杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

2015年11月

767年-5-#1 杜甫 《20-98 鄭典設自施州歸》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-5-#1 <1063> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6995

杜甫  鄭典設自施州歸 #1

吾憐滎陽秀,冒暑初有適。名賢慎所出,不肯妄行役。

旅茲殊俗遠,竟以屢空迫。

(典設郎の鄭某が施州から歸ったおりの感じをのべた詩。)

自分は気の毒におもっていたのだが、それは滎陽鄭氏の優秀な人物たる君が暑さを冒して初め他方へでかけていったことについてである。名のある賢人は出処進退をつつしみ、みだりに旅に出ることはしないものである、それに南の風俗のちがった遠方へ旅に出たのは.「屡ば空し」つまり貧窮に迫られての事であったというのだ。

767-5-#1 杜甫 20-98 鄭典設自施州歸》 杜甫詩index-15-767年大暦256-5-#1 <1063 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6995

 

 
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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杜甫詩1500-1063-1551-#1/2500

年:767年大暦256-5-#1

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    鄭典設自施州歸

作地點:              目前尚無資料

及地點:              施州 (黔中道 施州 施州)    

滎陽 (都畿道 鄭州 滎陽)   

交遊人物/地點:鄭典設      書信往來

裴冕      詩文提及(黔中道 施州 施州)

 

鄭典設自施州歸 #1

(典設郎の鄭某が施州から歸ったおりの感じをのべた詩。)

吾憐滎陽秀,冒暑初有適。

自分は気の毒におもっていたのだが、それは滎陽鄭氏の優秀な人物たる君が暑さを冒して初め他方へでかけていったことについてである。

名賢慎所出,不肯妄行役。

名のある賢人は出処進退をつつしみ、みだりに旅に出ることはしないものである、

旅茲殊俗遠,竟以屢空迫。

それに南の風俗のちがった遠方へ旅に出たのは.「屡ば空し」つまり貧窮に迫られての事であったというのだ。

#2

南謁裴施州,氣合無險僻。

攀援懸根木,登頓入天石。

青山自一川,城郭洗憂慼。

聽子話此邦,令我心悅懌。


#3

其俗則純樸,不知有主客。

溫溫諸侯門,禮亦如古昔。

敕廚倍常羞,杯盤頗狼藉。

時雖屬喪亂,事貴賞匹敵。

#4

中宵愜良會,裴鄭非遠戚。

群書一萬卷,博涉供務隙。

他日辱銀鉤,森疏見矛戟。

倒屣喜旋歸,畫地求所歷。

#5

乃聞風土質,又重田疇闢。

刺史似寇恂,列郡宜競惜。

北風吹瘴癘,羸老思散策。

渚拂蒹葭塞,嶠穿蘿蔦冪。

此身仗兒僕,高興潛有激。

#6

孟冬方首路,強飯取崖壁。

歎爾疲駑駘,汗溝血不赤。

終然備外飾,駕馭何所益。

我有平肩輿,前途猶准的。

翩翩入鳥道,庶蹉跌厄。

 

唐時代 地図山南 東・西道50 

『鄭典設自施州歸』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

鄭典設自施州歸 #1

吾憐滎陽秀,冒暑初有適。

名賢慎所出,不肯妄行役。

旅茲殊俗遠,竟以屢空迫。
(含異文):#1    

吾憐滎陽秀,冒暑初有適。名賢慎所出【名賢慎出處】,不肯妄行役。

旅茲殊俗遠【旅茲殊俗還】,竟以屢空迫。


(下し文)

鄭典設 施州より歸る #1

吾は憐れむ滎陽の秀,暑を冒して初め適く有り。

名賢は出る所を慎む,肯て妄りに行役せず。

茲の殊俗の遠きに旅するは,竟に屢空に迫らるるを以てなり。


(現代語訳)
鄭典設自施州歸 #1(典設郎の鄭某が施州から歸ったおりの感じをのべた詩。)

自分は気の毒におもっていたのだが、それは滎陽鄭氏の優秀な人物たる君が暑さを冒して初め他方へでかけていったとについてである。

名のある賢人は出処進退をつつしみ、みだりに旅に出ることはしないものである、

それに南の風俗のちがった遠方へ旅に出たのは.「屡ば空し」つまり貧窮に迫られての事であったというのだ。

夔州東川卜居図詳細 002
(訳注)

鄭典設自施州歸 #1

(典設郎の鄭某が施州から歸ったおりの感じをのべた詩。)大暦二年十月の作。

【1】    鄭典設 典設郎は東宮に属する官名であり、東宮に典設局があり、郎四人をおく。湯沐浴、灑掃、舗陣のことを擧る。杜甫同時期の作、七言律詩《巻十八63 江雨有懷鄭典設》「春雨闇闇塞峽中,早晚來自楚王宮。」がある。

【2】    施州歸 黔中道施州刺史の裴冕のところに面会に行って帰ってきた。杜甫 20-97 寄裴施州》「」767-4杜甫 20-97 寄裴施州》 杜甫詩index-15-767年大暦256-4 <1061 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6985

 

吾憐滎陽秀,冒暑初有適。

自分は気の毒におもっていたのだが、それは滎陽鄭氏の優秀な人物たる君が暑さを冒して初め他方へでかけていったとについてである。

【3】    滎陽 典設郎の鄭某は滎陽の地方の名族なり。滎陽は河南にある戦国時代に秦により滎陽県が設置された、古くからの縣名である。楚漢戦争で、滎陽の戦いがあったところ。

【4】    適 他の土地に行くこと。

 

名賢慎所出,不肯妄行役。

名のある賢人は出処進退をつつしみ、みだりに旅に出ることはしないものである、

 

旅茲殊俗遠,竟以屢空迫。

それに南の風俗のちがった遠方へ旅に出たのは.「屡ば空し」つまり貧窮に迫られての事であったというのだ。

【5】    旅茲 これによって旅に出る。

【6】    殊俗遠 風俗のちがった遠方。

【7】    屢空迫 米櫃にコメがないほどにの貧窮を言う。論語 子曰、囘也其庶乎、屡空、賜不受命而貨殖焉、億則屡中。」子曰わく、回や其れ庶【ちか】きか、屡々【しばしば】空し。賜は命を受けずして貨殖す。億れば則ち屡々中【あた】る。

 

 

 

【字解】

(1)  鄭典設 典設郎は東宮に属する官名であり、東宮に典設局があり、郎四人をおく。湯沐浴、灑掃、舗陣のことを擧る。杜甫同時期の作、七言律詩《巻十八63 江雨有懷鄭典設》「春雨闇闇塞峽中,早晚來自楚王宮。」がある。

(2)  施州歸 黔中道施州刺史の裴冕のところに面会に行って帰ってきた。杜甫 20-97 寄裴施州》767-4杜甫 20-97 寄裴施州》 杜甫詩index-15-767年大暦256-4 <1061 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6985

楚漢戦争で、滎陽の戦いがあったところ。

(3)  滎陽 典設郎の鄭某は滎陽の地方の名族なり。滎陽は河南にある戦国時代に秦により滎陽県が設置された、古くからの縣名である。

(4)  適 他の土地に行くこと。

(5)  旅茲 これによって旅に出る

(6)  殊俗遠 風俗のちがった遠方。

(7)  屢空迫 米櫃にコメがないほどにの貧窮を言う。論語 「子曰、囘也其庶乎、屡空、賜不受命而貨殖焉、億則屡中。」子曰わく、回や其れ庶【ちか】きか、屡々【しばしば】空し。賜は命を受けずして貨殖す。億れば則ち屡々中【あた】る。

767年-4杜甫 《20-97 寄裴施州》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-4 <1062> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6990

杜甫  寄裴施州 #2  

幾度寄書白鹽北,苦寒贈我青羔裘。霜雪回光避錦袖,龍蛇動篋蟠銀鉤。

紫衣使者辭復命,再拜故人謝佳政。將老已失子孫憂,後來況接才華盛。

かような人物である君が白塩崖の北に住む自分に幾たび手紙を寄せてくれたことか・また塞さがひどいといって自分に青遘羔の裘を贈ってくれた。この裘を着ると霜や雪も錦の袖を避けて、寒き光をひきかえさせるし、君の手紙の文字をみると篋なかに龍蛇が動き、銀の鈎が蟠っているようである。いま紫衣の使者が自分のところを辭して君の方へ返事をしにかえろうとする。それで自分は再拝の禮を以て故いなじみの人である君に、君の善政について感謝の意をのべる。君の様知己を得たからには自分は老いかかっても、もはや子孫の事は君にまかせられるから、之に対する心配はなくなったのである、それのみでなく将来には我が子孫たるものはさらに君の子孫の才華の盛んなるのと交接することができるであろう。

767-4杜甫 20-97 寄裴施州》 杜甫詩index-15-767年大暦256-4 <1062 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6990

 

 
  2015年11月29日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
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李白279-#2 《卷23-04擬古,十二首之一》 279-#2 Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <李白279-#2 > Ⅰ李白詩1688 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6988  
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韓愈108-#1《 巻七21譴瘧鬼》 #1 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1601> Ⅱ#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6989  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
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  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-4#2杜甫 《20-97 寄裴施州》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-4 <1062> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6990  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 12孫光憲《巻七42浣溪沙九首其五》『花間集』344全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6992  
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杜甫詩

1500-1062-1550-#2/2500 

 

夔州の西または東の瀼に言及したものは、四庫全書(電子版)の範囲内では『水経注』が最初である。巻三三に「白帝山城は周迴二百八十歩、北は馬嶺に縁()り、赤岬山に接し、其の間の平処は、南北相去ること八十五丈、東西七十丈。又東は東瀼渓に傍()い、即ち以て隍と為す」とあり、この東瀼渓が今の梅渓河ではなく草堂河を指すことは、馬嶺、赤岬山、白帝城、白鹽山との位置関係から明らかである。その東瀼渓が白帝城の「隍」すなわち水の無い城濠の役割を果たすと言っているのは、冬場に水位が下がったときのことである。

 唐以前の詩及び全唐詩で、地理に関する名詞として瀼の字が使われているのは十六首あるが、そのうち杜甫が十三例を占め、あとは中唐の劉禹錫の竹枝詞に「瀼西春水縠紋生」とあるのが一例、九江のことを述べた盛唐の元結が二例あるに過ぎない。つまり夔州の草堂河を詩の中に歌ったのは杜甫が最初で、しかもそのほとんどが杜甫で、瀼は杜甫の詩と強く結びついているということである。浣花(渓)が成都草堂時代を代表する詩語だったように、瀼は杜甫の夔州詩を代表する一つの言葉だと言ってよい。

 草堂河(東瀼水)両岸の地区を杜甫は瀼東、瀼西という言い方をしている。夔州に着いてまもないころの詩《1527_夔州歌十絶句》其五で、

  瀼東瀼西一萬家、 瀼東と瀼西は 一万家

  江北江南春冬花。 江の北と江の南は 春も冬も花あり

と詠じ、草堂河の東岸、西岸に広がる民家が一万戸と述べている。『新唐書』巻四十、地理志によれば、夔州は奉節、雲安、巫山、大昌の四県全体で、戸数は一万五千六百二十、人口は七万五千(『通典』や『太平寰宇記』の記述も大同小異)である。これからすると草堂河両岸だけで民家一万戸というのは、多すぎるかもしれない。だが句作りの関係から誇張されている分を差し引いたとしても、この地区の人口が相当多かったことを、杜甫は驚きつつ詩の中で詠じているのである。

 次の《1852_江雨に鄭典設を懐う有り》の詩は大暦二年、瀼西に引っ越してきたころの作だが、草堂河両岸に対して西東という言い方もしている。

  谷口子真正憶汝、 谷口の子真たるきみよ われは正に汝を憶(おも)

  岸高瀼滑限西東。 岸は高く 瀼は滑(なめ)らかにして 西と東とを限(へだ)

詩の中で杜甫は、鄭典設を漢代の清浄な隠者の鄭子真(長安の谷口の人)とみなしている。雨で草堂河がみなぎり、瀼西にいる杜甫は瀼東に住む鄭子真と隔てられたように感じているのである。下句の「瀼は滑らか」の部分は、王洙本他のテキストに「瀼は闊(ひろ)く」と作る異文が伝わる。趙次公注本は、本文をわざわざその異文の方に改めているが、それだといっそう対岸との隔絶感が強まる(戊帙巻之一)。

 対岸の瀼東地区は他の詩にも描かれている。瀼東の背後には、白塩山(今の赤甲山)が衝立のように立ちふさがっていた。瀼西に引っ越す前に作った《1553_白塩山》の詩では、瀼東地区には千戸の民家があったと述べている。

  白牓千家邑、 白き牓(たてふだ)のごときやまには 千家の邑(むら)

  清秋萬估船。 清秋に 万(よろず)の估(あきんど)の船

もちろんこの千戸は実数ではないが、戸数が比較的多いことがわかる。増水期の秋、草堂河には様々な商人の船が碇泊している。草堂河を挟んだ瀼西区と瀼東区は唐代は栄えており人家が多かったので、増水期には船の往来が少なくなかったようである。明の王嗣奭が「(白塩)山を繞りて上り、千家、邑を成す。積水の中、万の估の船来たる。又た蜀中の一都会なり」(曹樹銘『杜臆増校』巻十一)と解するように杜甫の当時はそれなりににぎやかだった。その繁華さの背景には、長江を通じて長江の上流域と下流域、蜀と呉の盛んな物資の流通があり、夔州がその中間に位置していたからであろう。夔州の特徴を風物詩風に連作詩で詠じた《1527_夔州歌十絶句》の其七で、杜甫はそのことを、

  蜀麻呉鹽自古通、 蜀の麻と呉の塩は古(いにしえ)自り通じ

  萬斛之舟行若風。 万斛の舟は行くこと風の若し

と詠じている。

 狭い地にこれだけ戸数が多いと、民家はおのずと山の上まで続かざるを得ない。そのことを《1527_夔州歌十絶句》其四(大暦元年夏)で、

  赤甲白鹽倶刺天、 赤甲と白塩は 倶に天を刺し

  閭閻繚繞接山巓。 閭閻は繚(めぐ)り繞(めぐ)りて 山の巓(いただき)に接す

と詠じる。仇兆鰲が「居する人の密なるを言う」と注するように、瀼西の赤甲山も瀼東の白塩山もその斜面には、集落が山の高いところまでくねくねと続いていることを詠じている。

 瀼西だけに限らないだろうが、そういう住まいの様子が杜甫にはよほど珍しかったのだろう、その後も詩の中で二度言及している。《1549_贈李十五丈別》(大暦元年秋)の詩では、重なる山々の頂上に貼りつくように家がある様子を、鳥獣の住みかのようだと述べている。

  峽人鳥獸居、 峡の人は 鳥獣のごとく居り

  其室附層顛。 其の室は 層なす顛(いただき)に附す

  下臨不測江、 下は不測の江に臨み

  中有萬里船。 中には万里よりきたる船有り

さらに《1536_雨二首》其一になると、もっとはっきりまるで樹上に巣を作る鳥のような住居をしていると詠じている。

  殊俗狀巢居、 ここの殊俗は 巣居を状(かたど)

  層臺俯風渚。 層台より 風ふく渚を俯()

実は以前にも、山地の民が斜面に柱を立てかけて住む様子を、巣居のような住みかたをしていると感じたことがある。六年前、秦州から成都入りする途中で険しい五盤嶺を詠じた《0906_五盤》の詩に「野人は半ばは巣居す」と詠じるのがそれである。

 また瀼西宅の南面、つまり対岸の瀼東には白塩山が高くたちはだかっていたことは、先に述べたとおりだが、瀼西宅の北側が赤甲山の東側の山麓にあたることは、《2008_瀼西の荊扉(あばらや)()り、且(しばら)く東屯の茅屋に移居す、四首》其一に、

  白鹽危嶠北、 ここは白塩の危嶠(キキョウ)の北の

  赤甲古城東。 赤甲やまの古城の東なり

とあることからもわかる''。さらに、その赤甲山に続く西側は険しい崖になっていた。そのことは、《1907_課伐木》(大暦二年夏)の詩に、

  虎穴連里閭、 虎の穴は 里閭(むらざと)に連なり

  隄防舊風俗。 隄防(テイボウ)するは 旧風俗なり

  泊舟滄江岸、 舟を泊す 滄江の岸

  久客慎所觸。 久しき客のわれは (虎の)触るる所を慎しむ

  舍西崖嶠壯、 舎の西は 崖嶠(ガイキョウ) 壮なり

  雷雨蔚含蓄。 雷雨には 蔚として含蓄す

とあり、草木がこんもり茂って雷雨の時には、虎や何かが隠れていそうな場所として描かれている。

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

年:767年大暦256-4

卷別:    卷二二一              文體:    七言古詩

詩題:    寄裴施州

【裴冕坐李輔國貶施州刺史。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              施州 (黔中道 施州 施州)    

白鹽山 (山南東道 夔州 夔州) 別名:白帝城鹽山        

交遊人物/地點:裴冕          書信往來(黔中道 施州 施州)

 

 

寄裴施州

(施州の刺史裴冕が手紙と裘とを贈ってくれたについて之に寄せた詩。)

【裴冕坐李輔國貶施州刺史。】

【裴冕は、この時まで、程元振によるクーデターにより失脚、李輔國の一党に組して言ことから宰相から施州刺史に貶せられていた。】

廊廟之具裴施州,宿昔一逢無此流。

廟堂に立って政治をなすべき器である裴冕施州刺史、むかし君と一度出遭たことがあるが君の様なたぐいのものは今まで出会ったことは無かつた。

金鐘大鏞在東序,冰壺玉衡懸清秋。

君という人物をたとえてみれば、金鐘や大鏞が東序に置かれてあるごとく、また玉壺の氷や玉衝が清んだ秋の空に懸っているごときものである。

自從相遇感多病,三為客寬邊愁。

君と出会ってからは自分の持病も減じ、あれから三年、旅客となっているが、君からの手紙で片田舎に居る愁もくつろいだ感がある。

堯有四岳明至理,漢二千石真分憂。

むかし三皇五帝の堯の時に四岳といふ諸侯の取りしまり役があって無上の治安を明かにし、漢の時代には禄二千石の地方長官があって真に天子の憂いを分擔したというが、君はその四岳・良二千石の様なものである。

#2

幾度寄書白鹽北,苦寒贈我青羔裘。

かような人物である君が白塩崖の北に住む自分に幾たび手紙を寄せてくれたことか・また塞さがひどいといって自分に青遘羔の裘を贈ってくれた。

霜雪回光避錦袖,龍蛇動篋蟠銀鉤。

この裘を着ると霜や雪も錦の袖を避けて、寒き光をひきかえさせるし、君の手紙の文字をみると篋なかに龍蛇が動き、銀の鈎が蟠っているようである。

紫衣使者辭復命,再拜故人謝佳政。

いま紫衣の使者が自分のところを辭して君の方へ返事をしにかえろうとする。それで自分は再拝の禮を以て故いなじみの人である君に、君の善政について感謝の意をのべる。

將老已失子孫憂,後來況接才華盛。

君の様知己を得たからには自分は老いかかっても、もはや子孫の事は君にまかせられるから、之に対する心配はなくなったのである、それのみでなく将来には我が子孫たるものはさらに君の子孫の才華の盛んなるのと交接することができるであろう。

裴施州に寄す)

【裴冕は李輔國に坐して施州刺史に貶せらる。】

廊廟の具 裴施州,宿昔 一たび逢いしに 此流無かりき。

金鐘 大鏞 東序に在り,冰壺 玉衡 清秋に懸る。

相い遇しより 多病感じ,三 客と為りて 邊愁寬なり。

堯には四岳有りて 至理を明らかにす,漢の二千石は真に憂を分てり。

#2

幾度か書を寄す 白鹽の北,苦寒 我に贈る青羔裘。

霜雪 光を回して錦袖を避く,龍蛇 篋に動きて銀鉤 蟠る。

紫衣の使者 辭して復命せんとす,再拜して 故人に佳政を謝す。

將に老いむとして 已に失う 子孫の憂,後來 況んや才華の盛なるに接せんとす。

唐時代 地図山南 東・西道50 

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杜甫  寄裴施州 #1

【裴冕坐李輔國貶施州刺史。】

廊廟之具裴施州,宿昔一逢無此流。金鐘大鏞在東序,冰壺玉衡懸清秋。

自從相遇感多病,三為客寬邊愁。堯有四岳明至理,漢二千石真分憂。

(施州の刺史裴冕が手紙と裘とを贈ってくれたについて之に寄せた詩。)

【裴冕は、この時まで、程元振によるクーデターにより失脚、李輔國の一党に組して言ことから宰相から施州刺史に貶せられていた。】

廟堂に立って政治をなすべき器である裴冕施州刺史、むかし君と一度出遭たことがあるが君の様なたぐいのものは今まで出会ったことは無かつた。君という人物をたとえてみれば、金鐘や大鏞が東序に置かれてあるごとく、また玉壺の氷や玉衝が清んだ秋の空に懸っているごときものである。君と出会ってからは自分の持病も減じ、あれから三年、旅客となっているが、君からの手紙で片田舎に居る愁もくつろいだ感がある。むかし三皇五帝の堯の時に四岳といふ諸侯の取りしまり役があって無上の治安を明かにし、漢の時代には禄二千石の地方長官があって真に天子の憂いを分擔したというが、君はその四岳・良二千石の様なものである。

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 杜甫詩1500-1061-1550-#1/2500

年:767年大暦256-4

卷別:    卷二二一              文體:    七言古詩

詩題:    寄裴施州

【裴冕坐李輔國貶施州刺史。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              施州 (黔中道 施州 施州)    (下地図J-2)

白鹽山 (山南東道 夔州 夔州) 別名:白帝城鹽山        

交遊人物/地點:裴冕          書信往來(黔中道 施州 施州)

 

 

寄裴施州

(施州の刺史裴冕が手紙と裘とを贈ってくれたについて之に寄せた詩。)

【裴冕坐李輔國貶施州刺史。】

【裴冕は、この時まで、程元振によるクーデターにより失脚、李輔國の一党に組して言ことから宰相から施州刺史に貶せられていた。】

廊廟之具裴施州,宿昔一逢無此流。

廟堂に立って政治をなすべき器である裴冕施州刺史、むかし君と一度出遭たことがあるが君の様なたぐいのものは今まで出会ったことは無かつた。

金鐘大鏞在東序,冰壺玉衡懸清秋。

君という人物をたとえてみれば、金鐘や大鏞が東序に置かれてあるごとく、また玉壺の氷や玉衝が清んだ秋の空に懸っているごときものである。

自從相遇感多病,三為客寬邊愁。

君と出会ってからは自分の持病も減じ、あれから三年、旅客となっているが、君からの手紙で片田舎に居る愁もくつろいだ感がある。

堯有四岳明至理,漢二千石真分憂。

むかし三皇五帝の堯の時に四岳といふ諸侯の取りしまり役があって無上の治安を明かにし、漢の時代には禄二千石の地方長官があって真に天子の憂いを分擔したというが、君はその四岳・良二千石の様なものである。

#2

幾度寄書白鹽北,苦寒贈我青羔裘。

霜雪回光避錦袖,龍蛇動篋蟠銀鉤。

紫衣使者辭復命,再拜故人謝佳政。

將老已失子孫憂,後來況接才華盛。

 

裴施州に寄す)

【裴冕は李輔國に坐して施州刺史に貶せらる。】

廊廟の具 裴施州,宿昔 一たび逢いしに 此流無かりき。

金鐘 大鏞 東序に在り,冰壺 玉衡 清秋に懸る。

相い遇しより 多病感じ,三 客と為りて 邊愁寬なり。

堯には四岳有りて 至理を明らかにす,漢の二千石は真に憂を分てり。

#2

幾度か書を寄す 白鹽の北,苦寒 我に贈る青羔裘。

霜雪 光を回して錦袖を避く,龍蛇 篋に動きて銀鉤 蟠る。

紫衣の使者 辭して復命せんとす,再拜して 故人に佳政を謝す。

將に老いむとして 已に失う 子孫の憂,後來 況んや才華の盛なるに接せんとす。


唐時代 地図山南 東・西道50 

『寄裴施州』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

寄裴施州

【裴冕坐李輔國貶施州刺史。】

廊廟之具裴施州,宿昔一逢無此流。

金鐘大鏞在東序,冰壺玉衡懸清秋。

自從相遇感多病,三為客寬邊愁。

堯有四岳明至理,漢二千石真分憂。
詩文(含異文)     廊廟之具裴施州,宿昔一逢無此流【宿昔一逢無比流】。金鐘大鏞在東序,冰壺玉衡懸清秋【冰壺玉珩懸清秋】。自從相遇感多病【自從相遇減多病】,三為客寬邊愁。堯有四岳明至理,漢二千石真分憂。


(下し文)

裴施州に寄す)

【裴冕は李輔國に坐して施州刺史に貶せらる。】

廊廟の具 裴施州,宿昔 一たび逢いしに 此流無かりき。

金鐘 大鏞 東序に在り,冰壺 玉衡 清秋に懸る。

相い遇しより 多病感じ,三 客と為りて 邊愁寬なり。

堯には四岳有りて 至理を明らかにす,漢の二千石は真に憂を分てり。

(現代語訳)
(施州の刺史裴冕が手紙と裘とを贈ってくれたについて之に寄せた詩。)

【裴冕は、この時まで、程元振によるクーデターにより失脚、李輔國の一党に組して言ことから宰相から施州刺史に貶せられていた。】

廟堂に立って政治をなすべき器である裴冕施州刺史、むかし君と一度出遭たことがあるが君の様なたぐいのものは今まで出会ったことは無かつた。

君という人物をたとえてみれば、金鐘や大鏞が東序に置かれてあるごとく、また玉壺の氷や玉衝が清んだ秋の空に懸っているごときものである。

君と出会ってからは自分の持病も減じ、あれから三年、旅客となっているが、君からの手紙で片田舎に居る愁もくつろいだ感がある。

むかし三皇五帝の堯の時に四岳といふ諸侯の取りしまり役があって無上の治安を明かにし、漢の時代には禄二千石の地方長官があって真に天子の憂いを分擔したというが、君はその四岳・良二千石の様なものである。


(訳注) #1

寄裴施州

(施州の刺史裴冕が手紙と裘とを贈ってくれたについて之に寄せた詩。)大暦二年の作。

  施州 (黔中道 施州 施州)    (上地図J-2)

【裴冕坐李輔國貶施州刺史。】

【裴冕は、この時まで、程元振によるクーデターにより失脚、李輔國の一党に組して言ことから宰相から施州刺史に貶せられていた。】

1】裴冕  人名。河東の人。字は章甫。蔭によって渭南尉になり、殿中侍御使となる。玄宗が入蜀すると御史中丞となり、粛宗に従って霊武に至り、尚書右僕射に昇進する。両京回復の時に冀国公に封じられた。後に罪を得て施州刺史に左遷される。代宗の時、復帰して左僕射、同中書門下平章事を授けられた。杜甫は成都紀行《巻九11鹿頭山》「冀公柱石姿,論道邦國活。斯人亦何幸、公鎮踰歳月。」(冀公柱石の姿、道を論じて邦国活く。斯の人亦た何ぞ幸ひなる、公の鎮して歳月を踰ゆ。)冀国公の裴冕殿は国家の柱石、道理を語って、国は平和に治められる。この土地の人々は、何と幸いなことか。あなたがここを治めて、もう一年余りにもなるのだ。杜甫が成都到着を目前にして作った「鹿頭山」詩の末尾に裴冕への讃辞を書き綴るのは、杜甫が裴冕の動向を正確に把握していたことを示すものである。”成都紀行(11)”  鹿頭山 杜甫詩1000 <351>#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1703 杜甫1500- 525

 

裴冕(703年-770年),字章甫,河中河(今山西永)人,唐朝宰相。

裴冕出身于河裴氏眷房任渭南尉、察御史、河西行。安史之乱,因参与立唐宗,授侍郎、同平章事,后罢为右仆射,两京收复后封冀国公。

 

唐代宗年,裴冕任施州刺史、澧州刺史、左射,并加集院待。大四年(769年),裴冕被元载举宰相,加同平章事,并兼都留守。同年十二月病逝,67,追太尉。元和四年(809年),配享庭。

 

裴冕は成都尹で剣南西川節度使を兼ねていた。その引きがあって杜甫は、秦州から同谷を経て成都に入って浣花渓に草堂を建てることができた。裴冕は玄宗の時に王と結託し、晩年代宗のときにはまた李輔国と李元載に取入るという、手段をえらばず、ただ自分の出世のみを求めたたちの官僚で、また馬嵬事変後に六度も上奏して粛宗を皇帝の位に即くよう推戴した人物である。広い意味ではまさに房琯およびその友人たちの反対党であった。

 

 

2】李輔国(李輔國、り ほこく、704 - 762年)は唐代粛宗の時代に専権をふるった宦官。本名は静忠、後に護国と賜名され、更に輔国と改名している。

元来は宦官である高力士の僕役として宮廷に入り、40歳以降になり閒を掌握、後に太子李亨に入侍した。安史の乱の際に玄宗が蜀に逃亡した際、李静忠は太子に随い馬嵬駅(現在の陝西省興平)へと逃れ、太子に対し楊国忠の殺害を進言し、唐朝の復興に尽力した。太子が霊武(現在の寧夏回族自治区霊武)で即位すると、李静忠はその功績から元帥府行軍司馬に任じられ兵権を掌握、そして名も輔国と改めた。

安史の乱が終結し粛宗に随い長安に戻った李輔国は郕国公に封じられる。この時期李輔国は察事庁子を設置し、官人の活動を監視するようになった。まもなく玄宗が長安に戻り太上皇となったが、玄宗復位を恐れた李輔国は玄宗に対し西内太極宮に移ることを迫り、また玄宗が親信していた高力士らを免官にしている。

宝応元年(762年)、玄宗が崩御すると、粛宗もまた病床につくこととなる。この事態に張皇后は、太子の李豫(代宗)の殺害と越王李係の擁立を画策する。これに対し李輔国は、太子豫を即位させ、張皇后と李係を殺害する。このようにして権力基盤を不動にした李輔国は、その言動に傲慢さが表れ、これが代宗の不興を買い、禁軍の一部を掌握した程元振によるクーデターにより失脚、後に刺客により殺害されている。

 

 

廊廟之具裴施州,宿昔一逢無此流。

廟堂に立って政治をなすべき器である裴冕施州刺史、むかし君と一度出遭たことがあるが君の様なたぐいのものは今まで出会ったことは無かつた。

3】 廊廟之具 廟堂、ちょうていにおいてだいせいじかであるというこを「器」の意。

4】比流 比倫、類流、ならべられる人をいう。此流はこの類の意。

 

金鐘大鏞在東序,冰壺玉衡懸清秋。

君という人物をたとえてみれば、金鐘や大鏞が東序に置かれてあるごとく、また玉壺の氷や玉衝が清んだ秋の空に懸っているごときものである。

5】大鏞 鏞は大鐘、鐘鏞は器宇の貴重なるに比す。

6】在東序 東序は堂の東にあたる細長き室をいう。西にも西序あり、東序と西序とが堂を中に爽むことで之を爽室革ともいう。「尚書」顧命に、「天球河圖、財東序」とつかう語あり。金鐘大鏞は廊廟の具である。

7】泳壷 氷を入れた玉のつぼ。

8玉衡 玉にて作りし衝、玉衡は「尚書」舜典に見える。衡は天体観測の器にしてレンズ無き望遠鏡のような類のものである。蔡邕が言う、「玉衝は長さ八尺、孔徑一寸、下端より之を望み以て星辰をみる。」、と。

9】懸清秋 秋にあたりて空高くかかる。

 

自從相遇感多病,三為客寬邊愁。

君と出会ってからは自分の持病も減じ、あれから三年、旅客となっているが、君からの手紙で片田舎に居る愁もくつろいだ感がある。

10】三為客 杜甫、7645年永泰元年ごろ始めて逢っている。三歳は永泰元年より、大暦二年まで。

11寬邊愁 南の辺境に居する愁いの心がくつろぐ。

 

堯有四岳明至理,漢二千石真分憂。

むかし三皇五帝の堯の時に四岳といふ諸侯の取りしまり役があって無上の治安を明かにし、漢の時代には禄二千石の地方長官があって真に天子の憂いを分擔したというが、君はその四岳・良二千石の様なものである。

12】四岳 東西南北、東の泰山、西の華山、南の衡山、北の恒山。古代中国で、四方の諸侯を統率した官。「尚書」舜典にみえる。

13】至理 理は治。

14】漢二千石 二千石は郡の長官をいう。表面の俸禄二千石を賜る。漢の宣帝曰く、「我と治を共にする者は唯だ良二千石か」と。

15】分憂 天子の憂いを分擔したことをいう。 

767年-3杜甫 《20-96 自平》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-3 <1060> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6980

杜甫  自平

自平宮中呂太一,收珠南海千餘日。近供生犀翡翠稀,復恐征戎干戈密。

蠻溪豪族小動搖,世封刺史非時朝。蓬萊殿前諸主將,才如伏波不得驕。

(官官が廣東附近の蛮人に兵を用いんとするを戒めた詩。)

中央朝廷では宦官呂太一の乱を763年平げてから三年ばかり、南海の地方から眞珠を手に入れた。ところが近頃は南海から犀や真珠で供献することが稀である。それで自分はまた南方へむけて征伐がひきつづき行はれはせぬかと恐れるのである。我が唐の國初に於いては帰順の渓蛮を世襲の刺史に二任じ時をきめずに入朝させるという風に之を優遇してあるのだ。いま渓蛮の豪族がすこし動揺しはじめたとのことだ。してみれば大明宮をお守りする主将たちよ、おまえたちは、たとい伏波将軍の様な才能があったとしでも驕慢になってはならぬはすだ。気をつけなければいけない。

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  杜甫詩1500-1060-1549/2500

年:767年大256-3

卷別:    卷二二○              文體:    七言古詩

詩題:    自平

作地點:              目前尚無資料

及地點:              大明宮 (京畿道 京兆府 長安) 別名:永安宮、蓬萊宮、含元殿、蓬萊殿  

 

 

自平

(官官が廣東附近の蛮人に兵を用いんとするを戒めた詩。)

自平宮中呂太一,收珠南海千餘日。

中央朝廷では宦官呂太一の乱を763年平げてから三年ばかり、南海の地方から眞珠を手に入れた。

近供生犀翡翠稀,復恐征戎干戈密。

ところが近頃は南海から犀や真珠で供献することが稀である。それで自分はまた南方へむけて征伐がひきつづき行はれはせぬかと恐れるのである。

蠻溪豪族小動搖,世封刺史非時朝。

我が唐の國初に於いては帰順の渓蛮を世襲の刺史に二任じ時をきめずに入朝させるという風に之を優遇してあるのだ。いま渓蛮の豪族がすこし動揺しはじめたとのことだ。

蓬萊殿前諸主將,才如伏波不得驕。

してみれば大明宮をお守りする主将たちよ、おまえたちは、たとい伏波将軍の様な才能があったとしでも驕慢になってはならぬはすだ。気をつけなければいけない。

 

(自平)

宮中呂太一を平げしより,珠を南海に收むること千餘日。

近ごろ生犀 翡翠を供すること稀なり,復た恐る征戎干戈の密ならんことを。

蠻溪の豪族小しく動搖す,世封の刺史非時に朝せしむ。

蓬萊殿前の諸主將,才は伏波の如くなりとも驕ることを得ず。

大明宮-座標02 

『自平』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

自平

自平宮中呂太一,收珠南海千餘日。

近供生犀翡翠稀,復恐征戎干戈密。

蠻溪豪族小動搖,世封刺史非時朝。

蓬萊殿前諸主將,才如伏波不得驕。
詩文(含異文)

自平宮中呂太一【自平中宮呂太一】【自平中官呂太一】【案:中使呂太乙為市舶使,矯詔募兵作亂。】,收珠南海千餘日。

近供生犀翡翠稀,復恐征戎干戈密【復恐征戍干戈密】。

蠻溪豪族小動搖【蠻溪豪族山動搖】,世封刺史非時朝【世封刺史非常朝】。

蓬萊殿前諸主將【蓬萊殿裡諸主將】,才如伏波不得驕。


(下し文)
(自平)

宮中呂太一を平げしより,珠を南海に收むること千餘日。

近ごろ生犀 翡翠を供すること稀なり,復た恐る征戎干戈の密ならんことを。

蠻溪の豪族小しく動搖す,世封の刺史非時に朝せしむ。

蓬萊殿前の諸主將,才は伏波の如くなりとも驕ることを得ず。

(現代語訳)
(官官が廣東附近の蛮人に兵を用いんとするを戒めた詩。)

中央朝廷では宦官呂太一の乱を763年平げてから三年ばかり、南海の地方から眞珠を手に入れた。

ところが近頃は南海から犀や真珠で供献することが稀である。それで自分はまた南方へむけて征伐がひきつづき行はれはせぬかと恐れるのである。

我が唐の國初に於いては帰順の渓蛮を世襲の刺史に二任じ時をきめずに入朝させるという風に之を優遇してあるのだ。いま渓蛮の豪族がすこし動揺しはじめたとのことだ。

してみれば大明宮をお守りする主将たちよ、おまえたちは、たとい伏波将軍の様な才能があったとしでも驕慢になってはならぬはすだ。気をつけなければいけない。


(訳注)

自平

(官官が廣東附近の蛮人に兵を用いんとするを戒めた詩。)

 

自平宮中呂太一,收珠南海千餘日。

中央朝廷では宦官呂太一の乱を平げてから三年ばかり、南海の地方から眞珠を手に入れた。

【一】  宮中 宦官。

【二】  呂太一 宦官の姓名、《舊唐書代宗紀》「廣徳元年十二月、宦官市舶使呂太一廣南節度使張休、縱下大掠廣州。」(廣徳元年十二月、宦官市舶使呂太一廣南節度使張休を遂いひ、兵を縦って大に廣州な掠む)と。《韋倫傳》:代宗即位,中官呂太一於嶺南矯詔募兵為亂。《通鑑》に「云ふ、張休、城を棄てて端州に走る、太一兵か縦って焚掠す。官軍討って之を平ぐ」、と。

【三】  收珠南海 珠は眞珠、收とは中央へとりいれること。南海に廣東。

【四】  千餘日 太一の乱の平定に廣徳二年に在るべく、それより大暦二年までにて三年、即ち千余日となる。

 

近供生犀翡翠稀,復恐征戎干戈密。

ところが近頃は南海から犀や真珠で供献することが稀である。それで自分はまた南方へむけて征伐がひきつづき行はれはせぬかと恐れるのである。

【五】  供 朝廷へ供献すること。

【六】  生犀 いきた犀をいうものである。

【七】  翡翠 鳥り名。

【八】  干戈密 密とは相接するをいう。

 

蠻溪豪族小動搖,世封刺史非時朝。

我が唐の國初に於いては帰順の渓蛮を世襲の刺史に二任じ時をきめずに入朝させるという風に之を優遇してあるのだ。いま渓蛮の豪族がすこし動揺しはじめたとのことだ。

【九】  蠻溪豪族 廣東近地の渓居の蛮人の豪族。

【十】  小動揺 さわざかける。大暦二年九月、桂州の山獠、州城か陥れ、刺史李良遮れ去る、故に小しく動揺すといふ。

【十一】            世封刺史非時朝 唐の太宗の時、渓洞の蛮酋の歸順せし者は皆世世刺史か授く。これ世封刺史なり、非時朝とは彼等の朝貢には常期を以て責めざるをいう。いつにても都合のよき時に入朝せしむるなり。

 

蓬萊殿前諸主將,才如伏波不得驕。

してみれば大明宮をお守りする主将たちよ、おまえたちは、たとい伏波将軍の様な才能があったとしでも驕慢になってはならぬはすだ。気をつけなければいけない。

【十二】 蓬莱 蓬莱宮闕 蓬莱宮の門閥をいう。蓬莱宮は大明宮の別称である、「雍録」にいう、丹鳳門よりして北すれば含元殿あり、又北すれば宜政殿あり、又北すれば紫宸殿あり、三殿南北相い沓す、皆、山上に在り、紫宸殿に至り又北して蓬莱となれば山勢尽く、と。蓬莱宮は竜首岡に在りて地勢が最も高い。「唐会要」にいう、宮、北は高原に拠り、南は爽壇を望む、天晴れ日朗なる毎に南、終南山を望めば掌に指すが如く、京城の坊市街陌、檻内に在るが如し、と。其の眺望を想像することができよう。杜甫《秋興八首第五》「蓬萊宮闕對南山,承露金莖霄漢間。」(蓬莱の宮闕 南山に対し、承露の金茎 霄漢の間。蓬莱宮の宮門は、終南山を正面南に対している。それから承露盤の銅柱がおおぞら天のがわの間にまで高くそびえていたのである。

【十三】 殿前諸主將 定着にして禁革む掌るものかさす。

【十四】 伏波 後漢の馬援、伏波将軍に拝しし、曾て交趾を平らぐ。後ち五渓の蛮を征し壷頭の困みあり。以て戒とすべきをいう。

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杜甫  寄韓諫議 #3

昔隨劉氏定長安,帷幄未改神慘傷。國家成敗吾豈敢,色難腥腐餐風香。

周南留滯古所惜,南極老人應壽昌。美人胡為隔秋水,焉得置之貢玉堂。

かつて君は劉氏のあとについて長安を平定した。しかるに祖先伝来不易の謀略をもちながらなにか心中におもしろくなく感じた事があった。それが国家成敗の大事にはじぶんごときものがどうして手が出せようかといって退いてしまい、とても腥腐のなまぐさ肉は喰えぬという顔つきでいまは去って楓香をたべものにしている。じぶんも昔の司馬談の様に南方に滞留している、なにもせずにこうして、毎日をくらすことは昔から人に惜まれる所である、こうしたおり、君はまた南極老人星の如く南天にあらわれて壽昌の星占に応じておられる。どうして美人である君は、自分とこの秋水をへだてているのであろうか。どうにかして君を天子に貢献して君を中央朝廷の玉堂のうえに置いてやりたいものだとおもうのである。

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杜甫詩1500-1059-1548-#3/2500

年:767年大暦256-2

卷別:    卷二二○              文體:    七言古詩

詩題:    寄韓諫議

【舊本有注字,一云注乃汯之誤。韓休之子汯,上元中為諫議大夫。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:岳陽樓 (江南西道 岳州 岳州) 別名:岳陽城  

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭    

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京師、中京、京城、上都、京畿、西都

玉堂殿 (京畿道 京兆府 長安)          

交遊人物/地點:韓汯          書信往來(河東道 晉州(晋州) 岳陽)

 

寄韓諫議 【舊本有注字,一云注乃汯之誤。韓休之子汯,上元中為諫議大夫。】#1

(諌議大夫韓注に寄せた詩。) 【旧本には、注意書きがあり、即ち韓注は汯之の誤りである。そうであれば、韓休の子、韓汯であり,上元年間において諫議大夫を為している。韓注は朝廷内で呼び合っていた時の名ではなかろうか。】 #1

今我不樂思岳陽,身欲奮飛病在床。

自分はいま愉快な気持ちでないままに、君のいる岳陽のことをおもっている、奮うて飛んでゆこうとおもうけれど、持病が再発して寝床でふせっております。

美人娟娟隔秋水,濯足洞庭望八荒。

その地は、瀟湘八景に、娥皇女英のうつくしい美人が秋水をへだてで遠方におり、洞庭の水に足を濯うて瀟湘八景のあらなみをながめていたいものである。

鴻飛冥冥日月白,青楓葉赤天雨霜。

洞庭湖には、太陽と月がかがやいているというのに、鴻は、暗がりにとんでいれば害を避けれると行動するという、(まめに書簡を出さず申し訳ない)、それに、楓は葉が赤くそまり、天霜が、夜露をふらす時節である。(これから冬を迎えると、持病と、三峡を下る船が危険なので出発が遅れる)』 

#2

玉京群帝集北斗,或騎騏驎翳鳳皇。

いま天上の玉京では群仙が北斗星の神のところに集まってくる時期であるから、位高さ者は鸞に乗じ、次は麒麟に乗じ、次は龍に乗ずということで、鳳凰にのって鳳凰の翅が虚空をおおって、どんよりと鉛色の空になってくらくするばかりである。

芙蓉旌旗煙霧樂,影動倒景搖瀟湘。

そうした空模様の中、芙蓉の旗が煙霧の中で、楽しそうにひらめいていて、その旗影は天上に倒映倒景して動いていて、おなじように、瀟湘の旗もゆらめいている。

星宮之君醉瓊漿,羽人稀少不在旁。

天上、星界の諸仙人は、それぞれ瓊漿の水を飲み酔うてしまい、それでも、飛仙たちは、一向に少人数であっても北斗の神のそばには寄ろうとはしない。

似聞昨者赤松子,恐是漢代韓張良。

聞けば前年、君は赤松子というべき師匠の後を追って朝廷を去ったということであるが、君は、やっぱり、赤松子の弟子であった韓の張良というべき人物であったのである。

#3

昔隨劉氏定長安,帷幄未改神慘傷。

かつて君は劉氏のあとについて長安を平定した。しかるに祖先伝来不易の謀略をもちながらなにか心中におもしろくなく感じた事があった。

國家成敗吾豈敢,色難腥腐餐風香。

それが国家成敗の大事にはじぶんごときものがどうして手が出せようかといって退いてしまい、とても腥腐のなまぐさ肉は喰えぬという顔つきでいまは去って楓香をたべものにしている。

周南留滯古所惜,南極老人應壽昌。

じぶんも昔の司馬談の様に南方に滞留している、なにもせずにこうして、毎日をくらすことは昔から人に惜まれる所である、こうしたおり、君はまた南極老人星の如く南天にあらわれて壽昌の星占に応じておられる。

美人胡為隔秋水,焉得置之貢玉堂。

どうして美人である君は、自分とこの秋水をへだてているのであろうか。どうにかして君を天子に貢献して君を中央朝廷の玉堂のうえに置いてやりたいものだとおもうのである。

(韓諫議に寄す) #1

今 我 樂しまず 岳陽を思う,身 奮飛せんと欲すれども 病みて床に在り。

美人 娟娟 秋水を隔ち,足を洞庭に濯い 八荒を望む。

鴻飛 冥冥 日月白し,青楓 葉赤く 天 霜を雨【ふら】す。
#2

玉京 群帝 北斗に集,或いは 騏驎に騎り 鳳皇翳し。

芙蓉の旌旗 煙霧に樂し,景倒 影に動きて 瀟湘に搖ぐ。

星宮の君 瓊漿に醉い,羽人 稀少 旁に在らず。

聞くに似たれば 昨者【むかし】の赤松子なり,恐らく是は 漢代の韓の張良ならん。

#3

昔 劉氏に隨って 長安に定まる,帷幄 未だ改まらず 神慘 傷す。

國家の成敗 吾豈に敢えてせんや,色 腥腐を難【はばか】りて 風香を餐す。

周南に留滯するは 古より惜む所,南極の老人 壽昌に應ず。

美人 胡為【なんすれ】ぞ 秋水を隔ち,焉ぞ 之を貢して 玉堂に置くことを得ん。

 

 

『寄韓諫議』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

昔隨劉氏定長安,帷幄未改神慘傷。

國家成敗吾豈敢,色難腥腐餐風香。

周南留滯古所惜,南極老人應壽昌。

美人胡為隔秋水,焉得置之貢玉堂。

(下し文)
#3

昔 劉氏に隨って 長安に定まる,帷幄 未だ改まらず 神慘 傷す。

國家の成敗 吾豈に敢えてせんや,色 腥腐を難【はばか】りて 風香を餐す。

周南に留滯するは 古より惜む所,南極の老人 壽昌に應ず。

美人 胡為【なんすれ】ぞ 秋水を隔ち,焉ぞ 之を貢して 玉堂に置くことを得ん。

(現代語訳)
#3

かつて君は劉氏のあとについて長安を平定した。しかるに祖先伝来不易の謀略をもちながらなにか心中におもしろくなく感じた事があった。

それが国家成敗の大事にはじぶんごときものがどうして手が出せようかといって退いてしまい、とても腥腐のなまぐさ肉は喰えぬという顔つきでいまは去って楓香をたべものにしている。

じぶんも昔の司馬談の様に南方に滞留している、なにもせずにこうして、毎日をくらすことは昔から人に惜まれる所である、こうしたおり、君はまた南極老人星の如く南天にあらわれて壽昌の星占に応じておられる。

どうして美人である君は、自分とこの秋水をへだてているのであろうか。どうにかして君を天子に貢献して君を中央朝廷の玉堂のうえに置いてやりたいものだとおもうのである。


(訳注) #3

寄韓諫議 #1

(諌議大夫韓注に寄せた詩。)大暦元年の作

【一】  寄韓諫議 諫議大夫韓注、岳陽で隠遁している。房琯グループであった人である。【舊本有注字,一云注乃汯之誤。韓休之子汯,上元中為諫議大夫。】【旧本には、注意書きがあり、即ち韓注は汯之の誤りである。そうであれば、韓休の子、韓汯であり,上元年間において諫議大夫を為している。韓注は朝廷内で呼び合っていた時の名ではなかろうか。】

 

昔隨劉氏定長安,帷幄未改神慘傷。

かつて君は劉氏のあとについて長安を平定した。しかるに祖先伝来不易の謀略をもちながらなにか心中におもしろくなく感じた事があった。

【二】  劉氏 劉邦即ち漢の劉邦、漢の高祖をいい、肅宗を比す。

【三】  定長安 長安の乱を平定す、此処の韓注げ安禄山の乱に長安を平定するに功あり。

【四】  帷幄未改 帷幄は陣中の幕である。その中にて謀を回らす。漢の高組や張良が謀をしたことには変わりがないことを言う。未改とは張良のはかりごとがそのままかわらずに存在することをいう。

【五】  神慘傷 韓注の精神がいたみいたむ、おもしろからぬ事できしをいう。

 

國家成敗吾豈敢,色難腥腐餐風香。

それが国家成敗の大事にはじぶんごときものがどうして手が出せようかといって退いてしまい、とても腥腐のなまぐさ肉は喰えぬという顔つきでいまは去って楓香をたべものにしている。

【六】  吾豈敢 吾とは韓注に即していう、豈敢とは謙遜の意。成敗に関する大事をむりにやりにすることをしない。

【七】  色難 顔つき、顔色のうえに、それを成すことをむつかしとする、はばかる。

【八】  腥腐 魚獣の肉のくさく、くちたるをいう。

【九】  餐風香 楓に香あるものあり、之を用いて藥を和すという。似聞六句は韓注が官を去りし故をのぶ。

 

周南留滯古所惜,南極老人應壽昌。

じぶんも昔の司馬談の様に南方に滞留している、なにもせずにこうして、毎日をくらすことは昔から人に惜まれる所である、こうしたおり、君はまた南極老人星の如く南天にあらわれて壽昌の星占に応じておられる。

【十】  周南留滯 史記、司馬遷自序に見える。司馬遷の父談、周南(洛陽)に留滞して天子の封禅にあづかるを得ず。作者自ら南土に寓するをいう、巻十奉送玉信州崟北歸詩買の太史尚南留の句以て證すべし。

【十一】    南極老人 星の名、秋分の旦には丙にみえ、夕には丁に没す。見れば治平なり、壽昌至を主る。以て韓注に比す。

【十二】    應壽昌 星占の壽と昌とにあたる。

 

美人胡為隔秋水,焉得置之貢玉堂。

どうして美人である君は、自分とこの秋水をへだてているのであろうか。どうにかして君を天子に貢献して君を中央朝廷の玉堂のうえに置いてやりたいものだとおもうのである。

【十三】    美人 再び韓注をさしていふ。

【十四】    胡為 何爲なり。

【十五】    焉得 希望の言葉。

【十六】    置之貢玉堂 「之を貢して玉堂に置く」とよむ。貢は献ずること、玉堂は朝廷。美しき堂。末尾四句は韓注を朝廷に致さんこと願う。

767年-2杜甫 《17-39 寄韓諫議》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-2 <1058> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6970

杜甫  寄韓諫議#2

玉京群帝集北斗,或騎騏驎翳鳳皇。芙蓉旌旗煙霧樂,影動倒景搖瀟湘。

星宮之君醉瓊漿,羽人稀少不在旁。似聞昨者赤松子,恐是漢代韓張良。

いま天上の玉京では群仙が北斗星の神のところに集まってくる時期であるから、位高さ者は鸞に乗じ、次は麒麟に乗じ、次は龍に乗ずということで、鳳凰にのって鳳凰の翅が虚空をおおって、どんよりと鉛色の空になってくらくするばかりである。

そうした空模様の中、芙蓉の旗が煙霧の中で、楽しそうにひらめいていて、その旗影は天上に倒映倒景して動いていて、おなじように、瀟湘の旗もゆらめいている。

天上、星界の諸仙人は、それぞれ瓊漿の水を飲み酔うてしまい、それでも、飛仙たちは、一向に少人数であっても北斗の神のそばには寄ろうとはしない。

聞けば前年、君は赤松子というべき師匠の後を追って朝廷を去ったということであるが、君は、やっぱり、赤松子の弟子であった韓の張良というべき人物であったのである。

767-2杜甫 17-39 寄韓諫議》 杜甫詩index-15-767年大暦256-2 <1058 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6970

 

 

杜甫詩1500-1058-1548-#2/2500

年:767年大暦256-2

卷別:    卷二二○              文體:    七言古詩

詩題:    寄韓諫議

【舊本有注字,一云注乃汯之誤。韓休之子汯,上元中為諫議大夫。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:岳陽樓 (江南西道 岳州 岳州) 別名:岳陽城  

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭    

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京師、中京、京城、上都、京畿、西都

玉堂殿 (京畿道 京兆府 長安)          

交遊人物/地點:韓汯          書信往來(河東道 晉州(晋州) 岳陽)

 

寄韓諫議 【舊本有注字,一云注乃汯之誤。韓休之子汯,上元中為諫議大夫。】#1

(諌議大夫韓注に寄せた詩。) 【旧本には、注意書きがあり、即ち韓注は汯之の誤りである。そうであれば、韓休の子、韓汯であり,上元年間において諫議大夫を為している。韓注は朝廷内で呼び合っていた時の名ではなかろうか。】 #1

今我不樂思岳陽,身欲奮飛病在床。

自分はいま愉快な気持ちでないままに、君のいる岳陽のことをおもっている、奮うて飛んでゆこうとおもうけれど、持病が再発して寝床でふせっております。

美人娟娟隔秋水,濯足洞庭望八荒。

その地は、瀟湘八景に、娥皇女英のうつくしい美人が秋水をへだてで遠方におり、洞庭の水に足を濯うて瀟湘八景のあらなみをながめていたいものである。

鴻飛冥冥日月白,青楓葉赤天雨霜。

洞庭湖には、太陽と月がかがやいているというのに、鴻は、暗がりにとんでいれば害を避けれると行動するという、(まめに書簡を出さず申し訳ない)、それに、楓は葉が赤くそまり、天霜が、夜露をふらす時節である。(これから冬を迎えると、持病と、三峡を下る船が危険なので出発が遅れる)』 

#2

玉京群帝集北斗,或騎騏驎翳鳳皇。

いま天上の玉京では群仙が北斗星の神のところに集まってくる時期であるから、位高さ者は鸞に乗じ、次は麒麟に乗じ、次は龍に乗ずということで、鳳凰にのって鳳凰の翅が虚空をおおって、どんよりと鉛色の空になってくらくするばかりである。

芙蓉旌旗煙霧樂,影動倒景搖瀟湘。

そうした空模様の中、芙蓉の旗が煙霧の中で、楽しそうにひらめいていて、その旗影は天上に倒映倒景して動いていて、おなじように、瀟湘の旗もゆらめいている。

星宮之君醉瓊漿,羽人稀少不在旁。

天上、星界の諸仙人は、それぞれ瓊漿の水を飲み酔うてしまい、それでも、飛仙たちは、一向に少人数であっても北斗の神のそばには寄ろうとはしない。

似聞昨者赤松子,恐是漢代韓張良。

聞けば前年、君は赤松子というべき師匠の後を追って朝廷を去ったということであるが、君は、やっぱり、赤松子の弟子であった韓の張良というべき人物であったのである。#3

昔隨劉氏定長安,帷幄未改神慘傷。

國家成敗吾豈敢,色難腥腐餐風香。

周南留滯古所惜,南極老人應壽昌。

美人胡為隔秋水,焉得置之貢玉堂。

 

(韓諫議に寄す) #1

今 我 樂しまず 岳陽を思う,身 奮飛せんと欲すれども 病みて床に在り。

美人 娟娟 秋水を隔ち,足を洞庭に濯い 八荒を望む。

鴻飛 冥冥 日月白し,青楓 葉赤く 天 霜を雨【ふら】す。
#2

玉京 群帝 北斗に集,或いは 騏驎に騎り 鳳皇翳し。

芙蓉の旌旗 煙霧に樂し,景倒 影に動きて 瀟湘に搖ぐ。

星宮の君 瓊漿に醉い,羽人 稀少 旁に在らず。

聞くに似たれば 昨者【むかし】の赤松子なり,恐らく是は 漢代の韓の張良ならん。

#3

昔 劉氏に隨って 長安に定まる,帷幄 未だ改まらず 神慘 傷す。

國家の成敗 吾豈に敢えてせんや,色 腥腐を難【はばか】りて 風香を餐す。

周南に留滯するは 古より惜む所,南極の老人 壽昌に應ず。

美人 胡為【なんすれ】ぞ 秋水を隔ち,焉ぞ 之を貢して 玉堂に置くことを得ん。

 

 

『寄韓諫議』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

玉京群帝集北斗,或騎騏驎翳鳳皇。

芙蓉旌旗煙霧樂,影動倒景搖瀟湘。

星宮之君醉瓊漿,羽人稀少不在旁。

似聞昨者赤松子,恐是漢代韓張良。
詩文(含異文):#2

玉京群帝集北斗,或騎騏驎翳鳳皇。芙蓉旌旗煙霧樂【芙蓉旌旗煙霧落】【芙蓉旌旄煙霧樂】【芙蓉旌旄煙霧落】,影動倒景搖瀟湘。星宮之君醉瓊漿,羽人稀少不在旁。似聞昨者赤松子【似聞昨夜赤松子】,恐是漢代韓張良。


(下し文)
#2

玉京 群帝 北斗に集,或いは 騏驎に騎り 鳳皇翳し。

芙蓉の旌旗 煙霧に樂し,景倒 影に動きて 瀟湘に搖ぐ。

星宮の君 瓊漿に醉い,羽人 稀少 旁に在らず。

聞くに似たれば 昨者【むかし】の赤松子なり,恐らく是は 漢代の韓の張良ならん。

(現代語訳)
#2

いま天上の玉京では群仙が北斗星の神のところに集まってくる時期であるから、位高さ者は鸞に乗じ、次は麒麟に乗じ、次は龍に乗ずということで、鳳凰にのって鳳凰の翅が虚空をおおって、どんよりと鉛色の空になってくらくするばかりである。

そうした空模様の中、芙蓉の旗が煙霧の中で、楽しそうにひらめいていて、その旗影は天上に倒映倒景して動いていて、おなじように、瀟湘の旗もゆらめいている。

天上、星界の諸仙人は、それぞれ瓊漿の水を飲み酔うてしまい、それでも、飛仙たちは、一向に少人数であっても北斗の神のそばには寄ろうとはしない。

聞けば前年、君は赤松子というべき師匠の後を追って朝廷を去ったということであるが、君は、やっぱり、赤松子の弟子であった韓の張良というべき人物であったのである。


(訳注)

#2

玉京群帝集北斗,或騎騏驎翳鳳皇。

いま天上の玉京では群仙が北斗星の神のところに集まってくる時期であるから、位高さ者は鸞に乗じ、次は麒麟に乗じ、次は龍に乗ずということで、鳳凰にのって鳳凰の翅が虚空をおおって、どんよりと鉛色の空になってくらくするばかりである。

【一】  玉京 白玉京なり、道家にていう天の都。天上の天帝のいるところは城玉を以て飾ってある。《卷10-11(經亂離後天恩)流夜郎 憶舊游書懷贈江夏韋太守良宰》 「天上白玉京。 十二樓五城。 仙人撫我頂。 結發受長生。」(天上の白玉京、 十二樓五城。 仙人 我が頂を撫し、 結發 長生を受く。)

【二】  群帝 道家にては東西南北に各々八天、凡て三十二天あって、三十二帝が之に都すという。群帝とはこれらの帝であり、即ち羣仙である。諸王三公の如き貴人をたとへいう。

【三】  北斗 北斗七星をいう。大微の北にあり。人君の象なり。天子をいふ。 

【四】  騎麒麟 《集仙録》「羣仙畢く集る、位高さ者は鸞に乗じ、次は麒麟に乗じ、次は龍に乗ず。鸞鶴は毎翅各々大きさ丈余、」とみえる

【五】  翳鳳皇 「杜臆」は翳は語助詞とし無意味とするが、翳は甘泉賦「翳華芝」とあって覆って陰にするとしている。ここでは冬空、鉛色の空を言うものとする。

 

芙蓉旌旗煙霧樂,影動倒景搖瀟湘。

そうした空模様の中、芙蓉の旗が煙霧の中で、楽しそうにひらめいていて、その旗影は天上に倒映倒景して動いていて、おなじように、瀟湘の旗もゆらめいている。

【六】  芙蓉旋旗 蓮の花を記しの旗。

【七】  煙霧樂 煙霧落、煙霧の中で旗が音楽のようにはためいて音を出す。騎従義衛の盛んなことをいう。

【八】  影動倒景 影は旌旗の影、その影が動くことを言う。倒景は日月が日月上方に向って照らすこと。冬の雲が遮り、一部の切れ間から後光の様に、或は、スポットライトのようなことを言うのであろう。。

【九】  揺瀟湘 岳陽楼に瀟湘の旗が閃いていることを言う。旗の影がゆらぐこと。瀟湘は、湘水,瀟水、洞庭の南に流れ込む大河である。

 

 

星宮之君醉瓊漿,羽人稀少不在旁。

天上、星界の諸仙人は、それぞれ瓊漿の水を飲み酔うてしまい、それでも、飛仙たちは、一向に少人数であっても北斗の神のそばには寄ろうとはしない。

【十】  星宮之君 星の世界の諸仙人、天子の近侍者を例えている。

【十一】    酔瓊漿 瓊漿はうつくしき飲料で、甕に入れてある清酒のことで、氷のように澄んでいる酒を言う。

【十二】    羽人 飛仙なり、「楚辟」にみえる。ここでは都を去って、遠くにいる臣下のものをいう。《巻十九08遊泰山,六首之二》「山際逢羽人,方瞳好容顏。」(山際 羽人に逢う,方瞳 好容顏。すると、山際に於で、仙人に遇ったが、その人の瞳は四角で、すぐれて艶艶しい顔色をして居る。李白314 《巻十九08遊泰山,六首之二【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白314> Ⅰ李白詩1623 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6663

【十三】    稀少 かずすくなし。

【十四】 在旁 旁とは北斗(天子)のそばのことをいう

 

似聞昨者赤松子,恐是漢代韓張良。

聞けば前年、君は赤松子というべき師匠の後を追って朝廷を去ったということであるが、君は、やっぱり、赤松子の弟子であった韓の張良というべき人物であったのである。

【十五】    似聞 「きくが如くんば」寄。

【十六】    昨者 前年。

【十七】    赤松子 道教で、炎帝神農)の時代に雨師(雨の神)だったとされている最古の神仙の一人。帝嚳高辛の時代にも雨師となり、後には南岳衡山を治めた

【十八】    韓張良 張良の父祖は韓の人、韓が秦に亡されたことにより漢高祖に従いて秦を滅し國の仇を復す。韓注は張良の生れ代りかというている。

767年-2杜甫 《17-39 寄韓諫議》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-2 <1057> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6965

杜甫  寄韓諫議 【舊本有注字,一云注乃汯之誤。韓休之子汯,上元中為諫議大夫。】#1

今我不樂思岳陽,身欲奮飛病在床。美人娟娟隔秋水,濯足洞庭望八荒。

鴻飛冥冥日月白,青楓葉赤天雨霜。
(諌議大夫韓注に寄せた詩。) 【旧本には、注意書きがあり、即ち韓注は汯之の誤りである。そうであれば、韓休の子、韓汯であり,上元年間において諫議大夫を為している。韓注は朝廷内で呼び合っていた時の名ではなかろうか。】 #1

自分はいま愉快な気持ちでないままに、君のいる岳陽のことをおもっている、奮うて飛んでゆこうとおもうけれど、持病が再発して寝床でふせっております。

その地は、瀟湘八景に、娥皇女英のうつくしい美人が秋水をへだてで遠方におり、洞庭の水に足を濯うて瀟湘八景のあらなみをながめていたいものである。

洞庭湖には、太陽と月がかがやいているというのに、鴻は、暗がりにとんでいれば害を避けれると行動するという、(まめに書簡を出さず申し訳ない)、それに、楓は葉が赤くそまり、天霜が、夜露をふらす時節である。(これから冬を迎えると、持病と、三峡を下る船が危険なので出発が遅れる)』 
767-2杜甫 17-39 寄韓諫議》 杜甫詩index-15-767年大暦256-2 <1057 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6965 

 

 
  2015年11月24日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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743年(26)李白346 巻四07-《怨歌行【長安見內人出嫁,友人令余代為之。】》(十五入漢宮,) 346Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(26)  Ⅰ李白詩1683 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6963  
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  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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韓愈103-#3《 巻五28 射訓狐》 #3 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1596> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6964  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
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  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
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杜甫詩1500-1057-1548-#1/2500

年:767年大暦256-2

卷別:    卷二二○              文體:    七言古詩

詩題:    寄韓諫議

【舊本有注字,一云注乃汯之誤。韓休之子汯,上元中為諫議大夫。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:岳陽樓 (江南西道 岳州 岳州) 別名:岳陽城  

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭    

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京師、中京、京城、上都、京畿、西都

玉堂殿 (京畿道 京兆府 長安)          

交遊人物/地點:韓汯          書信往來(河東道 晉州(晋州) 岳陽)

 

寄韓諫議 【舊本有注字,一云注乃汯之誤。韓休之子汯,上元中為諫議大夫。】#1

(諌議大夫韓注に寄せた詩。) 【旧本には、注意書きがあり、即ち韓注は汯之の誤りである。そうであれば、韓休の子、韓汯であり,上元年間において諫議大夫を為している。韓注は朝廷内で呼び合っていた時の名ではなかろうか。】 #1

今我不樂思岳陽,身欲奮飛病在床。

自分はいま愉快な気持ちでないままに、君のいる岳陽のことをおもっている、奮うて飛んでゆこうとおもうけれど、持病が再発して寝床でふせっております。

美人娟娟隔秋水,濯足洞庭望八荒。

その地は、瀟湘八景に、娥皇女英のうつくしい美人が秋水をへだてで遠方におり、洞庭の水に足を濯うて瀟湘八景のあらなみをながめていたいものである。

鴻飛冥冥日月白,青楓葉赤天雨霜。

洞庭湖には、太陽と月がかがやいているというのに、鴻は、暗がりにとんでいれば害を避けれると行動するという、(まめに書簡を出さず申し訳ない)、それに、楓は葉が赤くそまり、天霜が、夜露をふらす時節である。(これから冬を迎えると、持病と、三峡を下る船が危険なので出発が遅れる)』  

#2

玉京群帝集北斗,或騎騏驎翳鳳皇。

芙蓉旌旗煙霧樂,影動倒景搖瀟湘。

星宮之君醉瓊漿,羽人稀少不在旁。

似聞昨者赤松子,恐是漢代韓張良。

#3

昔隨劉氏定長安,帷幄未改神慘傷。

國家成敗吾豈敢,色難腥腐餐風香。

周南留滯古所惜,南極老人應壽昌。

美人胡為隔秋水,焉得置之貢玉堂。

 

(韓諫議に寄す) #1

今 我 樂しまず 岳陽を思う,身 奮飛せんと欲すれども 病みて床に在り。

美人 娟娟 秋水を隔ち,足を洞庭に濯い 八荒を望む。

鴻飛 冥冥 日月白し,青楓 葉赤く 天 霜を雨【ふら】す。
#2

玉京 群帝 北斗に集,或いは 騏驎に騎り 鳳皇翳し。

芙蓉の旌旗 煙霧に樂し,景倒 影に動きて 瀟湘に搖ぐ。

星宮の君 瓊漿に醉い,羽人 稀少 旁に在らず。

聞くに似たれば 昨者【むかし】の赤松子なり,恐らく是は 漢代の韓の張良ならん。

#3

昔 劉氏に隨って 長安に定まる,帷幄 未だ改まらず 神慘 傷す。

國家の成敗 吾豈に敢えてせんや,色 腥腐を難【はばか】りて 風香を餐す。

周南に留滯するは 古より惜む所,南極の老人 壽昌に應ず。

美人 胡為【なんすれ】ぞ 秋水を隔ち,焉ぞ 之を貢して 玉堂に置くことを得ん。

 

16shisenseitomap 

『寄韓諫議』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

寄韓諫議 #1

今我不樂思岳陽,身欲奮飛病在床。

美人娟娟隔秋水,濯足洞庭望八荒。

鴻飛冥冥日月白,青楓葉赤天雨霜。

(下し文)
(韓諫議に寄す) #1

今 我 樂しまず 岳陽を思う,身 奮飛せんと欲すれども 病みて床に在り。

美人 娟娟 秋水を隔ち,足を洞庭に濯い 八荒を望む。

鴻飛 冥冥 日月白し,青楓 葉赤く 天 霜を雨【ふら】す。
詩文(含異文)     今我不樂思岳陽,身欲奮飛病在床。美人娟娟隔秋水,濯足洞庭望八荒。鴻飛冥冥日月白,青楓葉赤天雨霜【青楓葉赤天飛霜】。


(現代語訳)

(諌議大夫韓注に寄せた詩。) 【旧本には、注意書きがあり、即ち韓注は汯之の誤りである。そうであれば、韓休の子、韓汯であり,上元年間において諫議大夫を為している。韓注は朝廷内で呼び合っていた時の名ではなかろうか。】#1

自分はいま愉快な気持ちでないままに、君のいる岳陽のことをおもっている、奮うて飛んでゆこうとおもうけれど、持病が再発して寝床でふせっております。

その地は、瀟湘八景に、娥皇女英のうつくしい美人が秋水をへだてで遠方におり、洞庭の水に足を濯うて瀟湘八景のあらなみをながめていたいものである。

洞庭湖には、太陽と月がかがやいているというのに、鴻は、暗がりにとんでいれば害を避けれると行動するという、(まめに書簡を出さず申し訳ない)、それに、楓は葉が赤くそまり、天霜が、夜露をふらす時節である。(これから冬を迎えると、持病と、三峡を下る船が危険なので出発が遅れる)』 


(訳注)

寄韓諫議 #1

(諌議大夫韓注に寄せた詩。)大暦元年の作

【一】  寄韓諫議 諫議大夫韓注、岳陽で隠遁している。房琯グループであった人である。【舊本有注字,一云注乃汯之誤。韓休之子汯,上元中為諫議大夫。】【旧本には、注意書きがあり、即ち韓注は汯之の誤りである。そうであれば、韓休の子、韓汯であり,上元年間において諫議大夫を為している。韓注は朝廷内で呼び合っていた時の名ではなかろうか。】

 

今我不樂思岳陽,身欲奮飛病在床。

自分はいま愉快な気持ちでないままに、君のいる岳陽のことをおもっている、奮うて飛んでゆこうとおもうけれど、持病が再発して寝床でふせっております。

【二】  岳陽 湖南省岳州府、岳州城、岳陽城。始めてこの地に建設されたのは、後漢末、赤壁の戦いの後、呉の魯粛が水軍を訓練する際の閲兵台として築いたとされる。唐代、岳州に刺史として左遷されてきた張説が716年(開元4年)に魯粛の軍楼を改修して岳州城(岳陽城)の西門とし、南楼と称した。「岳陽楼」の名もこの頃につけられた。張説が才子文人と共にこの楼で詩を賦してからその名が高まり、後に孟浩然や李白ら著名な詩人たちもここを訪れて詩を賦し、「天下の楼」とうたわれた。

【三】  奮飛 鳥のごとく奮い立って飛びゆく。

 

美人娟娟隔秋水,濯足洞庭望八荒。

その地は、瀟湘八景に、娥皇女英のうつくしい美人が秋水をへだてで遠方におり、洞庭の水に足を濯うて瀟湘八景のあらなみをながめていたいものである。

【四】  美人 瀟湘八景に、娥皇女英のうつくしい美人がいたところである。

【五】  娟娟 うつくしき貌。瀟湘八景。

【六】  秋水 秋の水、水とは長江、洞庭湖の水をいう。

【七】  濯足 韓注が足をあらうなり、滄浪歌の意からる、世乱れし故、滄浪の水で濁れている足を洗って隠遁することをいう。『孟子・離婁上』に出ており、孔子と問答をしている。『孟子』の内容は次の通り:「孟子曰:…有孺子歌曰:『滄浪之水淸兮,可以濯我纓。滄浪之水濁兮,可以濯我足。』孔子曰:『小子聽之。淸斯濯纓,濁斯濯足矣,自取之也。』…。」

これを屈原が『楚辭』「漁父」で取り込んで歌い上げている。『楚辭』とは戦国時代、南方の楚に興った詩の一形式である『辞』の集成されたもの。

「滄浪之水淸兮,可以濯我纓,滄浪之水濁兮,可以濯我足」

【八】      洞庭 岳州にある大なる湖の名。

【九】      八荒 瀟湘八景は時として荒れ狂う。韓愈《巻二15岳陽樓別竇司直》「顛沈在須臾,忠鯁誰復諒。」(顛沈せんこと須臾【しゅゆ】に在り、忠鯁【ちゅうこう】 誰か復諒【りょう】とせんあぶなく舟が転覆するところで、そのまま沈んでしまえば、わが忠義誠心の骨鯁なわたしを、誰も諒としてしるものはなかったであろう。

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鴻飛冥冥日月白,青楓葉赤天雨霜。

洞庭湖には、太陽と月がかがやいているというのに、鴻は、暗がりにとんでいれば害を避けれると行動するという、(まめに書簡を出さず申し訳ない)、それに、楓は葉が赤くそまり、天霜が、夜露をふらす時節である。(これから冬を迎えると、持病と、三峡を下る船が危険なので出発が遅れる)』 

【十】  鴻飛冥冥 「揚子雲《法言》「鴻飛冥冥,弋人何慕焉。」とあり。鴻がくらがりに飛んでおればいぐるみをかける者も鴻を取ることができない。韓注が世に遠ざかりて危害を避けることをたとえていったもの。雁書をまめに出していなかった言い訳の語句であろう。

【十一】                青楓葉赤 楓が赤く色づく秋の節をいう。

【十二】                天雨霜 霜がおりたようすが雨が降ったようにあたりを濡らしていることで、霜、夜露があめをふらすようであるという意で、霜もまだ雪のようする季節になっていない、仲秋を過ぎて晩秋に差し掛かった時期を言う。。

  以上起六句は隔たりて居る韓注を思うことをのべている。 
安史の乱当時の勢力図 

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杜甫  昔遊二首之一#4

胡爲客關塞,道意久衰薄。妻子亦何人,丹砂負前諾。

雖悲鬒發變,未憂觔力弱。扶藜望清秋,有興入廬霍。

自分はどうしてこんな菱州の関塞に旅客となってしまったのだろうか、道教の「道」に志す念が、ながらく衰えてしまったのであろうか。妻子は傍に居り、愛すべき存在であるが、それはまた、何人であるべきものであろうか、というのも、自分を補だしているものの、遂に丹砂を得んとする昔日の決心に背いている様なことになっているのが現状であるのだ。自分は黒くてうつくしい髪であったものが白くかわってしまったことは、悲しいのであるが、それに筋力が弱ってきているけれどもこれについては、まだ憂というところまでにはなっていない。あかぎの杖の助けを借りて、清秋の天を望んで、南のかた当選の隠遁し、董先生が隠遁している盧山、霍山(南岳・衡山)に行きつこうという興趣はおおいに茂っているのである。

767-1杜甫(改訂) 20-84昔遊二首之一#4》 杜甫詩index-15-767年大暦256-1 <1056 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6960

 

 
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杜甫詩1500-1056-1547-#4/2500

昔遊二首 其一

年:767年大曆二年56

卷別:    卷二一八              文體:    五言古詩

詩題:    昔遊

作地點: 夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點: 天壇 (都畿道 河南府 王屋)              

蒙山 (河南道 沂州 蒙山) 別名:東蒙            

廬山 (江南西道 江州 廬山) 別名:廬嶽、匡山           

霍山 (江南西道 衡州 衡陽)   

 

 

其一: #1

(儒家の杜甫が、二十歳のころ、道教本山のある王屋山、東蒙山に遊び、仙道を求めたことがあったと追憶した詩)

昔謁華蓋君,深求洞宮

昔、自分は華蓋君という道士に謁することがあった、それは、深く洞宮の根元、道教「道」を求めようしたことのである。

玉棺已上天,白日亦寂寞。

ところが、その華蓋君という道士は、死んで後漢王喬の故事のように玉棺は天にのぼってしまったので、白日の光も寂しげに見えた。

暮升艮岑頂,巾幾猶未卻。

そして、その道士を思い、ひぐれに東北の峰の頂に登ったところ、天壇のようなところに、その道士の用いていた頭巾や脇息はまだそのままにおいであった。

弟子四五人,入來淚俱落。

そこへ華蓋君の弟子、盧老たち四五人が、天壇のようなところ白茅室に入ってきて、皆が涙を落した。

#2

餘時游名山,發軔在遠壑。

自分はそのころ天下の名山に遊學することにして巡り歩いていたのである、まず最初の出かけたのは、黄河の怒涛を渡って、すこし北方の遠方の隠遁者の棲んでいる谷の方まで出掛けたのである。

良覿違夙願,含淒向寥廓。

それに崇敬する道士とのよい面会を得ようというかねてからの願が、道士の死でかなわなかったので、かなしさを心にいだいて寥廓たる天にうち向うことしかできなかったのであった。

林昏罷幽磬,竟夜伏石閣。

そして、その日は、林は昏くなってかすかな磬石も鳴らされず静かなもので、自分は夜もすがら石閣にひれ伏すことができたのである。

王喬下天壇,微月映皓鶴。

そんなおり、王子喬ではないかとおもわれる仙人が天壇へおりてこられた。かすかな月光であるのに、彼の乗ってきた白い鶴ははっきりと映ろうでいた。

#3

晨溪向虛駃,歸徑行已昨。

翌朝はやく、溪川のそばをとおると、水は流れがはやく、心地良く音を立てているにもかかわらずそれがむなしく感じ、昨日あるいた同じ道を、今は戻り路として帰るのである。

豈辭青鞋胝,悵望金匕藥。

青鞋布韈のすがたで、足にたこができることくらいは、何の問題もないが、うらめしくながめやられるのは道士の金匕で盛る仙薬が手に入ればいいと思うことである。

東蒙赴舊隱,尚憶同志樂。

だから、おもいきって以前隠遁したところである東蒙山の隠處へと再び赴こうと思う。というのも、いまだに記憶にあるのは、あのころの同志の人人と楽しい思いをしたことがあるからである。

休事董先生,於今獨蕭索。

それに、あの時は董先生にお仕えをして慶びを感じたものだが、今では音信もなく、自分ひとりが蕭蕭としてさびしいことになっているのである。 

#4

胡爲客關塞,道意久衰薄。

自分はどうしてこんな菱州の関塞に旅客となってしまったのだろうか、道教の「道」に志す念が、ながらく衰えてしまったのであろうか。

妻子亦何人,丹砂負前諾。

妻子は傍に居り、愛すべき存在であるが、それはまた、何人であるべきものであろうか、というのも、自分を補だしているものの、遂に丹砂を得んとする昔日の決心に背いている様なことになっているのが現状であるのだ。

雖悲鬒發變,未憂觔力弱。

自分は黒くてうつくしい髪であったものが白くかわってしまったことは、悲しいのであるが、それに筋力が弱ってきているけれどもこれについては、まだ憂というところまでにはなっていない。

扶藜望清秋,有興入廬霍。

あかぎの杖の助けを借りて、清秋の天を望んで、南のかた当選の隠遁し、董先生が隠遁している盧山、霍山(南岳・衡山)に行きつこうという興趣はおおいに茂っているのである。

(昔遊二首其一)#1

昔 華蓋君に謁して,深く洞宮の求めんとす

玉棺 已に天に上り,白日 亦た寂寞たり。

暮に升る 艮岑【ごんしん】の頂,巾几【きんき】猶お未だ卻【しりぞ】けられず。

弟子 四五人,入り來って 淚 俱に落つ。

#2

余 時に名山に遊ばんとし,發軔【はつじん】遠壑に在り。

良覿【りょうてき】夙願【しゅくがん】違う,含淒 寥廓【りょうかく】に向う。

林 昏くして幽磬【ゆうけい】罷む,竟夜 石閣に伏す。

王喬 天壇に下り,微月 皓鶴に映ず。

#3

晨溪 嚮【ひびき】虛しく駃【はや】し,歸徑 行 已に昨なり。

豈に辭せんや 青鞋【せいあい】の胝【ち】,悵望す 金匕の藥。

東蒙 舊隱に赴く,尚お憶う 同志の樂しかりしことを。

休事す 董先生,今に於て 獨り 蕭索たり。

#4

胡為れぞ 關塞に客となりて,道意 久して衰薄なるや。

妻子 亦た何人ぞ,丹砂 前諾に負く。

鬒髮の變を悲しむと雖も,未だ筋力の弱きことを憂えず。

藜を扶けて 清秋に望み,興の廬霍み入らんとする有り。

 

65洛陽 函谷関751  

『昔遊二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

胡爲客關塞,道意久衰薄。

妻子亦何人,丹砂負前諾。

雖悲鬒發變,未憂觔力弱。

扶藜望清秋,有興入廬霍。

(下し文)
#4

胡為れぞ 關塞に客となりて,道意 久して衰薄なるや。

妻子 亦た何人ぞ,丹砂 前諾に負く。

鬒髮の變を悲しむと雖も,未だ筋力の弱きことを憂えず。

藜を扶けて 清秋に望み,興の廬霍み入らんとする有り。

(現代語訳)
#4

自分はどうしてこんな菱州の関塞に旅客となってしまったのだろうか、道教の「道」に志す念が、ながらく衰えてしまったのであろうか。

妻子は傍に居り、愛すべき存在であるが、それはまた、何人であるべきものであろうか、というのも、自分を補だしているものの、遂に丹砂を得んとする昔日の決心に背いている様なことになっているのが現状であるのだ。

自分は黒くてうつくしい髪であったものが白くかわってしまったことは、悲しいのであるが、それに筋力が弱ってきているけれどもこれについては、まだ憂というところまでにはなっていない。

あかぎの杖の助けを借りて、清秋の天を望んで、南のかた当選の隠遁し、董先生が隠遁している盧山、霍山(南岳・衡山)に行きつこうという興趣はおおいに茂っているのである。

汜水関などの地図
(訳注) #4

 

胡為客關塞,道意久衰薄。

自分はどうしてこんな菱州の関塞に旅客となってしまったのだろうか、道教の「道」に志す念が、ながらく衰えてしまったのであろうか。

關塞 今いる夔州をさす。

道意 道教の「道」を求むる意。

衰薄 おとろえて,勢いを失うこと。凋落。衰微。常指世道德。衰敗。廃薄。《詩経、王風·中谷有蓷序》「夫婦日以衰薄,凶年飢饉,室家相弃

 

妻子亦何人,丹砂負前諾。

妻子は傍に居り、愛すべき存在であるが、それはまた、何人であるべきものであろうか、というのも、自分を補だしているものの、遂に丹砂を得んとする昔日の決心に背いている様なことになっているのが現状であるのだ。

何人 棄てがたきほどのものにも非らざるにの意。

丹砂 丹砂一斤を生竹の筒の中に入れ、石胆(硫酸銅)、消石をそれぞれ2両を加え、上下を覆ってフタをして、漆骨丸でこれを封じ、乾くのを待って醇苦酒の中に入れ深さ3尺の地中に埋める。30日で水となって、色赤く、味が苦くなる。丹薬というものは、火を加えれば加えるほど神妙なる変化が現われ、一方、黄金は火に入れて、百回錬造してもその量が減ることはなく、地中に埋めても天地が終るまで錆びることはない。この二つを服用して身体を練るがゆえに、人は老いることがなく、死ぬこともない。これは、外界の物質の力を借りて自らの身体を強固することであり、油が火を養って火が消えないような働きをしているに似たり。

前諾 丹砂を得んとする昔日の決心。

 

雖悲鬒髮變,未憂筋力弱。

自分は黒くてうつくしい髪であったものが白くかわってしまったことは、悲しいのであるが、それに筋力が弱ってきているけれどもこれについては、まだ憂というところまでにはなっていない。

鬒髮變 黒かみの白く光ること。鬒髮:黒くてうつくしい髪。《詩経、鄘風、君子偕老》「鬒髪如雲不屑髢」(鬒髪雲のごとく 髢を屑よしとせざるなり)黒髪はむらがる雲の如く 髢(かもじ)などは要らない。

 

扶藜望清秋,有興入廬霍。

あかぎの杖の助けを借りて、清秋の天を望んで、南のかた当選の隠遁し、董先生が隠遁している盧山、霍山(南岳・衡山)に行きつこうという興趣はおおいに茂っているのである。

扶藜 藜杖【あかざのつえ】の助けを借りる。 『荘子』譲王篇に子頁が貧乏な原意を訪ねたとき、原意は「藜を杖つきて門に応じ」たと見える。藜はアカザ科の一年草、葉は食用・薬用に供せられ、茎は軽くて堅いので老人の杖に用いられる。

廬霍 盧山と霍山といわれる五岳の衡山、江西省九江市南部にある名山。峰々が作る風景の雄大さ、奇絶さ、険しさ、秀麗さが古来より有名で、「匡廬奇秀甲天下」(匡廬の奇秀は天下一である)と称えられてきた(匡廬とは廬山の別名)。、霍山は昔、南岳され、霍山県の南にあるが。山は北東から南西に走り、大別山脈の向きをほとんど直角にねじ曲げた形となる。そのため霍山弧ともよばれる。ただ、この詩では、董先生が隠遁した、盧山と衡山である。漢の武帝が南岳を衡山とし、霍山の名を衡やまに移した。詩は後世の霍山の義転用いて、即ち湖南の衡山を意味するものである。時に董先生に衡山に居りしが如く、《巻2156 憶昔行》に、「更討衡陽董煉師」の語ある。

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杜甫  昔遊二首之一#3

晨溪向虛駃,歸徑行已昨。豈辭青鞋胝,悵望金匕藥。

東蒙赴舊隱,尚憶同志樂。休事董先生,於今獨蕭索。

翌朝はやく、溪川のそばをとおると、水は流れがはやく、心地良く音を立てているにもかかわらずそれがむなしく感じ、昨日あるいた同じ道を、今は戻り路として帰るのである。青鞋布韈のすがたで、足にたこができることくらいは、何の問題もないが、うらめしくながめやられるのは道士の金匕で盛る仙薬が手に入ればいいと思うことである。だから、おもいきって以前隠遁したところである東蒙山の隠處へと再び赴こうと思う。というのも、いまだに記憶にあるのは、あのころの同志の人人と楽しい思いをしたことがあるからである。それに、あの時は董先生にお仕えをして慶びを感じたものだが、今では音信もなく、自分ひとりが蕭蕭としてさびしいことになっているのである。 

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杜甫詩1500-1055-1547-#3/2500

昔遊二首 其一

年:767年大曆二年56

卷別:    卷二一八              文體:    五言古詩

詩題:    昔遊

作地點: 夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點: 天壇 (都畿道 河南府 王屋)               

蒙山 (河南道 沂州 蒙山) 別名:東蒙           

廬山 (江南西道 江州 廬山) 別名:廬嶽、匡山           

霍山 (江南西道 衡州 衡陽)   

 

 

其一: #1

(儒家の杜甫が、二十歳のころ、道教本山のある王屋山、東蒙山に遊び、仙道を求めたことがあったと追憶した詩)

昔謁華蓋君,深求洞宮

昔、自分は華蓋君という道士に謁することがあった、それは、深く洞宮の根元、道教「道」を求めようしたことのである。

玉棺已上天,白日亦寂寞。

ところが、その華蓋君という道士は、死んで後漢王喬の故事のように玉棺は天にのぼってしまったので、白日の光も寂しげに見えた。

暮升艮岑頂,巾幾猶未卻。

そして、その道士を思い、ひぐれに東北の峰の頂に登ったところ、天壇のようなところに、その道士の用いていた頭巾や脇息はまだそのままにおいであった。

弟子四五人,入來淚俱落。

そこへ華蓋君の弟子、盧老たち四五人が、天壇のようなところ白茅室に入ってきて、皆が涙を落した。

#2

餘時游名山,發軔在遠壑。

自分はそのころ天下の名山に遊學することにして巡り歩いていたのである、まず最初の出かけたのは、黄河の怒涛を渡って、すこし北方の遠方の隠遁者の棲んでいる谷の方まで出掛けたのである。

良覿違夙願,含淒向寥廓。

それに崇敬する道士とのよい面会を得ようというかねてからの願が、道士の死でかなわなかったので、かなしさを心にいだいて寥廓たる天にうち向うことしかできなかったのであった。

林昏罷幽磬,竟夜伏石閣。

そして、その日は、林は昏くなってかすかな磬石も鳴らされず静かなもので、自分は夜もすがら石閣にひれ伏すことができたのである。

王喬下天壇,微月映皓鶴。

そんなおり、王子喬ではないかとおもわれる仙人が天壇へおりてこられた。かすかな月光であるのに、彼の乗ってきた白い鶴ははっきりと映ろうでいた。

#3

晨溪向虛駃,歸徑行已昨。

翌朝はやく、溪川のそばをとおると、水は流れがはやく、心地良く音を立てているにもかかわらずそれがむなしく感じ、昨日あるいた同じ道を、今は戻り路として帰るのである。

豈辭青鞋胝,悵望金匕藥。

青鞋布韈のすがたで、足にたこができることくらいは、何の問題もないが、うらめしくながめやられるのは道士の金匕で盛る仙薬が手に入ればいいと思うことである。

東蒙赴舊隱,尚憶同志樂。

だから、おもいきって以前隠遁したところである東蒙山の隠處へと再び赴こうと思う。というのも、いまだに記憶にあるのは、あのころの同志の人人と楽しい思いをしたことがあるからである。

休事董先生,於今獨蕭索。

それに、あの時は董先生にお仕えをして慶びを感じたものだが、今では音信もなく、自分ひとりが蕭蕭としてさびしいことになっているのである。 

#4

胡爲客關塞,道意久衰薄。

妻子亦何人,丹砂負前諾。

雖悲鬒發變,未憂觔力弱。

扶藜望清秋,有興入廬霍。

 

 

(昔遊二首其一)#1

昔 華蓋君に謁して,深く洞宮の求めんとす

玉棺 已に天に上り,白日 亦た寂寞たり。

暮に升る 艮岑【ごんしん】の頂,巾几【きんき】猶お未だ卻【しりぞ】けられず。

弟子 四五人,入り來って 淚 俱に落つ。

#2

余 時に名山に遊ばんとし,發軔【はつじん】遠壑に在り。

良覿【りょうてき】夙願【しゅくがん】違う,含淒 寥廓【りょうかく】に向う。

林 昏くして幽磬【ゆうけい】罷む,竟夜 石閣に伏す。

王喬 天壇に下り,微月 皓鶴に映ず。

#3

晨溪 嚮【ひびき】虛しく駃【はや】し,歸徑 行 已に昨なり。

豈に辭せんや 青鞋【せいあい】の胝【ち】,悵望す 金匕の藥。

東蒙 舊隱に赴く,尚お憶う 同志の樂しかりしことを。

休事す 董先生,今に於て 獨り 蕭索たり。

#4

胡為れぞ 關塞に客となりて,道意 久して衰薄なるや。

妻子 亦た何人ぞ,丹砂 前諾に負く。

鬒髮の變を悲しむと雖も,未だ筋力の弱きことを憂えず。

藜を扶けて 清秋に望み,興の廬霍み入らんとする有り。

 

 65洛陽 函谷関751 

『昔遊二首其一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

昔遊二首其一 #3

晨溪嚮虛駃,歸徑行已昨。

豈辭青鞋胝,悵望金匕藥。

東蒙赴舊隱,尚憶同志樂。

休事董先生,於今獨蕭索。

 

(下し文)
昔遊二首其一 #3

晨溪 嚮き虛しく駃,歸徑 行 已に昨なり。

豈に辭せんや 青鞋の胝,悵望す 金匕の藥。

東蒙 舊隱に赴むけば,尚お 憶う 同志の樂かりりしことを。

休事す 董先生,今に於て 獨り 蕭索たり。

(現代語訳)
翌朝はやく、溪川のそばをとおると、水は流れがはやく、心地良く音を立てているにもかかわらずそれがむなしく感じ、昨日あるいた同じ道を、今は戻り路として帰るのである。

青鞋布韈のすがたで、足にたこができることくらいは、何の問題もないが、うらめしくながめやられるのは道士の金匕で盛る仙薬が手に入ればいいと思うことである。

だから、おもいきって以前隠遁したところである東蒙山の隠處へと再び赴こうと思う。というのも、いまだに記憶にあるのは、あのころの同志の人人と楽しい思いをしたことがあるからである。

それに、あの時は董先生にお仕えをして慶びを感じたものだが、今では音信もなく、自分ひとりが蕭蕭としてさびしいことになっているのである。 


(訳注) #3

昔遊二首其一

(儒家の杜甫が、二十歳のころ、道教本山のある王屋山、東蒙山に遊び、仙道を求めたことがあったと追憶した詩)

杜甫1920歳のころのことを追憶した767年大曆二年56夔州での作。766年の《巻1513 昔遊》を昔遊二首其二(744年 天宝3載 33歳のころ)として整理する。

16-16昔遊〔二首之二〕》昔遊

昔者與高李,晚登單父臺。寒蕪際碣石,萬里風雲來。

桑柘葉如雨,飛藿去裴回。清霜大澤凍,禽獸有餘哀。

 

晨溪嚮虛駃,歸徑行已昨。

翌朝はやく、溪川のそばをとおると、水は流れがはやく、心地良く音を立てているにもかかわらずそれがむなしく感じ、昨日あるいた同じ道を、今は戻り路として帰るのである。

虛駃 川の水が心地よく流れ、心地良く音を立てているにもかかわらずそれがむなしく感じていることをいう。駃:駿馬の名。馬が速く走る行く。はやい、快とおなじ。「駃雨」:心地良く降る雨。駃流:はやいながれ。

行已昨 「昨已行」、今帰える路は、既に昨日、往きすすんだ道である。

 

豈辭青鞋胝,悵望金匕藥。

青鞋布韈のすがたで、足にたこができることくらいは、何の問題もないが、うらめしくながめやられるのは道士の金匕で盛る仙薬が手に入ればいいと思うことである。

青鞋胝 旅をするときに着る服装のこと。胝は足の皮が厚くなること。「青鞋布韈」「青鞋」はわらじのこと、「布韈」は脛を保護するために巻く布製の脚半のこと。

金匕藥 金丹、丹沙を修業した道士はさじではかって調合し、不老不死の薬を作ることをいう。

 

東蒙赴舊隱,尚憶同志樂。

だから、おもいきって以前隠遁したところである東蒙山の隠處へと再び赴こうと思う。というのも、いまだに記憶にあるのは、あのころの同志の人人と楽しい思いをしたことがあるからである。

東蒙 (河南道 沂州 蒙山) 別名:蒙山。現山東省沂州府蒙陰縣の西南にある山。

舊隱 旧時の隠遁地、以前隠遁したところに再び隠遁する。

同志樂 蘇源明などであるが、自然と一体化する道士については、形跡を残さないので名前は不明。

 

休事董先生,於今獨蕭索。

それに、あの時は董先生にお仕えをして慶びを感じたものだが、今では音信もなく、自分ひとりが蕭蕭としてさびしいことになっているのである。 

休事 仕えることを慶ぶ。休は慶。

董先生 道士の先生。

蕭索 さびしいさま。

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昔遊二首其一#2

余時遊名山,發軔在遠壑。良覿違夙願,含淒向寥廓。

林昏罷幽磬,竟夜伏石閣。王喬下天壇,微月映皓鶴。

自分はそのころ天下の名山に遊學することにして巡り歩いていたのである、まず最初の出かけたのは、黄河の怒涛を渡って、すこし北方の遠方の隠遁者の棲んでいる谷の方まで出掛けたのである。

それに崇敬する道士とのよい面会を得ようというかねてからの願が、道士の死でかなわなかったので、かなしさを心にいだいて寥廓たる天にうち向うことしかできなかったのであった。

そして、その日は、林は昏くなってかすかな磬石も鳴らされず静かなもので、自分は夜もすがら石閣にひれ伏すことができたのである。

そんなおり、王子喬ではないかとおもわれる仙人が天壇へおりてこられた。かすかな月光であるのに、彼の乗ってきた白い鶴ははっきりと映ろうでいた。

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杜甫詩1500-1054-1547-#2/2500

昔遊二首 其一

年:767年大曆二年56

卷別:    卷二一八              文體:    五言古詩

詩題:    昔遊

作地點: 夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點: 天壇 (都畿道 河南府 王屋)              

蒙山 (河南道 沂州 蒙山) 別名:東蒙           

廬山 (江南西道 江州 廬山) 別名:廬嶽、匡山           

霍山 (江南西道 衡州 衡陽)   

 

 

其一: #1

(儒家の杜甫が、二十歳のころ、道教本山のある王屋山、東蒙山に遊び、仙道を求めたことがあったと追憶した詩)

昔謁華蓋君,深求洞宮

昔、自分は華蓋君という道士に謁することがあった、それは、深く洞宮の根元、道教「道」を求めようしたことのである。

玉棺已上天,白日亦寂寞。

ところが、その華蓋君という道士は、死んで後漢王喬の故事のように玉棺は天にのぼってしまったので、白日の光も寂しげに見えた。

暮升艮岑頂,巾幾猶未卻。

そして、その道士を思い、ひぐれに東北の峰の頂に登ったところ、天壇のようなところに、その道士の用いていた頭巾や脇息はまだそのままにおいであった。

弟子四五人,入來淚俱落。

そこへ華蓋君の弟子、盧老たち四五人が、天壇のようなところ白茅室に入ってきて、皆が涙を落した。

#2

餘時游名山,發軔在遠壑。

自分はそのころ天下の名山に遊學することにして巡り歩いていたのである、まず最初の出かけたのは、黄河の怒涛を渡って、すこし北方の遠方の隠遁者の棲んでいる谷の方まで出掛けたのである。

良覿違夙願,含淒向寥廓。

それに崇敬する道士とのよい面会を得ようというかねてからの願が、道士の死でかなわなかったので、かなしさを心にいだいて寥廓たる天にうち向うことしかできなかったのであった。

林昏罷幽磬,竟夜伏石閣。

そして、その日は、林は昏くなってかすかな磬石も鳴らされず静かなもので、自分は夜もすがら石閣にひれ伏すことができたのである。

王喬下天壇,微月映皓鶴。

そんなおり、王子喬ではないかとおもわれる仙人が天壇へおりてこられた。かすかな月光であるのに、彼の乗ってきた白い鶴ははっきりと映ろうでいた。

#3

晨溪向虛駃,歸徑行已昨。

豈辭青鞋胝,悵望金匕藥。

東蒙赴舊隱,尚憶同志樂。

休事董先生,於今獨蕭索。

#4

胡爲客關塞,道意久衰薄。

妻子亦何人,丹砂負前諾。

雖悲鬒發變,未憂觔力弱。

扶藜望清秋,有興入廬霍。

 

 

(昔遊二首其一)#1

昔 華蓋君に謁して,深く洞宮の求めんとす

玉棺 已に天に上り,白日 亦た寂寞たり。

暮に升る 艮岑【ごんしん】の頂,巾几【きんき】猶お未だ卻【しりぞ】けられず。

弟子 四五人,入り來って 淚 俱に落つ。

#2

余 時に名山に遊ばんとし,發軔【はつじん】遠壑に在り。

良覿【りょうてき】夙願【しゅくがん】違う,含淒 寥廓【りょうかく】に向う。

林 昏くして幽磬【ゆうけい】罷む,竟夜 石閣に伏す。

王喬 天壇に下り,微月 皓鶴に映ず。

#3

晨溪 嚮【ひびき】虛しく駃【はや】し,歸徑 行 已に昨なり。

豈に辭せんや 青鞋【せいあい】の胝【ち】,悵望す 金匕の藥。

東蒙 舊隱に赴く,尚お憶う 同志の樂しかりしことを。

休事す 董先生,今に於て 獨り 蕭索たり。

#4

胡為れぞ 關塞に客となりて,道意 久して衰薄なるや。

妻子 亦た何人ぞ,丹砂 前諾に負く。

鬒髮の變を悲しむと雖も,未だ筋力の弱きことを憂えず。

藜を扶けて 清秋に望み,興の廬霍み入らんとする有り。

 

65洛陽 函谷関751  

『昔遊二首其一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

余時遊名山,發軔在遠壑。

良覿違夙願,含淒向寥廓。

林昏罷幽磬,竟夜伏石閣。

王喬下天壇,微月映皓鶴。

 

(下し文)
余 時に名山に遊ばんとし,發軔【はつじん】遠壑に在り。

良覿【りょうてき】夙願【しゅくがん】違う,含淒 寥廓【りょうかく】に向う。

林 昏くして幽磬【ゆうけい】罷む,竟夜 石閣に伏す。

王喬 天壇に下り,微月 皓鶴に映ず。

(現代語訳)
自分はそのころ天下の名山に遊學することにして巡り歩いていたのである、まず最初の出かけたのは、黄河の怒涛を渡って、すこし北方の遠方の隠遁者の棲んでいる谷の方まで出掛けたのである。

それに崇敬する道士とのよい面会を得ようというかねてからの願が、道士の死でかなわなかったので、かなしさを心にいだいて寥廓たる天にうち向うことしかできなかったのであった。

そして、その日は、林は昏くなってかすかな磬石も鳴らされず静かなもので、自分は夜もすがら石閣にひれ伏すことができたのである。

そんなおり、王子喬ではないかとおもわれる仙人が天壇へおりてこられた。かすかな月光であるのに、彼の乗ってきた白い鶴ははっきりと映ろうでいた。


(訳注) #2

昔遊二首其一

(儒家の杜甫が、二十歳のころ、道教本山のある王屋山、東蒙山に遊び、仙道を求めたことがあったと追憶した詩)

杜甫1920歳のころのことを追憶した767年大曆二年56夔州での作。766年の《巻1513 昔遊》を昔遊二首其二(744年 天宝3載 33歳のころ)として整理する。

16-16昔遊〔二首之二〕》昔遊

昔者與高李,晚登單父臺。寒蕪際碣石,萬里風雲來。

桑柘葉如雨,飛藿去裴回。清霜大澤凍,禽獸有餘哀。

 

余時遊名山,發軔在遠壑。

自分はそのころ天下の名山に遊學することにして巡り歩いていたのである、まず最初の出かけたのは、黄河の怒涛を渡って、すこし北方の遠方の隠遁者の棲んでいる谷の方まで出掛けたのである。

遊名山 梁宋に遊び、斉趙其の他ひろく遊んだころのことをいう。仏寺、道教の寺観に書物があり、そこに長期滞在して書籍を読むことを意味している。

發軔 軔は車輪の止め木である、それか発するとは止め木をとり去って出発する事。

遠壑 王屋山のたにをさす。多くの隠遁者がいる。

《巻21-56 惜昔行》にこれを「憶昔北尋小有洞,洪河怒濤過輕舸。」(憶う昔 北尋ぬ小有洞,洪河の怒濤に輕舸過ぐ。)といっている。むかし北のかた小有洞天を訪ねたことがある。そのときは小舟で黄河の怒涛をすぎていった。

 

良覿違夙願,含淒向寥廓。

それに崇敬する道士とのよい面会を得ようというかねてからの願が、道士の死でかなわなかったので、かなしさを心にいだいて寥廓たる天にうち向うことしかできなかったのであった。

良覿 良い出会い、面会。杜甫自身崇敬する道士との会合を良い面会という。

夙願 かねてよりの願い。

含淒 悲しい心をもつこと。

寥廓 ひろい天をいう。

 

林昏罷幽磬,竟夜伏石閣。

そして、その日は、林は昏くなってかすかな磬石も鳴らされず静かなもので、自分は夜もすがら石閣にひれ伏すことができたのである。

 

王喬下天壇,微月映皓鶴。

そんなおり、王子喬ではないかとおもわれる仙人が天壇へおりてこられた。かすかな月光であるのに、彼の乗ってきた白い鶴ははっきりと映ろうでいた。

王喬 周の霊王の太子。名は晋。子喬は字(あざな)。直諫して廃せられ庶人となった。のち登仙したと伝えられる。生没年不詳。後漢の蔡邕(さいよう)の〈王子喬碑文〉はいつの時代の人かわからぬという。《列仙伝》は,《国語》や《逸周書》に賢者として見える太子晋に結びつけ,周の霊王の太子の姫晋であるとする。笙の笛を吹くことを好み,鳳凰の鳴声を模することができた。道士の浮丘公に会い,つれられて嵩高山(すうこうざん)に入って仙人となった。魏晋南北朝時代以来,赤松子とならんで古代の仙人の代表とされ,詩文や絵画に登場することが多い。

天壇 天の神を祭るための祭壇。1.封建における帝王祭天をおこなう高臺。 《宋書禮志三》:光武 建武 中, 不立北郊, 故后地之祇常配食天壇。 《南齊書禮志上》:郊為天壇。” 2. 王屋山の頂,軒轅が天に祈ったという。《相傳》黃帝 禮天處。 」相傳には黃帝が天に禮した處という。 杜甫 《昔游》「王喬下天壇,微月映皓鶴。」(王喬天壇に下り,微月 皓鶴に映ず。)おりしも王喬かと思われる仙人が天壇に降りてきた。 仇兆鰲 注:王屋山 頂曰 天壇 。” 陳師道 《談叢》卷十八:王屋 天壇 道書云 黃帝 禮天處也。

軒轅 黄帝(こうてい)は神話伝説上では、三皇の治世を継ぎ、中国を統治した五帝の最初の帝であるとされる。また、三皇のうちに数えられることもある。(紀元前2510年~紀元前2448年)漢代に司馬遷によって著された歴史書『史記』や『国語・晋語』によると、少典の子、姫水のほとりに生まれたことに因んで姓は姫姓、氏は軒轅氏、または帝鴻氏とも呼ばれ、山海経に登場する怪神・帝鴻と同一のものとする説もある。蚩尤を討って諸侯の人望を集め、神農氏に代わって帝となった。『史記』はその治世を、従わない者を討ち、道を開いて、後世の春秋戦国時代に中国とされる領域をすみずみまで統治した開国の帝王の時代として描く。少昊、昌意の父。

微月 かすかな月光

皓鶴 白鶴。

767年-1杜甫 (改訂)《20-84昔遊二首之一(昔謁華蓋君)#1》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-1 <1053> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6945

杜甫  其一: #1

昔謁華蓋君,深求洞宮。玉棺已上天,白日亦寂寞。

暮升艮岑頂,巾幾猶未卻。弟子四五人,入來淚俱落。

(儒家の杜甫が、二十歳のころ、道教本山のある王屋山、東蒙山に遊び、仙道を求めたことがあったと追憶した詩)

昔、自分は華蓋君という道士に謁することがあった、それは、深く洞宮の根元、道教「道」を求めようしたことのである。ところが、その華蓋君という道士は、死んで後漢王喬の故事のように玉棺は天にのぼってしまったので、白日の光も寂しげに見えた。そして、その道士を思い、ひぐれに東北の峰の頂に登ったところ、天壇のようなところに、その道士の用いていた頭巾や脇息はまだそのままにおいであった。そこへ華蓋君の弟子、盧老たち四五人が、天壇のようなところ白茅室に入ってきて、皆が涙を落した。

767-1杜甫 (改訂)20-84昔遊二首之一(昔謁華蓋君)#1 杜甫詩index-15-767年大暦256-1 <1053 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6945

 

 
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杜甫詩1500-1053-1547-#1/2500

昔遊二首 其一

年:767年大曆二年56

卷別:    卷二一八              文體:    五言古詩

詩題:    昔遊

作地點: 夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點: 天壇 (都畿道 河南府 王屋)              

蒙山 (河南道 沂州 蒙山) 別名:東蒙           

廬山 (江南西道 江州 廬山) 別名:廬嶽、匡山           

霍山 (江南西道 衡州 衡陽)   

 

 

其一: #1

(儒家の杜甫が、二十歳のころ、道教本山のある王屋山、東蒙山に遊び、仙道を求めたことがあったと追憶した詩)

昔謁華蓋君,深求洞宮

昔、自分は華蓋君という道士に謁することがあった、それは、深く洞宮の根元、道教「道」を求めようしたことのである。

玉棺已上天,白日亦寂寞。

ところが、その華蓋君という道士は、死んで後漢王喬の故事のように玉棺は天にのぼってしまったので、白日の光も寂しげに見えた。

暮升艮岑頂,巾幾猶未卻。

そして、その道士を思い、ひぐれに東北の峰の頂に登ったところ、天壇のようなところに、その道士の用いていた頭巾や脇息はまだそのままにおいであった。

弟子四五人,入來淚俱落。

そこへ華蓋君の弟子、盧老たち四五人が、天壇のようなところ白茅室に入ってきて、皆が涙を落した。

#2

餘時游名山,發軔在遠壑。

良覿違夙願,含淒向寥廓。

林昏罷幽磬,竟夜伏石閣。

王喬下天壇,微月映皓鶴。

#3

晨溪向虛駃,歸徑行已昨。

豈辭青鞋胝,悵望金匕藥。

東蒙赴舊隱,尚憶同志樂。

休事董先生,於今獨蕭索。

#4

胡爲客關塞,道意久衰薄。

妻子亦何人,丹砂負前諾。

雖悲鬒發變,未憂觔力弱。

扶藜望清秋,有興入廬霍。

 

 

(昔遊二首其一)#1

昔 華蓋君に謁して,深く洞宮の求めんとす

玉棺 已に天に上り,白日 亦た寂寞たり。

暮に升る 艮岑【ごんしん】の頂,巾几【きんき】猶お未だ卻【しりぞ】けられず。

弟子 四五人,入り來って 淚 俱に落つ。

#2

余 時に名山に遊ばんとし,發軔【はつじん】遠壑に在り。

良覿【りょうてき】夙願【しゅくがん】違う,含淒 寥廓【りょうかく】に向う。

林 昏くして幽磬【ゆうけい】罷む,竟夜 石閣に伏す。

王喬 天壇に下り,微月 皓鶴に映ず。

#3

晨溪 嚮【ひびき】虛しく駃【はや】し,歸徑 行 已に昨なり。

豈に辭せんや 青鞋【せいあい】の胝【ち】,悵望す 金匕の藥。

東蒙 舊隱に赴く,尚お憶う 同志の樂しかりしことを。

休事す 董先生,今に於て 獨り 蕭索たり。

#4

胡為れぞ 關塞に客となりて,道意 久して衰薄なるや。

妻子 亦た何人ぞ,丹砂 前諾に負く。

鬒髮の變を悲しむと雖も,未だ筋力の弱きことを憂えず。

藜を扶けて 清秋に望み,興の廬霍み入らんとする有り。

 

 

『昔遊二首其一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

昔遊二首其一

昔謁華蓋君,深求洞宮

玉棺已上天,白日亦寂寞。

暮升艮岑頂,巾几猶未卻。

弟子四五人,入來淚俱落。


(下し文)
(昔遊二首其一)

昔 華蓋君に謁して,深く洞宮のを求めんとす。

玉棺 已に天に上り,白日 亦た寂寞たり。

暮に升る 艮岑【ごんしん】の頂,巾几【きんき】猶お未だ卻【しりぞ】けられず。

弟子 四五人,入り來って 淚 俱に落つ。


(現代語訳)
(儒家の杜甫が、二十歳のころ、道教本山のある王屋山、東蒙山に遊び、仙道を求めたことがあったと追憶した詩)

昔、自分は華蓋君という道士に謁することがあった、それは、深く洞宮の根元、道教「道」を求めようしたことのである。

ところが、その華蓋君という道士は、死んで後漢王喬の故事のように玉棺は天にのぼってしまったので、白日の光も寂しげに見えた。

そして、その道士を思い、ひぐれに東北の峰の頂に登ったところ、天壇のようなところに、その道士の用いていた頭巾や脇息はまだそのままにおいであった。

そこへ華蓋君の弟子、盧老たち四五人が、天壇のようなところ白茅室に入ってきて、皆が涙を落した。


(訳注)

昔遊二首其一

(儒家の杜甫が、二十歳のころ、道教本山のある王屋山、東蒙山に遊び、仙道を求めたことがあったと追憶した詩)

杜甫1920歳のころのことを追憶した767年大曆二年56夔州での作。766年の《巻1513 昔遊》を昔遊二首其二(744年 天宝3載 33歳のころ)として整理する。

16-16昔遊〔二首之二〕》昔遊

昔者與高李,晚登單父臺。寒蕪際碣石,萬里風雲來。

桑柘葉如雨,飛藿去裴回。清霜大澤凍,禽獸有餘哀。

 

昔謁華蓋君,深求洞宮

昔、自分は華蓋君という道士に謁することがあった、それは、深く洞宮の根元、道教「道」を求めようしたことのである。

華蓋君 崑崙山の別称として華蓋ということで、道士名として仙人王子喬、華蓋君と号した、此処では王屋山にいる道士のことを挿している。

華蓋 1 花のように美しい衣笠(きぬがさ)2 ハスの花の形をした天蓋。崑崙山の別名。王子喬: 鶴に乗って昇天したといわれる神仙で、周の霊王(在位前572~前545)の38人の子の一人である太子晋のこと。王喬ともいう。

 伝説によると、王子喬は若くから才能豊かで、笙(しょう)という楽器を吹いては鳳凰(ほうおう)が鳴くような音を出すことができた。伊川(いせん)、洛水(河南省洛陽南部)あたりを巡り歩いていたとき、道士の浮丘公(ふきゅうこう)に誘われ中岳嵩山(すうざん)に入り、帰らなくなった。

 それから30年以上後、友人の桓良が山上で王子喬を探していると、ふいに本人が現れ、「7月7日に緱氏山(こうしざん)の頂上で待つように家族に伝えてくれ」といった。

 その日、家族がいわれたとおり山に登ると、王子喬が白鶴に乗って山上に舞い降りた。だが、山が険しく家族は近づくことができなかった。と、王子喬は手を上げて家族に挨拶し、数日後白鶴に乗って飛び去ったという。

華蓋君については七言古詩《巻21-56 惜昔行》と参看し、東蒙に関する部分は《巻02-27玄都壇歌》(玄都壇歌寄元逸人)と参看すべきと考える。

玄都壇のさまを述べて元逸人に寄せた詩。752天宝十一載の作。この詩は、李白の「西岳云台歌送丹邱子」と雰囲気を同じくしている。

玄都壇歌寄元逸人

故人昔隱東蒙峰,已佩含景蒼精龍。

故人今居子午穀,獨在陰崖結茅屋。』

屋前太古元都壇,青石漠漠常風寒。

子規夜啼山竹裂,王母晝下雲旗翻。』

知君此計誠長往,芝草瑯玕日應長。

鐵鎖高垂不可攀,致身福地何蕭爽。』

我が旧友たる君は昔東蒙峰にかくれていた頃から己に姿隠しの御守り札などを佩びた人のようであった。君は、今、子牛谷に住んでいて、ただひとり北向きの崖に茅屋の庵を結んでいる。その茅屋の前には太古からあるらしい玄都壇があって、青色の石が平べったく横わり、吹きくる風はいつもつめたい。夜にはほととぎすが啼いて山の竹が裂ける様な声をだし、昼は西王母の道士、仙人が雲旗をひるがえして天から下ってくる。君は世間に認知された、かかる山中の修行を計っては永久に自然界と一体化されているのである。そこでは気を吸い、霞をたべ、芝草や瑯玕の仙草が日々生長していることであろう。

そこへ行くには懸崖絶壁で鉄のくさりが高く垂れていてよじのぼることもできない。さような道教の福地というべきところに身を置くというはなんと「蕭爽な気」を身に吸い込んで一体化していくのであろう。』

 そこで、人々は緱氏山の麓や嵩山の山頂に祠を建てて、王子喬を祀ったといわれている。

洞宮 道教では、地に洞天三十六所あり、八海の諸山、五岳名山に皆洞宮ありと称す。王屋山に洞あり、周囘三里、名付けて小有清虚之天という、《巻21-56 惜昔行》にこれを「憶昔北尋小有洞,洪河怒濤過輕舸。」(憶う昔 北尋ぬ小有洞,洪河の怒濤に輕舸過ぐ。)といっている。とは山足をいう。

 

玉棺已上天,白日亦寂寞。

ところが、その華蓋君という道士は、死んで後漢王喬の故事のように玉棺は天にのぼってしまったので、白日の光も寂しげに見えた。

玉棺 華藍君の寝れたる棺,天棺については後漢の王喬の故事あり、「葉県令王喬、天下玉棺於堂前。吏人推排、終不揺動。天帝独召我邪。沐浴服飾、寝其中、蓋便立覆。天、玉棺を堂前に下す。吏人推排するも、ついに揺動せず。天帝、ひとり我を召すか。沐浴・服飾してその中に寝るに、蓋、すなわち立ちどころに覆えり。)とある。

上天 死せしないふや

 

暮升艮岑頂,巾几猶未卻。

そして、その道士を思い、ひぐれに東北の峰の頂に登ったところ、天壇のようなところに、その道士の用いていた頭巾や脇息はまだそのままにおいであった。

艮岑頂 東北のみね、王屋山の東北に洞あり。艮:①丑寅、東北の方角、②午前二時から四時の時間帯。)岑:みね。山が切りたった高い所。また、鋭く切り込んだように険しいさま。 高くて先がとがる。けわしい。するどい。 【岑岑】しんしん. 頭などがずきずき痛むようす。 「頭が岑岑と痛む」. 【岑】みね. 山のひときわ高くなった所。山のいただき。頂上。山頂。

巾几 華蓋君の生前つかっていた頭巾、脇息。

未卻 撤去せず、そのままにしてかたずけていないことをいう。

768年作。《巻21-56 憶昔行》「巾拂香餘擣藥塵,階除灰死燒丹火。」(巾拂 香は餘る擣藥の塵,階除 灰は死す 燒丹の火。

 

弟子四五人,入來淚俱落。

そこへ華蓋君の弟子、盧老たち四五人が、天壇のようなところ白茅室に入ってきて、皆が涙を落した。

弟子 華蓋君の弟子の盧老たちが徒をさす。768年作。《巻21-56 憶昔行》「弟子誰依白茅室,盧老獨青銅鎖。」(弟子 誰か依る白茅室,盧老 獨りく 青銅の鎖。

淚俱落 《巻21-56 憶昔行》「松風澗水聲合時,青兕黃熊啼向我。」(松風 澗水 聲合時,青兕 黃熊 啼きて我に向う。

 

 

《巻21-56 憶昔行》

作時:    768年大暦三年    57

卷別:    卷二二三              文體:    樂府

詩題:    憶昔行

作地點:              目前尚無資料

及地點:衡陽 (江南西道 衡州 衡陽)            

憶昔行

憶昔北尋小有洞,洪河怒濤過輕舸。

辛勤不見華蓋君,艮岑青輝慘么麼。

千崖無人萬壑靜,三步回頭五步坐。

秋山眼冷魂未歸,仙賞心違淚交墮。』

#2

弟子誰依白茅室,盧老獨青銅鎖。

巾拂香餘擣藥塵,階除灰死燒丹火。

懸圃滄洲莽空闊,金節羽衣飄婀娜。

落日初霞閃餘映,倏忽東西無不可。』

#3

松風澗水聲合時,青兕黃熊啼向我。

徒然咨嗟撫遺跡,至今夢想仍猶佐。

秘訣隱文須教,何功使願果。

更討衡陽董鍊師,南浮早鼓瀟湘柁。』

 

(憶昔行)

憶う昔 北尋ぬ小有洞,洪河の怒濤に輕舸過ぐ。

辛勤見ず 華蓋君,艮岑の青輝慘として 么麼【おうば】なり。

千崖人無く萬壑靜かなり,三步に回頭 五步に坐す。

秋山 眼 冷かにして 魂 未だ歸らず,仙賞 心 違いて 淚 交【こもご】も墮つ。』

#2

弟子 誰か依る白茅室,盧老 獨りく 青銅の鎖。

巾拂 香は餘る擣藥の塵,階除 灰は死す 燒丹の火。

懸圃 滄洲 莽として空闊なり,金節羽衣 飄として婀娜たり。

落日 初霞 餘映閃く,倏忽 東西 可ならざる無し。』

#3

松風 澗水 聲合時,青兕 黃熊 啼きて我に向う。

徒然 咨 嗟して撫遺跡をす,今に至るまで夢想 仍お猶お佐【たが】う。

秘訣 隱文は教を須つ 何の功か 願をして果さしめむ。

更に討【もと】む 衡陽の董鍊師,南浮 早く鼓せむ 瀟湘の柁。』

 

【詩意】

(昔、華蓋君といふ仙人を訪い、其の死亡に遭遇して「仙法を授かる能はざらし」ことなおもうで作った詩。)

 むかし北のかた小有洞天を訪ねたことがある。そのときは小舟で黄河の怒涛をすぎていった。すいぶん難儀をしていつたが華蓋君を見ることはできず、東北の峰の青い日の光が物悲し気に小さく光っていた。千崖萬壑にはだれも人がいなくて静まりかえっている、そこを三歩あるいてはふりかえり、五をあるいてはすわったりした。秋山をながめやる自分の眼には熱がなく求める人の魂はかえってこない、せっかく仙術を賞玩しようとおもうたねがいがはずれて涙がこもごもおちてきた。』

#2

 弟子のうちでだれが茅屋によっていたかといふと盧という老人で彼はひとり青銅のカギを開けてくれた。部屋に入って見ると華蓋君の頭巾や拂子にはまだ仙薬がついた塵の香があまっており、階のところには丹藥を焼いた火の灰がつめたくなっていた。玄圃だの洲だのという仙境がいたずらに暗く広がっているかの如く、金節をもち、羽衣をきた仙人がひらひらとしなやかに天上に飛んでいるかとおもわれる。夕日が落ちかかって霞がはじめて起ってその夕映えがはたはたとひらめき、忽ち一西一東するがどの場合にもうつくしくみえないことはない。』

#3

 そのうち松風の音、巌間の清水の音が混合して聞こえてくる、青兒だの黄熊だのがじぶんに向って啼きたてる。そのときじぶんはいたずらに溜息をついて仙人の遺跡にそっておもいにふけっていたが、今日になってみてもかつての夢想がいまだになしとげられずにいるのである。仙家の秘訣や隠文は内証の傳授がいるのだ、今の晩年となってはどんな工夫をすれば願を果すことができるのであろうか。どうしてもおもいきれないから自分はもういっぺん現に衡陽におられる董錬師をたずねもとめて、南方瀟湘の水に舟を浮べて、早く柁をうごかしたいとおもうのである。』

 

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杜甫  瞿塘懷古  

西南萬壑注,勍敵兩崖開。地與山根裂,江從月窟來。

削成當白帝,空曲隱陽臺。疏鑿功雖美,陶鈞力大哉。

(瞿唐峽を見て古昔の事、自然の力の大きさを思いうかべて作れる。)大暦元年の作。西南の方から萬壑の水流がこちらへそそぎ流れてくる、それに対して瞿唐峽は、あだかも強敵であるかの如くここの両崖が開かれている。地面と山の根とは、ともに裂けて開かれ、長江は月窟の西極から流れてくる。崖の削り成されたる勢は、白帝城の険峻にあたり、江水の空曲なるや、陽臺がどこにあるのか、見せてはくれない。こんな場所をきりひらいたといわれる禹の功績は後世にのこす美しいものではあるが、しかし、天然造化の力はとてつもなく大きなものである。

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杜甫詩1500-1051-1545/2500

年:766年大暦元年55-175

卷別:    卷二三四              文體:    五言律詩

詩題:    瞿塘懷古【案:草堂逸詩拾遺。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘      

白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城    

交遊人物/地點:  

 

 

瞿塘懷古

(瞿唐峽を見て古昔の事、自然の力の大きさを思いうかべて作れる。)大暦元年の作。

西南萬壑注,勍敵兩崖開。

西南の方から萬壑の水流がこちらへそそぎ流れてくる、それに対して瞿唐峽は、あだかも強敵であるかの如くここの両崖が開かれている。

地與山根裂,江從月窟來。

地面と山の根とは、ともに裂けて開かれ、長江は月窟の西極から流れてくる。

削成當白帝,空曲隱陽臺。

崖の削り成されたる勢は、白帝城の険峻にあたり、江水の空曲なるや、陽臺がどこにあるのか、見せてはくれない。

疏鑿功雖美,陶鈞力大哉。

こんな場所をきりひらいたといわれる禹の功績は後世にのこす美しいものではあるが、しかし、天然造化の力はとてつもなく大きなものである。

(瞿塘の古へを懷う)

西南より萬壑注ぐ,勍敵 兩崖開かる。

地と山根とは裂け,江は 月窟より來る。

削成せられて白帝に當り,空曲は 陽臺を隱す。

疏鑿 功 美なりと雖も,陶鈞 力 大なる哉。
瞿塘峡・白帝城・魚復

 

 

『瞿塘懷古』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

瞿塘懷古

西南萬壑注,勍敵兩崖開。

地與山根裂,江從月窟來。

削成當白帝,空曲隱陽臺。

疏鑿功雖美,陶鈞力大哉。
詩文(含異文)     西南萬壑注,勍敵兩崖開【勍敵兩崖間】。地與山根裂,江從月窟來。削成當白帝,空曲隱陽臺。疏鑿功雖美,陶鈞力大哉。


(下し文)
(瞿塘の古へを懷う)

西南より萬壑注ぐ,勍敵 兩崖開かる。

地と山根とは裂け,江は 月窟より來る。

削成せられて白帝に當り,空曲は 陽臺を隱す。

疏鑿 功 美なりと雖も,陶鈞 力 大なる哉。

(現代語訳)
(瞿唐峽を見て古昔の事、自然の力の大きさを思いうかべて作れる。)大暦元年の作。

西南の方から萬壑の水流がこちらへそそぎ流れてくる、それに対して瞿唐峽は、あだかも強敵であるかの如くここの両崖が開かれている。

地面と山の根とは、ともに裂けて開かれ、長江は月窟の西極から流れてくる。

崖の削り成されたる勢は、白帝城の険峻にあたり、江水の空曲なるや、陽臺がどこにあるのか、見せてはくれない。

こんな場所をきりひらいたといわれる禹の功績は後世にのこす美しいものではあるが、しかし、天然造化の力はとてつもなく大きなものである。

唐時代 地図山南 東・西道50 

 (訳注)

瞿塘懷古

(瞿唐峽を見て古昔の事、自然の力の大きさを思いうかべて作れる。)大暦元年の作。

 

西南萬壑注,勍敵兩崖開。

西南の方から萬壑の水流がこちらへそそぎ流れてくる、それに対して瞿唐峽は、あだかも強敵であるかの如くここの両崖が開かれている。

【一】  勍敵 つよき敵、萬壑の水に対して、この崖が強敵となるみいふ。

 

地與山根裂,江從月窟來。

地面と山の根とは、ともに裂けて開かれ、長江は月窟の西極から流れてくる。

【二】  月窟 西極に在りと考えられていたという地をさす。

 

削成當白帝,空曲隱陽臺。

崖の削り成されたる勢は、白帝城の険峻にあたり、江水の空曲なるや、陽臺がどこにあるのか、見せてはくれない。

【三】  削成 成鎧の唆しきないふ。

【四】  白帝 白帝城のこと。此句は「江從月窟來」を承る。

【五】  空曲 空痍同曲、ひろくしてまがる、此句は第四句を承く。西から流れてきたものが、南に流れを変えて瞿唐峽になる隈地点は淵となるのを〔空〕と表現した。

【六】  陽臺 陽雲臺、・杜甫《1524奉寄李十五祕書文嶷。二首之一》「避暑雲安縣,秋風早下來。暫留魚復浦,同過楚王臺。猿鳥千崖窄,江湖萬里開。竹枝歌未好,畫舸莫遲回。」(避暑した 雲安縣,秋風 早に下り來る。暫く留る 魚復の浦,同じく過る 楚王の臺。猿鳥 千崖窄く,江湖 萬里開く。竹枝 歌未だ好からず,畫舸 遲回する莫れ。)(雲安に滞在している秘書省の官である宗室李文嶷に寄せ奉った詩。)之一  今あなたのいるところは、自分が、雲安縣で暑さを避けていたところですが、秋風は早い時期から吹き降ろしてきました。その後、しばらくしてから、魚復浦に逗留してあなたとご一緒に楚の襄王と瑤姫のまじりあいの陽雲臺を訪ねました。雲安は、猿と鳥が鳴き叫んで、多くの崖が集まって平地の少ない窄いところであった、そして、前途江湖の地方へ出れば、はてしなく萬里のてんが開いている。巴渝地方の土謡もよいことは良いが卑俗すぎて好きに離れない、そうでない良いものもあるけれど、あなたの奇麗な船もつなぎとめたままで、ぐずぐずなされておるようですが、私と一緒に三峡、長江を下っていこうではありませんか。

 

疏鑿功雖美,陶鈞力大哉。

こんな場所をきりひらいたといわれる禹の功績は後世にのこす美しいものではあるが、しかし、天然造化の力はとてつもなく大きなものである。

【七】  疏鑿 聖帝禹王が江水を切り開いて三巴の方面から水をみちび利水し、航行を可能にした。《巻14-57 禹廟〔此忠州臨江縣禹祠也。〕》「禹廟空山裡,秋風落日斜。荒庭垂橘柚,古屋畫龍蛇。雲氣生虛壁,江聲走白沙。早知乘四載,疏鑿控三巴。」(禹廟 空山の裏、秋風 落日斜めなり。荒庭 橘柚垂れ、古屋 竜蛇を画く。雲気 虚壁に生じ、江声白沙に走る。早く知る四載に乗じて、疏鑿三巴より控せしを。)(忠州臨江縣にある禹廟の祠に謁して詠んだ詩)人もいない山のなかに南の廟があって、いまは秋風のおりに夕日が斜めにさしている。荒れた庭には橘柚の実が垂れさがり、ふるぼけた屋壁には竜蛇が画いてある。廟外では虚谷の崖壁に雲気がわきおこり、白い沙岸には江流の声がとどろきつつはしっている。禹が洪水を治めるため四種ののりものに乗って何処へでも行く、江山の疏鑿をやり、三巴の方面から水をみちびいたということは自分はつとに知っていたのだが、ここに来て、目の当たりその遺蹟を見るのである。

 

【八】  陶鈎 製陶者が陶器をつくるのに用いる“ろくろ”をいう。ここでは天然造化の力を例えていう。

陶鈞

(陶鈞, ) 亦作“陶均”。

1.製作陶器所用的轉輪。

桓寬 《鹽鐵論遵道》:辭若循環, 轉若陶鈞。”

2.治國的大道。

《史記魯仲連鄒陽列傳》:是以聖王制世御俗, 獨化於陶鈞之上。”

裴駰 集解引《漢書音義》:陶家名模下圓轉者為鈞, 以其能制器為大小, 比之於天。”

司馬貞 索隱引 張晏 曰: “陶, 冶;鈞, 範也。 作器, 下所轉者名鈞。”

3.指治理國家。

《舊唐書文苑傳下劉蕡》:至若念陶鈞之道, 在擇宰相而任之, 使權造物之柄。”

4.指藉以施展治國之才的權位。

王禹偁 《獻轉運使雷諫議》詩:棘寺下僚叨末路, 齋心唯願秉陶鈞。”

王禹偁 《酬种放徵君》:男兒既束髮, 出處歧路各;苟非秉陶鈞, 即去持矛槊。”

5.借指聖王。

南唐 李中 《獻喬侍郎》詩: “貴賤知無間, 孤寒必許親。 幾多沈滯者, 拭目望陶鈞。”

歐陽修 《與杜正獻公書慶歷五年》:迨此期 曠無所聞。 不惟上辜陶鈞, 實亦慚愧知己。”

6.指天地造化。

《晉書樂志上》:四海同風, 興至仁。 濟民育物, 擬陶均。 擬陶均, 垂惠潤。 皇皇群賢, 峨峨英雋。”

杜甫 《瞿唐懷古》詩: “疏鑿功雖美, 陶鈞力大哉!。”

仇兆鰲 注: “《鄒陽傳》: 獨化於陶鈞之上。

師氏 曰: 陶人轉鈞, 蓋取周迴調鈞耳, 此借以造化。”

楊巨源 《上劉侍中》詩: “道協陶鈞力, 思回日月光。”

司馬光 《和王安之今春於鄭國相公及光處得綴珠蓮各一本植之盆中仲夏始見一花喜而成詠》: “春凍消時種兩芽, 南風薰日見孤花。 先開必自陶鈞力, 且合歸功丞相家。”

7.陶冶、造就。

《宋書文帝紀》:將陶鈞庶品, 混一殊風。”

孫過庭 《書譜》: “必能傍通點畫之情, 博究始終之理, 鎔鑄蟲篆, 陶鈞草隸。”

鄭光祖 《伊尹耕莘》楔子: 西池 金母 共理二氣, 陶鈞萬物, 養育群生。”

嚴復 《原強》: 中國 今日之民, 其力、智、德三者, 苟通而言之, 則經數千年之層遞積累, 本之乎山川風土之攸殊, 導之乎刑政教俗之屢變, 陶鈞爐錘而成此最後之一境。”

766年-174杜甫 《1826-奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居,衛尚書太夫人因示從弟行軍司馬佐》52 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-174 <1050> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6930 

杜甫  奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居,衛尚書太夫人因示從弟行軍司馬佐

【案:別駕乃中丞之弟。衛伯玉時為荊南節度、檢校工部尚書。】

中丞問俗畫熊頻,愛弟傳書彩鷁新。遷轉五州防禦使,起居八座太夫人。

楚宮臘送荊門水,白帝雲碧海春。報與惠連詩不惜,知吾斑鬢總如銀。

(蜀州の別駕である柏某が柏中丞の使命を以て江陵へゆき、そこの衛尚書の母堂の安否を尋ねるらるのをお送りし、ついでにあちらにいる従弟行軍司馬杜位に示すために作った詩。)

ここに別駕とあるのは、すなわち中丞の弟である。衛伯玉が尚書である時、大暦五年五月荊南節度に、檢校工部尚書を加えられる。

柏中丞は風俗を視察せられるために、画熊の車を馳せられる。それで暇もないからこのたび愛弟である粕二別駕が中丞の手紙を伝えるため新に鷁首の船をだされるのである。中丞は五州防禦使に遷官せられ、八座の太夫人である衛尚書の母堂の安否をたづねさせられる。年の暮れ臘節にあたって楚宮のある此地の上流からは荊門へ向って水流を送りやる、白帝城のある此地の雲は早くも人の知らないあいだに碧海の春景色を含んでいるようだ。別駕よ、謝礼連と謝靈運のいとこ同士に比すべき吾が従弟の杜位に「こちらへよこす詩を惜むな」と報じていただきたい。また「自分の半白の鬢が今はすっかり銀のごとく白くなったことを承知せよ」と報じていただきたい。

766-174杜甫 1826-奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居,衛尚書太夫人因示從弟行軍司馬佐》52 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-174 <1050 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6930 

 

 
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杜甫詩1500-1050-1544/2500

年:766年大暦元年55-174

卷別:    卷二三二              文體:    七言律詩

詩題:    奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居,衛尚書太夫人因示從弟行軍司馬佐【案:別駕乃中丞之弟。衛伯玉時為荊南節度、檢校工部尚書。】

作地點:              目前尚無資料

及地點:              蜀州 (劍南道北部 蜀州 蜀州)           

江陵 (山南東道 荊州 江陵)             

白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城    

交遊人物/地點:柏二別駕   當地交遊

衛尚書太夫人          當地交遊

杜位          書信往來(山南東道 荊州 江陵)

 

 

奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居,衛尚書太夫人因示從弟行軍司馬佐

【案:別駕乃中丞之弟。衛伯玉時為荊南節度、檢校工部尚書。】

中丞問俗畫熊頻,愛弟傳書彩鷁新。

遷轉五州防禦使,起居八座太夫人。

楚宮臘送荊門水,白帝雲碧海春。

報與惠連詩不惜,知吾斑鬢總如銀。

(蜀州の別駕である柏某が柏中丞の使命を以て江陵へゆき、そこの衛尚書の母堂の安否を尋ねるらるのをお送りし、ついでにあちらにいる従弟行軍司馬杜位に示すために作った詩。)

ここに別駕とあるのは、すなわち中丞の弟である。衛伯玉が尚書である時、大暦五年五月荊南節度に、檢校工部尚書を加えられる。

柏中丞は風俗を視察せられるために、画熊の車を馳せられる。それで暇もないからこのたび愛弟である粕二別駕が中丞の手紙を伝えるため新に鷁首の船をだされるのである。

中丞は五州防禦使に遷官せられ、八座の太夫人である衛尚書の母堂の安否をたづねさせられる。

年の暮れ臘節にあたって楚宮のある此地の上流からは荊門へ向って水流を送りやる、白帝城のある此地の雲は早くも人の知らないあいだに碧海の春景色を含んでいるようだ。

別駕よ、謝礼連と謝靈運のいとこ同士に比すべき吾が従弟の杜位に「こちらへよこす詩を惜むな」と報じていただきたい。また「自分の半白の鬢が今はすっかり銀のごとく白くなったことを承知せよ」と報じていただきたい。

 

蜀州の柏二別駕が中丞の命を將【おこな】い、江陵に赴きて衛尚書の太夫人を起居するを送り奉る,因りて從弟行軍司馬佐に示す。)

【別駕 乃ち中丞の弟。衛伯玉の時 荊南節度に、檢校工部尚書と為り。】

中丞 俗を問いて畫熊 頻りなり,愛弟 書を傳えて彩鷁 なり。

遷轉す五州の防禦使,起居す 八座の太夫人。

楚宮臘には送る 荊門の水,白帝雲はむ 碧海の春。

與【ため】に惠連に報ぜよ 詩惜まざれ,吾が斑鬢 總て如銀のくなるを知れよ。

 

『奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居,衛尚書太夫人因示從弟行軍司馬佐』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居,衛尚書太夫人因示從弟行軍司馬佐

【案:別駕乃中丞之弟。衛伯玉時為荊南節度、檢校工部尚書。】

中丞問俗畫熊頻,愛弟傳書彩鷁新。

遷轉五州防禦使,起居八座太夫人。

楚宮臘送荊門水,白帝雲碧海春。

報與惠連詩不惜,知吾斑鬢總如銀。

(下し文)

蜀州の柏二別駕が中丞の命を將【おこな】い、江陵に赴きて衛尚書の太夫人を起居するを送り奉る,因りて從弟行軍司馬佐に示す。)

【別駕 乃ち中丞の弟。衛伯玉の時 荊南節度に、檢校工部尚書と為り。】

中丞 俗を問いて畫熊 頻りなり,愛弟 書を傳えて彩鷁 なり。

遷轉す五州の防禦使,起居す 八座の太夫人。

楚宮臘には送る 荊門の水,白帝雲はむ 碧海の春。

與【ため】に惠連に報ぜよ 詩惜まざれ,吾が斑鬢 總て如銀のくなるを知れよ。

(現代語訳)
(蜀州の別駕である柏某が柏中丞の使命を以て江陵へゆき、そこの衛尚書の母堂の安否を尋ねるらるのをお送りし、ついでにあちらにいる従弟行軍司馬杜位に示すために作った詩。)

ここに別駕とあるのは、すなわち中丞の弟である。衛伯玉が尚書である時、大暦五年五月荊南節度に、檢校工部尚書を加えられる。

柏中丞は風俗を視察せられるために、画熊の車を馳せられる。それで暇もないからこのたび愛弟である粕二別駕が中丞の手紙を伝えるため新に鷁首の船をだされるのである。

中丞は五州防禦使に遷官せられ、八座の太夫人である衛尚書の母堂の安否をたづねさせられる。

年の暮れ臘節にあたって楚宮のある此地の上流からは荊門へ向って水流を送りやる、白帝城のある此地の雲は早くも人の知らないあいだに碧海の春景色を含んでいるようだ。

別駕よ、謝礼連と謝靈運のいとこ同士に比すべき吾が従弟の杜位に「こちらへよこす詩を惜むな」と報じていただきたい。また「自分の半白の鬢が今はすっかり銀のごとく白くなったことを承知せよ」と報じていただきたい。


(訳注)

奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居,衛尚書太夫人因示從弟行軍司馬佐

(蜀州の別駕である柏某が柏中丞の使命を以て江陵へゆき、そこの衛尚書の母堂の安否を尋ねるらるのをお送りし、ついでにあちらにいる従弟行軍司馬杜位に示すために作った詩。)

大暦元年十二月、夔州での作。

【案:別駕乃中丞之弟。衛伯玉時為荊南節度、檢校工部尚書。】

ここに別駕とあるのは、すなわち中丞の弟である。衛伯玉が尚書である時、大暦五年五月荊南節度に、檢校工部尚書を加えられる。

【1】    蜀州 今、四川省成都府崇慶州。

【2】    柏二別駕 柏中丞の弟、別駕は州の属官である。

【3】    將中丞命 將命とは命令かもってゆくこと、中丞は柏中丞。

【4】    江陵 湖北省荊州府。

【5】    起居 御機嫌伺いをすること、その人の起居の安否如何な問うことをいう。

【6】    衛尚書 衛伯玉のこと。大暦元年五月、荊南節度使衛伯玉に検校工部尚書を加えられたこと。

【7】    太夫人 衛伯玉の母をいう、漢の法にては列侯の母にしてはじめて太夫人と称す、後世はひろくいふ。蓋し柏中丞と衛尚書とは従兄弟の関係にあるものである。

【8】    従弟行軍司馬位 作者の年下のいとこにて伯玉が配下にて行軍司馬の役をつとめている杜位のこと。

 

中丞問俗畫熊頻,愛弟傳書彩鷁新。

柏中丞は風俗を視察せられるために、画熊の車を馳せられる。それで暇もないからこのたび愛弟である粕二別駕が中丞の手紙を伝えるため新に鷁首の船をだされるのである。

【9】    問俗 領内人民の風俗を問う、民情か視察すること。

【10】  畫熊頻 畫熊は車の欄軾のところに熊の形象を描いた車の事。絵柄によって官位がわかるもので、その車が頻繁に来ることを言う

【11】  愛弟 柏二別駕をいう。

【12】  傳書 中丞の手紙を先方へつたえること。

【13】  彩鷁新 彩鷁は船をいうもの、水紳を壓するため船首に鷁鳥を新な彩色にてえがく、別駕がのってゆく船をいう。

 

遷轉五州防禦使,起居八座太夫人。

中丞は五州防禦使に遷官せられ、八座の太夫人である衛尚書の母堂の安否をたづねさせられる。

【14】  遷轉 官位を遷ること。

【15】  五州防禦使 代宗の廣徳二年に夔・忠・涪防禦使を置き夔州に治す、もとは夔州・峡州・忠州・歸州・萬州の五州を領して荊南節度使に隷属せしものなりと、柏中丞、このとき夔州都督より防禦使に遷りしものとみえたり。

【16】  八座太夫人 八座とは主要な官省八種をいう、其の内容に時代により同じからず、隋、唐の時、以て左右僕射と六部尚書で “八座尚書”と為した。 參見できるものの総称として<<八座>>という ”。衛伯玉は検校工部尚書であるから、八座の一に居る。其の母であるから、八座太夫人という。

 

楚宮臘送荊門水,白帝雲碧海春。

年の暮れ臘節にあたって楚宮のある此地の上流からは荊門へ向って水流を送りやる、白帝城のある此地の雲は早くも人の知らないあいだに碧海の春景色を含んでいるようだ。

【17】  楚官楚王の宮、鉱山駿にわり、巳に見岬。

【18】  臘 十二月の別名。師走(しわす)。「臘」は、「年の瀬」「12月」という意味がある。師走・極月などとともに、臘月は旧暦一二月の異称。年末のことを臘尾といったり、年が明けて前年となった一二月のことを旧臘という。

【19】  荊門山の名。

【20】  白帝 城の名、夔州城の隣にあった。

【21】   は盗む、人の知られない潜にということを含むことをいう。

【22】  碧海 荊州の廣き江水をさす。其の末流、東流して海に入る。

 

報與惠連詩不惜,知吾斑鬢總如銀。

別駕よ、謝礼連と謝靈運のいとこ同士に比すべき吾が従弟の杜位に「こちらへよこす詩を惜むな」と報じていただきたい。また「自分の半白の鬢が今はすっかり銀のごとく白くなったことを承知せよ」と報じていただきたい。

【23】  報與 我が為めに彼に報ぜよ、これは柏別駕にむかいていう辭なり。

【24】  惠連 宋の謝惠連。謝靈運が従弟にて文才あり、今借りて杜甫の従弟杜位に比したもの。

【25】  詩不惜 我に贈る詩篇を愛惜するなかれ。

【26】  知吾 吾の作る詩を知れとに杜位にむかっていうなり。

766年-173杜甫 《1832 〔見王監兵馬使說請余賦詩二首之二〕》66 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-173 <1049> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6925

杜甫  見王監兵馬使請余賦詩二首之二  

黑鷹不省人間有,度海疑從北極來。正翮摶風超紫塞,立冬幾夜宿陽臺。

虞羅自各虛施巧,春雁同歸必見猜。萬里寒空祗一日,金眸玉爪不凡才。

(某監であって現に兵馬使である王某君のいうことをきくと、近所の山に白鷹と黒鷹とが居て、羅網をかけて鳥を捕る者が長いあいだそれを取らうとしでいるがいまだに捕れぬという。王君の考では、その鷹は毛も骨も他の鷹とちがったところがある様だ、もし臘節がすぎ春になったら、鷹は飛びあがって暖気を避け、そのつよい翮をもってひどく秋の涼しさを蓋ふ結果としてはるか遠方へ去ってしまって見ることができぬであらう、と。それで自分にたのんでその鷹の詩をつくらせた。) この第二首は黒鷹についてのべ、亦た自己を比し、且つ北歸の情を寓した。

黒鷹などいふものは人間に有るところのものとはおもえないが、有るとすればそれは疑うらくは北極から海を渡って来たものであらう。彼の鷹はまっすぐに翮を張って風にうちつけて長城をこえてきて、冬のあいだ幾晩、南方、夔州の陽雲臺の地に宿ったか。この鷹を羅網師が捕えようとしてもかれは巧を施すことのむだたことなさとるであらう。(彼の鷹が網などにかかるものではない)。また春の雁とつれだって北へ帰るならば、雁のため自己を害しでもするかと猜疑心を以てむかへられるであらう。この鷹にとつては萬里の寒空を飛ぶことはたった一日の仕事である。じつに金眸玉爪をそなえた非凡の材ある鳥である。

766-173杜甫 《1832 〔見王監兵馬使請余賦詩二首之二〕66 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-173 <1049> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6925

 

 
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杜甫詩1500-1049-1543/2500

年:766年大暦元年55-172

卷別:    卷二三一              文體:    七言律詩

詩題:〔見王監兵馬使請余賦詩二首之二〕見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦詩,二首之二

【見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦二詩,二首之二】

作地點:              目前尚無資料

交遊人物/地點:王兵馬      當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

 

見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦詩,二首之一

(某監であって現に兵馬使である王某君のいうことをきくと、近所の山に白鷹と黒鷹とが居て、羅網をかけて鳥を捕る者が長いあいだそれを取らうとしでいるがいまだに捕れぬという。王君の考では、その鷹は毛も骨も他の鷹とちがったところがある様だ、もし臘節がすぎ春になったら、鷹は飛びあがって暖気を避け、そのつよい翮をもってひどく秋の涼しさを蓋ふ結果としてはるか遠方へ去ってしまって見ることができぬであらう、と。それで自分にたのんでその鷹の詩をつくらせた。)二首之一

雪飛玉立盡清秋,不惜奇毛恣遠遊。

ここに一匹の白鷹がいる。それは静止していれば玉のごとく立ち、動くときは雪のごとく飛ぶが、すずしい秋がなくなればその非凡な毛羽を惜しむことなく勝手に遠方へ遊びにでかけてしまう。

在野只教心力破,千人何事網羅求。

彼の鷹は、本來、山にあり天に飛ぶ性をもったものであるから原野に居れば心力を破壊するのみであり、他人関係に於いては他人から網羅で取って用いてもらいたい、とつとめる様なことはいらぬのである。

一生自獵知無敵,百中爭能恥下韝。

彼の鷹は生涯自力で猟をなすもので、その点では何ものも敵するものがないことを自ら知っており、鷹使いの弓小手から舞い下って他鷹と百中の能を争うことは恥辱だとおもっている。

鵬礙九天須卻避,兔藏三穴莫深憂。

この鷹にであうでは九天をさまたぐるほどの大きな巽をもった鵬鳥もわきへよけねばなるまいが、三つの窟屋を用意しておいてそこにかくれる様なちっぽけな兎などはこの鷹の眼中に無いからひどく心配するには及ばぬ。

〔王監が兵馬使がくを見る、余に請い詩を賦せしむ,二首の一〕      

(王監が兵馬使がを見る 近山に白黑の二鷹有り,羅者 久しく取らんとするに竟に未だ得る能わず,王 以為【おもえ】らく 毛骨 他鷹に異る有り,恐らくは臘後 春生ぜば飛して暖を避け 勁翮 秋を思う之れ甚しき,眇として見る可からず,余に請い詩を賦せしむ,二首の一)

雪飛 玉立して 清秋盡く,奇毛を惜まず 恣まに 遠遊す。

野に在り 只だ心力をして破れしむ,千人 何事ぞせん 網羅求めらるるを。

一生 自ら獵す 敵 無きを知り,百中 能を爭う 下韝を恥ず

鵬 九天を礙【さまた】ぐ 須らく 卻避すべし,兔 三穴に藏す 深く憂うこと莫れ。

〔見王監兵馬使請余賦詩二首之二〕

見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦詩,二首之二

【見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦二詩,二首之二】

(某監であって現に兵馬使である王某君のいうことをきくと、近所の山に白鷹と黒鷹とが居て、羅網をかけて鳥を捕る者が長いあいだそれを取らうとしでいるがいまだに捕れぬという。王君の考では、その鷹は毛も骨も他の鷹とちがったところがある様だ、もし臘節がすぎ春になったら、鷹は飛びあがって暖気を避け、そのつよい翮をもってひどく秋の涼しさを蓋ふ結果としてはるか遠方へ去ってしまって見ることができぬであらう、と。それで自分にたのんでその鷹の詩をつくらせた。)

 この第二首は黒鷹についてのべ、亦た自己を比し、且つ北歸の情を寓した。

黑鷹不省人間有,度海疑從北極來。

黒鷹などいふものは人間に有るところのものとはおもえないが、有るとすればそれは疑うらくは北極から海を渡って来たものであらう。

正翮摶風超紫塞,立冬幾夜宿陽臺。

彼の鷹はまっすぐに翮を張って風にうちつけて長城をこえてきて、冬のあいだ幾晩、南方、夔州の陽雲臺の地に宿ったか。

虞羅自各虛施巧,春雁同歸必見猜。

この鷹を羅網師が捕えようとしてもかれは巧を施すことのむだたことなさとるであらう。(彼の鷹が網などにかかるものではない)。

萬里寒空祗一日,金眸玉爪不凡才。

また春の雁とつれだって北へ帰るならば、雁のため自己を害しでもするかと猜疑心を以てむかへられるであらう。この鷹にとつては萬里の寒空を飛ぶことはたった一日の仕事である。じつに金眸玉爪をそなえた非凡の材ある鳥である。

〔王監が兵馬使がくを見る、余に請い詩を賦せしむ,二首の二〕      

(王監が兵馬使がを見る 近山に白黑の二鷹有り,羅者 久しく取らんとするに竟に未だ得る能わず,王 以為【おもえ】らく 毛骨 他鷹に異る有り,恐らくは臘後 春生ぜば飛して暖を避け 勁翮 秋を思う之れ甚しき,眇として見る可からず,余に請い詩を賦せしむ,二首の二)

黑鷹 省みず人間の有なるを,度海をりて疑うらくは北極より來る。

正翮 風に摶ちて紫塞を超え,立冬 幾夜か 陽臺に宿す。

虞羅 自各 虛しく巧を施し,春雁 同歸せば 必ず猜せられん。

萬里 寒空 祗だ一日,金眸 玉爪 不凡の才。

 

 

『見王監兵馬使請余賦詩二首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

〔見王監兵馬使請余賦詩二首之二〕

見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦詩,二首之二

【見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦二詩,二首之二】

黑鷹不省人間有,度海疑從北極來。

正翮摶風超紫塞,立冬幾夜宿陽臺。

虞羅自各虛施巧,春雁同歸必見猜。

萬里寒空祗一日,金眸玉爪不凡才。
詩文(含異文)     黑鷹不省人間有,度海疑從北極來。正翮摶風超紫塞,立冬幾夜宿陽臺【玄冬幾夜宿陽臺】。虞羅自各虛施巧,春雁同歸必見猜。萬里寒空祗一日,金眸玉爪不凡才【金眸玉爪未凡才】。


(下し文)
〔王監が兵馬使がくを見る、余に請い詩を賦せしむ,二首の二〕      

(王監が兵馬使がを見る 近山に白黑の二鷹有り,羅者 久しく取らんとするに竟に未だ得る能わず,王 以為【おもえ】らく 毛骨 他鷹に異る有り,恐らくは臘後 春生ぜば飛して暖を避け 勁翮 秋を思う之れ甚しき,眇として見る可からず,余に請い詩を賦せしむ,二首の二)

黑鷹 省みず人間の有なるを,度海をりて疑うらくは北極より來る。

正翮 風に摶ちて紫塞を超え,立冬 幾夜か 陽臺に宿す。

虞羅 自各 虛しく巧を施し,春雁 同歸せば 必ず猜せられん。

萬里 寒空 祗だ一日,金眸 玉爪 不凡の才。

(現代語訳)
(某監であって現に兵馬使である王某君のいうことをきくと、近所の山に白鷹と黒鷹とが居て、羅網をかけて鳥を捕る者が長いあいだそれを取らうとしでいるがいまだに捕れぬという。王君の考では、その鷹は毛も骨も他の鷹とちがったところがある様だ、もし臘節がすぎ春になったら、鷹は飛びあがって暖気を避け、そのつよい翮をもってひどく秋の涼しさを蓋ふ結果としてはるか遠方へ去ってしまって見ることができぬであらう、と。それで自分にたのんでその鷹の詩をつくらせた。)

 この第二首は黒鷹についてのべ、亦た自己を比し、且つ北歸の情を寓した。

黒鷹などいふものは人間に有るところのものとはおもえないが、有るとすればそれは疑うらくは北極から海を渡って来たものであらう。

彼の鷹はまっすぐに翮を張って風にうちつけて長城をこえてきて、冬のあいだ幾晩、南方、夔州の陽雲臺の地に宿ったか。

 

この鷹を羅網師が捕えようとしてもかれは巧を施すことのむだたことなさとるであらう。(彼の鷹が網などにかかるものではない)。

また春の雁とつれだって北へ帰るならば、雁のため自己を害しでもするかと猜疑心を以てむかへられるであらう。この鷹にとつては萬里の寒空を飛ぶことはたった一日の仕事である。じつに金眸玉爪をそなえた非凡の材ある鳥である。


(訳注)

〔王監が兵馬使がくを見る、余に請い詩を賦せしむ,二首の二〕      

見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦詩,二首之二

(某監であって現に兵馬使である王某君のいうことをきくと、近所の山に白鷹と黒鷹とが居て、羅網をかけて鳥を捕る者が長いあいだそれを取らうとしでいるがいまだに捕れぬという。王君の考では、その鷹は毛も骨も他の鷹とちがったところがある様だ、もし臘節がすぎ春になったら、鷹は飛びあがって暖気を避け、そのつよい翮をもってひどく秋の涼しさを蓋ふ結果としてはるか遠方へ去ってしまって見ることができぬであらう、と。それで自分にたのんでその鷹の詩をつくらせた。)

 この第二首は黒鷹についてのべ、亦た自己を比し、且つ北歸の情を寓した。

 

黑鷹不省人間有,度海疑從北極來。

黒鷹などいふものは人間に有るところのものとはおもえないが、有るとすればそれは疑うらくは北極から海を渡って来たものであらう。

【1】    不省 省は察である。どう考えてもそのようにはみえない。

【2】    人間有 有は所有在り。人間に有るものの義。

 

正翮摶風超紫塞,立冬幾夜宿陽臺。

彼の鷹はまっすぐに翮を張って風にうちつけて長城をこえてきて、冬のあいだ幾晩、南方、夔州の陽雲臺の地に宿ったか。

【3】    正翻 たちばねかまっすぐにのばす。

【4】    摶風 摶はうちつけること。

【5】    超紫塞 秦が万里の長城を築くに土色皆紫であったために、紫塞は、異民族から防御する詩的総称として使われている。朔方の塞は雁門、此処では、西の塞、南の塞と超とは之を越えて来ていることをいう。

【6】    幾夜 いくよ。裏面の意に多く宿すること。

【7】    陽臺 楚の陽雲台。巫山神女が往来したところ。巫山縣の西北にある陽雲臺の事であるが、杜甫が夔州城の役所へきてこの詩を作ることから、王監のいるこの役所をさすものである。

 

虞羅自各虛施巧,春雁同歸必見猜。

この鷹を羅網師が捕えようとしてもかれは巧を施すことのむだたことなさとるであらう。(彼の鷹が網などにかかるものではない)。

【8】    虞羅 虞羅は虞人の作る網。虞は虞人、このことから山澤を掌る役人をいみする。

【9】    自各虛施巧 みずからも、おのおののものも、うまくあみの仕掛けするので、仕掛けがわからなくなる。虚とは鷹がそれにかからないことをいう。

【10】  春雁同歸 春に雁が南より北へかへる。同歸とは鷹が雁とおなじく北へかへるをいう。

【11】  必見猜 鷹が雁からそねまれる。 

 

萬里寒空祗一日,金眸玉爪不凡才。
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【12】  萬里寒空 南より塞外までの遠いそら。

【13】  金眸 金のように光る鋭い眼。

【14】  玉爪 たまの様な白く堅きつめ。

【15】  不凡材 非凡の材。 

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杜甫  見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦詩,二首之一

雪飛玉立盡清秋,不惜奇毛恣遠遊。在野只教心力破,千人何事網羅求。

一生自獵知無敵,百中爭能恥下韝。鵬礙九天須卻避,兔藏三穴莫深憂。

(某監であって現に兵馬使である王某君のいうことをきくと、近所の山に白鷹と黒鷹とが居て、羅網をかけて鳥を捕る者が長いあいだそれを取らうとしでいるがいまだに捕れぬという。王君の考では、その鷹は毛も骨も他の鷹とちがったところがある様だ、もし臘節がすぎ春になったら、鷹は飛びあがって暖気を避け、そのつよい翮をもってひどく秋の涼しさを蓋ふ結果としてはるか遠方へ去ってしまって見ることができぬであらう、と。それで自分にたのんでその鷹の詩をつくらせた。)二首之一

ここに一匹の白鷹がいる。それは静止していれば玉のごとく立ち、動くときは雪のごとく飛ぶが、すずしい秋がなくなればその非凡な毛羽を惜しむことなく勝手に遠方へ遊びにでかけてしまう。彼の鷹は、本來、山にあり天に飛ぶ性をもったものであるから原野に居れば心力を破壊するのみであり、他人関係に於いては他人から網羅で取って用いてもらいたい、とつとめる様なことはいらぬのである。彼の鷹は生涯自力で猟をなすもので、その点では何ものも敵するものがないことを自ら知っており、鷹使いの弓小手から舞い下って他鷹と百中の能を争うことは恥辱だとおもっている。この鷹にであうでは九天をさまたぐるほどの大きな巽をもった鵬鳥もわきへよけねばなるまいが、三つの窟屋を用意しておいてそこにかくれる様なちっぽけな兎などはこの鷹の眼中に無いからひどく心配するには及ばぬ。

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  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
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年:766年大暦元年55-172

卷別:    卷二三一              文體:    七言律詩

詩題:〔見王監兵馬使請余賦詩二首之一〕見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦詩,二首之一

【見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦二詩,二首之一】

作地點:              目前尚無資料

交遊人物/地點:王兵馬      當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

 

〔見王監兵馬使請余賦詩二首之一〕          

見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦詩,二首之一

(某監であって現に兵馬使である王某君のいうことをきくと、近所の山に白鷹と黒鷹とが居て、羅網をかけて鳥を捕る者が長いあいだそれを取らうとしでいるがいまだに捕れぬという。王君の考では、その鷹は毛も骨も他の鷹とちがったところがある様だ、もし臘節がすぎ春になったら、鷹は飛びあがって暖気を避け、そのつよい翮をもってひどく秋の涼しさを蓋ふ結果としてはるか遠方へ去ってしまって見ることができぬであらう、と。それで自分にたのんでその鷹の詩をつくらせた。)二首之一

雪飛玉立盡清秋,不惜奇毛恣遠遊。

ここに一匹の白鷹がいる。それは静止していれば玉のごとく立ち、動くときは雪のごとく飛ぶが、すずしい秋がなくなればその非凡な毛羽を惜しむことなく勝手に遠方へ遊びにでかけてしまう。

在野只教心力破,千人何事網羅求。

彼の鷹は、本來、山にあり天に飛ぶ性をもったものであるから原野に居れば心力を破壊するのみであり、他人関係に於いては他人から網羅で取って用いてもらいたい、とつとめる様なことはいらぬのである。

一生自獵知無敵,百中爭能恥下韝。

彼の鷹は生涯自力で猟をなすもので、その点では何ものも敵するものがないことを自ら知っており、鷹使いの弓小手から舞い下って他鷹と百中の能を争うことは恥辱だとおもっている。

鵬礙九天須卻避,兔藏三穴莫深憂。

この鷹にであうでは九天をさまたぐるほどの大きな巽をもった鵬鳥もわきへよけねばなるまいが、三つの窟屋を用意しておいてそこにかくれる様なちっぽけな兎などはこの鷹の眼中に無いからひどく心配するには及ばぬ。

〔王監が兵馬使がくを見る、余に請い詩を賦せしむ,二首の一〕      

(王監が兵馬使がを見る 近山に白黑の二鷹有り,羅者 久しく取らんとするに竟に未だ得る能わず,王 以為【おもえ】らく 毛骨 他鷹に異る有り,恐らくは臘後 春生ぜば飛して暖を避け 勁翮 秋を思う之れ甚しき,眇として見る可からず,余に請い詩を賦せしむ,二首の一)

雪飛 玉立して 清秋盡く,奇毛を惜まず 恣まに 遠遊す。

野に在り 只だ心力をして破れしむ,千人 何事ぞせん 網羅求めらるるを。

一生 自ら獵す 敵 無きを知り,百中 能を爭う 下韝を恥ず

鵬 九天を礙【さまた】ぐ 須らく 卻避すべし,兔 三穴に藏す 深く憂うこと莫れ。

 

『〔見王監兵馬使請余賦詩二首之一〕』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

〔見王監兵馬使請余賦詩二首之一〕          

見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦詩,二首之一

雪飛玉立盡清秋,不惜奇毛恣遠遊。

在野只教心力破,千人何事網羅求。

一生自獵知無敵,百中爭能恥下

鵬礙九天須卻避,兔藏三穴莫深憂。
詩文(含異文)

【見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦二詩,二首之一】      

雪飛玉立盡清秋【雲飛玉立盡清秋】,不惜奇毛恣遠遊。在野只教心力破【在野只教心膽破】,千人何事網羅求【干人何事網羅求】【于人何事網羅求】。一生自獵知無敵,百中爭能恥下韝。鵬礙九天須卻避,兔藏三穴莫深憂【兔藏三窟莫深憂】【兔經三穴莫深憂】【兔經三窟莫深憂】【兔營三穴莫深憂】【兔營三窟莫深憂】。


(下し文)
〔王監が兵馬使がくを見る、余に請い詩を賦せしむ,二首の一〕      

(王監が兵馬使がを見る 近山に白黑の二鷹有り,羅者 久しく取らんとするに竟に未だ得る能わず,王 以為【おもえ】らく 毛骨 他鷹に異る有り,恐らくは臘後 春生ぜば飛して暖を避け 勁翮 秋を思う之れ甚しき,眇として見る可からず,余に請い詩を賦せしむ,二首の一)

雪飛 玉立して 清秋盡く,奇毛を惜まず 恣まに 遠遊す。

野に在り 只だ心力をして破れしむ,千人 何事ぞせん 網羅求めらるるを。

一生 自ら獵す 敵 無きを知り,百中 能を爭う 下韝を恥ず

鵬 九天を礙【さまた】ぐ 須らく 卻避すべし,兔 三穴に藏す 深く憂うこと莫れ。

(現代語訳)
(某監であって現に兵馬使である王某君のいうことをきくと、近所の山に白鷹と黒鷹とが居て、羅網をかけて鳥を捕る者が長いあいだそれを取らうとしでいるがいまだに捕れぬという。王君の考では、その鷹は毛も骨も他の鷹とちがったところがある様だ、もし臘節がすぎ春になったら、鷹は飛びあがって暖気を避け、そのつよい翮をもってひどく秋の涼しさを蓋ふ結果としてはるか遠方へ去ってしまって見ることができぬであらう、と。それで自分にたのんでその鷹の詩をつくらせた。)二首之一

ここに一匹の白鷹がいる。それは静止していれば玉のごとく立ち、動くときは雪のごとく飛ぶが、すずしい秋がなくなればその非凡な毛羽を惜しむことなく勝手に遠方へ遊びにでかけてしまう。

彼の鷹は、本來、山にあり天に飛ぶ性をもったものであるから原野に居れば心力を破壊するのみであり、他人関係に於いては他人から網羅で取って用いてもらいたい、とつとめる様なことはいらぬのである。

彼の鷹は生涯自力で猟をなすもので、その点では何ものも敵するものがないことを自ら知っており、鷹使いの弓小手から舞い下って他鷹と百中の能を争うことは恥辱だとおもっている。

この鷹にであうでは九天をさまたぐるほどの大きな巽をもった鵬鳥もわきへよけねばなるまいが、三つの窟屋を用意しておいてそこにかくれる様なちっぽけな兎などはこの鷹の眼中に無いからひどく心配するには及ばぬ。


(訳注)

〔見王監兵馬使請余賦詩二首之一〕           〔王監が兵馬使がくを見る、余に請い詩を賦せしむ,二首の一〕      

ここでは詩題が長いので便宜的に用いる。

 

見王監兵馬使近山有白黑二鷹,羅者久取竟未能得,王以為毛骨有異他鷹,恐臘後春生鶱飛避暖勁翮思秋之甚,眇不可見,請余賦詩,二首之一

(王監が兵馬使がを見る 近山に白黑の二鷹有り,羅者 久しく取らんとするに竟に未だ得る能わず,王 以為【おもえ】らく 毛骨 他鷹に異る有り,恐らくは臘後 春生ぜば飛して暖を避け 勁翮 秋を思う之れ甚しき,眇として見る可からず,余に請い詩を賦せしむ,二首の一)

(某監であって現に兵馬使である王某君のいうことをきくと、近所の山に白鷹と黒鷹とが居て、羅網をかけて鳥を捕る者が長いあいだそれを取らうとしでいるがいまだに捕れぬという。王君の考では、その鷹は毛も骨も他の鷹とちがったところがある様だ、もし臘節がすぎ春になったら、鷹は飛びあがって暖気を避け、そのつよい翮をもってひどく秋の涼しさを蓋ふ結果としてはるか遠方へ去ってしまって見ることができぬであらう、と。それで自分にたのんでその鷹の詩をつくらせた。)

この第一首は白鷹についてのべ、暗に自己を之に此したものである。大暦元年の作。

【1】    王監 唐制に監の字か附したる官名は甚だ多し。比に王監というに、何の監なるや詳ならず。嘗て某監なりしものであろう。此の人前の角鷹の詩の王某と同人ぶつであろう。見説は其の人のいうを説を聞くの意。

【2】    羅者 鳥をあみにて捕うるもの。

【3】    久取 長い間鳥をとっていることをいう。

【4】     はるかなる貌。 

 

雪飛玉立盡清秋,不惜奇毛恣遠遊。

ここに一匹の白鷹がいる。それは静止していれば玉のごとく立ち、動くときは雪のごとく飛ぶが、すずしい秋がなくなればその非凡な毛羽を惜しむことなく勝手に遠方へ遊びにでかけてしまう。

【5】    雪飛玉立 静止していれば玉のごとく立ち、動くときは雪のごとく飛ぶ。雪、玉は、鷹の羽毛の純白のたとえ、飛は動の状態を言い、立は静の状態を言う。

【6】    盡清秋 清秋の秋が終るときをいふ。

【7】    奇毛 尋常に非ざる毛。

 

在野只教心力破,千人何事網羅求。

彼の鷹は、本來、山にあり天に飛ぶ性をもったものであるから原野に居れば心力を破壊するのみであり、他人関係に於いては他人から網羅で取って用いてもらいたい、とつとめる様なことはいらぬのである。

【8】    在野只教心力破,千人何事網羅求 この鷹が冬の時期に原野にあるときのことをいう。

【9】    心力破 鷹の心力が敗れて、その能力を発揮できない、飛べば、その能力をいかんなく発揮する。

【10】  千人 千人の人。他人に於て。

【11】  何事それを目的とすることなし。

【12】  網羅求 他人から採用されることをねがい求める。換言すればだれでもいいから他人から採用されるるを願ふなり。

 

一生自獵知無敵,百中爭能恥下韝。

彼の鷹は生涯自力で猟をなすもので、その点では何ものも敵するものがないことを自ら知っており、鷹使いの弓小手から舞い下って他鷹と百中の能を争うことは恥辱だとおもっている。

【13】  自猟 他人の力によらす自力にて猟をすること。

【14】  百中爭能恥下韝 この句は「恥下韝而争百中之能。」(韝より下りて百中の能を争うを恥ず)と同じ。百中は「戦國策」楚の養由基が柳葉を去ること百甘歩にして之を射るに百発百中とあるに本づく。爭能とは技能の優劣を争うことをいう。下韝とに壮士の弓小手より下りて獲物を撃つをいう。

 

鵬礙九天須卻避,兔藏三穴莫深憂。

この鷹にであうでは九天をさまたぐるほどの大きな巽をもった鵬鳥もわきへよけねばなるまいが、三つの窟屋を用意しておいてそこにかくれる様なちっぽけな兎などはこの鷹の眼中に無いからひどく心配するには及ばぬ。

【15】   鵬は大鳥、逍遙遊第一[编辑]. 北冥有魚,其名曰鯤。鯤之大,不知其幾千里也。化而為鳥,其名為鵬。鵬之背,不知其幾千里也;怒而飛,其翼若垂天之雲。是鳥也,海運則將徙於南冥。南冥者,天池也。

【16】   鵬の翼にわよりに大なるな以て大在もさま王ぐるなり。

【17】  九天 九重九層の天とする立体的考へ方と、中央及び八方の天とする平面的の考え方と二種ある。

【18】  卻避 しりぞきさく。

【19】  兔藏三穴 狡兎三穴『戦国策』「斉策」は悪知恵のはたらく兎は身を守るために用心深くたくさんの逃げ場や、策略を用意しておくこと。または、困難をさけることがうまいこと。悪知恵のはたらく賢い兎は、隠れるための穴を三つ用意しているという意味から。

【20】  莫深憂     鷹は悪知恵のはたらく賢い兎の如き小さきものには眼もくれないが故に心配に及ばないということ。

766年-171杜甫 《1712 吹笛》605 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-171 <1047> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6915 

杜甫  吹笛

吹笛秋山風月清,誰家巧作斷腸聲。風飄律呂相和切,月傍關山幾處明。

胡騎中宵堪北走,武陵一曲想南征。故園楊柳今搖落,何得愁中曲盡生。

(悲愁の秋、秋山に笛を吹く「清商」というと琴に和せて笛を吹き演奏するのは相当高い身分の人である)秋の山に風月の清き頃である、笛の音を吹きすさぶものがある。あのように巧みに人の腸をたたしめるような声をださせているのはどこの家かはわかりはしない。風に律呂の調をひるがえさせて、二調の和らぎは、ひしと人にせまりくる。月は関山にそうて、照りかがやいているが、どこからどこまでくまなく明るくなっているのだろうか。この音をきいては劉琨の時のごとく胡騎も夜中に北ににげだすに十分であろう。また、馬援がその昔にあわせて「武渓深」の曲をうとうたという南蛮征伐の当時をおもいだす。いま故郷の楊柳は秋風にゆられ落ちるというのに、なんで笛曲では吾が愁いのなかにおいてその楊柳がかえって生じ得るのであろうか。

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  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
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杜甫詩1500-1047-1541/2500

年:766年大暦元年55-171

卷別:    卷二三一              文體:    七言律詩

詩題:    吹笛

 

 

吹笛

吹笛秋山風月清,誰家巧作斷腸聲。

風飄律呂相和切,月傍關山幾處明。

胡騎中宵堪北走,武陵一曲想南征。

故園楊柳今搖落,何得愁中曲盡生。

(悲愁の秋、秋山に笛を吹く「清商」というと琴に和せて笛を吹き演奏するのは相当高い身分の人である)

秋の山に風月の清き頃である、笛の音を吹きすさぶものがある。あのように巧みに人の腸をたたしめるような声をださせているのはどこの家かはわかりはしない。

風に律呂の調をひるがえさせて、二調の和らぎは、ひしと人にせまりくる。月は関山にそうて、照りかがやいているが、どこからどこまでくまなく明るくなっているのだろうか。

この音をきいては劉琨の時のごとく胡騎も夜中に北ににげだすに十分であろう。また、馬援がその昔にあわせて「武渓深」の曲をうとうたという南蛮征伐の当時をおもいだす。

いま故郷の楊柳は秋風にゆられ落ちるというのに、なんで笛曲では吾が愁いのなかにおいてその楊柳がかえって生じ得るのであろうか。

 

(笛を吹く)

笛を吹く 秋山 風月の清きに、誰家か巧みに作す  断腸の声。

風は律呂を飄して相い和すること切に、月は関山に傍うて幾処か明らかなる。

胡騎 中宵北走するに堪えたり、武陵の一曲  南征を想う。

故園の楊柳 今 遥落す、何ぞ愁中に卻って尽く生ずるを得し。

 

『吹笛』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

吹笛

吹笛秋山風月清,誰家巧作斷腸聲。

風飄律呂相和切,月傍關山幾處明。

胡騎中宵堪北走,武陵一曲想南征。

故園楊柳今搖落,何得愁中曲盡生。
詩文(含異文)     吹笛秋山風月清【吹笛秋風山月清】,誰家巧作斷腸聲。風飄律呂相和切,月傍關山幾處明【月倚關山幾處明】。胡騎中宵堪北走,武陵一曲想南征。故園楊柳今搖落【故園楊柳今摧落】【故園楊柳今花落】,何得愁中曲盡生【何得愁中卻盡生】。
(下し文)
(笛を吹く)

笛を吹く 秋山 風月の清きに、誰家か巧みに作す  断腸の声。

風は律呂を飄して相い和すること切に、月は関山に傍うて幾処か明らかなる。

胡騎 中宵北走するに堪えたり、武陵の一曲  南征を想う。

故園の楊柳 今 遥落す、何ぞ愁中に卻って尽く生ずるを得し。

(現代語訳)
(悲愁の秋、秋山に笛を吹く「清商」というと琴に和せて笛を吹き演奏するのは相当高い身分の人である)

秋の山に風月の清き頃である、笛の音を吹きすさぶものがある。あのように巧みに人の腸をたたしめるような声をださせているのはどこの家かはわかりはしない。

風に律呂の調をひるがえさせて、二調の和らぎは、ひしと人にせまりくる。月は関山にそうて、照りかがやいているが、どこからどこまでくまなく明るくなっているのだろうか。

この音をきいては劉琨の時のごとく胡騎も夜中に北ににげだすに十分であろう。また、馬援がその昔にあわせて「武渓深」の曲をうとうたという南蛮征伐の当時をおもいだす。

いま故郷の楊柳は秋風にゆられ落ちるというのに、なんで笛曲では吾が愁いのなかにおいてその楊柳がかえって生じ得るのであろうか。


(訳注)

吹笛

(悲愁の秋、秋山に笛を吹く「清商」というと琴に和せて笛を吹き演奏するのは相当高い身分の人である)

詩の句首の二字を切りとって題とする。笛声のあわれなのをきいてよんだ詩。大暦元年夔州にあっての作。

大暦元年              766    55

 

吹笛秋山風月清,誰家巧作斷腸聲。

秋の山に風月の清き頃である、笛の音を吹きすさぶものがある。あのように巧みに人の腸をたたしめるような声をださせているのはどこの家かはわかりはしない。

○断腸声 演奏され、その音が調和してくると聴く者をして腸を断たしめるごときあわれなこえ。

 

風飄律呂相和切,月傍關山幾處明。

風に律呂の調をひるがえさせて、二調の和らぎは、ひしと人にせまりくる。月は関山にそうて、照りかがやいているが、どこからどこまでくまなく明るくなっているのだろうか。

○風諷二句此の二句は第一句の風月を分かって説いている。

○律呂 律の調、呂の調。音楽の調子を陰陽の二つに分け陰を呂(六呂=りくりょ) 陽を律(六律 =りくりつ)という
○相和切 切とは懐切、ひしひしと身にせまるようなものがなしさ。

 

胡騎中宵堪北走,武陵一曲想南征。

この音をきいては劉琨の時のごとく胡騎も夜中に北ににげだすに十分であろう。また、馬援がその昔にあわせて「武渓深」の曲をうとうたという南蛮征伐の当時をおもいだす。

胡騎中宵堪北走 晉の劉琨の故事。「世説」にいう、劉琨幷州の刺史たりしとき、胡騎之を囲むこと数重、項夕べに月に乗じ楼に登りて清嘯す、賊之を聞きて憤然として長歎す、劉琨、中夜に胡笛を奏す、賊皆沸を流して人ごとに懐土の思いあり、晩に向かって又之を吹くに、賊並に囲みをすてて奔り走る、と。この笛声をきいではあまりにあわれなので胡騎であってもよなかに北へ走らしめるのに十分だというのである。仇氏はこの胡騎は永泰元年に吐蕃が回乾とともに入寇したことをあてていったものであろうといっている。

・劉琨(りゅう こん 271 - 31858日(622日))は、中国西晋時代から五胡十六国時代にかけての武将・政治家。字は越石。「劉昆」とも呼ばれる。曾祖父と祖父は魏に仕えた劉邁と劉進、父は西晋に仕えた劉蕃でその庶子、兄は劉輿(字は慶孫)。子に劉群(劉羣)、劉遵ら。西晋の安定期には吏僚として、永嘉の乱の戦乱期には武将として異民族鎮圧に活躍した。

武陵一曲想南征 武陵一曲とは武陵曲すなわち「武渓深」の歌をさす、後漢(ごかん)の馬援(ばえん=前1449)が交趾(こうし=現ベトナム )の蛮族を征服した後 武陵(湖南省北部)に遠征した時 部下の笛に合せて 僻地(へきち)遠征の寂寥の歌を詠んだ この歌を「武陵深行(ぶ りょうしんこう)」という。後漢の馬援が南蛮を征したとき、門生に寄生という善く笛を吹くものがあったが、援は歌を作ってこれに和し、名づけて「武渓深」といった、其の辞にいう、「滔滔武溪一何深,鳥飛不度,獸不敢臨,嗟哉武溪多毒淫!」(「滔滔 武溪一に何ぞ深き,鳥飛ぶも度らず,獸 敢えて臨まず,嗟哉 武溪には毒淫多し!」)と。

・馬援 (前1449)後漢の政治家,武将。字は子淵,茂陵(陝西省興平県)の出身。若くして大志をいだき,王莽(おうもう)に仕えて新城大尹となったが,のち隗囂(かいごう)に身を寄せ,さらに光武帝に帰した。太中大夫に任ぜられて涼州を平定し,また隴西(ろうせい)太守となって先零の羌人(きようじん)を討ち,やがて中央に帰って虎賁(こふん)中郎将,ついで伏波将軍となり,交趾討伐に武功を立てて新息侯三千戸に封ぜられた。武陵蛮がそむくや,62歳の老齢で討伐におもむき,陣中で病没した。

 

故園楊柳今搖落,何得愁中曲盡生。

いま故郷の楊柳は秋風にゆられ落ちるというのに、なんで笛曲では吾が愁いのなかにおいてその楊柳がかえって生じ得るのであろうか。

故園 故郷長安をさす。

楊柳今揺落 やなぎの葉が今は風にゆられておちる。

何得 怪しんでいう辞である。

愁中曲盡生 笛の曲に折楊柳があり、それは旅立ちの別れに、楊柳の枝を折りて、健康と安全を祈るということである、其の意を翻して用いている、故園の楊柳は落ちるというのに、何故この笛声の楊柳は、吾が愁中において生じて折られてつかわれることを得るやという意味である。

 

 

吹  笛

吹笛秋山風月清,誰家巧作斷腸聲。

風飄律呂相和切,月傍關山幾處明。

胡騎中宵堪北走,武陵一曲想南征。

故園楊柳今搖落,何得愁中卻盡生。

 

(笛を吹く)

笛を吹く 秋山 風月の清きに、誰家か巧みに作す  断腸の声。

風は律呂を飄して相い和すること切に、月は関山に傍うて幾処か明らかなる。

胡騎 中宵北走するに堪えたり、武陵の一曲  南征を想う。

故園の楊柳 遥落す、何ぞ愁中に卻って尽く生ずるを得し。

 

 

この時代、「清商」というと琴に和せて笛を吹き演奏するのは相当高い身分の人であることが想像される。秦州の郊外、東柯谷で経験したことではなく、秦州で創作した《巻八04 秋笛》の5年前秦州での作品がある。

 

秋笛

清商欲盡奏,奏苦血沾衣。

他日傷心極,徵人白骨歸。

相逢恐恨過,故作發聲微。

不見秋雲動,悲風稍稍飛。

清商 奏を盡さんと欲す,奏苦して血 衣を沾す。

他日 傷心 極り,徵人 白骨 歸る。

相逢いて恨過を恐れ,故に聲微を發するを作す。

秋雲の動きを見えず,悲風 稍稍として飛ぶ。

琴に合わせて笛の清苦にして哀愁のある音調の演奏をしつくしてほしいと思う。その演奏を続ける苦しさは血を吐き衣は血に染まるほどなのだ。

そんなことがあった後日傷ついた心が窮まった時に出征していた夫が白骨となって帰ってきた。

こうなって互いに遭うことが出来たのであるが恨みに思う心はこれ以上ないほどになっている、だから声が鳴き枯れてしまって僅かな声を出すだけになって笛の音さえ出ないのだ。

人生の写しでもある秋の雲が動いているのさえ見えないのだが、かなしみをもった笛の音が風にのりようやく飛んでいってくれる。

秦州抒情詩(19)  杜甫 <304> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1379 杜甫詩 700- 424

 

現代読み

秋山に笛は流れ   風月は澄んで清らか

誰が吹くのか    巧みに鳴らす断腸の曲

風は韻律と和して  みごとに吹きわたり

月は関山にかかり  峰々を明るく照らす

真夜中の一曲には 胡騎を走らす力があり

武陵の新曲には   南征を傷む調べがある

故郷の庭の柳も   いまごろは枯葉の季節

それを想えば   なぜか愁いが湧いてきた

 

吹笛

 

解説 秋の夜、どこからか笛の音が流れてきました。風の吹く月の明るい夜です。その笛の音に杜甫は感動し、さまざまな憶いにふけります。

「胡騎北走」は晋の将軍劉琨(りゅうこん)が晋陽(山西省太原市)で優勢な胡兵に包囲されたとき、月夜に楼上で胡笛を吹かせたところ、胡軍は望郷の思いに駆られて引き上げていったという故事です。また

「武陵一曲」は後漢の名将馬援(ばえん)が南征して武陵(湖南省常徳市)に駐屯していたとき、「武渓深」という新曲を作らせて兵士の労苦を慰めたという故事です。

 杜甫は笛の音によって時局の困難に思いを馳せ、それはまた、戦乱によって帰ることのできない故郷の秋の風物への想いへとつながっていくのです。

 

参考 大暦元年 766 55 夔州   
吹笛杜甫
吹笛秋山風月清,誰家巧作斷腸聲。
風飄律呂相和切,月傍關山幾處明。
胡騎中宵堪北走,武陵一曲想南征。
故園楊柳今搖落,何得愁中曲盡生。

(笛を吹く)
笛を吹く秋山 風月の清きに、誰が家か巧みに 斷腸の聲を作す。
風は律呂を飄して 相和すること切に、月は關山に傍うて 幾處か明らかなる。
胡騎中宵 北走するに堪えたり、武陵の一曲は 南征を想う。
故園の楊柳は 今搖落す、何ぞ得ん愁中 卻って盡く生ずるを。

斷腸聲 聞く人の腸をかきむしるような悲しい声

律 呂 音楽の調子を陰陽の二つに分け陰を呂(六呂=りくりょ) 陽を律(六律 =りくりつ)という
關 山 国境にある山
中 宵 真夜中
胡騎北走 唐代 北方または西方の異民族を胡(えびす)と呼んだ 晋の将軍劉〈王昆〉(りゅうこん= 270318)が并州(へいしゅう)を孤立無援で堅く守り 月のさえた夜城楼に上り胡笳を吹いたところ 胡軍はその悲しみに涙を流し北の 故郷へ帰り去ったという故事
武陵一曲 後漢(ごかん)の馬援(ばえん=前1449)が交趾(こうし=現ベトナム )の蛮族を征服した後 武陵(湖南省北部)に遠征した時 部下の笛に合せて 僻地(へきち)遠征の寂寥の歌を詠んだ この歌を「武陵深行(ぶ りょうしんこう)」という
    

 秋の山の風も月も清らかにさえわたる夜、笛の音が聞こえてくる。誰がこれほど巧みに、人の腸をかきむしるよう に物悲しい音を吹きならすのだろうか。
 風は律呂の響きをひるがえして調和もとれ、月は関山によりそうて、幾つかの峰にさえわたっている。
 このような笛の音を聞けば、晋の劉〈王昆〉の故事のように、手荒い胡の兵も悲しみに堪え切れず、夜中に北方の故郷へ 逃げ去ったであろう。また後漢の馬援が武陵に遠征した時、部下の曲に合せて歌った「武陵深行」という曲もこのように悲しいものであ ったろうか。
 故郷の柳も秋になって葉も落ちつくしたであろう。それなのに今巧みな「折楊柳」の曲をきくと、愁いにふさがる 私の胸の中に緑の柳の芽を出させ、その枝を折って別れのなげきをくり返すことが出来ようか。

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杜甫  哭王彭州掄 【5分割】#5

曠望渥洼道,霏微河漢橋。夫人先即世,令子各清標。

巫峽長雲雨,秦城近斗杓。馮唐毛髮白,歸興日蕭蕭。

ただ、かの名馬の産するという天竺へ続く渥洼の道を遠くはるかにながめれば、そこにはさぎりが靡微としてとんで、河漢に橋がかかって我々を引き合わせてくれる。彼の夫人は彼より先きにあの世へ赴かれたのであるが、彼のご令息、息女らは、父親の生き様を清き目印として、各々生きてゆくことだろう。自分のいる巫峡は《高唐賦》にいう。いつも雲雨ばかりである。故郷の長安城は北斗の杓の懸るあたりに近く、萬里の遠きに在る。馮唐ともいうべき自分は老いてしまい毛髪が白くなった。かく老いては故郷へ帰りたい、帰郷の念も日、一日と巫峽の蕭蕭と降る雨によって、さびしさがますばかりである。

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杜甫詩1500-1046-1540-#5/2500

年:766年大暦元年55-170

卷別:    卷二三一              文體:    五言古詩

詩題:    哭王彭州掄

作地點:              目前尚無資料

及地點:彭州 (劍南道北部 彭州 彭州)           

交遊人物/地點:王掄          詩文提及

 

哭王彭州掄【5分割】#1

(房琯グループであった友人彭州刺史王掄を哭したる詩。)

執友驚淪沒,斯人已寂寥。

自分は房琯グループ同志の友人等が次々なくなってゆくのに驚かされ、房琯サロンに集まった同志、同輩のものは、もはや寂しく残り少なくなった。

新文生沈謝,異骨降松喬。

王掄は文章を作らせば、謝靈運・沈約が生れてきたかとおもわれ、凡庸でなかったことは雨師で,崑崙山に入って仙人となったという赤松子や、笙を吹いて雲中を飛んだという王子喬が降誕したかとおもわれるほどのものであった。

北部初高選,東堂早見招。

彼は京畿において初めて高選されて北部の尉に任ぜられ、、東堂において策問試験で選抜され、及第したし、王羲之の「坦腹東牀」の故事のように、早くも貴族の婿に招かれた。

蛟龍纏倚劍,鸞鳳夾吹簫。

即ち彼は尉としては、蚊龍のまとった剣により、婿としては王子喬のように鸞鳳に挟まれながら簫を吹きならした。

王彭州掄を哭す【5分割】#1

執友 淪沒するを驚く,斯人 已に寂寥なり。

新文 沈謝を生じ,異骨 松喬を降す。

北部 初めて高選し,東堂 早く招かる。

蛟龍 倚劍を纏い,鸞鳳 吹簫を夾む。
#2

歷職漢庭久,中年胡馬驕。

彼の家系は代々漢(唐)の朝廷に於いて官職を歴任してきて久しいのであり、その彼の働き盛りの中年に胡の兵馬が煽って叛く様になったのである。

兵戈闇兩觀,寵辱事三朝。

そのために京師の官門には兵戈が両都の宮門に立ち闇黒の時代に、寵辱をうけて、それでも、彼はこの間に三朝、即ち玄宗、肅宗、代宗にまたがって仕えたのである。

蜀路江干窄,彭門地里遙。

肅宗は杜甫、王掄、嚴武、鄭虔など房琯グループを貶謫したのである。蜀の水陸道路は長江のほとりで地形狭小のところで出入を困難にする、天彭門の山は長安、京師からは、とてもはるかなところである。当然、彼も出されたのである。

解龜生碧草,諫獵阻清霄。

彼が侍御史の印を解いて解職したときは謝靈運が左遷先で辞職を考えた池塘の春草の生じるころであったように春であったが、彼は京師にいるならば、司馬相如が「上書諫獵」したように、直諌したものであるが、天子とは青空遥かにへだてて、それをすることもできはしなかったのである。

職を歷る漢庭に久し,中年 胡馬 驕る。

兵戈 兩觀に闇し,寵辱 事に三朝す。

蜀路 江干窄く,彭門 地里遙なり。

解龜 碧草生じ,諫獵 清霄を阻つ。
#3

頃壯戎麾出,叨陪幕府要。

自分は近頃では嚴武が東川・西川節度使軍をつかさどって蜀成都尹を兼ねて事を壮としたのであるが、あのころ王掄も巌武が幕府に邀えられてその幕僚となったが、おくればせながら自分も幕僚として彼らのあとにつづいた。

將軍臨氣候,猛士寒風飆。

あのときの将軍である嚴武は用兵をその気候に対応した陣に臨み、部下の猛士は外敵、吐蕃が寒風飆のごとき勢でもって侵入する途をよく塞ぎとめた。

井漏泉誰汲,烽疏火不燒。

行軍のため井戸浚えをするものが無くてその泉水を誰も汲めない、危急の烽火にしてもまれになったものだから火を焼きつけに携わる人がいなくなった。

前籌自多暇,隱几接終朝。

王掄のごとき者が張良のように、前籌を用い謀略をするため、おのずと軍務も暇が多く、したがって我我は脇息によりかかつて朝から應勤しで閑談するのを常とした。

頃 壯とす 戎麾の出づるを,叨りに陪す幕府の要。

將軍 氣候に臨み,猛士 風飆を寒ぐ。

井 漏われて 泉 誰か汲まん,烽 疏にして 火 燒かず。

前籌 自ら多暇,隱几 接すること終朝なり。
#4

翠石俄雙表,寒松竟後凋。

このたび、俄にその墓所に翠石の二本の門柱が建てられることになった、というのは、論語の「松柏之後彫」寒空の松の樹は、他の植物の葉がついにすべて枯れ落ちるなかでも枯れずに残ってゆくという、王掄の忠臣、賢臣を讃えるものである。

贈詩焉敢墜,染翰欲無聊。

彼が生前に自分に贈ってくれた詩は自分は之を大切にして失墜はしない、彼なき今は自分はこうして君を哭する詩を書くが、今から誰を頼りにしていくか、だれもいないのである。

再哭經過罷,離魂去住銷。

自分は王掄の墓が建つときいて、その地に出向いて、再び心より哭したいと思ってはいるが、持病によりそれができないのでこうして「染翰」をして哭すのであり、彼の死者の魂と自分の生きている魂という離れた魂とが双方向に往き通いはするがそれもいつしか消えていくのが当たり前のことである。

之官方玉折,寄葬與萍漂。

ちょうど彭州刺史の官に往いたときに玉の折れるごとく死んでしまった。そうして故郷に埋葬できなくて、浮草の漂うごとく旅の空のもとに葬られることになった。

#5

曠望渥洼道,霏微河漢橋。

ただ、かの名馬の産するという天竺へ続く渥洼の道を遠くはるかにながめれば、そこにはさぎりが靡微としてとんで、河漢に橋がかかって我々を引き合わせてくれる。

夫人先即世,令子各清標。

彼の夫人は彼より先きにあの世へ赴かれたのであるが、彼のご令息、息女らは、父親の生き様を清き目印として、各々生きてゆくことだろう。

巫峽長雲雨,秦城近斗杓。

自分のいる巫峡は《高唐賦》にいう。いつも雲雨ばかりである。故郷の長安城は北斗の杓の懸るあたりに近く、萬里の遠きに在る。

馮唐毛髮白,歸興日蕭蕭。

馮唐ともいうべき自分は老いてしまい毛髪が白くなった。かく老いては故郷へ帰りたい、帰郷の念も日、一日と巫峽の蕭蕭と降る雨によって、さびしさがますばかりである。

曠望たる渥洼の道,霏微たり河漢の橋。

夫人 先じて即世し,令子 各の清標あり。

巫峽は雲雨長じ,秦城は斗杓に近し。

馮唐も毛髮白く,歸興 日びに蕭蕭たり。

唐時代剣南道北部075 

【5分割】#5

『哭王彭州掄』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#5

曠望渥洼道,霏微河漢橋。

夫人先即世,令子各清標。

巫峽長雲雨,秦城近斗杓。

馮唐毛髮白,歸興日蕭蕭。


(下し文)
#5

曠望たる渥洼の道,霏微たり河漢の橋。

夫人 先じて即世し,令子 各の清標あり。

巫峽は雲雨長じ,秦城は斗杓に近し。

馮唐も毛髮白く,歸興 日びに蕭蕭たり。

(現代語訳)
#5

ただ、かの名馬の産するという天竺へ続く渥洼の道を遠くはるかにながめれば、そこにはさぎりが靡微としてとんで、河漢に橋がかかって我々を引き合わせてくれる。

彼の夫人は彼より先きにあの世へ赴かれたのであるが、彼のご令息、息女らは、父親の生き様を清き目印として、各々生きてゆくことだろう。

自分のいる巫峡は《高唐賦》にいう。いつも雲雨ばかりである。故郷の長安城は北斗の杓の懸るあたりに近く、萬里の遠きに在る。

馮唐ともいうべき自分は老いてしまい毛髪が白くなった。かく老いては故郷へ帰りたい、帰郷の念も日、一日と巫峽の蕭蕭と降る雨によって、さびしさがますばかりである。


蜀中転々圖(訳注) #5

哭王彭州掄【5分割】#5

(房琯グループであった友人彭州刺史王掄を哭したる詩。)大磨元年夔州にての作。

王彭州掄 王論 これまでの王掄関連の詩は以下にある。王掄は侍御史を以て官をやめ、嚴武が東川・西川節度使の幕府にあったときにはいり、その後、彭州刺史に遷ってそこで死没したもの。

 

曠望渥洼道,霏微河漢橋。

ただ、かの名馬の産するという天竺へ続く渥洼の道を遠くはるかにながめれば、そこにはさぎりが靡微としてとんで、河漢に橋がかかって我々を引き合わせてくれる。

【1】    曠望 曠望は望みがひろく遥かなるをいい、遠く望むことをいう。

【2】    渥洼道 渥洼は川の名、沙州(今の敦煌)の境にあり、名馬を産す、「漢書」武帝紀によれば、武帝の元鼎四年(礼楽志には元狩三年)に馬が渥洼水中に生じたので天馬の歌を作った。杜甫《巻三34 沙苑行》「龍媒昔是渥洼生,汗血今稱獻於此。(竜媒、昔是れ渥洼【あくあ】より生ず、汗血今称す此より献ぜらると。)昔、漢の世に竜媒と称せられた天馬が渥洼の川から生じたといわれているが、唐の今の世では汗血の名馬がこの沙苑の牧場から献上されているといわれている。

沙苑行 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 91 

【3】    霏微 霧氣、さぎりり、細雨瀰漫朦朧的樣子。南朝梁·王僧孺·侍宴詩:「散漫輕煙轉,霏微商雲散。」

【4】    啓三沙苑行の施媒河湊椅 あまりがにに来したる橋、烏鶴が河を填めて橋となし織女星を渡すこと七夕の夜、烏鵲が銀河の橋渡しをするという伝説。 准南子」にみゆし牽牛粒女の膏薬桁と簸あれば之ないふ、下の「夫人」かいけんための旬なり。

《巻七68 天河》「常時任顯晦,秋至轉分明。縱被浮雲掩,猶能永夜清。含星動雙闕,半月落邊城。牛女年年渡,何曾風浪生。」(常時顕晦【けんかい】に任す、秋至れば転【うた】た分明【ぶんめい】なり。縦【たと】い浮雲に掩被【えんぴ】されるも、終【つい】に能く永夜【えいや】清し。星を含みて双闕【そうけつ】に動き、月に伴いて辺城に落つ。牛女 年年渡る、何ぞ曾て風浪【ふうろう】生ぜん。)

○河漢 あまのがわ。天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。杜甫『天河』。うじゃく:かささぎ 「烏鵲の智」 遠い将来のことばかり心配して、近くに迫っている災難に気がつかないこと。かささぎは強風の多い年には風をさけようとして巣を低い枝にかけるが、そのために、雛や卵を人に捕られることまでは、知恵がまわらない。このことを「喜」に置き換えてうたう。李商隠辛未七 李商隠にカササギが銀河の橋渡しをしてくれる鳥としている。『詩経』「鵲巢」にはカササギは巣作りに一生懸命、出来上がった巣は立派な頑丈なもの、しかし鳩が子育てに使う。しかしたくさんのお客がついてくる、というもの。

天河 杜甫292kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1343 杜甫詩 700- 412

初月 杜甫293kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブロ1346 杜甫詩 700- 413

 

夫人先即世,令子各清標。

彼の夫人は彼より先きにあの世へ赴かれたのであるが、彼のご令息、息女らは、父親の生き様を清き目印として、各々生きてゆくことだろう。

【5】    夫人 王掄の妻。

【6】    先即世 即世は夫より先に、既にあの世へいっていること。

【7】    令子 まさに王掄の子、ご令息。令は敬称。

【8】    各清標 清標、清なるめじるし、清なるすがたをいう。

 

巫峽長雲雨,秦城近斗杓。

自分のいる巫峡は《高唐賦》にいう。いつも雲雨ばかりである。故郷の長安城は北斗の杓の懸るあたりに近く、萬里の遠きに在る。

【9】    長雲雨 長は常の意。宋玉《高唐賦》「朝雲暮雨」の地である。

【10】  秦城 長安の都市計画は、蓋天の宇宙論によって作られ、万物の根源である北斗の星により作られる。秦の咸陽、漢の長安城、隋唐の長安城しかりである。

【11】  近斗杓 北斗星に近し、北方にあたることをいう。北斗七星は、その第一より第四までを魁といび、第五より第七までを杓といふ。長安の位置は杓にあたる。 

 

馮唐毛髮白,歸興日蕭蕭。

馮唐ともいうべき自分は老いてしまい毛髪が白くなった。かく老いては故郷へ帰りたい、帰郷の念も日、一日と巫峽の蕭蕭と降る雨によって、さびしさがますばかりである。

【12】  馮唐 漢の文帝時代の人、馮 唐(ふう とう、生没年不詳)は、前漢の人。祖父の代は趙の人だったが、父の時に代に移住して代の相(宰相)となり、漢の時代になり安陵に移った。馮唐は孝行で知られ、文帝の時に郎中署長となった。杜甫も、郎中職であり、左拾遺の時には、天子に諫言もしたことで馮唐に比したものである。

杜甫《1520寄韋有夏郎中》「」省郎憂病士,書信有柴胡。飲子頻通汗,懷君想報珠。親知天畔少,藥味峽中無。

歸楫生衣臥,春鷗洗翅呼。猶聞上急水,早作取平途。萬里皇華使,為僚記腐儒。

(韋有夏郎中に寄る)

省郎 病士を憂う,書信 柴胡有り。飲子 頻りに汗を通ず,懷君 珠を報ぜんことを想う。親知 天畔に少し,藥味 峽中に無し。

歸楫 生衣に臥し,春鷗 洗翅し呼ぶ。猶お聞く 急水を上ると,早く平途を取るを作せ。萬里 皇華の使,僚と為して 腐儒を記す。

766年-159杜甫 《1520寄韋有夏郎中》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-159 <1031 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6835 

【13】  歸興 故郷へかえりたいとの念。

【14】  蕭蕭 1 もの寂しく感じられるさま。「―たる晩秋の野」2 雨や風の音などがもの寂しいさま。

 

 

 

 

詩文(含異文)

執友驚淪沒,斯人已寂寥。新文生沈謝,異骨降松喬。北部初高選,東堂早見招。蛟龍纏倚劍,鸞鳳夾吹簫。歷職漢庭久,中年胡馬驕。兵戈闇兩觀【兵戈聞兩觀】,寵辱事三朝。蜀路江干窄【蜀路干戈窄】,彭門地里遙【彭門地理遙】【彭關地里遙】【彭關地理遙】。解龜生碧草,諫獵阻清霄。頃壯戎麾出,叨陪幕府要。將軍臨氣候,猛士寒風飆。井漏泉誰汲【井渫泉誰汲】【井滿泉誰汲】,烽疏火不燒。前籌自多暇【前籌自多假】【前籌多自暇】【前籌多自假】,隱几接終朝。翠石俄雙表,寒松竟後凋。贈詩焉敢墜,染翰欲無聊。再哭經過罷,離魂去住銷。之官方玉折,寄葬與萍漂。曠望渥洼道,霏微河漢橋。夫人先即世,令子各清標。巫峽長雲雨,秦城近斗杓。馮唐毛髮白,歸興日蕭蕭。

766年-170#4杜甫 《1768 哭王彭州掄》#4 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-170-#4 <1045> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6905

杜甫  哭王彭州掄   #4

翠石俄雙表,寒松竟後凋。贈詩焉敢墜,染翰欲無聊。

再哭經過罷,離魂去住銷。之官方玉折,寄葬與萍漂。

このたび、俄にその墓所に翠石の二本の門柱が建てられることになった、というのは、論語の「松柏之後彫」寒空の松の樹は、他の植物の葉がついにすべて枯れ落ちるなかでも枯れずに残ってゆくという、王掄の忠臣、賢臣を讃えるものである。彼が生前に自分に贈ってくれた詩は自分は之を大切にして失墜はしない、彼なき今は自分はこうして君を哭する詩を書くが、今から誰を頼りにしていくか、だれもいないのである。自分は王掄の墓が建つときいて、その地に出向いて、再び心より哭したいと思ってはいるが、持病によりそれができないのでこうして「染翰」をして哭すのであり、彼の死者の魂と自分の生きている魂という離れた魂とが双方向に往き通いはするがそれもいつしか消えていくのが当たり前のことである。ちょうど彭州刺史の官に往いたときに玉の折れるごとく死んでしまった。そうして故郷に埋葬できなくて、浮草の漂うごとく旅の空のもとに葬られることになった。

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杜甫詩1500-1045-1540-#4/2500

年:766年大暦元年55-170

卷別:    卷二三一              文體:    五言古詩

詩題:    哭王彭州掄

作地點:              目前尚無資料

及地點:彭州 (劍南道北部 彭州 彭州)           

交遊人物/地點:王掄          詩文提及

 

哭王彭州掄【5分割】#1

(房琯グループであった友人彭州刺史王掄を哭したる詩。)

執友驚淪沒,斯人已寂寥。

自分は房琯グループ同志の友人等が次々なくなってゆくのに驚かされ、房琯サロンに集まった同志、同輩のものは、もはや寂しく残り少なくなった。

新文生沈謝,異骨降松喬。

王掄は文章を作らせば、謝靈運・沈約が生れてきたかとおもわれ、凡庸でなかったことは雨師で,崑崙山に入って仙人となったという赤松子や、笙を吹いて雲中を飛んだという王子喬が降誕したかとおもわれるほどのものであった。

北部初高選,東堂早見招。

彼は京畿において初めて高選されて北部の尉に任ぜられ、、東堂において策問試験で選抜され、及第したし、王羲之の「坦腹東牀」の故事のように、早くも貴族の婿に招かれた。

蛟龍纏倚劍,鸞鳳夾吹簫。

即ち彼は尉としては、蚊龍のまとった剣により、婿としては王子喬のように鸞鳳に挟まれながら簫を吹きならした。

王彭州掄を哭す【5分割】#1

執友 淪沒するを驚く,斯人 已に寂寥なり。

新文 沈謝を生じ,異骨 松喬を降す。

北部 初めて高選し,東堂 早く招かる。

蛟龍 倚劍を纏い,鸞鳳 吹簫を夾む。
#2

歷職漢庭久,中年胡馬驕。

彼の家系は代々漢(唐)の朝廷に於いて官職を歴任してきて久しいのであり、その彼の働き盛りの中年に胡の兵馬が煽って叛く様になったのである。

兵戈闇兩觀,寵辱事三朝。

そのために京師の官門には兵戈が両都の宮門に立ち闇黒の時代に、寵辱をうけて、それでも、彼はこの間に三朝、即ち玄宗、肅宗、代宗にまたがって仕えたのである。

蜀路江干窄,彭門地里遙。

肅宗は杜甫、王掄、嚴武、鄭虔など房琯グループを貶謫したのである。蜀の水陸道路は長江のほとりで地形狭小のところで出入を困難にする、天彭門の山は長安、京師からは、とてもはるかなところである。当然、彼も出されたのである。

解龜生碧草,諫獵阻清霄。

彼が侍御史の印を解いて解職したときは謝靈運が左遷先で辞職を考えた池塘の春草の生じるころであったように春であったが、彼は京師にいるならば、司馬相如が「上書諫獵」したように、直諌したものであるが、天子とは青空遥かにへだてて、それをすることもできはしなかったのである。

職を歷る漢庭に久し,中年 胡馬 驕る。

兵戈 兩觀に闇し,寵辱 事に三朝す。

蜀路 江干窄く,彭門 地里遙なり。

解龜 碧草生じ,諫獵 清霄を阻つ。
#3

頃壯戎麾出,叨陪幕府要。

自分は近頃では嚴武が東川・西川節度使軍をつかさどって蜀成都尹を兼ねて事を壮としたのであるが、あのころ王掄も巌武が幕府に邀えられてその幕僚となったが、おくればせながら自分も幕僚として彼らのあとにつづいた。

將軍臨氣候,猛士寒風飆。

あのときの将軍である嚴武は用兵をその気候に対応した陣に臨み、部下の猛士は外敵、吐蕃が寒風飆のごとき勢でもって侵入する途をよく塞ぎとめた。

井漏泉誰汲,烽疏火不燒。

行軍のため井戸浚えをするものが無くてその泉水を誰も汲めない、危急の烽火にしてもまれになったものだから火を焼きつけに携わる人がいなくなった。

前籌自多暇,隱几接終朝。

王掄のごとき者が張良のように、前籌を用い謀略をするため、おのずと軍務も暇が多く、したがって我我は脇息によりかかつて朝から應勤しで閑談するのを常とした。

頃 壯とす 戎麾の出づるを,叨りに陪す幕府の要。

將軍 氣候に臨み,猛士 風飆を寒ぐ。

井 漏われて 泉 誰か汲まん,烽 疏にして 火 燒かず。

前籌 自ら多暇,隱几 接すること終朝なり。
#4

翠石俄雙表,寒松竟後凋。

このたび、俄にその墓所に翠石の二本の門柱が建てられることになった、というのは、論語の「松柏之後彫」寒空の松の樹は、他の植物の葉がついにすべて枯れ落ちるなかでも枯れずに残ってゆくという、王掄の忠臣、賢臣を讃えるものである。

贈詩焉敢墜,染翰欲無聊。

彼が生前に自分に贈ってくれた詩は自分は之を大切にして失墜はしない、彼なき今は自分はこうして君を哭する詩を書くが、今から誰を頼りにしていくか、だれもいないのである。

再哭經過罷,離魂去住銷。

自分は王掄の墓が建つときいて、その地に出向いて、再び心より哭したいと思ってはいるが、持病によりそれができないのでこうして「染翰」をして哭すのであり、彼の死者の魂と自分の生きている魂という離れた魂とが双方向に往き通いはするがそれもいつしか消えていくのが当たり前のことである。

之官方玉折,寄葬與萍漂。

ちょうど彭州刺史の官に往いたときに玉の折れるごとく死んでしまった。そうして故郷に埋葬できなくて、浮草の漂うごとく旅の空のもとに葬られることになった。

#5

曠望渥洼道,霏微河漢橋。

夫人先即世,令子各清標。

巫峽長雲雨,秦城近斗杓。

馮唐毛髮白,歸興日蕭蕭。

 

 

 

『哭王彭州掄』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

翠石俄雙表,寒松竟後凋。

贈詩焉敢墜,染翰欲無聊。

再哭經過罷,離魂去住銷。

之官方玉折,寄葬與萍漂。

(下し文)
#4

翠石俄雙表,寒松竟後凋。

贈詩焉敢墜,染翰欲無聊。

再哭經過罷,離魂去住銷。

之官方玉折,寄葬與萍漂。

(現代語訳)
#4

このたび、俄にその墓所に翠石の二本の門柱が建てられることになった、というのは、論語の「松柏之後彫」寒空の松の樹は、他の植物の葉がついにすべて枯れ落ちるなかでも枯れずに残ってゆくという、王掄の忠臣、賢臣を讃えるものである。

彼が生前に自分に贈ってくれた詩は自分は之を大切にして失墜はしない、彼なき今は自分はこうして君を哭する詩を書くが、今から誰を頼りにしていくか、だれもいないのである。

自分は王掄の墓が建つときいて、その地に出向いて、再び心より哭したいと思ってはいるが、持病によりそれができないのでこうして「染翰」をして哭すのであり、彼の死者の魂と自分の生きている魂という離れた魂とが双方向に往き通いはするがそれもいつしか消えていくのが当たり前のことである。

ちょうど彭州刺史の官に往いたときに玉の折れるごとく死んでしまった。そうして故郷に埋葬できなくて、浮草の漂うごとく旅の空のもとに葬られることになった。


(訳注) #4

哭王彭州掄【5分割】#3

(房琯グループであった友人彭州刺史王掄を哭したる詩。)大磨元年夔州にての作。

王彭州掄 王論 これまでの王掄関連の詩は以下にある。王掄は侍御史を以て官をやめ、嚴武が東川・西川節度使の幕府にあったときにはいり、その後、彭州刺史に遷ってそこで死没したもの。

 

翠石俄雙表,寒松竟後凋。

このたび、俄にその墓所に翠石の二本の門柱が建てられることになった、というのは、論語の「松柏之後彫」寒空の松の樹は、他の植物の葉がついにすべて枯れ落ちるなかでも枯れずに残ってゆくという、王掄の忠臣、賢臣を讃えるものである。

【1】    翠石俄雙表 雙表は二本の石柱、もと墓門に建つ。翠石は石柱の材料をいう。これ王掄の墓を建設されたことをいう。

【2】    寒松竟後凋 松柏後凋は《論語、子罕》「子曰、歳寒、然後知松柏之後彫也」。 (子曰く 歳寒くして、然る後に松柏の彫むに後るるを知るなり。)と。孔子の趣旨は“危難の時にはじめて人の真価がわかるものである。”ということで、「気候が寒くなってから、はじめて松や柏が(他の植物の葉が枯れ落ちるなかで)枯れないで残ることがわかる」と。

 

贈詩焉敢墜,染翰欲無聊。

彼が生前に自分に贈ってくれた詩は自分は之を大切にして失墜はしない、彼なき今は自分はこうして君を哭する詩を書くが、今から誰を頼りにしていくか、だれもいないのである。

【3】    贈詩 王掄が生前に作者に贈贈ってくれた詩。

【4】    焉敢墜 王掄がくれた詩は杜甫をしたい支持してくれたもので、その思いは一貫して失墜せしめざるものであった。

【5】    染翰欲無聊 染翰とは使者を哭して詠う詩文をかくことをいう。無聊とは、親友も失ったことで誰を頼りにすればよいうのかというほどの意。

 

再哭經過罷,離魂去住銷。

自分は王掄の墓が建つときいて、その地に出向いて、再び心より哭したいと思ってはいるが、持病によりそれができないのでこうして「染翰」をして哭すのであり、彼の死者の魂と自分の生きている魂という離れた魂とが双方向に往き通いはするがそれもいつしか消えていくのが当たり前のことである。

【6】    再哭經過罷 諸説あるが、墓の建設に当たって、その地に入って再び哭したいところであるということだがこうして詩を作って哭するという意。

【7】    離魂去住銷 離魂は王掄と作者のはなれた魂、王掄の使者の魂と杜甫の生きている魂をいい、去住とは双方向ということであるが、それもいつしか消えていくのが当たり前のことである。

 

之官方玉折,寄葬與萍漂。

ちょうど彭州刺史の官に往いたときに玉の折れるごとく死んでしまった。そうして故郷に埋葬できなくて、浮草の漂うごとく旅の空のもとに葬られることになった。

【8】    之官 王掄が彭州刺史の赴任すること。

【9】    玉折 輝かしい心を持っているものが折れる。死をいう。

【10】  寄葬 客土に寄寓して葬る、彭州に葬ったのか成都に葬ったものか不明であるが、どちらであっても、蜀に葬れたのである。

【11】  與萍漂 萍が漂だようと同様であること、故郷に埋葬できないことをいう。

766年-170#3杜甫 《1768 哭王彭州掄》#3 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-170-#3 <1044> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6900

杜甫  哭王彭州掄#3  

頃壯戎麾出,叨陪幕府要。將軍臨氣候,猛士寒風飆。

井漏泉誰汲,烽疏火不燒。前籌自多暇,隱几接終朝。

自分は近頃では嚴武が東川・西川節度使軍をつかさどって蜀成都尹を兼ねて事を壮としたのであるが、あのころ王掄も巌武が幕府に邀えられてその幕僚となったが、おくればせながら自分も幕僚として彼らのあとにつづいた。あのときの将軍である嚴武は用兵をその気候に対応した陣に臨み、部下の猛士は外敵、吐蕃が寒風飆のごとき勢でもって侵入する途をよく塞ぎとめた。行軍のため井戸浚えをするものが無くてその泉水を誰も汲めない、危急の烽火にしてもまれになったものだから火を焼きつけに携わる人がいなくなった。王掄のごとき者が張良のように、前籌を用い謀略をするため、おのずと軍務も暇が多く、したがって我我は脇息によりかかつて朝から應勤しで閑談するのを常とした。

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  2015年11月11日 の紀頌之5つのBlog  
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杜甫詩1500-1044-1540-#3/2500

年:766年大暦元年55-170

卷別:    卷二三一              文體:    五言古詩

詩題:    哭王彭州掄

作地點:              目前尚無資料

及地點:彭州 (劍南道北部 彭州 彭州)           

交遊人物/地點:王掄          詩文提及

 

哭王彭州掄【5分割】#1

(房琯グループであった友人彭州刺史王掄を哭したる詩。)

執友驚淪沒,斯人已寂寥。

自分は房琯グループ同志の友人等が次々なくなってゆくのに驚かされ、房琯サロンに集まった同志、同輩のものは、もはや寂しく残り少なくなった。

新文生沈謝,異骨降松喬。

王掄は文章を作らせば、謝靈運・沈約が生れてきたかとおもわれ、凡庸でなかったことは雨師で,崑崙山に入って仙人となったという赤松子や、笙を吹いて雲中を飛んだという王子喬が降誕したかとおもわれるほどのものであった。

北部初高選,東堂早見招。

彼は京畿において初めて高選されて北部の尉に任ぜられ、、東堂において策問試験で選抜され、及第したし、王羲之の「坦腹東牀」の故事のように、早くも貴族の婿に招かれた。

蛟龍纏倚劍,鸞鳳夾吹簫。

即ち彼は尉としては、蚊龍のまとった剣により、婿としては王子喬のように鸞鳳に挟まれながら簫を吹きならした。

王彭州掄を哭す【5分割】#1

執友 淪沒するを驚く,斯人 已に寂寥なり。

新文 沈謝を生じ,異骨 松喬を降す。

北部 初めて高選し,東堂 早く招かる。

蛟龍 倚劍を纏い,鸞鳳 吹簫を夾む。
#2

歷職漢庭久,中年胡馬驕。

彼の家系は代々漢(唐)の朝廷に於いて官職を歴任してきて久しいのであり、その彼の働き盛りの中年に胡の兵馬が煽って叛く様になったのである。

兵戈闇兩觀,寵辱事三朝。

そのために京師の官門には兵戈が両都の宮門に立ち闇黒の時代に、寵辱をうけて、それでも、彼はこの間に三朝、即ち玄宗、肅宗、代宗にまたがって仕えたのである。

蜀路江干窄,彭門地里遙。

肅宗は杜甫、王掄、嚴武、鄭虔など房琯グループを貶謫したのである。蜀の水陸道路は長江のほとりで地形狭小のところで出入を困難にする、天彭門の山は長安、京師からは、とてもはるかなところである。当然、彼も出されたのである。

解龜生碧草,諫獵阻清霄。

彼が侍御史の印を解いて解職したときは謝靈運が左遷先で辞職を考えた池塘の春草の生じるころであったように春であったが、彼は京師にいるならば、司馬相如が「上書諫獵」したように、直諌したものであるが、天子とは青空遥かにへだてて、それをすることもできはしなかったのである。

職を歷る漢庭に久し,中年 胡馬 驕る。

兵戈 兩觀に闇し,寵辱 事に三朝す。

蜀路 江干窄く,彭門 地里遙なり。

解龜 碧草生じ,諫獵 清霄を阻つ。
#3

頃壯戎麾出,叨陪幕府要。

自分は近頃では嚴武が東川・西川節度使軍をつかさどって蜀成都尹を兼ねて事を壮としたのであるが、あのころ王掄も巌武が幕府に邀えられてその幕僚となったが、おくればせながら自分も幕僚として彼らのあとにつづいた。

將軍臨氣候,猛士寒風飆。

あのときの将軍である嚴武は用兵をその気候に対応した陣に臨み、部下の猛士は外敵、吐蕃が寒風飆のごとき勢でもって侵入する途をよく塞ぎとめた。

井漏泉誰汲,烽疏火不燒。

行軍のため井戸浚えをするものが無くてその泉水を誰も汲めない、危急の烽火にしてもまれになったものだから火を焼きつけに携わる人がいなくなった。

前籌自多暇,隱几接終朝。

王掄のごとき者が張良のように、前籌を用い謀略をするため、おのずと軍務も暇が多く、したがって我我は脇息によりかかつて朝から應勤しで閑談するのを常とした。

頃 壯とす 戎麾の出づるを,叨りに陪す幕府の要。

將軍 氣候に臨み,猛士 風飆を寒ぐ。

井 漏われて 泉 誰か汲まん,烽 疏にして 火 燒かず。

前籌 自ら多暇,隱几 接すること終朝なり。
#4

翠石俄雙表,寒松竟後凋。

贈詩焉敢墜,染翰欲無聊。

再哭經過罷,離魂去住銷。

之官方玉折,寄葬與萍漂。

#5

曠望渥洼道,霏微河漢橋。

夫人先即世,令子各清標。

巫峽長雲雨,秦城近斗杓。

馮唐毛髮白,歸興日蕭蕭。

 

 

 

『哭王彭州掄』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

自分は近頃では嚴武が東川・西川節度使軍をつかさどって蜀成都尹を兼ねて事を壮としたのであるが、あのころ王掄も巌武が幕府に邀えられてその幕僚となったが、おくればせながら自分も幕僚として彼らのあとにつづいた。

あのときの将軍である嚴武は用兵をその気候に対応した陣に臨み、部下の猛士は外敵、吐蕃が寒風飆のごとき勢でもって侵入する途をよく塞ぎとめた。

行軍のため井戸浚えをするものが無くてその泉水を誰も汲めない、危急の烽火にしてもまれになったものだから火を焼きつけに携わる人がいなくなった。

王掄のごとき者が張良のように、前籌を用い謀略をするため、おのずと軍務も暇が多く、したがって我我は脇息によりかかつて朝から應勤しで閑談するのを常とした。


(下し文)
#3

頃 壯とす 戎麾の出づるを,叨りに陪す幕府の要。

將軍 氣候に臨み,猛士 風飆を寒ぐ。

井 漏われて 泉 誰か汲まん,烽 疏にして 火 燒かず。

前籌 自ら多暇,隱几 接すること終朝なり。

(現代語訳)
#3

頃壯戎麾出,叨陪幕府要。

將軍臨氣候,猛士寒風飆。

井漏泉誰汲,烽疏火不燒。

前籌自多暇,隱几接終朝。

(訳注) #3

哭王彭州掄【5分割】#3

(房琯グループであった友人彭州刺史王掄を哭したる詩。)大磨元年夔州にての作。

王彭州掄 王論 これまでの王掄関連の詩は以下にある。王掄は侍御史を以て官をやめ、嚴武が東川・西川節度使の幕府にあったときにはいり、その後、彭州刺史に遷ってそこで死没したもの。

 

頃壯戎麾出,叨陪幕府要。

自分は近頃では嚴武が東川・西川節度使軍をつかさどって蜀成都尹を兼ねて事を壮としたのであるが、あのころ王掄も巌武が幕府に邀えられてその幕僚となったが、おくればせながら自分も幕僚として彼らのあとにつづいた。

【1】    頃壮 頃に近年の意、壮は作者は之を壮年とするをいう。

【2】    戎麾出 戎麾は軍務を指揮するものをいう、これ嚴武が蜀を鎭せしことをさす。

【3】    叨陪幕府要 叨とは作者よりいこことにて謙譲語である、陪とは王掄のあとに陪席すること、要とは邀こと、幕府要とは厳武の節度使の幕府より幕僚として邀えられしをいう。

 

將軍臨氣候,猛士寒風飆。

あのときの将軍である嚴武は用兵をその気候に対応した陣に臨み、部下の猛士は外敵、吐蕃が寒風飆のごとき勢でもって侵入する途をよく塞ぎとめた。

【4】    将軍 嚴武をさす。

【5】    臨気候 気候とは用兵の気候なりといえり。臨とは蓋し陣にのぞむをいう、臨気候とは兵を用うべきの気候にあたってその時にのぞむことをいう。

【6】    猛士 部下の強兵なり

【7】    寒風飆 漢の高祖の《大風歌》「大風起兮雲飛揚。威加海内兮歸故鄕。安得猛士兮守四方!」(大風 起きて雲飛揚す。威は海内に 加わりて故鄕に歸る。安くにか 猛士を得て四方を守らしめん!)の意。大風歌は『史記・高祖本紀第八』に拠ると、「十一年秋七月、淮南侯黥布がそむき…、高祖が自らこれを撃った。…十二年,十月,高祖はすでに黥布軍を撃ちやぶり,黥布はにげたので これを部下に追わせた」。この後が前掲の「高祖はもどって帰る途中に,(故郷の)沛をとおったので,留まった。酒盛を沛宮で,…」へと続くのである。このような、天下平定の業が終えかけている時に、郷里の沛を通って村のみんなに酒を振る舞い、健児・漢児を得て、高祖自らが筑を持って舞い歌ったという、得意の絶頂期の作とも謂えるものである。

 

井漏泉誰汲,烽疏火不燒。

行軍のため井戸浚えをするものが無くてその泉水を誰も汲めない、危急の烽火にしてもまれになったものだから火を焼きつけに携わる人がいなくなった。

【8】    井漏泉誰汲 井泉を汲むものがないことを強調して言う。井漏とは井戸に清水が湧き出ること、その井戸が枯れてしまったこと。安氏の乱で夜が乱れたことで、統制のとれた軍隊がなくなり、行軍によって進む際に各地の井戸を掃除をするものがいないことを言う。

【9】    烽疏火不燒 蜂火はのろし、世の中、世情が全体的にみだれたことで、ぎゃくにのろしでしらせる危急性がなくなっていることを言う。

 

前籌自多暇,隱几接終朝。

王掄のごとき者が張良のように、前籌を用い謀略をするため、おのずと軍務も暇が多く、したがって我我は脇息によりかかつて朝から應勤しで閑談するのを常とした。

【10】  前籌 張良、漢の高祖の食膳の箸を借りて、天下の長久を占うことを言う。この張良の役割を嚴武の幕府の中で、王掄がその役割をしたことを言う。

【11】  自多暇 多暇とは軍務に閑暇があるということをいう。

【12】  隱几 脇息による、作者杜甫の態度をいう。

【13】  接終朝 接とは作者、王掄と応接すること、終朝は朝いっぱい。朝から公事なくて閒事にふけるいう。「蜀路」以下十二句は王掄が中央朝廷を貶謫され、蜀に在りし当時を述べている。

766年-170#2 杜甫 《1768 哭王彭州掄》#2 605 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-170-#2 <1043> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6895

杜甫  哭王彭州掄 #2  

歷職漢庭久,中年胡馬驕。兵戈闇兩觀,寵辱事三朝。

蜀路江干窄,彭門地里遙。解龜生碧草,諫獵阻清霄。

彼の家系は代々漢(唐)の朝廷に於いて官職を歴任してきて久しいのであり、その彼の働き盛りの中年に胡の兵馬が煽って叛く様になったのである。そのために京師の官門には兵戈が両都の宮門に立ち闇黒の時代に、寵辱をうけて、それでも、彼はこの間に三朝、即ち玄宗、肅宗、代宗にまたがって仕えたのである。肅宗は杜甫、王掄、嚴武、鄭虔など房琯グループを貶謫したのである。蜀の水陸道路は長江のほとりで地形狭小のところで出入を困難にする、天彭門の山は長安、京師からは、とてもはるかなところである。当然、彼も出されたのである。彼が侍御史の印を解いて解職したときは謝靈運が左遷先で辞職を考えた池塘の春草の生じるころであったように春であったが、彼は京師にいるならば、司馬相如が「上書諫獵」したように、直諌したものであるが、天子とは青空遥かにへだてて、それをすることもできはしなかったのである。

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  2015年11月10日 の紀頌之5つのBlog  
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
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杜甫詩1500-1043-1540-#2/2500

年:766年大暦元年55-170

卷別:    卷二三一              文體:    五言古詩

詩題:    哭王彭州掄

作地點:              目前尚無資料

及地點:彭州 (劍南道北部 彭州 彭州)           

交遊人物/地點:王掄          詩文提及

 

哭王彭州掄【5分割】#1

(房琯グループであった友人彭州刺史王掄を哭したる詩。)

執友驚淪沒,斯人已寂寥。

自分は房琯グループ同志の友人等が次々なくなってゆくのに驚かされ、房琯サロンに集まった同志、同輩のものは、もはや寂しく残り少なくなった。

新文生沈謝,異骨降松喬。

王掄は文章を作らせば、謝靈運・沈約が生れてきたかとおもわれ、凡庸でなかったことは雨師で,崑崙山に入って仙人となったという赤松子や、笙を吹いて雲中を飛んだという王子喬が降誕したかとおもわれるほどのものであった。

北部初高選,東堂早見招。

彼は京畿において初めて高選されて北部の尉に任ぜられ、、東堂において策問試験で選抜され、及第したし、王羲之の「坦腹東牀」の故事のように、早くも貴族の婿に招かれた。

蛟龍纏倚劍,鸞鳳夾吹簫。

即ち彼は尉としては、蚊龍のまとった剣により、婿としては王子喬のように鸞鳳に挟まれながら簫を吹きならした。

王彭州掄を哭す【5分割】#1

執友 淪沒するを驚く,斯人 已に寂寥なり。

新文 沈謝を生じ,異骨 松喬を降す。

北部 初めて高選し,東堂 早く招かる。

蛟龍 倚劍を纏い,鸞鳳 吹簫を夾む。
#2

歷職漢庭久,中年胡馬驕。

彼の家系は代々漢(唐)の朝廷に於いて官職を歴任してきて久しいのであり、その彼の働き盛りの中年に胡の兵馬が煽って叛く様になったのである。

兵戈闇兩觀,寵辱事三朝。

そのために京師の官門には兵戈が両都の宮門に立ち闇黒の時代に、寵辱をうけて、それでも、彼はこの間に三朝、即ち玄宗、肅宗、代宗にまたがって仕えたのである。

蜀路江干窄,彭門地里遙。

肅宗は杜甫、王掄、嚴武、鄭虔など房琯グループを貶謫したのである。蜀の水陸道路は長江のほとりで地形狭小のところで出入を困難にする、天彭門の山は長安、京師からは、とてもはるかなところである。当然、彼も出されたのである。

解龜生碧草,諫獵阻清霄。

彼が侍御史の印を解いて解職したときは謝靈運が左遷先で辞職を考えた池塘の春草の生じるころであったように春であったが、彼は京師にいるならば、司馬相如が「上書諫獵」したように、直諌したものであるが、天子とは青空遥かにへだてて、それをすることもできはしなかったのである。

職を歷る漢庭に久し,中年 胡馬 驕る。

兵戈 兩觀に闇し,寵辱 事に三朝す。

蜀路 江干窄く,彭門 地里遙なり。

解龜 碧草生じ,諫獵 清霄を阻つ。
#3

頃壯戎麾出,叨陪幕府要。

將軍臨氣候,猛士寒風飆。

井漏泉誰汲,烽疏火不燒。

前籌自多暇,隱几接終朝。

#4

翠石俄雙表,寒松竟後凋。

贈詩焉敢墜,染翰欲無聊。

再哭經過罷,離魂去住銷。

之官方玉折,寄葬與萍漂。

#5

曠望渥洼道,霏微河漢橋。

夫人先即世,令子各清標。

巫峽長雲雨,秦城近斗杓。

馮唐毛髮白,歸興日蕭蕭。

 

 

『哭王彭州掄』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

歷職漢庭久,中年胡馬驕。

兵戈闇兩觀,寵辱事三朝。

蜀路江干窄,彭門地里遙。

解龜生碧草,諫獵阻清霄。

(下し文)
#2

職を歷る漢庭に久し,中年 胡馬 驕る。

兵戈 兩觀に闇し,寵辱 事に三朝す。

蜀路 江干窄く,彭門 地里遙なり。

解龜 碧草生じ,諫獵 清霄を阻つ。

(現代語訳)
#2

彼の家系は代々漢(唐)の朝廷に於いて官職を歴任してきて久しいのであり、その彼の働き盛りの中年に胡の兵馬が煽って叛く様になったのである。

そのために京師の官門には兵戈が両都の宮門に立ち闇黒の時代に、寵辱をうけて、それでも、彼はこの間に三朝、即ち玄宗、肅宗、代宗にまたがって仕えたのである。

肅宗は杜甫、王掄、嚴武、鄭虔など房琯グループを貶謫したのである。蜀の水陸道路は長江のほとりで地形狭小のところで出入を困難にする、天彭門の山は長安、京師からは、とてもはるかなところである。当然、彼も出されたのである。

彼が侍御史の印を解いて解職したときは謝靈運が左遷先で辞職を考えた池塘の春草の生じるころであったように春であったが、彼は京師にいるならば、司馬相如が「上書諫獵」したように、直諌したものであるが、天子とは青空遥かにへだてて、それをすることもできはしなかったのである。


(訳注) #2

哭王彭州掄【5分割】#2

(房琯グループであった友人彭州刺史王掄を哭したる詩。)大磨元年夔州にての作。

王彭州掄 王論 これまでの王掄関連の詩は以下にある。王掄は侍御史を以て官をやめ、嚴武が東川・西川節度使の幕府にあったときにはいり、その後、彭州刺史に遷ってそこで死没したもの。

 

歷職漢庭久,中年胡馬驕。

彼の家系は代々漢(唐)の朝廷に於いて官職を歴任してきて久しいのであり、その彼の働き盛りの中年に胡の兵馬が煽って叛く様になったのである。

【1】    歴職 侍御史等の職を経歴せしこと。

【2】    漢庭 唐の朝廷をいう。

【3】    胡馬 安禄山、史思明の安史軍の馬。

 

兵戈闇兩觀,寵辱事三朝。

そのために京師の官門には兵戈が両都の宮門に立ち闇黒の時代に、寵辱をうけて、それでも、彼はこの間に三朝、即ち玄宗、肅宗、代宗にまたがって仕えたのである。

【4】    兩觀 觀は宮門の闕をいう、両わきの小門。

【5】    寵辱 栄辱・窮達のごとし、語は「老子」にみえる。

【6】    三朝 玄宗粛宗代宗の三朝、起十二句は生前事迹の大体をのべる。

 

蜀路江干窄,彭門地里遙。

肅宗は杜甫、王掄、嚴武、鄭虔など房琯グループを貶謫したのである。蜀の水陸道路は長江のほとりで地形狭小のところで出入を困難にする、天彭門の山は長安、京師からは、とてもはるかなところである。当然、彼も出されたのである。

【7】    蜀路江干窄 江干は長江のほとり、窄ほ地形狭小なるをいふ。

【8】    彭門 山の名、彭縣の西北二十里にあり、両峰対立すること闕の如く 天彭門と名く。

【9】    地里遥 地里は里程をいう、遥とは長安京師よりしてはるかなるをいう。

 

解龜生碧草,諫獵阻清霄。

彼が侍御史の印を解いて解職したときは謝靈運が左遷先で辞職を考えた池塘の春草の生じるころであったように春であったが、彼は京師にいるならば、司馬相如が「上書諫獵」したように、直諌したものであるが、天子とは青空遥かにへだてて、それをすることもできはしなかったのである。

【10】  解龜 漢の中二千石(地方官)は銀印紐である、龜は印の取手がかめの形なるをいう、亀を解くとは辞職すること、ここは侍御史を辞したことをいうのである。

【11】  生碧草 印を解き辞職した時は、いけとうの辟壊せし=とが碧耳の生するとき即ち春節にあるわいへるものならん。春の名句である謝靈運《登池上樓》「池塘生春草,園柳變鳴禽。」(池の塘【つつみ】は春の草生じ、園の柳に鳴く禽【とり】も変りぬ。)

登池上樓 #2 謝靈運<25>#2  詩集 396 kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1005   

【12】  諫獵 司馬相如が前漢武帝の狩りをいさめる故事、「上書諫猟」は、長楊宮での狩猟に随従した際、天子自らが獲物を追うことを諫め. たもの。

《巻16-06 八哀詩八首〔四〕贈太子太師汝陽郡王璡》「袖中諫獵書,扣馬久上陳。」(袖中 諌猟の書、馬を扣えて 久しく上陳す。)が李璡王は袖の中に諌猟書をおもちになって、ずっと以前から、玄宗の狩馬を控えてほしいということを、たてまつりその意をおのべになったのである。

766年大暦元年55-43-4奉節-34-4 《巻16-06 八哀詩八首〔四〕贈太子太師汝陽郡王璡 -4 杜甫index-15 杜甫<906-4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5695

【13】  阻清霄 青空をへだつ。中央朝廷と隔ることをいう。

766年-170杜甫 《1768 哭王彭州掄》#1 694 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-170-#1 <1042> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6890

杜甫  哭王彭州掄【5分割】#1

執友驚淪沒,斯人已寂寥。新文生沈謝,異骨降松喬。

北部初高選,東堂早見招。蛟龍纏倚劍,鸞鳳夾吹簫。

(房琯グループであった友人彭州刺史王掄を哭したる詩。)

自分は房琯グループ同志の友人等が次々なくなってゆくのに驚かされ、房琯サロンに集まった同志、同輩のものは、もはや寂しく残り少なくなった。王掄は文章を作らせば、謝靈運・沈約が生れてきたかとおもわれ、凡庸でなかったことは雨師で,崑崙山に入って仙人となったという赤松子や、笙を吹いて雲中を飛んだという王子喬が降誕したかとおもわれるほどのものであった。彼は京畿において初めて高選されて北部の尉に任ぜられ、、東堂において策問試験で選抜され、及第したし、王羲之の「坦腹東牀」の故事のように、早くも貴族の婿に招かれた。即ち彼は尉としては、蚊龍のまとった剣により、婿としては王子喬のように鸞鳳に挟まれながら簫を吹きならした。

766-170杜甫 1768 哭王彭州掄》694 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-170-#1 <1042 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6890 

 

 
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杜甫詩1500-1042-1540-#1/2500

年:766年大暦元年55-170

卷別:    卷二三一              文體:    五言古詩

詩題:    哭王彭州掄

作地點:              目前尚無資料

及地點:彭州 (劍南道北部 彭州 彭州)           

交遊人物/地點:王掄          詩文提及

 

哭王彭州掄【5分割】#1

執友驚淪沒,斯人已寂寥。

新文生沈謝,異骨降松喬。

北部初高選,東堂早見招。

蛟龍纏倚劍,鸞鳳夾吹簫。

(房琯グループであった友人彭州刺史王掄を哭したる詩。)

自分は房琯グループ同志の友人等が次々なくなってゆくのに驚かされ、房琯サロンに集まった同志、同輩のものは、もはや寂しく残り少なくなった。

王掄は文章を作らせば、謝靈運・沈約が生れてきたかとおもわれ、凡庸でなかったことは雨師で,崑崙山に入って仙人となったという赤松子や、笙を吹いて雲中を飛んだという王子喬が降誕したかとおもわれるほどのものであった。

彼は京畿において初めて高選されて北部の尉に任ぜられ、、東堂において策問試験で選抜され、及第したし、王羲之の「坦腹東牀」の故事のように、早くも貴族の婿に招かれた。

即ち彼は尉としては、蚊龍のまとった剣により、婿としては王子喬のように鸞鳳に挟まれながら簫を吹きならした。

王彭州掄を哭す【5分割】#1

執友 淪沒するを驚く,斯人 已に寂寥なり。

新文 沈謝を生じ,異骨 松喬を降す。

北部 初めて高選し,東堂 早く招かる。

蛟龍 倚劍を纏い,鸞鳳 吹簫を夾む。
#2

歷職漢庭久,中年胡馬驕。

兵戈闇兩觀,寵辱事三朝。

蜀路江干窄,彭門地里遙。

解龜生碧草,諫獵阻清霄。

#3

頃壯戎麾出,叨陪幕府要。

將軍臨氣候,猛士寒風飆。

井漏泉誰汲,烽疏火不燒。

前籌自多暇,隱几接終朝。

#4

翠石俄雙表,寒松竟後凋。

贈詩焉敢墜,染翰欲無聊。

再哭經過罷,離魂去住銷。

之官方玉折,寄葬與萍漂。

#5

曠望渥洼道,霏微河漢橋。

夫人先即世,令子各清標。

巫峽長雲雨,秦城近斗杓。

馮唐毛髮白,歸興日蕭蕭。

 

 

『哭王彭州掄』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

哭王彭州掄【5分割】#1

執友驚淪沒,斯人已寂寥。

新文生沈謝,異骨降松喬。

北部初高選,東堂早見招。

蛟龍纏倚劍,鸞鳳夾吹簫。

(下し文)
王彭州掄を哭す【5分割】#1

執友 淪沒するを驚く,斯人 已に寂寥なり。

新文 沈謝を生じ,異骨 松喬を降す。

北部 初めて高選し,東堂 早く招かる。

蛟龍 倚劍を纏い,鸞鳳 吹簫を夾む。

(現代語訳)
哭王彭州掄【5分割】#1(房琯グループであった友人彭州刺史王掄を哭したる詩。)

自分は房琯グループ同志の友人等が次々なくなってゆくのに驚かされ、房琯サロンに集まった同志、同輩のものは、もはや寂しく残り少なくなった。

王掄は文章を作らせば、謝靈運・沈約が生れてきたかとおもわれ、凡庸でなかったことは雨師で,崑崙山に入って仙人となったという赤松子や、笙を吹いて雲中を飛んだという王子喬が降誕したかとおもわれるほどのものであった。

彼は京畿において初めて高選されて北部の尉に任ぜられ、、東堂において策問試験で選抜され、及第したし、王羲之の「坦腹東牀」の故事のように、早くも貴族の婿に招かれた。

即ち彼は尉としては、蚊龍のまとった剣により、婿としては王子喬のように鸞鳳に挟まれながら簫を吹きならした。


(訳注)

哭王彭州掄【5分割】#1

(房琯グループであった友人彭州刺史王掄を哭したる詩。)大磨元年夔州にての作。

王彭州掄 王論 これまでの王掄関連の詩は以下にある。王掄は侍御史を以て官をやめ、嚴武が東川・西川節度使の幕府にあったときにはいり、その後、彭州刺史に遷ってそこで死没したもの。

【1】        ●杜甫『陪王侍御同登東山最高頂宴姚通泉晚攜酒泛江』(王侍御に同行して東山の最高の頂上に昇って、通泉の夕暮に姚公の宴席があり酒を携えて涪江に舟を泛べる。)「姚公美政誰與儔,不減昔時陳太丘。邑中上客有柱史,多暇日陪驄馬遊。東山高頂羅珍羞,下顧城郭銷我憂。清江白日落欲盡,復攜美人登綵舟。」陪王侍御同登東山最高頂宴姚通泉晚攜酒泛江【案:東山在潼川涪江上。】 成都 杜甫 <496ー#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2665 杜甫詩1000-496ー#1-727/1500

また『王竟攜酒,高亦同過,共用寒字』「 臥疾荒郊遠,通行小徑難。故人能領客,攜酒重相看。自愧無鮭菜,空煩卸馬鞍。移樽勸山簡,頭白恐風寒。」、王竟攜酒,高亦同過,共用寒字 七言律詩 成都5-(39) 杜甫 <464  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2405 杜甫詩1000-464-675/1500

また王侍御は二年前に浣花渓の杜甫の家に訪れている。『王十七侍禦掄許攜酒至草堂,奉寄此詩,便請邀高三十五使君同到』(侍御史王掄が酒をもって草堂へくることを承諾していたのについて、此の詩をやり、高適をもついでに呼んで一緒にきてもらいたいといって作った詩。上元二年冬成都での作。)
○王十七侍禦掄 侍御史王掄。

陪王侍御同登東山最高頂宴姚通泉晚攜酒泛江【案:東山在潼川涪江上。】成都 杜甫 <496ー#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2665 杜甫詩1000-496ー#1-727/1500

 

執友驚淪沒,斯人已寂寥。

自分は房琯グループ同志の友人等が次々なくなってゆくのに驚かされ、房琯サロンに集まった同志、同輩のものは、もはや寂しく残り少なくなった。

【2】    執友 志を同じとする友、、もと同師の友をいい、此処では杜甫、嚴武らとともに、房琯のグループであったということ。

【3】    淪沒 死んで埋葬等を終わっていること。三か月以上経過している。

【4】    斯人 同輩をさす。

 

新文生沈謝,異骨降松喬。

王掄は文章を作らせば、謝靈運・沈約が生れてきたかとおもわれ、凡庸でなかったことは雨師で,崑崙山に入って仙人となったという赤松子や、笙を吹いて雲中を飛んだという王子喬が降誕したかとおもわれるほどのものであった。

【5】    新文 新しさ文章。

【6】    沈謝 梁の沈約、宋の謝墨運、王掄にたとえる。沈約:(441 - 513年)は、南朝を代表する文学者、政治家。呉興郡武康県(現在の浙江省徳清県)の人。字は休文。沈氏は元来軍事で頭角を現した江南の豪族であるが、沈約自身は幼いときに父を孝武帝に殺されたこともあり、学問に精励し学識を蓄え、宋・斉・梁の3朝に仕えた。南斉の竟陵王蕭子良の招きに応じ、その文学サロンで重きをなし、「竟陵八友」の一人に数えられた。その後蕭衍(後の梁の武帝)の挙兵に協力し、梁が建てられると尚書令に任ぜられ、建昌県侯に封ぜられた。晩年は武帝の不興をこうむり、憂愁のうちに死去したという。このため諡は、当初「文」とされるところを武帝の命により「隠」とされた。  謝靈運:(385433)東晋・南朝宋の詩人・文学者。本籍は陳郡陽夏。魏晋南北朝時代を代表する詩人で、山水を詠じた詩が名高く、「山水詩」の祖とされる。 六朝時代を代表する門閥貴族である謝氏の出身で、祖父の謝玄は淝水の戦いで前秦の苻堅の大軍を撃破した東晋の名将である。

【7】    異骨 凡庸の骨相ならぬをいい、仙骨のあるじんぶつをいう。

【8】    降松喬 降とは天よりこの世へ降生することをいう。松喬は赤松子・王子喬、並び立つ仙人である。赤松子:上古の仙人の名。神農の時の雨師で,崑崙山に入って仙人となったという。・王子喬:周代の仙人。霊王の太子といわれる。名は晋。白い鶴にまたがり、笙を吹いて雲中を飛んだという王子喬伝説。

 

北部初高選,東堂早見招。

彼は京畿において初めて高選されて北部の尉に任ぜられ、、東堂において策問試験で選抜され、及第したし、王羲之の「坦腹東牀」の故事のように、早くも貴族の婿に招かれた。

【9】    北部初高選 北部は洛陽北部の尉であったことをいう。魏の曹操年二十にして孝廉にあげげられ郎となり、洛陽北部の尉に除せらる、此句は王掄が京畿の尉官となりしをいう。高選は選抜されたことをいう。

【10】  東堂早見招 東堂は東牀であり、王羲之の「坦腹東牀」の故事。“かならずどこかで馬の土煙や民家を焼く炎があがった。そんな戦乱の中で王義之も妻を娶る。その時、王羲之は媚びることなく、「東床坦腹」といわれる態度を貫いて、娘の婿に選ばれたことを言う。王家に婿探しに来た野心家で力を蓄えた豪族がいた。「王家のご令息はみなご立派でしたが、婿を探しに来たことを知ると、どなたも我こそはと自信ありげになさっていました。ただお独りだけ、東の寝台に腹を丸出しにしたまま寝転び、何も聞かないふりをしている方がおりました」王義之は選ばれて名家の娘と結ばれる。”これを王掄が宗室と婚姻を結んだことに比して言う、この語は、下句に「鸞鳳」の後句あり、見招とは婿として招かれたことをいう。東堂ということでも、東堂において策問試験で選抜され、及第したことを言うので、杜甫に徒はばをうけて皮革せし=とをいふなり。《巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -3》「射君東堂策,宗匠集精選。」そうして東堂で天子の御試験に応じたが、時の試験官はいずれも文章の大家で一粒えりというべき人たちが集められた。○射君東堂策 射策とは試験を受けること、漢の時試験に対策と射策とがあり、対策は経義を以て顕わに問い、射策は難問疑義を甲乙の策(ふだ)に書き、問題をくじびきでとって答えさせた。杜甫《醉歌行》「只今年才十六七,射策君門期第一。」とみえる。

醉歌行 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 94

君は天子をいう、東堂とは試験場のこと、唐の尚書省の東堂をいう。晋の武帝の時にも、もろもろの賢良・方正・直言(試験の科名)に詔して東堂に会して策間をうけさせたことがある。○宗匠 文章の大家をいう、当時の試験官にして受験者の文を詮衡するものをさす。○精選 大家の中よりさらにすぐりぬいたもの。

766年大暦元年55-45-#3奉節-36-#3 《巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -3 杜甫index-15 杜甫<908-#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5770

 

蛟龍纏倚劍,鸞鳳夾吹簫。

即ち彼は尉としては、蚊龍のまとった剣により、婿としては王子喬のように鸞鳳に挟まれながら簫を吹きならした。

【11】  蛟龍纏倚劍 蛟龍は王掄が倚るところの剣をまとう、蓋し尉官として威厳のあることをいう。尉は盗賊を捕まえ、治める職である。

【12】  鸞鳳夾吹簫 蕭史・弄玉が故事を用いる。是も、宗室の婿になったことを例える句である。秦や穆公の女弄玉を蕭史に妻はす、一旦、簫を吹き鳳に騎りて仙となり去る。これをその宗室の婿になったことを言うのである。

766年-169杜甫 《1619 奉漢中王手札報韋侍御、蕭尊師亡》579 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-169 <1041> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6885 

杜甫  奉漢中王手札報韋侍御、蕭尊師亡

秋日蕭韋逝,淮王報峽中。少年疑柱史,多術怪仙公。 

不但時人惜,祇應吾道窮。一哀侵疾病,相識自兒童。 

處處鄰家笛,飄飄客子蓬。強吟〈懷舊賦〉,已作白頭翁。 

(漢中王から手紙をいただいた、それによると、韋侍御、蕭尊師が亡なったということである、よってこの詩を読んだのである。)秋の日に、韋侍御、蕭尊師が亡なったということを淮王というべき漢中王から峽中の自分のところに手紙で報知してくださった。長寿であったかの老子と同じ地位である柱下史である韋侍御は、まだ少年なのに死んだというのは信じられないし、いろいろな長生の術を熟知している仙人である蕭尊師がなくなるというのも奇怪なことだとおもうのである。このお二人がなくなったことは、ただ、同時に世の人々が惜しむというのではなく、我々にとって、同じ目標を持っていた同志であり、その道が行き詰まってしまうということなのである。自分は今執秒に侵されていているものの、この一哀の禮を尽くさねばならないと思うのは、我々が知り合ったのは子供の頃であったということである。処処におこる隣家の笛の音にお二人のことを思い、飄々と轉蓬のように漂って旅の客となっていることで何もしてあげられないことをつらく思うのである。だから、すでに白頭の翁になってしまった自分としては、せめて精いっぱい力強く、潘岳のように〈懷舊の賦〉を吟じようとするだけである。

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杜甫詩1500-1041-1539/2500

年:766年大暦元年55-169

卷別: 卷二三一  文體: 五言古詩 

詩題: 奉漢中王手札報韋侍御、蕭尊師亡 

交遊人物/地點: 漢中王 李瑀  詩文提及

韋侍御     詩文提及

蕭尊師     詩文提及

 

 

奉漢中王手札報韋侍御、蕭尊師亡

(漢中王から手紙をいただいた、それによると、韋侍御、蕭尊師が亡なったということである、よってこの詩を読んだのである。)

秋日蕭韋逝,淮王報峽中。

秋の日に、韋侍御、蕭尊師が亡なったということを淮王というべき漢中王から峽中の自分のところに手紙で報知してくださった。

少年疑柱史,多術怪仙公。 

長寿であったかの老子と同じ地位である柱下史である韋侍御は、まだ少年なのに死んだというのは信じられないし、いろいろな長生の術を熟知している仙人である蕭尊師がなくなるというのも奇怪なことだとおもうのである。

不但時人惜,祇應吾道窮。 

このお二人がなくなったことは、ただ、同時に世の人々が惜しむというのではなく、我々にとって、同じ目標を持っていた同志であり、その道が行き詰まってしまうということなのである。

一哀侵疾病,相識自兒童。 

自分は今執秒に侵されていているものの、この一哀の禮を尽くさねばならないと思うのは、我々が知り合ったのは子供の頃であったということである。

處處鄰家笛,飄飄客子蓬。 

処処におこる隣家の笛の音にお二人のことを思い、飄々と轉蓬のように漂って旅の客となっていることで何もしてあげられないことをつらく思うのである。

強吟〈懷舊賦〉,已作白頭翁。 

だから、すでに白頭の翁になってしまった自分としては、せめて精いっぱい力強く、潘岳のように〈懷舊の賦〉を吟じようとするだけである。

 

(漢中王の手札を奉ず 韋侍御、蕭尊師が亡するを報ず)

秋日 蕭、韋逝けりと,淮王 峽中に報ず。

少年柱史を疑い,多術 仙公を怪む。 

但だ時人の惜むのみならず,祇だ應に吾が道の窮するなるべし。

一哀 疾病に侵さるる,相識 兒童自りす。 

處處 鄰家の笛,飄飄 客子の蓬。 

強いて吟ず〈懷舊の賦〉,已に白頭翁と作りぬ。 


 

詩文(含異文) 秋日蕭韋逝,淮王報峽中。少年疑柱史【小年疑柱史】,多術怪仙公。不但時人惜,祇應吾道窮。一哀侵疾病,相識自兒童。處處鄰家笛,飄飄客子蓬。強吟〈懷舊賦〉,已作白頭翁。 

 

 

 

『奉漢中王手札報韋侍御、蕭尊師亡』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

奉漢中王手札報韋侍御、蕭尊師亡

秋日蕭韋逝,淮王報峽中。

少年疑柱史,多術怪仙公。 

不但時人惜,祇應吾道窮。 

一哀侵疾病,相識自兒童。 

處處鄰家笛,飄飄客子蓬。 

強吟〈懷舊賦〉,已作白頭翁。 

(下し文)
(漢中王の手札を奉ず 韋侍御、蕭尊師が亡するを報ず)

秋日 蕭、韋逝けりと,淮王 峽中に報ず。

少年柱史を疑い,多術 仙公を怪む。 

但だ時人の惜むのみならず,祇だ應に吾が道の窮するなるべし。

一哀 疾病に侵さるる,相識 兒童自りす。 

處處 鄰家の笛,飄飄 客子の蓬。 

強いて吟ず〈懷舊の賦〉,已に白頭翁と作りぬ。 

(現代語訳)
(漢中王から手紙をいただいた、それによると、韋侍御、蕭尊師が亡なったということである、よってこの詩を読んだのである。)

秋の日に、韋侍御、蕭尊師が亡なったということを淮王というべき漢中王から峽中の自分のところに手紙で報知してくださった。

長寿であったかの老子と同じ地位である柱下史である韋侍御は、まだ少年なのに死んだというのは信じられないし、いろいろな長生の術を熟知している仙人である蕭尊師がなくなるというのも奇怪なことだとおもうのである。

このお二人がなくなったことは、ただ、同時に世の人々が惜しむというのではなく、我々にとって、同じ目標を持っていた同志であり、その道が行き詰まってしまうということなのである。

自分は今執秒に侵されていているものの、この一哀の禮を尽くさねばならないと思うのは、我々が知り合ったのは子供の頃であったということである。

処処におこる隣家の笛の音にお二人のことを思い、飄々と轉蓬のように漂って旅の客となっていることで何もしてあげられないことをつらく思うのである。

だから、すでに白頭の翁になってしまった自分としては、せめて精いっぱい力強く、潘岳のように〈懷舊の賦〉を吟じようとするだけである。


(訳注)

奉漢中王手札報韋侍御、蕭尊師亡

(漢中王から手紙をいただいた、それによると、韋侍御、蕭尊師が亡なったということである、よってこの詩を読んだのである。)

○漢中王 名を璃といい譲皇帝(寧王)の第六子で汝陽王璡の弟である。玄宗が蜀に幸したときに従って漢中に至り、漢中王に封ぜられ銀青光禄大夫・漢中郡太守を加えられた。のち粛宗を諌めて帝の怒りにふれ蓬州の刺史に貶せられた。ここには漢中王と称しているが蓬州の刺史として何かの事によって梓州に訪れて、梓州に滞在していた杜甫とあっていた。その房琯グループである、漢中王からの手紙が来たのである。

<これまでの漢中王の詩>

作時:762 寶應元年 杜甫51

639五言律詩《戲題寄上漢中王,三首之一》 蜀中転々 杜甫 <544  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2945 杜甫詩1000-544-783/1500

640 五言律詩《戲題寄上漢中王,三首之二》 蜀中転々 杜甫 <545  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2950 杜甫詩1000-545-784/1500

641五言律詩《戲題寄上漢中王,三首之三》 蜀中転々 杜甫 <546  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2955 杜甫詩1000-546-785/1500

643 《玩月呈漢中王》 蜀中転々 杜甫 <548  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2965 杜甫詩1000-548-787/1500

作時:763年 廣德元年 杜甫52歳 

701 《章梓州水亭〔自注:時漢中王兼道士席謙在會,同用荷字韻。〕》蜀中転々 杜甫<608 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3350 杜甫詩1000-608-864/1500

702 《戲作寄上漢中王,二首之一〔自注:王新誕明珠。〕 蜀中転々 杜甫 <609  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3355 杜甫詩1000-609-865/1500

703 《戲作寄上漢中王,二首之二〔自注:王新誕明珠。〕 蜀中転々 杜甫 <610  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3360 杜甫詩1000-610-866/1500

作時:766年大暦元年55-61

766年-61杜甫 《1556奉漢中王手札》【3分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-61 <930 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6225

766年-61杜甫 《1556奉漢中王手札 -#2》【3分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-61 <931 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6230

766-61杜甫 1556奉漢中王手札 -#3》【3分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-61 <932 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6235

韋侍御 房琯グループである、侍御史の韋某。

蕭尊師 房琯グループである、幼馴染であった道士蕭某。

 

秋日蕭韋逝,淮王報峽中。

秋の日に、韋侍御、蕭尊師が亡なったということを淮王というべき漢中王から峽中の自分のところに手紙で報知してくださった。

 

少年疑柱史,多術怪仙公。 

長寿であったかの老子と同じ地位である柱下史である韋侍御は、まだ少年なのに死んだというのは信じられないし、いろいろな長生の術を熟知している仙人である蕭尊師がなくなるというのも奇怪なことだとおもうのである。

少年疑柱史 韋侍御は、まだ少年なのに死んだというのは信じられなくて疑問であること。この時代の少年は今の青年。柱史は秦の柱下史で御史とおなじ、ここでは、老子が柱下史であったことから、その地位にいた老子は長生きを下ではないかという疑問を言うのである。

多術怪仙公 この句は、道士であった蕭尊師についていうのであり、仙人である同氏は、不老長寿の業を知っているはずで、自分より早く死ぬはずがないと思っていたのでこの詩は怪しいというのである。

 

不但時人惜,祇應吾道窮。 

このお二人がなくなったことは、ただ、同時に世の人々が惜しむというのではなく、我々にとって、同じ目標を持っていた同志であり、その道が行き詰まってしまうということなのである。

時人惜 同時に世の人々が惜しむというのではなく(自分にとって特別に惜しむ人であった、それが下句の理由である。)

吾道窮 幼馴染であり、同時に房琯のサロンで、房琯グループとして、朝廷の刷新を図ろうとしていた同志であった。

 

一哀侵疾病,相識自兒童。 

自分は今執秒に侵されていているものの、この一哀の禮を尽くさねばならないと思うのは、我々が知り合ったのは子供の頃であったということである。

一哀 哀悼の意を表すこと。

 

處處鄰家笛,飄飄客子蓬。 

処処におこる隣家の笛の音にお二人のことを思い、飄々と轉蓬のように漂って旅の客となっていることで何もしてあげられないことをつらく思うのである。

鄰家笛 晉の向秀、竹林の七賢の一人。字は子期。三国時代の魏および西晋の文人。河内郡懐県の人。『晋書』に伝があるほか、『世説新語』「言語篇」注と『太平御覧』巻四〇九に『向秀別伝』なる伝記の逸文が残る。ここは、向秀の文学作品に『思旧賦』があって、その中に、ある寒い日の夕暮れに昔の住まいを通り過ぎた際、どこからともなく笛の音が聞こえてきたため、嵆康・呂安と過ごした旧事を思い出し、感傷に堪えず作ったということを念頭においている。

客子蓬 轉蓬のように漂って旅の客となっていることで何もしてあげられないことで、次の句の〈懷舊賦〉につながってゆく。

 

強吟〈懷舊賦〉,已作白頭翁。 

だから、すでに白頭の翁になってしまった自分としては、せめて精いっぱい力強く、潘岳のように〈懷舊の賦〉を吟じようとするだけである。

懷舊賦 死を悼む哀傷の詩文を得意とした晉の潘岳は、愛妻の死を嘆く名作「悼亡」詩をかき、以降の詩人に大きな影響を与えた。ただ、潘岳の作る文章は修辞を凝らした繊細かつ美しいものであった。潘 岳(はん がく、247 - 300年)は、西晋時代の文人。字は安仁。中牟(河南省)の人。

766年-168杜甫 《1621存歿口號,二首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-168 <1040> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6880

杜甫  存歿口號,二首之二

【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

鄭公粉繪隨長夜,曹霸丹青已白頭。

【自注:高士滎陽鄭虔善畫山水,曹霸善畫馬。】。

天下何曾有山水,人間不解重驊騮。

(死んでいったもの生きている人の事、それぞれの思いのほどを口ずさんだ詩:曹霸、鄭虔)この詩篇毎に、まず死没した人、次に生きている一人というように述べる。この時、席謙と曹霸は生きていて、畢曜、鄭虔は死没している。鄭公は玄宗から「鄭虔三絶(詩、書、画)」と賞されたが、既に没して長い夜を過ごしておられる。曹霸はよい絵を描くには「丹青不知老將至」と没頭してかくものだと言っていて白頭になってしまっている。【自註:人格高潔な人であり、滎陽の生まれの鄭虔は、よく山水の書画を書く。曹霸はよく馬の絵を描いている】鄭公が死没されてから、真の山水を天下に描ける人が、かつてのようにいるだろうか、曹霸は今も生きているが、世の人というもの、彼の描いた駿馬の素晴らしさを重んじ、本当の理解をすることができないのである。

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杜甫詩1500-1039-1537/2500

年:766年大暦元年55-167

卷別:    卷二三一              文體:    七言

詩題:    存歿口號,二首之一【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

交遊人物/地點:鄭虔          詩文提及

 

 

(死んでいったもの生きている人の事、それぞれの思いのほどを口ずさんだ詩:席謙と畢曜)之一

【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

この詩篇毎に、まず生きている一人、次に死没した人というように述べる。この時、席謙と曹霸は生きていて、畢曜、鄭虔は死没している。

席謙不見近彈棋,畢曜仍傳舊小詩。

席謙殿は近ごろ棋を彈いているのを見ていない、畢曜殿は死後の今なお、以前に作った小詩を世に伝えている。

玉局他年無限笑,白楊今日幾人悲。

往年、玉の棋盤に対して席謙とともに無限に笑いあったものだが畢曜の方は、彼の墓の白楊についていまだに悲しんでいるものが幾人いるだろうか、きっと自分一人だろう。

【原注】道士席謙。呉人。善彈棋。畢曜善爲小詩。

【杜甫の註】席謙は道士であり、呉の人である。よく将棋をはじいている。(生きている人)畢曜はよく小詩を作った。(死んでいった人)】

(存歿口號,二首の一)

【案:每篇 一存一歿なり。是の時 席謙、曹霸は存り、畢曜、鄭虔は歿す。】

席謙 見ず 近ごろ 棋を彈ずる,畢曜 仍ほ傳う 舊小詩。

玉局 他年 無限に笑う,白楊 今日 幾人か悲しむ。

杜甫詩1500-1040-1538/2500

年:766年大暦元年55-168

卷別:    卷二三一              文體:    七言

詩題:    存歿口號,二首之二【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

交遊人物/地點:鄭虔          詩文提及

 

 

1621存歿口號,二首之二

(死んでいったもの生きている人の事、それぞれの思いのほどを口ずさんだ詩:曹霸、鄭虔)

【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

この詩篇毎に、まず死没した人、次に生きている一人というように述べる。この時、席謙と曹霸は生きていて、畢曜、鄭虔は死没している。

鄭公粉繪隨長夜,曹霸丹青已白頭。

鄭公は玄宗から「鄭虔三絶(詩、書、画)」と賞されたが、既に没して長い夜を過ごしておられる。曹霸はよい絵を描くには「丹青不知老將至」と没頭してかくものだと言っていて白頭になってしまっている。

【案:自注:高士滎陽鄭虔善畫山水,曹霸善畫馬。】。

【自註:人格高潔な人であり、滎陽の生まれの鄭虔は、よく山水の書画を書く。曹霸はよく馬の絵を描いている】

天下何曾有山水,人間不解重驊騮。

鄭公が死没されてから、真の山水を天下に描ける人が、かつてのようにいるだろうか、曹霸は今も生きているが、世の人というもの、彼の描いた駿馬の素晴らしさを重んじ、本当の理解をすることができないのである。

 

 

(存歿口號,二首の二)

【案:每篇 一存一歿なり。是の時 席謙、曹霸は存り、畢曜、鄭虔は歿す。】

鄭公は粉繪し 長夜に隨う,曹霸は丹青にして 已に白頭なり。

【自注:高士 滎陽の鄭虔は善く山水を畫く,曹霸は善く馬を畫く。】。

天下 何ぞ曾て山水有らむ,人間 解せず驊騮を重んずるを。

 

 

1621『存歿口號,二首之二』現代語訳と訳註解説
(
本文)

存歿口號,二首之二

【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

鄭公粉繪隨長夜,曹霸丹青已白頭。

【自注:高士滎陽鄭虔善畫山水,曹霸善畫馬。】。

天下何曾有山水,人間不解重驊騮。


(下し文)
(存歿口號,二首の二)

【案:每篇 一存一歿なり。是の時 席謙、曹霸は存り、畢曜、鄭虔は歿す。】

鄭公は粉繪し 長夜に隨う,曹霸は丹青にして 已に白頭なり。

【自注:高士 滎陽の鄭虔は善く山水を畫く,曹霸は善く馬を畫く。】。

天下 何ぞ曾て山水有らむ,人間 解せず驊騮を重んずるを。


(現代語訳)
(死んでいったもの生きている人の事、それぞれの思いのほどを口ずさんだ詩:曹霸、鄭虔)

この詩篇毎に、まず死没した人、次に生きている一人というように述べる。この時、席謙と曹霸は生きていて、畢曜、鄭虔は死没している。

鄭公は玄宗から「鄭虔三絶(詩、書、画)」と賞されたが、既に没して長い夜を過ごしておられる。曹霸はよい絵を描くには「丹青不知老將至」と没頭してかくものだと言っていて白頭になってしまっている。

【自註:人格高潔な人であり、滎陽の生まれの鄭虔は、よく山水の書画を書く。曹霸はよく馬の絵を描いている】

鄭公が死没されてから、真の山水を天下に描ける人が、かつてのようにいるだろうか、曹霸は今も生きているが、世の人というもの、彼の描いた駿馬の素晴らしさを重んじ、本当の理解をすることができないのである。


(訳注)

存歿口號,二首之二

(死んでいったもの生きている人の事、それぞれの思いのほどを口ずさんだ詩:曹霸、鄭虔)

 

【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

この詩篇毎に、まず死没した人、次に生きている一人というように述べる。この時、席謙と曹霸は生きていて、畢曜、鄭虔は死没している。

 

鄭公粉繪隨長夜,曹霸丹青已白頭。

鄭公は玄宗から「鄭虔三絶(詩、書、画)」と賞されたが、既に没して長い夜を過ごしておられる。曹霸はよい絵を描くには「丹青不知老將至」と没頭してかくものだと言っていて白頭になってしまっている。

鄭公 国子監博士で玄宗から「鄭虔三絶(詩、書、画)」と賞された人物で滎陽の人

粉繪 ごふん、絵具と書をいう。

隨長夜 死んでしまって黄泉の世界に長夜している。

曹霸 唐の左武衛将軍曹覇をいう、覇は魏の曹髦の子孫〔曹操の曾孫・高貴郷公と呼ばれ、後に司馬昭に殺されたが、文学を好み、ことに絵画に巧みであった。〕である。特に馬をよく書く。曹霸(704770郡人,唐沛国(今亳州市)人,魏武王曹操后代、曹魏高贵乡公曹髦后人,官左武。唐玄宗期画家,能文善画,人甚至以其祖先“三曹”比之,有“文如植武如操字画抵丕流” 之美誉。

丹青已白頭 《巻十三69 丹青引、贈曹将軍覇》「丹青不知老將至,富貴於我如浮雲。図画は最も好まれる所で画のためには『論語、述而』にいう身に年の寄ることさえうち忘れるというものであり、、さらに、富貴なんぞは自分にとっては浮雲の大空をすぎるがごとくなんでもないものとみておられるのである。

○不知老將至、富貴於我如浮雲 これもまた「論語、述而」に本づく、以上は曹覇の家世と書画の能事とを叙する。《論語注疏述而》子曰:「女奚不曰,其為人也,發憤忘食,樂以忘憂,不知老之將至云爾。」・・・「不義而富且貴,於我如浮雲。」に基づいている。

 

【案:自注:高士滎陽鄭虔善畫山水,曹霸善畫馬。】。

【自註:人格高潔な人であり、滎陽の生まれの鄭虔は、よく山水の書画を書く。曹霸はよく馬の絵を描いている】

高士の用語解説 - 1 志が高くりっぱな人格を備えた人物。人格高潔な人。「高士世に容()れられず」2 世俗を離れて生活している高潔な人物。隠君子。

 

天下何曾有山水,人間不解重驊騮。

鄭公が死没されてから、真の山水を天下に描ける人が、かつてのようにいるだろうか、曹霸は今も生きているが、世の人というもの、彼の描いた駿馬の素晴らしさを重んじ、本当の理解をすることができないのである。

有山水 曾ては山水画の三筆は,王維、畢宏()、鄭虔とされていて、そろっていた(が、いまは三人とも死没して、あれほどの滻水を描ける者はいないということ。)

不解 本当の理解をすることができない

驊騮 周の穆(ぼく)王が天下巡幸に用いた,一日千里を走るという駿馬の名。転じて,駿馬、名馬。

 

○鄭 虔(生没年不詳)は、唐代玄宗朝の学者。詩、書、画に長け、多くの著書をものしたが、貧困にあえいだ。のち、安史の乱において燕に降伏し、官職を受けたため、乱後に左遷された。杜甫と特に親交があった。

鄭州の滎陽の出身。地理や地形、地方の物産、各地の兵の数について詳しかった。高官であった蘇挺と年齢を越えた交わりを結び、その推薦を受けた。天宝元年 742年、協律郎に就任し、80以上の著書を書き上げたが、その著書に国史を私撰した部分があるという上書が出されたことで、10年間地方に流された。長安に戻ってからも、玄宗からその才能を愛され、広文館の博士に任命され、国子司業の蘇源明と交流があった。山水画、書道、詩作に長じ、玄宗にそれを献上し、「鄭虔三絶(詩、書、画)」と賞され、著作郎に移った。

天宝14載(755年)、安史の乱が勃発すると、燕の軍に捕らえられて洛陽に移され、安禄山側の水部郎中に任命された。密かに粛宗の唐側に通じたが、至徳2載(757年)、安慶緒の洛陽逃亡の際に、張通と王維とともに、燕に降伏した罪で宣陽里に閉じこめられた。3人とも画に長じていたため、崔圓によって、壁画を描かせられ、死罪を免れ、台州の司戸参軍事に落とされた。その数年後に死去している。

官職に就いた時でも貧困のままで、紙に不足することもあった。そのため、杜甫の詩に、「才名四十年、坐客寒にして氈(敷物)無し」と詠まれている。杜甫、李白ともに詩酒の友であったと伝えられる。

その画について、王維、畢宏とともに三絶と呼ばれた。晩唐の朱景玄も『唐朝名画録』において、第七位「能品上」に評価している。

 

 

○畢宏

木と石の画に長けており、松石図を門下省の壁に描き、杜甫など多くの詩人に詩で称えられた。当代において、その画の名声は高く、樹木の画法に変革を行ったと伝えられる。

大歴2年(767年)、給事中となり、その後、京兆少尹に移り、太子左庶子となった。

その画は、「唐朝名画録」において、第七位「能品上」に評価されている。

 

○曹霸

《巻十三69 丹青引、贈曹将軍覇》

將軍魏武之子孫,於今為庶為清門。英雄割據雖已矣,文彩風流猶尚存。

學書初學衛夫人,但恨無過王右軍。丹青不知老將至,富貴於我如浮雲。』

#2

開元之中常引見,承恩數上南熏殿。淩煙功臣少顏色,將軍下筆開生面。

良相頭上進賢冠,猛將腰間大羽箭。褒公鄂公毛發動,英姿颯爽來酣戰。』

#3

先帝天馬玉花驄,畫工如山貌不同。是日牽來赤墀下,迥立閶闔生長風。

詔謂將軍拂絹素,意匠慘澹經營中。須臾九重真龍出,一洗萬古凡馬空。』

#4

玉花卻在禦榻上,榻上庭前屹相向。至尊含笑催賜金,圉人太僕皆惆悵。

弟子韓幹早入室,亦能畫馬窮殊相。幹惟畫肉不畫骨,忍使驊騮氣凋喪。』

#5

將軍畫善蓋有神,必逢佳士亦寫真。即今飄泊干戈際,屢貌尋常行路人。

途窮反遭俗眼白,世上未有如公貧。但看古來盛名下,終日坎壈纏其身。』

 

(左武衛将軍曹覇が画技に妙を得て、しかも時世に遇わぬ次第をのべた歌で曹覇に贈ったもの。)

○丹青引 丹青は画をいうが基本の色である丹の赤と青とでかかれたことからくる、引は歌の一種である。

○曹将軍覇 唐の左武衛将軍曹覇をいう、覇は魏の曹髦の子孫〔曹操の曾孫・高貴郷公と呼ばれ、後に司馬昭に殺されたが、文学を好み、ことに絵画に巧みであった。〕である、髦は画を以て魏の代に称せられた、覇は玄宗の開元中にすでに有名になり、天宝の末には詔によって御馬及び功臣の像を写した。官は左武衛将軍に至った。

この一代の名人も、安史の乱後は、おちぶれて蜀の地に流れて来ていた。作者はこの人の不遇に同情し、あわせて自身の感慨を托したのである。

 

將軍魏武之子孫,於今為庶為清門。

曹将軍は魏の武帝の子孫であって、今では普通人であるが上品な家がらの人である。

○将軍 曹覇をさす。左武衛将軍曹覇(そうは)は、三国志に登場する曹操の曾孫で、文学を好みことに絵画に才能を発揮した。唐の時代、度々宮中に呼ばれ、建国の功臣たちの肖像画が歳月と共に色あせてきたのでその修復を命じられた。曹覇がひとたび筆を下ろすと、たちまち生き生きとした相貌をあらわした。勇将たちは毛髪も動き出すかと思われ、その颯爽とした英姿は、たった今、戦場から出てきたかのように思われた。また名馬を描いては真の名馬が再現され、古来描かれてきた平凡な馬を完全に一洗した。それはその絵に魂がこもっているからだ。また立派な人物に出逢ったら、きっとその真の姿を写しだすだろう。(落詩選杜甫、目加田誠訳)“必逢佳士亦写真”これが文献に出て来た最初の「写真」で、今から1250年前なのだ。

○魏武 魏の武帝曹操をいう、操の後商が髦となり、髦の後商が覇となったのである。

○於今為庶 「左伝」(昭公三十二年)に、晋の史墨が璃簡子に答えたことばに、「三后の姓、今に於て庶たるは、主の知る所なり」とみえる。三后は虞・夏・商の君である、昔三王の姓であったものも其の子孫となれば耗簡子の時代には庶人となったというのである、庶人は普通の人民をいう。玄宗の末年に覇が罪を得て籍を削られ庶人とされたことを引いているが、それまでを引くのはどうであろうか。作者の意は曹覇は昔ならば国姓の家すじにあたるはずの人であるが、唐の今では同姓は「李」であるので、ただの人民であるというにとどまるであろう。

○清門 上品の家がら。

 

英雄割據雖已矣,文彩風流猶尚存。

だから三権鼎立という英雄割拠といわれるようなことはもはやなくなってしまったが、お家がらの文彩風流は今日までまだのこっているのである。

○英雄割拠 魏の曹操は蜀の劉備、呉の孫権と天下を三分して相い争ったことをさしていう。

○文彩風流  曹操は武人でありながら、詩賦をよくし、風流の心がけがあった。その子曹丕・曹値もみな一流の詩人であった。

 

學書初學衛夫人,但恨無過王右軍。

実証をあげると、将軍は初め衛夫人の書を学ばれて書もなかなか素晴らしく、王右軍(王義之)以上に評価されないのが恨めしいというくらいである。

○学書 書は文字の書法。

○衛夫人 晋の衛鑠、字は茂猗、廷尉展の妹で恒のめいにあたり、汝陰の太守李矩に嫁した、隷書にはなはだすぐれ魂の鍾繇を手本とした、王右軍は若いとき嘗て彼女を師としたことがある、永和五年(西紀349年)に卒した。

○王右軍 晋の右軍将軍・会稽内史王義之をいう。義之、字は逸少、家より起こって秘書郎となり、のち右軍将軍に至った。古今の書聖として知られる。義之の父は王曠といい王導の従弟である、曠は衛氏と親戚の関係によって衛鑠より蔡邕の書法を得て、これを子の義之に授けた。

 

丹青不知老將至,富貴於我如浮雲。

図画は最も好まれる所で画のためには『論語、述而』にいう身に年の寄ることさえうち忘れるというものであり、、さらに、富貴なんぞは自分にとっては浮雲の大空をすぎるがごとくなんでもないものとみておられるのである。』

○不知老將至、富貴於我如浮雲 これもまた「論語、述而」に本づく、以上は曹覇の家世と書画の能事とを叙する。

《論語注疏述而》子曰:「女奚不曰,其為人也,發憤忘食,樂以忘憂,不知老之將至云爾。」

《論語注疏述而》「不義而富且貴,於我如浮雲。」
746廣徳2764年―3-1 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <652  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3590 杜甫詩1000-652-912/1500 7461 

766年-167杜甫 《1620存歿口號,二首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-167 <1039> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6875 

杜甫  存歿口號,二首之一

【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

席謙不見近彈棋,畢曜仍傳舊小詩。

玉局他年無限笑,白楊今日幾人悲。

【原注】道士席謙。呉人。善彈棋。畢曜善爲小詩。

(死んでいったもの生きている人の事、それぞれの思いのほどを口ずさんだ詩:席謙と畢曜)之一

この詩篇毎に、まず生きている一人、次に死没した人というように述べる。この時、席謙と曹霸は生きていて、畢曜、鄭虔は死没している。

席謙殿は近ごろ棋を彈いているのを見ていない、畢曜殿は死後の今なお、以前に作った小詩を世に伝えている。往年、玉の棋盤に対して席謙とともに無限に笑いあったものだが畢曜の方は、彼の墓の白楊についていまだに悲しんでいるものが幾人いるだろうか、きっと自分一人だろう。

【杜甫の註】席謙は道士であり、呉の人である。よく将棋をはじいている。(生きている人)畢曜はよく小詩を作った。(死んでいった人)】

766-167杜甫 1620存歿口號,二首之一【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-167 <1039 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6875 

 

 
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杜甫詩1500-1039-1537/2500

年:766年大暦元年55-167

卷別:    卷二三一              文體:    七言

詩題:    存歿口號,二首之一【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

交遊人物/地點:鄭虔          詩文提及

 

 

存歿口號,二首之一

(死んでいったもの生きている人の事、それぞれの思いのほどを口ずさんだ詩:席謙と畢曜)之一

【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

この詩篇毎に、まず生きている一人、次に死没した人というように述べる。この時、席謙と曹霸は生きていて、畢曜、鄭虔は死没している。

席謙不見近彈棋,畢曜仍傳舊小詩。

席謙殿は近ごろ棋を彈いているのを見ていない、畢曜殿は死後の今なお、以前に作った小詩を世に伝えている。

玉局他年無限笑,白楊今日幾人悲。

往年、玉の棋盤に対して席謙とともに無限に笑いあったものだが畢曜の方は、彼の墓の白楊についていまだに悲しんでいるものが幾人いるだろうか、きっと自分一人だろう。

【原注】道士席謙。呉人。善彈棋。畢曜善爲小詩。

【杜甫の註】席謙は道士であり、呉の人である。よく将棋をはじいている。(生きている人)畢曜はよく小詩を作った。(死んでいった人)】

(存歿口號,二首の一)

【案:每篇 一存一歿なり。是の時 席謙、曹霸は存り、畢曜、鄭虔は歿す。】

席謙 見ず 近ごろ 棋を彈ずる,畢曜 仍ほ傳う 舊小詩。

玉局 他年 無限に笑う,白楊 今日 幾人か悲しむ。

 

『存歿口號,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

存歿口號,二首之一【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

席謙不見近彈棋,畢曜仍傳舊小詩。

玉局他年無限笑,白楊今日幾人悲。

【原注】道士席謙。呉人。善彈棋。畢曜善爲小詩。
詩文(含異文)     席謙不見近彈棋,畢曜仍傳舊小詩。玉局他年無限笑【玉局他年無限事】,白楊今日幾人悲【案:自注:道士席謙善彈棋,畢曜善為小詩。】。


(下し文)
存歿口號,二首之一

【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

席謙 見ず 近ごろ 棋を彈ずる,畢曜 仍ほ傳う 舊小詩。

玉局 他年 無限に笑う,白楊 今日 幾人か悲しむ。

(現代語訳)
(死んでいったもの生きている人の事、それぞれの思いのほどを口ずさんだ詩:席謙と畢曜)之一

この詩篇毎に、まず生きている一人、次に死没した人というように述べる。この時、席謙と曹霸は生きていて、畢曜、鄭虔は死没している。

席謙殿は近ごろ棋を彈いているのを見ていない、畢曜殿は死後の今なお、以前に作った小詩を世に伝えている。

往年、玉の棋盤に対して席謙とともに無限に笑いあったものだが畢曜の方は、彼の墓の白楊についていまだに悲しんでいるものが幾人いるだろうか、きっと自分一人だろう。

【杜甫の註】席謙は道士であり、呉の人である。よく将棋をはじいている。(生きている人)畢曜はよく小詩を作った。(死んでいった人)】


(訳注)

存歿口號,二首之一

(死んでいったもの生きている人の事、それぞれの思いのほどを口ずさんだ詩:席謙と畢曜)

【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

この詩篇毎に、まず生きている一人、次に死没した人というように述べる。この時、席謙と曹霸は生きていて、畢曜、鄭虔は死没している。

席謙 生卒年待考,乃是一個道士,人,善彈棋。

<道士席謙>

《卷一二49  章梓州水亭》

    原注:時漢中王兼道士席謙在會,同用荷字韻。

    城晚通雲霧,亭深到芰荷。吏人橋外少,秋水席邊多。近屬淮王至,高門薊子過。

 

曹霸 曹霸(704770郡人,唐沛国(今亳州市)人,魏武王曹操后代、曹魏高贵乡公曹髦后人,官左武唐玄宗期画家,能文善画,人甚至以其祖先“三曹”比之,有“文如植武如操字画抵丕流” 之美誉。

《巻13-69丹青引贈曹霸將軍》

746廣徳2年764年―3-1 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <652  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3590 杜甫詩1000-652-912/1500 746-1

746廣徳2年764年―3-2 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <653  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3595 杜甫詩1000-653-913/1500746-2

746廣徳2年764年―3-3 丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <654  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3600 杜甫詩1000-654-914/1500746-3

746廣徳2年764年―3-4 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <655  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3605 杜甫詩1000-655-915/1500746-4

746廣徳2年764年―3-5 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <656  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3610 杜甫詩1000-656-916/1500746-5

 

畢曜 詩人。杜甫が長安で士官活動をしているとき、近所に住んでいた。二人とも、貧乏生活の中でわずかな金を出し合い酒を酌み交わしている。

<畢四曜>

《卷六20  偪側行贈畢四曜》

《卷六21 贈畢四曜》

《巻八19 秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻》

 

鄭虔 鄭虔も、安史軍に捕らえられ、脅迫されて偽政府の水部郎中に任じられていたが、このころひそかに長安に逃げ帰った。そうして杜甫と再会し、互いにその無事を喜びあい、久しぶりに杯を交わしている。鄭虔との再会を喜びながら、杜甫の心の中には長安脱出の決心が固まりつつあった。そうして四月に入ってのある日、長安西城の金光門から鳳翔に向かって脱出した。一説によれは、脱出の前に、朱雀街の南の懐遠坊にある大雲経寺に僧の賛公を訪れて決意を打ち明け、そこに数日間滞在して安史軍の目をくらました

 

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廣徳2年764-89 《晚秋陪嚴鄭公摩訶池泛舟〔得溪字。池在張儀子城。〕》 杜甫index-14 764年 杜甫<790 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4640 杜甫詩1500-790-1099/2500廣徳2年764-89

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766年大暦元年55-46-#2奉節-37-#2 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -2 杜甫index-15 杜甫<909-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5800

766年大暦元年55-46-#3奉節-37-#3 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -3 杜甫index-15 杜甫<909-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5805

766年大暦元年55-46-#4奉節-37-#4 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -4 杜甫index-15 杜甫<909-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5810

766年大暦元年55-46-#5奉節-37-#5 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -5 杜甫index-15 杜甫<909-#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5815

766年大暦元年55-46-#6奉節-37-#6 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -6 杜甫index-15 <909-#6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5820

766年大暦元年55-46-#7奉節-37-#7 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -7 杜甫index-15 杜甫<909-#7> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5825

766年大暦元年55-46-#8奉節-37-#8 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -8 杜甫index-15 杜甫<909-#8> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5830

 

 

席謙不見近彈棋,畢曜仍傳舊小詩。

席謙殿は近ごろ棋を彈いているのを見ていない、畢曜殿は死後の今なお、以前に作った小詩を世に伝えている。

彈棋 駒をはじいて陣地を競う遊戯。四角い中高の盤の両方に6個または8個の白黒の石を並べ、対座した二人が交互にその石をはじいて、相手の石に当たれば取り、当たらなければ取られる。指石。いしはじき。古代的一種棋戲。二人對局,白黑棋各若干枚,先放一棋子在棋盤的一角,用指彈擊對方的棋子,先被擊中取盡的就算輸。

仍傳 死後の今なお世に伝えている。

舊小詩 生前に作った詩篇。絶句、律詩、など樂府古詩の場合も四句、六句というたんぺんであった。

 

玉局他年無限笑,白楊今日幾人悲。

往年、玉の棋盤に対して席謙とともに無限に笑いあったものだが畢曜の方は、彼の墓の白楊についていまだに悲しんでいるものが幾人いるだろうか、きっと自分一人だろう。

玉局 玉の棋盤にたいすること。

他年 往年。

無限笑 無限について、心おきなく笑い転げたというように笑いに対しての場合と、仕事にも影響が出るほど棋盤遊戯をしたというように理解もできる。肅宗測位間もないころのある時期、房琯グループはサロンに集まって論議ばかりしていた時期がある。そのことが賄賂事件の引き金になった。ここではそのことを示唆するものと解釈できる。

白楊 墓陵の周り主に西側に植えるものである、葉の裏側が白い柳である。

幾人悲 幾人が悲しんでくれるだろうか、だれもいないだろう、私だけであるということ。

 

【原注】道士席謙。呉人。善彈棋。畢曜善爲小詩。

【杜甫の註】席謙は道士であり、呉の人である。よく将棋をはじいている。(生きている人)畢曜はよく小詩を作った。(死んでいった人)】

766年-166杜甫 《1525奉寄李十五祕書【案:文嶷。】,二首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-166 <1038> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6870

奉寄李十五祕書文嶷。二首之二

行李千金贈,衣冠八尺身。飛騰知有策,意度不無神。

班秩兼通貴,公侯出異人。玄成負文彩,世業豈沈淪。

(雲安に滞在している秘書省の官である宗室李文嶷を誉めた詩に寄せ奉った詩。)

あなたは使者として、往き來たる途上でも交友のためには千金の贈り物をされる,立ち姿は、衣冠をつけた堂々たる八尺の大男である。

そのあなたが、要路に当たって活躍されるにはどうすればよいのか、その計画・目標というのはすでにあるというのは傍目にもわかる。あなた様のお心持度量には人間以上、神の水準ではないかとされ疑いのないところである。

あなたは官位を持っておられるうえに、宗室という貴き身分を兼ねられている、公侯の後、実に非凡の人ということを出顕される。

漢の韋玄成ともいうべきあなたは既に文彩有りとの名誉を担っておられるし、お家の世襲の仕業が沈んで行って振興しないことがありましょうか、ますますのご繁栄されるに決まっている。

766-166杜甫 1525奉寄李十五祕書【案:文嶷。】,二首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-166 <1038 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6870 

 

 
  2015年11月5日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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743年(20)李白339 巻三13-《中山孺子妾歌》(中山孺子妾,) 339Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(20) <李白339> Ⅰ李白詩1664 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6868  
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  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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韓愈98-#3《 巻三18謁衡岳廟,遂宿嶽寺題門樓》 #3 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1577> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6869  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
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  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 766年-166杜甫 《1525奉寄李十五祕書【案:文嶷。】,二首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-166 <1038> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6870  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
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杜甫詩1500-1038-1536/2500

年:766年大暦元年55-166

卷別:    卷二三一              文體:    五言律詩

詩題:    奉寄李十五祕書【案:文嶷。】,二首之二

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

交遊人物/地點:李文嶷      書信往來(山南東道 夔州 雲安)

 

 

奉寄李十五祕書文嶷。二首之二

行李千金贈,衣冠八尺身。

飛騰知有策,意度不無神。

班秩兼通貴,公侯出異人。

玄成負文彩,世業豈沈淪。

(雲安に滞在している秘書省の官である宗室李文嶷を誉めた詩に寄せ奉った詩。)

あなたは使者として、往き來たる途上でも交友のためには千金の贈り物をされる,立ち姿は、衣冠をつけた堂々たる八尺の大男である。

そのあなたが、要路に当たって活躍されるにはどうすればよいのか、その計画・目標というのはすでにあるというのは傍目にもわかる。あなた様のお心持度量には人間以上、神の水準ではないかとされ疑いのないところである。

あなたは官位を持っておられるうえに、宗室という貴き身分を兼ねられている、公侯の後、実に非凡の人ということを出顕される。

漢の韋玄成ともいうべきあなたは既に文彩有りとの名誉を担っておられるし、お家の世襲の仕業が沈んで行って振興しないことがありましょうか、ますますのご繁栄されるに決まっている。

(李十五祕書文嶷に寄せ奉る。二首之二)

行李 千金の贈,衣冠 八尺の身。

飛騰 策有るを知る,意度 神無くんばあらず。

班秩 通貴を兼ぬ,公侯 異人を出だす。

玄成 文彩を負う,世業 豈に沈淪せんや。

 

『奉寄李十五祕書文嶷。二首之二』現代語訳と訳註解説
(
本文)

奉寄李十五祕書文嶷。二首之二

行李千金贈,衣冠八尺身。

飛騰知有策,意度不無神。

班秩兼通貴,公侯出異人。

玄成負文彩,世業豈沈淪。

(下し文)
(李十五祕書文嶷に寄せ奉る。二首之二)

行李 千金の贈,衣冠 八尺の身。

飛騰 策有るを知る,意度 神無くんばあらず。

班秩 通貴を兼ぬ,公侯 異人を出だす。

玄成 文彩を負う,世業 豈に沈淪せんや。


(現代語訳)
(雲安に滞在している秘書省の官である宗室李文嶷を誉めた詩に寄せ奉った詩。)

あなたは使者として、往き來たる途上でも交友のためには千金の贈り物をされる,立ち姿は、衣冠をつけた堂々たる八尺の大男である。

そのあなたが、要路に当たって活躍されるにはどうすればよいのか、その計画・目標というのはすでにあるというのは傍目にもわかる。あなた様のお心持度量には人間以上、神の水準ではないかとされ疑いのないところである。

あなたは官位を持っておられるうえに、宗室という貴き身分を兼ねられている、公侯の後、実に非凡の人ということを出顕される。

漢の韋玄成ともいうべきあなたは既に文彩有りとの名誉を担っておられるし、お家の世襲の仕業が沈んで行って振興しないことがありましょうか、ますますのご繁栄されるに決まっている。


(訳注)

奉寄李十五祕書文嶷。二首之二

(雲安に滞在している秘書省の官である宗室李文嶷を誉めた詩に寄せ奉った詩。)

765年永泰元年杜甫54歳の時、雲安か夔州奉節魚復で知り合った李文嶷がおそらく雲安に行っているということで、この詩を送ったものと思われる。

 

行李千金贈,衣冠八尺身。

あなたは使者として、往き來たる途上でも交友のためには千金の贈り物をされる,立ち姿は、衣冠をつけた堂々たる八尺の大男である。

行李 李は理、行理とは彼我の間に立って道理を述べて、ことを治めることを言う。特にここでは李文嶷が使者としての役割を言う。ただ、俗な意味で行李は、それが転じて、旅をする人の携帯する荷物を意味するようになる。

千金贈 人との交友に千金を送る。杜甫も、長安時代に厚贈を受けたことを言う。

 

飛騰知有策,意度不無神。

そのあなたが、要路に当たって活躍されるにはどうすればよいのか、その計画・目標というのはすでにあるというのは傍目にもわかる。あなた様のお心持度量には人間以上、神の水準ではないかとされ疑いのないところである。

飛騰 要路に当たって活躍すること。

意度 意思度量。

神 人間以上、神の水準であること。

 

班秩兼通貴,公侯出異人。

あなたは官位を持っておられるうえに、宗室という貴き身分を兼ねられている、公侯の後、実に非凡の人ということを出顕される。

班秩 官位を持っていること。

通貴 宗室であること、血統的に貴いこと。地位は権力であるが、血統は万人が認める貴さである。

公侯 先祖に、公、もしくは侯に封ぜられたものがあるということを意味する。

異人 非凡な人物である、李文嶷のことを言う。

 

玄成負文彩,世業豈沈淪。

漢の韋玄成ともいうべきあなたは既に文彩有りとの名誉を担っておられるし、お家の世襲の仕業が沈んで行って振興しないことがありましょうか、ますますのご繁栄されるに決まっている。

玄成 韋 玄成(未詳- 紀元前36年)は、中国の前漢の政治家。字は少翁。丞相韋賢の末子。韋賢は魯国鄒から平陵に移住したが、彼は杜陵に移住した。しかし臨終にあたり父と同じ平陵に葬られることを願い許されている。父の任子により郎となった。学問を好み父の学業を継いだ。人にへりくだり、貧しく賤しい者も敬ったので評判になった。経書に明るいことで諫大夫に抜擢され、大河都尉となった。父韋賢が死亡した際、跡を継ぐべき兄韋弘は獄に下されていた。韋賢の家族や門下生は韋賢の命令と偽り、韋玄成を後継ぎとするよう申し出た。しかし韋玄成はそれが韋賢本人の考えではないことを知り、精神に異常をきたしたと偽り列侯(扶陽侯)を継承しようとしなかった。世間では兄に爵位を譲ろうとしたものだと噂した。丞相府がそのことについて取り調べ、実際には病んでいないと韋玄成を弾劾したが、宣帝は弾劾してはならないと詔を下し、彼に謁見した。韋玄成はやむをえず列侯を受けた。その後河南太守、衛尉、太常と昇進したが、楊惲が誅殺された際に友人であったために官を免じられた。その後、恵帝廟の祭祀に侍した際に騎乗したまま廟のそばまで来たことを弾劾され、爵位を削られて関内侯にされた。

宣帝が寵愛する中子である淮陽王劉欽を後継にするのを断念する際、淮陽王に兄への謙譲を教えるために韋玄成を淮陽王の中尉とした。また、同じころ石渠閣で五経の異同について他の儒者たちと議論した。

元帝が即位すると、少府に昇進し、太子太傅となり、御史大夫に至った。永光2年(紀元前42年)、前任者于定国の引退により丞相となり、扶陽侯に復帰した。

負文彩 李文嶷が文彩有りとの名誉を担っておられるということ。

世業 代々継続されている文学者として、儒者として仁徳のある業をおこなうこと。

沈淪 水の底に沈んでゆくこと。

766年-165杜甫 《1524奉寄李十五祕書文嶷。二首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-165 <1037> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6865

杜甫  奉寄李十五祕書文嶷。二首之一

避暑雲安縣,秋風早下來。暫留魚復浦,同過楚王臺。

猿鳥千崖窄,江湖萬里開。竹枝歌未好,畫舸莫遲回。

(雲安に滞在している秘書省の官である宗室李文嶷に寄せ奉った詩。)之一

今あなたのいるところは、自分が、雲安縣で暑さを避けていたところですが、秋風は早い時期から吹き降ろしてきました。その後、しばらくしてから、魚復浦に逗留してあなたとご一緒に楚の襄王と瑤姫のまじりあいの陽雲臺を訪ねました。雲安は、猿と鳥が鳴き叫んで、多くの崖が集まって平地の少ない窄いところであった、そして、前途江湖の地方へ出れば、はてしなく萬里のてんが開いている。巴渝地方の土謡もよいことは良いが卑俗すぎて好きに離れない、そうでない良いものもあるけれど、あなたの奇麗な船もつなぎとめたままで、ぐずぐずなされておるようですが、私と一緒に三峡、長江を下っていこうではありませんか。

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杜甫詩1500-1037-1535/2500

年:766年大暦元年55-165

卷別:    卷二三一              文體:    五言律詩

詩題:    奉寄李十五祕書【案:文嶷。】,二首之一

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              雲安 (山南東道 夔州 雲安) 別名:南楚         

奉節 (山南東道 夔州 奉節) 別名:魚復        

楚王臺 (山南東道 夔州 巫山)          

交遊人物/地點:李文嶷      書信往來(山南東道 夔州 雲安)

 

 

奉寄李十五祕書文嶷。二首之一

(雲安に滞在している秘書省の官である宗室李文嶷に寄せ奉った詩。)之一

避暑雲安縣,秋風早下來。

今あなたのいるところは、自分が、雲安縣で暑さを避けていたところですが、秋風は早い時期から吹き降ろしてきました。

暫留魚復浦,同過楚王臺。

その後、しばらくしてから、魚復浦に逗留してあなたとご一緒に楚の襄王と瑤姫のまじりあいの陽雲臺を訪ねました。

猿鳥千崖窄,江湖萬里開。

雲安は、猿と鳥が鳴き叫んで、多くの崖が集まって平地の少ない窄いところであった、そして、前途江湖の地方へ出れば、はてしなく萬里のてんが開いている。

竹枝歌未好,畫舸莫遲回。

巴渝地方の土謡もよいことは良いが卑俗すぎて好きに離れない、そうでない良いものもあるけれど、あなたの奇麗な船もつなぎとめたままで、ぐずぐずなされておるようですが、私と一緒に三峡、長江を下っていこうではありませんか。

 

(李十五祕書文嶷に寄せ奉る。二首之一)

避暑した 雲安縣,秋風 早に下り來る。

暫く留る 魚復の浦,同じく過る 楚王の臺。

猿鳥 千崖窄く,江湖 萬里開く。

竹枝 歌未だ好からず,畫舸 遲回する莫れ。

奉寄李十五祕書文嶷。二首之二

行李千金贈,衣冠八尺身。

飛騰知有策,意度不無神。

班秩兼通貴,公侯出異人。

玄成負文彩,世業豈沈淪。

(李十五祕書文嶷に寄せ奉る。二首之二)

行李 千金の贈,衣冠 八尺の身。

飛騰 策有るを知る,意度 神無くんばあらず。

班秩 通貴を兼ぬ,公侯 異人を出だす。

玄成 文彩を負う,世業 豈に沈淪せんや。

 

 

『奉寄李十五祕書文嶷。二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

奉寄李十五祕書文嶷。二首之一

避暑雲安縣,秋風早下來。

暫留魚復浦,同過楚王臺。

猿鳥千崖窄,江湖萬里開。

竹枝歌未好,畫舸莫遲回。
詩文(含異文)     避暑雲安縣,秋風早下來。暫留魚復浦【暫之魚復浦】,同過楚王臺。猿鳥千崖窄,江湖萬里開。竹枝歌未好,畫舸莫遲回【畫舸莫輕回】【畫舸且遲回】【畫舸且輕回】。


(下し文)

(李十五祕書文嶷に寄せ奉る。二首之一)

避暑した 雲安縣,秋風 早に下り來る。

暫く留る 魚復の浦,同じく過る 楚王の臺。

猿鳥 千崖窄く,江湖 萬里開く。

竹枝 歌未だ好からず,畫舸 遲回する莫れ。

(現代語訳)
(雲安に滞在している秘書省の官である宗室李文嶷に寄せ奉った詩。)之一

今あなたのいるところは、自分が、雲安縣で暑さを避けていたところですが、秋風は早い時期から吹き降ろしてきました。

その後、しばらくしてから、魚復浦に逗留してあなたとご一緒に楚の襄王と瑤姫のまじりあいの陽雲臺を訪ねました。

雲安は、猿と鳥が鳴き叫んで、多くの崖が集まって平地の少ない窄いところであった、そして、前途江湖の地方へ出れば、はてしなく萬里のてんが開いている。

巴渝地方の土謡もよいことは良いが卑俗すぎて好きに離れない、そうでない良いものもあるけれど、あなたの奇麗な船もつなぎとめたままで、ぐずぐずなされておるようですが、私と一緒に三峡、長江を下っていこうではありませんか。


(訳注)

奉寄李十五祕書文嶷。二首之一

(雲安に滞在している秘書省の官である宗室李文嶷に寄せ奉った詩。)

765年永泰元年杜甫54歳の時、雲安か夔州奉節魚復で知り合った李文嶷がおそらく雲安に行っているということで、この詩を送ったものと思われる。

 

避暑雲安縣,秋風早下來。

今あなたのいるところは、自分が、雲安縣で暑さを避けていたところですが、秋風は早い時期から吹き降ろしてきました。

雲安 山南東道夔州雲安、別名、南楚という。765年永泰元年初秋から、766年永泰二年暮春まで足掛け10か月長期滞在をしている。雲安において、杜甫は、二十首、プラス、草堂逸詩拾遺三首の23首作っている。

765年永泰元年54-51 《雲安九日,鄭十八攜酒陪諸公宴》 杜甫index-15 杜甫<851 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4990

765年永泰元年54-43 《十二月一日,三首之一》 杜甫index-15 杜甫<843 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4950 杜甫詩1500-843-1161/2500765年永泰元年54-43

765年永泰元年54-44 《十二月一日,三首之二》 杜甫index-15 杜甫<844 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4955 杜甫詩1500-844-1162/2500765年永泰元年54-44

765年永泰元年54-45 《十二月一日,三首之三》 杜甫index-15 杜甫<845 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4960 杜甫詩1500-845-1163/2500

秋風 夏季は同じように暑いが、地理的に、秋風が早く吹くのでしのぎやすい面もあるというほどの意。この句で、李文嶷が鄆州に行っていると判断できるもの。

 

暫留魚復浦,同過楚王臺。

その後、しばらくしてから、魚復浦に逗留してあなたとご一緒に楚の襄王と瑤姫のまじりあいの陽雲臺を訪ねました。

魚復浦 山南東道 夔州 奉節縣東南にある。

同過 李文嶷と一緒に過ごしたことをいう。

楚王臺 山南東道夔州巫山、陽雲臺をいう。巫山縣の西北にあり、高さ百二十丈もあるという。宋玉、『高唐賦』に、「襄王與宋玉遊於雲夢之臺,望高唐之觀。又曰。巫山神女去而辭曰:『妾在巫山之陽,高丘之阻,旦為朝雲,暮為行雨朝朝暮暮,陽臺之下。』

 

猿鳥千崖窄,江湖萬里開。

雲安は、猿と鳥が鳴き叫んで、多くの崖が集まって平地の少ない窄いところであった、そして、前途江湖の地方へ出れば、はてしなく萬里のてんが開いている。

千崖窄 雲安の地は、平地が少なく、杜甫は、飲み水にも困ったとその詩に書いている。そして同時期の詩に、夔州奉節には平地が多いといっている。杜甫 《1520寄韋有夏郎中》「猶聞上急水,早作取平途。」(猶お聞く 急水を上ると,早く平途を取るを作せ。)あなたは長江下流域からなお急流をさかのぼって行かれるとのことだが、早くここの平地に来るようにされたら良いとは思うが、どうだろうか。

766年-159杜甫 《1520寄韋有夏郎中》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-159 <1031 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6835 

江湖 長江、洞庭湖など荊州方面をさしている。

 

竹枝歌未好,畫舸莫遲回。

巴渝地方の土謡もよいことは良いが卑俗すぎて好きに離れない、そうでない良いものもあるけれど、あなたの奇麗な船もつなぎとめたままで、ぐずぐずなされておるようですが、私と一緒に三峡、長江を下っていこうではありませんか。

竹枝歌未好 竹枝詞とは、民間の歌謡のことで、千余年前に、楚(四川東部(=巴)・湖北西部)に興ったものといわれている。唐代、楚の国は、北方人にとっては、蛮地でもあり、長安の文人には珍しく新鮮に映ったようだ。竹枝詞の内容は、男女間の愛情をうたうものが多く、やがて風土、人情もうたうが、伝統的な詩詞に比べ、単純で野鄙であり、典故を踏まえたものは少ない。その分、民間の生活を踏まえた歌辞(語句)や、伝承は出てくる。対句も比較的多い。男女関係を唱うものが多く、表面の歌詞の意味とは別に裏の意味が隠されているものがおおく、その卑猥な似たフレーズを繰り返し、言葉のリズム、言葉の遊びというようなものが感じられる部分が、文学的でない分、杜甫が好きになれなかったということであろう。おそらく、李文嶷も房琯グループであったので、儒者は竹枝詞が好きではないという、杜甫との共通認識があるものと思われる。

畫舸 李文嶷の奇麗な船もつなぎとめたままであること、長期間雲安、夔州方面に滞在していること。

莫遲回 ぐずぐずなされておることは良くないのではないか、(私と一緒に三峡、長江を下っていこうではありませんか)というほどの意。

 

 

<竹枝詞について>

竹枝詞とは、民間の歌謡のことで、千余年前に、楚(四川東部(=巴)・湖北西部)に興ったものといわれている。唐代、楚の国は、北方人にとっては、蛮地でもあり、長安の文人には珍しく新鮮に映ったようだ。そこで、それらを採録し、修正したものが劉禹錫や、白居易によって広められた。それらは竹枝詞と呼ばれ、巴渝の地方色豊かな民歌の位置を得た。下って唱われなくなり、詩文となって、他地方へ広がりをみせても、同じ形式、似た題材のものは、やはりそう呼ばれるようになった。現在も「□□竹枝」として、頭に地名を冠して残っている。

  竹枝詞をうたうことは、「唱竹枝」といわれ、「唱」が充てられた。白居易に「怪來調苦縁詞苦,多是通州司馬詩。」 とうたわれたが、ここからも、当時の詩歌の実態が生き生きと伝わってくる。後世、詩をうたいあげることを「賦、吟、詠」等というのと大きく異なる。

  竹枝詞という呼称は、詩題に似ているが違うものである。強いて言えば、形式を表す点では詞牌に列するものであり、実際にその扱いを受けているものである。

「竹枝」「女兒」という「あいのて」がある

共通する点は、節奏は、七絶のそれと同じで、押韻も第一、二、四句でふむ三韻。この形式での作詞は根強く、現代でも広く作られている。現代の作品は、生活をうたった、典故を用いない、気軽な七絶という雰囲気である。

竹枝詞の内容は、男女間の愛情をうたうものが多く、やがて風土、人情もうたうようになる。用語は、伝統的な詩詞に比べ、単純で野鄙であり、典故を踏まえたものは少ない。その分、民間の生活を踏まえた歌辞(語句)や、伝承は出てくる。対句も比較的多い。男女関係を唱うものは、表面の歌詞の意味とは別に裏の意味が隠されている。似たフレーズを繰り返した、言葉のリズム、言葉の遊びというようなものが感じられる。

766年-164杜甫 《2003秋日寄題鄭監湖上亭,三首之三》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-164 <1036> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6860

杜甫  秋日寄題鄭監湖上亭,三首之三  

暫阻蓬萊閣,終為江海人。揮金應物理,拖玉豈吾身。

羹煮秋蓴滑,杯迎露菊新。賦詩分氣象,佳句莫頻頻。

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)

あなたは、蓬莱仙宮のような漢の蔵書閣であったところから疎外され追いやられ遠ざかり、貶謫されて、ついに江海地方、荊蛮の地、荊州の人になった。あなたが身銭をふるまって、酒宴などして他人を賑やかしてくれていたのは、物の道理にかなっていることであった。そして、私は、玉佩いをわが身に着けてひけらかして歩くような人ではない。だから今度お会いしても、晉の張翰のように羹には、秋のジュンサイの滑らかなものを煮ていて、杯には、陶淵明のように露菊の花弁を浮べての酒を飲むというのが一番良いとおもっている。それに、南湖のほとりの景色を堪能して、詩賦を作ることができれば、頻頻と佳い句が湧き出てこないということはないはずだ。

766-164杜甫 2003秋日寄題鄭監湖上亭,三首之三》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-164 <1036 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6860

 

 
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秋日寄題鄭監湖上亭,三首之一

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)

碧草逢春意,沅湘萬里秋。

荊州は、此処と万里を隔てた沅水、湘水にかけて秋であって、春の意にはそむくが草は依然として緑である。

池要山簡馬,月淨庾公樓。

こんなところではあるが、高陽池というべき池があるから長官は、山簡の馬を迎えることでしょうし、また、庾樓に比すべきあなたの楼には月の光が清らかに照らすことだろう。

磨滅餘篇翰,平生一釣舟。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。

高唐寒浪減,彷彿識昭丘。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。

(秋日 鄭監が湖上の亭に寄題す,三首の一)

碧草 春意に逢う,沅湘 萬里秋なり。

池は要う 山簡の馬,月は淨し 庾公の樓。

磨滅 篇翰を餘す,平生 釣舟一つなり。

高唐 寒浪減じ,彷彿 昭丘を識る。

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之二

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)之二

新作湖邊宅,還聞賓客過。

あなたは先ごろ新たに南湖のほとりに宅を作ったそうだが、そこへ又、賓客がたくさん来るということを聞いた。

自須開竹逕,誰道避雲蘿。

あなたのことであるから、隠遁した陶潜のようにひっそりとした奥まった庭の竹の林に三徑を作られて人を向い入れているでしょう、そして、雲蘿の影に人を避けたと誰が言いましょう。

官序潘生拙,才名賈傅多。

私は、潘岳が官途の詩序に書いたように修辞を凝らした繊細かつ美しいものであるが、私にはそんなに修辞をつくすのはうまくはないが、あなたは貶謫されても賈誼のように名声は高い。

舍舟應轉地,鄰接意如何。

自分は間もなく、三峡を下って、船を乗り捨ててとどまるならば、きっとそちらで棲むことにしたい、そうしたら、あなたと隣になってくっ付いて棲みたいと思うけれどあなたはいかがなものだろうか。

(秋日 鄭監が湖上の亭に寄題す,三首の二)

新に作る 湖邊の宅,還た聞く 賓客の過ぎるを。

自ら竹逕を開かんと須【ま】つ,誰か 雲蘿に避くと道うや。

官序 潘生 拙なり,才名 賈傅 多し。

舟を舍てれば應に地を轉ずるなるべし,鄰接せんとす意 如何。

 

 

杜甫詩1500-1036-1534/2500

年:766年大暦元年55-164

卷別:    卷二三一              文體:    五言律詩

詩題:    秋日寄題鄭監湖上亭,三首之三

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:湖上亭 (山南東道 峽州 峽州)           

交遊人物/地點:鄭審          書信往來(山南東道 峽州 峽州)

 

 

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之三

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)

暫阻蓬萊閣,終為江海人。

あなたは、蓬莱仙宮のような漢の蔵書閣であったところから疎外され追いやられ遠ざかり、貶謫されて、ついに江海地方、荊蛮の地、荊州の人になった。

揮金應物理,拖玉豈吾身。

あなたが身銭をふるまって、酒宴などして他人を賑やかしてくれていたのは、物の道理にかなっていることであった。そして、私は、玉佩いをわが身に着けてひけらかして歩くような人ではない。

羹煮秋蓴滑,杯迎露菊新。

だから今度お会いしても、晉の張翰のように羹には、秋のジュンサイの滑らかなものを煮ていて、杯には、陶淵明のように露菊の花弁を浮べての酒を飲むというのが一番良いとおもっている。

賦詩分氣象,佳句莫頻頻。

それに、南湖のほとりの景色を堪能して、詩賦を作ることができれば、頻頻と佳い句が湧き出てこないということはないはずだ。

 

(秋日 鄭監が湖上の亭に寄題す,三首の三)

暫く阻つ 蓬萊閣,終に江海の人と為る。

揮金 物理に應ず,拖玉 豈に吾が身ならんや。

羹は煮る 秋蓴の滑なるを,杯には迎うは 露菊の新なるを。

賦詩 氣象を分たば,佳句 頻頻たらざる莫らんや。

 

『秋日寄題鄭監湖上亭,三首之三』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之三

暫阻蓬萊閣,終為江海人。

揮金應物理,拖玉豈吾身。

羹煮秋蓴滑,杯迎露菊新。

賦詩分氣象,佳句莫頻頻。
詩文(含異文)     暫阻蓬萊閣【暫住蓬萊閣】,終為江海人。揮金應物理,拖玉豈吾身。羹煮秋蓴滑【羹煮秋蓴弱】,杯迎露菊新【杯凝露菊新】。賦詩分氣象,佳句莫頻頻【佳句莫辭頻】。


(下し文)
(秋日 鄭監が湖上の亭に寄題す,三首の三)

暫く阻つ 蓬萊閣,終に江海の人と為る。

揮金 物理に應ず,拖玉 豈に吾が身ならんや。

羹は煮る 秋蓴の滑なるを,杯には迎うは 露菊の新なるを。

賦詩 氣象を分たば,佳句 頻頻たらざる莫らんや。

(現代語訳)
(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)

あなたは、蓬莱仙宮のような漢の蔵書閣であったところから疎外され追いやられ遠ざかり、貶謫されて、ついに江海地方、荊蛮の地、荊州の人になった。

あなたが身銭をふるまって、酒宴などして他人を賑やかしてくれていたのは、物の道理にかなっていることであった。そして、私は、玉佩いをわが身に着けてひけらかして歩くような人ではない。

だから今度お会いしても、晉の張翰のように羹には、秋のジュンサイの滑らかなものを煮ていて、杯には、陶淵明のように露菊の花弁を浮べての酒を飲むというのが一番良いとおもっている。

それに、南湖のほとりの景色を堪能して、詩賦を作ることができれば、頻頻と佳い句が湧き出てこないということはないはずだ。


(訳注)

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之三

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)大暦元年55

鄭監 秘書少監鄭審、この時荊蛮の地に謫貶されている。・秘書少監:古代の官職。図書助の別称。

湖上亭 山南東道 峽州南湖のほとりの亭。

 

暫阻蓬萊閣,終為江海人。

あなたは、蓬莱仙宮のような漢の蔵書閣であったところから疎外され追いやられ遠ざかり、貶謫されて、ついに江海地方、荊蛮の地、荊州の人になった。

蓬萊閣 華嶠《後漢書》「學者稱東觀爲老氏藏室,道家蓬萊山。」(學者 東觀を稱して老氏の藏室と爲し,道家の蓬萊山となす。)とあり、鄭監がかっていたところは、蓬莱仙宮のような漢の蔵書閣であったことを言う。杜甫《1940 秋日夔府詠懐鄭監李賓客一百韻》「羽翼商山起,蓬萊漢閣連。」とこの時の様子を詳しく述べている。鄭監は、房琯グループであったので、貶謫されたのである。

江海人 貶謫されて荊州の人になったことを言う。

 

揮金應物理,拖玉豈吾身。

あなたが身銭をふるまって、酒宴などして他人を賑やかしてくれていたのは、物の道理にかなっていることであった。そして、私は、玉佩いをわが身に着けてひけらかして歩くような人ではない。

揮金 自前の銭を揮る舞って、酒宴を開くことを言う。

應物理 事理にかなう、物の道理にかなっていること。

拖玉 玉佩を引く。身分地位を示す玉佩を、これ見よがしにして歩く。

豈吾身 杜甫は、自分の地位をひけらかすこと、此処では、その地位に見合うご馳走を出してほしいとは思わないことを示していて、次句の二句に掛かってゆく語である。

 

羹煮秋蓴滑,杯迎露菊新。

だから今度お会いしても、晉の張翰のように羹には、秋のジュンサイの滑らかなものを煮ていて、杯には、陶淵明のように露菊の花弁を浮べての酒を飲むというのが一番良いとおもっている。

○羹煮秋蓴滑 晉の張翰の「蓴羹鱸膾」故事、故郷を懐かしく思い慕う情のこと。▽「蓴羹」は蓴菜じゅんさいの吸い物。「羹」はあつもの・吸い物。「鱸膾」は鱸すずきのなますの意。張翰ちょうかんが、故郷の料理である蓴菜の吸い物と鱸のなますのおいしさにひかれるあまり、官を辞して帰郷した故事をいう。

○露菊新 陶潜《飲酒其七》「秋菊有佳色、裹露掇其英。汎此忘憂物、遠我遺世情。」(秋菊 佳色あり、露を裹【つつ】みて其の英を採り。此の忘憂の物に汎べて、我が世を遺るるの情を遠くす。)に基づくもの。

 

賦詩分氣象,佳句莫頻頻。

それに、南湖のほとりの景色を堪能して、詩賦を作ることができれば、頻頻と佳い句が湧き出てこないということはないはずだ。

分氣象 南湖のほとりの気象を分けてもらう、南湖のほとりの景色を堪能させてもらうこと。

佳句 杜甫が作るのに、佳い句ができること。

莫頻頻 莫は「莫不」で、詩賦が頻頻と湧き出ないということはないということ。

766年-163杜甫 《2002秋日寄題鄭監湖上亭,三首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-163 <1035> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6855

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之二

新作湖邊宅,還聞賓客過。自須開竹逕,誰道避雲蘿。

官序潘生拙,才名賈傅多。舍舟應轉地,鄰接意如何。

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)之二

あなたは先ごろ新たに南湖のほとりに宅を作ったそうだが、そこへ又、賓客がたくさん来るということを聞いた。あなたのことであるから、隠遁した陶潜のようにひっそりとした奥まった庭の竹の林に三徑を作られて人を向い入れているでしょう、そして、雲蘿の影に人を避けたと誰が言いましょう。私は、潘岳が官途の詩序に書いたように修辞を凝らした繊細かつ美しいものであるが、私にはそんなに修辞をつくすのはうまくはないが、あなたは貶謫されても賈誼のように名声は高い。自分は間もなく、三峡を下って、船を乗り捨ててとどまるならば、きっとそちらで棲むことにしたい、そうしたら、あなたと隣になってくっ付いて棲みたいと思うけれどあなたはいかがなものだろうか。

766-163杜甫 2002秋日寄題鄭監湖上亭,三首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-163 <1035 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6855

 

 
  2015年11月2日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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743年(19)李白338 巻三09-《鞠歌行》(玉不自言如桃李,) 338Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(19) <李白338> Ⅰ李白詩1661 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6853  
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  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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韓愈97-#4《 巻三17八月十五夜贈張功曹》 #4 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1574> Ⅱ#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6854  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 766年-163杜甫 《2002秋日寄題鄭監湖上亭,三首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-163 <1035> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6855  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
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杜甫詩1500-1035-1533/2500

年:766年大暦元年55-163

卷別:    卷二三一              文體:    五言律詩

詩題:    秋日寄題鄭監湖上亭,三首之二

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              湖上亭 (山南東道 峽州 峽州)           

交遊人物/地點:鄭審          書信往來(山南東道 峽州 峽州)

 

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之一

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)

碧草逢春意,沅湘萬里秋。

荊州は、此処と万里を隔てた沅水、湘水にかけて秋であって、春の意にはそむくが草は依然として緑である。

池要山簡馬,月淨庾公樓。

こんなところではあるが、高陽池というべき池があるから長官は、山簡の馬を迎えることでしょうし、また、庾樓に比すべきあなたの楼には月の光が清らかに照らすことだろう。

磨滅餘篇翰,平生一釣舟。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。

高唐寒浪減,彷彿識昭丘。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。

(秋日 鄭監が湖上の亭に寄題す,三首の一)

碧草 春意に逢う,沅湘 萬里秋なり。

池は要う 山簡の馬,月は淨し 庾公の樓。

磨滅 篇翰を餘す,平生 釣舟一つなり。

高唐 寒浪減じ,彷彿 昭丘を識る。

 

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之二

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)之二

新作湖邊宅,還聞賓客過。

あなたは先ごろ新たに南湖のほとりに宅を作ったそうだが、そこへ又、賓客がたくさん来るということを聞いた。

自須開竹逕,誰道避雲蘿。

あなたのことであるから、隠遁した陶潜のようにひっそりとした奥まった庭の竹の林に三徑を作られて人を向い入れているでしょう、そして、雲蘿の影に人を避けたと誰が言いましょう。

官序潘生拙,才名賈傅多。

私は、潘岳が官途の詩序に書いたように修辞を凝らした繊細かつ美しいものであるが、私にはそんなに修辞をつくすのはうまくはないが、あなたは貶謫されても賈誼のように名声は高い。

舍舟應轉地,鄰接意如何。

自分は間もなく、三峡を下って、船を乗り捨ててとどまるならば、きっとそちらで棲むことにしたい、そうしたら、あなたと隣になってくっ付いて棲みたいと思うけれどあなたはいかがなものだろうか。

(秋日 鄭監が湖上の亭に寄題す,三首の二)

新に作る 湖邊の宅,還た聞く 賓客の過ぎるを。

自ら竹逕を開かんと須【ま】つ,誰か 雲蘿に避くと道うや。

官序 潘生 拙なり,才名 賈傅 多し。

舟を舍てれば應に地を轉ずるなるべし,鄰接せんとす意 如何。

 

 

『秋日寄題鄭監湖上亭,三首之二』 現代語訳と訳註解説
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秋日寄題鄭監湖上亭,三首之二

新作湖邊宅,還聞賓客過。

自須開竹逕,誰道避雲蘿。

官序潘生拙,才名賈傅多。

舍舟應轉地,鄰接意如何。
詩文(含異文)     新作湖邊宅,還聞賓客過。自須開竹逕,誰道避雲蘿。官序潘生拙,才名賈傅多。舍舟應轉地【舍舟應卜地】,鄰接意如何。


(下し文)
(秋日 鄭監が湖上の亭に寄題す,三首の二)

新に作る 湖邊の宅,還た聞く 賓客の過ぎるを。

自ら竹逕を開かんと須【ま】つ,誰か 雲蘿に避くと道うや。

官序 潘生 拙なり,才名 賈傅 多し。

舟を舍てれば應に地を轉ずるなるべし,鄰接せんとす意 如何。

(現代語訳)
(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)之二

あなたは先ごろ新たに南湖のほとりに宅を作ったそうだが、そこへ又、賓客がたくさん来るということを聞いた。

あなたのことであるから、隠遁した陶潜のようにひっそりとした奥まった庭の竹の林に三徑を作られて人を向い入れているでしょう、そして、雲蘿の影に人を避けたと誰が言いましょう。

私は、潘岳が官途の詩序に書いたように修辞を凝らした繊細かつ美しいものであるが、私にはそんなに修辞をつくすのはうまくはないが、あなたは貶謫されても賈誼のように名声は高い。

自分は間もなく、三峡を下って、船を乗り捨ててとどまるならば、きっとそちらで棲むことにしたい、そうしたら、あなたと隣になってくっ付いて棲みたいと思うけれどあなたはいかがなものだろうか。


(訳注)

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之二

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)大暦元年55

鄭監 秘書少監鄭審、この時荊蛮の地に謫貶されている。・秘書少監:古代の官職。図書助の別称。

湖上亭 山南東道 峽州南湖のほとりの亭。

 

新作湖邊宅,還聞賓客過。

あなたは先ごろ新たに南湖のほとりに宅を作ったそうだが、そこへ又、賓客がたくさん来るということを聞いた。

 

自須開竹逕,誰道避雲蘿。

あなたのことであるから、隠遁した陶潜のようにひっそりとした奥まった庭の竹の林に三徑を作られて人を向い入れているでしょう、そして、雲蘿の影に人を避けたと誰が言いましょう。

開竹逕 漢の蔣詡【しようく】が庭園内の三つの小径。隠者の住居の庭園の意で、漢の蒋が隠居して、庭に三徑を造り、松、菊、竹を植えて隠士と交わった故事に拠る。陶潜《帰去来辞》「三逕就荒, 松菊猶存。」(三逕は荒に就くも,松菊は 猶ほも存す。)

避雲蘿 

 

官序潘生拙,才名賈傅多。

私は、潘岳が官途の詩序に書いたように修辞を凝らした繊細かつ美しいものであるが、私にはそんなに修辞をつくすのはうまくはないが、あなたは貶謫されても賈誼のように名声は高い。

官序潘生拙 潘岳が官途の詩序に書いたようにうまくはないけれど。・潘:潘岳。西晋時代を代表する文人。また友人の夏侯湛と「連璧」と称されるほど、類稀な美貌の持ち主としても知られている。『世説新語』によると、潘岳が弾き弓を持って洛陽の道を歩くと、彼に出会った女性はみな手を取り合って彼を取り囲み、彼が車に乗って出かけると、女性達が果物を投げ入れ、帰る頃には車いっぱいになっていたという。潘岳の作る文章は修辞を凝らした繊細かつ美しいもので、特に死を悼む哀傷の詩文を得意とした。愛妻の死を嘆く名作「悼亡」詩は以降の詩人に大きな影響を与えた。

才名賈傅多 貶謫されても賈誼のように名声は高い。・賈:賈誼。前漢の文帝時代の文学者。洛陽の人。二十余歳で博士より太中大夫に進んだが,讒言のために長沙王太傅に移され長沙におもむいた。のち再び文帝に召されて梁王の太傅となったが,梁王が落馬して死んだのをいたく嘆き1年あまりののち没した。賈誼の文章は議論と叙事が錯綜し、雄渾流麗、古来名文として名高い。代表的な韻文としては、他に長沙在任中の「鵬鳥賦」があり、これも『文選』に収録されている。秦を批判する「過秦論」も著名であり、これらの散文をまとめたものとして、『新書』がある。

 

舍舟應轉地,鄰接意如何。

自分は間もなく、三峡を下って、船を乗り捨ててとどまるならば、きっとそちらで棲むことにしたい、そうしたら、あなたと隣になってくっ付いて棲みたいと思うけれどあなたはいかがなものだろうか。

766年-162杜甫 《2001秋日寄題鄭監湖上亭,三首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-162 <1034> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6850

杜甫  秋日寄題鄭監湖上亭,三首之一

碧草逢春意,沅湘萬里秋。池要山簡馬,月淨庾公樓。

磨滅餘篇翰,平生一釣舟。高唐寒浪減,彷彿識昭丘。

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)

荊州は、此処と万里を隔てた沅水、湘水にかけて秋であって、春の意にはそむくが草は依然として緑である。

こんなところではあるが、高陽池というべき池があるから長官は、山簡の馬を迎えることでしょうし、また、庾樓に比すべきあなたの楼には月の光が清らかに照らすことだろう。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。

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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
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杜甫詩1500-1034-1532/2500

年:766年大暦元年55-162

卷別:    卷二三一              文體:    五言律詩

詩題:    秋日寄題鄭監湖上亭,三首之一

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:湖上亭 (山南東道 峽州 峽州)           

庾公樓 (江南西道 江州 江州) 別名:庾樓    

高唐 (河北道南部 博州 高唐)          

昭丘 (山南東道 荊州 當陽) 別名:昭邱        

交遊人物/地點:鄭審          書信往來(山南東道 峽州 峽州)

 

 

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之一

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)

碧草逢春意,沅湘萬里秋。

荊州は、此処と万里を隔てた沅水、湘水にかけて秋であって、春の意にはそむくが草は依然として緑である。

池要山簡馬,月淨庾公樓。

こんなところではあるが、高陽池というべき池があるから長官は、山簡の馬を迎えることでしょうし、また、庾樓に比すべきあなたの楼には月の光が清らかに照らすことだろう。

磨滅餘篇翰,平生一釣舟。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。

高唐寒浪減,彷彿識昭丘。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。

(秋日 鄭監が湖上の亭に寄題す,三首の一)

碧草 春意に逢う,沅湘 萬里秋なり。

池は要う 山簡の馬,月は淨し 庾公の樓。

磨滅 篇翰を餘す,平生 釣舟一つなり。

高唐 寒浪減じ,彷彿 昭丘を識る。

 

『秋日寄題鄭監湖上亭,三首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之一

碧草逢春意,沅湘萬里秋。

池要山簡馬,月淨庾公樓。

磨滅餘篇翰,平生一釣舟。

高唐寒浪減,彷彿識昭丘。
詩文(含異文)     碧草逢春意【碧草違春意】,沅湘萬里秋。池要山簡馬,月淨庾公樓【月靜庾公樓】。磨滅餘篇翰,平生一釣舟。高唐寒浪減【高唐寒浪滅】,彷彿識昭丘。


(下し文)
(秋日 鄭監が湖上の亭に寄題す,三首の一)

碧草 春意に逢う,沅湘 萬里秋なり。

池は要う 山簡の馬,月は淨し 庾公の樓。

磨滅 篇翰を餘す,平生 釣舟一つなり。

高唐 寒浪減じ,彷彿 昭丘を識る。

(現代語訳)
(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)

荊州は、此処と万里を隔てた沅水、湘水にかけて秋であって、春の意にはそむくが草は依然として緑である。

こんなところではあるが、高陽池というべき池があるから長官は、山簡の馬を迎えることでしょうし、また、庾樓に比すべきあなたの楼には月の光が清らかに照らすことだろう。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。


(訳注)

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之一

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)大暦元年55

鄭監 秘書少監鄭審、この時荊蛮の地に謫貶されている。・秘書少監:古代の官職。図書助の別称。

湖上亭 山南東道 峽州南湖のほとりの亭。

 

碧草逢春意,沅湘萬里秋。

荊州は、此処と万里を隔てた沅水、湘水にかけて秋であって、春の意にはそむくが草は依然として緑である。

碧草逢春意 草が緑にうっそうと茂っているのが春と見紛う様だがよく見ると春の草むらとは違っているようだ。《1940秋日夔府詠懐奉寄鄭監李賓客一百韻》「春草何曾歇」と同じ意。

沅湘 洞庭湖に流入する河川名の沅水、湘水。・沅水:沅江(げんこう、Yuan River、簡体字:沅江、拼音: Yuán jiāng)、あるいは沅水(げんすい、拼音: Yuán shuǐ)は、中華人民共和国を流れる大きな川で、洞庭湖に注ぐ長江右岸の支流。湖南省の四大河川(湘江、沅江、資江、澧水)の一つで、その長さは湘江に次ぐ。沅江の上流には、源流となる南と北の二つの川がある。南の源流は「龍頭江」といい、貴州省都匀市の雲霧山脈から流れている。北の源流は「重安江」といい、貴州省麻江県の平月間の大山から流れる。両方の源流が合流して清水江と名を変え、鑾山(らんざん)に至り湖南省懐化市芷江自治県に入る。東へ流れて黔城で舞水と合流して沅江と名を変える。懐化市会同県、洪江市、中方県、漵浦県、辰渓県、湘西トゥチャ族ミャオ族自治州瀘渓県、沅陵県、常徳市桃源県、常徳市区を流れ、常徳市の徳山で洞庭湖に注入する。・湘水:湘江(しょうこう、Xiang River、拼音: Xiāng jiāng)、あるいは湘水(しょうすい)は、中華人民共和国を流れる大きな川の一つで、洞庭湖に注ぐ長江右岸の支流。湖南省最大の川であり、湖南省の別名・「湘」(しょう)はこの川に由来する。長さは856km

 

池要山簡馬,月淨庾公樓。

こんなところではあるが、高陽池というべき池があるから長官は、山簡の馬を迎えることでしょうし、また、庾樓に比すべきあなたの楼には月の光が清らかに照らすことだろう。

池要 池に向かう。

山簡馬 李白《秋浦歌十七首 其七》「醉上山公馬、寒歌甯戚牛。 空吟白石爛、淚滿黑貂裘。」(酔うて上る  山公(さんこう)の馬、寒歌(かんか)するは  寧戚【ねいせき】の牛。空しく白石爛【はくせきらん】を吟ずれば、泪は満つ  黒貂【こくちょう】の裘【かわごろも】。)山簡:(さん かん、生没年未詳)は、三国時代の魏および西晋の襄陽の刺史である。字は季倫。父は竹林の七賢の一人、山濤。別名「山翁」「山公」。生没年は未詳であるが、父で後代に竹林の七賢に数えられる山濤が河内郡懐県(現在の中国河南省)の人であり、山簡はその地で育った。その後の永嘉3年(309年)に魏及び西晋に仕え、襄陽に赴き刺史に任命された。また、後に「詩仙」と呼ばれる李白が著した「秋穂歌」には、酔うて上る 山公の馬との記述が見られ、帽子を後ろ向きに被り、馬に後ろ向きで乗馬するといった奇行を度々犯して、当時流行った襄陽童謡に歌われたといわれている。

月淨庾公樓 晉の庾亮(289 - 340年)は、中国東晋の政治家。字は元規。潁川鄢陵(現河南省鄢陵県)の出身。庾琛の子で庾彬、庾羲の父。325 、明帝の臨終の際、東晋建国の重臣である司徒の王導と共にその遺詔を受け、中書令として甥の成帝を補佐することになる。幼少の成帝の外戚として当時の権勢は王導を凌ぎ、寛大な融和政策をとる王導とは対照的に、庾亮は皇帝の権力強化のため、厳格な法治主義政策をとるなどして辣腕をふるった。山簡とともに、鄭監に比す。

 

磨滅餘篇翰,平生一釣舟。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。

磨滅餘篇翰 鄭監からもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。

一釣舟 自分は、釣り船を一艘持っている。764年廣德二年杜甫《1325 將赴荊南寄別李劍州》「路經灩澦雙蓬鬢,天入滄浪一釣舟。」(路は灩澦【えんよ】双蓬の鬢で経て、天槍 浪に一釣舟で入る。)自分はこれから左右の鬢の毛のもつれた老体をもって急流の灩澦堆の路をとおり、一扁の釣舟に乗じて滄浪の天に入ろうとする。

 

高唐寒浪減,彷彿識昭丘。

巫山の夢の高唐のあたりで寒空の波が減ってきたようなので、三峡を下ってあなたの方に向かうことができないだろう、今から、もはやおぼろにあなたの方の昭丘がわかるような気がするのである。

高唐 高唐 (河北道南部 博州 高唐)高唐観という解釈をする。巫山縣北西、高唐賦の巫山、巫峽の水位が低いと船の航行が危険である。

寒浪減 冬季急流の水位が落ちていること。

昭丘 昭丘 (山南東道 荊州 當陽) 別名:昭邱 :楚の昭王の墓陵のあるところ、荊州當陽縣東南70里にある。

 

山簡について

1.杜甫

《卷九40北鄰 「明府豈辭滿,藏身方告勞。青錢買野竹,白幘岸江皋。愛酒晉山簡,能詩何水曹。時來訪老疾,步屧到蓬蒿。」

《卷一○64 王十七侍御掄許攜酒至草堂奉寄此詩便請邀高三十五使君同到》「戲假霜威促山簡,須成一醉習池迴。」

《卷一○65  王竟攜酒高亦同過共用寒字》「臥病荒郊遠,通行小徑難。故人能領客,攜酒重相看。自愧無鮭菜,空煩卸馬鞍。移樽勸山簡,頭白恐風寒。」

《卷一二49  章梓州水亭》「荊州愛山簡,吾醉亦長歌。」

2.李白

李白50  《襄陽曲四首其二》「山公醉酒時。 酩酊高陽下。頭上白接籬。 倒著還騎馬。」(山公 酒に酔う時、酩酊し 高陽の下。頭上の 白接籬、倒しまに着けて還た馬に騎る。)

山簡先生はいつもお酒に酔っている、酩酊してかならず高陽池のほとりでおりていた。

あたまの上には、白い帽子。それを逆さにかぶりながら、それでも馬をのりまわした。

○山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。 ○高陽 嚢陽にある池の名。 ○白接離 接寵は帽子。

3.その他

詠懐詩  阮籍

夜中不能寐、起坐弾鳴琴。薄帷鑒明月、清風吹我襟。

孤鴻號外野、朔鳥鳴北林。徘徊将何見、憂思独傷心。

 

酒を飲む場所が、酒場でなく野酒、竹林なのは老荘思想の「山林に世塵を避ける」ということの実践である。お酒を飲みながら、老子、荘子、または王弼の「周易注」などを教科書にして、活発な論議(清談、玄談)をしていた。談義のカムフラージュのためである。

この思想は、子供にからかわれても酒を飲むほうがよい。峴山の「涙堕碑」か、山公かとの選択(李白襄陽曲四首)につながっていく

 仙人思想は、隠遁を意味するわけであるが、宗教につてすべての宗教上のすべてのこと、すべての行事等も、皇帝の許可が必要であった。一揆、叛乱の防止のためであるが、逆に、宗教は国家運営に協力方向に舵を切っていったのである。その結果道教は、不老長寿の丸薬、回春薬を皇帝に提供し、古苦境にまで発展したのである。老荘思想の道教への取り込みにより道教内で老境思想は矛盾しないものであった。

 

 

將赴荊南寄別李劍州

使君高義驅今古,寥落三年坐劍州。

但見文翁能化俗,焉知李廣未封侯。

路經灩澦雙蓬鬢,天入滄浪一釣舟。

戎馬相逢更何日,春風回首仲宣樓。

(将に荊南に赴かんとして李剣州に寄せ別る)

使君の高義今古を駆る、蓼落三年剣州に坐す。

但だ文翁の能く俗を化するを見て、焉んぞ李広の未だ侯に封ぜられざるを知らん。

路は灩澦【えんよ】双蓬の鬢で経て、天槍 浪に一釣舟で入る。

戎馬相い逢う更に何の日ぞ、春風 仲宜が楼に首を廻らさん。

廣徳2764-68 《將赴荊南寄別李劍州》764年廣德二年 杜甫<744 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4050 杜甫詩1500-744-981/2500 

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