漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩 杜甫詳注1500

杜甫の詩をあまり知られていないものも取り上げる予定。約1500首。(杜詩詳注・全唐詩・杜甫詩 総合案内時系列に整理した)青春期遊学から長安を中心に就職活動の10年、やっと就職できたら、安史の乱、騒乱の中で自分の生きる道を求めて苦悩、騒乱のない地方へ逃避紀行、成都浣花渓草堂、騒乱回避、夔州寓居、そして漂白の旅。 ブログも2011年~2018年の計画で掲載進行中。。。都合、3往復、とらえ方を変えて掲載していく、2022年ごろ完成する予定である。(ここでは、訓読み下し分にできるだけルビをふりません。漢字の雰囲気で読んでほしいからで、また、意味、読みはすぐわかるようになります。)

杜甫の詩 誠実な詩人特集。2011・11月『士官がきまった。~安禄山の叛乱』期の詩。2011年12月は『反乱軍に捕まる。軟禁状態での詩』2012.1月は『反乱軍からの脱出劇、朝廷に到着・・・・』。2012.2月粛宗に許可をもらって家族を迎えに「北征」紀行を中心に掲載していきます。2012.3月は、朝廷での疎外感、やるせなさが伝わる詩です。2012.4月華州へ左遷、2012.5月三吏三別。秦州抒情9月、同谷紀行11月、成都紀行12月、2013.3現在、成都浣花渓の草堂、2013.12蜀中転々からふたたび成都草堂へ(杜甫全詩の約半分を掲載)・・・・・・そして成都を後にして、夔州へ、(2/3掲載)ここで人生の1/3の量の詩を書く。漂白の旅。紀行。杜甫の苦悩の内容的な変化、様子がよくわかります。
都合、3往復、とらえ方を変えて掲載していく、2022年ごろ完成する予定である。
このブログ以外にも、李白1000首、李商隠150首、韓愈全詩・韓愈グループ、などは別のブログで掲載中 kanbuniinkai 検索で、いろんな漢文委員会HP,ブログ を今までの漢詩紹介とは違っています。
中華書局 発行 杜詩詳注 を基本に訳注解説しています。
杜甫詩の概要目録につては、http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/details1.html 参照。

2015年03月

766年大暦元年55歲-45-#4奉節-36-#4 《巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -4》 杜甫index-15 杜甫<908-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5775

杜甫 巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -4  周の穆王の八駿の馬を使われたかのように、天子(玄宗)の御逃げになる御馬のあとに君はおともをする暇もないほどであった、その身は、私と同じように安史軍に軟禁され、国の主要部が、安史軍に支配され、その上大明宮は焼かれていて、どうして胸の懐いを遣るべきかに悲しみぬいた。

 

 
 2015年3月31日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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209-#3 《巻15-13 送楊少府赴選 -#3》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <209-#3> Ⅰ李白詩1445 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5773 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-45-#4奉節-36-#4 《巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -4》 杜甫index-15 杜甫<908-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5775 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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766年大暦元年55-45-4奉節-36-4 《巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -4 杜甫index-15 杜甫<908-#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5775

 

 

杜甫詩1500-908-#4-1326/2500766年大暦元年55-45-4

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二  杜少陵集 巻十六       文體:    五言古詩

詩題:    八哀詩八首:故祕書少監武功蘇公源明

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方  

兗州 (河南道 兗州 兗州) 別名:魯郡、魯中、東魯、東郡        

泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳        

萊蕪 (河南道 兗州 萊蕪)  

滎陽 (都畿道 鄭州 滎陽)  

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都  

交遊人物:蘇源明              詩文提及

 

八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明秘書少監蘇源明を哀しんだ詩。)

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔六〕死今は亡き秘書監で武功をたてられた蘇源明公を哀しんでよんだ詩。)

武功少也孤,徒步客徐兗。

武功の蘇君は幼少のときに孤児になり、徒歩きして徐州兗州の地方に客となり、自分も斉趙に一緒に遊んでいる。

讀書東岳中,十載考墳典。

東岳泰山の中の寺観で読書し、十年間かけて古典について考えた。

時下萊蕪郭,忍飢浮雲巘。

雲の浮かんでいる山に餞餓に堪え忍んで読書し、時おり萊蕪縣の城郭へおりてくるくらいのことであった。

負米晚為身,每食臉必泫。

晩に負米の労役をしたがそれは子路のごとく親を養うためでなく、親がいないから自己のためにしるので食事をするたびに頬が涙でぬれた。

 

(故秘書少監武功の蘇公源明)

武功少きや孤なり、徒歩 徐兗に客たり。

書を読む東岳の中、十載 墳典を考う。

時に萊蕪の郭に下る、飢えを忍ぶ浮雲の巘。

負米 晩に身の為にす、食する毎に臉必ず泫たり。

#2

夜字照爇薪,垢衣生碧蘚。

君はよく勉強し、夜の勉学の最中には薪をもやして文字を照らし、垢のついた衣には碧ごけが生えるほど没頭されていた。

庶以勤苦志,報茲劬勞顯。

できることなら、君の心中ではこれほどの勤苦の志でもっていることが、御両親の苦労なされたおぼしめしに報いたいものだということを見てもらいたかった。

學蔚醇儒姿,文包舊史善。

やがて君の学問は蔚然たる醇儒の姿をそなえ、文章は古代の歴史家の書きところをかねるようになった。

灑落辭幽人,歸來潛京輦。

さっぱりとした山に隠棲しているなかまを去って京師へもどってきても天子のお膝もとであるのにこつそりと住んだ。

 

夜字 爇薪に照らす、垢衣 碧蘇生ず。

庶わくは勤苦の志を以て、茲の劬勞の願いに報いんことを。』

学は蔚たり醇儒の姿、文は包ぬ 旧史の善。

灑落 幽人を辞し、帰来 京輦に潜む。

#3

射君東堂策,宗匠集精選。

そうして東堂で天子の御試験に応じたが、時の試験官はいずれも文章の大家で一粒えりというべき人たちが集められた。

制可題未乾,乙科已大闡。

受験の難きことは推して知るべしであるが、やがて及第の御許可が出て天子の御かきつけの墨もかわかぬうちに君の乙科及第の評判ははやくも世間にひろがった。

文章日自負,吏祿亦累踐。

文章において君は日ましに自己の力をたのんでいたが、掾吏の属官をもきらわず下の方からつぎつぎとのぼっていった

晨趨閶闔足蹋宿昔趼。

しかし太子論徳に任ぜられて禁城の御門へ、朝はやくでるようになっても、君は徒歩をつづけてむかしのままの足に豆して、ふみあるいていた。

君が東堂の策を射る、宗匠 精選を集む。

制可 題 未だ乾かず、乙科 己に大いに闡けたり。

文章 日々に自負す、吏祿 亦た累りに践めり。

晨に趨す 閶闔の内、足は踏む宿昔の趼。』

 

#4

一麾出守還,黃屋朔風卷。

それから京師より逐いだされ地方官(東平太守)掾吏の属官となって評価され、また都へもどった時に国子司業になったが、安禄山の乱がおこって天子の乗御の車蓋には北風が吹きまくって、どうしようもなかった。

不暇陪八駿,虜庭悲所遣。

周の穆王の八駿の馬を使われたかのように、天子(玄宗)の御逃げになる御馬のあとに君はおともをする暇もないほどであった、その身は、私と同じように安史軍に軟禁され、国の主要部が、安史軍に支配され、その上大明宮は焼かれていて、どうして胸の懐いを遣るべきかに悲しみぬいた。

平生滿尊酒,斷此朋知展。

すなわち平生なら樽に満ちた酒を心行くまで酌みかわして、朋友とのあいだで心のむすばれをほぐし、ひろげることができるのであるがそれがすっかりできなくなったのだ。

憂憤病二秋,有恨石可轉。

それで憂憤のあまり二度の秋を病気ですごされたし、この境遇におる恨みはもっていたが君の堅固な心は安史軍にはどうしても動かすことができなかった。

 

一麾 出守して還る、黃屋 朔風巻く。

八駿に陪するに暇あらず、虜庭 遣る所に悲しむ。

平生 樽の酒に満ち、此れを断つ 朋知の展を。

憂憤 病むこと二秋、恨み有り 石 転ず可し。

長安城皇城図 

 

『八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#4

一麾出守還,黃屋朔風卷。

不暇陪八駿,虜庭悲所遣。

平生滿尊酒,斷此朋知展。

憂憤病二秋,有恨石可轉。



(下し文)
一麾 出守して還る、黃屋 朔風巻く。

八駿に陪するに暇あらず、虜庭 遣る所に悲しむ。

平生 樽の酒に満ち、此れを断つ 朋知の展を。

憂憤 病むこと二秋、恨み有り 石 転ず可し。

(現代語訳)
それから京師より逐いだされ地方官(東平太守)掾吏の属官となって評価され、また都へもどった時に国子司業になったが、安禄山の乱がおこって天子の乗御の車蓋には北風が吹きまくって、どうしようもなかった。

周の穆王の八駿の馬を使われたかのように、天子(玄宗)の御逃げになる御馬のあとに君はおともをする暇もないほどであった、その身は、私と同じように安史軍に軟禁され、国の主要部が、安史軍に支配され、その上大明宮は焼かれていて、どうして胸の懐いを遣るべきかに悲しみぬいた。

すなわち平生なら樽に満ちた酒を心行くまで酌みかわして、朋友とのあいだで心のむすばれをほぐし、ひろげることができるのであるがそれがすっかりできなくなったのだ。

それで憂憤のあまり二度の秋を病気ですごされたし、この境遇におる恨みはもっていたが君の堅固な心は安史軍にはどうしても動かすことができなかった。


長安城漢唐
(訳注) 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 #4

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔六〕死今は亡き秘書監で武功をたてられた蘇源明公を哀しんでよんだ詩。)

○故秘書少監武功蘇公源明 蘇源明、初めの名は預、京兆武功の人、秘書少監となって卒した。杜甫25736年から45年行動を共にしている。杜甫とともに、儒者房琯グループ。くわしくは、八哀詩八首〔六〕#1参照。

<!--[if !supportLists]-->·         <!--[endif]-->766年大暦元年55-45-1奉節-36-1 《巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -1 杜甫index-15 杜甫<908-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5760

 

一麾出守還,黃屋朔風卷。

それから京師より逐いだされ地方官(東平太守)掾吏の属官となって評価され、また都へもどった時に国子司業になったが、安禄山の乱がおこって天子の乗御の車蓋には北風が吹きまくって、どうしようもなかった。

〇一出守還 地方長官となって地方に出てまた都へかえったことをいう。南朝·宋·顏延之《五君詠》「屢薦不入官,一麾乃出守。」(屡、薦むれども官に人らズ、一乃ち出守たり」と。一とはひとたび差し招いて去らしめることをいう。出守は中央から出されて郡守となることをいう。蘇源明は東平太守として都より出て、召し還されて国子司業となった。安禄山が都を陥れたとき、蘇源明は病気の故を以て偽署(安史軍に官を命ぜられること)を受けなかった。

○黄屋 天子の御乗車の車蓋、車蓋をもって帝位をさす。

○朔風巻 北風が吹きまく、安禄山の軍が幽燕薊の北方の地よりおこりその勢いの強盛であり、ウイグルの傭兵が多くいたことをいう。

 

不暇陪八駿,虜庭悲所遣。

周の穆王の八駿の馬を使われたかのように、天子(玄宗)の御逃げになる御馬のあとに君はおともをする暇もないほどであった、その身は、私と同じように安史軍に軟禁され、国の主要部が、安史軍に支配され、その上大明宮は焼かれていて、どうして胸の懐いを遣るべきかに悲しみぬいた。

○陪八駿 玄宗の蜀へ逃げたおともをする、周の穆王の八駿の故事(中国全土を巡るのに特別な馬(穆王八駿)を走らせていたと言われる。すなわち、土を踏まないほど速い「絶地」、鳥を追い越す「翻羽」、一夜で5,000km走る「奔霄」、自分の影を追い越す「越影」、光よりも速い「踰輝」と「超光」、雲に乗って走る「謄霧」、翼のある「挟翼」の8頭である。穆王はこの馬を駆って犬戎ら異民族を討った。)を用いる。

○虜庭 安史軍に占領された都の大明宮の丹庭をさす。

○悲所遣 定説がないが、安史軍が大明宮の宝物、珍品を略奪し、その後に火をかけたので、朝廷はよりどころを失っていたこと、靈武に行在所を移さざるをえなかったこと、国の50%以上が安史軍の支配下となった事、挙げればきりがないほどなり場のない、よりどころがない状態であった。100万の唐王朝軍が、10万から30万の安史軍に簡単に大敗したのである。

 

平生滿尊酒,斷此朋知展。

すなわち平生なら樽に満ちた酒を心行くまで酌みかわして、朋友とのあいだで心のむすばれをほぐし、ひろげることができるのであるがそれがすっかりできなくなったのだ。

○朋知展 展は展情、巻かれているこころをのべひろげることをいう。朋知は朋友知己。平日ならば懐いを遣る方法は朋友と樽酒を酌むことであるが、今はその方法がないことをいう。

 

 

憂憤病二秋,有恨石可轉。

それで憂憤のあまり二度の秋を病気ですごされたし、この境遇におる恨みはもっていたが君の堅固な心は安史軍にはどうしても動かすことができなかった。

〇二秋 756年天宝十五載(すなわち至徳元載)と757年至徳二載との両年の秋。杜甫は7574月、長安を脱出して鳳翔の行在所に駆け込んだ。

○石可転 心は転ずることができないということをいう、《詩経、邶風・柏舟》「我心匪石 不可転也。」(我が心石に匪ず、転ずべからず」とみえる。

《詩経、邶風・柏舟》

我心匪石、不可轉也。我が心 石に匪ず、轉がす可からざる也。

我心匪席、不可卷也。我心 席(むしろ)に匪ず、卷く可からざる也。

威儀棣棣、不可選也。威儀 棣棣(ていてい)として、選ぶ可からざる也。

 

安史の乱当時の勢力図 

 

 

 

〔六〕故秘書少監武功蘇公源明

(故秘書少監武功の蘇公源明)

武功少きや孤なり、徒歩 徐兗に客たり。

書を読む東岳の中、十載 墳典を考う。

時に萊蕪の郭に下る、飢えを忍ぶ浮雲の巘。

負米 晩に身の為にす、食する毎に臉必ず泫たり。

 

夜字 爇薪に照らす、垢衣 碧蘇生ず。

庶わくは勤苦の志を以て、茲の劬勞の願いに報いんことを。』

学は蔚たり醇儒の姿、文は包ぬ 旧史の善。

灑落 幽人を辞し、帰来 京輦に潜む。

 

君が東堂の策を射る、宗匠 精選を集む。

制可 題 未だ乾かず、乙科 己に大いに闡けたり。

文章 日々に自負す、吏祿 亦た累りに践めり。

晨に趨す 閶闔の内、足は踏む宿昔の趼。』

 

一麾 出守して還る、黃屋 朔風巻く。

八駿に陪するに暇あらず、虜庭 遣る所に悲しむ。

平生 樽の酒に満ち、此れを断つ 朋知の展を。

憂憤 病むこと二秋、恨み有り 石 転ず可し。

766年大暦元年55歲-45-#3奉節-36-#3 《巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -3》 杜甫index-15 杜甫<908-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5770

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 2015年3月30日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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50-§3-5 《上張僕射書-#10》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1357> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5769 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-45-#3奉節-36-#3 《巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -3》 杜甫index-15 杜甫<908-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5770 
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766年大暦元年55-45-3奉節-36-3 《巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -3》 杜甫index-15 杜甫<908-#3>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5770

 

 

杜甫詩1500-908-#3-1325/2500766年大暦元年55-45-3

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二  杜少陵集 巻十六       文體:    五言古詩

詩題:    八哀詩八首:故祕書少監武功蘇公源明

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方  

兗州 (河南道 兗州 兗州) 別名:魯郡、魯中、東魯、東郡        

泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳        

萊蕪 (河南道 兗州 萊蕪)  

滎陽 (都畿道 鄭州 滎陽)  

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都  

交遊人物:蘇源明              詩文提及

 

八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明秘書少監蘇源明を哀しんだ詩。)

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔六〕死今は亡き秘書監で武功をたてられた蘇源明公を哀しんでよんだ詩。)

武功少也孤,徒步客徐兗。

武功の蘇君は幼少のときに孤児になり、徒歩きして徐州兗州の地方に客となり、自分も斉趙に一緒に遊んでいる。

讀書東岳中,十載考墳典。

東岳泰山の中の寺観で読書し、十年間かけて古典について考えた。

時下萊蕪郭,忍飢浮雲巘。

雲の浮かんでいる山に餞餓に堪え忍んで読書し、時おり萊蕪縣の城郭へおりてくるくらいのことであった。

負米晚為身,每食臉必泫。

晩に負米の労役をしたがそれは子路のごとく親を養うためでなく、親がいないから自己のためにしるので食事をするたびに頬が涙でぬれた。

 

(故秘書少監武功の蘇公源明)

武功少きや孤なり、徒歩 徐兗に客たり。

書を読む東岳の中、十載 墳典を考う。

時に萊蕪の郭に下る、飢えを忍ぶ浮雲の巘。

負米 晩に身の為にす、食する毎に臉必ず泫たり。

#2

夜字照爇薪,垢衣生碧蘚。

君はよく勉強し、夜の勉学の最中には薪をもやして文字を照らし、垢のついた衣には碧ごけが生えるほど没頭されていた。

庶以勤苦志,報茲劬勞顯。

できることなら、君の心中ではこれほどの勤苦の志でもっていることが、御両親の苦労なされたおぼしめしに報いたいものだということを見てもらいたかった。

學蔚醇儒姿,文包舊史善。

やがて君の学問は蔚然たる醇儒の姿をそなえ、文章は古代の歴史家の書きところをかねるようになった。

灑落辭幽人,歸來潛京輦。

さっぱりとした山に隠棲しているなかまを去って京師へもどってきても天子のお膝もとであるのにこつそりと住んだ。

 

夜字 爇薪に照らす、垢衣 碧蘇生ず。

庶わくは勤苦の志を以て、茲の劬勞の願いに報いんことを。』

学は蔚たり醇儒の姿、文は包ぬ 旧史の善。

灑落 幽人を辞し、帰来 京輦に潜む。

#3

射君東堂策,宗匠集精選。

そうして東堂で天子の御試験に応じたが、時の試験官はいずれも文章の大家で一粒えりというべき人たちが集められた。

制可題未乾,乙科已大闡。

受験の難きことは推して知るべしであるが、やがて及第の御許可が出て天子の御かきつけの墨もかわかぬうちに君の乙科及第の評判ははやくも世間にひろがった。

文章日自負,吏祿亦累踐。

文章において君は日ましに自己の力をたのんでいたが、掾吏の属官をもきらわず下の方からつぎつぎとのぼっていった

晨趨閶闔足蹋宿昔趼。

しかし太子論徳に任ぜられて禁城の御門へ、朝はやくでるようになっても、君は徒歩をつづけてむかしのままの足に豆して、ふみあるいていた。

君が東堂の策を射る、宗匠 精選を集む。

制可 題 未だ乾かず、乙科 己に大いに闡けたり。

文章 日々に自負す、吏祿 亦た累りに践めり。

晨に趨す 閶闔の内、足は踏む宿昔の趼。』

 

長安城皇城図 

『八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#3

射君東堂策,宗匠集精選。

制可題未乾,乙科已大闡。

文章日自負,吏祿亦累踐。

晨趨閶闔足蹋宿昔趼。


(下し文)
君が東堂の策を射る、宗匠 精選を集む。

制可 題 未だ乾かず、乙科 己に大いに闡けたり。

文章 日々に自負す、吏祿 亦た累りに践めり。

晨に趨す 閶闔の内、足は踏む宿昔の

(現代語訳)
そうして東堂で天子の御試験に応じたが、時の試験官はいずれも文章の大家で一粒えりというべき人たちが集められた。

受験の難きことは推して知るべしであるが、やがて及第の御許可が出て天子の御かきつけの墨もかわかぬうちに君の乙科及第の評判ははやくも世間にひろがった。

文章において君は日ましに自己の力をたのんでいたが、掾吏の属官をもきらわず下の方からつぎつぎとのぼっていった

しかし太子論徳に任ぜられて禁城の御門へ、朝はやくでるようになっても、君は徒歩をつづけてむかしのままの足に豆して、ふみあるいていた。



(訳注) 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 #3

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔六〕死今は亡き秘書監で武功をたてられた蘇源明公を哀しんでよんだ詩。)

○故秘書少監武功蘇公源明 蘇源明、初めの名は預、京兆武功の人、秘書少監となって卒した。杜甫25736年から45年行動を共にしている。杜甫とともに、儒者房琯グループ。くわしくは、八哀詩八首〔六〕#1参照。

 長安城漢唐

射君東堂策,宗匠集精選。

そうして東堂で天子の御試験に応じたが、時の試験官はいずれも文章の大家で一粒えりというべき人たちが集められた。

○射君東堂策 射策とは試験を受けること、漢の時試験に対策と射策とがあり、対策は経義を以て顕わに問い、射策は難問疑義を甲乙の策(ふだ)に書き、問題をくじびきでとって答えさせた。杜甫《醉歌行》「只今年才十六七,射策君門期第一。」

醉歌行 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 94

君は天子をいう、東堂とは試験場のこと、唐の尚書省の東堂をいう。晋の武帝の時にも、もろもろの賢良・方正・直言(試験の科名)に詔して東堂に会して策間をうけさせたことがある。

○宗匠 文章の大家をいう、当時の試験官にして受験者の文を詮衡するものをさす。

○精選 大家の中よりさらにすぐりぬいたもの。

 

制可題未乾,乙科已大闡。

受験の難きことは推して知るべしであるが、やがて及第の御許可が出て天子の御かきつけの墨もかわかぬうちに君の乙科及第の評判ははやくも世間にひろがった。

○制可 天子の仰せごとによって可とする、これは可否の字を書して及第落第を定めるのである。

○題 答案に可否の字をかくこと。

○末乾 乾とは墨痕のかわくこと。

○乙科 唐では進士の試問に時務策五条と、一の大経(毛詩・左伝・礼記などは大経)に帖して(出題の前後の場所に張り紙してだすこと)試みた。そして経と策と全部得点すれば甲第、策は四を得、帖は四以上を得ればこれを乙第とした。乙科とは乙第のことをいっている。

○己大 及第の名声の世間にびろがることをいう。蘇源明伝によると、蘇源明、文詞に工みに天宝の間に名あり、進士に及第す、更に集賢院に試せしむ、といっている。

 

文章日自負,吏祿亦累踐。〔吏祿:掾吏【えんり】〕

文章において君は日ましに自己の力をたのんでいたが、掾吏の属官をもきらわず下の方からつぎつぎとのぼっていった

○文章日自負進 士に及第したのでますます文章においてみずからたのむところがあった。

〔吏祿:掾吏〕亦累践 掾吏は属官である、これは進士及第後、まだ太子諭徳となっていなかった、前の時期ことをさす。累践とは下級より上級へと其の地位をつぎつぎとふむこと。

吏祿 吏祿制度:公府掾。公府掾は、中央で実際に治事している吏だ。中央だけでなく、令長や丞尉にもなる。安帝紀にある。事例は史料におおい。みな公府が「治劇」「茂才」だから挙げた人材である。前漢の公府掾の地位は、比較的高いから、令になる。後漢の公府掾の地位がさがり、長がおおい。

 

晨趨閶闔足蹋宿昔趼。

しかし太子論徳に任ぜられて禁城の御門へ、朝はやくでるようになっても、君は徒歩をつづけてむかしのままの足に豆して、ふみあるいていた。

○趨闇閣内 趨はわき目を振らず、すこしははやくあるく、閶闔は漢の天子の宮門、太子の宮も禁城の内にあるので閶闔の内という。これは太子諭徳の官となったことをいう。

○宿昔 は足のまめ、蘇源明は貧賤のおり、足にまめをでかしたが、仕官してのちも、昔ながらの徒歩生活で足にでかしたまめを踏み歩いていたというのである。

「学蔚」十二句は及第仕官を叙する。

766年大暦元年55歲-45-#2奉節-36-#2 《巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -2》 杜甫index-15 杜甫<908-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5765

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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杜甫詩1500-908-#2-1324/2500766年大暦元年55-45-2

八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明秘書少監蘇源明を哀しんだ詩。)

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔六〕死今は亡き秘書監で武功をたてられた蘇源明公を哀しんでよんだ詩。)

武功少也孤,徒步客徐兗。

武功の蘇君は幼少のときに孤児になり、徒歩きして徐州兗州の地方に客となり、自分も斉趙に一緒に遊んでいる。

讀書東岳中,十載考墳典。

東岳泰山の中の寺観で読書し、十年間かけて古典について考えた。

時下萊蕪郭,忍飢浮雲巘。

雲の浮かんでいる山に餞餓に堪え忍んで読書し、時おり萊蕪縣の城郭へおりてくるくらいのことであった。

負米晚為身,每食臉必泫。

晩に負米の労役をしたがそれは子路のごとく親を養うためでなく、親がいないから自己のためにしるので食事をするたびに頬が涙でぬれた。

 

(故秘書少監武功の蘇公源明)

武功少きや孤なり、徒歩 徐兗に客たり。

書を読む東岳の中、十載 墳典を考う。

時に萊蕪の郭に下る、飢えを忍ぶ浮雲の巘。

負米 晩に身の為にす、食する毎に臉必ず泫たり。

#2

夜字照爇薪,垢衣生碧蘚。

君はよく勉強し、夜の勉学の最中には薪をもやして文字を照らし、垢のついた衣には碧ごけが生えるほど没頭されていた。

庶以勤苦志,報茲劬勞顯。

できることなら、君の心中ではこれほどの勤苦の志でもっていることが、御両親の苦労なされたおぼしめしに報いたいものだということを見てもらいたかった。

學蔚醇儒姿,文包舊史善。

やがて君の学問は蔚然たる醇儒の姿をそなえ、文章は古代の歴史家の書きところをかねるようになった。

灑落辭幽人,歸來潛京輦。

さっぱりとした山に隠棲しているなかまを去って京師へもどってきても天子のお膝もとであるのにこつそりと住んだ。

 

夜字 爇薪に照らす、垢衣 碧蘇生ず。

庶わくは勤苦の志を以て、茲の劬勞の願いに報いんことを。』

学は蔚たり醇儒の姿、文は包ぬ 旧史の善。

灑落 幽人を辞し、帰来 京輦に潜む。

 

 

『八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2

夜字照爇薪,垢衣生碧蘚。

庶以勤苦志,報茲劬勞顯。

學蔚醇儒姿,文包舊史善。

灑落辭幽人,歸來潛京輦。


(下し文)
夜字 爇薪に照らす、垢衣 碧蘇生ず。

庶わくは勤苦の志を以て、茲の劬勞の願いに報いんことを。』

学は蔚【うつ】たり醇儒の姿、文は包ぬ 旧史の善。

灑落 幽人を辞し、帰来 京輦に潜む。


(現代語訳)
君はよく勉強し、夜の勉学の最中には薪をもやして文字を照らし、垢のついた衣には碧ごけが生えるほど没頭されていた。

できることなら、君の心中ではこれほどの勤苦の志でもっていることが、御両親の苦労なされたおぼしめしに報いたいものだということを見てもらいたかった。

やがて君の学問は蔚然たる醇儒の姿をそなえ、文章は古代の歴史家の書きところをかねるようになった。

さっぱりとした山に隠棲しているなかまを去って京師へもどってきても天子のお膝もとであるのにこつそりと住んだ。



(訳注) 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明#2

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔六〕死今は亡き秘書監で武功をたてられた蘇源明公を哀しんでよんだ詩。)

○故秘書少監武功蘇公源明 蘇源明、初めの名は預、京兆武功の人、秘書少監となって卒した。杜甫25736年から45年行動を共にしている。杜甫とともに、儒者房琯グループ。

 

夜字照爇薪,垢衣生碧蘚。

君はよく勉強し、夜の勉学の最中には薪をもやして文字を照らし、垢のついた衣には碧ごけが生えるほど没頭されていた。

○夜字 夜みる文字。

爇薪 たきびをもやし、これを用いて光明をとるのである。

○碧 はこけのこと。

 

庶以勤苦志,報茲劬勞顯。

できることなら、君の心中ではこれほどの勤苦の志でもっていることが、御両親の苦労なされたおぼしめしに報いたいものだということを見てもらいたかった。

劬勞顯 父母の養育の願望をいう、「詩経」(蓼我)に「哀哀父母、生我劬勞。」(哀哀たる父母、我れを生みて苦労す。)劬もいたわり労することである。

以上起十二句は源明が孤児のために苦学したことをいう。

 

學蔚醇儒姿,文包舊史善。

やがて君の学問は蔚然たる醇儒の姿をそなえ、文章は古代の歴史家の書きところをかねるようになった。

學蔚 蔚は草木の茂るさま、学殖のあるさま。

○醇儒 純正な儒者。

○文包 包は包薙、内部にひろくつつんでいれておく。

○旧史書 旧史とは旧来の歴史家、たとえば司馬遷・班固の類をいう。

 

灑落辭幽人,歸來潛京輦。

さっぱりとした山に隠棲しているなかまを去って京師へもどってきても天子のお膝もとであるのにこつそりと住んだ。

灑落 人物のさっぱりとしたさま、此の語は「幽人」を形容する。

○辞幽人 辞は辞を告げて別れること、幽人とは山中に隠遁生活をなした人々をいう。

○潜京輦 潜とはひそかに住居すること、富貴権勢の門、朝廷内の学問の派閥・一党に入ることなどに奔走しないことをいう。京輦とは輦轂の下、天子のお膝もとの意。

766年大暦元年55歲-45-#1奉節-36-#1 《巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -1》 杜甫index-15 杜甫<908-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5760

奉節-36-1 《巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -1 杜甫(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔六〕死今は亡き秘書監で武功をたてられた蘇源明公を哀しんでよんだ詩。)武功の蘇君は幼少のときに孤児になり、徒歩きして徐州兗州の地方に客となり、自分も斉趙に一緒に遊んでいる。

 

 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-44-#10奉節-35-#10 《巻16-07 八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕 -10》 杜甫index-15 杜甫<907-10> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5755 
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766年大暦元年55-45-1奉節-36-1 《巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -1 杜甫index-15 杜甫<908-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5760

杜甫詩1500-908-#1-1323/2500766年大暦元年55-45-1

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    八哀詩八首:故祕書少監武功蘇公源明

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方  

兗州 (河南道 兗州 兗州) 別名:魯郡、魯中、東魯、東郡        

泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳        

萊蕪 (河南道 兗州 萊蕪)  

滎陽 (都畿道 鄭州 滎陽)  

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都  

交遊人物:蘇源明              詩文提及

 

 

八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明

武功少也孤,徒步客徐兗。

讀書東岳中,十載考墳典。

時下萊蕪郭,忍飢浮雲巘。

負米晚為身,每食臉必泫。

 

夜字照爇薪,垢衣生碧蘚。

庶以勤苦志,報茲劬勞顯。

學蔚醇儒姿,文包舊史善。

灑落辭幽人,歸來潛京輦。

 

射君東堂策,宗匠集精選。

制可題未乾,乙科已大闡。

文章日自負,吏祿亦累踐。

晨趨閶闔足蹋宿昔趼。

 

一麾出守還,黃屋朔風卷。

不暇陪八駿,虜庭悲所遣。

平生滿尊酒,斷此朋知展。

憂憤病二秋,有恨石可轉。

 

肅宗復社稷,得無逆順辨。

范曄顧其兒,李斯憶黃犬。

祕書茂松意,溟漲本末淺。

青熒芙蓉劍,犀兕豈獨剸。

 

反為後輩褻,予實苦懷緬。

煌煌齋房芝,事萬手搴。

垂之俟來者,正始徵勸勉。

不要懸黃金,胡為投乳

結交三十載,吾與誰遊衍。

 

滎陽復冥莫,罪罟已橫罥。

嗚呼子逝日,始泰則終蹇。

長安米萬錢,凋喪盡餘喘。

戰伐何當解,歸帆阻清沔。

尚纏漳水疾,永負蒿里餞。

 

詩文(含異文)

武功少也孤,徒步客徐兗【徒步寓徐兗】。

讀書東岳中,十載考墳典。

時下萊蕪郭,忍飢浮雲巘。

負米晚為身,每食臉必泫。

夜字照爇薪,垢衣生碧蘚【垢衣帶碧蘚】。

庶以勤苦志,報茲劬勞顯【報茲劬勞願】。

學蔚醇儒姿,文包舊史善。

灑落辭幽人【灑淚辭幽人】,歸來潛京輦。

射君東堂策【射策君東堂】【案:晉武帝詔諸賢良方正輩會東堂策問。】,宗匠集精選。

制可題未乾【制題墨未乾】,乙科已大闡【案:經策全得為甲科,策得四帖以上為乙科。】【休聲已大闡】。

文章日自負,吏祿亦累踐【掾吏亦累踐】。

晨趨閶闔,足蹋宿昔趼。

一麾出守還,黃屋朔風卷。

不暇陪八駿,虜庭悲所遣。

平生滿尊酒,斷此朋知展。

憂憤病二秋,有恨石可轉【有恨不可轉】。

肅宗復社稷,得無逆順辨。

范曄顧其兒,李斯憶黃犬。

祕書茂松意,溟漲本末淺。【案:以上二句一作:祕書茂松色,屢扈祠壇前。前後百卷文,枕藉皆禁臠。篆刻揚雄流,溟漲本末淺。】【案:一本作:祕書茂松色,再從祠壇前。前後百卷文,枕藉皆禁臠。篆刻揚雄流,溟漲本末淺。】【案:一本又作:祕書茂松色,屢侍祠壇前。前後百卷文,枕藉皆禁臠。制作揚雄流,溟漲本末淺。】

青熒芙蓉劍,犀兕豈獨剸【案:止兗切。】。

反為後輩褻,予實苦懷緬。

煌煌齋房芝【案:漢武帝有〈芝房歌〉,時宰相王璵以祈禱媚上,源明極言之。】,事萬手搴【案:音蹇。】【事終萬手搴】。

垂之俟來者,正始徵勸勉【正始貞勸勉】。

不要懸黃金【不惡懸黃金】,胡為投乳【案:音畎。】【胡為投亂】。

結交三十載,吾與誰遊衍。

滎陽復冥莫,罪罟已橫罥【案:音泫。】。

嗚呼子逝日,始泰則終蹇【始泰郎終蹇】。

長安米萬錢,凋喪盡餘喘。

戰伐何當解,歸帆阻清沔。

尚纏漳水疾,永負蒿里餞。

 


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766年大暦元年55歲-44-#10奉節-35-#10 《巻16-07 八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕 -10》 杜甫index-15 杜甫<907-10> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5755

奉節-35-10 《巻16-07 八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕 -10 杜甫  今や朝廷においては君臣ともにまだ吐蕃・ウイグル軍に対しての兵事を論じ、武臣で朝命にしたがわぬもの、降将であったものなどともがらは、西域から其の地遠く燕薊までつづいている。この時、李邕公の遺詩「六公篇」を朗らかに詠じてみると、心配のため胸が憂いで覆われていたが、心もからりとして、きりひらかれたような心地がするのである。
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 2015年3月27日の紀頌之5つのBlog 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog花間集』全詩訳注解説(改訂版)-33韋荘111《巻3-11 天仙子五首 其四》三巻11-〈111〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5757 
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766年大暦元年55-44-10奉節-35-10 《巻16-07 八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕 -10 杜甫index-15 杜甫<907-10 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5755

杜甫詩1500-907-10-1322/2500766年大暦元年55-44-10

 

 

年:766年大暦元年55-

卷別:卷二二二 杜少陵集巻16 7首目       文體:    五言古詩

詩題:八哀詩八首〔五〕贈祕書監江夏李公邕

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂

及地點:              鄂州 (江南西道 鄂州 鄂州) 別名:江夏         

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下    

臨淄亭 (河南道 青州 臨淄)             

東都 (都畿道 河南府 東都) 別名:東京        

青州 (河南道 青州 青州) 別名:北海

汶陽 (河南道 兗州 汶陽)  

 

八哀詩八首 幷序

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、その序文をのべる。)

傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。

自分は各地で叛乱や盗賊のようなことがおさまらないのを傷んで、感興のわくまま王・李の二公からはじめて、旧友のことを嘆じたり、賢相のことをおもったりして相国張九齢までで終った。

八公前後存歿,遂不詮次焉。

その八人の諸公はたがいにあとさきになくなった。それでこの作はその生存の順序をかんがえてそのとおりに順序だてることはしなかったのである。

 

(八哀詩八首 幷びに序)

時の盗賊未だ息まざるを傷み、王公李公より興起し、旧を嘆じ賢を懐い、張相国に終る。

八公前後存歿す、遂に銓次せず。

 

 

李邕を哀しんだ詩。

八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕

 

#1

長嘯宇宙間,高才日陵替。

自分は宇宙の間にむかって長哺してみるのに、高い才能ある人物は日日すたれてゆくようだ。

古人不可見,前輩複誰繼。』

古人は見ることはできぬ。古人にも近いような前輩もなくなる、だれが前輩のあとを継ぐというのだ。

憶昔李公存,詞林有根柢。

自分は昔のことをおもいだしてみる、まだ我が李邕公が存在しておられたとき、公がいる文壇はしっかりとした学問の根源ができあがった。

聲華當健筆,灑落富清制。

公の名声は赫赫たるものであったがそれは公の健筆に相当したもので虚名ではなく、公はさっぱりとした清らかな製作をたくさんもっておられた。

 

(贈秘書監江夏の李公邕)

長嘯す 宇宙の間、高才 日々に陵替す。

古人見る可からず、前輩をば復た誰か維がん。』

憶う昔 李公の存せしとき、詞林 根抵有り。

声華 健筆に当たる、灑落 清製 富めり。

 

#2

風流散金石,追琢山嶽

したがってその風流文彩は金石碑版のうえに散布せられ、雕琢して建てられた石碑があり、山岳の崖の岩肌にはするどく雕みこまれた。

情窮造化理,學貫天人際。

其の文章は情においては、造化の理を窮めるものであり、学においては、天人の際を貫くものがあった。

幹謁走其門,碑版照四裔。

求める所あって李邕公に面会を乞うものは争って公の門へと走った。そうして公から書いてもらった碑版の文章は四方の遠地にかがやいた。

各滿深望還,森然起凡例。

其の文章の法は森然としで一般原則を創立するに足るほどであり、もちろん頼みに来た人々はめいめい多大の希望を満足させてもどっていった。

 

#2

風流 金石に散ず、迫琢 山岳 鋭鎖し。

情は窮む 造化の理、学は貫く 天人の際。

幹謁 其の門に走る、碑版 四裔を照らす。

各々の深望を満たして還る、森然 凡例を起こす。

 

#3

蕭蕭白楊路,洞徹寶珠惠。

あの蕭々としたさびしく白楊樹の立っている墓道は、連珠のすきとおるような並木であり、李邕公の墓碑には宝珠のような碑文の字に恵まれている。

龍宮塔廟湧,浩劫浮雲衛。

ここは、竜宮を思わせる大塔や霊廟が湧き出るようにあり、その墓碑に記された李邕公の文章は幾千万年も浮雲がそれを護衛するだろう。

宗儒俎豆事,故吏去思計。

人より宗とし貴ばれる儒者の祭器に関係した事を学宮の碑とし、故吏が前上司を慕うための手段としたもので遺愛の碑をたてようとしたのである。

眄睞已皆虛,跋涉曾不泥。

それらはこれを観にくる人はやっといま来た人がいなくなったかとおもうとまたあとの人が次々にやってくる、そして、遠方から山水を跋涉してでも頓着なくやってくるのである。

向來映當時,豈獨勸後世。

李邕公の碑文の内容は、公の生存されていた前から時にあたってすでにかがやいているので、決して後世のものにだけ勧戒をのこすにはとどまらないのであることはいうまでもない。

 

蕭蕭たる白場の路、洞徹宝珠を恵す。

竜宮 塔廟湧く、浩劫 浮雲衛る。

宗儒 俎豆の事、故吏 去恩の計。

眄睞 己に皆虚し、跋涉 曾て泥まず。

向来当時に映ず、豈に 独り後世に勧むるのみならんや。


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766年大暦元年55歲-44-#9奉節-35-#9 《巻16-07 八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕 -9》 杜甫index-15 杜甫<907-9> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5750

奉節-35-9 《巻16-07 八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕 -9 杜甫  張相国(張説)のことは、かれこれ是非を品評されたが李邕公と張説相国とは仲がわるくてつかみあいでもせんばかりであったもので、この事が、李邕公の身にとって、もっとも危い次第となったのである。

 

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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766年大暦元年55-44-9奉節-35-9 《巻16-07 八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕 -9 杜甫index-15 杜甫<907-9 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5750

 

杜甫詩1500-907-9-1321/2500766年大暦元年55-44-9

 

 

年:766年大暦元年55-

卷別:    卷二二二                杜少陵集 巻16 7首目  文體:       五言古詩

詩題:八哀詩八首〔五〕贈祕書監江夏李公邕

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂

及地點:              鄂州 (江南西道 鄂州 鄂州) 別名:江夏         

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下    

臨淄亭 (河南道 青州 臨淄)             

東都 (都畿道 河南府 東都) 別名:東京        

青州 (河南道 青州 青州) 別名:北海

汶陽 (河南道 兗州 汶陽)  

 

 

#8

伊昔臨淄亭,酒酣托末契。

むかし(745年天寶4年)、自分は河南道 青州 臨淄郡にある臨猫の歴下亭で酒宴において李邕公と末実を託したことがある。

重敘東都別,朝陰改軒砌。』

その時、かねての東都(洛陽)でお会いして以来の別意を重ねて叙し、ながく語りつづけていつしかの階のみぎりに日影が傾いて影指す夕方までにさえなったことがある。

論文到崔蘇,指盡流水逝。

李邕公は文章を論じて「文章四友」李嶠、蘇味道、崔融におよび、前人を指おりかぞえて歳月流水の感歎を発せられた。

近伏盈川雄,未甘特進麗。

李邕公は近代では「初唐四傑」のひとりである、盈川の長官であった楊烱の雄筆に敬服しておられ、たが特進・同中書門下三品であった「文章四友」李嶠の六朝の流れの綺麗なのには満足しておられなかった。

 

伊れ昔 臨淄【りんし】の亭、酒 酣【たけなわ】にして末契に托す。

重ねて叙す 東都の別、朝陰 軒砌に改まる。』

論文 崔蘇に到る、指し尽くす 流水の逝くを。

近くは盈川の雄なるに伏するも、未だ甘んぜず 特進の麗かなるに。

 

#9

是非張相國,相扼一危脆。

張相国(張説)のことは、かれこれ是非を品評されたが李邕公と張説相国とは仲がわるくてつかみあいでもせんばかりであったもので、この事が、李邕公の身にとって、もっとも危い次第となったのである。

爭名古豈然,鍵捷欻不閉。

文士は名を争うというのは古代において必ずしもそうしたわけのものではないのだが、李邕公は心にかんぬきをかけてしめくくるということをせずにおられた。

例及吾家詩,曠懷掃氛翳。

この点において李邕公にすこし欠陥があるということで、いつも話が吾が杜家の詩の号こととなると李邕公は胸中をからりとしてもやもやとした色眼鏡で見る事を取っ払って談じられた。

慷慨嗣真作,咨嗟玉山桂。

李邕公は吾が祖父杜審言の「和李大夫嗣眞奉使存撫河東」(李大夫嗣真の使を奉じて河東を存撫するに和す)詩をよんで憤慨し、これを嘆美して「玉山の桂」だといっておられた。

鐘律儼高懸,鯤鯨噴迢遞。』

そして、儼然として高く懸かれる鐘の律音だといわれ、波を吹いて、はるかにゆく鯤鯨だとまでいわれた。 』

是非す 張相国、相扼して一に危脆なり。

名を争う 古 豈に然らんや、鍵捷 欻【たちま】ち閉じず。

例 吾が家の詩に及べば、曠懷 氛翳【ふんえい】を掃う。

憤慨す 嗣真【ししん】が作、咨嗟す 玉山の桂。

鐘律 儼として高く懸かり、鯤鯨 噴いて遥かに遞【ゆ】く。』

10

坡陀青州血,蕪沒汶陽瘞。

哀贈竟蕭條,恩波延揭厲。

子孫存如線,舊客舟凝滯。

君臣尚論兵,將帥接燕薊。

朗吟六公篇,憂來豁蒙蔽。』

 

披陀たる青州の血、薫没す投陽の瘞。

哀贈 克に粛条たり、恩波 揭厲を延く。

子孫 存すること棟の如し、旧客舟凝滞す。

君臣尚お兵を論ず、将帥 燕薊に接す。

朗詠す六公の篇、憂い来たって蒙蔽 豁なり。』

 

 安史の乱当時の勢力図

八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#9

是非張相國,相扼一危脆。

爭名古豈然,鍵捷欻不閉。

例及吾家詩,曠懷掃氛翳。

慷慨嗣真作,咨嗟玉山桂。

鐘律儼高懸,鯤鯨噴迢遞。』


(下し文)
是非す 張相国、相扼して一に危脆なり。

名を争う 古 豈に然らんや、鍵捷 【たちま】ち閉じず。

例 吾が家の詩に及べば、曠懷 氛翳【ふんえい】を掃う。

憤慨す 嗣真【ししん】が作、咨嗟す 玉山の桂。

鐘律 儼として高く懸かり、鯤鯨 噴いて遥かに遞【ゆ】く。』

(現代語訳)
張相国(張説)のことは、かれこれ是非を品評されたが李邕公と張説相国とは仲がわるくてつかみあいでもせんばかりであったもので、この事が、李邕公の身にとって、もっとも危い次第となったのである。

文士は名を争うというのは古代において必ずしもそうしたわけのものではないのだが、李邕公は心にかんぬきをかけてしめくくるということをせずにおられた。

この点において李邕公にすこし欠陥があるということで、いつも話が吾が杜家の詩の号こととなると李邕公は胸中をからりとしてもやもやとした色眼鏡で見る事を取っ払って談じられた。

李邕公は吾が祖父杜審言の「和李大夫嗣眞奉使存撫河東」(李大夫嗣真の使を奉じて河東を存撫するに和す)詩をよんで憤慨し、これを嘆美して「玉山の桂」だといっておられた。

そして、儼然として高く懸かれる鐘の律音だといわれ、波を吹いて、はるかにゆく鯤鯨だとまでいわれた。 』



(訳注) #9

八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、死後に代宗から秘書監を贈られた広陵江都県(江夏)の李邕を哀しんでよんだ詩。)〔五〕

○贈秘書監江夏季公邕 李邕をいう、北海太守李邕のお相伴をして歴下の亭で宴に同席したことをのべる。745年天宝四載34歳の作。

陪李北海宴歴下亭 杜甫

杜甫《奉贈韋左丞丈二十二韻》「李邕求識面,王翰願蔔鄰。」(李邕面を識らんことを求め、王翰隣を蔔せんと願う。)現代では李邕も私のかおをしりたいと求め  王翰も占いをして私の隣に住みたいと願った。

奉贈韋左丞丈二十二韻  杜甫

杜甫《同李太守登歷下古城員外新亭》  
李之芳が造った歴下の古城の新字にのぼって李邕が詩を作った。此の詩はそれに和したものである。

同李太守登歷下古城員外新亭 杜甫

李邕に関しては上記にあげた、《陪李北海宴歴下亭》《奉贈韋左丞丈二十二韻》《同李太守登歷下古城員外新亭》がある。李邕(678 - 747年)は、中国唐代の書家。広陵江都県(現・江蘇省蘇州市江都区)の人で、字は泰和。『文選』の注釈で有名な李善の子である。盛唐の名臣で、留台侍御史のときに譙王李重福を討伐して戦功を挙げた。玄宗のとき北海太守に任命されたので、世に李北海と呼ばれる。英才で文名高く、また行書の名手であった。碑文の作に優れ、撰書すること実に800本にのぼり、巨万の富を得たといわれる。晩年は唐の宗室である李林甫に警戒され、投獄され杖殺されて非業の死を遂げた。

杜甫《陪李北海宴歴下亭》

杜甫《同李太守登歷下古城員外新亭》  
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夔州東川卜居図詳細 001 

是非張相國,相扼一危脆。

張相国(張説)のことは、かれこれ是非を品評されたが李邕公と張説相国とは仲がわるくてつかみあいでもせんばかりであったもので、この事が、李邕公の身にとって、もっとも危い次第となったのである。

○是非 かれこれと評論する。

○張相国 張説をいう。玄宗は粛至忠を誅し、張説を召して中書令となし燕国公に封じた。東封して還るや張説を以て尚書左丞相となした。李邕は元来張説を軽んじていたので張説は甚だ彼を悪んだ。

○相扼 扼はもつ、おさえつける。つかみあいをはじめるという意の類。両人の交情のわるいことをいう。

○危脆 あやうく、もろし、張説が中書令であった時に李邕が陳州刺史であった時の臓事があばかれ李邕は獄に下され、死罪に当たるとされたが孔璋に救われたということ。

 

爭名古豈然,鍵捷欻不閉。

文士は名を争うというのは古代において必ずしもそうしたわけのものではないのだが、李邕公は心にかんぬきをかけてしめくくるということをせずにおられた。

○古豈然 魏の文帝の「典論」に、「文人相輕、自古而然。」(文人相い軽んず、古より然り)とある、句はこれを逆に用いている。

○鍵捷欻不閉 「老子」に「善閉無関鍵、而不可開。 善結無繩約、而不可解。」( 善く閉ずるものは関鍵なくして、開くべからず。 善く結ぶものは縄約なくして、解くべからず。らず)とみえる。注に横にとざす木を関、たでにとざす木を楗というといっている。鍵は楗と通ずる。ここの関鍵は心の戸締りをいう。李邕がすこしく心にしめくくりの無かったことをいう。

 

例及吾家詩,曠懷掃氛翳。

この点において李邕公にすこし欠陥があるということで、いつも話が吾が杜家の詩の号こととなると李邕公は胸中をからりとしてもやもやとした色眼鏡で見る事を取っ払って談じられた。

○例及 例は例のごとく、いつも、の意。

○吾家詩 吾が社家の詩、作者の祖父杜審言をさす。

○曠懷 ひろいむね。

○掃氛翳 もや、ひかげのないこと。

 

慷慨嗣真作,咨嗟玉山桂。

李邕公は吾が祖父杜審言の「和李大夫嗣眞奉使存撫河東」(李大夫嗣真の使を奉じて河東を存撫するに和す)詩をよんで憤慨し、これを嘆美して「玉山の桂」だといっておられた。

○憤慨 李邕がそれに感じて憤慨することをいう。

嗣真作 杜審言が作った「和李大夫嗣眞奉使存撫河東」(李大夫嗣真の使を奉じて河東を存撫するに和す)詩をさす。詩の原文は参考のために後に掲げる。初唐において五言排律の長篇でこのようなものはすくない。以て作者の家学の本づく所を知ることができる。

〇番嵯 李邕が感じてなげく。

○玉山桂 晋の郄詵【げきしん】が武帝に対えでいうのに、臣は賢良対策に挙げられ天下第一である、まるで桂林の一枝、崑崙山の玉のようだ、と。玉山は崑崙山をいう、玉山の桂とは郄詵が言った二事を一事として用いたものである、杜審言の詩辞の秀抜なのをたとえる。

 

鐘律儼高懸,鯤鯨噴迢遞。』

そして、儼然として高く懸かれる鐘の律音だといわれ、波を吹いて、はるかにゆく鯤鯨だとまでいわれた。 』

○鐘律 杜審言の詩の音調の和雅なことをいう。

〇鯤鯨 大魚をいう、杜審言の詩の勢いの壮んなのに此する。

○噴 潮水をふく。

○迢遞 はるかにゆく。

以上「論文」十四句は李邕が詩文を評論したことをのべる。

 

 

 

 

 

典論(てんろん)は魏の文帝(曹丕)の文学論、文学書。全5巻、100篇。魏の明帝(曹叡)の代に刊石されたが、裴松之の時代(南朝宋)はまだ存在していた。その後、『太平御覽』の引く『戴延之西征記』によると典論の石碑は六碑あったが、東晋末には4つ存在し2つが無くなっていた。唐代に石本はなくなり、宋代に写本も散逸した。現在見ることが出来るのは、『文選』に収められた「論文」篇だけだが、『全三國文』は『典略』等から典論を復元し、19(内、篇名があるのは13)を収めている。

逸話

崑崙山(こんろんざん)の峰は地の頭にあたる。ここは天帝の下界における都なので、弱水という深い川によって外界とさえぎられ、炎を噴き出す山に周りを囲まれている。山上に住む鳥獣や草木の類は、皆火炎の中で生まれ、成長して行く。そこでここには「火浣布」(火で洗う布)という布地を産するが、それは山の草木の皮や繊維でか、あるいは、鳥獣の毛で作った物である。漢の頃、西域からこの布地を献上して来たことがあるが、その後長いこと見られなかった。ところが、魏の初め頃になって、人々はそのような布が存在しないのではないかと疑問を持った。文帝(曹丕)は、だいたい火の性は容赦なく焼き尽くすものであって、生命の気を残す余地など無いはずであると考え、『典論』でこれがあり得ないことを論証し、もの知りの聞きかじりの智識を否定した。さらに明帝(曹叡)が即位するに及び、三公に対して、「先帝(曹丕)が著わし給うた『典論』は不朽の格言である。これを碑に刻み、霊廟の外及び太学に建て、石経と共に永く世に示そうぞ」と詔を下した。ところがそこへ、西域の使者が火浣布で作った袈裟を献上して来たので、石碑に刻まれた『典論』のこの部分は削り取られることになり、天下のもの笑いとなったのであった。


杜甫55歳756年作品 

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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年:766年大暦元年55-

卷別:    卷二二二                杜少陵集 巻16 7首目  文體:       五言古詩

詩題:八哀詩八首〔五〕贈祕書監江夏李公邕

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂

及地點:              鄂州 (江南西道 鄂州 鄂州) 別名:江夏         

洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下    

臨淄亭 (河南道 青州 臨淄)             

東都 (都畿道 河南府 東都) 別名:東京        

青州 (河南道 青州 青州) 別名:北海

汶陽 (河南道 兗州 汶陽)  

 

 

#8

伊昔臨淄亭,酒酣托末契。

むかし(745年天寶4年)、自分は河南道 青州 臨淄郡にある臨猫の歴下亭で酒宴において李邕公と末実を託したことがある。

重敘東都別,朝陰改軒砌。』

その時、かねての東都(洛陽)でお会いして以来の別意を重ねて叙し、ながく語りつづけていつしかの階のみぎりに日影が傾いて影指す夕方までにさえなったことがある。

論文到崔蘇,指盡流水逝。

李邕公は文章を論じて「文章四友」李嶠、蘇味道、崔融におよび、前人を指おりかぞえて歳月流水の感歎を発せられた。

近伏盈川雄,未甘特進麗。

李邕公は近代では「初唐四傑」のひとりである、盈川の長官であった楊烱の雄筆に敬服しておられ、たが特進・同中書門下三品であった「文章四友」李嶠の六朝の流れの綺麗なのには満足しておられなかった。

 

伊れ昔 臨淄【りんし】の亭、酒 酣【たけなわ】にして末契に托す。

重ねて叙す 東都の別、朝陰 軒砌に改まる。』

論文 崔蘇に到る、指し尽くす 流水の逝くを。

近くは盈川の雄なるに伏するも、未だ甘んぜず 特進の麗かなるに。

 

 

八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#8

伊昔臨淄亭,酒酣托末契。

重敘東都別,朝陰改軒砌。』

論文到崔蘇,指盡流水逝。

近伏盈川雄,未甘特進麗。



(下し文)
伊れ昔 臨淄【りんし】の亭、酒 酣【たけなわ】にして末契に托す。

重ねて叙す 東都の別、朝陰 軒砌に改まる。』

論文 崔蘇に到る、指し尽くす 流水の逝くを。

近くは盈川の雄なるに伏するも、未だ甘んぜず 特進の麗かなるに。

(現代語訳)
むかし(745年天寶4年)、自分は河南道 青州 臨淄郡にある臨猫の歴下亭で酒宴において李邕公と末実を託したことがある。

その時、かねての東都(洛陽)でお会いして以来の別意を重ねて叙し、ながく語りつづけていつしかの階のみぎりに日影が傾いて影指す夕方までにさえなったことがある。』

李邕公は文章を論じて「文章四友」李嶠、蘇味道、崔融におよび、前人を指おりかぞえて歳月流水の感歎を発せられた。

李邕公は近代では「初唐四傑」のひとりである、盈川の長官であった楊烱の雄筆に敬服しておられ、たが特進・同中書門下三品であった「文章四友」李嶠の六朝の流れの綺麗なのには満足しておられなかった。



(訳注)

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766年大暦元年55歲-44-#7奉節-35-#7 《巻16-07 八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕 -7》 杜甫index-15 杜甫<907-7> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5740

奉節-35-7 《巻16-07 八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕 -7 杜甫  かかる禍のきざはしにはなにがなったかといえば公が以前から人の謗りをうけておられたということに外ならぬのであり、当路者にしてみれば李邕公をおしのけるにはさほどむずかしくはなかったであろうに、かくまでにしてしまったのはなんというひどい害しかたであるか。

 

  

 
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杜甫詩1500-907-7-1319/2500766年大暦元年55-44-7

 

 

#4

豐屋珊瑚鉤,騏驎織成罽。

碑文の謝礼としては、富める家で用いる珊瑚の簾鉤であったり、麟鱗を模様に出した毛織物の緞通などであり、李邕の書いたものはそれぐらいの評判がたかかったのである。

紫騮隨劍幾,義取無虛

だから、紫がかった栗毛駿馬のあとに剣だの脇息だのがつきしたがってくるというのと同じように、李邕の書いた詩文・碑文にたいしてもらってしかるべきものをもらうということを年年同じようにされ止まることが無かった。

分宅驂間,感激懷未濟。

しかし李邕公は他人の困窮に感じたときには、「自宅を分けて彼らを置いてやり」ようなことや、或は「駿馬を解いて与えてやったり」するように慈善事業をしながらもまだ尽くしたりないというほどにかんがえておられた。

眾歸賙給美,擺落多藏穢。

だから多くの人々が李邕公は他人にめぐみあたえてやる美徳をもった人だといい、ため込み主義の人だなどいう紛らわしい評判がでてもそれをはらいおとしてしまうことができた。

 

豊屋 珊瑚の鉤、麟麟 織成の罽【けい】。

紫騮 劍幾 随う、義取 虚歳 無し。

分宅 の間、感激 未済を懐く。

衆は帰す賙給の美、擺落す多蔵の穢。

 

#5

獨步四十年,風聽九皋唳。

李邕公はその当時に独歩すること四十年、その名声の高いことは九皐に鳴く鶴のこえが風につれてきこえるごとくであった。

嗚呼江夏姿,竟掩宣尼袂。

それがなんとしたことか、まあ李邕公の姿は、むかし孔子が麟麟を見て袂を反して欺かれたという話のように「吾が道窮せり矣」の運命となられたのである。

往者武后朝,引用多寵嬖。

むかし則武天の王朝には用いられた人たちはいやしい張昌宗・張易之兄弟の輩の微賤のものが多かった。

否臧太常議,面折二張勢。

その時に公は太常博士の議論を可否して諒の贈りかたに反対したり、飛ぶ鳥もおとすほど庵張氏兄弟の勢いを、まのあたりにし、挫いたりした。

 

独歩 四十年、風に聴く九皐の唳【れい】。

鳴呼江夏の姿、竟に掩う宣尼【せんじ】が袂。

往者 武后の朝、引用 寵嬖【ちょうへい】多し。

否臧【ひぞう】す 太常の議、面折す 二張の勢い。

 

#6

衰俗凜生風,排蕩秋旻霽。

そのため衰微した風俗もぴりっとして恐れをいだいてひきしまり、悪燭の雲霧がはらいのけられて秋の空がからりとはれわたったようになった。

忠貞負冤恨,宮闕深旒綴。』

その公が息貞の身を以て冤恨を抱くに至ったのはまったく天子が九重の奥におわして冤流の房深く目を蔽われてござられたからである。』

放逐早聯翩,低垂困炎厲。

やがて李邕公はひきつづいて中央から地方へ放逐せられ、つばさをしおられて、たれて炎熱と瘴癘の地方にいきくるしまれた。

日斜鵩鳥入,魂斷蒼梧帝。

その配所の舎には賈誼のように、夕方、鵩鳥が飛びこんでき、君を恋う魂は断えて舜の妃嬪が舜帝をおもうがごときものがあった。

 

衰俗 凛として風を生ず、排蕩 秋旻【しゅうびん】霽【は】れたり。

忠貞 冤恨を負う、宮闕 旒綴【りゅうてい】探し。』

放逐 早く聯翩たり、低垂 炎厲に困しむ。

日斜めにして 鵩鳥入る、魂は断ゆ 蒼梧の帝。

 

#7

榮枯走不暇,星駕無安

李邕公は栄枯の境に駆られて走るにも暇がなく、星が出ている間にその位置を見て出発の準備、馬の準備をして出るがそれをほどいておちつくことはしなかった。

幾分漢廷竹,夙擁文侯篲.

そうして、朝廷から竹符を分かち与えられていくたびか地方の長官となられた。またもとより李邕公は賢士を礼遇することは、魏の文侯の子夏における如きものがあった。

終悲洛陽獄,事近小臣敝。

ついには蔡邕の洛陽の獄におけるごとき事件がおこり、晋の太子申生が毒害されたような事件となった。

禍階初負謗,易力何深嚌。』

かかる禍のきざはしにはなにがなったかといえば公が以前から人の謗りをうけておられたということに外ならぬのであり、当路者にしてみれば李邕公をおしのけるにはさほどむずかしくはなかったであろうに、かくまでにしてしまったのはなんというひどい害しかたであるか。

栄枯 走るに暇あらず、星駕 安税無し。

幾たびか分かつ 漢廷の竹、夙【つと】に擁す文侯の篲【せい】。

終に悲しむ洛陽の獄、事は近し 小臣の敝【たお】れしに。

禍階は初めより謗りを負いしことなり、易力なるに何ぞ深嚌せるや。』

 

taigennankin88安史の乱当時の勢力図 

 

 

八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#7

榮枯走不暇,星駕無安

幾分漢廷竹,夙擁文侯篲.

終悲洛陽獄,事近小臣敝。

禍階初負謗,易力何深嚌。』




(下し文)
栄枯 走るに暇あらず、星駕 安税無し。

幾たびか分かつ 漢廷の竹、夙【つと】に擁す文侯の【せい】。

終に悲しむ洛陽の獄、事は近し 小臣の敝【たお】れしに。

禍階は初めより謗りを負いしことなり、易力なるに何ぞ深嚌せるや。』

(現代語訳)
李邕公は栄枯の境に駆られて走るにも暇がなく、星が出ている間にその位置を見て出発の準備、馬の準備をして出るがそれをほどいておちつくことはしなかった。

そうして、朝廷から竹符を分かち与えられていくたびか地方の長官となられた。またもとより李邕公は賢士を礼遇することは、魏の文侯の子夏における如きものがあった。

ついには蔡邕の洛陽の獄におけるごとき事件がおこり、晋の太子申生が毒害されたような事件となった。

かかる禍のきざはしにはなにがなったかといえば公が以前から人の謗りをうけておられたということに外ならぬのであり、当路者にしてみれば李邕公をおしのけるにはさほどむずかしくはなかったであろうに、かくまでにしてしまったのはなんというひどい害しかたであるか。



(訳注) #7

八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、死後に代宗から秘書監を贈られた広陵江都県(江夏)の李邕を哀しんでよんだ詩。)〔五〕

○贈秘書監江夏李公邕 李邕をいう、北海太守李邕のお相伴をして歴下の亭で宴に同席したことをのべる。745年天宝四載34歳の作。

 

榮枯走不暇,星駕無安

李邕公は栄枯の境に駆られて走るにも暇がなく、星が出ている間にその位置を見て出発の準備、馬の準備をして出るがそれをほどいておちつくことはしなかった。

○星駕 星が出ている間にその位置を見て出発の準備、馬の準備をすること。星をみて朝はやく車に馬をつなぐことをいう。「詩経」国風・鄘風・定之方中「霊雨既零、命彼倌人。 星言夙駕、説于桑田。」(霊雨 既れ零つ彼の倌人に命じ 星みて言う夙に駕し、桑田に説于【やどらん】」とみえる。

○安税 おちついて駕をとく。

〇分漢廷竹 竹は竹符、竹符を分かつとは州の長官となること、漢の文帝の三年に初めて郡守のために銅虎符・竹使符をつくった。漢廷は唐の朝廷をいう。

 

幾分漢廷竹,夙擁文侯篲.

そうして、朝廷から竹符を分かち与えられていくたびか地方の長官となられた。またもとより李邕公は賢士を礼遇することは、魏の文侯の子夏における如きものがあった。

文侯篲. 孔子の門人子夏が西河のほとりに処ったとき、魏の文侯は子夏に師事し、ために篲(ほうき)を擁した、篲(ほうき)を擁すとは箒をかかえて道のほこりをはき清めようとすること、礼をつくすことをいう。李邕が州に在って賢士を礼遇したことは文侯の子夏におけるごとくであったことをいう。李邕傳にいう、李邕は陳州刺史となり括州刺史となり、後に淄州・滑州の二州の刺史を歴て天宝の初め、汲郡・北海の大守となる。

杜甫《陪李北海宴歴下亭

杜甫《同李太守登歷下古城員外新亭》 

 

終悲洛陽獄,事近小臣敝。

ついには蔡邕の洛陽の獄におけるごとき事件がおこり、晋の太子申生が毒害されたような事件となった。

○洛陽獄 後漢の蔡邕の故事。蔡邕は中常侍程廣璜というものに訴えられて洛陽の獄に下された。李邕が贓事を以て疑いを招いたのはこれと似ている。

○小臣姫 「左伝」(僖公四年)にみえる。晋の献公寵姫あり驪姫という、驪姫太子申生を恵み之を讒せんとし、申生をして祭りを為して祭肉を献公に致さしむ、姫、ひそかに毒を肉中に置く。先ず肉を犬に与う、犬斃る。小臣に与う、小臣亦た斃る。困って毒は申生の置く所なりと誣ゆ、と。李邕は柳勣に馬をおくったが、柳勣が罪のために獄に下されたとき、李邕はその巻き添いによって罪ありとされ、宰相李林甫のために刑部員外郎亊祁順之・監察御史羅希爽をさしむけられ北海郡において杖殺された、時に天宝六載正月である。年七十余。李邕の死は晋の中臣の毒害されたのにも似ている。

 

禍階初負謗,易力何深嚌。

かかる禍のきざはしにはなにがなったかといえば公が以前から人の謗りをうけておられたということに外ならぬのであり、当路者にしてみれば李邕公をおしのけるにはさほどむずかしくはなかったであろうに、かくまでにしてしまったのはなんというひどい害しかたであるか。

○禍階 禍を招くきざはし。

○負謗 他人のそしりをうける。これほどの事実を指しているというのではなく、しばしば罪名を蒙らせられたことをいうのであろう。

○易力 「力を為し易し」の意、容易に為しうることをいう。何を為すかというに李邕を排斥しょうとすることをさしていう。当路者(李林甫の如き)についていう。

○深嚌 嚌とは歯のところまでもっていってなめることである。深く嚌むるとはたべつくすことをいう。深害することをいう。

以上「放逐」十二句は遷謫にあって遂には罪されて殺害されたことをいう。

 

 

春秋左氏伝の僖公四年。

驪姫の美貌に心を奪われた晋の献公が妻にするの吉凶を占った際に「不吉なり。薫蕕を一緒にすれば十年悪臭が残る」という辞がでた。

献公はこの諫めを聞き入れることはなく、やがて夫人として迎え入れられた驪姫は寵愛を盾に自らの子を後継ぎにせんと画策し、晋の内乱を招くこととなる。

 

あるとき驪姫は申生に「我が君は斉姜を夢にごらんになりました。どうかはやく曲沃の廟で祀って、胙を我が君にさしあげてください」 と言う。

このやり取りは驪姫と申生のふたりだけで成立し、驪姫の謀略はすでに始まっていた。

申生は急いで母を祀り、供えた酒や肉を献公に届けた。驪姫はその酒と肉に毒を入れておいた。当然毒を入れる作業は、他人に見られないようにそっと行い、この作業は驪姫しか知らないはずであった。申生が献公に胙を献上すると、驪姫は「日がたっておりますので、お試しください」と言った。はたして酒を地にそそぐと土が盛り上がり、 肉を犬に与えると犬は死んでしまった。驪姫は泣いて、申生の残忍なことを歎き、老いたる父親まで殺そうとするから、私たち母子の命はないと訴えた。 ここにおいて驪姫の謀略は完成した。

献公は怒り、申生を疑い、申生は曲沃に出奔した。ある者が「あの毒薬を使ったのは驪姫です。太子はどうしてご自分で弁明なさらないのですか」と言いました。 しかし申生は「わが君はご高齢だから、驪姫でなければ寝ても安眠できず、食べてもうまくないのです。もしわしが弁明すれば、わが君は驪姫を怒るでしょう。 だからいけないのです」と答えてこれを拒否した。またある人が「他国へ出奔なさいませ」と言ったが 「この悪名をこうむりながら出国しても、誰が私を受け入れてくれましょう。わしは自殺するしかないのだ」と言い、 ついに申生は自殺した。

 

 

 

(贈秘書監江夏の李公邕)

長嘯す 宇宙の間、高才 日々に陵替す。

古人見る可からず、前輩をば復た誰か維がん。』

憶う昔 李公の存せしとき、詞林 根抵有り。

声華 健筆に当たる、灑落 清製 富めり。

 

風流 金石に散ず、迫琢 山岳 鋭鎖し。

情は窮む 造化の理、学は貫く 天人の際。

幹謁 其の門に走る、碑版 四裔を照らす。

各々の深望を満たして還る、森然 凡例を起こす。

 

蕭蕭たる白場の路、洞徹宝珠を恵す。

竜宮 塔廟湧く、浩劫 浮雲衛る。

宗儒 俎豆の事、故吏 去恩の計。

眄睞 己に皆虚し、跋涉 曾て泥まず。

向来当時に映ず、豈に 独り後世に勧むるのみならんや。

 

豊屋 珊瑚の鉤、麟麟 織成の罽【けい】。

紫騮 劍幾 随う、義取 虚歳 無し。

分宅 の間、感激 未済を懐く。

衆は帰す賙給の美、擺落す多蔵の穢。

 

独歩 四十年、風に聴く九皐の唳。

鳴呼江夏の姿、竟に掩う宣尼が袂。

往者 武后の朝、引用 寵嬖多し。

否臧す 太常の議、面折す 二張の勢い。

 

 

衰俗 凛として風を生ず、排蕩 秋旻【しゅうびん】霽【は】れたり。

忠貞 冤恨を負う、宮闕 旒綴【りゅうてい】探し。』

放逐 早く聯翩たり、低垂 炎厲に困しむ。

日斜めにして 鵩鳥入る、魂は断ゆ 蒼梧の帝。

榮枯走不暇,星駕無安

幾分漢廷竹,夙擁文侯篲.

終悲洛陽獄,事近小臣敝。

禍階初負謗,易力何深嚌。』

 

栄枯 走るに暇あらず、星駕 安税無し。

幾たびか分かつ 漢廷の竹、夙【つと】に擁す文侯の篲【せい】。

終に悲しむ洛陽の獄、事は近し 小臣の敝【たお】れしに。

禍階は初めより謗りを負いしことなり、易力なるに何ぞ深嚌せるや。』

766年大暦元年55歲-44-#6奉節-35-#6 《巻16-07 八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕 -6》 杜甫index-15 杜甫<907-6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5735

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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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206 《(改訂版) 巻24-20春夜洛城聞笛 (誰家玉笛暗飛聲)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <206> Ⅰ李白詩1437 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5733 
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50-#3 〔《上張僕射書》-#3〕韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1350> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5734韓愈詩-50-#3 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-44-#6奉節-35-#6 《巻16-07 八哀詩〔五〕贈秘書監江夏李公邕 -6》 杜甫index-15 杜甫<907-6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5735 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-29韋荘107《巻3-07 河傳三首 其三》三巻7-〈107〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5737 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩花間集(6)花間集(7)花間集(8)花間集(9)花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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