杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
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● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

2015年05月

元結 《賊退示官吏(并序)》【4分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6080

元結〈賊退示官吏(并序)〉#1  癸卯,西原賊入道州,焚燒(一本無焚燒二字)殺掠,幾盡而去。明年,賊又攻永破邵,不犯此州邊鄙而退,豈力能制敵歟?蓋蒙其傷憐而已,諸使何為忍苦徵斂,故作詩一篇以示官吏。

(賊が退いたとき官吏に示した詩。)

西原蠻の賊でさえこんなであるのに、なんで上司の人たちは酷い取り立てをすることを無理にするのか。そういうことでわたしはこの楽府詩、一篇をつくって官吏にみせたのである。癸卯763年広徳元年)の歳に西原蠻の酋長が賊となって道州に入り込み、ほとんどあらゆるものを焚いたり略奪・強奪して去った。翌二年に、その賊はまた永州を攻め、郡州を破ったが、この道州の辺鄙は犯すことなしに退却した。これは自分の力がこの敵を刺したわけではない、どういうわけか、その賊の方から気の毒がってくれたおかげである。

元結 《賊退示官吏(并序)》【4分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6080

 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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杜甫詩

 

元結〈賊退示官吏(并序)〉(搜韻)

序#1

癸卯,西原賊入道州,焚燒(一本無焚燒二字)殺掠,幾盡而去。明年,賊又攻永破邵,不犯此州邊鄙而退,豈力能制敵歟?蓋蒙其傷憐而已,諸使何為忍苦徵斂,故作詩一篇以示官吏。

#2

逢太平,山林二十年。泉源在庭,洞壑當門前。

有常期,日晏猶得眠。忽然遭世變,數親戎旃。

#3

今來典斯郡,山夷又紛然。城小賊不屠,人貧傷可憐。

是以陷鄰境,此州獨見全。使臣將王命,豈不如賊焉。

#4

今彼徵斂者,迫之如火煎。誰能人命,以作時世賢。

思欲委符節,引竿自刺船。將家就魚麥,歸老江湖邊。

 

 

賊退示官吏

癸卯,西原賊入道州,焚燒殺掠,幾盡而去。

明年,賊又攻永破邵,不犯此州邊鄙而退,豈力能制敵歟?

蓋蒙其傷憐而已,諸使何為忍苦徵斂,故作詩一篇以示官吏。

西原蠻の賊でさえこんなであるのに、なんで上司の人たちは酷い取り立てをすることを無理にするのか。そういうことでわたしはこの楽府詩、一篇をつくって官吏にみせたのである。

(賊退きしとき官吏に示す)

癸卯の歳、西原の賊道州に入り、焚掠 幾ど尽して去る。明年 賊又た 永を攻め郡を破る、此の州の辺都を犯さずして退く。豈に力能く敵を制せん与、蓋し其の傷憐を蒙りし而己。諸使何 為れぞ苦しんで徴斂するに忍ぶや。故に詩一篇を作り、以て官吏に示す。

 

 

『賊退示官吏』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

賊退示官吏

癸卯,西原賊入道州,焚燒殺掠,幾盡而去。

明年,賊又攻永破邵,不犯此州邊鄙而退,豈力能制敵歟?

蓋蒙其傷憐而已,諸使何為忍苦徵斂,故作詩一篇以示官吏。


(下し文)


(現代語訳)
(賊が退いたとき官吏に示した詩。)

西原蠻の賊でさえこんなであるのに、なんで上司の人たちは酷い取り立てをすることを無理にするのか。そういうことでわたしはこの楽府詩、一篇をつくって官吏にみせたのである。

癸卯763年広徳元年)の歳に西原蠻の酋長が賊となって道州に入り込み、ほとんどあらゆるものを焚いたり略奪・強奪して去った。

翌二年に、その賊はまた永州を攻め、郡州を破ったが、この道州の辺鄙は犯すことなしに退却した。これは自分の力がこの敵を刺したわけではない、どういうわけか、その賊の方から気の毒がってくれたおかげである。


(訳注)

賊退示官吏

(賊が退いたとき官吏に示した詩。)

道州の地は、広徳元年(763)九月以降に三カ月ほど西原蠻の賊の侵入を被っている。里広徳二年五月二十二日に元結は道州に着任し、それから五十日余り後に「舂陵行」と「奏免科率状」が書かれた。「賊退示官吏」序に「明年、敗又攻永州、破部、不犯此州連郡両道」とあるのによれば、広徳二年(764)にも賊が遭州に追ったことになる。一方、永泰二年(七六六)の「奏免科率等状」には「去年又賊逼州界、防拝一首除目。賊攻永州、陷邵州、臣州濁全者、爲百姓捍賊。」とあり、この賊の侵入は765年であったことになる。この100日余りの侵入がいつごろであったかはなお疑問だが、「賊退示官吏」は、少なくとも「舂陵行」が書かれてから三カ月以上後に制作されたものであると思われる。

この楽府は序に「藷使何爲忍苦徴斂。」とあるとおり、諸使の徴求に対する憤りが中心になっている。詩の序文はまず、西原の賊が道州に侵入し、翌764年広德二年にも周辺の郡に侵入したが、道州はあまりにも悲惨な状況であったので、その賊ですら手を付けなかったと述べる。

 

癸卯,西原賊入道州,焚燒殺掠,幾盡而去。

癸卯763年広徳元年)の歳に西原蠻の酋長が賊となって道州に入り込み、ほとんどあらゆるものを焚いたり略奪・強奪して去った。

癸卯 代宗の廣德元年(763をいう。

西原賊入道州 「唐書」《西原蛮伝》「其種落張侯、夏永與夷獠梁崇牽、覃問及西原酋長功曹復合兵寇,陷道州,據城五十餘日桂管經略使邢濟擊平之,執功曹等。餘衆復圍道州,刺史元結固守不能下,進攻永州,陷邵州,留數日而去。」にいう、西原の種落張侯・夏永等内寇し道州を陥れ城に拠ること五十余日、桂管経略使刑部撃ちて之を平らぐ、余衆復た道州を囲む、刺史元結固く守りて下らず、永州に進攻し,邵州を陷し,留ること數日にして去る。と。

○焚掠 家をやき物品をかすめとる。

 

明年,賊又攻永破邵,不犯此州邊鄙而退,豈力能制敵歟?

翌二年に、その賊はまた永州を攻め、郡州を破ったが、この道州の辺鄙は犯すことなしに退却した。これは自分の力がこの敵を刺したわけではない、どういうわけか、その賊の方から気の毒がってくれたおかげである。

○明年 広徳二年。

○攻永破邪 永は永州、郡は那州、遠州の北、及び西北にある州。

不犯此州邊鄙而退 顔真卿が撰した元結墓碑にいう、武昌の口に家すること歳余、上(代宗)君が貧に居るを以て家より起こして道州刺史となす。州は西原の賊の陥るる所となり、人は十に一なく、戸は纔かに千に満つ。君、車より下りて古人の政を行う、二年の間、帰るもの万余家、賊も亦た畏れを懐きて敢て来たり犯さず、既に代を受く、百姓闕に詣り、生祠を立てんと請う、と。元結の治績を知ることができよう。

 

蓋蒙其傷憐而已,諸使何為忍苦徵斂,故作詩一篇以示官吏。

西原蠻の賊でさえこんなであるのに、なんで上司の人たちは酷い取り立てをすることを無理にするのか。そういうことでわたしはこの楽府詩、一篇をつくって官吏にみせたのである。

苦徵斂 税の取り立てを厳しくするために住民を苦しめる。征:徵收。斂:聚。征斂無限・期:統治者が無限度に土地、家族構成に見合った税を徴収すること。



元結 《舂陵行(并序)-#7》【7分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6075

牛嶠  舂陵行  #7  

逋緩違詔令,蒙責固其宜。前賢重守分,惡以禍福移。

亦雲貴守官,不愛能適時。顧惟孱弱者,正直當不虧。

何人采國風,吾欲獻此辭。

此処の現状を無視し、時世のむきにあわせてうまく税金を多くとりたてて上司の気に入るようにすることはわたしの望むところではない。顧みればわたしはかよわいものだし、官位が低く、力が小さいことはわかっており、ただ、正直という点だけは自分自身欠くことはないものと確信している。三皇五帝の古代であれば、だれかが諸国の国ぶりの詩でも採り集め、民の声を聞いた。だからこれに倣って、私もこの地のことをこの詩を歌って献じようと思ったしだいです。

 

元結 《舂陵行(并序)-7》【7分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6075 杜甫詩1500-917-関連-1-7-1386/2500

 

 
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 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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70-#4(改訂版Ver.2.1) 《巻04-17 落歯 #4》【4分割】 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1418> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6074 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog元結 《舂陵行(并序)-#7》【7分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6075 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog牛嶠《巻四10望江怨》『花間集』161全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6077 
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舂陵行  元結

(舂陵すなわち道州のことについてよんだうた。)
#1 

癸卯,漫叟授道州刺史。

代宗の広徳元年契卯の歳に漫(元結の号)は道州刺史を授けられた。

道州舊四萬餘,經賊已來,不滿四千,大半不勝賦

道州はもと四万戸余りあったが賊乱をへてこのかたは四千にたりなくなり、その大半は税金をわりつけるにたえぬものである。

到官未五十日,承諸使征求符牒二百餘封,

自分は着任して五十日にならぬうちに上司から税金徴収の切手・かきつけ二百余通を申しつけられた。

皆曰:“失其限者,罪至貶削。”

上司たちだれもが皆、「もし期限内に徴集項目の税金をあつめなければおまえは貶削の罪になる」とゆうたのである。

2序 -2

於戲!若悉應其命,則州縣破亂,

ああ、もしみんなこの命令どおりにしたらすなわち、州や県は乱破してしまうであろう。

刺史欲焉逃罪;

そうなったら刺史はどこに罪をのがれるか、のがれ場所がないではないか。

若不應命,又即獲罪戾,必不免也。

またもし命令に応ぜねとしたらまたすぐに罪科を得る、きっとそれはのがれられぬことである。

吾將守官,靜以安人,待罪而已。

どうせそうなのなら、自分としては官職を守って、安静を以て人民をおちつかせて、自己の罰せられるのを待とうとするだけのことだ。

此州是舂陵故地,故作《舂陵行》以達下情。

この道州はむかしの舂陵の地だ、それで「舂陵行」という詩をつくって下民の情を上たるものに通達するのである。

#1

(癸卯の歳、漫叟道州刺史を授けらる。道州は四萬余戸、賊を経て以来、四千に満たず、大半は税に勝へず。官に到りて末だ五十日ならざるに、諸使の徴求、符牒二百余封を承く。皆曰く「其の限を失ふ者は、罪貶削に至る」と。

#2

於戲、若し悉く其の命に應ずれば、則ち州縣乱す。

刺史くにか罪を逃れんと欲す。

若し命に應ぜずんば、又た即ち罪戻を獲んこと、必ず免れざるなり。

吾将に官を守り、静にして以て人を安んじ、罪を待つのみ。此の州は是れ舂陵の故地なり、故に「舂陵行」を作りて以て下情を達す。)

 

杜甫詩1500-917-関連-1-6-1385/2500

及地點:棗陽 (山南東道隨州 棗陽) 別名:舂陵     

道州 (江南西道 道州 道州)       

衡山 (江南西道 衡州 衡山) 別名:衡岳、南嶽、衡嶽、南岳  

白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城  

 

 

#3《舂陵行》  元結

軍國多所需,切責在有司。

軍事の際、国家には需用物資の調達のものが多くなる。それで、徴集を確実にするため、そのもっとも手近な責任をとらされるのは係の役人に在る。

有司臨郡縣,刑法競欲施。

かかりの役人が郡県に臨むのであるが、態度は命令をきかぬものに対しては競って刑法を加えようとするということである。

供給豈不憂?征斂又可悲。

こちら係の者としては軍需物資を供給することについては一切心配するほどのことはないが、人民からとりたてをすることは悲しむべきことがあるのである。

州小經亂亡,遺人實困疲。

着任した道州は小さな州であるうえに、直近の乱亡後の経過に問題があり、残っている人民は実に困窮し、疲弊し尽くしているのである。

《舂陵行》

軍国 須【ま】つ所多し、切責は有司に在り。

有司 郡県に臨む、刑法競〔竟〕いて施さんと欲す。

供給 豈に憂えざらんや、征斂又た悲しむ可し。

州小 にして 乱亡を経、遺人 実に困疲す。

#4

無十家,大族命單贏。

それに、大きな郷でもほんの十軒あるかなしであり、大家族であったものでも、今は人少なになってしまって、命は短命、薄命であり、つかれはてた運命の家となっているのである。

朝餐是草根,暮食仍木皮。

朝のたべものは草の根、夕べのたべものは樹の皮である。

出言氣欲,意速行步遲。

だから、言葉をだすことさえ息気が絶えそうで、気だけは、芳養っているが、歩きかたはおそい。

追呼尚不忍,況乃鞭撲之!

こんなあわれな人民はあとから声をかけてよぶことさえも忍びないことなのだ、それにどうして、徴集に当たって、これを鞭や棒でぶてるものか。

郵亭傳急符,來往跡相追。
上司から駅亭を経て早馬で徴税切手が伝えられる、その使者の往来は次々来るものだから前後の足跡のうえに相追って踏みつけて来るほどなのだ。

#4

大郷にも十家無し、大族も命単贏なり。

朝餐は是れ草根、暮食は乃ち木皮。

言を出せば気絶えんと欲す、意 速かなるも 行歩 遅し。

追呼するだも 尚お 忍びず、況や乃ち 之を鞭撲するをや。

郵亭 急符を伝う、来往 跡 相追う。

#5

更無寬大恩,但有迫促期。

すこしも民に対して寛大にするという恩はなく、ただただいつまでに日が迫っているから早くせよと催促するだけである。

欲令鬻兒女,言發恐亂隨。

甚しきは銭がなければ命令で児とか娘女でも売りとばさせようというほどの意気ごみをしめせというけれど、こんなことをわたしの口から言葉にだしたら最後すぐにも騒乱がおこるにきまっている。

悉使索其家,而又無生資。

いくら民家のあらゆるものをさがして一切を供出させつくさせたところで、それでは、また生きてゆく基がなくなるのである。

聽彼道路言,怨傷誰複知!

こんな時、人民たちが道路でいかなることを言うていることを聞いてみると、「(税金を払えないから」、罪を得るのは誰かというと、それは自分にほかならないということがわかっている」と。ぬ。それをきくとどんなに彼らが怨み傷んでいるか、その実情を知るものはあるまい。

更に寛大の恩無く、但だ迫促の期有り。

命じて児女をがしめんと欲す、言発せば恐らくは乱随わん。

悉く其の家を索めしむるも、而も又た生資無し。

彼の道路の言を聴くに、怨傷 誰か復た知らん。

#6

“去冬山賊來,殺奪幾無遺。

彼らはこんなことをいう、「去年の冬、山賊がやってきて、人を殺したり物を奪うたりして、いまはほとんどなんにものこっていない。」

所願見王官,撫養以惠慈。

「どうぞお役人さまが慈恵を以て我我を撫で養うようにしていただきたい。」

奈何重驅逐,不使存活為!”

「それなのに、なんでかさねて我我を駆逐されるようなことを、これでは、生き残ることさえもさせてはくださらないのか、」と。(もっともなことだ。)

安人天子命,符節我所持。

人民を安らかに治めよというのが天子の御命令だ。税兵徴発の切手、割符は自分が所持している。

州縣忽亂亡,得罪複是誰?

州県が騒乱状態で、逃亡したと自分は詔や命令にそむいて税金を日延べもしてやるし、免除もしてやる。罪を得るのは誰かというと、それは自分にほかならないということがわかっている。

#6

去冬山賊来たる、穀奪 幾ど遺無し。

願う所は王官の、撫養するに恵慈を以てするを見ん。

奈何ぞ重ねて駆逐して、存活を為さしめざると。

人を安んずるは天子の命なり、符節は我が持する所なり。

州県 忽ち乱亡せば、罪を得るは復た是れ誰ぞ。

#7

逋緩違詔令,蒙責固其宜。

納税からのがれさせ、納税期を日のべしてやることは、これにより、上司から責められることはもとより当然なことだと覚悟はしている。

前賢重守分,惡以禍福移。

むかしの賢人は治民としての職分を守ることを重んじた。だから、自分一身に禍がくるとか、福がくるとか、そういうことでこの志を移しかえたりすることは、さらさらないのである。

亦雲貴守官,不愛能適時。

私はここに与えられた自己の官職を厳として守ることを貴ぶもので、此処の現状を無視し、時世のむきにあわせてうまく税金を多くとりたてて上司の気に入るようにすることはわたしの望むところではない。

顧惟孱弱者,正直當不虧。

顧みればわたしはかよわいものだし、官位が低く、力が小さいことはわかっており、ただ、正直という点だけは自分自身欠くことはないものと確信している。

何人采國風,吾欲獻此辭。

三皇五帝の古代であれば、だれかが諸国の国ぶりの詩でも採り集め、民の声を聞いた。だからこれに倣って、私もこの地のことをこの詩を歌って献じようと思ったしだいです。

か、

 

#7

逋緩せしめて詔令に違う,責を蒙むるは固より其宜しくす。

前賢 分を守るを重んず,惡【いずく】んぞ禍福を以て移らん。

亦た雲官を守るをび,能く時に適うを愛せず。

顧みるに惟れ 孱弱の者,正直 當に虧【か】かざるべし。

何人か國風を采る,吾 此の辭を獻ぜんと欲す。

 
 

江南西道図05

『舂陵行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#7

逋緩違詔令,蒙責固其宜。

前賢重守分,惡以禍福移。

亦雲貴守官,不愛能適時。

顧惟孱弱者,正直當不虧。

何人采國風,吾欲獻此辭。


(下し文)
#7

逋緩せしめて詔令に違う,責を蒙むるは固より其宜しくす。

前賢 分を守るを重んず,惡【いずく】んぞ禍福を以て移らん。

亦た雲官を守るをび,能く時に適うを愛せず。

顧みるに惟れ 孱弱の者,正直 當に虧【か】かざるべし。

何人か國風を采る,吾 此の辭を獻ぜんと欲す。

(現代語訳)
納税からのがれさせ、納税期を日のべしてやることは、これにより、上司から責められることはもとより当然なことだと覚悟はしている。

むかしの賢人は治民としての職分を守ることを重んじた。だから、自分一身に禍がくるとか、福がくるとか、そういうことでこの志を移しかえたりすることは、さらさらないのである。

私はここに与えられた自己の官職を厳として守ることを貴ぶもので、此処の現状を無視し、時世のむきにあわせてうまく税金を多くとりたてて上司の気に入るようにすることはわたしの望むところではない。

顧みればわたしはかよわいものだし、官位が低く、力が小さいことはわかっており、ただ、正直という点だけは自分自身欠くことはないものと確信している。

三皇五帝の古代であれば、だれかが諸国の国ぶりの詩でも採り集め、民の声を聞いた。だからこれに倣って、私もこの地のことをこの詩を歌って献じようと思ったしだいです。

か、



(訳注)

#7

逋緩違詔令,蒙責固其宜。

納税からのがれさせ、納税期を日のべしてやることは、これにより、上司から責められることはもとより当然なことだと覚悟はしている。

逋緩 逋は納税からのがれさせゆるすこと、緩は納税期を日のべしてやること。

 

前賢重守分,惡以禍福移。

むかしの賢人は治民としての職分を守ることを重んじた。だから、自分一身に禍がくるとか、福がくるとか、そういうことでこの志を移しかえたりすることは、さらさらないのである。

守分 治民の官吏たる職分を守る。

 

亦雲貴守官,不愛能適時。

私はここに与えられた自己の官職を厳として守ることを貴ぶもので、此処の現状を無視し、時世のむきにあわせてうまく税金を多くとりたてて上司の気に入るようにすることはわたしの望むところではない。

守官 官吏の職責を守る。

能適時 時世むきにすること。時世むきにするには人民より重く税をとりたてることである。

 

顧惟孱弱者,正直當不虧。

顧みればわたしはかよわいものだし、官位が低く、力が小さいことはわかっており、ただ、正直という点だけは自分自身欠くことはないものと確信している。

孱弱者 よわいもの、自己の官が低く力の小さいことをいう。

 

何人采國風,吾欲獻此辭。

三皇五帝の古代であれば、だれかが諸国の国ぶりの詩でも採り集め、民の声を聞いた。だからこれに倣って、私もこの地のことをこの詩を歌って献じようと思ったしだいです。

か、

采國風 古代には採詩の官があって国国のうたをとりあつめて朝廷へだしたといいったえる。

此辭 この詩篇をいう。

 

《舂陵行》

軍国 須【ま】つ所多し、切責は有司に在り。

有司 郡県に臨む、刑法競〔竟〕いて施さんと欲す。

供給 豈に憂えざらんや、征斂又た悲しむ可し。

州小 にして 乱亡を経、遺人 実に困疲す。

 

大郷にも十家無し、大族も命単贏なり。

朝餐は是れ草根、暮食は乃ち木皮。

言を出せば気絶えんと欲す、意 速かなるも 行歩 遅し。

追呼するだも 尚お 忍びず、況や乃ち 之を鞭撲するをや。

郵亭 急符を伝う、来往 跡 相追う。

 

更に寛大の恩無く、但だ迫促の期有り。

命じて児女をがしめんと欲す、言発せば恐らくは乱随わん。

悉く其の家を索めしむるも、而も又た生資無し。

彼の道路の言を聴くに、怨傷 誰か復た知らん。

#6

去冬山賊来たる、穀奪 幾ど遺無し。

願う所は王官の、撫養するに恵慈を以てするを見ん。

奈何ぞ重ねて駆逐して、存活を為さしめざると。

人を安んずるは天子の命なり、符節は我が持する所なり。

州県 忽ち乱亡せば、罪を得るは復た是れ誰ぞ。

 

#7

逋緩せしめて詔令に違う,責を蒙むるは固より其宜しくす。

前賢 分を守るを重んず,惡【いずく】んぞ禍福を以て移らん。

亦た雲官を守るをび,能く時に適うを愛せず。

顧みるに惟れ 孱弱の者,正直 當に虧【か】かざるべし。

何人か國風を采る,吾 此の辭を獻ぜんと欲す。

 李白の足跡0000

元結 《舂陵行(并序)-#6》【7分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6070

元結 《舂陵行》#6  

“去冬山賊來,殺奪幾無遺。所願見王官,撫養以惠慈。奈何重驅逐,不使存活為!”

安人天子命,符節我所持。州縣忽亂亡,得罪複是誰?
「それなのに、なんでかさねて我我を駆逐されるようなことを、これでは、生き残ることさえもさせてはくださらないのか、」と。(もっともなことだ。)人民を安らかに治めよというのが天子の御命令だ。税兵徴発の切手、割符は自分が所持している。

 

元結 《舂陵行(并序)-6》【7分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6070

 

 
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog元結 《舂陵行(并序)-#6》【7分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6070 
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及地點:棗陽 (山南東道隨州 棗陽) 別名:舂陵     

道州 (江南西道 道州 道州)       

衡山 (江南西道 衡州 衡山) 別名:衡岳、南嶽、衡嶽、南岳  

白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城  

 

 

#3《舂陵行》  元結

軍國多所需,切責在有司。

軍事の際、国家には需用物資の調達のものが多くなる。それで、徴集を確実にするため、そのもっとも手近な責任をとらされるのは係の役人に在る。

有司臨郡縣,刑法競欲施。

かかりの役人が郡県に臨むのであるが、態度は命令をきかぬものに対しては競って刑法を加えようとするということである。

供給豈不憂?征斂又可悲。

こちら係の者としては軍需物資を供給することについては一切心配するほどのことはないが、人民からとりたてをすることは悲しむべきことがあるのである。

州小經亂亡,遺人實困疲。

着任した道州は小さな州であるうえに、直近の乱亡後の経過に問題があり、残っている人民は実に困窮し、疲弊し尽くしているのである。

《舂陵行》

軍国 須【ま】つ所多し、切責は有司に在り。

有司 郡県に臨む、刑法競〔竟〕いて施さんと欲す。

供給 豈に憂えざらんや、征斂又た悲しむ可し。

州小 にして 乱亡を経、遺人 実に困疲す。

#4

無十家,大族命單贏。

それに、大きな郷でもほんの十軒あるかなしであり、大家族であったものでも、今は人少なになってしまって、命は短命、薄命であり、つかれはてた運命の家となっているのである。

朝餐是草根,暮食仍木皮。

朝のたべものは草の根、夕べのたべものは樹の皮である。

出言氣欲,意速行步遲。

だから、言葉をだすことさえ息気が絶えそうで、気だけは、芳養っているが、歩きかたはおそい。

追呼尚不忍,況乃鞭撲之!

こんなあわれな人民はあとから声をかけてよぶことさえも忍びないことなのだ、それにどうして、徴集に当たって、これを鞭や棒でぶてるものか。

郵亭傳急符,來往跡相追。
上司から駅亭を経て早馬で徴税切手が伝えられる、その使者の往来は次々来るものだから前後の足跡のうえに相追って踏みつけて来るほどなのだ。

#4

大郷にも十家無し、大族も命単贏なり。

朝餐は是れ草根、暮食は乃ち木皮。

言を出せば気絶えんと欲す、意 速かなるも 行歩 遅し。

追呼するだも 尚お 忍びず、況や乃ち 之を鞭撲するをや。

郵亭 急符を伝う、来往 跡 相追う。

#5

更無寬大恩,但有迫促期。

すこしも民に対して寛大にするという恩はなく、ただただいつまでに日が迫っているから早くせよと催促するだけである。

欲令鬻兒女,言發恐亂隨。

甚しきは銭がなければ命令で児とか娘女でも売りとばさせようというほどの意気ごみをしめせというけれど、こんなことをわたしの口から言葉にだしたら最後すぐにも騒乱がおこるにきまっている。

悉使索其家,而又無生資。

いくら民家のあらゆるものをさがして一切を供出させつくさせたところで、それでは、また生きてゆく基がなくなるのである。

聽彼道路言,怨傷誰複知!

こんな時、人民たちが道路でいかなることを言うていることを聞いてみると、「(税金を払えないから」、罪を得るのは誰かというと、それは自分にほかならないということがわかっている」と。ぬ。それをきくとどんなに彼らが怨み傷んでいるか、その実情を知るものはあるまい。

更に寛大の恩無く、但だ迫促の期有り。

命じて児女をがしめんと欲す、言発せば恐らくは乱随わん。

悉く其の家を索めしむるも、而も又た生資無し。

彼の道路の言を聴くに、怨傷 誰か復た知らん。

#6

“去冬山賊來,殺奪幾無遺。

彼らはこんなことをいう、「去年の冬、山賊がやってきて、人を殺したり物を奪うたりして、いまはほとんどなんにものこっていない。」

所願見王官,撫養以惠慈。

「どうぞお役人さまが慈恵を以て我我を撫で養うようにしていただきたい。」

奈何重驅逐,不使存活為!”

「それなのに、なんでかさねて我我を駆逐されるようなことを、これでは、生き残ることさえもさせてはくださらないのか、」と。(もっともなことだ。)

安人天子命,符節我所持。

人民を安らかに治めよというのが天子の御命令だ。税兵徴発の切手、割符は自分が所持している。

州縣忽亂亡,得罪複是誰?

州県が騒乱状態で、逃亡したと自分は詔や命令にそむいて税金を日延べもしてやるし、免除もしてやる。罪を得るのは誰かというと、それは自分にほかならないということがわかっている。

#7

逋緩違詔令,蒙責固其宜。

前賢重守分,惡以禍福移。

亦雲貴守官,不愛能適時。

顧惟孱弱者,正直當不虧。

何人采國風,吾欲獻此辭。

#6

去冬山賊来たる、穀奪 幾ど遺無し。

願う所は王官の、撫養するに恵慈を以てするを見ん。

奈何ぞ重ねて駆逐して、存活を為さしめざると。

人を安んずるは天子の命なり、符節は我が持する所なり。

州県 忽ち乱亡せば、罪を得るは復た是れ誰ぞ。

 

#7

逋緩せしめて詔令に違う,責を蒙むるは固より其宜しくす。

前賢 分を守るを重んず,惡【いずく】んぞ禍福を以て移らん。

亦た雲官を守るをび,能く時に適うを愛せず。

顧みるに惟れ 孱弱の者,正直 當に虧【か】かざるべし。

何人か國風を采る,吾 此の辭を獻ぜんと欲す。

 

 

元結『舂陵行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#6

“去冬山賊來,殺奪幾無遺。

所願見王官,撫養以惠慈。

奈何重驅逐,不使存活為!”

安人天子命,符節我所持。

州縣忽亂亡,得罪複是誰?

(下し文)
#6

去冬山賊来たる、穀奪 幾ど遺無し。

願う所は王官の、撫養するに恵慈を以てするを見ん。

奈何ぞ重ねて駆逐して、存活を為さしめざると。

人を安んずるは天子の命なり、符節は我が持する所なり。

州県 忽ち乱亡せば、罪を得るは復た是れ誰ぞ。

(現代語訳)
彼らはこんなことをいう、「去年の冬、山賊がやってきて、人を殺したり物を奪うたりして、いまはほとんどなんにものこっていない。」

「どうぞお役人さまが慈恵を以て我我を撫で養うようにしていただきたい。」

「それなのに、なんでかさねて我我を駆逐されるようなことを、これでは、生き残ることさえもさせてはくださらないのか、」と。(もっともなことだ。)

人民を安らかに治めよというのが天子の御命令だ。税兵徴発の切手、割符は自分が所持している。

州県が騒乱状態で、逃亡したと自分は詔や命令にそむいて税金を日延べもしてやるし、免除もしてやる。罪を得るのは誰かというと、それは自分にほかならないということがわかっている。


(訳注) #6

「舂陵行」は、元結が広徳二年(七六四) に刺史として、道州に着任した時に書かれた作品である。序文と本文は道川の悲惨な状況を具体的に述べてから、官吏として「顧みるに惟れ屏弱の者、正直歯に鷹かざるべし」という決意を明示し、更に、この詩を適して「以達下情」、つまり道川の州民の願いを朝廷や君主に伝えようとする意欲をも表明している。

 

この「春陵行」の本文では、まず、兵時には様々な需要があり、その供給の責任は官吏が負っているので、官吏が郡県に臨む時にはどうしても厳しく取り立てることが多いものであると、当時の官吏の状況を指摘する。この部分に関しては元結の「謝上表」「秦免科率状」ともに該当する部分が無い。続いて「州小經亂亡,遺人實困疲。大大無十家,大族命單贏。朝餐是草根,暮食仍木皮。出言氣欲,意速行步遲。追呼尚不忍,況乃鞭撲之!」と、道州の悲惨な状況を具体的に述べる。これは「奏免科率状」の「賊散後、百姓蹄復、十不存二

資産皆無。人心傲像、未有安着。」の部分をより開明にしている箇所である。

次に「郵亭傳急符,來往跡相追。更無寬大恩,但有迫促期。」と、徴求の文書が次々にもたらされることをいう。「奏免科率状」では、徴求の事実とその内容は述べられているが、徴求の激しさについては直接に言及されておらず、「舂陵行」ではより具体的にされているのである。次に、もしも命令通りに徴求を迫れば、更に混乱が生じるであろうこと、及び道州の州民の願いが展開されている。このうち州県の混乱を予想する部分は、「奏免科挙状」の「若依諸

便期限、臣恐坐見乱亡。」という表現に一敦する。楽府の常套的な修辞によった《舂陵行》「聴彼道路言、怨傷誰復知。“去冬山賊來,殺奪幾無遺。所願見王官,撫養以惠慈。奈何重驅逐,不使存活為!」の部分は、二つの文には直接見られないが、「謝上表」の「耆老見臣,俯伏而泣」の部分を具体的に展開しているものと考えることができる。詩ではさらに刺史としての自らの判断が練り返し呈示される。序の薇当部分が繰り返され、刺史としての決意が一層闡明にされているのである。

「春陵行」の最後の部分は、この作品を楽府として位置付けること、ならびに釆詩の官によって朝廷に伝えられるようにしたいという願いが述べられる。

 

“去冬山賊來,殺奪幾無遺。

彼らはこんなことをいう、「去年の冬、山賊がやってきて、人を殺したり物を奪うたりして、いまはほとんどなんにものこっていない。」

○去冬山賊来以下、不便存括為の句までは人民の言である。

 

所願見王官,撫養以惠慈。

「どうぞお役人さまが慈恵を以て我我を撫で養うようにしていただきたい。」

○王官 天子から命ぜられた官更。

 

奈何重驅逐,不使存活為!”

「それなのに、なんでかさねて我我を駆逐されるようなことを、これでは、生き残ることさえもさせてはくださらないのか、」と。(もっともなことだ。)

 

安人天子命,符節我所持。

人民を安らかに治めよというのが天子の御命令だ。税兵徴発の切手、割符は自分が所持している。

○符節 律令国家であるから、徴税徴兵などのための切手、わりふをいう。

 

州縣忽亂亡,得罪複是誰?

州県が騒乱状態で、逃亡したと自分は詔や命令にそむいて税金を日延べもしてやるし、免除もしてやる。罪を得るのは誰かというと、それは自分にほかならないということがわかっている。

○亂亡 騒乱状態で、逃亡することで、徴集する人民がいなくなる。

○得罪 人民を治撫することのできぬ罪を得る。

○復是誰 自己に外ならぬ。

元結 《舂陵行(并序)-#5》【7分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6065

元結 《舂陵行》#5【7分割】

更無寬大恩,但有迫促期。

欲令鬻兒女,言發恐亂隨。

悉使索其家,而又無生資。

聽彼道路言,怨傷誰複知!
甚しきは銭がなければ命令で児とか娘女でも売りとばさせようというほどの意気ごみをしめせというけれど、こんなことをわたしの口から言葉にだしたら最後すぐにも騒乱がおこるにきまっている。いくら民家のあらゆるものをさがして一切を供出させつくさせたところで、それでは、また生きてゆく基がなくなるのである。

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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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 杜甫詩1500-917-関連-1-5-1384/2500

及地點:棗陽 (山南東道隨州 棗陽) 別名:舂陵     

道州 (江南西道 道州 道州)       

衡山 (江南西道 衡州 衡山) 別名:衡岳、南嶽、衡嶽、南岳  

白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城  

 

 

#3《舂陵行》  元結

軍國多所需,切責在有司。

軍事の際、国家には需用物資の調達のものが多くなる。それで、徴集を確実にするため、そのもっとも手近な責任をとらされるのは係の役人に在る。

有司臨郡縣,刑法競欲施。

かかりの役人が郡県に臨むのであるが、態度は命令をきかぬものに対しては競って刑法を加えようとするということである。

供給豈不憂?征斂又可悲。

こちら係の者としては軍需物資を供給することについては一切心配するほどのことはないが、人民からとりたてをすることは悲しむべきことがあるのである。

州小經亂亡,遺人實困疲。

着任した道州は小さな州であるうえに、直近の乱亡後の経過に問題があり、残っている人民は実に困窮し、疲弊し尽くしているのである。

《舂陵行》

軍国 須【ま】つ所多し、切責は有司に在り。

有司 郡県に臨む、刑法競〔竟〕いて施さんと欲す。

供給 豈に憂えざらんや、征斂又た悲しむ可し。

州小 にして 乱亡を経、遺人 実に困疲す。

#4

無十家,大族命單贏。

それに、大きな郷でもほんの十軒あるかなしであり、大家族であったものでも、今は人少なになってしまって、命は短命、薄命であり、つかれはてた運命の家となっているのである。

朝餐是草根,暮食仍木皮。

朝のたべものは草の根、夕べのたべものは樹の皮である。

出言氣欲,意速行步遲。

だから、言葉をだすことさえ息気が絶えそうで、気だけは、芳養っているが、歩きかたはおそい。

追呼尚不忍,況乃鞭撲之!

こんなあわれな人民はあとから声をかけてよぶことさえも忍びないことなのだ、それにどうして、徴集に当たって、これを鞭や棒でぶてるものか。

郵亭傳急符,來往跡相追。
上司から駅亭を経て早馬で徴税切手が伝えられる、その使者の往来は次々来るものだから前後の足跡のうえに相追って踏みつけて来るほどなのだ。

#4

大郷にも十家無し、大族も命単贏なり。

朝餐は是れ草根、暮食は乃ち木皮。

言を出せば気絶えんと欲す、意 速かなるも 行歩 遅し。

追呼するだも 尚お 忍びず、況や乃ち 之を鞭撲するをや。

郵亭 急符を伝う、来往 跡 相追う。

#5

更無寬大恩,但有迫促期。

すこしも民に対して寛大にするという恩はなく、ただただいつまでに日が迫っているから早くせよと催促するだけである。

欲令鬻兒女,言發恐亂隨。

甚しきは銭がなければ命令で児とか娘女でも売りとばさせようというほどの意気ごみをしめせというけれど、こんなことをわたしの口から言葉にだしたら最後すぐにも騒乱がおこるにきまっている。

悉使索其家,而又無生資。

いくら民家のあらゆるものをさがして一切を供出させつくさせたところで、それでは、また生きてゆく基がなくなるのである。

聽彼道路言,怨傷誰複知!

こんな時、人民たちが道路でいかなることを言うていることを聞いてみると、「(税金を払えないから」、罪を得るのは誰かというと、それは自分にほかならないということがわかっている」と。ぬ。
それをきくとどんなに彼らが怨み傷んでいるか、その実情を知るものはあるまい。

更に寛大の恩無く、但だ迫促の期有り。

命じて児女をがしめんと欲す、言発せば恐らくは乱随わん。

悉く其の家を索めしむるも、而も又た生資無し。

彼の道路の言を聴くに、怨傷 誰か復た知らん。

#6

“去冬山賊來,殺奪幾無遺。

所願見王官,撫養以惠慈。

奈何重驅逐,不使存活為!”

安人天子命,符節我所持。

州縣忽亂亡,得罪複是誰?

#7

逋緩違詔令,蒙責固其宜。

前賢重守分,惡以禍福移。

亦雲貴守官,不愛能適時。

顧惟孱弱者,正直當不虧。

何人采國風,吾欲獻此辭。

 

 

元結『舂陵行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#5

更無寬大恩,但有迫促期。

欲令鬻兒女,言發恐亂隨。

悉使索其家,而又無生資。

聽彼道路言,怨傷誰複知!

(下し文)
更に寛大の恩無く、但だ迫促の期有り。

命じて児女を鬻がしめんと欲す、言発せば恐らくは乱随わん。

悉く其の家を索めしむるも、而も又た生資無し。

彼の道路の言を聴くに、怨傷 誰か復た知らん。

(現代語訳)
すこしも民に対して寛大にするという恩はなく、ただただいつまでに日が迫っているから早くせよと催促するだけである。

甚しきは銭がなければ命令で児とか娘女でも売りとばさせようというほどの意気ごみをしめせというけれど、こんなことをわたしの口から言葉にだしたら最後すぐにも騒乱がおこるにきまっている。

いくら民家のあらゆるものをさがして一切を供出させつくさせたところで、それでは、また生きてゆく基がなくなるのである。

こんな時、人民たちが道路でいかなることを言うていることを聞いてみると、「(税金を払えないから」、罪を得るのは誰かというと、それは自分にほかならないということがわかっている」と。ぬ。
それをきくとどんなに彼らが怨み傷んでいるか、その実情を知るものはあるまい。


(訳注) #5

「舂陵行」は、元結が広徳二年(七六四) に刺史としてい道州に着任した時に書かれた作品である。序文と本文は道川の悲惨な状況を具体的に述べてから、官吏として「顧みるに惟れ屏弱の者、正直歯に鷹かざるべし」という決意を明示し、更に、この詩を適して「以達下情」、つまり道川の州民の願いを朝廷や君主に伝えようとする意欲をも表明している。

 

更無寬大恩,但有迫促期。

すこしも民に対して寛大にするという恩はなく、ただただいつまでに日が迫っているから早くせよと催促するだけである。

○追促 せきたててさいそくする。

 

欲令鬻兒女,言發恐亂隨。

甚しきは銭がなければ命令で児とか娘女でも売りとばさせようというほどの意気ごみをしめせというけれど、こんなことをわたしの口から言葉にだしたら最後すぐにも騒乱がおこるにきまっている。

○鬻 【販ぐ】《古くは「ひさく」》売る。商いをする。

○言発 言とは刺史が上司からの命令のことをロにだすことをいう。

○乱随 人民の騒乱がそれについておこる。

 

悉使索其家,而又無生資。

いくら民家のあらゆるものをさがして一切を供出させつくさせたところで、それでは、また生きてゆく基がなくなるのである。

○生資 いきるもとで。

 

聽彼道路言,怨傷誰複知!

こんな時、人民たちが道路でいかなることを言うていることを聞いてみると、「(税金を払えないから」、罪を得るのは誰かというと、それは自分にほかならないということがわかっている」と。ぬ。
それをきくとどんなに彼らが怨み傷んでいるか、その実情を知るものはあるまい。

○道路言 人民がみちでいうこと。

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元結 《舂陵行》#4  

無十家,大族命單贏。

朝餐是草根,暮食仍木皮。

出言氣欲,意速行步遲。

追呼尚不忍,況乃鞭撲之!

郵亭傳急符,來往跡相追。
こんなあわれな人民はあとから声をかけてよぶことさえも忍びないことなのだ、それにどうして、徴集に当たって、これを鞭や棒でぶてるものか。

上司から駅亭を経て早馬で徴税切手が伝えられる、その使者の往来は次々来るものだから前後の足跡のうえに相追って踏みつけて来るほどなのだ。

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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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道州 (江南西道 道州 道州)       

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軍國多所需,切責在有司。

軍事の際、国家には需用物資の調達のものが多くなる。それで、徴集を確実にするため、そのもっとも手近な責任をとらされるのは係の役人に在る。

有司臨郡縣,刑法競欲施。

かかりの役人が郡県に臨むのであるが、態度は命令をきかぬものに対しては競って刑法を加えようとするということである。

供給豈不憂?征斂又可悲。

こちら係の者としては軍需物資を供給することについては一切心配するほどのことはないが、人民からとりたてをすることは悲しむべきことがあるのである。

州小經亂亡,遺人實困疲。

着任した道州は小さな州であるうえに、直近の乱亡後の経過に問題があり、残っている人民は実に困窮し、疲弊し尽くしているのである。

《舂陵行》

軍国 須【ま】つ所多し、切責は有司に在り。

有司 郡県に臨む、刑法競〔竟〕いて施さんと欲す。

供給 豈に憂えざらんや、征斂又た悲しむ可し。

州小 にして 乱亡を経、遺人 実に困疲す。

#4

無十家,大族命單贏。

それに、大きな郷でもほんの十軒あるかなしであり、大家族であったものでも、今は人少なになってしまって、命は短命、薄命であり、つかれはてた運命の家となっているのである。

朝餐是草根,暮食仍木皮。

朝のたべものは草の根、夕べのたべものは樹の皮である。

出言氣欲,意速行步遲。

だから、言葉をだすことさえ息気が絶えそうで、気だけは、芳養っているが、歩きかたはおそい。

追呼尚不忍,況乃鞭撲之!

こんなあわれな人民はあとから声をかけてよぶことさえも忍びないことなのだ、それにどうして、徴集に当たって、これを鞭や棒でぶてるものか。

郵亭傳急符,來往跡相追。
上司から駅亭を経て早馬で徴税切手が伝えられる、その使者の往来は次々来るものだから前後の足跡のうえに相追って踏みつけて来るほどなのだ。

#4

大郷にも十家無し、大族も命単贏なり。

朝餐は是れ草根、暮食は乃ち木皮。

言を出せば気絶えんと欲す、意 速かなるも 行歩 遅し。

追呼するだも 尚お 忍びず、況や乃ち 之を鞭撲するをや。

郵亭 急符を伝う、来往 跡 相追う。

#5

更無寬大恩,但有迫促期。

欲令鬻兒女,言發恐亂隨。

悉使索其家,而又無生資。

聽彼道路言,怨傷誰複知!

#6

“去冬山賊來,殺奪幾無遺。

所願見王官,撫養以惠慈。

奈何重驅逐,不使存活為!”

安人天子命,符節我所持。

州縣忽亂亡,得罪複是誰?

#7

逋緩違詔令,蒙責固其宜。

前賢重守分,惡以禍福移。

亦雲貴守官,不愛能適時。

顧惟孱弱者,正直當不虧。

何人采國風,吾欲獻此辭。

 

 

元結『舂陵行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

無十家,大族命單贏。

朝餐是草根,暮食仍木皮。

出言氣欲,意速行步遲。

追呼尚不忍,況乃鞭撲之!

郵亭傳急符,來往跡相追。

(下し文) #4

大郷にも十家無し、大族も命単贏なり。

朝餐は是れ草根、暮食は乃ち木皮。

言を出せば気絶えんと欲す、意 速かなるも 行歩 遅し。

追呼するだも 尚お 忍びず、況や乃ち 之を鞭撲するをや。

郵亭 急符を伝う、来往 跡 相追う。


(現代語訳)
それに、大きな郷でもほんの十軒あるかなしであり、大家族であったものでも、今は人少なになってしまって、命は短命、薄命であり、つかれはてた運命の家となっているのである。

朝のたべものは草の根、夕べのたべものは樹の皮である。

だから、言葉をだすことさえ息気が絶えそうで、気だけは、芳養っているが、歩きかたはおそい。

こんなあわれな人民はあとから声をかけてよぶことさえも忍びないことなのだ、それにどうして、徴集に当たって、これを鞭や棒でぶてるものか。

上司から駅亭を経て早馬で徴税切手が伝えられる、その使者の往来は次々来るものだから前後の足跡のうえに相追って踏みつけて来るほどなのだ。


(訳注) #4

「舂陵行」は、元結が広徳二年(七六四) に刺史としてい道州に着任した時に書かれた作品である。序文と本文は道川の悲惨な状況を具体的に述べてから、官吏として「顧みるに惟れ屏弱の者、正直歯に鷹かざるべし」という決意を明示し、更に、この詩を適して「以達下情」、つまり道川の州民の願いを朝廷や君主に伝えようとする意欲をも表明している。

 

無十家,大族命單贏。

それに、大きな郷でもほんの十軒あるかなしであり、大家族であったものでも、今は人少なになってしまって、命は短命、薄命であり、つかれはてた運命の家となっているのである。

○命單贏 命は生命、単は単薄、人数のすくないこと、贏はつかれやせる。

 

朝餐是草根,暮食仍木皮。

朝のたべものは草の根、夕べのたべものは樹の皮である。

 

出言氣欲,意速行步遲。

だから、言葉をだすことさえ息気が絶えそうで、気だけは、芳養っているが、歩きかたはおそい。

○出言 ものをいう。

 

追呼尚不忍,況乃鞭撲之

こんなあわれな人民はあとから声をかけてよぶことさえも忍びないことなのだ、それにどうして、徴集に当たって、これを鞭や棒でぶてるものか。

 

郵亭傳急符,來往跡相追。

上司から駅亭を経て早馬で徴税切手が伝えられる、その使者の往来は次々来るものだから前後の足跡のうえに相追って踏みつけて来るほどなのだ。

○郵亭 駅伝制の駅亭のこと。交通については、すでに整備されていた馳道を利用し、さらなる補修拡張を行った。そのため、長安を中心とした各地方につながる道路、水路が整備されていった。道路には、30里(約17km)ごとに駅站(駅館、公営の宿)が置かれ、公文書を運ぶ政府の使者や地方へ赴任し、帰ってくる官僚が利用した。駅站の近くには、往々において民間の宿が存在した。宿の名称の最後には、『駅』、『館』、『店』とつくことが多かった。唐全土には1,639もの駅站が存在し、水駅が260、水陸駅が86か所設置されていた。駅站を利用できる政府関係者は、食糧、運送、宿泊が無料であった。また、道路の五里ごとに『里隔柱』という標識が置かれ、十里ごとに別の標識を立てられた。

隋代からの駅伝制度を発達させ、駅站は整備され、役人の宿泊や馬の確保に使われた。一等の駅は馬75頭が置かれていた。関津制度によって、水陸の要所に関所が置かれ、旅人や荷を検分して、商人から税を徴収した。また、商業のための往来するために、商人は「過所」という通行証明書を、中央では尚書省、地方では州で発行してもらい、所持する必要があった。紛失した場合、審査の上で再発行となった。過所に許された経路を通れば、遠距離でも行くことができたが、不正に通関しようとしたものは罰を受けた。また、安史の乱以降は、人の動きが活発化して、藩鎮の州や県で「公験」という通行証明書も発行された。唐代の関津制度は、賦役逃れや誘拐、外敵の潜入を防ぐために厳格であった。唐代後半には、軍事伝達が余りに頻繁となり、駅站が増大して、駅伝制度は崩れていった。

元結 《舂陵行(并序)-#3》【7分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6055

元結#3《舂陵行》 

軍國多所需,切責在有司。

有司臨郡縣,刑法競欲施。

供給豈不憂?征斂又可悲。

州小經亂亡,遺人實困疲。
軍事の際、国家には需用物資の調達のものが多くなる。それで、徴集を確実にするため、そのもっとも手近な責任をとらされるのは係の役人に在る。かかりの役人が郡県に臨むのであるが、態度は命令をきかぬものに対しては競って刑法を加えようとするということである。

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#1 

癸卯,漫叟授道州刺史。

代宗の広徳元年契卯の歳に漫(元結の号)は道州刺史を授けられた。

道州舊四萬餘,經賊已來,不滿四千,大半不勝賦

道州はもと四万戸余りあったが賊乱をへてこのかたは四千にたりなくなり、その大半は税金をわりつけるにたえぬものである。

到官未五十日,承諸使征求符牒二百餘封,

自分は着任して五十日にならぬうちに上司から税金徴収の切手・かきつけ二百余通を申しつけられた。

皆曰:“失其限者,罪至貶削。”

上司たちだれもが皆、「もし期限内に徴集項目の税金をあつめなければおまえは貶削の罪になる」とゆうたのである。

2序 -2

於戲!若悉應其命,則州縣破亂,

ああ、もしみんなこの命令どおりにしたらすなわち、州や県は乱破してしまうであろう。

刺史欲焉逃罪;

そうなったら刺史はどこに罪をのがれるか、のがれ場所がないではないか。

若不應命,又即獲罪戾,必不免也。

またもし命令に応ぜねとしたらまたすぐに罪科を得る、きっとそれはのがれられぬことである。

吾將守官,靜以安人,待罪而已。

どうせそうなのなら、自分としては官職を守って、安静を以て人民をおちつかせて、自己の罰せられるのを待とうとするだけのことだ。

此州是舂陵故地,故作《舂陵行》以達下情。

この道州はむかしの舂陵の地だ、それで「舂陵行」という詩をつくって下民の情を上たるものに通達するのである。

#1

(癸卯の歳、漫叟道州刺史を授けらる。道州は四萬余戸、賊を経て以来、四千に満たず、大半は税に勝へず。官に到りて末だ五十日ならざるに、諸使の徴求、符牒二百余封を承く。皆曰く「其の限を失ふ者は、罪貶削に至る」と。

#2

於戲、若し悉く其の命に應ずれば、則ち州縣乱す。

刺史くにか罪を逃れんと欲す。

若し命に應ぜずんば、又た即ち罪戻を獲んこと、必ず免れざるなり。

吾将に官を守り、静にして以て人を安んじ、罪を待つのみ。此の州は是れ舂陵の故地なり、故に「舂陵行」を作りて以て下情を達す。)

 

 

#3《舂陵行》  元結

軍國多所需,切責在有司。

軍事の際、国家には需用物資の調達のものが多くなる。それで、徴集を確実にするため、そのもっとも手近な責任をとらされるのは係の役人に在る。

有司臨郡縣,刑法競欲施。

かかりの役人が郡県に臨むのであるが、態度は命令をきかぬものに対しては競って刑法を加えようとするということである。

供給豈不憂?征斂又可悲。

こちら係の者としては軍需物資を供給することについては一切心配するほどのことはないが、人民からとりたてをすることは悲しむべきことがあるのである。

州小經亂亡,遺人實困疲。

着任した道州は小さな州であるうえに、直近の乱亡後の経過にもんだいがあり、残っている人民は実に困窮し、疲弊し尽くしているのである。

《舂陵行》

軍国 須【ま】つ所多し、切責は有司に在り。

有司 郡県に臨む、刑法競〔竟〕いて施さんと欲す。

供給 豈に憂えざらんや、征斂又た悲しむ可し。

州小 にして 乱亡を経、遺人 実に困疲す。

#4

無十家,大族命單贏。

朝餐是草根,暮食仍木皮。

出言氣欲,意速行步遲。

追呼尚不忍,況乃鞭撲之!

郵亭傳急符,來往跡相追。

#5

更無寬大恩,但有迫促期。

欲令鬻兒女,言發恐亂隨。

悉使索其家,而又無生資。

聽彼道路言,怨傷誰複知!

#6

“去冬山賊來,殺奪幾無遺。

所願見王官,撫養以惠慈。

奈何重驅逐,不使存活為!”

安人天子命,符節我所持。

州縣忽亂亡,得罪複是誰?

#7

逋緩違詔令,蒙責固其宜。

前賢重守分,惡以禍福移。

亦雲貴守官,不愛能適時。

顧惟孱弱者,正直當不虧。

何人采國風,吾欲獻此辭。

 

 

元結『舂陵行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3《舂陵行》  元結

軍國多所需,切責在有司。

有司臨郡縣,刑法競欲施。

供給豈不憂?征斂又可悲。

州小經亂亡,遺人實困疲。

(下し文)
《舂陵行》

軍国 須【ま】つ所多し、切責は有司に在り。

有司 郡県に臨む、刑法 競〔竟〕いて施さんと欲す。

供給 豈に憂えざらんや、征斂又た悲しむ可し。

州小 にして 乱亡を経、遺人 実に困疲す。

(現代語訳)
軍事の際、国家には需用物資の調達のものが多くなる。それで、徴集を確実にするため、そのもっとも手近な責任をとらされるのは係の役人に在る。

かかりの役人が郡県に臨むのであるが、態度は命令をきかぬものに対しては競って刑法を加えようとするということである。

こちら係の者としては軍需物資を供給することについては一切心配するほどのことはないが、人民からとりたてをすることは悲しむべきことがあるのである。

着任した道州は小さな州であるうえに、直近の乱亡後の経過にもんだいがあり、残っている人民は実に困窮し、疲弊し尽くしているのである。

江南西道図05
(訳注)

#3舂陵行  元結

(舂陵すなわち道州のことについてよんだうた。)3(本文)-1

〇舂陵 道州の意に用いる。舂陵は漢代の地名で棗陽 (山南東道 隨州 棗陽) 別名:舂陵のその故城があったことであるが漢のとき、長抄の定王の子の異というものがここに封ぜられた。元結の「比興体制」手法で今の永州府寧遠県西北にあるをいう。 

 

「舂陵行」は、元結が広徳二年(七六四) に刺史としてい道州に着任した時に書かれた作品である。序文と本文は道川の悲惨な状況を具体的に述べてから、官吏として「顧みるに惟れ屏弱の者、正直歯に鷹かざるべし」という決意を明示し、更に、この詩を適して「以達下情」、つまり道川の州民の願いを朝廷や君主に伝えようとする意欲をも表明している。

《舂陵行》以達下情。 下たる人民の情を上に通達すること。歌による訴えが天子に対して、下民に対しても説得力を持つことはこの時代にも承知されていたことは、「資治通鑑」等にみえる。

「時命三百里刺史、縣令各帥所部音樂集於樓下,各較勝負。懷州刺史以車載樂工數百,皆衣文繡,服箱之牛皆為虎豹犀象之狀。魯山令元德秀惟遣樂工數人,連袂歌于蔿。上曰:「懷州之人,其塗炭乎!」立以刺史為散官。德秀性介潔質樸,士大夫皆服其高」これは開元二十三年(733) の春、正月乙亥、玄宗が三百里内の県令や刺史にその地の歌をうたわせ、勝負を競わせた時の旨である。その時、懐州刺史は多くの楽人を連ねて演じさせたが、元徳秀は数人の楽人に「于鷔」を歌わせた。玄宗はそれを聴くと、懐州の人は塗炭の苦しみをなめているのか、と嘆じ、刺史を散官とした。このことによって元徳秀はますます名を知られることになった、というものである。

 

軍國多所需,切責在有司。

軍事の際、国家には需用物資の調達のものが多くなる。それで、徴集を確実にするため、そのもっとも手近な責任をとらされるのは係の役人に在る。

○軍国 軍事の際の国。

○須 需用物資の調達。

○切責 徴集を確実にするため、そのもっとも手近な責任をとらされる。

○有司 かかりの役。

 

有司臨郡縣,刑法競欲施。

かかりの役人が郡県に臨むのであるが、態度は命令をきかぬものに対しては競って刑法を加えようとするということである。

 

供給豈不憂?征斂又可悲。

こちら係の者としては軍需物資を供給することについては一切心配するほどのことはないが、人民からとりたてをすることは悲しむべきことがあるのである。

○供給 軍需の物をそなえる。

○征斂 税金をとりたてること。

 

州小經亂亡,遺人實困疲。

着任した道州は小さな州であるうえに、直近の乱亡後の経過にもんだいがあり、残っている人民は実に困窮し、疲弊し尽くしているのである。

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元結  《舂陵行》#2序 -2

於戲!若悉應其命,則州縣破亂,刺史欲焉逃罪;若不應命,又即獲罪戾,必不免也。吾將守官,靜以安人,待罪而已。此州是舂陵故地,故作《舂陵行》以達下情。
どうせそうなのなら、自分としては官職を守って、安静を以て人民をおちつかせて、自己の罰せられるのを待とうとするだけのことだ。この道州はむかしの舂陵の地だ、それで「舂陵行」という詩をつくって下民の情を上たるものに通達するのである。

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舂陵行  元結

(舂陵すなわち道州のことについてよんだうた。)
#1 

癸卯,漫叟授道州刺史。

代宗の広徳元年契卯の歳に漫(元結の号)は道州刺史を授けられた。

道州舊四萬餘,經賊已來,不滿四千,大半不勝賦

道州はもと四万戸余りあったが賊乱をへてこのかたは四千にたりなくなり、その大半は税金をわりつけるにたえぬものである。

到官未五十日,承諸使征求符牒二百餘封,

自分は着任して五十日にならぬうちに上司から税金徴収の切手・かきつけ二百余通を申しつけられた。

皆曰:“失其限者,罪至貶削。”

上司たちだれもが皆、「もし期限内に徴集項目の税金をあつめなければおまえは貶削の罪になる」とゆうたのである。

2序 -2

於戲!若悉應其命,則州縣破亂,

ああ、もしみんなこの命令どおりにしたらすなわち、州や県は乱破してしまうであろう。

刺史欲焉逃罪;

そうなったら刺史はどこに罪をのがれるか、のがれ場所がないではないか。

若不應命,又即獲罪戾,必不免也。

またもし命令に応ぜねとしたらまたすぐに罪科を得る、きっとそれはのがれられぬことである。

吾將守官,靜以安人,待罪而已。

どうせそうなのなら、自分としては官職を守って、安静を以て人民をおちつかせて、自己の罰せられるのを待とうとするだけのことだ。

此州是舂陵故地,故作《舂陵行》以達下情。

この道州はむかしの舂陵の地だ、それで「舂陵行」という詩をつくって下民の情を上たるものに通達するのである。

#1

(癸卯の歳、漫叟道州刺史を授けらる。道州は四萬余戸、賊を経て以来、四千に満たず、大半は税に勝へず。官に到りて末だ五十日ならざるに、諸使の徴求、符牒二百余封を承く。皆曰く「其の限を失ふ者は、罪貶削に至る」と。

#2

於戲、若し悉く其の命に應ずれば、則ち州縣乱す。

刺史くにか罪を逃れんと欲す。

若し命に應ぜずんば、又た即ち罪戻を獲んこと、必ず免れざるなり。

吾将に官を守り、静にして以て人を安んじ、罪を待つのみ。此の州は是れ舂陵の故地なり、故に「舂陵行」を作りて以て下情を達す。)

 

 

元結『舂陵行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

2序 -2

於戲!若悉應其命,則州縣破亂,刺史欲焉逃罪;若不應命,又即獲罪戾,必不免也。吾將守官,靜以安人,待罪而已。此州是舂陵故地,故作《舂陵行》以達下情。

(下し文)
於戲、若し悉く其の命に應ずれば、則ち州縣乱す。

刺史焉くにか罪を逃れんと欲す。

若し命に應ぜずんば、又た即ち罪戻を獲んこと、必ず免れざるなり。

吾将に官を守り、静にして以て人を安んじ、罪を待つのみ。

此の州は是れ舂陵の故地なり、故に「舂陵行」を作りて以て下情を達す。

(現代語訳)
ああ、もしみんなこの命令どおりにしたらすなわち、州や県は乱破してしまうであろう。

そうなったら刺史はどこに罪をのがれるか、のがれ場所がないではないか。

またもし命令に応ぜねとしたらまたすぐに罪科を得る、きっとそれはのがれられぬことである。

どうせそうなのなら、自分としては官職を守って、安静を以て人民をおちつかせて、自己の罰せられるのを待とうとするだけのことだ。

この道州はむかしの舂陵の地だ、それで「舂陵行」という詩をつくって下民の情を上たるものに通達するのである。



(訳注) 2序 -2

舂陵行  元結

(舂陵すなわち道州のことについてよんだうた。)#1序 

〇舂陵 道州の意に用いる。舂陵は漢代の地名で棗陽 (山南東道 隨州 棗陽) 別名:舂陵のその故城があったことであるが漢のとき、長抄の定王の子の異というものがここに封ぜられた。元結の「比興体制」手法で今の永州府寧遠県西北にあるをいう。 

 

於戲!若悉應其命,則州縣破亂,

ああ、もしみんなこの命令どおりにしたらすなわち、州や県は乱破してしまうであろう。

○破亂 乱破してしまう。

 

刺史欲焉逃罪;

そうなったら刺史はどこに罪をのがれるか、のがれ場所がないではないか。

刺史 1 古代中国の官名。漢代は郡国の監察官。隋・唐代では州の長官。宋代以後廃止された。2 国守(こくしゅ)の唐名。

 

若不應命,又即獲罪戾,必不免也。

またもし命令に応ぜねとしたらまたすぐに罪科を得る、きっとそれはのがれられぬことである。

 

吾將守官,靜以安人,待罪而已。

どうせそうなのなら、自分としては官職を守って、安静を以て人民をおちつかせて、自己の罰せられるのを待とうとするだけのことだ。

守官 罪科を得ることを覚悟して自分の官職を守ってしごとする。

 

此州是舂陵故地,故作《舂陵行》以達下情。

この道州はむかしの舂陵の地だ、それで「舂陵行」という詩をつくって下民の情を上たるものに通達するのである。

○達下情 下たる人民の情を上に通達すること。歌による訴えが天子に対して、下民に対しても説得力を持つことはこの時代にも承知されていたことは、「資治通鑑」等にみえる。

「時命三百里刺史、縣令各帥所部音樂集於樓下,各較勝負。懷州刺史以車載樂工數百,皆衣文繡,服箱之牛皆為虎豹犀象之狀。魯山令元德秀惟遣樂工數人,連袂歌于蔿。上曰:「懷州之人,其塗炭乎!」立以刺史為散官。德秀性介潔質樸,士大夫皆服其高」これは開元二十三年(733) の春、正月乙亥、玄宗が三百里内の県令や刺史にその地の歌をうたわせ、勝負を競わせた時の旨である。その時、懐州刺史は多くの楽人を連ねて演じさせたが、元徳秀は数人の楽人に「于鷔」を歌わせた。玄宗はそれを聴くと、懐州の人は塗炭の苦しみをなめているのか、と嘆じ、刺史を散官とした。このことによって元徳秀はますます名を知られることになった、というものである。

元結 《舂陵行(并序)》【5分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6045 杜甫詩1500-916-#1-1380/2500

舂陵行  元結  序  

癸卯,漫叟授道州刺史。道州舊四萬餘,經賊已來,不滿四千,大半不勝賦。到官未五十日,承諸使征求符牒二百餘封,皆曰:“失其限者,罪至貶削。”

(舂陵すなわち道州のことについてよんだうた。)代宗の広徳元年契卯の歳に漫(元結の号)は道州刺史を授けられた。道州はもと四万戸余りあったが賊乱をへてこのかたは四千にたりなくなり、その大半は税金をわりつけるにたえぬものである。

 

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杜甫が766年大暦元年55-52

代宗 廣德元年(763):元結〈舂陵行(并序)〉○

元結(謝上表)  

元結(奏免科率状)  

代宗 廣德二年(764):元結〈賊退示官吏(并序)〉○

代宗 大曆二年(766):杜甫〈同元使君舂陵行(有序)〉○

○印はこのブログで訳注解説する。原文はすべてこの紙面に掲載

「舂陵行」は、元結(719721) の代表作とされる有名な作品で、中唐元和時期の新楽府に重大な影響を与えたと目されている。早くは、元結と同時代の大詩人杜甫(712770) が「舂陵行」に対して以下のような高い評価を与えている。

 

杜甫 《1939同元使君舂陵行》

序文

覧道州元使君結「舂陵行」兼「賊退後示官吏作」二首、誌之日、「當天子分憂之地、效漢官良吏之目。今盗賊末息、知民疾苦、得結輩十數公、落落然參錯天下為邦伯、萬物吐気、天下少安可待矣。不意復見比興體制、微婉頓挫之辭、感而有詩、增諸巻軸。

 

(道川元使君結の「舂陵行」と「賊退きて後に官吏に示すの作」との二首を覧て、之を誌して日く、「天子分菱の地に常たり、漢官良吏の目に效ふ。今盗賊未だ息まず、民の疾苦を知るもの、舘のごとき輩十軟公を得て、落落隼として天下に蓼錯せしめ邦伯と為さば、萬物束を吐き、天下少や安からんこと待つべきか。意はざりき復た比興の懐剣、微椀頓挫の詞を見んとは。感じて詩有り、諸を巻軸に増す。」

道州刺史元結の「舂陵行」に和してつくった詩。自分は元結の「舂陵行」と「賊退キシ後官吏二示ス作」との二首を見てそのことについてかきしるす。元結は地方長官として天子の憂いを分担する地位にあたり、むかし漢代の良更などの名目にならって行ないをした。今日盗賊はまだやまぬ、もし民のつらさをよく知っているものが元結のような役人を十数人も得てそれを天下のあちらこちらにまぜて散らばらして長官としておいたならば万物も生気を吐き、天下もすこしは安泰になるであろうことは期待し得る。それのみではない、彼がそのことを「比興体制」手法の詩をつくり、徴娩頓挫の詞を見せてくれたことは意外のことである。自分はそれでこのことについて感じてこの詩をつくって巻軸につけ加えた。そうしてこれを自分の知己によせるのである。必ずしも元結本人に寄せなくともいいつもりである。大暦二年夔州にあっての作。

 

この評価によって、「舂陵行」は元結の作品の中で最も重要なものとなったと考えられる。

では、杜甫が言及した「比興體制」とはいったいどういう意味なのか。そして、「舂陵行」の「比興體制」は、中晩唐楽府、特に元和新楽府にどのような貢献をしたのだろうか。(杜甫 《巻19-39同元使君舂陵行》のブログで見てゆく。 

 

元結 (723年-772526日)中唐の詩人。次山,號漫郎、猗玕子,河南の魯山の人。伝記は同時代の顔真卿の墓碑銘に詳しい。不安な社会相を描いた作品にすぐれ,〈系楽府(けいがふ)〉12首は,白居易らの新楽府運動の先駆となった。そのうち〈舂陵行(しようりようこう)〉はことに有名である。また華美な今体詩を排撃し,古詩を賞揚する目的で《篋中(きようちゆう)集》(760)を編纂した。《元次山文集》10巻が伝わる。

天寶十二載(753年)進士。

 乾元元年(758) 蘇源明、元結を帝に薦む。被任命為左金吾衛兵曹參軍、監察御史。

上元元年(760)年元結《篋中集》を編纂す。

上元二年(761),任山南道節度使參謀,守泌陽,

寶應元年(762年),唐代宗即位後,為著作郎。追贈其父元延祖為左贊善大夫。

廣徳元年763年,出任道州刺史

杜甫が元結を高く評価した《1939同元使君舂陵行》において、元使君結としている。道州刺史元結、使君は刺史の敬称。「新唐書」の元結伝を見てみると次の通り。(節録、元結、河南の人、後魏の常山王遵が十五代の孫なり。字は次山、年十七、学に志し元徳秀に事う。天宝十二載進士に挙げらる。粛宗の時、史思明河陽を攻む、蘇源明、元結を帝に薦む。元結、時議三篇を上る。のち諾官を経、泌陽に屯して十五城を全くせし功を以て監察御史裏行となる。又た山南東道の来瑱が府に参謀たり。代宗立つや辞して武昌の樊上に帰り、著作郎を授けらる。益ます書を著わす。元子・浪士・漫郎・聱叟・漫叟等と号す。久しくして道州刺史を拝す。(刺史の時のことは「舂陵行」詩にみえる。)容管経略使に進む。母の喪にあい罷めて京都に還り卒す。年五十。礼部侍郎を贈らる。道州は湖南永州府に属する。

元結(723年-772526日),字次山,號漫郎、猗玕子,河南魯山人。唐朝進士、官員。

北魏常山王拓跋遵的十二代孫,尚書都官郎中、常山郡公元善禕的玄孫,朝散大夫、褒信令、常山公元仁基的曾孫,霍王府參軍元利貞的孫子,魏成主簿、延唐丞元延祖的兒子。天寶十二載(753年)進士。安史之亂,史思明攻克洛陽,他到長安向唐肅宗上書。被任命為左金吾衛兵曹參軍、監察御史。761年,任山南道節度使參謀,守泌陽,保住了15座城。寶應元年(762年),唐代宗即位後,為著作郎。追贈其父元延祖為左贊善大夫。763年,出任道州刺史,減輕賦,免除徭役。第二年,為容管經略使,幾個月,安定了容管八州。逝世後,追贈禮部侍郎。

二子元以方、元以明。元結有《元次山集》。

 

舂陵行  元結


癸卯,漫叟授道州刺史。道州舊四萬餘,經賊已來,不滿四千,大半不勝賦。到官未五十日,承諸使征求符牒二百餘封,皆曰:“失其限者,罪至貶削。”於戲!若悉應其命,則州縣破亂,刺史欲焉逃罪;若不應命,又即獲罪戾,必不免也。吾將守官,靜以安人,待罪而已。此州是舂陵故地,故作《舂陵行》以達下情。

遭亂髮盡白,轉衰病相嬰。沈綿盜賊際,狼狽江漢行。

歎時藥力薄,為客羸瘵成。吾人詩家秀,博采世上名。

粲粲元道州,前聖畏後生。觀乎舂陵作,見俊哲情。

複覽賊退篇,結也實國楨。賈誼昔流慟,匡衡常引經。

道州憂黎庶,詞氣浩縱橫。兩章對秋月,一字偕華星。

致君唐虞際,純樸憶大庭。何時降璽書,用爾為丹青。

獄訟永衰息,豈唯偃甲兵。淒惻念誅求,薄斂近休明。

乃知正人意,不苟飛長纓。涼飆振南嶽,之子寵若驚。

色阻金印大,興含滄浪清。我多長卿病,日夕思朝廷。

肺枯太甚,漂泊公孫城。呼兒具紙筆,隱幾臨軒楹。

作詩呻吟墨澹字欹傾。感彼危苦詞,庶幾知者聽。

 

謝上表  元結

臣某言:去年九月敕授道州刺史,屬西戎侵軼,至十二月,臣始於鄂州授敕牒,即日赴任。臣州先被西原賊屠陷,節度使已差官攝刺史,兼又聞奏。臣在道路待恩命者三月,臣以五月二十二日到州上訖。耆老見臣,俯伏而泣;官吏見臣,已無菜色。城池井邑,但生荒草;登高極望,不見人煙。嶺南數州,與臣接近,餘寇蟻聚,尚未歸降。臣見招輯流亡,率勸貧弱,保守城邑,畬種山林,冀望秋後,少可全活。臣愚以為今日刺史,若無武略以制暴亂,若無文才以救疲弊,若不清廉以身率下,若不變通以救時須,一州之人不叛,則亂將作矣。豈止一州者乎?臣料今日州縣,堪徵者無幾,已破敗者實多;百姓戀墳墓者蓋少,思流亡者乃。則刺史宜精選謹擇,以委任之,固不可拘限官次,得之貨賄,出之權門者也。凡授刺史,特望陛下一年問其流亡歸複幾何;田疇墾辟幾何,二年問畜養比初年幾倍;可比初年幾倍,三年計其功過,必行賞罰,則人皆不敢冀望僥幸,苟有所求。臣實孱弱,辱陛下符節。陛下必當謹擇,臣固宜廢歸山野,供給井臣不任懇款之至,謹遣某官奉表陳謝以聞

 

奏免科率状  元結

〈當州準敕及租庸等使徵率錢物都計一十三萬六千三百八十八貫八百文〉〈一十三萬二千四百八十貫九百文嶺南西原賊未破州已前〉〈三千九百七貫九百文賊退後徵率〉

以前件如前。臣自到州,見租庸等諸使文牒,令徵前件錢物送納。臣當州被西原賊屠陷,賊停留一月餘日,焚燒糧儲屋宅,俘掠百姓男女,驅殺牛馬老少,一州幾盡。賊散後,百姓歸複,十不存一,資皆無,人心嗷嗷,未有安者。若依諸使期限,臣恐坐見亂亡,今來未敢徵率,伏待進止。又嶺南諸州,寇盜未盡,臣州是嶺北界,守捉處多,若臣州不安,則湖南皆亂。伏望天恩,自州未破以前,百姓久負租,及租庸等使所有徵率,和市雜物,一切放免。自州破以後,除正租、正庸及準格式合進奉徵納者,請據見在徵送,其餘科率,並請放免。容其見在百姓業稍成,逃亡歸複,似可存活,即請依常例處分。伏願陛下以臣所奏下議有司,苟若臣所見愚僻,不合時政,幹亂紀度,事涉虛妄,忝官屍祿,欺上罔下,是臣之罪,合正典刑。謹錄奏聞。

 

元結〈賊退示官吏(并序)〉(搜韻)


癸卯,西原賊入道州,焚燒(一本無焚燒二字)殺掠,幾盡而去。明年,賊又攻永破邵,不犯此州邊鄙而退,豈力能制敵歟?蓋蒙其傷憐而已,諸使何為忍苦徵斂,故作詩一篇以示官吏。

逢太平,山林二十年。泉源在庭,洞壑當門前。

有常期,日晏猶得眠。忽然遭世變,數親戎旃。

今來典斯郡,山夷又紛然。城小賊不屠,人貧傷可憐。

是以陷鄰境,此州獨見全。使臣將王命,豈不如賊焉。

今彼徵斂者,迫之如火煎。誰能人命,以作時世賢。

思欲委符節,引竿自刺船。將家就魚麥,歸老江湖邊。

 

 

舂陵行  元結

(舂陵すなわち道州のことについてよんだうた。)
#1 

癸卯,漫叟授道州刺史。

代宗の広徳元年契卯の歳に漫(元結の号)は道州刺史を授けられた。

道州舊四萬餘,經賊已來,不滿四千,大半不勝賦

道州はもと四万戸余りあったが賊乱をへてこのかたは四千にたりなくなり、その大半は税金をわりつけるにたえぬものである。

到官未五十日,承諸使征求符牒二百餘封,

自分は着任して五十日にならぬうちに上司から税金徴収の切手・かきつけ二百余通を申しつけられた。

皆曰:“失其限者,罪至貶削。”

上司たちだれもが皆、「もし期限内に徴集項目の税金をあつめなければおまえは貶削の罪になる」とゆうたのである。

2序 -2

於戲!若悉應其命,則州縣破亂,刺史欲焉逃罪;若不應命,又即獲罪戾,必不免也。吾將守官,靜以安人,待罪而已。此州是舂陵故地,故作《舂陵行》以達下情。

#1

(癸卯の歳、漫叟道州刺史を授けらる。道州は四萬余戸、賊を経て以来、四千に満たず、大半は税に勝へず。官に到りて末だ五十日ならざるに、諸使の徴求、符牒二百余封を承く。皆曰く「其の限を失ふ者は、罪貶削に至る」と。

#2

於戲、若し悉く其の命に應ずれば、則ち州縣乱す。刺史くにか罪を逃れんと欲す。若し命に應ぜずんば、又た即ち罪戻を獲んこと、必ず免れざるなり。吾将に官を守り、静にして以て人を安んじ、罪を待つのみ。此の州は是れ舂陵の故地なり、故に「舂陵行」を作りて以て下情を達す。)

 

 

#3《舂陵行》  元結

軍國多所需,切責在有司。

有司臨郡縣,刑法競欲施。

供給豈不憂?征斂又可悲。

州小經亂亡,遺人實困疲。

#4

無十家,大族命單贏。

朝餐是草根,暮食仍木皮。

出言氣欲,意速行步遲。

追呼尚不忍,況乃鞭撲之!

郵亭傳急符,來往跡相追。

#5

更無寬大恩,但有迫促期。

欲令鬻兒女,言發恐亂隨。

悉使索其家,而又無生資。

聽彼道路言,怨傷誰複知!

#6

“去冬山賊來,殺奪幾無遺。

所願見王官,撫養以惠慈。

奈何重驅逐,不使存活為!”

安人天子命,符節我所持。

州縣忽亂亡,得罪複是誰?

#7

逋緩違詔令,蒙責固其宜。

前賢重守分,惡以禍福移。

亦雲貴守官,不愛能適時。

顧惟孱弱者,正直當不虧。

何人采國風,吾欲獻此辭。

 

 

『舂陵行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
元結
舂陵行  

#1 

癸卯,漫叟授道州刺史。

道州舊四萬餘,經賊已來,不滿四千,大半不勝賦

到官未五十日,承諸使征求符牒二百餘封,

皆曰:“失其限者,罪至貶削。”


(下し文) #1

癸卯の歳、漫叟道州刺史を授けらる。

道州は舊四萬余戸、賊を経て以来、四千に満たず、大半は賦税に勝へず。

官に到りて末だ五十日ならざるに、諸使の徴求、符牒二百余封を承く。

皆曰く「其の限を失ふ者は、罪貶削に至る」と。

(現代語訳)
(舂陵すなわち道州のことについてよんだうた。)
代宗の広徳元年契卯の歳に漫(元結の号)は道州刺史を授けられた。

道州はもと四万戸余りあったが賊乱をへてこのかたは四千にたりなくなり、その大半は税金をわりつけるにたえぬものである。

自分は着任して五十日にならぬうちに上司から税金徴収の切手・かきつけ二百余通を申しつけられた。

上司たちだれもが皆、「もし期限内に徴集項目の税金をあつめなければおまえは貶削の罪になる」とゆうたのである。

山南東道 隨州 棗陽  別名-舂陵02


(訳注)

舂陵行  元結

(舂陵すなわち道州のことについてよんだうた。)#1序 

〇舂陵 道州の意に用いる。舂陵(n-22)は漢代の地名で棗陽 (山南東道 隨州 棗陽) 別名:舂陵のその故城があったことであるが漢のとき、長抄の定王の子の異というものがここに封ぜられた。元結の「比興体制」手法で今の永州府寧遠県西北(下図-3)にあるをいう。 

 

癸卯,漫叟授道州刺史。

代宗の広徳元年契卯の歳に漫(元結の号)は道州刺史を授けられた。

癸卯 代宗の廣德元年(763をいう。

○漫叟 元結の号称。

諸使 刺史の上司である、節度使その他。

 

道州舊四萬餘,經賊已來,不滿四千,大半不勝賦

道州はもと四万戸余りあったが賊乱をへてこのかたは四千に足りなくなり、その大半は税金をわりつけるにたえぬものである。

○この四句は、騒乱に倚り、住民が逃散したことを言う。戦になれば、危険を感じて、家財道具、一切、扉の類まで、台八車に満載にして持って逃げるので、村は空っぽになる。大抵は、山に逃げる。

 

到官未五十日,承諸使征求符牒二百餘封,

自分は着任して五十日にならぬうちに上司から税金徴収の切手・かきつけ二百余通を申しつけられた。

○徴求符牒 人民から税金を徴収する切手やかきつけ。

 

皆曰:“失其限者,罪至貶削。”

上司たちだれもが皆、「もし期限内に徴集項目の税金をあつめなければおまえは貶削の罪になる」というたのである。

○失其限 徴税の期限をあやまるもの、日限までに税をとりたて得ぬもの。

貶削 官職をおとしまたは削り去る。

 江南西道図05

杜甫 《1515 遺懷-#5》【5分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-51 <915-#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6040

杜甫 1515 遺懷》【5分割】5

吾衰將焉託,存歿再嗚呼。

蕭條益堪愧,獨在天一隅。

乘黃已去矣,凡馬徒區區。

不復見顏鮑,繫舟臥荊巫。

臨餐吐更食,常恐違撫孤。

ふたたび、顔延之ともいうべき高適と、鮑照というべき李白の二人を見ることはできず、じぶんは舟をつなぎとめて荊巫の地にうち臥している。

自分の身体はガタが来て、食事の際にも吐きだしたり、また食べたり、すこしもおちついたきもちになれないのである、それはいつも両君の遺児のお世話をしてあげたいとの念に違ってしまっていることが心配で仕方がないからである。

杜甫 1515 遺懷-#5》【5分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-51 <915-#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6040 杜甫詩1500-915-#5-1379/2500

 
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杜甫詩1500-915-#5-1379/2500

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    遺懷

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:宋州 (河南道 宋州 宋州) 別名:宋  

陳留 (河南道 汴州 陳留)              

貝州 (河北道南部 貝州 貝州)       

魏州 (河北道南部 魏州 魏州)       

荊山 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)   

 

 

遺懷-1

(旧友の高適と李白と一緒に遊んだ若い日のことを思い浮かべ、今胸に在るうさを遣るために詠んだ詩)

昔我遊宋中,惟梁孝王都。

むかし自分は宋州に遊んだことがある。そこは梁の孝王の都であったところである。

名今陳留亞,劇則貝魏俱。

その名高さは陳留の次位ぐらいだが、要衝の地であるだけに繁劇さは貝州・魏州と同列になるほどである。

邑中九萬家,高棟照通衢。

その宋州の城内には九萬家もあり、富貴の邸宅の高い棟木が四通りにならび、街路をあからく照らしている。

舟車半天下,主客多歡

水駅と陸駅があり、物資がここに集積され、発送されるから、天下の舟車の半分はここに集まってくる、土地の者のものも、他所のものも皆寄り集まって、面白く過すのである。

2

白刃讎不義,黃金傾有無。

土地の風は豪侠で、不義・不貞の者には、白刃を以てかたきうちをするし、黄金は有る無しにかかわらずありったけものを散財して宵越しの金を残さないという。

殺人紅塵裡,報答在斯須。

ここでは、うけた行為にしばしの間に仕返しがおこなわれ、市街地の砂塵に乾燥した血の塵が混じっているように思えるほど刃傷沙汰がある。

憶與高李輩,論交人酒壚。

今でも思い出すのは、自分は、高適と李白らと交わりをむすんで酒屋へ飲みにはいったときのことだ。

兩公壯藻思,得我色敷腴。

高適と李白の二人は文学思想がさかんなるものであったが、自分を得て彼等の顔つきが更にのびのびした様であった。

#2

白刃不義に讎す、黃金 有無を傾ける。

人を殺す 紅塵の裏.報答 斯須に在り。 

憶ふ 高と李とが輩と、交を論じて 酒壚に入る。

両公 藻思 牡んなり、我を得て色数腴たり。

3

氣酣登吹臺,懷古視平蕪。

酔いがまわって元気づいてきたので、我我はともに吹臺に登り、荒れた平野を見ながら古の大禹が治水の功や師曠が樂曲を吹奏した過去を追懐した。

芒碭雲一去,雁騖空相呼。

芒場の方面をみると孔子、始皇帝、漢の高祖と帝王の雲気は去ってしまったのだろうか、あたりにはただ雁や鶩が呼びかわしているばかりであった。

先帝正好武,寰海未凋枯。

そのころ先帝(玄宗)にはちょうど武芸をお好みであり、天下はまだ疲弊してはいなかった。

猛將收西域,長戟破林胡。

猛将は西域地方を吾が手に収め、西域の領土を広げる、また長戟をふるって林胡をもうち破って、東北の領土も広げた。

氣酣にして吹臺に登る、古を懐うて平蕪を視る。

芒碭 雲一去、雁騖 空しく相い呼ぶ。 

先帝 正に武を好む、寰海 未だ凋枯せず。

猛將 西域を収め、長戟 林胡を破る。

4

百萬攻一城,獻捷不云輸。

腕に自慢の武将どもは百萬の兵を以て敵の一城を攻めたのであるが、いつも捷【かち】をたてまつるばかりで、敗けでも、また、負けたとはいいわないのである。

組練棄如泥,尺土負百夫。

それで将軍から兵卒に賜る組練は泥土を棄てる如くやたらに賜り、精鋭の兵士がまるで泥のように棄てられたのである。人の生命をも粗末に取り扱われ、百人を死なせて、やっと一尺の土地をわがものとするというほどで、本人にはまことにすまぬことであった。

拓境功未已,元和辭大爐。

かくして邊境を開拓・拡張する功がまだおわらぬうちに、陰陽の調和した気である太和の元気は天地から去ってしまい、世は大乱となったのである。

亂離朋友盡,合沓月徂。

安史の乱という大騒乱のうちにはなられ離れに自分の友だちもなくなり、歳月も、それからそれへと経過してしまった。

5

吾衰將焉託,存歿再嗚呼。

親友である高適・李白の二君に対しても、一生一死、二度まで鳴呼の嘆を発することになった。

蕭條益堪愧,獨在天一隅。

自分はこの老衰の身を以てどこに吾が身を託してよいのだろう。いまただひとり天のはてにいるが、まことにさびしくてますます恥しくおもうのである。

乘黃已去矣,凡馬徒區區。

乘黄の駿馬というべき二人はさってしまいじぶんのようなやくざ馬がいたずらにこせついている。

不復見顏鮑,繫舟臥荊巫。

ふたたび、顔延之ともいうべき高適と、鮑照というべき李白の二人を見ることはできず、じぶんは舟をつなぎとめて荊巫の地にうち臥している。

臨餐吐更食,常恐違撫孤。

自分の身体はガタが来て、食事の際にも吐きだしたり、また食べたり、すこしもおちついたきもちになれないのである、それはいつも両君の遺児のお世話をしてあげたいとの念に違ってしまっていることが心配で仕方がないからである。

 

#1

昔 我 宋中に遊び,惟れ 梁の孝王の都なり。

名は今 陳留に亜ぐ、劇は則ち 貝魏倶なり。

邑中 九萬家、高棟 通衛を照らす。

舟車 天下に半なり、主客 歓娯 多し。

#2

白刃不義に讎す、黃金 有無を傾ける。

人を殺す 紅塵の裏.報答 斯須に在り。 

憶ふ 高と李とが輩と、交を論じて 酒壚に入る。

両公 藻思 牡んなり、我を得て色数腴たり。

#3

氣酣にして吹臺に登る、古を懐うて平蕪を視る。

芒碭 雲一去、雁騖 空しく相い呼ぶ。 

先帝 正に武を好む、寰海 未だ凋枯せず。

猛將 西域を収め、長戟 林胡を破る。

#4

百萬 一城を攻む、捷を献じて 輸けたちと云わず。

組練 棄つること泥の如し、尺士 百夫に負く。

拓境 功未だ巳ます、元和 大爐を辭す。

乱離 朋友 尽く、合沓 歳月 徂く。

#5

吾 衰へて 將に 焉に託せんとする、存歿 再び鳴呼す。

蕭条 益ます 愧づるに堪へたり、獨り 天の一隅に在り。

乘黃 巳に去らぬ、凡馬 徒らに區區たり。

復た 顏鮑を見ず、舟を繋いで荊巫に臥す。

餐に臨みて吐て更に食す、常に恐る 撫弧に違はむことを。

 

夔州東川卜居図詳細 001 

『遺懷』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

5

吾衰將焉託,存歿再嗚呼。

蕭條益堪愧,獨在天一隅。

乘黃已去矣,凡馬徒區區。

不復見顏鮑,繫舟臥荊巫。

臨餐吐更食,常恐違撫孤。


(下し文)
#5

吾 衰へて 將に 焉に託せんとする、存歿 再び鳴呼す。

蕭条 益ます 愧づるに堪へたり、獨り 天の一隅に在り。

乘黃 巳に去らぬ、凡馬 徒らに區區たり。

復た 顏鮑を見ず、舟を繋いで荊巫に臥す。

餐に臨みて吐て更に食す、常に恐る 撫弧に違はむことを。


(現代語訳)
親友である高適・李白の二君に対しても、一生一死、二度まで鳴呼の嘆を発することになった。

自分はこの老衰の身を以てどこに吾が身を託してよいのだろう。いまただひとり天のはてにいるが、まことにさびしくてますます恥しくおもうのである。

乘黄の駿馬というべき二人はさってしまいじぶんのようなやくざ馬がいたずらにこせついている。

ふたたび、顔延之ともいうべき高適と、鮑照というべき李白の二人を見ることはできず、じぶんは舟をつなぎとめて荊巫の地にうち臥している。

自分の身体はガタが来て、食事の際にも吐きだしたり、また食べたり、すこしもおちついたきもちになれないのである、それはいつも両君の遺児のお世話をしてあげたいとの念に違ってしまっていることが心配で仕方がないからである。


(訳注) 5

 

吾衰將焉託,存歿再嗚呼。

親友である高適・李白の二君に対しても、一生一死、二度まで鳴呼の嘆を発することになった。

存歿 765年高適は死に、李白は音信不通であったが762年死んだといううわさがあり、自分だけ生きているというほどの意。

再嗚呼 この詩に歌う二人は既に没している、したがって、再び嗚呼という。

 

蕭條益堪愧,獨在天一隅。

自分はこの老衰の身を以てどこに吾が身を託してよいのだろう。いまただひとり天のはてにいるが、まことにさびしくてますます恥しくおもうのである。

蕭條 ひっそりとしてもの寂しいさま。

 

乘黃已去矣,凡馬徒區區。

乘黄の駿馬というべき二人はさってしまいじぶんのようなやくざ馬がいたずらにこせついている。

乘黃 駿馬のことで、高卒を比す。

凡馬 以て自ら比す。

區區  ばらばらでまとまりのないさま。まちまち。 -としてまとまりがない」 -たる議論の為め努力の働らきを妨げられ/鬼啾々 夢柳」 小さくてとるに足りない...

 

不復見顏鮑,繫舟臥荊巫。

ふたたび、顔延之ともいうべき高適と、鮑照というべき李白の二人を見ることはできず、じぶんは舟をつなぎとめて荊巫の地にうち臥している。

顏鮑 宋の顔延之と鮑照、以て高適、李白に比す。

繋舟 成都を船出し、雲安にそして、夔州、奉節に船を繋留して寓居を構えていることをいう。

臥荊巫 荊州、巫山という楚地にいるといふ類い、夔州奉節に入る。

 

臨餐吐更食,常恐違撫孤。

自分の身体はガタが来て、食事の際にも吐きだしたり、また食べたり、すこしもおちついたきもちになれないのである、それはいつも両君の遺児のお世話をしてあげたいとの念に違ってしまっていることが心配で仕方がないからである。

吐更食 心がおちつかないことをいうが、糖尿病から各内臓まで悪くなっていたようだ。

違撫孤 親無し子、撫とは撫でて養うこと、違とは撫孤の志にたがうこと。高適、李白の遺児の世話をしようとは思う気持ちと違うことになっていることをいう。

 

 

 

 

遺懐-1
昔我遊宋中,惟梁孝王都。

名今陳留亞,劇則貝魏俱。

邑中九萬家,高棟照通衢。

舟車半天下,主客多歡

2

白刃讎不義,黃金傾有無。

殺人紅塵裡,報答在斯須。

憶與高李輩,論交人酒壚。

兩公壯藻思,得我色敷腴。

3

氣酣登吹臺,懷古視平蕪。

芒碭雲一去,雁騖空相呼。

先帝正好武,寰海未凋枯。

猛將收西域,長戟破林胡。

4

百萬攻一城,獻捷不云輸。

組練棄如泥,尺土負百夫。

拓境功未已,元和辭大爐。

亂離朋友盡,合沓月徂。

5

吾衰將焉託,存歿再嗚呼。

蕭條益堪愧,獨在天一隅。

乘黃已去矣,凡馬徒區區。

不復見顏鮑,繫舟臥荊巫。

臨餐吐更食,常恐違撫孤。

 

#1

昔 我 宋中に遊び,惟れ 梁の孝王の都なり。

名は今 陳留に亜ぐ、劇は則ち 貝魏倶なり。

邑中 九萬家、高棟 通衛を照らす。

舟車 天下に半なり、主客 歓娯 多し。

#2

白刃不義に讎す、黃金 有無を傾ける。

人を殺す 紅塵の裏.報答 斯須に在り。 

憶ふ 高と李とが輩と、交を論じて 酒壚に入る。

両公 藻思 牡んなり、我を得て色数腴たり。

#3

氣酣にして吹臺に登る、古を懐うて平蕪を視る。

芒碭 雲一去、雁騖 空しく相い呼ぶ。 

先帝 正に武を好む、寰海 未だ凋枯せず。

猛將 西域を収め、長戟 林胡を破る。

#4

百萬 一城を攻む、捷を献じて 輸けたちと云わず。

組練 棄つること泥の如し、尺士 百夫に負く。

拓境 功未だ巳ます、元和 大爐を辭す。

乱離 朋友 尽く、合沓 歳月 く。

#5

吾 衰へて 將に 焉に託せんとする、存歿 再び鳴呼す。

蕭条 益ます 愧づるに堪へたり、獨り 天の一隅に在り。

乘黃 巳に去らぬ、凡馬 徒らに區區たり。

復た 顏鮑を見ず、舟を繋いで荊巫に臥す。

餐に臨みて吐て更に食す、常に恐る 撫弧に違はむことを。
杜甫55歳756年作品 

杜甫 《1515 遺懷-#4》【5分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-51 <915-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6035

杜甫 《遺懷》-#45分割】

百萬攻一城,獻捷不云輸。

組練棄如泥,尺土負百夫。

拓境功未已,元和辭大爐。

亂離朋友盡,合沓月徂。

かくして邊境を開拓・拡張する功がまだおわらぬうちに、陰陽の調和した気である太和の元気は天地から去ってしまい、世は大乱となったのである。

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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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杜甫詩1500-915-#4-1378/2500

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    遺懷

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:宋州 (河南道 宋州 宋州) 別名:宋  

陳留 (河南道 汴州 陳留)              

貝州 (河北道南部 貝州 貝州)       

魏州 (河北道南部 魏州 魏州)       

荊山 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)   

 

 

遺懷-1

(旧友の高適と李白と一緒に遊んだ若い日のことを思い浮かべ、今胸に在るうさを遣るために詠んだ詩)

昔我遊宋中,惟梁孝王都。

むかし自分は宋州に遊んだことがある。そこは梁の孝王の都であったところである。

名今陳留亞,劇則貝魏俱。

その名高さは陳留の次位ぐらいだが、要衝の地であるだけに繁劇さは貝州・魏州と同列になるほどである。

邑中九萬家,高棟照通衢。

その宋州の城内には九萬家もあり、富貴の邸宅の高い棟木が四通りにならび、街路をあからく照らしている。

舟車半天下,主客多歡

水駅と陸駅があり、物資がここに集積され、発送されるから、天下の舟車の半分はここに集まってくる、土地の者のものも、他所のものも皆寄り集まって、面白く過すのである。

2

白刃讎不義,黃金傾有無。

土地の風は豪侠で、不義・不貞の者には、白刃を以てかたきうちをするし、黄金は有る無しにかかわらずありったけものを散財して宵越しの金を残さないという。

殺人紅塵裡,報答在斯須。

ここでは、うけた行為にしばしの間に仕返しがおこなわれ、市街地の砂塵に乾燥した血の塵が混じっているように思えるほど刃傷沙汰がある。

憶與高李輩,論交人酒壚。

今でも思い出すのは、自分は、高適と李白らと交わりをむすんで酒屋へ飲みにはいったときのことだ。

兩公壯藻思,得我色敷腴。

高適と李白の二人は文学思想がさかんなるものであったが、自分を得て彼等の顔つきが更にのびのびした様であった。

#2

白刃不義に讎す、黃金 有無を傾ける。

人を殺す 紅塵の裏.報答 斯須に在り。 

憶ふ 高と李とが輩と、交を論じて 酒壚に入る。

両公 藻思 牡んなり、我を得て色数腴たり。

3

氣酣登吹臺,懷古視平蕪。

酔いがまわって元気づいてきたので、我我はともに吹臺に登り、荒れた平野を見ながら古の大禹が治水の功や師曠が樂曲を吹奏した過去を追懐した。

芒碭雲一去,雁騖空相呼。

芒場の方面をみると孔子、始皇帝、漢の高祖と帝王の雲気は去ってしまったのだろうか、あたりにはただ雁や鶩が呼びかわしているばかりであった。

先帝正好武,寰海未凋枯。

そのころ先帝(玄宗)にはちょうど武芸をお好みであり、天下はまだ疲弊してはいなかった。

猛將收西域,長戟破林胡。

猛将は西域地方を吾が手に収め、西域の領土を広げる、また長戟をふるって林胡をもうち破って、東北の領土も広げた。

氣酣にして吹臺に登る、古を懐うて平蕪を視る。

芒碭 雲一去、雁騖 空しく相い呼ぶ。 

先帝 正に武を好む、寰海 未だ凋枯せず。

猛將 西域を収め、長戟 林胡を破る。

4

百萬攻一城,獻捷不云輸。

腕に自慢の武将どもは百萬の兵を以て敵の一城を攻めたのであるが、いつも捷【かち】をたてまつるばかりで、敗けでも、また、負けたとはいいわないのである。

組練棄如泥,尺土負百夫。

それで将軍から兵卒に賜る組練は泥土を棄てる如くやたらに賜り、精鋭の兵士がまるで泥のように棄てられたのである。人の生命をも粗末に取り扱われ、百人を死なせて、やっと一尺の土地をわがものとするというほどで、本人にはまことにすまぬことであった。

拓境功未已,元和辭大爐。

かくして邊境を開拓・拡張する功がまだおわらぬうちに、陰陽の調和した気である太和の元気は天地から去ってしまい、世は大乱となったのである。

亂離朋友盡,合沓月徂。

安史の乱という大騒乱のうちにはなられ離れに自分の友だちもなくなり、歳月も、それからそれへと経過してしまった。

5

吾衰將焉託,存歿再嗚呼。

蕭條益堪愧,獨在天一隅。

乘黃已去矣,凡馬徒區區。

不復見顏鮑,繫舟臥荊巫。

臨餐吐更食,常恐違撫孤。

 

#1

昔 我 宋中に遊び,惟れ 梁の孝王の都なり。

名は今 陳留に亜ぐ、劇は則ち 貝魏倶なり。

邑中 九萬家、高棟 通衛を照らす。

舟車 天下に半なり、主客 歓娯 多し。

#2

白刃不義に讎す、黃金 有無を傾ける。

人を殺す 紅塵の裏.報答 斯須に在り。 

憶ふ 高と李とが輩と、交を論じて 酒壚に入る。

両公 藻思 牡んなり、我を得て色数腴たり。

#3

氣酣にして吹臺に登る、古を懐うて平蕪を視る。

芒碭 雲一去、雁騖 空しく相い呼ぶ。 

先帝 正に武を好む、寰海 未だ凋枯せず。

猛將 西域を収め、長戟 林胡を破る。

#4

百萬 一城を攻む、捷を献じて 輸けたちと云わず。

組練 棄つること泥の如し、尺士 百夫に負く。

拓境 功未だ巳ます、元和 大爐を辭す。

乱離 朋友 尽く、合沓 歳月 徂く。

#5

吾 衰へて 將に 焉に託せんとする、存歿 再び鳴呼す。

蕭条 益ます 愧づるに堪へたり、獨り 天の一隅に在り。

乘黃 巳に去らぬ、凡馬 徒らに區區たり。

復た 顏鮑を見ず、舟を繋いで荊巫に臥す。

餐に臨みて吐て更に食す、常に恐る 撫弧に違はむことを。

 

 

『遺懷』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

杜甫 《遺懷》-#45分割】

百萬攻一城,獻捷不云輸。

組練棄如泥,尺土負百夫。

拓境功未已,元和辭大爐。

亂離朋友盡,合沓月徂。


(下し文) #4

百萬 一城を攻む、捷を献じて 輸けたちと云わず。

組練 棄つること泥の如し、尺士 百夫に負く。

拓境 功未だ巳ます、元和 大爐を辭す。

乱離 朋友 尽く、合沓 歳月 徂く。

(現代語訳)
腕に自慢の武将どもは百萬の兵を以て敵の一城を攻めたのであるが、いつも捷【かち】をたてまつるばかりで、敗けでも、また、負けたとはいいわないのである。

それで将軍から兵卒に賜る組練は泥土を棄てる如くやたらに賜り、精鋭の兵士がまるで泥のように棄てられたのである。人の生命をも粗末に取り扱われ、百人を死なせて、やっと一尺の土地をわがものとするというほどで、本人にはまことにすまぬことであった。

かくして邊境を開拓・拡張する功がまだおわらぬうちに、陰陽の調和した気である太和の元気は天地から去ってしまい、世は大乱となったのである。

安史の乱という大騒乱のうちにはなられ離れに自分の友だちもなくなり、歳月も、それからそれへと経過してしまった。



(訳注) 杜甫 《遺懷》-#45分割】

遺懷 

(旧友の高適と李白と一緒に遊んだ若い日のことを思い浮かべ、今胸に在るうさを遣るために詠んだ詩)

自叙伝というべき1514壯遊》は少年壮年時、天下を周遊したことを述べ、且つ、老後の感慨を述べたものであったが、その続編というべき作品である。

同時期の自叙伝シリーズ

1.《巻1512 往在》

766年大暦元年55-48【8分割】 《巻1512 往在 -1 杜甫index-15 杜甫<911 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5865

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5.《巻1515 遺懷》

 

百萬攻一城,獻捷不云輸。

腕に自慢の武将どもは百萬の兵を以て敵の一城を攻めたのであるが、いつも捷【かち】をたてまつるばかりで、敗けでも、また、負けたとはいいわないのである。

獻捷不云輸 体裁を取り繕ってものをいい、負けても負けたといわず、逆に勝ったということ。◗不云輸:負けても負けたといわず、逆に勝ったという。

 

組練棄如泥,尺土負百夫。

それで将軍から兵卒に賜る組練は泥土を棄てる如くやたらに賜り、精鋭の兵士がまるで泥のように棄てられたのである。人の生命をも粗末に取り扱われ、百人を死なせて、やっと一尺の土地をわがものとするというほどで、本人にはまことにすまぬことであった。

組練 組紐で縛った練きぬのことでたまわりもの。《左傳襄公三年》「 楚子重使鄧廖帥組甲三百, 被練三千以侵」には訓練をよくした精兵の意味で使うが、その意味では「精鋭の兵士がまるで泥のように棄てられた」という解釈になるが、この時の兵士は、精鋭の兵とはいえないのであるが。

棄如泥 泥土を棄てる如くやたらに褒賞を賜る。それが、とるにたらないわずかな功績であってもというほどの意。

尺土 わずかな土地。

負百夫 尺土の土地を攻めとるのに、百人の兵卒の死を伴うという闘いをするので、天子から預かった兵卒を粗末に扱うということを述べている。、

 

拓境功未已,元和辭大爐。

かくして邊境を開拓・拡張する功がまだおわらぬうちに、陰陽の調和した気である太和の元気は天地から去ってしまい、世は大乱となったのである。

拓境 国境を開拓する。領土拡張、あるいは屯田兵をいう。唐の玄宗の開元の時、東西南北もっとも拡張期であった。西域においても、東北方面の安禄山など、私腹を肥やし、自分の私兵を強化した。

元和 陰陽道でいう、太和の気が元気であること。世の中がよく治まるための気がげんきである。・太和:陰陽の調和した気。世の中がきわめてよく収まっていること。

大爐 大きな溶鉱炉。世界全体を比喩する。天地を大きな火床に喩えた、《荘子、大宗師第六》「今一以天地為大爐,以造化為大冶,惡乎往而不可哉!。」(今、一たび天地を以て大爐(爐は罏に同じ)と為し、造化を以て大冶と為さば、惡【いずく】にか往くとして可ならざらん」“今、天地をおおきな火床に考え、造物主を立派な鍛冶師とみたてたならば、(つまり、造物主に思いを任せて)何に生れ変わっても良いではないか”に基づく。

李商隠《異俗二首其二》「賈生兼事鬼、不信有洪爐。」とつかう。

 

亂離朋友盡,合沓月徂。

安史の乱という大騒乱のうちにはなられ離れに自分の友だちもなくなり、歳月も、それからそれへと経過してしまった。

合沓 それからそれへと相次いで。

杜甫 《1515 遺懷-#3》【5分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-51 <915-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6030

杜甫  遺懷#3  
氣酣登吹臺,懷古視平蕪。芒碭雲一去,雁騖空相呼。

先帝正好武,寰海未凋枯。猛將收西域,長戟破林胡。

猛将は西域地方を吾が手に収め、西域の領土を広げる、また長戟をふるって林胡をもうち破って、東北の領土も広げた。

 

杜甫 1515 遺懷-#3》【5分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-51 <915-#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6030 杜甫詩1500-915-#3-1377/2500

 
 2015年5月21日の紀頌之5つのBlog 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog牛嶠《巻四01夢江南二首其一》『花間集』152全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6032 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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杜甫詩1500-915-#3-1377/2500


年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    遺懷

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:宋州 (河南道 宋州 宋州) 別名:宋  

陳留 (河南道 汴州 陳留)              

貝州 (河北道南部 貝州 貝州)       

魏州 (河北道南部 魏州 魏州)       

荊山 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)   

 

 

遺懷-1

(旧友の高適と李白と一緒に遊んだ若い日のことを思い浮かべ、今胸に在るうさを遣るために詠んだ詩)

昔我遊宋中,惟梁孝王都。

むかし自分は宋州に遊んだことがある。そこは梁の孝王の都であったところである。

名今陳留亞,劇則貝魏俱。

その名高さは陳留の次位ぐらいだが、要衝の地であるだけに繁劇さは貝州・魏州と同列になるほどである。

邑中九萬家,高棟照通衢。

その宋州の城内には九萬家もあり、富貴の邸宅の高い棟木が四通りにならび、街路をあからく照らしている。

舟車半天下,主客多歡

水駅と陸駅があり、物資がここに集積され、発送されるから、天下の舟車の半分はここに集まってくる、土地の者のものも、他所のものも皆寄り集まって、面白く過すのである。

2

白刃讎不義,黃金傾有無。

土地の風は豪侠で、不義・不貞の者には、白刃を以てかたきうちをするし、黄金は有る無しにかかわらずありったけものを散財して宵越しの金を残さないという。

殺人紅塵裡,報答在斯須。

ここでは、うけた行為にしばしの間に仕返しがおこなわれ、市街地の砂塵に乾燥した血の塵が混じっているように思えるほど刃傷沙汰がある。

憶與高李輩,論交人酒壚。

今でも思い出すのは、自分は、高適と李白らと交わりをむすんで酒屋へ飲みにはいったときのことだ。

兩公壯藻思,得我色敷腴。

高適と李白の二人は文学思想がさかんなるものであったが、自分を得て彼等の顔つきが更にのびのびした様であった。

#2

白刃不義に讎す、黃金 有無を傾ける。

人を殺す 紅塵の裏.報答 斯須に在り。 

憶ふ 高と李とが輩と、交を論じて 酒壚に入る。

両公 藻思 牡んなり、我を得て色数腴たり。

3

氣酣登吹臺,懷古視平蕪。

酔いがまわって元気づいてきたので、我我はともに吹臺に登り、荒れた平野を見ながら古の大禹が治水の功や師曠が樂曲を吹奏した過去を追懐した。

芒碭雲一去,雁騖空相呼。

芒場の方面をみると孔子、始皇帝、漢の高祖と帝王の雲気は去ってしまったのだろうか、あたりにはただ雁や鶩が呼びかわしているばかりであった。

先帝正好武,寰海未凋枯。

そのころ先帝(玄宗)にはちょうど武芸をお好みであり、天下はまだ疲弊してはいなかった。

猛將收西域,長戟破林胡。

猛将は西域地方を吾が手に収め、西域の領土を広げる、また長戟をふるって林胡をもうち破って、東北の領土も広げた。

氣酣にして吹臺に登る、古を懐うて平蕪を視る。

芒碭 雲一去、雁騖 空しく相い呼ぶ。 

先帝 正に武を好む、寰海 未だ凋枯せず。

猛將 西域を収め、長戟 林胡を破る。

4

百萬攻一城,獻捷不云輸。

組練棄如泥,尺土負百夫。

拓境功未已,元和辭大爐。

亂離朋友盡,合沓月徂。

5

吾衰將焉託,存歿再嗚呼。

蕭條益堪愧,獨在天一隅。

乘黃已去矣,凡馬徒區區。

不復見顏鮑,繫舟臥荊巫。

臨餐吐更食,常恐違撫孤。

 

#1

昔 我 宋中に遊び,惟れ 梁の孝王の都なり。

名は今 陳留に亜ぐ、劇は則ち 貝魏倶なり。

邑中 九萬家、高棟 通衛を照らす。

舟車 天下に半なり、主客 歓娯 多し。

#2

白刃不義に讎す、黃金 有無を傾ける。

人を殺す 紅塵の裏.報答 斯須に在り。 

憶ふ 高と李とが輩と、交を論じて 酒壚に入る。

両公 藻思 牡んなり、我を得て色数腴たり。

#3

氣酣にして吹臺に登る、古を懐うて平蕪を視る。

芒碭 雲一去、雁騖 空しく相い呼ぶ。 

先帝 正に武を好む、寰海 未だ凋枯せず。

猛將 西域を収め、長戟 林胡を破る。

#4

百萬 一城を攻む、捷を献じて 輸けたちと云わず。

組練 棄つること泥の如し、尺士 百夫に負く。

拓境 功未だ巳ます、元和 大爐を辭す。

乱離 朋友 尽く、合沓 歳月 徂く。

#5

吾 衰へて 將に 焉に託せんとする、存歿 再び鳴呼す。

蕭条 益ます 愧づるに堪へたり、獨り 天の一隅に在り。

乘黃 巳に去らぬ、凡馬 徒らに區區たり。

復た 顏鮑を見ず、舟を繋いで荊巫に臥す。

餐に臨みて吐て更に食す、常に恐る 撫弧に違はむことを。

 

 

『遺懷』 現代語訳と訳註解説
(
本文)#3

氣酣登吹臺,懷古視平蕪。

芒碭雲一去,雁騖空相呼。

先帝正好武,寰海未凋枯。

猛將收西域,長戟破林胡。


(下し文)
氣酣にして吹臺に登る、古を懐うて平蕪を視る。

芒碭 雲一去、雁騖【がんぼく】 空しく相い呼ぶ。 

先帝 正に武を好む、寰海 未だ凋枯せず。

猛將 西域を収め、長戟 林胡を破る。


(現代語訳)
酔いがまわって元気づいてきたので、我我はともに吹臺に登り、荒れた平野を見ながら古の大禹が治水の功や師曠が樂曲を吹奏した過去を追懐した。

芒場の方面をみると孔子、始皇帝、漢の高祖と帝王の雲気は去ってしまったのだろうか、あたりにはただ雁や鶩が呼びかわしているばかりであった。

そのころ先帝(玄宗)にはちょうど武芸をお好みであり、天下はまだ疲弊してはいなかった。

猛将は西域地方を吾が手に収め、西域の領土を広げる、また長戟をふるって林胡をもうち破って、東北の領土も広げた。


(訳注)

 

氣酣登吹臺,懷古視平蕪。

酔いがまわって元気づいてきたので、我我はともに吹臺に登り、荒れた平野を見ながら古の大禹が治水の功や師曠が樂曲を吹奏した過去を追懐した。

氣酣 酔って気が高まったことをいう。酔って気焔をあげる、最高潮となる。。

吹臺 開封府城東南六里にあり、師曠の吹臺のこと。開封城東南の禹王台のことである。相傳によると春秋時、晉國の大音樂家である師曠が,此において樂曲を吹奏したということではやくからここを“吹台”といった。後世になって開封が屢しば黃河の洪水で水患に遭った。大禹が治水の功をおこなったことを思い,明嘉靖二年(西元1523年),古吹臺を改修建築し「禹王廟」とした。

平蕪  雑草の生い茂った野原、平地。

 

芒碭雲一去,雁騖空相呼。

芒場の方面をみると孔子、始皇帝、漢の高祖と帝王の雲気は去ってしまったのだろうか、あたりにはただ雁や鶩が呼びかわしているばかりであった。

芒碭雲一去 芒山、碭山のふたつのやまであるが、そこには芒山西部に,夫子山(14)孔子が列国を周游したとき、此の地で避雨したというので名づけられている。芒碭山は豫、皖、蘇、魯四省結合部的な位置関係にあり、河南省永城市芒山鎮は“仙女峰”と稱している。また、芒碭山に漢の高祖劉邦が仲間と隠れる。これらによって古老、秀麗、新奇な芒碭十三峰は雲気のあるところとされる。(孔子は列国を周遊する時は雨宿りにここに来た。秦始皇は東南方に天子気を望み、鎮圧に東遊した。漢高祖劉邦は紫気岩に隠居し、ここで白蛇を断ち切り、蜂起軍の旗を揚げ、帝業を成し遂げた。漢文帝劉恒はここで高祖廟を建て、自ら祭祀に行った。)こうした雲気の上がる山であったものが、その雲気はどこかへ逝ってしまったようだという意。

雁騖空相呼 騖は鶩で現在の野鴨のことである。雁の使い。《「漢書」蘇武伝の、匈奴(きょうど)に捕らえられた前漢の蘇武が、手紙を雁の足に結びつけて放ったという故事から》便り。手紙。かりのたまずさ。かりのたより。かりのふみ。雁書。雁使(がんし)。雁騖陂という堤があり、漢の高祖の所縁の地でもある

 

先帝正好武,寰海未凋枯。

そのころ先帝(玄宗)にはちょうど武芸をお好みであり、天下はまだ疲弊してはいなかった。

先帝 玄宗。正好武は一芸に秀でた者を集めたことをいう。

寰海 四海の内、天下。

未凋枯 いまだに疲弊し切っているわけではない。「開元の治」として唐王朝のもっとも繁栄した時期であった。杜甫がこの作品を書いた時期は、経済的にも尤も生産力が落ちている時期である。

 

猛將收西域,長戟破林胡。

猛将は西域地方を吾が手に収め、西域の領土を広げる、また長戟をふるって林胡をもうち破って、東北の領土も広げた。

猛將收西域 開元の時期は唐が最も広域な領土を有していたことをいう。唐の羈縻支配と冊封政策は中央アジアにまで及んでいる。751年にトゥーラーンの支配権を巡ってアッバース朝との間に起こったタラス河畔の戦いに敗れた。これによって西域のバランスは崩れ、西南の吐蕃、回紇が侵犯するようになってくる。

長戟 長い戈。

破林胡 林胡は契丹のことで、安禄山が契丹を破り、東北方面も領土を広げる。このことで玄宗は、安禄山を特別に可愛がる。

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遺懷-#2》【5分割】 杜甫詩  

白刃讎不義,黃金傾有無。

殺人紅塵裡,報答在斯須。

憶與高李輩,論交人酒壚。

兩公壯藻思,得我色敷腴。
今でも思い出すのは、自分は、高適と李白らと交わりをむすんで酒屋へ飲みにはいったときのことだ。高適と李白の二人は文学思想がさかんなるものであったが、自分を得て彼等の顔つきが更にのびのびした様であった。

 


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杜甫詩1500-915-#2-1376/2500

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    遺懷

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:宋州 (河南道 宋州 宋州) 別名:宋  

陳留 (河南道 汴州 陳留)              

貝州 (河北道南部 貝州 貝州)       

魏州 (河北道南部 魏州 魏州)       

荊山 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)   

 


 


遺懷-1

(旧友の高適と李白と一緒に遊んだ若い日のことを思い浮かべ、今胸に在るうさを遣るために詠んだ詩)

昔我遊宋中,惟梁孝王都。

むかし自分は宋州に遊んだことがある。そこは梁の孝王の都であったところである。

名今陳留亞,劇則貝魏俱。

その名高さは陳留の次位ぐらいだが、要衝の地であるだけに繁劇さは貝州・魏州と同列になるほどである。

邑中九萬家,高棟照通衢。

その宋州の城内には九萬家もあり、富貴の邸宅の高い棟木が四通りにならび、街路をあからく照らしている。

舟車半天下,主客多歡

水駅と陸駅があり、物資がここに集積され、発送されるから、天下の舟車の半分はここに集まってくる、土地の者のものも、他所のものも皆寄り集まって、面白く過すのである。

2

白刃讎不義,黃金傾有無。

土地の風は豪侠で、不義・不貞の者には、白刃を以てかたきうちをするし、黄金は有る無しにかかわらずありったけものを散財して宵越しの金を残さないという。

殺人紅塵裡,報答在斯須。

ここでは、うけた行為にしばしの間に仕返しがおこなわれ、市街地の砂塵に乾燥した血の塵が混じっているように思えるほど刃傷沙汰がある。

憶與高李輩,論交人酒壚。

今でも思い出すのは、自分は、高適と李白らと交わりをむすんで酒屋へ飲みにはいったときのことだ。

兩公壯藻思,得我色敷腴。

高適と李白の二人は文学思想がさかんなるものであったが、自分を得て彼等の顔つきが更にのびのびした様であった。

#2

白刃不義に讎す、黃金 有無を傾ける。

人を殺す 紅塵の裏.報答 斯須に在り。 

憶ふ 高と李とが輩と、交を論じて 酒壚に入る。

両公 藻思 牡んなり、我を得て色数腴たり。


 


『遺懷』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
2

白刃讎不義,黃金傾有無。

殺人紅塵裡,報答在斯須。

憶與高李輩,論交人酒壚。

兩公壯藻思,得我色敷腴。

(下し文)
#2

白刃不義に讎す、黃金 有無を傾ける。

人を殺す 紅塵の裏.報答 斯須に在り。 

憶ふ 高と李とが輩と、交を論じて 酒壚に入る。

両公 藻思 牡んなり、我を得て色数腴たり。

(現代語訳)
土地の風は豪侠で、不義・不貞の者には、白刃を以てかたきうちをするし、黄金は有る無しにかかわらずありったけものを散財して宵越しの金を残さないという。

ここでは、うけた行為にしばしの間に仕返しがおこなわれ、市街地の砂塵に乾燥した血の塵が混じっているように思えるほど刃傷沙汰がある。
今でも思い出すのは、自分は、高適と李白らと交わりをむすんで酒屋へ飲みにはいったときのことだ。

高適と李白の二人は文学思想がさかんなるものであったが、自分を得て彼等の顔つきが更にのびのびした様であった。李白の足跡003(訳注) 2

遺懷 

(旧友の高適と李白と一緒に遊んだ若い日のことを思い浮かべ、今胸に在るうさを遣るために詠んだ詩)

自叙伝というべき1514壯遊》は少年壮年時、天下を周遊したことを述べ、且つ、老後の感慨を述べたものであったが、その続編というべき作品である。

同時期の自叙伝シリーズ

1.《巻1512 往在》

766年大暦元年55-48【8分割】 《巻1512 往在 -1 杜甫index-15 杜甫<911 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5865

2《巻1513 昔遊》

766年大暦元年55-49【5分割】 《巻1513 昔遊 -1 杜甫index-15 杜甫<912-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5905

3. 《巻2084 昔遊二首其一 -1

杜甫 《巻20・84 昔遊二首其一 -1》【4分割】 杜甫詩index-15-767年大暦元年56-83 <913-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5930 杜甫詩1500-913-#1-1357/2500

4.《巻1514 壯遊》

66年大暦元年55-50 《1514壯遊-#1》【14分割】 杜甫index-15 杜甫<916 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5925

5.《巻1515 遺懷》

 


白刃讎不義,黃金傾有無。

土地の風は豪侠で、不義・不貞の者には、白刃を以てかたきうちをするし、黄金は有る無しにかかわらずありったけものを散財して宵越しの金を残さないという。

讎不義 不義の者へ復讐する。・不義:1 人として守るべき道にはずれること。また、その行い。2 男女が道に背いた関係を結ぶこと。密通。3 律の八虐の一。師や長官などを殺すこと。

傾有無 財産が有る無しにかかわらず傾倒すること。

 


殺人紅塵裡,報答在斯須。

ここでは、うけた行為にしばしの間に仕返しがおこなわれ、市街地の砂塵に乾燥した血の塵が混じっているように思えるほど刃傷沙汰がある。  

紅塵裡 市街地の砂塵に乾燥した血の塵が混じっているように思えるほど刃傷沙汰がある。

報答在斯須 ・報答:うけた行為に仕返しをする。・斯須:須臾と同じ。短い時間。しばらくの間。ほんの少しの間。《禮記祭義》「禮樂不可斯須去身。」杜甫《哀王孫》「不敢長語臨交衢, 且為王孫立斯須。」

 


憶與高李輩,論交人酒壚。

今でも思い出すのは、自分は、高適と李白らと交わりをむすんで酒屋へ飲みにはいったときのことだ。

高李輩 高適と李白。杜甫《巻1513 昔遊》744年 天宝3載 33歳のころ、高適、李白と杜甫の三人は秋の終わりから冬のはじめにかけて、宋州 單父縣、孟諸沢で狩りの遊んだ時のことを思い浮かべて現時の感をのべたもの)「昔者與高李,晚登單父臺。」・單父臺 單父は県名。河南道 宋州 單父縣。(現在、山東省曹州府單縣治)單父縣の北一里に宓子賤が琴を弾じた、琴台があり、高さ三丈、單父臺は琴台をさす。李白《秋獵孟諸夜歸屋酒單父東樓觀妓》詩(1)、高適《同羣公秋登琴臺》《同羣公出獵海上》詩(2)と詠っている。杜甫の自叙伝ともいうべき五言古詩、『遣懐』『昔遊』は李白、高適と遊んだことの思い出を詠っている。「壮遊」『遣懐』『昔遊』766年大暦元年55歳のときの作品である。「

酒壚 酒を売る店の店先に据え置いている竃、甕を設置していることをいう。

 


兩公壯藻思,得我色敷腴。

高適と李白の二人は文学思想がさかんなるものであったが、自分を得て彼等の顔つきが更にのびのびした様であった。

兩公 高適と李白。

壯藻思 文学に対する思いが盛んであること。

色敷腴 にこやかにのびのびした顔つきをいう。

杜甫 《1515 遺懷-#1》【5分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-51 <915-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6020

遺懐-1
昔我遊宋中,惟梁孝王都。

名今陳留亞,劇則貝魏俱。

邑中九萬家,高棟照通衢。

舟車半天下,主客多歡

(旧友の高適と李白と一緒に遊んだ若い日のことを思い浮かべ、今胸に在るうさを遣るために詠んだ詩)むかし自分は宋州に遊んだことがある。そこは梁の孝王の都であったところである。

その名高さは陳留の次位ぐらいだが、要衝の地であるだけに繁劇さは貝州・魏州と同列になるほどである。

 

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 2015年5月19日の紀頌之5つのBlog 
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243-#1 《巻05-35 長歌行 #1》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <243-#1> Ⅰ李白詩1494 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6018 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
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  杜甫詩1500-915-#1-1375/2500

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    遺懷

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:宋州 (河南道 宋州 宋州) 別名:宋  

陳留 (河南道 汴州 陳留)              

貝州 (河北道南部 貝州 貝州)       

魏州 (河北道南部 魏州 魏州)       

荊山 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)   

 

 

遺懷-1

(旧友の高適と李白と一緒に遊んだ若い日のことを思い浮かべ、今胸に在るうさを遣るために詠んだ詩)

昔我遊宋中,惟梁孝王都。

むかし自分は宋州に遊んだことがある。そこは梁の孝王の都であったところである。

名今陳留亞,劇則貝魏俱。

その名高さは陳留の次位ぐらいだが、要衝の地であるだけに繁劇さは貝州・魏州と同列になるほどである。

邑中九萬家,高棟照通衢。

その宋州の城内には九萬家もあり、富貴の邸宅の高い棟木が四通りにならび、街路をあからく照らしている。

舟車半天下,主客多歡

水駅と陸駅があり、物資がここに集積され、発送されるから、天下の舟車の半分はここに集まってくる、土地の者のものも、他所のものも皆寄り集まって、面白く過すのである。

2

白刃讎不義,黃金傾有無。

殺人紅塵裡,報答在斯須。

憶與高李輩,論交人酒壚。

兩公壯藻思,得我色敷腴。

3

氣酣登吹臺,懷古視平蕪。

芒碭雲一去,雁騖空相呼。

先帝正好武,寰海未凋枯。

猛將收西域,長戟破林胡。

4

百萬攻一城,獻捷不云輸。

組練棄如泥,尺土負百夫。

拓境功未已,元和辭大爐。

亂離朋友盡,合沓月徂。

5

吾衰將焉託,存歿再嗚呼。

蕭條益堪愧,獨在天一隅。

乘黃已去矣,凡馬徒區區。

不復見顏鮑,繫舟臥荊巫。

臨餐吐更食,常恐違撫孤。

 

#1

昔 我 宋中に遊び,惟れ 梁の孝王の都なり。

名は今 陳留に亜ぐ、劇は則ち 貝魏倶なり。

邑中 九萬家、高棟 通衛を照らす。

舟車 天下に半なり、主客 歓娯 多し。

#2

白刃不義に讎す、黃金 有無を傾ける。

人を殺す 紅塵の裏.報答 斯須に在り。 

憶ふ 高と李とが輩と、交を論じて 酒壚に入る。

両公 藻思 牡んなり、我を得て色数腴たり。

#3

氣酣にして吹臺に登る、古を懐うて平蕪を視る。

芒碭 雲一去、雁騖 空しく相い呼ぶ。 

先帝 正に武を好む、寰海 未だ凋枯せず。

猛將 西域を収め、長戟 林胡を破る。

#4

百萬 一城を攻む、捷を献じて 輸けたちと云わず。

組練 棄つること泥の如し、尺士 百夫に負く。

拓境 功未だ巳ます、元和 大爐を辭す。

乱離 朋友 尽く、合沓 歳月 く。

#5

吾 衰へて 將に 焉に託せんとする、存歿 再び鳴呼す。

蕭条 益ます 愧づるに堪へたり、獨り 天の一隅に在り。

乘黃 巳に去らぬ、凡馬 徒らに區區たり。

復た 顏鮑を見ず、舟を繋いで荊巫に臥す。

餐に臨みて吐て更に食す、常に恐る 撫弧に違はむことを。

 

 

taigennankin88 

 

『遺懷』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

遺懐-1
昔我遊宋中,惟梁孝王都。

名今陳留亞,劇則貝魏俱。

邑中九萬家,高棟照通衢。

舟車半天下,主客多歡

(下し文)
#1

昔 我 宋中に遊び,惟れ 梁の孝王の都なり。

名は今 陳留に亜ぐ、劇は則ち 貝魏倶なり。

邑中 九萬家、高棟 通衛を照らす。

舟車 天下に半なり、主客 歓娯 多し。


(現代語訳)
(旧友の高適と李白と一緒に遊んだ若い日のことを思い浮かべ、今胸に在るうさを遣るために詠んだ詩)

むかし自分は宋州に遊んだことがある。そこは梁の孝王の都であったところである。

その名高さは陳留の次位ぐらいだが、要衝の地であるだけに繁劇さは貝州・魏州と同列になるほどである。

その宋州の城内には九萬家もあり、富貴の邸宅の高い棟木が四通りにならび、街路をあからく照らしている。

水駅と陸駅があり、物資がここに集積され、発送されるから、天下の舟車の半分はここに集まってくる、土地の者のものも、他所のものも皆寄り集まって、面白く過すのである。


(訳注)

遺懷 

(旧友の高適と李白と一緒に遊んだ若い日のことを思い浮かべ、今胸に在るうさを遣るために詠んだ詩)

自叙伝というべき1514壯遊》は少年壮年時、天下を周遊したことを述べ、且つ、老後の感慨を述べたものであったが、その続編というべき作品である。

同時期の自叙伝シリーズ

1.《巻1512 往在》

766年大暦元年55-48【8分割】 《巻1512 往在 -1 杜甫index-15 杜甫<911 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5865

2《巻1513 昔遊》

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3. 《巻2084 昔遊二首其一 -1

杜甫 《巻20・84 昔遊二首其一 -1》【4分割】 杜甫詩index-15-767年大暦元年56-83 <913-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5930 杜甫詩1500-913-#1-1357/2500

4.《巻1514 壯遊》

66年大暦元年55-50 《1514壯遊-#1》【14分割】 杜甫index-15 杜甫<916 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5925

5.《巻1515 遺懷》

 

昔我遊宋中,惟梁孝王都。

むかし自分は宋州に遊んだことがある。そこは梁の孝王の都であったところである。

昔我 天寶三、四載のころ。(744745年、33~34歳)741年年開元29載に洛陽に帰る。744年祖母が没し墓誌を作るまで洛陽に在った。夏に李白と出遭う。秋に、李白、高適と一緒に梁、宋(河南)に遊ぶ。

宋中 宋は宋州をいい、中は城郭の中をいう。宋州は(河南道、宋州で別名、宋という。

梁孝王都  梁の孝王、名は武、漢の文帝と竇皇后との間に生れる、長子は景帝、次は孝王なり、文帝の十二年に梁に徙封せらる。睢陽に都す、即ち商丘縣の地なり。景帝の五年、孝王睢城を廣むること七十里、大に宮室を治む。東苑を築く、方三百余里。

漢代梁孝王所營建的園囿。在河南省開封縣東南。唐.杜甫〈寄李十二白二十韻〉:「醉舞梁園夜,行歌泗水春。」寄李十二白 二十韻 杜甫 <232-#2> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1133 杜甫特集700- 342

唐.李白〈梁園吟〉:「平臺為客憂思多,對酒遂作梁園歌。」梁苑。前漢の文帝の子、景帝の弟、梁孝王劉武が築いた庭園。現在の河南省開封府商丘市東南5kmに在った。宋の都となった。『史記』巻五十八「梁孝王世家」の「史記正義」「吟」は、詩歌の一体。この詩は、第一次在京期の後、長安を離れて梁園に遊んだおり、三十一歳の作と考えられる。梁の孝王が築いた園の名。現・河南省東部、商丘の東にある。竹が多く、修竹園とも呼ばれた。宮室の庭園。『史記・世家・梁孝王』に「孝王,竇太后少子也,愛之,賞賜不可勝道。於是孝王築東苑,方三百餘里。廣陽城七十里。」とある。王昌齡の『梁苑』「梁園秋竹古時煙,城外風悲欲暮天。萬乘旌旗何處在,平臺賓客有誰憐。

169 -1(改訂版) 《巻06-12 梁園吟 -1Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <169 -1> Ⅰ李白詩1378 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5438

 

名今陳留亞,劇則貝魏俱。

その名高さは陳留の次位ぐらいだが、要衝の地であるだけに繁劇さは貝州・魏州と同列になるほどである。

陳留亞 河南道 汴州 陳留河南省東部に位置する地級市。中国でも最も歴史が古い都市の一つであり、北宋の首都であった。11世紀から12世紀にかけて世界最大級の都市であった。前漢の時代に武帝の弟・梁王・劉武が封じられたこともあったが、後漢から三国時代の魏にかけての時期には郊外の陳留が陳留郡の郡治と位置づけられるなど、さほど重要視される都市ではなかった。東魏時代には梁州、北周時代には汴州(べんしゅう)と呼ばれた。

隋代になり、大運河が開通すると一気にこの都市の重要性は高まり、南からやってくる物資の大集積地として栄えた。

その後の唐末期に首都長安は荒廃し、それに代わってこの都市が全中国の中心地となり、唐から簒奪した朱全忠はここを首都として後梁を建てた。その後の五代政権も後唐を除いて全てこの地を首都とし、後周により汴州(べんしゅう、汴はさんずいに卞)と改称された。

劇 繁劇、街の繁栄状況が激烈であることをいう。

貝魏俱 貝州のこと。577年(建徳6年)、北周により設置された。隋朝が成立すると当初は清河郡と広宗郡の23県を管轄した。607年(大業3年)、郡制施行に伴い貝州は清河郡と改称され下部に14県を管轄した。隋朝の行政区分に関しては清河郡(清河県 清陽県 宗城県、清淵県 高唐県 博平県、茌平県 武城県 漳南県、臨清県 清平県 経城県、歴亭県 )。

魏 魏州のこと。582年(大象2年)、北周により相州昌楽郡[1]に魏州が設置された。隋朝が成立すると当初は26県を管轄した。605年(大業元年)に屯州が廃止されその管轄県を統合している。607年(大業3年)、郡制施行に伴い魏州は武陽郡と改称され、14県(貴郷県 観城県 莘県、武陽県 館陶県 聊城県、元城県 繁水県 魏県、頓丘県 臨黄県 堂邑県、冠氏県 武水県)を管轄した。

 

邑中九萬家,高棟照通衢。

その宋州の城内には九萬家もあり、富貴の邸宅の高い棟木が四通りにならび、街路をあからく照らしている。

邑中 宋州の城郭の繁華街。

高棟 富貴の者の大邸宅。

 邸宅にはかがり火が焚かれ、そのあかりに街路が照らされる。

通衢 往来のにぎやかな道路,街道.通衢廣陌、四通八達的寬廣大路。。《周禮》冬官・考工記には「匠人営國、方九里、傍三門。國中九經九緯」一門参通りで一面に三門で、九筋九通で皇城との兼ね合いで三筋三通りの混じり合うところが繁劇・繁華街となる。

 

舟車半天下,主客多歡
水駅と陸駅があり、物資がここに集積され、発送されるから、天下の舟車の半分はここに集まってくる、土地の者のものも、他所のものも皆寄り集まって、面白く過すのである。

舟車 水駅と陸駅の二つの駅が併合されたことを示す。交通の要衝の地であること。

半天下 天下の舟車の半数がここに集まる。

主客 土着のものと外来のものということ。

多歡 皆寄り集まって、おもしろく過すことをいう
洛陽 函谷関002 

杜甫 《1514 壯遊 -#14》【14分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-50 <914-#14> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6015

杜甫  壮遊―#14  

之推避賞從,漁父濯滄浪。

榮華敵勳業,暮有嚴霜。

吾觀鴟夷子,才格出尋常。

群凶逆未定,側佇英俊翔。
いまの自分は君におともをして賞與をえたはずであるのに、それを春秋晉の介之推のように避けたということで、それに、屈原の「漁父辞」ように、官を辞して、滄浪の水に足を濯って歌っているのと同様なものである。

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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杜甫詩1500-914-#11-1371/2500

年:766年大暦元年55

卷別:  卷二二二        文體:  五言古詩

詩題:  壯遊

及地點:姑蘇臺 (江南東道 蘇州 蘇州) 別名:蘇臺   

劍池 (江南東道 蘇州 虎丘山)     

長洲 (江南東道 蘇州 長洲)       

閶門 (江南東道 蘇州 蘇州)       

鑑湖 (江南東道 越州 會稽) 別名:鏡湖    

剡溪 (江南東道 越州 剡縣)       

天姥山 (江南東道 越州 剡縣)     

叢臺 (河北道南部 邯鄲)     

青丘 (河南道 青州 千乘)         

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸  

明光殿 (京畿道 京兆府 長安)     

杜曲 (京畿道 京兆府 杜曲)       

岷山 (劍南道北部 茂州 岷山) 別名:西山、汶山    

崆峒山 (隴右道東部 岷州 崆峒山)         

涿鹿山 (河北道南部 涿鹿山)         

太伯廟 (江南東道 蘇州 蘇州)   

未央宮 (京畿道 京兆府 長安)   

 

交遊人物:崔尚    詩文提及

             詩文提及

蘇源明             詩文提及

 

 

壯遊 -8

天子廢食召,群公會軒裳。

そのおり、わが天子(玄宗)には食をやめて自分をお召しになる、多くの公卿たちは車馬衣服をむらがらして、自分の召試されている詩文と書を見物にきたほどである。

身無所愛,痛飲信行藏。

そして、その結果は微官を授けられることになり、後、疎まれて華州参軍に貶せられ、そこで置き土産の論文に思いのたけを全て述べて、官途から身をひいたけれど、いまでもすこしも惜しいとはおもっていなっかったし、そうして、ただ、ひどく酒を飲みふけって、進退は一党の房琯の宰相復活次第ときめていた。

黑貂不免敝,斑鬢兀稱觴。

儒者一門の黒い貂の裘はどうしてやぶれずに着続けられようか、それにその間、自分は黒白斑の鬢の毛をいただいて、歳を重ねたし、兀然として酒盃をあげていた。

杜曲晚耆舊,四郊多白楊。

長安の南、杜曲の自分の住居地のまわりには、だんだん老人が換わりゆき、四郊の陵原には白楊樹の植えられた陵墓ばかり多くなっのである。

天子 食を廢して召し,群公 軒裳を會す。

身をして 愛む所無なし,痛飲 行藏に信す。

黑貂 敝るるを免れんや,斑鬢 兀として觴を稱ぐ。

杜曲 耆舊晚る,四郊 白楊多し。

 

9

坐深黨敬,日覺死生忙。

生きのこっている自身は郷里の人たちから長老として祭りあげられていたが、日に日に人の死にゆくことの忙しく感じられたものだ。

朱門任傾奪,赤族迭罹殃。

朱門の邸宅、貴族たちはとみれば彼等道士で足の引っ張り合いをし、かつてに傾奪しあう、権力闘争で、おたがいに一族みな殺しをおこなうことまで、行うという権力欲に目がくらみ禍を起したのである。

國馬竭粟豆,官雞輸稻粱。

国費で養ふ馬は有り余るほどの粟や豆をあたえ喰ひつくしていたし、官費による鶏飼育にも人民が稲梁をはこびこむという権力者の我儘をし尽くした。

舉隅見煩費,引古惜興亡。

これらのことはほんの一端をあげただけのもので、この時期の権力者と後宮がいかに国家がおびただしいむだづかいをしていたかがわかるであろう。自分はこれを見て、昔の礼をひいてこれでは国が滅びていくだろうことを惜しく思っていた。

9

坐に深くす 黨の敬,日ひに 死生の忙きを覺ゆ。

朱門 傾奪に任す,赤族 迭【たが】いに殃に罹る。

國馬 粟豆を竭す,官雞に稻粱を輸す。

隅を舉げて煩費を見す,古を引きて興亡を惜む。

 

10

河朔風塵起,岷山行幸長。

そんな折、はたせるかな河朔の方面から兵乱の塵が起って(安禄山の叛乱)、天子は遠く、岷山の方へ行幸あそばされることになった。

兩宮各警蹕,萬里遙相望。

玄宗、肅宗の両宗がそれぞれの行在所において警蹕をあそばされ、南(成都)と北(靈武)と万里をへだててはるかに望みかわされるの有様となった。

崆峒殺氣黑,少海旌旗黃。

そのうち粛宗のおいでになる崆峒の方には殺気が黒く動きだし、太子である身を以て、天子であるの黄色の旗をお揚げになった。

禹功亦命子,涿鹿親戎行。

禹がその子に禅譲したように、玄宗がそのお子に位をおゆずりになり、ここに粛宗が、天子親しく軍務に服せらるることになった。

 

河朔 風塵起り,岷山 行幸長し。

兩宮 各おの 警蹕し,萬里 遙に相い望む。

崆峒 殺氣黑く,少海 旌旗黃なり。

禹功 亦た子に命じ,涿鹿 戎行を親らす。

 

11

翠華擁英岳,螭虎噉豺狼。

長安の西嶽にあたる呉岳を擁して天子の御旗がなびく、諸方から馳せ参じた螭虎の様な王朝連合軍はここに犲狼の様な安史の賊軍をくらいこんでしまおうとした。

爪牙一不中,胡兵更陸梁。

当初、かならずしもみずちと虎の爪と牙がうまくいかなかったので、百万の王朝軍が30万の安史軍に大敗し、安史軍はさらにあばれまわることなった。

大軍載草草,凋瘵滿膏肓。

それで、さしもの朝廷の大事も非常な難儀をすることになり、人民の疲弊は、膏肓に入るというみじめさに立ち至った

備員竊補袞,憂憤心飛揚。

時に自分は左拾遺として官員の末にそなわり、かたじけなくも天子のお手ぬかりの所をおぎなうことたてまつる職務に居たので、憂憤の心はいたずらに沸き上がった。

翠華 英岳を擁し,螭虎 豺狼を噉う。

爪牙 一たび中らず,胡兵 更に陸梁たり。

大軍 載ち草草たり,凋瘵 膏肓に滿つ。

備員 補袞を竊み,憂憤 心 飛揚す。

12

上感九廟焚,下憫萬民瘡。

一方には宗廟が安史軍の賊の手で丸焼けになっていることに感じ、他方には万民がいたくきずつけられていることを気の毒にかんがえた。

斯時伏青蒲,延爭守御床。

それに宰相房琯が免職になるということなので、自分はそのとき天子の御座所に漢の史丹が「伏青蒲」の故事ようにひれ伏して、朝廷の席で諫言して、御椅子のそばをはなれなかった。

君辱敢愛死,赫怒幸無傷。

「主憂臣辱、主辱臣死」であって、天子が讒言によって間違った判断で辱められ給う際であるが、そもそも今、胡賊に辱しめられているというのに、どうしてわが命を惜しんでおれようか。だが、天子は赫怒されたが、幸いにも私は死罪を免れることができた。

聖哲體仁恕,宇縣復小康。

そのとき、吾が君には聖哲でおわすように仁恕のこころを身につけておいであそばすによって天下はふたたびすこしく安泰なることができてきた。

上は九廟の焚に感じ,下は萬民の瘡を憫れむ。

斯の時青蒲に伏し,延爭して御床を守る。

君 辱めらるる敢て死を愛まんや,赫怒 幸に無傷なり。

聖哲 仁恕を體し,宇縣 復た小康なり。

13

哭廟灰燼中,鼻酸朝未央。

吾が君ごじしんに灰燼の中に宗廟に三日間も哭せられ京師へおもどりになる、自分も悲惨のおもいに水鼻をながしつつ未央の宮殿(大明宮)へ参内したことである。

小臣議論,老病客殊方。

そののちは、このふつつかな自分は朝廷へ対し奉って意見を申しあげることもさせていただけず、老病の身を以て他郷に客寓することになったのである。

鬱鬱苦不展,羽翮困低昂。

自分の胸中は鬱としているものの、自己の志ののびることに苦しみ、それに、つかれた鳥の羽は、ただ低れさがつているのに困しんでいるのである。

秋風動哀壑,碧蕙捐微芳。

いまや秋風が哀れな壑に動きそめて、碧なる惠の花もかすかなかおりを棄てかけている。

廟に哭す 灰燼の中,鼻酸 未央に朝す。

小臣 議論ゆ,老病 殊方に客たり。

鬱鬱 展びざるに苦む,羽翮 低昂に困む。

秋風 哀壑に動き,碧蕙 微芳を捐つ。

14

之推避賞從,漁父濯滄浪。

いまの自分は君におともをして賞與をえたはずであるのに、それを春秋晉の介之推のように避けたということで、それに、屈原の「漁父辞」ように、官を辞して、滄浪の水に足を濯って歌っているのと同様なものである。

榮華敵勳業,暮有嚴霜。

かんがへてみると栄華といふものは、勲業に相応すべきものであって、もし不相応な栄華をする者があれば、かならず厳冬歳暮に嚴霜がおりて草木を枯らす様にその栄華は零落してしまうものである。

吾觀鴟夷子,才格出尋常。

自分は鴟夷子である范蠡や粛宗の謀臣の李泌のようだと思う、それら人物をみてみるにその才格は尋常人よりたかくぬきんでている。

群凶逆未定,側佇英俊翔。

いまだ、天下の群兇は、朝延にさからってその乱が定まっていない、自分は、いまはただ、ほのかに鴟夷子のごとき英俊が朝廷に立って活動するのをまつばかりである。』

之推 賞從を避き,漁父 滄浪に濯う。

榮華は 勳業に敵し,暮は 嚴霜有り。

吾 鴟夷子を觀るに,才格 尋常より出でたり。

群凶 逆 未だ定らず,側に佇つ 英俊の翔るを。


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杜甫  壮遊-13

哭廟灰燼中,鼻酸朝未央。

小臣議論,老病客殊方。

鬱鬱苦不展,羽翮困低昂。

秋風動哀壑,碧蕙捐微芳。

吾が君ごじしんに灰燼の中に宗廟に三日間も哭せられ京師へおもどりになる、自分も悲惨のおもいに水鼻をながしつつ未央の宮殿(大明宮)へ参内したことである。そののちは、このふつつかな自分は朝廷へ対し奉って意見を申しあげることもさせていただけず、老病の身を以て他郷に客寓することになったのである。

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杜甫詩1500-914-#11-1371/2500

年:766年大暦元年55

卷別:  卷二二二        文體:  五言古詩

詩題:  壯遊

及地點:姑蘇臺 (江南東道 蘇州 蘇州) 別名:蘇臺   

劍池 (江南東道 蘇州 虎丘山)     

長洲 (江南東道 蘇州 長洲)       

閶門 (江南東道 蘇州 蘇州)       

鑑湖 (江南東道 越州 會稽) 別名:鏡湖    

剡溪 (江南東道 越州 剡縣)       

天姥山 (江南東道 越州 剡縣)     

叢臺 (河北道南部 邯鄲)     

青丘 (河南道 青州 千乘)         

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸  

明光殿 (京畿道 京兆府 長安)     

杜曲 (京畿道 京兆府 杜曲)       

岷山 (劍南道北部 茂州 岷山) 別名:西山、汶山    

崆峒山 (隴右道東部 岷州 崆峒山)         

涿鹿山 (河北道南部 涿鹿山)         

太伯廟 (江南東道 蘇州 蘇州)   

未央宮 (京畿道 京兆府 長安)   

 

交遊人物:崔尚    詩文提及

             詩文提及

蘇源明             詩文提及

 

 

壯遊 -8

天子廢食召,群公會軒裳。

そのおり、わが天子(玄宗)には食をやめて自分をお召しになる、多くの公卿たちは車馬衣服をむらがらして、自分の召試されている詩文と書を見物にきたほどである。

身無所愛,痛飲信行藏。

そして、その結果は微官を授けられることになり、後、疎まれて華州参軍に貶せられ、そこで置き土産の論文に思いのたけを全て述べて、官途から身をひいたけれど、いまでもすこしも惜しいとはおもっていなっかったし、そうして、ただ、ひどく酒を飲みふけって、進退は一党の房琯の宰相復活次第ときめていた。

黑貂不免敝,斑鬢兀稱觴。

儒者一門の黒い貂の裘はどうしてやぶれずに着続けられようか、それにその間、自分は黒白斑の鬢の毛をいただいて、歳を重ねたし、兀然として酒盃をあげていた。

杜曲晚耆舊,四郊多白楊。

長安の南、杜曲の自分の住居地のまわりには、だんだん老人が換わりゆき、四郊の陵原には白楊樹の植えられた陵墓ばかり多くなっのである。

天子 食を廢して召し,群公 軒裳を會す。

身をして 愛む所無なし,痛飲 行藏に信す。

黑貂 敝るるを免れんや,斑鬢 兀として觴を稱ぐ。

杜曲 耆舊晚る,四郊 白楊多し。

 

9

坐深黨敬,日覺死生忙。

生きのこっている自身は郷里の人たちから長老として祭りあげられていたが、日に日に人の死にゆくことの忙しく感じられたものだ。

朱門任傾奪,赤族迭罹殃。

朱門の邸宅、貴族たちはとみれば彼等道士で足の引っ張り合いをし、かつてに傾奪しあう、権力闘争で、おたがいに一族みな殺しをおこなうことまで、行うという権力欲に目がくらみ禍を起したのである。

國馬竭粟豆,官雞輸稻粱。

国費で養ふ馬は有り余るほどの粟や豆をあたえ喰ひつくしていたし、官費による鶏飼育にも人民が稲梁をはこびこむという権力者の我儘をし尽くした。

舉隅見煩費,引古惜興亡。

これらのことはほんの一端をあげただけのもので、この時期の権力者と後宮がいかに国家がおびただしいむだづかいをしていたかがわかるであろう。自分はこれを見て、昔の礼をひいてこれでは国が滅びていくだろうことを惜しく思っていた。

9

坐に深くす 黨の敬,日ひに 死生の忙きを覺ゆ。

朱門 傾奪に任す,赤族 迭【たが】いに殃に罹る。

國馬 粟豆を竭す,官雞に稻粱を輸す。

隅を舉げて煩費を見す,古を引きて興亡を惜む。

 

10

河朔風塵起,岷山行幸長。

そんな折、はたせるかな河朔の方面から兵乱の塵が起って(安禄山の叛乱)、天子は遠く、岷山の方へ行幸あそばされることになった。

兩宮各警蹕,萬里遙相望。

玄宗、肅宗の両宗がそれぞれの行在所において警蹕をあそばされ、南(成都)と北(靈武)と万里をへだててはるかに望みかわされるの有様となった。

崆峒殺氣黑,少海旌旗黃。

そのうち粛宗のおいでになる崆峒の方には殺気が黒く動きだし、太子である身を以て、天子であるの黄色の旗をお揚げになった。

禹功亦命子,涿鹿親戎行。

禹がその子に禅譲したように、玄宗がそのお子に位をおゆずりになり、ここに粛宗が、天子親しく軍務に服せらるることになった。

 

河朔 風塵起り,岷山 行幸長し。

兩宮 各おの 警蹕し,萬里 遙に相い望む。

崆峒 殺氣黑く,少海 旌旗黃なり。

禹功 亦た子に命じ,涿鹿 戎行を親らす。

 

11

翠華擁英岳,螭虎噉豺狼。

長安の西嶽にあたる呉岳を擁して天子の御旗がなびく、諸方から馳せ参じた螭虎の様な王朝連合軍はここに犲狼の様な安史の賊軍をくらいこんでしまおうとした。

爪牙一不中,胡兵更陸梁。

当初、かならずしもみずちと虎の爪と牙がうまくいかなかったので、百万の王朝軍が30万の安史軍に大敗し、安史軍はさらにあばれまわることなった。

大軍載草草,凋瘵滿膏肓。

それで、さしもの朝廷の大事も非常な難儀をすることになり、人民の疲弊は、膏肓に入るというみじめさに立ち至った

備員竊補袞,憂憤心飛揚。

時に自分は左拾遺として官員の末にそなわり、かたじけなくも天子のお手ぬかりの所をおぎなうことたてまつる職務に居たので、憂憤の心はいたずらに沸き上がった。

翠華 英岳を擁し,螭虎 豺狼を噉う。

爪牙 一たび中らず,胡兵 更に陸梁たり。

大軍 載ち草草たり,凋瘵 膏肓に滿つ。

備員 補袞を竊み,憂憤 心 飛揚す。

12

上感九廟焚,下憫萬民瘡。

一方には宗廟が安史軍の賊の手で丸焼けになっていることに感じ、他方には万民がいたくきずつけられていることを気の毒にかんがえた。

斯時伏青蒲,延爭守御床。

それに宰相房琯が免職になるということなので、自分はそのとき天子の御座所に漢の史丹が「伏青蒲」の故事ようにひれ伏して、朝廷の席で諫言して、御椅子のそばをはなれなかった。

君辱敢愛死,赫怒幸無傷。

「主憂臣辱、主辱臣死」であって、天子が讒言によって間違った判断で辱められ給う際であるが、そもそも今、胡賊に辱しめられているというのに、どうしてわが命を惜しんでおれようか。だが、天子は赫怒されたが、幸いにも私は死罪を免れることができた。

聖哲體仁恕,宇縣復小康。

そのとき、吾が君には聖哲でおわすように仁恕のこころを身につけておいであそばすによって天下はふたたびすこしく安泰なることができてきた。

上は九廟の焚に感じ,下は萬民の瘡を憫れむ。

斯の時青蒲に伏し,延爭して御床を守る。

君 辱めらるる敢て死を愛まんや,赫怒 幸に無傷なり。

聖哲 仁恕を體し,宇縣 復た小康なり。

13

哭廟灰燼中,鼻酸朝未央。

吾が君ごじしんに灰燼の中に宗廟に三日間も哭せられ京師へおもどりになる、自分も悲惨のおもいに水鼻をながしつつ未央の宮殿(大明宮)へ参内したことである。

小臣議論,老病客殊方。

そののちは、このふつつかな自分は朝廷へ対し奉って意見を申しあげることもさせていただけず、老病の身を以て他郷に客寓することになったのである。

鬱鬱苦不展,羽翮困低昂。

自分の胸中は鬱としているものの、自己の志ののびることに苦しみ、それに、つかれた鳥の羽は、ただ低れさがつているのに困しんでいるのである。

秋風動哀壑,碧蕙捐微芳。

いまや秋風が哀れな壑に動きそめて、碧なる惠の花もかすかなかおりを棄てかけている。

廟に哭す 灰燼の中,鼻酸 未央に朝す。

小臣 議論ゆ,老病 殊方に客たり。

鬱鬱 展びざるに苦む,羽翮 低昂に困む。

秋風 哀壑に動き,碧蕙 微芳を捐つ。

14

之推避賞從,漁父濯滄浪。

榮華敵勳業,暮有嚴霜。

吾觀鴟夷子,才格出尋常。

群凶逆未定,側佇英俊翔。

之推 賞從を避き,漁父 滄浪に濯う。

榮華は 勳業に敵し,暮は 嚴霜有り。

吾 鴟夷子を觀るに,才格 尋常より出でたり。

群凶 逆 未だ定らず,側に佇つ 英俊の翔るを。

 

 

『壮遊』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
13

哭廟灰燼中,鼻酸朝未央。

小臣議論,老病客殊方。

鬱鬱苦不展,羽翮困低昂。

秋風動哀壑,碧蕙捐微芳。


(下し文)
廟に哭す 灰燼の中,鼻酸 未央に朝す。

小臣 議論ゆ,老病 殊方に客たり。

鬱鬱 展びざるに苦む,羽翮 低昂に困む。

秋風 哀壑に動き,碧蕙 微芳を捐つ。

(現代語訳)
吾が君ごじしんに灰燼の中に宗廟に三日間も哭せられ京師へおもどりになる、自分も悲惨のおもいに水鼻をながしつつ未央の宮殿(大明宮)へ参内したことである。

そののちは、このふつつかな自分は朝廷へ対し奉って意見を申しあげることもさせていただけず、老病の身を以て他郷に客寓することになったのである。

自分の胸中は鬱としているものの、自己の志ののびることに苦しみ、それに、つかれた鳥の羽は、ただ低れさがっているのに困しんでいるのである。

いまや秋風が哀れな壑に動きそめて、碧なる惠の花もかすかなかおりを棄てかけている。



(訳注) 13

壯遊-13

(壮年の遊歴をうたう)―少年壮年時、天下を周遊したことを述べ、渇、老後の感慨を述べた自叙伝というべきもの。

 

哭廟灰燼中,鼻酸朝未央。

吾が君ごじしんに灰燼の中に宗廟に三日間も哭せられ京師へおもどりになる、自分も悲惨のおもいに水鼻をながしつつ未央の宮殿(大明宮)へ参内したことである。

哭廟 粛宗至徳二載十月丁卯に長安に入る.九廟賊の焚く所となるにより素服して廟に哭すろこと三日、入りて大明宮に居る。

灰燼中 宗廟の焼失した灰のなか。

鼻酸 作者自己の悲しさをいう。

朝未央 朝は参内すること、未央は漢宮の名、借りて唐の大明宮をいう。

75710

  丁卯、粛宗皇帝が長安へ入る。百姓は国門を出て奉迎した。その人の列は二十里も続く。 彼らは皆、踊りまくって万歳を叫び、泣き出す者さえいた。

   粛宗皇帝は大明宮へ入居する。御史中丞・崔器は、燕の官爵を受けた百官を含元殿の前に集め、頭巾と靴を脱がせて頓首謝罪させた。これを兵卒が取り巻き、 百官へ見物させる。

   太廟は燕軍に焼き払われていた。粛宗皇帝は素服にて廟へ向かって三日哭した。

   この日、上皇は蜀を出発した。

   11

  丙申、上皇が鳳翔へ到着した。従う兵は六百余人。 上皇は、全ての甲兵を郡庫へ収めた。粛宗皇帝は、精騎三千を動員して奉迎する。

   12

  丙午、上皇は咸陽へ到着した。上は法駕を準備して望賢宮にて迎えた。

   上皇は、南楼に入る。粛宗皇帝は黄袍を紫黄袍へ着替え、楼を望んで下馬した。そこから小走りに進み、楼下にて拝舞する。上皇は楼から降り、粛宗皇帝を撫でて泣いた。 粛宗皇帝は玄宗上皇の足を捧げて、嗚咽が止まらなかった。 上皇は黄袍を取り出して、自ら粛宗皇帝へ着せてやった。粛宗皇帝は、地に伏して頓首して固辞する。

   粛宗皇帝はやむを得ず、これを受ける。父老は仗外に居り、歓呼して拝礼する。粛宗皇帝が仗を開かせると、千余人が駆け寄り、 上皇へ入謁して言った。

  丁未、行宮を出発しようとした時、粛宗皇帝は自ら上皇の為に馬を習し、 これを上皇へ進めた。上皇が乗馬すると、粛宗皇帝は自ら轡を取る。数歩行くと、上皇はこれをやめさせた。 粛宗皇帝は馬に乗って先導したが、敢えて馳道(皇帝専用道路ないし緊急用の軍事道路)には入らなかった。

  左右は皆、万歳を唱えた。 上皇は開遠門から大明宮へ入り、含元殿にて百官を慰撫する。次いで長楽殿を詣でて九廟主へ謝り、しばらく慟哭した。 その日のうちに興慶宮へ御幸し、ついに、ここに住んだ。 粛宗皇帝は退位して東宮へ戻ることを何度も請願したが、上皇は許さなかった。

 

 

小臣議論,老病客殊方。

そののちは、このふつつかな自分は朝廷へ対し奉って意見を申しあげることもさせていただけず、老病の身を以て他郷に客寓することになったのである。

小臣 自己を謙遜していふ。

議論絶 朝廷に封して建言することなくなりしないふ。

殊方 他方、他郷・長安を去りて秦州より成都に、成都より梓、間に、また聾州に至るみいふ。

 

鬱鬱苦不展,羽翮困低昂。

自分の胸中は鬱としているものの、自己の志ののびることに苦しみ、それに、つかれた鳥の羽は、ただ低れさがっているのに困しんでいるのである。

不展 志ののびざるをいふ。

羽翮 潮はたちばね。

低昂 ひくくなるとあがると、但しひくくなる、言を主としていふ。

 

秋風動哀壑,碧蕙捐微芳。

いまや秋風が哀れな壑に動きそめて、碧なる惠の花もかすかなかおりを棄てかけている。

哀壑 かなしげり九に遠州の峡谷をいふ.

碧蕙 碧は葉色をいふ、青は重より枚りさく蘭。

捐微芳 芳絹代棄つるなり、陸機が詩に江南雪幽準微芳不足迄、淑気輿′時限、僚芳随嵐損、とあり、踊り字之に本く。

杜甫 《1514 壯遊 -#12》【14分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-50 <914-#12> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6005

杜甫  壮遊 12

上感九廟焚,下憫萬民瘡。

斯時伏青蒲,延爭守御床。

君辱敢愛死,赫怒幸無傷。

聖哲體仁恕,宇縣復小康。

「主憂臣辱、主辱臣死」であって、天子が讒言によって間違った判断で辱められ給う際であるが、そもそも今、胡賊に辱しめられているというのに、どうしてわが命を惜しんでおれようか。だが、天子は赫怒されたが、幸いにも私は死罪を免れることができた。

 

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 2015年5月16日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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杜甫  壮遊#11   

翠華擁英岳,螭虎噉豺狼。

爪牙一不中,胡兵更陸梁。

大軍載草草,凋瘵滿膏肓。

備員竊補袞,憂憤心飛揚。

長安の西嶽にあたる呉岳を擁して天子の御旗がなびく、諸方から馳せ参じた螭虎の様な王朝連合軍はここに犲狼の様な安史の賊軍をくらいこんでしまおうとした。初、かならずしもみずちと虎の爪と牙がうまくいかなかったので、百万の王朝軍が30万の安史軍に大敗し、安史軍はさらにあばれまわることなった。

 
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杜甫詩1500-914-#11-1371/2500

年:766年大暦元年55

卷別:  卷二二二        文體:  五言古詩

詩題:  壯遊

及地點:姑蘇臺 (江南東道 蘇州 蘇州) 別名:蘇臺   

劍池 (江南東道 蘇州 虎丘山)     

長洲 (江南東道 蘇州 長洲)       

閶門 (江南東道 蘇州 蘇州)       

鑑湖 (江南東道 越州 會稽) 別名:鏡湖    

剡溪 (江南東道 越州 剡縣)       

天姥山 (江南東道 越州 剡縣)     

叢臺 (河北道南部 邯鄲)     

青丘 (河南道 青州 千乘)         

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸  

明光殿 (京畿道 京兆府 長安)     

杜曲 (京畿道 京兆府 杜曲)       

岷山 (劍南道北部 茂州 岷山) 別名:西山、汶山    

崆峒山 (隴右道東部 岷州 崆峒山)         

涿鹿山 (河北道南部 涿鹿山)         

太伯廟 (江南東道 蘇州 蘇州)   

未央宮 (京畿道 京兆府 長安)   

 

交遊人物:崔尚    詩文提及

             詩文提及

蘇源明             詩文提及

 

 

壯遊 -8

天子廢食召,群公會軒裳。

そのおり、わが天子(玄宗)には食をやめて自分をお召しになる、多くの公卿たちは車馬衣服をむらがらして、自分の召試されている詩文と書を見物にきたほどである。

身無所愛,痛飲信行藏。

そして、その結果は微官を授けられることになり、後、疎まれて華州参軍に貶せられ、そこで置き土産の論文に思いのたけを全て述べて、官途から身をひいたけれど、いまでもすこしも惜しいとはおもっていなっかったし、そうして、ただ、ひどく酒を飲みふけって、進退は一党の房琯の宰相復活次第ときめていた。

黑貂不免敝,斑鬢兀稱觴。

儒者一門の黒い貂の裘はどうしてやぶれずに着続けられようか、それにその間、自分は黒白斑の鬢の毛をいただいて、歳を重ねたし、兀然として酒盃をあげていた。

杜曲晚耆舊,四郊多白楊。

長安の南、杜曲の自分の住居地のまわりには、だんだん老人が換わりゆき、四郊の陵原には白楊樹の植えられた陵墓ばかり多くなっのである。

天子 食を廢して召し,群公 軒裳を會す。

身をして 愛む所無なし,痛飲 行藏に信す。

黑貂 敝るるを免れんや,斑鬢 兀として觴を稱ぐ。

杜曲 耆舊晚る,四郊 白楊多し。

 

9

坐深黨敬,日覺死生忙。

生きのこっている自身は郷里の人たちから長老として祭りあげられていたが、日に日に人の死にゆくことの忙しく感じられたものだ。

朱門任傾奪,赤族迭罹殃。

朱門の邸宅、貴族たちはとみれば彼等道士で足の引っ張り合いをし、かつてに傾奪しあう、権力闘争で、おたがいに一族みな殺しをおこなうことまで、行うという権力欲に目がくらみ禍を起したのである。

國馬竭粟豆,官雞輸稻粱。

国費で養ふ馬は有り余るほどの粟や豆をあたえ喰ひつくしていたし、官費による鶏飼育にも人民が稲梁をはこびこむという権力者の我儘をし尽くした。

舉隅見煩費,引古惜興亡。

これらのことはほんの一端をあげただけのもので、この時期の権力者と後宮がいかに国家がおびただしいむだづかいをしていたかがわかるであろう。自分はこれを見て、昔の礼をひいてこれでは国が滅びていくだろうことを惜しく思っていた。

9

坐に深くす 黨の敬,日ひに 死生の忙きを覺ゆ。

朱門 傾奪に任す,赤族 迭【たが】いに殃に罹る。

國馬 粟豆を竭す,官雞に稻粱を輸す。

隅を舉げて煩費を見す,古を引きて興亡を惜む。

 

10

河朔風塵起,岷山行幸長。

そんな折、はたせるかな河朔の方面から兵乱の塵が起って(安禄山の叛乱)、天子は遠く、岷山の方へ行幸あそばされることになった。

兩宮各警蹕,萬里遙相望。

玄宗、肅宗の両宗がそれぞれの行在所において警蹕をあそばされ、南(成都)と北(靈武)と万里をへだててはるかに望みかわされるの有様となった。

崆峒殺氣黑,少海旌旗黃。

そのうち粛宗のおいでになる崆峒の方には殺気が黒く動きだし、太子である身を以て、天子であるの黄色の旗をお揚げになった。

禹功亦命子,涿鹿親戎行。

禹がその子に禅譲したように、玄宗がそのお子に位をおゆずりになり、ここに粛宗が、天子親しく軍務に服せらるることになった。

 

河朔 風塵起り,岷山 行幸長し。

兩宮 各おの 警蹕し,萬里 遙に相い望む。

崆峒 殺氣黑く,少海 旌旗黃なり。

禹功 亦た子に命じ,涿鹿 戎行を親らす。

 

11

翠華擁英岳,螭虎噉豺狼。

長安の西嶽にあたる呉岳を擁して天子の御旗がなびく、諸方から馳せ参じた螭虎の様な王朝連合軍はここに犲狼の様な安史の賊軍をくらいこんでしまおうとした。

爪牙一不中,胡兵更陸梁。

当初、かならずしもみずちと虎の爪と牙がうまくいかなかったので、百万の王朝軍が30万の安史軍に大敗し、安史軍はさらにあばれまわることなった。

大軍載草草,凋瘵滿膏肓。

それで、さしもの朝廷の大事も非常な難儀をすることになり、人民の疲弊は、膏肓に入るというみじめさに立ち至った

備員竊補袞,憂憤心飛揚。

時に自分は左拾遺として官員の末にそなわり、かたじけなくも天子のお手ぬかりの所をおぎなうことたてまつる職務に居たので、憂憤の心はいたずらに沸き上がった。

翠華 英岳を擁し,螭虎 豺狼を噉う。

爪牙 一たび中らず,胡兵 更に陸梁たり。

大軍 載ち草草たり,凋瘵 膏肓に滿つ。

備員 補袞を竊み,憂憤 心 飛揚す。

12

上感九廟焚,下憫萬民瘡。

斯時伏青蒲,延爭守御床。

君辱敢愛死,赫怒幸無傷。

聖哲體仁恕,宇縣復小康。

上は九廟の焚に感じ,下は萬民の瘡を憫れむ。

斯の時青蒲に伏し,延爭して御床を守る。

君 辱めらるる敢て死を愛まんや,赫怒 幸に無傷なり。

聖哲 仁恕を體し,宇縣 復た小康なり。

13

哭廟灰燼中,鼻酸朝未央。

小臣議論,老病客殊方。

鬱鬱苦不展,羽翮困低昂。

秋風動哀壑,碧蕙捐微芳。

廟に哭す 灰燼の中,鼻酸 未央に朝す。

小臣 議論ゆ,老病 殊方に客たり。

鬱鬱 展びざるに苦む,羽翮 低昂に困む。

秋風 哀壑に動き,碧蕙 微芳を捐つ。

14

之推避賞從,漁父濯滄浪。

榮華敵勳業,暮有嚴霜。

吾觀鴟夷子,才格出尋常。

群凶逆未定,側佇英俊翔。

之推 賞從を避き,漁父 滄浪に濯う。

榮華は 勳業に敵し,暮は 嚴霜有り。

吾 鴟夷子を觀るに,才格 尋常より出でたり。

群凶 逆 未だ定らず,側に佇つ 英俊の翔るを。

 

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河朔風塵起,岷山行幸長。

兩宮各警蹕,萬里遙相望。

崆峒殺氣黑,少海旌旗黃。

禹功亦命子,涿鹿親戎行。
そのうち粛宗のおいでになる崆峒の方には殺気が黒く動きだし、太子である身を以て、天子であるの黄色の旗をお揚げになった。禹がその子に禅譲したように、玄宗がそのお子に位をおゆずりになり、ここに粛宗が、天子親しく軍務に服せらるることになった。

 

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杜甫詩1500-914-#10-1370/2500

 

壯遊 -8

天子廢食召,群公會軒裳。

そのおり、わが天子(玄宗)には食をやめて自分をお召しになる、多くの公卿たちは車馬衣服をむらがらして、自分の召試されている詩文と書を見物にきたほどである。

身無所愛,痛飲信行藏。

そして、その結果は微官を授けられることになり、後、疎まれて華州参軍に貶せられ、そこで置き土産の論文に思いのたけを全て述べて、官途から身をひいたけれど、いまでもすこしも惜しいとはおもっていなっかったし、そうして、ただ、ひどく酒を飲みふけって、進退は一党の房琯の宰相復活次第ときめていた。

黑貂不免敝,斑鬢兀稱觴。

儒者一門の黒い貂の裘はどうしてやぶれずに着続けられようか、それにその間、自分は黒白斑の鬢の毛をいただいて、歳を重ねたし、兀然として酒盃をあげていた。

杜曲晚耆舊,四郊多白楊。

長安の南、杜曲の自分の住居地のまわりには、だんだん老人が換わりゆき、四郊の陵原には白楊樹の植えられた陵墓ばかり多くなっのである。

天子 食を廢して召し,群公 軒裳を會す。

身をして 愛む所無なし,痛飲 行藏に信す。

黑貂 敝るるを免れんや,斑鬢 兀として觴を稱ぐ。

杜曲 耆舊晚る,四郊 白楊多し。

 

9

坐深黨敬,日覺死生忙。

生きのこっている自身は郷里の人たちから長老として祭りあげられていたが、日に日に人の死にゆくことの忙しく感じられたものだ。

朱門任傾奪,赤族迭罹殃。

朱門の邸宅、貴族たちはとみれば彼等道士で足の引っ張り合いをし、かつてに傾奪しあう、権力闘争で、おたがいに一族みな殺しをおこなうことまで、行うという権力欲に目がくらみ禍を起したのである。

國馬竭粟豆,官雞輸稻粱。

国費で養ふ馬は有り余るほどの粟や豆をあたえ喰ひつくしていたし、官費による鶏飼育にも人民が稲梁をはこびこむという権力者の我儘をし尽くした。

舉隅見煩費,引古惜興亡。

これらのことはほんの一端をあげただけのもので、この時期の権力者と後宮がいかに国家がおびただしいむだづかいをしていたかがわかるであろう。自分はこれを見て、昔の礼をひいてこれでは国が滅びていくだろうことを惜しく思っていた。

9

坐に深くす 黨の敬,日ひに 死生の忙きを覺ゆ。

朱門 傾奪に任す,赤族 迭【たが】いに殃に罹る。

國馬 粟豆を竭す,官雞に稻粱を輸す。

隅を舉げて煩費を見す,古を引きて興亡を惜む。

 

10

河朔風塵起,岷山行幸長。

そんな折、はたせるかな河朔の方面から兵乱の塵が起って(安禄山の叛乱)、天子は遠く、岷山の方へ行幸あそばされることになった。

兩宮各警蹕,萬里遙相望。

玄宗、肅宗の両宗がそれぞれの行在所において警蹕をあそばされ、南(成都)と北(靈武)と万里をへだててはるかに望みかわされるの有様となった。

崆峒殺氣黑,少海旌旗黃。

そのうち粛宗のおいでになる崆峒の方には殺気が黒く動きだし、太子である身を以て、天子であるの黄色の旗をお揚げになった。

禹功亦命子,涿鹿親戎行。

禹がその子に禅譲したように、玄宗がそのお子に位をおゆずりになり、ここに粛宗が、天子親しく軍務に服せらるることになった。

 

河朔 風塵起り,岷山 行幸長し。

兩宮 各おの 警蹕し,萬里 遙に相い望む。

崆峒 殺氣黑く,少海 旌旗黃なり。

禹功 亦た子に命じ,涿鹿 戎行を親らす。

 

華州から秦州同谷成都00 

『壮遊』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
10

河朔風塵起,岷山行幸長。

兩宮各警蹕,萬里遙相望。

崆峒殺氣黑,少海旌旗黃。

禹功亦命子,涿鹿親戎行。

(下し文)
河朔 風塵起り,岷山 行幸長し。

兩宮 各おの 警蹕し,萬里 遙に相い望む。

崆峒 殺氣黑く,少海 旌旗黃なり。

禹功 亦た子に命じ,涿鹿 戎行を親らす。

(現代語訳)
そんな折、はたせるかな河朔の方面から兵乱の塵が起って(安禄山の叛乱)、天子は遠く、岷山の方へ行幸あそばされることになった。

玄宗、肅宗の両宗がそれぞれの行在所において警蹕をあそばされ、南(成都)と北(靈武)と万里をへだててはるかに望みかわされるの有様となった。

そのうち粛宗のおいでになる崆峒の方には殺気が黒く動きだし、太子である身を以て、天子であるの黄色の旗をお揚げになった。

禹がその子に禅譲したように、玄宗がそのお子に位をおゆずりになり、ここに粛宗が、天子親しく軍務に服せらるることになった。



(訳注) 10

壯遊-9

(壮年の遊歴をうたう)―少年壮年時、天下を周遊したことを述べ、渇、老後の感慨を述べた自叙伝というべきもの。

 

河朔風塵起,岷山行幸長。

そんな折、はたせるかな河朔の方面から兵乱の塵が起って(安禄山の叛乱)、天子は遠く、岷山の方へ行幸あそばされることになった。

河朔 黄河河北方をいう。

風塵起 安禄山の叛旗を起こし、安史軍としてつづけた。

眠山 陝西省鞏昌府岷州にある山の名、江のすいげんであるところから出づる所なり、岷江途いうことから岷山という。因って玄宗の蜀に幸したことをこういう。玄宗が岷山へいったわけではない、。

行幸長 行幸は成都への行幸、長とはその路が遠いことをいう。

 

兩宮各警蹕,萬里遙相望。

玄宗、肅宗の両宗がそれぞれの行在所において警蹕をあそばされ、南(成都)と北(靈武)と万里をへだててはるかに望み、交されるの有様となった。

両宮 玄宗、粛宗。

警蹕 道路のかけ馨をいう。天子は出づるに警と称し入るに蹕と称す。行人を戒め止める。

遙相望 玄宗は成都に、粛宗は霊武に、両者遠くへだたる。

 

崆峒殺氣黑,少海旌旗黃。

そのうち粛宗のおいでになる崆峒の方には殺気が黒く動きだし、太子である身を以て、天子であるの黄色の旗をお揚げになった。

崆峒 甘粛省平涼府固原州平涼縣の西百里(約8km)にある山の名。粛宗靈武への峠を越える往来に、際しその附近を通過す。《0655 洗兵行》「已喜皇威清海岱,常思仙仗過崆峒。一方にはもはやわが天子の御威光が渤海・岱山の遠方までを鎮定するに至ったことを喜ぶとともに、他方には我が君がかつて崆峒山のあたりまで御通過になったことはわすれられぬことである。

殺気黒 兵気みなぎるみいふ。

少海 「山海経」に「天皇之山、南望幼海。」と。幼海は即ち少海をいう、天子を大海に比し太子を少海に比す。少海は玄宗に対する太子の義にして粛宗をさす。

旌旗黃 粛宗即位して黄色の旗をあげたことをいう。(肅宗が、宦官らの意見を入れて一方的に即位したことをいう。)

 

禹功亦命子,涿鹿親戎行。

禹がその子に禅譲したように、玄宗がそのお子に位をおゆずりになり、ここに粛宗が、天子親しく軍務に服せらるることになった。

禹功亦命子 「論語」堯日篇に、「堯日、嘻、爾舜、天之暦数在爾窮、云云、舜亦以命禹」とあり、詩句其の語法を借る。禹天下を治るの功ありて、其の子啓に命じて帝位を継がしめたりといふなり、玄宗が其の子、肅宗に命じて皇位を継がしめられしをいう。禹を肅宗に、子を廣平王にみる説もある。

瀦鹿親戎行 むかし黄帝、蚩尤と涿鹿の野に戦う、黄帝を以て粛宗に比し、蚩尤を以て安禄山に比していったもの。、戎行を親らすとは天子親しく軍務に服せらるるをいう。

(蚩尤との戦いと黄帝の即位)

 公孫軒轅(黄帝)が横暴な諸侯を征伐した時、神農氏の子孫の一人でもある蚩尤だけはきわめて暴虐で、征伐できなかった。黄帝が炎帝の子孫を破った後、蚩尤は再び兵を挙げて天下を乱したため、黄帝は諸侯の軍隊を徴収して蚩尤と対決した。両者の軍は涿鹿の野で戦い、激戦の末、黄帝は蚩尤を捕らえて処刑した。これ以降、諸侯はみな軒轅を尊び、炎帝の子孫にかえて天子とした。軒轅は土徳の天子であったため「黄帝」と号したという。

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杜甫  壯遊#9 

坐深黨敬,日覺死生忙。

朱門任傾奪,赤族迭罹殃。

國馬竭粟豆,官雞輸稻粱。

舉隅見煩費,引古惜興亡。          

国費で養ふ馬は有り余るほどの粟や豆をあたえ喰ひつくしていたし、官費による鶏飼育にも人民が稲梁をはこびこむという権力者の我儘をし尽くした。これらのことはほんの一端をあげただけのもので、この時期の権力者と後宮がいかに国家がおびただしいむだづかいをしてたかがわかるであろう。

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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壯遊 -8

天子廢食召,群公會軒裳。

そのおり、わが天子(玄宗)には食をやめて自分をお召しになる、多くの公卿たちは車馬衣服をむらがらして、自分の召試されている詩文と書を見物にきたほどである。

身無所愛,痛飲信行藏。

そして、その結果は微官を授けられることになり、後、疎まれて華州参軍に貶せられ、そこで置き土産の論文に思いのたけを全て述べて、官途から身をひいたけれど、いまでもすこしも惜しいとはおもっていなっかったし、そうして、ただ、ひどく酒を飲みふけって、進退は一党の房琯の宰相復活次第ときめていた。

黑貂不免敝,斑鬢兀稱觴。

儒者一門の黒い貂の裘はどうしてやぶれずに着続けられようか、それにその間、自分は黒白斑の鬢の毛をいただいて、歳を重ねたし、兀然として酒盃をあげていた。

杜曲晚耆舊,四郊多白楊。

長安の南、杜曲の自分の住居地のまわりには、だんだん老人が換わりゆき、四郊の陵原には白楊樹の植えられた陵墓ばかり多くなっのである。

天子 食を廢して召し,群公 軒裳を會す。

身をして 愛む所無なし,痛飲 行藏に信す。

黑貂 敝るるを免れんや,斑鬢 兀として觴を稱ぐ。

杜曲 耆舊晚る,四郊 白楊多し。

 

9

坐深黨敬,日覺死生忙。

生きのこっている自身は郷里の人たちから長老として祭りあげられていたが、日に日に人の死にゆくことの忙しく感じられたものだ。

朱門任傾奪,赤族迭罹殃。

朱門の邸宅、貴族たちはとみれば彼等道士で足の引っ張り合いをし、かつてに傾奪しあう、権力闘争で、おたがいに一族みな殺しをおこなうことまで、行うという権力欲に目がくらみ禍を起したのである。

國馬竭粟豆,官雞輸稻粱。

国費で養ふ馬は有り余るほどの粟や豆をあたえ喰ひつくしていたし、官費による鶏飼育にも人民が稲梁をはこびこむという権力者の我儘をし尽くした。

舉隅見煩費,引古惜興亡。

これらのことはほんの一端をあげただけのもので、この時期の権力者と後宮がいかに国家がおびただしいむだづかいをしていたかがわかるであろう。自分はこれを見て、昔の礼をひいてこれでは国が滅びていくだろうことを惜しく思っていた。

9

坐に深くす 黨の敬,日ひに 死生の忙きを覺ゆ。

朱門 傾奪に任す,赤族 迭【たが】いに殃に罹る。

國馬 粟豆を竭す,官雞に稻粱を輸す。

隅を舉げて煩費を見す,古を引きて興亡を惜む。

 

 

『壮遊』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
9

坐深黨敬,日覺死生忙。

朱門任傾奪,赤族迭罹殃。

國馬竭粟豆,官雞輸稻粱。

舉隅見煩費,引古惜興亡。          

 

(下し文) 9

坐に深くす 黨の敬,日ひに 死生の忙きを覺ゆ。

朱門 傾奪に任す,赤族 迭【たが】いに殃に罹る。

國馬 粟豆を竭す,官雞に稻粱を輸す。

隅を舉げて煩費を見す,古を引きて興亡を惜む。

(現代語訳)
生きのこっている自身は郷里の人たちから長老として祭りあげられていたが、日に日に人の死にゆくことの忙しく感じられたものだ。

朱門の邸宅、貴族たちはとみれば彼等道士で足の引っ張り合いをし、かつてに傾奪しあう、権力闘争で、おたがいに一族みな殺しをおこなうことまで、行うという権力欲に目がくらみ禍を起したのである。

国費で養ふ馬は有り余るほどの粟や豆をあたえ喰ひつくしていたし、官費による鶏飼育にも人民が稲梁をはこびこむという権力者の我儘をし尽くした。

これらのことはほんの一端をあげただけのもので、この時期の権力者と後宮がいかに国家がおびただしいむだづかいをしていたかがわかるであろう。自分はこれを見て、昔の礼をひいてこれでは国が滅びていくだろうことを惜しく思っていた。


(訳注) 9

壯遊-9

(壮年の遊歴をうたう)―少年壮年時、天下を周遊したことを述べ、渇、老後の感慨を述べた自叙伝というべきもの。

 

坐深黨敬,日覺死生忙。

生きのこっている自身は郷里の人たちから長老として祭りあげられていたが、日に日に人の死にゆくことの忙しく感じられたものだ。

坐深黨敬 崇敬の念を以ているが、いつも気軽にではあるが親密な付き合いをする。・黨敬 郷里の仲間たち、厳武、蘇源明、鄭虔等をいう。

死生忙 死生というものの、生の方を軽くし、死んでゆくものが頻繁にして忙しきことをいう。

 

朱門任傾奪,赤族迭罹殃。

朱門の邸宅、貴族たちはとみれば彼等道士で足の引っ張り合いをし、かつてに傾奪しあう、権力闘争で、おたがいに一族みな殺しをおこなうことまで、行うという権力欲に目がくらみ禍を起したのである。

朱門 貴族の家の門。正面の門は、南にあり、五行思想から朱門とした。

傾奪 あい手を傾け、あいての権力をうばう。

赤族 一族全員を殺戮すること。赤は菰き血を流すこと、李林甫が貴臣を誅遂し、楊国忠が王鉷を構陥したことなどをさす。

 

國馬竭粟豆,官雞輸稻粱。

国費で養ふ馬は有り余るほどの粟や豆をあたえ喰ひつくしていたし、官費による鶏飼育にも人民が稲梁をはこびこむという権力者の我儘をし尽くした。

國馬 種馬(玉路をひくもの)戎馬(戎路をひくもの)・齊馬(金路をひくもの)・道馬(象路をひくものの四種類の馬をさす。ここにいうは玄宗が国費にて飼養せる馬をいい、中には舞いに用いた馬などをもふくめていっている。

官鶏 官にて養うにわとり、これは闘鶏用のものをいう。

輸稲梁 輸とは人民よりそれへはこぶをいう。

 

舉隅見煩費,引古惜興亡。     

これらのことはほんの一端をあげただけのもので、この時期の権力者と後宮がいかに国家がおびただしいむだづかいをしていたかがわかるであろう。自分はこれを見て、昔の礼をひいてこれでは国が滅びていくだろうことを惜しく思っていた。

舉隅 一隅をあゲル。四隅のうちその一端をあぐとは、一端を示すをいう。

見煩費 見は見せしむる、「しめす」なり、煩費はわづらわしき費用。

引古 前古の例語をひく、

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杜甫  壯遊 -8

天子廢食召,群公會軒裳。

身無所愛,痛飲信行藏。

黑貂不免敝,斑鬢兀稱觴。

杜曲晚耆舊,四郊多白楊。
そして、その結果は微官を授けられることになり、後、疎まれて華州参軍に貶せられ、そこで置き土産の論文に思いのたけを全て述べて、官途から身をひいたけれど、いまでもすこしも惜しいとはおもっていなっかったし、そうして、ただ、ひどく酒を飲みふけって、進退は一党の房琯の宰相復活次第ときめていた。

杜甫 《1514 壯遊 -#8》【14分割】杜甫詩index-15-766年大暦元年55-50 <914-#8> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5985 杜甫詩1500-914-#8-1368/2500

 

 
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壯遊 -8

天子廢食召,群公會軒裳。

そのおり、わが天子(玄宗)には食をやめて自分をお召しになる、多くの公卿たちは車馬衣服をむらがらして、自分の召試されている詩文と書を見物にきたほどである。

身無所愛,痛飲信行藏。

そして、その結果は微官を授けられることになり、後、疎まれて華州参軍に貶せられ、そこで置き土産の論文に思いのたけを全て述べて、官途から身をひいたけれど、いまでもすこしも惜しいとはおもっていなっかったし、そうして、ただ、ひどく酒を飲みふけって、進退は一党の房琯の宰相復活次第ときめていた。

黑貂不免敝,斑鬢兀稱觴。

儒者一門の黒い貂の裘はどうしてやぶれずに着続けられようか、それにその間、自分は黒白斑の鬢の毛をいただいて、歳を重ねたし、兀然として酒盃をあげていた。

杜曲晚耆舊,四郊多白楊。

長安の南、杜曲の自分の住居地のまわりには、だんだん老人が換わりゆき、四郊の陵原には白楊樹の植えられた陵墓ばかり多くなって、生きのこる自身は郷里の人たちから長老として祭りあげられていたが、日に日に人の死にゆくことの忙しく感じられたものだ。

天子 食を廢して召し,群公 軒裳を會す。

身をして 愛む所無なし,痛飲 行藏に信す。

黑貂 敝るるを免れんや,斑鬢 兀として觴を稱ぐ。

杜曲 耆舊晚る,四郊 白楊多し。

 

 

『壯遊』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
壯遊 -8

天子廢食召,群公會軒裳。

身無所愛,痛飲信行藏。

黑貂不免敝,斑鬢兀稱觴。

杜曲晚耆舊,四郊多白楊。

(下し文)
天子 食を廢して召し,群公 軒裳を會す。

身をして 愛む所無なし,痛飲 行藏に信す。

黑貂 敝るるを免れんや,斑鬢 兀として觴を稱ぐ。

杜曲 耆舊晚る,四郊 白楊多し。

(現代語訳)
そのおり、わが天子(玄宗)には食をやめて自分をお召しになる、多くの公卿たちは車馬衣服をむらがらして、自分の召試されている詩文と書を見物にきたほどである。

そして、その結果は微官を授けられることになり、後、疎まれて華州参軍に貶せられ、そこで置き土産の論文に思いのたけを全て述べて、官途から身をひいたけれど、いまでもすこしも惜しいとはおもっていなっかったし、そうして、ただ、ひどく酒を飲みふけって、進退は一党の房琯の宰相復活次第ときめていた。

儒者一門の黒い貂の裘はどうしてやぶれずに着続けられようか、それにその間、自分は黒白斑の鬢の毛をいただいて、歳を重ねたし、兀然として酒盃をあげていた。

長安の南、杜曲の自分の住居地のまわりには、だんだん老人が換わりゆき、四郊の陵原には白楊樹の植えられた陵墓ばかり多くなって、生きのこる自身は郷里の人たちから長老として祭りあげられていたが、日に日に人の死にゆくことの忙しく感じられたものだ。


(訳注)

壯遊 -8

 

天子廢食召,群公會軒裳。

そのおり、わが天子(玄宗)には食をやめて自分をお召しになる、多くの公卿たちは車馬衣服をむらがらして、自分の召試されている詩文と書を見物にきたほどである。

天子 玄宗。

廢食召 食事をやめて、杜甫を召す。杜甫を集賢院に待制させて、宰相に命じて試験させたことをいう。

群公 諸公卿。

會軒裳 軒はくるま、裳は礼服のもすそ。軒裳を会すとは、高い地位の人々が、試験をみにくる。《1446 莫相疑行》「集賢學士如堵牆,觀我落筆中書堂。」(集賢の學士 堵牆【としょう】の如し,觀る我が筆を落す中書堂。賢殿の学士たちは人垣を作って自分が中書堂で文章を書き下ろすのを見物したものだった。

765年永泰元年54-03 《莫相疑行-#2 杜甫index-15 杜甫<803-#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4745 杜甫詩1500-803-#2-1120/2500

 

身無所愛,痛飲信行藏。

そして、その結果は微官を授けられることになり、後、疎まれて華州参軍に貶せられ、そこで置き土産の論文に思いのたけを全て述べて、官途から身をひいたけれど、いまでもすこしも惜しいとはおもっていなっかったし、そうして、ただ、ひどく酒を飲みふけって、進退は一党の房琯の宰相復活次第ときめていた。

無所愛 愛は愛惜。

信行藏 信はまかす、行はゆく、藏はかくれる。

*房琯を筆頭に、儒者グループが排斥されていた、一時期、賀蘭進明・第五琦の御都合経済主義者に代わって朝廷に復活かと期待されたが、病死したため、杜甫の夢は絶たれた。このいきさつは「杜甫と房琯房琯関連」にまとめてのべている。杜甫も、多くの詩文を残している。

756年至徳元から二載 《杜甫と房琯房琯関連 1-(1) 杜甫index-5 756年房琯関連 1-(1) 杜甫<1601-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4345 杜甫詩1500-1601-1-1040/2500

757年至徳二載 《杜甫と房琯 房琯関連 1-(2) 杜甫index-5 756年 房琯関連 1-(2) 杜甫<1601-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4350 杜甫詩1500-1601-2-1041/2500

757年至徳二載 《杜甫と房琯房琯関連 1-(3) 杜甫index-14 764年房琯関連 1-(3) 杜甫<1601-3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4355 杜甫詩1500-1601-3-1042/2500

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(13) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-13 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4215 杜甫詩1500-1501-13-1014/2500

永泰元年765-855 《承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之一》(遠聞房太守) 杜甫index-15 765年 杜甫<855 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4220 杜甫詩1500-855-1015/250053

永泰元年765-97-7 《承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之二》 杜甫index-14 764年(丹旐飛飛日) 杜甫<856 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4225 杜甫詩1500-856-1016/250054

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首Q-1 -(1) 杜甫index-14 764年(1)Q-1-#1 杜甫<765 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4230 杜甫詩1500-765-1017/2500index-21

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763年廣徳元年1501 《祭故相國清河房公文-(1) 杜甫index-13 763年祭故相國清河房公文-(1) 杜甫<765 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4155 杜甫詩1500-765-1002/2500

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黑貂不免敝,斑鬢兀稱觴。

儒者一門の黒い貂の裘はどうしてやぶれずに着続けられようか、それにその間、自分は黒白斑の鬢の毛をいただいて、歳を重ねたし、兀然として酒盃をあげていた。

黑貂 貂の皮衣。

斑鬢 黒白斑の鬢の毛。

兀稱觴 顔は動かさず盃が廻ることをいう。

 

杜曲晚耆舊,四郊多白楊。

長安の南、杜曲の自分の住居地のまわりには、だんだん老人が換わりゆき、四郊の陵原には白楊樹の植えられた陵墓ばかり多くなって、生きのこる自身は郷里の人たちから長老として祭りあげられていたが、日に日に人の死にゆくことの忙しく感じられたものだ。

杜曲 長安の南、樊川の水曲の名で杜曲、韋曲、斗門は名勝の地である。

晚耆舊 杜甫の居宅は、杜陵にあり、韋曲韓荘の東南に鄭虔の家、何将軍の別荘、などがあったが、馬で行き来したので、近所つきあいをしていた。758年《0622 鄭十八虔著作丈故居》《0535 送鄭十八虔貶台州司

送鄭十八虔貶台州司、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 231

0622題鄭十八著作虔》

759年《0718 有懷台州鄭十八司         

765永泰元年《1423 哭台州鄭司戸蘇少監》

1462 雲安九日,鄭十八攜酒陪諸公宴》         

  《1489 贈鄭十八賁》

766年《1620 存歿口號,二首之一》【是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

766年《1621 存歿口號,二首之二》【是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

四郊 四方の郊外。神禾腹、少陵原、白鹿原、銅人原などをいう。

多白楊 葉の裏が白い柳を墓の西側に植える。
京兆地域図002 

杜甫 《1514 壯遊 -#7》【14分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-50 <914-#7> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5980

壮遊-#7

蘇侯據鞍喜,忽如攜葛強。

快意八九年,西歸到咸陽。

許與必詞伯,賞遊實賢王。

曳裾置醴地,奏賦入明光。

之を見て友だちの蘇預(源明)が鞍によりながら喜んで自分を見ることは、まるで山簡が葛強がたづさへる様なありさまであった。こんなことをして愉快にかれこれ八九年すごしたもので、そのご西のかた咸陽へ歸ってきた。

杜甫 1514 壯遊 -#7》【14分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-50 <914-#7 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5980 杜甫詩1500-914-#7-1367/2500

 

 
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238 《巻19-27 宴鄭參卿山池》Index-16 Ⅱ―11-736年開元二十四年36歳 <238> Ⅰ李白詩1486 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5978 
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66-#2 《讀巻06-05 施先生墓銘》 -#2§1-2 韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 36歳》   ()<1399> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5979 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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壮遊-#7

蘇侯據鞍喜,忽如攜葛強。

之を見て友だちの蘇預(源明)が鞍によりながら喜んで自分を見ることは、まるで山簡が葛強がたづさへる様なありさまであった。

快意八九年,西歸到咸陽。

こんなことをして愉快にかれこれ八九年すごしたもので、そのご西のかた咸陽へ歸ってきた。

許與必詞伯,賞遊實賢王。

当時自分の価値を知って相許してくれる人は必ず文壇の長たるものであり、自然を賞して遊びを共にするものは賢明な王(李璡)であった。

曳裾置醴地,奏賦入明光。

王は醴を置いて自分を敬禮してくださる、自分はそこに出入りしていたが、賦を献上しで明光殿(大明官)に進みいることになった。

 

蘇侯 鞍に據りて喜び,忽ち葛強を攜うが如し。

快意なり 八、九年,西歸 咸陽に到る。

許與せらるるは必ず 詞伯,賞遊するは 實に賢王なり。

裾を曳く 置醴の地,賦を奏して 明光に入る。

 

 

『壮遊』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
壮遊-#7

蘇侯據鞍喜,忽如攜葛強。

快意八九年,西歸到咸陽。

許與必詞伯,賞遊實賢王。

曳裾置醴地,奏賦入明光。


(下し文)
蘇侯 鞍に據りて喜び,忽ち葛強を攜うが如し。

快意なり 八、九年,西歸 咸陽に到る。

許與せらるるは必ず 詞伯,賞遊するは 實に賢王なり。

裾を曳く 置醴の地,賦を奏して 明光に入る。

(現代語訳)

之を見て友だちの蘇預(源明)が鞍によりながら喜んで自分を見ることは、まるで山簡が葛強がたづさへる様なありさまであった。

こんなことをして愉快にかれこれ八九年すごしたもので、そのご西のかた咸陽へ歸ってきた。

当時自分の価値を知って相許してくれる人は必ず文壇の長たるものであり、自然を賞して遊びを共にするものは賢明な王(李璡)であった。

王は醴を置いて自分を敬禮してくださる、自分はそこに出入りしていたが、賦を献上しで明光殿(大明官)に進みいることになった。


(訳注) 壮遊-#7

 

蘇侯據鞍喜,忽如攜葛強。

之を見て友だちの蘇預(源明)が鞍によりながら喜んで自分を見ることは、まるで山簡が葛強がたづさへる様なありさまであった。

蘇侯 作考の自注にあるとおり、蘇預、即ち蘇源明である、源明は預が代宗の御諱豫である故に改名したもので、《1422 懐旧》に“〔原注〕 公前名預、避御諒、改名源明”の自注にみえる。

攜葛強 葛強は晉の山簡が愛称の名、山間の詩に、「擧鞭問葛彊、何如幷州兒」りとみゆ、彊を以て自己に比す。「呼鷹」四句皆斉地の猟をいう、以上「中歳」以下の十六句は、斉趙の遊を叙す。

 

快意八九年,西歸到咸陽。

こんなことをして愉快にかれこれ八九年すごしたもので、そのご西のかた咸陽へ歸ってきた。

八九年 737年開元二十五年より745年天寶四載までにて九年となる、まさしく此期間とはいう能わざるも大約これに近い。

西歸到咸陽 咸陽は渭水を隔てて長安の北にあり、咸陽の到着は上にいうように天寶四載か五載かということになる、両年中ということ。

 

許與必詞伯,賞遊實賢王。

当時自分の価値を知って相許してくれる人は必ず文壇の長たるものであり、自然を賞して遊びを共にするものは賢明な王(李璡)であった。

許與 その文才あることを許し輿ふるもの。

詞伯 文壇の長、鄭虔、岑参が徒をさす。

賞遊 山水風月を賞賛して遊ぶ。 

賢王 汝陽王李璡。

 

曳裾置醴地,奏賦入明光。

王は醴を置いて自分を敬禮してくださる、自分はそこに出入りしていたが、賦を献上しで明光殿(大明官)に進みいることになった。

曳裾 衣のすそをひく、王門に出入するをいう、語は鄒陽が書に見える。

置醴地 汝陽王邸をいふ、漢の時、楚の元王、穆生を敬し醴を置きて酒に代わる、作者を禮遇したことをいう。 

奏賦入明光 賦は三大禮賦をいう、750年天寶九載に奏したるがごとし。明光は漢の宮の名、借りて唐の宮殿に充つ。

杜甫 《1514 壯遊 -#6》【14分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-50 <914-#6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5975

壯遊-6

放蕩齊趙間,裘馬頗清狂。

春歌叢臺上,冬獵青丘旁。

呼鷹皁櫪林,逐獸雲雪岡。

射飛曾縱鞚,引臂落鶖鶬。

それから斉、趙の地方にきままにあそび軽裘肥馬、すこぶる清狂の態をつくした。春には、趙の都たる邯鄯の都であった城中の叢臺の上で歌い、あきになれば、蘇預と並んで靑丘の傍らで狩りをした。

 

杜甫 1514 壯遊 -#6》【14分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-50 <914-#6 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5975 杜甫詩1500-914-#6-1366/2500

 

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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年:766年大暦元年55

卷別:  卷二二二        文體:  五言古詩

詩題:  壯遊

及地點:姑蘇臺 (江南東道 蘇州 蘇州) 別名:蘇臺   

劍池 (江南東道 蘇州 虎丘山)     

長洲 (江南東道 蘇州 長洲)       

閶門 (江南東道 蘇州 蘇州)       

鑑湖 (江南東道 越州 會稽) 別名:鏡湖    

剡溪 (江南東道 越州 剡縣)       

天姥山 (江南東道 越州 剡縣)     

叢臺 (河北道南部 邯鄲)     

青丘 (河南道 青州 千乘)         

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸  

明光殿 (京畿道 京兆府 長安)     

杜曲 (京畿道 京兆府 杜曲)       

岷山 (劍南道北部 茂州 岷山) 別名:西山、汶山    

崆峒山 (隴右道東部 岷州 崆峒山)         

涿鹿山 (河北道南部 涿鹿山)         

太伯廟 (江南東道 蘇州 蘇州)   

未央宮 (京畿道 京兆府 長安)   

 

交遊人物:崔尚    詩文提及

             詩文提及

蘇源明             詩文提及

 

6

放蕩齊趙間,裘馬頗清狂。

それから斉、趙の地方にきままにあそび軽裘肥馬、すこぶる清狂の態をつくした。

春歌叢臺上,冬獵青丘旁。

春には、趙の都たる邯鄯の都であった城中の叢臺の上で歌い、あきになれば、蘇預と並んで靑丘の傍らで狩りをした。

呼鷹皁櫪林,逐獸雲雪岡。

黒いイチイの林に鷹を呼びかけたり、雲雪のよこたわる岡に獣を追ったものだ。

射飛曾縱鞚,引臂落鶖鶬。

そして、手綱を緩めては飛ぶ鳥を射たり、矢筈を引きさえすれば大鳥の鶖鶬鳥を射おとした。

放蕩たり 齊趙の間,裘馬 頗る清狂なり。

春には歌う 叢臺の上,冬には獵る 青丘の旁。

鷹を呼ぶ 皁櫪【そうれき】の林,獸を逐う雲雪の岡。

飛を射て 曾ち鞚を縱【はな】つ,臂を引きて 鶖鶬【しゅうそう】を落す。
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<!--[endif]-->

 

『壯遊』 現代語訳と訳註解説
(
本文) #
6

放蕩齊趙間,裘馬頗清狂。

春歌叢臺上,冬獵青丘旁。

呼鷹皁櫪林,逐獸雲雪岡。

射飛曾縱鞚,引臂落鶖鶬。

(下し文)
放蕩たり 齊趙の間,裘馬 頗る清狂なり。

春には歌う 叢臺の上,冬には獵る 青丘の旁。

鷹を呼ぶ 皁櫪【そうれき】の林,獸を逐う雲雪の岡。

飛を射て 曾ち鞚を縱【はな】つ,臂を引きて 鶖鶬【しゅうそう】を落す。

 

(現代語訳)
それから斉、趙の地方にきままにあそび軽裘肥馬、すこぶる清狂の態をつくした。

春には、趙の都たる邯鄯の都であった城中の叢臺の上で歌い、あきになれば、蘇預と並んで靑丘の傍らで狩りをした。

黒いイチイの林に鷹を呼びかけたり、雲雪のよこたわる岡に獣を追ったものだ。

そして、手綱を緩めては飛ぶ鳥を射たり、矢筈を引きさえすれば大鳥の鶖鶬鳥を射おとした。


(訳注)6

壯遊-6

(壮年の遊歴をうたう)―少年壮年時、天下を周遊したことを述べ、渇、老後の感慨を述べた自叙伝というべきもの。

 

放蕩齊趙間,裘馬頗清狂。

それから斉、趙の地方にきままにあそび軽裘肥馬、すこぶる清狂の態をつくした。

放蕩 気ままにあそぶ。自分の思うままに振る舞うこと。やるべきことをやらず、飲酒や遊びにうつつをぬかすこと。

齊趙 斉は(齊、せい、、紀元前1046 - 紀元前386年)は周代、春秋時代、戦国時代初頭に亘って現在の山東省を中心に存在した国(諸侯)。周建国の功臣太公望によって立てられた国である。姓は姜(羌とするのは誤り)であるため、戦国時代の斉(田斉)などと区別して姜斉(きょうせい)とも呼ばれる。紀元前386年に家臣の田和によって乗っ取られ、姜斉はこの時点で滅ぼされた。首都は臨淄。今の山東省。趙は直隷省南部をさす。戦国時代に存在した国(紀元前403 - 紀元前228年)で、戦国七雄の一つに数えられる。国姓は趙。首府は邯鄲。もともとは、晋の臣下(卿)であった。紀元前228年に秦に滅ぼされた。

裘馬 皮ごろも、うま。軽裘肥馬をいう。

清狂 正しく、しかしくるうほどの気のさま。

 

春歌叢臺上,冬獵青丘旁。

春には、趙の都たる邯鄯の都であった城中の叢臺の上で歌い、あきになれば、蘇預と並んで靑丘の傍らで狩りをした。

叢臺 趙の都たる邯鄯(大名府邯鄯縣)の城中にあった台。その台が多くむらがるようにあるので叢臺と称する。ここまで、趙のことをいう。

青丘 山東省靑州樂安縣治。落第してしばらく(736737)洛陽にいて、洛陽に居て、741年ころまで斉趙への旅をする。このとき「蘇侯」と書かれ、杜甫の自注によると蘇預(そよ後に蘇源明)のことで、監門の冑曹参軍事兵器庫係)となる人物である。ふたりは「青丘」で狩りをする.「青丘」は青州(山東省樂安縣治)の丘をいう。蘇預が馬を寄せてきて杜甫の弓の腕前を褒めるのを、杜甫は晋の将軍山簡が部下の葛彊(かつきょう)を褒めるのに例えて、親しみをあらわしている。蘇源明はこのあとも、杜甫の生涯の友である。また、杜甫は馬が好きで、馬について数多くの詩を残している。北周庾信《燕射歌辭宮調曲二》「 青丘還擾圃, 丹穴更巢梧。」とある。

 

呼鷹皁櫪林,逐獸雲雪岡。

黒いイチイの林に鷹を呼びかけたり、雲雪のよこたわる岡に獣を追ったものだ。

皁櫪林 皁は皀、黒し、櫪は櫟、イチヰの木のもり。

 

射飛曾縱鞚,引臂落鶖鶬。

そして、手綱を緩めては飛ぶ鳥を射たり、矢筈を引きさえすれば大鳥の鶖鶬鳥を射おとした。

射飛 飛ぶ鳥を射る。

曾縱鞚 曾は乃ち、常にの義、縦鞚、鞚は馬勒、縦は「はなつ」鞚をに縦づとは轡を放って疾く馳することをいう。

引臂落 箭踏みをためるために右臂をひく。

鶖鶬 鶴に似たる大鳥の名。

杜甫 《1514 壯遊 -#5》【14分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-50 <914-#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5970

壯遊5

剡溪蘊秀異,欲罷不能忘。

歸帆拂天姥,中貢舊

氣劘屈賈壘,目短曹劉牆。

忤下考功第,獨辭京尹堂。        
それが京師試験では、孝功員外郎の監督のもとに落第の運命にあったわけで、ただ一人京兆尹の政庁を辞して立ち去ることであった。

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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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5

剡溪蘊秀異,欲罷不能忘。

剡渓には秀異なる景物があつめられていた。それらの事は思いとどまろうとしてもどうしても今に忘れることはできぬ。

歸帆拂天姥,中貢舊

帰りゆく船は、帆を高く挙げて天姥の峰をかすめて故郷の河南の方に戻った。この故郷の地から、二十四歳の中歳の自分として、郷貢生として、受験するために京師に送り出された。

氣劘屈賈壘,目短曹劉牆。

その頃の自分の意気ごみは、屈原や賈誼にむかって議論戦に挑むように昂揚していた、あるいは、曹植、劉楨をも眼下に見下すほどであった。

忤下考功第,獨辭京尹堂。    

それが京師試験では、孝功員外郎の監督のもとに落第の運命にあったわけで、ただ一人京兆尹の政庁を辞して立ち去ることであった。

剡溪 秀異を蘊【あつ】む,罷めむと欲して 忘るる能わず。

歸帆 天姥を拂い,中 舊より貢せらる。

氣は劘す 屈賈が壘,目は短とす 曹劉が牆。

忤下【ごか】す 考功の第,獨り辭す 京尹の堂。

 

 

『壯遊』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
5

剡溪蘊秀異,欲罷不能忘。

歸帆拂天姥,中貢舊

氣劘屈賈壘,目短曹劉牆。

忤下考功第,獨辭京尹堂。        

(下し文)
剡溪 秀異を蘊【あつ】む,罷めむと欲して 忘るる能わず。

歸帆 天姥を拂い,中 舊より貢せらる。

氣は劘す 屈賈が壘,目は短とす 曹劉が牆。

忤下【ごか】す 考功の第,獨り辭す 京尹の堂。

(現代語訳)
剡渓には秀異なる景物があつめられていた。それらの事は思いとどまろうとしてもどうしても今に忘れることはできぬ。

帰りゆく船は、帆を高く挙げて天姥の峰をかすめて故郷の河南の方に戻った。この故郷の地から、二十四歳の中歳の自分として、郷貢生として、受験するために京師に送り出された。

その頃の自分の意気ごみは、屈原や賈誼にむかって議論戦に挑むように昂揚していた、あるいは、曹植、劉楨をも眼下に見下すほどであった。

それが京師試験では、孝功員外郎の監督のもとに落第の運命にあったわけで、ただ一人京兆尹の政庁を辞して立ち去ることであった。


(訳注) 5

剡溪蘊秀異,欲罷不能忘。

剡渓には秀異なる景物があつめられていた。それらの事は思いとどまろうとしてもどうしても今に忘れることはできぬ。

・剡渓 紹興府嵊縣の南にあり、山水の英を以てまさる、謂わゆる千巌競秀、萬壑争流、なるものなり。鑑湖剡溪:浙江省紹興に鑒湖あり、名勝の地で、詩人多く遊ぶ。また剡渓は浙江省曹娥江上流の地で、賀知章は浙江省曹娥江賢院学士となる。四明狂客と称す。天宝三年(七四四)、致仕、乞いて郷に帰り道士となる。別れに玄宗、鑑湖剡渓に、云う。

蘊秀異 山水の奇美なる風景をその地域全体にたくわえている。

欲罷不能忘 この地の風景を思い出し始めたタイツでも鮮明に覚えていて忘れる事は無い。

 

歸帆拂天姥,中貢舊

帰りゆく船は、帆を高く挙げて天姥の峰をかすめて故郷の河南の方に戻った。この故郷の地から、二十四歳の中歳の自分として、郷貢生として、受験するために京師に送り出された。

歸帆 呉越地方から江南河から山陽瀆に入って、淮河流域へ、通済渠を経て黄河に入り洛陽長安へつながっている隋煬帝の作った運河のことをいう。。

拂天姥 短大さんと対峙する峰の名。浙江省台州府県の西北にあり、その峰孤峭、下って、嵊県に臨む、仰ぎ見れば天表にあるが如し台州を経てゆくので払うといった。

 二十代中盤、人生の壮年期五十年の中ほどにあたる。

貢舊 唐代の進士科には中央の学校の生徒と,各州が試験したうえで推薦した郷貢の進士とが応ずることができ,これらに対して中央政府が行う試験を貢挙,または省試と称した。

 

氣劘屈賈壘,目短曹劉牆。

その頃の自分の意気ごみは、屈原や賈誼にむかって議論戦に挑むように昂揚していた、あるいは、曹植、劉楨をも眼下に見下すほどであった。

氣劘 氣は意気、劘は敵の防塁を崩すことをいう。

屈賈壘 屈原や賈誼の陣地にむかって戦うこと。議論戦。

目短曹劉牆 論語 子張篇 「叔孫武叔語大夫於朝曰、子貢賢於仲尼、子服景伯以告子貢、子貢曰、譬諸宮牆也、賜之牆也及肩、窺見室家之好、夫子之牆也數仭、不得其門而入者、不見宗廟之美百官之富、得其門者或寡矣、夫子之云、不亦宜乎」

叔孫武叔、大夫に朝に語りて曰わく、子貢は仲尼より賢れり。子服景伯以て子貢に告ぐ。子貢が曰わく、諸れを宮牆に譬【たと】うれば、賜の牆や肩に及べり、室家の好きを窺い見ん。夫子の牆や数仭、其の門を得て入らざれば、宗廟の美、百官の富みを見ず。其の門を得る者、或いは寡なし。夫の子の云うこと、亦た宜【うべ】ならずや。

叔孫武叔が朝廷で大夫達に言った「子貢は孔子より上だ」

子服景伯はそのことを子貢に知らせると、子貢が言った「屋敷に例えるなら、私の塀は肩くらいで、家の中は丸見えですが、先生の塀は非常に高いので、門を通らない限り、豪華で活気ある家の中を見ることはできません。それに門も見つけにくいので、あの方がそう言ったのは、いかにもそのような様子ですね」

に基づく。曹劉は、魏の曹植と劉邸であり、目短は眼下に見下すというほどの意。

 

忤下考功第,獨辭京尹堂。    

それが京師試験では、孝功員外郎の監督のもとに落第の運命にあったわけで、ただ一人京兆尹の政庁を辞して立ち去ることであった。

忤下考功第 忤は「たがう」「さからう」試験官の意に合わなかったことをいう。下考功第は下第:落第、考功:孝功員外郎の監督のもとをいう。杜甫は、735年開元2324歳のとき受験している。

京尹堂 京尹は京兆尹をいい、堂は政庁である。受験したものは、すべて京兆尹の管理下にあり、他の落第者がまだ残っているのに、杜甫は独りここを立ち去ったもので、立ち去るのに断りを入れて去ったので、辞すとした。

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壯遊-4

每趨太伯,撫事淚浪浪。

枕戈憶句踐,渡浙想秦皇。

蒸魚聞匕首,除道哂要章。

越女天下白,鑑湖五月涼。              4

太伯に趨するを每にし,事を撫して 淚 浪浪たり。

枕戈 句踐を憶い,渡浙 秦皇を想う。

蒸魚 匕首を聞き,除道 要章を哂う。

越女は天下に白し,鑑湖 五月に涼し。

呉地では闔閭が専諸をして魚腹にヒ首を隠して王僚を刺せた話を聞いた。そうであれば逆に、越にはいると、朱買臣が太守の印綬を腰につけて、こっそり会稽へきて、それが見つけられて、土地の人人が急に道路の掃除をしだしたこと、中には朱買臣を見限って別れた妻もそうじをしていたなどと、この地はかたき討ちの土地柄だとおもしろく思われたものだ。

 

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壯遊 -#3

到今有遺恨,不得窮扶桑。

王謝風流遠,闔廬丘墓荒。

劍池石壁仄,長洲荷芰香。

嵯峨閶門北,清廟映回塘。        

今にる到も遺恨有るは,扶桑を窮むることを得ざりしことなり。

王謝 風流遠し,闔廬【こうりょ】丘墓 荒る。

劍池 石壁仄【かたむ】き,長洲  荷芰 香し。

嵯峨たる閶門の北,清廟 回塘映ず。

今になって思うのは、あの時扶桑国のあたりまでゆききはめることができなかったことは今でも残念におもう所である。

 

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 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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年:766年大暦元年55

卷別:  卷二二二        文體:  五言古詩

詩題:  壯遊

及地點:姑蘇臺 (江南東道 蘇州 蘇州) 別名:蘇臺   

劍池 (江南東道 蘇州 虎丘山)     

長洲 (江南東道 蘇州 長洲)       

閶門 (江南東道 蘇州 蘇州)       

鑑湖 (江南東道 越州 會稽) 別名:鏡湖    

剡溪 (江南東道 越州 剡縣)       

天姥山 (江南東道 越州 剡縣)     

叢臺 (河北道南部 邯鄲)     

青丘 (河南道 青州 千乘)         

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸  

明光殿 (京畿道 京兆府 長安)     

杜曲 (京畿道 京兆府 杜曲)       

岷山 (劍南道北部 茂州 岷山) 別名:西山、汶山    

崆峒山 (隴右道東部 岷州 崆峒山)         

涿鹿山 (河北道南部 涿鹿山)         

太伯廟 (江南東道 蘇州 蘇州)   

未央宮 (京畿道 京兆府 長安)   

 

交遊人物:崔尚    詩文提及

             詩文提及

蘇源明             詩文提及

 

 

壯遊-1

(壮年の遊歴をうたう)―少年壮年時、天下を周遊したことを述べ、渇、老後の感慨を述べた自叙伝というべきもの。

往昔十四五,出遊翰墨場。

自分はその昔、1415歳のころから詩文章を作る場所に出入りし、文学者たちと交遊したものだ。

斯文崔魏徒,以我似班揚。

その文学者のなかには崔尚、魏啓心らがおり、参加している人たちから、自分の詩文が、班固や揚雄に似ているといわれ、ほめられたものだ。

七齡思即壯,開口詠鳳皇。

そうなる前の幼児期7歳までにすでに文思想が盛んである鳳凰の詩篇を暗記し、口遊んでいた。

九齡書大字,有作成一囊。

719年開元89歳の時には、大字を書き、作り、書き上げた製作物は、嚢袋がいっぱいになっていた。

壯遊-2

性豪業嗜酒,嫉惡懷剛腸。

性質は豪放で少年の頃からはやくも酒を嗜み、剛腸石心で邪悪をにくむことがひどかった。

略小時輩,結交皆老蒼。

それに、自分は同時の小さな人物などは眼中に置かず、交を結んだ者は皆50歳以上の年ふけた白髪頭の人たちであった。

飲酣視八極,俗物都茫茫。

酒をのんで酔が十分まわったころ八方をながめてみるとただ俗物どもがいっぱいうようよしている様な気がしたものだ。

東下姑蘇臺,已具浮海航。

やがて天下に行遊をはじめ、まず洛陽から出かけて東に向かって行きそして、姑蘇臺の方へ下って呉越に向い、その時、巳に海に浮ぶおおきな舟を用意したのだ。

 

(壯遊-1

往者 十四五、出でて翰墨の場に遊ぶ。

斯文 崔魏が徒、我を以て班揚に似たりとす。

七齡 思い 即ち壮んなり、口を開きて 鳳皇を詠す。

九齢 大字を書す、作有りて一嚢を成す。

2

性豪にして業【すで】に酒を噂めり,惡を嫉みて剛腸を懷く。

略す 小時輩,交を結ぶは皆 老蒼たり。

飲酣にして八極を視れば,俗物 都く茫茫たり。

東 姑蘇臺に下り,已に浮海の航を具う。

壯遊 -#3

到今有遺恨,不得窮扶桑。

今になって思うのは、あの時扶桑国のあたりまでゆききはめることができなかったことは今でも残念におもう所である。

王謝風流遠,闔廬丘墓荒。

呉の地にうろついているうち、もとより昔の王氏、謝氏一門の風流は遠き過去のことで見るべくもなく、呉王闔閭の跡を弔おうとして、むかえばその墓は荒れ果てていた。

劍池石壁仄,長洲荷芰香。

そのそばの剣池には石壁が危うく建っている。長洲の苑には菱や蓮が匂っていた。
嵯峨閶門北,清廟映回塘。    

高い閶門の北には呉の太伯の廟が回れる池塘の水にうつろっていたものだ。

今にる到も遺恨有るは,扶桑を窮むることを得ざりしことなり。

王謝 風流遠し,闔廬【こうりょ】丘墓 荒る。

劍池 石壁仄【かたむ】き,長洲  荷 香し。

嵯峨たる閶門の北,清廟 回塘映ず。

 

 

『壯遊』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
壯遊-3

壯遊 -#3

到今有遺恨,不得窮扶桑。

王謝風流遠,闔廬丘墓荒。

劍池石壁仄,長洲荷芰香。

嵯峨閶門北,清廟映回塘。        


(下し文)
今にる到も遺恨有るは,扶桑を窮むることを得ざりしことなり。

王謝 風流遠し,闔廬【こうりょ】丘墓 荒る。

劍池 石壁仄【かたむ】き,長洲  荷芰 香し。

嵯峨たる閶門の北,清廟 回塘映ず。


(現代語訳)
今になって思うのは、あの時扶桑国のあたりまでゆききはめることができなかったことは今でも残念におもう所である。

呉の地にうろついているうち、もとより昔の王氏、謝氏一門の風流は遠き過去のことで見るべくもなく、呉王闔閭の跡を弔おうとして、むかえばその墓は荒れ果てていた。

そのそばの剣池には石壁が危うく建っている。長洲の苑には菱や蓮が匂っていた。
高い閶門の北には呉の太伯の廟が回れる池塘の水にうつろっていたものだ。


(訳注) 壯遊 -#3

 

到今有遺恨,不得窮扶桑。

今になって思うのは、あの時扶桑国のあたりまでゆききはめることができなかったことは今でも残念におもう所である。

到今 今とは作詩の時をいふ。

扶桑 東海に在りと考へられし國。《《楚辭九歌東君》「暾將出兮東方, 照吾檻兮扶桑。」 搏桑とも書く。中国神話にみえる太陽の昇る木。《山海経(せんがいきよう)》海外東経に,〈湯谷の上に扶桑あり,十日の浴する所〉〈大木あり。九日下枝に居り,一日上枝に居る〉とあって,十日が順次この木から天路に上るとするが,馬王堆第1号漢墓(馬王堆漢墓)出土の帛画(はくが)にみえる。太陽の降る木を若木といい桑樹。桑は神木とされ,禹(う)には台桑,伊尹(いいん)にも空桑の説話がある。扶桑は東海の海上にあるとされ,のち日本の異名となった。

 

王謝風流遠,闔廬丘墓荒。

呉の地にうろついているうち、もとより昔の王氏、謝氏一門の風流は遠き過去のことで見るべくもなく、呉王闔閭の跡を弔おうとして、むかえばその墓は荒れ果てていた。

王謝 東晉の王尊、王羲之、謝安、謝靈運、王謝の門族は江南に散布している。

闔廬 呉の王の名。闔閭(こうりょ、? - 紀元前496/在位:紀元前514 - 紀元前496年)は、中国春秋時代の呉の第6代の王。姓は姫。諱は光。家臣の孫武、伍子胥などの助けを得て、呉を一大強国へと成長させ覇を唱えたが、越王勾践に敗れ、子の夫差に復讐を誓わせて没した。春秋五覇の1人に数えられることがある。闔廬とも表記される。

丘墓克 呉縣り閶門の外の虎丘に闔廬が家あり、盤郢魚腸の剣を葬る、葬りて三日、白虎その上に踞す、因って號して虎丘といふと。

 

劍池石壁仄,長洲荷芰香。

そのそばの剣池には石壁が危うく建っている。長洲の苑には菱や蓮が匂っていた。

剣池 虎丘に在り、池上に石壁あり、高さ数丈。

長洲 苑り名、長洲願の西南にあり、姑蘇り南、太湖の北にあたる、開聞り遊猟の地なりへ

要衝ひし、はす。

 

嵯峨閶門北,清廟映回塘。    

高い閶門の北には呉の太伯の廟が回れる池塘の水にうつろっていたものだ。

閶門 呉縣の西の門。

清廟 呉国の先粗大伯の廟をいふ、後漢の永興二年太守麇豹の建つる所、閶門外にあり、叉太伯り家は呉縣の北、梅里家にあり、廟家相連る。

廻塘 めぐれる池

杜甫 《1514 壯遊 -#2》【14分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-50 <913-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5955 

壯遊-2

性豪業嗜酒,嫉惡懷剛腸。

略小時輩,結交皆老蒼。

飲酣視八極,俗物都茫茫。

東下姑蘇臺,已具浮海航。

性質は豪放で少年の頃からはやくも酒を嗜み、剛腸石心で邪悪をにくむことがひどかった。

それに、自分は同時の小さな人物などは眼中に置かず、交を結んだ者は皆50歳以上の年ふけた白髪頭の人たちであった。

 

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杜甫詩1500-913-#2-1362/2500

壯遊-1

(壮年の遊歴をうたう)―少年壮年時、天下を周遊したことを述べ、渇、老後の感慨を述べた自叙伝というべきもの。

往昔十四五,出遊翰墨場。

自分はその昔、1415歳のころから詩文章を作る場所に出入りし、文学者たちと交遊したものだ。

斯文崔魏徒,以我似班揚。

その文学者のなかには崔尚、魏啓心らがおり、参加している人たちから、自分の詩文が、班固や揚雄に似ているといわれ、ほめられたものだ。

七齡思即壯,開口詠鳳皇。

そうなる前の幼児期7歳までにすでに文思想が盛んである鳳凰の詩篇を暗記し、口遊んでいた。

九齡書大字,有作成一囊。

719年開元89歳の時には、大字を書き、作り、書き上げた製作物は、嚢袋がいっぱいになっていた。

壯遊-2

性豪業嗜酒,嫉惡懷剛腸。

性質は豪放で少年の頃からはやくも酒を嗜み、剛腸石心で邪悪をにくむことがひどかった。

略小時輩,結交皆老蒼。

それに、自分は同時の小さな人物などは眼中に置かず、交を結んだ者は皆50歳以上の年ふけた白髪頭の人たちであった。

飲酣視八極,俗物都茫茫。

酒をのんで酔が十分まわったころ八方をながめてみるとただ俗物どもがいっぱいうようよしている様な気がしたものだ。

東下姑蘇臺,已具浮海航。

やがて天下に行遊をはじめ、まず洛陽から出かけて東に向かって行きそして、姑蘇臺の方へ下って呉越に向い、その時、巳に海に浮ぶおおきな舟を用意したのだ。

 

(壯遊-1

往者 十四五、出でて翰墨の場に遊ぶ。

斯文 崔魏が徒、我を以て班揚に似たりとす。

七齡 思い 即ち壮んなり、口を開きて 鳳皇を詠す。

九齢 大字を書す、作有りて一嚢を成す。

2

性豪にして業【すで】に酒を噂めり,惡を嫉みて剛腸を懷く。

略す 小時輩,交を結ぶは皆 老蒼たり。

飲酣にして八極を視れば,俗物 都く茫茫たり。

東 姑蘇臺に下り,已に浮海の航を具う。

 

 

『壯遊』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
壯遊-2

性豪業嗜酒,嫉惡懷剛腸。

略小時輩,結交皆老蒼。

飲酣視八極,俗物都茫茫。

東下姑蘇臺,已具浮海航。


(下し文)
性豪にして業【すで】に酒を噂めり,惡を嫉みて剛腸を懷く。

略す 小時輩,交を結ぶは皆 老蒼たり。

飲酣にして八極を視れば,俗物 都く茫茫たり。

東 姑蘇臺に下り,已に浮海の航を具う。


(現代語訳)
性質は豪放で少年の頃からはやくも酒を嗜み、剛腸石心で邪悪をにくむことがひどかった。

それに、自分は同時の小さな人物などは眼中に置かず、交を結んだ者は皆50歳以上の年ふけた白髪頭の人たちであった。

酒をのんで酔が十分まわったころ八方をながめてみるとただ俗物どもがいっぱいうようよしている様な気がしたものだ。

やがて天下に行遊をはじめ、まず洛陽から出かけて東に向かって行きそして、姑蘇臺の方へ下って呉越に向い、その時、巳に海に浮ぶおおきな舟を用意したのだ。



(訳注) 壯遊-2

壯遊-2

(壮年の遊歴をうたう)―少年壮年時、天下を周遊したことを述べ、渇、老後の感慨を述べた自叙伝というべきもの。

 

性豪業嗜酒,嫉惡懷剛腸。

性質は豪放で少年の頃からはやくも酒を嗜み、剛腸石心で邪悪をにくむことがひどかった。

 すでに。

剛腸 つよきこころ。意志が固く、度胸があること。 「剛腸」は何事にも動じない、豪胆なこと。 「剛腸石心」何事にも動じない固い石のような心であること。 類義語, 堅忍不抜

 

略小時輩,結交皆老蒼。

それに、自分は同時の小さな人物などは眼中に置かず、交を結んだ者は皆50歳以上の年ふけた白髪頭の人たちであった。

脱略 抜かし省くこと。また、抜け落ちること。軽くたやすく視なすこと、眼中に置かぬこと。

小時輩 小さき同時の人人。小心で、十把一絡げの人々。

老蒼 年老い髪のごましおになった人。銀髪より少し黒髪が多いが白髪頭。崔尚、魏啓心らは杜甫が生まれる前に進士及第しているから30歳以上年上である。

 

飲酣視八極,俗物都茫茫。

酒をのんで酔が十分まわったころ八方をながめてみるとただ俗物どもがいっぱいうようよしている様な気がしたものだ。

八極 八方のほて。

茫茫 ひろきさま、以上起十四句・少年時代を赦す。

 

東下姑蘇臺,已具浮海航。

やがて天下に行遊をはじめ、まず洛陽から出かけて東に向かって行きそして、姑蘇臺の方へ下って呉越に向い、その時、巳に海に浮ぶおおきな舟を用意したのだ。

東下姑蘇壷 比句より「欲鴇不能声まで二十旬は典怒り遊在赦したり。作者は二十歳の頃替り地に遊びしことあり、菅の遊びアリてのろ呉越に向ひしもりと考へらるるみ以てー呉越の蓬は恐らく圧開元十九年より二十三年にわたる間にあら心。腐蘇轟け且蘇省蘭州府兵藤の西南三十里横山の西北姑蘇山上に建てられLもり、春秋の睦典王固問築く.九年にして戊を、蔓望向ミニ官丈、三首里を望見すと耕せらる。東下とは都より東南へとくだるをいふ。

浮海航 航は大舟をいふ。

 
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766年大暦元年55歲-50 《1514壯遊-#1》【14分割】 杜甫index-15 杜甫<916> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5925

壯遊-1

往昔十四五,出遊翰墨場。

斯文崔魏徒,以我似班揚。

七齡思即壯,開口詠鳳皇。

九齡書大字,有作成一囊。

(壮年の遊歴をうたう)―少年壮年時、天下を周遊したことを述べ、且つ、老後の感慨を述べた自叙伝というべきもの。

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 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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年:766年大暦元年55

卷別:  卷二二二        文體:  五言古詩

詩題:  壯遊

及地點:姑蘇臺 (江南東道 蘇州 蘇州) 別名:蘇臺   

劍池 (江南東道 蘇州 虎丘山)     

長洲 (江南東道 蘇州 長洲)       

閶門 (江南東道 蘇州 蘇州)       

鑑湖 (江南東道 越州 會稽) 別名:鏡湖    

剡溪 (江南東道 越州 剡縣)       

天姥山 (江南東道 越州 剡縣)     

叢臺 (河北道南部 邯鄲)     

青丘 (河南道 青州 千乘)         

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸  

明光殿 (京畿道 京兆府 長安)     

杜曲 (京畿道 京兆府 杜曲)       

岷山 (劍南道北部 茂州 岷山) 別名:西山、汶山    

崆峒山 (隴右道東部 岷州 崆峒山)         

涿鹿山 (河北道南部 涿鹿山)         

太伯廟 (江南東道 蘇州 蘇州)   

未央宮 (京畿道 京兆府 長安)   

 

交遊人物:崔尚    詩文提及

             詩文提及

蘇源明             詩文提及

 

 

壯遊-1

往昔十四五,出遊翰墨場。

斯文崔魏徒,以我似班揚。

七齡思即壯,開口詠鳳皇。

九齡書大字,有作成一囊。

2

性豪業嗜酒,嫉惡懷剛腸。

略小時輩,結交皆老蒼。

飲酣視八極,俗物都茫茫。

東下姑蘇臺,已具浮海航。

3

到今有遺恨,不得窮扶桑。

王謝風流遠,闔廬丘墓荒。

劍池石壁仄,長洲荷芰香。

嵯峨閶門北,清廟映回塘。

4

每趨太伯,撫事淚浪浪。

枕戈憶句踐,渡浙想秦皇。

蒸魚聞匕首,除道哂要章。

越女天下白,鑑湖五月涼。

5

剡溪蘊秀異,欲罷不能忘。

歸帆拂天姥,中貢舊

氣劘屈賈壘,目短曹劉牆。

忤下考功第,獨辭京尹堂。

6

放蕩齊趙間,裘馬頗清狂。

春歌叢臺上,冬獵青丘旁。

呼鷹皁櫪林,逐獸雲雪岡。

射飛曾縱鞚,引臂落鶖鶬。

7

蘇侯據鞍喜,忽如攜葛強。

快意八九年,西歸到咸陽。

許與必詞伯,賞遊實賢王。

曳裾置醴地,奏賦入明光。

8

天子廢食召,群公會軒裳。

身無所愛,痛飲信行藏。

黑貂不免敝,斑鬢兀稱觴。

杜曲晚耆舊,四郊多白楊。

9

坐深黨敬,日覺死生忙。

朱門任傾奪,赤族迭罹殃。

國馬竭粟豆,官雞輸稻粱。

舉隅見煩費,引古惜興亡。

10

河朔風塵起,岷山行幸長。

兩宮各警蹕,萬里遙相望。

崆峒殺氣黑,少海旌旗黃。

禹功亦命子,涿鹿親戎行。

11

翠華擁英岳,螭虎噉豺狼。

爪牙一不中,胡兵更陸梁。

大軍載草草,凋瘵滿膏肓。

備員竊補袞,憂憤心飛揚。

12

上感九廟焚,下憫萬民瘡。

斯時伏青蒲,延爭守御床。

君辱敢愛死,赫怒幸無傷。

聖哲體仁恕,宇縣復小康。

13

哭廟灰燼中,鼻酸朝未央。

小臣議論老病客殊方。

鬱鬱苦不展,羽翮困低昂。

秋風動哀壑,碧蕙捐微芳。

14

之推避賞從,漁父濯滄浪。

榮華敵勳業,暮有嚴霜。

吾觀鴟夷子,才格出尋常。

群凶逆未定,側佇英俊翔。

 

 

壯遊-1

(壮年の遊歴をうたう)―少年壮年時、天下を周遊したことを述べ、且つ、老後の感慨を述べた自叙伝というべきもの。

往昔十四五,出遊翰墨場。

自分はその昔、1415歳のころから詩文章を作る場所に出入りし、文学者たちと交遊したものだ。

斯文崔魏徒,以我似班揚。

その文学者のなかには崔尚、魏啓心らがおり、参加している人たちから、自分の詩文が、班固や揚雄に似ているといわれ、ほめられたものだ。

七齡思即壯,開口詠鳳皇。

そうなる前の幼児期7歳までにすでに文思想が盛んである鳳凰の詩篇を暗記し、口遊んでいた。

九齡書大字,有作成一囊。

719年開元89歳の時には、大字を書き、作り、書き上げた製作物は、嚢袋がいっぱいになっていた。

2

性豪業嗜酒,嫉惡懷剛腸。

略小時輩,結交皆老蒼。

飲酣視八極,俗物都茫茫。

東下姑蘇臺,已具浮海航。

 

(壯遊-1

往者 十四五、出でて翰墨の場に遊ぶ。

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飲酣にして八極を視れば,俗物 都く茫茫たり。

東 姑蘇臺に下り,已に浮海の航を具う。

 

 

『壯遊』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

壯遊-1

往昔十四五,出遊翰墨場。

斯文崔魏徒,以我似班揚。

七齡思即壯,開口詠鳳皇。

九齡書大字,有作成一囊。


(下し文)
(壯遊)

往者 十四五、出でて翰墨の場に遊ぶ。

斯文 崔魏が徒、我を以て班揚に似たりとす。

七齡 思い 即ち壮んなり、口を開きて 鳳皇を詠す。

九齢 大字を書す、作有りて一嚢を成す。

 

性豪にして業【すで】に酒を噂めり,惡を嫉みて剛腸を懷く。

略す 小時輩,交を結ぶは皆 老蒼たり。

飲酣にして八極を視れば,俗物 都く茫茫たり。

東 姑蘇臺に下り,已に浮海の航を具う。

(現代語訳)
(壮年の遊歴をうたう)―少年壮年時、天下を周遊したことを述べ、且つ、老後の感慨を述べた自叙伝というべきもの。

自分はその昔、1415歳のころから詩文章を作る場所に出入りし、文学者たちと交遊したものだ。

その文学者のなかには崔尚、魏啓心らがおり、参加している人たちから、自分の詩文が、班固や揚雄に似ているといわれ、ほめられたものだ。

そうなる前の幼児期7歳までにすでに文思想が盛んである鳳凰の詩篇を暗記し、口遊んでいた。

719年開元89歳の時には、大字を書き、作り、書き上げた製作物は、嚢袋がいっぱいになっていた。



(訳注)

壯遊-1

(壮年の遊歴をうたう)―少年壮年時、天下を周遊したことを述べ、且つ、老後の感慨を述べた自叙伝というべきもの。

自叙伝というべき1514壯遊》は少年壮年時、天下を周遊したことを述べ、且つ、老後の感慨を述べたものであったが、その続編というべき作品である。

同時期の自叙伝シリーズ

1.《巻1512 往在》

766年大暦元年55-48分割 《巻1512 往在 -1 杜甫index-15 杜甫<911 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5865

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766年大暦元年55-49【5分割】 《巻1513 昔遊 -1 杜甫index-15 杜甫<912-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5905

3. 《巻2084 昔遊二首其一 -1

杜甫 《巻20・84 昔遊二首其一 -1》【4分割】 杜甫詩index-15-767年大暦元年56-83 <913-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5930 杜甫詩1500-913-#1-1357/2500

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66年大暦元年55-50 《1514壯遊-#1》【14分割】 杜甫index-15 杜甫<916 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5925

5.《巻1515 遺懷》

 

往昔十四五,出遊翰墨場。

自分はその昔、1415歳のころから詩文章を作る場所に出入りし、文学者たちと交遊したものだ。

翰墨場 文章を作る場所、文学の社会。謝膽《張子房詩》「濟濟屬車士、粲粲翰墨場。」

 

斯文崔魏徒,以我似班揚。

その文学者のなかには崔尚、魏啓心らがおり、参加している人たちから、自分の詩文が、班固や揚雄に似ているといわれ、ほめられたものだ。

斯文 学者をいう。

崔魏 崔尚:701年久視2年、魏啓心:707年神龍3年の進士。

班揚 班固と揚雄のこと。班固:[3292]中国、後漢の学者。扶風安陵(陝西(せんせい)省)の人。班超(はんちょう)・班昭(はんしょう)の兄。字(あざな)は孟堅(もうけん)。詔を奉じて、父班彪(はんぴょう)の志を継ぎ「漢書」を編述、獄死したため未完となったが、妹の班昭が完成させた。賦にも長じ、「両都賦」の作がある。

揚雄:[前53~後18]中国、前漢の文人・思想家。成都(四川省)の人。字(あざな)は子雲。哲学的著作として「易経」に擬した「太玄経(たいげんきょう)」、「論語」を模した「揚子法言」がある。一方、辞賦をよくし「甘泉賦」「羽猟賦」などを残したほか、当時の各地方の方言を集めた「揚子方言」などもある。

 

七齡思即壯,開口詠鳳皇。

そうなる前の幼児期7歳までにすでに文思想が盛んである鳳凰の詩篇を暗記し、口遊んでいた。

七齡 7歳までを幼児。717年開元6

思即壯 文思想が盛んである。

詠鳳皇 鳳凰の詩を詠んでいた。

 

九齡書大字,有作成一囊。

719年開元89歳の時には、大字を書き、作り、書き上げた製作物は、嚢袋がいっぱいになっていた。

九齡書大字 719年開元8年杜甫9歳。大字を書き、作り、書き上げた製作物。

有作成一囊 詩文を作って袋がいっぱいになったこと。

杜甫 《巻20・84 昔遊二首其一 -4》【4分割】 杜甫詩index-15-767年大暦元年56歲-83 <913-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5945

昔遊二首其一 -#4

胡為客關塞,道意久衰薄。

妻子亦何人,丹砂負前諾。

雖悲鬒髮變,未憂筋力弱。

扶藜望清秋,有興入廬霍。

あかぎの杖の助けを借りて、清秋の天を望んで、南のかた当選の隠遁し、董先生が隠遁している盧山、霍山(南岳・衡山)に行きつこうという興趣はおおいに茂っているのである。

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昔遊二首 其一

年:767年大曆二年56

卷別:    卷二一八              文體:    五言古詩

詩題:    昔遊

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              天壇 (都畿道 河南府 王屋)              

蒙山 (河南道 沂州 蒙山) 別名:東蒙           

廬山 (江南西道 江州 廬山) 別名:廬嶽、匡山           

霍山 (江南西道 衡州 衡陽)             

 

 

昔遊二首其一

(往年、王屋山、東蒙山に遊び、仙道を求めたことがあったと追憶した詩)

昔謁華蓋君,深求洞宮

昔自分は華蓋君という道士に謁して、深く洞宮の根元、同経「道」を求めようしたことがある。

玉棺已上天,白日亦寂寞。

ところがその道士は死んで後漢王喬の故事のように玉棺は天にのぼってしまい、白日の光もさびしげにみえた。

暮升艮岑頂,巾几猶未卻。

ひぐれに東北の方角のみねの一番の頂に天壇のようなところに昇ったところ、道士の用いていた頭巾や脇息はまだそのままにおいであった。

弟子四五人,入來淚俱落。

そこへ華蓋君の弟子の盧老たち四五人が入ってきて皆が涙を落した。

(昔遊二首其一)

昔 華蓋君に謁して,深く洞宮の求めんとす

玉棺 已に天に上り,白日 亦た寂寞たり。

暮に升る 艮岑【ごんしん】の頂,巾几【きんき】猶お未だ卻【しりぞ】けられず。

弟子 四五人,入り來って 淚 俱に落つ。

#2

余時遊名山,發軔在遠壑。

自分はそのころ天下の名山に遊ぶつもりで、まず最初の出番として、すこし遠方の隠遁者の入る谷の方まででかけたのである。

良覿違夙願,含淒向寥廓。

それに崇敬する道士とのよい面会を得ようというかねてからの願がかなわなかったので、かなしさを心にいだいて寥廓たる天にうち向うばかりであった。

林昏罷幽磬,竟夜伏石閣。

その日は、林は昏くなってかすかな磬石も鳴らされず、自分は夜もすがら石閣にひれ伏していた。

王喬下天壇,微月映皓鶴。

そんなおり、王子喬ではないかとおもわれる仙人が天壇へおりてこられた。かすかな月光が彼の乗ってきた白い鶴にうつろうでいた。

余 時に名山に遊ばんとし,發軔【はつじん】遠壑に在り。

良覿【りょうてき】夙願【しゅくがん】違う,含淒 寥廓【りょうかく】に向う。

林 昏くして幽磬【ゆうけい】罷む,竟夜 石閣に伏す。

王喬 天壇に下り,微月 皓鶴に映ず。

#3

晨溪嚮虛駃,歸徑行已昨。

翌朝、溪川のそばをとおると、水は心地よく流れ、心地良く音を立てているにもかかわらずそれがむなしく感じ、昨日あるいた同じ道を、今は戻り路として帰るのである。

豈辭青鞋胝,悵望金匕藥。

青鞋布韈のすがたで、足にたこができることくらいは、何の問題もないが、うらめしくながめやられるのは道士の金ヒで盛る仙薬のことである。

東蒙赴舊隱,尚憶同志樂。

それからおもいきって以前隠遁したところに再び東蒙山の隠處へと赴いた。あのころの同志の人人とおもしろいおもいをしたことはいまだに記憶にある。

休事董先生,於今獨蕭索。

あの時は董先生にお仕えをして慶びを感じたものだが、今ではじぶんひりが蕭蕭としてさびしいことになっているのである。 

晨溪 嚮き虛しく駃,歸徑 行 已に昨なり。

豈に辭せんや 青鞋の胝,悵望す 金匕の藥。

東蒙 舊隱に赴むけば,尚お 憶う 同志の樂かりりしことを。

休事す 董先生,今に於て 獨り 蕭索たり。

#4

胡為客關塞,道意久衰薄。

自分はどうしてこんな菱州の関塞に旅客となってしまったのだろうか、道教の「道」に志す念が、ながらく衰えてしまったのであろうか。

妻子亦何人,丹砂負前諾。

妻子は傍に居り、愛すべき存在であるが、それはまた、何人であるべきものであろうか、というのも、自分を補だしているものの、遂に丹砂を得んとする昔日の決心に背いている様なことになっているのが現状であるのだ。

雖悲鬒髮變,未憂筋力弱。

自分は黒くてうつくしい髪であったものが白くかわってしまったことは、悲しいのであるが、それに筋力が弱ってきているけれどもこれについては、まだ憂というところまでにはなっていない。

扶藜望清秋,有興入廬霍。

あかぎの杖の助けを借りて、清秋の天を望んで、南のかた当選の隠遁し、董先生が隠遁している盧山、霍山(南岳・衡山)に行きつこうという興趣はおおいに茂っているのである。

 

胡為れぞ 關塞に客となりて,道意 久して衰薄なるや。

妻子 亦た何人ぞ,丹砂 前諾に負く。

鬒髮の變を悲しむと雖も,未だ筋力の弱きことを憂えず。

藜を扶けて 清秋に望み,興の廬霍み入らんとする有り。

 

 

『昔遊二首其一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

胡為客關塞,道意久衰薄。

妻子亦何人,丹砂負前諾。

雖悲鬒髮變,未憂筋力弱。

扶藜望清秋,有興入廬霍。

 

(下し文)
胡為れぞ 關塞に客となりて,道意 久して衰薄なるや。

妻子 亦た何人ぞ,丹砂 前諾に負く。

鬒髮の變を悲しむと雖も,未だ筋力の弱きことを憂えず。

藜を扶けて 清秋に望み,興の廬霍み入らんとする有り。


(現代語訳)
自分はどうしてこんな菱州の関塞に旅客となってしまったのだろうか、道教の「道」に志す念が、ながらく衰えてしまったのであろうか。

妻子は傍に居り、愛すべき存在であるが、それはまた、何人であるべきものであろうか、というのも、自分を補だしているものの、遂に丹砂を得んとする昔日の決心に背いている様なことになっているのが現状であるのだ。

自分は黒くてうつくしい髪であったものが白くかわってしまったことは、悲しいのであるが、それに筋力が弱ってきているけれどもこれについては、まだ憂というところまでにはなっていない。

あかぎの杖の助けを借りて、清秋の天を望んで、南のかた当選の隠遁し、董先生が隠遁している盧山、霍山(南岳・衡山)に行きつこうという興趣はおおいに茂っているのである。


(訳注) #4

 

胡為客關塞,道意久衰薄。

自分はどうしてこんな菱州の関塞に旅客となってしまったのだろうか、道教の「道」に志す念が、ながらく衰えてしまったのであろうか。

關塞 今いる夔州をさす。

道意 道教の「道」を求むる意。

衰薄 おとろえて,勢いを失うこと。凋落。衰微。常指世道德。衰敗。廃薄。《詩経、王風·中谷有蓷序》「夫婦日以衰薄,凶年飢饉,室家相弃

 

妻子亦何人,丹砂負前諾。

妻子は傍に居り、愛すべき存在であるが、それはまた、何人であるべきものであろうか、というのも、自分を補だしているものの、遂に丹砂を得んとする昔日の決心に背いている様なことになっているのが現状であるのだ。

何人 棄てがたきほどのものにも非ざるにの意。

丹砂 丹砂一斤を生竹の筒の中に入れ、石胆(硫酸銅)、消石をそれぞれ2両を加え、上下を覆ってフタをして、漆骨丸でこれを封じ、乾くのを待って醇苦酒の中に入れ深さ3尺の地中に埋める。30日で水となって、色赤く、味が苦くなる。丹薬というものは、火を加えれば加えるほど神妙なる変化が現われ、一方、黄金は火に入れて、百回錬造してもその量が減ることはなく、地中に埋めても天地が終るまで錆びることはない。この二つを服用して身体を練るがゆえに、人は老いることがなく、死ぬこともない。これは、外界の物質の力を借りて自らの身体を強固することであり、油が火を養って火が消えないような働きをしているに似たり。

前諾 丹砂を得んとする昔日の決心。

 

雖悲鬒髮變,未憂筋力弱。

自分は黒くてうつくしい髪であったものが白くかわってしまったことは、悲しいのであるが、それに筋力が弱ってきているけれどもこれについては、まだ憂というところまでにはなっていない。

鬒髮變 黒かみの白く光ること。鬒髮:黒くてうつくしい髪。《詩経、鄘風、君子偕老》「鬒髪如雲不屑髢」(鬒髪雲のごとく 髢を屑よしとせざるなり)黒髪はむらがる雲の如く 髢(かもじ)などは要らない。

 

扶藜望清秋,有興入廬霍。

あかぎの杖の助けを借りて、清秋の天を望んで、南のかた当選の隠遁し、董先生が隠遁している盧山、霍山(南岳・衡山)に行きつこうという興趣はおおいに茂っているのである。

扶藜 藜杖【あかざのつえ】の助けを借りる。 『荘子』譲王篇に子頁が貧乏な原意を訪ねたとき、原意は「藜を杖つきて門に応じ」たと見える。藜はアカザ科の一年草、葉は食用・薬用に供せられ、茎は軽くて堅いので老人の杖に用いられる。

廬霍 盧山と霍山といわれる五岳の衡山、江西省九江市南部にある名山。峰々が作る風景の雄大さ、奇絶さ、険しさ、秀麗さが古来より有名で、「匡廬奇秀甲天下」(匡廬の奇秀は天下一である)と称えられてきた(匡廬とは廬山の別名)。、霍山は昔、南岳され、霍山県の南にあるが。山は北東から南西に走り、大別山脈の向きをほとんど直角にねじ曲げた形となる。そのため霍山弧ともよばれる。ただ、この詩では、董先生が隠遁した、盧山と衡山である。。漢の武帝が南岳を衡山とし、霍山の名を衡やまに移した。詩は後世の霍山の義転用いて、即ち湖南の衡山を意味するものである。時に董先生に衡山に居りしが如く、《巻2156 憶昔行》に、「更討衡陽董煉師」の語ある。

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昔遊二首其一 #3  杜甫

晨溪嚮虛駃,歸徑行已昨。

豈辭青鞋胝,悵望金匕藥。

東蒙赴舊隱,尚憶同志樂。

休事董先生,於今獨蕭索。

あの時は董先生にお仕えをして慶びを感じたものだが、今ではじぶんひりが蕭蕭としてさびしいことになっているのである。 

 

杜甫 《巻2084 昔遊二首其一 -3》【4分割】 杜甫詩index-15-767年大暦元年56-83 <913-#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5940 杜甫詩1500-913-#3-1359/2500

 
 2015年5月3日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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昔遊二首 其一

年:767年大曆二年56

卷別:    卷二一八              文體:    五言古詩

詩題:    昔遊

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              天壇 (都畿道 河南府 王屋)              

蒙山 (河南道 沂州 蒙山) 別名:東蒙           

廬山 (江南西道 江州 廬山) 別名:廬嶽、匡山           

霍山 (江南西道 衡州 衡陽)             

 

 

昔遊二首其一

(往年、王屋山、東蒙山に遊び、仙道を求めたことがあったと追憶した詩)

昔謁華蓋君,深求洞宮

昔自分は華蓋君という道士に謁して、深く洞宮の根元、同経「道」を求めようしたことがある。

玉棺已上天,白日亦寂寞。

ところがその道士は死んで後漢王喬の故事のように玉棺は天にのぼってしまい、白日の光もさびしげにみえた。

暮升艮岑頂,巾几猶未卻。

ひぐれに東北の方角のみねの一番の頂に天壇のようなところに昇ったところ、道士の用いていた頭巾や脇息はまだそのままにおいであった。

弟子四五人,入來淚俱落。

そこへ華蓋君の弟子の盧老たち四五人が入ってきて皆が涙を落した。

#2

余時遊名山,發軔在遠壑。

自分はそのころ天下の名山に遊ぶつもりで、まず最初の出番として、すこし遠方の隠遁者の入る谷の方まででかけたのである。

良覿違夙願,含淒向寥廓。

それに崇敬する道士とのよい面会を得ようというかねてからの願がかなわなかったので、かなしさを心にいだいて寥廓たる天にうち向うばかりであった。

林昏罷幽磬,竟夜伏石閣。

その日は、林は昏くなってかすかな磬石も鳴らされず、自分は夜もすがら石閣にひれ伏していた。

王喬下天壇,微月映皓鶴。

そんなおり、王子喬ではないかとおもわれる仙人が天壇へおりてこられた。かすかな月光が彼の乗ってきた白い鶴にうつろうでいた。

#3

晨溪嚮虛駃,歸徑行已昨。

翌朝、溪川のそばをとおると、水は心地よく流れ、心地良く音を立てているにもかかわらずそれがむなしく感じ、昨日あるいた同じ道を、今は戻り路として帰るのである。

豈辭青鞋胝,悵望金匕藥。

青鞋布韈のすがたで、足にたこができることくらいは、何の問題もないが、うらめしくながめやられるのは道士の金ヒで盛る仙薬のことである。

東蒙赴舊隱,尚憶同志樂。

それからおもいきって以前隠遁したところに再び東蒙山の隠處へと赴いた。あのころの同志の人人とおもしろいおもいをしたことはいまだに記憶にある。

休事董先生,於今獨蕭索。

あの時は董先生にお仕えをして慶びを感じたものだが、今ではじぶんひりが蕭蕭としてさびしいことになっているのである。 

晨溪 嚮き虛しく駃,歸徑 行 已に昨なり。

豈に辭せんや 青鞋の胝,悵望す 金匕の藥。

東蒙 舊隱に赴むけば,尚お 憶う 同志の樂かりりしことを。

休事す 董先生,今に於て 獨り 蕭索たり。
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『昔遊二首其一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

昔遊二首其一 #3

晨溪嚮虛駃,歸徑行已昨。

豈辭青鞋胝,悵望金匕藥。

東蒙赴舊隱,尚憶同志樂。

休事董先生,於今獨蕭索。

 

(下し文)
昔遊二首其一 #3

晨溪 嚮き虛しく駃,歸徑 行 已に昨なり。

豈に辭せんや 青鞋の胝,悵望す 金匕の藥。

東蒙 舊隱に赴むけば,尚お 憶う 同志の樂かりりしことを。

休事す 董先生,今に於て 獨り 蕭索たり。

(現代語訳)
翌朝、溪川のそばをとおると、水は心地よく流れ、心地良く音を立てているにもかかわらずそれがむなしく感じ、昨日あるいた同じ道を、今は戻り路として帰るのである。

青鞋布韈のすがたで、足にたこができることくらいは、何の問題もないが、うらめしくながめやられるのは道士の金ヒで盛る仙薬のことである。

それからおもいきって以前隠遁したところに再び東蒙山の隠處へと赴いた。あのころの同志の人人とおもしろいおもいをしたことはいまだに記憶にある。

あの時は董先生にお仕えをして慶びを感じたものだが、今ではじぶんひりが蕭蕭としてさびしいことになっているのである。 



(訳注) #3

 

晨溪嚮虛駃,歸徑行已昨。

翌朝、溪川のそばをとおると、水は心地よく流れ、心地良く音を立てているにもかかわらずそれがむなしく感じ、昨日あるいた同じ道を、今は戻り路として帰るのである。

虛駃 川の水が心地よく流れ、心地良く音を立てているにもかかわらずそれがむなしく感じていることをいう。駃:駿馬の名。馬が速く走る行く。はやい、快とおなじ。「駃雨」:心地良く降る雨。駃流:はやいながれ。

行已昨 「昨已行」、今帰える路は、既に昨日、往きすすんだ道である。

 

豈辭青鞋胝,悵望金匕藥。

青鞋布韈のすがたで、足にたこができることくらいは、何の問題もないが、うらめしくながめやられるのは道士の金ヒで盛る仙薬のことである。

青鞋胝 旅をするときに着る服装のこと。胝は足の皮が厚くなること。「青鞋布韈」「青鞋」はわらじのこと、「布韈」は脛を保護するために巻く布製の脚半のこと。

金匕藥 金丹、丹沙を修業した道士はさじではかって調合し、不老不死の薬を作ることをいう。

 

東蒙赴舊隱,尚憶同志樂。

それからおもいきって以前隠遁したところに再び東蒙山の隠處へと赴いた。あのころの同志の人人とおもしろいおもいをしたことはいまだに記憶にある。

蒙山 (河南道 沂州 蒙山) 別名:東蒙            現山東省沂州府蒙陰縣の西南にある山。

舊隱 旧時の隠遁地、以前隠遁したところに再び隠遁する。

同志樂 李白、高適、蘇源明などをいうが、道士は、ケイセキを残さないので名前は不明。

 

休事董先生,於今獨蕭索。

あの時は董先生にお仕えをして慶びを感じたものだが、今ではじぶんひりが蕭蕭としてさびしいことになっているのである。 

休事 仕えることを慶ぶ。休は慶。

董先生 道士の先生。

蕭索 さびしいさま。

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昔遊二首其一#2

余時遊名山,發軔在遠壑。

良覿違夙願,含淒向寥廓。

林昏罷幽磬,竟夜伏石閣。

王喬下天壇,微月映皓鶴。

自分はそのころ天下の名山に遊ぶつもりで、まず最初の出番として、すこし遠方の隠遁者の入る谷の方まででかけたのである。それに崇敬する道士とのよい面会を得ようというかねてからの願がかなわなかったので、かなしさを心にいだいて寥廓たる天にうち向うばかりであった。

 

杜甫 《巻2084 昔遊二首其一 -2》【4分割】 杜甫詩index-15-767年大暦元年56-83 <913-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5935 杜甫詩1500-913-#2-1358/2500

 

 
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昔遊二首 其一

年:767年大曆二年56

卷別:    卷二一八              文體:    五言古詩

詩題:    昔遊

作地點:夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:天壇 (都畿道 河南府 王屋)              

蒙山 (河南道 沂州 蒙山) 別名:東蒙           

廬山 (江南西道 江州 廬山) 別名:廬嶽、匡山           

霍山 (江南西道 衡州 衡陽)             

 

 

昔遊二首其一

(往年、王屋山、東蒙山に遊び、仙道を求めたことがあったと追憶した詩)

昔謁華蓋君,深求洞宮

昔自分は華蓋君という道士に謁して、深く洞宮の根元、同経「道」を求めようしたことがある。

玉棺已上天,白日亦寂寞。

ところがその道士は死んで後漢王喬の故事のように玉棺は天にのぼってしまい、白日の光もさびしげにみえた。

暮升艮岑頂,巾几猶未卻。

ひぐれに東北の方角のみねの一番の頂に天壇のようなところに昇ったところ、道士の用いていた頭巾や脇息はまだそのままにおいであった。

弟子四五人,入來淚俱落。

そこへ華蓋君の弟子の盧老たち四五人が入ってきて皆が涙を落した。

#2

余時遊名山,發軔在遠壑。

自分はそのころ天下の名山に遊ぶつもりで、まず最初の出番として、すこし遠方の隠遁者の入る谷の方まででかけたのである。

良覿違夙願,含淒向寥廓。

それに崇敬する道士とのよい面会を得ようというかねてからの願がかなわなかったので、かなしさを心にいだいて寥廓たる天にうち向うばかりであった。

林昏罷幽磬,竟夜伏石閣。

その日は、林は昏くなってかすかな磬石も鳴らされず、自分は夜もすがら石閣にひれ伏していた。

王喬下天壇,微月映皓鶴。

そんなおり、王子喬ではないかとおもわれる仙人が天壇へおりてこられた。かすかな月光が彼の乗ってきた白い鶴にうつろうでいた。

#3

晨溪嚮虛駃,歸徑行已昨。

豈辭青鞋胝,悵望金匕藥。

東蒙赴舊隱,尚憶同志樂。

休事董先生,於今獨蕭索。

#4

胡為客關塞,道意久衰薄。

妻子亦何人,丹砂負前諾。

雖悲鬒髮變,未憂筋力弱。

扶藜望清秋,有興入廬霍。

 

(昔遊二首其一)

昔 華蓋君に謁して,深く洞宮の求めんとす

玉棺 已に天に上り,白日 亦た寂寞たり。

暮に升る 艮岑【ごんしん】の頂,巾几【きんき】猶お未だ卻【しりぞ】けられず。

弟子 四五人,入り來って 淚 俱に落つ。

 

余 時に名山に遊ばんとし,發軔【はつじん】遠壑に在り。

良覿【りょうてき】夙願【しゅくがん】違う,含淒 寥廓【りょうかく】に向う。

林 昏くして幽磬【ゆうけい】罷む,竟夜 石閣に伏す。

王喬 天壇に下り,微月 皓鶴に映ず。

 

晨溪 嚮【ひびき】虛しく駃【はや】し,歸徑 行 已に昨なり。

豈に辭せんや 青鞋【せいあい】の胝【ち】,悵望す 金匕の藥。

東蒙 舊隱に赴く,尚お憶う 同志の樂しかりしことを。

休事す 董先生,今に於て 獨り 蕭索たり。

 

胡為れぞ 關塞に客となりて,道意 久して衰薄なるや。

妻子 亦た何人ぞ,丹砂 前諾に負く。

鬒髮の變を悲しむと雖も,未だ筋力の弱きことを憂えず。

藜を扶けて 清秋に望み,興の廬霍み入らんとする有り。

 

 

『昔遊二首其一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

余時遊名山,發軔在遠壑。

良覿違夙願,含淒向寥廓。

林昏罷幽磬,竟夜伏石閣。

王喬下天壇,微月映皓鶴。

 

(下し文)
余 時に名山に遊ばんとし,發軔【はつじん】遠壑に在り。

良覿【りょうてき】夙願【しゅくがん】違う,含淒 寥廓【りょうかく】に向う。

林 昏くして幽磬【ゆうけい】罷む,竟夜 石閣に伏す。

王喬 天壇に下り,微月 皓鶴に映ず。

(現代語訳)
自分はそのころ天下の名山に遊ぶつもりで、まず最初の出番として、すこし遠方の隠遁者の入る谷の方まででかけたのである。

それに崇敬する道士とのよい面会を得ようというかねてからの願がかなわなかったので、かなしさを心にいだいて寥廓たる天にうち向うばかりであった。

その日は、林は昏くなってかすかな磬石も鳴らされず、自分は夜もすがら石閣にひれ伏していた。

そんなおり、王子喬ではないかとおもわれる仙人が天壇へおりてこられた。かすかな月光が彼の乗ってきた白い鶴にうつろうでいた。



(訳注) #2

昔遊二首其一

(往年、王屋山、東蒙山に遊び、仙道を求めたことがあったと追憶した詩)

杜甫1920歳のころのことを追憶した767年大曆二年56夔州での作。766年の《巻1513 昔遊》を昔遊二首其二として整理する。

 

余時遊名山,發軔在遠壑。

自分はそのころ天下の名山に遊ぶつもりで、まず最初の出番として、すこし遠方の隠遁者の入る谷の方まででかけたのである。

遊名山 梁宋に遊び、斉趙其の他ひろく遊んだころのことをいう。

發軔 軔は車輪の止め木である、それか発するとは止め木をとり去って出発する事。

遠壑 王屋山のたにをさす。多くの隠遁者がいる。

 

良覿違夙願,含淒向寥廓。

それに崇敬する道士とのよい面会を得ようというかねてからの願がかなわなかったので、かなしさを心にいだいて寥廓たる天にうち向うばかりであった。

良覿 良い出会い、面会。杜甫自身崇敬する道士との会合を良い面会という。

夙願 かねてよりの願い。

含淒 悲しい心をもつこと。

寥廓 ひろい天をいう。

 

林昏罷幽磬,竟夜伏石閣。

その日は、林は昏くなってかすかな磬石も鳴らされず、自分は夜もすがら石閣にひれ伏していた。

 

王喬下天壇,微月映皓鶴。

そんなおり、王子喬ではないかとおもわれる仙人が天壇へおりてこられた。かすかな月光が彼の乗ってきた白い鶴にうつろうでいた。

王喬 周の霊王の太子。名は晋。子喬は字(あざな)。直諫して廃せられ庶人となった。のち登仙したと伝えられる。生没年不詳。後漢の蔡邕(さいよう)の〈王子喬碑文〉はいつの時代の人かわからぬという。《列仙伝》は,《国語》や《逸周書》に賢者として見える太子晋に結びつけ,周の霊王の太子の姫晋であるとする。笙の笛を吹くことを好み,鳳凰の鳴声を模することができた。道士の浮丘公に会い,つれられて嵩高山(すうこうざん)に入って仙人となった。魏晋南北朝時代以来,赤松子とならんで古代の仙人の代表とされ,詩文や絵画に登場することが多い。

天壇 天の神を祭るための祭壇。1.封建における帝王祭天をおこなう高臺。 《宋書禮志三》:光武 建武 中, 不立北郊, 故后地之祇常配食天壇。 《南齊書禮志上》:郊為天壇。” 2. 王屋山の頂,軒轅が天に祈ったという。《相傳》黃帝 禮天處。 」相傳には黃帝が天に禮した處という。 杜甫 《昔游》「王喬下天壇,微月映皓鶴。」(王喬天壇に下り,微月 皓鶴に映ず。)おりしも王喬かと思われる仙人が天壇に降りてきた。 仇兆鰲 注:王屋山 頂曰 天壇 。” 陳師道 《談叢》卷十八:王屋 天壇 道書云 黃帝 禮天處也。

軒轅 黄帝(こうてい)は神話伝説上では、三皇の治世を継ぎ、中国を統治した五帝の最初の帝であるとされる。また、三皇のうちに数えられることもある。(紀元前2510年~紀元前2448年)漢代に司馬遷によって著された歴史書『史記』や『国語・晋語』によると、少典の子、姫水のほとりに生まれたことに因んで姓は姫姓、氏は軒轅氏、または帝鴻氏とも呼ばれ、山海経に登場する怪神・帝鴻と同一のものとする説もある。蚩尤を討って諸侯の人望を集め、神農氏に代わって帝となった。『史記』はその治世を、従わない者を討ち、道を開いて、後世の春秋戦国時代に中国とされる領域をすみずみまで統治した開国の帝王の時代として描く。少昊、昌意の父。

微月 かすかな月光

皓鶴 白鶴。

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昔遊二首其一

昔謁華蓋君,深求洞宮

玉棺已上天,白日亦寂寞。

暮升艮岑頂,巾几猶未卻。

弟子四五人,入來淚俱落。

(往年、王屋山、東蒙山に遊び、仙道を求めたことがあったと追憶した詩)昔自分は華蓋君という道士に謁して、深く洞宮の根元、同経「道」を求めようしたことがある。

杜甫 《巻20・84 昔遊二首其一 -1》【4分割】 杜甫詩index-15-767年大暦元年56歲-83 <913-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5930 杜甫詩1500-913-#1-1357/2500


 

昔遊二首 其一

年:767年大曆二年56

卷別:    卷二一八              文體:    五言古詩

詩題:    昔遊

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              天壇 (都畿道 河南府 王屋)              

蒙山 (河南道 沂州 蒙山) 別名:東蒙           

廬山 (江南西道 江州 廬山) 別名:廬嶽、匡山           

霍山 (江南西道 衡州 衡陽)             

 

 

昔遊二首其一

(往年、王屋山、東蒙山に遊び、仙道を求めたことがあったと追憶した詩)

昔謁華蓋君,深求洞宮

昔自分は華蓋君という道士に謁して、深く洞宮の根元、同経「道」を求めようしたことがある。

玉棺已上天,白日亦寂寞。

ところがその道士は死んで後漢王喬の故事のように玉棺は天にのぼってしまい、白日の光もさびしげにみえた。

暮升艮岑頂,巾几猶未卻。

ひぐれに東北の方角のみねの一番の頂に天壇のようなところに昇ったところ、道士の用いていた頭巾や脇息はまだそのままにおいであった。

弟子四五人,入來淚俱落。

そこへ華蓋君の弟子の盧老たち四五人が入ってきて皆が涙を落した。

#2

余時遊名山,發軔在遠壑。

良覿違夙願,含淒向寥廓。

林昏罷幽磬,竟夜伏石閣。

王喬下天壇,微月映皓鶴。

#3

晨溪嚮虛駃,歸徑行已昨。

豈辭青鞋胝,悵望金匕藥。

東蒙赴舊隱,尚憶同志樂。

休事董先生,於今獨蕭索。

#4

胡為客關塞,道意久衰薄。

妻子亦何人,丹砂負前諾。

雖悲鬒髮變,未憂筋力弱。

扶藜望清秋,有興入廬霍。

 

(昔遊二首其一)

昔 華蓋君に謁して,深く洞宮の求めんとす

玉棺 已に天に上り,白日 亦た寂寞たり。

暮に升る 艮岑【ごんしん】の頂,巾几【きんき】猶お未だ卻【しりぞ】けられず。

弟子 四五人,入り來って 淚 俱に落つ。

 

余 時に名山に遊ばんとし,發軔【はつじん】遠壑に在り。

良覿【りょうてき】夙願【しゅくがん】違う,含淒 寥廓【りょうかく】に向う。

林 昏くして幽磬【ゆうけい】罷む,竟夜 石閣に伏す。

王喬 天壇に下り,微月 皓鶴に映ず。

 

晨溪 嚮【ひびき】虛しく駃【はや】し,歸徑 行 已に昨なり。

豈に辭せんや 青鞋【せいあい】の胝【ち】,悵望す 金匕の藥。

東蒙 舊隱に赴く,尚お憶う 同志の樂しかりしことを。

休事す 董先生,今に於て 獨り 蕭索たり。

 

胡為れぞ 關塞に客となりて,道意 久して衰薄なるや。

妻子 亦た何人ぞ,丹砂 前諾に負く。

鬒髮の變を悲しむと雖も,未だ筋力の弱きことを憂えず。

藜を扶けて 清秋に望み,興の廬霍み入らんとする有り。

 

 

『昔遊二首其一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

昔遊二首其一

昔謁華蓋君,深求洞宮

玉棺已上天,白日亦寂寞。

暮升艮岑頂,巾几猶未卻。

弟子四五人,入來淚俱落。


(下し文)
(昔遊二首其一)

昔謁華蓋君,深求洞宮

玉棺已上天,白日亦寂寞。

暮升艮岑頂,巾几猶未卻。

弟子四五人,入來淚俱落。

(現代語訳)
(往年、王屋山、東蒙山に遊び、仙道を求めたことがあったと追憶した詩)

昔自分は華蓋君という道士に謁して、深く洞宮の根元、同経「道」を求めようしたことがある。

ところがその道士は死んで後漢王喬の故事のように玉棺は天にのぼってしまい、白日の光もさびしげにみえた。

ひぐれに東北の方角のみねの一番の頂に天壇のようなところに昇ったところ、道士の用いていた頭巾や脇息はまだそのままにおいであった。

そこへ華蓋君の弟子の盧老たち四五人が入ってきて皆が涙を落した。



(訳注)

昔遊二首其一

(往年、王屋山、東蒙山に遊び、仙道を求めたことがあったと追憶した詩)

杜甫1920歳のころのことを追憶した767年大曆二年56夔州での作。766年の《巻1513 昔遊》を昔遊二首其二として整理する。

自叙伝というべき1514壯遊》は少年壮年時、天下を周遊したことを述べ、且つ、老後の感慨を述べたものであったが、その続編というべき作品である。

同時期の自叙伝シリーズ

1.《巻1512 往在》

766年大暦元年55-48分割 《巻1512 往在 -1 杜甫index-15 杜甫<911 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5865

2《巻1513 昔遊》

766年大暦元年55-49【5分割】 《巻1513 昔遊 -1 杜甫index-15 杜甫<912-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5905

3. 《巻2084 昔遊二首其一 -1

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4.《巻1514 壯遊》

66年大暦元年55-50 《1514壯遊-#1》【14分割】 杜甫index-15 杜甫<916 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5925

5.《巻1515 遺懷》

 

昔謁華蓋君,深求洞宮

昔自分は華蓋君という道士に謁して、深く洞宮の根元、同経「道」を求めようしたことがある。

華蓋 1 花のように美しい衣笠(きぬがさ)2 ハスの花の形をした天蓋。崑崙山の別名。王子喬: 鶴に乗って昇天したといわれる神仙で、周の霊王(在位前572~前545)の38人の子の一人である太子晋のこと。王喬ともいう。

 伝説によると、王子喬は若くから才能豊かで、笙(しょう)という楽器を吹いては鳳凰(ほうおう)が鳴くような音を出すことができた。伊川(いせん)、洛水(河南省洛陽南部)あたりを巡り歩いていたとき、道士の浮丘公(ふきゅうこう)に誘われ中岳嵩山(すうざん)に入り、帰らなくなった。

 それから30年以上後、友人の桓良が山上で王子喬を探していると、ふいに本人が現れ、「7月7日に緱氏山(こうしざん)の頂上で待つように家族に伝えてくれ」といった。

 その日、家族がいわれたとおり山に登ると、王子喬が白鶴に乗って山上に舞い降りた。だが、山が険しく家族は近づくことができなかった。と、王子喬は手を上げて家族に挨拶し、数日後白鶴に乗って飛び去ったという。

華蓋君については七言古詩《巻21-56 惜昔行》と参看し、東蒙に関する部分は《巻02-27玄都壇歌》(玄都壇歌寄元逸人)と参看すべきと考える。

玄都壇のさまを述べて元逸人に寄せた詩。752天宝十一載の作。この詩は、李白の「西岳云台歌送丹邱子」と雰囲気を同じくしている。

玄都壇歌寄元逸人

故人昔隱東蒙峰,已佩含景蒼精龍。

故人今居子午穀,獨在陰崖結茅屋。』

屋前太古元都壇,青石漠漠常風寒。

子規夜啼山竹裂,王母晝下雲旗翻。』

知君此計誠長往,芝草瑯玕日應長。

鐵鎖高垂不可攀,致身福地何蕭爽。』

我が旧友たる君は昔東蒙峰にかくれていた頃から己に姿隠しの御守り札などを佩びた人のようであった。君は、今、子牛谷に住んでいて、ただひとり北向きの崖に茅屋の庵を結んでいる。その茅屋の前には太古からあるらしい玄都壇があって、青色の石が平べったく横わり、吹きくる風はいつもつめたい。夜にはほととぎすが啼いて山の竹が裂ける様な声をだし、昼は西王母の道士、仙人が雲旗をひるがえして天から下ってくる。君は世間に認知された、かかる山中の修行を計っては永久に自然界と一体化されているのである。そこでは気を吸い、霞をたべ、芝草や瑯玕の仙草が日々生長していることであろう。

そこへ行くには懸崖絶壁で鉄のくさりが高く垂れていてよじのぼることもできない。さような道教の福地というべきところに身を置くというはなんと「蕭爽な気」を身に吸い込んで一体化していくのであろう。』

 そこで、人々は緱氏山の麓や嵩山の山頂に祠を建てて、王子喬を祀ったといわれている。

洞宮 道教では、地に洞天三十六所あり、八海の諸山、五岳名山に皆洞宮ありと称す。王屋山に洞あり、周囘三里、小有清虚之天という、《巻21-56 惜昔行》にこれを「小有洞」といっている。とは山足をいう。

 

玉棺已上天,白日亦寂寞。

ところがその道士は死んで後漢王喬の故事のように玉棺は天にのぼってしまい、白日の光もさびしげにみえた。

玉棺 華藍君の寝れたる棺,天棺については後漢の王喬の故事あり、「葉県令王喬、天下玉棺於堂前。吏人推排、終不揺動。天帝独召我邪。沐浴服飾、寝其中、蓋便立覆。天、玉棺を堂前に下す。吏人推排するも、ついに揺動せず。天帝、ひとり我を召すか。沐浴・服飾してその中に寝るに、蓋、すなわち立ちどころに覆えり。)とある。

上天 死せしないふや

 

暮升艮岑頂,巾几猶未卻。

ひぐれに東北の方角のみねの一番の頂に天壇のようなところに昇ったところ、道士の用いていた頭巾や脇息はまだそのままにおいであった。

艮岑頂 東北のみね、王屋山の東北に洞あり。艮:①丑寅、東北の方角、②午前二時から四時の時間帯。)岑:みね。山が切りたった高い所。また、鋭く切り込んだように険しいさま。 高くて先がとがる。けわしい。するどい。 【岑岑】しんしん. 頭などがずきずき痛むようす。 「頭が岑岑と痛む」. 【岑】みね. 山のひときわ高くなった所。山のいただき。頂上。山頂。

巾几 華蓋君の生前つかっていた頭巾、脇息。

未卻 撤去せず、そのままにしてかたずけていないことをいう。

 

弟子四五人,入來淚俱落。

そこへ華蓋君の弟子の盧老たち四五人が入ってきて皆が涙を落した。

弟子 華蓋君の弟子の盧老たちが徒をさす。《巻21-56 惜昔行》「弟子誰依白茅室,盧老獨青銅鎖。」(弟子 誰か依る白茅室,盧老 獨りく 青銅の鎖。

 
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