杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

2015年08月

766年-114杜甫 《1801偶題》#2 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-114 <976-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6540

杜甫  偶題#2  

前輩飛騰入,餘波綺麗為。後賢兼舊列,歷代各清規。

法自儒家有,心從弱疲。永懷江左逸,多病鄴中奇。
漢魏、建安文学の先輩たちは飛躍してその盛なる漢道のガへ進み入ったが、その余波である六朝ごろになると綺麗なすがたのものとなった。また其の以後の賢人も各のその前代の体制を兼ね、列を為し、歴代それぞれ清新な規律を有して文學の體制をなしたのである。自分の文章の法は、詩の名家であり、儒家であった父祖から得ているので、弱年の時から文章のために心が疲れるほどに懸命にしているのである。分はいつも鮑照・謝靈運以下六朝諸家のすぐれたことを懐うており、三曹建安七子以下の鄴中諸家の非凡なさまを見ては之に対して病というほど夢中になり、飽き足らすことなどないほどのものと考えるのである。

766-114杜甫 1801偶題》#2 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-114 <976-#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6540

 

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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87-#4 燕喜亭記 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1511> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6539 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年-114杜甫 《1801偶題》#2 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-114 <976-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6540 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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杜甫詩1500-976-#2-1479/2500

卷別:    卷二三○              文體:    五言古詩

詩題:    偶題

作地點:              目前尚無資料

及地點:              相州 (河北道南部 相州 相州) 別名:鄴城、鄴、鄴中  

白閣峰 (京畿道 無第二級行政層級 終南山)   

皇陂 (京畿道 京兆府 長安) 別名:皇陂、黃陂            

 

 

偶題 #1

(偶然に書き付けた詩) #1

文章千古事,得失寸心知。

文章は永遠不朽の事業であるが、その任否得失に至ってはただ作者自家の方寸の心が知るばかりのものである。

作者皆殊列,名聲豈浪垂。

むかしから作者とよばれるほどの人人はみな特殊な列位にあるもので、その人人の名聲は故なくしてみだりに後世に垂れるものではない。(それぞれ他人には言えない獨知の長所をもっているから永久につたはったのだ)。

騷人嗟不見,漢道盛於斯。

すっとふるい騒人はなげかわしくも今は見られないが、漢の代になって文章の道はその時に盛となった。

(偶題) #1

文章 千古の事,得失 寸心知る。

作者 皆 殊列なり,名聲 豈に浪りに垂れむや。

騷人 嗟 見えず,漢道 斯に盛んなり。

#2

前輩飛騰入,餘波綺麗為。

漢魏、建安文学の先輩たちは飛躍してその盛なる漢道のガへ進み入ったが、その余波である六朝ごろになると綺麗なすがたのものとなった。

後賢兼舊列,歷代各清規。

また其の以後の賢人も各のその前代の体制を兼ね、列を為し、歴代それぞれ清新な規律を有して文學の體制をなしたのである。

法自儒家有,心從弱疲。

自分の文章の法は、詩の名家であり、儒家であった父祖から得ているので、弱年の時から文章のために心が疲れるほどに懸命にしているのである。

永懷江左逸,多病鄴中奇。

分はいつも鮑照・謝靈運以下六朝諸家のすぐれたことを懐うており、三曹建安七子以下の鄴中諸家の非凡なさまを見ては之に対して病というほど夢中になり、飽き足らすことなどないほどのものと考えるのである。

#2

前輩 飛騰して入る,餘波 綺麗と為る。

後賢 舊列を兼ぬ,歷代 各の清規あり。

法は儒家自り有り,心は弱從り疲る。

永く懷う 江左の逸,多く病ましめらる鄴中の奇なるに。

#3

騄驥皆良馬,騏驎帶好兒。車輪徒已斲,堂構惜仍虧。

漫作《潛夫論》,虛傳幼婦碑。緣情慰漂蕩,抱疾屢遷移。

#4

經濟慚長策,飛棲假一枝。塵沙傍蜂蠆,江峽繞蛟螭。

蕭瑟唐虞遠,聯翩楚漢危。聖朝兼盜賊,異俗更喧卑。

#5

鬱鬱星辰劍,蒼蒼雲雨池。兩都開幕府,萬宇插軍麾。

南海殘銅柱,東風避月支。

#6

音書恨烏鵲,號怒怪熊羆。稼穡分詩興,柴荊學土宜。

故山迷白閣,秋水隱黃陂。不敢要佳句,愁來賦別離。

 

#3

驥 皆 良馬なり,騏驎 好兒を帶ぶ。

車輪凝らに己に斲す、堂構仍お虧けたるを惜む。

漫りに作る《潜夫論》、虚しく傳う幼婦の碑。

緣情 漂蕩を慰む、抱疾屢ば遷移す。

#4

経済長策を慙づ、飛棲一枝を假る。

塵沙に蜂蠆に傍ふ、江峽蛟螭繞る。

蕭瑟として唐虞遠く,聯翩として楚漢危し。

聖朝盜賊を兼ぬ,異俗更に喧卑なり。

#5

鬱鬱たり星辰劍,蒼蒼たり雲雨池。

兩都幕府を開く,萬宇 軍麾を插む。

南海 銅柱殘る,東風 月支を避く。

#6

音書 烏鵲を恨む,號怒 熊羆を怪む。

稼穡 詩興を分つ,柴荊 土宜を學ぶ。

故山 白閣迷う,秋水 黃陂を隱う。

敢て佳句を要せず,愁い來りて別離を賦す。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->瞿塘峡・白帝城・魚復
<!--[endif]-->

 

『偶題』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

前輩飛騰入,餘波綺麗為。

後賢兼舊列,歷代各清規。

法自儒家有,心從弱疲。

永懷江左逸,多病鄴中奇。

(下し文)
#2

前輩 飛騰して入る,餘波 綺麗と為る。

後賢 舊列を兼ぬ,歷代 各の清規あり。

法は儒家自り有り,心は弱從り疲る。

永く懷う 江左の逸,多く病ましめらる鄴中の奇なるに。

(現代語訳)
#2

漢魏、建安文学の先輩たちは飛躍してその盛なる漢道のガへ進み入ったが、その余波である六朝ごろになると綺麗なすがたのものとなった。

また其の以後の賢人も各のその前代の体制を兼ね、列を為し、歴代それぞれ清新な規律を有して文學の體制をなしたのである。

自分の文章の法は、詩の名家であり、儒家であった父祖から得ているので、弱年の時から文章のために心が疲れるほどに懸命にしているのである。

分はいつも鮑照・謝靈運以下六朝諸家のすぐれたことを懐うており、三曹建安七子以下の鄴中諸家の非凡なさまを見ては之に対して病というほど夢中になり、飽き足らすことなどないほどのものと考えるのである。

函谷関長安地図座標001
(訳注) #2

偶題 #1

(偶然に書き付けた詩)

自己の詩學・文学・儒学に及び、此詩を賦する所以を叙したもので、大暦元年秋夔州にての作ったものである。

 

前輩飛騰入,餘波綺麗為。

漢魏、建安文学の先輩たちは飛躍してその盛なる漢道のガへ進み入ったが、その余波である六朝ごろになると綺麗なすがたのものとなった。

○前輩 後漢の建安、魏の黃初等の時代の文革界の発輩。建安文学、三曹(曹操・曹丕・曹植)・七子、竹林の七賢(阮籍,王戎,山濤,向秀,けい康,劉伶,阮咸)をいう。

○飛騰入 鳥が飛び、馬が躍り上がるような気持ちで、奮って漢道に入ったということ。

○餘波 漢、魏の文章の流れの余波。

○綺麗為 六朝文学の華美、佳麗な姿をいう。

 

後賢兼舊列,歷代各清規。

また其の以後の賢人も各のその前代の体制を兼ね、列を為し、歴代それぞれ清新な規律を有して文學の體制をなしたのである。

○後賢 六朝詩人賢人の後の詩人賢人。

○兼舊列 後賢が其の自己より以前の時代の文學の體制を兼ね有すること、廣く材料を取るをいう。

○歷代 各時代。

○各清規 それぞれ清らかなる規律を有す、意匠の新しきところあるをいう。

・以上起十句は詩學の源流か叙す。

 

法自儒家有,心從弱疲。

自分の文章の法は、詩の名家であり、儒家であった父祖から得ているので、弱年の時から文章のために心が疲れるほどに懸命にしているのである。

○法自儒家有 法とは文章の法、儒家とに儒道の家、杜甫の家系は儒家である。杜甫の祖父杜審言は詩の名家である。之より詩法を傳えられしにより儒家より有すという。

○弱 二十歳。

 

永懷江左逸,多病鄴中奇。

自分はいつも鮑照・謝靈運以下六朝諸家のすぐれたことを懐うており、三曹建安七子以下の鄴中諸家の非凡なさまを見ては之に対して病というほど夢中になり、飽き足らすことなどないほどのものと考えるのである。

○江左逸 江左は江東、江南、即ち六朝の都とせし所をいう、鮑照・謝靈運以下六朝諸家をさす、逸とはすぐれたるをいう。

○多病鄴中 病とは鄴中の奇に対して自己を病めりとし、あきたらずとするなり、鄴中の奇なるをあきたらずとするにはあらず。不完全句といわれている。鄴は、魏の都にて今の河南省彰徳府臨漳縣なり。魏の時、三曹(曹操・曹丕・曹植)、鄴中(建安)七子あり、孔融・陳琳・王粲・徐幹・阮瑀・應瑒・劉楨、是なり、叉、曹植も傑出す、此等は謂ゆる鄴中の奇なり。・相州 (河北道南部 相州 相州) 別名:鄴城、鄴、鄴中   
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766年-113杜甫 《1801偶題》1531 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-113 <976> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6530

杜甫  偶題 #1

文章千古事,得失寸心知。作者皆殊列,名聲豈浪垂。騷人嗟不見,漢道盛於斯。
(偶然に書き付けた詩) #1

文章は永遠不朽の事業であるが、その任否得失に至ってはただ作者自家の方寸の心が知るばかりのものである。むかしから作者とよばれるほどの人人はみな特殊な列位にあるもので、その人人の名聲は故なくしてみだりに後世に垂れるものではない。(それぞれ他人には言えない獨知の長所をもっているから永久につたはったのだ)。すっとふるい騒人はなげかわしくも今は見られないが、漢の代になって文章の道はその時に盛となった。

766-113杜甫 1801偶題》1531 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-113 <976 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6530

 
 2015年8月30日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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298 《卷十六01 送魯郡劉長史遷弘農長史》Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <298> Ⅰ李白詩1586 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6478 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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87-#3 燕喜亭記 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1510> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6534韓愈詩-87-#3 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年-113杜甫 《1801偶題》1531 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-113 <976> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6530 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog9欧陽烱《巻六02南鄉子八首 其二》『花間集』253全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6537 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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杜甫詩

1500-976-1477/2500

年:766年大暦元年55-113

卷別:    卷二三○              文體:    五言古詩

詩題:    偶題

作地點:目前尚無資料

及地點:相州 (河北道南部 相州 相州) 別名:鄴城、鄴、鄴中  

白閣峰 (京畿道 無第二級行政層級 終南山)   

皇陂 (京畿道 京兆府 長安) 別名:皇陂、黃陂            

 

 

偶題 #1

(偶然に書き付けた詩) #1

文章千古事,得失寸心知。

文章は永遠不朽の事業であるが、その任否得失に至ってはただ作者自家の方寸の心が知るばかりのものである。

作者皆殊列,名聲豈浪垂。

むかしから作者とよばれるほどの人人はみな特殊な列位にあるもので、その人人の名聲は故なくしてみだりに後世に垂れるものではない。(それぞれ他人には言えない獨知の長所をもっているから永久につたはったのだ)。

騷人嗟不見,漢道盛於斯。

すっとふるい騒人はなげかわしくも今は見られないが、漢の代になって文章の道はその時に盛となった。

(偶題) #1

文章 千古の事,得失 寸心知る。

作者 皆 殊列なり,名聲 豈に浪りに垂れむや。

騷人 嗟 見えず,漢道 斯に盛んなり。

#2

前輩飛騰入,餘波綺麗為。後賢兼舊列,歷代各清規。

法自儒家有,心從弱疲。永懷江左逸,多病鄴中奇。

#3

騄驥皆良馬,騏驎帶好兒。車輪徒已斲,堂構惜仍虧。

漫作《潛夫論》,虛傳幼婦碑。緣情慰漂蕩,抱疾屢遷移。

#4

經濟慚長策,飛棲假一枝。塵沙傍蜂蠆,江峽繞蛟螭。

蕭瑟唐虞遠,聯翩楚漢危。聖朝兼盜賊,異俗更喧卑。

#5

鬱鬱星辰劍,蒼蒼雲雨池。兩都開幕府,萬宇插軍麾。

南海殘銅柱,東風避月支。

#6

音書恨烏鵲,號怒怪熊羆。稼穡分詩興,柴荊學土宜。

故山迷白閣,秋水隱黃陂。不敢要佳句,愁來賦別離。

 

前輩飛騰して入、る、飴波締麗と為る。

後貿麿制を粂ぬ、歴代各〜清規あり。』

法は儒家より有す、心は顔歳より渡る。

永く懐ふ江左の逸、多く痛ましめらる都中の奇なるに。

味磯皆良馬、麒麟好鬼を尊ぶ。

一#2

前輩 飛騰して入る,餘波 綺麗と為る。

後賢 舊列を兼ぬ,歷代 各の清規あり。

法は儒家自り有り,心は弱從り疲る。

永く懷う 江左の逸,多く病ましめらる鄴中の奇なるに。

#3

驥 皆 良馬なり,騏驎 好兒を帶ぶ。

車輪凝らに己に斲す、堂構仍お虧けたるを惜む。

漫りに作る《潜夫論》、虚しく傳う幼婦の碑。

緣情 漂蕩を慰む、抱疾屢ば遷移す。

#4

経済長策を慙づ、飛棲一枝を假る。

塵沙に蜂蠆に傍ふ、江峽蛟螭繞る。

蕭瑟として唐虞遠く,聯翩として楚漢危し。

聖朝盜賊を兼ぬ,異俗更に喧卑なり。

#5

鬱鬱たり星辰劍,蒼蒼たり雲雨池。

兩都幕府を開く,萬宇 軍麾を插む。

南海 銅柱殘る,東風 月支を避く。

#6

音書 烏鵲を恨む,號怒 熊羆を怪む。

稼穡 詩興を分つ,柴荊 土宜を學ぶ。

故山 白閣迷う,秋水 黃陂を隱う。

敢て佳句を要せず,愁い來りて別離を賦す。
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『偶題』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

偶題 #1

文章千古事,得失寸心知。

作者皆殊列,名聲豈浪垂。

騷人嗟不見,漢道盛於斯。

(下し文)
(偶題) #1

文章 千古の事,得失 寸心知る。

作者 皆 殊列なり,名聲 豈に浪りに垂れむや。

騷人 嗟 見えず,漢道 斯に盛んなり。

(現代語訳)
(偶然に書き付けた詩) #1

文章は永遠不朽の事業であるが、その任否得失に至ってはただ作者自家の方寸の心が知るばかりのものである。

むかしから作者とよばれるほどの人人はみな特殊な列位にあるもので、その人人の名聲は故なくしてみだりに後世に垂れるものではない。(それぞれ他人には言えない獨知の長所をもっているから永久につたはったのだ)。

すっとふるい騒人はなげかわしくも今は見られないが、漢の代になって文章の道はその時に盛となった。


(訳注)

偶題 #1

(偶然に書き付けた詩)

自己の詩學・文学・儒学に及び、此詩を賦する所以を叙したもので、大暦元年秋夔州にての作ったものである。

 

文章千古事,得失寸心知。

文章は永遠不朽の事業であるが、その任否得失に至ってはただ作者自家の方寸の心が知るばかりのものである。

○千古事 永遠不朽の事業であることをいう。

○得失 可否をいう。

○寸心知 寸心とは、方寸の心、自家の心中をいう。

 

作者皆殊列,名聲豈浪垂。

むかしから作者とよばれるほどの人人はみな特殊な列位にあるもので、その人人の名聲は故なくしてみだりに後世に垂れるものではない。(それぞれ他人には言えない獨知の長所をもっているから永久につたはったのだ)。

○作者 古今の作家。

○殊列 特別なる列位に在ること。

○浪垂 真の価値なくしてみだりに後世に傳はる。

 

騷人嗟不見,漢道盛於斯。

すっとふるい騒人はなげかわしくも今は見られないが、漢の代になって文章の道はその時に盛となった。

騒人 騒〔離騒〕とは周末に楚の屈原が作り、韻文の一體なり、其の體によりて作るものか騒人といふ、屈原が門人に宋玉・景差・唐勤等あり、みな謂ゆる騒人なり。

嗟不見 ああ、不見とは見るべからざるをいう。なげかわしくも今は見られないがというほどの意。

漢道 漢代の文章の道をいう、漢に至りて五言七言の詩起る。

盛於斯 斯は其の時をさす。

766年-112杜甫 《巻1540夔州歌十絕句,十首之十》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-112 <975> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6530

杜甫  夔州歌十句,十首之十  

閬風玄圃與蓬壺,中有高堂天下無。借問夔州壓何處,峽門江腹擁城隅。

(夔州の風土についてのべている。十首の十:この形勝を控えた夔州において他所を圧倒している場所があるそれは我が寓居があると詠う。)人の能く言う仙郷は、西には崑崙山の上にあるという仙人の住む所の閬風、玄圃があり、東には東海三山、蓬莱山、方壺山(方丈山)、瀛州山があるが、その中間には、ここ夔州の「高唐賦」の高堂があり、これは天下にはない所のものである。そこでこの形勝を控えた夔州において他所を圧倒している場所があるだろうか、すなわち夔門である峽門、江腹にあたって城隅を抱きかかえたところに我が寓居があるのである。

766-112杜甫 《巻1540夔州歌十句,十首之十》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-112 <975> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6530

 


杜甫詩1500-975-1477/2500

 

夔州における杜甫の住まい(6)

雲安⇒ 客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯

 

 今度は、月の沈む方角から瀼西宅の位置を知ることができる。大暦二年の八月十五日(西暦九月十二日)、杜甫は瀼西宅で中秋の名月を三晩続けて見ていた。2030_八月十五夜月二首》其一757年では、月光は草堂河にふりそそぎ、

 

八月十五夜月,二首之一

 

滿目飛明鏡,歸心折大刀。

滿目 明鏡飛ぶ,歸心 大刀折る。

轉蓬行地遠,攀桂仰天高。

轉蓬 地を行くこと遠し,攀桂 天の高きを仰ぐ。

水路疑霜雪,林棲見羽毛。

水路は 霜雪かと疑い、林棲は その羽毛を見る

此時瞻白兔,直欲數秋毫。

此の時 白兔を瞻れば,直ちに 秋毫をも數えんと欲す。

というように、林内の鳥の羽毛まで見分けがつくように明るいが、其二では、月は西の巫山峡(ここでは瞿塘峡を指す)の方に沈んでいく。

 

八月十五夜月,二首之二

 

稍下巫山峽,猶銜白帝城。

(ようや)く巫山峡に下り、猶お白帝城を銜(ふく)

氣沈全浦暗,輪仄半樓明。

気は沈みて 全浦暗く、輪は仄(かたむ)きて 半楼明かなり

刁斗皆催曉,蟾蜍且自傾。

刁斗 皆 曉を催す,蟾蜍 且く自ら傾く。

張弓倚殘魄,不獨漢家營。

弓を張りて殘魄に倚るは,獨り漢家の營のむならず。

 

草堂河は暗くなったが白帝城はまだ月光に包まれており、楼閣の半面が明るく照らされている。このように月が白帝城の方に沈んでいることから、瀼西宅がその東にあることがわかる。もしも梅渓河の方に杜甫宅があれば、月は決して白帝城の方には沈まない。

 また瀼西宅には白帝城からの音が届いている。これも白帝城が近い証拠といえる。地図上での単純な距離は三キロメートル弱であるが、瀼西宅と白帝城の間にはほぼ一直線の草堂河が流れており、しかも両岸は山になっているから、音が拡散せず伝わりやすいのであろう。

 前掲の十五夜の詩其二の後半では、白帝城で巡邏する兵士たちの銅鑼の音が、瀼西宅まで聞こえてきている。

 

杜甫は、その音がまるで夜明けを促すようだと感じ、白帝城の兵士たちが月明かりをたよりに、夜通し護衛につとめている苦労にも思いを馳せている。

 翌日の十六夜の月夜には笛の音が聞こえてきて、杜甫の旅愁をいっそうかき立てている。2032_十六夜玩月》に言う、

十六夜玩月

 

舊挹金波爽,皆傳玉露秋。

舊より挹む 金波の爽かなるを,皆 傳う 玉露の秋と。

關山隨地闊,河漢近人流。

關山 地に隨って闊に,河漢 人に近づいて流る。

谷口樵歸唱,孤城笛起愁。

谷口に 樵(きこり)帰りて唱い、孤城に 笛起こりて愁う

巴童渾不寢,半夜有行舟。

巴童も渾て 寢ねず,半夜 行舟有り。

2033

十七夜對月

 

秋月仍圓夜,江村獨老身。

秋月 仍お 圓き夜,江村 獨り老ゆる身。

捲簾還照客,倚杖更隨人。

簾を捲けば 還た照客を,杖に倚れば 更に人に隨う。

光射潛虯動,明翻宿鳥頻。

光に射られて 潛虯動く,明なるに翻りて宿鳥頻りなり。

茅齋依橘柚,清切露華新。

茅齋 橘柚に依る,清切 露華 新たなり。

 

この孤城は白帝城である。白帝山の西閣を舞台に詠われた1723_秋興八首》其二に「夔府の孤城に落日斜め」とあり、夔州都督府の役所は白帝城にあった。また1939_秋日夔府詠懷……》にも「孤城白帝の辺」とある。

 次の2034_暁に望む》の詩では、白帝城から時を知らせる音が、朝方になってようやく尽きたという。この詩で杜甫は、野生の鹿を友とし隠遁者のように質素な住まいで暮らしていこうと沈んだ気持ちになっている。

 

曉望

 

白帝更聲盡,陽臺曙色分。

白帝には 更声の尽き、陽台には 曙色の分たり

高峰寒上日,疊嶺宿霾雲。

高峰には 寒くして日の上り、疊嶺宿霾雲。

地坼江帆穩,天清木葉聞。

地坼江帆穩,天清木葉聞。

荊扉對麋鹿,應共爾為群。

荊扉(ケイヒ)に 麋鹿(ビロク)に対し、応(まさ)に爾と共に群を為すべし

これは東屯での作とするのが一般的だが、もしそうなら瀼西宅まで聞こえた音は草堂河を伝わって、もうひとつ北の東屯まで届いたのであろう。地形から十分にあり得ることである。

 

 次の2049_夜二首》其二の詩は、仇注の編年に従えば瀼西宅での秋の作である。白帝城に日が暮れゆき、笳(あしぶえ)の音が白帝城から聞こえてきている。

 

夜,二首之二

 

城郭悲笳暮,村墟過翼稀。

城郭 悲笳に暮る,村墟 過翼稀なり。

甲兵年數久,賦斂夜深歸。

甲兵 年數久し,賦斂せられて夜深に歸る。

暗樹依巖落,明河繞塞微。

暗樹 巖落に依りて,明河 塞を繞りて微なり。

斗斜人更望,月細鵲休飛。

斗 斜めにして 人 更に望む,月 細くして 鵲 飛ぶを休む。

  城郭悲笳暮、 城郭は 悲笳(ヒカ)のひびきのなかに暮れゆき

  村墟過翼稀。 わが村墟は 過ぎる翼(とり)も稀(まれ)なり

  ……

  暗樹依巖落、 暗き樹は 巌(いわお)に依()りて落ち

  明河繞塞微。 明河は 塞を繞(めぐ)りて微(かす)かなり

杜甫は訪れる人も少ない瀼西宅の村の中で悲しげな笳の音を耳にしている。空にやがて星が輝きはじめると、天の河が白帝の城塞の上を流れていた。だがこうした細い悲笳の音は梅渓河までは届かなかったであろう。白帝城から梅渓河までは直線距離でも四、五キロメートルはあり、その間には長江が滔滔と流れている。同じ時期の2002_秋野五首》其五には「大江(長江)は秋は盛んとなり易く、空峡には夜は聞こゆるもの多し」というように、さまざまな秋声がざわめきを立てているのだから。

 

秋野,五首之五

 

身許麒麟畫,年衰鴛鷺群。

身は許す 麒麟に畫かるるに,年は衰う鴛鷺の群。

大江秋易盛,空峽夜多聞。

大江 秋 盛なり易し,空峽 夜 聞ゆるもの多し。

徑隱千重石,帆留一片雲。

徑は千重の石に隱る,帆は一片の雲に留る。

兒童解蠻語,不必作參軍。

兒童 蠻語を解す,必ずしも參軍とら作ず。

 以上、ここでは白帝城との関わりから瀼西宅の位置をさぐってきた。瀼西宅が白帝城の東側にあり、太陽も月も白帝城の方角に沈み、白帝城からはいろいろな音が聞こえてきている。このことを杜甫自身が何度も詩に描き込んでおり、従って瀼西宅が草堂河辺であること、梅渓河辺ではあり得ないことが確認できたと思う。

夔州東川卜居図詳細 002 

 

年:766年大暦元年55-112

卷別:    卷二二九              文體:    樂府

詩題:    夔州歌十句,十首之十

作地點:              夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州           

及地點:              夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州             

 

夔州歌十句,十首之十

閬風玄圃與蓬壺,中有高堂天下無。

借問夔州壓何處,峽門江腹擁城隅。

(夔州の風土についてのべている。十首の十:この形勝を控えた夔州において他所を圧倒している場所があるそれは我が寓居があると詠う。)

人の能く言う仙郷は、西には崑崙山の上にあるという仙人の住む所の閬風、玄圃があり、東には東海三山、蓬莱山、方壺山(方丈山)、瀛州山があるが、その中間には、ここ夔州の「高唐賦」の高堂があり、これは天下にはない所のものである。

そこでこの形勝を控えた夔州において他所を圧倒している場所があるだろうか、すなわち夔門である峽門、江腹にあたって城隅を抱きかかえたところに我が寓居があるのである。

 

 

『夔州歌十句,十首之十』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夔州歌十句,十首之十

閬風玄圃與蓬壺,中有高堂天下無。

借問夔州壓何處,峽門江腹擁城隅。
(含異文)

閬風玄圃與蓬壺,中有高堂天下無【中有高唐天下無】。借問夔州壓何處,峽門江腹擁城隅。


(下し文)
(夔州歌の十句,十首の十)

閬風と玄圃と蓬壺と,中に高堂有り 天下に無し。

借問す 夔州壓するは何處ぞ,峽門 江腹 城隅を擁す。

(現代語訳)
(夔州の風土についてのべている。十首の十:この形勝を控えた夔州において他所を圧倒している場所があるそれは我が寓居があると詠う。)

人の能く言う仙郷は、西には崑崙山の上にあるという仙人の住む所の閬風、玄圃があり、東には東海三山、蓬莱山、方壺山(方丈山)、瀛州山があるが、その中間には、ここ夔州の「高唐賦」の高堂があり、これは天下にはない所のものである。

そこでこの形勝を控えた夔州において他所を圧倒している場所があるだろうか、すなわち夔門である峽門、江腹にあたって城隅を抱きかかえたところに我が寓居があるのである。

瞿塘峡・白帝城・魚復
(訳注)

夔州歌十句,十首之十

(夔州の風土についてのべている。十首の十:この形勝を控えた夔州において他所を圧倒している場所があるそれは我が寓居があると詠う。)

 

閬風玄圃與蓬壺,中有高堂天下無。

人の能く言う仙郷は、西には崑崙山の上にあるという仙人の住む所の閬風、玄圃があり、東には東海三山、蓬莱山、方壺山(方丈山)、瀛州山があるが、その中間には、ここ夔州の「高唐賦」の高堂があり、これは天下にはない所のものである。

○閬風玄圃 中国の伝説で、崑崙(こんろん)山の上にあるという仙人の住む所。位於崑崙山的山,相傳為仙人所居。・玄圃:中国の伝説で、崑崙山の上にあるという仙人の住む所。黃帝之下都,有奇花異石與各式美玉。玄圃之下有清涼山,四季都刮著清爽的涼風。

蓬壺 東海三山、蓬莱山、方壺山(方丈山)瀛州山をいう。

 

借問夔州壓何處,峽門江腹擁城隅。

そこでこの形勝を控えた夔州において他所を圧倒している場所があるだろうか、すなわち夔門である峽門、江腹にあたって城隅を抱きかかえたところに我が寓居があるのである。

○夔州壓何處 この形勝を控えた夔州において他所を圧倒している場所がどこにある。

○峽門江腹擁城隅 三峡の入り口、瞿塘峡の地勢、杜甫の住まいの地勢をいう。

 
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766年-111杜甫 《巻1539夔州歌十絕句,十首之九》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-111 <974> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6525

杜甫  夔州歌十句,十首之九  

武侯祠堂不可忘,中有松柏參天長。干戈滿地客愁破,雲日如火炎天涼。
(夔州の風土についてのべている。十首の九:夔州の永安宮の傍、赤甲山の麓にある武侯廟は松柏が茂っているが、世界何処でも戦火がおさまらず、旅愁は散じ、この地の炎天も雲によって涼しくなると歌う。)諸葛亮、武侯の祠堂こそは、忘れかねる、この祠堂廟の庭には、天にまじわらんばかりに伸びた松柏が茂っている。そこへくると世界は戦だらけでも、自分の旅愁は散じてしまい、雲日。火のごとき焼け焦げの炎天にも涼しく感ぜられるのであることも忘れられない。

766-111杜甫《巻1539夔州歌十句,十首之九》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-111 <974> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6525 杜甫詩1500-974-1476/2500

 

 

 

 
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夔州における杜甫の住まい(5)

雲安⇒ 客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯

 

瀼西宅と白帝城

―――――――――――――――――――――

白帝山(城)は、西方向で比較的近く、地続きだから陸路でも行けるし、視界にも入る。杜甫が詠じる白帝城は、夔州城とは、つまり州の役所とは別物であった。そのことは杜甫自身が「白帝と夔州は各(おのおの)城を異にす」(1527_夔州歌十絶句》其二)と述べていることから明らかである。とはいえ厳耕望氏によれば、夔州城は白帝城と連接していた。

 

夔州歌十句,十首之二

(夔州の歌 十句,十首の二)

白帝夔州各異城,蜀江楚峽混殊名。

白帝 夔州 各の城を異にす,蜀江 楚峽 殊名を混ず。

英雄割據非天意,霸主并吞在物情。

英雄 割據は天意に非らず,霸主の并吞するは物情に在り。

そしてそれは白帝城の北にあり、白帝城よりはずっと大きく、旧赤甲城の場所にあった(注'⑹'参照)。もちろん唐代の夔州城は梅渓河の方にはなかった。一方、白帝城には旧都督府の役所があったのではないかと思う。杜甫が夔州に滞在していたとき、夔州都督府は既に廃されていたが、白帝城は州より一つ上位の都督府的な役所(防禦使など)として、一部機能していたのではなかろうか。杜甫は白帝山の西閣に住んだことがあり、白帝城をひどく気に入って何度も詩に描いたが、夔州城にはあまり心惹かれていないようだ。

 

 

 さて、大暦二年の冬は、成都を去り三峡を下り始めてから数えると三年目になる。それなのに、いまだ夔州に滞っている。杜甫はそんな自分を隠遁生活者のように見立て、現世の栄辱を達観し是非曲直を没却しようとしている。20100_寫懷二首》其一に、

 

鄙夫到巫峽,三如轉燭。

鄙夫のわれは 巫峡に到り、この三歳は あたかも燭を転ずるが如し

全命甘留滯,忘情任榮辱。

命を全うして 留滞に甘んじ、忘情任榮辱。 情を忘れて 栄辱に任す

  ……

 

編蓬石城東、采藥山北谷。

(むかしよもぎ)を編みてすまう 石城の東、薬を采()る 山北の谷

  ……

 

曲直吾不知、負暄候樵牧。

曲直は 吾は知(あずかりし)らず、暄(ひだまりのぬくもり)を負()にして 樵牧を候()

勞生共乾坤,何處異風俗。

冉冉自趨競,行行見羈束。

無貴賤不悲,無富貧亦足。

萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。

鄙夫到巫峽,三如轉燭。

全命甘留滯,忘情任榮辱。

朝班及暮齒,日給還粟。

編蓬石城東,采藥山北谷。

用心霜雪間,不必條蔓綠。

非關故安排,曾是順幽獨。

達士如弦直,小人似鉤曲。

曲直我不知,負暄候樵牧。

という。石城がどれを指すか確定できないが、漢の旧赤甲城、六朝の旧巴東城、唐の夔州城、白帝城などは歴代いずれも梅渓河以東、赤甲山、白帝山の周辺にあった。ただいずれの地であるにせよ「石城の東」といえば草堂河の方になり、決して梅渓河の方にはならない。だからこの詩で、「石城の東に蓬を編む」というのは、白帝城の西ではなく、東方面の粗末な瀼西宅で生活を営むことを指すことになる。

 だから同じ年の秋1940_秋日夔府詠懷奉寄鄭監李賓客一百韻》の冒頭で、瀼西宅の居所を、

秋日夔府詠懷奉寄鄭監李賓客一百韻

 

絶塞烏蠻北、 孤城白帝邊。

絶塞 烏蛮の北、孤城 白帝の辺。

飄零仍百里,消渴已三年。

 

と概括して述べているのである。

 次の詩からは、日没の方角から瀼西宅が白帝城の東にあることがわかる。杜甫の母方のおじ筋にあたる親戚で侍御四なる人物が使者として夔州に来ていたが、彼がいよいよ夔州を出発するとき杜甫の家を訪れた。それを送別したのが1934_巫峽敝廬奉贈侍御四舅別之澧朗(巫峡の敝廬(あばらや)にて、侍御の四舅が別れて澧朗(レイロウ)に之()くに、贈り奉る》758年の詩である。

 

巫峽敝廬奉贈侍御四舅別之澧朗

(卷一九34

江城秋日落,山鬼閉門中。

江城に 秋の日は落ち、山鬼のごときわれは 閉じし門の中にあり

行李淹吾舅,誅茅問老翁。

行李(使者)として 吾が舅はここに淹(ひさ)しかり、茅(かや)を誅()りてすまう この老翁のわれを おとずれ問う

赤眉猶世亂,青眼只途窮。

赤眉 猶お世亂,青眼 只だ途窮。

傳語桃源客,人今出處同。

傳語す 桃源の客,人は今 出處 同じ。

一句目の「江城」は1508_白帝城に上る二首》其一に「江城は変態を含み、一たび上れば一回新たなり」とあるように白帝城を指している(夔州詩には江城は四度出てくるがみな白帝城とみなしてよい)。この時、瀼西宅で秋の日が暮れていったが、日が沈んでいく西の方角には、江城すなわち白帝城が見えていた。もしも瀼西宅が梅渓河西岸にあるなら、そのような現象は起こりようがない。このことから瀼西宅は白帝城の東の方向であることがわかるのである。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

年:-766年大暦元年55-111

卷別:    卷二二九              文體:    樂府

詩題:    夔州歌十句,十首之九

作地點:              目前尚無資料

及地點:              夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州、夔國  

武侯廟 (山南東道 夔州 奉節) 別名:諸葛廟、武侯祠、武侯祠堂、孔明廟            

 

 

夔州歌十句,十首之九

(夔州の風土についてのべている。十首の九:夔州の永安宮の傍、赤甲山の麓にある武侯廟は松柏が茂っているが、世界何処でも戦火がおさまらず、旅愁は散じ、この地の炎天も雲によって涼しくなると歌う。)

武侯祠堂不可忘,中有松柏參天長。

諸葛亮、武侯の祠堂こそは、忘れかねる、この祠堂廟の庭には、天にまじわらんばかりに伸びた松柏が茂っている。

干戈滿地客愁破,雲日如火炎天涼。

そこへくると世界は戦だらけでも、自分の旅愁は散じてしまい、雲日。火のごとき焼け焦げの炎天にも涼しく感ぜられるのであることも忘れられない。

(夔州歌十句,十首の九)

武侯の祠堂 忘る可からず,中に松柏の天に參して長き有り。

干戈 滿地 客愁 破れ,雲日 火の如し 炎天にも涼し。
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夔州東川卜居図詳細 002 

 

『夔州歌十句,十首之九』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夔州歌十句,十首之九

武侯祠堂不可忘,中有松柏參天長。

干戈滿地客愁破,雲日如火炎天涼。
(含異文)            武侯祠堂不可忘【武侯生祠不可忘】,中有松柏參天長。干戈滿地客愁破,雲日如火炎天涼。
(下し文)
(夔州歌十句,十首の九)

武侯の祠堂 忘る可からず,中に松柏の天に參して長き有り。

干戈 滿地 客愁 破れ,雲日 火の如し 炎天にも涼し。

(現代語訳)
(夔州の風土についてのべている。十首の九:夔州の永安宮の傍、赤甲山の麓にある武侯廟は松柏が茂っているが、世界何処でも戦火がおさまらず、旅愁は散じ、この地の炎天も雲によって涼しくなると歌う。)

諸葛亮、武侯の祠堂こそは、忘れかねる、この祠堂廟の庭には、天にまじわらんばかりに伸びた松柏が茂っている。

そこへくると世界は戦だらけでも、自分の旅愁は散じてしまい、雲日。火のごとき焼け焦げの炎天にも涼しく感ぜられるのであることも忘れられない。


(訳注)

夔州歌十句,十首之九

(夔州の風土についてのべている。十首の九:夔州の永安宮の傍、赤甲山の麓にある武侯廟は松柏が茂っているが、世界何処でも戦火がおさまらず、旅愁は散じ、この地の炎天も雲によって涼しくなると歌う。)

 

武侯祠堂不可忘,中有松柏參天長。

諸葛亮、武侯の祠堂こそは、忘れかねる、この祠堂廟の庭には、天にまじわらんばかりに伸びた松柏が茂っている。

○武侯祠堂 武侯は蜀漢の諸葛亮、字は孔明をいう、後主の223年建興元年、武郷侯に封ぜられた。廟は夔州府魚復縣の永安宮の傍、赤甲山の麓にあった。

杜甫《1512武侯廟【案:廟在白帝西郊。】》

遺廟丹青落,空山草木長。

猶聞辭後主,不復臥南陽。

(武侯の廟)

遺廟 丹青落ち、空山 草木長し。

猶お聞くがごとし 後主を辞するを、復た南陽に臥せず。

(夔州の諸葛亮の廟をたずねてよんだ詩。)

いまのこっている廟はふるぼけて絵の具が落ちてしまい、さびしい山にただ草や木がたけたかく伸びている。ここへおまいりすると孔明の英霊がなお存在して彼が後主に出陣の暇乞いをしたときの声音をそのまま聞くようである。

彼はあのときは畢生の決心をかためて立ちあがったので、あれ以来は決してふたたび南陽に臥ていようなどのかんがえはもたなかったのである。

766年-87杜甫 《1512武侯廟【案:廟在白帝西郊。】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-87 <950 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6385

○參天 手に突き刺すように伸びる。そして、それが交わるように伸びていることをいう。

 

干戈滿地客愁破,雲日如火炎天涼。

そこへくると世界は戦だらけでも、自分の旅愁は散じてしまい、雲日。火のごとき焼け焦げの炎天にも涼しく感ぜられるのであることも忘れられない。

○干戈滿地 国中どこでも干戈を交えて戦っている。

○客愁破 旅をしている自分の旅愁は散じてしまう。
唐時代 地図山南 東・西道50 

766年-110杜甫 《巻1538夔州歌十絕句,十首之八》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-110 <973> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6520

杜甫  夔州歌十句,十首之八   

憶昔咸陽都市合,山水之圖張賣時。巫峽曾經寶屏見,楚宮猶對碧峰疑。
(夔州の風土についてのべている。十首の八:昔咸陽の目瀬で見た巫山、巫峡の山水図と実物を見るに、楚王と瑤姫の宮がどこにあったのかしりたいと歌う。)昔のことだが、咸陽の年の古道具屋の店に、山水の図を張って売っていたのを見たことを思いだす。眼前に在る不況はあの時立派な屛風の上で見たことのある姿のままである。けれど、巫山の碧峰の実物に対しながら、楚王の宮殿というものがどこにあるのか、今なお疑問が晴らせないでいる。

766-110杜甫《巻1538夔州歌十句,十首之八》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-110 <973> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6520

 

 
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 杜甫詩1500-973-1475/2500

夔州における杜甫の住まい(4)

雲安⇒ 客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯

 

 瀼西だけに限らないだろうが、そういう住まいの様子が杜甫にはよほど珍しかったのだろう、その後も詩の中で二度言及している。1564_贈李十五丈別》(大暦元年秋)の詩では、重なる山々の頂上に貼りつくように家がある様子を、鳥獣の住みかのようだと述べている。

1564_贈李十五丈別

 

峽人鳥獸居、其室附層顛。

峡の人は 鳥獣のごとく居り、其の室は 層なす顛(いただき)に附す。

下臨不測江、中有萬里船。

下は不測の江に臨み、中には万里よりきたる船有り。

 

さらに1536_雨二首》其一になると、もっとはっきりまるで樹上に巣を作る鳥のような住居をしていると詠じている。

雨,二首之一

 

殊俗狀巢居,曾臺俯風渚。

ここの殊俗は 巣居を状(かたど)り、層台より 風ふく渚を俯()

 

実は以前にも、山地の民が斜面に柱を立てかけて住む様子を、巣居のような住みかたをしていると感じたことがある。六年前、秦州から成都入りする途中で険しい五盤嶺を詠じた0906_五盤》の詩に「野人は半ばは巣居す」と詠じるのがそれである。

 また瀼西宅の南面、つまり対岸の瀼東には白塩山が高くたちはだかっていたことは、先に述べたとおりだが、瀼西宅の北側が赤甲山の東側の山麓にあたることは、《2028_自瀼西荊扉且移居東屯茅屋,四首之一瀼西の荊扉(あばらや)()り、且(しばら)く東屯の茅屋に移居す、四首其一)に、

 

自瀼西荊扉且移居東屯茅屋,四首之一

白鹽危嶠北,赤甲古城東。

ここは白塩の危嶠(キキョウ)の北の、赤甲やまの古城の東なり

とあることからもわかる'⑾'。さらに、その赤甲山に続く西側は険しい崖になっていた。そのことは、1907_課伐木》(大暦二年夏)の詩に、

 

虎穴連里閭、隄防舊風俗。

虎の穴は 里閭(むらざと)に連なり、隄防(テイボウ)するは 旧風俗なり

泊舟滄江岸、久客慎所觸。

舟を泊す 滄江の岸、久しき客のわれは (虎の)触るる所を慎しむ

舍西崖嶠壯、雷雨蔚含蓄。

舎の西は 崖嶠(ガイキョウ) 壮なり、雷雨には 蔚として含蓄す

とあり、草木がこんもり茂って雷雨の時には、虎や何かが隠れていそうな場所として描かれている。

 以上のように、瀼西宅と草堂河、瀼東区と瀼西区、白塩山と赤甲山などの景観や位置を、容易に杜甫の詩から読み取ることができる。そしてそれらは草堂河西岸説でこそ、無理なくすっきりと説明することができるのである。

 

 

年:766           大曆元年55

卷別:    卷二二九              文體:    樂府

詩題:    夔州歌十句,十首之八

作地點:              目前尚無資料

及地點:              夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州             

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸     

 

夔州歌十句,十首之八

(夔州の風土についてのべている。十首の八:昔咸陽の目瀬で見た巫山、巫峡の山水図と実物を見るに、楚王と瑤姫の宮がどこにあったのかしりたいと歌う。)

憶昔咸陽都市合,山水之圖張賣時。

昔のことだが、咸陽の年の古道具屋の店に、山水の図を張って売っていたのを見たことを思いだす。

巫峽曾經寶屏見,楚宮猶對碧峰疑。

眼前に在る不況はあの時立派な屛風の上で見たことのある姿のままである。けれど、巫山の碧峰の実物に対しながら、楚王の宮殿というものがどこにあるのか、今なお疑問が晴らせないでいる。

 

(夔州歌十句,十首の八)

憶う昔 咸陽都市の合,山水の圖 張賣の時。

巫峽は 曾て經たり 寶屏に見しことを,楚宮は猶お碧峰に對して疑う。
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京兆地域図002 

『夔州歌十句,十首之八』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夔州歌十句,十首之八

憶昔咸陽都市合,山水之圖張賣時。

巫峽曾經寶屏見,楚宮猶對碧峰疑。

(下し文)
(夔州歌十句,十首の八)

憶う昔 咸陽都市の合,山水の圖 張賣の時。

巫峽は 曾て經たり 寶屏に見しことを,楚宮は猶お碧峰に對して疑う。

(現代語訳)
(夔州の風土についてのべている。十首の八:昔咸陽の目瀬で見た巫山、巫峡の山水図と実物を見るに、楚王と瑤姫の宮がどこにあったのかしりたいと歌う。)

昔のことだが、咸陽の年の古道具屋の店に、山水の図を張って売っていたのを見たことを思いだす。

眼前に在る不況はあの時立派な屛風の上で見たことのある姿のままである。けれど、巫山の碧峰の実物に対しながら、楚王の宮殿というものがどこにあるのか、今なお疑問が晴らせないでいる。


(訳注)

夔州歌十句,十首之八

(夔州の風土についてのべている。十首の八:昔咸陽の目瀬で見た巫山、巫峡の山水図と実物を見るに、楚王と瑤姫の宮がどこにあったのかしりたいと歌う。)

 

憶昔咸陽都市合,山水之圖張賣時。

昔のことだが、咸陽の年の古道具屋の店に、山水の図を張って売っていたのを見たことを思いだす。

咸陽都市合 咸陽の街の通りの交差の合わさっているところ。咸陽:かつては秦朝の首都として大いに栄えた。風水においては山・丘・阜などの南側、河・江・川・湖などの水辺の北側を陽と言う。この都市は九嵕山の南、渭水の北に当たり「咸陽」なためにこの名前がついた。杜甫《卷二11兵車行》「車轔轔,馬蕭蕭,行人弓箭各在腰。耶孃妻子走相送,塵埃不見咸陽橋。」(車 轔轔(りんりん),馬 蕭蕭(しょうしょう),行人の 弓箭(きゅうせん)各ゝ(おのおの)腰に在り。耶孃(やぢゃう) 妻子  走りて 相(あ)ひ送り,塵埃(じんあい)に 見えず  咸陽橋(かんようきょう)。)○咸陽橋 咸陽は県の名、渭水をへだてて長安より北の岸にある。橋は成陽へわたるためのはしで、或は西渭橋のことといい、或は中渭橋のことというが、はっきりしない。兵車行  杜

山水之圖 巫山、巫峡の山水図。

張賣 店内の戸板に張り出して販売する。

 

巫峽曾經寶屏見,楚宮猶對碧峰疑。

眼前に在る不況はあの時立派な屛風の上で見たことのある姿のままである。けれど、巫山の碧峰の実物に対しながら、楚王の宮殿というものがどこにあるのか、今なお疑問が晴らせないでいる。

巫峽 長江三峡の二番目の峡谷。重慶市巫山県の大寧河の河口から湖北省巴東県官渡口まで全長45km。 上流側の巫山県は四川盆地東端にあり、巫山山脈をはじめ東西方向に伸びる細長い褶曲山脈多数が並行して走っている。巫山県城付近は長江沿いの丘陵地帯で大寧河の河口付近にある。

楚宮 楚 (紀元前223年まで)は、中国に周代、春秋時代、戦国時代にわたって存在した王国。現在の長江下流域、湖北省、湖南省を中心とした広い地域を領土とした楚の宮殿。紀元前278年に楚の都・郢(現在の湖北省江陵県県内)が秦軍に攻め落とされると、屈原は国を救う望みがなくなったことを感じ、旧暦五月五日の端午節に『懐沙』(石をいだく)を書き、汨羅江に身投げしたことを詠う詩が多い。李商隠は唐王朝に対して楚宮を喩えるために詩題としているのであろう。つまり楚宮という歴史を過ぎても今も荒淫の歴史は続くとしている。李商隠《過楚宮》「巫峽迢迢舊楚宮,至今雲雨暗丹楓。」

過楚宮 李商隱 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 56

楚宮 李商隠:kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 55

碧峰 巫山十二峰の緑の峯をいう。
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杜甫  夔州歌十句,十首之七   

蜀麻鹽自古通,萬斛之舟行若風。

長年三老長歌裡,白晝攤錢高浪中。

(夔州の風土についてのべている。十首の七:長江を上下する船のさまを歌う。)

蜀(成都)からの麻、呉(江蘇)からの塩、これはむかしから交通しており、二者を通ずる萬斛船は風のように速くゆく。さてこの船をやる長年・三老は鼻歌を歌っているかたわら、お客商人どもは高浪の立つなかで船の上で真っ昼間というのに「なめかた」の博打をしてあそんでいる。

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杜甫詩1500-972-1474/2500

夔州における杜甫の住まい(3)

雲安⇒ 客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯

 

 次の《1863_江雨有懐鄭典設》(江雨に鄭典設を懐う有り)の詩は大暦二年、瀼西に引っ越してきたころの作だが、草堂河両岸に対して西東という言い方もしている。

江雨有懐鄭典設

江雨有懷鄭典設

 

春雨闇闇塞峽中,早晚來自楚王宮。

春雨 闇闇 峽中に塞る,早晚楚王の宮より來る。

亂波分披已打岸,弱雲狼藉不禁風。

亂波 分披已に岸を打つ,弱雲 狼藉 風に禁えず。

寵光蕙葉與多碧,點注桃花舒小紅。

蕙葉に寵光して多碧を與え,桃花に點注して小紅を舒べしむ。

谷口子真正憶汝,岸高瀼滑限西東。

谷口の子真たるきみよ われは正に汝を憶(おも)う、岸は高く 瀼は滑(なめ)らかにして 西と東とを限(へだ)

 

詩の中で杜甫は、鄭典設を漢代の清浄な隠者の鄭子真(長安の谷口の人)とみなしている。雨で草堂河がみなぎり、瀼西にいる杜甫は瀼東に住む鄭子真と隔てられたように感じているのである。下句の「瀼は滑らか」の部分は、王洙本他のテキストに「瀼は闊(ひろ)く」と作る異文が伝わる。趙次公注本は、本文をわざわざその異文の方に改めているが、それだといっそう対岸との隔絶感が強まる(戊帙巻之一)。

 

 対岸の瀼東地区は他の詩にも描かれている。瀼東の背後には、白塩山(今の赤甲山)が衝立のように立ちふさがっていた。瀼西に引っ越す前に作った1553_白塩山》の詩では、瀼東地区には千戸の民家があったと述べている。

白鹽山

 

【白鹽崖高千餘丈,在州城東十七里。】

白鹽の崖高は千餘丈なり,州城の東十七里に在る。

卓立群峰外,蟠根積水邊。

卓立す 群峰の外,根を蟠らす積水の邊。

他皆任厚地,爾獨近高天。

他は皆 厚地に任す,爾 獨り高天に近づく。

白榜千家邑,清秋萬估船。

白榜 千家の邑,清秋 萬の估船。

詞人取佳句,刻畫竟誰傳。

詞人 佳句を取る,刻畫するも 竟に誰か傳えん。

もちろんこの千戸は実数ではないが、戸数が比較的多いことがわかる。増水期の秋、草堂河には様々な商人の船が碇泊している。草堂河を挟んだ瀼西区と瀼東区は唐代は栄えており人家が多かったので、増水期には船の往来が少なくなかったようである。明の王嗣奭が「(白塩)山を繞りて上り、千家、邑を成す。積水の中、万の估の船来たる。又た蜀中の一都会なり」(曹樹銘『杜臆増校』巻十一)と解するように杜甫の当時はそれなりににぎやかだった。その繁華さの背景には、長江を通じて長江の上流域と下流域、蜀と呉の盛んな物資の流通があり、夔州がその中間に位置していたからであろう。夔州の特徴を風物詩風に連作詩で詠じた1537_夔州歌十絶句》の其七で、杜甫はそのことを、

夔州歌十句,十首之七

(夔州の歌十句,十首の七)

蜀麻鹽自古通,萬斛之舟行若風。

蜀麻 呉鹽古より通ず、万斛の舟行くこと風の若し。

長年三老長歌裡,白晝攤錢高浪中。

長年 三老 長歌の裏、白昼 銭を攤す 高浪の中。

と詠じている。

 狭い地にこれだけ戸数が多いと、民家はおのずと山の上まで続かざるを得ない。そのことを1534_夔州歌十絶句》其四(大暦元年夏)で、

 

夔州歌十句,十首之四

(夔州の歌十句,十首の四)

赤甲白鹽俱刺天,閭閻繚繞接山

赤甲 白塩俱に天を刺す、閭閻【りょうえん】繚繞【りょうじょう】山【さんてん】に接す。

楓林橘樹丹青合,複道重樓錦繡懸。

楓林 橘樹 丹青合し、複道 重楼 錦繍【きんしゅう】懸かる。

と詠じる。仇兆鰲が「居する人の密なるを言う」と注するように、瀼西の赤甲山も瀼東の白塩山もその斜面には、集落が山の高いところまでくねくねと続いていることを詠じている。

 

 

年:766           大曆元年            55

卷別:    卷二二九              文體:    樂府

詩題:    夔州歌十句,十首之七

作地點:              目前尚無資料

及地點:夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州、夔國  

 

 

夔州歌十句,十首之七

(夔州の風土についてのべている。十首の七:長江を上下する船のさまを歌う。)

蜀麻鹽自古通,萬斛之舟行若風。

蜀(成都)からの麻、呉(江蘇)からの塩、これはむかしから交通しており、二者を通ずる萬斛船は風のように速くゆく。

長年三老長歌裡,白晝攤錢高浪中。

さてこの船をやる長年・三老は鼻歌を歌っているかたわら、お客商人どもは高浪の立つなかで船の上で真っ昼間というのに「なめかた」の博打をしてあそんでいる。

 

(夔州の歌十句,十首の七)

蜀麻 呉古より通ず、万斛の舟行くこと風の若し。

長年 三老 長歌の裏、白昼 銭を攤す 高浪の中。

 

夔州東川卜居図詳細 002 

 

『夔州歌十句,十首之七』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夔州歌十句,十首之七

蜀麻鹽自古通,萬斛之舟行若風。

長年三老長歌裡,白晝攤錢高浪中。

詩文(含異文)

蜀麻鹽自古通,萬斛之舟行若風。

長年三老長歌裡,白晝攤錢高浪中【白買攤錢高浪中】【白馬灘前高浪中】。


(下し文)
(
夔州の歌十句,十首の七)

蜀麻 呉鹽古より通ず、万斛の舟行くこと風の若し。

長年 三老 長歌の裏、白昼 銭を攤す 高浪の中。

(現代語訳)
(夔州の風土についてのべている。十首の七:長江を上下する船のさまを歌う。)

蜀(成都)からの麻、呉(江蘇)からの塩、これはむかしから交通しており、二者を通ずる萬斛船は風のように速くゆく。

さてこの船をやる長年・三老は鼻歌を歌っているかたわら、お客商人どもは高浪の立つなかで船の上で真っ昼間というのに「なめかた」の博打をしてあそんでいる。

 

 (訳注)

夔州歌十句,十首之七

(夔州の風土についてのべている。十首の七:長江を上下する船のさまを歌う。)


蜀麻鹽自古通,萬斛之舟行若風。

蜀(成都)からの麻、呉(江蘇)からの塩、これはむかしから交通しており、二者を通ずる萬斛船は風のように速くゆく。

○蜀麻 蜀地の特産物の麻紙をいう。  宋梅堯臣《和石昌言以蜀箋南箋答松管之什》「楊子校經聊以贈, 蜀麻江楮報何嫌。」

 地所的鹽。即我國最著名的淮鹽。唐.李白〈梁園吟〉:「玉盤楊梅為君設,鹽如花皎白雪。」比白髮。(玉盤の楊梅 君が為に設け、呉塩は花の如く 白雪よりも唆し。)それから白玉の大皿の楊梅と称する果物がいっぱいに盛ってあり、君のために用意したもの、呉の国からでる白雪よりも白く光る花のように美しい塩がうずたかく用意してある。

 

長年三老長歌裡,白晝攤錢高浪中。

さてこの船をやる長年・三老は鼻歌を歌っているかたわら、お客商人どもは高浪の立つなかで船の上で真っ昼間というのに「なめかた」の博打をしてあそんでいる。

○長年 はさお方。

○三老 かじ方。

○攤銭 錢を攤すとは博打を打つことをいう。攤は手で敷くこと、ただしそろりとおくのではなくはうりだすこと、これは銭を投げだしてその表裏を言いあてる賭博の戯である、わが国の「なめかた」のこと。これはお客の商人が為すのである。

○高浪中これも浪のなかへ銭をなげるのをいうのではなく、船が高浪中にあることをいう、船は高浪中にあり、お客の商人は船上にあって銭を灘するのである。

 

(夔州の歌十句,十首の七)

蜀麻 呉古より通ず、万斛の舟行くこと風の若し。

長年 三老 長歌の裏、白昼 銭を攤す 高浪の中。
8世紀唐と周辺国00 

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杜甫  夔州歌十句,十首之六

東屯稻畦一百頃,北有澗水通青苗。晴浴狎鷗分處處,雨隨神女下朝朝。
(夔州の風土についてのべている。十首の六:草堂の大瀼水北の東屯に百頃の耕作地があり、此処には雨が多く、稲作に適していると述べたもの)東屯の耕作地には稲のうねが百頃ばかりもある。その北には澗水があって苗のあるところに通じている。ここには人なれたかもめは晴れに乗じて処処にわかれて浴みしているし、雨を随えた神女は朝が来るたびに天からおりてくる。

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夔州における杜甫の住まい(2)

雲安⇒ 客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯

 

 草堂河は白帝山の東北方面から流れてきて、瞿塘峡口と白帝山南端部で長江に流入する川である。草堂河は白帝山の南端で長江に合流するが、そこから遡るかたちで杜甫の瀼西宅を説明してみよう。草堂河は、白帝山の東側を半周するとほぼ真っ直ぐな水路となり、左手に子陽山(唐代の赤甲山)、右手に今の赤甲山(唐代の白塩山)に挟まれた一段が続く。この部分の左岸が瀼西区で右岸が瀼東区である。その一段を過ぎると草堂河は「>」の字型に流れを転じて上流へ向かうが、そのカーブする箇所の左岸下部に杜甫の瀼西宅はあったとされる。そこは赤甲山の東側の山裾でもあり、その南面である。従って瀼西宅を陸路で出発し、その赤甲山の東麓を真北に越えて行けば、方向を転じてきた草堂河に再び出会うことになる。ちょうどそのあたりで、草堂河は石馬河と合流する。その合流地点はあたかもYの字型で、その合流点の北岸に杜甫の東屯の住まいがあった。東屯は瀼西宅からすると、北の方角にある。

 上の概略図は、現在の奉節一帯の衛星写真(Google Maps Hybrid版)から地形の輪郭を取り、その上に地名を書き込んだものである。なお唐代の役所の所在地については厳耕望氏『唐代交通図考』第四巻を参考にした。

 

瀼、赤甲山、白塩山

―――――――――――――――――――――

 瀼西宅のそばを流れる草堂河は、杜甫のころはまだ固有の名前がついていなかったと思われる。長江にはたくさんの支流が注ぎ込むが、三峡一帯ではその険しい山谷から長江に流入する渓谷の流れを「瀼」と呼んでいたようである。そのことは、杜甫の自注に「江水の山谷を横通する処、方人は之を瀼と謂う」と記されていることからわかる(王洙本巻十五《1940_秋日夔府詠懷奉寄鄭監李賓客一百韻》詩「市曁瀼西巓」への原注)。杜甫もそうした当地のならわしによって、瀼西宅の前を流れて長江に流入するその川を「瀼」とよんだのであろう。

 瀼西宅のもう一つ奥の東屯宅での作とされる1937_奉酬薛十二丈判官見贈》の詩では、その瀼水が滄溟(海原)のように大きい長江に流れ込むさまを、

 

 

東西兩岸坼,橫水注滄溟。

東西は両岸坼()け、横水は滄溟に注ぐ

碧色忽惆悵,風雷搜百靈。

碧色に忽ち惆悵す,風雷に百靈を搜む。

空中右白虎,赤節引娉婷。

空中に白虎右り,赤節 娉婷を引く。

自云帝里女,噀雨鳳凰翎。

自ら云う帝の里女なり,雨を噀く 鳳凰の翎。

 

と詠じている。

 杜甫は詩の中でその「瀼」という言葉を何度も用いている。ただ「瀼西」というのがほとんどで、他は「瀼東」「瀼は滑らか」(その異文で「瀼は闊し」)「瀼の岸」「瀼の上」などである。

 ところで、瀼という字はあまり見慣れない。杜甫以前で、夔州の西または東の瀼に言及したものは、四庫全書(電子版)の範囲内では『水経注』が最初である。巻三三に「白帝山城は周迴二百八十歩、北は馬嶺に縁()り、赤岬山に接し、其の間の平処は、南北相去ること八十五丈、東西七十丈。又東は東瀼渓に傍()い、即ち以て隍と為す」とあり、この東瀼渓が今の梅渓河ではなく草堂河を指すことは、馬嶺、赤岬山、白帝城との位置関係から明らかである。その東瀼渓が白帝城の「隍」すなわち水の無い城濠の役割を果たすと言っているのは、冬場に水位が下がったときのことである。

 唐以前の詩及び全唐詩で、地理に関する名詞として瀼の字が使われているのは十六首あるが、そのうち杜甫が十三例を占め、あとは中唐の劉禹錫の竹枝詞に「瀼西春水縠紋生」とあるのが一例、九江のことを述べた盛唐の元結が二例あるに過ぎない。つまり夔州の草堂河を詩の中に歌ったのは杜甫が最初で、しかもそのほとんどが杜甫で、瀼は杜甫の詩と強く結びついているということである。浣花(渓)が成都草堂時代を代表する詩語だったように、瀼は杜甫の夔州詩を代表する一つの言葉だと言ってよい。

 草堂河(東瀼水)両岸の地区を杜甫は瀼東、瀼西という言い方をしている。夔州に着いてまもないころの詩1527_夔州歌十絶句》其五で、

夔州歌十絶句其五 

(夔州歌十句,十首の五)

瀼東瀼西一萬家,江北江南春冬花。

瀼東 瀼西 一万家、江北江南春冬花あり。

背飛鶴子遺瓊蕊,相趁鳧雛入蔣牙。

背飛する鶴子は瓊蕊【けいずい】を遺し、相趁【おう】の鳧雛【ふすう】は蒋牙【しょうが】に入る。

と詠じ、草堂河の東岸、西岸に広がる民家が一万戸と述べている。『新唐書』巻四十、地理志によれば、夔州は奉節、雲安、巫山、大昌の四県全体で、戸数は一万五千六百二十、人口は七万五千(『通典』や『太平寰宇記』の記述も大同小異)である。これからすると草堂河両岸だけで民家一万戸というのは、多すぎるかもしれない。だが句作りの関係から誇張されている分を差し引いたとしても、この地区の人口が相当多かったことを、杜甫は驚きつつ詩の中で詠じているのである。

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

杜甫詩1500-971-1473/2500

年:766年大暦元年55-108

卷別:    卷二二九              文體:    樂府

詩題:    夔州歌十句,十首之六

作地點:              目前尚無資料

及地點:              夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州             

茅堂 (山南東道 夔州 夔州) 別名:東渚、東屯            

 

 

夔州歌十句,十首之六

(夔州の風土についてのべている。十首の六:草堂の大瀼水北の東屯に百頃の耕作地があり、此処には雨が多く、稲作に適していると述べたもの)

東屯稻畦一百頃,北有澗水通青苗。

東屯の耕作地には稲のうねが百頃ばかりもある。その北には澗水があって苗のあるところに通じている。

晴浴狎鷗分處處,雨隨神女下朝朝。

ここには人なれたかもめは晴れに乗じて処処にわかれて浴みしているし、雨を随えた神女は朝が来るたびに天からおりてくる。

 

(夔州歌十句,十首の六)

東屯の稲畦【とうけい】一百頃【けい】、北に澗水の青苗に通ずる有り。

晴れて浴する狎鷗【こうおう】は分かるること処処なり、雨を随えたる神女は下ること朝朝なり。

 

夔州東川卜居図詳細 002 

『夔州歌十句,十首之六』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夔州歌十句,十首之六

東屯稻畦一百頃,北有澗水通青苗。

晴浴狎鷗分處處,雨隨神女下朝朝。

(下し文)
(
夔州歌十句,十首の六)

東屯の稲畦【とうけい】一百頃【けい】、北に澗水の青苗に通ずる有り。

晴れて浴する狎鷗【こうおう】は分かるること処処なり、雨を随えたる神女は下ること朝朝なり。

(現代語訳)
(夔州の風土についてのべている。十首の六:草堂の大瀼水北の東屯に百頃の耕作地があり、此処には雨が多く、稲作に適していると述べたもの)

東屯の耕作地には稲のうねが百頃ばかりもある。その北には澗水があって苗のあるところに通じている。

ここには人なれたかもめは晴れに乗じて処処にわかれて浴みしているし、雨を随えた神女は朝が来るたびに天からおりてくる。


(訳注)

夔州歌十句,十首之六

(夔州の風土についてのべている。十首の六:草堂の大瀼水北の東屯に百頃の耕作地があり、此処には雨が多く、稲作に適していると述べたもの)

 

東屯稻畦一百頃,北有澗水通青苗。

東屯の耕作地には稲のうねが百頃ばかりもある。その北には澗水があって苗のあるところに通じている。

○東屯 奉節県の東十里、白帝城の東に東瀼水がある、水源は長松嶺であり白帝山を経て大江に流れ入る。公孫述が東瀼水のほとりに稲田を開墾したので、其の地を東屯という。○稲畦 いねのうね。

〇一百頃 頃は百畝の面積。

○青苗 旧注に陵の名とするが披名ではない、上の稲畦の苗をいうにすぎぬ。

 

晴浴狎鷗分處處,雨隨神女下朝朝。

ここには人なれたかもめは晴れに乗じて処処にわかれて浴みしているし、雨を随えた神女は朝が来るたびに天からおりてくる。

○晴浴 晴れに乗じて東瀼水に浴するのであろう。

○狎鷗 人になれたかもめ。

〇雨隨神女 宋玉の「高唐賦」に巫山の神女のことばとして「『妾巫山之女也,為高唐之客。聞君遊高唐,願薦枕席。』王因幸之。去而辭曰:『妾在巫山之陽,高丘之阻,旦為朝雲,暮為行雨。朝朝暮暮,陽臺之下。』旦朝視之如言。故為立廟,號曰『朝雲』。」(妾は巫山の女なり、旦には朝雲と為り、暮には行雨と為る、朝朝暮暮、陽台の下に」とある。神女が来れば雨がこれに随う。

○下朝朝 下は雨がくだるということのようにも思われるが、上句の狎鷗を主とするのよりいうならば其の対句として此の句も神女を主とするのがよい、朝朝の二字は賦中の語を用いる。 

 

東屯の稲畦【とうけい】一百頃【けい】、北に澗水の青苗に通ずる有り。

晴れて浴する狎鷗【こうおう】は分かるること処処なり、雨を随えたる神女は下ること朝朝なり。
唐時代 地図山南 東・西道50 

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杜甫  夔州歌十句,十首之五  

瀼東瀼西一萬家,江北江南春冬花。背飛鶴子遺瓊蕊,相趁鳧雛入蔣牙。
(夔州の風土についてのべている。十首の五:夔州の杜甫草堂から臨む大瀼水と長江の景色を述べたもの)大瀼水の東側と西側とにわかれて一万戸ほどの人家があり、長江の南北にわたって春も冬も花がたえたことがないのである。いまふと川辺を見ると、たべあきたのだろうか、鶴の子らは白米を残して、背中ちがいに飛んでゆくし、鳧の雛どもはあとから前なるものをおうて歩き、菰の芽ぐんだ中へはいってゆく。

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766年-106杜甫 《巻1534夔州歌十絕句,十首之四》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-106 <969> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6500

杜甫  夔州歌十句,十首之四  

赤甲白鹽俱刺天,閭閻繚繞接山楓林橘樹丹青合,複道重樓錦繡懸。
(夔州の風土についてのべている。十首の四:夔州の杜甫草堂から臨む景色を述べたもの)赤甲山も白塩山もともにそびえて天をつきさしている。村里の家家がうねうねと山のいただきまでつづいている。それをながめると楓の林、橘の樹がまじって丹青の色がいっしょになり、複道や重楼は錦繍がつるしてあるかのようにうつくしくみえる。

766-106杜甫 《巻1534夔州歌十句,十首之四》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-106 <969 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6500

 

 
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