杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

2015年04月

766年大暦元年55歲-49【5分割】 《巻1513 昔遊 -5》 杜甫index-15 杜甫<913-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5925

昔游(杜甫 唐詩)

2084 昔游》 P391

其一:

昔謁華蓋君,深求洞宮

玉棺已上天,白日亦寂寞。

暮升艮岑頂,巾幾猶未卻。

弟子四五人,入來淚俱落。

餘時游名山,發軔在遠壑。

良覿違夙願,含淒向寥廓。

林昏罷幽磬,竟夜伏石閣。

王喬下天壇,微月映皓鶴。

晨溪向虛駃,歸徑行已昨。

豈辭青鞋胝,悵望金匕藥。

東蒙赴舊隱,尚憶同志樂。

休事董先生,於今獨蕭索。

胡爲客關塞,道意久衰薄。

妻子亦何人,丹砂負前諾。

雖悲鬒發變,未憂觔力弱。

扶藜望清秋,有興入廬霍。

 

1613昔游》

其二:

昔者與高李,晚登單父台。

寒蕪際碣石,萬里風雲來。

桑柘葉如雨,飛藿去裴回。

清霜大澤凍,禽獸有哀。

是時倉實,洞達寰區開。

猛士思滅胡,將帥望三台。

君王無所惜,駕馭英雄材。

幽燕盛用武,供給亦勞哉。

門轉粟帛,泛海陵蓬萊。

肉食三十萬,獵射起黄埃。

隔河憶長眺,青已摧

不及少年日,無複故人杯。

賦詩獨流涕,亂世想賢才。

有能市駿骨,莫恨少龍媒。

商山議得失,蜀主脱嫌猜。

呂尚封國邑,傅已鹽梅。

景晏楚山深,水鶴去低回。

龐公任本性,擕子臥蒼苔。

 

今や商山の皓老人(李泌)は、政治の得失を議しつつある。どうぞ蜀主にも比すべき吾君には臣下を信用し、他のものから嫌猜せらるることなき様にしていただきたいものだ。

 

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年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    昔遊

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              單父臺 (河南道 宋州 單父)              

碣石山 (河北道南部 平州 碣石山)  

蘇州 (江南東道 蘇州 蘇州) 別名:郡、           

大明宮 (京畿道 京兆府 長安) 別名:永安宮、蓬萊宮、含元殿、蓬萊殿               

商山 (山南東道 商州 商州) 別名:南山、地肺山、楚山、商顏               

 

昔遊 -1

昔者與高李,晚登單父臺。

昔  李白や高適(こうせき)と、日暮れに  単父の台の登ったことがある。
寒蕪際碣石,萬里風雲來。

そのとき寒空の下  荒地は碣石のあたりまでつらなり、万里の彼方から  風雲がやってきた。
桑柘葉如雨,飛藿去裴回。

桑や山桑の葉は、雨のように散り落ち、豆の葉もそれらとともにあたりに飛び散り、徘徊していた。
清霜大澤凍,禽獸有餘哀。』

霜は清らかに降りて  大きい沢は全面凍り、鳥や獣は、猟でおいまわされて啼きだし、十分の哀しみを抱いて声をだす。

-2

是時倉廩實,洞達寰區開。

-時に「開元の治」と言われ、唐で最も豊かな時代で、天下の米倉、穀物蔵は満ちあふれ、道路網が整備、発展し、大道はいたるところに通じ、自由に心配なく往交できた。
猛士思滅胡,將帥望三台。

勇士は周辺異民族国家を圧倒し、滅ぼし、国土面積も最高に広がった、将軍たちは三公卿の位につこうと異民族との戦いに成果をあげようと必死になった
君王無所惜,駕馭英雄材。』

生産性があがったので君王は彼らの欲するものを惜しげなく与えることができ、結果、天下の人材を自由にあやつることができたのである。

3

幽燕盛用武,供給亦勞哉。

河北の幽州、燕州の地方は盛んに武力を用いる。それに一一、錢と食糧を供給するのは、それはそれでなかなか勞を擁するものである。

門轉粟帛,泛海陵蓬萊。

南の呉越の地方から、粟帛を転送するに船を浮かべて蓬莱山のあたりをしのぎわたって北方へはこぶのである。

肉食三十萬,獵射起黃埃。』

肉を食っている贅沢をしている安史軍の兵卒が三十万人、それらは、射猟をほしいままにして黄色い埃をたたせてくらしていたのである。』

-4

隔河憶長眺,青已摧

あの頃、黄河の南岸から北方をはるかにながめたことをいまも憶いだすが、もはや青年時代の元気はうちくだかれてしまったし、その地は安史軍で荒らされてしまったところだ。

不及少年日,無復故人杯。

とても少年の時には何事もかなわない。そうして高適と李白の様な旧友と酒杯を共にすることも無くなってしまった。

賦詩獨流涕,亂世想賢才。

それで詩を賦して我ひとり涙を流し、今の世の乱れたるにつけて賢才が居てくれたならとおもうところである。

有能市駿骨,莫恨少龍媒。』

今日でも昔の人のごとく駿馬の骨を買ってくれる者さへいるならば名馬が居ないことを恨むにはあたらぬのである。』

-5

商山議得失,蜀主嫌猜。

今や商山の皓老人(李泌)は、政治の得失を議しつつある。どうぞ蜀主にも比すべき吾君には臣下を信用し、他のものから嫌猜せらるることなき様にしていただきたいものだ。

呂尚封國邑,傳已鹽梅。

いま呂尚(郭子儀)は己に國邑に封ぜられ、傅説は巳に鹽梅の任にあたっている。(してみれば国政は必ずしも間ふにおよばぬ)

景晏楚山深,水鶴去低回。

いま楚地の山深く日がくれかかつていて、水邊の鶴が棲み家に去らんとしてさまよいつつある。

龐公任本性,攜子臥蒼苔。』

このおりしも自分は龐公のごときもので本性のまにまにこんな場所にひきこもって、子供らを携えて青苔のむせる庭に寝て暮らしているのである。」

 

(昔 遊) 

昔者  高李と、晩(くれ)に単父【ぜんぽ】の台に登る。

寒蕪 碣石に際し、万里  風雲来る。

桑柘【そうしゃ】の葉は雨の如く、飛藿【ひかく】共に徘徊す。

清霜  大沢)凍り、禽獣  余 哀有り。』

 

是の時  倉廩【そうりん】実ち、洞達  寰区 開く。

猛士 胡を滅せんことを思い、将帥 三台を望む。

君王 惜む所無く、駕馭【がぎょ】す 英雄の材。』

 

幽燕 盛んに武を用す,供給 亦た勞せらる哉。

門より 粟帛を轉ず,海に泛びて 蓬萊を陵ぐ。

肉食 三十萬,獵射して 黃埃起る。』

 

河を隔てて憶う 長眺せしことを,青 已に摧す。

及ばず 少年の日,複た 故人の杯無し。

詩を賦して 獨り涕を流し,亂世 賢才を想う。

能く駿骨を市うもの 有らば,恨む莫れ 龍媒少きを。』

 

商山 得失を議す,蜀主 嫌猜をせん。

呂尚 國邑に封ぜられ,傅 已に鹽梅す。

景晏れて 楚山 深し,水鶴 去って 低回す。

龐公 本性に任す,子を攜えて 蒼苔に臥す。』

襄陽一帯地図000 

 

昔遊』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
-5

商山議得失,蜀主嫌猜。

呂尚封國邑,傳已鹽梅。

景晏楚山深,水鶴去低回。

龐公任本性,攜子臥蒼苔。』


(下し文)
商山 得失を議す,蜀主 嫌猜をせん。

呂尚 國邑に封ぜられ,傅 已に鹽梅す。

景晏れて 楚山 深し,水鶴 去って 低回す。

龐公 本性に任す,子を攜えて 蒼苔に臥す。』

(現代語訳)
今や商山の皓老人(李泌)は、政治の得失を議しつつある。どうぞ蜀主にも比すべき吾君には臣下を信用し、他のものから嫌猜せらるることなき様にしていただきたいものだ。

いま呂尚(郭子儀)は己に國邑に封ぜられ、傅説は巳に鹽梅の任にあたっている。(してみれば国政は必ずしも間ふにおよばぬ)

いま楚地の山深く日がくれかかつていて、水邊の鶴が棲み家に去らんとしてさまよいつつある。

このおりしも自分は龐公のごときもので本性のまにまにこんな場所にひきこもって、子供らを携えて青苔のむせる庭に寝て暮らしているのである。」


夔州東川卜居図詳細 001
(訳注) -5

 昔遊

744年 天宝3載 33歳のころ、高適、李白と杜甫の三人は秋の終わりから冬のはじめにかけて、宋州 單父縣、孟諸沢で狩りの遊んだ時のことを思い浮かべて現時の感をのべたもの)
744年 天宝3載 33歳のころ、三人は秋の終わりから冬のはじめにかけて、孟諸沢で狩りの遊でいる。「壮遊」『遣懐』『昔遊』766年大暦元年55歳のときの作品である。「壮遊」は杜甫の自叙伝ともいうべき五言古詩、『遣懐』『昔遊』は李白、高適と遊んだことの思い出を詠っている。
 

商山議得失,蜀主嫌猜。

今や商山の皓老人(李泌)は、政治の得失を議しつつある。どうぞ蜀主にも比すべき吾君には臣下を信用し、他のものから嫌猜せらるることなき様にしていただきたいものだ。

商山議得失 商山の四皓が漢の高祖が太子を廃せんとした時、山より出でてこれを調整した、子と同じように李泌がなしてほしいことをいう。

蜀主嫌猜 蜀主、劉備が諸葛亮と情好日に密なりし時、関羽と張飛は悦ばずとした。

 

呂尚封國邑,傳已鹽梅。

いま呂尚(郭子儀)は己に國邑に封ぜられ、傅説は巳に鹽梅の任にあたっている。(してみれば国政は必ずしも間ふにおよばぬ)

呂尚封國邑,傳已鹽梅 呂尚は太公望の事である。殷の王である帝辛(受王、紂)を牧野の戦いで打ち破り、軍功によって営丘(現在の山東省淄博市臨淄区)を中心とする斉の地に封ぜられる。営丘に赴任後、呂尚は隣接する莱の族長の攻撃を防いだ。『史記』によれば、呂尚は営丘の住民の習俗に従い、儀礼を簡素にしたという。営丘が位置する山東は農業に不適な立地だったが、漁業と製塩によって斉は国力を増した。また、斉は成王から黄河、穆稜(現在の湖北省)、無棣(現在の河北省)に至る地域の諸侯が反乱を起こした時、反乱者を討つ権限を与えられた。死後、丁公が跡を継いだ。呂尚は没時に100歳を超えていたという。

 

景晏楚山深,水鶴去低回。

いま楚地の山深く日がくれかかつていて、水邊の鶴が棲み家に去らんとしてさまよいつつある。

景晏 日影が遅く、暮れかかること。

楚山 夔州の山々。

水鶴 水辺の鶴。こうづるの類。

去低回 棲み家に去らんとしてさまよひつつあることをいう。

 

龐公任本性,攜子臥蒼苔。』

このおりしも自分は龐公のごときもので本性のまにまにこんな場所にひきこもって、子供らを携えて青苔のむせる庭に寝て暮らしているのである。」

龐公 龐徳公は襄陽の人である。東漢の末年、襄陽の名士である龐徳公は薬草を求めて妻を連れて山に入ってからもどらなかった。劉表からの士官への誘い、諸葛孔明からも誘われた、それを嫌って、奥地に隠遁したということと解釈している。隠遁を目指すものの憧れをいう。

峴山の南、沔水のほとりに住まいして、一度も城内には入ったことがなかった。みずから田畑を耕し、夫婦はまるで賓客同士のように付き合った。休息するときは頭巾を正し、端坐して琴を弾いたり書を読んだりして楽しみ、その様子を見てみると実におだやかであった。

766年大暦元年55歲-49【5分割】 《巻1513 昔遊 -4》 杜甫index-15 杜甫<912-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5920

昔遊-4

隔河憶長眺,青已摧

不及少年日,無復故人杯。

賦詩獨流涕,亂世想賢才。

有能市駿骨,莫恨少龍媒。』

とても少年の時には何事もかなわない。そうして高適と李白の様な旧友と酒杯を共にすることも無くなってしまった。

 

766年大暦元年55-495分割】 《巻1513 昔遊 -4 杜甫index-15 杜甫<912-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5920 杜甫詩1500-912-#4-1355/2500766年大暦元年55-49

 

 
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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-49【5分割】 《巻1513 昔遊 -4》 杜甫index-15 杜甫<912-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5920 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    昔遊

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              單父臺 (河南道 宋州 單父)              

碣石山 (河北道南部 平州 碣石山)  

蘇州 (江南東道 蘇州 蘇州) 別名:郡、           

大明宮 (京畿道 京兆府 長安) 別名:永安宮、蓬萊宮、含元殿、蓬萊殿               

商山 (山南東道 商州 商州) 別名:南山、地肺山、楚山、商顏               

 

昔遊 -1

昔者與高李,晚登單父臺。

昔  李白や高適(こうせき)と、日暮れに  単父の台の登ったことがある。
寒蕪際碣石,萬里風雲來。

そのとき寒空の下  荒地は碣石のあたりまでつらなり、万里の彼方から  風雲がやってきた。
桑柘葉如雨,飛藿去裴回。

桑や山桑の葉は、雨のように散り落ち、豆の葉もそれらとともにあたりに飛び散り、徘徊していた。
清霜大澤凍,禽獸有餘哀。』

霜は清らかに降りて  大きい沢は全面凍り、鳥や獣は、猟でおいまわされて啼きだし、十分の哀しみを抱いて声をだす。

-2

是時倉廩實,洞達寰區開。

-時に「開元の治」と言われ、唐で最も豊かな時代で、天下の米倉、穀物蔵は満ちあふれ、道路網が整備、発展し、大道はいたるところに通じ、自由に心配なく往交できた。
猛士思滅胡,將帥望三台。

勇士は周辺異民族国家を圧倒し、滅ぼし、国土面積も最高に広がった、将軍たちは三公卿の位につこうと異民族との戦いに成果をあげようと必死になった
君王無所惜,駕馭英雄材。』

生産性があがったので君王は彼らの欲するものを惜しげなく与えることができ、結果、天下の人材を自由にあやつることができたのである。

3

幽燕盛用武,供給亦勞哉。

河北の幽州、燕州の地方は盛んに武力を用いる。それに一一、錢と食糧を供給するのは、それはそれでなかなか勞を擁するものである。

門轉粟帛,泛海陵蓬萊。

南の呉越の地方から、粟帛を転送するに船を浮かべて蓬莱山のあたりをしのぎわたって北方へはこぶのである。

肉食三十萬,獵射起黃埃。』

肉を食っている贅沢をしている安史軍の兵卒が三十万人、それらは、射猟をほしいままにして黄色い埃をたたせてくらしていたのである。』

-4

隔河憶長眺,青已摧

あの頃、黄河の南岸から北方をはるかにながめたことをいまも憶いだすが、もはや青年時代の元気はうちくだかれてしまったし、その地は安史軍で荒らされてしまったところだ。

不及少年日,無復故人杯。

とても少年の時には何事もかなわない。そうして高適と李白の様な旧友と酒杯を共にすることも無くなってしまった。

賦詩獨流涕,亂世想賢才。

それで詩を賦して我ひとり涙を流し、今の世の乱れたるにつけて賢才が居てくれたならとおもうところである。

有能市駿骨,莫恨少龍媒。』

今日でも昔の人のごとく駿馬の骨を買ってくれる者さへいるならば名馬が居ないことを恨むにはあたらぬのである。』

-5

商山議得失,蜀主嫌猜。

呂尚封國邑,傳已鹽梅。

景晏楚山深,水鶴去低回。

龐公任本性,攜子臥蒼苔。』

 

(昔 遊) 

昔者  高李と、晩(くれ)に単父【ぜんぽ】の台に登る。

寒蕪 碣石に際し、万里  風雲来る。

桑柘【そうしゃ】の葉は雨の如く、飛藿【ひかく】共に徘徊す。

清霜  大沢)凍り、禽獣  余 哀有り。』

 

是の時  倉廩【そうりん】実ち、洞達  寰区 開く。

猛士 胡を滅せんことを思い、将帥 三台を望む。

君王 惜む所無く、駕馭【がぎょ】す 英雄の材。』

 

幽燕 盛んに武を用す,供給 亦た勞せらる哉。

門より 粟帛を轉ず,海に泛びて 蓬萊を陵ぐ。

肉食 三十萬,獵射して 黃埃起る。』

 

河を隔てて憶う 長眺せしことを,青 已に摧す。

及ばず 少年の日,複た 故人の杯無し。

詩を賦して 獨り涕を流し,亂世 賢才を想う。

能く駿骨を市うもの 有らば,恨む莫れ 龍媒少きを。』

 

商山 得失を議す,蜀主 嫌猜をせん。

呂尚 國邑に封ぜられ,傅 已に鹽梅す。

景晏れて 楚山 深し,水鶴 去って 低回す。

龐公 本性に任す,子を攜えて 蒼苔に臥す。』

 

 

『昔遊』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
-4

隔河憶長眺,青已摧

不及少年日,無復故人杯。

賦詩獨流涕,亂世想賢才。

有能市駿骨,莫恨少龍媒。』


(下し文)
河を隔てて憶う 長眺せしことを,青 已に摧す。

及ばず 少年の日,複た 故人の杯無し。

詩を賦して 獨り涕を流し,亂世 賢才を想う。

能く駿骨を市うもの 有らば,恨む莫れ 龍媒少きを。』

(現代語訳)
あの頃、黄河の南岸から北方をはるかにながめたことをいまも憶いだすが、もはや青年時代の元気はうちくだかれてしまったし、その地は安史軍で荒らされてしまったところだ。

とても少年の時には何事もかなわない。そうして高適と李白の様な旧友と酒杯を共にすることも無くなってしまった。

それで詩を賦して我ひとり涙を流し、今の世の乱れたるにつけて賢才が居てくれたならとおもうところである。

今日でも昔の人のごとく駿馬の骨を買ってくれる者さへいるならば名馬が居ないことを恨むにはあたらぬのである。』


(訳注) -4

昔遊

744年 天宝3載 33歳のころ、高適、李白と杜甫の三人は秋の終わりから冬のはじめにかけて、宋州 單父縣、孟諸沢で狩りの遊んだ時のことを思い浮かべて現時の感をのべたもの)
744年 天宝3載 33歳のころ、三人は秋の終わりから冬のはじめにかけて、孟諸沢で狩りの遊でいる。「壮遊」『遣懐』『昔遊』766年大暦元年55歳のときの作品である。「壮遊」は杜甫の自叙伝ともいうべき五言古詩、『遣懐』『昔遊』は李白、高適と遊んだことの思い出を詠っている。

 

隔河憶長眺,青已摧

あの頃、黄河の南岸から北方をはるかにながめたことをいまも憶いだすが、もはや青年時代の元気はうちくだかれてしまったし、その地は安史軍で荒らされてしまったところだ。

隔河憶長眺 「憶隔河長眺」とおなじ。隔河とは、孟諸澤の事で、黄河の南岸より、北岸を望むことをいう。北を望むことは、安史軍の根拠地をのぞむことを示し、その地に遊んだことを思いだす。

 青年期のこと。

 くだいて粉にする。

 

不及少年日,無復故人杯。

とても少年の時には何事もかなわない。そうして高適と李白の様な旧友と酒杯を共にすることも無くなってしまった。

故人杯 故人は李白、高適などをさす。

 

賦詩獨流涕,亂世想賢才。

それで詩を賦して我ひとり涙を流し、今の世の乱れたるにつけて賢才が居てくれたならとおもうところである。

 

有能市駿骨,莫恨少龍媒。』

今日でも昔の人のごとく駿馬の骨を買ってくれる者さへいるならば名馬が居ないことを恨むにはあたらぬのである。』

市駿骨 千里馬の骨を市場で買う。杜甫のことを言う。

龍媒 名馬。

「隔河」八句は旧友見るべからず撥乱の賢才を思う。

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昔遊3 杜甫

幽燕盛用武,供給亦勞哉。

門轉粟帛,泛海陵蓬萊。

肉食三十萬,獵射起黃埃。』

河北の幽州、燕州の地方は盛んに武力を用いる。それに一一、錢と食糧を供給するのは、それはそれでなかなか勞を擁するものである。

 

766年大暦元年55-495分割】 《巻1513 昔遊 -3 杜甫index-15 杜甫<912-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5915

 
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杜甫詩1500-912-#3-1354/2500766年大暦元年55-49

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    昔遊

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              單父臺 (河南道 宋州 單父)              

碣石山 (河北道南部 平州 碣石山)  

蘇州 (江南東道 蘇州 蘇州) 別名:郡、           

大明宮 (京畿道 京兆府 長安) 別名:永安宮、蓬萊宮、含元殿、蓬萊殿               

商山 (山南東道 商州 商州) 別名:南山、地肺山、楚山、商顏               

 

昔遊 -1

昔者與高李,晚登單父臺。

昔  李白や高適(こうせき)と、日暮れに  単父の台の登ったことがある。
寒蕪際碣石,萬里風雲來。

そのとき寒空の下  荒地は碣石のあたりまでつらなり、万里の彼方から  風雲がやってきた。
桑柘葉如雨,飛藿去裴回。

桑や山桑の葉は、雨のように散り落ち、豆の葉もそれらとともにあたりに飛び散り、徘徊していた。
清霜大澤凍,禽獸有餘哀。』

霜は清らかに降りて  大きい沢は全面凍り、鳥や獣は、猟でおいまわされて啼きだし、十分の哀しみを抱いて声をだす。

-2

是時倉廩實,洞達寰區開。

-時に「開元の治」と言われ、唐で最も豊かな時代で、天下の米倉、穀物蔵は満ちあふれ、道路網が整備、発展し、大道はいたるところに通じ、自由に心配なく往交できた。
猛士思滅胡,將帥望三台。

勇士は周辺異民族国家を圧倒し、滅ぼし、国土面積も最高に広がった、将軍たちは三公卿の位につこうと異民族との戦いに成果をあげようと必死になった
君王無所惜,駕馭英雄材。』

生産性があがったので君王は彼らの欲するものを惜しげなく与えることができ、結果、天下の人材を自由にあやつることができたのである。

3

幽燕盛用武,供給亦勞哉。

河北の幽州、燕州の地方は盛んに武力を用いる。それに一一、錢と食糧を供給するのは、それはそれでなかなか勞を擁するものである。

門轉粟帛,泛海陵蓬萊。

南の呉越の地方から、粟帛を転送するに船を浮かべて蓬莱山のあたりをしのぎわたって北方へはこぶのである。

肉食三十萬,獵射起黃埃。』

肉を食っている贅沢をしている安史軍の兵卒が三十万人、それらは、射猟をほしいままにして黄色い埃をたたせてくらしていたのである。』

-4

隔河憶長眺,青已摧

不及少年日,無復故人杯。

賦詩獨流涕,亂世想賢才。

有能市駿骨,莫恨少龍媒。』

-5

商山議得失,蜀主嫌猜。

呂尚封國邑,傳已鹽梅。

景晏楚山深,水鶴去低回。

龐公任本性,攜子臥蒼苔。』

 

(昔 遊) 

昔者  高李と、晩(くれ)に単父【ぜんぽ】の台に登る。

寒蕪 碣石に際し、万里  風雲来る。

桑柘【そうしゃ】の葉は雨の如く、飛藿【ひかく】共に徘徊す。

清霜  大沢)凍り、禽獣  余 哀有り。』

 

是の時  倉廩【そうりん】実ち、洞達  寰区 開く。

猛士 胡を滅せんことを思い、将帥 三台を望む。

君王 惜む所無く、駕馭【がぎょ】す 英雄の材。』

 

幽燕 盛んに武を用す,供給 亦た勞せらる哉。

門より 粟帛を轉ず,海に泛びて 蓬萊を陵ぐ。

肉食 三十萬,獵射して 黃埃起る。』

 

河を隔てて長眺を憶う,青 已を摧す。少年の日及ず,複 故人の杯無し。

賦詩 獨り涕を流す,亂世 賢才を想う。能く市駿の骨 有り,少龍媒恨む莫れ。』

商山 得失を議す,蜀主 嫌猜をす。呂尚 國邑を封す,傅 已に鹽梅。

景晏 楚山の深,水鶴 低く回りて去る。龐公 本性を任ず,攜子 蒼苔に臥す。』

 

 

昔遊』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
3

幽燕盛用武,供給亦勞哉。

門轉粟帛,泛海陵蓬萊。

肉食三十萬,獵射起黃埃。』


(下し文)
幽燕 盛んに武を用す,供給 亦た勞せらる哉。

門より 粟帛を轉ず,海に泛びて 蓬萊を陵ぐ。

肉食 三十萬,獵射して 黃埃起る。』

(現代語訳)
河北の幽州、燕州の地方は盛んに武力を用いる。それに一一、錢と食糧を供給するのはそれはそれでなかなか勞を擁するものである。

南の呉越の地方から、粟帛を転送するに船を浮かべて蓬莱山のあたたりをしのぎわたって北方へはこぶのである。

肉を食っている贅沢をしている安史軍の兵卒が三十万人、それらは、射猟をほしいままにして黄色い埃をたたせてくらしていたのである。』


(訳注) 3

 

幽燕盛用武,供給亦勞哉。

河北の幽州、燕州の地方は盛んに武力を用いる。それに一一、錢と食糧を供給するのはそれはそれでなかなか勞を擁するものである。

幽燕 河北の幽州、燕州の地方。安史軍の根拠地。

供給 兵糧の供給。一一、錢と食糧を供給すること。占領した地域に対して略奪の限りを尽くしたことで途中から反発によって体勢を崩した。

 

門轉粟帛,泛海陵蓬萊。

南の呉越の地方から、粟帛を転送するに船を浮かべて蓬莱山のあたたりをしのぎわたって北方へはこぶのである。

門 江南の穀倉地帯。長江下流域。呉越地方。

轉粟帛 粟帛を転送する。杜甫《後出塞五首 其四》「雲帆轉遼海,粳稻來東。」とある。

後出塞五首 其四 杜甫 : kanbuniinkai頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 98

泛海 長江から運河にて黄河を経て長安に到ること。

陵蓬萊 東海三山、瀛山、方丈山、蓬莱山が浮かぶ東海。陵は凌ぐ海。

 

肉食三十萬,獵射起黃埃。』

肉を食っている贅沢をしている安史軍の兵卒が三十万人、それらは、射猟をほしいままにして黄色い埃をたたせてくらしていたのである。』

肉食 兵軍であるのに、二句を食って贅沢をしている者たち、安史軍をいう。

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昔遊 -2》 杜甫

是時倉廩實,洞達寰區開。

猛士思滅胡,將帥望三台。

君王無所惜,駕馭英雄材。』

 

時に「開元の治」と言われ、唐で最も豊かな時代で、天下の米倉、穀物蔵は満ちあふれ、道路網が整備、発展し、大道はいたるところに通じ、自由に心配なく往交できた。
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杜甫詩1500-912-#2-1353/2500766年大暦元年55-49

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    昔遊

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              單父臺 (河南道 宋州 單父)              

碣石山 (河北道南部 平州 碣石山)  

蘇州 (江南東道 蘇州 蘇州) 別名:郡、           

大明宮 (京畿道 京兆府 長安) 別名:永安宮、蓬萊宮、含元殿、蓬萊殿               

商山 (山南東道 商州 商州) 別名:南山、地肺山、楚山、商顏               

 

昔遊 -1

昔者與高李,晚登單父臺。

昔  李白や高適(こうせき)と、日暮れに  単父の台の登ったことがある。
寒蕪際碣石,萬里風雲來。

そのとき寒空の下  荒地は碣石のあたりまでつらなり、万里の彼方から  風雲がやってきた。
桑柘葉如雨,飛藿去裴回。

桑や山桑の葉は、雨のように散り落ち、豆の葉もそれらとともにあたりに飛び散り、徘徊していた。
清霜大澤凍,禽獸有餘哀。』

霜は清らかに降りて  大きい沢は全面凍り、鳥や獣は、猟でおいまわされて啼きだし、十分の哀しみを抱いて声をだす。

-2

是時倉廩實,洞達寰區開。

-時に「開元の治」と言われ、唐で最も豊かな時代で、天下の米倉、穀物蔵は満ちあふれ、道路網が整備、発展し、大道はいたるところに通じ、自由に心配なく往交できた。
猛士思滅胡,將帥望三台。

勇士は周辺異民族国家を圧倒し、滅ぼし、国土面積も最高に広がった、将軍たちは三公卿の位につこうと異民族との戦いに成果をあげようと必死になった
君王無所惜,駕馭英雄材。』

生産性があがったので君王は彼らの欲するものを惜しげなく与えることができ、結果、天下の人材を自由にあやつることができたのである。

3

幽燕盛用武,供給亦勞哉。

門轉粟帛,泛海陵蓬萊。

肉食三十萬,獵射起黃埃。』

-4

隔河憶長眺,青已摧

不及少年日,無復故人杯。

賦詩獨流涕,亂世想賢才。

有能市駿骨,莫恨少龍媒。』

-5

商山議得失,蜀主嫌猜。

呂尚封國邑,傳已鹽梅。

景晏楚山深,水鶴去低回。

龐公任本性,攜子臥蒼苔。』

 

(昔 遊) 

昔者  高李と、晩(くれ)に単父【ぜんぽ】の台に登る。

寒蕪 碣石に際し、万里  風雲来る。

桑柘【そうしゃ】の葉は雨の如く、飛藿【ひかく】共に徘徊す。

清霜  大沢)凍り、禽獣  余 哀有り。』

 

是の時  倉廩【そうりん】実ち、洞達  寰区 開く。

猛士 胡を滅せんことを思い、将帥 三台を望む。

君王 惜む所無く、駕馭【がぎょ】す 英雄の材。』

 

幽燕 用武を盛す,供給 亦勞哉。門 粟帛を轉ず,海に泛ぶ蓬萊 陵こえる。

肉食 三十萬,獵射 黃埃を起す。』

河を隔てて長眺を憶う,青 已を摧す。少年の日及ず,複 故人の杯無し。

賦詩 獨り涕を流す,亂世 賢才を想う。能く市駿の骨 有り,少龍媒恨む莫れ。』

商山 得失を議す,蜀主 嫌猜をす。呂尚 國邑を封す,傅 已に鹽梅。

景晏 楚山の深,水鶴 低く回りて去る。龐公 本性を任ず,攜子 蒼苔に臥す。』

 安史の乱当時の勢力図

昔遊』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

-
2

是時倉廩實,洞達寰區開。

猛士思滅胡,將帥望三台。

君王無所惜,駕馭英雄材。』

(下し文)
是の時  倉廩【そうりん】実ち、洞達  寰区 開く。

猛士 胡を滅せんことを思い、将帥 三台を望む。

君王 惜む所無く、駕馭【がぎょ】す 英雄の材。』

(現代語訳)
時に「開元の治」と言われ、唐で最も豊かな時代で、天下の米倉、穀物蔵は満ちあふれ、道路網が整備、発展し、大道はいたるところに通じ、自由に心配なく往交できた。
勇士は周辺異民族国家を圧倒し、滅ぼし、国土面積も最高に広がった、将軍たちは三公卿の位につこうと異民族との戦いに成果をあげようと必死になった
生産性があがったので君王は彼らの欲するものを惜しげなく与えることができ、結果、天下の人材を自由にあやつることができたのである。


(訳注) -2

 

是時倉廩實,洞達寰區開。

時に「開元の治」と言われ、唐で最も豊かな時代で、天下の米倉、穀物蔵は満ちあふれ、道路網が整備、発展し、大道はいたるところに通じ、自由に心配なく往交できた。
是時 744年 天宝3載 33歳のころまでのことをいう。「開元の治」と言われ、唐で最も豊かな時代であった。唐の第6代皇帝玄宗による開元年間の治世。則天武后以来の混乱を平定し、綱紀の粛正、農業振興、すべての生産活動も最高になったし、駅伝制の確率、道路整備がなされ、辺境の防備に努め、また文化的にも唐の最盛期をなし、その結果としての人口も最大となった。五里ごとに駅亭、30里ごとに宿駅が配置された。

倉廩 穀物蔵、米蔵 。

洞達 あけつげなし、塞がることないことをいう。道路網が整備、発展した。

寰區 天下をいう。特に水陸の駅伝制の確立は、特に江南の豊富な物資が関中に、大量に運ばれ、各地に水陸駅を交通要衝の地とし、集積配送を可能とした。特産物が出来上がることになるので、総生産が格段に伸び、国の発展に多大なる貢献をした。

 

猛士思滅胡,將帥望三台。

勇士は周辺異民族国家を圧倒し、滅ぼし、国土面積も最高に広がった、将軍たちは三公卿の位につこうと異民族との戦いに成果をあげようと必死になった
猛士 壮士。

滅胡 えびすをほろぼすこと。えびすと北方、西方の異民族。奚・契丹・吐蕃・回紇の類。

將帥 武将、范陽節度使安禄山のようの不忠な輩。

望三台 三公の地位を得んことを望む。三台とは魁下の六星両両相比べるものを言う。三公に当たる、安禄山は、平章事(宰相)をもとめていた。

 

君王無所惜,駕馭英雄材。』

生産性があがったので君王は彼らの欲するものを惜しげなく与えることができ、結果、天下の人材を自由にあやつることができたのである。

君王 玄宗。

駕馭 あやつる、

「是時」からここまでの六句はその時の時世のさまをいう。
函谷関長安地図座標001 

766年大暦元年55歲-49【5分割】 《巻1513 昔遊 -1》 杜甫index-15 杜甫<912-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5905

昔者與高李,晚登單父臺。

寒蕪際碣石,萬里風雲來。

桑柘葉如雨,飛藿去裴回。

清霜大澤凍,禽獸有餘哀。』
昔遊 -1》 杜甫

766年大暦元年55-495分割】 《巻1513 昔遊 -1》杜甫index-15 杜甫<912-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5905



744年 天宝3載 33歳のころ、高適、李白と杜甫の三人は秋の終わりから冬のはじめにかけて、宋州 單父縣、孟諸沢で狩りの遊んだ時のことを思い浮かべて現時の感をのべたもの)
 

杜甫《巻1513 昔遊》

昔者與高【案:適。】李【案:白。】,晚登單父臺【同登單父臺】。寒蕪際碣石,萬里風雲來。桑柘葉如雨,飛藿去裴回【飛藿共裴回】。清霜大澤凍,禽獸有餘哀。是時倉廩實,洞達寰區開【洞達寰瀛開】。猛士思滅胡,將帥望三台。君王無所惜,駕馭英雄材。幽燕盛用武,供給亦勞哉。門轉粟帛,泛海陵蓬萊。肉食三十萬【肉食四十萬】,獵射起黃埃【獵射起塵埃】。隔河憶長眺,青已摧。不及少年日,無復故人杯。賦詩獨流涕,亂世想賢才。有能市駿骨【君能市駿骨】【若能市駿骨】,莫恨少龍媒。商山議得失,蜀主嫌猜。呂尚封國邑,傳已鹽梅。景晏楚山深,水鶴去低回。龐公任本性,攜子臥蒼苔【案:市駿以下,言商山、諸葛、呂尚、傅之流,世豈少其人哉?唯甫漂泊楚山,終當為龐公高隱耳。】。

 

杜甫詩1500-912-#1-1352/2500766年大暦元年55-49

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    昔遊

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              單父臺 (河南道 宋州 單父)              

碣石山 (河北道南部 平州 碣石山)  

蘇州 (江南東道 蘇州 蘇州) 別名:郡、           

大明宮 (京畿道 京兆府 長安) 別名:永安宮、蓬萊宮、含元殿、蓬萊殿               

商山 (山南東道 商州 商州) 別名:南山、地肺山、楚山、商顏               

 

昔遊 -1

昔者與高李,晚登單父臺。

昔  李白や高適(こうせき)と、日暮れに  単父の台の登ったことがある。
寒蕪際碣石,萬里風雲來。

そのとき寒空の下  荒地は碣石のあたりまでつらなり、万里の彼方から  風雲がやってきた。
桑柘葉如雨,飛藿去裴回。

桑や山桑の葉は、雨のように散り落ち、豆の葉もそれらとともにあたりに飛び散り、徘徊していた。
清霜大澤凍,禽獸有餘哀。』

霜は清らかに降りて  大きい沢は全面凍り、鳥や獣は、猟でおいまわされて啼きだし、十分の哀しみを抱いて声をだす。

-2

是時倉廩實,洞達寰區開。

猛士思滅胡,將帥望三台。

君王無所惜,駕馭英雄材。』

-3

幽燕盛用武,供給亦勞哉。

門轉粟帛,泛海陵蓬萊。

肉食三十萬,獵射起黃埃。』

-4

隔河憶長眺,青已摧

不及少年日,無復故人杯。

賦詩獨流涕,亂世想賢才。

有能市駿骨,莫恨少龍媒。』

-5

商山議得失,蜀主嫌猜。

呂尚封國邑,傳已鹽梅。

景晏楚山深,水鶴去低回。

龐公任本性,攜子臥蒼苔。』

 

(昔 遊) 

昔者  高李と、晩(くれ)に単父【ぜんぽ】の台に登る。

寒蕪 碣石に際し、万里  風雲来る。

桑柘【そうしゃ】の葉は雨の如く、飛藿【ひかく】共に徘徊す。

清霜  大沢)凍り、禽獣  余 哀有り。』

 

是の時  倉廩【そうりん】実ち、洞達  寰区 開く。

猛士 胡を滅せんことを思い、将帥 三台を望む。

君王 惜む所無く、駕馭【がぎょ】す 英雄の材。

 

幽燕 用武を盛す,供給 亦勞哉。門 粟帛を轉ず,海に泛ぶ蓬萊 陵こえる。

肉食 三十萬,獵射 黃埃を起す。』

河を隔てて長眺を憶う,青 已を摧す。少年の日及ず,複 故人の杯無し。

賦詩 獨り涕を流す,亂世 賢才を想う。能く市駿の骨 有り,少龍媒恨む莫れ。』

商山 得失を議す,蜀主 嫌猜をす。呂尚 國邑を封す,傅 已に鹽梅。

景晏 楚山の深,水鶴 低く回りて去る。龐公 本性を任ず,攜子 蒼苔に臥す。』

 

『昔游』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

昔遊 -1

昔者與高李,晚登單父臺。

寒蕪際碣石,萬里風雲來。

桑柘葉如雨,飛藿去裴回。

清霜大澤凍,禽獸有餘哀。』


(下し文)
(昔 遊) 

昔者  高李と、晩(くれ)に単父【ぜんぽ】の台に登る。

寒蕪 碣石に際し、万里  風雲来る。

桑柘【そうしゃ】の葉は雨の如く、飛藿【ひかく】共に徘徊す。

清霜  大沢)凍り、禽獣  余 哀有り。』

(現代語訳)
744年 天宝3載 33歳のころ、高適、李白と杜甫の三人は秋の終わりから冬のはじめにかけて、宋州 單父縣、孟諸沢で狩りの遊んだ時のことを思い浮かべて現時の感をのべたもの)
昔  李白や高適(こうせき)と、日暮れに  単父の台の登ったことがある。
そのとき寒空の下  荒地は碣石のあたりまでつらなり、万里の彼方から  風雲がやってきた。
桑や山桑の葉は、雨のように散り落ち、豆の葉もそれらとともにあたりに飛び散り、徘徊していた。
霜は清らかに降りて  大きい沢は全面凍り、鳥や獣は、猟でおいまわされて啼きだし、十分の哀しみを抱いて声をだす。


(訳注)

昔遊

744年 天宝3載 33歳のころ、高適、李白と杜甫の三人は秋の終わりから冬のはじめにかけて、宋州 單父縣、孟諸沢で狩りの遊んだ時のことを思い浮かべて現時の感をのべたもの)
744年 天宝3載 33歳のころ、三人は秋の終わりから冬のはじめにかけて、孟諸沢で狩りの遊でいる。「壮遊」『遣懐』『昔遊』766年大暦元年55歳のときの作品である。「壮遊」は杜甫の自叙伝ともいうべき五言古詩、『遣懐』『昔遊』は李白、高適と遊んだことの思い出を詠っている。

自叙伝というべき1514壯遊》は少年壮年時、天下を周遊したことを述べ、且つ、老後の感慨を述べたものであったが、その続編というべき作品である。

同時期の自叙伝シリーズ

1.《巻1512 往在》

766年大暦元年55-48分割 《巻1512 往在 -1 杜甫index-15 杜甫<911 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5865

2《巻1513 昔遊》

766年大暦元年55-49【5分割】 《巻1513 昔遊 -1 杜甫index-15 杜甫<912-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5905

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杜甫 《巻20・84 昔遊二首其一 -1》【4分割】 杜甫詩index-15-767年大暦元年56-83 <913-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5930 杜甫詩1500-913-#1-1357/2500

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66年大暦元年55-50 《1514壯遊-#1》【14分割】 杜甫index-15 杜甫<916 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5925

5.《巻1515 遺懷》

 

昔者與高李,晚登單父臺。

昔  李白や高適(こうせき)と、日暮れに  単父の台の登ったことがある。
昔者 744年 天宝3載 33歳のころをいう。

高李 高適と李白。

單父臺 單父は県名。河南道 宋州 單父縣。(現在、山東省曹州府單縣治)單父縣の北一里に宓子賤が琴を弾じた、琴台があり、高さ三丈、單父臺は琴台をさす。李白《秋獵孟諸夜歸屋酒單父東樓觀妓》詩(1)、高適《同羣公秋登琴臺》《同羣公出獵海上》詩(2)を本末尾に示す。

 

寒蕪際碣石,萬里風雲來。

そのとき寒空の下  荒地は碣石のあたりまでつらなり、万里の彼方から  風雲がやってきた。
寒蕪 寒空の芭蕉の地。

際碣石 海岸の山の名(『尚書』禹貢)。これに太液池の山をにせて作ったということ。その碣石山の地の果てをいう。

 

桑柘葉如雨,飛藿去裴回。

桑や山桑の葉は、雨のように散り落ち、豆の葉もそれらとともにあたりに飛び散り、徘徊していた。
桑柘葉 山桑の類。

飛藿 藿は豆の葉が飛ぶ。

 

清霜大澤凍,禽獸有餘哀。

霜は清らかに降りて  大きい沢は全面凍り、鳥や獣は、猟でおいまわされて啼きだし、十分の哀しみを抱いて声をだす。

大澤 孟諸澤をいう。孟諸澤は、【蔡傳】地志に,梁國 睢陽の東北に在り,今、南京 虞城縣西北の孟諸澤を是としている【左傳·僖二十八年】及び【爾雅·釋地】には孟諸と作る。又【字彙補】照迦切,音遮。【左傳·定十四年】宋野人歌曰:定爾婁豬,盍歸吾艾豭。干寶讀

 

(1) 李白 (り はく、701年(長安元年) - 7621022日(宝応元年930日))盛唐の時代の詩人である。字は太白。号は青蓮居士。唐代のみならず中国詩歌史上において、同時代の杜甫とともに最高の存在とされる。奔放で変幻自在な詩風から、後世「詩仙」と称される。

長安を去った李白は、洛陽もしくは梁・宋(現河南省開封市・商丘市)で杜甫と出会って意気投合し、1年半ほどの間、高適を交えて山東・河南一帯を旅するなど彼らと親しく交遊した。また阿倍仲麻呂とも親交があり、754年には、前年に仲麻呂が日本への帰国途中、遭難して死去したという知らせ(誤報)を聞き、「晁卿衡を哭す」を詠んでその死を悼んでいる。

秋獵孟諸夜歸屋酒單父東樓觀妓 李白

傾暉速短炬,走海無停川。冀餐圓丘草,欲以還年。

此事不可得,微生若浮煙。駿發跨名駒,雕弓控鳴弦。

鷹豪魯草白,狐兔多肥鮮。邀遮相馳逐,遂出城東田。

一掃四野空,喧呼鞍馬前。歸來獻所獲,炮炙宜霜天。

出舞兩美人,飄颻若雲仙。留歡不知疲,清曉方來旋。

秋猟孟諸夜帰置酒単父東楼観妓 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白182

 

 

(2) 高 適(こう せき、生年不詳 ‐ 765年)は、中国唐代の詩人。字は達夫。諡は忠。

滄州渤海(現河北省)の出身。李白と親交があり磊落な性質で家業を怠り、落ちぶれて梁・宋(現河南省)で食客となっていたが、発憤して玄宗の時に有道科に挙げられ、封丘尉の役職を授けられた。その後官職を捨てて河右に遊歴し、河西節度使哥舒翰に見いだされて幕僚となった。また侍御史となり、蜀に乱を避けた玄宗に随行した。粛宗の命で、江西采訪使・皇甫侁とともに皇弟である永王李璘の軍を討伐平定した。後に蜀が乱れるに及び蜀州・彭州の刺史となり、西川節度使となった。長安に帰って刑部侍郎・散騎常侍となり、代宗の代に渤海侯に封ぜられ、その地で没した。

[編集]

50歳で初めて詩に志し、たちまち大詩人の名声を得て、1篇を吟ずるごとに好事家の伝えるところとなった。吐蕃との戦いに従事したので辺塞詩も多い。詩風は「高古豪壮」とされる。李林甫に忌まれて蜀に左遷されて汴州を通ったときに李白・杜甫と会い、悲歌慷慨したことがある。しかし、その李林甫に捧げた詩も残されており、「好んで天下の治乱を談ずれども、事において切ならず」と評された。『高常侍集』8巻がある。

邯鄲少年行

原文       書き下し文

邯鄲城南遊俠子      邯鄲城南遊侠の子

自矜生長邯鄲裏      自ら矜る邯鄲の裏に生長するを

千場縱博家仍富      千場博を縦にして家仍ほ富み

幾度報讐身不死      幾度か讐に報ひて身死せず

宅中歌笑日紛紛      宅中の歌笑日に紛紛

門外車馬常如雲      門外の車馬常に雲の如し

未知肝膽向誰是       未だ知らず肝胆 誰に向かって是なるかを

令人却憶平原君       人をして却って平原君を憶はしむ

君不見今人交態薄    君見ずや今人 交態薄く

黄金用盡還疎索      黄金用い尽くさば還た疎索たるを

以茲感嘆辞舊遊      茲を以て感嘆して旧遊を辞し

更於時事無所求      更に時事に於て求むる所無し

且與少年飲美酒      且らく少年と美酒を飲み

往來射猟西山頭      往来射猟せん 西山の頭(ほとり)

 

同羣公秋登琴臺 高適

古跡使人感,琴臺空寂寥。靜然顧遺塵,千載如昨朝。

臨眺自茲始,羣賢久相邀。德與形神高,孰知天地遙。

四時何倏忽,六月鳴秋蜩。萬象歸白帝,平川橫赤霄。

猶是對夏伏,幾時有涼飆。燕雀滿簷楹,鴻鵠摶扶搖。

物性各自得,我心在漁樵。兀然還復醉,尚握尊中瓢。

 

同羣公出獵海上 高適

畋獵自古昔,況伊心賞俱。偶與群公遊,曠然出平蕪。

層陰漲溟海,殺氣窮幽都。鷹隼何翩翩,馳驟相傳呼。

豺狼竄榛莽,麋鹿罹艱虞。高鳥下騂弓,困獸鬥匹夫。

塵驚大澤晦,火燎深林枯。失之有餘恨,獲者無全軀。

咄彼工拙間,恨非指蹤徒。猶懷老氏訓,感歎此歡


 
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-49【5分割】 《巻1513 昔遊 -1》 杜甫index-15 杜甫<912-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5905 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊141《巻三40離別難一首》巻三4041-〈141〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5907 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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766年大暦元年55歲-48 《巻1512 往在 -8》 杜甫index-15 杜甫<911-#8> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5900 

#8
-8 杜甫 ⑨天子は端坐して手をこまぬいて諌諍をおいれになり、陰陽の和気は、日に日に、とろけあい(賀蘭進明、第五琦のインフレ経済主義者と儒者の堅実、倹約再興型の者との和合、融合)

端拱納諫諍,和風日沖融。

櫻桃枝,隱映銀絲籠。

千春薦陵寢,永永垂無窮。

京都不再火,涇渭開愁容。

歸號故松柏,老去苦飄蓬。

往在 

 

 

766年大暦元年55-48 《巻1512 往在 -8 杜甫index-15 杜甫<911-#8 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5900 

 
 2015年4月25日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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228 《巻15-2 送張舍人之江東》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <228> Ⅰ李白詩1470 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5898 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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64-#3 《補遺-25 送陸歙州參》   (我衣之華兮,) 韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 36歳》   ()<1383> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5899 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-48 《巻1512 往在 -8》 杜甫index-15 杜甫<911-#8> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5900  
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog岳飛《小重山一首》花間集関連詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5902 
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766年大暦元年55歲-48 《巻1512 往在 -7》 杜甫index-15 杜甫<911-#7> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5895

往在#7   杜甫

鋒鏑供鋤犁,征戍聽所從。

冗官各復業,土著還力農。

君臣節儉足,朝野歡呼同。

中興似國初,繼體如太宗。

往在

-7 杜甫  ⑦君臣ともに無駄を省いて節約し、つつましやかに倹約することとして、それで足らないということをなくす、朝廷の者たちだけでなくそのほかの者も同じくよろこびの声をあげられるようにする。⑧中興の勢は國の建国当初からすすんだ「貞観の治」という隆盛であったときのように、太宗皇帝が高祖皇帝を継承し発展させたように、太宗の政治体制を継承してゆく。 

 

766年大暦元年55-48 《巻1512 往在 -7 杜甫index-15 杜甫<911-#7 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5895

 
 2015年4月24日の紀頌之5つのBlog 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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227 -#1 《(改訂版)巻14-35 江夏別宋之悌 李白350- 201》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <227 -#1> Ⅰ李白詩1469 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5893 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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64-#2 《補遺-25 送陸歙州參幷序》 韓愈(韓退之) 802年貞元18年 36歳<1382> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ589 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-48 《巻1512 往在 -7》 杜甫index-15 杜甫<911-#7> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5895 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊139《巻三39小重山二首 其二》巻三3939-〈139〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5897 
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 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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766年大暦元年55歲-48 《巻1512 往在 -6》 杜甫index-15 杜甫<911-#6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5890

往在 -6 杜甫  どうにかして自分は希望したいと思っていることを述べると以下のとおりである。まず、①西京(長安)から天子の御命令を繰かえしおときになって、安史軍の影響が残っている山東・河北の武人どもをすっかりいなくなるようにする。


 
 2015年4月23日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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226-#2 《巻8-43 贈張公洲革處士 -#2》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <226-#2> Ⅰ李白詩1468 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5888 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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64 #1《補遺-24 送陸歙州參幷序-#1【案:從《文集》錄入。】》韓愈(韓退之)《 802年貞元18年 36歳》<1378> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5874韓愈詩-64 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊138《巻三38小重山二首 其一》巻三3838-〈138〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5892 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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766年大暦元年55-48 《巻1512 往在 -6 杜甫index-15 杜甫<911-#6 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5890 杜甫詩1500-911-#6-1349/2500766年大暦元年55-48

 

 

#5

天子惟孝孫,五雲起九重。

わが天子、肅宗は、子孫にたいして祖先を孝敬し、それを大事にする、そうすれば、このことから九重の天から五色の彩雲が起こってくるとされたのである。

鏡奩換粉黛,翠羽猶蔥朧。

すると、后廟の神殿で、鏡を入れた箱をご覧になると后廟の粉黛の類いに変化が生じた、ただ翡翠の羽だけは、昔のままの色よい青さを保っていたのである。

前者厭羯胡,後來遭犬戎。

既に前の所に述べた羯族の異民族である安禄山の軍にはほとほと飽き飽きした。ところがのちになって来ると更に、吐蕃軍の犬戎の侵略に出会うようになったのである。

俎豆腐膻肉,罘行角弓。

吐蕃がやって来てからは俎豆の祭器に羊の肉が生臭いし、腐ったくさい肉でもそのままにし、宮殿の塀の所に角弓を使用するという傲慢であった。

天子 惟れ孝孫,五雲 九重に起る。

鏡奩【きょうれん】粉黛換る,翠羽 猶お蔥朧たり。

前者 羯胡を厭う,後來 犬戎に遭う。

俎豆に 膻肉腐る,罘【ふし】に角弓を行る


#6

安得自西極,申命空山東。

どうにかして自分は希望したいと思っていることを述べると以下のとおりである。まず、①西京(長安)から天子の御命令を繰かえしおときになって、安史軍の影響が残っている山東・河北の武人どもをすっかりいなくなるようにする。

盡驅詣闕下,士庶塞關中。

そして、②その潘鎮、武人たちを宮門へ来させ膝末かせて、戦火で散り去った士人も庶民も関中へ充満させることである。

主將曉逆順,元元歸始終。

そのためには③主将である鎮藩の長官が真っ先に、順逆の道理をさとし、一般人民のすべてが上から下まで、終始もかわらずに朝廷に歸順させることである。

一朝自罪己,萬里車書通。

④天子ご自身は率先して、一旦自己の罪を責めて国事の責任をおとりになり、萬里の遠方まで車も文字も自由に交通しうる様に平和なものにされたい。

安ぞ得ん 西極自り,申命 山東を空とし。

盡く驅りて 闕下に詣らしめ,士庶 關中を塞ぐ。

主將は逆順を曉し,元元は 始終歸す。

一朝 自ら己を罪し,萬里 車書通ず。
#7

鋒鏑供鋤犁,征戍聽所從。

冗官各復業,土著還力農。

君臣節儉足,朝野歡呼同。

中興似國初,繼體如太宗。

#8

端拱納諫諍,和風日沖融。

赤墀櫻桃枝,隱映銀絲籠。

千春薦陵寢,永永垂無窮。

京都不再火,涇渭開愁容。

歸號故松柏,老去苦飄蓬。

 

 

『往在』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#6

安得自西極,申命空山東。

盡驅詣闕下,士庶塞關中。

主將曉逆順,元元歸始終。

一朝自罪己,萬里車書通。

(下し文)
#6

安ぞ得ん 西極自り,申命 山東を空とし。

盡く驅りて 闕下に詣らしめ,士庶 關中を塞ぐ。

主將は逆順を曉し,元元は 始終歸す。

一朝 自ら己を罪し,萬里 車書通ず。

(現代語訳)
どうにかして自分は希望したいと思っていることを述べると以下のとおりである。まず、①西京(長安)から天子の御命令を繰かえしおときになって、安史軍の影響が残っている山東・河北の武人どもをすっかりいなくなるようにする。

そして、②その潘鎮、武人たちを宮門へ来させ膝末かせて、戦火で散り去った士人も庶民も関中へ充満させることである。

そのためには③主将である鎮藩の長官が真っ先に、順逆の道理をさとし、一般人民のすべてが上から下まで、終始もかわらずに朝廷に歸順させることである。

④天子ご自身は率先して、一旦自己の罪を責めて国事の責任をおとりになり、萬里の遠方まで車も文字も自由に交通しうる様に平和なものにされたい。



(訳注) #6

 

安得自西極,申命空山東。

どうにかして自分は希望したいと思っていることを述べると以下のとおりである。まず、①西京(長安)から天子の御命令を繰かえしおときになって、安史軍の影響が残っている山東・河北の武人どもをすっかりいなくなるようにする。

安得 希望の思いの言葉。此の二字は末尾の「歸號故松柏」までにかかる。

西極 西の動かぬ極まれる處(北極星と同じ意味)、西京長安をさす。

申命 天子の命令をかさねて敷く。

空山東 空とはからにする、全部を尽くすことをいう。山東は大行山脈の東、黄河下流域から、幽州、薊州に到る潘鎮の地域をいう、其地の武人が今、皆王命に従わないことをいう。安史軍の影響が残っていること。

 

盡驅詣闕下,士庶塞關中。

そして、②その潘鎮、武人たちを宮門へ来させ膝末かせて、戦火で散り去った士人も庶民も関中へ充満させることである。

詣闕下 長安の宮門り寸に至らしめる。

士庶 地位ある人も平民も。

塞關中 塞は充満すること。戦火で、逃散、避散、逃亡して、労働人口が激減していること。関中に長安地方をさす。全産業の中心地であること、この地に人がいなくなっていることを、政策、施政で取り戻して人がいっぱいになること。。

 

主將曉逆順,元元歸始終。

そのためには③主将である鎮藩の長官が真っ先に、順逆の道理をさとし、一般人民のすべてが上から下まで、終始もかわらずに朝廷に歸順させることである。

主將 鎮藩の長官。

曉逆順 暁は説諭して之をさとらせること、順逆は、王命にしたがうと之とさからうといずれか是非なるかりこと。

元元 ①おおもと。根本。②あいすべきもの。たみ。衆生。人民。《漢書文帝紀》「以全天下元元之民」元、善也一般人民、元は善なり、民の意は善なるものなり、よりて民を元といふ。」

歸始終 終始ともに朝廷に蹄塀する。

 

一朝自罪己,萬里車書通。

④天子ご自身は率先して、一旦自己の罪を責めて国事の責任をおとりになり、萬里の遠方まで車も文字も自由に交通しうる様に平和なものにされたい。

朝 一旦。

自罪己 天子自ら自己を罪ありとしてお責めになる。

萬里 趣逸り地までをいう。

車書通 車も文字もとどこおりなく交通する、人の行き来と書簡の行き来が普通に為されること、平和のさま。

 

766年大暦元年55歲-48 《巻1512 往在 -5》 杜甫index-15 杜甫<911-#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5885

往在 -5 杜甫  既に前の所に述べた羯族の異民族である安禄山の軍にはほとほと飽き飽きした。ところがのちになって来ると更に、吐蕃軍の犬戎の侵略に出会うようになったのである。

 

 
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#5

天子惟孝孫,五雲起九重。

わが天子、肅宗は、子孫にたいして祖先を孝敬し、それを大事にする、そうすれば、このことから九重の天から五色の彩雲が起こってくるとされたのである。

鏡奩換粉黛,翠羽猶蔥朧。

すると、后廟の神殿で、鏡を入れた箱をご覧になると后廟の粉黛の類いに変化が生じた、ただ翡翠の羽だけは、昔のままの色よい青さを保っていたのである。

前者厭羯胡,後來遭犬戎。

既に前の所に述べた羯族の異民族である安禄山の軍にはほとほと飽き飽きした。ところがのちになって来ると更に、吐蕃軍の犬戎の侵略に出会うようになったのである。

俎豆腐膻肉,罘行角弓。

吐蕃がやって来てからは俎豆の祭器に羊の肉が生臭いし、腐ったくさい肉でもそのままにし、宮殿の塀の所に角弓を使用するという傲慢であった。

天子 惟れ孝孫,五雲 九重に起る。

鏡奩【きょうれん】粉黛換る,翠羽 猶お蔥朧たり。

前者 羯胡を厭う,後來 犬戎に遭う。

俎豆に 膻肉腐る,罘【ふし】に角弓を行る

#6

安得自西極,申命空山東。

盡驅詣闕下,士庶塞關中。

主將曉逆順,元元歸始終。

一朝自罪己,萬里車書通。

#7

鋒鏑供鋤犁,征戍聽所從。

冗官各復業,土著還力農。

君臣節儉足,朝野歡呼同。

中興似國初,繼體如太宗。

#8

端拱納諫諍,和風日沖融。

赤墀櫻桃枝,隱映銀絲籠。

千春薦陵寢,永永垂無窮。

京都不再火,涇渭開愁容。

歸號故松柏,老去苦飄蓬。

 

 長安城漢唐

 

『往在』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#5

天子惟孝孫,五雲起九重。

鏡奩換粉黛,翠羽猶蔥朧。

前者厭羯胡,後來遭犬戎。

俎豆腐膻肉,罘行角弓。



(下し文)#5

天子 惟れ孝孫,五雲 九重に起る。

鏡奩【きょうれん】粉黛換る,翠羽 猶お蔥朧たり。

前者 羯胡を厭う,後來 犬戎に遭う。

俎豆に 膻肉腐る,罘【ふし】に角弓を行る

(現代語訳)
わが天子、肅宗は、子孫にたいして祖先を孝敬し、それを大事にする、そうすれば、このことから九重の天から五色の彩雲が起こってくるとされたのである。

すると、后廟の神殿で、鏡を入れた箱をご覧になると后廟の粉黛の類いに変化が生じた、ただ翡翠の羽だけは、昔のままの色よい青さを保っていたのである。

既に前の所に述べた羯族の異民族である安禄山の軍にはほとほと飽き飽きした。ところがのちになって来ると更に、吐蕃軍の犬戎の侵略に出会うようになったのである。

吐蕃がやって来てからは俎豆の祭器に羊の肉が生臭いし、腐ったくさい肉でもそのままにし、宮殿の塀の所に角弓を使用するという傲慢であった。

長安城皇城図

(訳注) #5

往在

(天寶の末年のころの長安の出来事を追憶し、懐郷の年を述べたもの。766年大暦元年55の作)

往在 往とは、天寶の末年をいう。在はむかし。

*起句の二字を取って題とした。

 

天子惟孝孫,五雲起九重。

わが天子、肅宗は、子孫にたいして祖先を孝敬し、それを大事にする、そうすれば、このことから九重の天から五色の彩雲が起こってくるとされたのである。

・天子 惟孝孫

・五雲起九重 九重の天から五色の彩雲が起こってくる。

 

鏡奩換粉黛,翠羽猶蔥朧。

すると、后廟の神殿で、鏡を入れた箱をご覧になると后廟の粉黛の類いに変化が生じた、ただ翡翠の羽だけは、昔のままの色よい青さを保っていたのである。

・鏡奩 鏡を入れた箱。

・粉黛 1 白粉(おしろい)とまゆずみ。転じて、化粧。「―をほどこす」2 美人。

 

前者厭羯胡,後來遭犬戎。

既に前の所に述べた羯族の異民族である安禄山の軍にはほとほと飽き飽きした。ところがのちになって来ると更に、吐蕃軍の犬戎の侵略に出会うようになったのである。

・厭羯胡 羯族の異民族である安禄山の安史軍を指す。 

漢の時代から、三国志の時代が過ぎても、中原は安定を保てない。周辺の民族が中原に入り込んで我がもの顔で振る舞い始める。五胡十六国の戦乱の時代がやって来た。五胡の中に羯(けつ)族がいる。ここでは羯胡人

・犬戎 犬戎に等しい吐蕃国ということ。杜甫《1517近聞》「近聞犬戎遠遁逃,牧馬不敢侵臨洮。」(近ごろ聞く 犬戎 遠く遁逃すと,牧馬 敢えて臨洮を侵さず。)近頃聞いた情報では、犬戎に等しい吐蕃国が郭子儀軍に追われて遠く逃げ去ったという、臨洮にまで侵寇していたのにそこではもう牧馬はできなくなった。

牧馬 吐蕃は山岳が多く、青海の辺りで馬を放牧させることが富国強兵策であった。

66年大暦元年55-7 《近聞〔永泰元年,郭子儀與回紇約,共擊吐蕃。次年二月,吐蕃來朝,詩紀其事。〕》 杜甫index-15 杜甫<870 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5160

杜甫《客居 -#5》「稷契易為力,犬戎何足吞。」(稷契は力を為し易し,犬戎 何ぞ吞むに足らん。)堯舜の時代の稷と契のような賢臣であれば仕事をするのになんら難しいことはないのだが、犬戎のような異民族の輩に、どうしてあんなにも容易く併呑されなければならないのであろうか。

766年大暦元年55-3-5 《客居 -#5》 杜甫index-15 杜甫<866ー#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5125

 

俎豆腐膻肉,罘行角弓。

吐蕃がやって来てからは俎豆の祭器に羊の肉が生臭いし、腐ったくさい肉でもそのままにし、宮殿の塀の所に角弓を使用するという傲慢であった。

俎豆 昔の中国の祭器の名。俎と豆。俎はいけにえの肉をのせるまないた、豆は菜を盛るたかつき。転じて、礼法。

腐膻肉 羊の肉が生臭いし、腐ったくさい肉でもそのままにする。・膻 (羊の肉が)生臭い.≡羴.用例羊肉太膻。(この羊の肉はひどく生臭い.)膻羊肉不好吃。(生臭い羊の肉はうまくない.)

766年大暦元年55歲-48 《巻1512 往在 -4》 杜甫index-15 杜甫<911-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5880

往在 -4 杜甫 随分前の春暮の事、天子は、郊と廟に祀禮をいたされたときに、祀事は天子ご自身が奉仕あそばされたのである。その時、不束ながら自分は近臣の地位、左拾遺をかたじけなくも拝命していて、群公のお供をしてわが君に影の如く付き添って行った。

 

 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-48 《巻1512 往在 -4》 杜甫index-15 杜甫<911-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5880 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    往在

及地點:              濯龍宮 (都畿道 河南府 洛陽)           

 

 

往在

(天寶の末年のころの長安の出来事を追憶し、懐郷の年を述べたもの。766年大暦元年55

往在西京日,胡來滿彤宮。

むかし、天寶の末年ころ、長安にいた時分、安史軍がいっぱい大明宮に入り込み略奪の限りを尽くした。

中宵焚九廟,雲漢為之紅。

かれらが夜中に九廟を焼き討ちしたので、天の河がこれがために真っ赤な夜空となった。

解瓦飛十里,繐帷紛曾空。

焼かれた瓦ははじけ、とびとけ落ちて、十里先まで飛び、神殿の細布のとばりは、空高く乱れて舞上った。

疚心惜本主,一一灰悲風。

歴代の御位牌は一一物悲しく風に拝となって散るのを見て、余りの惜しさにどれほどの心を痛めたことだっただろうか。

往在

往に西京の日に在り,胡來りて 彤宮に滿つ。

中宵 九廟を焚き,雲漢 之れが為に紅なり。

解瓦 十里に飛び, 曾空に紛たり。

疚心 本主を惜み,一一 悲風に灰となる。

#2

合昏排鐵騎,清旭散錦

その日黄昏時には、さっそく安史軍の鐵騎が並べられたかとおもうと、暁には、錦の鞍覆いをかけた騎馬があちこちに散駐配属されていた。

賊臣表逆節,相賀以成功。

賊である安史軍に降参した朝廷の家臣百官の者らは、安史軍に対して恭順の文章を呈し、道を外れた忠誠を表し、この度の長安攻め入りは成功であると媚辭を為して祝賀したのである。

是時妃嬪戮,連為糞土叢。

この時、崔国長公主、永王妃など后妃や妃嬪たち80名以上を殺戮したため、この糞溜めが如き草叢の屑となってしまった。

當宁陷玉座,白間剝畫蟲。

天子が臣下のものを御引見なさる時にお立ち遊ばされる場所において、その玉座さえくずれてしまい、門扉の白間の畫蟲は剥げてみすぼらしいものとなった。

合昏 鐵騎を排し,清旭 錦を散ず。

賊臣 逆節を表し,相賀するに成功を以てす。

是の時 妃嬪 戮せられ,連りに糞土の叢と為る。

當宁【とうちょ】玉座 陷る,白間 畫蟲 剝がる。

 

#3

不知二聖處,私泣百翁。

聖人、玄宗と肅宗の二方の居場所さえ分からない状態の時があり、長安の長老、老人たちはなすすべもなくただひそかに涙、鼻水で顔をクチャぐちゃにした。

車駕既云還,楹桷穹崇。

767年秋九月には長安回復、十月洛陽を回復し、肅宗の車駕は長安にお帰りになり、宗廟は新築され、楹や桷でもって高くそびえることになった。

故老復涕泗,祠官樹椅桐。

祠官はさらに、椅桐の樹を植えると、これを見てあの老人たちも今度は感動の涙でぐちゃぐちゃの顔となった。

宏壯不如初,已見帝力雄。

新廟の宏壯な事は以前のようにはいかないけれども、これによって帝王の雄大さは、最早、伺い見る事となったのである。

 

知らず 二聖の處,私【ひそか】に百翁を泣かしむ

車駕 既に云【ここ】に還る,楹桷 欻【たちま】ち穹崇なり。

故老 復た涕泗し,祠官 椅桐を樹う。

宏壯 初に如かざるみ,已に見る 帝力の雄なるを。

大明宮-座標02 

#4

前春禮郊廟,祀事親聖躬。

随分前の春暮の事、天子は、郊と廟に祀禮をいたされたときに、祀事は天子ご自身が奉仕あそばされたのである。

微軀忝近臣,景從陪群公。

その時、不束ながら自分は近臣の地位、左拾遺をかたじけなくも拝命していて、群公のお供をしてわが君に影の如く付き添って行った。

登階捧玉冊,峨冕耿金鐘。

そうして高い冠を付けながら、大極門の金鍾のなるのを聞きながら、階を登って御祭告の文を記した玉冊を捧げ祭った。

侍祠先露,掖垣邇濯龍。

自分が左拾遺として祀事の際侍っているのは、大極殿のわきの中書省に通じる左掖垣の濯龍池に近いところである。

 

#4

前春 郊廟に禮し,祀事 聖躬を親【おのずからし】たまう。

微軀 近臣を忝【かたじけ】なくし,景從 群公に陪す。

階に登りて玉冊を捧【ささ】ぎ,峨冕 金鐘を耿【き】く。

祠に侍じて 先露を恧【は】ず,掖垣【えきえん】濯龍に邇し。

長安城皇城図 

 

『往在』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

前春禮郊廟,祀事親聖躬。

微軀忝近臣,景從陪群公。

登階捧玉冊,峨冕耿金鐘。

侍祠恧先露,掖垣邇濯龍。



(下し文)
#4

前春 郊廟に禮し,祀事 聖躬を親【おのずからし】たまう。

微軀 近臣を忝【かたじけ】なくし,景從 群公に陪す。

階に登りて玉冊を捧【ささ】ぎ,峨冕 金鐘を耿【き】く。

祠に侍じて 先露を【は】ず,掖垣【えきえん】濯龍に邇し

(現代語訳)
随分前の春暮の事、天子は、郊と廟に祀禮をいたされたときに、祀事は天子ご自身が奉仕あそばされたのである。

その時、不束ながら自分は近臣の地位、左拾遺をかたじけなくも拝命していて、群公のお供をしてわが君に影の如く付き添って行った。

そうして高い冠を付けながら、大極門の金鍾のなるのを聞きながら、階を登って御祭告の文を記した玉冊を捧げ祭った。

自分が左拾遺として祀事の際侍っているのは、大極殿のわきの中書省に通じる左掖垣の濯龍池に近いところである。



(訳注) #4

往在

(天寶の末年のころの長安の出来事を追憶し、懐郷の年を述べたもの。766年大暦元年55の作)

往在 往とは、天寶の末年をいう。在はむかし。

*起句の二字を取って題とした。

 

前春禮郊廟,祀事親聖躬。

随分前の春暮の事、天子は、郊と廟に祀禮をいたされたときに、祀事は天子ご自身が奉仕あそばされたのである。

前春 往在の春のこととするが、758年乾元元年、「九廟」がなったときをいう。建物完成、準備は、3月までに出来上がったということであろう。また長安を奪回しての初めての祀事であるから「春」とした。

禮郊廟 南郊と宗廟に祀事をおこなうこと。舊唐書には758年乾元元年4月辛亥に行われているから、夏である。《舊唐書 乾元元年四月》「辛亥(10日),九廟成,備法駕自長安殿迎九廟神主入新廟。甲寅,上親享九廟,遂有事于圓丘,即日還宮。翌日,御明鳳門,大赦天下。」とある。

祀事 祖祭のことを祀といい、とくに周祭五祀と呼ばれる祖祭の体系が一巡するのがだいたい一年にあたるためで、これにより年のことを祀というようになった。

親聖躬 天子自らが祀辞をすること。

 

微軀忝近臣,景從陪群公。

その時、不束ながら自分は近臣の地位、左拾遺をかたじけなくも拝命していて、群公のお供をしてわが君に影の如く付き添って行った。

微軀 自分を謙譲して言う言葉。つまらない身体。

忝近臣 左拾遺を拝命していること。

景從 景は影、影のように形に添っていること、つき從うこと。

陪群公 大勢いる諸々の大官。

 

登階捧玉冊,峨冕耿金鐘。

そうして高い冠を付けながら、大極門の金鍾のなるのを聞きながら、階を登って御祭告の文を記した玉冊を捧げ祭った。

玉冊 御祭告の文を記した玉冊のこと。

峨冕 高い冕冠を付ける。

耿金鐘 大極門に右側に金鍾、左に太鼓が設けられていた。中朝殿の大極殿で行われる際に先に太鼓で知らせ、直前に金鐘をならした。、

 

侍祠恧先露,掖垣邇濯龍。

自分が左拾遺として祀事の際侍っているのは、大極殿のわきの中書省に通じる左掖垣の濯龍池に近いところである。

恧先露 天子の歩く道を先だって点検作業をしておいて、待つことをいう。

掖垣 大極殿のわきの中書省に通じる左掖垣。

邇濯龍 唐の皇城には。龍首池であるが、濯龍池は後漢の時の池名。唐では、興慶宮にある池である。古代の名称をいうのは勿体をつけて云う時の常套。
 

766年大暦元年55歲-48 《巻1512 往在 -3》 杜甫index-15 杜甫<911-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5875 

往在 -3 杜甫  聖人、玄宗と肅宗の二方の居場所さえ分からない状態の時があり、長安の長老、老人たちはなすすべもなくただひそかに涙、鼻水で顔をクチャぐちゃにした。767年秋九月には長安回復、十月洛陽を回復し、肅宗の車駕は長安にお帰りになり、宗廟は新築され、楹や桷でもって高くそびえることになった。

 

 
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766年大暦元年55-48 《巻1512 往在 -3 杜甫index-15 杜甫<911-#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5875 杜甫詩1500-911-#3-1346/2500766年大暦元年55-48

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    往在

及地點:              濯龍宮 (都畿道 河南府 洛陽)           

 

 

往在

(天寶の末年のころの長安の出来事を追憶し、懐郷の年を述べたもの。766年大暦元年55

往在西京日,胡來滿彤宮。

むかし、天寶の末年ころ、長安にいた時分、安史軍がいっぱい大明宮に入り込み略奪の限りを尽くした。

中宵焚九廟,雲漢為之紅。

かれらが夜中に九廟を焼き討ちしたので、天の河がこれがために真っ赤な夜空となった。

解瓦飛十里,繐帷紛曾空。

焼かれた瓦ははじけ、とびとけ落ちて、十里先まで飛び、神殿の細布のとばりは、空高く乱れて舞上った。

疚心惜本主,一一灰悲風。

歴代の御位牌は一一物悲しく風に拝となって散るのを見て、余りの惜しさにどれほどの心を痛めたことだっただろうか。

往在

往に西京の日に在り,胡來りて 彤宮に滿つ。

中宵 九廟を焚き,雲漢 之れが為に紅なり。

解瓦 十里に飛び, 曾空に紛たり。

疚心 本主を惜み,一一 悲風に灰となる。

#2

合昏排鐵騎,清旭散錦

その日黄昏時には、さっそく安史軍の鐵騎が並べられたかとおもうと、暁には、錦の鞍覆いをかけた騎馬があちこちに散駐配属されていた。

賊臣表逆節,相賀以成功。

賊である安史軍に降参した朝廷の家臣百官の者らは、安史軍に対して恭順の文章を呈し、道を外れた忠誠を表し、この度の長安攻め入りは成功であると媚辭を為して祝賀したのである。

是時妃嬪戮,連為糞土叢。

この時、崔国長公主、永王妃など后妃や妃嬪たち80名以上を殺戮したため、この糞溜めが如き草叢の屑となってしまった。

當宁陷玉座,白間剝畫蟲。

天子が臣下のものを御引見なさる時にお立ち遊ばされる場所において、その玉座さえくずれてしまい、門扉の白間の畫蟲は剥げてみすぼらしいものとなった。

合昏 鐵騎を排し,清旭 錦を散ず。

賊臣 逆節を表し,相賀するに成功を以てす。

是の時 妃嬪 戮せられ,連りに糞土の叢と為る。

當宁【とうちょ】玉座 陷る,白間 畫蟲 剝がる。

 

#3

不知二聖處,私泣百翁。

聖人、玄宗と肅宗の二方の居場所さえ分からない状態の時があり、長安の長老、老人たちはなすすべもなくただひそかに涙、鼻水で顔をクチャぐちゃにした。

車駕既云還,楹桷穹崇。

767年秋九月には長安回復、十月洛陽を回復し、肅宗の車駕は長安にお帰りになり、宗廟は新築され、楹や桷でもって高くそびえることになった。

故老復涕泗,祠官樹椅桐。

祠官はさらに、椅桐の樹を植えると、これを見てあの老人たちも今度は感動の涙でぐちゃぐちゃの顔となった。

宏壯不如初,已見帝力雄。

新廟の宏壯な事は以前のようにはいかないけれども、これによって帝王の雄大さは、最早、伺い見る事となったのである。

 

知らず 二聖の處,私【ひそか】に百翁を泣かしむ

車駕 既に云【ここ】に還る,楹桷 欻【たちま】ち穹崇なり。

故老 復た涕泗し,祠官 椅桐を樹う。

宏壯 初に如かざるみ,已に見る 帝力の雄なるを。

 

長安城漢唐 

『往在』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

不知二聖處,私泣百翁。

車駕既云還,楹桷欻穹崇。

故老復涕泗,祠官樹椅桐。

宏壯不如初,已見帝力雄。



(下し文)
知らず 二聖の處,私【ひそか】に百の翁を泣かしむ。

車駕 既に云【ここ】に還る,楹桷 【たちま】ち穹崇なり。

故老 復た涕泗し,祠官 椅桐を樹う。

宏壯 初に如かざるみ,已に見る 帝力の雄なるを。

(現代語訳)
聖人、玄宗と肅宗の二方の居場所さえ分からない状態の時があり、長安の長老、老人たちはなすすべもなくただひそかに涙、鼻水で顔をクチャぐちゃにした。

767年秋九月には長安回復、十月洛陽を回復し、肅宗の車駕は長安にお帰りになり、宗廟は新築され、楹や桷でもって高くそびえることになった。

祠官はさらに、椅桐の樹を植えると、これを見てあの老人たちも今度は感動の涙でぐちゃぐちゃの顔となった。

新廟の宏壯な事は以前のようにはいかないけれども、これによって帝王の雄大さは、最早、伺い見る事となったのである。



(訳注)

往在

(天寶の末年のころの長安の出来事を追憶し、懐郷の年を述べたもの。766年大暦元年55の作)

往在 往とは、天寶の末年をいう。在はむかし。

*起句の二字を取って題とした。

 

不知二聖處,私泣百翁。

聖人、玄宗と肅宗の二方の居場所さえ分からない状態の時があり、長安の長老、老人たちはなすすべもなくただひそかに涙、鼻水で顔をクチャぐちゃにした。

二聖 玄宗と肅宗。

 長安の長老、父老たち。

 

車駕既云還,楹桷穹崇。

767年秋九月には長安回復、十月洛陽を回復し、肅宗の車駕は長安にお帰りになり、宗廟は新築され、楹や桷でもって高くそびえることになった。

車駕 天子の乗り物。

既云還 十月洛陽を回復し、肅宗の車駕は長安に入る。十二月玄宗が長安に入り、興慶宮にいる。

楹桷 はしらとたるき。宗廟新築をいう。

欻穹崇 弓なりに髙く建つ。

 

故老復涕泗,祠官樹椅桐。

祠官はさらに、椅桐の樹を植えると、これを見てあの老人たちも今度は感動の涙でぐちゃぐちゃの顔となった。

故老 長安の長老、父老たち。

復涕泗 ふたたび、なみだとはなみず。

祠官 宗廟の祭祀をつかさどる官。

樹椅桐 《詩経·鄘風·定之方中》之榛栗,椅桐梓漆。」皇城に植える梧桐。樹は植える。イドウ(idou)イイギリ科の落葉高木

 

宏壯不如初,已見帝力雄。

新廟の宏壯な事は以前のようにはいかないけれども、これによって帝王の雄大さは、最早、伺い見る事となったのである。

宏壮 建物などが、広大で、りっぱなこと。また、そのさま。

66年大暦元年55歲-48 《巻1512 往在 -2》 杜甫index-15 杜甫<911-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5870

往在 -2 杜甫  賊である安史軍に降参した朝廷の家臣百官の者らは、安史軍に対して恭順の文章を呈し、道を外れた忠誠を表し、この度の長安攻め入りは成功であると媚辭を為して祝賀したのである。

この時、崔国長公主、永王妃など后妃や妃嬪たち80名以上を殺戮したため、この糞溜めが如き草叢の屑となってしまった。

 

 

 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55-48 《巻1512 往在 -2》 杜甫index-15 杜甫<911-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5870 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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766年大暦元年55-48 《巻1512 往在 -2 杜甫index-15 杜甫<911-#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5870 杜甫詩1500-911-#2-1345/2500766年大暦元年55-48

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    往在

及地點:              濯龍宮 (都畿道 河南府 洛陽)           

 

 

往在

(天寶の末年のころの長安の出来事を追憶し、懐郷の年を述べたもの。766年大暦元年55

往在西京日,胡來滿彤宮。

むかし、天寶の末年ころ、長安にいた時分、安史軍がいっぱい大明宮に入り込み略奪の限りを尽くした。

中宵焚九廟,雲漢為之紅。

かれらが夜中に九廟を焼き討ちしたので、天の河がこれがために真っ赤な夜空となった。

解瓦飛十里,繐帷紛曾空。

焼かれた瓦ははじけ、とびとけ落ちて、十里先まで飛び、神殿の細布のとばりは、空高く乱れて舞上った。

疚心惜本主,一一灰悲風。

歴代の御位牌は一一物悲しく風に拝となって散るのを見て、余りの惜しさにどれほどの心を痛めたことだっただろうか。

往在

往に西京の日に在り,胡來りて 彤宮に滿つ。

中宵 九廟を焚き,雲漢 之れが為に紅なり。

解瓦 十里に飛び, 曾空に紛たり。

疚心 本主を惜み,一一 悲風に灰となる。

#2

合昏排鐵騎,清旭散錦

その日黄昏時には、さっそく安史軍の鐵騎が並べられたかとおもうと、暁には、錦の鞍覆いをかけた騎馬があちこちに散駐配属されていた。

賊臣表逆節,相賀以成功。

賊である安史軍に降参した朝廷の家臣百官の者らは、安史軍に対して恭順の文章を呈し、道を外れた忠誠を表し、この度の長安攻め入りは成功であると媚辭を為して祝賀したのである。

是時妃嬪戮,連為糞土叢。

この時、崔国長公主、永王妃など后妃や妃嬪たち80名以上を殺戮したため、この糞溜めが如き草叢の屑となってしまった。

當宁陷玉座,白間剝畫蟲。

天子が臣下のものを御引見なさる時にお立ち遊ばされる場所において、その玉座さえくずれてしまい、門扉の白間の畫蟲は剥げてみすぼらしいものとなった。

合昏 鐵騎を排し,清旭 錦を散ず。

賊臣 逆節を表し,相賀するに成功を以てす。

是の時 妃嬪 戮せられ,連りに糞土の叢と為る。

當宁【とうちょ】玉座 陷る,白間 畫蟲 剝がる。

 

 長安城皇城図

『往在』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2

合昏排鐵騎,清旭散錦錦幪。

賊臣表逆節,相賀以成功。

是時妃嬪戮,連為糞土叢。

當宁陷玉座,白間剝畫蟲。


(下し文) #2

合昏 鐵騎を排し,清旭 錦幪を散ず。

賊臣 逆節を表し,相賀するに成功を以てす。

是の時 妃嬪 戮せられ,連りに糞土の叢と為る。

當宁【とうちょ】玉座 陷る,白間 畫蟲 剝がる。


(現代語訳)
その日黄昏時には、さっそく安史軍の鐵騎が並べられたかとおもうと、暁には、錦の鞍覆いをかけた騎馬があちこちに散駐配属されていた。

賊である安史軍に降参した朝廷の家臣百官の者らは、安史軍に対して恭順の文章を呈し、道を外れた忠誠を表し、この度の長安攻め入りは成功であると媚辭を為して祝賀したのである。

この時、崔国長公主、永王妃など后妃や妃嬪たち80名以上を殺戮したため、この糞溜めが如き草叢の屑となってしまった。

天子が臣下のものを御引見なさる時にお立ち遊ばされる場所において、その玉座さえくずれてしまい、門扉の白間の畫蟲は剥げてみすぼらしいものとなった。

京兆地域図002

(訳注) #2

往在

(天寶の末年のころの長安の出来事を追憶し、懐郷の年を述べたもの。766年大暦元年55の作)

往在 往とは、天寶の末年をいう。在はむかし。

*起句の二字を取って題とした。

 

合昏排鐵騎,清旭散錦

その日黄昏時には、さっそく安史軍の鐵騎が並べられたかとおもうと、暁には、錦の鞍覆いをかけた騎馬があちこちに散駐配属されていた。

合昏 その日黄昏時刻に。

排鐵騎 妷の鎧を付けた馬、戦車などを配列すること。

清旭 澄み切った朝日。

散錦幪 あちこちに散駐配属されること。錦幪は、安史軍が長安に入城して略奪の限りを尽くしたことで、装束、装備品が豪華なものに変わったことをいう。

 

賊臣表逆節,相賀以成功。

賊である安史軍に降参した朝廷の家臣百官の者らは、安史軍に対して恭順の文章を呈し、道を外れた忠誠を表し、この度の長安攻め入りは成功であると媚辭を為して祝賀したのである。

賊臣 安史軍に降参した朝廷の家臣百官の者たち。

表逆節 安史軍に対して恭順の文章を呈したこと。

相賀 媚辭を為して祝賀したこと。

以成功 この度の長安攻め入りは成功であると媚辭を為したことをいう。

 

是時妃嬪戮,連為糞土叢。

この時、崔国長公主、永王妃など后妃や妃嬪たち80名以上を殺戮したため、この糞溜めが如き草叢の屑となってしまった。

是時 7566月に入城し、1か月後に随わない皇族、高級官僚を殺害した時。

妃嬪戮 至徳元年(756)7月、霍国長公主及び王妃、駙馬らを殺す。その心臓をえぐり取って、 安慶宗を祭った。普段から安禄山が憎んでいた者も、全員殺した。その総数八十三人。 鉄の棒へ、その頭蓋骨を掲げたりしたので、 流れる血が街を満たした。また、皇孫及び郡、県主三十六人を殺した。杜甫王孫ている。

糞土叢 糞溜めが如き草叢の屑となる。

 

當宁陷玉座,白間剝畫蟲。

天子が臣下のものを御引見なさる時にお立ち遊ばされる場所において、その玉座さえくずれてしまい、門扉の白間の畫蟲は剥げてみすぼらしいものとなった。

當宁 天子朝を見る時そこに宁立する場所をいう。宮殿の天子の佇立する事。《禮記、曲禮下》「天子當宁而立」とある。

陷玉座 天子の座位を陥落させる。

白間 門扉の鎖型の彫刻の所を青く塗った飾ものを靑鎖といい、その周りの扉部分を白く塗ったところを白間という。

剝畫蟲 の白間の畫蟲は剥げてみすぼらしいものになる。ここの畫蟲は龍の画である。

 

舊唐書の記述

至徳元年(756)6月―

・安禄山は、百官、宦官、宮女らを探すよう命じた。数百人捕らえるごとに、護衛兵を付けて洛陽へ送った。車駕へ随従した王侯将相の家族が長安に残っていたら、嬰児まで誅殺した。

・陳希烈は、晩年になって寵を失っていたので玄宗皇帝を怨み、張均、張ジと共に賊へ降伏した。安禄山は、陳希烈、張ジを相として、他の朝士にも皆、官を授けた。

 ・ここにおいて、燕の勢いは大いに燃え上がった。西は隴を脅かし、南は江、漢を侵し、北は河北の半ばを奪う。しかしながら賊将は、皆租猛で遠略がなかった。 長安に勝つと、既に大願が成就したと思い、日夜酒に溺れる。女漁りや財宝集めに精を出して、 西進の意欲などなかった。だから玄宗皇帝は危険な目にも会わずに蜀へ入れたし、皇太子・李亨も追撃の憂き目に会わずに北行できた。

 

至徳元年(756)7月―

安禄山は命令して、孫孝哲が祟仁坊にて霍国長公主及び王妃、駙馬らを殺す。その心臓をえぐり取って、 安慶宗を祭った。

   楊国忠一族、高力士の一党及び普段から安禄山が憎んでいた者も、全員殺した。その総数八十三人。 鉄の棒へ、その頭蓋骨を掲げたりしたので、 流れる血が街を満たした。

   己巳、また、皇孫及び郡、県主二十余人を殺した。

哀王孫 杜甫142  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 140-#3

 

766年大暦元年55歲-48 《巻1512 往在 -1》 杜甫index-15 杜甫<911> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5865

往在 -1 杜甫(天寶の末年のころの長安の出来事を追憶し、懐郷の年を述べたもの。766年大暦元年55の作)むかし、天寶の末年ころ、長安にいた時分、安史軍がいっぱい大明宮に入り込み略奪の限りを尽くした。

 


766年大暦元年55-48 《巻1512 往在 -1 杜甫index-15 杜甫<911 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5865

杜甫詩1500-911-1344/2500766年大暦元年55-48

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    往在

及地點:              濯龍宮 (都畿道 河南府 洛陽)           

 

 

往在

(天寶の末年のころの長安の出来事を追憶し、懐郷の年を述べたもの。766年大暦元年55

往在西京日,胡來滿彤宮。

むかし、天寶の末年ころ、長安にいた時分、安史軍がいっぱい大明宮に入り込み略奪の限りを尽くした。

中宵焚九廟,雲漢為之紅。

かれらが夜中に九廟を焼き討ちしたので、天の河がこれがために真っ赤な夜空となった。

解瓦飛十里,繐帷紛曾空。

焼かれた瓦ははじけ、とびとけ落ちて、十里先まで飛び、神殿の細布のとばりは、空高く乱れて舞上った。

疚心惜本主,一一灰悲風。

歴代の御位牌は一一物悲しく風に拝となって散るのを見て、余りの惜しさにどれほどの心を痛めたことだっただろうか。

往在

往に西京の日に在り,胡來りて 彤宮に滿つ。

中宵 九廟を焚き,雲漢 之れが為に紅なり。

解瓦 十里に飛び, 曾空に紛たり。

疚心 本主を惜み,一一 悲風に灰となる。

#2

合昏排鐵騎,清旭散錦幪

賊臣表逆節,相賀以成功。

是時妃嬪戮,連為糞土叢。

當宁陷玉座,白間剝畫蟲。

#3

不知二聖處,私泣百翁。

車駕既云還,楹桷欻穹崇。

故老復涕泗,祠官樹椅桐。

宏壯不如初,已見帝力雄。

#4

前春禮郊廟,祀事親聖躬。

微軀忝近臣,景從陪群公。

登階捧玉冊,峨冕耿金鐘。

侍祠恧先露,掖垣邇濯龍。

#5

天子惟孝孫,五雲起九重。

鏡奩換粉黛,翠羽猶蔥朧。

前者厭羯胡,後來遭犬戎。

俎豆腐膻肉,罘行角弓。

#6

安得自西極,申命空山東。

盡驅詣闕下,士庶塞關中。

主將曉逆順,元元歸始終。

一朝自罪己,萬里車書通。

#7

鋒鏑供鋤犁,征戍聽所從。

冗官各復業,土著還力農。

君臣節儉足,朝野歡呼同。

中興似國初,繼體如太宗。

#8

端拱納諫諍,和風日沖融。

赤墀櫻桃枝,隱映銀絲籠。

千春薦陵寢,永永垂無窮。

京都不再火,涇渭開愁容。

歸號故松柏,老去苦飄蓬。

choan9ryo 

 

『往在』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

往在

往在西京日,胡來滿彤宮。

中宵焚九廟,雲漢為之紅。

解瓦飛十里,繐帷紛曾空。

疚心惜本主,一一灰悲風。


(下し文)
往在

往に西京の日に在り,胡來りて 彤宮に滿つ。

中宵 九廟を焚き,雲漢 之れが為に紅なり。

解瓦 十里に飛び,繐帷 曾空に紛たり。

疚心 本主を惜み,一一 悲風に灰となる。


(現代語訳)
(天寶の末年のころの長安の出来事を追憶し、懐郷の年を述べたもの。766年大暦元年55の作)

むかし、天寶の末年ころ、長安にいた時分、安史軍がいっぱい大明宮に入り込み略奪の限りを尽くした。

かれらが夜中に九廟を焼き討ちしたので、天の河がこれがために真っ赤な夜空となった。

焼かれた瓦ははじけ、とびとけ落ちて、十里先まで飛び、神殿の細布のとばりは、空高く乱れて舞上った。

歴代の御位牌は一一物悲しく風に拝となって散るのを見て、余りの惜しさにどれほどの心を痛めたことだっただろうか。


長安城漢唐
(訳注)

往在

(天寶の末年のころの長安の出来事を追憶し、懐郷の年を述べたもの。766年大暦元年55の作)

往在 往とは、天寶の末年をいう。在はむかし。

*起句の二字を取って題とした。

自叙伝というべき1514壯遊》は少年壮年時、天下を周遊したことを述べ、且つ、老後の感慨を述べたものであったが、その続編というべき作品である。

同時期の自叙伝シリーズ

1.《巻1512 往在》

766年大暦元年55-48分割 《巻1512 往在 -1 杜甫index-15 杜甫<911 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5865

2《巻1513 昔遊》

766年大暦元年55-49【5分割】 《巻1513 昔遊 -1 杜甫index-15 杜甫<912-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5905

3. 《巻2084 昔遊二首其一 -1

杜甫 《巻20・84 昔遊二首其一 -1》【4分割】 杜甫詩index-15-767年大暦元年56-83 <913-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5930 杜甫詩1500-913-#1-1357/2500

4.《巻1514 壯遊》

66年大暦元年55-50 《1514壯遊-#1》【14分割】 杜甫index-15 杜甫<916 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5925

5.《巻1515 遺懷》


 

往在西京日,胡來滿彤宮。

むかし、天寶の末年ころ、長安にいた時分、安史軍がいっぱい大明宮に入り込み略奪の限りを尽くした。

西京 長安。杜甫は756年秋に

杜甫は、王朝軍を建て直すことをしないでウイグルに援軍を求めたことを諌めている。>)の中に陥ったことをいう。蘆子関には、史忠明の軍が抑えており、霊武の郭子儀の朔方軍に粛宗が行在所を置いていた。杜甫は、家族を羌村において北に向かって蘆子関を前に盗賊に馬を奪われ、隠れているところを掴まった。このいきさつは、

王砅「送重表姪王秋評事便南海」 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 700- 131

彭衙行 杜甫 132 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132 -#1

塞蘆子 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 195

を参照されたい。

胡來 えびすの塵のなかにおちる。安史軍(安禄山軍、史忠明軍、異民族軍、潘鎮諸公軍などこのブログでは、官軍・賊軍という表現はしない<官軍といわれる軍も、唐王朝の軍、当初は、朔方軍とウイグル軍主体であった。

滿彤宮 大極宮から紫宸殿に向かう庭、階、すべて朱塗りであったので、天子の宮殿をいう。

 

中宵焚九廟,雲漢為之紅。

かれらが夜中に九廟を焼き討ちしたので、天の河がこれがために真っ赤な夜空となった。

九廟 九廟, 帝王の宗廟を指して謂う。 古代より、帝王の立廟は祖先を祭祀す,太祖の廟有り及び三昭廟、三穆廟, 共に七廟である。 王莽 增して祖廟五と為す、親廟は四, 共に九廟とす。 後歷の朝は皆 此の制に沿う。 《漢書王莽傳下》「取其材瓦, 以起九廟。」とある。

雲漢 河漢 あまのがわ。天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。杜甫『天河』。

天河 杜甫 <292> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1343 杜甫詩 700- 412

秦州抒情詩(8)  初月 杜甫 <293> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1346 杜甫詩 - 413

 

解瓦飛十里,帷紛曾空。

焼かれた瓦ははじけ、とびとけ落ちて、十里先まで飛び、神殿の細布のとばりは、空高く乱れて舞上った。

解瓦 大火の場合に強風に乗って散乱した瓦のこと言う。火事の様子が凄まじかったということ。

飛十里 1里は、576m56km飛んだということ。

繐帷 九廟の中に垂れていたあら絹の神坐の幄。

紛曾空 紛は乱れる状況、曾空は幾重にも高い空。火事のために空の色が、何段重ねに変わっている様子をいう。

 

疚心惜本主,一一灰悲風。

歴代の御位牌は一一物悲しく風に拝となって散るのを見て、余りの惜しさにどれほどの心を痛めたことだっただろうか。

疚心 心を痛め目る度合いが大きくダメージを受けたことをいう。

惜本主 本主はその廟に祀られる天子の御位牌のこと。惜しむは、この句以降の九廟が粗末にされ、高価なものは、持ち去られ、ほとんどの者は焼き払われてことを言う。

灰悲風 人の心を非常に悲しませて灰になっていった。

 

京兆地域図002 

潼関が陥落すると、河東、華陰、馮翊、上洛の防御史は、皆、郡を棄てて逃げた。所在の守兵も皆、逃げ散った。

   潼関が陥落した日、哥舒翰の麾下が来て急を告げた。玄宗皇帝はすぐには謁見せず、ただ李福徳ら将監牧兵を潼関へ派遣しただけだった。暮れに及んで、 平安火(平常であることを示す合図)が挙がらなかったので、玄宗皇帝は始めて懼れた。

 

甲午、登朝した百官は一、二割もいなかった。玄宗皇帝は勧政楼へ御幸して制を下し、親征の意思を表明したが、聞く者は誰も信じなかった。

   京兆尹の魏方進を御史大夫兼置頓使とする。京兆少尹の霊昌の崔光遠を京兆尹として、西京留守に充てる。将軍・辺令誠へ宮殿内のことを任せた。剣南節度大使に、急いで鎮へ赴き本道へ皇帝の後座所を 設けさせるよう命じた。

   この日、玄宗皇帝は北内へ移った。夕方になると、龍武大将軍・陳玄禮へ六軍を整列させ、厚く銭帛を賜下する。閑厩馬九百余匹を選んだが、 他の者は何も知らなかった。

 

乙未黎明、玄宗皇帝は貴妃姉妹、皇子、妃、主、皇孫、楊国忠、韋見素、魏方進、陳玄禮及び近親の宦官、宮人達と延秋門を出た。在外の妃、主、皇孫は、皆、これを委ねて去った。

 玄宗皇帝が左藏を過ぎる時、楊国忠は焼き払うように請い、言った。

 「何も、賊の為に守ってやる必要はありません。」

 玄宗皇帝は愁然として言った。

 「賊が来て宝物を得られなかったら、必ずや百姓から酷く掠奪する。これは賊へ与えてやった方がよい。わが赤子をこれ以上苦しめるな。」

   この日、まだ登朝する百官もいた。宮門へ至ると時を告げる音は平常通り。三衞もいつも通り警備に立っていた。ところが、門が開くと宮人が乱れ出てきて、中外が騒がしくなった。玄宗皇帝の居所が判らないのだ。 ここにおいて、王公、士民は四出して逃げ隠れた。

   山谷の細民は争って宮禁及び王公の第舎へ入り、金宝を盗む。ある者は驢馬に乗ったまま上殿した。また、左藏大盈庫を焼き払った。

 

 

安禄山は、百官、宦官、宮女らを探すよう命じた。数百人捕らえるごとに、護衛兵を付けて洛陽へ送った。車駕へ随従した王侯将相の家族が長安に残っていたら、嬰児まで誅殺した。

   陳希烈は、晩年になって寵を失っていたので玄宗皇帝を怨み、張均、張ジと共に賊へ降伏した。安禄山は、陳希烈、張ジを相として、他の朝士にも皆、官を授けた。

   ここにおいて、燕の勢いは大いに燃え上がった。西は隴を脅かし、南は江、漢を侵し、北は河北の半ばを奪う。しかしながら賊将は、皆租猛で遠略がなかった。 長安に勝つと、既に大願が成就したと思い、日夜酒に溺れる。女漁りや財宝集めに精を出して、 西進の意欲などなかった。だから玄宗皇帝は危険な目にも会わずに蜀へ入れたし、皇太子・李亨も追撃の憂き目に会わずに北行できた。

 

 

粛宗皇帝は大明宮へ入居する。御史中丞・崔器は、燕の官爵を受けた百官を含元殿の前に集め、頭巾と靴を脱がせて頓首謝罪させた。これを兵卒が取り巻き、 百官へ見物させる。

   太廟は燕軍に焼き払われていた。粛宗皇帝は素服にて廟へ向かって三日哭した。

 
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杜甫 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -6  そのかみをかんがえると自分は張相国公とは身分の階級が隔たっていたので自分の製作をたてまつってみてもらうこともかなわなかったのだ。いま張相国公の撰に成る徐孫子の碑文をふたたび読んでみると、小舟の用意をして南昌まで出かけていってみたいような感じがする。

 
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766年大暦元年55-47-6奉節-38-6 《巻16-10 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -6》 杜甫index-15 杜甫<910-6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5860

 

 

杜甫詩1500-910-6-1343/2500766年大暦元年55-47-6

 

 

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡【八哀詩八首:故右僕射相國曲江張公九齡】

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:              碣石山 (河北道南部 平州 碣石山)    

荊州 (山南東道 荊州 荊州) 別名:郢門         

大庾山 (嶺南道東部 無第二級行政層級 大庾山) 別名:梅嶺、東嶠、大庾嶺        

交遊人物:張九齡              詩文提及

 

 

八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡#1

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔八〕今は亡き、故の右僕射で相国であった張九齢公を哀しんでよんだ詩。)

相國生南紀,金璞無留礦。

張相国公は漢江と長江中下流域の南紀にあたる地に生まれている、そして、世に出るやすぐに評価を得たが、黄金やあらたま環の礦中に留どまるような人ではないということである。

仙鶴下人間,獨立霜毛整。

また仙鶴家伝によれば、張九齢の母は、張九齢が天より飛び下りて庭に集まるのを夢みて張九齢を生んだといい、そして独立して白い毛を整えたごとくであった。

矯然江海思,複與雲路永。

それで張相国公は一方には矯然として高く江海を慕う心をもっておるが、他方には青空を凌いで遠く飛ばんとする心ももちあわせていいた。

寂寞想土堦,未遑等箕潁。

張相国公はさびしく過ぎ去った質僕の時代、堯舜の土堦三等の世を想いはするが、巣父・許由と匹敵するような志をもって箕山、頴水に隠れて暮らす暇はなかった。

(故の右僕射・相国・曲江の張公九齢)

相国南紀に生まる、金璞 礦に留どまること無し。

仙鶴 人間に下る、独立霜毛整う。

矯然 江海の思い、復た 雲路と永し。

寂莫 土階を想う、未だ箕頴に等しくするに遑あらず。

#2

上君白玉堂,倚君金華省。

だから張相公は長安のみやこへ出てきて、天子の大極殿の白玉の堂にのぼり、の金華の中書省に職籍を置くに至った。

碣石崢嶸,天地日蛙黽。

そのころ渤海の碣石山あたりから、年年に路が高く嶮しくなり、安禄山の異民族の虜の勢いが盛んになり、宮苑の池には日日、蛙である頽廃文化の小人どもがはびこるようになっていた。

退食吟大庭,何心記榛梗。

張相国公は荊州に流されたことを契機に官署から退出して故郷にかえれば大古の大庭氏の治世を吟じて、小人どもに邪魔されたことなどはこころにとめはしなかった。

骨驚畏曩哲,鬒變負人境。

ただ儒者である自己が前賢に及んでいないことを畏れて骨髄まで驚くという自己反省をされ、人境をはなれた地方へ出されたりするけれど自己を高めることをされために黒髪も白くなるほどに心配をされているのにである。

君が白玉の堂に上り、君が金華の省に倚る。

碣石【けっせき】崢嶸【そうこう】たり,天地日【ひび】蛙黽【あぼう】。

退食 大庭を吟ず、何の心か榛梗を記せん。

骨駕きて曩哲【のうてつ】を畏れ、鬒変じて人境に負く。

 

#3

雖蒙換蟬冠,右地多幸。

宰相を免ぜられて詔蝉の冠を換えさせられたとき、右丞相に遷されたが、それさえもまだ幸いが多すぎるとてはずかしとせられ、じぶんをうりこんだりするものではなかった。

敢忘二疏歸,痛迫蘇耽井。

むかし蘇耽は井水と橘葉とを以て母を養ったというが、張相国公は母をしとうて痛みがむねに迫っていたのである、どうして疏広・疏受のように官を退いて故郷に帰ってしまうことを忘れるということはないのである。

紫綬映暮年,荊州謝所領。

晩年には公は紫綬をかがやかして荊州に貶められながら、そこから領地を授けられたお礼を言上した。

庾公興不淺,黃霸鎮每靜。

張相国公は住処においては庾公亮のごとく「諸君且つ任せよ、老子此に於で興復た浅からず」と風雅の興も深く、黄覇のごとく行く先々の管内はいつも鎮め静かであった。

#3

蝉冠を換うるを蒙ると雖も、右地 多幸をす。

敢て忘れんや 二疏の帰りしを、痛みは 迫る 蘇耽が井。

紫綬 暮年に映ず、刑州 所領を謝す。

庾公興 浅からず、黄覇鎮 毎に静かなり。』

 

#4

賓客引調同,諷詠在務屏。

また、張相國公は賓客としてむかえるものは、例えば孟浩然のごとき同趣味のものを引き、田園山水詩を詠じたりして俗務をしりぞけることを目的とした。

詩罷地有餘,篇終語清省。

その詩はこれを作りおわってもまだいかようにもつくり得る余力があり、一篇をつづりおえたところで辞が清錆等であって無駄がまったくないのである。

一陽發陰管,淑氣含公鼎。

その詩律の調べは十二律の黄鐘の律のひびきのごとくやわらかであり、そのうまみは鼎のなかに含まれる春の気のようである。

乃知君子心,用才文章境。

これを見れば張相国公の心は君子と呼ぶべきもので、よほど才を文章の境地に用いられたことが知られる。

賓客 調の同じきを引く、諷詠 務屏に在り。

詩罷みて 地余り有り、篇終りて 語清省なり。

一陽 陰管より発る、淑気公鼎に含まる。

乃ち知る君子の心、才を文章の境に用いしを。

散帙起翠螭,倚薄巫廬並。

張相国公の詩文集をひっくりかえしてみると、翠螭が躍りだして雲間にせまって、巫山や盧山の名だたる山々と高く並ぶであろう。

綺麗玄暉擁,箋誄任昉騁。

その詩体の綺麗なことは、六朝、謝玄暉と手をとり、箋誄の文章の巧みなことは南斉、任坊と馳騎するに足りるひとである。

自我一家則,未缺隻字警。

我々は一家の法則を自ら立て、一字たりとも警語をだすことを欠かさないようにした。

千秋滄海南,名系朱鳥影。

張相国公の名は永久に神仙三山へ続く滄海の南のひろいうみにおいて南宮の朱鳥の星影とともにかかっている。

 

帙を散すれば 翠蠣起こる、倚薄巫廬と並ぶ。

綺麗玄暉を擁し、箋誄任昉と騁す。

我自りす 一家の則、未だ開かず 隻字の警。

千秋滄海の南、名は系かる朱鳥の影。 

 

#6

歸老守故林,戀闕悄延頸。

しまいに張相国公は老いを養うため故郷に帰って故郷の林を守られたが、宮闕を恋しとうてしょんぼりと襟首を都の方へさしのべておられた。

波濤良史筆,蕪大庾嶺。

波涛を捲き起こすような張相国公のよい歴史家のごとき筆力である。それも張相国公が没してしまっては大庾嶺の路も草の荒れるのにまかすばかりだ。

向時禮數隔,制作難上請。

そのかみをかんがえると自分は張相国公とは身分の階級が隔たっていたので自分の製作をたてまつってみてもらうこともかなわなかったのだ。

再讀徐孺碑,猶思理煙艇。
いま張相国公の撰に成る徐孫子の碑文をふたたび読んでみると、小舟の用意をして南昌まで出かけていってみたいような感じがする。

帰老 故林を守る、恋闕 悄として頚を延ぶ。

波涛 良史の筆、蕪絶す 大嶺。

向時 礼数隔たる、制作上 請し難し。

再び読む 徐孺が碑、猶お思う煙艇を理めんことを。』

 

 

『八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#6

歸老守故林,戀闕悄延頸。

波濤良史筆,蕪大庾嶺。

向時禮數隔,制作難上請。

再讀徐孺碑,猶思理煙艇。

(下し文)
帰老 故林を守る、恋闕 悄として頚を延ぶ。

波涛 良史の筆、蕪絶す 大庾嶺。

向時 礼数隔たる、制作上 請し難し。

再び読む 徐孺が碑、猶お思う煙艇を理めんことを。』

(現代語訳)
しまいに張相国公は老いを養うため故郷に帰って故郷の林を守られたが、宮闕を恋しとうてしょんぼりと襟首を都の方へさしのべておられた。

波涛を捲き起こすような張相国公のよい歴史家のごとき筆力である。それも張相国公が没してしまっては大庾嶺の路も草の荒れるのにまかすばかりだ。

そのかみをかんがえると自分は張相国公とは身分の階級が隔たっていたので自分の製作をたてまつってみてもらうこともかなわなかったのだ。

いま張相国公の撰に成る徐孫子の碑文をふたたび読んでみると、小舟の用意をして南昌まで出かけていってみたいような感じがする。

(訳注) #6

八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡5

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔八〕今は亡き、故の右僕射で相国であった張九齢公を哀しんでよんだ詩。)

○故右僕射・相国・曲江張公九齢 張九齢(678 - 740年)は中国唐代中期の政治家・詩人。字は子寿。張九齢・『晩笑堂竹荘畫傳』韶州曲江(広東省)の出身。702年に進士に及第し、寒門の出ではあったが宰相の張説に認められて校書郎・右拾遺・中書侍郎を歴任し、玄宗時代の733年以降は尚書右丞相の任にあたった。のち、李林甫や楊国忠らと衝突し、荊州(湖北省)に左遷され、官を辞した後は故郷に帰り文学史書に親しんだ。安禄山の「狼子野心」を見抜き、「誅を下して後患を絶て」と玄宗に諫言した人としても知られる。「開元最後の賢相」として名声高く、孟浩然や王維に希望を託されたこともある。王夫之はその『讀通鑑論』のなかで「貞観の時には才臣はいたが、清廉な者はいなかった。ただ開元の時に出た宋璟・盧懐慎・張九齢は清貞という徳を以て宰相に昇った。張九齢は清にして和、名声を追わず富を絶ち、朝廷に廉恥の心を知らせ、開元の世を盛んにした」と絶賛している。

 

歸老守故林,戀闕悄延頸。

しまいに張相国公は老いを養うため故郷に帰って故郷の林を守られたが、宮闕を恋しとうてしょんぼりと襟首を都の方へさしのべておられた。

○帰老 かえって老を養う。

○故林 故郷の林。

○恋闕 宮門をこいしく思う。

○悄延頸 悄はしおれたさま、延頸はえりくびをさしのべてながめる。

 

波濤良史筆,蕪大庾嶺。

波涛を捲き起こすような張相国公のよい歴史家のごとき筆力である。それも張相国公が没してしまっては大庾嶺の路も草の荒れるのにまかすばかりだ。

○波涛 文章の勢いの壮んなさま。

○良史筆 よい歴史家のごとき筆力、開元二十二年張九齢は中書令となり兼ねて国史を監修した、また「唐会要」にいう、「六典」は開元二十八年九齢の上る所なり、と。また天長節ごとに公卿皆衣服を進む、張九齢は「千秋金鑑録」五巻を上り、帝王の興衰を述べて以て鑒戒となせし、と。皆其の史筆のあることを見るのに足りる。

○蕉絶 はなはだしく草にうずもれる。

○大庾嶺 嶺の名、韶州始興県にあり、梅を以て名高い、嶺の新路は729年開元十七年に張九齢に詔して聞かせた所だという。其の人の没して嶺路もまた荒れるに至ったことをいう。徐浩の撰する所の「張公碑銘」にいう、740年「開元二十八年春、拝掃せんと請い、南に帰る、五月七日、疾に遇い、覇州曲江の私第に幕ず、享年六十三」と。新旧唐書に張九齢の享年を六十八に作るのは誤りであろう。

 

向時禮數隔,制作難上請。

そのかみをかんがえると自分は張相国公とは身分の階級が隔たっていたので自分の製作をたてまつってみてもらうこともかなわなかったのだ。

○向時 さきの時、開元の末頃をさす。作者がなお流浪していた時である。

○礼数隔 礼数は儀礼に関する階級をいう、一方は宰相、自己は浪人ゆえ身分が隔たる。

○制作 自己の製作物。

○上請 張九齢に上皇して其の教えを請う。

 

再讀徐孺碑,猶思理煙艇。

いま張相国公の撰に成る徐孫子の碑文をふたたび読んでみると、小舟の用意をして南昌まで出かけていってみたいような感じがする。 

○再読 再とは嘗てこれをよみ、いままた張九齢の没後にこれをよむことをいう。

○徐滞碑 徐稀は後漢の高士、徐稗字は孫子をいう。開元十五年九齢は其の硯文をつくった。全文は後に出す。

○理煙艇 理は準備することをいう、煙艇は煙のよこたわるこぶね、水路にて南昌に行き碑文を読もうとおもうことをいう。

「帰老」八句は九齢が郷に帰って没したことをいい景仰の情をのべて結びとする。

 

 

(故の右僕射・相国・曲江の張公九齢)

相国南紀に生まる、金璞 礦に留どまること無し。

仙鶴 人間に下る、独立霜毛整う。

矯然 江海の思い、復た 雲路と永し。

寂莫 土階を想う、未だ箕頴に等しくするに遑あらず。』

 

君が白玉の堂に上り、君が金華の省に倚る。

碣石【けっせき】崢嶸【そうこう】たり,天地日【ひび】蛙黽【あぼう】。

退食 大庭を吟ず、何の心か榛梗を記せん。

骨駕きて曩哲【のうてつ】を畏れ、鬒変じて人境に負く。

 

#3

蝉冠を換うるを蒙ると雖も、右地 多幸をす。

敢て忘れんや 二疏の帰りしを、痛みは 迫る 蘇耽が井。

紫綬 暮年に映ず、刑州 所領を謝す。

庾公興 浅からず、黄覇鎮 毎に静かなり。』

 

#4

賓客 調の同じきを引く、諷詠 務屏に在り。

詩罷みて 地余り有り、篇終りて 語清省なり。

一陽 陰管より発る、淑気公鼎に含まる。

乃ち知る君子の心、才を文章の境に用いしを。

 

#5

帙を散すれば 翠蠣起こる、倚薄巫廬と並ぶ。

綺麗玄暉を擁し、箋誄任昉と騁す。

我自りす 一家の則、未だ開かず 隻字の警。

千秋滄海の南、名は系かる朱鳥の影。 

 

帰老 故林を守る、恋闕 悄として頚を延ぶ。

波涛 良史の筆、蕪絶す 大嶺。

向時 礼数隔たる、制作上 請し難し。

再び読む 徐孺が碑、猶お思う煙艇を理めんことを。』

766年大暦元年55歲-47-#5奉節-38-#5 《巻16-10 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -5》 杜甫index-15 杜甫<910-#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5855

杜甫 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -5張相国公の詩文集をひっくりかえしてみると、翠螭が躍りだして雲間にせまって、巫山や盧山の名だたる山々と高く並ぶであろう。その詩体の綺麗なことは、六朝、謝玄暉と手をとり、箋誄の文章の巧みなことは南斉、任坊と馳騎するに足りるひとである。

 

 
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224 《(改訂版) 巻6-1 襄陽歌 -#2》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <224> Ⅰ李白詩1461 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5853 
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766年大暦元年55-47-5奉節-38-5 《巻16-10 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -5》 杜甫index-15 杜甫<910-5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5855

杜甫詩1500-910-5-1342/2500766年大暦元年55-47-5

 

 

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡【八哀詩八首:故右僕射相國曲江張公九齡】

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:碣石山 (河北道南部 平州 碣石山)    

    荊州 (山南東道 荊州 荊州) 別名:郢門         

大庾山 (嶺南道東部 無第二級行政層級 大庾山) 別名:梅嶺、東嶠、大庾嶺        

交遊人物:張九齡              詩文提及

 

 

八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡#1

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔八〕今は亡き、故の右僕射で相国であった張九齢公を哀しんでよんだ詩。)

相國生南紀,金璞無留礦。

張相国公は漢江と長江中下流域の南紀にあたる地に生まれている、そして、世に出るやすぐに評価を得たが、黄金やあらたま環の礦中に留どまるような人ではないということである。

仙鶴下人間,獨立霜毛整。

また仙鶴家伝によれば、張九齢の母は、張九齢が天より飛び下りて庭に集まるのを夢みて張九齢を生んだといい、そして独立して白い毛を整えたごとくであった。

矯然江海思,複與雲路永。

それで張相国公は一方には矯然として高く江海を慕う心をもっておるが、他方には青空を凌いで遠く飛ばんとする心ももちあわせていいた。

寂寞想土堦,未遑等箕潁。

張相国公はさびしく過ぎ去った質僕の時代、堯舜の土堦三等の世を想いはするが、巣父・許由と匹敵するような志をもって箕山、頴水に隠れて暮らす暇はなかった。

(故の右僕射・相国・曲江の張公九齢)

相国南紀に生まる、金璞 礦に留どまること無し。

仙鶴 人間に下る、独立霜毛整う。

矯然 江海の思い、復た 雲路と永し。

寂莫 土階を想う、未だ箕頴に等しくするに遑あらず。

#2

上君白玉堂,倚君金華省。

だから張相公は長安のみやこへ出てきて、天子の大極殿の白玉の堂にのぼり、の金華の中書省に職籍を置くに至った。

碣石崢嶸,天地日蛙黽。

そのころ渤海の碣石山あたりから、年年に路が高く嶮しくなり、安禄山の異民族の虜の勢いが盛んになり、宮苑の池には日日、蛙である頽廃文化の小人どもがはびこるようになっていた。

退食吟大庭,何心記榛梗。

張相国公は荊州に流されたことを契機に官署から退出して故郷にかえれば大古の大庭氏の治世を吟じて、小人どもに邪魔されたことなどはこころにとめはしなかった。

骨驚畏曩哲,鬒變負人境。

ただ儒者である自己が前賢に及んでいないことを畏れて骨髄まで驚くという自己反省をされ、人境をはなれた地方へ出されたりするけれど自己を高めることをされために黒髪も白くなるほどに心配をされているのにである。

君が白玉の堂に上り、君が金華の省に倚る。

碣石【けっせき】崢嶸【そうこう】たり,天地日【ひび】蛙黽【あぼう】。

退食 大庭を吟ず、何の心か榛梗を記せん。

骨駕きて曩哲【のうてつ】を畏れ、鬒変じて人境に負く。

 

#3

雖蒙換蟬冠,右地多幸。

宰相を免ぜられて詔蝉の冠を換えさせられたとき、右丞相に遷されたが、それさえもまだ幸いが多すぎるとてはずかしとせられ、じぶんをうりこんだりするものではなかった。

敢忘二疏歸,痛迫蘇耽井。

むかし蘇耽は井水と橘葉とを以て母を養ったというが、張相国公は母をしとうて痛みがむねに迫っていたのである、どうして疏広・疏受のように官を退いて故郷に帰ってしまうことを忘れるということはないのである。

紫綬映暮年,荊州謝所領。

晩年には公は紫綬をかがやかして荊州に貶められながら、そこから領地を授けられたお礼を言上した。

庾公興不淺,黃霸鎮每靜。

張相国公は住処においては庾公亮のごとく「諸君且つ任せよ、老子此に於で興復た浅からず」と風雅の興も深く、黄覇のごとく行く先々の管内はいつも鎮め静かであった。

#3

蝉冠を換うるを蒙ると雖も、右地 多幸をす。

敢て忘れんや 二疏の帰りしを、痛みは 迫る 蘇耽が井。

紫綬 暮年に映ず、刑州 所領を謝す。

庾公興 浅からず、黄覇鎮 毎に静かなり。』

 

#4

賓客引調同,諷詠在務屏。

また、張相國公は賓客としてむかえるものは、例えば孟浩然のごとき同趣味のものを引き、田園山水詩を詠じたりして俗務をしりぞけることを目的とした。

詩罷地有餘,篇終語清省。

その詩はこれを作りおわってもまだいかようにもつくり得る余力があり、一篇をつづりおえたところで辞が清錆等であって無駄がまったくないのである。

一陽發陰管,淑氣含公鼎。

その詩律の調べは十二律の黄鐘の律のひびきのごとくやわらかであり、そのうまみは鼎のなかに含まれる春の気のようである。

乃知君子心,用才文章境。

これを見れば張相国公の心は君子と呼ぶべきもので、よほど才を文章の境地に用いられたことが知られる。

賓客 調の同じきを引く、諷詠 務屏に在り。

詩罷みて 地余り有り、篇終りて 語清省なり。

一陽 陰管より発る、淑気公鼎に含まる。

乃ち知る君子の心、才を文章の境に用いしを。

散帙起翠螭,倚薄巫廬並。

張相国公の詩文集をひっくりかえしてみると、翠螭が躍りだして雲間にせまって、巫山や盧山の名だたる山々と高く並ぶであろう。

綺麗玄暉擁,箋誄任昉騁。

その詩体の綺麗なことは、六朝、謝玄暉と手をとり、箋誄の文章の巧みなことは南斉、任坊と馳騎するに足りるひとである。

自我一家則,未缺隻字警。

我々は一家の法則を自ら立て、一字たりとも警語をだすことを欠かさないようにした。

千秋滄海南,名系朱鳥影。

張相国公の名は永久に神仙三山へ続く滄海の南のひろいうみにおいて南宮の朱鳥の星影とともにかかっている。

 

帙を散すれば 翠蠣起こる、倚薄巫廬と並ぶ。

綺麗玄暉を擁し、箋誄任昉と騁す。

我自りす 一家の則、未だ開かず 隻字の警。

千秋滄海の南、名は系かる朱鳥の影。 

 

 安史の乱当時の勢力図

『八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#5

散帙起翠螭,倚薄巫廬並。

綺麗玄暉擁,箋誄任昉騁。

自我一家則,未缺隻字警。

千秋滄海南,名系朱鳥影。

(下し文)
帙を散すれば 翠蠣起こる、倚薄巫廬と並ぶ。

綺麗玄暉を擁し、箋誄任昉と騁す。

我自りす 一家の則、未だ開かず 隻字の警。

千秋滄海の南、名は系かる朱鳥の影。 

(現代語訳)
張相国公の詩文集をひっくりかえしてみると、翠螭が躍りだして雲間にせまって、巫山や盧山の名だたる山々と高く並ぶであろう。

その詩体の綺麗なことは、六朝、謝玄暉と手をとり、箋誄の文章の巧みなことは南斉、任坊と馳騎するに足りるひとである。

我々は一家の法則を自ら立て、一字たりとも警語をだすことを欠かさないようにした。

張相国公の名は永久に神仙三山へ続く滄海の南のひろいうみにおいて南宮の朱鳥の星影とともにかかっている。

唐時代 地図山南 東・西道50
(訳注) #5

八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡5

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔八〕今は亡き、故の右僕射で相国であった張九齢公を哀しんでよんだ詩。)

○故右僕射・相国・曲江張公九齢 張九齢(678 - 740年)は中国唐代中期の政治家・詩人。字は子寿。張九齢・『晩笑堂竹荘畫傳』韶州曲江(広東省)の出身。702年に進士に及第し、寒門の出ではあったが宰相の張説に認められて校書郎・右拾遺・中書侍郎を歴任し、玄宗時代の733年以降は尚書右丞相の任にあたった。のち、李林甫や楊国忠らと衝突し、荊州(湖北省)に左遷され、官を辞した後は故郷に帰り文学史書に親しんだ。安禄山の「狼子野心」を見抜き、「誅を下して後患を絶て」と玄宗に諫言した人としても知られる。「開元最後の賢相」として名声高く、孟浩然や王維に希望を託されたこともある。王夫之はその『讀通鑑論』のなかで「貞観の時には才臣はいたが、清廉な者はいなかった。ただ開元の時に出た宋璟・盧懐慎・張九齢は清貞という徳を以て宰相に昇った。張九齢は清にして和、名声を追わず富を絶ち、朝廷に廉恥の心を知らせ、開元の世を盛んにした」と絶賛している。

 

散帙起翠螭,倚薄巫廬並。

張相国公の詩文集をひっくりかえしてみると、翠螭が躍りだして雲間にせまって、巫山や盧山の名だたる山々と高く並ぶであろう。

散帙 九齢の文集の快を開き散ずる。

起翠螭 螭は竜の角のないもの、蟻が起こるとは神物の躍りでることをいう。

倚薄 よりせまる。

巫廬並 高いことは巫山・盧山とならぶ。巫山は夔州に、盧山は九江府にある。

巫山(ふざん)は中国・重慶市巫山県と湖北省の境にある名山。長江が山中を貫流して、巫峡を形成。山は重畳して天日を隠蔽するという。巫山十二峰と言われ、その中で代表的なものに神女峰がある。

廬山(ろざん、中国語ではLushan)は中国江西省九江市南部にある名山。峰々が作る風景の雄大さ、奇絶さ、険しさ、秀麗さが古来より有名で、「匡廬奇秀甲天下」(匡廬の奇秀は天下一である)と称えられてきた(匡廬とは廬山の別名)。

 

綺麗玄暉擁,箋誄任昉騁。

その詩体の綺麗なことは、六朝、謝玄暉と手をとり、箋誄の文章の巧みなことは南斉、任坊と馳騎するに足りるひとである。

綺麗 字句のあやあってうるわしいこと。

玄暉擁 玄暉は斉の詩人謝朓の字、擁とはだきかかえる、提携するというの類。謝朓:[464499]中国、南朝の斉の詩人。陽夏(河南省)の人。字(あざな)は玄暉(げんき)。宣城の太守であったので謝宣城とよばれ、同族の詩人である謝霊運に対して小謝ともよばれた。

箋誄 箋は他人に与える手紙の文、誄は死者の徳を累述してその死を痛む文、ならびに文体の名。

任昉騁 任昉は梁の文章家、沈約とともに沈詩任筆の名がある、筆は文章をいう、騁とは相い馳騁するに足ることをいう。任昉(460年—508年)は、中国南北朝時代の文学者。字は彦昇。小字は阿堆。楽安博昌の人。南斉の竟陵王蕭子良のもとに集まった文人「竟陵八友」の1人。散文の分野で高く評価され、南斉・梁の時代に多くの表奏を手がけた。同じ八友の1人で、詩にすぐれた沈約に対し、「任筆沈詩」と称される。著作に『述異記』『文章縁起』。

 

自我一家則,未缺隻字警。

我々は一家の法則を自ら立て、一字たりとも警語をだすことを欠かさないようにした。

自我一家則 一家の法則を我自身よりして立てる。我の字を一に成に作る、したがって「自のずから一家の則を成す」である。

隻字警 びしっと人を目覚め指すような一字。

 

千秋滄海南,名系朱鳥影。

張相国公の名は永久に神仙三山へ続く滄海の南のひろいうみにおいて南宮の朱鳥の星影とともにかかっている。

千秋 千年、長い年月をいう。

滄海南 滄海は神仙三山へ続く海を言いその南のひろうみの南。張九齢の故郷である広東地方をさす。

朱鳥影 緯書「文耀鈎」にいう、南宮は赤帝、其の精を朱鳥となす、と。「史記」(天官書)に、「南宮は朱鳥」とみえる。柳宿の八星を「朱鳥の咮」と名づけるのである。南海地方は朱鳥の宿にあたっている。五行思想に基づくもの。

「賓客」十六句は張九齢の文学についていう。

 

(故の右僕射・相国・曲江の張公九齢)

相国南紀に生まる、金璞 礦に留どまること無し。

仙鶴 人間に下る、独立霜毛整う。

矯然 江海の思い、復た 雲路と永し。

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君が白玉の堂に上り、君が金華の省に倚る。

碣石【けっせき】崢嶸【そうこう】たり,天地日【ひび】蛙黽【あぼう】。

退食 大庭を吟ず、何の心か榛梗を記せん。

骨駕きて曩哲【のうてつ】を畏れ、鬒変じて人境に負く。

 

#3

蝉冠を換うるを蒙ると雖も、右地 多幸をす。

敢て忘れんや 二疏の帰りしを、痛みは 迫る 蘇耽が井。

紫綬 暮年に映ず、刑州 所領を謝す。

庾公興 浅からず、黄覇鎮 毎に静かなり。』

 

#4

賓客 調の同じきを引く、諷詠 務屏に在り。

詩罷みて 地余り有り、篇終りて 語清省なり。

一陽 陰管より発る、淑気公鼎に含まる。

乃ち知る君子の心、才を文章の境に用いしを。

 

#5

帙を散すれば 翠蠣起こる、倚薄巫廬と並ぶ。

綺麗玄暉を擁し、箋誄任昉と騁す。

我自りす 一家の則、未だ開かず 隻字の警。

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 2015年4月15日の紀頌之5つのBlog 
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766年大暦元年55-47-4奉節-38-4 《巻16-10 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -4》 杜甫index-15 杜甫<910-4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5850 杜甫詩1500-910-4-1341/2500766年大暦元年55-47-4

 

 

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡【八哀詩八首:故右僕射相國曲江張公九齡】

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:              碣石山 (河北道南部 平州 碣石山)    

荊州 (山南東道 荊州 荊州) 別名:郢門         

大庾山 (嶺南道東部 無第二級行政層級 大庾山) 別名:梅嶺、東嶠、大庾嶺        

交遊人物:張九齡              詩文提及

 

 

八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡#1

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔八〕今は亡き、故の右僕射で相国であった張九齢公を哀しんでよんだ詩。)

相國生南紀,金璞無留礦。

張相国公は漢江と長江中下流域の南紀にあたる地に生まれている、そして、世に出るやすぐに評価を得たが、黄金やあらたま環の礦中に留どまるような人ではないということである。

仙鶴下人間,獨立霜毛整。

また仙鶴家伝によれば、張九齢の母は、張九齢が天より飛び下りて庭に集まるのを夢みて張九齢を生んだといい、そして独立して白い毛を整えたごとくであった。

矯然江海思,複與雲路永。

それで張相国公は一方には矯然として高く江海を慕う心をもっておるが、他方には青空を凌いで遠く飛ばんとする心ももちあわせていいた。

寂寞想土堦,未遑等箕潁。

張相国公はさびしく過ぎ去った質僕の時代、堯舜の土堦三等の世を想いはするが、巣父・許由と匹敵するような志をもって箕山、頴水に隠れて暮らす暇はなかった。

(故の右僕射・相国・曲江の張公九齢)

相国南紀に生まる、金璞 礦に留どまること無し。

仙鶴 人間に下る、独立霜毛整う。

矯然 江海の思い、復た 雲路と永し。

寂莫 土階を想う、未だ箕頴に等しくするに遑あらず。

#2

上君白玉堂,倚君金華省。

だから張相公は長安のみやこへ出てきて、天子の大極殿の白玉の堂にのぼり、の金華の中書省に職籍を置くに至った。

碣石崢嶸,天地日蛙黽。

そのころ渤海の碣石山あたりから、年年に路が高く嶮しくなり、安禄山の異民族の虜の勢いが盛んになり、宮苑の池には日日、蛙である頽廃文化の小人どもがはびこるようになっていた。

退食吟大庭,何心記榛梗。

張相国公は荊州に流されたことを契機に官署から退出して故郷にかえれば大古の大庭氏の治世を吟じて、小人どもに邪魔されたことなどはこころにとめはしなかった。

骨驚畏曩哲,鬒變負人境。

ただ儒者である自己が前賢に及んでいないことを畏れて骨髄まで驚くという自己反省をされ、人境をはなれた地方へ出されたりするけれど自己を高めることをされために黒髪も白くなるほどに心配をされているのにである。

君が白玉の堂に上り、君が金華の省に倚る。

碣石【けっせき】崢嶸【そうこう】たり,天地日【ひび】蛙黽【あぼう】。

退食 大庭を吟ず、何の心か榛梗を記せん。

骨駕きて曩哲【のうてつ】を畏れ、鬒変じて人境に負く。

 

#3

雖蒙換蟬冠,右地多幸。

宰相を免ぜられて詔蝉の冠を換えさせられたとき、右丞相に遷されたが、それさえもまだ幸いが多すぎるとてはずかしとせられ、じぶんをうりこんだりするものではなかった。

敢忘二疏歸,痛迫蘇耽井。

むかし蘇耽は井水と橘葉とを以て母を養ったというが、張相国公は母をしとうて痛みがむねに迫っていたのである、どうして疏広・疏受のように官を退いて故郷に帰ってしまうことを忘れるということはないのである。

紫綬映暮年,荊州謝所領。

晩年には公は紫綬をかがやかして荊州に貶められながら、そこから領地を授けられたお礼を言上した。

庾公興不淺,黃霸鎮每靜。

張相国公は住処においては庾公亮のごとく「諸君且つ任せよ、老子此に於で興復た浅からず」と風雅の興も深く、黄覇のごとく行く先々の管内はいつも鎮め静かであった。

#3

蝉冠を換うるを蒙ると雖も、右地 多幸をす。

敢て忘れんや 二疏の帰りしを、痛みは 迫る 蘇耽が井。

紫綬 暮年に映ず、刑州 所領を謝す。

庾公興 浅からず、黄覇鎮 毎に静かなり。』

 

#4

賓客引調同,諷詠在務屏。

また、張相國公は賓客としてむかえるものは、例えば孟浩然のごとき同趣味のものを引き、田園山水詩を詠じたりして俗務をしりぞけることを目的とした。

詩罷地有餘,篇終語清省。

その詩はこれを作りおわってもまだいかようにもつくり得る余力があり、一篇をつづりおえたところで辞が清錆等であって無駄がまったくないのである。

一陽發陰管,淑氣含公鼎。

その詩律の調べは十二律の黄鐘の律のひびきのごとくやわらかであり、そのうまみは鼎のなかに含まれる春の気のようである。

乃知君子心,用才文章境。

これを見れば張相国公の心は君子と呼ぶべきもので、よほど才を文章の境地に用いられたことが知られる。

賓客 調の同じきを引く、諷詠 務屏に在り。

詩罷みて 地余り有り、篇終りて 語清省なり。

一陽 陰管より発る、淑気公鼎に含まる。

乃ち知る君子の心、才を文章の境に用いしを。

 

安史の乱当時の勢力図 

『八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#4

賓客引調同,諷詠在務屏。

詩罷地有餘,篇終語清省。

一陽發陰管,淑氣含公鼎。

乃知君子心,用才文章境。

(下し文)
賓客 調の同じきを引く、諷詠 務屏に在り。

詩罷みて 地余り有り、篇終りて 語清省なり。

一陽 陰管より発る、淑気公鼎に含まる。

乃ち知る君子の心、才を文章の境に用いしを。

(現代語訳)
また、張相國公は賓客としてむかえるものは、例えば孟浩然のごとき同趣味のものを引き、田園山水詩を詠じたりして俗務をしりぞけることを目的とした。

その詩はこれを作りおわってもまだいかようにもつくり得る余力があり、一篇をつづりおえたところで辞が清錆等であって無駄がまったくないのである。

その詩律の調べは十二律の黄鐘の律のひびきのごとくやわらかであり、そのうまみは鼎のなかに含まれる春の気のようである。

これを見れば張相国公の心は君子と呼ぶべきもので、よほど才を文章の境地に用いられたことが知られる。

長安城漢唐

(訳注) #4

 

賓客引調同,諷詠在務屏。

また、張相國公は賓客としてむかえるものは、例えば孟浩然のごとき同趣味のものを引き、田園山水詩を詠じたりして俗務をしりぞけることを目的とした。

○引調同 同調を引くというのに同じ、同調は同じ調子の人、同趣味の人。孟浩然の伝にいう、「「孟浩然傳「浩然還嚢陽、張九齡鎮荊州,署為從事,與之唱和。不達而卒。」(浩然嚢陽に還る、九齢時に刑州を鎮す、著して従事となし、之と唱和す)、と。張九齢の伝にいう、「九齢刑州長史に貶せらる、直道を以て黜けらると雖もも戚戚として望を嬰けず、ただ文史自ずから娯しむ、朝廷其の勝流なるを許す」、と。孟浩然は襄陽の閑居で田園山水の詩を歌っている。孟浩然 詩 index

○務屏 俗務を屏ぞけ去ること。

 

詩罷地有餘,篇終語清省。

その詩はこれを作りおわってもまだいかようにもつくり得る余力があり、一篇をつづりおえたところで辞が清錆等であって無駄がまったくないのである。

○地有余 余地のあることをいう、余裕のあること。

〇清省 清らかにしてむだがない。

「峴山の詩」張九齢 登襄陽峴山 李白「峴山懐古」関連   Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -306

 

一陽發陰管,淑氣含公鼎。

その詩律の調べは十二律の黄鐘の律のひびきのごとくやわらかであり、そのうまみは鼎のなかに含まれる春の気のようである。

〇一陽発陰管 一陽は陽気の初生のもの、発は発生、陰管は陰律の管、一陽陰管より起こるとは十一月、律の黄鐘に中るをいうという。詩調の和気あることをいう。十二律をいう。中国や日本の伝統音楽で用いられる12種類の標準的な高さの音。三分損益法に基づく、1オクターヴ内の12の音である。律とは本来、音を定める竹の管であり、その長さの違いによって12の音の高さを定めた。周代において確立した。

○淑気合公鼎 淑気はよい気、公鼎は公家の鼎、廟堂の大勇を烹るの鼎、鼎中に調理された物が美味なのにより鼎が淑気を含むのである。これは張九齢の気象をいったものであろう。

 

乃知君子心,用才文章境。

これを見れば張相国公の心は君子と呼ぶべきもので、よほど才を文章の境地に用いられたことが知られる。

○君子 有徳の人、九齢をさす。

 嚢陽一帯00

(故の右僕射・相国・曲江の張公九齢)

相国南紀に生まる、金璞 礦に留どまること無し。

仙鶴 人間に下る、独立霜毛整う。

矯然 江海の思い、復た 雲路と永し。

寂莫 土階を想う、未だ箕頴に等しくするに遑あらず。』

 

君が白玉の堂に上り、君が金華の省に倚る。

碣石【けっせき】崢嶸【そうこう】たり,天地日【ひび】蛙黽【あぼう】。

退食 大庭を吟ず、何の心か榛梗を記せん。

骨駕きて曩哲【のうてつ】を畏れ、鬒変じて人境に負く。

 

#3

蝉冠を換うるを蒙ると雖も、右地 多幸をす。

敢て忘れんや 二疏の帰りしを、痛みは 迫る 蘇耽が井。

紫綬 暮年に映ず、刑州 所領を謝す。

庾公興 浅からず、黄覇鎮 毎に静かなり。』

 

#4

賓客 調の同じきを引く、諷詠 務屏に在り。

詩罷みて 地余り有り、篇終りて 語清省なり。

一陽 陰管より発る、淑気公鼎に含まる。

乃ち知る君子の心、才を文章の境に用いしを。

766年大暦元年55歲-47-#3奉節-38-#3 《巻16-10 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -3》 杜甫index-15 杜甫<910-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5845

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766年大暦元年55-47-3奉節-38-3 《巻16-10 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -3》 杜甫index-15 杜甫<910-3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5845

 

 

杜甫詩1500-910-3-1340/2500766年大暦元年55-47-3

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡【八哀詩八首:故右僕射相國曲江張公九齡】

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:              碣石山 (河北道南部 平州 碣石山)    

荊州 (山南東道 荊州 荊州) 別名:郢門         

大庾山 (嶺南道東部 無第二級行政層級 大庾山) 別名:梅嶺、東嶠、大庾嶺        

交遊人物:張九齡              詩文提及

 

 

八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡#1

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔八〕今は亡き、故の右僕射で相国であった張九齢公を哀しんでよんだ詩。)

相國生南紀,金璞無留礦。

張相国公は漢江と長江中下流域の南紀にあたる地に生まれている、そして、世に出るやすぐに評価を得たが、黄金やあらたま環の礦中に留どまるような人ではないということである。

仙鶴下人間,獨立霜毛整。

また仙鶴家伝によれば、張九齢の母は、張九齢が天より飛び下りて庭に集まるのを夢みて張九齢を生んだといい、そして独立して白い毛を整えたごとくであった。

矯然江海思,複與雲路永。

それで張相国公は一方には矯然として高く江海を慕う心をもっておるが、他方には青空を凌いで遠く飛ばんとする心ももちあわせていいた。

寂寞想土堦,未遑等箕潁。

張相国公はさびしく過ぎ去った質僕の時代、堯舜の土堦三等の世を想いはするが、巣父・許由と匹敵するような志をもって箕山、頴水に隠れて暮らす暇はなかった。

(故の右僕射・相国・曲江の張公九齢)

相国南紀に生まる、金璞 礦に留どまること無し。

仙鶴 人間に下る、独立霜毛整う。

矯然 江海の思い、復た 雲路と永し。

寂莫 土階を想う、未だ箕頴に等しくするに遑あらず。

#2

上君白玉堂,倚君金華省。

だから張相公は長安のみやこへ出てきて、天子の大極殿の白玉の堂にのぼり、の金華の中書省に職籍を置くに至った。

碣石崢嶸,天地日蛙黽。

そのころ渤海の碣石山あたりから、年年に路が高く嶮しくなり、安禄山の異民族の虜の勢いが盛んになり、宮苑の池には日日、蛙である頽廃文化の小人どもがはびこるようになっていた。

退食吟大庭,何心記榛梗。

張相国公は荊州に流されたことを契機に官署から退出して故郷にかえれば大古の大庭氏の治世を吟じて、小人どもに邪魔されたことなどはこころにとめはしなかった。

骨驚畏曩哲,鬒變負人境。

ただ儒者である自己が前賢に及んでいないことを畏れて骨髄まで驚くという自己反省をされ、人境をはなれた地方へ出されたりするけれど自己を高めることをされために黒髪も白くなるほどに心配をされているのにである。

君が白玉の堂に上り、君が金華の省に倚る。

碣石【けっせき】崢嶸【そうこう】たり,天地日【ひび】蛙黽【あぼう】。

退食 大庭を吟ず、何の心か榛梗を記せん。

骨駕きて曩哲【のうてつ】を畏れ、鬒変じて人境に負く。

 

#3

雖蒙換蟬冠,右地多幸。

宰相を免ぜられて詔蝉の冠を換えさせられたとき、右丞相に遷されたが、それさえもまだ幸いが多すぎるとてはずかしとせられ、じぶんをうりこんだりするものではなかった。

敢忘二疏歸,痛迫蘇耽井。

むかし蘇耽は井水と橘葉とを以て母を養ったというが、張相国公は母をしとうて痛みがむねに迫っていたのである、どうして疏広・疏受のように官を退いて故郷に帰ってしまうことを忘れるということはないのである。

紫綬映暮年,荊州謝所領。

晩年には公は紫綬をかがやかして荊州に貶められながら、そこから領地を授けられたお礼を言上した。

庾公興不淺,黃霸鎮每靜。

張相国公は住処においては庾公亮のごとく「諸君且つ任せよ、老子此に於で興復た浅からず」と風雅の興も深く、黄覇のごとく行く先々の管内はいつも鎮め静かであった。

#3

蝉冠を換うるを蒙ると雖も、右地 多幸をす。

敢て忘れんや 二疏の帰りしを、痛みは 迫る 蘇耽が井。

紫綬 暮年に映ず、刑州 所領を謝す。

庾公興 浅からず、黄覇鎮 毎に静かなり。』

 

 

『八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -3』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

雖蒙換蟬冠,右地恧多幸。

敢忘二疏歸,痛迫蘇耽井。

紫綬映暮年,荊州謝所領。

庾公興不淺,黃霸鎮每靜。



(下し文) #3

蝉冠を換うるを蒙ると雖も、右地 多幸をす。

敢て忘れんや 二疏の帰りしを、痛みは 迫る 蘇耽が井。

紫綬 暮年に映ず、刑州 所領を謝す。

庾公興 浅からず、黄覇鎮 毎に静かなり。』

(現代語訳)
宰相を免ぜられて詔蝉の冠を換えさせられたとき、右丞相に遷されたが、それさえもまだ幸いが多すぎるとてはずかしとせられ、じぶんをうりこんだりするものではなかった。

むかし蘇耽は井水と橘葉とを以て母を養ったというが、張相国公は母をしとうて痛みがむねに迫っていたのである、どうして疏広・疏受のように官を退いて故郷に帰ってしまうことを忘れるということはないのである。

晩年には公は紫綬をかがやかして荊州に貶められながら、そこから領地を授けられたお礼を言上した。

張相国公は住処においては庾公亮のごとく「諸君且つ任せよ、老子此に於で興復た浅からず」と風雅の興も深く、黄覇のごとく行く先々の管内はいつも鎮め静かであった。



(訳注) #3

 

雖蒙換蟬冠,右地多幸。

宰相を免ぜられて詔蝉の冠を換えさせられたとき、右丞相に遷されたが、それさえもまだ幸いが多すぎるとてはずかしとせられ、じぶんをうりこんだりするものではなかった。

○換蝉冠 蝉冠は中書令の職をさしていう、侍中と中書令とは冠に金蝉葬尾をかざりに附する、換とは他の礼装にかえる、すなわち中書令を罷めたことをいう。

○右地 尚書右丞相の地位をいう。張九齢は734年開元22年に中書令となり、73624年に尚書右丞相に遣り知政事を能めた。737年開元25年張九齢、荊州に流される。

○多幸 右丞相にでもまだ幸多しとする。

 

敢忘二疏歸,痛迫蘇耽井。

むかし蘇耽は井水と橘葉とを以て母を養ったというが、張相国公は母をしとうて痛みがむねに迫っていたのである、どうして疏広・疏受のように官を退いて故郷に帰ってしまうことを忘れるということはないのである。

〇二疏帰 漢の宣帝の時、疏広・疏受の二人は太博・少傳の官をやめて故郷に帰った。張九齢もまた同じ念のあることをいう。

○痛迫蘇耽井 母の死にあって帰里の念の切なることをいうのであろう。「神仙伝」にいう、蘇耽は榔県の人、少くして孤、母を養いて至孝であった。

蘇耽が庭を掃除して仙人の来るのを待っていると、にわかに紫の雲が空にたなびき、霊香があたりに薫じて数十羽の白鶴が庭に下りてきて、そのまま人間となった。その衣服のきれいな様は言葉では言い尽くせないほどであった。

 蘇耽はこれに対面してから家に入り、母親に向かい、「私は今、仙の道を伝受して天上に昇ります。そうなればもうあなたに仕えて孝行を尽くすこともできません。すべて人間界と天上界とは根本から異なっておりますから、再び会うことができないのです」と言って、一つの櫃を母に授け、「何事によらず物が不足し、乏しい時はこの櫃を叩たたいてください。必ず望むところの物が自然に出てきます。しかし、どんなことがあっても蓋ふたを取って内を見てはいけません。また、来年は国中に疫病がはやりますから、その時は橘たちばなの葉を庭の井戸の水に注いで病人に施せば治ります。お母さん、御身体を大切にしてください。それでは」と暇いとまを申して庭へ出て、空を仰ぎ雲を招き、多くの仙人と共に天を指して雲井遥はるかに飛び去っていった。

 老母は我が子に別れたことを嘆き、また我が子が望んでいたように仙人になれたことを喜んで生活を送っていた。

 その年も終わり、翌年になると不思議なことであった。我が子が言ったように国中に疫病がはやり、死人がおびただしい数となった。老母は教えられたように井戸の水を吸い上げ橘の葉を注ぐと死人はたちまちよみがえり、病人も回復した。これを見聞した村人は競って呪まじないを受ける様は糸を引くようであった。また、常に何か物が不足しているような時は、例の櫃を叩くと望みどおりの物が出てくるので、何一つ不足もなく自由自在、無事安楽に暮らしていた。

これが「蘇耽井」の故事である。伝にいう、張九齢工部侍郎に遷る、帰り養わんと乞う、詔して許さず、母の喪に及び職を解く、毀、裏に勝えず、紫芝あり坐側に産す、白鳩白雀、家樹に巣くう。是の歳(733年開元二十一年)十二月、哀を奪い起復して中書侍郎・同平草事に拝せしむ、固辞すれども許さず。官に在りても、郷に帰り喪に服せんとおもう、「痛迫」とはそうしたことをさしていう。

 

紫綬映暮年,荊州謝所領。

晩年には公は紫綬をかがやかして荊州に貶められながら、そこから領地を授けられたお礼を言上した。

○紫綬 金印を帯びるむらさきのひも、唐の制では大都督府の長史は従三品にして紫綬であった、張九齢は嘗て長安の尉周子諒という者を監察御史に薦めたところ、尉子諒が罪を受けるに至ったため、その巻き添えをうけ737年開元25年に荊州大都督府長史に左遷された。

○映 印綬の光かがやきうつろうことをいう。

〇荊州 荊州府江陵県、大都督府の在る所。

○謝所領 謝は拝謝、お礼をもうすことをいう。文集に「刑州謝上表」がある。所領は管轄の地をいう。

 

庾公興不淺,黃霸鎮每靜。

張相国公は住処においては庾公亮のごとく「諸君且つ任せよ、老子此に於で興復た浅からず」と風雅の興も深く、黄覇のごとく行く先々の管内はいつも鎮め静かであった。

○庾公興不浅 庾公は晋の庾売。庾公が武昌に鎮したとき諸佐吏が月に乗じてともに南楼に登っていたとき、とつぜん庾公がやってきた、諸人が起ち上がって庾公を避けようとしたところ、庾公は徐ろに「諸君且つ任せよ、老子此に於で興復た浅からず」といった。張九齢の風雅の懐は庾公亮の如くであることをいう。

○黃霸鎮每靜 漢の黄覇は穎川の太守となり、その治は天下第一であった。鎮は鎮め駐どまる所をいう。張九齢が鎮した所はつねに安静なことは黄覇のごとくであった、張九齢は冀州刺史となり、洪州・桂州の都督・嶺南道按察使などとなったことがある。

以上「上君」以下十六句は九齢の経歴心事をいう。

 

 

 

(故の右僕射・相国・曲江の張公九齢)

相国南紀に生まる、金璞 礦に留どまること無し。

仙鶴 人間に下る、独立霜毛整う。

矯然 江海の思い、復た 雲路と永し。

寂莫 土階を想う、未だ箕頴に等しくするに遑あらず。』

 

君が白玉の堂に上り、君が金華の省に倚る。

碣石【けっせき】崢嶸【そうこう】たり,天地日【ひび】蛙黽【あぼう】。

退食 大庭を吟ず、何の心か榛梗を記せん。

骨駕きて曩哲【のうてつ】を畏れ、鬒変じて人境に負く。

 

#3

蝉冠を換うるを蒙ると雖も、右地 多幸をす。

敢て忘れんや 二疏の帰りしを、痛みは 迫る 蘇耽が井。

紫綬 暮年に映ず、刑州 所領を謝す。

庾公興 浅からず、黄覇鎮 毎に静かなり。』

766年大暦元年55歲-47-#2奉節-38-#2 《巻16-10 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -2》 杜甫index-15 杜甫<910-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5840

杜甫 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -2  だから張相公は長安のみやこへ出てきて、天子の大極殿の白玉の堂にのぼり、の金華の中書省に職籍を置くに至った。そのころ渤海の碣石山あたりから、年年に路が高く嶮しくなり、安禄山の異民族の虜の勢いが盛んになり、宮苑の池には日日、蛙である頽廃文化の小人どもがはびこるようになっていた。

 

 
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杜甫詩1500-910-2-1339/2500766年大暦元年55-47-2

 

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡【八哀詩八首:故右僕射相國曲江張公九齡】

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:              碣石山 (河北道南部 平州 碣石山)    

荊州 (山南東道 荊州 荊州) 別名:郢門         

大庾山 (嶺南道東部 無第二級行政層級 大庾山) 別名:梅嶺、東嶠、大庾嶺        

交遊人物:張九齡              詩文提及

 

 

八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡#1

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔八〕今は亡き、故の右僕射で相国であった張九齢公を哀しんでよんだ詩。)

相國生南紀,金璞無留礦。

張相国公は漢江と長江中下流域の南紀にあたる地に生まれている、そして、世に出るやすぐに評価を得たが、黄金やあらたま環の礦中に留どまるような人ではないということである。

仙鶴下人間,獨立霜毛整。

また仙鶴家伝によれば、張九齢の母は、張九齢が天より飛び下りて庭に集まるのを夢みて張九齢を生んだといい、そして独立して白い毛を整えたごとくであった。

矯然江海思,複與雲路永。

それで張相国公は一方には矯然として高く江海を慕う心をもっておるが、他方には青空を凌いで遠く飛ばんとする心ももちあわせていいた。

寂寞想土堦,未遑等箕潁。

張相国公はさびしく過ぎ去った質僕の時代、堯舜の土堦三等の世を想いはするが、巣父・許由と匹敵するような志をもって箕山、頴水に隠れて暮らす暇はなかった。

(故の右僕射・相国・曲江の張公九齢)

相国南紀に生まる、金璞 礦に留どまること無し。

仙鶴 人間に下る、独立霜毛整う。

矯然 江海の思い、復た 雲路と永し。

寂莫 土階を想う、未だ箕頴に等しくするに遑あらず。

#2

上君白玉堂,倚君金華省。

だから張相公は長安のみやこへ出てきて、天子の大極殿の白玉の堂にのぼり、の金華の中書省に職籍を置くに至った。

碣石崢嶸,天地日蛙黽。

そのころ渤海の碣石山あたりから、年年に路が高く嶮しくなり、安禄山の異民族の虜の勢いが盛んになり、宮苑の池には日日、蛙である頽廃文化の小人どもがはびこるようになっていた。

退食吟大庭,何心記榛梗。

張相国公は荊州に流されたことを契機に官署から退出して故郷にかえれば大古の大庭氏の治世を吟じて、小人どもに邪魔されたことなどはこころにとめはしなかった。

骨驚畏曩哲,鬒變負人境。

ただ儒者である自己が前賢に及んでいないことを畏れて骨髄まで驚くという自己反省をされ、人境をはなれた地方へ出されたりするけれど自己を高めることをされために黒髪も白くなるほどに心配をされているのにである。

君が白玉の堂に上り、君が金華の省に倚る。

碣石【けっせき】崢嶸【そうこう】たり,天地日【ひび】蛙黽【あぼう】。

退食 大庭を吟ず、何の心か榛梗を記せん。

骨駕きて曩哲【のうてつ】を畏れ、鬒変じて人境に負く。

唐時代 地図山南 東・西道50 

 

『八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -2』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2

上君白玉堂,倚君金華省。

碣石崢嶸,天地日蛙黽。

退食吟大庭,何心記榛梗。

骨驚畏曩哲,鬒變負人境。

(下し文)
君が白玉の堂に上り、君が金華の省に倚る。

碣石【けっせき】に崢嶸【そうこう】たり,天地日【ひび】に蛙黽【あぼう】。

退食 大庭を吟ず、何の心か榛梗を記せん。

骨駕きて曩哲【のうてつ】を畏れ、鬒変じて人境に負く。

(現代語訳)
だから張相公は長安のみやこへ出てきて、天子の大極殿の白玉の堂にのぼり、の金華の中書省に職籍を置くに至った。

そのころ渤海の碣石山あたりから、年年に路が高く嶮しくなり、安禄山の異民族の虜の勢いが盛んになり、宮苑の池には日日、蛙である頽廃文化の小人どもがはびこるようになっていた。

張相国公は荊州に流されたことを契機に官署から退出して故郷にかえれば大古の大庭氏の治世を吟じて、小人どもに邪魔されたことなどはこころにとめはしなかった。

ただ儒者である自己が前賢に及んでいないことを畏れて骨髄まで驚くという自己反省をされ、人境をはなれた地方へ出されたりするけれど自己を高めることをされために黒髪も白くなるほどに心配をされているのにである。

皇城001
(訳注) #2

 八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔八〕今は亡き、故の右僕射で相国であった張九齢公を哀しんでよんだ詩。)

○故右僕射・相国・曲江張公九齢 張九齢(678 - 740年)は中国唐代中期の政治家・詩人。字は子寿。張九齢・『晩笑堂竹荘畫傳』韶州曲江(広東省)の出身。702年に進士に及第し、寒門の出ではあったが宰相の張説に認められて校書郎・右拾遺・中書侍郎を歴任し、玄宗時代の733年以降は尚書右丞相の任にあたった。のち、李林甫や楊国忠らと衝突し、荊州(湖北省)に左遷され、官を辞した後は故郷に帰り文学史書に親しんだ。安禄山の「狼子野心」を見抜き、「誅を下して後患を絶て」と玄宗に諫言した人としても知られる。「開元最後の賢相」として名声高く、孟浩然や王維に希望を託されたこともある。王夫之はその『讀通鑑論』のなかで「貞観の時には才臣はいたが、清廉な者はいなかった。ただ開元の時に出た宋璟・盧懐慎・張九齢は清貞という徳を以て宰相に昇った。張九齢は清にして和、名声を追わず富を絶ち、朝廷に廉恥の心を知らせ、開元の世を盛んにした」と絶賛している。
 

上君白玉堂,倚君金華省。

だから張相公は長安のみやこへ出てきて、天子の大極殿の白玉の堂にのぼり、の金華の中書省に職籍を置くに至った。

○上君 君は天子をさす。

白玉堂 うつくしい堂。

○金華省 漢の時、未央宮に金華殿があった、九齢は進士に及第し、校書郎に拝し、左拾遺・左補関・中書舎人・秘書少監・集賢院学士・中書侍郎などとなった、玉堂金華より出入するとはそのことをさす。とうにおいては上記の《皇城図》にしめす、中書省に入るいずれかの門であろう。734年開元22年張九齢、中書令となる。未央宮には、前殿、宣室、温室殿、清涼殿、麒麟殿、金華殿、承明殿、掖庭宮、椒房殿、高門殿、金馬門などのさまざま建物があった。諸侯や大臣と朝会を開く場所である前殿は龍首山の丘陵を利用して建てられており、長安の城壁より高い位置にあった。

 

碣石崢嶸,天地日蛙黽。

そのころ渤海の碣石山あたりから、年年に路が高く嶮しくなり、安禄山の異民族の虜の勢いが盛んになり、宮苑の池には日日、蛙である頽廃文化の小人どもがはびこるようになっていた。

○砥石 渤海にあった石門、今の秦皇島の附近、其の地は苑陽に近い。碣石山。碣は特立する石の山。海辺の山をいう。

〇歳崢嶸 歳は歳歳、崢嶸は高いさま、此の一句は安禄山の所に、天下の不満分子、異民族の傭兵があつまり、勢力が年とともに盛んとなることをいう。736年開元24年張守珪は平盧討撃使安禄山をして奚・契丹を討たせたが敗北した、ために張守珪は安禄山を斬ることを請い京師に送った、張九齢も其の叛相のあるのを知って安禄山を斬るべしと主張したが、玄宗は安禄山を赦した。おなじ、736年開元24年張九齢失脚し、李林甫が中書令となる。

○天池 皇城の地をいう。

〇日蛙黽 日は日日、蛙はかわずで、李林甫をいう、黽は李林甫に迎合する、百官、宦官らの小人をさす。

 

退食吟大庭,何心記榛梗。

張相国公は荊州に流されたことを契機に官署から退出して故郷にかえれば大古の大庭氏の治世を吟じて、小人どもに邪魔されたことなどはこころにとめはしなかった。

○退食 役所より退帰する。737年開元25年張九齢、荊州に流される。

○大庭 大庭氏をいう、上古至治の時代。《莊子·胠篋》「昔者容成氏、大庭氏、伯皇氏、中央氏、・・・」とあり、三皇五帝のころの後宮の役割がしっかりとされていた時代をいう。

○記榛梗 記は記憶すること。榛梗ははりの木、榛梗は棒切れ、途のじゃまになるもの、小人の讒言などをたとえていう。「本事詩」にいう、「張曲江與李林甫同列,玄宗以文學精識深器之。林甫嫉之若仇,曲江度其巧譎,慮終不免,為《海燕》詩以致意曰:「海燕何微眇,乘春亦暫來。世知泥滓濺,只見玉堂開。繡時雙入,華軒日幾回。無心與物競,鷹隼莫相猜。」(張曲江、李林甫と同列、林甫之を疾む仇の若し、張曲江、「海燕」の詩を為りて意を致す、と。詩にいう「海燕何ぞ微妙なる、春に乗じて亦た覧く来たる、豈に知らんや泥涬の賎しきを、秖だ見る玉堂の開くを、繍戸時に双び入る、華軒日々に幾たびか回る、物と競うに心なし、鷹隼 相い猜むこと莫れ」)と。榛梗を記さぬものである。

 

骨驚畏曩哲,鬒變負人境。

ただ儒者である自己が前賢に及んでいないことを畏れて骨髄まで驚くという自己反省をされ、人境をはなれた地方へ出されたりするけれど自己を高めることをされために黒髪も白くなるほどに心配をされているのにである。

○骨驚 甚だしく心をいためること、江掩《別賦》「使人意奪神駭,心折骨驚。」(心折れ骨驚く)とみえる。

○畏曩哲 前代の賢人にしかぬことをおそれる。

○鬒変 鬒はくろかみ、変は色がかわって白くなること、憂慮の結果である。

○負人境 人の住む境地にそむく、辺境の田舎へ追いやられたことをいう。

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杜甫 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔八〕今は亡き、故の右僕射で相国であった張九齢公を哀しんでよんだ詩。)張相国公は漢江と長江中下流域の南紀にあたる地に生まれている、そして、世に出るやすぐに評価を得たが、黄金やあらたま環の礦中に留どまるような人ではないということである。

 

 
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766年大暦元年55-47-1奉節-38-1 《巻16-10 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -1 杜甫index-15 杜甫<910-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5835

 

 

奉節-38-1 《巻16-10 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -1 杜甫index-15

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡【八哀詩八首:故右僕射相國曲江張公九齡】

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:              碣石山 (河北道南部 平州 碣石山)    

荊州 (山南東道 荊州 荊州) 別名:郢門         

大庾山 (嶺南道東部 無第二級行政層級 大庾山) 別名:梅嶺、東嶠、大庾嶺        

交遊人物:張九齡              詩文提及

 

 

 

八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡#1

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔八〕今は亡き、故の右僕射で相国であった張九齢公を哀しんでよんだ詩。)

相國生南紀,金璞無留礦。

張相国公は漢江と長江中下流域の南紀にあたる地に生まれている、そして、世に出るやすぐに評価を得たが、黄金やあらたま環の礦中に留どまるような人ではないということである。

仙鶴下人間,獨立霜毛整。

また仙鶴家伝によれば、張九齢の母は、張九齢が天より飛び下りて庭に集まるのを夢みて張九齢を生んだといい、そして独立して白い毛を整えたごとくであった。

矯然江海思,複與雲路永。

それで張相国公は一方には矯然として高く江海を慕う心をもっておるが、他方には青空を凌いで遠く飛ばんとする心ももちあわせていいた。

寂寞想土堦,未遑等箕潁。

張相国公はさびしく過ぎ去った質僕の時代、堯舜の土堦三等の世を想いはするが、巣父・許由と匹敵するような志をもって箕山、頴水に隠れて暮らす暇はなかった。

(故の右僕射・相国・曲江の張公九齢)

相国南紀に生まる、金璞 礦に留どまること無し。

仙鶴 人間に下る、独立霜毛整う。

矯然 江海の思い、復た 雲路と永し。

寂莫 土階を想う、未だ箕頴に等しくするに遑あらず。

#2

上君白玉堂,倚君金華省。碣石崢嶸,天地日蛙黽。

退食吟大庭,何心記榛梗。骨驚畏曩哲,鬒變負人境。

#3

雖蒙換蟬冠,右地恧多幸。敢忘二疏歸,痛迫蘇耽井。

紫綬映暮年,荊州謝所領。庾公興不淺,黃霸鎮每靜。

#4

賓客引調同,諷詠在務屏。詩罷地有餘,篇終語清省。

一陽發陰管,淑氣含公鼎。乃知君子心,用才文章境。

#5

散帙起翠螭,倚薄巫廬並。綺麗玄暉擁,箋誄任昉騁。

自我一家則,未缺隻字警。千秋滄海南,名系朱鳥影。

#6

歸老守故林,戀闕悄延頸。波濤良史筆,蕪大庾嶺。

向時禮數隔,制作難上請。再讀徐孺碑,猶思理煙艇。

 

安史の乱当時の勢力図 

『八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡#1

相國生南紀,金璞無留礦。仙鶴下人間,獨立霜毛整。

矯然江海思,複與雲路永。寂寞想土階,未遑等箕潁。


(下し文)
(故の右僕射・相国・曲江の張公九齢)

相国南紀に生まる、金璞 礦に留どまること無し。

仙鶴 人間に下る、独立霜毛整う。

矯然 江海の思い、復た 雲路と永し。

寂莫 土を想う、未だ箕頴に等しくするに遑あらず。

(現代語訳)
(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔八〕今は亡き、故の右僕射で相国であった張九齢公を哀しんでよんだ詩。)

張相国公は漢江と長江中下流域の南紀にあたる地に生まれている、そして、世に出るやすぐに評価を得たが、黄金やあらたま環の礦中に留どまるような人ではないということである。

また仙鶴家伝によれば、張九齢の母は、張九齢が天より飛び下りて庭に集まるのを夢みて張九齢を生んだといい、そして独立して白い毛を整えたごとくであった。

それで張相国公は一方には矯然として高く江海を慕う心をもっておるが、他方には青空を凌いで遠く飛ばんとする心ももちあわせていいた。

張相国公はさびしく過ぎ去った質僕の時代、堯舜の土堦三等の世を想いはするが、巣父・許由と匹敵するような志をもって箕山、頴水に隠れて暮らす暇はなかった。



(訳注)

八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡#1

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔八〕今は亡き、故の右僕射で相国であった張九齢公を哀しんでよんだ詩。)

○故右僕射・相国・曲江張公九齢 張九齢(678 - 740年)は中国唐代中期の政治家・詩人。字は子寿。張九齢・『晩笑堂竹荘畫傳』韶州曲江(広東省)の出身。702年に進士に及第し、寒門の出ではあったが宰相の張説に認められて校書郎・右拾遺・中書侍郎を歴任し、玄宗時代の733年以降は尚書右丞相の任にあたった。のち、李林甫や楊国忠らと衝突し、荊州(湖北省)に左遷され、官を辞した後は故郷に帰り文学史書に親しんだ。安禄山の「狼子野心」を見抜き、「誅を下して後患を絶て」と玄宗に諫言した人としても知られる。「開元最後の賢相」として名声高く、孟浩然や王維に希望を託されたこともある。王夫之はその『讀通鑑論』のなかで「貞観の時には才臣はいたが、清廉な者はいなかった。ただ開元の時に出た宋璟・盧懐慎・張九齢は清貞という徳を以て宰相に昇った。張九齢は清にして和、名声を追わず富を絶ち、朝廷に廉恥の心を知らせ、開元の世を盛んにした」と絶賛している。

 

相國生南紀,金璞無留礦。

張公は漢江と長江中下流域の南紀にあたる地に生まれている、そして、世に出るやすぐに評価を得たが、黄金やあらたま環の礦中に留どまるような人ではないということである。

○南紀 「詩経」(小雅四月)に

詩経下 (小雅 谷風之什 四月

四月維夏,六月徂暑。先祖匪人,胡寧忍予?

秋日淒淒,百卉具腓。亂離瘼矣,爰其適歸。

冬日烈烈,飄風發發。民莫不穀,我獨何害!

山有嘉卉,侯栗侯梅。廢爲殘,莫知其尤。

相彼泉水,載清載濁。我日構禍,曷雲能穀?

滔滔江漢,南國之紀。盡瘁以仕,寧莫我有。

匪鶉匪鳶,翰飛戾天。匪匪鮪,潛逃於淵。

山有蕨薇,隰有杞。君子作歌,維以告哀。

四月維れ夏、六月(りくげつ)徂暑(しよしよ)。

先祖人に匪ずや、胡寧(なん)ぞ予(われ)に忍べる。

秋日淒淒(せいせい)、百卉(ひやくき)具(とも)に腓(や)む。

亂離(らんり)して瘼(や)めり、爰(いづく)にか其れ適歸(てきき)せん。

冬日烈烈たり、飄風發發たり。

山に嘉卉(かき 善い木)有り、侯(こ)れ栗(くり)侯れ梅(ばい)。

廢して殘賊(ざんぞく)を爲し、其の尤(とが)を知る莫し。

彼の泉水を相(み)れば 載ち淸(す)み載ち濁る

滔滔たる江漢は 南國の紀(き)

盡瘁(じんすゐ)して以て仕ふ 寧(なん)ぞ我を有する莫きや

鶉(たん)に匪ず鳶(えん)に匪ず 翰(たか)く飛んで天に戾(いた)る

鱣(てん)に匪ず鮪(ゐ)に匪ず 潛んで淵に逃る

山に蕨薇(けつび)有り 隰(さは)に杞(きい)有り

とみえる。鄭箋に衆川を紀理して蕹滞せざらしむといっている、江漢の二水は南国の諸川を紀理するものであることをいう。従って江漢以南の地を南紀と称する。杜田はいう、説者是の詩を援き江漢を以て南紀となすは非なり、南紀とは分野の名なり、唐天文志にいう、「乃東循嶺僥,達東甌、閩中,是謂南紀,所以限蠻夷也。」(乃ち東は嶺僥に循い,東甌、閩中に達するまで,是を南紀と謂う,蠻夷を限る所以也。)と。張相国は曲江の人なり、曲江は君州に隷す、正に嶺僥甌越の地なり、大抵江漢より以南は皆之を南紀という、ひとり江漢のみに非ず、と。

金璞 こがね、あらたま。

○留 鉱石のなかにのこる、張九齢は幼にして聡敏、善く文をつづった、年十三、書を以て広州刺史王方慶をしのいだ、王方慶は大いに嗟賞しでいうのに、此の子は必ず能く遠きを致すであろうと。に留どまらぬとはそうしたことをさしていう。

 

 

仙鶴下人間,獨立霜毛整。

また仙鶴家伝によれば、張九齢の母は、張九齢が天より飛び下りて庭に集まるのを夢みて張九齢を生んだといい、そして独立して白い毛を整えたごとくであった。

○仙鶴 張九齢の人品をたとえていう。また家伝によれば、張九齢の母は、張九齢が天より飛び下りて庭に集まるのを夢みて張九齢を生んだという。

○霜毛 白色のけ。

 

矯然江海思,複與雲路永。

それで張相国公は一方には矯然として高く江海を慕う心をもっておるが、他方には青空を凌いで遠く飛ばんとする心ももちあわせていいた。

○矯然 あがるさま。

○江海思 江海をしたう情。川の流れのように、滔々として生きてゆくという意。

○雲路 雲の横たわる天上の途、高く飛ぼうとする青雲の志の意のあることをいう。

 

寂寞想土堦,未遑等箕潁。

張相国公はさびしく過ぎ去った質僕の時代、堯舜の土堦三等の世を想いはするが、巣父・許由と匹敵するような志をもって箕山、頴水に隠れて暮らす暇はなかった。

想土階 上古賀撲の世を想う、司馬遷伝にいう、墨者も亦た堯舜をしたうと言う、其の堂高さ三尺、土培三等なりと。

等箕潁 箕頴は箕山と穎水、巣父・許由の隠れた地、等とは隠志をひとしくすること。

許由は陽城槐里の人でその人格の廉潔さは世に名高く、当時の堯帝がその噂を聞き彼に帝位を譲ろうと申し出るが、それを聞いた許由は箕山に隠れてしまう。さらに堯帝が高い地位をもって許由に報いようとすると、許由は潁水のほとりにおもむき「汚らわしいことを聞いた」と、その流れで自分の耳をすすいだという。

それを見聞きしていたやはり伝説の高士として知られる巣父は、まさに牛にその川の水を飲ませようとしていたが、「牛に汚れた水を飲ませるわけにはいかぬ」と立ち去ったという。

起八句は九齢の人品と済世の志のあったことをいう。

766年大暦元年55歲-46-#8奉節-37-#8 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司戶滎陽鄭公虔 -8》 杜甫index-15 杜甫<909-#8> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5830

八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -8 杜甫  人生百年の生涯において、一方は生き長らえて存在し、一方は死歿してしまった。鄭虔公が没して後、とりのこされた寂しい自分はなにをたよりにすればよいのであるか。鄭虔公はもう永久にかえらないが、阮咸ともいうべき甥の鄭審がおられるが、我らと同じように、その進退は世網(宦官・賀蘭進明・第五琦【房琯関連参考】)にかかって謫せられている。

 

 
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杜甫詩1500-909-#8-1337/2500766年大暦元年55-46-8

 

 

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    八哀詩八首:故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:              滎陽 (都畿道 鄭州 滎陽)    

台州 (江南東道 台州 台州)             

四明山 (江南東道 越州 會稽) 別名:四明    

楢溪 (江南東道 台州 楢溪) 別名:歡溪        

終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山               

交遊人物:鄭虔    詩文提及

 

《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -1

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔七〕今は亡き、故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の鄭虔公を哀しんでよんだ詩。)

鶢鶋至魯門,不識鐘鼓饗。

鶢鶋という海鳥が魯の城の東門へやってきたとき、鐘鼓の音楽を奏して饗応されてもそれがありがたいことだとはおもわなかったものだ。

孔翠望赤霄,愁思雕籠養。

孔雀や翡翠はいかにうつくしい籠にいれて養われても、それを困ったことだとばかりかんがえて本心は、むかし棲んだ仙山の赤いそらばかりながめやっているというように、鄭虔公が官吏生活、高級官僚であっってもちょうどそんなものだろうと思った。

滎陽冠眾儒,早聞名公賞。

それに、滎陽の鄭虔先生は多くの儒者に冠たる人で、早くから君は当時の名公と賞賛された蘇娗公からも、未知の間柄であるにかかわらず鄭虔を見舞ったほどに評価されたと聞いていた。

地崇士大夫,況乃氣精爽。

鄭虔公の地位は士大夫の間に髙く一目置かれていた上に、鄭虔公の雰囲気はすぐれてさわやかなものであった。

(故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の郭公虔)

鶢鶋 魯門に至る、識らず鐘鼓の饗。

孔翠 赤霄を望む、愁思す 雕籠の養。

滎陽 衆儒に冠たり、早く聞く名公賞すと。

地は崇し 士大夫、況や乃ち気の精爽なるをや。』

 

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杜甫 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -7 王侯の門にはげしく談論したこともある。長安南、韋曲の田野にでて何将軍の別荘に林間で馬の頸革をほどいてやすんだこともある。吟詠を書き記す紙片を手にしながら一晩中飲みくらしたあの当時は四時の景物に対してむかしの賢豪に対する追想がしぜんと集まってきたことであった。

 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-46-#7奉節-37-#7 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司戶滎陽鄭公虔 -7》 杜甫index-15 杜甫<909-#7> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5825 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-47韋荘125《巻3-25 木蘭花一首》三巻25-〈125〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5827 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
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766年大暦元年55-46-7奉節-37-7 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -7》 杜甫index-15 杜甫<909-#7> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5825

 

 

杜甫詩1500-909-#7-1336/2500766年大暦元年55-46-7

 

#6

老蒙台州掾,泛泛浙江槳。

それで老年の身を以て遙か天台山の東の台州の属官におおせつけを蒙った、それで、長い船旅はつづき、遙かに浙江の舟をうかべることとなった。

覆穿四明雪,饑拾楢溪橡。

霊験あらたかな四明の雪を踏んでは履に穴があき、餞餓の境に陥りては楢渓の橡栗を拾うという運命にであうに至ったのである。

空聞紫芝歌,不見杏壇丈。

遙か遠いその地において、鄭虔公が四皓のごとく「紫芝の歌」を歌っていると空しく聞くばかりで、孔子のように杏壇の長者である鄭虔公の姿を見ることができないのである。

天長眺東南,秋色餘魍魎。
遠く東南の天をながめやればただ秋色に魍魎のはびこっているさまがのこっているのを見るばかりである。

老いて蒙る台州の掾、泛かに泛かぶ浙江の槳。

覆は穿たる四明の雪、饑えては拾う楢渓の橡。

空しく聞く紫芝の歌、見ず 杏壇の丈。

天長くして東南を眺る、秋色 魍魎 余る。

#7

別離慘至今,斑白徒懷曩。

お別れしてから申し訳ないことにとうとう今日のように既に沒するに至ってしまった、それに白髪頭をしていたずらに曩昔のことをおもうだけなのだ。

春深秦山秀,葉墜清渭朗。

長安時代はどうであったかというと、春は深くして、秦中の山山はたかく秀でていたし、秋はどうかというと、この葉のおちるころは、渭水の水は清く澄んでいてほがらかであった。

劇談王侯門,野林下鞅。

王侯の門にはげしく談論したこともある。長安南、韋曲の田野にでて何将軍の別荘に林間で馬の頸革をほどいてやすんだこともある。

操紙終夕酣,時物集遐想
吟詠を書き記す紙片を手にしながら一晩中飲みくらしたあの当時は四時の景物に対してむかしの賢豪に対する追想がしぜんと集まってきたことであった。

 

別離 惨として今に至れり、斑白 徒にを懐う。

春深くして秦山秀ず、葉墜ちて清渭朗かなり。

劇談す 王侯の門、野にす林下の鞅。

紙を操りて終夕なり。時物 遐想を集めき。 

 

 

『八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -7』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#7

別離慘至今,斑白徒懷曩。

春深秦山秀,葉墜清渭朗。

劇談王侯門,野林下鞅。

操紙終夕酣,時物集遐想

(下し文)
別離 惨として今に至れり、斑白 徒に曩を懐う。

春深くして秦山秀ず、葉墜ちて清渭朗かなり。

劇談す 王侯の門、野にす林下の鞅。

紙を操りて終夕酣なり。時物 遐想を集めき。 

(現代語訳)
お別れしてから申し訳ないことにとうとう今日のように既に沒するに至ってしまった、それに白髪頭をしていたずらに曩昔のことをおもうだけなのだ。

長安時代はどうであったかというと、春は深くして、秦中の山山はたかく秀でていたし、秋はどうかというと、この葉のおちるころは、渭水の水は清く澄んでいてほがらかであった。

王侯の門にはげしく談論したこともある。長安南、韋曲の田野にでて何将軍の別荘に林間で馬の頸革をほどいてやすんだこともある。

吟詠を書き記す紙片を手にしながら一晩中飲みくらしたあの当時は四時の景物に対してむかしの賢豪に対する追想がしぜんと集まってきたことであった。

(訳注) #7

 

別離慘至今,斑白徒懷曩。

お別れしてから申し訳ないことにとうとう今日のように既に沒するに至ってしまった、それに白髪頭をしていたずらに曩昔のことをおもうだけなのだ。

○今 鄭虔がすでに没した今日のことをいう。

○斑白 髪の色がまだらに白い、自己の老衰の状。

懷曩 さきの日の事をおもう。

 

春深秦山秀,葉墜清渭朗。

長安時代はどうであったかというと、春は深くして、秦中の山山はたかく秀でていたし、秋はどうかというと、この葉のおちるころは、渭水の水は清く澄んでいてほがらかであった。

秦山 長安附近の山をいう。

○葉墜 秋時をいう。

清渭 渭洞は渭水。

 

劇談王侯門,野林下鞅。

王侯の門にはげしく談論したこともある。長安南、韋曲の田野にでて何将軍の別荘に林間で馬の頸革をほどいてやすんだこともある。

○劇談 はげしく談論する。

 田野において駕を解く。

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩  55

奉陪鄭駙馬韋曲二首其一 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 75

奉陪鄭駙馬韋曲二首其二 杜甫   :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 76

林下鞅 鉄は馬の頸にあたる革。

 

操紙終夕酣,時物集遐想

吟詠を書き記す紙片を手にしながら一晩中飲みくらしたあの当時は四時の景物に対してむかしの賢豪に対する追想がしぜんと集まってきたことであった。

○操紙 紙片をとる、詩文をかきつけんがために。

〇時物 長安においでの四季おりおりの景物。

遐想 昔の賢豪に対するはるかな追想。。

「空間」十二句は別離以来と長安時代の昔の思いでをいう。上節の「懐曩」の説明もいう。

 

 

753年天宝十二年42

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754年天宝十三年43

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766年大暦元年55歲-46-#6奉節-37-#6 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司戶滎陽鄭公虔 -6》 杜甫index-15 <909-#6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5820

杜甫 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -6 それで老年の身を以て遙か天台山の東の台州の属官におおせつけを蒙った、それで、長い船旅はつづき、遙かに浙江の舟をうかべることとなった。霊験あらたかな四明の雪を踏んでは履に穴があき、餞餓の境に陥りては楢渓の橡栗を拾うという運命にであうに至ったのである。

 

 

 
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-46-#6奉節-37-#6 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司戶滎陽鄭公虔 -6》 杜甫index-15 <909-#6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5820 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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#6

老蒙台州掾,泛泛浙江槳。

それで老年の身を以て遙か天台山の東の台州の属官におおせつけを蒙った、それで、長い船旅はつづき、遙かに浙江の舟をうかべることとなった。

覆穿四明雪,饑拾楢溪橡。

霊験あらたかな四明の雪を踏んでは履に穴があき、餞餓の境に陥りては楢渓の橡栗を拾うという運命にであうに至ったのである。

空聞紫芝歌,不見杏壇丈。

遙か遠いその地において、鄭虔公が四皓のごとく「紫芝の歌」を歌っていると空しく聞くばかりで、孔子のように杏壇の長者である鄭虔公の姿を見ることができないのである。

天長眺東南,秋色餘魍魎。
遠く東南の天をながめやればただ秋色に魍魎のはびこっているさまがのこっているのを見るばかりである。

老いて蒙る台州の掾、泛かに泛かぶ浙江の槳。

覆は穿たる四明の雪、饑えては拾う楢渓の橡。

空しく聞く紫芝の歌、見ず 杏壇の丈。

天長くして東南を眺る、秋色 魍魎 余る。

李白の足跡55 

 

『八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
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老蒙台州掾,泛泛浙江槳。

覆穿四明雪,饑拾楢溪橡。

空聞紫芝歌,不見杏壇丈。

天長眺東南,秋色餘魍魎。

(下し文)
老いて蒙る台州の掾、泛かに泛かぶ浙江の槳。

覆は穿たる四明の雪、饑えては拾う楢渓の橡。

空しく聞く紫芝の歌、見ず 杏壇の丈。

天長くして東南を眺る、秋色 魍魎 余る。

(現代語訳)
それで老年の身を以て遙か天台山の東の台州の属官におおせつけを蒙った、それで、長い船旅はつづき、遙かに浙江の舟をうかべることとなった。

霊験あらたかな四明の雪を踏んでは履に穴があき、餞餓の境に陥りては楢渓の橡栗を拾うという運命にであうに至ったのである。

遙か遠いその地において、鄭虔公が四皓のごとく「紫芝の歌」を歌っていると空しく聞くばかりで、孔子のように杏壇の長者である鄭虔公の姿を見ることができないのである。

遠く東南の天をながめやればただ秋色に魍魎のはびこっているさまがのこっているのを見るばかりである。



(訳注) 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -6#6

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔七〕今は亡き、故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の鄭虔公を哀しんでよんだ詩。)#2

虔(てい けん、生没年不詳)は、唐代玄宗朝の学者。詩、書、画に長け、多くの著書をものしたが、貧困にあえいだ。のち、安史の乱において燕に降伏し、官職を受けたため、乱後に左遷された。杜甫と特に親交があった。

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩  55

奉陪鄭駙馬韋曲二首其一 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 75

奉陪鄭駙馬韋曲二首其二 杜甫   :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 76

送鄭十八虔貶台州司、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 杜甫 700- 231

有懷台州鄭十八司虔 杜甫 <234-#1>1145 杜甫特集700- 346

地點:    滎陽 (都畿道 鄭州 滎陽)    

台州 (江南東道 台州 台州)             

四明山 (江南東道 越州 會稽) 別名:四明    

楢溪 (江南東道 台州 楢溪) 別名:歡溪        

終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山               

 

老蒙台州掾,泛泛浙江槳。

それで老年の身を以て遙か天台山の東の台州の属官におおせつけを蒙った、それで、長い船旅はつづき、遙かに浙江の舟をうかべることとなった。

台州掾 天台山のある台州の長官の属官に左遷。掾は属官、唐の一部官庁で三等官の呼称とされていた「丞」の借音とされる。

泛泛 はるかにうかべる。

浙江槳 浙江のふなかじ。・():櫂(かい),オール划オールを漕ぐ

 

覆穿四明雪,饑拾楢溪橡。

霊験あらたかな四明の雪を踏んでは履に穴があき、餞餓の境に陥りては楢渓の橡栗を拾うという運命にであうに至ったのである。

覆穿 くつに穴があく。

四明 山の名、寧波府の西南百五十里にある、台州に近いので名山をあげる。四明山の用語解説 - 中国浙江(せっこう)省の東部、寧波(ニンポー)の西方にある山。古くからの霊山で、名は日月星辰に光を通じる山の意。寺院が多い。宋初、知礼がここで天台の教えを広めた。

楢溪 台州府天台県の東二十五里にある、歓渓ともいう。浙江天台縣東二十五里。亦名歡溪。源出華頂。南流至鳳凰山側。入始豐溪。

橡 とちぐり、食べることのできるもの。

 

空聞紫芝歌,不見杏壇丈。

遙か遠いその地において、鄭虔公が四皓のごとく「紫芝の歌」を歌っていると空しく聞くばかりで、孔子のように杏壇の長者である鄭虔公の姿を見ることができないのである。

紫芝歌 漢の初め、商山に四皓(四人の老人)がいて山に隠れ紫芝を采り歌をつくった。鄭虔の退棲に比する。秦の始皇帝の時,国乱を避けて,陝西の商山に入った東園公,綺里季,夏黄公,【ろく】里(ろくり)先生の4人の隠士を画題とする絵画。4人は鬚眉(しゅび)みな白かったことから,商山四皓と呼ばれた。

杏壇丈 「荘子」(漁父)にいう、孔子締椎の林に遊び、香壇の上に坐す、弟子書を読む、孔子絃歌して琴を鼓す、と。香壇は香花のある壇、鄭虔は広文館博士であったので孔子に此する。丈は文人、長者を称する。

 

天長眺東南,秋色餘魍魎。

遠く東南の天をながめやればただ秋色に魍魎のはびこっているさまがのこっているのを見るばかりである。

東南 台州の在る方位。

魍魎 水石の怪、赤黒色にして三歳の小児のごとしと。

「形骸實土木」以下十四句は鄭虔が安禄山の乱で偽官に着いたということで台州の属官に左遷され苦しい生活に追い込まれたことをいう。

766年大暦元年55歲-46-#5奉節-37-#5 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司戶滎陽鄭公虔 -5》 杜甫index-15 杜甫<909-#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5815

杜甫 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -5  晩年には蔵書室のある処に身を寄せて著作郎となるが、この時胡虜である安禄山の叛乱兵馬の塵がひろく横たわるようになった。鄭虔公は安史軍に従わず朝廷の方へ帰順したのであるが、安史軍の偽官を受けたとの汚れのしみはそそぎ洗うことについては由なかった。

 

 
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杜甫詩1500-909-#5-1334/2500766年大暦元年55-46-5

 

#4

昔獻書畫圖,新詩亦俱往。

むかし、鄭虔公の作った新詩の書とその新詩のかかれた書画の図を天子に献上たてまつったことがある。

滄洲動玉陛,宣鶴誤一響。

その時、仙境、滄州の画趣は天子の玉陛をも感動させ、画中の寡の鶴がひとこえ鳴いたとさえおもわれたほどである。

自禦題,四方尤所仰。

そしてその書画図の下方に、天子御自身に「“鄭虔三。”(詩、書、畫三者妙)と題したまわったことは四方の人人のもっとも仰ぎ尊んだところであった。

嗜酒益疏放,彈琴視天壤。

「三絶」として尊ばれる一方、酒がすきでますます世と疎く気儘にふるまい、琴を弾きつつ天地を睥睨するのである。

昔献ず書画の図、新詩 亦た俱に往けり。

滄洲 玉陛を動かす、宣鶴 一響するかと誤らる。

三絶 題自りし、四方 尤【もつと】も仰ぐ所。

嗜酒 益す疏放、弾琴 天壌を視る。

 

#5

形骸實土木,親近唯幾杖。

外見の姿形とか骸体なんぞは土木同様に無視し、親しむものは脇息と杖ばかりであった。

未曾寄官曹,突兀倚書幌。

廣文館博士となっても役所の部屋に寄ったことはかつてなく、長安の南のに山中にじっと坐って書斎のとばりに倚りそっていた。

晚就芸香閣,胡塵昏坱莽。

晩年には蔵書室のある処に身を寄せて著作郎となるが、この時胡虜である安禄山の叛乱兵馬の塵がひろく横たわるようになった。

反覆歸聖朝,點染無滌蕩。

鄭虔公は安史軍に従わず朝廷の方へ帰順したのであるが、安史軍の偽官を受けたとの汚れのしみはそそぎ洗うことについては由なかった。

 

形骸 実に土木、親近するは惟だ凡杖のみ。

未だだ曾て官曹に寄らず、突兀 書幌に倚る。

晩に就く芸香の閣、胡塵 昏くして坱莽たり。

反覆 聖朝に帰す、点染 滌蕩 無し。

 

 

『八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -5》#5

形骸實土木,親近唯幾杖。

未曾寄官曹,突兀倚書幌。

晚就芸香閣,胡塵昏坱莽。

反覆歸聖朝,點染無滌蕩。


(下し文)
形骸 実に土木、親近するは惟だ凡杖のみ。

未だだ曾て官曹に寄らず、突兀 書幌に倚る。

晩に就く芸香の閣、胡塵 昏くして莽たり。

反覆 聖朝に帰す、点染 滌蕩 無し。

(現代語訳)
外見の姿形とか骸体なんぞは土木同様に無視し、親しむものは脇息と杖ばかりであった。

廣文館博士となっても役所の部屋に寄ったことはかつてなく、長安の南の山中にじっと坐って書斎のとばりに倚りそっていた。

晩年には蔵書室のある処に身を寄せて著作郎となるが、この時胡虜である安禄山の叛乱兵馬の塵がひろく横たわるようになった。

鄭虔公は安史軍に従わず朝廷の方へ帰順したのであるが、安史軍の偽官を受けたとの汚れのしみはそそぎ洗うことについては由なかった。


(訳注) 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -5》#5

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔七〕今は亡き、故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の鄭虔公を哀しんでよんだ詩。)#2

虔(てい けん、生没年不詳)は、唐代玄宗朝の学者。詩、書、画に長け、多くの著書をものしたが、貧困にあえいだ。のち、安史の乱において燕に降伏し、官職を受けたため、乱後に左遷された。杜甫と特に親交があった。

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

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送鄭十八虔貶台州司、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 杜甫 700- 231

有懷台州鄭十八司虔 杜甫 <234-#1>1145 杜甫特集700- 346

 

形骸實土木,親近唯幾杖。

外見の姿形とか骸体なんぞは土木同様に無視し、親しむものは脇息と杖ばかりであった。

○形骸実土木 形骸を土木の如く視る、肉体を軽蔑する。・形骸:1 精神や生命を別にした、からだ。むくろ。2 建物などの、骨組み。3 外形だけを残して、実質的な意味を失っているもの。

○幾杖 杖を頼りにする生活をいう。隠遁者、仙人の山中の生活の必需品の杖を数本持っている。杖策:杜甫《西枝村尋置草堂地,夜宿贊公土室二首 其一》「卜居意未展,杖策回旦暮。」(居を卜【ぼく】する意未だ展【の】べず、策を杖【つ】きて廻れば且【ほとん】ど暮れんとす。)それでも占ったうえでもよい住まいの場所でまだきめようと決心するほどおもうようなよい場所にであわなかった、つえをついてかえろうとすれば日ははや暮れかかってくる。李白《自巴東舟行經瞿唐峽,登巫山最高峰,晚還題壁 -3》「辭山不忍聽,揮策還孤舟。」こうして巫山と分かれようとすれば、猿の鳴き声は聞くに忍びず、かくて、杖を振るって草をかき分け孤舟に帰ろうとするのである。・揮策 杖を振るって草をかき分ける。

 

未曾寄官曹,突兀倚書幌。

廣文館博士となっても役所の部屋に寄ったことはかつてなく、長安の南の山中にじっと坐って書斎のとばりに倚りそっていた。

○寄官曹 官曹はやくしょの部屋のこと。「唐語林」にいう、「玄宗広文館を置き鄭虔を以て博士となす。鄭虔命を聞くも広文の曹司の何に在るやを知らず、宰相に訴う、宰相日く、上、国学を増し広文館を置き以て賢者を居き、後世をして広文の博士君より始まると言わしむ、亦た美ならずやと。鄭虔乃ち職に就く、と。《唐語林: 卷二·文學》“天寶中,國學增置廣文館,以領詞藻之士。滎陽鄭虔久被貶謫,是始還京師參選,除廣文館博士。虔茫然曰:「不知廣文曹司何在?」執政謂曰:「廣文館新置,總領文詞,故以公名賢處之。且令後代稱廣文博士自鄭虔始,不亦美乎?」虔乃就職。

○突兀 端坐のさま。

○書幌 書斎のまく。

 

晚就芸香閣,胡塵昏坱莽。

晩年には蔵書室のある処に身を寄せて著作郎となるが、この時胡虜である安禄山の叛乱兵馬の塵がひろく横たわるようになった。

○芸香閣 蔵書室をいう、芸は香草で紙蟲を避けさせる、故に蔵書の所を芸台という。詩句は著作郎となったことをいう。鄭虔は広文博士より著作郎に違った、著作郎は文箱を司る故に芸閣という。

○胡塵 安禄山の乱をいう。

○坱莽 (1) (水面が)広々とした,洋々たる.(2) 気宇壮大な,堂々たる.漭漭:果てしなく広大なさま.泱漭【おうもう】に同じ、「上林賦」にいう、「經乎桂林之中,過乎泱漭之野。」(桂林の中を經【わた】り,泱漭【おうもう】の野に過ぐ。)泱漭の野に過ぐ」と。如浮は、決済は大なるさまという。

司馬相如 《上林賦 》(4#2-2 文選 賦<110-#2-213分割52回 Ⅱ李白に影響を与えた詩909 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3093

 

反覆歸聖朝,點染無滌蕩。

鄭虔公は安史軍に従わず朝廷の方へ帰順したのであるが、安史軍の偽官を受けたとの汚れのしみはそそぎ洗うことについては由なかった。

○反覆 官軍の方へひっくりかえって来たことをいう。

○点染 けがれにそまること、安史軍の偽命をうけたこと。安禄山が謀叛蜂起したとき百官を脅かして東都(洛陽)に置き、鄭虔に水部郎中を偽授した、鄭虔は風緩(中風でからだがきかぬ)と称して市令を摂せんことを求め、ひそかに密章を以て霊武行在所(粛宗の居られた地)に達した。安史軍が平らいで死を免ぜられ台州司戸参軍事に賠せられた。趙注にいう、賊が平らぐや鄭虔、張通叔・王維と並びに宣陽里に囚わる、三人皆画を善くす、崔円斎壁に画かしむ。鄭虔方に死を悸る、即ち思いを極めて解を円に祈む、卒に死を免じて台州に貶せらる、と。

○滌蕩 そそぎうごかす、ごしごしあらうこと。

 

 

753年天宝十二年42

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754年天宝十三年43

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八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -4 杜甫  そしてその書画図の下方に、天子御自身に「“鄭虔三。”(詩、書、畫三者妙)と題したまわったことは四方の人人のもっとも仰ぎ尊んだところであった。「三絶」として尊ばれる一方、酒がすきでますます世と疎く気儘にふるまい、琴を弾きつつ天地を睥睨するのである。

 

 
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#3

圭臬星經奧,蟲篆丹青廣。

鄭虔公は、測量に詳しく、測地の術に精しく地理に通じている、天体のこと、星経に書かれていることを奥深く熟知している。そして蟲篆の書体のことから、絵画、丹青のことまで、知識と実践が広くゆきわたっていた。

子雲窺未遍,方朔諧太枉。

鄭虔公は「博覽無所不見。」といわれた揚子雲でさえもあまねく書を競うたとはいえないほどであるし、機知とユーモアで武帝から寵愛された東方朔が諧諺の名を得ておるのはまちがっておるとおもう。

神翰顧不一,體變鍾兼兩。

顧野王は書翰がうまいといわれるが、鄭虔公は第二の顧野王である。鍾繇父子は書体の変に妙といわれるが鄭虔公はその二鐘を兼ねたものだ。

文傳天下口,大字猶在榜。

君の文章は天下の人の口に伝誦されている。鄭虔公の書いた大字は今でも宮殿寺観などの榜版面に残っている。

 

圭臬【けいげつ】星經奧【ふか】く,蟲篆【ちゅうてん】丹青廣し。

子雲窺うこと未だ遍からず、方朔諧太だ枉なり。

神翰 顧一ならず、体変じて鍾両を兼ぬ。

文は伝う天下の口、大字 猶お榜に在り。

 

#4

昔獻書畫圖,新詩亦俱往。

むかし、鄭虔公の作った新詩の書とその新詩のかかれた書画の図を天子に献上たてまつったことがある。

滄洲動玉陛,宣鶴誤一響。

その時、仙境、滄州の画趣は天子の玉陛をも感動させ、画中の寡の鶴がひとこえ鳴いたとさえおもわれたほどである。

自禦題,四方尤所仰。

そしてその書画図の下方に、天子御自身に「“鄭虔三。”(詩、書、畫三者妙)と題したまわったことは四方の人人のもっとも仰ぎ尊んだところであった。

嗜酒益疏放,彈琴視天壤。

「三絶」として尊ばれる一方、酒がすきでますます世と疎く気儘にふるまい、琴を弾きつつ天地を睥睨するのである。

昔献ず書画の図、新詩 亦た俱に往けり。

滄洲 玉陛を動かす、宣鶴 一響するかと誤らる。

三絶 題自りし、四方 尤【もつと】も仰ぐ所。

嗜酒 益す疏放、弾琴 天壌を視る。

 

 

『八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#4

昔獻書畫圖,新詩亦俱往。

滄洲動玉陛,宣鶴誤一響。

自禦題,四方尤所仰。

嗜酒益疏放,彈琴視天壤。


(下し文)
昔献ず書画の図、新詩 亦た俱に往けり。

滄洲 玉陛を動かす、宣鶴 一響するかと誤らる。

三絶 禦題自りし、四方 尤【もつと】も仰ぐ所。

嗜酒 益す疏放、弾琴 天壌を視る。

(現代語訳)
むかし、鄭虔公の作った新詩の書とその新詩のかかれた書画の図を天子に献上たてまつったことがある。

その時、仙境、滄州の画趣は天子の玉陛をも感動させ、画中の寡の鶴がひとこえ鳴いたとさえおもわれたほどである。

そしてその書画図の下方に、天子御自身に「“鄭虔三。”(詩、書、畫三者妙)と題したまわったことは四方の人人のもっとも仰ぎ尊んだところであった。

「三絶」として尊ばれる一方、酒がすきでますます世と疎く気儘にふるまい、琴を弾きつつ天地を睥睨するのである。



(訳注) #4

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔七〕今は亡き、故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の鄭虔公を哀しんでよんだ詩。)#2

虔(てい けん、生没年不詳)は、唐代玄宗朝の学者。詩、書、画に長け、多くの著書をものしたが、貧困にあえいだ。のち、安史の乱において燕に降伏し、官職を受けたため、乱後に左遷された。杜甫と特に親交があった。

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

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送鄭十八虔貶台州司、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 杜甫 700- 231

有懷台州鄭十八司虔 杜甫 <234-#1>1145 杜甫特集700- 346

 

昔獻書畫圖,新詩亦俱往。

むかし、鄭虔公の作った新詩の書とその新詩のかかれた書画の図を天子に献上たてまつったことがある。

○書画図 書・画図である。新詩を掛け軸として書だけを書いたもの。その詞の内容を画にする。その画の上部に詩を書きつける、画図は、おおきなもので、その場合、多くは六曲屏風にする場合が多い。

766年大暦元年55-21-3奉節-14 《巻15-60 殿中楊監見示張旭草書圖 -#3 杜甫index-15 杜甫<885-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5370

766年大暦元年55-22-1奉節-14 《巻15-61 楊監又出畫鷹十二扇 -#1 杜甫index-15 杜甫<885-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5370

《新唐書.鄭虔傳》「鄭虔 善く山水を畫く,好書法を喜ぶ,・・・・・曾て自から己の詩に加えて畫作に寫して在るを皇帝に上獻し給う,玄宗 作品下方に字し:“鄭虔三。”(詩、書、畫三者妙)升遷して著作郎と為す。」とある、。

○倶往 詩をかいて書画とともに天子のもとにやったことをいう。

 

滄洲動玉陛,宣鶴誤一響。

その時、仙境、滄州の画趣は天子の玉陛をも感動させ、画中の寡の鶴がひとこえ鳴いたとさえおもわれたほどである。

○愴洲 仙境、詩句画中の仙境の趣をいう。

○動玉陛 玉陛は御座へのぼる壇のきざはし。玉陛を動かすとは天子を感動させたことをいう。

○宣鶴 寡のつる、画中の物である。

○誤一響ひとこえ鳴いたかとあやまられる。鶴の生きているようなことをいう。

 

自禦題,四方尤所仰。

そしてその書画図の下方に、天子御自身に「“鄭虔三。”(詩、書、畫三者妙)と題したまわったことは四方の人人のもっとも仰ぎ尊んだところであった。

〇三絶 書・画・詩のすぐれたこと。上にみえる。

《新唐書.鄭虔傳》,唐玄宗天寶初年,任協律郎,搜集當代事迹,著書八十多篇。有人看其稿件,上書告他私撰國史,獲罪外貶十年。返回京師后,玄宗喜愛鄭虔的才華,想安排在身邊,因他不能治事,更為他設置廣文館,任他為博士。鄭虔善畫山水,喜好書法,常苦無紙張,慈恩寺儲存了幾屋子柿樹落葉,他就前去每日拿取柿葉練習書寫,時日一久,柿葉幾乎被他寫遍了。曾自己寫詩加在畫作上獻給皇帝,玄宗題字於作品下方:“鄭虔三。”(詩、書、畫三者妙)升遷為著作郎。

〇自禦題 禦題は玄宗みずから題署あそばされたことをいう。

 

嗜酒益疏放,彈琴視天壤。

「三絶」として尊ばれる一方、酒がすきでますます世と疎く気儘にふるまい、琴を弾きつつ天地を睥睨するのである。

○疏放 世と疎く気儘にふるまうこと。

○弾琴 文化芸術性に優れていると同時に疏放のさまをいう。

「圭呆」以下十六句は塵の才芸が人に絶することをいう。

766年大暦元年55歲-46-#3奉節-37-#3 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司戶滎陽鄭公虔 -3》 杜甫index-15 杜甫<909-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5805

八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -3 杜甫  鄭虔公は、測量に詳しく、測地の術に精しく地理に通じている、天体のこと、星経に書かれていることを奥深く熟知している。そして蟲篆の書体のことから、絵画、丹青のことまで、知識と実践が広くゆきわたっていた。

 

 
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766年大暦元年55-46-3奉節-37-3 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -3》 杜甫index-15 杜甫<909-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5805

 

 

杜甫詩1500-909-#3-1332/2500766年大暦元年55-46-3

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    八哀詩八首:故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:滎陽 (都畿道 鄭州 滎陽)    

台州 (江南東道 台州 台州)             

四明山 (江南東道 越州 會稽) 別名:四明    

楢溪 (江南東道 台州 楢溪) 別名:歡溪        

終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山               

交遊人物:鄭虔    詩文提及

 

《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -1

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔七〕今は亡き、故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の鄭虔公を哀しんでよんだ詩。)

鶢鶋至魯門,不識鐘鼓饗。

鶢鶋という海鳥が魯の城の東門へやってきたとき、鐘鼓の音楽を奏して饗応されてもそれがありがたいことだとはおもわなかったものだ。

孔翠望赤霄,愁思雕籠養。

孔雀や翡翠はいかにうつくしい籠にいれて養われても、それを困ったことだとばかりかんがえて本心は、むかし棲んだ仙山の赤いそらばかりながめやっているというように、鄭虔公が官吏生活、高級官僚であっってもちょうどそんなものだろうと思った。

滎陽冠眾儒,早聞名公賞。

それに、滎陽の鄭虔先生は多くの儒者に冠たる人で、早くから君は当時の名公と賞賛された蘇娗公からも、未知の間柄であるにかかわらず鄭虔を見舞ったほどに評価されたと聞いていた。

地崇士大夫,況乃氣精爽。

鄭虔公の地位は士大夫の間に髙く一目置かれていた上に、鄭虔公の雰囲気はすぐれてさわやかなものであった。

(故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の郭公虔)

鶢鶋 魯門に至る、識らず鐘鼓の饗。

孔翠 赤霄を望む、愁思す 雕籠の養。

滎陽 衆儒に冠たり、早く聞く名公賞すと。

地は崇し 士大夫、況や乃ち気の精爽なるをや。』

#2

天然生知姿,學立游夏上。

鄭虔公は天然に生まれながら知る聖人の姿資性をそなえ、学問は孔子の門にあって文学に秀でた子游・子夏のうえに立つほどであった。

神農極闕漏,黃石愧師長。

鄭虔公は神農にくらべても、つきつめると神農に闕漏が有ると思えるし、兵法者、黃石公にくらべても、黄石公を師長たることは恥ずかしく思うほどである。

藥纂西極名,兵流指諸掌。

君は薬物の書を著わしては西域のはてまでの名をあつめ、兵法諸流はこれを掌に指さす如くあかるくあったので、諸儒は其の善く書を著わしたのに服したといわれる。

貫穿無遺恨,《薈蕞》何技癢。

鄭虔公は諸学を一筋の条理によって貫き通ており、《薈蕞》の書をかいてはいるけれど、余力のはてじっとしていては伎癢に感じたのでやった仕事とおもわれる。』

天然 生知の姿、学は立つ游夏の上。

神農 或は闕漏す、黄石 師長たるを愧ず。

薬は纂む西極の名、兵流 諸を掌に指さす。

貴穿 遺恨無し、薈蕞 何ぞ技癢なる。』

#3

圭臬星經奧,蟲篆丹青廣。

鄭虔公は、測量に詳しく、測地の術に精しく地理に通じている、天体のこと、星経に書かれていることを奥深く熟知している。そして蟲篆の書体のことから、絵画、丹青のことまで、知識と実践が広くゆきわたっていた。

子雲窺未遍,方朔諧太枉。

鄭虔公は「博覽無所不見。」といわれた揚子雲でさえもあまねく書を競うたとはいえないほどであるし、機知とユーモアで武帝から寵愛された東方朔が諧諺の名を得ておるのはまちがっておるとおもう。

神翰顧不一,體變鍾兼兩。

顧野王は書翰がうまいといわれるが、鄭虔公は第二の顧野王である。鍾繇父子は書体の変に妙といわれるが鄭虔公はその二鐘を兼ねたものだ。

文傳天下口,大字猶在榜。

君の文章は天下の人の口に伝誦されている。鄭虔公の書いた大字は今でも宮殿寺観などの榜版面に残っている。

 

圭臬【けいげつ】星經奧【ふか】く,蟲篆【ちゅうてん】丹青廣し。

子雲窺うこと未だ遍からず、方朔諧太だ枉なり。

神翰 顧一ならず、体変じて鍾両を兼ぬ。

文は伝う天下の口、大字 猶お榜に在り。

洛陽 函谷関002 

 

『八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -3
#3

圭臬星經奧,蟲篆丹青廣。

子雲窺未遍,方朔諧太枉。

神翰顧不一,體變鍾兼兩。

文傳天下口,大字猶在榜。


(下し文)
圭臬【けいげつ】星經奧【ふか】く,蟲篆【ちゅうてん】丹青廣し。

子雲窺うこと未だ遍からず、方朔諧太だ枉なり。

神翰 顧一ならず、体変じて鍾両を兼ぬ。

文は伝う天下の口、大字 猶お榜に在り。


(現代語訳)
鄭虔公は、測量に詳しく、測地の術に精しく地理に通じている、天体のこと、星経に書かれていることを奥深く熟知している。そして蟲篆の書体のことから、絵画、丹青のことまで、知識と実践が広くゆきわたっていた。

鄭虔公は「博覽無所不見。」といわれた揚子雲でさえもあまねく書を競うたとはいえないほどであるし、機知とユーモアで武帝から寵愛された東方朔が諧諺の名を得ておるのはまちがっておるとおもう。

顧野王は書翰がうまいといわれるが、鄭虔公は第二の顧野王である。鍾繇父子は書体の変に妙といわれるが鄭虔公はその二鐘を兼ねたものだ。

君の文章は天下の人の口に伝誦されている。鄭虔公の書いた大字は今でも宮殿寺観などの榜版面に残っている。



(訳注) 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -3#3

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔七〕今は亡き、故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の鄭虔公を哀しんでよんだ詩。)#2

虔(てい けん、生没年不詳)は、唐代玄宗朝の学者。詩、書、画に長け、多くの著書をものしたが、貧困にあえいだ。のち、安史の乱において燕に降伏し、官職を受けたため、乱後に左遷された。杜甫と特に親交があった。

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩  55

奉陪鄭駙馬韋曲二首其一 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 75

奉陪鄭駙馬韋曲二首其二 杜甫   :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 76

送鄭十八虔貶台州司、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 杜甫 700- 231

有懷台州鄭十八司虔 杜甫 <234-#1>1145 杜甫特集700- 346

 

圭臬星經奧,蟲篆丹青廣。

鄭虔公は、測量に詳しく、測地の術に精しく地理に通じている、天体のこと、星経に書かれていることを奥深く熟知している。そして蟲篆の書体のことから、絵画、丹青のことまで、知識と実践が広くゆきわたっていた。

圭臬【けいげつ】 土圭、水臬の古代測量工具のこと。土圭、日影を測るのに用いるもの、高さ一尺五寸。臬は高さ八尺の代木、日影と水平とによって方位を正すのに用いるもの、土圭の法は「周礼」(大司徒)にみえ、臬のことは「周礼」(考工記)の匠人職にみえる。鄭虔が測地の術に精しく地理に通じていることをいう。「舊時測日影、正四時和測度土地的儀器。」

星經 天文の事を記した書。戦国の頃、甘氏・石氏の星経がある。

蟲篆 書体の名。後漢の許慎の「説文解字」の序に書の八体を記したうちに書・書がある。篆書体(てんしょたい)は漢字の書体の一種。「篆書」「篆文」ともいう。広義には秦代より前に使用されていた書体全てを指すが、一般的には周末の金文を起源として、戦国時代に発達して整理され、公式書体とされた小篆とそれに関係する書体を指す。書は中國春秋中期から戰國時代において盛んにつかわれた中國南方における文字の一種である。

○丹青絵画をいう。

 

子雲窺未遍,方朔諧太枉。

鄭虔公は「博覽無所不見。」といわれた揚子雲でさえもあまねく書を競うたとはいえないほどであるし、機知とユーモアで武帝から寵愛された東方朔が諧諺の名を得ておるのはまちがっておるとおもう。

○子雲 前漢末の揚雄の字。揚雄(よう ゆう、紀元前53年(宣帝の甘露元年) - 18年(王莽の天鳳五年))は、中国前漢時代末期の文人、学者。現在の四川省に当たる蜀郡成都の人。字は子雲。また楊雄とも表記する。

○窺 書籍をうかがい読むことをいう。

○末遍 揚雄の伝には揚雄は「博覽無所不見。」(博覧して見ざる所なし)といっている、詩句は揚雄は鄭虔に此するならば窺いあまねくないことをいう。

方朔 東方朔。(154?―前93)前漢の文学者。平原郡厭次 (ようじ) (山西省朔県) の人。字,曼倩 (まんせい) 。機知とユーモアで武帝から寵愛され,太中大夫給事中に進んだ。

諧太枉 諧は謙語、おどけ、東方朔はおどけを以て知られるが鄭虔に此するならばそのおどけの名のあるのは正しくないことをいう。

 

神翰顧不一,體變鍾兼兩。

顧野王は書翰がうまいといわれるが、鄭虔公は第二の顧野王である。鍾繇父子は書体の変に妙といわれるが鄭虔公はその二鐘を兼ねたものだ。

○神翰 神妙な書翰の文字。

○顧不一 顧は陳の顧野王、顧野王は「虫奇字、通ぜざる所なし」といわれる、思うにまた書にも長じていたのであろう、不一とは鄭虔は第二の顧野王というべく、すなわち顧が二人あることをいう。顧野王(こ やおう、519 - 581年)は、南朝梁から陳にかけての学者。字は希馮。本貫は呉郡呉県。『玉篇』の撰者。梁の信威臨賀王記室の顧烜の子として生まれた。幼くして学問を好み、7歳で五経を読んで要旨を理解したといわれる。9歳で文章を作ることができ、日賦を作って領軍の朱異に賞賛された。12歳のとき、父に従って建安郡におもむき、『建安地記』2篇を編纂した。成長すると、経書や史書をあまねく読んで記憶し、天文・地理・占卜・篆字など広く学問に通じた。538年(大同4年)、太学博士に任じられた。中領軍臨賀王府記室参軍に転じた。宣城王蕭大器が揚州刺史となると、野王は王褒とともに賓客となり、蕭大器にその才能を愛された。野王はまた絵画を得意とし、蕭大器が皇太子となったとき、野王に命じて古賢を描かせ、王褒に賛を書かせると、当時の人はふたりを二絶と呼んだ。

○体変 書体の変化。

○鍾兼両 鍾は魏の鍾繇のことで、琴三色書に巧みで、草・隷・八分は最も優美だといわれる。鍾繇の子の鍾会もまた書を善くした。兼両とは二つのものを兼ね有することをいう。鄭虔の書は二鐘を兼ねる。

 

文傳天下口,大字猶在。

君の文章は天下の人の口に伝誦されている。鄭虔公の書いた大字は今でも宮殿寺観などの榜版面に残っている。

 榜版【かんばん】。どこのであるか明らかでないが、宮殿寺観などのであろう。

766年大暦元年55歲-46-#2奉節-37-#2 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司戶滎陽鄭公虔 -2》 杜甫index-15 杜甫<909-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5800

杜甫 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -2  鄭虔公は天然に生まれながら知る聖人の姿資性をそなえ、学問は孔子の門にあって文学に秀でた子游・子夏のうえに立つほどであった。

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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213 《巻22-21 月夜聽盧子順彈琴》Index-13 Ⅱ― 8-733年開元二十一年33歳 <213> Ⅰ李白詩1444 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5768 
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-46-#2奉節-37-#2 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司戶滎陽鄭公虔 -2》 杜甫index-15 杜甫<909-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5800 
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766年大暦元年55-46-2奉節-37-2 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -2》 杜甫index-15 杜甫<909-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5800

 

 

杜甫詩1500-909-#2-1331/2500766年大暦元年55-46-2

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    八哀詩八首:故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:              滎陽 (都畿道 鄭州 滎陽)    

台州 (江南東道 台州 台州)             

四明山 (江南東道 越州 會稽) 別名:四明    

楢溪 (江南東道 台州 楢溪) 別名:歡溪        

終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山               

交遊人物:鄭虔    詩文提及

 

《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -1

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔七〕今は亡き、故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の鄭虔公を哀しんでよんだ詩。)

鶢鶋至魯門,不識鐘鼓饗。

鶢鶋という海鳥が魯の城の東門へやってきたとき、鐘鼓の音楽を奏して饗応されてもそれがありがたいことだとはおもわなかったものだ。

孔翠望赤霄,愁思雕籠養。

孔雀や翡翠はいかにうつくしい籠にいれて養われても、それを困ったことだとばかりかんがえて本心は、むかし棲んだ仙山の赤いそらばかりながめやっているというように、鄭虔公が官吏生活、高級官僚であっってもちょうどそんなものだろうと思った。

滎陽冠眾儒,早聞名公賞。

それに、滎陽の鄭虔先生は多くの儒者に冠たる人で、早くから君は当時の名公と賞賛された蘇娗公からも、未知の間柄であるにかかわらず鄭虔を見舞ったほどに評価されたと聞いていた。

地崇士大夫,況乃氣精爽。

鄭虔公の地位は士大夫の間に髙く一目置かれていた上に、鄭虔公の雰囲気はすぐれてさわやかなものであった。

(故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の郭公虔)

鶢鶋 魯門に至る、識らず鐘鼓の饗。

孔翠 赤霄を望む、愁思す 雕籠の養。

滎陽 衆儒に冠たり、早く聞く名公賞すと。

地は崇し 士大夫、況や乃ち気の精爽なるをや。』

#2

天然生知姿,學立游夏上。

鄭虔公は天然に生まれながら知る聖人の姿資性をそなえ、学問は孔子の門にあって文学に秀でた子游・子夏のうえに立つほどであった。

神農極闕漏,黃石愧師長。

鄭虔公は神農にくらべても、つきつめると神農に闕漏が有ると思えるし、兵法者、黃石公にくらべても、黄石公を師長たることは恥ずかしく思うほどである。

藥纂西極名,兵流指諸掌。

君は薬物の書を著わしては西域のはてまでの名をあつめ、兵法諸流はこれを掌に指さす如くあかるくあったので、諸儒は其の善く書を著わしたのに服したといわれる。

貫穿無遺恨,《薈蕞》何技癢。

鄭虔公は諸学を一筋の条理によって貫き通ており、《薈蕞》の書をかいてはいるけれど、余力のはてじっとしていては伎癢に感じたのでやった仕事とおもわれる。』

天然 生知の姿、学は立つ游夏の上。

神農 或は闕漏す、黄石 師長たるを愧ず。

薬は纂む西極の名、兵流 諸を掌に指さす。

貴穿 遺恨無し、薈蕞 何ぞ技癢なる。』

 

洛陽 函谷関002 

『八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

天然生知姿,學立游夏上。

神農極闕漏,黃石愧師長。

藥纂西極名,兵流指諸掌。

貫穿無遺恨,《薈蕞》何技癢。


(下し文)
天然 生知の姿、学は立つ游夏の上。

神農 或は闕漏す、黄石 師長たるを愧ず。

薬は纂む西極の名、兵流 諸を掌に指さす。

貴穿 遺恨無し、薈蕞 何ぞ技癢なる。』

(現代語訳)
鄭虔公は天然に生まれながら知る聖人の姿資性をそなえ、学問は孔子の門にあって文学に秀でた子游・子夏のうえに立つほどであった。

鄭虔公は神農にくらべても、つきつめると神農に闕漏が有ると思えるし、兵法者、黃石公にくらべても、黄石公を師長たることは恥ずかしく思うほどである。

君は薬物の書を著わしては西域のはてまでの名をあつめ、兵法諸流はこれを掌に指さす如くあかるくあったので、諸儒は其の善く書を著わしたのに服したといわれる。

鄭虔公は諸学を一筋の条理によって貫き通ており、《薈蕞》の書をかいてはいるけれど、余力のはてじっとしていては伎癢に感じたのでやった仕事とおもわれる。』

安史の乱当時の勢力図
(訳注) #2《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -2

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔七〕今は亡き、故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の鄭虔公を哀しんでよんだ詩。)#2

虔(てい けん、生没年不詳)は、唐代玄宗朝の学者。詩、書、画に長け、多くの著書をものしたが、貧困にあえいだ。のち、安史の乱において燕に降伏し、官職を受けたため、乱後に左遷された。杜甫と特に親交があった。

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩  55

奉陪鄭駙馬韋曲二首其一 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 75

奉陪鄭駙馬韋曲二首其二 杜甫   :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 76

送鄭十八虔貶台州司、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 杜甫 700- 231

有懷台州鄭十八司虔 杜甫 <234-#1>1145 杜甫特集700- 346

 

 

天然生知姿,學立游夏上。

鄭虔公は天然に生まれながら知る聖人の姿資性をそなえ、学問は孔子の門にあって文学に秀でた子游・子夏のうえに立つほどであった。

生知姿 生まれながらにして知るほどの姿資性。

游夏 子游・子夏、孔子の門にあって文学に秀でた人。

・子游(しゆう、紀元前506 - 紀元前443?)は、春秋時代の儒学者で、孔子の弟子のひとり。文学(学問の才能)に優れていたといい、孔門十哲のひとりに数えられる。姓は言(げん)、名は偃(えん)、子游は字である。呉の人で、名の伝わる70人あまりの孔子の弟子(七十子)の中では唯一南方の出身。のちに帰郷して江南に儒学を広めたとされ、「南方夫子」と呼ばれた。『論語』では武城(山東省武城県)の町の長官を勤め、礼楽を以て民を教化していたという記載がある(雍也第六)。

・子夏(しか、紀元前507? - 紀元前420?)は、孔子の門人。姓は卜(ぼく)、名は商。子夏は字。衛(河南省)の人、一説に晋の温国(河南省焦作市)出身。学問を好み孔門十哲の一人とされる。「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」で「不及」と評価された人物である(『論語』先進篇)。『礼記』によると、自分の子供が死亡した際にあまりの悲しみに失明した。それを聞き、同門である曾子が子夏を訪ね、子夏が「なぜ、自分だけこのような不幸に会わなければならないのか」と嘆くと、「ずっと妻子を放っておいて何事か」と諭した。それに対し「我、過てり(われ、あやまてり)」と嘆いた。子游とともに文学(学問のこと)に優れていたとされ、今文経学では六経伝承の淵源を子夏に求めている。彼の学風からは後の荀子へと受け継がれる。

 

神農極闕漏,黃石愧師長。

鄭虔公は神農にくらべても、つきつめると神農に闕漏が有ると思えるし、兵法者、黃石公にくらべても、黄石公を師長たることは恥ずかしく思うほどである。

○神農 古代の王、「本草」を著わすと称せられる。古代中国の伝承に登場する三皇五帝の一人。諸人に医療と農耕の術を教えたという。中国では“神農大帝”と尊称されていて、医薬と農業を司る神とされている。神農は中国における初めての部落連盟の名前ともなり、70世代に渡って古代中国を治めたという。また、世界最古の本草書『神農本草経』(しんのうほんぞうきょう)に名を残している。『周易』繋辞伝下に、「伏羲が没すると神農が治めた。神農は木を加工して農具を作り、農具のメリットを民衆に教え広めた。これは「益」という卦を参考にしたのだろう。また神農は昼に市場を開き、民衆を呼びよせた。市場ではあらゆる商品が集まり、人々が交易して帰ると、それぞれは望む物を手に入れていた。これは「噬嗑(ぜいごう)」という卦を参考にしたのだろう」とある。

闕漏/欠漏 【けつろう】必要な事物が欠け落ちていること。もれ。おち。ておちがある。

○黄石 黄石公、兵法に通じた人、漢の張良に兵法を授けた。張良が始皇帝を暗殺しようとして失敗し下邳に身を隠していたある時、一人の老人と出会う。老人は沓を橋の下に落として、袂を歩いていた張良に「拾え」と命じ、張良は怒らずそれに従った。老人は一度は笑って去ったが、後に戻ってきて五日後の朝に再会を約束した。五日後、先に来て待っていた老人は、日が昇ってから現れた張良に「目上の者との約束をしておきながら遅れてくるとは何事か」と、また五日後に会う約束をする。張良は次の五日後、日の昇ると同時に約束の場所へ行ったものの、老人は既に来ていて以前と同じことを言う。三度目には日の昇る前に行くと老人は後から来て、「その謙虚さこそが宝である」と言い、張良に「太公望兵書(六韜)」を与え、「この書を読み10年後には王者の軍師となるだろう」と告げる。さらに「13年後にまた逢おう。済北の穀城(山東省東阿県)の下にある黄色い石が私である」とも。黄石公の予言はすべて的中し、張良は、穀城の黄石を得て、これを祀ったという。

黄石公は太公望と伴に兵法の祖として仰がれ、その名を冠した兵法書の種類は多く、中でも『三略』が有名である。

○師長 人の師となり目上のものとなること。

 

藥纂西極名,兵流指諸掌。藥纂西域名】自注:公著《薈蕞》等諸書,又撰《胡本草》七卷。

君は薬物の書を著わしては西域のはてまでの名をあつめ、兵法諸流はこれを掌に指さす如くあかるくあったので、諸儒は其の善く書を著わしたのに服したといわれる。

 

兵流 

藥纂西極名 作者の自注に「公著《薈蕞》等諸書,又撰《胡本草》七卷。」公は曹叢等の詔書を著わすの外、又胡本草七巻を撰ぶ)鄭虔は「胡本草」七巻を撰したというが、その書中には西極(西域地方)の薬名もあつめつづられたものと思われる。とある。

○兵流指諸掌 兵流は諸兵家の流をいう、掌に指すとは分りやすくに説くことをいう、鄭虔の学は地理に長じ、山川の険易、方隅の物産、兵戊の衆寡、詳審ならざるは無く、嘗て「天宝軍防録」をつくった、言典に事該、諸儒は其の善く書を著わしたのに服したといわれる。

 

貫穿無遺恨,《薈蕞》何技癢

【自註:虔采集異聞,成書四十餘卷,蘇源明請名會粹,取《爾雅‧序》「會粹舊」也。一云薈蕞,草多而小,言著書多而小碎事也。】

鄭虔公は諸学を一筋の条理によって貫き通ており、《薈蕞》の書をかいてはいるけれど、余力のはてじっとしていては伎癢に感じたのでやった仕事とおもわれる。』

○貫穿 諸学を一筋の条理によって貫き通すこと。

薈蕞 小さなものをあつめること、作者の自注によれば「虔采集異聞,成書四十餘卷,蘇源明請名會粹,取《爾雅‧序》「會粹舊」也。一云薈蕞,草多而小,言著書多而小碎事也。」

(自註:虔は異聞を采集し,書四十餘卷を成す,蘇源明は「會粹」を名とするを請う,《爾雅‧序》取って「會粹舊」とするなり。一云う「薈蕞」,草多くして小し,著書多くして 碎事を小とすると言うなり。鄭虔は「薈蕞」等の書を著わすという、薈蕞は或は「梓」に作るという

技癢/伎癢 自信ある技芸を有するとき、それを試みに為したくてむずかゆきをおぼえることをいう(「癢」は、「痒」と同義又は本字でかゆみを覚えること)自分の手腕・腕前を見せたくてむずむずすること、腕が鳴ること。

*「天然」八句は鄭虔の著述に長ずることをいう。

766年大暦元年55歲-46-#1奉節-37-#1 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司戶滎陽鄭公虔 -1》 杜甫index-15 杜甫<909-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5795

杜甫 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -1(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔七〕今は亡き、故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の鄭虔公を哀しんでよんだ詩。)鄭虔公の地位は士大夫の間において髙いもので、一目置かれていた上に、鄭虔公の雰囲気はすぐれてさわやかなものであった。

 

 
 2015年4月4日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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杜甫詩1500-909-#1-1330/2500766年大暦元年55-46-1

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    八哀詩八首:故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:              滎陽 (都畿道 鄭州 滎陽)    

台州 (江南東道 台州 台州)              

四明山 (江南東道 越州 會稽) 別名:四明      

楢溪 (江南東道 台州 楢溪) 別名:歡溪         

終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山  

交遊人物:鄭虔    詩文提及

 

《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -1

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔七〕今は亡き、故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の鄭虔公を哀しんでよんだ詩。)

鶢鶋至魯門,不識鐘鼓饗。

鶢鶋という海鳥が魯の城の東門へやってきたとき、鐘鼓の音楽を奏して饗応されてもそれがありがたいことだとはおもわなかったものだ。

孔翠望赤霄,愁思雕籠養。

孔雀や翡翠はいかにうつくしい籠にいれて養われても、それを困ったことだとばかりかんがえて本心は、むかし棲んだ仙山の赤いそらばかりながめやっているというように、鄭虔公が官吏生活、高級官僚であっってもちょうどそんなものだろうと思った。

滎陽冠眾儒,早聞名公賞。

それに、滎陽の鄭虔先生は多くの儒者に冠たる人で、早くから君は当時の名公と賞賛された蘇娗公からも、未知の間柄であるにかかわらず鄭虔を見舞ったほどに評価されたと聞いていた。

地崇士大夫,況乃氣精爽。

鄭虔公の地位は士大夫の間に髙く一目置かれていた上に、鄭虔公の雰囲気はすぐれてさわやかなものであった。

(故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の郭公虔)

鶢鶋 魯門に至る、識らず鐘鼓の饗。

孔翠 赤霄を望む、愁思す 雕籠の養。

滎陽 衆儒に冠たり、早く聞く名公賞すと。

地は崇し 士大夫、況や乃ち気の精爽なるをや。』

#2

天然生知姿,學立游夏上。

神農極闕漏,黃石愧師長。

藥纂西極名,兵流指諸掌。

貫穿無遺恨,《薈蕞》何技癢。

#3

圭臬星經奧,蟲篆丹青廣。

子雲窺未遍,方朔諧太枉。

神翰顧不一,體變鍾兼兩。

文傳天下口,大字猶在榜。

#4

昔獻書畫圖,新詩亦俱往。

滄洲動玉陛,宣鶴誤一響。

自御題,四方尤所仰。

嗜酒益疏放,彈琴視天壤。

#5

形骸實土木,親近唯几杖。

未曾寄官曹,突兀倚書幌。

晚就芸香閣,胡塵昏坱莽。

反復歸聖朝,點染無滌蕩。

#6

老蒙台州掾,泛泛淛江槳。

覆穿四明雪,飢拾楢溪橡。

空聞紫芝歌,不見杏壇丈。

天長眺東南,秋色餘魍魎。

#7

別離慘至今,斑白徒懷曩。

春深秦山秀,葉墜清渭朗。

劇談王侯門,野林下鞅。

操紙終夕酣,時物集遐想。

#8

詞場竟疏闊,平昔濫吹獎。

百年見存歿,牢落吾安放。

蕭條阮咸在,出處同世網。

他日訪江樓,含悽述飄蕩。

taigennankin88 

 

『八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -1
鶢鶋至魯門,不識鐘鼓饗。

孔翠望赤霄,愁思雕籠養【愁入雕籠養】。

滎陽冠儒,早聞名公賞。

地崇士大夫,況乃氣精爽【自注:往者公在疾,蘇許公頲位尊望重,素未相識,早愛才名,躬自撫問。後結望年之分,遠邇嘉之。】【況乃氣清爽】【況乃精氣爽】

(下し文)
(故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の郭公虔)

鶢鶋 魯門に至る、識らず鐘鼓の饗。

孔翠 赤霄を望む、愁思す 雕籠の養。

滎陽 衆儒に冠たり、早く聞く名公賞すと。

地は崇し 士大夫、況や乃ち気の精爽なるをや。』

(現代語訳)
(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔七〕今は亡き、故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の鄭虔公を哀しんでよんだ詩。)

鶢鶋という海鳥が魯の城の東門へやってきたとき、鐘鼓の音楽を奏して饗応されてもそれがありがたいことだとはおもわなかったものだ。

孔雀や翡翠はいかにうつくしい籠にいれて養われても、それを困ったことだとばかりかんがえて本心は、むかし棲んだ仙山の赤いそらばかりながめやっているというように、鄭虔公が官吏生活、高級官僚であっってもちょうどそんなものだろうと思った。

それに、滎陽の鄭虔先生は多くの儒者に冠たる人で、早くから君は当時の名公と賞賛された蘇娗公からも、未知の間柄であるにかかわらず鄭虔を見舞ったほどに評価されたと聞いていた。

鄭虔公の地位は士大夫の間に髙く一目置かれていた上に、鄭虔公の雰囲気はすぐれてさわやかなものであった。


洛陽 函谷関002
(訳注) 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -1

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔七〕今は亡き、故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の鄭虔公を哀しんでよんだ詩。)

虔(てい けん、生没年不詳)は、唐代玄宗朝の学者。詩、書、画に長け、多くの著書をものしたが、貧困にあえいだ。のち、安史の乱において燕に降伏し、官職を受けたため、乱後に左遷された。杜甫と特に親交があった。

鄭州の滎陽の出身。地理や地形、地方の物産、各地の兵の数について詳しかった。高官であった蘇挺と年齢を越えた交わりを結び、その推薦を受けた。天宝元年 742年、協律郎に就任し、80以上の著書を書き上げたが、その著書に国史を私撰した部分があるという上書が出されたことで、10年間地方に流された。長安に戻ってからも、玄宗からその才能を愛され、広文館の博士に任命され、国子司業の蘇源明と交流があった。山水画、書道、詩作に長じ、玄宗にそれを献上し、「鄭虔三絶(詩、書、画)」と賞され、著作郎に移った。

天宝14載(755年)、安史の乱が勃発すると、燕の軍に捕らえられて洛陽に移され、安禄山側の水部郎中に任命された。密かに粛宗の唐側に通じたが、至徳2載(757年)、安慶緒の洛陽逃亡の際に、張通と王維とともに、燕に降伏した罪で宣陽里に閉じこめられた。3人とも画に長じていたため、崔圓によって、壁画を描かせられ、死罪を免れ、台州の司戸参軍事に落とされた。その数年後に死去している。

官職に就いた時でも貧困のままで、紙に不足することもあった。そのため、杜甫の詩に、「才名四十年、坐客寒にして氈(敷物)無し」と詠まれている。杜甫、李白ともに詩酒の友であったと伝えられる。

その画について、王維、畢宏とともに三絶と呼ばれた。晩唐の朱景玄も『唐朝名画録』において、第七位「能品上」に評価している。

台州鄭司 浙江省台州府。鄭司は房琯一党であり、房琯が左遷された際、杜甫,共に左遷された。杜甫は儒者学者である鄭虔と若い時から交際している。

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩  55

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奉陪鄭駙馬韋曲二首其二 杜甫   :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 76

送鄭十八虔貶台州司、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 杜甫 700- 231

有懷台州鄭十八司虔 杜甫 <234-#1>1145 杜甫特集700- 346

 

鶢鶋至魯門,不識鐘鼓饗。

鶢鶋という海鳥が魯の城の東門へやってきたとき、鐘鼓の音楽を奏して饗応されてもそれがありがたいことだとはおもわなかったものだ。

鶢鶋至魯門 鶢鶋は海鳥の名、魯門は魯の城の東門である。

・「国語」(魯語上)にいう、「海鳥を鶢鶋と日う、魯の東門の外に止どまること二日、臧文仲国人をして之を祭らしむ。展禽日く越(迂)なるかな臧孫の政を為すや、海鳥至る、己れ知らずして之を紀り以て国典と為す、以て仁且つ知と為し難し、今玆海其れ災あらんか、」と。

・「荘子」(至楽)にいう、昔者海鳥魯郊に止どまる、魯侯御して之を廟に觴す、九韶を奏して以て楽と為し、大牢を具えて以て膳となす、鳥乃ち眩視憂悲、敢て一臠を食らわず、敢て一杯を飲まず、三日にして死す」、と。

・「左伝」(文公二年)「孔子が臧文仲を評して不仁なる者三、不知なるもの三、といっている中に鶢鶋を祀ったことを不知の一つとしている。

○不識鐘鼓饗 鳥の音楽を解さぬことをいう、事は上にみえる。

 

孔翠望赤霄,愁思雕籠養。【愁入雕籠養】

孔雀や翡翠はいかにうつくしい籠にいれて養われても、それを困ったことだとばかりかんがえて本心は、むかし棲んだ仙山の赤いそらばかりながめやっているというように、鄭虔公が官吏生活、高級官僚であっってもちょうどそんなものだろうと思った。

○孔翠 孔雀、翡翠。

○赤 仙山のようにあかいそら。

籠養 りっぱなかごのうちにあって養われること、鶢鶋孔翠をもって鄭虔をたとえている。

 

滎陽冠眾儒,早聞名公賞。【自注:往者公在疾,蘇許公頲位尊望重,素未相識,早愛才名,躬自撫問。後結望年之分,遠邇嘉之。】【況乃氣清爽】【況乃精氣爽】

それに、滎陽の鄭虔先生は多くの儒者に冠たる人で、早くから君は当時の名公と賞賛された蘇娗公からも、未知の間柄であるにかかわらず鄭虔を見舞ったほどに評価されたと聞いていた。

○滎陽 地名、ここは房琯グループの鄭虔(八哀詩〔七〕)のことをいう。(八哀詩〔六〕)#7「滎陽復冥莫,罪罟已橫罥。」(滎陽の鄭虔公もまた冥莫の底に逝ってしまったが、それも仕掛けられた罪のあみによったものでもう涙を流して声を出して泣くだけだ。)

名公賞 

○名公賞 世に名のある人に賞讃されたこと。名公とは蘇頲をさす。作者の自注にいう、【自注:往者公在疾,蘇許公頲位尊望重,素未相識,早愛才名,躬自撫問。後結望年之分,遠邇嘉之。】【況乃氣清爽】【況乃精氣爽】

「往者公疾に在り、蘇許公頲、位尊く望重し、素と未だ相い識らず、早く才名を愛す、躬自ずから撫問す、臨むに忘年の契りを以てし、遠くに之を嘉す」とある。鄭虔が病気になったとき、蘇娗が未知の間柄であるにかかわらず鄭虔を見舞ったことをいっている。

 

地崇士大夫,況乃氣精爽。

鄭虔公の地位は士大夫の間に髙く一目置かれていた上に、鄭虔公の雰囲気はすぐれてさわやかなものであった。

○地崇 地位がたかい、著作郎であったことをいう。

○士大夫 士大夫の間においての意。

○気精爽 元気がすぐれてさわやかである、

*起八句は鄭虔の人品地位をのべる。

766年大暦元年55歲-45-#7奉節-36-#7 《巻16-08 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -7》 杜甫index-15 杜甫<908-#7> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5790

八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -7  杜甫  世情は落ち着かず、いつになったら戦争の膠着状態が結ばれがほどけて安泰がこようか、自分は舟にのって故郷に帰ろうとしても沔水の流れに阻害されて帰ることができないでいる。それで、持病の糖尿病に罹り今なおまとわれて、いつまでも君のお墓に手向けの物をおそなえせずにいることは、まことにすまぬことだとおもっている。

 

 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-45-#7奉節-36-#7 《巻16-08 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -7》 杜甫index-15 杜甫<908-#7> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5790 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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766年大暦元年55-45-7奉節-36-7 《巻16-08 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -7 杜甫index-15 杜甫<908-#7 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5790 杜甫詩1500-908-#7-1329/2500766年大暦元年55-45-7

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二  杜少陵集 巻十六       文體:    五言古詩

詩題:    八哀詩八首:故祕書少監武功蘇公源明

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方  

兗州 (河南道 兗州 兗州) 別名:魯郡、魯中、東魯、東郡        

泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳        

萊蕪 (河南道 兗州 萊蕪)  

滎陽 (都畿道 鄭州 滎陽)  

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都  

交遊人物:蘇源明              詩文提及

 

八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明秘書少監蘇源明を哀しんだ詩。)

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔六〕死今は亡き秘書監で武功をたてられた蘇源明公を哀しんでよんだ詩。)

武功少也孤,徒步客徐兗。

武功の蘇君は幼少のときに孤児になり、徒歩きして徐州兗州の地方に客となり、自分も斉趙に一緒に遊んでいる。

讀書東岳中,十載考墳典。

東岳泰山の中の寺観で読書し、十年間かけて古典について考えた。

時下萊蕪郭,忍飢浮雲巘。

雲の浮かんでいる山に餞餓に堪え忍んで読書し、時おり萊蕪縣の城郭へおりてくるくらいのことであった。

負米晚為身,每食臉必泫。

晩に負米の労役をしたがそれは子路のごとく親を養うためでなく、親がいないから自己のためにしるので食事をするたびに頬が涙でぬれた。

 

(故秘書少監武功の蘇公源明)

武功少きや孤なり、徒歩 徐兗に客たり。

書を読む東岳の中、十載 墳典を考う。

時に萊蕪の郭に下る、飢えを忍ぶ浮雲の巘。

負米 晩に身の為にす、食する毎に臉必ず泫たり。

#2

夜字照爇薪,垢衣生碧蘚。

君はよく勉強し、夜の勉学の最中には薪をもやして文字を照らし、垢のついた衣には碧ごけが生えるほど没頭されていた。

庶以勤苦志,報茲劬勞顯。

できることなら、君の心中ではこれほどの勤苦の志でもっていることが、御両親の苦労なされたおぼしめしに報いたいものだということを見てもらいたかった。

學蔚醇儒姿,文包舊史善。

やがて君の学問は蔚然たる醇儒の姿をそなえ、文章は古代の歴史家の書きところをかねるようになった。

灑落辭幽人,歸來潛京輦。

さっぱりとした山に隠棲しているなかまを去って京師へもどってきても天子のお膝もとであるのにこつそりと住んだ。

 

夜字 爇薪に照らす、垢衣 碧蘇生ず。

庶わくは勤苦の志を以て、茲の劬勞の願いに報いんことを。』

学は蔚たり醇儒の姿、文は包ぬ 旧史の善。

灑落 幽人を辞し、帰来 京輦に潜む。

#3

射君東堂策,宗匠集精選。

そうして東堂で天子の御試験に応じたが、時の試験官はいずれも文章の大家で一粒えりというべき人たちが集められた。

制可題未乾,乙科已大闡。

受験の難きことは推して知るべしであるが、やがて及第の御許可が出て天子の御かきつけの墨もかわかぬうちに君の乙科及第の評判ははやくも世間にひろがった。

文章日自負,吏祿亦累踐。

文章において君は日ましに自己の力をたのんでいたが、掾吏の属官をもきらわず下の方からつぎつぎとのぼっていった

晨趨閶闔足蹋宿昔趼。

しかし太子論徳に任ぜられて禁城の御門へ、朝はやくでるようになっても、君は徒歩をつづけてむかしのままの足に豆して、ふみあるいていた。

君が東堂の策を射る、宗匠 精選を集む。

制可 題 未だ乾かず、乙科 己に大いに闡けたり。

文章 日々に自負す、吏祿 亦た累りに践めり。

晨に趨す 閶闔の内、足は踏む宿昔の趼。』

 

#4

一麾出守還,黃屋朔風卷。

それから京師より逐いだされ地方官(東平太守)掾吏の属官となって評価され、また都へもどった時に国子司業になったが、安禄山の乱がおこって天子の乗御の車蓋には北風が吹きまくって、どうしようもなかった。

不暇陪八駿,虜庭悲所遣。

周の穆王の八駿の馬を使われたかのように、天子(玄宗)の御逃げになる御馬のあとに君はおともをする暇もないほどであった、その身は、私と同じように安史軍に軟禁され、国の主要部が、安史軍に支配され、その上大明宮は焼かれていて、どうして胸の懐いを遣るべきかに悲しみぬいた。

平生滿尊酒,斷此朋知展。

すなわち平生なら樽に満ちた酒を心行くまで酌みかわして、朋友とのあいだで心のむすばれをほぐし、ひろげることができるのであるがそれがすっかりできなくなったのだ。

憂憤病二秋,有恨石可轉。

それで憂憤のあまり二度の秋を病気ですごされたし、この境遇におる恨みはもっていたが君の堅固な心は安史軍にはどうしても動かすことができなかった。

 

一麾 出守して還る、黃屋 朔風巻く。

八駿に陪するに暇あらず、虜庭 遣る所に悲しむ。

平生 樽の酒に満ち、此れを断つ 朋知の展を。

憂憤 病むこと二秋、恨み有り 石 転ず可し。

 

肅宗復社稷,得無逆順辨。

粛宗が安史軍の手から長安の都、続いて東京をお収めになり、社稜を回復あそばされたときには臣下の「逆」と「順」について裁きをおつけにならぬわけにはゆかず、頓首謝罪させられたのである。

范曄顧其兒,李斯憶黃犬。

それで安史軍に従った者とそうでない者とによって賞罰を行なわれた、時に宋の范曄にも比すべき者は刑にのぞんで自分の児をかえりみてものをいうたり、また李斯にも此すべき者は刑にのぞんでそのむかし故郷で猟のときひきつれた黄色の猟犬のことを思い出したり、それは、それは、あわれなことであった。

祕書茂松意,屢扈祠壇前。(溟漲本末淺。)

蘇源明秘書は順節を守ること緑色易えぬ松のごとく意志を以ていたので、これに官位(考功郎中・知制誥となる)を擢せられ、二回までも天子の郊廟のお祭りにおともをされた。(その彫琢したうるわしい文字は揚雄のたぐいであり、大海の潮もこれとくらべるとかえって浅く細いような肴がある。)

 

青熒芙蓉劍,犀兕豈獨剸。

蘇源明秘書のその論鋒の鋭利をたとえるならば青熒たる芙蓉の剣の如くであり、斬るといってもただ単に、犀や兕ばかりをきるに足るものたるにとどまっているのではない。

 

粛宗社稷を復し、逆順の弁無きを得んや。

茫曄 其の児を顧みて、李斯 黄犬を憶う。

秘書 茂松の意、屢ば扈【こ】す壇前に祠するに。』

青熒たり芙蓉の剣 犀兕【さいじ】豈に独り剸【き】らんや。

 

#6

反為後輩褻,予實苦懷緬。

後輩のものが蘇源明の文をありきたりのものとあなどるということがなされるに至ってはどうしたものであるか。自分は実にこれに対して、この文章の域になるのはなかなかで、はるかに慕わしさをもつものである。

煌煌齋房芝,事萬手搴。

漢の武帝の時、斎房に芝が生じ、〈芝房歌〉を作ったが、かの斎房に玉芝が煌煌と生えたという事件があり、祥瑞を口実として万人が手をだして玉芝を抜き取らんとしたのを、蘇源明公が上疏して諌めた結果、その事を断絶させたのである。

垂之俟來者,正始徵勸勉。

蘇源明公はこれらの事を文章として残しこれを後代に垂れて、つぎに来たる世の人をまち、事の始めにこれを正して、後来の勧勉となるべきものの証拠をとどめているのである。

不要懸黃金,胡為投乳

君の文章は千金を懸けて他人の文字の増損を求める必要のないほどりっぱなものであるだけに、他の千金を出しても「金印を帯びたいという功名心」のものに狡猾悪な讒言をされて、それが子もちの猛獣である李林甫の怒りにふれたのはどうしようもない。

結交三十載,吾與誰遊衍。

若いとき、一緒に斉趙に遊んで以来、丁度三十年来の交わりを結んでいた。蘇源明公がなくなった今は自分はだれと気ままに遊ぶことができようか。

 

反って後輩に褻れらるるを為す、予実に懐いの緬かなるに苦しむ。

煌煌たり斎房の芝、事は絶ゆ万手の搴。

之を垂れて来者を俟つ、始めを正して勧勉に徴あらしむ。

要せず黄金を懸くるを、胡為れぞ 乳に投ぜるや。

交りを結ぶ三十載、吾誰と遊衍せん。

 

#7

滎陽復冥莫,罪罟已橫罥。

滎陽の鄭虔公もまた冥莫の底に逝ってしまったが、それも仕掛けられた罪のあみによったものでもう涙を流して声を出して泣くだけだ。

嗚呼子逝日,始泰則終蹇。

ああ、蘇源明公がなくなられたときのことである、はじめこそ運命の通ずるように順境だったが終いには逆境におちいったのである。

長安米萬錢,凋喪盡餘喘。

そして、長安で悪錢鋳造によりインフレが起こり、米一斛が10倍の一万銭もするようになり、その年、蘇源明公はしぼんで息をひきとってしまわれた。

戰伐何當解,歸帆阻清沔。

世情は落ち着かず、いつになったら戦争の膠着状態が結ばれがほどけて安泰がこようか、自分は舟にのって故郷に帰ろうとしても沔水の流れに阻害されて帰ることができないでいる。

尚纏漳水疾,永負蒿里餞。

それで、持病の糖尿病に罹り今なおまとわれて、いつまでも君のお墓に手向けの物をおそなえせずにいることは、まことにすまぬことだとおもっている。

#7

滎陽復た冥莫、罪罟【ざいこ】己に横さまに罥【かか】れり。

鳴呼 子が逝ける日、始めは泰にして則ち終りには蹇なり。

長安 米万銭、凋喪 余 喘を尽くす。

戦伐【せんばつ】何か当に解くべき、帰帆 清洞に阻せらる。

尚お漳水の疾に纏われ、永く嵩里【こうり】の餞に負く。

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766年大暦元年55歲-45-#6奉節-36-#6 《巻16-08 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -6》 杜甫index-15 杜甫<908-#6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5785

 

杜甫 哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明  君の文章は千金を懸けて他人の文字の増損を求める必要のないほどりっぱなものであるだけに、他の千金を出しても「金印を帯びたいという功名心」のものに狡猾悪な讒言をされて、それが子もちの猛獣である李林甫の怒りにふれたのはどうしようもない。

 

 
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766年大暦元年55-45-6奉節-36-6 《巻16-08 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -6 杜甫index-15 杜甫<908-#6 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5785
杜甫詩
1500-908-#6-1328/2500766年大暦元年55-45-6

 

 

#5

肅宗復社稷,得無逆順辨。

粛宗が安史軍の手から長安の都、続いて東京をお収めになり、社稜を回復あそばされたときには臣下の「逆」と「順」について裁きをおつけにならぬわけにはゆかず、頓首謝罪させられたのである。

范曄顧其兒,李斯憶黃犬。

それで安史軍に従った者とそうでない者とによって賞罰を行なわれた、時に宋の范曄にも比すべき者は刑にのぞんで自分の児をかえりみてものをいうたり、また李斯にも此すべき者は刑にのぞんでそのむかし故郷で猟のときひきつれた黄色の猟犬のことを思い出したり、それは、それは、あわれなことであった。

祕書茂松意,屢扈祠壇前。(溟漲本末淺。)

蘇源明秘書は順節を守ること緑色易えぬ松のごとく意志を以ていたので、これに官位(考功郎中・知制誥となる)を擢せられ、二回までも天子の郊廟のお祭りにおともをされた。(その彫琢したうるわしい文字は揚雄のたぐいであり、大海の潮もこれとくらべるとかえって浅く細いような肴がある。)

 

青熒芙蓉劍,犀兕豈獨剸。

蘇源明秘書のその論鋒の鋭利をたとえるならば青熒たる芙蓉の剣の如くであり、斬るといってもただ単に、犀や兕ばかりをきるに足るものたるにとどまっているのではない。

 

粛宗社稷を復し、逆順の弁無きを得んや。

茫曄 其の児を顧みて、李斯 黄犬を憶う。

秘書 茂松の意、屢ば扈【こ】す壇前に祠するに。』

青熒たり芙蓉の剣 犀兕【さいじ】豈に独り剸【き】らんや。

 

#6

反為後輩褻,予實苦懷緬。

後輩のものが蘇源明の文をありきたりのものとあなどるということがなされるに至ってはどうしたものであるか。自分は実にこれに対して、この文章の域になるのはなかなかで、はるかに慕わしさをもつものである。

煌煌齋房芝,事萬手搴。

漢の武帝の時、斎房に芝が生じ、〈芝房歌〉を作ったが、かの斎房に玉芝が煌煌と生えたという事件があり、祥瑞を口実として万人が手をだして玉芝を抜き取らんとしたのを、蘇源明公が上疏して諌めた結果、その事を断絶させたのである。

垂之俟來者,正始徵勸勉。

蘇源明公はこれらの事を文章として残しこれを後代に垂れて、つぎに来たる世の人をまち、事の始めにこれを正して、後来の勧勉となるべきものの証拠をとどめているのである。

不要懸黃金,胡為投乳

君の文章は千金を懸けて他人の文字の増損を求める必要のないほどりっぱなものであるだけに、他の千金を出しても「金印を帯びたいという功名心」のものに狡猾悪な讒言をされて、それが子もちの猛獣である李林甫の怒りにふれたのはどうしようもない。

結交三十載,吾與誰遊衍。

若いとき、一緒に斉趙に遊んで以来、丁度三十年来の交わりを結んでいた。蘇源明公がなくなった今は自分はだれと気ままに遊ぶことができようか。

 

反って後輩に褻れらるるを為す、予実に懐いの緬かなるに苦しむ。

煌煌たり斎房の芝、事は絶ゆ万手の搴。

之を垂れて来者を俟つ、始めを正して勧勉に徴あらしむ。

要せず黄金を懸くるを、胡為れぞ 乳に投ぜるや。

交りを結ぶ三十載、吾誰と遊衍せん。

 

『八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#6

反為後輩褻,予實苦懷緬。

煌煌齋房芝,事萬手搴。

垂之俟來者,正始徵勸勉。

不要懸黃金,胡為投乳

結交三十載,吾與誰遊衍。



(下し文)
反って後輩に褻れらるるを為す、予実に懐いの緬かなるに苦しむ。

煌煌たり斎房の芝、事は絶ゆ万手の搴。

之を垂れて来者を俟つ、始めを正して勧勉に徴あらしむ。

要せず黄金を懸くるを、胡為れぞ 乳に投ぜるや。

交りを結ぶ三十載、吾誰と遊衍せん。

(現代語訳)
後輩のものが蘇源明の文をありきたりのものとあなどるということがなされるに至ってはどうしたものであるか。自分は実にこれに対して、この文章の域になるのはなかなかで、はるかに慕わしさをもつものである。

漢の武帝の時、斎房に芝が生じ、〈芝房歌〉を作ったが、かの斎房に玉芝が煌煌と生えたという事件があり、祥瑞を口実として万人が手をだして玉芝を抜き取らんとしたのを、蘇源明公が上疏して諌めた結果、その事を断絶させたのである。

蘇源明公はこれらの事を文章として残しこれを後代に垂れて、つぎに来たる世の人をまち、事の始めにこれを正して、後来の勧勉となるべきものの証拠をとどめているのである。

君の文章は千金を懸けて他人の文字の増損を求める必要のないほどりっぱなものであるだけに、他の千金を出しても「金印を帯びたいという功名心」のものに狡猾悪な讒言をされて、それが子もちの猛獣である李林甫の怒りにふれたのはどうしようもない。

若いとき、一緒に斉趙に遊んで以来、丁度三十年来の交わりを結んでいた。蘇源明公がなくなった今は自分はだれと気ままに遊ぶことができようか。



(訳注) 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明#6

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔六〕死今は亡き秘書監で武功をたてられた蘇源明公を哀しんでよんだ詩。)

○故秘書少監武功蘇公源明 蘇源明、初めの名は預、京兆武功の人、秘書少監となって卒した。杜甫25736年から45年行動を共にしている。杜甫とともに、儒者房琯グループ。くわしくは、八哀詩八首〔六〕#1参照。

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反為後輩褻,予實苦懷緬。

後輩のものが蘇源明の文をありきたりのものとあなどるということがなされるに至ってはどうしたものであるか。自分は実にこれに対して、この文章の域になるのはなかなかで、はるかに慕わしさをもつものである。

 ①なれあなどることをいう。②ふだんのときも表だったときも。いつも。③たった一つで、他に代わるものがない。後にも先にも。

○懐緬 おもいのはるかなこと、はるかにおもいしたうことをいう。

 

煌煌齋房芝,事萬手搴。

漢の武帝の時、斎房に芝が生じ、〈芝房歌〉を作ったが、かの斎房に玉芝が煌煌と生えたという事件があり、祥瑞を口実として万人が手をだして玉芝を抜き取らんとしたのを、蘇源明公が上疏して諌めた結果、その事を断絶させたのである。

煌煌 ① 光り輝いている。きらめいている。  ② 輝くばかりに美しい。華やかに美しい。かがやくさま。

○齋房芝 斎房は神を祀るときものいみをする部屋をいう。芝は霊草である。漢の武帝の時、元封年中に斎房に芝が生じ、〈芝房歌〉を作った。唐では粛宗の上元二年七月、延英殿の御座の梁上に玉芝を生じた、一茎三花、天子は玉霊芝の詩を製した。蘇源明は極めて之のようだと言う。

萬手搴 ・事絶:芝の事が断絶して行われぬに至ったことをいう。・万手搴:搴はぬきとる、芝をぬきとること、万手は万人の手のこと、万人の手をもって芝をるとは、御座のうえの梁に芝が生えたとて、それをとるべしと祥瑞のことについてやかましくさわざたでることをいう。粛宗は乾元二年六月に宰相王璵の請いに従って太乙壇(天の太乙星をまつる壇)を南郊の東に立てた。これは漢の武帝以来はじめての事である。そのほか禁中において祷祀日夜を窮め、宦官は事を用い、給養繁靡であった、蘇源明はこのことにつきしばしば疏を上って政治の得失を陳べた。

 

垂之俟來者,正始徵勸勉。

蘇源明公はこれらの事を文章として残しこれを後代に垂れて、つぎに来たる世の人をまち、事の始めにこれを正して、後来の勧勉となるべきものの証拠をとどめているのである。

○垂之 之とは政治の得失を論じた文章をさす。

○来者 後来の人人。

○正始 事の始めにおいて正す、害毒を微細なうちに防ぐこと。

○徴勧勉 徴はしるし、証拠をのこすことをいう、勧勉は善政をすすめつとめさせること。

 

不要懸黃金,胡為投乳

君の文章は千金を懸けて他人の文字の増損を求める必要のないほどりっぱなものであるだけに、他の千金を出しても「金印を帯びたいという功名心」のものに狡猾悪な讒言をされて、それが子もちの猛獣である李林甫の怒りにふれたのはどうしようもない。

○懸黄金 旧注に金印をつりさげる意とし高官となることとする。懸黄金とは千金を懸けて世評を求めることをいう。

○胡為 何為に同じ。

投乳 は猛獣の名、「爾雅」の注に、は西海に出づ、大秦国に養う者あり、狗に似て力多く狡猾悪なり、とみえる。乳輿は乳虎のようなもの意に用いている。蘇源明が貴幸の臣、李林甫の怒りにふれたことをたとえていう。

「前後」十四句は源明の文才と直諌とをのべる。

 

結交三十載,吾與誰遊衍。

若いとき、一緒に斉趙に遊んで以来、丁度三十年来の交わりを結んでいた。蘇源明公がなくなった今は自分はだれと気ままに遊ぶことができようか。

〇三十載 735年開元二十三年より764年広徳二年までは三十年である。大略それらの年月をさす。

遊衍 衍はほしいままにすること。「詩経」(板)に「爾と遊衍せん」とみえる。

 

 

 

 

 

(故秘書少監武功の蘇公源明)

武功少きや孤なり、徒歩 徐兗に客たり。

書を読む東岳の中、十載 墳典を考う。

時に萊蕪の郭に下る、飢えを忍ぶ浮雲の巘。

負米 晩に身の為にす、食する毎に臉必ず泫たり。

 

夜字 爇薪に照らす、垢衣 碧蘇生ず。

庶わくは勤苦の志を以て、茲の劬勞の願いに報いんことを。』

学は蔚たり醇儒の姿、文は包ぬ 旧史の善。

灑落 幽人を辞し、帰来 京輦に潜む。

 

君が東堂の策を射る、宗匠 精選を集む。

制可 題 未だ乾かず、乙科 己に大いに闡けたり。

文章 日々に自負す、吏祿 亦た累りに践めり。

晨に趨す 閶闔の内、足は踏む宿昔の趼。』

 

一麾 出守して還る、黃屋 朔風巻く。

八駿に陪するに暇あらず、虜庭 遣る所に悲しむ。

平生 樽の酒に満ち、此れを断つ 朋知の展を。

憂憤 病むこと二秋、恨み有り 石 転ず可し。

 

粛宗社稷を復し、逆順の弁無きを得んや。

茫曄 其の児を顧みて、李斯 黄犬を憶う。

秘書 茂松の意、屢ば扈【こ】す壇前に祠するに。』

青熒たり芙蓉の剣 犀兕【さいじ】豈に独り剸【き】らんや。

 

反って後輩に褻れらるるを為す、予実に懐いの緬かなるに苦しむ。

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杜甫八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -5  粛宗が安史軍の手から長安の都、続いて東京をお収めになり、社稜を回復あそばされたときには臣下の「逆」と「順」について裁きをおつけにならぬわけにはゆかず、頓首謝罪させられたのである。

 

 
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766年大暦元年55-45-5奉節-36-5 《巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -5 杜甫index-15 杜甫<908-#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5780
杜甫詩
1500-908-#5-1327/2500766年大暦元年55-45-5

 

杜甫詩1500-908-#4-1326/2500766年大暦元年55-45-4

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二  杜少陵集 巻十六       文體:    五言古詩

詩題:    八哀詩八首:故祕書少監武功蘇公源明

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方  

兗州 (河南道 兗州 兗州) 別名:魯郡、魯中、東魯、東郡        

泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳        

萊蕪 (河南道 兗州 萊蕪)  

滎陽 (都畿道 鄭州 滎陽)  

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都  

交遊人物:蘇源明              詩文提及

 

八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明秘書少監蘇源明を哀しんだ詩。)

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔六〕死今は亡き秘書監で武功をたてられた蘇源明公を哀しんでよんだ詩。)

武功少也孤,徒步客徐兗。

武功の蘇君は幼少のときに孤児になり、徒歩きして徐州兗州の地方に客となり、自分も斉趙に一緒に遊んでいる。

讀書東岳中,十載考墳典。

東岳泰山の中の寺観で読書し、十年間かけて古典について考えた。

時下萊蕪郭,忍飢浮雲巘。

雲の浮かんでいる山に餞餓に堪え忍んで読書し、時おり萊蕪縣の城郭へおりてくるくらいのことであった。

負米晚為身,每食臉必泫。

晩に負米の労役をしたがそれは子路のごとく親を養うためでなく、親がいないから自己のためにしるので食事をするたびに頬が涙でぬれた。

 

(故秘書少監武功の蘇公源明)

武功少きや孤なり、徒歩 徐兗に客たり。

書を読む東岳の中、十載 墳典を考う。

時に萊蕪の郭に下る、飢えを忍ぶ浮雲の巘。

負米 晩に身の為にす、食する毎に臉必ず泫たり。

#2

夜字照爇薪,垢衣生碧蘚。

君はよく勉強し、夜の勉学の最中には薪をもやして文字を照らし、垢のついた衣には碧ごけが生えるほど没頭されていた。

庶以勤苦志,報茲劬勞顯。

できることなら、君の心中ではこれほどの勤苦の志でもっていることが、御両親の苦労なされたおぼしめしに報いたいものだということを見てもらいたかった。

學蔚醇儒姿,文包舊史善。

やがて君の学問は蔚然たる醇儒の姿をそなえ、文章は古代の歴史家の書きところをかねるようになった。

灑落辭幽人,歸來潛京輦。

さっぱりとした山に隠棲しているなかまを去って京師へもどってきても天子のお膝もとであるのにこつそりと住んだ。

 

夜字 爇薪に照らす、垢衣 碧蘇生ず。

庶わくは勤苦の志を以て、茲の劬勞の願いに報いんことを。』

学は蔚たり醇儒の姿、文は包ぬ 旧史の善。

灑落 幽人を辞し、帰来 京輦に潜む。

#3

射君東堂策,宗匠集精選。

そうして東堂で天子の御試験に応じたが、時の試験官はいずれも文章の大家で一粒えりというべき人たちが集められた。

制可題未乾,乙科已大闡。

受験の難きことは推して知るべしであるが、やがて及第の御許可が出て天子の御かきつけの墨もかわかぬうちに君の乙科及第の評判ははやくも世間にひろがった。

文章日自負,吏祿亦累踐。

文章において君は日ましに自己の力をたのんでいたが、掾吏の属官をもきらわず下の方からつぎつぎとのぼっていった

晨趨閶闔足蹋宿昔趼。

しかし太子論徳に任ぜられて禁城の御門へ、朝はやくでるようになっても、君は徒歩をつづけてむかしのままの足に豆して、ふみあるいていた。

君が東堂の策を射る、宗匠 精選を集む。

制可 題 未だ乾かず、乙科 己に大いに闡けたり。

文章 日々に自負す、吏祿 亦た累りに践めり。

晨に趨す 閶闔の内、足は踏む宿昔の趼。』

 

#4

一麾出守還,黃屋朔風卷。

それから京師より逐いだされ地方官(東平太守)掾吏の属官となって評価され、また都へもどった時に国子司業になったが、安禄山の乱がおこって天子の乗御の車蓋には北風が吹きまくって、どうしようもなかった。

不暇陪八駿,虜庭悲所遣。

周の穆王の八駿の馬を使われたかのように、天子(玄宗)の御逃げになる御馬のあとに君はおともをする暇もないほどであった、その身は、私と同じように安史軍に軟禁され、国の主要部が、安史軍に支配され、その上大明宮は焼かれていて、どうして胸の懐いを遣るべきかに悲しみぬいた。

平生滿尊酒,斷此朋知展。

すなわち平生なら樽に満ちた酒を心行くまで酌みかわして、朋友とのあいだで心のむすばれをほぐし、ひろげることができるのであるがそれがすっかりできなくなったのだ。

憂憤病二秋,有恨石可轉。

それで憂憤のあまり二度の秋を病気ですごされたし、この境遇におる恨みはもっていたが君の堅固な心は安史軍にはどうしても動かすことができなかった。

 

一麾 出守して還る、黃屋 朔風巻く。

八駿に陪するに暇あらず、虜庭 遣る所に悲しむ。

平生 樽の酒に満ち、此れを断つ 朋知の展を。

憂憤 病むこと二秋、恨み有り 石 転ず可し。 

#5

肅宗復社稷,得無逆順辨。

粛宗が安史軍の手から長安の都、続いて東京をお収めになり、社稜を回復あそばされたときには臣下の「逆」と「順」について裁きをおつけにならぬわけにはゆかず、頓首謝罪させられたのである。

范曄顧其兒,李斯憶黃犬。

それで安史軍に従った者とそうでない者とによって賞罰を行なわれた、時に宋の范曄にも比すべき者は刑にのぞんで自分の児をかえりみてものをいうたり、また李斯にも此すべき者は刑にのぞんでそのむかし故郷で猟のときひきつれた黄色の猟犬のことを思い出したり、それは、それは、あわれなことであった。

祕書茂松意,屢扈祠壇前。(溟漲本末淺。)

蘇源明秘書は順節を守ること緑色易えぬ松のごとく意志を以ていたので、これに官位(考功郎中・知制誥となる)を擢せられ、二回までも天子の郊廟のお祭りにおともをされた。その彫琢したうるわしい文字は揚雄のたぐいであり、大海の潮もこれとくらべるとかえって浅く細いような肴がある。)

青熒芙蓉劍,犀兕豈獨剸。

蘇源明秘書のその論鋒の鋭利をたとえるならば青熒たる芙蓉の剣の如くであり、斬るといってもただ単に、犀や兕ばかりをきるに足るものたるにとどまっているのではない。

 

粛宗社稷を復し、逆順の弁無きを得んや。

茫曄 其の児を顧みて、李斯 黄犬を憶う。

秘書 茂松の意、屢ば扈【こ】す壇前に祠するに。』

青熒たり芙蓉の剣 犀兕【さいじ】豈に独り剸【き】らんや。

 

 

『八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#5

肅宗復社稷,得無逆順辨。

范曄顧其兒,李斯憶黃犬。

祕書茂松意,屢扈祠壇前。〔溟漲本末淺。〕

青熒芙蓉劍,犀兕豈獨剸。



(下し文)
粛宗社稷を復し、逆順の弁無きを得んや。

茫曄 其の児を顧みて、李斯 黄犬を憶う。

秘書 茂松の意、屢ば扈【こ】す壇前に祠するに。』

青熒たり芙蓉の剣 犀兕【さいじ】豈に独り【き】らんや

(現代語訳)
粛宗が安史軍の手から長安の都、続いて東京をお収めになり、社稜を回復あそばされたときには臣下の「逆」と「順」について裁きをおつけにならぬわけにはゆかず、頓首謝罪させられたのである。

それで安史軍に従った者とそうでない者とによって賞罰を行なわれた、時に宋の范曄にも比すべき者は刑にのぞんで自分の児をかえりみてものをいうたり、また李斯にも此すべき者は刑にのぞんでそのむかし故郷で猟のときひきつれた黄色の猟犬のことを思い出したり、それは、それは、あわれなことであった。

蘇源明秘書は順節を守ること緑色易えぬ松のごとく意志を以ていたので、これに官位(考功郎中・知制誥となる)を擢せられ、二回までも天子の郊廟のお祭りにおともをされた。

蘇源明秘書のその論鋒の鋭利をたとえるならば青熒たる芙蓉の剣の如くであり、斬るといってもただ単に、犀や兕ばかりをきるに足るものたるにとどまっているのではない。



(訳注) 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 #5

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔六〕死今は亡き秘書監で武功をたてられた蘇源明公を哀しんでよんだ詩。)

○故秘書少監武功蘇公源明 蘇源明、初めの名は預、京兆武功の人、秘書少監となって卒した。杜甫25736年から45年行動を共にしている。杜甫とともに、儒者房琯グループ。くわしくは、八哀詩八首〔六〕#1参照。

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肅宗復社稷,得無逆順辨。

粛宗が安史軍の手から長安の都、続いて東京をお収めになり、社稜を回復あそばされたときには臣下の「逆」と「順」について裁きをおつけにならぬわけにはゆかず、頓首謝罪させられたのである。

○粛宗復社稷 至徳二載九月、廣平王・李俶は癸卯、大唐・ウイグル連合軍が西京へ入った。十月壬戌、廣平王・李俶が東京へ入った。癸亥、粛宗皇帝が鳳翔を出発した。太子太師・韋見素を蜀へ派遣して、上皇を奉迎する。粛宗が社を回復した事をいう。

逆順辨 安史軍より官を受けたものは逆であり、受けなかったものは順である、弁はこれを区別して賞罰をなすことをいう、

・卯、粛宗皇帝が長安へ入る。百姓は国門を出て奉迎した。その人の列は二十里も続く。彼らは皆、踊りまくって万歳を叫び、泣き出す者さえいた。

・粛宗皇帝は大明宮へ入居する。御史中丞・崔器は、燕の官爵を受けた百官を含元殿の前に集め、頭巾と靴を脱がせて頓首謝罪させた。これを兵卒が取り巻き、 百官へ見物させる。

・太廟は燕軍に焼き払われていた。粛宗皇帝は 素服にて廟へ向かって三日哭した。

・廣平王・李俶が東京へ入ると、陳希烈を始めとする安禄山親子の官を受けた百官三百余人は、みな、素服で悲泣して罪を請うた。 李俶は、上旨を以て、これを赦し、ついで長安へ行くよう促した。

・己巳、崔器は、彼等を朝堂へ詣でさせ、長安の百官の時のように罪を請わせた。その後に、これを大理や長安の獄へ繋いだ。その府県の、燕の駆使追捕を受けた所由人や祇承人等も、 皆、捕まえて獄へ繋いだ。「賊の官禄を受けて賊の為に働いた士庶は、三司へ事情を聴取させる。戦争で捕虜となった者や、あるいは住居が近すぎて賊と行き来した者は、 皆、自首すれば罪を赦す。賊から汚された子女については、 詰問してはならない。」

・至徳二載十二月丙午、賊の偽署を受けた左相陳希烈・達実均ら二百余人をともに楊国息の第宅に禁して尋問し、庚午、達実均ら十八人を新に処し、陳希烈ら七人に自尽を賜わった。

 

范曄顧其兒,李斯憶黃犬。

それで安史軍に従った者とそうでない者とによって賞罰を行なわれた、時に宋の范曄にも比すべき者は刑にのぞんで自分の児をかえりみてものをいうたり、また李斯にも此すべき者は刑にのぞんでそのむかし故郷で猟のときひきつれた黄色の猟犬のことを思い出したり、それは、それは、あわれなことであった。

范曄 宋の范曄が謀反に坐して誅せられたとき、刑せられるに臨んで酒に酔うた、其の子范藹もまた酔い、地土及び果皮をとって范曄に擲った、范曄が問うていうのに「汝は我をいかるか」と、范藹が答えていうのに、「今日どうしていかろうか、ただ父子が同じく死ぬことは、悲しまぬわけにいかぬ」と。范曄 (はん よう、398 - 445)は、中国魏晋南北朝時代の南朝宋の政治家・文学者・歴史家にして『後漢書』の作者。字は蔚宗。先祖は順陽(現河南省淅川)の出身であり、山陰(現浙江省紹興)にて生まれる。440年、文帝は劉義康の腹心であった劉湛以下十数名を誅殺・流刑に処し、劉義康を江州刺史に左遷した。445年、散騎侍郎の孔熙先は劉義康の復権と擁立を謀り、范曄にも謀議の参加を誘った。当初、范曄は孔熙先を軽んじていたため、謀議に荷担することを望まなかったが、結局は孔熙先らの謀議に加わった。11月、丹陽尹徐湛之の告発により孔熙先らの計画は発覚し、范曄は自身を含む一家全員が処刑された。享年48。末弟の范広淵も兄に連座されて処刑された。 

○李斯 秦の二世皇帝胡亥の時、李斯が趙高の讒言によって咸陽の市に腰斬されたとき、斯は顧みてその中子に語っていうのに、「我は汝と復た黄犬を牽きて供に上察(李斯の故郷)の東門を出て狐兎を逐いたいと欲しでもできなくなってしまった」と。李斯は、中国秦代の宰相。字は通古。子は李由ら。法家にその思想的基盤を置き、度量衡の統一、焚書などを行い、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、権力争いに敗れて殺害された。李斯・范曄は陳希烈其の他かれらに類する人にあてていうのである。

 

祕書茂松意,屢扈祠壇前。(溟漲本末淺。)

蘇源明秘書は順節を守ること緑色易えぬ松のごとく意志を以ていたので、これに官位(考功郎中・知制誥となる)を擢せられ、二回までも天子の郊廟のお祭りにおともをされた。その彫琢したうるわしい文字は揚雄のたぐいであり、大海の潮もこれとくらべるとかえって浅く細いような肴がある。)

○秘書 蘇源明をさす、蘇源明伝にいう、粛宗、両京を復するや蘇源明を考功郎中・知制誥に擢んず。後に秘書少監となり卒す、と。

○茂松意 しげっている松のみどりの色がかわらぬ如く節操を変えず安史軍に従わなかったことをいう。

○屢扈 はあとより従うこと。

○祠 神に求めて得る所のあるとき報祭するのである。○瞑龍 大海の潮のみなぎり。

○壇嘩 祭りの処において土を築いてもりあげたものを壇といい、土を除いてひくくしたものを埠という。「一魔」以下十四句は源明の出入と清節とをのぺる。

 

青熒芙蓉劍,犀兕豈獨剸。

蘇源明秘書のその論鋒の鋭利をたとえるならば青熒たる芙蓉の剣の如くであり、斬るといってもただ単に、犀や兕ばかりをきるに足るものたるにとどまっているのではない。

青熒 灯火などが青くともる・こと(さま)。

○芙蓉剣 芙蓉が始めて水を出るときの如き趣のある剣。越王允は欧治子をして五つの名剣を作らせた。其の一を純鈎といったが、薛燭がそれを見ていうのに、「恍呼として、屈陽の水に和するが如く、沈沈として、芙蓉の姶めて湖より生ずるが如し」と。「呉越春秋」にみえる。○犀 さい、一角牛。

豈獨剸 は裁断ること、犀をきるのみでないことをいう。李尤の「剣銘」に、「陸には犀を割り、水に鯨鮨を裁る」とみえる。

 

 

(故秘書少監武功の蘇公源明)

武功少きや孤なり、徒歩 徐兗に客たり。

書を読む東岳の中、十載 墳典を考う。

時に萊蕪の郭に下る、飢えを忍ぶ浮雲の巘。

負米 晩に身の為にす、食する毎に臉必ず泫たり。

 

夜字 爇薪に照らす、垢衣 碧蘇生ず。

庶わくは勤苦の志を以て、茲の劬勞の願いに報いんことを。』

学は蔚たり醇儒の姿、文は包ぬ 旧史の善。

灑落 幽人を辞し、帰来 京輦に潜む。

 

君が東堂の策を射る、宗匠 精選を集む。

制可 題 未だ乾かず、乙科 己に大いに闡けたり。

文章 日々に自負す、吏祿 亦た累りに践めり。

晨に趨す 閶闔の内、足は踏む宿昔の趼。』

 

一麾 出守して還る、黃屋 朔風巻く。

八駿に陪するに暇あらず、虜庭 遣る所に悲しむ。

平生 樽の酒に満ち、此れを断つ 朋知の展を。

憂憤 病むこと二秋、恨み有り 石 転ず可し。

 

粛宗社稷を復し、逆順の弁無きを得んや。

茫曄 其の児を顧みて、李斯 黄犬を憶う。

秘書 茂松の意、屢ば扈【こ】す壇前に祠するに。』

青熒たり芙蓉の剣 犀兕【さいじ】豈に独り剸【き】らんや。


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