元結〈賊退示官吏(并序)〉#1 癸卯歲,西原賊入道州,焚燒(一本無焚燒二字)殺掠,幾盡而去。明年,賊又攻永破邵,不犯此州邊鄙而退,豈力能制敵歟?蓋蒙其傷憐而已,諸使何為忍苦徵斂,故作詩一篇以示官吏。
(賊が退いたとき官吏に示した詩。)
西原蠻の賊でさえこんなであるのに、なんで上司の人たちは酷い取り立てをすることを無理にするのか。そういうことでわたしはこの楽府詩、一篇をつくって官吏にみせたのである。癸卯(763年広徳元年)の歳に西原蠻の酋長が賊となって道州に入り込み、ほとんどあらゆるものを焚いたり略奪・強奪して去った。翌二年に、その賊はまた永州を攻め、郡州を破ったが、この道州の辺鄙は犯すことなしに退却した。これは自分の力がこの敵を刺したわけではない、どういうわけか、その賊の方から気の毒がってくれたおかげである。
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杜甫詩
元結〈賊退示官吏(并序)〉(搜韻)
序#1
癸卯歲,西原賊入道州,焚燒(一本無焚燒二字)殺掠,幾盡而去。明年,賊又攻永破邵,不犯此州邊鄙而退,豈力能制敵歟?蓋蒙其傷憐而已,諸使何為忍苦徵斂,故作詩一篇以示官吏。
#2
昔歲逢太平,山林二十年。泉源在庭戶,洞壑當門前。
井稅有常期,日晏猶得眠。忽然遭世變,數歲親戎旃。
#3
今來典斯郡,山夷又紛然。城小賊不屠,人貧傷可憐。
是以陷鄰境,此州獨見全。使臣將王命,豈不如賊焉。
#4
今彼徵斂者,迫之如火煎。誰能絕人命,以作時世賢。
思欲委符節,引竿自刺船。將家就魚麥,歸老江湖邊。
賊退示官吏
癸卯歲,西原賊入道州,焚燒殺掠,幾盡而去。
明年,賊又攻永破邵,不犯此州邊鄙而退,豈力能制敵歟?
蓋蒙其傷憐而已,諸使何為忍苦徵斂,故作詩一篇以示官吏。
西原蠻の賊でさえこんなであるのに、なんで上司の人たちは酷い取り立てをすることを無理にするのか。そういうことでわたしはこの楽府詩、一篇をつくって官吏にみせたのである。
(賊退きしとき官吏に示す)
癸卯の歳、西原の賊道州に入り、焚掠 幾ど尽して去る。明年 賊又た 永を攻め郡を破る、此の州の辺都を犯さずして退く。豈に力能く敵を制せん与、蓋し其の傷憐を蒙りし而己。諸使何 為れぞ苦しんで徴斂するに忍ぶや。故に詩一篇を作り、以て官吏に示す。
『賊退示官吏』 現代語訳と訳註解説
(本文)
賊退示官吏
癸卯歲,西原賊入道州,焚燒殺掠,幾盡而去。
明年,賊又攻永破邵,不犯此州邊鄙而退,豈力能制敵歟?
蓋蒙其傷憐而已,諸使何為忍苦徵斂,故作詩一篇以示官吏。
(下し文)
(現代語訳)
(賊が退いたとき官吏に示した詩。)
西原蠻の賊でさえこんなであるのに、なんで上司の人たちは酷い取り立てをすることを無理にするのか。そういうことでわたしはこの楽府詩、一篇をつくって官吏にみせたのである。
癸卯(763年広徳元年)の歳に西原蠻の酋長が賊となって道州に入り込み、ほとんどあらゆるものを焚いたり略奪・強奪して去った。
翌二年に、その賊はまた永州を攻め、郡州を破ったが、この道州の辺鄙は犯すことなしに退却した。これは自分の力がこの敵を刺したわけではない、どういうわけか、その賊の方から気の毒がってくれたおかげである。
(訳注)
賊退示官吏
(賊が退いたとき官吏に示した詩。)
道州の地は、広徳元年(763)九月以降に三カ月ほど西原蠻の賊の侵入を被っている。里広徳二年五月二十二日に元結は道州に着任し、それから五十日余り後に「舂陵行」と「奏免科率状」が書かれた。「賊退示官吏」序に「明年、敗又攻永州、破部、不犯此州連郡両道」とあるのによれば、広徳二年(764)にも賊が遭州に追ったことになる。一方、永泰二年(七六六)の「奏免科率等状」には「去年又賊逼州界、防拝一首除目。賊攻永州、陷邵州、臣州濁全者、爲百姓捍賊。」とあり、この賊の侵入は765年であったことになる。この100日余りの侵入がいつごろであったかはなお疑問だが、「賊退示官吏」は、少なくとも「舂陵行」が書かれてから三カ月以上後に制作されたものであると思われる。
この楽府は序に「藷使何爲忍苦徴斂。」とあるとおり、諸使の徴求に対する憤りが中心になっている。詩の序文はまず、西原の賊が道州に侵入し、翌764年広德二年にも周辺の郡に侵入したが、道州はあまりにも悲惨な状況であったので、その賊ですら手を付けなかったと述べる。
癸卯歲,西原賊入道州,焚燒殺掠,幾盡而去。
癸卯(763年広徳元年)の歳に西原蠻の酋長が賊となって道州に入り込み、ほとんどあらゆるものを焚いたり略奪・強奪して去った。
○癸卯歳 代宗の廣德元年(763)をいう。
○西原賊入道州 「唐書」《西原蛮伝》「其種落張侯、夏永與夷獠梁崇牽、覃問及西原酋長吳功曹復合兵內寇,陷道州,據城五十餘日。桂管經略使邢濟擊平之,執吳功曹等。餘衆復圍道州,刺史元結固守不能下,進攻永州,陷邵州,留數日而去。」にいう、西原の種落張侯・夏永等内寇し道州を陥れ城に拠ること五十余日、桂管経略使刑部撃ちて之を平らぐ、余衆復た道州を囲む、刺史元結固く守りて下らず、永州に進攻し,邵州を陷し,留ること數日にして去る。と。
○焚掠 家をやき物品をかすめとる。
明年,賊又攻永破邵,不犯此州邊鄙而退,豈力能制敵歟?
翌二年に、その賊はまた永州を攻め、郡州を破ったが、この道州の辺鄙は犯すことなしに退却した。これは自分の力がこの敵を刺したわけではない、どういうわけか、その賊の方から気の毒がってくれたおかげである。
○明年 広徳二年。
○攻永破邪 永は永州、郡は那州、遠州の北、及び西北にある州。
○不犯此州邊鄙而退 顔真卿が撰した元結墓碑にいう、武昌の焚口に家すること歳余、上(代宗)君が貧に居るを以て家より起こして道州刺史となす。州は西原の賊の陥るる所となり、人は十に一なく、戸は纔かに千に満つ。君、車より下りて古人の政を行う、二年の間、帰るもの万余家、賊も亦た畏れを懐きて敢て来たり犯さず、既に代を受く、百姓闕に詣り、生祠を立てんと請う、と。元結の治績を知ることができよう。
蓋蒙其傷憐而已,諸使何為忍苦徵斂,故作詩一篇以示官吏。
西原蠻の賊でさえこんなであるのに、なんで上司の人たちは酷い取り立てをすることを無理にするのか。そういうことでわたしはこの楽府詩、一篇をつくって官吏にみせたのである。
苦徵斂 税の取り立てを厳しくするために住民を苦しめる。征:徵收。斂:聚。征斂無限・期:統治者が無限度に土地、家族構成に見合った税を徴収すること。













