杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

2015年09月

766年-139#8杜甫 《1614夔府書懷四十韻》#8 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-139 <1002> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6690

杜甫 夔府書懷四十韻#8

即事須嘗膽,蒼生可察眉。議堂猶集鳳,正觀是元龜。

處處喧飛檄,家家急競錐。蕭車安不定,蜀使下何之。
一朝、叛臣が起こったときそれを擒にしようとしても、漢の高祖が韓信を擒にしたような先例には追い付くことがむつかしい、当局たるものは眼前のでき事に即して嘗胆の念を失ってはならぬ、人民のこころもちは眉根をみただけで察知してやる様にせねはならぬということである。今、朝延の政事堂には、鳳凰のような賢臣が集っておられる、だから、貞観の治世を、よきお手本として施政をしなければならないのである。天下処処に、急を告ぐる飛檄をとばされて、やかましいことこの上ないが、そうした中で、下々のものは、どの家家もわずかな利益を争うことに急である。檄をどんなに飛ばしても、前漢の蕭育の車が民心を安定せんとでかけるが、民心は安定しなかったという故事があったではないか、また、いくら司馬相如の如き蜀使を発しても行くべきところが無数にあるのに、彼能見は一つ、そもそもどこからさきにゆこうとするのであるか。

766-139#8杜甫 1614夔府書懷四十韻》#8 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-139 <1002 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6690

 

 
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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李白317-#1 《巻十九11遊泰山,六首之五【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》317-#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白317-#1> Ⅰ李白詩1628 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6688  
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韓愈91-#6《 巻二12 縣齋有懷》 #6 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1541> Ⅱ#6 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6689  
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  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 766年-139#8杜甫 《1614夔府書懷四十韻》#8 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-139 <1002> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6690  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
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766年-138#7杜甫 《1614夔府書懷四十韻》#7 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-138 <1001> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6685

杜甫  夔府書懷四十韻7

使者分王命,群公各典司。恐乖均賦斂,不似問瘡痍。

萬里煩供給,孤城最怨思。綠林寧小患,雲夢欲難追。

このごろ中央から使者がでて天子のご命令を分たれている、節度使、及び藩鎭、地方長官にいたる役人もその命によるそれぞれの職司をしておられる。それがじぶんのみる所ではその仕方は恐らくは賦斂を公平にするということそむいたものではあるまいか、また民をいたわってその疾苦を問うてやるといふ態度にも似ていないのである。すなわち、萬里の遠地に於で種種煩瑣な供給をさせられるのであって、ここ夔州の孤城では人民が最も怨みの念をもっている。緑林の小盗がはびこっているのも決して小さな恩とはいえない、楚の昭王が雲夢へでかけたとき盗賊に攻められたようなことできてからは追いつかないことである。

766-138#7杜甫 1614夔府書懷四十韻》#7 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-138 <1001 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6685

 

 
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韓愈91-#5《 巻二12 縣齋有懷》 #5 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1540> Ⅱ#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6684  
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  孟郊 張籍          
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
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766年-137#6杜甫 《1614夔府書懷四十韻》#6 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-137 <1000> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6680

杜甫  夔府書懷四十韻6   

不必陪玄圃,超然待具茨。凶兵鑄農器,講殿闢書幃。

廟算高難測,天憂實在茲。形容真潦倒,答效莫支持。

では、この天下を治めるにはどうすればよいかということで、吾が君にはわざわざ周の穆王をまなんで崑崙の玄圃へ西王母の宴に陪するためお出ましにならずともよろしいのであって、超然として、黃帝をまなんで具茨の山に大道を聞くことを待望あそばされるがよろしいと思うのである。それから《荘子》のいう凶器である兵具は溶かして農具を鋳造し鏡、御講書の御殿には帷をひらいて儒臣をおいれになるがよろしいのである。自分はそれがよいと思うけれど、廟堂のはかりだとは肅宗からの宦官や、諸侯(賀蘭進明・第五琦)らがどういふものかあまりに高いところに在るので臆測することすら難しいし、このままでは、天が墜ち、国家危難に陥りはすまいかとのしんはいは実にここに在るのである。そうはいっても、自分のこととなると形容はほんとうに元気がなくなってしまい、いくら君国に報效の念があってもだれもじぶんを支持してくれるものが無いということになっている。

766-137#6杜甫 1614夔府書懷四十韻》#6 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-137 <1000 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6680


 
  2015年9月28日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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李白316#1 《巻十九10遊泰山,六首之四【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》316#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白316#1> Ⅰ李白詩1626 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6678  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
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  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
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韓愈91-#4《 巻二12 縣齋有懷》 #4 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1539> Ⅱ#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6679  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 766年-137#6杜甫 《1614夔府書懷四十韻》#6 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-137 <1000> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6680  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
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 杜甫詩1500-1000-1502-#6/2500

年:766年大暦元年55-137 

卷別:    卷二三○              文體:    五言古詩

詩題:    夔府書懷四十韻

作地點:              目前尚無資料

及地點:夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州、夔國  

崆峒山 (隴右道東部 岷州 崆峒山)  

灩澦堆 (山南東道 夔州 夔州)         

恒山 (河北道南部 定州 恒山(恆山)) 別名:恆山    

(都畿道 河南府 ) 別名:具茨山           

綠林山 (山南東道 荊州 當陽)         

青草湖 (江南西道 岳州 巴陵) 別名:巴丘湖、雲夢大澤           

             

 

夔府書懷四十韻 #1

(夔州にて事をに感じたことをのべる。)#1

昔罷河西尉,初興薊北師。

むかし自分が河西の尉を罷めたころちょうど薊北の謀反のいくさが興った。

不才名位晚,敢恨省郎遲。

自分は、不才であるから名位を得ることが遅いのはあたりまえかもしれないので、どうして郎官となったのがおそいなどと恨むことがろうか。

扈聖崆峒日,端居灩澦時。

かつては崆峒山の方面へ天子のおともをしたこともあった自分であるが、今は、灔澦堆のそばになにもせずにじっとして暮らしている。

萍流仍汲引,樗散尚恩慈。

自分は、萍流の際においてもひきたててくれる人があったし、ウドの大木みたくような様な身でありながら皇恩をかたじけなくしている。

夔府書懷四十韻#1

昔 河西の尉を罷,初めて薊北の師 興る。

不才名位 晚し,敢て恨まむや 省郎の遲きを。

聖を扈す 崆峒の日,端居す 灩澦の時。

萍流 仍お汲引せらる,樗散 尚お恩慈せらる。

#2

遂阻雲臺宿,常懷〈湛露詩〉。

それ以来は朝廷において疎まれて、宿直を申しあげることもかなわなくなったが、《詩經、小雅 湛露篇》にいう、天子が諸侯を宴するということで、御宴に倍したことをいつも胸に思っている。

翠華森遠矣,白首颯淒其。

あの翠華の影は遠くになってしまったし、この白髪頭にはただつらい風がつめたくふきつける。

拙被林泉滯,生逢〈酒賦〉欺。

儒者の世渡り下手であるため、今このように林泉に留滞させられているのである。じぶんといふ者は生れてからこのかた、酒と賦とのためになぶりものにされているような気がしている。

文園終寂寞,漢閣自磷緇。

じぶんの今は司馬相加が文園の令となって病臥していたように寂寞であり、揚雄が漢の天祿閣で書を校したようにすべきであるが、もはや才力が消耗し、鋭気は衰えて、身、塵土に汚されてしまっているのである。#2

遂に雲臺の宿を阻つ,常に懷う〈湛露詩〉を。

翠華 森として遠し,白首 颯として淒其なり。

拙にして 林泉に滯っせしめらる,生れて逢う〈酒賦〉の欺るに。

文園 終に寂寞たり,漢閣 自ら磷緇【りんし】。

#3

病隔君臣議,慚紆德澤私。

病気の身で御政治向きの議論とかけはなれているが、自分のごときものにまでご恩沢をおし及ぼしてくださっていることで喜んでいるだけということは、恥ずかしいことである。

揚鑣驚主辱,拔劍撥年衰。

自分は、わが気味が、衣的に辱められ賜うと聞いては、驚いて轡を上げて馬を飛ばそうと思い、年の衰えかかるのをのぞくためには剣を抜いて勇気をはげましている。

社稷經綸地,風雲際會期。

その所は、天下の経綸を施すべき地であり、時は豪傑風雲に際会し、肅宗の宰相十六人としたる時であった。

血流紛在眼,涕灑亂交頤。

ところが、それからも、どこをみてもなまなましい血が流れている、これをみては涕がそそがれておのずと“おとがい”にみだれかかるのである。

病みて隔たる君臣の議,慚づらくは德澤の私を紆らさるるを。

揚鑣 主辱に驚き,拔劍 年衰を撥く。

社稷 經綸の地,風雲 際會の期。

血流るるは 紛として眼に在り,涕灑ぐは 亂れて頤に交わる。

#4

四瀆樓船汎,中原鼓角悲。

汚濁を海に流す四大川があるが、そこには今もおおきな盗賊のような樓船がうかんでいるし、中原には鼓角の音が悲しそうに響いている。

賊壕連白翟,戰瓦落丹

反乱者や、異民族の侵略者、盗賊どもの設けた塹壕は白の方まで連り、戦に焚かれた屋根瓦は御殿の丹塗の土塀にまで落ちているという。

先帝嚴靈寢,宗臣切受遺。

これが近頃の戦乱の状況である。先帝である粛宗の御陵殿はいかめしく立っているし その先帝から一代の宗臣、郭子儀が直に国事について御遺託を受けたのだ。

恆山猶突騎,遼海競張旗。
これからは、かくしぎが、恒山にはまだ安史軍の残党の騎馬軍を、衝突して粉砕せねばならないし、遼東の海以北にも安史軍の藩鎭、異民族軍が旗を立てていて、勢いを残しているのを奪い返してもらうのである。

#4

四瀆 樓船汎び,中原 鼓角悲し。

賊壕 白翟に連なり,戰瓦 丹墀に

先帝 靈寢に嚴なり,宗臣 切に遺を受く。

恆山 猶お突騎,遼海 競うて旗を張る。

 

5

田父嗟膠漆,行人避蒺藜。

田野の老人でさえも弓など武器を造るために膠漆を採らねばならないことを嘆き、道ゆく人にあっては、銭條網を避けて通らねばならない。

總戎存大體,降將飾卑詞。

総大将であった僕固懐恩にたいして、朝廷は体裁上、細かなことはみぬふりをしているが、敵軍の大将が降参したといっても、表面的なもので、謙遜らしい詞をかざっていっているに過ぎないのである、というのも、奴らは、本心から降参するつもりではないからである。

楚貢何年堯封舊俗疑。

叛乱の意をはかるに「楚からの貢はいつの年から絶えた」という故事がある。だから、堯の舊領地だなどいうてもその舊俗があるのかないのか疑うべきものだ。

長吁翻北寇,一望卷西夷。

北寇の回紇の翻覆は、日常化していることにはため息をつくばかりである。見渡すかぎり西方の夷、吐蕃が席巻してきているではないか。

田父 膠漆を嗟く,行人 蒺藜を避く。

總戎 大體を存し,降將 卑詞を飾る。

楚貢 何の年かえたる堯封 舊俗 疑わし。

長吁す 北寇に翻えるに,一望 西夷を卷く。

 

6

不必陪玄圃,超然待具茨。

では、この天下を治めるにはどうすればよいかということで、吾が君にはわざわざ周の穆王をまなんで崑崙の玄圃へ西王母の宴に陪するためお出ましにならずともよろしいのであって、超然として、黃帝をまなんで具茨の山に大道を聞くことを待望あそばされるがよろしいと思うのである。

凶兵鑄農器,講殿闢書幃。

それから《荘子》のいう凶器である兵具は溶かして農具を鋳造し鏡、御講書の御殿には帷をひらいて儒臣をおいれになるがよろしいのである。

廟算高難測,天憂實在茲。

自分はそれがよいと思うけれど、廟堂のはかりだとは肅宗からの宦官や、諸侯(賀蘭進明・第五琦)らがどういふものかあまりに高いところに在るので臆測することすら難しいし、このままでは、天が墜ち、国家危難に陥りはすまいかとのしんはいは実にここに在るのである。

形容真潦倒,答效莫支持。

そうはいっても、自分のこととなると形容はほんとうに元気がなくなってしまい、いくら君国に報效の念があってもだれもじぶんを支持してくれるものが無いということになっている。

6

必ずしも玄圃に陪せず,超然 具茨を待たん。

凶兵 農器を鑄じ,講殿 書幃を闢かん。

廟算 高くして測り難し,天憂 實に茲に在り。

形容 真に潦倒,答效 支持するもの莫し。

7

使者分王命,群公各典司。

恐乖均賦斂,不似問瘡痍。

萬里煩供給,孤城最怨思。

綠林寧小患,雲夢欲難追。
7

使者 王命を分つ,群公 各の典司。

恐らくは乖かん 賦斂を均しくするに,似ず 瘡痍を問うに。

萬里 供給煩らわし,孤城 最も怨思す。

綠林 寧ぞ小患ならんや,雲夢 追い難からんと欲す。

 

 

『夔府書懷四十韻』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
6

不必陪玄圃,超然待具茨。

凶兵鑄農器,講殿闢書幃。

廟算高難測,天憂實在茲。

形容真潦倒,答效莫支持。


(下し文) 6

必ずしも玄圃に陪せず,超然 具茨を待たん。

凶兵 農器を鑄じ,講殿 書幃を闢かん。

廟算 高くして測り難し,天憂 實に茲に在り。

形容 真に潦倒,答效 支持するもの莫し。

 

(現代語訳)
6

では、この天下を治めるにはどうすればよいかということで、吾が君にはわざわざ周の穆王をまなんで崑崙の玄圃へ西王母の宴に陪するためお出ましにならずともよろしいのであって、超然として、黃帝をまなんで具茨の山に大道を聞くことを待望あそばされるがよろしいと思うのである。

それから《荘子》のいう凶器である兵具は溶かして農具を鋳造し鏡、御講書の御殿には帷をひらいて儒臣をおいれになるがよろしいのである。

自分はそれがよいと思うけれど、廟堂のはかりだとは肅宗からの宦官や、諸侯(賀蘭進明・第五琦)らがどういふものかあまりに高いところに在るので臆測することすら難しいし、このままでは、天が墜ち、国家危難に陥りはすまいかとのしんはいは実にここに在るのである。

そうはいっても、自分のこととなると形容はほんとうに元気がなくなってしまい、いくら君国に報效の念があってもだれもじぶんを支持してくれるものが無いということになっている。


(訳注) 6

夔府書懷四十韻

(夔州にて事をに感じたことをのべる。)大暦元年秋の作。

 

不必陪玄圃,超然待具茨。

では、この天下を治めるにはどうすればよいかということで、吾が君にはわざわざ周の穆王をまなんで崑崙の玄圃へ西王母の宴に陪するためお出ましにならずともよろしいのであって、超然として、黃帝をまなんで具茨の山に大道を聞くことを待望あそばされるがよろしいと思うのである。

56陪玄圃 陪は天子が開く宴、玄圃は崑崙山の圃、周の穆王、西王母に会し宴することを用いたもの。別に、代宗の陜州への出奔を取り繕ってこのような表現にしたともいえる、 

57超然 (世俗的な)物事にこだわらず、そこから抜け出ているさま。世俗をはなれるすがた。

58待具茨 待は天子が、至道を開かんすることを待望するという意。具茨は山の名、《荘子、徐無鬼篇」にいう、「黃帝將に大隗を具茨の山に見んとす、襄城の野に至りて七聖皆迷ふ、牧馬の童子に遇ひて塗を問ふ」と。具茨は許州陽翟縣にありと。

陪玄圃,超然待具茨 

 

凶兵鑄農器,講殿闢書幃。

それから《荘子》のいう凶器である兵具は溶かして農具を鋳造し鏡、御講書の御殿には帷をひらいて儒臣をおいれになるがよろしいのである。

59凶兵 「老子」に兵は凶器なりとみえる。凶兵とは凶器たる武器の意。

60講殿 書籍を講する御殿のこと。 

61闢書幃 書幃は書を講ずる室のとばり。闢とはひらきて儒臣を出入りせしむるをいう。肅宗は、房琯を筆頭とした、杜甫ら儒者グループくを排斥した。

「不必」以下の句は皆作者希望の辭である。 

 

廟算高難測,天憂實在茲。

自分はそれがよいと思うけれど、廟堂のはかりだとは肅宗からの宦官や、諸侯(賀蘭進明・第五琦)らがどういふものかあまりに高いところに在るので臆測することすら難しいし、このままでは、天が墜ち、国家危難に陥りはすまいかとのしんはいは実にここに在るのである。

62廟算 廟堂のはかりごと。

63高難測 あまりに高いところに在るために臆測するのもむつかしいこと。これは婉曲な表現といえる。

64天憂 天がくずれおちそうであると心配すること。国家の危難に陥るをいう

 

形容真潦倒,答效莫支持。

そうはいっても、自分のこととなると形容はほんとうに元気がなくなってしまい、いくら君国に報效の念があってもだれもじぶんを支持してくれるものが無いということになっている。

65形容 自己のからだの様子。

66潦倒 元気の衰へしすがた。

67答效 君国の恩に答得て、力を效す。

68支持 ささへる、答效の志は有れども自己を支持してくれるものがいないことをいう。この時期には、房琯の儒者グループは壊滅している。

以上、「不必」からの八句は治世の根本道をとき自己の微力を嘆ずるものである。

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杜甫  夔府書懷四十韻5

田父嗟膠漆,行人避蒺藜。總戎存大體,降將飾卑詞。

楚貢何年,堯封舊俗疑。長吁翻北寇,一望卷西夷。
田野の老人でさえも弓など武器を造るために膠漆を採らねばならないことを嘆き、道ゆく人にあっては、銭條網を避けて通らねばならない。

総大将であった僕固懐恩にたいして、朝廷は体裁上、細かなことはみぬふりをしているが、敵軍の大将が降参したといっても、表面的なもので、謙遜らしい詞をかざっていっているに過ぎないのである、というのも、奴らは、本心から降参するつもりではないからである。

叛乱の意をはかるに「楚からの貢はいつの年から絶えた」という故事がある。だから、堯の舊領地だなどいうてもその舊俗があるのかないのか疑うべきものだ。

北寇の回紇の翻覆は、日常化していることにはため息をつくばかりである。見渡すかぎり西方の夷、吐蕃が席巻してきているではないか。

766-136#5杜甫 1614夔府書懷四十韻》#5 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-136 <999 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6675

 

 
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杜甫詩1500-999-1502-#5/2500

年:766年大暦元年55-133 

卷別:    卷二三○              文體:    五言古詩

詩題:    夔府書懷四十韻

作地點:              目前尚無資料

及地點:夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州、夔國  

崆峒山 (隴右道東部 岷州 崆峒山)  

灩澦堆 (山南東道 夔州 夔州)         

恒山 (河北道南部 定州 恒山(恆山)) 別名:恆山    

(都畿道 河南府 ) 別名:具茨山           

綠林山 (山南東道 荊州 當陽)         

青草湖 (江南西道 岳州 巴陵) 別名:巴丘湖、雲夢大澤           

             

 

夔府書懷四十韻 #1

(夔州にて事をに感じたことをのべる。)#1

昔罷河西尉,初興薊北師。

むかし自分が河西の尉を罷めたころちょうど薊北の謀反のいくさが興った。

不才名位晚,敢恨省郎遲。

自分は、不才であるから名位を得ることが遅いのはあたりまえかもしれないので、どうして郎官となったのがおそいなどと恨むことがろうか。

扈聖崆峒日,端居灩澦時。

かつては崆峒山の方面へ天子のおともをしたこともあった自分であるが、今は、灔澦堆のそばになにもせずにじっとして暮らしている。

萍流仍汲引,樗散尚恩慈。

自分は、萍流の際においてもひきたててくれる人があったし、ウドの大木みたくような様な身でありながら皇恩をかたじけなくしている。

夔府書懷四十韻#1

昔 河西の尉を罷,初めて薊北の師 興る。

不才名位 晚し,敢て恨まむや 省郎の遲きを。

聖を扈す 崆峒の日,端居す 灩澦の時。

萍流 仍お汲引せらる,樗散 尚お恩慈せらる。

#2

遂阻雲臺宿,常懷〈湛露詩〉。

それ以来は朝廷において疎まれて、宿直を申しあげることもかなわなくなったが、《詩經、小雅 湛露篇》にいう、天子が諸侯を宴するということで、御宴に倍したことをいつも胸に思っている。

翠華森遠矣,白首颯淒其。

あの翠華の影は遠くになってしまったし、この白髪頭にはただつらい風がつめたくふきつける。

拙被林泉滯,生逢〈酒賦〉欺。

儒者の世渡り下手であるため、今このように林泉に留滞させられているのである。じぶんといふ者は生れてからこのかた、酒と賦とのためになぶりものにされているような気がしている。

文園終寂寞,漢閣自磷緇。

じぶんの今は司馬相加が文園の令となって病臥していたように寂寞であり、揚雄が漢の天祿閣で書を校したようにすべきであるが、もはや才力が消耗し、鋭気は衰えて、身、塵土に汚されてしまっているのである。#2

遂に雲臺の宿を阻つ,常に懷う〈湛露詩〉を。

翠華 森として遠し,白首 颯として淒其なり。

拙にして 林泉に滯っせしめらる,生れて逢う〈酒賦〉の欺るに。

文園 終に寂寞たり,漢閣 自ら磷緇【りんし】。

#3

病隔君臣議,慚紆德澤私。

病気の身で御政治向きの議論とかけはなれているが、自分のごときものにまでご恩沢をおし及ぼしてくださっていることで喜んでいるだけということは、恥ずかしいことである。

揚鑣驚主辱,拔劍撥年衰。

自分は、わが気味が、衣的に辱められ賜うと聞いては、驚いて轡を上げて馬を飛ばそうと思い、年の衰えかかるのをのぞくためには剣を抜いて勇気をはげましている。

社稷經綸地,風雲際會期。

その所は、天下の経綸を施すべき地であり、時は豪傑風雲に際会し、肅宗の宰相十六人としたる時であった。

血流紛在眼,涕灑亂交頤。

ところが、それからも、どこをみてもなまなましい血が流れている、これをみては涕がそそがれておのずと“おとがい”にみだれかかるのである。

病みて隔たる君臣の議,慚づらくは德澤の私を紆らさるるを。

揚鑣 主辱に驚き,拔劍 年衰を撥く。

社稷 經綸の地,風雲 際會の期。

血流るるは 紛として眼に在り,涕灑ぐは 亂れて頤に交わる。

#4

四瀆樓船汎,中原鼓角悲。

汚濁を海に流す四大川があるが、そこには今もおおきな盗賊のような樓船がうかんでいるし、中原には鼓角の音が悲しそうに響いている。

賊壕連白翟,戰瓦落丹

反乱者や、異民族の侵略者、盗賊どもの設けた塹壕は白の方まで連り、戦に焚かれた屋根瓦は御殿の丹塗の土塀にまで落ちているという。

先帝嚴靈寢,宗臣切受遺。

これが近頃の戦乱の状況である。先帝である粛宗の御陵殿はいかめしく立っているし その先帝から一代の宗臣、郭子儀が直に国事について御遺託を受けたのだ。

恆山猶突騎,遼海競張旗。
これからは、かくしぎが、恒山にはまだ安史軍の残党の騎馬軍を、衝突して粉砕せねばならないし、遼東の海以北にも安史軍の藩鎭、異民族軍が旗を立てていて、勢いを残しているのを奪い返してもらうのである。

#4

四瀆 樓船汎び,中原 鼓角悲し。

賊壕 白翟に連なり,戰瓦 丹墀に

先帝 靈寢に嚴なり,宗臣 切に遺を受く。

恆山 猶お突騎,遼海 競うて旗を張る。

 

5

田父嗟膠漆,行人避蒺藜。

田野の老人でさえも弓など武器を造るために膠漆を採らねばならないことを嘆き、道ゆく人にあっては、銭條網を避けて通らねばならない。

總戎存大體,降將飾卑詞。

総大将であった僕固懐恩にたいして、朝廷は体裁上、細かなことはみぬふりをしているが、敵軍の大将が降参したといっても、表面的なもので、謙遜らしい詞をかざっていっているに過ぎないのである、というのも、奴らは、本心から降参するつもりではないからである。

楚貢何年堯封舊俗疑。

叛乱の意をはかるに「楚からの貢はいつの年から絶えた」という故事がある。だから、堯の舊領地だなどいうてもその舊俗があるのかないのか疑うべきものだ。

長吁翻北寇,一望卷西夷。

北寇の回紇の翻覆は、日常化していることにはため息をつくばかりである。見渡すかぎり西方の夷、吐蕃が席巻してきているではないか。

田父 膠漆を嗟く,行人 蒺藜を避く。

總戎 大體を存し,降將 卑詞を飾る。

楚貢 何の年かえたる堯封 舊俗 疑わし。

長吁す 北寇に翻えるに,一望 西夷を卷く。

春秋勢力図002 

 

『夔府書懷四十韻』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

5

田父嗟膠漆,行人避蒺藜。

總戎存大體,降將飾卑詞。

楚貢何年,堯封舊俗疑。

長吁翻北寇,一望卷西夷。

(下し文)
5

田父 膠漆を嗟く,行人 蒺藜を避く。

總戎 大體を存し,降將 卑詞を飾る。

楚貢 何の年かえたる,堯封 舊俗 疑わし。

長吁す 北寇に翻えるに,一望 西夷を卷く。


(現代語訳)
5

田野の老人でさえも弓など武器を造るために膠漆を採らねばならないことを嘆き、道ゆく人にあっては、銭條網を避けて通らねばならない。

総大将であった僕固懐恩にたいして、朝廷は体裁上、細かなことはみぬふりをしているが、敵軍の大将が降参したといっても、表面的なもので、謙遜らしい詞をかざっていっているに過ぎないのである、というのも、奴らは、本心から降参するつもりではないからである。

叛乱の意をはかるに「楚からの貢はいつの年から絶えた」という故事がある。だから、堯の舊領地だなどいうてもその舊俗があるのかないのか疑うべきものだ。

北寇の回紇の翻覆は、日常化していることにはため息をつくばかりである。見渡すかぎり西方の夷、吐蕃が席巻してきているではないか。

安史の乱当時の勢力図
(訳注)5

夔府書懷四十韻

(夔州にて事をに感じたことをのべる。)大暦元年秋の作。

 

田父嗟膠漆,行人避蒺藜。

田野の老人でさえも弓など武器を造るために膠漆を採らねばならないことを嘆き、道ゆく人にあっては、銭條網を避けて通らねばならない。

○膠漆 にかわ、うるし、共によくひっつくもの、交わりの親密なことをいう。 杜甫《卷一三74  憶昔二首其二》「宮中聖人奏雲門,天下朋友皆膠漆。」(宮中には聖人 雲門を奏し,天下の朋友は皆 膠漆【こうしつ】なり。)宮中では聖天子の御前でめでたい雲門の楽が奏せられる、天下の朋友は皆、うるしやにかわのように親密であった。

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蒺藜 現代の“有刺鉄線”“鉄条網”のようなもの。これによって進路・侵入を防ぐ。

 

總戎存大體,降將飾卑詞。

総大将であった僕固懐恩にたいして、朝廷は体裁上、細かなことはみぬふりをしているが、敵軍の大将が降参したといっても、表面的なもので、謙遜らしい詞をかざっていっているに過ぎないのである、というのも、奴らは、本心から降参するつもりではないからである。

總戎存大體 總戎は元帥、これ副元帥僕固懐恩をさす。存大体とは僕固懐恩が功勲を挙げてもその一方で問題ある行動もあったが、朝廷としては、大局に立って細かいところについて大目に見るというほどの意。

降將飾卑詞 史朝義が敗れ、死んだ後、安史軍の大将田承嗣・薛嵩等は降る降参、この時、副元帥僕固懐恩は、安史軍を平らげれば、自分に対する寵愛が衰えるとして、降参した二人の大将と勝手に和睦して、河北の元帥として華北に歸藩させた。このため、各地の藩鎭が呼応して、朝廷を蔑ろにするものがおおくなる。

 

楚貢何年堯封舊俗疑。

叛乱の意をはかるに「楚からの貢はいつの年から絶えた」という故事がある。だから、堯の舊領地だなどいうてもその舊俗があるのかないのか疑うべきものだ。

楚貢 齋の管仲が楚を伐つとき之を責めし辭に、爾の貢せる包茅入らずといえリ、楚よりは周の天子へ物み包むに用うる茅を貢としてたてまつるなり、「左傳」に見ゆ。借りて地方の中央へ貢物をさす。管仲が言った。 「昔、我が君のご先祖が斉に封じられた時、時の執政が言われた。『まつろわぬ者共を成敗し、以て我が周室を助けよ、』と。今、楚が貢ぐべき包茅が周室へ届かず、王の祭祀に支障を来しているので、その訳を問い質しに来たのだ。又、昔、昭王陛下が南征へ行かれたのに、未だに戻ってきていない。この事も併せて詰問する。」  すると、使者が言い返した。 「貢ぎ物の包茅が周室へ届かなかったのは、当方の手落ちです。謹んでお言いつけに従いましょう。しかし、昭王が南征に来られたのは、遠い昔の話ではありませんか。そのような事は河の龍神にでもお尋ね下さい。」  斉軍は更に進軍したが、今度は楚の将軍が軍勢を率いて対峙した上で申し出た。 「貴君が徳を修められるのなら、我々は従いましょう。しかし、暴虐にも武力で制圧しようとの心なら、徹底抗戦いたします。」 結局、斉は楚と盟約を交しただけで引き返した。

堯封 《史記、周本紀》に、「堯の後を薊に封ず」とあり、安禄山の起りし薊州地方は「堯の子孫の封ぜられし後なり」とある。

舊俗疑 堯の子孫ならばその遺風存せばはんらんをおこすものはいないはずであるが、今、この地に舊俗の存否疑ふべし、というもの。

この二句は杜甫 1603諸將,五首之三》「滄海未全歸禹貢,薊門何處盡堯封。」今日東海地方はまだ天子の職貢の地となり、平穏な状態になっているとは言えないし、安史軍の根拠地の薊門のあたりもどこがすっかり王領になって治まったというのか。と同意である。

766-129杜甫 1603諸將,五首之三》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-129 <992 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6640

 

長吁翻北寇,一望卷西夷。

北寇の回紇の翻覆は、日常化していることにはため息をつくばかりである。見渡すかぎり西方の夷、吐蕃が席巻してきているではないか。

長吁 呼托なげくし 

翻北寇 翻は翻、降参してはまたそむくこと、北寇とは回紇が侵略してくることをいう。 

巻西夷 巻とは中国の地を席巻し侵略しきたるなり、西夷とは吐蕃をいう、「先帝」以下は代宗の朝を叙す。

以上「社稷」二十句は粛宗・代宗の二朝の乱をのべる。

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杜甫  夔府書懷四十韻 #4   

四瀆樓船汎,中原鼓角悲。賊壕連白翟,戰瓦落丹

先帝嚴靈寢,宗臣切受遺。恆山猶突騎,遼海競張旗。
汚濁を海に流す四大川があるが、そこには今もおおきな盗賊のような樓船がうかんでいるし、中原には鼓角の音が悲しそうに響いている。反乱者や、異民族の侵略者、盗賊どもの設けた塹壕は白の方まで連り、戦に焚かれた屋根瓦は御殿の丹塗の土塀にまで落ちているという。これが近頃の戦乱の状況である。先帝である粛宗の御陵殿はいかめしく立っているし その先帝から一代の宗臣、郭子儀が直に国事について御遺託を受けたのだ。これからは、かくしぎが、恒山にはまだ安史軍の残党の騎馬軍を、衝突して粉砕せねばならないし、遼東の海以北にも安史軍の藩鎭、異民族軍が旗を立てていて、勢いを残しているのを奪い返してもらうのである。

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杜甫詩1500-998-1502-#4/2500

年:766年大暦元年55-133 

卷別:    卷二三○              文體:    五言古詩

詩題:    夔府書懷四十韻

作地點:              目前尚無資料

及地點:夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州、夔國  

崆峒山 (隴右道東部 岷州 崆峒山)  

灩澦堆 (山南東道 夔州 夔州)         

恒山 (河北道南部 定州 恒山(恆山)) 別名:恆山    

(都畿道 河南府 ) 別名:具茨山           

綠林山 (山南東道 荊州 當陽)         

青草湖 (江南西道 岳州 巴陵) 別名:巴丘湖、雲夢大澤           

             

 

夔府書懷四十韻 #1

(夔州にて事をに感じたことをのべる。)#1

昔罷河西尉,初興薊北師。

むかし自分が河西の尉を罷めたころちょうど薊北の謀反のいくさが興った。

不才名位晚,敢恨省郎遲。

自分は、不才であるから名位を得ることが遅いのはあたりまえかもしれないので、どうして郎官となったのがおそいなどと恨むことがろうか。

扈聖崆峒日,端居灩澦時。

かつては崆峒山の方面へ天子のおともをしたこともあった自分であるが、今は、灔澦堆のそばになにもせずにじっとして暮らしている。

萍流仍汲引,樗散尚恩慈。

自分は、萍流の際においてもひきたててくれる人があったし、ウドの大木みたくような様な身でありながら皇恩をかたじけなくしている。

夔府書懷四十韻#1

昔 河西の尉を罷,初めて薊北の師 興る。

不才名位 晚し,敢て恨まむや 省郎の遲きを。

聖を扈す 崆峒の日,端居す 灩澦の時。

萍流 仍お汲引せらる,樗散 尚お恩慈せらる。

#2

遂阻雲臺宿,常懷〈湛露詩〉。

それ以来は朝廷において疎まれて、宿直を申しあげることもかなわなくなったが、《詩經、小雅 湛露篇》にいう、天子が諸侯を宴するということで、御宴に倍したことをいつも胸に思っている。

翠華森遠矣,白首颯淒其。

あの翠華の影は遠くになってしまったし、この白髪頭にはただつらい風がつめたくふきつける。

拙被林泉滯,生逢〈酒賦〉欺。

儒者の世渡り下手であるため、今このように林泉に留滞させられているのである。じぶんといふ者は生れてからこのかた、酒と賦とのためになぶりものにされているような気がしている。

文園終寂寞,漢閣自磷緇。

じぶんの今は司馬相加が文園の令となって病臥していたように寂寞であり、揚雄が漢の天祿閣で書を校したようにすべきであるが、もはや才力が消耗し、鋭気は衰えて、身、塵土に汚されてしまっているのである。#2

遂に雲臺の宿を阻つ,常に懷う〈湛露詩〉を。

翠華 森として遠し,白首 颯として淒其なり。

拙にして 林泉に滯っせしめらる,生れて逢う〈酒賦〉の欺るに。

文園 終に寂寞たり,漢閣 自ら磷緇【りんし】。

#3

病隔君臣議,慚紆德澤私。

病気の身で御政治向きの議論とかけはなれているが、自分のごときものにまでご恩沢をおし及ぼしてくださっていることで喜んでいるだけということは、恥ずかしいことである。

揚鑣驚主辱,拔劍撥年衰。

自分は、わが気味が、衣的に辱められ賜うと聞いては、驚いて轡を上げて馬を飛ばそうと思い、年の衰えかかるのをのぞくためには剣を抜いて勇気をはげましている。

社稷經綸地,風雲際會期。

その所は、天下の経綸を施すべき地であり、時は豪傑風雲に際会し、肅宗の宰相十六人としたる時であった。

血流紛在眼,涕灑亂交頤。

ところが、それからも、どこをみてもなまなましい血が流れている、これをみては涕がそそがれておのずと“おとがい”にみだれかかるのである。

 

病みて隔たる君臣の議,慚づらくは德澤の私を紆らさるるを。

揚鑣 主辱に驚き,拔劍 年衰を撥く。

社稷 經綸の地,風雲 際會の期。

血流るるは 紛として眼に在り,涕灑ぐは 亂れて頤に交わる。

#4

四瀆樓船汎,中原鼓角悲。

賊壕連白翟,戰瓦落丹

先帝嚴靈寢,宗臣切受遺。

恆山猶突騎,遼海競張旗。
汚濁を海に流す四大川があるが、そこには今もおおきな盗賊のような樓船がうかんでいるし、中原には鼓角の音が悲しそうに響いている。

反乱者や、異民族の侵略者、盗賊どもの設けた塹壕は白の方まで連り、戦に焚かれた屋根瓦は御殿の丹塗の土塀にまで落ちているという。

これが近頃の戦乱の状況である。先帝である粛宗の御陵殿はいかめしく立っているし その先帝から一代の宗臣、郭子儀が直に国事について御遺託を受けたのだ。

これからは、かくしぎが、恒山にはまだ安史軍の残党の騎馬軍を、衝突して粉砕せねばならないし、遼東の海以北にも安史軍の藩鎭、異民族軍が旗を立てていて、勢いを残しているのを奪い返してもらうのである。

#4

四瀆 樓船汎び,中原 鼓角悲し。

賊壕 白翟に連なり,戰瓦 丹墀に

先帝 靈寢に嚴なり,宗臣 切に遺を受く。

恆山 猶お突騎,遼海 競うて旗を張る。

 

 

『夔府書懷四十韻』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 

#4

四瀆樓船汎,中原鼓角悲。

賊壕連白翟,戰瓦落丹

先帝嚴靈寢,宗臣切受遺。

恆山猶突騎,遼海競張旗。


(下し文)
#4

四瀆 樓船汎び,中原 鼓角悲し。

賊壕 白翟に連なり,戰瓦 丹墀に

先帝 靈寢に嚴なり,宗臣 切に遺を受く。

恆山 猶お突騎,遼海 競うて旗を張る。


(現代語訳) #4

汚濁を海に流す四大川があるが、そこには今もおおきな盗賊のような樓船がうかんでいるし、中原には鼓角の音が悲しそうに響いている。

反乱者や、異民族の侵略者、盗賊どもの設けた塹壕は白の方まで連り、戦に焚かれた屋根瓦は御殿の丹塗の土塀にまで落ちているという。

これが近頃の戦乱の状況である。先帝である粛宗の御陵殿はいかめしく立っているし その先帝から一代の宗臣、郭子儀が直に国事について御遺託を受けたのだ。

これからは、かくしぎが、恒山にはまだ安史軍の残党の騎馬軍を、衝突して粉砕せねばならないし、遼東の海以北にも安史軍の藩鎭、異民族軍が旗を立てていて、勢いを残しているのを奪い返してもらうのである。

汜水関などの地図
(訳注)  #4

夔府書懷四十韻

(夔州にて事をに感じたことをのべる。)大暦元年秋の作。

 

四瀆樓船汎,中原鼓角悲。

汚濁を海に流す四大川があるが、そこには今もおおきな盗賊のような樓船がうかんでいるし、中原には鼓角の音が悲しそうに響いている。

四瀆 中国の四大河。瀆とは,《爾雅、釈水》に水源を発して直接海に注ぐ川を指すとある。《白虎通、巡狩》に,中国の汚濁を海に流す大河を指すともある。一般には,長江,黄河,淮水,済水を数える。四瀆は古くから神としてまつられてきたが,五岳とともに国家の祭祀の対象となるのは前漢宣帝の神爵1(61)からで,四瀆のおのおのについて特定の地に廟が建てられた。その後も歴代王朝によってまつられている。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

賊壕連白翟,戰瓦落丹墀。

反乱者や、異民族の侵略者、盗賊どもの設けた塹壕は白の方まで連り、戦に焚かれた屋根瓦は御殿の丹塗の土塀にまで落ちているという。

白翟 鄜州、延州は春秋時代の白翟(はくてき)の住地であったが,秦代すでに高奴県がおかれ,隋代以降は膚施県と呼ばれた。隋代の延安県は現在の延長県にあたる。隋・唐代の膚施県治は今の延安市の北東にあり,宋代に現在地に移った。隋・唐代には延安郡,延州の治所,宋代には延安府,金・元代には鄜延路,延安路の,明・清代には延安府の行政中心であった。現在、陝西省北部の市。人口32(1994)。市街は延河の中流部に沿う,黄土高原中の谷底平地にあり,周囲には宝塔山,鳳凰山,清涼山などがとりまいている。

丹墀 1.指宮殿的赤色臺階或赤色地面。 《宋書百官志上》「殿以胡粉塗壁, 畫古賢烈士。 以丹硃色地, 謂之丹墀。」2.指官府或祠廟的臺階。

 

先帝嚴靈寢,宗臣切受遺。

これが近頃の戦乱の状況である。先帝である粛宗の御陵殿はいかめしく立っているし その先帝から一代の宗臣、郭子儀が直に国事について御遺託を受けたのだ。

先帝 肅宗。

靈寢 御陵前の御殿。

宗臣 天下のもの、後世のものが尊ぶところの臣を言う、此処は、郭子儀のこと。

切受遺 直に遺託を受けること。76310月吐蕃が長安に侵寇、肅宗は陜州に逃避、郭子儀に掃討を命ず自、12月長安を回復させた。

 

恆山猶突騎,遼海競張旗。

これからは、かくしぎが、恒山にはまだ安史軍の残党の騎馬軍を、衝突して粉砕せねばならないし、遼東の海以北にも安史軍の藩鎭、異民族軍が旗を立てていて、勢いを残しているのを奪い返してもらうのである。

恆山 恒山は、道教の五岳の一つ、北岳。中国山西省大同市にあり、北を司るとされる。最高標高は2,016m。中国本土では五指に入る最高峰である。八仙のひとり張果老が住まうとされている。

突騎 安史軍の残党がおり、衝突して粉砕せねばならない騎馬軍がいることを言う。

遼海競張旗 遼東の海以北にも安史軍の藩鎭、異民族軍が旗を立てていて、勢いを残して衣る。

766年-134#3杜甫 《1614夔府書懷四十韻》#3 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-134 <997> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6665

杜甫   夔府書懷四十韻 #3  

病隔君臣議,慚紆德澤私。揚鑣驚主辱,拔劍撥年衰。

社稷經綸地,風雲際會期。血流紛在眼,涕灑亂交頤。

病気の身で御政治向きの議論とかけはなれているが、自分のごときものにまでご恩沢をおし及ぼしてくださっていることで喜んでいるだけということは、恥ずかしいことである。自分は、わが気味が、衣的に辱められ賜うと聞いては、驚いて轡を上げて馬を飛ばそうと思い、年の衰えかかるのをのぞくためには剣を抜いて勇気をはげましている。その所は、天下の経綸を施すべき地であり、時は豪傑風雲に際会し、肅宗の宰相十六人としたる時であった。ところが、それからも、どこをみてもなまなましい血が流れている、これをみては涕がそそがれておのずと“おとがい”にみだれかかるのである。

766-134#3杜甫 《1614夔府書懷四十韻》#3 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-134 <997> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6665

 

 
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杜甫詩1500-997-1502-#3/2500

年:766年大暦元年55-133 

卷別:    卷二三○              文體:    五言古詩

詩題:    夔府書懷四十韻

作地點:              目前尚無資料

及地點:夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州、夔國  

崆峒山 (隴右道東部 岷州 崆峒山)  

灩澦堆 (山南東道 夔州 夔州)         

恒山 (河北道南部 定州 恒山(恆山)) 別名:恆山    

(都畿道 河南府 ) 別名:具茨山           

綠林山 (山南東道 荊州 當陽)         

青草湖 (江南西道 岳州 巴陵) 別名:巴丘湖、雲夢大澤           

             

 

夔府書懷四十韻 #1

(夔州にて事をに感じたことをのべる。)#1

昔罷河西尉,初興薊北師。

むかし自分が河西の尉を罷めたころちょうど薊北の謀反のいくさが興った。

不才名位晚,敢恨省郎遲。

自分は、不才であるから名位を得ることが遅いのはあたりまえかもしれないので、どうして郎官となったのがおそいなどと恨むことがろうか。

扈聖崆峒日,端居灩澦時。

かつては崆峒山の方面へ天子のおともをしたこともあった自分であるが、今は、灔澦堆のそばになにもせずにじっとして暮らしている。

萍流仍汲引,樗散尚恩慈。

自分は、萍流の際においてもひきたててくれる人があったし、ウドの大木みたくような様な身でありながら皇恩をかたじけなくしている。

夔府書懷四十韻#1

昔 河西の尉を罷,初めて薊北の師 興る。

不才名位 晚し,敢て恨まむや 省郎の遲きを。

聖を扈す 崆峒の日,端居す 灩澦の時。

萍流 仍お汲引せらる,樗散 尚お恩慈せらる。

#2

遂阻雲臺宿,常懷〈湛露詩〉。

それ以来は朝廷において疎まれて、宿直を申しあげることもかなわなくなったが、《詩經、小雅 湛露篇》にいう、天子が諸侯を宴するということで、御宴に倍したことをいつも胸に思っている。

翠華森遠矣,白首颯淒其。

あの翠華の影は遠くになってしまったし、この白髪頭にはただつらい風がつめたくふきつける。

拙被林泉滯,生逢〈酒賦〉欺。

儒者の世渡り下手であるため、今このように林泉に留滞させられているのである。じぶんといふ者は生れてからこのかた、酒と賦とのためになぶりものにされているような気がしている。

文園終寂寞,漢閣自磷緇。

じぶんの今は司馬相加が文園の令となって病臥していたように寂寞であり、揚雄が漢の天祿閣で書を校したようにすべきであるが、もはや才力が消耗し、鋭気は衰えて、身、塵土に汚されてしまっているのである。#2

遂に雲臺の宿を阻つ,常に懷う〈湛露詩〉を。

翠華 森として遠し,白首 颯として淒其なり。

拙にして 林泉に滯っせしめらる,生れて逢う〈酒賦〉の欺るに。

文園 終に寂寞たり,漢閣 自ら磷緇【りんし】。

#3

病隔君臣議,慚紆德澤私。

病気の身で御政治向きの議論とかけはなれているが、自分のごときものにまでご恩沢をおし及ぼしてくださっていることで喜んでいるだけということは、恥ずかしいことである。

揚鑣驚主辱,拔劍撥年衰。

自分は、わが気味が、衣的に辱められ賜うと聞いては、驚いて轡を上げて馬を飛ばそうと思い、年の衰えかかるのをのぞくためには剣を抜いて勇気をはげましている。

社稷經綸地,風雲際會期。

その所は、天下の経綸を施すべき地であり、時は豪傑風雲に際会し、肅宗の宰相十六人としたる時であった。

血流紛在眼,涕灑亂交頤。

ところが、それからも、どこをみてもなまなましい血が流れている、これをみては涕がそそがれておのずと“おとがい”にみだれかかるのである。

 

病みて隔たる君臣の議,慚づらくは德澤の私を紆らさるるを。

揚鑣 主辱に驚き,拔劍 年衰を撥く。

社稷 經綸の地,風雲 際會の期。

血流るるは 紛として眼に在り,涕灑ぐは 亂れて頤に交わる。

 安史の乱当時の勢力図

 

『夔府書懷四十韻』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
3

#3

病隔君臣議,慚紆德澤私。

揚鑣驚主辱,拔劍撥年衰。

社稷經綸地,風雲際會期。

血流紛在眼,涕灑亂交頤。


(下し文)
#3

病みて隔たる君臣の議,慚づらくは德澤の私を紆らさるるを。

揚鑣 主辱に驚き,拔劍 年衰を撥く。

社稷 經綸の地,風雲 際會の期。

血流るるは 紛として眼に在り,涕灑ぐは 亂れて頤に交わる。


(現代語訳)
#3

病気の身で御政治向きの議論とかけはなれているが、自分のごときものにまでご恩沢をおし及ぼしてくださっていることで喜んでいるだけということは、恥ずかしいことである。

自分は、わが気味が、衣的に辱められ賜うと聞いては、驚いて轡を上げて馬を飛ばそうと思い、年の衰えかかるのをのぞくためには剣を抜いて勇気をはげましている。

その所は、天下の経綸を施すべき地であり、時は豪傑風雲に際会し、肅宗の宰相十六人としたる時であった。

ところが、それからも、どこをみてもなまなましい血が流れている、これをみては涕がそそがれておのずと“おとがい”にみだれかかるのである。


(訳注)  #3

夔府書懷四十韻

(夔州にて事をに感じたことをのべる。)大暦元年秋の作。

 

病隔君臣議,慚紆德澤私。

病気の身で御政治向きの議論とかけはなれているが、自分のごときものにまでご恩沢をおし及ぼしてくださっていることで喜んでいるだけということは、恥ずかしいことである。

君臣議 君臣の朝廷の朝議にての政治を議すること。

慚紆 恩沢が自分に及んでいるけれど、それに報いていないことを愧じるということ。紆とはめぐらすなり、遠く身に及ぶということ。

徳澤私 天子の恩沢、杜甫が、廣徳二年六月、尚書省の郎官となったこと。嚴武節度使、検校工部員外郎となり、緋衣魚袋をたまわったことをさす。

 

揚鑣驚主辱,拔劍撥年衰。

自分は、わが気味が、衣的に辱められ賜うと聞いては、驚いて轡を上げて馬を飛ばそうと思い、年の衰えかかるのをのぞくためには剣を抜いて勇気をはげましている。

揚鑣 轡をあげる、馬を飛ばすこと、國事のため躍りださんとするさま。「すわ、鎌倉!」

驚主辱 主辱とは代宗は、76310月陜州に逃避、765年吐蕃、回紇連合して、入寇と、しばしば吐蕃の長安侵寇に苦しめられることをさす。

拔劍 これも國難を平げんと思ふさま。

 のぞく。

ここまで、起二十句は往年より今日までの境遇の変化と、現に君国を思うことを述べている。

 

社稷經綸地,風雲際會期。

その所は、天下の経綸を施すべき地であり、時は豪傑風雲に際会し、肅宗の宰相十六人としたる時であった。

社稷經綸地 天下社稷のために經綸を行うべき地においてという意。

風雲際會期 君臣際会期といういみである、風雲は《易經》「雲従龍、風従虎」の風雲を借用するもので、肅宗が霊武において、行在所とするとき、肅宗の宰相十六人(韋見素・崔圓・房琯・裴冕・崔渙・李麟・苗晉卿・張鎬・王璵・呂・李峴・第五琦・李揆・蕭華・裴遵慶・元載。)をいう。杜甫《巻十二45 述古,三首之二》「舜舉十六相,身尊道何高。」根本的にいうと、むかし舜は十六人の賢相をあげて用いた、それで自身は尊くなり、その道は高尚である。(粛宗も宰相16人であるがとても酷いものが多いということ。)〇十六相 八元八憶と称する十六人のかしこい宰相をいう、事は「左伝」(文公十八年)にみえる。この時粛宗が任じた宰相が16人であったためにこういう表現をしたのである。

654 《巻十二45述古,三首之二》 蜀中転々 杜甫 <559>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3025 杜甫詩1000-559-799/1500

 

血流紛在眼,涕灑亂交頤。

ところが、それからも、どこをみてもなまなましい血が流れている、これをみては涕がそそがれておのずと“おとがい”にみだれかかるのである。

血流 安氏の乱によっておびただしい血が流れた。

交頤  “おとがい”にみだれかかる、涙がやたらに頬につたわる。

766年-133杜甫 《1614夔府書懷四十韻》#2 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-133 <996> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6660

杜甫  夔府書懷四十韻#2

遂阻雲臺宿,常懷〈湛露詩〉。翠華森遠矣,白首颯淒其。

拙被林泉滯,生逢〈酒賦〉欺。文園終寂寞,漢閣自磷緇。

それ以来は朝廷において疎まれて、宿直を申しあげることもかなわなくなったが、《詩經、小雅 湛露篇》にいう、天子が諸侯を宴するということで、御宴に倍したことをいつも胸に思っている。あの翠華の影は遠くになってしまったし、この白髪頭にはただつらい風がつめたくふきつける。儒者の世渡り下手であるため、今このように林泉に留滞させられているのである。じぶんといふ者は生れてからこのかた、酒と賦とのためになぶりものにされているような気がしている。じぶんの今は司馬相加が文園の令となって病臥していたように寂寞であり、揚雄が漢の天祿閣で書を校したようにすべきであるが、もはや才力が消耗し、鋭気は衰えて、身、塵土に汚されてしまっているのである。

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杜甫詩1500-996-1502-#2/2500

年:766年大暦元年55-133 

卷別:    卷二三○              文體:    五言古詩

詩題:    夔府書懷四十韻

作地點:              目前尚無資料

及地點:夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州、夔國  

崆峒山 (隴右道東部 岷州 崆峒山)  

灩澦堆 (山南東道 夔州 夔州)         

恒山 (河北道南部 定州 恒山(恆山)) 別名:恆山    

(都畿道 河南府 ) 別名:具茨山           

綠林山 (山南東道 荊州 當陽)         

青草湖 (江南西道 岳州 巴陵) 別名:巴丘湖、雲夢大澤           

             

 

夔府書懷四十韻 #1

(夔州にて事をに感じたことをのべる。)#1

昔罷河西尉,初興薊北師。

むかし自分が河西の尉を罷めたころちょうど薊北の謀反のいくさが興った。

不才名位晚,敢恨省郎遲。

自分は、不才であるから名位を得ることが遅いのはあたりまえかもしれないので、どうして郎官となったのがおそいなどと恨むことがろうか。

扈聖崆峒日,端居灩澦時。

かつては崆峒山の方面へ天子のおともをしたこともあった自分であるが、今は、灔澦堆のそばになにもせずにじっとして暮らしている。

萍流仍汲引,樗散尚恩慈。

自分は、萍流の際においてもひきたててくれる人があったし、ウドの大木みたくような様な身でありながら皇恩をかたじけなくしている。

夔府書懷四十韻#1

昔 河西の尉を罷,初めて薊北の師 興る。

不才名位 晚し,敢て恨まむや 省郎の遲きを。

聖を扈す 崆峒の日,端居す 灩澦の時。

萍流 仍お汲引せらる,樗散 尚お恩慈せらる。

#2

遂阻雲臺宿,常懷〈湛露詩〉。

それ以来は朝廷において疎まれて、宿直を申しあげることもかなわなくなったが、《詩經、小雅 湛露篇》にいう、天子が諸侯を宴するということで、御宴に倍したことをいつも胸に思っている。

翠華森遠矣,白首颯淒其。

あの翠華の影は遠くになってしまったし、この白髪頭にはただつらい風がつめたくふきつける。

拙被林泉滯,生逢〈酒賦〉欺。

儒者の世渡り下手であるため、今このように林泉に留滞させられているのである。じぶんといふ者は生れてからこのかた、酒と賦とのためになぶりものにされているような気がしている。

文園終寂寞,漢閣自磷緇。

じぶんの今は司馬相加が文園の令となって病臥していたように寂寞であり、揚雄が漢の天祿閣で書を校したようにすべきであるが、もはや才力が消耗し、鋭気は衰えて、身、塵土に汚されてしまっているのである。#2

遂に雲臺の宿を阻つ,常に懷う〈湛露詩〉を。

翠華 森として遠し,白首 颯として淒其なり。

拙にして 林泉に滯っせしめらる,生れて逢う〈酒賦〉の欺るに。

文園 終に寂寞たり,漢閣 自ら磷緇【りんし】。

#3

病隔君臣議,慚紆德澤私。

揚鑣驚主辱,拔劍撥年衰。

社稷經綸地,風雲際會期。

血流紛在眼,涕灑亂交頤。

#4

四瀆樓船汎,中原鼓角悲。

賊壕連白翟,戰瓦落丹墀。

先帝嚴靈寢,宗臣切受遺。

恆山猶突騎,遼海競張旗。

5

田父嗟膠漆,行人避蒺藜。

總戎存大體,降將飾卑詞。

楚貢何年堯封舊俗疑。

長吁翻北寇,一望卷西夷。

6

不必陪玄圃,超然待具茨。

凶兵鑄農器,講殿闢書幃。

廟算高難測,天憂實在茲。

形容真潦倒,答效莫支持。

7

使者分王命,群公各典司。

恐乖均賦斂,不似問瘡痍。

萬里煩供給,孤城最怨思。

綠林寧小患,雲夢欲難追。

8

即事須嘗膽,蒼生可察眉。

議堂猶集鳳,正觀是元龜。

處處喧飛檄,家家急競錐。

蕭車安不定,蜀使下何之。

9

釣瀨疏墳籍,耕巖進弈棋。

地蒸餘破扇,冬煖更纖絺。

豺遘哀登楚,麟傷泣象尼。

衣冠迷適越,藻繪憶遊睢。

10

賞月延秋桂,傾陽逐露葵。

大庭終反樸,京觀且僵尸。

高枕虛眠晝,哀歌欲和誰。

南宮載勳業,凡百慎交綏。

 

 皇城005

『夔府書懷四十韻』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2

遂阻雲臺宿,常懷〈湛露詩〉。

翠華森遠矣,白首颯淒其。

拙被林泉滯,生逢〈酒賦〉欺。

文園終寂寞,漢閣自磷緇。

(下し文)
遂に雲臺の宿を阻つ,常に懷う〈湛露詩〉を。

翠華 森として遠し,白首 颯として淒其なり。

拙にして 林泉に滯っせしめらる,生れて逢う〈酒賦〉の欺るに。

文園 終に寂寞たり,漢閣 自ら磷緇【りんし】。


(現代語訳)
#2

それ以来は朝廷において疎まれて、宿直を申しあげることもかなわなくなったが、《詩經、小雅 湛露篇》にいう、天子が諸侯を宴するということで、御宴に倍したことをいつも胸に思っている。

あの翠華の影は遠くになってしまったし、この白髪頭にはただつらい風がつめたくふきつける。

儒者の世渡り下手であるため、今このように林泉に留滞させられているのである。じぶんといふ者は生れてからこのかた、酒と賦とのためになぶりものにされているような気がしている。

じぶんの今は司馬相加が文園の令となって病臥していたように寂寞であり、揚雄が漢の天祿閣で書を校したようにすべきであるが、もはや才力が消耗し、鋭気は衰えて、身、塵土に汚されてしまっているのである。


(訳注) #2

夔府書懷四十韻

(夔州にて事をに感じたことをのべる。)大暦元年秋の作。

 

遂阻雲臺宿,常懷〈湛露詩〉。

それ以来は朝廷において疎まれて、宿直を申しあげることもかなわなくなったが、《詩經、小雅 湛露篇》にいう、天子が諸侯を宴するということで、御宴に倍したことをいつも胸に思っている。

阻雲臺宿 宮中の政治の場から阻隔されて宿直したことを言う。宦官、賀蘭進明・第五琦ら勢力の讒言により、肅宗は、儒者を嫌った。儒者グループの房琯、鄭虔、何将軍、杜甫らをいう。

湛露詩 《詩經、小雅 湛露篇》があり、天子が諸侯を宴する詩である。朝廷が宦官らに牛耳られ、各派、管力、将軍らが一枚岩となって宴会をすること。

 

翠華森遠矣,白首颯淒其。

あの翠華の影は遠くになってしまったし、この白髪頭にはただつらい風がつめたくふきつける。

翠華 天子の旗。

白首 杜甫自身の白髪頭。

颯淒其 颯はかぜのの吹くさま。淒其は、それがものがなしきさまである、其は助字。

 

拙被林泉滯,生逢〈酒賦〉欺。

儒者の世渡り下手であるため、今このように林泉に留滞させられているのである。じぶんといふ者は生れてからこのかた、酒と賦とのためになぶりものにされているような気がしている。

 世才のつたなきこと。儒者の世渡り下手を言う。

林泉滯 山林に留滞せしめらるる。

酒賦欺 酒と賦との生活に身を誤らせてしまい、しかし、それでいてそのことをあなどっていることを言う。

 

文園終寂寞,漢閣自磷緇。

じぶんの今は司馬相加が文園の令となって病臥していたように寂寞であり、揚雄が漢の天祿閣で書を校したようにすべきであるが、もはや才力が消耗し、鋭気は衰えて、身、塵土に汚されてしまっているのである。

文園 司馬相如が文園の令となっていたことを言い、それを杜甫自身に比している。

終寂寞 自分から求めてものさびしく静まっていること。隠遁している。

漢閣 漢の天祿閣、揚雄其上に書を校す。

自磷緇 《「論語」陽貨篇》孔子の言「不曰堅乎,磨而不磷;不曰白乎,涅而不緇。」(堅しと日わずや、磨すれども磷【うすろ】がず。白しと日わずや、涅【デッ】すれども緇【くろ】まず。)極めて堅いものは、どんなに磨いても薄くはならない。極めて白いものは、どんなに染めても黒くはならない。すなわち、志の堅固な者は、周囲の影響によって汚されることはない。この句にては、蓋し自己の鋭気衰えて、身、塵土に汚されたるをいう。
瞿塘峡・白帝城・魚復 

766年-132杜甫 《1614夔府書懷四十韻》#1 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-132 <995> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6655 

杜甫  夔府書懷四十韻#1

昔罷河西尉,初興薊北師。不才名位晚,敢恨省郎遲。

扈聖崆峒日,端居灩澦時。萍流仍汲引,樗散尚恩慈。

(夔州にて事をに感じたことをのべる。)#1

むかし自分が河西の尉を罷めたころちょうど薊北の謀反のいくさが興った。

自分は、不才であるから名位を得ることが遅いのはあたりまえかもしれないので、どうして郎官となったのがおそいなどと恨むことがろうか。

かつては崆峒山の方面へ天子のおともをしたこともあった自分であるが、今は、灔澦堆のそばになにもせずにじっとして暮らしている。

自分は、萍流の際においてもひきたててくれる人があったし、ウドの大木みたくような様な身でありながら皇恩をかたじけなくしている。

766-132杜甫 1614夔府書懷四十韻》#1 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-132 <995 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6655

 

 
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杜甫詩

1500-995-1502-#1/2500

年:       大曆元年

寫作時間:           766

寫作年紀:           55

卷別:    卷二三○              文體:    五言古詩

詩題:    夔府書懷四十韻

詩序:   

作地點:              目前尚無資料

及地點:夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州、夔國  

崆峒山 (隴右道東部 岷州 崆峒山)  

灩澦堆 (山南東道 夔州 夔州)         

恒山 (河北道南部 定州 恒山(恆山)) 別名:恆山    

(都畿道 河南府 ) 別名:具茨山           

綠林山 (山南東道 荊州 當陽)         

青草湖 (江南西道 岳州 巴陵) 別名:巴丘湖、雲夢大澤           

交遊人物/地點:  

 

夔府書懷四十韻 #1

(夔州にて事をに感じたことをのべる。)#1

昔罷河西尉,初興薊北師。

むかし自分が河西の尉を罷めたころちょうど薊北の謀反のいくさが興った。

不才名位晚,敢恨省郎遲。

自分は、不才であるから名位を得ることが遅いのはあたりまえかもしれないので、どうして郎官となったのがおそいなどと恨むことがろうか。

扈聖崆峒日,端居灩澦時。

かつては崆峒山の方面へ天子のおともをしたこともあった自分であるが、今は、灔澦堆のそばになにもせずにじっとして暮らしている。

萍流仍汲引,樗散尚恩慈。

自分は、萍流の際においてもひきたててくれる人があったし、ウドの大木みたくような様な身でありながら皇恩をかたじけなくしている。

夔府書懷四十韻#1

昔 河西の尉を罷,初めて薊北の師 興る。

不才名位 晚し,敢て恨まむや 省郎の遲きを。

聖を扈す 崆峒の日,端居す 灩澦の時。

萍流 仍お汲引せらる,樗散 尚お恩慈せらる。

#2

遂阻雲臺宿,常懷〈湛露詩〉。

翠華森遠矣,白首颯淒其。

拙被林泉滯,生逢〈酒賦〉欺。

文園終寂寞,漢閣自磷緇。

#3

病隔君臣議,慚紆德澤私。

揚鑣驚主辱,拔劍撥年衰。

社稷經綸地,風雲際會期。

血流紛在眼,涕灑亂交頤。

#4

四瀆樓船汎,中原鼓角悲。

賊壕連白翟,戰瓦落丹墀。

先帝嚴靈寢,宗臣切受遺。

恆山猶突騎,遼海競張旗。

5

田父嗟膠漆,行人避蒺藜。

總戎存大體,降將飾卑詞。

楚貢何年堯封舊俗疑。

長吁翻北寇,一望卷西夷。

6

不必陪玄圃,超然待具茨。

凶兵鑄農器,講殿闢書幃。

廟算高難測,天憂實在茲。

形容真潦倒,答效莫支持。

7

使者分王命,群公各典司。

恐乖均賦斂,不似問瘡痍。

萬里煩供給,孤城最怨思。

綠林寧小患,雲夢欲難追。

8

即事須嘗膽,蒼生可察眉。

議堂猶集鳳,正觀是元龜。

處處喧飛檄,家家急競錐。

蕭車安不定,蜀使下何之。

9

釣瀨疏墳籍,耕巖進弈棋。

地蒸餘破扇,冬煖更纖絺。

豺遘哀登楚,麟傷泣象尼。

衣冠迷適越,藻繪憶遊睢。

10

賞月延秋桂,傾陽逐露葵。

大庭終反樸,京觀且僵尸。

高枕虛眠晝,哀歌欲和誰。

南宮載勳業,凡百慎交綏。

 

 

『夔府書懷四十韻』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夔府書懷四十韻#1

昔罷河西尉,初興薊北師。

不才名位晚,敢恨省郎遲。

扈聖崆峒日,端居灩時。

萍流仍汲引,樗散尚恩慈。

(下し文)
夔府書懷四十韻#1

昔 河西の尉を罷,初めて薊北の師 興る。

不才名位 晚し,敢て恨まむや 省郎の遲きを。

聖を扈す 崆峒の日,端居す 灩澦の時。

萍流 仍お汲引せらる,樗散 尚お恩慈せらる。


(現代語訳)
(夔州にて事をに感じたことをのべる。)#1

むかし自分が河西の尉を罷めたころちょうど薊北の謀反のいくさが興った。

自分は、不才であるから名位を得ることが遅いのはあたりまえかもしれないので、どうして郎官となったのがおそいなどと恨むことがろうか。

かつては崆峒山の方面へ天子のおともをしたこともあった自分であるが、今は、灔澦堆のそばになにもせずにじっとして暮らしている。

自分は、萍流の際においてもひきたててくれる人があったし、ウドの大木みたくような様な身でありながら皇恩をかたじけなくしている。


(訳注)

夔府書懷四十韻#1

(夔州にて事をに感じたことをのべる。)大暦元年秋の作。

 

昔罷河西尉,初興薊北師。

むかし自分が河西の尉を罷めたころちょうど薊北の謀反のいくさが興った。

罷河西尉 天寶十四年十月のはじめに「河西の尉」という赴任地が示されてきた。河西の尉は河西節度判官の尉。当時、涼州(甘粛省武威県)にあった河西節度使の節度判官の尉(副官)の地位のことは友人の高適から聞いていて、高適もこの職についてすぐ退任している。

《巻三39》官定後戯贈         

官定まりて後 戯れに贈る

不作河西尉、淒涼為折腰。

河西の尉と作らざるは、淒涼 腰を折るが為なり。

老父怕趨走、率府且逍遥。

老父 趨走を怕れ、率府に且つ逍遥す。

耽酒須微禄、狂歌託聖朝。

酒に耽るには微禄を須【ま】ち、狂歌して聖朝に託す。

故山帰興尽、囘首向風飇。

故山 帰興尽き、首を囘らして風飇に向かう。

薊北師 薊州は安禄山の根拠地、叛乱を起こした場所。

 

不才名位晚,敢恨省郎遲。

自分は、不才であるから名位を得ることが遅いのはあたりまえかもしれないので、どうして郎官となったのがおそいなどと恨むことがろうか。

名位晚 官途に就くのが非常に遅かったこと。

省郎遲 尚書省の郎官となることが遅かったこと。廣徳二年六月嚴武が推薦して、節度使。検校工部員外郎となり、緋衣魚袋をたまわる。

 

扈聖崆峒日,端居灩澦時。

かつては崆峒山の方面へ天子のおともをしたこともあった自分であるが、今は、灔澦堆のそばになにもせずにじっとして暮らしている。

扈聖 肅宗に扈従する

崆峒 崆峒山のこと。古くは空同山と稱した,甘肅省平涼市以西に位置する。,六盤山支脈に屬す,南北に走向し,延長は約100km,山脈幅は平均15km,主峰は翠屏峰で海拔2123m,ぜっぺきは垂直高度683米もある。崆峒山には自然景觀が集り、人文景觀は一身に和ぐ,有「西來第一山」、「西鎮奇觀」、「中國道教第一山」等美譽,山上有道觀禪院八台九宮十二院四十二座建築群、と七十二處石府洞天などが,大多く集中、分布して「五台」區に在る。

《巻六55洗兵行》「已喜皇威清海岱,常思仙仗過崆峒。」(己に喜ぶ皇威の海岱を清うするを、常に思う仙仗の崆峒に過りしを。)一方にはもはやわが天子の御威光が渤海・岱山の遠方までを鎮定するに至ったことを喜ぶとともに、他方には我が君がかつて崆峒山のあたりまで御通過になったことはわすれられぬことである。

洗兵行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ990 杜甫特集700- 295

端居 なにもせずにいる。

灩澦 山南東道夔州の灩澦堆。江中の石の名、奉節県の西南、瞿塘峡に差し掛かる前にある。瞿塘は峡の名、四川省夔州府にある。その峡口に灩預石がある、唯は石のこと、その石が水量を示す標準となる、「灩預堆が馬ぐらいに見えるのであれば、瞿塘峡を下ってはいけないし、灩預堆が象の大きさに見えるのであれば瞿塘峡を昇ることはできない」の語がある。古楽府の歌に「淫予(灔澦)大なること馬の如くなれば、瞿塘下るべからず」という。・瞿塘灩預堆 長江瞿塘峽口的險灘。 在四川省奉節縣東。 唐李白《長干行》之一:十六君遠行, 瞿塘灩澦堆。” 王琦注引《太平寰宇記》:灩澦堆, 周回二十丈, 在夔州西南二百步蜀江中心瞿塘峽口。《1515灩澦堆》「巨積水中央,江寒出水長。沈牛答雲雨,如馬戒舟航。天意存傾覆,神功接混茫。干戈連解纜,行止憶垂堂。」

766年-91杜甫 《1515灩澦堆》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-91 <954 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6405 

 

萍流仍汲引,樗散尚恩慈。

自分は、萍流の際においてもひきたててくれる人があったし、ウドの大木みたくような様な身でありながら皇恩をかたじけなくしている。

萍流 浮き萍が漂流するがごとく流浪する。

仍汲引 井戸水をくみ上げるように地位を引き立ててもらうこと、嚴武が推薦してくれたことを言う。

樗散 樗は悪い木の名前、散は役に立たず打ち捨てられること。樗は「荘子」逍遥遊篇に、散木は同書人間世篇に見える。樗は無用の大木の名、散木とは不材のためうちすててある木をいう。ここは老朽無用の地にあることをいう。《巻五35送鄭十八虔貶台州司》「鄭公樗散鬢成絲,酒後常稱老畫師。」

尚恩慈 天使の恩義。

766年-131杜甫 《1605諸將,五首之五》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-131 <994> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6650

杜甫  諸將,五首之五

錦江春色逐人來,巫峽清秋萬壑哀。正憶往時嚴僕射,共迎中使望臺。

主恩前後三持節,軍令分明數舉杯。西蜀地形天下險,安危須仗出群材。

(この第五首は現在の諸将は、厳武のように、敵から怖がられる気概を持って当たらなければいけない、とのべる。「巫峡清秋」の語により大暦元年秋の作であることを知ることができる。

素晴らしい錦江の春げしきの興が、ずっと自分を逐いかけてくるのであるが、いま巫峡は清らかな秋で万の壑も哀しげであるのも興である。そうなると、自分は今ちょうどそのときも、清らかな秋であったが、厳武僕射と望郷台で宮中からのお使いをお迎えしたことを、思い出さずにはおれない。厳武は天子の恩厚きによって、前後三回も節度使を持して蜀へやってき、彼が在任中は軍令も分明で部下がよくおさまり、たびたびじぶんと杯をあげて酒を飲んだのであるところが彼去ると蜀はどうだ。そのたびに騒乱がおこり、その絶え間が無いではないか。西方蜀地の地形は天下の険要なところであり、この地の安危を保つには彼のような敵に一目置かせるほど、抜群の人物によらねばならぬのである。

766-131杜甫 《1605諸將,五首之五》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-131 <994> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6650

 

 
  2015年9月22日 の紀頌之5つのBlog  
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杜甫詩1500-994-1501/2500

年:-766年大暦元年55-131

卷別:  卷二三○        文體:  七言律詩

詩題:  諸將,五首之五

作地點:        夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:        錦江 (劍南道北部 益州 成都)      

(劍南道北部 益州 成都)   

交遊人物/地點:嚴武     詩文提及

 

 

諸將,五首之五

(この第五首は現在の諸将は、厳武のように、敵から怖がられる気概を持って当たらなければいけない、とのべる。「巫峡清秋」の語により大暦元年秋の作であることを知ることができる。

錦江春色逐人來,巫峽清秋萬壑哀。

素晴らしい錦江の春げしきの興が、ずっと自分を逐いかけてくるのであるが、いま巫峡は清らかな秋で万の壑も哀しげであるのも興である。

正憶往時嚴僕射,共迎中使望臺。

そうなると、自分は今ちょうどそのときも、清らかな秋であったが、厳武僕射と望郷台で宮中からのお使いをお迎えしたことを、思い出さずにはおれない。

主恩前後三持節,軍令分明數舉杯。

厳武は天子の恩厚きによって、前後三回も節度使を持して蜀へやってき、彼が在任中は軍令も分明で部下がよくおさまり、たびたびじぶんと杯をあげて酒を飲んだのである

西蜀地形天下險,安危須仗出群材。

ところが彼去ると蜀はどうだ。そのたびに騒乱がおこり、その絶え間が無いではないか。西方蜀地の地形は天下の険要なところであり、この地の安危を保つには彼のような敵に一目置かせるほど、抜群の人物によらねばならぬのである。

錦江の春色人を逐うて来たる、巫峽の清秋万壑哀し。

正に憶う 往時の厳僕射、共に中使を迎う 望郷台。

主恩 前後三たび節を持す、軍令 分明 数しば杯を挙げき。

西蜀の地形は天下の険なり、安危 須らく仗るべし 出群の材。

 

蜀中転々圖 

諸將,五首之五』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

諸將,五首之五

錦江春色逐人來,巫峽清秋萬壑哀。

正憶往時嚴僕射,共迎中使望臺。

主恩前後三持節,軍令分明數舉杯。

西蜀地形天下險,安危須仗出群材。
詩文(含異文)

錦江春色逐人來,巫峽清秋萬壑哀。正憶往時嚴僕射,共迎中使望臺。主恩前後三持節【案:嚴武一鎮東川,兩鎮劍南。】,軍令分明數舉杯。西蜀地形天下險,安危須仗出群材。


(下し文)
(諸將,五首の五)

錦江の春色人を逐うて来たる、巫峽の清秋万壑哀し。

正に憶う 往時の厳僕射、共に中使を迎う 望郷台。

主恩 前後三たび節を持す、軍令 分明 数しば杯を挙げき。

西蜀の地形は天下の険なり、安危 須らく仗るべし 出群の材。

(現代語訳)
(この第五首は現在の諸将は、厳武のように、敵から怖がられる気概を持って当たらなければいけない、とのべる。「巫峡清秋」の語により大暦元年秋の作であることを知ることができる。

素晴らしい錦江の春げしきの興が、ずっと自分を逐いかけてくるのであるが、いま巫峡は清らかな秋で万の壑も哀しげであるのも興である。

そうなると、自分は今ちょうどそのときも、清らかな秋であったが、厳武僕射と望郷台で宮中からのお使いをお迎えしたことを、思い出さずにはおれない。

厳武は天子の恩厚きによって、前後三回も節度使を持して蜀へやってき、彼が在任中は軍令も分明で部下がよくおさまり、たびたびじぶんと杯をあげて酒を飲んだのである

ところが彼去ると蜀はどうだ。そのたびに騒乱がおこり、その絶え間が無いではないか。西方蜀地の地形は天下の険要なところであり、この地の安危を保つには彼のような敵に一目置かせるほど、抜群の人物によらねばならぬのである。


(訳注)

諸將,五首之五

この第五首は現在の諸将は、厳武のように、敵から怖がられる気概を持って当たらなければいけない、とのべる。「巫峡清秋」の語により大暦元年秋の作であることを知ることができる。

諸将 将軍らをいう。詩中に或はその人を明言し或は明言しない。

将軍らの事について感をのべる。事は詩中に見える。広徳元年から大暦元年秋の作で諸将として大暦元年秋に集約。

この五首は一時の作ではない。そのことについては各首のもとにのべよう。

 

 

錦江春色逐人來,巫峽清秋萬壑哀。

素晴らしい錦江の春げしきの興が、ずっと自分を逐いかけてくるのであるが、いま巫峡は清らかな秋で万の壑も哀しげであるのも興である。

錦江、成都の錦江、浣花渓のある濯錦江をいう。

逐人来 人とは自己をさす。

巫峡 夔州のことをいうものであるが、三峡の真ん中に位置する巫峽は近くにあるのでこれをあげていう。

 

正憶往時嚴僕射,共迎中使望臺。

そうなると、自分は今ちょうどそのときも、清らかな秋であったが、厳武僕射と望郷台で宮中からのお使いをお迎えしたことを、思い出さずにはおれない。

厳僕射 厳武をいう。僕射:1 中国の官名。左右各1名が置かれる。秦代に始まり、唐・宋時代は宰相の任にあたった。2 左大臣・右大臣の唐名。

中使 宮中よりのおっかい。

望郷台 成都の北にある。嚴武が、762都に召喚される見送りに梓州まで同行する際のこと。奉送嚴公入朝十韻 蜀中転々 杜甫 <534-#2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2870 杜甫詩1000-534-#2-768/1500

 

主恩前後三持節,軍令分明數舉杯。

厳武は天子の恩厚きによって、前後三回も節度使を持して蜀へやってき、彼が在任中は軍令も分明で部下がよくおさまり、たびたびじぶんと杯をあげて酒を飲んだのである

主恩 天子の御恩により。

三持節 厳武は、一度目は、76112月東川節度使として、段子章の叛を鎮める。二度目は、762玄宗によって成都尹・西川節度使になり、都に召喚されると、徐知道が謀叛、三度目は764年剣南節度使として蜀に来任し、侵寇していた吐蕃をやぶる、節は天子より武権をおゆだねになるしるしとして賜わった。

軍命 軍の命令。

 

西蜀地形天下險,安危須仗出群材。

ところが彼去ると蜀はどうだ。そのたびに騒乱がおこり、その絶え間が無いではないか。西方蜀地の地形は天下の険要なところであり、この地の安危を保つには彼のような敵に一目置かせるほど、抜群の人物によらねばならぬのである。

西蜀 西方蜀地の意。

出群材 凡庸の群衆からぬけでた人物、嚴武をさす。吐蕃は嚴武を怖がっていた。

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766年大暦元年55-42-#1奉節-33-#1 《巻16-05 八哀詩八首〔三〕贈左僕射鄭國公嚴公武 八分割-#1 杜甫index-15 杜甫<905-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5640

766年大暦元年55-42-#2奉節-33-#2 《巻16-05 八哀詩八首〔三〕贈左僕射鄭國公嚴公武 八分割-#2 杜甫index-15 杜甫<905-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5645

766年大暦元年55-42-#3奉節-33-#3 《巻16-05 八哀詩八首〔三〕贈左僕射鄭國公嚴公武 八分割-#3 杜甫index-15 杜甫<905-3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5650

766年大暦元年55-42-#4奉節-33-#4 《巻16-05 八哀詩八首〔三〕贈左僕射鄭國公嚴公武 八分割-#4 杜甫index-15 杜甫<905-4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5655

766年大暦元年55-42-#5奉節-33-#5 《巻16-05 八哀詩八首〔三〕贈左僕射鄭國公嚴公武 八分割-#5 杜甫index-15 杜甫<905-5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5660

766年大暦元年55-42-#6奉節-33-#6 《巻16-05 八哀詩八首〔三〕贈左僕射鄭國公嚴公武 八分割-#6 杜甫index-15 杜甫<905-6 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5665

766年大暦元年55-42-#7奉節-33-#7 《巻16-05 八哀詩八首〔三〕贈左僕射鄭國公嚴公武 八分割-#7 杜甫index-15 杜甫<905-7 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5670

766年大暦元年55-42-#8奉節-33-#8 《巻16-05 八哀詩八首〔三〕贈左僕射鄭國公嚴公武 八分割-#8 杜甫index-15 杜甫<905-8 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5675

766年-77杜甫 《1714西閣三度期大昌嚴明府,同宿不到》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-77 <940 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6335

 

《寄題杜二錦江野亭》 厳武  蜀中転々 <528(附)  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2840 杜甫詩1000-528(附)-762/1500

酬別杜二  厳武 蜀中転々 杜甫 <534(附-#1)>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2880 杜甫詩1000-534(附-#1)-770/1500

酬別杜二 厳武  蜀中転々 杜甫 <534(附-#2)>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2880 杜甫詩1000-534(附-#2)-770/1500

《軍城早秋》 厳武 764年 <0 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4555 杜甫詩1500-0-1082/2500

 

1            漢朝陵墓對南山,胡虜千秋尚入關。昨日玉魚蒙葬地,

              早時金碗出人間。見愁汗馬西戎逼,曾閃朱旗北斗殷。

              多少材官守涇渭,將軍且莫破愁顏。

2            韓公本意築三城,擬天驕拔漢旌。豈謂盡煩回紇馬,

              翻然遠救朔方兵。胡來不覺潼關隘,龍起猶聞晉水清。

              獨使至尊憂社稷,諸君何以答升平。

3            洛陽宮殿化為烽,休道秦關百二重。滄海未全歸禹貢,

              薊門何處盡堯封。朝廷袞職雖多預,天下軍儲不自供。

              稍喜臨邊王相國,肯銷金甲事春農。

4            回首扶桑銅柱標,冥冥氛祲未全銷。越裳翡翠無消息,

              南海明珠久寂寥。殊錫曾為大司馬,總戎皆插侍中貂。

              炎風朔雪天王地,只在忠臣翊聖朝。

5            錦江春色逐人來,巫峽清秋萬壑哀。正憶往時嚴僕射,

              共迎中使望台。主恩前後三持節,軍令分明數舉杯。

              西蜀地形天下險,安危須仗出群材。

766年-130杜甫 《1604諸將,五首之四》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-130 <993> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6645

杜甫  諸將,五首之四   

迴首扶桑銅柱標,冥冥氛祲未全銷。越裳翡翠無消息,南海明珠久寂寥。

殊錫曾為大司馬,總戎皆插侍中貂。炎風朔雪天王地,只在忠臣翊聖朝。

(外征や衛戍の指揮統率をする者たち、諸将軍や節度使たち、辺疆防衛のためにおかれた軍団の長たちについて、第四首は、南方の遠地もまた朝貢を欠くことをいい、朝廷の指導力、武臣が忠誠を尽くさんことをのぞんでいる。)

首をふりむけば、南方の扶桑、後漢の馬猨が国境線を明確に示すものとして建てた銅柱のめじるしのある方面をながめるのに、そちらも悪気がくらくとざして全くはきえうせぬ。越裳国からの翡翠のみつぎものどころか、ほとんど消息がなく、南海の真珠の貢ものもながらくおとさたなしである。ところで武人はとみると、かつては、特別のおぼしめしで大司馬になったものもあるし、総大将で侍中のような罪のかざりを冠にはさんでいるものは全部がそれだ。朔雪の地はもとよりのことだが、炎風の地もやはり同じく吾が天子の領土であり、それを放置せず、その地をして朝貢させるようにすべきであるが、その要務はどこにあるといえばただ忠良の臣たるものが聖明の朝廷をおたすけしてゆくことに在るのである。

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杜甫詩1500-993-1500/2500

年:766年大暦元年55-130

卷別:  卷二三○        文體:  七言律詩

詩題:  諸將,五首之四

作地點:        夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:        越裳 (嶺南道西部 驩州 越裳)      

南海 (嶺南道東部 廣州 南海)     

 

 

諸將,五首之四

(外征や衛戍の指揮統率をする者たち、諸将軍や節度使たち、辺疆防衛のためにおかれた軍団の長たちについて、第四首は、南方の遠地もまた朝貢を欠くことをいい、朝廷の指導力、武臣が忠誠を尽くさんことをのぞんでいる。)

迴首扶桑銅柱標,冥冥氛祲未全銷。

首をふりむけば、南方の扶桑、後漢の馬猨が国境線を明確に示すものとして建てた銅柱のめじるしのある方面をながめるのに、そちらも悪気がくらくとざして全くはきえうせぬ。

越裳翡翠無消息,南海明珠久寂寥。

越裳国からの翡翠のみつぎものどころか、ほとんど消息がなく、南海の真珠の貢ものもながらくおとさたなしである。

殊錫曾為大司馬,總戎皆插侍中貂。

ところで武人はとみると、かつては、特別のおぼしめしで大司馬になったものもあるし、総大将で侍中のような罪のかざりを冠にはさんでいるものは全部がそれだ。

炎風朔雪天王地,只在忠臣翊聖朝。

朔雪の地はもとよりのことだが、炎風の地もやはり同じく吾が天子の領土であり、それを放置せず、その地をして朝貢させるようにすべきであるが、その要務はどこにあるといえばただ忠良の臣たるものが聖明の朝廷をおたすけしてゆくことに在るのである。

(諸將,五首の四)

首を廻らす扶桑銅柱の標、冥冥たる氛祲未だ全く銷せず

越裳の翡翠消息無く、南海の明珠久しく寂蓼。

殊錫曾て大司馬と為る、総戎皆插む侍中の貂。

炎風も朔雪も天王の地、只だ忠良の聖朝を翊たすくるに在り。

 

諸將,五首之四』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

諸將,五首之四

迴首扶桑銅柱標,冥冥氛祲未全銷。

越裳翡翠無消息,南海明珠久寂寥。

殊錫曾為大司馬,總戎皆插侍中貂。

炎風朔雪天王地,只在忠臣翊聖朝。
詩文(含異文)  迴首扶桑銅柱標,冥冥氛祲未全銷【冥冥氛祲不全銷】。越裳翡翠無消息,南海明珠久寂寥。殊錫曾為大司馬,總戎皆插侍中貂。炎風朔雪天王地,只在忠臣翊聖朝【只在忠良翊聖朝】。


(下し文)
(諸將,五首の四)

首を廻らす扶桑銅柱の標、冥冥たる氛祲未だ全く銷せず

越裳の翡翠消息無く、南海の明珠久しく寂蓼。

殊錫曾て大司馬と為る、総戎皆插む侍中の貂。

炎風も朔雪も天王の地、只だ忠良の聖朝を翊たすくるに在り。

(現代語訳)
(外征や衛戍の指揮統率をする者たち、諸将軍や節度使たち、辺疆防衛のためにおかれた軍団の長たちについて、第四首は、南方の遠地もまた朝貢を欠くことをいい、朝廷の指導力、武臣が忠誠を尽くさんことをのぞんでいる。)

首をふりむけば、南方の扶桑、後漢の馬猨が国境線を明確に示すものとして建てた銅柱のめじるしのある方面をながめるのに、そちらも悪気がくらくとざして全くはきえうせぬ。

越裳国からの翡翠のみつぎものどころか、ほとんど消息がなく、南海の真珠の貢ものもながらくおとさたなしである。

ところで武人はとみると、かつては、特別のおぼしめしで大司馬になったものもあるし、総大将で侍中のような罪のかざりを冠にはさんでいるものは全部がそれだ。

朔雪の地はもとよりのことだが、炎風の地もやはり同じく吾が天子の領土であり、それを放置せず、その地をして朝貢させるようにすべきであるが、その要務はどこにあるといえばただ忠良の臣たるものが聖明の朝廷をおたすけしてゆくことに在るのである。


(訳注)

諸將,五首之四

(外征や衛戍の指揮統率をする者たち、諸将軍や節度使たち、辺疆防衛のためにおかれた軍団の長たちについて、第四首は、南方の遠地もまた朝貢を欠くことをいい、朝廷の指導力、武臣が忠誠を尽くさんことをのぞんでいる。)

○諸将 将軍らをいう。詩中に或はその人を明言し或は明言しない。

南方の遠地もまた朝貢を欠くことをいい、武臣が忠誠を尽くさんことをのぞんでいる。製作年時は明らかでない。

 

迴首扶桑銅柱標,冥冥氛祲未全銷。

首をふりむけば、南方の扶桑、後漢の馬猨が国境線を明確に示すものとして建てた銅柱のめじるしのある方面をながめるのに、そちらも悪気がくらくとざして全くはきえうせぬ。

廻首 内地の事からはなれて遠方のことをいおうとしてかくいった。

扶桑 元来東海にある国のことであるが借りて南海をさす。

銅柱標 「扶桑」後漢の馬猨が国境線を明確に示すものとして建てたもの。扶桑は廣東地方の海をいい、銅柱は元來に交趾の事であり、今一つとして用いているのは、南方に銅柱残るとは唐の権力がその地に行き渡っていることをいうものである。『南史』「馬援所植兩銅柱,表漢界處也」(林邑国南界、馬援植つる所の両銅柱は、漢界を表する処なり。)とある、銅標は国界を表す目印、後漢の馬援がたてたもの、借りて越裳をさす。

氛祲 不吉の悪気。

 

越裳翡翠無消息,南海明珠久寂寥。

越裳国からの翡翠のみつぎものどころか、ほとんど消息がなく、南海の真珠の貢ものもながらくおとさたなしである。

越裳 古代の国名、今の交祉地方、此の句は起句の「銅柱」を承ける。

翠 かわせみ。

南海 広東地方をさす。此の句は「扶桑」を承ける。南海は廣東地方の海をいい、銅柱は元來に交趾の事であり、今一つとして用いているのは、南方に銅柱残るとは唐の権力がその地に行き渡っていることをいうものである。

明珠 明月珠、真珠のこと。

 

殊錫曾為大司馬,總戎皆插侍中貂。

ところで武人はとみると、かつては、特別のおぼしめしで大司馬になったものもあるし、総大将で侍中のような罪のかざりを冠にはさんでいるものは全部がそれだ。

殊錫 天子の特別の寵愛によってたまわる。

大司馬 漢の武帝の置いた武官の最上の官の名。唐でいうならば副元帥・都統・節度使・都督府・都護府の長官などで征伐の権を専らにするものがこれに相当しょう、事実何人をさすかは明らかでない。

總戎 これも軍務の長である。杜詩では節度使に対してしばしば総戎の語を用いている。

杜甫詩 「總戎」 について

卷一三37 將赴成都草堂途中有作先寄嚴鄭公五首  其五

總戎雲鳥陣,不妨遊子芰荷衣。

卷一三45 奉寄高常侍

汶上相逢年頗多,飛騰無那故人何。總戎楚蜀應全未,方駕曹劉不啻過。

卷一四77 遣憤 

聞道花門將,論功未盡歸。自從收帝里,誰復總戎機?

卷一五50  雨二首其二

南防草鎮慘,霑濕赴遠役。群盜下辟山,總戎備強敵。水深雲光廓,鳴艣各有適

卷一六04  諸將五首 其四

殊錫曾為大司馬,總戎皆插侍中貂。

卷一六14  夔府書懷四十韻 

恆山猶突騎,遼海競張旗。田父嗟膠漆,行人避蒺藜。總戎存大體,降將飾卑

插侍中貂 貂はてんのしっぼ、拝は冠にそれをさしはさむこと。侍中は天子の命令を出納し、礼儀を相けることを掌る官である、唐では侍中・左右常侍・中書令は冠に金曜をつけ解をはさんだ。此の句は節度使で宰相の肩書を帯びるものをさすもののごとくである。

 

炎風朔雪天王地,只在忠臣翊聖朝。

朔雪の地はもとよりのことだが、炎風の地もやはり同じく吾が天子の領土であり、それを放置せず、その地をして朝貢させるようにすべきであるが、その要務はどこにあるといえばただ忠良の臣たるものが聖明の朝廷をおたすけしてゆくことに在るのである。

炎風 熱風の吹く地、すなわち南海の地方をいう。

朔雪 北方の雪のふる地、すなわち中国北部をいう、前欝の槍海・前門などは朔雪の地である。

天王地 天子の領地。

只在 在の字の主語はない、義も肝要の務めは」というような語をおいてみるがよい。

忠臣 或は忠良に作る、良に従う。忠良は忠誠善良の臣。

766年-129杜甫 《1603諸將,五首之三》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-129 <992> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6640

杜甫  諸將,五首之三  

洛陽宮殿化為烽,休道秦關百二重。滄海未全歸禹貢,薊門何處盡堯封。

朝廷袞職雖多預,天下軍儲不自供。稍喜臨邊王相國,肯銷金甲事春農。

(外征や衛戍の指揮統率をする者たち、諸将軍や節度使たち、辺疆防衛のためにおかれた軍団の長たちについて、第三首は乱後の民困をいい、諸将の屯田を行なわぬことを責めるが、王維の弟の王縉に対して期待していると述べる。)766年大暦元年の作。

洛陽の宮殿も“のろし火”にかわった。秦中の関塞は昔から、外敵の百分二の防禦力あれば足るほどの要害だなどいうことであったが、百万の軍が三十万の安史軍に大敗したではないか。今日東海地方はまだ天子の職貢の地となり、平穏な状態になっているとは言えないし、安史軍の根拠地の薊門のあたりもどこがすっかり王領になって治まったというのか。朝廷の三公の職に居る人人はやたらに官職ばかり多く帯びているが、天下の軍需品は強制的に取るのでなければ供給されぬありさまではないか。このときすこしばかり喜ぶべきことがあるのは、私の親友の王維の弟の王相国(縉)が河南・准西・山南東道の辺統一にのぞまれたということだが、王相国のことだから、兵器をとかして農具をこしらへ春をまって農作を専務とされるかんがえがおありになることだろう。

766-129杜甫 《1603諸將,五首之三》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-129 <992> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6640

 

 
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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杜甫詩1500-992-1499/2500

年:766年大暦元年55-129 

卷別:    卷二三○              文體:    七言律詩

詩題:    諸將,五首之三

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下      

故函谷關 (都畿道 陜州 故函谷關) 別名:秦關             

 

 

諸將,五首之三

(外征や衛戍の指揮統率をする者たち、諸将軍や節度使たち、辺疆防衛のためにおかれた軍団の長たちについて、第三首は乱後の民困をいい、諸将の屯田を行なわぬことを責めるが、王維の弟の王縉に対して期待していると述べる。)766年大暦元年の作。

洛陽宮殿化為烽,休道秦關百二重。

洛陽の宮殿も“のろし火”にかわった。秦中の関塞は昔から、外敵の百分二の防禦力あれば足るほどの要害だなどいうことであったが、百万の軍が三十万の安史軍に大敗したではないか。

滄海未全歸禹貢,薊門何處盡堯封。

今日東海地方はまだ天子の職貢の地となり、平穏な状態になっているとは言えないし、安史軍の根拠地の薊門のあたりもどこがすっかり王領になって治まったというのか。

朝廷袞職雖多預,天下軍儲不自供。

朝廷の三公の職に居る人人はやたらに官職ばかり多く帯びているが、天下の軍需品は強制的に取るのでなければ供給されぬありさまではないか。

稍喜臨邊王相國,肯銷金甲事春農。

このときすこしばかり喜ぶべきことがあるのは、私の親友の王維の弟の王相国(縉)が河南・准西・山南東道の辺統一にのぞまれたということだが、王相国のことだから、兵器をとかして農具をこしらへ春をまって農作を専務とされるかんがえがおありになることだろう。

 

(諸將,五首の三)

洛陽の宮殿 化して烽と為る,道うを休めよ 秦關 百二の重と。

滄海 未だ全っく禹貢に歸せず,薊門 何れの處にか 盡く堯封なる。

朝廷の袞職は 多く預ると雖も,天下の軍儲は 自ら供せず。

稍やもして 喜ぶは邊に王相國 臨み,肯えて金甲を銷して 春農を事とせんや。
楚州001

 

諸將,五首之三』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

諸將,五首之三

洛陽宮殿化為烽,休道秦關百二重。

滄海未全歸禹貢,薊門何處盡堯封。

朝廷袞職雖多預,天下軍儲不自供。

稍喜臨邊王相國,肯銷金甲事春農。
詩文(含異文)     洛陽宮殿化為烽,休道秦關百二重。滄海未全歸禹貢,薊門何處盡堯封【案:時河北幽、瀛皆安史餘孽盤據。】【薊門何處覓堯封】。朝廷袞職雖多預【朝廷袞職誰爭補】,天下軍儲不自供。稍喜臨邊王相國,肯銷金甲事春農【案:廣德二年,王縉以同平章事,代李光弼都統行營。餘,遷河南副元帥。】。


(下し文)
(諸將,五首の三)

洛陽の宮殿 化して烽と為る,道うを休めよ 秦關 百二の重と。

滄海 未だ全っく禹貢に歸せず,薊門 何れの處にか 盡く堯封なる。

朝廷の袞職は 多く預ると雖も,天下の軍儲は 自ら供せず。

稍やもして 喜ぶは邊に王相國 臨み,肯えて金甲を銷して 春農を事とせんや。

(現代語訳)
(外征や衛戍の指揮統率をする者たち、諸将軍や節度使たち、辺疆防衛のためにおかれた軍団の長たちについて、第三首は乱後の民困をいい、諸将の屯田を行なわぬことを責めるが、王維の弟の王縉に対して期待していると述べる。)766年大暦元年の作。

洛陽の宮殿も“のろし火”にかわった。秦中の関塞は昔から、外敵の百分二の防禦力あれば足るほどの要害だなどいうことであったが、百万の軍が三十万の安史軍に大敗したではないか。

今日東海地方はまだ天子の職貢の地となり、平穏な状態になっているとは言えないし、安史軍の根拠地の薊門のあたりもどこがすっかり王領になって治まったというのか。

朝廷の三公の職に居る人人はやたらに官職ばかり多く帯びているが、天下の軍需品は強制的に取るのでなければ供給されぬありさまではないか。

このときすこしばかり喜ぶべきことがあるのは、私の親友の王維の弟の王相国(縉)が河南・准西・山南東道の辺統一にのぞまれたということだが、王相国のことだから、兵器をとかして農具をこしらへ春をまって農作を専務とされるかんがえがおありになることだろう。


(訳注)

諸將,五首之三

(外征や衛戍の指揮統率をする者たち、諸将軍や節度使たち、辺疆防衛のためにおかれた軍団の長たちについて、第三首は乱後の民困をいい、諸将の屯田を行なわぬことを責めるが、王維の弟の王縉に対して期待していると述べる。)766年大暦元年の作。

○諸将 諸将軍。命を受けて軍を統帥して、外征や衛戍の指揮統率をする者たち。諸将軍や節度使たち。辺疆防衛のためにおかれた軍団の長たち。作者は安史の乱に遭い、大唐の軍部の不甲斐なさを歎いてこの詩を作った。詩中に或はその人を明言し或は明言しない。

第三首は乱後の民困をいい、諸将の屯田を行なわぬことを責めるが、王維の弟の王縉に対して期待し、かつ諸将の模範として頑張ってほしい旨を述べる。766年大暦元年55の時、129首目の作である。

 

洛陽宮殿化為烽,休道秦關百二重。

洛陽の宮殿も“のろし火”にかわった。秦中の関塞は昔から、外敵の百分二の防禦力あれば足るほどの要害だなどいうことであったが、百万の軍が三十万の安史軍に大敗したではないか。

○洛陽宮殿 安禄山は75511月についに挙兵した。挙兵からわずか1ヶ月で、唐の副都というべき洛陽を陥落させた。756年正月、安禄山は大燕聖武皇帝(聖武皇帝)を名乗り燕国の建国を宣言する。6月初めには長安をも陥落させた。

○化為蜂 のろし火にかわる、兵乱のここに及んだことをいう。天宝十四載二月、禄山は東京(洛陽)を陥れ、十五載六月滝関を破った。

○秦関 潼関、函谷関をさす、禄山は函谷関・潼関をこえてはじめて長安に入った。

〇百二重 《漢紀》に「秦は形勝の国なり、山を帯び河を阻て、持戟百万、秦百が二を得たり」とあり、注に秦地は険固にして二万人を以て諸侯の百万人に当たるに足るといっている。百二とは百分の二だけの防禦力で足ることをいう。重とはかさなる、函谷関、潼関の要害のかさなって幾重にもあることをいう、百二重とは己を防ぐには敵の百分の二の力で足る要害というの意。実際には、函谷関に集結していた百万の哥舒翰の軍勢が、三十万の安史軍に大敗をした。

 

滄海未全歸禹貢,薊門何處盡堯封。

今日東海地方はまだ天子の職貢の地となり、平穏な状態になっているとは言えないし、安史軍の根拠地の薊門のあたりもどこがすっかり王領になって治まったというのか。

○滄海 ひろいうみ。禹貢の青州の域、今の山東省の東及び北の海面をさす。

○禹貢 「尚書」に禹貢篇があり、夏の禹王の時の中国全土の行政区分と、各地よりたてまつるべき貢賦の事とを記載している、因って「禹貢に帰す」とは「天子の領域」に帰するという意となる。

○薊門 薊州、今の順天府地方、安禄山の根拠地であったところ。

○堯封 周の時、堯の子孫を薊に封じたので堯封という、これも天子の領地の意である。

 

朝廷袞職雖多預,天下軍儲不自供。

朝廷の三公の職に居る人人はやたらに官職ばかり多く帯びているが、天下の軍需品は強制的に取るのでなければ供給されぬありさまではないか。

職 《詩経、烝民》「人亦有言、德輶如毛、民鮮克舉之。我儀圖之、維仲山甫舉之、愛莫助之。袞職有闕、維仲山甫補之。」(人亦有言、德輶如毛、民鮮克舉之。我儀圖之、維仲山甫舉之、愛莫助之。人亦た言あり、德の輶いこと毛の如し、民克くこれを舉げること鮮し。我これを儀圖するに、維れ仲山甫はこれを舉ぐ、愛すれどこれを助くることなし。袞職闕くる有れば、維れ仲山甫之を補う)とある、衰職は天子の職をさす、後漢に至っては衰職を三公の職の事として用いる、「法兵伝」に「臣願わくは聖朝、就ち衰職を加えられんことを」というのがそれである。此の詩句も後世の意により三公の職として用いる。袞は巷竜の模様のある衣、三公はそれを着るのによって其の職を袞職という。

○誰争補 袞職を天子職とするが、実際この時、高級官僚のおおくは、複数の官職を兼ね領してその事務に関係していたために混乱していた。当時の藩鎭、節度使は本官の外に多くは中書令・平章事を加えられ、兼ねて内銜(宮内省関係官職の肩書き)を領していた。これは恩賞や俸禄に対して現金がなく官位をばらまいたことによるもので、安史の篇の期間中、安禄山と唐王朝で争奪戦となり、唐王朝は、藩鎭節度使の食い止め策に官位を乱発した。力のないものまで、諸侯に加えられた。この時、最も力をつけたのが宦官勢力である。

○軍儲 軍需品。

○不自供 地方より自発的に供納せず、上より求索するのを待って供せられることをいう。強奪ということを娩曲にいったものである。

 

稍喜臨邊王相國,肯銷金甲事春農。

このときすこしばかり喜ぶべきことがあるのは、私の親友の王維の弟の王相国(縉)が河南・准西・山南東道の辺統一にのぞまれたということだが、王相国のことだから、兵器をとかして農具をこしらへ春をまって農作を専務とされるかんがえがおありになることだろう。

○臨辺 辺境にのぞむ。辺境というのは京畿以外の地をさしていい、必ずしも真に辺遠の地をさすわけではなく、仮に辺境地とするならば本第を大暦三年以後の作としなければならないが、王縉の記述から、大暦元年の作に間違いない。

○王相国 王縉をいう、王縉は王維の弟で、広徳二年に同平章事(すなわち宰相)に拝し、その年八月李光粥に代わって河南・准西・山南東道の諸節度行常の事を都統し、兼ねて東京留守を領したが、歳余にして(永泰元年末)河南副元帥に遷り、大暦三年には幽州盧竜節度を領し、また太原尹・北京留守を兼ね河東軍節度使にあてられている。

○肯 此の骨の字は《巻九72客至》「肯與鄰翁相對飲、隔籬呼取盡餘杯。」(肯【あえ】)て隣翁【りんおう】と相い対して飲まむや、籬【まがき】を隔てて呼び取りて余杯【よはい】を尽さしめん。)の肯とおなじく、こちらからもちかけて相談する意。

客至 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 3)  杜甫 <408 七言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1985 杜甫詩1000-408-591/1500

○錦金甲 金属で造ったよろいをとかす、兵器をとかして農具となすのである。

○春農 春の農作。魏の曹操が、屯田兵制度を積極的に進めたこともあって、王縉がおなじ地域の節度して言うことで、こういう言い回しとしたのである。

196年には魏の曹操は、韓浩・棗祗らの提言に従って屯田制を導入した。これは、辺境地帯でなく内地において、荒廃した田畑を一般の人民にあてがって耕作させるもの(民屯)で、当初は許都の周辺で行われ、のち各地に広まった。屯田制下の人民は、各郡の典農中郎将、各県の典農都尉によって、一般の農村行政とは別に軍事組織と結びついた形で統治された。司馬懿の提言で、長期にわたる抗争を繰り広げていた呉・蜀それぞれの国境付近(淮河流域、関中)でも軍屯が展開され、これにより安定した食糧供給を維持した魏は、両国との争いを有利に進めた。
汜水関などの地図

766年-128杜甫 《1602諸將,五首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-128 <991> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6635

杜甫  諸將,五首之二    

韓公本意築三城,擬天驕拔漢旌。豈謂盡煩回紇馬,翻然遠救朔方兵。

胡來不覺潼關隘,龍起猶聞晉水清。獨使至尊憂社稷,諸君何以答升平。
(外征や衛戍の指揮統率をする者たち、諸将軍や節度使たち、辺疆防衛のためにおかれた軍団の長たちについて、第二首は吐蕃の乱について諸将を責める。)766年大暦元年の作。

韓国公である張仁愿が中宗の時に黄河の北に東城、中城、西城の三城をきずいたが、これの本意は匈奴、吐蕃の異民族があばれて漢(唐)の旗を抜き取ってならないから、抜かせる行為をすっかり根絶しょうということだった。それが意外にも騒乱がおこると翻って一一匈奴の種族たるウイグルの兵をわずらわしてその手を借りて遠く朔方軍の方をたすけてもらわねばならない始末であった。おまけに安史軍をやっと殲滅させたと思ったら、吐蕃のえびすは長安に入寇し、堅固な潼関の険扼を無視してそれを突破せんとした。だがさすがに吾が唐は祖皇の竜のごとく起こられた太原の地において今でも晋水の水清くながれていると聞く、決して悲観するにはあたらない。ただ至尊の天子ばかりに社稷のことをご心配させ申しあげるのではすまぬことでないか、諸君はこの升平の恩沢に対し何事を以てこれにお答えしようとするのであるか。

766-128杜甫 1602諸將,五首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-128 <991 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6635 杜甫詩1500-991-1498/2500

 

 

 
  2015年9月19日 の紀頌之5つのBlog  
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  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 766年-128杜甫 《1602諸將,五首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-128 <991> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6635  
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年:766年大暦元年55-128

卷別:    卷二三○              文體:    七言律詩

詩題:    諸將,五首之二

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              朔方節度使 ( 靈州 朔方節度使) 別名:朔方      

潼關 (京畿道 華州 潼關)  

 

 

諸將,五首之二

(外征や衛戍の指揮統率をする者たち、諸将軍や節度使たち、辺疆防衛のためにおかれた軍団の長たちについて、第二首は吐蕃の乱について諸将を責める。)766年大暦元年の作。

韓公本意築三城,擬天驕拔漢旌。

韓国公である張仁愿が中宗の時に黄河の北に東城、中城、西城の三城をきずいたが、これの本意は匈奴、吐蕃の異民族があばれて漢(唐)の旗を抜き取ってならないから、抜かせる行為をすっかり根絶しょうということだった。

豈謂盡煩回紇馬,翻然遠救朔方兵。

それが意外にも騒乱がおこると翻って一一匈奴の種族たるウイグルの兵をわずらわしてその手を借りて遠く朔方軍の方をたすけてもらわねばならない始末であった。

胡來不覺潼關隘,龍起猶聞晉水清。

おまけに安史軍をやっと殲滅させたと思ったら、吐蕃のえびすは長安に入寇し、堅固な潼関の険扼を無視してそれを突破せんとした。だがさすがに吾が唐は祖皇の竜のごとく起こられた太原の地において今でも晋水の水清くながれていると聞く、決して悲観するにはあたらない。

獨使至尊憂社稷,諸君何以答升平。

ただ至尊の天子ばかりに社稷のことをご心配させ申しあげるのではすまぬことでないか、諸君はこの升平の恩沢に対し何事を以てこれにお答えしようとするのであるか。

 (諸將,五首の二)

韓公の本意  三城を 築くは,天驕の 漢旌を拔くを  絶たんと 擬すればなり。

豈に謂はんや 盡く 回紇の馬を煩はし,翻然として 遠く朔方の兵を 救はんとは。

胡 來りて 潼關の隘きを覺えず,龍 起こりて 猶お晉水の淸きを聞く。

獨り 至尊をして社稷を憂へしめれば,諸君 何を以てか 升平に答へん。

 

安史の乱当時の勢力図 

諸將,五首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

諸將,五首之二

韓公本意築三城,擬天驕拔漢旌。

豈謂盡煩回紇馬,翻然遠救朔方兵。

胡來不覺潼關隘,龍起猶聞晉水清。

獨使至尊憂社稷,諸君何以答升平。
詩文(含異文)

韓公本意築三城,擬天驕拔漢旌。

豈謂盡煩回紇馬,翻然遠救朔方兵【案:郭子儀以孤軍起朔方,灃(澧)上之戰,克復長安;新店之戰,再收東都,皆用回紇之力。】。

胡來不覺潼關隘,龍起猶聞晉水清【案:唐高祖次龍門,代水清。】。獨使至尊憂社稷,諸君何以答升平。


(下し文)
(諸將,五首の二)

韓公の本意  三城を 築くは,天驕の 漢旌を拔くを  絶たんと 擬すればなり。

豈に謂はんや 盡く 回紇の馬を煩はし,翻然として 遠く朔方の兵を 救はんとは。

胡 來りて 潼關の隘きを覺えず,龍 起こりて 猶お晉水の淸きを聞く。

獨り 至尊をして社稷を憂へしめれば,諸君 何を以てか 升平に答へん。

(現代語訳)
(外征や衛戍の指揮統率をする者たち、諸将軍や節度使たち、辺疆防衛のためにおかれた軍団の長たちについて、第二首は吐蕃の乱について諸将を責める。)766年大暦元年の作。

韓国公である張仁愿が中宗の時に黄河の北に東城、中城、西城の三城をきずいたが、これの本意は匈奴、吐蕃の異民族があばれて漢(唐)の旗を抜き取ってならないから、抜かせる行為をすっかり根絶しょうということだった。

それが意外にも騒乱がおこると翻って一一匈奴の種族たるウイグルの兵をわずらわしてその手を借りて遠く朔方軍の方をたすけてもらわねばならない始末であった。

おまけに安史軍をやっと殲滅させたと思ったら、吐蕃のえびすは長安に入寇し、堅固な潼関の険扼を無視してそれを突破せんとした。だがさすがに吾が唐は祖皇の竜のごとく起こられた太原の地において今でも晋水の水清くながれていると聞く、決して悲観するにはあたらない。

ただ至尊の天子ばかりに社稷のことをご心配させ申しあげるのではすまぬことでないか、諸君はこの升平の恩沢に対し何事を以てこれにお答えしようとするのであるか。


(訳注)

諸將,五首之二

(外征や衛戍の指揮統率をする者たち、諸将軍や節度使たち、辺疆防衛のためにおかれた軍団の長たちについて、第二首は吐蕃の乱について諸将を責める。)766年大暦元年の作。

○諸将 諸将軍。命を受けて軍を統帥して、外征や衛戍の指揮統率をする者たち。諸将軍や節度使たち。辺疆防衛のためにおかれた軍団の長たち。作者は安史の乱に遭い、大唐の軍部の不甲斐なさを歎いてこの詩を作った。詩中に或はその人を明言し或は明言しない。

 

韓公本意築三城,擬天驕拔漢旌。

韓国公である張仁愿が中宗の時に黄河の北に東城、中城、西城の三城をきずいたが、これの本意は匈奴、吐蕃の異民族があばれて漢(唐)の旗を抜き取ってならないから、抜かせる行為をすっかり根絶しょうということだった。

韓公 張仁愿をいう、仁愿は中宗の景竜二年に左衛大将軍・同中書門下三品に拝し、韓国公に封ぜられた。

本意 築城の本意。

築三城 漢・武帝の時、匈奴の降服を受け入れるために塞外に築いた城塞。その後、唐代になって、張仁愿が唐の時代に突厥の攻撃を防ぐため河北に再興したもの。彼は神竜三年に河北(長城を出た黄河の北)において三つの受降城を築いた、東城は楡林の直北にあたり、中城は払雲祠で朔方軍の直北にあたり、西城は霊武の直北にあたる。

擬絶 絶無にしようとの準備。

天騎 匈奴自ずから称して「天ノ筋子」という、回紇も匈奴の種族やあるゆえに天輪という。

拔漢旌 漢のはたをぬきとる、漠と戦って勝ちそのはたを取る、漢を借りて唐をいう。○豊謂 意外にも。

 

豈謂盡煩回紇馬,翻然遠救朔方兵。

それが意外にも騒乱がおこると翻って一一匈奴の種族たるウイグルの兵をわずらわしてその手を借りて遠く朔方軍の方をたすけてもらわねばならない始末であった。

煩回紇馬 安禄山の乱の時も、吐蕃の乱の時も、唐は回紇、ウイグルより援助を受けたことをいう。

翻然 かえって。

救朔方兵 朔方軍の兵とは朔方節度使郭子儀の兵をいう、子儀は前後ともに回紇の兵を借り用いて功を立てた。

 

胡來不覺潼關隘,龍起猶聞晉水清。

おまけに安史軍をやっと殲滅させたと思ったら、吐蕃のえびすは長安に入寇し、堅固な潼関の険扼を無視してそれを突破せんとした。だがさすがに吾が唐は祖皇の竜のごとく起こられた太原の地において今でも晋水の水清くながれていると聞く、決して悲観するにはあたらない。

胡來不覺潼關隘 胡は吐蕃をさす。潼関は華州の東に在る、隘は・隘:せまい。道が険しくて狭い所。険隘。要害の地を謂う。廣徳元年(763)10月、吐蕃が涇州へ来寇した。刺史の高暉は城を以てこれに降り、彼の為に道案内となって、吐蕃軍を 深く引き入れる。 吐蕃軍が奉天、武功へ来寇し、京師はパニックとなった。代宗皇帝は兵を動員しようとしていたが、 吐蕃軍は既に便橋を渡ったので、慌てふためいて為す術を知らなかった。代宗皇帝は陜州へ疎開する。 官吏はあちこち逃げ回り、六軍は逃げ散った。代宗皇帝は詔を下して、雍王・李适を関内元帥とし、 郭子儀を副元帥として吐蕃軍に当たらせることとした。この時の吐蕃はまさに潼関の険を無視して東に突破しょうとする勢いのあったことをいう。

龍起猶聞晉水清  ・龍起 唐王朝の高祖李淵の挙兵をいう。 ・龍 天子の譬喩。 ・猶 なお。それでも。まだ。やはり。なお…ごとし。また、すら。さえ。ここは、前者の意。 ・聞 聞こえてくる。 ・晉水 太原を流れる川で、唐の高祖李淵が挙兵した太原を指す。 ・清:清らかである。澄んでいて、外夷に穢されていないことを謂う。杜甫《巻五27北征》「煌煌太宗業,樹立甚宏達!」我が唐が大帝国と為し、繁栄を誇ったのは太宗の帝業が煌煌とかがやいていることなのだ。その樹立された諸制度は広大であり且つ終始をつらぬいて後々の世までつづくのであり、唐の国運が中絶することなどありはしないのだ。・煌煌 かがやくさま。・太宗業 太宗の為された輝かしい帝業。・樹立 うえつけ立てたこと。・宏達 宏大通達、大きくて且つ終始をつらぬきとおることをいう。といっているごとく国初の祥瑞をあげて国運の衰えるはずのないことをいう。

北征 #12 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 219

 

獨使至尊憂社稷,諸君何以答升平。

ただ至尊の天子ばかりに社稷のことをご心配させ申しあげるのではすまぬことでないか、諸君はこの升平の恩沢に対し何事を以てこれにお答えしようとするのであるか。

至尊 時の天子、代宗をさす。

○諸君 郭子儀以下の諸将をさす。

この二句は、乱に対して、ウイグル民族に依存して、積極的な対応策が講じられなかった六軍の将軍たちの無能ぶりを批判、宦官により堕落した諸将を批判している。
黄河二首の背景 杜甫三者の思惑が合致 

766年-127杜甫 《1601諸將,五首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-127 <990> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6630

杜甫  諸將,五首之一    

漢朝陵墓對南山,胡虜千秋尚入關。昨日玉魚蒙葬地,早時金碗出人間。

見愁汗馬西戎逼,曾閃朱旗北斗殷。多少材官守涇渭,將軍且莫破愁顏。

(唐朝廷の郭子儀以外の諸将は宦官によって無力化し、宦官の讒言で追い詰められた僕固懐恩は、吐蕃、ウイグルと結託し入寇の手引きをしている、諸将は目を覚ませと訴えている。)

漢朝は、都長安を守るため、その陵墓を終南山と対して京師の附近に配置したが、千年後の今日において、なお、異民族である、吐蕃、ウイグルが関中内に侵入してくるのである。つい昨日のようであるが、異民族の彼らが陵墓の発掘をやるので、やっと埋葬の場所で玉魚に土をかぶせたばかりなのに、早くも盗掘され、今日は金のお碗が世間へ出てくるというありさまだ。現在また愁わしくも西戎、吐蕃が馬に汗して西域の辺境に再三にわたって、せまってきているが、その地は、かつて玄宗開元のとき、我が官軍は朱旗をひらめかして、天の北斗星まで殷殷としていたのである。いま多くの武官どもが涇水、渭水の流域すなわちごく京師、関中の地の近地で守禦をしておるのである。将軍たるものしばらくは蹴鞠などせず、そしてにっこりともせず油断なく防禦に力をつくすべきである。

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杜甫詩1500-990-1497/2500

 

年:766年大暦元年55-127

卷別:    卷二三○              文體:    七言律詩

詩題:    諸將,五首之一

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山  

 

 

諸將,五首之一

(唐朝廷の郭子儀以外の諸将は宦官によって無力化し、宦官の讒言で追い詰められた僕固懐恩は、吐蕃、ウイグルと結託し入寇の手引きをしている、諸将は目を覚ませと訴えている。)

漢朝陵墓對南山,胡虜千秋尚入關。

漢朝は、都長安を守るため、その陵墓を終南山と対して京師の附近に配置したが、千年後の今日において、なお、異民族である、吐蕃、ウイグルが関中内に侵入してくるのである。

昨日玉魚蒙葬地,早時金碗出人間。

つい昨日のようであるが、異民族の彼らが陵墓の発掘をやるので、やっと埋葬の場所で玉魚に土をかぶせたばかりなのに、早くも盗掘され、今日は金のお碗が世間へ出てくるというありさまだ。

見愁汗馬西戎逼,曾閃朱旗北斗殷。

現在また愁わしくも西戎、吐蕃が馬に汗して西域の辺境に再三にわたって、せまってきているが、その地は、かつて玄宗開元のとき、我が官軍は朱旗をひらめかして、天の北斗星まで殷殷としていたのである。

多少材官守涇渭,將軍且莫破愁顏。

いま多くの武官どもが涇水、渭水の流域すなわちごく京師、関中の地の近地で守禦をしておるのである。将軍たるものしばらくは蹴鞠などせず、そしてにっこりともせず油断なく防禦に力をつくすべきである。

 

(諸将 五首の一)

漢朝の陵墓は南山に対し、胡虜千秋 尚お関に入る。

昨日玉魚葬地に蒙わる、早時金碗 人間に出づ。

見に愁う 汗馬 西戎の逼るを、曾て朱旗を閃かして 北斗も殷なり。

多少の材官 涇渭を守り、将軍 且つ 愁顔を破ること莫れ。

 

京兆地域図002 

諸將,五首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

諸將,五首之一    

漢朝陵墓對南山,胡虜千秋尚入關。

昨日玉魚蒙葬地,早時金碗出人間。

見愁汗馬西戎逼,曾閃朱旗北斗殷。

多少材官守涇渭,將軍且莫破愁顏。


詩文(含異文)

漢朝陵墓對南山,胡虜千秋尚入關。昨日玉魚【案:漢楚王戊太子死,天子賜玉魚一雙以斂。】蒙葬地,早時金碗【案:盧充與崔少府女幽婚,贈充金碗,乃向時殉葬物也。】出人間。見【案:音現。】愁汗馬西戎逼,曾閃朱旗北斗殷【案:於顏切,紅色也。】【曾閃朱旗北斗閒】。多少材官守涇渭,將軍且莫破愁顏。


(下し文)
(諸将 五首の一)

漢朝の陵墓は南山に対し、胡虜千秋 尚お関に入る。

昨日玉魚葬地に蒙わる、早時金碗 人間に出づ。

見に愁う 汗馬 西戎の逼るを、曾て朱旗を閃かして 北斗も殷なり。

多少の材官 涇渭を守り、将軍 且つ 愁顔を破ること莫れ。

(現代語訳)
(唐朝廷の郭子儀以外の諸将は宦官によって無力化し、宦官の讒言で追い詰められた僕固懐恩は、吐蕃、ウイグルと結託し入寇の手引きをしている、諸将は目を覚ませと訴えている。)

漢朝は、都長安を守るため、その陵墓を終南山と対して京師の附近に配置したが、千年後の今日において、なお、異民族である、吐蕃、ウイグルが関中内に侵入してくるのである。

つい昨日のようであるが、異民族の彼らが陵墓の発掘をやるので、やっと埋葬の場所で玉魚に土をかぶせたばかりなのに、早くも盗掘され、今日は金のお碗が世間へ出てくるというありさまだ。

現在また愁わしくも西戎、吐蕃が馬に汗して西域の辺境に再三にわたって、せまってきているが、その地は、かつて玄宗開元のとき、我が官軍は朱旗をひらめかして、天の北斗星まで殷殷としていたのである。

いま多くの武官どもが涇水、渭水の流域すなわちごく京師、関中の地の近地で守禦をしておるのである。将軍たるものしばらくは蹴鞠などせず、そしてにっこりともせず油断なく防禦に力をつくすべきである。


(訳注)

諸將,五首之一

(唐朝廷の郭子儀以外の諸将は宦官によって無力化し、宦官の讒言で追い詰められた僕固懐恩は、吐蕃、ウイグルと結託し入寇の手引きをしている、諸将は目を覚ませと訴えている。)

○諸将 将軍らをいう。詩中に或はその人を明言し或は明言しない。第一首は長安の近西、吐蕃の侵入の路を守る将軍に対してのべている。766年大暦元年55の作。

杜甫は、下臣のあり方。安史軍、異民族からの守りと国の施政のために、朝廷の構成人用を整える必要がある。その第一は、長安の守りを固めること。

【春秋左傳】文公十八年(609) 是以堯崩而天下如一,同心戴舜以為天子,以其舉十六相,去四凶也。

漢、建武二十八将と雲台三十二将部下の二十八将が天の星座の生まれ変わりであるとされていることであろう。この本では、劉秀の家臣で特に重要な二十八人について、その初登場のときに数字をつけているが、これはその二十八人が劉秀にとって特別な将軍であるからである。それが建武二十八将である。一般には雲台二十八将と書かれることが多いが、四人が追加された後の三十二将と紛らわしいので、この本では建武二十八将と雲台三十二将として区別しておく。後漢時代には雲台二十八将という表現はなく、建武元功二十八将、中興二十八将、光武二十八将であるし、そもそも二十八将は雲台に描かれる前から二十八将であったので雲台二十八将という表現は適切ではない。

杜甫《巻十二45 述古,三首之二》「舜舉十六相,身尊道何高。」根本的にいうと、むかし舜は十六人の賢相をあげて用いた、それで自身は尊くなり、その道は高尚である。(粛宗も宰相16人であるがとても酷いものが多いということ。)〇十六相 八元八憶と称する十六人のかしこい宰相をいう、事は「左伝」(文公十八年)にみえる。この時粛宗が任じたは宰相が16人であったためにこういう表現をしたのである。

肅宗の宰相十六人 韋見素・崔圓・房琯・裴冕・崔渙・李麟・苗晉卿・張鎬・王璵・呂・李峴・第五琦・李揆・蕭華・裴遵慶・元載。

654 巻十二45述古,首之二》 蜀中転々 杜甫 <559  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3025 杜甫詩1000-559-799/1500

僕固懐恩はもともとウィグルを構成する九つの部族の一つ・ブクゥの出身、ウィグルを安禄山らから切り離し唐側に引き入れるために娘をウィグルの王子に嫁がせるほど唐の皇帝のために自分も家族も犠牲にして働いた人物である。足かけ十年にも及ぶ大乱が平定されてふと気づけば、彼の娘の嫁いだウィグルの王子はカガンになっていた。

 平和が訪れると、自ら武器を手に戦うことのなかった役人たちはこの婚姻関係や彼の出自を不気味に思い始めたのである。彼の抜群の軍功を妬む人々が宮廷内に「懐恩に二心あり」との悪意ある噂を広めるのはきわめて容易であった。

 

漢朝陵墓對南山,胡虜千秋尚入關。

漢朝は、都長安を守るため、その陵墓を終南山と対して京師の附近に配置したが、千年後の今日において、なお、異民族である、吐蕃、ウイグルが関中内に侵入してくるのである。

○漢朝 漢を借りて唐をいう。

○陵墓 帝王のみささぎ、公卿のはか。

○南山 終南山。

○胡虜 北方のえびす。前には安禄山の軍、後には吐蕃、ウイグル(匈奴)の軍。

○千秋 多くの歳月を経た今において。

○入関 主として関中の地の東西に在るものをさしている。東は函谷関、西は玉門関・陽関の類。

 

昨日玉魚蒙葬地,早時金碗出人間。

つい昨日のようであるが、異民族の彼らが陵墓の発掘をやるので、やっと埋葬の場所で玉魚に土をかぶせたばかりなのに、早くも盗掘され、今日は金のお碗が世間へ出てくるというありさまだ。

○玉魚 玉で造った魚形の偲びもの、貴人が身につけるもので埋葬のときこれを陵墓の中に入れてやる。

○蒙 土をかぶせられてあることをいう。

○金碗 黄金で造ったおわん、これもまた貴人の用いる品で陵墓中に埋められる。

○出人間 陵墓が盗掘であばかれて世間へあらわれでる。

 

見愁汗馬西戎逼,曾閃朱旗北斗殷。

現在また愁わしくも西戎、吐蕃が馬に汗して西域の辺境に再三にわたって、せまってきているが、その地は、かつて玄宗開元のとき、我が官軍は朱旗をひらめかして、天の北斗星まで殷殷としていたのである。

○見愁 現在眼のまえにあって愁うべきことの意。

○汗馬西戎 西戎は吐蕃をさす、吐蕃は763年広徳元年十月に入遷して長安に入り、764年広徳二年秋にも西辺に入寇し、翌永泰元年九月にも長安に大挙入寇した、詩句は思うに最近の人造についていう、汗馬は西域の馬の総称でもあり、吐蕃が長駆してあせした馬にのることをいう。

○曾 往年をさしていう。

○朱旗北斗 朱旗はあかい色のはた、官軍の旗をいう、北斗は天上の北斗星をいう、長安城は北斗にかたどったというが、唐王朝が次の「殷」の字とで粛々と治めていたことを言う。

○殷 殷殷として、切々としている,懇ろである.あかぐろい、旗色の盛んなことをいう。「殷」字は、或は「閒」に作る、ならば閑暇の意、旗がしずかにひるがえることをいう。

 

多少材官守涇渭,將軍且莫破愁顏。

いま多くの武官どもが涇水、渭水の流域すなわちごく京師、関中の地の近地で守禦をしておるのである。将軍たるものしばらくは蹴鞠などせず、そしてにっこりともせず油断なく防禦に力をつくすべきである。

○多少 おおくの。

○材官 武技の臣、或る武芸にすぐれた武官。肅宗の宰相十六人の生き残りの奸臣。

守涇渭 官軍(郭子儀軍)が涇水、渭水の関中の地を守ることをいう、二水の流域は長安地方を示す。765年、永泰元年九月、回紇・吐蕃が兵を合して涇陽を囲んだとき、郭子儀軍の堅い守りに、暮に及んで二軍ともに退いて北原に屯した。また、同月、郭子儀は諸道の節度使を遣わし各の兵を出して要害に駐屯させようと請うたが、諸将は猶お蹴鞠を撃って楽みを為していた。このことによって末尾の二句があるのである。

○将軍 材官らを統べる長官をさす。

○且 しばらく。

○破愁顔 愁わしいかおつきを破って笑顔となること、娯楽に意を傾けることをいう。この時、唐朝廷、唐軍(郭子儀軍以外)はほとんど宦官によって動かされていたことを言う。

僕固懐恩という人物は君主に背き、母を捨て、天下万民が恥だと している人物なのに、君らは彼に付き従い、以前の功績を捨てて 新たな怨恨を生もうとしていた。

 

(諸将 五首の一)

漢朝陵墓對南山,胡虜千秋尚入關。

昨日玉魚蒙葬地,早時金碗出人間。

見愁汗馬西戎逼,曾閃朱旗北斗殷。

多少材官守涇渭,將軍且莫破愁顏。

 

漢朝の陵墓は南山に対し、胡虜千秋 尚お関に入る。

昨日玉魚葬地に蒙わる、早時金碗 人間に出づ。

見に愁う 汗馬 西戎の逼るを、曾て朱旗を閃かして 北斗も殷なり。

多少の材官 涇渭を守り、将軍 且つ 愁顔を破ること莫れ。

766年-126杜甫 《巻1738詠懷古跡,五首之五【案:吳若本作〈詠懷〉一章、〈古跡〉四首。】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-126 <989> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6625

杜甫  詠懷古跡,五首之五   

諸葛大名垂宇宙,宗臣遺像肅清高。三分割據紆籌策,萬古雲霄一羽毛。

伯仲之間見伊呂,指揮若定失蕭曹。福移漢祚難恢復,志決身殲軍務勞。
(「古跡に於ける詠懐」:第五首は諸葛廟について孔明の事に感じてよんだものである。)

諸葛孔明の大いなる名は宇宙に垂れておるが、この宗臣というべき人の遺像は廟内に粛然として清く高くたっている。

孔明は天下を三分鼎割して其の一に割拠するについて謀をめぐらし、其の 声名は万古にわたって雲霄に高く飛ぶ一つの鳳毛のごとく仰ぎ瞻られている。

孔明の人物は伊尹・呂尚と兄たりがたく弟たりがたしという関係にある、天下、もしこの人の指揮のもとに従うとしたならば、漢の肅何・曹参以上の人物であるのだ。

惜しいことに運命が移って漢室の帝位も、ついに快復することがむつかしく、五度にわたる北伐は軍務の骨折りのために、身体が滅び、蜀漢を滅ぼすことになってしまったのである。

766-126杜甫 《巻1738詠懷古跡,五首之五【案:若本作〈詠懷〉一章、〈古跡〉四首。】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-126 <989 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6625

 

 
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杜甫詩1500-989-1496/2500

 

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詠懷古跡,五首之四【案:若本作〈詠懷〉一章、〈古跡〉四首。】

(「古跡に於ける詠懐」:第四首は夔州の先主廟についての感をのべている。)

蜀主窺幸三峽,崩年亦在永安宮。

むかし蜀の先主(劉備、昭烈皇帝)が呉国の境土を窺うために三峡へ行幸した。ところが敗軍をして崩じた年もやはり三峡の内であるここの永安宮においてであった。

翠華想像空山裡,玉殿虛無野寺中。

今や当時の宝殿はがらんどうになって野寺とかわったなかに存しておるばかりであって、自分はだれも人のいぬ山のなかであの時の翠華の旗はどのあたりに建てられたであろうかなどと想像してみるのである。

古廟杉松巢水鶴,時伏臘走村翁。

寺のとなりのふるびた先主の廟に生えておる杉だの松だのには水鶴が巣くうているし、一年・四時・伏日・脱臼などのそれぞれの祭日には村の老人などがあちこち奔走している。

武侯祠屋常鄰近,一體君臣祭祀同。

それから諸葛武侯の祠屋は、成都でもそうであったが、ここでも、いつも先主の廟ととなりあって、傍ちかくにあり、君臣一体 はなれずに同じょうに祭祀をいとなまれているのである。

 

(詠懷古跡,五首の四)

蜀主 窺いて 三峽に幸す,崩年 亦た永安宮に在り。

翠華 想像す 空山の裡,玉殿 虛無なり 野寺の中。

古廟 杉松に水鶴巢くい,時 伏臘に村翁走る。

武侯の祠屋 常に鄰近,一體 君臣 祭祀同じ。

 

 

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年:766年大暦元年55-126

卷別:    卷二三○              文體:    七言律詩

詩題:    詠懷古跡,五首之五

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

 

 

詠懷古跡,五首之五

(「古跡に於ける詠懐」:第五首は諸葛廟について孔明の事に感じてよんだものである。)

諸葛大名垂宇宙,宗臣遺像肅清高。

諸葛孔明の大いなる名は宇宙に垂れておるが、この宗臣というべき人の遺像は廟内に粛然として清く高くたっている。

三分割據紆籌策,萬古雲霄一羽毛。

孔明は天下を三分鼎割して其の一に割拠するについて謀をめぐらし、其の 声名は万古にわたって雲霄に高く飛ぶ一つの鳳毛のごとく仰ぎ瞻られている。

伯仲之間見伊呂,指揮若定失蕭曹。

孔明の人物は伊尹・呂尚と兄たりがたく弟たりがたしという関係にある、天下、もしこの人の指揮のもとに従うとしたならば、漢の肅何・曹参以上の人物であるのだ。

福移漢祚難恢復,志決身殲軍務勞。

惜しいことに運命が移って漢室の帝位も、ついに快復することがむつかしく、五度にわたる北伐は軍務の骨折りのために、身体が滅び、蜀漢を滅ぼすことになってしまったのである。

(詠懷古跡,五首の五)

諸葛が大名 宇宙に垂る,宗臣の遺像 肅として清高。

三分 割據 籌策を紆らす,萬古 雲霄 一羽毛。

伯仲の間に 伊呂を見る,指揮 若し 定らば蕭曹を失せん。

福移りて 漢祚 恢に復し難し,志 決するも 身は殲く 軍務の勞に。
瞿塘峡・白帝城・魚復

 

『詠懷古跡,五首之四』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

詠懷古跡,五首之五

諸葛大名垂宇宙,宗臣遺像肅清高。

三分割據紆籌策,萬古雲霄一羽毛。

伯仲之間見伊呂,指揮若定失蕭曹。

福移漢祚難恢復,志決身殲軍務勞。
詩文(含異文)     諸葛大名垂宇宙,宗臣遺像肅清高。三分割據紆籌策,萬古雲霄一羽毛。伯仲之間見伊呂【案:張輔〈樂葛優劣論〉:「孔明將與伊、呂爭儔,豈與樂毅為伍?」】,指揮若定失蕭曹【案:崔浩《典論》云:「諸葛亮不能與蕭、曹匹亞。」】。福移漢祚難恢復【福移漢祚終難復】【運移漢祚難恢復】【運移漢祚終難復】,志決身殲軍務勞。


(下し文)
(詠懷古跡,五首の五)

諸葛が大名 宇宙に垂る,宗臣の遺像 肅として清高。

三分 割據 籌策を紆らす,萬古 雲霄 一羽毛。

伯仲の間に 伊呂を見る,指揮 若し 定らば蕭曹を失せん。

福移りて 漢祚 恢に復し難し,志 決するも 身は殲く 軍務の勞に。

(現代語訳)
(「古跡に於ける詠懐」:第五首は諸葛廟について孔明の事に感じてよんだものである。)

諸葛孔明の大いなる名は宇宙に垂れておるが、この宗臣というべき人の遺像は廟内に粛然として清く高くたっている。

孔明は天下を三分鼎割して其の一に割拠するについて謀をめぐらし、其の 声名は万古にわたって雲霄に高く飛ぶ一つの鳳毛のごとく仰ぎ瞻られている。

孔明の人物は伊尹・呂尚と兄たりがたく弟たりがたしという関係にある、天下、もしこの人の指揮のもとに従うとしたならば、漢の肅何・曹参以上の人物であるのだ。

惜しいことに運命が移って漢室の帝位も、ついに快復することがむつかしく、五度にわたる北伐は軍務の骨折りのために、身体が滅び、蜀漢を滅ぼすことになってしまったのである。

夔州東川卜居図詳細 002
(訳注)

詠懷古跡,五首之五

(「古跡に於ける詠懐」:第五首は諸葛廟について孔明の事に感じてよんだものである。)

武侯廟 (山南東道 夔州 奉節) 別名:諸葛廟、武侯祠、武侯祠堂、孔明廟        蜀漢の諸葛亮、字は孔明をいう、後主の223年建興元年、武郷侯に封ぜられた。廟は夔州府魚復縣の永安宮の傍、赤甲山の麓にあった。

《巻一九27諸葛廟》

久遊巴子國,屢入武侯祠。竹日斜虛寢,溪風滿薄帷。

君臣當共濟,賢聖亦同時。翊戴歸先主,并吞更出師。

蟲蛇穿畫壁,巫覡醉蛛絲。欻憶吟梁父,躬耕也未遲。

766-98杜甫 1927諸葛廟》五言古詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-98 <961 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6440

 

諸葛大名垂宇宙,宗臣遺像肅清高。

諸葛孔明の大いなる名は宇宙に垂れておるが、この宗臣というべき人の遺像は廟内に粛然として清く高くたっている。

諸葛 諸葛亮、字は孔明をいう。

杜甫詩の諸葛亮関連詩

巻七19  遣興五首

昔時賢俊人,未遇猶視今。嵇康不得死,孔明有知音。

卷一五70 古柏行

孔明廟前有老柏,柯如青銅根如石。

卷一四68 承聞故房相公靈櫬自閬州殯歸葬東都有作二首 其一

孔明多故事,安石竟崇班。他日嘉陵淚,仍霑楚水還。

卷一六08 八哀詩之三、贈左僕射鄭國公嚴公武

諸葛蜀人愛,文翁儒化成。

卷一九27  諸葛廟

久遊巴子國,屢入武侯祠。竹日斜虛寢,溪風滿薄帷。君臣當共濟,賢聖亦同時。翊戴歸先主,并吞更出師。蟲蛇穿畫壁,巫覡綴蛛絲。欻憶吟梁父,躬耕也未遲。

卷一七38  詠懷古跡五首 其五

諸葛大名垂宇宙,宗臣遺像肅清高。三分割據紆籌策,萬古雲霄一羽毛。伯仲之間見伊呂,指揮若定失蕭曹。運移漢祚終難復、志決身殲軍務勞。

卷二○91  上卿翁請修武侯廟遺像缺落時崔卿權夔州

大賢為政即多聞,刺史真符不必分。尚有西郊諸葛廟,臥龍無首對江濆。

宗臣 後世の尊び仰ぐ所の臣、孔明をさす。語は「漢書」の蕭何曹参傳賛にみえる。

通像 すなわち《巻1737詠懷古跡,五首之四詩の「武侯祠屋常鄰近,一體君臣祭祀同。」にいう祠の中にある像。

粛清高 厳粛にしてさっぱりとして高い。

 

三分割據紆籌策,萬古雲霄一羽毛。

孔明は天下を三分鼎割して其の一に割拠するについて謀をめぐらし、其の 声名は万古にわたって雲霄に高く飛ぶ一つの鳳毛のごとく仰ぎ瞻られている。

三分割拠 天下を三分してその一に割拠することをいう、当時魏は曹操、呉は孫権、蜀は劉備と天下が三つに分かれる。

紆籌策 紆の字を用いているが回または運の字の意に用いる。漢の高祖の語に、「籌策ヲ帷幄の中に運らす」とある。孔明がはかりごとをめぐらしたことをいう。

萬古雲霄一羽毛 諸説紛紛の句である。万古は永久に、雲霄は くも、おおぞら。一羽毛は鸞鳳風の一羽毛をいう。“孔明の声名の飛揚することは鸞鳳が高く翔って雲霄に独歩するがごとくともに匹をなすものがない”との意である。更に愚見を以てこれを補足するならば此の句は独り鳳毛の高翔をいうのみではなく、「衆人仰ぎて之を瞻る」ことをいったものであろう。

 

伯仲之間見伊呂,指揮若定失蕭曹。

孔明の人物は伊尹・呂尚と兄たりがたく弟たりがたしという関係にある、天下、もしこの人の指揮のもとに従うとしたならば、漢の肅何・曹参以上の人物であるのだ。

伯仲之間見伊呂 伊呂を伯仲の間に見るということ。伊は殿の伊声、呂は周の呂尚(太公望)、伊声は湯玉を輔け、呂尚は文王武王を佐けた。孔明の人物はこの両者の間にある。伯仲は兄弟の順位である。

指揮若定失蕭曹 「漢書」(陳平伝)に、「指揮即チ定マラン」の語がある。指揮定とは指揮が一定することである、天下皆孔明の指揮に服するに至ることをいう。粛曹は漢の高祖の参謀である黄何・曹参をいう。失二粛軍とは粛菅があっても無いにひとしい、粛曹以上である、薫曹もいうに足らぬことをいう。

 

福移漢祚難恢復,志決身殲軍務勞。

惜しいことに運命が移って漢室の帝位も、ついに恢復することがむつかしく、五度にわたる北伐は軍務の骨折りのために、身体が滅び、蜀漢を滅ぼすことになってしまったのである。

○福移 蜀漢の国運が他へうつる。運命は魏に帰した。

○漢祚 蜀漢のさいわい、所とは帝位をさす。

○難恢復 恢 1 広い。大きい。「恢恢」2 盛んにする。大いに。「恢復」。

○志決 魂を伐つの志が決することである。孔明の「後出師表」に、「鞠躬尽瘁、死シテ後己マン」とあるのは志決の度をみることができる。

出師表-前出師表(まとめ)-諸葛亮 漢詩<97-#8>Ⅱ李白に影響を与えた詩827 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2683

出師表-後出師表(まとめ)-諸葛亮  詩<99-#13>Ⅱ李白に影響を与えた詩840 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2748

出師表-(まとめ)-諸葛亮 三国 詩<99-#14>Ⅱ李白に影響を与えた詩841 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2753

 

○身殲 殲は尽きること、滅することである。建興12年(234年)春2月、第5次の最後の北伐を行った。諸葛亮は屯田を行い、持久戦の構えをとって五丈原で司馬懿と長期に渡って対陣した。しかし、同時に出撃した呉軍は荊州および合肥方面の戦いで魏軍に敗れ、司馬懿も防御に徹し諸葛亮の挑発に乗らなかった。諸葛亮は病に倒れ、秋8月(『三国志演義』では823日)、陣中に没した(五丈原の戦い)。享年54

○軍務労 軍務について骨折ったこと。孔明は軍中の事は巨細となく自ずから決し、或は商征し或は北伐した、皆軍務に労した事である。

766年-125杜甫 《巻1737詠懷古跡,五首之四【案:吳若本作〈詠懷〉一章、〈古跡〉四首。】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-125 <988> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6620

杜甫  詠懷古跡,五首之四  

蜀主窺幸三峽,崩年亦在永安宮。翠華想像空山裡,玉殿虛無野寺中。

古廟杉松巢水鶴,時伏臘走村翁。武侯祠屋常鄰近,一體君臣祭祀同。
(「古跡に於ける詠懐」:第四首は夔州の先主廟についての感をのべている。)

むかし蜀の先主(劉備、昭烈皇帝)が呉国の境土を窺うために三峡へ行幸した。ところが敗軍をして崩じた年もやはり三峡の内であるここの永安宮においてであった。今や当時の宝殿はがらんどうになって野寺とかわったなかに存しておるばかりであって、自分はだれも人のいぬ山のなかであの時の翠華の旗はどのあたりに建てられたであろうかなどと想像してみるのである。寺のとなりのふるびた先主の廟に生えておる杉だの松だのには水鶴が巣くうているし、一年・四時・伏日・脱臼などのそれぞれの祭日には村の老人などがあちこち奔走している。それから諸葛武侯の祠屋は、成都でもそうであったが、ここでも、いつも先主の廟ととなりあって、傍ちかくにあり、君臣一体 はなれずに同じょうに祭祀をいとなまれているのである。

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  2015年9月16日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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李白310 《巻五 18 高句驪》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白310> Ⅰ李白詩1614 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6618  
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韓愈88-#13 §3-2 (改訂)巻一26 赴江陵途中寄贈王二十補闕、李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1527> Ⅱ#13 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6619  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
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  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
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  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
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杜甫詩1500-988-1495/2500

年:766年大暦元年55-125

卷別:    卷二三○              文體:    七言律詩

詩題:    詠懷古跡,五首之四【案:若本作〈詠懷〉一章、〈古跡〉四首。】

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              大明宮 (京畿道 京兆府 長安) 別名:永安宮、蓬萊宮、含元殿、蓬萊殿  

武侯廟 (山南東道 夔州 奉節) 別名:諸葛廟、武侯祠、武侯祠堂、孔明廟            

 

 

詠懷古跡,五首之四【案:若本作〈詠懷〉一章、〈古跡〉四首。】

(「古跡に於ける詠懐」:第四首は夔州の先主廟についての感をのべている。)

蜀主窺幸三峽,崩年亦在永安宮。

むかし蜀の先主(劉備、昭烈皇帝)が呉国の境土を窺うために三峡へ行幸した。ところが敗軍をして崩じた年もやはり三峡の内であるここの永安宮においてであった。

翠華想像空山裡,玉殿虛無野寺中。

今や当時の宝殿はがらんどうになって野寺とかわったなかに存しておるばかりであって、自分はだれも人のいぬ山のなかであの時の翠華の旗はどのあたりに建てられたであろうかなどと想像してみるのである。

古廟杉松巢水鶴,時伏臘走村翁。

寺のとなりのふるびた先主の廟に生えておる杉だの松だのには水鶴が巣くうているし、一年・四時・伏日・脱臼などのそれぞれの祭日には村の老人などがあちこち奔走している。

武侯祠屋常鄰近,一體君臣祭祀同。

それから諸葛武侯の祠屋は、成都でもそうであったが、ここでも、いつも先主の廟ととなりあって、傍ちかくにあり、君臣一体 はなれずに同じょうに祭祀をいとなまれているのである。

 

(詠懷古跡,五首の四)

蜀主 窺いて 三峽に幸す,崩年 亦た永安宮に在り。

翠華 想像す 空山の裡,玉殿 虛無なり 野寺の中。

古廟 杉松に水鶴巢くい,時 伏臘に村翁走る。

武侯の祠屋 常に鄰近,一體 君臣 祭祀同じ。

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

『詠懷古跡,五首之四』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

詠懷古跡,五首之四【案:若本作〈詠懷〉一章、〈古跡〉四首。】

蜀主窺幸三峽,崩年亦在永安宮。

翠華想像空山裡,玉殿虛無野寺中。

古廟杉松巢水鶴,時伏臘走村翁。

武侯祠屋常鄰近,一體君臣祭祀同。
詩文(含異文)     蜀主窺幸三峽,崩年亦在永安宮【案:劉備改魚復為永安,仍於州西置永安宮。】。翠華想像空山裡【翠華想像寒山裡】,玉殿虛無野寺中。古廟杉松巢水鶴,時伏臘走村翁。武侯祠屋常鄰近,一體君臣祭祀同【案:自注:殿今為寺,廟在宮之東。】。


(下し文)
(詠懷古跡,五首の四)

蜀主 を窺いて 三峽に幸す,崩年 亦た永安宮に在り。

翠華 想像す 空山の裡,玉殿 虛無なり 野寺の中。

古廟 杉松に水鶴巢くい,時 伏臘に村翁走る。

武侯の祠屋 常に鄰近,一體 君臣 祭祀同じ。

(現代語訳)
(「古跡に於ける詠懐」:第四首は夔州の先主廟についての感をのべている。)

むかし蜀の先主(劉備、昭烈皇帝)が呉国の境土を窺うために三峡へ行幸した。ところが敗軍をして崩じた年もやはり三峡の内であるここの永安宮においてであった。

今や当時の宝殿はがらんどうになって野寺とかわったなかに存しておるばかりであって、自分はだれも人のいぬ山のなかであの時の翠華の旗はどのあたりに建てられたであろうかなどと想像してみるのである。

寺のとなりのふるびた先主の廟に生えておる杉だの松だのには水鶴が巣くうているし、一年・四時・伏日・脱臼などのそれぞれの祭日には村の老人などがあちこち奔走している。

それから諸葛武侯の祠屋は、成都でもそうであったが、ここでも、いつも先主の廟ととなりあって、傍ちかくにあり、君臣一体 はなれずに同じょうに祭祀をいとなまれているのである。

蜀中転々圖
(訳注)

詠懷古跡,五首之四【案:若本作〈詠懷〉一章、〈古跡〉四首。】

(「古跡に於ける詠懐」:第四首は夔州の先主廟についての感をのべている。)

《謁先主廟》【劉昭烈廟在奉節縣東六里。】(夔州魚腹縣の蜀漢の先主、劉備、諡号昭烈帝の祠廟に謁したことを詠んだ詩)(諡号である昭烈皇帝の祠廟は奉節縣の東、六里に在る。)

 

766年-87杜甫 《1512武侯廟【案:廟在白帝西郊。】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-87 <950 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6385

766年-88杜甫 《1513八陣圖》五言絶 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-88 <951 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6390

766年-89-杜甫 《1569謁先主廟》-#4 五言古詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-89-4 <952-#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6410 

 

蜀主窺幸三峽,崩年亦在永安宮。

むかし蜀の先主(劉備、昭烈皇帝)が呉国の境土を窺うために三峡へ行幸した。ところが敗軍をして崩じた年もやはり三峡の内であるここの永安宮においてであった。

蜀主窺呉 蜀王は三国の時の蜀漢の劉備、字は玄徳をいう、呉は呉の孫権の領土をいう。「蜀志」にいう、先主(劉備)孫権の関羽を襲いしを忿り、遂に諸軍を帥いて呉を伐ち、秭帰に次る、222年、章武二年、猇亭に敗れ、歩道より魚復に還り、魚復を改めて永安と為す。三年四月、永安に殂す、と。呉を窺うとはこの事をさす。・先主廟 蜀漢の先主劉備、字は玄徳の廟である。諡号である昭烈皇帝の祠廟。奉節県の東六里、白帝城の西郊にあたる地にある。・劉昭烈 昭烈帝(しょうれつてい)は、中国の皇帝の諡号の一つ。三国時代の蜀漢の劉備(在位:221 - 223年)。『蜀書』先主伝では「昭烈帝」と記されている。

幸三峡 秭帰は帰州に在るので三峡の内にある、幸は行幸、劉備を正統の天子とみなして下した辞である。

崩年 劉備の卒した年、すなわち223年、章武三年四月をいう。

永安宮 上に見えるごとく劉備は草武二年 に魚復を永安と改めそこに永安宮を置いたのである。「清一統志」にいう、永安宮城は今の夔州府奉節県治赤甲山にあると。

 

翠華想像空山裡,玉殿虛無野寺中。

今や当時の宝殿はがらんどうになって野寺とかわったなかに存しておるばかりであって、自分はだれも人のいぬ山のなかであの時の翠華の旗はどのあたりに建てられたであろうかなどと想像してみるのである。

翠華 天子の旗。

想像 すがたをおもいうかべてみる。

空山裡 人のいない山のうち。

玉殿 美しい御殿、永安宮の宮殿をいう。

虚無 がらんどうであることをいう。

野寺中 作者の自注に 「殿は今臥竜寺と為る、廟は宮東に在り」とある。殿は作者の当時には変じて臥竜寺となっていたものゆえ野寺という。

 

古廟杉松巢水鶴,時伏臘走村翁。

寺のとなりのふるびた先主の廟に生えておる杉だの松だのには水鶴が巣くうているし、一年・四時・伏日・脱臼などのそれぞれの祭日には村の老人などがあちこち奔走している。

古廟 ふるびた劉備の廟。作者の自注に、廟は宮の東に在るといっているので、上の宝殿すなわち野寺の東が廟である。この廟は奉節県東六里、白帝城の西郊、豊渓の側にあるものである、「謁先主廟詩を

水鶴 こうづるの類の鶴。

時 一年、四時。

 夏の伏日、冬の臘日、伏日とは五行思想で金気が此の日に至って伏することをいう、夏至の後第三庚日を初伏、第四庚日を 中伏、立秋後の初庚日を末伏となす、いわゆる三伏である。冬の臘日には百神を祭る、唐は冬至後の辰日に宗廟に享する。さらに「臘日」詩を参看せよ。臘日 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 232

 

武侯祠屋常鄰近,一體君臣祭祀同。

それから諸葛武侯の祠屋は、成都でもそうであったが、ここでも、いつも先主の廟ととなりあって、傍ちかくにあり、君臣一体 はなれずに同じょうに祭祀をいとなまれているのである。

走村翁 村の老人が祭りをなすために 奔走することをいう。

武侯詞星 武侯は諸葛亮をいう。此の祠屋はすなわち「武侯ノ廟」詩にうたっている廟、及び「夔州歌」の第九首(本書にはとらぬ)の「武侯ノ嗣堂忘ルべカラズ」の嗣堂と同一のものである、上述の先主廟の西に在るものである。766年-111杜甫 《巻1539夔州歌十句,十首之九》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-111 <974 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6525

長鄰近 長の字は或は常に作る、同意である。この長または常の字は成都の嗣廟を帯びていうものである。成都においても先主廟があってその酉が武侯廟である。

今ここの夔州においてもまた同様である。よって長鄰近といっている。

一体君臣 君臣一体というのに同じ。 君たる先主と臣たる諸葛亮と同体にして離れぬ。

祭祀同 同じようにまつられておる。

766年-124杜甫 《巻1736詠懷古跡,五首之三【案:吳若本作〈詠懷〉一章、〈古跡〉四首。】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-124 <987> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6615

杜甫  詠懷古跡,五首之三   

群山萬壑赴荊門,生長明妃尚有村。一去紫臺連朔漠,獨留青冢向黃昏。

畫圖省識春風面,環珮空歸月夜魂。千載琵琶作胡語,分明怨恨曲中論。
(「古跡に於ける詠懐」:第三首は王昭君の生まれた村のことより王昭君についての感をのべている。)

多くの山や壁が荊門山の方に向かって走っている、かかる地勢のところ“帰州”にむかし明妃(王昭君)が生長したと称せられる村がまだのこっている。昭君は画家に賄賂をしなかったばかりに、一たび漢の紫宮からたち去ってどこどこまでも沙漠の奥までいってしまい、ついに匈奴の土となったので、黄昏になりかかるころなど独りさびしく彼の地に青塚をのこしている。昭君は画工が醜くかいた画像によって、やっと、天子にそのうつくしい顔をみしられたのであり、生前はついに寵愛を被らず、死後になって月夜には、その霊魂が環珮を鳴らして空しく漢へ帰ってくる というような気の毒な目にあった。それで千年後の今日も琶琵にあわせてうたう彼女の詩が胡地の言語のような節をして、その「怨恨」のこころをはっきりと音曲のなかで語っているのである。

766-124杜甫 《巻1736詠懷古跡,五首之三【案:若本作〈詠懷〉一章、〈古跡〉四首。】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-124 <987 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6615 

 

 
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杜甫詩
1500-987-1494/2500

年:766年大暦元年55-124

卷別:    卷二三○              文體:    七言律詩

詩題:    詠懷古跡,五首之三【案:若本作〈詠懷〉一章、〈古跡〉四首。】

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              荊門山 (山南東道 峽州 宜都)           

青冢 ( 豐州 豐州)   

 

 

詠懷古跡,五首之三

(「古跡に於ける詠懐」:第三首は王昭君の生まれた村のことより王昭君についての感をのべている。)

群山萬壑赴荊門,生長明妃尚有村。

多くの山や壁が荊門山の方に向かって走っている、かかる地勢のところ“帰州”にむかし明妃(王昭君)が生長したと称せられる村がまだのこっている。

一去紫臺連朔漠,獨留青冢向黃昏。

昭君は画家に賄賂をしなかったばかりに、一たび漢の紫宮からたち去ってどこどこまでも沙漠の奥までいってしまい、ついに匈奴の土となったので、黄昏になりかかるころなど独りさびしく彼の地に青塚をのこしている。

畫圖省識春風面,環珮空歸月夜魂。

昭君は画工が醜くかいた画像によって、やっと、天子にそのうつくしい顔をみしられたのであり、生前はついに寵愛を被らず、死後になって月夜には、その霊魂が環珮を鳴らして空しく漢へ帰ってくる というような気の毒な目にあった。

千載琵琶作胡語,分明怨恨曲中論。

それで千年後の今日も琶琵にあわせてうたう彼女の詩が胡地の言語のような節をして、その「怨恨」のこころをはっきりと音曲のなかで語っているのである。

(詠懷古跡,五首の三)

群山万整刑門に赴く、明妃を生長して 尚お村有り。

一たび紫台を去って朔漠に連なり、獨り青冢を留めて黃昏に向う。

画図に省識せらる春風の面、環珮空しく帰る夜月の魂。

千載琵琶胡語を作し、分明に怨恨を 曲中に論ず。

 

夔州東川卜居図000

『詠懷古跡,五首之三』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

詠懷古跡,五首之三

群山萬壑赴荊門,生長明妃尚有村。

一去紫臺連朔漠,獨留青冢向黃昏。

畫圖省識春風面,環珮空歸月夜魂。

千載琵琶作胡語,分明怨恨曲中論。
詩文(含異文)     群山萬壑赴荊門,生長明妃尚有村。一去紫臺連朔漠,獨留青冢向黃昏。畫圖省識春風面,環珮空歸月夜魂。千載琵琶作胡語,分明怨恨曲中論【分明愁恨曲中論】。


(下し文)
(詠懷古跡,五首の三)

群山万整刑門に赴く、明妃を生長して 尚お村有り。

一たび紫台を去って朔漠に連なり、獨り青冢を留めて黃昏に向う。

画図に省識せらる春風の面、環珮空しく帰る夜月の魂。

千載琵琶胡語を作し、分明に怨恨を 曲中に論ず。

(現代語訳)
「古跡に於ける詠懐」:第三首は王昭君の生まれた村のことより王昭君についての感をのべている。

多くの山や壁が荊門山の方に向かって走っている、かかる地勢のところ“帰州”にむかし明妃(王昭君)が生長したと称せられる村がまだのこっている。

昭君は画家に賄賂をしなかったばかりに、一たび漢の紫宮からたち去ってどこどこまでも沙漠の奥までいってしまい、ついに匈奴の土となったので、黄昏になりかかるころなど独りさびしく彼の地に青塚をのこしている。

昭君は画工が醜くかいた画像によって、やっと、天子にそのうつくしい顔をみしられたのであり、生前はついに寵愛を被らず、死後になって月夜には、その霊魂が環珮を鳴らして空しく漢へ帰ってくる というような気の毒な目にあった。

それで千年後の今日も琶琵にあわせてうたう彼女の詩が胡地の言語のような節をして、その「怨恨」のこころをはっきりと音曲のなかで語っているのである。


(訳注)

詠懷古跡,五首之三

「古跡に於ける詠懐」:第三首は王昭君の生まれた村のことより王昭君についての感をのべている。

○詠懐古跡 古跡において我が懐を詠ずるという意で。陶淵明の詩題に「懐古田舎」というものがある が、それは田舎において往古を懐うことをいっている。杜甫の詩題もまたこれと相い類する命名である。

仇注には「杜臆」を引いて、宮に入りて妬まるると朝に入りて妬まるるとは千古同感ありといっている。昭君 に同情して作ったものである。

李白33-35 王昭君を詠う 三首

怨詩 王昭君  漢詩<110-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩545 漢文委員会kannuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1452

怨詩 王昭君  漢詩<110-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩546 漢文委員会kannuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1455

王昭君歎二首 其一 沈満願(梁の征西記室范靖の妻) <114-#1>玉台新詠集 女性詩 551 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1470

王昭君歎二首 其二 沈満願(梁の征西記室范靖の妻) 女流<115>玉台新詠集 女性詩 552 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1473

 

群山萬壑赴荊門,生長明妃尚有村。

多くの山や壁が荊門山の方に向かって走っている、かかる地勢のところ“帰州”にむかし明妃(王昭君)が生長したと称せられる村がまだのこっている。

荊門 山の名、山南東道峽州宜都縣(荊州府宜都県)西北五十里にある、虎牙山と相い対する。

明妃 漢の王昭君をいう、晋の時、 文帝の名が昭であったため、晋人は昭の諱を避けて明君といった、明妃とは元帝の妃明君の意。漢の王嬙、字は昭君は元帝の宮人となったが、竟寧元年、匈奴の呼韓邪単子が来朝し、漢の壻となって親しもうと請うたので、元帝は王嬙を単千に賜わった、単子の子雕陶莫皐が位に即くに及び、また王嬙を妻としたために、昭君は黒河に身を投じその岸に葬られた。なお「画図省識」の句解をみよ。

尚有村 王嬙は蜀郡秭帰の人、今の荊州府帰州の東北四十里にある。

 

一去紫臺連朔漠,獨留青冢向黃昏。

昭君は画家に賄賂をしなかったばかりに、一たび漢の紫宮からたち去ってどこどこまでも沙漠の奥までいってしまい、ついに匈奴の土となったので、黄昏になりかかるころなど独りさびしく彼の地に青塚をのこしている。

紫台 王宮。梁の江掩の「恨賦」にいう、「明妃去る時、天を仰ぎて太息す、紫台稍々遠く、関山極まり無し」と。李善の注に紫台は紫宮をいうといっている。紫宮は紫色の彩を施した漢の宮殿をいう。

連朔漠 朔漠は北方の沙漠、連とは沙漠のつづきをどこまでもゆくことをいう、すなわち「恨賦」の「関山極り無し」の意。

青塚 昭君の墓をいう、「清一統志」にいう、塚は山西省朔平府帰化城の南二十里にあり、蒙古名は特木爾烏爾虎という。其の地は多く白草なるに昭君の塚のみは青し、よって青塚という、と。王昭君の墓は盛唐以降、「青塚(青冢)」【せいちょう】と呼ばれ、李白は「生きては黄金を乏【か】き枉げて図画せられ(画工に賄賂を贈らなかったがために醜く描かれ)、死しては青塚を留めて人をして嗟かしむ」(「王昭君 二首 其一」)と歌い、白居易や張蠙らは青塚を詩題とする作品を為し、かくて王昭君墓を表現する固有名詞となった。敦煌発見のペリオ将来「王昭君変文」(絵を用いた講釈の台本)にも「墳高數尺号青塚」の表現が見え、「青塚」の表現が広く一般に定着していたことが知れる。

「青塚」の名は、『太平寰宇記』巻38 振武軍・金河県條に「青冢、県の西北に在り。漢の王昭君、此に葬らる。其の上、草の色、常に青く、故に青冢と曰ふ。」とあり、また漢・蔡邕撰『琴操』(散逸。実際は南北朝期の偽作)「胡中、白草多きも、此の冢独(ひと)り青し。」とある様に、「一面の白沙白草の胡地に、王昭君の墓所のみ青草が生い茂る」ことに由来し、この伝説は、「王昭君の魂魄の再生復活をその青草に期待し、願望したもの」である。

 

畫圖省識春風面,環珮空歸月夜魂。

昭君は画工が醜くかいた画像によって、やっと、天子にそのうつくしい顔をみしられたのであり、生前はついに寵愛を被らず、死後になって月夜には、その霊魂が環珮を鳴らして空しく漢へ帰ってくる というような気の毒な目にあった。

画園省識春風面 「西京雑記」にいう、元帝、後宮既に多し、画工をして形を図せしめ図を按じて召して之を幸す。宮人皆画工に賂う、昭君自ずから其の貌を恃みて独り与えず、乃ち悪しく之を図す、遂に見ゆることを得ず、のち匈奴来朝して美人を求めて閻氏(匈奴の単子の后)となさんとす、帝、昭君を以て行かしむ。去るに及び召し見るに貌、後宮第第一たり、帝之を悔い其の事を窮按し、画工毛延寿をば棄市す、と。・画図とは画工のかいた昭君の画像をいう、・省識とは元帝が昭君をかえりみみしったことをいう、省の字を略の意ととく説がぁるが非である。昭君よりいえばみしられたのである。・春風面とはうつくしい顔色をいう。

環珮 女子の 身に帯びる金環や玉偏をいう。

月夜魂 月夜に乗じての昭君の霊魂、昭君は身は匈奴に死んで漢の方へかえることができず、魂のみがかえる。

 

千載琵琶作胡語,分明怨恨曲中論。

それで千年後の今日も琶琵にあわせてうたう彼女の詩が胡地の言語のような節をして、その「怨恨」のこころをはっきりと音曲のなかで語っているのである。

千載 千年の後をいう。

琵琶 びわの音曲をいう。

作胡語 昭君の自作の「怨詩」( 王昭君  漢詩<110-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩545 漢文委員会kannuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1452)の中において胡語を為して悲憤を訴える意とといている。昭君は漢人であるが匈奴に嫁したので匈奴の胡言で詩をもつくるとみなしたもののごとくである。ここではは琵琶曲中にていうことが胡語のようにきこえるというまでの意。

怨恨 昭君のうらみ。

曲中 琵琶の曲の中において。

 

詠懷古跡,五首之三

群山万整刑門に赴く、明妃を生長して 尚お村有り。

一たび紫台を去って朔漠に連なり、獨り青冢を留めて黃昏に向う。

画図に省識せらる春風の面、環珮空しく帰る夜月の魂。

千載琵琶胡語を作し、分明に怨恨を 曲中に論ず。

蜀中転々圖 

 

 

 

 

昭君が匈奴に入ろうとするとき作ったと伝えられる「怨詩」は次の如くである。

 

怨詩》  王昭君

秋木萋萋,其葉萎黄。有鳥處山,集于苞桑。

養育毛羽,形容生光。既得升雲,上遊曲房。

離宮絶曠,身體摧藏。志念抑沈,不得頡頏。

雖得委食,心有徊徨。我獨伊何,來往變常。

翩翩之燕,遠集西羌。高山峨峨,河水泱泱。

父兮母兮,道里悠長。嗚呼哀哉,憂心惻傷。

 

(怨詩)

秋木 萋萋【せいせい】として,其の葉 萎黄【いこう】す。

鳥有り 山に處【を】り,苞桑【ほうそう】に集【むらが】る。

毛羽を養育し,形容 光を生ず。

既に雲に升【のぼ】るを得て,上のかた 曲房に遊ぶ。

離宮 絶【はなは】だ 曠【ひろ】くして,身體 摧藏【さいぞう】す。

志念 抑沈【よくちん】して,頡頏【けつこう】するを得ず。

 

委食を得【う】と 雖も,心に 徊徨【かいこう】する有り。

獨り 伊【こ】れ 何ぞ,來往【らいおう】常を變ず。

翩翩【へんぺん】たる燕,遠く西羌【せいきょう)に集【いた】る。

高山峨峨【がが】たり,河水泱泱【おうおう】たり。

父や母や,道里 悠長なり。

嗚呼【ああ】 哀しい哉,憂心惻傷【そくしょう】す。

766年-123杜甫 《巻1735詠懷古跡,五首之二【案:吳若本作〈詠懷〉一章、〈古跡〉四首。】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-123 <986> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6610

杜甫  詠懷古跡,五首之二   

搖落深知宋玉悲,風流儒雅亦吾師。悵望千秋一灑淚,蕭條異代不同時。

江山故宅空文藻,雲雨荒臺豈夢思。最是楚宮俱泯滅,舟人指點到今疑。
「古跡に於ける詠懐」:第二首は宋玉の宅についての懐いをのべている、ただしその宅が荊州のものであるか帰州 のものであるかは不明。

むかし宋玉は「悲愁」といい、秋風揺落に対して悲しんだというが自分もいま深く彼の悲しみの意味を知った。また彼は風流儒雅の人物であるがこの点もまた吾が師とすべきものだ。彼と我とは千年経ており、代を異にして時を同じくして生まれあわさぬことはまことにさびしい、自分はただ千年のむかしをうらめしくながめてもっぱら涙をそそぐのである。江山のあいだに宋玉の故宅はのこっているが屋舎などは今はなくなって彼の製作した詞賦の詩文のみが空しく存在している、宋玉が「行雲行雨、陽台の下」とうとうた台が荒れながらあるが、彼がその台のことを賦したのはどうして夢幻の思いから出たものなどであろう。事実あったことにちがいない。ひとり宋玉の宅ばかりではない、最も傷心にたえぬことは、楚王の宮までも彼の宅とともにほろんでしまったことで、今になっては舟人がその場所を指して、そこかここかなどと真偽に迷うているのである。

766-123杜甫 《巻1735詠懷古跡,五首之二【案:若本作〈詠懷〉一章、〈古跡〉四首。】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-123 <986 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6610

 

 
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杜甫詩1500-986-1493/2500

年:-766年大暦元年55-123

卷別:    卷二三○              文體:    七言律詩

詩題:    詠懷古跡,五首之二【案:若本作〈詠懷〉一章、〈古跡〉四首。】

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              楚宮 (山南東道 夔州 巫山)              

 

 

詠懷古跡,五首之二

【案:若本作〈詠懷〉一章、〈古跡〉四首。

「古跡に於ける詠懐」:第二首は宋玉の宅についての懐いをのべている、ただしその宅が荊州のものであるか帰州 のものであるかは不明。

搖落深知宋玉悲,風流儒雅亦吾師。

むかし宋玉は「悲愁」といい、秋風揺落に対して悲しんだというが自分もいま深く彼の悲しみの意味を知った。また彼は風流儒雅の人物であるがこの点もまた吾が師とすべきものだ。

悵望千秋一灑淚,蕭條異代不同時。

彼と我とは千年経ており、代を異にして時を同じくして生まれあわさぬことはまことにさびしい、自分はただ千年のむかしをうらめしくながめてもっぱら涙をそそぐのである。

江山故宅空文藻,雲雨荒臺豈夢思。

江山のあいだに宋玉の故宅はのこっているが屋舎などは今はなくなって彼の製作した詞賦の詩文のみが空しく存在している、宋玉が「行雲行雨、陽台の下」とうとうた台が荒れながらあるが、彼がその台のことを賦したのはどうして夢幻の思いから出たものなどであろう。事実あったことにちがいない。

最是楚宮俱泯滅,舟人指點到今疑。

ひとり宋玉の宅ばかりではない、最も傷心にたえぬことは、楚王の宮までも彼の宅とともにほろんでしまったことで、今になっては舟人がその場所を指して、そこかここかなどと真偽に迷うているのである。

 

(詠懷古跡,五首の二)

揺落深く知る 宋玉が悲しみ、風流 儒雅も亦た吾が師。

千秋を帳望して 一に涙を濯ぐ、蕭条 異代 時を同じくせず。

江山の故宅 空しく文藻、雲雨 荒台 豈に夢思ならんや。

最も是れ楚宮 倶に泯滅す、舟人指点して今に到りて疑う。

 

夔州東川卜居図詳細 002 

『詠懷古跡,五首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

詠懷古跡,五首之二【案:若本作〈詠懷〉一章、〈古跡〉四首。

搖落深知宋玉悲,風流儒雅亦吾師。

悵望千秋一灑淚,蕭條異代不同時。

江山故宅空文藻,雲雨荒臺豈夢思。

最是楚宮俱泯滅,舟人指點到今疑。
(詠懷古跡,五首之二【案:若本作〈詠懷〉一章、〈古跡〉四首。)

搖落深知宋玉悲【搖落深知為主悲】,風流儒雅亦吾師。悵望千秋一灑淚,蕭條異代不同時。江山故宅空文藻,雲雨荒臺豈夢思。最是楚宮俱泯滅,舟人指點到今疑。


(下し文)
(詠懷古跡,五首の二)

揺落深く知る 宋玉が悲しみ、風流 儒雅も亦た吾が師。

千秋を帳望して 一に涙を濯ぐ、蕭条 異代 時を同じくせず。

江山の故宅 空しく文藻、雲雨 荒台 豈に夢思ならんや。

最も是れ楚宮 倶に泯滅す、舟人指点して今に到りて疑う。


(現代語訳)
「古跡に於ける詠懐」:第二首は宋玉の宅についての懐いをのべている、ただしその宅が荊州のものであるか帰州 のものであるかは不明。

むかし宋玉は「悲愁」といい、秋風揺落に対して悲しんだというが自分もいま深く彼の悲しみの意味を知った。また彼は風流儒雅の人物であるがこの点もまた吾が師とすべきものだ。

彼と我とは千年経ており、代を異にして時を同じくして生まれあわさぬことはまことにさびしい、自分はただ千年のむかしをうらめしくながめてもっぱら涙をそそぐのである。

江山のあいだに宋玉の故宅はのこっているが屋舎などは今はなくなって彼の製作した詞賦の詩文のみが空しく存在している、宋玉が「行雲行雨、陽台の下」とうとうた台が荒れながらあるが、彼がその台のことを賦したのはどうして夢幻の思いから出たものなどであろう。事実あったことにちがいない。

ひとり宋玉の宅ばかりではない、最も傷心にたえぬことは、楚王の宮までも彼の宅とともにほろんでしまったことで、今になっては舟人がその場所を指して、そこかここかなどと真偽に迷うているのである。

山南東道北部唐州随州01
(訳注)

詠懷古跡,五首之二

「古跡に於ける詠懐」:第二首は宋玉の宅についての懐いをのべている、ただしその宅が荊州のものであるか帰州 のものであるかは不明。

○詠懐古跡 古跡において我が懐を詠ずるという意で。陶淵明の詩題に「懐古田舎」というものがある が、それは田舎において往古を懐うことをいっている。杜甫の詩題もまたこれと相い類する命名である。

詠懷古跡,五首之二【案:若本作〈詠懷〉一章、〈古跡〉四首。

 

搖落深知宋玉悲,風流儒雅亦吾師。

むかし宋玉は「悲愁」といい、秋風揺落に対して悲しんだというが自分もいま深く彼の悲しみの意味を知った。また彼は風流儒雅の人物であるがこの点もまた吾が師とすべきものだ。

揺落 秋の樹の葉の風にゆられおちることをいう。宋玉の九弁にいう、「悲哉秋之為氣也!蕭瑟兮草木搖落而變衰。」(悲しいかな秋の気たるや、蕭瑟たり草木揺落して変衰す)と。

九辯 第一~ニ段(とおし) 宋玉  <00-#19>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 648 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2224

九辯 第三段(とおし) 宋玉  <00-#20>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 649 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2229

九辯 第四五段(とおし) 宋玉  <00-#21>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 650 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2234

九辯 第六・七・八段 まとめ 宋玉  <00-#26>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 655 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2259

深知 自己も深く知る。

○宋玉悲 宋玉が秋に対してなした悲しみ。宋玉は秋を悲しんだのにより悲秋宋玉の故事をなす。

風流儒雅 宋玉の人物をいう。風流にして儒者らしくみやびで ある。

亦吾師 亦とは上の悲秋ばかりでなくこれもまたということである。

 

悵望千秋一灑淚,蕭條異代不同時。

彼と我とは千年経ており、代を異にして時を同じくして生まれあわさぬことはまことにさびしい、自分はただ千年のむかしをうらめしくながめてもっぱら涙をそそぐのである。

悵望千秋 千年の上代をうらめしくながめる。

一灑淚 一はもっぱらの意。

蕭條 さびしい、中間に人物がとだえているためである。

異代 宋玉と自己とは生まれでた時代がおなじくない。

 

江山故宅空文藻,雲雨荒臺豈夢思。

江山のあいだに宋玉の故宅はのこっているが屋舎などは今はなくなって彼の製作した詞賦の詩文のみが空しく存在している、宋玉が「行雲行雨、陽台の下」とうとうた台が荒れながらあるが、彼がその台のことを賦したのはどうして夢幻の思いから出たものなどであろう。事実あったことにちがいない。

江山故宅 確証があるわけではないが宋玉の帰州の宅をさすといっている。しかしながら、宋玉の宅は杜甫詩の言によって二種あり、《1837送李攻曹之荊州充、鄭侍御判官重贈》「曾聞宋玉宅,每欲到荊州。」(曾て聞く宋玉が宅、毎に荊州に到らんと欲す)は荊州にある宋玉の宅をいう、前詩の庾信が住んだという江陵城北の宋玉宅がそれである。《1854入宅,三首之三【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】》「宋玉歸州宅,雲通白帝城。

吾人淹老病,旅食豈才名。」(宋玉が帰州の宅、雲は通ず白帝城。吾人老病に淹し,旅食 豈に才名にあらんや。)は帰州にある宋玉の宅をいう。「清一統志」に宅は帰州の東二里にあるといっている。此の詩は二種のうち其のいずれをさすか明らかでない。杜甫がこの詩を書く時期では荊州の宅を確認していない。

空文藻 文藻とは宋玉が作った詞賊のあやをいう、空文藻とは屋舎が亡んで文藻のみがむなしく存することをいう。

雲雨荒台豈夢思 此の句には諸説がある。余は都見をのべよう。雲雨荒台は楚の懐王が夢に神女に会ったという陽台をいう、宋玉の 「高唐賦」にいう、「昔者先王嘗遊高唐,怠而晝寢,夢見一婦人曰:‘妾,巫山之女也。爲高唐之客。聞君遊高唐,願薦枕席。’王因幸之。去而辭曰:‘妾在巫山之陽,高丘之阻,旦爲朝雲,暮爲行雨。朝朝暮暮,陽臺之下。」(昔先王(懐王をいう)嘗て高庸に遊ぶ、夢に一婦人を見て曰く「妾,巫山の女なり。高唐の客と爲す。君高唐に遊ぶを聞き,願わくば枕席を薦めんと。」、王因って之を幸す、去らんとして辞して曰く、妾は巫山の陽、高丘の岨に在り、旦には行雲と為り、暮には行雨と為る、朝朝暮暮、陽台の下にす)と。荒台というのは現にあれておる台であることをいう。「清一統志」にいう、陽台山は巫山県城内北隅にあり、高さ百丈、上に陽雲台の遺址あり、と。豈夢息とは反語にみる。宋玉の賦した所は必ずしも夢幻虚構の想像ではない、其の事実があったという。此の詩を作ったのは玄宗と 楊貴妃との事をおもいうかべたものである。

 

最是楚宮俱泯滅,舟人指點到今疑。

ひとり宋玉の宅ばかりではない、最も傷心にたえぬことは、楚王の宮までも彼の宅とともにほろんでしまったことで、今になっては舟人がその場所を指して、そこかここかなどと真偽に迷うているのである。

最是 最も心を傷ましむるものはこれの意。

楚宮 すなわち楚王の宮、巫山県東北一里にあるという。

倶泯滅 供とは宋玉の古屋舎とともにの意、漑 減はほろびてなくなったこと。

舟人指點 船頭が指ざしする。

到今疑 今日となってはとこが昔のその場 所であるかさだかでなく、そこかここかと疑い迷うことをいう。《1538夔州歌十絶句」の第八首》「巫峽曾經寶屏見,楚宮猶對碧峰疑。」(巫峽 曾て經たり寶屏に見しことを,楚宮猶お碧峰に対して疑う)の疑字と同意。
766年-110杜甫 《巻1538夔州歌十絕句,十首之八》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-110 <973> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6520
 


  

揺落深く知る 宋玉が悲しみ、風流 儒雅も亦た吾が師。

千秋を帳望して 一に涙を濯ぐ、蕭条 異代 時を同じくせず。

江山の故宅 空しく文藻、雲雨 荒台 豈に夢思ならんや。

最も是れ楚宮 倶に泯滅す、舟人指点して今に到りて疑う。

766年-122杜甫 《巻1734詠懷古跡,五首之一【案:吳若本作〈詠懷〉一章、〈古跡〉四首。】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-122 <985> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6605

杜甫  詠懷古跡,五首之一

支離東北風塵際,漂泊西南天地間。三峽樓臺淹日月,五溪衣服共雲山。

羯胡事主終無賴,詞客哀時且未還。庾信平生最蕭瑟,暮年詩賦動江關。

「古跡に於ける詠懐」:第一首は庚信の人生古跡を借りての自分の過去と現在を詠懐するである。

自分は前には東北方面から始まった兵乱の塵に会い、親子兄弟がちりぢりばらばらの目にであい、零落して、現今は西南方面の天地の間に漂泊生活を送っている。ここの三峡での楼台でかなり長いあいだの月日を逗留しており、五色の衣服を好むような五渓あたりの蛮人と共同に雲山に住んでいるのである。その原因をかんがえてみると結局あの羯胡たる安禄山の無頼のものが君におつかえすること、たのもしからぬものがあったからであって、そのために文学に従事する自分が時世をかなしみながらいまに故郷へかえらず におるのである。そう考えると、むかし庚信は異郷へいって、ふだん人なみこえてさびしいおもいをして、その晩 年故郷をおもう詩賦を作りその哀れさが江南関中を感動せしめたのであるが、自分はまさにその庚信である。
766-122杜甫 《巻1734詠懷古跡,五首之一【案:若本作〈詠懷〉一章、〈古跡〉四首。】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-122 <985 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6605

 

 
  2015年9月13日 の紀頌之5つのBlog  
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李白308 《巻八24溫泉侍從歸逢故人》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白308> Ⅰ李白詩1611 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6603  
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韓愈88-#10 §2-3 (改訂)巻一26 赴江陵途中寄贈王二十補闕、李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1524> Ⅱ#10 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6604  
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  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
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杜甫詩1500-985-1492/2500

年:766年大暦元年55-122

卷別:    卷二三○              文體:    七言律詩

詩題:    詠懷古跡,五首之一【案:若本作〈詠懷〉一章、〈古跡〉四首。】

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

 

 

詠懷古跡,五首之一

支離東北風塵際,漂泊西南天地間。

三峽樓臺淹日月,五溪衣服共雲山。

羯胡事主終無賴,詞客哀時且未還。

庾信平生最蕭瑟,暮年詩賦動江關。

 

(詠懷古跡,五首之一)

支離たり 東北風 塵の際、漂泊す 西南 天地の間。

三峡の楼台 日月しく、五渓の衣服 雲山を共にす。

羯胡 主に事うる終に無頼なり、詞客 時を哀しみて且つ未だ還らず。

庚信 平生 最も蕭瑟、暮年 詩賦 江関を動かす。

 

 

詠懷古跡,五首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

詠懷古跡,五首之一

支離東北風塵際,漂泊西南天地間。

三峽樓臺淹日月,五溪衣服共雲山。

羯胡事主終無賴,詞客哀時且未還。

庾信平生最蕭瑟,暮年詩賦動江關。

(下し文)
(
詠懷古跡,五首之一)

支離たり 東北風 塵の際、漂泊す 西南 天地の間。

三峡の楼台 日月淹しく、五渓の衣服 雲山を共にす。

羯胡 主に事うる終に無頼なり、詞客 時を哀しみて且つ未だ還らず。

庚信 平生 最も蕭瑟、暮年 詩賦 江関を動かす。

(現代語訳)
「古跡に於ける詠懐」:第一首は庚信の人生古跡を借りての自分の過去と現在を詠懐するである。

自分は前には東北方面から始まった兵乱の塵に会い、親子兄弟がちりぢりばらばらの目にであい、零落して、現今は西南方面の天地の間に漂泊生活を送っている。

ここの三峡での楼台でかなり長いあいだの月日を逗留しており、五色の衣服を好むような五渓あたりの蛮人と共同に雲山に住んでいるのである。

その原因をかんがえてみると結局あの羯胡たる安禄山の無頼のものが君におつかえすること、たのもしからぬものがあったからであって、そのために文学に従事する自分が時世をかなしみながらいまに故郷へかえらず におるのである。

そう考えると、むかし庚信は異郷へいって、ふだん人なみこえてさびしいおもいをして、その晩 年故郷をおもう詩賦を作り、その哀れさが江南関中を感動せしめたのであるが、自分はまさにその庚信である。


(訳注)

詠懐古跡五首(古跡に詠懐す 五首)

古跡において自己の懐う所を詠じた詩。五首ある。大暦元年夔州に在ったおり、各古跡をおとずれることなく予想し、見聞した知識を加えてて作ったもの。それに大暦三年峡を下り各処を経てのちに訂正したものを、後日類によって各一纏めにしたものである。全部を予想の作のみであれば、「古跡に関しての詠懐」とされるが、後日、確認して訂正しているものであり、 「古跡に於ける詠懐」というのを適当とする。

 

詠懷古跡,五首之一

「古跡に於ける詠懐」:第一首は庚信の人生古跡を借りての自分の過去と現在を詠懐するである。

○詠懐古跡 古跡において我が懐を詠ずるという意で。陶淵明の詩題に「懐古田舎」というものがある が、それは田舎において往古を懐うことをいっている。杜甫の詩題もまたこれと相い類する命名である。

庾信は梁の元帝の時江陵(すなわち荊州)にあった。庾信の「哀江南賦」は江陵に居住していたことをのべていう、「茅を宋玉の宅に誅し、径を臨江の府に穿つ」と。臨江は江陵をいう、宋玉の宅は江陵の城北三里にある。これによれば荊州に宋玉の宅があって庾信はここに居たのであり、杜甫の「舎弟観藍田に赴き、妻子を取り江陵に到ると、喜びて寄す」詩の第三首にも「庚信羅含倶に宅有り」の句がある。また「清一統志」にいう、荊州枝江県(江陵の上流にある)の東百里洲の庾台あり、庾子山の宅なりと相い伝う、と。これに拠れば荊州に庾信の遺跡があるのである。杜甫は、或は庾信の故宅を想像して書き、のち確認のため故宅を訪れたのである。

 

支離東北風塵際,漂泊西南天地間。

自分は前には東北方面から始まった兵乱の塵に会い、親子兄弟がちりぢりばらばらの目にであい、零落して、現今は西南方面の天地の間に漂泊生活を送っている。

○支離 語は「荘子内篇第四 人間世篇]その7に“支離疏”(せむしだから労役を免れ施し者をもらえて天寿を全うできる)にみえる、形体不全のさまである。思うに兄弟親族ら離散の状、流離(おちぶれる)の意。

○東北風塵 安禄山が代表とされ、東北の河北、幽州から、反乱を起こし、現在に至るも、不穏な状態にある地方である。河南・陝西・甘粛など東北から西北にかけてをさして大体において東北といっている詩的表現。作者は洛陽、長安、鳳翔、秦州、同谷、成都などにあったことをいう。風塵は兵乱のちりをいう。

ここでの東北は、羌村から蘆子関に逃げて、安史軍に捕縛されたことを言う。【安禄山の乱と杜甫】にくわしくのべた。

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○漂泊 ただよいあるく。同じ地点に2年以上いない。

○西南天地 蜀において東川・西川、三巴に往来し、そして、雲安、今また夔州に居る、これ西南の天地である。

 

三峽樓臺淹日月,五溪衣服共雲山。

ここの三峡での楼台でかなり長いあいだの月日を逗留しており、五色の衣服を好むような五渓あたりの蛮人と共同に雲山に住んでいるのである。

〇三峡楼台 長江本流にある三つの峡谷の総称。重慶市奉節県の白帝城から湖北省宜昌市の南津関までの193kmの間に、上流から瞿塘峡(くとうきょう、8km)、巫峡(ふきょう、45km)、西陵峡(せいりょうきょう、66km)がある。ただ、諸説あって或は瞿唐・巫山・黄牛をかぞえ、或は月峡・巴峡・巫峡をかぞえ、或は名月・巫山・広沢をかぞえる。ここでは瞿唐峡・巫映・帰峡(宜昌にある西陵峡)を以て三峡とする。三峡の楼台とは瞿唐峽の楼台をいい、杜甫のこの時の寓する夔州の西閣をさす。

○淹日月 湾は久しく留どまることをいう。

○五渓 湖南省辰州にある辰州五渓、『水経注』巻三十七「沅水」に「武陵に五渓有り、雄渓、樠渓、無渓、酉渓、辰渓と謂う」とある。雄渓、樠渓、無渓、酉渓、辰渓をいう。夔州よりはほとんど正南にあたる。「後漢書」(南蛮伝)にいう、武陵の五渓蛮は皆盤瓠の後なり、盤瓠は犬なり、高辛氏の少女を得て六男六女を生む、織続し皮を衣る、五色の衣服を好む、と。五渓の衣服とは五渓蛮で五色の衣服を好むものをいう。

○共雲山 雲のいる山を共々にしておる。蛮俗と雜処することをいう。

 

羯胡事主終無賴,詞客哀時且未還。

その原因をかんがえてみると結局あの羯胡たる安禄山の無頼のものが君におつかえすること、たのもしからぬものがあったからであって、そのために文学に従事する自分が時世をかなしみながらいまに故郷へかえらず におるのである。

羯胡 安禄山をいう。(杜甫が朝廷を辞したのは、賀蘭進明・第五琦らとの路線対立で、房琯一派としてはじき出されたためであるから、杜甫ら儒者は、安禄山より、賀蘭進明・第五琦らを憎んでいる。)

事主 主は天子、玄宗をさす。(実際は肅宗と対立した)

無頼 あてにならぬものをいう、或は汝滑なものをも無頼と称する、禄山は玄宗に叛いたゆえ主に事えることのあてにならぬものである。

詞客 文学の士をいう。自己をいう。

哀時 時世の事についてかなしむ。

且未還 まずまずいまだに故郷にかえらずにおる。

 

庾信平生最蕭瑟,暮年詩賦動江關。

そう考えると、むかし庚信は異郷へいって、ふだん人なみこえてさびしいおもいをして、その晩 年故郷をおもう詩賦を作り、その哀れさが江南関中を感動せしめたのであるが、自分はまさにその庚信である。

庚信 庚信をもって作者自ずからに此する。信、字は子山、梁の庚肩書の子で、徐桶の子の陵とともに文章が綺艶で、世に徐庚体とよばれる。梁の元帝が位に即くや右衛将軍に拝し、武康県侯に封ぜられた。西魂に使者として行っていたときたまたま西魂が滅んだため、遂に北周に仕えて長安に留どまった。官は司宗中大夫に至った。信は北周に在って位望通顕であったとはいえ常に郷関の思いがあり、嘗て「哀江南賦」を作って其の意を致した。それにはいう、「將軍一去,大樹飄零;壯士不還,寒風蕭瑟。」(将軍一たび去って、大樹零し、壮士還らず、寒風蕭瑟たり)と、又いう、「提挈老幼,關河累年。死生契闊,不可問天。」(老幼を提挈して、関河に年を累ぬ。死生契闊し,天に問うべからず。」と。また信の「傷心賦」にいう、「玉関に対して希旅なり、長河に坐して暮年なり」と。杜甫の詩意は賦語に本づいてそれを活用している。

蕭瑟 意中のさびしいことをいう。

暮年 晩年をいう。

詩賦 信がつくった詩または蹴。

動江関 江関とは江南・関中の二地をいう、動江関とは江関人士の心を感動させることをいう。

 

 

哀江南賦並序  作者:庾信                

 

  以戊辰之年,建亥之月,大盜移國,金陵瓦解。余乃竄身荒谷,公私塗炭。華陽奔命,有去無歸,中興道消,窮於甲戌。三日哭於都亭,三年囚於別館。天道周星,物極不反。傅燮之但悲身世,無所求生;袁安之每念王室,自然流涕。昔桓君山之志事,杜元凱之生平,竝有著書,咸能自序。潘岳之文彩,始述家風;陸機之詞賦,多陳世德。信年始二毛,即逢喪亂,藐是流離,至于暮齒。燕謌遠別,悲不自勝;楚老相逢,泣將何及。畏南山之雨,忽踐秦庭;讓東海之濱,遂飡周粟。下亭漂泊,橋羈旅,楚歌非取樂之方,魯酒無忘憂之用。追為此賦,聊以記言,不無危苦之辭,唯以悲哀為主。

 

  日暮途遠,人間何世。將軍一去,大樹飄零;壯士不還,寒風蕭瑟。荊璧睨柱,受連城而見欺;載書橫階,捧珠盤而不定。鍾儀君子,入就南冠之囚;季孫行人,留守西河之館。申包胥之頓地,碎之以首;蔡威公之淚盡,加之以血。釣臺移柳,非玉關之可望;華亭唳鶴,豈河橋之可聞。

 

  孫策以天下為三分,裁一旅;項羽用江東之子弟,人唯八千。遂乃分裂山河,宰割天下。豈有百萬義師,一朝卷甲,芟夷斬伐,如草木焉。江、淮無涯岸之阻,亭壁無藩籬之固。頭會箕斂者,合從締交;鉏耰棘矜者,因利乘便。將非江表王氣,應終三百年乎?是知并吞六合,不免軹道之災;混一車書,無救平陽之禍。嗚呼!山嶽崩,既履危亡之運;春秋迭代,必有去故之悲。天意人事,可以悽愴傷心者矣。況覆舟檝路窮,星漢非乘槎可上;風飈道阻,蓬萊無可到之期。窮者欲達其言,勞者須歌其事。陸士衡聞而撫掌,是所甘心;張平子見而陋之,固其宜矣。

 

  我之掌庾承周,以世功而為族;經邦佐漢,用論道而當官。稟嵩、華之玉石,潤河、洛之波瀾。居負洛而重世,邑臨河而晏安。逮永嘉之艱虞,始中原之乏主。民枕倚於墻壁,路交橫於豺虎。五馬之南奔,逢三星之東聚。彼凌江而建國,此播遷於吾祖。分南陽而賜田,裂東嶽而胙土。誅茅宋玉之宅,穿徑臨江之府。水木交運,山川崩竭。家有直道,人多全節。訓子見於純深,事君彰於義烈。新野有生祠之廟,河南有胡書之碣。況乃少微真人,天山逸民。階庭空谷,門巷蒲輪。移談講樹,就簡書筠。降生世德,載誕貞臣。文詞高於甲觀,模楷盛於漳濱。嗟有道而無鳳,歎非時而有麟。既姦回之贔匿,終不悅於仁人。

 

  王子洛濱之,蘭成射策之年,始含香於建禮,仍矯翼於崇賢。游洊雷之講肆,齒明離之冑筵。既傾蠡而酌海,遂側管以窺天。方塘水白,釣渚池圓。侍戎韜於武帳,聽雅曲於文絃。乃解懸而通籍,遂崇文而會武。居笠轂而掌兵,出蘭池而典午。論兵於江漢之君,拭圭於西河之主。

 

  于時朝野歡,池臺鐘鼓。里為冠蓋,門成鄒魯。連茂苑於海陵,跨橫塘於江浦。東門則鞭石成橋,南極則鑄銅為柱。樹則園植萬株,竹則家封千。西浮玉,南琛沒羽。吳歈越吟,荊豔楚舞。草木之藉春陽,魚龍之得風雨。五十年中,江表無事。王歙為和親之侯,班超為定遠之使。馬武無預於兵甲,馮唐不論於將帥。豈知山嶽闇然,江湖潛沸。漁陽有閭左戍卒,離石有將兵都尉。

 

  天子方刪詩書,定禮樂。設重雲之講,開士林之學。談劫燼之灰飛,辯常星之夜落。地平魚齒,城危獸角。臥刁斗於滎陽,絆龍媒於平樂。宰衡以干戈為兒戲,縉紳以清談為廟略。乘漬水而膠船,馭奔駒以朽索。小人則將及水火,君子則方成猨鶴。弊不能救鹽池之鹹,阿膠不能止黃河之濁。既而魴魚頳尾,四郊多壘。殿狎江鷗,宮鳴野雉。湛盧去國,艅皇失水。見被髮於伊川,知其時為戎矣。

 

  彼姦逆之熾盛,久遊魂而放命。大則有鯨有鯢,小則為梟為。負其牛羊之力,凶其水草之性。非玉燭之能調,豈璿璣之可正。天下之無為,尚有欲於羈縻。飲其琉璃之酒,賞其虎豹之皮。見胡桐於大夏,識鳥卵於條支。豺牙密厲,虺毒潛吹。輕九鼎而欲問,聞三川而遂窺。

 

  始則王子召戎,姦臣介冑。既官政而離,遂師言而洩漏。望廷尉之逋囚,反淮南之窮寇。飛狄泉之蒼鳥,起橫江之困獸。地則石鼓鳴山,天則金精動宿。北闕龍吟,東陵麟。爾乃桀黠構扇,憑陵畿甸。擁狼望於黃圖,填盧山於赤縣。青袍如草,白馬如練。天子履端廢朝,單于長圍高宴。兩觀當戟,千門受箭。白虹貫日,蒼鷹擊殿。競遭夏臺之禍,遂視堯城之變。官守無奔問之人,干戚非平戎之戰。陶侃則空裝米船,顧榮則虛搖羽扇。將軍死綏,路重圍。烽隨星落,書逐鳶飛。遂乃韓分趙裂,鼓臥旗折。失羣班馬,迷輪亂轍。猛士嬰城,謀臣卷舌。昆陽之戰象走林,常山之陣虵奔穴。五郡則兄弟相悲,三州則父子離別。

 

  護軍慷慨,忠能死節。三世為將,終於此滅。濟陽忠壯,身參末將。兄弟三人,義聲俱唱。主辱臣死,名存身喪。狄人歸元,三軍悽愴。尚書多算,守備是長。雲梯可拒,地道能防。有齊將之閉壁,無燕師之臥墻。大事去矣,人之云亡。申子奮發,勇氣咆勃。實總元戎,身先士卒。冑落魚門,兵填馬窟。屢犯通中,頻遭刮骨。功業夭枉,身名埋沒。或以隼翼鷃披,虎威狐假。霑漬鋒鏑,脂膏原野。兵弱虜彊,城孤氣寡。聞鶴唳而虛驚,聽胡笳而淚下。據神亭而亡戟,臨橫江而棄馬。崩於鉅鹿之沙,碎於長平之瓦。於是桂林顛覆,長洲麋鹿。潰潰沸騰,茫茫慘黷。天地離阻,人神怨酷。晉鄭靡依,魯衞不睦。競動天關,爭回地軸。探雀[]而未飽,待熊蹯而詎熟。乃有車側郭門,筋懸廟屋。鬼同曹社之謀,人有秦庭之哭。

 

  余乃假刻璽於關塞,稱使者之對。逢鄂坂之譏嫌,門之征。乘白馬而不前,策青騾而轉礙。吹落葉之扁舟,飄長颿於上游。彼鋸牙而勾爪,又巡江而習流。排青龍之戰艦,之船樓。張遼臨於赤壁,王濬下於巴丘。乍風驚而射火,或箭重而回舟。未辨聲於黃蓋,已先沈於杜侯。落帆黃鶴之浦,藏船鸚鵡之洲。路已分於湘漢,星猶看於斗牛。若乃陰陵失路,釣臺斜趣。望赤岸而霑衣,艤烏江而不度。雷池柵浦,鵲陵焚戍。旅舍無烟,巢禽失樹。謂荊、衡之杞梓,庶江、漢之可恃。淮海維揚,三千餘里。過漂渚而寄食,托蘆中而度水。屆于七澤,濱于十死。嗟天保之未定,見殷憂之方始。本不達於危行,又無情於祿仕。謬掌衞於中軍,濫尸丞於御史。

 

  信生世等於龍門,辭親同於河洛。奉立身之遺訓,受成書之顧託。昔三世而無慙,今七葉而始落。泣風雨於梁山,惟枯魚之銜索。入欹斜之小徑,掩蓬藋之荒扉。就汀洲之杜若,待蘆葦之單衣。

 

  于時西楚霸王,劍及繁陽。鏖兵金匱,校戰玉堂。蒼鷹赤雀,鐵舳牙檣。沈白馬而誓,負黃龍而度湘。海潮迎艦,江萍送王。戎車屯于石城,戈船掩乎淮、泗。諸侯則鄭伯前驅,盟主則荀罃暮至。剖巢燻穴,奔魑走魅。埋長狄於駒門,斬蚩尤於中冀。然腹為燈,飲頭為器。直虹貫壘,長星屬地。昔之虎據龍盤,加以黃旗紫氣,莫不隨狐兔而窟穴,與風塵而殄瘁。

 

  西瞻博望,北臨玄圃。月榭風臺,池平樹古。倚弓於玉女牕扉,繫馬於鳳凰樓柱。仁壽之鏡徒懸,茂陵之書空聚。若夫立德立言,謨明夤亮。聲超於繫表,道高於河上。既不遇於浮丘,遂無言於師曠。指愛子而託人,知西陵而誰望。非無北闕之兵,猶有雲臺之仗。司徒之表裏經綸,狐偃之惟王實勤。橫琱戈而對霸主,執金鼓而問賊臣。平之功,壯於杜元凱;王室是賴,深於溫太真。始則地名全節,終以山稱枉人。南陽校書,去之已遠。上蔡逐獵,知之何晚。鎮北之負譽矜前,風飈懍然。水神遭箭,山靈見鞭。是以蟄熊傷馬,浮蛟沒船。才子并命,俱非百年。

 

  中宗之夷凶靜亂,大雪冤恥。去代邸而承基,遷唐郊而纂祀。反舊章於司隸,歸餘風於正始。沉猜則方逞其欲,藏疾則自矜於己。天下之事沒焉,諸侯之心搖矣。既而齊交北,秦患西起。況背關而懷楚,異端委而開。驅綠林之散卒,拒驪山之叛徒。營軍梁,蒐乘巴渝。問諸淫昏之鬼,求諸厭劾之巫。荊門遭廩延之戮,夏首濫逵泉之誅。蔑因親於教愛,忍和樂於彎弧。慨無謀於肉食,非所望於論都。未深思於五難,先自擅於二端。登陽城而避險,臥底柱而求安。既言多於忌刻,實志勇於刑殘。但坐觀於時變,本無情於急難。地為黑子,城猶彈丸。其怨則黷,其盟則寒。豈冤禽之能塞海,非愚叟之可移山。況以氣朝浮,妖精夜殞。赤鳥則三朝夾日,蒼雲則七重圍軫。既窮,入郢之年斯盡。

 

  周含鄭怒,楚結秦冤。有南風之不競,西鄰之責言。俄而梯衝亂舞,冀馬雲屯。棧秦車於暢轂,沓漢鼓於雷門。下陳倉而連弩,度臨晉而橫船。雖復楚有七澤,人稱三。箭不麗於六麋,雷無驚於九虎。辭洞庭兮落木,去涔陽兮極浦。熾火兮焚旗,貞風兮害蠱。乃使玉軸揚灰,龍文斫柱。下江餘城,長林故營。徒思箝馬之秣,未見燒牛之兵。章曼支以轂走,宮之奇以族行。河無冰而馬度,關未曉而雞鳴。忠臣解骨,君子吞聲。章華望祭之所,雲夢偽遊之地。荒谷縊於莫敖,冶父囚乎羣帥。硎摺拉,鷹鸇批。冤霜夏零,憤泉秋沸。城崩杞婦之哭,竹染湘妃之淚。

 

  水毒秦涇,山高趙陘。十里五里,長亭短亭。饑隨蟄,闇逐流螢。秦中水黑,關上泥青。于時瓦解冰泮,風飛電散。渾然千里,淄、澠一亂。雪暗如沙,冰橫似岸。逢赴洛之陸機,見離家之王粲。莫不聞隴水而掩泣,向關山而長歎。況復君在交河,妾在清波。石望夫而逾遠,山望子而逾多。才人之憶代郡,公主之去清河。栩陽亭有離別之賦,臨江王有愁思之歌。別有飄颻武威,羈旅金微。班超生而望反,溫序死而思歸。李陵之雙鳬永去,蘇武之一鴈空飛。

 

  昔江陵之中否,乃金陵之禍始。雖借人之外力,實蕭墻之起。撥亂之主忽焉,中興之宗不祀。伯兮叔兮,同見戮於猶子。荊山鵲飛而玉碎,隨岸虵生而珠死。鬼火亂於平林,殤魂驚於新市。梁故豐徙,楚實秦亡。不有所廢,其何以昌。有之後,遂育于姜。輸我神器,居為讓王。天地之大德曰生,聖人之大寶曰位。用無賴之子孫,舉江東而全棄。惜天下之一家,遭東南之反氣。以鶉首而賜秦,天何為而此醉!

 

  且夫天道回旋,民生預焉。余烈祖於西晉,始流播於東川。洎余身而七葉,又遭時而北遷。提挈老幼,關河累年。死生契闊,不可問天。況復零落將盡,靈光巍然。日窮于紀,將復始。逼切危慮,端憂暮齒。踐長樂之神,望宣平之貴里。渭水貫於天門,驪山回於地市。幕府大將軍之愛客,丞相平津侯之待士。見鐘鼎於金、張,聞絃謌於許、史。豈知灞陵夜獵,猶是故時將軍;咸陽布衣,非獨思歸王子。

766年-121杜甫 《巻1733秋興,八首之八》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-121 <984> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6600 

杜甫  秋興,八首之八  

昆吾御宿自逶迤,紫閣峰陰入渼陂。香稻啄餘鸚鵡粒,碧梧棲老鳳皇枝。

佳人拾翠春相問,仙侶同舟晚更移。綵筆昔遊干氣象,白頭吟望苦低垂。
(秋の感興をのべた詩である。第八首は、岑參兄弟と長安城西勝遊を思い、今の衰老を歎息したものである。766年大暦元年55-121の作。

長安の西の方面は、昆吾だの御宿川だのというところのあたりの地形がうねりくねっておる、そこらをとおって終南山の紫閣峰の北、渼陂池へと入込むのである。途中では秋は、香稲に鵜鵡の啄むべき粒がのこされており、碧梧には鳳凰の棲むべき枝が棲み古されていたりした。また、春は、佳人の野あそびして《洛神賦》に「或は明珠を採り、或は翠羽を拾う」様子をたずねたり、夏は、李郭仙舟の故事のように仙人なかまと同じ舟にのって晩になってもかまわず場所替えをして遊んだものだ。この自分は昔はかつて文彩の筆を以て天の気象をもおかししのいだことのあるものであるが、いまや老衰して白髪あたまをかかえて、この諸詩篇を吟じつつ長安の方をながめやるに、どうも、下向き加減であたまがたれさがり、気持ちがふさぎがちでこまり、いくじがなくなったものだと思うのである。

766-121杜甫 《巻1733秋興,八首之八》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-121 <984 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6600 

 

 
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杜甫詩1500-984-1491/2500

年:766年大暦元年55-121

卷別:    卷二三○              文體:    七言律詩

詩題:    秋興,八首之八

作地點:              目前尚無資料

及地點:              昆吾亭 (京畿道 京兆府 長安)           

樊川 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:御宿         

紫閣峰 (京畿道 無第二級行政層級 終南山)    

渼陂 (京畿道 京兆府 鄠縣) 別名:西陂         

 

 

秋興,八首之八

(秋の感興をのべた詩である。第八首は、岑參兄弟と長安城西勝遊を思い、今の衰老を歎息したものである。766年大暦元年55-121の作。

昆吾御宿自逶迤,紫閣峰陰入渼陂。

長安の西の方面は、昆吾だの御宿川だのというところのあたりの地形がうねりくねっておる、そこらをとおって終南山の紫閣峰の北、渼陂池へと入込むのである。

香稻啄餘鸚鵡粒,碧梧棲老鳳皇枝。

途中では秋は、香稲に鵜鵡の啄むべき粒がのこされており、碧梧には鳳凰の棲むべき枝が棲み古されていたりした。

佳人拾翠春相問,仙侶同舟晚更移。

また、春は、佳人の野あそびして《洛神賦》に「或は明珠を採り、或は翠羽を拾う」様子をたずねたり、夏は、李郭仙舟の故事のように仙人なかまと同じ舟にのって晩になってもかまわず場所替えをして遊んだものだ。

綵筆昔遊干氣象,白頭吟望苦低垂。

この自分は昔はかつて文彩の筆を以て天の気象をもおかししのいだことのあるものであるが、いまや老衰して白髪あたまをかかえて、この諸詩篇を吟じつつ長安の方をながめやるに、どうも、下向き加減であたまがたれさがり、気持ちがふさぎがちでこまり、いくじがなくなったものだと思うのである。

(秋興,八首の八)

昆吾 御宿 自ら逶迤(いい)たり、紫閣の峰陰渼陂に入る。

香稲  啄み余す 鸚鵡の粒、碧梧  棲み老ゆ  鳳凰の枝。

佳人と翠を拾いて春に相い問い、仙侶と舟を同じくして晩に更に移る。

綵筆【さいひつ】は昔曾て気象を干【おか】せしに、白頭  吟望して低垂【ていすい】に苦しむ。

鳳翔から華山長安付近 

秋興,八首之七

(秋の感興をのべた詩である。第七首は長安の昆明地のことを思い、現在自己のこれと遠く離れていることを歎じている。)766年大暦元年55-120の作。

昆明池水漢時功,武帝旌旗在眼中。

漢代の人の功によって長安の昆明池はできたものであるが、あの池の水に武帝の楼船の旌旗がうかんでいたさまは今もはっきり眼のなかにあるようである。

織女機絲虛月夜,石鯨鱗甲動秋風。

だが、あそこでは織女の石像の機織糸もいたずらに夜の月の下に形体ばかりをとどめ、石造の鯨の鱗甲もむなしく秋風に動きつつある。

波漂菰米沈雲黑,露冷蓮房墜粉紅。

そうして黒くみのった菰米は波にただよわされてその影が沈める雲の黒きが如くみえ、露冷やかに置いた蓮の花房からはおちちる花粉が赤らみながらこぼれている。

關塞極天唯鳥道,江湖滿地一漁翁。

(自分はそんな様子を思い浮かべるのだが)ここの城塞から長安の方をながめやると、唯だ鳥の通い路が一すじ天にとどくように高く横たわっておるばかりで、此の身は江湖到る処、漂泊を事としておるひとりの水べりの隠遁者の翁として存在するにとどまるのである。

(秋興,八首の七)
昆明の池水は漢時の功なり、武帝の旌旗【せいき】は眼中に在り。

織女の機糸は月夜に虚しく、石鯨の鱗甲は秋風に動く。

波は菰米を漂わして沈雲黒く、露は蓮房を冷ややかにして墜粉紅なり。

関塞  極天  唯だ鳥道、江湖 満地  一漁翁。

 

漢長安と昆明湖 昆明杜渠 

 

年:766年大暦元年55-119

卷別:  卷二三○        文體:  七言律詩

詩題:  秋興,八首之六

作地點:        目前尚無資料

及地點:瞿唐峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘、瞿唐     

樂遊原 (京畿道 京兆府 長安) 別名:宜春北苑、宜春北院、宜春苑、太平公主山莊、曲江、樂遊苑、樂遊園、江頭   

 

秋興,八首之六

(秋の感興をのべた詩である。第六首は、昔年、天子が樂遊原、曲江の離宮へ御遊になったことを追想して現時の荒廃を歎じている。)766年大暦元年55-119の作。

瞿唐峽口曲江頭,萬里風煙接素秋。

この夔州の瞿塘峡の口、夔門、と長安の曲江の頭とは万里の遠きを隔てているのであるが、秋にあたりて風煙はるかに相接しておる。

花萼夾城通御氣,芙蓉小苑入邊愁。

すなわち彼の地の興慶宮の花萼樓、爽城から曲江まで天子の気がかようておるし、かの芙蓉園の中の小苑の出来事さえ、思い出して自分のここでの愁いのこころのなかにはっきりはいってくる。

朱簾繡柱圍黃鶴,錦纜牙檣起白鷗。

芙蓉園に御遊のおりに同行した時、御殿には繍柱がたちならび、珠のすだれがかけつらねられ、黄鶴のぬいとり模様がぐるりととりかこみ、御船遊びのときには錦纜牙檣のすぎるところ白い鴎を飛びたたせた華燭で長閑なものであったが、しかるにいまのありさまはどうであるか。

迴首可憐歌舞地,秦中自古帝王州。

古来、秦中より、長安は帝王の居住あそばされる州であるにかかわらず、首を巡らせば、ウイグルや吐蕃に蹂躙され、あの盛んに歌舞の遊びをきわめられた場所も憐れむべき状態に陥っておるではないか。

 

(秋興,八首の六)

瞿塘峡口【くとうきょうこう】と曲江の頭と、万里の風煙  素秋に接す。

花萼【かがく】の夾城【きょうじょう】  御気通い、芙蓉の小苑  辺愁 入る。

朱簾 繡柱 黄鶴 を囲み、錦䌫【きんらん】  牙檣【がしょう】白鷗を起たしむ。

首を廻らせば憐れむ可し 歌舞の地よ、秦中は古より帝王の州。

 

秋興,八首之五

(秋の感興をのべた詩である。第五首は長安宮殿の盛をいい、自己のかつて朝班に立ったことを追憶する。766年大暦元年55-118の作。

蓬萊宮闕對南山,承露金莖霄漢間。 

蓬莱宮の宮門は、終南山を正面南に対している。それから承露盤の銅柱がおおぞら天のがわの間にまで高くそびえていたのである。

西望瑤池降王母,東來紫氣滿函關。 

西の方をのぞむと瑤池には西王母の仙女が降りるし、東をみれば紫の瑞気がやって来て函谷関にいっぱいになる。

雲移雉尾開宮扇,日繞龍鱗識聖顏。 

かような形勢をびかえた宮殿において、朝廷へ天子出御のそのおりには、雲かとまごう団扇がおしうつったかとおもうと雉尾の宮扇がさっと左右に開かれ、日光が御衣の竜鱗をめぐるのによってそれと聖顔をしって伏おろがむ。これらはみな過去の事となったいま、自分は一たび江辺に高臥して、ただ歳の晩れんとするのに驚く。

一臥滄江驚晚,幾迴青瑣照朝班。 

たしかに、青瑣の宮門において朝班につくための点検をうけたことはいくたびであっただろうか、これでもおりおり朝班の点検をうけたことがあった自分である。

 

(秋興,八首の五)

蓬莱の宮闕 南山に対し、承露の金茎 霄漢の間。

西のかた瑶池を望めば 王母 降り、東来の紫気は  函関に満つ。

雲は移りて 雉尾宮扇を開き、日は繞って 龍鱗 聖顔を識る。

一たび 滄江に臥して歳の晩れたるに驚き、幾廻か青瑣にて朝班に点せられしぞ。

 

秋興,八首之四

(秋の感興をのべた詩である。第四首は長安の喪乱に思いを馳せる。)766年大暦元年55-116の作。

聞道長安似弈棋,百年世事不勝悲。

聞く所によると長安の政局は弈棋の如く勝敗常なしとのことであるが、百年このかた世上のできごとは悲しみにたえぬものがある。

王侯第宅皆新主,文武衣冠異昔時。

みやこの王侯の第宅は、今は、皆、別な主人がはいりこんでいるというし、衣冠をつけた文武の臣も昔時のそれとはちがった人物となっている。

直北關山金鼓振,征西車馬羽書遲。

北をみれば関山に金鼓の音が振うており、西をみれば車馬が征伐のために動いて危急を報ずる撤文が馳せ飛んでおる。

魚龍寂寞秋江冷,故國平居有所思。

今や秋の江水冷やかに魚竜のたぐいもひっそりと蟄居しているが、自分の今もそのようでこのちにいるのであるが、常日頃、故国の長安のことについてはこうしたいつももの思いをしているのである。

(秋興,八首之四)

聞道【きくなら】く   長安は奕棋(えきき)に似たりと、百年の世事 悲しみに勝【た】えず。

王侯の第宅【ていたく】  皆な新主にして、文武の衣冠 昔時に異なる。

直北の関山 金鼓震い、西征の車馬 羽書 馳す。

魚龍 寂寞として 秋江冷やかなり、故国 平居  思う所有り。

 

秋興,八首之三

(秋の感興をのべた詩である。第三首は夔州の朝景をのべ、且つ自己の感懐を叙している。766年大暦元年55-116の作。

千家山郭靜朝暉,一日江樓坐翠微。 

山地の城郭のほとりに千戸ばかりの家屋があり、そこに朝日が静かにさしている。自分は毎日翠微の中において江楼に坐している。

信宿漁人還汎汎,清秋燕子故飛飛。 

江上をみると一、二停泊する漁人がおり、やっぱりぷかぷか舟をうかべている、秋であるのに燕の子らはたち去っておらず、だからわざとらしく飛んでいるということである。

匡衡抗疏功名薄,劉向傳經心事違。 

今匡衡ともいうべき自分は天子に上疏をしたが功名を得ることは薄い。今劉向というべき自分は経書を伝家の業としようとねがったが心事はくいちがった。

同學少年多不賤,五陵衣馬自輕肥。 

これに反して同学の少年輩は如何にとみると彼らの多くは高貴の地位にのぼって、自然、長安の五陵あたりで軽衣肥馬の姿で得意にやっている。

(秋興,八首の三)

千家 山郭に 朝暉 靜かなり,一日江樓 翠微に坐す。 

信宿 漁人 還た 汎汎,清秋の燕子は故に飛飛。 

匡衡 疏を抗り 功名薄く,劉向 經を傳えて 心事 違う。 

同學の少年 多く賤からず,五陵の衣馬 自ら輕肥たり。 

 

秋興,八首之二

(秋の感興をのべた詩である。この第二首は夔州の暮景とかねて異土の感をのべている。766年大暦元年55-114の作。

夔府孤城落日斜,每依南斗望京華。 

夔州の孤城に夕日が斜めに落ちてしまうと、いつものことで、自分は北斗星の方位によって長安、京華の方をながめるのである。

聽猿實下三聲淚,奉使虛隨八月 

ここでは猿の声を聴いては、「水經注」にある古人の言うたとおり、まことに「三声に涙裳を沾す」であり、地方に在るとはいえ工部員外郎として御命を奉じているとはいえいたずらに「八月の楂」を身に随えてここから離れ得ずにいる。

畫省香爐違伏枕,山樓粉堞隱悲笳。 

そうしてかつては親しんだ画省と言われる門下省の香炉に違うて病の枕に伏しっつあるが、城楼のひめがきは今や暮色に隠れて悲しい胡笳がきこえている。

請看石上藤蘿月,已映洲前蘆荻花。 

こんなことを考えている間にあれを見てほしい、というのも、石上を照らす藤蘿のひまもる月がはやくも長江の洲のあたりの蘆荻の花に映ろい染めてきたのである。

 

(秋興 八首 の〔二〕)

夔府の孤城 落日 斜めなり、毎【つね】に北斗に依りて 京華を望む。

猿を聽いて 實に下す 三聲の涙、使を奉じて、虚しく隨ふ、八月の槎。

畫省の香爐、違ひて枕に伏し、山樓の粉蝶、悲笳に隱る。

請ふ、看よ、石上 藤蘿の月、已に映ず、洲前 蘆荻の花。

 

秋興 八首 之〔一〕玉露凋傷楓樹林

(秋の感興をのべた詩である。この第一首は秋の時節に逢って旅居を傷むことをいっている。)766年大暦元年55-114の作。

玉露凋傷楓樹林,巫山巫峽氣蕭森。

露の白玉が置くにつれて楓樹の林が凋ませられ傷われ、巫山巫峡にわたって秋の気配がしんしんとしてきた。

江間波浪兼天湧,寒上風雲接地陰。

長江の上に起こる波浪は天をもあわせんばかりに高く湧きたち、夔州の城塞にうごく風雲は低く地面にまで接近して曇を生じているのがわかる。

菊叢兩開他日淚,孤舟一繫故園心。

自分は去年雲安から奉節で見、今年奉節で二度目の一叢の菊花の開くのを見ているが、いま異郷の花として見る花もいずれは後日思い出のものとなって感傷の涙をながさせることだろう。自分はここまで乗ってきた一つの舟をもっぱら繋ぎとめているのだけれど、それは早晩機会があればそれにのってこの山峡を下り、故郷にかえる思いの心からしていることなのである。

寒衣處處催刀尺,白帝城高急暮砧。

すでに、秋も深まって処処で寒衣を製するために刀尺の用意がはじまってきた、白帝城の高くそびえるあたりでは、夕ぐれになっても新旧布の砧をうつ音がいつまでもせわしくきこえる。これをきくとますます故郷への思いが増してくるのである。

(秋興 八首 之〔一〕)

玉露 凋傷す 楓樹の林、巫山巫峡 気 蕭森たり。

江間の波浪 天を兼ねて沸き、塞上の風雲 地に接して陰(こも)る。

叢菊両(ふたた)び開く他日の涙、孤舟一(ひとえ)に繋ぐ故園の心。

寒衣 處處 刀尺を催(うなが)し、白帝城高くして 暮砧 急なり。

 

 

『秋興,八首之八』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

秋興,八首之八

昆吾御宿自逶迤,紫閣峰陰入渼陂。

香稻啄餘鸚鵡粒,碧梧棲老鳳皇枝。

佳人拾翠春相問,仙侶同舟晚更移。

綵筆昔遊干氣象,白頭吟望苦低垂。
詩文(含異文)     昆吾【案:亭名,在藍田。】御宿【案:川名,在樊川。】自逶迤,紫閣峰陰入渼陂【案:一本二句倒轉。】。香稻啄餘鸚鵡粒【香稻啄殘鸚鵡粒】【紅稻啄餘鸚鵡粒】【紅稻啄殘鸚鵡粒】【紅飯啄餘鸚鵡粒】【紅飯啄殘鸚鵡粒】,碧梧棲老鳳皇枝。佳人拾翠春相問,仙侶同舟晚更移。綵筆昔遊干氣象【綵筆昔曾干氣象】,白頭吟望苦低垂。


(下し文)
(秋興,八首の八)

昆吾 御宿 自ら逶迤(いい)たり、紫閣の峰陰渼陂に入る。

香稲  啄み余す 鸚鵡の粒、碧梧  棲み老ゆ  鳳凰の枝。

佳人と翠を拾いて春に相い問い、仙侶と舟を同じくして晩に更に移る。

綵筆【さいひつ】は昔曾て気象を干【おか】せしに、白頭  吟望して低垂【ていすい】に苦しむ。

(現代語訳)
(秋の感興をのべた詩である。第八首は、岑參兄弟と長安城西勝遊を思い、今の衰老を歎息したものである。766年大暦元年55-121の作。

長安の西の方面は、昆吾だの御宿川だのというところのあたりの地形がうねりくねっておる、そこらをとおって終南山の紫閣峰の北、渼陂池へと入込むのである。

途中では秋は、香稲に鵜鵡の啄むべき粒がのこされており、碧梧には鳳凰の棲むべき枝が棲み古されていたりした。

また、春は、佳人の野あそびして《洛神賦》に「或は明珠を採り、或は翠羽を拾う」様子をたずねたり、夏は、李郭仙舟の故事のように仙人なかまと同じ舟にのって晩になってもかまわず場所替えをして遊んだものだ。

この自分は昔はかつて文彩の筆を以て天の気象をもおかししのいだことのあるものであるが、いまや老衰して白髪あたまをかかえて、この諸詩篇を吟じつつ長安の方をながめやるに、どうも、下向き加減であたまがたれさがり、気持ちがふさぎがちでこまり、いくじがなくなったものだと思うのである。


(訳注)

秋興,八首之八

(秋の感興をのべた詩である。第八首は、岑參兄弟と長安城西勝遊を思い、今の衰老を歎息したものである。766年大暦元年55-121の作。

【解説】 「昆明の池水」は、漢の武帝が長安の西郊に築造した人工の池である。唐代には菰や蓮の生える湿地になっていて、痕跡をとどめてはいたようだ。杜甫は漢の武帝時代の昆明池について幻想し、そこがいまは荒涼とした枯れ野になっていることを描く。

 尾聯においては現実にかえり、夔州から都に通じるのは一本の険しい道しかないといい、自分は都から遠く離れた江湖の地で釣りをする「一漁翁」に過ぎないと、隠者の自分の生活をいう。「江湖」は川や湖の地という意味から、「漁翁」の語とともに、楚辞を踏まえる隠者の常套語である。

 

昆吾御宿自逶迤,紫閣峰陰入渼陂。

長安の西の方面は、昆吾だの御宿川だのというところのあたりの地形がうねりくねっておる、そこらをとおって終南山の紫閣峰の北、渼陂池へと入込むのである。

○昆吾御宿 昆吾は地名、昆吾亭 (京畿道 京兆府 長安)うをいい、御宿は川名であり、御宿川は、樊川 (京畿道 京兆府 萬年) の別名である。揚雄の「羽猟の賦」序にいう、「武帝廣開上林。東南至宜春鼎湖御宿昆吾。旁南山。西至長楊五柞。北繞黃山。濱渭而東。周袤數百里。穿昆明池。象滇河。」(武帝広く上林を開き、東南、宜春・鼎湖・昆吾・御宿に至る、)と。「長安志」にいう、昆吾亭は藍田県境に在り、御宿川(樊川)は万年県の西南四十里にあり、と。長安より美に至ろうとするときに経過すべき処である。

○透 うねっているさま。

紫閣峰陰入渼陂 渼陂はつつみの名、長安から南西に約40㎞、卾県の西五里にあり、終南山の諸谷より出て胡公泉を合して陂となる、広さ数里、上に紫閣峰がある、紫閣峰は終南山中の一峰である。峰陰の陰は北をいう。

渼陂 (京畿道 京兆府 鄠縣) 別名:西陂   

紫閣峰・渼陂については、《巻三11城西陂泛舟【案:即渼陂。】》、《巻三12 渼陂行》【陂在鄠縣西五里,周一十四里。】「半陂以南純浸山,動影裊窕沖融間。船舷暝戛雲際寺,水面月出藍田關。」《巻三13 渼陂西南臺》 「錯磨終南翠,顛倒白閣影。崒增光輝,乘陵惜俄頃。とみえる。

 

香稻啄餘鸚鵡粒,碧梧棲老鳳皇枝。

途中では秋は、香稲に鵜鵡の啄むべき粒がのこされており、碧梧には鳳凰の棲むべき枝が棲み古されていたりした。

香稻啄餘鸚鵡粒 香稲には鸚鵡の啄むべき粒が啄みのこされている。この鸚鵡は富貴の家にあってはここに産する米粒を以て飼養されたもの。

碧梧棲老鳳皇枝 碧梧には鳳凰が棲むべき枝が棲みふるされてある。この鳳凰はかってはこの枝に棲んでいたはずである。今鳳凰はおらずして枝のみあることをいう。稲は水についていい、梧桐は陸についていう。香稻、碧梧は昆吾御宿から紫閣、渼陂に関していい、玄宗楊貴妃がいないことを言い、秋節をいう。

 

佳人拾翠春相問,仙侶同舟晚更移。

また、春は、佳人の野あそびして《洛神賦》に「或は明珠を採り、或は翠羽を拾う」様子をたずねたり、夏は、李郭仙舟の故事のように仙人なかまと同じ舟にのって晩になってもかまわず場所替えをして遊んだものだ。

○佳人拾翠春相問 佳人拾翠とは《洛神賦》に「或は明珠を採り、或は翠羽を拾う」とある意を用いている。賦においては女神たちが水辺に嬉戯することをのべたもので嬉戯の際には首飾である明珠や翠羽をおとすものがあり、それをおたがいに或は採り或は拾うことをいっている。ここの佳人拾翠は春の野あそびを試みる美人たちが他人のおとした翠羽を拾うことをいう。春相問は、これは自己を主としていったもので作者自己が問うことをいったものであろう、問とは問遺・問労などのかたくるしい意ではなく、様子をみるというくらいの軽い意である。此の句は春節をいう。此の句及び次句は渼陂についていう。

仙侶同舟晚更移 仙侶同舟は李郭仙舟の故事《後漢書·郭太傳》「李膺與郭泰同舟而濟,從賓望之,以為神仙,故稱“李郭仙舟”。」に基づく。後漢の李が郭泰(林宗)と舟を同じくして水を渡ったとき、衆賓はかれらを望んで神仙と為したという。其の実は作者が岑參兄弟らと渼陂の遊びを為したことなどをさすのである。晩更移の移は一処に遊びあきてまた他処に移りゆくことをいう。此の句は、仙侶の句は友人の岑參杜甫を「李郭仙舟」に比して詠った「渼陂行」夜の舟遊び、「此時驪龍亦吐珠,馮夷擊鼓群龍趨。湘妃漢女出歌舞,金支翠旗光有無。」の川の女神、湖の女神、竜神らとの夜遊の意をいう。

 

綵筆昔遊干氣象,白頭吟望苦低垂。

この自分は昔はかつて文彩の筆を以て天の気象をもおかししのいだことのあるものであるが、いまや老衰して白髪あたまをかかえて、この諸詩篇を吟じつつ長安の方をながめやるに、どうも、下向き加減であたまがたれさがり、気持ちがふさぎがちでこまり、いくじがなくなったものだと思うのである。

筆昔曾干気象 筆は文彩ある筆をいう。干気象とは《巻二22奉留贈集賢院崔于二學士【案:國輔、休烈。】》詩に「氣衝星象表,詞感帝王尊。」(気は衝く星象の表、詞は感ぜしむ帝王の尊)“急な雨にずぶぬれになった”とあるのと同じく其の勢いが天の気象をもおかししのぐことをいう。干気象とはただ気が山水を凌ぐことであり、《巻三11城西陂泛舟【案:即渼陂。】》《巻三12 渼陂行》巻三13 渼陂西南臺》らの詩篇のことをさす。  

○白頭吟望 仇氏は張遠の説によって吟を今の靴字だとして今と改めている、拘泥の見というべきである、余は故に吟の字に復する。白頭吟望とは白頭の身を以て今製した詩篇を吟じかつ長安の方を望むことをいう。

○苦低垂白頭の低く垂れるのにくるしむ、意気の甚だ揚がらぬことを嘆ずる辞である。

 

 

昆吾から御宿への道は 地形のままにうねり、やがて紫閣峰の北側が渼陂の水面に影をさす。

鸚鵡がつつき残した稲の瑞穂、鳳凰が棲み古した碧梧の古木。

春には佳人と連れ立って翠草摘みにゆき、仙人の仲間と舟遊びして 夜は席を移す。

かつて詩文の筆は 天象に迫るほど冴えていたが、いまは遠くから吟唱して白髪頭を垂れるだけ。

 

昆吾 御宿 自ら逶迤(いい)たり、紫閣の峰陰渼陂に入る。

香稲  啄み余す 鸚鵡の粒、碧梧  棲み老ゆ  鳳凰の枝。

佳人と翠を拾いて春に相い問い、仙侶と舟を同じくして晩に更に移る。

綵筆【さいひつ】は昔曾て気象を干【おか】せしに、白頭  吟望して低垂【ていすい】に苦しむ。

766年-120杜甫 《巻1732秋興,八首之七》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-120 <983> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6595 

杜甫 《巻1732秋興,八首之七》

昆明池水漢時功,武帝旌旗在眼中。織女機絲虛月夜,石鯨鱗甲動秋風。

波漂菰米沈雲黑,露冷蓮房墜粉紅。關塞極天唯鳥道,江湖滿地一漁翁。
(秋の感興をのべた詩である。第七首は長安の昆明地のことを思い、現在自己のこれと遠く離れていることを歎じている。)766年大暦元年55-119の作。

漢代の人の功によって長安の昆明池はできたものであるが、あの池の水に武帝の楼船の旌旗がうかんでいたさまは今もはっきり眼のなかにあるようである。だが、あそこでは織女の石像の機織糸もいたずらに夜の月の下に形体ばかりをとどめ、石造の鯨の鱗甲もむなしく秋風に動きつつある。そうして黒くみのった菰米は波にただよわされてその影が沈める雲の黒きが如くみえ、露冷やかに置いた蓮の花房からはおちちる花粉が赤らみながらこぼれている。(自分はそんな様子を思い浮かべるのだが)ここの城塞から長安の方をながめやると、唯だ鳥の通い路が一すじ天にとどくように高く横たわっておるばかりで、此の身は江湖到る処、漂泊を事としておるひとりの水べりの隠遁者の翁として存在するにとどまるのである。

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杜甫詩1500-983-1490/2500

年:766年大暦元年55-120 

卷別:    卷二三○              文體:    七言律詩

詩題:    秋興,八首之七

作地點:              目前尚無資料

及地點:昆明 (劍南道南部 嶲州 昆明)           

 

秋興,八首之七

昆明池水漢時功,武帝旌旗在眼中。

織女機絲虛月夜,石鯨鱗甲動秋風。

波漂菰米沈雲黑,露冷蓮房墜粉紅。

關塞極天唯鳥道,江湖滿地一漁翁。

 

(秋の感興をのべた詩である。第七首は長安の昆明地のことを思い、現在自己のこれと遠く離れていることを歎じている。)766年大暦元年55-119の作。

漢代の人の功によって長安の昆明池はできたものであるが、あの池の水に武帝の楼船の旌旗がうかんでいたさまは今もはっきり眼のなかにあるようである。

だが、あそこでは織女の石像の機織糸もいたずらに夜の月の下に形体ばかりをとどめ、石造の鯨の鱗甲もむなしく秋風に動きつつある。

そうして黒くみのった菰米は波にただよわされてその影が沈める雲の黒きが如くみえ、露冷やかに置いた蓮の花房からはおちちる花粉が赤らみながらこぼれている。

(自分はそんな様子を思い浮かべるのだが)ここの城塞から長安の方をながめやると、唯だ鳥の通い路が一すじ天にとどくように高く横たわっておるばかりで、此の身は江湖到る処、漂泊を事としておるひとりの水べりの隠遁者の翁として存在するにとどまるのである。

 

 

『秋興,八首之七』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

秋興,八首之七

昆明池水漢時功,武帝旌旗在眼中。

織女機絲虛月夜,石鯨鱗甲動秋風。

波漂菰米沈雲黑,露冷蓮房墜粉紅。

關塞極天唯鳥道,江湖滿地一漁翁。
詩文(含異文)     昆明池水漢時功,武帝旌旗在眼中。織女機絲虛月夜【織女機絲虛夜月】,石鯨鱗甲動秋風。波漂菰米沈雲黑,露冷蓮房墜粉紅。關塞極天唯鳥道,江湖滿地一漁翁。


(下し文)
(秋興,八首の七)
昆明の池水は漢時の功なり、武帝の旌旗【せいき】は眼中に在り。

織女の機糸は月夜に虚しく、石鯨の鱗甲は秋風に動く。

波は菰米を漂わして沈雲黒く、露は蓮房を冷ややかにして墜粉紅なり。

関塞  極天  唯だ鳥道、江湖 満地  一漁翁。

 
(現代語訳)
(秋の感興をのべた詩である。第七首は長安の昆明地のことを思い、現在自己のこれと遠く離れていることを歎じている。)766年大暦元年55-119の作。

漢代の人の功によって長安の昆明池はできたものであるが、あの池の水に武帝の楼船の旌旗がうかんでいたさまは今もはっきり眼のなかにあるようである。

だが、あそこでは織女の石像の機織糸もいたずらに夜の月の下に形体ばかりをとどめ、石造の鯨の鱗甲もむなしく秋風に動きつつある。

そうして黒くみのった菰米は波にただよわされてその影が沈める雲の黒きが如くみえ、露冷やかに置いた蓮の花房からはおちちる花粉が赤らみながらこぼれている。

(自分はそんな様子を思い浮かべるのだが)ここの城塞から長安の方をながめやると、唯だ鳥の通い路が一すじ天にとどくように高く横たわっておるばかりで、此の身は江湖到る処、漂泊を事としておるひとりの水べりの隠遁者の翁として存在するにとどまるのである。

京兆地域図002
(訳注)

秋興,八首之七

(秋の感興をのべた詩である。第七首は長安の昆明地のことを思い、現在自己のこれと遠く離れていることを歎じている。)766年大暦元年55-119の作。

 

昆明池水漢時功,武帝旌旗在眼中。

漢代の人の功によって長安の昆明池はできたものであるが、あの池の水に武帝の楼船の旌旗がうかんでいたさまは今もはっきり眼のなかにあるようである。

昆明地 池の名、長安県西二十里にある、周回四十里、漠の武帝の元狩三年、詞更を発してこれを穿たせた。武帝はこれを演池(雲商にある)に象って作り、水戦を習わせた。武帝は身毒国(今の印度)と交通を開こうとしたが昆明国(雲南)が路を閉じたのによりこれを征伐しょうと欲したのである。

漢時功 漢代にしでかした事功であることをいう。

武帝旌旗在眼中 武帝旌旗とは武帝の造った楼船上の旋旗をいう。「史記」(平準書)「是時越欲與漢用船戰逐,乃大修昆明池,列觀環之。治樓船,高十餘丈,旗幟加其上,甚壯。」にいう、武帝大いに昆明地を修め、楼船を治む、高さ十余丈、旗職を其の上に加う、甚だ壮なり、と。また「西京雑記」にいう、《西京雜記》 「明池中有戈船、樓船各數百艘。樓船上建樓櫓,戈船上建戈矛,四角悉垂幡,旄葆麾蓋。照灼涯涘。」(昆明地中には曳船・楼船各よ数百鰻あり、楼船の上には楼櫓を建て、曳船の上には曳矛を建て、四角に幡を垂れ、施族裸魔、涯漠を照灼す、と。船容の壮んなさまを想像できる。在眼中とは今猶お彷彿としてこれを見ることをいう。此の句は表面は漢の武帝をいうが、実は漢を借りて唐を言うもので玄宗の事をいうのである、作者の《寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻》「無複雲台仗,虛修水戰船。蒼茫城七十,流落劍三千。」(復た雲台【うんだい】の仗【じょう】なし 虚しく修む水戦の船。蒼茫【そうぼう】城 七十、流落 剣 三千。)儀式をおこなう際にも、とても以前のような儀仗を御殿に並べることは無く、漢の武帝がむだな舟戦の準備したものの無駄に終わって都は攻め落とされたようなものだ。はるかに茫漠たる地方まで味方の城は七十も安史軍にうばわれ、集められた趙の三千の剣士がちりぢりに散じた様に九節度使軍も散りじりになった。

の語がある、玄宗もまたかつて船をここに置いたことを知ることができる。

 

織女機絲虛月夜,石鯨鱗甲動秋風。

だが、あそこでは織女の石像の機織糸もいたずらに夜の月の下に形体ばかりをとどめ、石造の鯨の鱗甲もむなしく秋風に動きつつある。

織女横絲虚夜月 曹牝の「志怪」にいう、昆明池には二石人を作り、東西相望ましめ、牽牛織女に象る、と。また張衛の「西都賦」の注にいう、牽牛織女を左右に作り以て天河に象る、と。織女があれば織機がある、よって機杼絲という。虚夜月とは織女の石機の形体のみいたずらに月下に存ることをいう。

石鯨鱗甲動秋風 「西京雑記」にいう、昆明地には玉石を刻して鯨魚をつくる、雷雨に至る毎に常に鳴き吼え鬐尾皆動く、と。動秋風とは今日なお鱗甲が秋風に動きつつあるがごとくであることをいう。

 

波漂菰米沈雲黑,露冷蓮房墜粉紅。

そうして黒くみのった菰米は波にただよわされてその影が沈める雲の黒きが如くみえ、露冷やかに置いた蓮の花房からはおちちる花粉が赤らみながらこぼれている。

菰米 彫蔀米というものである、まこもに似ている植物で、みのる、一種の米である。

沈雲黒 沈雲とは水底にうつっている米の影をたとえていう、米のもみは黒いというのにより雲色もまた黒い。

蓮房 はすのはなぷさ。

墜粉紅 粉は蓮花の花粉である、墜粉はこぼれおちる花粉、紅とは黄粉のふるびですこしくあかみを帯びることをいう。

 

關塞極天唯鳥道,江湖滿地一漁翁。

(自分はそんな様子を思い浮かべるのだが)ここの城塞から長安の方をながめやると、唯だ鳥の通い路が一すじ天にとどくように高く横たわっておるばかりで、此の身は江湖到る処、漂泊を事としておるひとりの水べりの隠遁者の翁として存在するにとどまるのである。

○関塞 せきしょ、とりで。夔州の城塞をいう。

極天 天にいたる、鳥道の高いことをいう。

鳥道 飛鳥のすぎる道。

江湖 江と湖、夔州及び荊南をかけていう。

滿地 土地全部の意であり「到る処」という意。

一漁翁 自己の漂泊すること一漁翁のごとくであることをいう。水べりの隠遁者。
長安付近図00長安の近郊 

766年-119杜甫 《巻1731秋興,八首之六》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-119 <982> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6590

杜甫  秋興,八首之六   

瞿唐峽口曲江頭,萬里風煙接素秋。花萼夾城通御氣,芙蓉小苑入邊愁。

朱簾繡柱圍黃鶴,錦纜牙檣起白鷗。迴首可憐歌舞地,秦中自古帝王州。
(秋の感興をのべた詩である。第六首は、昔年、天子が樂遊原、曲江の離宮へ御遊になったことを追想して現時の荒廃を歎じている。)766年大暦元年55-119の作。

この夔州の瞿塘峡の口、夔門、と長安の曲江の頭とは万里の遠きを隔てているのであるが、秋にあたりて風煙はるかに相接しておる。すなわち彼の地の興慶宮の花萼樓、爽城から曲江まで天子の気がかようておるし、かの芙蓉園の中の小苑の出来事さえ、思い出して自分のここでの愁いのこころのなかにはっきりはいってくる。芙蓉園に御遊のおりに同行した時、御殿には繍柱がたちならび、珠のすだれがかけつらねられ、黄鶴のぬいとり模様がぐるりととりかこみ、御船遊びのときには錦纜牙檣のすぎるところ白い鴎を飛びたたせた華燭で長閑なものであったが、しかるにいまのありさまはどうであるか。古来、秦中より、長安は帝王の居住あそばされる州であるにかかわらず、首を巡らせば、ウイグルや吐蕃に蹂躙され、あの盛んに歌舞の遊びをきわめられた場所も憐れむべき状態に陥っておるではないか。

766-119杜甫 《巻1731秋興,八首之六》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-119 <982> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6590

 

 
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杜甫詩1500-982-1489/2500

秋興,八首之五

(秋の感興をのべた詩である。第五首は長安宮殿の盛をいい、自己のかつて朝班に立ったことを追憶する。766年大暦元年55-118の作。

蓬萊宮闕對南山,承露金莖霄漢間。 

蓬莱宮の宮門は、終南山を正面南に対している。それから承露盤の銅柱がおおぞら天のがわの間にまで高くそびえていたのである。

西望瑤池降王母,東來紫氣滿函關。 

西の方をのぞむと瑤池には西王母の仙女が降りるし、東をみれば紫の瑞気がやって来て函谷関にいっぱいになる。

雲移雉尾開宮扇,日繞龍鱗識聖顏。 

かような形勢をびかえた宮殿において、朝廷へ天子出御のそのおりには、雲かとまごう団扇がおしうつったかとおもうと雉尾の宮扇がさっと左右に開かれ、日光が御衣の竜鱗をめぐるのによってそれと聖顔をしって伏おろがむ。これらはみな過去の事となったいま、自分は一たび江辺に高臥して、ただ歳の晩れんとするのに驚く。

一臥滄江驚晚,幾迴青瑣照朝班。 

たしかに、青瑣の宮門において朝班につくための点検をうけたことはいくたびであっただろうか、これでもおりおり朝班の点検をうけたことがあった自分である。

 

(秋興,八首の五)

蓬莱の宮闕 南山に対し、承露の金茎 霄漢の間。

西のかた瑶池を望めば 王母 降り、東来の紫気は  函関に満つ。

雲は移りて 雉尾宮扇を開き、日は繞って 龍鱗 聖顔を識る。

一たび 滄江に臥して歳の晩れたるに驚き、幾廻か青瑣にて朝班に点せられしぞ。

 

 

年:766年大暦元年55-119

卷別:  卷二三○        文體:  七言律詩

詩題:  秋興,八首之六

作地點:        目前尚無資料

及地點:瞿唐峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘、瞿唐     

樂遊原 (京畿道 京兆府 長安) 別名:宜春北苑、宜春北院、宜春苑、太平公主山莊、曲江、樂遊苑、樂遊園、江頭   

 

秋興,八首之六

(秋の感興をのべた詩である。第六首は、昔年、天子が樂遊原、曲江の離宮へ御遊になったことを追想して現時の荒廃を歎じている。)766年大暦元年55-119の作。

瞿唐峽口曲江頭,萬里風煙接素秋。

この夔州の瞿塘峡の口、夔門、と長安の曲江の頭とは万里の遠きを隔てているのであるが、秋にあたりて風煙はるかに相接しておる。

花萼夾城通御氣,芙蓉小苑入邊愁。

すなわち彼の地の興慶宮の花萼樓、爽城から曲江まで天子の気がかようておるし、かの芙蓉園の中の小苑の出来事さえ、思い出して自分のここでの愁いのこころのなかにはっきりはいってくる。

朱簾繡柱圍黃鶴,錦纜牙檣起白鷗。

芙蓉園に御遊のおりに同行した時、御殿には繍柱がたちならび、珠のすだれがかけつらねられ、黄鶴のぬいとり模様がぐるりととりかこみ、御船遊びのときには錦纜牙檣のすぎるところ白い鴎を飛びたたせた華燭で長閑なものであったが、しかるにいまのありさまはどうであるか。

迴首可憐歌舞地,秦中自古帝王州。

古来、秦中より、長安は帝王の居住あそばされる州であるにかかわらず、首を巡らせば、ウイグルや吐蕃に蹂躙され、あの盛んに歌舞の遊びをきわめられた場所も憐れむべき状態に陥っておるではないか。

 

(秋興,八首の六)

瞿塘峡口【くとうきょうこう】と曲江の頭と、万里の風煙  素秋に接す。

花萼【かがく】の夾城【きょうじょう】  御気通い、芙蓉の小苑  辺愁 入る。

朱簾 繡柱 黄鶴 を囲み、錦䌫【きんらん】  牙檣【がしょう】白鷗を起たしむ。

首を廻らせば憐れむ可し 歌舞の地よ、秦中は古より帝王の州。

長安城図 作図00 

 

『秋興,八首之六』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

秋興,八首之六

瞿唐峽口曲江頭,萬里風煙接素秋。

花萼夾城通御氣,芙蓉小苑入邊愁。

朱簾繡柱圍黃鶴,錦纜牙檣起白鷗。

迴首可憐歌舞地,秦中自古帝王州。
詩文(含異文)  瞿唐峽口曲江頭,萬里風煙接素秋。花萼夾城通御氣,芙蓉小苑入邊愁。朱簾繡柱圍黃鶴【朱簾繡柱圍黃鵠】,錦纜牙檣起白鷗。迴首可憐歌舞地,秦中自古帝王州。


(下し文)
(秋興,八首の六)

瞿塘峡口【くとうきょうこう】と曲江の頭と、万里の風煙  素秋に接す。

花萼【かがく】の夾城【きょうじょう】  御気通い、芙蓉の小苑  辺愁 入る。

朱簾 繡柱 黄鶴 を囲み、錦䌫【きんらん】  牙檣【がしょう】白鷗を起たしむ。

首を廻らせば憐れむ可し 歌舞の地よ、秦中は古より帝王の州。


(現代語訳)
(秋の感興をのべた詩である。第六首は、昔年、天子が樂遊原、曲江の離宮へ御遊になったことを追想して現時の荒廃を歎じている。)766年大暦元年55-119の作。

この夔州の瞿塘峡の口、夔門、と長安の曲江の頭とは万里の遠きを隔てているのであるが、秋にあたりて風煙はるかに相接しておる。

すなわち彼の地の興慶宮の花萼樓、爽城から曲江まで天子の気がかようておるし、かの芙蓉園の中の小苑の出来事さえ、思い出して自分のここでの愁いのこころのなかにはっきりはいってくる。

芙蓉園に御遊のおりに同行した時、御殿には繍柱がたちならび、珠のすだれがかけつらねられ、黄鶴のぬいとり模様がぐるりととりかこみ、御船遊びのときには錦纜牙檣のすぎるところ白い鴎を飛びたたせた華燭で長閑なものであったが、しかるにいまのありさまはどうであるか。

古来、秦中より、長安は帝王の居住あそばされる州であるにかかわらず、首を巡らせば、ウイグルや吐蕃に蹂躙され、あの盛んに歌舞の遊びをきわめられた場所も憐れむべき状態に陥っておるではないか。

興慶宮00
(訳注)

秋興,八首之六

(秋の感興をのべた詩である。第六首は、昔年、天子が樂遊原、曲江の離宮へ御遊になったことを追想して、現時の荒廃を歎じている。)766年大暦元年55-119の作。

 

瞿唐峽口曲江頭,萬里風煙接素秋。

この夔州の瞿塘峡の口、夔門、と長安の曲江の頭とは万里の遠きを隔てているのであるが、秋にあたりて風煙はるかに相接しておる。

瞿唐峽 夔門、夔州にある、すでに見える。重慶市と湖北省の境界をなす巫山を長江(揚子江)が浸食して形成した大峡谷。重慶市奉節県の白帝城から湖北省宜昌市の南津関までで全長196km。その間が瞿唐峡,巫峡,西陵峡の三つの峡谷に大別されることから,三峡と呼ばれる。山地の上昇運動に先行して下方浸食が営まれたことにより形成された。その中心部は花崗岩であるが,長江の流れが石灰岩層を貫くところでは両岸が迫り,川幅が100mに満たない地点もあり,断崖絶壁をなして水面から崖の上まで500mをこえる。

曲江 長安中心部より東南東数キロのところにある池の名。また、地名。風光明媚な所。

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曲江封雨 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 247

曲江陪鄭八丈南史 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 248

万里 夔州と長安との距離の遠いことをいう。

風煙接素秋 「素秋にあたって風煙相い接する」ことをいう、素は白に同じ、秋の色を五行思想で白とする。

 

花萼夾城通御氣,芙蓉小苑入邊愁。

すなわち彼の地の興慶宮の花萼樓、爽城から曲江まで天子の気がかようておるし、かの芙蓉園の中の小苑の出来事さえ、思い出して自分のここでの愁いのこころのなかにはっきりはいってくる。

花萼夾城 花萼夾城は元来は別物であるがここは一に見なしていっている。唐の南内(南の御所)を興慶宮という、宮の西南隅に花萼相輝・勤政務本の楼があり、玄宗の開元二十六年六月、苑安及を遣わし花萼樓を広め夾城を築いて芙蓉苑に至らせた。芙蓉苑は曲江の園である、夾城とは左右に障壁を築いた道路のこと、他人に見られぬためと、危害に対する警備のためとによって隔するのである。この夾城の道路は更に複道といって高下二重に道を設け天子は高い方の道をとおる。花萼樓よりつづく夾城であるのにより一つにみなす。

通御気 御気とは天子の気をいう、天子の在る所には雲気がある、これを御気という、通とは長安より夔州まで通り、通っていることをいう。いわゆる風煙相接すである。

芙蓉小苑 小さい芙蓉苑ということ。曲江のほとりに秦の時には宜春苑を置いたが、漢の文帝は曲江の曲の字をにくみ、かつ其の地に芙蓉の多いことにより芙蓉園といった。唐もまた離宮を置き芙蓉園という。夾城・芙蓉園については更に《巻二06楽遊園歌》「青春波浪芙蓉園,白日雷霆夾城仗。」(青春 波浪 芙蓉の園、白日 雷靂 爽城の供)この春真っただ中にあって、波をたたえている芙蓉園がある、そこに、真昼であるのに雷靂がとどろくかとおもわれるような音をたてて爽城の路に天子の旗指物の列が通られている。

・青春 はる、五行の考えでは春の色を青とする。・芙蓉園 長安城の東南にあり、曲江の西南に位する。これと香園とは秦の宜春下苑の地であり、園内に芙蓉池がある。・雷霆 かみなり、いかずち。これは車馬・音楽などの音をたとえていう。・爽城仗  仗は天子行幸の儀使(はたさしものをつらねた行列)をいう。宮廷警護の軍隊のみが使用する武器。夾城とは垣壁を以てはさんだ道路、開元二十年に大明宮より芙蓉園までこの道路を築いた。

樂遊園歌  杜甫38

人辺愁  辺愁とは杜甫が南の辺地夔州においての愁いをいい、入辺愁とは苑が我が辺愁の中に入ることをいう。この辺愁は作者が辺地である夔州にあっての自己の愁いをさしていっている。

 

朱簾繡柱圍黃鶴,錦纜牙檣起白鷗。

芙蓉園に御遊のおりに同行した時、御殿には繍柱がたちならび、珠のすだれがかけつらねられ、黄鶴のぬいとり模様がぐるりととりかこみ、御船遊びのときには錦纜牙檣のすぎるところ白い鴎を飛びたたせた華燭で長閑なものであったが、しかるにいまのありさまはどうであるか。

朱簾繡 珠をかざったすだれ。ぬいとりの切れを施したはしら、離宮に属するものである。○囲黄鶴 黄鶴は伝説上の鳥の名(黄鶴伝説)、これが実物であるか否かについては異説がある。実物とするものは真っ白ではない鶴、池苑中に棲む鳥とする。別説は簾柱のぬいとりの模様とみる。今は模様とする説の法を採用する。

錦纜牙檣 にしきのともづな、象牙の飾りを施した帆ばしら。池苑に浮かべられる御船のさまである。

起白鴎 白鴎は池水に棲むしろいかもめ。起とは水に浮かんでいたものが御船のすぎるのによって飛びたつことをいう。

 

迴首可憐歌舞地,秦中自古帝王州。

古来、秦中より、長安は帝王の居住あそばされる州であるにかかわらず、首を巡らせば、ウイグルや吐蕃に蹂躙され、あの盛んに歌舞の遊びをきわめられた場所も憐れむべき状態に陥っておるではないか。

歌舞地 天子が遊幸せられ歌や舞をしてお楽しみになったところ。すなわち曲江の離宮あたりをさしていう。

秦中 關中と京兆のことというの類、秦の都した地、すなわち長安をさす。

帝王州 帝王が居住せられる州、都たるべき処であることをいうが、その血が再三にわたって、ウイグルや吐蕃に蹂躙されているころ。第七第八の句は前後置きかえ、倒句法でみるのがよい。

 

 

瞿塘峡の入口と曲江のほとりとは、澄みわたる秋万里の風煙で繋がっている

天子の御気は花萼楼から夾城に通じ、辺境の憂患が芙蓉苑まで入り込んでいた

朱簾繡柱 美殿は黄鶴をとりかこみ、錦纜 牙檣 麗船は白鷗をおどろかす

遥かに望めば感にたえない歌舞遊宴の地よ、長安は昔から帝王の都する地であったのだ

瞿塘峡口【くとうきょうこう】と曲江の頭と、万里の風煙  素秋に接す。

花萼【かがく】の夾城【きょうじょう】  御気通い、芙蓉の小苑  辺愁 入る。

朱簾 繡柱 黄鶴 を囲み、錦【きんらん】  牙檣【がしょう】白鷗を起たしむ。

首を廻らせば憐れむ可し 歌舞の地よ、秦中は古より帝王の州。

766年-118杜甫 《巻1730秋興,八首之五》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-118 <981> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6585

杜甫  秋興,八首之五  

蓬萊宮闕對南山,承露金莖霄漢間。西望瑤池降王母,東來紫氣滿函關。 

雲移雉尾開宮扇,日繞龍鱗識聖顏。一臥滄江驚晚,幾迴青瑣照朝班 
(秋の感興をのべた詩である。第五首は長安宮殿の盛をいい、自己のかつて朝班に立ったことを追憶する。766年大暦元年55-118の作。

蓬莱宮の宮門は、終南山を正面南に対している。それから承露盤の銅柱がおおぞら天のがわの間にまで高くそびえていたのである。西の方をのぞむと瑤池には西王母の仙女が降りるし、東をみれば紫の瑞気がやって来て函谷関にいっぱいになる。かような形勢をびかえた宮殿において、朝廷へ天子出御のそのおりには、雲かとまごう団扇がおしうつったかとおもうと雉尾の宮扇がさっと左右に開かれ、日光が御衣の竜鱗をめぐるのによってそれと聖顔をしって伏おろがむ。これらはみな過去の事となったいま、自分は一たび江辺に高臥して、ただ歳の晩れんとするのに驚く。たしかに、青瑣の宮門において朝班につくための点検をうけたことはいくたびであっただろうか、これでもおりおり朝班の点検をうけたことがあった自分である。

766-118杜甫 《巻1730秋興,八首之五》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-118 <981 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6585

 

 
  2015年9月9日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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李白305 《巻五 29李白24 子夜呉歌其三 秋》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白305> Ⅰ李白詩1607 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6583  
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韓愈88-#6 §1-6 (改訂)巻一26 赴江陵途中寄贈王二十補闕、李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1520> Ⅱ#6 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6584  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
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  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
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杜甫詩1500-981-1488/2500

 

年:766年大暦元年55-118

卷別: 卷二三○  文體: 七言律詩 

詩題: 秋興,八首之五 

及地點: 大明宮 (京畿道 京兆府 長安別名:永安宮、蓬萊宮、含元殿、蓬萊殿     

     故函谷關 (都畿道 陜州 故函谷關別名:秦關     

 

 

秋興,八首之五

(秋の感興をのべた詩である。第五首は長安宮殿の盛をいい、自己のかつて朝班に立ったことを追憶する。766年大暦元年55-118の作。

蓬萊宮闕對南山,承露金莖霄漢間。 

蓬莱宮の宮門は、終南山を正面南に対している。それから承露盤の銅柱がおおぞら天のがわの間にまで高くそびえていたのである。

西望瑤池降王母,東來紫氣滿函關。 

西の方をのぞむと瑤池には西王母の仙女が降りるし、東をみれば紫の瑞気がやって来て函谷関にいっぱいになる。

雲移雉尾開宮扇,日繞龍鱗識聖顏。 

かような形勢をびかえた宮殿において、朝廷へ天子出御のそのおりには、雲かとまごう団扇がおしうつったかとおもうと雉尾の宮扇がさっと左右に開かれ、日光が御衣の竜鱗をめぐるのによってそれと聖顔をしって伏おろがむ。これらはみな過去の事となったいま、自分は一たび江辺に高臥して、ただ歳の晩れんとするのに驚く。

一臥滄江驚晚,幾迴青瑣照朝班。 

たしかに、青瑣の宮門において朝班につくための点検をうけたことはいくたびであっただろうか、これでもおりおり朝班の点検をうけたことがあった自分である。

 

(秋興,八首の五)

蓬莱の宮闕 南山に対し、承露の金茎 霄漢の間。

西のかた瑶池を望めば 王母 降り、東来の紫気は  函関に満つ。

雲は移りて 雉尾宮扇を開き、日は繞って 龍鱗 聖顔を識る。

一たび 滄江に臥して歳の晩れたるに驚き、幾廻か青瑣にて朝班に点せられしぞ。

 

 長安城図 作図00

『秋興,八首之五』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

秋興,八首之五

蓬萊宮闕對南山,承露金莖霄漢間。 

西望瑤池降王母,東來紫氣滿函關。 

雲移雉尾開宮扇,日繞龍鱗識聖顏。 

一臥滄江驚晚,幾迴青瑣照朝班 
蓬萊宮闕對南山,承露金莖霄漢間。

西望瑤池降王母【案:楊貴妃初度女道士,故唐人多以王母比之。】,東來紫氣滿函關【案:唐以老子為祖,屢徵符端。】。

雲移雉尾開宮扇,日繞龍鱗識聖顏。

一臥滄江驚晚,幾迴青瑣照朝班【幾迴青瑣點朝班】。 


(下し文)
(秋興,八首の五)

蓬莱の宮闕 南山に対し、承露の金茎 霄漢の間。

西のかた瑶池を望めば 王母 降り、東来の紫気は  函関に満つ。

雲は移りて 雉尾宮扇を開き、日は繞って 龍鱗 聖顔を識る。

一たび 滄江に臥して歳の晩れたるに驚き、幾廻か青瑣にて朝班に点せられしぞ。


(現代語訳)
(秋の感興をのべた詩である。第五首は長安宮殿の盛をいい、自己のかつて朝班に立ったことを追憶する。766年大暦元年55-118の作。

蓬莱宮の宮門は、終南山を正面南に対している。それから承露盤の銅柱がおおぞら天のがわの間にまで高くそびえていたのである。

西の方をのぞむと瑤池には西王母の仙女が降りるし、東をみれば紫の瑞気がやって来て函谷関にいっぱいになる。

かような形勢をびかえた宮殿において、朝廷へ天子出御のそのおりには、雲かとまごう団扇がおしうつったかとおもうと雉尾の宮扇がさっと左右に開かれ、日光が御衣の竜鱗をめぐるのによってそれと聖顔をしって伏おろがむ。これらはみな過去の事となったいま、自分は一たび江辺に高臥して、ただ歳の晩れんとするのに驚く。

たしかに、青瑣の宮門において朝班につくための点検をうけたことはいくたびであっただろうか、これでもおりおり朝班の点検をうけたことがあった自分である。

大明宮-座標02
(訳注)

秋興,八首之五

(秋の感興をのべた詩である。第五首は長安宮殿の盛をいい、自己のかつて朝班に立ったことを追憶する。766年大暦元年55-118の作。

 

蓬萊宮闕對南山,承露金莖霄漢間。 

蓬莱宮の宮門は、終南山を正面南に対している。それから承露盤の銅柱がおおぞら天のがわの間にまで高くそびえていたのである。

○蓬莱宮闕 蓬莱宮の門閥をいう。蓬莱宮は大明宮の別称である、「雍録」にいう、丹鳳門よりして北すれば含元殿あり、又北すれば宜政殿あり、又北すれば紫宸殿あり、三殿南北相い沓す、皆、山上に在り、紫宸殿に至り又北して蓬莱となれば山勢尽く、と。蓬莱宮は竜首岡に在りて地勢が最も高い。「唐会要」にいう、宮、北は高原に拠り、南は爽壇を望む、天晴れ日朗なる毎に南、終南山を望めば掌に指すが如く、京城の坊市街陌、檻内に在るが如し、と。其の眺望を想像することができよう。

○対南山 南山は長安の南にある終南山である。

○承露金莖霄漢間 漢の武帝は建章宮に承露盤を設けた、銅柱の高さは二十丈、大きさは七囲、上に仙人掌があって盤を承ける、この盤に天の露を承けさせ、それに玉屑をまぜて飲み、長生を求めたのである。金茎とは銅柱をいう。此の銅柱は建章宮の西に建てられたものである。建章宮は長安城外の西北隅に在ったもの、唐の大明宮は長安の東北に位する、唐代には金茎を建てたことはなく、また武帝時代の銅柱が残存していたわけでもない。此の一句は作者が架空に憩いを設けたものに過ぎない。恐らくはすでに崩御している玄宗の求仙をほのめかせたものであろう。

 

西望瑤池降王母,東來紫氣滿函關。 

西の方をのぞむと瑤池には西王母の仙女が降りるし、東をみれば紫の瑞気がやって来て函谷関にいっぱいになる。

○西望瑤池降王母 瑤池降王母の事は《巻二07同諸公登慈恩寺塔》(惜しい哉瑤池の飲 日は日晏し昆侖の邱丘)惜むべきことである、瑶池西王母のところで酒を飲んで帰らなくなっているのと同じことだ、そのまま昆侖邱で日がくれかかって来ているということではないか。

瑶池王母のこと。本来は、東の理想国に対して、西の理想国の母とした女仙人を示すが、ここでは、周の穆王が西に巡符して崑崙に遊び、彼女に会い、帰るのを忘れたという話が「列子」にみえるところから、そのうえ、彼女の性が楊なので、玄宗が楊貴妃に溺れることを指す。

同諸公登慈恩寺塔 杜甫 紀頌之のkanbuniinkai漢詩ブログ杜甫詩 特集 39

○東来紫気満函関 「関尹内伝」にいう、関(函谷関をいう、函谷関は河南省陝州霊宝県の西南にある)の令尹喜かつて楼に登り東極に紫の気ありで西に邁くを望見して日く、応に聖人の京邑を経過するあるなるべしと、乃ち斎戒す、其の日果たして老君(老子)青牛車に乗じて来たり過ぐるを見る、と。此の句は、唐が老子を尊んだので瑞気のあることをいうのである。《巻十八79承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句,十二首之九》「東逾遼水北滹沱,星象風雲喜共和。 紫氣關臨天地闊,黃金臺貯俊賢多。」と同一用意である。貴妃、老子を帯びていうものと考える。

 

雲移雉尾開宮扇,日繞龍鱗識聖顏。 

かような形勢をびかえた宮殿において、朝廷へ天子出御のそのおりには、雲かとまごう団扇がおしうつったかとおもうと雉尾の宮扇がさっと左右に開かれ、日光が御衣の竜鱗をめぐるのによってそれと聖顔をしって伏おろがむ。これらはみな過去の事となったいま、自分は一たび江辺に高臥して、ただ歳の晩れんとするのに驚く。

○雲移雉尾開宮扇 雲移の雲は扇影を形容していう、移とは扇影が開くことをさす、唐の儀衛志によると、唐には雉尾の障扇(雉の尾でつくった物をさえぎるうちわ)があり、天子が御座におでましになろうとするときは左右より扇を合し、天子の坐が定まれば扇を去った。扇を去るとはすなわち雉尾でつくった宮扇がうち開かれることである。なお《至日遣興,奉寄北省舊閣老、兩院故人二首 其二》「「麒麟不動爐煙上,孔雀徐開扇影還。」と見える。至日遣興,奉寄北省舊閣老、兩院故人二首 其二kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 281

〇日繞龍鱗識聖顏 日繞とは日光が竜鱗をめぐること、竜鱗とは天子の衣は裏表といって巻き竜の模様をえがいたが、その模様の竜のうろこをいう。日光が御衣をめぐって照らすのによっておのずと聖顔をしりわけることができるのである。聖顔は天子のおかおをいう。粛宗についていったものである。

 

一臥滄江驚晚,幾迴青瑣照朝班。 

たしかに、青瑣の宮門において朝班につくための点検をうけたことはいくたびであっただろうか、これでもおりおり朝班の点検をうけたことがあった自分である。

〇一臥滄江 滄江はひろい江水、夔州を流れる長江をいう。

 秋節を歳晩といっている。

○青 宮門をいう、その門の上頭を鎖状波状に彫刻して青色で塗るのによって青という。

○点朝班 点は点検などの点である、朝位に参列する者の姓名のうえに点をつけてしらべることをいう。これを玷辱の玷(けがす)ではない。朝班は朝の班列で、位の上下によって班列が異なる。

766年-117杜甫 《巻1729秋興,八首之四》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-117 <980> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6580

杜甫  秋興,八首之四   

聞道長安似弈棋,百年世事不勝悲。王侯第宅皆新主,文武衣冠異昔時。

直北關山金鼓振,征西車馬羽書遲。魚龍寂寞秋江冷,故國平居有所思。
(秋の感興をのべた詩である。第四首は長安の喪乱に思いを馳せる。)766年大暦元年55-116の作。

聞く所によると長安の政局は弈棋の如く勝敗常なしとのことであるが、百年このかた世上のできごとは悲しみにたえぬものがある。みやこの王侯の第宅は、今は、皆、別な主人がはいりこんでいるというし、衣冠をつけた文武の臣も昔時のそれとはちがった人物となっている。北をみれば関山に金鼓の音が振うており、西をみれば車馬が征伐のために動いて危急を報ずる撤文が馳せ飛んでおる。今や秋の江水冷やかに魚竜のたぐいもひっそりと蟄居しているが、自分の今もそのようでこのちにいるのであるが、常日頃、故国の長安のことについてはこうしたいつももの思いをしているのである。

766-117杜甫 《巻1729秋興,八首之四》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-117 <980 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6580


 
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杜甫詩1500-980-1487/2500

年:766年大暦元年55-117

卷別:    卷二三○              文體:    七言律詩

詩題:    秋興,八首之四

作地點:              目前尚無資料

及地點:              長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都      

 

秋興,八首之四

(秋の感興をのべた詩である。第四首は長安の喪乱に思いを馳せる。)766年大暦元年55-116の作。

聞道長安似弈棋,百年世事不勝悲。

聞く所によると長安の政局は弈棋の如く勝敗常なしとのことであるが、百年このかた世上のできごとは悲しみにたえぬものがある。

王侯第宅皆新主,文武衣冠異昔時。

みやこの王侯の第宅は、今は、皆、別な主人がはいりこんでいるというし、衣冠をつけた文武の臣も昔時のそれとはちがった人物となっている。

直北關山金鼓振,征西車馬羽書遲。

北をみれば関山に金鼓の音が振うており、西をみれば車馬が征伐のために動いて危急を報ずる撤文が馳せ飛んでおる。

魚龍寂寞秋江冷,故國平居有所思。

今や秋の江水冷やかに魚竜のたぐいもひっそりと蟄居しているが、自分の今もそのようでこのちにいるのであるが、常日頃、故国の長安のことについてはこうしたいつももの思いをしているのである。

(秋興,八首之四)

聞道【きくなら】く   長安は奕棋(えきき)に似たりと、百年の世事 悲しみに勝【た】えず。

王侯の第宅【ていたく】  皆な新主にして、文武の衣冠 昔時に異なる。

直北の関山 金鼓震い、西征の車馬 羽書 馳す。

魚龍 寂寞として 秋江冷やかなり、故国 平居  思う所有り。

長安城図 作図00 

『秋興,八首之四』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

秋興,八首之四

聞道長安似弈棋,百年世事不勝悲。

王侯第宅皆新主,文武衣冠異昔時。

直北關山金鼓振,征西車馬羽書遲。

魚龍寂寞秋江冷,故國平居有所思。
(含異文)

聞道長安似弈棋,百年世事不勝悲【百年世事不堪悲】。

王侯第宅皆新主,文武衣冠異昔時。

直北關山金鼓振,征西車馬羽書遲【征西車馬羽書馳】【征西車騎羽書遲】【征西車騎羽書馳】。

魚龍寂寞秋江冷【案:魚龍以秋日為夜。】,故國平居有所思。


(下し文)
(秋興,八首之四)

聞道【きくなら】く   長安は奕棋(えきき)に似たりと、百年の世事 悲しみに勝【た】えず。

王侯の第宅【ていたく】  皆な新主にして、文武の衣冠 昔時に異なる。

直北の関山 金鼓震い、西征の車馬 羽書 馳す。

魚龍 寂寞として 秋江冷やかなり、故国 平居  思う所有り。

(現代語訳)
(秋の感興をのべた詩である。第四首は長安の喪乱に思いを馳せる。)766年大暦元年55-116の作。

聞く所によると長安の政局は弈棋の如く勝敗常なしとのことであるが、百年このかた世上のできごとは悲しみにたえぬものがある。

みやこの王侯の第宅は、今は、皆、別な主人がはいりこんでいるというし、衣冠をつけた文武の臣も昔時のそれとはちがった人物となっている。

北をみれば関山に金鼓の音が振うており、西をみれば車馬が征伐のために動いて危急を報ずる撤文が馳せ飛んでおる。

今や秋の江水冷やかに魚竜のたぐいもひっそりと蟄居しているが、自分の今もそのようでこのちにいるのであるが、常日頃、故国の長安のことについてはこうしたいつももの思いをしているのである。


(訳注)

秋興 八首 之〔

(秋の感興をのべた詩である。第四首は長安の喪乱に思いを馳せる。)766年大暦元年55-116の作。

 

聞道長安似弈棋,百年世事不勝悲。

聞く所によると長安の政局は弈棋の如く勝敗常なしとのことであるが、百年このかた世上のできごとは悲しみにたえぬものがある。

○似弈棋 弈棋は碁の博打のこと。一勝一敗あることをいう。長安は75511月、安禄山に陥れられ、或は763年廣徳元年10月、765年永泰元年9月吐蕃に陥れられた。其の政局が常に変化する故に弈棋を以てたとえる。

〇百年 おおよそ唐の開国の初めより作詩の時までをいう。

 

王侯第宅皆新主,文武衣冠異昔時。

みやこの王侯の第宅は、今は、皆、別な主人がはいりこんでいるというし、衣冠をつけた文武の臣も昔時のそれとはちがった人物となっている。

○新主 騒乱のため旧主人はみな奔鼠し、新らしく別の主人が入って住むことをいう。

○衣冠 貴位にある人、高級官僚をいう。

○異昔時 昔時はそれ相当の人が衣冠の地位に居ったのに玄宗・粛宗の朝に或は蕃将、或はかんかん宦官らが朝廷の高位を占めるに至ったのは、今の衣冠が昔時とは異なっているということである。

 

直北關山金鼓振,征西車馬羽書遲。

北をみれば関山に金鼓の音がうており、西をみれば車馬が征伐のために動いて危急を報ずる撤文が馳せ飛んでおる。

○直北 夔州より正北、陝西・甘粛などの地をいう、これは回紇の内侵をいうのであろう。

○金鼓 鐘鼓をいう。回紇をふせぐために鳴らすのである。

○征西車馬 西とは吐蕃の来侵の方位をいう、吐蕃が度重ね、来侵しょうとするゆえ我は西を征するのである、車馬は軍用の車馬。

○羽書 ここでは傲文をいう、回紇・吐蕃の乱は763年廣徳元年10月、765年永泰元年9間の事変である。

 

魚龍寂寞秋江冷,故國平居有所思。

今や秋の江水冷やかに魚竜のたぐいもひっそりと蟄居しているが、自分の今もそのようでこのちにいるのであるが、常日頃、故国の長安のことについてはこうしたいつももの思いをしているのである。

魚龍寂寞 魚竜の類は秋分となれば降り蟄して淵に寝る。いわゆる冬眠の状態に入る、故に寂実たりという。此の句は時物をいうとともにまた以て自ずから此するものである。

○故国平居有所思 自分は平生故国に対して思う所の事があるということをいう。
瞿塘峡・白帝城・魚復 

766年-116杜甫 《巻1728秋興,八首之三》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-116 <979> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6575 

杜甫  秋興,八首之三   

千家山郭靜朝暉,一日江樓坐翠微。  信宿漁人還汎汎,清秋燕子故飛飛。 

匡衡抗疏功名薄,劉向傳經心事違。  同學少年多不賤,五陵衣馬自輕肥。 

(秋の感興をのべた詩である。第三首は夔州の朝景をのべ、且つ自己の感懐を叙している。766年大暦元年55-116の作。

山地の城郭のほとりに千戸ばかりの家屋があり、そこに朝日が静かにさしている。自分は毎日翠微の中において江楼に坐している。

江上をみると一、二停泊する漁人がおり、やっぱりぷかぷか舟をうかべている、秋であるのに燕の子らはたち去っておらず、だからわざとらしく飛んでいるということである。

今匡衡ともいうべき自分は天子に上疏をしたが功名を得ることは薄い。今劉向というべき自分は経書を伝家の業としようとねがったが心事はくいちがった。

これに反して同学の少年輩は如何にとみると彼らの多くは高貴の地位にのぼって、自然、長安の五陵あたりで軽衣肥馬の姿で得意にやっている。

766-116杜甫 《巻1728秋興,八首之三》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-116 <979 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6575 

 

 
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  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
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  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
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韓愈88-#4 (改訂)巻一26 赴江陵途中寄贈王二十補闕、李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1518> Ⅱ#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6574  
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秋興 八首 之〔一〕玉露凋傷楓樹林

(秋の感興をのべた詩である。この第一首は秋の時節に逢って旅居を傷むことをいっている。)766年大暦元年55-114の作。

玉露凋傷楓樹林,巫山巫峽氣蕭森。

露の白玉が置くにつれて楓樹の林が凋ませられ傷われ、巫山巫峡にわたって秋の気配がしんしんとしてきた。

江間波浪兼天湧,寒上風雲接地陰。

長江の上に起こる波浪は天をもあわせんばかりに高く湧きたち、夔州の城塞にうごく風雲は低く地面にまで接近して曇を生じているのがわかる。

菊叢兩開他日淚,孤舟一繫故園心。

自分は去年雲安から奉節で見、今年奉節で二度目の一叢の菊花の開くのを見ているが、いま異郷の花として見る花もいずれは後日思い出のものとなって感傷の涙をながさせることだろう。自分はここまで乗ってきた一つの舟をもっぱら繋ぎとめているのだけれど、それは早晩機会があればそれにのってこの山峡を下り、故郷にかえる思いの心からしていることなのである。

寒衣處處催刀尺,白帝城高急暮砧。

すでに、秋も深まって処処で寒衣を製するために刀尺の用意がはじまってきた、白帝城の高くそびえるあたりでは、夕ぐれになっても新旧布の砧をうつ音がいつまでもせわしくきこえる。これをきくとますます故郷への思いが増してくるのである。

(秋興 八首 之〔一〕)

玉露 凋傷す 楓樹の林、巫山巫峡 気 蕭森たり。

江間の波浪 天を兼ねて沸き、塞上の風雲 地に接して陰(こも)る。

叢菊両(ふたた)び開く他日の涙、孤舟一(ひとえ)に繋ぐ故園の心。

寒衣 處處 刀尺を催(うなが)し、白帝城高くして 暮砧 急なり。

 

 

卷別: 卷二三○  文體: 七言律詩 

詩題: 秋興,八首之二 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:夔州 (山南東道 夔州 夔州別名:夔府、信州、夔國     

 

秋興,八首之二

(秋の感興をのべた詩である。この第二首は夔州の暮景とかねて異土の感をのべている。766年大暦元年55-114の作。

夔府孤城落日斜,每依南斗望京華。 

夔州の孤城に夕日が斜めに落ちてしまうと、いつものことで、自分は北斗星の方位によって長安、京華の方をながめるのである。

聽猿實下三聲淚,奉使虛隨八月 

ここでは猿の声を聴いては、「水經注」にある古人の言うたとおり、まことに「三声に涙裳を沾す」であり、地方に在るとはいえ工部員外郎として御命を奉じているとはいえいたずらに「八月の楂」を身に随えてここから離れ得ずにいる。

畫省香爐違伏枕,山樓粉堞隱悲笳。 

そうしてかつては親しんだ画省と言われる門下省の香炉に違うて病の枕に伏しっつあるが、城楼のひめがきは今や暮色に隠れて悲しい胡笳がきこえている。

請看石上藤蘿月,已映洲前蘆荻花。 

こんなことを考えている間にあれを見てほしい、というのも、石上を照らす藤蘿のひまもる月がはやくも長江の洲のあたりの蘆荻の花に映ろい染めてきたのである。

 

(秋興 八首 の〔二〕)

夔府の孤城 落日 斜めなり、毎【つね】に北斗に依りて 京華を望む。

猿を聽いて 實に下す 三聲の涙、使を奉じて、虚しく隨ふ、八月の槎。

畫省の香爐、違ひて枕に伏し、山樓の粉蝶、悲笳に隱る。

請ふ、看よ、石上 藤蘿の月、已に映ず、洲前 蘆荻の花。

 

杜甫詩1500-979-1486/2500

年:766年大暦元年55-116

卷別: 卷二三○  文體: 七言律詩 

詩題: 秋興,八首之三 

 

 

秋興,八首之三

千家山郭靜朝暉,一日江樓坐翠微。 

信宿漁人還汎汎,清秋燕子故飛飛。 

匡衡抗疏功名薄,劉向傳經心事違。 

同學少年多不賤,五陵衣馬自輕肥。 

(秋の感興をのべた詩である。第三首は夔州の朝景をのべ、且つ自己の感懐を叙している。766年大暦元年55-116の作。

山地の城郭のほとりに千戸ばかりの家屋があり、そこに朝日が静かにさしている。自分は毎日翠微の中において江楼に坐している。

江上をみると一、二停泊する漁人がおり、やっぱりぷかぷか舟をうかべている、秋であるのに燕の子らはたち去っておらず、だからわざとらしく飛んでいるということである。

今匡衡ともいうべき自分は天子に上疏をしたが功名を得ることは薄い。今劉向というべき自分は経書を伝家の業としようとねがったが心事はくいちがった。

これに反して同学の少年輩は如何にとみると彼らの多くは高貴の地位にのぼって、自然、長安の五陵あたりで軽衣肥馬の姿で得意にやっている。

(秋興,八首の三)

千家 山郭に 朝暉 靜かなり,一日江樓 翠微に坐す。 

信宿 漁人 還た 汎汎,清秋の燕子は故に飛飛。 

匡衡 疏を抗り 功名薄く,劉向 經を傳えて 心事 違う。 

同學の少年 多く賤からず,五陵の衣馬 自ら輕肥たり。 

瞿塘峡・白帝城・魚復夔州東川卜居図詳細 002 

『秋興,八首之三』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

秋興,八首之三

千家山郭靜朝暉,一日江樓坐翠微。 

信宿漁人還汎汎,清秋燕子故飛飛。 

匡衡抗疏功名薄,劉向傳經心事違。 

同學少年多不賤,五陵衣馬自輕肥。 
秋興,八首之三(含異文) 千家山郭靜朝暉,一日江樓坐翠微【百處江樓坐翠微】【日日江樓坐翠微】。信宿漁人還汎汎,清秋燕子故飛飛。匡衡抗疏功名薄,劉向傳經心事違。同學少年多不賤,五陵衣馬自輕肥。 


(下し文)
(秋興,八首の三)

千家 山郭に 朝暉 靜かなり,一日江樓 翠微に坐す。 

信宿 漁人 還た 汎汎,清秋の燕子は故に飛飛。 

匡衡 疏を抗り 功名薄く,劉向 經を傳えて 心事 違う。 

同學の少年 多く賤からず,五陵の衣馬 自ら輕肥たり。 
山麓の千戸の郭に朝日は静かに射し、緑の香気に川辺の楼に一日を坐す

一二夜泊りの釣人は点々と舟を浮かべ、澄んだ秋空に燕は何度も飛び廻る

今、匡衡は上奏しても功名薄く、いまの劉向は経書を講じても事志と違う

同学の若者らは多く立身出世し、五陵で軽裘肥馬得意の身分となっている


(現代語訳)
(秋の感興をのべた詩である。第三首は夔州の朝景をのべ、且つ自己の感懐を叙している。766年大暦元年55-116の作。

山地の城郭のほとりに千戸ばかりの家屋があり、そこに朝日が静かにさしている。自分は毎日翠微の中において江楼に坐している。

江上をみると一、二停泊する漁人がおり、やっぱりぷかぷか舟をうかべている、秋であるのに燕の子らはたち去っておらず、だからわざとらしく飛んでいるということである。

今匡衡ともいうべき自分は天子に上疏をしたが功名を得ることは薄い。今劉向というべき自分は経書を伝家の業としようとねがったが心事はくいちがった。

これに反して同学の少年輩は如何にとみると彼らの多くは高貴の地位にのぼって、自然、長安の五陵あたりで軽衣肥馬の姿で得意にやっている。

 


(訳注)

秋興 八首 之〔三〕

(秋の感興をのべた詩である。第三首は夔州の朝景をのべ、且つ自己の感懐を叙している。766年大暦元年55-116の作。

 

千家山郭靜朝暉,一日江樓坐翠微。 

山地の城郭のほとりに千戸ばかりの家屋があり、そこに朝日が静かにさしている。自分は毎日翠微の中において江楼に坐している。

千家山郭 千家は戸数をいう、山郭は山によっているそとくるわ、作者の居処である。瀼西に引っ越す前に作った《1553_白塩山》の詩では、瀼東地区には千戸の民家があったと述べている。

白鹽山【白鹽崖高千餘丈,在州城東十七里。】

卓立群峰外,蟠根積水邊。他皆任厚地,爾獨近高天。

白榜千家邑,清秋萬估船。詞人取佳句,刻畫竟誰傳。

766-90杜甫 1568白鹽山【案:白鹽崖高千餘丈,在州城東十七里。】》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-90 <953 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6400

瀼西宅の周辺は、その対岸の瀼東地区ほどには民家が密集していないが、瀼西の地そのものが狭いこともあり近隣との距離はかなり近かった。瀼西宅では杜甫のすぐ近辺に住まう農夫や漁夫や樵夫たちの生活の息吹が聞こえ、彼らと関わりを持ちながら生活していた。○靜朝暉 あさ日のひかりがしずかにさしている。

○江楼 江辺の棲、しばしば見える酉闇であろう。

○坐翠微 山の半腹に坐す。江楼が翠徴中に在るのである。山気の青線色なるものを翠徴という。坐翠徴を山が楼前を繰ることと解く説があるがよろしくない。楼前を繰ることを言おうとするならば「対二翠徴こというべきである。

杜甫にとって、瀼西宅やその回りの畑や果樹園、そして瀼西宅のある江村は、衣冠を脱ぎ捨てることのできる休息の地であり、本来の自分を取り戻せる地、心安まる静かな場所である。城内に居てそこを思うと、早く駆けつけたくて心うきうきする場所であった。

 しかし瀼西の地は一方ではまた、さきの《1920_甘林》の詩に「喧と静とは科を同じうせず、出と処とは各の天機なり」と述べていたように、そこは「出」すなわち出仕や仕官に対する「処」の場所、すなわち隠遁的世界でもあった。瀼西宅を隠遁地と見なした詩句はたくさん挙げることができる。ここに引きこもって長安や故郷を思うとき、気分は落ち込み、孤独感におそわれ、無為のままに老いが迫ってくるという焦燥感に駆られたりもしたのである。

客観的には人里離れた荒涼とした場所ではなく、市場にもそう遠くないし、村祭りも盛んに行われ、増水期には舟の往来も多く、漢族や現地の少数民族が入り交じり、人の気配が思ったよりは色濃くただよっていると言える。このほかにも、ここでは述べないことにするが瀼西宅への来客も少なくなかったし、士人階層との社交は城内だけではなく、杜甫の家でもしばしば行われていた。もちろん問題は、瀼西の地が客観的にどういう土地かということではない。その地を杜甫がどのように感じてどのように詩に描いているかである。

 

信宿漁人還汎汎,清秋燕子故飛飛。 

江上をみると一、二停泊する漁人がおり、やっぱりぷかぷか舟をうかべている、秋であるのに燕の子らはたち去っておらず、だからわざとらしく飛んでいるということである。

○信宿 宿は宿、再宿を信という一夜二夜、船が漁することをいう。

還汎汎 汎汎は舟のぷかぷかうかぶさま、還というのは彼もまた自分の如くつねに漂泊しつつあることをいう。

○故飛飛 燕は秋の社日に立ち去って翌年の仲春にまた来る。今去るべくしてまだ去らずにいる、ゆえに「故に」という。

 

匡衡抗疏功名薄,劉向傳經心事違。 

今匡衡ともいうべき自分は天子に上疏をしたが功名を得ることは薄い。今劉向というべき自分は経書を伝家の業としようとねがったが心事はくいちがった。

○匡衡抗疏 漢の元帝の時、匡衛はしばしば疏をたてまつって便宜を陳べ、遷って光禄大夫・太子少傳となった。抗疏は上疏の意、疏は上奏の文章をいう。杜甫は宰相房琯と党派をなして、貨幣悪鋳、などの経済政策の賀蘭進明、第五琦らと対立し、これに敗れ、房琯は左遷、これをを救おうとして論争し、肅宗の逆鱗に触れたことがある、また左拾遺としてしばしば疏をたてまつったのであろう、因って匡衝を以て自ずから比する。

○功名薄 衛は光禄大夫となったが作者はかえって官位より退けられ、華州参軍に左遷されるに至ったことをいう。

劉向傳經心事違 前漢の末、劉向は禁中の経書を校して世に残し、其の子歆もまた父の職をついだ、すなわち父子経を伝うである。心事違とは伝経の心事を遂げることができないとの意。其の子が不肖であり己の業をつぐことの向歆父子の伝経の如くであることを得ないことを嘆じたものであろう。

 

同學少年多不賤,五陵衣馬自輕肥。 
これに反して同学の少年輩は如何にとみると彼らの多くは高貴の地位にのぼって、自然、長安の五陵あたりで軽衣肥馬の姿で得意にやっている。

○同学少年 幼少の時同じく学んだ人人。

○不賎高位高官となっているものをいう。

〇五陵長安の近地で富貴豪快の徒の住居する処である。五陵とは漢の高祖の長陵、恵帝の安陵、景帝の陽陵、武帝の茂陵、昭帝の平陵をいう。

○衣鳥目軽肥 軽衣を着、肥馬に跨ることをいう。豪奪なさまをいう。これらは、杜甫の巻十53 少年二首など多く述べている。

杜甫 少年行

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少年行 杜甫 蜀中転々 杜甫 <501  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2695 杜甫詩1000-501-733/1500

 

李白

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杜甫  秋興,八首之二  

夔府孤城落日斜,每依南斗望京華。聽猿實下三聲淚,奉使虛隨八月 

畫省香爐違伏枕,山樓粉堞隱悲笳。請看石上藤蘿月,已映洲前蘆荻花。 

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杜甫詩1500-978-1485/2500

 
  2015年9月6日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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302 《卷23-43詠鄰女東窗海石榴》Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <302> Ⅰ李白詩1590 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6498  
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韓愈88-#3 (改訂)巻一26 赴江陵途中寄贈王二十補闕、李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1517> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6569  
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
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秋興 八首 之〔一〕玉露凋傷楓樹林

(秋の感興をのべた詩である。この第一首は秋の時節に逢って旅居を傷むことをいっている。)766年大暦元年55-114の作。

玉露凋傷楓樹林,巫山巫峽氣蕭森。

露の白玉が置くにつれて楓樹の林が凋ませられ傷われ、巫山巫峡にわたって秋の気配がしんしんとしてきた。

江間波浪兼天湧,寒上風雲接地陰。

長江の上に起こる波浪は天をもあわせんばかりに高く湧きたち、夔州の城塞にうごく風雲は低く地面にまで接近して曇を生じているのがわかる。

菊叢兩開他日淚,孤舟一繫故園心。

自分は去年雲安から奉節で見、今年奉節で二度目の一叢の菊花の開くのを見ているが、いま異郷の花として見る花もいずれは後日思い出のものとなって感傷の涙をながさせることだろう。自分はここまで乗ってきた一つの舟をもっぱら繋ぎとめているのだけれど、それは早晩機会があればそれにのってこの山峡を下り、故郷にかえる思いの心からしていることなのである。

寒衣處處催刀尺,白帝城高急暮砧。

すでに、秋も深まって処処で寒衣を製するために刀尺の用意がはじまってきた、白帝城の高くそびえるあたりでは、夕ぐれになっても新旧布の砧をうつ音がいつまでもせわしくきこえる。これをきくとますます故郷への思いが増してくるのである。

(秋興 八首 之〔一〕)

玉露 凋傷す 楓樹の林、巫山巫峡 気 蕭森たり。

江間の波浪 天を兼ねて沸き、塞上の風雲 地に接して陰(こも)る。

叢菊両(ふたた)び開く他日の涙、孤舟一(ひとえ)に繋ぐ故園の心。

寒衣 處處 刀尺を催(うなが)し、白帝城高くして 暮砧 急なり。

 

 

卷別: 卷二三○  文體: 七言律詩 

詩題: 秋興,八首之二 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:夔州 (山南東道 夔州 夔州別名:夔府、信州、夔國     

 

秋興,八首之二

(秋の感興をのべた詩である。この第二首は夔州の暮景とかねて異土の感をのべている。766年大暦元年55-114の作。

夔府孤城落日斜,每依南斗望京華。 

夔州の孤城に夕日が斜めに落ちてしまうと、いつものことで、自分は北斗星の方位によって長安、京華の方をながめるのである。

聽猿實下三聲淚,奉使虛隨八月 

ここでは猿の声を聴いては、「水經注」にある古人の言うたとおり、まことに「三声に涙裳を沾す」であり、地方に在るとはいえ工部員外郎として御命を奉じているとはいえいたずらに「八月の楂」を身に随えてここから離れ得ずにいる。

畫省香爐違伏枕,山樓粉堞隱悲笳。 

そうしてかつては親しんだ画省と言われる門下省の香炉に違うて病の枕に伏しっつあるが、城楼のひめがきは今や暮色に隠れて悲しい胡笳がきこえている。

請看石上藤蘿月,已映洲前蘆荻花。 

こんなことを考えている間にあれを見てほしい、というのも、石上を照らす藤蘿のひまもる月がはやくも長江の洲のあたりの蘆荻の花に映ろい染めてきたのである。

 

(秋興 八首 の〔二〕)

夔府の孤城 落日 斜めなり、毎【つね】に北斗に依りて 京華を望む。

猿を聽いて 實に下す 三聲の涙、使を奉じて、虚しく隨ふ、八月の槎。

畫省の香爐、違ひて枕に伏し、山樓の粉蝶、悲笳に隱る。

請ふ、看よ、石上 藤蘿の月、已に映ず、洲前 蘆荻の花。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

『秋興, 八首 之〔二〕』現代語訳と訳註解説
(
本文)

秋興,八首之二

夔府孤城落日斜,每依南斗望京華。【每依北斗望京華】。 

聽猿實下三聲淚,奉使虛隨八月 

畫省香爐違伏枕,山樓粉堞隱悲笳。 

請看石上藤蘿月,已映洲前蘆荻花。 


(下し文)
(秋興 八首 の〔二〕)

夔府の孤城 落日 斜めなり、毎【つね】に北斗に依りて 京華を望む。

猿を聽いて 實に下す 三聲の涙、使を奉じて、虚しく隨ふ、八月の槎。

畫省の香爐、違ひて枕に伏し、山樓の粉蝶、悲笳に隱る。

請ふ、看よ、石上 藤蘿の月、已に映ず、洲前 蘆荻の花。

(現代語訳)
(秋の感興をのべた詩である。この第二首は夔州の暮景とかねて異土の感をのべている。766年大暦元年55-114の作。

夔州の孤城に夕日が斜めに落ちてしまうと、いつものことで、自分は北斗星の方位によって長安、京華の方をながめるのである。

ここでは猿の声を聴いては、「水經注」にある古人の言うたとおり、まことに「三声に涙裳を沾す」であり、地方に在るとはいえ工部員外郎として御命を奉じているとはいえいたずらに「八月の楂」を身に随えてここから離れ得ずにいる。

そうしてかつては親しんだ画省と言われる門下省の香炉に違うて病の枕に伏しっつあるが、城楼のひめがきは今や暮色に隠れて悲しい胡笳がきこえている。

こんなことを考えている間にあれを見てほしい、というのも、石上を照らす藤蘿のひまもる月がはやくも長江の洲のあたりの蘆荻の花に映ろい染めてきたのである。

夔州東川卜居図詳細 002
(訳注)

秋興 八首 之〔二〕

(秋の感興をのべた詩である。この第二首は夔州の暮景とかねて異土の感をのべている。766年大暦元年55-114の作。

 

夔府孤城落日斜,每依南斗望京華。 

夔州の孤城に夕日が斜めに落ちてしまうと、いつものことで、自分は北斗星の方位によって長安、京華の方をながめるのである。

夔府孤城 夔州府の孤城。白帝山(城)は、西方向で比較的近く、地続きだから陸路でも行けるし、視界にも入る。杜甫が詠じる白帝城は、夔州城とは、つまり州の役所とは別物であった。そのことは杜甫自身が「白帝と夔州は各(おのおの)城を異にす」(《1527_夔州歌十絶句》其二)と述べていることから明らかである。とはいえ厳耕望氏によれば、夔州城は白帝城と連接していた。

夔州歌十句,十首之二

(夔州の歌 十句,十首の二)

白帝夔州各異城,蜀江楚峽混殊名。

白帝 夔州 各の城を異にす,蜀江 楚峽 殊名を混ず。

英雄割據非天意,霸主并吞在物情。

英雄 割據は天意に非らず,霸主の并吞するは物情に在り。

そしてそれは白帝城の北にあり、白帝城よりはずっと大きく、旧赤甲城の場所にあった。一方、白帝城には旧都督府の役所があったのではないかと思う。杜甫が夔州に滞在していたとき、夔州都督府は既に廃されていたが、白帝城は州より一つ上位の都督府的な役所(防禦使など)として、一部機能していたのではなかろうか。杜甫は白帝山の西閣に住んだことがあり、白帝城をひどく気に入って何度も詩に描いたが、夔州城にはあまり心惹かれていないようだ。

杜甫は、その音がまるで夜明けを促すようだと感じ、白帝城の兵士たちが月明かりをたよりに、夜通し護衛につとめている苦労にも思いを馳せている。

 翌日の十六夜の月夜には笛の音が聞こえてきて、杜甫の旅愁をいっそうかき立てている。2032_十六夜玩月》に言う、

十六夜玩月

 

舊挹金波爽,皆傳玉露秋。

舊より挹む 金波の爽かなるを,皆 傳う 玉露の秋と。

關山隨地闊,河漢近人流。

關山 地に隨って闊に,河漢 人に近づいて流る。

谷口樵歸唱,孤城笛起愁。

谷口に 樵(きこり)帰りて唱い、孤城に 笛起こりて愁う

巴童渾不寢,半夜有行舟。

巴童も渾て 寢ねず,半夜 行舟有り。

 

2033十七夜對月

十七夜對月

 

秋月仍圓夜,江村獨老身。

秋月 仍お 圓き夜,江村 獨り老ゆる身。

捲簾還照客,倚杖更隨人。

簾を捲けば 還た照客を,杖に倚れば 更に人に隨う。

光射潛虯動,明翻宿鳥頻。

光に射られて 潛虯動く,明なるに翻りて宿鳥頻りなり。

茅齋依橘柚,清切露華新。

茅齋 橘柚に依る,清切 露華 新たなり。

每依南斗 毎は毎時。そのつど、北斗は星の名、北方に懸かる、依とはそれを目あてとすることをいう。

望京華 京華は京兆、皇城近くの繁華の地、長安をいう。

 

聽猿實下三聲淚,奉使虛隨八月 

ここでは猿の声を聴いては、「水經注」にある古人の言うたとおり、まことに「三声に涙裳を沾す」であり地方に在るとはいえ工部員外郎として御命を奉じているとはいえいたずらに「八月の楂」を身に随えてここから離れ得ずにいる。

聽猿實下三聲淚 巫峽は猿の名所、猿の嘩き声を聞くこと三声に至ると人は皆涙を流す。「水經注」巻三十四、江水條「巴東三峽巫峽長,猿鳴三聲淚沾裳。」(巴東の三峡巫峡長し、猿鳴三声涙裳を沾す。

奉使虛隨八月 は槎である。仙人の乘るいかだ、又、堯の時、天を一周せしいかだ、は楂に同じ。*故事がある、張華の 「博物志」にいう、近世、人あり海上に居る、毎年八月瑳来たりて期を失わざるを見る、遂に糧をもたらし之に乗じて天河に到る、と。

晉·張華《博物志》卷十天河與海通。近世有人居海渚者,每年八月有浮槎去來,不失期,人有奇志,立飛閣于槎上,多齎糧、乘槎而去。十餘日中猶觀星月日辰,自後茫茫忽忽亦不覺盡夜。去十餘月,奄至一處,有城郭狀,屋舍甚嚴。遙望宮中有織婦,見一丈夫牽牛渚次飲之。牽牛人乃驚問曰:『何由至此?』此人為來意,并問此是何處,答云:『君還至蜀都,訪嚴君平,則知之。』竟不上岸,因還如期。後至蜀,問君平,君平曰:『某年某月,有客星犯牽牛宿。』計年月,正此人到天河時也。」

1940秋日夔府詠懐一百韻》詩「途中非阮籍,上似張騫。」(途中阮籍に非ず、査上張憲に似たり)と同様に作者自己の事をいったものであると思われる。奉使とは天子の使命を奉ずることで、地方に在るとはいえ工部員外郎として存在するのは奉使である。虚随の随の字は他動詞で自動詞ではない、を我が身に随えることをいう、「随とは《巻1726秋興,八首之一》の「菊叢兩開他日淚,孤舟一繫故園心。」(自分は去年雲安から奉節で見、今年奉節で二度目の一叢の菊花の開くのを見ているが、いま異郷の花として見る花もいずれは後日思い出のものとなって感傷の涙をながさせることだろう。自分はここまで乗ってきた一つの舟をもっぱら繋ぎとめているのだけれど、それは早晩機会があればそれにのってこの山峡を下り、故郷にかえる思いの心からしていることなのである。)

の意のごとくであり、楂を随えているとはいえこれに乗って長安に帰ることはできない、故に「虚しく随う」という。八月とは作詩の時が秋八月にして今春夔州に到ってより八か月であることをいったものである。かく見て上句の三声と対語し得て妥当である。ただしこの八月は、「博物志」の毎年八月に来る楂の意を取ったとすることでも正しい。

 

畫省香爐違伏枕,山樓粉堞隱悲笳。 

そうしてかつては親しんだ画省と言われる門下省の香炉に違うて病の枕に伏しっつあるが、城楼のひめがきは今や暮色に隠れて悲しい胡笳がきこえている。

畫省香爐違伏枕 「畫省香爐 違」「伏枕」の句法として見る。違うとは画省の香炉に違うことをいう。画省は門下省をいう、其の壁は丹青を以て画くのにより画省という、杜甫は758年左拾遺としてこの省にあった。香炉とは拾遺の宿直の時、女侍史がその衣服を薫らすために用いるものである。伏枕とは現在、疾病の身を以て枕に伏して臥すことをいう。

山樓粉堞隱悲笳 此の句も「山樓粉堞隱」「悲笳」の句法である。隠とは山横の粉喋が隠れること。日が暮れようとするためである。《0806野望》「遠水兼天淨,孤城隱霧深。」(それで遠方の川はやがて天とひとつになってすっきりして見え、この小さな孤城はだんだん霧が深く立ち込めてきて隠れてしまう。)とあるのと同様の句法である。山楼は夔州の城楼をいう、粉堞は胡粉をぬった城の“ひめがきをいう。胡笳は蘆葉を巻いて吹きならすもの。其の音が悲しいので悲笳という。

秦州抒情詩(20) 野望 杜甫 <305> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1382 杜甫詩 700- 425

 

請看石上藤蘿月,已映洲前蘆荻花。 

こんなことを考えている間にあれを見てほしい、というのも、石上を照らす藤蘿のひまもる月がはやくも長江の洲のあたりの蘆荻の花に映ろいそめてきたのである。

請看石上藤蘿月,已映洲前蘆荻花 これは暮景より直ちに夜景にうつってのべる、眼前に見る所であって、なんらの寓意をもっているものではない。

766年-114杜甫 《巻1726秋興,八首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-114 <977> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6565

杜甫  秋興 八首 之〔一〕玉露凋傷楓樹林   

玉露凋傷楓樹林,巫山巫峽氣蕭森。江間波浪兼天湧,寒上風雲接地陰。

菊叢兩開他日淚,孤舟一繫故園心。寒衣處處催刀尺,白帝城高急暮砧。

(秋の感興をのべた詩である。この第一首は秋の時節に逢って旅居を傷むことをいっている。)766年大暦元年55-114の作。

露の白玉が置くにつれて楓樹の林が凋ませられ傷われ、巫山巫峡にわたって秋の気配がしんしんとしてきた。長江の上に起こる波浪は天をもあわせんばかりに高く湧きたち、夔州の城塞にうごく風雲は低く地面にまで接近して曇を生じているのがわかる。自分は去年雲安から奉節で見、今年奉節で二度目の一叢の菊花の開くのを見ているが、いま異郷の花として見る花もいずれは後日思い出のものとなって感傷の涙をながさせることだろう。自分はここまで乗ってきた一つの舟をもっぱら繋ぎとめているのだけれど、それは早晩機会があればそれにのってこの山峡を下り、故郷にかえる思いの心からしていることなのである。すでに、秋も深まって処処で寒衣を製するために刀尺の用意がはじまってきた、白帝城の高くそびえるあたりでは、夕ぐれになっても新旧布の砧をうつ音がいつまでもせわしくきこえる。これをきくとますます故郷への思いが増してくるのである。

766-114杜甫 《巻1726秋興,八首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-114 <977> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6565

 

 

 
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杜甫詩1500-977-1484/2500秋興,八首

1     玉露凋傷楓樹林,巫山巫峽氣蕭森。江間波浪兼天湧,

       塞上風雲接地陰。叢菊兩開他日,孤舟一系故園心。

       寒衣處處催刀尺,白帝城高急暮砧。

 

2     夔府孤城落日斜,依南斗望京華。聽猿實下三聲

       奉使隨八月。畫省香爐違伏枕,山樓粉堞隱悲笳。

       請看石上藤蘿月,已映洲前蘆荻花。

 

3     千家山郭靜朝暉,一日江樓坐翠微。信宿漁人還泛泛,

       清秋燕子故飛飛。匡衡抗疏功名薄,劉向傳經心事違。

       同學少年多不賤,五陵衣馬自輕肥。

 

4     聞道長安似弈棋,百年世事不勝悲。王侯第宅皆新主,

       文武衣冠異昔時。直北關山金鼓振,征西車馬羽書遲。

       魚龍寂寞秋江冷,故國平居有所思。

 

5     蓬萊宮闕對南山,承露金莖霄漢間。西望瑤池降王母,

       東來紫氣滿函關。雲移雉尾開宮扇,日繞龍鱗識聖顏。

       一臥滄江驚,幾回青瑣照朝班。

 

6     瞿唐峽口曲江頭,萬里風煙接素秋。花萼夾城通禦氣,

       芙蓉小苑入邊愁。朱簾繡柱圍鶴,錦纜牙檣起白鷗。

       回首可憐歌舞地,秦中自古帝王州。

 

7     昆明池水漢時功,武帝旌旗在眼中。織女機絲月夜,

       石鯨鱗甲動秋風。波漂菰米沈雲黑,露冷蓮房墜粉紅。

       關塞極天唯鳥道,江湖滿地一漁翁。

 

8     昆吾禦宿自逶迤,紫閣峰陰入渼陂。香稻啄餘鸚鵡粒,

       碧梧棲老鳳凰枝。佳人拾翠春相問,仙侶同舟更移。

              彩筆昔遊幹氣象,白頭吟望苦低垂。

 

 

年:766年大暦元年55-114

卷別:    卷二三○              文體:    七言律詩

詩題:    秋興,八首之一

作地點:              目前尚無資料

及地點:              白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城      

 

 

秋興 八首 之〔一〕玉露凋傷楓樹林

(秋の感興をのべた詩である。この第一首は秋の時節に逢って旅居を傷むことをいっている。)766年大暦元年55-114の作。

玉露凋傷楓樹林,巫山巫峽氣蕭森。

露の白玉が置くにつれて楓樹の林が凋ませられ傷われ、巫山巫峡にわたって秋の気配がしんしんとしてきた。

江間波浪兼天湧,寒上風雲接地陰。

長江の上に起こる波浪は天をもあわせんばかりに高く湧きたち、夔州の城塞にうごく風雲は低く地面にまで接近して曇を生じているのがわかる。

菊叢兩開他日淚,孤舟一繫故園心。

自分は去年雲安から奉節で見、今年奉節で二度目の一叢の菊花の開くのを見ているが、いま異郷の花として見る花もいずれは後日思い出のものとなって感傷の涙をながさせることだろう。自分はここまで乗ってきた一つの舟をもっぱら繋ぎとめているのだけれど、それは早晩機会があればそれにのってこの山峡を下り、故郷にかえる思いの心からしていることなのである。

寒衣處處催刀尺,白帝城高急暮砧。

すでに、秋も深まって処処で寒衣を製するために刀尺の用意がはじまってきた、白帝城の高くそびえるあたりでは、夕ぐれになっても新旧布の砧をうつ音がいつまでもせわしくきこえる。これをきくとますます故郷への思いが増してくるのである。

 

夔州東川卜居図詳細 002 

『秋興, 八首 之〔一〕』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

秋興 八首 之〔一〕玉露凋傷楓樹林

玉露凋傷楓樹林,巫山巫峽氣蕭森。

江間波浪兼天湧,寒上風雲接地陰。

菊叢兩開他日淚,孤舟一繫故園心。

寒衣處處催刀尺,白帝城高急暮砧。
秋興,八首之一(含異文)

玉露凋傷楓樹林,巫山巫峽氣蕭森。

江間波浪兼天湧,寒上風雲接地陰。

菊叢兩開他日淚【菊叢重開他日淚】,孤舟【案:時方艤舟以俟出峽。】一繫故園心。

寒衣處處催刀尺,白帝城高急暮砧。


(下し文)
(秋興 八首 之〔一〕)

玉露 凋傷す 楓樹の林、巫山巫峡 気 蕭森たり。

江間の波浪 天を兼ねて沸き、塞上の風雲 地に接して陰(こも)る。

叢菊両(ふたた)び開く他日の涙、孤舟一(ひとえ)に繋ぐ故園の心。

寒衣 處處 刀尺を催(うなが)し、白帝城高くして 暮砧 急なり。

(現代語訳)
(秋の感興をのべた詩である。この第一首は秋の時節に逢って旅居を傷むことをいっている。)766年大暦元年55-114の作。

露の白玉が置くにつれて楓樹の林が凋ませられ傷われ、巫山巫峡にわたって秋の気配がしんしんとしてきた。

長江の上に起こる波浪は天をもあわせんばかりに高く湧きたち、夔州の城塞にうごく風雲は低く地面にまで接近して曇を生じているのがわかる。

自分は去年雲安から奉節で見、今年奉節で二度目の一叢の菊花の開くのを見ているが、いま異郷の花として見る花もいずれは後日思い出のものとなって感傷の涙をながさせることだろう。自分はここまで乗ってきた一つの舟をもっぱら繋ぎとめているのだけれど、それは早晩機会があればそれにのってこの山峡を下り、故郷にかえる思いの心からしていることなのである。

すでに、秋も深まって処処で寒衣を製するために刀尺の用意がはじまってきた、白帝城の高くそびえるあたりでは、夕ぐれになっても新旧布の砧をうつ音がいつまでもせわしくきこえる。これをきくとますます故郷への思いが増してくるのである。


(訳注)

秋興 八首 之〔一〕玉露凋傷楓樹林

(秋の感興をのべた詩である。この第一首は秋の時節に逢って旅居を傷むことをいっている。)766年大暦元年55-114の作。

 

玉露凋傷楓樹林,巫山巫峽氣蕭森。

露の白玉が置くにつれて楓樹の林が凋ませられ傷われ、巫山巫峡にわたって秋の気配がしんしんとしてきた。

巫山巫峡 巫山は特定の山名、巫峽は其の上下方にわたってつらなる山峡の名である。巫山は夔州府巫山県東にある。

「水經注」巻三十四、江水條「江水又東,逕巫峽,杜宇所鑿以通江水也。江水歷峽東,逕新崩灘。其下十餘里,有大巫山,非惟三峽所無,乃當抗峰岷、峨(山名),偕嶺衡、疑(山名)。其翼附群山,並概青雲,更就霄漢,辨其優劣耳。神孟塗所處。」とあり、「又帝女居焉。其間首尾百六十里,謂之巫峽,蓋因山爲名也。自三峽七百里中,兩岸連山,略無闕處。重巖疊嶂,隱天蔽日,自非停午夜分,不見曦月。至于夏水襄陵,沿溯阻絶,或王命急宣,有時朝發白帝,暮到江陵,其間千二百里,雖乘奔御風,不以疾也。春冬之時,則素湍緑潭,迴清倒影,絶巘多生怪柏,懸泉瀑布,飛其間,清榮峻茂,良多趣味。每至晴初霜旦,林寒澗肅,常有高猿長嘯,屬引淒異,空谷傳響,哀轉久絶。故漁者歌曰:巴東三峽巫峽長,猿鳴三聲淚沾裳。」と巫山巫峽を案内している。

江水 又た東にして,巫峽に逕す,杜字がちて以て江水を通ぜし所なり、江水峡を歴、東して新崩灘に逕す、其の下十余里、大巫山有り、唯三峡の無き所なるのみに非ず、乃ち当に峰を岷峨と抗し、嶺を衡疑と偕にすべし、其の翼附せる群山、並に青雲にし、更に霽漢に就きて、其の優劣を弁ずるのみ、神孟涂の処る所なり、又帝女焉に居る、其の間、首尾百六十里、之を巫峡と謂う、蓋し山に因って名と為すなり」と。また其の下流に及ぶまでを記していう、「三峡より、七百里中、両岸連山、略闕けたる処無し、重巌畳嶂、天を隠し日を蔽う、停午夜分に非ざる自りは、曦月を見ず、夏水の陵に嚢るに至れば、沿阻絶す、或は王命急に宣するときは、時有ってか、朝に白帝より発し、暮に江陵に到る、其の間、千二百里、乗奔風に御すと雖も、以て疾からざるなり、春冬の時には、則ち素瑞緑潭、清をめぐらし影を倒にす、絶多く怪柏を生ず、懸泉瀑布、其の間に飛漱す、清栄唆峻茂、良に趣味多シ、霜旦に至る毎に、林寒く澗粛かに常に高猿有りて長嘯し、屬引淒異に、空谷響きを伝え、哀転すること久しくして絶ゆ、故に漁者歌って日く、巴東の三峡巫峡長し、猿鳴三声涙裳をす。」と。以て其の境を想見することができよう。

氣蕭森 気は秋の気をいう、蕭森は厳粛なさま。

 

江間波浪兼天湧,寒上風雲接地陰。

長江の上に起こる波浪は天をもあわせんばかりに高く湧きたち、夔州の城塞にうごく風雲は低く地面にまで接近して曇を生じているのがわかる。

江間 前句巫峡を承けていう。

兼天湧 水面上のみならず高く天上までをもあわせて湧きたつ。雲は、河川から、岩場、洞窟から湧き出でる。

塞上 前句巫山を承けていう、塞は夔州城の城塞をいう。

接地陰 城上の高いところより起こってひくく地面に接近してくもる。

 

菊叢兩開他日淚,孤舟一繫故園心。

自分は去年雲安から奉節で見、今年奉節で二度目の一叢の菊花の開くのを見ているが、いま異郷の花として見る花もいずれは後日思い出のものとなって感傷の涙をながさせることだろう。自分はここまで乗ってきた一つの舟をもっぱら繋ぎとめているのだけれど、それは早晩機会があればそれにのってこの山峡を下り、故郷にかえる思いの心からしていることなのである。

叢菊両開 叢菊は叢をなしてしげる菊、両開とは二度ひらくこと、永泰元年雲安にあって秋にあうのは一回、今大暦元年夔州にあって秋にあうのは二回、合わせて二度である。

他日涙 杜詩には他日を①往日の意に用いる場合と、②後日の意に用いる場合との二つの場合があり、ここは大暦元年の今を含んでいうもので、②後日の意としてみるべきである。思うに去年と今年と両回見た花が後日感傷の涙をそそぐたねとなるであろうことをいう。

賈島 《度桑乾》「客舎并州已十霜、歸心日夜憶咸陽。 無端更渡桑乾水、卻望并州是故郷。」 

(客舎幷州己二十霜、帰心日夜咸陽を憶う、端なくも更に渡る桑乾の水、卻って幷州を望めば是れ故郷」のごときものであろう。

孤舟一繋 杜甫が三峡を下る準備としてつねに舟を繋いで置くことをいう。一繋とはもっぱらつなぐこと。

故園心 故園を思うの心、或は故郷に帰ろうとの念よりするというのである。

 

寒衣處處催刀尺,白帝城高急暮砧。

すでに、秋も深まって処処で寒衣を製するために刀尺の用意がはじまってきた、白帝城の高くそびえるあたりでは、夕ぐれになっても新旧布の砧をうつ音がいつまでもせわしくきこえる。これをきくとますます故郷への思いが増してくるのである。

寒衣 寒時にあたって着るころも。その衣を裁縫せんがためにの意。

催刀尺 刀は織物を裁断する刀である、尺は寸法をはかるものさしのこと。催は用意をすることをいう。

白帝城 蓼州城の東部、公孫述の築いた城をいう。すでに見える。

急暮砧 夕ぐれにうつきぬたの音が急である。砧で織物をうち、それに刀尺を施して衣をつくるのである。催刀尺は新衣を製することをいい、急暮砧は旧衣をうつことをいう。いろんな音に加え、音のリズムが異なるというからせわしいのである。音が一定のリズムであれば、せわしないというよりひたむきな頑張りを表現するということである。同じ砧の音を杜甫は見事に表現している。秦州で聞いた砧の音は、ひたむきな頑張りを表現している。

擣衣・搗衣(擣衣)【とうい】砧【きぬた】で衣を打つこと。「擣【う】つ砧を臼にいれ、布を杵(棒杵)でつく。砧でつくのは洗濯ではなく、冬用の厚いごわごわした布を柔軟にするため。

擣衣

(衣を擣つ)

亦知戍不返,秋至拭清砧。

亦た知る戊の返らざるを、秋至りて清砧【せいちん】を拭う。

已近苦寒月,況經長別心。

己に近し苦寒の月、況んや長別の心を経たるをや。

寧辭擣衣倦,一寄塞垣深。

寧ぞ辭せん擣衣の倦むを,一に塞垣【さいえん】の深きに寄す。

用盡閨中力,君聽空外音。

用い尽くす閨中【けいちゅう】の力 君聴け空外の音を。

巻七70搗衣(擣衣) 杜甫 <295> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1352 杜甫詩 700- 415

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杜甫 1801偶題》#6  

音書恨烏鵲,號怒怪熊羆。稼穡分詩興,柴荊學土宜。

故山迷白閣,秋水隱黃陂。不敢要佳句,愁來賦別離。

自分には故郷からの音書がないために烏鵲を恨み、故郷への道には熊羆がはびこっているために怒号しながらそれを怪んでみる。稼穡のわざを試みてはその方へも詩興を分ち、柴荊の門のうちで土地に適した農産物を作るけいこをしてみる。故郷の山を思い出すと終南山中で白閣峯に分け入って迷ったことを思い出し、秋の水につけては黃陂、皇子陵の様子がどうなっているやら思い返してみるのである。今此の篇をつくるにあたって、自分は敢て佳句を求めようなどとはおもはないが、結局は、愁の情がわいてくるままに故郷と別れている心持を述べてみただけなのである。

766-118杜甫 《1801偶題》#6 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-118 <976-#6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6560 

 

 
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杜甫 1801偶題》#5

鬱鬱星辰劍,蒼蒼雲雨池。兩都開幕府,萬宇插軍麾。

南海殘銅柱,東風避月支。

紫の気が星辰を衝く様な剣もいまは鬱鬱とうずもれている。時を得れば、蚊龍を躍らすべき雲雨の池もいまは蒼蒼と昏くたれこめている。このとき東西南都では幕府が開かれ、天下の軍将いたるところ軍麾をさしはさんで戦の用意をしている。南海をみれば後漢の馬猨が国境線を明確に示した銅桂がかろうじて残るという有様で、中央の権勢は衰えてきている、西域の月支、異民族の盛なる勢には東風の塔登朝軍も之を避くる状態にあるということである。

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杜甫詩1500-976-#5-1482/2500

卷別:    卷二三○              文體:    五言古詩

詩題:    偶題

作地點:              目前尚無資料

及地點:              相州 (河北道南部 相州 相州) 別名:鄴城、鄴、鄴中  

白閣峰 (京畿道 無第二級行政層級 終南山)   

皇陂 (京畿道 京兆府 長安) 別名:皇陂、黃陂            

 

 

偶題 #1

(偶然に書き付けた詩) #1

文章千古事,得失寸心知。

文章は永遠不朽の事業であるが、その任否得失に至ってはただ作者自家の方寸の心が知るばかりのものである。

作者皆殊列,名聲豈浪垂。

むかしから作者とよばれるほどの人人はみな特殊な列位にあるもので、その人人の名聲は故なくしてみだりに後世に垂れるものではない。(それぞれ他人には言えない獨知の長所をもっているから永久につたはったのだ)。

騷人嗟不見,漢道盛於斯。

すっとふるい騒人はなげかわしくも今は見られないが、漢の代になって文章の道はその時に盛となった。

(偶題) #1

文章 千古の事,得失 寸心知る。

作者 皆 殊列なり,名聲 豈に浪りに垂れむや。

騷人 嗟 見えず,漢道 斯に盛んなり。

#2

前輩飛騰入,餘波綺麗為。

漢魏、建安文学の先輩たちは飛躍してその盛なる漢道のガへ進み入ったが、その余波である六朝ごろになると綺麗なすがたのものとなった。

後賢兼舊列,歷代各清規。

また其の以後の賢人も各のその前代の体制を兼ね、列を為し、歴代それぞれ清新な規律を有して文學の體制をなしたのである。

法自儒家有,心從弱疲。

自分の文章の法は、詩の名家であり、儒家であった父祖から得ているので、弱年の時から文章のために心が疲れるほどに懸命にしているのである。

永懷江左逸,多病鄴中奇。

分はいつも鮑照・謝靈運以下六朝諸家のすぐれたことを懐うており、三曹建安七子以下の鄴中諸家の非凡なさまを見ては之に対して病というほど夢中になり、飽き足らすことなどないほどのものと考えるのである。

#2

前輩 飛騰して入る,餘波 綺麗と為る。

後賢 舊列を兼ぬ,歷代 各の清規あり。

法は儒家自り有り,心は弱從り疲る。

永く懷う 江左の逸,多く病ましめらる鄴中の奇なるに。

#3

騄驥皆良馬,騏驎帶好兒。

諸家は皆、騄驥の良馬であり、また好兒をひきいた麒麟のごとく父子ともそろっているのである。

車輪徒已斲,堂構惜仍虧。

自分は「荘子」がいい“扁”という大工のごとく車輪を斲【けづ】る妙はさとったが、他に之を伝えることはできず、父祖自己三世の堂構も依然としてかけて建て増しのできないことは惜しむべきことである。

漫作《潛夫論》,虛傳幼婦碑。

後漢の“王符”のごとくみだりに隠居して、立身出世主義・金権主義・門閥主義の時政を論じ「潜夫論」を作ったのであるが、黄絹幼婦と称せられる「絶妙」な曹娥碑文章の妙はよさに傳をうしなわんとしている。

緣情慰漂蕩,抱疾屢遷移。

こうした中で自分は“陸機”が言う、「詩は緣情、賦は體物、碑は披文、誄は纏綿、・・・・・」により、詩を賦して漂泊の生活を慰め、疾を抱きつつしばしば諸處に移転しているのである。

#3

驥 皆 良馬なり,騏驎 好兒を帶ぶ。

車輪凝らに己に斲す、堂構仍お虧けたるを惜む。

漫りに作る《潜夫論》、虚しく傳う幼婦の碑。

緣情 漂蕩を慰む、抱疾屢ば遷移す。

#4

經濟慚長策,飛棲假一枝。

世を済う長策なきをはじながら、「みそさざえ」の様に林中の一枝をかりで棲んでいる。

塵沙傍蜂蠆,江峽繞蛟螭。

塵沙の地に於では蜂蠆と隣合わせになり、江峡では蚊螭のたぐいにとりまかれている。

蕭瑟唐虞遠,聯翩楚漢危。

三皇五帝の唐虞の様な聖世はさびしくも遠くへだたっている、楚漢の興亡を賭するような危い時勢はひきつづいてあらわれる。

聖朝兼盜賊,異俗更喧卑。

聖天子の御代であるというのに盗賊までが存在しているのであり、その上、都会とちがった蠻俗ときてはそのやかましく卑陋なこと一層である。

#4

経済長策を慙づ、飛棲一枝を假る。

塵沙に蜂蠆に傍ふ、江峽蛟螭繞る。

蕭瑟として唐虞遠く,聯翩として楚漢危し。

聖朝盜賊を兼ぬ,異俗更に喧卑なり。

#5

鬱鬱星辰劍,蒼蒼雲雨池。

紫の気が星辰を衝く様な剣もいまは鬱鬱とうずもれている。時を得れば、蚊龍を躍らすべき雲雨の池もいまは蒼蒼と昏くたれこめている。

兩都開幕府,萬宇插軍麾。

このとき東西南都では幕府が開かれ、天下の軍将いたるところ軍麾をさしはさんで戦の用意をしている。

南海殘銅柱,東風避月支。

南海をみれば後漢の馬猨が国境線を明確に示した銅桂がかろうじて残るという有様で、中央の権勢は衰えてきている、西域の月支、異民族の盛なる勢には東風の塔登朝軍も之を避くる状態にあるということである。

#5

鬱鬱たり星辰劍,蒼蒼たり雲雨池。

兩都幕府を開く,萬宇 軍麾を插む。

南海 銅柱殘る,東風 月支を避く。

#6

音書恨烏鵲,號怒怪熊羆。

稼穡分詩興,柴荊學土宜。

故山迷白閣,秋水隱黃陂。

不敢要佳句,愁來賦別離。

 

#6

音書 烏鵲を恨む,號怒 熊羆を怪む。

稼穡 詩興を分つ,柴荊 土宜を學ぶ。

故山 白閣迷う,秋水 黃陂を隱う。

敢て佳句を要せず,愁い來りて別離を賦す。

 

 

『偶題』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#5

鬱鬱星辰劍,蒼蒼雲雨池。

兩都開幕府,萬宇插軍麾。

南海殘銅柱,東風避月支。


(下し文)
鬱鬱たり星辰劍,蒼蒼たり雲雨の池。

兩都幕府を開く,萬宇 軍麾を插む。

南海 銅柱殘る,東風 月支を避く。

(現代語訳)
#5

紫の気が星辰を衝く様な剣もいまは鬱鬱とうずもれている。時を得れば、蚊龍を躍らすべき雲雨の池もいまは蒼蒼と昏くたれこめている。

このとき東西南都では幕府が開かれ、天下の軍将いたるところ軍麾をさしはさんで戦の用意をしている。

南海をみれば後漢の馬猨が国境線を明確に示した銅桂がかろうじて残るという有様で、中央の権勢は衰えてきている、西域の月支、異民族の盛なる勢には東風の塔登朝軍も之を避くる状態にあるということである。

8世紀唐と周辺国00
(訳注) #5

偶題 

(偶然に書き付けた詩)

自己の詩學・文学・儒学に及び、此詩を賦する所以を叙したもので、大暦元年秋夔州にての作ったものである。

鬱鬱星辰劍,蒼蒼雲雨池。

紫の気が星辰を衝く様な剣もいまは鬱鬱とうずもれている。時を得れば、蚊龍を躍らすべき雲雨の池もいまは蒼蒼と昏くたれこめている。

鬱鬱 光ののびざるさま。

星辰剣 紫気斗牛の星辰か衝くような剣、暗に豐城の雷煥が剣の故事を用う、自己の埋もれている才を比す。

蒼蒼 くらき情景。

雲雨池 雲雨を興せば龍が躍りだす池、暗に周瑜が劉備を評して蛟龍、雲雨も得ば地中の物に非ずといいし意を用う、自己か躍りいでざる龍に比す。

・剣・池の二句は策有れども施すことができないことをいう。 

 

兩都開幕府,萬宇插軍麾。

このとき東西南都では幕府が開かれ、天下の軍将いたるところ軍麾をさしはさんで戦の用意をしている。

兩都 長安・洛陽。西都・東都。

幕府 元帥の府をいふ。

萬宇 宇は㝢に同じ、萬宇は天下をいう。

插軍麾 軍麾は指揮する采配の類。さしまねく旗麾である。插は「さしはさむ」、軍将みなこれをはさんでいる、天下ではみな兵を用いつつあって戦争状態にある。

 

南海殘銅柱,東風避月支。

南海をみれば後漢の馬猨が国境線を明確に示した銅桂がかろうじて残るという有様で、中央の権勢は衰えてきている、西域の月支、異民族の盛なる勢には東風の塔登朝軍も之を避くる状態にあるということである。

南海殘銅柱 南海・銅柱、《巻十六04諸將五首其四》「南海」後漢の馬猨が国境線を明確に示すものとして建てたもの。南海は廣東地方の海をいい、銅柱は元來に交趾の事であり、今一つとして用いているのは、南方に銅柱残るとは唐の権力がその地に行き渡っていることをいうものである。『南史』「馬援所植兩銅柱,表漢界處也」(林邑国南界、馬援植つる所の両銅柱は、漢界を表する処なり。)

巻十六04

諸將五首其四

回首扶桑銅柱標,冥冥氛祲未全銷。

首を廻らす扶桑銅柱の標、冥冥たる茶房未だ全く鏑せず。

越裳翡翠無消息,南海明珠久寂寥。

越裳の翁翠消息無く、南海の明珠久しく寂蓼。

殊錫曾為大司馬,總戎皆插侍中貂。

殊錫曾て大司馬と為る、総戎皆拝む侍中の窮。

炎風朔雪天王地,只在忠臣翊聖朝。

炎風も朔雪も天王の地、只だ忠良の聖朝を翊たすくるに在り。

東風避月支 東風避とは東風の勢は、競わず弱いものなのでこれか避くるという、唐王朝、都長安は吐蕃、ウイグルに対して東にあたる、月支は漢代西域の大月氏など異民族国。

「鬱鬱」からここまで六句は、国事について言う。
安史の乱当時の勢力図 

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杜甫  《1801偶題》#4

經濟慚長策,飛棲假一枝。塵沙傍蜂蠆,江峽繞蛟螭。

蕭瑟唐虞遠,聯翩楚漢危。聖朝兼盜賊,異俗更喧卑。
世を済う長策なきをはじながら、「みそさざえ」の様に林中の一枝をかりで棲んでいる。塵沙の地に於では蜂蠆と隣合わせになり、江峡では蚊螭のたぐいにとりまかれている。三皇五帝の唐虞の様な聖世はさびしくも遠くへだたっている、楚漢の興亡を賭するような危い時勢はひきつづいてあらわれる。聖天子の御代であるというのに盗賊までが存在しているのであり、その上、都会とちがった蠻俗ときてはそのやかましく卑陋なこと一層である。

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 杜甫詩1500-976-#4-1481/2500
卷別:    卷二三○              文體:    五言古詩

詩題:    偶題

作地點:              目前尚無資料

及地點:              相州 (河北道南部 相州 相州) 別名:鄴城、鄴、鄴中  

白閣峰 (京畿道 無第二級行政層級 終南山)   

皇陂 (京畿道 京兆府 長安) 別名:皇陂、黃陂            

 

 

偶題 #1

(偶然に書き付けた詩) #1

文章千古事,得失寸心知。

文章は永遠不朽の事業であるが、その任否得失に至ってはただ作者自家の方寸の心が知るばかりのものである。

作者皆殊列,名聲豈浪垂。

むかしから作者とよばれるほどの人人はみな特殊な列位にあるもので、その人人の名聲は故なくしてみだりに後世に垂れるものではない。(それぞれ他人には言えない獨知の長所をもっているから永久につたはったのだ)。

騷人嗟不見,漢道盛於斯。

すっとふるい騒人はなげかわしくも今は見られないが、漢の代になって文章の道はその時に盛となった。

(偶題) #1

文章 千古の事,得失 寸心知る。

作者 皆 殊列なり,名聲 豈に浪りに垂れむや。

騷人 嗟 見えず,漢道 斯に盛んなり。

#2

前輩飛騰入,餘波綺麗為。

漢魏、建安文学の先輩たちは飛躍してその盛なる漢道のガへ進み入ったが、その余波である六朝ごろになると綺麗なすがたのものとなった。

後賢兼舊列,歷代各清規。

また其の以後の賢人も各のその前代の体制を兼ね、列を為し、歴代それぞれ清新な規律を有して文學の體制をなしたのである。

法自儒家有,心從弱疲。

自分の文章の法は、詩の名家であり、儒家であった父祖から得ているので、弱年の時から文章のために心が疲れるほどに懸命にしているのである。

永懷江左逸,多病鄴中奇。

分はいつも鮑照・謝靈運以下六朝諸家のすぐれたことを懐うており、三曹建安七子以下の鄴中諸家の非凡なさまを見ては之に対して病というほど夢中になり、飽き足らすことなどないほどのものと考えるのである。

#2

前輩 飛騰して入る,餘波 綺麗と為る。

後賢 舊列を兼ぬ,歷代 各の清規あり。

法は儒家自り有り,心は弱從り疲る。

永く懷う 江左の逸,多く病ましめらる鄴中の奇なるに。

#3

騄驥皆良馬,騏驎帶好兒。

諸家は皆、騄驥の良馬であり、また好兒をひきいた麒麟のごとく父子ともそろっているのである。

車輪徒已斲,堂構惜仍虧。

自分は「荘子」がいい“扁”という大工のごとく車輪を斲【けづ】る妙はさとったが、他に之を伝えることはできず、父祖自己三世の堂構も依然としてかけて建て増しのできないことは惜しむべきことである。

漫作《潛夫論》,虛傳幼婦碑。

後漢の“王符”のごとくみだりに隠居して、立身出世主義・金権主義・門閥主義の時政を論じ「潜夫論」を作ったのであるが、黄絹幼婦と称せられる「絶妙」な曹娥碑文章の妙はよさに傳をうしなわんとしている。

緣情慰漂蕩,抱疾屢遷移。

こうした中で自分は“陸機”が言う、「詩は緣情、賦は體物、碑は披文、誄は纏綿、・・・・・」により、詩を賦して漂泊の生活を慰め、疾を抱きつつしばしば諸處に移転しているのである。

#3

驥 皆 良馬なり,騏驎 好兒を帶ぶ。

車輪凝らに己に斲す、堂構仍お虧けたるを惜む。

漫りに作る《潜夫論》、虚しく傳う幼婦の碑。

緣情 漂蕩を慰む、抱疾屢ば遷移す。

#4

經濟慚長策,飛棲假一枝。

世を済う長策なきをはじながら、「みそさざえ」の様に林中の一枝をかりで棲んでいる。

塵沙傍蜂蠆,江峽繞蛟螭。

塵沙の地に於では蜂蠆と隣合わせになり、江峡では蚊螭のたぐいにとりまかれている。

蕭瑟唐虞遠,聯翩楚漢危。

三皇五帝の唐虞の様な聖世はさびしくも遠くへだたっている、楚漢の興亡を賭するような危い時勢はひきつづいてあらわれる。

聖朝兼盜賊,異俗更喧卑。

聖天子の御代であるというのに盗賊までが存在しているのであり、その上、都会とちがった蠻俗ときてはそのやかましく卑陋なこと一層である。

#4

経済長策を慙づ、飛棲一枝を假る。

塵沙に蜂蠆に傍ふ、江峽蛟螭繞る。

蕭瑟として唐虞遠く,聯翩として楚漢危し。

聖朝盜賊を兼ぬ,異俗更に喧卑なり。

#5

鬱鬱星辰劍,蒼蒼雲雨池。兩都開幕府,萬宇插軍麾。

南海殘銅柱,東風避月支。

#6

音書恨烏鵲,號怒怪熊羆。稼穡分詩興,柴荊學土宜。

故山迷白閣,秋水隱黃陂。不敢要佳句,愁來賦別離。

 

#5

鬱鬱たり星辰劍,蒼蒼たり雲雨池。

兩都幕府を開く,萬宇 軍麾を插む。

南海 銅柱殘る,東風 月支を避く。

#6

音書 烏鵲を恨む,號怒 熊羆を怪む。

稼穡 詩興を分つ,柴荊 土宜を學ぶ。

故山 白閣迷う,秋水 黃陂を隱う。

敢て佳句を要せず,愁い來りて別離を賦す。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

『偶題』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

經濟慚長策,飛棲假一枝。

塵沙傍蜂蠆,江峽繞蛟螭。

蕭瑟唐虞遠,聯翩楚漢危。

聖朝兼盜賊,異俗更喧卑。

(下し文)
#4

経済長策を慙づ、飛棲一枝を假る。

塵沙に蜂蠆に傍ふ、江峽蛟螭繞る。

蕭瑟として唐虞遠く,聯翩として楚漢危し。

聖朝盜賊を兼ぬ,異俗更に喧卑なり。

(現代語訳)
#4

世を済う長策なきをはじながら、「みそさざえ」の様に林中の一枝をかりで棲んでいる。

塵沙の地に於では蜂蠆と隣合わせになり、江峡では蚊螭のたぐいにとりまかれている。

三皇五帝の唐虞の様な聖世はさびしくも遠くへだたっている、楚漢の興亡を賭するような危い時勢はひきつづいてあらわれる。

聖天子の御代であるというのに盗賊までが存在しているのであり、その上、都会とちがった蠻俗ときてはそのやかましく卑陋なこと一層である。


(訳注) #4

偶題 

(偶然に書き付けた詩)

自己の詩學・文学・儒学に及び、此詩を賦する所以を叙したもので、大暦元年秋夔州にての作ったものである。

李白の足跡003 

經濟慚長策,飛棲假一枝。

世を済う長策なきをはじながら、「みそさざえ」の様に林中の一枝をかりで棲んでいる。

○經濟 世を経綸して救うこと。

○慚長策 すぐれたるはかりごとがないことをはずることを言う。

○飛棲 自己を鳥にたとえる。

○假一枝 「荘子」の鷦鷯一枝の意味に用う、《莊子逍遙遊》:「鷦鷯巢于深林,不過一枝;偃鼠飲河,不過滿腹。」。

・「緣情」の句以下に夔州に客寓でる情事か叙す。

 

塵沙傍蜂蠆,江峽繞蛟螭。

塵沙の地に於では蜂蠆と隣合わせになり、江峡では蚊螭のたぐいにとりまかれている。

○蜂蠆 蠆は「さそり」の類い。

○蛟螭 みづち、蜂蠆蛟螭はよからぬ人物を比していう。

 

蕭瑟唐虞遠,聯翩楚漢危。

三皇五帝の唐虞の様な聖世はさびしくも遠くへだたっている、楚漢の興亡を賭するような危い時勢はひきつづいてあらわれる。

○唐虞 堯舜の時代。

○聯翩 つらなる貌、引き続くことをいう。

○楚漢危 楚漢戦争、楚の項羽、漢の高祖、天下を争う形勢でもって危し、時世を喩えて云う。

 

聖朝兼盜賊,異俗更喧卑。

聖天子の御代であるというのに盗賊までが存在しているのであり、その上、都会とちがった蠻俗ときてはそのやかましく卑陋なこと一層である。

○兼盜賊 兼とは盜賊をも有するをいう。

○異俗 夔州の風俗と違った異民族の風俗。

○喧卑 やかましく且ついやし。

・「塵沙」六句は夔州のさまをいう。

766年-115杜甫 《1801偶題》#3 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-115 <976-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6545

杜甫 1801偶題》#3

騄驥皆良馬,騏驎帶好兒。車輪徒《已斲》,堂構惜仍虧。

漫作《潛夫論》,虛傳《幼婦碑》。《緣情》慰漂蕩,抱疾屢遷移。

諸家は皆、騄驥の良馬であり、また好兒をひきいた麒麟のごとく父子ともそろっているのである。自分は「荘子」がいい“扁”という大工のごとく車輪を斲【けづ】る妙はさとったが、他に之を伝えることはできず、父祖自己三世の堂構も依然としてかけて建て増しのできないことは惜しむべきことである。後漢の“王符”のごとくみだりに隠居して、立身出世主義・金権主義・門閥主義の時政を論じ「潜夫論」を作ったのであるが、黄絹幼婦と称せられる「絶妙」な曹娥碑文章の妙はよさに傳をうしなわんとしている。こうした中で自分は“陸機”が言う、「詩は緣情、賦は體物、碑は披文、誄は纏綿、・・・・・」により、詩を賦して漂泊の生活を慰め、疾を抱きつつしばしば諸處に移転しているのである。

766-115杜甫 1801偶題》#3 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-115 <976-#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6545

 

 
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杜甫詩1500-976-#3-1480/2500

卷別:    卷二三○              文體:    五言古詩

詩題:    偶題

作地點:              目前尚無資料

及地點:              相州 (河北道南部 相州 相州) 別名:鄴城、鄴、鄴中  

白閣峰 (京畿道 無第二級行政層級 終南山)   

皇陂 (京畿道 京兆府 長安) 別名:皇陂、黃陂            

 

 

偶題 #1

(偶然に書き付けた詩) #1

文章千古事,得失寸心知。

文章は永遠不朽の事業であるが、その任否得失に至ってはただ作者自家の方寸の心が知るばかりのものである。

作者皆殊列,名聲豈浪垂。

むかしから作者とよばれるほどの人人はみな特殊な列位にあるもので、その人人の名聲は故なくしてみだりに後世に垂れるものではない。(それぞれ他人には言えない獨知の長所をもっているから永久につたはったのだ)。

騷人嗟不見,漢道盛於斯。

すっとふるい騒人はなげかわしくも今は見られないが、漢の代になって文章の道はその時に盛となった。

(偶題) #1

文章 千古の事,得失 寸心知る。

作者 皆 殊列なり,名聲 豈に浪りに垂れむや。

騷人 嗟 見えず,漢道 斯に盛んなり。

#2

前輩飛騰入,餘波綺麗為。

漢魏、建安文学の先輩たちは飛躍してその盛なる漢道のガへ進み入ったが、その余波である六朝ごろになると綺麗なすがたのものとなった。

後賢兼舊列,歷代各清規。

また其の以後の賢人も各のその前代の体制を兼ね、列を為し、歴代それぞれ清新な規律を有して文學の體制をなしたのである。

法自儒家有,心從弱疲。

自分の文章の法は、詩の名家であり、儒家であった父祖から得ているので、弱年の時から文章のために心が疲れるほどに懸命にしているのである。

永懷江左逸,多病鄴中奇。

分はいつも鮑照・謝靈運以下六朝諸家のすぐれたことを懐うており、三曹建安七子以下の鄴中諸家の非凡なさまを見ては之に対して病というほど夢中になり、飽き足らすことなどないほどのものと考えるのである。

#2

前輩 飛騰して入る,餘波 綺麗と為る。

後賢 舊列を兼ぬ,歷代 各の清規あり。

法は儒家自り有り,心は弱從り疲る。

永く懷う 江左の逸,多く病ましめらる鄴中の奇なるに。

#3

騄驥皆良馬,騏驎帶好兒。

車輪徒已斲,堂構惜仍虧。

漫作《潛夫論》,虛傳幼婦碑。

緣情慰漂蕩,抱疾屢遷移。

諸家は皆、騄驥の良馬であり、また好兒をひきいた麒麟のごとく父子ともそろっているのである。

自分は「荘子」がいい“扁”という大工のごとく車輪を斲【けづ】る妙はさとったが、他に之を伝えることはできず、父祖自己三世の堂構も依然としてかけて建て増しのできないことは惜しむべきことである。

後漢の“王符”のごとくみだりに隠居して、立身出世主義・金権主義・門閥主義の時政を論じ「潜夫論」を作ったのであるが、黄絹幼婦と称せられる「絶妙」な曹娥碑文章の妙はよさに傳をうしなわんとしている。

こうした中で自分は“陸機”が言う、「詩は緣情、賦は體物、碑は披文、誄は纏綿、・・・・・」により、詩を賦して漂泊の生活を慰め、疾を抱きつつしばしば諸處に移転しているのである。

#3

驥 皆 良馬なり,騏驎 好兒を帶ぶ。

車輪凝らに己に斲す、堂構仍お虧けたるを惜む。

漫りに作る《潜夫論》、虚しく傳う幼婦の碑。

緣情 漂蕩を慰む、抱疾屢ば遷移す。

#4

經濟慚長策,飛棲假一枝。塵沙傍蜂蠆,江峽繞蛟螭。

蕭瑟唐虞遠,聯翩楚漢危。聖朝兼盜賊,異俗更喧卑。

#5

鬱鬱星辰劍,蒼蒼雲雨池。兩都開幕府,萬宇插軍麾。

南海殘銅柱,東風避月支。

#6

音書恨烏鵲,號怒怪熊羆。稼穡分詩興,柴荊學土宜。

故山迷白閣,秋水隱黃陂。不敢要佳句,愁來賦別離。

 

#4

経済長策を慙づ、飛棲一枝を假る。

塵沙に蜂蠆に傍ふ、江峽蛟螭繞る。

蕭瑟として唐虞遠く,聯翩として楚漢危し。

聖朝盜賊を兼ぬ,異俗更に喧卑なり。

#5

鬱鬱たり星辰劍,蒼蒼たり雲雨池。

兩都幕府を開く,萬宇 軍麾を插む。

南海 銅柱殘る,東風 月支を避く。

#6

音書 烏鵲を恨む,號怒 熊羆を怪む。

稼穡 詩興を分つ,柴荊 土宜を學ぶ。

故山 白閣迷う,秋水 黃陂を隱う。

敢て佳句を要せず,愁い來りて別離を賦す。
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隋末群雄割拠図00 

『偶題』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

驥皆良馬,騏驎帶好兒。

車輪徒已斲,堂構惜仍虧。

漫作《潛夫論》,虛傳幼婦碑。

緣情慰漂蕩,抱疾屢遷移。

(下し文)
#3

驥 皆 良馬なり,騏驎 好兒を帶ぶ。

車輪凝らに己に斲す、堂構仍お虧けたるを惜む。

漫りに作る《潜夫論》、虚しく傳う幼婦の碑。

緣情 漂蕩を慰む、抱疾屢ば遷移す。

(現代語訳)
#3

諸家は皆、騄驥の良馬であり、また好兒をひきいた麒麟のごとく父子ともそろっているのである。

自分は「荘子」がいい“扁”という大工のごとく車輪を斲【けづ】る妙はさとったが、他に之を伝えることはできず、父祖自己三世の堂構も依然としてかけて建て増しのできないことは惜しむべきことである。

後漢の“王符”のごとくみだりに隠居して、立身出世主義・金権主義・門閥主義の時政を論じ「潜夫論」を作ったのであるが、黄絹幼婦と称せられる「絶妙」な曹娥碑文章の妙はよさに傳をうしなわんとしている。

こうした中で自分は“陸機”が言う、「詩は緣情、賦は體物、碑は披文、誄は纏綿、・・・・・」により、詩を賦して漂泊の生活を慰め、疾を抱きつつしばしば諸處に移転しているのである。


(訳注)#3

偶題 

(偶然に書き付けた詩)

自己の詩學・文学・儒学に及び、此詩を賦する所以を叙したもので、大暦元年秋夔州にての作ったものである。

夔州東川卜居図詳細 002 

騄驥皆良馬,騏驎帶好兒。

諸家は皆、騄驥の良馬であり、また好兒をひきいた麒麟のごとく父子ともそろっているのである。

騄驥皆良馬,騏驎帶好兒 騄驥は千里の名馬、過去の上述諸家か王をたとえていう、帶好兒とは父子共に傑出せるものもあるということをいう、魏の曹操と曹丕、曹植、阮瑀をはじめとする三曹、建安の七賢をいう。

 

車輪徒已斲,堂構惜仍虧。

自分は「荘子」がいい“扁”という大工のごとく車輪を斲【けづ】る妙はさとったが、他に之を伝えることはできず、父祖自己三世の堂構も依然としてかけて建て増しのできないことは惜しむべきことである。

車輪徒已斯 「荘子」天道篇第十三「輪扁曰:臣也以臣之事觀之。斲輪徐則甘而不固,疾則苦而不入。不徐不疾,得之於手而應於心,口不能言,有數存焉於其間。臣不能以臣之子,臣之子亦不能受之於臣,是以行年七十而老斲輪。古之人與其不可傳也死矣,然則君之所讀者,古人之糟魄巳夫。」

車輪を造る大工、名は“扁”といふ者が斉の桓公に答えた話あり、扁は輪を造る手心は自己の子にもさとらしむる能はず、子も自己より之を受くる能わず、之によりて行年七十にして斲輪に老ゆと。昔の人が言う精神とは、現在もそれが生きていることはありません。古人がいう「糟魄」にすぎないのです。」と。杜甫の其の作詩における、この“扁”の如く其の妙悟は、子に傳うるに能はざるをいうのである。

堂構惜仍虧 「尚書」大誥「若考作室既底法,厥子乃弗肯堂,矧肯構。」とみえる。父、室を作らんとして既にこ基址を營建するのを法を致すに、其の子たるもの其の堂さへも爲らざる者は、ましてそのうへに屋架か構立するものはなしというなり。堂構は、ここにては子が父の志を継ぎて事を爲す意に用いている。仍虧とは今なお、かけている、すなわち不肖の子之を継ぐあたわざるをいう。

 

漫作《潛夫論》,虛傳幼婦碑。

後漢の“王符”のごとくみだりに隠居して、立身出世主義・金権主義・門閥主義の時政を論じ「潜夫論」を作ったのであるが、黄絹幼婦と称せられる「絶妙」な曹娥碑文章の妙はよさに傳をうしなわんとしている。

潛夫論 後漢の“王符”が故事、符、字は節信、後漢末の儒者王符の著書。 10 36編。潜夫とは在野の士という意味。王符は当時 (2世紀中頃) の学者であったが,官僚として栄進することができずに隠棲し,『潜夫論』を著わして時勢を批判した。147167年ごろ成立。当時の政治や社会の腐敗を儒家に法家を加味した立場から批判。立身出世主義・金権主義・門閥主義という当時の風潮を厳しく批判し,正道に戻すための現実的施策をも論じた書。

幼婦碑 魏の耶都路、嘗椛碑を作る、茶毘其の後に題して日く、華絢幼癖、外孫叢白と。揚信之か綺みて即ち解す、曹操行く=と三十里にして乃ち悟りて日く茸綿とは色麻にて経の学光り、幼癌とは少女にて妙字なり、外孫とは女子の子にて好の字なり、韮臼とは辛か受くろ器にて貯(軒)の字光り、絶妙好鮎ないふと。幼姫碑とは嘗蛾碑の如き妙好の支離ないふ。「法自L以下十句は自家の詩畢侍にろセキか欺ず。

・黄絹幼婦 二人の判断が完全に同じになること。または、物事を正確に理解すること。または、「絶妙」という言葉の隠語。または、素晴らしい文章のたとえ。 「黄絹」は色のついている糸という意味で、漢字の「絶」のこと、「幼婦」は少女という意味。

・「孝女曹娥碑」は、後漢末、溺死した父を求めて江に投じ、その屍を抱いて浮かんだという曹娥を讃えたもので、魏の邯鄲淳の撰文と伝えられる。のち蔡邕がこの碑を見、「黄絹幼婦、外孫虀臼」八字の隠語を題したとして名高い。八字は「絶妙好辞」の意であるとされ、謎解きのエピソードは『世説新語』捷悟に見えている。またこの碑文の理解に関して「有智無智三十里」と云う句ができた。それは、後漢の楊脩と曹操が共に江南の地を歩いていた時、見かけた碑文を、楊脩は即座に理解したが曹操は30里ほど歩いてようやく悟った、という故事からである。

 

緣情慰漂蕩,抱疾屢遷移。

こうした中で自分は“陸機”が言う、「詩は緣情、賦は體物、碑は披文、誄は纏綿、・・・・・」により、詩を賦して漂泊の生活を慰め、疾を抱きつつしばしば諸處に移転しているのである。

緣情 陸機が文賦にいう 詩は情に縁って作る。晉·陸機《文賦》「詩緣情而綺靡,賦體物而瀏亮。碑披文以相質,誄纏綿而淒愴。銘博約而溫潤,箴頓挫而清壯。」(詩は情に縁りて綺靡たり、賦は物を体して瀏亮たり。碑は文を披きて以て質を相け、誄は纏綿として悽愴たり。銘は博約にして温潤、箴は頓挫して清壮なり。

漂蕩 漂泊の生活。

遷移 諸処に移りあるく。杜甫は、子供の時を除けば、長期的に継続して同じ家にいたことは全くない。

 

陸機《文賦》

「①詩」情而綺靡,「②賦」體物而瀏亮。「③碑」披文以相質,「④誄」纏綿而悽愴。「⑤銘」博約而潤,「⑥箴」頓挫而清壯。「⑦頌」優遊以彬蔚,「⑧論」精微而朗暢。「⑨奏」平徹以閑雅,「⑩曄而譎誑。雖區分之在茲,亦禁邪而制放。要辭達而理舉,故無取乎冗長。

詩は情に縁りて綺靡たり、賦は物を体して瀏亮たり。碑は文を披きて以て質を相け、誄は纏綿として悽愴たり。銘は博約にして温潤、箴は頓挫して清壮なり。頌は優遊として以て彬蔚、論は精微にして朗暢たり。奏は平徹にして以て閑雅、説は煒曄にして譎誑たり。区分の茲に在りと雖も、亦邪を禁じて放を制す。辞達して理挙らんことを要す。故に冗長を取る無し。

「①詩」という文体の特徴は、感情に沿って華やかに美しく、「②賦」の文体は、対象を分析的に描写して明確である。「③碑」の文体は、修辞を多用して内容を支え、「④誄」の文体は、死者への思いを綿々と述べて悲しげである。「⑤銘」の文体は、博い教訓を簡潔に穏やかにまとめ、「⑥箴」の文体は、抑揚に富んで新鮮な勢いがある。「⑦」の文体は、ゆったりとして華やかであり、「⑧」の文体は、精密にして明快である。「⑨」の文体は、平易で典雅、「⑩」の文体は、きらびやかで人の眼を惑わす。以上の如き区別が存在するが、どの場合にしても、逸脱や放縦は厳禁である。言葉が十分に理解され、論旨が相手に伝わることが重要なのであり、冗漫に長々と書くことは、もとより意味がない。

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