杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
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2015年02月

766年大暦元年55歲-41-#2奉節-32-#2 《巻16-04 八哀詩八首〔二〕故司徒李公光弼 -2》 杜甫index-15 杜甫<904-2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5620

杜甫 奉節-32-2 《巻16-04 八哀詩八首〔二〕故司徒李公光弼 -2時に唐郭子儀軍はまだ河陽を守って兵を撤退していない段階で、安史軍の史思明はいったん投降し、越王が呉王にしたように、いつわりの臣下を表明し、燕薊州に退いた。それが、ふたたび燕の碣石の方から軍をひきいてやって来て、諸処を火で焚きはらい天地のあいだで狩猟でもやるようなさまを為したのである。

 

 
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766年大暦元年55-41-2奉節-32-2 《巻16-04 八哀詩八首〔二〕故司徒李公光弼 -2》 杜甫index-15 杜甫<904-2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5620

 

杜甫詩1500-904-2-1295/2500766年大暦元年55-41-2

 

 

卷二二二        文體:  五言古詩

詩題:  八哀詩八首:故司徒李公光弼【案:光弼已封王,贈太保,稱司徒者,以其功名著於司徒時。〈洗兵馬〉亦云:「司徒清鑒懸明鏡」。】

詩序:  并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂不詮次焉。

八哀詩 故司徒李公光弼

李公光弼(李光弼)をかなしんでよんだ詩。

16-04 八哀詩八首〔二〕故司徒李公光弼 -#1

(八人の哀悼を示す武将の二番目には六卿の一人、司徒公である李光弼について詠う。)

司徒天寶末,北收晉陽甲。

司徒李公(光弼)は天宝の末年756年に河東節度副使となって北のかた晋陽(太原)の兵を配下軍とされた。

胡騎攻吾城,愁寂意不愜。

そのとき安史軍の史思明らは吾が太原の城を攻めてきたので守城のものは心配して不安の念をいだいたものであった。

安若泰山,薊北斷右脅。

しかし、李光弼公は安史軍をうち破って薊州の右臂の脅を断ちきったので、人民の安らかなること泰山のごとくといわれたものだ。

朔方氣乃蘇,黎首見帝業。

朔方の霊武行在所の元気よみがえり、人人ふたたび帝業を仰ぎ見るに至ったのである。

 

(八哀詩八首〔二〕故の司徒李公光弼) -#1

北斷右。朔方氣乃蘇,黎首見帝業。

司徒天宝の末、北のかた晋陽の甲を収む。

胡騎 吾が城を攻む、愁寂 意 愜【かな】わず。

人 安すること 泰山の若し、薊北 右脅を断つ。

朔方 気乃ち蘇し、黎首 帝業を見る。
#2

二宮泣西郊,九廟起壓。

玄宗、粛宗の二宮はみやこの西郊に泣哭せられ、安史軍のために焚毀せられた九廟をやっと頽圧から起こしたときのことである。

未散河陽卒,思明偽臣妾。

時に唐郭子儀軍はまだ河陽を守って兵を撤退していない段階で、安史軍の史思明はいったん投降し、越王が呉王にしたように、いつわりの臣下を表明し、燕薊州に退いた。

複自碣石來,火焚乾坤獵。

それが、ふたたび燕の碣石の方から軍をひきいてやって来て、諸処を火で焚きはらい天地のあいだで狩猟でもやるようなさまを為したのである。

高視笑祿山,公又大獻捷。

史思明の倣慢な態度は安禄山をも嘲笑しているかのごとくであったが、李光弼公はそれをもうち破って宗廟に大捷を献ぜられた。

二宮西郊に泣く、九廟 圧せらるるを起こす。

未だ散ぜず河陽の卒、思明偽りて臣妾たり。

復た碣石より来たる、火焚 乾坤に猟す。

高視 禄山を笑う、公又た大いに捷を献ず。

#3

異王冊崇勳,小敵信所怯。擁兵鎮河汴,千里初妥帖。

青蠅紛營營,風雨秋一葉。省未入朝,死淚終映睫。

#4

大屋去高棟,長城掃遺堞。平生白羽扇,零落蛟龍匣。

雅望與英姿,惻愴槐裏接。三軍晦光彩,烈士痛稠疊。

#5

直筆在史臣,將來洗箱篋。吾思哭孤塚,南紀阻歸楫。

扶顛永蕭條,未濟失利涉。疲苶竟何人,灑涕巴東峽。

 

 

766年大暦元年55-41-2奉節-32-2 《巻16-04 八哀詩八首〔二〕故司徒李公光弼 -2

『八哀詩八首〔二〕故司徒李公光弼』 現代語訳と訳註解説
 (
本文)

#2

二宮泣西郊,九廟起壓。未散河陽卒,思明偽臣妾。

複自碣石來,火焚乾坤獵。高視笑祿山,公又大獻捷。


(下し文)
二宮西郊に泣く、九廟 圧せらるるを起こす。

未だ散ぜず河陽の卒、思明偽りて臣妾たり。

復た碣石より来たる、火焚 乾坤に猟す。

高視 禄山を笑う、公又た大いに捷を献ず。

(現代語訳)
玄宗、粛宗の二宮はみやこの西郊に泣哭せられ、安史軍のために焚毀せられた九廟をやっと頽圧から起こしたときのことである。

時に唐郭子儀軍はまだ河陽を守って兵を撤退していない段階で、安史軍の史思明はいったん投降し、越王が呉王にしたように、いつわりの臣下を表明し、燕薊州に退いた。

それが、ふたたび燕の碣石の方から軍をひきいてやって来て、諸処を火で焚きはらい天地のあいだで狩猟でもやるようなさまを為したのである。

史思明の倣慢な態度は安禄山をも嘲笑しているかのごとくであったが、李光弼公はそれをもうち破って宗廟に大捷を献ぜられた。


(訳注) 766年大暦元年55-41-2奉節-32-2 《巻16-04 八哀詩八首〔二〕故司徒李公光弼 -2

故政司徒李公光弼 故はすでに死んだ者を称する、司徒は上に云う官名、光弼をさす。

郭子儀の後進の武将。元々、郭子儀の属官であった。李光弼は自己の能力に自信を持っていたので上官である郭子儀に対しても直言をして憚らなかった。郭子儀が李光弼の献策を採用しなかったので、李光弼は郭子儀を無能な上官であると思っていた。

実は、郭子儀は李光弼の才能を高く評価しており、その献策の妥当性も理解していたものの、ここでたやすく献策が用いられると、自尊心の強い李光弼が慢心し、さらなる能力開発を軽んじるであろうことを推測し、敢えて献策を採用していなかったのであった。

安禄山の叛乱が起こると、郭子儀は上奏して李光弼を一軍の将とするように進言した。それを知った李光弼は自身の不明を郭子儀に詫びて、ともに乱の鎮圧に全身全霊を傾けることを約した。世の人はこの2人を「李郭」と併称して名将ぶりを讃えた。

 李光弼(708~764年)は、営州柳城(遼寧朝陽南)の出身で、契丹族である。幼いころは遊びまわらないで、乗馬して弓を射ることがうまく、成年してからは威厳、落ち着き、果敢さがあり、知略にとんでいた。

 唐国の粛宗の靈武行在所で、郭子儀河西節度使、朔方節度副使に任命され、ついで、河東節度使、天下兵馬副元帥に任命され、安史の乱の平定する戦いのなかで功績をあげ、郭子儀とともに「李郭」と言われた。『新唐書』には、その功績をたたえ、「戦功は中興の名臣の中でも一番だ」と記されている。

 唐、760年上元元年、李光弼は軍隊を率いて、史思明の安史軍と戦い、勝利をあげた。李光弼の部隊は野水度に駐屯していたが、牙将の雍希顥に留守を任せて、自ら千名の兵士をひきつれて他所に隠れた。出て行く前、李光弼は留守を任せる武将たちに言った。「敵将の高暉、李日越は、一人で一万人分くらいの力がある敵だ。敵は私を襲ってくるだろう。おまえはここに残り、敵が来ても戦うな。もし降伏したら、私のところに連れてこい」

 武将たちは、この言葉を聞いて、かなり変だと感じたものの、心の中では「大将は、どう事をさばくのか、こんな不思議なことをするのだろう」と思った。

 翌日、史思明は、武将の李日越に五百騎の完全武装の騎馬隊を指揮させ、李光弼を襲うことにする。このとき勝てなければ帰ってくるなと命じた。李日越は、軍隊をひきいて野水度に来て、そこには雍希顥しかいないと知ると、ついに降伏した。李光弼は、李日越を厚遇したうえ、さらに郭子儀に頼んで右金吾大将軍にしてもらった。それで、この話を聞いた高暉も、李光弼に降伏する。

 すべてが片付いた後、武将たちはどんどんどうやって二人の敵将を投降させられたのかを聞きいた。李光弼は解説するように言った。「李日越が降伏したのは、私がどこにもいなかったので任務を遂行しようがなかったし、雍希顥は無名の武将なので、戦死させたとしても功績にならないからだ。高暉は、李日越より自分はすごいと自負しており、すでに李日越が降伏して厚遇されている以上、自分が降伏すればもっと厚遇されるだろうと思うだろうからだ」

 李光弼の戦法は、戦略をきちんと立て、計画ができてから戦うというもので、つねに少ない兵力で大軍に勝っている。軍隊の管理が厳正で、武将たちはだれもが命令に従う。764年、李光弼は病死したが、死に際して、財産をすべて武将たちに分け与えている。武将たちはだれもが李光弼の死を泣いて悲しんだ。

杜甫758年《洗兵馬(行)》「司徒清鑒懸明鏡,尚書氣與秋天杳。」(司徒の清鑒【せいかん】明鏡【めいきょう】を懸【か】く、尚書【しょうしょ】の気は秋天【しゅうてん】と杳【はるか】なり。)司徒李光弼は人物をみぬく力のあり、性格はあかるくあたかも鏡をかけたようなのだ、兵部の王尚書の気象は秋の空とともにはるかに澄み渡っているのだ。
司徒 李光弼、時に検校司徒を加えられる。○清鑒 人物をみぬく力のあることをいう。○懸明鏡 かがみにたとえる。○尚書 王思礼をいう、時に兵部尚書に遷る、安慶緒を討つときに粛宗は河東の李光弼、沢潞の王思礼の二節度使をして、部下の兵をひきいてこれを助けさせた。○気与秋天香 気は人の気象をいう、その気象は、秋の澄みわたった気が天とともに高く遙かなのに似ている、思礼の意気の爽かなさまをいう。

洗兵行 #2 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 296

 

 

#2

二宮泣西郊,九廟起壓。

玄宗、粛宗の二宮はみやこの西郊に泣哭せられ、安史軍のために焚毀せられた九廟をやっと頽圧から起こしたときのことである。

〇二宮 玄宗粛宗。

○西郊 長安の西郊、入京の途筋である。長安奪還のため攻め込んだ道筋。

〇九廟 天子の廟をいう。周制にあっては后稜を太祖廟として百世遷すことなく、その左に文王の世室、右に武重のせ室(世室もまた廟のこと)を置き、其の外に昭(左)穆(右)の位によって三昭三穆の廟を置いた、合して九廟である。「五陵」長安の北側渭水の北に並んである歴代の朝代君王の陵墓で、長陵、安陵、陽陵、茂陵、平陵をいう。

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未散河陽卒,思明偽臣妾。

時に唐郭子儀軍はまだ河陽を守って兵を撤退していない段階で、安史軍の史思明はいったん投降し、越王が呉王にしたように、いつわりの臣下を表明し、燕薊州に退いた。

○未散河陽卒 河陽卒とは郭子儀の部下をいう。時に子儀らは東京(洛陽)を収めていたが戍兵はまだ撤していなかった。河陽については三吏三別の「河陽役」 洛陽を繞る争いで、759年乾元二年の河陽での戦役になる。当時作者が泊まったこの詩の石壕村の近く。石壕吏 杜甫 三吏三別詩<216>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1034 杜甫詩集700- 309 

○思明偽臣妾 至徳二載十二月、史思明は所部十三州を以て投降してきたがのち復た叛いた、故に偽という。臣妾とは越王勾践が呉王夫差に降ったとき「身は臣と称し妻は妾と称せん」といったのに本づく。

 

複自碣石來,火焚乾坤獵。

それが、ふたたび燕の碣石の方から軍をひきいてやって来て、諸処を火で焚きはらい天地のあいだで狩猟でもやるようなさまを為したのである。

○復自砥石来 碣石は渤海湾の今の秦皇島附近にあった石門の名、古の燕地に属する。燕薊州は安史軍の根拠地であるその領地の有名な石門である、乾元元年に史思明が復た反し、二年には軍を四道に分かち河を渡って汴州に会し西のかた鄭州を攻めた。

○火焚 火をたく、猟のとき獣をかりだすのに行う。

○乾坤猟 天地の間に猟する、安史軍の異民族部隊は、占領地の略奪を許されていたから、民家を焼き掠奪をほしいままにすることをたとえていう。

 

高視笑祿山,公又大獻捷。

史思明の倣慢な態度は安禄山をも嘲笑しているかのごとくであったが、李光弼公はそれをもうち破って宗廟に大捷を献ぜられた。

○高視 めをあげて高く視る、衿倣のさま、ふんぞり返り、また、やぶにらみの史思明の傲慢な態度。

○公 李光弼。

○献捷 758年乾元二年七月、光弼は郭子儀に代わって朔方節度使・兵馬元帥となった。十月史思明が河陽を攻めたが、李光弼は史思明と中潬の西に戦って大いにこれを破った、また懐州を収めて安太清を擒にし、捕虜を太廟に献じた。以上「二宮」八句は史思明を破った功をのべる。

長安付近図00 

二宮西郊に泣く、九廟 圧せらるるを起こす。

未だ散ぜず河陽の卒、思明偽りて臣妾たり。

復た碣石より来たる、火焚 乾坤に猟す。

高視 禄山を笑う、公又た大いに捷を献ず。杜甫55歳756年作品

766年大暦元年55歲-41-#1奉節-32-#1 《巻16-04 八哀詩八首〔二〕故司徒李公光弼 -1》 杜甫index-15 杜甫<904-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5615

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巻16-02 八哀詩八首 

巻16-03 八哀詩八首〔一〕贈司空王公思禮

16-04 八哀詩八首〔二〕故司徒李公光弼

16-05 八哀詩八首〔三〕贈左僕射鄭國公嚴公武

16-06 八哀詩八首〔四〕贈太子太師汝陽郡王璡

16-07 八哀詩八首〔五〕贈秘書監江夏李公邕

16-08 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明

16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔

16-10 八哀詩八首〔八〕故右僕射相國張公九齡

 

 

八哀詩 故司徒李公光弼

李公光弼(李光弼)をかなしんでよんだ詩。

16-04 八哀詩八首〔二〕故司徒李公光弼 -#1

(八人の哀悼を示す武将の二番目には六卿の一人、司徒公である李光弼について詠う。)

司徒天寶末,北收晉陽甲。

司徒李公(光弼)は天宝の末年756年に河東節度副使となって北のかた晋陽(太原)の兵を配下軍とされた。

胡騎攻吾城,愁寂意不愜。

そのとき安史軍の史思明らは吾が太原の城を攻めてきたので守城のものは心配して不安の念をいだいたものであった。

安若泰山,薊北斷右脅。

しかし、李光弼公は安史軍をうち破って薊州の右臂の脅を断ちきったので、人民の安らかなること泰山のごとくといわれたものだ。

朔方氣乃蘇,黎首見帝業。

朔方の霊武行在所の元気よみがえり、人人ふたたび帝業を仰ぎ見るに至ったのである。

 

(八哀詩八首〔二〕故の司徒李公光弼) -#1

北斷右。朔方氣乃蘇,黎首見帝業。

司徒天宝の末、北のかた晋陽の甲を収む。

胡騎 吾が城を攻む、愁寂 意 愜【かな】わず。

人 安すること 泰山の若し、薊北 右脅を断つ。

朔方 気乃ち蘇し、黎首 帝業を見る。
#2

二宮泣西郊,九廟起壓。未散河陽卒,思明偽臣妾。

複自碣石來,火焚乾坤獵。高視笑祿山,公又大獻捷。

#3

異王冊崇勳,小敵信所怯。擁兵鎮河汴,千里初妥帖。

青蠅紛營營,風雨秋一葉。省未入朝,死淚終映睫。

#4

大屋去高棟,長城掃遺堞。平生白羽扇,零落蛟龍匣。

雅望與英姿,惻愴槐裏接。三軍晦光彩,烈士痛稠疊。

#5

直筆在史臣,將來洗箱篋。吾思哭孤塚,南紀阻歸楫。

扶顛永蕭條,未濟失利涉。疲苶竟何人,灑涕巴東峽。

 黄河二首の背景 杜甫

 

『八哀詩八首〔二〕故司徒李公光弼』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

八哀詩八首〔二〕故司徒李公光弼 -#1

司徒天寶末,北收晉陽甲。胡騎攻吾城,愁寂意不愜。

人安若泰山,薊北斷右脅。朔方氣乃蘇,黎首見帝業。



(下し文)
(八哀詩八首〔二〕故の司徒李公光弼) -#1

北斷右。朔方氣乃蘇,黎首見帝業。

司徒天宝の末、北のかた晋陽の甲を収む。

胡騎 吾が城を攻む、愁寂 意 愜【かな】わず。

人 安すること 泰山の若し、薊北 右脅を断つ。

朔方 気乃ち蘇し、黎首 帝業を見る。

(現代語訳)
(八人の哀悼を示す武将の二番目には六卿の一人、司徒公である李光弼について詠う。)

司徒李公(光弼)は天宝の末年756年に河東節度副使となって北のかた晋陽(太原)の兵を配下軍とされた。

そのとき安史軍の史思明らは吾が太原の城を攻めてきたので守城のものは心配して不安の念をいだいたものであった。

しかし、李光弼公は安史軍をうち破って薊州の右臂の脅を断ちきったので、人民の安らかなること泰山のごとくといわれたものだ。

朔方の霊武行在所の元気よみがえり、人人ふたたび帝業を仰ぎ見るに至ったのである。

安史の乱当時の勢力図

(訳注)

八哀詩八首〔二〕故司徒李公光弼 -#1

(八人の哀悼を示す武将の二番目には六卿の一人、司徒公である李光弼について詠う。)

○司徒 司徒(しと)とは、中国の官名。西周ではじめて設置され、三公の次に位し、六卿に相当する。田土・財貨・教育などを司った。前漢では丞相が三公の一つとされたが、哀帝の元寿2年(紀元前1年)に、丞相を大司徒と改称している。後漢の建武27年(51年)に、大司徒は司徒と改称される。献帝の建安13年(208年)6月、曹操が三公制度を廃止して、丞相・御史大夫を置いたことにより、廃止されたが、漢から魏への禅譲が行われると三公制度が復活し、再び司徒が三公の一つとして設置された。

○故政司徒李公光弼 故はすでに死んだ者を称する、司徒は上に云う官名、光弼をさす。

郭子儀の後進の武将。元々、郭子儀の属官であった。李光弼は自己の能力に自信を持っていたので上官である郭子儀に対しても直言をして憚らなかった。郭子儀が李光弼の献策を採用しなかったので、李光弼は郭子儀を無能な上官であると思っていた。

実は、郭子儀は李光弼の才能を高く評価しており、その献策の妥当性も理解していたものの、ここでたやすく献策が用いられると、自尊心の強い李光弼が慢心し、さらなる能力開発を軽んじるであろうことを推測し、敢えて献策を採用していなかったのであった。

安禄山の叛乱が起こると、郭子儀は上奏して李光弼を一軍の将とするように進言した。それを知った李光弼は自身の不明を郭子儀に詫びて、ともに乱の鎮圧に全身全霊を傾けることを約した。世の人はこの2人を「李郭」と併称して名将ぶりを讃えた。

 李光弼(708~764年)は、営州柳城(遼寧朝陽南)の出身で、契丹族です。幼いころは遊びまわらないで、乗馬して弓を射ることがうまく、成年してからは威厳、落ち着き、果敢さがあり、知略にとんでいた。

 唐国の粛宗の靈武行在所で、郭子儀河西節度使、朔方節度副使に任命され、ついで、河東節度使、天下兵馬副元帥に任命され、安史の乱の平定する戦いのなかで功績をあげ、郭子儀とともに「李郭」と言われた。『新唐書』には、その功績をたたえ、「戦功は中興の名臣の中でも一番だ」と記されている。

 唐、760年上元元年、李光弼は軍隊を率いて、史思明の安史軍と戦い、勝利をあげた。李光弼の部隊は野水度に駐屯していたが、牙将の雍希顥に留守を任せて、自ら千名の兵士をひきつれて他所に隠れた。出て行く前、李光弼は留守を任せる武将たちに言った。「敵将の高暉、李日越は、一人で一万人分くらいの力がある敵だ。敵は私を襲ってくるだろう。おまえはここに残り、敵が来ても戦うな。もし降伏したら、私のところに連れてこい」

 武将たちは、この言葉を聞いて、かなり変だと感じたものの、心の中では「大将は、どう事をさばくのか、こんな不思議なことをするのだろう」と思った。

 翌日、史思明は、武将の李日越に五百騎の完全武装の騎馬隊を指揮させ、李光弼を襲うことにする。このとき勝てなければ帰ってくるなと命じた。李日越は、軍隊をひきいて野水度に来て、そこには雍希顥しかいないと知ると、ついに降伏した。李光弼は、李日越を厚遇したうえ、さらに郭子儀に頼んで右金吾大将軍にしてもらった。それで、この話を聞いた高暉も、李光弼に降伏する。

 すべてが片付いた後、武将たちはどんどんどうやって二人の敵将を投降させられたのかを聞きいた。李光弼は解説するように言った。「李日越が降伏したのは、私がどこにもいなかったので任務を遂行しようがなかったし、雍希顥は無名の武将なので、戦死させたとしても功績にならないからだ。高暉は、李日越より自分はすごいと自負しており、すでに李日越が降伏して厚遇されている以上、自分が降伏すればもっと厚遇されるだろうと思うだろうからだ」

 李光弼の戦法は、戦略をきちんと立て、計画ができてから戦うというもので、つねに少ない兵力で大軍に勝っている。軍隊の管理が厳正で、武将たちはだれもが命令に従う。764年、李光弼は病死したが、死に際して、財産をすべて武将たちに分け与えている。武将たちはだれもが李光弼の死を泣いて悲しんだ。

 

 

司徒天寶末,北收晉陽甲。

司徒李公(光弼)は天宝の末年756年に河東節度副使となって北のかた晋陽(太原)の兵を配下軍とされた。

天寶末 756年。

○収晋陽甲 晋陽は山西省太原府、太原は唐では北都と称して都督府を置いた、甲は武装した兵をさす。晋陽の甲を収むとは大原尹・北京留守であったことをいう。収晋陽甲の字面は「公羊伝」「晋の趙鞅は晋陽の兵を用いて荀寅と士吉射を駆逐した」に本づく。伝によれば郭子儀が朔方節度使であったとき李光弼を推奨して雲中太守となし河東節度副使にあてた。756年天宝十五載、唐哥舒翰軍が潼関を出て大敗し、守りを失ったとき戸部尚書を授けられ、太原尹・北京留守を兼ねた、757年至徳二年、史思明らの四偽帥(禄山の将をいう)が衆十余万を率いて太原を攻めたとき、光弼は拒守すること五十余日、安史軍の油断を伺い出撃して大いにこれを破り、首を斬ること七万余級、検校司徒を加えられ、ついで司空に遷された。

 

胡騎攻吾城,愁寂意不愜。

そのとき安史軍の史思明らは吾が太原の城を攻めてきたので守城のものは心配して不安の念をいだいたものであった。

○胡騎 安史軍の騎兵。安禄山が混血であったことで、ウイグルの傭兵がほとんどであったために、騎馬部隊が優れていた。

○吾城 太原城。

○意不愜 唐軍は、敗戦に次ぐ敗戦で、守城の人が不安の念をいだくことをいう。

 

人安若泰山,薊北斷右脅。

しかし、李光弼公は安史軍をうち破って薊州の右臂の脅を断ちきったので、人民の安らかなること泰山のごとくといわれたものだ。

○若泰山 動揺せぬさまをいう。泰山鳴動して鼠一匹。

○薊北 燕・薊州のこと、安禄山の根拠地。

○断右脅 「西域伝」に「匈奴の右臂を断つ」の語がある、ここは、その意を取って臂を脅とした、右とは西をいう、太原は薊州の西にあたるのでこれを右脅という。

 

朔方氣乃蘇,黎首見帝業。

朔方の霊武行在所の元気よみがえり、人人ふたたび帝業を仰ぎ見るに至ったのである。

○朔方 北方。霊武行在所のこと。

○黎首 黒頭、人民をいう。

○見帝業 当時安禄山・史思明らが乱を構え、安禄山は河北より潼関に向かい、史思明は山右より秦隴をうかがった、李光弼は西のかた安史軍を防御したために朔方は虞れなくして粛宗は業を霊武に起こすことができた。房琯が玄宗より詔を受け、至徳元年とした、起八句は太原を守った功をいう。
杜甫55歳756年作品 

766年大暦元年55歲-40-#8奉節-31-#8 《巻16-03 八哀詩八首〔一〕贈司空王公思禮 -8》 杜甫index-15 杜甫<903-09> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5610

杜甫 奉節-31-8 《巻16-03 八哀詩八首〔一〕贈司空王公思禮 -8廉藺に比すべき司空がなくなられてからこれに代わったものは〈文苑傳〉にのってしかるべきような鄧景山であった。この任命がまちがったために太原の士卒はついに戟を倒にとって叛乱をするに至ったことはかえすがえすも残念なことである。

 
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杜甫詩1500-903-09-1293/2500766年大暦元年55-40-8

 

 

16-02 八哀詩八首 幷序

16-03 八哀詩八首〔一〕贈司空王公思禮

16-04 八哀詩八首〔二〕故司徒李公光弼

16-05 八哀詩八首〔三〕贈左僕射鄭國公嚴公武

16-06 八哀詩八首〔四〕贈太子太師汝陽郡王璡

16-07 八哀詩八首〔五〕贈秘書監江夏李公邕

16-08 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明

16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔

16-10 八哀詩八首〔八〕故右僕射相國張公九齡

 

 

年:766年大暦元年55-

卷別:  卷二二二        文體:  五言古詩

詩題:  八哀詩八首:贈司空王公思禮

00

并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。

八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:天山 (隴右道西部 無第二級行政層級 天山) 別名:雪山       

九曲 (都畿道 河南府 九曲)        

潼關 (京畿道 華州 潼關)  

朔方節度使 ( 靈州 朔方節度使) 別名:朔方   

梁州 (山南西道 梁州 梁州) 別名:漢中     

交遊人物:王思禮、哥舒翰、鄧景山。

 

 

八哀詩八首〔一〕

贈司空王公思禮 #1

(司空であり死後、大尉をおくられた王思禮公を思って作った詩)

司空出東夷,童稚刷勁翮。

王司空は高麗の東夷から出て、こどものときから猛鳥がつよいたちばねを刷うごとく奮飛せんとする勢いがあった。

追隨燕薊兒,穎物不隔。

それが幽州斬州の壮年に随って交わり、錐の穂先が嚢から脱けだすごとく何物もこれをさえぎることができなかった。

服事哥舒翰,意無流沙磧。

司空は哥舒翰につきしたごうたころからその意気は沙漠地方眼中に無きのありさまであったが、

未甚拔行間,犬戎大充斥。

まだたいして卒伍のなかまから抜擢されるほどでもなかった、ところへ犬戎(吐蕃)が非常に多くおよせてきた。

(八哀詩)〔一〕贈司空 王公思禮 #1

司空 東夷より出づ、童稚 勁翮【けいかく】を刷う。

追随す燕薊の児、穎鋭 物 隔てず。

服事す哥舒翰 意流沙磧を無みす。

未だ甚だ行間より抜かれず、犬戎大いに充斥す。

2

短小精悍姿,屹然強寇敵。

そのとき司空は小がらで背は低いが、他に影響されることなく精悼な姿でとして強寇にするのである。

貫穿百萬眾,出入由咫尺。

敵の百万の衆を突破して、其の間に出はいりすることは咫尺の間を往来するがごとく機敏なのである。

馬鞍懸將首,甲外控鳴鏑。

馬の鞍には敵将の首を懸け、鎧の袖のそとには鏑箭を鳴りひびかせた。

洗劍青海水,刻銘天山石。

かくして青海の水で剣の血を洗い、天山の石に戦功の銘文を刻みつけた。

#2

短小精悍の姿、屹然 強寇に敵す。

貫穿す 百万の衆、出入すること咫尺の由し。

馬鞍に将首を懸け、甲外鳴鏑を控く。

剣を洗う 青海の水、銘を刻す天山の石。

3

九曲非外蕃,其王轉深壁。

吐蕃の王は遅れて西南の奥へ奥へとはいって塁壁を設け、黄河九曲の地方はもはや外藩でなく我が内地のものとなった。

飛兔不近駕,鷙鳥資遠擊。

まことに飛兔の神馬は駕すれば必ず万里の遠きにおいてする、「鷲鳥に貴し」とするところはそれが遠く飛んで獲物を撃つからである。

曉達兵家流,飽聞春秋癖。

司空は諸家の兵法に充分長けており、杜征南のごとく「春秋左伝」癖があるといわれるほどの学問をされることは世の周知のことと十分聞き知っておるとおりである。

胸襟日沈靜,肅肅自有適。

空の胸中は儒者としていつも沈静であり、しずかに自己の意に満足しておられるところがある。

#3

九曲 外番に非ず、其の王 転た深壁。

飛兔 近駕せず、鷲鳥遠撃に資る。

曉達す 兵家の流,飽聞す 春秋の癖。

胸襟 日に沈靜,肅肅 自ら適する有り。』

 

4

潼關初潰散,萬乘猶辟易。

かの安禄安の乱に潼関を出た哥舒翰の百万の唐軍が予想もできない総崩れ、大敗したために万乗の天子(玄宗)もなお辟易あそばされた。

偏裨無所施,元帥見手格。

総大将の哥舒翰が捕虜にされると、その部将としての司空は手のほどこしょうがなかった。

太子入朔方,至尊狩梁益。

そのうちに太子は朔万へお入りになって即位し、粛宗とされ、天子は梁益の地)へ出狩あそばされたのである、

胡馬纏伊洛,中原氣甚逆。

まず、伊水の洛水の二水の地が安史軍によって凌辱され、燕国の馬がまといついた、中原、河南地方は唐朝廷に不順の気がさかんであった。

 

4

潼關初潰散,萬乘猶辟易。

かの安禄安の乱に潼関を出た哥舒翰の百万の唐軍が予想もできない総崩れ、大敗したために万乗の天子(玄宗)もなお辟易あそばされた。

偏裨無所施,元帥見手格。

総大将の哥舒翰が捕虜にされると、その部将としての司空は手のほどこしょうがなかった。

太子入朔方,至尊狩梁益。

そのうちに太子は朔万へお入りになって即位し、粛宗とされ、天子は梁益の地)へ出狩あそばされたのである、

胡馬纏伊洛,中原氣甚逆。

まず、伊水の洛水の二水の地が安史軍によって凌辱され、燕国の馬がまといついた、中原、河南地方は唐朝廷に不順の気がさかんであった。

4

潼關 初め潰散【かいさん】す,萬乘 猶お辟易す。

偏裨 施す所無く,元帥 手格せ見【ら】る。

太子 朔方に入る,至尊 梁益に狩す。

胡馬 伊洛纏う,中原 氣 甚だ逆なり。

5

肅宗登寶位,塞望勢敦迫。

このとき粛宗が宝位にお登りになったが、それは天下の人望を塞ぎ満たされるためで、あつく迫られた勢いにやむをえず天子となられたのである。

公時徒步至,請罪將厚責。

王司空はそのとき徒歩きして、御即位の霊武へ来て敗軍の責任を負うて、処罰を願い出て、厚く責められようとした。

際會清河公,間道傳玉冊。

おりよくもうら淸河公(房琯)が蜀の方から間道をとおって来て玄宗からの御譲位の玉冊を伝えた。

天王拜跪畢,讜議果冰釋。

粛宗は拝際してそれをおうけになり、一方に房琯公の正論をおききいれになって司空に関する嫌疑は換然氷釈するようになった。
5

肅宗 寶位に登る,塞望 勢い敦迫なり。

公時に 徒步して至る,罪を請い將に厚く責められんとす。

際會す 清河公,間道より玉冊を傳うるに。

天王 拜跪し畢る,讜議【とうぎ】に果して冰釋【ひょうしゃく】す。

6

翠華卷飛雪,熊虎亙阡陌。

それから粛宗の翠華の御旗は春の吹雪のうちにひるがえり、将士熊虎の旗は田野の道路をおおうてたちならぶ、

屯兵鳳凰山,帳殿涇渭闢。

天子は鳳凰山(岐山)に兵を屯せしめられ、帳殿を設けてやっと涇渭二水の流域を暗塞のなかから奪回し、おひらきあそばされた。

金城賊咽喉,詔鎮雄所搤。

そのとき鳳翔行在所と長安の中間点の金城の地(興平)は安史軍の咽喉にあたるので、司空は詔をうけて其の地を鎮められ、要害の場所に雄威を示された。

禁暴清無雙,爽氣春淅瀝。

敵の暴行を禁じたので地方の安泰なること他にふたつとならぶものなく、春にかかわらず。雪霞のさらさらふる時のごとく清涼なさまとおもわれた。

6

翠華 飛雪に卷く,熊虎 阡陌に亙る。

屯兵す 鳳凰山,帳殿に涇渭闢く。

金城 賊の咽喉,詔せられて鎮して所搤【しょやく】に雄なり。

暴を禁じて清すること無雙なり,爽氣 春 淅瀝【せきれき】たり。

7

巷有從公歌,野多青青麥。

それから、𨛗巷【むらざと】のものは司空の徳をしたって「従公」の歌をうたい、野の田畑面には耕作物があらされることなく青青としげった麦が多くあった。
及夫哭廟後,復領太原役。

粛宗がいよいよ先ず宗廟に哭礼を行なわれて京師大明宮へおかえりになってから、司空はまた河東節度使として、北の重要拠点太原の軍務をおあずかりすることになった。

恐懼祿位高,悵望王土窄。

司空は一方に禄位の高いことを恐懼し、一方にはまだまだ天子の御権力の及ぶ土地がせまいことをなげいておられたのだ。

不得見清時,嗚呼就窀穸。

天下太平の時節を見ることを得ざるうちにおしくも、なげかわしくも、長き夜の眠りに就いてしまわれた。

7

巷に從公の歌有り,野に青青たる麥多し。

夫の哭廟の後に及びて,復た太原の役を領す。

恐懼す 祿位の高きを,悵望す 王土の窄きを。

清時を見るを得ざるに,嗚呼 窀穸に就きぬ。

 

8

永繫五湖舟,悲甚田橫客。

千秋汾晉間,事與雲水白。

昔觀〈文苑傳〉,豈述廉藺績。

嗟嗟鄧大夫,士卒終倒戟。

自分は范蠡が五湖にうかんだ故事のように、ながくこうして南方の江水に舟をつないでおり、司空に対しては斉の田横の門人が抱いた以上の悲しみをまちがいなくもっておるのである。

ああ太原、汾水地方の事は永久に白雲が水の消え去るごとくうせてしまったのである。

じぶんは昔の歴史書、《文苑伝》をよんだがそのなかには廉頗や藺相如のようなりっぱな武将の事は記述してなかった。(武将と文臣とはおのずから遣り口がちがうのだ)。

廉藺に比すべき司空がなくなられてからこれに代わったものは〈文苑傳〉にのってしかるべきような鄧景山であった。この任命がまちがったために太原の士卒はついに戟を倒にとって叛乱をするに至ったことはかえすがえすも残念なことである。

8

永く繫ぐ 五湖の舟,悲しみは田橫の客に甚だし。

千秋 汾晉の間,事 雲水と白し。

昔 〈文苑傳〉を觀しに,豈に廉藺【れんりん】が績【いさお】を述べんや。

嗟嗟 鄧大夫,士卒 終に戟を倒にせり。

 

 

〔一〕『八哀詩八首:贈司空王公思禮』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
8

永繫五湖舟,悲甚田橫客。

千秋汾晉間,事與雲水白。

昔觀〈文苑傳〉,豈述廉藺績。

嗟嗟鄧大夫,士卒終倒戟。

 


(下し文) 8

永く繫ぐ 五湖の舟,悲しみは田橫の客に甚だし。

千秋 汾晉の間,事 雲水と白し。

昔 〈文苑傳〉を觀しに,豈に廉藺【れんりん】が績【いさお】を述べんや。

嗟嗟 鄧大夫,士卒 終に戟を倒にせり。
(現代語訳)
自分は范蠡が五湖にうかんだ故事のように、ながくこうして南方の江水に舟をつないでおり、司空に対しては斉の田横の門人が抱いた以上の悲しみをまちがいなくもっておるのである。

ああ太原、汾水地方の事は永久に白雲が水の消え去るごとくうせてしまったのである。

じぶんは昔の歴史書、《文苑伝》をよんだがそのなかには廉頗や藺相如のようなりっぱな武将の事は記述してなかった。(武将と文臣とはおのずから遣り口がちがうのだ)。

廉藺に比すべき司空がなくなられてからこれに代わったものは〈文苑傳〉にのってしかるべきような鄧景山であった。この任命がまちがったために太原の士卒はついに戟を倒にとって叛乱をするに至ったことはかえすがえすも残念なことである。



(訳注) 8

八哀詩八首〔一〕 贈司空王公思禮 #8

(司空であり死後、大尉をおくられた王思禮公を思って作った詩)

司空王公思禮 王思禮、(?-761年),高句麗人。唐朝將領。統後将軍、唐代の書家。

○贈司空 贈とは其の人の死後に官を贈られたことをいう、王思礼は生前に司空となり、死後は大尉を贈られたと「旧唐書」に記してあるのからすれば贈司空というのはおかしい。全文は贈大尉司空王公思礼ということである。

 

永繫五湖舟,悲甚田橫客。

自分は范蠡が五湖にうかんだ故事のように、ながくこうして南方の江水に舟をつないでおり、司空に対しては斉の田横の門人が抱いた以上の悲しみをまちがいなくもっておるのである。

○繋五湖舟 五湖舟は范蠡の故事、ここは作者が南方の水に舟をつなぐことをいう。范蠡(はんれい 生没年不詳)は、中国春秋時代の越の政治家、軍人。氏は范、諱は蠡、字は少伯。越王勾践に仕え、勾践を春秋五覇に数えられるまでに押し上げた最大の立役者。悲願が達成されて有頂天になる勾践を見て、范蠡は密かに越を脱出した。その後の范蠡の故事をいう。越を脱出した范蠡は、斉で鴟夷子皮(しいしひ)と名前を変えて商売を行い、巨万の富を得た。范蠡の名を聞いた斉は范蠡を宰相にしたいと迎えに来るが、范蠡は名が上がり過ぎるのは不幸の元だと財産を全て他人に分け与えて去った。斉を去った范蠡は、かつての曹の国都で、今は宋領となっている定陶(山東省陶県)に移り、陶朱公と名乗った。ここでも商売で大成功して、巨万の富を得た。老いてからは子供に店を譲って悠々自適の暮らしを送ったと言う。陶朱公の名前は後世、大商人の代名詞となった(陶朱の富の故事)。このことについては、史記の「貨殖列伝」に描かれている。

○田横客 田横は、秦末の人。戦国時代の斉王と同族。楚と漢が天下を争った時期に斉の支配者となった。漢の高祖の初め、田横が自殺したとき、その門人が傷んで悲歌をつくった、客とは門人をいう。田横は、食客二人と共に劉邦の元へ向かった。劉邦のいる洛陽まで30里ばかりとなった時、田横は「漢王と自分は共に王であったのに、彼に仕えるというのは大変恥ずかしい。またいくら天子の命令があるとはいえ、煮殺した相手の弟と肩を並べるというのは恥じ入らずにはいられない。私はそれに耐えられないだろう。そもそも漢王が自分を招くのは、私の顔を一度見ておこうということに過ぎない。いま自分の首を斬っても、ここからなら洛陽まで容貌がわからなくなるほど腐敗することはないだろうから、私の顔を見せるには十分だろう」と言い、自殺した。田横の食客は田横の首を劉邦に奉じた。劉邦は「ああ、布衣の身から兄弟三人が王となるというのは、賢者に違いない」と言って彼のために涙を流し、食客二人を都尉に任命して田横を王の礼で葬った。客二人は彼の墓のそばで自殺した。

 

千秋汾晉間,事與雲水白。

ああ太原、汾水地方の事は永久に白雲が水の消え去るごとくうせてしまったのである。

○汾晉間 汾晉間は太原をさす。汾水は太原の晋陽山上を水源にして出る河川で黄河の支流である。

○与雲水白 「与白雲水」白の字は押韻のための入れ替えしたもの。白雲が水のごとく消滅したことをいう。

 

昔觀〈文苑傳〉,豈述廉藺績。

じぶんは昔の歴史書、《文苑伝》をよんだがそのなかには廉頗や藺相如のようなりっぱな武将の事は記述してなかった。(武将と文臣とはおのずから遣り口がちがうのだ)。

○文苑伝 「後漢書」以下、歴史に多く文苑伝の設けがあり、文学者の事を記す。○廉藺績 廉頗は戦国時の趙の名将、或は願を蘭に作る、藺は藺相加、彼もまた超の将である、ここは名将をいおうとするもので廉頗に限るものでないゆえ廉蘭とあるのがよろしいかとおもわれる、廉蘭は思礼に此する、蹄は功績、いさおし。

・廉頗 ○廉頗(れんぱ、生没年不詳)は、中国戦国時代の趙の将軍。藺相如との関係が「刎頸の交わり」として有名。

・藺相如(りんしょうじょ、生没年不詳)は、中国の戦国時代の末期に趙の恵文王の家臣。「完璧」や「刎頸の交わり」の故事で知られる。司馬遷は『史記』廉頗蘭相如列伝の中で、藺相如のことを文武知勇の将と賞している。

 

嗟嗟鄧大夫,士卒終倒戟。

廉藺に比すべき司空がなくなられてからこれに代わったものは〈文苑傳〉にのってしかるべきような鄧景山であった。この任命がまちがったために太原の士卒はついに戟を倒にとって叛乱をするに至ったことはかえすがえすも残念なことである。

○鄧大夫 鄧景山をいう、王思礼が卒するや管崇嗣が代わって太原尹となったが、数か月にしてまた鄧景山を以て崇嗣に代えた、景山は文吏を以て称せられたが太原に至ると軍吏の隠事をあばいたため、軍衆の憤怨をかい遂に殺された。

鄧景山(8世紀-762年),曹州人,唐朝の官員。 以文吏見稱。天寶中,自大理評事至監察御史。至德初,擢拜青齊節度使,遷揚州長史、淮南節度使。為政簡肅,聞於朝廷。760年,劉展之亂起,引平盧副大使田神功兵馬討賊。

○倒戟 味方であったものが敵に戟をむけず、さかさまにこちらへむける、叛くことをいう。以上「昔観」四句は王思礼の没後、よくその後を継ぐ人のないことを嘆ずる。

 

 

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永く繫ぐ 五湖の舟,悲しみは田橫の客に甚だし。

千秋 汾晉の間,事 雲水と白し。

昔 〈文苑傳〉を觀しに,豈に廉藺【れんりん】が績【いさお】を述べんや。

嗟嗟 鄧大夫,士卒 終に戟を倒にせり。

 

766年大暦元年55歲-40-#7奉節-31-#7 《巻16-03 八哀詩八首〔一〕贈司空王公思禮 -7》 杜甫index-15 杜甫<903-08> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5605

杜甫7奉節-31-7 《巻16-03 八哀詩八首〔一〕贈司空王公思禮 -7粛宗がいよいよ先ず宗廟に哭礼を行なわれて京師大明宮へおかえりになってから、司空はまた河東節度使として、北の重要拠点太原の軍務をおあずかりすることになった。

 

 
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-40-#7奉節-31-#7 《巻16-03 八哀詩八首〔一〕贈司空王公思禮 -7》 杜甫index-15 杜甫<903-08> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5605 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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杜甫詩1500-903-08-1292/2500766年大暦元年55-40-7

黄河二首の背景 杜甫 

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潼關初潰散,萬乘猶辟易。

かの安禄安の乱に潼関を出た哥舒翰の百万の唐軍が予想もできない総崩れ、大敗したために万乗の天子(玄宗)もなお辟易あそばされた。

偏裨無所施,元帥見手格。

総大将の哥舒翰が捕虜にされると、その部将としての司空は手のほどこしょうがなかった。

太子入朔方,至尊狩梁益。

そのうちに太子は朔万へお入りになって即位し、粛宗とされ、天子は梁益の地)へ出狩あそばされたのである、

胡馬纏伊洛,中原氣甚逆。

まず、伊水の洛水の二水の地が安史軍によって凌辱され、燕国の馬がまといついた、中原、河南地方は唐朝廷に不順の気がさかんであった。

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潼關 初め潰散【かいさん】す,萬乘 猶お辟易す。

偏裨 施す所無く,元帥 手格せ見【ら】る。

太子 朔方に入る,至尊 梁益に狩す。

胡馬 伊洛纏う,中原 氣 甚だ逆なり。

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肅宗登寶位,塞望勢敦迫。

このとき粛宗が宝位にお登りになったが、それは天下の人望を塞ぎ満たされるためで、あつく迫られた勢いにやむをえず天子となられたのである。

公時徒步至,請罪將厚責。

王司空はそのとき徒歩きして、御即位の霊武へ来て敗軍の責任を負うて、処罰を願い出て、厚く責められようとした。

際會清河公,間道傳玉冊。

おりよくもうら淸河公(房琯)が蜀の方から間道をとおって来て玄宗からの御譲位の玉冊を伝えた。

天王拜跪畢,讜議果冰釋。

粛宗は拝際してそれをおうけになり、一方に房琯公の正論をおききいれになって司空に関する嫌疑は換然氷釈するようになった。
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肅宗 寶位に登る,塞望 勢い敦迫なり。

公時に 徒步して至る,罪を請い將に厚く責められんとす。

際會す 清河公,間道より玉冊を傳うるに。

天王 拜跪し畢る,讜議【とうぎ】に果して冰釋【ひょうしゃく】す。

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翠華卷飛雪,熊虎亙阡陌。

それから粛宗の翠華の御旗は春の吹雪のうちにひるがえり、将士熊虎の旗は田野の道路をおおうてたちならぶ、

屯兵鳳凰山,帳殿涇渭闢。

天子は鳳凰山(岐山)に兵を屯せしめられ、帳殿を設けてやっと涇渭二水の流域を暗塞のなかから奪回し、おひらきあそばされた。

金城賊咽喉,詔鎮雄所搤。

そのとき鳳翔行在所と長安の中間点の金城の地(興平)は安史軍の咽喉にあたるので、司空は詔をうけて其の地を鎮められ、要害の場所に雄威を示された。

禁暴清無雙,爽氣春淅瀝。

敵の暴行を禁じたので地方の安泰なること他にふたつとならぶものなく、春にかかわらず。雪霞のさらさらふる時のごとく清涼なさまとおもわれた。

6

翠華 飛雪に卷く,熊虎 阡陌に亙る。

屯兵す 鳳凰山,帳殿に涇渭闢く。

金城 賊の咽喉,詔せられて鎮して所搤【しょやく】に雄なり。

暴を禁じて清すること無雙なり,爽氣 春 淅瀝【せきれき】たり。

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巷有從公歌,野多青青麥。

それから、𨛗巷【むらざと】のものは司空の徳をしたって「従公」の歌をうたい、野の田畑面には耕作物があらされることなく青青としげった麦が多くあった。
及夫哭廟後,復領太原役。

粛宗がいよいよ先ず宗廟に哭礼を行なわれて京師大明宮へおかえりになってから、司空はまた河東節度使として、北の重要拠点太原の軍務をおあずかりすることになった。

恐懼祿位高,悵望王土窄。

司空は一方に禄位の高いことを恐懼し、一方にはまだまだ天子の御権力の及ぶ土地がせまいことをなげいておられたのだ。

不得見清時,嗚呼就窀穸。

天下太平の時節を見ることを得ざるうちにおしくも、なげかわしくも、長き夜の眠りに就いてしまわれた。

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巷に從公の歌有り,野に青青たる麥多し。

夫の哭廟の後に及びて,復た太原の役を領す。

恐懼す 祿位の高きを,悵望す 王土の窄きを。

清時を見るを得ざるに,嗚呼 窀穸に就きぬ。

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永繫五湖舟,悲甚田橫客。

千秋汾晉間,事與雲水白。

昔觀〈文苑傳〉,豈述廉藺績。

嗟嗟鄧大夫,士卒終倒戟。

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永く繫ぐ 五湖の舟,悲しみは田橫の客に甚だし。

千秋 汾晉の間,事 雲水と白し。

昔 〈文苑傳〉を觀しに,豈に廉藺【れんりん】が績【いさお】を述べんや。

嗟嗟 鄧大夫,士卒 終に戟を倒にせり。

 九曲黄河第一湾

 

〔一〕『八哀詩八首:贈司空王公思禮』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

7

巷有從公歌,野多青青麥。

及夫哭廟後,復領太原役。

恐懼祿位高,悵望王土窄。

不得見清時,嗚呼就窀穸。


(下し文) 7

巷に從公の歌有り,野に青青たる麥多し。

夫の哭廟の後に及びて,復た太原の役を領す。

恐懼す 祿位の高きを,悵望す 王土の窄きを

清時を見るを得ざるに,嗚呼 穸に就きぬ


(現代語訳)
それから、𨛗巷【むらざと】のものは司空の徳をしたって「従公」の歌をうたい、野の田畑面には耕作物があらされることなく青青としげった麦が多くあった。
粛宗がいよいよ先ず宗廟に哭礼を行なわれて京師大明宮へおかえりになってから、司空はまた河東節度使として、北の重要拠点太原の軍務をおあずかりすることになった。

司空は一方に禄位の高いことを恐懼し、一方にはまだまだ天子の御権力の及ぶ土地がせまいことをなげいておられたのだ。

天下太平の時節を見ることを得ざるうちにおしくも、なげかわしくも、長き夜の眠りに就いてしまわれた。

安史の乱当時の勢力図
(訳注) 7

八哀詩八首〔一〕 贈司空王公思禮 #7

(司空であり死後、大尉をおくられた王思禮公を思って作った詩)

司空王公思禮 王思禮、(?-761年),高句麗人。唐朝將領。統後将軍、唐代の書家。

○贈司空 贈とは其の人の死後に官を贈られたことをいう、王思礼は生前に司空となり、死後は大尉を贈られたと「旧唐書」に記してあるのからすれば贈司空というのはおかしい。全文は贈大尉司空王公思礼ということである。

 

巷有從公歌,野多青青麥。

それから、𨛗巷【むらざと】のものは司空の徳をしたって「従公」の歌をうたい、野の田畑面には耕作物があらされることなく青青としげった麦が多くあった。

○従公歌 《詩経(魯頌 3) 泮水》「鸞聲噦噦。 無小無大、從公于邁。」(鸞声噦噦【かいかい】たり.小と無く大と無く、公に従って千に邁く」と。公は魯の君をさしている。ここは従公の字面を借りたもので公は王思礼をさす。

○青青麦 敵の軍隊が耕地をあらさぬゆえ野に麦が多い。以上「翠聾」十句は関内節度使としての王思礼の功をのべる。

 

及夫哭廟後,復領太原役。

粛宗がいよいよ先ず宗廟に哭礼を行なわれて京師大明宮へおかえりになってから、司空はまた河東節度使として、北の重要拠点太原の軍務をおあずかりすることになった。

○哭廟後 粛宗の入京をいう。757年至徳二載冬十月契亥、粛宗は鳳翔より還京し、丁卯、粛宗皇帝が長安へ入る。百姓は国門を出て奉迎した。その人の列は二十里も続く。彼らは皆、踊りまくって万歳を叫び、泣き出す者さえいた。

   粛宗皇帝は大明宮へ入居する。御史中丞・崔器は、燕の官爵を受けた百官を含元殿の前に集め、頭巾と靴を脱がせて頓首謝罪させた。これを兵卒が取り巻き、 百官へ見物させる。太廟は燕軍に焼き払われていた。粛宗皇帝は 素服にて廟へ向かって三日哭した後、大明宮に入居した。

○領大原役 大原は山西省大原府、長安が平らぐと王思礼は先ず都に入って宮闕を清め、兵部尚書に遷り、霍国公に封ぜられた。李光粥が河陽にうつったので彼に代わって大原尹・北京留守・河東節度使となり、ついで守司空を加えられた。領役とは兵事をあずかることで河東節度使の職をとったことをいう。

 

恐懼祿位高,悵望王土窄。

司空は一方に禄位の高いことを恐懼し、一方にはまだまだ天子の御権力の及ぶ土地がせまいことをなげいておられたのだ。

 

不得見清時,嗚呼就窀穸。

天下太平の時節を見ることを得ざるうちにおしくも、なげかわしくも、長き夜の眠りに就いてしまわれた。

〇清時 天下太平のとき。

○就窀穸 埋葬すること。窀は厚、穸は夜、窀穸は長夜のこと、墓穴はくらくて長夜のごとくである、王思礼の永眠したことをいう。文字は「左伝」(嚢公十三年)「唯是春秋窀穸之事、」に見える。「旧居書」によれば息礼は「上元二年四月疾を以て薨ズ、朝を輟ること一日、太尉を贈り、武烈を諡とす」とある。
杜甫55歳756年作品 

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杜甫 奉節-31-6 《巻16-03 八哀詩八首〔一〕贈司空王公思禮 -6そのとき鳳翔行在所と長安の中間点の金城の地(興平)は安史軍の咽喉にあたるので、司空は詔をうけて其の地を鎮められ、要害の場所に雄威を示された。

 
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杜甫詩1500-903-07-1291/2500766年大暦元年55-40-6

 

房琯は全隊を三軍にわけた

 

4

潼關初潰散,萬乘猶辟易

かの安禄安の乱に潼関を出た哥舒翰の百万の唐軍が予想もできない総崩れ、大敗したために万乗の天子(玄宗)もなお辟易あそばされた。

偏裨無所施,元帥見手格。

総大将の哥舒翰が捕虜にされると、その部将としての司空は手のほどこしょうがなかった。

太子入朔方,至尊狩梁益。

そのうちに太子は朔万へお入りになって即位し、粛宗とされ、天子は梁益の地)へ出狩あそばされたのである、

胡馬纏伊洛,中原氣甚逆。

まず、伊水の洛水の二水の地が安史軍によって凌辱され、燕国の馬がまといついた、中原、河南地方は唐朝廷に不順の気がさかんであった。

4

潼關 初め潰散【かいさん】す,萬乘 猶お辟易す。

偏裨 施す所無く,元帥 手格せ見【ら】る。

太子 朔方に入る,至尊 梁益に狩す。

胡馬 伊洛纏う,中原 氣 甚だ逆なり。

5

肅宗登寶位,塞望勢敦迫。

このとき粛宗が宝位にお登りになったが、それは天下の人望を塞ぎ満たされるためで、あつく迫られた勢いにやむをえず天子となられたのである。

公時徒步至,請罪將厚責。

王司空はそのとき徒歩きして、御即位の霊武へ来て敗軍の責任を負うて、処罰を願い出て、厚く責められようとした。

際會清河公,間道傳玉冊。

おりよくもうら淸河公(房琯)が蜀の方から間道をとおって来て玄宗からの御譲位の玉冊を伝えた。

天王拜跪畢,讜議果冰釋。

粛宗は拝際してそれをおうけになり、一方に房琯公の正論をおききいれになって司空に関する嫌疑は換然氷釈するようになった。
5

肅宗 寶位に登る,塞望 勢い敦迫なり。

公時に 徒步して至る,罪を請い將に厚く責められんとす。

際會す 清河公,間道より玉冊を傳うるに。

天王 拜跪し畢る,讜議【とうぎ】に果して冰釋【ひょうしゃく】す。

6

翠華卷飛雪,熊虎亙阡陌。

それから粛宗の翠華の御旗は春の吹雪のうちにひるがえり、将士熊虎の旗は田野の道路をおおうてたちならぶ、

屯兵鳳凰山,帳殿涇渭闢。

天子は鳳凰山(岐山)に兵を屯せしめられ、帳殿を設けてやっと涇渭二水の流域を暗塞のなかから奪回し、おひらきあそばされた。

金城賊咽喉,詔鎮雄所搤。

そのとき鳳翔行在所と長安の中間点の金城の地(興平)は安史軍の咽喉にあたるので、司空は詔をうけて其の地を鎮められ、要害の場所に雄威を示された。

禁暴清無雙,爽氣春淅瀝。

敵の暴行を禁じたので地方の安泰なること他にふたつとならぶものなく、春にかかわらず。雪霞のさらさらふる時のごとく清涼なさまとおもわれた。

6

翠華 飛雪に卷く,熊虎 阡陌に亙る。

屯兵す 鳳凰山,帳殿に涇渭闢く。

金城 賊の咽喉,詔せられて鎮して所搤【しょやく】に雄なり。

暴を禁じて清すること無雙なり,爽氣 春 淅瀝【せきれき】たり。

7

巷有從公歌,野多青青麥。

及夫哭廟後,復領太原役。

恐懼祿位高,悵望王土窄。

不得見清時,嗚呼就窀穸。

7

巷に從公の歌有り,野に青青たる麥多し。

夫の哭廟の後に及びて,復た太原の役を領す。

恐懼す 祿位の高きを,悵望す 王土の窄きを。

清時を見るを得ざるに,嗚呼 窀穸に就きぬ。

8

永繫五湖舟,悲甚田橫客。

千秋汾晉間,事與雲水白。

昔觀〈文苑傳〉,豈述廉藺績。

嗟嗟鄧大夫,士卒終倒戟。

8

永く繫ぐ 五湖の舟,悲しみは田橫の客に甚だし。

千秋 汾晉の間,事 雲水と白し。

昔 〈文苑傳〉を觀しに,豈に廉藺【れんりん】が績【いさお】を述べんや。

嗟嗟 鄧大夫,士卒 終に戟を倒にせり。

京兆地域図002 

 

〔一〕『八哀詩八首:贈司空王公思禮』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
6

翠華卷飛雪,熊虎亙阡陌。

屯兵鳳凰山,帳殿涇渭闢。

金城賊咽喉,詔鎮雄所搤。

禁暴清無雙,爽氣春淅瀝。

 


(下し文) 


(現代語訳)
それから粛宗の翠華の御旗は春の吹雪のうちにひるがえり、将士熊虎の旗は田野の道路をおおうてたちならぶ、

天子は鳳凰山(岐山)に兵を屯せしめられ、帳殿を設けてやっと涇渭二水の流域を暗塞のなかから奪回し、おひらきあそばされた。

そのとき鳳翔行在所と長安の中間点の金城の地(興平)は安史軍の咽喉にあたるので、司空は詔をうけて其の地を鎮められ、要害の場所に雄威を示された。

敵の暴行を禁じたので地方の安泰なること他にふたつとならぶものなく、春にかかわらず。雪霞のさらさらふる時のごとく清涼なさまとおもわれた。

安史の乱当時の勢力図

(訳注) 3

八哀詩八首〔一〕 贈司空王公思禮 #2

(司空であり死後、大尉をおくられた王思禮公を思って作った詩)

司空王公思禮 王思禮、(?-761年),高句麗人。唐朝將領。統後将軍、唐代の書家。

○贈司空 贈とは其の人の死後に官を贈られたことをいう、王思礼は生前に司空となり、死後は大尉を贈られたと「旧唐書」に記してあるのからすれば贈司空というのはおかしい。全文は贈大尉司空王公思礼ということである。

 

6

翠華卷飛雪,熊虎亙阡陌。

それから粛宗の翠華の御旗は春の吹雪のうちにひるがえり、将士熊虎の旗は田野の道路をおおうてたちならぶ、

○翠華 天子の旗。

○巻飛雪 時に朔方の二月であったので雪が舞う。

○熊虎 旗の模様である、将士の旗をいう。

○阡陌 南北の路、東西の路。

 

屯兵鳳凰山,帳殿涇渭闢。

天子は鳳凰山(岐山)に兵を屯せしめられ、帳殿を設けてやっと涇渭二水の流域を暗塞のなかから奪回し、おひらきあそばされた。

○鳳風山 岐山をいう、この山は周の文王の時に鳳皇(畠は風の苗字)が鳴いたという、因って鳳皇堆ともいう、鳳翔府にある、粛宗は至徳二載の二月に霊武より鳳翔(当時扶風県を改めて臨時に鳳翔郡となした)に行在所を移すに至った。

○帳殿 幔幕を張った陣幕の御殿、鳳翔行在所をさす。

○涇渭闢 これまでとざされた涇水と渭水の流域がひらかれる。北と西から長安を攻め入る体制をとった。

 

金城賊咽喉,詔鎮雄所搤。

そのとき鳳翔行在所と長安の中間点の金城の地(興平)は安史軍の咽喉にあたるので、司空は詔をうけて其の地を鎮められ、要害の場所に雄威を示された。

○金城 西安府興平県。岐山と長安の中間あたり。(河西の金城ではない。)

○賊 官軍に対して賊軍であるが、このブロッグでは、詩的表現として「賊」は明確に相手がわかっていない場合を除いてだけ、あいまいな表現は避ける。この場合、安史軍=燕軍である。

○詔鎮 詔をうけて其の地を鎮守する、至徳二載王思礼を以て関内節度使となし興平に鎮させた。

○雄所搤 雄は雄威を示すことをいう、搤はうつ、馬援伝に「其の喉喉を搤つ」とある、所搤とは咽喉要害の地をいう。

 

禁暴清無雙,爽氣春淅瀝。

敵の暴行を禁じたので地方の安泰なること他にふたつとならぶものなく、春にかかわらず。雪霞のさらさらふる時のごとく清涼なさまとおもわれた。

○禁暴 敵の暴行をさしとめる、王思礼が関内節度使となり、武功(金城より西側に隣接した地点、扶風の東にある)を守っていたとき安史軍将安守忠が攻撃してきた、王思礼は退いて扶風を守り、粛宗は郭子儀に命じて安史軍を撃って退かせた。

○無双 他に二つとない。

○爽気 さわやかな天地の気。

〇春淅瀝 哀れで寂しいさま。また、風雨や葉の落ちる音のもの寂しいさま。雪霞のさらさらふる時のごとく清涼なさまをいう。謝荘の「雪賦」に「霞淅瀝として先ず集まる」とあり、劉良の注に淅瀝は「細かに下る貌」といっている。

 杜甫55歳756年作品

766年大暦元年55歲-40-#5奉節-31-#5 《巻16-03 八哀詩八首〔一〕贈司空王公思禮 -5》 杜甫index-15 杜甫<903-06> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5595

杜甫 奉節-31-5 《巻16-03 八哀詩八首〔一〕》粛宗は拝際してそれをおうけになり、一方に房琯公の正論をおききいれになって司空に関する嫌疑は換然氷釈するようになった。


 
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766年大暦元年55-40-5奉節-31-5 《巻16-03 八哀詩八首〔一〕贈司空王公思禮 -5》 杜甫index-15 杜甫<903-06>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5595

杜甫詩1500-903-06-1290/2500766年大暦元年55-40-5

 

 

4

潼關初潰散,萬乘猶辟易。

かの安禄安の乱に潼関を出た哥舒翰の百万の唐軍が予想もできない総崩れ、大敗したために万乗の天子(玄宗)もなお辟易あそばされた。

偏裨無所施,元帥見手格。

総大将の哥舒翰が捕虜にされると、その部将としての司空は手のほどこしょうがなかった。

太子入朔方,至尊狩梁益。

そのうちに太子は朔万へお入りになって即位し、粛宗とされ、天子は梁益の地)へ出狩あそばされたのである、

胡馬纏伊洛,中原氣甚逆。

まず、伊水の洛水の二水の地が安史軍によって凌辱され、燕国の馬がまといついた、中原、河南地方は唐朝廷に不順の気がさかんであった。

4

潼關 初め潰散【かいさん】す,萬乘 猶お辟易す。

偏裨 施す所無く,元帥 手格せ見【ら】る。

太子 朔方に入る,至尊 梁益に狩す。

胡馬 伊洛纏う,中原 氣 甚だ逆なり。

5

肅宗登寶位,塞望勢敦迫。

このとき粛宗が宝位にお登りになったが、それは天下の人望を塞ぎ満たされるためで、あつく迫られた勢いにやむをえず天子となられたのである。

公時徒步至,請罪將厚責。

王司空はそのとき徒歩きして、御即位の霊武へ来て敗軍の責任を負うて、処罰を願い出て、厚く責められようとした。

際會清河公,間道傳玉冊。

おりよくもうら淸河公(房琯)が蜀の方から間道をとおって来て玄宗からの御譲位の玉冊を伝えた。

天王拜跪畢,讜議果冰釋。

粛宗は拝際してそれをおうけになり、一方に房琯公の正論をおききいれになって司空に関する嫌疑は換然氷釈するようになった。
5

肅宗 寶位に登る,塞望 勢い敦迫なり。

公時に 徒步して至る,罪を請い將に厚く責められんとす。

際會す 清河公,間道より玉冊を傳うるに。

天王 拜跪し畢る,讜議【とうぎ】に果して冰釋【ひょうしゃく】す。

6

翠華卷飛雪,熊虎亙阡陌。

屯兵鳳凰山,帳殿涇渭闢。

金城賊咽喉,詔鎮雄所搤。

禁暴清無雙,爽氣春淅瀝。

6

翠華 飛雪に卷く,熊虎 阡陌に亙る。

屯兵す 鳳凰山,帳殿に涇渭闢く。

金城 賊の咽喉,詔せられて鎮して所搤【しょやく】に雄なり。

暴を禁じて清すること無雙なり,爽氣 春 淅瀝【せきれき】たり。

7

巷有從公歌,野多青青麥。

及夫哭廟後,復領太原役。

恐懼祿位高,悵望王土窄。

不得見清時,嗚呼就窀穸。

7

巷に從公の歌有り,野に青青たる麥多し。

夫の哭廟の後に及びて,復た太原の役を領す。

恐懼す 祿位の高きを,悵望す 王土の窄きを。

清時を見るを得ざるに,嗚呼 窀穸に就きぬ。

8

永繫五湖舟,悲甚田橫客。

千秋汾晉間,事與雲水白。

昔觀〈文苑傳〉,豈述廉藺績。

嗟嗟鄧大夫,士卒終倒戟。

8

永く繫ぐ 五湖の舟,悲しみは田橫の客に甚だし。

千秋 汾晉の間,事 雲水と白し。

昔 〈文苑傳〉を觀しに,豈に廉藺【れんりん】が績【いさお】を述べんや。

嗟嗟 鄧大夫,士卒 終に戟を倒にせり。

安史の乱当時の勢力図 

 

〔一〕『八哀詩八首:贈司空王公思禮』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
5

肅宗登寶位,塞望勢敦迫。

公時徒步至,請罪將厚責。

際會清河公,間道傳玉冊。

天王拜跪畢,讜議果冰釋。


(下し文) 5

肅宗 寶位に登る,塞望 勢い敦迫なり。

公時に 徒步して至る,罪を請い將に厚く責められんとす。

際會す 清河公,間道より玉冊を傳うるに。

天王 拜跪し畢る,讜議【とうぎ】に果して冰釋【ひょうしゃく】す。


(現代語訳)
このとき粛宗が宝位にお登りになったが、それは天下の人望を塞ぎ満たされるためで、あつく迫られた勢いにやむをえず天子となられたのである。

王司空はそのとき徒歩きして、御即位の霊武へ来て敗軍の責任を負うて、処罰を願い出て、厚く責められようとした。

おりよくもうら淸河公(房琯)が蜀の方から間道をとおって来て玄宗からの御譲位の玉冊を伝えた。

粛宗は拝際してそれをおうけになり、一方に房琯公の正論をおききいれになって司空に関する嫌疑は換然氷釈するようになった。

(訳注) #5

八哀詩八首〔一〕 贈司空王公思禮 5

(司空であり死後、大尉をおくられた王思禮公を思って作った詩)

司空王公思禮 王思禮、(?-761年),高句麗人。唐朝將領。統後将軍、唐代の書家。

○贈司空 贈とは其の人の死後に官を贈られたことをいう、王思礼は生前に司空となり、死後は大尉を贈られたと「旧唐書」に記してあるのからすれば贈司空というのはおかしい。全文は贈大尉司空王公思礼ということである。

 

肅宗登寶位,塞望勢敦迫。

このとき粛宗が宝位にお登りになったが、それは天下の人望を塞ぎ満たされるためで、あつく迫られた勢いにやむをえず天子となられたのである。

○宝位 天子の位、「易」(繋下)にいう、「聖人之大宝を、位ぼく日う」と。

○塞望 天下人民の望をふさぐ、みたす。

○勢敦迫 形勢が他からあつくせまられる。朔方節度使の駐屯所である霊武(寧夏回族自治区霊武市)に到着、7月に側近である宦官李輔国の建言を容れ自ら皇帝に即位、至徳と改元した。これは玄宗の事前の了承を得た即位ではなかったが、玄宗は後にこの即位を認め、自らは上皇となった。

 

公時徒步至,請罪將厚責。

王司空はそのとき徒歩きして、御即位の霊武へ来て敗軍の責任を負うて、処罰を願い出て、厚く責められようとした。

○公 思礼。

○徒歩至 あるいて粛宗の即位された霊武の地へくる。

○請罪 敗軍の罰をうけようとねがいでる。

○厚責 ひどくせめる。

 

際會清河公,間道傳玉冊。

おりよくもうら淸河公(房琯)が蜀の方から間道をとおって来て玄宗からの御譲位の玉冊を伝えた。

○際会二句 際会はおりよく。清河公とは房靖をいう、哥舒翰が敗れるや王思礼は霊武行在所に走った、粛宗は其の堅く守らなかったことを責めて彼を斬ろうとしたが、たまたま房琯が蜀より上皇(玄宗)の冊命を奉じて至り、諌めて後の効を収むべしとなしたため、ついに赦された。間道は ぬけみち、玉冊とは玉版にかいた譲位のかきつけ。以後は玄宗みずから隠退して天子の位を太子亨(粛宗)に伝えた。

清河公 房琯については、杜甫は房琯グループである。

房琯に関連した詩文は以下の通り。(以下は、杜甫詩研究に必要不可欠のものである)

廣徳2年764-88 《別房太尉墓》 杜甫index-14 764年閬州<764 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4150 杜甫詩1500-764-1001/250052

763年廣徳元年1501 《祭故相國清河房公文-(1) 杜甫index-13 763年祭故相國清河房公文-(1) 杜甫<765 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4155 杜甫詩1500-765-1002/2500

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(2) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4160 杜甫詩1500-1501-2-1003/250054

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(3) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4165 杜甫詩1500-1501-3-1004/250055

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(4) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4170 

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(5) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4175 

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(6) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-6 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4180

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(7) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-7 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4185

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(8) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-8 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4190 

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(9) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-9 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4195 

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(10) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-10 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4200 

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(11) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-11 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4205

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(12) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-12 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4210 

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(13) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-13 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4215

 

永泰元年765-855 《承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之一》(遠聞房太守) 杜甫index-15 765年 杜甫<855 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4220

永泰元年765-97-7 《承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之二》 杜甫index-14 764年(丹旐飛飛日) 杜甫<856 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4225

 

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首Q-1 -(1) 杜甫index-14 764年(1)Q-1-#1 杜甫<765 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4230

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (2) Q-1-#2 杜甫<766 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4235

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (3) Q-1-#3 杜甫index-14 764年 (3) Q-1-#3 杜甫<767 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4240 

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (4) Q-2-#1 杜甫index-14 764年 (4) Q-2-#1 杜甫<768 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4245

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (5) Q-2-#2 杜甫index-14 764年 (5) Q-2-#2 杜甫<769 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4250

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (6) Q-2-#3 杜甫index-14 764年 (6) Q-2-#3 杜甫<770 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4255

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (7) Q-3-#1 杜甫index-14 764年 (7) Q-3-#1 杜甫<771 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4260

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (8) Q-3-#2 杜甫index-14 764年 (8) Q-3-#2 杜甫<772 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4265 

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (9) Q-3-#3 杜甫index-14 764年 (9) Q-3-#3 杜甫<773 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4270

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (10) Q-3-#4 杜甫index-14 764年 (10) Q-3-#4 杜甫<774 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4275

 

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (11) Q-4-#1 杜甫index-14 764年 (11) Q-4-#1 杜甫<775 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4280

 

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (12) Q-4-#2 杜甫index-14 764年 (12) Q-4-#2 杜甫<776 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4285

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (13) Q-4-#3 杜甫index-14 764年 (13) Q-4-#3 杜甫<777 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4290

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (14) Q-5-#1 杜甫index-14 764年 (14) Q-5-#1 杜甫<778 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4295

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乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (17) Q-5-#4 杜甫index-14 764年 (17) Q-5-#4 杜甫<1509-17 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4310

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (18) Q-5-#5 杜甫 <1509-18 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4315 

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乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (20) Q-5-#7》杜甫<1509-20 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4325

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乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (22) Q-5-#9 杜甫<1509-22 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4335

757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首 (23) 全体》 杜甫<1509-T 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340

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757年至徳二載 《杜甫と房琯房琯関連 1-(3) 杜甫index-14 764年房琯関連 1-(3) 杜甫<1601-3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4355

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757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(5) 杜甫 房琯関連 1-(5) 杜甫<1502-5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4365

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765年永泰元年54-49 《承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之一(遠聞房太守) 杜甫index-15 杜甫<849 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4980 杜甫詩1500-849-1167/2500

765年永泰元年54-50 《承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之二》 杜甫index-15 杜甫<850 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4985

 

天王拜跪畢,讜議果冰釋。

粛宗は拝際してそれをおうけになり、一方に房琯公の正論をおききいれになって司空に関する嫌疑は換然氷釈するようになった。

○天王 粛宗。

○拜跪 びざまずき礼拝する。

○議論 正直の論、房琯の言をいう。

○冰釈 王思礼に対する嫌疑がこおりのとけるごとくにほどける。以上「潼関」十六句は潼関事変における王思礼をのべる。

三者の思惑が合致 

766年大暦元年55歲-40-#4奉節-31-#4 《巻16-03 八哀詩八首〔一〕贈司空王公思禮 -4》 杜甫index-15 杜甫<903-05> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5590

杜甫 奉節-31-4 《巻16-03 八哀詩八首〔一〕贈司空王公思禮 -4まず、伊水の洛水の二水の地が安史軍によって凌辱され、燕国の馬がまといついた、中原、河南地方は唐朝廷に不順の気がさかんであった。

 
 2015年2月22日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-40-#4奉節-31-#4 《巻16-03 八哀詩八首〔一〕贈司空王公思禮 -4》 杜甫index-15 杜甫<903-05> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5590 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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766年大暦元年55-40-4奉節-31-4 《巻16-03 八哀詩八首〔一〕贈司空王公思禮 -4》 杜甫index-15 杜甫<903-05>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5590

杜甫詩1500-903-05-1289/2500766年大暦元年55-40-4

 

 

16-02 八哀詩八首 幷序

16-03 八哀詩八首〔一〕贈司空王公思禮

16-04 八哀詩八首〔二〕故司徒李公光弼

16-05 八哀詩八首〔三〕贈左僕射鄭國公嚴公武

16-06 八哀詩八首〔四〕贈太子太師汝陽郡王璡

16-07 八哀詩八首〔五〕贈秘書監江夏李公邕

16-08 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明

16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔

16-10 八哀詩八首〔八〕故右僕射相國張公九齡

 

 

年:766年大暦元年55-

卷別:  卷二二二        文體:  五言古詩

詩題:  八哀詩八首:贈司空王公思禮

00

并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。

八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:天山 (隴右道西部 無第二級行政層級 天山) 別名:雪山       

九曲 (都畿道 河南府 九曲)        

潼關 (京畿道 華州 潼關)  

朔方節度使 ( 靈州 朔方節度使) 別名:朔方   

梁州 (山南西道 梁州 梁州) 別名:漢中     

交遊人物:王思禮、哥舒翰、鄧景山。

 

 

八哀詩八首〔一〕

贈司空王公思禮 #1

(司空であり死後、大尉をおくられた王思禮公を思って作った詩)

司空出東夷,童稚刷勁翮。

王司空は高麗の東夷から出て、こどものときから猛鳥がつよいたちばねを刷うごとく奮飛せんとする勢いがあった。

追隨燕薊兒,穎物不隔。

それが幽州斬州の壮年に随って交わり、錐の穂先が嚢から脱けだすごとく何物もこれをさえぎることができなかった。

服事哥舒翰,意無流沙磧。

司空は哥舒翰につきしたごうたころからその意気は沙漠地方眼中に無きのありさまであったが、

未甚拔行間,犬戎大充斥。

まだたいして卒伍のなかまから抜擢されるほどでもなかった、ところへ犬戎(吐蕃)が非常に多くおよせてきた。

(八哀詩)〔一〕贈司空 王公思禮 #1

司空 東夷より出づ、童稚 勁翮【けいかく】を刷う。

追随す燕薊の児、穎鋭 物 隔てず。

服事す哥舒翰 意流沙磧を無みす。

未だ甚だ行間より抜かれず、犬戎大いに充斥す。

2

短小精悍姿,屹然強寇敵。

そのとき司空は小がらで背は低いが、他に影響されることなく精悼な姿でとして強寇にするのである。

貫穿百萬眾,出入由咫尺。

敵の百万の衆を突破して、其の間に出はいりすることは咫尺の間を往来するがごとく機敏なのである。

馬鞍懸將首,甲外控鳴鏑。

馬の鞍には敵将の首を懸け、鎧の袖のそとには鏑箭を鳴りひびかせた。

洗劍青海水,刻銘天山石。

かくして青海の水で剣の血を洗い、天山の石に戦功の銘文を刻みつけた。

#2

短小精悍の姿、屹然 強寇に敵す。

貫穿す 百万の衆、出入すること咫尺の由し。

馬鞍に将首を懸け、甲外鳴鏑を控く。

剣を洗う 青海の水、銘を刻す天山の石。

3

九曲非外蕃,其王轉深壁。

吐蕃の王は遅れて西南の奥へ奥へとはいって塁壁を設け、黄河九曲の地方はもはや外藩でなく我が内地のものとなった。

飛兔不近駕,鷙鳥資遠擊。

まことに飛兔の神馬は駕すれば必ず万里の遠きにおいてする、「鷲鳥に貴し」とするところはそれが遠く飛んで獲物を撃つからである。

曉達兵家流,飽聞春秋癖。

司空は諸家の兵法に充分長けており、杜征南のごとく「春秋左伝」癖があるといわれるほどの学問をされることは世の周知のことと十分聞き知っておるとおりである。

胸襟日沈靜,肅肅自有適。

空の胸中は儒者としていつも沈静であり、しずかに自己の意に満足しておられるところがある。

#3

九曲 外番に非ず、其の王 転た深壁。

飛兔 近駕せず、鷲鳥遠撃に資る。

曉達す 兵家の流,飽聞す 春秋の癖。

胸襟 日に沈靜,肅肅 自ら適する有り。』

 

4

潼關初潰散,萬乘猶辟易。

かの安禄安の乱に潼関を出た哥舒翰の百万の唐軍が予想もできない総崩れ、大敗したために万乗の天子(玄宗)もなお辟易あそばされた。

偏裨無所施,元帥見手格。

総大将の哥舒翰が捕虜にされると、その部将としての司空は手のほどこしょうがなかった。

太子入朔方,至尊狩梁益。

そのうちに太子は朔万へお入りになって即位し、粛宗とされ、天子は梁益の地)へ出狩あそばされたのである、

胡馬纏伊洛,中原氣甚逆。

まず、伊水の洛水の二水の地が安史軍によって凌辱され、燕国の馬がまといついた、中原、河南地方は唐朝廷に不順の気がさかんであった。

4

潼關 初め潰散【かいさん】す,萬乘 猶お辟易す。

偏裨 施す所無く,元帥 手格せ見【ら】る。

太子 朔方に入る,至尊 梁益に狩す。

胡馬 伊洛纏う,中原 氣 甚だ逆なり。

5

肅宗登寶位,塞望勢敦迫。

公時徒步至,請罪將厚責。

際會清河公,間道傳玉冊。

天王拜跪畢,讜議果冰釋。

5

肅宗 寶位に登る,塞望 勢い敦迫なり。

公時に 徒步して至る,罪を請い將に厚く責められんとす。

際會す 清河公,間道より玉冊を傳うるに。

天王 拜跪し畢る,讜議【とうぎ】に果して冰釋【ひょうしゃく】す。

6

翠華卷飛雪,熊虎亙阡陌。

屯兵鳳凰山,帳殿涇渭闢。

金城賊咽喉,詔鎮雄所搤。

禁暴清無雙,爽氣春淅瀝。

6

翠華 飛雪に卷く,熊虎 阡陌に亙る。

屯兵す 鳳凰山,帳殿に涇渭闢く。

金城 賊の咽喉,詔せられて鎮して所搤【しょやく】に雄なり。

暴を禁じて清すること無雙なり,爽氣 春 淅瀝【せきれき】たり。

7

巷有從公歌,野多青青麥。

及夫哭廟後,復領太原役。

恐懼祿位高,悵望王土窄。

不得見清時,嗚呼就窀穸。

7

巷に從公の歌有り,野に青青たる麥多し。

夫の哭廟の後に及びて,復た太原の役を領す。

恐懼す 祿位の高きを,悵望す 王土の窄きを。

清時を見るを得ざるに,嗚呼 窀穸に就きぬ。

8

永繫五湖舟,悲甚田橫客。

千秋汾晉間,事與雲水白。

昔觀〈文苑傳〉,豈述廉藺績。

嗟嗟鄧大夫,士卒終倒戟。

8

永く繫ぐ 五湖の舟,悲しみは田橫の客に甚だし。

千秋 汾晉の間,事 雲水と白し。

昔 〈文苑傳〉を觀しに,豈に廉藺【れんりん】が績【いさお】を述べんや。

嗟嗟 鄧大夫,士卒 終に戟を倒にせり。

 

華州から秦州同谷成都00 

〔一〕『八哀詩八首:贈司空王公思禮』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
4

潼關初潰散,萬乘猶辟易。

偏裨無所施,元帥見手格。

太子入朔方,至尊狩梁益。

胡馬纏伊洛,中原氣甚逆。


(下し文) 4

潼關 初め潰散【かいさん】す,萬乘 猶お辟易す。

偏裨 施す所無く,元帥 手格せ見【ら】る。

太子 朔方に入る,至尊 梁益に狩す。

胡馬 伊洛纏う,中原 氣 甚だ逆なり。


(現代語訳)
かの安禄安の乱に潼関を出た哥舒翰の百万の唐軍が予想もできない総崩れ、大敗したために万乗の天子(玄宗)もなお辟易あそばされた。

総大将の哥舒翰が捕虜にされると、その部将としての司空は手のほどこしょうがなかった。

そのうちに太子は朔万へお入りになって即位し、粛宗とされ、天子は梁益の地)へ出狩あそばされたのである、

まず、伊水の洛水の二水の地が安史軍によって凌辱され、燕国の馬がまといついた、中原、河南地方は唐朝廷に不順の気がさかんであった。


安史の乱当時の勢力図
(訳注) #4

八哀詩八首〔一〕 贈司空王公思禮 #2

(司空であり死後、大尉をおくられた王思禮公を思って作った詩)

司空王公思禮 王思禮、(?-761年),高句麗人。唐朝將領。統後将軍、唐代の書家。

○贈司空 贈とは其の人の死後に官を贈られたことをいう、王思礼は生前に司空となり、死後は大尉を贈られたと「旧唐書」に記してあるのからすれば贈司空というのはおかしい。全文は贈大尉司空王公思礼ということである。

4

潼關初潰散,萬乘猶辟易。

かの安禄安の乱に潼関を出た哥舒翰の百万の唐軍が予想もできない総崩れ、大敗したために万乗の天子(玄宗)もなお辟易あそばされた。

○潼關初潰散 756年天宝十五載六月、哥舒翰の敗軍をいう。「北征」詩の潼關百萬師,往者敗何卒?(潼関 百万の師【いくさ】、往者【さきには】 散ずるところ何ぞ卒【すみや】かなりし。)あの前年謹関の戦に百万の王朝軍の師将がいたのだ。どうしてこの前のことだ、あんなにも簡単に敗れてしまったのか。
潼関百万師 潼関は同州府華陰県の東にある。天宝十五載六月九日、唐王朝軍の将哥舒翰は関より出て河南の霊宝県の西原において大敗した。哥舒翰はじめ、諸将は叛乱軍に捕えられた。数万人の多くの兵士は、黄河に落ちて死んだ。遂に関の守りを失い玄宗の逃出となった。

北徵 #5(北征全12回)杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 212

○哥舒翰 開府哥舒は姓、名は翰。突騎施の首領、哥舒部落の出身であることから哥舒を姓とする。747749年天宝六、八載吐蕃を破る。・府兵制の崩壊、折衝府軍の形骸化。752年天宝十一載に開府儀同三司を加えられ、754年同十三載には河西節度使を加えられ西平郡王に封ぜられた。翰は753年十二載の冬に入朝した。

○万乗 天子、玄宗をいう。開元後半期から次の天宝期(742756)にかけて、律令政治は法的に整備される一方、官制・財政・兵制などあらゆる面で空洞化した。玄宗自身の政治姿勢も崩れ、李林甫(りりんぽ)などの寵臣を宰相としてこれに政治をゆだね、高力士らの宦官(かんがん)を重用した。精神面でも、儒教的理念から離れて道教の放逸な世界に傾倒し、公私の莫大(ばくだい)な費用の捻出(ねんしゅつ)のために民衆の収奪を事とする財務官僚を信任した。皇后王氏から武恵妃に心を移し、武氏の死後は息子の寿王から妃楊太真(ようたいしん)を奪って貴妃とした。

○辟易 「辟開して其の処を移易」すること、あとへ退くこと、ここは玄宗の蜀へ出奔したことをいう。白楽天の「長恨歌(ちょうごんか)」が歌うように、楊貴妃との愛欲の世界の陰には帝国の危機が進行していた。玄宗は貴妃の一族と称する楊国忠と、東北辺に胡漢(こかん)の傭兵(ようへい)の大軍団を擁する安禄山(あんろくざん)とを、いずれも信任した。内外二つの権勢はついに激突して安史の大乱となり、756年玄宗は長安を脱出、四川(しせん)に落ち延びた。その途中で楊貴妃を失い、皇太子(粛宗)に譲位して上皇となった。翌年、長安が奪回されて帰還したが、粛宗の腹心李輔国(ほこく)のため高力士ら側近を引き離され、太極宮に閉じ込められ失意のうちに没した。

 

偏裨無所施,元帥見手格。

総大将の哥舒翰が捕虜にされると、その部将としての司空は手のほどこしょうがなかった。

○偏裨 部将をいう、ここは王思礼をさす。

○元帥 総大将、哥舒翰をさす。

○見手格 手でうたれる、とりこにされたことをいう。哥舒翰が潼関を守っていたとき王思礼は元帥府の馬軍都将にあてられ、哥舒翰の軍が敗れるや潼関に至り散卒を収めて復た関を守った、安史軍の将雀乾祐が進んでこれを攻めたとき、火抜帰仁らは、哥舒翰をあざむいて潼関を出でさせ、哥舒翰をとらえて安史軍に降った。

 

太子入朔方,至尊狩梁益。

そのうちに太子は朔万へお入りになって即位し、粛宗とされ、天子は梁益の地)へ出狩あそばされたのである、

○太子 名は李亨、後の粛宗。

○朔方 軍の名、霊州(霊武)にある、郭子儀の掌る所。ここで李鷯朔方節度使の駐屯所である霊武(寧夏回族自治区霊武市)に到着、7月に側近である宦官李輔国の建言を容れ自ら皇帝に即位、至徳と改元した。これは玄宗の事前の了承を得た即位ではなかったが、玄宗は後にこの即位を認め、自らは上皇となった。即位後は郭子儀の軍を中心にウイグルの援兵を加えて態勢を整えると、粛宗は鳳翔(陝西省鳳翔県)に親征し反撃に転じた。

○至尊 玄宗。

○狩 出奔をいう。

○梁益 三巴、漢中、蜀をいう。梁州(りょうしゅう)は中国にかつて存在した州。『書経』による古代中国の九州の一つとされ、現在の四川省と陝西省漢中地方に相当する。周代に雍州に統合された。漢代に州制が施行さた際には設置されず、益州の一部とされた。263年(景元4年)、魏が蜀を滅ぼすと蜀の故地に益州及び梁州を設置、州治は沔陽(現在の勉県旧州)に置かれた。西晋の時代になると州治は漢中郡に移転している。その後の五胡十六国から南北朝時代には政治的混乱の影響を受け州治の移転が相次ぎ、また南朝王朝により僑州が別地域に設置されるなどしている。

 

胡馬纏伊洛,中原氣甚逆。

まず、伊水の洛水の二水の地が安史軍によって凌辱され、燕国の馬がまといついた、中原、河南地方は唐朝廷に不順の気がさかんであった。

○胡馬 安禄山の軍隊の馬。安禄山自身本姓は康で、康国(サマルカンド)出身のソグド人と突厥系の混血。安史軍には、異民族の兵士が多く交じっていた。

○纏伊洛 纏とははなれぬこと、伊水洛水は洛陽にある。

○中原 河南。

○気甚逆 順調でない気の盛んなことをいう。安史軍の盛んなことをいうのである。

66年大暦元年55歲-40-#3奉節-31-#3 《巻16-03 八哀詩八首〔一〕贈司空王公思禮 -3》 杜甫index-15 杜甫<903-04> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5585

杜甫 奉節-31-3 《巻16-03 八哀詩八首〔一〕贈司空王公思禮 -3司空は諸家の兵法に充分長けており、杜征南のごとく「春秋左伝」癖があるといわれるほどの学問をされることは世の周知のことと十分聞き知っておるとおりである。空の胸中は儒者としていつも沈静であり、しずかに自己の意に満足しておられるところがある。

 

 
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八哀詩八首〔一〕

贈司空王公思禮 #1

(司空であり死後、大尉をおくられた王思禮公を思って作った詩)

司空出東夷,童稚刷勁翮。

王司空は高麗の東夷から出て、こどものときから猛鳥がつよいたちばねを刷うごとく奮飛せんとする勢いがあった。

追隨燕薊兒,穎物不隔。

それが幽州斬州の壮年に随って交わり、錐の穂先が嚢から脱けだすごとく何物もこれをさえぎることができなかった。

服事哥舒翰,意無流沙磧。

司空は哥舒翰につきしたごうたころからその意気は沙漠地方眼中に無きのありさまであったが、

未甚拔行間,犬戎大充斥。

まだたいして卒伍のなかまから抜擢されるほどでもなかった、ところへ犬戎(吐蕃)が非常に多くおよせてきた。

(八哀詩)〔一〕贈司空 王公思禮 #1

司空 東夷より出づ、童稚 勁翮【けいかく】を刷う。

追随す燕薊の児、穎鋭 物 隔てず。

服事す哥舒翰 意流沙磧を無みす。

未だ甚だ行間より抜かれず、犬戎大いに充斥す。

2

短小精悍姿,屹然強寇敵。

そのとき司空は小がらで背は低いが、他に影響されることなく精悼な姿でとして強寇にするのである。

貫穿百萬眾,出入由咫尺。

敵の百万の衆を突破して、其の間に出はいりすることは咫尺の間を往来するがごとく機敏なのである。

馬鞍懸將首,甲外控鳴鏑。

馬の鞍には敵将の首を懸け、鎧の袖のそとには鏑箭を鳴りひびかせた。

洗劍青海水,刻銘天山石。

かくして青海の水で剣の血を洗い、天山の石に戦功の銘文を刻みつけた。

#2

短小精悍の姿、屹然 強寇に敵す。

貫穿す 百万の衆、出入すること咫尺の由し。

馬鞍に将首を懸け、甲外鳴鏑を控く。

剣を洗う 青海の水、銘を刻す天山の石。

3

九曲非外蕃,其王轉深壁。

吐蕃の王は遅れて西南の奥へ奥へとはいって塁壁を設け、黄河九曲の地方はもはや外藩でなく我が内地のものとなった。

飛兔不近駕,鷙鳥資遠擊。

まことに飛兔の神馬は駕すれば必ず万里の遠きにおいてする、「鷲鳥に貴し」とするところはそれが遠く飛んで獲物を撃つからである。

曉達兵家流,飽聞春秋癖。

司空は諸家の兵法に充分長けており、杜征南のごとく「春秋左伝」癖があるといわれるほどの学問をされることは世の周知のことと十分聞き知っておるとおりである。

胸襟日沈靜,肅肅自有適。

空の胸中は儒者としていつも沈静であり、しずかに自己の意に満足しておられるところがある。

 

九曲 外番に非ず、其の王 転た深壁。

飛兔 近駕せず、鷲鳥遠撃に資る。

曉達す 兵家の流,飽聞す 春秋の癖。

胸襟 日に沈靜,肅肅 自ら適する有り。』

 

 九曲黄河第一湾

〔一〕『八哀詩八首:贈司空王公思禮』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
3

九曲非外蕃,其王轉深壁。

飛兔不近駕,鷙鳥資遠擊。

曉達兵家流,飽聞春秋癖。

胸襟日沈靜,肅肅自有適。


(下し文) #3

九曲 外番に非ず、其の王 転た深壁。

飛兔 近駕せず、鷲鳥遠撃に資る。

曉達す 兵家の流,飽聞す 春秋の癖。

胸襟 日に沈靜,肅肅 自ら適する有り。』

(現代語訳)
吐蕃の王は遅れて西南の奥へ奥へとはいって塁壁を設け、黄河九曲の地方はもはや外藩でなく我が内地のものとなった。

まことに飛兔の神馬は駕すれば必ず万里の遠きにおいてする、「鷲鳥に貴し」とするところはそれが遠く飛んで獲物を撃つからである。

司空は諸家の兵法に充分長けており、杜征南のごとく「春秋左伝」癖があるといわれるほどの学問をされることは世の周知のことと十分聞き知っておるとおりである。

空の胸中は儒者としていつも沈静であり、しずかに自己の意に満足しておられるところがある。


安史の乱当時の勢力図
(訳注) 3

八哀詩八首〔一〕 贈司空王公思禮 #3

(司空であり死後、大尉をおくられた王思禮公を思って作った詩)

司空王公思禮 王思禮、(?-761年),高句麗人。唐朝將領。統後将軍、唐代の書家。

○贈司空 贈とは其の人の死後に官を贈られたことをいう、王思礼は生前に司空となり、死後は大尉を贈られたと「旧唐書」に記してあるのからすれば贈司空というのはおかしい。全文は贈大尉司空王公思礼ということである。

 

九曲非外蕃,其王轉深壁。

吐蕃の王は遅れて西南の奥へ奥へとはいって塁壁を設け、黄河九曲の地方はもはや外藩でなく我が内地のものとなった。

〇九曲非外事 九曲は黄河九曲をいう、外蕃は外港、藩はまがき、防禦物となること、籬の外側に追いやることをいう。唐の景竜四年に賛普(とはる吐蕃の王)が姫を請うたので、唐は左衛大将軍楊矩をして金城公主を送って吐蕃に使いさせた。吐蕃は因って河西九曲の地を請うて公主の湯沐の邑(お化粧料の地)としたいといったので、楊矩は奏上してこれを与えたが、吐蕃はすでに九曲を手に入れると再びまた叛いた。天宝十二載、哥舒翰が九曲を征したとき、王思礼が期に後れてきたので、哥舒翰は彼を斬ろうとしたそのとき、王思礼は「斬らば則ち之を斬れ」といったので諸将は彼を壮とした。哥舒翰は涼国公に進封し、河西節度使を加えられ、攻めて吐蕃の洪済・大漠門らの城を破りことごとく九曲を収め、其の地を以て洮陽郡を置き、神策・宛秀の二軍を築いた。土地が吐蕃の手にあればそれは我が外潘であるが、今我が手に帰したので「外潘に非ず」という。

○其王 吐蕃の王。

○深壁 逃れて奥へひっこんで塁壁をきずく。

 

飛兔不近駕,鷙鳥資遠擊。

まことに飛兔の神馬は駕すれば必ず万里の遠きにおいてする、「鷲鳥に貴し」とするところはそれが遠く飛んで獲物を撃つからである。

○飛兔 日に三万里を行くという神馬。足の速い優れた馬、駿馬の名前である。そこから転じて、才知のすぐれた子供を表すようになった。

○不近駕 遠く駕することをいう。

○鷲鳥 つよいとり。

○資 資とは我のこれに依ることをいう、「とって」ともよむ。

○遠撃 遠くまでとんで他禽をうつ。「飛兎」二句は王思礼の材幹が長駆遠馭にたえることをいう。「服事」以下十六句は王思礼が隴右に功を立てたことをいう。開元の時期までは西域の戦況は良好であった。

 

曉達兵家流,飽聞春秋癖。

司空は諸家の兵法に充分長けており、杜征南のごとく「春秋左伝」癖があるといわれるほどの学問をされることは世の周知のことと十分聞き知っておるとおりである。

○暁達 さとりゆきわたる。

○兵家流 もろもろの兵法。

○飽聞 他人が十分にそのことを耳にすることをいうのであろう。

○春秋癖 晋の杜預は征南将軍となったが、「春秋左氏伝」を愛好する癖があった、王思礼もまたかくのごとくである、王思礼が果たして「左伝」を好んだかどうかは不明であるが彼が読書を好み単なる武人でなかったことをいうのである。

 

胸襟日沈靜,肅肅自有適

司空の胸中は儒者としていつも沈静であり、しずかに自己の意に満足しておられるところがある。

○胸襟 心中。

○沈静 おちつきしずか。

○粛粛 つつしむさま。

〇自有適 適は適意、心に満足する所のあることをいう。以上「暁達」四句は王思礼の儒将であることをいい、以下も儒者としての人となりをいうものである。
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杜甫 奉節-31-2 《巻16-03 八哀詩八首〔一〕贈司空王公思禮 -2そのとき司空は小がらで背は低いが、他に影響されることなく精悼な姿でとして強寇にするのである。敵の百万の衆を突破して、其の間に出はいりすることは咫尺の間を往来するがごとく機敏なのである。

 

 
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年:766年大暦元年55-

卷別:  卷二二二        文體:  五言古詩

詩題:  八哀詩八首:贈司空王公思禮

00

并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。

八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:天山 (隴右道西部 無第二級行政層級 天山) 別名:雪山       

九曲 (都畿道 河南府 九曲)        

潼關 (京畿道 華州 潼關)  

朔方節度使 ( 靈州 朔方節度使) 別名:朔方   

梁州 (山南西道 梁州 梁州) 別名:漢中     

交遊人物:王思禮、哥舒翰、鄧景山。

 

 

八哀詩八首〔一〕

贈司空王公思禮 #1

(司空であり死後、大尉をおくられた王思禮公を思って作った詩)

司空出東夷,童稚刷勁翮。

王司空は高麗の東夷から出て、こどものときから猛鳥がつよいたちばねを刷うごとく奮飛せんとする勢いがあった。

追隨燕薊兒,穎物不隔。

それが幽州斬州の壮年に随って交わり、錐の穂先が嚢から脱けだすごとく何物もこれをさえぎることができなかった。

服事哥舒翰,意無流沙磧。

司空は哥舒翰につきしたごうたころからその意気は沙漠地方眼中に無きのありさまであったが、

未甚拔行間,犬戎大充斥。

まだたいして卒伍のなかまから抜擢されるほどでもなかった、ところへ犬戎(吐蕃)が非常に多くおよせてきた。

2

短小精悍姿,屹然強寇敵。

そのとき司空は小がらで背は低いが、他に影響されることなく精悼な姿でとして強寇にするのである。

貫穿百萬眾,出入由咫尺。

敵の百万の衆を突破して、其の間に出はいりすることは咫尺の間を往来するがごとく機敏なのである。

馬鞍懸將首,甲外控鳴鏑。

馬の鞍には敵将の首を懸け、鎧の袖のそとには鏑箭を鳴りひびかせた。

洗劍青海水,刻銘天山石。

 

かくして青海の水で剣の血を洗い、天山の石に戦功の銘文を刻みつけた。

3

九曲非外蕃,其王轉深壁。

飛兔不近駕,鷙鳥資遠擊。

曉達兵家流,飽聞春秋癖。

胸襟日沈靜,肅肅自有適。

4

潼關初潰散,萬乘猶辟易。

偏裨無所施,元帥見手格。

太子入朔方,至尊狩梁益。

胡馬纏伊洛,中原氣甚逆。

5

肅宗登寶位,塞望勢敦迫。

公時徒步至,請罪將厚責。

際會清河公,間道傳玉冊。

天王拜跪畢,讜議果冰釋。

6

翠華卷飛雪,熊虎亙阡陌。

屯兵鳳凰山,帳殿涇渭闢。

金城賊咽喉,詔鎮雄所搤。

禁暴清無雙,爽氣春淅瀝。

7

巷有從公歌,野多青青麥。

及夫哭廟後,復領太原役。

恐懼祿位高,悵望王土窄。

不得見清時,嗚呼就窀穸。

8

永繫五湖舟,悲甚田橫客。

千秋汾晉間,事與雲水白。

昔觀〈文苑傳〉,豈述廉藺績。

嗟嗟鄧大夫,士卒終倒戟。

 

 

(八哀詩)〔一〕贈司空 王公思禮 #1

司空 東夷より出づ、童稚 勁翮【けいかく】を刷う。

追随す燕薊の児、穎鋭 物 隔てず。

服事す哥舒翰 意流沙磧を無みす。

未だ甚だ行間より抜かれず、犬戎大いに充斥す。

#2

短小精悍の姿、屹然 強寇に敵す。

貫穿す 百万の衆、出入すること咫尺の由し。

馬鞍に将首を懸け、甲外鳴鏑を控く。

剣を洗う 青海の水、銘を刻す天山の石。

#3

九曲 外番に非ず、其の王 転た深壁。

飛兔 近駕せず、鷲鳥遠撃に資る。

曉達す 兵家の流,飽聞す 春秋の癖。

胸襟 日に沈靜,肅肅 自ら適する有り。』

4

潼關 初め潰散【かいさん】す,萬乘 猶お辟易す。

偏裨 施す所無く,元帥 手格せ見【ら】る。

太子 朔方に入る,至尊 梁益に狩す。

胡馬 伊洛纏う,中原 氣 甚だ逆なり。

5

肅宗 寶位に登る,塞望 勢い敦迫なり。

公時に 徒步して至る,罪を請い將に厚く責められんとす。

際會す 清河公,間道より玉冊を傳うるに。

天王 拜跪し畢る,讜議【とうぎ】に果して冰釋【ひょうしゃく】す。

6

翠華 飛雪に卷く,熊虎 阡陌に亙る。

屯兵す 鳳凰山,帳殿に涇渭闢く。

金城 賊の咽喉,詔せられて鎮して所搤【しょやく】に雄なり。

暴を禁じて清すること無雙なり,爽氣 春 淅瀝【せきれき】たり。

7

巷に從公の歌有り,野に青青たる麥多し。

夫の哭廟の後に及びて,復た太原の役を領す。

恐懼す 祿位の高きを,悵望す 王土の窄きを。

清時を見るを得ざるに,嗚呼 窀穸に就きぬ。

8

永く繫ぐ 五湖の舟,悲しみは田橫の客に甚だし。

千秋 汾晉の間,事 雲水と白し。

昔 〈文苑傳〉を觀しに,豈に廉藺【れんりん】が績【いさお】を述べんや。

嗟嗟 鄧大夫,士卒 終に戟を倒にせり。

 

安史の乱当時の勢力図 

〔一〕『八哀詩八首:贈司空王公思禮』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
2

短小精悍姿,屹然強寇敵。

貫穿百萬眾,出入由咫尺。

馬鞍懸將首,甲外控鳴鏑。

洗劍青海水,刻銘天山石。


(下し文) #2

短小精悍の姿、屹然 強寇に敵す。

貫穿す 百万の衆、出入すること咫尺の由し。

馬鞍に将首を懸け、甲外鳴鏑を控く。

剣を洗う 青海の水、銘を刻す天山の石。

(現代語訳)
そのとき司空は小がらで背は低いが、他に影響されることなく精悼な姿でとして強寇にするのである。

敵の百万の衆を突破して、其の間に出はいりすることは咫尺の間を往来するがごとく機敏なのである。

馬の鞍には敵将の首を懸け、鎧の袖のそとには鏑箭を鳴りひびかせた。

かくして青海の水で剣の血を洗い、天山の石に戦功の銘文を刻みつけた。

8世紀唐と周辺国00
(訳注) 2

八哀詩八首〔一〕 贈司空王公思禮 #2

(司空であり死後、大尉をおくられた王思禮公を思って作った詩)

司空王公思禮 王思禮、(?-761年),高句麗人。唐朝將領。統後将軍、唐代の書家。

○贈司空 贈とは其の人の死後に官を贈られたことをいう、王思礼は生前に司空となり、死後は大尉を贈られたと「旧唐書」に記してあるのからすれば贈司空というのはおかしい。全文は贈大尉司空王公思礼ということである。

 

短小精悍姿,屹然強寇敵。

そのとき司空は小がらで背は低いが、他に影響されることなく精悼な姿でとして強寇にするのである。

○短小 こがらで背が低い。

○精悍 精力あって勇猛なこと。

○屹然 山のそばだつさま。① 山などが高くそびえ立つさま。屹屹。 「高台,-として空を凌ぐ/慨世士伝 逍遥」 ② 他に影響されることなく,ひとり抜きんでているさま。

○強寇 強橫的盜匪、敵寇。強大的敵寇。

 

貫穿百萬眾,出入由咫尺。

敵の百万の衆を突破して、其の間に出はいりすることは咫尺の間を往来するがごとく機敏なのである。

○貫穿 一直線にとおりぬけること。

○由咫尺 由は猶と通ずる、咫尺はわずかの距離をいう、ひとまたぎという類で機敏なことをいう。

 

馬鞍懸將首,甲外控鳴鏑。

馬の鞍には敵将の首を懸け、鎧の袖のそとには鏑箭を鳴りひびかせた。

○鏑 鏑箭のことで、音の出る矢で、力がないとつかわない。相手に恐怖感を与える矢玉である。

 

洗劍青海水,刻銘天山石。

かくして青海の水で剣の血を洗い、天山の石に戦功の銘文を刻みつけた。

○青海 青海省青海湖。青蔵高原北東部に位置し、面積5,694平方キロ、周囲360キロである。海抜3,205メートルの高地にあり、周囲から大小23の河川が流入する。湖水は平均水深約19メートル、最大水深28メートル、蓄水量1050億立方メートル。

○天山 天山山脈は中央アジア、タクラマカン砂漠の北及び西のカザフスタン、キルギス、中国の国境地帯にある山脈。ウイグル語名は天の山を意味するテンリ・タグといい、漢名はこれに由来する。 南はパミール高原に繋がる。最高峰はポベーダ山で、中国とキルギスの国境にあり、キルギスの最高峰でもある。

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杜甫 奉節-31-1 《巻16-03 八哀詩八首〔一〕贈司空王公思禮 -1(司空であり死後、大尉をおくられた王思禮公を思って作った詩)

王司空は高麗の東夷から出て、こどものときから猛鳥がつよいたちばねを刷うごとく奮飛せんとする勢いがあった。

 

 
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766年大暦元年55-40-1奉節-31-1 《巻16-03 八哀詩八首〔一〕贈司空王公思禮 -1》 杜甫index-15 杜甫<903-02>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5575

杜甫詩1500-903-02-1286/2500766年大暦元年55-40-1

 

八哀詩八首 幷序

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、その序文をのべる。)

傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。

自分は各地で叛乱や盗賊のようなことがおさまらないのを傷んで、感興のわくまま王・李の二公からはじめて、旧友のことを嘆じたり、賢相のことをおもったりして相国張九齢までで終った。

八公前後存歿,遂不詮次焉。

その八人の諸公はたがいにあとさきになくなった。それでこの作はその生存の順序をかんがえてそのとおりに順序だてることはしなかったのである。

 

(八哀詩八首 幷びに序)

時の盗賊未だ息まざるを傷み、王公李公より興起し、旧を嘆じ賢を懐い、張相国に終る。

八公前後存歿す、遂に銓次せず。

 

16-02 八哀詩八首 幷序

16-03 八哀詩八首〔一〕贈司空王公思禮

16-04 八哀詩八首〔二〕故司徒李公光弼

16-05 八哀詩八首〔三〕贈左僕射鄭國公嚴公武

16-06 八哀詩八首〔四〕贈太子太師汝陽郡王璡

16-07 八哀詩八首〔五〕贈秘書監江夏李公邕

16-08 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明

16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔

16-10 八哀詩八首〔八〕故右僕射相國張公九齡

 

 

年:766年大暦元年55-

卷別:  卷二二二        文體:  五言古詩

詩題:  八哀詩八首:贈司空王公思禮

00

并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。

八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:天山 (隴右道西部 無第二級行政層級 天山) 別名:雪山       

九曲 (都畿道 河南府 九曲)        

潼關 (京畿道 華州 潼關)  

朔方節度使 ( 靈州 朔方節度使) 別名:朔方   

梁州 (山南西道 梁州 梁州) 別名:漢中     

交遊人物:王思禮、哥舒翰、鄧景山。

 

 

八哀詩八首〔一〕

贈司空王公思禮 #1

(司空であり死後、大尉をおくられた王思禮公を思って作った詩)

司空出東夷,童稚刷勁翮。

王司空は高麗の東夷から出て、こどものときから猛鳥がつよいたちばねを刷うごとく奮飛せんとする勢いがあった。

追隨燕薊兒,穎物不隔。

それが幽州斬州の壮年に随って交わり、錐の穂先が嚢から脱けだすごとく何物もこれをさえぎることができなかった。

服事哥舒翰,意無流沙磧。

司空は哥舒翰につきしたごうたころからその意気は沙漠地方眼中に無きのありさまであったが、

未甚拔行間,犬戎大充斥。

まだたいして卒伍のなかまから抜擢されるほどでもなかった、ところへ犬戎(吐蕃)が非常に多くおよせてきた。

2

短小精悍姿,屹然強寇敵。

貫穿百萬眾,出入由咫尺。

馬鞍懸將首,甲外控鳴鏑。

洗劍青海水,刻銘天山石。

3

九曲非外蕃,其王轉深壁。

飛兔不近駕,鷙鳥資遠擊。

曉達兵家流,飽聞春秋癖。

胸襟日沈靜,肅肅自有適。

4

潼關初潰散,萬乘猶辟易。

偏裨無所施,元帥見手格。

太子入朔方,至尊狩梁益。

胡馬纏伊洛,中原氣甚逆。

5

肅宗登寶位,塞望勢敦迫。

公時徒步至,請罪將厚責。

際會清河公,間道傳玉冊。

天王拜跪畢,讜議果冰釋。

6

翠華卷飛雪,熊虎亙阡陌。

屯兵鳳凰山,帳殿涇渭闢。

金城賊咽喉,詔鎮雄所搤。

禁暴清無雙,爽氣春淅瀝。

7

巷有從公歌,野多青青麥。

及夫哭廟後,復領太原役。

恐懼祿位高,悵望王土窄。

不得見清時,嗚呼就窀穸。

8

永繫五湖舟,悲甚田橫客。

千秋汾晉間,事與雲水白。

昔觀〈文苑傳〉,豈述廉藺績。

嗟嗟鄧大夫,士卒終倒戟。

 

 

(八哀詩)〔一〕贈司空 王公思禮 #1

司空 東夷より出づ、童稚 勁翮【けいかく】を刷う。

追随す燕薊の児、穎鋭 物 隔てず。

服事す哥舒翰 意流沙磧を無みす。

未だ甚だ行間より抜かれず、犬戎大いに充斥す。

#2

短小精悍の姿、屹然 強寇に敵す。

貫穿す 百万の衆、出入すること咫尺の由し。

馬鞍に将首を懸け、甲外鳴鏑を控く。

剣を洗う 青海の水、銘を刻す天山の石。

#3

九曲 外番に非ず、其の王 転た深壁。

飛兔 近駕せず、鷲鳥遠撃に資る。

曉達す 兵家の流,飽聞す 春秋の癖。

胸襟 日に沈靜,肅肅 自ら適する有り。』

安史の乱当時の勢力図 

 

八哀詩八首』 現代語訳と訳註解説

(本文)
八哀詩八首〔一〕

贈司空王公思禮 #1

司空出東夷,童稚刷勁翮。

追隨燕薊兒,穎物不隔。

服事哥舒翰,意無流沙磧。

未甚拔行間,犬戎大充斥。
(含異文)

司空出東夷【案:高麗也。】,童稚刷勁翮。追隨燕薊兒,穎物不隔【穎物不隔】。服事哥舒翰,意無流沙磧【氣無流沙磧】。未甚拔行間,犬戎大充斥。
(下し文)
(八哀詩)〔一〕贈司空 王公思禮 #1

司空 東夷より出づ、童稚 勁翮【けいかく】を刷う。

追随す燕薊の児、穎鋭 物 隔てず。

服事す哥舒翰 意流沙磧を無みす。

未だ甚だ行間より抜かれず、犬戎大いに充斥す。

(現代語訳)
(司空であり死後、大尉をおくられた王思禮公を思って作った詩)

王司空は高麗の東夷から出て、こどものときから猛鳥がつよいたちばねを刷うごとく奮飛せんとする勢いがあった。

それが幽州斬州の壮年に随って交わり、錐の穂先が嚢から脱けだすごとく何物もこれをさえぎることができなかった。

司空は哥舒翰につきしたごうたころからその意気は沙漠地方眼中に無きのありさまであったが、

まだたいして卒伍のなかまから抜擢されるほどでもなかった、ところへ犬戎(吐蕃)が非常に多くおよせてきた。

taigennankin88
(訳注)

八哀詩八首〔一〕 贈司空王公思禮 #1

(司空であり死後、大尉をおくられた王思禮公を思って作った詩)

司空王公思禮 王思禮、(?-761年),高句麗人。唐朝將領。統後将軍、唐代の書家。

○贈司空 贈とは其の人の死後に官を贈られたことをいう、王思礼は生前に司空となり、死後は大尉を贈られたと「旧唐書」に記してあるのからすれば贈司空というのはおかしい。全文は贈大尉司空王公思礼ということである。

 

司空出東夷,童稚刷勁翮。

王司空は高麗の東夷から出て、こどものときから猛鳥がつよいたちばねを刷うごとく奮飛せんとする勢いがあった。

○東夷 高麗をいう、思礼は高麗の人である。

○刷勁翮 刷は鳥が嘴をもって羽に油をくれること、勁翮はつよいたちばね、猛鳥を以て其の勇力に此する。

 

追隨燕薊兒,穎物不隔。

それが幽州斬州の壮年に随って交わり、錐の穂先が嚢から脱けだすごとく何物もこれをさえぎることができなかった。

燕薊児 燕()州薊州の少年、此の地方は勇壮なものが多い。

○穎鋭 錐の穂先のごとくにするどい、毛遂の故事。戦国の時、趙の平原君の食客に毛遂というものがあり、「遂をして嚢中に処らしめば錐の末のごと穎脱して出でん」といった。平原君は遂を従えて楚に至り約を定めることができた。

○物不隔 何物をもってしても錐のほさきをへだてることはできぬ、起四句は少年より奮起したことをいう。

 

服事哥舒翰,意無流沙磧。

司空は哥舒翰につきしたごうたころからその意気は沙漠地方眼中に無きのありさまであったが、

○服事 服従しっかえる。

○哥舒翰 唐の河西の将である。主恩礼ははじめ王忠嗣に従って河西に至り哥舒翰と同じく忠嗣の毫下に籍をおいた。翰が隴右節度使となるに及び思礼は中郎将周泌とともに翰の押衞となった。

○無 無視する。

○流沙 西域、西土の沙漠地をいう。

 

未甚拔行間,犬戎大充斥。
まだたいして卒伍のなかまから抜擢されるほどでもなかった、ところへ犬戎(吐蕃)が非常に多くおよせてきた。

○抜行間 技は抜擢、行間は卒伍の列のあいだ。

○犬戎 吐事をさす。

○充斥 充は満ちる、斥は大きいこと、多いこと、充斥は多いことをいう。「左伝」(裏公三十一年)に「逼盗充斥」の語がある。

 

 

(八哀詩)〔一〕司空王公思禮に贈る #1

司空 東夷より出づ、童稚 勁翮【けいかく】を刷う。

追随す燕薊の児、穎鋭 物 隔てず。

服事す哥舒翰 意流沙磧を無みす。

未だ甚だ行間より抜かれず、犬戎大いに充斥す。

 

八哀詩八首〔一〕

贈司空王公思禮 #1

司空出東夷,童稚刷勁翮。

追隨燕薊兒,穎物不隔。

服事哥舒翰,意無流沙磧。

未甚拔行間,犬戎大充斥。
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16-02 八哀詩八首 幷序

16-03 八哀詩八首〔一〕贈司空王公思禮

16-04 八哀詩八首〔二〕故司徒李公光弼

16-05 八哀詩八首〔三〕贈左僕射鄭國公嚴公武

16-06 八哀詩八首〔四〕贈太子太師汝陽郡王璡

16-07 八哀詩八首〔五〕贈秘書監江夏李公邕

16-08 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明

16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔

16-10 八哀詩八首〔八〕故右僕射相國張公九齡

 

 

年:766年大暦元年55-

卷別:  卷二二二        文體:  五言古詩

詩題:  八哀詩八首:贈司空王公思禮

00

并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。

八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:天山 (隴右道西部 無第二級行政層級 天山) 別名:雪山       

九曲 (都畿道 河南府 九曲)        

潼關 (京畿道 華州 潼關)  

朔方節度使 ( 靈州 朔方節度使) 別名:朔方   

梁州 (山南西道 梁州 梁州) 別名:漢中     

交遊人物:王思禮、哥舒翰、鄧景山。

 

 

八哀詩八首 幷序

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、その序文をのべる。)

傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。

自分は各地で叛乱や盗賊のようなことがおさまらないのを傷んで、感興のわくまま王・李の二公からはじめて、旧友のことを嘆じたり、賢相のことをおもったりして相国張九齢までで終った。

八公前後存歿,遂不詮次焉。

その八人の諸公はたがいにあとさきになくなった。それでこの作はその生存の順序をかんがえてそのとおりに順序だてることはしなかったのである。

 

(八哀詩八首 幷びに序)

時の盗賊未だ息まざるを傷み、王公李公より興起し、旧を嘆じ賢を懐い、張相国に終る。

八公前後存歿す、遂に銓次せず。

安史の乱当時の勢力図 

 

『八哀詩八首 幷序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

八哀詩八首 幷序

傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。

八公前後存歿,遂不詮次焉。


(下し文)
(八哀詩八首 幷びに序)

時の盗賊未だ息まざるを傷み、王公李公より興起し、旧を嘆じ賢を懐い、張相国に終る。

八公前後存歿す、遂に銓次せず。

(現代語訳)
(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、その序文をのべる。)

自分は各地で叛乱や盗賊のようなことがおさまらないのを傷んで、感興のわくまま王・李の二公からはじめて、旧友のことを嘆じたり、賢相のことをおもったりして相国張九齢までで終った。

その八人の諸公はたがいにあとさきになくなった。それでこの作はその生存の順序をかんがえてそのとおりに順序だてることはしなかったのである。

 

京兆地域図002

 

(訳注)

八哀詩八首 幷序

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、その序文をのべる。)

〇八哀 八人に対する哀情をのべたので八哀と題する。魏の曹植・玉粲、晋の張載に「七哀詩」がある。唐の呂向はいう、「呂向為之曰。七哀者。謂痛而哀。義而哀。感而哀。怨而哀。耳目聞見而哀。口嘆而哀。鼻酸而哀。」(痛んで哀み、義して哀浸み、感じて哀み、怨みて哀み。耳目聞見して哀しみ。口嘆して。鼻酸して哀しむ」と。これにより一哀にして七者の具わるものを七哀というと解くものがある。案ずるに此の解は古説であろうが、かく抽象的に説かれては七者の区別が明らかでない、昔時恐らく此の七種に該当する事実があってそれに各二詩をかけてこれを七哀と名づけたのであろう。現存するものについて見るのに曹植の七哀は独棲している思婦をいい、王粲は子を棄てる飢婦と、南方に避難する遊子の懐をいい、張載は洛陽の園陵の荒廃をいたむことと、遊子の故郷を思うこころとをいっている。曹稙らはただ数篇をとどめてこれに七哀の名をつけたので、一詩に七哀のそなわるものを七哀というとの説が生じたのであるが、本来は七首あるべきものであろう。もしそうだとすると、八哀は必ずしも杜の創格ではなく、前代の七を増して八としたものにすぎない。ただ八哀を以て八人の伝を韻語を以て叙したのは杜甫の創格といえよう。

 

傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。

自分は各地で叛乱や盗賊のようなことがおさまらないのを傷んで、感興のわくまま王・李の二公からはじめて、旧友のことを嘆じたり、賢相のことをおもったりして相国張九齢までで終った。

○興起 感興がおこったのによって作りはじめることをいう。

○王公李公 王思禮、李邕。王思禮、(?-761年),高句麗人。唐朝將領。統後将軍、唐代の書家。李邕(り よう、678 - 747年)は、中国唐代の書家。広陵江都県(現・江蘇省蘇州市江都区)の人で、字は泰和。『文選』の注釈で有名な李善の子である。盛唐の名臣で、留台侍御史のときに譙王李重福を討伐して戦功を挙げた。玄宗のとき北海太守に任命されたので、世に李北海と呼ばれる。英才で文名高く、また行書の名手であった。碑文の作に優れ、撰書すること実に800本にのぼり、巨万の富を得たといわれる。晩年は唐の宗室である李林甫に警戒され、投獄され杖殺されて非業の死を遂げた。

○嘆旧 旧知についてなげく、厳武・李堆・蘇源明・鄭度らをさして旧という。

○懐賢 賢者をおもう、張九齢がごときは賢である。

○張相国 張九齢。張九齢 (ちょうきゅうれい)        678- 740

陳子昂の詩と並んで「神味超逸」の風があり、阮籍の「詠懐詩」の流れをくむ「感遇詩」12種の連作が有名。著作に『張曲江集』20巻がある。字は子寿。韶州曲江の人。幼少の頃、南方に流されてきた張説に才能を認められた。長安二年(702)、進士に及第した。左拾遺となり、玄宗の信任を得て左補闕・司勲員外郎を歴任。張説の腹心として活躍した。のちに中書舎人から工部侍郎・中書令(宰相)に至った。李林甫と衝突し、玄宗の信頼を失って荊州長史に左遷された。『曲江張先生集』。

 

八公前後存歿,遂不詮次焉。

その八人の諸公はたがいにあとさきになくなった。それでこの作はその生存の順序をかんがえてそのとおりに順序だてることはしなかったのである。

○前後存歿 或は存し或は沒すること相い前後する。

○不詮次 前後をはかって順序をさだめてはいない、詩の順序は存歿の順序によらないことをいう。
杜甫55歳756年作品安史の乱当時の勢力図 

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杜甫《巻15-06 示獠奴阿段》樋から水がだんだん流れてこなくなり、夜には村人たちが滴る水を争うほどまでになった。糖尿病を患っていた杜甫にはこれは大きな痛手で、夜中に彼は水が欲しくてたまらなかった。ちょうどその時、使用人の阿段と呼ばれる少年が、水源まで山を登っていって修理してくれた。

 
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766年大暦元年55-36 奉節-29 《巻15-06 示獠奴阿段》 杜甫index-15 杜甫<900-01 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5565

 

 

杜甫詩1500-900-01-1284/2500766年大暦元年55-36-6

 

夔州に来て下僕たちを上手く使っていろんな作業を行うようになってきた。雲安までの五十数年間杜甫も詩に下僕たちの名前や杜甫の心使いなどが出る事は無かったが、詩に出てくる下僕たちの名前をあげると次のとおりである。

名前が出ず1505_引水》「雲安沽水奴僕悲」雲安水を沽()いて 奴僕悲しむも

阿段:1506_示獠奴阿段》(獠奴の阿段に示す。)

信行:1529_信行遠修水筒》(信行が遠く水筒を修む。)

1902_豎至子》(豎子(ジュシ)至る)

1905園官送菜_》(園官が菜を送る)

課隸人伯夷・辛秀・信行等、 隷人(レイジン)の伯夷・辛秀・信行:《1907_課伐木》(伐木を課す)

遣女奴阿稽豎子阿段:《1915_秋行官張望督促東渚耗稻向畢清晨遣女奴阿稽豎子阿段往問》

獠奴、豎子、爾、小子、小奴・奴人(《1816_縛雞行》)

童児(《1919_驅豎子摘蒼耳》)、小豎など。

信行に対しては僕夫、汝、子、行など。

伯夷・辛秀・信行らに対して隷人、僮僕、人、爾曹。

阿稽に対しては女奴。阿段とともに併称して、婢僕。その他にも奴、童、童児などがある。

1816_縛鶏行》

1915_秋行官張望、督促東渚耗稲、向畢。清晨遣女奴阿稽豎子阿段往問》(秋に行官の張望、東渚の耗稲を督促し、畢るに向(なんなん)とす。清晨に女奴の阿稽と豎子の阿段を遣わして往きて問わしむ)

2031_暫往白帝復還東屯》・《2023_又呈呉郎》

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二九              文體:    七言律詩

詩題:    示獠奴阿段【案:獠乃南蠻別種,無名字。男稱阿謨、阿段;女稱阿夷、阿等之類。】

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

交遊人物:阿段    當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

 

杜甫が使用人に対して「奴僕悲しみ」と感情移入し、同情の念を抱いているのが注目される。しかしその奴僕が杜甫とどういう関わりを持っていたのか、或いはどういう人間だったのかはまだ見えてこない。いずれにしろこの奴僕には、まだ顔も個性も見えていない。杜甫にとって雲安時代の奴僕は、まだ身近な人としての個別性は与えられず、奴僕一般の中に解消されていると言える。

 夔州あたりのこの竹製の樋は、山腹をくねくねと掛け渡されて、長いものになると数百丈(一丈は約三メートル)にも達したという(南宋の魯訔の注)。そういうこともあってか、この樋は時々壊れて、水が流れてこなくなることがあったようである。実は、杜甫も一、二度そういう事態に出くわしたことがある。

 夔州に着いた最初の年のある暮れ方、樋から水がだんだん流れてこなくなり、夜には村人たちが滴る水を争うほどまでになった。糖尿病を患っていた杜甫にはこれは大きな痛手で、夜中に彼は水が欲しくてたまらなかった。ちょうどその時、使用人の阿段と呼ばれる少年が、水源まで山を登っていって修理してくれた。そのおかげで、杜甫は水を得ることができ、ひどく感激したのだった。そこで杜甫は彼のために、以下のような七言律詩《1506_示獠奴阿段(獠奴の阿段に示す)》を作った。

 

示獠奴阿段

(蛮族の長男の下男の子である阿段に示したもの。)

山木蒼蒼落日曛,竹竿褭褭細泉分。

山の樹木の色が次第に色濃くなって行く、夕日が落ちて辺りを暗くしてゆく。この時なよなよとした竹竿からは、細々とした泉水がいくつか分かれて流れている。

郡人入夜爭餘瀝,豎子尋源獨不聞。

郡の人たちは夜になるとそのあまりのしづくを我勝ちと争うて汲みあう。だが自分のしもべは黙って自分には聞かせずにずっと山奥の水源を訪ねて行った。

病渴三更迴白首,傳聲一注青雲。

夜中に自分はのどが渇いて困り、水を飲もうとこの白髪頭を廻してみた、すると一注の水の音が聴こえてきて、それが青雲を潤してそそがれてきたのである。

曾驚陶侃胡奴異,怪爾常穿虎豹群。

夜中に自分はのどが渇いて困り、水を飲もうとこの白髪頭を廻してみた、すると一注の水の音が聴こえてきて、それが青雲を潤してそそがれてきたのである。

 

 夔州東川卜居図詳細 001

『示奴阿段』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

示獠奴阿段

山木蒼蒼落日曛,竹竿褭褭細泉分。

郡人入夜爭餘瀝,豎子尋源獨不聞。

病渴三更迴白首,傳聲一注青雲。

曾驚陶侃胡奴異,怪爾常穿虎豹群。

(含異文)

山木蒼蒼落日曛,竹竿褭褭細泉分。

郡人入夜爭餘瀝,豎子尋源獨不聞【稚子尋源獨不聞】。

病渴三更迴白首,傳聲一注青雲。

曾驚陶侃胡奴異【案:陶侃有一胡奴,胡僧見之曰:「此海山使者也。」是夜即失所在。】,怪爾常穿虎豹群。


(下し文)

獠奴阿段に示す)

山木 蒼蒼 落日曛じ,竹竿 褭褭 細泉分る。

郡人 夜に入りて餘瀝を爭う,豎子 源を尋ねて獨り聞かしめず。

渴を病いて 三更 白首を迴らす,聲を傳えて一注 青雲を

曾て驚く陶侃【とうかん】が胡奴の異なるに,怪む 爾が常に穿つ虎豹の群。

(現代語訳)
(蛮族の長男の下男の子である阿段に示したもの。)

山の樹木の色が次第に色濃くなって行く、夕日が落ちて辺りを暗くしてゆく。この時なよなよとした竹竿からは、細々とした泉水がいくつか分かれて流れている。

郡の人たちは夜になるとそのあまりのしづくを我勝ちと争うて汲みあう。だが自分のしもべは黙って自分には聞かせずにずっと山奥の水源を訪ねて行った。

夜中に自分はのどが渇いて困り、水を飲もうとこの白髪頭を廻してみた、すると一注の水の音が聴こえてきて、それが青雲を潤してそそがれてきたのである。

夜中に自分はのどが渇いて困り、水を飲もうとこの白髪頭を廻してみた、すると一注の水の音が聴こえてきて、それが青雲を潤してそそがれてきたのである。



(訳注)

示獠奴阿段

(蛮族の長男の下男の子である阿段に示したもの。)

獠奴 蛮族の長男の下男の子。

阿段 阿は名前のうえにつける愛称。

樋から水がだんだん流れてこなくなり、夜には村人たちが滴る水を争うほどまでになった。糖尿病を患っていた杜甫にはこれは大きな痛手で、夜中に彼は水が欲しくてたまらなかった。ちょうどその時、使用人の阿段と呼ばれる少年が''、水源まで山を登っていって修理してくれた。そのおかげで、杜甫は水を得ることができ、ひどく感激した。

杜甫が阿段の品性、行為を褒め、とくにそれを顕彰するためにこの詩を書いたのだと考えている。詩意全体から感じ取れるのは、たしかにそうである。さらに言葉の上からも杜甫の阿段への思い入れが感じられる。それは末句の「爾が常に虎豹の群れを穿つを怪しむ」の「怪しむ」という言葉である。「怪」は不思議がるとか、責めるの意味でよく用いられ、杜甫詩の用例でも少なくない。
 

山木蒼蒼落日曛,竹竿褭褭細泉分。

山の樹木の色が次第に色濃くなって行く、夕日が落ちて辺りを暗くしてゆく。この時なよなよとした竹竿からは、細々とした泉水がいくつか分かれて流れている。

 

郡人入夜爭餘瀝,豎子尋源獨不聞。

郡の人たちは夜になるとそのあまりのしづくを我勝ちと争うて汲みあう。だが自分のしもべは黙って自分には聞かせずにずっと山奥の水源を訪ねて行った。

餘瀝 竹竿の樋から水があふれる。

豎子 1 子供。童子。2 年若い者や未熟な者をさげすんでいう語。若造。青二才。

 

病渴三更迴白首,傳聲一注青雲。

夜中に自分はのどが渇いて困り、水を飲もうとこの白髪頭を廻してみた、すると一注の水の音が聴こえてきて、それが青雲を潤してそそがれてきたのである。

病渴 のどの渇きの病。糖尿病でのどが渇く。

三更 日没から夜明けを五等分した三番目、真夜中。

迴白首 竹の樋を首を廻してみ還ること。

傳聲 竹樋を流れてくる水の音が、伝わってくる。

一注 一条の水が注がれる。

青雲 青雲を潤してそそがれてきたことをいう。

 

曾驚陶侃胡奴異,怪爾常穿虎豹群。

自分は、むかし陶侃の胡奴が人の出来ない変わったことをしたという話に、驚いているのだが、君はいつも虎豹の群れの中を分け入って歩くのも不思議に堪えず感心ているのである。

陶侃 西晋、東晋の武将。字は士行。鄱陽の人。父は呉の揚武将軍陶丹。母は湛氏。子は16人いたとされるが、記録に残っているのは陶洪、陶瞻、陶夏、陶琦、陶旗、陶斌、陶称、陶範、陶岱の9人だけである。甥に陶臻、陶輿。父は呉の揚武将軍陶丹。幼少に父を失い、非常に貧しい生活を送りながらも、独力で努力して役人となった。やがて彼の才能は多くの人士に認められ、孝廉に挙げられた。劉弘が荊州刺史となると、陶侃を引き立てて南蛮長史とし、強く信頼して職務を任せた。

胡奴異 胡奴が人の出来ない変わったことをしたという話

怪爾 阿段のことを不思議に思っていた。

穿 わけいる。
杜甫55歳756年作品 

766年大暦元年55歲-36-#5奉節-28-#6 《巻15-65 種萵苣 -#6》 杜甫index-15 杜甫<901-#6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5560

杜甫 奉節-28-《巻15-65 種萵苣 -6》 莧よ!そんな入れ物に容れられても、莧というものは何も使い道がないものであるのに、なんのためかこいつは無知であるにも、筐篚に入って知らぬ顔をしているのである。

 

 
 2015年2月16日の紀頌之5つのブログ 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-36-#5奉節-28-#6 《巻15-65 種萵苣 -#6》 杜甫index-15 杜甫<901-#6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5560 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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杜甫詩1500-901-#6-1283/2500766年大暦元年55-36-5

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    種萵苣【案:萵苣,江東名萵筍。】

詩序:   

種萵苣#1并序

(萵苣菜と苦菜を種える詩 并びにその序文)

既雨已秋,堂下理小畦,

既に秋の長雨が降り終って、もう秋になったので、表座敷の下の方の小さなあぜ道の横に畝を作って畑をたがやした。

隔種一兩席許萵苣,向二旬矣,而苣不甲坼。

蓆三枚ほどの広さに萵苣菜と苦菜を間隔をきちんと取って植えた。かれこれ二十日になろうとするが、萵苣のめがはじけてこない

獨野莧青青【伊人莧青青】,

その横には野生の莧だけが青々と茂っている。【ここには人の手にかかったヒョウ菜が青々としている。】

傷時君子或晚得微祿,轗軻不進,因作此詩。

これを見て自分は今時の君子が、晩年になって少し俸禄を得て、不遇の境遇であって栄進しないのと似ていることを傷ましく思ってこの詩を作ったのである。

(萵と苣を種う 并序)  -#1

既に雨あり 已に秋なり,堂の下に小畦を理め,一兩席 許【はか】り萵苣を隔種し,二旬に向う,而して苣 甲坼せず。

獨り野莧【やげん】青青たり【伊人莧青青】,傷む時の君子 或いは晚に微祿を得て,轗軻 進まざることを,因って此詩を作る。

 

 

種萵苣-#2

(萵苣菜と苦菜を種える詩 并びにその序文であるが、 萵苣菜の芽が出ない、不遇の境遇であって栄進しないのと似ていることを傷ましく思うと詠う)

陰陽一錯亂,驕蹇不復理。

陰陽の二気が錯乱して、その二気の伸び方と縮み方との具合が、天の筋道と違ってしまったのだ。

枯旱於其中,炎方慘如燬。

ここに至るまでの間、日照り続きで枯れ死することが起こり、このあたりにおいては灼熱の暑さの酷いことは悲惨なものであった。

植物半蹉跎,嘉生將已矣。

植物は半ばダメになり、他の穀物もまさになくなろうとしている。

雲雷欻奔命,師伯集所使。

そこへ雨の神、風の神が自分の使役するもの、すなわち雲と雷をかき集めて、雲雷はたちまちその命を受けた様に暴れたのである。

-(萵と苣を種う)-#2

陰陽 一たび錯亂して,驕蹇 復た理あらず。

枯旱 其の中に於てす,炎方 慘 燬くが如し。

植物 半ば蹉跎たり,嘉生 將に已まんとす。

雲雷 欻【たちま】ち命に奔り,師伯 所使を集む。

 

-#3

指麾赤白日,澒洞青光起。

紅く白く輝いていた太陽は指図してこれを引き込ませてしまい、も薬やとした雲気の中に青い稲妻の光が起こりだした。

雨聲先已風,散足盡西靡。

まず先に風が吹き出し、つづいて雨の音が続いたのである。散らばる雨脚は、吹き付けられてすっかり、西の方へとなびく。

山泉落滄江,霹靂猶在耳。

山からあふれ出す泉は大きな河が落す水のようであり、それでも稲妻の響きは鳴りやまず耳に聞こえてくる。

終朝紆颯沓,信宿罷瀟灑。

そして次の日の朝は午前中かぜがゆるく吹き廻り、二晩経つと雨はやんでさっぱりとしてしまった。

-#3

赤白の日を指麾し,澒洞 青光起る。

雨聲 先って風 已み,散足 盡く西靡す。

山泉 滄江に落ち,霹靂 猶お耳に在り。

終朝 紆りて颯沓たり,信宿 罷みて瀟灑【しょうしゃ】たり。

#4

堂下可以畦,呼童對經始。

この時こそは、表座敷の下の畦に沿って畝を作るべきである、それで、子供や下僕を呼んで、耕し始めたのである。

苣兮疏之常,隨事蓺其子。

萵苣菜は野菜の中でも平凡なもので、別段の工夫もいるわけではない、事のついでに種をまくだけでよいのである。

破塊數席間,荷鋤功易止。

そこから三、四枚の蓆を敷いたように間をあけて耕すために、鋤でもって土を細かくするのであり、鋤を荷って働けばこの仕事も直におわることになるというものだ。

兩旬不甲坼,空惜埋泥滓。

十日間という旬が二回りたっても種がはじけて芽が出るはずなのに出て来ない、空しく惜しくも泥かすの中に埋もれたままなのだ。

-#4

堂下以って畦す可し,童を呼びて對して經始す。

苣兮【きょ・や】は疏の常なり,事に隨って其の子を蓺【う】う。

塊を破る數席の間,荷鋤 功 止み易し。

兩旬 甲坼せず,空しく惜む 泥滓【でいし】に埋めらるるを。

-#5

野莧迷汝來,宗生實於此。

野生のイヌビエ!どうしてお前がここに生えて來るのか、萵苣の場所で本家を差し置いて生えているのか自分は迷う。

此輩豈無秋,亦蒙寒露委。

これほど根強い莧の奴らでも秋の季節がないというわけではない。秋になりさえすれば、寒露に身を任せて枯れるのである。

翻然出地速,滋蔓庭毀。

それがかえってこんなに早く地面から飛び出してきて繁りはびこって庭の扉近くまで生えて壊しそうなのであきれてしまうのである。

因知邪干正,掩抑至沒齒。

此の草の事から自分は分かったことがあり、邪なる者が、正なるものを侵されてしまえば、正なる物は押さえつけられてしまうということだ。

-#5

野莧【やげん】汝來りて迷い,宗生すること 實に此にいてす。

此の輩 豈に秋無からんや,亦た寒露に委せ蒙らる。

翻然 地を出ずること速やかに,滋蔓 庭を毀【こぼ】つ。

因って知る邪 正を干【おか】す,掩抑【えんよく】沒齒に至る。

#6

賢良雖得祿,守道不封己。

擁塞敗芝蘭,眾多盛荊杞。

中園陷蕭艾,老圃永為恥。

登于白玉盤,藉以如霞綺。

莧也無所施,胡顏入筐篚。

 

#6

賢良は祿を得ると雖も,道を守りて己を封ぜず。

擁塞【ようぞく】芝蘭を敗る,眾多 荊杞を盛んなればなり。

中園 蕭艾に陷いるは,老圃 永く恥と為す。

白玉の盤に登され,藉【し】くに如霞【じょか】の綺を以てするとき。

莧也【げんや】施す所無きに,胡【なん】の顏あってか 筐篚【きょうひ】に入る。

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杜甫 奉節-28-5 《巻15-65 種萵苣 -5この雑草は憎めない悪党ではある。せっかくのチシャを台無しにしたこのイヌビユの生命力にむしろ杜甫は驚いている、というかその活力にほどほど感心し脱帽しているかのようにさえ見える。

 
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杜甫詩1500-901-#5-1282/2500766年大暦元年55-36-4

 

 

 このチシャ畑は、畑地の可能性として挙げた「山腰の宅」の「隙地」に作られたのではなく、場所を「堂下」と明記するように、おそらくはその「山腰の宅」の軒先ほどの所に作られたのであろう。序文ではそれを「小畦」と呼んでいるが、「畦」は四周にアゼを築いて区切った長方形の灌漑菜園で、そこに灌漑すれば畑面全面に水を湛えることができるようになっている'⑸'。さらに「童を呼びて対して経始せしむ」「一両席ばかりの萵苣を隔て種え」などから推測すれば、そのような細長い畑を二人の僮僕にそれぞれ一つずつ連結させながら作らせたのかもしれない。『斉民要術』巻三、第十七、種葵には、他の作物にも広く応用できるとして「畦」の作り方が記されている(「凡そ畦種の物は、畦を治むることはみな葵を種うる法の如くす」)。その畦の大きさは「畦は長さ両歩、広さ一歩」である。もし杜甫がそのような大きさで作ったとすれば、二つの畦であわせて四畳半ばかりの広さになる。我々はそれぐらいのチシャ畑を想像すればよいだろう。

 

 もちろんここでは杜甫が実際に手に鋤を握って土を掘り起こしたりしているのではない。それはたまたま夔州での杜甫の健康が許さなかったからというのではない。漢代まではともかく六朝以降はいくつかの例外はあるかもしれないが、士大夫が実際に農具を手にとって農地に入り、埃まみれの汗を流すということはほとんど無かったであろう。彼らが農事を為すというときは農業を経営しているか、せいぜい田地まで出向いて農事を監督しているのである。ただ人によって実際の農事、農民との距離がひどく近かったり、遠かったりするのである。もちろん杜甫の場合は前者である。農民との距離の近さ遠さは単なる量の問題であって、読書人階層としては両者に質的な違いはないという人がいるかもしれない。しかしある距離まで近くなると、そこに思いがけない質的な違いが生じるようになる。本人が気づいていようといまいと。そういう場合が夔州時代の杜甫だと私は思っている。

 

 それはともかく杜甫のチシャ作りは大失敗に終わった。チシャ類の発芽は微妙で、二十五~三十度以内、光を通すぐらいの薄い覆土が条件とされる。暑すぎても土をかけすぎても芽は出てこない。杜甫がそのような専門的な技術を知っていたかどうかは分からない。ただ「事に随って其の子(たね)を蓺()う」というあたりは、そうした専門技術を意味しているようにも見える。

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    種萵苣【案:萵苣,江東名萵筍。】

詩序:   

種萵苣#1并序

(萵苣菜と苦菜を種える詩 并びにその序文)

既雨已秋,堂下理小畦,

既に秋の長雨が降り終って、もう秋になったので、表座敷の下の方の小さなあぜ道の横に畝を作って畑をたがやした。

隔種一兩席許萵苣,向二旬矣,而苣不甲坼。

蓆三枚ほどの広さに萵苣菜と苦菜を間隔をきちんと取って植えた。かれこれ二十日になろうとするが、萵苣のめがはじけてこない

獨野莧青青【伊人莧青青】,

その横には野生の莧だけが青々と茂っている。【ここには人の手にかかったヒョウ菜が青々としている。】

傷時君子或晚得微祿,轗軻不進,因作此詩。

これを見て自分は今時の君子が、晩年になって少し俸禄を得て、不遇の境遇であって栄進しないのと似ていることを傷ましく思ってこの詩を作ったのである。

(萵と苣を種う 并序)  -#1

既に雨あり 已に秋なり,堂の下に小畦を理め,一兩席 許【はか】り萵苣を隔種し,二旬に向う,而して苣 甲坼せず。

獨り野莧【やげん】青青たり【伊人莧青青】,傷む時の君子 或いは晚に微祿を得て,轗軻 進まざることを,因って此詩を作る。

 

 

種萵苣-#2

(萵苣菜と苦菜を種える詩 并びにその序文であるが、 萵苣菜の芽が出ない、不遇の境遇であって栄進しないのと似ていることを傷ましく思うと詠う)

陰陽一錯亂,驕蹇不復理。

陰陽の二気が錯乱して、その二気の伸び方と縮み方との具合が、天の筋道と違ってしまったのだ。

枯旱於其中,炎方慘如燬。

ここに至るまでの間、日照り続きで枯れ死することが起こり、このあたりにおいては灼熱の暑さの酷いことは悲惨なものであった。

植物半蹉跎,嘉生將已矣。

植物は半ばダメになり、他の穀物もまさになくなろうとしている。

雲雷欻奔命,師伯集所使。

そこへ雨の神、風の神が自分の使役するもの、すなわち雲と雷をかき集めて、雲雷はたちまちその命を受けた様に暴れたのである。

-(萵と苣を種う)-#2

陰陽 一たび錯亂して,驕蹇 復た理あらず。

枯旱 其の中に於てす,炎方 慘 燬くが如し。

植物 半ば蹉跎たり,嘉生 將に已まんとす。

雲雷 欻【たちま】ち命に奔り,師伯 所使を集む。

 

-#3

指麾赤白日,澒洞青光起。

紅く白く輝いていた太陽は指図してこれを引き込ませてしまい、も薬やとした雲気の中に青い稲妻の光が起こりだした。

雨聲先已風,散足盡西靡。

まず先に風が吹き出し、つづいて雨の音が続いたのである。散らばる雨脚は、吹き付けられてすっかり、西の方へとなびく。

山泉落滄江,霹靂猶在耳。

山からあふれ出す泉は大きな河が落す水のようであり、それでも稲妻の響きは鳴りやまず耳に聞こえてくる。

終朝紆颯沓,信宿罷瀟灑。

そして次の日の朝は午前中かぜがゆるく吹き廻り、二晩経つと雨はやんでさっぱりとしてしまった。

-#3

赤白の日を指麾し,澒洞 青光起る。

雨聲 先って風 已み,散足 盡く西靡す。

山泉 滄江に落ち,霹靂 猶お耳に在り。

終朝 紆りて颯沓たり,信宿 罷みて瀟灑【しょうしゃ】たり。

#4

堂下可以畦,呼童對經始。

この時こそは、表座敷の下の畦に沿って畝を作るべきである、それで、子供や下僕を呼んで、耕し始めたのである。

苣兮疏之常,隨事蓺其子。

萵苣菜は野菜の中でも平凡なもので、別段の工夫もいるわけではない、事のついでに種をまくだけでよいのである。

破塊數席間,荷鋤功易止。

そこから三、四枚の蓆を敷いたように間をあけて耕すために、鋤でもって土を細かくするのであり、鋤を荷って働けばこの仕事も直におわることになるというものだ。

兩旬不甲坼,空惜埋泥滓。

十日間という旬が二回りたっても種がはじけて芽が出るはずなのに出て来ない、空しく惜しくも泥かすの中に埋もれたままなのだ。

-#4

堂下以って畦す可し,童を呼びて對して經始す。

苣兮【きょ・や】は疏の常なり,事に隨って其の子を蓺【う】う。

塊を破る數席の間,荷鋤 功 止み易し。

兩旬 甲坼せず,空しく惜む 泥滓【でいし】に埋めらるるを。

-#5

野莧迷汝來,宗生實於此。

野生のイヌビエ!どうしてお前がここに生えて來るのか、萵苣の場所で本家を差し置いて生えているのか自分は迷う。

此輩豈無秋,亦蒙寒露委。

これほど根強い莧の奴らでも秋の季節がないというわけではない。秋になりさえすれば、寒露に身を任せて枯れるのである。

翻然出地速,滋蔓庭毀。

それがかえってこんなに早く地面から飛び出してきて繁りはびこって庭の扉近くまで生えて壊しそうなのであきれてしまうのである。

因知邪干正,掩抑至沒齒。

此の草の事から自分は分かったことがあり、邪なる者が、正なるものを侵されてしまえば、正なる物は押さえつけられてしまうということだ。

-#5

野莧【やげん】汝來りて迷い,宗生すること 實に此にいてす。

此の輩 豈に秋無からんや,亦た寒露に委せ蒙らる。

翻然 地を出ずること速やかに,滋蔓 庭を毀【こぼ】つ。

因って知る邪 正を干【おか】す,掩抑【えんよく】沒齒に至る。

#6

賢良雖得祿,守道不封己。

擁塞敗芝蘭,眾多盛荊杞。

中園陷蕭艾,老圃永為恥。

登于白玉盤,藉以如霞綺。

莧也無所施,胡顏入筐篚。

 

#6

賢良は祿を得ると雖も,道を守りて己を封ぜず。

擁塞【ようぞく】芝蘭を敗る,眾多 荊杞を盛んなればなり。

中園 蕭艾に陷いるは,老圃 永く恥と為す。

白玉の盤に登され,藉【し】くに如霞【じょか】の綺を以てするとき。

莧也【げんや】施す所無きに,胡【なん】の顏あってか 筐篚【きょうひ】に入る。

 

夔州東川卜居図詳細 001 

《巻15-65 種萵苣 -5

『種萵苣 并序』 現代語訳と訳註解説

(本文) –-#5

野莧迷汝來,宗生實於此。

此輩豈無秋,亦蒙寒露委。

翻然出地速,滋蔓庭毀。

因知邪干正,掩抑至沒齒。


(下し文) –-#5

野莧【やげん】汝來りて迷い,宗生すること 實に此にいてす。

此の輩 豈に秋無からんや,亦た寒露に委せ蒙らる。

翻然 地を出ずること速やかに,滋蔓 庭を毀【こぼ】つ。

因って知る邪 正を干【おか】す,掩抑【えんよく】沒齒に至る。

(現代語訳)
野生のイヌビエ!どうしてお前がここに生えて來るのか、萵苣の場所で本家を差し置いて生えているのか自分は迷う。

これほど根強い莧の奴らでも秋の季節がないというわけではない。秋になりさえすれば、寒露に身を任せて枯れるのである。

それがかえってこんなに早く地面から飛び出してきて繁りはびこって庭の扉近くまで生えて壊しそうなのであきれてしまうのである。

此の草の事から自分は分かったことがあり、邪なる者が、正なるものを侵されてしまえば、正なる物は押さえつけられてしまうということだ。

00大豆畑 


(訳注) -#5

種萵苣-#5

(萵苣菜と苦菜を種える詩 并びにその序文であるが、 萵苣菜の芽が出ない、不遇の境遇であって栄進しないのと似ていることを傷ましく思うと詠う)

萵苣 萵苣菜と苦菜。

杜甫が自分の住まいの前に席数枚分の小さな区画の畑を作り、二人の使用人の僮僕を呼びつけて、土起こしから開始し、チシャ作りの手順通りに種まきを終えた一部始終を知ることができる。 

野莧迷汝來,宗生實於此。

野生のイヌビエ!どうしてお前がここに生えて來るのか、萵苣の場所で本家を差し置いて生えているのか自分は迷う。

野莧 野生のイヌビエ。イヌビユはヒユ科ヒユ属の一年草。畑、果樹園、空地、道端などで、夏期に生育する雑草。地域によっては、ノビユ、クサケトギ、ヒョー、キチガイ、ヤブドロボウ、オコリ、フシダガ、ヒエ、フユナ、ヨバイグサと呼ばれる。アマランサスは、ヒユ科ヒユ属の総称。アマランス。ヒユの仲間であるが、形態は多様である。和名に「ケイトウ」を含む種も多いが、ケイトウ は同科別属である。

宗生 本来この畑で映えるべきもの。萵苣菜のこと。

杜甫はイヌビユをあたかも悪党か何かのように思いなして、思いっきり罵倒している。杜甫ほどの人が、たかがイヌビユがごとき雑草に一対一で向かい合って、説教めいた言葉を投げかけている。どことなくおかしみがあるではないか。これは宋代の「俗を以て雅と為す」の先駆と言えるかもしれない。しかも経典に典故を持つような古めかしい正統的な雰囲気を漂わす古詩の文体の中でそれを行っているのだ。その意図された場違いの用法からもユーモアが表れている。

 しかしこの雑草は憎めない悪党ではある。せっかくのチシャを台無しにしたこのイヌビユの生命力にむしろ杜甫は驚いている、というかその活力にほどほど感心し脱帽しているかのようにさえ見える。

 

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翻然 思ったことの敗退の減少をいう時の、~よりあえて、かえって。

滋蔓 しげりはびこる。

 

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邪干正 邪が正をおかす。

掩抑 おさえつけられる。

萵苣が八世紀半、中国西南の一隅で、一読書人の手によって植えられ、その経緯が一篇の詩に仕立てられているという事実である。

 チシャは中国の在来種ではなく唐以前に西方から伝わったもので、文献上で「萵苣」の名が最初に現れるのは、陳蔵器の『本草拾遺』(七三九年)、王燾の『外台秘要方』(七五二年)あたりである。その後は唐末五代の韓鄂『四時纂要』、及び趙州従諗禅師「十二時歌」其六などに出てくる''。ただこれらはいずれも医書や本草書や農書や禅僧の偈の類で、特殊な文献である。つまり萵苣という野菜名は少なくとも唐代までは杜甫の詩以外に一般の詩文には出てこないのである。

 

杜甫は「苣は蔬の常なるものなり」と述べ、夔州の地で種を入手できている。それほど萵苣の普及が急速であったということもあろうが、杜甫が野菜に対して強い関心を持っていたということもできる。

 唐代までは特殊な分野の文献にしか見えなかったのに、宋代以降は例えば王之道の「追いて老杜の萵苣を種うる詩に和す」など普通の詩文でも現れるようになる。このことから、杜甫の詩が萵苣の名を一般の詩文のなかで広める功績があったとも言える。唐代までは萵苣は一般の読書人が詩文のなかに持ち込むような雅な言葉ではなかったであろう。普及はしていても新来の野菜である故に、古典にはその用例が無い。そういうものを詩の題材にすることを普通の詩人ならば躊躇する。だとすれば萵苣という一つの野菜を、わざわざ一篇の独立した作品に仕上げたという杜甫の創作態度が問題になってくる。こんなところにも杜甫の詩の作り方の革新性をうかがうことができる。
杜甫55歳756年作品 

766年大暦元年55歲-37-#4奉節-28-#4 《巻15-65 種萵苣 -#4》 杜甫index-15 杜甫<901-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5550

杜甫 奉節-28-4 《巻15-65 種萵苣 -4この時こそは、表座敷の下の畦に沿って畝を作るべきである、それで、子供や下僕を呼んで、耕し始めたのである。萵苣菜は野菜の中でも平凡なもので、別段の工夫もいるわけではない、事のついでに種をまくだけでよいのである。

 

 
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179-#2 《巻22-11 冬夜醉宿龍門覺起言志 -#2》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <179-#2> Ⅰ李白詩1400 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5548 
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35-(7) 《讀巻04-14 送孟東野序 -(7)§3-1》韓愈(韓退之)ID 801年貞元17年 35歳<1313> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5549 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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766年大暦元年55-37-4奉節-28-4 《巻15-65 種萵苣 -4 杜甫index-15 杜甫<901-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5550

杜甫詩1500-901-#4-1281/2500766年大暦元年55-37-4

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    種萵苣【案:萵苣,江東名萵筍。】

詩序:   

種萵苣#1并序

(萵苣菜と苦菜を種える詩 并びにその序文)

既雨已秋,堂下理小畦,

既に秋の長雨が降り終って、もう秋になったので、表座敷の下の方の小さなあぜ道の横に畝を作って畑をたがやした。

隔種一兩席許萵苣,向二旬矣,而苣不甲坼。

蓆三枚ほどの広さに萵苣菜と苦菜を間隔をきちんと取って植えた。かれこれ二十日になろうとするが、萵苣のめがはじけてこない

獨野莧青青【伊人莧青青】,

その横には野生の莧だけが青々と茂っている。【ここには人の手にかかったヒョウ菜が青々としている。】

傷時君子或晚得微祿,轗軻不進,因作此詩。

これを見て自分は今時の君子が、晩年になって少し俸禄を得て、不遇の境遇であって栄進しないのと似ていることを傷ましく思ってこの詩を作ったのである。

(萵と苣を種う 并序)  -#1

既に雨あり 已に秋なり,堂の下に小畦を理め,一兩席 許【はか】り萵苣を隔種し,二旬に向う,而して苣 甲坼せず。

獨り野莧【やげん】青青たり【伊人莧青青】,傷む時の君子 或いは晚に微祿を得て,轗軻 進まざることを,因って此詩を作る。

 

 

種萵苣-#2

(萵苣菜と苦菜を種える詩 并びにその序文であるが、 萵苣菜の芽が出ない、不遇の境遇であって栄進しないのと似ていることを傷ましく思うと詠う)

陰陽一錯亂,驕蹇不復理。

陰陽の二気が錯乱して、その二気の伸び方と縮み方との具合が、天の筋道と違ってしまったのだ。

枯旱於其中,炎方慘如燬。

ここに至るまでの間、日照り続きで枯れ死することが起こり、このあたりにおいては灼熱の暑さの酷いことは悲惨なものであった。

植物半蹉跎,嘉生將已矣。

植物は半ばダメになり、他の穀物もまさになくなろうとしている。

雲雷欻奔命,師伯集所使。

そこへ雨の神、風の神が自分の使役するもの、すなわち雲と雷をかき集めて、雲雷はたちまちその命を受けた様に暴れたのである。

-(萵と苣を種う)-#2

陰陽 一たび錯亂して,驕蹇 復た理あらず。

枯旱 其の中に於てす,炎方 慘 燬くが如し。

植物 半ば蹉跎たり,嘉生 將に已まんとす。

雲雷 欻【たちま】ち命に奔り,師伯 所使を集む。

 

-#3

指麾赤白日,澒洞青光起。

紅く白く輝いていた太陽は指図してこれを引き込ませてしまい、も薬やとした雲気の中に青い稲妻の光が起こりだした。

雨聲先已風,散足盡西靡。

まず先に風が吹き出し、つづいて雨の音が続いたのである。散らばる雨脚は、吹き付けられてすっかり、西の方へとなびく。

山泉落滄江,霹靂猶在耳。

山からあふれ出す泉は大きな河が落す水のようであり、それでも稲妻の響きは鳴りやまず耳に聞こえてくる。

終朝紆颯沓,信宿罷瀟灑。

そして次の日の朝は午前中かぜがゆるく吹き廻り、二晩経つと雨はやんでさっぱりとしてしまった。

-#3

赤白の日を指麾し,澒洞 青光起る。

雨聲 先って風 已み,散足 盡く西靡す。

山泉 滄江に落ち,霹靂 猶お耳に在り。

終朝 紆りて颯沓たり,信宿 罷みて瀟灑【しょうしゃ】。

#4

堂下可以畦,呼童對經始。

この時こそは、表座敷の下の畦に沿って畝を作るべきである、それで、子供や下僕を呼んで、耕し始めたのである。

苣兮疏之常,隨事蓺其子。

萵苣菜は野菜の中でも平凡なもので、別段の工夫もいるわけではない、事のついでに種をまくだけでよいのである。

破塊數席間,荷鋤功易止。

そこから三、四枚の蓆を敷いたように間をあけて耕すために、鋤でもって土を細かくするのであり、鋤を荷って働けばこの仕事も直におわることになるというものだ。

兩旬不甲坼,空惜埋泥滓。

十日間という旬が二回りたっても種がはじけて芽が出るはずなのに出て来ない、空しく惜しくも泥かすの中に埋もれたままなのだ。

-#5

野莧迷汝來,宗生實於此。

此輩豈無秋,亦蒙寒露委。

翻然出地速,滋蔓庭毀。

因知邪干正,掩抑至沒齒。

#6

賢良雖得祿,守道不封己。

擁塞敗芝蘭,眾多盛荊杞。

中園陷蕭艾,老圃永為恥。

登于白玉盤,藉以如霞綺。

莧也無所施,胡顏入筐篚。

 

たり。

-#4

堂下以って畦す可し,童を呼びて對して經始す。

苣兮【きょ・や】は疏の常なり,事に隨って其の子を蓺【う】う。

塊を破る數席の間,荷鋤 功 止み易し。

兩旬 甲坼せず,空しく惜む 泥滓【でいし】に埋めらるるを。

-#5

野莧【やげん】汝來りて迷い,宗生すること 實に此にいてす。

此の輩 豈に秋無からんや,亦た寒露に委せ蒙らる。

翻然 地を出ずること速やかに,滋蔓 庭を毀【こぼ】つ。

因って知る邪 正を干【おか】す,掩抑【えんよく】沒齒に至る。

#6

賢良は祿を得ると雖も,道を守りて己を封ぜず。

擁塞【ようぞく】芝蘭を敗る,眾多 荊杞を盛んなればなり。

中園 蕭艾に陷いるは,老圃 永く恥と為す。

白玉の盤に登され,藉【し】くに如霞【じょか】の綺を以てするとき。

莧也【げんや】施す所無きに,胡【なん】の顏あってか 筐篚【きょうひ】に入る。

唐時代 地図山南 東・西道50 

《巻15-65 種萵苣 -3

『種萵苣 并序』 現代語訳と訳註解説

(本文) -#4

堂下可以畦,呼童對經始。

苣兮疏之常,隨事蓺其子。

破塊數席間,荷鋤功易止。

兩旬不甲坼,空惜埋泥滓。


(下し文) -#4

堂下以って畦す可し,童を呼びて對して經始す。

苣兮【きょ・や】は疏の常なり,事に隨って其の子を蓺【う】う。

塊を破る數席の間,荷鋤 功 止み易し。

兩旬 甲坼せず,空しく惜む 泥滓【でいし】に埋めらるるを。

(現代語訳)
この時こそは、表座敷の下の畦に沿って畝を作るべきである、それで、子供や下僕を呼んで、耕し始めたのである。

萵苣菜は野菜の中でも平凡なもので、別段の工夫もいるわけではない、事のついでに種をまくだけでよいのである。

そこから三、四枚の蓆を敷いたように間をあけて耕すために、鋤でもって土を細かくするのであり、鋤を荷って働けばこの仕事も直におわることになるというものだ。

十日間という旬が二回りたっても種がはじけて芽が出るはずなのに出て来ない、空しく惜しくも泥かすの中に埋もれたままなのだ。

夔州東川卜居図詳細 001

(訳注) -#4

種萵苣-#4

(萵苣菜と苦菜を種える詩 并びにその序文であるが、 萵苣菜の芽が出ない、不遇の境遇であって栄進しないのと似ていることを傷ましく思うと詠う)
萵苣 萵苣菜と苦菜。

杜甫が自分の住まいの前に席数枚分の小さな区画の畑を作り、二人の使用人の僮僕を呼びつけて、土起こしから開始し、チシャ作りの手順通りに種まきを終えた一部始終を知ることができる。

 

堂下可以畦,呼童對經始。

この時こそは、表座敷の下の畦に沿って畝を作るべきである、それで、子供や下僕を呼んで、耕し始めたのである。

呼童 夔州奉節で杜甫は長男の宗文に命じてげぼくをすうにんつかってのうぎょうをしている。詩に出てくる下僕たちの名前をあげると次のとおりである。

名前が出ず《1505_引水》「雲安沽水奴僕悲」雲安水を沽()いて 奴僕悲しむも

阿段:《1506_示獠奴阿段》(獠奴の阿段に示す。)

信行:《1529_信行遠修水筒》(信行が遠く水筒を修む。)

1902_豎至子》(豎子(ジュシ)至る)

1905園官送菜_》(園官が菜を送る)

課隸人伯夷・辛秀・信行等、 隷人(レイジン)の伯夷・辛秀・信行:《1907_課伐木》(伐木を課す)

遣女奴阿稽豎子阿段:《1915_秋行官張望督促東渚耗稻向畢清晨遣女奴阿稽豎子阿段往問》

獠奴、豎子、爾、小子、小奴・奴人(《1816_縛雞行》)

童児(《1919_驅豎子摘蒼耳》)、小豎など。

信行に対しては僕夫、汝、子、行など。

伯夷・辛秀・信行らに対して隷人、僮僕、人、爾曹。

阿稽に対しては女奴。阿段とともに併称して、婢僕。その他にも奴、童、童児などがある。

1816_縛鶏行》

1915_秋行官張望、督促東渚耗稲、向畢。清晨遣女奴阿稽豎子阿段往問》(秋に行官の張望、東渚の耗稲を督促し、畢るに向(なんなん)とす。清晨に女奴の阿稽と豎子の阿段を遣わして往きて問わしむ)

2031_暫往白帝復還東屯》・《2023_又呈呉郎》

對經始 杜甫に対面し、仕事に対応させ、作業を始めること。「経始」は『詩経』大雅「霊台」の「霊台を経始し、之を経し之を営す」にもとづく言葉で、初めて土木などを起こすことをいう。畑など何もなかったところに最初から耕して作ったので、こういう重々しい言葉を使っているのであろう。南宋の趙次公も「初め畦(はたけ)無くして而して始めて之を経営するを言う」

 

苣兮疏之常,隨事蓺其子。

萵苣菜は野菜の中でも平凡なもので、別段の工夫もいるわけではない、事のついでに種をまくだけでよいのである。

隨事 事のついでに。無理をしないで順番に行うこと。

蓺其子 其の子とは、種の事、種を植えて水撒きなどの面倒を見る。

 

破塊數席間,荷鋤功易止。

そこから三、四枚の蓆を敷いたように間をあけて耕すために、鋤でもって土を細かくするのであり、鋤を荷って働けばこの仕事も直におわることになるというものだ。

破塊 土の塊を粉砕して細やかにする。土をやわらかくし、酸素を十分に入れて焼くことをいう。

數席間 三、四枚の蓆を敷いたように間をあけて耕すことをいう。

荷鋤 鋤を荷って働くこと。

功易止 この仕事も直におわることになる。

 

兩旬不甲坼,空惜埋泥滓。

十日間という旬が二回りたっても種がはじけて芽が出るはずなのに出て来ない、空しく惜しくも泥かすの中に埋もれたままなのだ。

泥滓 泥かすの中にあること。
杜甫55歳756年作品 

766年大暦元年55歲-37-#3奉節-28-#3 《巻15-65 種萵苣 -#3》 杜甫index-15 杜甫<901-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5545

杜甫 奉節-28-3 《巻15-65 種萵苣 -3紅く白く輝いていた太陽は指図してこれを引き込ませてしまい、もやくやとした雲気の中に青い稲妻の光が起こりだした。

 

 
 2015年2月13日の紀頌之5つのブログ 
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 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    種萵苣【案:萵苣,江東名萵筍。】

詩序:   

種萵苣#1并序

(萵苣菜と苦菜を種える詩 并びにその序文)

既雨已秋,堂下理小畦,

既に秋の長雨が降り終って、もう秋になったので、表座敷の下の方の小さなあぜ道の横に畝を作って畑をたがやした。

隔種一兩席許萵苣,向二旬矣,而苣不甲坼。

蓆三枚ほどの広さに萵苣菜と苦菜を間隔をきちんと取って植えた。かれこれ二十日になろうとするが、萵苣のめがはじけてこない

獨野莧青青【伊人莧青青】,

その横には野生の莧だけが青々と茂っている。【ここには人の手にかかったヒョウ菜が青々としている。】

傷時君子或晚得微祿,轗軻不進,因作此詩。

これを見て自分は今時の君子が、晩年になって少し俸禄を得て、不遇の境遇であって栄進しないのと似ていることを傷ましく思ってこの詩を作ったのである。

(萵と苣を種う 并序)  -#1

既に雨あり 已に秋なり,堂の下に小畦を理め,一兩席 許【はか】り萵苣を隔種し,二旬に向う,而して苣 甲坼せず。

獨り野莧【やげん】青青たり【伊人莧青青】,傷む時の君子 或いは晚に微祿を得て,轗軻 進まざることを,因って此詩を作る。

 

 

種萵苣-#2

(萵苣菜と苦菜を種える詩 并びにその序文であるが、 萵苣菜の芽が出ない、不遇の境遇であって栄進しないのと似ていることを傷ましく思うと詠う)

陰陽一錯亂,驕蹇不復理。

陰陽の二気が錯乱して、その二気の伸び方と縮み方との具合が、天の筋道と違ってしまったのだ。

枯旱於其中,炎方慘如燬。

ここに至るまでの間、日照り続きで枯れ死することが起こり、このあたりにおいては灼熱の暑さの酷いことは悲惨なものであった。

植物半蹉跎,嘉生將已矣。

植物は半ばダメになり、他の穀物もまさになくなろうとしている。

雲雷欻奔命,師伯集所使。

そこへ雨の神、風の神が自分の使役するもの、すなわち雲と雷をかき集めて、雲雷はたちまちその命を受けた様に暴れたのである。

-#3

指麾赤白日,澒洞青光起。

紅く白く輝いていた太陽は指図してこれを引き込ませてしまい、も薬やとした雲気の中に青い稲妻の光が起こりだした。

雨聲先已風,散足盡西靡。

まず先に風が吹き出し、つづいて雨の音が続いたのである。散らばる雨脚は、吹き付けられてすっかり、西の方へとなびく。

山泉落滄江,霹靂猶在耳。

山からあふれ出す泉は大きな河が落す水のようであり、それでも稲妻の響きは鳴りやまず耳に聞こえてくる。

終朝紆颯沓,信宿罷瀟灑。

そして次の日の朝は午前中かぜがゆるく吹き廻り、二晩経つと雨はやんでさっぱりとしてしまった。

-#4

堂下可以畦,呼童對經始。

苣兮疏之常,隨事蓺其子。

破塊數席間,荷鋤功易止。

兩旬不甲坼,空惜埋泥滓。

-#5

野莧迷汝來,宗生實於此。

此輩豈無秋,亦蒙寒露委。

翻然出地速,滋蔓庭毀。

因知邪干正,掩抑至沒齒。

#6

賢良雖得祿,守道不封己。

擁塞敗芝蘭,眾多盛荊杞。

中園陷蕭艾,老圃永為恥。

登于白玉盤,藉以如霞綺。

莧也無所施,胡顏入筐篚。

 

(萵と苣を種う)-#2

陰陽 一たび錯亂して,驕蹇 復た理あらず。

枯旱 其の中に於てす,炎方 慘 燬くが如し。

植物 半ば蹉跎たり,嘉生 將に已まんとす。

雲雷 欻【たちま】ち命に奔り,師伯 所使を集む。

-#3

赤白の日を指麾し,澒洞 青光起る。

雨聲 先って風 已み,散足 盡く西靡す。

山泉 滄江に落ち,霹靂 猶お耳に在り。

終朝 紆りて颯沓たり,信宿 罷みて瀟灑【しょうしゃ】たり。

-#4

堂下以って畦す可し,童を呼びて對して經始す。

苣兮【きょ・や】は疏の常なり,事に隨って其の子を蓺【う】う。

塊を破る數席の間,荷鋤 功 止み易し。

兩旬 甲坼せず,空しく惜む 泥滓【でいし】に埋めらるるを。

-#5

野莧【やげん】汝來りて迷い,宗生すること 實に此にいてす。

此の輩 豈に秋無からんや,亦た寒露に委せ蒙らる。

翻然 地を出ずること速やかに,滋蔓 庭を毀【こぼ】つ。

因って知る邪 正を干【おか】す,掩抑【えんよく】沒齒に至る。

#6

賢良は祿を得ると雖も,道を守りて己を封ぜず。

擁塞【ようぞく】芝蘭を敗る,眾多 荊杞を盛んなればなり。

中園 蕭艾に陷いるは,老圃 永く恥と為す。

白玉の盤に登され,藉【し】くに如霞【じょか】の綺を以てするとき。

莧也【げんや】施す所無きに,胡【なん】の顏あってか 筐篚【きょうひ】に入る。

唐時代 地図山南 東・西道50 

《巻15-65 種萵苣 -3

『種萵苣 并序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
-#3

指麾赤白日,澒洞青光起。

雨聲先已風,散足盡西靡。

山泉落滄江,霹靂猶在耳。

終朝紆颯沓,信宿罷瀟灑。


(下し文) -#3

赤白の日を指麾し,洞 青光起る。

雨聲 先って風 已み,散足 盡く西靡す。

山泉 滄江に落ち,霹靂 猶お耳に在り。

終朝 紆りて颯沓たり,信宿 罷みて瀟灑【しょうしゃ】たり。

(現代語訳)
紅く白く輝いていた太陽は指図してこれを引き込ませてしまい、もやくやとした雲気の中に青い稲妻の光が起こりだした。

まず先に風が吹き出し、つづいて雨の音が続いたのである。散らばる雨脚は、吹き付けられてすっかり、西の方へとなびく。

山からあふれ出す泉は大きな河が落す水のようであり、それでも稲妻の響きは鳴りやまず耳に聞こえてくる。

そして次の日の朝は午前中、かぜがゆるく吹き廻り、二晩経つと雨はやんでさっぱりとしてしまった。


夔州東川卜居図詳細 001
(訳注)-#3

種萵苣-#3

(萵苣菜と苦菜を種える詩 并びにその序文であるが、 萵苣菜の芽が出ない、不遇の境遇であって栄進しないのと似ていることを傷ましく思うと詠う)

萵苣 萵苣菜と苦菜。

 

指麾赤白日,澒洞青光起。

紅く白く輝いていた太陽は指図してこれを引き込ませてしまい、も薬やとした雲気の中に青い稲妻の光が起こりだした。

赤白日 夏場の太陽の日色。

澒洞 雲気のもやくやとしたとした様子をいう。

青光起 稲光の色。

 

雨聲先已風,散足盡西靡。

まず先に風が吹き出し、つづいて雨の音が続いたのである。散らばる雨脚は、吹き付けられてすっかり、西の方へとなびく。

散足 雨が多く降り散らばりる雨足。

西靡 西へとなびく、東からの強風をいう。

 

山泉落滄江,霹靂猶在耳。

山からあふれ出す泉は大きな河が落す水のようであり、それでも稲妻の響きは鳴りやまず耳に聞こえてくる。

落滄江 滄江に流れる水の量がおちてくる洪水のような状態をいう。

霹靂 稲妻の音。

 

終朝紆颯沓,信宿罷瀟灑。

そして次の日の朝は午前中、かぜがゆるく吹き廻り、二晩経つと雨はやんでさっぱりとしてしまった。

終朝 朝の間中。朝早くから昼までの午前中。

紆颯沓 沓とした風が吹き抜ける事であるが、廻りながらゆるく吹き抜ける風をいう。

信宿 二泊したこと。信は再の意味である。

罷瀟灑 連日降り続いた雨が三日目に止んだ様子、うっとおしかった雨が、止んでさっぱりしたというほどの意。
杜甫55歳756年作品 

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杜甫 奉節-28-2 《巻15-65 種萵苣 -2(萵苣菜と苦菜を種える詩 并びにその序文であるが、 萵苣菜の芽が出ない、不遇の境遇であって栄進しないのと似ていることを傷ましく思うと詠う)

 

 
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年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    種萵苣【案:萵苣,江東名萵筍。】

詩序:   

 

種萵苣#1并序

(萵苣菜と苦菜を種える詩 并びにその序文)

既雨已秋,堂下理小畦,

既に秋の長雨が降り終って、もう秋になったので、表座敷の下の方の小さなあぜ道の横に畝を作って畑をたがやした。

隔種一兩席許萵苣,向二旬矣,而苣不甲坼。

蓆三枚ほどの広さに萵苣菜と苦菜を間隔をきちんと取って植えた。かれこれ二十日になろうとするが、萵苣のめがはじけてこない

獨野莧青青【伊人莧青青】,

その横には野生の莧だけが青々と茂っている。【ここには人の手にかかったヒョウ菜が青々としている。】

傷時君子或晚得微祿,轗軻不進,因作此詩。

これを見て自分は今時の君子が、晩年になって少し俸禄を得て、不遇の境遇であって栄進しないのと似ていることを傷ましく思ってこの詩を作ったのである。

(萵と苣を種う 并序)  -#1

既に雨あり 已に秋なり,堂の下に小畦を理め,一兩席 許【はか】り萵苣を隔種し,二旬に向う,而して苣 甲坼せず。

獨り野莧【やげん】青青たり【伊人莧青青】,傷む時の君子 或いは晚に微祿を得て,轗軻 進まざることを,因って此詩を作る。

 

 

種萵苣-#2

(萵苣菜と苦菜を種える詩 并びにその序文であるが、 萵苣菜の芽が出ない、不遇の境遇であって栄進しないのと似ていることを傷ましく思うと詠う)

陰陽一錯亂,驕蹇不復理。

陰陽の二気が錯乱して、その二気の伸び方と縮み方との具合が、天の筋道と違ってしまったのだ。

枯旱於其中,炎方慘如燬。

ここに至るまでの間、日照り続きで枯れ死することが起こり、このあたりにおいては灼熱の暑さの酷いことは悲惨なものであった。

植物半蹉跎,嘉生將已矣。

植物は半ばダメになり、他の穀物もまさになくなろうとしている。

雲雷欻奔命,師伯集所使。

そこへ雨の神、風の神が自分の使役するもの、すなわち雲と雷をかき集めて、雲雷はたちまちその命を受けた様に暴れたのである。

-#3

指麾赤白日,澒洞青光起。

雨聲先已風,散足盡西靡。

山泉落滄江,霹靂猶在耳。

終朝紆颯沓,信宿罷瀟灑。

-#4

堂下可以畦,呼童對經始。

苣兮疏之常,隨事蓺其子。

破塊數席間,荷鋤功易止。

兩旬不甲坼,空惜埋泥滓。

-#5

野莧迷汝來,宗生實於此。

此輩豈無秋,亦蒙寒露委。

翻然出地速,滋蔓庭毀。

因知邪干正,掩抑至沒齒。

#6

賢良雖得祿,守道不封己。

擁塞敗芝蘭,眾多盛荊杞。

中園陷蕭艾,老圃永為恥。

登于白玉盤,藉以如霞綺。

莧也無所施,胡顏入筐篚。

 

(萵と苣を種う)-#2

陰陽 一たび錯亂して,驕蹇 復た理あらず。

枯旱 其の中に於てす,炎方 慘 燬くが如し。

植物 半ば蹉跎たり,嘉生 將に已まんとす。

雲雷 欻【たちま】ち命に奔り,師伯 所使を集む。

-#3

赤白の日を指麾し,澒洞 青光起る。

雨聲 先って風 已み,散足 盡く西靡す。

山泉 滄江に落ち,霹靂 猶お耳に在り。

終朝 紆りて颯沓たり,信宿 罷みて瀟灑【しょうしゃ】たり。

-#4

堂下以って畦す可し,童を呼びて對して經始す。

苣兮【きょ・や】は疏の常なり,事に隨って其の子を蓺【う】う。

塊を破る數席の間,荷鋤 功 止み易し。

兩旬 甲坼せず,空しく惜む 泥滓【でいし】に埋めらるるを。

-#5

野莧【やげん】汝來りて迷い,宗生すること 實に此にいてす。

此の輩 豈に秋無からんや,亦た寒露に委せ蒙らる。

翻然 地を出ずること速やかに,滋蔓 庭を毀【こぼ】つ。

因って知る邪 正を干【おか】す,掩抑【えんよく】沒齒に至る。

#6

賢良は祿を得ると雖も,道を守りて己を封ぜず。

擁塞【ようぞく】芝蘭を敗る,眾多 荊杞を盛んなればなり。

中園 蕭艾に陷いるは,老圃 永く恥と為す。

白玉の盤に登され,藉【し】くに如霞【じょか】の綺を以てするとき。

莧也【げんや】施す所無きに,胡【なん】の顏あってか 筐篚【きょうひ】に入る。

夔州東川卜居図詳細 001 

 

『種萵苣 并序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

種萵苣-#2

陰陽一錯亂,驕蹇不復理。

枯旱於其中,炎方慘如燬。

植物半蹉跎,嘉生將已矣。

雲雷欻奔命,師伯集所使。


(下し文)
(萵と苣を種う)-#2

陰陽 一たび錯亂して,驕蹇 復た理あらず。

枯旱 其の中に於てす,炎方 慘 燬くが如し。

植物 半ば蹉跎たり,嘉生 將に已まんとす。

雲雷 【たちま】ち命に奔り,師伯 所使を集む

(現代語訳)
(萵苣菜と苦菜を種える詩 并びにその序文であるが、 萵苣菜の芽が出ない、不遇の境遇であって栄進しないのと似ていることを傷ましく思うと詠う)

陰陽の二気が錯乱して、その二気の伸び方と縮み方との具合が、天の筋道と違ってしまったのだ。

ここに至るまでの間、日照り続きで枯れ死することが起こり、このあたりにおいては灼熱の暑さの酷いことは悲惨なものであった。

植物は半ばダメになり、他の穀物もまさになくなろうとしている。

そこへ雨の神、風の神が自分の使役するもの、すなわち雲と雷をかき集めて、雲雷はたちまちその命を受けた様に暴れたのである。



(訳注)

種萵苣-#2

(萵苣菜と苦菜を種える詩 并びにその序文であるが、 萵苣菜の芽が出ない、不遇の境遇であって栄進しないのと似ていることを傷ましく思うと詠う)

萵苣 萵苣菜と苦菜。

 

 

陰陽一錯亂,驕蹇不復理。

陰陽の二気が錯乱して、その二気の伸び方と縮み方との具合が、天の筋道と違ってしまったのだ。

錯亂 ① 入り組んでめちゃめちゃになること。こんがらがること。 「事態を-させる」 意識が混濁し,思考に混乱をきたすこと。

驕蹇 驕はようきのたかぶりをいう、蹇は陰気の屈して伸びざるをいう。

不復理 常理に従わない。

 

枯旱於其中,炎方慘如燬。

ここに至るまでの間、日照り続きで枯れ死することが起こり、このあたりにおいては灼熱の暑さの酷いことは悲惨なものであった。

炎方 南方をいう。

慘如燬 焼かれるかのようで悲惨なことになる。

 

植物半蹉跎,嘉生將已矣。

植物は半ばダメになり、他の穀物もまさになくなろうとしている。

蹉跎 つまずいて時機を失すること。[形動タリ]時機を逸しているさま。不遇であるさま。

嘉生 善き穀類をいう。二気の乱れによって旱が生ずるをいう。

 

雲雷欻奔命,師伯集所使。

そこへ雨の神、風の神が自分の使役するもの、すなわち雲と雷をかき集めて、雲雷はたちまちその命を受けた様に暴れたのである。

奔命 師伯の命令によって奔走する。(この場合雲雷が暴れることを命令された)

師伯 雨の神、風の神。

集所使 所使は雲雷を指す。雲雷は、雨の神、風の神に使役されるものである。
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766年大暦元年55-36-1奉節-26-1 《巻15-65 種萵苣 -1 杜甫index-15 杜甫<898 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5510 杜甫詩1500-898-1273/2500766年大暦元年55-36-1

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    種萵苣【案:萵苣,江東名萵筍。】

詩序:   

 

種萵苣#1并序

(萵苣菜と苦菜を種える詩 并びにその序文)

既雨已秋,堂下理小畦,

既に秋の長雨が降り終って、もう秋になったので、表座敷の下の方の小さなあぜ道の横に畝を作って畑をたがやした。

隔種一兩席許萵苣,向二旬矣,而苣不甲坼。

蓆三枚ほどの広さに萵苣菜と苦菜を間隔をきちんと取って植えた。かれこれ二十日になろうとするが、萵苣のめがはじけてこない

獨野莧青青【伊人莧青青】,

その横には野生の莧だけが青々と茂っている。【ここには人の手にかかったヒョウ菜が青々としている。】

傷時君子或晚得微祿,轗軻不進,因作此詩。

これを見て自分は今時の君子が、晩年になって少し俸禄を得て、不遇の境遇であって栄進しないのと似ていることを傷ましく思ってこの詩を作ったのである。

(萵と苣を種う 并序)  -#1

既に雨あり 已に秋なり,堂の下に小畦を理め,一兩席 許【はか】り萵苣を隔種し,二旬に向う,而して苣 甲坼せず。

獨り野莧【やげん】青青たり【伊人莧青青】,傷む時の君子 或いは晚に微祿を得て,轗軻 進まざることを,因って此詩を作る。

 

種萵苣-#2

陰陽一錯亂,驕蹇不復理。

枯旱於其中,炎方慘如燬。

植物半蹉跎,嘉生將已矣。

雲雷欻奔命,師伯集所使。

-#3

指麾赤白日,澒洞青光起。

雨聲先已風,散足盡西靡。

山泉落滄江,霹靂猶在耳。

終朝紆颯沓,信宿罷瀟灑。

-#4

堂下可以畦,呼童對經始。

苣兮疏之常,隨事蓺其子。

破塊數席間,荷鋤功易止。

兩旬不甲坼,空惜埋泥滓。

-#5

野莧迷汝來,宗生實於此。

此輩豈無秋,亦蒙寒露委。

翻然出地速,滋蔓庭毀。

因知邪干正,掩抑至沒齒。

#6

賢良雖得祿,守道不封己。

擁塞敗芝蘭,眾多盛荊杞。

中園陷蕭艾,老圃永為恥。

登于白玉盤,藉以如霞綺。

莧也無所施,胡顏入筐篚。

(萵と苣を種う)-#2

陰陽 一たび錯亂して,驕蹇 復た理あらず。

枯旱 其の中に於てす,炎方 慘 燬くが如し。

植物 半ば蹉跎たり,嘉生 將に已まんとす。

雲雷 欻【たちま】ち命に奔り,師伯 所使を集む。

-#3

赤白の日を指麾し,澒洞 青光起る。

雨聲 先って風 已み,散足 盡く西靡す。

山泉 滄江に落ち,霹靂 猶お耳に在り。

終朝 紆りて颯沓たり,信宿 罷みて瀟灑【しょうしゃ】たり。

-#4

堂下以って畦す可し,童を呼びて對して經始す。

苣兮【きょ・や】は疏の常なり,事に隨って其の子を蓺【う】う。

塊を破る數席の間,荷鋤 功 止み易し。

兩旬 甲坼せず,空しく惜む 泥滓【でいし】に埋めらるるを。

-#5

野莧【やげん】汝來りて迷い,宗生すること 實に此にいてす。

此の輩 豈に秋無からんや,亦た寒露に委せ蒙らる。

翻然 地を出ずること速やかに,滋蔓 庭を毀【こぼ】つ。

因って知る邪 正を干【おか】す,掩抑【えんよく】沒齒に至る。

#6

賢良は祿を得ると雖も,道を守りて己を封ぜず。

擁塞【ようぞく】芝蘭を敗る,眾多 荊杞を盛んなればなり。

中園 蕭艾に陷いるは,老圃 永く恥と為す。

白玉の盤に登され,藉【し】くに如霞【じょか】の綺を以てするとき。

莧也【げんや】施す所無きに,胡【なん】の顏あってか 筐篚【きょうひ】に入る。 

詩文(含異文)

陰陽一錯亂【陰陽一屯亂】,驕蹇不復理。

枯旱於其中,炎方慘如燬。

植物半蹉跎,嘉生將已矣。

雲雷欻奔命,師伯集所使。

指麾赤白日,澒洞青光起【澒洞雲色起】。

雨聲先已風【雨聲先以風】,散足盡西靡。

山泉落滄江,霹靂猶在耳。

終朝紆颯沓,信宿罷瀟灑。

堂下可以畦,呼童對經始。

苣兮疏之常,隨事蓺其子。

破塊數席間,荷鋤功易止。

兩旬不甲坼,空惜埋泥滓。

野莧迷汝來,宗生【案:〈都賦〉:「宗生高岡。」】實於此。

此輩豈無秋,亦蒙寒露委。

翻然出地速,滋蔓庭毀。

因知邪干正,掩抑至沒齒。

賢良雖得祿,守道不封己。

擁塞敗芝蘭,眾多盛荊杞。

中園陷蕭艾,老圃永為恥。

登于白玉盤,藉以如霞綺。

莧也無所施,胡顏入筐篚。

夔州東川卜居図詳細 001 

 

『種萵苣 并序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

種萵苣#1并序

既雨已秋,堂下理小畦,

隔種一兩席許萵苣,

向二旬矣,而苣不甲坼。

獨野莧青青【伊人莧青青】,

傷時君子或晚得微祿,轗軻不進,因作此詩。



(下し文)

(萵と苣を種う 并序)  -#1

既に雨あり 已に秋なり,堂の下に小畦を理め,一兩席 許【はか】り萵苣を隔種し,二旬に向う,而して苣 甲坼せず。

獨り野莧【やげん】青青たり【伊人莧青青】,傷む時の君子 或いは晚に微祿を得て,轗軻 進まざることを,因って此詩を作る。


(現代語訳)
(萵苣菜と苦菜を種える詩 并びにその序文)

既に秋の長雨が降り終って、もう秋になったので、表座敷の下の方の小さなあぜ道の横に畝を作って畑をたがやした。

蓆三枚ほどの広さに萵苣菜と苦菜を間隔をきちんと取って植えた。かれこれ二十日になろうとするが、萵苣のめがはじけてこない

その横には野生の莧だけが青々と茂っている。【ここには人の手にかかったヒョウ菜が青々としている。】

これを見て自分は今時の君子が、晩年になって少し俸禄を得て、不遇の境遇であって栄進しないのと似ていることを傷ましく思ってこの詩を作ったのである。


(訳注)

種萵苣 并序#1

(萵苣菜と苦菜を種える詩 并びにその序文)

萵苣 萵苣菜と苦菜。

 

既雨已秋,堂下理小畦,

既に秋の長雨が降り終って、もう秋になったので、表座敷の下の方の小さなあぜ道の横に畝を作って畑をたがやした。

既雨已秋 以下のとおり、《雨》が降ったこと詩に著した。

766年大暦元年55-31-1奉節-21-#1《巻15-47 -#1》 杜甫

766年大暦元年55-31-2奉節-22 -#2 《巻15-47 -#2》 杜甫

766年大暦元年55-32奉節-23 《巻15-48 雨 -#1 杜甫

766年大暦元年55-33奉節-23 《巻15-48 雨 -#2 杜甫

766年大暦元年55-33奉節-24 《巻15-49 雨,二首之一》 杜甫

766年大暦元年55-34-#1奉節-25 -#1 《巻15-50 雨,二首之二 -#1 杜甫

766年大暦元年55-34-#2奉節-25 -#2 《巻15-50 雨,二首之二 -#2 杜甫

理小畦 小さなあぜ道の横に畝を作って畑をたがやした。

 

隔種一兩席許萵苣,向二旬矣,而苣不甲坼。

蓆三枚ほどの広さに萵苣菜と苦菜を間隔をきちんと取って植えた。かれこれ二十日になろうとするが、萵苣のめがはじけてこない

隔種一兩席 蓆三枚程度の畑に間隔を取って植える。

二旬 旬は十日であるから二十日間。

甲坼 芽生え、はじけること。

 

獨野莧青青【伊人莧青青】,

その横には野生の莧だけが青々と茂っている。【ここには人の手にかかったヒョウ菜が青々としている。】

 野生の莧。ヒユ科の一年草。高さ約1メートル。葉はやや菱形で互生し、緑・紅・暗紫色のものなどがある。夏から秋、緑色の小花を密につける。葉は食用になる。インドの原産。ひょう。ひょうな。

 

傷時君子或晚得微祿,轗軻不進,因作此詩。

これを見て自分は今時の君子が、晩年になって少し俸禄を得て、不遇の境遇であって栄進しないのと似ていることを傷ましく思ってこの詩を作ったのである。

時君子 この時の仁徳のある人。杜甫、自分のこと。

晚得微祿 晩年になって少し俸禄をえること。

轗軻不進 不遇の境遇であって栄進しないのと似ていること。杜甫55歳756年作品

767年大曆二年56歲奉節-27 《巻15-60 雨》 杜甫index-15 杜甫<900> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5530

杜甫《巻15-60 雨》(雨が止んで喜ばしいと思っていたら、雨が搔き曇り、牛や馬が歩いていてもその色がわからないほど急に激しく降り出したことを詠う。)

 
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767年大曆二年56奉節-27 《巻15-60 雨》 杜甫index-15 杜甫<900> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5530

 

杜甫詩1500-900-1277/2500767年大曆二年56

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

杜少陵集

詩題

記事

 

 


ID

初句

作時

 

 

15

47


峽雲行清曉

766

 

 

15

48


行雲遞崇高

766

 

 

15

49

雨二首之一

青山澹無姿,

766

 

 

15

50

雨二首之二

空山中宵陰,

766

 

 

15

55


萬木雲深隱

767

 

 

15

60


始賀天休雨,

767

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年:       767年大曆二年56

卷別:    卷二三○              文體:    五言律詩

詩題:    雨 (始賀天休雨)

 

《巻15-60 雨》(始賀天休雨)


(雨が止んで喜ばしいと思っていたら、雨が搔き曇り、牛や馬が歩いていてもその色がわからないほど急に激しく降り出したことを詠う。)

始賀天休雨,還嗟地出雷。

やっと雨が止んで喜ばしいと思っていたら、また、地鳴りのように雷が出て來るとは実になげかわしい。

驟看浮峽過,密作渡江來。

今度の雨がいかににわかにやって来たか、それがこの峡谷に浮んで過ぎ行くのをみればわかる。またこの雨は、如何にそれが密集して大江をわたってくるようすをも速かったのだ。

牛馬行無色,蛟龍鬥不開。

この雨が搔き曇らしていると、牛や馬が歩いていてもその色がわからぬほどであり、蛟龍に至っては戦いをしていてもつれ合うのをほどくことはしないのだ。

干戈盛陰氣,未必自陽臺。

人が干戈を動かして兵乱になっているときも、陰氣が盛んになり,雨を呼ぶものであり、必ずしも、雨は露臺から起こるというだけではないということなのだ。

(雨)

始めて賀す 天の雨を休むを,還た嗟く 地 雷を出すを。

驟【にわか】なるは 峽に浮びて過るを看て,密なるは渡江をりて來る作す。

牛馬 行くも色無し,蛟龍 鬥いて開けず。

干戈には陰氣盛なり,未だ必ずしも陽臺よりせず。

夔州東川卜居図詳細 001 

 

《巻15-60 雨》(始賀天休雨)

『雨』 現代語訳と訳註解説
(
本文)


始賀天休雨,還嗟地出雷。

驟看浮峽過,密作渡江來。

牛馬行無色,蛟龍鬥不開。

干戈盛陰氣,未必自陽臺。

(含異文)

始賀天休雨,還嗟地出雷。

驟看浮峽過【驟看巫峽過】,密作渡江來【塞密渡江來】。

牛馬行無色,蛟龍鬥不開。

干戈盛陰氣,未必自陽臺。


(下し文)
(雨)

始めて賀す 天の雨を休むを,還た嗟く 地 雷を出すを。

驟【にわか】なるは 峽に浮びて過るを看て,密なるは渡江をりて來る作す。

牛馬 行くも色無し,蛟龍 鬥いて開けず。

干戈には陰氣盛なり,未だ必ずしも陽臺よりせず。

(現代語訳)
(雨が止んで喜ばしいと思っていたら、雨が搔き曇り、牛や馬が歩いていてもその色がわからないほど急に激しく降り出したことを詠う。)

やっと雨が止んで喜ばしいと思っていたら、また、地鳴りのように雷が出て來るとは実になげかわしい。

今度の雨がいかににわかにやって来たか、それがこの峡谷に浮んで過ぎ行くのをみればわかる。またこの雨は、如何にそれが密集して大江をわたってくるようすをも速かったのだ。

この雨が搔き曇らしていると、牛や馬が歩いていてもその色がわからぬほどであり、蛟龍に至っては戦いをしていてもつれ合うのをほどくことはしないのだ。

人が干戈を動かして兵乱になっているときも、陰氣が盛んになり,雨を呼ぶものであり、必ずしも、雨は露臺から起こるというだけではないということなのだ。


(訳注)


(雨が止んで喜ばしいと思っていたら、雨が搔き曇り、牛や馬が歩いていてもその色がわからないほど急に激しく降り出したことを詠う。)

 

始賀天休雨,還嗟地出雷。

やっと雨が止んで喜ばしいと思っていたら、また、地鳴りのように雷が出て來るとは実になげかわしい。

 

驟看浮峽過,密作渡江來。

今度の雨がいかににわかにやって来たか、それがこの峡谷に浮んで過ぎ行くのをみればわかる。またこの雨は、如何にそれが密集して大江をわたってくるようすをも速かったのだ。

この二句は、雨雲の急激な動きを示すもので、これまでにない凄さをいう。

 

牛馬行無色,蛟龍鬥不開。

この雨が搔き曇らしていると、牛や馬が歩いていてもその色がわからぬほどであり、蛟龍に至っては戦いをしていてもつれ合うのをほどくことはしないのだ。

蛟龍 川の水が大荒れになるのは、淵の奥底にいる蛟龍が闘って大暴れすることでおこるものとされていた。

 

干戈盛陰氣,未必自陽臺。

人が干戈を動かして兵乱になっているときも、陰氣が盛んになり,雨を呼ぶものであり、必ずしも、雨は露臺から起こるというだけではないということなのだ。

陽臺 露臺ともいう露臺,又稱陽臺、陰臺,厚い雲が天を大廈のように多い尽くした状態をいう。
杜甫55歳756年作品 

767年大暦二年56歲-35奉節-26 《巻15-55 雨》 杜甫index-15 杜甫<899> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5520

杜甫《巻15-55 雨》鮫人の棲む水底の館も機織りのように雨音がしている、樵舟もよもや小枝を切りにはゆかれないだろう。この雨で清々しさと涼しさがすっかりひどい暑さを打ち破ったから、老衰の心を持ちながら高い台にでも登って辺りを眺めようと思うのだ。

 
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767年大暦二年56歲-35奉節-26 《巻15-55 雨》 杜甫index-15 杜甫<899> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5520

杜甫詩1500-899-1275/2500767年大暦二年56歲-35

 

 

 

 

 

 

 

 

 

杜少陵集

詩題

記事

 

 


ID

初句

作時

 

 

15

47


峽雲行清曉

766

 

 

15

48


行雲遞崇高

766

 

 

15

49

雨二首之一

青山澹無姿,

766

 

 

15

50

雨二首之二

空山中宵陰,

766

 

 

15

55


萬木雲深隱

767

 

 

15

60


始賀天休雨,

767

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年:767年大曆二年56

卷別:    卷二三○              文體:    五言律詩

詩題:   

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

 

 

《巻15-55 雨》-萬木雲深隱


(初秋に降る雨についてのべる)

萬木雲深隱,連山雨未開。

多くの立木が雲の中に深く隠れ、連なる山々には雨が降り続け、いまだ閉ざされている。

風扉掩不定,水鳥過仍迴。

風にあおられて扉がバタバタとして手で押さえて閉ざしても動かされてしまう、一度通り過ぎた水鳥も、再び戻ってくる。

鮫館如鳴杼,樵舟豈伐枚。

鮫人の棲む水底の館も機織りのように雨音がしている、樵舟もよもや小枝を切りにはゆかれないだろう。

清涼破炎毒,衰意欲登臺。

この雨で清々しさと涼しさがすっかりひどい暑さを打ち破ったから、老衰の心を持ちながら高い台にでも登って辺りを眺めようと思うのだ。

 

()

萬木 雲深く隱れ,連山 雨未だ開けず。

風扉 掩へども定まらず,水鳥 過ぎて仍お迴る。

鮫館 鳴杼をらすが如し,樵舟 豈に枚を伐らんや。

清涼 炎毒を破り,衰意 臺に登らんと欲っす。

夔州東川卜居図詳細 001 

 

《巻15-55 雨》-萬木雲深隱

『雨』 現代語訳と訳註解説
(
本文)


萬木雲深隱,連山雨未開。

風扉掩不定,水鳥過仍迴。

鮫館如鳴杼,樵舟豈伐枚。

清涼破炎毒,衰意欲登臺。


(含異文)

萬木雲深隱,連山雨未開。風扉掩不定,水鳥過仍迴【水鳥去仍迴】。鮫館如鳴杼,樵舟豈伐枚。清涼破炎毒,衰意欲登臺。


(下し文)
()

萬木 雲深く隱れ,連山 雨未だ開けず。

風扉 掩へども定まらず,水鳥 過ぎて仍お迴る。

鮫館 鳴杼をらすが如し,樵舟 豈に枚を伐らんや。

清涼 炎毒を破り,衰意 臺に登らんと欲っす。

(現代語訳)
(初秋に降る雨についてのべる)

多くの立木が雲の中に深く隠れ、連なる山々には雨が降り続け、いまだ閉ざされている。

風にあおられて扉がバタバタとして手で押さえて閉ざしても動かされてしまう、一度通り過ぎた水鳥も、再び戻ってくる。

鮫人の棲む水底の館も機織りのように雨音がしている、樵舟もよもや小枝を切りにはゆかれないだろう。

この雨で清々しさと涼しさがすっかりひどい暑さを打ち破ったから、老衰の心を持ちながら高い台にでも登って辺りを眺めようと思うのだ。



(訳注) 《巻15-55 雨》-萬木雲深隱


(初秋に降る雨についてのべる)

 

萬木雲深隱,連山雨未開。

多くの立木が雲の中に深く隠れ、連なる山々には雨が降り続け、いまだ閉ざされている。

 

風扉掩不定,水鳥過仍迴。

風にあおられて扉がバタバタとして手で押さえて閉ざしても動かされてしまう、一度通り過ぎた水鳥も、再び戻ってくる。

 

鮫館如鳴杼,樵舟豈伐枚。

鮫人の棲む水底の館も機織りのように雨音がしている、樵舟もよもや小枝を切りにはゆかれないだろう。

鮫館 鮫人の棲む水底の館。南海にすむという、人魚に似た想像上の生き物。常に機(はた)を織り、しばしば泣き、その涙が落ちて玉になるという。

如鳴杼 杼は機織りの音。

伐枚 枚は幹から出る小枝。小枝おとし、薪を斬る。

 

清涼破炎毒,衰意欲登臺。

この雨で清々しさと涼しさがすっかりひどい暑さを打ち破ったから、老衰の心を持ちながら高い台にでも登って辺りを眺めようと思うのだ。
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杜少陵集

詩題

記事

 

 


ID

初句

作時

 

 

15

47


峽雲行清曉

766

 

 

15

48


行雲遞崇高

766

 

 

15

49

雨二首之一

青山澹無姿,

766

 

 

15

50

雨二首之二

空山中宵陰,

766

 

 

15

55


萬木雲深隱

767

 

 

15

60


始賀天休雨,

767

 

 

 

 

 

 

 

 

  

1549 雨,二首之一

(強い雨が降り続いて、足止めをされた旅の者が風雨が止んで曇り空、時折小雨が降る程度で船出していったのを詠う。)

青山澹無姿,白露誰能數。

遠くかすむ山々がさらに霧雨でぼんやりとして姿が見えない。枝や葉っぱに雨の雫がのこるが、それは誰も数えきれるものではない。足止めされていた客を送る人が多く涙を流す人も多く何人いるのか此れも数えられない。

片片水上雲,蕭蕭沙中雨。

空の雨雲も薄くなって水の上には、行く雲が片片とうごくけれど、渡し場付近の砂浜にはさらさらと霧雨が降っている。

殊俗狀巢居,曾臺俯風渚。

ここ南の異文化風俗は変わっていて、木の上に巣を作るような住居があり、見下ろして生活しているが、私の住居も高台にあり、これらの風俗や、渚の出来事も上から見下ろしているのである。

佳客適萬里,沈思情延佇。

足止めを食らっていたこの地にとって良い旅人達が、瞿塘峡・三峡を下って万里の先に往こうとしているし、別れを惜しんで深く沈みこみ別れの情に耐え切れずじっと立ち止まって眺めている。

挂帆遠色外,驚浪滿楚。

暫くすると帆を高く掲げた船は、遠くの山影の向うに姿を消してゆく。呉楚に往くまでには、三峡の驚くほどの波が嫌というほどたくさんあるのである。

久陰蛟螭出,寇盜復幾許。

日が陰った状態が長く続いているから、水の淵の深い所に蛟龍が出てきて船が転覆するかもしれないし、海賊や山賊、戦の残党兵などがどれほどいるかもしれないけれど、水の流れが速いので、怖いのはそれほど長く続くものではない。

 

1549(雨,二首の一)

青山 澹として姿無く,白露 誰か能く數えん。

片片たり 水上の雲,蕭蕭たり 沙中の雨。

殊俗なり 巢居に狀たるを,曾臺より 風渚を俯す。

佳客 萬里に適き,沈思して 情延に佇す。

帆を挂いて遠色の外,浪に驚いて 楚に滿つ。

久しく陰り 蛟螭出づ,寇盜 復た幾許【いくばく】ぞ。

 

年:766年大暦元年55

卷別:  卷二二一        文體:  五言古詩

詩題:  雨,二首之二

作地點:        夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:        荊州 (山南東道 荊州 荊州) 別名:郢門     

璧山縣 (山南東道 荊州 荊州)      

 

 

雨,二首之二

(雨中というのに征伐をあわれみ、留滞をなげくこころをのべたもの。)

空山中宵陰,微冷先枕席。

さびしい山が夜なかには曇って、吾が枕席が先づすこしの冷さを感じるようになった。

迴風起清曙,萬象萋已碧。

あかつきにはつむじ風が吹きおこってよろずの物象が碧の色を見せるに至った。

落落出岫雲,渾渾倚天石。

しかし、あな山からでる雲は高く羣をぬいて湧き、天に倚ってそびえている石はごろごろと大きく頭上を圧している。

日假何道行,雨含長江白。

太陽はどこの道をあるいて姿をあらわさないのか、雨気は長江をつつんで白くよこたわっている。

連檣荊州船,有士荷矛戟。

このとき帆柱をつらねて荊州の方へ船がゆく、それには矛戟を荷なった士卒がのっている。

 

南防草鎮慘,霑赴遠役。

彼等は南の方、賊達に襲われたあちこちの草鎮の惨事を防ぐために雨にぬれながら遠方の行役におもむくのである。

群盜下璧山,總戎備強敵。

また他方には辟山の方、夔州から群盗がおちてくるというので、菱州の都督府の官がこの強敵に備えんとしている。

水深雲光廓,鳴櫓各有適。

それで深き水に雲のあいだから光が開きそそがれると、それぞれの場所から上流に向い、下流に向つてもそれぞれ櫓音をさせ進んでゆく。

漁艇息悠悠,夷歌負樵客。

いま漁舟をみると暢気そうにういている、又焚き木を取るおとこたちは異民族のの歌をうたいながらかえってくる。

留滯一老翁,書時記朝夕。

これに対してこの長逗留の老人である自分は時事の傷ましさにたえずそのことを書き留めて、朝から夕にいたるありさまを記すのである。

 

(雨,二首の二)

空山 中宵に陰り,微冷なる先づ枕席なり。

迴風 清曙に起り,萬象 萋として已に碧なり。

落落たり出岫【しゅつしゅう】の雲,渾渾たり 倚天の石。

日 何れの道を假りて行くや,雨 長江に含みて白し。

連檣 荊州の船,士有り矛戟【かげき】を荷なう。

 

南のかた草鎮の慘なるを防ぎ,霑【てんしゅう】して遠役に赴く。

群盜 璧山より下り,總戎 強敵に備う。

水深くして 雲光廓なり,鳴櫓 各の適くこと有り。

漁艇 息みて悠悠たり,夷歌 負樵の客。

留滯す 一老翁,時を書して朝夕を記す。

 

夔州東川卜居図詳細 001 

『雨,二首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

南防草鎮慘,霑赴遠役。

群盜下璧山,總戎備強敵。

水深雲光廓,鳴櫓各有適。

漁艇息悠悠,夷歌負樵客。

留滯一老翁,書時記朝夕。


(下し文)
南のかた草鎮の慘なるを防ぎ,霑【てんしゅう】して遠役に赴く。

群盜 璧山より下り,總戎 強敵に備う。

水深くして 雲光廓なり,鳴櫓 各の適くこと有り。

漁艇 息みて悠悠たり,夷歌 負樵の客。

留滯す 一老翁,時を書して朝夕を記す。

(現代語訳)
彼等は南の方、賊達に襲われたあちこちの草鎮の惨事を防ぐために雨にぬれながら遠方の行役におもむくのである。

また他方には辟山の方、夔州から群盗がおちてくるというので、菱州の都督府の官がこの強敵に備えんとしている。

それで深き水に雲のあいだから光が開きそそがれると、それぞれの場所から上流に向い、下流に向つてもそれぞれ櫓音をさせ進んでゆく。

いま漁舟をみると暢気そうにういている、又焚き木を取るおとこたちは異民族のの歌をうたいながらかえってくる。

これに対してこの長逗留の老人である自分は時事の傷ましさにたえずそのことを書き留めて、朝から夕にいたるありさまを記すのである。



(訳注)

雨,二首之二

(強い雨が降り続いて、足止めをされた旅の者が風雨が止んで曇り空、時折小雨が降る程度で船出していったのを詠う。)

 

南防草鎮慘,霑赴遠役。

彼等は南の方、賊達に襲われたあちこちの草鎮の惨事を防ぐために雨にぬれながら遠方の行役におもむくのである。

南防 南は、荊州の事で南蛮からの侵略を防ぐ。

草鎮慘 特定された場所ではなく、南蛮から、盗賊海賊の被害が多く悲惨であることをいう。

遠役 水駅を守るため遠方まで、防寇すること。

 

群盜下璧山,總戎備強敵。

また他方には辟山の方、夔州から群盗がおちてくるというので、菱州の都督府の官がこの強敵に備えんとしている。

璧山 夔州府璧山県で、夔州の三峡より上流を示す。

總戎 菱州の都督府をいう。

備強敵 菱州における賊をいう。

 

水深雲光廓,鳴櫓各有適。

それで深き水に雲のあいだから光が開きそそがれると、それぞれの場所から上流に向い、下流に向つてもそれぞれ櫓音をさせ進んでゆく。

雲光廓 雲間から日光が差し込むことで、廓は多くく開くこと。

鳴櫓 船の櫓が鳴り、楫を切って櫓が鳴るのが大きくなったことをいう。

各有適 小雨の中舟が進んでゆくこと。

 

漁艇息悠悠,夷歌負樵客。

いま漁舟をみると暢気そうにういている、又焚き木を取るおとこたちは異民族のの歌をうたいながらかえってくる。

夷歌 異国人の歌。

負樵客 薪を荷う男。山に入った隠遁者。

 

留滯一老翁,書時記朝夕。

これに対してこの長逗留の老人である自分は時事の傷ましさにたえずそのことを書き留めて、朝から夕にいたるありさまを記すのである。

留滯 長い間逗留すること。

老翁 杜甫自身を指す。

書時記 時事の事を書き記す。

朝夕 朝は船が出港していくことを示し、夕は引き続き滞留する魚艇、樵客らのことをいう意、杜甫自身が当地に逗留していることを示す。
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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766年大暦元年55-34-1奉節-25 -#1 《巻15-50 雨,二首之二 -#1》 杜甫index-15 杜甫<898-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5510
杜甫詩1500-898-1-1273/2500766年大暦元年55
-34-1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

杜少陵集

詩題

記事

 

 


ID

初句

作時

 

 

15

47


峽雲行清曉

766

 

 

15

48


行雲遞崇高

766

 

 

15

49

雨二首之一

青山澹無姿,

766

 

 

15

50

雨二首之二

空山中宵陰,

766

 

 

15

55


萬木雲深隱

767

 

 

15

60


始賀天休雨,

767

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

1549 雨,二首之一

(強い雨が降り続いて、足止めをされた旅の者が風雨が止んで曇り空、時折小雨が降る程度で船出していったのを詠う。)

青山澹無姿,白露誰能數。

遠くかすむ山々がさらに霧雨でぼんやりとして姿が見えない。枝や葉っぱに雨の雫がのこるが、それは誰も数えきれるものではない。足止めされていた客を送る人が多く涙を流す人も多く何人いるのか此れも数えられない。

片片水上雲,蕭蕭沙中雨。

空の雨雲も薄くなって水の上には、行く雲が片片とうごくけれど、渡し場付近の砂浜にはさらさらと霧雨が降っている。

殊俗狀巢居,曾臺俯風渚。

ここ南の異文化風俗は変わっていて、木の上に巣を作るような住居があり、見下ろして生活しているが、私の住居も高台にあり、これらの風俗や、渚の出来事も上から見下ろしているのである。

佳客適萬里,沈思情延佇。

足止めを食らっていたこの地にとって良い旅人達が、瞿塘峡・三峡を下って万里の先に往こうとしているし、別れを惜しんで深く沈みこみ別れの情に耐え切れずじっと立ち止まって眺めている。

挂帆遠色外,驚浪滿楚。

暫くすると帆を高く掲げた船は、遠くの山影の向うに姿を消してゆく。呉楚に往くまでには、三峡の驚くほどの波が嫌というほどたくさんあるのである。

久陰蛟螭出,寇盜復幾許。

日が陰った状態が長く続いているから、水の淵の深い所に蛟龍が出てきて船が転覆するかもしれないし、海賊や山賊、戦の残党兵などがどれほどいるかもしれないけれど、水の流れが速いので、怖いのはそれほど長く続くものではない。

 

1549(雨,二首の一)

青山 澹として姿無く,白露 誰か能く數えん。

片片たり 水上の雲,蕭蕭たり 沙中の雨。

殊俗なり 巢居に狀たるを,曾臺より 風渚を俯す。

佳客 萬里に適き,沈思して 情延に佇す。

帆を挂いて遠色の外,浪に驚いて 楚に滿つ。

久しく陰り 蛟螭出づ,寇盜 復た幾許【いくばく】ぞ。

夔州東川卜居図詳細 001 

年:766年大暦元年55

卷別:  卷二二一        文體:  五言古詩

詩題:  雨,二首之二

作地點:        夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:        荊州 (山南東道 荊州 荊州) 別名:郢門     

璧山縣 (山南東道 荊州 荊州)      

 

 

雨,二首之二

(雨中というのに征伐をあわれみ、留滞をなげくこころをのべたもの。)

空山中宵陰,微冷先枕席。

さびしい山が夜なかには曇って、吾が枕席が先づすこしの冷さを感じるようになった。

迴風起清曙,萬象萋已碧。

あかつきにはつむじ風が吹きおこってよろずの物象が碧の色を見せるに至った。

落落出岫雲,渾渾倚天石。

しかし、あな山からでる雲は高く羣をぬいて湧き、天に倚ってそびえている石はごろごろと大きく頭上を圧している。

日假何道行,雨含長江白。

太陽はどこの道をあるいて姿をあらわさないのか、雨気は長江をつつんで白くよこたわっている。

連檣荊州船,有士荷矛戟。

このとき帆柱をつらねて荊州の方へ船がゆく、それには矛戟を荷なった士卒がのっている。

 

南防草鎮慘,霑赴遠役。

群盜下璧山,總戎備強敵。

水深雲光廓,鳴櫓各有適。

漁艇息悠悠,夷歌負樵客。

留滯一老翁,書時記朝夕。

雨,二首之二

空山 中宵に陰り,微冷なる先づ枕席なり。

迴風 清曙に起り,萬象 萋として已に碧なり。

落落たり出岫【しゅつしゅう】の雲,渾渾たり 倚天の石。

日 何れの道を假りて行くや,雨 長江に含みて白し。

連檣 荊州の船,士有り矛戟【かげき】を荷なう。

 

南のかた草鎮の慘なるを防ぎ,霑【てんしゅう】して遠役に赴く。

群盜 璧山より下り,總戎 強敵に備う。

水深くして 雲光廓なり,鳴櫓 各の適くこと有り。

漁艇 息みて悠悠たり,夷歌 負樵の客。

留滯す 一老翁,時を書して朝夕を記す。

 

詩文(含異文)  空山中宵陰,微冷先枕席。迴風起清曙【迴風起清曉】,萬象萋已碧。落落出岫雲,渾渾倚天石。日假何道行,雨含長江白。連檣荊州船,有士荷矛戟。南防草鎮慘,霑赴遠役。群盜下璧山,總戎備強敵。水深雲光廓,鳴櫓各有適。漁艇息悠悠【漁艇自悠悠】,夷歌負樵客。留滯一老翁,書時記朝夕。

 

唐時代 地図山南 東・西道50 

『雨,二首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

雨,二首之二

空山中宵陰,微冷先枕席。

迴風起清曙,萬象萋已碧。

落落出岫雲,渾渾倚天石。

日假何道行,雨含長江白。

連檣荊州船,有士荷矛戟。


(下し文)
(雨,二首の二)

空山 中宵に陰り,微冷なる先づ枕席なり。

迴風 清曙に起り,萬象 萋として已に碧なり。

落落たり出岫【しゅつしゅう】の雲,渾渾たり 倚天の石。

日 何れの道を假りて行くや,雨 長江に含みて白し。

連檣 荊州の船,士有り矛戟【かげき】を荷なう。

(現代語訳)
(雨中というのに征伐をあわれみ、留滞をなげくこころをのべたもの。)

さびしい山が夜なかには曇って、吾が枕席が先づすこしの冷さを感じるようになった。

あかつきにはつむじ風が吹きおこってよろずの物象が碧の色を見せるに至った。

しかし、あな山からでる雲は高く羣をぬいて湧き、天に倚ってそびえている石はごろごろと大きく頭上を圧している。

太陽はどこの道をあるいて姿をあらわさないのか、雨気は長江をつつんで白くよこたわっている。

このとき帆柱をつらねて荊州の方へ船がゆく、それには矛戟を荷なった士卒がのっている。


(訳注)

雨,二首之二

(雨中というのに征伐をあわれみ、留滞をなげくこころをのべたもの。)

 

空山中宵陰,微冷先枕席。

さびしい山が夜なかには曇って、吾が枕席が先づすこしの冷さを感じるようになった。

 

迴風起清曙,萬象萋已碧。

あかつきにはつむじ風が吹きおこってよろずの物象が碧の色を見せるに至った。

萋已碧 萋は草の繁るさま、句意は雨のためにくらがりしに風おこりしゆえ物にあおみが見えだしたといふなり。

 

落落出岫雲,渾渾倚天石。

しかし、あな山からでる雲は高く羣をぬいて湧き、天に倚ってそびえている石はごろごろと大きく頭上を圧している。

 雨雲は洞窟から生じ湧き上がるものと考えられていた。ここは山全体から湧き上がる様子をいう。

渾渾 石はごろごろと大きく頭上を圧しているようすをいう。

 

日假何道行,雨含長江白。

太陽はどこの道をあるいて姿をあらわさないのか、雨気は長江をつつんで白くよこたわっている。

 

連檣荊州船,有士荷矛戟。

このとき帆柱をつらねて荊州の方へ船がゆく、それには矛戟を荷なった士卒がのっている。

 帆柱。

荊州船 三峡を下って荊州に向かう船。
杜甫55歳756年作品 

766年大暦元年55歲-33奉節-24 《巻15-49 雨,二首之一》 杜甫index-15 杜甫<897> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5505

杜甫 奉節-24  《巻15-49 雨,二首之一》日が陰った状態が長く続いているから、水の淵の深い所に蛟龍が出てきて船が転覆するかもしれないし、海賊や山賊、戦の残党兵などがどれほどいるかもしれないけれど、水の流れが速いので、怖いのはそれほど長く続くものではない。

 

 
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34-06§4-1 《讀巻03-09 與孟東野書 -6》韓愈(韓退之)ID 801年貞元17年 35歳<1305> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5509 
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 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-33奉節-24 《巻15-49 雨,二首之一》 杜甫index-15 杜甫<897> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5505 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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766年大暦元年55-33奉節-24  《巻15-49 雨,二首之一》杜甫index-15 杜甫<897> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5505

 

杜甫詩1500-897-1272/2500766年大暦元年55-33

 

 

 

 

 

 

 

 

 

杜少陵集

詩題

記事

 


ID

初句

作時

1

15

47


峽雲行清曉

766

2

15

48


行雲遞崇高,

766

3

15

49

雨二首之一

青山澹無姿,

766

4

15

50

雨二首之二

空山中宵陰,

766

5

15

55


萬木雲深隱

767

6

15

60


始賀天休雨,

767

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    雨,二首之一

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

 

 

1549 雨,二首之一

(強い雨が降り続いて、足止めをされた旅の者が風雨が止んで曇り空、時折小雨が降る程度で船出していったのを詠う。)

青山澹無姿,白露誰能數。

遠くかすむ山々がさらに霧雨でぼんやりとして姿が見えない。枝や葉っぱに雨の雫がのこるが、それは誰も数えきれるものではない。足止めされていた客を送る人が多く涙を流す人も多く何人いるのか此れも数えられない。

片片水上雲,蕭蕭沙中雨。

空の雨雲も薄くなって水の上には、行く雲が片片とうごくけれど、渡し場付近の砂浜にはさらさらと霧雨が降っている。

殊俗狀巢居,曾臺俯風渚。

ここ南の異文化風俗は変わっていて、木の上に巣を作るような住居があり、見下ろして生活しているが、私の住居も高台にあり、これらの風俗や、渚の出来事も上から見下ろしているのである。

佳客適萬里,沈思情延佇。

足止めを食らっていたこの地にとって良い旅人達が、瞿塘峡・三峡を下って万里の先に往こうとしているし、別れを惜しんで深く沈みこみ別れの情に耐え切れずじっと立ち止まって眺めている。

挂帆遠色外,驚浪滿楚。

暫くすると帆を高く掲げた船は、遠くの山影の向うに姿を消してゆく。呉楚に往くまでには、三峡の驚くほどの波が嫌というほどたくさんあるのである。

久陰蛟螭出,寇盜復幾許。

日が陰った状態が長く続いているから、水の淵の深い所に蛟龍が出てきて船が転覆するかもしれないし、海賊や山賊、戦の残党兵などがどれほどいるかもしれないけれど、水の流れが速いので、怖いのはそれほど長く続くものではない。

 

1549(雨,二首の一)

青山 澹として姿無く,白露 誰か能く數えん。

片片たり 水上の雲,蕭蕭たり 沙中の雨。

殊俗なり 巢居に狀たるを,曾臺より 風渚を俯す。

佳客 萬里に適き,沈思して 情延に佇す。

帆を挂いて遠色の外,浪に驚いて 楚に滿つ。

久しく陰り 蛟螭出づ,寇盜 復た幾許【いくばく】ぞ。

 

(含異文)

青山澹無姿,白露誰能數。

片片水上雲,蕭蕭沙中雨。

殊俗狀巢居,曾臺俯風渚【曾臺附風渚】。

佳客適萬里,沈思情延佇。

挂帆遠色外,驚浪滿楚。

久陰蛟螭出,寇盜復幾許【冠蓋復幾許】。

 

夔州東川卜居図詳細 001 

『雨,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

雨,二首之一

青山澹無姿,白露誰能數。

片片水上雲,蕭蕭沙中雨。

殊俗狀巢居,曾臺俯風渚。

佳客適萬里,沈思情延佇。

挂帆遠色外,驚浪滿楚。

久陰蛟螭出,寇盜復幾許。


(下し文)
(雨,二首の一)

青山 澹として姿無く,白露 誰か能く數えん。

片片たり 水上の雲,蕭蕭たり 沙中の雨。

殊俗なり 巢居に狀たるを,曾臺より 風渚を俯す。

佳客 萬里に適き,沈思して 情延に佇す。

帆を挂いて遠色の外,浪に驚いて 楚に滿つ。

久しく陰り 蛟螭出づ,寇盜 復た幾許【いくばく】ぞ。


(現代語訳)
(強い雨が降り続いて、足止めをされた旅の者が風雨が止んで曇り空、時折小雨が降る程度で船出していったのを詠う。)

遠くかすむ山々がさらに霧雨でぼんやりとして姿が見えない。枝や葉っぱに雨の雫がのこるが、それは誰も数えきれるものではない。足止めされていた客を送る人が多く涙を流す人も多く何人いるのか此れも数えられない。

空の雨雲も薄くなって水の上には、行く雲が片片とうごくけれど、渡し場付近の砂浜にはさらさらと霧雨が降っている。

ここ南の異文化風俗は変わっていて、木の上に巣を作るような住居があり、見下ろして生活しているが、私の住居も高台にあり、これらの風俗や、渚の出来事も上から見下ろしているのである。

足止めを食らっていたこの地にとって良い旅人達が、瞿塘峡・三峡を下って万里の先に往こうとしているし、別れを惜しんで深く沈みこみ別れの情に耐え切れずじっと立ち止まって眺めている。

暫くすると帆を高く掲げた船は、遠くの山影の向うに姿を消してゆく。呉楚に往くまでには、三峡の驚くほどの波が嫌というほどたくさんあるのである。

日が陰った状態が長く続いているから、水の淵の深い所に蛟龍が出てきて船が転覆するかもしれないし、海賊や山賊、戦の残党兵などがどれほどいるかもしれないけれど、水の流れが速いので、怖いのはそれほど長く続くものではない。

蜀中転々圖
(訳注)

雨,二首之一

(強い雨が降り続いて、足止めをされた旅の者が風雨が止んで曇り空、時折小雨が降る程度で船出していったのを詠う。)

 

青山澹無姿,白露誰能數。

遠くかすむ山々がさらに霧雨でぼんやりとして姿が見えない。枝や葉っぱに雨の雫がのこるが、それは誰も数えきれるものではない。足止めされていた客を送る人が多く涙を流す人も多く何人いるのか此れも数えられない。

青山 遠くかすむ山々。遠近法を詠う。

白露 枝や葉っぱに雨の雫がのこる。或は霧雨という所か。

 

片片水上雲,蕭蕭沙中雨。

空の雨雲も薄くなって水の上には、行く雲が片片とうごくけれど、渡し場付近の砂浜にはさらさらと霧雨が降っている。

蕭蕭 さらさらと霧雨が降る。

 

殊俗狀巢居,曾臺俯風渚。

ここ南の異文化風俗は変わっていて、木の上に巣を作るような住居があり、見下ろして生活しているが、私の住居も高台にあり、これらの風俗や、渚の出来事も上から見下ろしているのである。

殊俗 南の異文化風俗は変わっていること。

狀巢居 木の上に巣を作るような住居があるということ。長安、中原では、つちを固めた家に住むか、洞窟、土洞の家が多いので、木の上に住むというのに驚いたということ。

曾臺 杜甫の住居が高台にあるということ。

風渚 風俗や、渚の出来事も上から見下ろしているので、この詩の位置関係を示す二句である。

 

佳客適萬里,沈思情延佇。

足止めを食らっていたこの地にとって良い旅人達が、瞿塘峡・三峡を下って万里の先に往こうとしているし、別れを惜しんで深く沈みこみ別れの情に耐え切れずじっと立ち止まって眺めている。

佳客 杜甫の家に来た客ではなく、この港に足止めをされていた、この地にお金を落してゆく宵お客ということ。

延佇 長い時間渚に佇んでいる状態をいう。

 

挂帆遠色外,驚浪滿楚。

暫くすると帆を高く掲げた船は、遠くの山影の向うに姿を消してゆく。呉楚に往くまでには、三峡の驚くほどの波が嫌というほどたくさんあるのである。

遠色外 遠くの山影の向うに姿を消してゆく。奉節は水駅であり、ここから数十里先を見に曲ると瞿塘峡がある。そこまでは帆をかけてゆっくりと舟は進む。この日は霧雨で見えなくなったのであるのだろうか、山陰に隠れて見えなくなったのか遠く霞んでいる状態をいう。

 ここでは三峡を下り終えて、進んだ、呉は江蘇省、楚は湖北省を指す。

 

久陰蛟螭出,寇盜復幾許。

日が陰った状態が長く続いているから、水の淵の深い所に蛟龍が出てきて船が転覆するかもしれないし、海賊や山賊、戦の残党兵などがどれほどいるかもしれないけれど、水の流れが速いので、怖いのはそれほど長く続くものではない。

蛟螭出 水の淵の深い所に蛟龍が出てきて船が転覆するかもしれないということ。蛟龍は淵の奥深いところに潜んでいるとされた。三峡の危険なことをいう。

寇盜 三峡を過ぎたあたりで出没する、海賊や山賊、戦の残党兵などにより、強盗、略奪があるかもしれないということ。

復幾許 通常は距離をいうのに「幾ばく」を用いるが、三峡の流れが速く一気呵成に下るので、水の流れが速いので、怖いのはそれほど長く続くものではないというほどの意。
 杜甫55歳756年作品

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杜甫奉節-23  《巻15-48 -#2自分には恨めしくも漢陰の丈人の様な甕の中に水をくみいれる力がないのでそのための人がいるが、この雨で今度は大江から水を汲んでくる経費は減らすことができるであろう。

 
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766年大暦元年55-33奉節-23  《巻15-48 -#2 杜甫index-15 杜甫<896-#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5505

 

 

杜甫詩1500-896-#2-1272/2500766年大暦元年55-33

 

 

 

 

 

 

 

 

杜少陵集

詩題

記事

 

 


ID

初句

作時

 

1

15

47


峽雲行清曉

766

 

2

15

48


行雲遞崇高,

766

 

3

15

49

雨二首之一

青山澹無姿,

766

 

4

15

50

雨二首之二

空山中宵陰,

766

 

5

15

55


萬木雲深隱

767

 

6

15

60


始賀天休雨,

767

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:   

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

 

 

《巻15-48 -#1-行雲遞崇高


(前の雨はあまりに急激な雨だったけど、今度の雨は嬉しいことにひでりをはさむことなくよういに降り始めたことを詠う。)

行雲遞崇高,飛雨靄而至。

行く雲は流れたがいに髙く積み重なり、飛び来る強い雨が靄とからまってやってくる。

潺潺石間溜,汩汩松上駛。

石間のたまり水がさらさらと音を立てて高所から落ちてきて松の梢を沈んでゆかせ、走り抜けてゆく。

亢陽乘秋熱,百穀皆已棄。

秋の残暑に乗じて陽気がたかぶり、諸々の作物・穀物は皆棄てたも同然の状態だった。

皇天德澤降,焦卷有生意。

そう思っていたところへ、天から恵みの露がおりてきて、焦げて巻き上げかけていた草木まで生き生きとした意欲があるようになってきた。

前雨傷卒暴,今雨喜容易。

この前の雨はあまりに急激な雨だったけど、今度の雨は嬉しいことにひでりをはさむことなくよういに降り始めたのだ

 

《巻15-48 -#2-行雲遞崇高

不可無雷霆,間作鼓增氣。

ここへ雷、稲妻が挟まって元気を鼓舞してくれなくてはならないと思っている。

佳聲達中宵,所望時一致。

幸いにも、いい音がし出して夜中までそれが続いてそれがつづいたが、実際に希望と一致したのである。

清霜九月天,彷彿見滯穗。

清々しい霜の置く九月には豊作となってあちこちに落ち穂がこぼれているであろうことを今から最早見るようである。

郊扉及我私,我圃日蒼翠。

この雨は、我が郊居の扉をも見舞い、自分の私有の田圃にも及び、はたけの野菜は日に日に青々と色を増して色濃くなってゆく。

恨無抱甕力,庶減臨江費。

自分には恨めしくも漢陰の丈人の様な甕の中に水をくみいれる力がないのでそのための人がいるが、この雨で今度は大江から水を汲んでくる経費は減らすことができるであろう。

 

《巻15-48 -#1

(雨)

行雲 遞いに崇高なり,飛雨 靄として至る。

潺潺【せんせん】たり 石間の溜,汩汩【いついつ】として松上に駛【はや】し。

亢陽 秋熱に乘ず,百穀 皆已に棄つ。

皇天 德澤降り,焦卷【しょうけん】生意有り。

前雨は卒暴なりしを傷み,今雨は容易なるを喜ぶ。

 

雷霆の,間作して鼓して氣を增す無かる可からず。

佳聲 中宵に達し,望む所 時に一致なり。

清霜 九月の天,彷彿 滯穗を見る。

郊扉に我が私に及び,我が圃 日に蒼翠なり。

恨むらくは抱甕【ほうおう】の力無きことを,庶くは減せん 臨江の費。

夔州東川卜居図詳細 001 

《巻15-48 -#2-行雲遞崇高

『雨』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

《巻15-48 -#2-(行雲遞崇高)
不可無雷霆,間作鼓增氣。

佳聲達中宵,所望時一致。

清霜九月天,彷彿見滯穗。

郊扉及我私,我圃日蒼翠。

恨無抱甕力,庶減臨江費。


(下し文)
雷霆の,間作して鼓して氣を增す無かる可からず。

佳聲 中宵に達し,望む所 時に一致なり。

清霜 九月の天,彷彿 滯穗を見る。

郊扉に我が私に及び,我が圃 日に蒼翠なり。

恨むらくは抱甕【ほうおう】の力無きことを,庶くは減せん 臨江の費。

(現代語訳)
ここへ雷、稲妻が挟まって元気を鼓舞してくれなくてはならないと思っている。

幸いにも、いい音がし出して夜中までそれが続いてそれがつづいたが、実際に希望と一致したのである。

清々しい霜の置く九月には豊作となってあちこちに落ち穂がこぼれているであろうことを今から最早見るようである。

この雨は、我が郊居の扉をも見舞い、自分の私有の田圃にも及び、はたけの野菜は日に日に青々と色を増して色濃くなってゆく。

自分には恨めしくも漢陰の丈人の様な甕の中に水をくみいれる力がないのでそのための人がいるが、この雨で今度は大江から水を汲んでくる経費は減らすことができるであろう。


(訳注) 《巻15-48 -#2-行雲遞崇高


(前の雨はあまりに急激な雨だったけど、今度の雨は嬉しいことにひでりをはさむことなくよういに降り始めたことを詠う。)

 

不可無雷霆,間作鼓增氣。

ここへ雷、稲妻が挟まって元気を鼓舞してくれなくてはならないと思っている。

間作 雨の間に雷が鳴ること。

鼓增氣 元気を鼓舞してくれなくてはならないということ。

 

佳聲達中宵,所望時一致。

幸いにも、いい音がし出して夜中までそれが続いてそれがつづいたが、実際に希望と一致したのである。

佳聲 いい音。雷霆の声を快く聞こえてくる。この雨を歓迎していること。

一致 希望と雷鳴とが、合致すること。

 

清霜九月天,彷彿見滯穗。

清々しい霜の置く九月には豊作となってあちこちに落ち穂がこぼれているであろうことを今から最早見るようである。

九月天 この雨によって収穫の九月には豊作が見込まれる天工だろう。

滯穗 豊年満作で穂が実って刈りいれ前の様をいう。

 

郊扉及我私,我圃日蒼翠。

この雨は、我が郊居の扉をも見舞い、自分の私有の田圃にも及び、はたけの野菜は日に日に青々と色を増して色濃くなってゆく。

郊扉 城郭近くの家。

我私 私有の田圃にも及び、はたけ。

我圃 私有の田圃にも及び、はたけ。

日蒼翠 日に日に青々と色を増して色濃くなってゆく。

 

恨無抱甕力,庶減臨江費。

自分には恨めしくも漢陰の丈人の様な甕の中に水をくみいれる力がないのでそのための人がいるが、この雨で今度は大江から水を汲んでくる経費は減らすことができるであろう。

抱甕力 甕を抱いてその中に水をくみいれる力。

臨江費 大江から水を汲んでくる経費は減らす。
杜甫55歳756年作品 

766年大暦元年55歲-32奉節-23 《巻15-48 雨 -#1》 杜甫index-15 杜甫<896-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5500 杜甫詩1500-896-#1-1271/2500766年大暦元年55歲-32

杜甫 奉節-23  《巻15-48 雨 (行雲遞崇高-#1(前の雨はあまりに急激な雨だったけど、今度の雨は嬉しいことにひでりをはさむことなくよういに降り始めたことを詠う。)

 
 2015年2月4日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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34-04§3-1 《讀巻03-09 與孟東野書 -4》韓愈(韓退之)ID 801年貞元17年 35歳<1303> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5499 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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杜少陵集

詩題

記事

 

 

ID

初句

作時

 

 

15

47

峽雲行清曉

766

 

 

15

48

行雲遞崇高

766

 

 

15

49

雨二首之一

青山澹無姿,

766

 

 

15

50

雨二首之二

空山中宵陰,

766

 

 

15

55

萬木雲深隱

767

 

 

15

60

始賀天休雨,

767

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:   

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

 

 

《巻15-48 -#1-行雲遞崇高


(前の雨はあまりに急激な雨だったけど、今度の雨は嬉しいことにひでりをはさむことなくよういに降り始めたことを詠う。)

行雲遞崇高,飛雨靄而至。

行く雲は流れたがいに髙く積み重なり、飛び来る強い雨が靄とからまってやってくる。

潺潺石間溜,汩汩松上駛。

石間のたまり水がさらさらと音を立てて高所から落ちてきて松の梢を沈んでゆかせ、走り抜けてゆく。

亢陽乘秋熱,百穀皆已棄。

秋の残暑に乗じて陽気がたかぶり、諸々の作物・穀物は皆棄てたも同然の状態だった。

皇天德澤降,焦卷有生意。

そう思っていたところへ、天から恵みの露がおりてきて、焦げて巻き上げかけていた草木まで生き生きとした意欲があるようになってきた。

前雨傷卒暴,今雨喜容易。

この前の雨はあまりに急激な雨だったけど、今度の雨は嬉しいことにひでりをはさむことなくよういに降り始めたのだ

 

不可無雷霆,間作鼓增氣。

佳聲達中宵,所望時一致。

清霜九月天,彷彿見滯穗。

郊扉及我私,我圃日蒼翠。

恨無抱甕力,庶減臨江費。

 

《巻15-48 -#1

(雨)

行雲 遞いに崇高なり,飛雨 靄として至る。

潺潺【せんせん】たり 石間の溜,汩汩【いついつ】として松上に駛【はや】し。

亢陽 秋熱に乘ず,百穀 皆已に棄つ。

皇天 德澤降り,焦卷【しょうけん】生意有り。

前雨は卒暴なりしを傷み,今雨は容易なるを喜ぶ。

 

雷霆の,間作して鼓して氣を增す無かる可からず。

佳聲 中宵に達し,望む所 時に一致なり。

清霜 九月の天,彷彿 滯穗を見る。

郊扉に我が私に及び,我が圃 日に蒼翠なり。

恨むらくは抱甕【ほうおう】の力無きことを,庶くは減せん 臨江の費。

 

 

(含異文)

行雲遞崇高,飛雨靄而至。潺潺石間溜,汩汩松上駛。

亢陽乘秋熱,百穀皆已棄【百穀亦已棄】。皇天德澤降,焦卷有生意。

前雨傷卒暴,今雨喜容易。不可無雷霆,間作鼓增氣。

佳聲達中宵,所望時一致。清霜九月天,彷彿見滯穗。

郊扉及我私【郊扉及栽耘】,我圃日蒼翠。恨無抱甕力,庶減臨江費【案:舊注:峽無井,取江水喫。】。

 

夔州東川卜居図詳細 001 

 

 

『雨』 現代語訳と訳註解説
(
本文)


行雲遞崇高,飛雨靄而至。

潺潺石間溜,汩汩松上駛。

亢陽乘秋熱,百穀皆已棄。

皇天德澤降,焦卷有生意。

前雨傷卒暴,今雨喜容易。


(下し文)
(雨)

行雲 遞いに崇高なり,飛雨 靄として至る。

潺潺【せんせん】たり 石間の溜,汩汩【いついつ】として松上に駛【はや】し。

亢陽 秋熱に乘ず,百穀 皆已に棄つ。

皇天 德澤降り,焦卷【しょうけん】生意有り。

前雨は卒暴なりしを傷み,今雨は容易なるを喜ぶ。

(現代語訳)
(前の雨はあまりに急激な雨だったけど、今度の雨は嬉しいことにひでりをはさむことなくよういに降り始めたことを詠う。)

行く雲は流れたがいに髙く積み重なり、飛び来る強い雨が靄とからまってやってくる。

石間のたまり水がさらさらと音を立てて高所から落ちてきて松の梢を沈んでゆかせ、走り抜けてゆく。

秋の残暑に乗じて陽気がたかぶり、諸々の作物・穀物は皆棄てたも同然の状態だった。

そう思っていたところへ、天から恵みの露がおりてきて、焦げて巻き上げかけていた草木まで生き生きとした意欲があるようになってきた。

この前の雨はあまりに急激な雨だったけど、今度の雨は嬉しいことにひでりをはさむことなくよういに降り始めたのだ

sas0011
(訳注)


(前の雨はあまりに急激な雨だったけど、今度の雨は嬉しいことにひでりをはさむことなくよういに降り始めたことを詠う。)

 

行雲遞崇高,飛雨靄而至。

行く雲は流れたがいに髙く積み重なり、飛び来る強い雨が靄とからまってやってくる。

遞崇高 積乱雲のこと。

靄而至 シトシトの雨が、雨靄を連れてくる。

 

潺潺石間溜,汩汩松上駛。

石間のたまり水がさらさらと音を立てて高所から落ちてきて松の梢を沈んでゆかせ、走り抜けてゆく。

潺潺 さらさらとした音。

汩汩 沈んでゆく。隠れ没するさま。おちぶれてゆくさま。

 

亢陽乘秋熱,百穀皆已棄。

秋の残暑に乗じて陽気がたかぶり、諸々の作物・穀物は皆棄てたも同然の状態だった。

亢陽 陽気がたかぶり暑いこと。旱をいう。

 

皇天德澤降,焦卷有生意。

そう思っていたところへ、天から恵みの露がおりてきて、焦げて巻き上げかけていた草木まで生き生きとした意欲があるようになってきた。

德澤 恵みの露がおりること。

焦卷 草木が厚さと乾燥で、焦げて巻き上げかけていた。

有生意 雨が降って潤ったために草木が活気を帯びてきた。

 

前雨傷卒暴,今雨喜容易。

この前の雨はあまりに急激な雨だったけど、今度の雨は嬉しいことにひでりをはさむことなくよういに降り始めたのだ

卒暴 猝のあらし。暴風雨。

容易 前の雨は儀式やまじないをいろいろやって待っていてようやく振った、その前から今度はすぐに降ったということ。
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766年大暦元年55-31-2奉節-22 -#2 《巻15-47 -#2 杜甫index-15 杜甫<895 -2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5495

 

杜甫詩1500-895 -2-1270/2500766年大暦元年55-31-2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

杜少陵集

詩題

記事

 

 


ID

初句

作時

 

 

15

47


峽雲行清曉

766

 

 

15

48


行雲遞崇高,

766

 

 

15

49

雨二首之一

青山澹無姿,

766

 

 

15

50

雨二首之二

空山中宵陰,

766

 

 

15

55


萬木雲深隱

767

 

 

15

60


始賀天休雨,

767

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    雨【案:一本合下二首(雨,二首之一、雨,二首之二)作〈雨〉三首。】

作地點:夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:白谷 (山南東道 夔州 巫山)              

巫山 (山南東道 夔州 巫山)              

 

 

 

《巻15-47 -#1-(峽雲行清曉)


(雨が降り始めた時のことを詠う。)
峽雲行清曉,煙霧相悲回。

清らかな暁に峡谷から湧き上がる雲が動き出し、煙や霧も一緒に悲しそうに徘徊する。

風吹蒼江樹,雨灑石壁來。

それから風が長江のほとりの樹木に吹き付け、横殴りの雨は石璧に降り灌いできた。

淒淒生餘寒,殷殷兼出雷。

雨は淒淒と降り続いて、冷たい寒気が辺り一帯に生じてきた、その後今度はゴロゴロと雨が強くなって雷が鳴りだした。

白谷變氣候,朱炎安在哉。

白谷ではこれまでとは全く違う気候に変わった、少し前の燃え盛るような暑さは何処に行ったのだろう。

《巻15-47 -#2

高鳥不下,居人門未開。

一旦高く飛んだ鳥は雨に潤いを増した下には降りて来る事は無く、ここらあたりの住民も、門を開けて外に出る事は無い。

楚宮久已滅,幽佩為誰哀。

昔、楚の懐王、襄王の宮殿はとっくに消滅してしまって、いまや、神女が幽佩を鳴らして通ってゆくのも誰も悲しいと思うものはない。

侍臣書王夢,賦有冠古才。

楚王の侍臣であった古今の冠たる宋玉は永久不滅の著書「高唐賦」を作賦の才を以て、懐王が巫山の神女を夢見たことを書き著したにもかかわらず、これほどの雨が降ってもそれをしめす痕跡はないのである。

冥冥翠龍駕,多自巫山臺。

このように空が曇って辺りが暗くなっても仙界の楚王の乗る龍の車駕も見えはしないし、ただ雨だけが、巫山の台からもたらされているのである。(神女は夕べに雨だけ降らせているだけである。)

 

(雨)

峽雲 清曉に行き,煙霧 相い悲回す。

風は吹く 蒼江の樹,雨は石壁に灑ぎ來る。

淒淒として 餘寒生じ,殷殷として兼ねて雷を出ず。

白谷 氣候變じ,朱炎 安くに在り哉。

 

高鳥 いて下らず,居人 門 未だ開かず。

楚宮 久しく已に滅し,幽佩【ゆうはい】誰が為に哀しむ。

侍臣 王夢を書し,賦 冠古の才有り。

冥冥 翠龍の駕,多くは巫山の臺自りす。

夔州東川卜居図詳細 001

766年大暦元年55-31-2奉節-22 -#2 《巻15-47 -#2

『雨』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

高鳥不下,居人門未開。

楚宮久已滅,幽佩為誰哀。

侍臣書王夢,賦有冠古才。

冥冥翠龍駕,多自巫山臺。

 

(下し文)
高鳥 いて下らず,居人 門 未だ開かず。

楚宮 久しく已に滅し,幽佩【ゆうはい】誰が為に哀しむ。

侍臣 王夢を書し,賦 冠古の才有り。

冥冥 翠龍の駕,多くは巫山の臺自りす。


(現代語訳)
一旦高く飛んだ鳥は雨に潤いを増した下には降りて来る事は無く、ここらあたりの住民も、門を開けて外に出る事は無い。

昔、楚の懐王、襄王の宮殿はとっくに消滅してしまって、いまや、神女が幽佩を鳴らして通ってゆくのも誰も悲しいと思うものはない。

楚王の侍臣であった古今の冠たる宋玉は永久不滅の著書「高唐賦」を作賦の才を以て、懐王が巫山の神女を夢見たことを書き著したにもかかわらず、これほどの雨が降ってもそれをしめす痕跡はないのである。

このように空が曇って辺りが暗くなっても仙界の楚王の乗る龍の車駕も見えはしないし、ただ雨だけが、巫山の台からもたらされているのである。(神女は夕べに雨だけ降らせているだけである。)

蜀中転々圖
(訳注) 766年大暦元年55-31-2奉節-22 -#2 《巻15-47 -#2


(雨が降り始めた時のことを詠う。)

 

高鳥不下,居人門未開。

一旦高く飛んだ鳥は雨に潤いを増した下には降りて来る事は無く、ここらあたりの住民も、門を開けて外に出る事は無い。

 

楚宮久已滅,幽佩為誰哀。

昔、楚の懐王、襄王の宮殿はとっくに消滅してしまって、いまや、神女が幽佩を鳴らして通ってゆくのも誰も悲しいと思うものはない。

楚宮 楚王と神女が一緒に過ごしたという陽雲臺。

杜甫《奉寄李十五秘書文嶷二首其一》

避暑雲安縣,秋風早下來。

暫留魚復浦,同過楚王臺。

猿鳥千崖窄,江湖萬里開。

竹枝歌未好,畫舸莫遲回。

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幽佩 神女の腰の佩び玉が歩く際になること。宋玉《神女賦》「揺佩飾、鳴玉鸞」とある。

為誰哀 悲しいと思うものは誰もいない。

 

侍臣書王夢,賦有冠古才。

楚王の侍臣であった古今の冠たる宋玉は永久不滅の著書「高唐賦」を作賦の才を以て、懐王が巫山の神女を夢見たことを書き著したにもかかわらず、これほどの雨が降ってもそれをしめす痕跡はないのである。

侍臣書 楚王、懐王、襄王の侍臣である宋玉が書き著した。

王夢 高唐の賦でいう楚王が夢見たこと。

賦有 「高唐賦」をさす。

冠古才 古今に冠たる才能。

 

冥冥翠龍駕,多自巫山臺。

このように空が曇って辺りが暗くなっても仙界の楚王の乗る龍の車駕も見えはしないし、ただ雨だけが、巫山の台からもたらされているのである。(神女は夕べに雨だけ降らせているだけである。)

翠龍駕 穆天子馬名。仙界の天子の乗る龍の車駕。青竜。この地上と超越的な世界を結ぶことに竜の霊性の最大のものがある。仙人となった黄帝が竜に乗って昇天したり,死者が竜あるいは竜船に乗って崑崙山に至るとされるのも,竜のそうした霊性を基礎にした観念である。

自巫山臺 「朝雲暮雨」でここに夕方に雨を降らせるのは巫山神女の仕業であるという意。
杜甫55歳756年作品 

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杜甫 奉節-21 《巻15-47  -#1-(峽雲行清曉)清らかな暁に峡谷から湧き上がる雲が動き出し、煙や霧も一緒に悲しそうに徘徊する。それから風が長江のほとりの樹木に吹き付け、横殴りの雨は石璧に降り灌いできた。

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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173-#1 《巻14-07 留別王司馬嵩 -#1》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <173-#1> Ⅰ李白詩1388 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5488 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表
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34-02§1-2 《讀巻03-09 與孟東野書 -2》韓愈(韓退之)ID 801年貞元17年 35歳<1301> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5489 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
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《巻15-47  -#1-(峽雲行清曉)

  

 

 

 

 

 

 

 

 

杜少陵集

詩題

記事

 

 

ID

初句

作時

 

 

15

47

峽雲行清曉

766

 

 

15

48

行雲遞崇高

766

 

 

15

49

雨二首之一

青山澹無姿,

766

 

 

15

50

雨二首之二

空山中宵陰,

766

 

 

15

55

萬木雲深隱

767

 

 

15

60

始賀天休雨,

767

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    雨【案:一本合下二首(雨,二首之一、雨,二首之二)作〈雨〉三首。】

作地點:夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:白谷 (山南東道 夔州 巫山)              

巫山 (山南東道 夔州 巫山)              

 

 

 

《巻15-47 -#1-(峽雲行清曉)


(雨が降り始めた時のことを詠う。)
峽雲行清曉,煙霧相悲回。

清らかな暁に峡谷から湧き上がる雲が動き出し、煙や霧も一緒に悲しそうに徘徊する。

風吹蒼江樹,雨灑石壁來。

それから風が長江のほとりの樹木に吹き付け、横殴りの雨は石璧に降り灌いできた。

淒淒生餘寒,殷殷兼出雷。

雨は淒淒と降り続いて、冷たい寒気が辺り一帯に生じてきた、その後今度はゴロゴロと雨が強くなって雷が鳴りだした。

白谷變氣候,朱炎安在哉。

白谷ではこれまでとは全く違う気候に変わった、少し前の燃え盛るような暑さは何処に行ったのだろう。

 

高鳥不下,居人門未開。

楚宮久已滅,幽佩為誰哀。

侍臣書王夢,賦有冠古才。

冥冥翠龍駕,多自巫山臺。

 

(雨)

峽雲 清曉に行き,煙霧 相い悲回す。

風は吹く 蒼江の樹,雨は石壁に灑ぎ來る。

淒淒として 餘寒生じ,殷殷として兼ねて雷を出ず。

白谷 氣候變じ,朱炎 安くに在り哉。

 

高鳥 いて下らず,居人 門 未だ開かず。

楚宮 久しく已に滅し,幽佩【ゆうはい】誰が為に哀しむ。

侍臣 王夢を書し,賦 冠古の才有り。

冥冥 翠龍の駕,多くは巫山の臺自りす。

 

夔州東川卜居図詳細 001 

『雨』 現代語訳と訳註解説
(
本文)


峽雲行清曉,煙霧相悲回。

風吹蒼江樹,雨灑石壁來。

淒淒生餘寒,殷殷兼出雷。

白谷變氣候,朱炎安在哉。

 

 (含異文)

峽雲行清曉,煙霧相悲回。

風吹蒼江樹【風吹蒼江去】,雨灑石壁來。

淒淒生餘寒,殷殷兼出雷【殷殷兼山雷】。

白谷變氣候,朱炎安在哉。


(下し文)
(雨)

峽雲 清曉に行き,煙霧 相い悲回す。

風は吹く 蒼江の樹,雨は石壁に灑ぎ來る。

淒淒として 餘寒生じ,殷殷として兼ねて雷を出ず。

白谷 氣候變じ,朱炎 安くに在り哉。

(現代語訳)
(雨が降り始めた時のことを詠う。)
清らかな暁に峡谷から湧き上がる雲が動き出し、煙や霧も一緒に悲しそうに徘徊する。

それから風が長江のほとりの樹木に吹き付け、横殴りの雨は石璧に降り灌いできた。

雨は淒淒と降り続いて、冷たい寒気が辺り一帯に生じてきた、その後今度はゴロゴロと雨が強くなって雷が鳴りだした。

白谷ではこれまでとは全く違う気候に変わった、少し前の燃え盛るような暑さは何処に行ったのだろう。


(訳注)
《巻15-47  -#1-(峽雲行清曉)


(雨が降り始めた時のことを詠う。)

 

峽雲行清曉,煙霧相悲回。

清らかな暁に峡谷から湧き上がる雲が動き出し、煙や霧も一緒に悲しそうに徘徊する。

峽雲 雨雲は谷間の岩場、洞窟から発生してくるとされていた。

 動き出すこと。湧き上がる雲が動き出すこと。

 

風吹蒼江樹,雨灑石壁來。

それから風が長江のほとりの樹木に吹き付け、横殴りの雨は石璧に降り灌いできた。

蒼江樹 霧と靄などで仙界のような雰囲気になっている樹木。

 

淒淒生餘寒,殷殷兼出雷。

雨は淒淒と降り続いて、冷たい寒気が辺り一帯に生じてきた、その後今度はゴロゴロと雨が強くなって雷が鳴りだした。

 雨が寒気を呼び、雷を出してきたことをいう。

 

白谷變氣候,朱炎安在哉。

白谷ではこれまでとは全く違う気候に変わった、少し前の燃え盛るような暑さは何処に行ったのだろう。

白谷 東の白帝城を上にいただく谷。

朱炎 朱は五行で夏をいい、燃えるような夏の暑さ。
杜甫55歳756年作品 




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杜甫 奉節-21 -#4 《巻15-43 催宗文樹雞柵 -#4昔から晋の仙人、祝難翁が山東の北山で鶏千羽に名前を付けて飼い、呼べば来たので探しに行くことはなかったというのに憧れていたが、ここでは籠柵という飼い方をするので、いまだなまえをつけることになっていないが、今に、鶏が田のあぜ道の縦横に蓋をしたかのように一杯に増えてくることだろう。

 
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杜甫詩1500-894-2-1268/2500766年大暦元年55
-30-4

 

 

 

 

杜甫詩1500-894-1-1267/2500766年大暦元年55-30-3

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    催宗文樹雞柵

及地點:尸 (都畿道 河南府 偃師) 別名:西亳 、新蔡鎮       

杜甫やその家族が日常生活の中で彼らと身近に接していた、あるいは農作業や労働体験を共にしていたことを、我々に教えてくれる詩がある。

 夔州に来た最初の春から、杜甫は病気を癒すためにニワトリを飼い始めたようで、夏には親鳥や雛鳥やら合わせて五十羽にもなろうとしていた。それらが家屋の中にまで入り込んで、あまりにも狼藉を働くので杜甫は柵を作って制止したり、ニワトリ籠を作ったりしなければならなかった。

 まず青竹を火で焼いて殺青して強くした。その竹でニワトリが入ってくる小道をふさぎ、垣根の東の空き地には高い柵を作った。また竹かごを編んでその中にニワトリをひとまとめごとに入れ、飛び出していかないようにした。一方、柵や竹かごの目が荒いと、すり抜けて来るものがいるから、このことにも注意しなければならなかった。杜甫はこうしたこまごまとした仕事を、長男の宗文にあてがった。

《巻15-43 催宗文樹雞柵 -#1

催宗文樹雞柵

(長男の宗文をうながして鶏の馬背垣を組み結わせたことを詠う。)

吾衰怯行邁,旅次展崩迫。

私は、歳を取り衰えてきたので、旅路を行くのに臆病になってきて、ここで旅の宿りをすることで英気を養っている。少し切迫した思いを少しずつくつろいだ気分になりつつある。

愈風傳烏雞,秋卵方漫喫。

聞くところでは黒い鶏は、中風の病を治すということなので今丁度秋に産卵したものをむやみに食べているところだ。

自春生成者,隨母向百翮。

春から産ませてこうして育ててきた雛が母鶏につき随っていたが、50羽になろうとしている。

驅趁制不禁,喧呼山腰宅。

これらは追い立てて来させまいと静止するが留めきれず、山の半腹の自宅の庭でがやがやと鳴きたてている。

(宗文を催し雞柵を樹てしむ)

吾 衰えて行邁を怯れ,旅次 崩迫を展ぶ。

愈風 烏雞を傳う,秋卵 方に漫喫す。

春自り生成する者は、母に随いて 百の翮【つばさ】に向【なんな】んとす。

駆【か】り趁【お】うも われは制し禁ぜずして、ニワトリは山腰の宅に 喧呼【けんこ】す。

《巻15-43 催宗文樹雞柵 -#2

課奴殺青竹,終日憎赤幘。

自分は朝から晩まで、紅いとさかをしたやつが憎たらしいほど騒ぐので、下僕たちに云いつけて青竹を伐採してこさせた。

蹋藉盤案翻,塞蹊使之隔。

大皿とか御膳とか踏んだり、敷いたり、ひっくり返したりすることを憎く思うので、火であぶり、路を塞いで鶏が我が物顔で来ないようにしようというものである。

牆東有隙地,可以樹高柵。

籬の東に空き地があるからそこへ、高い柵作りや竹籠作りを組み結って立てさせたのである。

避熱時來歸,問兒所為跡。

暑さを避けに出かけ、そして帰ってきて、子供(長男の宗文)にどのようにしていたのか問いただしてみた。

奴【やっこ】に課して 青き竹を殺せしめ、終日われは 赤き幘【かんむり】のニワトリを憎む。

踏み藉【ふ】みて盤や案をば翻(ひるがえ)せば、蹊【みち】を塞(ふさ)ぎて 之をして隔たしめんとす。

牆【かき】の東に隙地有り、以て高き柵を樹【た】つべし。

われは熱を避けしところより 時に来たり帰り、児に為せる所の跡を問う

 

《巻15-43 催宗文樹雞柵 -#3

織籠曹其令入不得擲。

お前たちは、籠を編んで、その中に鶏をあつめ、そして、組み分けして容れなさい、この時投げ入れるようなことはするな。

稀間可突過,嘴爪還席。

また網目が荒いとにわとりが突進して抜け出ることができるし、抜け出れば、今度は蓆座敷をくちばしや爪でよごすことになる。

我寬螻蟻遭,彼免狐貉厄。

だから柵を厳重にし、籠の網目をしっかり結えば、我々が螻蛄やありんこの鶏に喰われる運命を寛大にしてやることができるということだ。そして彼ら鶏には狐や貉からの厄難から免れることになるのだ。

應宜各長幼,自此均勍敵。

まさにこれから、ここに生きるそれぞれのものの長幼を決することになるし、これらの強弱の力を平均化させることになるのである。

籠柵念有修,近身見損益。

この籠柵を作るということは、これほど大切なことだが、いつも注意してみていて修理することを念頭に入れて置くようにせよ、これらを自分の責務として役割分担を決めてやりなさい。

また籠【かご】を織りて 其の内に曹【むらが】らしめ、なかに入れて擲【とびあが】るを得ざらしむ。

稀【まばら】なる間なれば 突過すべし、觜【くちばし】と距【つめ】は 還た席を汚さん。

我は螻蟻【ロウギ】がニワトリの遭を寛【ゆる】くし、彼(ニワトリ)は狐や貉【むじな】の厄【わざわい】を免れん。

応【まさ】に宜しく 各おの長、幼たらしめ、此れよりのちは 勍【つよ】き敵を均【ひと】しくすべし。

籠と柵は修むること有るを念【おも】い、身に近づけてその損と益とを見よ。

《巻15-43 催宗文樹雞柵 -#4

明明領處分,一一當剖析。

ここまで鶏の籠柵についてのやるべきことを理解したなら、それを実践に際して一一当否を分析してみることが大切だ。

不昧風雨晨,亂離減憂慼。

たとえ、風雨の朝であっても鶏が時を知らせるから、暗くないのとおなじであるし、鶏を君たちがきちんと世話をしてくれれば、乱世の際ではあるが自分の多くある憂いを間違いなく減少させてくれるのだ。

其流則凡鳥,其氣心匪石。

鶏というもの、鳥の社会では凡鳥であるが、その心は石のようにどこへでも転んでゆくようなものではなく、自分たちをしっかり守っている。

倚賴窮晏,撥煩去冰釋。

この者たちのおかげで自分は年老いたこの晩年を安らかに過ごせることだろうし、今までの煩わしさがさらりと無くなり、氷が解けていくようで、その煩わしさを払い除けられるのである。

未似尸翁,拘留蓋阡陌。

昔から晋の仙人、祝難翁が山東の北山で鶏千羽に名前を付けて飼い、呼べば来たので探しに行くことはなかったというのに憧れていたが、ここでは籠柵という飼い方をするので、いまだなまえをつけることになっていないが、今に、鶏が田のあぜ道の縦横に蓋をしたかのように一杯に増えてくることだろう。

明明に処分すべきを領せば、一一に当【まさ】に剖析【ボウセキ】すべし。

昧かず風雨の晨,亂離 憂慼を減ず。

其の流は則ち凡鳥なり,其の氣は心 石に匪らず。

倚賴して窮 晏【やす】し,煩を撥いて冰釋【ヒョウシャク】を去る。

未だ似ず 尸【シキョウ】の翁の,拘留して阡陌に蓋いしに。

夔州東川卜居図詳細 001 

 

《巻15-43 催宗文樹雞柵 -#4

『催宗文樹雞柵』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

催宗文樹雞柵 -#4

明明領處分,一一當剖析。

不昧風雨晨,亂離減憂慼。

其流則凡鳥,其氣心匪石。

倚賴窮晏,撥煩去冰釋。

未似尸翁,拘留蓋阡陌。

(下し文)
明明に処分すべきを領せば、一一に当【まさ】に剖析【ボウセキ】すべし。

昧かず風雨の晨,亂離 憂慼を減ず。

其の流は則ち凡鳥なり,其の氣は心 石に匪らず。

倚賴して窮 晏【やす】し,煩を撥いて冰釋【ヒョウシャク】を去る。

未だ似ず 尸【シキョウ】の翁の,拘留して阡陌に蓋いしに


(現代語訳)
ここまで鶏の籠柵についてのやるべきことを理解したなら、それを実践に際して一一当否を分析してみることが大切だ。

たとえ、風雨の朝であっても鶏が時を知らせるから、暗くないのとおなじであるし、鶏を君たちがきちんと世話をしてくれれば、乱世の際ではあるが自分の多くある憂いを間違いなく減少させてくれるのだ。

鶏というもの、鳥の社会では凡鳥であるが、その心は石のようにどこへでも転んでゆくようなものではなく、自分たちをしっかり守っている。

この者たちのおかげで自分は年老いたこの晩年を安らかに過ごせることだろうし、今までの煩わしさがさらりと無くなり、氷が解けていくようで、その煩わしさを払い除けられるのである。

昔から晋の仙人、祝難翁が山東の北山で鶏千羽に名前を付けて飼い、呼べば来たので探しに行くことはなかったというのに憧れていたが、ここでは籠柵という飼い方をするので、いまだなまえをつけることになっていないが、今に、鶏が田のあぜ道の縦横に蓋をしたかのように一杯に増えてくることだろう。

唐時代 地図山南 東・西道50
(訳注)

《巻15-43 催宗文樹雞柵 -#3

 宗文が杜甫から柵作りの仕事をまかせられたと言っても、もちろん宗文一人でやるわけではない。それは「奴に課して青竹を殺せしめる」と言っていることからも明らかである。この「奴」というのは、いままで出てきた杜甫の使用人の阿段、信行、伯夷、辛秀らであろう。だから宗文が実際に柵作りや竹籠作りの仕事をしたかどうかを疑う人もいる。浦起竜は「宗文を催すとは、必ず宗文自ら之を為すに非ざるなり。但だ奴に課して其の事を領するなり」(巻一之四)と言い、楊倫は「柵を樹て籠を織るは、本は奴僕の事なり。而して課して之を督()る者は、則ち宗文なり」(巻十三)と言う。たしかに宗文がどこまでその仕事に加わり、或いは加わらなかったかを見極めるのはむずかしい。

 杜甫は、しばらく熱さを避けていた所から帰ってくると、子供たちにどのように仕事をしたかを尋ね、#2「課奴殺青竹,終日憎赤幘。蹋藉盤案翻,塞蹊使之隔。牆東有隙地,可以樹高柵。避熱時來歸,問兒所為跡。」のように詠じて、今回#4は宗文に鶏の数を増やしていく様にときちんと飼育することを求めている。杜甫の農業経営が本格的に始まったと途をいう。また、鶏に名前を付ける前に、下僕たちに名前を付けていることに注目したい。

1506_示獠奴阿段》(獠奴の阿段に示す。)

1529_信行遠修水筒》

1907_課伐木》(伐木を課す)

1915_秋行官張望督促東渚耗稻向畢清晨遣女奴阿稽豎子阿段往問》

 

 

明明領處分,一一當剖析。

ここまで鶏の籠柵についてのやるべきことを理解したなら、それを実践に際して一一当否を分析してみることが大切だ。

領處分 鶏の籠柵についてのやるべきことを理解すること。

剖析 当否を分析してみることが大切である。

 

不昧風雨晨,亂離減憂慼。

たとえ、風雨の朝であっても鶏が時を知らせるから、暗くないのとおなじであるし、鶏を君たちがきちんと世話をしてくれれば、乱世の際ではあるが自分の多くある憂いを間違いなく減少させてくれるのだ。

不昧風雨晨 風雨の朝であっても鶏が時を知らせるから、暗くないのとおなじである。

 

其流則凡鳥,其氣心匪石。

鶏というもの、鳥の社会では凡鳥であるが、その心は石のようにどこへでも転んでゆくようなものではなく、自分たちをしっかり守っている。

其氣 鶏の元気とか、心意気。

心匪石 石は転んで丸くなってゆくもの、それが非ずであるというもの。

 

倚賴窮晏,撥煩去冰釋。

この者たちのおかげで自分は年老いたこの晩年を安らかに過ごせることだろうし、今までの煩わしさがさらりと無くなり、氷が解けていくようで、その煩わしさを払い除けられるのである。

倚賴 この者たち(鶏)のおかげ、たよること。

 自分は年老いたこの晩年を安らかに過ごせることだろう

 

未似尸翁,拘留蓋阡陌。

昔から晋の仙人、祝難翁が山東の北山で鶏千羽に名前を付けて飼い、呼べば来たので探しに行くことはなかったというのに憧れていたが、ここでは籠柵という飼い方をするので、いまだなまえをつけることになっていないが、今に、鶏が田のあぜ道の縦横に蓋をしたかのように一杯に増えてくることだろう。

 尸の祝鶏翁のこと。

杜甫奉寄河南葦草丈人餘土室,誰話祝雞翁。
私は昔の祝難翁のように尸郷に土室をのこしておりますが、あなたをおいてほかにだれが祝難翁と思っている私のことを話してくれるでしょう。
尸郷 尸郷は地名、河南侶師県の西二十里にある。○土室 穴居の場所。○誰話 他に話するものなく韋のみ話することをいう。○祝雞翁 洛陽の人で尸郷の北山の下に居り、百年あまり鶏千頭をかい、みな名前をつけ、呼べば名ざされたものは種別でやって来たという。一種の仙人であり、祝とは鶏をよぶ声である。邦、朱、祝、みなチュッチュッという音字である。祝雞翁は自己をたとえていう。『大清一統志』一二四晋の祝鶏翁は洛陽の人、山東の尸郷北山下におり、鶏を養うて千余頭に至る。皆名字あり、名を呼べばすなわち種別して至る。後のち呉山に之ゆき終る所を知るなしとある。」

奉寄河南韋尹丈人 杜甫

拘留 籠柵の中に、ひき留めて置くこと。

蓋阡陌 田のあぜ道の縦横に蓋をしたかのように一杯に増えてくること
杜甫55歳756年作品 

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