杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

2015年08月

766年-114杜甫 《1801偶題》#2 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-114 <976-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6540

杜甫  偶題#2  

前輩飛騰入,餘波綺麗為。後賢兼舊列,歷代各清規。

法自儒家有,心從弱歲疲。永懷江左逸,多病鄴中奇。
漢魏、建安文学の先輩たちは飛躍してその盛なる漢道のガへ進み入ったが、その余波である六朝ごろになると綺麗なすがたのものとなった。また其の以後の賢人も各のその前代の体制を兼ね、列を為し、歴代それぞれ清新な規律を有して文學の體制をなしたのである。自分の文章の法は、詩の名家であり、儒家であった父祖から得ているので、弱年の時から文章のために心が疲れるほどに懸命にしているのである。分はいつも鮑照・謝靈運以下六朝諸家のすぐれたことを懐うており、三曹建安七子以下の鄴中諸家の非凡なさまを見ては之に対して病というほど夢中になり、飽き足らすことなどないほどのものと考えるのである。

766年-114杜甫 《1801偶題》#2 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-114 <976-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6540

 

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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298-#2 《卷十六01送魯郡劉長史遷弘農長史》#2 Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <298-#2> Ⅰ李白詩1598 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6538 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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杜甫詩1500-976-#2-1479/2500

卷別:    卷二三○              文體:    五言古詩

詩題:    偶題

作地點:              目前尚無資料

及地點:              相州 (河北道南部 相州 相州) 別名:鄴城、鄴、鄴中  

白閣峰 (京畿道 無第二級行政層級 終南山)   

皇陂 (京畿道 京兆府 長安) 別名:皇陂、黃陂            

 

 

偶題 #1

(偶然に書き付けた詩) #1

文章千古事,得失寸心知。

文章は永遠不朽の事業であるが、その任否得失に至ってはただ作者自家の方寸の心が知るばかりのものである。

作者皆殊列,名聲豈浪垂。

むかしから作者とよばれるほどの人人はみな特殊な列位にあるもので、その人人の名聲は故なくしてみだりに後世に垂れるものではない。(それぞれ他人には言えない獨知の長所をもっているから永久につたはったのだ)。

騷人嗟不見,漢道盛於斯。

すっとふるい騒人はなげかわしくも今は見られないが、漢の代になって文章の道はその時に盛となった。

(偶題) #1

文章 千古の事,得失 寸心知る。

作者 皆 殊列なり,名聲 豈に浪りに垂れむや。

騷人 嗟 見えず,漢道 斯に盛んなり。

#2

前輩飛騰入,餘波綺麗為。

漢魏、建安文学の先輩たちは飛躍してその盛なる漢道のガへ進み入ったが、その余波である六朝ごろになると綺麗なすがたのものとなった。

後賢兼舊列,歷代各清規。

また其の以後の賢人も各のその前代の体制を兼ね、列を為し、歴代それぞれ清新な規律を有して文學の體制をなしたのである。

法自儒家有,心從弱歲疲。

自分の文章の法は、詩の名家であり、儒家であった父祖から得ているので、弱年の時から文章のために心が疲れるほどに懸命にしているのである。

永懷江左逸,多病鄴中奇。

分はいつも鮑照・謝靈運以下六朝諸家のすぐれたことを懐うており、三曹建安七子以下の鄴中諸家の非凡なさまを見ては之に対して病というほど夢中になり、飽き足らすことなどないほどのものと考えるのである。

#2

前輩 飛騰して入る,餘波 綺麗と為る。

後賢 舊列を兼ぬ,歷代 各の清規あり。

法は儒家自り有り,心は弱歲從り疲る。

永く懷う 江左の逸,多く病ましめらる鄴中の奇なるに。

#3

騄驥皆良馬,騏驎帶好兒。車輪徒已斲,堂構惜仍虧。

漫作《潛夫論》,虛傳幼婦碑。緣情慰漂蕩,抱疾屢遷移。

#4

經濟慚長策,飛棲假一枝。塵沙傍蜂蠆,江峽繞蛟螭。

蕭瑟唐虞遠,聯翩楚漢危。聖朝兼盜賊,異俗更喧卑。

#5

鬱鬱星辰劍,蒼蒼雲雨池。兩都開幕府,萬宇插軍麾。

南海殘銅柱,東風避月支。

#6

音書恨烏鵲,號怒怪熊羆。稼穡分詩興,柴荊學土宜。

故山迷白閣,秋水隱黃陂。不敢要佳句,愁來賦別離。

 

#3

騄驥 皆 良馬なり,騏驎 好兒を帶ぶ。

車輪凝らに己に斲す、堂構仍お虧けたるを惜む。

漫りに作る《潜夫論》、虚しく傳う幼婦の碑。

緣情 漂蕩を慰む、抱疾屢ば遷移す。

#4

経済長策を慙づ、飛棲一枝を假る。

塵沙に蜂蠆に傍ふ、江峽蛟螭繞る。

蕭瑟として唐虞遠く,聯翩として楚漢危し。

聖朝盜賊を兼ぬ,異俗更に喧卑なり。

#5

鬱鬱たり星辰劍,蒼蒼たり雲雨の池。

兩都幕府を開く,萬宇 軍麾を插む。

南海 銅柱殘る,東風 月支を避く。

#6

音書 烏鵲を恨む,號怒 熊羆を怪む。

稼穡 詩興を分つ,柴荊 土宜を學ぶ。

故山 白閣迷う,秋水 黃陂を隱う。

敢て佳句を要せず,愁い來りて別離を賦す。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->瞿塘峡・白帝城・魚復
<!--[endif]-->

 

『偶題』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

前輩飛騰入,餘波綺麗為。

後賢兼舊列,歷代各清規。

法自儒家有,心從弱歲疲。

永懷江左逸,多病鄴中奇。

(下し文)
#2

前輩 飛騰して入る,餘波 綺麗と為る。

後賢 舊列を兼ぬ,歷代 各の清規あり。

法は儒家自り有り,心は弱歲從り疲る。

永く懷う 江左の逸,多く病ましめらる鄴中の奇なるに。

(現代語訳)
#2

漢魏、建安文学の先輩たちは飛躍してその盛なる漢道のガへ進み入ったが、その余波である六朝ごろになると綺麗なすがたのものとなった。

また其の以後の賢人も各のその前代の体制を兼ね、列を為し、歴代それぞれ清新な規律を有して文學の體制をなしたのである。

自分の文章の法は、詩の名家であり、儒家であった父祖から得ているので、弱年の時から文章のために心が疲れるほどに懸命にしているのである。

分はいつも鮑照・謝靈運以下六朝諸家のすぐれたことを懐うており、三曹建安七子以下の鄴中諸家の非凡なさまを見ては之に対して病というほど夢中になり、飽き足らすことなどないほどのものと考えるのである。

函谷関長安地図座標001
(訳注) #2

偶題 #1

(偶然に書き付けた詩)

○自己の詩學・文学・儒学に及び、此詩を賦する所以を叙したもので、大暦元年秋夔州にての作ったものである。

 

前輩飛騰入,餘波綺麗為。

漢魏、建安文学の先輩たちは飛躍してその盛なる漢道のガへ進み入ったが、その余波である六朝ごろになると綺麗なすがたのものとなった。

○前輩 後漢の建安、魏の黃初等の時代の文革界の発輩。建安文学、三曹(曹操・曹丕・曹植)・七子、竹林の七賢(阮籍,王戎,山濤,向秀,けい康,劉伶,阮咸)をいう。

○飛騰入 鳥が飛び、馬が躍り上がるような気持ちで、奮って漢道に入ったということ。

○餘波 漢、魏の文章の流れの余波。

○綺麗為 六朝文学の華美、佳麗な姿をいう。

 

後賢兼舊列,歷代各清規。

また其の以後の賢人も各のその前代の体制を兼ね、列を為し、歴代それぞれ清新な規律を有して文學の體制をなしたのである。

○後賢 六朝詩人賢人の後の詩人賢人。

○兼舊列 後賢が其の自己より以前の時代の文學の體制を兼ね有すること、廣く材料を取るをいう。

○歷代 各時代。

○各清規 それぞれ清らかなる規律を有す、意匠の新しきところあるをいう。

・以上起十句は詩學の源流か叙す。

 

法自儒家有,心從弱歲疲。

自分の文章の法は、詩の名家であり、儒家であった父祖から得ているので、弱年の時から文章のために心が疲れるほどに懸命にしているのである。

○法自儒家有 法とは文章の法、儒家とに儒道の家、杜甫の家系は儒家である。杜甫の祖父杜審言は詩の名家である。之より詩法を傳えられしにより儒家より有すという。

○弱歲 二十歳。

 

永懷江左逸,多病鄴中奇。

自分はいつも鮑照・謝靈運以下六朝諸家のすぐれたことを懐うており、三曹建安七子以下の鄴中諸家の非凡なさまを見ては之に対して病というほど夢中になり、飽き足らすことなどないほどのものと考えるのである。

○江左逸 江左は江東、江南、即ち六朝の都とせし所をいう、鮑照・謝靈運以下六朝諸家をさす、逸とはすぐれたるをいう。

○多病鄴中 病とは鄴中の奇に対して自己を病めりとし、あきたらずとするなり、鄴中の奇なるをあきたらずとするにはあらず。不完全句といわれている。鄴は、魏の都にて今の河南省彰徳府臨漳縣なり。魏の時、三曹(曹操・曹丕・曹植)、鄴中(建安)七子あり、孔融・陳琳・王粲・徐幹・阮瑀・應瑒・劉楨、是なり、叉、曹植も傑出す、此等は謂ゆる鄴中の奇なり。・相州 (河北道南部 相州 相州) 別名:鄴城、鄴、鄴中   
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766年-113杜甫 《1801偶題》1531 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-113 <976> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6530

杜甫  偶題 #1

文章千古事,得失寸心知。作者皆殊列,名聲豈浪垂。騷人嗟不見,漢道盛於斯。
(偶然に書き付けた詩) #1

文章は永遠不朽の事業であるが、その任否得失に至ってはただ作者自家の方寸の心が知るばかりのものである。むかしから作者とよばれるほどの人人はみな特殊な列位にあるもので、その人人の名聲は故なくしてみだりに後世に垂れるものではない。(それぞれ他人には言えない獨知の長所をもっているから永久につたはったのだ)。すっとふるい騒人はなげかわしくも今は見られないが、漢の代になって文章の道はその時に盛となった。

766年-113杜甫 《1801偶題》1531 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-113 <976> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6530

 
 2015年8月30日の紀頌之5つのBlog 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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298 《卷十六01 送魯郡劉長史遷弘農長史》Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <298> Ⅰ李白詩1586 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6478 
 ●孟浩然 詩 index●李白詩index●謝霊運 詩 index●司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》●揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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87-#3 燕喜亭記 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1510> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6534韓愈詩-87-#3 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年-113杜甫 《1801偶題》1531 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-113 <976> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6530 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog9欧陽烱《巻六02南鄉子八首 其二》『花間集』253全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6537 
 ●薛濤の全詩●花間集(1巻●花間集(2巻●花間集(3巻●花間集(4巻●花間集(5巻 
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 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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杜甫詩

1500-976-1477/2500

年:766年大暦元年55歲-113

卷別:    卷二三○              文體:    五言古詩

詩題:    偶題

作地點:目前尚無資料

及地點:相州 (河北道南部 相州 相州) 別名:鄴城、鄴、鄴中  

白閣峰 (京畿道 無第二級行政層級 終南山)   

皇陂 (京畿道 京兆府 長安) 別名:皇陂、黃陂            

 

 

偶題 #1

(偶然に書き付けた詩) #1

文章千古事,得失寸心知。

文章は永遠不朽の事業であるが、その任否得失に至ってはただ作者自家の方寸の心が知るばかりのものである。

作者皆殊列,名聲豈浪垂。

むかしから作者とよばれるほどの人人はみな特殊な列位にあるもので、その人人の名聲は故なくしてみだりに後世に垂れるものではない。(それぞれ他人には言えない獨知の長所をもっているから永久につたはったのだ)。

騷人嗟不見,漢道盛於斯。

すっとふるい騒人はなげかわしくも今は見られないが、漢の代になって文章の道はその時に盛となった。

(偶題) #1

文章 千古の事,得失 寸心知る。

作者 皆 殊列なり,名聲 豈に浪りに垂れむや。

騷人 嗟 見えず,漢道 斯に盛んなり。

#2

前輩飛騰入,餘波綺麗為。後賢兼舊列,歷代各清規。

法自儒家有,心從弱歲疲。永懷江左逸,多病鄴中奇。

#3

騄驥皆良馬,騏驎帶好兒。車輪徒已斲,堂構惜仍虧。

漫作《潛夫論》,虛傳幼婦碑。緣情慰漂蕩,抱疾屢遷移。

#4

經濟慚長策,飛棲假一枝。塵沙傍蜂蠆,江峽繞蛟螭。

蕭瑟唐虞遠,聯翩楚漢危。聖朝兼盜賊,異俗更喧卑。

#5

鬱鬱星辰劍,蒼蒼雲雨池。兩都開幕府,萬宇插軍麾。

南海殘銅柱,東風避月支。

#6

音書恨烏鵲,號怒怪熊羆。稼穡分詩興,柴荊學土宜。

故山迷白閣,秋水隱黃陂。不敢要佳句,愁來賦別離。

 

前輩飛騰して入、る、飴波締麗と為る。

後貿麿制を粂ぬ、歴代各〜清規あり。』

法は儒家より有す、心は顔歳より渡る。

永く懐ふ江左の逸、多く痛ましめらる都中の奇なるに。

味磯皆良馬、麒麟好鬼を尊ぶ。

一#2

前輩 飛騰して入る,餘波 綺麗と為る。

後賢 舊列を兼ぬ,歷代 各の清規あり。

法は儒家自り有り,心は弱歲從り疲る。

永く懷う 江左の逸,多く病ましめらる鄴中の奇なるに。

#3

騄驥 皆 良馬なり,騏驎 好兒を帶ぶ。

車輪凝らに己に斲す、堂構仍お虧けたるを惜む。

漫りに作る《潜夫論》、虚しく傳う幼婦の碑。

緣情 漂蕩を慰む、抱疾屢ば遷移す。

#4

経済長策を慙づ、飛棲一枝を假る。

塵沙に蜂蠆に傍ふ、江峽蛟螭繞る。

蕭瑟として唐虞遠く,聯翩として楚漢危し。

聖朝盜賊を兼ぬ,異俗更に喧卑なり。

#5

鬱鬱たり星辰劍,蒼蒼たり雲雨の池。

兩都幕府を開く,萬宇 軍麾を插む。

南海 銅柱殘る,東風 月支を避く。

#6

音書 烏鵲を恨む,號怒 熊羆を怪む。

稼穡 詩興を分つ,柴荊 土宜を學ぶ。

故山 白閣迷う,秋水 黃陂を隱う。

敢て佳句を要せず,愁い來りて別離を賦す。
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『偶題』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

偶題 #1

文章千古事,得失寸心知。

作者皆殊列,名聲豈浪垂。

騷人嗟不見,漢道盛於斯。

(下し文)
(偶題) #1

文章 千古の事,得失 寸心知る。

作者 皆 殊列なり,名聲 豈に浪りに垂れむや。

騷人 嗟 見えず,漢道 斯に盛んなり。

(現代語訳)
(偶然に書き付けた詩) #1

文章は永遠不朽の事業であるが、その任否得失に至ってはただ作者自家の方寸の心が知るばかりのものである。

むかしから作者とよばれるほどの人人はみな特殊な列位にあるもので、その人人の名聲は故なくしてみだりに後世に垂れるものではない。(それぞれ他人には言えない獨知の長所をもっているから永久につたはったのだ)。

すっとふるい騒人はなげかわしくも今は見られないが、漢の代になって文章の道はその時に盛となった。


(訳注)

偶題 #1

(偶然に書き付けた詩)

○自己の詩學・文学・儒学に及び、此詩を賦する所以を叙したもので、大暦元年秋夔州にての作ったものである。

 

文章千古事,得失寸心知。

文章は永遠不朽の事業であるが、その任否得失に至ってはただ作者自家の方寸の心が知るばかりのものである。

○千古事 永遠不朽の事業であることをいう。

○得失 可否をいう。

○寸心知 寸心とは、方寸の心、自家の心中をいう。

 

作者皆殊列,名聲豈浪垂。

むかしから作者とよばれるほどの人人はみな特殊な列位にあるもので、その人人の名聲は故なくしてみだりに後世に垂れるものではない。(それぞれ他人には言えない獨知の長所をもっているから永久につたはったのだ)。

○作者 古今の作家。

○殊列 特別なる列位に在ること。

○浪垂 真の価値なくしてみだりに後世に傳はる。

 

騷人嗟不見,漢道盛於斯。

すっとふるい騒人はなげかわしくも今は見られないが、漢の代になって文章の道はその時に盛となった。

○騒人 騒〔離騒〕とは周末に楚の屈原が作り、韻文の一體なり、其の體によりて作るものか騒人といふ、屈原が門人に宋玉・景差・唐勤等あり、みな謂ゆる騒人なり。

○嗟不見 ああ、不見とは見るべからざるをいう。なげかわしくも今は見られないがというほどの意。

○漢道 漢代の文章の道をいう、漢に至りて五言七言の詩起る。

○盛於斯 斯は其の時をさす。

766年-112杜甫 《巻1540夔州歌十絕句,十首之十》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-112 <975> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6530

杜甫  夔州歌十絕句,十首之十  

閬風玄圃與蓬壺,中有高堂天下無。借問夔州壓何處,峽門江腹擁城隅。

(夔州の風土についてのべている。十首の十:この形勝を控えた夔州において他所を圧倒している場所があるそれは我が寓居があると詠う。)人の能く言う仙郷は、西には崑崙山の上にあるという仙人の住む所の閬風、玄圃があり、東には東海三山、蓬莱山、方壺山(方丈山)、瀛州山があるが、その中間には、ここ夔州の「高唐賦」の高堂があり、これは天下にはない所のものである。そこでこの形勝を控えた夔州において他所を圧倒している場所があるだろうか、すなわち夔門である峽門、江腹にあたって城隅を抱きかかえたところに我が寓居があるのである。

766年-112杜甫 《巻1540夔州歌十絕句,十首之十》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-112 <975> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6530

 


杜甫詩1500-975-1477/2500

 

夔州における杜甫の住まい(6)

雲安⇒ 客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯

 

 今度は、月の沈む方角から瀼西宅の位置を知ることができる。大暦二年の八月十五日(西暦九月十二日)、杜甫は瀼西宅で中秋の名月を三晩続けて見ていた。《2030_八月十五夜月二首》其一757年では、月光は草堂河にふりそそぎ、

 

八月十五夜月,二首之一

 

滿目飛明鏡,歸心折大刀。

滿目 明鏡飛ぶ,歸心 大刀折る。

轉蓬行地遠,攀桂仰天高。

轉蓬 地を行くこと遠し,攀桂 天の高きを仰ぐ。

水路疑霜雪,林棲見羽毛。

水路は 霜雪かと疑い、林棲は その羽毛を見る

此時瞻白兔,直欲數秋毫。

此の時 白兔を瞻れば,直ちに 秋毫をも數えんと欲す。

というように、林内の鳥の羽毛まで見分けがつくように明るいが、其二では、月は西の巫山峡(ここでは瞿塘峡を指す)の方に沈んでいく。

 

八月十五夜月,二首之二

 

稍下巫山峽,猶銜白帝城。

稍(ようや)く巫山峡に下り、猶お白帝城を銜(ふく)む

氣沈全浦暗,輪仄半樓明。

気は沈みて 全浦暗く、輪は仄(かたむ)きて 半楼明かなり

刁斗皆催曉,蟾蜍且自傾。

刁斗 皆 曉を催す,蟾蜍 且く自ら傾く。

張弓倚殘魄,不獨漢家營。

弓を張りて殘魄に倚るは,獨り漢家の營のむならず。

 

草堂河は暗くなったが白帝城はまだ月光に包まれており、楼閣の半面が明るく照らされている。このように月が白帝城の方に沈んでいることから、瀼西宅がその東にあることがわかる。もしも梅渓河の方に杜甫宅があれば、月は決して白帝城の方には沈まない。

 また瀼西宅には白帝城からの音が届いている。これも白帝城が近い証拠といえる。地図上での単純な距離は三キロメートル弱であるが、瀼西宅と白帝城の間にはほぼ一直線の草堂河が流れており、しかも両岸は山になっているから、音が拡散せず伝わりやすいのであろう。

 前掲の十五夜の詩其二の後半では、白帝城で巡邏する兵士たちの銅鑼の音が、瀼西宅まで聞こえてきている。

 

杜甫は、その音がまるで夜明けを促すようだと感じ、白帝城の兵士たちが月明かりをたよりに、夜通し護衛につとめている苦労にも思いを馳せている。

 翌日の十六夜の月夜には笛の音が聞こえてきて、杜甫の旅愁をいっそうかき立てている。《2032_十六夜玩月》に言う、

十六夜玩月

 

舊挹金波爽,皆傳玉露秋。

舊より挹む 金波の爽かなるを,皆 傳う 玉露の秋と。

關山隨地闊,河漢近人流。

關山 地に隨って闊に,河漢 人に近づいて流る。

谷口樵歸唱,孤城笛起愁。

谷口に 樵(きこり)帰りて唱い、孤城に 笛起こりて愁う

巴童渾不寢,半夜有行舟。

巴童も渾て 寢ねず,半夜 行舟有り。

2033

十七夜對月

 

秋月仍圓夜,江村獨老身。

秋月 仍お 圓き夜,江村 獨り老ゆる身。

捲簾還照客,倚杖更隨人。

簾を捲けば 還た照客を,杖に倚れば 更に人に隨う。

光射潛虯動,明翻宿鳥頻。

光に射られて 潛虯動く,明なるに翻りて宿鳥頻りなり。

茅齋依橘柚,清切露華新。

茅齋 橘柚に依る,清切 露華 新たなり。

 

この孤城は白帝城である。白帝山の西閣を舞台に詠われた《1723_秋興八首》其二に「夔府の孤城に落日斜め」とあり、夔州都督府の役所は白帝城にあった。また《1939_秋日夔府詠懷……》にも「孤城白帝の辺」とある。

 次の《2034_暁に望む》の詩では、白帝城から時を知らせる音が、朝方になってようやく尽きたという。この詩で杜甫は、野生の鹿を友とし隠遁者のように質素な住まいで暮らしていこうと沈んだ気持ちになっている。

 

曉望

 

白帝更聲盡,陽臺曙色分。

白帝には 更声の尽き、陽台には 曙色の分たり

高峰寒上日,疊嶺宿霾雲。

高峰には 寒くして日の上り、疊嶺宿霾雲。

地坼江帆穩,天清木葉聞。

地坼江帆穩,天清木葉聞。

荊扉對麋鹿,應共爾為群。

荊扉(ケイヒ)に 麋鹿(ビロク)に対し、応(まさ)に爾と共に群を為すべし

これは東屯での作とするのが一般的だが、もしそうなら瀼西宅まで聞こえた音は草堂河を伝わって、もうひとつ北の東屯まで届いたのであろう。地形から十分にあり得ることである。

 

 次の《2049_夜二首》其二の詩は、仇注の編年に従えば瀼西宅での秋の作である。白帝城に日が暮れゆき、笳(あしぶえ)の音が白帝城から聞こえてきている。

 

夜,二首之二

 

城郭悲笳暮,村墟過翼稀。

城郭 悲笳に暮る,村墟 過翼稀なり。

甲兵年數久,賦斂夜深歸。

甲兵 年數久し,賦斂せられて夜深に歸る。

暗樹依巖落,明河繞塞微。

暗樹 巖落に依りて,明河 塞を繞りて微なり。

斗斜人更望,月細鵲休飛。

斗 斜めにして 人 更に望む,月 細くして 鵲 飛ぶを休む。

  城郭悲笳暮、 城郭は 悲笳(ヒカ)のひびきのなかに暮れゆき

  村墟過翼稀。 わが村墟は 過ぎる翼(とり)も稀(まれ)なり

  ……

  暗樹依巖落、 暗き樹は 巌(いわお)に依(よ)りて落ち

  明河繞塞微。 明河は 塞を繞(めぐ)りて微(かす)かなり

杜甫は訪れる人も少ない瀼西宅の村の中で悲しげな笳の音を耳にしている。空にやがて星が輝きはじめると、天の河が白帝の城塞の上を流れていた。だがこうした細い悲笳の音は梅渓河までは届かなかったであろう。白帝城から梅渓河までは直線距離でも四、五キロメートルはあり、その間には長江が滔滔と流れている。同じ時期の《2002_秋野五首》其五には「大江(長江)は秋は盛んとなり易く、空峡には夜は聞こゆるもの多し」というように、さまざまな秋声がざわめきを立てているのだから。

 

秋野,五首之五

 

身許麒麟畫,年衰鴛鷺群。

身は許す 麒麟に畫かるるに,年は衰う鴛鷺の群。

大江秋易盛,空峽夜多聞。

大江 秋 盛なり易し,空峽 夜 聞ゆるもの多し。

徑隱千重石,帆留一片雲。

徑は千重の石に隱る,帆は一片の雲に留る。

兒童解蠻語,不必作參軍。

兒童 蠻語を解す,必ずしも參軍とら作ず。

 以上、ここでは白帝城との関わりから瀼西宅の位置をさぐってきた。瀼西宅が白帝城の東側にあり、太陽も月も白帝城の方角に沈み、白帝城からはいろいろな音が聞こえてきている。このことを杜甫自身が何度も詩に描き込んでおり、従って瀼西宅が草堂河辺であること、梅渓河辺ではあり得ないことが確認できたと思う。

夔州東川卜居図詳細 002 

 

年:766年大暦元年55歲-112

卷別:    卷二二九              文體:    樂府

詩題:    夔州歌十絕句,十首之十

作地點:              夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州           

及地點:              夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州             

 

夔州歌十絕句,十首之十

閬風玄圃與蓬壺,中有高堂天下無。

借問夔州壓何處,峽門江腹擁城隅。

(夔州の風土についてのべている。十首の十:この形勝を控えた夔州において他所を圧倒している場所があるそれは我が寓居があると詠う。)

人の能く言う仙郷は、西には崑崙山の上にあるという仙人の住む所の閬風、玄圃があり、東には東海三山、蓬莱山、方壺山(方丈山)、瀛州山があるが、その中間には、ここ夔州の「高唐賦」の高堂があり、これは天下にはない所のものである。

そこでこの形勝を控えた夔州において他所を圧倒している場所があるだろうか、すなわち夔門である峽門、江腹にあたって城隅を抱きかかえたところに我が寓居があるのである。

 

 

『夔州歌十絕句,十首之十』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夔州歌十絕句,十首之十

閬風玄圃與蓬壺,中有高堂天下無。

借問夔州壓何處,峽門江腹擁城隅。
(含異文)

閬風玄圃與蓬壺,中有高堂天下無【中有高唐天下無】。借問夔州壓何處,峽門江腹擁城隅。


(下し文)
(夔州歌の十絕句,十首の十)

閬風と玄圃と蓬壺と,中に高堂有り 天下に無し。

借問す 夔州壓するは何處ぞ,峽門 江腹 城隅を擁す。

(現代語訳)
(夔州の風土についてのべている。十首の十:この形勝を控えた夔州において他所を圧倒している場所があるそれは我が寓居があると詠う。)

人の能く言う仙郷は、西には崑崙山の上にあるという仙人の住む所の閬風、玄圃があり、東には東海三山、蓬莱山、方壺山(方丈山)、瀛州山があるが、その中間には、ここ夔州の「高唐賦」の高堂があり、これは天下にはない所のものである。

そこでこの形勝を控えた夔州において他所を圧倒している場所があるだろうか、すなわち夔門である峽門、江腹にあたって城隅を抱きかかえたところに我が寓居があるのである。

瞿塘峡・白帝城・魚復
(訳注)

夔州歌十絕句,十首之十

(夔州の風土についてのべている。十首の十:この形勝を控えた夔州において他所を圧倒している場所があるそれは我が寓居があると詠う。)

 

閬風玄圃與蓬壺,中有高堂天下無。

人の能く言う仙郷は、西には崑崙山の上にあるという仙人の住む所の閬風、玄圃があり、東には東海三山、蓬莱山、方壺山(方丈山)、瀛州山があるが、その中間には、ここ夔州の「高唐賦」の高堂があり、これは天下にはない所のものである。

○閬風玄圃 中国の伝説で、崑崙(こんろん)山の上にあるという仙人の住む所。位於崑崙山的山巔,相傳為仙人所居。・玄圃:中国の伝説で、崑崙山の上にあるという仙人の住む所。黃帝之下都,內有奇花異石與各式美玉。玄圃之下有清涼山,四季都刮著清爽的涼風。

○蓬壺 東海三山、蓬莱山、方壺山(方丈山)、瀛州山をいう。

 

借問夔州壓何處,峽門江腹擁城隅。

そこでこの形勝を控えた夔州において他所を圧倒している場所があるだろうか、すなわち夔門である峽門、江腹にあたって城隅を抱きかかえたところに我が寓居があるのである。

○夔州壓何處 この形勝を控えた夔州において他所を圧倒している場所がどこにある。

○峽門江腹擁城隅 三峡の入り口、瞿塘峡の地勢、杜甫の住まいの地勢をいう。

 
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766年-111杜甫 《巻1539夔州歌十絕句,十首之九》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-111 <974> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6525

杜甫  夔州歌十絕句,十首之九  

武侯祠堂不可忘,中有松柏參天長。干戈滿地客愁破,雲日如火炎天涼。
(夔州の風土についてのべている。十首の九:夔州の永安宮の傍、赤甲山の麓にある武侯廟は松柏が茂っているが、世界何処でも戦火がおさまらず、旅愁は散じ、この地の炎天も雲によって涼しくなると歌う。)諸葛亮、武侯の祠堂こそは、忘れかねる、この祠堂廟の庭には、天にまじわらんばかりに伸びた松柏が茂っている。そこへくると世界は戦だらけでも、自分の旅愁は散じてしまい、雲日。火のごとき焼け焦げの炎天にも涼しく感ぜられるのであることも忘れられない。

766年-111杜甫《巻1539夔州歌十絕句,十首之九》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-111 <974> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6525 杜甫詩1500-974-1476/2500

 

 

 

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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夔州における杜甫の住まい(5)

雲安⇒ 客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯

 

瀼西宅と白帝城

―――――――――――――――――――――

白帝山(城)は、西方向で比較的近く、地続きだから陸路でも行けるし、視界にも入る。杜甫が詠じる白帝城は、夔州城とは、つまり州の役所とは別物であった。そのことは杜甫自身が「白帝と夔州は各(おのおの)城を異にす」(《1527_夔州歌十絶句》其二)と述べていることから明らかである。とはいえ厳耕望氏によれば、夔州城は白帝城と連接していた。

 

夔州歌十絕句,十首之二

(夔州の歌 十絕句,十首の二)

白帝夔州各異城,蜀江楚峽混殊名。

白帝 夔州 各の城を異にす,蜀江 楚峽 殊名を混ず。

英雄割據非天意,霸主并吞在物情。

英雄 割據は天意に非らず,霸主の并吞するは物情に在り。

そしてそれは白帝城の北にあり、白帝城よりはずっと大きく、旧赤甲城の場所にあった(注'⑹'参照)。もちろん唐代の夔州城は梅渓河の方にはなかった。一方、白帝城には旧都督府の役所があったのではないかと思う。杜甫が夔州に滞在していたとき、夔州都督府は既に廃されていたが、白帝城は州より一つ上位の都督府的な役所(防禦使など)として、一部機能していたのではなかろうか。杜甫は白帝山の西閣に住んだことがあり、白帝城をひどく気に入って何度も詩に描いたが、夔州城にはあまり心惹かれていないようだ。

 

 

 さて、大暦二年の冬は、成都を去り三峡を下り始めてから数えると三年目になる。それなのに、いまだ夔州に滞っている。杜甫はそんな自分を隠遁生活者のように見立て、現世の栄辱を達観し是非曲直を没却しようとしている。《20100_寫懷二首》其一に、

 

鄙夫到巫峽,三歲如轉燭。

鄙夫のわれは 巫峡に到り、この三歳は あたかも燭を転ずるが如し

全命甘留滯,忘情任榮辱。

命を全うして 留滞に甘んじ、忘情任榮辱。 情を忘れて 栄辱に任す

  ……

 

編蓬石城東、采藥山北谷。

蓬(むかしよもぎ)を編みてすまう 石城の東、薬を采(と)る 山北の谷

  ……

 

曲直吾不知、負暄候樵牧。

曲直は 吾は知(あずかりし)らず、暄(ひだまりのぬくもり)を負(せ)にして 樵牧を候(ま)つ

勞生共乾坤,何處異風俗。

冉冉自趨競,行行見羈束。

無貴賤不悲,無富貧亦足。

萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。

鄙夫到巫峽,三歲如轉燭。

全命甘留滯,忘情任榮辱。

朝班及暮齒,日給還脫粟。

編蓬石城東,采藥山北谷。

用心霜雪間,不必條蔓綠。

非關故安排,曾是順幽獨。

達士如弦直,小人似鉤曲。

曲直我不知,負暄候樵牧。

という。石城がどれを指すか確定できないが、漢の旧赤甲城、六朝の旧巴東城、唐の夔州城、白帝城などは歴代いずれも梅渓河以東、赤甲山、白帝山の周辺にあった。ただいずれの地であるにせよ「石城の東」といえば草堂河の方になり、決して梅渓河の方にはならない。だからこの詩で、「石城の東に蓬を編む」というのは、白帝城の西ではなく、東方面の粗末な瀼西宅で生活を営むことを指すことになる。

 だから同じ年の秋《1940_秋日夔府詠懷奉寄鄭監李賓客一百韻》の冒頭で、瀼西宅の居所を、

秋日夔府詠懷奉寄鄭監李賓客一百韻

 

絶塞烏蠻北、 孤城白帝邊。

絶塞 烏蛮の北、孤城 白帝の辺。

飄零仍百里,消渴已三年。

 

と概括して述べているのである。

 次の詩からは、日没の方角から瀼西宅が白帝城の東にあることがわかる。杜甫の母方のおじ筋にあたる親戚で侍御四なる人物が使者として夔州に来ていたが、彼がいよいよ夔州を出発するとき杜甫の家を訪れた。それを送別したのが《1934_巫峽敝廬奉贈侍御四舅別之澧朗(巫峡の敝廬(あばらや)にて、侍御の四舅が別れて澧朗(レイロウ)に之(ゆ)くに、贈り奉る》の758年の詩である。

 

巫峽敝廬奉贈侍御四舅別之澧朗

(卷一九34)

江城秋日落,山鬼閉門中。

江城に 秋の日は落ち、山鬼のごときわれは 閉じし門の中にあり

行李淹吾舅,誅茅問老翁。

行李(使者)として 吾が舅はここに淹(ひさ)しかり、茅(かや)を誅(き)りてすまう この老翁のわれを おとずれ問う

赤眉猶世亂,青眼只途窮。

赤眉 猶お世亂,青眼 只だ途窮。

傳語桃源客,人今出處同。

傳語す 桃源の客,人は今 出處 同じ。

一句目の「江城」は《1508_白帝城に上る二首》其一に「江城は変態を含み、一たび上れば一回新たなり」とあるように白帝城を指している(夔州詩には江城は四度出てくるがみな白帝城とみなしてよい)。この時、瀼西宅で秋の日が暮れていったが、日が沈んでいく西の方角には、江城すなわち白帝城が見えていた。もしも瀼西宅が梅渓河西岸にあるなら、そのような現象は起こりようがない。このことから瀼西宅は白帝城の東の方向であることがわかるのである。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

年:-766年大暦元年55歲-111

卷別:    卷二二九              文體:    樂府

詩題:    夔州歌十絕句,十首之九

作地點:              目前尚無資料

及地點:              夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州、夔國  

武侯廟 (山南東道 夔州 奉節) 別名:諸葛廟、武侯祠、武侯祠堂、孔明廟            

 

 

夔州歌十絕句,十首之九

(夔州の風土についてのべている。十首の九:夔州の永安宮の傍、赤甲山の麓にある武侯廟は松柏が茂っているが、世界何処でも戦火がおさまらず、旅愁は散じ、この地の炎天も雲によって涼しくなると歌う。)

武侯祠堂不可忘,中有松柏參天長。

諸葛亮、武侯の祠堂こそは、忘れかねる、この祠堂廟の庭には、天にまじわらんばかりに伸びた松柏が茂っている。

干戈滿地客愁破,雲日如火炎天涼。

そこへくると世界は戦だらけでも、自分の旅愁は散じてしまい、雲日。火のごとき焼け焦げの炎天にも涼しく感ぜられるのであることも忘れられない。

(夔州歌十絕句,十首の九)

武侯の祠堂 忘る可からず,中に松柏の天に參して長き有り。

干戈 滿地 客愁 破れ,雲日 火の如し 炎天にも涼し。
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夔州東川卜居図詳細 002 

 

『夔州歌十絕句,十首之九』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夔州歌十絕句,十首之九

武侯祠堂不可忘,中有松柏參天長。

干戈滿地客愁破,雲日如火炎天涼。
(含異文):            武侯祠堂不可忘【武侯生祠不可忘】,中有松柏參天長。干戈滿地客愁破,雲日如火炎天涼。
(下し文)
(夔州歌十絕句,十首の九)

武侯の祠堂 忘る可からず,中に松柏の天に參して長き有り。

干戈 滿地 客愁 破れ,雲日 火の如し 炎天にも涼し。

(現代語訳)
(夔州の風土についてのべている。十首の九:夔州の永安宮の傍、赤甲山の麓にある武侯廟は松柏が茂っているが、世界何処でも戦火がおさまらず、旅愁は散じ、この地の炎天も雲によって涼しくなると歌う。)

諸葛亮、武侯の祠堂こそは、忘れかねる、この祠堂廟の庭には、天にまじわらんばかりに伸びた松柏が茂っている。

そこへくると世界は戦だらけでも、自分の旅愁は散じてしまい、雲日。火のごとき焼け焦げの炎天にも涼しく感ぜられるのであることも忘れられない。


(訳注)

夔州歌十絕句,十首之九

(夔州の風土についてのべている。十首の九:夔州の永安宮の傍、赤甲山の麓にある武侯廟は松柏が茂っているが、世界何処でも戦火がおさまらず、旅愁は散じ、この地の炎天も雲によって涼しくなると歌う。)

 

武侯祠堂不可忘,中有松柏參天長。

諸葛亮、武侯の祠堂こそは、忘れかねる、この祠堂廟の庭には、天にまじわらんばかりに伸びた松柏が茂っている。

○武侯祠堂 武侯は蜀漢の諸葛亮、字は孔明をいう、後主の223年建興元年、武郷侯に封ぜられた。廟は夔州府魚復縣の永安宮の傍、赤甲山の麓にあった。

杜甫《1512武侯廟【案:廟在白帝西郊。】》

遺廟丹青落,空山草木長。

猶聞辭後主,不復臥南陽。

(武侯の廟)

遺廟 丹青落ち、空山 草木長し。

猶お聞くがごとし 後主を辞するを、復た南陽に臥せず。

(夔州の諸葛亮の廟をたずねてよんだ詩。)

いまのこっている廟はふるぼけて絵の具が落ちてしまい、さびしい山にただ草や木がたけたかく伸びている。ここへおまいりすると孔明の英霊がなお存在して彼が後主に出陣の暇乞いをしたときの声音をそのまま聞くようである。

彼はあのときは畢生の決心をかためて立ちあがったので、あれ以来は決してふたたび南陽に臥ていようなどのかんがえはもたなかったのである。

766年-87杜甫 《1512武侯廟【案:廟在白帝西郊。】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-87 <950> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6385

○參天 手に突き刺すように伸びる。そして、それが交わるように伸びていることをいう。

 

干戈滿地客愁破,雲日如火炎天涼。

そこへくると世界は戦だらけでも、自分の旅愁は散じてしまい、雲日。火のごとき焼け焦げの炎天にも涼しく感ぜられるのであることも忘れられない。

○干戈滿地 国中どこでも干戈を交えて戦っている。

○客愁破 旅をしている自分の旅愁は散じてしまう。
唐時代 地図山南 東・西道50 

766年-110杜甫 《巻1538夔州歌十絕句,十首之八》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-110 <973> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6520

杜甫  夔州歌十絕句,十首之八   

憶昔咸陽都市合,山水之圖張賣時。巫峽曾經寶屏見,楚宮猶對碧峰疑。
(夔州の風土についてのべている。十首の八:昔咸陽の目瀬で見た巫山、巫峡の山水図と実物を見るに、楚王と瑤姫の宮がどこにあったのかしりたいと歌う。)昔のことだが、咸陽の年の古道具屋の店に、山水の図を張って売っていたのを見たことを思いだす。眼前に在る不況はあの時立派な屛風の上で見たことのある姿のままである。けれど、巫山の碧峰の実物に対しながら、楚王の宮殿というものがどこにあるのか、今なお疑問が晴らせないでいる。

766年-110杜甫《巻1538夔州歌十絕句,十首之八》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-110 <973> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6520

 

 
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 杜甫詩1500-973-1475/2500

夔州における杜甫の住まい(4)

雲安⇒ 客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯

 

 瀼西だけに限らないだろうが、そういう住まいの様子が杜甫にはよほど珍しかったのだろう、その後も詩の中で二度言及している。《1564_贈李十五丈別》(大暦元年秋)の詩では、重なる山々の頂上に貼りつくように家がある様子を、鳥獣の住みかのようだと述べている。

1564_贈李十五丈別

 

峽人鳥獸居、其室附層顛。

峡の人は 鳥獣のごとく居り、其の室は 層なす顛(いただき)に附す。

下臨不測江、中有萬里船。

下は不測の江に臨み、中には万里よりきたる船有り。

 

さらに《1536_雨二首》其一になると、もっとはっきりまるで樹上に巣を作る鳥のような住居をしていると詠じている。

雨,二首之一

 

殊俗狀巢居,曾臺俯風渚。

ここの殊俗は 巣居を状(かたど)り、層台より 風ふく渚を俯(ふ)す

 

実は以前にも、山地の民が斜面に柱を立てかけて住む様子を、巣居のような住みかたをしていると感じたことがある。六年前、秦州から成都入りする途中で険しい五盤嶺を詠じた《0906_五盤》の詩に「野人は半ばは巣居す」と詠じるのがそれである。

 また瀼西宅の南面、つまり対岸の瀼東には白塩山が高くたちはだかっていたことは、先に述べたとおりだが、瀼西宅の北側が赤甲山の東側の山麓にあたることは、《2028_自瀼西荊扉且移居東屯茅屋,四首之一(瀼西の荊扉(あばらや)自(よ)り、且(しばら)く東屯の茅屋に移居す、四首其一)に、

 

自瀼西荊扉且移居東屯茅屋,四首之一

白鹽危嶠北,赤甲古城東。

ここは白塩の危嶠(キキョウ)の北の、赤甲やまの古城の東なり

とあることからもわかる'⑾'。さらに、その赤甲山に続く西側は険しい崖になっていた。そのことは、《1907_課伐木》(大暦二年夏)の詩に、

 

虎穴連里閭、隄防舊風俗。

虎の穴は 里閭(むらざと)に連なり、隄防(テイボウ)するは 旧風俗なり

泊舟滄江岸、久客慎所觸。

舟を泊す 滄江の岸、久しき客のわれは (虎の)触るる所を慎しむ

舍西崖嶠壯、雷雨蔚含蓄。

舎の西は 崖嶠(ガイキョウ) 壮なり、雷雨には 蔚として含蓄す

とあり、草木がこんもり茂って雷雨の時には、虎や何かが隠れていそうな場所として描かれている。

 以上のように、瀼西宅と草堂河、瀼東区と瀼西区、白塩山と赤甲山などの景観や位置を、容易に杜甫の詩から読み取ることができる。そしてそれらは草堂河西岸説でこそ、無理なくすっきりと説明することができるのである。

 

 

年:766年           大曆元年55歲

卷別:    卷二二九              文體:    樂府

詩題:    夔州歌十絕句,十首之八

作地點:              目前尚無資料

及地點:              夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州             

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸     

 

夔州歌十絕句,十首之八

(夔州の風土についてのべている。十首の八:昔咸陽の目瀬で見た巫山、巫峡の山水図と実物を見るに、楚王と瑤姫の宮がどこにあったのかしりたいと歌う。)

憶昔咸陽都市合,山水之圖張賣時。

昔のことだが、咸陽の年の古道具屋の店に、山水の図を張って売っていたのを見たことを思いだす。

巫峽曾經寶屏見,楚宮猶對碧峰疑。

眼前に在る不況はあの時立派な屛風の上で見たことのある姿のままである。けれど、巫山の碧峰の実物に対しながら、楚王の宮殿というものがどこにあるのか、今なお疑問が晴らせないでいる。

 

(夔州歌十絕句,十首の八)

憶う昔 咸陽都市の合,山水の圖 張賣の時。

巫峽は 曾て經たり 寶屏に見しことを,楚宮は猶お碧峰に對して疑う。
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京兆地域図002 

『夔州歌十絕句,十首之八』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夔州歌十絕句,十首之八

憶昔咸陽都市合,山水之圖張賣時。

巫峽曾經寶屏見,楚宮猶對碧峰疑。

(下し文)
(夔州歌十絕句,十首の八)

憶う昔 咸陽都市の合,山水の圖 張賣の時。

巫峽は 曾て經たり 寶屏に見しことを,楚宮は猶お碧峰に對して疑う。

(現代語訳)
(夔州の風土についてのべている。十首の八:昔咸陽の目瀬で見た巫山、巫峡の山水図と実物を見るに、楚王と瑤姫の宮がどこにあったのかしりたいと歌う。)

昔のことだが、咸陽の年の古道具屋の店に、山水の図を張って売っていたのを見たことを思いだす。

眼前に在る不況はあの時立派な屛風の上で見たことのある姿のままである。けれど、巫山の碧峰の実物に対しながら、楚王の宮殿というものがどこにあるのか、今なお疑問が晴らせないでいる。


(訳注)

夔州歌十絕句,十首之八

(夔州の風土についてのべている。十首の八:昔咸陽の目瀬で見た巫山、巫峡の山水図と実物を見るに、楚王と瑤姫の宮がどこにあったのかしりたいと歌う。)

 

憶昔咸陽都市合,山水之圖張賣時。

昔のことだが、咸陽の年の古道具屋の店に、山水の図を張って売っていたのを見たことを思いだす。

咸陽都市合 咸陽の街の通りの交差の合わさっているところ。咸陽:かつては秦朝の首都として大いに栄えた。風水においては山・丘・阜などの南側、河・江・川・湖などの水辺の北側を陽と言う。この都市は九嵕山の南、渭水の北に当たり「咸陽」なためにこの名前がついた。杜甫《卷二11兵車行》「車轔轔,馬蕭蕭,行人弓箭各在腰。耶孃妻子走相送,塵埃不見咸陽橋。」(車 轔轔(りんりん),馬 蕭蕭(しょうしょう),行人の 弓箭(きゅうせん)各ゝ(おのおの)腰に在り。耶孃(やぢゃう) 妻子  走りて 相(あ)ひ送り,塵埃(じんあい)に 見えず  咸陽橋(かんようきょう)。)○咸陽橋 咸陽は県の名、渭水をへだてて長安より北の岸にある。橋は成陽へわたるためのはしで、或は西渭橋のことといい、或は中渭橋のことというが、はっきりしない。兵車行  杜甫

山水之圖 巫山、巫峡の山水図。

張賣 店内の戸板に張り出して販売する。

 

巫峽曾經寶屏見,楚宮猶對碧峰疑。

眼前に在る不況はあの時立派な屛風の上で見たことのある姿のままである。けれど、巫山の碧峰の実物に対しながら、楚王の宮殿というものがどこにあるのか、今なお疑問が晴らせないでいる。

巫峽 長江三峡の二番目の峡谷。重慶市巫山県の大寧河の河口から湖北省巴東県官渡口まで全長45km。 上流側の巫山県は四川盆地東端にあり、巫山山脈をはじめ東西方向に伸びる細長い褶曲山脈多数が並行して走っている。巫山県城付近は長江沿いの丘陵地帯で大寧河の河口付近にある。

楚宮 楚 (紀元前223年まで)は、中国に周代、春秋時代、戦国時代にわたって存在した王国。現在の長江下流域、湖北省、湖南省を中心とした広い地域を領土とした楚の宮殿。紀元前278年に楚の都・郢(現在の湖北省江陵県県内)が秦軍に攻め落とされると、屈原は国を救う望みがなくなったことを感じ、旧暦五月五日の端午節に『懐沙』(石をいだく)を書き、汨羅江に身投げしたことを詠う詩が多い。李商隠は唐王朝に対して楚宮を喩えるために詩題としているのであろう。つまり楚宮という歴史を過ぎても今も荒淫の歴史は続くとしている。李商隠《過楚宮》「巫峽迢迢舊楚宮,至今雲雨暗丹楓。」

過楚宮 李商隱 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 56

楚宮 李商隠:kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 55

碧峰 巫山十二峰の緑の峯をいう。
夔州東川卜居図詳細 002 

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杜甫  夔州歌十絕句,十首之七   

蜀麻吳鹽自古通,萬斛之舟行若風。

長年三老長歌裡,白晝攤錢高浪中。

(夔州の風土についてのべている。十首の七:長江を上下する船のさまを歌う。)

蜀(成都)からの麻、呉(江蘇)からの塩、これはむかしから交通しており、二者を通ずる萬斛船は風のように速くゆく。さてこの船をやる長年・三老は鼻歌を歌っているかたわら、お客商人どもは高浪の立つなかで船の上で真っ昼間というのに「なめかた」の博打をしてあそんでいる。

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杜甫詩1500-972-1474/2500

夔州における杜甫の住まい(3)

雲安⇒ 客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯

 

 次の《1863_江雨有懐鄭典設》(江雨に鄭典設を懐う有り)の詩は大暦二年、瀼西に引っ越してきたころの作だが、草堂河両岸に対して西東という言い方もしている。

江雨有懐鄭典設

江雨有懷鄭典設

 

春雨闇闇塞峽中,早晚來自楚王宮。

春雨 闇闇 峽中に塞る,早晚楚王の宮より來る。

亂波分披已打岸,弱雲狼藉不禁風。

亂波 分披已に岸を打つ,弱雲 狼藉 風に禁えず。

寵光蕙葉與多碧,點注桃花舒小紅。

蕙葉に寵光して多碧を與え,桃花に點注して小紅を舒べしむ。

谷口子真正憶汝,岸高瀼滑限西東。

谷口の子真たるきみよ われは正に汝を憶(おも)う、岸は高く 瀼は滑(なめ)らかにして 西と東とを限(へだ)つ

 

詩の中で杜甫は、鄭典設を漢代の清浄な隠者の鄭子真(長安の谷口の人)とみなしている。雨で草堂河がみなぎり、瀼西にいる杜甫は瀼東に住む鄭子真と隔てられたように感じているのである。下句の「瀼は滑らか」の部分は、王洙本他のテキストに「瀼は闊(ひろ)く」と作る異文が伝わる。趙次公注本は、本文をわざわざその異文の方に改めているが、それだといっそう対岸との隔絶感が強まる(戊帙巻之一)。

 

 対岸の瀼東地区は他の詩にも描かれている。瀼東の背後には、白塩山(今の赤甲山)が衝立のように立ちふさがっていた。瀼西に引っ越す前に作った《1553_白塩山》の詩では、瀼東地区には千戸の民家があったと述べている。

白鹽山

 

【白鹽崖高千餘丈,在州城東十七里。】

白鹽の崖高は千餘丈なり,州城の東十七里に在る。

卓立群峰外,蟠根積水邊。

卓立す 群峰の外,根を蟠らす積水の邊。

他皆任厚地,爾獨近高天。

他は皆 厚地に任す,爾 獨り高天に近づく。

白榜千家邑,清秋萬估船。

白榜 千家の邑,清秋 萬の估船。

詞人取佳句,刻畫竟誰傳。

詞人 佳句を取る,刻畫するも 竟に誰か傳えん。

もちろんこの千戸は実数ではないが、戸数が比較的多いことがわかる。増水期の秋、草堂河には様々な商人の船が碇泊している。草堂河を挟んだ瀼西区と瀼東区は唐代は栄えており人家が多かったので、増水期には船の往来が少なくなかったようである。明の王嗣奭が「(白塩)山を繞りて上り、千家、邑を成す。積水の中、万の估の船来たる。又た蜀中の一都会なり」(曹樹銘『杜臆増校』巻十一)と解するように杜甫の当時はそれなりににぎやかだった。その繁華さの背景には、長江を通じて長江の上流域と下流域、蜀と呉の盛んな物資の流通があり、夔州がその中間に位置していたからであろう。夔州の特徴を風物詩風に連作詩で詠じた《1537_夔州歌十絶句》の其七で、杜甫はそのことを、

夔州歌十絕句,十首之七

(夔州の歌十絕句,十首の七)

蜀麻吳鹽自古通,萬斛之舟行若風。

蜀麻 呉鹽古より通ず、万斛の舟行くこと風の若し。

長年三老長歌裡,白晝攤錢高浪中。

長年 三老 長歌の裏、白昼 銭を攤す 高浪の中。

と詠じている。

 狭い地にこれだけ戸数が多いと、民家はおのずと山の上まで続かざるを得ない。そのことを《1534_夔州歌十絶句》其四(大暦元年夏)で、

 

夔州歌十絕句,十首之四

(夔州の歌十絕句,十首の四)

赤甲白鹽俱刺天,閭閻繚繞接山巔。

赤甲 白塩俱に天を刺す、閭閻【りょうえん】繚繞【りょうじょう】山巔【さんてん】に接す。

楓林橘樹丹青合,複道重樓錦繡懸。

楓林 橘樹 丹青合し、複道 重楼 錦繍【きんしゅう】懸かる。

と詠じる。仇兆鰲が「居する人の密なるを言う」と注するように、瀼西の赤甲山も瀼東の白塩山もその斜面には、集落が山の高いところまでくねくねと続いていることを詠じている。

 

 

年:766年           大曆元年            55歲

卷別:    卷二二九              文體:    樂府

詩題:    夔州歌十絕句,十首之七

作地點:              目前尚無資料

及地點:夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州、夔國  

 

 

夔州歌十絕句,十首之七

(夔州の風土についてのべている。十首の七:長江を上下する船のさまを歌う。)

蜀麻吳鹽自古通,萬斛之舟行若風。

蜀(成都)からの麻、呉(江蘇)からの塩、これはむかしから交通しており、二者を通ずる萬斛船は風のように速くゆく。

長年三老長歌裡,白晝攤錢高浪中。

さてこの船をやる長年・三老は鼻歌を歌っているかたわら、お客商人どもは高浪の立つなかで船の上で真っ昼間というのに「なめかた」の博打をしてあそんでいる。

 

(夔州の歌十絕句,十首の七)

蜀麻 呉鹽古より通ず、万斛の舟行くこと風の若し。

長年 三老 長歌の裏、白昼 銭を攤す 高浪の中。

 

夔州東川卜居図詳細 002 

 

『夔州歌十絕句,十首之七』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夔州歌十絕句,十首之七

蜀麻吳鹽自古通,萬斛之舟行若風。

長年三老長歌裡,白晝攤錢高浪中。

詩文(含異文)

蜀麻吳鹽自古通,萬斛之舟行若風。

長年三老長歌裡,白晝攤錢高浪中【白買攤錢高浪中】【白馬灘前高浪中】。


(下し文)
(
夔州の歌十絕句,十首の七)

蜀麻 呉鹽古より通ず、万斛の舟行くこと風の若し。

長年 三老 長歌の裏、白昼 銭を攤す 高浪の中。

(現代語訳)
(夔州の風土についてのべている。十首の七:長江を上下する船のさまを歌う。)

蜀(成都)からの麻、呉(江蘇)からの塩、これはむかしから交通しており、二者を通ずる萬斛船は風のように速くゆく。

さてこの船をやる長年・三老は鼻歌を歌っているかたわら、お客商人どもは高浪の立つなかで船の上で真っ昼間というのに「なめかた」の博打をしてあそんでいる。

 

 (訳注)

夔州歌十絕句,十首之七

(夔州の風土についてのべている。十首の七:長江を上下する船のさまを歌う。)


蜀麻吳鹽自古通,萬斛之舟行若風。

蜀(成都)からの麻、呉(江蘇)からの塩、これはむかしから交通しており、二者を通ずる萬斛船は風のように速くゆく。

○蜀麻 蜀地の特産物の麻紙をいう。  宋梅堯臣《和石昌言以蜀箋南箋答松管之什》「楊子校經聊以贈, 蜀麻江楮報何嫌。」

○吳鹽 吳地所產的鹽。即我國最著名的淮鹽。唐.李白〈梁園吟〉:「玉盤楊梅為君設,吳鹽如花皎白雪。」比喻白髮。(玉盤の楊梅 君が為に設け、呉塩は花の如く 白雪よりも唆し。)それから白玉の大皿の楊梅と称する果物がいっぱいに盛ってあり、君のために用意したもの、呉の国からでる白雪よりも白く光る花のように美しい塩がうずたかく用意してある。

 

長年三老長歌裡,白晝攤錢高浪中。

さてこの船をやる長年・三老は鼻歌を歌っているかたわら、お客商人どもは高浪の立つなかで船の上で真っ昼間というのに「なめかた」の博打をしてあそんでいる。

○長年 はさお方。

○三老 かじ方。

○攤銭 錢を攤すとは博打を打つことをいう。攤は手で敷くこと、ただしそろりとおくのではなくはうりだすこと、これは銭を投げだしてその表裏を言いあてる賭博の戯である、わが国の「なめかた」のこと。これはお客の商人が為すのである。

○高浪中これも浪のなかへ銭をなげるのをいうのではなく、船が高浪中にあることをいう、船は高浪中にあり、お客の商人は船上にあって銭を灘するのである。

 

(夔州の歌十絕句,十首の七)

蜀麻 呉鹽古より通ず、万斛の舟行くこと風の若し。

長年 三老 長歌の裏、白昼 銭を攤す 高浪の中。
8世紀唐と周辺国00 

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杜甫  夔州歌十絕句,十首之六

東屯稻畦一百頃,北有澗水通青苗。晴浴狎鷗分處處,雨隨神女下朝朝。
(夔州の風土についてのべている。十首の六:草堂の大瀼水北の東屯に百頃の耕作地があり、此処には雨が多く、稲作に適していると述べたもの)東屯の耕作地には稲のうねが百頃ばかりもある。その北には澗水があって苗のあるところに通じている。ここには人なれたかもめは晴れに乗じて処処にわかれて浴みしているし、雨を随えた神女は朝が来るたびに天からおりてくる。

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夔州における杜甫の住まい(2)

雲安⇒ 客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯

 

 草堂河は白帝山の東北方面から流れてきて、瞿塘峡口と白帝山南端部で長江に流入する川である。草堂河は白帝山の南端で長江に合流するが、そこから遡るかたちで杜甫の瀼西宅を説明してみよう。草堂河は、白帝山の東側を半周するとほぼ真っ直ぐな水路となり、左手に子陽山(唐代の赤甲山)、右手に今の赤甲山(唐代の白塩山)に挟まれた一段が続く。この部分の左岸が瀼西区で右岸が瀼東区である。その一段を過ぎると草堂河は「>」の字型に流れを転じて上流へ向かうが、そのカーブする箇所の左岸下部に杜甫の瀼西宅はあったとされる。そこは赤甲山の東側の山裾でもあり、その南面である。従って瀼西宅を陸路で出発し、その赤甲山の東麓を真北に越えて行けば、方向を転じてきた草堂河に再び出会うことになる。ちょうどそのあたりで、草堂河は石馬河と合流する。その合流地点はあたかもYの字型で、その合流点の北岸に杜甫の東屯の住まいがあった。東屯は瀼西宅からすると、北の方角にある。

 上の概略図は、現在の奉節一帯の衛星写真(Google Maps Hybrid版)から地形の輪郭を取り、その上に地名を書き込んだものである。なお唐代の役所の所在地については厳耕望氏『唐代交通図考』第四巻を参考にした。

 

瀼、赤甲山、白塩山

―――――――――――――――――――――

 瀼西宅のそばを流れる草堂河は、杜甫のころはまだ固有の名前がついていなかったと思われる。長江にはたくさんの支流が注ぎ込むが、三峡一帯ではその険しい山谷から長江に流入する渓谷の流れを「瀼」と呼んでいたようである。そのことは、杜甫の自注に「江水の山谷を横通する処、方人は之を瀼と謂う」と記されていることからわかる(王洙本巻十五《1940_秋日夔府詠懷奉寄鄭監李賓客一百韻》詩「市曁瀼西巓」への原注)。杜甫もそうした当地のならわしによって、瀼西宅の前を流れて長江に流入するその川を「瀼」とよんだのであろう。

 瀼西宅のもう一つ奥の東屯宅での作とされる《1937_奉酬薛十二丈判官見贈》の詩では、その瀼水が滄溟(海原)のように大きい長江に流れ込むさまを、

 

 

東西兩岸坼,橫水注滄溟。

東西は両岸坼(さ)け、横水は滄溟に注ぐ

碧色忽惆悵,風雷搜百靈。

碧色に忽ち惆悵す,風雷に百靈を搜む。

空中右白虎,赤節引娉婷。

空中に白虎右り,赤節 娉婷を引く。

自云帝里女,噀雨鳳凰翎。

自ら云う帝の里女なり,雨を噀く 鳳凰の翎。

 

と詠じている。

 杜甫は詩の中でその「瀼」という言葉を何度も用いている。ただ「瀼西」というのがほとんどで、他は「瀼東」「瀼は滑らか」(その異文で「瀼は闊し」)「瀼の岸」「瀼の上」などである。

 ところで、瀼という字はあまり見慣れない。杜甫以前で、夔州の西または東の瀼に言及したものは、四庫全書(電子版)の範囲内では『水経注』が最初である。巻三三に「白帝山城は周迴二百八十歩、北は馬嶺に縁(よ)り、赤岬山に接し、其の間の平処は、南北相去ること八十五丈、東西七十丈。又東は東瀼渓に傍(そ)い、即ち以て隍と為す」とあり、この東瀼渓が今の梅渓河ではなく草堂河を指すことは、馬嶺、赤岬山、白帝城との位置関係から明らかである。その東瀼渓が白帝城の「隍」すなわち水の無い城濠の役割を果たすと言っているのは、冬場に水位が下がったときのことである。

 唐以前の詩及び全唐詩で、地理に関する名詞として瀼の字が使われているのは十六首あるが、そのうち杜甫が十三例を占め、あとは中唐の劉禹錫の竹枝詞に「瀼西春水縠紋生」とあるのが一例、九江のことを述べた盛唐の元結が二例あるに過ぎない。つまり夔州の草堂河を詩の中に歌ったのは杜甫が最初で、しかもそのほとんどが杜甫で、瀼は杜甫の詩と強く結びついているということである。浣花(渓)が成都草堂時代を代表する詩語だったように、瀼は杜甫の夔州詩を代表する一つの言葉だと言ってよい。

 草堂河(東瀼水)両岸の地区を杜甫は瀼東、瀼西という言い方をしている。夔州に着いてまもないころの詩《1527_夔州歌十絶句》其五で、

夔州歌十絶句其五 

(夔州歌十絕句,十首の五)

瀼東瀼西一萬家,江北江南春冬花。

瀼東 瀼西 一万家、江北江南春冬花あり。

背飛鶴子遺瓊蕊,相趁鳧雛入蔣牙。

背飛する鶴子は瓊蕊【けいずい】を遺し、相趁【おう】の鳧雛【ふすう】は蒋牙【しょうが】に入る。

と詠じ、草堂河の東岸、西岸に広がる民家が一万戸と述べている。『新唐書』巻四十、地理志によれば、夔州は奉節、雲安、巫山、大昌の四県全体で、戸数は一万五千六百二十、人口は七万五千(『通典』や『太平寰宇記』の記述も大同小異)である。これからすると草堂河両岸だけで民家一万戸というのは、多すぎるかもしれない。だが句作りの関係から誇張されている分を差し引いたとしても、この地区の人口が相当多かったことを、杜甫は驚きつつ詩の中で詠じているのである。

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

杜甫詩1500-971-1473/2500

年:766年大暦元年55歲-108

卷別:    卷二二九              文體:    樂府

詩題:    夔州歌十絕句,十首之六

作地點:              目前尚無資料

及地點:              夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州             

茅堂 (山南東道 夔州 夔州) 別名:東渚、東屯            

 

 

夔州歌十絕句,十首之六

(夔州の風土についてのべている。十首の六:草堂の大瀼水北の東屯に百頃の耕作地があり、此処には雨が多く、稲作に適していると述べたもの)

東屯稻畦一百頃,北有澗水通青苗。

東屯の耕作地には稲のうねが百頃ばかりもある。その北には澗水があって苗のあるところに通じている。

晴浴狎鷗分處處,雨隨神女下朝朝。

ここには人なれたかもめは晴れに乗じて処処にわかれて浴みしているし、雨を随えた神女は朝が来るたびに天からおりてくる。

 

(夔州歌十絕句,十首の六)

東屯の稲畦【とうけい】一百頃【けい】、北に澗水の青苗に通ずる有り。

晴れて浴する狎鷗【こうおう】は分かるること処処なり、雨を随えたる神女は下ること朝朝なり。

 

夔州東川卜居図詳細 002 

『夔州歌十絕句,十首之六』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夔州歌十絕句,十首之六

東屯稻畦一百頃,北有澗水通青苗。

晴浴狎鷗分處處,雨隨神女下朝朝。

(下し文)
(
夔州歌十絕句,十首の六)

東屯の稲畦【とうけい】一百頃【けい】、北に澗水の青苗に通ずる有り。

晴れて浴する狎鷗【こうおう】は分かるること処処なり、雨を随えたる神女は下ること朝朝なり。

(現代語訳)
(夔州の風土についてのべている。十首の六:草堂の大瀼水北の東屯に百頃の耕作地があり、此処には雨が多く、稲作に適していると述べたもの)

東屯の耕作地には稲のうねが百頃ばかりもある。その北には澗水があって苗のあるところに通じている。

ここには人なれたかもめは晴れに乗じて処処にわかれて浴みしているし、雨を随えた神女は朝が来るたびに天からおりてくる。


(訳注)

夔州歌十絕句,十首之六

(夔州の風土についてのべている。十首の六:草堂の大瀼水北の東屯に百頃の耕作地があり、此処には雨が多く、稲作に適していると述べたもの)

 

東屯稻畦一百頃,北有澗水通青苗。

東屯の耕作地には稲のうねが百頃ばかりもある。その北には澗水があって苗のあるところに通じている。

○東屯 奉節県の東十里、白帝城の東に東瀼水がある、水源は長松嶺であり白帝山を経て大江に流れ入る。公孫述が東瀼水のほとりに稲田を開墾したので、其の地を東屯という。○稲畦 いねのうね。

〇一百頃 頃は百畝の面積。

○青苗 旧注に陵の名とするが披名ではない、上の稲畦の苗をいうにすぎぬ。

 

晴浴狎鷗分處處,雨隨神女下朝朝。

ここには人なれたかもめは晴れに乗じて処処にわかれて浴みしているし、雨を随えた神女は朝が来るたびに天からおりてくる。

○晴浴 晴れに乗じて東瀼水に浴するのであろう。

○狎鷗 人になれたかもめ。

〇雨隨神女 宋玉の「高唐賦」に巫山の神女のことばとして「『妾巫山之女也,為高唐之客。聞君遊高唐,願薦枕席。』王因幸之。去而辭曰:『妾在巫山之陽,高丘之阻,旦為朝雲,暮為行雨。朝朝暮暮,陽臺之下。』旦朝視之如言。故為立廟,號曰『朝雲』。」(妾は巫山の女なり、旦には朝雲と為り、暮には行雨と為る、朝朝暮暮、陽台の下に」とある。神女が来れば雨がこれに随う。

○下朝朝 下は雨がくだるということのようにも思われるが、上句の狎鷗を主とするのよりいうならば其の対句として此の句も神女を主とするのがよい、朝朝の二字は賦中の語を用いる。 

 

東屯の稲畦【とうけい】一百頃【けい】、北に澗水の青苗に通ずる有り。

晴れて浴する狎鷗【こうおう】は分かるること処処なり、雨を随えたる神女は下ること朝朝なり。
唐時代 地図山南 東・西道50 

766年-107杜甫 《巻1535夔州歌十絕句,十首之五》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-107 <970> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6505

杜甫  夔州歌十絕句,十首之五  

瀼東瀼西一萬家,江北江南春冬花。背飛鶴子遺瓊蕊,相趁鳧雛入蔣牙。
(夔州の風土についてのべている。十首の五:夔州の杜甫草堂から臨む大瀼水と長江の景色を述べたもの)大瀼水の東側と西側とにわかれて一万戸ほどの人家があり、長江の南北にわたって春も冬も花がたえたことがないのである。いまふと川辺を見ると、たべあきたのだろうか、鶴の子らは白米を残して、背中ちがいに飛んでゆくし、鳧の雛どもはあとから前なるものをおうて歩き、菰の芽ぐんだ中へはいってゆく。

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766年-106杜甫 《巻1534夔州歌十絕句,十首之四》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-106 <969> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6500

杜甫  夔州歌十絕句,十首之四  

赤甲白鹽俱刺天,閭閻繚繞接山巔。楓林橘樹丹青合,複道重樓錦繡懸。
(夔州の風土についてのべている。十首の四:夔州の杜甫草堂から臨む景色を述べたもの)赤甲山も白塩山もともにそびえて天をつきさしている。村里の家家がうねうねと山のいただきまでつづいている。それをながめると楓の林、橘の樹がまじって丹青の色がいっしょになり、複道や重楼は錦繍がつるしてあるかのようにうつくしくみえる。

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杜甫詩1500-969-1471/2500

年:766年大暦元年55歲-106 

卷別:    卷二二九              文體:    樂府

詩題:    夔州歌十絕句,十首之四

作地點:              目前尚無資料

及地點:              夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州、夔國  

赤甲山 (山南東道 夔州 奉節) 別名:赤岬山               

白鹽山 (山南東道 夔州 夔州) 別名:白帝城鹽山        

 

夔州歌十絕句,十首之一

(夔州の風土についてのべている。十首の一:夔州、白帝城、瞿塘峡)

中巴之東巴東山,江水開闢流其間。

中巴より東に横たわっている巴東の山。その間には天地開闢以来、長江の水が東に向かってながれている。

白帝高為三峽鎮,夔州險過百牢關。

そうしてこの夔州の険阻なことはあの関中の百牢関よりもまさり、白帝城は三峡の鎮めの山となっておる。

(夔州の歌 十絕句,十首の一)

中巴の東 巴東の山、江水かいえつ開闢よりして其の間に流る

白帝は高く三峡の鎮と為る、夔州の険は過ぐ百牢関。

 

夔州歌十絕句,十首之二

(夔州の風土についてのべている。十首の二:夔州城と白帝城、瞿塘峡と西陵峡そこでの事情)

白帝夔州各異城,蜀江楚峽混殊名。

旧所古跡である白帝城と州の役所である夔州城はそれぞれ異なった意味と位置的にも違った。である、又面白いことに、この三峡の夔門である瞿塘峡も別名西陵峡と云い、歸州の西陵峡とどちらも楚峡で同一、殊名混同ということである。

英雄割據非天意,霸主并吞在物情。

英雄が険地に割拠するのは、天のおぼしめしではあるはずがなく、覇王から起って天下を併合するものがあるが、それは常道ではなく、その時々の事情に寄るものである。民心に信頼を置けていないものが、その時の状況だけで謀反を起すのは馬鹿げている。

(夔州の歌 十絕句,十首の二)

白帝 夔州 各の城を異にす,蜀江 楚峽 殊名を混ず。

英雄 割據は天意に非らず,霸主の并吞するは物情に在り。

 

夔州歌十絕句,十首之三

(夔州の風土についてのべている。十首の三:前王朝の徳のない施政を倒して、徳のある治世をしていたというのに、今、朝廷の風雅がなくなったのだろうか)

群雄競起問前朝,王者無外見今朝。

前王朝である隋の末期には、天下は乱れて、多くの羣雄が競って隋を問罪する戦を起し、我が唐王朝が王者無外、この国をあまねく統一し、今の様な中央集権国家を作ったのである。

比訝漁陽結怨恨,元聽舜日舊簫韶。

というものの、このごろ不思議にたえぬことは、盤石の体制であったものが、安禄山が、漁陽から起って王朝と怨恨を結んでから各地で羣雄が叛意を起し始めたことだ。元元、舜のような治世、「貞元の治」「開元の治」と言われた治世には、雅楽を始め旧来の簫韶のような洋々たる音楽を聴き、天上世界の徳を世に至らしめていたのである。(今徳の政治をしていない)

(夔州歌十絕句,十首の三)

群雄 競い起って 前朝を問う,王者 無外 今朝に見る。

比のごろ訝【いぶか】る 漁陽の怨恨を結ぶを,元と聽く 舜日 舊簫の韶。

 

 

夔州歌十絕句,十首之四

(夔州の風土についてのべている。十首の四:夔州の杜甫草堂から臨む景色を述べたもの)

赤甲白鹽俱刺天,閭閻繚繞接山巔。

赤甲山も白塩山もともにそびえて天をつきさしている。村里の家家がうねうねと山のいただきまでつづいている。

楓林橘樹丹青合,複道重樓錦繡懸。

それをながめると楓の林、橘の樹がまじって丹青の色がいっしょになり、複道や重楼は錦繍がつるしてあるかのようにうつくしくみえる。

 

(夔州歌十絕句,十首の四)

赤甲 白塩俱に天を刺す、閭閻【りょうえん】繚繞【りょうじょう】山巔【さんてん】に接す。

楓林 橘樹 丹青合し、複道 重楼 錦繍【きんしゅう】懸かる。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

『夔州歌十絕句,十首之四』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夔州歌十絕句,十首之四

赤甲白鹽俱刺天,閭閻繚繞接山巔。

楓林橘樹丹青合,複道重樓錦繡懸。

(下し文)
(夔州歌十絕句,十首の四)

赤甲 白塩俱に天を刺す、閭閻【りょうえん】繚繞【りょうじょう】山巔【さんてん】に接す。

楓林 橘樹 丹青合し、複道 重楼 錦繍【きんしゅう】懸かる。

(現代語訳)
(夔州の風土についてのべている。十首の四:夔州の杜甫草堂から臨む景色を述べたもの)

赤甲山も白塩山もともにそびえて天をつきさしている。村里の家家がうねうねと山のいただきまでつづいている。

それをながめると楓の林、橘の樹がまじって丹青の色がいっしょになり、複道や重楼は錦繍がつるしてあるかのようにうつくしくみえる。


(訳注)

夔州歌十絕句,十首之四

(夔州の風土についてのべている。十首の四:夔州の杜甫草堂から臨む景色を述べたもの)

 

赤甲白鹽俱刺天,閭閻繚繞接山巔。

赤甲山も白塩山もともにそびえて天をつきさしている。村里の家家がうねうねと山のいただきまでつづいている。

○赤甲 夔州府奉節県の東十五里にある山の名。

卷一五67 黃草 「黃草峽西船不歸,赤甲山下人行稀。秦中驛使無消息,蜀道兵戈有是非。萬里秋風吹錦水,誰家別淚濕羅衣?莫愁劍閣終堪據,聞道松州已被圍。」

卷一八52 入宅三首其一「奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。客居愧遷次,春色漸多添。花亞欲移竹,鳥窺希捲簾。衰年不敢恨,勝概欲相兼。」

卷一八55赤甲「卜居赤甲遷新居,兩見巫山楚水春。炙背可以獻天子,美芹由來知野人。荊州鄭薛寄詩近,蜀客郗岑非我鄰。笑接郎中評事飲,病從深酌道吾真。」

卷二○25 自瀼西荊扉且移居東屯茅屋四首其一「白鹽危嶠北,赤甲古城東。平地一川穩,高山四面同。煙霜淒野日,(禾亢)稻熟天風。人事傷蓬轉,吾將守桂叢。」

○白鹽 山の名、奉節県東十七里にある。

卷一五48  白鹽山「卓立群峰外,蟠根積水邊。他皆任厚地,爾獨近高天。白牓千家邑,清秋萬估船。詞人取佳句,刻畫竟誰傳?」

卷一八52  入宅三首其一「奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。客居愧遷次,春色漸多添。花亞欲移竹,鳥窺希捲簾。衰年不敢恨,勝概欲相兼。」

卷二○10  反照「反照開巫峽,寒空半有無。已低魚腹暗,不盡白鹽孤。荻岸如秋水,松門似畫圖。牛羊識僮僕,既夕應傳呼。」

卷二○25 自瀼西荊扉且移居東屯茅屋四首其一「白鹽危嶠北,赤甲古城東。平地一川穩,高山四面同。煙霜淒野日,(禾亢)稻熟天風。人事傷蓬轉,吾將守桂叢。」

卷二○97   寄裴施州(「幾度寄書白鹽北,苦寒贈我青羔裘。」

○刺天 するどくそびえることをいう。

○閭閻 閭は里の門、閻は里中の門、ここは門ばかりをいうのではなくその村里をすべていう。

○繚繞 めぐるさま。

○接 つづく。

 

楓林橘樹丹青合,複道重樓錦繡懸。

それをながめると楓の林、橘の樹がまじって丹青の色がいっしょになり、複道や重楼は錦繍がつるしてあるかのようにうつくしくみえる。

○橘 だいだい、みかん。

○丹青合 丹青とは楓葉橘実の色をいう、合とはいっしょに存在することをいう。

○複道 高低二重のみち。

○錦繡 楼閣に塗ってある色のうつくしさをいう。

○懸 ぶらさがる、高処にみえることをいう。

夔州東川卜居図詳細 002 

 

 

(夔州歌十絕句,十首の四)

赤甲 白塩俱に天を刺す、閭閻【りょうえん】繚繞【りょうじょう】山巔【さんてん】に接す。

楓林 橘樹 丹青合し、複道 重楼 錦繍【きんしゅう】懸かる。

766年-105杜甫 《巻1533夔州歌十絕句,十首之三》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-105 <968> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6495

杜甫  夔州歌十絕句,十首之三  

群雄競起問前朝,王者無外見今朝。比訝漁陽結怨恨,元聽舜日舊簫韶。
(夔州の風土についてのべている。十首の三:前王朝の徳のない施政を倒して、徳のある治世をしていたというのに、今、朝廷の風雅がなくなったのだろうか)前王朝である隋の末期には、天下は乱れて、多くの羣雄が競って隋を問罪する戦を起し、我が唐王朝が王者無外、この国をあまねく統一し、今の様な中央集権国家を作ったのである。というものの、このごろ不思議にたえぬことは、盤石の体制であったものが、安禄山が、漁陽から起って王朝と怨恨を結んでから各地で羣雄が叛意を起し始めたことだ。元元、舜のような治世、「貞元の治」「開元の治」と言われた治世には、雅楽を始め旧来の簫韶のような洋々たる音楽を聴き、天上世界の徳を世に至らしめていたのである。(今徳の政治をしていない)

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夔州歌十絕句,十首之一

(夔州の風土についてのべている。十首の一:夔州、白帝城、瞿塘峡)

中巴之東巴東山,江水開闢流其間。

中巴より東に横たわっている巴東の山。その間には天地開闢以来、長江の水が東に向かってながれている。

白帝高為三峽鎮,夔州險過百牢關。

そうしてこの夔州の険阻なことはあの関中の百牢関よりもまさり、白帝城は三峡の鎮めの山となっておる。

(夔州の歌 十絕句,十首の一)

中巴の東 巴東の山、江水かいえつ開闢よりして其の間に流る

白帝は高く三峡の鎮と為る、夔州の険は過ぐ百牢関。

 

夔州歌十絕句,十首之二

(夔州の風土についてのべている。十首の二:夔州城と白帝城、瞿塘峡と西陵峡そこでの事情)

白帝夔州各異城,蜀江楚峽混殊名。

旧所古跡である白帝城と州の役所である夔州城はそれぞれ異なった意味と位置的にも違った。である、又面白いことに、この三峡の夔門である瞿塘峡も別名西陵峡と云い、歸州の西陵峡とどちらも楚峡で同一、殊名混同ということである。

英雄割據非天意,霸主并吞在物情。

英雄が険地に割拠するのは、天のおぼしめしではあるはずがなく、覇王から起って天下を併合するものがあるが、それは常道ではなく、その時々の事情に寄るものである。民心に信頼を置けていないものが、その時の状況だけで謀反を起すのは馬鹿げている。

(夔州の歌 十絕句,十首の二)

白帝 夔州 各の城を異にす,蜀江 楚峽 殊名を混ず。

英雄 割據は天意に非らず,霸主の并吞するは物情に在り。

 

 

杜甫詩1500-968-1470/2500

年:766年大暦元年55歲

卷別:    卷二二九              文體:    樂府

詩題:    夔州歌十絕句,十首之三

作地點:              目前尚無資料

及地點:夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州             

漁陽 (河北道南部 薊州 漁陽)       

 

 

夔州歌十絕句,十首之三

(夔州の風土についてのべている。十首の三:前王朝の徳のない施政を倒して、徳のある治世をしていたというのに、今、朝廷の風雅がなくなったのだろうか)

群雄競起問前朝,王者無外見今朝。

前王朝である隋の末期には、天下は乱れて、多くの羣雄が競って隋を問罪する戦を起し、我が唐王朝が王者無外、この国をあまねく統一し、今の様な中央集権国家を作ったのである。

比訝漁陽結怨恨,元聽舜日舊簫韶。

というものの、このごろ不思議にたえぬことは、盤石の体制であったものが、安禄山が、漁陽から起って王朝と怨恨を結んでから各地で羣雄が叛意を起し始めたことだ。元元、舜のような治世、「貞元の治」「開元の治」と言われた治世には、雅楽を始め旧来の簫韶のような洋々たる音楽を聴き、天上世界の徳を世に至らしめていたのである。(今徳の政治をしていない)

(夔州歌十絕句,十首の三)

群雄 競い起って 前朝を問う,王者 無外 今朝に見る。

比のごろ訝【いぶか】る 漁陽の怨恨を結ぶを,元と聽く 舜日 舊簫の韶。

 

『夔州歌十絕句,十首之三』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夔州歌十絕句,十首之三

群雄競起問前朝,王者無外見今朝。

比訝漁陽結怨恨,元聽舜日舊簫韶。
夔州歌十絕句,十首之三(含異文)

群雄競起問前朝【案:音潮。】【群雄競起聞前朝】【群雄競起向前朝】,王者無外見今朝。

比訝漁陽結怨恨,元聽舜日舊簫韶。


(下し文)
(夔州歌十絕句,十首の三)

群雄 競い起って 前朝を問う,王者 無外 今朝に見る。

比のごろ訝【いぶか】る 漁陽の怨恨を結ぶを,元と聽く 舜日 舊簫の韶。

(現代語訳)
(夔州の風土についてのべている。十首の三:前王朝の徳のない施政を倒して、徳のある治世をしていたというのに、今、朝廷の風雅がなくなったのだろうか)

前王朝である隋の末期には、天下は乱れて、多くの羣雄が競って隋を問罪する戦を起し、我が唐王朝が王者無外、この国をあまねく統一し、今の様な中央集権国家を作ったのである。

というものの、このごろ不思議にたえぬことは、盤石の体制であったものが、安禄山が、漁陽から起って王朝と怨恨を結んでから各地で羣雄が叛意を起し始めたことだ。元元、舜のような治世、「貞元の治」「開元の治」と言われた治世には、雅楽を始め旧来の簫韶のような洋々たる音楽を聴き、天上世界の徳を世に至らしめていたのである。(今徳の政治をしていない)

隋末群雄割拠図00
(訳注)

夔州歌十絕句,十首之三

(夔州の風土についてのべている。十首の三:前王朝の徳のない施政を倒して、徳のある治世をしていたというのに、今、朝廷の風雅がなくなったのだろうか)

大暦元年夏の作。

杜甫が住まいとした瀼西の草堂は、草堂河に沿った小高い処であった。白帝城、少し前までと都賦のあった夔州城、いずれも西方向で比較的近く、地続きだから陸路でも行けるし、視界にも入るいちにあった。杜甫が詠じる白帝城は、夔州城が州の役所であり、白帝城とは別物であった。そのことは杜甫自身が「白帝と夔州は各(おのおの)城を異にす」(《1527_夔州歌十絶句》其二)と述べていることから明らかである。とはいえ、夔州城は白帝城と連接していた。そしてそれは白帝城の北にあり、白帝城よりはずっと大きく、旧赤甲城の場所にあった。(もちろん唐代の夔州城は梅渓河の方にはなかった。)

白帝城には旧都督府の役所があった。杜甫が夔州に滞在していたとき、夔州都督府は既に廃されていたが、白帝城は州より一つ上位の都督府的な役所(防禦使など)として、一部機能していたのではなかろうか。杜甫は白帝山の西閣に住んだことがあり、白帝城をひどく気に入って何度も詩に描いたが、夔州城にはあまり心惹かれていないようだ。

 

群雄競起問前朝,王者無外見今朝。

前王朝である隋の末期には、天下は乱れて、多くの羣雄が競って隋を問罪する戦を起し、我が唐王朝が王者無外、この国をあまねく統一し、今の様な中央集権国家を作ったのである。

群雄 煬帝の過剰に人民に負担をしいたことに対し、羣雄が競って隋を問罪する戦を起した。杜甫(卷五28)《行次昭陵》「舊俗疲庸主,群雄問獨夫。讖歸龍鳳質,威定虎狼都。」(旧俗庸主に疲る、羣雄独夫を問う。讖は帰す竜鳳の質、威は定む虎狼の都。)これまでの歴代の愚な君主がつづいたため在来の民意俗風はつかれやぶれ嫌気をおこした。そこで多くの英雄たちが起って帝徳を失い一私人とも見なすべき隋の煬帝に対してその罪を問うたのである。そうした中で天子として期待できるという予言は竜鳳の資質をそなえた我が唐の太宗に帰しているとした、太宗の武威は虎狼の国ともいうべきの都、長安を平定せられた。

行次昭陵1/2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 203

杜甫(卷十一13)《戲為六絕句其四》「才力應難跨(或作誇)數公,凡今誰是出群雄?或看翡翠蘭苕上,未掣鯨魚碧海中。才力應難誇數公,凡今誰是出群雄。(才力 応に数公を誇【まさ】り難かるべし、凡そ今誰か是れ出群の雄なる。或は看る翡翠【ひすい】蘭苕【らんちょう】の上、未だ鯨魚を掣せず碧海【そうかい】の中。)今人は古人のことをかれこれいうが、その才力において庚信や、初唐四傑の数公よりまさることはむつかしいであろう。いったいいまはだれが抜羣の英雄というのだ。蘭の花ぶさのうえに翡翠がとまったような華麗なすがたをしたものは或はみとめうるが、碧海の中に鯨魚をとりひしぐような雄健なるものではないか。

戲為六絕句,六首之四 蜀中転々 杜甫 <516>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2775 杜甫詩1000-516-749/1500

競起問前朝 煬帝の施政による度重なる負担に民衆は耐えかね、遂に第2次高句麗遠征からの撤兵の途中にかつての煬帝の側近楊素の息子楊玄感が黎陽で反乱を起こして洛陽を攻撃した。これは煬帝が派遣した隋軍により鎮圧されて楊玄感は敗死したが、この反乱を契機にして中国全土で反乱が起こり出した。

これまで従属していた突厥は隋の衰退を見て再び北方で暴れだしたので、煬帝は自ら軍を率いて北方に向かうも突厥軍に敗れて洛陽に撤退[20]。この敗戦が更なる引き金となり、616年には反乱が各地でピーク状態に達した[21]。やがて反乱軍の頭領は各地で群雄として割拠し、楊玄感の参謀を務めていた李密(北周八柱国・李弼の孫にあたり、関隴貴族集団の中でも上位の1人。楊玄感の敗死後に、洛口倉という隋の大食料集積基地を手に入れることに成功し多数の民衆を集めた)、この李密と激しく争っていた西域出身で隋の将軍を務めていた王世充、高句麗遠征軍から脱走し、同じ脱走兵たちを引き連れて河北に勢力を張った竇建徳、そして隋の太原留守(たいげんりゅうしゅ)であった李淵(後の唐の高祖)などが独立勢力となった(隋末唐初の群雄の図)ウィキペディアより。

 


比訝漁陽結怨恨,元聽舜日舊簫韶。

というものの、このごろ不思議にたえぬことは、盤石の体制であったものが、安禄山が、漁陽から起って王朝と怨恨を結んでから各地で羣雄が叛意を起し始めたことだ。元元、舜のような治世、「貞元の治」「開元の治」と言われた治世には、雅楽を始め旧来の簫韶のような洋々たる音楽を聴き、天上世界の徳を世に至らしめていたのである。(今徳の政治をしていない)

漁陽結怨恨 

元聽舜日舊簫韶 天子は庶民の暮らしとかけ離れたものこそがよく、それがあふれる様に、庶民に徳をもたらすことができるという思想である。

古来から儀礼として重視されていた音楽と舞踊であったが、外来音楽と楽器の流入により、相当な発展をとげた。唐代には娯楽性も向上し、楽器の種類も大幅に増加した。合奏も行われ、宮廷では大規模な楽団による演奏が度々行われた。714年に「梨園」が設置され、300人の楽工が梨園弟子になり、後に宮女も加えられた。教坊は内教坊か初唐から置かれていた。この上、玄宗期に雅楽と区分された俗楽や胡楽、散楽を扱うことを目的とした左右教坊が増設された。胡楽は西域を中心とした外来音楽で、唐代の宮廷舞楽の中心であった十部楽のうちの大半を占めた。

唐代の宮廷では、楽団の演奏にあわせて大勢が舞踊を行うことで多かった。また、「字舞」と呼ばれる音楽とともに踊り、身体を翻す瞬間に衣の色を換え、その後に地に伏して全員で字の形を描くという集団舞踏も存在し、多い時は百人単位で行われた。

唐代の皇帝の中でも、玄宗が特に音楽がすぐれており、外国の音楽を取り入れた「霓裳羽衣の曲」を作曲したとされる。この曲とともに、楊貴妃が得意とした「霓裳羽衣の舞」が行われ、宮人が数百人で舞うこともあった。

楊貴妃の作曲した「涼州」「阿那曲」を歌い、のちには、「凌波曲」、「霓裳羽衣曲」、「連昌宮詞」と進んでゆき、散楽は、宮廷だけではなく、皇族や貴族の邸宅でも行われた。また、長安には、大慈恩寺、青竜寺、大薦福寺、永寿寺などの寺の境内や門前に「戯場」が置かれ、散楽が演じられた。

766年-104杜甫 《巻1532夔州歌十絕句,十首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-104 <967> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6490

杜甫  夔州歌十絕句,十首之二  

白帝夔州各異城,蜀江楚峽混殊名。英雄割據非天意,霸主并吞在物情。

(夔州の風土についてのべている。十首の二:夔州城と白帝城、瞿塘峡と西陵峡そこでの事情)旧所古跡である白帝城と州の役所である夔州城はそれぞれ異なった意味と位置的にも違った。である、又面白いことに、この三峡の夔門である瞿塘峡も別名西陵峡と云い、歸州の西陵峡とどちらも楚峡で同一、殊名混同ということである。英雄が険地に割拠するのは、天のおぼしめしではあるはずがなく、覇王から起って天下を併合するものがあるが、それは常道ではなく、その時々の事情に寄るものである。民心に信頼を置けていないものが、その時の状況だけで謀反を起すのは馬鹿げている。

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夔州歌十絕句,十首之一

(夔州の風土についてのべている。十首の一:夔州、白帝城、瞿塘峡)

中巴之東巴東山,江水開闢流其間。

中巴より東に横たわっている巴東の山。その間には天地開闢以来、長江の水が東に向かってながれている。

白帝高為三峽鎮,夔州險過百牢關。

そうしてこの夔州の険阻なことはあの関中の百牢関よりもまさり、白帝城は三峡の鎮めの山となっておる。

(夔州の歌 十絕句,十首の一)

中巴の東 巴東の山、江水かいえつ開闢よりして其の間に流る

白帝は高く三峡の鎮と為る、夔州の険は過ぐ百牢関。

 

 

杜甫詩1500-967-1469/2500

年:766年大暦元年55歲-104

卷別:    卷二二九              文體:    樂府

詩題:    夔州歌十絕句,十首之二

作地點:              目前尚無資料

及地點:              夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州             

白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城     

 

夔州歌十絕句,十首之二

(夔州の風土についてのべている。十首の二:夔州城と白帝城、瞿塘峡と西陵峡そこでの事情)

白帝夔州各異城,蜀江楚峽混殊名。

旧所古跡である白帝城と州の役所である夔州城はそれぞれ異なった意味と位置的にも違った。である、又面白いことに、この三峡の夔門である瞿塘峡も別名西陵峡と云い、歸州の西陵峡とどちらも楚峡で同一、殊名混同ということである。

英雄割據非天意,霸主并吞在物情。

英雄が険地に割拠するのは、天のおぼしめしではあるはずがなく、覇王から起って天下を併合するものがあるが、それは常道ではなく、その時々の事情に寄るものである。民心に信頼を置けていないものが、その時の状況だけで謀反を起すのは馬鹿げている。

 

(夔州の歌 十絕句,十首の二)

白帝 夔州 各の城を異にす,蜀江 楚峽 殊名を混ず。

英雄 割據は天意に非らず,霸主の并吞するは物情に在り。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

『夔州歌十絕句,十首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夔州歌十絕句,十首之二

白帝夔州各異城,蜀江楚峽混殊名。

英雄割據非天意,霸主并吞在物情。


詩文(含異文):     白帝夔州各異城【案:古白帝在夔州城東。】,蜀江楚峽混殊名【案:瞿唐舊名西陵峽,與荊州西陵峽相混。】。英雄割據非天意,霸主并吞在物情【霸王并吞在物情】。


(下し文)
(夔州の歌 十絕句,十首の二)

白帝 夔州 各の城を異にす,蜀江 楚峽 殊名を混ず。

英雄 割據は天意に非らず,霸主の并吞するは物情に在り。

(現代語訳)
(夔州の風土についてのべている。十首の二:夔州城と白帝城、瞿塘峡と西陵峡そこでの事情)

旧所古跡である白帝城と州の役所である夔州城はそれぞれ異なった意味と位置的にも違った。である、又面白いことに、この三峡の夔門である瞿塘峡も別名西陵峡と云い、歸州の西陵峡とどちらも楚峡で同一、殊名混同ということである。

英雄が険地に割拠するのは、天のおぼしめしではあるはずがなく、覇王から起って天下を併合するものがあるが、それは常道ではなく、その時々の事情に寄るものである。民心に信頼を置けていないものが、その時の状況だけで謀反を起すのは馬鹿げている。

蜀中転々圖
(訳注)

夔州歌十絕句,十首之二

(夔州の風土についてのべている。十首の二:夔州城と白帝城、瞿塘峡と西陵峡そこでの事情)

大暦元年夏の作。

杜甫が住まいとした瀼西の草堂は、草堂河に沿った小高い処であった。白帝城、少し前までと都賦のあった夔州城、いずれも西方向で比較的近く、地続きだから陸路でも行けるし、視界にも入るいちにあった。杜甫が詠じる白帝城は、夔州城が州の役所であり、白帝城とは別物であった。そのことは杜甫自身が「白帝と夔州は各(おのおの)城を異にす」(《1527_夔州歌十絶句》其二)と述べていることから明らかである。とはいえ、夔州城は白帝城と連接していた。そしてそれは白帝城の北にあり、白帝城よりはずっと大きく、旧赤甲城の場所にあった。(もちろん唐代の夔州城は梅渓河の方にはなかった。)

白帝城には旧都督府の役所があった。杜甫が夔州に滞在していたとき、夔州都督府は既に廃されていたが、白帝城は州より一つ上位の都督府的な役所(防禦使など)として、一部機能していたのではなかろうか。杜甫は白帝山の西閣に住んだことがあり、白帝城をひどく気に入って何度も詩に描いたが、夔州城にはあまり心惹かれていないようだ。

 

白帝夔州各異城,蜀江楚峽混殊名。

旧所古跡である白帝城と州の役所である夔州城はそれぞれ異なった意味と位置的にも違った。である、又面白いことに、この三峡の夔門である瞿塘峡も別名西陵峡と云い、歸州の西陵峡とどちらも楚峡で同一、殊名混同ということである。

 

英雄割據非天意,霸主并吞在物情。

英雄が険地に割拠するのは、天のおぼしめしではあるはずがなく、覇王から起って天下を併合するものがあるが、それは常道ではなく、その時々の事情に寄るものである。民心に信頼を置けていないものが、その時の状況だけで謀反を起すのは馬鹿げている。

物情 1 物のようす・性質。時の事情。2 世人の心情。世間のありさま。

「周易」「大学」に示されている真の成功の条件は人の絆であり、天命は民心によるということとされ、此の二句で杜甫は、蜀、夔州の地で、異民族と結託し、独立を企てる勢力があり、それを批判したものである。

安史の乱当時の勢力図 

766年-103杜甫 《巻1531夔州歌十絕句,十首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-103 <966> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6485

杜甫  夔州歌十絕句,十首之一

中巴之東巴東山,江水開闢流其間。

白帝高為三峽鎮,夔州險過百牢關。
(夔州の風土についてのべている。十首の一:夔州、白帝城、瞿塘峡)

中巴より東に横たわっている巴東の山。その間には天地開闢以来、長江の水が東に向かってながれている。そうしてこの夔州の険阻なことはあの関中の百牢関よりもまさり、白帝城は三峡の鎮めの山となっておる。

766年-103杜甫 《巻1531夔州歌十絕句,十首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-103 <966> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6485 杜甫詩1500-966-1468/2500

 

 
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83 (改訂)巻09-05次同冠峽【次弄冠峽】【次巫冠峽】【案:赴陽山作。】 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1500> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6484 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年-103杜甫 《巻1531夔州歌十絕句,十首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-103 <966> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6485 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:766年大暦元年55歲-103

卷別:    卷二二九              文體:    樂府

詩題:    夔州歌十絕句,十首之一

作地點:              目前尚無資料

及地點:              夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州、夔國  

巴東 (山南東道 歸州 巴東)             

白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城     

百牢關 (山南西道 梁州 百牢關)      

 

 

夔州歌十絕句,十首之一

(夔州の風土についてのべている。十首の一:夔州、白帝城、瞿塘峡)

中巴之東巴東山,江水開闢流其間。

中巴より東に横たわっている巴東の山。その間には天地開闢以来、長江の水が東に向かってながれている。

白帝高為三峽鎮,夔州險過百牢關。

そうしてこの夔州の険阻なことはあの関中の百牢関よりもまさり、白帝城は三峡の鎮めの山となっておる。

(夔州の歌 十絕句,十首の一)

中巴の東 巴東の山、江水かいえつ開闢よりして其の間に流る

白帝は高く三峡の鎮と為る、夔州の険は過ぐ百牢関。

 

 

『夔州歌十絕句,十首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夔州歌十絕句,十首之一

中巴之東巴東山,江水開闢流其間。

白帝高為三峽鎮,夔州險過百牢關。

夔州歌十絕句,十首之一(含異文)

中巴之東巴東山,江水開闢流其間。

白帝高為三峽鎮,夔州險過百牢關【案:關在漢中西南。】【瞿唐險過百牢關】。

 

 (下し文)
(夔州の歌 十絕句,十首の一)

中巴の東 巴東の山、江水かいえつ開闢よりして其の間に流る

白帝は高く三峡の鎮と為る、夔州の険は過ぐ百牢関。


(現代語訳)
(夔州の風土についてのべている。十首の一:夔州、白帝城、瞿塘峡)

中巴より東に横たわっている巴東の山。その間には天地開闢以来、長江の水が東に向かってながれている。

そうしてこの夔州の険阻なことはあの関中の百牢関よりもまさり、白帝城は三峡の鎮めの山となっておる。

唐時代 地図山南 東・西道50
(訳注)

夔州歌十絕句,十首之一

(夔州の風土についてのべている。十首の一:夔州、白帝城、瞿塘峡)

大暦元年夏の作。

 

中巴之東巴東山,江水開闢流其間。

中巴より東に横たわっている巴東の山。その間には天地開闢以来、長江の水が東に向かってながれている。

○中巴・巴東 後漢の劉璋は巴(四川省東部)を三分(三巴)した、中巴・西巴・東巴がそれである、夔州は巴東郡に属する。中巴の東に位する。

○開闢 天地のひらけはじめをいう。楊炯 西陵峽の「西陵峡」詩に、「自古天地闢,流爲峽中水。」(古に天地の闢けしより、流れて峡中の水と為る」とみえる。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

白帝高為三峽鎮,夔州險過百牢關。

そうしてこの夔州の険阻なことはあの関中の百牢関よりもまさり、白帝城は三峡の鎮めの山となっておる。

〇白帝 白帝城をいう。

〇三峡 夔州、白帝の瞿塘峡(8km)、巫山の巫峡(45km)、巴東、帰州の西陵峡(66km)

○鎮 しずめの山。

〇百牢関 【案:關在漢中西南。】(山南西道 梁州 百牢關)、陝西省漢中府汚県の西にある、孔明の建てたもので、両壁、山が相い対して六十里断えず、漢江の水が其の間に流れるという。

 

夔州歌十絕句,十首之一

中巴之東巴東山,江水開闢流其間。

白帝高為三峽鎮,夔州險過百牢關。
(夔州の歌 十絕句,十首の一)

中巴の東 巴東の山、江水かいえつ開闢よりして其の間に流る

白帝は高く三峡の鎮と為る、夔州の険は過ぐ百牢関。

766年-102杜甫 《1809瞿塘兩崖》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-102 <965> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6475

杜甫  瞿塘兩崖  

三峽傳何處,雙崖壯此門。入天猶石色,穿水忽雲根。

猱玃鬚髯古,蛟龍窟宅尊。羲和冬馭近,愁畏日車翻。

(夔門である瞿塘峡の東西の両崖壁の剣峻なることを述べたもの)

三峡というのは世に知られているがおおよその人間はそれがどこに在るのだろうと思っている、この雙崖は門のようであり、何とも荘厳なものである。上の方は天まで入り込んでもまだ石の色であり、下の方は水の底まで穿っていても忽ち雲の根っこの巌をみとめるのである。その崖には、猱玃の類いの大猿が古ぼけた髭面をして晒しているし、淵の処では、蛟龍が窟宅を尊くして潜んでいる。冬の天は日輪の馭者義和が、日が短く、車を駆ってこの崖に近ずく、これを見る時、自分はあの日輪が乗る車が翻り、ひっくり返ってしまうのではないかと心配するのである。

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杜甫詩1500-965-1466/2500

年:766年大暦元年55歲-102

卷別:    卷二二九              文體:    五言律詩

詩題:    瞿塘兩崖

作地點:              目前尚無資料

及地點:瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘      

 

瞿塘兩崖

(夔門である瞿塘峡の東西の両崖壁の剣峻なることを述べたもの)

三峽傳何處,雙崖壯此門。

三峡というのは世に知られているがおおよその人間はそれがどこに在るのだろうと思っている、この雙崖は門のようであり、何とも荘厳なものである。

入天猶石色,穿水忽雲根。

上の方は天まで入り込んでもまだ石の色であり、下の方は水の底まで穿っていても忽ち雲の根っこの巌をみとめるのである。

猱玃鬚髯古,蛟龍窟宅尊。

その崖には、猱玃の類いの大猿が古ぼけた髭面をして晒しているし、淵の処では、蛟龍が窟宅を尊くして潜んでいる。

羲和冬馭近,愁畏日車翻。

冬の天は日輪の馭者義和が、日が短く、車を駆ってこの崖に近ずく、これを見る時、自分はあの日輪が乗る車が翻り、ひっくり返ってしまうのではないかと心配するのである。

 

(瞿塘の兩崖)

三峽傳うるは 何處ぞ,雙崖 此の門 壯なり。

天に入るも 猶お石色,水を穿ちて 忽ち雲根なり。

猱玃【どうかく】鬚髯【しゅぜん】古たり,蛟龍 窟宅 尊し。

羲和 冬馭 近し,愁えて畏る 日車の翻らんことを。

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

『瞿塘兩崖』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

瞿塘兩崖

三峽傳何處,雙崖壯此門。

入天猶石色,穿水忽雲根。

猱玃鬚髯古,蛟龍窟宅尊。

羲和冬馭近,愁畏日車翻。


(下し文)
(瞿塘の兩崖)

三峽傳うるは 何處ぞ,雙崖 此の門 壯なり。

天に入るも 猶お石色,水を穿ちて 忽ち雲根なり。

猱玃【どうかく】鬚髯【しゅぜん】古たり,蛟龍 窟宅 尊し。

羲和 冬馭 近し,愁えて畏る 日車の翻らんことを。

(現代語訳)
(夔門である瞿塘峡の東西の両崖壁の剣峻なることを述べたもの)

三峡というのは世に知られているがおおよその人間はそれがどこに在るのだろうと思っている、この雙崖は門のようであり、何とも荘厳なものである。

上の方は天まで入り込んでもまだ石の色であり、下の方は水の底まで穿っていても忽ち雲の根っこの巌をみとめるのである。

その崖には、猱玃の類いの大猿が古ぼけた髭面をして晒しているし、淵の処では、蛟龍が窟宅を尊くして潜んでいる。

冬の天は日輪の馭者義和が、日が短く、車を駆ってこの崖に近ずく、これを見る時、自分はあの日輪が乗る車が翻り、ひっくり返ってしまうのではないかと心配するのである。

 

 (訳注)

瞿塘兩崖

(夔門である瞿塘峡の東西の両崖壁の剣峻なることを述べたもの)

瞿塘兩崖 瞿塘峡の東西の両崖壁。地図に示すように西から流れてきた長江が瞿塘峡で90度まがって南に下って行き瞿塘峡が終われば再び東流してゆく。

  瞿塘峽:在夔州東一里,舊名西陵峽,乃三峽之門。

    長江二首其一(卷一四65眾水會涪萬,瞿塘爭一門。朝宗人共挹,盜賊爾誰尊?孤石隱如馬,高蘿垂飲猿 。歸心異波浪,何事即飛翻?

  (卷一七31)秋興八首其六「瞿塘峽口曲江頭,萬里風煙接素秋。花萼夾城通御氣,芙蓉小苑入邊愁。珠簾繡柱圍黃鵠,錦纜牙檣起白鷗。回首可憐歌舞地,秦中自古帝王州。」

《1810瞿塘懷古》「西南萬壑注,勍敵兩崖開。地與山根裂,江從月窟來。削成當白帝,空曲隱陽臺。疏鑿功雖美,陶鈞力大哉。」

夔州東川卜居図詳細 002 

三峽傳何處,雙崖壯此門。

三峡というのは世に知られているがおおよその人間はそれがどこに在るのだろうと思っている、この雙崖は門のようであり、何とも荘厳なものである。

三峽 長江本流にある三つの峡谷の総称。重慶市奉節県の白帝城から湖北省宜昌市の南津関までの193kmの間に、上流から瞿塘峡(くとうきょう、8km)、巫峡(ふきょう、45km)、西陵峡(せいりょうきょう、66km)が連続する景勝地である。

傳何處 「所傳何處」(傳うる所何の處ぞ)

此門 夔門、瞿塘峡の入り口。

 

入天猶石色,穿水忽雲根。

上の方は天まで入り込んでもまだ石の色であり、下の方は水の底まで穿っていても忽ち雲の根っこの巌をみとめるのである。

雲根 空の雲は、岩場の洞窟から湧いて出るということから、巌を「雲根」という。

 

猱玃鬚髯古,蛟龍窟宅尊。

その崖には、猱玃の類いの大猿が古ぼけた髭面をして晒しているし、淵の処では、蛟龍が窟宅を尊くして潜んでいる。

猱玃 おおざる。

鬚髯 1 人、特に男性の口の上やあご・ほおのあたりに生える毛。2 動物の口のまわりに生える長い毛状の突起物。また、昆虫の口器にみられる二対の細い突起物。3 1や2を思わせる形状のもの。

 

羲和冬馭近,愁畏日車翻。

冬の天は日輪の馭者義和が、日が短く、車を駆ってこの崖に近ずく、これを見る時、自分はあの日輪が乗る車が翻り、ひっくり返ってしまうのではないかと心配するのである。

羲和 古代の伝説上の人物で太陽の御者とか太陽を生んだ母といわれる。のちに東南西北のそれぞれの地の天文に関する任務を担当する羲仲 (ぎちゅう) ,羲叔 (ぎしゅく) ,和仲,和叔の4人兄弟の総称であるという説も生れた。神話の女神。帝俊の妻で10個の太陽を産み,毎日産湯をつかわせているという。のち太陽の御者とされ,馬または竜の引く車に太陽を載せて天空をかけるとも。なお,《書経》では非神話化され,羲仲・羲叔・和仲・和叔の4人の総称で,天文をつかさどる官吏。

冬馭近 崖間で、冬の馭者は太陽の高さが低く時間がみじかい。

愁畏日車翻 ここでは、崖が急であるため、自分はあの日輪が乗る車が翻り、ひっくり返ってしまうのではないかと心配するのである。

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杜甫  天池#2(天池二首其二)
聞道奔雷黑,初看浴日紅。飄零神女雨,斷續楚王風。

欲問支機石,如臨獻寶宮。九秋驚雁序,萬里狎漁翁。

更是無人處,誅茅任薄躬。
聞くところでは、此処は黒い雲が湧き迅雷が起こる所だというし、此処で初めて見る素晴らしい光景は、水波に浴する夕日に紅く染まる景色である。ここには、つめたくそぼ降る巫山の神女伴う雨が落ちてくるというし、またときおり楚の襄王を吹いた様な「清涼雄風」が断続的に吹くという。漢の武帝が遣わした張騫がもらって帰ったという支機石がこんな所にあるのではないかと問うてみたくなるし、河伯が周の穆天子に宝を献じたという宮殿を望むというような景色である。秋九十日となり、雁が連なって飛ぶというのに驚かされるが、こういう季節というのに自分は、こんな万里の遠方の江辺の漁翁など親しんで生活している。更に、この池畔のような誰もいないところで、気ままに茅屋を結ぶということもありということである。

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杜甫詩1500-964-#2-1466/2500

年:766年大暦元年55歲-101

卷別:    卷二二九              文體:    五言古詩

詩題:    天池

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:              天池 (山南東道 夔州 巫山)              

巫山 (山南東道 夔州 巫山)             

 

 

天池(天池二首其一)

(夔州の東、巫山十二峰の中の何処かの山頂にあった池について述べた詩)

天池馬不到,嵐壁鳥纔通。

ここの山頂にある池には馬で登って来ることはできない。嵐気の横たわる絶壁には、鳥がわずかにやっと通えるという。

百頃青雲杪,層波白石中。

青雲の上に百頃ばかりのところが広がり、水があって、白石の乱れ立つ間に幾重の波が起こっている。

鬱紆騰秀氣,蕭瑟浸寒空。

ここからは、靈秀の山の気が立てこもってあがり、また秋風が静かに寂しく寒空を水面に浸している。

直對巫山出,兼疑夏禹功。

ここは巫山の峡谷と真向かいになっているところで、こんな池を開いたのは水利土木の夏の禹王の功ではないかと疑われている。

魚龍開闢有,菱芡古今同。

ここに住む、魚龍は開闢以来の者であり、菱や芡は今も昔も同じように生えている。

#2(天池二首其二)

聞道奔雷黑,初看浴日紅。

聞くところでは、此処は黒い雲が湧き迅雷が起こる所だというし、此処で初めて見る素晴らしい光景は、水波に浴する夕日に紅く染まる景色である。

飄零神女雨,斷續楚王風。

ここには、つめたくそぼ降る巫山の神女伴う雨が落ちてくるというし、またときおり楚の襄王を吹いた様な「清涼雄風」が断続的に吹くという。

欲問支機石,如臨獻寶宮。

漢の武帝が遣わした張騫がもらって帰ったという支機石がこんな所にあるのではないかと問うてみたくなるし、河伯が周の穆天子に宝を献じたという宮殿を望むというような景色である。

九秋驚雁序,萬里狎漁翁。

秋九十日となり、雁が連なって飛ぶというのに驚かされるが、こういう季節というのに自分は、こんな万里の遠方の江辺の漁翁など親しんで生活している。

更是無人處,誅茅任薄躬。

更に、この池畔のような誰もいないところで、気ままに茅屋を結ぶということもありということである。

 

(天池)#1

天池 馬 到らず,嵐壁 鳥 纔かに通ず。

百頃 青雲の杪,層波 白石の中。

鬱紆 秀氣 騰る,蕭瑟 寒空を浸す。

直ちに對す 巫山出るを,兼ねて疑う 夏禹の功。

魚龍は開闢より有り,菱芡は古今同じ。

#2

聞道く 奔雷 黑し,初めて看る 浴日の紅を。

飄零す 神女の雨,斷續す 楚王の風。

問わんと欲す 支機石,臨むが如し 獻寶宮。

九秋 雁序に驚く,萬里 漁翁に狎る。

更に是れ 人無き處,誅茅 薄躬に任せん。

 

天池(含異文):    

天池馬不到,嵐壁鳥纔通。百頃青雲杪,層波白石中。

鬱紆騰秀氣,蕭瑟浸寒空。直對巫山出【直對巫山峽】,兼疑夏禹功。

魚龍開闢有,菱芡古今同【菱芡古今豐】【菱芰古今同】【菱芰古今豐】。聞道奔雷黑,初看浴日紅。

飄零神女雨,斷續楚王風。欲問支機石,如臨獻寶宮。

九秋驚雁序,萬里狎漁翁【萬里狎樵童】。更是無人處,誅茅任薄躬【誅勞任薄躬】。

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

『天池』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2
聞道奔雷黑,初看浴日紅。

飄零神女雨,斷續楚王風。

欲問支機石,如臨獻寶宮。

九秋驚雁序,萬里狎漁翁。

更是無人處,誅茅任薄躬。

(下し文)
(天池)#2

聞道く 奔雷 黑し,初めて看る 浴日の紅を。

飄零す 神女の雨,斷續す 楚王の風。

問わんと欲す 支機石,臨むが如し 獻寶宮。

九秋 雁序に驚く,萬里 漁翁に狎る。

更に是れ 人無き處,誅茅 薄躬に任せん。



(現代語訳)
聞くところでは、此処は黒い雲が湧き迅雷が起こる所だというし、此処で初めて見る素晴らしい光景は、水波に浴する夕日に紅く染まる景色である。

ここには、つめたくそぼ降る巫山の神女伴う雨が落ちてくるというし、またときおり楚の襄王を吹いた様な「清涼雄風」が断続的に吹くという。

漢の武帝が遣わした張騫がもらって帰ったという支機石がこんな所にあるのではないかと問うてみたくなるし、河伯が周の穆天子に宝を献じたという宮殿を望むというような景色である。

秋九十日となり、雁が連なって飛ぶというのに驚かされるが、こういう季節というのに自分は、こんな万里の遠方の江辺の漁翁など親しんで生活している。

更に、この池畔のような誰もいないところで、気ままに茅屋を結ぶということもありということである。

夔州東川卜居図詳細 002
(訳注)

天池

(夔州の東、巫山十二峰の中の何処かの山頂にあった池について述べた詩)

天池 山の上に在る池。初句の二字を取って詩題にする。

巫山(ふざん)は中国・重慶市巫山県と湖北省の境にある名山。長江が山中を貫流して、巫峡を形成。山は重畳して天日を隠蔽するという。巫山十二峰と言われ、その中で代表的なものに神女峰がある。巫山は東西に走るに多数平行して走る褶曲山脈の中でも最も大きく最も東にある山脈で、四川盆地の北東の境界に北西から南東へ走る褶曲山脈の大巴山脈へと合わさってゆく。長さは40km余り、主峰の烏雲頂は海抜2,400mに達する。西から流れてきた長江は北西から南東方向へ向けて巫山山脈を貫き、高低差が高く幅の狭い巫峡になっている。また霧や雨が多く、長年の雨で浸食された石灰岩の峰が霧の中で奇怪な形でそそり立つ。当時、山頂近くに小さい池が点在していたのであろう。

この詩は、天池二首其二としている、テキストもある。

 

聞道奔雷黑,初看浴日紅。

聞くところでは、此処は黒い雲が湧き迅雷が起こる所だというし、此処で初めて見る素晴らしい光景は、水波に浴する夕日に紅く染まる景色である。

奔雷 激しく鳴る雷。迅雷(じんらい)。

浴日 水に入って沈んでゆく、太陽のことである、水面に映り、辺りを夕日に染め、やがて天まで染める。補天浴日. 【拼音】:bǔ tiān yù rì. 【釋義】:這是指女媧煉五色石補天和羲和給太陽洗澡兩個神話故事。後用來比喻人有戰勝自然的能力。也形容偉大的功業。 【出處】:《淮南子·覽冥訓》:“於是女媧煉五色石以補蒼天。

 

飄零神女雨,斷續楚王風。

ここには、つめたくそぼ降る巫山の神女伴う雨が落ちてくるというし、またときおり楚の襄王を吹いた様な「清涼雄風」が断続的に吹くという。

神女雨 昔者楚襄王與宋玉遊於雲夢之臺,望高唐之觀。其上獨有雲氣, 兮直上,忽兮改容,須臾之間,變化無窮。(昔、楚の襄王と宋玉とが雲夢の臺にび遊,高唐の觀を望む。其上に獨り雲氣有り,直上なり,忽ち改容し,須臾の間,變化窮まる無し。)

楚王風 楚宋玉《風賦》謂, 楚襄王游於蘭台之宮, 有風颯然而至, 襄王曰: “快哉此風!” 宋玉曰, 此“清涼雄風”, “獨大王之風耳”。 後因用“楚王風”指涼風;大風。(楚の宋玉《風賦》に謂う, 楚の襄王は蘭台の宮に於て游び,風有り颯然として至る, 襄王曰く: “快いなる哉此の風!” 宋玉曰く, 此れ“清涼雄風”なり, “獨り大王の風のみ”。 後に因用し“楚王風”涼風を指す;大風なり。)

 

欲問支機石,如臨獻寶宮。

漢の武帝が遣わした張騫がもらって帰ったという支機石がこんな所にあるのではないかと問うてみたくなるし、河伯が周の穆天子に宝を献じたという宮殿を望むというような景色である。

支機石 織女星の機織りの臺を支える石。《荊楚歲時記》:「張騫尋河源,得一石,示東方朔。朔曰:『此是天上織女支機石。』」.張騫をして 河源を尋ねしむ,一石を得,東方朔に示す。朔曰く:『此は是れ天上 織女の支機石なり。』と。」.)

獻寶 河伯が穆天子に寶器を奉った宮殿。「穆天子伝」に「天子西に征き、陽紵の山に至る、河伯馮夷の都居する所なり、是れ惟れ河宗氏。天子 乃ち珪璧を沈めて焉に礼す。河伯乃ち天子と図を披(ひら)き典を視、以て天子の宝器なる玉果・璇珠・燭銀・金膏等の物を観る。」とみえる。献宝とは河伯が玉果以下のたからものを天子に献上したことをいう。朝河宗とは河宗(河伯)が天子に朝したことをいう。周の穆王の西征の事を借りて玄宗の蜀に幸したことに比する。《穆天子傳》卷一「戊寅,天子西征,鶩行至于陽紆之山,河伯無夷之所都居,是惟河宗氏。河宗伯夭逆天子燕然之山,勞用束帛加璧,……巳未,天子大朝于黃之山。乃披圖視典,用觀天子之寶器,曰:「天子之寶、玉果、璿珠、燭銀、黃金之膏。」

「自從獻寶朝河宗,無複射蛟江水中。」(寶を獻じて朝河宗を從【せし】めし自【よ】り,複た蛟を江水の中に射る無し。)

743廣徳2年764-1 《韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖-#4》 蜀中転々 杜甫 <653>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3575 杜甫詩1000-653-909/1500743

 

九秋驚雁序,萬里狎漁翁。

秋九十日となり、雁が連なって飛ぶというのに驚かされるが、こういう季節というのに自分は、こんな万里の遠方の江辺の漁翁など親しんで生活している。

九秋 秋九十日

雁序 雁が連なって飛ぶこと。

漁翁 江辺の漁翁。

 

更是無人處,誅茅任薄躬。

更に、この池畔のような誰もいないところで、気ままに茅屋を結ぶということもありということである。

無人處 天池の池畔。

薄躬 薄徳の身、自身のこと。 謙辭語。

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杜甫  天池 -#1

天池馬不到,嵐壁鳥纔通。百頃青雲杪,層波白石中。

鬱紆騰秀氣,蕭瑟浸寒空。直對巫山出,兼疑夏禹功。

魚龍開闢有,菱芡古今同。

 (夔州の東、巫山十二峰の中の何処かの山頂にあった池について述べた詩)ここの山頂にある池には馬で登って来ることはできない。嵐気の横たわる絶壁には、鳥がわずかにやっと通えるという。青雲の上に百頃ばかりのところが広がり、水があって、白石の乱れ立つ間に幾重の波が起こっている。ここからは、靈秀の山の気が立てこもってあがり、また秋風が静かに寂しく寒空を水面に浸している。ここは巫山の峡谷と真向かいになっているところで、こんな池を開いたのは水利土木の夏の禹王の功ではないかと疑われている。ここに住む、魚龍は開闢以来の者であり、菱や芡は今も昔も同じように生えている。

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杜甫詩1500-964-#1-1465/2500

年:766年大暦元年55歲-101

卷別:    卷二二九              文體:    五言古詩

詩題:    天池

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:              天池 (山南東道 夔州 巫山)              

巫山 (山南東道 夔州 巫山)             

 

 

天池

天池馬不到,嵐壁鳥纔通。

百頃青雲杪,層波白石中。

鬱紆騰秀氣,蕭瑟浸寒空。

直對巫山出,兼疑夏禹功。

魚龍開闢有,菱芡古今同。

(夔州の東、巫山十二峰の中の何処かの山頂にあった池について述べた詩)

ここの山頂にある池には馬で登って来ることはできない。嵐気の横たわる絶壁には、鳥がわずかにやっと通えるという。

青雲の上に百頃ばかりのところが広がり、水があって、白石の乱れ立つ間に幾重の波が起こっている。

ここからは、靈秀の山の気が立てこもってあがり、また秋風が静かに寂しく寒空を水面に浸している。

ここは巫山の峡谷と真向かいになっているところで、こんな池を開いたのは水利土木の夏の禹王の功ではないかと疑われている。

ここに住む、魚龍は開闢以来の者であり、菱や芡は今も昔も同じように生えている。

 

聞道奔雷黑,初看浴日紅。

飄零神女雨,斷續楚王風。

欲問支機石,如臨獻寶宮。

九秋驚雁序,萬里狎漁翁。

更是無人處,誅茅任薄躬。

 

(天池)#1

天池 馬 到らず,嵐壁 鳥 纔かに通ず。

百頃 青雲の杪,層波 白石の中。

鬱紆 秀氣 騰る,蕭瑟 寒空を浸す。

直ちに對す 巫山出るを,兼ねて疑う 夏禹の功。

魚龍は開闢より有り,菱芡は古今同じ。

#2

聞道く 奔雷 黑し,初めて看る 浴日の紅を。

飄零す 神女の雨,斷續す 楚王の風。

問わんと欲す 支機石,臨むが如し 獻寶宮。

九秋 雁序に驚く,萬里 漁翁に狎る。

更に是れ 人無き處,誅茅 薄躬に任せん。

 

天池(含異文):    

天池馬不到,嵐壁鳥纔通。百頃青雲杪,層波白石中。

鬱紆騰秀氣,蕭瑟浸寒空。直對巫山出【直對巫山峽】,兼疑夏禹功。

魚龍開闢有,菱芡古今同【菱芡古今豐】【菱芰古今同】【菱芰古今豐】。聞道奔雷黑,初看浴日紅。

飄零神女雨,斷續楚王風。欲問支機石,如臨獻寶宮。

九秋驚雁序,萬里狎漁翁【萬里狎樵童】。更是無人處,誅茅任薄躬【誅勞任薄躬】。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

『天池』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

天池 -#1

天池馬不到,嵐壁鳥纔通。

百頃青雲杪,層波白石中。

鬱紆騰秀氣,蕭瑟浸寒空。

直對巫山出,兼疑夏禹功。

魚龍開闢有,菱芡古今同。


(下し文)
(天池)#1

天池 馬 到らず,嵐壁 鳥 纔かに通ず。

百頃 青雲の杪,層波 白石の中。

鬱紆 秀氣 騰る,蕭瑟 寒空を浸す。

直ちに對す 巫山出るを,兼ねて疑う 夏禹の功。

魚龍は開闢より有り,菱芡は古今同じ。

瞿塘峡001

(現代語訳)
(夔州の東、巫山十二峰の中の何処かの山頂にあった池について述べた詩)

ここの山頂にある池には馬で登って来ることはできない。嵐気の横たわる絶壁には、鳥がわずかにやっと通えるという。

青雲の上に百頃ばかりのところが広がり、水があって、白石の乱れ立つ間に幾重の波が起こっている。

ここからは、靈秀の山の気が立てこもってあがり、また秋風が静かに寂しく寒空を水面に浸している。

ここは巫山の峡谷と真向かいになっているところで、こんな池を開いたのは水利土木の夏の禹王の功ではないかと疑われている。

ここに住む、魚龍は開闢以来の者であり、菱や芡は今も昔も同じように生えている。


(訳注)

天池

(夔州の東、巫山十二峰の中の何処かの山頂にあった池について述べた詩)

天池 山の上に在る池。初句の二字を取って詩題にする。

巫山(ふざん)は中国・重慶市巫山県と湖北省の境にある名山。長江が山中を貫流して、巫峡を形成。山は重畳して天日を隠蔽するという。巫山十二峰と言われ、その中で代表的なものに神女峰がある。巫山は東西に走るに多数平行して走る褶曲山脈の中でも最も大きく最も東にある山脈で、四川盆地の北東の境界に北西から南東へ走る褶曲山脈の大巴山脈へと合わさってゆく。長さは40km余り、主峰の烏雲頂は海抜2,400mに達する。西から流れてきた長江は北西から南東方向へ向けて巫山山脈を貫き、高低差が高く幅の狭い巫峡になっている。また霧や雨が多く、長年の雨で浸食された石灰岩の峰が霧の中で奇怪な形でそそり立つ。当時、山頂近くに小さい池が点在していたのであろう。

 

天池馬不到,嵐壁鳥纔通。

ここの山頂にある池には馬で登って来ることはできない。嵐気の横たわる絶壁には、鳥がわずかにやっと通えるという。

馬 鳥はやっと通えるが馬では通えない。

 

百頃青雲杪,層波白石中。

青雲の上に百頃ばかりのところが広がり、水があって、白石の乱れ立つ間に幾重の波が起こっている。

百頃 田の面積の単位。百畝。1尺が32cmであったので、1頃は 61,440m2 になる。

青雲杪 髙い所にあることをいう。

層波 幾重の波が起こっている。

白石中 石灰岩がりんりつする。

 

鬱紆騰秀氣,蕭瑟浸寒空。

ここからは、靈秀の山の気が立てこもってあがり、また秋風が静かに寂しく寒空を水面に浸している。

鬱紆 ①山道などが曲がりくねるさま。 ②「鬱悒(ウツユウ)」と同じ。

騰秀氣 山岳秀靈の気が湧きあがる。

蕭瑟 秋風が寂しく吹くこと。また、そのさま。

 

直對巫山出,兼疑夏禹功。

ここは巫山の峡谷と真向かいになっているところで、こんな池を開いたのは水利土木の夏の禹王の功ではないかと疑われている。

巫山出 巫山の峡谷。

夏禹功 中国古代、夏 (か) 王朝の始祖とされる伝説上の帝王。姓は姒 (じ) 、名を文命ともいう。父鯀 (こん) の業を継いで治水に成功。舜 (しゅん) から帝位を譲られた。ここでは池水の事業を成功させたということで、ついでに山の上に池を掘らせたのではないかと、冗談を言っている。実際には。地形、地質的に出来上がったもの、杜甫もわかっている。。

 

魚龍開闢有,菱芡古今同。

ここに住む、魚龍は開闢以来の者であり、菱や芡は今も昔も同じように生えている。

開闢 天地開闢のこと。世界の始まりのこと。天と地はもともとは混沌として一つであったのが、天と地に分離したとする中国の古代思想を背景に成り立っている

菱 ヒシ科の一年草の水草。池沼に生え、種子は食される。

芡 オニバスはスイレン科の一年生の水生植物である。浮水性の水草であり、夏ごろに巨大な葉を水面に広げる。本種のみでオニバス属を構成する。

766年-100杜甫 《1807峽口,二首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-100 <963> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6465

杜甫  峽口,二首之二

時清關失險,世亂戟如林。去矣英雄事,荒哉割據心。

蘆花留客晚,楓樹坐猿深。疲薾煩親故,諸侯數賜金。
(瞿塘峡口について感を叙する、この第二首は往時と比較して今の客況を傷むものである。)時世が治まって清ければ、関門の険があったとしても険の用を為さず、険の険たる用を失うけれども、時世が乱れるときには険阻の内は忽ち戟が林のごとくみだれ立つものである。昔の英雄(光武・昭烈のごとき)の事業はもはや過去のものになってしまい、迷乱極まる群雄(公孫述・李特のごとき)割拠の心のみがこの地には、はびこっている。今、江辺の蘆花は、まさに晩れんとしていたずらに旅客たる自分をここにひきとめているし、楓樹は深くたちこめて奥に猿を坐せしめているのである。疲れはてた身にとっては親交旧知の人を煩わすばかりで、ここの長官からもたびたび金銭を賜与されてその厄介になっているというありさまである。

766年-100杜甫 《1807峽口,二首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-100 <963> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6465 杜甫詩1500-963-1464/2500

 
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峽口,二首之一

(瞿塘峡口について感を叙し、その一は形勝に対して世の乱を傷む)

峽口大江間,西南控百蠻。

この瞿塘峡の入口である夔門口峡口は大江の間に位して、西南の南詔の方には百蛮をひかえている。

城攲連粉堞,岸斷更青山。

城は傾斜して白壁ぬった分壁墙が連なっており、岸が断えたかとおもうとその欠けた向こうには、更に青い山が見えている。

開闢多天險,防隅一水關。

ここは天地開闢の始めから天険の要害に当たっているのであり、城隅を防ぐためには一つの水関を設けて事足りているのである。

亂離聞鼓角,秋氣動衰顏。

時はいまだに乱世がおさまらず、ここでも鼓角の声がきこえるし、これによって一層、秋の気配がこの老衰の顔面にはたらきかけてくるかの感がするのである。

(峡口二首その一)

峡口大江の間、西南 百蛮を控す。

城攲きて粉堞連なり、岸断えて更に青山。

開闢より天険に多し、隅を防ぐ一水関。

乱離に鼓角を聞く、秋気 衰顔に動く。

 

 

年:66年大暦元年55歲-100

卷別:    卷二二九              文體:    五言律詩

詩題:    峽口,二首之二

作地點:              目前尚無資料

及地點:              峽口 (山南東道 夔州 夔州)              

 

峽口,二首之二

時清關失險,世亂戟如林。

去矣英雄事,荒哉割據心。

蘆花留客晚,楓樹坐猿深。

疲薾煩親故,諸侯數賜金。

(瞿塘峡口について感を叙する、この第二首は往時と比較して今の客況を傷むものである。)

時世が治まって清ければ、関門の険があったとしても険の用を為さず、険の険たる用を失うけれども、時世が乱れるときには険阻の内は忽ち戟が林のごとくみだれ立つものである。

昔の英雄(光武・昭烈のごとき)の事業はもはや過去のものになってしまい、迷乱極まる群雄(公孫述・李特のごとき)割拠の心のみがこの地には、はびこっている。

今、江辺の蘆花は、まさに晩れんとしていたずらに旅客たる自分をここにひきとめているし、楓樹は深くたちこめて奥に猿を坐せしめているのである。

疲れはてた身にとっては親交旧知の人を煩わすばかりで、ここの長官からもたびたび金銭を賜与されてその厄介になっているというありさまである。

 

(峡口二首その二)

時清ければ関険を失う、世乱るれば戟林の如し。

去りぬ 英雄の事、荒なる哉 割拠の心。

蘆花 客を留どめて晩れ、楓樹 猿を坐せしめて深し。

疲茶 親故を煩わす、諸侯 数しば金を賜う。【自注:主人柏中丞,頻りに月俸を分つ。】。
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『峽口,二首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

峽口,二首之二

時清關失險,世亂戟如林。

去矣英雄事,荒哉割據心。

蘆花留客晚,楓樹坐猿深。

疲薾煩親故,諸侯數賜金。
峽口,二首之二(含異文)

時清關失險,世亂戟如林。去矣英雄事,荒哉割據心。

蘆花留客晚,楓樹坐猿深。疲薾煩親故,諸侯數賜金【自注:主人柏中丞,頻分月俸。】。


(下し文)
(峡口二首その二)

時清ければ関険を失う、世乱るれば戟林の如し。

去りぬ 英雄の事、荒なる哉 割拠の心。

蘆花 客を留どめて晩れ、楓樹 猿を坐せしめて深し。

疲茶 親故を煩わす、諸侯 数しば金を賜う。

(現代語訳)
(瞿塘峡口について感を叙する、この第二首は往時と比較して今の客況を傷むものである。)

時世が治まって清ければ、関門の険があったとしても険の用を為さず、険の険たる用を失うけれども、時世が乱れるときには険阻の内は忽ち戟が林のごとくみだれ立つものである。

昔の英雄(光武・昭烈のごとき)の事業はもはや過去のものになってしまい、迷乱極まる群雄(公孫述・李特のごとき)割拠の心のみがこの地には、はびこっている。

今、江辺の蘆花は、まさに晩れんとしていたずらに旅客たる自分をここにひきとめているし、楓樹は深くたちこめて奥に猿を坐せしめているのである。

疲れはてた身にとっては親交旧知の人を煩わすばかりで、ここの長官からもたびたび金銭を賜与されてその厄介になっているというありさまである。



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766年-99杜甫 《1806峽口,二首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-99 <962> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6460

杜甫  峽口,二首之一  

峽口大江間,西南控百蠻。城攲連粉堞,岸斷更青山。

開闢多天險,防隅一水關。亂離聞鼓角,秋氣動衰顏。
(瞿塘峡口について感を叙し、その一は形勝に対して世の乱を傷む)

この瞿塘峡の入口である夔門口峡口は大江の間に位して、西南の南詔の方には百蛮をひかえている。城は傾斜して白壁ぬった分壁墙が連なっており、岸が断えたかとおもうとその欠けた向こうには、更に青い山が見えている。ここは天地開闢の始めから天険の要害に当たっているのであり、城隅を防ぐためには一つの水関を設けて事足りているのである。時はいまだに乱世がおさまらず、ここでも鼓角の声がきこえるし、これによって一層、秋の気配がこの老衰の顔面にはたらきかけてくるかの感がするのである。

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年:766年大暦元年55歲-99

卷別:    卷二二九              文體:    五言律詩

詩題:    峽口,二首之一

作地點:              目前尚無資料

及地點:              峽口 (山南東道 夔州 夔州)              

 

 

峽口,二首之一

(瞿塘峡口について感を叙し、その一は形勝に対して世の乱を傷む)

峽口大江間,西南控百蠻。

この瞿塘峡の入口である夔門口峡口は大江の間に位して、西南の南詔の方には百蛮をひかえている。

城攲連粉堞,岸斷更青山。

城は傾斜して白壁ぬった分壁墙が連なっており、岸が断えたかとおもうとその欠けた向こうには、更に青い山が見えている。

開闢多天險,防隅一水關。

ここは天地開闢の始めから天険の要害に当たっているのであり、城隅を防ぐためには一つの水関を設けて事足りているのである。

亂離聞鼓角,秋氣動衰顏。

時はいまだに乱世がおさまらず、ここでも鼓角の声がきこえるし、これによって一層、秋の気配がこの老衰の顔面にはたらきかけてくるかの感がするのである。

 

(峡口二首その一)

峡口大江の間、西南 百蛮を控す。

城攲きて粉堞連なり、岸断えて更に青山。

開闢より天険に多し、隅を防ぐ一水関。

乱離に鼓角を聞く、秋気 衰顔に動く。

夔州東川卜居図詳細 002

『峽口,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

峽口,二首之一

峽口大江間,西南控百蠻。

城攲連粉堞,岸斷更青山。

開闢多天險,防隅一水關。

亂離聞鼓角,秋氣動衰顏。
詩文(含異文)

峽口大江間,西南控百蠻【西南控白蠻】。

城攲連粉堞,岸斷更青山。

開闢多天險【開闢當天險】,防隅一水關。

亂離聞鼓角,秋氣動衰顏。


(下し文)
(峡口二首その一)

峡口大江の間、西南 百蛮を控す。

城攲きて粉堞連なり、岸断えて更に青山。

開闢より天険に多し、隅を防ぐ一水関。

乱離に鼓角を聞く、秋気 衰顔に動く。


(現代語訳)
(瞿塘峡口について感を叙し、その一は形勝に対して世の乱を傷む)

この瞿塘峡の入口である夔門口峡口は大江の間に位して、西南の南詔の方には百蛮をひかえている。

城は傾斜して白壁ぬった分壁墙が連なっており、岸が断えたかとおもうとその欠けた向こうには、更に青い山が見えている。

ここは天地開闢の始めから天険の要害に当たっているのであり、城隅を防ぐためには一つの水関を設けて事足りているのである。

時はいまだに乱世がおさまらず、ここでも鼓角の声がきこえるし、これによって一層、秋の気配がこの老衰の顔面にはたらきかけてくるかの感がするのである。

瞿塘峡・白帝城・魚復
(訳注)

峽口,二首之一

(瞿塘峡口について感を叙し、その一は形勝に対して世の乱を傷む)

瞿塘峡口について感を叙する、大暦元年夔州にあっての作。

第一首は形勝に対して世の乱を傷む。

 

峽口大江間,西南控百蠻。【西南控白蠻】

この瞿塘峡の入口である夔門口峡口は大江の間に位して、西南の南詔の方には百蛮をひかえている。

〇峡口 瞿塘峡口をいう。長江本流に位置する峡谷。巫峡(ふきょう)、西陵峡(せいりょうきょう)と並び、三峡を構成する。別名は夔峡(ききょう)。

瞿塘峡は三峡のもっとも上流にあり、西は重慶市奉節県の白帝城から、東は重慶市巫山県の大溪鎮までの区間である。四川盆地の東部では、東西方向に伸びる細長い褶曲山脈が多数平行に走っているが、その山脈のうち高さ1,000mを超える一本を長江本流が北西から東南へ貫通するところが瞿塘峡である。

全長は8kmと三峡の他の峡谷に比べると際立って短いが、その川幅は三峡の中で最も狭く、風景の雄大さは三峡の中でも際立っている。瞿塘峡では長江の幅は広い所で150mを超えず、狭いところでは100mにもならない。この狭い川の北側には赤甲山、南側には白塩山があり、その高さは川面から1,200mに達し、間を通る船を圧迫するような急傾斜が聳え立っている。赤甲・白塩の両山に囲まれた門のような部分を夔門(きもん)と呼ぶが、「夔門天下雄」としてその雄大さは称えられている。ここを「峡口」という。

〇百蛮 多くの蛮境。南詔。

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城攲連粉堞,岸斷更青山。

城は傾斜して白壁ぬった分壁墙が連なっており、岸が断えたかとおもうとその欠けた向こうには、更に青い山が見えている。

○粉喋 胡粉をぬったひめがき。分壁墙は長江南岸の白塩山側にある白い石灰岩の崖で、瞿塘峡の入口にあたり、岩には「夔門天下雄」と刻まれている。その他多くの書家らによる文字が刻まれ、最古のものは宋朝にまで遡る。

 

開闢多天險【開闢當天險】,防隅一水關。

ここは天地開闢の始めから天険の要害に当たっているのであり、城隅を防ぐためには一つの水関を設けて事足りているのである。

○開闢 天地のひらけたとき。

○防隅 隅は山隅、城隅のこと。

○水関 水上に設けた関門、《1711宿江邊閣》詩宿江邊閣【即後西閣。】「暝色延山徑,高齋次水門。薄雲巖際宿,孤月浪中翻。鸛鶴追飛靜,豺狼得食喧。不眠憂戰伐,無力正乾坤。」

次水門 次は宿泊すること。水路駅の門である。

766年-71杜甫 《1711宿江邊閣【案:即後西閣。】》七言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-71 <934> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6305

 

亂離聞鼓角,秋氣動衰顏。

時はいまだに乱世がおさまらず、ここでも鼓角の声がきこえるし、これによって一層、秋の気配がこの老衰の顔面にはたらきかけてくるかの感がするのである。

○乱離 せがみだれて人人がはなればなれになること、乱世をいう。

○動衰顔 動ははたらきかけること、主観的にいえば感ずるということである。

 

峽口,二首之一

峽口大江間,西南控百蠻。城欹連粉堞,岸斷更青山。

開闢多天險,防隅一水關。亂離聞鼓角,秋氣動衰顏。

(峡口二首その一)

峡口大江の間、西南 百蛮を控す。

城攲きて粉堞連なり、岸断えて更に青山。

開闢より天険に多し、隅を防ぐ一水関。

乱離に鼓角を聞く、秋気 衰顔に動く。
夔州東川卜居図詳細 002 

766年-98杜甫 《1917諸葛廟》五言古詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-98 <961> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6440

杜甫  諸葛廟  

久遊巴子國,屢入武侯祠。竹日斜虛寢,溪風滿薄帷。

君臣當共濟,賢聖亦同時。翊戴歸先主,并吞更出師。

蟲蛇穿畫壁,巫覡醉蛛絲。欻憶吟梁父,躬耕也未遲。

(夔州に滞在して屡、諸葛亮の廟を訪れた)

自分はながらく、曾ての巴子国(夔州魚腹)に遊んでいる、この地の諸葛武侯の祠にたびたび入ってみる。そこには竹林を照らす日光が、だれもおらぬ廟へ斜めにさしこみ、渓をわたってくる風が薄いとばりに万遍なく吹いている。諸葛孔明とその主人先主、劉備とは力をあわせて共に天下をすくう事業にあたり、時を同じくして聖君賢臣が存在していた。諸葛孔明は身を先主に帰してこれを戴き助け、北方を併呑するために晩年には更に軍隊を出し「北伐」を五度した。それが今はその人を祀った廟内では、画をかいた壁に虫や蛇があなをあけ、蜘蛛のいとの懸かっているところで女巫男巫がおみきに酔うている。このとき自分はふと諸葛孔明が平生梁父の吟を好んでなしたという話をおもいだす。あれをかんがえると自分などはここで身みずから耕作に従事したとてまだ遅くはないということか。

766年-98杜甫 《1917諸葛廟》五言古詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-98 <961> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6440 杜甫詩1500-961-1459/2500

 

 
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年:766年大暦元年55歲-98

卷別:    卷二二九              文體:    五言古詩

詩題:    諸葛廟

作地點:              目前尚無資料

及地點:              武侯廟 (山南東道 夔州 奉節) 別名:諸葛廟、武侯祠、武侯祠堂、孔明廟             

 

諸葛廟

(夔州に滞在して屡、諸葛亮の廟を訪れた)

久遊巴子國,屢入武侯祠。

自分はながらく、曾ての巴子国(夔州魚腹)に遊んでいる、この地の諸葛武侯の祠にたびたび入ってみる。

竹日斜虛寢,溪風滿薄帷。

そこには竹林を照らす日光が、だれもおらぬ廟へ斜めにさしこみ、渓をわたってくる風が薄いとばりに万遍なく吹いている。

君臣當共濟,賢聖亦同時。

諸葛孔明とその主人先主、劉備とは力をあわせて共に天下をすくう事業にあたり、時を同じくして聖君賢臣が存在していた。

翊戴歸先主,并吞更出師。

諸葛孔明は身を先主に帰してこれを戴き助け、北方を併呑するために晩年には更に軍隊を出し「北伐」を五度した。

蟲蛇穿畫壁,巫覡醉蛛絲。

それが今はその人を祀った廟内では、画をかいた壁に虫や蛇があなをあけ、蜘蛛のいとの懸かっているところで女巫男巫がおみきに酔うている。

欻憶吟梁父,躬耕也未遲。

このとき自分はふと諸葛孔明が平生梁父の吟を好んでなしたという話をおもいだす。あれをかんがえると自分などはここで身みずから耕作に従事したとてまだ遅くはないということか。

 

(諸葛廟)

久しく遊ぶ巴子の国、屡々入る武侯の祠。

竹日 虚寝に斜めに、渓風薄唯に満つ。

君臣 共済に当たる、賢聖 亦た時を同じくす。

翊戴 先主に帰す、併呑 更に師を出す。

虫蛇 画壁を穿つ、巫覡 蛛糸に酔う。

欻ち憶う 梁父を吟ぜしを、窮耕するも 也た 未だ遅からず。

夔州東川卜居図詳細 002 

『諸葛廟』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

諸葛廟

久遊巴子國,屢入武侯祠。

竹日斜虛寢,溪風滿薄帷。

君臣當共濟,賢聖亦同時。

翊戴歸先主,并吞更出師。

蟲蛇穿畫壁,巫覡醉蛛絲。

欻憶吟梁父,躬耕也未遲。

(下し文)
(諸葛廟)

久しく遊ぶ巴子の国、屡々入る武侯の祠。

竹日 虚寝に斜めに、渓風薄唯に満つ。

君臣 共済に当たる、賢聖 亦た時を同じくす。

翊戴 先主に帰す、併呑 更に師を出す。

虫蛇 画壁を穿つ、巫覡 蛛糸に酔う。

欻ち憶う 梁父を吟ぜしを、窮耕するも 也た 未だ遅からず。


(現代語訳)
(夔州に滞在して屡、諸葛亮の廟を訪れた)

自分はながらく、曾ての巴子国(夔州魚腹)に遊んでいる、この地の諸葛武侯の祠にたびたび入ってみる。

そこには竹林を照らす日光が、だれもおらぬ廟へ斜めにさしこみ、渓をわたってくる風が薄いとばりに万遍なく吹いている。

諸葛孔明とその主人先主、劉備とは力をあわせて共に天下をすくう事業にあたり、時を同じくして聖君賢臣が存在していた。

諸葛孔明は身を先主に帰してこれを戴き助け、北方を併呑するために晩年には更に軍隊を出し「北伐」を五度した。

それが今はその人を祀った廟内では、画をかいた壁に虫や蛇があなをあけ、蜘蛛のいとの懸かっているところで女巫男巫がおみきに酔うている。

このとき自分はふと諸葛孔明が平生梁父の吟を好んでなしたという話をおもいだす。あれをかんがえると自分などはここで身みずから耕作に従事したとてまだ遅くはないということか。

瞿塘峡001
(訳注)

諸葛廟

(夔州に滞在して屡、諸葛亮の廟を訪れた)

夔州にある諸葛孔明の廟にまいったことをよんだ詩。766年大暦元年55歲-98の作。

蜀漢の諸葛亮、字は孔明をいう、後主の223年建興元年、武郷侯に封ぜられた。廟は夔州府魚復縣の永安宮の傍、赤甲山の麓にあった。

 

久遊巴子國,屢入武侯祠。

自分はながらく、曾ての巴子国(夔州魚腹)に遊んでいる、この地の諸葛武侯の祠にたびたび入ってみる。

○巴子国 ここは夔州をいう。周の武王が殷を伐ったとき、巴人は武王を助けて功があったので後に封ぜられて巴子となった。古の巴国は東は魚復に至り、西は樊【棘人】道に至り、北は漢中に接し、南は牂牁を極める。夔州魚復県は巴国の域内にある。

周の武王が紂王を討伐した時、巴と蜀は支援に出兵した。「尚書」に記載があり、巴国の軍隊は勇猛で、殷商人が巴と蜀の人の歌舞とその勇気と気概に心服し、陣の前で鉾を下ろしたという。これが後世「武王紂王討伐、前歌後舞」と称されるようになった事件である。武王の殷平定後、巴地を同姓として分封し、子爵を授けた。古代において、僻遠の地の国家は大国でも君主の爵位は子を授けられた。ゆえに呉、楚と巴の諸子は皆子と称した。巴国の境界は、東は魚復(現重慶市奉節県)、西は【棘人】道(四川省宣賓)、北は漢中、南は牂牁(黔・涪)に接していた。

 周代中期、巴国は、周王を奉っていたけれども、秦、楚、鄧の国と同様、夷狄の国と見られた。春秋時代の魯の桓公9年(前703年)、巴子*1が韓服という名の使者を楚によこして、巴国と鄧国の友好関係を設立することを乞うた。楚は使者の道朔を派遣し、巴国の使者に鄧国への訪問に付き添わせた。鄧国は南の辺境国だと蔑視し、使者の隊伍を攻撃し財貨を奪った。巴子は軍隊を派遣し、鄧国を破った。この後、巴国の軍隊は、楚国の軍と連合して、申国を討った。楚子は、巴国の軍隊を掠略し、両国の関係は破裂した。魯の庄公18年(前676年)、巴国は楚に攻め入り、楚軍を破った。魯文公16年(前611年)、巴国と秦国、楚国は、共同して出兵し、庸国を滅ぼし、庸国の土地を分割した。魯哀公18年(前476年)、巴人は楚国を攻撃し、【憂阝】において、呉楚の連合軍に破られた。これは巴国の大きな打撃となった。これ以降、楚国は中原に向かって勢力を集中し発展し、中原諸侯国の会盟に参加するようになった。秦は主に周の西の辺境で活動をしていたが、守りを固めて強勢になっていた。巴国は中原からの距離が非常に遠く、会盟に参加する機会は非常に少なかった。

 

竹日斜虛寢,溪風滿薄帷。

そこには竹林を照らす日光が、だれもおらぬ廟へ斜めにさしこみ、渓をわたってくる風が薄いとばりに万遍なく吹いている。

○竹日 竹林をてらす日光。

○虚寝 人のいない廟。

○薄帷 うすいとばり。

 

君臣當共濟,賢聖亦同時。

諸葛孔明とその主人先主、劉備とは力をあわせて共に天下をすくう事業にあたり、時を同じくして聖君賢臣が存在していた。

○共済 ともに天下をすくう。

○賢聖 賢臣聖君。

 

翊戴歸先主,并吞更出師。

諸葛孔明は身を先主に帰してこれを戴き助け、北方を併呑するために晩年には更に軍隊を出し「北伐」を五度した。

○翊戴 たすけいただく。

○先主 劉備。《1569謁先主廟》【劉昭烈廟在奉節縣東六里。】

○井呑 中原の地方を合わそうとする「北伐」をいう。

○出師 後主の227年建興五年、諸葛亮は魏を伐とうとして諸軍を率いて北のかた漢中に進駐しょうとし、出発にのぞんで表をたてまつった、これがすなわち有名な「出師の表」である。《1512武侯廟》に「猶聞辭後主」とあり、」辞とはこの表をたてまつって暇乞いの御挨拶をすることをいう。

出師表-後出師表(まとめ)【12分割】-諸葛亮  詩<99-#13>Ⅱ李白に影響を与えた詩840 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2748

出師表-(まとめ) 【12分割】-諸葛亮 三国 詩<99-#14>Ⅱ李白に影響を与えた詩841 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2753

『北伐』諸葛亮が自ら軍を率いて出兵した魏侵攻が5度行われた。

これは、初代皇帝・劉備の漢王朝復興の遺志に基づくものであったが、当時の蜀の国力及び軍事力からすれば、かなり無理なものがあった。元々蜀は荊州と益州の二方面からの北伐を計画していたが、荊州を魏と呉に奪われていたため、益州のみからの北伐を余儀なくされた。

228年春の第一次北伐は、最初の内こそ上手く行っていたものの、諸葛亮の指示に背いた先鋒の馬謖が張郃に撃破され、その後蜀軍は撤退する(街亭の戦い)。 228年冬の第二次北伐は、攻めあぐねているうちに食糧不足により撤退した。撤退時に追撃してきた王双を討ち取っている(陳倉の戦い)。 229年春の第三次北伐は、陳式が武都・陰平を攻め、諸葛亮が魏の郭淮を防ぎ、武都・陰平の両郡を平定した。 231年春2月から始まった第四次北伐は、祁山を包囲し、援軍に来た張郃・司馬懿を撃退するが、同年夏6月に食料不足により撤退する。撤退時に追撃してきた張郃を討ち取っている。 そして234年春2月から始まった第五次北伐は屯田を行い長期戦に持ち込むが、同年秋8月に諸葛亮は陣中で病没した(五丈原の戦い)。

第四次北伐と五次北伐の間に益州南部で反乱が起こっている。蜀末期の学者で『三国志』の著者の陳寿の学問の師である譙周によれば、「益州南部は遠方蛮族(南蛮)の土地で、反乱が多く統治の難しさから従来は税が課されていなかったが、諸葛亮が益州南部の反乱を制圧したのち益州南部に租税を課せるようになり、それを苦しみ恨んでいる」と言って蜀が滅びる前に南方に撤退しようと検討していた劉禅を説得している(譙周伝)。

 

蟲蛇穿畫壁,巫覡醉蛛絲。

それが今はその人を祀った廟内では、画をかいた壁に虫や蛇があなをあけ、蜘蛛のいとの懸かっているところで女巫男巫がおみきに酔うている。

○巫覡 女のみこ、男のみこ。

○醉蛛絲 蜘蛛のいとの懸かっているところで・・・・・・が御神酒に酔うている。

 

欻憶吟梁父,躬耕也未遲。【躬耕起未遲】

このとき自分はふと諸葛孔明が平生梁父の吟を好んでなしたという話をおもいだす。あれをかんがえると自分などはここで身みずから耕作に従事したとてまだ遅くはないということか。

○吟梁父 孔明が好んで梁父吟をなしたことは、すでにしばしば見える。

○梁甫吟 梁甫は泰山の傍にある山の名である、梁父ともいう。梁甫吟は山東地方の民謡。三国志に諸葛亮(孔明)が父の死後、既成のメロディーに合わせて歌詞をつくったとある。諸葛亮が愛詞した詩篇、其の辞にいう、「歩して斉の城門を出で、造かに蕩陰里を望む。里中に三墳有り、索索として相い似たり。閉り是れ誰が家の墓ぞ、田彊と古治子と。カは能く南山を排し、文は能く地紀を絶つ。一朝謹言を被り、二桃三士を殺す。誰か能く此の謀を為せる、国相たる斉の量子なり」と。梁甫は泰山の下の小山の名、孔明は山東に耕して此の詩を好んで吟じたという。其の意は妟子の陰謀を悪むに在るもののようである。

梁甫吟 諸葛亮 漢詩<96>Ⅱ李白に影響を与えた詩819 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2643

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諸葛廟

久游巴子國,屢入武侯祠。竹日斜虛寢,溪風滿薄帷。

君臣當共濟,賢聖亦同時。翊戴歸先主,併吞更出師。

蟲蛇穿畫壁,巫覡醉蛛絲。欻憶吟梁父,躬耕也未遲。

 

(諸葛廟)

久しく遊ぶ巴子の国、屡々入る武侯の祠。

竹日 虚寝に斜めに、渓風薄唯に満つ。

君臣 共済に当たる、賢聖 亦た時を同じくす。

翊戴 先主に帰す、併呑 更に師を出す。

虫蛇 画壁を穿つ、巫覡 蛛糸に酔う。

欻ち憶う 梁父を吟ぜしを、窮耕するも 也た 未だ遅からず。

 

 

 

同時期の関連作

《1512武侯廟》

武侯廟  

遺廟丹青落,空山草木長。猶聞辭後主,不復臥南陽。

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《1513八陣圖》五言絶句

八陣圖【諸葛亮〈八陣圖〉有三,一在夔,一在彌牟鎮,一在棋盤市,此在夔之永安宮前者。】

功蓋三分國,名成八陣圖。

江流石不轉,遺恨失吞吳。

766年-88杜甫 《1513八陣圖》五言絶句 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-88 <951> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6390

 

《1569謁先主廟》

謁先主廟【劉昭烈廟在奉節縣東六里。】 #1

慘淡風雲會,乘時各有人。力侔分社稷,志屈偃經綸。

復漢留長策,中原仗老臣。雜耕心未已,歐血事酸辛。

#2

霸氣西南歇,雄圖曆數屯。錦江元過楚,劍閣復通秦。

舊俗存祠廟,空山立鬼神。虛簷交鳥道,枯木半龍鱗。

#3

竹送清溪月,苔移玉座春。閭閻兒女換,歌舞歲時新。

絕域歸舟遠,荒城繫馬頻。如何對搖落,況乃久風塵。

#4

孰與關張並,功臨耿鄧親。應天才不小,得士契無鄰。

遲暮堪帷幄,飄零且釣緡。向來憂國淚,寂寞灑衣巾。

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766年-97杜甫 《1511陪諸公上白帝城宴越公堂之作》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-97 <960> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6435

杜甫  陪諸公上白帝城宴越公堂之作【原注:越公楊素也。越公楊素所建。在堂。在城上。畫像尚存。】

此堂存古製,城上俯江郊。落構垂雲雨,荒階蔓草茅。

柱穿蜂溜蜜,棧缺燕添巢。坐接春杯氣,心傷豔蕊梢。

英靈如過隙,宴衎願投膠。莫問東流水【莫問水清淺】,生涯未即拋。
(多くの人人のあとについて白帝城頭に上り、越公堂に酒盛りをした時に作る)

【原注:越公は、隋の楊素であり、陳を滅ぼしたその功績で越国公に封ぜられた。越公楊素が建る所なり。そこに堂が在る。それは城上に在る。自畫像尚お存る。】

此の堂にはむかしの造りざまがのこっており、城の上から真下に江ぞいの郊外がみえる。

落ちかかった構えに雲や雨が垂れかかり、荒れたきざはしに草や茅がはびこっている。

また柱には孔があいて、蜂が蜜を溜し、さしわたした桟の木がかけて燕が巣つけくわえている。

ここに坐ってみると、春の酒盃の気にちかづくのであるが、自分の心はうつくしい花のこずえを覧て傷ましくおもうのである。

それは、楊素ほどの人でも其の英靈は、またたくまに消えてなくなる、どうかこのさかもりにたのしく酒をのんで膠を漆になげこんだほどの親密さになることを願うのである。

歳月が東流の水の様に去ってかえらぬことなどは問題にしなくてもよい、我我の生涯はまだすぐには、ほうりだして棄てるわけではないのであるから。

766年-97杜甫 《1511陪諸公上白帝城宴越公堂之作》杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-97 <960> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6435

 

 
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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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杜甫詩1500-960-1458/2500

年:766年大暦元年55歲-97

卷別:    卷二二九              文體:    五言古詩

詩題:    陪諸公上白帝城宴越公堂之作【陪諸公上白帝城頭宴越公堂之作】【陪諸公上白帝城樓宴越公堂之作】【原注:越公楊素所建。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城      

越公堂 (山南東道 夔州 奉節)           

 

 

陪諸公上白帝城宴越公堂之作

(多くの人人のあとについて白帝城頭に上り、越公堂に酒盛りをした時に作る)

【原注:越公楊素也。越公楊素所建。在堂。在城上。畫像尚存。】

【原注:越公は、隋の楊素であり、陳を滅ぼしたその功績で越国公に封ぜられた。越公楊素が建る所なり。そこに堂が在る。それは城上に在る。自畫像尚お存る。】

此堂存古製,城上俯江郊。

此の堂にはむかしの造りざまがのこっており、城の上から真下に江ぞいの郊外がみえる。

落構垂雲雨,荒階蔓草茅。

落ちかかった構えに雲や雨が垂れかかり、荒れたきざはしに草や茅がはびこっている。

柱穿蜂溜蜜,棧缺燕添巢。

また柱には孔があいて、蜂が蜜を溜し、さしわたした桟の木がかけて燕が巣つけくわえている。

坐接春杯氣,心傷豔蕊梢。

ここに坐ってみると、春の酒盃の気にちかづくのであるが、自分の心はうつくしい花のこずえを覧て傷ましくおもうのである。

英靈如過隙,宴衎願投膠。

それは、楊素ほどの人でも其の英靈は、またたくまに消えてなくなる、どうかこのさかもりにたのしく酒をのんで膠を漆になげこんだほどの親密さになることを願うのである。

莫問東流水,生涯未即拋。

歳月が東流の水の様に去ってかえらぬことなどは問題にしなくてもよい、我我の生涯はまだすぐには、ほうりだして棄てるわけではないのであるから。

 

(諸公に陪して白帝城に上り越公堂に宴する之作)【原注:越公は楊素なり。越公楊素 建る所なり。堂在り。城上に在り。畫像尚お存す。】

此の堂 古製存し,城上 江郊に俯す。

落構 雲雨垂れ,荒階 草茅蔓る。

柱穿たれて 蜂 蜜を溜らし,棧 缺けて燕 巢を添う。

坐して接す 春杯の氣,心は傷む 豔蕊の梢。

英靈 過隙の如し,宴衎 投膠を願う。

問う莫れ 東流の水,生涯 未だ即ち拋たず。
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夔州東川卜居図詳細 002 

『陪諸公上白帝城宴越公堂之作』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

陪諸公上白帝城宴越公堂之作【原注:越公楊素也。越公楊素所建。在堂。在城上。畫像尚存。】

此堂存古製,城上俯江郊。

落構垂雲雨,荒階蔓草茅。

柱穿蜂溜蜜,棧缺燕添巢。

坐接春杯氣,心傷豔蕊梢。

英靈如過隙,宴衎願投膠。

莫問東流水【莫問水清淺】,生涯未即拋。

(下し文)
(諸公に陪して白帝城に上り越公堂に宴する之作)【原注:越公は楊素なり。越公楊素 建る所なり。堂在り。城上に在り。畫像尚お存す。】

此の堂 古製存し,城上 江郊に俯す。

落構 雲雨垂れ,荒階 草茅蔓る。

柱穿たれて 蜂 蜜を溜らし,棧 缺けて燕 巢を添う。

坐して接す 春杯の氣,心は傷む 豔蕊の梢。

英靈 過隙の如し,宴衎 投膠を願う。

問う莫れ 東流の水,生涯 未だ即ち拋たず。

(現代語訳)
(多くの人人のあとについて白帝城頭に上り、越公堂に酒盛りをした時に作る)

【原注:越公は、隋の楊素であり、陳を滅ぼしたその功績で越国公に封ぜられた。越公楊素が建る所なり。そこに堂が在る。それは城上に在る。自畫像尚お存る。】

此の堂にはむかしの造りざまがのこっており、城の上から真下に江ぞいの郊外がみえる。

落ちかかった構えに雲や雨が垂れかかり、荒れたきざはしに草や茅がはびこっている。

また柱には孔があいて、蜂が蜜を溜し、さしわたした桟の木がかけて燕が巣つけくわえている。

ここに坐ってみると、春の酒盃の気にちかづくのであるが、自分の心はうつくしい花のこずえを覧て傷ましくおもうのである。

それは、楊素ほどの人でも其の英靈は、またたくまに消えてなくなる、どうかこのさかもりにたのしく酒をのんで膠を漆になげこんだほどの親密さになることを願うのである。

歳月が東流の水の様に去ってかえらぬことなどは問題にしなくてもよい、我我の生涯はまだすぐには、ほうりだして棄てるわけではないのであるから。

唐時代 地図山南 東・西道50
(訳注)

陪諸公上白帝城宴越公堂之作【原注:越公楊素也。越公楊素所建。在堂。在城上。畫像尚存。】

(多くの人人のあとについて白帝城頭に上り、越公堂に酒盛りをした時に作る)

越公 楊 素(よう そ、? - 606年)は、中国の隋の政治家・軍人。隋の上柱国、司徒、楚景武公に上った。字は処道(正字は處道)。『隋書』によると、楊素は弘農郡華陰県(陝西省渭南市)の出身である。隋の帝室である楊氏(鮮卑普六茹部)とは別系統にあたる。楊素は、楊敷の子として生まれた。楊敷は、北周の天和年間に汾州刺史となり、北斉の将軍の段韶の攻撃を受けて捕らえられた。北斉は楊敷を任用しようとしたが、楊敷は屈することなく鄴で没した。

隋が建国されると、上柱国・御史大夫に上った。楊素の妻の鄭氏は嫉妬深く、これに楊素は怒って、「もし私が天子となったとしても、お前は皇后にはしてやるまい」と言った。鄭氏がこれを上奏したため、楊素は免官された。

文帝(楊堅)が江南を奪う計画を考えはじめると、楊素は数度にわたって南朝陳を平定する策を進言した。するとまもなく、楊素は信州総管に任ぜられた。永安で「五牙」「黄龍」と称する大艦を次々と建造し、楊堅の次男である晋王の楊広(のちの煬帝)を補佐して、みずからは行軍元帥となり、水軍で長江を下って一挙に陳を滅ぼした。楊素はその功績で越国公に封ぜられた。まもなく納言となり、内史令に転じた。陳滅亡後に江南で頻発した隋に対する反抗を次々と撃破した。

越公堂 唐の李胎孫の夔州都督府記に曰く、李眙孫 夔州都督府記 「白帝城東南斗上二百七十歩、得白帝廟、又有越公堂、在廟南而少西、隋越公素所建。」とある。

 

此堂存古製,城上俯江郊。

此の堂にはむかしの造りざまがのこっており、城の上から真下に江ぞいの郊外がみえる。

 

落構垂雲雨,荒階蔓草茅。

落ちかかった構えに雲や雨が垂れかかり、荒れたきざはしに草や茅がはびこっている。

落構 おちかかれる構造。

 

柱穿蜂溜蜜,棧缺燕添巢。

また柱には孔があいて、蜂が蜜を溜し、さしわたした桟の木がかけて燕が巣つけくわえている。

 

坐接春杯氣,心傷豔蕊梢。

ここに坐ってみると、春の酒盃の気にちかづくのであるが、自分の心はうつくしい花のこずえを覧て傷ましくおもうのである。

坐接 宴席で座り、そして接近する。ひざづめしてすわる。

春杯氣 春の酒盃の気。

豔蕊梢 うつくしい花のこずえ。

 

英靈如過隙,宴衎願投膠。

それは、楊素ほどの人でも其の英靈は、またたくまに消えてなくなる、どうかこのさかもりにたのしく酒をのんで膠を漆になげこんだほどの親密さになることを願うのである。

英靈 楊の精靈をいう。畫像についていっている。

如過隙 瞬く間になくなるをいう。荘子知北遊篇)の「人生天地之間。若白駒之過郤。忽然而已。(人、天地の間に生くるは、白駒の郤[=隙]を過ぎるがごとし/人が天地の間で命を有するのは、開いた戸の隙間を通してその前を駆け抜けた白い馬を見るようなものだ)」

宴衎 さかもりをたのしむ。

願投膠 親密になることをいう。古楽府《古詩十九首之第十八首》 以膠投漆中,誰能別離此?(ニカワを漆の中に入れ込んだら、もう誰でも引き離すことはできないことであるように夫婦仲もそれと同じなのだ。)

 

莫問東流水【莫問水清淺】,生涯未即拋。
歳月が東流の水の様に去ってかえらぬことなどは問題にしなくてもよい、我我の生涯はまだすぐには、ほうりだして棄てるわけではないのであるから。

東流水 歳月の流れをいう。

即拋 すぐさま投げ出し棄てることをいう。

766年-96杜甫 《2112白帝樓》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-96 <959> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6430

杜甫  白帝樓  

漠漠虛無裡,連連睥睨侵。樓光去日遠,峽影入江深。

臘破思端綺,春歸待一金。去年梅柳意,還欲攪邊心。

(白帝城の楼閣をのぞんで感じるところを述べる。)

漠々と広がった太虚の空に向って、あくまでも引き続いて城の牆が突っ込んでいる。城楼の光は長江の水面に光る日の輝きからはよほどとおくたかいところにあるし、地形の裂けたような峡谷の影は、ずんと深く、江水の底へ差し込んでいる。十二月もかれこれ終わろうとしているから、せめて、一旦の綵絹が欲しいが、春になれば、この三峡の峡谷を出て、故郷に帰りたいから一万銭ほど手に入らないかと待っているところである。去年の春は、梅、柳を見ていてこの地を出そこなってしまったが、今度もまた、そうなりはしないかと、あの時の心持が、かき乱そうとする。

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年:766年大暦元年55歲-96

卷別:    卷二二九              文體:    五言律詩

詩題:    白帝樓

作地點:              目前尚無資料

及地點:              白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城      

 

 

白帝樓

(白帝城の楼閣をのぞんで感じるところを述べる。)

漠漠虛無裡,連連睥睨侵。

漠々と広がった太虚の空に向って、あくまでも引き続いて城の牆が突っ込んでいる。

樓光去日遠,峽影入江深。

城楼の光は長江の水面に光る日の輝きからはよほどとおくたかいところにあるし、地形の裂けたような峡谷の影は、ずんと深く、江水の底へ差し込んでいる。

臘破思端綺,春歸待一金。

十二月もかれこれ終わろうとしているから、せめて、一旦の綵絹が欲しいが、春になれば、この三峡の峡谷を出て、故郷に帰りたいから一万銭ほど手に入らないかと待っているところである。

去年梅柳意,還欲攪邊心。

去年の春は、梅、柳を見ていてこの地を出そこなってしまったが、今度もまた、そうなりはしないかと、あの時の心持が、かき乱そうとする。

 

(白帝樓)

漠漠たる虛無の裡,連連として睥睨 侵す。

樓光 日を去ること遠く,峽影 江に入ること深し。

臘破れて 端綺を思い,春歸らんとするには 一金を待つ。

去年の梅柳の意,還た邊心を攪せんと欲す。

 

夔州東川卜居図詳細 002 

『白帝樓』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

白帝樓

漠漠虛無裡,連連睥睨侵。

樓光去日遠,峽影入江深。

臘破思端綺,春歸待一金。

去年梅柳意,還欲攪邊心。


(下し文)
(
白帝樓)

漠漠たる虛無の裡,連連として睥睨 侵す。

樓光 日を去ること遠く,峽影 江に入ること深し。

臘破れて 端綺を思い,春歸らんとするには 一金を待つ。

去年の梅柳の意,還た邊心を攪せんと欲す。

(現代語訳)
(白帝城の楼閣をのぞんで感じるところを述べる。)

漠々と広がった太虚の空に向って、あくまでも引き続いて城の牆が突っ込んでいる。

城楼の光は長江の水面に光る日の輝きからはよほどとおくたかいところにあるし、地形の裂けたような峡谷の影は、ずんと深く、江水の底へ差し込んでいる。

十二月もかれこれ終わろうとしているから、せめて、一旦の綵絹が欲しいが、春になれば、この三峡の峡谷を出て、故郷に帰りたいから一万銭ほど手に入らないかと待っているところである。

去年の春は、梅、柳を見ていてこの地を出そこなってしまったが、今度もまた、そうなりはしないかと、あの時の心持が、かき乱そうとする。


(訳注)

白帝樓

(白帝城の楼閣をのぞんで感じるところを述べる。)

○白帝城 夔州奉節県の東に在る、前漢の末、公孫述が築いたもの、或はいう、述が漢の士運を承けるものとして白帝と名づけたと。或は日う、殿前の井戸より白竃が出たので山を白帝山、城を白帝城というと。「刑国図経」にいう、白帝城は西、大江に臨み、東南高さ二百丈、西北高さ一千丈なりと。「水経注」にいう、白帝山城は周回二百八十歩、北は馬嶺に縁り、赤岬山に接す、其の問の平処、南北相い去ること八十五丈、東西七十丈、又東、譲渓に傍うて以て陸となす、西南、大江に臨む、之を轍すれば目を眩せしむ。唯だ馬嶺はすこしくやや透通たるも猶お山を斬りて路と為し、羊腸しばしば転じて然るのちのぼることを得、と。

 

漠漠虛無裡,連連睥睨侵。

漠々と広がった太虚の空に向って、あくまでも引き続いて城の牆が突っ込んでいる。

漠漠 広がっている状況をいう。

虛無裡 太虚の空に向うこと。

連連 つづくさまをいう。

睥睨侵 睥睨は城の牆をいい、それがそらに突っ込んでいるようであることをいう。

 

樓光去日遠,峽影入江深。

城楼の光は長江の水面に光る日の輝きからはよほどとおくたかいところにあるし、地形の裂けたような峡谷の影は、ずんと深く、江水の底へ差し込んでいる。

去日遠 長江の水面に光る日の輝きからはよほどとおくたかいところにあるということ。

峽影 地形の裂けたような峡谷の影。

 

臘破思端綺,春歸待一金。

十二月もかれこれ終わろうとしているから、せめて、一旦の綵絹が欲しいが、春になれば、この三峡の峡谷を出て、故郷に帰りたいから一万銭ほど手に入らないかと待っているところである。

臘破 十二月もかれこれ終わろうとしていることをいう。

思端綺 “《古詩十九首之第十八首》「客從遠方來,遺我一端綺。」(客遠方より乗り、我に一端の綺を遣る。)遠方から訪ねて来た客が、わたしに一反のあやぎぬを届けてくれた。” に基づいたもの。

春歸 故郷に帰りたいということ。

一金 一万銭を旅費に当てたいということ。援助を恃みたい時の当時の常套語。

 

 

去年梅柳意,還欲攪邊心。

去年の春は、梅、柳を見ていてこの地を出そこなってしまったが、今度もまた、そうなりはしないかと、あの時の心持が、かき乱そうとする。

梅柳意 去年の春は、梅、柳を見ていてこの地を出そこなってしまったことで、出なくてもよいという心持のこと。

攪邊心 そうなりはしないかと、あの時の心持が、かき乱そうとする心持をいう。

三峡 巫山十二峰001 

 

 

《2113白帝城樓》五言律詩

白帝城樓

江度寒山閣,城高絕塞樓。翠屏宜晚對,白谷會深遊。

急急能鳴雁,輕輕不下鷗。彝陵春色起,漸擬放扁舟。

(白帝城楼を臨んで詠んだ詩)

自分の寒山の閣の処を長江の流れが通る。絶塞の楼があって城は高い所にある。あの城楼のある翠屏の様な崖には晩方に対するのが一番いい時であり、この白谷は奥の方に入りこんで、遊ぶのが自分の考えである。みればよく鳴く雁は、せわしげに啼いているし、身軽げなカモメは、飛び立ちながらなかなか波面に降りようとしない。彝陵の方では、春景色が始まったであろう。自分もしだいに扁舟でもって出帆する準備をしようと思うのである。

(白帝城樓)

江度る 寒山の閣,城高くして 絕塞の樓。

翠屏 晚 對するに宜し,白谷 會らず 深遊すべし。

急急 能鳴の雁,輕輕 下らざる鷗。

彝陵 春色起り,漸やく 扁舟を放たんと擬す。

 

《1566白帝》七言律詩

白帝

白帝城中雲出門,白帝城下雨翻盆。

高江急峽雷霆鬥,翠木蒼藤日月昏。

戎馬不如歸馬逸,千家今有百家存。

哀哀寡婦誅求盡,慟哭秋原何處村。

(夔州の人人の困窮に同情して詠んだ詩)

白帝城の城門のなかから雲がわきだす、城の下では雨がたらいの水をぶちまけたように降る。

山間の高處から流れ来る長江、ここ急峻の三峡の水流は、雷霆が闘っているかのようであり、常緑木や蒼藤のしげみには日月もあたらず昏くなっている。

まだ、戎馬がさわいでいるが、それよりも歸耕している馬の方がのんきでよいのではないだろうか。しかし、この地は、以前、と千戸もあった家が、今は百戸だけになってしまったという。

気の毒なことは、後家や、寡婦がそれでも納税をし尽くしているということだし、それに、ここの秋の野原には、どこの村でも、砧の音ではなくて、慟哭しているこえがきこえてくるということである。

(白帝)

白帝城中雲門を出づ、白帝城下雨盆を詔へす。

高江 急峡 雷霆鬥ひ、翠木蒼藤日月昏し。

戎馬は如かず歸馬の逸するに、千家今百家の存する有り。

哀哀寡婦誅求され盡くす、慟哭す秋原何處の村に。

扁舟 00 

《1512白帝城最高樓》七言律詩

杜甫  白帝城最高樓  

城尖徑昃旌旆愁,獨立縹緲之飛樓。峽坼雲霾龍虎臥,江清日抱黿鼉遊。

扶桑西枝對斷石,弱水東影隨長流。杖藜歎世者誰子,泣血迸空迴白頭。
(白帝城のいちばん高い樓に登って感じるところを述べた詩)

城はするどく尖りそこへのぼる径はかたむいて傾斜し、ひるがえっている旌さえあまりけわしいので愁わしげに見える。かかる空中に縹緲としている楼のうえにただひとり立ってながめる。峽は坼けそこには雲が沙のようにこまかくふって、竜だの虎だの臥ているかのように見えるし、江の水はすんで黿鼉(げんだ)の遊んでいるところを日光がだきかかえている。断石に樹の枝がむきあっているが、その枝はさだめし扶桑の西向きの枝であろう。長江の流れとともに水流の影が見えるが、それは多分弱水の東影がそこにうかんでいるのだろう。ここに藜(あかざ)のつえをついて時世をなげいているおとこがいるがいったいそれはどこのものだ。そのおとこは白髪あたまをめぐらして虚空に向かって血の涙をほとばしらせておるのである。世のことについてよほどの慨嘆をしておるおとこなのである。

(白帝城最高樓)

城 尖【とが】り 径 昃【かたむ】いて旌旆【せいはい】愁う、独立す  縹緲【ひょうびょう】たる飛楼に。

峡 坼【さ】け 雲 霾【つちふ】りて龍虎臥し、江 清く 日 抱いて黿鼉【げんだ】遊ぶ。

扶桑の西枝  断石に対し、弱水の東影  長流に随う。

藜【あかざ】を杖【つえつ】いて 世を嘆ずる者は誰の子ぞ、泣血  空に迸【ほとば】しらせて白頭を回らす。

766年-95杜甫 《1512白帝城最高樓》七言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-95 <958> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6425

杜甫  白帝城最高樓  

城尖徑昃旌旆愁,獨立縹緲之飛樓。峽坼雲霾龍虎臥,江清日抱黿鼉遊。

扶桑西枝對斷石,弱水東影隨長流。杖藜歎世者誰子,泣血迸空迴白頭。
(白帝城のいちばん高い樓に登って感じるところを述べた詩)

城はするどく尖りそこへのぼる径はかたむいて傾斜し、ひるがえっている旌さえあまりけわしいので愁わしげに見える。かかる空中に縹緲としている楼のうえにただひとり立ってながめる。峽は坼けそこには雲が沙のようにこまかくふって、竜だの虎だの臥ているかのように見えるし、江の水はすんで黿鼉(げんだ)の遊んでいるところを日光がだきかかえている。断石に樹の枝がむきあっているが、その枝はさだめし扶桑の西向きの枝であろう。長江の流れとともに水流の影が見えるが、それは多分弱水の東影がそこにうかんでいるのだろう。ここに藜(あかざ)のつえをついて時世をなげいているおとこがいるがいったいそれはどこのものだ。そのおとこは白髪あたまをめぐらして虚空に向かって血の涙をほとばしらせておるのである。世のことについてよほどの慨嘆をしておるおとこなのである。

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年:

766年大暦元年55歲-95

卷別:    卷二二九              文體:    七言律詩

詩題:    白帝城最高樓

作地點:              目前尚無資料

及地點:              白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城      

 

 

白帝城最高樓

(白帝城のいちばん高い樓に登って感じるところを述べた詩)

城尖徑昃旌旆愁,獨立縹緲之飛樓。

城はするどく尖りそこへのぼる径はかたむいて傾斜し、ひるがえっている旌さえあまりけわしいので愁わしげに見える。かかる空中に縹緲としている楼のうえにただひとり立ってながめる。

峽坼雲霾龍虎臥,江清日抱黿鼉遊。

峽は坼けそこには雲が沙のようにこまかくふって、竜だの虎だの臥ているかのように見えるし、江の水はすんで黿鼉(げんだ)の遊んでいるところを日光がだきかかえている。

扶桑西枝對斷石,弱水東影隨長流。

断石に樹の枝がむきあっているが、その枝はさだめし扶桑の西向きの枝であろう。長江の流れとともに水流の影が見えるが、それは多分弱水の東影がそこにうかんでいるのだろう。

杖藜歎世者誰子,泣血迸空迴白頭。

ここに藜(あかざ)のつえをついて時世をなげいているおとこがいるがいったいそれはどこのものだ。そのおとこは白髪あたまをめぐらして虚空に向かって血の涙をほとばしらせておるのである。世のことについてよほどの慨嘆をしておるおとこなのである。

 

(白帝城最高樓)

城 尖【とが】り 径 昃【かたむ】いて旌旆【せいはい】愁う、独立す  縹緲【ひょうびょう】たる飛楼に。

峡 坼【さ】け 雲 霾【つちふ】りて龍虎臥し、江 清く 日 抱いて黿鼉【げんだ】遊ぶ。

扶桑の西枝  断石に対し、弱水の東影  長流に随う。

藜【あかざ】を杖【つえつ】いて 世を嘆ずる者は誰の子ぞ、泣血  空に迸【ほとば】しらせて白頭を回らす。

夔州東川卜居図詳細 002 

 

『白帝城最高樓』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

白帝城最高樓

城尖徑昃旌旆愁,獨立縹緲之飛樓。

峽坼雲霾龍虎臥,江清日抱黿鼉遊。

扶桑西枝對斷石,弱水東影隨長流。

杖藜歎世者誰子,泣血迸空迴白頭。

(下し文)
(白帝城最高樓)

城 尖【とが】り 径 昃【かたむ】いて旌旆【せいはい】愁う、独立す  縹緲【ひょうびょう】たる飛楼に。

峡 坼【さ】け 雲 霾【つちふ】りて龍虎臥し、江 清く 日 抱いて黿鼉【げんだ】遊ぶ。

扶桑の西枝  断石に対し、弱水の東影  長流に随う。

藜【あかざ】を杖【つえつ】いて 世を嘆ずる者は誰の子ぞ、泣血 空に迸【ほとば】しらせて白頭を回らす。

(現代語訳)
(白帝城のいちばん高い樓に登って感じるところを述べた詩)

城はするどく尖りそこへのぼる径はかたむいて傾斜し、ひるがえっている旌さえあまりけわしいので愁わしげに見える。かかる空中に縹緲としている楼のうえにただひとり立ってながめる。

峽は坼けそこには雲が沙のようにこまかくふって、竜だの虎だの臥ているかのように見えるし、江の水はすんで黿鼉(げんだ)の遊んでいるところを日光がだきかかえている。

断石に樹の枝がむきあっているが、その枝はさだめし扶桑の西向きの枝であろう。長江の流れとともに水流の影が見えるが、それは多分弱水の東影がそこにうかんでいるのだろう。

ここに藜(あかざ)のつえをついて時世をなげいているおとこがいるがいったいそれはどこのものだ。そのおとこは白髪あたまをめぐらして虚空に向かって血の涙をほとばしらせておるのである。世のことについてよほどの慨嘆をしておるおとこなのである。


(訳注)

白帝城最高樓

(白帝城のいちばん高い樓に登って感じるところを述べた詩)

○白帝城 夔州奉節県の東に在る、前漢の末、公孫述が築いたもの、或はいう、述が漢の士運を承けるものとして白帝と名づけたと。或は日う、殿前の井戸より白竃が出たので山を白帝山、城を白帝城というと。「刑国図経」にいう、白帝城は西、大江に臨み、東南高さ二百丈、西北高さ一千丈なりと。「水経注」にいう、白帝山城は周回二百八十歩、北は馬嶺に縁り、赤岬山に接す、其の問の平処、南北相い去ること八十五丈、東西七十丈、又東、譲渓に傍うて以て陸となす、西南、大江に臨む、之を轍すれば目を眩せしむ。唯だ馬嶺はすこしくやや透通たるも猶お山を斬りて路と為し、羊腸しばしば転じて然るのちのぼることを得、と。

この詩は、詩型が見事に整った秀作で6世紀南朝から宋の時代生まれた韻律を完成させた詩のひとつとされている。

 

城尖徑昃旌旆愁【城尖徑翼旌旆愁】,獨立縹緲之飛樓。

城はするどく尖りそこへのぼる径はかたむいて傾斜し、ひるがえっている旌さえあまりけわしいので愁わしげに見える。かかる空中に縹緲としている楼のうえにただひとり立ってながめる。

○旌旆 蛙は旗の先にふさふさとした羽をつけたもの、旅は旅、亀をかいた旗にさげた帛のびらをいう、要するに城上にたでたはたをいう。

○縹緲 気のたなびくさま。

○飛楼 飛とは楼の勢いをいう。楣簷が飛ぶ鳥のようであることからいう。《1514曉望白帝城鹽山》

曉望白帝城鹽山

(曉 に白帝城と塩山とを望む)

徐步移班杖,看山仰白頭。

翠深開斷壁,紅遠結飛樓。

日出清江望,暄和散旅愁。

春城見松雪,始擬進歸舟。

徐歩して斑杖を移し、看山白頭を仰がしむ。

翠深くして 断壁開け、紅 遠くして飛楼結ぶ。

日出でて 江望清し、喧和にして旅愁散や。

春城 松雪を見る、始めて歸舟に進まむと擬す。

とある。

 

峽坼雲霾龍虎臥【峽坼雲霾龍虎睡】,江清日抱黿鼉遊。

峽は坼けそこには雲が沙のようにこまかくふって、竜だの虎だの臥ているかのように見えるし、江の水はすんで黿鼉(げんだ)の遊んでいるところを日光がだきかかえている。

○峽坼 坼は地形の裂けたようなさまをいう。

○雲霾 霾は土ふること、ここは雲がこまかくふることをいう。

○龍虎臥 映雲の形容である。

〇日抱 日は日の光。

〇黿鼉遊 これは実物の魚鱉黿鼉。

 

扶桑西枝對斷石【扶桑西枝封斷石】,弱水東影隨長流。

断石に樹の枝がむきあっているが、その枝はさだめし扶桑の西向きの枝であろう。長江の流れとともに水流の影が見えるが、それは多分弱水の東影がそこにうかんでいるのだろう。

○扶桑・弱水二句 曹植の「遊化」詩にいう、「東觀扶桑曜。西臨弱水流。北極登玄渚。」東のかた観る扶桑の曜くを、西のかた臨む弱水の流れ、北極れるとこ 玄渚に登る。」と。詩句はこれに基づく、扶桑は東海の仙境、そこには両両たすけあった大桑があるとかんがえられた、西枝はその桑の西の方の枝をいう、断石は峡中の南の切断した石をいう。弱水は甘粛の西北の沙漠に在って中途で地下をもぐってきえてながれる水、東影はその弱水の東方のすがた、長流は長江の流れをいう。此の二句の作者の意は恍惚としてとりとめもないがごとくであるが暁の実景を仙境のものによって比較したまでである。解は「訳文」をみよ、ここには重複を避ける。

 

杖藜歎世者誰子,泣血迸空迴白頭。

ここに藜(あかざ)のつえをついて時世をなげいているおとこがいるがいったいそれはどこのものだ。そのおとこは白髪あたまをめぐらして虚空に向かって血の涙をほとばしらせておるのである。世のことについてよほどの慨嘆をしておるおとこなのである。

○誰子だれの子か、自己のことをかく客観的にいったのである。

○泣血 血の涙。

○迸空 そらへとほとばしらす。最高楼ゆえ涙も空に向かって飛ぶ。

瞿塘峡001 

大暦元年              766年    55歳 杜甫195

白帝城最高楼

城尖徑昃旌旆愁,獨立縹緲之飛樓。

峽坼雲霾龍虎臥,江清日抱黿鼉遊。

扶桑西枝對斷石,弱水東影隨長流。

杖藜歎世者誰子,泣血迸空回白頭。

 

 白帝城の最高楼 現代読み

城は険しく径は急で  旌旗は愁いに沈み

広々とかすむ高楼に  ひとりで立つ

山は裂け  雲は土煙のように垂れ下がって龍虎が臥し

流れは清く  陽は射して大亀や鰐が泳いでいる

断崖に向き合う枝は  扶桑の西枝であろうか

長江にながれる影は  弱水の東影であろうか

藜の杖をついて時世を嘆く者  それは誰か

血の涙を虚空に放ち  白髪頭を回らせている

 

 白帝城の最高楼 解説 白帝城は夔州の瀼西にあり、梅渓河を渡って小丘の急坂を登って行かなければなりません。杖をついて登ると、眼下に夔門の流れが渦巻き、正面には瞿塘峡の断崖が聳え立つ。首聯に「旌旆愁う」とあり、楼閣がひとつ山頂に建っているだけである。

 中四句は白帝城から見おろす瞿塘峡の景で、壮大かつ神秘的に詠われている。この幻想的な神秘的な詠い方は、やがて夔州期の杜詩の味わい深いものになっていく。尾聯では、杖をついて白帝城の最高楼まで登っていき、国家の現状を慨歎している。

 

読み下し文

城 尖【とが】り 径 仄【かたむ】いて旌旆【せいはい】愁う、独立す  縹緲【ひょうびょう】たる飛楼に。

峡 坼【さ】け 雲 霾【つちふ】りて龍虎臥し、江 清く 日 抱いて黿鼉【げんだ】遊ぶ。

扶桑の西枝  断石に対し、弱水の東影  長流に随う。

藜【あかざ】を杖【つえつ】いて 世を嘆ずる者は誰の子ぞ、泣血  空に迸【ほとば】しらせて白頭を回らす。

 

巫山十二峰003 

 

 

 

 

 

 

瀼西宅の場所については、南宋以来、近年の厳耕望氏や多くの杜甫伝までもふくめて、ほとんどが梅渓河(西瀼水)西岸にあったと考えている。しかし近年、簡錦松氏『杜甫夔州詩現地研究』(台湾学生書局、一九九九年)によって草堂河(東瀼水)西岸説が提出された。草堂河は白帝山の東北方面から流れてきて、瞿塘峡口と白帝山南端部で長江に流入する川である。これによって瀼西宅が白帝山の西側にあるのか、東側にあるのか、大きく異なることになった。

 

杜甫は詩の中でその「瀼」という言葉を何度も用いている。ただ「瀼西」というのがほとんどで、他は「瀼東」「瀼は滑らか」(その異文で「瀼は闊し」)「瀼の岸」「瀼の上」などである。

 ところで、瀼という字はあまり見慣れない。杜甫以前で、夔州の西または東の瀼に言及したものは、四庫全書(電子版)の範囲内では『水経注』が最初である。巻三三に「白帝山城は周迴二百八十歩、北は馬嶺に縁(よ)り、赤岬山に接し、其の間の平処は、南北相去ること八十五丈、東西七十丈。又東は東瀼渓に傍(そ)い、即ち以て隍と為す」とあり、この東瀼渓が今の梅渓河ではなく草堂河を指すことは、馬嶺、赤岬山、白帝城との位置関係から明らかである。その東瀼渓が白帝城の「隍」すなわち水の無い城濠の役割を果たすと言っているのは、冬場に水位が下がったときのことである。

 

瀼は杜甫の夔州詩を代表する一つの言葉だと言ってよい。

 草堂河(東瀼水)両岸の地区を杜甫は瀼東、瀼西という言い方をしている。夔州に着いてまもないころの詩《1527_夔州歌十絶句》其五で、

  瀼東瀼西一萬家、 瀼東と瀼西は 一万家

  江北江南春冬花。 江の北と江の南は 春も冬も花あり

と詠じ、草堂河の東岸、西岸に広がる民家が一万戸と述べている。『新唐書』巻四十、地理志によれば、夔州は奉節、雲安、巫山、大昌の四県全体で、戸数は一万五千六百二十、人口は七万五千(『通典』や『太平寰宇記』の記述も大同小異)である。これからすると草堂河両岸だけで民家一万戸というのは、多すぎるかもしれない。だが句作りの関係から誇張されている分を差し引いたとしても、この地区の人口が相当多かったことを、杜甫は驚きつつ詩の中で詠じているのである。

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杜甫  曉望白帝城鹽山  

徐步移班杖,看山仰白頭。翠深開斷壁,紅遠結飛樓。

日出清江望,暄和散旅愁。春城見松雪,始擬進歸舟。
(暁に江のほとりで白帝城ならびに白塩山を眺望した詩。)

斑竹の杖でもってそろそろとあるき移動して、白鹽山を仰ぎ見て山々を看る。すると断壁が開けたところでは、山々の翠の色が奥ふかく見え、鳥の飛ぶ様な簷をした城楼が横へられてあってその紅の色が遠くにみえる。太陽が出てくると、江邊の眺めは清らかですっきりとしたもので、それにあたたかさが柔和で旅の愁も散りうせるというものである。もう春けしになった白帝城に、白鹽山の崖が松に積もった雪をみるようなめでたいけしきであるので、やっと故郷に帰るためにその船の準備をしてから舟を進めて眺めてやろうかとおもうのである。

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年:766年大暦元年55歲-94

卷別:    卷二二九              文體:    五言律詩

詩題:    曉望白帝城鹽山

作地點:              目前尚無資料

及地點:              白鹽山 (山南東道 夔州 夔州) 別名:白帝城鹽山         

 

 

曉望白帝城鹽山

(暁に江のほとりで白帝城ならびに白塩山を眺望した詩。)

徐步移班杖,看山仰白頭。

斑竹の杖でもってそろそろとあるき移動して、白鹽山を仰ぎ見て山々を看る。

翠深開斷壁,紅遠結飛樓。

すると断壁が開けたところでは、山々の翠の色が奥ふかく見え、鳥の飛ぶ様な簷をした城楼が横へられてあってその紅の色が遠くにみえる。

日出清江望,暄和散旅愁。

太陽が出てくると、江邊の眺めは清らかですっきりとしたもので、それにあたたかさが柔和で旅の愁も散りうせるというものである。

春城見松雪,始擬進歸舟。

もう春けしになった白帝城に、白鹽山の崖が松に積もった雪をみるようなめでたいけしきであるので、やっと故郷に帰るためにその船の準備をしてから舟を進めて眺めてやろうかとおもうのである。

(曉 に白帝城と塩山とを望む)

徐歩して斑杖を移し、看山白頭を仰がしむ。

翠深くして 断壁開け、紅 遠くして飛楼結ぶ。

日出でて 江望清し、喧和にして旅愁散や。

春城 松雪を見る、始めて歸舟に進まむと擬す。

 

夔州東川卜居図詳細 002 

『曉望白帝城鹽山』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

曉望白帝城鹽山

徐步移班杖,看山仰白頭。

翠深開斷壁,紅遠結飛樓。

日出清江望,暄和散旅愁。

春城見松雪,始擬進歸舟。
(含異文)

徐步移班杖,看山仰白頭。

翠深開斷壁,紅遠結飛樓【江遠結飛樓】。

日出清江望【日出寒江望】,暄和散旅愁。

春城見松雪,始擬進歸舟。


(下し文)
(曉 に白帝城と塩山とを望む)

徐歩して斑杖を移し、看山白頭を仰がしむ。

翠深くして 断壁開け、紅 遠くして飛楼結ぶ。

日出でて 江望清し、喧和にして旅愁散や。

春城 松雪を見る、始めて歸舟に進まむと擬す。

(現代語訳)
(暁に江のほとりで白帝城ならびに白塩山を眺望した詩。)

斑竹の杖でもってそろそろとあるき移動して、白鹽山を仰ぎ見て山々を看る。

すると断壁が開けたところでは、山々の翠の色が奥ふかく見え、鳥の飛ぶ様な簷をした城楼が横へられてあってその紅の色が遠くにみえる。

太陽が出てくると、江邊の眺めは清らかですっきりとしたもので、それにあたたかさが柔和で旅の愁も散りうせるというものである。

もう春けしになった白帝城に、白鹽山の崖が松に積もった雪をみるようなめでたいけしきであるので、やっと故郷に帰るためにその船の準備をしてから舟を進めて眺めてやろうかとおもうのである。

瞿塘峡001
(訳注)

曉望白帝城鹽山

(暁に江のほとりで白帝城ならびに白塩山を眺望した詩。)

大暦元年の作。

○白帝城 夔州奉節県の東に在る、前漢の末、公孫述が築いたもの、或はいう、述が漢の士運を承けるものとして白帝と名づけたと。或は日う、殿前の井戸より白竃が出たので山を白帝山、城を白帝城というと。「刑国図経」にいう、白帝城は西、大江に臨み、東南高さ二百丈、西北高さ一千丈なりと。「水経注」にいう、白帝山城は周回二百八十歩、北は馬嶺に縁り、赤岬山に接す、其の問の平処、南北相い去ること八十五丈、東西七十丈、又東、譲渓に傍うて以て陸となす、西南、大江に臨む、之を轍すれば目を眩せしむ。唯だ馬嶺はすこしくやや透通たるも猶お山を斬りて路と為し、羊腸しばしば転じて然るのちのぼることを得、と。

○鹽山 白鹽山 (山南東道 夔州 夔州) 別名:白帝城鹽山。

 

徐步移班杖,看山仰白頭。

斑竹の杖でもってそろそろとあるき移動して、白鹽山を仰ぎ見て山々を看る。

○班杖 斑竹の杖。763年梓州の長官の章彝にもらった杖。《1283桃竹杖引,贈章留後》(章彝と留後、しゅろ竹の杖二本をもらったので章に贈った詩。)〔竹でたかむしろを作ることが出来、桃笙と名と為す。〕

 

翠深開斷壁,紅遠結飛樓。

すると断壁が開けたところでは、山々の翠の色が奥ふかく見え、鳥の飛ぶ様な簷をした城楼が横へられてあってその紅の色が遠くにみえる。

○翠深 三峡の山々の緑が奥深いという。その中の絶壁との対比を強調する。

○斷壁 断崖絶壁。瞿塘峡の両岸は断崖が狭まっている。

○紅遠 紅は楼の色で、はるかなところにある。

○結 水の流れ、山々の緑、白い絶壁との結び付けるように紅の楼閣の簷。

○飛樓 楼閣全体の形が、簷勢鳥が崖の上で飛び立つ様である。

 

日出清江望,暄和散旅愁。

太陽が出てくると、江邊の眺めは清らかですっきりとしたもので、それにあたたかさが柔和で旅の愁も散りうせるというものである。

○江望 江上のながめ、杜甫の見る位置から城と山とを望む。

○暄和 日光のあたたかさが柔和である

 

春城見松雪,始擬進歸舟。

もう春けしになった白帝城に、白鹽山の崖が松に積もった雪をみるようなめでたいけしきであるので、やっと故郷に帰るためにその船の準備をしてから舟を進めて眺めてやろうかとおもうのである。

○春城 この城は夔州城は低い位置にあったようであるから、題中の白帝城である。

○見松雪 白鹽山の白色が松に雪が積もったように見える。

○進 帰る気持ちを進めようとする。

○歸舟 故郷に帰るためにその船の準備をする。

 

 

 

(曉 に白帝城と塩山とを望む)

徐歩して斑杖を移し、看山白頭を仰がしむ。

翠深くして 断壁開け、紅 遠くして飛楼結ぶ。

日出でて 江望清し、喧和にして旅愁散や。

春城 松雪を見る、始めて歸舟に進まむと擬す。

 

【杖】の代表作(杖を題材にした詩は77首ある。)

桃竹杖引,贈章留後〔竹兼可為簟,名桃笙〕

江心蟠石生桃竹,蒼波噴浸尺度足。

斬根削皮如紫玉,江妃水仙惜不得。

梓潼使君開一束,滿堂賓客皆歎息。』

 

憐我老病贈兩莖,出入爪甲鏗有聲。

老夫複欲東南征,乘濤鼓枻白帝城。

路幽必為鬼神奪,拔劍或與蛟龍爭。』

 

重為告曰:杖兮杖兮,爾之生也甚正直,慎勿見水踴躍學變化為龍、使我不得爾之扶持,滅跡於君山湖上之青峰。

噫,風塵澒洞兮豺虎咬人,忽失雙杖兮吾將曷從。

 

(桃竹杖の引、章留後に贈る)

〔竹 兼ねて簟,桃笙を名すを為す可し〕

江心の蟠石 桃竹を生ず、蒼波 噴浸 尺度足る。

根を斬り皮を削れば紫玉の如し、江妃 水仙 惜しみ得ず。

梓潼の便君開くこと一束、満堂の賓客皆嘆息す。』

#2

我が老病なるを憐れみて両茎を贈る、出入するに爪甲 鏗として声有り。

老夫復た東南に征かんと欲す、濤に乗じ 枻を鼓す白帝城。

路幽にして必ず鬼神に奪わるるをなさん、剣を抜きて或は蚊竜と争わん。』

#3

重ねて為に告げて日く、「杖や杖や、爾の生や甚だ正直なり。

慎みて水を見て踴躍して変化して竜となるを学び、我をして爾の扶持を得ず。

跡を君山湖上の青峰に滅せしむること勿れ、

噫ああ、風塵 澒洞 豺虎 人を咬む、忽ち双杖を失わば吾将に曷にか従わんとする。』

(章彝と留後、しゅろ竹の杖二本をもらったので章に贈った詩。)

〔竹でたかむしろを作ることが出来、桃笙と名と為す。〕

涪江の中心に堵屈していた石に桃竹がはえた。この広い河の波がふきつけ浸していたのだが長さは十分にある。

杖にするのにはいいのだが、人がその根を斬り皮をむくと紫玉のようなはだがあらわれる。江の妃姫や水に仙人が斬られては惜しいとおもってもだめなのである。

梓州の長官章君がこの杖一束をもちだしたところが満堂の賓客はあっとおどろいた。』

章君はわたしが老人で病気なのを気の毒におもってくれて二本も贈ってくれたが、これをつかって出入りすると、爪甲が当たると「かちん」と音がする。

じぶんはこれからまた東南の地方へでかけたいとおもっている、舟楫をうごかし涛にのっていけば、あの劉備の最期をみとった白帝城をとおるだろう。

途中には静かでひっそりした路を経るときは鬼神にこの杖を奪われようとするかも知れない。或は、また剣をぬいて蛟竜と争うかも知れないというものだ。』

そこでかさねてこの杖にむかっていいきかせる。「杖よ、杖よ、」

「おまえの生まれいでたるや、いと正直にでてきたものだ。慎んで水を見てもおどりだして変化して竜となるようなまねをしている。」

「おまえの生まれいでたるや、いと正直にでてきたものだ。慎んで水を見ても壷公の故事のように、踊りだして変化して竜となるようなまねをしている。」

わたしをして、おまえのたすけをまったく得られず、洞庭湖のなかにある青峰君山のあたりでゆくえ不明にならせるようなことをしてほしくはないのだ。

「ああ、それなのにいまは兵乱の塵がもやくやと湧き立ち、各地で財虎のごときものが人をかむ時節なのだ。」

「こんなとき、突然に、この二本の杖をなくしたら、自分はどこにいったらよいやらわからないことになるというものだ。』

 

 

倚杖〔原注 鹽亭縣作〕

看花雖郭內,倚杖即溪邊。 

山縣早休市,江橋春聚船。 

狎鷗輕白浪,歸雁喜青天。 

物色兼生意,淒涼憶去年。 

(杖に倚る)〔原注 鹽亭縣作〕

花を看るは郭内なりと雖も、杖に侍るは即ち渓辺なり。

山県 早く市を休み、江橋 春船を聚む。

狎鷗 白浪を軽んじ、帰雁 青天を喜ぶ。

物色と生意と、淒涼去年を憶う

(鹽亭縣の景色を詠う。)〔原注 劍南道北部 / 梓州 / 鹽亭縣での作〕

城郭の内で花を看てあるいてから、暫く行くとすぐに渓流のほとりにきて杖によりかかってながめる。

ここでみていると、塩亭県の山より街だけに早く市場を閉めてしまっている、江の橋のところには春ということで、貨物を載せた船があっまっている。

景色になれたかもめは気軽で何の興味も示さないで白浪のあるところにうかんでる、北へかえる雁は晴れた青空を喜んで飛んでゆく。

の春の万物がのどかな景色に倍してその生きざまとおもいをするのである。それにつけても、去年は、ものがなしくさびしいものでしかなかったことをおもいだすのである。

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白帝城樓

江度寒山閣,城高絕塞樓。翠屏宜晚對,白谷會深遊。

急急能鳴雁,輕輕不下鷗。彝陵春色起,漸擬放扁舟。

(白帝城楼を臨んで詠んだ詩)

自分の寒山の閣の処を長江の流れが通る。絶塞の楼があって城は高い所にある。あの城楼のある翠屏の様な崖には晩方に対するのが一番いい時であり、この白谷は奥の方に入りこんで、遊ぶのが自分の考えである。みればよく鳴く雁は、せわしげに啼いているし、身軽げなカモメは、飛び立ちながらなかなか波面に降りようとしない。彝陵の方では、春景色が始まったであろう。自分もしだいに扁舟でもって出帆する準備をしようと思うのである。

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年:766年大暦元年55歲-93

卷別:    卷二二九              文體:    五言律詩

詩題:    白帝城樓

作地點:              目前尚無資料

及地點:              白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城      

夷陵 (山南東道 峽州 夷陵) 別名:東郡、彝陵            

 

 

白帝城樓

(白帝城楼を臨んで詠んだ詩)

江度寒山閣,城高絕塞樓。

自分の寒山の閣の処を長江の流れが通る。絶塞の楼があって城は高い所にある。

翠屏宜晚對,白谷會深遊。

あの城楼のある翠屏の様な崖には晩方に対するのが一番いい時であり、この白谷は奥の方に入りこんで、遊ぶのが自分の考えである。

急急能鳴雁,輕輕不下鷗。

みればよく鳴く雁は、せわしげに啼いているし、身軽げなカモメは、飛び立ちながらなかなか波面に降りようとしない。

彝陵春色起,漸擬放扁舟。

彝陵の方では、春景色が始まったであろう。自分もしだいに扁舟でもって出帆する準備をしようと思うのである。

 

(白帝城樓)

江度る 寒山の閣,城高くして 絕塞の樓。

翠屏 晚 對するに宜し,白谷 會らず 深遊すべし。

急急 能鳴の雁,輕輕 下らざる鷗。

彝陵 春色起り,漸やく 扁舟を放たんと擬す。

夔州東川卜居図詳細 002 

 

『白帝城樓』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

白帝城樓

江度寒山閣,城高絕塞樓。

翠屏宜晚對,白谷會深遊。

急急能鳴雁,輕輕不下鷗。

彝陵春色起,漸擬放扁舟。

(下し文)
(
白帝城樓)

江度る 寒山の閣,城高くして 絕塞の樓。

翠屏 晚 對するに宜し,白谷 會らず 深遊すべし。

急急 能鳴の雁,輕輕 下らざる鷗。

彝陵 春色起り,漸やく 扁舟を放たんと擬す。

(現代語訳)
(白帝城楼を臨んで詠んだ詩)

自分の寒山の閣の処を長江の流れが通る。絶塞の楼があって城は高い所にある。

あの城楼のある翠屏の様な崖には晩方に対するのが一番いい時であり、この白谷は奥の方に入りこんで、遊ぶのが自分の考えである。

みればよく鳴く雁は、せわしげに啼いているし、身軽げなカモメは、飛び立ちながらなかなか波面に降りようとしない。

彝陵の方では、春景色が始まったであろう。自分もしだいに扁舟でもって出帆する準備をしようと思うのである。

三峡 巫山十二峰001
(訳注)

白帝城樓

(白帝城楼を臨んで詠んだ詩)

1569謁先主廟

1568白鹽山【案:白鹽崖高千餘丈,在州城東十七里。】

1515灩澦堆

1566白帝

等と同時期に白帝城楼を臨んで詠んだ。

草堂河は、白帝山の東側を半周するとほぼ真っ直ぐな水路となり、左手に子陽山(唐代の赤甲山)、右手に今の赤甲山(唐代の白塩山)に挟まれた一段が続く(唐代の赤甲山、白塩山についても簡氏の詳しい考証がある'⑻')。この部分の左岸が瀼西区で右岸が瀼東区である。その一段を過ぎると草堂河は「>」の字型に流れを転じて上流へ向かうが、そのカーブする箇所の左岸下部に杜甫の瀼西宅はあったとされる。そこは赤甲山の東側の山裾でもあり、その南面である。従って瀼西宅を陸路で出発し、その赤甲山の東麓を真北に越えて行けば、方向を転じてきた草堂河に再び出会うことになる。ちょうどそのあたりで、草堂河は石馬河と合流する。その合流地点はあたかもYの字型で、その合流点の北岸に杜甫の東屯の住まいがあった。東屯は瀼西宅からすると、北の方角にある。

「白帝山城は周迴二百八十歩、北は馬嶺に縁(よ)り、赤岬山に接し、其の間の平処は、南北相去ること八十五丈、東西七十丈。又東は東瀼渓に傍(そ)い、即ち以て隍と為す」とあり、この東瀼渓が今の梅渓河ではなく草堂河を指すことは、馬嶺、赤岬山、白帝城との位置関係から明らかである。その東瀼渓が白帝城の「隍」すなわち水の無い城濠の役割を果たすと言っているのは、冬場に水位が下がったときのことである。

江度寒山閣,城高絕塞樓。

自分の寒山の閣の処を長江の流れが通る。絶塞の楼があって城は高い所にある。

江度 長江の流れが通る。河の流れが閣の辺りでまがっていくため渉るように見える。

《1568白鹽山》

白鹽山【白鹽崖高千餘丈,在州城東十七里。】

卓立群峰外,蟠根積水邊。他皆任厚地,爾獨近高天。

白榜千家邑,清秋萬估船。詞人取佳句,刻畫竟誰傳。

寒山閣 冬寒の山のにある白帝城のようすをいう。

 

翠屏宜晚對,白谷會深遊。

あの城楼のある翠屏の様な崖には晩方に対するのが一番いい時であり、この白谷は奥の方に入りこんで、遊ぶのが自分の考えである。

翠屏宜晚對 白鹽山の白の崖に対し、緑色の屏風の崖が夕日が当たって趣きがあるということ。

白谷 白帝城のある谷間をいう。

會深遊 奥の方に入りこんで、遊ぶ。自分が住まいとするところの夔州のおくふかいところをいう。

 

急急能鳴雁,輕輕不下鷗。

みればよく鳴く雁は、せわしげに啼いているし、身軽げなカモメは、飛び立ちながらなかなか波面に降りようとしない。

 

彝陵春色起,漸擬放扁舟。

彝陵の方では、春景色が始まったであろう。自分もしだいに扁舟でもって出帆する準備をしようと思うのである。

彝陵 宜昌(宜都)のことで、三峡を下って出たところにある。

春色起 さきがけて春景色が始まる。

放扁舟 扁舟でもって出帆すること。扁舟:小さな舟。小舟。

 

18巻一古風五十九首其十八「何如鴟夷子。 散發棹扁舟。 」(何ぞ如かんや 鴟夷子が、發を散じて 扁舟に棹させるに。)

18-#4 《古風五十九首之十八》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳582古風,五十九首之十八天津三月時, <18-#4> Ⅰ李白詩1171 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4403

588巻十七26宣州謝(朓)樓餞別校書叔云「人生在世不稱意,明朝散發弄扁舟。」(人生、世に在って意に稱わざれば, 明朝、散發、扁舟を弄せむ。)
扁舟 00 

766年-92杜甫 《1566白帝》七言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-92 <955> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6410

杜甫  白帝  

白帝城中雲出門,白帝城下雨翻盆。高江急峽雷霆鬥,翠木蒼藤日月昏。

戎馬不如歸馬逸,千家今有百家存。哀哀寡婦誅求盡,慟哭秋原何處村。

(夔州の人人の困窮に同情して詠んだ詩)

白帝城の城門のなかから雲がわきだす、城の下では雨がたらいの水をぶちまけたように降る。山間の高處から流れ来る長江、ここ急峻の三峡の水流は、雷霆が闘っているかのようであり、常緑木や蒼藤のしげみには日月もあたらず昏くなっている。まだ、戎馬がさわいでいるが、それよりも歸耕している馬の方がのんきでよいのではないだろうか。しかし、この地は、以前、と千戸もあった家が、今は百戸だけになってしまったという。気の毒なことは、後家や、寡婦がそれでも納税をし尽くしているということだし、それに、ここの秋の野原には、どこの村でも、砧の音ではなくて、慟哭しているこえがきこえてくるということである。

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:766年大暦元年55歲-92

卷別:    卷二二九              文體:    七言律詩

詩題:    白帝

作地點:              目前尚無資料

及地點:白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城      

 

 

白帝

白帝城中雲出門,白帝城下雨翻盆。

高江急峽雷霆鬥,翠木蒼藤日月昏。

戎馬不如歸馬逸,千家今有百家存。

哀哀寡婦誅求盡,慟哭秋原何處村。

(夔州の人人の困窮に同情して詠んだ詩)

白帝城の城門のなかから雲がわきだす、城の下では雨がたらいの水をぶちまけたように降る。

山間の高處から流れ来る長江、ここ急峻の三峡の水流は、雷霆が闘っているかのようであり、常緑木や蒼藤のしげみには日月もあたらず昏くなっている。

まだ、戎馬がさわいでいるが、それよりも歸耕している馬の方がのんきでよいのではないだろうか。しかし、この地は、以前、と千戸もあった家が、今は百戸だけになってしまったという。

気の毒なことは、後家や、寡婦がそれでも納税をし尽くしているということだし、それに、ここの秋の野原には、どこの村でも、砧の音ではなくて、慟哭しているこえがきこえてくるということである。

(白帝)

白帝城中雲門を出づ、白帝城下雨盆を詔へす。

高江 急峡 雷霆鬥ひ、翠木蒼藤日月昏し。

戎馬は如かず歸馬の逸するに、千家今百家の存する有り。

哀哀寡婦誅求され盡くす、慟哭す秋原何處の村に。

 

夔州東川卜居図詳細 002 

『白帝』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

白帝

白帝城中雲出門,白帝城下雨翻盆。

高江急峽雷霆鬥,翠木蒼藤日月昏。

戎馬不如歸馬逸,千家今有百家存。

哀哀寡婦誅求盡,慟哭秋原何處村。
(含異文)

白帝城中雲出門【白帝城中雲若屯】【白帝城頭雲出門】【白帝城頭雲若屯】,白帝城下雨翻盆。

高江急峽雷霆鬥,翠木蒼藤日月昏【翠木長藤日月昏】【古木蒼藤日月昏】【古木長藤日月昏】。

戎馬不如歸馬逸【去馬不如歸馬逸】馬不如歸馬逸,千家今有百家存【千家今有十家存】。

哀哀寡婦誅求盡,慟哭秋原何處村。


(下し文)
(白帝)

白帝 城中 雲門を出づ、白帝 城下 雨盆を詔へす。

高江 急峡 雷霆鬥ひ、翠木 蒼藤 日月昏し。

戎馬は如かず 歸馬の逸するに、千家 今 百家の存する有り。

哀哀 寡婦 誅求され盡くす、慟哭す 秋原 何處の村に。

(現代語訳)
(夔州の人人の困窮に同情して詠んだ詩)

白帝城の城門のなかから雲がわきだす、城の下では雨がたらいの水をぶちまけたように降る。

山間の高處から流れ来る長江、ここ急峻の三峡の水流は、雷霆が闘っているかのようであり、常緑木や蒼藤のしげみには日月もあたらず昏くなっている。

まだ、戎馬がさわいでいるが、それよりも歸耕している馬の方がのんきでよいのではないだろうか。しかし、この地は、以前、と千戸もあった家が、今は百戸だけになってしまったという。

気の毒なことは、後家や、寡婦がそれでも納税をし尽くしているということだし、それに、ここの秋の野原には、どこの村でも、砧の音ではなくて、慟哭しているこえがきこえてくるということである。


唐時代 地図山南 東・西道50
(訳注)

白帝

(夔州の人人の困窮に同情して詠んだ詩)

○白帝 白帝山、白帝城の周辺をいうが、詩句の初め二字を持って題とする。夔州奉節県の東に在る、前漢の末、公孫述が築いたもの、或はいう、述が漢の士運を承けるものとして白帝と名づけたと。或は日う、殿前の井戸より白竃が出たので山を白帝山、城を白帝城というと。「刑国図経」にいう、白帝城は西、大江に臨み、東南高さ二百丈、西北高さ一千丈なりと。「水経注」にいう、白帝山城は周回二百八十歩、北は馬嶺に縁り、赤岬山に接す、其の問の平処、南北相い去ること八十五丈、東西七十丈、又東、譲渓に傍うて以て陸となす、西南、大江に臨む、之を轍すれば目を眩せしむ。唯だ馬嶺はすこしくやや透通たるも猶お山を斬りて路と為し、羊腸しばしば転じて然るのちのぼることを得、と。

 

白帝城中雲出門,白帝城下雨翻盆。

白帝城の城門のなかから雲がわきだす、城の下では雨がたらいの水をぶちまけたように降る。

雨翻盆 雨がたらいの水をぶちまけたように降る。

 

高江急峽雷霆鬥,翠木蒼藤日月昏。

山間の高處から流れ来る長江、ここ急峻の三峡の水流は、雷霆が闘っているかのようであり、常緑木や蒼藤のしげみには日月もあたらず昏くなっている。

高江急峽 瞿塘峡の流れが急峻である。流入してくる支流も九峻で音を立てて流れ込む。

雷霆鬥 流れ込む音、本流の瞿塘峡の水聲が山々にこだまし、戦闘時のようだということ。

 

戎馬不如歸馬逸,千家今有百家存。

まだ、戎馬がさわいでいるが、それよりも歸耕している馬の方がのんきでよいのではないだろうか。しかし、この地は、以前、と千戸もあった家が、今は百戸だけになってしまったという。

歸馬 戦時には、馬を供出されたが、その馬が帰って来て、農耕に使用されることで、おんきでいいのではないかという。・歸馬逸:放牛歸馬のこと。逸は気楽でよいということ。戦争が終わって平和になるたとえ。また、再び戦争をしないたとえ。戦争で使った馬や牛を野に帰し放つ意から。《書経‧武成》: “乃偃武修文, 歸馬於 華山 之陽, 放牛於 桃林 之野, 示天下弗服”。 後以“放牛歸馬”比喻不再用兵。

百家 国境であり、逃村したもの、戦死したものが多く、この地の世帯数が激減したことをいう。

 

哀哀寡婦誅求盡,慟哭秋原何處村。

気の毒なことは、後家や、寡婦がそれでも納税をし尽くしているということだし、それに、ここの秋の野原には、どこの村でも、砧の音ではなくて、慟哭しているこえがきこえてくるということである。

誅求盡 納税をし尽くしているということ。貧乏な生活をしていることをいう。

慟哭 砧の音ではなくて、慟哭しているこえがきこえてくる。夫を失った寡婦が慟哭することをいう。

何處村 どこかの村という意味ではなく、何処の村でもという意味。

766年-91杜甫 《1515灩澦堆》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-91 <954> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6405 

杜甫  灩澦堆  

巨積水中央,江寒出水長。

沈牛答雲雨,如馬戒舟航。

天意存傾覆,神功接混茫。

干戈連解纜,行止憶垂堂。
灩澦堆の石のことをよんだ詩。

長江の流れの中に巨きな石が水の中央にあって、長江のまだ寒さ厳しいおりに高く水からあらわれている。この石のところでは雨乞いにしるしがあれば牛を沈めて御恩報謝をするし、この石が馬のように小さくなればそれはそのころは舟航をしてはあぶないという戒めなのである。天の御意は舟が傾覆するから気をつけよとのおなさけに在るのであるし、自在に雨をふらしてくださる神のお手柄は、宇宙元気の大にちかくつぐものである。自分は兵乱の際にやたらに纜を解いて舟旅をするものであるが、こんな場所をとおるにあたっては行くにつけ、止どまるにつけむかしの 「千金の子は堂に垂せず」との戒めをおもって用心するのである。

766年-91杜甫 《1515灩澦堆》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-91 <954> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6405 

 

 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
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 孟郊張籍     
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年-91杜甫 《1515灩澦堆》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-91 <954> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6405  
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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杜甫詩1500-954-1452/2500

年:766年大暦元年55歲-91

卷別:    卷二二九              文體:    五言律詩

詩題:    灩澦堆

作地點:              目前尚無資料

及地點:              灩澦堆 (山南東道 夔州 夔州)

 

 

灩澦堆

巨積水中央,江寒出水長。

沈牛答雲雨,如馬戒舟航。

天意存傾覆,神功接混茫。

干戈連解纜,行止憶垂堂。

灩澦堆の石のことをよんだ詩。

長江の流れの中に巨きな石が水の中央にあって、長江のまだ寒さ厳しいおりに高く水からあらわれている。

この石のところでは雨乞いにしるしがあれば牛を沈めて御恩報謝をするし、この石が馬のように小さくなればそれはそのころは舟航をしてはあぶないという戒めなのである。

天の御意は舟が傾覆するから気をつけよとのおなさけに在るのであるし、自在に雨をふらしてくださる神のお手柄は、宇宙元気の大にちかくつぐものである。

自分は兵乱の際にやたらに纜を解いて舟旅をするものであるが、こんな場所をとおるにあたっては行くにつけ、止どまるにつけむかしの 「千金の子は堂に垂せず」との戒めをおもって用心するのである。

 

(灩澦堆)

巨石 水の中央、江寒くして水を出づること長し。

沈牛雲雨に答え、如馬 舟航を戒む。

天意 傾覆に存し、神功混茫に接す。

干戈 連りに 纜を解き、行止 垂堂を憶う。

夔州東川卜居図詳細 002 

 

『灩澦堆』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

灩澦堆

巨積水中央,江寒出水長。

沈牛答雲雨,如馬戒舟航。

天意存傾覆,神功接混茫。

干戈連解纜,行止憶垂堂。

(下し文)
(灩澦堆)

巨石 水の中央、江寒くして水を出づること長し。

沈牛雲雨に答え、如馬 舟航を戒む。

天意 傾覆に存し、神功混茫に接す。

干戈 連りに 纜を解き、行止 垂堂を憶う。

(現代語訳)
灩澦堆の石のことをよんだ詩。

長江の流れの中に巨きな石が水の中央にあって、長江のまだ寒さ厳しいおりに高く水からあらわれている。

この石のところでは雨乞いにしるしがあれば牛を沈めて御恩報謝をするし、この石が馬のように小さくなればそれはそのころは舟航をしてはあぶないという戒めなのである。

天の御意は舟が傾覆するから気をつけよとのおなさけに在るのであるし、自在に雨をふらしてくださる神のお手柄は、宇宙元気の大にちかくつぐものである。

自分は兵乱の際にやたらに纜を解いて舟旅をするものであるが、こんな場所をとおるにあたっては行くにつけ、止どまるにつけむかしの 「千金の子は堂に垂せず」との戒めをおもって用心するのである。


(訳注)

灩澦堆

灩澦堆の石のことをよんだ詩。大暦元年の作。

○灩澦堆 江中の石の名、奉節県の西南、瞿塘峡に差し掛かる前にある。瞿塘は峡の名、四川省夔州府にある。その峡口に灩預石がある、唯は石のこと、その石が水量を示す標準となる、「灩預堆が馬ぐらいに見えるのであれば、瞿塘峡を下ってはいけないし、灩預堆が象の大きさに見えるのであれば瞿塘峡を昇ることはできない」の語がある。古楽府の歌に「淫予(灔澦)大なること馬の如くなれば、瞿塘下るべからず」という。○瞿塘灩預堆 

長江瞿塘峽口的險灘。 在四川省奉節縣東。 唐李白《長干行》之一: “十六君遠行, 瞿塘灩澦堆。” 王琦注引《太平寰宇記》: “ 灩澦堆, 周回二十丈, 在夔州西南二百步蜀江中心瞿塘峽口。

・所思(卷一○33)「苦憶荊州醉司馬,謫官樽酒定常開。九江日落醒何處,一柱觀頭眠幾回?可憐懷抱向人盡,欲問平安無使來。故憑錦水將霜淚,好過瞿唐灩澦堆。」

所思 七言律詩  成都5-(32) 杜甫 <480>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2370 杜甫詩1000-480-668/1500

・長江二首其二(卷一四66)「浩浩終不息,乃知東極臨。眾流歸海意,萬國奉春心。色借瀟湘闊,    聲驅灩澦沉。未辭添霧雨,接上過衣襟。」

765年永泰元年54歲-48 《長江,二首之二》 杜甫index-15 杜甫<848> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4975 杜甫詩1500-848-1166/2500

・灩澦堆(卷一五15○)「巨石(一作積)水中央,江寒出水長。沉牛答雲雨,如馬戒舟航。天意存傾覆,    神功接混茫。干戈連解纜,行止憶垂堂。」

・夔府書懷四十韻(卷一六14)「昔罷河西尉,初興薊北師。不才名位晚,敢恨省郎遲?扈聖崆峒日,端居灩澦時。萍流仍汲引,樗散尚恩慈。遂阻雲(一作靈)臺宿(一作仗),常懷〈湛露〉    詩。翠華森遠矣,白首颯淒其。拙被林泉滯,生逢〈酒賦〉欺。文園終寂寞,漢    閣自磷緇。病隔君臣議(一作識),慚紆德澤私。揚鑣驚主辱,拔劍撥年衰。」

 

・灩澦(卷一九12)「灩澦既沒孤根深,西來水多愁太陰。江天漠漠鳥雙去,風雨時時龍一吟。舟人漁    子歌回首,估客胡商淚滿襟。寄語舟航惡年少,休翻鹽井擲(一作橫,一作摸)」

・雨四首其二(卷二○86)「江雨舊無時,天晴忽散絲。暮秋霑物冷,今日過雲遲。上馬回休出,看鷗(《杜    臆》作鴉)坐不移(一作辭)。高(一作層)軒當灩澦,潤色靜書帷。」

・大曆三年春白帝城放船出瞿唐峽久居夔府將適江陵漂泊有詩凡四十韻(卷二一42「聖代,誰分哭窮途。臥疾淹為客,蒙恩早廁儒。廷爭酬造化,樸直乞江湖。灩澦    險相迫,滄浪深可逾。浮名尋已已,懶計卻區區。喜近天皇寺,先披古畫圖。)」

 

巨積水中央,江寒出水長。【巨石水中央】

長江の流れの中に巨きな石が水の中央にあって、長江のまだ寒さ厳しいおりに高く水からあらわれている。

 

沈牛答雲雨,如馬戒舟航。

この石のところでは雨乞いにしるしがあれば牛を沈めて御恩報謝をするし、この石が馬のように小さくなればそれはそのころは舟航をしてはあぶないという戒めなのである。

○沈牛 牛を水中にしずめて水神に感謝するのである。

○答雲雨 答とは報謝することをいう、雲雨とは雲雨を与えてくれたことをいう、思うに土俗に水神に雨を祈ることがあるのであろう。三峡には、いろんな雨乞いがある。雨の少ない時、多い時に舟を就航させないということ。

 

天意存傾覆,神功接混茫。

天の御意は舟が傾覆するから気をつけよとのおなさけに在るのであるし、自在に雨をふらしてくださる神のお手柄は、宇宙元気の大にちかくつぐものである。

○如馬 先の古楽府のうたをさす。

○存傾覆 傾覆を戒めることに存することをいう。

○神功 水神の功、雨乞いのとき雨をふらすこと。

○接混茫 混茫は水のさまであるが、ここでは元気の至大なさまに比したものであろう、接とは近いことをいう。

 

干戈連解纜,行止憶垂堂。

自分は兵乱の際にやたらに纜を解いて舟旅をするものであるが、こんな場所をとおるにあたっては行くにつけ、止どまるにつけむかしの 「千金の子は堂に垂せず」との戒めをおもって用心するのである。

○千曳 兵乱の際をいう。

○連解携 作者は成都より雲安、雲安より垂州にくだった。そ軒ゆえに「連り」という。○行止 ゆくにも止どまるにも。

○垂堂 危いことには近寄らぬとの戒めをいう、「漢書」(袁盎伝)に、「千金の子は、坐するに堂に垂せず」とある、垂とは堂のはしによることをいう、堂のはしによれば堂より墜落する恐れがあるゆえ、金持ちの子はえんがわのはしなどにはすわらないということ。

 

(灩澦堆)

巨石 水の中央、江寒くして水を出づること長し。

沈牛雲雨に答え、如馬 舟航を戒む。

天意 傾覆に存し、神功混茫に接す。

干戈 連りに 纜を解き、行止 垂堂を憶う。

766年-90杜甫 《1568白鹽山【案:白鹽崖高千餘丈,在州城東十七里。】》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-90 <953> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6400

白鹽山【白鹽崖高千餘丈,在州城東十七里。】

卓立群峰外,蟠根積水邊。他皆任厚地,爾獨近高天。

白榜千家邑,清秋萬估船。詞人取佳句,刻畫竟誰傳。

(魚復の西閣から白鹽山を東に臨んで詠んだ詩)【白鹽山の崖高は千餘丈もあり,奉節の夔州城の東十七里(9.8km)に在る。】

この山は羣峰ののなかにあり、そのほかにもたかく立ち峰を為す、そして積水のほとりに根をふんばっている。他の山山は厚地の勢にしたがってそれと目立たぬが汝、白鹽山、ばかりは高い天にもちかづこうとしている。淸秋にあたって水邊には萬艘の商船がういているが、汝、白鹽山はそのそばでここの縣の白看板のごとくにつったっている。詞人というものは佳句を取るものである。自分もよい句をつくろうと苦心して刻畫するがさてできた句は結局だれがそれを知って世間へ伝えてくれようか。

766年-90杜甫 《1568白鹽山【案:白鹽崖高千餘丈,在州城東十七里。】》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-90 <953> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6400 杜甫詩1500-953-1451/2500

 

 
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年:766年大暦元年55歲-90

卷別:    卷二二九              文體:    五言律詩

詩題:    白鹽山【白鹽崖高千餘丈,在州城東十七里。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              白鹽山 (山南東道 夔州 夔州) 別名:白帝城鹽山         

 

 

白鹽山【白鹽崖高千餘丈,在州城東十七里。】

(魚復の西閣から白鹽山を東に臨んで詠んだ詩)

【白鹽山の崖高は千餘丈もあり,奉節の夔州城の東十七里(9.8km)に在る。】

卓立群峰外,蟠根積水邊。

この山は羣峰ののなかにあり、そのほかにもたかく立ち峰を為す、そして積水のほとりに根をふんばっている。

他皆任厚地,爾獨近高天。

他の山山は厚地の勢にしたがってそれと目立たぬが汝、白鹽山、ばかりは高い天にもちかづこうとしている。

白榜千家邑,清秋萬估船。

淸秋にあたって水邊には萬艘の商船がういているが、汝、白鹽山はそのそばでここの縣の白看板のごとくにつったっている。

詞人取佳句,刻畫竟誰傳。

詞人というものは佳句を取るものである。自分もよい句をつくろうと苦心して刻畫するがさてできた句は結局だれがそれを知って世間へ伝えてくれようか。

 

白鹽山【白鹽の崖高は千餘丈なり,州城の東十七里に在る。】

卓立す 群峰の外,根を蟠らす積水の邊。

他は皆 厚地に任す,爾 獨り高天に近づく。

白榜 千家の邑,清秋 萬の估船。

詞人 佳句を取る,刻畫するも 竟に誰か傳えん。

夔州東川卜居図詳細 002 

 

『白鹽山』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

白鹽山【白鹽崖高千餘丈,在州城東十七里。】

卓立群峰外,蟠根積水邊。

他皆任厚地,爾獨近高天。

白榜千家邑,清秋萬估船。

詞人取佳句,刻畫竟誰傳。

----------------------
(含異文)

卓立群峰外,蟠根積水邊【案:下臨神淵。】。

他皆任厚地,爾獨近高天【我獨近高天】。

白榜千家邑,清秋萬估船【清秋萬里船】【清秋萬古船】。

詞人取佳句,刻畫竟誰傳【刷練始堪傳】。


(下し文)
白鹽山【白鹽の崖高は千餘丈なり,州城の東十七里に在る。】

卓立す 群峰の外,根を蟠らす積水の邊。

他は皆 厚地に任す,爾 獨り高天に近づく。

白榜 千家の邑,清秋 萬の估船。

詞人 佳句を取る,刻畫するも 竟に誰か傳えん。

(現代語訳)
(魚復の西閣から白鹽山を東に臨んで詠んだ詩)

【白鹽山の崖高は千餘丈もあり,奉節の夔州城の東十七里(9.8km)に在る。】

この山は羣峰ののなかにあり、そのほかにもたかく立ち峰を為す、そして積水のほとりに根をふんばっている。

他の山山は厚地の勢にしたがってそれと目立たぬが汝、白鹽山、ばかりは高い天にもちかづこうとしている。

淸秋にあたって水邊には萬艘の商船がういているが、汝、白鹽山はそのそばでここの縣の白看板のごとくにつったっている。

詞人というものは佳句を取るものである。自分もよい句をつくろうと苦心して刻畫するがさてできた句は結局だれがそれを知って世間へ伝えてくれようか。

瞿塘峡001
(訳注)

白鹽山【白鹽崖高千餘丈,在州城東十七里。】

(魚復の西閣から白鹽山を東に臨んで詠んだ詩)

白鹽山【白鹽山の崖高は千餘丈もあり,奉節の夔州城の東十七里(9.8km)に在る。】

杜詩において「白鹽山」「白鹽」「鹽山」と以下に見える。

夔州歌十絕句 其四(卷一五34

赤甲白鹽俱次天,閭閻繚繞接山巔。

白鹽山(卷一五68

卓立群峰外,蟠根積水邊。

入宅三首其一(卷一八52

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。

反照(卷二○10

已低魚腹暗,不盡白鹽孤。

自瀼西荊扉且移居東屯茅屋四首其一(卷二○25

白鹽危嶠北,赤甲古城東。

寄裴施州(卷二○97

幾度寄書白鹽北,苦寒贈我青羔裘。

曉望白帝城鹽山(卷一五14

徐步攜斑杖,看山仰白頭。

 

卓立群峰外,蟠根積水邊。

この山は羣峰ののなかにあり、そのほかにもたかく立ち峰を為す、そして積水のほとりに根をふんばっている。

 

他皆任厚地,爾獨近高天。

他の山山は厚地の勢にしたがってそれと目立たぬが汝、白鹽山、ばかりは高い天にもちかづこうとしている。

他皆 見えがかりの他の全ての山々。

任厚地 大地の厚さがありその範囲に地形が成り立つ、それ以上に格別高い山はないことをいう。断層の運動によって地塊が周囲からせりあがった断層地塊山地であり、其の地を侵食して水が流れ、長江が乍、馳走に応じて支流が侵食して、川や谷を形成、残った山が峰など多様な相貌をもつ。

爾 白鹽山をいう。

 

白榜千家邑,清秋萬估船。

淸秋にあたって水邊には萬艘の商船がういているが、汝、白鹽山はそのそばでここの縣の白看板のごとくにつったっている。

白榜 白い看板。ここでは白鹽山の名前が示す通り、白い「崖高千餘丈」の崖がかんばんのように見えることをいう。

千家邑 ここの村に住んでいる千軒の家。

萬估船 よろず、商人の船。

 

詞人取佳句,刻畫竟誰傳。

詞人というものは佳句を取るものである。自分もよい句をつくろうと苦心して刻畫するがさてできた句は結局だれがそれを知って世間へ伝えてくれようか。

刻畫 苦心して作った、巧みな詩句。

竟誰傳 結局だれがそれを知って世間へ伝えてくれようか。

 

 

白鹽山【白鹽の崖高は千餘丈なり,州城の東十七里に在る。】

卓立す 群峰の外,根を蟠らす積水の邊。

他は皆 厚地に任す,爾 獨り高天に近づく。

白榜 千家の邑,清秋 萬の估船。

詞人 佳句を取る,刻畫するも 竟に誰か傳えん。

766年-89-杜甫 《1569謁先主廟》-#4 五言古詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-89-4 <952-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6410 

杜甫  謁先主廟#4

孰與關張並,功臨耿鄧親。應天才不小,得士契無鄰。

遲暮堪帷幄,飄零且釣緡。向來憂國淚,寂寞灑衣巾。
そもそも臣下としてはだれが関羽・張飛とならぶだろうか、そして、その功をみると、耿弇・鄧禹、ほどにちかくあるというものがいるであろうか。また君としては天命に応じて起こるほどの大才あるもの(先主のごとく)にしてはじめて傑士を得ればこれと他の接近をゆるさぬ契りを結ぶことができるのである。自分は人生の晩年にあるがまだ用いてくれるものがあれば帷幄の謀にあずかることができるつもりだのにおちぶれて釣糸を友としてくらしている。それで以前からの憂国の涙がいたずらにさびしく衣巾にそそぐばかりである。

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杜甫詩1500-952-#4-1453/2500

年:766年大暦元年55歲-89 

卷別:    卷二二九              文體:    五言古詩

詩題:    謁先主廟【劉昭烈廟在奉節縣東六里。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              先主廟 (山南東道 夔州 奉節)           

劍閣 (劍南道北部 劍州 劍閣)          

 

 

謁先主廟

(夔州魚腹縣の蜀漢の先主、劉備、諡号昭烈帝の祠廟に謁したことを詠んだ詩) #1

【劉昭烈廟在奉節縣東六里。】 #1

(諡号である昭烈皇帝の祠廟は奉節縣の東、六里に在る。)

慘淡風雲會,乘時各有人。

後漢の末にものがなし風雲が集まり天下乱れたとき時勢に乗じてうごきだしたものにそれぞれその人があった。

力侔分社稷,志屈偃經綸。

蜀の先主は魏・呉と対等の力を以て天下を三分する状態、三権鼎立が成立していた。晩年に遺恨を以て、呉の制覇の志をのばすことができず、經綸の策が倒れてしまった。

復漢留長策,中原仗老臣。

そうして漢の天下を回復するよい計画を死後のものにのこした。したがって、中原の地を回復することは老臣である諸葛売をたよることにしたのである。

雜耕心未已,歐血事酸辛。

諸葛亮は魏と対陣して、兵站に不利であることから、征領した土地の農民にまじって屯田制を敷くという、心は攻めることをやめることはなかったのだが、体力がつづかず血をはいて死ぬことになった、その事たるや悲惨きわまるものである。

先主の廟に謁す【劉昭烈廟は奉節縣東六里に在る。】#1

慘淡たり風雲の會,時に乘ずる 各の人有り。

力侔しくして社稷を分つ,志 屈して經綸偃す。

復漢 長策を留どめ,中原 老臣に仗る。

雜耕 心 未だ已まず,歐血 事 酸辛なり。

#2

霸氣西南歇,雄圖曆數屯。

これがため、覇者の気は西南の地では止まってしまい、天下一統の雄図も、その命数ゆき、頓挫してしまった。

錦江元過楚,劍閣復通秦。

長江の源は遠く、成都、錦江の流れを過ぎて楚の国に、そして東海に流れゆきさり、成都から劍閣を通じれば秦の国、長安の都に通じる、蜀地の久しからずして司馬晋に合せられたのが当たり前のことなのである。

舊俗存祠廟,空山立鬼神。

ここにも在来から先主の祠廟が存在しているが、今や、さびしい山に神像が立っているだけである。

虛簷交鳥道,枯木半龍鱗。

しかも、その廟のさびしい軒端は高く鳥のかよう道に交わっており、庭前の枯木であるのに、半ば朽ちかけて、竜のごとき鱗をつけている。

#2

霸氣 西南歇み,雄圖 曆數 屯す。

錦江 元と楚に過ぐ,劍閣 復た秦に通ず。

舊俗 祠廟 存し,空山 鬼 神立つ。

虛簷 鳥道に交り,枯木 半ば龍鱗。

#3

竹送清溪月,苔移玉座春。

夏には竹の梢から清渓の月を送りこし、春には神像の台座まで侵して青苔がうつりのぼる。

閭閻兒女換,歌舞歲時新。

村里には女の子がうまれ、次第にあとをついで、四季、一年、そのおりおりに新たに歌舞をそなえている。

絕域歸舟遠,荒城繫馬頻。

自分はこれほどかけはなれた地にいて、故郷へ帰る舟の道のりは遠いので、この荒れた菱州の城に住み、この荒れ果てた祠廟へはたびたびやって来て、馬をつなぎとめる。

如何對搖落,況乃久風塵。

いま秋の揺落の景色に対してどうして悲しくて見続けていられようか、まして風塵のあいだに、これほどながく飄轉し、奔走している身において、特に強く悲愁を感じずにおれないのである。

#3

竹は送る 清溪の月,苔は移る 玉座の春。

閭閻兒 女 換り,歌舞 歲時に新たなり。

絕域 歸 舟遠く,荒城 馬を繫ぐこと頻りなり。

如何んぞ 搖落に對せん,況や乃ち 風塵に久しきをや。

#4

孰與關張並,功臨耿鄧親。

そもそも臣下としてはだれが関羽・張飛とならぶだろうか、そして、その功をみると、耿弇・鄧禹、ほどにちかくあるというものがいるであろうか。

應天才不小,得士契無鄰。

また君としては天命に応じて起こるほどの大才あるもの(先主のごとく)にしてはじめて傑士を得ればこれと他の接近をゆるさぬ契りを結ぶことができるのである。

遲暮堪帷幄,飄零且釣緡。

自分は人生の晩年にあるがまだ用いてくれるものがあれば帷幄の謀にあずかることができるつもりだのにおちぶれて釣糸を友としてくらしている。

向來憂國淚,寂寞灑衣巾。

それで以前からの憂国の涙がいたずらにさびしく衣巾にそそぐばかりである。

#4

孰か 關張と並び,功は 耿鄧の親しきに臨む。

應天 才 小ならず,得士 契り 鄰 無し。

遲暮 帷幄に堪えたり,飄零 且つ 釣緡。

向來 憂國の淚,寂寞として 衣巾に灑ぐ。

 

詩文(含異文):     慘淡風雲會,乘時各有人。力侔分社稷,志屈偃經綸。復漢留長策,中原仗老臣。雜耕心未已,歐血事酸辛【案:雜耕、嘔血皆諸葛亮事。】【嘔血事酸辛】。霸氣西南歇,雄圖曆數屯。錦江元過楚,劍閣復通秦。舊俗存祠廟,空山立鬼神【空山泣鬼神】。虛簷交鳥道【虛簷交鳥過】【虛簷扶鳥道】【虛簷扶鳥過】,枯木半龍鱗。竹送清溪月【竹送青溪月】,苔移玉座春。閭閻兒女換,歌舞歲時新。絕域歸舟遠,荒城繫馬頻。如何對搖落,況乃久風塵。孰與關張並【勢與關張並】,功臨耿鄧親。應天才不小【斷天才不小】,得士契無鄰【得土契無鄰】。遲暮堪帷幄,飄零且釣緡。向來憂國淚,寂寞灑衣巾。

 

夔州東川卜居図詳細 002 

『謁先主廟』 現代語訳と訳註解説

(本文)
#4

孰與關張並,功臨耿鄧親。

應天才不小,得士契無鄰。

遲暮堪帷幄,飄零且釣緡。

向來憂國淚,寂寞灑衣巾。

(下し文)
孰か 關張と並び,功は 耿鄧の親しきに臨む。

應天 才 小ならず,得士 契り 鄰 無し。

遲暮 帷幄に堪えたり,飄零 且つ 釣緡。

向來 憂國の淚,寂寞として 衣巾に灑ぐ。

(現代語訳) #4

そもそも臣下としてはだれが関羽・張飛とならぶだろうか、そして、その功をみると、耿弇・鄧禹、ほどにちかくあるというものがいるであろうか。

また君としては天命に応じて起こるほどの大才あるもの(先主のごとく)にしてはじめて傑士を得ればこれと他の接近をゆるさぬ契りを結ぶことができるのである。

自分は人生の晩年にあるがまだ用いてくれるものがあれば帷幄の謀にあずかることができるつもりだのにおちぶれて釣糸を友としてくらしている。

それで以前からの憂国の涙がいたずらにさびしく衣巾にそそぐばかりである。


(訳注) #4

謁先主廟【劉昭烈廟在奉節縣東六里。】 #1

(夔州魚腹縣の蜀漢の先主、劉備、諡号昭烈帝の祠廟に謁したことを詠んだ詩)

○先主廟 蜀漢の先主劉備、字は玄徳の廟である。奉節県の東六里、白帝城の西郊にあたる地にある。

(諡号である昭烈皇帝の祠廟は奉節縣の東、六里に在る。)

○劉昭烈 昭烈帝(しょうれつてい)は、中国の皇帝の諡号の一つ。三国時代の蜀漢の劉備(在位:221年 - 223年)。『蜀書』先主伝では「昭烈帝」と記されている。

 

孰與關張並,功臨耿鄧親。

そもそも臣下としてはだれが関羽・張飛とならぶだろうか、そして、その功をみると、耿弇・鄧禹、ほどにちかくあるというものがいるであろうか。

○執与二句 劉備に対しての諸葛亮と関羽、張飛らの賢臣、劉邦に対する耿弇鄧禹等ほどの「君臣の契り」というものを、みることができない。杜甫は、肅宗の朝廷において、房琯らとともに、奸臣の賀蘭進明、第五琦や宦官らに朝廷からはじき出されている。中宗、代宗に賢臣がいないことをいう。

○関張 関羽・張飛、先主と兄弟の約をなし、のちその臣となった人。『三国志演義』などの序盤に登場する劉備・関羽・張飛の3人が、宴会にて義兄弟(長兄・劉備、次兄・関羽、弟・張飛)となる誓いを結び、生死を共にする宣言を行ったという逸話を桃園の誓い、桃園結義とも称される。これは正史の『三国志』にない逸話であって創作上の話であるとされており、劉備が二人に兄弟のような恩愛をかけ、関羽・張飛は常に劉備の左右に侍して護り、蜀漢建国に際して大いに功績があった、という史実に基づいて作られた逸話である。

○臨耿鄧親 耿は耿弇、鄧は鄧禹、ともに後漢の光武帝の功臣、臨親とはちかいことをいう。

 

應天才不小,得士契無鄰。

また君としては天命に応じて起こるほどの大才あるもの(先主のごとく)にしてはじめて傑士を得ればこれと他の接近をゆるさぬ契りを結ぶことができるのである。

○応天才不小 天命に応じて起こるほどの大才をもったものをいう。

○得士契無鄰 士は傑士、ここでは諸葛亮。無鄰とは此鄰するもののないことをいう。先主は亮を得て、「孤之有孔明有、猶魚之有水」といったが、これは「近似を許さぬ君臣の契り」である。

 

遲暮堪帷幄,飄零且釣緡。

自分は人生の晩年にあるがまだ用いてくれるものがあれば帷幄の謀にあずかることができるつもりだのにおちぶれて釣糸を友としてくらしている。

○遅暮 人生の晩暮。

○堪 たえること。一説にいう、豊堪でたえぬことをいうと。

○帷幄 軍謀に参与すること。

○釣緡 つりいとを弄ぶ、漁父のごとき生活をする。単なる隠遁者ではなく、太公望のように召喚を待つ意味を含む。

 

向來憂國淚,寂寞灑衣巾。

それで以前からの憂国の涙がいたずらにさびしく衣巾にそそぐばかりである。

○向来 壮年以来の。「遅暮」以下は直接に自己を叙する
三者の思惑が合致 
杜甫は、房琯らと共にちょう手尾からはじき出されるようにして華州に左遷され、ついに官を辞したのである。 

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杜甫  謁先主廟#3

竹送清溪月,苔移玉座春。閭閻兒女換,歌舞歲時新。

絕域歸舟遠,荒城繫馬頻。如何對搖落,況乃久風塵。
夏には竹の梢から清渓の月を送りこし、春には神像の台座まで侵して青苔がうつりのぼる。村里には女の子がうまれ、次第にあとをついで、四季、一年、そのおりおりに新たに歌舞をそなえている。自分はこれほどかけはなれた地にいて、故郷へ帰る舟の道のりは遠いので、この荒れた菱州の城に住み、この荒れ果てた祠廟へはたびたびやって来て、馬をつなぎとめる。いま秋の揺落の景色に対してどうして悲しくて見続けていられようか、まして風塵のあいだに、これほどながく飄轉し、奔走している身において、特に強く悲愁を感じずにおれないのである。

766年-89-杜甫 《1569謁先主廟》-#3 五言古詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-89-3 <952-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6405 


 
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杜甫詩1500-952-#3-1452/2500

年:766年大暦元年55歲-89 

卷別:    卷二二九              文體:    五言古詩

詩題:    謁先主廟【劉昭烈廟在奉節縣東六里。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              先主廟 (山南東道 夔州 奉節)           

劍閣 (劍南道北部 劍州 劍閣)          

 

 

謁先主廟

(夔州魚腹縣の蜀漢の先主、劉備、諡号昭烈帝の祠廟に謁したことを詠んだ詩) #1

【劉昭烈廟在奉節縣東六里。】 #1

(諡号である昭烈皇帝の祠廟は奉節縣の東、六里に在る。)

慘淡風雲會,乘時各有人。

後漢の末にものがなし風雲が集まり天下乱れたとき時勢に乗じてうごきだしたものにそれぞれその人があった。

力侔分社稷,志屈偃經綸。

蜀の先主は魏・呉と対等の力を以て天下を三分する状態、三権鼎立が成立していた。晩年に遺恨を以て、呉の制覇の志をのばすことができず、經綸の策が倒れてしまった。

復漢留長策,中原仗老臣。

そうして漢の天下を回復するよい計画を死後のものにのこした。したがって、中原の地を回復することは老臣である諸葛売をたよることにしたのである。

雜耕心未已,歐血事酸辛。

諸葛亮は魏と対陣して、兵站に不利であることから、征領した土地の農民にまじって屯田制を敷くという、心は攻めることをやめることはなかったのだが、体力がつづかず血をはいて死ぬことになった、その事たるや悲惨きわまるものである。

#2

霸氣西南歇,雄圖曆數屯。

これがため、覇者の気は西南の地では止まってしまい、天下一統の雄図も、その命数ゆき、頓挫してしまった。

錦江元過楚,劍閣復通秦。

長江の源は遠く、成都、錦江の流れを過ぎて楚の国に、そして東海に流れゆきさり、成都から劍閣を通じれば秦の国、長安の都に通じる、蜀地の久しからずして司馬晋に合せられたのが当たり前のことなのである。

舊俗存祠廟,空山立鬼神。

ここにも在来から先主の祠廟が存在しているが、今や、さびしい山に神像が立っているだけである。

虛簷交鳥道,枯木半龍鱗。

しかも、その廟のさびしい軒端は高く鳥のかよう道に交わっており、庭前の枯木であるのに、半ば朽ちかけて、竜のごとき鱗をつけている。

#3

竹送清溪月,苔移玉座春。

夏には竹の梢から清渓の月を送りこし、春には神像の台座まで侵して青苔がうつりのぼる。

閭閻兒女換,歌舞歲時新。

村里には女の子がうまれ、次第にあとをついで、四季、一年、そのおりおりに新たに歌舞をそなえている。
絕域歸舟遠,荒城繫馬頻。

自分はこれほどかけはなれた地にいて、故郷へ帰る舟の道のりは遠いので、この荒れた菱州の城に住み、この荒れ果てた祠廟へはたびたびやって来て、馬をつなぎとめる。

如何對搖落,況乃久風塵。

いま秋の揺落の景色に対してどうして悲しくて見続けていられようか、まして風塵のあいだに、これほどながく飄轉し、奔走している身において、特に強く悲愁を感じずにおれないのである。

#4

孰與關張並,功臨耿鄧親。

應天才不小,得士契無鄰。

遲暮堪帷幄,飄零且釣緡。

向來憂國淚,寂寞灑衣巾。

 

先主の廟に謁す【劉昭烈廟は奉節縣東六里に在る。】#1

慘淡たり風雲の會,時に乘ずる 各の人有り。

力侔しくして社稷を分つ,志 屈して經綸偃す。

復漢 長策を留どめ,中原 老臣に仗る。

雜耕 心 未だ已まず,歐血 事 酸辛なり。

#2

霸氣 西南歇み,雄圖 曆數 屯す。

錦江 元と楚に過ぐ,劍閣 復た秦に通ず。

舊俗 祠廟 存し,空山 鬼 神立つ。

虛簷 鳥道に交り,枯木 半ば龍鱗。

#3

竹は送る 清溪の月,苔は移る 玉座の春。

閭閻兒 女 換り,歌舞 歲時に新たなり。

絕域 歸 舟遠く,荒城 馬を繫ぐこと頻りなり。

如何んぞ 搖落に對せん,況や乃ち 風塵に久しきをや。

#4

孰か 關張と並び,功は 耿鄧の親しきに臨む。

應天 才 小ならず,得士 契り 鄰 無し。

遲暮 帷幄に堪えたり,飄零 且つ 釣緡。

向來 憂國の淚,寂寞として 衣巾に灑ぐ。

 

詩文(含異文):     慘淡風雲會,乘時各有人。力侔分社稷,志屈偃經綸。復漢留長策,中原仗老臣。雜耕心未已,歐血事酸辛【案:雜耕、嘔血皆諸葛亮事。】【嘔血事酸辛】。霸氣西南歇,雄圖曆數屯。錦江元過楚,劍閣復通秦。舊俗存祠廟,空山立鬼神【空山泣鬼神】。虛簷交鳥道【虛簷交鳥過】【虛簷扶鳥道】【虛簷扶鳥過】,枯木半龍鱗。竹送清溪月【竹送青溪月】,苔移玉座春。閭閻兒女換,歌舞歲時新。絕域歸舟遠,荒城繫馬頻。如何對搖落,況乃久風塵。孰與關張並【勢與關張並】,功臨耿鄧親。應天才不小【斷天才不小】,得士契無鄰【得土契無鄰】。遲暮堪帷幄,飄零且釣緡。向來憂國淚,寂寞灑衣巾。

 夔州東川卜居図詳細 002

 

『謁先主廟』 現代語訳と訳註解説

(本文) #3

竹送清溪月,苔移玉座春。

閭閻兒女換,歌舞歲時新。

絕域歸舟遠,荒城繫馬頻。

如何對搖落,況乃久風塵。

(下し文)
竹は送る 清溪の月,苔は移る 玉座の春。

閭閻兒 女 換り,歌舞 歲時に新たなり。

絕域 歸 舟遠く,荒城 馬を繫ぐこと頻りなり。

如何んぞ 搖落に對せん,況や乃ち 風塵に久しきをや。

(現代語訳)
夏には竹の梢から清渓の月を送りこし、春には神像の台座まで侵して青苔がうつりのぼる。

村里には女の子がうまれ、次第にあとをついで、四季、一年、そのおりおりに新たに歌舞をそなえている。

自分はこれほどかけはなれた地にいて、故郷へ帰る舟の道のりは遠いので、この荒れた菱州の城に住み、この荒れ果てた祠廟へはたびたびやって来て、馬をつなぎとめる。

いま秋の揺落の景色に対してどうして悲しくて見続けていられようか、まして風塵のあいだに、これほどながく飄轉し、奔走している身において、特に強く悲愁を感じずにおれないのである。


(訳注) #3

謁先主廟【劉昭烈廟在奉節縣東六里。】 #1

(夔州魚腹縣の蜀漢の先主、劉備、諡号昭烈帝の祠廟に謁したことを詠んだ詩)

○先主廟 蜀漢の先主劉備、字は玄徳の廟である。奉節県の東六里、白帝城の西郊にあたる地にある。

(諡号である昭烈皇帝の祠廟は奉節縣の東、六里に在る。)

○劉昭烈 昭烈帝(しょうれつてい)は、中国の皇帝の諡号の一つ。三国時代の蜀漢の劉備(在位:221年 - 223年)。『蜀書』先主伝では「昭烈帝」と記されている。

 

竹送清溪月,苔移玉座春。

夏には竹の梢から清渓の月を送りこし、春には神像の台座まで侵して青苔がうつりのぼる。

○清渓 清は或は青に作る、豊渓とをいう。

苔移 苔がはびこって玉座の方まで移り生ずることをいう。

玉座春 玉座の春にあたっての意。玉座は神牀、神像を安置してある台をいう。竹送・苔移の二句は、道教の祠を述べるのに、現状の実写ではない虚描写でもって霊的、神格化を表現する。単に、古めかしいというのではなく、荒れ果てているとはいえどこか違うというほどの意。

 

閭閻兒女換,歌舞歲時新。

村里には女の子がうまれ、次第にあとをついで、四季、一年、そのおりおりに新たに歌舞をそなえている。

○閭閻 里門、里中の門、附近の村里をいう。

○兒女換 換とは廟が置かれて以来つぎつぎと児女が生まれたことをいう、兒女は歌舞を為す者である。兒女とは? ① 女の子。 ② 女子と子供。おんなこども。 ③ 男の子と女の子。

○歳時 一歳、四時。

○新 歌舞が新たなことをいう。以上「錦江」からの十句は祠廟の景事をいう。

 

絕域歸舟遠,荒城繫馬頻。

自分はこれほどかけはなれた地にいて、故郷へ帰る舟の道のりは遠いので、この荒れた菱州の城に住み、この荒れ果てた祠廟へはたびたびやって来て、馬をつなぎとめる。

○絶域 かけはなれた土地、要州をさす。

○帰舟 長安へかえる舟。故郷は洛陽偃師である。

○荒城 夔州の城をいう。

○繋馬 廟前に馬をつなぐことをいう。

 

如何對搖落,況乃久風塵。

いま秋の揺落の景色に対してどうして悲しくて見続けていられようか、まして風塵のあいだに、これほどながく飄轉し、奔走している身において、特に強く悲愁を感じずにおれないのである。

○揺落 秋、木の葉が風にゆられて落ちること。
安史の乱当時の勢力図 

766年-89-杜甫 《1569謁先主廟》-#2 五言古詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-89-2 <952-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6400

杜甫  謁先主廟#2

霸氣西南歇,雄圖曆數屯。錦江元過楚,劍閣復通秦。

舊俗存祠廟,空山立鬼神。虛簷交鳥道,枯木半龍鱗。
これがため、覇者の気は西南の地では止まってしまい、天下一統の雄図も、その命数ゆき、頓挫してしまった。長江の源は遠く、成都、錦江の流れを過ぎて楚の国に、そして東海に流れゆきさり、成都から劍閣を通じれば秦の国、長安の都に通じる、蜀地の久しからずして司馬晋に合せられたのが当たり前のことなのである。ここにも在来から先主の祠廟が存在しているが、今や、さびしい山に神像が立っているだけである。しかも、その廟のさびしい軒端は高く鳥のかよう道に交わっており、庭前の枯木であるのに、半ば朽ちかけて、竜のごとき鱗をつけている。

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杜甫詩1500-952-#2-1451/2500

年:766年大暦元年55歲-89 

卷別:    卷二二九              文體:    五言古詩

詩題:    謁先主廟【劉昭烈廟在奉節縣東六里。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              先主廟 (山南東道 夔州 奉節)           

劍閣 (劍南道北部 劍州 劍閣)          

 

 

謁先主廟

(夔州魚腹縣の蜀漢の先主、劉備、諡号昭烈帝の祠廟に謁したことを詠んだ詩) #1

【劉昭烈廟在奉節縣東六里。】 #1

(諡号である昭烈皇帝の祠廟は奉節縣の東、六里に在る。)

慘淡風雲會,乘時各有人。

後漢の末にものがなし風雲が集まり天下乱れたとき時勢に乗じてうごきだしたものにそれぞれその人があった。

力侔分社稷,志屈偃經綸。

蜀の先主は魏・呉と対等の力を以て天下を三分する状態、三権鼎立が成立していた。晩年に遺恨を以て、呉の制覇の志をのばすことができず、經綸の策が倒れてしまった。

復漢留長策,中原仗老臣。

そうして漢の天下を回復するよい計画を死後のものにのこした。したがって、中原の地を回復することは老臣である諸葛売をたよることにしたのである。

雜耕心未已,歐血事酸辛。

諸葛亮は魏と対陣して、兵站に不利であることから、征領した土地の農民にまじって屯田制を敷くという、心は攻めることをやめることはなかったのだが、体力がつづかず血をはいて死ぬことになった、その事たるや悲惨きわまるものである。

#2

霸氣西南歇,雄圖曆數屯。

これがため、覇者の気は西南の地では止まってしまい、天下一統の雄図も、その命数ゆき、頓挫してしまった。

錦江元過楚,劍閣復通秦。

長江の源は遠く、成都、錦江の流れを過ぎて楚の国に、そして東海に流れゆきさり、成都から劍閣を通じれば秦の国、長安の都に通じる、蜀地の久しからずして司馬晋に合せられたのが当たり前のことなのである。

舊俗存祠廟,空山立鬼神。

ここにも在来から先主の祠廟が存在しているが、今や、さびしい山に神像が立っているだけである。

虛簷交鳥道,枯木半龍鱗。

しかも、その廟のさびしい軒端は高く鳥のかよう道に交わっており、庭前の枯木であるのに、半ば朽ちかけて、竜のごとき鱗をつけている。

#3

竹送清溪月,苔移玉座春。

閭閻兒女換,歌舞歲時新。

絕域歸舟遠,荒城繫馬頻。

如何對搖落,況乃久風塵。

#4

孰與關張並,功臨耿鄧親。

應天才不小,得士契無鄰。

遲暮堪帷幄,飄零且釣緡。

向來憂國淚,寂寞灑衣巾。

 

先主の廟に謁す【劉昭烈廟は奉節縣東六里に在る。】#1

慘淡たり風雲の會,時に乘ずる 各の人有り。

力侔しくして社稷を分つ,志 屈して經綸偃す。

復漢 長策を留どめ,中原 老臣に仗る。

雜耕 心 未だ已まず,歐血 事 酸辛なり。

#2

霸氣 西南歇み,雄圖 曆數 屯す。

錦江 元と楚に過ぐ,劍閣 復た秦に通ず。

舊俗 祠廟 存し,空山 鬼 神立つ。

虛簷 鳥道に交り,枯木 半ば龍鱗。

#3

竹は送る 清溪の月,苔は移る 玉座の春。

閭閻兒 女 換り,歌舞 歲時に新たなり。

絕域 歸 舟遠く,荒城 馬を繫ぐこと頻りなり。

如何んぞ 搖落に對せん,況や乃ち 風塵に久しきをや。

#4

孰か 關張と並び,功は 耿鄧の親しきに臨む。

應天 才 小ならず,得士 契り 鄰 無し。

遲暮 帷幄に堪えたり,飄零 且つ 釣緡。

向來 憂國の淚,寂寞として 衣巾に灑ぐ。

 

詩文(含異文):     慘淡風雲會,乘時各有人。力侔分社稷,志屈偃經綸。復漢留長策,中原仗老臣。雜耕心未已,歐血事酸辛【案:雜耕、嘔血皆諸葛亮事。】【嘔血事酸辛】。霸氣西南歇,雄圖曆數屯。錦江元過楚,劍閣復通秦。舊俗存祠廟,空山立鬼神【空山泣鬼神】。虛簷交鳥道【虛簷交鳥過】【虛簷扶鳥道】【虛簷扶鳥過】,枯木半龍鱗。竹送清溪月【竹送青溪月】,苔移玉座春。閭閻兒女換,歌舞歲時新。絕域歸舟遠,荒城繫馬頻。如何對搖落,況乃久風塵。孰與關張並【勢與關張並】,功臨耿鄧親。應天才不小【斷天才不小】,得士契無鄰【得土契無鄰】。遲暮堪帷幄,飄零且釣緡。向來憂國淚,寂寞灑衣巾。

夔州東川卜居図詳細 002 

 

『謁先主廟』 現代語訳と訳註解説

(本文) #2

霸氣西南歇,雄圖曆數屯。

錦江元過楚,劍閣復通秦。

舊俗存祠廟,空山立鬼神。

虛簷交鳥道,枯木半龍鱗。

(下し文)
霸氣 西南歇み,雄圖 曆數 屯す。

錦江 元と楚に過ぐ,劍閣 復た秦に通ず。

舊俗 祠廟 存し,空山 鬼 神立つ。

虛簷 鳥道に交り,枯木 半ば龍鱗。

(現代語訳)
これがため、覇者の気は西南の地では止まってしまい、天下一統の雄図も、その命数ゆき、頓挫してしまった。

長江の源は遠く、成都、錦江の流れを過ぎて楚の国に、そして東海に流れゆきさり、成都から劍閣を通じれば秦の国、長安の都に通じる、蜀地の久しからずして司馬晋に合せられたのが当たり前のことなのである。

ここにも在来から先主の祠廟が存在しているが、今や、さびしい山に神像が立っているだけである。

しかも、その廟のさびしい軒端は高く鳥のかよう道に交わっており、庭前の枯木であるのに、半ば朽ちかけて、竜のごとき鱗をつけている。


(訳注) #2

謁先主廟【劉昭烈廟在奉節縣東六里。】 #1

(夔州魚腹縣の蜀漢の先主、劉備、諡号昭烈帝の祠廟に謁したことを詠んだ詩)

○先主廟 蜀漢の先主劉備、字は玄徳の廟である。奉節県の東六里、白帝城の西郊にあたる地にある。

(諡号である昭烈皇帝の祠廟は奉節縣の東、六里に在る。)

○劉昭烈 昭烈帝(しょうれつてい)は、中国の皇帝の諡号の一つ。三国時代の蜀漢の劉備(在位:221年 - 223年)。『蜀書』先主伝では「昭烈帝」と記されている。

 

霸氣西南歇,雄圖曆數屯。

これがため、覇者の気は西南の地では止まってしまい、天下一統の雄図も、その命数ゆき、頓挫してしまった。

○西南 きょく蜀・三巴の地の方位をいう。

○雄図 諸葛亮の中原を経略しょうとのいさましいくわだて。

○暦数屯 暦数は命数というのに同じ、屯はゆきなやむことをいう。以上起十句は先主の業が諸葛売の死によって頓挫したことをいう。

 

錦江元過楚,劍閣復通秦。

長江の源は遠く、成都、錦江の流れを過ぎて楚の国に、そして東海に流れゆきさり、成都から劍閣を通じれば秦の国、長安の都に通じる、蜀地の久しからずして司馬晋に合せられたのが当たり前のことなのである。

○錦江元過楚、剣閣復通秦 蜀地の久しからずして司馬晋に合せられたことをいう。

 

舊俗存祠廟,空山立鬼神。

ここにも在来から先主の祠廟が存在しているが、今や、さびしい山に神像が立っているだけである。

〇祠廟 鬼の先主廟をいう。

○鬼神 先主の神像であろう。

 

虛簷交鳥道,枯木半龍鱗。

しかも、その廟のさびしい軒端は高く鳥のかよう道に交わっており、庭前の枯木であるのに、半ば朽ちかけて、竜のごとき鱗をつけている。

○虛簷 さびしい軒端。

○交鳥道 山崖の高処に在ることをいう。
長安城図 作図00 

766年-89-杜甫 《1569謁先主廟》-#1 五言古詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-89-1 <952-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6395

謁先主廟【劉昭烈廟在奉節縣東六里。】 #1

慘淡風雲會,乘時各有人。力侔分社稷,志屈偃經綸。

復漢留長策,中原仗老臣。雜耕心未已,歐血事酸辛。
(夔州魚腹縣の蜀漢の先主、劉備、諡号昭烈帝の祠廟に謁したことを詠んだ詩) #1  後漢の末にものがなし風雲が集まり天下乱れたとき時勢に乗じてうごきだしたものにそれぞれその人があった。蜀の先主は魏・呉と対等の力を以て天下を三分する状態、三権鼎立が成立していた。晩年に遺恨を以て、呉の制覇の志をのばすことができず、經綸の策が倒れてしまった。そうして漢の天下を回復するよい計画を死後のものにのこした。したがって、中原の地を回復することは老臣である諸葛売をたよることにしたのである。諸葛亮は魏と対陣して、兵站に不利であることから、征領した土地の農民にまじって屯田制を敷くという、心は攻めることをやめることはなかったのだが、体力がつづかず血をはいて死ぬことになった、その事たるや悲惨きわまるものである。

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
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杜甫詩1500-952-#1-1450/2500

年:766年大暦元年55歲-89 

卷別:    卷二二九              文體:    五言古詩

詩題:    謁先主廟【劉昭烈廟在奉節縣東六里。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              先主廟 (山南東道 夔州 奉節)           

劍閣 (劍南道北部 劍州 劍閣)          

 

 

謁先主廟

(夔州魚腹縣の蜀漢の先主、劉備、諡号昭烈帝の祠廟に謁したことを詠んだ詩) #1

【劉昭烈廟在奉節縣東六里。】 #1

(諡号である昭烈皇帝の祠廟は奉節縣の東、六里に在る。)

慘淡風雲會,乘時各有人。

後漢の末にものがなし風雲が集まり天下乱れたとき時勢に乗じてうごきだしたものにそれぞれその人があった。

力侔分社稷,志屈偃經綸。

蜀の先主は魏・呉と対等の力を以て天下を三分する状態、三権鼎立が成立していた。晩年に遺恨を以て、呉の制覇の志をのばすことができず、經綸の策が倒れてしまった。

復漢留長策,中原仗老臣。

そうして漢の天下を回復するよい計画を死後のものにのこした。したがって、中原の地を回復することは老臣である諸葛売をたよることにしたのである。

雜耕心未已,歐血事酸辛。

諸葛亮は魏と対陣して、兵站に不利であることから、征領した土地の農民にまじって屯田制を敷くという、心は攻めることをやめることはなかったのだが、体力がつづかず血をはいて死ぬことになった、その事たるや悲惨きわまるものである。

#2

霸氣西南歇,雄圖曆數屯。

錦江元過楚,劍閣復通秦。

舊俗存祠廟,空山立鬼神。

虛簷交鳥道,枯木半龍鱗。

#3

竹送清溪月,苔移玉座春。

閭閻兒女換,歌舞歲時新。

絕域歸舟遠,荒城繫馬頻。

如何對搖落,況乃久風塵。

#4

孰與關張並,功臨耿鄧親。

應天才不小,得士契無鄰。

遲暮堪帷幄,飄零且釣緡。

向來憂國淚,寂寞灑衣巾。

 

先主の廟に謁す【劉昭烈廟は奉節縣東六里に在る。】#1

慘淡たり風雲の會,時に乘ずる 各の人有り。

力侔しくして社稷を分つ,志 屈して經綸偃す。

復漢 長策を留どめ,中原 老臣に仗る。

雜耕 心 未だ已まず,歐血 事 酸辛なり。

#2

霸氣 西南歇み,雄圖 曆數 屯す。

錦江 元と楚に過ぐ,劍閣 復た秦に通ず。

舊俗 祠廟 存し,空山 鬼 神立つ。

虛簷 鳥道に交り,枯木 半ば龍鱗。

#3

竹は送る 清溪の月,苔は移る 玉座の春。

閭閻兒 女 換り,歌舞 歲時に新たなり。

絕域 歸 舟遠く,荒城 馬を繫ぐこと頻りなり。

如何んぞ 搖落に對せん,況や乃ち 風塵に久しきをや。

#4

孰か 關張と並び,功は 耿鄧の親しきに臨む。

應天 才 小ならず,得士 契り 鄰 無し。

遲暮 帷幄に堪えたり,飄零 且つ 釣緡。

向來 憂國の淚,寂寞として 衣巾に灑ぐ。

 

詩文(含異文):     慘淡風雲會,乘時各有人。力侔分社稷,志屈偃經綸。復漢留長策,中原仗老臣。雜耕心未已,歐血事酸辛【案:雜耕、嘔血皆諸葛亮事。】【嘔血事酸辛】。霸氣西南歇,雄圖曆數屯。錦江元過楚,劍閣復通秦。舊俗存祠廟,空山立鬼神【空山泣鬼神】。虛簷交鳥道【虛簷交鳥過】【虛簷扶鳥道】【虛簷扶鳥過】,枯木半龍鱗。竹送清溪月【竹送青溪月】,苔移玉座春。閭閻兒女換,歌舞歲時新。絕域歸舟遠,荒城繫馬頻。如何對搖落,況乃久風塵。孰與關張並【勢與關張並】,功臨耿鄧親。應天才不小【斷天才不小】,得士契無鄰【得土契無鄰】。遲暮堪帷幄,飄零且釣緡。向來憂國淚,寂寞灑衣巾。

夔州東川卜居図詳細 002 

 

『謁先主廟』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

謁先主廟【劉昭烈廟在奉節縣東六里。】 #1

慘淡風雲會,乘時各有人。

力侔分社稷,志屈偃經綸。

復漢留長策,中原仗老臣。

雜耕心未已,歐血事酸辛。

(下し文)
先主の廟に謁す【劉昭烈廟は奉節縣東六里に在る。】 #1

慘淡たり風雲の會,時に乘ずる 各の人有り。

力侔しくして社稷を分つ,志 屈して經綸偃す。

復漢 長策を留どめ,中原 老臣に仗る。

雜耕 心 未だ已まず,歐血 事 酸辛なり。

(現代語訳)
(夔州魚腹縣の蜀漢の先主、劉備、諡号昭烈帝の祠廟に謁したことを詠んだ詩) #1

後漢の末にものがなし風雲が集まり天下乱れたとき時勢に乗じてうごきだしたものにそれぞれその人があった。

蜀の先主は魏・呉と対等の力を以て天下を三分する状態、三権鼎立が成立していた。晩年に遺恨を以て、呉の制覇の志をのばすことができず、經綸の策が倒れてしまった。

そうして漢の天下を回復するよい計画を死後のものにのこした。したがって、中原の地を回復することは老臣である諸葛売をたよることにしたのである。

諸葛亮は魏と対陣して、兵站に不利であることから、征領した土地の農民にまじって屯田制を敷くという、心は攻めることをやめることはなかったのだが、体力がつづかず血をはいて死ぬことになった、その事たるや悲惨きわまるものである。


(訳注)

謁先主廟【劉昭烈廟在奉節縣東六里。】 #1

(夔州魚腹縣の蜀漢の先主、劉備、諡号昭烈帝の祠廟に謁したことを詠んだ詩)

○先主廟 蜀漢の先主劉備、字は玄徳の廟である。奉節県の東六里、白帝城の西郊にあたる地にある。

(諡号である昭烈皇帝の祠廟は奉節縣の東、六里に在る。)

○劉昭烈 昭烈帝(しょうれつてい)は、中国の皇帝の諡号の一つ。三国時代の蜀漢の劉備(在位:221年 - 223年)。『蜀書』先主伝では「昭烈帝」と記されている。

 

慘淡風雲會,乘時各有人。

後漢の末にものがなし風雲が集まり天下乱れたとき時勢に乗じてうごきだしたものにそれぞれその人があった。

○惨澹ものがなしいさま。

○風雲会 天下に騒乱の撃-ったことをいう。

○乗時 時勢をしおにうごきだす。

 

力侔分社稷,志屈偃經綸。

蜀の先主は魏・呉と対等の力を以て天下を三分する状態、三権鼎立が成立していた。晩年に遺恨を以て、呉の制覇の志をのばすことができず、經綸の策が倒れてしまった。

○力侔 魏・呉・蜀が鼎の足のごとくに対時する、三権鼎立。

○分社稷 天下を分かつ。社稷:社稷(しゃしょく)とは、社(土地神を祭る祭壇)と稷(穀物の神を祭る祭壇)の総称。天壇・地壇や宗廟などとともに、中国の国家祭祀の中枢を担う。本項で記述。転じて、国家のことを意味する。古代中国に於いては、土地とそこから収穫される作物が、国家の基礎であると考えられており、村ごとに土地の神と五穀の神を祀っていたが、やがて古代王朝が発生するようになると、天下を治める君主が国家の祭祀を行うようになり、やがて国家そのものを意味するようになった。

○志屈 先主は晩年、呉を征伐しようとして戦いに敗れて死んだので志を伸べることができなかった。

〇偃經綸 經綸の策がたおれた。經綸:国家の秩序をととのえ治めること。また、その方策。

 

復漢留長策,中原仗老臣。

そうして漢の天下を回復するよい計画を死後のものにのこした。したがって、中原の地を回復することは老臣である諸葛売をたよることにしたのである。

○復漢 漢の天下を回復しょうとしたこと。

○留長策 よいはかりごとを身後にのこす。

○中原 黄河地方(魂の地)を奪取しようとすること。

○老臣 諸葛亮をさす。

 

雜耕心未已,歐血事酸辛。

諸葛亮は魏と対陣して、兵站に不利であることから、征領した土地の農民にまじって屯田制を敷くという、心は攻めることをやめることはなかったのだが、体力がつづかず血をはいて死ぬことになった、その事たるや悲惨きわまるものである。

○雑耕 兵站が上手くいかず、五回にわたって北伐をしている。屯田の兵卒が農民とまじって耕すこと。諸葛充が北伐して魏の司馬懿と渭水の南に対陣したとき、糧食のとだえることをうれえて兵を分かって屯田し久駐留の基となした、耕者は渭浜の居民の間に雜わったが、百姓は生活に安んじ軍隊には利己的な行為がなかったという。

○欧血 欧は嘔とおなじ、はくこと、諸葛亮は糧尽き勢い窮まり憂患のあまり血をはき、営を焼き逃がれ、走って谷に入り、道に病を発して卒したという。

建興12年(234年)春2月、第5次の最後の北伐を行った。諸葛亮は屯田を行い、持久戦の構えをとって五丈原で司馬懿と長期に渡って対陣した。しかし、同時に出撃した呉軍は荊州および合肥方面の戦いで魏軍に敗れ、司馬懿も防御に徹し諸葛亮の挑発に乗らなかった。諸葛亮は病に倒れ、秋8月(『三国志演義』では8月23日)、陣中に没した(五丈原の戦い)。享年54。
唐時代 地図山南 東・西道50

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杜甫  八陣圖【諸葛亮〈八陣圖〉有三,一在夔,一在彌牟鎮,一在棋盤市,此在夔之永安宮前者。】

功蓋三分國,名成八陣圖。江流石不轉,遺恨失吞吳。
諸葛孔明の造ったと称せられる八陣図について感をのべる。諸葛亮の“八陣の図”は三地点にある。1.夔州奉節縣の白帝城西郊。2.四川省成都の青白江の彌牟鎮。3.陝西省勉県棋盤市の定軍山の麓。に在り、ここ夔州の永安宮の前に在るものについてここに述べる。諸葛孔明の功は三分の三国時代を圧倒するほどであり、その軍略がいかにに通じていたか、その名声はこの八陣図を作ったことにおいてりっぱにできあがっている。孔明の作で、ここ夔州魚腹の砂浜にあるこの陣形は、いかに長江の水が流れても石だけは変転せずにいる。これほどの軍略をもった人が先主の生前に呉を併呑することを得なかったことはまことに残念なことである。

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年:766年大暦元年55歲-88

卷別:    卷二二九              文體:    五言絕句

詩題:    八陣圖【諸葛亮〈八陣圖〉有三,一在夔,一在彌牟鎮,一在棋盤市,此在夔之永安宮前者。】

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              八陣圖 (山南東道 夔州 奉節)           

 

 

 

八陣圖

【諸葛亮〈八陣圖〉有三,一在夔,一在彌牟鎮,一在棋盤市,此在夔之永安宮前者。】

諸葛亮の“八陣の図”は三地点にある。

1.夔州奉節縣の白帝城西郊。

2.四川省成都の青白江の彌牟鎮。

3.陝西省勉県棋盤市の定軍山の麓

に在り、ここ夔州の永安宮の前に在るものについてここに述べる。

功蓋三分國,名成八陣圖。

諸葛孔明の功は三分の三国時代を圧倒するほどであり、その軍略がいかにに通じていたか、その名声はこの八陣図を作ったことにおいてりっぱにできあがっている。

江流石不轉,遺恨失吞吳。

孔明の作で、ここ夔州魚腹の砂浜にあるこの陣形は、いかに長江の水が流れても石だけは変転せずにいる。これほどの軍略をもった人が先主の生前に呉を併呑することを得なかったことはまことに残念なことである。

 

八陣圖【諸葛亮は〈八陣圖〉三有り,一に夔在り,一に彌牟の鎮在り,一に棋盤の市在り,此に夔の永安宮の前に在る者なり。】

(八陣の図)

功は蓋う三分の国、名は成る八陣の図。

江流るるも石転ぜず、遺恨呑呉を失す。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->夔州東川卜居図詳細 002
<!--[endif]-->

 

『八陣圖』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

八陣圖【諸葛亮〈八陣圖〉有三,一在夔,一在彌牟鎮,一在棋盤市,此在夔之永安宮前者。】

功蓋三分國,名成八陣圖。

江流石不轉,遺恨失吞吳。

(下し文)
八陣圖【諸葛亮は〈八陣圖〉三有り,一に夔在り,一に彌牟の鎮在り,一に棋盤の市在り,此に夔の永安宮の前に在る者なり。】

(八陣の図)

功は蓋う三分の国、名は成る八陣の図。

江流るるも石転ぜず、遺恨呑呉を失す。

(現代語訳)
諸葛孔明の造ったと称せられる八陣図について感をのべる。

諸葛亮の“八陣の図”は三地点にある。

1.夔州奉節縣の白帝城西郊。

2.四川省成都の青白江の彌牟鎮。

3.陝西省勉県棋盤市の定軍山の麓

に在り、ここ夔州の永安宮の前に在るものについてここに述べる。

諸葛孔明の功は三分の三国時代を圧倒するほどであり、その軍略がいかにに通じていたか、その名声はこの八陣図を作ったことにおいてりっぱにできあがっている。

孔明の作で、ここ夔州魚腹の砂浜にあるこの陣形は、いかに長江の水が流れても石だけは変転せずにいる。これほどの軍略をもった人が先主の生前に呉を併呑することを得なかったことはまことに残念なことである。


(訳注)

八陣圖【諸葛亮〈八陣圖〉有三,一在夔,一在彌牟鎮,一在棋盤市,此在夔之永安宮前者。】

諸葛孔明の造ったと称せられる八陣図について感をのべる。大磨元年の作。

〇八陣図 諸葛孔明が石を積みかさねて作った陣形をいう。八陣とは天、地、風、雲、竜、虎、鳥、蛇の八種の陣形をいう。これが魚復浦の平沙の上に在り、大水のときには破壊されるが水が減ずるときはまた旧態に復し、ふしぎなものとされておる。

<!--[if !vml]-->八陣図<!--[endif]-->

諸葛亮の“八陣の図”は三地点にある。

1.夔州奉節縣の白帝城西郊。

2.四川省成都の青白江の彌牟鎮。

3.陝西省勉県棋盤市の定軍山の麓

に在り、ここ夔州の永安宮の前に在るものについてここに述べる。

 

功蓋三分國,名高八陣圖。

諸葛孔明の功は三分の三国時代を圧倒するほどであり、その軍略がいかにに通じていたか、その名声はこの八陣図を作ったことにおいてりっぱにできあがっている。

○蓋 ふたをする、圧倒することをいう。

〇三分国 蜀漢の時、天下は魏・呉・蜀の三つに分かれた。三国時代。

 

江流石不轉,遺恨失吞吳。

孔明の作で、ここ夔州魚腹の砂浜にあるこの陣形は、いかに長江の水が流れても石だけは変転せずにいる。これほどの軍略をもった人が先主の生前に呉を併呑することを得なかったことはまことに残念なことである。

○失呑呉 この句の解は諸説紛紛である、列挙してもしかたないので今は異説の一つをあげよう。其の説は「呑呉二失ス」とよませて「呑呉という失策をした」ととく、それは先主の末年に孔明は呉を征伐することには不賛成であったのにもかかわらず、先主を諌止することができずして遂に先主をして敗死せしめたが、これは呉を呑まんとするという政策において失敗したのである、というのである。しかし三分の天下を一統するには呉をも併呑せぬわけにはいかぬゆえ、呉を併呑するのがわるいとはいわれず、もし呉を併呑し得るならば其の力によって魏を容易に平らげうるかも知れぬゆえ、また劉備が大敗するとは思わなかった、杜甫が、併呑不併呑の政策の可否を論ずることはあまりない。且つ、八陣圖を抒情的に述べているので、上説の如くに解しては「江流」の句が死んでしまう。故にここでは普通の説を取って「呑呉を失す」とみる。「呑呉を失す」とは呉を併呑すること、張飛と関羽の失敗から、劉備に呉と戦う道に進ませてしまったこと、ということなどを失ったと表現、すなわち呉を呑むことができなかったとの意である。

魚腹浦の伏兵  

 夷陵の戦いでは、はじめは劉備軍が圧倒的に優勢であったが、伸び切った陣営を陸遜に奇襲され、蜀は大敗を喫す。劉備は白帝城へ逃走、陸遜はこれを追うが、魚腹浦で八陣図の中で迷ってしまい、諸葛亮の舅・黄承彦に助け出してもらう始末。劉備は無事に白帝城に入った。

 

(八陣の図)

功は蓋う三分の国、名は成る八陣の図。

江流るるも石転ぜず、遺恨呑呉を失す。

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