杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

2015年06月

766年-61杜甫 《1556奉漢中王手札 -#2》【3分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-61 <931> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6230

杜甫  奉漢中王手札 -#2

前後緘書報,分明饌玉恩。天雲浮壁,風竹在華軒。

已覺良宵永,何看駭浪翻。入期朱邸雪,朝傍紫微垣。

枚乘文章老,河間禮樂存。

漢王のいる東の空を眺め遣ると絶壁に天雲が浮かんでいる、定めし華麗なる軒端にそよぐ風が竹林を渉って吹き抜けてくる。すでに、夜もしだいに長くなる季節になって来たし、三峡を下るのにこわい南風もなく船旅もご安全となりましょう。京師のお屋敷の朱門へのお入りにの際はもう冬の雪のころとなっておるでしょうし、紫微殿の牆に傍の道に沿って参朝されることでしょう。

766-61杜甫 1556奉漢中王手札 -#2》【3分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-61 <931 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6230

 
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杜甫詩1500-931-1417/2500

卷別:    卷二二九              文體:    五言古詩

詩題:    奉漢中王手札

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:荊門山 (山南東道 峽州 宜都)           

交遊人物:李瑀    書信往來





奉漢中王手札

(歸州滞在中の漢仲王がお手紙を寄せてくれたことでこの詩を奉る。)

國有乾坤大,王今叔父尊。

唐王朝の天下は乾坤の大きさの領土を持ち続けているが、璃漢中王はその大唐の天子の叔父にあたる尊位に居られるお方である。

剖符來蜀道,歸蓋取荊門。

璃王は蓬州の刺史として、蜀道に来られ、京師へお帰りの道は荊門の道筋を取られたのである。

峽險通舟過,水長注海奔。

この三峡は嶮しくて船の通行でこの地を過ぎようとされているが、長江は長くはしって大海に灌いでいる。

主人留上客,避暑得名園。

途中で、其の地の主人役である歸州の刺史が、この上である賓客をおひきとめられ、この地の名園にて避暑とされることがよろしいと考える。



前後緘書報,分明饌玉恩。

こうした前後の様子はお手紙でお知らせくだされたし、同時に美味なる食料をぞうよくだされたことは、まことにありがたいことである。

天雲浮壁,風竹在華軒。

漢王のいる東の空を眺め遣ると絶壁に天雲が浮かんでいる、定めし華麗なる軒端にそよぐ風が竹林を渉って吹き抜けてくる。

已覺良宵永,何看駭浪翻。

すでに、夜もしだいに長くなる季節になって来たし、三峡を下るのにこわい南風もなく船旅もご安全となりましょう。

入期朱邸雪,朝傍紫微垣。

京師のお屋敷の朱門へのお入りにの際はもう冬の雪のころとなっておるでしょうし、紫微殿の牆に傍の道に沿って参朝されることでしょう。

枚乘文章老,河間禮樂存。

河間王に比すべきあなた様のところには、禮楽刑政が、なお存在しておりますが、この枚乘は文章の才まで老衰致しました。



悲秋宋玉宅,失路武陵源。

淹薄俱崖口,東西異石根。

夷音迷咫尺,鬼物傍黃昏。

犬馬誠為戀,狐狸不足論。

從容草奏罷,宿昔奉清罇。



(漢中王の手札を奉じる)

國 乾坤の大なる有り,王は 今 叔父の尊なり。

剖符 蜀道に來り,歸蓋 荊門に取る。

峽險にして舟を通じ過ぐ,水 長くして 海に注ぎて奔る。

主人 上客を留む,避暑 名園を得たり。



前後 緘書報ず,分明なり 饌玉の恩。

天雲 壁に浮ぶ風竹 華軒に在り。

已に覺ゆ 良宵の永きを,何ぞ看む 駭浪の翻えるを。

入は期す 朱邸の雪,朝は傍わしむ 紫微の垣。

枚乘 文章 老ゆ,河間 禮樂 存す。



悲秋 宋玉の宅,失路 武陵の源。

淹薄 俱に崖口,東西 石根を異にす。

夷音 咫尺迷う,鬼物 黃昏傍る。

犬馬 誠に戀を為す,狐狸 論ずるに足らず。

從容 奏を草し罷まば,宿昔 清罇を奉ぜしと思え。





『奉漢中王手札』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

前後緘書報,分明饌玉恩。

天雲浮壁,風竹在華軒。

已覺良宵永,何看駭浪翻。

入期朱邸雪,朝傍紫微垣。

枚乘文章老,河間禮樂存。

(下し文)
前後 緘書報ず,分明なり 饌玉の恩。

天雲 壁に浮ぶ,風竹 華軒に在り。

已に覺ゆ 良宵の永きを,何ぞ看む 駭浪の翻えるを。

入は期す 朱邸の雪,朝は傍わしむ 紫微の垣。

枚乘 文章 老ゆ,河間 禮樂 存す。

(現代語訳)
こうした前後の様子はお手紙でお知らせくだされたし、同時に美味なる食料をぞうよくだされたことは、まことにありがたいことである。

漢王のいる東の空を眺め遣ると絶壁に天雲が浮かんでいる、定めし華麗なる軒端にそよぐ風が竹林を渉って吹き抜けてくる。

すでに、夜もしだいに長くなる季節になって来たし、三峡を下るのにこわい南風もなく船旅もご安全となりましょう。

京師のお屋敷の朱門へのお入りにの際はもう冬の雪のころとなっておるでしょうし、紫微殿の牆に傍の道に沿って参朝されることでしょう。

河間王に比すべきあなた様のところには、禮楽刑政が、なお存在しておりますが、この枚乘は文章の才まで老衰致しました。


(訳注)

奉漢中王手札

(歸州滞在中の漢仲王がお手紙を寄せてくれたことでこの詩を奉る。)

○漢中王 名を璃といい譲皇帝(寧王)の第六子で汝陽王璡の弟である。玄宗が蜀に幸したときに従って漢中に至り、漢中王に封ぜられ銀青光禄大夫・漢中郡太守を加えられた。のち粛宗を諌めて帝の怒りにふれ蓬州の刺史に貶せられた。ここには漢中王と称しているが蓬州の刺史として何かの事によって梓州に来たのにより作者が彼とあったものとおもわれる。そして今、三峡を出て、京師に帰ろうとして歸州にあり、そこから杜甫に手紙を届けたのだろう。

(漢中王に関する杜甫の詩)

639五言律詩《戲題寄上漢中王,三首之一》 蜀中転々 杜甫 <544  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2945 杜甫詩1000-544-783/1500

640 五言律詩《戲題寄上漢中王,三首之二》 蜀中転々 杜甫 <545  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2950 杜甫詩1000-545-784/1500

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643 《玩月呈漢中王》 蜀中転々 杜甫 <548  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2965 杜甫詩1000-548-787/1500

701 《章梓州水亭〔自注:時漢中王兼道士席謙在會,同用荷字韻。〕》蜀中転々 杜甫<608 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3350 杜甫詩1000-608-864/1500



702 《戲作寄上漢中王,二首之一〔自注:王新誕明珠。〕 蜀中転々 杜甫 <609  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3355 杜甫詩1000-609-865/1500

703 《戲作寄上漢中王,二首之二〔自注:王新誕明珠。〕 蜀中転々 杜甫 <610  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3360 杜甫詩1000-610-866/1500



前後緘書報,分明饌玉恩。

こうした前後の様子はお手紙でお知らせくだされたし、同時に美味なる食料をぞうよくだされたことは、まことにありがたいことである。

○緘書報 漢王から杜甫への書簡に応じて返事をくれたこと。

○饌玉恩 手紙の返事に添えて美味なる食料を贈与くだされたことが、まことにありがたいということ。



天雲浮壁,風竹在華軒。

漢王のいる東の空を眺め遣ると絶壁に天雲が浮かんでいる、定めし華麗なる軒端にそよぐ風が竹林を渉って吹き抜けてくる。

○天雲浮 杜甫は夔州奉節の草堂に居り、漢王は東隣の歸州にイルので、東の方、長江下流域の方向を見る事、此処の絶壁は、奉節を過ぎると瞿塘峡がありそこの両岸に絶壁がある。

○風竹在華軒 漢王がいる名園の風情をいう。



已覺良宵永,何看駭浪翻。

すでに、夜もしだいに長くなる季節になって来たし、三峡を下るのにこわい南風もなく船旅もご安全となりましょう。

○良宵永 秋の良い気候

○何看駭浪翻 どうして波が翻るようなことになるでしょう。何看は反語で、見る事は無い。三峡を下るのにこわい南風もなく船旅もご安全となりましょう。



入期朱邸雪,朝傍紫微垣。

京師のお屋敷の朱門へのお入りにの際はもう冬の雪のころとなっておるでしょうし、紫微殿の牆に傍の道に沿って参朝されることでしょう。

○入期 漢王が正門からお入りになること。

○朱邸雪 郡國の者が参朝する際の長安の屋敷を邸という、朱門はその正門である。

○朝傍 朝は朝廷に参朝すること。傍は牆に傍の道に沿ってあるくこと。

○紫微垣 大明宮紫微殿の牆。



枚乘文章老,河間禮樂存。

河間王に比すべきあなた様のところには、禮楽刑政が、なお存在しておりますが、この枚乘は文章の才まで老衰致しました。

○枚乘 枚乗(ばい じょう、生没年不詳)は、前漢の人。字は叔。淮陰(江蘇省淮安市)の人。賦や文章を得意とした遊説の徒。呉王劉濞の郎中となっていたが、呉王が漢に対し恨みを持ち反逆しようとすると、枚乗は上書してそれを諌めた。しかしながら呉王はそれを取り上げなかったので、枚乗は呉を去って梁へ行き、梁王劉武の元に就いた。杜甫のことをいう。

○河間 地名。漢の景帝の子河間の献王、名は德、学をこの身、儒者を敬す、もって漢王璃に比す。

○禮樂存 禮樂刑政、社会の秩序を保つために、欠かせないと考えられていた礼節、音楽、刑法、行政のこと。礼は社会の秩序を保ち,楽は人心を感化する作用のあるものとして尊重された。転じて,文化のこと。


山南西道 涪州 黃草峽00


 


 


 


 


 


 


 


夔州東川卜居図詳細 001 


 


 


 


 


 


 


 


 

766年-61杜甫 《1556奉漢中王手札》【3分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-61 <930> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6225

杜甫  奉漢中王手札-#1  

國有乾坤大,王今叔父尊。剖符來蜀道,歸蓋取荊門。

峽險通舟過,水長注海奔。主人留上客,避暑得名園。
(歸州滞在中の漢仲王がお手紙を寄せてくれたことでこの詩を奉る。)唐王朝の天下は乾坤の大きさの領土を持ち続けているが、璃漢中王はその大唐の天子の叔父にあたる尊位に居られるお方である。璃王は蓬州の刺史として、蜀道に来られ、京師へお帰りの道は荊門の道筋を取られたのである。この三峡は嶮しくて船の通行でこの地を過ぎようとされているが、長江は長くはしって大海に灌いでいる。

 

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年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二九              文體:    五言古詩

詩題:    奉漢中王手札

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:荊門山 (山南東道 峽州 宜都)           

交遊人物:李瑀    書信往來

 

 

奉漢中王手札

(歸州滞在中の漢仲王がお手紙を寄せてくれたことでこの詩を奉る。)

國有乾坤大,王今叔父尊。

唐王朝の天下は乾坤の大きさの領土を持ち続けているが、璃漢中王はその大唐の天子の叔父にあたる尊位に居られるお方である。

剖符來蜀道,歸蓋取荊門。

璃王は蓬州の刺史として、蜀道に来られ、京師へお帰りの道は荊門の道筋を取られたのである。

峽險通舟過,水長注海奔。

この三峡は嶮しくて船の通行でこの地を過ぎようとされているが、長江は長くはしって大海に灌いでいる。

主人留上客,避暑得名園。

途中で、其の地の主人役である歸州の刺史が、この上である賓客をおひきとめられ、この地の名園にて避暑とされることがよろしいと考える。

 

前後緘書報,分明饌玉恩。

天雲浮壁,風竹在華軒。

已覺良宵永,何看駭浪翻。

入期朱邸雪,朝傍紫微垣。

枚乘文章老,河間禮樂存。

 

悲秋宋玉宅,失路武陵源。

淹薄俱崖口,東西異石根。

夷音迷咫尺,鬼物傍黃昏。

犬馬誠為戀,狐狸不足論。

從容草奏罷,宿昔奉清罇。

 

(漢中王の手札を奉じる)

國 乾坤の大なる有り,王は 今 叔父の尊なり。

剖符 蜀道に來り,歸蓋 荊門に取る。

峽險にして舟を通じ過ぐ,水 長くして 海に注ぎて奔る。

主人 上客を留む,避暑 名園を得たり。

 

前後 緘書報ず,分明なり 饌玉の恩。

天雲 壁に浮ぶ風竹 華軒に在り。

已に覺ゆ 良宵の永きを,何ぞ看む 駭浪の翻えるを。

入は期す 朱邸の雪,朝は傍わしむ 紫微の垣。

枚乘 文章 老ゆ,河間 禮樂 存す。

 

悲秋 宋玉の宅,失路 武陵の源。

淹薄 俱に崖口,東西 石根を異にす。

夷音 咫尺迷う,鬼物 黃昏傍る。

犬馬 誠に戀を為す,狐狸 論ずるに足らず。

從容 奏を草し罷まば,宿昔 清罇を奉ぜしと思え。

 

 

詩文(含異文)     國有乾坤大,王今叔父尊。剖符來蜀道,歸蓋取荊門。峽險通舟過【峽險通舟峻】,水長注海奔。主人留上客,避暑得名園。前後緘書報,分明饌玉恩。天雲浮壁,風竹在華軒。已覺良宵永【已覺良宵逸】【已覺涼宵永】【已覺涼宵逸】,何看駭浪翻。入期朱邸雪,朝傍紫微垣。枚乘文章老,河間禮樂存。悲秋宋玉宅,失路武陵源。淹薄俱崖口,東西異石根。夷音迷咫尺,鬼物傍黃昏【鬼物倚黃昏】。犬馬誠為戀,狐狸不足論。從容草奏罷,宿昔奉清罇。

 

 

『奉漢中王手札』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

奉漢中王手札

國有乾坤大,王今叔父尊。

剖符來蜀道,歸蓋取荊門。

峽險通舟過,水長注海奔。

主人留上客,避暑得名園。

(下し文)
(漢中王の手札を奉じる)

國 乾坤の大なる有り,王は 今 叔父の尊なり。

剖符 蜀道に來り,歸蓋 荊門に取る。

峽險にして舟を通じ過ぐ,水 長くして 海に注ぎて奔る。

主人 上客を留む,避暑 名園を得たり。

(現代語訳)
(歸州滞在中の漢仲王がお手紙を寄せてくれたことでこの詩を奉る。)

唐王朝の天下は乾坤の大きさの領土を持ち続けているが、璃漢中王はその大唐の天子の叔父にあたる尊位に居られるお方である。

璃王は蓬州の刺史として、蜀道に来られ、京師へお帰りの道は荊門の道筋を取られたのである。

この三峡は嶮しくて船の通行でこの地を過ぎようとされているが、長江は長くはしって大海に灌いでいる。

途中で、其の地の主人役である歸州の刺史が、この上である賓客をおひきとめられ、この地の名園にて避暑とされることがよろしいと考える。

唐時代 地図山南 東・西道50
(訳注)

奉漢中王手札

(歸州滞在中の漢仲王がお手紙を寄せてくれたことでこの詩を奉る。)

○漢中王 名を璃といい譲皇帝(寧王)の第六子で汝陽王璡の弟である。玄宗が蜀に幸したときに従って漢中に至り、漢中王に封ぜられ銀青光禄大夫・漢中郡太守を加えられた。のち粛宗を諌めて帝の怒りにふれ蓬州の刺史に貶せられた。ここには漢中王と称しているが蓬州の刺史として何かの事によって梓州に来たのにより作者が彼とあったものとおもわれる。そして今、三峡を出て、京師に帰ろうとして歸州(-3)にあり、そこから杜甫に手紙を届けたのだろう。

○手札 てがみ。

 

國有乾坤大,王今叔父尊。

唐王朝の天下は乾坤の大きさの領土を持ち続けているが、璃漢中王はその大唐の天子の叔父にあたる尊位に居られるお方である。

○國 唐の天下をいう。

○叔父尊 璃は讓皇帝の子であり、代宗の叔父にあたる。

 

剖符來蜀道,歸蓋取荊門。

璃王は蓬州の刺史として、蜀道に来られ、京師へお帰りの道は荊門の道筋を取られたのである。

○剖符 刺史になったことをいう。一つの竹や木や銅の表面に文字などを記し,それを二つに割って別々に所持し,両者を合わせることで互いに相手を信用する方法。 中国では一種の身分証明用のふだとして使用され,剖符とも記す。

○歸蓋 蜀道に来られ、京師へお帰りの車蓋。

○荊門 荊門 山名。湖北省宜都県の西北方、長江の南岸にある。河川に両岸が迫っているので呼ばれる。北岸の虎牙山と相対した江運の難所である。宜宗の大中二年(848年)、桂林刺史、桂管防禦観察使の鄭亜が循州(広東省恵陽県)に貶され、李商隠は幕を辞して都へ帰った。馮浩はその路中の作とする。偶成転韻と題する詩に「頃之職を失いて南風に辞す、破帆壊漿 荊江の中。」と歌われており、李商隠はこの荊門のあたりの難所で実際に危険な目にあったらしい。杜甫「詠懐古跡五首其三」李白「秋下荊門」「渡荊門送別」三峡をすこし下ってここに差し掛かることを詠う。

 

峽險通舟過,水長注海奔。

この三峡は嶮しくて船の通行でこの地を過ぎようとされているが、長江は長くはしって大海に灌いでいる。

 

主人留上客,避暑得名園。

途中で、其の地の主人役である歸州の刺史が、この上である賓客をおひきとめられ、この地の名園にて避暑とされることがよろしいと考える。

○主人 其の地の主人役である歸州の刺史のことをいう。

○上客 常套の賓客、漢中王のこと。

○名園 歸州の刺史の別荘をいう。
夔州東川卜居図詳細 001

60杜甫 《1567黃草》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-60 <929> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6220 

杜甫  黃草  

黃草峽西船不歸,赤甲山下行人稀。

秦中驛使無消息,蜀道兵戈有是非。

萬里秋風吹錦水,誰家別淚羅衣。

莫愁劍閣終堪據,聞道松州已被圍。

(成都の乱と松州か吐蕃に囲まれたこととをきいてよんだ詩。)黄草峡の西へでかけた船はかえってこぬ、赤甲山の下でも人どおりは稀である。都からの使者のたよりは、まったくりなく、成都の兵乱には一曲一直があるようだ。

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杜甫詩1500-929-1415/2500

年:766年大暦元年55-

卷別:    卷二二七              文體:    七言律詩

詩題:    黃草

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:黃草峽 (山南西道 涪州 黃草峽) 別名:黃葛峽             

赤甲山 (山南東道 夔州 奉節) 別名:赤岬山               

松州 (劍南道北部 松州 松州)          

劍閣 (劍南道北部 劍州 劍閣)          

 

黃草

黃草峽西船不歸,赤甲山下行人稀。

秦中驛使無消息,蜀道兵戈有是非。

萬里秋風吹錦水,誰家別淚羅衣。

莫愁劍閣終堪據,聞道松州已被圍。

 

(黄 草)

黄草峽 西 船帰らず、赤甲山 下人 行 稀なり。

秦中の駅使 消息無く、蜀道の兵戈 是非有り。

万里 秋風 錦水を吹く、誰が家か 別涙 羅衣を湿す。

愁うる莫れ 剣閣 終に拠るに堪えたるを、間く道く 松州己に囲まると。 

 

 

『黃草』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

黃草

黃草峽西船不歸,赤甲山下行人稀。

秦中驛使無消息,蜀道兵戈有是非。

萬里秋風吹錦水,誰家別淚羅衣。

莫愁劍閣終堪據,聞道松州已被圍。

 

黃草峽西船不歸,赤甲山下行人稀【赤甲山下人行稀】。秦中驛使無消息,蜀道兵戈有是非【蜀道干戈有是非】。萬里秋風吹錦水,誰家別淚羅衣。莫愁劍閣終堪據,聞道松州已被圍。

 

 (下し文)
(黄 草)

黄草峽 西 船帰らず、赤甲山 下人 行 稀なり。

秦中の駅使 消息無く、蜀道の兵戈 是非有り。

万里 秋風 錦水を吹く、誰が家か 別涙 羅衣を湿す。

愁うる莫れ 剣閣 終に拠るに堪えたるを、間く道く 松州己に囲まると。 

(現代語訳)
(成都の乱と松州か吐蕃に囲まれたこととをきいてよんだ詩。)

黄草峡の西へでかけた船はかえってこぬ、赤甲山の下でも人どおりは稀である。

都からの使者のたよりは、まったくりなく、成都の兵乱には一曲一直があるようだ。

秋風が遠くかの地の錦江の水を吹いているだろうか、どこの家で留守居の妻が軍にでている夫をおもって羅の衣をぬらす涙をそそいでいるだろうか。

ひとは剣閣の険があるため蜀地は、割拠することができて乱が絶えないのだと心配するが、そんなことはむしろ心配するにあたらぬことだ、それ以上に愁うべきことは松州がもはや吐蕃に囲まれたという噂が聞えてきだ。

 

(訳注)

黃草

(成都の乱と松州か吐蕃に囲まれたこととをきいてよんだ詩。)

題は詩句の首二字を切り取って用いる。大暦元年秋の作。

 

草峽西船不歸,赤甲山下行人稀。

黄草峡の西へでかけた船はかえってこぬ、赤甲山の下でも人どおりは稀である。

○黄草峡 涪州の上流四十里にあるという。(-地点)

○船不帰 水路が阻害されているためである。

○赤甲山 杜甫の草堂のある夔州府奉節県の東十五里にある、すでに見える。

 

秦中驛使無消息,蜀道兵戈有是非。

都からの使者のたよりは、まったくりなく、成都の兵乱には一曲一直があるようだ。

○秦中驛使 長安から朝廷の命令を持ち来る使者。

○蜀道兵戈 成都の郭英父・崔旰らの兵乱をさす。

○有是非 各の曲直がある、崔旰が主将である郭英乂を殺したのは非であるが、事は郭が崔の妾の媵に通じたことによって起こったものであるがため、崔のみが悪いとはいえないのではあるが、また副元帥杜鴻漸が成都に来任して崔の罪を正さず、崔ならびに楊子琳・柏茂林に各の刺史防禦の官を授けたが、これらは皆その事に是非があるということである。

 

萬里秋風吹錦水,誰家別濕羅衣。

秋風が遠くかの地の錦江の水を吹いているだろうか、どこの家で留守居の妻が軍にでている夫をおもって羅の衣をぬらす涙をそそいでいるだろうか。

○錦水 錦江、成都にある、その地を想像してのべている。

○誰家別涙 成卒の留守宅の妻が夫と別離している涙。

○羅衣 うすぎぬのころも、妻の身につけるもの。

 

莫愁劍閣終堪據,聞道松州已被圍。

ひとは剣閣の険があるため蜀地は、割拠することができて乱が絶えないのだと心配するが、そんなことはむしろ心配するにあたらぬことだ、それ以上に愁うべきことは松州がもはや吐蕃に囲まれたという噂が聞えてきだ。

○莫愁 愁うるなというのではない、下の松州のさらに愁うべきに比するならば愁うるに及ばぬというのである。

○剣閣 剣門、蜀の険要をいう。

○堪據 割拠するのに十分である、土地が険阻なために坂者が局地に拠るのである。

○松州 吐蕃に接する地、すでに見える。

○被圍 吐蕃のためにかこまれる。

 

(黄 草)

黄草峽 西 船帰らず、赤甲山 下人 行 稀なり。

秦中の駅使 消息無く、蜀道の兵戈 是非有り。

万里 秋風 錦水を吹く、誰が家か 別涙 羅衣を湿す。

愁うる莫れ 剣閣 終に拠るに堪えたるを、間く道く 松州己に囲まると。 

杜甫 《0630贈高式顏》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-59 <928> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6215 

杜甫  贈高式顏  

昔別是何處,相逢皆老夫。故人還寂寞,削跡共艱虞。

自失論文友,空知賣酒壚。平生飛動意,見爾不能無。
君とむかしどこでお別れをしたのであったか、今こうしてお会いしてみるとお互いに老人になったものだ。旧知の友である君も近頃はせつなく寂しそうであり、貶官放逐の目におうて、かかる自分とともに難儀心配をしておられるようだ。

 

杜甫 0630贈高式顏》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-59 <928 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6215 

 
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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杜甫詩1500-928-1414/2500

年:766年大暦元年55-

卷別:    卷二二四              文體:    五言律詩

詩題:    贈高式顏

作地點:              華州(京畿道 / 華州 / 華州)

交遊人物:高式顏              書信往來

 

贈高式顏

(高式顏君に贈る詩)

昔別是何處,相逢皆老夫。

君とむかしどこでお別れをしたのであったか、今こうしてお会いしてみるとお互いに老人になったものだ。

故人還寂寞,削跡共艱虞。

旧知の友である君も近頃はせつなく寂しそうであり、貶官放逐の目におうて、かかる自分とともに難儀心配をしておられるようだ。

自失論文友,空知賣酒

君のおじさんの高適と自分とは詩文を交わし合う親友であったが、彼を失ってからは、自分に心に残っているのはかつて彼と一緒に飲んだ酒屋でのたのしかった有様だけになっている。

平生飛動意,見爾不能無。

いま君をみるにあたっては、日頃から持っている英気盛んな意興がおこらないわけにはゆかなくなってきた。

(高式顔に贈る)

昔【むかし】 別れしは是【こ】れ何れの処なりしぞ、相【あ】い逢えば皆な老夫【ろうふ】なり。

故人は還()た寂寞【せきばく】、跡を削られて 共に艱虞【かんぐ】。

論文【ろんぶん】の友を失いし自()り、空しく知る 売酒【ばいしゅ】の壚【ろ】。

平生【へいぜい】 飛動【ひどう】の意【い】、爾【なんじ】を見ては無きこと能【あた】わず。

 

 

『贈高式顏』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈高式顏

昔別是何處,相逢皆老夫。

故人還寂寞,削跡共艱虞。

自失論文友,空知賣酒壚。

平生飛動意,見爾不能無。
(含異文)

昔別是何處【昔別人何處】,相逢皆老夫。

故人還寂寞,削跡共艱虞。

自失論文友,空知賣酒壚。

平生飛動意,見爾不能無。


(下し文)
(高式顔に贈る)

昔【むかし】 別れしは是【こ】れ何れの処なりしぞ、相【あ】い逢えば皆な老夫【ろうふ】なり。

故人は還()た寂寞【せきばく】、跡を削られて 共に艱虞【かんぐ】。

論文【ろんぶん】の友を失いし自()り、空しく知る 売酒【ばいしゅ】の壚【ろ】。

平生【へいぜい】 飛動【ひどう】の意【い】、爾【なんじ】を見ては無きこと能【あた】わず。

 

(現代語訳)
(高式顏君に贈る詩)

君とむかしどこでお別れをしたのであったか、今こうしてお会いしてみるとお互いに老人になったものだ。

旧知の友である君も近頃はせつなく寂しそうであり、貶官放逐の目におうて、かかる自分とともに難儀心配をしておられるようだ。

君のおじさんの高適と自分とは詩文を交わし合う親友であったが、彼を失ってからは、自分に心に残っているのはかつて彼と一緒に飲んだ酒屋でのたのしかった有様だけになっている。

いま君をみるにあたっては、日頃から持っている英気盛んな意興がおこらないわけにはゆかなくなってきた。


(訳注)

贈高式顏

(高式顏君に贈る詩)

○高式顏 友人の高適の姪。安史軍に捕縛され軟禁状態の折に語り合った友人である。二人とも不安を持った旅の途中のころのことである。

○作地點 華州と洛陽との間とおもわれる。昨時について諸説ある。友人の高適の甥で詩人であった式顏と、しばしの安らぎの時を過ごしたことを思いだしてうたったもの。

 

昔別是何處,相逢皆老夫。

君とむかしどこでお別れをしたのであったか、今こうしてお会いしてみるとお互いに老人になったものだ。

○老夫 老人。

○故人 高式顔をさす。

 

故人還寂寞,削跡共艱虞。

旧知の友である君も近頃はせつなく寂しそうであり、貶官放逐の目におうて、かかる自分とともに難儀心配をしておられるようだ。

○寂寞 さびしい、互いに左遷と、漂泊・轉蓬の旅であり、おちぶれてさびしいさまをいう。

○削跡 朝廷の入門の名札をそこから削ってなくさせられる、放逐されることをいう。此の句によれば式顔もまた高適の左遷、杜甫の貶められたときに同じように貶められたものであろう。

○難虞 なんぎ、しんばい。

 

自失論文友,空知賣酒壚。

君のおじさんの高適と自分とは詩文を交わし合う親友であったが、彼を失ってからは、自分に心に残っているのはかつて彼と一緒に飲んだ酒屋でのたのしかった有様だけになっている。

○論文友 高適をいう、失友とは高適が左遷され、揚州から別に左遷されたをいう。寄高三十五詹事  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 268

○売酒墟 晋の王戎が帯康・院籍等の死後にむかし彼等と酎飲した貴公の墟を過ぎて嵯歎したことが「世説」にみえる。墟はへっつい、そのうえに酒具をならべる処。作者は壮年時代に高速・李白等と宋・梁の地に遊び論文酎飲、狩猟馳駆をしたことが五古杜甫『遣懐』「昔我遊宋中、惟梁孝王都。名今陳留亜、劇則貝魏倶。邑中九万家、高棟照通衢。舟車半天下、主客多歓娯。白刃讎不義、黄金傾有無。殺人紅塵裏、報答在斯須。憶与高李輩、論交入酒壚。両公壮藻思、得我色敷腴。気酣登吹台、懐古視平蕪。芒碭雲一去、雁鶩空相呼。」

(昔  我  宋中(そうちゅう)に遊ぶ、惟()れ梁(りょう)の孝王の都なり。名は今 陳留(ちんりゅう)に亜()ぎ、劇(げき)は則ち貝魏(ばいぎ)に倶(ひと)し。邑中(ゆうちゅう) 九万家()、高棟(こうとう)は通衢(つうく)を照らす。主客は歓娯(かんご)多し、舟車(しゅうしゃ)は天下に半(なか)ばし。白刃(はくじん)  不義に讎(あだ)し、黄金(おうごん)  有無(うむ)を傾く。人を紅塵(こうじん)の裏(うち)に殺し、報答(ほうとう)  斯須(ししゅ)に在り。憶(おも)う  高李(こうり)が輩(はい)と、交(こう)を論じて酒壚(しゅろ)に入る。両公  藻思(そうし)(さか)んなり、我を得て 色(いろ)敷腴(ふゆ)たり。気酣(たけなわ)にして吹台(すいだい)に登り、古(いにしえ)を懐(おも)うて平蕪(へいぶ)を視()る。芒碭(ぼうとう)  雲は一去(いちきょ)し、雁鶩(がんぼく)  空(むな)しく相呼ぶ)にみえる。

杜甫 《1515 遺懷-#1》【5分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-51 <915-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6020

 

平生飛動意,見爾不能無。

いま君をみるにあたっては、日頃から持っている英気盛んな意興がおこらないわけにはゆかなくなってきた。

○飛動意 かつは活発にうごきたいとおもうこころ。往年の英気盛んかりしこころもちをさす。

○爾 式顔をさす。

○無 上の「意」の字をうけ、不能無意とつづく。

杜甫 《1830王兵馬使二角鷹#3》【3分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-58 <927> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6210

杜甫  王兵馬使二角鷹#3

白羽曾肉三狻猊,敢決豈不與之齊。

荊南芮公得將軍,亦如角鷹下翔雲。

惡鳥飛飛啄金屋,安得爾輩開其群,驅出六合梟鸞分。
かつては白羽の箭を以て三匹の狻猊を射抜いてこれに肉づけたほどだから、その勇決果敢なことはどうしてこの鷹とひとしくないということができようか。いま悪い鳥どもがしきりに飛んで黄金屋上に餌あさりをしておるが、どうか汝角鷹の如きものどもを得て悪い鳥どもの烏合している群を押し開き、彼らを天地の外に駆逐して梟と鸞とを区別させてほしいものである。

 

杜甫 1830王兵馬使二角鷹#3》【3分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-58 <927 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6210

 
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杜甫詩1500-927-1413/2500

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    王兵馬使二角鷹

及地點:              安西都護府 (隴右道西部安西都護府) 別名:安西、安西幕府      

崑崙山 (隴右道東部 肅州 崑崙山)  

交遊人物:王兵馬              當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

 

王兵馬使二角鷹#1

(兵馬使王某の二つの角鷹を見て感を叙した詩。)

悲臺蕭颯石哀壑杈枒浩呼洶。

高い台に悲しげな風がさびしく吹いて石が高くつもっている。樹木が不揃いに生えた哀れげな整に軍勢の大きな掛け声が波のわきたるごとくに起こる。

中有萬里之長江,迴風滔日孤光動。

そこには万里の長江が横たわり、風が吹きめぐり、太陽がはびこって照らすが川面に照らされて、日の孤光が波間にうごいている。

角鷹翻倒壯士臂,將軍玉帳軒翠氣。

頂に毛角のある鷹が身をさかさまにひるがえして繋がれた場所から壮士の臂へと止まる。将軍の玉帳には山の翠気があがる。

#2

二鷹猛腦徐侯,目如愁胡視天地。

二匹の鷹はたけだけしい頭つきをする。その脚もとにはさなだ紐がそろりと墜ちる、鷹の目つきは心配しっつある胡が天地を見つめているのとよく似ている。

竹兔不自惜,溪虎野羊辟易。

この鷹をみては杉鶏や竹兎は撃たれるものと覚悟をきめているし、渓の虎、野の羊もみなしりごみをする。

上鋒稜十二,將軍勇與之敵。

弓小手のうえのするどい十二枚の副、(なんとそのいさましいことよ)、王将軍の勇鋭さはこれと匹敵するものである。』

將軍樹勳起安西,崑崙虞泉入馬蹄。

将軍は安西から起こって武勲を立て、崑崙や虞泉は馬蹄で蹴ちらしたところであるという。

#3

白羽曾肉三猊,敢決豈不與之齊。

かつては白羽の箭を以て三匹の狻猊を射抜いてこれに肉づけたほどだから、その勇決果敢なことはどうしてこの鷹とひとしくないということができようか。

荊南公得將軍,亦如角鷹下翔雲。

荊南の芮公が将軍を得られたのは、ちょうど角鷹が北方の雲からおりて来たようなものである。

惡鳥飛飛啄金屋,安得爾輩開其群,驅出六合梟鸞分。

いま悪い鳥どもがしきりに飛んで黄金屋上に餌あさりをしておるが、どうか汝角鷹の如きものどもを得て悪い鳥どもの烏合している群を押し開き、彼らを天地の外に駆逐して梟と鸞とを区別させてほしいものである。

 

 

 

王兵馬使二角鷹』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

白羽曾肉三狻猊,敢決豈不與之齊。

荊南芮公得將軍,亦如角鷹下翔雲。

惡鳥飛飛啄金屋,安得爾輩開其群,驅出六合梟鸞分。


(下し文)
#3

白羽 曾て肉す三狻猊、敢決 豈に之と斉しからざらんや。

荊南の芮公将軍を得、亦た角鷹の朔雲より下るが如し。

悪鳥 飛飛 金屋に啄む、安んぞ得ん 爾が輩其の群を開きて、六合より駆出して梟鸞分かるることを。

(現代語訳) #3

かつては白羽の箭を以て三匹の狻猊を射抜いてこれに肉づけたほどだから、その勇決果敢なことはどうしてこの鷹とひとしくないということができようか。

荊南の芮公が将軍を得られたのは、ちょうど角鷹が北方の雲からおりて来たようなものである。

いま悪い鳥どもがしきりに飛んで黄金屋上に餌あさりをしておるが、どうか汝角鷹の如きものどもを得て悪い鳥どもの烏合している群を押し開き、彼らを天地の外に駆逐して梟と鸞とを区別させてほしいものである。


(訳注) #3

王兵馬使二角鷹

(兵馬使王某の二つの角鷹を見て感を叙した詩。)大暦元年の作。

○王兵馬使 兵馬使王某。前篇に趙太常、荊南の芮公の命を承けて夔州に来たことを叙している。この篇に「荊南芮公得将軍」の句がある、この王某もまた同時に乱を討たんがために来たものかとおもわれる。黄鶴の注に衛伯玉の伝を引き、「衛伯玉、大暦の初め、母の喪にあい、朝廷王昂を以て其の任に代う、衛伯玉将吏を諷して詔を受けず、遂に起復再任す、王は昂に非ざるを得んや」、といっている。

○角鷹 頂に毛角のある「たか」。

 

白羽曾肉三狻猊,敢決豈不與之齊。

かつては白羽の箭を以て三匹の狻猊を射抜いてこれに肉づけたほどだから、その勇決果敢なことはどうしてこの鷹とひとしくないということができようか。

〇白羽 箭をいう。

〇曾肉 箭を射た結果それに肉が附着したことをいう。

〇狻猊 からじし。

〇敢決 勇敢果決。

〇与之斉 鷹とひとしいことをいう。

 

荊南芮公得將軍,亦如角鷹下翔雲。

荊南の芮公が将軍を得られたのは、ちょうど角鷹が北方の雲からおりて来たようなものである。

荊南芮公 即ち衛伯玉、前篇「大食刀歌」参照。

杜甫 《1829荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-56 <921 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6180

下翔雲 ここでは、鷹の動きが増す冬の翔雲をいい、朔雲をいう、北方の雲のこと。

 

惡鳥飛飛啄金屋,安得爾輩開其群,驅出六合梟鸞分。
いま悪い鳥どもがしきりに飛んで黄金屋上に餌あさりをしておるが、どうか汝角鷹の如きものどもを得て悪い鳥どもの烏合している群を押し開き、彼らを天地の外に駆逐して梟と鸞とを区別させてほしいものである。

惡鳥 時の悪人どもを此する。

啄金屋 金屋は黄金を飾った家屋、啄とはその屋上にあって物をついばむことをいう。(朝廷内の宦官と奸臣をいう。)

〇安得 希望の辞、次句までにかかる。

爾輩 角鷹の徒輩、即ち将軍の如き輩をいう。

開其群 其とは悪鳥をさす。

〇六合 四方と上下の方向の合点。

梟鸞 梟は「ふくろう」、母を食うという悪鳥である。鸞は鳳の類、善鳥である。分は分別する。

(王兵馬使が二角鷹)

悲台 蕭颯 石寵 たり、哀壑 杈枒 浩呼 淘たり。

中に万里の長江有り、廻風 陥日 孤光 動く。

角鷹 に翻る 壮士の臂、将軍の玉帳に翠気軒る。

#2

二鷹 猛脳 條 徐に墜つ、目は愁胡の天地を視るが如し。

杉鶏 竹兎 自ら惜しまず、渓虎 野羊 辟易す。

の鋒稜十二翮、将軍の勇鋭 之とす。

将軍勲を樹て安西より起こる、崑崙虞泉馬蹄に入る。

#3

白羽 曾て肉す三狻猊、敢決 豈に之と斉しからざらんや。

荊南の公将軍を得、亦た角鷹の朔雲より下るが如し。

悪鳥 飛飛 金屋に啄む、安んぞ得ん 爾が輩其の群を開きて、六合より駆出して梟鸞分かるることを。

王兵馬使二角鷹#1

悲臺蕭颯石,哀壑杈枒浩呼洶。

中有萬里之長江,迴風滔日孤光動。

角鷹翻倒壯士臂,將軍玉帳軒翠氣。

#2

二鷹猛腦徐侯穟,目如愁胡視天地。

杉雞竹兔不自惜,溪虎野羊俱辟易。

上鋒稜十二翮,將軍勇與之敵。

將軍樹勳起安西,崑崙虞泉入馬蹄。

#3

白羽曾肉三狻猊,敢決豈不與之齊。

荊南芮公得將軍,亦如角鷹下翔雲。

惡鳥飛飛啄金屋,安得爾輩開其群,驅出六合梟鸞分。

杜甫 《1830王兵馬使二角鷹#2》【3分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-58 <926> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6205

杜甫  王兵馬使二角鷹#2

二鷹猛腦徐侯穟,目如愁胡視天地。

杉雞竹兔不自惜,溪虎野羊俱辟易。

上鋒稜十二翮,將軍勇與之敵。

將軍樹勳起安西,崑崙虞泉入馬蹄。

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 杜甫詩1500-926-1412/2500

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    王兵馬使二角鷹

及地點:              安西都護府 (隴右道西部安西都護府) 別名:安西、安西幕府      

崑崙山 (隴右道東部 肅州 崑崙山)  

交遊人物:王兵馬              當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

 

王兵馬使二角鷹#1

(兵馬使王某の二つの角鷹を見て感を叙した詩。)

悲臺蕭颯石哀壑杈枒浩呼洶。

高い台に悲しげな風がさびしく吹いて石が高くつもっている。樹木が不揃いに生えた哀れげな整に軍勢の大きな掛け声が波のわきたるごとくに起こる。

中有萬里之長江,迴風滔日孤光動。

そこには万里の長江が横たわり、風が吹きめぐり、太陽がはびこって照らすが川面に照らされて、日の孤光が波間にうごいている。

角鷹翻倒壯士臂,將軍玉帳軒翠氣。

頂に毛角のある鷹が身をさかさまにひるがえして繋がれた場所から壮士の臂へと止まる。将軍の玉帳には山の翠気があがる。

#2

二鷹猛腦徐侯,目如愁胡視天地。

二匹の鷹はたけだけしい頭つきをする。その脚もとにはさなだ紐がそろりと墜ちる、鷹の目つきは心配しっつある胡が天地を見つめているのとよく似ている。

竹兔不自惜,溪虎野羊辟易。

この鷹をみては杉鶏や竹兎は撃たれるものと覚悟をきめているし、渓の虎、野の羊もみなしりごみをする。

上鋒稜十二,將軍勇與之敵。

弓小手のうえのするどい十二枚の副、(なんとそのいさましいことよ)、王将軍の勇鋭さはこれと匹敵するものである。』

將軍樹勳起安西,崑崙虞泉入馬蹄。

将軍は安西から起こって武勲を立て、崑崙や虞泉は馬蹄で蹴ちらしたところであるという。

#3

白羽曾肉三狻猊,敢決豈不與之齊。

荊南芮公得將軍,亦如角鷹下翔雲。

惡鳥飛飛啄金屋,安得爾輩開其群,驅出六合梟鸞分。

 (王兵馬使が二角鷹)

悲台 蕭颯 石寵 たり、哀壑 杈枒 浩呼 淘たり。

中に万里の長江有り、廻風 陥日 孤光 動く。

角鷹 に翻る 壮士の臂、将軍の玉帳に翠気軒る。

#2

二鷹 猛脳 條 徐に墜つ、目は愁胡の天地を視るが如し。

杉鶏 竹兎 自ら惜しまず、渓虎 野羊 辟易す。

の鋒稜十二翮、将軍の勇鋭 之とす。

将軍勲を樹て安西より起こる、崑崙虞泉馬蹄に入る。

#3

白羽 曾て肉す三狻猊、敢決 豈に之と斉しからざらんや。

荊南の公将軍を得、亦た角鷹の朔雲より下るが如し。

悪鳥 飛飛 金屋に啄む、安んぞ得ん 爾が輩其の群を開きて、六合より駆出して梟鸞分かるることを。
夔州東川卜居図詳細 001 

 

『王兵馬使二角鷹』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2

二鷹猛腦徐侯穟,目如愁胡視天地。

杉雞竹兔不自惜,溪虎野羊俱辟易。

上鋒稜十二翮,將軍勇與之敵。

將軍樹勳起安西,崑崙虞泉入馬蹄。



(下し文)
#2

二鷹 猛脳 條 徐に墜つ、目は愁胡の天地を視るが如し。

杉鶏 竹兎 自ら惜しまず、渓虎 野羊 辟易す。

の鋒稜十二翮、将軍の勇鋭 之とす。

将軍勲を樹て安西より起こる、崑崙虞泉馬蹄に入る。


(現代語訳)
二匹の鷹はたけだけしい頭つきをする。その脚もとにはさなだ紐がそろりと墜ちる、鷹の目つきは心配しつつある胡が天地を見つめているのとよく似ている。

この鷹をみては杉鶏や竹兎は撃たれるものと覚悟をきめているし、渓の虎、野の羊もみなしりごみをする。

弓小手のうえのするどい十二枚の翮、(なんとそのいさましいことよ)、王将軍の勇鋭さはこれと匹敵するものである。』

将軍は安西から起こって武勲を立て、崑崙や虞泉は馬蹄で蹴ちらしたところであるという。


(訳注) #2

 

二鷹猛腦徐侯穟,目如愁胡視天地。

二匹の鷹はたけだけしい頭つきをする。その脚もとにはさなだ紐がそろりと墜ちる、鷹の目つきは心配しつつある胡が天地を見つめているのとよく似ている。

猛腦 たけき頭つき。

徐侯穟 徐は鷹の足をつないである「さなだひも」をはずし、このひもがそろりとおちるとは、鷹が飛び得る状態に置かれたことである。

愁胡 愁い顔の胡人、鷹の目を愁胡にたとえているのは晋の孫楚の「鷹賦」に見える。黄生の注には後漢の王延寿の《魯霊光殿賦》「胡人遙集於上楹,儼雅跽而相對。仡欺犬思以雕 穴,幽 顤顟而睽睢,狀若悲愁於危處,嚬蹙而含悴。」(胡人遙かに上楹に集まる、状危処に悲愁するが若し)を引いて更にその典拠としている。

視天地 鷹の飛びだそうとする様子。

 

杉雞竹兔不自惜,溪虎野羊俱辟易。

この鷹をみては杉鶏や竹兎は撃たれるものと覚悟をきめているし、渓の虎、野の羊もみなしりごみをする。

○杉鶏 頭に長い黄毛があり、冠と頬とは青く、常に杉の木の下に居るものであるという。

○竹兎 野兎の如くにして小さく竹の葉を食するものなりと。

○不自惜 自己の身を惜しまぬ、たべられるものと覚悟していることをいう。

○渓虎野羊 渓に居る虎、野にいる羊。

○辟易 顔師古はいう、開張して其の処を易うるなり、と。勢いにおされて、たじたじとなること。 耐え難い気持ちになること。驚怖によってしりごみすること。

 

上鋒稜十二翮,將軍勇與之敵。

弓小手のうえのするどい十二枚の翮、(なんとそのいさましいことよ)、王将軍の勇鋭さはこれと匹敵するものである。』

 韝は臂捍(弓小手)のこと。壮士の臂を保護するもの。この二字は鷹がまだ臂より離れていないさまをいう。

鋒稜 翮の尖端のするどさをたとえていう。

〇十二翮 翮は翼の内面の「たちばね」、其の茎の特に勁いものが左右各おの六枚ある。

○与之敵 これは鷹をさす、敵は匹敵、ひとしいこと。

 

將軍樹勳起安西,崑崙虞泉入馬蹄。

将軍は安西から起こって武勲を立て、崑崙や虞泉は馬蹄で蹴ちらしたところであるという。

○樹勲 いさおしを立てる。

○安西 安西都護府の地方、安西は新疆省庫車、唐代におかれた六都護府の一つ。辺境警備・周辺諸民族統治などのために置かれた軍事機関。都護府の長官は都護と呼ばれていた。

○崑崙 伝説上の山岳。崑崙山・崑崙丘・崑崙虚ともいう。中国の西方にあり、黄河の源で、玉を産出し、仙女の西王母がいるとされた。仙界とも呼ばれ、八仙がいるとされる。 崑崙奴とは、アフリカ系黒人に対しての呼び名であるが、伎楽の崑崙〔くろん〕面の名称も、そもそもは黒人のことをさした。

虞泉 即ち虞淵、日の入る所とせられたところ、《淮南子》曰:薄于虞泉,是黄昏。

〇人馬蹄 将軍の馬蹄の下に入る。将軍がその地方を蹴散らしてあるいたということ。

 

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杜甫  王兵馬使二角鷹#1

悲臺蕭颯石,哀壑杈枒浩呼洶。

中有萬里之長江,迴風滔日孤光動。

角鷹翻倒壯士臂,將軍玉帳軒翠氣。
(兵馬使王某の二つの角鷹を見て感を叙した詩。)高い台に悲しげな風がさびしく吹いて石が高くつもっている。樹木が不揃いに生えた哀れげな整に軍勢の大きな掛け声が波のわきたるごとくに起こる。そこには万里の長江が横たわり、風が吹きめぐり、太陽がはびこって照らすが川面に照らされて、日の孤光が波間にうごいている。

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 杜甫詩1500-925-1411/2500

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    王兵馬使二角鷹

及地點:              安西都護府 (隴右道西部安西都護府) 別名:安西、安西幕府      

崑崙山 (隴右道東部 肅州 崑崙山)  

交遊人物:王兵馬              當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

 

王兵馬使二角鷹#1

(兵馬使王某の二つの角鷹を見て感を叙した詩。)

悲臺蕭颯石哀壑杈枒浩呼洶。

高い台に悲しげな風がさびしく吹いて石が高くつもっている。樹木が不揃いに生えた哀れげな整に軍勢の大きな掛け声が波のわきたるごとくに起こる。

中有萬里之長江,迴風滔日孤光動。

そこには万里の長江が横たわり、風が吹きめぐり、太陽がはびこって照らすが川面に照らされて、日の孤光が波間にうごいている。

角鷹翻倒壯士臂,將軍玉帳軒翠氣。

頂に毛角のある鷹が身をさかさまにひるがえして繋がれた場所から壮士の臂へと止まる。将軍の玉帳には山の翠気があがる。

#2

二鷹猛腦徐侯穟,目如愁胡視天地。

杉雞竹兔不自惜,溪虎野羊俱辟易。

韝上鋒稜十二翮,將軍勇與之敵。

將軍樹勳起安西,崑崙虞泉入馬蹄。

#3

白羽曾肉三狻猊,敢決豈不與之齊。

荊南芮公得將軍,亦如角鷹下翔雲。

惡鳥飛飛啄金屋,安得爾輩開其群,驅出六合梟鸞分。

(王兵馬使が二角鷹)

悲台 蕭颯 石寵 たり、哀壑 杈枒 浩呼 淘たり。

中に万里の長江有り、廻風 陥日 孤光 動く。

角鷹 に翻る 壮士の臂、将軍の玉帳に翠気軒る。

#2

二鷹 猛脳 條 徐に墜つ、目は愁胡の天地を視るが如し。

杉鶏 竹兎 自ら惜しまず、渓虎 野羊 辟易す。

の鋒稜十二翮、将軍の勇鋭 之とす。

将軍勲を樹て安西より起こる、崑崙虞泉馬蹄に入る。

#3

白羽 曾て肉す三狻猊、敢決 豈に之と斉しからざらんや。

荊南の公将軍を得、亦た角鷹の朔雲より下るが如し。

悪鳥 飛飛 金屋に啄む、安んぞ得ん 爾が輩其の群を開きて、六合より駆出して梟鸞分かるることを。

 

 

『王兵馬使二角鷹』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

王兵馬使二角鷹#1

悲臺蕭颯石,哀壑杈枒浩呼洶。

中有萬里之長江,迴風滔日孤光動。

角鷹翻倒壯士臂,將軍玉帳軒翠氣。

(下し文)
(王兵馬使が二角鷹)

悲台 蕭颯 石寵 たり、哀壑 杈枒 浩呼 淘たり。

中に万里の長江有り、廻風 陥日 孤光 動く。

角鷹 倒に翻る 壮士の臂、将軍の玉帳に翠気軒る。


(現代語訳)
(兵馬使王某の二つの角鷹を見て感を叙した詩。)#1

高い台に悲しげな風がさびしく吹いて石が高くつもっている。樹木が不揃いに生えた哀れげな整に軍勢の大きな掛け声が波のわきたるごとくに起こる。

そこには万里の長江が横たわり、風が吹きめぐり、太陽がはびこって照らすが川面に照らされて、日の孤光が波間にうごいている。

頂に毛角のある鷹が身をさかさまにひるがえして繋がれた場所から壮士の臂へと止まる。将軍の玉帳には山の翠気があがる。


(訳注)

王兵馬使二角鷹#1

(兵馬使王某の二つの角鷹を見て感を叙した詩。)大暦元年の作。

○王兵馬使 兵馬使王某。前篇に趙太常、荊南の芮公の命を承けて夔州に来たことを叙している。この篇に「荊南芮公得将軍」の句がある、この王某もまた同時に乱を討たんがために来たものかとおもわれる。黄鶴の注に衛伯玉の伝を引き、「衛伯玉、大暦の初め、母の喪にあい、朝廷王昂を以て其の任に代う、衛伯玉将吏を諷して詔を受けず、遂に起復再任す、王は昂に非ざるを得んや」、といっている。

○角鷹 頂に毛角のある「たか」。

 

悲臺蕭颯石巃哀壑杈枒浩呼洶。

高い台に悲しげな風がさびしく吹いて石が高くつもっている。樹木が不揃いに生えた哀れげな整に軍勢の大きな掛け声が波のわきたるごとくに起こる。

○悲台 悲風の吹く高台、曹植《正會詩》「高臺多悲風」(高台に悲風多し)とみえる。

○蕭颯 風のさびしく吹くさま。

○巃 高大なさま。

○哀壑 かなしく感ぜられるたに。

〇杈枒 樹木のひとしくないさま。杜甫·鵰賦:「擊叢薄之不開,突杈枒而皆折。」

○浩呼 大呼に同じ、軍衆が鷹の気勢を添えるためにさけぷこえをいう。

○洶 水の湧きたつさま、呼声をたとえていっている。(1) 《書》ごうごうたる.◇波濤逆巻く音の形容.(2) 《貶》気勢のあがった,勢い激しい气汹汹凄まじい見幕の.(3) 《書》争う声の入り乱れた,喧喧ごうごう

 

中有萬里之長江,迴風滔日孤光動。

そこには万里の長江が横たわり、風が吹きめぐり、太陽がはびこって照らすが川面に照らされて、日の孤光が波間にうごいている。

○廻風 めぐって吹く風。

○滔日 天まではびこる日光の意となって下の孤光とは波間に孤光となってかがやく。太陽の輝きが強いほど、孤光が強いということ。

○孤光 はびこる太陽が照らし、江の水面の日光の一片の光という。

 

角鷹翻倒壯士臂,將軍玉帳軒翠氣。

頂に毛角のある鷹が身をさかさまにひるがえして繋がれた場所から壮士の臂へと止まる。将軍の玉帳には山の翠気があがる。

○倒翻壮士臂 繋がれてある場所から身体を顛倒し翻えして壮士の臂のうえにとまる。また、この臂から空へとぶのである。

○将軍 王某をさす。

○玉帳 りっはなまく。

○軒翠気 軒はたかくあがること、翠気は山翠・空翠、翠微などの意。

766年-61杜甫 《1556奉漢中王手札 -#2》【3分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-61 <931> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6230

杜甫  奉漢中王手札 -#2

前後緘書報,分明饌玉恩。天雲浮壁,風竹在華軒。

已覺良宵永,何看駭浪翻。入期朱邸雪,朝傍紫微垣。

枚乘文章老,河間禮樂存。

漢王のいる東の空を眺め遣ると絶壁に天雲が浮かんでいる、定めし華麗なる軒端にそよぐ風が竹林を渉って吹き抜けてくる。すでに、夜もしだいに長くなる季節になって来たし、三峡を下るのにこわい南風もなく船旅もご安全となりましょう。京師のお屋敷の朱門へのお入りにの際はもう冬の雪のころとなっておるでしょうし、紫微殿の牆に傍の道に沿って参朝されることでしょう。

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杜甫詩1500-931-1417/2500

卷別:    卷二二九              文體:    五言古詩

詩題:    奉漢中王手札

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:荊門山 (山南東道 峽州 宜都)           

交遊人物:李瑀    書信往來

 

 

奉漢中王手札

(歸州滞在中の漢仲王がお手紙を寄せてくれたことでこの詩を奉る。)

國有乾坤大,王今叔父尊。

唐王朝の天下は乾坤の大きさの領土を持ち続けているが、璃漢中王はその大唐の天子の叔父にあたる尊位に居られるお方である。

剖符來蜀道,歸蓋取荊門。

璃王は蓬州の刺史として、蜀道に来られ、京師へお帰りの道は荊門の道筋を取られたのである。

峽險通舟過,水長注海奔。

この三峡は嶮しくて船の通行でこの地を過ぎようとされているが、長江は長くはしって大海に灌いでいる。

主人留上客,避暑得名園。

途中で、其の地の主人役である歸州の刺史が、この上である賓客をおひきとめられ、この地の名園にて避暑とされることがよろしいと考える。

 

前後緘書報,分明饌玉恩。

こうした前後の様子はお手紙でお知らせくだされたし、同時に美味なる食料をぞうよくだされたことは、まことにありがたいことである。

天雲浮壁,風竹在華軒。

漢王のいる東の空を眺め遣ると絶壁に天雲が浮かんでいる、定めし華麗なる軒端にそよぐ風が竹林を渉って吹き抜けてくる。

已覺良宵永,何看駭浪翻。

すでに、夜もしだいに長くなる季節になって来たし、三峡を下るのにこわい南風もなく船旅もご安全となりましょう。

入期朱邸雪,朝傍紫微垣。

京師のお屋敷の朱門へのお入りにの際はもう冬の雪のころとなっておるでしょうし、紫微殿の牆に傍の道に沿って参朝されることでしょう。

枚乘文章老,河間禮樂存。

河間王に比すべきあなた様のところには、禮楽刑政が、なお存在しておりますが、この枚乘は文章の才まで老衰致しました。

 

悲秋宋玉宅,失路武陵源。

淹薄俱崖口,東西異石根。

夷音迷咫尺,鬼物傍黃昏。

犬馬誠為戀,狐狸不足論。

從容草奏罷,宿昔奉清罇。

 

(漢中王の手札を奉じる)

國 乾坤の大なる有り,王は 今 叔父の尊なり。

剖符 蜀道に來り,歸蓋 荊門に取る。

峽險にして舟を通じ過ぐ,水 長くして 海に注ぎて奔る。

主人 上客を留む,避暑 名園を得たり。

 

前後 緘書報ず,分明なり 饌玉の恩。

天雲 壁に浮ぶ風竹 華軒に在り。

已に覺ゆ 良宵の永きを,何ぞ看む 駭浪の翻えるを。

入は期す 朱邸の雪,朝は傍わしむ 紫微の垣。

枚乘 文章 老ゆ,河間 禮樂 存す。

 

悲秋 宋玉の宅,失路 武陵の源。

淹薄 俱に崖口,東西 石根を異にす。

夷音 咫尺迷う,鬼物 黃昏傍る。

犬馬 誠に戀を為す,狐狸 論ずるに足らず。

從容 奏を草し罷まば,宿昔 清罇を奉ぜしと思え。

夔州東川卜居図詳細 001 

 

『奉漢中王手札』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

前後緘書報,分明饌玉恩。

天雲浮壁,風竹在華軒。

已覺良宵永,何看駭浪翻。

入期朱邸雪,朝傍紫微垣。

枚乘文章老,河間禮樂存。

(下し文)
前後 緘書報ず,分明なり 饌玉の恩。

天雲 壁に浮ぶ,風竹 華軒に在り。

已に覺ゆ 良宵の永きを,何ぞ看む 駭浪の翻えるを。

入は期す 朱邸の雪,朝は傍わしむ 紫微の垣。

枚乘 文章 老ゆ,河間 禮樂 存す。

(現代語訳)
こうした前後の様子はお手紙でお知らせくだされたし、同時に美味なる食料をぞうよくだされたことは、まことにありがたいことである。

漢王のいる東の空を眺め遣ると絶壁に天雲が浮かんでいる、定めし華麗なる軒端にそよぐ風が竹林を渉って吹き抜けてくる。

すでに、夜もしだいに長くなる季節になって来たし、三峡を下るのにこわい南風もなく船旅もご安全となりましょう。

京師のお屋敷の朱門へのお入りにの際はもう冬の雪のころとなっておるでしょうし、紫微殿の牆に傍の道に沿って参朝されることでしょう。

河間王に比すべきあなた様のところには、禮楽刑政が、なお存在しておりますが、この枚乘は文章の才まで老衰致しました。


(訳注)

奉漢中王手札

(歸州滞在中の漢仲王がお手紙を寄せてくれたことでこの詩を奉る。)

○漢中王 名を璃といい譲皇帝(寧王)の第六子で汝陽王璡の弟である。玄宗が蜀に幸したときに従って漢中に至り、漢中王に封ぜられ銀青光禄大夫・漢中郡太守を加えられた。のち粛宗を諌めて帝の怒りにふれ蓬州の刺史に貶せられた。ここには漢中王と称しているが蓬州の刺史として何かの事によって梓州に来たのにより作者が彼とあったものとおもわれる。そして今、三峡を出て、京師に帰ろうとして歸州にあり、そこから杜甫に手紙を届けたのだろう。

(漢中王に関する杜甫の詩)

639五言律詩《戲題寄上漢中王,三首之一》 蜀中転々 杜甫 <544  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2945 杜甫詩1000-544-783/1500

640 五言律詩《戲題寄上漢中王,三首之二》 蜀中転々 杜甫 <545  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2950 杜甫詩1000-545-784/1500

641五言律詩《戲題寄上漢中王,三首之三》 蜀中転々 杜甫 <546  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2955 杜甫詩1000-546-785/1500

 

643 《玩月呈漢中王》 蜀中転々 杜甫 <548  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2965 杜甫詩1000-548-787/1500

701 《章梓州水亭〔自注:時漢中王兼道士席謙在會,同用荷字韻。〕》蜀中転々 杜甫<608 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3350 杜甫詩1000-608-864/1500

 

702 《戲作寄上漢中王,二首之一〔自注:王新誕明珠。〕 蜀中転々 杜甫 <609  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3355 杜甫詩1000-609-865/1500

703 《戲作寄上漢中王,二首之二〔自注:王新誕明珠。〕 蜀中転々 杜甫 <610  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3360 杜甫詩1000-610-866/1500

 

前後緘書報,分明饌玉恩。

こうした前後の様子はお手紙でお知らせくだされたし、同時に美味なる食料をぞうよくだされたことは、まことにありがたいことである。

○緘書報 漢王から杜甫への書簡に応じて返事をくれたこと。

○饌玉恩 手紙の返事に添えて美味なる食料を贈与くだされたことが、まことにありがたいということ。

 

天雲浮壁,風竹在華軒。

漢王のいる東の空を眺め遣ると絶壁に天雲が浮かんでいる、定めし華麗なる軒端にそよぐ風が竹林を渉って吹き抜けてくる。

○天雲浮 杜甫は夔州奉節の草堂に居り、漢王は東隣の歸州にイルので、東の方、長江下流域の方向を見る事、此処の絶壁は、奉節を過ぎると瞿塘峡がありそこの両岸に絶壁がある。

○風竹在華軒 漢王がいる名園の風情をいう。

 

已覺良宵永,何看駭浪翻。

すでに、夜もしだいに長くなる季節になって来たし、三峡を下るのにこわい南風もなく船旅もご安全となりましょう。

○良宵永 秋の良い気候

○何看駭浪翻 どうして波が翻るようなことになるでしょう。何看は反語で、見る事は無い。三峡を下るのにこわい南風もなく船旅もご安全となりましょう。

 

入期朱邸雪,朝傍紫微垣。

京師のお屋敷の朱門へのお入りにの際はもう冬の雪のころとなっておるでしょうし、紫微殿の牆に傍の道に沿って参朝されることでしょう。

○入期 漢王が正門からお入りになること。

○朱邸雪 郡國の者が参朝する際の長安の屋敷を邸という、朱門はその正門である。

○朝傍 朝は朝廷に参朝すること。傍は牆に傍の道に沿ってあるくこと。

○紫微垣 大明宮紫微殿の牆。

 

枚乘文章老,河間禮樂存。

河間王に比すべきあなた様のところには、禮楽刑政が、なお存在しておりますが、この枚乘は文章の才まで老衰致しました。

○枚乘 枚乗(ばい じょう、生没年不詳)は、前漢の人。字は叔。淮陰(江蘇省淮安市)の人。賦や文章を得意とした遊説の徒。呉王劉濞の郎中となっていたが、呉王が漢に対し恨みを持ち反逆しようとすると、枚乗は上書してそれを諌めた。しかしながら呉王はそれを取り上げなかったので、枚乗は呉を去って梁へ行き、梁王劉武の元に就いた。杜甫のことをいう。

○河間 地名。漢の景帝の子河間の献王、名は德、学をこの身、儒者を敬す、もって漢王璃に比す。

○禮樂存 禮樂刑政、社会の秩序を保つために、欠かせないと考えられていた礼節、音楽、刑法、行政のこと。礼は社会の秩序を保ち,楽は人心を感化する作用のあるものとして尊重された。転じて,文化のこと。
山南西道 涪州 黃草峽00 

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杜甫  荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌#4

魑魅魍魎徒為耳,妖腰亂領敢欣喜。

用之不高亦不,不似長劍須天倚。

吁嗟光祿英雄弭,大食寶刀聊可比。

丹青宛轉麒麟裡,光芒六合無泥滓。

魑魅魍魎の友柄も、なにもはたらさができるわけのものではないし、乱賊の領、妖怪の腰、決して安心してよろこんでおられるはずはない。いずれあなたの姿は麒麟閣のうちに丹青を以て宛転にえがかれ、その武勲はこの刀のごとく宇宙にかがやきわたって、どこにも濁乱の気が無いようにさせられることであろう。

杜甫 1829荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌#4》【4分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-57 <924 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6195 

 
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杜甫詩1500-924-1410/2500

卷別:    卷二二二              文體:    樂府

詩題:    荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌

及地點:              下牢鎮 (山南東道 峽州 下牢鎮)       

白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城    

荊山 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)      

交遊人物:太常卿趙公       當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

 

荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌#1

(荊南の兵馬使で兼ねて太常卿である趙某公のもっている大食国伝来の刀の歌)

太常樓船聲嗷,問兵刮寇趨下牢。

趙太常の坐乗せられる楼船はやかましい音をたてて味方の兵を視察し、寇賊を刮平するために下牢関の方へ出向かれた。

牧出令奔飛百艘,猛蛟突獸紛騰逃。

これを見て沿道地方の刺史や県令は奔走して出迎え百艘もの船をだす。水中の猛き蛟も陸上の突出する獣もみだれて逃げはしる。

白帝寒城駐錦袍,玄冬示我胡國刀。

趙公は寒天の白帝城に錦袍を着けて駐在せられ、玄冬の節にあたって自分に胡の国から伝わった刀を示された。

壯士短衣頭虎毛,憑軒拔鞘天為高。

その刀を扱う壮士は短かい上衣を着て虎の毛を生やしたような頭をなし、軒によって鞘から抜きはなつと刀光さっと閃いて、これがために天も一層高く横たわるかとおもわれる。

#2

翻風轉日木怒號,冰翼雪澹傷哀

太刀風の勢いは風をひるがえし白日を転勤せしめて樹木も怒りさけび、刀光の冷たさは氷のようにつめたくするどい、刀を振ると翼のように空気を張り、切るほどに雪がうごくかと怪しまれて哀鳴する猱の心さえ傷つけてしまうだろう。

鐫錯碧鷿鵜膏,鋩鍔已瑩秋濤。

碧色の長首の瓶につめてある鷿の膏で刻みこむかとおもわれるほどに磨きをかけたこの刀は、切先も刃もきらきらとあきらかで澄みきった秋の水をも無視するばかりである。 

鬼物捩辭坑壕,蒼水使者捫赤絛。

この刀は坑や壕にすむ魔物も逸早く逃げだしてしまうし、「蒼水使者」ともいうべき外来の渡航者がこの刀の赤紐を取ってこれをもちきたす。

龍伯國人罷釣鼇,公回首顏色勞。

そのときには《「列子」(湯問)》にいう、龍伯の国の巨人でも憤れて竜を釣ることをやめてしまうというから、荊南の芮公もこちらをふりむいて騒乱について心配な顔付きをなされるであろう。

#3

救世用賢豪,趙公玉立高歌起。

軍国の憂いを分担して世を救わんために、賢人豪傑を用いられる。 

攬環結佩相終始,萬持之護天子。

その一人として趙公は潔白なすがたで高歌して起ちあがり、この刀の刀環をとって身に佩び、終始はなさず、永久にこの刀を持って天子をお護りされたのである。 

得君亂絲與君理,蜀江如線如針水。

糸のもつれにあえば直ちにそれをたちきってその乱れをなおそうと心がけがたいせつで、蜀の江水の如きは針や線のような細小なものである。 

荊岑彈丸心未已,賊臣惡子休干紀。

#4

魑魅魍魎徒為耳,妖腰亂領敢欣喜。

魑魅魍魎の友柄も、なにもはたらさができるわけのものではないし、乱賊の領、妖怪の腰、決して安心してよろこんでおられるはずはない。

用之不高亦不,不似長劍須天倚。

趙公は高からずひくからず適当にこの刀を使用せられる。この刀は昔話にあるような天外に惰らなければならぬというような馬鹿げた長剣とは似てもつかぬものである。

吁嗟光祿英雄弭,大食寶刀聊可比。

ああ光禄、趙公よ、あなたによって世上の英雄たちの騒乱は止むであろう、あなたの才にこそこの大食の宝刀は此すべきものである。

丹青宛轉麒麟裡,光芒六合無泥滓。

いずれあなたの姿は麒麟閣のうちに丹青を以て宛転にえがかれ、その武勲はこの刀のごとく宇宙にかがやきわたって、どこにも濁乱の気が無いようにさせられることであろう。

 

(刑南兵馬使太常卿趙公が大食刀の歌)

太常の楼船 声 嗷たり、兵を問い寇を刮りて下牢に趨く。

牧 出で 令 奔りて百艘飛び、猛蛟突獸 紛として騰逃す。

白帝の寒城に 錦袍を駐む、玄冬 我に示す胡国の刀。

壮士 短衣 頭虎毛、軒に憑り 鞘を抜けば 天 為に高し。

#2

風を翻し 日を転じて木怒 号す、冰 翼び 雪 澹きて 哀 傷む。

鐫錯す 碧鷿鵜膏鋩鍔 已に らかに 秋濤 

鬼物 捩【べつれつ】坑壕,蒼水の使者 赤絛を捫る。

龍伯 國人 釣鼇を罷み【ぜいこう】首を回らして 顏色勞す。

 

#3

を分ち 世を救うに賢豪を用い,趙公 玉立 高歌して起つ。

環を攬め 結佩して 相い終始し,萬 之を持して 天子を護らん。

君が亂絲を得て 君が與【ため】に理めん,蜀江 線の如く 針に如き水。

荊岑 彈丸 心 未だ已まず,賊臣 惡子 紀を干すを休めよ。

#4

魑魅 魍魎 徒為のみ,妖腰 亂領 敢えて欣喜せんや。

之を用うる 高からず亦たからず,似ず 長劍 天倚を須【ま】つに。

吁嗟 光祿 英雄 弭まん,大食の寶刀 聊か比す可し。

丹青 宛轉 麒麟の裡,六合に光芒ありて 泥滓【でいし】無からん。

 

 

『荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#4

魑魅魍魎徒為耳,妖腰亂領敢欣喜。

用之不高亦不,不似長劍須天倚。

吁嗟光祿英雄弭,大食寶刀聊可比。

丹青宛轉麒麟裡,光芒六合無泥滓。


(下し文)
#4

魑魅 魍魎 徒為のみ,妖腰 亂領 敢えて欣喜せんや。

之を用うる 高からず亦たからず,似ず 長劍 天倚を須【ま】つに。

吁嗟 光祿 英雄 弭まん,大食の寶刀 聊か比す可し。

丹青 宛轉 麒麟の裡,六合に光芒ありて 泥滓【でいし】無からん。

(現代語訳) #4

魑魅魍魎の友柄も、なにもはたらさができるわけのものではないし、乱賊の領、妖怪の腰、決して安心してよろこんでおられるはずはない。

趙公は高からずひくからず適当にこの刀を使用せられる。この刀は昔話にあるような天外に惰らなければならぬというような馬鹿げた長剣とは似てもつかぬものである。

ああ光禄、趙公よ、あなたによって世上の英雄たちの騒乱は止むであろう、あなたの才にこそこの大食の宝刀は此すべきものである。

いずれあなたの姿は麒麟閣のうちに丹青を以て宛転にえがかれ、その武勲はこの刀のごとく宇宙にかがやきわたって、どこにも濁乱の気が無いようにさせられることであろう。


(訳注) #4

荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌 #1

(荊南の兵馬使で兼ねて太常卿である趙某公のもっている大食国伝来の刀の歌)

○荊南兵馬使太常卿趙公 唐制では天下兵馬大元帥の下に前軍・中軍・後軍兵馬使があり、趙公は荊南の兵馬使である。太常卿は太常寺の卿であってその兼官である。趙公はその名が明らかでない。仇氏はいう、“夔州は荊南節度に隷す、趙太常の冦を削りて此に至りしは永秦元年崔旰の反せし時にあるべし。公(作者)の夔州に至りしは大暦元年の秋にあれば趙に夔州にて遇えるは必ず其の年の冬に在らん。この時崔旰は平らぎしも、杜鴻漸は尚お蜀中にあり、荊南の兵も亦た未だ帰らざりしなるべし”、と。

○大食刀 大食は国の名、もと波斯の西に在り、その兵刀は強く鋭くしてその風俗は戦闘に勇であった。

 

魑魅魍魎徒為耳,妖腰亂領敢欣喜。

魑魅魍魎の友柄も、なにもはたらさができるわけのものではないし、乱賊の領、妖怪の腰、決して安心してよろこんでおられるはずはない。

魑魅魍魎 魑は獣形の山神、魅は怪物、魍魎は水神である。「左伝」(宜公三年)山の神と水の神。昔夏の時、鼎を鋳造し、怪物に象り、人に神義を知らしめたので、人は川沢に入っても不若に逢わず、山水の怪物にも逢わなかった。いろいろな化け物・妖怪。また、私欲のために悪だくみをする悪人。【注釈】, 「魑魅」とは、山林・沼沢の気から生じる山の妖怪。 「魍魎」とは、山水・木石の精気から出る水の妖怪。

『文選』張衡・《西京賦》「魑魅魍魎、莫能逢旃。」(魑魅魍魎、能く旃に逢う莫し。)

○徒為耳 彼等の為す所は徒のみ。詮ないことをいう。

○妖腰乱領 妖腰は化物の腰、上の魑魅などの怪を承けていう。乱領は乱をなす者のえりくび、上の賊臣悪子を承けていう。

○敢欣喜 敬は反語にみる。喜ぶことのできないことをいう。

 

用之不高亦不庳,不似長劍須天倚。

趙公は高からずひくからず適当にこの刀を使用せられる。この刀は昔話にあるような天外に惰らなければならぬというような馬鹿げた長剣とは似てもつかぬものである。

○用之 之とは刀をさす。

○不高亦不庳 庳は卑に同じ、ひくいことをいう。高からず卑からずとはこれを用いることの宜しきにかなうことをいう。

○長剣須天倚 宋玉の「大言の賦」に「長剣耿耿として天外に倚る」とある、天倚とは天外に倚ることを略して用いる。

 

吁嗟光祿英雄弭,大食寶刀聊可比。

ああ光禄、趙公よ、あなたによって世上の英雄たちの騒乱は止むであろう、あなたの才にこそこの大食の宝刀は此すべきものである。

○光禄 光禄寺の卿をいう。超公をさす。楊倫はいう、超公或は先に嘗て此の官となりしならん、と。

○英雄弭 英雄とは乱を起こしつつある群雄をさす、弭は止むに同じ。英雄弭とは群雄の乱がここに終るであろうことをいう。

○聊可比 趙公の乱を治める才はこの宝刀に比較することができる。

 

丹青宛轉麒麟裡,光芒六合無泥滓。

いずれあなたの姿は麒麟閣のうちに丹青を以て宛転にえがかれ、その武勲はこの刀のごとく宇宙にかがやきわたって、どこにも濁乱の気が無いようにさせられることであろう。

○丹青 絵の具の赤と青色。

○宛転 うねるさま、画面の線の迂曲するさまをいう。

○麒麟 閣の名、漢の宜帝の甘露二年に趙充国らの功臣を麒麟閣に画かせた。甘露三年(前51年),漢宣帝因匈奴歸降,回憶往昔輔佐有功之臣,乃令人畫十一名功臣圖像於麒麟閣以示紀念和表揚。

光芒 は光のほさきをいう、刀が光を放つことをいう。

〇六合 上下四方をいう。宇宙の意。

泥滓 はかす、おり。泥滓とは濁乱の気をいう。

杜甫 《1829荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌#3》【4分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-57 <923> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6190 

杜甫  荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌#3

救世用賢豪,趙公玉立高歌起。

攬環結佩相終始,萬持之護天子。

得君亂絲與君理,蜀江如線如針水。

荊岑彈丸心未已,賊臣惡子休干紀。

糸のもつれにあえば直ちにそれをたちきってその乱れをなおそうと心がけがたいせつで、蜀の江水の如きは針や線のような細小なものである。 荊山のも弾丸のようなちいさなもので、なんでもないものであり、どちらもたやすく治め得ると信ずる心がやまずにおられるのだから、世上の賊臣たり悪子たるものも紀律を犯すことをやめよ。 

杜甫 1829荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌#3》【4分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-57 <923 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6190 

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog杜甫 《1829荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌#3》【4分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-57 <923> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6190  
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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杜甫詩1500-923-1409/2500

卷別:    卷二二二              文體:    樂府

詩題:    荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌

及地點:              下牢鎮 (山南東道 峽州 下牢鎮)       

白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城    

荊山 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)      

交遊人物:太常卿趙公       當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

 

荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌#1

(荊南の兵馬使で兼ねて太常卿である趙某公のもっている大食国伝来の刀の歌)

太常樓船聲嗷,問兵刮寇趨下牢。

趙太常の坐乗せられる楼船はやかましい音をたてて味方の兵を視察し、寇賊を刮平するために下牢関の方へ出向かれた。

牧出令奔飛百艘,猛蛟突獸紛騰逃。

これを見て沿道地方の刺史や県令は奔走して出迎え百艘もの船をだす。水中の猛き蛟も陸上の突出する獣もみだれて逃げはしる。

白帝寒城駐錦袍,玄冬示我胡國刀。

趙公は寒天の白帝城に錦袍を着けて駐在せられ、玄冬の節にあたって自分に胡の国から伝わった刀を示された。

壯士短衣頭虎毛,憑軒拔鞘天為高。

その刀を扱う壮士は短かい上衣を着て虎の毛を生やしたような頭をなし、軒によって鞘から抜きはなつと刀光さっと閃いて、これがために天も一層高く横たわるかとおもわれる。

#2

翻風轉日木怒號,冰翼雪澹傷哀

太刀風の勢いは風をひるがえし白日を転勤せしめて樹木も怒りさけび、刀光の冷たさは氷のようにつめたくするどい、刀を振ると翼のように空気を張り、切るほどに雪がうごくかと怪しまれて哀鳴する猱の心さえ傷つけてしまうだろう。

鐫錯碧鷿鵜膏,鋩鍔已瑩秋濤。

碧色の長首の瓶につめてある鷿の膏で刻みこむかとおもわれるほどに磨きをかけたこの刀は、切先も刃もきらきらとあきらかで澄みきった秋の水をも無視するばかりである。 

鬼物捩辭坑壕,蒼水使者捫赤絛。

この刀は坑や壕にすむ魔物も逸早く逃げだしてしまうし、「蒼水使者」ともいうべき外来の渡航者がこの刀の赤紐を取ってこれをもちきたす。

龍伯國人罷釣鼇,公回首顏色勞。

そのときには《「列子」(湯問)》にいう、龍伯の国の巨人でも憤れて竜を釣ることをやめてしまうというから、荊南の芮公もこちらをふりむいて騒乱について心配な顔付きをなされるであろう。

#3

救世用賢豪,趙公玉立高歌起。

軍国の憂いを分担して世を救わんために、賢人豪傑を用いられる。 

攬環結佩相終始,萬持之護天子。

その一人として趙公は潔白なすがたで高歌して起ちあがり、この刀の刀環をとって身に佩び、終始はなさず、永久にこの刀を持って天子をお護りされたのである。 

得君亂絲與君理,蜀江如線如針水。

糸のもつれにあえば直ちにそれをたちきってその乱れをなおそうと心がけがたいせつで、蜀の江水の如きは針や線のような細小なものである。 

荊岑彈丸心未已,賊臣惡子休干紀。

#4

魑魅魍魎徒為耳,妖腰亂領敢欣喜。

用之不高亦不庳,不似長劍須天倚。

吁嗟光祿英雄弭,大食寶刀聊可比。

丹青宛轉麒麟裡,光芒六合無泥滓。

 

(刑南兵馬使太常卿趙公が大食刀の歌)

太常の楼船 声 嗷たり、兵を問い寇を刮りて下牢に趨く。

牧 出で 令 奔りて百艘飛び、猛蛟突獸 紛として騰逃す。

白帝の寒城に 錦袍を駐む、玄冬 我に示す胡国の刀。

壮士 短衣 頭虎毛、軒に憑り 鞘を抜けば 天 為に高し。

#2

風を翻し 日を転じて木怒 号す、冰 翼び 雪 澹きて 哀 傷む。

鐫錯す 碧鷿鵜膏鋩鍔 已に らかに 秋濤 

鬼物 捩【べつれつ】坑壕,蒼水の使者 赤絛を捫る。

龍伯 國人 釣鼇を罷み【ぜいこう】首を回らして 顏色勞す。

 

#3

を分ち 世を救うに賢豪を用い,趙公 玉立 高歌して起つ。

環を攬め 結佩して 相い終始し,萬 之を持して 天子を護らん。

君が亂絲を得て 君が與【ため】に理めん,蜀江 線の如く 針に如き水。

荊岑 彈丸 心 未だ已まず,賊臣 惡子 紀を干すを休めよ。

#4

魑魅 魍魎 徒為のみ,妖腰 亂領 敢えて欣喜せんや。

之を用うる 高からず亦た庳からず,似ず 長劍 天倚を須【ま】つに。

吁嗟 光祿 英雄 弭まん,大食の寶刀 聊か比す可し。

丹青 宛轉 麒麟の裡,六合に光芒ありて 泥滓【でいし】無からん。

 

 

『荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#3

救世用賢豪,趙公玉立高歌起。

攬環結佩相終始,萬持之護天子。

得君亂絲與君理,蜀江如線如針水。

荊岑彈丸心未已,賊臣惡子休干紀。


(下し文)
閫を分ち 世を救うに賢豪を用い,趙公 玉立 高歌して起つ。

環を攬め 結佩して 相い終始し,萬 之を持して 天子を護らん。

君が亂絲を得て 君が與【ため】に理めん,蜀江 線の如く 針に如き水。

荊岑 彈丸 心 未だ已まず,賊臣 惡子 紀を干すを休めよ。

(現代語訳) #3

軍国の憂いを分担して世を救わんために、賢人豪傑を用いられる。 

その一人として趙公は潔白なすがたで高歌して起ちあがり、この刀の刀環をとって身に佩び、終始はなさず、永久にこの刀を持って天子をお護りされたのである。 

糸のもつれにあえば直ちにそれをたちきってその乱れをなおそうと心がけがたいせつで、蜀の江水の如きは針や線のような細小なものである。 

荊山のも弾丸のようなちいさなもので、なんでもないものであり、どちらもたやすく治め得ると信ずる心がやまずにおられるのだから、世上の賊臣たり悪子たるものも紀律を犯すことをやめよ。 


(訳注) #3

荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌 #1

(荊南の兵馬使で兼ねて太常卿である趙某公のもっている大食国伝来の刀の歌)

○荊南兵馬使太常卿趙公 唐制では天下兵馬大元帥の下に前軍・中軍・後軍兵馬使があり、趙公は荊南の兵馬使である。太常卿は太常寺の卿であってその兼官である。趙公はその名が明らかでない。仇氏はいう、“夔州は荊南節度に隷す、趙太常の冦を削りて此に至りしは永秦元年崔旰の反せし時にあるべし。公(作者)の夔州に至りしは大暦元年の秋にあれば趙に夔州にて遇えるは必ず其の年の冬に在らん。この時崔旰は平らぎしも、杜鴻漸は尚お蜀中にあり、荊南の兵も亦た未だ帰らざりしなるべし”、と。

○大食刀 大食は国の名、もと波斯の西に在り、その兵刀は強く鋭くしてその風俗は戦闘に勇であった。

 

分閫救世用賢豪,趙公玉立高歌起。

軍国の憂いを分担して世を救わんために、賢人豪傑を用いられる。 

分閫 は門限、門の戸をとめる橛をいう。郭門についていう。「史記」馮唐伝に「内の事は、寡人之を制せん、閣外の事は、将軍之を制せよ」とみえる。分閫とは天子のを分かちてその職をになうことをいう。

○賢豪 趙公をさす。

〇玉立 玉の如く立つ、潔白なことをいう。

○高歌起 声高く歌ってたちあがる。

 

攬環結佩相終始,萬持之護天子。

その一人として趙公は潔白なすがたで高歌して起ちあがり、この刀の刀環をとって身に佩び、終始はなさず、永久にこの刀を持って天子をお護りされたのである。 

攬環結佩 刀環をとりおさめて結び佩びる。刀環は刀の頭にある。

○相終始 始めがあり、終りがあることをいう。

○持之 之とはこの刀をさす。

 

得君亂絲與君理,蜀江如線如針水。

糸のもつれにあえば直ちにそれをたちきってその乱れをなおそうと心がけがたいせつで、蜀の江水の如きは針や線のような細小なものである。 

○得君乱糸 君は天子をいう、乱糸はみだれもつれた糸。

○与君理 君が為に治める。糸のみだれをなおす。

○蜀江 長江の局を流れる部分をさす。

○如線針如水 針加は一本に如針に作る、それに従うのがよい。線の如く針の如き水とは細い水をいう。峡中をとおるので細小である。

 

荊岑彈丸心未已,賊臣惡子休干紀。

荊山のも弾丸のようなちいさなもので、なんでもないものであり、どちらもたやすく治め得ると信ずる心がやまずにおられるのだから、世上の賊臣たり悪子たるものも紀律を犯すことをやめよ。 

荊岑 荊山のみね。

○弾丸 小さなことをいう、荊山を小と見るのである。杜甫《巻一02望嶽》「會當凌絶頂,一覽衆山小。」 『孟子』尽心上、「揚子法言」学行篇に、孔子が泰山に登って天下を小としたとある。

○心未己 心とは剤山の小地方を治めるのは何でもないとする心をいう。

○賊臣惡子 乱臣賊子という類である、臣といい子というのは君親に対するそのものの地位をいう。

干紀 紀律を犯す。

杜甫 《1829荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌#2》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-57 <922> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6185 

杜甫  荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌#2

翻風轉日木怒號,冰翼雪澹傷哀猱。鐫錯碧鷿鵜膏,鋩鍔已瑩虛秋濤。

鬼物撇捩辭坑壕,蒼水使者捫赤絛。龍伯國人罷釣鼇,芮公回首顏色勞。

この刀は坑や壕にすむ魔物も逸早く逃げだしてしまうし、「蒼水使者」ともいうべき外来の渡航者がこの刀の赤紐を取ってこれをもちきたす。そのときには《「列子」(湯問)》にいう、龍伯の国の巨人でも憤れて竜を釣ることをやめてしまうというから、荊南の芮公もこちらをふりむいて騒乱について心配な顔付きをなされるであろう。

杜甫 1829荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌#2 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-57 <922 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6185 

 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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杜甫詩1500-922-1408/2500

卷別:    卷二二二              文體:    樂府

詩題:    荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌

及地點:              下牢鎮 (山南東道 峽州 下牢鎮)       

白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城    

荊山 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)      

交遊人物:太常卿趙公       當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

 

荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌#1

(荊南の兵馬使で兼ねて太常卿である趙某公のもっている大食国伝来の刀の歌)

太常樓船聲嗷,問兵刮寇趨下牢。

趙太常の坐乗せられる楼船はやかましい音をたてて味方の兵を視察し、寇賊を刮平するために下牢関の方へ出向かれた。

牧出令奔飛百艘,猛蛟突獸紛騰逃。

これを見て沿道地方の刺史や県令は奔走して出迎え百艘もの船をだす。水中の猛き蛟も陸上の突出する獣もみだれて逃げはしる。

白帝寒城駐錦袍,玄冬示我胡國刀。

趙公は寒天の白帝城に錦袍を着けて駐在せられ、玄冬の節にあたって自分に胡の国から伝わった刀を示された。

壯士短衣頭虎毛,憑軒拔鞘天為高。

その刀を扱う壮士は短かい上衣を着て虎の毛を生やしたような頭をなし、軒によって鞘から抜きはなつと刀光さっと閃いて、これがために天も一層高く横たわるかとおもわれる。

#2

翻風轉日木怒號,冰翼雪澹傷哀

太刀風の勢いは風をひるがえし白日を転勤せしめて樹木も怒りさけび、刀光の冷たさは氷のようにつめたくするどい、刀を振ると翼のように空気を張り、切るほどに雪がうごくかと怪しまれて哀鳴する猱の心さえ傷つけてしまうだろう。

鐫錯碧鷿鵜膏,鋩鍔已瑩秋濤。

碧色の長首の瓶につめてある鷿の膏で刻みこむかとおもわれるほどに磨きをかけたこの刀は、切先も刃もきらきらとあきらかで澄みきった秋の水をも無視するばかりである。 

鬼物捩辭坑壕,蒼水使者捫赤絛。

この刀は坑や壕にすむ魔物も逸早く逃げだしてしまうし、「蒼水使者」ともいうべき外来の渡航者がこの刀の赤紐を取ってこれをもちきたす。

龍伯國人罷釣鼇,公回首顏色勞。

そのときには《「列子」(湯問)》にいう、龍伯の国の巨人でも憤れて竜を釣ることをやめてしまうというから、荊南の芮公もこちらをふりむいて騒乱について心配な顔付きをなされるであろう。

#3

分閫救世用賢豪,趙公玉立高歌起。

攬環結佩相終始,萬持之護天子。

得君亂絲與君理,蜀江如線如針水。

荊岑彈丸心未已,賊臣惡子休干紀。

#4

魑魅魍魎徒為耳,妖腰亂領敢欣喜。

用之不高亦不庳,不似長劍須天倚。

吁嗟光祿英雄弭,大食寶刀聊可比。

丹青宛轉麒麟裡,光芒六合無泥滓。

 

(刑南兵馬使太常卿趙公が大食刀の歌)

太常の楼船 声 嗷たり、兵を問い寇を刮りて下牢に趨く。

牧 出で 令 奔りて百艘飛び、猛蛟突獸 紛として騰逃す。

白帝の寒城に 錦袍を駐む、玄冬 我に示す胡国の刀。

壮士 短衣 頭虎毛、軒に憑り 鞘を抜けば 天 為に高し。

#2

風を翻し 日を転じて木怒 号す、冰 翼び 雪 澹きて 哀 傷む。

鐫錯す 碧鷿鵜膏鋩鍔 已に らかに 秋濤 

鬼物 捩【べつれつ】坑壕,蒼水の使者 赤絛を捫る。

龍伯 國人 釣鼇を罷み【ぜいこう】首を回らして 顏色勞す。

 

#3

閫を分ち 世を救うに賢豪を用い,趙公 玉立 高歌して起つ。

環を攬め 結佩して 相い終始し,萬 之を持して 天子を護らん。

君が亂絲を得て 君が與【ため】に理めん,蜀江 線の如く 針に如き水。

荊岑 彈丸 心 未だ已まず,賊臣 惡子 紀を干すを休めよ。

#4

魑魅 魍魎 徒為のみ,妖腰 亂領 敢えて欣喜せんや。

之を用うる 高からず亦た庳からず,似ず 長劍 天倚を須【ま】つに。

吁嗟 光祿 英雄 弭まん,大食の寶刀 聊か比す可し。

丹青 宛轉 麒麟の裡,六合に光芒ありて 泥滓【でいし】無からん。

 

 

『荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2

翻風轉日木怒號,冰翼雪澹傷哀猱。

鐫錯碧鷿鵜膏,鋩鍔已瑩虛秋濤。

鬼物撇捩辭坑壕,蒼水使者捫赤絛。

龍伯國人罷釣鼇,芮公回首顏色勞。


(下し文) #2

風を翻し 日を転じて木怒 号す、冰 翼び 雪 澹きて 哀猱 傷む。

鐫錯す 碧鷿鵜膏、鋩鍔 已に 瑩らかに 秋濤 虛し。

鬼物 撇捩【べつれつ】坑壕を辭す,蒼水の使者 赤絛を捫る。

龍伯 國の人 釣鼇を罷み,芮公【ぜいこう】首を回らして 顏色勞す。

(現代語訳)
太刀風の勢いは風をひるがえし白日を転勤せしめて樹木も怒りさけび、刀光の冷たさは氷のようにつめたくするどい、刀を振ると翼のように空気を張り、切るほどに雪がうごくかと怪しまれて哀鳴する猱の心さえ傷つけてしまうだろう。

碧色の長首の瓶につめてある鷿の膏で刻みこむかとおもわれるほどに磨きをかけたこの刀は、切先も刃もきらきらとあきらかで澄みきった秋の水をも無視するばかりである。 

この刀は坑や壕にすむ魔物も逸早く逃げだしてしまうし、「蒼水使者」ともいうべき外来の渡航者がこの刀の赤紐を取ってこれをもちきたす。

そのときには《「列子」(湯問)》にいう、龍伯の国の巨人でも憤れて竜を釣ることをやめてしまうというから、荊南の芮公もこちらをふりむいて騒乱について心配な顔付きをなされるであろう。

夔州東川卜居図詳細 001
(訳注) #2

荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌 #1

(荊南の兵馬使で兼ねて太常卿である趙某公のもっている大食国伝来の刀の歌)

○荊南兵馬使太常卿趙公 唐制では天下兵馬大元帥の下に前軍・中軍・後軍兵馬使があり、趙公は荊南の兵馬使である。太常卿は太常寺の卿であってその兼官である。趙公はその名が明らかでない。仇氏はいう、“夔州は荊南節度に隷す、趙太常の冦を削りて此に至りしは永秦元年崔旰の反せし時にあるべし。公(作者)の夔州に至りしは大暦元年の秋にあれば趙に夔州にて遇えるは必ず其の年の冬に在らん。この時崔旰は平らぎしも、杜鴻漸は尚お蜀中にあり、荊南の兵も亦た未だ帰らざりしなるべし”、と。

○大食刀 大食は国の名、もと波斯の西に在り、その兵刀は強く鋭くしてその風俗は戦闘に勇であった。

 

翻風轉日木怒號,冰翼雪澹傷哀猱。

太刀風の勢いは風をひるがえし白日を転勤せしめて樹木も怒りさけび、刀光の冷たさは氷のようにつめたくするどい、刀を振ると翼のように空気を張り、切るほどに雪がうごくかと怪しまれて哀鳴する猱の心さえ傷つけてしまうだろう。

○翻風転日 刀を振り回すことにより太刀風が起こって風をびるがえし太陽をも転じうごかすごとくにみえる。

○泳翼雪澹 刀剣の刃の様子をいう。刀色の雪のように白きをいう、氷のように冷たく鋭い、翼とは刀を振ると翼のように空気を張り、切る。

○傷哀揉 哀れな声をだす猱も刀威をおそれて心を傷める。

 

鐫錯碧甖鷿鵜膏,鋩鍔已瑩虛秋濤。

碧色の長首の瓶につめてある鷿の膏で刻みこむかとおもわれるほどに磨きをかけたこの刀は、切先も刃もきらきらとあきらかで澄みきった秋の水をも無視するばかりである。 

○錦錯則りつけ、替く。則りつけるとは磨くことの変のつよいことをいうのであろうか。

○碧空 翌は頸の長い瓶、刻りつけ、磨く。刻りつけるとは磨くことの度の(碧はその色、膏を盛る器。

○鵬鵜膏 鵬鵜は水鳥、におどりの類。膏はあぶら。

○鑑鍔 きっさき、やいは。

○已聖 堂はきよくひかることをいう。

○虚秋清 秋清とは秋水をいう、秋水は青く澄んでいるものである、虚とは秋水もこの刀光に比較すれば無きが如くであることをいう。

 

鬼物撇捩辭坑壕,蒼水使者捫赤絛。

この刀は坑や壕にすむ魔物も逸早く逃げだしてしまうし、「蒼水使者」ともいうべき外来の渡航者がこの刀の赤紐を取ってこれをもちきたす。

○鬼物 魔ものをいう。死霊、死者の霊魂のことを指す。日本で言う「幽霊」。

○轍損一説に疾く避けるさまといい、一説に奔逸するさまという。すばやく逃げうせるさまをいう。

○辞坑壕 あな・ほりから去る。

○蒼水使者 「捜神記」にいう、“秦の時、人あり夜河を渡らんとし、一人丈余にして手に刀を横たえて立てるを見て之を叱す、其の人曰く「吾は蒼水使者なり」”と。蒼水使者とは水神のおつかいをいうのである。趙彦材の注にいう、刀を呈するの人に此す、と。そのことから。ここでは海外より渡来して趙公にこの刀を伝えた者をさすのであろう。

○椚赤條 椚は手にとりもつこと、赤候は赤色のひも、刀の紐である。

 

龍伯國人罷釣鼇,芮公回首顏色勞。

そのときには《「列子」(湯問)》にいう、龍伯の国の巨人でも憤れて竜を釣ることをやめてしまうというから、荊南の芮公もこちらをふりむいて騒乱について心配な顔付きをなされるであろう。

○竜伯国人 《「列子」(湯問)》にいう、竜伯の国に大人あり、足を挙ぐること数歩にみたずして五州の所におよぶ、一たび釣りて六鼇を連ぬ、と。

○罷釣鼇 鼇は大うみがめ、これを釣ることをやめるとは刀の威を畏れて逃れることをいう。

○芮公 芮公は衛公(伯玉)を指すもの。次の篇「王兵馬使二角鷹」詩に「荊南芮公得將軍,亦如角鷹下翔雲。」とある。「旧唐書」衛伯玉伝の事実を考証していう、伯玉は広徳元年江陵声に拝し、荊南節度・観察等使に充てられ、爾後大暦十一年まで任に在り、大暦二年には陽城郡王に封ぜられたり、故に或は先ず芮公に封ぜられ、芮公より陽城郡王に進められしゃも知るべからず、と。

○回首 荊南に居って夔州の方へとふりむくこと。

○顔色労 騒乱について心配そうなかおつきをすること。 
安史の乱当時の勢力図 

杜甫 《1829荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-56 <921> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6180

杜甫  荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌 #1

太常樓船聲嗷嘈,問兵刮寇趨下牢。牧出令奔飛百艘,猛蛟突獸紛騰逃。

白帝寒城駐錦袍,玄冬示我胡國刀。壯士短衣頭虎毛,憑軒拔鞘天為高。

(荊南の兵馬使で兼ねて太常卿である趙某公のもっている大食国伝来の刀の歌)趙太常の坐乗せられる楼船はやかましい音をたてて味方の兵を視察し、寇賊を刮平するために下牢関の方へ出向かれた。これを見て沿道地方の刺史や県令は奔走して出迎え百艘もの船をだす。水中の猛き蛟も陸上の突出する獣もみだれて逃げはしる。

杜甫 1829荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-56 <921 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6180 杜甫詩1500-921-1407/2500

 

 
 2015年6月20日の紀頌之5つのBlog 
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年:66年大暦元年55-56

卷別:    卷二二二              文體:    樂府

詩題:    荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌

及地點:              下牢鎮 (山南東道 峽州 下牢鎮)       

白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城    

荊山 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)      

交遊人物:太常卿趙公       當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

 

荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌#1

(荊南の兵馬使で兼ねて太常卿である趙某公のもっている大食国伝来の刀の歌)

太常樓船聲嗷,問兵刮寇趨下牢。

趙太常の坐乗せられる楼船はやかましい音をたてて味方の兵を視察し、寇賊を刮平するために下牢関の方へ出向かれた。

牧出令奔飛百艘,猛蛟突獸紛騰逃。

これを見て沿道地方の刺史や県令は奔走して出迎え百艘もの船をだす。水中の猛き蛟も陸上の突出する獣もみだれて逃げはしる。

白帝寒城駐錦袍,玄冬示我胡國刀。

趙公は寒天の白帝城に錦袍を着けて駐在せられ、玄冬の節にあたって自分に胡の国から伝わった刀を示された。

壯士短衣頭虎毛,憑軒拔鞘天為高。

その刀を扱う壮士は短かい上衣を着て虎の毛を生やしたような頭をなし、軒によって鞘から抜きはなつと刀光さっと閃いて、これがために天も一層高く横たわるかとおもわれる。

#2

翻風轉日木怒號,冰翼雪澹傷哀猱。

鐫錯碧甖鷿鵜膏,鋩鍔已瑩虛秋濤。

鬼物撇捩辭坑壕,蒼水使者捫赤絛。

龍伯國人罷釣鼇,芮公回首顏色勞。

#3

分閫救世用賢豪,趙公玉立高歌起。

攬環結佩相終始,萬持之護天子。

得君亂絲與君理,蜀江如線如針水。

荊岑彈丸心未已,賊臣惡子休干紀。

#4

魑魅魍魎徒為耳,妖腰亂領敢欣喜。

用之不高亦不庳,不似長劍須天倚。

吁嗟光祿英雄弭,大食寶刀聊可比。

丹青宛轉麒麟裡,光芒六合無泥滓。

 

(刑南兵馬使太常卿趙公が大食刀の歌)

太常の楼船 声 嗷たり、兵を問い寇を刮りて下牢に趨く。

牧 出で 令 奔りて百艘飛び、猛蛟突獸 紛として騰逃す。

白帝の寒城に 錦袍を駐む、玄冬 我に示す胡国の刀。

壮士 短衣 頭虎毛、軒に憑り 鞘を抜けば 天 為に高し。

#2

風を翻し 日を転じて木怒 号す、冰 翼び 雪 澹きて 哀猱 傷む。

鐫錯す 碧甖の鷿鵜膏鋩鍔 已に らかに 秋濤 虛

鬼物 撇捩【べつれつ】坑壕,蒼水の使者 赤絛を捫る。

龍伯 國人 釣鼇を罷み,芮公【ぜいこう】首を回らして 顏色勞す。

 

#3

閫を分ち 世を救うに賢豪を用い,趙公 玉立 高歌して起つ。

環を攬め 結佩して 相い終始し,萬 之を持して 天子を護らん。

君が亂絲を得て 君が與【ため】に理めん,蜀江 線の如く 針に如き水。

荊岑 彈丸 心 未だ已まず,賊臣 惡子 紀を干すを休めよ。

#4

魑魅 魍魎 徒為のみ,妖腰 亂領 敢えて欣喜せんや。

之を用うる 高からず亦た庳からず,似ず 長劍 天倚を須【ま】つに。

吁嗟 光祿 英雄 弭まん,大食の寶刀 聊か比す可し。

丹青 宛轉 麒麟の裡,六合に光芒ありて 泥滓【でいし】無からん。

 

 

『荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#1
荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌 #1

太常樓船聲嗷嘈,問兵刮寇趨下牢。

牧出令奔飛百艘,猛蛟突獸紛騰逃。

白帝寒城駐錦袍,玄冬示我胡國刀。

壯士短衣頭虎毛,憑軒拔鞘天為高。


(下し文)
(刑南兵馬使太常卿趙公が大食刀の歌)

太常の楼船 声 嗷嘈たり、兵を問い寇を刮りて下牢に趨く。

牧 出で 令 奔りて百艘飛び、猛蛟突獸 紛として騰逃す。

白帝の寒城に 錦袍を駐む、玄冬 我に示す胡国の刀。

壮士 短衣 頭虎毛、軒に憑り 鞘を抜けば 天 為に高し。

(現代語訳)
(荊南の兵馬使で兼ねて太常卿である趙某公のもっている大食国伝来の刀の歌)

趙太常の坐乗せられる楼船はやかましい音をたてて味方の兵を視察し、寇賊を刮平するために下牢関の方へ出向かれた。

これを見て沿道地方の刺史や県令は奔走して出迎え百艘もの船をだす。水中の猛き蛟も陸上の突出する獣もみだれて逃げはしる。

趙公は寒天の白帝城に錦袍を着けて駐在せられ、玄冬の節にあたって自分に胡の国から伝わった刀を示された。

その刀を扱う壮士は短かい上衣を着て虎の毛を生やしたような頭をなし、軒によって鞘から抜きはなつと刀光さっと閃いて、これがために天も一層高く横たわるかとおもわれる。


(訳注) #1

荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌 #1

(荊南の兵馬使で兼ねて太常卿である趙某公のもっている大食国伝来の刀の歌)

○荊南兵馬使太常卿趙公 唐制では天下兵馬大元帥の下に前軍・中軍・後軍兵馬使があり、趙公は荊南の兵馬使である。太常卿は太常寺の卿であってその兼官である。趙公はその名が明らかでない。仇氏はいう、“夔州は荊南節度に隷す、趙太常の冦を削りて此に至りしは永秦元年崔旰の反せし時にあるべし。公(作者)の夔州に至りしは大暦元年の秋にあれば趙に夔州にて遇えるは必ず其の年の冬に在らん。この時崔旰は平らぎしも、杜鴻漸は尚お蜀中にあり、荊南の兵も亦た未だ帰らざりしなるべし”、と。

○大食刀 大食は国の名、もと波斯の西に在り、その兵刀は強く鋭くしてその風俗は戦闘に勇であった。

 

太常樓船聲嗷嘈,問兵刮寇趨下牢。

趙太常の坐乗せられる楼船はやかましい音をたてて味方の兵を視察し、寇賊を刮平するために下牢関の方へ出向かれた。

○太常 太常卿趙公をいう。

○楼船 二階のついた大船。

○嗷嘈 かまびすしいさま。

○問兵 味方の兵の様子をみまう。

○刮寇 刮は削ること、刮寇とは賊の勢いを削りそぐこと。

○趨下牢 趨ほおもむく、下牢は闕鋲の名、湖北省宜昌府の西二十八里にある、これは下牢を経て、更に上流にむかったことをいう。 

 

牧出令奔飛百艘,猛蛟突獸紛騰逃。

これを見て沿道地方の刺史や県令は奔走して出迎え百艘もの船をだす。水中の猛き蛟も陸上の突出する獣もみだれて逃げはしる。

○牧出令奔 牧は州の長官である刺史をいい、令は県令をいう。出・奔とは趙公を出迎えるため奔り出ることをいう。

○百艘 牧・令らのだす多くの船。

○猛攻突獣 たけきみづち、突出するけだもの、盗賊をさす。

○紛騰逃 紛はみだれるさま、騰逃ほおどりあがってのがれる。

 

白帝寒城駐錦袍,玄冬示我胡國刀。

趙公は寒天の白帝城に錦袍を着けて駐在せられ、玄冬の節にあたって自分に胡の国から伝わった刀を示された。

○白帝寒城 冬の白帝城。

○錦袍 趙公の着けている錦のわたいれ。

○玄冬 玄はくろいこと、冬の色である。

○胡国刀 胡国はえびすのくに、題の大食国をいう。

 

壯士短衣頭虎毛,憑軒拔鞘天為高。

その刀を扱う壮士は短かい上衣を着て虎の毛を生やしたような頭をなし、軒によって鞘から抜きはなつと刀光さっと閃いて、これがために天も一層高く横たわるかとおもわれる。

○壮士 刀を舞わす男。

○頭虎毛 首に虎の皮をかぶるゆえに頭に虎の毛が生えたようにみえる。

○憑軒 のきばによる。

○抜鞘 刀をさやからぬきはなつ。

○天為高 仇氏はいう、刀光の上に閃くをいう、と。天がうえの方に高く横たわる如く感ぜられることをいう。

杜甫 《1722聽楊氏歌-#2》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-56 <920 -#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6175

李白  聽楊氏歌#2

玉杯久寂寞,金管迷宮徵。勿云聽者疲,愚智心盡死。

古來傑出士,豈待一知己。吾聞昔秦青,傾側天下耳。
また玉の酒杯を手にするものはその杯をじっととどめ、琴を弾ずるものはしばらく弾く手をとどめ、金管を吹く者も宮徴のしらべに迷うばかりである。じぶんの聞く所では、昔秦青という謳の名人は天下の人の耳を傾けさせたというではないか。(この歌手に自己を寓しているのであろう。)

杜甫 1722聽楊氏歌-#2 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-56 <920 -#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6175 杜甫詩1500-920 -#2-1406/2500

 
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262 《巻三17久別離》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <262> Ⅰ李白詩1525 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6173 
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年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二              文體:    樂府

詩題:    聽楊氏歌

 

交遊人物/地點:  

楊氏       當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

聽楊氏歌 #1

(都で一盤の歌い手といわれた楊某の歌声を聴く。)

佳人代歌,獨立發皓齒。

絶代の歌の名手である一佳人が独り立ちあがって、皓い歯をひらいて歌をうたいだす。

滿堂慘不樂,響下清裡。

その歌は虚空にまいあがって虚空から響きがくだってくるように感ぜられる、これをきくものは満堂のものすべて、ものがなしさをおぼえる。

江城帶素月,況乃清夜起。

ちょうど長江のほとりの城は、しろい月の光を帯びている頃で、すみわたった夜にこの歌声が起こるのであるから一層その感が深い。

老夫悲暮年,壯士如水。

じぶんごとき老人は己れの晩年の身を悲しくおもうし、壮士と雖も、涙が水のようにながれおちる。

#2

玉杯久寂寞,金管迷宮

また玉の酒杯を手にするものはその杯をじっととどめ、琴を弾ずるものはしばらく弾く手をとどめ、金管を吹く者も宮徴のしらべに迷うばかりである。

勿云聽者疲,愚智心盡死。

これを聞けば聴く者が疲れるなどというのはおろかのこと、愚者も智者もこれをきく者はことごとくその心が死して生きたここ地もしないほどである。

古來傑出士,豈待一知己。

むかしから豪傑の士は一人の知己があるというのにとどまらぬものである。

吾聞昔秦青,傾側天下耳。

じぶんの聞く所では、昔秦青という謳の名人は天下の人の耳を傾けさせたというではないか。(この歌手に自己を寓しているのであろう。)


(楊氏歌を聽く)

佳人 絶代の歌、独り立ちて 皓歯を発く。

満堂 惨として 楽しまず、響きは 下る清虚の裏。

江城 素月を帯び、況んや 乃ち 晴夜に起こるをや。

老夫暮 年を悲しみ、壮士も 涙 水の如し。

#2

玉杯 久しく寂寞、金管 宮徴に迷う。

云う勿れ 聴く者疲ると、愚智心尽く死す。

古来 傑出の士、豈に特【ひと】り 一知己あるのみならんや。

吾聞く 昔秦青、天下の耳を傾側すと。

夔州東川卜居図詳細 001 

 

『聽楊氏歌』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#2

玉杯久寂寞,金管迷宮徵。

勿云聽者疲,愚智心盡死。

古來傑出士,豈待一知己。

吾聞昔秦青,傾側天下耳。

(下し文)
#2

玉杯 久しく寂寞、金管 宮徴に迷う。

云う勿れ 聴く者疲ると、愚智心尽く死す。

古来 傑出の士、豈に特【ひと】り 一知己あるのみならんや。

吾聞く 昔秦青、天下の耳を傾側すと。

(現代語訳) #2

また玉の酒杯を手にするものはその杯をじっととどめ、琴を弾ずるものはしばらく弾く手をとどめ、金管を吹く者も宮徴のしらべに迷うばかりである。

これを聞けば聴く者が疲れるなどというのはおろかのこと、愚者も智者もこれをきく者はことごとくその心が死して生きたここ地もしないほどである。

むかしから豪傑の士は一人の知己があるというのにとどまらぬものである。

じぶんの聞く所では、昔秦青という謳の名人は天下の人の耳を傾けさせたというではないか。(この歌手に自己を寓しているのであろう。)


(訳注) #2

聽楊氏歌 #1

(都で一盤の歌い手といわれた楊某の歌声を聴く。)

 

玉杯久寂寞,金管迷宮徵。

また玉の酒杯を手にするものはその杯をじっととどめ、琴を弾ずるものはしばらく弾く手をとどめ、金管を吹く者も宮徴のしらべに迷うばかりである。

玉杯久寂寞 玉杯は聴者の手にするさかずきをいう、久寂寞とはじっと杯を口にすることをとどめていることをいう。案ずるに此の句は上解でも通じるが、玉杯は玉柱の誤りではないかと疑うとされている。(鄙説によれば、「琴を弾ずるものはしばらく弾く手をとどめ」)沈約の詩にいう、「金管玉柱洞房二響ク」と。玉柱は琴地に用いる玉製の支柱をいう、「玉柱久寂寞」とは琴を弾く者がしばらく其の手を停どめることをいう。

○金管 黄金を飾った笛。

○迷宮 官徴は五音中の種類の名、歌声があまりに妙であるため笛もその調べに迷うというのである。

 

勿云聽者疲,愚智心盡死。

これを聞けば聴く者が疲れるなどというのはおろかのこと、愚者も智者もこれをきく者はことごとくその心が死して生きたここ地もしないほどである。

○聴者疲 妙声をきくゆえそれに身が入りすぎて聴く人もつかれる。

○心尽死 皆のものが心まで死んでしまう。全く歌声にひきつけられてしまうことをいう。江城以下八句は聴者の心理状態より歌声の妙をのべる。

 

古來傑出士,豈待一知己。

むかしから豪傑の士は一人の知己があるというのにとどまらぬものである。

○傑出士 豪傑の士をいう。

○豊特一知己 一人だけの知己があるのにとどまらぬ。

 

吾聞昔秦青,傾側天下耳。

じぶんの聞く所では、昔秦青という謳の名人は天下の人の耳を傾けさせたというではないか。(この歌手に自己を寓しているのであろう。)

○秦青 昔の歌謳の名手の名、《列子湯問》:「薛譚學謳於秦青,未窮青之技,自謂盡之;遂辭歸。秦青弗止;餞於郊衢,撫節悲歌,聲振林木,響遏行雲。薛譚乃謝求反,終身不敢言歸。」にいう、辞讃、謳を秦青に学ぶ、未だ秦青が技を窮めず、遂に辞して帰らんとす、秦青、之を郊衛に餞し、節を撫して悲歌す、声、林木に振るい、響き、行雲をとどむと。

○傾側 かたむけそばだてさせる。末尾四句はすぐれたものは世に多くの知音があることをいう。

 

 

(楊氏歌を聽く)

佳人 絶代の歌、独り立ちて 皓歯を発く。

満堂 惨として 楽しまず、響きは 下る清虚の裏。

江城 素月を帯び、況んや 乃ち 晴夜に起こるをや。

老夫暮 年を悲しみ、壮士も 涙 水の如し。

#2

玉杯 久しく寂寞、金管 宮徴に迷う。

云う勿れ 聴く者疲ると、愚智心尽く死す。

古来 傑出の士、豈に特【ひと】り 一知己あるのみならんや。

吾聞く 昔秦青、天下の耳を傾側すと。

 

 (聽楊氏歌)

佳人代歌,獨立發皓齒。滿堂慘不樂,響下清虛裡【響下浮雲裡】。

江城帶素月,況乃清夜起。老夫悲暮年,壯士淚如水。

玉杯久寂寞,金管迷宮徵。勿云聽者疲,愚智心盡死。

古來傑出士【古來傑出事】,豈待一知己【豈特一知己】。吾聞昔秦青,傾側天下耳【傾倒天下耳】。
杜甫55歳756年作品 

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杜甫  聽楊氏歌  

佳人代歌,獨立發皓齒。滿堂慘不樂,響下清虛裏。』

江城帶素月,況乃清夜起。老夫悲暮年,壯士淚如水。

(都で一盤の歌い手といわれた楊某の歌声を聴く。)絶代の歌の名手である一佳人が独り立ちあがって、皓い歯をひらいて歌をうたいだす。その歌は虚空にまいあがって虚空から響きがくだってくるように感ぜられる、これをきくものは満堂のものすべて、ものがなしさをおぼえる。

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二              文體:    樂府

詩題:    聽楊氏歌

 

交遊人物/地點:  

楊氏       當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

聽楊氏歌 #1

(都で一盤の歌い手といわれた楊某の歌声を聴く。)

佳人代歌,獨立發皓齒。

絶代の歌の名手である一佳人が独り立ちあがって、皓い歯をひらいて歌をうたいだす。

滿堂慘不樂,響下清裡。

その歌は虚空にまいあがって虚空から響きがくだってくるように感ぜられる、これをきくものは満堂のものすべて、ものがなしさをおぼえる。

江城帶素月,況乃清夜起。

ちょうど長江のほとりの城は、しろい月の光を帯びている頃で、すみわたった夜にこの歌声が起こるのであるから一層その感が深い。

老夫悲暮年,壯士如水。

じぶんごとき老人は己れの晩年の身を悲しくおもうし、壮士と雖も、涙が水のようにながれおちる。

#2

玉杯久寂寞,金管迷宮徵。

勿云聽者疲,愚智心盡死。

古來傑出士,豈待一知己。

吾聞昔秦青,傾側天下耳。

(楊氏歌を聽く)

佳人 絶代の歌、独り立ちて 皓歯を発く。

満堂 惨として 楽しまず、響きは 下る清虚の裏。

江城 素月を帯び、況んや 乃ち 晴夜に起こるをや。

老夫暮 年を悲しみ、壮士も 涙 水の如し。

#2

玉杯 久しく寂寞、金管 宮徴に迷う。

云う勿れ 聴く者疲ると、愚智心尽く死す。

古来 傑出の士、豈に特【ひと】り 一知己あるのみならんや。

吾聞く 昔秦青、天下の耳を傾側すと。

 

 

『聽楊氏歌』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

聽楊氏歌

大暦元年          766   55

佳人代歌,獨立發皓齒。

滿堂慘不樂,響下清虛裏。』

江城帶素月,況乃清夜起。

老夫悲暮年,壯士淚如水。


(下し文)
(楊氏歌を聽く)

佳人 絶代の歌、独り立ちて 皓歯を発く。

満堂 惨として 楽しまず、響きは 下る清虚の裏。

江城 素月を帯び、況んや 乃ち 晴夜に起こるをや。

老夫暮 年を悲しみ、壮士も 涙 水の如し。

(現代語訳)
(都で一盤の歌い手といわれた楊某の歌声を聴く。)

絶代の歌の名手である一佳人が独り立ちあがって、皓い歯をひらいて歌をうたいだす。

その歌は虚空にまいあがって虚空から響きがくだってくるように感ぜられる、これをきくものは満堂のものすべて、ものがなしさをおぼえる。

ちょうど長江のほとりの城は、しろい月の光を帯びている頃で、すみわたった夜にこの歌声が起こるのであるから一層その感が深い。

じぶんごとき老人は己れの晩年の身を悲しくおもうし、壮士と雖も、涙が水のようにながれおちる。



(訳注)

聽楊氏歌 #1

(都で一盤の歌い手といわれた楊某の歌声を聴く。)

 

佳人代歌,獨立發皓齒。

絶代の歌の名手である一佳人が独り立ちあがって、皓い歯をひらいて歌をうたいだす。

○絶代 この人のほか世の中に絶えてないことをいう。

 

滿堂慘不樂,響下清虛裡。

その歌は虚空にまいあがって虚空から響きがくだってくるように感ぜられる、これをきくものは満堂のものすべて、ものがなしさをおぼえる。

清虛裡 清虚は虚空をいう、歌声が一旦高く虚空にのぼって更に虚空よりくだって来るがごとである。佳人以下起四句は先ず楊氏の歌声を叙する。

 

江城帶素月,況乃清夜起。

ちょうど長江のほとりの城は、しろい月の光を帯びている頃で、すみわたった夜にこの歌声が起こるのであるから一層その感が深い。

○江城 江ぞいの城、夔州奉節の城をいう。

○清夜起 清夜はすんだ夜、起とは歌声のおこることをいう。

 

老夫悲暮年,壯士淚如水。

じぶんごとき老人は己れの晩年の身を悲しくおもうし、壮士と雖も、涙が水のようにながれおちる。

○老夫 杜甫自身をさす。

 

(楊氏歌を聽く)

佳人 絶代の歌、独り立ちて 皓歯を発く。

満堂 惨として 楽しまず、響きは 下る清虚の裏。

江城 素月を帯び、況んや 乃ち 晴夜に起こるをや。

老夫暮 年を悲しみ、壮士も 涙 水の如し。

玉杯 久しく寂寞、金管 宮徴に迷う。

云う勿れ 聴く者疲ると、愚智心尽く死す。

古来 傑出の士、豈に特【ひと】り 一知己あるのみならんや。

吾聞く 昔秦青、天下の耳を傾側すと。

杜甫 《1822覽柏中允兼子姪數人除官制詞,因述父子兄弟四美,載歌絲綸-#4》【4分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-54 <919-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6165

杜甫  覽柏中允兼子姪數人除官制詞#4

聖主國多盜,賢臣官則尊。方當節鉞用,必根。

吾病日回首,雲臺誰再論。作歌挹盛事,推轂期孤騫。

自分は病気で月日長安の方をふりむいてながめるが、雲台に功臣を描くなどのことをだれが今日ふたたび論ずるものがあるのであろうか。

それでいま柏氏の盛事を尊敬してこの歌を作り、之によって柏氏の功が朝廷にもきこえ、柏氏が天子から推轂して外へお遣わしになることになり、彼が他の羣を抜いて高く飛びあがらんことを期待するのである。

杜甫 1822覽柏中允兼子姪數人除官制詞,因述父子兄弟四美,載歌絲綸-#4》【4分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-54 <919-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6165

 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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杜甫詩1500-919-#4-1404/2500

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    覽柏中允兼子姪數人除官制詞,因述父子兄弟四美,載歌絲綸【覽柏中丞兼子姪數人除官制詞,因述父子兄弟四美,載歌絲綸】

及地點:玉壘山 (劍南道北部 無第二級行政層級 玉壘山) 別名:玉壘      

雲臺 (京畿道 京兆府 長安)          

交遊人物:柏茂林              當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

 

覽柏中允兼子姪數人除官制詞,因述父子兄弟四美,載歌絲綸 #1

(夔州都督であった御史中丞柏茂林には子姪が數人あり、除官制詞を作ることで、父子兄弟関係にあるもの、親子関係が美徳であることを歌にして王言とした。)

紛然喪亂際,見此忠孝門。

天下紛然とみだれて喪乱のある際に柏氏のごとき此の忠孝のあつまっている一門を見るのはめずらしいことだ。

蜀中寇亦甚,柏氏功彌存。

蜀では特に寇乱がひどいので、柏氏の功はいよいよここに存立するわけである。

深誠補王室,戮力自元昆。

柏氏は深き誠の心を以て王室の不足のところを補い、一門の協力は第一に其の長兄の地位にあるものから始めた。

#2

三止錦江沸,獨清玉壘昏。

柏氏は三度にわたって錦江のさわぎ、叛乱や寇を止め、単独で玉塁の昏塵を清めた。

高名入竹帛,新渥照乾坤。

その高名は竹帛にも入ったのであり、最近に天子から賜はった恩命は天地を照らすばかりにひかりかがやくものである。

子弟先卒伍,芝蘭疊璵璠

柏氏の子弟は芝蘭の上に璵璠がつみかさなったほど多勢あるが、

同心注師律,灑血在戎軒。

その人人はまっ先きに士卒に先んじてはたらき一心になって軍法の上ににんい注意し、戎車の間に戦血をそそいだ。

#3

絲綸實具載,冕已殊恩。

此等のことを詔書には詳しく記載してあり、これに対して紱冕をゆるされるといふことは特別の御恩によるものである。

奉公舉骨肉,誅叛經寒

柏氏はその一家骨肉の親を挙げて公務につくし、叛徒崔旰を誅するためには冬春をも経た。

金甲雪猶凍,朱旗塵不翻。

雪中のはたらきのなごりが、今だに金甲が凍っているし、もはや崔旰の亂がしずまったから塵やほこりが立っても朱旗がひるがへることもなくなった。

聞戰場激懦氣奔。

自分はいつも戦場の話をきくたびに怯弱な意気が感激させられて急に外へ躍りだそうかとおもうくらいである。

#4

聖主國多盜,賢臣官則尊。

聖天子の御代に国家に盗賊の輩が多いが、柏氏のような賢臣は尊い官に任せられるのである。

方當節鉞用,必祲沴根。

いまや柏氏は節鉞を用ひ得る地位に當ったのであるから、きっと兵乱の悪気を根こそぎ断絶せしめるであらう。

吾病日回首,雲臺誰再論。

自分は病気で月日長安の方をふりむいてながめるが、雲台に功臣を描くなどのことをだれが今日ふたたび論ずるものがあるのであろうか。

作歌盛事,推轂期孤騫。

それでいま柏氏の盛事を尊敬してこの歌を作り、之によって柏氏の功が朝廷にもきこえ、柏氏が天子から推轂して外へお遣わしになることになり、彼が他の羣を抜いて高く飛びあがらんことを期待するのである。

 

(柏中丞兼び子姪数人の除官の制詞を覽、因りて父子兄弟四美を述べ、載ち絲綸を歌う)

紛然たる喪亂の際、見る此の忠孝の門。

蜀中 寇 亦た甚し、柏氏 功 彌よ 存す。

探誠 王室を補う、戮力 元昆よりす。

 

三たび止む錦江の沸、燭り清くす 玉壘の昏。

高名 竹帛に入る、新渥 乾坤を照らす。

子弟 卒伍に先だつ、芝蘭 璵璠に疊る。

同心 師律に注く、灑血 戎軒に在り。

 

絲綸 實に具載す、冕 巳に殊恩なり。

奉公 骨肉を舉ぐ,叛を誅するに寒を經。

金甲 雪に猶お凍り,朱旗 塵に翻らず。

に聞く 戰場のち 懦氣を激して奔らしむ。

 

#4

聖主 國に 盜多し,賢臣 官は則ち尊し。

方に 節鉞の用に當る,必ず 祲沴の根をたん

吾 病みて日び首を回らす,雲臺 誰か 再び論ぜん。

歌を作りて 盛事をし,推轂 孤騫を期す。

題新津北橋棲00 

 

『覽柏中允兼子姪數人除官制詞』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

聖主國多盜,賢臣官則尊。

方當節鉞用,必根。

吾病日回首,雲臺誰再論。

作歌挹盛事,推轂期孤騫。


(下し文)
#4

聖主 國に 盜多し,賢臣 官は則ち尊し。

方に 節鉞の用に當る,必ず 祲の根をたん。

吾 病みて日び首を回らす,雲臺 誰か 再び論ぜん。

歌を作りて 盛事を挹し,推轂 孤騫を期す。


(現代語訳)
聖天子の御代に国家に盗賊の輩が多いが、柏氏のような賢臣は尊い官に任せられるのである。

いまや柏氏は節鉞を用ひ得る地位に當ったのであるから、きっと兵乱の悪気を根こそぎ断絶せしめるであらう。

自分は病気で月日長安の方をふりむいてながめるが、雲台に功臣を描くなどのことをだれが今日ふたたび論ずるものがあるのであろうか。

それでいま柏氏の盛事を尊敬してこの歌を作り、之によって柏氏の功が朝廷にもきこえ、柏氏が天子から推轂して外へお遣わしになることになり、彼が他の羣を抜いて高く飛びあがらんことを期待するのである。


(訳注) #4

覽柏中允兼子姪數人除官制詞,因述父子兄弟四美,載歌絲綸 #1

(夔州都督であった御史中丞柏茂林には子姪が數人あり、除官制詞を作ることで、父子兄弟関係にあるもの、親子関係が美徳であることを歌にして王言とした。)

○柏中允 御史中丞柏茂林、即ち、夔州都督であったということ。中丞都督の命は、大暦元年八月にあり、その任に就いたのは冬であった。杜甫は、柏都督のために、謝上表を代作した。

○子姪數人 これについては未詳とされている。

○除官制詞 駢儷文のように立派に書かれたもので、これまでの功績材幹を陳べて任ずる。

○父子兄弟 中丞都督との父子関係にあるもの。

○四美 父子関係の者が四人いて、親子関係が美徳であるという意。

○載歌 役回りの事、父子関係の美徳などを歌にするということ。

○絲綸 王言のことをいう。ここでは制詞のことをいう。《禮記緇衣》「王言如絲, 其出如綸。」とある。

皇城001

聖主國多盜,賢臣官則尊。

聖天子の御代に国家に盗賊の輩が多いが、柏氏のような賢臣は尊い官に任せられるのである。

○賢臣 柏茂林のことをいう。

 

方當節鉞用,必祲沴根。

いまや柏氏は節鉞を用ひ得る地位に當ったのであるから、きつと兵乱の悪気を根こそぎ断絶せしめるであらう。

節鉞用 マサカリの旗印で、刑罰の象徴として都督の職を示す。

祲沴根 悪気が並び立つ兵乱のことを意味する。

 

吾病日回首,雲臺誰再論。

自分は病気で月日長安の方をふりむいてながめるが、雲台に功臣を描くなどのことをだれが今日ふたたび論ずるものがあるのであろうか。

回首 長安の朝廷の方に振り向くこと。

雲臺 後漢の明帝の二十八將を雲台に図画して置いたことをいう。

再論 再とは古代、後漢に対して今日再び功臣について論じるということ。

 

作歌挹盛事,推轂期孤騫。

それでいま柏氏の盛事を尊敬してこの歌を作り、之によって柏氏の功が朝廷にもきこえ、柏氏が天子から推轂して外へお遣わしになることになり、彼が他の羣を抜いて高く飛びあがらんことを期待するのである。

○作歌 この詩篇をいう。

○挹盛事 盛事は柏茂林の偉功によって任官されたことをいう。

○推轂期孤騫 「推轂せられて孤騫せんことを期す」《漢書馮唐傳》「王者遣將、跪而推轂」とあり、天子が外部へ派遣せんとする義にもちいた。とは、作者が期しのぞむことをいう。○孤騫は一人群を抜いているという意。

 夔州東川卜居図詳細 001

 

(柏中丞兼び子姪数人の除官の制詞を覽、因りて父子兄弟四美を述べ、載ち絲綸を歌う)

紛然たる喪亂の際、見る此の忠孝の門。

蜀中 寇 亦た甚し、柏氏 功 彌よ 存す。

探誠 王室を補う、戮力 元昆よりす。

#2

三たび止む錦江の沸、燭り清くす 玉壘の昏。

高名 竹帛に入る、新渥 乾坤を照らす。

子弟 卒伍に先だつ、芝蘭 璵璠に疊る。

同心 師律に注く、灑血 戎軒に在り。

#3

絲綸 實に具載す、冕 巳に殊恩なり。

奉公 骨肉を舉ぐ,叛を誅するに寒を經。

金甲 雪に猶お凍り,朱旗 塵に翻らず。

に聞く 戰場のち 懦氣を激して奔らしむ。

 

#4

聖主 國に 盜多し,賢臣 官は則ち尊し。

方に 節鉞の用に當る,必ず 祲沴の根をたん

吾 病みて日び首を回らす,雲臺 誰か 再び論ぜん。

歌を作りて 盛事をし,推轂 孤騫を期す。

杜甫 《1822覽柏中允兼子姪數人除官制詞-#3》【4分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-54 <919-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6160

杜甫  覽柏中允兼子姪數人除官制詞#3

絲綸實具載,冕已殊恩。奉公舉骨肉,誅叛經寒

金甲雪猶凍,朱旗塵不翻。聞戰場激懦氣奔。

柏氏はその一家骨肉の親を挙げて公務につくし、叛徒崔旰を誅するためには冬春をも経た。

雪中のはたらきのなごりが、今だに金甲が凍っているし、もはや崔旰の亂がしずまったから塵やほこりが立っても朱旗がひるがへることもなくなった。

杜甫 1822覽柏中允兼子姪數人除官制詞-#3》【4分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-54 <919-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6160 杜甫詩1500-919-#3-1403/2500

 
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74-#3 《巻09-32 詠雪贈張籍》-#3 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1435> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6159 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog杜甫 《1822覽柏中允兼子姪數人除官制詞-#3》【4分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-54 <919-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6160 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
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年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    覽柏中允兼子姪數人除官制詞,因述父子兄弟四美,載歌絲綸【覽柏中丞兼子姪數人除官制詞,因述父子兄弟四美,載歌絲綸】

及地點:玉壘山 (劍南道北部 無第二級行政層級 玉壘山) 別名:玉壘      

雲臺 (京畿道 京兆府 長安)          

交遊人物:柏茂林              當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

 

覽柏中允兼子姪數人除官制詞,因述父子兄弟四美,載歌絲綸 #1

(夔州都督であった御史中丞柏茂林には子姪が數人あり、除官制詞を作ることで、父子兄弟関係にあるもの、親子関係が美徳であることを歌にして王言とした。)

紛然喪亂際,見此忠孝門。

天下紛然とみだれて喪乱のある際に柏氏のごとき此の忠孝のあつまっている一門を見るのはめずらしいことだ。

蜀中寇亦甚,柏氏功彌存。

蜀では特に寇乱がひどいので、柏氏の功はいよいよここに存立するわけである。

深誠補王室,戮力自元昆。

柏氏は深き誠の心を以て王室の不足のところを補い、一門の協力は第一に其の長兄の地位にあるものから始めた。

#2

三止錦江沸,獨清玉壘昏。

柏氏は三度にわたって錦江のさわぎ、叛乱や寇を止め、単独で玉塁の昏塵を清めた。

高名入竹帛,新渥照乾坤。

その高名は竹帛にも入ったのであり、最近に天子から賜はった恩命は天地を照らすばかりにひかりかがやくものである。

子弟先卒伍,芝蘭疊璵璠

柏氏の子弟は芝蘭の上に璵璠がつみかさなったほど多勢あるが、

同心注師律,灑血在戎軒。

その人人はまっ先きに士卒に先んじてはたらき一心になって軍法の上ににんい注意し、戎車の間に戦血をそそいだ。

#3

絲綸實具載,冕已殊恩。

此等のことを詔書には詳しく記載してあり、これに対して紱冕をゆるされるといふことは特別の御恩によるものである。

奉公舉骨肉,誅叛經寒

柏氏はその一家骨肉の親を挙げて公務につくし、叛徒崔旰を誅するためには冬春をも経た。

金甲雪猶凍,朱旗塵不翻。

雪中のはたらきのなごりが、今だに金甲が凍っているし、もはや崔旰の亂がしずまったから塵やほこりが立っても朱旗がひるがへることもなくなった。

聞戰場激懦氣奔。

自分はいつも戦場の話をきくたびに怯弱な意気が感激させられて急に外へ躍りだそうかとおもうくらいである。

#4

聖主國多盜,賢臣官則尊。

方當節鉞用,必祲沴根。

吾病日回首,雲臺誰再論。

作歌挹盛事,推轂期孤騫。

 

(柏中丞兼び子姪数人の除官の制詞を覽、因りて父子兄弟四美を述べ、載ち絲綸を歌う)

紛然たる喪亂の際、見る此の忠孝の門。

蜀中 寇 亦た甚し、柏氏 功 彌よ 存す。

探誠 王室を補う、戮力 元昆よりす。

 

三たび止む錦江の沸、燭り清くす 玉壘の昏。

高名 竹帛に入る、新渥 乾坤を照らす。

子弟 卒伍に先だつ、芝蘭 璵璠に疊る。

同心 師律に注く、灑血 戎軒に在り。

 

絲綸 實に具載す、冕 巳に殊恩なり。

奉公 骨肉を舉ぐ,叛を誅するに寒を經。

金甲 雪に猶お凍り,朱旗 塵に翻らず。

に聞く 戰場のち 懦氣を激して奔らしむ。

 

#4

聖主 國に 盜多し,賢臣 官は則ち尊し。

方に 節鉞の用に當る,必ず 祲沴の根をたん

吾 病みて日び首を回らす,雲臺 誰か 再び論ぜん。

歌を作りて 盛事を挹し,推轂 孤騫を期す。

 

夔州東川卜居図詳細 001 

『覽柏中允兼子姪數人除官制詞』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

絲綸實具載,紱冕已殊恩。

奉公舉骨肉,誅叛經寒溫。

金甲雪猶凍,朱旗塵不翻。

每聞戰場激懦氣奔

(下し文)
絲綸 實に具載す、紱冕 巳に殊恩なり。

奉公 骨肉を舉ぐ,叛を誅するに寒溫を經。

金甲 雪に猶お凍り,朱旗 塵に翻らず。

每に聞く 戰場のち 懦氣を激して奔らしむ

(現代語訳)
此等のことを詔書には詳しく記載してあり、これに対して紱冕をゆるされるといふことは特別の御恩によるものである。

柏氏はその一家骨肉の親を挙げて公務につくし、叛徒崔旰を誅するためには冬春をも経た。

雪中のはたらきのなごりが、今だに金甲が凍っているし、もはや崔旰の亂がしずまったから塵やほこりが立っても朱旗がひるがへることもなくなった。

自分はいつも戦場の話をきくたびに怯弱な意気が感激させられて急に外へ躍りだそうかとおもうくらいである。

長安付近図00
(訳注) #3

覽柏中允兼子姪數人除官制詞,因述父子兄弟四美,載歌絲綸 #1

(夔州都督であった御史中丞柏茂林には子姪が數人あり、除官制詞を作ることで、父子兄弟関係にあるもの、親子関係が美徳であることを歌にして王言とした。)

○柏中允 御史中丞柏茂林、即ち、夔州都督であったということ。中丞都督の命は、大暦元年八月にあり、その任に就いたのは冬であった。杜甫は、柏都督のために、謝上表を代作した。

○子姪數人 これについては未詳とされている。

○除官制詞 駢儷文のように立派に書かれたもので、これまでの功績材幹を陳べて任ずる。

○父子兄弟 中丞都督との父子関係にあるもの。

○四美 父子関係の者が四人いて、親子関係が美徳であるという意。

○載歌 役回りの事、父子関係の美徳などを歌にするということ。

○絲綸 王言のことをいう。ここでは制詞のことをいう。《禮記緇衣》「王言如絲, 其出如綸。」とある。

 

絲綸實具載,紱冕已殊恩。

此等のことを詔書には詳しく記載してあり、これに対して紱冕をゆるされるといふことは特別の御恩によるものである。

○絲綸 制詞のこと。

○具載 つぶさに記載する。

○紱冕 革製の前垂れ、冠、並びに礼服。

○殊恩 特別の御恩。

 

奉公舉骨肉,誅叛經寒溫。

柏氏はその一家骨肉の親を挙げて公務につくし、叛徒崔旰を誅するためには冬春をも経た。

○奉公 公事につくす。

○舉骨肉 身寄りの者全体。骨肉は指定などを指す。

○誅叛 謀反人の事、崔旰の寇の時、柏茂林は卭州の牙将として兵を起し、崔旰を討ったことをいう。

○經寒溫 寒溫は寒さ、温かさ、即ち冬春をいう。崔旰は永泰元年十月に叛く。柏茂林は卭州の牙将として兵を起し、翌大暦元年三月に崔旰を討ったので、「寒溫を經たり」という。

 

金甲雪猶凍,朱旗塵不翻。

雪中のはたらきのなごりが、今だに金甲が凍っているし、もはや崔旰の亂がしずまったから塵やほこりが立っても朱旗がひるがへることもなくなった。

○金甲 鉄の鎧。

○雪猶凍 猶とは、

○朱旗 柏茂林の赤の軍旗

○塵不翻 兵塵の舞い立つ中、 柏茂林の赤の軍旗が風に翻る。

 

每聞戰場,欻激懦氣奔。

自分はいつも戦場の話をきくたびに怯弱な意気が感激させられて急に外へ躍りだそうかとおもうくらいである。

○戰場 説は談話をいう。柏茂林の手柄話ということ。

 きゅうに。

懦氣 怯弱な意気。
蜀中転々圖 

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杜甫  覽柏中允兼子姪數人除官制詞#2

三止錦江沸,獨清玉壘昏。高名入竹帛,新渥照乾坤。

子弟先卒伍,芝蘭疊璵璠。同心注師律,灑血在戎軒。

柏氏は三度にわたって錦江のさわぎ、叛乱や寇を止め、単独で玉塁の昏塵を清めた。その高名は竹帛にも入ったのであり、最近に天子から賜はった恩命は天地を照らすばかりにひかりかがやくものである。柏氏の子弟は芝蘭の上に璵璠がつみかさなったほど多勢あるが、その人人はまっ先きに士卒に先んじてはたらき一心になって軍法の上ににんい注意し、戎車の間に戦血をそそいだ。

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杜甫詩1500-919-#2-1402/2500

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    覽柏中允兼子姪數人除官制詞,因述父子兄弟四美,載歌絲綸【覽柏中丞兼子姪數人除官制詞,因述父子兄弟四美,載歌絲綸】

及地點:玉壘山 (劍南道北部 無第二級行政層級 玉壘山) 別名:玉壘      

雲臺 (京畿道 京兆府 長安)          

交遊人物:柏茂林              當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

 

覽柏中允兼子姪數人除官制詞,因述父子兄弟四美,載歌絲綸 #1

(夔州都督であった御史中丞柏茂林には子姪が數人あり、除官制詞を作ることで、父子兄弟関係にあるもの、親子関係が美徳であることを歌にして王言とした。)

紛然喪亂際,見此忠孝門。

天下紛然とみだれて喪乱のある際に柏氏のごとき此の忠孝のあつまっている一門を見るのはめずらしいことだ。

蜀中寇亦甚,柏氏功彌存。

蜀では特に寇乱がひどいので、柏氏の功はいよいよここに存立するわけである。

深誠補王室,戮力自元昆。

柏氏は深き誠の心を以て王室の不足のところを補い、一門の協力は第一に其の長兄の地位にあるものから始めた。

#2

三止錦江沸,獨清玉壘昏。

柏氏は三度にわたって錦江のさわぎ、叛乱や寇を止め、単独で玉塁の昏塵を清めた。

高名入竹帛,新渥照乾坤。

その高名は竹帛にも入ったのであり、最近に天子から賜はった恩命は天地を照らすばかりにひかりかがやくものである。

子弟先卒伍,芝蘭疊璵璠

柏氏の子弟は芝蘭の上に璵璠がつみかさなったほど多勢あるが、

同心注師律,灑血在戎軒。

その人人はまっ先きに士卒に先んじてはたらき一心になって軍法の上ににんい注意し、戎車の間に戦血をそそいだ。

#3

絲綸實具載,紱冕已殊恩。

奉公舉骨肉,誅叛經寒溫。

金甲雪猶凍,朱旗塵不翻。

每聞戰場,欻激懦氣奔。

#4

聖主國多盜,賢臣官則尊。

方當節鉞用,必祲沴根。

吾病日回首,雲臺誰再論。

作歌挹盛事,推轂期孤騫。

 

(柏中丞兼び子姪数人の除官の制詞を覽、因りて父子兄弟四美を述べ、載ち絲綸を歌う)

紛然たる喪亂の際、見る此の忠孝の門。

蜀中 寇 亦た甚し、柏氏 功 彌よ 存す。

探誠 王室を補う、戮力 元昆よりす。

 

三たび止む錦江の沸、燭り清くす 玉壘の昏。

高名 竹帛に入る、新渥 乾坤を照らす。

子弟 卒伍に先だつ、芝蘭 璵璠に疊る。

同心 師律に注く、灑血 戎軒に在り。

 

絲綸 實に具載す、紱冕 巳に殊恩なり。

奉公 骨肉を舉ぐ,叛を誅するに寒溫を經。

金甲 雪に猶お凍り,朱旗 塵に翻らず。

每に聞く 戰場の欻ち 懦氣を激して奔らしむ。

 

#4

聖主 國に 盜多し,賢臣 官は則ち尊し。

方に 節鉞の用に當る,必ず 祲沴の根をたん

吾 病みて日び首を回らす,雲臺 誰か 再び論ぜん。

歌を作りて 盛事を挹し,推轂 孤騫を期す。

 

夔州東川卜居図詳細 001 

『覽柏中允兼子姪數人除官制詞』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

三止錦江沸,獨清玉壘昏。

高名入竹帛,新渥照乾坤。

子弟先卒伍,芝蘭疊璵璠。

同心注師律,灑血在戎軒。

(下し文)
三たび止む錦江の沸、燭り清くす 玉壘の昏。

高名 竹帛に入る、新渥 乾坤を照らす。

子弟 卒伍に先だつ、芝蘭 璵璠に疊る。

同心 師律に注く、灑血 戎軒に在り。


(現代語訳) #2

柏氏は三度にわたって錦江のさわぎ、叛乱や寇を止め、単独で玉塁の昏塵を清めた。

その高名は竹帛にも入ったのであり、最近に天子から賜はった恩命は天地を照らすばかりにひかりかがやくものである。

柏氏の子弟は芝蘭の上に璵璠がつみかさなったほど多勢あるが、

その人人はまっ先きに士卒に先んじてはたらき一心になって軍法の上ににんい注意し、戎車の間に戦血をそそいだ。


(訳注) #2

覽柏中允兼子姪數人除官制詞,因述父子兄弟四美,載歌絲綸 #1

(夔州都督であった御史中丞柏茂林には子姪が數人あり、除官制詞を作ることで、父子兄弟関係にあるもの、親子関係が美徳であることを歌にして王言とした。)

○柏中允 御史中丞柏茂林、即ち、夔州都督であったということ。中丞都督の命は、大暦元年八月にあり、その任に就いたのは冬であった。杜甫は、柏都督のために、謝上表を代作した。

○子姪數人 これについては未詳とされている。

○除官制詞 駢儷文のように立派に書かれたもので、これまでの功績材幹を陳べて任ずる。

○父子兄弟 中丞都督との父子関係にあるもの。

○四美 父子関係の者が四人いて、親子関係が美徳であるという意。

○載歌 役回りの事、父子関係の美徳などを歌にするということ。

○絲綸 王言のことをいう。ここでは制詞のことをいう。《禮記緇衣》「王言如絲, 其出如綸。」とある。

 

三止錦江沸,獨清玉壘昏。

柏氏は三度にわたって錦江のさわぎ、叛乱や寇を止め、単独で玉塁の昏塵を清めた。

○三止錦江沸 崔旰の寇の時、柏茂林は卭州の牙将として兵を起し、崔旰を討った。ここでは、錦江を成都とし、錦江拂は崔旰を討ったことを示す。以崔旰茂州(今四川茂汶)刺史,充西山防御使。三月二十八日,献与崔旰...,八月,以旰成都尹、西川度行。大二年,鸿渐请入朝奏事,以崔旰知西川留后。六月,鸿渐至京,盛利害,亟荐崔旰才堪重任,代宗也务为姑息

玉壘昏 玉壘山のことで、成都の西北茂州保縣にあり、崔旰が領有していたところであり、昏は戦塵によって日光が暗いことをいう。

 

高名入竹帛,新渥照乾坤。

その高名は竹帛にも入ったのであり、最近に天子から賜はった恩命は天地を照らすばかりにひかりかがやくものである。

竹帛 「後漢書鄧禹伝」より。「竹帛」は竹の札と絹の布。ともに,古く字を書いて文字を記録したもの〕 歴史に名が残るほどの優れた事跡を残すこと。竹帛の功。名を竹帛に垂る。

新渥 天子からあらたに賜はった恩命。渥は天子よりのあつい恩命をいう。

照乾坤 天地を照らすばかりにひかりかがやくもの。

 

子弟先卒伍,芝蘭疊璵璠。

柏氏の子弟は芝蘭の上に璵璠がつみかさなったほど多勢あるが、

○子弟 柏茂林中丞都督との父子関係にあるもの。

卒伍 兵卒をいう。

芝蘭 美なる香草。東晋の謝安、謝靈運はじめ、謝一族子弟の美材の多いことを芝蘭玉樹に比すこと。世説 謝 芝蘭玉樹すぐれた人材。他人の才能のある子弟を褒めていう語。▽「芝」は霊芝れいし。めでたい兆しとされる。「蘭」はふじばかま。ともに香気高い香草で、才徳にすぐれた人のたとえ。「玉樹」は玉のように美しい木。

疊 たたむ、重なる、既にあるが上に更にあることをいう。

璵璠 美玉なること。芝蘭玉樹と同じ意味として使っている。

 

同心注師律,灑血在戎軒。

その人人はまっ先きに士卒に先んじてはたらき一心になって軍法の上ににんい注意し、戎車の間に戦血をそそいだ。

同心 心を一つにする。

注師律 注は、心を傾けること。師律とは軍法。易経の師卦に「師出以律」とあり、軍勢を出す時まず法制を持って斎整することをいう。

灑血 戦って血をそそぐ。

戎軒 戦の車
題新津北橋棲00 

54杜甫 《1822覽柏中允兼子姪數人除官制詞,因述父子兄弟四美,載歌絲綸》【4分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-54 <919> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6135

覽柏中允兼子姪數人除官制詞,因述父子兄弟四美,載歌絲綸 #1

紛然喪亂際,見此忠孝門。蜀中寇亦甚,柏氏功彌存。深誠補王室,戮力自元昆。

(夔州都督であった御史中丞柏茂林には子姪が數人あり、除官制詞を作ることで、父子兄弟関係にあるもの、親子関係が美徳であることを歌にして王言とした。)天下紛然とみだれて喪乱のある際に柏氏のごとき此の忠孝のあつまっている一門を見るのはめずらしいことだ。蜀では特に寇乱がひどいので、柏氏の功はいよいよここに存立するわけである。

54杜甫 1822覽柏中允兼子姪數人除官制詞,因述父子兄弟四美,載歌絲綸》【4分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-54 <919 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6135 杜甫詩1500-919-1398/2500

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
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257 《卷十五01南陽送客》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <257> Ⅰ李白詩1520 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6148 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    覽柏中允兼子姪數人除官制詞,因述父子兄弟四美,載歌絲綸【覽柏中丞兼子姪數人除官制詞,因述父子兄弟四美,載歌絲綸】

及地點:玉壘山 (劍南道北部 無第二級行政層級 玉壘山) 別名:玉壘      

雲臺 (京畿道 京兆府 長安)          

交遊人物:柏茂林              當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

 

覽柏中允兼子姪數人除官制詞,因述父子兄弟四美,載歌絲綸 #1

(夔州都督であった御史中丞柏茂林には子姪が數人あり、除官制詞を作ることで、父子兄弟関係にあるもの、親子関係が美徳であることを歌にして王言とした。)

紛然喪亂際,見此忠孝門。

天下紛然とみだれて喪乱のある際に柏氏のごとき此の忠孝のあつまっている一門を見るのはめずらしいことだ。

蜀中寇亦甚,柏氏功彌存。

蜀では特に寇乱がひどいので、柏氏の功はいよいよここに存立するわけである。

深誠補王室,戮力自元昆。

柏氏は深き誠の心を以て王室の不足のところを補い、一門の協力は第一に其の長兄の地位にあるものから始めた。

#2

三止錦江沸,獨清玉壘昏。

高名入竹帛,新渥照乾坤。

子弟先卒伍,芝蘭疊璵璠。

同心注師律,灑血在戎軒。

#3

絲綸實具載,紱冕已殊恩。

奉公舉骨肉,誅叛經寒溫。

金甲雪猶凍,朱旗塵不翻。

每聞戰場,欻激懦氣奔。

#4

聖主國多盜,賢臣官則尊。

方當節鉞用,必祲沴根。

吾病日回首,雲臺誰再論。

作歌挹盛事,推轂期孤騫。

 

(柏中丞兼び子姪数人の除官の制詞を覽、因りて父子兄弟四美を述べ、載ち絲綸を歌う)

紛然たる喪亂の際、見る此の忠孝の門。

蜀中 寇 亦た甚し、柏氏 功 彌よ 存す。

探誠 王室を補う、戮力 元昆よりす。

 

三たび止む錦江の沸、燭り清くす 玉壘の昏。

高名 竹帛に入る、新渥 乾坤を照らす。

子弟 卒伍に先だつ、芝蘭 璵璠に疊る。

同心 師律に注く、灑血 戎軒に在り。

 

絲綸 實に具載す、紱冕 巳に殊恩なり。

奉公 骨肉を舉ぐ,叛を誅するに寒溫を經。

金甲 雪に猶お凍り,朱旗 塵に翻らず。

每に聞く 戰場の欻ち 懦氣を激して奔らしむ。

 

#4

聖主 國に 盜多し,賢臣 官は則ち尊し。

方に 節鉞の用に當る,必ず 祲沴の根をたん

吾 病みて日び首を回らす,雲臺 誰か 再び論ぜん。

歌を作りて 盛事を挹し,推轂 孤騫を期す。

 

夔州東川卜居図詳細 001 

『覽柏中允兼子姪數人除官制詞』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

覽柏中允兼子姪數人除官制詞,因述父子兄弟四美,載歌絲綸 #1

紛然喪亂際,見此忠孝門。

蜀中寇亦甚,柏氏功彌存。

深誠補王室,戮力自元昆。


(下し文)
(柏中丞兼び子姪数人の除官の制詞を覽、因りて父子兄弟四美を述べ、載ち絲綸を歌う)

紛然たる喪亂の際、見る此の忠孝の門。

蜀中 寇 亦た甚し、柏氏 功 彌よ 存す。

探誠 王室を補う、戮力 元昆よりす。

(現代語訳)
(夔州都督であった御史中丞柏茂林には子姪が數人あり、除官制詞を作ることで、父子兄弟関係にあるもの、親子関係が美徳であることを歌にして王言とした。)

天下紛然とみだれて喪乱のある際に柏氏のごとき此の忠孝のあつまっている一門を見るのはめずらしいことだ。

蜀では特に寇乱がひどいので、柏氏の功はいよいよここに存立するわけである。

柏氏は深き誠の心を以て王室の不足のところを補い、一門の協力は第一に其の長兄の地位にあるものから始めた。


(訳注)

覽柏中允兼子姪數人除官制詞,因述父子兄弟四美,載歌絲綸 #1

(夔州都督であった御史中丞柏茂林には子姪が數人あり、除官制詞を作ることで、父子兄弟関係にあるもの、親子関係が美徳であることを歌にして王言とした。)

柏中允 御史中丞柏茂林、即ち、夔州都督であったということ。中丞都督の命は、大暦元年八月にあり、その任に就いたのは冬であった。杜甫は、柏都督のために、謝上表を代作した。

子姪數人 これについては未詳とされている。

除官制詞 駢儷文のように立派に書かれたもので、これまでの功績材幹を陳べて任ずる。

父子兄弟 中丞都督との父子関係にあるもの。

四美 父子関係の者が四人いて、親子関係が美徳であるという意。

載歌 役回りの事、父子関係の美徳などを歌にするということ。

絲綸 王言のことをいう。ここでは制詞のことをいう。《禮記緇衣》「王言如絲, 其出如綸。」とある。

 

紛然喪亂際,見此忠孝門。

天下紛然とみだれて喪乱のある際に柏氏のごとき此の忠孝のあつまっている一門を見るのはめずらしいことだ。

忠孝門 自身の家門を大切にすること。

 

蜀中寇亦甚,柏氏功彌存。

蜀では特に寇乱がひどいので、柏氏の功はいよいよここに存立するわけである。

蜀中 成都のこと。

寇亦甚 崔旰の寇。以崔旰茂州(今四川茂汶)刺史,充西山防御使。三月二十八日,献与崔旰...,八月,以旰成都尹、西川度行。大二年,鸿渐请入朝奏事,以崔旰知西川留后。六月,鸿渐至京,盛利害,亟荐崔旰才堪重任,代宗也务为姑息

 

深誠補王室,戮力自元昆

柏氏は深き誠の心を以て王室の不足のところを補い、一門の協力は第一に其の長兄の地位にあるものから始めた。

補王室 王室の足らざるところを補う。

戮力 力を合わせる。

元昆 昆とは先に生れたものをいう。元昆は長兄をいう。柏中丞をさす。

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杜甫  李潮八分小篆歌#4 

郡張顛誇草書,草書非古空雄壯。豈如吾甥不流宕,丞相中郎丈人行。

巴東逢李潮,逾月求我歌。我今衰老才力薄,潮乎潮乎奈汝何。

自分は巴郡の東の菱州奉節で李潮に出逢ったところ、李潮は一個月以上前から自分に歌を作ってくれと言っていたのである。自分は今、衰老の身で文才気力とも、薄弱となり、十分に汝の書の長所を発揮してやることができないのである。そうであっても、これはいまとして、致し方なしと嘆息する所である。

杜甫 《1805李潮八分小篆歌 -#4》【4分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-53 <918 -#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6145 

 

 
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杜甫詩1500-918 -#4-1400/2500

年:766年大暦元年55-53

卷別:    卷二二二              文體:    樂府

詩題:    李潮八分小篆歌

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:嶧山 (河南道 兗州 嶧山)    

蘇州 (江南東道 蘇州 蘇州) 別名:郡、           

巴東 (山南東道 歸州 巴東)             

交遊人物:李潮    當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

韓擇木              詩文提及

蔡有鄰              詩文提及

 

 

李潮八分小篆歌 -#1

(杜甫の甥の李潮が八分だの小篆だのの書をよくするのでそれによんで与えた歌である。)-#1

蒼頡鳥跡既茫昧,字體變化如浮雲。

大むかしに蒼頡が鳥の足あとを見て文字を造ったというが、その書体のどんなものであったかはぼんやりしてわからない。

陳倉石鼓又已訛,大小二篆生八分。

それ以後、字体の変化は浮雲の変化する如くなってきた。陳倉にある石鼓の文字もまたすでになまって来て大篆、小篆などができ、二篆から更に八分ができた。

秦有李斯漢蔡,中間作者寂不聞。

篆と八分を能くする者は秦では李斯があり、後漢では蔡邕がある。秦から後漢の中間ではどんな作者があったか、絶えて耳にしないのである。

#2

山之碑野火焚,棗木傳刻肥失真。

李斯が小篆でかいたといわれる嶧山の碑は野火に焚かれてしまい、棗の版木に段段と刻せられたものが残っているだけであるが、その筆画は肥え太ってもとの真の姿を失ってしまっている。

苦縣光和尚骨立,書貴硬方通神。

苦県に在る察畠が光和年間にかいた老子碑は今なお骨立ちたる姿を今も残して存在して貴いものである。いったい書というものは痩硬であってこそ貴尊されるものであって、痩硬であってこそはじめて神霊の域にも通じ入るのである。

惜哉李蔡不復得,吾甥李潮下筆親。

惜しいことには李斯や蔡邕は人物も書もふたたび得ることのできないものである。それに吾が甥の李潮は筆を下ろして字を善くのに常に李斯・蔡邕二人の書と親しんでそれを学んだのである。

尚書韓擇木,騎曹蔡有鄰。

吾が唐朝では「尚書、韓択木」だの「騎曹、蔡有隣」だのという書家の人人がある、

#3

開元已來數八分,潮也奄有二子成三人。

開元以来の八分書をよくする人をかぞえてみると、李潮は「尚書、韓択木」と「騎曹、蔡有隣」二人を併有してこれで三人の指折りということになる。

況潮小篆逼秦相,快劍長戟森相向。

まして李潮は小蒙では秦の丞相であった李斯の域に逼っており、書風は快剣長戟が森然として相い向かう趣がある。

八分一字直百金,蛟龍盤拏肉屈強。

またかく螭龍が相いたたかうが如く肉勢屈強であり、李潮の八分は一字百金の値うちがある。

#4

郡張顛誇草書,草書非古空雄壯。

呉郡の張顕(張旭)は草書を以て誇りとしておるが、草書などいうものは古体ではなく、いたずらに筆の運びが早く雄壮な姿をしておるというだけのものだ。

豈如吾甥不流宕,丞相中郎丈人行。

張旭の草書はとても李潮の篆書にかなうものではない、李潮の書は決して草書のように放埓に流れているようなところはまったくなく、李潮の書は李斯丞相・蔡邕中郎を以て尊長者と仰ぐほどの地位になっておる。

巴東逢李潮,逾月求我歌。

自分は巴郡の東の菱州奉節で李潮に出逢ったところ、李潮は一個月以上前から自分に歌を作ってくれと言っていたのである。

我今衰老才力薄,潮乎潮乎奈汝何。

自分は今、衰老の身で文才気力とも、薄弱となり、十分に汝の書の長所を発揮してやることができないのである。そうであっても、これはいまとして、致し方なしと嘆息する所である。

 

(李潮が八分小篆の歌)

が鳥跡 既に茫昧、字体 変化 浮雲の如し。

陳倉の石鼓 又た己にる、大小 二より八分を生ず。

秦には李斯有り 漢には蔡邕、中間 作者 寂として聞かず。

 

山の碑は 野火焚く、窮木の伝刻肥えてを失う。

苦県の光和尚お骨立す、書は痩硬なるを貴ぶ方に神に通ず。

惜しい哉 李復た得ず、吾が甥 李潮 筆を下して親しむ。

尚書韓擇木,騎曹蔡有鄰。

 

開元 己来 八分を数うれば、潮や二子を奄有して三人と成る。

況や潮小策秦相に逼る、快剣長戟森として相向こう

八分一字直百金,蛟龍盤拏肉屈強。

 

呉郡の張顛 草書を誇る、草書は古に非ず空しく雄壮なり。

豈に如かんや吾が甥の流宕せざるに、丞相 中郡は人行なり。

巴東 李潮に逢う、逾月 我が歌を求む。

我今衰老才力薄し、潮や潮や 汝を奈何。

 

夔州東川卜居図詳細 001 

『李潮八分小篆歌』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#4

郡張顛誇草書,草書非古空雄壯。

豈如吾甥不流宕,丞相中郎丈人行。

巴東逢李潮,逾月求我歌。

我今衰老才力薄,潮乎潮乎奈汝何。

 

(下し文)
呉郡の張顛 草書を誇る、草書は古に非ず空しく雄壮なり。

豈に如かんや吾が甥の流宕せざるに、丞相 中郡は丈人行なり。

巴東 李潮に逢う、逾月 我が歌を求む。

我今衰老才力薄し、潮や潮や 汝を奈何。

(現代語訳)
呉郡の張顕(張旭)は草書を以て誇りとしておるが、草書などいうものは古体ではなく、いたずらに筆の運びが早く雄壮な姿をしておるというだけのものだ。

張旭の草書はとても李潮の篆書にかなうものではない、李潮の書は決して草書のように放埓に流れているようなところはまったくなく、李潮の書は李斯丞相・蔡邕中郎を以て尊長者と仰ぐほどの地位になっておる。

自分は巴郡の東の菱州奉節で李潮に出逢ったところ、李潮は一個月以上前から自分に歌を作ってくれと言っていたのである。

自分は今、衰老の身で文才気力とも、薄弱となり、十分に汝の書の長所を発揮してやることができないのである。そうであっても、これはいまとして、致し方なしと嘆息する所である。


(訳注)

李潮八分小篆歌 -#1

(杜甫の甥の李潮が八分だの小篆だのの書をよくするのでそれによんで与えた歌である。)大暦元年        766   55歳夔州にあっての作。

○李潮 作者の甥である。李潮 李陽冰(生卒年不祥〔713-741年〕説もある)は中国・唐代中期の書家。それまで忘れられていた篆書を用いた碑や刻石をものして一世を風靡し、篆書を書道の一書体として復活させた功績を持つ。

当初、本名を李潮といい、陽冰は本来、字であったが、杜甫の「李潮八分小篆歌」で有名な李潮が李陽冰と同一人物であるという事実から、字の方が世に通ってしまったため、後に自身で陽冰を名として、改めて少漫と字したといわれている。河北省趙県の出身で、詩聖李白の従叔と伝えられており、若くして詩や文章を能くした。官職は縉雲令等を歴任したのち将作少監にまで至っている。元来、梁昇卿、韓択木、史惟則、蔡有鄰、徐法等とともに唐代八分隷の名手と謳われ、又、篆書においても天才と称されており、「その見事さは李斯(秦の宰相であり、小篆の考案者と伝えられている人物)を凌駕する。」とまで讃美された。李陽冰の篆法は李斯の書である山碑を観てその法則を得たのちに、三十年の歳月を全て小篆を書くことのみに費やし一家を成したといわれている。李陽冰は相当の自信家であったらしく、自らの書を称して「李斯以後の作家の中では曹喜や蔡邕などは言うに及ばず、私以外には存在しない。」と豪語したといわれているが、事実、舒元輿(唐代の学者)の著書「玉篆志」では「李斯が没して千年あまりになるが、天は唐の時代に李陽冰を下賜された。しかし今後、このあとを継ぐ者が出現するのだろうか。もし、もう千年たっても現われなければ、篆書は李陽冰で終るだろう。」と述べ、李陽冰の小篆を激称しており、又、北宋時代の宣和書譜の中でも「顔真卿、中唐以後、王羲之と比肩される大家)は建碑にあたり、自分の碑文には必ず李陽冰の篆額をあて、連壁の美を誇った。」と記されている通り、唐以後の各時代にあって絶えず神品にランクするなど、極めて高い評価を得ている。

  李陽冰の小篆の特徴としては、常時、同じスピードと同じ筆圧によって中鋒を維持し、その線にまったく肥や強弱を加えず、無機質に表情を表に現わすことなく淡々とした筆致で書いていく玉篆という書法である。現存する李陽冰の篆書はその全てがこの書法によって書されており、玉篆こそが、李法の本領といっても過言ではない。

○篆【てん】 漢字の書体の一。「篆刻・篆書・篆文/小篆・大篆。

 

#4

郡張顛誇草書,草書非古空雄壯。

呉郡の張顕(張旭)は草書を以て誇りとしておるが、草書などいうものは古体ではなく、いたずらに筆の運びが早く雄壮な姿をしておるというだけのものだ。

○呉郡張顛 張顕は張旭、呉郡の人、草書をよくする。杜甫二01飲中八仙歌「張旭三杯草聖傳,帽露頂王公前,揮毫落紙如雲煙。』張旭は三杯の酒を飲んで見事な草書を披露する、王侯の前で脱帽して頭を向け、筆を振るえば雲のように自在な字が現れる。

 

豈如吾甥不流宕,丞相中郎丈人行。

張旭の草書はとても李潮の篆書にかなうものではない、李潮の書は決して草書のように放埓に流れているようなところはまったくなく、李潮の書は李斯丞相・蔡邕中郎を以て尊長者と仰ぐほどの地位になっておる。

○流宕 放埓に流れている、やりっぱなしなこと。

○丞相 李斯。

○中郎 中郎将蔡邕  二人の書

○文人行 文人は長者の称、行は行列、列位、或はいう、輩(なかま)のことと。尊者の輩行にあることをいう。匈奴は漢の天子をさして文人行なりといった、漢に対し舅甥の関係にあることをいう。《史記·匈奴列傳第五十》「漢天子,我丈人行也」

 

巴東逢李潮,逾月求我歌。

自分は巴郡の東の菱州奉節で李潮に出逢ったところ、李潮は一個月以上前から自分に歌を作ってくれと言っていたのである。

○巴東 雲安より灔澦堆を過ぎて、夔州奉節、瞿塘峡を下って巫山、そして巫峡を下っての街が巴東であるが、ここでは夔州奉節に寓居しているをいう。

逾月 一か月ごしに、ひとつきも以前から。

 

我今衰老才力薄,潮乎潮乎奈汝何。

自分は今、衰老の身で文才気力とも、薄弱となり、十分に汝の書の長所を発揮してやることができないのである。そうであっても、これはいまとして、致し方なしと嘆息する所である。

杜甫 《1805李潮八分小篆歌 -#3》【4分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-53 <918 -#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6140

杜甫  李潮八分小篆歌 #3

開元已來數八分,潮也奄有二子成三人。

況潮小篆逼秦相,快劍長戟森相向。

八分一字直百金,蛟龍盤拏肉屈強。
開元以来の八分書をよくする人をかぞえてみると、李潮は「尚書、韓択木」と「騎曹、蔡有隣」二人を併有してこれで三人の指折りということになる。まして李潮は小蒙では秦の丞相であった李斯の域に逼っており、書風は快剣長戟が森然として相い向かう趣がある。

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 杜甫詩1500-918 -#3-1399/2500

年:766年大暦元年55-53

卷別:    卷二二二              文體:    樂府

詩題:    李潮八分小篆歌

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:嶧山 (河南道 兗州 嶧山)    

蘇州 (江南東道 蘇州 蘇州) 別名:郡、           

巴東 (山南東道 歸州 巴東)             

交遊人物:李潮    當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

韓擇木              詩文提及

蔡有鄰              詩文提及

 

 

李潮八分小篆歌 -#1

(杜甫の甥の李潮が八分だの小篆だのの書をよくするのでそれによんで与えた歌である。)-#1

蒼頡鳥跡既茫昧,字體變化如浮雲。

大むかしに蒼頡が鳥の足あとを見て文字を造ったというが、その書体のどんなものであったかはぼんやりしてわからない。

陳倉石鼓又已訛,大小二篆生八分。

それ以後、字体の変化は浮雲の変化する如くなってきた。陳倉にある石鼓の文字もまたすでになまって来て大篆、小篆などができ、二篆から更に八分ができた。

秦有李斯漢蔡,中間作者寂不聞。

篆と八分を能くする者は秦では李斯があり、後漢では蔡邕がある。秦から後漢の中間ではどんな作者があったか、絶えて耳にしないのである。

#2

山之碑野火焚,棗木傳刻肥失真。

李斯が小篆でかいたといわれる嶧山の碑は野火に焚かれてしまい、棗の版木に段段と刻せられたものが残っているだけであるが、その筆画は肥え太ってもとの真の姿を失ってしまっている。

苦縣光和尚骨立,書貴硬方通神。

苦県に在る察畠が光和年間にかいた老子碑は今なお骨立ちたる姿を今も残して存在して貴いものである。いったい書というものは痩硬であってこそ貴尊されるものであって、痩硬であってこそはじめて神霊の域にも通じ入るのである。

惜哉李蔡不復得,吾甥李潮下筆親。

惜しいことには李斯や蔡邕は人物も書もふたたび得ることのできないものである。それに吾が甥の李潮は筆を下ろして字を善くのに常に李斯・蔡邕二人の書と親しんでそれを学んだのである。

尚書韓擇木,騎曹蔡有鄰。

吾が唐朝では「尚書、韓択木」だの「騎曹、蔡有隣」だのという書家の人人がある、

#3

開元已來數八分,潮也奄有二子成三人。

開元以来の八分書をよくする人をかぞえてみると、李潮は「尚書、韓択木」と「騎曹、蔡有隣」二人を併有してこれで三人の指折りということになる。

況潮小篆逼秦相,快劍長戟森相向。

まして李潮は小蒙では秦の丞相であった李斯の域に逼っており、書風は快剣長戟が森然として相い向かう趣がある。

八分一字直百金,蛟龍盤拏肉屈強。

またかく螭龍が相いたたかうが如く肉勢屈強であり、李潮の八分は一字百金の値うちがある。

#4

郡張顛誇草書,草書非古空雄壯。

豈如吾甥不流宕,丞相中郎丈人行。

巴東逢李潮,逾月求我歌。

我今衰老才力薄,潮乎潮乎奈汝何。

 

(李潮が八分小篆の歌)

が鳥跡 既に茫昧、字体 変化 浮雲の如し。

陳倉の石鼓 又た己にる、大小 二より八分を生ず。

秦には李斯有り 漢には蔡邕、中間 作者 寂として聞かず。

 

山の碑は 野火焚く、窮木の伝刻肥えてを失う。

苦県の光和尚お骨立す、書は痩硬なるを貴ぶ方に神に通ず。

惜しい哉 李復た得ず、吾が甥 李潮 筆を下して親しむ。

尚書韓擇木,騎曹蔡有鄰。

 

開元 己来 八分を数うれば、潮や二子を奄有して三人と成る。

況や潮小策秦相に逼る、快剣長戟森として相向こう

八分一字直百金,蛟龍盤拏肉屈強。

 

呉郡の張顛 草書を誇る、草書は古に非ず空しく雄壮なり。

豈に如かんや吾が甥の流宕せざるに、丞相 中郡は人行なり。

巴東 李潮に逢う、逾月 我が歌を求む。

我今衰老才力薄し、潮や潮や 汝を奈何。

 

 

『李潮八分小篆歌』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#3

開元已來數八分,潮也奄有二子成三人。

況潮小篆逼秦相,快劍長戟森相向。

八分一字直百金,蛟龍盤拏肉屈強。

(下し文) #3

開元 己来 八分を数うれば、潮や二子を奄有して三人と成る。

況や潮小策秦相に逼る、快剣長戟森として相向こう

八分一字 直 百金,蛟龍盤拏 肉 屈強。


(現代語訳)
開元以来の八分書をよくする人をかぞえてみると、李潮は「尚書、韓択木」と「騎曹、蔡有隣」二人を併有してこれで三人の指折りということになる。

まして李潮は小蒙では秦の丞相であった李斯の域に逼っており、書風は快剣長戟が森然として相い向かう趣がある。

またかく螭龍が相いたたかうが如く肉勢屈強であり、李潮の八分は一字百金の値うちがある。



(訳注) #3

李潮八分小篆歌 -#1

(杜甫の甥の李潮が八分だの小篆だのの書をよくするのでそれによんで与えた歌である。)大暦元年        766   55歳夔州にあっての作。

○李潮 作者の甥である。李潮 李陽冰(生卒年不祥〔713-741年〕説もある)は中国・唐代中期の書家。それまで忘れられていた篆書を用いた碑や刻石をものして一世を風靡し、篆書を書道の一書体として復活させた功績を持つ。

当初、本名を李潮といい、陽冰は本来、字であったが、杜甫の「李潮八分小篆歌」で有名な李潮が李陽冰と同一人物であるという事実から、字の方が世に通ってしまったため、後に自身で陽冰を名として、改めて少漫と字したといわれている。河北省趙県の出身で、詩聖李白の従叔と伝えられており、若くして詩や文章を能くした。官職は縉雲令等を歴任したのち将作少監にまで至っている。元来、梁昇卿、韓択木、史惟則、蔡有鄰、徐法等とともに唐代八分隷の名手と謳われ、又、篆書においても天才と称されており、「その見事さは李斯(秦の宰相であり、小篆の考案者と伝えられている人物)を凌駕する。」とまで讃美された。李陽冰の篆法は李斯の書である山碑を観てその法則を得たのちに、三十年の歳月を全て小篆を書くことのみに費やし一家を成したといわれている。李陽冰は相当の自信家であったらしく、自らの書を称して「李斯以後の作家の中では曹喜や蔡邕などは言うに及ばず、私以外には存在しない。」と豪語したといわれているが、事実、舒元輿(唐代の学者)の著書「玉篆志」では「李斯が没して千年あまりになるが、天は唐の時代に李陽冰を下賜された。しかし今後、このあとを継ぐ者が出現するのだろうか。もし、もう千年たっても現われなければ、篆書は李陽冰で終るだろう。」と述べ、李陽冰の小篆を激称しており、又、北宋時代の宣和書譜の中でも「顔真卿、中唐以後、王羲之と比肩される大家)は建碑にあたり、自分の碑文には必ず李陽冰の篆額をあて、連壁の美を誇った。」と記されている通り、唐以後の各時代にあって絶えず神品にランクするなど、極めて高い評価を得ている。

  李陽冰の小篆の特徴としては、常時、同じスピードと同じ筆圧によって中鋒を維持し、その線にまったく肥や強弱を加えず、無機質に表情を表に現わすことなく淡々とした筆致で書いていく玉篆という書法である。現存する李陽冰の篆書はその全てがこの書法によって書されており、玉篆こそが、李法の本領といっても過言ではない。

○篆【てん】 漢字の書体の一。「篆刻・篆書・篆文/小篆・大篆。

 

開元已來數八分,潮也奄有二子成三人。

開元以来の八分書をよくする人をかぞえてみると、李潮は「尚書、韓択木」と「騎曹、蔡有隣」二人を併有してこれで三人の指折りということになる。

○閲元 玄宗の年号。開元の治。

・大小二篆 書体の名、大篆及び小篆をいう。周の宜王の大史籒という者の製した文字を籒書というが秦に至り李斯がそれを改正して篆書を作った、よって秦篆を小篆といい、籒書を大篆というようになった。今日用いる印刻の書体は多く篆書の体である。

・八分 書体の名、秦の時 程邈という者が篆書を改正して隷書(後世隷書と称する者とは異なる)を造る。隷書の中より八分を去って二分を取り、小篆の中より二分を去って八分を取って作ったものが八分書であるという、この説は確かでない。一説にはその体がみな「八」の字に似て勢いに偃波があるのによって名づけるという、この説は従うべきもののごとくである。八分の書体は現に隷書と称せられる者の中で波礫の角度の甚しくなくして円味を帯びるものをいう。

○奄有 大いにたもつ。

〇二子 #2にある「尚書、韓択木」と「騎曹、蔡有隣」の二人。

 

況潮小篆逼秦相,快劍長戟森相向。

まして李潮は小蒙では秦の丞相であった李斯の域に逼っており、書風は快剣長戟が森然として相い向かう趣がある。

○秦相 秦の丞相李斯をいう。

○快剣長戟 きれあじのよい剣、ながいほこ、書勢の痩硬なさまの形容。

 

八分一字直百金,蛟龍盤拏肉屈強。

またかく螭龍が相いたたかうが如く肉勢屈強であり、李潮の八分は一字百金の値うちがある。

○直 値。

○盤拏 盤はわだかまる、拏はとる、もみあう。

○屈強 容易に屈服せぬすがた、つよいことをいう。

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杜甫  李潮八分小篆歌 #2 

嶧山之碑野火焚,棗木傳刻肥失真。

苦縣光和尚骨立,書貴瘦硬方通神。

惜哉<李蔡>不復得,吾甥<李潮>下筆親。

尚書<韓擇木>,騎曹<蔡有鄰>

惜しいことには李斯や蔡邕は人物も書もふたたび得ることのできないものである。それに吾が甥の李潮は筆を下ろして字を善くのに常に李斯・蔡邕二人の書と親しんでそれを学んだのである。吾が唐朝では「尚書、韓択木」だの「騎曹、蔡有隣」だのという書家の人人がある、

 

杜甫 1805李潮八分小篆歌 -#2》【4分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-53 <918 -#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6135

 
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73-#3 《巻05-14 題炭谷湫祠堂》-#3 韓愈(韓退之) 803年貞元19年 38歳<1430> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6134 
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  杜甫詩1500-918 -#2-1398/2500

年:766年大暦元年55-53

卷別:    卷二二二              文體:    樂府

詩題:    李潮八分小篆歌

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:嶧山 (河南道 兗州 嶧山)    

蘇州 (江南東道 蘇州 蘇州) 別名:郡、           

巴東 (山南東道 歸州 巴東)             

交遊人物:李潮    當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

韓擇木              詩文提及

蔡有鄰              詩文提及

 

 

李潮八分小篆歌 -#1

(杜甫の甥の李潮が八分だの小篆だのの書をよくするのでそれによんで与えた歌である。)-#1

蒼頡鳥跡既茫昧,字體變化如浮雲。

大むかしに蒼頡が鳥の足あとを見て文字を造ったというが、その書体のどんなものであったかはぼんやりしてわからない。

陳倉石鼓又已訛,大小二篆生八分。

それ以後、字体の変化は浮雲の変化する如くなってきた。陳倉にある石鼓の文字もまたすでになまって来て大篆、小篆などができ、二篆から更に八分ができた。

秦有李斯漢蔡,中間作者寂不聞。

篆と八分を能くする者は秦では李斯があり、後漢では蔡邕がある。秦から後漢の中間ではどんな作者があったか、絶えて耳にしないのである。

#2

山之碑野火焚,棗木傳刻肥失真。

李斯が小篆でかいたといわれる嶧山の碑は野火に焚かれてしまい、棗の版木に段段と刻せられたものが残っているだけであるが、その筆画は肥え太ってもとの真の姿を失ってしまっている。

苦縣光和尚骨立,書貴硬方通神。

苦県に在る察畠が光和年間にかいた老子碑は今なお骨立ちたる姿を今も残して存在して貴いものである。いったい書というものは痩硬であってこそ貴尊されるものであって、痩硬であってこそはじめて神霊の域にも通じ入るのである。

惜哉李蔡不復得,吾甥李潮下筆親。

惜しいことには李斯や蔡邕は人物も書もふたたび得ることのできないものである。それに吾が甥の李潮は筆を下ろして字を善くのに常に李斯・蔡邕二人の書と親しんでそれを学んだのである。

尚書韓擇木,騎曹蔡有鄰。

吾が唐朝では「尚書、韓択木」だの「騎曹、蔡有隣」だのという書家の人人がある、

#3

開元已來數八分,潮也奄有二子成三人。

況潮小篆逼秦相,快劍長戟森相向。

八分一字直百金,蛟龍盤拏肉屈強。

#4

郡張顛誇草書,草書非古空雄壯。

豈如吾甥不流宕,丞相中郎丈人行。

巴東逢李潮,逾月求我歌。

我今衰老才力薄,潮乎潮乎奈汝何。

 

(李潮が八分小篆の歌)

が鳥跡 既に茫昧、字体 変化 浮雲の如し。

陳倉の石鼓 又た己にる、大小 二より八分を生ず。

秦には李斯有り 漢には蔡邕、中間 作者 寂として聞かず。

 

山の碑は 野火焚く、窮木の伝刻肥えてを失う。

苦県の光和尚お骨立す、書は痩硬なるを貴ぶ方に神に通ず。

惜しい哉 李復た得ず、吾が甥 李潮 筆を下して親しむ。

尚書韓擇木,騎曹蔡有鄰。

 

開元 己来 八分を数うれば、潮や二子を奄有して三人と成る。

況や潮小策秦相に逼る、快剣長戟森として相向こう

八分一字直百金,蛟龍盤拏肉屈強。

 

呉郡の張顛 草書を誇る、草書は古に非ず空しく雄壮なり。

豈に如かんや吾が甥の流宕せざるに、丞相 中郡は人行なり。

巴東 李潮に逢う、逾月 我が歌を求む。

我今衰老才力薄し、潮や潮や 汝を奈何。

 

夔州東川卜居図詳細 001 

『李潮八分小篆歌』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

嶧山之碑野火焚,棗木傳刻肥失真。

苦縣光和尚骨立,書貴瘦硬方通神。

惜哉李蔡不復得,吾甥李潮下筆親。

尚書韓擇木,騎曹蔡有鄰。


(下し文)
嶧山の碑は 野火焚く、棗窮木の伝刻肥えて真を失う。

苦県の光和尚お骨立す、書は痩硬なるを貴ぶ方に神に通ず。

惜しい哉 李蔡復た得ず、吾が甥 李潮 筆を下して親しむ。

尚書韓擇木,騎曹蔡有鄰。

(現代語訳) #2

李斯が小篆でかいたといわれる嶧山の碑は野火に焚かれてしまい、棗の版木に段段と刻せられたものが残っているだけであるが、その筆画は肥え太ってもとの真の姿を失ってしまっている。

苦県に在る察畠が光和年間にかいた老子碑は今なお骨立ちたる姿を今も残して存在して貴いものである。いったい書というものは痩硬であってこそ貴尊されるものであって、痩硬であってこそはじめて神霊の域にも通じ入るのである。

惜しいことには李斯や蔡邕は人物も書もふたたび得ることのできないものである。それに吾が甥の李潮は筆を下ろして字を善くのに常に李斯・蔡邕二人の書と親しんでそれを学んだのである。

吾が唐朝では「尚書、韓択木」だの「騎曹、蔡有隣」だのという書家の人人がある、


(訳注) #2

李潮八分小篆歌 -#1

(杜甫の甥の李潮が八分だの小篆だのの書をよくするのでそれによんで与えた歌である。)大暦元年        766   55歳夔州にあっての作。

○李潮 作者の甥である。李潮 李陽冰(生卒年不祥〔713-741年〕説もある)は中国・唐代中期の書家。それまで忘れられていた篆書を用いた碑や刻石をものして一世を風靡し、篆書を書道の一書体として復活させた功績を持つ。

当初、本名を李潮といい、陽冰は本来、字であったが、杜甫の「李潮八分小篆歌」で有名な李潮が李陽冰と同一人物であるという事実から、字の方が世に通ってしまったため、後に自身で陽冰を名として、改めて少漫と字したといわれている。河北省趙県の出身で、詩聖李白の従叔と伝えられており、若くして詩や文章を能くした。官職は縉雲令等を歴任したのち将作少監にまで至っている。元来、梁昇卿、韓択木、史惟則、蔡有鄰、徐法等とともに唐代八分隷の名手と謳われ、又、篆書においても天才と称されており、「その見事さは李斯(秦の宰相であり、小篆の考案者と伝えられている人物)を凌駕する。」とまで讃美された。李陽冰の篆法は李斯の書である山碑を観てその法則を得たのちに、三十年の歳月を全て小篆を書くことのみに費やし一家を成したといわれている。李陽冰は相当の自信家であったらしく、自らの書を称して「李斯以後の作家の中では曹喜や蔡邕などは言うに及ばず、私以外には存在しない。」と豪語したといわれているが、事実、舒元輿(唐代の学者)の著書「玉篆志」では「李斯が没して千年あまりになるが、天は唐の時代に李陽冰を下賜された。しかし今後、このあとを継ぐ者が出現するのだろうか。もし、もう千年たっても現われなければ、篆書は李陽冰で終るだろう。」と述べ、李陽冰の小篆を激称しており、又、北宋時代の宣和書譜の中でも「顔真卿、中唐以後、王羲之と比肩される大家)は建碑にあたり、自分の碑文には必ず李陽冰の篆額をあて、連壁の美を誇った。」と記されている通り、唐以後の各時代にあって絶えず神品にランクするなど、極めて高い評価を得ている。

  李陽冰の小篆の特徴としては、常時、同じスピードと同じ筆圧によって中鋒を維持し、その線にまったく肥や強弱を加えず、無機質に表情を表に現わすことなく淡々とした筆致で書いていく玉篆という書法である。現存する李陽冰の篆書はその全てがこの書法によって書されており、玉篆こそが、李法の本領といっても過言ではない。

○篆【てん】 漢字の書体の一。「篆刻・篆書・篆文/小篆・大篆。

 

嶧山之碑野火焚,棗木傳刻肥失真。

李斯が小篆でかいたといわれる嶧山の碑は野火に焚かれてしまい、棗の版木に段段と刻せられたものが残っているだけであるが、その筆画は肥え太ってもとの真の姿を失ってしまっている。

嶧山之碑 上に見える。

○野火焚 野火のためにやかれる。

木伝刻 木はなつめの木、版木に用いる、伝刻とは李斯の策の石面の字を転転と版木に伝えうつして刻すること、山碑は後に末に至って鄭文宝なる者の模刻が出て現に行われる。杜詩によれば唐代すでに木刻が転転して伝わっていたことを知ることができる。

○肥 筆画の線がふとくなってゆくこと。

 

苦縣光和尚骨立,書貴瘦硬方通神。

苦県に在る察畠が光和年間にかいた老子碑は今なお骨立ちたる姿を今も残して存在して貴いものである。いったい書というものは痩硬であってこそ貴尊されるものであって、痩硬であってこそはじめて神霊の域にも通じ入るのである。

○苦県光和 苦県にある光和年間に立てた老子碑をいう、その文字は桑島の八分書だという。或る人は事実を考証して、苦県と光和とは別の碑であり、苦県の老子碑は桓帝の延嘉八年辺詔の作であるとして霊帝の光和の作と区別し、或は光和というのは光和二年に立てられた欒毅の酉岳碑をいうとなしている。しかしながらいずれも杜詩の意ではないと考えるのがよい。杜南は桑島の光和碑と信じて述べているのである。

○骨立 書体の痩せたことをいう。

○痩硬 筆画がやせてつよい。

○通神 痩硬なるものにしてはじめて神霊の域に入る。

 

惜哉李蔡不復得,吾甥李潮下筆親。

惜しいことには李斯や蔡邕は人物も書もふたたび得ることのできないものである。それに吾が甥の李潮は筆を下ろして字を善くのに常に李斯・蔡邕二人の書と親しんでそれを学んだのである。

李蔡 李斯・蔡邕。

○下筆親 親は親近、李斯・蔡邕二人の書にちかづき学ぶことをいう。

 

尚書韓擇木,騎曹蔡有鄰。

吾が唐朝では「尚書、韓択木」だの「騎曹、蔡有隣」だのという書家の人人がある、

尚書韓擇木 択木は昌黎の人、隷書に巧みであり兼ねて八分を作った、その書は風流聞媚であり、畠が中興したと世に評判された、粛宗の上元元年四月、右散騎常侍より礼部尚書となった。

韓擇木,昌黎(今遼寧義縣)人,唐代書法家。唐玄宗開元年間(713740)官至工部尚書、散騎常侍,故人稱「韓常侍」。工隸書和八分書。與史惟則、蔡有鄰、李潮四人稱唐世分隸名家。傳世有隸書《告華岳文》、《葉慧明碑》、《唐上都薦福寺臨壇大戒德律師之碑》、《唐薦福寺德律師碑》、楷書《榮陽王妃朱氏墓誌》、《樊方墓誌》等。評者謂其書法「如龜開萍葉,鳥散芳洲」。他是韓愈叔父。

騎曹蔡有鄰 有隣は唐の済陽の人、蔡邕の十八代の孫、官は右衛率府兵曹参軍に至った、八分書に巧みであり書法は勁験であるといわれる。

蔡有鄰,唐代書法家。濟陽(今屬山東)人。官至胄曹參軍。活動于開元、天寶(713-755)間。擅長隸書,嚴勁而有情致。蒙《述書賦·注》稱:“有鄰善八分,始拙弱,至天寶間,遂至精妙。”北宋歐陽修《六一題跋》稱:“唐世以八分名家者四人,韓擇木、蔡有鄰、李潮、史惟則也。 韓、史二家傳于世者多矣;李潮僅有存者;有鄰之書,亦頗難得,而小字尤佳。”明代王世貞則謂其書法趣味不高古,但嚴勁中有情意。

  代表作有《尉遲迥廟碑》和《盧舍那佛象記》。
杜甫55歳756年作品 

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杜甫  李潮八分小篆歌 -#1  

蒼頡鳥跡既茫昧,字體變化如浮雲。

陳倉石鼓又已訛,大小二篆生八分。

秦有李斯漢蔡邕,中間作者寂不聞。
(杜甫の甥の李潮が八分だの小篆だのの書をよくするのでそれによんで与えた歌である。) 大むかしに蒼頡が鳥の足あとを見て文字を造ったというが、その書体のどんなものであったかはぼんやりしてわからない。それ以後、字体の変化は浮雲の変化する如くなってきた。陳倉にある石鼓の文字もまたすでになまって来て大篆、小篆などができ、二篆から更に八分ができた。

 

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杜甫詩1500-918 -#1-1397/2500

年:766年大暦元年55-53

卷別:    卷二二二              文體:    樂府

詩題:    李潮八分小篆歌

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:嶧山 (河南道 兗州 嶧山)    

蘇州 (江南東道 蘇州 蘇州) 別名:郡、           

巴東 (山南東道 歸州 巴東)             

交遊人物:李潮    當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

韓擇木              詩文提及

蔡有鄰              詩文提及

 

 

李潮八分小篆歌 -#1

(杜甫の甥の李潮が八分だの小篆だのの書をよくするのでそれによんで与えた歌である。)-#1

蒼頡鳥跡既茫昧,字體變化如浮雲。

大むかしに蒼頡が鳥の足あとを見て文字を造ったというが、その書体のどんなものであったかはぼんやりしてわからない。

陳倉石鼓又已訛,大小二篆生八分。

それ以後、字体の変化は浮雲の変化する如くなってきた。陳倉にある石鼓の文字もまたすでになまって来て大篆、小篆などができ、二篆から更に八分ができた。

秦有李斯漢蔡,中間作者寂不聞。

篆と八分を能くする者は秦では李斯があり、後漢では蔡邕がある。秦から後漢の中間ではどんな作者があったか、絶えて耳にしないのである。

#2

嶧山之碑野火焚,棗木傳刻肥失真。

苦縣光和尚骨立,書貴瘦硬方通神。

惜哉李蔡不復得,吾甥李潮下筆親。

尚書韓擇木,騎曹蔡有鄰。

#3

開元已來數八分,潮也奄有二子成三人。

況潮小篆逼秦相,快劍長戟森相向。

八分一字直百金,蛟龍盤拏肉屈強。

#4

郡張顛誇草書,草書非古空雄壯。

豈如吾甥不流宕,丞相中郎丈人行。

巴東逢李潮,逾月求我歌。

我今衰老才力薄,潮乎潮乎奈汝何。

 

(李潮が八分小篆の歌)

が鳥跡 既に茫昧、字体 変化 浮雲の如し。

陳倉の石鼓 又た己にる、大小 二より八分を生ず。

秦には李斯有り 漢には蔡邕、中間 作者 寂として聞かず。

 

山の碑は 野火焚く、窮木の伝刻肥えてを失う。

苦県の光和尚お骨立す、書は痩硬なるを貴ぶ方に神に通ず。

惜しい哉 李復た得ず、吾が甥 李潮 筆を下して親しむ。

尚書韓擇木,騎曹蔡有鄰。

 

開元 己来 八分を数うれば、潮や二子を奄有して三人と成る。

況や潮小策秦相に逼る、快剣長戟森として相向こう

八分一字直百金,蛟龍盤拏肉屈強。

 

呉郡の張顛 草書を誇る、草書は古に非ず空しく雄壮なり。

豈に如かんや吾が甥の流宕せざるに、丞相 中郡は人行なり。

巴東 李潮に逢う、逾月 我が歌を求む。

我今衰老才力薄し、潮や潮や 汝を奈何。

夔州東川卜居図詳細 001

『李潮八分小篆歌』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

李潮八分小篆歌 -#1

蒼頡鳥跡既茫昧,字體變化如浮雲。

陳倉石鼓又已訛,大小二篆生八分。

秦有李斯漢蔡邕,中間作者寂不聞。

(下し文)
(李潮が八分小篆の歌)

蒼頡が鳥跡 既に茫昧、字体 変化 浮雲の如し。

陳倉の石鼓 又た己に訛る、大小 二篆より八分を生ず。

秦には李斯有り 漢には蔡邕、中間 作者 寂として聞かず

(現代語訳)
(杜甫の甥の李潮が八分だの小篆だのの書をよくするのでそれによんで与えた歌である。)-#1

大むかしに蒼頡が鳥の足あとを見て文字を造ったというが、その書体のどんなものであったかはぼんやりしてわからない。

それ以後、字体の変化は浮雲の変化する如くなってきた。陳倉にある石鼓の文字もまたすでになまって来て大篆、小篆などができ、二篆から更に八分ができた。

篆と八分を能くする者は秦では李斯があり、後漢では蔡邕がある。秦から後漢の中間ではどんな作者があったか、絶えて耳にしないのである。


(訳注)

李潮八分小篆歌 -#1

(杜甫の甥の李潮が八分だの小篆だのの書をよくするのでそれによんで与えた歌である。)大暦元年        766   55歳夔州にあっての作。

○李潮 作者の甥である。潮は小裳を善くし、李斯の峰山の碑を師としたという、また潮が八分で書したものに唐の慧義寺弥動像碑・彰元曜墓誌があるという。

○篆【てん】 漢字の書体の一。「篆刻・篆書・篆文/小篆・大篆。

 

蒼頡鳥跡既茫昧,字體變化如浮雲。

大むかしに蒼頡が鳥の足あとを見て文字を造ったというが、その書体のどんなものであったかはぼんやりしてわからない。

蒼頡鳥跡 蒼頡は黄帝の時の史官で鳥の足跡をみて文字を製した者と伝えられる。

 

陳倉石鼓又已訛,大小二篆生八分。

それ以後、字体の変化は浮雲の変化する如くなってきた。陳倉にある石鼓の文字もまたすでになまって来て大篆、小篆などができ、二篆から更に八分ができた。

○陳倉石鼓 陳倉は地名、石鼓文(せっこぶん)とは、唐初期に陝西省鳳翔府天興県で出土した10基の花崗岩の石碑、またはそれに刻まれた文字をいう。現存する中国の石刻文字資料としては最古のもので、出土した当時から珍重され、現在は北京故宮博物院、孔子廟の廊下に陳列されている。に展示されている

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 字形の誤ることをいう。

○大小二篆 書体の名、大篆及び小篆をいう。周の宜王の大史籒という者の製した文字を籒書というが秦に至り李斯がそれを改正して篆書を作った、よって秦篆を小篆といい、籒書を大篆というようになった。今日用いる印刻の書体は多く篆書の体である。

〇八分 書体の名、秦の時 程邈という者が篆書を改正して隷書(後世隷書と称する者とは異なる)を造る。隷書の中より八分を去って二分を取り、小篆の中より二分を去って八分を取って作ったものが八分書であるという、この説は確かでない。一説にはその体がみな「八」の字に似て勢いに偃波があるのによって名づけるという、この説は従うべきもののごとくである。八分の書体は現に隷書と称せられる者の中で波礫の角度の甚しくなくして円味を帯びるものをいう。

 

秦有李斯漢蔡邕,中間作者寂不聞。

篆と八分を能くする者は秦では李斯があり、後漢では蔡邕がある。秦から後漢の中間ではどんな作者があったか、絶えて耳にしないのである。

○李斯 ( 未詳- 紀元前208年)は、中国秦代の宰相。字は通古。子は李由ら。法家を思想的基盤に置き、度量衡の統一、焚書などを行い、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、権力争いに敗れて殺害された。秦の始皇の時に丞相となった、鄒の嶧山の頒徳の碑は李斯の篆書だといわれる。張懐瓘の「書断」に李斯は小篆は神に入り、大篆は妙に入ると称する。政治に無用の批判を行う学者達の著書を集めて焚書を行うように進言した。

「蒼頡作書」(蒼頡が書を作る)という伝説は戦国時代末期(B.C.3世紀ごろ)には既に存在していたらしく、『韓非子』五蠹篇や『呂氏春秋』君主篇等の書物に蒼頡の文字創造に関する記述がある。 前漢・劉安・編『淮南子』本経訓“そのかみ、蒼頡が文字を発明するに及んで、天は粟の雨を降らせ、鬼神は夜啼きした。智能がまさるにつれて、徳性は薄れるのだ。”

○蔡邕 132年または133 - 192年)、中国後漢末期の政治家・儒者・書家。字は伯喈(はくかい)。兗州陳留郡圉県の人。子は蔡琰。従弟は蔡谷。外孫は羊祜、羊徽瑜。後漢の霊帝の時の人、嘉平四年に洛陽大学の石経を著した。「書断」には伯喈(野蔡邕のあざな)は八分・飛白(かすれ字)は神に入り、大・小篆・隷書は妙に入ると称する。

○中間 秦より後漢のあいだ。

○作者 叢書八分の書を作すもの。
安史の乱当時の勢力図 

杜甫 《1939 同元使君舂陵行 -#6》【6分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-52 <917-#6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6125 

杜甫  同元使君舂陵行#6  

我多長卿病,日夕思朝廷。肺枯渴太甚,漂泊公孫城。

呼兒具紙筆,隱几臨軒楹。作詩呻吟,黑澹字攲傾。

感彼危苦詞,庶幾知者聽。
詩を作ってそれをうなりながら吟ずると、墨はうすく文字はまがってしまった。自分は彼の元結の心中危苦の詞に感じてこの詩を作り、どうか知己の人にきいてもらいたいとおもうところである。

 

杜甫 1939 同元使君舂陵行 -6》【6分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-52 <917-#6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6125 

 
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杜甫詩1500-917-#6-1396/2500

卷別:  卷二二二        文體:  樂府

詩題:  同元使君舂陵行

詩序:  有序:覽道州元使君結〈舂陵行〉,兼〈賊退後示官吏〉作二首。志之曰:「當天子分憂之地,效漢官良吏之目。今盜賊未息,知民疾苦,得結輩十數公,落落然參錯天下為邦伯,萬物吐氣,天下少安,可得矣。不意復見比興體制,微婉頓挫之詞。」感而有詩,增諸卷軸,簡知我者,不必寄元。

作地點:        夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:棗陽 (山南東道 隨州 棗陽) 別名:舂陵     

道州 (江南西道 道州 道州)       

衡山 (江南西道 衡州 衡山) 別名:衡岳、南嶽、衡嶽、南岳  

白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城  

交遊人物:元結  當地交遊(山南東道 隨州 棗陽)

 

(序文)

同元使君舂陵行#1 序

(道州刺史元結の「舂陵行」に和してつくった詩。その序文。)

覽道州元使君結《舂陵行》,兼《賊退後示官吏》作二首。

自分は元結の《舂陵行》と《賊退きし後官吏に示す作》との二首を見てそのことについて書き記す。

志之曰:「當天子分憂之地,效漢官良吏之目。

元結はこの地方の長官として天子の憂いを分担する地位にあたり、むかし漢代の良吏などの名目にならって行ないをしている。

今盜賊未息,知民疾苦,得結輩十數公,落落然參錯天下為邦伯,萬物吐氣,天下少安,可得矣。

今日、盗賊事件はまだやむことはない、もし民のつらさをよく知っているものがおり、それが元結のような役人であって、それを十数人も得てそれを天下のあちらこちらにまぜて散らばらして長官としておいたならば、万物も生気を吐き、天下もすこしは安泰になるであろうことは、期待し得るものになる。

不意復見〈比興體制〉,〈微婉頓挫〉之詞。」

それのみではない、彼が作る詩が〈比興体制〉という手法でつくって〈微婉頓挫〉という表現法の詞を見せてくれたことは高く評価できる意外のものである。

感而有詩,增諸卷軸,簡知我者,不必寄元。

自分はそれでこのことについて感じてこの詩をつくって巻軸につけ加えた。そうしてこれを自分の知己によせるのである。必ずしも元結本人に寄せなくともいいつもりである。〔大暦二年夔州にあっての作。〕

(元使君が《舂陵行》に同ず)#1

(序)

道州の元使君結が《舂陵行》,兼【およ】び《賊退きし後に官吏に示す》作二首を覽る。

之を志して曰く:「天子 分憂の地に當り,漢官 良吏の目に效う。

今 盜賊 未だ息まず,民の疾苦を知る,結が輩十數公を得て,落落然として 天下に參錯せしめ邦伯と為さば,萬物 氣を吐き,天下 少しく安からん。意わざりき復た「比興の體制」,「微婉 頓挫」の詞を見ん。」と。

感じて詩有り,諸を卷軸に增し,我を知る者に簡す,必ずしも元に寄せず。

(本文)

#2

遭亂髮盡白,轉衰病相嬰。

自分は騒乱におうて、転々とするうち、髪はすっかり白くなったし、だんだん老衰するのに病気にまとわれている。

沈綿盜賊際,狼狽江漢行。

各地でこんなに盗賊が、はびこっているときなのにわたしの病はおもいのに、うろたえながら転々と江漢の地方にいまだに彷徨っているのである。

歎時藥力薄,為客羸瘵成。

時世をなげくためか薬の効能も弱く、旅人となっているうちにすっかり肺労になりきった。

吾人詩家秀,博采世上名。

我我、詩人文章家は、詩家中ですぐれたものにおいては世上の著名の作家の作品を採って参考とするものである。

#2

亂に遭いて髮 盡く白し,轉た衰えて 病 相い嬰る。

沈綿たり 盜賊の際,狼狽して江漢に行く。

時を歎じて 藥力薄く,客と為りて 羸【るいさい】成れり。

吾人 詩家の秀にては,博く采る 世上の名。

 

#3

粲粲元道州,前聖畏後生。

だから、それにあてはめて、元結道州刺史粲粲として明潔なすがたはどうだ。むかしの聖人が「後生畏るべし」といったこともおもいあわされるというものだ。

觀乎舂陵作,見俊哲情。

「舂陵の作」を観てみると「比興体制」の手法であり、忽ち英哲の非凡な情がうかがわれる。

複覽賊退篇,結也實國楨。

また「賊退後示官吏(賊退きしとき官吏に示す)」の「微婉頓挫」手法の詩篇をみると元結はじつに国家の用心棒である。

賈誼昔流慟,匡衡常引經。

むかし賈誼は天下の事について流涕働哭して、弁舌したし、、孝文帝は坐席をのりだして聴き入ったと伝えられるし、匡衝は経書を引いて政治を論じ、儒者の間では「詩経を語るな、始めると匡衡がやってくる。匡衡が詩経を語れば顎が外れる」といった。

#3

粲粲たり 元道州,前聖 後生を畏る。

舂陵の作を觀て,【たちま】ち見る 俊哲の情。

復た賊退の篇を覧るに、結や実に国楨なり。

賈誼 昔 流慟す、匡衡 嘗て経を引く。

#4

道州憂黎庶,詞氣浩縱橫。

道州の元結はそんなふうに人民の愁えていることを捉え、人民の憂えをそのことばつきを大きくし、縦横に表現したのである。

兩章對秋月,一字偕華星。

この「舂陵行」と「賊退示官吏」の二篇の作品はその高朗なること秋月と対すべく、その一字一字は雲間にかがやく華やかな星の光といっしょである。

致君唐虞際,純樸憶大庭。

道州の元結は君を堯舜の際に致さんとし、三皇の神農の大庭氏の時代のような純樸な時代を思い起こさせる施政を行おうとしている。

何時降璽書,用爾為丹青。

いつになったら天子から璽書をくだしたまわって、爾、元結を丹青の宮殿に参朝する公卿とすることができようか。

#4

道州黎庶を憂う、詞気 浩として縦横なり。

両章秋月に対す、一字華星と偕なり。』

君を唐虞の際に致さん、淳朴 大庭を憶う。

何の時か 璽書を降して、爾を用いて丹青と為さん。

#5

獄訟永衰息,豈唯偃甲兵。

それが叶わなければ、訟獄は永久に衰退し、誰もしなくなる、どうして、徴集するに、武器、兵士をふせてかたづけるだけにとどまらないのである。

淒惻念誅求,薄斂近休明。

元結はまた心をいためながら人民が誅求されることを心配している。人民に対して税の取り立てを薄くしてやること、すなわち治平の世に近いということである。

乃知正人意,不苟飛長纓。

すなわち、これらによって元結のような正人君子の心を理解してあげる事であり、役人になったからとて長い冠のひもを伊達にひるがえして、役人の風を吹かせるのではいけない。

涼飆振南嶽,之子寵若驚。

いますずしい風が南嶽の衡山のあたりにふいて、振るっている、このとき彼は老子が言ったように寵を蒙ることや辱を受けることで心を驚動させ、大患を尊ぶことと誡めているのである。

色阻金印大,興含滄浪清。

元結の心情は、金印の大なるに対してもすすまぬ顔つきをし、かえって滄浪の水の清きに泛かびたいとの興をいだいている。

#5

獄訟永く衰息せん、豈に惟だ甲兵を偃せしむるのみならんや。

悽惻 誅求を念う、薄斂は 休明に近し。

乃ち知る正人の意、筍くも長纓を飛ばさざるを。

涼飆 南岳に振う、之の子 寵 驚くが若し。

色は阻す金印の大なるに、興は含む槍浪の清きを。』

#6

我多長卿病,日夕思朝廷。

自分は司馬相如のような病が多く、朝夕朝廷のことをおもうている。

肺枯渴太甚,漂泊公孫城。

肺は枯れてのどはひどくかわき、こんな公孫の白帝城にぶらついている。

呼兒具紙筆,隱几臨軒楹。

自分は彼の元結の詩をみたので、こどもを呼んで紙や筆をそなえさせ、南軒のはしらのところへでて脇息によりかかり、

作詩呻吟,黑澹字攲傾。

詩を作ってそれをうなりながら吟ずると、墨はうすく文字はまがってしまった。

感彼危苦詞,庶幾知者聽。
自分は彼の元結お心中危苦の詞に感じてこの詩を作り、どうか知己の人にきいてもらいたいとおもうところである。

#6

我 長卿が病多し、日夕 朝廷を思う。

肺枯れて渇すること太甚なり、漂泊す公孫城。

児を呼びて紙筆を具えしめ、几に隠【よ】りて 軒楹に臨む。

詩を作る 呻吟の内、墨淡くして 字 す。

感ず 彼が危苦の詞、庶幾【こいねが】わくは知者の聞かんことを。』

 

『同元使君舂陵行』現代語訳と訳註解説
(
本文)
#6

我多長卿病,日夕思朝廷。肺枯渴太甚,漂泊公孫城。

呼兒具紙筆,隱几臨軒楹。作詩呻吟,黑澹字攲傾。

感彼危苦詞,庶幾知者聽。

(下し文) #6

我 長卿が病多し、日夕 朝廷を思う。

肺枯れて渇すること太甚なり、漂泊す公孫城。

児を呼びて紙筆を具えしめ、几に隠【よ】りて 軒楹に臨む。

詩を作る 呻吟の内、墨淡くして 字 攲傾す。

感ず 彼が危苦の詞、庶幾【こいねが】わくは知者の聞かんことを。』

(現代語訳) #6

自分は司馬相如のような病が多く、朝夕朝廷のことをおもうている。

肺は枯れてのどはひどくかわき、こんな公孫の白帝城にぶらついている。

自分は彼の元結の詩をみたので、こどもを呼んで紙や筆をそなえさせ、南軒のはしらのところへでて脇息によりかかり、

詩を作ってそれをうなりながら吟ずると、墨はうすく文字はまがってしまった。

自分は彼の元結の心中危苦の詞に感じてこの詩を作り、どうか知己の人にきいてもらいたいとおもうところである。


(訳注)

#6

我多長卿病,日夕思朝廷。

自分は司馬相如のような病が多く、朝夕朝廷のことをおもうている。

○長卿病 長卿は漢の司馬相如の字、相如は消渇の病があった。

○日夕 朝夕の意。

 

肺枯渴太甚,漂泊公孫城。

肺は枯れてのどはひどくかわき、こんな公孫の白帝城にぶらついている。

○公孫城 白帝城をいう、公孫述の築く所。白帝城(はくていじょう)は中国重慶市奉節県の長江三峡に位置する地名。かつて新末後漢初の群雄公孫述がこの地に築いた城が白帝城と呼ばれたことが由来。永安宮ともいう。

三国時代、蜀(蜀漢)の建国者劉備が夷陵の戦いで呉に敗れ、逃れたのが白帝城。劉備は後事を諸葛亮に託し、この城で没した。『三国志演義』では、一度呉の将陸遜に夷陵追撃戦として白帝城を攻撃されるが、あらかじめ諸葛亮が仕掛けておいた石兵八陣により敗走する。「華陽国志」後漢初期、新末に、導江の卒正(蜀太守)に任じられた公孫述は、夢に神人が登場し、「八ム子糸、十二為期」と告げられた、と妻子に言った。妻子が解釈するに、「八ムはこ公の文字となり、子糸は、孫となる。これは、公孫氏が12年間皇帝でいることができるという意味なのでは?朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なりという。ましてや十二年とは!」ということで皇帝に即位することにしたという伝説をいう。また、公孫述が、瞿塘峡の小さな郷里で、白い霧が巻き上がる様が、白龍の飛翔に見え、これを吉兆として白帝と称し、年号を龍興と称した。更に、瞿塘峡の西南の隘路に兵を配して城を築いた。もとは子陽城(紫陽城)といい、この時白帝城と改称した。

 

呼兒具紙筆,隱几臨軒楹。

自分はおまえの詩をみたので、こどもを呼んで紙や筆をそなえさせ、南軒のはしらのところへでて脇息によりかかり、

○隠几 脇息による。

○軒楹 のき、はしら。

 

作詩呻吟黑澹字攲傾。

詩を作ってそれをうなりながら吟ずると、墨はうすく文字はまがってしまった。

○坤吟 やさしくぎんずる。うごめく。坤:易八卦六十四卦の一。地。おんな。こうごう。つめ。はは。やさしい。したがう。うなり吟ずる。

○敲傾 かたむく、まがる。

 

感彼危苦詞,庶幾知者聽。

自分は彼の元結お心中危苦の詞に感じてこの詩を作り、どうか知己の人にきいてもらいたいとおもうところである。

○危苦詞 意中のくるしめることば、元結の作をいう。

○知者 序文の「我ヲ知ル者」に同じ。

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杜甫詩1500-917-#5-1395/2500

卷別:  卷二二二        文體:  樂府

詩題:  同元使君舂陵行

詩序:  有序:覽道州元使君結〈舂陵行〉,兼〈賊退後示官吏〉作二首。志之曰:「當天子分憂之地,效漢官良吏之目。今盜賊未息,知民疾苦,得結輩十數公,落落然參錯天下為邦伯,萬物吐氣,天下少安,可得矣。不意復見比興體制,微婉頓挫之詞。」感而有詩,增諸卷軸,簡知我者,不必寄元。

作地點:        夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:棗陽 (山南東道 隨州 棗陽) 別名:舂陵     

道州 (江南西道 道州 道州)       

衡山 (江南西道 衡州 衡山) 別名:衡岳、南嶽、衡嶽、南岳  

白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城  

交遊人物:元結  當地交遊(山南東道 隨州 棗陽)

 

 

#3

粲粲元道州,前聖畏後生。

だから、それにあてはめて、元結道州刺史粲粲として明潔なすがたはどうだ。むかしの聖人が「後生畏るべし」といったこともおもいあわされるというものだ。

觀乎舂陵作,見俊哲情。

「舂陵の作」を観てみると「比興体制」の手法であり、忽ち英哲の非凡な情がうかがわれる。

複覽賊退篇,結也實國楨。

また「賊退後示官吏(賊退きしとき官吏に示す)」の「微婉頓挫」手法の詩篇をみると元結はじつに国家の用心棒である。

賈誼昔流慟,匡衡常引經。

むかし賈誼は天下の事について流涕働哭して、弁舌したし、、孝文帝は坐席をのりだして聴き入ったと伝えられるし、匡衝は経書を引いて政治を論じ、儒者の間では「詩経を語るな、始めると匡衡がやってくる。匡衡が詩経を語れば顎が外れる」といった。

#3

粲粲たり 元道州,前聖 後生を畏る。

舂陵の作を觀て,【たちま】ち見る 俊哲の情。

復た賊退の篇を覧るに、結や実に国楨なり。

賈誼 昔 流慟す、匡衡 嘗て経を引く。

#4

道州憂黎庶,詞氣浩縱橫。

道州の元結はそんなふうに人民の愁えていることを捉え、人民の憂えをそのことばつきを大きくし、縦横に表現したのである。

兩章對秋月,一字偕華星。

この「舂陵行」と「賊退示官吏」の二篇の作品はその高朗なること秋月と対すべく、その一字一字は雲間にかがやく華やかな星の光といっしょである。

致君唐虞際,純樸憶大庭。

道州の元結は君を堯舜の際に致さんとし、三皇の神農の大庭氏の時代のような純樸な時代を思い起こさせる施政を行おうとしている。

何時降璽書,用爾為丹青。

いつになったら天子から璽書をくだしたまわって、爾、元結を丹青の宮殿に参朝する公卿とすることができようか。

#4

道州黎庶を憂う、詞気 浩として縦横なり。

両章秋月に対す、一字華星と偕なり。』

君を唐虞の際に致さん、淳朴 大庭を憶う。

何の時か 璽書を降して、爾を用いて丹青と為さん。

#5

獄訟永衰息,豈唯偃甲兵。

それが叶わなければ、訟獄は永久に衰退し、誰もしなくなる、どうして、徴集するに、武器、兵士をふせてかたづけるだけにとどまらないのである。

淒惻念誅求,薄斂近休明。

元結はまた心をいためながら人民が誅求されることを心配している。人民に対して税の取り立てを薄くしてやること、すなわち治平の世に近いということである。

乃知正人意,不苟飛長纓。

すなわち、これらによって元結のような正人君子の心を理解してあげる事であり、役人になったからとて長い冠のひもを伊達にひるがえして、役人の風を吹かせるのではいけない。

涼飆振南嶽,之子寵若驚。

いますずしい風が南嶽の衡山のあたりにふいて、振るっている、このとき彼は老子が言ったように寵を蒙ることや辱を受けることで心を驚動させ、大患を尊ぶことと誡めているのである。

色阻金印大,興含滄浪清。

元結の心情は、金印の大なるに対してもすすまぬ顔つきをし、かえって滄浪の水の清きに泛かびたいとの興をいだいている。

#5

獄訟永く衰息せん、豈に惟だ甲兵を偃せしむるのみならんや。

悽惻 誅求を念う、薄斂は 休明に近し。

乃ち知る正人の意、筍くも長纓を飛ばさざるを。

涼飆 南岳に振う、之の子 寵 驚くが若し。

色は阻す金印の大なるに、興は含む槍浪の清きを。』

#6

我多長卿病,日夕思朝廷。肺枯太甚,漂泊公孫城。

呼兒具紙筆,隱幾臨軒楹。作詩呻吟墨澹字欹傾。

感彼危苦詞,庶幾知者聽。

#6

我 長卿が病多し、日夕 朝廷を思う。

肺枯れて渇すること太甚なり、漂泊す公孫城。

児を呼びて紙筆を具えしめ、几に隠【よ】りて 軒楹に臨む。

詩を作る 呻吟の内、墨淡くして 字 す。

感ず 彼が危苦の詞、庶幾【こいねが】わくは知者の聞かんことを。』

 

『同元使君舂陵行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#5

獄訟永衰息,豈唯偃甲兵。

淒惻念誅求,薄斂近休明。

乃知正人意,不苟飛長纓。

涼飆振南嶽,之子寵若驚。

色阻金印大,興含滄浪清。


(下し文)
#5

獄訟永く衰息せん、豈に惟だ甲兵を偃せしむるのみならんや。

悽惻 誅求を念う、薄斂は 休明に近し。

乃ち知る正人の意、筍くも長纓を飛ばさざるを。

涼飆 南岳に振う、之の子 寵 驚くが若し。

色は阻す金印の大なるに、興は含む槍浪の清きを。』

(現代語訳)
#5

それが叶わなければ、訟獄は永久に衰退し、誰もしなくなる、どうして、徴集するに、武器、兵士をふせてかたづけるだけにとどまらないのである。

元結はまた心をいためながら人民が誅求されることを心配している。人民に対して税の取り立てを薄くしてやること、すなわち治平の世に近いということである。

すなわち、これらによって元結のような正人君子の心を理解してあげる事であり、役人になったからとて長い冠のひもを伊達にひるがえして、役人の風を吹かせるのではいけない。

いますずしい風が南嶽の衡山のあたりにふいて、振るっている、このとき彼は老子が言ったように寵を蒙ることや辱を受けることで心を驚動させ、大患を尊ぶことと誡めているのである。

元結の心情は、金印の大なるに対してもすすまぬ顔つきをし、かえって滄浪の水の清きに泛かびたいとの興をいだいている。


(訳注) #5

同元使君舂陵行

(道州刺史元結の「舂陵行」に和してつくった詩。)

自分は元結の《舂陵行》と《賊退きし後官吏に示す作》との二首を見てそのことについて書き記す。

元結はこの地方の長官として天子の憂いを分担する地位にあたり、むかし漢代の良吏などの名目にならって行ないをしている。

今日、盗賊事件はまだやむことはない、もし民のつらさをよく知っているものがおり、それが元結のような役人であって、それをを十数人も得てそれを天下のあちらこちらにまぜて散らばらして長官としておいたならば、万物も生気を吐き、天下もすこしは安泰になるであろうことは、期待し得るものになる。

それのみではない、彼が作る詩が〈比興体制〉という手法でつくって〈微婉頓挫〉という表現法の詞を見せてくれたことは高く評価できる意外のものである。

自分はそれでこのことについて感じてこの詩をつくって巻軸につけ加えた。そうしてこれを自分の知己によせるのである。必ずしも元結本人に寄せなくともいいつもりである。〔大暦二年夔州にあっての作。〕

 

獄訟永衰息,豈唯偃甲兵。

それが叶わなければ、訟獄は永久に衰退し、誰もしなくなる、どうして、徴集するに、武器、兵士をふせてかたづけるだけにとどまらないのである。

獄訟 うったえごと。訴訟。

 ふせて用いぬことをいう。

 

淒惻念誅求,薄斂近休明。

元結はまた心をいためながら人民が誅求されることを心配している。人民に対して税の取り立てを薄くしてやること、すなわち治平の世に近いということである。

○念誅求 元結が人民が官吏から誅求されることについて心配する。

○薄斂 とりたてを少なくすること。

○休明 治平の世をいう。

 

乃知正人意,不苟飛長纓。

すなわち、これらによって元結のような正人君子の心を理解してあげる事であり、役人になったからとて長い冠のひもを伊達にひるがえして、役人の風を吹かせるのではいけない。

○乃知 知とは作者が知ること。

○正人 正直の人。

○飛長纓 ながい冠のひもをひるがえす。役人の風を吹かすさま。

 

涼飆振南嶽,之子寵若驚。

いますずしい風が南嶽の衡山のあたりにふいて、振るっている、このとき彼は老子が言ったように寵を蒙ることや辱を受けることで心を驚動させ、大患を尊ぶことと誡めているのである。

○南岳 五岳、南嶽の衡山をいう、湖南にある。衡山(南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)洞庭湖より湘江を南に遡上し、英数から道州に入る。衡山は、洞庭湖と道州の中間点にある。

○之子 此子に同じ、元結をさす。

○寵若驚 老子(第十三章)に「寵辱若驚。貴大患若身。何謂寵辱若驚。寵爲上、辱爲下。」(寵辱 驚くが若く。大患を貴ぶこと身の若し。何をか寵辱驚くが若しと謂う。寵を上と爲し、辱を下と爲す。)とみえる。寵は愛される事、辱はそしられること。人は寵を蒙ることや辱を受けることで心を驚動させ、大患(五色・五味・五音・畋・珍宝など)を身を尊ぶものと同じように尊んでいる。

 

五岳

北岳恒山

西岳華山

中岳嵩山

東岳泰山

南岳衡山

 

色阻金印大,興含滄浪清。

元結の心情は、金印の大なるに対してもすすまぬ顔つきをし、かえって滄浪の水の清きに泛かびたいとの興をいだいている。

○色阻 顔色はばむ、進まぬかおつきをすること。

○金印大 大きな金印をもらう。金印の斗大の如くなるを取りて肘後に繋けん、とは晉の周顗の語である。「今年殺諸賊奴,取金印如斗大繫肘。」

○興 遊興のこと。

○滄浪清 治浪のすんだ水に舟をうかべて去ること。元結の「思欲委符節,引竿自刺船。」(符節を委ねて、竿を引きて自ら船を刺さんと思欲す」《「賊退示官吏」(賊退きしとき官吏に示す)》などの句をさしていう。

 

 

杜甫 《1939 同元使君舂陵行 -#4》【6分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-52 <917-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6115 

杜甫  同元使君舂陵行#4  道州憂黎庶,詞氣浩縱橫。兩章對秋月,一字偕華星。致君唐虞際,純樸憶大庭。何時降璽書,用爾為丹青。
道州の元結は君を堯舜の際に致さんとし、三皇の神農の大庭氏の時代のような純樸な時代を思い起こさせる施政を行おうとしている。いつになったら天子から璽書をくだしたまわって、爾、元結を丹青の宮殿に参朝する公卿とすることができようか。

 

杜甫 《1939 同元使君舂陵行 -4》【6分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-52 <917-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6115 

 
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杜甫詩1500-917-#4-1394/2500

卷別:  卷二二二        文體:  樂府

詩題:  同元使君舂陵行

詩序:  有序:覽道州元使君結〈舂陵行〉,兼〈賊退後示官吏〉作二首。志之曰:「當天子分憂之地,效漢官良吏之目。今盜賊未息,知民疾苦,得結輩十數公,落落然參錯天下為邦伯,萬物吐氣,天下少安,可得矣。不意復見比興體制,微婉頓挫之詞。」感而有詩,增諸卷軸,簡知我者,不必寄元。

作地點:        夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:棗陽 (山南東道 隨州 棗陽) 別名:舂陵     

道州 (江南西道 道州 道州)       

衡山 (江南西道 衡州 衡山) 別名:衡岳、南嶽、衡嶽、南岳  

白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城  

交遊人物:元結  當地交遊(山南東道 隨州 棗陽)

 

 

#3

粲粲元道州,前聖畏後生。

だから、それにあてはめて、元結道州刺史粲粲として明潔なすがたはどうだ。むかしの聖人が「後生畏るべし」といったこともおもいあわされるというものだ。

觀乎舂陵作,見俊哲情。

「舂陵の作」を観てみると「比興体制」の手法であり、忽ち英哲の非凡な情がうかがわれる。

複覽賊退篇,結也實國楨。

また「賊退後示官吏(賊退きしとき官吏に示す)」の「微婉頓挫」手法の詩篇をみると元結はじつに国家の用心棒である。

賈誼昔流慟,匡衡常引經。

むかし賈誼は天下の事について流涕働哭して、弁舌したし、、孝文帝は坐席をのりだして聴き入ったと伝えられるし、匡衝は経書を引いて政治を論じ、儒者の間では「詩経を語るな、始めると匡衡がやってくる。匡衡が詩経を語れば顎が外れる」といった。

#3

粲粲たり 元道州,前聖 後生を畏る。

舂陵の作を觀て,【たちま】ち見る 俊哲の情。

復た賊退の篇を覧るに、結や実に国楨なり。

賈誼 昔 流慟す、匡衡 嘗て経を引く。

#4

道州憂黎庶,詞氣浩縱橫。

道州の元結はそんなふうに人民の愁えていることを捉え、人民の憂えをそのことばつきを大きくし、縦横に表現したのである。

兩章對秋月,一字偕華星。

この「舂陵行」と「賊退示官吏」の二篇の作品はその高朗なること秋月と対すべく、その一字一字は雲間にかがやく華やかな星の光といっしょである。

致君唐虞際,純樸憶大庭。

道州の元結は君を堯舜の際に致さんとし、三皇の神農の大庭氏の時代のような純樸な時代を思い起こさせる施政を行おうとしている。

何時降璽書,用爾為丹青。

いつになったら天子から璽書をくだしたまわって、爾、元結を丹青の宮殿に参朝する公卿とすることができようか。

#4

道州黎庶を憂う、詞気 浩として縦横なり。

両章秋月に対す、一字華星と偕なり。』

君を唐虞の際に致さん、淳朴 大庭を憶う。

何の時か 璽書を降して、爾を用いて丹青と為さん。

#5

獄訟永衰息,豈唯偃甲兵。淒惻念誅求,薄斂近休明。

乃知正人意,不苟飛長纓。涼飆振南嶽,之子寵若驚。

色阻金印大,興含滄浪清。

#5

獄訟永く衰息せん、豈に惟だ甲兵を偃せしむるのみならんや。

悽惻 誅求を念う、薄斂は 休明に近し。

乃ち知る正人の意、筍くも長纓を飛ばさざるを。

涼飆 南岳に振う、之の子 寵 驚くが若し。

色は阻す金印の大なるに、興は含む槍浪の清きを。』

#6

我多長卿病,日夕思朝廷。肺枯太甚,漂泊公孫城。

呼兒具紙筆,隱幾臨軒楹。作詩呻吟墨澹字欹傾。

感彼危苦詞,庶幾知者聽。

#6

我 長卿が病多し、日夕 朝廷を思う。

肺枯れて渇すること太甚なり、漂泊す公孫城。

児を呼びて紙筆を具えしめ、几に隠【よ】りて 軒楹に臨む。

詩を作る 呻吟の内、墨淡くして 字 す。

感ず 彼が危苦の詞、庶幾【こいねが】わくは知者の聞かんことを。』

江南西道図05

『同元使君舂陵行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

同元使君舂陵行#4

道州憂黎庶,詞氣浩縱橫。

兩章對秋月,一字偕華星。

致君唐虞際,純樸憶大庭。

何時降璽書,用爾為丹青。

(下し文)
#3

粲粲たり 元道州,前聖 後生を畏る。

舂陵の作を觀て,【たちま】ち見る 俊哲の情。

復た賊退の篇を覧るに、結や実に国楨なり。

賈誼 昔 流慟す、匡衡 嘗て経を引く。

(現代語訳)
道州の元結はそんなふうに人民の愁えていることを捉え、人民の憂えをそのことばつきを大きくし、縦横に表現したのである。

この「舂陵行」と「賊退示官吏」の二篇の作品はその高朗なること秋月と対すべく、その一字一字は雲間にかがやく華やかな星の光といっしょである。

道州の元結は君を堯舜の際に致さんとし、三皇の神農の大庭氏の時代のような純樸な時代を思い起こさせる施政を行おうとしている。

いつになったら天子から璽書をくだしたまわって、爾、元結を丹青の宮殿に参朝する公卿とすることができようか。



(訳注) #4

同元使君舂陵行

(道州刺史元結の「舂陵行」に和してつくった詩。)

自分は元結の《舂陵行》と《賊退きし後官吏に示す作》との二首を見てそのことについて書き記す。

元結はこの地方の長官として天子の憂いを分担する地位にあたり、むかし漢代の良吏などの名目にならって行ないをしている。

今日、盗賊事件はまだやむことはない、もし民のつらさをよく知っているものがおり、それが元結のような役人であって、それをを十数人も得てそれを天下のあちらこちらにまぜて散らばらして長官としておいたならば、万物も生気を吐き、天下もすこしは安泰になるであろうことは、期待し得るものになる。

それのみではない、彼が作る詩が〈比興体制〉という手法でつくって〈微婉頓挫〉という表現法の詞を見せてくれたことは高く評価できる意外のものである。

自分はそれでこのことについて感じてこの詩をつくって巻軸につけ加えた。そうしてこれを自分の知己によせるのである。必ずしも元結本人に寄せなくともいいつもりである。〔大暦二年夔州にあっての作。〕

 

道州憂黎庶,詞氣浩縱橫。

道州の元結はそんなふうに人民の愁えていることを捉え、人民の憂えをそのことばつきを大きくし、縦横に表現したのである。

○道州 鯖をさす。

○黎庶 人民。

○浩 大きなさま。

○縱橫 ①たてとよこ。南北と東西。 「市街地を-につらぬく大通り」②四方八方。いたるところ。③自分の思いどおりに振る舞う・こと(さま)。自由自在。④合従と連衡。縱橫家 ①中国,戦国時代の諸子百家の一。合従と連衡の策を諸侯に説いてまわった一派。蘇秦・張儀など。→ 合従連衡。②策略を好んで用いる人。策士。

 

兩章對秋月,一字偕華星。

この「舂陵行」と「賊退示官吏」の二篇の作品はその高朗なること秋月と対すべく、その一字一字は雲間にかがやく華やかな星の光といっしょである。

〇両章 「舂陵行」と「賊退示官吏」の二篇。

○対秋月 高朗なことを比する。

〇偕華星 文彩が下に垂れるのに此する。

 

致君唐虞際,純樸憶大庭。

道州の元結は君を堯舜の際に致さんとし、三皇の神農の大庭氏の時代のような純樸な時代を思い起こさせる施政を行おうとしている。

○唐虞 三皇五帝の堯舜をいう。

○純樸 まじりけなくかざりけなし、きじのまま。《韓非子.大體》:「故至安之世,法如朝露,純樸不散,心無結怨,口無煩言。」

○大庭 古代王者の名、神農氏の別号だという。三皇を伏羲、女媧、神農とする。荘子外篇(3) 胠篋(きょきょう)篇「昔容成氏、大庭氏、縄を錆びて之を用う、此の時の若きは、則ち至治なり、と。

《八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡》「退食吟大庭,何心記榛梗。」張相国公は荊州に流されたことを契機に官署から退出して故郷にかえれば大古の大庭氏の治世を吟じて、小人どもに邪魔されたことなどはこころにとめはしなかった。

・退食 役所より退帰する。737年開元25年張九齢、荊州に流される。・大庭 大庭氏をいう、上古至治の時代。《莊子·胠篋》「昔者容成氏、大庭氏、伯皇氏、中央氏、・・・」とあり、三皇五帝のころの後宮の役割がしっかりとされていた時代をいう。

766年大暦元年55-47-2奉節-38-2 《巻16-10 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -2 杜甫index-15 杜甫<910-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5840

 

何時降璽書,用爾為丹青。
いつになったら天子から璽書をくだしたまわって、爾、元結を丹青の宮殿に参朝する公卿とすることができようか。

○降壁書 垂書は天子の印を捺した文書。漢の時地方の官吏で治績のあるものには要吉を降して勉励させた。

○用爾 爾とは元結をさす。

○為丹青 ここでは丹青とは公卿をいう。画の丹と靑が画材の基本であった

《巻七34 秦州雜詩二十首 其二 》「苔蘚山門古、丹青野殿空。」見ればこけの青緑が鮮やかな寺の古びた大門があり、彩色の朱色と青色が周りの景色に同化した御殿があるがさっぱり人影がなくむなしい遺跡になっている。苔蘚 あおごけ、ぜにごけ。・山門 寺門であるが大きな門をいう。・丹青 宮殿の彩色で朱色と青色。・野殿 山野に溶け込んだ御殿。・ 人のいないこと。

秦州雜詩二十首 其二 杜甫 第1部 <255> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1214 杜甫詩 700- 369

杜甫《巻六17題李尊師松樹障子歌》「障子松林靜杳冥,憑軒忽若無丹青。」その障子屏風の描かれた松林はしずかにとおく暗くつらなって居て、軒端の欄干によって眺めると丹青の画が消えて実物ばかりがある様におもわれる。

・杳冥 はるかなかんじでうすぐらいこと。・憑軒 軒端の欄干によってながめる。・若無丹青 丹青とは画の彩色をいう、若無とは画そのものは無いようで、実物があるようだということ。

題李尊師松樹障子歌 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 255

《巻十三69 引丹青》「丹青不知老將至,富貴於我如浮雲。」(丹青 知らず老の将に至らんとするを、富貴は我に於て浮雲の如し。)

丹青引 丹青は画をいうが基本の色である丹の赤と青とでかかれたことからくる、引は歌の一種である。

746廣徳2764年―3-1 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <652  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3590 杜甫詩1000-652-912/1500 7461

杜甫 《1939 同元使君舂陵行 -#3》【6分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-52 <917-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6110

杜甫  同元使君舂陵行 -#3

粲粲元道州,前聖畏後生。觀呼舂陵作,見俊哲情。

復覽賊退篇,結也實國楨。賈誼昔流慟,匡衡常引經。

「舂陵の作」を観てみると「比興体制」の手法であり、忽ち英哲の非凡な情がうかがわれる。また「賊退後示官吏(賊退きしとき官吏に示す)」の「微婉頓挫」手法の詩篇をみると元結はじつに国家の用心棒である。むかし賈誼は天下の事について流涕働哭して、弁舌したし、孝文帝は坐席をのりだして聴き入ったと伝えられるし、匡衝は経書を引いて政治を論じ、儒者の間では「詩経を語るな、始めると匡衡がやってくる。匡衡が詩経を語れば顎が外れる」といった。

 

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序文

覧道州元使君結「舂陵行」兼「賊退後示官吏作」二首、誌之日、「當天子分憂之地、效漢官良吏之目。今盗賊末息、知民疾苦、得結輩十數公、落落然參錯天下為邦伯、萬物吐気、天下少安可待矣。不意復見比興體制、微婉頓挫之辭、感而有詩、增諸巻軸。」

 

#2

遭亂髮盡白,轉衰病相嬰。沈綿盜賊際,狼狽江漢行。

歎時藥力薄,為客羸瘵成。吾人詩家秀,博采世上名。

#3

粲粲元道州,前聖畏後生。觀呼舂陵作,欻見俊哲情。

復覽賊退篇,結也實國楨。賈誼昔流慟,匡衡常引經。

#4

道州憂黎庶,詞氣浩縱橫。兩章對秋月,一字偕華星。

致君唐虞際,純樸憶大庭。何時降璽書,用爾為丹青。

#5

獄訟永衰息,豈唯偃甲兵。悽惻念誅求,薄斂近休明。

乃知正人意,不苟飛長纓。涼飆振南岳,之子寵若驚。

色阻金印大,興含滄浪清。

#6

我多長卿病,日夕思朝廷。肺枯渴太甚,漂泊公孫城。

呼兒具紙筆,隱几臨軒楹。作詩呻吟黑澹字攲傾。

感彼危苦詞,庶幾知者聽。

(元使君が《舂陵行》に同ず)#1

(序)

道州の元使君結が《舂陵行》,兼【およ】び《賊退きし後に官吏に示す》作二首を覽る。

之を志して曰く:「天子 分憂の地に當り,漢官 良吏の目に效う。

今 盜賊 未だ息まず,民の疾苦を知る,結が輩十數公を得て,落落然として 天下に參錯せしめ邦伯と為さば,萬物 氣を吐き,天下 少しく安からん。意わざりき復た「比興の體制」,「微婉 頓挫」の詞を見ん。」と。

感じて詩有り,諸を卷軸に增し,我を知る者に簡す,必ずしも元に寄せず。

#2

亂に遭いて髮 盡く白し,轉た衰えて 病 相い嬰る。

沈綿たり 盜賊の際,狼狽して江漢に行く。

時を歎じて 藥力薄く,客と為りて 羸【るいさい】成れり。

吾人 詩家の秀にては,博く采る 世上の名。

#3

粲粲たり 元道州,前聖 後生を畏る。

舂陵の作を觀て,【たちま】ち見る 俊哲の情。

復た賊退の篇を覧るに、結や実に国楨なり。

賈誼 昔 流慟す、匡衡 嘗て経を引く。

#4

道州黎庶を憂う、詞気 浩として縦横なり。

両章秋月に対す、一字華星と偕なり。』

君を唐虞の際に致さん、淳朴 大庭を憶う。

何の時か 璽書を降して、爾を用いて丹青と為さん。

#5

獄訟永く衰息せん、豈に惟だ甲兵を偃せしむるのみならんや。

悽惻 誅求を念う、薄斂は 休明に近し。

乃ち知る正人の意、筍くも長纓を飛ばさざるを。

涼飆 南岳に振う、之の子 寵 驚くが若し。

色は阻す金印の大なるに、興は含む槍浪の清きを。』

#6

我 長卿が病多し、日夕 朝廷を思う。

肺枯れて渇すること太甚なり、漂泊す公孫城。

児を呼びて紙筆を具えしめ、几に隠【よ】りて 軒楹に臨む。

詩を作る 呻吟の内、墨淡くして 字 す。

感ず 彼が危苦の詞、庶幾【こいねが】わくは知者の聞かんことを。』

 

 

卷別:  卷二二二        文體:  樂府

詩題:  同元使君舂陵行

詩序:  有序:覽道州元使君結〈舂陵行〉,兼〈賊退後示官吏〉作二首。志之曰:「當天子分憂之地,效漢官良吏之目。今盜賊未息,知民疾苦,得結輩十數公,落落然參錯天下為邦伯,萬物吐氣,天下少安,可得矣。不意復見比興體制,微婉頓挫之詞。」感而有詩,增諸卷軸,簡知我者,不必寄元。

作地點:        夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:棗陽 (山南東道 隨州 棗陽) 別名:舂陵     

道州 (江南西道 道州 道州)       

衡山 (江南西道 衡州 衡山) 別名:衡岳、南嶽、衡嶽、南岳  

白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城  

交遊人物:元結  當地交遊(山南東道 隨州 棗陽)

(序文)

同元使君舂陵行#1 序

(道州刺史元結の「舂陵行」に和してつくった詩。その序文。)

覽道州元使君結《舂陵行》,兼《賊退後示官吏》作二首。

自分は元結の《舂陵行》と《賊退きし後官吏に示す作》との二首を見てそのことについて書き記す。

志之曰:「當天子分憂之地,效漢官良吏之目。

元結はこの地方の長官として天子の憂いを分担する地位にあたり、むかし漢代の良吏などの名目にならって行ないをしている。

今盜賊未息,知民疾苦,得結輩十數公,落落然參錯天下為邦伯,萬物吐氣,天下少安,可得矣。

今日、盗賊事件はまだやむことはない、もし民のつらさをよく知っているものがおり、それが元結のような役人であって、それを十数人も得てそれを天下のあちらこちらにまぜて散らばらして長官としておいたならば、万物も生気を吐き、天下もすこしは安泰になるであろうことは、期待し得るものになる。

不意復見〈比興體制〉,〈微婉頓挫〉之詞。」

それのみではない、彼が作る詩が〈比興体制〉という手法でつくって〈微婉頓挫〉という表現法の詞を見せてくれたことは高く評価できる意外のものである。

感而有詩,增諸卷軸,簡知我者,不必寄元。

自分はそれでこのことについて感じてこの詩をつくって巻軸につけ加えた。そうしてこれを自分の知己によせるのである。必ずしも元結本人に寄せなくともいいつもりである。〔大暦二年夔州にあっての作。〕

(元使君が《舂陵行》に同ず)#1

(序)

道州の元使君結が《舂陵行》,兼【およ】び《賊退きし後に官吏に示す》作二首を覽る。

之を志して曰く:「天子 分憂の地に當り,漢官 良吏の目に效う。

今 盜賊 未だ息まず,民の疾苦を知る,結が輩十數公を得て,落落然として 天下に參錯せしめ邦伯と為さば,萬物 氣を吐き,天下 少しく安からん。意わざりき復た「比興の體制」,「微婉 頓挫」の詞を見ん。」と。

感じて詩有り,諸を卷軸に增し,我を知る者に簡す,必ずしも元に寄せず。

(本文)

#2

遭亂髮盡白,轉衰病相嬰。

自分は騒乱におうて、転々とするうち、髪はすっかり白くなったし、だんだん老衰するのに病気にまとわれている。

沈綿盜賊際,狼狽江漢行。

各地でこんなに盗賊が、はびこっているときなのにわたしの病はおもいのに、うろたえながら転々と江漢の地方にいまだに彷徨っているのである。

歎時藥力薄,為客羸瘵成。

時世をなげくためか薬の効能も弱く、旅人となっているうちにすっかり肺労になりきった。

吾人詩家秀,博采世上名。

我我、詩人文章家は、詩家中ですぐれたものにおいては世上の著名の作家の作品を採って参考とするものである。

#2

亂に遭いて髮 盡く白し,轉た衰えて 病 相い嬰る。

沈綿たり 盜賊の際,狼狽して江漢に行く。

時を歎じて 藥力薄く,客と為りて 羸【るいさい】成れり。

吾人 詩家の秀にては,博く采る 世上の名。

#3

粲粲元道州,前聖畏後生。

だから、それにあてはめて、元結道州刺史粲粲として明潔なすがたはどうだ。むかしの聖人が「後生畏るべし」といったこともおもいあわされるというものだ。

觀乎舂陵作,見俊哲情。

「舂陵の作」を観てみると「比興体制」の手法であり、忽ち英哲の非凡な情がうかがわれる。

複覽賊退篇,結也實國楨。

また「賊退後示官吏(賊退きしとき官吏に示す)」の「微婉頓挫」手法の詩篇をみると元結はじつに国家の用心棒である。

賈誼昔流慟,匡衡常引經。

むかし賈誼は天下の事について流涕働哭して、弁舌したし、、孝文帝は坐席をのりだして聴き入ったと伝えられるし、匡衝は経書を引いて政治を論じ、儒者の間では「詩経を語るな、始めると匡衡がやってくる。匡衡が詩経を語れば顎が外れる」といった。

#3

粲粲たり 元道州,前聖 後生を畏る。

舂陵の作を觀て,【たちま】ち見る 俊哲の情。

復た賊退の篇を覧るに、結や実に国楨なり。

賈誼 昔 流慟す、匡衡 嘗て経を引く。

#4

道州憂黎庶,詞氣浩縱橫。兩章對秋月,一字偕華星。

致君唐虞際,純樸憶大庭。何時降璽書,用爾為丹青。

#4

道州黎庶を憂う、詞気 浩として縦横なり。

両章秋月に対す、一字華星と偕なり。』

君を唐虞の際に致さん、淳朴 大庭を憶う。

何の時か 璽書を降して、爾を用いて丹青と為さん。

#5

獄訟永衰息,豈唯偃甲兵。淒惻念誅求,薄斂近休明。

乃知正人意,不苟飛長纓。涼飆振南嶽,之子寵若驚。

色阻金印大,興含滄浪清。

#5

獄訟永く衰息せん、豈に惟だ甲兵を偃せしむるのみならんや。

悽惻 誅求を念う、薄斂は 休明に近し。

乃ち知る正人の意、筍くも長纓を飛ばさざるを。

涼飆 南岳に振う、之の子 寵 驚くが若し。

色は阻す金印の大なるに、興は含む槍浪の清きを。』

#6

我多長卿病,日夕思朝廷。肺枯太甚,漂泊公孫城。

呼兒具紙筆,隱幾臨軒楹。作詩呻吟墨澹字欹傾。

感彼危苦詞,庶幾知者聽。

#6

我 長卿が病多し、日夕 朝廷を思う。

肺枯れて渇すること太甚なり、漂泊す公孫城。

児を呼びて紙筆を具えしめ、几に隠【よ】りて 軒楹に臨む。

詩を作る 呻吟の内、墨淡くして 字 す。

感ず 彼が危苦の詞、庶幾【こいねが】わくは知者の聞かんことを。』

 

江南西道図05 

『同元使君舂陵行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
3

#3

粲粲元道州,前聖畏後生。

觀乎舂陵作,欻見俊哲情。

複覽賊退篇,結也實國楨。

賈誼昔流慟,匡衡常引經。


(下し文) #3

粲粲たり 元道州,前聖 後生を畏る。

舂陵の作を觀て,【たちま】ち見る 俊哲の情。

復た賊退の篇を覧るに、結や実に国楨なり。

賈誼 昔 流慟す、匡衡 嘗て経を引く。

(現代語訳)
だから、それにあてはめて、元結道州刺史粲粲として明潔なすがたはどうだ。むかしの聖人が「後生畏るべし」といったこともおもいあわされるというものだ。

「舂陵の作」を観てみると「比興体制」の手法であり、忽ち英哲の非凡な情がうかがわれる。

また「賊退後示官吏(賊退きしとき官吏に示す)」の「微婉頓挫」手法の詩篇をみると元結はじつに国家の用心棒である。

むかし賈誼は天下の事について流涕働哭して、弁舌したし、孝文帝は坐席をのりだして聴き入ったと伝えられるし、匡衝は経書を引いて政治を論じ、儒者の間では「詩経を語るな、始めると匡衡がやってくる。匡衡が詩経を語れば顎が外れる」といった。



(訳注) #3

同元使君舂陵行 3

(道州刺史元結の「舂陵行」に和してつくった詩。その序文。)

 

粲粲元道州,前聖畏後生。

だから、それにあてはめて、元結道州刺史粲粲として明潔なすがたはどうだ。むかしの聖人が「後生畏るべし」といったこともおもいあわされるというものだ。

粲粲 黎明のさま。

○元道州 元結をいう。

○前聖 過去の聖人、孔子をいう。

○畏後生 「論語」(子窂)に「後生畏るべし」とある。後進のものも畏敬すべしという意味である。

 

觀乎「舂陵」作,欻見俊哲情。

「舂陵の作」を観てみると「比興体制」の手法であり、忽ち英哲の非凡な情がうかがわれる。

〇舂陵作 「春陵行」詩をいう。「比興体制」をいう。

○俊哲情 優れて敏い情を持った人。道理の叶う非凡な人の心根。才識不凡的人。晉葛洪 《抱樸子名實》:佞人相汲引而柴正路, 俊哲處下位而不見知。”

 

複覽「賊退」篇,結也實國楨。

また「賊退後示官吏(賊退きしとき官吏に示す)」の「微婉頓挫」手法の詩篇をみると元結はじつに国家の用心棒である。

○賊退篇 「賊退後示官吏(賊退きしとき官吏に示す)」詩をさす。〈舂陵行〉,兼〈賊退後示官吏〉作二首。

○国楨 「詩経」(文王)に「王國克生、維周之楨。」(王國に克【よ】く生ず 維れ周の楨【てい】)王国に徳行の美盛なる多くの諸臣が生まれ、周王朝の柱石(楨)の臣となって、  王室を輔翼した。”楨は幹に同じ、区別すれば牆を築くとき両傍に建てる木が幹、横にわたす木が楨である。ここでは国家の用心棒となることをいう。

 

賈誼昔流慟,匡衡常引經。

むかし賈誼は天下の事について流涕働哭して、弁舌したし、、孝文帝は坐席をのりだして聴き入ったと伝えられるし、匡衝は経書を引いて政治を論じ、儒者の間では「詩経を語るな、始めると匡衡がやってくる。匡衡が詩経を語れば顎が外れる」といった。

○賈誼 漢の文帝の時に治安策を奉り、痛哭すべきもの三、云云といった。漢の孝文帝劉恒(紀元前202157年)に仕えた文人賈誼(紀元前201―169年)のこと。洛陽の人。諸吉家の説に通じ、二十歳で博士となった。一年後、太中大夫すなわち内閣建議官となり、時事、法律の改革にのりだして寵任されたが、若輩にして高官についたことを重臣たちに嫉まれ、長沙王の傅に左遷された。のち呼び戻され、孝文帝の鬼神の事に関する質問に答え、弁説して夜にまで及び、孝文帝は坐席をのりだして聴き入ったと伝えられる。その後、孝文帝の少子である梁の懐王の傅となり、まもなく三十三歳を以て死んだ。屈原を弔う文及び鵩(みみずく)の賦が有名。賈誼が長沙にいた時、「目鳥 其の承塵に集まる」。目鳥はふくろうに似た鳥というが、詩文のなかのみにあらわれ、その家の主人の死を予兆する不吉な鳥とされる。賈誼はその出現におびえ、「鵩鳥の賦」(『文選』巻一三)を著した。

李商隠 《賈生》「宣室求賢訪逐臣、賈生才調更無倫。可憐夜半虚前席、不問蒼生問鬼神。漢の孝文帝は賢者を求めて、いったんは讒言を信じて長沙へ流謫した買誼をよびもどし、公正室で彼を召見した。賈誼の才能は群を抜いており、比べる者も全く見当らないのである。だが、憐れむべきことであった、賈誼は得意の弁舌を振って、夜半にまでいたり、帝が思わず、坐席を前のめりにさせるほどであったのであったが、質問されたのは、人民を治める政事についてではなかった、天地の陰と陽の神々についてだけだった.

賈生 李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 64

○匡衡 漢の元帝の時、衛はしばしば疏を上り、政を議するに経書に附会して説をたてた。匡衡(きょう こう、生没年不詳)は、前漢の政治家。字は稚圭。東海郡承の人。家は代々農夫であり裕福ではなかったが、匡衡の代になって学問を好み、小作をして学費を捻出し、誰よりも精力的に学んだ。儒者の間では「詩経を語るな、匡衡がやってくる。匡衡が詩経を語れば顎が外れる」と言うようになった。

匡衡は息子の匡昌が越騎校尉であったが、酔って殺人を犯し投獄され、さらに越騎校尉の属官や匡昌の弟が彼を強奪し助け出そうとし、発覚した。匡衡は謝罪し断罪を待ったが、成帝は不問とした。しかし、丞相府において匡衡の領地を不正に増したとの疑惑が発覚し、司隷校尉王駿らにより弾劾された。成帝の詔により取り調べは止められたが丞相は罷免され、列侯を取り上げられて庶人となった。

匡衡,字稚圭,西漢大臣、經學家,東海郡承縣(今山東棗莊)人。幼家貧,而勤奮好學,曾鑿壁光讀書。對《詩經》見解猶獨特。任少傅數年,多次上疏,陳述治國之道,參與國政,言合法義,博得漢元帝信任。後爲丞相,受封樂安侯,總理全國政務,漸與同僚有隙,漢成帝時被王尊彈劾,貶爲庶民,歸,不數年病死。
 山南東道 隨州 棗陽  別名-舂陵02

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杜甫  同元使君舂陵行#2  

遭亂髮盡白,轉衰病相嬰。沈綿盜賊際,狼狽江漢行。

歎時藥力薄,為客羸瘵成。吾人詩家秀,博采世上名。
時世をなげくためか薬の効能も弱く、旅人となっているうちにすっかり肺労になりきった。我我、詩人文章家は、詩家中ですぐれたものにおいては世上の著名の作家の作品を採って参考とするものである。

杜甫 1939 同元使君舂陵行 -2》【6分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-52 <917-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6105 杜甫詩1500-917-#2-1392/2500

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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253 《卷8-01贈孟浩然》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <253>(改訂版Ver..2.1) Ⅰ李白詩1511 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6103 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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卷別:  卷二二二        文體:  樂府

詩題:  同元使君舂陵行

詩序:  有序:覽道州元使君結〈舂陵行〉,兼〈賊退後示官吏〉作二首。志之曰:「當天子分憂之地,效漢官良吏之目。今盜賊未息,知民疾苦,得結輩十數公,落落然參錯天下為邦伯,萬物吐氣,天下少安,可得矣。不意復見比興體制,微婉頓挫之詞。」感而有詩,增諸卷軸,簡知我者,不必寄元。

作地點:        夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:棗陽 (山南東道 隨州 棗陽) 別名:舂陵     

道州 (江南西道 道州 道州)       

衡山 (江南西道 衡州 衡山) 別名:衡岳、南嶽、衡嶽、南岳  

白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城  

交遊人物:元結  當地交遊(山南東道 隨州 棗陽)

(序文)

同元使君舂陵行#1 序

(道州刺史元結の「舂陵行」に和してつくった詩。その序文。)

覽道州元使君結《舂陵行》,兼《賊退後示官吏》作二首。

自分は元結の《舂陵行》と《賊退きし後官吏に示す作》との二首を見てそのことについて書き記す。

志之曰:「當天子分憂之地,效漢官良吏之目。

元結はこの地方の長官として天子の憂いを分担する地位にあたり、むかし漢代の良吏などの名目にならって行ないをしている。

今盜賊未息,知民疾苦,得結輩十數公,落落然參錯天下為邦伯,萬物吐氣,天下少安,可得矣。

今日、盗賊事件はまだやむことはない、もし民のつらさをよく知っているものがおり、それが元結のような役人であって、それを十数人も得てそれを天下のあちらこちらにまぜて散らばらして長官としておいたならば、万物も生気を吐き、天下もすこしは安泰になるであろうことは、期待し得るものになる。

不意復見〈比興體制〉,〈微婉頓挫〉之詞。」

それのみではない、彼が作る詩が〈比興体制〉という手法でつくって〈微婉頓挫〉という表現法の詞を見せてくれたことは高く評価できる意外のものである。

感而有詩,增諸卷軸,簡知我者,不必寄元。

自分はそれでこのことについて感じてこの詩をつくって巻軸につけ加えた。そうしてこれを自分の知己によせるのである。必ずしも元結本人に寄せなくともいいつもりである。〔大暦二年夔州にあっての作。〕

(元使君が《舂陵行》に同ず)#1

(序)

道州の元使君結が《舂陵行》,兼【およ】び《賊退きし後に官吏に示す》作二首を覽る。

之を志して曰く:「天子 分憂の地に當り,漢官 良吏の目に效う。

今 盜賊 未だ息まず,民の疾苦を知る,結が輩十數公を得て,落落然として 天下に參錯せしめ邦伯と為さば,萬物 氣を吐き,天下 少しく安からん。意わざりき復た「比興の體制」,「微婉 頓挫」の詞を見ん。」と。

感じて詩有り,諸を卷軸に增し,我を知る者に簡す,必ずしも元に寄せず。

(本文)

#2

遭亂髮盡白,轉衰病相嬰。

自分は騒乱におうて、転々とするうち、髪はすっかり白くなったし、だんだん老衰するのに病気にまとわれている。

沈綿盜賊際,狼狽江漢行。

各地でこんなに盗賊が、はびこっているときなのにわたしの病はおもいのに、うろたえながら転々と江漢の地方にいまだに彷徨っているのである。

歎時藥力薄,為客羸瘵成。

時世をなげくためか薬の効能も弱く、旅人となっているうちにすっかり肺労になりきった。

吾人詩家秀,博采世上名。

我我、詩人文章家は、詩家中ですぐれたものにおいては世上の著名の作家の作品を採って参考とするものである。

#2

亂に遭いて髮 盡く白し,轉た衰えて 病 相い嬰る。

沈綿たり 盜賊の際,狼狽して江漢に行く。

時を歎じて 藥力薄く,客と為りて 羸【るいさい】成れり。

吾人 詩家の秀にては,博く采る 世上の名。

#3

粲粲元道州,前聖畏後生。觀乎舂陵作,欻見俊哲情。

複覽賊退篇,結也實國楨。賈誼昔流慟,匡衡常引經。

#3

粲粲たり 元道州,前聖 後生を畏る。

舂陵の作を觀て,【たちま】ち見る 俊哲の情。

復た賊退の篇を覧るに、結や実に国楨なり。

賈誼 昔 流慟す、匡衡 嘗て経を引く。

#4

道州憂黎庶,詞氣浩縱橫。兩章對秋月,一字偕華星。

致君唐虞際,純樸憶大庭。何時降璽書,用爾為丹青。

#4

道州黎庶を憂う、詞気 浩として縦横なり。

両章秋月に対す、一字華星と偕なり。』

君を唐虞の際に致さん、淳朴 大庭を憶う。

何の時か 璽書を降して、爾を用いて丹青と為さん。

#5

獄訟永衰息,豈唯偃甲兵。淒惻念誅求,薄斂近休明。

乃知正人意,不苟飛長纓。涼飆振南嶽,之子寵若驚。

色阻金印大,興含滄浪清。

#5

獄訟永く衰息せん、豈に惟だ甲兵を偃せしむるのみならんや。

悽惻 誅求を念う、薄斂は 休明に近し。

乃ち知る正人の意、筍くも長纓を飛ばさざるを。

涼飆 南岳に振う、之の子 寵 驚くが若し。

色は阻す金印の大なるに、興は含む槍浪の清きを。』

#6

我多長卿病,日夕思朝廷。肺枯太甚,漂泊公孫城。

呼兒具紙筆,隱幾臨軒楹。作詩呻吟墨澹字欹傾。

感彼危苦詞,庶幾知者聽。

#6

我 長卿が病多し、日夕 朝廷を思う。

肺枯れて渇すること太甚なり、漂泊す公孫城。

児を呼びて紙筆を具えしめ、几に隠【よ】りて 軒楹に臨む。

詩を作る 呻吟の内、墨淡くして 字 す。

感ず 彼が危苦の詞、庶幾【こいねが】わくは知者の聞かんことを。』

 蜀中転々圖

 

『同元使君舂陵行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2

遭亂髮盡白,轉衰病相嬰。

沈綿盜賊際,狼狽江漢行。

歎時藥力薄,為客羸瘵成。

吾人詩家秀,博采世上名。

(下し文) #3

粲粲たり 元道州,前聖 後生を畏る。

舂陵の作を觀て,【たちま】ち見る 俊哲の情。

復た賊退の篇を覧るに、結や実に国楨なり。

賈誼 昔 流慟す、匡衡 嘗て経を引く。

(現代語訳)
自分は騒乱におうて、転々とするうち、髪はすっかり白くなったし、だんだん老衰するのに病気にまとわれている。

各地でこんなに盗賊が、はびこっているときなのにわたしの病はおもいのに、うろたえながら転々と江漢の地方にいまだに彷徨っているのである。

時世をなげくためか薬の効能も弱く、旅人となっているうちにすっかり肺労になりきった。

我我、詩人文章家は、詩家中ですぐれたものにおいては世上の著名の作家の作品を採って参考とするものである。


(訳注)#2

 

遭亂髮盡白,轉衰病相嬰。

自分は騒乱におうて、転々とするうち、髪はすっかり白くなったし、だんだん老衰するのに病気にまとわれている。

遭亂 75511月安史の乱に始まり、妻子を疎開させたもの、捕縛され長安につながれた。全土の半分近くを安史軍により荒らされ、終息に足掛け10年かかった。その間も、折角の蜀では段子章が、続いて、徐知道が叛乱を起し、杜甫は、蜀中を1年半も転々とした。それでも、浣花渓草堂は、西の吐蕃により、西南部の異民族西原蠻持乱を起こしたなどのため、落ち着かないため、かねてから計画していた江南に向けて再び旅に出て、持病によって、夔州奉節に寓居してこの詩を作った。

 

沈綿盜賊際,狼狽江漢行。

各地でこんなに盗賊が、はびこっているときなのにわたしの病はおもいのに、うろたえながら転々と江漢の地方にいまだに彷徨っているのである。

○沈綿 病にしずむさま。

○盜賊 元結の《舂陵行、序》に「道州舊四萬餘,經賊已來,不滿四千,大半不勝賦。」(道州は四萬余戸、賊を経て以来、四千に満たず、大半は税に勝へず。)“道州はもと四万戸余りあったが賊乱をへてこのかたは四千にたりなくなり、その大半は税金をわりつけるにたえぬものである。”とあるように逃村した者たちが、山に棲み、盗賊となったのである。

○江漢 蜀地をいう。巴江嘉陵江は西漢水の流域で、蜀の錦江、泯江など長江の上流域であることをいう。場所的には、綿州、梓州、閬州、巴州、通州、嘉州、忠州、雲安、夔州奉節と移動していることをいう。

 

歎時藥力薄,為客羸瘵成。

時世をなげくためか薬の効能も弱く、旅人となっているうちにすっかり肺労になりきった。

〇羸瘵 つかれやむこと。肺労/肺癆/労咳の疾をいう。肺結核の旧称。・羸【つかれる】 力がなくなってぐったりする。力が萎えて衰える。弱る。・瘵【さい】 病気.労瘵の用語解説 - 漢方で、肺浸潤・肺結核のこと。

 

吾人詩家秀,博采世上名。

我我、詩人文章家は、詩家中ですぐれたものにおいては世上の著名の作家の作品を採って参考とするものである。

○博采世上名 世上の著名なるものを博く採取して参考にする。《三國志·志·孫登傳》“「博采眾議,寬刑輕賦,均息力役,以順民望。」・世上:世間。社會輿論。世事人情。
夔州東川卜居図詳細 001 

杜甫 《1939同元使君舂陵行》 杜甫詩index-15- <916-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6045

杜甫 《1939同元使君舂陵行》序  

覽道州元使君結〈舂陵行〉,兼〈賊退後示官吏〉作二首。志之曰:「當天子分憂之地,效漢官良吏之目。今盜賊未息,知民疾苦,得結輩十數公,落落然參錯天下為邦伯,萬物吐氣,天下少安,可得矣。不意復見比興體制,微婉頓挫之詞。」感而有詩,增諸卷軸,簡知我者,不必寄元。

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杜甫詩1500-916-1-1380/2500

 

杜甫が766年大暦元年55-52

代宗 廣德元年(763):元結〈舂陵行(并序)〉○

元結(謝上表)  

元結(奏免科率状)  

代宗 廣德二年(764):元結〈賊退示官吏(并序)〉○

代宗 大曆二年(766):杜甫〈同元使君舂陵行(有序)〉○

 

「舂陵行」は、元結(723772) の代表作とされる有名な作品で、中唐元和時期の新楽府に重大な影響を与えたと目されている。早くは、元結と同時代の大詩人杜甫(712770) が「舂陵行」に対して以下のような高い評価を与えている。

 

この評価によって、「舂陵行」は元結の作品の中で最も重要なものとなったと考えられる。

では、杜甫が言及した「比興體制」とはいったいどういう意味なのか。そして、「舂陵行」の「比興體制」は、中晩唐楽府、特に元和新楽府にどのような貢献をしたのだろうか。

 

元結 (723年-772526日)中唐の詩人。次山,號漫郎、猗玕子,河南の魯山の人。伝記は同時代の顔真卿の墓碑銘に詳しい。不安な社会相を描いた作品にすぐれ,〈系楽府(けいがふ)〉12首は,白居易らの新楽府運動の先駆となった。そのうち〈舂陵行(しようりようこう)〉はことに有名である。また華美な今体詩を排撃し,古詩を賞揚する目的で《篋中(きようちゆう)集》(760)を編纂した。《元次山文集》10巻が伝わる。

天寶十二載(753年)進士。

 乾元元年(758) 蘇源明、元結を帝に薦む。被任命為左金吾衛兵曹參軍、監察御史。

上元元年(760)年元結《篋中集》を編纂す。

上元二年(761),任山南道節度使參謀,守泌陽,

寶應元年(762年),唐代宗即位後,為著作郎。追贈其父元延祖為左贊善大夫。

廣徳元年763年,出任道州刺史

杜甫が元結を高く評価した《1939同元使君舂陵行》において、元使君結としている。道州刺史元結、使君は刺史の敬称。「新唐書」の元結伝を見てみると次の通り。(節録、元結、河南の人、後魏の常山王遵が十五代の孫なり。字は次山、年十七、学に志し元徳秀に事う。天宝十二載進士に挙げらる。粛宗の時、史思明河陽を攻む、蘇源明、元結を帝に薦む。元結、時議三篇を上る。のち諾官を経、泌陽に屯して十五城を全くせし功を以て監察御史裏行となる。又た山南東道の来瑱が府に参謀たり。代宗立つや辞して武昌の樊上に帰り、著作郎を授けらる。益ます書を著わす。元子・浪士・漫郎・聱叟・漫叟等と号す。久しくして道州刺史を拝す。(刺史の時のことは「舂陵行」詩にみえる。)容管経略使に進む。母の喪にあい罷めて京都に還り卒す。年五十。礼部侍郎を贈らる。道州は湖南永州府に属する。

元結(723年-772526日),字次山,號漫郎、猗玕子,河南魯山人。唐朝進士、官員。

北魏常山王拓跋遵的十二代孫,尚書都官郎中、常山郡公元善禕的玄孫,朝散大夫、褒信令、常山公元仁基的曾孫,霍王府參軍元利貞的孫子,魏成主簿、延唐丞元延祖的兒子。天寶十二載(753年)進士。安史之亂,史思明攻克洛陽,他到長安向唐肅宗上書。被任命為左金吾衛兵曹參軍、監察御史。761年,任山南道節度使參謀,守泌陽,保住了15座城。寶應元年(762年),唐代宗即位後,為著作郎。追贈其父元延祖為左贊善大夫。763年,出任道州刺史,減輕賦,免除徭役。第二年,為容管經略使,幾個月,安定了容管八州。逝世後,追贈禮部侍郎。

二子元以方、元以明。元結有《元次山集》。

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:  卷二二二        文體:  樂府

詩題:  同元使君舂陵行

詩序:  有序:覽道州元使君結〈舂陵行〉,兼〈賊退後示官吏〉作二首。志之曰:「當天子分憂之地,效漢官良吏之目。今盜賊未息,知民疾苦,得結輩十數公,落落然參錯天下為邦伯,萬物吐氣,天下少安,可得矣。不意復見比興體制,微婉頓挫之詞。」感而有詩,增諸卷軸,簡知我者,不必寄元。

作地點:        夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:棗陽 (山南東道 隨州 棗陽) 別名:舂陵     

道州 (江南西道 道州 道州)       

衡山 (江南西道 衡州 衡山) 別名:衡岳、南嶽、衡嶽、南岳  

白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城  

交遊人物:元結  當地交遊(山南東道 隨州 棗陽)

 

同元使君舂陵行#1 序

(道州刺史元結の「舂陵行」に和してつくった詩。その序文。)

覽道州元使君結《舂陵行》,兼《賊退後示官吏》作二首。

自分は元結の《舂陵行》と《賊退きし後官吏に示す作》との二首を見てそのことについて書き記す。

志之曰:「當天子分憂之地,效漢官良吏之目。

元結はこの地方の長官として天子の憂いを分担する地位にあたり、むかし漢代の良吏などの名目にならって行ないをしている。

今盜賊未息,知民疾苦,得結輩十數公,落落然參錯天下為邦伯,萬物吐氣,天下少安,可得矣。

今日、盗賊事件はまだやむことはない、もし民のつらさをよく知っているものがおり、それが元結のような役人であって、それを十数人も得てそれを天下のあちらこちらにまぜて散らばらして長官としておいたならば、万物も生気を吐き、天下もすこしは安泰になるであろうことは、期待し得るものになる。

不意復見〈比興體制〉,〈微婉頓挫〉之詞。」

それのみではない、彼が作る詩が〈比興体制〉という手法でつくって〈微婉頓挫〉という表現法の詞を見せてくれたことは高く評価できる意外のものである。

感而有詩,增諸卷軸,簡知我者,不必寄元。

自分はそれでこのことについて感じてこの詩をつくって巻軸につけ加えた。そうしてこれを自分の知己によせるのである。必ずしも元結本人に寄せなくともいいつもりである。〔大暦二年夔州にあっての作。〕

 

 #2

遭亂髮盡白,轉衰病相嬰。

沈綿盜賊際,狼狽江漢行。

歎時藥力薄,為客羸瘵成。

吾人詩家秀,博采世上名。

#3

粲粲元道州,前聖畏後生。

觀呼舂陵作,欻見俊哲情。

復覽賊退篇,結也實國楨。

賈誼昔流慟,匡衡常引經。

#4

道州憂黎庶,詞氣浩縱橫。

兩章對秋月,一字偕華星。

致君唐虞際,純樸憶大庭。

何時降璽書,用爾為丹青。

#5

獄訟永衰息,豈唯偃甲兵。

悽惻念誅求,薄斂近休明。

乃知正人意,不苟飛長纓。

涼飆振南岳,之子寵若驚。

色阻金印大,興含滄浪清。

#6

我多長卿病,日夕思朝廷。

肺枯渴太甚,漂泊公孫城。

呼兒具紙筆,隱几臨軒楹。

作詩呻吟黑澹字攲傾。

感彼危苦詞,庶幾知者聽。

 

(元使君が《舂陵行》に同ず)#1

(序)

道州の元使君結が《舂陵行》,兼【およ】び《賊退きし後に官吏に示す》作二首を覽る。

之を志して曰く:「天子 分憂の地に當り,漢官 良吏の目に效う。

今 盜賊 未だ息まず,民の疾苦を知る,結が輩十數公を得て,落落然として 天下に參錯せしめ邦伯と為さば,萬物 氣を吐き,天下 少しく安からん。意わざりき復た「比興の體制」,「微婉 頓挫」の詞を見ん。」と。

感じて詩有り,諸を卷軸に增し,我を知る者に簡す,必ずしも元に寄せず。

#2

亂に遭いて髮 盡く白し,轉た衰えて 病 相い嬰る。

沈綿たり 盜賊の際,狼狽して江漢に行く。

時を歎じて 藥力薄く,客と為りて 羸【るいさい】成れり。

吾人 詩家の秀にては,博く采る 世上の名。

#3

粲粲たり 元道州,前聖 後生を畏る。

舂陵の作を觀て,【たちま】ち見る 俊哲の情。

復た賊退の篇を覧るに、結や実に国楨なり。

賈誼 昔 流慟す、匡衡 嘗て経を引く。

#4

道州黎庶を憂う、詞気 浩として縦横なり。

両章秋月に対す、一字華星と偕なり。』

君を唐虞の際に致さん、淳朴 大庭を憶う。

何の時か 璽書を降して、爾を用いて丹青と為さん。

#5

獄訟永く衰息せん、豈に惟だ甲兵を偃せしむるのみならんや。

悽惻 誅求を念う、薄斂は 休明に近し。

乃ち知る正人の意、筍くも長纓を飛ばさざるを。

涼飆 南岳に振う、之の子 寵 驚くが若し。

色は阻す金印の大なるに、興は含む槍浪の清きを。』

#6

我 長卿が病多し、日夕 朝廷を思う。

肺枯れて渇すること太甚なり、漂泊す公孫城。

児を呼びて紙筆を具えしめ、几に隠【よ】りて 軒楹に臨む。

詩を作る 呻吟の内、墨淡くして 字 す。

感ず 彼が危苦の詞、庶幾【こいねが】わくは知者の聞かんことを。』

 

山南東道 隨州 棗陽  別名-舂陵02 

 

 

『同元使君舂陵行』#1 序 現代語訳と訳註解説
(
本文)


覽道州元使君結〈舂陵行〉,兼〈賊退後示官吏〉作二首。志之曰:「當天子分憂之地,效漢官良吏之目。今盜賊未息,知民疾苦,得結輩十數公,落落然參錯天下為邦伯,萬物吐氣,天下少安,可得矣。不意復見比興體制,微婉頓挫之詞。」感而有詩,增諸卷軸,簡知我者,不必寄元。


(下し文)
(元使君が《舂陵行》に同ず)#1

(序)

道州の元使君結が《舂陵行》,兼【およ】び《賊退きし後に官吏に示す》作二首を覽る。

之を志して曰く:「天子 分憂の地に當り,漢官 良吏の目に效う。

今 盜賊 未だ息まず,民の疾苦を知る,結が輩十數公を得て,落落然として 天下に參錯せしめ邦伯と為さば,萬物 氣を吐き,天下 少しく安からん。意わざりき復た「比興の體制」,「微婉 頓挫」の詞を見ん。」と。

感じて詩有り,諸を卷軸に增し,我を知る者に簡す,必ずしも元に寄せず。


(現代語訳)
(道州刺史元結の「舂陵行」に和してつくった詩。その序文。)

自分は元結の《舂陵行》と《賊退きし後官吏に示す作》との二首を見てそのことについて書き記す。

元結はこの地方の長官として天子の憂いを分担する地位にあたり、むかし漢代の良吏などの名目にならって行ないをしている。

今日、盗賊事件はまだやむことはない、もし民のつらさをよく知っているものがおり、それが元結のような役人であって、それをを十数人も得てそれを天下のあちらこちらにまぜて散らばらして長官としておいたならば、万物も生気を吐き、天下もすこしは安泰になるであろうことは、期待し得るものになる。

それのみではない、彼が作る詩が〈比興体制〉という手法でつくって〈微婉頓挫〉という表現法の詞を見せてくれたことは高く評価できる意外のものである。

自分はそれでこのことについて感じてこの詩をつくって巻軸につけ加えた。そうしてこれを自分の知己によせるのである。必ずしも元結本人に寄せなくともいいつもりである。〔大暦二年夔州にあっての作。〕


(訳注)

同元使君舂陵行#1  

(道州刺史元結の「舂陵行」に和してつくった詩。その序文。)

○同 詩を和して作ることをいう。

○元使君結 道州刺史元結、使君は刺史の敬称。「新唐書」の元結伝にいう(節録、元結、河南の人、後魏の常山王遵が十五代の孫なり。字は次山、年十七、学に志し元徳秀に事う。天宝十二載進士に挙げらる。粛宗の時、史思明河陽を攻む、蘇源明、元結を帝に薦む。元結、時議三篇を上る。のち諾官を経、泌陽に屯して十五城を全くせし功を以て監察御史裏行となる。又た山南東道の来瑱が府に参謀たり。代宗立つや辞して武昌の樊上に帰り、著作郎を授けらる。益ます書を著わす。元子・浪士・漫郎・聱叟・漫叟等と号す。久しくして道州刺史を拝す。(刺史の時のことは「舂陵行」詩にみえる。)容管経略使に進む。母の喪にあい罷めて京都に還り卒す。年五十。礼部侍郎を贈らる。道州は湖南永州府に属する。

〇舂陵行 元結の作る所の詩。

舂陵行   

癸卯,漫叟授道州刺史。道州舊四萬餘,經賊已來,不滿四千,大半不勝賦。到官未五十日,承諸使征求符牒二百餘封,皆曰:“失其限者,罪至貶削。” 於戲!若悉應其命,則州縣破亂,刺史欲焉逃罪;若不應命,又即獲罪戾,必不免也。吾將守官,靜以安人,待罪而已。此州是舂陵故地,故作《舂陵行》以達下情。(癸卯の歳、漫叟道州刺史を授けらる。道州は四萬余戸、賊を経て以来、四千に満たず、大半は税に勝へず。官に到りて末だ五十日ならざるに、諸使の徴求、符牒二百余封を承く。皆曰く「其の限を失ふ者は、罪貶削に至る」と。於戲、若し悉く其の命に應ずれば、則ち州縣乱す。刺史くにか罪を逃れんと欲す。若し命に應ぜずんば、又た即ち罪戻を獲んこと、必ず免れざるなり。吾将に官を守り、静にして以て人を安んじ、罪を待つのみ。此の州は是れ舂陵の故地なり、故に「舂陵行」を作りて以て下情を達す。)

(舂陵すなわち道州のことについてよんだうた。)
代宗の広徳元年契卯の歳に漫(元結の号)は道州刺史を授けられた。道州はもと四万戸余りあったが賊乱をへてこのかたは四千にたりなくなり、その大半は税金をわりつけるにたえぬものである。自分は着任して五十日にならぬうちに上司から税金徴収の切手・かきつけ二百余通を申しつけられた。上司たちだれもが皆、「もし期限内に徴集項目の税金をあつめなければおまえは貶削の罪になる」とゆうたのである。ああ、もしみんなこの命令どおりにしたらすなわち、州や県は乱破してしまうであろう。そうなったら刺史はどこに罪をのがれるか、のがれ場所がないではないか。またもし命令に応ぜねとしたらまたすぐに罪科を得る、きっとそれはのがれられぬことである。どうせそうなのなら、自分としては官職を守って、安静を以て人民をおちつかせて、自己の罰せられるのを待とうとするだけのことだ。この道州はむかしの舂陵の地だ、それで「舂陵行」という詩をつくって下民の情を上たるものに通達するのである。

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江南西道図05 

覽道州元使君結《舂陵行》,兼《賊退後示官吏》作二首。

自分は元結の《舂陵行》と《賊退きし後官吏に示す作》との二首を見てそのことについて書き記す。

○賊退後示官吏作 元結の作る所の詩。

賊退示官吏(賊が退いたとき官吏に示した詩。)

序:癸卯,西原賊入道州,焚燒(一本無焚燒二字)殺掠,幾盡而去。明年,賊又攻永破邵,不犯此州邊鄙而退,豈力能制敵歟?蓋蒙其傷憐而已,諸使何為忍苦徵斂,故作詩一篇以示官吏。(癸卯の歳、西原の賊道州に入り、焚掠 幾ど尽して去る。明年 賊又た 永を攻め郡を破る、此の州の辺都を犯さずして退く。豈に力能く敵を制せん与、蓋し其の傷憐を蒙りし而己。諸使何 為れぞ苦しんで徴斂するに忍ぶや。故に詩一篇を作り、以て官吏に示す。)

西原蠻の賊でさえこんなであるのに、なんで上司の人たちは酷い取り立てをすることを無理にするのか。そういうことでわたしはこの楽府詩、一篇をつくって官吏にみせたのである。癸卯(763年広徳元年)の歳に西原蠻の酋長が賊となって道州に入り込み、ほとんどあらゆるものを焚いたり略奪・強奪して去った。翌二年に、その賊はまた永州を攻め、郡州を破ったが、この道州の辺鄙は犯すことなしに退却した。これは自分の力がこの敵を刺したわけではない、どういうわけか、その賊の方から気の毒がってくれたおかげである。

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志之曰:「當天子分憂之地,效漢官良吏之目。

(異文):【效漢官良吏之日】【效漢朝良吏之目】【效漢朝良吏之日】。

元結はこの地方の長官として天子の憂いを分担する地位にあたり、むかし漢代の良吏などの名目にならって行ないをしている。

○志之 志は誌に同じ。

○天子分憂 天子の憂いを分担することをいう、地方官の職をいう。

○漢官良吏之目 漢官良吏とは漢代の循良の吏をいう、目は名目、前史にその名が列せられる。

 

今盜賊未息,知民疾苦,得結輩十數公,落落然參錯天下為邦伯,萬物吐氣,天下少安,可得矣。

(異文):【萬姓壯氣】【天下小安】【可得已】。

今日、盗賊事件はまだやむことはない、もし民のつらさをよく知っているものがおり、それが元結のような役人であって、それをを十数人も得てそれを天下のあちらこちらにまぜて散らばらして長官としておいたならば、万物も生気を吐き、天下もすこしは安泰になるであろうことは、期待し得るものになる。

○落落然 散布のさま。

○参錯 あちこちとまじえおくこと。

○邦伯 一地方の長官。

○吐気 生気をはきだす。

 

不意復見〈比興體制〉,〈微婉頓挫〉之詞。」

それのみではない、彼が作る詩が〈比興体制〉という手法でつくって〈微婉頓挫〉という表現法の詞を見せてくれたことは高く評価できる意外のものである。

比興體制 詩の手法である、体制内批判の手法の詩。比興【ひきょう】:① 他の物にたとえて、おもしろく言うこと。転じて、おもしろく興あること。また、そのさま。② 《「ひきょ(非拠)」の変化した語。一説に「ひきょう(非興)」の意とも》㋐不都合なこと。不合理なこと。また、そのさま。㋑いやしいこと。つまらないこと。また、そのさま。㋒臆病なこと。卑怯なこと。また、そのさま。

微婉頓挫 徴腕はおくふかくしなやか。頓挫は激揚した力を急に停止させること。比興手法の表現の仕方をいう。

 

感而有詩,增諸卷軸,簡知我者,不必寄元。

【不必寄云】。

自分はそれでこのことについて感じてこの詩をつくって巻軸につけ加えた。そうしてこれを自分の知己によせるのである。必ずしも元結本人に寄せなくともいいつもりである。〔大暦二年夔州にあっての作。〕

○増諸巻軸 自分の巻軸に加えて保存する。

○簡 よせること。

○知我者 自分の本心を知るもの。

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元結 《賊退示官吏(并序)》#4  

今彼徵斂者,迫之如火煎。誰能人命,以作時世賢。

思欲委符節,引竿自刺船。將家就魚麥,歸老江湖邊。

そんなことなら自分はあずかっている切手や割符をうち棄てて、竹竿をひきよせて船を刺しているほうがよい。家じゅうをひきつれて魚やむぎのある場所に就き、江湖のあたりにひきこんで隠居しょうとおもうところである。

 

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杜甫詩1500-917-関連-2-4-1390/2500

元結〈賊退示官吏(并序)〉(搜韻)

賊退示官吏

(賊が退いたとき官吏に示した詩。)

序#1

癸卯,西原賊入道州,焚燒(一本無焚燒二字)殺掠,幾盡而去。明年,賊又攻永破邵,不犯此州邊鄙而退,豈力能制敵歟?蓋蒙其傷憐而已,諸使何為忍苦徵斂,故作詩一篇以示官吏。

西原蠻の賊でさえこんなであるのに、なんで上司の人たちは酷い取り立てをすることを無理にするのか。そういうことでわたしはこの楽府詩、一篇をつくって官吏にみせたのである。

癸卯763年広徳元年)の歳に西原蠻の酋長が賊となって道州に入り込み、ほとんどあらゆるものを焚いたり略奪・強奪して去った。

翌二年に、その賊はまた永州を攻め、郡州を破ったが、この道州の辺鄙は犯すことなしに退却した。これは自分の力がこの敵を刺したわけではない、どういうわけか、その賊の方から気の毒がってくれたおかげである。

 

癸卯の歳、西原の賊道州に入り、焚掠 幾ど尽して去る。明年 賊又た 永を攻め郡を破る、此の州の辺都を犯さずして退く。豈に力能く敵を制せん与、蓋し其の傷憐を蒙りし而己。諸使何 為れぞ苦しんで徴斂するに忍ぶや。故に詩一篇を作り、以て官吏に示す。

 

#2

逢太平,山林二十年。

むかしは太平の御代で自分は山林生活を二十年もした。

泉源在庭,洞壑當門前。

そのころは湧き出る泉の水は庭戸のそばにあり、洞壑は門前にあたってよこたわってそんざいした。

有常期,日晏猶得眠。

田地の税金をおさめるにはきまった時期があり、日が長けるまで眠っていることができた。

忽然遭世變,數親戎旃。

れが急に世のなかの変事である安史の乱に遭遇して、一変したのであり、数年の間に軍事負担が自分のみならずすべての者におわされることになった。』

#3

今來典斯郡,山夷又紛然。

わたしは、このたび、この道州をつかさどりはじめたら、西原蠻の山の夷どもが紛然と攻め込んできた。

城小賊不屠,人貧傷可憐。

しかし小さな城であるのに西原蠻の賊はこれを屠らず、人民が貧乏なので彼らも心をいためてきのどくだとおもったようだ。

是以陷鄰境,此州獨見全。

そのため彼らは隣境の永州、その西側の卲州等の地は陥れたがこの道州だけは安全にしておいてくれた。

使臣將王命,豈不如賊焉。

地方へ使者となって、出ている上司は天子の命を奉行するのがその職務であるが、それがどうして彼ら西原蠻ごときに劣ってよいというのだろうか。

#4

今彼斂者,迫之如火煎。

いまここに、かの税をとりたてる者のありさまをみると彼らは人民に迫ることは火が煎り付けるほどにおもわれる。

誰能人命,以作時世賢。

だれができるというのか、それが人民の生命まで絶つことであるのに、それで、時世の賢人とよばれ、立派であるとされたいのか。

思欲委符節,引竿自刺船。

そんなことなら自分はあずかっている切手や割符をうち棄てて、竹竿をひきよせて船を刺しているほうがよい。

將家就魚麥,歸老江湖邊。

家じゅうをひきつれて魚やむぎのある場所に就き、江湖のあたりにひきこんで隠居しょうとおもうところである。

 

昔歳 太平に逢い、山林にあること 二十年。

泉源 庭戸に在り、洞壑 門前に当たる。

井税に 常期有り、日 晏くして猶お眠るを得たり。

忽然として 世変に遭い、数歳 親ら戎旃す。』

 

今来 彼の郡を典るに、山夷 又た紛然たり。

城小にして賊屠らず、人貧にして傷みて憐れむ可しとす。

是を以て 隣境を陥るるも、此の州 独り全くせらる。

使臣 王命を将う、豈に賊にだも如かざらんや。』

 

今 彼の徴斂の者、之に迫ること火の煎するが如し。

誰か能く人命を絶ちて、以て時世の賢と作さん。

符節を委ねて、竿を引きて自ら船を刺さんと思欲す。

家を将て 魚麥に就き、老を江湖の辺に帰せん。』

 

 

賊退示官吏』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#4

今彼徵斂者,迫之如火煎。

誰能人命,以作時世賢。

思欲委符節,引竿自刺船。

將家就魚麥,歸老江湖邊。


(下し文)
今 彼の徴斂の者、之に迫ること火の煎するが如し。

誰か能く人命を絶ちて、以て時世の賢と作さん。

符節を委ねて、竿を引きて自ら船を刺さんと思欲す。

家を将て 魚麥に就き、老を江湖の辺に帰せん。』

(現代語訳)
いまここに、かの税をとりたてる者のありさまをみると彼らは人民に迫ることは火が煎り付けるほどにおもわれる。

だれができるというのか、それが人民の生命まで絶つことであるのに、それで、時世の賢人とよばれ、立派であるとされたいのか。

そんなことなら自分はあずかっている切手や割符をうち棄てて、竹竿をひきよせて船を刺しているほうがよい。

家じゅうをひきつれて魚やむぎのある場所に就き、江湖のあたりにひきこんで隠居しょうとおもうところである。


(訳注) #4

賊退示官吏

(賊が退いたとき官吏に示した詩。)

 

道州の地は、広徳元年(763)九月以降に三カ月ほど西原蠻の賊の侵入を被っている。里広徳二年五月二十二日に元結は道州に着任し、それから五十日余り後に「舂陵行」と「奏免科率状」が書かれた。「賊退示官吏」序に「明年、敗又攻永州、破部、不犯此州連郡両道」とあるのによれば、広徳二年(764)にも賊が遭州に追ったことになる。一方、永泰二年(七六六)の「奏免科率等状」には「去年又賊逼州界、防拝一首除目。賊攻永州、陷邵州、臣州濁全者、爲百姓捍賊。」とあり、この賊の侵入は765年であったことになる。この100日余りの侵入がいつごろであったかはなお疑問だが、「賊退示官吏」は、少なくとも「舂陵行」が書かれてから三カ月以上後に制作されたものであると思われる。

 

この楽府は序に「藷使何爲忍苦徴斂。」とあるとおり、諸使の徴求に対する憤りが中心になっている。詩の序文はまず、西原の賊が道州に侵入し、翌764年広德二年にも周辺の郡に侵入したが、道州はあまりにも悲惨な状況であったので、その賊ですら手を付けなかったと述べる。最初の西原の賊の侵入に関しては、「奏免科率状」に「臣當州被西原賊屠陥、賊停留一月餘、日焚焼糧儲居宅、浮掠百姓男女、駆殺牛馬老少、一州幾盡。賊散後、百姓歸復、十不存一。」と、より詳細に述べられ、翌広徳二年764の侵入に関しても「奏免科率等状」に指摘されている。序は続いて諸使の徴求の厳しさを述べるが、この部分は「舂陵行」に「郵亭傳急符,來往跡相追。更無寬大恩,但有迫促期。」とある部分に対応する。巌しい徴税は「奏免科率状」「舂陵行」制作後、西原蠻の賊の侵入時にも続いていたと思われる。やがて「奏免科率状」に対して恩赦が下り、「広徳二年賀赦表」(764)が書かれ、引き続き改元に伴なう恩赦に対応して「永泰元年賀赦表」(765)が書かれることになるのであるが、この「賊封示官吏」制作時点ではまだ厳しい徴税の符牒が届けられていたのであろう。「奏免科率等状」には、賊の侵入を防いでいた、とあるのに対して、序では「不犯此州邊鄙而退,豈力能制敵歟?蓋蒙其傷憐而已」と表現されている。また「新唐書」巻二二二下、西原蠻列伝には、「餘衆復閑適州、刺史元結固守、不能下。進攻永州、陥那州、留敷H而去。(僚衆復た遠州を寓むも、刺史元結固く守れば、下す能はず。進みて永州を攻め、部州を陥れ、留ること救日にして去る。)」と、元結が鹿の侵入を防いだことを記す。おそらく西原の敗の侵入を防いだのが事実であったのだろう。「敗退示官吏」序では、賊ですら哀れんだと記すことによって、民を哀れむこともなく、厳しく徴税を行なう萬使の苛酷さが一層際立つように描かれているのである。

 

詩の本文は「舂陵行」とは異なって、まず道州制史となるまでの自らの状況を述べることから始まる。続いて敗すら憐れんだ道州に対して租税の徴求が厳しくなされていることに対する批判が展開される。「使臣」「彼徴斂者」すなわち租税の徴斂のために命を受けて州県に赴く官僚をその批判の直接の対象としているのである。最後にこうした状況に対時した時の自らの決意、即ち官を辞するという決断が呈示される。

 

今彼徵斂者,迫之如火煎。

いまここに、かの税をとりたてる者のありさまをみると彼らは人民に迫ることは火が煎り付けるほどにおもわれる。

徵斂者 序に見える「豈力能制敵歟」のこと。苦徵斂 税の取り立てを厳しくするために住民を苦しめる。征:徵收。斂:聚。征斂無限・期:統治者が無限度に土地、家族構成に見合った税を徴収すること。

 

誰能人命,以作時世賢。

だれができるというのか、それが人民の生命まで絶つことであるのに、それで、時世の賢人とよばれ、立派であるとされたいのか。

○時世賢 元結《舂陵行》#7「前賢重守分,惡以禍福移。亦雲貴守官,不愛能適時。」「能適時」とあるのもおなじ、時世むきの賢人、孟子「今之所謂良臣、古之所謂民賊也」(今の艮臣は、古の民賊)といっているのと同意。

元結 《舂陵行(并序)-#6》【7分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6070

 

思欲委符節,引竿自刺船。

そんなことなら自分はあずかっている切手や割符をうち棄てて、竹竿をひきよせて船を刺しているほうがよい。

○委符節 委はうちすてること。

 

將家就魚麥,歸老江湖邊。

家じゅうをひきつれて魚やむぎのある場所に就き、江湖のあたりにひきこんで隠居しょうとおもうところである。

○将家 将はひきいる。

○魚麥 さかなとむぎ。水の物とやまのもの、耕作物。。

 

 

「敗退示官吏」は、中央の官僚を対象に作られたものではなくで、直接には元結の身近にいた州県の官吏を対象にしたものであろうと思われる。身近にいる官吏に向けての発言であったからこそ、徴税の役人を盗賊に比較しても劣るとするような激しい憤りの表現が可能だったのである。

西原蠻の賊と対峙する一方で、州民を収奪するかのごとき厳しい徴税が引き続き行なわれているという状況の中から生じた、中央の政策に対する憤りをもって、周囲にいる、やはり無自覚で民を憂えることを知らず、民に酷く追ってやまぬ官吏たちに対峙したとき、この数篇の詩は成立したのである。一方で 「舂陵行」を書き、周到に自らの態度を中央に表明し、その一方で自らの憤りを周囲の官吏に明らかにすることにあった。ここに杜甫が自らも華州参軍において、《乾元元年華州試進士策問五首》において示した手法と同じものを元結の一聯の楽府に見たのである。

757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首 (23) 全体》 杜甫<1509-T 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340 杜甫詩1500/2500

 

 

これらを踏まえて、杜甫 1939同元使君舂陵行》【5分割】について見てゆく。

元結 《賊退示官吏(并序)》【4分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6090

元結 《賊退示官吏(并序)》#3【4分割】  

今來典斯郡,山夷又紛然。城小賊不屠,人貧傷可憐。

是以陷鄰境,此州獨見全。使臣將王命,豈不如賊焉。

らは隣境の永州、その西側の卲州等の地は陥れたがこの道州だけは安全にしておいてくれた。地方へ使者となって、出ている上司は天子の命を奉行するのがその職務であるが、それがどうして彼ら西原蠻ごときに劣ってよいというのだろうか。

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杜甫詩

1500-917-関連-2-3-1389/2500 

元結〈賊退示官吏(并序)〉(搜韻)

賊退示官吏

(賊が退いたとき官吏に示した詩。)

序#1

癸卯,西原賊入道州,焚燒(一本無焚燒二字)殺掠,幾盡而去。明年,賊又攻永破邵,不犯此州邊鄙而退,豈力能制敵歟?蓋蒙其傷憐而已,諸使何為忍苦徵斂,故作詩一篇以示官吏。

西原蠻の賊でさえこんなであるのに、なんで上司の人たちは酷い取り立てをすることを無理にするのか。そういうことでわたしはこの楽府詩、一篇をつくって官吏にみせたのである。

癸卯763年広徳元年)の歳に西原蠻の酋長が賊となって道州に入り込み、ほとんどあらゆるものを焚いたり略奪・強奪して去った。

翌二年に、その賊はまた永州を攻め、郡州を破ったが、この道州の辺鄙は犯すことなしに退却した。これは自分の力がこの敵を刺したわけではない、どういうわけか、その賊の方から気の毒がってくれたおかげである。

 

癸卯の歳、西原の賊道州に入り、焚掠 幾ど尽して去る。明年 賊又た 永を攻め郡を破る、此の州の辺都を犯さずして退く。豈に力能く敵を制せん与、蓋し其の傷憐を蒙りし而己。諸使何 為れぞ苦しんで徴斂するに忍ぶや。故に詩一篇を作り、以て官吏に示す。

 

#2

逢太平,山林二十年。

むかしは太平の御代で自分は山林生活を二十年もした。

泉源在庭,洞壑當門前。

そのころは湧き出る泉の水は庭戸のそばにあり、洞壑は門前にあたってよこたわってそんざいした。

有常期,日晏猶得眠。

田地の税金をおさめるにはきまった時期があり、日が長けるまで眠っていることができた。

忽然遭世變,數親戎旃。

れが急に世のなかの変事である安史の乱に遭遇して、一変したのであり、数年の間に軍事負担が自分のみならずすべての者におわされることになった。』

#3

今來典斯郡,山夷又紛然。

わたしは、このたび、この道州をつかさどりはじめたら、西原蠻の山の夷どもが紛然と攻め込んできた。

城小賊不屠,人貧傷可憐。

しかし小さな城であるのに西原蠻の賊はこれを屠らず、人民が貧乏なので彼らも心をいためてきのどくだとおもったようだ。

是以陷鄰境,此州獨見全。

そのため彼らは隣境の永州、その西側の卲州等の地は陥れたがこの道州だけは安全にしておいてくれた。

使臣將王命,豈不如賊焉。

地方へ使者となって、出ている上司は天子の命を奉行するのがその職務であるが、それがどうして彼ら西原蠻ごときに劣ってよいというのだろうか。

#4

今彼徵斂者,迫之如火煎。誰能人命,以作時世賢。

思欲委符節,引竿自刺船。將家就魚麥,歸老江湖邊。

 

昔歳 太平に逢い、山林にあること 二十年。

泉源 庭戸に在り、洞壑 門前に当たる。

井税に 常期有り、日 晏くして猶お眠るを得たり。

忽然として 世変に遭い、数歳 親ら戎旃す。』

 

今来 彼の郡を典るに、山夷 又た紛然たり。

城小にして賊屠らず、人貧にして傷みて憐れむ可しとす。

是を以て 隣境を陥るるも、此の州 独り全くせらる。

使臣 王命を将う、豈に賊にだも如かざらんや。』

 

今 彼の徴斂の者、之に迫ること火の煎するが如し。

誰か能く人命を絶ちて、以て時世の賢と作さん。

符節を委ねて、竿を引きて自ら船を刺さんと思欲す。

家を将て 魚麥に就き、老を江湖の辺に帰せん。』

 

 

賊退示官吏』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#3

今來典斯郡,山夷又紛然。城小賊不屠,人貧傷可憐。

是以陷鄰境,此州獨見全。使臣將王命,豈不如賊焉。


(下し文)
今来 彼の郡を典るに、山夷 又た紛然たり。

城小にして賊屠らず、人貧にして傷みて憐れむ可しとす。

是を以て 隣境を陥るるも、此の州 独り全くせらる。

使臣 王命を将う、豈に賊にだも如かざらんや。』

(現代語訳)
わたしは、このたび、この道州をつかさどりはじめたら、西原蠻の山の夷どもが紛然と攻め込んできた。

しかし小さな城であるのに西原蠻の賊はこれを屠らず、人民が貧乏なので彼らも心をいためてきのどくだとおもったようだ。

そのため彼らは隣境の永州、その西側の卲州等の地は陥れたがこの道州だけは安全にしておいてくれた。

地方へ使者となって、出ている上司は天子の命を奉行するのがその職務であるが、それがどうして彼ら西原蠻ごときに劣ってよいというのだろうか。



(訳注) #3

賊退示官吏

(賊が退いたとき官吏に示した詩。)

 

「新唐書」巻二二二下、西原蠻列伝には、「餘衆復閑適州、刺史元結固守、不能下。進攻永州、陥那州、留敷H而去。(僚衆復た遠州を寓むも、刺史元結固く守れば、下す能はず。進みて永州を攻め、部州を陥れ、留ること救日にして去る。)」と、元結が鹿の侵入を防いだことを記す。おそらく西原の敗の侵入を防いだのが事実であったのだろう。「敗退示官吏」序では、賊ですら哀れんだと記すことによって、民を哀れむこともなく、厳しく徴税を行なう萬使の苛酷さが一層際立つように描かれているのである。

 

詩の本文は「舂陵行」とは異なって、まず道州制史となるまでの自らの状況を述べることから始まる。続いて敗すら憐れんだ道州に対して租税の徴求が厳しくなされていることに対する批判が展開される。「使臣」「彼徴斂者」すなわち租税の徴斂のために命を受けて州県に赴く官僚をその批判の直接の対象としているのである。最後にこうした状況に対時した時の自らの決意、即ち官を辞するという決断が呈示される。

 

 

今來典斯郡,山夷又紛然。

わたしは、このたび、この道州をつかさどりはじめたら、西原蠻の山の夷どもが紛然と攻め込んできた。

○斯郡 州。道州 (江南西道 道州 道州)   

○山東 西原蛮。

 

城小賊不屠,人貧傷可憐。

しかし小さな城であるのに西原蠻の賊はこれを屠らず、人民が貧乏なので彼らも心をいためてきのどくだとおもったようだ。

○人貧 この地の陣人が貧窮している。

○傷可憐 あまりに貧窮、疲弊しているのでそれを哀れに思ったということ。

 

是以陷鄰境,此州獨見全。

そのため彼らは隣境の永州、その西側の卲州等の地は陥れたがこの道州だけは安全にしておいてくれた。

○隣境 永州卲州。

 

使臣將王命,豈不如賊焉。

地方へ使者となって、出ている上司は天子の命を奉行するのがその職務であるが、それがどうして彼ら西原蠻ごときに劣ってよいというのだろうか。

○使臣 上司をさす。

○将王命 天子の命を行なう。

豈不如賊焉 賊は、西原蠻で、彼等は、略奪強奪はするものの、来年の種もみは残すし、最低限の生活ができる事の配慮はする。それに比較して、税徴収するのに配慮が全くないことから、上司のやり方は劣っているという。

元結 《賊退示官吏(并序)》【4分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6085

元結 《賊退示官吏(并序)》#2  

逢太平,山林二十年。

泉源在庭,洞壑當門前。

有常期,日晏猶得眠。

忽然遭世變,數親戎旃

むかしは太平の御代で自分は山林生活を二十年もした。そのころは湧き出る泉の水は庭戸のそばにあり、洞壑は門前にあたってよこたわってそんざいした。田地の税金をおさめるにはきまった時期があり、日が長けるまで眠っていることができた。

 

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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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元結〈賊退示官吏(并序)〉(搜韻)

 

賊退示官吏

(賊が退いたとき官吏に示した詩。)

序#1

癸卯,西原賊入道州,焚燒(一本無焚燒二字)殺掠,幾盡而去。明年,賊又攻永破邵,不犯此州邊鄙而退,豈力能制敵歟?蓋蒙其傷憐而已,諸使何為忍苦徵斂,故作詩一篇以示官吏。

西原蠻の賊でさえこんなであるのに、なんで上司の人たちは酷い取り立てをすることを無理にするのか。そういうことでわたしはこの楽府詩、一篇をつくって官吏にみせたのである。

癸卯763年広徳元年)の歳に西原蠻の酋長が賊となって道州に入り込み、ほとんどあらゆるものを焚いたり略奪・強奪して去った。

翌二年に、その賊はまた永州を攻め、郡州を破ったが、この道州の辺鄙は犯すことなしに退却した。これは自分の力がこの敵を刺したわけではない、どういうわけか、その賊の方から気の毒がってくれたおかげである。

 

癸卯の歳、西原の賊道州に入り、焚掠 幾ど尽して去る。明年 賊又た 永を攻め郡を破る、此の州の辺都を犯さずして退く。豈に力能く敵を制せん与、蓋し其の傷憐を蒙りし而己。諸使何 為れぞ苦しんで徴斂するに忍ぶや。故に詩一篇を作り、以て官吏に示す。

#2

逢太平,山林二十年。

むかしは太平の御代で自分は山林生活を二十年もした。

泉源在庭,洞壑當門前。

そのころは湧き出る泉の水は庭戸のそばにあり、洞壑は門前にあたってよこたわってそんざいした。

有常期,日晏猶得眠。

田地の税金をおさめるにはきまった時期があり、日が長けるまで眠っていることができた。

忽然遭世變,數親戎旃。

れが急に世のなかの変事である安史の乱に遭遇して、一変したのであり、数年の間に軍事負担が自分のみならずすべての者におわされることになった。』

#3

今來典斯郡,山夷又紛然。城小賊不屠,人貧傷可憐。

是以陷鄰境,此州獨見全。使臣將王命,豈不如賊焉。

#4

今彼徵斂者,迫之如火煎。誰能人命,以作時世賢。

思欲委符節,引竿自刺船。將家就魚麥,歸老江湖邊。

 

昔歳 太平に逢い、山林にあること 二十年。

泉源 庭戸に在り、洞壑 門前に当たる。

井税に 常期有り、日 晏くして猶お眠るを得たり。

忽然として 世変に遭い、数歳 親ら戎旃す。』

 

今来 彼の郡を典るに、山夷 又た紛然たり。

城小にして賊屠らず、人貧にして傷みて憐れむ可しとす。

是を以て 隣境を陥るるも、此の州 独り全くせらる。

使臣 王命を将う、豈に賊にだも如かざらんや。』

 

今 彼の徴斂の者、之に迫ること火の煎するが如し。

誰か能く人命を絶ちて、以て時世の賢と作さん。

符節を委ねて、竿を引きて自ら船を刺さんと思欲す。

家を将て 魚麥に就き、老を江湖の辺に帰せん。』

 

賊退示官吏』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#2

逢太平,山林二十年。

泉源在庭,洞壑當門前。

有常期,日晏猶得眠。

忽然遭世變,數親戎旃

(下し文)
歳 太平に逢い、山林にあること 二十年。

泉源 庭戸に在り、洞壑 門前に当たる。

井税に 常期有り、日 晏くして猶お眠るを得たり。

忽然として 世変に遭い、数歳 親ら戎旃す。』

(現代語訳)
むかしは太平の御代で自分は山林生活を二十年もした。

そのころは湧き出る泉の水は庭戸のそばにあり、洞壑は門前にあたってよこたわってそんざいした。

田地の税金をおさめるにはきまった時期があり、日が長けるまで眠っていることができた。

れが急に世のなかの変事である安史の乱に遭遇して、一変したのであり、数年の間に軍事負担が自分のみならずすべての者におわされることになった。』



(訳注) #2

賊退示官吏

(賊が退いたとき官吏に示した詩。)

・この楽府は序に「藷使何爲忍苦徴斂。」とあるとおり、諸使の徴求に対する憤りが中心になっている。詩の序文はまず、西原の賊が道州に侵入し、翌764年広德二年にも周辺の郡に侵入したが、道州はあまりにも悲惨な状況であったので、その賊ですら手を付けなかったと述べる。

 

・最初の西原の賊の侵入に関しては、「奏免科率状」に「臣當州被西原賊屠陥、賊停留一月餘、日焚焼糧儲居宅、浮掠百姓男女、駆殺牛馬老少、一州幾盡。賊散後、百姓歸復、十不存一。」と、より詳細に述べられ、翌広徳二年764の侵入に関しても「奏免科率等状」に指摘されている。序は続いて諸使の徴求の厳しさを述べるが、この部分は「舂陵行」に「郵亭傳急符,來往跡相追。更無寬大恩,但有迫促期。」とある部分に対応する。巌しい徴税は「奏免科率状」「舂陵行」制作後、西原蠻の賊の侵入時にも続いていたと思われる。

 

・やがて「奏免科率状」に対して恩赦が下り、「広徳二年賀赦表」(764)が書かれ、引き続き改元に伴なう恩赦に対応して「永泰元年賀赦表」(765)が書かれることになるのであるが、この「賊封示官吏」制作時点ではまだ厳しい徴税の符牒が届けられていたのであろう。

 

・「奏免科率等状」には、賊の侵入を防いでいた、とあるのに対して、序では「不犯此州邊鄙而退,豈力能制敵歟?蓋蒙其傷憐而已」と表現されている。また「新唐書」巻二二二下、西原蠻列伝には、「餘衆復閑適州、刺史元結固守、不能下。進攻永州、陥那州、留敷H而去。(僚衆復た遠州を寓むも、刺史元結固く守れば、下す能はず。進みて永州を攻め、部州を陥れ、留ること救日にして去る。)」と、元結が鹿の侵入を防いだことを記す。おそらく西原蠻の賊の侵入を防いだのが事実であったのだろう。「敗退示官吏」序では、賊ですら哀れんだと記すことによって、民を哀れむこともなく、厳しく徴税を行なう諸使の苛酷さが一層際立つように描かれているのである。

 

逢太平,山林二十年。

むかしは太平の御代で自分は山林生活を二十年もした。

○太平 唐では、初唐の「貞観の治」があり、盛唐の「開元の治」があり、この事を指す。

貞観の治は唐(618 - 907年)の第2代皇帝・太宗李世民の治世、貞観(元年 - 23年)時代(627 - 649年)の政治を指す。この時代、中国史上最も良く国内が治まった時代と言われ、後世、政治的な理想時代とされた。僅かな異変でも改元を行った王朝時代において同一の元号が23年も続くと言うのは稀であり、その治世がいかに安定していたかが伺える。

この時代を示す言葉として、『資治通鑑』に、「-海内升平,路不拾遺,外戸不閉,商旅野宿焉。」(天下太平であり、道に置き忘れたものは盗まれない。家の戸は閉ざされること無く、旅の商人は野宿をする(ほど治安が良い))との評がある。

開元の治は唐(618 - 907年)の第6代皇帝・玄宗李隆基の治世、開元(元年 - 29年)年間(713 - 741年)の政治を指す。貞観の治と並び称せられる中国史上の政治の安定期の一つで、唐は絶頂期を迎えた。しかし、後に玄宗が楊貴妃を寵愛し政治を放棄したため唐は混乱し、安史の乱が起こったため崩壊した。

 

泉源在庭,洞壑當門前。

そのころは湧き出る泉の水は庭戸のそばにあり、洞壑は門前にあたってよこたわってそんざいした。

〇泉源・洞壑 源泉はきちんと維持管理していないと奇麗な水にはならない。洞壑は洞穴と谷で僧侶・隠者の修行のための場所で、太平の時代には整備利用がなされていたことをいう。・この二句は、太平の頃の、「-海内升平,路不拾遺,外戸不閉,商旅野宿焉。」の別表現である。

 

有常期,日晏猶得眠。

田地の税金をおさめるにはきまった時期があり、日が長けるまで眠っていることができた。

○井税 井字形の田地の税、単に田税の意。《魏書李世安傳》「井之興, 其來日久。」 唐錢起《觀村人牧山田》詩「貧民乏井 塉土皆墾鑿。」

 

忽然遭世變,數親戎旃。

それが急に世のなかの変事である安史の乱に遭遇して、一変したのであり、数年の間に軍事負担が自分のみならずすべての者におわされることになった。』

○世変 安・史の乱をいう。

○数歳親戎栴 文官である元結も、粛宗朝以来軍務にたずさわったことをいうが、それはすべての者に適用され駆り出されたことをいう。栴は反物のままを掛かげけた旗。旗は小吏を磨れば残ってゆくが、敗けると踏みにじられ焼却されるので、旗の製作が間に合わない状態をいう。ここでは、兵士の数が不足して行くのでその補充に徴兵条件が拡大されていくことをいう。

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紀 頌之

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