鶏の世話と柵や籠のメンテナンスを宗文の仕事として、他の下僕たちに役割を明確にしてやらせなさいという意。
杜甫55歳756年作品 

766年大暦元年55歲-30-#2奉節-21 -#2 《巻15-43 催宗文樹雞柵 -#2》 杜甫index-15 杜甫<893-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5475

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766年大暦元年55-30-2奉節-21 -#2 《巻15-43 催宗文樹雞柵 -#2》 杜甫index-15 杜甫<893-2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5475
杜甫詩1500-893-2-1266/2500766年大暦元年55
-30-2

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    催宗文樹雞柵

及地點:尸 (都畿道 河南府 偃師) 別名:西亳 、新蔡鎮       

杜甫やその家族が日常生活の中で彼らと身近に接していた、あるいは農作業や労働体験を共にしていたことを、我々に教えてくれる詩がある。

 夔州に来た最初の春から、杜甫は病気を癒すためにニワトリを飼い始めたようで、夏には親鳥や雛鳥やら合わせて五十羽にもなろうとしていた。それらが家屋の中にまで入り込んで、あまりにも狼藉を働くので杜甫は柵を作って制止したり、ニワトリ籠を作ったりしなければならなかった。

 まず青竹を火で焼いて殺青して強くした。その竹でニワトリが入ってくる小道をふさぎ、垣根の東の空き地には高い柵を作った。また竹かごを編んでその中にニワトリをひとまとめごとに入れ、飛び出していかないようにした。一方、柵や竹かごの目が荒いと、すり抜けて来るものがいるから、このことにも注意しなければならなかった。杜甫はこうしたこまごまとした仕事を、長男の宗文にあてがった。

 

《巻15-43 催宗文樹雞柵 -#1

催宗文樹雞柵

(長男の宗文をうながして鶏の馬背垣を組み結わせたことを詠う。)

吾衰怯行邁,旅次展崩迫。

私は、歳を取り衰えてきたので、旅路を行くのに臆病になってきて、ここで旅の宿りをすることで英気を養っている。少し切迫した思いを少しずつくつろいだ気分になりつつある。

愈風傳烏雞,秋卵方漫喫。

聞くところでは黒い鶏は、中風の病を治すということなので今丁度秋に産卵したものをむやみに食べているところだ。

自春生成者,隨母向百翮。

春から産ませてこうして育ててきた雛が母鶏につき随っていたが、50羽になろうとしている。

驅趁制不禁,喧呼山腰宅。

これらは追い立てて来させまいと静止するが留めきれず、山の半腹の自宅の庭でがやがやと鳴きたてている。

(宗文を催し雞柵を樹てしむ)

吾 衰えて行邁を怯れ,旅次 崩迫を展ぶ。

愈風 烏雞を傳う,秋卵 方に漫喫す。

春自り生成する者は、母に随いて 百の翮【つばさ】に向【なんな】んとす。

駆【か】り趁【お】うも われは制し禁ぜずして、ニワトリは山腰の宅に 喧呼【けんこ】す。

 

課奴殺青竹,終日憎赤幘。

自分は朝から晩まで、紅いとさかをしたやつが憎たらしいほど騒ぐので、下僕たちに云いつけて青竹を伐採してこさせた。

蹋藉盤案翻,塞蹊使之隔。

大皿とか御膳とか踏んだり、敷いたり、ひっくり返したりすることを憎く思うので、火であぶり、路を塞いで鶏が我が物顔で来ないようにしようというものである。

牆東有隙地,可以樹高柵。

籬の東に空き地があるからそこへ、高い柵作りや竹籠作りを組み結って立てさせたのである。

避熱時來歸,問兒所為跡。

暑さを避けに出かけ、そして帰ってきて、子供(長男の宗文)にどのようにしていたのか問いただしてみた。

奴【やっこ】に課して 青き竹を殺せしめ、終日われは 赤き幘【かんむり】のニワトリを憎む。

踏み藉【ふ】みて盤や案をば翻(ひるがえ)せば、蹊【みち】を塞(ふさ)ぎて 之をして隔たしめんとす。

牆【かき】の東に隙地有り、以て高き柵を樹【た】つべし。

われは熱を避けしところより 時に来たり帰り、児に為せる所の跡を問う

 

《巻15-43 催宗文樹雞柵 -#3

織籠曹其令入不得擲。

稀間可突過,嘴爪還席。

我寬螻蟻遭,彼免狐貉厄。

應宜各長幼,自此均勍敵。

籠柵念有修,近身見損益。

また籠【かご】を織りて 其の内に曹【むらが】らしめ、なかに入れて擲【とびあが】るを得ざらしむ。

稀【まばら】なる間なれば 突過すべし、觜【くちばし】と距【つめ】は 還た席を汚さん。

我は螻蟻【ロウギ】がニワトリの遭を寛【ゆる】くし、彼(ニワトリ)は狐や貉【むじな】の厄【わざわい】を免れん。

応【まさ】に宜しく 各おの長、幼たらしめ、此れよりのちは 勍【つよ】き敵を均【ひと】しくすべし。

籠と柵は修むること有るを念【おも】い、身に近づけてその損と益とを見よ。

明明領處分,一一當剖析。

不昧風雨晨,亂離減憂慼。

其流則凡鳥,其氣心匪石。

倚賴窮晏,撥煩去冰釋。

未似尸翁,拘留蓋阡陌。

明明に処分すべきを領せば、一一に当【まさ】に剖析【ボウセキ】すべし。

昧かず風雨の晨,亂離 憂慼を減ず。

其の流は則ち凡鳥なり,其の氣は心 石に匪らず。

倚賴して窮 晏【やす】し,煩を撥いて冰釋【ヒョウシャク】を去る。

未だ似ず 尸【シキョウ】の翁の,拘留して阡陌に蓋いしに。

 

 

《巻15-43 催宗文樹雞柵 -#1

『催宗文樹雞柵』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

課奴殺青竹,終日憎赤幘。

蹋藉盤案翻,塞蹊使之隔。

牆東有隙地,可以樹高柵。

避熱時來歸,問兒所為跡。


(下し文)
奴【やっこ】に課して 青き竹を殺せしめ、終日われは 赤き幘【かんむり】のニワトリを憎む。

踏み藉【ふ】みて盤や案をば翻(ひるがえ)せば、蹊【みち】を塞(ふさ)ぎて 之をして隔たしめんとす。

牆【かき】の東に隙地有り、以て高き柵を樹【た】つべし。

われは熱を避けしところより 時に来たり帰り、児に為せる所の跡を問う

(現代語訳)
自分は朝から晩まで、紅いとさかをしたやつが憎たらしいほど騒ぐので、下僕たちに云いつけて青竹を伐採してこさせた。

大皿とか御膳とか踏んだり、敷いたり、ひっくり返したりすることを憎く思うので、火であぶり、路を塞いで鶏が我が物顔で来ないようにしようというものである。

籬の東に空き地があるからそこへ、高い柵作りや竹籠作りを組み結って立てさせたのである。

暑さを避けに出かけ、そして帰ってきて、子供(長男の宗文)にどのようにしていたのか問いただしてみた。


(訳注)

1543_催宗文樹雞柵》 五言古詩《1543_宗文を催して鶏の柵を樹てしむ》。

(長男の宗文をうながして鶏の馬背垣を組み結わせたことを詠う。)

宗文 杜甫の長男。

 柵作りや竹籠作りの仕事をしてたてた。

雞柵 鶏を囲いをしておける馬背垣。

 宗文が杜甫から柵作りの仕事をまかせられたと言っても、もちろん宗文一人でやるわけではない。それは「奴に課して青竹を殺せしめる」と言っていることからも明らかである。この「奴」というのは、いままで出てきた杜甫の使用人の阿段、信行、伯夷、辛秀らであろう。だから宗文が実際に柵作りや竹籠作りの仕事をしたかどうかを疑う人もいる。浦起竜は「宗文を催すとは、必ず宗文自ら之を為すに非ざるなり。但だ奴に課して其の事を領するなり」(巻一之四)と言い、楊倫は「柵を樹て籠を織るは、本は奴僕の事なり。而して課して之を督()る者は、則ち宗文なり」(巻十三)と言う。たしかに宗文がどこまでその仕事に加わり、或いは加わらなかったかを見極めるのはむずかしい。

 杜甫は、しばらく熱さを避けていた所から帰ってくると、子供たちにどのように仕事をしたかを尋ねる。

 

課奴殺青竹,終日憎赤幘。

自分は朝から晩まで、紅いとさかをしたやつが憎たらしいほど騒ぐので、下僕たちに云いつけて青竹を伐採してこさせた。

殺青竹 殺青とは、青竹の青さを火であぶり油気をとりさることをいう。

憎赤幘 紅い冠を付けたもの(にわとり)を憎む。

 

蹋藉盤案翻,塞蹊使之隔。

大皿とか御膳とか踏んだり、敷いたり、ひっくり返したりすることを憎く思うので、火であぶり、路を塞いで鶏が我が物顔で来ないようにしようというものである。

蹋藉 踏んだり、敷いたりすること。

盤案翻 大皿とお膳をひっくり返す。

塞蹊 こみちをふさぐ。

 

牆東有隙地,可以樹高柵。

籬の東に空き地があるからそこへ、高い柵作りや竹籠作りを組み結って立てさせたのである。

隙地 あきち。

 

避熱時來歸,問兒所為跡。

暑さを避けに出かけ、そして帰ってきて、子供(長男の宗文)にどのようにしていたのか問いただしてみた。

避熱 日中の暑さを避けて谷間の山影に涼み、昼寝でゆっくりすること。

所為跡 どのようにしていたのかということ。

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杜甫 奉節-20 《巻15-43 催宗文樹雞柵 -#1(長男の宗文をうながして鶏の馬背垣を組み結わせたことを詠う。)私は、歳を取り衰えてきたので、旅路を行くのに臆病になってきて、ここで旅の宿りをすることで英気を養っている。少し切迫した思いを少しずつくつろいだ気分になりつつある。

 

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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杜甫詩
1500-892-1-1262/2500766年大暦元年55-30-1

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    催宗文樹雞柵

及地點:尸 (都畿道 河南府 偃師) 別名:西亳 、新蔡鎮       

杜甫やその家族が日常生活の中で彼らと身近に接していた、あるいは農作業や労働体験を共にしていたことを、我々に教えてくれる詩がある。

 夔州に来た最初の春から、杜甫は病気を癒すためにニワトリを飼い始めたようで、夏には親鳥や雛鳥やら合わせて五十羽にもなろうとしていた。それらが家屋の中にまで入り込んで、あまりにも狼藉を働くので杜甫は柵を作って制止したり、ニワトリ籠を作ったりしなければならなかった。

 まず青竹を火で焼いて殺青して強くした。その竹でニワトリが入ってくる小道をふさぎ、垣根の東の空き地には高い柵を作った。また竹かごを編んでその中にニワトリをひとまとめごとに入れ、飛び出していかないようにした。一方、柵や竹かごの目が荒いと、すり抜けて来るものがいるから、このことにも注意しなければならなかった。杜甫はこうしたこまごまとした仕事を、長男の宗文にあてがった。

 

《巻15-43 催宗文樹雞柵 -#1

催宗文樹雞柵

(長男の宗文をうながして鶏の馬背垣を組み結わせたことを詠う。)

吾衰怯行邁,旅次展崩迫。

私は、歳を取り衰えてきたので、旅路を行くのに臆病になってきて、ここで旅の宿りをすることで英気を養っている。少し切迫した思いを少しずつくつろいだ気分になりつつある。

愈風傳烏雞,秋卵方漫喫。

聞くところでは黒い鶏は、中風の病を治すということなので今丁度秋に産卵したものをむやみに食べているところだ。

自春生成者,隨母向百翮。

春から産ませてこうして育ててきた雛が母鶏につき随っていたが、50羽になろうとしている。

驅趁制不禁,喧呼山腰宅。

これらは追い立てて来させまいと静止するが留めきれず、山の半腹の自宅の庭でがやがやと鳴きたてている。

(宗文を催し雞柵を樹てしむ)

吾 衰えて行邁を怯れ,旅次 崩迫を展ぶ。

愈風 烏雞を傳う,秋卵 方に漫喫す。

春自り生成する者は、母に随いて 百の翮【つばさ】に向【なんな】んとす。

駆【か】り趁【お】うも われは制し禁ぜずして、ニワトリは山腰の宅に 喧呼【けんこ】す。

 

課奴殺青竹,終日憎赤幘。

蹋藉盤案翻,塞蹊使之隔。

牆東有隙地,可以樹高柵。

避熱時來歸,問兒所為跡。

奴【やっこ】に課して 青き竹を殺せしめ、終日われは 赤き幘【かんむり】のニワトリを憎む。

踏み藉【ふ】みて盤や案をば翻(ひるがえ)せば、蹊【みち】を塞(ふさ)ぎて 之をして隔たしめんとす。

牆【かき】の東に隙地有り、以て高き柵を樹【た】つべし。

われは熱を避けしところより 時に来たり帰り、児に為せる所の跡を問う

 

《巻15-43 催宗文樹雞柵 -#3

織籠曹其令入不得擲。

稀間可突過,嘴爪還席。

我寬螻蟻遭,彼免狐貉厄。

應宜各長幼,自此均勍敵。

籠柵念有修,近身見損益。

また籠【かご】を織りて 其の内に曹【むらが】らしめ、なかに入れて擲【とびあが】るを得ざらしむ。

稀【まばら】なる間なれば 突過すべし、觜【くちばし】と距【つめ】は 還た席を汚さん。

我は螻蟻【ロウギ】がニワトリの遭を寛【ゆる】くし、彼(ニワトリ)は狐や貉【むじな】の厄【わざわい】を免れん。

応【まさ】に宜しく 各おの長、幼たらしめ、此れよりのちは 勍【つよ】き敵を均【ひと】しくすべし。

籠と柵は修むること有るを念【おも】い、身に近づけてその損と益とを見よ。

明明領處分,一一當剖析。

不昧風雨晨,亂離減憂慼。

其流則凡鳥,其氣心匪石。

倚賴窮晏,撥煩去冰釋。

未似尸翁,拘留蓋阡陌。

明明に処分すべきを領せば、一一に当【まさ】に剖析【ボウセキ】すべし。

昧かず風雨の晨,亂離 憂慼を減ず。

其の流は則ち凡鳥なり,其の氣は心 石に匪らず。

倚賴して窮 晏【やす】し,煩を撥いて冰釋【ヒョウシャク】を去る。

未だ似ず 尸【シキョウ】の翁の,拘留して阡陌に蓋いしに。

 

詩文(含異文)    

吾衰怯行邁,旅次展崩迫。

愈風傳烏雞,秋卵方漫喫。

自春生成者,隨母向百翮。

驅趁制不禁,喧呼山腰宅。

課奴殺青竹,終日憎赤幘【案:《搜神記》:「一書生明術數,夜半,宿安陽城南亭,有赤幘者過。生曰:『此西舍老雄雞也。』」】【終日增赤幘】【終日帽赤幘】。

蹋藉盤案翻,塞蹊使之隔。

牆東有隙地【牆東閒散地】,可以樹高柵。避熱時來歸【避熱時未歸】,問兒所為跡。織籠曹其,令入不得擲。稀間可突過【稀間苦突過】,嘴爪還席【嘴距還席】。我寬螻蟻遭,彼免狐貉厄。應宜各長幼,自此均勍敵。籠柵念有修,近身見損益【近身知損益】。明明領處分,一一當剖析。不昧風雨晨,亂離減憂慼。其流則凡鳥,其氣心匪石。倚賴窮晏,撥煩去冰釋【撥煩及冰釋】。未似尸翁【案:祝雞翁居洛陽尸北山下。】,拘留蓋阡陌。

夔州東川卜居図詳細 001 

 

《巻15-43 催宗文樹雞柵 -#1

『催宗文樹雞柵』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

催宗文樹雞柵

吾衰怯行邁,旅次展崩迫。

愈風傳烏雞,秋卵方漫喫。

自春生成者,隨母向百翮。

驅趁制不禁,喧呼山腰宅。


(下し文)
(宗文を催し雞柵を樹てしむ)

吾 衰えて行邁を怯れ,旅次 崩迫を展ぶ。

愈風 烏雞を傳う,秋卵 方に漫喫す。

春自り生成する者は、母に随いて 百の翮【つばさ】に向【なんな】んとす。

駆【か】り趁【お】うも われは制し禁ぜずして、ニワトリは山腰の宅に 喧呼【けんこ】す。

(現代語訳)
(長男の宗文をうながして鶏の馬背垣を組み結わせたことを詠う。)

私は、歳を取り衰えてきたので、旅路を行くのに臆病になってきて、ここで旅の宿りをすることで英気を養っている。少し切迫した思いを少しずつくつろいだ気分になりつつある。

聞くところでは黒い鶏は、中風の病を治すということなので今丁度秋に産卵したものをむやみに食べているところだ。

春から産ませてこうして育ててきた雛が母鶏につき随っていたが、50羽になろうとしている。

これらは追い立てて来させまいと静止するが留めきれず、山の半腹の自宅の庭でがやがやと鳴きたてている。


(訳注)

1543_催宗文樹雞柵》 五言古詩《1543_宗文を催して鶏の柵を樹てしむ》。

(長男の宗文をうながして鶏の馬背垣を組み結わせたことを詠う。)

宗文 杜甫の長男。

 柵作りや竹籠作りの仕事をしてたてた。

雞柵 鶏を囲いをしておける馬背垣。

 宗文が杜甫から柵作りの仕事をまかせられたと言っても、もちろん宗文一人でやるわけではない。それは「奴に課して青竹を殺せしめる」と言っていることからも明らかである。この「奴」というのは、いままで出てきた杜甫の使用人の阿段、信行、伯夷、辛秀らであろう。だから宗文が実際に柵作りや竹籠作りの仕事をしたかどうかを疑う人もいる。浦起竜は「宗文を催すとは、必ず宗文自ら之を為すに非ざるなり。但だ奴に課して其の事を領するなり」(巻一之四)と言い、楊倫は「柵を樹て籠を織るは、本は奴僕の事なり。而して課して之を督()る者は、則ち宗文なり」(巻十三)と言う。たしかに宗文がどこまでその仕事に加わり、或いは加わらなかったかを見極めるのはむずかしい。

 杜甫は、しばらく熱さを避けていた所から帰ってくると、子供たちにどのように仕事をしたかを尋ねる。

 

吾衰怯行邁,旅次展崩迫。

私は、歳を取り衰えてきたので、旅路を行くのに臆病になってきて、ここで旅の宿りをすることで英気を養っている。少し切迫した思いを少しずつくつろいだ気分になりつつある。

怯行邁 旅路を行くのに臆病になる。

展崩迫 生き詰まるような窮屈な思いを宣べる。少し切迫した思い。

 

愈風傳烏雞,秋卵方漫喫。

聞くところでは黒い鶏は、中風の病を治すということなので今丁度秋に産卵したものをむやみに食べているところだ。

愈風 中風の病気を治癒させること。

 伝え聞く。

烏雞 黒い色の鷄。烏骨鶏。

漫喫 やたらにたべる。

 

自春生成者,隨母向百翮。

春から産ませてこうして育ててきた雛が母鶏につき随っていたが、50羽になろうとしている。

生成者 産ませて育て上げたもの。

向百翮 (百の羽数だから)50羽になろうとしている。どんどん増えていることをいう。

 

驅趁制不禁,喧呼山腰宅。

これらは追い立てて来させまいと静止するが留めきれず、山の半腹の自宅の庭でがやがやと鳴きたてている。

驅趁 逃げないようにだけ追い立てること。

山腰宅 山の半腹の自宅の庭。
杜甫55歳756年作品 

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杜甫 奉節-20-3 《巻19-20 驅豎子摘蒼耳 -3だからここで苦しんでいる人民に敵対する貴公子や遊侠の者たちに云わねばなるまい、「お前らは、まず黄金のありがたさを思い、且つ、金に証し、それを擲って好き勝手なことをすることをやめなさい」ということだ。(我々は瓜やラッキョウに蒼耳を載せてミカンの味がするといった食生活をしているのに、お前らが贅沢をすることで世は乱れるのだ)

 
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766年大暦元年55-37-3奉節-20-3 《巻19-20 驅豎子摘蒼耳 -3》 杜甫index-15 杜甫<892-3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5465

 

 

杜甫詩1500-892-3-1264/2500766年大暦元年55-37-3

年:766年大暦元年55 37作目 奉節で20作目

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    驅豎子摘蒼耳【案:即卷耳。】

交遊人物:交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

 

驅豎子摘蒼耳

(下僕たちみんなで薬草の蒼耳という草を摘ませたことを詠んだもの)

江上秋已分,林中瘴猶劇。

ここ長江のほとりでは秋分を過ぎた季節感は感じられるが、南の地であることで林の中ではいまだに瘴気ガスが激しい。

畦丁告勞苦,無以供日夕。

畦を作る下作人が言うには、「この頃の仕事は難儀して働いていて、とても毎日の夕べのおかずをお供えをすることができないのです。」と。

蓬莠獨不焦,野蔬暗泉石。

つづいて、「ただ、この炎熱でも蓬や、わら草は焦げることはありません、野生に生えている菜茄は泉石をかぶさるように鬱蒼と生えている。」

卷耳況療風,童兒且時摘。

「その中に卷耳があり、風痹のやまいを治してくれると言いますから、童兒達に暫く経って摘ませましょう。」と。

 

侵星驅之去,爛熳任遠適。

それで、私は、朝星が空に在る夜明けから、この畦作人を追い立ててこの薬草を遠くまでだろうがあるところならどこへでも行って摘んでくるように言い聞かせた。

放筐亭午際,洗剝相蒙冪。

それでももう、正午ごろには担いでいた籠を背中から放して、摘んできた蒼耳を洗ったり、剥いだりして積み重ねているのである。

登床半生熟,下箸還小益。

そうして食膳に生の物と、煮た物とを登らせて、箸を付けて少し食べてみると少し体のためにいいように思えるのである。

加點瓜薤間,依稀橘奴跡。

瓜とラッキョウを食べるあいだに時に少し加えてみると、呉の丹陽太守李衡の故事に云う美味しい蜜柑をあしらったような具合いで行けそうだ。

 

亂世誅求急,黎民糠窄。

今、世は乱れて人民は上から誅求されることが多く、それも急を要す徴兵、調達であり、糠とか麦といったものでさえ、たらふく食べることができない。

飽食復何心,荒哉膏粱客。

腹が満腹になるということなどないから、満幅の時の心持がどんなのだったかも人民は忘れてしまったが、富貴の者はそれがどういうことなのか考えもつかないことだろう。

富家廚肉臭,戰地骸骨白。

富貴の者の家ではその台所で食べ残しの肉ばかりか、余分な肉が腐っているというのに、戦地では、死んでもはぎとられ直ぐに骸骨となり、白骨となって横たわるのである。

寄語惡少年,黃金且休擲。

だからここで苦しんでいる人民に敵対する貴公子や遊侠の者たちに云わねばなるまい、「お前らは、まず黄金のありがたさを思い、且つ、金に証し、それを擲って好き勝手なことをすることをやめなさい」ということだ。(我々は瓜やラッキョウに蒼耳を載せてミカンの味がするといった食生活をしているのに、お前らが贅沢をすることで世は乱れるのだ) 

(豎子【じゅし】を驅りて蒼耳を摘む)

江上 秋 已に分り,林中 瘴 猶お劇す。

畦丁 勞苦を告げ,以って日夕に供すべき無し。

蓬莠【ほうゆう】獨り焦げず,野蔬 泉石に暗し。

卷耳 況んや風を療さんや,童兒 且つ時に摘まむと。

 

星を侵して之を驅り去らしむ,爛熳 遠く適くに任す。

筐を放つ亭午の際,洗剝して相い蒙冪【もうべき】す。

床に登らせるは半ば生熟なり,箸を下せば還た小益あり。

瓜薤の間に加點して,依稀たり橘奴の跡に。

 

亂世 誅求 急なり,黎民 糠【こうけつ】窄し。

飽食する復た何の心ぞ,荒なる哉 膏粱【こうりょう】の客。

富家 廚肉 臭く,戰地 骸骨 白し。

語を寄す 惡少年,黃金 且つ擲【なげう】つことを休めよ。

夔州東川卜居図詳細 001 

 

 

『驅豎子摘蒼耳』 現代語訳と訳註解説
(
本文)#3

亂世誅求急,黎民糠窄。

飽食復何心,荒哉膏粱客。

富家廚肉臭,戰地骸骨白。

寄語惡少年,黃金且休擲。


(下し文)
亂世 誅求 急なり,黎民 糠【こうけつ】窄し。

飽食する復た何の心ぞ,荒なる哉 膏粱【こうりょう】の客。

富家 廚肉 臭く,戰地 骸骨 白し。

語を寄す 惡少年,黃金 且つ擲【なげう】つことを休めよ。

(現代語訳)
今、世は乱れて人民は上から誅求されることが多く、それも急を要す徴兵、調達であり、糠とか麦といったものでさえ、たらふく食べることができない。

腹が満腹になるということなどないから、満幅の時の心持がどんなのだったかも人民は忘れてしまったが、富貴の者はそれがどういうことなのか考えもつかないことだろう。

富貴の者の家ではその台所で食べ残しの肉ばかりか、余分な肉が腐っているというのに、戦地では、死んでもはぎとられ直ぐに骸骨となり、白骨となって横たわるのである。

だからここで苦しんでいる人民に敵対する貴公子や遊侠の者たちに云わねばなるまい、「お前らは、まず黄金のありがたさを思い、且つ、金に証し、それを擲って好き勝手なことをすることをやめなさい」ということだ。(我々は瓜やラッキョウに蒼耳を載せてミカンの味がするといった食生活をしているのに、お前らが贅沢をすることで世は乱れるのだ)

唐時代 地図山南 東・西道50

(訳注)

驅豎子摘蒼耳

(下僕たちみんなで薬草の蒼耳という草を摘ませたことを詠んだもの)

豎子 1 子供。童子。2 年若い者や未熟な者をさげすんでいう語。若造。青二才。

蒼耳 キク科のオナモミ。この成熟果実を乾燥したもの。 解熱、発汗、鎮痙薬として頭痛、鼻炎、リュウマチ、四肢痙攣などに応用する。 搾った油は疥癬、皮膚掻痒に外用する。煎剤を内服するという方法もある。

 

夔州に来て下僕たちを上手く使っていろんな作業を行うようになってきた。雲安までの五十数年間杜甫も詩に下僕たちの名前や杜甫の心使いなどが出る事は無かったが、詩に出てくる下僕たちの名前をあげると次のとおりである。

名前が出ず《1505_引水》「雲安沽水奴僕悲」雲安水を沽()いて 奴僕悲しむも

阿段:《1506_示獠奴阿段》(獠奴の阿段に示す。)

信行:《1529_信行遠修水筒》(信行が遠く水筒を修む。)

1902_豎至子》(豎子(ジュシ)至る)

1905園官送菜_》(園官が菜を送る)

課隸人伯夷・辛秀・信行等、 隷人(レイジン)の伯夷・辛秀・信行:《1907_課伐木》(伐木を課す)

遣女奴阿稽豎子阿段:《1915_秋行官張望督促東渚耗稻向畢清晨遣女奴阿稽豎子阿段往問》

獠奴、豎子、爾、小子、小奴・奴人(《1816_縛雞行》)

童児(《1919_驅豎子摘蒼耳》)、小豎など。

信行に対しては僕夫、汝、子、行など。

伯夷・辛秀・信行らに対して隷人、僮僕、人、爾曹。

阿稽に対しては女奴。阿段とともに併称して、婢僕。その他にも奴、童、童児などがある。

1816_縛鶏行》

1915_秋行官張望、督促東渚耗稲、向畢。清晨遣女奴阿稽豎子阿段往問》(秋に行官の張望、東渚の耗稲を督促し、畢るに向(なんなん)とす。清晨に女奴の阿稽と豎子の阿段を遣わして往きて問わしむ)

2031_暫往白帝復還東屯》・《2023_又呈呉郎》

 

亂世誅求急,黎民糠窄。

今、世は乱れて人民は上から誅求されることが多く、それも急を要す徴兵、調達であり、糠とか麦といったものでさえ、たらふく食べることができない。

誅求急 租税などを厳しく取り立てられ、そのうえ急を要す徴兵、調達であること。

 糠とか麦といったものでさえ、たらふく食べることができない。

 

飽食復何心,荒哉膏粱客。

腹が満腹になるということなどないから、満幅の時の心持がどんなのだったかも人民は忘れてしまったが、富貴の者はそれがどういうことなのか考えもつかないことだろう。

荒哉 人を思いやることのない、殺伐とした荒れた心情。

膏粱客 脂ののった肉と良いコメを食っている富貴の者たち。

 

富家廚肉臭,戰地骸骨白。

富貴の者の家ではその台所で食べ残しの肉ばかりか、余分な肉が腐っているというのに、戦地では、死んでもはぎとられ直ぐに骸骨となり、白骨となって横たわるのである。

 

寄語惡少年,黃金且休擲。

だからここで苦しんでいる人民に敵対する貴公子や遊侠の者たちに云わねばなるまい、「お前らは、まず黄金のありがたさを思い、且つ、金に証し、それを擲って好き勝手なことをすることをやめなさい」ということだ。(我々は瓜やラッキョウに蒼耳を載せてミカンの味がするといった食生活をしているのに、お前らが贅沢をすることで世は乱れるのだ)

惡少年 塩で富貴になったもの、地方豪族のものたちの子息らが遊侠のために悪いことをする。

黃金且休擲 ばくち、女に大金をはたくのをやめなさい。
杜甫55歳756年作品 

766年大暦元年55歲-37-#2奉節-20-#2 《巻19-20 驅豎子摘蒼耳 -#2》 杜甫index-15 杜甫<892-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5460

杜甫 奉節-20-2 《巻19-20 驅豎子摘蒼耳 -2そうして食膳に生の物と、煮た物とを登らせて、箸を付けて少し食べてみると少し体のためにいいように思えるのである。瓜とラッキョウを食べるあいだに時に少し加えてみると、呉の丹陽太守李衡の故事に云う美味しい蜜柑をあしらったような具合いで行けそうだ。

 
 2015年1月27日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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170(改訂版) 《巻06-08 元丹丘歌》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <170> Ⅰ李白詩1382 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5458 
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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
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33-03-§2-1 《讀巻05-06 太學生何蕃傳 -(3)》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1295> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5459 
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 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-37-#2奉節-20-#2 《巻19-20 驅豎子摘蒼耳 -#2》 杜甫index-15 杜甫<892-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5460 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor『花間集』全詩訳注解説(改訂)-1溫庭筠53《巻2-03 遐方怨 二首之一》溫庭筠66首巻二3-〈53〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5462 
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杜甫詩1500-892-2-1263/2500766年大暦元年55
-37-2

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    驅豎子摘蒼耳【案:即卷耳。】

交遊人物:交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

 

驅豎子摘蒼耳

(下僕たちみんなで薬草の蒼耳という草を摘ませたことを詠んだもの)

江上秋已分,林中瘴猶劇。

ここ長江のほとりでは秋分を過ぎた季節感は感じられるが、南の地であることで林の中ではいまだに瘴気ガスが激しい。

畦丁告勞苦,無以供日夕。

畦を作る下作人が言うには、「この頃の仕事は難儀して働いていて、とても毎日の夕べのおかずをお供えをすることができないのです。」と。

蓬莠獨不焦,野蔬暗泉石。

つづいて、「ただ、この炎熱でも蓬や、わら草は焦げることはありません、野生に生えている菜茄は泉石をかぶさるように鬱蒼と生えている。」

卷耳況療風,童兒且時摘。

「その中に卷耳があり、風痹のやまいを治してくれると言いますから、童兒達に暫く経って摘ませましょう。」と。

 

侵星驅之去,爛熳任遠適。

それで、私は、朝星が空に在る夜明けから、この畦作人を追い立ててこの薬草を遠くまでだろうがあるところならどこへでも行って摘んでくるように言い聞かせた。

放筐亭午際,洗剝相蒙冪。

それでももう、正午ごろには担いでいた籠を背中から放して、摘んできた蒼耳を洗ったり、剥いだりして積み重ねているのである。

登床半生熟,下箸還小益。

そうして食膳に生の物と、煮た物とを登らせて、箸を付けて少し食べてみると少し体のためにいいように思えるのである。

加點瓜薤間,依稀橘奴跡。

瓜とラッキョウを食べるあいだに時に少し加えてみると、呉の丹陽太守李衡の故事に云う美味しい蜜柑をあしらったような具合いで行けそうだ。

 

亂世誅求急,黎民糠窄。

飽食復何心,荒哉膏粱客。

富家廚肉臭,戰地骸骨白。

寄語惡少年,黃金且休擲。

 

(豎子【じゅし】を驅りて蒼耳を摘む)

江上 秋 已に分り,林中 瘴 猶お劇す。

畦丁 勞苦を告げ,以って日夕に供すべき無し。

蓬莠【ほうゆう】獨り焦げず,野蔬 泉石に暗し。

卷耳 況んや風を療さんや,童兒 且つ時に摘まむと。

 

星を侵して之を驅り去らしむ,爛熳 遠く適くに任す。

筐を放つ亭午の際,洗剝して相い蒙冪【もうべき】す。

床に登らせるは半ば生熟なり,箸を下せば還た小益あり。

瓜薤の間に加點して,依稀たり橘奴の跡に。

 

亂世 誅求 急なり,黎民 糠【こうけつ】窄し。

飽食する復た何の心ぞ,荒なる哉 膏粱【こうりょう】の客。

富家 廚肉 臭く,戰地 骸骨 白し。

語を寄す 惡少年,黃金 且つ擲【なげう】つことを休めよ。

夔州東川卜居図詳細 001 

驅豎子摘蒼耳』 現代語訳と訳註解説

(本文)
侵星驅之去,爛熳任遠適。

放筐亭午際,洗剝相蒙冪。

登床半生熟,下箸還小益。

加點瓜薤間,依稀橘奴跡。


(下し文)
星を侵して之を驅り去らしむ,爛熳 遠く適くに任す。

筐を放つ亭午の際,洗剝して相い蒙冪【もうべき】す。

床に登らせるは半ば生熟なり,箸を下せば還た小益あり。

瓜薤の間に加點して,依稀たり橘奴の跡に。

(現代語訳)
それで、私は、朝星が空に在る夜明けから、この畦作人を追い立ててこの薬草を遠くまでだろうがあるところならどこへでも行って摘んでくるように言い聞かせた。

それでももう、正午ごろには担いでいた籠を背中から放して、摘んできた蒼耳を洗ったり、剥いだりして積み重ねているのである。

そうして食膳に生の物と、煮た物とを登らせて、箸を付けて少し食べてみると少し体のためにいいように思えるのである。

瓜とラッキョウを食べるあいだに時に少し加えてみると、呉の丹陽太守李衡の故事に云う美味しい蜜柑をあしらったような具合いで行けそうだ。

唐時代 地図山南 東・西道50蜀中転々圖

(訳注)#2

驅豎子摘蒼耳

(下僕たちみんなで薬草の蒼耳という草を摘ませたことを詠んだもの)

豎子 1 子供。童子。2 年若い者や未熟な者をさげすんでいう語。若造。青二才。

蒼耳 キク科のオナモミ。この成熟果実を乾燥したもの。 解熱、発汗、鎮痙薬として頭痛、鼻炎、リュウマチ、四肢痙攣などに応用する。 搾った油は疥癬、皮膚掻痒に外用する。煎剤を内服するという方法もある。

 

侵星驅之去,爛熳任遠適。

それで、私は、朝星が空に在る夜明けから、この畦作人を追い立ててこの薬草を遠くまでだろうがあるところならどこへでも行って摘んでくるように言い聞かせた。

侵星 朝星が空に在る夜明けから。あさはやく。

爛熳 追い立てることで飛んでゆくさま。

 

放筐亭午際,洗剝相蒙冪。

それでももう、正午ごろには担いでいた籠を背中から放して、摘んできた蒼耳を洗ったり、剥いだりして積み重ねているのである。

放筐 担いでいた籠を背中から放して摘み取った蒼耳を洗い場に放つこと。

洗剝 土を洗い落とし、毛を取るのに剥離させる。

相蒙冪 布をかけて蔽い隠し、またのの上に積み重ねる。

 

登床半生熟,下箸還小益。

そうして食膳に生の物と、煮た物とを登らせて、箸を付けて少し食べてみると少し体のためにいいように思えるのである。

登床 食卓に上る。

半生熟 生の物と、煮た物とを用意する。

下箸 箸を降ろす。食べ始めること。

還小益 体のためにいいように思える。

 

加點瓜薤間,依稀橘奴跡。

瓜とラッキョウを食べるあいだに時に少し加えてみると、呉の丹陽太守李衡の故事に云う美味しい蜜柑をあしらったような具合いで行けそうだ。

加點 少し載せて一緒に食べる。

瓜薤間 瓜とラッキョウを食べるあいだに。

依稀 微かに似たようである。

橘奴跡 みかんのような味になる。橘奴は呉の丹陽太守李衡の故事にもとずく。荊州記にこの太守が龍陽泛州に柑橘を千株植えた。死に臨んでその子に云った。「吾州裏の千頭の木奴は歳ごとに絹千匹を得べし。」とある。
杜甫55歳756年作品 

766年大暦元年55歲-37-#1奉節-20-#1 《巻19-20 驅豎子摘蒼耳 -#1》 杜甫index-15 杜甫<892-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5455

杜甫 奉節-20-1 《巻19-20 驅豎子摘蒼耳 -1「ただ、この炎熱でも蓬や、わら草は焦げることはありません、野生に生えている菜茄は泉石をかぶさるように鬱蒼と生えている。その中に卷耳があり、風痹のやまいを治してくれると言いますから、童兒達に暫く経って摘ませましょう。」と。

 

 
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766年大暦元年55-37-1奉節-20-1 《巻19-20 驅豎子摘蒼耳 -1 杜甫index-15 杜甫<892-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5455
杜甫詩
1500-892-1-1262/2500766年大暦元年55-37-1

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    驅豎子摘蒼耳【案:即卷耳。】

交遊人物:交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

 

驅豎子摘蒼耳

(下僕たちみんなで薬草の蒼耳という草を摘ませたことを詠んだもの)

江上秋已分,林中瘴猶劇。

ここ長江のほとりでは秋分を過ぎた季節感は感じられるが、南の地であることで林の中ではいまだに瘴気ガスが激しい。

畦丁告勞苦,無以供日夕。

畦を作る下作人が言うには、「この頃の仕事は難儀して働いていて、とても毎日の夕べのおかずをお供えをすることができないのです。」と。

蓬莠獨不焦,野蔬暗泉石。

つづいて、「ただ、この炎熱でも蓬や、わら草は焦げることはありません、野生に生えている菜茄は泉石をかぶさるように鬱蒼と生えている。」

卷耳況療風,童兒且時摘。

「その中に卷耳があり、風痹のやまいを治してくれると言いますから、童兒達に暫く経って摘ませましょう。」と。

 

侵星驅之去,爛熳任遠適。

放筐亭午際,洗剝相蒙冪。

登床半生熟,下箸還小益。

加點瓜薤間,依稀橘奴跡。

 

亂世誅求急,黎民糠窄。

飽食復何心,荒哉膏粱客。

富家廚肉臭,戰地骸骨白。

寄語惡少年,黃金且休擲。

 

(豎子【じゅし】を驅りて蒼耳を摘む)

江上 秋 已に分り,林中 瘴 猶お劇す。

畦丁 勞苦を告げ,以って日夕に供すべき無し。

蓬莠【ほうゆう】獨り焦げず,野蔬 泉石に暗し。

卷耳 況んや風を療さんや,童兒 且つ時に摘まむと。

 

星を侵して之を驅り去らしむ,爛熳 遠く適くに任す。

筐を放つ亭午の際,洗剝して相い蒙冪【もうべき】す。

床に登らせるは半ば生熟なり,箸を下せば還た小益あり。

瓜薤の間に加點して,依稀たり橘奴の跡に。

 

亂世 誅求 急なり,黎民 糠【こうけつ】窄し。

飽食する復た何の心ぞ,荒なる哉 膏粱【こうりょう】の客。

富家 廚肉 臭く,戰地 骸骨 白し。

語を寄す 惡少年,黃金 且つ擲【なげう】つことを休めよ。

 

詩文(含異文)     江上秋已分,林中瘴猶劇【村中瘴猶劇】。畦丁告勞苦,無以供日夕。蓬莠獨不焦【蓬莠猶不焦】,野蔬暗泉石。卷耳況療風,童兒且時摘【童僕先時摘】。侵星驅之去,爛熳任遠適。放筐亭午際【放筐當午際】,洗剝相蒙冪。登床半生熟,下箸還小益。加點瓜薤間,依稀橘奴跡【依稀木奴跡】。亂世誅求急,黎民糠窄。飽食復何心,荒哉膏粱客。富家廚肉臭,戰地骸骨白。寄語惡少年,黃金且休擲。

夔州東川卜居図詳細 001 

 

『驅豎子摘蒼耳』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

驅豎子摘蒼耳

江上秋已分,林中瘴猶劇。

畦丁告勞苦,無以供日夕。

蓬莠獨不焦,野蔬暗泉石。

卷耳況療風,童兒且時摘。


(下し文)

(豎子【じゅし】を驅りて蒼耳を摘む)

江上 秋 已に分り,林中 瘴 猶お劇す。

畦丁 勞苦を告げ,以って日夕に供すべき無し。

蓬莠【ほうゆう】獨り焦げず,野蔬 泉石に暗し。

卷耳 況んや風を療さんや,童兒 且つ時に摘まむと。



(現代語訳)
(下僕たちみんなで薬草の蒼耳という草を摘ませたことを詠んだもの)

ここ長江のほとりでは秋分を過ぎた季節感は感じられるが、南の地であることで林の中ではいまだに瘴気ガスが激しい。

畦を作る下作人が言うには、「この頃の仕事は難儀して働いていて、とても毎日の夕べのおかずをお供えをすることができないのです。」と。

つづいて、「ただ、この炎熱でも蓬や、わら草は焦げることはありません、野生に生えている菜茄は泉石をかぶさるように鬱蒼と生えている。」

「その中に卷耳があり、風痹のやまいを治してくれると言いますから、童兒達に暫く経って摘ませましょう。」と。

唐時代 地図山南 東・西道50
(訳注)

驅豎子摘蒼耳

(下僕たちみんなで薬草の蒼耳という草を摘ませたことを詠んだもの)

豎子 1 子供。童子。2 年若い者や未熟な者をさげすんでいう語。若造。青二才。

蒼耳 キク科のオナモミ。この成熟果実を乾燥したもの。 解熱、発汗、鎮痙薬として頭痛、鼻炎、リュウマチ、四肢痙攣などに応用する。 搾った油は疥癬、皮膚掻痒に外用する。煎剤を内服するという方法もある。

 

夔州に来て下僕たちを上手く使っていろんな作業を行うようになってきた。雲安までの五十数年間杜甫も詩に下僕たちの名前や杜甫の心使いなどが出る事は無かったが、詩に出てくる下僕たちの名前をあげると次のとおりである。

名前が出ず《1505_引水》「雲安沽水奴僕悲」雲安水を沽()いて 奴僕悲しむも

阿段:《1506_示獠奴阿段》(獠奴の阿段に示す。)

信行:《1529_信行遠修水筒》(信行が遠く水筒を修む。)

1902_豎至子》(豎子(ジュシ)至る)

1905園官送菜_》(園官が菜を送る)

課隸人伯夷・辛秀・信行等、 隷人(レイジン)の伯夷・辛秀・信行:《1907_課伐木》(伐木を課す)

遣女奴阿稽豎子阿段:《1915_秋行官張望督促東渚耗稻向畢清晨遣女奴阿稽豎子阿段往問》

獠奴、豎子、爾、小子、小奴・奴人(《1816_縛雞行》)

童児(《1919_驅豎子摘蒼耳》)、小豎など。

信行に対しては僕夫、汝、子、行など。

伯夷・辛秀・信行らに対して隷人、僮僕、人、爾曹。

阿稽に対しては女奴。阿段とともに併称して、婢僕。その他にも奴、童、童児などがある。

1816_縛鶏行》

1915_秋行官張望、督促東渚耗稲、向畢。清晨遣女奴阿稽豎子阿段往問》(秋に行官の張望、東渚の耗稲を督促し、畢るに向(なんなん)とす。清晨に女奴の阿稽と豎子の阿段を遣わして往きて問わしむ)

2031_暫往白帝復還東屯》・《2023_又呈呉郎》

 

江上秋已分,林中瘴猶劇。

ここ長江のほとりでは秋分を過ぎた季節感は感じられるが、南の地であることで林の中ではいまだに瘴気ガスが激しい。

秋已分 秋分の節になったこと。秋分(しゅうぶん)は、二十四節気の第16。昼と夜の長さがほぼ等しくなる(後述の理由により厳密には昼の方が若干長い)。八月中(旧暦8月内)。

瘴猶劇 いまだに瘴気ガスが激しいということ。

 

畦丁告勞苦,無以供日夕。

畦を作る下作人が言うには、「この頃の仕事は難儀して働いていて、とても毎日の夕べのおかずをお供えをすることができないのです。」と。

供日夕 毎日の夕べのおかずをお供えをする。

 

蓬莠獨不焦,野蔬暗泉石。

つづいて、「ただ、この炎熱でも蓬や、わら草は焦げることはありません、野生に生えている菜茄は泉石をかぶさるように鬱蒼と生えている。」

蓬莠 蓬や、わら草。

野蔬 野生に生えている菜茄(薬草)。

暗泉石 泉石をかぶさるように鬱蒼と生えている

 

卷耳況療風,童兒且時摘。

「その中に卷耳があり、風痹のやまいを治してくれると言いますから、童兒達に暫く経って摘ませましょう。」と。

卷耳 ネズミの耳。またの名は猫の耳。はこべの類。寒痛・風濕・周痹・四肢の関節痛を療す。《詩經·國風·周南·卷耳》「采采卷耳,不盈頃筐。 嗟我懷人,寘彼周行。」

療風 風痹のやまい。

童兒 この詩題の「豎子」のこと。

766年大暦元年55歲-29-#2奉節-19 《巻15-42 信行遠修水筒 -#2》 杜甫index-15 杜甫<891-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5450

杜甫 奉節-19 《巻15-42 信行遠修水筒 -#2泉の水を引いてくる樋がまた壊れてしまった。今度は使用人の信行に修理してもらった。暑い夏、彼は往復二十キロの危険な山道をものともせず、みごと樋をなおして帰ってきた。杜甫は彼のまじめな働きぶりに感激して次の詩を作った。

 

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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169 -#3(改訂版) 《巻06-12 梁園吟 -#3》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <169 -#3> Ⅰ李白詩1380 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5448 
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-29-#2奉節-19 《巻15-42 信行遠修水筒 -#2》 杜甫index-15 杜甫<891-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5450 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor『花間集』全詩訳注解説(改訂)-1溫庭筠51《巻2-01 清平樂二首》溫庭筠66首巻二1-〈51〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5452 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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杜甫詩1500-891-#2-1261/2500766年大暦元年55
-29-2

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    信行遠修水筒【自注:引水筒。】

作地點:夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

1505_引水》の詩では、雲安時代の「奴僕」にはまだ個人性が賦与されていなかったが、夔州時代の使用人にはもう飛躍的に杜甫自身の個人的な親密さが表明されている。こういった最下層の人を特定して詩に取り上げるというのは、当時にあっては異例のことであった。

 

 

奉節-19 《巻15-42 信行遠修水筒 -#1》 杜甫

泉の水を引いてくる樋がまた壊れてしまった。今度は使用人の信行に修理してもらった。暑い夏、彼は往復二十キロの危険な山道をものともせず、みごと樋をなおして帰ってきた。杜甫は彼のまじめな働きぶりに感激して次の詩を作った。

 

1529_信行遠修水筒

(杜甫の家の下僕に信行というものがいて、勤勉実直な性格で、10km以上もある高所から引水をしていた竹筒の樋を修理してくれた功績を称えるために作られている)

汝性不茹葷、清淨僕夫内。

おまえはもちまえの性格でくさい野菜、なまぐさものを食べず我慢が出来る、使用人たちのなかでは清浄な男に属する。

秉心識本源、於事少凝滯。

心の持ちようは事柄の本質をわきまえ、何事においてもぐずぐずすることがない敏活にこなすものである。

雲端水筒坼、林表山石碎。

この度、林の上の山の斜面で土石が崩れ落ち、高い山の雲のたなびくあたりで水を引いてくる竹筒が裂けて、口を開けてしまった。

觸熱藉子修、通流與廚會。

暑さのきびしい最中をお前の手をかりて修理することができて、竹筒の流れを台所まで通じさせてくれた。

往來四十里、荒險崖谷大。

お前は往復すること40里(23km)の道のりがあり、その道は険難で高い崖や深い谷があるところだった。

信行が遠く水筒を修む)

汝は性として 葷【クン】なるものを茹【くら】わず、僕夫の内にては清浄たり。

心を秉【と】ることは 本源を識り、事に於いて 凝【こ】り滞【とどこお】ること少なし。

雲端に水の筒の坼【さ】け、林表に山石の砕かる。

熱に触れ 子【なんじ】に藉【よ】りて修めしめ、なんじは流れを通して 厨【くりや】と会せしむ。

往来すること四十里、荒れて険【けわ】しく 崖のごとき谷は大なり。

 

日曛驚未餐、貌赤愧相對。

もう日暮れ時だというのに、まだお前が食事をしていないのに私はびっくりした。一日で赤くなったお前の顔、そんなお前に向かい合うのがこの私は申し訳ない。

浮瓜供老病、裂餅嘗所愛。

瓜を浮かべているのは私の老病の薬にするものだったが、それをお前にあげよう。また私の大好きな餅を分けてお前に食べさせよう

於斯答恭謹、足以殊殿最。

こうやってお前の恭謹なる働きぶりにこたえることにしよう。こうやってこそお前の功績を特別なものとして顕彰することになるのだ

詎要方士符、何假將軍佩。

お前がいれば、方術で大雨を降らせたという方士のまじない札も必要無いし、地面を突き刺して泉を噴出させたという将軍の刀もいらない

行諸直如筆、用意崎嶇外。

信行よ。お前の真正直さときたらほんとうに筆のようにまっすぐだ。そしてお前の心の用い方はねじけた俗世間の埒外にあるのだ。

日は曛【くら】くして なんじの未だ餐せざるに われは驚く、なんじが貌【かお】は赤くして 相い対するをわれは愧【は】ず。

瓜を浮かぶるは わが老病に供するがためなり、餅を裂きて わが愛する所(もの)を なんじに嘗めしむ。

斯【ここ】に於いて なんじが恭謹なるに答え、以て殿【しんがり】と最【かしら】とを殊にするに足らん。

詎【なん】ぞ方士の符を要せんや、何ぞ将軍の佩を假【か】らんや。

行や 直なること筆の如し、意を崎嶇の外に用う。

 

夔州東川卜居図詳細 001 

『信行遠修水筒』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

日曛驚未餐、貌赤愧相對。

浮瓜供老病、裂餅嘗所愛。

於斯答恭謹、足以殊殿最。

詎要方士符、何假將軍佩。

行諸直如筆、用意崎嶇外。


(下し文)
日は曛【くら】くして なんじの未だ餐せざるに われは驚く、なんじが貌【かお】は赤くして 相い対するをわれは愧【は】ず。

瓜を浮かぶるは わが老病に供するがためなり、餅を裂きて わが愛する所(もの)を なんじに嘗めしむ。

斯【ここ】に於いて なんじが恭謹なるに答え、以て殿【しんがり】と最【かしら】とを殊にするに足らん。

詎【なん】ぞ方士の符を要せんや、何ぞ将軍の佩を假【か】らんや。

行や 直なること筆の如し、意を崎嶇の外に用う。

(現代語訳)
もう日暮れ時だというのに、まだお前が食事をしていないのに私はびっくりした。一日で赤くなったお前の顔、そんなお前に向かい合うのがこの私は申し訳ない。

瓜を浮かべているのは私の老病の薬にするものだったが、それをお前にあげよう。また私の大好きな餅を分けてお前に食べさせよう

こうやってお前の恭謹なる働きぶりにこたえることにしよう。こうやってこそお前の功績を特別なものとして顕彰することになるのだ

お前がいれば、方術で大雨を降らせたという方士のまじない札も必要無いし、地面を突き刺して泉を噴出させたという将軍の刀もいらない

信行よ。お前の真正直さときたらほんとうに筆のようにまっすぐだ。そしてお前の心の用い方はねじけた俗世間の埒外にあるのだ。



(訳注)

日曛驚未餐、貌赤愧相對。

日は曛【くら】くして なんじの未だ餐せざるに われは驚く、なんじが貌【かお】は赤くして 相い対するをわれは愧【は】ず。

もう日暮れ時だというのに、まだお前が食事をしていないのに私はびっくりした。一日で赤くなったお前の顔、そんなお前に向かい合うのがこの私は申し訳ない。

驚未餐 食事もとらずに作業をしていたことの驚く。

貌赤 日中の作業で一日で日焼けして真っ赤になったのを見る。

 

浮瓜供老病、裂餅嘗所愛。

瓜を浮かぶるは わが老病に供するがためなり、餅を裂きて わが愛する所(もの)を なんじに嘗めしむ。

瓜を浮かべているのは私の老病の薬にするものだったが、それをお前にあげよう。また私の大好きな餅を分けてお前に食べさせよう

浮瓜 瓜を水に泛べて冷たくする。

老病 年老いてその上持病を持っている杜甫のこと。

裂餅 大きな餅を裂いてわけること。

所愛 杜甫が信行を可愛く思うこと。

 

於斯答恭謹、足以殊殿最。

斯【ここ】に於いて なんじが恭謹なるに答え、以て殿【しんがり】と最【かしら】とを殊にするに足らん。

こうやってお前の恭謹なる働きぶりにこたえることにしよう。こうやってこそお前の功績を特別なものとして顕彰することになるのだ

於斯 信行の恭順な態度に対してこたえること。

恭謹 尊敬で満ちている、または、尊敬を示す。うやうやしい態度。

殊殿最 信行のやってくれたことに対して最大の誉め方をする。朝廷内の官吏の評価に使われる語。上功を最、下功を殿という。

 

詎要方士符、何假將軍佩。

詎【なん】ぞ方士の符を要せんや、何ぞ将軍の佩を假【か】らんや。

お前がいれば、方術で大雨を降らせたという方士のまじない札も必要無いし、地面を突き刺して泉を噴出させたという将軍の刀もいらない

詎 なんぞ。

方士符 雨乞いの術使いの占い札。

將軍佩 漢の弐師将軍である李廣利が佩び刀を抜いて山を指したら、泉がわき出したという故事にもとずく。

 

行諸直如筆、用意崎嶇外。

行や 直なること筆の如し、意を崎嶇の外に用う。

信行よ。お前の真正直さときたらほんとうに筆のようにまっすぐだ。そしてお前の心の用い方はねじけた俗世間の埒外にあるのだ。

行諸 信行を呼びかける語。

崎嶇 山路の凸凹のさま。崎嶇外:ねじけた俗世間の埒外にあるということ。
杜甫55歳756年作品 

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杜甫 奉節-19 《巻15-42 信行遠修水筒 -#1(杜甫の家の下僕に信行というものがいて、勤勉実直な性格で、10km以上もある高所から引水をしていた竹筒の樋を修理してくれた功績を称えるために作られている)

 

 
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年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    信行遠修水筒【自注:引水筒。】

作地點:夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

1505_引水》の詩では、雲安時代の「奴僕」にはまだ個人性が賦与されていなかったが、夔州時代の使用人にはもう飛躍的に杜甫自身の個人的な親密さが表明されている。こういった最下層の人を特定して詩に取り上げるというのは、当時にあっては異例のことであった。

 

 

奉節-19 《巻15-42 信行遠修水筒 -#1》 杜甫

泉の水を引いてくる樋がまた壊れてしまった。今度は使用人の信行に修理してもらった。暑い夏、彼は往復二十キロの危険な山道をものともせず、みごと樋をなおして帰ってきた。杜甫は彼のまじめな働きぶりに感激して次の詩を作った。

 

1529_信行遠修水筒

(杜甫の家の下僕に信行というものがいて、勤勉実直な性格で、10km以上もある高所から引水をしていた竹筒の樋を修理してくれた功績を称えるために作られている)

汝性不茹葷、清淨僕夫内。

おまえはもちまえの性格でくさい野菜、なまぐさものを食べず我慢が出来る、使用人たちのなかでは清浄な男に属する。

秉心識本源、於事少凝滯。

心の持ちようは事柄の本質をわきまえ、何事においてもぐずぐずすることがない敏活にこなすものである。

雲端水筒坼、林表山石碎。

この度、林の上の山の斜面で土石が崩れ落ち、高い山の雲のたなびくあたりで水を引いてくる竹筒が裂けて、口を開けてしまった。

觸熱藉子修、通流與廚會。

暑さのきびしい最中をお前の手をかりて修理することができて、竹筒の流れを台所まで通じさせてくれた。

往來四十里、荒險崖谷大。

お前は往復すること40里(23km)の道のりがあり、その道は険難で高い崖や深い谷があるところだった。

信行が遠く水筒を修む)

汝は性として 葷【クン】なるものを茹【くら】わず、僕夫の内にては清浄たり。

心を秉【と】ることは 本源を識り、事に於いて 凝【こ】り滞【とどこお】ること少なし。

雲端に水の筒の坼【さ】け、林表に山石の砕かる。

熱に触れ 子【なんじ】に藉【よ】りて修めしめ、なんじは流れを通して 厨【くりや】と会せしむ。

往来すること四十里、荒れて険【けわ】しく 崖のごとき谷は大なり。

 

日曛驚未餐、貌赤愧相對。

浮瓜供老病、裂餅嘗所愛。

於斯答恭謹、足以殊殿最。

詎要方士符、何假將軍佩。

行諸直如筆、用意崎嶇外。

日は曛【くら】くして なんじの未だ餐せざるに われは驚く、なんじが貌【かお】は赤くして 相い対するをわれは愧【は】ず。

瓜を浮かぶるは わが老病に供するがためなり、餅を裂きて わが愛する所(もの)を なんじに嘗めしむ。

斯【ここ】に於いて なんじが恭謹なるに答え、以て殿【しんがり】と最【かしら】とを殊にするに足らん。

詎【なん】ぞ方士の符を要せんや、何ぞ将軍の佩を假【か】らんや。

行や 直なること筆の如し、意を崎嶇の外に用う。

 

 

『信行遠修水筒』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

信行遠修水筒

汝性不茹葷、清淨僕夫内。

秉心識本源、於事少凝滯。

雲端水筒坼、林表山石碎。

觸熱藉子修、通流與廚會。

往來四十里、荒險崖谷大。


(下し文)
(信行が遠く水筒を修む)

汝は性として 葷【クン】なるものを茹【くら】わず、僕夫の内にては清浄たり。

心を秉【と】ることは 本源を識り、事に於いて 凝【こ】り滞【とどこお】ること少なし。

雲端に水の筒の坼【さ】け、林表に山石の砕かる。

熱に触れ 子【なんじ】に藉【よ】りて修めしめ、なんじは流れを通して 厨【くりや】と会せしむ。

往来すること四十里、荒れて険【けわ】しく 崖のごとき谷は大なり。

(現代語訳)
(杜甫の家の下僕に信行というものがいて、勤勉実直な性格で、10km以上もある高所から引水をしていた竹筒の樋を修理してくれた功績を称えるために作られている)

おまえはもちまえの性格でくさい野菜、なまぐさものを食べず我慢が出来る、使用人たちのなかでは清浄な男に属する。

心の持ちようは事柄の本質をわきまえ、何事においてもぐずぐずすることがない敏活にこなすものである。

この度、林の上の山の斜面で土石が崩れ落ち、高い山の雲のたなびくあたりで水を引いてくる竹筒が裂けて、口を開けてしまった。

暑さのきびしい最中をお前の手をかりて修理することができて、竹筒の流れを台所まで通じさせてくれた。

お前は往復すること40里(23km)の道のりがあり、その道は険難で高い崖や深い谷があるところだった。



(訳注)

信行遠修水筒

信行が遠く水筒を修む)

(杜甫の家の下僕に信行というものがいて、勤勉実直な性格で、10km以上もある高所から引水をしていた竹筒の樋を修理してくれた功績を称えるために作られている)

詩題に言う信行という人物は、後に紹介する《1907_課伐木》の詩でも、「隷人の伯夷・辛秀・信行等に課して、谷に入り陰木を斬らしむ」というように、杜甫の使用人の一人である。

 この詩は直接には、信行が樋を修理してくれた功績を称えるために作られているのだが、詩の内容はそれだけにとどまらず、彼の人となりや人品の賞賛にまで及んでいる。冒頭の三、四句目の「心を秉るに本源を識り、事に於いて凝滞すること少なし」では、ことがらの核心をつかんで機敏に実行する人となりを称え、末尾の「行や直なること筆の如し、意を崎嶇の外に用う」では、その真っ正直な人柄をほめている。これは使用人にすぎない信行という人物を、その人柄にまでわたってよく観察していると言える。

夔州到着後に作った《1505_水を引く》の詩で、杜甫はそのことを次のように詠じている。

引水

月峽瞿塘雲作頂,亂石崢嶸俗無井。

雲安酤水奴僕悲,魚復移居心力省。

白帝城西萬竹蟠,接筒引水喉不乾。

人生留滯生理難,斗水何直百憂寬。

 (引水)

月峽 瞿塘 雲頂と作し,亂石 崢嶸【そうおう】俗 井無し。

雲安 水を酤うて奴僕悲しむ,魚復 居移して心力省く。

白帝城 西萬竹 蟠【わだかま】る,筒を接し水を引きて喉を乾かず。

人生 留滯 生理難し,斗水 何ぞ直【あた】らん百憂の寬なるに。

《1505_引水》

この詩の三句目に出てくる雲安の奴僕は、杜甫がまだ雲安に滞在していたとき、(それは結局は重い病のために実質八、九ヶ月に及ぶ長逗留となったのだが)、現地で雇った杜甫の使用人と思われる。

766年大暦元年55-9 《引水》 杜甫index-15 杜甫<872 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5170 杜甫詩1500-872-1205/2500766年大暦元年55-9

また感謝のしるしに大事な食べ物を与えるというところが、杜甫らしい感謝の仕方でおもしろい。杜甫はよく食べ物を詩に描き込む。老病を癒すに必要な瓜を分け与えると言うからには、幾分かの自己犠牲の痛みも伴っていたろう。仇兆鰲が明末清初の申涵光の「(杜甫が)下情を体恤すること是の如し、真に仁者の用心なり」(『説杜』)という解釈を引いているが、仇兆鰲も申涵光もこうした慈しみあふれる情の厚さを、杜甫の詩に感じ取っているのであろう。

 この詩で注目されるのは、社会の底辺層にいる使用人の名前を詩題に掲げていることである。そのことだけでも杜甫が最初の例であろうと思われるのだが、さらにこの詩は全てがそんな人間への賞賛でできている。もっぱら使用人のために詩を書き、使用人の人格にまで立ち入ってその人物の人となりを絶賛するなどというのは、きわめて希なことだった。

 

汝性不茹葷、清淨僕夫内。

汝は性として 葷【クン】なるものを茹【くら】わず、僕夫の内にては清浄たり。

おまえはもちまえの性格でくさい野菜、なまぐさものを食べず我慢が出来る、使用人たちのなかでは清浄な男に属する。

茹葷 茹は食らうこと、葷はくさい野菜、なまぐさもの。普段は嫌がっても、空腹を我慢できずに食べるほどの野菜という意味。

 

秉心識本源、於事少凝滯。

心を秉【と】ることは 本源を識り、事に於いて 凝【こ】り滞【とどこお】ること少なし。

心の持ちようは事柄の本質をわきまえ、何事においてもぐずぐずすることがない敏活にこなすものである。

秉心 秉は燭を照らすために用意することで、心の持ち方がしっかりしていることをいう。

凝滯 居座ること。ぐずぐずすることがない敏活にこなすこと。

 

雲端水筒坼、林表山石碎。

雲端に水の筒の坼【さ】け、林表に山石の砕かる。

この度、林の上の山の斜面で土石が崩れ落ち、高い山の雲のたなびくあたりで水を引いてくる竹筒が裂けて、口を開けてしまった。

水筒坼 水を通す竹筒が裂けて、口を開けてしまった

 

觸熱藉子修、通流與廚會。

熱に触れ 子【なんじ】に藉【よ】りて修めしめ、なんじは流れを通して 厨【くりや】と会せしむ。

暑さのきびしい最中をお前の手をかりて修理することができて、竹筒の流れを台所まで通じさせてくれた。

觸熱 暑さに触れること。

藉子修 「子に藉【よ】りて修めしめ」子は信行のこと。

與廚會 竹筒の流れを台所まで通じさせてくれた。

 

往來四十里、荒險崖谷大。

往来すること四十里、荒れて険【けわ】しく 崖のごとき谷は大なり。

お前は往復すること40里(23km)の道のりがあり、その道は険難で高い崖や深い谷があるところだった。

四十里 一里は576mであるから、23.04km。

766年大暦元年55歲-28-#2奉節-18 《巻18-15 西閣曝日 -#2》 杜甫index-15 杜甫<890-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5440

杜甫 奉節-18 《巻18-15 西閣曝日 -#2少し離れた梢に零落れたような格好の猿がいるし、山の頂には鶴が舞うように飛んでいるが、本来集団で行動するかれらが孤独でいること、これらの境遇はきっと自分の境遇似ているようにおもう。

 

 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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766年大暦元年55-28-#2奉節-18 《巻18-15 西閣曝日 -#2》 杜甫index-15 杜甫<890-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5440

 

杜甫詩1500-890-#2-1259/2500766年大暦元年55-28-#2

 

年:西閣曝日

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    西閣曝日

及地點:西閣 (山南東道 夔州 奉節)              

 

 

《巻15-64 西閣曝日 -#1

西閣曝日

(西閣で日向ぼっこして、そこの風景を述べ、思うところを述べたもの。)

凜冽倦玄冬,負暄嗜飛閣。

寒さつめたさの厳しい冬の日は飽きる。暖かい日光を背負える高い西閣の一日をたしなむ。

羲和流德澤,顓頊愧倚薄。

日輪の馭者が折角日光と暖かさを運んでくれるという恩沢に、古代王顓頊は日向ぼっこに寄り付くことを愧じて近寄らなかったという。

毛髮具自和,肌膚潛沃若。

しかしゆっくりと日を浴びると、寒さで乾燥した毛髪は、自然と全てなごやかになるし、かさかさだった肌膚も知らぬ間に瑞々しくなる。

太陽信深仁,衰氣欻有託。

太陽は誠に情け深いもので、自分の老衰した気もこうした日向ぼっこに委託することによって若返って様に思える。

攲傾煩注眼,容易收病

身体を前かがみにして前方を注視してみるのは少し骨が折れるけれど、体が温まるにつれ、足が病気であることもなおしてくれたようで容易に動くようになる。

#2

流離木杪猿,翩躚山顛鶴。

少し離れた梢に零落れたような格好の猿がいるし、山の頂には鶴が舞うように飛んでいるが、本来集団で行動するかれらが孤独でいること、これらの境遇はきっと自分の境遇似ているようにおもう。

朋知苦聚散,哀樂日已作。

というのも、哀しいことと、楽しいことは日々起こり続けているけれど、朋友知己の者は集散が当たり前のことで、そのことをどれだけ辛苦に思ったことか。

即事會賦詩,人生忽如昨。

目にしたこと、思い浮かんだことをすぐさま詩賦にして見る事は心得ているが、思えば、人生百年、忽ちの内に過ぎ去えい、それらが昨日の出来事の様におもえるのである。

古來遭喪亂,賢聖盡蕭索。

むかしから、戦争、喪乱に遭遇すると、どんな賢人、聖人であろうと誰もがさびしい生活を送るというものだから、それが自分だけでないことは分かっている。胡為將暮年,憂世心力弱。

しかし、人生くれかかっているこの時をどうすればよいのであろうか、、歳も取って心も、気弱になっている今の自分を考えれば、もう、浮世の世事を愁いていきていくしかないのだろうか。

 

(西閣にて日に曝さる)

凜冽 玄冬に倦み,負暄 飛閣を嗜【たし】む。

羲和 德澤を流し,顓頊【せんぎょく】倚薄を愧ず。

毛髮 具【つぶさ】に自ら和し,肌膚 潛かに沃若たり。

太陽 信に深仁なり,衰氣 欻【たちま】ち託する有り。

攲傾【きけい】注眼を煩すも,容易に病

#2

流離たり木杪の猿,翩躚【へんせん】たり山顛の鶴。

朋知 聚散に苦しみ,哀樂 日びに已に作【おこ】る。

即事 賦詩をするを會し,人生 忽ち昨の如し。

古來 喪亂に遭えば,賢聖も盡く蕭索たり。

胡為【なんす】れぞ暮年を將って,心力の弱きに憂世するや。

夔州東川卜居図詳細 001 

 

『西閣曝日』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2

流離木杪猿,翩躚山顛鶴。

用知苦聚散,哀樂日已作。

即事會賦詩,人生忽如昨。

古來遭喪亂,賢聖盡蕭索。

胡為將暮年,憂世心力弱。


(下し文) #2

流離たり木杪の猿,翩【へんせん】たり山顛の鶴。

朋知 聚散に苦しみ,哀樂 日びに已に作【おこ】る。

即事 賦詩をするを會し,人生 忽ち昨の如し。

古來 喪亂に遭えば,賢聖も盡く蕭索たり。

胡為【なんす】れぞ暮年を將って,心力の弱きに憂世するや。

(現代語訳)
少し離れた梢に零落れたような格好の猿がいるし、山の頂には鶴が舞うように飛んでいるが、本来集団で行動するかれらが孤独でいること、これらの境遇はきっと自分の境遇似ているようにおもう。

というのも、哀しいことと、楽しいことは日々起こり続けているけれど、朋友知己の者は集散が当たり前のことで、そのことをどれだけ辛苦に思ったことか。

目にしたこと、思い浮かんだことをすぐさま詩賦にして見る事は心得ているが、思えば、人生百年、忽ちの内に過ぎ去えい、それらが昨日の出来事の様におもえるのである。

むかしから、戦争、喪乱に遭遇すると、どんな賢人、聖人であろうと誰もがさびしい生活を送るというものだから、それが自分だけでないことは分かっている。

しかし、人生くれかかっているこの時をどうすればよいのであろうか、、歳も取って心も、気弱になっている今の自分を考えれば、もう、浮世の世事を愁いていきていくしかないのだろうか。

瞿塘峡001
(訳注)#2

 

流離木杪猿,翩躚山顛鶴。

少し離れた梢に零落れたような格好の猿がいるし、山の頂には鶴が舞うように飛んでいるが、本来集団で行動するかれらが孤独でいること、これらの境遇はきっと自分の境遇似ているようにおもう。

流離 零落れたような格好であること。

 

用知苦聚散,哀樂日已作。

というのも、哀しいことと、楽しいことは日々起こり続けているけれど、朋友知己の者は集散が当たり前のことで、そのことをどれだけ辛苦に思ったことか。

苦聚散 左拾遺として房琯擁護事件をおこしたことにより、李文嶷を含め多くの儒学者グループの者がすべて散りじりに左遷された。この二句は前二句の「猿と鶴」は本来集団で行動するものであるが、それぞれここでは孤独にしている。それが今の自分のようであるということを受けてのべている。この二句は倒句として読む。

この四句の意味と、この時期に同時に詠まれた以下の詩の内容を参考にすれば、この時の杜甫は、七年前に「左遷され、その後官を辞し」て、漂浪の旅をする無念さを理解することができる。

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即事會賦詩,人生忽如昨。

目にしたこと、思い浮かんだことをすぐさま詩賦にして見る事は心得ているが、思えば、人生百年、忽ちの内に過ぎ去えい、それらが昨日の出来事の様におもえるのである。

即事會賦詩 杜甫の「即事」の詩賦のほとんどは、「官を辞した」後の無念を述べている。

 

古來遭喪亂,賢聖盡蕭索。

むかしから、戦争、喪乱に遭遇すると、どんな賢人、聖人であろうと誰もがさびしい生活を送るというものだから、それが自分だけでないことは分かっている。

 

胡為將暮年,憂世心力弱。

しかし、人生くれかかっているこの時をどうすればよいのであろうか、、歳も取って心も、気弱になっている今の自分を考えれば、もう、浮世の世事を愁いていきていくしかないのだろうか。

 

杜甫55歳756年作品 

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杜甫 奉節-18 《巻18-15 西閣曝日 -#1身体を前かがみにして前方を注視してみるのは少し骨が折れるけれど、体が温まるにつれ、足が病気であることもなおしてくれたようで容易に動くようになる。

 

 
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杜甫詩1500-890-#1-1258/2500 766年大暦元年55-28-#1

年:西閣曝日

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    西閣曝日

及地點:西閣 (山南東道 夔州 奉節)              

 

 

《巻15-64 西閣曝日 -#1

西閣曝日

(西閣で日向ぼっこして、そこの風景を述べ、思うところを述べたもの。)

凜冽倦玄冬,負暄嗜飛閣。

寒さつめたさの厳しい冬の日は飽きる。暖かい日光を背負える高い西閣の一日をたしなむ。

羲和流德澤,顓頊愧倚薄。

日輪の馭者が折角日光と暖かさを運んでくれるという恩沢に、古代王顓頊は日向ぼっこに寄り付くことを愧じて近寄らなかったという。

毛髮具自和,肌膚潛沃若。

しかしゆっくりと日を浴びると、寒さで乾燥した毛髪は、自然と全てなごやかになるし、かさかさだった肌膚も知らぬ間に瑞々しくなる。

太陽信深仁,衰氣欻有託。

太陽は誠に情け深いもので、自分の老衰した気もこうした日向ぼっこに委託することによって若返って様に思える。

攲傾煩注眼,容易收病

身体を前かがみにして前方を注視してみるのは少し骨が折れるけれど、体が温まるにつれ、足が病気であることもなおしてくれたようで容易に動くようになる。

#2

流離木杪猿,翩躚山顛鶴。

朋知苦聚散,哀樂日已作。

即事會賦詩,人生忽如昨。

古來遭喪亂,賢聖盡蕭索。

胡為將暮年,憂世心力弱。

 

(西閣にて日に曝さる)

凜冽 玄冬に倦み,負暄 飛閣を嗜【たし】む。

羲和 德澤を流し,顓頊【せんぎょく】倚薄を愧ず。

毛髮 具【つぶさ】に自ら和し,肌膚 潛かに沃若たり。

太陽 信に深仁なり,衰氣 欻【たちま】ち託する有り。

攲傾【きけい】注眼を煩すも,容易に病

#2

流離たり木杪の猿,翩躚【へんせん】たり山顛の鶴。

朋知 聚散に苦しみ,哀樂 日びに已に作【おこ】る。

即事 賦詩をするを會し,人生 忽ち昨の如し。

古來 喪亂に遭えば,賢聖も盡く蕭索たり。

胡為【なんす】れぞ暮年を將って,心力の弱きに憂世するや。

 

 (含異文)

凜冽倦玄冬,負暄嗜飛閣。羲和流德澤,顓頊愧倚薄。

毛髮具自和【毛髮具自私】【毛髮且自和】【毛髮且自私】,肌膚潛沃若。太陽信深仁,衰氣欻有託。

攲傾煩注眼,容易收病。流離木杪猿【流離木梢猿】【瀏漓木杪猿】【瀏漓木梢猿】,翩躚山顛鶴。

朋知苦聚散【用知苦聚散】,哀樂日已作【哀樂日已昨】【哀樂亦已作】【哀樂亦已昨】。即事會賦詩,人生忽如昨【人生忽如錯】。古來遭喪亂,賢聖盡蕭索。胡為將暮年,憂世心力弱。

夔州東川卜居図詳細 001 

 

『西閣曝日』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

西閣曝日

凜冽倦玄冬,負暄嗜飛閣。

羲和流德澤,顓頊愧倚薄。

毛髮具自和,肌膚潛沃若。

太陽信深仁,衰氣欻有託。

攲傾煩注眼,容易收病


(下し文)
(西閣にて日に曝さる)

凜冽 玄冬に倦み,負暄 飛閣を嗜【たし】む。

羲和 德澤を流し,顓頊【せんぎょく】倚薄を愧ず。

毛髮 具【つぶさ】に自ら和し,肌膚 潛かに沃若たり。

太陽 信に深仁なり,衰氣 【たちま】ち託する有り。

攲傾【きけい】注眼を煩すも,容易に病を收む

(現代語訳)
(西閣で日向ぼっこして、そこの風景を述べ、思うところを述べたもの。)

寒さつめたさの厳しい冬の日は飽きる。暖かい日光を背負える高い西閣の一日をたしなむ。

日輪の馭者が折角日光と暖かさを運んでくれるという恩沢に、古代王顓頊は日向ぼっこに寄り付くことを愧じて近寄らなかったという。

しかしゆっくりと日を浴びると、寒さで乾燥した毛髪は、自然と全てなごやかになるし、かさかさだった肌膚も知らぬ間に瑞々しくなる。

太陽は誠に情け深いもので、自分の老衰した気もこうした日向ぼっこに委託することによって若返って様に思える。

身体を前かがみにして前方を注視してみるのは少し骨が折れるけれど、体が温まるにつれ、足が病気であることもなおしてくれたようで容易に動くようになる。



(訳注)

西閣曝日

(西閣で日向ぼっこして、そこの風景を述べ、思うところを述べたもの。)

○曝日 太陽の光を浴びて背を晒すこと。いまでいえば日光浴で背を日に晒す。

 

凜冽倦玄冬,負暄嗜飛閣。

寒さつめたさの厳しい冬の日は飽きる。暖かい日光を背負える高い西閣の一日をたしなむ。

○凜冽 冷たい時の格好、姿。

○倦玄冬 何から何まで冬の景色になること。

○負暄 暖気を背負う。

 

羲和流德澤,顓頊愧倚薄。

日輪の馭者が折角日光と暖かさを運んでくれるという恩沢に、古代王顓頊は日向ぼっこに寄り付くことを愧じて近寄らなかったという。

○羲和 日輪の馭者。地理書「山海経」に記載のある太陽の母神であり、炎帝に属し東夷人の先祖にあたる帝俊の妻。東海の海の外、甘水のほとりに義和の国があり、そこに生える世界樹・扶桑の下に住む女神である義和は、子である「十の太陽たち」を世話している。天を巡ってきてくたびれた太陽を湯谷で洗っては扶桑の枝にかけて干し、輝きを蘇らせるという。

○流德澤 恩徳の潤いを伝えられること。

○顓頊 顓頊(せんぎょく)は、史記に記される帝王で暦を作る、名は高陽、黄帝の孫。あるいは、高陽に都して高陽氏と称したと言われている。五帝の1人で、黄帝の後を継いで20歳で帝位に就いた。在位78年と言われている。顓は耑に頁、頊は王に頁。

父は、昌意、母は蜀山氏の女の昌僕である。昌意は、黄帝の子なので顓頊は黄帝の孫となる。子に窮蝉、鯀がいる。帝位を嚳に譲る。『史記 五帝本紀』帝顓頊高陽者、黄帝之孫而昌意之子也。靜淵以有謀、疏通而知事;養材以任地、載時以象天、依鬼神以制義、治氣以教化、絜誠以祭祀。北至於幽陵、南至於交址、西至於流沙、東至於蟠木。動靜之物、大小之神、日月所照、莫不砥屬。」史記五帝本紀には、「依鬼神以制義、治氣以教化、絜誠以祭祀」とあり、鬼神を信奉しており、物忌みして祭祀を執り行った帝として記される。また、「靜淵以有謀、疏通而知事」とあり、物事に通じ、物静かで奥ゆかしい人柄であるとされている。

顓頊は、民間の人々が神と関わる事を厭い、曾孫の重、黎に命じて天へ通ずる道を閉ざさせ、神と人との別を設けさせたという。『礼記 月令』「孟冬之月、其帝顓頊、其神玄冥」」冬の初めに祀られる神である。

○愧倚薄 倚り、肉薄することを愧じる。寒さの神であるからあたたくなることを必要としないという意。

 

毛髮具自和,肌膚潛沃若。

しかしゆっくりと日を浴びると、寒さで乾燥した毛髪は、自然と全てなごやかになるし、かさかさだった肌膚も知らぬ間に瑞々しくなる。

○具自和 自然と全てなごやかになる。

○沃若 木の葉がみずみずしくて若やいだ感じがすること。肌膚も知らぬ間に瑞々しくなる。

 

太陽信深仁,衰氣欻有託。

太陽は誠に情け深いもので、自分の老衰した気もこうした日向ぼっこに委託することによって若返って様に思える。

○欻有託 日向ぼっこに委託することによって若返って様に思えるという意。

 

攲傾煩注眼,容易收病

身体を前かがみにして前方を注視してみるのは少し骨が折れるけれど、体が温まるにつれ、足が病気であることもなおしてくれたようで容易に動くようになる。

○攲傾 前かがみになると腰やひざに負担がかかり、痛みが生じた。

○收病 杜甫は杖がないと足が痛くて歩くのが大変であった。日光浴で血行が良くなって「冷え」が緩和され痛みがなくなることをいう。

 

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杜甫 奉節-17 《巻15-25 奉寄李十五秘書文嶷 二首其二》(中書省の秘書官であり、宗質の末裔であり、且つははがたの遠戚にあたる李文嶷という人に褒めちぎる言葉を寄せて奉ったもの)その二

 

 
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766年大暦元年55-27奉節-17 《巻15-25 奉寄李十五秘書文嶷 二首其二》 杜甫index-15 杜甫<889> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5430

 

 

杜甫詩1500-889-1257/2500766年大暦元年55-27

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    贈李十五丈別【李祕書文嶷。】

及地點:              白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城      

巫州 (黔中道 巫州 巫州) 別名:黔陽            

交遊人物:李文嶷              書信往來(山南東道 夔州 雲安)

 

 

奉寄李十五秘書文嶷二首其一

(中書省の秘書官であり、宗質の末裔であり、且つははがたの遠戚にあたる李文嶷という人に寄せて奉ったもの)

避暑雲安縣,秋風早下來。

自分は雲安縣で暑さを避けて逗留しているあいだに、早くも秋風が吹いてくるまで長逗留をしてしまった。

暫留魚復浦,同過楚王臺。

しばらく、瀼水の長江に流れ込む魚復の浦で逗留して、そこではあなたと一緒に過ごし、そこから楚王と神女が一緒に過ごしたという陽雲臺にもいきました。

猿鳥千崖窄,江湖萬里開。

雲安というところは、猿や鳥が泣き叫び、おおくの崖に囲まれて飲料水にも事欠く狭い所でした。元気になれば三峡を下って江湖の地方に行けば万里に開かれ所であるという。

竹枝歌未好,畫舸莫遲回。

ここで聞く土着の民謡の竹枝詞もリズミカルで歯切れがよい詩歌ではあるが、下流のほうにいけば、高唐の賦に謂うようにもつとおもしろい歌が聞けるのではないだろうか、李文嶷が髙唐賦にあるように、「楚の襄王と宋玉が雲夢の臺に遊ぶ」同じようなその地に行かれたらきっと帰るのが遅くなってしまう。

 

(李十五秘書文嶷に寄せ奉る二首其の一)

暑を避く 雲安縣,秋風 早く下り來る。

暫く留まる魚復の浦,同じく過る 楚王の臺。

猿鳥 千崖窄く,江湖 萬里開く。

竹枝の歌 未だ好からず,畫舸 遲回する莫れ。

 

奉寄李十五秘書文嶷二首其二

(中書省の秘書官であり、宗質の末裔であり、且つははがたの遠戚にあたる李文嶷という人に褒めちぎる言葉を寄せて奉ったもの)その二

行李千金贈、衣冠八尺身。

貴方は使者として行かれる途中の事であっても、こうして千金の贈り物をされる。それでいて、ご自分の貌装はというと、衣冠を付けた堂々とした八尺の大男である。

飛騰知有意度不無神。

此れから要路に昇って活躍されるにはどうすればよいのか既に、計画を持っておられることであろうことは、あなたの度量の大きさがとてつもなく大きいものであるということが分かっている。

班秩兼通貴、公侯出異人。

貴方はこの官位を拝しているということの上に、宗室の末裔という貴い身分を兼ねておられ、公侯の後、実に非凡なお方が出てきたものである。

成負文彩、世業豈沉淪。

一族から高官を十数人輩出した漢の韋玄成ともいうべきあなたは既に文彩があるという名誉を負われており、御家の一族、世襲の儒学文学者の生業がどうして沈んでしまうようなことがありましょうか、全くその心配はいりません。

 

(李十五秘書文嶷に寄せ奉る二首其の二)

行李 千金の贈、衣冠八尺の身。

飛騰知る 有るを、意度 あらずんば神無し。

班秩 通貴を兼ね、公侯 異人を出だす。

玄成 文彩を負い、世業 豈に沉淪せんや。

夔州東川卜居図詳細 001 

 

『奉寄李十五秘書文嶷二首其一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

奉寄李十五秘書文嶷二首其二

行李千金贈、衣冠八尺身。

飛騰知有意度不無神。

班秩兼通貴、公侯出異人。

成負文彩、世業豈沉淪。


(下し文)
(李十五秘書文嶷に寄せ奉る二首其の二)

行李 千金の贈、衣冠八尺の身。

飛騰知る 有るを、意度 あらずんば神無し。

班秩 通貴を兼ね、公侯 異人を出だす。

玄成 文彩を負い、世業 豈に沉淪せんや。

(現代語訳)
(中書省の秘書官であり、宗質の末裔であり、且つははがたの遠戚にあたる李文嶷という人に褒めちぎる言葉を寄せて奉ったもの)その二

貴方は使者として行かれる途中の事であっても、こうして千金の贈り物をされる。それでいて、ご自分の貌装はというと、衣冠を付けた堂々とした八尺の大男である。

此れから要路に昇って活躍されるにはどうすればよいのか既に、計画を持っておられることであろうことは、あなたの度量の大きさがとてつもなく大きいものであるということが分かっている。

貴方はこの官位を拝しているということの上に、宗室の末裔という貴い身分を兼ねておられ、公侯の後、実に非凡なお方が出てきたものである。

一族から高官を十数人輩出した漢の韋玄成ともいうべきあなたは既に文彩があるという名誉を負われており、御家の一族、世襲の儒学文学者の生業がどうして沈んでしまうようなことがありましょうか、全くその心配はいりません。


瞿塘峡001
(訳注)

奉寄李十五秘書文嶷二首其二

(中書省の秘書官であり、宗質の末裔であり、且つははがたの遠戚にあたる李文嶷という人に褒めちぎる言葉を寄せて奉ったもの)その二

李十五丈李秘書文嶷 杜甫の外祖父崔某の妻も母も、並に宗室の出身であって、李文嶷と遠縁であるということ「孤陋忝末親,等級敢比肩。」自分は不束ながらあなたとは親戚というだけの繋がりをかたじけなくしているが、身分のちがいはとても肩をならべられるわけのものでない。「玄成負文彩、世業豈沉淪。」一族から高官を十数人輩出した漢の韋玄成ともいうべきあなたは既に文彩があるという名誉を負われており、御家の一族、世襲の儒学文学者の生業がどうして沈んでしまうようなことがありましょうか、全くその心配はいりません。

と、褒めちぎった。その二の詩の初句に「千金贈」とあり、『奉寄李十五秘書文嶷二首』詩は、援助の金子をもらったお礼の詩であろうと思われる。

雲安で、病気療養していて、動けなかったところを李文嶷に援助を受け、奉節に移居することができた。そのお礼の詩である。数か月後に別れることとなって『贈李十五丈別』を贈ったのである。

 

 

行李千金贈、衣冠八尺身。

貴方は使者として行かれる途中の事であっても、こうして千金の贈り物をされる。それでいて、ご自分の貌装はというと、衣冠を付けた堂々とした八尺の大男である。

行李 李文嶷が江西観察使李勉のところへ事を以て赴く。

千金贈 ご厚情に加え、援助をしてもらったのであろう。

 

飛騰知有意度不無神。

此れから要路に昇って活躍されるにはどうすればよいのか既に、計画を持っておられることであろうことは、あなたの度量の大きさがとてつもなく大きいものであるということが分かっている。

飛騰 要路に昇って活躍されること。

意度 意志、度量の大きさ。

不無神 人と比べると誰もいないしくらべるとすれば神しかいない。最大限の誉め言葉。

 

班秩兼通貴、公侯出異人。

貴方はこの官位を拝しているということの上に、宗室の末裔という貴い身分を兼ねておられ、公侯の後、実に非凡なお方が出てきたものである。

班秩 官位を拝しているということ。くらいのこと。

兼通貴 誰もが知っている宗室の末裔という貴い身分を兼ねておられる。

公侯 李文嶷の曽祖父から父親までが公、侯に封ぜられているということ。

出異人 代々公侯となられ、ここに文嶷という非凡な人物を輩出した。

 

成負文彩、世業豈沉淪。

一族から高官を十数人輩出した漢の韋玄成ともいうべきあなたは既に文彩があるという名誉を負われており、御家の一族、世襲の儒学文学者の生業がどうして沈んでしまうようなことがありましょうか、全くその心配はいりません。

 韋 玄成(い げんせい、? - 紀元前36年)のこと。前漢の政治家。字は少翁。丞相韋賢の末子。韋賢は魯国鄒から平陵に移住したが、彼は杜陵に移住した。しかし臨終にあたり父と同じ平陵に葬られることを願い許されている。

父の任子により郎となった。学問を好み父の学業を継いだ。人にへりくだり、貧しく賤しい者も敬ったので評判になった。経書に明るいことで諫大夫に抜擢され、大河都尉となった。韋玄成の一族からは二千石の高官を十数人輩出し、韋弘の子の韋賞は哀帝の時代に大司馬車騎将軍となっている。

負文彩 経書に明るいこと、文学に秀でているという名誉を荷っている。

世業 代々受け継いでいる、儒学文学者としての生業。

沉淪 水の底に深く沈むこと。

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杜甫 奉節-17 《巻15-24 奉寄李十五秘書文嶷 二首其一》ここで聞く土着の民謡の竹枝詞もリズミカルで歯切れがよい詩歌ではあるが、下流のほうにいけば、高唐の賦に謂うようにもつとおもしろい歌が聞けるのではないだろうか、李文嶷が髙唐賦にあるように、「楚の襄王と宋玉が雲夢の臺に遊ぶ」同じようなその地に行かれたらきっと帰るのが遅くなってしまう。

 

 
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166 《巻05-14 少年行,二首之二》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <166> Ⅰ李白詩1375 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5423 
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32-(9)§4-2 《讀巻05-08 毛穎傳 (9)》韓愈(韓退之)ID 796年貞元12年 29歳<1288> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5424 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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杜甫詩1500-888-1256/2500766年大暦元年55-25-1

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    贈李十五丈別【李祕書文嶷。】

及地點:              白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城      

巫州 (黔中道 巫州 巫州) 別名:黔陽            

交遊人物:李文嶷              書信往來(山南東道 夔州 雲安)

 

 

奉寄李十五秘書文嶷二首其一

(中書省の秘書官であり、宗質の末裔であり、且つははがたの遠戚にあたる李文嶷という人に寄せて奉ったもの)

避暑雲安縣,秋風早下來。

自分は雲安縣で暑さを避けて逗留しているあいだに、早くも秋風が吹いてくるまで長逗留をしてしまった。

暫留魚復浦,同過楚王臺。

しばらく、瀼水の長江に流れ込む魚復の浦で逗留して、そこではあなたと一緒に過ごし、そこから楚王と神女が一緒に過ごしたという陽雲臺にもいきました。

猿鳥千崖窄,江湖萬里開。

雲安というところは、猿や鳥が泣き叫び、おおくの崖に囲まれて飲料水にも事欠く狭い所でした。元気になれば三峡を下って江湖の地方に行けば万里に開かれ所であるという。

竹枝歌未好,畫舸莫遲回。

ここで聞く土着の民謡の竹枝詞もリズミカルで歯切れがよい詩歌ではあるが、下流のほうにいけば、高唐の賦に謂うようにもつとおもしろい歌が聞けるのではないだろうか、李文嶷が髙唐賦にあるように、「楚の襄王と宋玉が雲夢の臺に遊ぶ」同じようなその地に行かれたらきっと帰るのが遅くなってしまう。

 

(李十五秘書文嶷に寄せ奉る二首其の一)

暑を避く 雲安縣,秋風 早く下り來る。

暫く留まる魚復の浦,同じく過る 楚王の臺。

猿鳥 千崖窄く,江湖 萬里開く。

竹枝の歌 未だ好からず,畫舸 遲回する莫れ。

 

奉寄李十五秘書文嶷二首其二

行李千金贈、衣冠八尺身。

飛騰知有意度不無神。

班秩兼通貴、公侯出異人。

成負文彩、世業豈沉淪。

 

 

『奉寄李十五秘書文嶷二首其一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

奉寄李十五秘書文嶷二首其一

避暑雲安縣,秋風早下來。

暫留魚復浦,同過楚王臺。

猿鳥千崖窄,江湖萬里開。

竹枝歌未好,畫舸莫遲回。


(下し文)
(李十五秘書文嶷に寄せ奉る二首其の一)

暑を避く 雲安縣,秋風 早く下り來る。

暫く留まる魚復の浦,同じく過る 楚王の臺。

猿鳥 千崖窄く,江湖 萬里開く。

竹枝の歌 未だ好からず,畫舸 遲回する莫れ。



(現代語訳)
(中書省の秘書官であり、宗質の末裔であり、且つははがたの遠戚にあたる李文嶷という人に寄せて奉ったもの)

自分は雲安縣で暑さを避けて逗留しているあいだに、早くも秋風が吹いてくるまで長逗留をしてしまった。

しばらく、瀼水の長江に流れ込む魚復の浦で逗留して、そこではあなたと一緒に過ごし、そこから楚王と神女が一緒に過ごしたという陽雲臺にもいきました。

雲安というところは、猿や鳥が泣き叫び、おおくの崖に囲まれて飲料水にも事欠く狭い所でした。元気になれば三峡を下って江湖の地方に行けば万里に開かれ所であるという。

ここで聞く土着の民謡の竹枝詞もリズミカルで歯切れがよい詩歌ではあるが、下流のほうにいけば、高唐の賦に謂うようにもつとおもしろい歌が聞けるのではないだろうか、李文嶷が髙唐賦にあるように、「楚の襄王と宋玉が雲夢の臺に遊ぶ」同じようなその地に行かれたらきっと帰るのが遅くなってしまう。



(訳注)

奉寄李十五秘書文嶷二首其一

(中書省の秘書官であり、宗質の末裔であり、且つははがたの遠戚にあたる李文嶷という人に寄せて奉ったもの)

李十五丈李秘書文嶷 杜甫の外祖父崔某の妻も母も、並に宗室の出身であって、李文嶷と遠縁であるということ「孤陋忝末親,等級敢比肩。」自分は不束ながらあなたとは親戚というだけの繋がりをかたじけなくしているが、身分のちがいはとても肩をならべられるわけのものでない。

贈李十五丈別 -1

峽人鳥獸居,其室附層顛。

下臨不測江,中有萬里船。

多病紛倚薄,少留改年。

域誰慰懷,開顏喜名賢。

-2

孤陋忝末親,等級敢比肩。

人生意頗合,相與襟袂連。

一日兩遣僕,三日一共筵。

揚論展寸心,壯筆過飛泉。

-3

玄成美價存,子山舊業傳。

不聞八尺軀,常受眾目憐。

且為辛苦行,蓋被生事牽。

北回白帝櫂,南入黔陽天。

-4

汧公制方隅,迥出諸侯先。

如太古,時危獨蕭然。

清高金莖露,正直朱絲弦。

昔在堯四岳,今之黃潁川。

-5

于邁恨不同,所思無由宣。

山深水增波,解榻秋露懸。

客遊雖云久,主要月再圓。

晨集風渚亭,醉操〈雲嶠篇〉。

丈夫貴知己,歡罷念歸旋。

 

(李十五丈が贈りて別る)#1

峡人はとりくら鳥獣のごとく居る、其の室に層顛に附く。

下は不測の江に臨み、中に万里の船有り。

多病紛としで倚薄し、少留すれば歳年改まらんとす。

絶域 誰か懐を慰めん、開顔 名賢を喜ぶ。

#2

峡人はとりくら鳥獣のごとく居る、其の室に層顛に附く。

下は不測の江に臨み、中に万里の船有り。

多病紛としで倚薄し、少留すれば歳年改まらんとす。

絶域 誰か懐を慰めん、開顔 名賢を喜ぶ。

-3

玄成 美價存す,子山 舊業傳う。

聞かずや 八尺の軀,常に眾目の憐みを受くるを。

且つ辛苦の行を為す,蓋し生事に牽かる被る。

北 白帝の櫂を回らし,南 黔陽【けんよう】の天に入る。

-4

汧公【けんこう】方隅を制す,迥かに諸侯の先に出ず。

 太古の如く,時 危けれども獨り蕭然たり。

清高なること 金莖の露,正直なること 朱絲の弦。

昔在【むかしなら】ば 堯の四岳にして,今の 黃の潁川なり。

-5

于邁 同じからざりを恨む,所思 宣ぶるに由無し。

山 深くして水 波を增し,解榻 秋露懸る。

客遊 久しと云うと雖も,主は月の再圓なるを要す。

晨には風渚の亭に集り,醉うて〈雲嶠篇〉を操る。

丈夫 知己を貴び,歡 罷みて歸旋せんことを念う。

 

避暑雲安縣,秋風早下來。

自分は雲安縣で暑さを避けて逗留しているあいだに、早くも秋風が吹いてくるまで長逗留をしてしまった。

○雲安 山南東道 夔州 雲安) 別名:南楚、杜甫の住居付近のことを『水閣朝霽奉簡嚴雲安』で述べている。

水閣朝霽奉簡嚴雲安〔雲安嚴明府〕

東城抱春岑,江閣鄰石面。

崔嵬晨雲白,朝旭射芳甸。

雨檻臥花叢,風床展書卷。

鉤簾宿鷺起,丸藥流鶯囀。

呼婢取酒壺,續兒誦《文選》。

晚交嚴明府,矧此數相見。

766年大暦元年55-6 《水閣朝霽奉簡嚴雲安【雲安嚴明府】》 杜甫index-15 杜甫<869 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5165

 

暫留魚復浦,同過楚王臺。

しばらく、瀼水の長江に流れ込む魚復の浦で逗留して、そこではあなたと一緒に過ごし、そこから楚王と神女が一緒に過ごしたという陽雲臺にもいきました。

魚復浦 夔州奉節縣東南に在る。八陣図の近く。

楚王臺 楚王と神女が一緒に過ごしたという陽雲臺。

 

猿鳥千崖窄,江湖萬里開。

雲安というところは、猿や鳥が泣き叫び、おおくの崖に囲まれて飲料水にも事欠く狭い所でした。元気になれば三峡を下って江湖の地方に行けば万里に開かれ所であるという。

 おおくの崖に囲まれて飲料水にも事欠く狭い所。

江湖 長江下流域、洞庭湖周辺をいう。

 

竹枝歌未好,畫舸莫遲回。

ここで聞く土着の民謡の竹枝詞もリズミカルで歯切れがよい詩歌ではあるが、下流のほうにいけば、高唐の賦に謂うようにもつとおもしろい歌が聞けるのではないだろうか、李文嶷が髙唐賦にあるように、「楚の襄王と宋玉が雲夢の臺に遊ぶ」同じようなその地に行かれたらきっと帰るのが遅くなってしまう。

竹枝歌 竹枝歌:竹枝詞のことで、蜀(や各地各地)の風俗、人情を詠じた民謡・民歌のこと。竹枝詞とは、民間の歌謡のことで、千余年前に、楚(四川東部(=巴)・湖北西部)に興った歌といわれる。唐代、それらを採録し、修正したものが劉禹錫や、白居易によって広められた。形式上は七言絶句に似ているが、(文字で表すことを旨とした詩ではなく、)声に出して歌う歌なので、(七言絶句に比べ、繰り返しの表現もあり)リズミカルで歯切れがよい詩歌。(表現を換えれば、伝統的な七言絶句に比べて俗っぽく、格調高くはない。)今に至るも、世に「○○竹枝」として広く詠われる(○○は地名)。 自注竹枝歌巴渝之遺音也惟峽人善唱。

歌未好 ここで土民謡を聞いているのもいいが、本当にはよくなくて、此処から下流のほうにいけば、高唐の賦に謂うようにもつとおもしろい歌が聞けるのではないだろうかという意。

畫舸 李文嶷ののる船をいう、下流域では舟遊びによくみられる船である。

莫遲回 李文嶷が髙唐賦にあるように、「楚の襄王と宋玉が雲夢の臺に遊ぶ」同じようなその地に行かれたらきっと帰るのが遅くなってしまうというほどの意。

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766年大暦元年55-24-5奉節-16 《巻15-63 贈李十五丈別 -#5》 杜甫index-15 杜甫<887-5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5420

 

杜甫詩1500-887-5-1255/2500766年大暦元年55-24-5

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    贈李十五丈別【李祕書文嶷。】

及地點:              白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城      

巫州 (黔中道 巫州 巫州) 別名:黔陽            

交遊人物:李文嶷              書信往來(山南東道 夔州 雲安)

李勉    詩文提及(京畿道 京兆府 長安)

 

贈李十五丈別 -1

(李文嶷が江西観察使李勉のところへ事を以て赴くのでそれに贈りて別意をのべた詩)

峽人鳥獸居,其室附層顛。

三峡の山の中の人たちは、鳥か獣のような住居にすんでいる。その家の部屋は高い山の頂上に棚の様に段々の平地を作って、付着しているかのように存在する。(大江からはとても高い所なので、鳥か獣でないととても住めないというものだ。)
下臨不測江,中有萬里船。

その山頂から下にむかい深い谷がその底の大江まで測れないほどのもので、その大江の中を万里に赴く船が航行しているのである。

多病紛倚薄,少留改年。

自分は多病を併発し、放置している面倒な諸雑事をしなければいけないことが身に逼っている。そして、この地に少し逗留している間にも、年を取ってきている。

域誰慰懷,開顏喜名賢。

都から断絶されたこの地にいて、誰がこの胸のうちを慰めてくれるものがあろうか、ただ、貴殿の様な名のとおった賢者が私の顔のしわを伸ばしてくれることは実に喜ばしいことなのである。

-2

孤陋忝末親,等級敢比肩。

自分は不束ながらあなたとは親戚というだけの繋がりをかたじけなくしているが、身分のちがいはとても肩をならべられるわけのものでない。

人生意頗合,相與襟袂連。

しかし、人生において意気投合したとはいえ、同席して、こうして襟元を連ねさせてもらっている。

一日兩遣僕,三日一共筵。

そして、あなたは一日に二度も下僕をわたくしのところへおつかわしくださり、また三日目くらいに一度酒筵を共にしてくだされるのである。

揚論展寸心,壯筆過飛泉。

わたくしは高声調子で議論をして十分私自身の心をのばすことができ、あなたは湧き出す泉にもまさった勇壮な文筆をおふるいになるのである。

-3

玄成美價存,子山舊業傳。

まことあなたは漢の韋玄成のごとくりっぱな文学的価値が存しておられ、また北周の子山(庾信)のごとくその文章の業をつたえられでおいでになる。

不聞八尺軀,常受眾目憐。

それに諸君きかれよ、そのあなたの堂堂たる八尺の身体に大きなおなかをもっているため、多くの人にきのどくがられる様な境遇に居られるのである。

且為辛苦行,蓋被生事牽。

それで今度、わざわざ南に迂回して、難儀な旅行をなさろうというのだが、おおかた御生計上の御都合にわずらわされたものということなのでしょう。

北回白帝櫂,南入黔陽天。

北の朝廷に帰られるのであれば舵を取って舟楫を進めると夔州巫山白帝城にすぐに向われるのであるが、南の方に向われて、遠回りしての黔陽の分水嶺おはいりになる。

-4

汧公制方隅,迥出諸侯先。

今、汧国公(李勉)は一方面(汾州、虢州刺史)の長官になってはるか他の諸侯より進みでておられる。【杜甫原注:汧公は李勉なり。唐の王室の鄭惠の流れをくむ王孫である。】

如太古,時危獨蕭然。

汧国公の治めている領内は三皇五帝の太古の如く静かであり、時世が危険であるにもかかわらずそこだけはひっそりと静かであるという。

清高金莖露,正直朱絲弦。

汧国公の人物の清高なことは金茎の露にも比すべく、汧国公の実直なことは鮑照の白頭吟に謂う「琴の朱絲の絃、玉壺冰」に此すべきである。

昔在堯四岳,今之黃潁川。

昔ならば堯の時、牧(諸侯の取締り)を設置したように南をおさめ、今にあっては、あの「神明」とたたえられた漢の穎川太守黄覇ともいうべき人である。

-5

于邁恨不同,所思無由宣。

あなたが汧国公のもとへ行役としておいでになるのに自分は御一緒に行けぬのか恨めしいばかりか、自分のおもいは之を宣べる手立てがない。

山深水增波,解榻秋露懸。

あなたの前途には山は深く水は波を増しているだろうし、あなたが江西へおつきになって汧国公の礼遇をうけられるのは秋霜の垂れる頃になっているだろう。

客遊雖云久,主要月再圓。

この旅に出られて随分経過しているということではあるでしょうが、主人役の先方(李勉)に会われるのに、あと二箇月ほどということではないでしょうか。

晨集風渚亭,醉操〈雲嶠篇〉。

あなたとお別れするため自分は朝になれば風渚の亭に集まり、酔後にはあなたのおつくりになった「雲嶠」の詩篇をとって吟じてみることでしょう。

丈夫貴知己,歡罷念歸旋。

自分も丈夫たるもの、互に知己であることを貴ぶのである、酒席の歓びがおわって後は、ただ、わたくしの知己であるあなたがはやくここへおかえりにならんことをおもうばかりである。

 

(李十五丈が贈りて別る)#1

峡人はとりくら鳥獣のごとく居る、其の室に層顛に附く。

下は不測の江に臨み、中に万里の船有り。

多病紛としで倚薄し、少留すれば歳年改まらんとす。

絶域 誰か懐を慰めん、開顔 名賢を喜ぶ。

#2

峡人はとりくら鳥獣のごとく居る、其の室に層顛に附く。

下は不測の江に臨み、中に万里の船有り。

多病紛としで倚薄し、少留すれば歳年改まらんとす。

絶域 誰か懐を慰めん、開顔 名賢を喜ぶ。

-3

玄成 美價存す,子山 舊業傳う。

聞かずや 八尺の軀,常に目の憐みを受くるを

且つ辛苦の行を為す,蓋し生事に牽かる被る。

北 白帝の櫂を回らし,南 黔陽【けんよう】の天に入る。

-4

汧公【けんこう】方隅を制す,迥かに諸侯の先に出ず。

 太古の如く,時 危けれども獨り蕭然たり。

清高なること 金莖の露,正直なること 朱絲の弦。

昔在【むかしなら】ば 堯の四岳にして,今の 黃の潁川なり。

-5

于邁 同じからざりを恨む,所思 宣ぶるに由無し。

山 深くして水 波を增し,解榻 秋露懸る。

客遊 久しと云うと雖も,主は月の再圓なるを要す。

晨には風渚の亭に集り,醉うて〈雲嶠篇〉を操る。

丈夫 知己を貴び,歡 罷みて歸旋せんことを念う。

 

唐時代 地図山南 東・西道50 

『贈李十五丈別』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

-5

于邁恨不同,所思無由宣。

山深水增波,解榻秋露懸。

客遊雖云久,主要月再圓。

晨集風渚亭,醉操〈雲嶠篇〉。

丈夫貴知己,歡罷念歸旋。


(下し文)-5

于邁 同じからざりを恨む,所思 宣ぶるに由無し。

山 深くして水 波を增し,解榻 秋露懸る。

客遊 久しと云うと雖も,主は月の再圓なるを要す。

晨には風渚の亭に集り,醉うて〈雲嶠篇〉を操る。

丈夫 知己を貴び,歡 罷みて歸旋せんことを念う。


(現代語訳)
あなたが汧国公のもとへ行役としておいでになるのに自分は御一緒に行けぬのか恨めしいばかりか、自分のおもいは之を宣べる手立てがない。

あなたの前途には山は深く水は波を増しているだろうし、あなたが江西へおつきになって汧国公の礼遇をうけられるのは秋霜の垂れる頃になっているだろう。

この旅に出られて随分経過しているということではあるでしょうが、主人役の先方(李勉)に会われるのに、あと二箇月ほどということではないでしょうか。

あなたとお別れするため自分は朝になれば風渚の亭に集まり、酔後にはあなたのおつくりになった「雲嶠」の詩篇をとって吟じてみることでしょう。

自分も丈夫たるもの、互に知己であることを貴ぶのである、酒席の歓びがおわって後は、ただ、わたくしの知己であるあなたがはやくここへおかえりにならんことをおもうばかりである。

夔州東川卜居図001

(訳注) -5

贈李十五丈別 -4

(李文嶷が江西観察使李勉のところへ事を以て赴くのでそれに贈りて別意をのべた詩)

李十五丈 丈は年長者に対する敬称。李秘書文嶷の事で、杜甫《1524奉寄李十五秘書文嶷 二首其一》《1525二首其二》(掲載予定)がある。

24,

奉寄李十五祕書文嶷二首 其一

避暑雲安縣秋風早下來暫留魚復浦同過楚王臺猿鳥千崖窄江湖萬里開竹枝歌未好公自注竹枝歌巴渝之遺音也惟峽人善唱舸且遲回洙曰髙唐賦楚襄王與宋玉遊於雲夢之臺

25

其二

行李千金贈衣冠八尺身飛騰知有意度不無神班秩兼通貴公侯出異人成負文彩世業豈沉淪趙曰唐制秘書郎從六品上謂之通貴左傳公侯之子孫必復其始李秘書必宗室之子洙曰漢韋賢少子成修父業復以明經仕至相位

 

于邁恨不同,所思無由宣。

あなたが汧国公のもとへ行役としておいでになるのに自分は御一緒に行けぬのか恨めしいばかりか、自分のおもいは之を宣べる手立てがない。

于邁 結うこと。行役すること。

所思 胸中に思うことをいう。

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無由 之を宣べる手立てがない

 

山深水增波,解榻秋露懸。

あなたの前途には山は深く水は波を増しているだろうし、あなたが江西へおつきになって汧国公の礼遇をうけられるのは秋霜の垂れる頃になっているだろう。

山深水 李文嶷が行く中のやまやたにであるがふなたびであること。

解榻 李勉が李文嶷に礼を執るために榻を設けること。

秋露懸 秋露がかかること。夜急激に冷え込むために、温度差が激しいことで日本では考えられないほど濡れる際の表現。

 

客遊雖云久,主要月再圓。

この旅に出られて随分経過しているということではあるでしょうが、主人役の先方(李勉)に会われるのに、あと二箇月ほどということではないでしょうか。

客遊 李文嶷の客として遊歴すること。

主要 主は主人、先方、李勉の事、要は要求すること。

月再圓 目的地に着くまでのおおよその月日を二カ月の期間といっている。

 

晨集風渚亭,醉操〈雲嶠篇〉。

あなたとお別れするため自分は朝になれば風渚の亭に集まり、酔後にはあなたのおつくりになった「雲嶠」の詩篇をとって吟じてみることでしょう。

風渚亭 夔州の水駅の発船の沙岸に在る駅亭。

醉操 酔いに任せて大声で吟詠することをいう。

雲嶠篇 李文嶷が留別の詩を作り、その初句に「雲嶠」という語を使ったので〈雲嶠篇〉といった。

 

丈夫貴知己,歡罷念歸旋。

自分も丈夫たるもの、互に知己であることを貴ぶのである、酒席の歓びがおわって後は、ただ、わたくしの知己であるあなたがはやくここへおかえりにならんことをおもうばかりである。

知己 李文嶷と杜甫の間柄をいう。

歸旋 李文嶷が再び夔州の地へ帰って来ること。
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杜甫 奉節-16 《巻15-63 贈李十五丈別 -#4》昔ならば堯の時、牧(諸侯の取締り)を設置したように南をおさめ、今にあっては、あの「神明」とたたえられた漢の穎川太守黄覇ともいうべき人である。

 
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杜甫詩1500-887-4-1254/2500766年大暦元年55-24-4

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    贈李十五丈別【李祕書文嶷。】

及地點:              白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城      

巫州 (黔中道 巫州 巫州) 別名:黔陽            

交遊人物:李文嶷              書信往來(山南東道 夔州 雲安)

李勉    詩文提及(京畿道 京兆府 長安)

 

贈李十五丈別 -1

(李文嶷が江西観察使李勉のところへ事を以て赴くのでそれに贈りて別意をのべた詩)

峽人鳥獸居,其室附層顛。

三峡の山の中の人たちは、鳥か獣のような住居にすんでいる。その家の部屋は高い山の頂上に棚の様に段々の平地を作って、付着しているかのように存在する。(大江からはとても高い所なので、鳥か獣でないととても住めないというものだ。)
下臨不測江,中有萬里船。

その山頂から下にむかい深い谷がその底の大江まで測れないほどのもので、その大江の中を万里に赴く船が航行しているのである。

多病紛倚薄,少留改年。

自分は多病を併発し、放置している面倒な諸雑事をしなければいけないことが身に逼っている。そして、この地に少し逗留している間にも、年を取ってきている。

域誰慰懷,開顏喜名賢。

都から断絶されたこの地にいて、誰がこの胸のうちを慰めてくれるものがあろうか、ただ、貴殿の様な名のとおった賢者が私の顔のしわを伸ばしてくれることは実に喜ばしいことなのである。

-2

孤陋忝末親,等級敢比肩。

自分は不束ながらあなたとは親戚というだけの繋がりをかたじけなくしているが、身分のちがいはとても肩をならべられるわけのものでない。

人生意頗合,相與襟袂連。

しかし、人生において意気投合したとはいえ、同席して、こうして襟元を連ねさせてもらっている。

一日兩遣僕,三日一共筵。

そして、あなたは一日に二度も下僕をわたくしのところへおつかわしくださり、また三日目くらいに一度酒筵を共にしてくだされるのである。

揚論展寸心,壯筆過飛泉。

わたくしは高声調子で議論をして十分私自身の心をのばすことができ、あなたは湧き出す泉にもまさった勇壮な文筆をおふるいになるのである。

-3

玄成美價存,子山舊業傳。

まことあなたは漢の韋玄成のごとくりっぱな文学的価値が存しておられ、また北周の子山(庾信)のごとくその文章の業をつたえられでおいでになる。

不聞八尺軀,常受眾目憐。

それに諸君きかれよ、そのあなたの堂堂たる八尺の身体に大きなおなかをもっているため、多くの人にきのどくがられる様な境遇に居られるのである。

且為辛苦行,蓋被生事牽。

それで今度、わざわざ南に迂回して、難儀な旅行をなさろうというのだが、おおかた御生計上の御都合にわずらわされたものということなのでしょう。

北回白帝櫂,南入黔陽天。

北の朝廷に帰られるのであれば舵を取って舟楫を進めると夔州巫山白帝城にすぐに向われるのであるが、南の方に向われて、遠回りしての黔陽の分水嶺おはいりになる。

-4

汧公制方隅,迥出諸侯先。

今、汧国公(李勉)は一方面(汾州、虢州刺史)の長官になってはるか他の諸侯より進みでておられる。【杜甫原注:汧公は李勉なり。唐の王室の鄭惠の流れをくむ王孫である。】

如太古,時危獨蕭然。

汧国公の治めている領内は三皇五帝の太古の如く静かであり、時世が危険であるにもかかわらずそこだけはひっそりと静かであるという。

清高金莖露,正直朱絲弦。

汧国公の人物の清高なことは金茎の露にも比すべく、汧国公の実直なことは鮑照の白頭吟に謂う「琴の朱絲の絃、玉壺冰」に此すべきである。

昔在堯四岳,今之黃潁川。

昔ならば堯の時、牧(諸侯の取締り)を設置したように南をおさめ、今にあっては、あの「神明」とたたえられた漢の穎川太守黄覇ともいうべき人である。

-5

于邁恨不同,所思無由宣。

山深水增波,解榻秋露懸。

客遊雖云久,主要月再圓。

晨集風渚亭,醉操〈雲嶠篇〉。

丈夫貴知己,歡罷念歸旋。

 

(李十五丈が贈りて別る)#1

峡人はとりくら鳥獣のごとく居る、其の室に層顛に附く。

下は不測の江に臨み、中に万里の船有り。

多病紛としで倚薄し、少留すれば歳年改まらんとす。

絶域 誰か懐を慰めん、開顔 名賢を喜ぶ。

#2

峡人はとりくら鳥獣のごとく居る、其の室に層顛に附く。

下は不測の江に臨み、中に万里の船有り。

多病紛としで倚薄し、少留すれば歳年改まらんとす。

絶域 誰か懐を慰めん、開顔 名賢を喜ぶ。

-3

玄成 美價存す,子山 舊業傳う。

聞かずや 八尺の軀,常に目の憐みを受くるを

且つ辛苦の行を為す,蓋し生事に牽かる被る。

北 白帝の櫂を回らし,南 黔陽【けんよう】の天に入る。

-4

汧公【けんこう】方隅を制す,迥かに諸侯の先に出ず。

 太古の如く,時 危けれども獨り蕭然たり。

清高なること 金莖の露,正直なること 朱絲の弦。

昔在【むかしなら】ば 堯の四岳にして,今の 黃の潁川なり。

-5

于邁 同じからざりを恨む,所思 宣ぶるに由無し。

山 深くして水 波を增し,解榻 秋露懸る。

客遊 久しと云うと雖も,主は月の再圓なるを要す。

晨には風渚の亭に集り,醉うて〈雲嶠篇〉を操る。

丈夫 知己を貴び,歡 罷みて歸旋せんことを念う。

 唐時代 地図山南 東・西道50

 

『贈李十五丈別』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

-4

汧公制方隅,迥出諸侯先。

如太古,時危獨蕭然。

清高金莖露,正直朱絲弦。

昔在堯四岳,今之黃潁川。


(下し文)


(現代語訳)
今、汧国公(李勉)は一方面(汾州、虢州刺史)の長官になってはるか他の諸侯より進みでておられる。【杜甫原注:汧公は李勉なり。唐の王室の鄭惠の流れをくむ王孫である。】

汧国公の治めている領内は三皇五帝の太古の如く静かであり、時世が危険であるにもかかわらずそこだけはひっそりと静かであるという。

汧国公の人物の清高なことは金茎の露にも比すべく、汧国公の実直なことは鮑照の白頭吟に謂う「琴の朱絲の絃、玉壺冰」に此すべきである。

昔ならば堯の時、牧(諸侯の取締り)を設置したように南をおさめ、今にあっては、あの「神明」とたたえられた漢の穎川太守黄覇ともいうべき人である。


夔州東川卜居図001
(訳注) -4

贈李十五丈別 -4

(李文嶷が江西観察使李勉のところへ事を以て赴くのでそれに贈りて別意をのべた詩)

李十五丈 丈は年長者に対する敬称。李秘書文嶷の事で、杜甫《1524奉寄李十五秘書文嶷 二首其一》《1525二首其二》(掲載予定)がある。

24,

奉寄李十五祕書文嶷二首 其一

避暑雲安縣秋風早下來暫留魚復浦同過楚王臺猿鳥千崖窄江湖萬里開竹枝歌未好公自注竹枝歌巴渝之遺音也惟峽人善唱舸且遲回洙曰髙唐賦楚襄王與宋玉遊於雲夢之臺

25

其二

行李千金贈衣冠八尺身飛騰知有意度不無神班秩兼通貴公侯出異人成負文彩世業豈沉淪趙曰唐制秘書郎從六品上謂之通貴左傳公侯之子孫必復其始李秘書必宗室之子洙曰漢韋賢少子成修父業復以明經仕至相位

 

汧公制方隅,迥出諸侯先。【原注:汧公李勉也。宗室鄭惠王孫。】

今、汧国公(李勉)は一方面(汾州、虢州刺史)の長官になってはるか他の諸侯より進みでておられる。【杜甫原注:汧公は李勉なり。唐の王室の鄭惠の流れをくむ王孫である。】

汧公 汧国公の事で、原注により、李勉のことを言う。

李勉(717年-788年),字玄卿という。唐朝宗室、官員であった曾祖父は李元懿で唐高祖李淵第十三子である。父は李言,曾って、褒、相、岐四州刺史となった。李勉は幼くして通經史,沉雅清峻,各官となり開封尉に至る。安史の亂の時,唐粛宗に随って靈部に来到し,監察御史を拜す。朝に入り太常少卿となる。因て李国とうまくゆかず,出でて汾州、虢州刺史と左遷される。大二年(767年),入朝し拜して京兆尹兼御史大夫となる。大暦七年に工部尚書となり、汧国公に封ぜられたと記されている。これは死後の事であり、杜甫と鳳翔の行在所から朝廷で2年程度の官に接遇している。この時に一旦汧国公に封ぜられていたのかもしれない。

制方隅 一方の隅辺を制御すること、汾州、虢州刺史、長官であること言う。

 

如太古,時危獨蕭然。

汧国公の治めている領内は三皇五帝の太古の如く静かであり、時世が危険であるにもかかわらずそこだけはひっそりと静かであるという。

 汧国公の治めている領内のこと。

如太古 三皇五帝の太古の時代は争いもなく仁徳のある治世であった。

 

清高金莖露,正直朱絲弦。

汧国公の人物の清高なことは金茎の露にも比すべく、汧国公の実直なことは鮑照の白頭吟に謂う「琴の朱絲の絃、玉壺冰」に此す人である。

清高 清廉で志の高い人、李勉のこと。

金莖露 ○金茎 承露盤を支える銅柱。承露盤は漢の武帝が建章宮に建てた銅盤。その上の霧を飲めば不死を求め得ると道教では説く。李商隠《漢宮詞》「侍臣最有相如渇、不賜金茎露一杯。」(侍臣 最も相加の渇有れども、金茎の露一杯を賜らず)

朱絲弦 鮑照《擬楽府白頭吟》「直如朱絲縄、清如玉壺冰。」わが心の直きは琴に張られた朱色の絃の様であり、また、清らかな事は、玉製の壺の中の氷と変わらない。

 

昔在堯四岳,今之黃潁川。

昔ならば堯の時、牧(諸侯の取締り)を設置したように南をおさめ、今にあっては、あの「神明」とたたえられた漢の穎川太守黄覇ともいうべき人である。

昔在 むかしのことであるが。

堯四岳 堯の時代に、五岳の中を除く四岳方面に牧(諸侯の取締り)を設置した。

黃潁川 黄 覇(こう は、? - 紀元前51年)は、前漢の人。淮陽郡陽夏の人だが、豪傑で人を使役していたことを理由に雲陵に移住させられ、後に杜陵に移住した。

漢の宣帝が黄覇を潁川太守に任命した。黄覇は恵まれない者のために鶏や豚を飼育させ、民に畜産を推奨するなどの政治を行った。郡内のことは何でも知り尽くしており、民や吏は驚いて「神明」と称えた。悪者は他郡に逃げ去り、盗賊は日々減少していった。人口は増加し、統治は天下で第一となった。
杜甫55歳756年作品 

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年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    贈李十五丈別【李祕書文嶷。】

及地點:              白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城      

巫州 (黔中道 巫州 巫州) 別名:黔陽            

交遊人物:李文嶷              書信往來(山南東道 夔州 雲安)

李勉    詩文提及(京畿道 京兆府 長安)

 

贈李十五丈別 -1

(李文嶷が江西観察使李勉のところへ事を以て赴くのでそれに贈りて別意をのべた詩)

峽人鳥獸居,其室附層顛。

三峡の山の中の人たちは、鳥か獣のような住居にすんでいる。その家の部屋は高い山の頂上に棚の様に段々の平地を作って、付着しているかのように存在する。(大江からはとても高い所なので、鳥か獣でないととても住めないというものだ。)
下臨不測江,中有萬里船。

その山頂から下にむかい深い谷がその底の大江まで測れないほどのもので、その大江の中を万里に赴く船が航行しているのである。

多病紛倚薄,少留改年。

自分は多病を併発し、放置している面倒な諸雑事をしなければいけないことが身に逼っている。そして、この地に少し逗留している間にも、年を取ってきている。

域誰慰懷,開顏喜名賢。

都から断絶されたこの地にいて、誰がこの胸のうちを慰めてくれるものがあろうか、ただ、貴殿の様な名のとおった賢者が私の顔のしわを伸ばしてくれることは実に喜ばしいことなのである。

-2

孤陋忝末親,等級敢比肩。

自分は不束ながらあなたとは親戚というだけの繋がりをかたじけなくしているが、身分のちがいはとても肩をならべられるわけのものでない。

人生意頗合,相與襟袂連。

しかし、人生において意気投合したとはいえ、同席して、こうして襟元を連ねさせてもらっている。

一日兩遣僕,三日一共筵。

そして、あなたは一日に二度も下僕をわたくしのところへおつかわしくださり、また三日目くらいに一度酒筵を共にしてくだされるのである。

揚論展寸心,壯筆過飛泉。

わたくしは高声調子で議論をして十分私自身の心をのばすことができ、あなたは湧き出す泉にもまさった勇壮な文筆をおふるいになるのである。

-3

玄成美價存,子山舊業傳。

まことあなたは漢の韋玄成のごとくりっぱな文学的価値が存しておられ、また北周の子山(庾信)のごとくその文章の業をつたえられでおいでになる。

不聞八尺軀,常受眾目憐。

それに諸君きかれよ、そのあなたの堂堂たる八尺の身体に大きなおなかをもっているため、多くの人にきのどくがられる様な境遇に居られるのである。

且為辛苦行,蓋被生事牽。

それで今度、わざわざ南に迂回して、難儀な旅行をなさろうというのだが、おおかた御生計上の御都合にわずらわされたものということなのでしょう。

北回白帝櫂,南入黔陽天。

北の朝廷に帰られるのであれば舵を取って舟楫を進めると夔州巫山白帝城にすぐに向われるのであるが、南の方に向われて、遠回りしての黔陽の分水嶺おはいりになる。

-4

汧公制方隅,迥出諸侯先。

如太古,時危獨蕭然。

清高金莖露,正直朱絲弦。

昔在堯四岳,今之黃潁川。

-5

于邁恨不同,所思無由宣。

山深水增波,解榻秋露懸。

客遊雖云久,主要月再圓。

晨集風渚亭,醉操〈雲嶠篇〉。

丈夫貴知己,歡罷念歸旋。

 

(李十五丈が贈りて別る)#1

峡人はとりくら鳥獣のごとく居る、其の室に層顛に附く。

下は不測の江に臨み、中に万里の船有り。

多病紛としで倚薄し、少留すれば歳年改まらんとす。

絶域 誰か懐を慰めん、開顔 名賢を喜ぶ。

#2

峡人はとりくら鳥獣のごとく居る、其の室に層顛に附く。

下は不測の江に臨み、中に万里の船有り。

多病紛としで倚薄し、少留すれば歳年改まらんとす。

絶域 誰か懐を慰めん、開顔 名賢を喜ぶ。

-3

玄成 美價存す,子山 舊業傳う。

聞かずや 八尺の軀,常に目の憐みを受くるを

且つ辛苦の行を為す,蓋し生事に牽かる被る。

北 白帝の櫂を回らし,南 黔陽【けんよう】の天に入る。

-4

汧公【けんこう】方隅を制す,迥かに諸侯の先に出ず。

 太古の如く,時 危けれども獨り蕭然たり。

清高なること 金莖の露,正直なること 朱絲の弦。

昔在【むかしなら】ば 堯の四岳にして,今の 黃の潁川なり。

-5

于邁 同じからざりを恨む,所思 宣ぶるに由無し。

山 深くして水 波を增し,解榻 秋露懸る。

客遊 久しと云うと雖も,主は月の再圓なるを要す。

晨には風渚の亭に集り,醉うて〈雲嶠篇〉を操る。

丈夫 知己を貴び,歡 罷みて歸旋せんことを念う。

 

 夔州東川卜居図001

『贈李十五丈別』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

-3

玄成美價存,子山舊業傳。

不聞八尺軀,常受眾目憐。

且為辛苦行,蓋被生事牽。

北回白帝櫂,南入黔陽天。


(下し文)
玄成 美價存す,子山 舊業傳う。

聞かずや 八尺の軀,常に目の憐みを受くるを。

且つ辛苦の行を為す,蓋し生事に牽かる被る。

北 白帝の櫂を回らし,南 黔陽【けんよう】の天に入る。
(現代語訳)
まことあなたは漢の韋玄成のごとくりっぱな文学的価値が存しておられ、また北周の子山(庾信)のごとくその文章の業をつたえられでおいでになる。

それに諸君きかれよ、そのあなたの堂堂たる八尺の身体に大きなおなかをもっているため、多くの人にきのどくがられる様な境遇に居られるのである。

それで今度、わざわざ南に迂回して、難儀な旅行をなさろうというのだが、おおかた御生計上の御都合にわずらわされたものということなのでしょう。

北の朝廷に帰られるのであれば舵を取って舟楫を進めると夔州巫山白帝城にすぐに向われるのであるが、南の方に向われて、遠回りしての黔陽の分水嶺おはいりになる。



(訳注) -3

贈李十五丈別 -3

(李文嶷が江西観察使李勉のところへ事を以て赴くのでそれに贈りて別意をのべた詩)

李十五丈 丈は年長者に対する敬称。李秘書文嶷の事で、杜甫《1524奉寄李十五秘書文嶷 二首其一》《1525二首其二》(掲載予定)がある。

24,

奉寄李十五祕書文嶷二首 其一

避暑雲安縣秋風早下來暫留魚復浦同過楚王臺猿鳥千崖窄江湖萬里開竹枝歌未好公自注竹枝歌巴渝之遺音也惟峽人善唱舸且遲回洙曰髙唐賦楚襄王與宋玉遊於雲夢之臺

25

其二

行李千金贈衣冠八尺身飛騰知有意度不無神班秩兼通貴公侯出異人成負文彩世業豈沉淪趙曰唐制秘書郎從六品上謂之通貴左傳公侯之子孫必復其始李秘書必宗室之子洙曰漢韋賢少子成修父業復以明經仕至相位

 

玄成美價存,子山舊業傳。

まことあなたは漢の韋玄成のごとくりっぱな文学的価値が存しておられ、また北周の子山(庾信)のごとくその文章の業をつたえられでおいでになる。

玄成 韋玄成は前漢の政治家。字は少翁。丞相韋賢の末子。 韋賢は魯国鄒から平陵に移住したが、彼は杜陵に移住した。しかし臨終にあたり父と同じ平陵に葬られることを願い許されている。 父の任子により郎となった。学問を好み父の学業を継いだ。人にへりくだり、貧しく賤しい者も敬ったので評判になった。

子山 北周の庾信のこと。庾 信(ゆ しん、513年(天監12年) - 581年(開皇元年))は、中国南北朝時代の文学者。字は子山。南陽郡新野の人。庾肩吾の子。南朝の梁に生まれ、前半生は皇太子蕭綱(後の簡文帝)配下の文人として活躍した。侯景の乱後の後半生は、やむなく北朝の北周に身を置くことになり、代表作「哀江南賦」をはじめ、江南を追慕する哀切な内容の作品を残した。李文嶷に比す。

舊業傳 昔の生業、文筆の業

 

不聞八尺軀,常受眾目憐。

それに諸君きかれよ、そのあなたの堂堂たる八尺の身体に大きなおなかをもっているため、多くの人にきのどくがられる様な境遇に居られるのである。

不聞 「豈不聞」どうして聞かれないことがあろうか。それに諸君きかれよ。

八尺軀 《1525二首其二》で「衣冠八尺身」と述べている。「身長八尺、腰帯十圍」という堂々とした肥満の体格であった。

眾目 衆人の目。世間の人の見るところ。

 

且為辛苦行,蓋被生事牽。

それで今度、わざわざ南に迂回して、難儀な旅行をなさろうというのだが、おおかた御生計上の御都合にわずらわされたものということなのでしょう。

生事 生計上の事情。

 

北回白帝櫂,南入黔陽天。

北の朝廷に帰られるのであれば舵を取って舟楫を進めると夔州巫山白帝城にすぐに向われるのであるが、南の方に向われて、遠回りしての黔陽の分水嶺おはいりになる。

北回白帝櫂 北の朝廷に帰られるのであれば舵を取って舟楫を進めると夔州巫山白帝城にすぐに向われる。

南入 重慶府彭水縣のこと。黔陽は漢の時代の縣名。夔州奉節から見れば南西に在り、南と表現した。李文嶷は、涪州から涪水を南に上って彭水に行き、黔陽を経て阮水に入って洞庭湖に下ってゆく三峡を避けるルートをとったのであろう

黔陽天 天は分水嶺。涪水と阮水との分水嶺に在る黔陽(G-1地点)に向かうことをいう。

 

唐時代 地図山南 東・西道50 

 

 

 

 

 

(李文嶷が江西観察使李勉のところへ事を以て赴くのでそれに贈りて別意をのべた詩)

三峡の山の中の人たちは、鳥か獣のような住居にすんでいる。その家の部屋は高い山の頂上に棚の様に段々の平地を作って、付着しているかのように存在する。(大江からはとても高い所なので、鳥か獣でないととても住めないというものだ。)
その山頂から下にむかい深い谷がその底の大江まで測れないほどのもので、その大江の中を万里に赴く船が航行しているのである。

自分は多病を併発し、放置している面倒な諸雑事をしなければいけないことが身に逼っている。そして、この地に少し逗留している間にも、年を取ってきている。

都から断絶されたこの地にいて、誰がこの胸のうちを慰めてくれるものがあろうか、ただ、貴殿の様な名のとおった賢者が私の顔のしわを伸ばしてくれることは実に喜ばしいことなのである。

#2

自分は不束ながらあなたとは親戚というだけの繋がりをかたじけなくしているが、身分のちがいはとても肩をならべられるわけのものでない。

しかし、人生において意気投合したとはいえ、同席して、こうして襟元を連ねさせてもらっている。

そして、あなたは一日に二度も下僕をわたくしのところへおつかわしくださり、また三日目くらいに一度酒筵を共にしてくだされるのである。

わたくしは高声調子で議論をして十分私自身の心をのばすことができ、あなたは湧き出す泉にもまさった勇壮な文筆をおふるいになるのである。

#3

まことあなたは漢の韋玄成のごとくりっぱな文学的価値が存しておられ、また北周の子山(庾信)のごとくその文章の業をつたえられでおいでになる。

それに諸君きかれよ、そのあなたの堂堂たる八尺の身体に大きなおなかをもっているため、多くの人にきのどくがられる様な境遇に居られるのである。

それで今度、わざわざ南に迂回して、難儀な旅行をなさろうというのだが、おおかた御生計上の御都合にわずらわされたものということなのでしょう。

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杜甫55歳756年作品 

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杜甫 奉節-16 《巻15-63 贈李十五丈別 -#2》わたくしは高声調子で議論をして十分私自身の心をのばすことができ、あなたは湧き出す泉にもまさった勇壮な文筆をおふるいになるのである。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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杜甫詩1500-887-2-1252/2500766年大暦元年55-24-2

 

 

杜甫詩1500-887-1-1250/2500766年大暦元年55-24-1

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    贈李十五丈別【李祕書文嶷。】

及地點:              白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城      

巫州 (黔中道 巫州 巫州) 別名:黔陽            

交遊人物:李文嶷              書信往來(山南東道 夔州 雲安)

李勉    詩文提及(京畿道 京兆府 長安)

 

贈李十五丈別 -1

(李文嶷が江西観察使李勉のところへ事を以て赴くのでそれに贈りて別意をのべた詩)

峽人鳥獸居,其室附層顛。

三峡の山の中の人たちは、鳥か獣のような住居にすんでいる。その家の部屋は高い山の頂上に棚の様に段々の平地を作って、付着しているかのように存在する。(大江からはとても高い所なので、鳥か獣でないととても住めないというものだ。)
下臨不測江,中有萬里船。

その山頂から下にむかい深い谷がその底の大江まで測れないほどのもので、その大江の中を万里に赴く船が航行しているのである。

多病紛倚薄,少留改年。

自分は多病を併発し、放置している面倒な諸雑事をしなければいけないことが身に逼っている。そして、この地に少し逗留している間にも、年を取ってきている。

域誰慰懷,開顏喜名賢。

都から断絶されたこの地にいて、誰がこの胸のうちを慰めてくれるものがあろうか、ただ、貴殿の様な名のとおった賢者が私の顔のしわを伸ばしてくれることは実に喜ばしいことなのである。

-2

孤陋忝末親,等級敢比肩。

自分は不束ながらあなたとは親戚というだけの繋がりをかたじけなくしているが、身分のちがいはとても肩をならべられるわけのものでない。

人生意頗合,相與襟袂連。

しかし、人生において意気投合したとはいえ、同席して、こうして襟元を連ねさせてもらっている。

一日兩遣僕,三日一共筵。

そして、あなたは一日に二度も下僕をわたくしのところへおつかわしくださり、また三日目くらいに一度酒筵を共にしてくだされるのである。

揚論展寸心,壯筆過飛泉。

わたくしは高声調子で議論をして十分私自身の心をのばすことができ、あなたは湧き出す泉にもまさった勇壮な文筆をおふるいになるのである。

-3

玄成美價存,子山舊業傳。

不聞八尺軀,常受眾目憐。

且為辛苦行,蓋被生事牽。

北回白帝櫂,南入黔陽天。

-4

汧公制方隅,迥出諸侯先。

如太古,時危獨蕭然。

清高金莖露,正直朱絲弦。

昔在堯四岳,今之黃潁川。

-5

于邁恨不同,所思無由宣。

山深水增波,解榻秋露懸。

客遊雖云久,主要月再圓。

晨集風渚亭,醉操〈雲嶠篇〉。

丈夫貴知己,歡罷念歸旋。

 

(李十五丈が贈りて別る)#1

峡人はとりくら鳥獣のごとく居る、其の室に層顛に附く。

下は不測の江に臨み、中に万里の船有り。

多病紛としで倚薄し、少留すれば歳年改まらんとす。

絶域 誰か懐を慰めん、開顔 名賢を喜ぶ。

#2

峡人はとりくら鳥獣のごとく居る、其の室に層顛に附く。

下は不測の江に臨み、中に万里の船有り。

多病紛としで倚薄し、少留すれば歳年改まらんとす。

絶域 誰か懐を慰めん、開顔 名賢を喜ぶ。

-3

玄成 美價存す,子山 舊業傳う。

聞かずや 八尺の軀,常に目の憐みを受くるを

且つ辛苦の行を為す,蓋し生事に牽かる被る。

北 白帝の櫂を回らし,南 黔陽【けんよう】の天に入る。

-4

汧公【けんこう】方隅を制す,迥かに諸侯の先に出ず。

 太古の如く,時 危けれども獨り蕭然たり。

清高なること 金莖の露,正直なること 朱絲の弦。

昔在【むかしなら】ば 堯の四岳にして,今の 黃の潁川なり。

-5

于邁 同じからざりを恨む,所思 宣ぶるに由無し。

山 深くして水 波を增し,解榻 秋露懸る。

客遊 久しと云うと雖も,主は月の再圓なるを要す。

晨には風渚の亭に集り,醉うて〈雲嶠篇〉を操る。

丈夫 知己を貴び,歡 罷みて歸旋せんことを念う。

 

 

『贈李十五丈別』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

-2

孤陋忝末親,等級敢比肩。

人生意頗合,相與襟袂連。

一日兩遣僕,三日一共筵。

揚論展寸心,壯筆過飛泉。

(下し文)

(李十五丈が贈りて別る)#2

峡人はとりくら鳥獣のごとく居る、其の室に層顛に附く。

下は不測の江に臨み、中に万里の船有り。

多病紛としで倚薄し、少留すれば歳年改まらんとす。

絶域 誰か懐を慰めん、開顔 名賢を喜ぶ。

(現代語訳)
自分は不束ながらあなたとは親戚というだけの繋がりをかたじけなくしているが、身分のちがいはとても肩をならべられるわけのものでない。

しかし、人生において意気投合したとはいえ、同席して、こうして襟元を連ねさせてもらっている。

そして、あなたは一日に二度も下僕をわたくしのところへおつかわしくださり、また三日目くらいに一度酒筵を共にしてくだされるのである。

わたくしは高声調子で議論をして十分私自身の心をのばすことができ、あなたは湧き出す泉にもまさった勇壮な文筆をおふるいになるのである。

夔州東川卜居図001
(訳注) -2

贈李十五丈別 -2

(李文嶷が江西観察使李勉のところへ事を以て赴くのでそれに贈りて別意をのべた詩)

李十五丈 丈は年長者に対する敬称。李秘書文嶷の事で、杜甫《1524奉寄李十五秘書文嶷 二首其一》《1525二首其二》(掲載予定)がある。
 

孤陋忝末親,等級敢比肩。

自分は不束ながらあなたとは親戚というだけの繋がりをかたじけなくしているが、身分のちがいはとても肩をならべられるわけのものでない。

孤陋 たすけなくみすぼらし、杜甫が官を辞し、漂浪のたびにあって不才をかこっていること。

忝末親 親戚のはしくれをけがす。杜甫の外祖父崔某の妻も母も、並に宗室の出身であって、李文嶷と遠縁であるということ。

等級 身分の階級のこと。

 

人生意頗合,相與襟袂連。

しかし、人生において意気投合したとはいえ、同席して、こうして襟元を連ねさせてもらっている。

襟袂連 同席するすることをいう。

 

一日兩遣僕,三日一共筵。

そして、あなたは一日に二度も下僕をわたくしのところへおつかわしくださり、また三日目くらいに一度酒筵を共にしてくだされるのである。

遣僕 李が下僕をよこす。

 

揚論展寸心,壯筆過飛泉。

わたくしは高声調子で議論をして十分私自身の心をのばすことができ、あなたは湧き出す泉にもまさった勇壮な文筆をおふるいになるのである。

揚論 口泡で、声だか調子に議論を交わすこと。

展寸心 作者自己の心を自由にひろげていう。思う存分に心を広げて、何でも話すこと。

壯筆 李の筆の運びが躊躇なく敏捷なこと。

過飛泉 文章が湯水のように出てきて、筆さばきが俊敏である。
杜甫55歳756年作品 

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杜甫 奉節-16 《巻15-63 贈李十五丈別 -#1》大江からはとても高い所なので、鳥か獣でないととても住めないというものだ。その山頂から下にむかい深い谷がその底の大江まで測れないほどのもので、その大江の中を万里に赴く船が航行しているのである。

 

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-24-1奉節-16 《巻15-63 贈李十五丈別 -#1》 杜甫index-15 杜甫<887-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5400 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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766年大暦元年55-24-1奉節-16 《巻15-63 贈李十五丈別 -#1》 杜甫index-15 杜甫<887-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5400

 

 

杜甫詩1500-887-1-1250/2500766年大暦元年55-24-1

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    贈李十五丈別【李祕書文嶷。】

及地點:白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城      

 巫州 (黔中道 巫州 巫州) 別名:黔陽            

交遊人物:李文嶷              書信往來(山南東道 夔州 雲安)

李勉    詩文提及(京畿道 京兆府 長安)

 

贈李十五丈別 -1

(李文嶷が江西観察使李勉のところへ事を以て赴くのでそれに贈りて別意をのべた詩)

峽人鳥獸居,其室附層顛。

三峡の山の中の人たちは、鳥か獣のような住居にすんでいる。その家の部屋は高い山の頂上に棚の様に段々の平地を作って、付着しているかのように存在する。(大江からはとても高い所なので、鳥か獣でないととても住めないというものだ。)
下臨不測江,中有萬里船。

その山頂から下にむかい深い谷がその底の大江まで測れないほどのもので、その大江の中を万里に赴く船が航行しているのである。

多病紛倚薄,少留改年。

自分は多病を併発し、放置している面倒な諸雑事をしなければいけないことが身に逼っている。そして、この地に少し逗留している間にも、年を取ってきている。

域誰慰懷,開顏喜名賢。

都から断絶されたこの地にいて、誰がこの胸のうちを慰めてくれるものがあろうか、ただ、貴殿の様な名のとおった賢者が私の顔のしわを伸ばしてくれることは実に喜ばしいことなのである。

-2

孤陋忝末親,等級敢比肩。

人生意頗合,相與襟袂連。

一日兩遣僕,三日一共筵。

揚論展寸心,壯筆過飛泉。

-3

玄成美價存,子山舊業傳。

不聞八尺軀,常受眾目憐。

且為辛苦行,蓋被生事牽。

北回白帝櫂,南入黔陽天。

-4

汧公制方隅,迥出諸侯先。

如太古,時危獨蕭然。

清高金莖露,正直朱絲弦。

昔在堯四岳,今之黃潁川。

-5

于邁恨不同,所思無由宣。

山深水增波,解榻秋露懸。

客遊雖云久,主要月再圓。

晨集風渚亭,醉操〈雲嶠篇〉。

丈夫貴知己,歡罷念歸旋。

 

(李十五丈が贈りて別る)

峡人はとりくら鳥獣のごとく居る、其の室に層顛に附く。

下は不測の江に臨み、中に万里の船有り。

多病紛としで倚薄し、少留すれば歳年改まらんとす。

絶域 誰か懐を慰めん、開顔 名賢を喜ぶ。

 

詩文(含異文)     峽人鳥獸居,其室附層顛。下臨不測江,中有萬里船。多病紛倚薄,少留改年。域誰慰懷,開顏喜名賢。孤陋忝末親,等級敢比肩。人生意頗合【人生意氣合】,相與襟袂連。一日兩遣僕【一日遣兩僕】,三日一共筵【三日共一筵】。揚論展寸心,壯筆過飛泉。玄成美價存,子山舊業傳。不聞八尺軀,常受眾目憐。且為辛苦行,蓋被生事牽。北回白帝櫂,南入黔陽天。汧公【案:李勉封汧國公。】制方隅,迥出諸侯先。封如太古,時危獨蕭然。清高金莖露【清高金莖掌】【清高金掌露】,正直朱絲弦。昔在堯四岳,今之黃潁川。于邁恨不同,所思無由宣。山深水增波,解榻秋露懸。客遊雖云久,主要月再圓。晨集風渚亭,醉操〈雲嶠篇〉。丈夫貴知己,歡罷念歸旋。

夔州東川卜居図001 

 

『贈李十五丈別』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈李十五丈別 -1

峽人鳥獸居,其室附層顛。

下臨不測江,中有萬里船。

多病紛倚薄,少留改年。

域誰慰懷,開顏喜名賢

(下し文)
(李十五丈が贈りて別る)

峡人はとりくら鳥獣のごとく居る、其の室に層顛に附く。

下は不測の江に臨み、中に万里の船有り。

多病紛としで倚薄し、少留すれば歳年改まらんとす。

絶域 誰か懐を慰めん、開顔 名賢を喜ぶ。


(現代語訳)
(李文嶷が江西観察使李勉のところへ事を以て赴くのでそれに贈りて別意をのべた詩)

三峡の山の中の人たちは、鳥か獣のような住居にすんでいる。その家の部屋は高い山の頂上に棚の様に段々の平地を作って、付着しているかのように存在する。(大江からはとても高い所なので、鳥か獣でないととても住めないというものだ。)
その山頂から下にむかい深い谷がその底の大江まで測れないほどのもので、その大江の中を万里に赴く船が航行しているのである。

自分は多病を併発し、放置している面倒な諸雑事をしなければいけないことが身に逼っている。そして、この地に少し逗留している間にも、年を取ってきている。

都から断絶されたこの地にいて、誰がこの胸のうちを慰めてくれるものがあろうか、ただ、貴殿の様な名のとおった賢者が私の顔のしわを伸ばしてくれることは実に喜ばしいことなのである。

唐時代 地図山南 東・西道50
(訳注)

贈李十五丈別 -1

(李文嶷が江西観察使李勉のところへ事を以て赴くのでそれに贈りて別意をのべた詩)

李十五丈 丈は年長者に対する敬称。李秘書文嶷の事で、杜甫《1524奉寄李十五秘書文嶷 二首其一》《1525二首其二》(掲載予定)がある。

 

峽人鳥獸居,其室附層顛。

三峡の山の中の人たちは、鳥か獣のような住居にすんでいる。その家の部屋は高い山の頂上に棚の様に段々の平地を作って、付着しているかのように存在する。(大江からはとても高い所なので、鳥か獣でないととても住めないというものだ。)

峽人鳥獸居 谷の底に住居とせず、マチュピチュの様に天空の村を作ることをいう。

 

下臨不測江,中有萬里船。

その山頂から下にむかい深い谷がその底の大江まで測れないほどのもので、その大江の中を万里に赴く船が航行しているのである。

不測江 杜甫自身足が悪くて山頂にある村がどの程度高いのか計りようがないという意味。下から見えない天空の村であるということ。

 

多病紛倚薄,少留改年。

自分は多病を併発し、放置している面倒な諸雑事をしなければいけないことが身に逼っている。そして、この地に少し逗留している間にも、年を取ってきている。

 面倒な諸雑事。

倚薄 しなければいけないことが身に逼っていること。

 

域誰慰懷,開顏喜名賢。

都から断絶されたこの地にいて、誰がこの胸のうちを慰めてくれるものがあろうか、ただ、貴殿の様な名のとおった賢者が私の顔のしわを伸ばしてくれることは実に喜ばしいことなのである。

 都から断絶されたこの地。

開顏 顔のしわをを伸ばしてくれること。

喜名賢 名のとおった賢者との面会が喜ばしいことであるということ。
 杜甫55歳756年作品

766年大暦元年55歲-23-3奉節-15 《巻15-62 送殿中楊監赴蜀見相公 -#3》 杜甫index-15 杜甫<887-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5395

杜甫 奉節-15 《巻15-62 送殿中楊監赴蜀見相公 -#3山家の門に夕日は落ちかかり、山影は速く夕暮れになりやすい、貴殿もまた、旅先から、ここにいのこっている自分が如何に貴殿を思っているかをわかってくれているはすだ。

 
 2015年1月14日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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766年大暦元年55-23-3奉節-15 《巻15-62 送殿中楊監赴蜀見相公 -#3》 杜甫index-15 杜甫<887-1>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5395
杜甫詩1500-887-1-1250/2500766年大暦元年55
-23-3

 

 

年:766年大暦元年55-

卷別:  卷二二一        文體:  五言古詩

詩題:  送殿中楊監赴蜀見相公【杜鴻漸鎮蜀,辟楊炎為判官。】

及地點:        梁州 (山南西道 梁州梁州) 別名:漢中     

益州 (劍南道北部 益州 益州) 別名:南京、成都府   

交遊人物:楊炎  當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

杜鴻漸 當地交遊(劍南道北部 蜀州 蜀州)

 

 

【同時期関連性のあるもの】

<!--[if !supportLists]-->  <!--[endif]-->15-41 毒熱寄簡崔評事十六弟(大暦元年初秋、残暑が厳しくたまらない暑さの中、従弟の評事官である徘行13の崔公輔より年少の徘行16の内弟崔某にこの詩を手紙として送った)

<!--[if !supportLists]-->  <!--[endif]-->15-60 殿中楊監見示張旭草書圖(朝廷の殿中省の高官の楊が菱州の地に立ち寄った際、張旭の草書図を見せてくれたので、お礼に詠んだもの)【《毒熱寄簡崔評事十六弟》と同様、朝廷によろしく計らってくれという意味を含んだ詩である】

<!--[if !supportLists]-->  <!--[endif]-->15-61 楊監又出畫鷹十二扇

(殿中監楊君が叉十二枚のついたての鷹の画をだしてみせた。その事をよんだ詩。)

<!--[if !supportLists]-->  <!--[endif]-->15-62 送殿中楊監赴蜀見相公

<!--[if !supportLists]-->  <!--[endif]-->15-63 贈李十五丈別

 

 

送殿中楊監赴蜀見相公

(殿中監である楊殿が蜀、成都に赴いて杜鴻漸相公に面会しようとするのを送った詩である。)

去水還波,洩雲無定姿。

去りゆく水には還る波がない、洩れだす雲には定まった形はないものだ。

人生在世間,聚散亦暫時。

」は、別れてしまったもの同士がかさねて逢うというのはたまたま偶然であるというのは当てにはならないことなのだ。

離別重相逢,偶然豈定期。

「散る」は、今こうして、清秋の暮れになる時に貴殿の旅立ちを見送るのであるが、辺りの景色を見渡してみると、老年になった自分にはどうにも悲しくてやりきれないものだ。

送子清秋暮,風物長年悲。

「散る」は、今こうして、清秋の暮れになる時に貴殿の旅立ちを見送るのであるが、辺りの景色を見渡してみると、老年になった自分にはどうにも悲しくてやりきれないものだ。

 

豪俊貴勳業,邦家頻出師。

いま国家はしきりに軍隊を出さねばならない状況であり、豪傑たるものはこの時に勲業を立てることを貴ぶときでもある。

相公鎮梁益,軍事無孑遺。

杜相公は染益地方を鎮撫せられて軍事に手ぬかりはまったくない。

解榻再見今,用才復擇誰。

榻を設けて士を礼遇されることが、今日再び見られる様になったのだ。この人が人才を用ひられるにあたっては貴殿の様な豪傑をおいてだれを選ぶというのか。

況子已高位,為郡得固辭。

まして貴殿はすでに高位にのぼった人ではあるが、州の刺史となって郡をおさめよといわれて、それを辞退することはできまい。

 

難拒供給費,慎哀漁奪私。

官につけば長官から軍費を供給せよといわれればそれを拒むことはむずかしかろうが、気を付けて哀憐の情をもって上司が私利の目的で人民から利益を奪いとることをふせがねばならない。

干戈未甚息,紀綱正所持。

まだ兵乱がやまず不穏な状態が続くのであるから、今が綱紀の維持すべき時なのである。

泛舟巨石橫,登陸草露滋。

貴殿は舟をうかべてゆくと前途に大きな石が横わっている。自分は見送りからかえって陸にのぼると、もう、草の上に露がしげく降りて潤っている。

山門日易久,當念居者思。

山家の門に夕日は落ちかかり、山影は速く夕暮れになりやすい、貴殿もまた、旅先から、ここにいのこっている自分が如何に貴殿を思っているかをわかってくれているはすだ。

 

(李十五丈が贈りて別る)#1

峡人はとりくら鳥獣のごとく居る、其の室に層顛に附く。

下は不測の江に臨み、中に万里の船有り。

多病紛としで倚薄し、少留すれば歳年改まらんとす。

絶域 誰か懐を慰めん、開顔 名賢を喜ぶ。

#2

峡人はとりくら鳥獣のごとく居る、其の室に層顛に附く。

下は不測の江に臨み、中に万里の船有り。

多病紛としで倚薄し、少留すれば歳年改まらんとす。

絶域 誰か懐を慰めん、開顔 名賢を喜ぶ。

-3

玄成 美價存す,子山 舊業傳う。

聞かずや 八尺の軀,常に目の憐みを受くるを

且つ辛苦の行を為す,蓋し生事に牽かる被る。

北 白帝の櫂を回らし,南 黔陽【けんよう】の天に入る。

-4

汧公【けんこう】方隅を制す,迥かに諸侯の先に出ず。

 太古の如く,時 危けれども獨り蕭然たり。

清高なること 金莖の露,正直なること 朱絲の弦。

昔在【むかしなら】ば 堯の四岳にして,今の 黃の潁川なり。

-5

于邁 同じからざりを恨む,所思 宣ぶるに由無し。

山 深くして水 波を增し,解榻 秋露懸る。

客遊 久しと云うと雖も,主は月の再圓なるを要す。

晨には風渚の亭に集り,醉うて〈雲嶠篇〉を操る。

丈夫 知己を貴び,歡 罷みて歸旋せんことを念う。

 

夔州東川卜居図001 

『送殿中楊監赴蜀見相公』現代語訳と訳註解説
(
本文)

難拒供給費,慎哀漁奪私。

干戈未甚息,紀綱正所持。

泛舟巨石橫,登陸草露滋。

山門日易久,當念居者思。

(下し文)
供給の費を拒み難きも,慎みて漁奪の私を哀れめ。

干戈 未だ甚だ息まず,紀綱 正に持する所なり。

舟を泛れば 巨石橫わり,陸を登れば 草露滋し。

山門 日 久しくなり易し,當に念うべし 居者の思うことを。

(現代語訳)
官につけば長官から軍費を供給せよといわれればそれを拒むことはむずかしかろうが、気を付けて哀憐の情をもって上司が私利の目的で人民から利益を奪いとることをふせがねばならない。

まだ兵乱がやまず不穏な状態が続くのであるから、今が綱紀の維持すべき時なのである。

貴殿は舟をうかべてゆくと前途に大きな石が横わっている。自分は見送りからかえって陸にのぼると、もう、草の上に露がしげく降りて潤っている。

山家の門に夕日は落ちかかり、山影は速く夕暮れになりやすい、貴殿もまた、旅先から、ここにいのこっている自分が如何に貴殿を思っているかをわかってくれているはすだ。


蜀中転々圖(訳注)

送殿中楊監赴蜀見相公

(殿中監である楊殿が蜀、成都に赴いて杜鴻漸相公に面会しようとするのを送った詩である。)

相公 杜鴻漸をいう。大暦元年二月、黄門侍郎・同平事杜鴻漸相公に命じて成都尹を兼ね節を持して山南西道剣南東川等の道の副元帥に充て、仍って剣南西河節度使に充つ、郭英乂の乱を平げしを以てなり。黄門侍郎・同平章事は宰相なれば之を相公と称せり。

 

難拒供給費,慎哀漁奪私。

官につけば長官から軍費を供給せよといわれればそれを拒むことはむずかしかろうが、気を付けて哀憐の情をもって上司が私利の目的で人民から利益を奪いとることをふせがねばならない。

供給費 州から節度使の方へ供給する軍費。

漁奪私 漁父が網打ちして魚を取るように民の利をとることをいう。

 

干戈未甚息,紀綱正所持。

まだ兵乱がやまず不穏な状態が続くのであるから、今が綱紀の維持すべき時なのである。

紀綱 秩序をたてること。

 維持すること。

 

泛舟巨石橫,登陸草露滋。

貴殿は舟をうかべてゆくと前途に大きな石が横わってている。自分は見送りからかえって陸にのぼると、もう、草の上に露がしげく降りて潤っている。

泛舟 殿中監の楊が舟で行くこと。

登陸 船で行くものを船まで一旦乗り込んで言葉を交わし、その後地区にあがって見送ることをいう。

 

山門日易久,當念居者思。

山家の門に夕日は落ちかかり、山影は速く夕暮れになりやすい、貴殿もまた、旅先から、ここにいのこっている自分が如何に貴殿を思っているかをわかってくれているはすだ。

山門 山影にある杜甫の家の門。

 楊が思うこと。他の者が思うこと。

居者思 みおくりで居残るものが思うこと。思は自身が思うこと。

唐時代 地図山南 東・西道50 

 

(殿中監である楊殿が蜀、成都に赴いて杜鴻漸相公に面会しようとするのを送った詩である。)

去りゆく水には還る波がない、洩れだす雲には定まった形はないものだ。

それは、そのひとがこの世に生存している時にある物であってあつまったり散らばったりするものしばらくの間のものである。

」は、別れてしまったもの同士がかさねて逢うというのはたまたま偶然であるというのは当てにはならないことなのだ。

「散る」は、今こうして、清秋の暮れになる時に貴殿の旅立ちを見送るのであるが、辺りの景色を見渡してみると、老年になった自分にはどうにも悲しくてやりきれないものだ。』 

 

いま国家はしきりに軍隊を出さねばならない状況であり、豪傑たるものはこの時に勲業を立てることを貴ぶときでもある。

杜相公は染益地方を鎮撫せられて軍事に手ぬかりはまったくない。

榻を設けて士を礼遇されることが、今日再び見られる様になったのだ。この人が人才を用ひられるにあたっては貴殿の様な豪傑をおいてだれを選ぶというのか。

まして貴殿はすでに高位にのぼった人ではあるが、州の刺史となって郡をおさめよといわれて、それを辞退することはできまい。

 

官につけば長官から軍費を供給せよといわれればそれを拒むことはむずかしかろうが、気を付けて哀憐の情をもって上司が私利の目的で人民から利益を奪いとることをふせがねばならない。

まだ兵乱がやまず不穏な状態が続くのであるから、今が綱紀の維持すべき時なのである。

貴殿は舟をうかべてゆくと前途に大きな石が横わっている。自分は見送りからかえって陸にのぼると、もう、草の上に露がしげく降りて潤っている。

山家の門に夕日は落ちかかり、山影は速く夕暮れになりやすい、貴殿もまた、旅先から、ここにいのこっている自分が如何に貴殿を思っているかをわかってくれているはすだ。

766年大暦元年55歲-23-2奉節-15 《巻15-62 送殿中楊監赴蜀見相公 -#2》 杜甫index-15 杜甫<886-3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5390

杜甫 奉節-15 《巻15-62 送殿中楊監赴蜀見相公 -#2》 榻を設けて士を礼遇されることが、今日再び見られる様になったのだ。この人が人才を用ひられるにあたっては貴殿の様な豪傑をおいてだれを選ぶというのか。

 


766年大暦元年55-23-2奉節-15 《巻15-62 送殿中楊監赴蜀見相公 -#2》 杜甫index-15 杜甫<886-3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5390
杜甫詩1500-886-3-1249/2500766年大暦元年55
-23-2

 

 

年:766年大暦元年55-

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    送殿中楊監赴蜀見相公【杜鴻漸鎮蜀,辟楊炎為判官。】

及地點:              梁州 (山南西道 梁州 梁州) 別名:漢中         

益州 (劍南道北部 益州 益州) 別名:南京、成都府     

交遊人物:楊炎    當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

杜鴻漸 當地交遊(劍南道北部 蜀州 蜀州)

 

 

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<!--[if !supportLists]-->  <!--[endif]-->15-60 殿中楊監見示張旭草書圖(朝廷の殿中省の高官の楊が菱州の地に立ち寄った際、張旭の草書図を見せてくれたので、お礼に詠んだもの)【《毒熱寄簡崔評事十六弟》と同様、朝廷によろしく計らってくれという意味を含んだ詩である】

<!--[if !supportLists]-->  <!--[endif]-->15-61 楊監又出畫鷹十二扇

(殿中監楊君が叉十二枚のついたての鷹の画をだしてみせた。その事をよんだ詩。)

<!--[if !supportLists]-->  <!--[endif]-->15-62 送殿中楊監赴蜀見相公

<!--[if !supportLists]-->  <!--[endif]-->15-63 贈李十五丈別

 

 

送殿中楊監赴蜀見相公

(殿中監である楊殿が蜀、成都に赴いて杜鴻漸相公に面会しようとするのを送った詩である。)

去水還波,洩雲無定姿。

去りゆく水には還る波がない、洩れだす雲には定まった形はないものだ。

人生在世間,聚散亦暫時。

」は、別れてしまったもの同士がかさねて逢うというのはたまたま偶然であるというのは当てにはならないことなのだ。

離別重相逢,偶然豈定期。

「散る」は、今こうして、清秋の暮れになる時に貴殿の旅立ちを見送るのであるが、辺りの景色を見渡してみると、老年になった自分にはどうにも悲しくてやりきれないものだ。

送子清秋暮,風物長年悲。

「散る」は、今こうして、清秋の暮れになる時に貴殿の旅立ちを見送るのであるが、辺りの景色を見渡してみると、老年になった自分にはどうにも悲しくてやりきれないものだ。

 

豪俊貴勳業,邦家頻出師。

いま国家はしきりに軍隊を出さねばならない状況であり、豪傑たるものはこの時に勲業を立てることを貴ぶときでもある。

相公鎮梁益,軍事無孑遺。

杜相公は染益地方を鎮撫せられて軍事に手ぬかりはまったくない。

解榻再見今,用才復擇誰。

榻を設けて士を礼遇されることが、今日再び見られる様になったのだ。この人が人才を用ひられるにあたっては貴殿の様な豪傑をおいてだれを選ぶというのか。

況子已高位,為郡得固辭。

まして貴殿はすでに高位にのぼった人ではあるが、州の刺史となって郡をおさめよといわれて、それを辞退することはできまい。

 

難拒供給費,慎哀漁奪私。

干戈未甚息,紀綱正所持。

泛舟巨石橫,登陸草露滋。

山門日易久,當念居者思。

 

(殿中楊監が蜀に赴き相公に見ゆるを送る)

去水 還波をち,洩雲【えいうん】定姿無し。

人は生きて 世間に在り,聚散 亦た暫時なり。

離別 重ねて相い逢う,偶然 豈に期するに定まらんや。

子を送る清秋の暮,風物 長年悲しむ。

#2

豪俊 勳業を貴び,邦家 頻りに師を出だす。

相公 梁益を鎮し,軍事 孑遺【げつい】無し。

解榻【かいとう】再び今に見ゆ,用才 復た誰をか擇ばん。

況んや 子 已に高位なり,為郡 固辭するを得んや。

#3

供給の費を拒み難きも,慎みて漁奪の私を哀れめ。

干戈 未だ甚だ息まず,紀綱 正に持する所なり。

舟を泛れば 巨石橫わり,陸を登れば 草露滋し。

山門 日 久しくなり易し,當に念うべし 居者の思うことを。

 

(送殿中楊監赴蜀見相公 含異文)

去水還波,洩雲無定姿。人生在世間,聚散亦暫時。離別重相逢,偶然豈定期【偶然豈足期】。送子清秋暮,風物長年悲【風動長年悲】。豪俊貴勳業,邦家頻出師。相公鎮梁益,軍事無孑遺。解榻再見今,用才復擇誰。況子已高位,為郡得固辭。難拒供給費,慎哀漁奪私。干戈未甚息,紀綱正所持。泛舟巨石橫,登陸草露滋。山門日易久【山門日易夕】,當念居者思。

京兆地域図002 

 

『送殿中楊監赴蜀見相公』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

豪俊貴勳業,邦家頻出師。

相公鎮梁益,軍事無孑遺。

解榻再見今,用才復擇誰。

況子已高位,為郡得固辭。


(下し文)#2

豪俊 勳業を貴び,邦家 頻りに師を出だす。

相公 梁益を鎮し,軍事 孑遺【げつい】無し。

解榻【かいとう】再び今に見ゆ,用才 復た誰をか擇ばん。

況んや 子 已に高位なり,為郡 固辭するを得んや。

(現代語訳)
いま国家はしきりに軍隊を出さねばならない状況であり、豪傑たるものはこの時に勲業を立てることを貴ぶときでもある。

杜相公は染益地方を鎮撫せられて軍事に手ぬかりはまったくない。

榻を設けて士を礼遇されることが、今日再び見られる様になったのだ。この人が人才を用ひられるにあたっては貴殿の様な豪傑をおいてだれを選ぶというのか。

まして貴殿はすでに高位にのぼった人ではあるが、州の刺史となって郡をおさめよといわれて、それを辞退することはできまい。

夔州東川卜居図001
(訳注)#2

送殿中楊監赴蜀見相公

(殿中監である楊殿が蜀、成都に赴いて杜鴻漸相公に面会しようとするのを送った詩である。)

相公 杜鴻漸をいう。大暦元年二月、黄門侍郎・同平事杜鴻漸相公に命じて成都尹を兼ね節を持して山南西道剣南東川等の道の副元帥に充て、仍って剣南西河節度使に充つ、郭英乂の乱を平げしを以てなり。黄門侍郎・同平章事は宰相なれば之を相公と称せり。

 

豪俊貴勳業,邦家頻出師。

いま国家はしきりに軍隊を出さねばならない状況であり、豪傑たるものはこの時に勲業を立てることを貴ぶときでもある。

 

相公鎮梁益,軍事無孑遺。

杜相公は染益地方を鎮撫せられて軍事に手ぬかりはまったくない。

鎮梁益 鎮は副元帥・節度使として駐在することをいう。梁益は蜀地をさす。唐の禹貢の梁州の域たり、叉剣閣より河南地方は漢代り益州の地である。

孑遺 闕遺・遺漏という意。「詩経」雲漢篇に「周餘黎民、靡有孑遺」(周餘の黎民孑遺有る靡し)、とみえる。

 

解榻再見今,用才復擇誰。

榻を設けて士を礼遇されることが、今日再び見られる様になったのだ。この人が人才を用ひられるにあたっては貴殿の様な豪傑をおいてだれを選ぶというのか。

解榻 榻は椅子のこと、朝廷改革のこと。人選についてをいう。

擇誰 貴殿の様な豪傑をおいてだれを選ぶというのか。

 

況子已高位,為郡得固辭。

まして貴殿はすでに高位にのぼった人ではあるが、州の刺史となって郡をおさめよといわれて、それを辞退することはできまい。

為郡 郡の政治を治めること。

得固辭 辞退することを得んや。
杜甫55歳756年作品

 
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杜鴻漸 當地交遊(劍南道北部 蜀州 蜀州)

 

 

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<!--[if !supportLists]-->  <!--[endif]-->15-41 毒熱寄簡崔評事十六弟(大暦元年初秋、残暑が厳しくたまらない暑さの中、従弟の評事官である徘行13の崔公輔より年少の徘行16の内弟崔某にこの詩を手紙として送った)

<!--[if !supportLists]-->  <!--[endif]-->15-60 殿中楊監見示張旭草書圖(朝廷の殿中省の高官の楊が菱州の地に立ち寄った際、張旭の草書図を見せてくれたので、お礼に詠んだもの)【《毒熱寄簡崔評事十六弟》と同様、朝廷によろしく計らってくれという意味を含んだ詩である】

<!--[if !supportLists]-->  <!--[endif]-->15-61 楊監又出畫鷹十二扇

(殿中監楊君が叉十二枚のついたての鷹の画をだしてみせた。その事をよんだ詩。)

<!--[if !supportLists]-->  <!--[endif]-->15-62 送殿中楊監赴蜀見相公

<!--[if !supportLists]-->  <!--[endif]-->15-63 贈李十五丈別

 

 

送殿中楊監赴蜀見相公

(殿中監である楊殿が蜀、成都に赴いて杜鴻漸相公に面会しようとするのを送った詩である。)

去水還波,洩雲無定姿。

去りゆく水には還る波がない、洩れだす雲には定まった形はないものだ。

人生在世間,聚散亦暫時。

」は、別れてしまったもの同士がかさねて逢うというのはたまたま偶然であるというのは当てにはならないことなのだ。

離別重相逢,偶然豈定期。

「散る」は、今こうして、清秋の暮れになる時に貴殿の旅立ちを見送るのであるが、辺りの景色を見渡してみると、老年になった自分にはどうにも悲しくてやりきれないものだ。

送子清秋暮,風物長年悲。

「散る」は、今こうして、清秋の暮れになる時に貴殿の旅立ちを見送るのであるが、辺りの景色を見渡してみると、老年になった自分にはどうにも悲しくてやりきれないものだ。

 

豪俊貴勳業,邦家頻出師。

相公鎮梁益,軍事無孑遺。

解榻再見今,用才復擇誰。

況子已高位,為郡得固辭。

 

難拒供給費,慎哀漁奪私。

干戈未甚息,紀綱正所持。

泛舟巨石橫,登陸草露滋。

山門日易久,當念居者思。

 

(殿中楊監が蜀に赴き相公に見ゆるを送る)

去水 還波をち,洩雲【えいうん】定姿無し。

人は生きて 世間に在り,聚散 亦た暫時なり。

離別 重ねて相い逢う,偶然 豈に期するに定まらんや。

子を送る清秋の暮,風物 長年悲しむ。

#2

峡人はとりくら鳥獣のごとく居る、其の室に層顛に附く。

下は不測の江に臨み、中に万里の船有り。

多病紛としで倚薄し、少留すれば歳年改まらんとす。

絶域 誰か懐を慰めん、開顔 名賢を喜ぶ。

-3

玄成 美價存す,子山 舊業傳う。

聞かずや 八尺の軀,常に目の憐みを受くるを

且つ辛苦の行を為す,蓋し生事に牽かる被る。

北 白帝の櫂を回らし,南 黔陽【けんよう】の天に入る。

-4

汧公【けんこう】方隅を制す,迥かに諸侯の先に出ず。

 太古の如く,時 危けれども獨り蕭然たり。

清高なること 金莖の露,正直なること 朱絲の弦。

昔在【むかしなら】ば 堯の四岳にして,今の 黃の潁川なり。

-5

于邁 同じからざりを恨む,所思 宣ぶるに由無し。

山 深くして水 波を增し,解榻 秋露懸る。

客遊 久しと云うと雖も,主は月の再圓なるを要す。

晨には風渚の亭に集り,醉うて〈雲嶠篇〉を操る。

丈夫 知己を貴び,歡 罷みて歸旋せんことを念う。

(送殿中楊監赴蜀見相公 含異文)

去水還波,洩雲無定姿。人生在世間,聚散亦暫時。離別重相逢,偶然豈定期【偶然豈足期】。送子清秋暮,風物長年悲【風動長年悲】。豪俊貴勳業,邦家頻出師。相公鎮梁益,軍事無孑遺。解榻再見今,用才復擇誰。況子已高位,為郡得固辭。難拒供給費,慎哀漁奪私。干戈未甚息,紀綱正所持。泛舟巨石橫,登陸草露滋。山門日易久【山門日易夕】,當念居者思。

 

唐時代 地図山南 東・西道50 

『送殿中楊監赴蜀見相公』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

送殿中楊監赴蜀見相公

去水還波,洩雲無定姿。

人生在世間,聚散亦暫時。

離別重相逢,偶然豈定期。

送子清秋暮,風物長年悲。


(下し文)
(殿中楊監が蜀に赴き相公に見ゆるを送る)

去水 還波をち,洩雲【えいうん】定姿無し。

人は生きて 世間に在り,聚散 亦た暫時なり。

離別 重ねて相い逢う,偶然 豈に期するに定まらんや。

子を送る清秋の暮,風物 長年悲しむ。

(現代語訳)
(殿中監である楊殿が蜀、成都に赴いて杜鴻漸相公に面会しようとするのを送った詩である。)

去りゆく水には還る波がない、洩れだす雲には定まった形はないものだ。

それは、そのひとがこの世に生存している時にある物であってあつまったり散らばったりするものしばらくの間のものである。

」は、別れてしまったもの同士がかさねて逢うというのはたまたま偶然であるというのは当てにはならないことなのだ。

「散る」は、今こうして、清秋の暮れになる時に貴殿の旅立ちを見送るのであるが、辺りの景色を見渡してみると、老年になった自分にはどうにも悲しくてやりきれないものだ。
夔州東川卜居図001 


(訳注)

送殿中楊監赴蜀見相公

(殿中監である楊殿が蜀、成都に赴いて杜鴻漸相公に面会しようとするのを送った詩である。)

相公 杜鴻漸をいう。大暦元年二月、黄門侍郎・同平事杜鴻漸相公に命じて成都尹を兼ね節を持して山南西道剣南東川等の道の副元帥に充て、仍って剣南西河節度使に充つ、郭英乂の乱を平げしを以てなり。黄門侍郎・同平章事は宰相なれば之を相公と称せり。

 

去水還波,洩雲無定姿。

去りゆく水には還る波がない、洩れだす雲には定まった形はないものだ。

還波 寄せて還る波をいう。

洩雲 入道雲。

定姿 一定不易の形。

 

人生在世間,聚散亦暫時。

それは、そのひとがこの世に生存している時にある物であってあつまったり散らばったりするものしばらくの間のものである。

 

離別重相逢,偶然豈定期。

」は、別れてしまったもの同士がかさねて逢うというのはたまたま偶然であるというのは当てにはならないことなのだ。

 

送子清秋暮,風物長年悲。

「散る」は、今こうして、清秋の暮れになる時に貴殿の旅立ちを見送るのであるが、辺りの景色を見渡してみると、老年になった自分にはどうにも悲しくてやりきれないものだ。

清秋暮 清々しい枷が吹く季節から悲愁の秋に移り変わっていくこと。

風物 辺りの景色。

長年悲 年寄りの経験から悲しむべき事柄をいう。

766年大暦元年55歲-22-2奉節-14 《巻15-61 楊監又出畫鷹十二扇 -#2》 杜甫index-15 杜甫<886-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5380

杜甫 奉節-14 《巻15-61 楊監又出畫鷹十二扇 -#2君主のために朝廷に巣食う狡兎を除くためには、必ずこの画にある様な鷹と鷹師が韘を纏って乗り出した上で、翻ってくれることであらう。この画を見て思い望むことである。

 

 
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杜甫詩1500-886-1-1247/2500766年大暦元年55-22-2

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:  卷二二一        文體:  五言古詩

詩題:  楊監又出畫鷹十二扇

寫及地點:驪山 (京畿道 京兆府 驪山) 別名:東山   

大明宮 (京畿道 京兆府 長安) 別名:永安宮、蓬萊宮、含元殿、蓬萊殿

交遊人物:楊炎  當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

【同時期関連性のあるもの】

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<!--[if !supportLists]-->  <!--[endif]-->15-60 殿中楊監見示張旭草書圖(朝廷の殿中省の高官の楊が菱州の地に立ち寄った際、張旭の草書図を見せてくれたので、お礼に詠んだもの)【《毒熱寄簡崔評事十六弟》と同様、朝廷によろしく計らってくれという意味を含んだ詩である】

<!--[if !supportLists]-->  <!--[endif]-->15-61 楊監又出畫鷹十二扇

<!--[if !supportLists]-->  <!--[endif]-->15-62 送殿中楊監赴蜀見相公

<!--[if !supportLists]-->  <!--[endif]-->15-63 贈李十五丈別

 

 

楊監又出畫鷹十二扇#1

(殿中監楊君が叉十二枚のついたての鷹の画をだしてみせた。その事をよんだ詩。)

近時馮紹正,能畫鷙鳥樣。

ちかごろ馮紹正といふ者が能く猛鳥のさまをえがいた。

明公出此圖,無乃傳其狀。

いま君がもちだした圖は馮紹正の画の模写と添え書きで世に伝えるものである。

いま君がもちだした圖は馮紹正の画の模写と添え書きで世に伝えるものである。

殊姿各獨立,清心有向。

非凡な姿が十二枚それぞれ濁立しており、鷹のすみきったこころはなにか目的物をねらっている様だ。

疾禁千里馬,氣敵萬人將。

この鷹のはやいことは千里の馬にも相当するであろう。鷹の意気は萬人の大勝にも匹敵するであろう。

憶昔驪山宮,冬移含元仗。

これにつけておもいだすは冬になると玄宗皇帝は含元殿から儀仗を驪山の華清官へおうつしになった。

#2

天寒大羽獵,此物神俱王。

玄宗皇帝は、天の寒いときには大いに猟をあそばされ、すべての鷹が神気旺盛であった。

當時無凡材,百中皆用壯。

その頃集められた鷹は一疋でも凡材が無く、どれも百発百中の能力あるもので勇壮なものばかり用いられた。

粉墨形似間,識者一惆悵。

今ここに、粉墨形貌の間に同じ鷹のさまを見ると識者たるもの当時の朝廷でのことを思い、全くうらめしさの情にたえられないのである。

干戈少暇日,真骨老崖嶂。

この十年以上も、兵乱のため、戦火が少しも収まることなく、本物の鷹が、獲物を狙うその能力を生かすことなく崖嶂のうちに老いつつあるということだ。

為君除狡兔,會是翻韝上。

だから君主のために朝廷に巣食う狡兎を除くためには、必ずこの画にある様な鷹と鷹師が韘を纏って乗り出した上で、翻ってくれることであらう。この画を見て思い望むことである。

 

(楊監 又た出畫鷹十二扇をだす。)#1

近時の馮紹正,能く鷙鳥の樣を畫く。

明公 此の圖を出だして,乃ち其の狀を傳うること無からん。

殊姿 各の獨立し,清 心 向うこと有り。

疾 禁す 千里の馬,氣 敵す 萬人の將。

憶う昔 驪山の宮,冬移す含元の仗。

#2

天 寒くして大いに羽獵【うりょう】す,此の物は 神と俱に王【さかん】にす。

當時 凡材無く,百中 皆 壯なるを用う。

粉墨 形似の間,識者 一つに惆悵す。

干戈 暇日少くし,真骨 崖嶂に老ゆ。

君が為に狡兔を除き,會【かなら】ず是れ韝上【こうじょう】に翻えらん。

 

(含異文)

近時馮紹正【:官少府監,善畫鷹鳥。】,能畫鷙鳥樣。明公出此圖,無乃傳其狀。殊姿各獨立,清心有向【清心有尚】。疾禁千里馬,氣敵萬人將。憶昔驪山宮,冬移含元仗。天寒大羽獵,此物神俱王。當時無凡材,百中皆用壯。粉墨形似間,識者一惆悵。干戈少暇日,真骨老崖嶂。為君除狡兔,會是翻韝上【會是飛韝上】。

皇城001 

 

楊監又出畫鷹十二扇』 現代語訳と訳註解説

(本文)

天寒大羽獵,此物神俱王。

當時無凡材,百中皆用壯。

粉墨形似間,識者一惆悵。

干戈少暇日,真骨老崖嶂。

為君除狡兔,會是翻韝上。

 

(下し文)#2

天 寒くして大いに羽獵【うりょう】す,此の物は 神と俱に王【さかん】にす。

當時 凡材無く,百中 皆 壯なるを用う。

粉墨 形似の間,識者 一つに惆悵す。

干戈 暇日少くし,真骨 崖嶂に老ゆ。

君が為に狡兔を除き,會【かなら】ず是れ韝上【こうじょう】に翻えらん。

 

(現代語訳)

玄宗皇帝は、天の寒いときには大いに猟をあそばされ、すべての鷹が神気旺盛であった。

その頃集められた鷹は一疋でも凡材が無く、どれも百発百中の能力あるもので勇壮なものばかり用いられた。

今ここに、粉墨形貌の間に同じ鷹のさまを見ると識者たるもの当時の朝廷でのことを思い、全くうらめしさの情にたえられないのである。

この十年以上も、兵乱のため、戦火が少しも収まることなく、本物の鷹が、獲物を狙うその能力を生かすことなく崖嶂のうちに老いつつあるということだ。

だから君主のために朝廷に巣食う狡兎を除くためには、必ずこの画にある様な鷹と鷹師が韘を纏って乗り出した上で、翻ってくれることであらう。この画を見て思い望むことである。

京兆地域図002 

(訳注)#2

楊監又出畫鷹十二扇#2

(殿中監楊君が叉十二枚のついたての鷹の画をだしてみせた。その事をよんだ詩。)

 朝廷の高官の楊殿中監が菱州の地に立ち寄ったもの。

屏風のように十二曲の衝立のよなもの。
 

天寒大羽獵,此物神俱王。

玄宗皇帝は、天の寒いときには大いに猟をあそばされ、すべての鷹が神気旺盛であった。

羽獵 鷹狩をすること。

神俱王 王は旺盛なこと。鷹の勢いが神がかりであること。すべての鷹が神気旺盛であること。

 

當時無凡材,百中皆用壯。

その頃集められた鷹は一疋でも凡材が無く、どれも百発百中の能力あるもので勇壮なものばかり用いられた。

凡材 つまらない、普通の能力の鷹のこと。

百中 弓で射て百発百中であること。ここはたかが百発百中で獲物を捕らえること。

皆用壯 ここに集められた鷹の事で、すべての鷹が勇壮で凛としていることをいう。

 

粉墨形似間,識者一惆悵。

今ここに、粉墨形貌の間に同じ鷹のさまを見ると識者たるもの当時の朝廷でのことを思い、全くうらめしさの情にたえられないのである。

粉墨 練絹の上の白の糊粉と墨の黒をいう。

形似間 実際の鷹の描かれている姿形、様子がよく似ていること。

識者 見識のある人。当時、見識ある房琯のグループの一員であった杜甫が、宦官一派と、賀蘭進明、第五琦らによってグループ全員左遷されたこと「惆悵」をいう。

 

干戈少暇日,真骨老崖嶂。

この十年以上も、兵乱のため、戦火が少しも収まることなく、本物の鷹が、獲物を狙うその能力を生かすことなく崖嶂のうちに老いつつあるということだ。

真骨 本物の鷹。真にその能力を生かしきったもの。杜甫自身をいう。

崖嶂 山の崖と、峰。

 

為君除狡兔,會是翻韝上。

だから君主のために朝廷に巣食う狡兎を除くためには、必ずこの画にある様な鷹と鷹師が韘を纏って乗り出した上で、翻ってくれることであらう。この画を見て思い望むことである。

為君 天子、代宗のために。この時の朝廷にご都合主義の者の集まりであったこと、宦官の影響力がさらに強化拡大していることで、それをなくすことをいう。

除狡兔 ずるがしこい兔。朝廷内の杜甫たちを左遷に追い込んだ者たち。

會是 必ず、本物の鷹が~する。

翻韝上 韘をまとい、勇壮な鷹を手にし、狩に出かけたうえで楚の鷹が翻るのを見るという意味。・韝(ゆがけ):鷹師のみに着ける革製の方から臂腕先までの用具。
夔州東川卜居図001 

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766年大暦元年55-22-1奉節-14 《巻15-61 楊監又出畫鷹十二扇 -#1》 杜甫index-15 杜甫<885-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5370

 

杜甫詩1500-885-1-1245/2500766年大暦元年55-22-1

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:  卷二二一        文體:  五言古詩

詩題:  楊監又出畫鷹十二扇

寫及地點:驪山 (京畿道 京兆府 驪山) 別名:東山   

大明宮 (京畿道 京兆府 長安) 別名:永安宮、蓬萊宮、含元殿、蓬萊殿

交遊人物:楊炎  當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

【同時期関連性のあるもの】

<!--[if !supportLists]-->  <!--[endif]-->15-41 毒熱寄簡崔評事十六弟(大暦元年初秋、残暑が厳しくたまらない暑さの中、従弟の評事官である徘行13の崔公輔より年少の徘行16の内弟崔某にこの詩を手紙として送った)

<!--[if !supportLists]-->  <!--[endif]-->15-60 殿中楊監見示張旭草書圖(朝廷の殿中省の高官の楊が菱州の地に立ち寄った際、張旭の草書図を見せてくれたので、お礼に詠んだもの)【《毒熱寄簡崔評事十六弟》と同様、朝廷によろしく計らってくれという意味を含んだ詩である】

<!--[if !supportLists]-->  <!--[endif]-->15-61 楊監又出畫鷹十二扇

<!--[if !supportLists]-->  <!--[endif]-->15-62 送殿中楊監赴蜀見相公

<!--[if !supportLists]-->  <!--[endif]-->15-63 贈李十五丈別

 

 

楊監又出畫鷹十二扇#1

(殿中監楊君が叉十二枚のついたての鷹の画をだしてみせた。その事をよんだ詩。)

近時馮紹正,能畫鷙鳥樣。

ちかごろ馮紹正といふ者が能く猛鳥のさまをえがいた。

明公出此圖,無乃傳其狀。

いま君がもちだした圖は馮紹正の画の模写と添え書きで世に伝えるものである。

いま君がもちだした圖は馮紹正の画の模写と添え書きで世に伝えるものである。

殊姿各獨立,清心有向。

非凡な姿が十二枚それぞれ濁立しており、鷹のすみきったこころはなにか目的物をねらっている様だ。

疾禁千里馬,氣敵萬人將。

この鷹のはやいことは千里の馬にも相当するであろう。鷹の意気は萬人の大勝にも匹敵するであろう。

憶昔驪山宮,冬移含元仗。

これにつけておもいだすは冬になると玄宗皇帝は含元殿から儀仗を驪山の華清官へおうつしになった。

#2

天寒大羽獵,此物神俱王。

當時無凡材,百中皆用壯。

粉墨形似間,識者一惆悵。

干戈少暇日,真骨老崖嶂。

為君除狡兔,會是翻韝上。

 

(楊監 又た出畫鷹十二扇をだす。)#1

近時の馮紹正,能く鷙鳥の樣を畫く。

明公 此の圖を出だして,乃ち其の狀を傳うること無からん。

殊姿 各の獨立し,清 心 向うこと有り。

疾 禁す 千里の馬,氣 敵す 萬人の將。

憶う昔 驪山の宮,冬移す含元の仗。

#2

天 寒くして大いに羽獵【うりょう】す,此の物は 神と俱に王【さかん】にす。

當時 凡材無く,百中 皆 壯なるを用う。

粉墨 形似の間,識者 一つに惆悵す。

干戈 暇日少くし,真骨 崖嶂に老ゆ。

君が為に狡兔を除き,會【かなら】ず是れ韝上【こうじょう】に翻えらん。

 

(含異文)

近時馮紹正【:官少府監,善畫鷹鳥。】,能畫鷙鳥樣。明公出此圖,無乃傳其狀。殊姿各獨立,清心有向【清心有尚】。疾禁千里馬,氣敵萬人將。憶昔驪山宮,冬移含元仗。天寒大羽獵,此物神俱王。當時無凡材,百中皆用壯。粉墨形似間,識者一惆悵。干戈少暇日,真骨老崖嶂。為君除狡兔,會是翻韝上【會是飛韝上】。

 

京兆地域図002 

楊監又出畫鷹十二扇』 現代語訳と訳註解説

(本文)

楊監又出畫鷹十二扇#1

近時馮紹正,能畫鷙鳥樣。

明公出此圖,無乃傳其狀。

殊姿各獨立,清心有向。

疾禁千里馬,氣敵萬人將。

憶昔驪山宮,冬移含元仗。

 

(下し文)

(楊監 又た出畫鷹十二扇をだす。)#1

近時の馮紹正,能く鷙鳥の樣を畫く。

明公 此の圖を出だして,乃ち其の狀を傳うること無からん。

殊姿 各の獨立し,清 心 向うこと有り。

疾 禁す 千里の馬,氣 敵す 萬人の將。

憶う昔 驪山の宮,冬移す含元の仗。
 

(現代語訳)

(殿中監楊君が叉十二枚のついたての鷹の画をだしてみせた。その事をよんだ詩。)

ちかごろ馮紹正といふ者が能く猛鳥のさまをえがいた。

いま君がもちだした圖は馮紹正の画の模写と添え書きで世に伝えるものである。

非凡な姿が十二枚それぞれ濁立しており、鷹のすみきったこころはなにか目的物をねらっている様だ。

この鷹のはやいことは千里の馬にも相当するであろう。鷹の意気は萬人の大勝にも匹敵するであろう。

これにつけておもいだすは冬になると玄宗皇帝は含元殿から儀仗を驪山の華清官へおうつしになった。

云亭 

(訳注)

楊監又出畫鷹十二扇#1

(殿中監楊君が叉十二枚のついたての鷹の画をだしてみせた。その事をよんだ詩。)

 朝廷の高官の楊殿中監が菱州の地に立ち寄ったもの。

屏風のように十二曲の衝立のよなもの。

 

近時馮紹正,能畫鷙鳥樣。

ちかごろ馮紹正といふ者が能く猛鳥のさまをえがいた。

馮紹正 開元八年に部侍郎となる。鷹、鶻雞、雉を画いた作品が多い。開元2 714年 正月、教坊を蓬莱宮側におき、玄宗みずから法曲を教授す、これを梨園の弟子という。天宝6 747年 天下に詔して、一芸に通ずるものを長安に集めて試験す。馮紹正がその中の一人であったこと。唐の張遠の《歷代名畫記唐朝上、巻九》に「馮紹正 開元中任少府監, 八年為部侍郎。 尤善鷹鶻雞雉, 盡其形態, 觜眼爪毛彩俱妙。曾於禁中畫五龍堂,亦稱其善,有降雲蓄雨之感。」とある。

鷙鳥 猛鳥。

 

明公出此圖,無乃傳其狀。

いま君がもちだした圖は馮紹正の画の模写と添え書きで世に伝えるものである。

明公 楊殿中監のこと。

傳其狀 馮紹正の画の模写と添え書きで世に伝える。。

 

殊姿各獨立,清心有向。

非凡な姿が十二枚それぞれ濁立しており、鷹のすみきったこころはなにか目的物をねらっている様だ。

 神気のすみきっているをいう。

心有向 鷹の心が或る目的に向つていることをいう。

 

疾禁千里馬,氣敵萬人將。

この鷹のはやいことは千里の馬にも相当するであろう。鷹の意気は萬人の大勝にも匹敵するであろう。

疾禁 眼にもとまらないほど速く走ること。

 

憶昔驪山宮,冬移含元仗。

これにつけておもいだすは冬になると玄宗皇帝は含元殿から儀仗を驪山の華清官へおうつしになった。

驪山宮 驪山はいまの陝西省臨潼県の東南、つまり長安の東の郊外にある山に立てられた避寒の離宮、華清温泉宮。 
夔州東川卜居図001

766年大暦元年55歲-21-3奉節-14 《巻15-60 殿中楊監見示張旭草書圖 -#3》 杜甫index-15 杜甫<885-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5370

杜甫 奉節-14 《巻15-60 殿中楊監見示張旭草書圖 -#3張芝と王義之とが死してのちは張旭に非らずして、だれが彼等と百世代にわたる書の法則を並べられものがあるだろうか。自分もそれにつけてむかし張旭が大筆の毫毛のさきを揮ったことをおもひうかべる、ただ、彼がそれほどの書を書く際の酒の量がどれほどのものかはることはできないのである。

 

 
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杜甫詩1500-885-1-1245/2500766年大暦元年55-21-3

年:766年大暦元年55-21-1

卷別:  卷二二一         文體:        五言古詩

詩題:  殿中楊監見示張旭草書圖【殿中監掌天子服御事,楊監謂楊炎。】

交遊人物/地點: 楊炎    當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

殿中楊監見示張旭草書圖

(朝廷の殿中省の高官の楊が菱州の地に立ち寄った際、張旭の草書図を見せてくれたので、お礼に詠んだもの)【《毒熱寄簡崔評事十六弟》と同様、朝廷によろしく計らってくれという意味を含んだ詩である】

斯人已云亡,草聖秘難得。

張旭が死んでしまってからは草聖とよばれ張伯英の秘伝は得がたいものである。

及茲煩見示,滿目一淒惻。

いま幸いにして、楊殿のおかげで張旭の筆蹟をみせてもらったが、みてすぐに、胸中全く悽惻の情にたえないのである。

悲風生微綃,萬里起古色。

書をひろげると悲しそうな風が絹の表地に生じ、はるか遠地から古色が起ってくる。

#2

鏘鏘鳴玉動,落落群松直。

書風をみると、その進退疾徐のさまは鏘鏘として人のあるくときの鳴玉のおとがうごくがごとく実に躍動的で、その蒼勁なるところは落落不羣に多くの松がのびやかにまっすぐに立てるがごとく、字の縦軸がしっかりしている。

連山蟠其間,溟漲與筆力。

その起伏せる勢は連山がその間にわだかまれるがごとく横にたいしてもバランスよく書かれ、その浩大なるところは、ひろい海の潮が其の力をあたえたるかのごとく筆の運びの力感、広がり、墨の勢い、濃淡、にじみがバランスよく書かれている。

有練實先書,臨池真盡墨。

張旭は(昔の張芝の様に)練絹があれば先ず之に書きつけ、良い硯を選んで池に臨みては飽水ことごとくたっぷりと墨に化してしまう。

俊拔為之主,暮年思轉極。

彼の書は俊抜ということ、活きた筆の運びをすることを主眼とし、その晩年にはその思い、それに伴う技量がいよいよその極致に達しているのが書にあらわれている。

#3

未知張王後,誰並百代則。

張芝と王義之とが死してのちは張旭に非らずして、だれが彼等と百世代にわたる書の法則を並べられものがあるだろうか。

鳴呼東精,逸氣感清識。

ああ、張旭は東呉の精霊と称せられており、その高逸の気が殿中監楊君の鑒識をうごかした。

楊公拂篋笥,舒卷忘寢食。

それで揚君はこのほこりをうち彿って、張旭の書をくりひろげたり、巻いたりして寝食を忘れておられるほどである。

念昔揮毫端,不獨觀酒德。

自分もそれにつけてむかし張旭が大筆の毫毛のさきを揮ったことをおもひうかべる、ただ、彼がそれほどの書を書く際の酒の量がどれほどのものかはることはできないのである。

 

(殿中 楊監 張旭が草書圖を見示【しめ】さる。)

斯の人 已に云【ここ】に亡し,草聖 秘 得難し。

茲に見示【しめ】さるるを煩わすに及び,滿目 一つに淒惻【せいそく】す。

悲風 微綃【びしょう】に生じ,萬里 古色起る。

#2

鏘鏘【しょうしょう】として鳴玉 動き,落落として群松直し。

連山 其の間に蟠り,溟漲【めいちょう】筆力を與う。

練有りて實に先ず書し,池に臨みて真に盡く墨す。

俊拔 之が主と為し,暮年 思う 轉た極まれり。

#3

未だ知らず 張王の後,誰か百代の則を並ばん。

鳴呼 東精,逸氣 清識を感ぜん。

楊公 篋笥を拂い,舒卷【じょけん】寢食を忘る。

念う昔 毫端を揮いしを,獨り酒德を觀るのみならず。

 

 

(含異文)      斯人已云亡,草聖秘難得。及茲煩見示,滿目一淒惻。悲風生微綃,萬里起古色。鏘鏘鳴玉動,落落群松直。連山蟠其間,溟漲與筆力。有練實先書,臨池真盡墨。俊拔為之主,暮年思轉極。未知張王後,誰並百代則。鳴呼東精【⇒李頎贈張顛詩「皓首窮草隸,時稱太湖精」。】,逸氣感清識。楊公拂篋笥,舒卷忘寢食。念昔揮毫端,不獨觀酒德。

 

夔州東川卜居図001 

『殿中楊監見示張旭草書圖』 現代語訳と訳註解説

(本文) #3

#3

未知張王後,誰並百代則。

鳴呼東精,逸氣感清識。

楊公拂篋笥,舒卷忘寢食。

念昔揮毫端,不獨觀酒德。

 

(下し文)

未だ知らず 張王の後,誰か百代の則を並ばん。

鳴呼 東の精,逸氣 清識を感ぜん。

楊公 篋笥を拂い,舒卷【じょけん】寢食を忘る。

念う昔 毫端を揮いしを,獨り酒德を觀るのみならず。

 

(現代語訳)

張芝と王義之とが死してのちは張旭に非らずして、だれが彼等と百世代にわたる書の法則を並べられものがあるだろうか。

ああ、張旭は東呉の精霊と称せられており、その高逸の気が殿中監楊君の鑒識をうごかした。

それで揚君はこのほこりをうち彿って、張旭の書をくりひろげたり、巻いたりして寝食を忘れておられるほどである。

自分もそれにつけてむかし張旭が大筆の毫毛のさきを揮ったことをおもひうかべる、ただ、彼がそれほどの書を書く際の酒の量がどれほどのものかはることはできないのである。

唐時代 地図山南 東・西道50 

(訳注) #3

殿中楊監見示張旭草書圖

(朝廷の殿中省の高官の楊が菱州の地に立ち寄った際、張旭の草書図を見せてくれたので、お礼に詠んだもの)【《毒熱寄簡崔評事十六弟》と同様、朝廷によろしく計らってくれという意味を含んだ詩である】

殿中監 殿中省(でんちゅう-しょう)は中国の古代官制の一つ。皇帝の衣食住を管轄した。三国時代、魏により設置された殿中監を前身とする。隋代に殿内省とされたは、唐朝が成立すると620年(武徳3年)に殿中省と改称され、殿中監、殿中少監、殿中丞の下に尚食、尚薬、尚衣、尚舎、尚乗、尚輦の6局が設置された。

 朝廷の高官の楊が菱州の地に立ち寄ったもの。

張旭 呉郡の人、右率府長史となる。草書を善くし、酒を好み、酔えば号呼狂走しつつ筆をもとめて渾灑し、又或は大叫しながら頭髪を以て水墨の中をかきまわして書き、さめて後自ずから視て神異となしたという。杜甫《飲中八仙歌》「張旭三杯草聖傳,帽露頂王公前,揮毫落紙如雲煙。』張旭は三杯の酒を飲んで見事な草書を披露する、王侯の前で脱帽して頭を向け、筆を振るえば雲のように自在な字が現れる。」飲中八仙歌 杜甫

草書圖 王羲之の筆陣図のようなもの

 

未知張王後,誰並百代則。

張芝と王義之とが死してのちは張旭に非らずして、だれが彼等と百世代にわたる書の法則を並べられものがあるだろうか。

張王 後漢の張芝と東晋の王羲之のこと。後漢の張芝、字は伯英、草聖 草聖伝 韋仲將之は草書の聖人とよばれたが、張旭が酔うと草聖の書法が、彼に伝わるというのを『飲中八仙歌』でものべている。杜甫《飲中八仙歌》「張旭三杯草聖傳,帽露頂王公前,揮毫落紙如雲煙。』張旭は三杯の酒を飲んで見事な草書を披露する、王侯の前で脱帽して頭を向け、筆を振るえば雲のように自在な字が現れる。」飲中八仙歌 杜甫

王羲之 東晋の政治家・書家。字は逸少。右軍将軍となったことから世に王右軍とも呼ばれる。本籍は琅邪郡臨沂。魏晋南北朝時代を代表する門閥貴族、琅邪王氏の出身である。曾祖父は王覧、祖父は王正、父は王曠。子に王玄之、王凝之、王渙之、王粛之、王徽之、王操之、王献之がいる。草書圖 王羲之の筆陣図のようなもの

百代則 百世代にわたる書の法則。

 

鳴呼東精,逸氣感清識。

ああ、張旭は東呉の精霊と称せられており、その高逸の気が殿中監楊君の鑒識をうごかした。

精 東の呉の国の精霊、張旭の出身をいう。

逸氣 張旭の書が持っているすぐれた気。

清識 楊君の鑒識をいう。

 

楊公拂篋笥,舒卷忘寢食。

それで揚君はこのほこりをうち彿って、張旭の書をくりひろげたり、巻いたりして寝食を忘れておられるほどである。

 

念昔揮毫端,不獨觀酒德。

自分もそれにつけてむかし張旭が大筆の毫毛のさきを揮ったことをおもひうかべる、ただ、彼がそれほどの書を書く際の酒の量がどれほどのものかはることはできないのである。

念昔 昔から思う。語り草になっていること。

揮毫端 大筆の毫毛のさきまでを活きた筆使いをすることをいう。

酒德 書を書く際の酒の量がどれほどのものかはることはできないほどのことを言う。

766年大暦元年55歲-21-2奉節-13 《巻15-60 殿中楊監見示張旭草書圖 -#2》 杜甫index-15 杜甫<884-2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5365

杜甫 奉節-13 《巻15-60 殿中楊監見示張旭草書圖 -#2張旭の書は俊抜ということ、活きた筆の運びをすることを主眼とし、その晩年にはその思い、それに伴う技量がいよいよその極致に達しているのが書にあらわれている。

 


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杜甫詩1500-884-2-1244/2500766年大暦元年55-21-2

 

 

年:766年大暦元年55-21-1

卷別:  卷二二一         文體:        五言古詩

詩題:  殿中楊監見示張旭草書圖【殿中監掌天子服御事,楊監謂楊炎。】

交遊人物/地點: 楊炎    當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

殿中楊監見示張旭草書圖

(朝廷の殿中省の高官の楊が菱州の地に立ち寄った際、張旭の草書図を見せてくれたので、お礼に詠んだもの)【《毒熱寄簡崔評事十六弟》と同様、朝廷によろしく計らってくれという意味を含んだ詩である】

斯人已云亡,草聖秘難得。

張旭が死んでしまってからは草聖とよばれ張伯英の秘伝は得がたいものである。

及茲煩見示,滿目一淒惻。

いま幸いにして、楊殿のおかげで張旭の筆蹟をみせてもらったが、みてすぐに、胸中全く悽惻の情にたえないのである。

悲風生微綃,萬里起古色。

書をひろげると悲しそうな風が絹の表地に生じ、はるか遠地から古色が起ってくる。

#2

鏘鏘鳴玉動,落落群松直。

連山蟠其間,溟漲與筆力。

有練實先書,臨池真盡墨。

俊拔為之主,暮年思轉極。

#3

未知張王後,誰並百代則。

鳴呼東精,逸氣感清識。

楊公拂篋笥,舒卷忘寢食。

念昔揮毫端,不獨觀酒德。

 

(殿中 楊監 張旭が草書圖を見示【しめ】さる。)

斯の人 已に云【ここ】に亡し,草聖 秘 得難し。

茲に見示【しめ】さるるを煩わすに及び,滿目 一つに淒惻【せいそく】す。

悲風 微綃【びしょう】に生じ,萬里 古色起る。

#2

鏘鏘【しょうしょう】として鳴玉 動き,落落として群松直し。

連山 其の間に蟠り,溟漲【めいちょう】筆力を與う。

練有りて實に先ず書し,池に臨みて真に盡く墨す。

俊拔 之が主と為し,暮年 思う 轉た極まれり。

#3

未だ知らず 張王の後,誰か百代の則を並ばん。

鳴呼 東精,逸氣 清識を感ぜん。

楊公 篋笥を拂い,舒卷【じょけん】寢食を忘る。

念う昔 毫端を揮いしを,獨り酒德を觀るのみならず。

 

夔州東川卜居図001 

(含異文)      斯人已云亡,草聖秘難得。及茲煩見示,滿目一淒惻。悲風生微綃,萬里起古色。鏘鏘鳴玉動,落落群松直。連山蟠其間,溟漲與筆力。有練實先書,臨池真盡墨。俊拔為之主,暮年思轉極。未知張王後,誰並百代則。鳴呼東精【⇒李頎贈張顛詩「皓首窮草隸,時稱太湖精」。】,逸氣感清識。楊公拂篋笥,舒卷忘寢食。念昔揮毫端,不獨觀酒德。

 

 

『殿中楊監見示張旭草書圖』 現代語訳と訳註解説

(本文) #2

殿中楊監見示張旭草書圖

#2

鏘鏘鳴玉動,落落群松直。

連山蟠其間,溟漲與筆力。

有練實先書,臨池真盡墨。

俊拔為之主,暮年思轉極。

 

(下し文) #2

鏘鏘【しょうしょう】として鳴玉 動き,落落として群松直し。

連山 其の間に蟠り,溟漲【めいちょう】筆力を與う。

練有りて實に先ず書し,池に臨みて真に盡く墨す。

俊拔 之が主と為し,暮年 思う 轉た極まれり。

 

(現代語訳)

書風をみると、その進退疾徐のさまは鏘鏘として人のあるくときの鳴玉のおとがうごくがごとく実に躍動的で、その蒼勁なるところは落落不羣に多くの松がのびやかにまっすぐに立てるがごとく、字の縦軸がしっかりしている。

その起伏せる勢は連山がその間にわだかまれるがごとく横にたいしてもバランスよく書かれ、その浩大なるところは、ひろい海の潮が其の力をあたえたるかのごとく筆の運びの力感、広がり、墨の勢い、濃淡、にじみがバランスよく書かれている。

張旭は(昔の張芝の様に)練絹があれば先ず之に書きつけ、良い硯を選んで池に臨みては飽水ことごとくたっぷりと墨に化してしまう。

彼の書は俊抜ということ、活きた筆の運びをすることを主眼とし、その晩年にはその思い、それに伴う技量がいよいよその極致に達しているのが書にあらわれている。

 

(訳注)#2

殿中楊監見示張旭草書圖

(朝廷の殿中省の高官の楊が菱州の地に立ち寄った際、張旭の草書図を見せてくれたので、お礼に詠んだもの)【《毒熱寄簡崔評事十六弟》と同様、朝廷によろしく計らってくれという意味を含んだ詩である】

殿中監 殿中省(でんちゅう-しょう)は中国の古代官制の一つ。皇帝の衣食住を管轄した。三国時代、魏により設置された殿中監を前身とする。隋代に殿内省とされたは、唐朝が成立すると620年(武徳3年)に殿中省と改称され、殿中監、殿中少監、殿中丞の下に尚食、尚薬、尚衣、尚舎、尚乗、尚輦の6局が設置された。

 朝廷の高官の楊が菱州の地に立ち寄ったもの。

張旭 呉郡の人、右率府長史となる。草書を善くし、酒を好み、酔えば号呼狂走しつつ筆をもとめて渾灑し、又或は大叫しながら頭髪を以て水墨の中をかきまわして書き、さめて後自ずから視て神異となしたという。杜甫《飲中八仙歌》「張旭三杯草聖傳,帽露頂王公前,揮毫落紙如雲煙。』張旭は三杯の酒を飲んで見事な草書を披露する、王侯の前で脱帽して頭を向け、筆を振るえば雲のように自在な字が現れる。」飲中八仙歌 杜甫

草書圖 王羲之の筆陣図のようなもの 

 

鏘鏘鳴玉動,落落群松直。

書風をみると、その進退疾徐のさまは鏘鏘として人のあるくときの鳴玉のおとがうごくがごとく実に躍動的で、その蒼勁なるところは落落不羣に多くの松がのびやかにまっすぐに立てるがごとく、字の縦軸がしっかりしている。

鏘鏘 1 玉や金属が触れ合って鳴り響くさま。また、高く美しい音の響くさま。鏘然。2 盛んなさま。筆の運びが決まったリズムであること。いじけた筆の運びでないことをいう。当然それが書に表れて生き生きしていることをいう。

鳴玉 筆の運びが、名玉で出来た佩び玉が一定のリズム感を以て鳴っていることをいう。

群松直 草書体が図の中で縦方向にバランスよく、勢いよく書かれていることをいう。

 

連山蟠其間,溟漲與筆力。

その起伏せる勢は連山がその間にわだかまれるがごとく横にたいしてもバランスよく書かれ、その浩大なるところは、ひろい海の潮が其の力をあたえたるかのごとく筆の運びの力感、広がり、墨の勢い、濃淡、にじみがバランスよく書かれている。

連山 草書体が図の中で横向きにもバランスが取れていることの表現。

溟漲 筆の運びの力感、広がり、墨の勢い、濃淡、にじみがバランスよく書かれていることをいう。

 

 

有練實先書,臨池真盡墨。

張旭は(昔の張芝の様に)練絹があれば先ず之に書きつけ、良い硯を選んで池に臨みては飽水ことごとくたっぷりと墨に化してしまう。

練 練絹のこと。

硯の面白さについて薛濤が《四友贊》詩で述べている。

磨潤色先生之腹,濡藏鋒都尉之頭。

引書媒而黯黯,入文畝以休休。

(四友【しゆう】の贊)

磨けば色潤わせるは 先生の腹,濡らせば鋒に藏して 都尉の頭。

引書 媒しては 黯黯【あんあん】たりて,入文 畝以って 休休たり。

四友贊 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-152-24-#17  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2307

 

俊拔為之主,暮年思轉極。

彼の書は俊抜ということ、活きた筆の運びをすることを主眼とし、その晩年にはその思い、それに伴う技量がいよいよその極致に達しているのが書にあらわれている。

俊拔 特に草書は俊敏な筆の運びが大切で、その技量が超越していることをいう。

為之主 活きた筆の運びをすることを主眼とすること。

 

 

 

 

薛濤《四友贊》詩。

磨潤色先生之腹,濡藏鋒都尉之頭。

引書媒而黯黯,入文畝以休休。

(四友【しゆう】の贊)

磨けば色潤わせるは 先生の腹,濡らせば鋒に藏して 都尉の頭。

引書 媒しては 黯黯【あんあん】たりて,入文 畝以って 休休たり。

suzuri 

四友贊 
四つの文房具(筆・墨・紙・硯)を讃える。(暗に、男女の性行為の描写をしつつ、花や文房具にすり替える。下ネタの歌)
四友  1 画題となる四つの花。雪の降るころに咲く玉椿・蝋梅(ろうばい)・水仙・山茶花(さざんか)。また、梅・松・竹・蘭(らん) 2 四つの文房具。筆・墨・紙・硯(すずり) ..


磨潤色先生之腹,濡藏鋒都尉之頭。 
墨をするのは硯の丘でそのかたちは先生のおなか、その上で潤沢な色になるまで何度もこすります。それから筆にたっぷりと墨を含ませると鋒都尉の髷と頭のようです。
・磨潤 まさつ、ぬれる。
・濡藏 ・濡:男女が愛情を交わす場面。また、その演出・演技。色模様よりも濃厚で、特に元禄期(16881704)に上方の傾城買(けいせいか)い狂言の中で形成された。2 情事。色事。ぬれごとし
:1中にしまっておく。隠して表に現さない。「蔵書・蔵匿/愛蔵・家蔵・死蔵・収蔵・所蔵・退蔵・貯蔵・内蔵・秘蔵・腹蔵・包蔵・埋蔵・冷蔵」
2 物をしまっておく建物。くら。「土蔵・宝蔵」
3 すべてを包括するもの。「経蔵・三蔵・律蔵」
4 大蔵省のこと。「蔵相」
〈くら(ぐら)〉「蔵元/穴蔵・金蔵・米蔵・酒蔵」
[名のり]おさむ・ただ・とし・まさ・よし

 


引書媒而黯黯,入文畝以休休。 
良い硯で磨ったよい墨、良い用紙に良い筆で書を書くことで仲立ちをするとそのあとは暗いことでまったく暗い所で致すだけです。詩文によって草書体の書は畝ってうねってそれからやすみ、そしてやすみます。
・媒 1 結婚をとりもつ。なこうど。「媒酌/良媒」2 仲立ちをする。「媒介・媒体/鳥媒花」3 仲立ちとなるもの。「触媒・溶媒・霊媒」
・黯黯 くらく、またくらい。顔色を失う。心配で心配で心を痛める。
・畝 1 作物を植えつけたり種をまいたりするため、畑の土を幾筋も平行に盛り上げた所。2 高い所と低い所が1のように平行して連なった物や形。波や地形・織物などにいう。草書体の事と性行為の掛けことばになる。

 
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殿中楊監見示張旭草書圖

(朝廷の殿中省の高官の楊が菱州の地に立ち寄った際、張旭の草書図を見せてくれたので、お礼に詠んだもの)【《毒熱寄簡崔評事十六弟》と同様、朝廷によろしく計らってくれという意味を含んだ詩である】

斯人已云亡,草聖秘難得。

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及茲煩見示,滿目一淒惻。

いま幸いにして、楊殿のおかげで張旭の筆蹟をみせてもらったが、みてすぐに、胸中全く悽惻の情にたえないのである。

悲風生微綃,萬里起古色。

書をひろげると悲しそうな風が絹の表地に生じ、はるか遠地から古色が起ってくる。

 

鏘鏘鳴玉動,落落群松直。

連山蟠其間,溟漲與筆力。

有練實先書,臨池真盡墨。

俊拔為之主,暮年思轉極。

 

未知張王後,誰並百代則。

鳴呼東精,逸氣感清識。

楊公拂篋笥,舒卷忘寢食。

念昔揮毫端,不獨觀酒德。

 

(殿中 楊監 張旭が草書圖を見示【しめ】さる。)

斯の人 已に云【ここ】に亡し,草聖 秘 得難し。

茲に見示【しめ】さるるを煩わすに及び,滿目 一つに淒惻【せいそく】す。

悲風 微綃【びしょう】に生じ,萬里 古色起る。

#2

鏘鏘【しょうしょう】として鳴玉 動き,落落として群松直し。

連山 其の間に蟠り,溟漲【めいちょう】筆力を與う。

練有りて實に先ず書し,池に臨みて真に盡く墨す。

俊拔 之が主と為し,暮年 思う 轉た極まれり。

#3

未だ知らず 張王の後,誰か百代の則を並ばん。

鳴呼 東精,逸氣 清識を感ぜん。

楊公 篋笥を拂い,舒卷【じょけん】寢食を忘る。

念う昔 毫端を揮いしを,獨り酒德を觀るのみならず。

 

 

(含異文)      斯人已云亡,草聖秘難得。及茲煩見示,滿目一淒惻。悲風生微綃,萬里起古色。鏘鏘鳴玉動,落落群松直。連山蟠其間,溟漲與筆力。有練實先書,臨池真盡墨。俊拔為之主,暮年思轉極。未知張王後,誰並百代則。鳴呼東精【⇒李頎贈張顛詩「皓首窮草隸,時稱太湖精」。】,逸氣感清識。楊公拂篋笥,舒卷忘寢食。念昔揮毫端,不獨觀酒德。

 

夔州東川卜居図001 

『殿中楊監見示張旭草書圖』 現代語訳と訳註解説

(本文)

殿中楊監見示張旭草書圖

斯人已云亡,草聖秘難得。及茲煩見示,滿目一淒惻。悲風生微綃,萬里起古色。

 

 

(下し文)

(殿中 楊監 張旭が草書圖を見示【しめ】さる。)

斯の人 已に云【ここ】に亡し,草聖 秘 得難し。

茲に見示【しめ】さるるを煩わすに及び,滿目 一つに淒惻【せいそく】す。

悲風 微綃【びしょう】に生じ,萬里 古色起る。

 

(現代語訳)

(朝廷の殿中省の高官の楊が菱州の地に立ち寄った際、張旭の草書図を見せてくれたので、お礼に詠んだもの)【《毒熱寄簡崔評事十六弟》と同様、朝廷によろしく計らってくれという意味を含んだ詩である】

張旭が死んでしまってからは草聖とよばれ張伯英の秘伝は得がたいものである。

いま幸いにして、楊殿のおかげで張旭の筆蹟をみせてもらったが、みてすぐに、胸中全く悽惻の情にたえないのである。

書をひろげると悲しそうな風が絹の表地に生じ、はるか遠地から古色が起ってくる。

 

皇城001 

(訳注)

殿中楊監見示張旭草書圖

(朝廷の殿中省の高官の楊が菱州の地に立ち寄った際、張旭の草書図を見せてくれたので、お礼に詠んだもの)【《毒熱寄簡崔評事十六弟》と同様、朝廷によろしく計らってくれという意味を含んだ詩である】

殿中監 殿中省(でんちゅう-しょう)は中国の古代官制の一つ。皇帝の衣食住を管轄した。三国時代、魏により設置された殿中監を前身とする。隋代に殿内省とされたは、唐朝が成立すると620年(武徳3年)に殿中省と改称され、殿中監、殿中少監、殿中丞の下に尚食、尚薬、尚衣、尚舎、尚乗、尚輦の6局が設置された。

 朝廷の高官の楊が菱州の地に立ち寄ったもの。

張旭 呉郡の人、右率府長史となる。草書を善くし、酒を好み、酔えば号呼狂走しつつ筆をもとめて渾灑し、又或は大叫しながら頭髪を以て水墨の中をかきまわして書き、さめて後自ずから視て神異となしたという。杜甫《飲中八仙歌》「張旭三杯草聖傳,帽露頂王公前,揮毫落紙如雲煙。』張旭は三杯の酒を飲んで見事な草書を披露する、王侯の前で脱帽して頭を向け、筆を振るえば雲のように自在な字が現れる。」飲中八仙歌 杜甫

草書圖 王羲之の筆陣図のようなもの

 

斯人已云亡,草聖秘難得。

張旭が死んでしまってからは草聖とよばれ張伯英の秘伝は得がたいものである。

斯人 張旭を指す。

草聖 ○草聖伝 後漢の張芝、字は伯英、韋仲將之は草書の聖人とよばれたが、張旭が酔うと草聖の書法が、彼に伝わるというのを『飲中八仙歌』でものべている。

 

及茲煩見示,滿目一淒惻。

いま幸いにして、楊殿のおかげで張旭の筆蹟をみせてもらったが、みてすぐに、胸中全く悽惻の情にたえないのである。

及茲 今ここにもそれが~のように及んでいるの意。

煩見示 てかずをかけてみせてもらうこと。以上ここまで、書圖を見せてもらっての感じを述べたもの。

 

悲風生微綃,萬里起古色。

書をひろげると悲しそうな風が絹の表地に生じ、はるか遠地から古色が起ってくる。

微綃 細微なる織りかたのきぬ。

萬里 実際の距離ではなく遠地よりというほどの意。

 

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杜甫詩
1500-894-1242/2500766年大暦元年55-20-3

 

 

年:766年大暦元年55-20-1

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    毒熱寄簡崔評事十六弟

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:荊州 (山南東道 荊州 荊州) 別名:郢門         

揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海     

交遊人物:崔評事              書信往來

 

 

毒熱寄簡崔評事十六弟 #1

(大暦元年初秋、残暑が厳しくたまらない暑さの中、従弟の評事官である徘行13の崔公輔より年少の徘行16の内弟崔某にこの詩を手紙として送った)

大暑運金氣,荊揚不知秋。

「大暑」の厳しい暑さの中、それでも、天の金星が下りはじめて秋の気配を運んで来ようとしているが、此処荊揚の楚の地ではとんでもない暑さで、秋の気配など全く感じさせるものはない。

林下有塌翼,水中無行舟。

というのも、林の木陰には暑さに翼をやられて垂らしたままの鳥がいるし、河江に舟の行き交うことすらない。

千室但掃地,閉關人事休。

ここに在る千軒の家々でも、とにかく家の中で、地面に臥して涼を求めようとしているだけだ、そればかりか家の門の閂を閉じて、仕事も休んでじっとしている。

老夫轉不樂,旅次兼百憂。

自分は歳をとっているのでこの暑さは愈々面白くない、また、旅の途中のみで寓居に宿しているので、先々の事、心配事がおおくて苦慮している。

-#2

蝮蛇暮偃蹇,空床難暗投。

それは、日暮れになればマムシやへびがにょろにょろしていて、空けている寝牀には暗がりの中に飛び込んでゆくことができない、ということだ。

炎宵惡明燭,況乃懷舊丘。

暑く寝苦しい宵は明るい燈火にするのは悪いことだ、このように「旅次兼百憂」を見聞きし、体験して厭な上に、故郷を思う気持ちが重なるのである。

開襟仰弟,執熱露白頭。

自分は胸を開き率直に、ここに弟たちがいたならと思い、熱いものを握るような苦しい思いでこの白髪頭を丸出しにいている。

束帶負芒刺,接居成阻修。

衣冠束帯して、他人の家を訪問するのは、背中に棘を背負うような気苦労をすることなので、その付き合いも、近間に居る人でさえ、遠隔の地にでもいるかの様になっている。

何當清霜飛,會子臨江樓。

まあ君に逢うとしたら、いつになるかわからないが、清秋がすぎ、霜や雪が飛ぶ頃までには難しいだろうが、必ず行くので、その時は、長江のほとり樓閣で会いたいものだ。

 

-#3

載聞大易義,諷興詩家流。

その楼であえたなら、大易の道理をきいたり、また古今の詩人の作物をともに諷詠したりすることができるだろう。

蘊藉異時輩,檢身非苟求。

おまえはおっとりとして今時の世の人人とは柄がちがっている。そして、自らの礼法で身をしばっているがそれで何かを求めようとするのではない。

皇皇使臣體,信是德業優。

君命をひかりかがやかす使者の体をおまえはそなえている、じつにすぐれた徳業をもっている。

楚材擇杞梓,漢苑歸驊騮。

おまえは杞梓のごとき楚材としてえらばれ、驊騮の能力をもちながら都の御苑へかえりゆくのである。

短章達我心,理為識者籌。

これまで述べたとおり、この短い詩を作り、自己の心持を言っているのだが、その内にふくんでいる情理については、おまえの様な識者が十分推し量ってくれることとおもっている次第だ。

(含異文)

大暑運金氣【大火運金氣】,荊揚不知秋。林下有塌翼,水中無行舟。千室但掃地,閉關人事休。老夫轉不樂【老大轉不樂】,旅次兼百憂。蝮蛇暮偃蹇,空床難暗投。炎宵惡明燭,況乃懷舊丘。開襟仰弟【開襟仰第】,執熱露白頭。束帶負芒刺,接居成阻修。何當清霜飛,會子臨江樓。載聞大易義,諷興詩家流【諷詠詩家流】。蘊藉異時輩,檢身非苟求。皇皇使臣體,信是德業優。楚材擇杞梓,漢苑歸驊騮。短章達我心,理為識者籌【理待識者籌】。

 

 

(毒熱 崔評事十六弟に寄簡す。)

#1

大暑 金氣を運び,荊揚 秋を知らず。

林下 塌翼【とうよく】有り,水中 行舟無し。

千室 但だ地を掃い,關を閉じて人事休す。

老夫 轉た樂しまず,旅次 百憂を兼ぬ。

-#2

蝮蛇 暮に偃蹇【えんてん】たり,空床 暗に投じ難し。

炎宵 明燭を惡む,況んや乃ち舊丘を懷うえをや。

開襟 弟を仰ぎ,執熱 白頭を露わす。

束帶 芒刺を負い,接居 阻修を成す。

何【いつ】か當に清霜飛びて,子に臨江の樓に會さん。

-#3

載【すなわ】ち大易の義を聞き,諷興【ふうきょう】せん 詩家の流。

蘊藉【うんしゃ】時輩に異なり,檢身 苟【いやし】くも求むるに非ず。

皇皇たり使臣の體,信に是れ德業優なり。

楚材 杞梓【きし】擇ばれ,漢苑 驊騮【かりゅうる】歸る。

短章 達我が心をし,理 識者の籌と為らん。

夔州東川卜居図001 

 

『毒熱寄簡崔評事十六弟』現代語訳と訳註解説

(本文)

-#3

載聞大易義,諷興詩家流。

蘊藉異時輩,檢身非苟求。

皇皇使臣體,信是德業優。

楚材擇杞梓,漢苑歸驊騮。

短章達我心,理為識者籌。

 

(下し文)-#3

載【すなわ】ち大易の義を聞き,諷興【ふうきょう】せん 詩家の流。

蘊藉【うんしゃ】時輩に異なり,檢身 苟【いやし】くも求むるに非ず。

皇皇たり使臣の體,信に是れ德業優なり。

楚材 杞梓【きし】擇ばれ,漢苑 驊騮【かりゅうる】歸る。

短章 達我が心をし,理 識者の籌と為らん。

 

(現代語訳)

その楼であえたなら、大易の道理をきいたり、また古今の詩人の作物をともに諷詠したりすることができるだろう。

おまえはおっとりとして今時の世の人人とは柄がちがっている。そして、自らの礼法で身をしばっているがそれで何かを求めようとするのではない。

君命をひかりかがやかす使者の体をおまえはそなえている、じつにすぐれた徳業をもっている。

おまえは杞梓のごとき楚材としてえらばれ、驊騮の能力をもちながら都の御苑へかえりゆくのである。

これまで述べたとおり、この短い詩を作り、自己の心持を言っているのだが、その内にふくんでいる情理については、おまえの様な識者が十分推し量ってくれることとおもっている次第だ。

唐時代 地図山南 東・西道50 

(訳注)

毒熱寄簡崔評事十六弟 #3

(大暦元年初秋、残暑が厳しくたまらない暑さの中、従弟の評事官である徘行13の崔公輔より年少の徘行16の内弟崔某にこの詩を手紙として送った)

毒熱 たまらないあつさ。

崔評事十六弟 杜甫に『1523 贈崔十三評事公輔』詩あり。大理寺に属す出張裁判官の官名、母方の従弟の崔公輔より年少の徘行の内弟。

 

載聞大易義,諷興詩家流。

その楼であえたなら、大易の道理をきいたり、また古今の詩人の作物をともに諷詠したりすることができるだろう。

大易義 「易経」の道理、大とは尊びていうもの。

詩家流 古今の詩人の作った物をいう。ここまで、崔のおもいをいう。

 

蘊藉異時輩,檢身非苟求。

おまえはおっとりとして今時の世の人人とは柄がちがっている。そして、自らの礼法で身をしばっているがそれで何かを求めようとするのではない。

蘊藉 圭角のとれた人がら。

時輩 同時の人人。

檢身 わが身を禮法の内にとりしまること。

苟求 かりにも何ものかみ求むる。

 

皇皇使臣體,信是德業優。

君命をひかりかがやかす使者の体をおまえはそなえている、じつにすぐれた徳業をもっている。

皇皇使臣體 《詩経・小雅》に皇皇者華篇があり、君、使臣をつかわすときとうたふしである。皇皇はに煌煌にて、ひかりかがやくかたちをいう。忠臣、君の命を奉じて使ひするときけ地の遠近高下をとわず、みな其の地もてらしかがやかしむ。使臣體とは崔が使臣たるすがたをそなえていることをいう。

德業優 徳も事業もすぐれたり。

 

楚材擇杞梓,漢苑歸驊騮。

おまえは杞梓のごとき楚材としてえらばれ、驊騮の能力をもちながら都の御苑へかえりゆくのである。

楚材 楚國に産する木材、「左伝」に楚材晉用の語あり、楚の人物を晉が用うることをいう。木材を以て人物にたとえたもの。

杞梓 かわやなぎ、あづさの二木は器物を作る材であること、ここは崔を比す。

漢苑 長安の御苑をいう。

驊騮 千里の馬、ここは崔を比す。

 

短章達我心,理為識者籌。

これまで述べたとおり、この短い詩を作り、自己の心持を言っているのだが、その内にふくんでいる情理については、おまえの様な識者が十分推し量ってくれることとおもっている次第だ。

短章 みじかい詩篇、この詩をいう。

理為識者籌 理は本首にのべている情理をいう。識者は崔さす、爲籌は爲所籌をいう。工夫してくれることをいう。この句はそれとなく、崔に朝廷へのとりなしを請うことをいう。ここまで贈詩の意をいう。

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杜甫詩
1500-893-1241/2500766年大暦元年55-20-2

 

 

年:766年大暦元年55-20-1

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    毒熱寄簡崔評事十六弟

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:荊州 (山南東道 荊州 荊州) 別名:郢門         

揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海     

交遊人物:崔評事              書信往來

 

 

毒熱寄簡崔評事十六弟 #1

(大暦元年初秋、残暑が厳しくたまらない暑さの中、従弟の評事官である徘行13の崔公輔より年少の徘行16の内弟崔某にこの詩を手紙として送った)

大暑運金氣,荊揚不知秋。

「大暑」の厳しい暑さの中、それでも、天の金星が下りはじめて秋の気配を運んで来ようとしているが、此処荊揚の楚の地ではとんでもない暑さで、秋の気配など全く感じさせるものはない。

林下有塌翼,水中無行舟。

というのも、林の木陰には暑さに翼をやられて垂らしたままの鳥がいるし、河江に舟の行き交うことすらない。

千室但掃地,閉關人事休。

ここに在る千軒の家々でも、とにかく家の中で、地面に臥して涼を求めようとしているだけだ、そればかりか家の門の閂を閉じて、仕事も休んでじっとしている。

老夫轉不樂,旅次兼百憂。

自分は歳をとっているのでこの暑さは愈々面白くない、また、旅の途中のみで寓居に宿しているので、先々の事、心配事がおおくて苦慮している。

-#2

蝮蛇暮偃蹇,空床難暗投。

それは、日暮れになればマムシやへびがにょろにょろしていて、空けている寝牀には暗がりの中に飛び込んでゆくことができない、ということだ。

炎宵惡明燭,況乃懷舊丘。

暑く寝苦しい宵は明るい燈火にするのは悪いことだ、このように「旅次兼百憂」を見聞きし、体験して厭な上に、故郷を思う気持ちが重なるのである。

開襟仰弟,執熱露白頭。

自分は胸を開き率直に、ここに弟たちがいたならと思い、熱いものを握るような苦しい思いでこの白髪頭を丸出しにいている。

束帶負芒刺,接居成阻修。

衣冠束帯して、他人の家を訪問するのは、背中に棘を背負うような気苦労をすることなので、その付き合いも、近間に居る人でさえ、遠隔の地にでもいるかの様になっている。

何當清霜飛,會子臨江樓。

まあ君に逢うとしたら、いつになるかわからないが、清秋がすぎ、霜や雪が飛ぶ頃までには難しいだろうが、必ず行くので、その時は、長江のほとり樓閣で会いたいものだ。

 

-#3

載聞大易義,諷興詩家流。

蘊藉異時輩,檢身非苟求。

皇皇使臣體,信是德業優。

楚材擇杞梓,漢苑歸驊騮。

短章達我心,理為識者籌。

 

(含異文)

大暑運金氣【大火運金氣】,荊揚不知秋。林下有塌翼,水中無行舟。千室但掃地,閉關人事休。老夫轉不樂【老大轉不樂】,旅次兼百憂。蝮蛇暮偃蹇,空床難暗投。炎宵惡明燭,況乃懷舊丘。開襟仰弟【開襟仰第】,執熱露白頭。束帶負芒刺,接居成阻修。何當清霜飛,會子臨江樓。載聞大易義,諷興詩家流【諷詠詩家流】。蘊藉異時輩,檢身非苟求。皇皇使臣體,信是德業優。楚材擇杞梓,漢苑歸驊騮。短章達我心,理為識者籌【理待識者籌】。

 

 

(毒熱 崔評事十六弟に寄簡す。)

#1

大暑 金氣を運び,荊揚 秋を知らず。

林下 塌翼【とうよく】有り,水中 行舟無し。

千室 但だ地を掃い,關を閉じて人事休す。

老夫 轉た樂しまず,旅次 百憂を兼ぬ。

-#2

蝮蛇 暮に偃蹇【えんてん】たり,空床 暗に投じ難し。

炎宵 明燭を惡む,況んや乃ち舊丘を懷うえをや。

開襟 弟を仰ぎ,執熱 白頭を露わす。

束帶 芒刺を負い,接居 阻修を成す。

何【いつ】か當に清霜飛びて,子に臨江の樓に會さん。

-#3

載【すなわ】ち大易の義を聞き,諷興【ふうきょう】せん 詩家の流。

蘊藉【うんしゃ】時輩に異なり,檢身 苟【いやし】くも求むるに非ず。

皇皇たり使臣の體,信に是れ德業優なり。

楚材 杞梓【きし】擇ばれ,漢苑 驊騮【かりゅうる】歸る。

短章 達我が心をし,理 識者の籌と為らん。

 

唐時代 地図山南 東・西道50 

『毒熱寄簡崔評事十六弟』現代語訳と訳註解説

(本文)

-#2

蝮蛇暮偃蹇,空床難暗投。

炎宵惡明燭,況乃懷舊丘。

開襟仰弟,執熱露白頭。

束帶負芒刺,接居成阻修。

何當清霜飛,會子臨江樓。

 

(下し文)

-#2

蝮蛇 暮に偃蹇【えんてん】たり,空床 暗に投じ難し。

炎宵 明燭を惡む,況んや乃ち舊丘を懷うえをや。

開襟 弟を仰ぎ,執熱 白頭を露わす。

束帶 芒刺を負い,接居 阻修を成す。

何【いつ】か當に清霜飛びて,子に臨江の樓に會さん。

 

(現代語訳)

それは、日暮れになればマムシやへびがにょろにょろしていて、空けている寝牀には暗がりの中に飛び込んでゆくことができない、ということだ。

暑く寝苦しい宵は明るい燈火にするのは悪いことだ、このように「旅次兼百憂」を見聞きし、体験して厭な上に、故郷を思う気持ちが重なるのである。

自分は胸を開き率直に、ここに弟たちがいたならと思い、熱いものを握るような苦しい思いでこの白髪頭を丸出しにいている。

衣冠束帯して、他人の家を訪問するのは、背中に棘を背負うような気苦労をすることなので、その付き合いも、近間に居る人でさえ、遠隔の地にでもいるかの様になっている。

まあ君に逢うとしたら、いつになるかわからないが、清秋がすぎ、霜や雪が飛ぶ頃までには難しいだろうが、必ず行くので、その時は、長江のほとり樓閣で会いたいものだ。

夔州東川卜居図001 

 

(訳注) -#2

毒熱寄簡崔評事十六弟 #2

(大暦元年初秋、残暑が厳しくたまらない暑さの中、従弟の評事官である徘行13の崔公輔より年少の徘行16の内弟崔某にこの詩を手紙として送った)

毒熱 たまらないあつさ。

崔評事十六弟 杜甫に『1523 贈崔十三評事公輔』詩あり。大理寺に属す出張裁判官の官名、母方の従弟の崔公輔より年少の徘行の内弟。

 

蝮蛇暮偃蹇,空床難暗投。

それは、日暮れになればマムシやへびがにょろにょろしていて、空けている寝牀には暗がりの中に飛び込んでゆくことができない、ということだ。

蝮蛇 マムシやへびがにょろにょろしている。

 

炎宵惡明燭,況乃懷舊丘。

暑く寝苦しい宵は明るい燈火にするのは悪いことだ、このように「旅次兼百憂」を見聞きし、体験して厭な上に、故郷を思う気持ちが重なるのである。

舊丘 故郷の丘。生れは洛陽近郊の偃師、十五歳を過ぎると洛陽で過ごし、二十代前半は山東、江南に遊び、二十代後半から、四十過ぎ、奴十近くまで長安で過ごしているから、長安南の杜曲の丘をいうのであろう。

 

開襟仰弟,執熱露白頭。

自分は胸を開き率直に、ここに弟たちがいたならと思い、熱いものを握るような苦しい思いでこの白髪頭を丸出しにいている。

開襟 率直な気持ちをいう。

 弟は母方の従弟の年少者をいう。仰ぐは、遠くにいるものへの呼びかけ言葉。

執熱 日中置いている物が太陽で熱せられて暑くなっていても、取り上げ暑くても我慢して使う時のことをいう。

 

束帶負芒刺,接居成阻修。

衣冠束帯して、他人の家を訪問するのは、背中に棘を背負うような気苦労をすることなので、その付き合いも、近間に居る人でさえ、遠隔の地にでもいるかの様になっている。

束帶 衣冠束帯、かしこまった格好をし、他人の家を訪問すること。貴族や高級官僚の正装。▽「衣冠」「束帯」はともに貴族の装束。「束帯」は衣を束ね、整える帯と佩びをつけるの意。転じて、朝廷での公事・儀式などでの正装。

負芒刺 背中に棘を背負うような気苦労をすること。

接居 近所に住んでいる人。

阻修 遠隔の地にでもいるかの様になっている。

 

何當清霜飛,會子臨江樓。

まあ君に逢うとしたら、いつになるかわからないが、清秋がすぎ、霜や雪が飛ぶ頃までには難しいだろうが、必ず行くので、その時は、長江のほとり樓閣で会いたいものだ。

何當 秋口の熱い時にこの詩を作っているので、少なくとも、早ければこの秋を過して、荊州に向かうというほどの時間を示す言葉であろう。

清霜飛 清秋がすぎ、霜や雪が飛ぶ頃をいう。早ければこの秋を過ぎたころというほどの意味。

會子 崔十六に遭うこと。

臨江樓 崔十六が荊州、九江、岳陽、潭州などに事務職として転任していたことと、杜甫は船で旅行するしかなく、足が悪いので長江を望むどこかの高楼という意味になる。黄鶴楼ということかもしれないが、水陸駅の駅楼であろう。
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