杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

2015年10月

766年-161杜甫 《1825陪柏中丞觀宴將士,二首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-161 <1033> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6845

杜甫  陪柏中丞觀宴將士,二首之二

繡段裝檐額,金花帖鼓腰。一夫先舞劍,百戲後歌樵。

江樹城孤遠,雲臺使寂寥。漢朝頻選將,應拜霍嫖姚。
(柏中丞に陪席して中丞が将士に対し酒盛りをしたときの様子を見て、特に当時大流行していた「散楽」が演じられたのを詠んだもの)

刺繍の縫い取りの織物で軒先を飾り付け、太鼓の胴には金色の造花を張り付ける。夔州においても散楽が催されるのである。一人の男がまず剣舞をする、それから異民族の樵の歌があって、そのあとに様々な散楽の出し物「百戯」が演じられたのである。ここ長江三峡地区の岸辺に樹木の上に聳える夔州城は、都から離れ孤立していて雲台からの使者がめったに来ることもない。漢朝の流れをくむ唐の中央朝廷では、しきりに大将を選抜されている折であるから、きっと、漢の霍去病の再来といわれている、柏中丞はその選任にあたっておられることであろう。

766-161杜甫 1825陪柏中丞觀宴將士,二首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-161 <1033 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6845

 

 
  2015年10月31日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 766年-161杜甫 《1825陪柏中丞觀宴將士,二首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-161 <1033> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6845  
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陪柏中丞觀宴將士,二首之一

(柏中丞に陪席して中丞が将士に対し酒盛りをしたときの様子を見て詠んだもの)

極樂三軍士,誰知百戰場。

夔州都督府三軍の全軍の士がこの酒宴に招かれてみな楽しさを極めている、彼らが百戦場を往来した豪のものだとは誰が知っていようか。

無私齊綺饌,久坐密金章。

主人は、公平無私で誰にでも一様にした立派なご馳走を供せられる、座席が久しくなると皆が金印を帯びた主人の所へ接近してくる。

酒客霑鸚鵡,佳人指鳳皇。

そこで酔った賓客は鸚鵡螺の酒杯を恵まれて潤い、接客の佳人たちは鳳凰の琴を弾いてくれる。

幾時來翠節,特地引紅妝。

一体いつになればここに翠節が来任されて、特にこのような若い美人に招き入れられるということがあるのだろうか。

(柏中丞に陪して將士を宴するを觀る,二首の一)

樂しみを極む 三軍の士,誰か知らん 百戰の場。

無私 綺饌齊しく,久坐 金章密なり。

酒客 鸚鵡に霑い,佳人 鳳皇を指す。

幾時か 翠節來りて,特地 紅妝を引かんや。

 

 

杜甫詩1500-1033-1531/2500

年:766年大暦元年55-161

卷別:    卷二三一              文體:    五言律詩

詩題:    陪柏中丞觀宴將士,二首之二

作地點:              目前尚無資料

及地點:             

交遊人物/地點:柏茂林      當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

 

陪柏中丞觀宴將士,二首之二

(柏中丞に陪席して中丞が将士に対し酒盛りをしたときの様子を見て、特に当時大流行していた「散楽」が演じられたのを詠んだもの)

繡段裝檐額,金花帖鼓腰。

刺繍の縫い取りの織物で軒先を飾り付け、太鼓の胴には金色の造花を張り付ける。夔州においても散楽が催されるのである。

一夫先舞劍,百戲後歌樵。

一人の男がまず剣舞をする、それから異民族の樵の歌があって、そのあとに様々な散楽の出し物「百戯」が演じられたのである。

江樹城孤遠,雲臺使寂寥。

ここ長江三峡地区の岸辺に樹木の上に聳える夔州城は、都から離れ孤立していて雲台からの使者がめったに来ることもない。

漢朝頻選將,應拜霍嫖姚。

漢朝の流れをくむ唐の中央朝廷では、しきりに大将を選抜されている折であるから、きっと、漢の霍去病の再来といわれている、柏中丞はその選任にあたっておられることであろう。

(柏中丞に陪して將士を宴するを觀る,二首の二)

繡段 檐額を裝い,金花 鼓腰に帖す。

一夫 先ず 劍を舞,百戲 歌樵に後る。

江樹 城孤遠なり,雲臺使 寂寥なり。

漢朝 頻り將を選ぶ,應に拜するなるべし 霍嫖姚。

 

『陪柏中丞觀宴將士,二首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

陪柏中丞觀宴將士,二首之二

繡段裝檐額,金花帖鼓腰。

一夫先舞劍,百戲後歌樵。

江樹城孤遠,雲臺使寂寥。

漢朝頻選將,應拜霍嫖姚。
詩文(含異文)     繡段裝檐額,金花帖鼓腰。一夫先舞劍,百戲後歌樵【百戲後歌鐎】【案:刁斗也。】。江樹城孤遠,雲臺使寂寥。漢朝頻選將,應拜霍嫖姚。


(下し文)
(柏中丞に陪して將士を宴するを觀る,二首の二)

繡段 檐額を裝い,金花 鼓腰に帖す。

一夫 先ず 劍を舞,百戲 歌樵に後る。

江樹 城孤遠なり,雲臺使 寂寥なり。

漢朝 頻り將を選ぶ,應に拜するなるべし 霍嫖姚。

(現代語訳)
(柏中丞に陪席して中丞が将士に対し酒盛りをしたときの様子を見て、特に当時大流行していた「散楽」が演じられたのを詠んだもの)

刺繍の縫い取りの織物で軒先を飾り付け、太鼓の胴には金色の造花を張り付ける。夔州においても散楽が催されるのである。

一人の男がまず剣舞をする、それから異民族の樵の歌があって、そのあとに様々な散楽の出し物「百戯」が演じられたのである。

ここ長江三峡地区の岸辺に樹木の上に聳える夔州城は、都から離れ孤立していて雲台からの使者がめったに来ることもない。

漢朝の流れをくむ唐の中央朝廷では、しきりに大将を選抜されている折であるから、きっと、漢の霍去病の再来といわれている、柏中丞はその選任にあたっておられることであろう。


(訳注)

陪柏中丞觀宴將士,二首之二

(柏中丞に陪席して中丞が将士に対し酒盛りをしたときの様子を見て、特に当時大流行していた「散楽」が演じられたのを詠んだもの)

柏中丞 御史中丞柏茂林、即ち、夔州都督であったということ。中丞都督の命は、大暦元年八月にあり、その任に就いたのは冬であった。杜甫は、柏都督のために、謝上表を代作した。

此処では柏中丞に陪席して、その酒宴で、当時もっとも流行し、大喝采を受けていた散楽の様子を述べている。

舞踊は宮廷や貴族の酒宴ばかりでなく、民間の酒場や行事でも頻繁に行われた。外国から様々な舞踊が伝えられ、その種類も大きく増加した。様々な階層のものが舞踊を好み、楊貴妃や安禄山は胡旋舞の名手であったと伝えられる。

舞踊は、ゆったりした動きの踊りを「軟舞」、テンポが速い激しい踊りを「健舞」と分けられた。「胡旋舞」や「胡騰舞」は健舞に含まれた。伝統舞踊に外国からの舞踏が加わっていき発展していった。

 

繡段裝檐額,金花帖鼓腰。

刺繍の縫い取りの織物で軒先を飾り付け、太鼓の胴には金色の造花を張り付ける。夔州においても散楽が催されるのである。

繡段 刺繍の縫い取りの織物。タペストリーのようなもの緞通のように敷くものではないが重厚さがあるもの。

裝檐額 軒先を飾り付け。

金花 金色の造花。

帖鼓腰 太鼓の胴まわりに張り付ける。

 

一夫先舞劍,百戲後歌樵。

一人の男がまず剣舞をする、それから異民族の樵の歌があって、そのあとに様々な散楽の出し物「百戯」が演じられたのである。

一夫先舞劍 一人の武太夫が剣舞を舞う。

百戲 様々な散楽の出し物。

歌樵 夔州にいる異民族の歌う樵歌。「夷歌幾處起漁樵」ということと同じ。散楽では、めったにない異民族のものほど喜ばれた。唐では、西域のものが最も喜ばれたという。

◎ここまでの四句は、六朝から唐時代に最も盛んになった散楽を示している。散楽は、「百戯」とも呼ばれる民間で行われる様々な娯楽のための技芸の総称である。次第に西域の技芸が取り入れられるようになり、盛唐では、宮廷でも左右教坊によって管轄された。散楽は、民間の音楽や角觝など武術、芝居も含まれるが、主流は曲芸や幻術(手品)、であった。内容は、竿木、縄伎(戯縄ともいう)、舞馬(象で行うこともある)、跳丸、弄剣、筋斗(とんぼ)、球伎、馬伎、呑刀、吐火、舞剣、植瓜、種棗、盤舞、杯盤舞などがあった。

散楽は、宮廷だけではなく、皇族や貴族の邸宅で行われた。また、長安には、大慈恩寺、青竜寺、大薦福寺、永寿寺などの寺の境内や門前に「戯場」が置かれ、散楽が演じられた。

安史の乱以後は、散楽も、各地の節度使のもとや地方の州で行われるようになった。

 

江樹城孤遠,雲臺使寂寥。

ここ長江三峡地区の岸辺に樹木の上に聳える夔州城は、都から離れ孤立していて雲台からの使者がめったに来ることもない。

江樹 三峡地区の岸辺に樹木。

城孤 都から離れ孤立している城。夔州城は白帝城とともに、三峡地区の重瑤池点であった。人口も数万人が棲んでいた。

雲臺 秦の咸陽城、漢の長安城は水上輸送を基本に置いた渭水に近く低地にあったが、長安城ない、皇城、大明宮は高台に作られたことを言う。

使 朝廷からの使者。夔州は駅伝制の陸路駅と水上交通の水路駅の両方があったので、使者は必ず立ち寄るところである。

寂寥 それでもめったにこないこと。

 

漢朝頻選將,應拜霍嫖姚。

漢朝の流れをくむ唐の中央朝廷では、しきりに大将を選抜されている折であるから、きっと、漢の霍去病の再来といわれている、柏中丞はその選任にあたっておられることであろう。

漢朝 下句に漢の大将軍、霍嫖姚を引き合いに出しているので、唐朝のことを言う。

頻選將 しきりに大将を選抜する。

應拜 拜は任命すること、しきりに大将を選抜、任命していたことをいう。

霍嫖姚 霍去病称ここでは、柏中丞に比している。霍 去病(かく きょへい、紀元前140 - 紀元前117年、Huò Qù-bìng)は、前漢の武帝時代の武将である。父は、霍仲孺。異母弟は、大司馬大将軍になり、武帝後の政治を取り仕切った霍光。霍去病と衛青は同時代に活躍し、血縁でもある事からよく比較される。衛青は少年時代に奴隷であった経験から人にへりくだり、常に下級兵士の事を考えていたと言われる。その一方で、霍去病は物心付いた時には既に一族は外戚であり、叔父が匈奴討伐に大功を上げていた。その事から叔父とは対照的に傲慢であり、兵士が飢えている時に自分たちは豪華な幕舎の下で宴会を開くような事をしていた。

しかし宮廷でも兵士の間でも、霍去病のほうが人気は上であった。衛青はへりくだりが度を過ぎて媚を売るような所があったとされ、また、霍去病の傲慢も頼もしい勇壮と見られていた模様だった。武帝も自身の性格から、積極果敢な霍去病をより好んでいた。

 

李白《巻02-28 胡無人》「嚴風吹霜海草凋。 筋干精堅胡馬驕。 漢家戰士三十萬。 將軍兼領霍嫖姚。」

李白《巻四10塞下曲六首 其三》 「駿馬似風() ( 似一作如 ) 鳴鞭出渭橋。 彎弓辭漢月。 插羽破天驕。 陣解星芒盡。 營空海霧消。 功成畫麟閣。 獨有霍嫖姚。」

 

 

<同時期の“柏茂林”中丞につての作品>

(1)      1822  覽柏中丞(一作允)兼子姪數人除官制詞因述父子兄弟四美載歌絲綸(卷一八(四)一五七一)    紛然喪亂際,見此忠孝門。蜀中寇亦甚,柏氏功彌存。深誠補王室,戮力自元昆。三止錦江沸,獨清玉壘昏。高名入竹帛,新渥照乾坤。子弟先卒伍,芝蘭疊(一作壘)璵璠。同心注師律,灑血在戎軒。絲綸實具載,紱冕已殊恩。奉公舉骨肉,誅叛經寒溫(一作暄)。金甲雪猶凍,朱旗塵不翻。每聞戰場,欻激懦氣奔。聖主國多盜,賢臣官則尊。方當節鉞用,必祲沴根。吾病日迴首,雲臺誰再論。作歌挹盛事,推轂期孤(一作騫,非)。54杜甫 1822覽柏中允兼子姪數人除官制詞,因述父子兄弟四美,載歌絲綸》【4分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-54 <919 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6135

 

(2) 1823  覽鏡呈柏中丞(卷一八(四)一五七五)    渭水流關,終南在日邊。膽銷豺虎窟,淚入犬羊天。起晚堪從事,行遲更學(    一作覺)仙。鏡中衰顏色,萬一故人憐。

(3) 1824  陪柏中丞觀宴將士二首(卷一八(四)一五七六)    其一(頁一五七六)    極樂三軍士,誰知百戰場。無私齊綺饌,久坐密金章。醉客沾鸚鵡,佳人指鳳凰    。幾時來翠節,特地引紅妝。

(4) 1825  陪柏中丞觀宴將士二首(卷一八(四)一五七六)    其二(頁一五七七)    繡段裝簷額,金花帖鼓腰。一夫先舞劍,百戲後歌樵(一作鐎)。江樹城孤遠,    雲臺使寂寥。漢朝頻選將,應拜霍嫖姚。

(5) 1826  奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居衛尚書太夫人因示從弟行軍司馬位(卷一八 (四)一五七八)    中丞問俗畫熊頻,愛弟傳書綵(益鳥)新。遷轉五州防禦使,起居八座太夫人。    楚宮臘送荊門水,白帝雲碧海春。與報(一作報與)惠連詩(一作書),不惜    ,知吾斑鬢總如銀。

(6) 2108 送田四弟將軍將夔州柏中丞命起居江陵節度使(一無使字)陽城郡王衛公幕(一云    〈夔府送田將軍赴江陵)(卷二一(四)一八三五)    離筵罷多酒,起舵(從《杜臆》,舊作地)發寒塘。回首中丞座,馳箋異姓王。    燕辭楓林日,雁度麥城霜。定(一作空)醉山翁酒,遙憐似葛疆。

 

<巻18-23

年:766年大暦元年55-158

卷別:    卷二三一              文體:    五言律詩

詩題:    覽鏡呈柏中丞

作地點:              目前尚無資料

及地點:              終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山  

交遊人物/地點:柏茂林      書信往來(山南東道 夔州 夔州)

 

 

覽鏡呈柏中丞

(身に着けている鏡を見て自分の衰えたことを嘆息して、柏中丞にこの詩を呈した)

渭水流關終南在日邊。

関中には、渭水が本流にして流れている。終南山は日輪の南辺のように長安にある。

膽銷豺虎窟,淚入犬羊天。

その地方は豺虎のような盗賊の巣窟となり、犬羊のような臭い異民族の吐蕃などの場所になっているので自分の膽もこれがために消えようとして、自分の涙はそちらに向かって注がれる。

起晚堪從事,行遲更學仙。

自分は、朝、遅く起きだすものであるから、とても、仕事に堪えられないし、また歩くのが遅いから、いまさら仙人から学ぶこともはばかられる。

鏡中衰謝色,萬一故人憐。

おまけに、鏡を見ると老衰してきた色が照いるのが分かるし、これでも万が一にもあなたが気の毒に思ってくださるなら、それだけを頼りにいていこうと思うのである。

 

(鏡を覽て柏中丞に呈す)

渭水 關,終南 日邊に在り。

膽は銷す 豺虎の窟,淚は入る 犬羊の天。

起きること 晚し 事に從うに堪んや,行くこと 遲し 更に仙を學ばんや。

鏡中 衰謝の色,萬一 故人憐まん。

 

766年-160杜甫 《1824陪柏中丞觀宴將士,二首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-160 <1032> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6840

杜甫  陪柏中丞觀宴將士,二首之一   

極樂三軍士,誰知百戰場。無私齊綺饌,久坐密金章。

酒客霑鸚鵡,佳人指鳳皇。幾時來翠節,特地引紅妝。

(柏中丞に陪席して中丞が将士に対し酒盛りをしたときの様子を見て詠んだもの)

夔州都督府三軍の全軍の士がこの酒宴に招かれてみな楽しさを極めている、彼らが百戦場を往来した豪のものだとは誰が知っていようか。主人は、公平無私で誰にでも一様にした立派なご馳走を供せられる、座席が久しくなると皆が金印を帯びた主人の所へ接近してくる。そこで酔った賓客は鸚鵡螺の酒杯を恵まれて潤い、接客の佳人たちは鳳凰の琴を弾いてくれる。一体いつになればここに翠節が来任されて、特にこのような若い美人に招き入れられるということがあるのだろうか。

766-160杜甫 1824陪柏中丞觀宴將士,二首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-160 <1032 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6840 


 
  2015年10月30日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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李白335 巻三01-《關山月》(明月出天山,) 335Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(16) <李白335> Ⅰ李白詩1648 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6788  
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同時期の“柏茂林”中丞につての作品

(1)      1822  覽柏中丞(一作允)兼子姪數人除官制詞因述父子兄弟四美載歌絲綸(卷一八(四)一五七一)    紛然喪亂際,見此忠孝門。蜀中寇亦甚,柏氏功彌存。深誠補王室,戮力自元昆。三止錦江沸,獨清玉壘昏。高名入竹帛,新渥照乾坤。子弟先卒伍,芝蘭疊(一作壘)璵璠。同心注師律,灑血在戎軒。絲綸實具載,紱冕已殊恩。奉公舉骨肉,誅叛經寒溫(一作暄)。金甲雪猶凍,朱旗塵不翻。每聞戰場,欻激懦氣奔。聖主國多盜,賢臣官則尊。方當節鉞用,必祲沴根。吾病日迴首,雲臺誰再論。作歌挹盛事,推轂期孤(一作騫,非)。54杜甫 1822覽柏中允兼子姪數人除官制詞,因述父子兄弟四美,載歌絲綸》【4分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-54 <919 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6135

 

(2) 1823  覽鏡呈柏中丞(卷一八(四)一五七五)    渭水流關,終南在日邊。膽銷豺虎窟,淚入犬羊天。起晚堪從事,行遲更學(    一作覺)仙。鏡中衰顏色,萬一故人憐。

(3) 1824  陪柏中丞觀宴將士二首(卷一八(四)一五七六)    其一(頁一五七六)    極樂三軍士,誰知百戰場。無私齊綺饌,久坐密金章。醉客沾鸚鵡,佳人指鳳凰    。幾時來翠節,特地引紅妝。

(4) 1825  陪柏中丞觀宴將士二首(卷一八(四)一五七六)    其二(頁一五七七)    繡段裝簷額,金花帖鼓腰。一夫先舞劍,百戲後歌樵(一作鐎)。江樹城孤遠,    雲臺使寂寥。漢朝頻選將,應拜霍嫖姚。

(5) 1826  奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居衛尚書太夫人因示從弟行軍司馬位(卷一八 (四)一五七八)    中丞問俗畫熊頻,愛弟傳書綵(益鳥)新。遷轉五州防禦使,起居八座太夫人。    楚宮臘送荊門水,白帝雲碧海春。與報(一作報與)惠連詩(一作書),不惜    ,知吾斑鬢總如銀。

(6) 2108 送田四弟將軍將夔州柏中丞命起居江陵節度使(一無使字)陽城郡王衛公幕(一云    〈夔府送田將軍赴江陵)(卷二一(四)一八三五)    離筵罷多酒,起舵(從《杜臆》,舊作地)發寒塘。回首中丞座,馳箋異姓王。    燕辭楓林日,雁度麥城霜。定(一作空)醉山翁酒,遙憐似葛疆。
 

1823杜甫詩1500-1032-1530/2500

年:766年大暦元年55-158

卷別:    卷二三一              文體:    五言律詩

詩題:    覽鏡呈柏中丞

作地點:              目前尚無資料

及地點:              終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山  

交遊人物/地點:柏茂林      書信往來(山南東道 夔州 夔州)

 

 

覽鏡呈柏中丞

(身に着けている鏡を見て自分の衰えたことを嘆息して、柏中丞にこの詩を呈した)

渭水流關終南在日邊。

関中には、渭水が本流にして流れている。終南山は日輪の南辺のように長安にある。

膽銷豺虎窟,淚入犬羊天。

その地方は豺虎のような盗賊の巣窟となり、犬羊のような臭い異民族の吐蕃などの場所になっているので自分の膽もこれがために消えようとして、自分の涙はそちらに向かって注がれる。

起晚堪從事,行遲更學仙。

自分は、朝、遅く起きだすものであるから、とても、仕事に堪えられないし、また歩くのが遅いから、いまさら仙人から学ぶこともはばかられる。

鏡中衰謝色,萬一故人憐。

おまけに、鏡を見ると老衰してきた色が照いるのが分かるし、これでも万が一にもあなたが気の毒に思ってくださるなら、それだけを頼りにいていこうと思うのである。

 

(鏡を覽て柏中丞に呈す)

渭水 關,終南 日邊に在り。

膽は銷す 豺虎の窟,淚は入る 犬羊の天。

起きること 晚し 事に從うに堪んや,行くこと 遲し 更に仙を學ばんや。

鏡中 衰謝の色,萬一 故人憐まん。

 

1824

年:766年大暦元年55-160

卷別:    卷二三一              文體:    五言律詩

詩題:    陪柏中丞觀宴將士,二首之一

作地點:              目前尚無資料

交遊人物/地點:柏茂林      當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

 

陪柏中丞觀宴將士,二首之一

(柏中丞に陪席して中丞が将士に対し酒盛りをしたときの様子を見て詠んだもの)

極樂三軍士,誰知百戰場。

夔州都督府三軍の全軍の士がこの酒宴に招かれてみな楽しさを極めている、彼らが百戦場を往来した豪のものだとは誰が知っていようか。

無私齊綺饌,久坐密金章。

主人は、公平無私で誰にでも一様にした立派なご馳走を供せられる、座席が久しくなると皆が金印を帯びた主人の所へ接近してくる。

酒客霑鸚鵡,佳人指鳳皇。

そこで酔った賓客は鸚鵡螺の酒杯を恵まれて潤い、接客の佳人たちは鳳凰の琴を弾いてくれる。

幾時來翠節,特地引紅妝。

一体いつになればここに翠節が来任されて、特にこのような若い美人に招き入れられるということがあるのだろうか。

(柏中丞に陪して將士を宴するを觀る,二首の一)

樂しみを極む 三軍の士,誰か知らん 百戰の場。

無私 綺饌齊しく,久坐 金章密なり。

酒客 鸚鵡に霑い,佳人 鳳皇を指す。

幾時か 翠節來りて,特地 紅妝を引かんや。

夔州東川卜居図詳細 002 

『陪柏中丞觀宴將士,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

陪柏中丞觀宴將士,二首之一

極樂三軍士,誰知百戰場。

無私齊綺饌,久坐密金章。

酒客霑鸚鵡,佳人指鳳皇。

幾時來翠節,特地引紅妝。

(下し文)
(柏中丞に陪して將士を宴するを觀る,二首の一)

樂しみを極む 三軍の士,誰か知らん 百戰の場。

無私 綺饌齊しく,久坐 金章密なり。

酒客 鸚鵡に霑い,佳人 鳳皇を指す。

幾時か 翠節來りて,特地 紅妝を引かんや。

(現代語訳)
陪柏中丞觀宴將士,二首之一(柏中丞に陪席して中丞が将士に対し酒盛りをしたときの様子を見て詠んだもの)

夔州都督府三軍の全軍の士がこの酒宴に招かれてみな楽しさを極めている、彼らが百戦場を往来した豪のものだとは誰が知っていようか。

主人は、公平無私で誰にでも一様にした立派なご馳走を供せられる、座席が久しくなると皆が金印を帯びた主人の所へ接近してくる。

そこで酔った賓客は鸚鵡螺の酒杯を恵まれて潤い、接客の佳人たちは鳳凰の琴を弾いてくれる。

一体いつになればここに翠節が来任されて、特にこのような若い美人に招き入れられるということがあるのだろうか。


(訳注)

陪柏中丞觀宴將士,二首之一

(柏中丞に陪席して中丞が将士に対し酒盛りをしたときの様子を見て詠んだもの)

柏中丞 御史中丞柏茂林、即ち、夔州都督であったということ。中丞都督の命は、大暦元年八月にあり、その任に就いたのは冬であった。杜甫は、柏都督のために、謝上表を代作した。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

極樂三軍士,誰知百戰場。

夔州都督府三軍の全軍の士がこの酒宴に招かれてみな楽しさを極めている、彼らが百戦場を往来した豪のものだとは誰が知っていようか。

三軍 夔州都督府三軍(上中下の三軍)。

百戰場 百戦錬磨を経験しているものというほどの意。百戦錬磨の手練れ。

 

無私齊綺饌,久坐密金章。

主人は、公平無私で誰にでも一様にした立派なご馳走を供せられる、座席が久しくなると皆が金印を帯びた主人の所へ接近してくる。

無私 公平無私。柏中丞が誰に対しても公平に扱ってくれること。

齊綺饌 ご馳走を等しく提供してくれること。

久坐 宴席が長時間にわたり、長く席に座ること。

密金章 柏中丞の金印に密着するほどに接近すること。懇親して親近感がわくことをいみする。

 

酒客霑鸚鵡,佳人指鳳皇。

そこで酔った賓客は鸚鵡螺の酒杯を恵まれて潤い、接客の佳人たちは鳳凰の琴を弾いてくれる。

鸚鵡 鸚鵡螺の酒杯を恵まれること。大酒杯樽。

佳人 夔州、都督などに付属した官妓。

指鳳皇 腹に鳳凰の画がある琴を弾くこと。

 

幾時來翠節,特地引紅妝。

一体いつになればここに翠節が来任されて、特にこのような若い美人に招き入れられるということがあるのだろうか。

翠節 翡翠の羽のついた節旄をつけた柏中丞のこと。

特地 特別なこの地において、再びというほどの意。

引紅妝 紅を引き、お化粧をした美人に袖を引き、招き入れられること。

766年-159杜甫 《1520寄韋有夏郎中》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-159 <1031> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6835 

杜甫  寄韋有夏郎中   

省郎憂病士,書信有柴胡。飲子頻通汗,懷君想報珠。

親知天畔少,藥味峽中無。歸楫生衣臥,春鷗洗翅呼。

猶聞上急水,早作取平途。萬里皇華使,為僚記腐儒。
(夔州三峡、山水をみて北歸の情を動かされたと述べる。)

顔真卿の幕府、東方朔碑陰に朝城手簿韋有夏とあるが、同一人物かどうか疑問もある。韋尚書省郎中は、私のことを心配してくれて、書簡に加えて柴胡という薬草を送ってくれた。この煎じ薬は、すごく発汗作用がよく効きよいものであるから、お返しに真珠でも差し上げようかと考えている。夔州という天の果てでは知人も少なく、薬品や滋養のものも、山峽中にはないものである。春のカモメが翔を洗いながら呼び合い叫んでいるが、自分は帰り舟をつないだままで、郎官という生衣を着たまま療養の床に臥している。あなたは長江下流域からなお急流をさかのぼって行かれるとのことだが、早くここの平地に来るようにされたら良いとは思うが、どうだろうか。あなたは、万里の遠くへ使者として来られるというのではあるが、よくも同僚としてこの腐儒のいることを記憶してくださっていたものである、まことにありがたく思っているところである。

766-159杜甫 《1520寄韋有夏郎中》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-159 <1031> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6835 


 
  2015年10月29日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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李白334-#2 巻二28-《胡無人》 334-#2Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(19) <李白334-#2> Ⅰ李白詩1657 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6833  
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  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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韓愈96《 巻三12東方半明【東方未明】》 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1570> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6834  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
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夔州にいて故郷に帰りたいという内容の同時期の作品 

1521覽物【峽中覽物】

1522憶鄭南玭【案:玭,蒲眠切,珠也。宋弘曰:「淮水出玭珠。」若本注:「玭疑作玼,音玼,玉色鮮潔也。」師民瞻及草堂本,俱無玭字。詩中但憶伏毒寺舊遊,鄭南乃鄭縣之南也。】

1822覽鏡呈柏中丞

1520寄韋有夏郎中【案:顏真卿〈東方朔碑陰〉,有朝城主簿韋有夏,疑即此。】

 

 杜甫詩1500-1031-1529/2500

年:766年大暦元年55-159 

卷別:    卷二三一              文體:    五言古詩

詩題:    寄韋有夏郎中

【自註:顏真卿〈東方朔碑陰〉,有朝城主簿韋有夏,疑即此。】

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

交遊人物/地點:韋有夏      書信往來

 

寄韋有夏郎中

(夔州三峡、山水をみて北歸の情を動かされたと述べる。)

自註:顏真卿〈東方朔碑陰〉,有朝城主簿韋有夏,疑即此。

顔真卿の幕府、東方朔碑陰に朝城手簿韋有夏とあるが、同一人物かどうか疑問もある。

省郎憂病士,書信有柴胡。

韋尚書省郎中は、私のことを心配してくれて、書簡に加えて柴胡という薬草を送ってくれた。

飲子頻通汗,懷君想報珠。

この煎じ薬は、すごく発汗作用がよく効きよいものであるから、お返しに真珠でも差し上げようかと考えている。

親知天畔少,藥味峽中無。

夔州という天の果てでは知人も少なく、薬品や滋養のものも、山峽中にはないものである

歸楫生衣臥,春鷗洗翅呼。

春のカモメが翔を洗いながら呼び合い叫んでいるが、自分は帰り舟をつないだままで、郎官という生衣を着たまま療養の床に臥している。

猶聞上急水,早作取平途。

あなたは長江下流域からなお急流をさかのぼって行かれるとのことだが、早くここの平地に来るようにされたら良いとは思うが、どうだろうか。

萬里皇華使,為僚記腐儒。

あなたは、万里の遠くへ使者として来られるというのではあるが、よくも同僚としてこの腐儒のいることを記憶してくださっていたものである、まことにありがたく思っているところである。

 

(韋有夏郎中に寄る)

省郎 病士を憂う,書信 柴胡有り。

飲子 頻りに汗を通ず,懷君 珠を報ぜんことを想う。

親知 天畔に少し,藥味 峽中に無し。

歸楫 生衣に臥し,春鷗 洗翅し呼ぶ。

猶お聞く 急水を上ると,早く平途を取るを作せ。

萬里 皇華の使,僚と為して 腐儒を記す。

瞿塘峡・白帝城・魚復

『寄韋有夏郎中』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

寄韋有夏郎中

自註:顏真卿〈東方朔碑陰〉,有朝城主簿韋有夏,疑即此。

省郎憂病士,書信有柴胡。

飲子頻通汗,懷君想報珠。

親知天畔少,藥味峽中無。

歸楫生衣臥,春鷗洗翅呼。

猶聞上急水,早作取平途。

萬里皇華使,為僚記腐儒。

(下し文)
(韋有夏郎中に寄る)

省郎 病士を憂う,書信 柴胡有り。

飲子 頻りに汗を通ず,懷君 珠を報ぜんことを想う。

親知 天畔に少し,藥味 峽中に無し。

歸楫 生衣に臥し,春鷗 洗翅し呼ぶ。

猶お聞く 急水を上ると,早く平途を取るを作せ。

萬里 皇華の使,僚と為して 腐儒を記す。

(現代語訳)
(夔州三峡、山水をみて北歸の情を動かされたと述べる。)

顔真卿の幕府、東方朔碑陰に朝城手簿韋有夏とあるが、同一人物かどうか疑問もある。

韋尚書省郎中は、私のことを心配してくれて、書簡に加えて柴胡という薬草を送ってくれた。

この煎じ薬は、すごく発汗作用がよく効きよいものであるから、お返しに真珠でも差し上げようかと考えている。

夔州という天の果てでは知人も少なく、薬品や滋養のものも、山峽中にはないものである

春のカモメが翔を洗いながら呼び合い叫んでいるが、自分は帰り舟をつないだままで、郎官という生衣を着たまま療養の床に臥している。

あなたは長江下流域からなお急流をさかのぼって行かれるとのことだが、早くここの平地に来るようにされたら良いとは思うが、どうだろうか。

あなたは、万里の遠くへ使者として来られるというのではあるが、よくも同僚としてこの腐儒のいることを記憶してくださっていたものである、まことにありがたく思っているところである。


(訳注)

寄韋有夏郎中

(夔州三峡、山水をみて北歸の情を動かされたと述べる。)

韋郎中 郎中職の韋有夏という人物。

 

自註:顏真卿〈東方朔碑陰〉,有朝城主簿韋有夏,疑即此。

顔真卿の幕府、東方朔碑陰に朝城手簿韋有夏とあるが、同一人物かどうか疑問もある。

この時韋有夏は長江下流域から夔州に上ってきたものである。

 

省郎憂病士,書信有柴胡。

韋尚書省郎中は、私のことを心配してくれて、書簡に加えて柴胡という薬草を送ってくれた。

省郎 尚書省の郎官で、韋有夏をいう。

病士 病気療養中の杜甫自身も郎官ではある。

柴胡 薬草の名、発汗剤である。

 

飲子頻通汗,懷君想報珠。

この煎じ薬は、すごく発汗作用がよく効きよいものであるから、お返しに真珠でも差し上げようかと考えている。

飲子 煎じてのむ薬。

頻通汗 すごく発汗作用がよく効く。

懷君 韋のことをおもう。

想報珠 お返しのお礼には真珠という故事。張衡《四愁詩》「美人贈我貂襜褕,何以報之明月珠。」(美人我に貂襜の褕を贈らる,何を以て之に報いん明月の珠。)とあり、大変ありがたく思っているということで、実際に真珠を送るわけではない

 

親知天畔少,藥味峽中無。

夔州という天の果てでは知人も少なく、薬品や滋養のものも、山峽中にはないものである

親知 親戚知己。

 

歸楫生衣臥,春鷗洗翅呼。

春のカモメが翔を洗いながら呼び合い叫んでいるが、自分は帰り舟をつないだままで、郎官という生衣を着たまま療養の床に臥している。

歸楫 帰り舟の楫。

生衣臥 郎官という生衣を着たまま療養の床に臥している

洗翅呼 翔を洗いながら呼び合い叫んでいる。

 

猶聞上急水,早作取平途。

あなたは長江下流域からなお急流をさかのぼって行かれるとのことだが、早くここの平地に来るようにされたら良いとは思うが、どうだろうか。

上急水 三峡の急流を上ってくる。

取平途 三峡中に旅の途中で休みのとれる平坦なところが少ないから、杜甫のいる奉節の平坦なところで休息をとれというほどの意。

 

萬里皇華使,為僚記腐儒。

あなたは、万里の遠くへ使者として来られるというのではあるが、よくも同僚としてこの腐儒のいることを記憶してくださっていたものである、まことにありがたく思っているところである。

皇華使 天使の使者としての韋有夏のこと。

為僚 よくも同僚としてくれた。

 記憶のなかにおいてくれた。

腐儒 夔州という点が後で病気療養している腐った儒者、杜甫のことを言う。
長安城図 作図00 

766年-158杜甫 《1822覽鏡呈柏中丞》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-158 <1030> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6830

杜甫  覽鏡呈柏中丞

渭水流關終南在日邊。膽銷豺虎窟,淚入犬羊天。

起晚堪從事,行遲更學仙。鏡中衰謝色,萬一故人憐。

(身に着けている鏡を見て自分の衰えたことを嘆息して、柏中丞にこの詩を呈した)

関中には、渭水が本流にして流れている。終南山は日輪の南辺のように長安にある。

その地方は豺虎のような盗賊の巣窟となり、犬羊のような臭い異民族の吐蕃などの場所になっているので自分の膽もこれがために消えようとして、自分の涙はそちらに向かって注がれる。

自分は、朝、遅く起きだすものであるから、とても、仕事に堪えられないし、また歩くのが遅いから、いまさら仙人から学ぶこともはばかられる。

おまけに、鏡を見ると老衰してきた色が照いるのが分かるし、これでも万が一にもあなたが気の毒に思ってくださるなら、それだけを頼りにいていこうと思うのである。

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 杜甫詩1500-1030-1528/2500

年:766年大暦元年55-158

卷別:    卷二三一              文體:    五言律詩

詩題:    覽鏡呈柏中丞

作地點:              目前尚無資料

及地點:              終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山  

交遊人物/地點:柏茂林      書信往來(山南東道 夔州 夔州)

 

 

覽鏡呈柏中丞

(身に着けている鏡を見て自分の衰えたことを嘆息して、柏中丞にこの詩を呈した)

渭水流關終南在日邊。

関中には、渭水が本流にして流れている。終南山は日輪の南辺のように長安にある。

膽銷豺虎窟,淚入犬羊天。

その地方は豺虎のような盗賊の巣窟となり、犬羊のような臭い異民族の吐蕃などの場所になっているので自分の膽もこれがために消えようとして、自分の涙はそちらに向かって注がれる。

起晚堪從事,行遲更學仙。

自分は、朝、遅く起きだすものであるから、とても、仕事に堪えられないし、また歩くのが遅いから、いまさら仙人から学ぶこともはばかられる。

鏡中衰謝色,萬一故人憐。

おまけに、鏡を見ると老衰してきた色が照いるのが分かるし、これでも万が一にもあなたが気の毒に思ってくださるなら、それだけを頼りにいていこうと思うのである。

 

(鏡を覽て柏中丞に呈す)

渭水 關,終南 日邊に在り。

膽は銷す 豺虎の窟,淚は入る 犬羊の天。

起きること 晚し 事に從うに堪んや,行くこと 遲し 更に仙を學ばんや。

鏡中 衰謝の色,萬一 故人憐まん。

 

『覽鏡呈柏中丞』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

覽鏡呈柏中丞

渭水流關,終南在日邊。

膽銷豺虎窟,淚入犬羊天。

起晚堪從事,行遲更學仙。

鏡中衰謝色,萬一故人憐。
詩文(含異文)     渭水流關,終南在日邊。膽銷豺虎窟,淚入犬羊天。起晚堪從事,行遲更學仙【行遲更覺仙】。鏡中衰謝色,萬一故人憐。


(下し文)

(鏡を覽て柏中丞に呈す)

渭水 關,終南 日邊に在り。

膽は銷す 豺虎の窟,淚は入る 犬羊の天。

起きること 晚し 事に從うに堪んや,行くこと 遲し 更に仙を學ばんや。

鏡中 衰謝の色,萬一 故人憐まん。

(現代語訳)
(身に着けている鏡を見て自分の衰えたことを嘆息して、柏中丞にこの詩を呈した)

関中には、渭水が本流にして流れている。終南山は日輪の南辺のように長安にある。

その地方は豺虎のような盗賊の巣窟となり、犬羊のような臭い異民族の吐蕃などの場所になっているので自分の膽もこれがために消えようとして、自分の涙はそちらに向かって注がれる。

自分は、朝、遅く起きだすものであるから、とても、仕事に堪えられないし、また歩くのが遅いから、いまさら仙人から学ぶこともはばかられる。

おまけに、鏡を見ると老衰してきた色が照いるのが分かるし、これでも万が一にもあなたが気の毒に思ってくださるなら、それだけを頼りにいていこうと思うのである。


(訳注)

覽鏡呈柏中丞

(身に着けている鏡を見て自分の衰えたことを嘆息して、柏中丞にこの詩を呈した)

中丞  中国の官名。漢代には宮中の文書をつかさどり刺史を監督する官を,明・清代には巡撫(じゆんぶ)をいう。 中弁(ちゆうべん)の唐名。律令制で,太政官(だいじようかん)に属する弁官の一。大弁の次に位し,少弁の上位にあるもの。左右弁官局に各一名ずつ属す。

函谷関長安地図座標001 

渭水流關終南在日邊。

関中には、渭水が本流にして流れている。終南山は日輪の南辺のように長安にある。

渭水 渭水は甘粛省渭源県の西にある烏鼠同穴山を源流とする。陝西省咸陽市の南、西安市の北を流れて黄河中流の潼関で合流。全長818km 流域の盆地は渭河平原(関中)と呼ばれる。

 関中とは、中華人民共和国の地域である。函谷関の西側の地域を指す。現在の中国陝西省渭水盆地(同・渭河平原)の西安を中心とした一帯である。春秋戦国時代の秦の領地であり、その後の前漢や唐もこの地に首都を置いた。

終南 陝西省の西安の南東にある山。古来、詩によく詠まれた。南山。又称中南山、南山、太乙山,一般指秦嶺山脈中段西境内,西は武功縣より起り,東は藍田縣に至る部分を言う。

日邊 晉の明帝が幼少の折、日と長安とどちらが近いかという問いに、太陽が遠(邊)いと答えた故事を言う。

 

膽銷豺虎窟,淚入犬羊天。

その地方は豺虎のような盗賊の巣窟となり、犬羊のような臭い異民族の吐蕃などの場所になっているので自分の膽もこれがために消えようとして、自分の涙はそちらに向かって注がれる。

豺虎窟 中原にいる盗賊ども、ことごとく山中に身を隠し出没している。

犬羊天 吐蕃をさす。豺虎・犬羊、竝に長安方面に就くことを言う。7659月、回紇ウイグル、吐蕃チベット連合軍が入寇している。

 

起晚堪從事,行遲更學仙。

自分は、朝、遅く起きだすものであるから、とても、仕事に堪えられないし、また歩くのが遅いから、いまさら仙人から学ぶこともはばかられる。

起晚 起きだして動き始めるのが遅い時間になることを言う。

堪從事 官職に従事することができかねる。

行遲 仙人は空を飛び、地上を歩くのも走り飛ぶけれども、杜甫初枝がいるほどであり、歩くのが遅い。

學仙 仙学を学ぶことも詮無きゆえにしないということ。

 

鏡中衰謝色,萬一故人憐。

おまけに、鏡を見ると老衰してきた色が照いるのが分かるし、これでも万が一にもあなたが気の毒に思ってくださるなら、それだけを頼りにいていこうと思うのである。

衰謝 衰えて、やつれること。

故人 旧知の人、この場合、柏中丞をさす。

長安付近図00 

 

 

<日邊>晉の明帝が幼少の折、日と長安とどちらが近いかという問いに、太陽が遠(邊)いと答えた故事について。

明皇帝諱紹,字道畿,元皇帝長子也,幼而聰哲,爲元帝所寵異。年數歳,嘗坐置膝前,屬長安使來,因問帝曰:「汝謂日與長安孰遠?」對曰:「長安近。不聞人從日邊來,居然可知也。」元帝異之。明日,宴群僚,又問之。對曰:「日近。」元帝失色,曰:「何乃異間者之言乎?」對曰:「舉目則見日,不見長安。」由是益奇之。

 明皇帝の諱は紹、字は道畿であり、元皇帝の長子である。幼いころから聡明で、元帝から特別に寵愛されていた。〔僅か〕数歳の頃、元帝と膝をつき合わせて坐っていた時、ちょうど長安からの使者がやって来たので、〔元帝は〕明帝に尋ねて言った。「お前は太陽と長安とどちらが遠いと思うか?」〔明帝が〕答えて言う。「長安が近いです。太陽の辺りからやって来たと言う人を聞いたことがありませんから、〔わざわざ行って見るまでもなく、ここで〕そのままにしていても分かります。」元帝は、これは優れた答えだと思った。翌日、官僚たちと宴会を開いて、また、このことを尋ねてみた。〔明帝が〕答えて言う。「太陽が近いです。」元帝は顔色を変えて言った。「どうしてこの前の答えと違うのか?」〔明帝が〕答えて言った。「目を挙げれば太陽は見えますが、長安は見えませんから。」こうして、ますます〔元帝は〕彼を優れていると思うようになった。

766年-157杜甫 《1522憶鄭南玭〔憶鄭南〕》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-157 <1029> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6825

杜甫  憶鄭南玭

鄭南伏毒寺,  瀟灑到江心。  石影銜珠閣,  泉聲帶玉琴。 

風杉曾曙倚,  雲嶠憶春臨。  萬里滄浪外,  龍蛇只自深。 

(北の方、故郷のことを思い、華州の鄭縣の寺ことを思い出して述べる)

華州鄭縣の南に伏毒寺という寺があって、風景気象がさらっとした河江の中心部が見えるところに行ってみた。すると石の影は美しい珠閣をふくみ、泉の声は玉のかざりの琴を鳴らすような音を帯びている。曾て夜明け前、曙ごろに、風が通り抜ける杉の木に寄りかかって、雲がかかった山に春のおりに、登ったことがあったのを覚えている。ところがあのころ、万里離れて滄浪の外にあると思っていた此の山峡が、今、龍だが長江の淵に唯深く潜んでいるように見えるだけである。

766-157杜甫 《1522憶鄭南玭〔憶鄭南〕 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-157 <1029> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6825

 

 

 
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杜甫詩1500-1029-1527/2500

年:766年大暦元年55-157 

卷別: 卷二三一  文體: 五言律詩 

詩題:憶鄭南玭〔憶鄭南〕

【自註:玭,蒲眠切,珠也。宋弘曰:「淮水出玭珠。」若本注:「玭疑作玼,音玼,玉色鮮潔也。」師民瞻及草堂本,俱無玭字。詩中但憶伏毒寺舊遊,鄭南乃鄭縣之南也。】 

及地點:鄭縣 (京畿道 華州 鄭縣別名:鄭南     

伏毒寺 (京畿道 華州 鄭縣)      

 

 

憶鄭南玭

(北の方、故郷のことを思い、華州の鄭縣の寺ことを思い出して述べる)

鄭南伏毒寺,  瀟灑到江心。 

華州鄭縣の南に伏毒寺という寺があって、風景気象がさらっとした河江の中心部が見えるところに行ってみた。

石影銜珠閣,  泉聲帶玉琴。 

すると石の影は美しい珠閣をふくみ、泉の声は玉のかざりの琴を鳴らすような音を帯びている。

風杉曾曙倚,  雲嶠憶春臨。 

曾て夜明け前、曙ごろに、風が通り抜ける杉の木に寄りかかって、雲がかかった山に春のおりに、登ったことがあったのを覚えている。

萬里滄浪外,  龍蛇只自深。 

ところがあのころ、万里離れて滄浪の外にあると思っていた此の山峡が、今、龍だが長江の淵に唯深く潜んでいるように見えるだけである。

 

(鄭の南の玭を憶う)

鄭の南 伏毒寺,  瀟灑 江心に到る。 

石影 珠閣を銜み,  泉の聲 玉琴を帶ぶ。 

風杉 曾て曙に倚り,  雲嶠 春臨を憶う。 

萬里 滄浪に外にあり,  龍蛇 只だ 自ら深くす。 

 

 

【関連した詩】

杜甫詩1500-1028-1526/2500

年:766年大暦元年55-156

卷別:    卷二三一              文體:    七言律詩

詩題:    覽物【峽中覽物】

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              潼關 (京畿道 華州 潼關)    

華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳           

 

 

覽物【峽中覽物】

曾為掾吏趨三輔,憶在潼關詩興多。

巫峽忽如瞻華岳,蜀江猶似見黃河。

舟中得病移衾枕,洞口經春長薜蘿。

形勝有餘風土惡,幾時回首一高歌。

(夔州三峡の山水景色を見て、帰郷の情を動かしたことを述べる。)

かつて朝廷の左拾遺から都の三輔の扶風行政区にある華州司功参軍の掾吏に左遷されたことがあったが、そこで思い出すのは、潼関あたりでは、詩興を掻き立てるものが多かったことである。

ではここ巫峽を見るとどうであろうか、たちまち、五岳の華嶽を見るようであり、蜀から流れてくるこの長江の流れは、黄河に匹敵するものとみるのである。

ただ、自分は、船中で病気がひどくなったために、養生して回復するには陸に上がって衾枕を移したのである、そうすれば、洞庭湖の入り口で春を迎えられ、少しすれば、薜蘿が長くなるのを見届けることになるであろう。

今いる夔州は景勝は素晴らしいのであるが、何せ、瘴癘の風土が良くない、いつになったら故郷の方に首を回らして帰り、華岳、終南山、黄河、に望んでひとたび高らかに詩吟することができるだろうか。

 

覽物【峽中 物を覽る】

曾て掾吏と為って三輔に趨く,憶う 潼關に在りて詩興多かりしことを。

巫峽は忽ち 華岳を瞻るが如く,蜀江は猶お黃河を見るに似たり。

舟中 病を得て衾枕を移し,洞口 春を經て薜蘿長ず。

形勝 餘り有り 風土惡しし,幾時か 首を回して一たび高歌せん。

 

洛陽 函谷関002 

『憶鄭南』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

憶鄭南玭

鄭南伏毒寺,  瀟灑到江心。 

石影銜珠閣,  泉聲帶玉琴。 

風杉曾曙倚,  雲嶠憶春臨。 

萬里滄浪外,  龍蛇只自深。 

詩文(含異文) 鄭南伏毒寺【註:一作鄭南伏毒守,與上下義多不合,當非。】,瀟灑到江心。石影銜珠閣,泉聲帶玉琴。風杉曾曙倚,雲嶠憶春臨。萬里滄浪外【萬里蒼茫外】,龍蛇只自深。 


(下し文)

(鄭の南の玭を憶う)

鄭の南 伏毒寺,  瀟灑 江心に到る。 

石影 珠閣を銜み,  泉の聲 玉琴を帶ぶ。 

風杉 曾て曙に倚り,  雲嶠 春臨を憶う。 

萬里 滄浪に外にあり,  龍蛇 只だ 自ら深くす。 


(現代語訳)
(北の方、故郷のことを思い、華州の鄭縣の寺ことを思い出して述べる)

華州鄭縣の南に伏毒寺という寺があって、風景気象がさらっとした河江の中心部が見えるところに行ってみた。

すると石の影は美しい珠閣をふくみ、泉の声は玉のかざりの琴を鳴らすような音を帯びている。

ところがあのころ、万里離れて滄浪の外にあると思っていた此の山峡が、今、龍だが長江の淵に唯深く潜んでいるように見えるだけである。

Ta唐 長安近郊圖  新02
(訳注)

憶鄭南玭〔憶鄭南〕

(北の方、故郷のことを思い、華州の鄭縣の寺ことを思い出して述べる)

鄭南 京畿道華州鄭縣の南ということ。玭:あざやか。りっぱではっきりしていること。

・自註:【玭,蒲眠切,珠也。宋弘曰:「淮水出玭珠。」

玭は蒲眠切でいうのであって、珠のこと。宋弘は「淮水から出たりっぱな珠のことをいう。」と曰う。

若本注:【「玭疑作玼,音玼,玉色鮮潔也。」師民瞻及草堂本,俱無玭字。詩中但憶伏毒寺舊遊,鄭南乃鄭縣之南也。】

玭は何の義ともわからず、音のためにあり、意味としては、りっぱではっきりしていることをいう。師は民瞻本および、草堂本では,俱に玭の字を削られている。詩中にいう伏毒寺は舊し遊んだところをおもいだしたもので,鄭南はすなわち、鄭縣の南にあるというものである。

 

鄭南伏毒寺,  瀟灑到江心。  【註:一作鄭南伏毒守,與上下義多不合,當非。】

華州鄭縣の南に伏毒寺という寺があって、風景気象がさらっとした河江の中心部が見えるところに行ってみた。

伏毒寺 華州鄭縣にあった寺。

瀟灑 風景気象がさらっとした貌。

江心 寺の位置が河江の真ん中に見える地点。

 

石影銜珠閣,  泉聲帶玉琴。 

すると石の影は美しい珠閣をふくみ、泉の声は玉のかざりの琴を鳴らすような音を帯びている。

石影 江中の石の影。

銜珠閣 寺の建物で、珠を飾った高閣。

泉聲帶玉琴 玉を飾った琴の音が連続して鳴らしているのを泉の湧きたてる音にたとえている。

 

風杉曾曙倚,  雲嶠憶春臨。 

曾て夜明け前、曙ごろに、風が通り抜ける杉の木に寄りかかって、雲がかかった山に春のおりに、登ったことがあったのを覚えている。

 

萬里滄浪外,  龍蛇只自深。 

ところがあのころ、万里離れて滄浪の外にあると思っていた此の山峡が、今、龍だが長江の淵に唯深く潜んでいるように見えるだけである。

萬里滄浪外 伏毒寺から見て菱州、三峡は、万里先の場所であり、滄浪のさらに外にあるものと思っていたということ。

龍蛇只自深 河川の急流は龍であり、渓流から本河川に灑ぎこむ水が蛇にたとえていて、いつも暴れて居なくて、淵の底に潜んでいるだけであるという意。

 

766年-156杜甫 《1521覽物【峽中覽物】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-156 <1028> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6820

杜甫  覽物【峽中覽物】

曾為掾吏趨三輔,憶在潼關詩興多。巫峽忽如瞻華岳,蜀江猶似見黃河。

舟中得病移衾枕,洞口經春長薜蘿。形勝有餘風土惡,幾時回首一高歌。

(夔州三峡の山水景色を見て、帰郷の情を動かしたことを述べる。)

かつて朝廷の左拾遺から都の三輔の扶風行政区にある華州司功参軍の掾吏に左遷されたことがあったが、そこで思い出すのは、潼関あたりでは、詩興を掻き立てるものが多かったことである。

ではここ巫峽を見るとどうであろうか、たちまち、五岳の華嶽を見るようであり、蜀から流れてくるこの長江の流れは、黄河に匹敵するものとみるのである。

ただ、自分は、船中で病気がひどくなったために、養生して回復するには陸に上がって衾枕を移したのである、そうすれば、洞庭湖の入り口で春を迎えられ、少しすれば、薜蘿が長くなるのを見届けることになるであろう。

今いる夔州は景勝は素晴らしいのであるが、何せ、瘴癘の風土が良くない、いつになったら故郷の方に首を回らして帰り、華岳、終南山、黄河、に望んでひとたび高らかに詩吟することができるだろうか。

 

766-156杜甫 1521覽物【峽中覽物】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-156 <1028 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6820

 

 
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杜甫詩1500-1028-1526/2500

年:766年大暦元年55-156

卷別:    卷二三一              文體:    七言律詩

詩題:    覽物【峽中覽物】

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              潼關 (京畿道 華州 潼關)    

華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳            

 

 

覽物【峽中覽物】

(夔州三峡の山水景色を見て、帰郷の情を動かしたことを述べる。)

曾為掾吏趨三輔,憶在潼關詩興多。

かつて朝廷の左拾遺から都の三輔の扶風行政区にある華州司功参軍の掾吏に左遷されたことがあったが、そこで思い出すのは、潼関あたりでは、詩興を掻き立てるものが多かったことである。

巫峽忽如瞻華岳,蜀江猶似見黃河。

ではここ巫峽を見るとどうであろうか、たちまち、五岳の華嶽を見るようであり、蜀から流れてくるこの長江の流れは、黄河に匹敵するものとみるのである。

舟中得病移衾枕,洞口經春長薜蘿。

ただ、自分は、船中で病気がひどくなったために、養生して回復するには陸に上がって衾枕を移したのである、そうすれば、洞庭湖の入り口で春を迎えられ、少しすれば、薜蘿が長くなるのを見届けることになるであろう。

形勝有餘風土惡,幾時回首一高歌。

今いる夔州は景勝は素晴らしいのであるが、何せ、瘴癘の風土が良くない、いつになったら故郷の方に首を回らして帰り、華岳、終南山、黄河、に望んでひとたび高らかに詩吟することができるだろうか。

 

覽物【峽中 物を覽る】

曾て掾吏と為って三輔に趨く,憶う 潼關に在りて詩興多かりしことを。

巫峽は忽ち 華岳を瞻るが如く,蜀江は猶お黃河を見るに似たり。

舟中 病を得て衾枕を移し,洞口 春を經て薜蘿長ず。

形勝 餘り有り 風土惡しし,幾時か 首を回して一たび高歌せん。

安史の乱当時の勢力図 

 

『覽物』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

覽物【峽中覽物】

曾為掾吏趨三輔,憶在潼關詩興多。

巫峽忽如瞻華岳,蜀江猶似見黃河。

舟中得病移衾枕,洞口經春長薜蘿。

形勝有餘風土惡,幾時回首一高歌。

(下し文)
覽物【峽中 物を覽る】

曾て掾吏と為って三輔に趨く,憶う 潼關に在りて詩興多かりしことを。

巫峽は忽ち 華岳を瞻るが如く,蜀江は猶お黃河を見るに似たり。

舟中 病を得て衾枕を移し,洞口 春を經て薜蘿長ず。

形勝 餘り有り 風土惡しし,幾時か 首を回して一たび高歌せん。

(現代語訳)
(夔州三峡の山水景色を見て、帰郷の情を動かしたことを述べる。)

かつて朝廷の左拾遺から都の三輔の扶風行政区にある華州司功参軍の掾吏に左遷されたことがあったが、そこで思い出すのは、潼関あたりでは、詩興を掻き立てるものが多かったことである。

ではここ巫峽を見るとどうであろうか、たちまち、五岳の華嶽を見るようであり、蜀から流れてくるこの長江の流れは、黄河に匹敵するものとみるのである。

ただ、自分は、船中で病気がひどくなったために、養生して回復するには陸に上がって衾枕を移したのである、そうすれば、洞庭湖の入り口で春を迎えられ、少しすれば、薜蘿が長くなるのを見届けることになるであろう。

今いる夔州は景勝は素晴らしいのであるが、何せ、瘴癘の風土が良くない、いつになったら故郷の方に首を回らして帰り、華岳、終南山、黄河、に望んでひとたび高らかに詩吟することができるだろうか。

京兆地域図002
(訳注)

覽物【峽中覽物】

(夔州三峡の山水景色を見て、帰郷の情を動かしたことを述べる。)

峽中覽物 夔州急峻な三峡の山水、長江に注ぎ込む支流の山水、長江本流の流れの風景を味わってみることを言う。

 

曾為掾吏趨三輔,憶在潼關詩興多。

かつて朝廷の左拾遺から都の三輔の扶風行政区にある華州司功参軍の掾吏に左遷されたことがあったが、そこで思い出すのは、潼関あたりでは、詩興を掻き立てるものが多かったことである。

掾吏 758年左拾遺から華州司功参軍に出されたことを言う。この時、政権批判の内容で科挙試験問題を作っている。

757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首 (23) 全体》 杜甫<1509-T 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340 杜甫詩1500/2500

三輔 都の付属の行政区画で、京兆・扶風・馮翊を三輔といい、華州は扶風に属す。

○潼關 潼関は関中平原の東部、秦嶺山脈の北、渭河、洛河の南、華山の東に位置し、山西、陝西、河南の3省を結ぶ交通の要衝であり、古来より軍事家による争奪の地となった。

詩興多 古戦場、名所旧跡が多く、五岳、交通の要衝、・・・。

 

巫峽忽如瞻華岳,蜀江猶似見黃河。

ではここ巫峽を見るとどうであろうか、たちまち、五岳の華嶽を見るようであり、蜀から流れてくるこの長江の流れは、黄河に匹敵するものとみるのである。

巫峽 長江三峡の二番目の峡谷。重慶市巫山県の大寧河の河口から湖北省巴東県官渡口まで全長45km 上流側の巫山県は四川盆地東端にあり、巫山山脈をはじめ東西方向に伸びる細長い褶曲山脈多数が並行して走っている。巫山県城付近は長江沿いの丘陵地帯で大寧河の河口付近にある。

華岳 中国陝西省華陰市にある険しい山。道教の修道院があり、中国五名山の一つで、西岳と称されている。

蜀江 蜀の成都付近を流れる川。長江上流の一部。「蜀江の錦(にしき)」の略。

黃河 中国の北部を流れ、渤海へと注ぐ川。全長約5,464kmで、中国では長江に次いで2番目に長く、アジアでは長江とエニセイ川に次いで3位、世界では6番目の長さである。なお、河という漢字は本来固有名詞であり、中国で「河」と書いたときは黄河を指す。これに対し、「江」と書いたときは長江を指す。

 

舟中得病移衾枕,洞口經春長薜蘿。

ただ、自分は、船中で病気がひどくなったために、養生して回復するには陸に上がって衾枕を移したのである、そうすれば、洞庭湖の入り口で春を迎えられ、少しすれば、薜蘿が長くなるのを見届けることになるであろう。

移衾枕 杜甫は、喘息の持病があり、762~764年蜀中輾転している間に杖が必要となった。それでも故郷に帰る一段階として船でゆっくりと荊州、湖南に向かおうとして蜀を出発、忠州、渝州、雲安、夔州奉節と進んだが、喘息の症状が悪化し、陸に上がり奉節の牛居に移って、かなり真剣に農業に従事している。

洞口 荊州を経て、ひとまずの目標、洞庭湖付近に向かいたいと思っていること。

○薜蘿 姫カズラ、初夏には藤棚を見るということ。この表現で、春から初夏くらいまで洞庭湖で過ごして洛陽長安に向かおうと思っていたのであろう。このころ一番世情が安定していたのが洞庭湖付近であった。

 

形勝有餘風土惡,幾時回首一高歌。

今いる夔州は景勝は素晴らしいのであるが、何せ、瘴癘の風土が良くない、いつになったら故郷の方に首を回らして帰り、華岳、終南山、黄河、に望んでひとたび高らかに詩吟することができるだろうか。

形勝 1 風景がすぐれていること。また、その土地。景勝。「形勝の地」2 敵を防ぐのに都合のよい地勢・地形。要害。

風土惡 異民族の風俗が入り混じっており、炎熱の地であり、雨の多い地の雨期乾期があり、瘴癘の気が多い、特に水が良くないということ。(夔州での作品の半分近くはこの風土につて触れた詩を書いている。)

幾時 いつの時か、来年(767)の春には動けると思っている。

回首 故郷の方に首を回らして帰り、華岳、終南山、黄河、に望むこと。

一高歌 首聯下句「詩興多」を受けて、詩を高らかに吟じようということ。

唐時代 地図山南 東・西道50 

766年-155杜甫 《1725九日諸人集於林》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-155 <1027> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6815

杜甫  九日諸人集於林   

九日明朝是,相要舊俗非。老翁難早出,賢客幸知歸。

舊采黃花賸,新梳白髮微。漫看年少樂,忍淚已霑衣。

(重陽の日に夔州の人々が林冲に集まるということで、招待を受けたが前日にこれを辞退したということを述べたもの)明朝は九月九日重陽節の日である。これに招待を受けているが、この重陽節の風習が私やってきた風俗が異なるようである。この日が敬老というのを前提としておられ、帰嚮のお気持ちは十分認識し受け止めた、確かに、自分も老翁であるからありがたく思ってはいるが、持病があって朝早くから出かけるのは難しく、他の賓客の方々に往き帰りが難儀な自分がいたのではめいわくをかける。菊の花を前もって採取してそれが余ったからと言って頭に茱萸の身と一笑にさして邪気をとるといっても、白髪頭の髪の毛が梳き取ろうとしてもあまりに少ない。参加して同席したとしても、お若い方々のことをただ漫然として見ているばかりだろうし、それでも、故郷を離れて長いもので、こらえていた涙があふれ出てこらえきれず着物までずぶぬれになるほどと思われるので、どうぞよろしくお取りはかり願いたい。

 

766-155杜甫 1725九日諸人集於林》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-155 <1027 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6815

 

 

 

 
  2015年10月25日 の紀頌之5つのBlog  
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杜甫詩1500-1027-1525/2500

年:766年大暦元年55-155

卷別:    卷二三一              文體:    五言律詩

詩題:    九日諸人集於林【日高諸人集於林】【登高諸人集於林】

 

 

九日諸人集於林

(重陽の日に夔州の人々が林冲に集まるということで、招待を受けたが前日にこれを辞退したということを述べたもの)

九日明朝是,相要舊俗非。

明朝は九月九日重陽節の日である。これに招待を受けているが、この重陽節の風習が私やってきた風俗が異なるようである。

老翁難早出,賢客幸知歸。

この日が敬老というのを前提としておられ、帰嚮のお気持ちは十分認識し受け止めた、確かに、自分も老翁であるからありがたく思ってはいるが、持病があって朝早くから出かけるのは難しく、他の賓客の方々に往き帰りが難儀な自分がいたのではめいわくをかける。

舊采黃花賸,新梳白髮微。

菊の花を前もって採取してそれが余ったからと言って頭に茱萸の身と一笑にさして邪気をとるといっても、白髪頭の髪の毛が梳き取ろうとしてもあまりに少ない。

漫看年少樂,忍淚已霑衣。

参加して同席したとしても、お若い方々のことをただ漫然として見ているばかりだろうし、それでも、故郷を離れて長いもので、こらえていた涙があふれ出てこらえきれず着物までずぶぬれになるほどと思われるので、どうぞよろしくお取りはかり願いたい。

(九日諸人 林に集まる

九日 明朝 是なり,相い要うるも舊俗非なり。

老翁 早く出で難し,賢客 幸に歸することを知る。

舊采 黃花 賸【あま】るも,新梳 白髮微なり。

漫に看る 年少の樂むを,淚を忍ぶも 已に衣を霑す。

 

『九日諸人集於林』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

九日諸人集於林

九日明朝是,相要舊俗非。

老翁難早出,賢客幸知歸。

舊采黃花賸,新梳白髮微。

漫看年少樂,忍淚已霑衣。
九日諸人集於林【日高諸人集於林】【登高諸人集於林】      

九日明朝是,相要舊俗非。老翁難早出,賢客幸知歸。

舊采黃花賸,新梳白髮微。漫看年少樂,忍淚已霑衣。


(下し文)
(九日諸人 林に集まる

九日 明朝 是なり,相い要うるも舊俗非なり。

老翁 早く出で難し,賢客 幸に歸することを知る。

舊采 黃花 賸【あま】るも,新梳 白髮微なり。

漫に看る 年少の樂むを,淚を忍ぶも 已に衣を霑す。

(現代語訳)
(重陽の日に夔州の人々が林冲に集まるということで、招待を受けたが前日にこれを辞退したということを述べたもの)

明朝は九月九日重陽節の日である。これに招待を受けているが、この重陽節の風習が私やってきた風俗が異なるようである。

この日が敬老というのを前提としておられ、帰嚮のお気持ちは十分認識し受け止めた、確かに、自分も老翁であるからありがたく思ってはいるが、持病があって朝早くから出かけるのは難しく、他の賓客の方々に往き帰りが難儀な自分がいたのではめいわくをかける。

菊の花を前もって採取してそれが余ったからと言って頭に茱萸の身と一笑にさして邪気をとるといっても、白髪頭の髪の毛が梳き取ろうとしてもあまりに少ない。

参加して同席したとしても、お若い方々のことをただ漫然として見ているばかりだろうし、それでも、故郷を離れて長いもので、こらえていた涙があふれ出てこらえきれず着物までずぶぬれになるほどと思われるので、どうぞよろしくお取りはかり願いたい。


(訳注)

九日諸人集於林

(重陽の日に夔州の人々が林冲に集まるということで、招待を受けたが前日にこれを辞退したということを述べたもの)

九日 重陽の節句の日

杜甫<九日の詩>

  九日曲江(卷二48

・ 九日寄岑參(卷三25

   九日楊奉先會白水崔明府(卷四05

  九日藍田崔氏莊(卷六36

  九日登梓州城(卷一一43

  九日奉寄嚴大夫(卷一一44

  九日(卷一二58

  雲安九日鄭十八攜酒陪諸公宴(卷一四62

  九日(一作登高)諸人集於林(卷一七25

  復愁十二首(卷二○其十一23)每恨陶彭澤,無錢對菊花。如今九日至,自覺酒須

  又上後園山(卷一九18

  九日五首其四(卷二○49

  登高(卷二○(四)一七六六)

諸人 夔州奉節の関係者の人々。

集於林 山頂の林のあるところ。

 

九日明朝是,相要舊俗非。

明朝は九月九日重陽節の日である。これに招待を受けているが、この重陽節の風習が私やってきた風俗が異なるようである。

九日明朝是 「九日是明朝」韻の構成上。是は九月九日の招待を言う。

相要 要は邀、迎えること。出向くこと。

舊俗非 「非舊俗」韻の構成上。舊俗とは、洛陽長安でのこれまで重陽の日にやっていた習わしのこと

 

老翁難早出,賢客幸知歸。

この日が敬老というのを前提としておられ、帰嚮のお気持ちは十分認識し受け止めた、確かに、自分も老翁であるからありがたく思ってはいるが、持病があって朝早くから出かけるのは難しく、他の賓客の方々に往き帰りが難儀な自分がいたのではめいわくをかける。

幸知歸 「幸いに歸することを知る。」歸は帰嚮で、心をよせること。親しみを抱くこと。ここでは敬老精神で招待してくれたこと、思いやりについて十分に認知したということ。自分の健康状態では、往復のこと、など、幸いにも自覚している。自分の体調をわきまえているから、断ることの前提としている。

 

舊采黃花賸,新梳白髮微。

菊の花を前もって採取してそれが余ったからと言って頭に茱萸の身と一笑にさして邪気をとるといっても、白髪頭の髪の毛が梳き取ろうとしてもあまりに少ない。

舊采黃花賸 山の上には菊の花がないので、前もって準備すること、その菊の花が酒に浮べてもさらに余って頭の飾りにしようとすること、元来、茱萸の実と一緒に頭にさす。

野山でとれる茱萸は、その香りが虫除けになるだけでなく、湿気を除き、風邪を防ぎ、発熱を抑えて、内臓にもよいという。そのため民間においては、重陽節に茱萸を挿して難を逃れる。それは「避邪翁」と呼ばれている。中庭の井戸のそばに茱萸を植え、葉が井戸に落ちると、井戸水の毒を消すことができるという人もいる。福建省の客家人は、重陽節には玄関に茱萸を挿して、邪気を払う。

菊の花は漢方薬の一種であり、熱を下げて毒を消し、視力をよくし、「風」(古代、漢方医学で病因と考えられていた六淫の一つ)の病を取り除き、肝臓や肺にもよく、腎臓を強めるなどの効能があるとされている。

 

漫看年少樂,忍淚已霑衣。

参加して同席したとしても、お若い方々のことをただ漫然として見ているばかりだろうし、それでも、故郷を離れて長いもので、こらえていた涙があふれ出てこらえきれず着物までずぶぬれになるほどと思われるので、どうぞよろしくお取りはかり願いたい。

漫看 出席して丘の上で菊酒を酌み交わすことができず、ただ漫然として見ているだけだというほどの意。

766年-154杜甫 《卷一四82雨 (冥冥甲子雨,)》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-154 <1026> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6810

杜甫  雨   

冥冥甲子雨,已度立春時。  輕箑煩相向,纖絺恐自疑。 

煙添纔有色,風引更如絲。  直覺巫山暮,兼催宋玉悲。 

(雨が降るのを見て、宋玉の《高唐賦》「朝雲暮雨」、《九辯》「悲愁」を思う)

空は、暗くしてしとしとと秋雨が降っている、今年は、立春のころから気候がおかしかった。それに、いまだにむしあつくて軽く団扇が必要なときもあって煩わしいし、まだ、細い葛で作った衣を着ていて、これでよいのかと自分ながら疑っているところである。この雨は細雨で煙が付け加わったことでやっと色が見えるというもので、雨脚は風に引っ張られてさらに糸のように長くなっている。この光景は、実際に、「朝雲暮雨」の巫山の夕暮れのように楚王のように覚え、同時に、創業句が初めて表現した、「悲愁」という旅心の寂しさを感じるのである。

766-154杜甫 《卷一四82雨 (冥冥甲子雨,) 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-154 <1026 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6810

 

 

 
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  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
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韓愈94-#8《 巻二15岳陽樓別竇司直》 #8 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1565> Ⅱ#8 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6809  
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  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 766年-154杜甫 《卷一四82雨 (冥冥甲子雨,)》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-154 <1026> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6810  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 11顧夐 (改)《巻七06浣溪沙八首其六》『花間集』308全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6812  
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杜甫詩1500-1026-1524/2500

年:766年大暦元年55-154

卷別: 卷二三○  杜少陵集卷一四82 文體: 五言律詩 

詩題:  

作地點: 目前尚無資料 

及地點: 巫山 (山南東道 夔州 巫山)      

 

 

(雨が降るのを見て、宋玉の《高唐賦》「朝雲暮雨」、《九辯》「悲愁」を思う)

冥冥甲子雨,已度立春時。 

空は、暗くしてしとしとと秋雨が降っている、今年は、立春のころから気候がおかしかった。

輕箑煩相向,纖絺恐自疑。 

それに、いまだにむしあつくて軽く団扇が必要なときもあって煩わしいし、まだ、細い葛で作った衣を着ていて、これでよいのかと自分ながら疑っているところである。

煙添纔有色,風引更如絲。 

この雨は細雨で煙が付け加わったことでやっと色が見えるというもので、雨脚は風に引っ張られてさらに糸のように長くなっている。

直覺巫山暮,兼催宋玉悲。 

この光景は、実際に、「朝雲暮雨」の巫山の夕暮れのように楚王のように覚え、同時に、創業句が初めて表現した、「悲愁」という旅心の寂しさを感じるのである。

 

(雨)

冥冥 甲子の雨,已に度る 立春の時。 

輕箑 相い向うを煩し,纖絺 自ら疑うを恐れん。 

煙添いて 纔に色有り,風引きて 更に絲の如し。 

直ちに覺ゆ 巫山暮なんとするを,兼ねて催す宋玉が悲しみ。 
夔州東川卜居図詳細 002

 

『雨』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

冥冥甲子雨,已度立春時。 

輕箑煩相向,纖絺恐自疑。 

煙添纔有色,風引更如絲。 

直覺巫山暮,兼催宋玉悲。 

(下し文)
(雨)

冥冥 甲子の雨,已に度る 立春の時。 

輕箑 相い向うを煩し,纖絺 自ら疑うを恐れん。 

煙添いて 纔に色有り,風引きて 更に絲の如し。 

直ちに覺ゆ 巫山暮なんとするを,兼ねて催す宋玉が悲しみ。 

(現代語訳)
(雨が降るのを見て、宋玉の《高唐賦》「朝雲暮雨」、《九辯》「悲愁」を思う)

空は、暗くしてしとしとと秋雨が降っている、今年は、立春のころから気候がおかしかった。

それに、いまだにむしあつくて軽く団扇が必要なときもあって煩わしいし、まだ、細い葛で作った衣を着ていて、これでよいのかと自分ながら疑っているところである。

この雨は細雨で煙が付け加わったことでやっと色が見えるというもので、雨脚は風に引っ張られてさらに糸のように長くなっている。

この光景は、実際に、「朝雲暮雨」の巫山の夕暮れのように楚王のように覚え、同時に、創業句が初めて表現した、「悲愁」という旅心の寂しさを感じるのである。


(訳注)

(雨が降るのを見て、宋玉の《高唐賦》「朝雲暮雨」、《九辯》「悲愁」を思う)

766年大暦元年55-154首目。詩の内容から7669月1日と考えるのが妥当であろう。

 

冥冥甲子雨,已度立春時。 

空は、暗くしてしとしとと秋雨が降っている、今年は、立春のころから気候がおかしかった。

甲子雨 八月か九月の最初の日の雨。

已度立春時 今年は、立春のころから気候がおかしかった。

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767年大曆二年56-36-奉節-27 《巻15-60 雨》 杜甫index-15 杜甫<900 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5530

766年-70杜甫 《1553雨不》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-70 <933 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6300

766年-71杜甫 《1711宿江邊閣【案:即後西閣。】》七言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-71 <934 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6305

766年-72杜甫 《1811夜宿西閣曉呈元二十一曹長》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-72 <935 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6310

766年-73杜甫 《1812西閣口號【案:呈元二十一。】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-73 <936 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6315

766年-74杜甫 《1713西閣雨望》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-74 <937 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6320 杜甫詩1500-937-1435/2500

766年-148杜甫 《1554晚晴》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-148 <1020 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6780

1552雨晴》

雨時山不改,晴罷峽如新。天路看殊俗,秋江思殺人。

有猿揮淚盡,無犬附書頻。故國愁眉外,長歌欲損神。
この年、「雨」の作品が上記以外数首ある。また、夏は日照りが続いている。

 

輕箑煩相向,纖絺恐自疑。 

それに、いまだにむしあつくて軽く団扇が必要なときもあって煩わしいし、まだ、細い葛で作った衣を着ていて、これでよいのかと自分ながら疑っているところである。

輕箑 軽く団扇をつかうこと。

煩相向 (団扇が)必要なときもあって煩わしい。

纖絺 細い葛で作った衣。

恐自疑 秋だというのに、団扇や夏の着物を着て居なければいけないほど温暖であることを言う。

 

煙添纔有色,風引更如絲。 

この雨は細雨で煙が付け加わったことでやっと色が見えるというもので、雨脚は風に引っ張られてさらに糸のように長くなっている。

 

直覺巫山暮,兼催宋玉悲。 

この光景は、実際に、「朝雲暮雨」の巫山の夕暮れのように楚王のように覚え、同時に、創業句が初めて表現した、「悲愁」という旅心の寂しさを感じるのである。

巫山暮 宋玉《高唐賦》《楚 () の懐王が夢の中で契りを交わした神女が、朝には雲に、夕暮れには雨になると言ったという、宋玉「高唐賦」などにみえる故事から》男女の堅い契り。

宋玉悲 宋玉が。初めて、秋について「悲愁」という表現を使い、以後の詩に、秋は、悲愁とされた。それが 宋玉《九辯》である。

悲哉秋之為氣也!蕭瑟兮草木搖落而變衰,

憭慄兮若在遠行,登山臨水兮送將歸,

泬寥兮天高而氣清,寂寥兮收潦而水清,

悽增欷兮薄寒之中人,愴怳懭悢兮去故而就新,

坎廩兮貧士失職而志不平,廓落兮羇旅而無友生。

惆悵兮而私自憐。

悲しいかな、秋の氣たるや。蕭瑟【しょうしつ】たり、草木搖落して變衰【へんすい】す。

憭慄【れきりつ】たり、遠行に在りて、山に登り水に臨み、將に歸らんとするを送るが若し。

泬寥【けつりょう】たり、天高くして気清し。

寂寥【せきりょう】たり、潦を収めて水清し。

悽【さんせい】として增ます欷【すすりな】き、薄寒之れ人に中【あた】る。

愴怳【そうこう】懭悢【こうろう】として故を去りて新に就く。

坎廩【かんらん】たり、貧士職を失ひて志 平かならず、廓落【かくらく】たり、羇旅【きりょ】にして友生無し。

惆悵たり、而して私かに自ら憐む。

宋玉《九辯》全35回で全文訳注して掲載している。

九辯 宋玉 <00-#1>もっとも影響を与えた詩文 630 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2134

九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304

766年-153杜甫 《1552雨晴》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-153 <1025> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6805

杜甫  雨晴

雨時山不改,晴罷峽如新。天路看殊俗,秋江思殺人。

有猿揮淚盡,無犬附書頻。故國愁眉外,長歌欲損神。

(雨が上がり空が晴れ渡ったときの感を詠う。)

雨が降っているときは山の色が変わりはしないが、晴れ渡ってくると三峡は全く新しい景色に変わったようだ。

秋の長江は人をして、もの思いに悩まさせるほど明るく考えられないほどになり、その中に自分は、この天蓋の地で違った異民族の風俗を見ているからなおさらである。

ここには猿が多く、その悲愴感を持った鳴き声のために涙をすっかり振るいつくしたが、故郷を知った犬がいないので、手紙を持たせてやることもできないからただ頻りに付け加えて書くだけである。

故郷の国許はこうして眺め遣る愁眉の外に存在して、故郷の景色が思い浮かばなくなる、その上、悲愁で歌う歌は長歌になって、悲愁と長歌が相乗するから精神病になってしまいそうである。

766-153杜甫 《1552雨晴》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-153 <1025> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6805

 

 
  2015年10月23日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場