杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

2015年12月

767年-11-#2杜甫 《19-05 園官送菜》#2 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-11-#2 <1092> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7140

杜甫  園官送菜 #2

清晨蒙菜把,常荷地主恩。守者愆實數,略有其名存。苦苣刺如針,馬齒葉亦繁。

朝早く野菜を束にして、送ってきてくれた。というのも自分はいつも土地の主人たる都督の御恩を荷なっているからである。ところでどうしたのか管理官が実際の野菜の数をまちがえて、自分の手許へきた野菜をみると品物の名だけがあって実物がすくないのである。苦チシャは葉先に針の様な刺をしているし、スベリ莧の葉があり、それもよくしげるほどの物である。

767-11-#2杜甫 19-05 園官送菜》#2 杜甫詩index-15-767年大暦256-11-#2 <1092 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7140

 

 
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杜甫詩1500-1092-1557-#2/2500

年:767年大暦256-11-#1

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    園官送菜

詩序:    并序:園官送菜把,本數日闕。矧苦苣、馬齒,掩乎嘉蔬,傷小人妒害君子,菜不足道也,比而作詩。

 

園官送菜 并序

(菜園を管理している役人が野菜束を送ってきた)

園官送菜把,本數日闕。

都督の菜園を管理している役人が野菜束を送ってきた。本来その送り方は二三日のあいだ中止されていたのである。

矧苦苣、馬齒,掩乎嘉蔬,

その上でいま送ってきたのをみると苦苣だの、馬齒だのがよい野菜のうえにかぶせられてある。

傷小人妒害君子,

自分は之を見て小人が君子を妬み害うことを傷み悲むのである。

菜不足道也,

野菜ごときは言うに足らぬのである。

比而作詩。

それでたとへて此の詩を作った。

園官菜把を送る幷に序

園官菜把を送る,本 數日 闕かぬ。

矧んや苦苣、馬齒,嘉蔬を掩うや,

小人の君子を妒害するを傷む,

菜は道うに足らざる也,

比して詩を作る。

 

#2

清晨蒙菜把,常荷地主恩。

朝早く野菜を束にして、送ってきてくれた。というのも自分はいつも土地の主人たる都督の御恩を荷なっているからである。

守者愆實數,略有其名存。

ところでどうしたのか管理官が実際の野菜の数をまちがえて、自分の手許へきた野菜をみると品物の名だけがあって実物がすくないのである。

苦苣刺如針,馬齒葉亦繁。

苦チシャは葉先に針の様な刺をしているし、スベリ莧の葉があり、それもよくしげるほどの物である。

#2

清晨 菜把を蒙る,常に地主の恩を荷う。

守者 實數を愆【あやま】る,略【ほ】ぼ 其の名の存する有り。

苦苣 刺 針の如し,馬齒 葉 亦た繁し。
#3

青青嘉蔬色,埋沒在中園。

園吏未足怪,世事固堪論。

嗚呼戰伐久,荊棘暗長原。

#4

乃知苦苣輩,傾奪蕙草根。

小人塞道路,為態何喧喧。

又如馬齒盛,氣擁葵荏昏。

點染不易虞,絲麻雜羅紈。

#5

一經器物永挂粗刺痕。

志士采紫芝,放歌避戎軒。

畦丁負籠至,感動百慮端。

tanbo955 

 

『園官送菜 并序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

清晨蒙菜把,常荷地主恩。

守者愆實數,略有其名存。

苦苣刺如針,馬齒葉亦繁。

(下し文)
#2

清晨 菜把を蒙る,常に地主の恩を荷う。

守者 實數を愆【あやま】る,略【ほ】ぼ 其の名の存する有り。

苦苣 刺 針の如し,馬齒 葉 亦た繁し。

(現代語訳)
#2

朝早く野菜を束にして、送ってきてくれた。というのも自分はいつも土地の主人たる都督の御恩を荷なっているからである。

ところでどうしたのか管理官が実際の野菜の数をまちがえて、自分の手許へきた野菜をみると品物の名だけがあって実物がすくないのである。

苦チシャは葉先に針の様な刺をしているし、スベリ莧の葉があり、それもよくしげるほどの物である。


(訳注) #2

園官送菜 并序

(菜園を管理している役人が野菜束を送ってきた)

1 園官 菜園を管理する吏官。

 

清晨蒙菜把,常荷地主恩。

朝早く野菜を束にして、送ってきてくれた。というのも自分はいつも土地の主人たる都督の御恩を荷なっているからである。

9 地主 土地の主人、夔州の都督柏茂琳をさす。柏茂琳ほ大暦元年八月には卭南節度であったが、其の夔州に到りしは、元年と二年の交にあるようである。

 

守者愆實數,略有其名存。

ところでどうしたのか管理官が実際の野菜の数をまちがえて、自分の手許へきた野菜をみると品物の名だけがあって実物がすくないのである。

10 守者 番人、即ち農園の管理官をいう。

11 其名存 野菜の品名と実物。

 

苦苣刺如針,馬齒葉亦繁。

苦チシャは葉先に針の様な刺をしているし、スベリ莧の葉があり、それもよくしげるほどの物である。

5 苦苣 キク科の一年草で、野菜である。和名はキクヂシャ。ニガチシャという別名もある。同じキクニガナ属の多年生野菜チコリーと同様に独特の苦みがあるが、見かけはチコリーと違い非結球レタスに似ている。又称苦菊,菊科菊苣属的植物,是一种栽培菊苣。

6 馬齒 五行草の一つ。葉が青く、梗は赤く、花は黄色、根は白く、実は黒く、食べると少し酸味が強い。スベリヒユは、スベリヒユ科スベリヒユ属の多年生植物。 同属にはマツバボタンなどが知られる。

 

denen03350 

 

杜甫 『園官送菜 并序』【字解】

 

園官送菜 并序:園官送菜把,本數日闕。矧苦苣、馬齒,掩乎嘉蔬,傷小人妒害君子,菜不足道也,比而作詩。

清晨蒙菜把,常荷地主恩。守者愆實數,略有其名存。苦苣刺如針,馬齒葉亦繁。

青青嘉蔬色,埋沒在中園。園吏未足怪,世事固堪論。嗚呼戰伐久,荊棘暗長原。

乃知苦苣輩,傾奪蕙草根。小人塞道路,為態何喧喧。又如馬齒盛,氣擁葵荏昏。

點染不易虞,絲麻雜羅紈。一經器物永挂粗刺痕。志士采紫芝,放歌避戎軒。

畦丁負籠至,感動百慮端。

 

 

1 園官 菜園を管理する吏官。

2 菜把 野菜束

3 本 本来。

4 數日闕 数日間、中止されていた。

5 苦苣 キク科の一年草で、野菜である。和名はキクヂシャ。ニガチシャという別名もある。同じキクニガナ属の多年生野菜チコリーと同様に独特の苦みがあるが、見かけはチコリーと違い非結球レタスに似ている。又称苦菊,菊科菊苣属的植物,是一种栽培菊苣。

6 馬齒 五行草の一つ。葉が青く、梗は赤く、花は黄色、根は白く、実は黒く、食べると少し酸味が強い。スベリヒユは、スベリヒユ科スベリヒユ属の多年生植物。 同属にはマツバボタンなどが知られる。

7 掩乎嘉蔬 良い野菜で覆い隠す。

8 比 たとえることをいう。

9 地主 土地の主人、夔州の都督柏茂琳をさす。柏茂琳ほ大暦元年八月には卭南節度であったが、其の夔州に到りしは、元年と二年の交にあるようである。

10 守者 番人、即ち農園の管理官をいう。

11 其名存 野菜の品名と実物。

 

 

 

園人送瓜

江間雖炎瘴,瓜熟亦不早。柏公鎮夔國,滯務茲一掃。

食新先戰士,共少及溪老。傾筐蒲鴿青,滿眼顏色好。

竹竿接嵌竇,引注來鳥道。沈浮亂水玉,愛惜如芝草。

落刃嚼冰霜,開懷慰枯槁。許以秋蒂除,仍看小童抱。

東陵跡蕪楚漢休征討。園人非故侯,種此何草草。

 

杜甫 園人送瓜【字解】

 

1 園人 都督の管理の農園の係の吏人。

2 柏公 柏茂琳。

3 鎮夔國 夔州の軍務の長官となることをいう。

4 滯務 事務の仕事が溜まっている。

5 食新 初物、旬のものをたべる。

6 共少 数の少ないものを衆人とともに分け、分配する。

7 溪老 渓居の老人、杜甫のこと。

 

8 傾筐 目を細かく編んだ竹かご。堅間(かたま)。勝間(かつま)。「花筐」傾とあるのは背中に背負うのにいいようにしたが凋んでいる畚であろう。

9 蒲鴿 あおはと、であるが、杜甫が此処で使ったことから、こののち青瓜をこう呼ぶようになっている。

10 接嵌竇 岩の間から染み出ている水に差しこんで水を竹竿で接続して引水する。

11 來鳥道 高いところへ続く人が歩く道ではなく、鳥が通るほどの水が作ったの道のようなもの。

12 水玉 引水が傾筐や、水だまりに落ちて飛び散るときの水の玉。

13 芝草 靈芝や薬草、杜甫は成都ではこれを集めて南市に売りに行っていたこともあって詳しい。

14 落刃 瓜を刃物できること。

15 嚼冰霜 瓜に肩の葉を入れた時の果肉の切れるときの表現。

16 慰枯槁 自分のような枯れかかったものにはそのみずみずしさが胸にしみこみ開かれるようで老境をなぐさめてくれるというほどの意。

 

17 許以 園人が杜甫に対して(瓜を持ってきてあげることを)予約することを言う。

18 秋蒂除 秋になって熟して来たら蔓に帯びてなっている瓜を切りとる。

19 仍看 瓜が熟したその時、また今回の様に瓜を見ることができる。

20 小童抱 管理園の下僕に抱きかかえて持ってこさせる。

21 東陵 東陵の五色の瓜の故事。長安城の東に出る南斗第一の門を霸城門という。民間では、門が青いことから青城門と呼んでいる。 門外には佳い瓜がなっている。廣陵の人、邵平が秦の東陵侯になったが、秦が滅亡すると 一般人になった。そこで彼は瓜の種を青城門の外に植えた。この瓜は美味である。 この瓜は五色有り、その邵平の故事に因んで東陵瓜と呼ばれている。『廟記』曰く、霸城門は青綺門とも呼ばれている。

22 楚漢休征討 楚漢戦争の終結を言う。この戦争終結を以て秦が滅亡したことで、邵平が一般人になり、五色の瓜を作り、青綺門で瓜を売ることができた。この句は、瓜についての勿体、嬉しさ、などを表現するための二句で、杜甫の人間性を表した句といえるのである。

この二句は、諸説あって、評価されなかった二句であるが、この二句こそ杜甫研究をするものにとってその研究の深さ、度合いを測る重要な二句なのである。杜甫は、戦争から逃げ回ってこの菱州にたどり着いている、平和の象徴のように思えて瓜をこのように表現解釈するということが杜甫の人間性を理解するうえでも大切なことである。杜甫の詩を何度も何度も読み返したものでこそこの二句が理解できるというものである。

 

23 故侯 秦の東陵侯、邵平をいう。

24 種此 瓜を植えること。

25 草草 心労する顔つきをいう。《詩經、小雅、巷伯》「驕人好好、勞人草草。蒼天蒼天、視彼驕人、矜此勞人。」(驕人は好好たり、勞人は草草たり。彼の驕人を視よ此の勞人を矜【あわれ】め。)高ぶって悪口いって有頂天、悪口いわれてしょんぼりと。悪口いった奴をよく見張れ、悪口言われた人を不憫がれ。

 

 

 

 

詩文(含異文)     清晨蒙菜把【清晨送菜把】,常荷地主【案:即送〈瓜詩〉柏都督。】恩。守者愆實數,略有其名存。苦苣刺如針【褊苣刺如針】,馬齒【案:莧類。】葉亦繁。青青嘉蔬色,埋沒在中園【埋沒自中園】。園吏未足怪,世事固堪論【世事因堪論】。嗚呼戰伐久,荊棘暗長原。乃知苦苣輩,傾奪蕙草根。小人塞道路,為態何喧喧。又如馬齒盛,氣擁葵荏昏。點染不易虞,絲麻雜羅紈。一經器物【一經氣物】,永挂粗刺痕。志士采紫芝,放歌避戎軒。畦丁負籠至,感動百慮端。

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杜甫  園官送菜 并序

園官送菜把,本數日闕。

矧苦苣、馬齒,掩乎嘉蔬,傷小人妒害君子,菜不足道也,比而作詩。

(菜園を管理している役人が野菜束を送ってきた)

都督の菜園を管理している役人が野菜束を送ってきた。本来その送り方は二三日のあいだ中止されていたのである。その上でいま送ってきたのをみると苦苣だの、馬齒だのがよい野菜のうえにかぶせられてある。その上でいま送ってきたのをみると苦苣だの、馬齒だのがよい野菜のうえにかぶせられてある。自分は之を見て小人が君子を妬み害うことを傷み悲むのである。野菜ごときは言うに足らぬのである。それでたとへて此の詩を作った。

767-11-#1杜甫 19-05 園官送菜》#1 杜甫詩index-15-767年大暦256-11-#1 <1091 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7135

 

 
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 朝廷で員外郎の官に就くため、成都の浣花草堂を去った杜甫は、三峡の町雲安で長い病の床に臥せった。ために雲安滞在は実質八、九ヶ月にも及び、ようやく雲安を出ることができたのは永泰二(七六六)年(以下便宜上大暦元年の年号を用いる)の暮春であった。成都を去ってからもう一年近くたつ。杜甫五十五歳の春も終わろうとしていた。

 ほどなく夔州に着いた杜甫は、だからといって旅先を急いでいる風にも見えない。《1501_移居夔州郭》の詩は夔州到着後の最初の作だが、杜甫はすでにこの中で、三峡でもいくらか平地の多いこの夔州にしばらく落ち着こうと述べている。

 

移居夔州郭(居を夔州郭に移さん)

伏枕雲安縣,遷居白帝城。春知催柳別,江與放船清。

農事聞人,山光見鳥情。禹功饒斷石,且就土微平。

枕に伏す 雲安縣,居を遷す 白帝城。春は知る柳を催して別れしむるを、,江は放船を與【ため】にして清し。

農事 人のくを聞く,山光 鳥情を見る。禹功 斷石饒し,且く就かん 土の微平なるに。

旅程を急げば雲安から真っ直ぐ夔州を通過して江陵に下ってもよかったはずなのに、むしろ当初から夔州にしばらく滞在するつもりだったのである。しかも、夔州入りの初めから杜甫は農事への関心を示している。今掲げた句の直前で、「農事は人の説くを聞く」とし、

19-07 課伐木》でも

城中賢府主,處貴如白屋。蕭蕭理體淨,蜂蠆不敢毒。

虎穴連里閭,隄防舊風俗。泊舟滄江岸,久客慎所觸。

城中 賢府の主,貴に處ること白屋の如し。蕭蕭 理體 淨し,蜂蠆【ほうたい】敢えて毒せず。

虎穴 里閭に連りも,隄防 舊風俗をもってす。泊舟 滄江の岸,久客 觸す所を慎む。

虎、熊羆の防御壁を作るのも竹木舞を組んで土塀を作ること、を夔州の舊風俗に随って作用をするように述べている。

夔州一年目の晩秋(初冬)、柏茂琳が夔州の長官としてやってきた。二人の関係は「城中賢府主」といっており、良好で柏茂琳は杜甫にあれこれ援助している。その援助の一つとして、杜甫が夔州の役所直属の菜園から、野菜などを提供してもらっていたことは、《1905_園官送菜(園官より菜を送らる)》や《1906_園人送瓜(園人より瓜を送らる)》の詩からわかる。

 

園人送瓜

江間雖炎瘴,瓜熟亦不早。柏公鎮夔國,滯務茲一掃。

食新先戰士,共少及溪老。傾筐蒲鴿青,滿眼顏色好。

竹竿接嵌竇,引注來鳥道。沈浮亂水玉,愛惜如芝草。

落刃嚼冰霜,開懷慰枯槁。許以秋蒂除,仍看小童抱。

東陵跡蕪楚漢休征討。園人非故侯,種此何草草。

(官園の係りの者が瓜を送ってくれたことを詠ったもの)

長江のこのあたりでは、炎瘴の気配があるほどの暑さだけれど,瓜が熟すのはまだ早いようだ。ここ夔州都督である柏公はこの地に赴任され把握されて、前任のこれまで滞っていた軍務・事務をすべて片づけられた。初物を食べるといえば、必ず兵卒を先にするし、数が少ないときには、衆とともにせられて、なおかつ、その賜物をこの老人にまで及ぼしてくれる。

こうしてみれば、傾いた籠に瓜が蒲鴿のような青色をして,自分の眼中で見て誠によい色をし、好い形をしている。そこで川沿いの岩穴に竹竿を差し込んで、鳥道の高いところから引水して瓜を冷やすようにした。水が注がれると水玉が飛び、瓜は浮いたり沈んだりしているのを見ると、靈芝や薬草を愛惜するかのような気持ちになってくる。それでもこの瓜に、刀を使って両断すると、氷か霜かを切るような感じであり、食べてみると自分のような枯れかかったものにはそのみずみずしさが胸にしみこみ開かれるようで老境をなぐさめてくれる。

園人が杜甫に対して秋になって熟して来たら蔓に帯びてなっている瓜を切りとってもってきてあげると予約することを言ってくれ、管理園の下僕に抱きかかえて持ってこさせるというので、また今回の様に瓜を見ることができる。瓜というのは、楚漢戦争によって、宋度と化していた邵平の東陵の瓜畑をその戦争の終結によって、瓜を作り、青綺門において五色の瓜を売れるようになった、いわば平和の象徴のようなものなのである。この管理園の担当係りの者は、秦の東陵侯、邵平という人ほどの人ではないはずである、にもかかわらず、この平和の象徴というべき瓜を心労、苦労、骨を折って植えてくれるというのはどうしてなのだろうか、この人も安史の乱以来長く続いた兵乱が嫌なのであろう、この園人に感謝するところである。

(園人 瓜を送る)

江間 炎瘴ありと雖も,瓜 熟する亦た早からず。柏公 夔國を鎮し,滯務茲一掃。

新を食うには戰士を先にし,少きを共にして溪老に及ぶ。傾筐 蒲鴿青く,滿眼 顏色好し。

竹竿 嵌竇に接し,引注して 鳥道より來らしむ。沈浮 水玉亂る,愛惜すること芝草の如し。

落刃 冰霜を嚼む,開懷 枯槁を慰む。許すに 秋蒂の除かるをて以す,仍お看ん 小童の抱かんことを。

東陵 跡に蕪,楚漢 征討休む。園人は故侯に非ず,此を種うる何ぞ草草たる。

 

 

杜甫詩1500-1091-1557-#1/2500

年:767年大暦256-11-#1

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    園官送菜

詩序:    并序:園官送菜把,本數日闕。矧苦苣、馬齒,掩乎嘉蔬,傷小人妒害君子,菜不足道也,比而作詩。

 

園官送菜 并序

(菜園を管理している役人が野菜束を送ってきた)

園官送菜把,本數日闕。

都督の菜園を管理している役人が野菜束を送ってきた。本来その送り方は二三日のあいだ中止されていたのである。

矧苦苣、馬齒,掩乎嘉蔬,

その上でいま送ってきたのをみると苦苣だの、馬齒だのがよい野菜のうえにかぶせられてある。

傷小人妒害君子,

自分は之を見て小人が君子を妬み害うことを傷み悲むのである。

菜不足道也,

野菜ごときは言うに足らぬのである。

比而作詩。

それでたとへて此の詩を作った。

園官菜把を送る幷に序

園官菜把を送る,本 數日 闕かぬ。

矧んや苦苣、馬齒,嘉蔬を掩うや,

小人の君子を妒害するを傷む,

菜は道うに足らざる也,

比して詩を作る。

 

#2

清晨蒙菜把,常荷地主恩。

守者愆實數,略有其名存。

苦苣刺如針,馬齒葉亦繁。

#3

青青嘉蔬色,埋沒在中園。

園吏未足怪,世事固堪論。

嗚呼戰伐久,荊棘暗長原。

#4

乃知苦苣輩,傾奪蕙草根。

小人塞道路,為態何喧喧。

又如馬齒盛,氣擁葵荏昏。

點染不易虞,絲麻雜羅紈。

#5

一經器物永挂粗刺痕。

志士采紫芝,放歌避戎軒。

畦丁負籠至,感動百慮端。

 

denen03350 

『園官送菜 并序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

園官送菜 并序

園官送菜把,本數日闕。

矧苦苣、馬齒,掩乎嘉蔬,

傷小人妒害君子,

菜不足道也,

比而作詩。

(下し文)
園官菜把を送る幷に序

園官菜把を送る,本 數日 闕かぬ。

矧んや苦苣、馬齒,嘉蔬を掩うや,

小人の君子を妒害するを傷む,

菜は道うに足らざる也,

比して詩を作る。

(現代語訳)
園官送菜 并序(菜園を管理している役人が野菜束を送ってきた)

都督の菜園を管理している役人が野菜束を送ってきた。本来その送り方は二三日のあいだ中止されていたのである。

その上でいま送ってきたのをみると苦苣だの、馬齒だのがよい野菜のうえにかぶせられてある。

自分は之を見て小人が君子を妬み害うことを傷み悲むのである。

野菜ごときは言うに足らぬのである。

それでたとへて此の詩を作った。


(訳注)

園官送菜 并序

(菜園を管理している役人が野菜束を送ってきた)

1.    園官 菜園を管理する吏官。

 

園官送菜把,本數日闕。

都督の菜園を管理している役人が野菜束を送ってきた。本来その送り方は二三日のあいだ中止されていたのである。

2.    菜把 野菜束

3.     本来。

4.    數日闕 数日間、中止されていた。

 

矧苦苣、馬齒,掩乎嘉蔬,

その上でいま送ってきたのをみると苦苣だの、馬齒だのがよい野菜のうえにかぶせられてある。

5.    苦苣 キク科の一年草で、野菜である。和名はキクヂシャ。ニガチシャという別名もある。同じキクニガナ属の多年生野菜チコリーと同様に独特の苦みがあるが、見かけはチコリーと違い非結球レタスに似ている。又称苦菊,菊科菊苣属的植物,是一种栽培菊苣。

6.    馬齒 五行草の一つ。葉が青く、梗は赤く、花は黄色、根は白く、実は黒く、食べると少し酸味が強い。スベリヒユは、スベリヒユ科スベリヒユ属の多年生植物。 同属にはマツバボタンなどが知られる。

7.    掩乎嘉蔬 良い野菜で覆い隠す。

 

傷小人妒害君子,

自分は之を見て小人が君子を妬み害うことを傷み悲むのである。

 

菜不足道也,

野菜ごときは言うに足らぬのである。

 

比而作詩。

それでたとへて此の詩を作った。

8.     たとえることをいう。

 瞿塘峡・白帝城・魚復

 

 

 

杜甫 『園官送菜 并序』【字解】

 

1 園官 菜園を管理する吏官。

2 菜把 野菜束

3  本来。

4 數日闕 数日間、中止されていた。

5 苦苣 キク科の一年草で、野菜である。和名はキクヂシャ。ニガチシャという別名もある。同じキクニガナ属の多年生野菜チコリーと同様に独特の苦みがあるが、見かけはチコリーと違い非結球レタスに似ている。又称苦菊,菊科菊苣属的植物,是一种栽培菊苣。

6 馬齒 五行草の一つ。葉が青く、梗は赤く、花は黄色、根は白く、実は黒く、食べると少し酸味が強い。スベリヒユは、スベリヒユ科スベリヒユ属の多年生植物。 同属にはマツバボタンなどが知られる。

7 掩乎嘉蔬 良い野菜で覆い隠す。

8 比 たとえることをいう。

 

 

 

 

杜甫 園人送瓜【字解】

 

1 園人 都督の管理の農園の係の吏人。

2 柏公 柏茂琳。

3 鎮夔國 夔州の軍務の長官となることをいう。

4 滯務 事務の仕事が溜まっている。

5 食新 初物、旬のものをたべる。

6 共少 数の少ないものを衆人とともに分け、分配する。

7 溪老 渓居の老人、杜甫のこと。

 

8 傾筐 目を細かく編んだ竹かご。堅間(かたま)。勝間(かつま)。「花筐」傾とあるのは背中に背負うのにいいようにしたが凋んでいる畚であろう。

9 蒲鴿 あおはと、であるが、杜甫が此処で使ったことから、こののち青瓜をこう呼ぶようになっている。

10 接嵌竇 岩の間から染み出ている水に差しこんで水を竹竿で接続して引水する。

11 來鳥道 高いところへ続く人が歩く道ではなく、鳥が通るほどの水が作ったの道のようなもの。

12 水玉 引水が傾筐や、水だまりに落ちて飛び散るときの水の玉。

13 芝草 靈芝や薬草、杜甫は成都ではこれを集めて南市に売りに行っていたこともあって詳しい。

14 落刃 瓜を刃物できること。

15 嚼冰霜 瓜に肩の葉を入れた時の果肉の切れるときの表現。

16 慰枯槁 自分のような枯れかかったものにはそのみずみずしさが胸にしみこみ開かれるようで老境をなぐさめてくれるというほどの意。

 

17 許以 園人が杜甫に対して(瓜を持ってきてあげることを)予約することを言う。

18 秋蒂除 秋になって熟して来たら蔓に帯びてなっている瓜を切りとる。

19 仍看 瓜が熟したその時、また今回の様に瓜を見ることができる。

20 小童抱 管理園の下僕に抱きかかえて持ってこさせる。

21 東陵 東陵の五色の瓜の故事。長安城の東に出る南斗第一の門を霸城門という。民間では、門が青いことから青城門と呼んでいる。 門外には佳い瓜がなっている。廣陵の人、邵平が秦の東陵侯になったが、秦が滅亡すると 一般人になった。そこで彼は瓜の種を青城門の外に植えた。この瓜は美味である。 この瓜は五色有り、その邵平の故事に因んで東陵瓜と呼ばれている。『廟記』曰く、霸城門は青綺門とも呼ばれている。

22 楚漢休征討 楚漢戦争の終結を言う。この戦争終結を以て秦が滅亡したことで、邵平が一般人になり、五色の瓜を作り、青綺門で瓜を売ることができた。この句は、瓜についての勿体、嬉しさ、などを表現するための二句で、杜甫の人間性を表した句といえるのである。

この二句は、諸説あって、評価されなかった二句であるが、この二句こそ杜甫研究をするものにとってその研究の深さ、度合いを測る重要な二句なのである。杜甫は、戦争から逃げ回ってこの菱州にたどり着いている、平和の象徴のように思えて瓜をこのように表現解釈するということが杜甫の人間性を理解するうえでも大切なことである。杜甫の詩を何度も何度も読み返したものでこそこの二句が理解できるというものである。

 

23 故侯 秦の東陵侯、邵平をいう。

24 種此 瓜を植えること。

25 草草 心労する顔つきをいう。《詩經、小雅、巷伯》「驕人好好、勞人草草。蒼天蒼天、視彼驕人、矜此勞人。」(驕人は好好たり、勞人は草草たり。彼の驕人を視よ此の勞人を矜【あわれ】め。)高ぶって悪口いって有頂天、悪口いわれてしょんぼりと。悪口いった奴をよく見張れ、悪口言われた人を不憫がれ。

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杜甫  行官張望補稻畦水歸 #3

秋菰成黑米,精鑿傳白粲。玉粒足晨炊,紅鮮任霞散。

終然添旅食,作苦期壯觀。遺穗及眾多,我倉戒滋蔓。

そこで自分がおもには、秋の菰米が黒米になったら、よく搗いた白米とそれを附け合わせるのがよい。朝飯をたくときには白玉の米粒は十分ではあるが、それに紅色の米を霞のように散らして炊くのもそれもよかろう。結局はここの旅中での食糧を増加し、増やすのであり、どうか骨折って耕作して秋の収穫の壮観をみたいと期待するのである。若し米が非常によくできたときは、自分の米倉ばかり有り余ってもしかたがないので、そのようにはならないようにすべきであり、おち穂などは多くの人人に拾わせて、わけてやりたいとかんがえているのである。

767-10-#3杜甫 19-15 行官張望補稻畦水歸》#3 杜甫詩index-15-767年大暦256-10-#3 <1090 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7130

 

 
  2015年12月27日 の紀頌之5つのBlog  
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  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
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 杜甫詩1500-1090-1556-#3/2500

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    行官張望補稻畦水歸【案:行官是行田者,韓愈書有「行官自南來」。】

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:              茅堂 (山南東道 夔州 夔州) 別名:東渚、東屯             

 

 

行官張望補稻畦水歸 #1

(田地掛りの張望が東屯の稲田の畦の水を補ってから、帰ってきて報告したことをよんだ詩。)

東屯大江北,百頃平若案。

東屯は大江の北にあって、百頃ばかりの地面が几案の様に平らかである。

六月青稻多,千畦碧泉亂。

六月には青い稲が多く、干すじの畦には碧い泉がみだれている。

插秧適云已,引溜加灌。

その中には、いまちょうど田植がすんだところもあり、落ち水を引いて潅漑を加えている。

更僕往方塘,決渠當斷岸。

そのために何度も下僕を貯水池と水路を往復させて、灌漑用水路を整備し、そして貯水池の土手を掘削して排水をできるようにした。

(行官の張望が稻畦の水を補うて歸る) #1

東屯 大江の北,百頃 平かなること案の若し。

六月 青稻多し,千畦 碧泉亂れる。

插秧 適たま云【ここ】に已む,引溜して 灌をう。

僕を更えて 方塘に往かしめ,決渠し 岸を斷じるに當る。
#2

公私各地著,浸潤無天旱。

掛りの男、張望がもどっていうには、「東屯では公田も私田もみながそれぞれ土着しているし、地面には常に湿り気があって天旱知らずである。

主守問家臣,分明見溪伴。

主守である行官張望が他の家臣たちに尋ねてみたが、彼等のいうとおり稲田の景気のよさははっきりと渓水のほとりにあらわれている。

芊芊炯翠羽,剡剡生銀漢。

即ち苗は芊芊としげって翠鳥の羽がかがやく様にあおあおとしているし、刻刻と鋭い尖りさきが銀漢のなか生えているようである、という。

鷗鳥鏡裡來,關山雲邊看。

それから、かもめは鏡のなかに飛んでくるかとおもうことだろうし、夔州都督府の管轄している山からは雲海のほとりにでもあるようにながめられる、というのである。

#2

公私 各おの地著す,浸潤 天旱無し。

主守 家臣に問う,分明 溪伴に見ゆ。

芊芊として 翠羽炯たり,剡剡として 銀漢に生ず。

鷗鳥 鏡裡に來る,關山 雲邊に看る。


#3

秋菰成黑米,精鑿傳白粲。

玉粒足晨炊,紅鮮任霞散。

終然添旅食,作苦期壯觀。

遺穗及眾多,我倉戒滋蔓。

そこで自分がおもには、秋の菰米が黒米になったら、よく搗いた白米とそれを附け合わせるのがよい。

朝飯をたくときには白玉の米粒は十分ではあるが、それに紅色の米を霞のように散らして炊くのもそれもよかろう。

結局はここの旅中での食糧を増加し、増やすのであり、どうか骨折って耕作して秋の収穫の壮観をみたいと期待するのである。

若し米が非常によくできたときは、自分の米倉ばかり有り余ってもしかたがないので、そのようにはならないようにすべきであり、おち穂などは多くの人人に拾わせて、わけてやりたいとかんがえているのである。

#3

秋菰 黑米を成さば,精鑿 白粲に傳けん。

玉粒 晨炊しるに足れり,紅鮮 霞散に任せん。

終然 旅食を添えむ,作苦 壯觀を期す。

遺穗 多に及ぼさん,我が倉は 滋蔓なるを戒めん

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

『行官張望補稻畦水歸』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

秋菰成黑米,精鑿傳白粲。

玉粒足晨炊,紅鮮任霞散。

終然添旅食,作苦期壯觀。

遺穗及多,我倉戒滋蔓
詩文(含異文)#3

秋菰成黑米,精鑿傳白粲【案:《漢書注》:「擇采使白,粲粲然。」】【精鑿傅白粲】【精穀傳白粲】【精穀傅白粲】。玉粒足晨炊,紅鮮【案:江浙以紅米為紅鮮。】任霞散。終然添旅食,作苦期壯觀。遺穗及眾多,我倉戒滋蔓。


(下し文)
#3

秋菰 黑米を成さば,精鑿 白粲に傳けん。

玉粒 晨炊しるに足れり,紅鮮 霞散に任せん。

終然 旅食を添えむ,作苦 壯觀を期す。

遺穗 多に及ぼさん,我が倉は 滋蔓なるを戒めん

(現代語訳)
#3

そこで自分がおもには、秋の菰米が黒米になったら、よく搗いた白米とそれを附け合わせるのがよい。

朝飯をたくときには白玉の米粒は十分ではあるが、それに紅色の米を霞のように散らして炊くのもそれもよかろう。

結局はここの旅中での食糧を増加し、増やすのであり、どうか骨折って耕作して秋の収穫の壮観をみたいと期待するのである。

若し米が非常によくできたときは、自分の米倉ばかり有り余ってもしかたがないので、そのようにはならないようにすべきであり、おち穂などは多くの人人に拾わせて、わけてやりたいとかんがえているのである。


(訳注) #3

行官張望補稻畦水歸 #1

(田地掛りの張望が東屯の稲田の畦の水を補ってから、帰ってきて報告したことをよんだ詩。)767年大暦二年、瀼西にての作。

1 行官 稲田を管理する吏官。

2 張望 行官の姓名。

3 稻畦水 東屯にある稲田の畔の水。

4 歸 瀼西の宅に歸る。

 

秋菰成黑米,精鑿傳白粲。

そこで自分がおもには、秋の菰米が黒米になったら、よく搗いた白米とそれを附け合わせるのがよい。

31 秋菰成黑米 秋の菰米が黒米になったら。秋菰は秋に採れる、水稲米、マコモ米。米を「コメ」と呼ぶのは、米が弥生時代に日本に移植される前に、北海道から沖縄まで自生していたイネ科の植物・マコモの「コモ」から転化した説が有力だが、中国ではマコモを「菰」や「菰米」とも書き、「ク」「コ」「コベイ」と詠ませるのである。

32. 精鑿 精米することであるが、「鑿」は白米にする度合いをいい、七分搗き程度を言う。

33. 傳白粲 白米に黒いコメを混ぜて炊けばよいというほどの意。

34. ◎この地で、コメがたくさんできるので、ゆとりが出てくることを言うが、できたお米を粗末にしないことを述べている。

 

玉粒足晨炊,紅鮮任霞散。

朝飯をたくときには白玉の米粒は十分ではあるが、それに紅色の米を霞のように散らして炊くのもそれもよかろう。

35. 玉粒 白米の輝くようなお米。

36. 晨炊 朝早く炊きだすこと。

37. 紅鮮 紅色のお米。これも白米に混ぜて炊く。

38. 任霞散 虹のように霞がかかって様に炊くこと。

 

終然添旅食,作苦期壯觀。

結局はここの旅中での食糧を増加し、増やすのであり、どうか骨折って耕作して秋の収穫の壮観をみたいと期待するのである。

39. 終然 ついに、結局。

40. 添旅食 食糧を増加すること。杜甫はこれまでの旅の中で、食糧難に幾度も遭遇しているからこのような表現をしている。

41. 作苦 農業をすることの苦労を言う。逆に言えば農業に目覚めたということである。

42. 期壯觀 秋の収穫の壮観をみたいと期待するのである。

 

遺穗及眾多,我倉戒滋蔓。

若し米が非常によくできたときは、自分の米倉ばかり有り余ってもしかたがないので、そのようにはならないようにすべきであり、おち穂などは多くの人人に拾わせて、わけてやりたいとかんがえているのである。

43. 遺穗 落ちこぼれのの穂。刈り取り、脱穀の際に落ちこぼれるのを言う。

44. 及眾多 多くの人々、下僕人のことを言う。

45. 我倉 杜甫の家の米蔵。

46. 戒滋蔓 あふれるほどたくさんのコメがあることで粗末にしてはならないと諌める。

 

 

 

 

 

 

 

 

杜甫  行官張望補稻畦水歸 【字解】

 

1.行官 稲田を管理する吏官。

2.張望 行官の姓名。

3.稻畦水 東屯にある稲田の畔の水。

4. 瀼西の宅に歸る。

5.  東屯 奉節県の東十里、白帝城の東に東瀼水がある、水源は長松嶺であり白帝山を経て大江に流れ入る。公孫述が東瀼水のほとりに稲田を開墾したので、其の地を東屯という。

6.大江北 《巻1535夔州歌十,十首之五》「瀼東瀼西一萬家,江北江南春冬花。背飛鶴子遺瓊蕊,相趁鳧雛入蔣牙。」(瀼東 瀼西 一万家、江北江南春冬花あり。背飛する鶴子は瓊蕊【けいずい】を遺し、相趁【おう】の鳧雛【ふすう】は蒋牙【しょうが】に入る。)大瀼水の東側と西側とにわかれて一万戸ほどの人家があり、長江の南北にわたって春も冬も花がたえたことがないのである。いまふと川辺を見ると、たべあきたのだろうか、鶴の子らは白米を残して、背中ちがいに飛んでゆくし、鳧の雛どもはあとから前なるものをおうて歩き、菰の芽ぐんだ中へはいってゆく。

7.百頃 六尺四方を歩とし、百歩を一畝、百畝を一頃とする。百頃は百万坪ということ。是は、行官が担当する、東屯の稲田全体の面積である。杜甫の田は、次句に「千畦」とある。

《巻1536夔州歌十句,十首之六》「東屯稻畦一百頃,北有澗水通青苗。晴浴狎鷗分處處,雨隨神女下朝朝。」(東屯の稲畦【とうけい】一百頃【けい】、北に澗水の青苗に通ずる有り。晴れて浴する狎鷗【こうおう】は分かるること処処なり、雨を随えたる神女は下ること朝朝なり。)東屯の耕作地には稲のうねが百頃ばかりもある。その北には澗水があって苗のあるところに通じている。ここには人なれたかもめは晴れに乗じて処処にわかれて浴みしているし、雨を随えた神女は朝が来るたびに天からおりてくる。

766年-108杜甫 《巻1536夔州歌十句,十首之六》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-108 <971 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6510

8 案 つくえ。几案。

9 碧泉亂 それまで入っていた水は澄んでいるところへ、新たな水が入ってゆく状況を言う。畔に沿って水が勢いよく流れる。田が熱くならないために水を差す。詩題にあるように「補水」することで、水が乱れるといったのである。

10 千畦 干すじの畦。水を張るには畦をしっかり作る。

11 插秧 苗を植え付けること。田植え。

12 適云已 ちょうどいま、田植がすんだところもあるということ。

13 引溜 畦添いに引き水をして田に水をためる。

14 加 農地に外部から人工的に水を供給すること。 農作物の増産、ランドスケープの維持、乾燥地帯や乾期の土壌で緑化する際などに利用される。 他にも農業生産において、作物を霜害から守る、穀物の畑で雑草を抑制する、土壌の圧密を防ぐといった用途もある。 対照的に直接的な降雨のみで行う農業を乾燥農業と呼ぶ。

15 更僕 灌漑をさらに確実なものにするために、下僕のものに作業支持をする。

16 往方塘 長方形の池塘に行かせる。この池からの排水を維持管理させる。

17 決渠 水路を切り開く。これが下僕の実際の重要な作業である。

18 當斷岸 貯水池の岸の一部を水路に丁度合わせて掘断すること、水門ではなく土手を切り崩すことを言い、その後貯水池の岸と水路の岸を築く。

19 公私各地著 公は公田、私は私田であり、公田は夔州都督の管理するものであり、私田は、杜甫その他の夔州の人々の田圃であり、それぞれ土着しているということ。

20 浸潤 しみ込んでぬれること。次第におかして広がること。

21 天旱 久しく降雨がなく日照りが続くこと。また、その空。ひでりぞら。《季 夏》干天の慈雨:日照り続きのときに降る、恵みの雨。待ち望んでいた物事の実現。

22 主守問家臣 主守である行官張望が他の家臣たちにこの水田経営について尋ねてみること。

23 見溪伴 谷あいと瀼東の農地の状況を観察してみることを言う。

24 芊芊 稲の苗が生えて繁っている様子をいう。

25 炯翠羽 翡翠の雄の青々して輝く稲苗をいう。

26 剡剡 苗の先がとがっているのが水田に広がる様子。

27 生銀漢 水が流れる水田に稲苗が植えられて天の川の様である

28 鏡 水田が鏡の様である

29 關山 関所のある山。ここでは、夔州都督府の管轄している山。

30 雲邊看 海のほとりにでもあるようにながめられる。

31 秋菰成黑米 秋の菰米が黒米になったら。秋菰は秋に採れる、水稲米、マコモ米。米を「コメ」と呼ぶのは、米が弥生時代に日本に移植される前に、北海道から沖縄まで自生していたイネ科の植物・マコモの「コモ」から転化した説が有力だが、中国ではマコモを「菰」や「菰米」とも書き、「ク」「コ」「コベイ」と詠ませるのである。

32. 精鑿 精米することであるが、「鑿」は白米にする度合いをいい、七分搗き程度を言う。

33. 傳白粲 白米に黒いコメを混ぜて炊けばよいというほどの意。

34. ◎この地で、コメがたくさんできるので、ゆとりが出てくることを言うが、できたお米を粗末にしないことを述べている。

35. 玉粒 白米の輝くようなお米。

36. 晨炊 朝早く炊きだすこと。

37. 紅鮮 紅色のお米。これも白米に混ぜて炊く。

38. 任霞散 虹のように霞がかかって様に炊くこと。

39. 終然 ついに、結局。

40. 添旅食 食糧を増加すること。杜甫はこれまでの旅の中で、食糧難に幾度も遭遇しているからこのような表現をしている。

41. 作苦 農業をすることの苦労を言う。逆に言えば農業に目覚めたということである。

42. 期壯觀 秋の収穫の壮観をみたいと期待するのである。

43. 遺穗 落ちこぼれのの穂。刈り取り、脱穀の際に落ちこぼれるのを言う。

44. 及眾多 多くの人々、下僕人のことを言う。

45. 我倉 杜甫の家の米蔵。

46. 戒滋蔓 あふれるほどたくさんのコメがあることで粗末にしてはならないと諌める。

767年-10-#2杜甫 《19-15 行官張望補稻畦水歸》#2 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-10-#2 <1089> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7125 

杜甫  行官張望補稻畦水歸 #2

公私各地著,浸潤無天旱。主守問家臣,分明見溪伴。

芊芊炯翠羽,剡剡生銀漢。鷗鳥鏡裡來,關山雲邊看。

掛りの男、張望がもどっていうには、「東屯では公田も私田もみながそれぞれ土着しているし、地面には常に湿り気があって天旱知らずである。主守である行官張望が他の家臣たちに尋ねてみたが、彼等のいうとおり稲田の景気のよさははっきりと渓水のほとりにあらわれている。即ち苗は芊芊としげって翠鳥の羽がかがやく様にあおあおとしているし、刻刻と鋭い尖りさきが銀漢のなか生えているようである、という。それから、かもめは鏡のなかに飛んでくるかとおもうことだろうし、夔州都督府の管轄している山からは雲海のほとりにでもあるようにながめられる、というのである。

767-10-#2杜甫 19-15 行官張望補稻畦水歸》#2 杜甫詩index-15-767年大暦256-10-#2 <1089 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7125 

 

 
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杜甫詩1500-1089-1556-#2/2500

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    行官張望補稻畦水歸【案:行官是行田者,韓愈書有「行官自南來」。】

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:              茅堂 (山南東道 夔州 夔州) 別名:東渚、東屯             

 

 

行官張望補稻畦水歸 #1

(田地掛りの張望が東屯の稲田の畦の水を補ってから、帰ってきて報告したことをよんだ詩。)

東屯大江北,百頃平若案。

東屯は大江の北にあって、百頃ばかりの地面が几案の様に平らかである。

六月青稻多,千畦碧泉亂。

六月には青い稲が多く、干すじの畦には碧い泉がみだれている。

插秧適云已,引溜加灌。

その中には、いまちょうど田植がすんだところもあり、落ち水を引いて潅漑を加えている。

更僕往方塘,決渠當斷岸。

そのために何度も下僕を貯水池と水路を往復させて、灌漑用水路を整備し、そして貯水池の土手を掘削して排水をできるようにした。

(行官の張望が稻畦の水を補うて歸る) #1

東屯 大江の北,百頃 平かなること案の若し。

六月 青稻多し,千畦 碧泉亂れる。

插秧 適たま云【ここ】に已む,引溜して 灌をう。

僕を更えて 方塘に往かしめ,決渠し 岸を斷じるに當る。
#2

公私各地著,浸潤無天旱。

掛りの男、張望がもどっていうには、「東屯では公田も私田もみながそれぞれ土着しているし、地面には常に湿り気があって天旱知らずである。

主守問家臣,分明見溪伴。

主守である行官張望が他の家臣たちに尋ねてみたが、彼等のいうとおり稲田の景気のよさははっきりと渓水のほとりにあらわれている。

芊芊炯翠羽,剡剡生銀漢。

即ち苗は芊芊としげって翠鳥の羽がかがやく様にあおあおとしているし、刻刻と鋭い尖りさきが銀漢のなか生えているようである、という。

鷗鳥鏡裡來,關山雲邊看。

それから、かもめは鏡のなかに飛んでくるかとおもうことだろうし、夔州都督府の管轄している山からは雲海のほとりにでもあるようにながめられる、というのである。

#2

公私 各おの地著す,浸潤 天旱無し。

主守 家臣に問う,分明 溪伴に見ゆ。

芊芊として 翠羽炯たり,剡剡として 銀漢に生ず。

鷗鳥 鏡裡に來る,關山 雲邊に看る。
#3

秋菰成黑米,精鑿傳白粲。

玉粒足晨炊,紅鮮任霞散。

終然添旅食,作苦期壯觀。

遺穗及眾多,我倉戒滋蔓。

denen03350 

 

『行官張望補稻畦水歸』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

公私各地著,浸潤無天旱。

主守問家臣,分明見溪伴。

芊芊炯翠羽,剡剡生銀漢。

鷗鳥鏡裡來,關山雲邊看。

(下し文)
#2

公私 各おの地著す,浸潤 天旱無し。

主守 家臣に問う,分明 溪伴に見ゆ。

芊芊として 翠羽炯たり,剡剡として 銀漢に生ず。

鷗鳥 鏡裡に來る,關山 雲邊に看る。

(現代語訳)
#2

掛りの男、張望がもどっていうには、「東屯では公田も私田もみながそれぞれ土着しているし、地面には常に湿り気があって天旱知らずである。

主守である行官張望が他の家臣たちに尋ねてみたが、彼等のいうとおり稲田の景気のよさははっきりと渓水のほとりにあらわれている。

即ち苗は芊芊としげって翠鳥の羽がかがやく様にあおあおとしているし、刻刻と鋭い尖りさきが銀漢のなか生えているようである、という。

それから、かもめは鏡のなかに飛んでくるかとおもうことだろうし、夔州都督府の管轄している山からは雲海のほとりにでもあるようにながめられる、というのである。


(訳注)#2

行官張望補稻畦水歸 #1

(田地掛りの張望が東屯の稲田の畦の水を補ってから、帰ってきて報告したことをよんだ詩。)767年大暦二年、瀼西にての作。

1 行官 稲田を管理する吏官。

2 張望 行官の姓名。

3 稻畦水 東屯にある稲田の畔の水。

4 歸 瀼西の宅に歸る。

 

公私各地著,浸潤無天旱。

掛りの男、張望がもどっていうには、「東屯では公田も私田もみながそれぞれ土着しているし、地面には常に湿り気があって天旱知らずである。

19 公私各地著 公は公田、私は私田であり、公田は夔州都督の管理するものであり、私田は、杜甫その他の夔州の人々の田圃であり、それぞれ土着しているということ。

20 浸潤 しみ込んでぬれること。次第におかして広がること。

21 天旱 久しく降雨がなく日照りが続くこと。また、その空。ひでりぞら。《季 夏》干天の慈雨:日照り続きのときに降る、恵みの雨。待ち望んでいた物事の実現。

 

主守問家臣,分明見溪伴。

主守である行官張望が他の家臣たちに尋ねてみたが、彼等のいうとおり稲田の景気のよさははっきりと渓水のほとりにあらわれている。

22 主守問家臣 主守である行官張望が他の家臣たちにこの水田経営について尋ねてみること。

23 見溪伴 谷あいと瀼東の農地の状況を観察してみることを言う。

 

芊芊炯翠羽,剡剡生銀漢。

即ち苗は芊芊としげって翠鳥の羽がかがやく様にあおあおとしているし、刻刻と鋭い尖りさきが銀漢のなか生えているようである、という。

24 芊芊 稲の苗が生えて繁っている様子をいう。

25 炯翠羽 翡翠の雄の青々して輝く稲苗をいう。

26 剡剡 苗の先がとがっているのが水田に広がる様子。

27 生銀漢 水が流れる水田に稲苗が植えられて天の川の様である

 

鷗鳥鏡裡來,關山雲邊看。

それから、かもめは鏡のなかに飛んでくるかとおもうことだろうし、夔州都督府の管轄している山からは雲海のほとりにでもあるようにながめられる、というのである。

28 鏡 水田が鏡の様である

29 關山 関所のある山。ここでは、夔州都督府の管轄している山。

30 雲邊看 海のほとりにでもあるようにながめられる。

夔州東川卜居図詳細 002 

 

 

杜甫  行官張望補稻畦水歸 【字解】

 

 

 

1.行官 稲田を管理する吏官。

2.張望 行官の姓名。

3.稻畦水 東屯にある稲田の畔の水。

4. 瀼西の宅に歸る。

5. 東屯 奉節県の東十里、白帝城の東に東瀼水がある、水源は長松嶺であり白帝山を経て大江に流れ入る。公孫述が東瀼水のほとりに稲田を開墾したので、其の地を東屯という。

6.大江北 《巻1535夔州歌十,十首之五》「瀼東瀼西一萬家,江北江南春冬花。背飛鶴子遺瓊蕊,相趁鳧雛入蔣牙。」(瀼東 瀼西 一万家、江北江南春冬花あり。背飛する鶴子は瓊蕊【けいずい】を遺し、相趁【おう】の鳧雛【ふすう】は蒋牙【しょうが】に入る。)大瀼水の東側と西側とにわかれて一万戸ほどの人家があり、長江の南北にわたって春も冬も花がたえたことがないのである。いまふと川辺を見ると、たべあきたのだろうか、鶴の子らは白米を残して、背中ちがいに飛んでゆくし、鳧の雛どもはあとから前なるものをおうて歩き、菰の芽ぐんだ中へはいってゆく。

7.百頃 六尺四方を歩とし、百歩を一畝、百畝を一頃とする。百頃は百万坪ということ。是は、行官が担当する、東屯の稲田全体の面積である。杜甫の田は、次句に「千畦」とある。

《巻1536夔州歌十句,十首之六》「東屯稻畦一百頃,北有澗水通青苗。晴浴狎鷗分處處,雨隨神女下朝朝。」(東屯の稲畦【とうけい】一百頃【けい】、北に澗水の青苗に通ずる有り。晴れて浴する狎鷗【こうおう】は分かるること処処なり、雨を随えたる神女は下ること朝朝なり。)東屯の耕作地には稲のうねが百頃ばかりもある。その北には澗水があって苗のあるところに通じている。ここには人なれたかもめは晴れに乗じて処処にわかれて浴みしているし、雨を随えた神女は朝が来るたびに天からおりてくる。

766年-108杜甫 《巻1536夔州歌十句,十首之六》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-108 <971 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6510

8 案 つくえ。几案。

9 碧泉亂 それまで入っていた水は澄んでいるところへ、新たな水が入ってゆく状況を言う。畔に沿って水が勢いよく流れる。田が熱くならないために水を差す。詩題にあるように「補水」することで、水が乱れるといったのである。

10 千畦 干すじの畦。水を張るには畦をしっかり作る。

11 插秧 苗を植え付けること。田植え。

12 適云已 ちょうどいま、田植がすんだところもあるということ。

13 引溜 畦添いに引き水をして田に水をためる。

14 加灌 農地に外部から人工的に水を供給すること。 農作物の増産、ランドスケープの維持、乾燥地帯や乾期の土壌で緑化する際などに利用される。 他にも農業生産において、作物を霜害から守る、穀物の畑で雑草を抑制する、土壌の圧密を防ぐといった用途もある。 対照的に直接的な降雨のみで行う農業を乾燥農業と呼ぶ。

15 更僕 灌漑をさらに確実なものにするために、下僕のものに作業支持をする。

16 往方塘 長方形の池塘に行かせる。この池からの排水を維持管理させる。

17 決渠 水路を切り開く。これが下僕の実際の重要な作業である。

18 當斷岸 貯水池の岸の一部を水路に丁度合わせて掘断すること、水門ではなく土手を切り崩すことを言い、その後貯水池の岸と水路の岸を築く。

19 公私各地著 公は公田、私は私田であり、公田は夔州都督の管理するものであり、私田は、杜甫その他の夔州の人々の田圃であり、それぞれ土着しているということ。

20 浸潤 しみ込んでぬれること。次第におかして広がること。

21 天旱 久しく降雨がなく日照りが続くこと。また、その空。ひでりぞら。《季 夏》干天の慈雨:日照り続きのときに降る、恵みの雨。待ち望んでいた物事の実現。

22 主守問家臣 主守である行官張望が他の家臣たちにこの水田経営について尋ねてみること。

23 見溪伴 谷あいと瀼東の農地の状況を観察してみることを言う。

24 芊芊 稲の苗が生えて繁っている様子をいう。

25 炯翠羽 翡翠の雄の青々して輝く稲苗をいう。

26 剡剡 苗の先がとがっているのが水田に広がる様子。

27 生銀漢 水が流れる水田に稲苗が植えられて天の川の様である

28 鏡 水田が鏡の様である

29 關山 関所のある山。ここでは、夔州都督府の管轄している山。

30 雲邊看 海のほとりにでもあるようにながめられる。

767年-10-#1杜甫 《19-15 行官張望補稻畦水歸》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-10-#1 <1088> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7120

杜甫  行官張望補稻畦水歸 #1

東屯大江北,百頃平若案。六月青稻多,千畦碧泉亂。

插秧適云已,引溜加灌。更僕往方塘,決渠當斷岸。

(田地掛りの張望が東屯の稲田の畦の水を補ってから、帰ってきて報告したことをよんだ詩。)

東屯は大江の北にあって、百頃ばかりの地面が几案の様に平らかである。六月には青い稲が多く、干すじの畦には碧い泉がみだれている。その中には、いまちょうど田植がすんだところもあり、落ち水を引いて潅漑を加えている。そのために何度も下僕を貯水池と水路を往復させて、灌漑用水路を整備し、そして貯水池の土手を掘削して排水をできるようにした。

767-10-#1杜甫 《19-15 行官張望補稻畦水歸》#1 杜甫詩index-15-767年大暦256-10-#1 <1088> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7120 

 

 
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杜甫詩1500-1088-1556-#1/2500 

年:       大曆二年

寫作時間:           767

寫作年紀:           56

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    行官張望補稻畦水歸【案:行官是行田者,韓愈書有「行官自南來」。】

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:              茅堂 (山南東道 夔州 夔州) 別名:東渚、東屯             

 

 

行官張望補稻畦水歸 #1

(田地掛りの張望が東屯の稲田の畦の水を補ってから、帰ってきて報告したことをよんだ詩。)

東屯大江北,百頃平若案。

東屯は大江の北にあって、百頃ばかりの地面が几案の様に平らかである。

六月青稻多,千畦碧泉亂。

六月には青い稲が多く、干すじの畦には碧い泉がみだれている。

插秧適云已,引溜加灌。

その中には、いまちょうど田植がすんだところもあり、落ち水を引いて潅漑を加えている。

更僕往方塘,決渠當斷岸。

そのために何度も下僕を貯水池と水路を往復させて、灌漑用水路を整備し、そして貯水池の土手を掘削して排水をできるようにした。

(行官の張望が稻畦の水を補うて歸る) #1

東屯 大江の北,百頃 平かなること案の若し。

六月 青稻多し,千畦 碧泉亂れる。

插秧 適たま云【ここ】に已む,引溜して 灌をう。

僕を更えて 方塘に往かしめ,決渠し 岸を斷じるに當る。
#2

公私各地著,浸潤無天旱。

主守問家臣,分明見溪伴。

芊芊炯翠羽,剡剡生銀漢。

鷗鳥鏡裡來,關山雲邊看。

#3

秋菰成黑米,精鑿傳白粲。

玉粒足晨炊,紅鮮任霞散。

終然添旅食,作苦期壯觀。

遺穗及眾多,我倉戒滋蔓。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

『行官張望補稻畦水歸』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

行官張望補稻畦水歸 #1

東屯大江北,百頃平若案。

六月青稻多,千畦碧泉亂。

插秧適云已,引溜加灌。

更僕往方塘,決渠當斷岸。
詩文(含異文)#1

東屯大江北【東屯枕大江】,百頃平若案。六月青稻多,千畦碧泉亂。插秧適云已,引溜加灌。更僕往方塘,決渠當斷岸。


(下し文)
(行官の張望が稻畦の水を補うて歸る) #1

東屯 大江の北,百頃 平かなること案の若し。

六月 青稻多し,千畦 碧泉亂れる。

插秧 適たま云【ここ】に已む,引溜して 灌をう。

僕を更えて 方塘に往かしめ,決渠し 岸を斷じるに當る。

(現代語訳)
行官張望補稻畦水歸 #1(田地掛りの張望が東屯の稲田の畦の水を補ってから、帰ってきて報告したことをよんだ詩。)

東屯は大江の北にあって、百頃ばかりの地面が几案の様に平らかである。

六月には青い稲が多く、干すじの畦には碧い泉がみだれている。

その中には、いまちょうど田植がすんだところもあり、落ち水を引いて潅漑を加えている。

そのために何度も下僕を貯水池と水路を往復させて、灌漑用水路を整備し、そして貯水池の土手を掘削して排水をできるようにした。


(訳注)

行官張望補稻畦水歸 #1

(田地掛りの張望が東屯の稲田の畦の水を補ってから、帰ってきて報告したことをよんだ詩。)767年大暦二年、瀼西にての作。

1.   行官 稲田を管理する吏官。

2.   張望 行官の姓名。

3.   稻畦水 東屯にある稲田の畔の水。

4.    瀼西の宅に歸る。

 

東屯大江北,百頃平若案。

東屯は大江の北にあって、百頃ばかりの地面が几案の様に平らかである。

5.   東屯 奉節県の東十里、白帝城の東に東瀼水がある、水源は長松嶺であり白帝山を経て大江に流れ入る。公孫述が東瀼水のほとりに稲田を開墾したので、其の地を東屯という。

6.   大江北 《巻1535夔州歌十,十首之五》「瀼東瀼西一萬家,江北江南春冬花。背飛鶴子遺瓊蕊,相趁鳧雛入蔣牙。」(瀼東 瀼西 一万家、江北江南春冬花あり。背飛する鶴子は瓊蕊【けいずい】を遺し、相趁【おう】の鳧雛【ふすう】は蒋牙【しょうが】に入る。)大瀼水の東側と西側とにわかれて一万戸ほどの人家があり、長江の南北にわたって春も冬も花がたえたことがないのである。いまふと川辺を見ると、たべあきたのだろうか、鶴の子らは白米を残して、背中ちがいに飛んでゆくし、鳧の雛どもはあとから前なるものをおうて歩き、菰の芽ぐんだ中へはいってゆく。

7.   百頃 六尺四方を歩とし、百歩を一畝、百畝を一頃とする。百頃は百万坪ということ。是は、行官が担当する、東屯の稲田全体の面積である。杜甫の田は、次句に「千畦」とある。

《巻1536夔州歌十句,十首之六》「東屯稻畦一百頃,北有澗水通青苗。晴浴狎鷗分處處,雨隨神女下朝朝。」(東屯の稲畦【とうけい】一百頃【けい】、北に澗水の青苗に通ずる有り。晴れて浴する狎鷗【こうおう】は分かるること処処なり、雨を随えたる神女は下ること朝朝なり。)東屯の耕作地には稲のうねが百頃ばかりもある。その北には澗水があって苗のあるところに通じている。ここには人なれたかもめは晴れに乗じて処処にわかれて浴みしているし、雨を随えた神女は朝が来るたびに天からおりてくる。

766年-108杜甫 《巻1536夔州歌十句,十首之六》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-108 <971 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6510

8.   案 つくえ。几案。

 

六月青稻多,千畦碧泉亂。

六月には青い稲が多く、干すじの畦には碧い泉がみだれている。

9.   碧泉亂 それまで入っていた水は澄んでいるところへ、新たな水が入ってゆく状況を言う。畔に沿って水が勢いよく流れる。田が熱くならないために水を差す。詩題にあるように「補水」することで、水が乱れるといったのである。

10. 千畦 干すじの畦。水を張るには畦をしっかり作る。

 

插秧適云已,引溜加灌。

その中には、いまちょうど田植がすんだところもあり、落ち水を引いて潅漑を加えている。

11. 插秧 苗を植え付けること。田植え。

12. 適云已 ちょうどいま、田植がすんだところもあるということ。

13. 引溜 畦添いに引き水をして田に水をためる。

14.灌 農地に外部から人工的に水を供給すること。 農作物の増産、ランドスケープの維持、乾燥地帯や乾期の土壌で緑化する際などに利用される。 他にも農業生産において、作物を霜害から守る、穀物の畑で雑草を抑制する、土壌の圧密を防ぐといった用途もある。 対照的に直接的な降雨のみで行う農業を乾燥農業と呼ぶ。

 

更僕往方塘,決渠當斷岸。

そのために何度も下僕を貯水池と水路を往復させて、灌漑用水路を整備し、そして貯水池の土手を掘削して排水をできるようにした。

15. 更僕 灌漑をさらに確実なものにするために、下僕のものに作業支持をする。

16. 往方塘 長方形の池塘に行かせる。この池からの排水を維持管理させる。

17. 決渠 水路を切り開く。これが下僕の実際の重要な作業である。

18. 當斷岸 貯水池の岸の一部を水路に丁度合わせて掘断すること、水門ではなく土手を切り崩すことを言い、その後貯水池の岸と水路の岸を築く。
夔州東川卜居図詳細 002 

767年-9-#3杜甫 《19-09 .槐葉冷淘》#3 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-9-#3 <1087> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7115

杜甫 .槐葉冷淘 #3

獻芹則小小,薦藻明區區。萬里露寒殿,開冰清玉壺。君王納涼晚,此味亦時須。

なるほど昔の人が芹を天子に献じたいといったその心は、小さいであらう。また藻の草を薦めようとした心もせまいものではあらう。しかし、かの萬里の遠くにある我が君の露塞殿、そこには玉轟が清く置かれて中から氷がせりだされる。我が君も暑さにたえかねて納涼でもなさろうという晩方には、この冷やし麪の味も必要とされることであろう。

767-9-#3杜甫 19-09 .槐葉冷淘》#3 杜甫詩index-15-767年大暦256-9-#3 <1087 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7115

 

 
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743年(50)李白 巻五12-《紫騮馬》(紫騮行且嘶,) Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(49) <李白> Ⅰ李白詩1708 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7088  
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杜甫詩1500-1087-1555-#3/2500

年:767年大暦256-9-#1

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    槐葉冷淘

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:             

交遊人物/地點:  

 

 

槐葉冷淘 #1

(槐の葉をつきませた冷し麺をたべたことをのべる詩。)

青青高槐葉,采掇付中廚。

青青とした高い槐の葉がしげっている、これを摘み取り、拾い集めて台所で調理することにした。

新麵來近市,汁滓宛相俱。

そこへ夔州城の近所の市場からできたての麺がきたのでそのまま槐葉の汁と滓とをつきまぜた。

入鼎資過熟,加餐愁欲無。

それを鼎でぐらぐらと煮させてもらった、これを食べると何杯も食べられるから、平生のしんぽいととなどどこかえ消えてしまいそうである。

(槐葉の冷淘) #1

青青たる高槐の葉,采掇して 中廚に付す。

新麵 近市より來る,汁滓 宛の相俱にす。

鼎に入れ 過熟を資し,加餐 愁は無からんと欲す。
#2

碧鮮俱照箸,香飯兼苞蘆。

蘆の芽のませごほんとならべておいてたべるとこの麪の新鮮な碧色が飯とともに箸のあたりにかがやきわたる。

經齒冷於雪,勸人投此珠。

歯のところをとおらせるとこの麪は雪よりもつめたい、これを人にやってたべさせるにも惜しくて珠でも投げ出す様な気がする。』

願隨金騕褭走置錦屠蘇。

こんなうまい麪はどうか立派に飾った駿馬につきしたがわせて、走って、持たせてやって天子の錦をかざったお屋に置くようにしたいものだ。

路遠思恐泥,興深終不渝。

そんなことをいっても路が遠すぎるから古人のいわゆる「恐泥」(なずまんことを恐れる)の掛念はあるけれども、このうまさときては、とても持っていってもらいたいとおもうこころをかえることはできないと思っている。#3

#3

獻芹則小小,薦藻明區區。

なるほど昔の人が芹を天子に献じたいといったその心は、小さいであらう。また藻の草を薦めようとした心もせまいものではあらう。

萬里露寒殿,開冰清玉壺。

しかし、かの萬里の遠くにある我が君の露塞殿、そこには玉轟が清く置かれて中から氷がせりだされる。

君王納涼晚,此味亦時須。

我が君も暑さにたえかねて納涼でもなさろうという晩方には、この冷やし麪の味も必要とされることであろう。

#3

獻芹は則ち小小なり,薦藻は明らかに區區たり。

萬里 露寒殿,開冰をけば玉壺清し。

君王納涼の晚,此の味 亦た時に須す。

槐002 

『槐葉冷淘』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

獻芹則小小,薦藻明區區。

萬里露寒殿,開冰清玉壺。

君王納涼晚,此味亦時須。

(下し文)
#3

獻芹は則ち小小なり,薦藻は明らかに區區たり。

萬里 露寒殿,開冰をけば玉壺清し。

君王納涼の晚,此の味 亦た時に須す。

(現代語訳)
#3

なるほど昔の人が芹を天子に献じたいといったその心は、小さいであらう。また藻の草を薦めようとした心もせまいものではあらう。

しかし、かの萬里の遠くにある我が君の露塞殿、そこには玉轟が清く置かれて中から氷がせりだされる。

我が君も暑さにたえかねて納涼でもなさろうという晩方には、この冷やし麪の味も必要とされることであろう。

漢長安城 00
(訳注) #3

槐葉冷淘 #1

(槐の葉をつきませた冷し麺をたべたことをのべる詩。)大暦二年瀼西での作。

1 槐葉 エンジュの木の葉。マメ科の落葉高木。葉は羽状複葉で、小葉は長卵形。夏に、黄白色の小花が群生して咲き、くびれたさやのある実がなる。中国の原産。庭木や街路樹とし、木材は建築・器具などに用いる。花・実は薬用。きふじ。玉樹。槐樹(かいじゅ)。《季 花=夏》

2 冷淘 ひやしめん。淘とは冷水にて濯いでさまし、ぬめりをとる。詩中の記事によるに槐葉をつきて汁と滓と共にこれをまぜて煮込んで冷まし、之にゆでた麪をいれて冷淘という。

 

獻芹則小小,薦藻明區區。

なるほど昔の人が芹を天子に献じたいといったその心は、小さいであらう。また藻の草を薦めようとした心もせまいものではあらう。

24 獻芹 《卷一八55赤甲》「炙背可以獻天子,美芹由來知野人。」(炙背 以て天子に獻ず可し,美芹 由來 野人知る。)日向の背中炙りの快さは天子に奉ってもよいほどであり、芹のうまさはもとより野人である自分たちはよく知っている。

25 則小小 心持が即すごく小さい。

26 薦藻 誠心さえあれば藻の草であっても鬼神、王公に進めることができる。《左傳、隠公三年》「蘋蘩蘊藻之菜、可薦於鬼神,可羞於王公」(蘋蘩 蘊藻の菜、鬼神に薦む可し,王公に羞す可し)

27 區區 心が狭く小さいこと。

 

萬里露寒殿,開冰清玉壺。

しかし、かの萬里の遠くにある我が君の露塞殿、そこには玉壺が清く置かれて中から氷がとりだされる。

28 露寒殿 漢の時、あったという御殿。唐大明宮を借用する。

29 玉壺 水を入れる器。

 

君王納涼晚,此味亦時須。

我が君も暑さにたえかねて納涼でもなさろうという晩方には、この冷やし麪の味も必要とされることであろう。

30 時須 時を待って必要とする。

 

 

 

杜甫『槐葉冷淘【宇解】

 

1 槐葉 エンジュの木の葉。マメ科の落葉高木。葉は羽状複葉で、小葉は長卵形。夏に、黄白色の小花が群生して咲き、くびれたさやのある実がなる。中国の原産。庭木や街路樹とし、木材は建築・器具などに用いる。花・実は薬用。きふじ。玉樹。槐樹(かいじゅ)。《季 花=夏》

2 冷淘 ひやしめん。淘とは冷水にてゆすりてさわすによりていふならん、詩中の記事によるに槐葉ををつきて汁と滓と共に之を麪にこれをまぜてゆでて、そののち冷したる者なり。

3 采掇 とりひろふ。掇()とは。意味や日本語訳。拾う拾掇きちんと片付ける.掇弄修理する.

4 中廚 厨中におなじ、台所。

5 近市 ちかいところの市街、夔州城内の街にて瀼西に近さ部分をいう。

6 汁滓 槐葉のしるとかす。

7 宛相俱 宛然、さながら、相倶とは汁滓と麪といっしょにつきまぜしをいう。

8 入鼎 かなえのなかへいれて煮る。

9 資過熱 過熱とは沸騰させてぐらぐらに十分に煮たたせること、資とはそのおかげを蒙ることをいう。老人は歯が弱いから、に詰めて柔らかくすることを資という。

10 加餐 ごはんをいつもより多く食べる。

11 愁欲無 愁いがなくなろうとする。

 

12 碧鮮 碧色にして新鮮、根葉熱の色をいう。

13 倶照筋 倶とは麪と下句の香飯とをさしていう。筋は箸、ハシなり。

14 香飯 蘆芽をまぜて炊いた飯、故に香といふ。

15 苞蘆 芽ぐみたるアシ。苞とは十分ひらかずいくえにも重なっている姿をいう。

16 經齒 歯にさわることをいう。

17 勸人 人にすすめてたべさす。

18 投此珠 隋珠暗投ということあり、隋侯のひかる珠か暗夜に投ずる光り。文字を之に借りる。ここに人にやることを投という。珠に比すとは惜をいう。

19 金騕褭 黄金をかざった名馬。

20 錦屠蘇 うつくしい家、天子の屋をいう。仇注に云う、「屠蘇に三義あり、一は屋、二は酒の名、三は大いなる帽子の名、ここに第一の義なりと。

21 路遠思恐泥 「論語」子張篇に、枝葉末節の技芸にこだわらず本質的な大義を果たすことの重要性を述べた部分で「子夏曰、雖小道必有可観者焉、致遠恐泥、是以君子不為也」(子夏曰わく、小道(しょうどう)と雖も(いえども)必ず観るべき者あり。遠きを致さんには泥(なず)まんことを恐る、是(ここ)を以て君子は為さざるなり。子夏が言った。『小さな技芸の道であっても、見るべき部分はあるものだ。しかし、究極まで道を極めようとすれば、小さな技芸は邪魔になる。だから、君子は小さな道を行かないのである、とある。泥とは、どこぞにへばりついて先方へゆきつけぬをいう。詩の思恐泥とは論語に「恐泥」といふことがわるがそれを思うということである。

22 興深 興とは美味を食することを興ずる、味わい深いことを言う。

23 不渝 天子に献じたいというの意が一貫して変わらないということ。

24 獻芹 《卷一八55赤甲》「炙背可以獻天子,美芹由來知野人。」(炙背 以て天子に獻ず可し,美芹 由來 野人知る。)日向の背中炙りの快さは天子に奉ってもよいほどであり、芹のうまさはもとより野人である自分たちはよく知っている。

25 則小小 心持が即すごく小さい。

26 薦藻 誠心さえあれば藻の草であっても鬼神、王公に進めることができる。《左傳、隠公三年》「蘋蘩蘊藻之菜、可薦於鬼神,可羞於王公」(蘋蘩 蘊藻の菜、鬼神に薦む可し,王公に羞す可し)

27 區區 心が狭く小さいこと。

28 露寒殿 漢の時、あったという御殿。唐大明宮を借用する。

29 玉壺 水を入れる器。

30 時須 時を待って必要とする。

767年-9-#2杜甫 《19-09 .槐葉冷淘》#2 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-9-#2 <1086> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7110 

杜甫  槐葉冷淘 #2

碧鮮俱照箸,香飯兼苞蘆。經齒冷於雪,勸人投此珠。

願隨金騕褭走置錦屠蘇。路遠思恐泥,興深終不渝。

蘆の芽のませごほんとならべておいてたべるとこの麪の新鮮な碧色が飯とともに箸のあたりにかがやきわたる。歯のところをとおらせるとこの麪は雪よりもつめたい、これを人にやってたべさせるにも惜しくて珠でも投げ出す様な気がする。こんなうまい麪はどうか立派に飾った駿馬につきしたがわせて、走って、持たせてやって天子の錦をかざったお屋に置くようにしたいものだ。そんなことをいっても路が遠すぎるから古人のいわゆる「恐泥」(なずまんことを恐れる)の掛念はあるけれども、このうまさときては、とても持っていってもらいたいとおもうこころをかえることはできないと思っている。
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杜甫詩1500-1086-1555-#2/2500

年:767年大暦256-9-#1

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    槐葉冷淘

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:             

交遊人物/地點:  

 

 

槐葉冷淘 #1

(槐の葉をつきませた冷し麺をたべたことをのべる詩。)

青青高槐葉,采掇付中廚。

青青とした高い槐の葉がしげっている、これを摘み取り、拾い集めて台所で調理することにした。

新麵來近市,汁滓宛相俱。

そこへ夔州城の近所の市場からできたての麺がきたのでそのまま槐葉の汁と滓とをつきまぜた。

入鼎資過熟,加餐愁欲無。

それを鼎でぐらぐらと煮させてもらった、これを食べると何杯も食べられるから、平生のしんぽいととなどどこかえ消えてしまいそうである。

(槐葉の冷淘) #1

青青たる高槐の葉,采掇して 中廚に付す。

新麵 近市より來る,汁滓 宛の相俱にす。

鼎に入れ 過熟を資し,加餐 愁は無からんと欲す。
#2

碧鮮俱照箸,香飯兼苞蘆。

蘆の芽のませごほんとならべておいてたべるとこの麪の新鮮な碧色が飯とともに箸のあたりにかがやきわたる。

經齒冷於雪,勸人投此珠。

歯のところをとおらせるとこの麪は雪よりもつめたい、これを人にやってたべさせるにも惜しくて珠でも投げ出す様な気がする。』

願隨金騕褭走置錦屠蘇。

こんなうまい麪はどうか立派に飾った駿馬につきしたがわせて、走って、持たせてやって天子の錦をかざったお屋に置くようにしたいものだ。

路遠思恐泥,興深終不渝。

そんなことをいっても路が遠すぎるから古人のいわゆる「恐泥」(なずまんことを恐れる)の掛念はあるけれども、このうまさときては、とても持っていってもらいたいとおもうこころをかえることはできないと思っている。#3

獻芹則小小,薦藻明區區。

萬里露寒殿,開冰清玉壺。

君王納涼晚,此味亦時須。

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

『槐葉冷淘』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

碧鮮俱照箸,香飯兼苞蘆。

經齒冷於雪,勸人投此珠。

願隨金騕褭,走置錦屠蘇。

路遠思恐泥,興深終不渝。

(下し文)
#2

碧鮮 俱に箸を照し,香飯 苞蘆を兼ぬ。

齒は經れば雪よりも冷なり,人に勸むるに投ずること珠に此す。

願わくば金騕褭隨わしめて,走らせて錦屠蘇に置かん。

路 遠くして 恐泥を思う,興 深くして 終に渝らず。

(現代語訳)
#2

蘆の芽のませごほんとならべておいてたべるとこの麪の新鮮な碧色が飯とともに箸のあたりにかがやきわたる。

歯のところをとおらせるとこの麪は雪よりもつめたい、これを人にやってたべさせるにも惜しくて珠でも投げ出す様な気がする。』

こんなうまい麪はどうか立派に飾った駿馬につきしたがわせて、走って、持たせてやって天子の錦をかざったお屋に置くようにしたいものだ。

そんなことをいっても路が遠すぎるから古人のいわゆる「恐泥」(なずまんことを恐れる)の掛念はあるけれども、このうまさときては、とても持っていってもらいたいとおもうこころをかえることはできないと思っている。


(訳注)

#2

碧鮮俱照箸,香飯兼苞蘆。

蘆の芽のませごほんとならべておいてたべるとこの麪の新鮮な碧色が飯とともに箸のあたりにかがやきわたる。

12 碧鮮 碧色にして新鮮、根葉熱の色をいう。

13 倶照筋 倶とは麪と下句の香飯とをさしていう。筋は箸、ハシなり。

14 香飯 蘆芽をまぜて炊いた飯、故に香といふ。

15 苞蘆 芽ぐみたるアシ。苞とは十分ひらかずいくえにも重なっている姿をいう。

 

經齒冷於雪,勸人投此珠。

歯のところをとおらせるとこの麪は雪よりもつめたい、これを人にやってたべさせるにも惜しくて珠でも投げ出す様な気がする。

16 經齒 歯にさわることをいう。

17 勸人 人にすすめてたべさす。

18 投此珠 隋珠暗投ということあり、隋侯のひかる珠か暗夜に投ずる光り。文字を之に借りる。ここに人にやることを投という。珠に比すとは惜をいう。

 

願隨金騕褭走置錦屠蘇。

こんなうまい麪はどうか立派に飾った駿馬につきしたがわせて、走って、持たせてやって天子の錦をかざったお屋に置くようにしたいものだ。

19 金騕褭 黄金をかざった名馬。

20 錦屠蘇 うつくしい家、天子の屋をいう。仇注に云う、「屠蘇に三義あり、一は屋、二は酒の名、三は大いなる帽子の名、ここに第一の義なりと。

 

路遠思恐泥,興深終不渝。

そんなことをいっても路が遠すぎるから古人のいわゆる「恐泥」(なずまんことを恐れる)の掛念はあるけれども、このうまさときては、とても持っていってもらいたいとおもうこころをかえることはできないと思っている。

21 路遠思恐泥 「論語」子張篇に、枝葉末節の技芸にこだわらず本質的な大義を果たすことの重要性を述べた部分で「子夏曰、雖小道必有可観者焉、致遠恐泥、是以君子不為也」(子夏曰わく、小道(しょうどう)と雖も(いえども)必ず観るべき者あり。遠きを致さんには泥(なず)まんことを恐る、是(ここ)を以て君子は為さざるなり。子夏が言った。『小さな技芸の道であっても、見るべき部分はあるものだ。しかし、究極まで道を極めようとすれば、小さな技芸は邪魔になる。だから、君子は小さな道を行かないのである、とある。泥とは、どこぞにへばりついて先方へゆきつけぬをいう。詩の思恐泥とは論語に「恐泥」といふことがわるがそれを思うということである。

22 興深 興とは美味を食することを興ずる、味わい深いことを言う。

23 不渝 天子に献じたいというの意が一貫して変わらないということ。

唐時代 地図山南 東・西道50 

 

 

 

 

 

杜甫『槐葉冷淘【宇解】

 

1 槐葉 エンジュの木の葉。マメ科の落葉高木。葉は羽状複葉で、小葉は長卵形。夏に、黄白色の小花が群生して咲き、くびれたさやのある実がなる。中国の原産。庭木や街路樹とし、木材は建築・器具などに用いる。花・実は薬用。きふじ。玉樹。槐樹(かいじゅ)。《季 花=夏》

2 冷淘 ひやしめん。淘とは冷水にてゆすりてさわすによりていふならん、詩中の記事によるに槐葉ををつきて汁と滓と共に之を麪にこれをまぜてゆでて、そののち冷したる者なり。

3 采掇 とりひろふ。掇()とは。意味や日本語訳。拾う拾掇きちんと片付ける.掇弄修理する.

4 中廚 厨中におなじ、台所。

5 近市 ちかいところの市街、夔州城内の街にて瀼西に近さ部分をいう。

6 汁滓 槐葉のしるとかす。

7 宛相俱 宛然、さながら、相倶とは汁滓と麪といっしょにつきまぜしをいう。

8 入鼎 かなえのなかへいれて煮る。

9 資過熱 過熱とは沸騰させてぐらぐらに十分に煮たたせること、資とはそのおかげを蒙ることをいう。老人は歯が弱いから、に詰めて柔らかくすることを資という。

10 加餐 ごはんをいつもより多く食べる。

11 愁欲無 愁いがなくなろうとする。

 

12 碧鮮 碧色にして新鮮、根葉熱の色をいう。

13 倶照筋 倶とは麪と下句の香飯とをさしていう。筋は箸、ハシなり。

14 香飯 蘆芽をまぜて炊いた飯、故に香といふ。

15 苞蘆 芽ぐみたるアシ。苞とは十分ひらかずいくえにも重なっている姿をいう。

16 經齒 歯にさわることをいう。

17 勸人 人にすすめてたべさす。

18 投此珠 隋珠暗投ということあり、隋侯のひかる珠か暗夜に投ずる光り。文字を之に借りる。ここに人にやることを投という。珠に比すとは惜をいう。

19 金騕褭 黄金をかざった名馬。

20 錦屠蘇 うつくしい家、天子の屋をいう。仇注に云う、「屠蘇に三義あり、一は屋、二は酒の名、三は大いなる帽子の名、ここに第一の義なりと。

21 路遠思恐泥 「論語」子張篇に、枝葉末節の技芸にこだわらず本質的な大義を果たすことの重要性を述べた部分で「子夏曰、雖小道必有可観者焉、致遠恐泥、是以君子不為也」(子夏曰わく、小道(しょうどう)と雖も(いえども)必ず観るべき者あり。遠きを致さんには泥(なず)まんことを恐る、是(ここ)を以て君子は為さざるなり。子夏が言った。『小さな技芸の道であっても、見るべき部分はあるものだ。しかし、究極まで道を極めようとすれば、小さな技芸は邪魔になる。だから、君子は小さな道を行かないのである、とある。泥とは、どこぞにへばりついて先方へゆきつけぬをいう。詩の思恐泥とは論語に「恐泥」といふことがわるがそれを思うということである。

22 興深 興とは美味を食することを興ずる、味わい深いことを言う。

23 不渝 天子に献じたいというの意が一貫して変わらないということ。

767年-9-#1杜甫 《19-09 .槐葉冷淘》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-9-#1 <1085> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7105

杜甫  槐葉冷淘 #1

青青高槐葉,采掇付中廚。新麵來近市,汁滓宛相俱。入鼎資過熟,加餐愁欲無。

(槐の葉をつきませた冷し麺をたべたことをのべる詩。)

青青とした高い槐の葉がしげっている、これを摘み取り、拾い集めて台所で調理することにした。そこへ夔州城の近所の市場からできたての麺がきたのでそのまま槐葉の汁と滓とをつきまぜた。それを鼎でぐらぐらと煮させてもらった、これを食べると何杯も食べられるから、平生の心配ごとなどどこかえ消えてしまいそうである。

767-9-#1杜甫 19-09 .槐葉冷淘》#1 杜甫詩index-15-767年大暦256-9-#1 <1085 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7105

 

 
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杜甫詩1500-1085-1555-#1/2500

年:767年大暦256-9-#1

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    槐葉冷淘

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:             

交遊人物/地點:  

 

 

槐葉冷淘 #1

(槐の葉をつきませた冷し麺をたべたことをのべる詩。)

青青高槐葉,采掇付中廚。

青青とした高い槐の葉がしげっている、これを摘み取り、拾い集めて台所で調理することにした。

新麵來近市,汁滓宛相俱。

そこへ夔州城の近所の市場からできたての麺がきたのでそのまま槐葉の汁と滓とをつきまぜた。

入鼎資過熟,加餐愁欲無。

それを鼎でぐらぐらと煮させてもらった、これを食べると何杯も食べられるから、平生の心配ごとなどどこかえ消えてしまいそうである。

(槐葉の冷淘) #1

青青たる高槐の葉,采掇して 中廚に付す。

新麵 近市より來る,汁滓 宛の相俱にす。

鼎に入れ 過熟を資し,加餐 愁は無からんと欲す。
#2

碧鮮俱照箸,香飯兼苞蘆。

經齒冷於雪,勸人投此珠。

願隨金騕褭走置錦屠蘇。

路遠思恐泥,興深終不渝。

#3

獻芹則小小,薦藻明區區。

萬里露寒殿,開冰清玉壺。

君王納涼晚,此味亦時須。

槐001 

 

槐葉冷淘』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

槐葉冷淘 #1

青青高槐葉,采付中廚。

新麵來近市,汁滓宛相俱。

入鼎資過熟,加餐愁欲無。

(下し文)
(槐葉の冷淘) #1

青青たる高槐の葉,采掇して 中廚に付す。

新麵 近市より來る,汁滓 宛の相俱にす。

鼎に入れ 過熟を資し,加餐 愁は無からんと欲す。

(現代語訳)
槐葉冷淘 #1(槐の葉をつきませた冷し麺をたべたことをのべる詩。)

青青とした高い槐の葉がしげっている、これを摘み取り、拾い集めて台所で調理することにした。

そこへ夔州城の近所の市場からできたての麺がきたのでそのまま槐葉の汁と滓とをつきまぜた。

それを鼎でぐらぐらと煮させてもらった、これを食べると何杯も食べられるから、平生の心配ごとなどどこかえ消えてしまいそうである。


(訳注)

槐葉冷淘 #1

(槐の葉をつきませた冷し麺をたべたことをのべる詩。)大暦二年瀼西での作。

1 槐葉 エンジュの木の葉。マメ科の落葉高木。葉は羽状複葉で、小葉は長卵形。夏に、黄白色の小花が群生して咲き、くびれたさやのある実がなる。中国の原産。庭木や街路樹とし、木材は建築・器具などに用いる。花・実は薬用。きふじ。玉樹。槐樹(かいじゅ)。《季 花=夏》

2 冷淘 ひやしめん。淘とは冷水にて濯いでさまし、ぬめりをとる。詩中の記事によるに槐葉をつきて汁と滓と共にこれをまぜて煮込んで冷まし、之にゆでた麪をいれて冷淘という。

 

青青高槐葉,采掇付中廚。

青青とした高い槐の葉がしげっている、これを摘み取り、拾い集めて台所で調理することにした。

3 采掇 とりひろう。掇()とは。意味や日本語訳。拾う拾掇きちんと片付ける.掇弄修理する.

4 中廚 厨中におなじ。飲食物を調理する所。台所。廚房(ちゆうぼう)。また、そこで働く調理人。

 

新麵來近市,汁滓宛相俱。

そこへ夔州城の近所の市場からできたての麺がきたのでそのまま槐葉の汁と滓とをつきまぜた。

5 近市 ちかいところの市街、夔州城内の街にて瀼西に近さ部分をいう。

6 汁滓 槐葉のしるとかす。

7 宛相俱 宛然、さながら、相倶とは汁滓と麪といっしょにつきまぜしをいう。

 

入鼎資過熟,加餐愁欲無。

それを鼎でぐらぐらと煮させてもらった、これを食べると何杯も食べられるから、平生の心配ごとなどどこかえ消えてしまいそうである。

 入鼎 かなえのなかへいれて煮る。

9 資過熱 過熱とは沸騰させてぐらぐらに十分に煮たたせること、資とはそのおかげを蒙ることをいう。老人は歯が弱いから、に詰めて柔らかくすることを資という。

10 加餐 ごはんをいつもより多く食べる。

11 愁欲無 愁いがなくなろうとする。
槐002 

767年-8-#3杜甫 《19-06 園人送瓜》#3 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-8-#3 <1084> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7100

杜甫 《19-06 園人送瓜》#3

許以秋蒂除,仍看小童抱。東陵跡蕪楚漢休征討。園人非故侯,種此何草草。

園人が杜甫に対して秋になって熟して来たら蔓に帯びてなっている瓜を切りとってもってきてあげると予約することを言ってくれ、管理園の下僕に抱きかかえて持ってこさせるというので、また今回の様に瓜を見ることができる。瓜というのは、楚漢戦争によって、宋度と化していた邵平の東陵の瓜畑をその戦争の終結によって、瓜を作り、青綺門において五色の瓜を売れるようになった、いわば平和の象徴のようなものなのである。この管理園の担当係りの者は、秦の東陵侯、邵平という人ほどの人ではないはずである、にもかかわらず、この平和の象徴というべき瓜を心労、苦労、骨を折って植えてくれるというのはどうしてなのだろうか、この人も安史の乱以来長く続いた兵乱が嫌なのであろう、この園人に感謝するところである。

767-8-#3杜甫 19-06 園人送瓜》#3 杜甫詩index-15-767年大暦256-8-#3 <1084 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7100

 

 
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  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
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杜甫詩1500-1084-1554-#3/2500

 朝廷で員外郎の官に就くため、成都の浣花草堂を去った杜甫は、三峡の町雲安で長い病の床に臥せった。ために雲安滞在は実質八、九ヶ月にも及び、ようやく雲安を出ることができたのは永泰二(七六六)年(以下便宜上大暦元年の年号を用いる)の暮春であった。成都を去ってからもう一年近くたつ。杜甫五十五歳の春も終わろうとしていた。

 ほどなく夔州に着いた杜甫は、だからといって旅先を急いでいる風にも見えない。《1501_移居夔州郭》の詩は夔州到着後の最初の作だが、杜甫はすでにこの中で、三峡でもいくらか平地の多いこの夔州にしばらく落ち着こうと述べている。

 

移居夔州郭(居を夔州郭に移さん)

伏枕雲安縣,遷居白帝城。春知催柳別,江與放船清。

農事聞人,山光見鳥情。禹功饒斷石,且就土微平。

枕に伏す 雲安縣,居を遷す 白帝城。春は知る柳を催して別れしむるを、,江は放船を與【ため】にして清し。

農事 人のくを聞く,山光 鳥情を見る。禹功 斷石饒し,且く就かん 土の微平なるに。

旅程を急げば雲安から真っ直ぐ夔州を通過して江陵に下ってもよかったはずなのに、むしろ当初から夔州にしばらく滞在するつもりだったのである。しかも、夔州入りの初めから杜甫は農事への関心を示している。今掲げた句の直前で、「農事は人の説くを聞く」とし、

19-07 課伐木》でも

城中賢府主,處貴如白屋。蕭蕭理體淨,蜂蠆不敢毒。

虎穴連里閭,隄防舊風俗。泊舟滄江岸,久客慎所觸。

城中 賢府の主,貴に處ること白屋の如し。蕭蕭 理體 淨し,蜂蠆【ほうたい】敢えて毒せず。

虎穴 里閭に連りも,隄防 舊風俗をもってす。泊舟 滄江の岸,久客 觸す所を慎む。

虎、熊羆の防御壁を作るのも竹木舞を組んで土塀を作ること、を夔州の舊風俗に随って作用をするように述べている。

夔州一年目の晩秋(初冬)、柏茂琳が夔州の長官としてやってきた。二人の関係は「城中賢府主」といっており、良好で柏茂琳は杜甫にあれこれ援助している。その援助の一つとして、杜甫が夔州の役所直属の菜園から、野菜などを提供してもらっていたことは、《1905_園官送菜(園官より菜を送らる)》や《1906_園人送瓜(園人より瓜を送らる)》の詩からわかる。

 

年:大暦256-8-#2

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    園人送瓜

作地點:              目前尚無資料

及地點:              夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州、夔國  

東陵 (黔中道 充州 東陵)    

交遊人物/地點:  

 

 

園人送瓜#1

(官園の係りの者が瓜を送ってくれたことを詠ったもの)

江間雖炎瘴,瓜熟亦不早。

長江のこのあたりでは、炎瘴の気配があるほどの暑さだけれど,瓜が熟すのはまだ早いようだ。

柏公鎮夔國,滯務茲一掃。

ここ夔州都督である柏公はこの地に赴任され把握されて、前任のこれまで滞っていた軍務・事務をすべて片づけられた。

食新先戰士,共少及溪老。

初物を食べるといえば、必ず兵卒を先にするし、数が少ないときには、衆とともにせられて、なおかつ、その賜物をこの老人にまで及ぼしてくれる。

(園人 瓜を送る)#1

江間 炎瘴ありと雖も,瓜 熟する亦た早からず。

柏公 夔國を鎮し,滯務茲一掃。

新を食うには戰士を先にし,少きを共にして溪老に及ぶ。

#2

傾筐蒲鴿青,滿眼顏色好。

こうしてみれば、傾いた籠に瓜が蒲鴿のような青色をして,自分の眼中で見て誠によい色をし、好い形をしている。

竹竿接嵌竇,引注來鳥道。

そこで川沿いの岩穴に竹竿を差し込んで、鳥道の高いところから引水して瓜を冷やすようにした。

沈浮亂水玉,愛惜如芝草。

水が注がれると水玉が飛び、瓜は浮いたり沈んだりしているのを見ると、靈芝や薬草を愛惜するかのような気持ちになってくる。

落刃嚼冰霜,開懷慰枯槁。

それでもこの瓜に、刀を使って両断すると、氷か霜かを切るような感じであり、食べてみると自分のような枯れかかったものにはそのみずみずしさが胸にしみこみ開かれるようで老境をなぐさめてくれる。

傾筐 蒲鴿青く,滿眼 顏色好し。

竹竿 嵌竇に接し,引注して 鳥道より來らしむ。

沈浮 水玉亂る,愛惜すること芝草の如し。

落刃 冰霜を嚼む,開懷 枯槁を慰む。


#3

許以秋蒂除,仍看小童抱。

園人が杜甫に対して秋になって熟して来たら蔓に帯びてなっている瓜を切りとってもってきてあげると予約することを言ってくれ、管理園の下僕に抱きかかえて持ってこさせるというので、また今回の様に瓜を見ることができる。

東陵跡蕪楚漢休征討。

瓜というのは、楚漢戦争によって、宋度と化していた邵平の東陵の瓜畑をその戦争の終結によって、瓜を作り、青綺門において五色の瓜を売れるようになった、いわば平和の象徴のようなものなのである。

園人非故侯,種此何草草。

この管理園の担当係りの者は、秦の東陵侯、邵平という人ほどの人ではないはずである、にもかかわらず、この平和の象徴というべき瓜を心労、苦労、骨を折って植えてくれるというのはどうしてなのだろうか、この人も安史の乱以来長く続いた兵乱が嫌なのであろう、この園人に感謝するところである。

許すに 秋蒂の除かるをて以す,仍お看ん 小童の抱かんことを。

東陵 跡に蕪,楚漢 征討休む。

園人は故侯に非ず,此を種うる何ぞ草草たる。

漢長安城 00

 

『園人送瓜』 現代語訳と訳註解説

 (本文)
#3

許以秋蒂除,仍看小童抱。

東陵跡蕪,楚漢休征討。

園人非故侯,種此何草草。
詩文(含異文)#3

許以秋蒂除,仍看小童抱【仍看小童飽】【仍看小兒抱】【仍看小兒飽】。東陵跡蕪【東溪跡蕪】,楚漢休征討。園人非故侯,種此何草草。


(下し文)
#3

許すに 秋蒂の除かるをて以す,仍お看ん 小童の抱かんことを。

東陵 跡に蕪す,楚漢 征討休む。

園人は故侯に非ず,此を種うる何ぞ草草たる。

(現代語訳)
#3

園人が杜甫に対して秋になって熟して来たら蔓に帯びてなっている瓜を切りとってもってきてあげると予約することを言ってくれ、管理園の下僕に抱きかかえて持ってこさせるというので、また今回の様に瓜を見ることができる。

瓜というのは、楚漢戦争によって、宋度と化していた邵平の東陵の瓜畑をその戦争の終結によって、瓜を作り、青綺門において五色の瓜を売れるようになった、いわば平和の象徴のようなものなのである。

この管理園の担当係りの者は、秦の東陵侯、邵平という人ほどの人ではないはずである、にもかかわらず、この平和の象徴というべき瓜を心労、苦労、骨を折って植えてくれるというのはどうしてなのだろうか、この人も安史の乱以来長く続いた兵乱が嫌なのであろう、この園人に感謝するところである。

長安付近図00
(訳注) #3

 

許以秋蒂除,仍看小童抱。

園人が杜甫に対して秋になって熟して来たら蔓に帯びてなっている瓜を切りとってもってきてあげると予約することを言ってくれ、管理園の下僕に抱きかかえて持ってこさせるというので、また今回の様に瓜を見ることができる。

17 許以 園人が杜甫に対して(瓜を持ってきてあげることを)予約することを言う。

18 秋蒂除 秋になって熟して来たら蔓に帯びてなっている瓜を切りとる。

19 仍看 瓜が熟したその時、また今回の様に瓜を見ることができる。

20 小童抱 管理園の下僕に抱きかかえて持ってこさせる。

 

東陵跡蕪楚漢休征討。

瓜というのは、楚漢戦争によって、宋度と化していた邵平の東陵の瓜畑をその戦争の終結によって、瓜を作り、青綺門において五色の瓜を売れるようになった、いわば平和の象徴のようなものなのである。

21 東陵 東陵の五色の瓜の故事。長安城の東に出る南斗第一の門を霸城門という。民間では、門が青いことから青城門と呼んでいる。 門外には佳い瓜がなっている。廣陵の人、邵平が秦の東陵侯になったが、秦が滅亡すると 一般人になった。そこで彼は瓜の種を青城門の外に植えた。この瓜は美味である。 この瓜は五色有り、その邵平の故事に因んで東陵瓜と呼ばれている。『廟記』曰く、霸城門は青綺門とも呼ばれている。

22 楚漢休征討 楚漢戦争の終結を言う。この戦争終結を以て秦が滅亡したことで、邵平が一般人になり、五色の瓜を作り、青綺門で瓜を売ることができた。この句は、瓜についての勿体、嬉しさ、などを表現するための二句で、杜甫の人間性を表した句といえるのである。

この二句は、諸説あって、評価されなかった二句であるが、この二句こそ杜甫研究をするものにとってその研究の深さ、度合いを測る重要な二句なのである。杜甫は、戦争から逃げ回ってこの菱州にたどり着いている、平和の象徴のように思えて瓜をこのように表現解釈するということが杜甫の人間性を理解するうえでも大切なことである。杜甫の詩を何度も何度も読み返したものでこそこの二句が理解できるというものである。

 

園人非故侯,種此何草草。

この管理園の担当係りの者は、秦の東陵侯、邵平という人ほどの人ではないはずである、にもかかわらず、この平和の象徴というべき瓜を心労、苦労、骨を折って植えてくれるというのはどうしてなのだろうか、この人も安史の乱以来長く続いた兵乱が嫌なのであろう、この園人に感謝するところである。

23 故侯 秦の東陵侯、邵平をいう。

24 種此 瓜を植えること。

25 草草 心労する顔つきをいう。《詩經、小雅、巷伯》「驕人好好、勞人草草。蒼天蒼天、視彼驕人、矜此勞人。」(驕人は好好たり、勞人は草草たり。彼の驕人を視よ此の勞人を矜【あわれ】め。)高ぶって悪口いって有頂天、悪口いわれてしょんぼりと。悪口いった奴をよく見張れ、悪口言われた人を不憫がれ。

 

 

杜甫 園人送瓜【字解】

 

1 園人 都督の管理の農園の係の吏人。

2 柏公 柏茂琳。

3 鎮夔國 夔州の軍務の長官となることをいう。

4 滯務 事務の仕事が溜まっている。

5 食新 初物、旬のものをたべる。

6 共少 数の少ないものを衆人とともに分け、分配する。

7 溪老 渓居の老人、杜甫のこと。

 

8 傾筐 目を細かく編んだ竹かご。堅間(かたま)。勝間(かつま)。「花筐」傾とあるのは背中に背負うのにいいようにしたが凋んでいる畚であろう。

9 蒲鴿 あおはと、であるが、杜甫が此処で使ったことから、こののち青瓜をこう呼ぶようになっている。

10 接嵌竇 岩の間から染み出ている水に差しこんで水を竹竿で接続して引水する。

11 來鳥道 高いところへ続く人が歩く道ではなく、鳥が通るほどの水が作ったの道のようなもの。

12 水玉 引水が傾筐や、水だまりに落ちて飛び散るときの水の玉。

13 芝草 靈芝や薬草、杜甫は成都ではこれを集めて南市に売りに行っていたこともあって詳しい。

14 落刃 瓜を刃物できること。

15 嚼冰霜 瓜に肩の葉を入れた時の果肉の切れるときの表現。

16 慰枯槁 自分のような枯れかかったものにはそのみずみずしさが胸にしみこみ開かれるようで老境をなぐさめてくれるというほどの意。

 

17 許以 園人が杜甫に対して(瓜を持ってきてあげることを)予約することを言う。

18 秋蒂除 秋になって熟して来たら蔓に帯びてなっている瓜を切りとる。

19 仍看 瓜が熟したその時、また今回の様に瓜を見ることができる。

20 小童抱 管理園の下僕に抱きかかえて持ってこさせる。

21 東陵 東陵の五色の瓜の故事。長安城の東に出る南斗第一の門を霸城門という。民間では、門が青いことから青城門と呼んでいる。 門外には佳い瓜がなっている。廣陵の人、邵平が秦の東陵侯になったが、秦が滅亡すると 一般人になった。そこで彼は瓜の種を青城門の外に植えた。この瓜は美味である。 この瓜は五色有り、その邵平の故事に因んで東陵瓜と呼ばれている。『廟記』曰く、霸城門は青綺門とも呼ばれている。

22 楚漢休征討 楚漢戦争の終結を言う。この戦争終結を以て秦が滅亡したことで、邵平が一般人になり、五色の瓜を作り、青綺門で瓜を売ることができた。この句は、瓜についての勿体、嬉しさ、などを表現するための二句で、杜甫の人間性を表した句といえるのである。

この二句は、諸説あって、評価されなかった二句であるが、この二句こそ杜甫研究をするものにとってその研究の深さ、度合いを測る重要な二句なのである。杜甫は、戦争から逃げ回ってこの菱州にたどり着いている、平和の象徴のように思えて瓜をこのように表現解釈するということが杜甫の人間性を理解するうえでも大切なことである。杜甫の詩を何度も何度も読み返したものでこそこの二句が理解できるというものである。

 

23 故侯 秦の東陵侯、邵平をいう。

24 種此 瓜を植えること。

25 草草 心労する顔つきをいう。《詩經、小雅、巷伯》「驕人好好、勞人草草。蒼天蒼天、視彼驕人、矜此勞人。」(驕人は好好たり、勞人は草草たり。彼の驕人を視よ此の勞人を矜【あわれ】め。)高ぶって悪口いって有頂天、悪口いわれてしょんぼりと。悪口いった奴をよく見張れ、悪口言われた人を不憫がれ。

 

 

 

19-05 園官送菜》園官送菜

詩序:    并序:園官送菜把,本數日闕。矧苦苣、馬齒,掩乎嘉蔬,傷小人妒害君子,菜不足道也,比而作詩。

園園官送菜

詩序:    并序:園官菜把を送る,本 數日 闕かぬ。矧んや苦苣、馬齒,嘉蔬を掩うや,小人の君子を妒害するを傷む,菜は道うに足らざる也,比して詩を作る。

都督の菜園を管理している役人が野菜束を送ってってきた。本来その送り方は二三日のあひだ中止されていたのだけれど、その上でいま送ってきたのをみると苦苣だの、馬齒だのがよい野菜のうえにかぶせられてある。自分は之を見て小人が君子を妬み害うことを傷み悲むのである。野菜ごときは言うに足らぬのである。それでたとへて此の詩を作った。

 

19-05 園官送菜》

清晨蒙菜把,常荷地主恩。守者愆實數,略有其名存。

苦苣刺如針,馬齒葉亦繁。青青嘉蔬色,埋沒在中園。

園吏未足怪,世事固堪論。嗚呼戰伐久,荊棘暗長原。

乃知苦苣輩,傾奪蕙草根。小人塞道路,為態何喧喧。

又如馬齒盛,氣擁葵荏昏。點染不易虞,絲麻雜羅紈。

一經器物,永挂粗刺痕。志士采紫芝,放歌避戎軒。

畦丁負籠至,感動百慮端。
夔州東川卜居図詳細 002 

767年-8-#2杜甫 《19-06 園人送瓜》#2 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-8-#2 <1083> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7095

杜甫  園人送瓜 #2

傾筐蒲鴿青,滿眼顏色好。竹竿接嵌竇,引注來鳥道。

沈浮亂水玉,愛惜如芝草。落刃嚼冰霜,開懷慰枯槁。

こうしてみれば、傾いた籠に瓜が蒲鴿のような青色をして,自分の眼中で見て誠によい色をし、好い形をしている。そこで川沿いの岩穴に竹竿を差し込んで、鳥道の高いところから引水して瓜を冷やすようにした。水が注がれると水玉が飛び、瓜は浮いたり沈んだりしているのを見ると、靈芝や薬草を愛惜するかのような気持ちになってくる。それでもこの瓜に、刀を使って両断すると、氷か霜かを切るような感じであり、食べてみると自分のような枯れかかったものにはそのみずみずしさが胸にしみこみ開かれるようで老境をなぐさめてくれる。

767-8-#2杜甫 19-06 園人送瓜》#2 杜甫詩index-15-767年大暦256-8-#2 <1083 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7095

 

 
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杜甫詩1500-1083-1554-#2/2500

 

 

 朝廷で員外郎の官に就くため、成都の浣花草堂を去った杜甫は、三峡の町雲安で長い病の床に臥せった。ために雲安滞在は実質八、九ヶ月にも及び、ようやく雲安を出ることができたのは永泰二(七六六)年(以下便宜上大暦元年の年号を用いる)の暮春であった。成都を去ってからもう一年近くたつ。杜甫五十五歳の春も終わろうとしていた。

 ほどなく夔州に着いた杜甫は、だからといって旅先を急いでいる風にも見えない。《1501_移居夔州郭》の詩は夔州到着後の最初の作だが、杜甫はすでにこの中で、三峡でもいくらか平地の多いこの夔州にしばらく落ち着こうと述べている。

 

移居夔州郭(居を夔州郭に移さん)

伏枕雲安縣,遷居白帝城。春知催柳別,江與放船清。

農事聞人,山光見鳥情。禹功饒斷石,且就土微平。

枕に伏す 雲安縣,居を遷す 白帝城。春は知る柳を催して別れしむるを、,江は放船を與【ため】にして清し。

農事 人のくを聞く,山光 鳥情を見る。禹功 斷石饒し,且く就かん 土の微平なるに。

旅程を急げば雲安から真っ直ぐ夔州を通過して江陵に下ってもよかったはずなのに、むしろ当初から夔州にしばらく滞在するつもりだったのである。しかも、夔州入りの初めから杜甫は農事への関心を示している。今掲げた句の直前で、「農事は人の説くを聞く」とし、

19-07 課伐木》でも

城中賢府主,處貴如白屋。蕭蕭理體淨,蜂蠆不敢毒。

虎穴連里閭,隄防舊風俗。泊舟滄江岸,久客慎所觸。

城中 賢府の主,貴に處ること白屋の如し。蕭蕭 理體 淨し,蜂蠆【ほうたい】敢えて毒せず。

虎穴 里閭に連りも,隄防 舊風俗をもってす。泊舟 滄江の岸,久客 觸す所を慎む。

虎、熊羆の防御壁を作るのも竹木舞を組んで土塀を作ること、を夔州の舊風俗に随って作用をするように述べている。

夔州一年目の晩秋(初冬)、柏茂琳が夔州の長官としてやってきた。二人の関係は「城中賢府主」といっており、良好で柏茂琳は杜甫にあれこれ援助している。その援助の一つとして、杜甫が夔州の役所直属の菜園から、野菜などを提供してもらっていたことは、《1905_園官送菜(園官より菜を送らる)》や《1906_園人送瓜(園人より瓜を送らる)》の詩からわかる。

 

年:大暦256-8-#2

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    園人送瓜

作地點:              目前尚無資料

及地點:              夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州、夔國  

東陵 (黔中道 充州 東陵)   

交遊人物/地點:  

 

 

園人送瓜#1

(官園の係りの者が瓜を送ってくれたことを詠ったもの)

江間雖炎瘴,瓜熟亦不早。

長江のこのあたりでは、炎瘴の気配があるほどの暑さだけれど,瓜が熟すのはまだ早いようだ。

柏公鎮夔國,滯務茲一掃。

ここ夔州都督である柏公はこの地に赴任され把握されて、前任のこれまで滞っていた軍務・事務をすべて片づけられた。

食新先戰士,共少及溪老。

初物を食べるといえば、必ず兵卒を先にするし、数が少ないときには、衆とともにせられて、なおかつ、その賜物をこの老人にまで及ぼしてくれる。

(園人 瓜を送る)#1

江間 炎瘴ありと雖も,瓜 熟する亦た早からず。

柏公 夔國を鎮し,滯務茲一掃。

新を食うには戰士を先にし,少きを共にして溪老に及ぶ。

#2

傾筐蒲鴿青,滿眼顏色好。

こうしてみれば、傾いた籠に瓜が蒲鴿のような青色をして,自分の眼中で見て誠によい色をし、好い形をしている。

竹竿接嵌竇,引注來鳥道。

そこで川沿いの岩穴に竹竿を差し込んで、鳥道の高いところから引水して瓜を冷やすようにした。

沈浮亂水玉,愛惜如芝草。

水が注がれると水玉が飛び、瓜は浮いたり沈んだりしているのを見ると、靈芝や薬草を愛惜するかのような気持ちになってくる。

落刃嚼冰霜,開懷慰枯槁。

それでもこの瓜に、刀を使って両断すると、氷か霜かを切るような感じであり、食べてみると自分のような枯れかかったものにはそのみずみずしさが胸にしみこみ開かれるようで老境をなぐさめてくれる。

傾筐 蒲鴿青く,滿眼 顏色好し。

竹竿 嵌竇に接し,引注して 鳥道より來らしむ。

沈浮 水玉亂る,愛惜すること芝草の如し。

落刃 冰霜を嚼む,開懷 枯槁を慰む。
#3

許以秋蒂除,仍看小童抱。

東陵跡蕪楚漢休征討。

園人非故侯,種此何草草。

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

『園人送瓜』 現代語訳と訳註解説

(本文)
#2

傾筐蒲鴿青,滿眼顏色好。

竹竿接嵌竇,引注來鳥道。

沈浮亂水玉,愛惜如芝草。

落刃嚼冰霜,開懷慰枯槁。

(下し文)
#2

傾筐 蒲鴿青く,滿眼 顏色好し。

竹竿 嵌竇に接し,引注して 鳥道より來らしむ。

沈浮 水玉亂る,愛惜すること芝草の如し。

落刃 冰霜を嚼む,開懷 枯槁を慰む。

(現代語訳)
#2

こうしてみれば、傾いた籠に瓜が蒲鴿のような青色をして,自分の眼中で見て誠によい色をし、好い形をしている。

そこで川沿いの岩穴に竹竿を差し込んで、鳥道の高いところから引水して瓜を冷やすようにした。

水が注がれると水玉が飛び、瓜は浮いたり沈んだりしているのを見ると、靈芝や薬草を愛惜するかのような気持ちになってくる。

それでもこの瓜に、刀を使って両断すると、氷か霜かを切るような感じであり、食べてみると自分のような枯れかかったものにはそのみずみずしさが胸にしみこみ開かれるようで老境をなぐさめてくれる。


(訳注) #2

園人送瓜2

(官園の係りの者が瓜を送ってくれたことを詠ったもの)

1 園人 都督の管理の農園の係の吏人。

 

傾筐蒲鴿青,滿眼顏色好。

こうしてみれば、傾いた籠に瓜が蒲鴿のような青色をして,自分の眼中で見て誠によい色をし、好い形をしている。

8 傾筐 目を細かく編んだ竹かご。堅間(かたま)。勝間(かつま)。「花筐」傾とあるのは背中に背負うのにいいようにしたが凋んでいる畚であろう。

9 蒲鴿 あおはと、であるが、杜甫が此処で使ったことから、こののち青瓜をこう呼ぶようになっている。

 

竹竿接嵌竇,引注來鳥道。

そこで川沿いの岩穴に竹竿を差し込んで、鳥道の高いところから引水して瓜を冷やすようにした。

10 接嵌竇 岩の間から染み出ている水に差しこんで水を竹竿で接続して引水する。

11 來鳥道 高いところへ続く人が歩く道ではなく、鳥が通るほどの水が作ったの道のようなもの。

 

沈浮亂水玉,愛惜如芝草。

水が注がれると水玉が飛び、瓜は浮いたり沈んだりしているのを見ると、靈芝や薬草を愛惜するかのような気持ちになってくる。

12 水玉 引水が傾筐や、水だまりに落ちて飛び散るときの水の玉。

13 芝草 靈芝や薬草、杜甫は成都ではこれを集めて南市に売りに行っていたこともあって詳しい。

 

落刃嚼冰霜,開懷慰枯槁。

それでもこの瓜に、刀を使って両断すると、氷か霜かを切るような感じであり、食べてみると自分のような枯れかかったものにはそのみずみずしさが胸にしみこみ開かれるようで老境をなぐさめてくれる。

14 落刃 瓜を刃物できること。

15 嚼冰霜 瓜に肩の葉を入れた時の果肉の切れるときの表現。

16 慰枯槁 自分のような枯れかかったものにはそのみずみずしさが胸にしみこみ開かれるようで老境をなぐさめてくれるというほどの意。

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杜甫 園人送瓜【字解】

 

1 園人 都督の管理の農園の係の吏人。

2 柏公 柏茂琳。

3 鎮夔國 夔州の軍務の長官となることをいう。

4 滯務 事務の仕事が溜まっている。

5 食新 初物、旬のものをたべる。

6 共少 数の少ないものを衆人とともに分け、分配する。

7 溪老 渓居の老人、杜甫のこと。

 

8 傾筐 目を細かく編んだ竹かご。堅間(かたま)。勝間(かつま)。「花筐」傾とあるのは背中に背負うのにいいようにしたが凋んでいる畚であろう。

9 蒲鴿 あおはと、であるが、杜甫が此処で使ったことから、こののち青瓜をこう呼ぶようになっている。

10 接嵌竇 岩の間から染み出ている水に差しこんで水を竹竿で接続して引水する。

11 來鳥道 高いところへ続く人が歩く道ではなく、鳥が通るほどの水が作ったの道のようなもの。

12 水玉 引水が傾筐や、水だまりに落ちて飛び散るときの水の玉。

13 芝草 靈芝や薬草、杜甫は成都ではこれを集めて南市に売りに行っていたこともあって詳しい。

14 落刃 瓜を刃物できること。

15 嚼冰霜 瓜に肩の葉を入れた時の果肉の切れるときの表現。

16 慰枯槁 自分のような枯れかかったものにはそのみずみずしさが胸にしみこみ開かれるようで老境をなぐさめてくれるというほどの意。

767年-8-#1杜甫 《19-06 園人送瓜》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-8-#1 <1082> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7090

杜甫  園人送瓜#1

江間雖炎瘴,瓜熟亦不早。柏公鎮夔國,滯務茲一掃。食新先戰士,共少及溪老。

(官園の係りの者が瓜を送ってくれたことを詠ったもの)

長江のこのあたりでは、炎瘴の気配があるほどの暑さだけれど,瓜が熟すのはまだ早いようだ。ここ夔州都督である柏公はこの地に赴任され把握されて、前任のこれまで滞っていた軍務・事務をすべて片づけられた。初物を食べるといえば、必ず兵卒を先にするし、数が少ないときには、衆とともにせられて、なおかつ、その賜物をこの老人にまで及ぼしてくれる。

767-8-#1杜甫 19-06 園人送瓜》#1 杜甫詩index-15-767年大暦256-8-#1 <1082 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7090

 

 
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-8-#1杜甫 《19-06 園人送瓜》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-8-#1 <1082> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7090  
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杜甫詩1500-1082-1554-#1/2500

 

 

山野草の野菜類が日常の食卓の大半を占めると述べたあと、長安を去ってからのこの十年、漢方薬に頼って生きてきたと続けるあたりは、野菜を食べる理由が病気を癒すためでもあるような書きぶりである。はっきりした証拠があるわけではないが、野菜を好んで食べていたのはそうした健康上の理由もあったのではないか。

 杜甫の食事は野菜中心で、とにかく杜甫は野菜を必要としていた。夔州一年目の晩秋(初冬)、柏茂琳が夔州の長官としてやってきた。二人の関係は良好で柏茂琳は杜甫をあれこれ援助している。その援助の一つとして、杜甫が夔州の役所直属の菜園から、野菜などを提供してもらっていたことは、《1905_園官送菜(園官より菜を送らる)》や《1906_園人送瓜(園人より瓜を送らる)》の詩からわかる。

「清晨蒙菜把、常荷地主恩。」(清き晨に菜の把を蒙り、常に地主の恩を荷【こうむ】る。)

1905_園官送菜》

清晨蒙菜把,常荷地主恩。守者愆實數,略有其名存。

苦苣刺如針,馬齒葉亦繁。青青嘉蔬色,埋沒在中園。

園吏未足怪,世事固堪論。嗚呼戰伐久,荊棘暗長原。

乃知苦苣輩,傾奪蕙草根。小人塞道路,為態何喧喧。

又如馬齒盛,氣擁葵荏昏。點染不易虞,絲麻雜羅紈。

一經器物,永挂粗刺痕。志士采紫芝,放歌避戎軒。

畦丁負籠至,感動百慮端。

といい、

 

1906_園人送瓜》「柏公鎮夔國、滯務茲一掃。食新先戰士、共少及溪老。」(柏公は夔の国を鎮(しず)めたまい、滞(とどこお)れる務めは茲(ここ)に一掃せらる。あなたは新しきを食うときは 戦士を先にし、少(すくな)きを共にして この渓にすまう老いしわれに及ぶ。)

などとあることから、柏茂琳は食生活の面まで杜甫に恩恵を与えていたことが分かる。柏茂琳のこうしたきめ細かい配慮は、州の長官が配慮の行き届く人だったというよりは、野菜を欲していた杜甫が特別にお願いしたからのように思える。

 

その《19-05 園官送菜》詩の序に「園官送菜把,本數日闕。矧苦苣、馬齒,掩乎嘉蔬,傷小人妒害君子,菜不足道也,比而作詩。」(園官菜把を送る,本 數日 闕かぬ。矧んや苦苣、馬齒,嘉蔬を掩うや,小人の君子を妒害するを傷む,菜は道うに足らざる也,比して詩を作る。)都督の菜園を管理している役人が野菜束を送ってきた。本来その送り方は二三日のあいだ中止されていたのだけれど、その上でいま送ってきたのをみると苦苣だの、馬齒だのがよい野菜のうえにかぶせられてある。自分は之を見て小人が君子を妬み害うことを傷み悲むのである。野菜ごときは言うに足らぬのである。それでたとへて此の詩を作った。

とあるから、役所直属の菜園から、野菜などを提供してもらっていたということである。

 

 

年:大暦256-8-#1

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    園人送瓜

作地點:              目前尚無資料

及地點:              夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州、夔國  

東陵 (黔中道 充州 東陵)   

交遊人物/地點:  

 

 

園人送瓜#1

(官園の係りの者が瓜を送ってくれたことを詠ったもの)

江間雖炎瘴,瓜熟亦不早。

長江のこのあたりでは、炎瘴の気配があるほどの暑さだけれど,瓜が熟すのはまだ早いようだ。

柏公鎮夔國,滯務茲一掃。

ここ夔州都督である柏公はこの地に赴任され把握されて、前任のこれまで滞っていた軍務・事務をすべて片づけられた。

食新先戰士,共少及溪老。

初物を食べるといえば、必ず兵卒を先にするし、数が少ないときには、衆とともにせられて、なおかつ、その賜物をこの老人にまで及ぼしてくれる。

(園人 瓜を送る)#1

江間 炎瘴ありと雖も,瓜 熟する亦た早からず。

柏公 夔國を鎮し,滯務茲一掃。

新を食うには戰士を先にし,少きを共にして溪老に及ぶ。

#2

傾筐蒲鴿青,滿眼顏色好。

竹竿接嵌竇,引注來鳥道。

沈浮亂水玉,愛惜如芝草。

落刃嚼冰霜,開懷慰枯槁。

#3

許以秋蒂除,仍看小童抱。

東陵跡蕪楚漢休征討。

園人非故侯,種此何草草。

 

 

『園人送瓜』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

園人送瓜#1

江間雖炎瘴,瓜熟亦不早。

柏公鎮夔國,滯務茲一掃。

食新先戰士,共少及溪老。
詩文(含異文)#1

江間雖炎瘴,瓜熟亦不早。柏公鎮夔國,滯務茲一掃【滯務資一掃】。食新先戰士,共少及溪老【共少及窮老】。


(下し文)
(園人 瓜を送る)#1

江間 炎瘴ありと雖も,瓜 熟する亦た早からず。

柏公 夔國を鎮し,滯務茲一掃。

新を食うには戰士を先にし,少きを共にして溪老に及ぶ。

(現代語訳)
園人送瓜#1(官園の係りの者が瓜を送ってくれたことを詠ったもの)

長江のこのあたりでは、炎瘴の気配があるほどの暑さだけれど,瓜が熟すのはまだ早いようだ。

ここ夔州都督である柏公はこの地に赴任され把握されて、前任のこれまで滞っていた軍務・事務をすべて片づけられた。

初物を食べるといえば、必ず兵卒を先にするし、数が少ないときには、衆とともにせられて、なおかつ、その賜物をこの老人にまで及ぼしてくれる。

瞿塘峡・白帝城・魚復
(訳注)

園人送瓜#1

(官園の係りの者が瓜を送ってくれたことを詠ったもの)

1 園人 都督の管理の農園の係の吏人。

 

江間雖炎瘴,瓜熟亦不早。

長江のこのあたりでは、炎瘴の気配があるほどの暑さだけれど,瓜が熟すのはまだ早いようだ。

 

柏公鎮夔國,滯務茲一掃。

ここ夔州都督である柏公はこの地に赴任され把握されて、前任のこれまで滞っていた軍務・事務をすべて片づけられた。

2 柏公 柏茂琳。

3 鎮夔國 夔州の軍務の長官となることをいう。

4 滯務 事務の仕事が溜まっている。

 

食新先戰士,共少及溪老。

初物を食べるといえば、必ず兵卒を先にするし、数が少ないときには、衆とともにせられて、なおかつ、その賜物をこの老人にまで及ぼしてくれる。

5 食新 初物、旬のものをたべる。

6 共少 数の少ないものを衆人とともに分け、分配する。

7 溪老 渓居の老人、杜甫のこと。

767年-7-#7杜甫 《19-07 課伐木》#7 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-7-#7 <1081> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7085

杜甫  課伐木#7

爾曹輕執熱,為我忍煩促。秋光近青岑,季月當泛菊。

報之以微寒,共給酒一斛。

おまえたち全員は炎天の熱さを冒してなんともおもわず自分のためにうるさき気持ちを我慢して働いて、秋までに仕上げること。青いに秋げしきも近づいていて、九月ともなり、その時こそ、酒づきに菊の花をうかべて飲ませてあげよう。それまでの大変な苦労を伴うけれど、その時、それに対しては少しの涼しさを以て報いることにし、一斛ばかりの酒を振る舞おうと思っている。

767-7-#7杜甫 《19-07 課伐木》#7 杜甫詩index-15-767年大暦256-7-#7 <1081> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7085 


 
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韓愈119-#2《 巻九16喜雪獻裴尚書》 #2 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1620> Ⅱ#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7084  
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 杜甫詩1500-1081-1553-#7/2500

作時間:767年大暦256-7-#7 

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    課伐木

詩序:    并序

課隸人伯夷、幸秀【辛秀】、信行等入谷斬陰木。

人日四根止,維條伊枚,正直挺然。

晨征暮返,委積庭,我有藩籬,是缺是補,載伐篠

伊仗支持【伊杖支持】,則旅次於小安。

山有虎知禁,若恃爪牙之利,必昏黑突【必昏黑撐突】【必昏黑搪突】。

夔人屋壁,列樹白菊【例樹白菊】【例樹白萄】【列樹白萄】,鏝為牆,實以竹,示式遏,為與虎近,混淪乎無良賓客憂【混淪乎無良賓客齒】。

害馬之徒,苟活為幸,可默息已,作詩示宗武誦【作詩示宗文誦】。

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:白谷 (山南東道 夔州 巫山)              

 

 

課伐木 幷序#1

(下僕たちに日課として木を伐って、竹をゆわせて籬作り、虎防護柵をつくらせたをことをよんだ詩。)

課隸人伯夷、幸秀【辛秀】、信行等入谷斬陰木。

下僕使用人の伯夷、幸秀【辛秀】、信行等に谷あいに入ってきた面に生えている木を切ってくるように作業を課した。

人日四根止,維條伊枚,正直挺然。

各人一日に根っこから切り出すのは四本とし、幹を残して牧枝と條枝を切り落として幹だけにする、それでまっすぐな木にしなさい。

晨征暮返,委積庭,我有藩籬,是缺是補,載伐篠

夜明けにはその木のところに行き、日暮れに帰ってきなさい、そして切りそろえた木を地面において積み上げ、我が家の籬の材料にすること、今ある垣根の欠けたところに、そのために切ったり補足したりすること、それに、補足するものとして、即ちその補足材には篠竹や大竹を使いなさい。

伊仗支持,則旅次於小安。

斬木を杙とし竹を竪横にして遮護すること、即ち、この屋に泊まりに来ても安心な垣根にして安心できるようにすることにある。

幷序#2

山有虎知禁,若恃爪牙之利,必昏黑突。

山には虎がいて危険であるということがわかっている、だから、その虎どもにこの垣根が禁制であることがわかるであろう、もしこの虎が爪や牙のするどさを恃んだときには、きっとたそがれどきにはこちらへだしぬけに突き出してくるであろう、すると間違いなく暗黒の世界に落とされる。それを防ぐのである。

夔人屋壁,列樹白菊,鏝為牆,實以竹,示式遏。

夔州では民家の屋壁には茨のとげの白萄をつらねで植え、また中心には竹をつめて、外を泥で、鏝ぬりにし、墻牆をこしらえて虎の防御柵を見せておくのである。

為與虎近,混淪乎無良賓客憂。

もともとこの夔州瀼西の地の住居には虎が接近してきたり、うら山にいる、それに盗賊や悪漢と雑居共存しているために、来客や大切な人も心配することがないようにする。

害馬之徒,苟活為幸,可默息已,作詩示宗武誦。

牧人の馬を害する様な盗賊のことが心配になるだけで、なにもしなければ、ただ苛めにも活きてさえいられれば幸いだという様なことであり、このままではまことになげかわしいというだけのことである。だからこの課題を絶対やり遂げるように。それでこの詩を作って、この課題を息子の宗武に作業前にこれを吟誦させて開始するように言いつけさせたのである。

(伐木を課す 幷序)#1

隸人 伯夷、幸秀【辛秀】、信行等に課し 谷に入り陰木を斬らしむ。

人ごとに 日ごとに 四根にして止み,維れ條 伊れ枚,正に直くして 挺然たり。

晨に征きて暮に返り,庭委積し,我に藩籬有り,是に缺け是に補い,載ち篠伐る。

伊れに仗りて支持すれば,則ち 旅次 小しく安ぜん。

幷序#2

山に 虎有るも禁を知らん,若し爪牙の利を恃まば,必ず昏黑に突せん。

夔人の屋壁には,白菊を列樹し,鏝して牆を為り,實つるに竹を以てし,式遏を示す。

虎と近く,無良に混淪たるが為に 賓客は憂う。

害馬の徒,苟しくも活くるを幸と為し,默息し已む可し,詩を作りて宗武に示して誦せしむ。

課伐木 #3(下僕たちに日課として木を伐って、竹をゆわせて籬作り、虎防護柵をつくらせたことをよんだ詩。)

長夏無所為,客居課奴僕。

日の長い夏になにもすることがないので、この居は虎が出るので落ち着かず、いつも旅住まいでいるから、下僕に日課をあたえた。

清晨飯其腹,持斧入白谷。

朝早く彼等に御飯を腹いっぱいたべさせて、斧を持って、遊ぶにはもってこいの白谷へはいらせる。

青冥曾後,十里斬陰木。

彼等は青空につづくたかくかさなった山巓(赤甲山)の北へでて十里のー遠くへでかけて山陰の木を斬ること、

(伐木を課す) #3

長夏 為す所無し,客居 奴僕に課す。

清晨 其の腹に飯せしめて,斧を持して白谷に入れよ。

青冥 曾後,十里 陰木を斬れ
#4

人肩四根已,亭午下山麓。

一人毎四株だけのきめである、それをかついで彼等は眞昼頃こちらの山麓へと下りて来ること。

尚聞丁丁聲,功課日各足。

そのころまだコーンコーンと斧で木を伐る聲をさせて作業し、きめられた仕事だけは毎日それぞれ十分になしとげること。

蒼皮成委積,素節相照燭。

それで蒼い木の皮はうず高く積みあげること、素い節とふしをとがらせて互に照り輝くくらいにすること。 

藉汝跨小籬,當仗苦虛竹。

汝等の持っている能力を発揮し、真壁をきちんと構築すること、それにあたっては竹木舞を作るために、細い竹、太い竹を細く割くこと、それを組み合わせ、縦横に編み込み結びこむこと。

人肩 四根のみ,亭午山麓に下る。

尚お丁丁たる聲を聞く,功課 日びに各おの足る。

蒼皮 委積を成し,素節 相い照燭す。

汝に藉りて小籬を跨らす,當に仗るべし 竹を苦虛するを。
#5

空荒咆熊羆,乳獸待人肉。

ここのさびしい山谷には熊や羆がほえ、子もちの虎が人の肉をたべようと待っている。

不示知禁情,豈惟干戈哭。

もしこの猛獣どもにこちらにそれをさしとめるだけの心があるということを見せることができなかったなら、われわれは戦死者のために哭することのほかに獣害のために哭すことになってしまうということ。

城中賢府主,處貴如白屋。

いま我が夔州城中の賢い主人の柏公は、貴い地位にいるのに、白屋に住んで貧居のときのごとく、さわがしくせずいる。

蕭蕭理體淨,蜂蠆不敢毒。

しずかにして政治のすがた清浄、潔白な施政であり、躊躇している虎より、蜂蠆の梁の方が怖いといわれるが、この防御柵の目的は、あえて蜂蠆の毒などは問題ない。

#5

空荒に熊羆咆ゆ,乳獸人肉を待つ。

禁を知らしむるの情を示さずんば,豈に惟だ干戈に哭するのみならむや。

城中 賢府の主,貴に處ること白屋の如し。

蕭蕭 理體 淨し,蜂蠆【ほうたい】敢えて毒せず。

#6

虎穴連里閭,隄防舊風俗。

虎のすむ穴が村里につらなっているが、それをも土地の舊慣に従って防御しておられることをさんこうにすること。

泊舟滄江岸,久客慎所觸。

自分はここの大江の岸に舟を泊めているが、長逗留の客で何がこちらの舟に接触や、打ちかかってくるかについては用心しなければならぬ。

舍西崖嶠壯,雷雨蔚含蓄。

自分の屋舎の西側は壮大な崖嶠がそびえていて、時として雷雨があり、そのがけには草木がしげってなかにはなにものかがかくされたり、かくれたりしている。

牆宇資屢修,衰年怯幽獨。

自分の老衰の年齢では山居の孤独をおそれるので尾根や牆もたびたび修繕すすることによってはじめてそのおかげで猛獣の害から免れうるということになる。

#6

虎穴 里閭に連りも,隄防 舊風俗をもってす。

泊舟 滄江の岸,久客 觸す所を慎む。

舍 西に崖嶠 壯ん,雷 雨に蔚として含蓄す。

牆宇 屢しば修するを資け,衰年 幽獨を怯る。

#7

爾曹輕執熱,為我忍煩促。

秋光近青岑,季月當泛菊。

報之以微寒,共給酒一斛。

おまえたち全員は炎天の熱さを冒してなんともおもわず自分のためにうるさき気持ちを我慢して働いて、秋までに仕上げること。

青いに秋げしきも近づいていて、九月ともなり、その時こそ、酒づきに菊の花をうかべて飲ませてあげよう。

それまでの大変な苦労を伴うけれど、その時、それに対しては少しの涼しさを以て報いることにし、一斛ばかりの酒を振る舞おうと思っている。

爾が曹 執熱を輕んず,我が為に 煩促を忍ぶ。

秋光 青岑に近し,季月 當に菊を泛べし。

之に報ゆるに 微寒を以てし,共給せん 酒一斛。

 三峡 巫山十二峰001

 

『課伐木 幷序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#7

爾曹輕執熱,為我忍煩促。

秋光近青岑,季月當泛菊。

報之以微寒,共給酒一斛。


(下し文)
#7

爾が曹 執熱を輕んず,我が為に 煩促を忍ぶ。

秋光 青岑に近し,季月 當に菊を泛べし。

之に報ゆるに 微寒を以てし,共給せん 酒一斛。

(現代語訳)
#7

おまえたち全員は炎天の熱さを冒してなんともおもわず自分のためにうるさき気持ちを我慢して働いて、秋までに仕上げること。

青いに秋げしきも近づいていて、九月ともなり、その時こそ、酒づきに菊の花をうかべて飲ませてあげよう。

それまでの大変な苦労を伴うけれど、その時、それに対しては少しの涼しさを以て報いることにし、一斛ばかりの酒を振る舞おうと思っている。


(訳注) #7

課伐木 幷序 #7

1-1 【解説】夔州に来て二年目の夏、杜甫は虎の防御用の垣根が壊れているのを修理しようとして、三人の使用人に仕事を与えた。朝早くから遠く山越えをして、谷間から一日一人四株の木を切って、担ぎ出してくるのをノルマとした。彼らはその仕事を誠実にこなした。ほかにも竹を切り出したりしながら、垣根そして恐らくは壁や屋根などもきれいに修繕してくれたのである。暑い中、細かな注文を聞きながら、よく辛抱して働いてくれたことに杜甫は感激して、《1907_伐木を課す》という詩を作った。

1.-2 【序について】この詩には難解と評される「序」があり詩もきわめて長い。

杜甫が使用人を使うときには、この時代には珍しく、それなりの節度を持って接している。

課隸人伯夷・辛秀・信行等、 隷人(レイジン)の伯夷・辛秀・信行等に日課としてこの詩からたことがわかる。そこに彼の人道的な精神が見て取れるようである。たとえば、「早朝から彼らに腹一杯食べさせ」「ノルマは一人四本かついでくるだけ、昼どきには山麓に下ってくる」という三、七八句目の言い方。王嗣奭も、それについては「其の人の力を用いるを見るに、労して節有り」(『杜臆増校』巻七)という。

 この詩はそもそも、使用人たちの働きぶりに杜甫が感謝し、その功績を顕彰したものである。それがよく表現されているのは、たとえば第九、十句目。「昼時にはもう下山してよいことになっているのに、なおカーンカーンと聞こえてくるが、それは一日のノルマは終わっているのに、追加で彼らはさらに勤勉にやっているのだ」という部分であろう。これについては、すでに浦起竜が「蓋し其の僕の勤むるを賛(たた)う」(巻一之四)と言い、黄生が「其の事に趨(おもむ)くに勤なるを見るなり」(巻二)と指摘している。

 詩の末尾で、「秋の気配が近づけばやがて菊酒を飲む時節だ。ひんやりと寒さを感じる時期ともなれば、お前たちにねぎらいとして一斛の酒を進ぜよう」と言う。重陽の節句には、酒を与えて彼らを慰労することを約束しているのである。

 使用人に仕事を課すという詩の結句で、たっぷりとした酒で報酬を約束するというひととなりがおもしろい。

 

爾曹輕執熱,為我忍煩促。

おまえたち全員は炎天の熱さを冒してなんともおもわず自分のためにうるさき気持ちを我慢して働いて、秋までに仕上げること。

66. 爾曹 下僕の者全員。

67. 輕執熱 暑い盛りに炎天下で作業をすることを軽々とこなす。

68 忍煩促 心せわしく、うるさく言って行う。期限が秋になるまでにということで、休むことなく働くことを言う。

 

秋光近青岑,季月當泛菊。

青いに秋げしきも近づいていて、九月ともなり、その時こそ、酒づきに菊の花をうかべて飲ませてあげよう。

69 季月當泛菊 ちょうどそのころは、重陽の節句のころであるから、菊を酒に浮べて菊酒にしようではないか。

 

報之以微寒,共給酒一斛。

それまでの大変な苦労を伴うけれど、その時、それに対しては少しの涼しさを以て報いることにし、一斛ばかりの酒を振る舞おうと思っている。

70. 共給 回し与えるものを共にいただこう。(酒を)振る舞おうと思っている。

 

  


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杜甫  課伐木 #6

虎穴連里閭,隄防舊風俗。泊舟滄江岸,久客慎所觸。

舍西崖嶠壯,雷雨蔚含蓄。牆宇資屢修,衰年怯幽獨。

虎のすむ穴が村里につらなっているが、それをも土地の舊慣に従って防御しておられることをさんこうにすること。自分はここの大江の岸に舟を泊めているが、長逗留の客で何がこちらの舟に接触や、打ちかかってくるかについては用心しなければならぬ。自分の屋舎の西側は壮大な崖嶠がそびえていて、時として雷雨があり、そのがけには草木がしげってなかにはなにものかがかくされたり、かくれたりしている。自分の老衰の年齢では山居の孤独をおそれるので尾根や牆もたびたび修繕すすることによってはじめてそのおかげで猛獣の害から免れうるということになる。

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杜甫詩1500-1080-1553-#6/2500

作時間:767年大暦256-7-#3 

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    課伐木

詩序:    并序

課隸人伯夷、幸秀【辛秀】、信行等入谷斬陰木。

人日四根止,維條伊枚,正直挺然。

晨征暮返,委積庭,我有藩籬,是缺是補,載伐篠

伊仗支持【伊杖支持】,則旅次於小安。

山有虎知禁,若恃爪牙之利,必昏黑突【必昏黑撐突】【必昏黑搪突】。

夔人屋壁,列樹白菊【例樹白菊】【例樹白萄】【列樹白萄】,鏝為牆,實以竹,示式遏,為與虎近,混淪乎無良賓客憂【混淪乎無良賓客齒】。

害馬之徒,苟活為幸,可默息已,作詩示宗武誦【作詩示宗文誦】。

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:白谷 (山南東道 夔州 巫山)              

 

 

課伐木 幷序#1

(下僕たちに日課として木を伐って、竹をゆわせて籬作り、虎防護柵をつくらせたをことをよんだ詩。)

課隸人伯夷、幸秀【辛秀】、信行等入谷斬陰木。

下僕使用人の伯夷、幸秀【辛秀】、信行等に谷あいに入ってきた面に生えている木を切ってくるように作業を課した。

人日四根止,維條伊枚,正直挺然。

各人一日に根っこから切り出すのは四本とし、幹を残して牧枝と條枝を切り落として幹だけにする、それでまっすぐな木にしなさい。

晨征暮返,委積庭,我有藩籬,是缺是補,載伐篠

夜明けにはその木のところに行き、日暮れに帰ってきなさい、そして切りそろえた木を地面において積み上げ、我が家の籬の材料にすること、今ある垣根の欠けたところに、そのために切ったり補足したりすること、それに、補足するものとして、即ちその補足材には篠竹や大竹を使いなさい。

伊仗支持,則旅次於小安。

斬木を杙とし竹を竪横にして遮護すること、即ち、この屋に泊まりに来ても安心な垣根にして安心できるようにすることにある。

幷序#2

山有虎知禁,若恃爪牙之利,必昏黑突。

山には虎がいて危険であるということがわかっている、だから、その虎どもにこの垣根が禁制であることがわかるであろう、もしこの虎が爪や牙のするどさを恃んだときには、きっとたそがれどきにはこちらへだしぬけに突き出してくるであろう、すると間違いなく暗黒の世界に落とされる。それを防ぐのである。

夔人屋壁,列樹白菊,鏝為牆,實以竹,示式遏。

夔州では民家の屋壁には茨のとげの白萄をつらねで植え、また中心には竹をつめて、外を泥で、鏝ぬりにし、墻牆をこしらえて虎の防御柵を見せておくのである。

為與虎近,混淪乎無良賓客憂。

もともとこの夔州瀼西の地の住居には虎が接近してきたり、うら山にいる、それに盗賊や悪漢と雑居共存しているために、来客や大切な人も心配することがないようにする。

害馬之徒,苟活為幸,可默息已,作詩示宗武誦。

牧人の馬を害する様な盗賊のことが心配になるだけで、なにもしなければ、ただ苛めにも活きてさえいられれば幸いだという様なことであり、このままではまことになげかわしいというだけのことである。だからこの課題を絶対やり遂げるように。それでこの詩を作って、この課題を息子の宗武に作業前にこれを吟誦させて開始するように言いつけさせたのである。

(伐木を課す 幷序)#1

隸人 伯夷、幸秀【辛秀】、信行等に課し 谷に入り陰木を斬らしむ。

人ごとに 日ごとに 四根にして止み,維れ條 伊れ枚,正に直くして 挺然たり。

晨に征きて暮に返り,庭委積し,我に藩籬有り,是に缺け是に補い,載ち篠伐る。

伊れに仗りて支持すれば,則ち 旅次 小しく安ぜん。

幷序#2

山に 虎有るも禁を知らん,若し爪牙の利を恃まば,必ず昏黑に突せん。

夔人の屋壁には,白菊を列樹し,鏝して牆を為り,實つるに竹を以てし,式遏を示す。

虎と近く,無良に混淪たるが為に 賓客は憂う。

害馬の徒,苟しくも活くるを幸と為し,默息し已む可し,詩を作りて宗武に示して誦せしむ。

課伐木 #3(下僕たちに日課として木を伐って、竹をゆわせて籬作り、虎防護柵をつくらせたことをよんだ詩。)

長夏無所為,客居課奴僕。

日の長い夏になにもすることがないので、この居は虎が出るので落ち着かず、いつも旅住まいでいるから、下僕に日課をあたえた。

清晨飯其腹,持斧入白谷。

朝早く彼等に御飯を腹いっぱいたべさせて、斧を持って、遊ぶにはもってこいの白谷へはいらせる。

青冥曾後,十里斬陰木。

彼等は青空につづくたかくかさなった山巓(赤甲山)の北へでて十里のー遠くへでかけて山陰の木を斬ること、

(伐木を課す) #3

長夏 為す所無し,客居 奴僕に課す。

清晨 其の腹に飯せしめて,斧を持して白谷に入れよ。

青冥 曾後,十里 陰木を斬れ
#4

人肩四根已,亭午下山麓。

一人毎四株だけのきめである、それをかついで彼等は眞昼頃こちらの山麓へと下りて来ること。

尚聞丁丁聲,功課日各足。

そのころまだコーンコーンと斧で木を伐る聲をさせて作業し、きめられた仕事だけは毎日それぞれ十分になしとげること。

蒼皮成委積,素節相照燭。

それで蒼い木の皮はうず高く積みあげること、素い節とふしをとがらせて互に照り輝くくらいにすること。 

藉汝跨小籬,當仗苦虛竹。

汝等の持っている能力を発揮し、真壁をきちんと構築すること、それにあたっては竹木舞を作るために、細い竹、太い竹を細く割くこと、それを組み合わせ、縦横に編み込み結びこむこと。

人肩 四根のみ,亭午山麓に下る。

尚お丁丁たる聲を聞く,功課 日びに各おの足る。

蒼皮 委積を成し,素節 相い照燭す。

汝に藉りて小籬を跨らす,當に仗るべし 竹を苦虛するを。
#5

空荒咆熊羆,乳獸待人肉。

ここのさびしい山谷には熊や羆がほえ、子もちの虎が人の肉をたべようと待っている。

不示知禁情,豈惟干戈哭。

もしこの猛獣どもにこちらにそれをさしとめるだけの心があるということを見せることができなかったなら、われわれは戦死者のために哭することのほかに獣害のために哭すことになってしまうということ。

城中賢府主,處貴如白屋。

いま我が夔州城中の賢い主人の柏公は、貴い地位にいるのに、白屋に住んで貧居のときのごとく、さわがしくせずいる。

蕭蕭理體淨,蜂蠆不敢毒。

しずかにして政治のすがた清浄、潔白な施政であり、躊躇している虎より、蜂蠆の梁の方が怖いといわれるが、この防御柵の目的は、あえて蜂蠆の毒などは問題ない。

#5

空荒に熊羆咆ゆ,乳獸人肉を待つ。

禁を知らしむるの情を示さずんば,豈に惟だ干戈に哭するのみならむや。

城中 賢府の主,貴に處ること白屋の如し。

蕭蕭 理體 淨し,蜂蠆【ほうたい】敢えて毒せず。

#6

虎穴連里閭,隄防舊風俗。

虎のすむ穴が村里につらなっているが、それをも土地の舊慣に従って防御しておられることをさんこうにすること。

泊舟滄江岸,久客慎所觸。

自分はここの大江の岸に舟を泊めているが、長逗留の客で何がこちらの舟に接触や、打ちかかってくるかについては用心しなければならぬ。

舍西崖嶠壯,雷雨蔚含蓄。

自分の屋舎の西側は壮大な崖嶠がそびえていて、時として雷雨があり、そのがけには草木がしげってなかにはなにものかがかくされたり、かくれたりしている。

牆宇資屢修,衰年怯幽獨。

自分の老衰の年齢では山居の孤独をおそれるので尾根や牆もたびたび修繕すすることによってはじめてそのおかげで猛獣の害から免れうるということになる。

#6

虎穴 里閭に連りも,隄防 舊風俗をもってす。

泊舟 滄江の岸,久客 觸す所を慎む。

舍 西に崖嶠 壯ん,雷 雨に蔚として含蓄す。

牆宇 屢しば修するを資け,衰年 幽獨を怯る。

#7

爾曹輕執熱,為我忍煩促。

秋光近青岑,季月當泛菊。

報之以微寒,共給酒一斛。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

『課伐木 幷序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#6

虎穴連里閭,隄防舊風俗。

泊舟滄江岸,久客慎所觸。

舍西崖嶠壯,雷雨蔚含蓄。

牆宇資屢修,衰年怯幽獨。

(含異文)
虎穴連里閭,隄防舊風俗。

泊舟滄江岸,久客慎所觸。舍西崖嶠壯,雷雨蔚含蓄。

牆宇資屢修【牆宇資累修】,衰年怯幽獨。爾曹輕執熱,為我忍煩促。

秋光近青岑,季月當泛菊。報之以微寒,共給酒一斛。


(下し文)
#6

虎穴 里閭に連りも,隄防 舊風俗をもってす。

泊舟 滄江の岸,久客 觸す所を慎む。

舍 西に崖嶠 壯ん,雷 雨に蔚として含蓄す。

牆宇 屢しば修するを資け,衰年 幽獨を怯る。

(現代語訳)
#6

虎のすむ穴が村里につらなっているが、それをも土地の舊慣に従って防御しておられることをさんこうにすること。

自分はここの大江の岸に舟を泊めているが、長逗留の客で何がこちらの舟に接触や、打ちかかってくるかについては用心しなければならぬ。

自分の屋舎の西側は壮大な崖嶠がそびえていて、時として雷雨があり、そのがけには草木がしげってなかにはなにものかがかくされたり、かくれたりしている。

自分の老衰の年齢では山居の孤独をおそれるので尾根や牆もたびたび修繕すすることによってはじめてそのおかげで猛獣の害から免れうるということになる。


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767年-7-#5杜甫 《19-07 課伐木》#5 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-7-#5 <1079> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7075

杜甫  課伐木 #5

空荒咆熊羆,乳獸待人肉。不示知禁情,豈惟干戈哭。

城中賢府主,處貴如白屋。蕭蕭理體淨,蜂蠆不敢毒。

ここのさびしい山谷には熊や羆がほえ、子もちの虎が人の肉をたべようと待っている。もしこの猛獣どもにこちらにそれをさしとめるだけの心があるということを見せることができなかったなら、われわれは戦死者のために哭することのほかに獣害のために哭すことになってしまうということ。いま我が夔州城中の賢い主人の柏公は、貴い地位にいるのに、白屋に住んで貧居のときのごとく、さわがしくせずいる。しずかにして政治のすがた清浄、潔白な施政であり、躊躇している虎より、蜂蠆の梁の方が怖いといわれるが、この防御柵の目的は、あえて蜂蠆の毒などは問題ない。

767-7-#5杜甫 19-07 課伐木》#5 杜甫詩index-15-767年大暦256-7-#5 <1079 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7075

 

 
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杜甫詩1500-1079-1553-#5/2500

作時間:767年大暦256-7-#3 

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    課伐木

詩序:    并序

課隸人伯夷、幸秀【辛秀】、信行等入谷斬陰木。

人日四根止,維條伊枚,正直挺然。

晨征暮返,委積庭,我有藩籬,是缺是補,載伐篠

伊仗支持【伊杖支持】,則旅次於小安。

山有虎知禁,若恃爪牙之利,必昏黑突【必昏黑撐突】【必昏黑搪突】。

夔人屋壁,列樹白菊【例樹白菊】【例樹白萄】【列樹白萄】,鏝為牆,實以竹,示式遏,為與虎近,混淪乎無良賓客憂【混淪乎無良賓客齒】。

害馬之徒,苟活為幸,可默息已,作詩示宗武誦【作詩示宗文誦】。

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:白谷 (山南東道 夔州 巫山)              

 

 

課伐木 幷序#1

(下僕たちに日課として木を伐って、竹をゆわせて籬作り、虎防護柵をつくらせたをことをよんだ詩。)

課隸人伯夷、幸秀【辛秀】、信行等入谷斬陰木。

下僕使用人の伯夷、幸秀【辛秀】、信行等に谷あいに入ってきた面に生えている木を切ってくるように作業を課した。

人日四根止,維條伊枚,正直挺然。

各人一日に根っこから切り出すのは四本とし、幹を残して牧枝と條枝を切り落として幹だけにする、それでまっすぐな木にしなさい。

晨征暮返,委積庭,我有藩籬,是缺是補,載伐篠

夜明けにはその木のところに行き、日暮れに帰ってきなさい、そして切りそろえた木を地面において積み上げ、我が家の籬の材料にすること、今ある垣根の欠けたところに、そのために切ったり補足したりすること、それに、補足するものとして、即ちその補足材には篠竹や大竹を使いなさい。

伊仗支持,則旅次於小安。

斬木を杙とし竹を竪横にして遮護すること、即ち、この屋に泊まりに来ても安心な垣根にして安心できるようにすることにある。

幷序#2

山有虎知禁,若恃爪牙之利,必昏黑突。

山には虎がいて危険であるということがわかっている、だから、その虎どもにこの垣根が禁制であることがわかるであろう、もしこの虎が爪や牙のするどさを恃んだときには、きっとたそがれどきにはこちらへだしぬけに突き出してくるであろう、すると間違いなく暗黒の世界に落とされる。それを防ぐのである。

夔人屋壁,列樹白菊,鏝為牆,實以竹,示式遏。

夔州では民家の屋壁には茨のとげの白萄をつらねで植え、また中心には竹をつめて、外を泥で、鏝ぬりにし、墻牆をこしらえて虎の防御柵を見せておくのである。

為與虎近,混淪乎無良賓客憂。

もともとこの夔州瀼西の地の住居には虎が接近してきたり、うら山にいる、それに盗賊や悪漢と雑居共存しているために、来客や大切な人も心配することがないようにする。

害馬之徒,苟活為幸,可默息已,作詩示宗武誦。

牧人の馬を害する様な盗賊のことが心配になるだけで、なにもしなければ、ただ苛めにも活きてさえいられれば幸いだという様なことであり、このままではまことになげかわしいというだけのことである。だからこの課題を絶対やり遂げるように。それでこの詩を作って、この課題を息子の宗武に作業前にこれを吟誦させて開始するように言いつけさせたのである。

(伐木を課す 幷序)#1

隸人 伯夷、幸秀【辛秀】、信行等に課し 谷に入り陰木を斬らしむ。

人ごとに 日ごとに 四根にして止み,維れ條 伊れ枚,正に直くして 挺然たり。

晨に征きて暮に返り,庭委積し,我に藩籬有り,是に缺け是に補い,載ち篠伐る。

伊れに仗りて支持すれば,則ち 旅次 小しく安ぜん。

幷序#2

山に 虎有るも禁を知らん,若し爪牙の利を恃まば,必ず昏黑に突せん。

夔人の屋壁には,白菊を列樹し,鏝して牆を為り,實つるに竹を以てし,式遏を示す。

虎と近く,無良に混淪たるが為に 賓客は憂う。

害馬の徒,苟しくも活くるを幸と為し,默息し已む可し,詩を作りて宗武に示して誦せしむ。

課伐木 #3(下僕たちに日課として木を伐って、竹をゆわせて籬作り、虎防護柵をつくらせたことをよんだ詩。)

長夏無所為,客居課奴僕。

日の長い夏になにもすることがないので、この居は虎が出るので落ち着かず、いつも旅住まいでいるから、下僕に日課をあたえた。

清晨飯其腹,持斧入白谷。

朝早く彼等に御飯を腹いっぱいたべさせて、斧を持って、遊ぶにはもってこいの白谷へはいらせる。

青冥曾後,十里斬陰木。

彼等は青空につづくたかくかさなった山巓(赤甲山)の北へでて十里のー遠くへでかけて山陰の木を斬ること、

(伐木を課す) #3

長夏 為す所無し,客居 奴僕に課す。

清晨 其の腹に飯せしめて,斧を持して白谷に入れよ。

青冥 曾後,十里 陰木を斬れ
#4

人肩四根已,亭午下山麓。

一人毎四株だけのきめである、それをかついで彼等は眞昼頃こちらの山麓へと下りて来ること。

尚聞丁丁聲,功課日各足。

そのころまだコーンコーンと斧で木を伐る聲をさせて作業し、きめられた仕事だけは毎日それぞれ十分になしとげること。

蒼皮成委積,素節相照燭。

それで蒼い木の皮はうず高く積みあげること、素い節とふしをとがらせて互に照り輝くくらいにすること。 

藉汝跨小籬,當仗苦虛竹。

汝等の持っている能力を発揮し、真壁をきちんと構築すること、それにあたっては竹木舞を作るために、細い竹、太い竹を細く割くこと、それを組み合わせ、縦横に編み込み結びこむこと。

人肩 四根のみ,亭午山麓に下る。

尚お丁丁たる聲を聞く,功課 日びに各おの足る。

蒼皮 委積を成し,素節 相い照燭す。

汝に藉りて小籬を跨らす,當に仗るべし 竹を苦虛するを。
#5

空荒咆熊羆,乳獸待人肉。

ここのさびしい山谷には熊や羆がほえ、子もちの虎が人の肉をたべようと待っている。

不示知禁情,豈惟干戈哭。

もしこの猛獣どもにこちらにそれをさしとめるだけの心があるということを見せることができなかったなら、われわれは戦死者のために哭することのほかに獣害のために哭すことになってしまうということ。

城中賢府主,處貴如白屋。

いま我が夔州城中の賢い主人の柏公は、貴い地位にいるのに、白屋に住んで貧居のときのごとく、さわがしくせずいる。

蕭蕭理體淨,蜂蠆不敢毒。

しずかにして政治のすがた清浄、潔白な施政であり、躊躇している虎より、蜂蠆の梁の方が怖いといわれるが、この防御柵の目的は、あえて蜂蠆の毒などは問題ない。

#5

空荒に熊羆咆ゆ,乳獸人肉を待つ。

禁を知らしむるの情を示さずんば,豈に惟だ干戈に哭するのみならむや。

城中 賢府の主,貴に處ること白屋の如し。

蕭蕭 理體 淨し,蜂蠆【ほうたい】敢えて毒せず。

#6

虎穴連里閭,隄防舊風俗。

泊舟滄江岸,久客慎所觸。

舍西崖嶠壯,雷雨蔚含蓄。

牆宇資屢修,衰年怯幽獨。

#7

爾曹輕執熱,為我忍煩促。

秋光近青岑,季月當泛菊。

報之以微寒,共給酒一斛。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

『課伐木 幷序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#5

空荒咆熊羆,乳獸待人肉。

不示知禁情,豈惟干戈哭。

城中賢府主,處貴如白屋。

蕭蕭理體淨,蜂蠆不敢毒。
詩文(含異文)

空荒咆熊羆,乳獸待人肉。

不示知禁情,豈惟干戈哭。城中賢府主【案:當是柏都督茂琳。】,處貴如白屋。

蕭蕭理體淨,蜂蠆不敢毒。


(下し文)
#5

空荒に熊羆咆ゆ,乳獸人肉を待つ。

禁を知らしむるの情を示さずんば,豈に惟だ干戈に哭するのみならむや。

城中 賢府の主,貴に處ること白屋の如し。

蕭蕭 理體 淨し,蜂蠆【ほうたい】敢えて毒せず。

(現代語訳)
#5

ここのさびしい山谷には熊や羆がほえ、子もちの虎が人の肉をたべようと待っている。

もしこの猛獣どもにこちらにそれをさしとめるだけの心があるということを見せることができなかったなら、われわれは戦死者のために哭することのほかに獣害のために哭すことになってしまうということ。

いま我が夔州城中の賢い主人の柏公は、貴い地位にいるのに、白屋に住んで貧居のときのごとく、さわがしくせずいる。

しずかにして政治のすがた清浄、潔白な施政であり、躊躇している虎より、蜂蠆の梁の方が怖いといわれるが、この防御柵の目的は、あえて蜂蠆の毒などは問題ない。

夔州東川卜居図詳細 002
(訳注) #5

課伐木 幷序 #5

(下僕たちに日課として木を伐って、竹をゆわせて籬作り、虎防護柵をつくらせたことをよんだ詩。)

1-1【解説】夔州に来て二年目の夏、杜甫は虎の防御用の垣根が壊れているのを修理しようとして、三人の使用人に仕事を与えた。朝早くから遠く山越えをして、谷間から一日一人四株の木を切って、担ぎ出してくるのをノルマとした。彼らはその仕事を誠実にこなした。ほかにも竹を切り出したりしながら、垣根そして恐らくは壁や屋根などもきれいに修繕してくれたのである。暑い中、細かな注文を聞きながら、よく辛抱して働いてくれたことに杜甫は感激して、《1907_伐木を課す》という詩を作った。

 (1)-2 【序について】この詩には難解と評される「序」があり詩もきわめて長い。

杜甫が使用人を使うときには、この時代には珍しく、それなりの節度を持って接している。

課隸人伯夷・辛秀・信行等、 隷人(レイジン)の伯夷・辛秀・信行等に日課として

この詩からたことがわかる。そこに彼の人道的な精神が見て取れるようである。たとえば、「早朝から彼らに腹一杯食べさせ」「ノルマは一人四本かついでくるだけ、昼どきには山麓に下ってくる」という三、七八句目の言い方。王嗣奭も、それについては「其の人の力を用いるを見るに、労して節有り」(『杜臆増校』巻七)という。

 この詩はそもそも、使用人たちの働きぶりに杜甫が感謝し、その功績を顕彰したものである。それがよく表現されているのは、たとえば第九、十句目。「昼時にはもう下山してよいことになっているのに、なおカーンカーンと聞こえてくるが、それは一日のノルマは終わっているのに、追加で彼らはさらに勤勉にやっているのだ」という部分であろう。これについては、すでに浦起竜が「蓋し其の僕の勤むるを賛(たた)う」(巻一之四)と言い、黄生が「其の事に趨(おもむ)くに勤なるを見るなり」(巻二)と指摘している。

 詩の末尾で、「秋の気配が近づけばやがて菊酒を飲む時節だ。ひんやりと寒さを感じる時期ともなれば、お前たちにねぎらいとして一斛の酒を進ぜよう」と言う。重陽の節句には、酒を与えて彼らを慰労することを約束しているのである。

 使用人に仕事を課すという詩の結句で、たっぷりとした酒で報酬を約束するというひととなりがおもしろい。

 

空荒咆熊羆,乳獸待人肉。

ここのさびしい山谷には熊や羆がほえ、子もちの虎が人の肉をたべようと待っている。

43 空荒 空谷荒山、ここのさびしい山谷をいう。

44. 咆熊羆 熊と羆が,ほえる。咆とは、野獣がほえるという意味。

45. 乳獸 子供を産んで獰猛さが増している猛獣、この場合虎をいう。

 

不示知禁情,豈惟干戈哭。

もしこの猛獣どもにこちらにそれをさしとめるだけの心があるということを見せることができなかったなら、われわれは戦死者のために哭することのほかに獣害のために哭すことになってしまうということ。

46. 知禁情 この作業をしてこちら側には防御策を作ったということを戸谷氏ら占めるという感情があるということをいう。

47. 豈惟干戈哭 戦死者のために哭することのほかに獣害のために殺されて哭することをふせぐために果さなければならない。

 

城中賢府主,處貴如白屋。

いま我が夔州城中の賢い主人の柏公は、貴い地位にいるのに、白屋に住んで貧居のときのごとく、さわがしくせずいる。

48. 賢府主 夔州城中の賢い主人の柏公のこと。

49. 白屋 白茅を屋根に葺いた家。貧家。

 

蕭蕭理體淨,蜂蠆不敢毒。

しずかにして政治のすがた清浄、潔白な施政であり、躊躇している虎より、蜂蠆の梁の方が怖いといわれるが、この防御柵の目的は、あえて蜂蠆の毒などは問題ない。

50. 蕭蕭 しずかなるさま。

51. 理體淨 理は治、體は政治の体制、施政、淨は清浄、潔白。

52. 蜂蠆 《史記、淮陰侯伝》猛虎はどんなに強くても、ためらっていては、蜂やサソリがちくりと刺すのにも及ばない。力ある者でも決断力がなく実行しなければ、無力でなんの役にも立たない。

「猛虎之猶予、不若蜂蠆之致螫、騏驥之跼躅不如駑馬之安歩孟賁之狐疑、不如庸夫之必至也、雖有舜禹之知吟而不言、不如瘖聾之指麾也」(「猛虎の猶予、蜂蠆の螫を致すに若かず、騏驥の跼躅するは 駑馬の安歩するに如かず孟賁の狐疑するは、庸夫の必ず至るに如かず也、舜禹の知る有ると雖も吟じて言わず、瘖聾の指麾するに如かず也」) 

 


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杜甫   課伐木 #4

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  2015年12月15日 の紀頌之5つのBlog  
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杜甫詩1500-1078-1553-#4/2500

作時間:767年大暦256-7-#3 

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    課伐木

詩序:    并序

課隸人伯夷、幸秀【辛秀】、信行等入谷斬陰木。

人日四根止,維條伊枚,正直挺然。

晨征暮返,委積庭,我有藩籬,是缺是補,載伐篠

伊仗支持【伊杖支持】,則旅次於小安。

山有虎知禁,若恃爪牙之利,必昏黑突【必昏黑撐突】【必昏黑搪突】。

夔人屋壁,列樹白菊【例樹白菊】【例樹白萄】【列樹白萄】,鏝為牆,實以竹,示式遏,為與虎近,混淪乎無良賓客憂【混淪乎無良賓客齒】。

害馬之徒,苟活為幸,可默息已,作詩示宗武誦【作詩示宗文誦】。

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:白谷 (山南東道 夔州 巫山)              

 

 

課伐木 幷序#1

(下僕たちに日課として木を伐って、竹をゆわせて籬作り、虎防護柵をつくらせたをことをよんだ詩。)

課隸人伯夷、幸秀【辛秀】、信行等入谷斬陰木。

下僕使用人の伯夷、幸秀【辛秀】、信行等に谷あいに入ってきた面に生えている木を切ってくるように作業を課した。

人日四根止,維條伊枚,正直挺然。

各人一日に根っこから切り出すのは四本とし、幹を残して牧枝と條枝を切り落として幹だけにする、それでまっすぐな木にしなさい。

晨征暮返,委積庭,我有藩籬,是缺是補,載伐篠

夜明けにはその木のところに行き、日暮れに帰ってきなさい、そして切りそろえた木を地面において積み上げ、我が家の籬の材料にすること、今ある垣根の欠けたところに、そのために切ったり補足したりすること、それに、補足するものとして、即ちその補足材には篠竹や大竹を使いなさい。

伊仗支持,則旅次於小安。

斬木を杙とし竹を竪横にして遮護すること、即ち、この屋に泊まりに来ても安心な垣根にして安心できるようにすることにある。

幷序#2

山有虎知禁,若恃爪牙之利,必昏黑突。

山には虎がいて危険であるということがわかっている、だから、その虎どもにこの垣根が禁制であることがわかるであろう、もしこの虎が爪や牙のするどさを恃んだときには、きっとたそがれどきにはこちらへだしぬけに突き出してくるであろう、すると間違いなく暗黒の世界に落とされる。それを防ぐのである。

夔人屋壁,列樹白菊,鏝為牆,實以竹,示式遏。

夔州では民家の屋壁には茨のとげの白萄をつらねで植え、また中心には竹をつめて、外を泥で、鏝ぬりにし、墻牆をこしらえて虎の防御柵を見せておくのである。

為與虎近,混淪乎無良賓客憂。

もともとこの夔州瀼西の地の住居には虎が接近してきたり、うら山にいる、それに盗賊や悪漢と雑居共存しているために、来客や大切な人も心配することがないようにする。

害馬之徒,苟活為幸,可默息已,作詩示宗武誦。

牧人の馬を害する様な盗賊のことが心配になるだけで、なにもしなければ、ただ苛めにも活きてさえいられれば幸いだという様なことであり、このままではまことになげかわしいというだけのことである。だからこの課題を絶対やり遂げるように。それでこの詩を作って、この課題を息子の宗武に作業前にこれを吟誦させて開始するように言いつけさせたのである。

(伐木を課す 幷序)#1

隸人 伯夷、幸秀【辛秀】、信行等に課し 谷に入り陰木を斬らしむ。

人ごとに 日ごとに 四根にして止み,維れ條 伊れ枚,正に直くして 挺然たり。

晨に征きて暮に返り,庭委積し,我に藩籬有り,是に缺け是に補い,載ち篠伐る。

伊れに仗りて支持すれば,則ち 旅次 小しく安ぜん。

幷序#2

山に 虎有るも禁を知らん,若し爪牙の利を恃まば,必ず昏黑に突せん。

夔人の屋壁には,白菊を列樹し,鏝して牆を為り,實つるに竹を以てし,式遏を示す。

虎と近く,無良に混淪たるが為に 賓客は憂う。

害馬の徒,苟しくも活くるを幸と為し,默息し已む可し,詩を作りて宗武に示して誦せしむ。

課伐木 #3(下僕たちに日課として木を伐って、竹をゆわせて籬作り、虎防護柵をつくらせたことをよんだ詩。)

長夏無所為,客居課奴僕。

日の長い夏になにもすることがないので、この居は虎が出るので落ち着かず、いつも旅住まいでいるから、下僕に日課をあたえた。

清晨飯其腹,持斧入白谷。

朝早く彼等に御飯を腹いっぱいたべさせて、斧を持って、遊ぶにはもってこいの白谷へはいらせる。

青冥曾後,十里斬陰木。

青冥曾後,十里斬陰木。

彼等は青空につづくたかくかさなった山巓(赤甲山)の北へでて十里のー遠くへでかけて山陰の木を斬ること、

(伐木を課す) #3

長夏 為す所無し,客居 奴僕に課す。

清晨 其の腹に飯せしめて,斧を持して白谷に入れよ。

青冥 曾後,十里 陰木を斬れ
#4

人肩四根已,亭午下山麓。

一人毎四株だけのきめである、それをかついで彼等は眞昼頃こちらの山麓へと下りて来ること。

尚聞丁丁聲,功課日各足。

そのころまだコーンコーンと斧で木を伐る聲をさせて作業し、きめられた仕事だけは毎日それぞれ十分になしとげること。

蒼皮成委積,素節相照燭。

それで蒼い木の皮はうず高く積みあげること、素い節とふしをとがらせて互に照り輝くくらいにすること。 

藉汝跨小籬,當仗苦虛竹。

汝等の持っている能力を発揮し、真壁をきちんと構築すること、それにあたっては竹木舞を作るために、細い竹、太い竹を細く割くこと、それを組み合わせ、縦横に編み込み結びこむこと。

人肩 四根のみ,亭午山麓に下る。

尚お丁丁たる聲を聞く,功課 日びに各おの足る。

蒼皮 委積を成し,素節 相い照燭す。

汝に藉りて小籬を跨らす,當に仗るべし 竹を苦虛するを。

#5

空荒咆熊羆,乳獸待人肉。

不示知禁情,豈惟干戈哭。

城中賢府主,處貴如白屋。

蕭蕭理體淨,蜂蠆不敢毒。

#6

虎穴連里閭,隄防舊風俗。

泊舟滄江岸,久客慎所觸。

舍西崖嶠壯,雷雨蔚含蓄。

牆宇資屢修,衰年怯幽獨。

#7

爾曹輕執熱,為我忍煩促。

秋光近青岑,季月當泛菊。

報之以微寒,共給酒一斛。

夔州東川卜居図詳細 002 

 

『課伐木 幷序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

人肩四根已,亭午下山麓。

尚聞丁丁聲,功課日各足。

蒼皮成委積,素節相照燭。

藉汝跨小籬,當仗苦虛竹。

(下し文)

#4

人肩 四根のみ,亭午山麓に下る。

尚お丁丁たる聲を聞く,功課 日びに各おの足る。

蒼皮 委積を成し,素節 相い照燭す。

汝に藉りて小籬を跨らす,當に仗るべし 竹を苦虛するを。

(現代語訳)
#4

一人毎四株だけのきめである、それをかついで彼等は眞昼頃こちらの山麓へと下りて来ること。

そのころまだコーンコーンと斧で木を伐る聲をさせて作業し、きめられた仕事だけは毎日それぞれ十分になしとげること。

それで蒼い木の皮はうず高く積みあげること、素い節とふしをとがらせて互に照り輝くくらいにすること。 

汝等の持っている能力を発揮し、真壁をきちんと構築すること、それにあたっては竹木舞を作るために、細い竹、太い竹を細く割くこと、それを組み合わせ、縦横に編み込み結びこむこと。


(訳注) #4

課伐木 幷序 #3

(下僕たちに日課として木を伐って、竹をゆわせて籬作り、虎防護柵をつくらせたことをよんだ詩。)

1-1【解説】夔州に来て二年目の夏、杜甫は虎の防御用の垣根が壊れているのを修理しようとして、三人の使用人に仕事を与えた。朝早くから遠く山越えをして、谷間から一日一人四株の木を切って、担ぎ出してくるのをノルマとした。彼らはその仕事を誠実にこなした。ほかにも竹を切り出したりしながら、垣根そして恐らくは壁や屋根などもきれいに修繕してくれたのである。暑い中、細かな注文を聞きながら、よく辛抱して働いてくれたことに杜甫は感激して、《1907_伐木を課す》という詩を作った。

 (1)-2 【序について】この詩には難解と評される「序」があり詩もきわめて長い。

杜甫が使用人を使うときには、この時代には珍しく、それなりの節度を持って接している。

課隸人伯夷・辛秀・信行等、 隷人(レイジン)の伯夷・辛秀・信行等に日課として

この詩からたことがわかる。そこに彼の人道的な精神が見て取れるようである。たとえば、「早朝から彼らに腹一杯食べさせ」「ノルマは一人四本かついでくるだけ、昼どきには山麓に下ってくる」という三、七八句目の言い方。王嗣奭も、それについては「其の人の力を用いるを見るに、労して節有り」(『杜臆増校』巻七)という。

 この詩はそもそも、使用人たちの働きぶりに杜甫が感謝し、その功績を顕彰したものである。それがよく表現されているのは、たとえば第九、十句目。「昼時にはもう下山してよいことになっているのに、なおカーンカーンと聞こえてくるが、それは一日のノルマは終わっているのに、追加で彼らはさらに勤勉にやっているのだ」という部分であろう。これについては、すでに浦起竜が「蓋し其の僕の勤むるを賛(たた)う」(巻一之四)と言い、黄生が「其の事に趨(おもむ)くに勤なるを見るなり」(巻二)と指摘している。

 詩の末尾で、「秋の気配が近づけばやがて菊酒を飲む時節だ。ひんやりと寒さを感じる時期ともなれば、お前たちにねぎらいとして一斛の酒を進ぜよう」と言う。重陽の節句には、酒を与えて彼らを慰労することを約束しているのである。

 使用人に仕事を課すという詩の結句で、たっぷりとした酒で報酬を約束するというひととなりがおもしろい。

 

人肩四根已,亭午下山麓。

一人毎四株だけのきめである、それをかついで彼等は眞昼頃こちらの山麓へと下りて来ること。

32 人肩 一人の肩に担いで約6kmの山道を下りてくるという意味でノルマ、限度の量を設定する。

33 四根已 4株が限度として、確実に守れ。

34 下山麓 木を切って肩に担いでこの家の庭まで持って降りてくること。

 

尚聞丁丁聲,功課日各足。

そのころまだコーンコーンと斧で木を伐る聲をさせて作業し、きめられた仕事だけは毎日それぞれ十分になしとげること。

35 丁丁 斧で伐木する音。

36 功課 割り当ての仕事。

37 日各足。毎日各人が間違いなく仕事をすること。

 

蒼皮成委積,素節相照燭。

それで蒼い木の皮はうず高く積みあげること、素い節とふしをとがらせて互に照り輝くくらいにすること。 

38 蒼皮成委積 猿滑の木のように皮をむいたのでそれを積み上げる。

39 素節 白く剥かれた木を棘のようにとがらせその小口が日に照らされて耀く。

 

藉汝跨小籬,當仗苦虛竹。

汝等の持っている能力を発揮し、真壁をきちんと構築すること、それにあたっては竹木舞を作るために、細い竹、太い竹を細く割くこと、それを組み合わせ、縦横に編み込み結びこむこと。

40 藉汝 下僕たちは自分の持っている能力を活用して~をうまくやる。汝は課題を与えられた下僕たち。藉:①あとで返してもらう約束で一時的に品物・金を他人に渡したり使わせたりする。 ②自分の知恵や能力を,他人のために使う。③ 【仮す・藉す】仮に与える。④罪をゆるす。見逃す。仮借(かしやく)する。

41 跨小籬 垣根・防御柵を作るのに柱の間の土塀を構築する。・跨は構築する。

42 當仗苦虛竹 竹木舞を作るために、細い竹、太い竹を細く割くこと、それを組み合わせ、縦横に編み込み結びこむこと。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

課伐木 幷序  【字解】

 

1-1 【解説】夔州に来て二年目の夏、杜甫は虎の防御用の垣根が壊れているのを修理しようとして、三人の使用人に仕事を与えた。朝早くから遠く山越えをして、谷間から一日一人四株の木を切って、担ぎ出してくるのをノルマとした。彼らはその仕事を誠実にこなした。ほかにも竹を切り出したりしながら、垣根そして恐らくは壁や屋根などもきれいに修繕してくれたのである。暑い中、細かな注文を聞きながら、よく辛抱して働いてくれたことに杜甫は感激して、《1907_伐木を課す》という詩を作った。

1.-2 【序について】この詩には難解と評される「序」があり詩もきわめて長い。

杜甫が使用人を使うときには、この時代には珍しく、それなりの節度を持って接している。

課隸人伯夷・辛秀・信行等、 隷人(レイジン)の伯夷・辛秀・信行等に日課としてこの詩からたことがわかる。そこに彼の人道的な精神が見て取れるようである。たとえば、「早朝から彼らに腹一杯食べさせ」「ノルマは一人四本かついでくるだけ、昼どきには山麓に下ってくる」という三、七八句目の言い方。王嗣奭も、それについては「其の人の力を用いるを見るに、労して節有り」(『杜臆増校』巻七)という。

 この詩はそもそも、使用人たちの働きぶりに杜甫が感謝し、その功績を顕彰したものである。それがよく表現されているのは、たとえば第九、十句目。「昼時にはもう下山してよいことになっているのに、なおカーンカーンと聞こえてくるが、それは一日のノルマは終わっているのに、追加で彼らはさらに勤勉にやっているのだ」という部分であろう。これについては、すでに浦起竜が「蓋し其の僕の勤むるを賛(たた)う」(巻一之四)と言い、黄生が「其の事に趨(おもむ)くに勤なるを見るなり」(巻二)と指摘している。

 詩の末尾で、「秋の気配が近づけばやがて菊酒を飲む時節だ。ひんやりと寒さを感じる時期ともなれば、お前たちにねぎらいとして一斛の酒を進ぜよう」と言う。重陽の節句には、酒を与えて彼らを慰労することを約束しているのである。

 使用人に仕事を課すという詩の結句で、たっぷりとした酒で報酬を約束するというひととなりがおもしろい。

2.   隸人伯夷、幸秀【辛秀】、信行等 夔州という慣れない土地に移り住んで、役人たちとの社交生活にも気を使いながら、大家族の生活を病身の身に一身に背負い、自宅では鶏を飼ったり、薬草を採集したり、野菜をうえたり、蜜柑園を経営したり、米作りを請け負ったりしたことなどを述べた、一連の生活詩、農業詩である。そしてそういう農的生活を杜甫の身辺で支えたのが、杜甫が現地で私的に雇用したと思われる数名の使用人たちである。この三人に加えて、阿段、阿稽、が確認されている。

3.   陰木 山の北面に生えている木。

4.   條・枚 幹から出ている枝を枚といい、枝より出る枝を條という。

5.   挺然 他にぬきんでているさま。

6.  委積 地面において積み上げること。

7.  藩籬 1 まがき。2 藩屏(はんぺい)3 他と隔てるもの。4 学問・芸術などの糸口。初歩的な段階。

8.   篠竹・箭竹、大竹。

9.  伊仗支持 斬木を杙とし竹を竪横にして遮護することをいう。

10.則旅次於小安 ここにいう旅次の次は宿とすること、この屋は、作業小屋であったのだろう、本宅からのの作業小屋に来て安心して寝泊まりができるようにすることが目的であった。

11. 知禁 禁とは防禁物(まがき)をいうが、そのことを虎などにわからせることを言う。

12..  若恃 もし~を恃みとしている。虎が襲ってくることを言う。

13.. 必昏 間違いなく暗黒の世界に落とされる

14. 黑 だしぬけに、あるいは唐突に突進してくる。その結果真っ黒の結果になる。

15.  屋壁 竹木舞の下地を作って土壁とする。

16.  列樹白菊 枝をすべて落とさず、木の皮を向いたら木は白久美恵、枝はとげの状態にして虎が爪で上る状態にしない木の状態を言う。その木が並べて柵となることを言う。

17.  鏝為牆 土壁を鏝で鳴らして強固にきれいにすること。

18.  實以竹 竹木舞のこと。壁の芯になること。

19.  式遏 とどめ防ぐこととしなさい。防御柵としなさい。 止;阻止;制止。《詩經、大雅•民勞》「式遏寇虐,不畏明。」(式【もつ】て寇虐し,明を畏れざるを遏【や】めよ。)

20.  混淪 混雑して混ざる。盗賊、悪漢と虎などの猛獣が混雑して生活している。

21.  無良 良心のない、悪漢。

22.  賓客憂 無良に対する良民、杜甫自身を含んだ地のものでないものの訪問者、旅の者。

23.  害馬之徒 武人の悪者。謀叛を起こしたもの随い敗れ逃れて隠れ住むが、多くは盗賊、山賊になる。《莊子雜篇》“黃帝曰:「夫為天下者,則誠非吾子之事,雖然,請問為天下。」小童辭。黃帝又問。小童曰:「夫為天下者,亦奚以異乎牧馬者哉!亦去其害馬者而已矣!」”(黃帝曰く:「夫れ天下を為【おさ】むる者は,則ち誠 吾子の事に非らざると,雖も然して,天下を為むるを請問す。」小童は辭す。黃帝又た問う。小童曰く:「夫れ天下を為【おさ】むる者は,亦た奚を以ってか馬を牧するに異ならん!亦た其の馬を害する者を去らんのみ!と。)

24.  苟活為幸 自分の住まいの環境を、危害を与える虎や無良の徒輩と混じり合って住んでいるのだと述べ、そんな用心しながらのかりそめの生き方でも、現状を受け入れてなんとか幸いだと感じようとしている。そこが隠遁願望を口にするだけの他の詩人たちとの違いでもある。

25.  默息 自分の住まいの環境を、危害を与える虎や無良の徒輩と混じり合って住んでいるものたちが、悪いことしないで黙らせ、やめさせること。

26.  課奴僕 下僕に日課をあたえた。長男の宗文を通じて、隷人の伯夷・辛秀・信行等に日課をあたえたのである。

27.  其腹 下僕たちの腹を満たしてやること。

28.  白谷 夔州奉節、夔州城や白帝城の背後には、赤甲山がそびえていて、その山懐に、谷が形成され、石灰岩石の多い地系であるため、高低差が高く幅の狭い谷を造る。また霧や雨が多く、長年の雨で浸食された石灰岩の峰が屏風のような崖を作る。

《卷一五47 雨》「白壑變氣候,朱炎安在哉?」(白谷 氣候變じ,朱炎 安くに在り哉。白谷ではこれまでとは全く違う気候に変わった、少し前の燃え盛るような暑さは何処に行ったのだろう。

766年大暦元年55-31-1奉節-21 《巻15-47 -#1 杜甫index-15 杜甫<893-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5470

卷一八09 南極》「南極青山眾,西江白谷分。」南極 青山眾し,西江 白穀分かる。極南のこの地方では青山がおびただしくある。長江の西辺では白谷の支流が分かれてそそいでいる。・西江白谷分:西江は長江のこと、西とは作者の居処よりして西であることをいうのであろう。白谷は白帝城の谷、分とは江と分かれていることをいう、支流である白谷がそこで江に入るのである。杜臆にこの句を解して、「西江白谷二至リテ分力ル」といっているのは恐らくはあたらぬ、「白谷西江二重リテ分力ル」と解すべきである。

766年-144杜甫 《1809南極》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-144 <1016 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6760 

《卷二一13  白帝城樓》「翠屏宜晚對,白谷會深遊。」(翠屏晚に對し宜し,白谷 會らず深遊すべし)あの城樓のある翠屏のような崖には夕方対するのが一番良いもであり、白谷は奥の方に入り込んで遊ぶのが面白いと思うのである。

19-07 課伐木》「清晨飯其腹,持斧入白谷。」

29.  青冥 谷あいから見て空に近い高いところ。赤甲山の北側にある谷に行く。

30.  曾 地層が重なったうえの山の天辺。

31.  十里斬陰木 十里(5.8km)の遠くに行って山陰の木を切り出す。

32.  人肩 一人の肩に担いで約6kmの山道を下りてくるという意味でノルマ、限度の量を設定する。

33.  四根已 4株が限度として、確実に守れ。

34.  下山麓 木を切って肩に担いでこの家の庭まで持って降りてくること。

35.  丁丁 斧で伐木する音。

36.  功課 割り当ての仕事。

37.  日各足。毎日各人が間違いなく仕事をすること。

38.  蒼皮成委積 猿滑の木のように皮をむいたのでそれを積み上げる。

39.  素節 白く剥かれた木を棘のようにとがらせその小口が日に照らされて耀く。

40.  藉汝 下僕たちは自分の持っている能力を活用して~をうまくやる。汝は課題を与えられた下僕たち。藉:①あとで返してもらう約束で一時的に品物・金を他人に渡したり使わせたりする。 ②自分の知恵や能力を,他人のために使う。③ 【仮す・藉す】仮に与える。④罪をゆるす。見逃す。仮借(かしやく)する。

41.  跨小籬 垣根・防御柵を作るのに柱の間の土塀を構築する。・跨は構築する。

42.  當仗苦虛竹 竹木舞を作るために、細い竹、太い竹を細く割くこと、それを組み合わせ、縦横に編み込み結びこむこと。

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杜甫  課伐木 #3

長夏無所為,客居課奴僕。清晨飯其腹,持斧入白谷。青冥曾後,十里斬陰木。

日の長い夏になにもすることがないので、この居は虎が出るので落ち着かず、いつも旅住まいでいるから、下僕に日課をあたえた。

朝早く彼等に御飯を腹いっぱいたべさせて、斧を持って、遊ぶにはもってこいの白谷へはいらせる。

彼等は青空につづくたかくかさなった山巓(赤甲山)の北へでて十里のー遠くへでかけて山陰の木を斬る、

767-7-#3杜甫 19-07 課伐木》# 杜甫詩index-15-767年大暦256-7-#3 <1077 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7065 

 

 
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杜甫が夔州に滞在していたころ、虎がよく人家の近くに出没した。もともと杜甫の詩に虎はよく出てくる。とくに夔州時代の詩には、虎が人間の住居の身近にいる状況を描くものが多い。

 夔州に来て二年目の夏、杜甫は虎の防御用の垣根が壊れているのを修理しようとして、三人の使用人に仕事を与えた。朝早くから遠く山越えをして、谷間から一日一人四株の木を切って、担ぎ出してくるのをノルマとした。彼らはその仕事を誠実にこなした。ほかにも竹を切り出したりしながら、垣根そして恐らくは壁や屋根などもきれいに修繕してくれたのである。暑い中、細かな注文を聞きながら、よく辛抱して働いてくれたことに杜甫は感激して、《1907_伐木を課す》という詩を作った。

 

杜甫詩1500-1077-1553-#11/2500

作時間:767年大暦256-7-#3 

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    課伐木

詩序:    并序

課隸人伯夷、幸秀【辛秀】、信行等入谷斬陰木。

人日四根止,維條伊枚,正直挺然。

晨征暮返,委積庭,我有藩籬,是缺是補,載伐篠

伊仗支持【伊杖支持】,則旅次於小安。

山有虎知禁,若恃爪牙之利,必昏黑突【必昏黑撐突】【必昏黑搪突】。

夔人屋壁,列樹白菊【例樹白菊】【例樹白萄】【列樹白萄】,鏝為牆,實以竹,示式遏,為與虎近,混淪乎無良賓客憂【混淪乎無良賓客齒】。

害馬之徒,苟活為幸,可默息已,作詩示宗武誦【作詩示宗文誦】。

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:白谷 (山南東道 夔州 巫山)              

 

 

課伐木 幷序#1

(下僕たちに日課として木を伐って、竹をゆわせて籬作り、虎防護柵をつくらせたをことをよんだ詩。)

課隸人伯夷、幸秀【辛秀】、信行等入谷斬陰木。

下僕使用人の伯夷、幸秀【辛秀】、信行等に谷あいに入ってきた面に生えている木を切ってくるように作業を課した。

人日四根止,維條伊枚,正直挺然。

各人一日に根っこから切り出すのは四本とし、幹を残して牧枝と條枝を切り落として幹だけにする、それでまっすぐな木にしなさい。

晨征暮返,委積庭,我有藩籬,是缺是補,載伐篠

夜明けにはその木のところに行き、日暮れに帰ってきなさい、そして切りそろえた木を地面において積み上げ、我が家の籬の材料にすること、今ある垣根の欠けたところに、そのために切ったり補足したりすること、それに、補足するものとして、即ちその補足材には篠竹や大竹を使いなさい。

伊仗支持,則旅次於小安。

斬木を杙とし竹を竪横にして遮護すること、即ち、この屋に泊まりに来ても安心な垣根にして安心できるようにすることにある。

幷序#2

山有虎知禁,若恃爪牙之利,必昏黑突。

山には虎がいて危険であるということがわかっている、だから、その虎どもにこの垣根が禁制であることがわかるであろう、もしこの虎が爪や牙のするどさを恃んだときには、きっとたそがれどきにはこちらへだしぬけに突き出してくるであろう、すると間違いなく暗黒の世界に落とされる。それを防ぐのである。

夔人屋壁,列樹白菊,鏝為牆,實以竹,示式遏。

夔州では民家の屋壁には茨のとげの白萄をつらねで植え、また中心には竹をつめて、外を泥で、鏝ぬりにし、墻牆をこしらえて虎の防御柵を見せておくのである。

為與虎近,混淪乎無良賓客憂。

もともとこの夔州瀼西の地の住居には虎が接近してきたり、うら山にいる、それに盗賊や悪漢と雑居共存しているために、来客や大切な人も心配することがないようにする。

害馬之徒,苟活為幸,可默息已,作詩示宗武誦。

牧人の馬を害する様な盗賊のことが心配になるだけで、なにもしなければ、ただ苛めにも活きてさえいられれば幸いだという様なことであり、このままではまことになげかわしいというだけのことである。だからこの課題を絶対やり遂げるように。それでこの詩を作って、この課題を息子の宗武に作業前にこれを吟誦させて開始するように言いつけさせたのである。

(伐木を課す 幷序)#1

隸人 伯夷、幸秀【辛秀】、信行等に課し 谷に入り陰木を斬らしむ。

人ごとに 日ごとに 四根にして止み,維れ條 伊れ枚,正に直くして 挺然たり。

晨に征きて暮に返り,庭委積し,我に藩籬有り,是に缺け是に補い,載ち篠伐る。

伊れに仗りて支持すれば,則ち 旅次 小しく安ぜん。

幷序#2

山に 虎有るも禁を知らん,若し爪牙の利を恃まば,必ず昏黑に突せん。

夔人の屋壁には,白菊を列樹し,鏝して牆を為り,實つるに竹を以てし,式遏を示す。

虎と近く,無良に混淪たるが為に 賓客は憂う。

害馬の徒,苟しくも活くるを幸と為し,默息し已む可し,詩を作りて宗武に示して誦せしむ。

課伐木 #3(下僕たちに日課として木を伐って、竹をゆわせて籬作り、虎防護柵をつくらせたことをよんだ詩。)

長夏無所為,客居課奴僕。

日の長い夏になにもすることがないので、この居は虎が出るので落ち着かず、いつも旅住まいでいるから、下僕に日課をあたえた。

清晨飯其腹,持斧入白谷。

朝早く彼等に御飯を腹いっぱいたべさせて、斧を持って、遊ぶにはもってこいの白谷へはいらせる。

青冥曾後,十里斬陰木。

彼等は青空につづくたかくかさなった山巓(赤甲山)の北へでて十里のー遠くへでかけて山陰の木を斬ること。

(伐木を課す) #1

長夏 為す所無し,客居 奴僕に課す。

清晨 其の腹に飯せしめて,斧を持して白谷に入れよ。

青冥 曾後,十里 陰木を斬れ
#4

人肩四根已,亭午下山麓。

尚聞丁丁聲,功課日各足。

蒼皮成委積,素節相照燭。

藉汝跨小籬,當仗苦虛竹。

#5

空荒咆熊羆,乳獸待人肉。

不示知禁情,豈惟干戈哭。

城中賢府主,處貴如白屋。

蕭蕭理體淨,蜂蠆不敢毒。

#6

虎穴連里閭,隄防舊風俗。

泊舟滄江岸,久客慎所觸。

舍西崖嶠壯,雷雨蔚含蓄。

牆宇資屢修,衰年怯幽獨。

#7

爾曹輕執熱,為我忍煩促。

秋光近青岑,季月當泛菊。

報之以微寒,共給酒一斛。

 

 

『課伐木 幷序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

課伐木 #1

長夏無所為,客居課奴僕。

清晨飯其腹,持斧入白谷。

青冥曾後,十里斬陰木
詩文(含異文)

長夏無所為,客居課奴僕【客居課童僕】。清晨飯其腹【清晨飯其腸】,持斧入白谷。

青冥曾後,十里斬陰木。
(下し文)
(伐木を課す) #1

長夏 為す所無し,客居 奴僕に課す。

清晨 其の腹に飯せしめて,斧を持して白谷に入れよ。

青冥 曾後,十里 陰木を斬れ

(現代語訳)
課伐木 #1

日の長い夏になにもすることがないので、この居は虎が出るので落ち着かず、いつも旅住まいでいるから、下僕に日課をあたえた。

朝早く彼等に御飯を腹いっぱいたべさせて、斧を持って、遊ぶにはもってこいの白谷へはいらせる。

彼等は青空につづくたかくかさなった山巓(赤甲山)の北へでて十里のー遠くへでかけて山陰の木を斬ること。

 

 (訳注)

課伐木 幷序 #3

(下僕たちに日課として木を伐って、竹をゆわせて籬作り、虎防護柵をつくらせたことをよんだ詩。)

1-1【解説】夔州に来て二年目の夏、杜甫は虎の防御用の垣根が壊れているのを修理しようとして、三人の使用人に仕事を与えた。朝早くから遠く山越えをして、谷間から一日一人四株の木を切って、担ぎ出してくるのをノルマとした。彼らはその仕事を誠実にこなした。ほかにも竹を切り出したりしながら、垣根そして恐らくは壁や屋根などもきれいに修繕してくれたのである。暑い中、細かな注文を聞きながら、よく辛抱して働いてくれたことに杜甫は感激して、《1907_伐木を課す》という詩を作った。

 (1)-2 【序について】この詩には難解と評される「序」があり詩もきわめて長い。

杜甫が使用人を使うときには、この時代には珍しく、それなりの節度を持って接している。

課隸人伯夷・辛秀・信行等、 隷人(レイジン)の伯夷・辛秀・信行等に日課として

この詩からたことがわかる。そこに彼の人道的な精神が見て取れるようである。たとえば、「早朝から彼らに腹一杯食べさせ」「ノルマは一人四本かついでくるだけ、昼どきには山麓に下ってくる」という三、七八句目の言い方。王嗣奭も、それについては「其の人の力を用いるを見るに、労して節有り」(『杜臆増校』巻七)という。

 この詩はそもそも、使用人たちの働きぶりに杜甫が感謝し、その功績を顕彰したものである。それがよく表現されているのは、たとえば第九、十句目。「昼時にはもう下山してよいことになっているのに、なおカーンカーンと聞こえてくるが、それは一日のノルマは終わっているのに、追加で彼らはさらに勤勉にやっているのだ」という部分であろう。これについては、すでに浦起竜が「蓋し其の僕の勤むるを賛(たた)う」(巻一之四)と言い、黄生が「其の事に趨(おもむ)くに勤なるを見るなり」(巻二)と指摘している。

 詩の末尾で、「秋の気配が近づけばやがて菊酒を飲む時節だ。ひんやりと寒さを感じる時期ともなれば、お前たちにねぎらいとして一斛の酒を進ぜよう」と言う。重陽の節句には、酒を与えて彼らを慰労することを約束しているのである。

 使用人に仕事を課すという詩の結句で、たっぷりとした酒で報酬を約束するというひととなりがおもしろい。

 

 

長夏無所為,客居課奴僕。

日の長い夏になにもすることがないので、この居は虎が出るので落ち着かず、いつも旅住まいでいるから、下僕に日課をあたえた。

26 課奴僕 下僕に日課をあたえた。長男の宗文を通じて、隷人の伯夷・辛秀・信行等に日課をあたえたのである。

 

清晨飯其腹,持斧入白谷。

朝早く彼等に御飯を腹いっぱいたべさせて、斧を持って、遊ぶにはもってこいの白谷へはいらせる。

27 其腹 下僕たちの腹を満たしてやること。

28 白谷 夔州奉節、夔州城や白帝城の背後には、赤甲山がそびえていて、その山懐に、谷が形成され、石灰岩石の多い地系であるため、高低差が高く幅の狭い谷を造る。また霧や雨が多く、長年の雨で浸食された石灰岩の峰が屏風のような崖を作る。

《卷一五47 雨》「白壑變氣候,朱炎安在哉?」(白谷 氣候變じ,朱炎 安くに在り哉。白谷ではこれまでとは全く違う気候に変わった、少し前の燃え盛るような暑さは何処に行ったのだろう。

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《卷一八09 南極》「南極青山眾,西江白谷分。」南極 青山眾し,西江 白穀分かる。極南のこの地方では青山がおびただしくある。長江の西辺では白谷の支流が分かれてそそいでいる。・西江白谷分:西江は長江のこと、西とは作者の居処よりして西であることをいうのであろう。白谷は白帝城の谷、分とは江と分かれていることをいう、支流である白谷がそこで江に入るのである。杜臆にこの句を解して、「西江白谷二至リテ分力ル」といっているのは恐らくはあたらぬ、「白谷西江二重リテ分力ル」と解すべきである。

766年-144杜甫 《1809南極》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-144 <1016 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6760 

《卷二一13  白帝城樓》「翠屏宜晚對,白谷會深遊。」(翠屏晚に對し宜し,白谷 會らず深遊すべし)あの城樓のある翠屏のような崖には夕方対するのが一番良いもであり、白谷は奥の方に入り込んで遊ぶのが面白いと思うのである。

 19-07 課伐木》「清晨飯其腹,持斧入白谷。」

 

青冥曾後,十里斬陰木。

彼等は青空につづくたかくかさなった山巓(赤甲山)の北へでて十里のー遠くへでかけて山陰の木を斬ること。

28 青冥 谷あいから見て空に近い高いところ。赤甲山の北側にある谷に行く。

29 曾 地層が重なったうえの山の天辺。

30 十里斬陰木 十里(5.8km)の遠くに行って山陰の木を切り出す。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

 

課伐木 幷序  【字解】

 

1-1 【解説】夔州に来て二年目の夏、杜甫は虎の防御用の垣根が壊れているのを修理しようとして、三人の使用人に仕事を与えた。朝早くから遠く山越えをして、谷間から一日一人四株の木を切って、担ぎ出してくるのをノルマとした。彼らはその仕事を誠実にこなした。ほかにも竹を切り出したりしながら、垣根そして恐らくは壁や屋根などもきれいに修繕してくれたのである。暑い中、細かな注文を聞きながら、よく辛抱して働いてくれたことに杜甫は感激して、《1907_伐木を課す》という詩を作った。

1.-2 【序について】この詩には難解と評される「序」があり詩もきわめて長い。

杜甫が使用人を使うときには、この時代には珍しく、それなりの節度を持って接している。

課隸人伯夷・辛秀・信行等、 隷人(レイジン)の伯夷・辛秀・信行等に日課としてこの詩からたことがわかる。そこに彼の人道的な精神が見て取れるようである。たとえば、「早朝から彼らに腹一杯食べさせ」「ノルマは一人四本かついでくるだけ、昼どきには山麓に下ってくる」という三、七八句目の言い方。王嗣奭も、それについては「其の人の力を用いるを見るに、労して節有り」(『杜臆増校』巻七)という。

 この詩はそもそも、使用人たちの働きぶりに杜甫が感謝し、その功績を顕彰したものである。それがよく表現されているのは、たとえば第九、十句目。「昼時にはもう下山してよいことになっているのに、なおカーンカーンと聞こえてくるが、それは一日のノルマは終わっているのに、追加で彼らはさらに勤勉にやっているのだ」という部分であろう。これについては、すでに浦起竜が「蓋し其の僕の勤むるを賛(たた)う」(巻一之四)と言い、黄生が「其の事に趨(おもむ)くに勤なるを見るなり」(巻二)と指摘している。

 詩の末尾で、「秋の気配が近づけばやがて菊酒を飲む時節だ。ひんやりと寒さを感じる時期ともなれば、お前たちにねぎらいとして一斛の酒を進ぜよう」と言う。重陽の節句には、酒を与えて彼らを慰労することを約束しているのである。

 使用人に仕事を課すという詩の結句で、たっぷりとした酒で報酬を約束するというひととなりがおもしろい。

2.   隸人伯夷、幸秀【辛秀】、信行等 夔州という慣れない土地に移り住んで、役人たちとの社交生活にも気を使いながら、大家族の生活を病身の身に一身に背負い、自宅では鶏を飼ったり、薬草を採集したり、野菜をうえたり、蜜柑園を経営したり、米作りを請け負ったりしたことなどを述べた、一連の生活詩、農業詩である。そしてそういう農的生活を杜甫の身辺で支えたのが、杜甫が現地で私的に雇用したと思われる数名の使用人たちである。この三人に加えて、阿段、阿稽、が確認されている。

3.   陰木 山の北面に生えている木。

4.   條・枚 幹から出ている枝を枚といい、枝より出る枝を條という。

5.   挺然 他にぬきんでているさま。

6.  委積 地面において積み上げること。

7.  藩籬 1 まがき。2 藩屏(はんぺい)3 他と隔てるもの。4 学問・芸術などの糸口。初歩的な段階。

8.   篠竹・箭竹、大竹。

9.  伊仗支持 斬木を杙とし竹を竪横にして遮護することをいう。

10.則旅次於小安 ここにいう旅次の次は宿とすること、この屋は、作業小屋であったのだろう、本宅からのの作業小屋に来て安心して寝泊まりができるようにすることが目的であった。

11. 知禁 禁とは防禁物(まがき)をいうが、そのことを虎などにわからせることを言う。

12..  若恃 もし~を恃みとしている。虎が襲ってくることを言う。

13.. 必昏 間違いなく暗黒の世界に落とされる

14. 黑 だしぬけに、あるいは唐突に突進してくる。その結果真っ黒の結果になる。

15.  屋壁 竹木舞の下地を作って土壁とする。

16.  列樹白菊 枝をすべて落とさず、木の皮を向いたら木は白久美恵、枝はとげの状態にして虎が爪で上る状態にしない木の状態を言う。その木が並べて柵となることを言う。

17.  鏝為牆 土壁を鏝で鳴らして強固にきれいにすること。

18.  實以竹 竹木舞のこと。壁の芯になること。

19.  式遏 とどめ防ぐこととしなさい。防御柵としなさい。 止;阻止;制止。《詩經、大雅•民勞》「式遏寇虐,不畏明。」(式【もつ】て寇虐し,明を畏れざるを遏【や】めよ。)

20.  混淪 混雑して混ざる。盗賊、悪漢と虎などの猛獣が混雑して生活している。

21.  無良 良心のない、悪漢。

22.  賓客憂 無良に対する良民、杜甫自身を含んだ地のものでないものの訪問者、旅の者。

23.  害馬之徒 武人の悪者。謀叛を起こしたもの随い敗れ逃れて隠れ住むが、多くは盗賊、山賊になる。《莊子雜篇》“黃帝曰:「夫為天下者,則誠非吾子之事,雖然,請問為天下。」小童辭。黃帝又問。小童曰:「夫為天下者,亦奚以異乎牧馬者哉!亦去其害馬者而已矣!」”(黃帝曰く:「夫れ天下を為【おさ】むる者は,則ち誠 吾子の事に非らざると,雖も然して,天下を為むるを請問す。」小童は辭す。黃帝又た問う。小童曰く:「夫れ天下を為【おさ】むる者は,亦た奚を以ってか馬を牧するに異ならん!亦た其の馬を害する者を去らんのみ!と。)

24.  苟活為幸 自分の住まいの環境を、危害を与える虎や無良の徒輩と混じり合って住んでいるのだと述べ、そんな用心しながらのかりそめの生き方でも、現状を受け入れてなんとか幸いだと感じようとしている。そこが隠遁願望を口にするだけの他の詩人たちとの違いでもある。

25.  默息 自分の住まいの環境を、危害を与える虎や無良の徒輩と混じり合って住んでいるものたちが、悪いことしないで黙らせ、やめさせること。

26.  課奴僕 下僕に日課をあたえた。長男の宗文を通じて、隷人の伯夷・辛秀・信行等に日課をあたえたのである。

27.  其腹 下僕たちの腹を満たしてやること。

28.  白谷 夔州奉節、夔州城や白帝城の背後には、赤甲山がそびえていて、その山懐に、谷が形成され、石灰岩石の多い地系であるため、高低差が高く幅の狭い谷を造る。また霧や雨が多く、長年の雨で浸食された石灰岩の峰が屏風のような崖を作る。

《卷一五47 雨》「白壑變氣候,朱炎安在哉?」(白谷 氣候變じ,朱炎 安くに在り哉。白谷ではこれまでとは全く違う気候に変わった、少し前の燃え盛るような暑さは何処に行ったのだろう。

766年大暦元年55-31-1奉節-21 《巻15-47 -#1 杜甫index-15 杜甫<893-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5470

卷一八09 南極》「南極青山眾,西江白谷分。」南極 青山眾し,西江 白穀分かる。極南のこの地方では青山がおびただしくある。長江の西辺では白谷の支流が分かれてそそいでいる。・西江白谷分:西江は長江のこと、西とは作者の居処よりして西であることをいうのであろう。白谷は白帝城の谷、分とは江と分かれていることをいう、支流である白谷がそこで江に入るのである。杜臆にこの句を解して、「西江白谷二至リテ分力ル」といっているのは恐らくはあたらぬ、「白谷西江二重リテ分力ル」と解すべきである。

766年-144杜甫 《1809南極》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-144 <1016 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6760 

《卷二一13  白帝城樓》「翠屏宜晚對,白谷會深遊。」(翠屏晚に對し宜し,白谷 會らず深遊すべし)あの城樓のある翠屏のような崖には夕方対するのが一番良いもであり、白谷は奥の方に入り込んで遊ぶのが面白いと思うのである。

29.  19-07 課伐木》「清晨飯其腹,持斧入白谷。」

30.  青冥 谷あいから見て空に近い高いところ。赤甲山の北側にある谷に行く。

31.  曾 地層が重なったうえの山の天辺。

32.  十里斬陰木 十里(5.8km)の遠くに行って山陰の木を切り出す。

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幷序#2

山有虎知禁,若恃爪牙之利,必昏黑突。夔人屋壁,列樹白菊,鏝為牆,實以竹,示式遏。

為與虎近,混淪乎無良賓客憂。害馬之徒,苟活為幸,可默息已,作詩示宗武誦。

山には虎がいて危険であるということがわかっている、だから、その虎どもにこの垣根が禁制であることがわかるであろう、もしこの虎が爪や牙のするどさを恃んだときには、きっとたそがれどきにはこちらへだしぬけに突き出してくるであろう、すると間違いなく暗黒の世界に落とされる。それを防ぐのである。夔州では民家の屋壁には茨のとげの白萄をつらねで植え、また中心には竹をつめて、外を泥で、鏝ぬりにし、墻牆をこしらえて虎の防御柵を見せておくのである。もともとこの夔州瀼西の地の住居には虎が接近してきたり、うら山にいる、それに盗賊や悪漢と雑居共存しているために、来客や大切な人も心配することがないようにする。牧人の馬を害する様な盗賊のことが心配になるだけで、なにもしなければ、ただ苛めにも活きてさえいられれば幸いだという様なことであり、このままではまことになげかわしいというだけのことである。だからこの課題を絶対やり遂げるように。それでこの詩を作って、この課題を息子の宗武に作業前にこれを吟誦させて開始するように言いつけさせたのである。

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杜甫詩1500-1076-1553-#2/2500

杜甫が夔州に滞在していたころ、虎がよく人家の近くに出没した。もともと杜甫の詩に虎はよく出てくる。とくに夔州時代の詩には、虎が人間の住居の身近にいる状況を描くものが多い。

 夔州に来て二年目の夏、杜甫は虎の防御用の垣根が壊れているのを修理しようとして、三人の使用人に仕事を与えた。朝早くから遠く山越えをして、谷間から一日一人四株の木を切って、担ぎ出してくるのをノルマとした。彼らはその仕事を誠実にこなした。ほかにも竹を切り出したりしながら、垣根そして恐らくは壁や屋根などもきれいに修繕してくれたのである。暑い中、細かな注文を聞きながら、よく辛抱して働いてくれたことに杜甫は感激して、《1907_伐木を課す》という詩を作った。

 

 

年:       大曆二年

作時間:767年大暦256-7-#1 

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    課伐木

詩序:    并序

課隸人伯夷、幸秀【辛秀】、信行等入谷斬陰木。

人日四根止,維條伊枚,正直挺然。

晨征暮返,委積庭,我有藩籬,是缺是補,載伐篠

伊仗支持【伊杖支持】,則旅次於小安。

山有虎知禁,若恃爪牙之利,必昏黑突【必昏黑撐突】【必昏黑搪突】。

夔人屋壁,列樹白菊【例樹白菊】【例樹白萄】【列樹白萄】,鏝為牆,實以竹,示式遏,為與虎近,混淪乎無良賓客憂【混淪乎無良賓客齒】。

害馬之徒,苟活為幸,可默息已,作詩示宗武誦【作詩示宗文誦】。

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:白谷 (山南東道 夔州 巫山)              

 

 

課伐木 幷序#1

(下僕たちに日課として木を伐って、竹をゆわせて籬作り、虎防護柵をつくらせたをことをよんだ詩。)

課隸人伯夷、幸秀【辛秀】、信行等入谷斬陰木。

下僕使用人の伯夷、幸秀【辛秀】、信行等に谷あいに入ってきた面に生えている木を切ってくるように作業を課した。

人日四根止,維條伊枚,正直挺然。

各人一日に根っこから切り出すのは四本とし、幹を残して牧枝と條枝を切り落として幹だけにする、それでまっすぐな木にしなさい。

晨征暮返,委積庭,我有藩籬,是缺是補,載伐篠

夜明けにはその木のところに行き、日暮れに帰ってきなさい、そして切りそろえた木を地面において積み上げ、我が家の籬の材料にすること、今ある垣根の欠けたところに、そのために切ったり補足したりすること、それに、補足するものとして、即ちその補足材には篠竹や大竹を使いなさい。

伊仗支持,則旅次於小安。

斬木を杙とし竹を竪横にして遮護すること、即ち、この屋に泊まりに来ても安心な垣根にして安心できるようにすることにある。

幷序#2

山有虎知禁,若恃爪牙之利,必昏黑突。

山には虎がいて危険であるということがわかっている、だから、その虎どもにこの垣根が禁制であることがわかるであろう、もしこの虎が爪や牙のするどさを恃んだときには、きっとたそがれどきにはこちらへだしぬけに突き出してくるであろう、すると間違いなく暗黒の世界に落とされる。それを防ぐのである。

夔人屋壁,列樹白菊,鏝為牆,實以竹,示式遏。

夔州では民家の屋壁には茨のとげの白萄をつらねで植え、また中心には竹をつめて、外を泥で、鏝ぬりにし、墻牆をこしらえて虎の防御柵を見せておくのである。

為與虎近,混淪乎無良賓客憂。

もともとこの夔州瀼西の地の住居には虎が接近してきたり、うら山にいる、それに盗賊や悪漢と雑居共存しているために、来客や大切な人も心配することがないようにする。

害馬之徒,苟活為幸,可默息已,作詩示宗武誦。

牧人の馬を害する様な盗賊のことが心配になるだけで、なにもしなければ、ただ苛めにも活きてさえいられれば幸いだという様なことであり、このままではまことになげかわしいというだけのことである。だからこの課題を絶対やり遂げるように。それでこの詩を作って、この課題を息子の宗武に作業前にこれを吟誦させて開始するように言いつけさせたのである。

(伐木を課す 幷序)#1

隸人 伯夷、幸秀【辛秀】、信行等に課し 谷に入り陰木を斬らしむ。

人ごとに 日ごとに 四根にして止み,維れ條 伊れ枚,正に直くして 挺然たり。

晨に征きて暮に返り,庭委積し,我に藩籬有り,是に缺け是に補い,載ち篠伐る。

伊れに仗りて支持すれば,則ち 旅次 小しく安ぜん。

幷序#2

山に 虎有るも禁を知らん,若し爪牙の利を恃まば,必ず昏黑に突せん。

夔人の屋壁には,白菊を列樹し,鏝して牆を為り,實つるに竹を以てし,式遏を示す。

虎と近く,無良に混淪たるが為に 賓客は憂う。

害馬の徒,苟しくも活くるを幸と為し,默息し已む可し,詩を作りて宗武に示して誦せしむ。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

『課伐木 幷序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

幷序#2

山有虎知禁,若恃爪牙之利,必昏黑突。

夔人屋壁,列樹白菊,鏝為牆,實以竹,示式遏。

為與虎近,混淪乎無良賓客憂。

害馬之徒,苟活為幸,可默息已,作詩示宗武誦。

(下し文)
幷序#2

山に 虎有るも禁を知らん,若し爪牙の利を恃まば,必ず昏黑に突せん。

夔人の屋壁には,白菊を列樹し,鏝して牆を為り,實つるに竹を以てし,式遏を示す。

虎と近く,無良に混淪たるが為に 賓客は憂う。

害馬の徒,苟しくも活くるを幸と為し,默息し已む可し,詩を作りて宗武に示して誦せしむ。

(現代語訳)
幷序#2

山には虎がいて危険であるということがわかっている、だから、その虎どもにこの垣根が禁制であることがわかるであろう、もしこの虎が爪や牙のするどさを恃んだときには、きっとたそがれどきにはこちらへだしぬけに突き出してくるであろう、すると間違いなく暗黒の世界に落とされる。それを防ぐのである。

夔州では民家の屋壁には茨のとげの白萄をつらねで植え、また中心には竹をつめて、外を泥で、鏝ぬりにし、墻牆をこしらえて虎の防御柵を見せておくのである。

もともとこの夔州瀼西の地の住居には虎が接近してきたり、うら山にいる、それに盗賊や悪漢と雑居共存しているために、来客や大切な人も心配することがないようにする。

牧人の馬を害する様な盗賊のことが心配になるだけで、なにもしなければ、ただ苛めにも活きてさえいられれば幸いだという様なことであり、このままではまことになげかわしいというだけのことである。だからこの課題を絶対やり遂げるように。それでこの詩を作って、この課題を息子の宗武に作業前にこれを吟誦させて開始するように言いつけさせたのである。



(訳注)

幷序#2

山有虎知禁,若恃爪牙之利,必昏黑突。

山には虎がいて危険であるということがわかっている、だから、その虎どもにこの垣根が禁制であることがわかるであろう、もしこの虎が爪や牙のするどさを恃んだときには、きっとたそがれどきにはこちらへだしぬけに突き出してくるであろう、すると間違いなく暗黒の世界に落とされる。それを防ぐのである。

9. 知禁 禁とは防禁物(まがき)をいうが、そのことを虎などにわからせることを言う。

10.  若恃 もし~を恃みとしている。虎が襲ってくることを言う。

11. 必昏 間違いなく暗黒の世界に落とされる

12. 黑 だしぬけに、あるいは唐突に突進してくる。その結果真っ黒の結果になる。

 

夔人屋壁,列樹白菊,鏝為牆,實以竹,示式遏。

夔州では民家の屋壁には茨のとげの白萄をつらねで植え、また中心には竹をつめて、外を泥で、鏝ぬりにし、墻牆をこしらえて虎の防御柵を見せておくのである。

13. 屋壁 竹木舞の下地を作って土壁とする。

14. 列樹白菊 枝をすべて落とさず、木の皮を向いたら木は白久美恵、枝はとげの状態にして虎が爪で上る状態にしない木の状態を言う。その木が並べて柵となることを言う。

15. 鏝為牆 土壁を鏝で鳴らして強固にきれいにすること。

16.  實以竹 竹木舞のこと。壁の芯になること。

17.  式遏 とどめ防ぐこととしなさい。防御柵としなさい。 止;阻止;制止。《詩經、大雅•民勞》「式遏寇虐,不畏明。」(式【もつ】て寇虐し,明を畏れざるを遏【や】めよ。)

 

為與虎近,混淪乎無良賓客憂。

もともとこの夔州瀼西の地の住居には虎が接近してきたり、うら山にいる、それに盗賊や悪漢と雑居共存しているために、来客や大切な人も心配することがないようにする。

18. 混淪 混雑して混ざる。盗賊、悪漢と虎などの猛獣が混雑して生活している。

19. 無良 良心のない、悪漢。

20. 賓客憂 無良に対する良民、杜甫自身を含んだ地のものでないものの訪問者、旅の者。

 

害馬之徒,苟活為幸,可默息已,作詩示宗武誦。

牧人の馬を害する様な盗賊のことが心配になるだけで、なにもしなければ、ただ苛めにも活きてさえいられれば幸いだという様なことであり、このままではまことになげかわしいというだけのことである。だからこの課題を絶対やり遂げるように。それでこの詩を作って、この課題を息子の宗武に作業前にこれを吟誦させて開始するように言いつけさせたのである。

21. 害馬之徒 武人の悪者。謀叛を起こしたもの随い敗れ逃れて隠れ住むが、多くは盗賊、山賊になる。《莊子雜篇》“黃帝曰:「夫為天下者,則誠非吾子之事,雖然,請問為天下。」小童辭。黃帝又問。小童曰:「夫為天下者,亦奚以異乎牧馬者哉!亦去其害馬者而已矣!」”(黃帝曰く:「夫れ天下を為【おさ】むる者は,則ち誠 吾子の事に非らざると,雖も然して,天下を為むるを請問す。」小童は辭す。黃帝又た問う。小童曰く:「夫れ天下を為【おさ】むる者は,亦た奚を以ってか馬を牧するに異ならん!亦た其の馬を害する者を去らんのみ!と。)

22. 苟活為幸 自分の住まいの環境を、危害を与える虎や無良の徒輩と混じり合って住んでいるのだと述べ、そんな用心しながらのかりそめの生き方でも、現状を受け入れてなんとか幸いだと感じようとしている。そこが隠遁願望を口にするだけの他の詩人たちとの違いでもある。

23. 默息 自分の住まいの環境を、危害を与える虎や無良の徒輩と混じり合って住んでいるものたちが、悪いことしないで黙らせ、やめさせること。

 

 

 

課伐木 幷序  【字解】

 

1-1 【解説】夔州に来て二年目の夏、杜甫は虎の防御用の垣根が壊れているのを修理しようとして、三人の使用人に仕事を与えた。朝早くから遠く山越えをして、谷間から一日一人四株の木を切って、担ぎ出してくるのをノルマとした。彼らはその仕事を誠実にこなした。ほかにも竹を切り出したりしながら、垣根そして恐らくは壁や屋根などもきれいに修繕してくれたのである。暑い中、細かな注文を聞きながら、よく辛抱して働いてくれたことに杜甫は感激して、《1907_伐木を課す》という詩を作った。

1.-2 【序について】この詩には難解と評される「序」があり詩もきわめて長い。

杜甫が使用人を使うときには、この時代には珍しく、それなりの節度を持って接している。

課隸人伯夷・辛秀・信行等、 隷人(レイジン)の伯夷・辛秀・信行等に日課として

この詩からたことがわかる。そこに彼の人道的な精神が見て取れるようである。たとえば、「早朝から彼らに腹一杯食べさせ」「ノルマは一人四本かついでくるだけ、昼どきには山麓に下ってくる」という三、七八句目の言い方。王嗣奭も、それについては「其の人の力を用いるを見るに、労して節有り」(『杜臆増校』巻七)という。

 この詩はそもそも、使用人たちの働きぶりに杜甫が感謝し、その功績を顕彰したものである。それがよく表現されているのは、たとえば第九、十句目。「昼時にはもう下山してよいことになっているのに、なおカーンカーンと聞こえてくるが、それは一日のノルマは終わっているのに、追加で彼らはさらに勤勉にやっているのだ」という部分であろう。これについては、すでに浦起竜が「蓋し其の僕の勤むるを賛(たた)う」(巻一之四)と言い、黄生が「其の事に趨(おもむ)くに勤なるを見るなり」(巻二)と指摘している。

 詩の末尾で、「秋の気配が近づけばやがて菊酒を飲む時節だ。ひんやりと寒さを感じる時期ともなれば、お前たちにねぎらいとして一斛の酒を進ぜよう」と言う。重陽の節句には、酒を与えて彼らを慰労することを約束しているのである。

 使用人に仕事を課すという詩の結句で、たっぷりとした酒で報酬を約束するというひととなりがおもしろい。

2.   隸人伯夷、幸秀【辛秀】、信行等 夔州という慣れない土地に移り住んで、役人たちとの社交生活にも気を使いながら、大家族の生活を病身の身に一身に背負い、自宅では鶏を飼ったり、薬草を採集したり、野菜をうえたり、蜜柑園を経営したり、米作りを請け負ったりしたことなどを述べた、一連の生活詩、農業詩である。そしてそういう農的生活を杜甫の身辺で支えたのが、杜甫が現地で私的に雇用したと思われる数名の使用人たちである。この三人に加えて、阿段、阿稽、が確認されている。

3.   陰木 山の北面に生えている木。

4.   條・枚 幹から出ている枝を枚といい、枝より出る枝を條という。

5.   挺然 他にぬきんでているさま。

6.  委積 地面において積み上げること。

7.  藩籬 1 まがき。2 藩屏(はんぺい)3 他と隔てるもの。4 学問・芸術などの糸口。初歩的な段階。

8.   篠竹・箭竹、大竹。

9.  伊仗支持 斬木を杙とし竹を竪横にして遮護することをいう。

10.則旅次於小安 ここにいう旅次の次は宿とすること、この屋は、作業小屋であったのだろう、本宅からのの作業小屋に来て安心して寝泊まりができるようにすることが目的であった。

11. 知禁 禁とは防禁物(まがき)をいうが、そのことを虎などにわからせることを言う。

12..  若恃 もし~を恃みとしている。虎が襲ってくることを言う。

13.. 必昏 間違いなく暗黒の世界に落とされる

14. 黑 だしぬけに、あるいは唐突に突進してくる。その結果真っ黒の結果になる。

15.  屋壁 竹木舞の下地を作って土壁とする。

16.  列樹白菊 枝をすべて落とさず、木の皮を向いたら木は白久美恵、枝はとげの状態にして虎が爪で上る状態にしない木の状態を言う。その木が並べて柵となることを言う。

17.  鏝為牆 土壁を鏝で鳴らして強固にきれいにすること。

18.  實以竹 竹木舞のこと。壁の芯になること。

19.  式遏 とどめ防ぐこととしなさい。防御柵としなさい。 止;阻止;制止。《詩經、大雅•民勞》「式遏寇虐,不畏明。」(式【もつ】て寇虐し,明を畏れざるを遏【や】めよ。)

20.  混淪 混雑して混ざる。盗賊、悪漢と虎などの猛獣が混雑して生活している。

21.  無良 良心のない、悪漢。

22.  賓客憂 無良に対する良民、杜甫自身を含んだ地のものでないものの訪問者、旅の者。

23.  害馬之徒 武人の悪者。謀叛を起こしたもの随い敗れ逃れて隠れ住むが、多くは盗賊、山賊になる。《莊子雜篇》“黃帝曰:「夫為天下者,則誠非吾子之事,雖然,請問為天下。」小童辭。黃帝又問。小童曰:「夫為天下者,亦奚以異乎牧馬者哉!亦去其害馬者而已矣!」”(黃帝曰く:「夫れ天下を為【おさ】むる者は,則ち誠 吾子の事に非らざると,雖も然して,天下を為むるを請問す。」小童は辭す。黃帝又た問う。小童曰く:「夫れ天下を為【おさ】むる者は,亦た奚を以ってか馬を牧するに異ならん!亦た其の馬を害する者を去らんのみ!と。)

24.  苟活為幸 自分の住まいの環境を、危害を与える虎や無良の徒輩と混じり合って住んでいるのだと述べ、そんな用心しながらのかりそめの生き方でも、現状を受け入れてなんとか幸いだと感じようとしている。そこが隠遁願望を口にするだけの他の詩人たちとの違いでもある。

25.  默息 自分の住まいの環境を、危害を与える虎や無良の徒輩と混じり合って住んでいるものたちが、悪いことしないで黙らせ、やめさせること。

767年-7-#1杜甫 《19-07 課伐木 序》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-7-#1 <1075> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7055

杜甫  課伐木 幷序 #1

課隸人伯夷、幸秀【辛秀】、信行等入谷斬陰木。人日四根止,維條伊枚,正直挺然。

晨征暮返,委積庭,我有藩籬,是缺是補,載伐篠。伊仗支持,則旅次於小安。

(下僕たちに日課として木を伐って、竹をゆわせて籬作り、虎防護柵をつくらせたをことをよんだ詩。)ならびに序#1

下僕使用人の伯夷、幸秀【辛秀】、信行等に谷あいに入ってきた面に生えている木を切ってくるように作業を課した。各人一日に根っこから切り出すのは四本とし、幹を残して牧枝と條枝を切り落として幹だけにする、それでまっすぐな木にしなさい。夜明けにはその木のところに行き、日暮れに帰ってきなさい、そして切りそろえた木を地面において積み上げ、我が家の籬の材料にすること、今ある垣根の欠けたところに、そのために切ったり補足したりすること、それに、補足するものとして、即ちその補足材には篠竹や大竹を使いなさい。斬木を杙とし竹を竪横にして遮護すること、即ち、この屋に泊まりに来ても安心な垣根にして安心できるようにすることにある。

767-7-#1杜甫 19-07 課伐木 序》#1 杜甫詩index-15-767年大暦256-7-#1 <1075 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7055 

 

 

 
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杜甫詩1500-1075-1553-#1/2500

杜甫が夔州に滞在していたころ、虎がよく人家の近くに出没した。もともと杜甫の詩に虎はよく出てくる。とくに夔州時代の詩には、虎が人間の住居の身近にいる状況を描くものが多い。

 夔州に来て二年目の夏、杜甫は虎の防御用の垣根が壊れているのを修理しようとして、三人の使用人に仕事を与えた。朝早くから遠く山越えをして、谷間から一日一人四株の木を切って、担ぎ出してくるのをノルマとした。彼らはその仕事を誠実にこなした。ほかにも竹を切り出したりしながら、垣根そして恐らくは壁や屋根などもきれいに修繕してくれたのである。暑い中、細かな注文を聞きながら、よく辛抱して働いてくれたことに杜甫は感激して、《1907_伐木を課す》という詩を作った。

 

 

年:       大曆二年

作時間:767年大暦256-7-#1 

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    課伐木

詩序:    并序

課隸人伯夷、幸秀【辛秀】、信行等入谷斬陰木。

人日四根止,維條伊枚,正直挺然。

晨征暮返,委積庭,我有藩籬,是缺是補,載伐篠

伊仗支持【伊杖支持】,則旅次於小安。

山有虎知禁,若恃爪牙之利,必昏黑突【必昏黑撐突】【必昏黑搪突】。

夔人屋壁,列樹白菊【例樹白菊】【例樹白萄】【列樹白萄】,鏝為牆,實以竹,示式遏,為與虎近,混淪乎無良賓客憂【混淪乎無良賓客齒】。

害馬之徒,苟活為幸,可默息已,作詩示宗武誦【作詩示宗文誦】。

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:白谷 (山南東道 夔州 巫山)              

 

 

課伐木 幷序#1

(下僕たちに日課として木を伐って、竹をゆわせて籬作り、虎防護柵をつくらせたをことをよんだ詩。)

課隸人伯夷、幸秀【辛秀】、信行等入谷斬陰木。

下僕使用人の伯夷、幸秀【辛秀】、信行等に谷あいに入ってきた面に生えている木を切ってくるように作業を課した。

人日四根止,維條伊枚,正直挺然。

各人一日に根っこから切り出すのは四本とし、幹を残して牧枝と條枝を切り落として幹だけにする、それでまっすぐな木にしなさい。

晨征暮返,委積庭,我有藩籬,是缺是補,載伐篠

夜明けにはその木のところに行き、日暮れに帰ってきなさい、そして切りそろえた木を地面において積み上げ、我が家の籬の材料にすること、今ある垣根の欠けたところに、そのために切ったり補足したりすること、それに、補足するものとして、即ちその補足材には篠竹や大竹を使いなさい。

伊仗支持,則旅次於小安。

斬木を杙とし竹を竪横にして遮護すること、即ち、この屋に泊まりに来ても安心な垣根にして安心できるようにすることにある。

幷序#2

山有虎知禁,若恃爪牙之利,必昏黑突。

夔人屋壁,列樹白菊,鏝為牆,實以竹,示式遏。

為與虎近,混淪乎無良賓客憂。

害馬之徒,苟活為幸,可默息已,作詩示宗武誦。

(伐木を課す 幷序)#1

隸人 伯夷、幸秀【辛秀】、信行等に課し 谷に入り陰木を斬らしむ。

人ごとに 日ごとに 四根にして止み,維れ條 伊れ枚,正に直くして 挺然たり。

晨に征きて暮に返り,庭委積し,我に藩籬有り,是に缺け是に補い,載ち篠伐る。

伊れに仗りて支持すれば,則ち 旅次 小しく安ぜん。

幷序#2

山に 虎有るも禁を知らん,若し爪牙の利を恃まば,必ず昏黑に突せん。

夔人の屋壁には,白菊を列樹し,鏝して牆を為り,實つるに竹を以てし,式遏を示す。

虎と近く,無良に混淪たるが為に 賓客は憂う。

害馬の徒,苟しくも活くるを幸と為し,默息し已む可し,詩を作りて宗武に示して誦せしむ。

 

課伐木 #1

長夏無所為,客居課奴僕。

清晨飯其腹,持斧入白谷。

青冥曾後,十里斬陰木。

#2

人肩四根已,亭午下山麓。

尚聞丁丁聲,功課日各足。

蒼皮成委積,素節相照燭。

藉汝跨小籬,當仗苦虛竹。

#3

空荒咆熊羆,乳獸待人肉。

不示知禁情,豈惟干戈哭。

城中賢府主,處貴如白屋。

蕭蕭理體淨,蜂蠆不敢毒。

#4

虎穴連里閭,隄防舊風俗。

泊舟滄江岸,久客慎所觸。

舍西崖嶠壯,雷雨蔚含蓄。

牆宇資屢修,衰年怯幽獨。

#5

爾曹輕執熱,為我忍煩促。

秋光近青岑,季月當泛菊。

報之以微寒,共給酒一斛。

 

詩文(含異文)

長夏無所為,客居課奴僕【客居課童僕】。清晨飯其腹【清晨飯其腸】,持斧入白谷。

青冥曾後,十里斬陰木。人肩四根已,亭午下山麓。

尚聞丁丁聲,功課日各足。蒼皮成委積【蒼皮成積委】,素節相照燭。

藉汝跨小籬,當仗苦虛竹【當仗若虛竹】【當杖苦虛竹】【當杖若虛竹】【當材苦虛竹】【當材若虛竹】。空荒咆熊羆,乳獸待人肉。

不示知禁情,豈惟干戈哭。城中賢府主【案:當是柏都督茂琳。】,處貴如白屋。

蕭蕭理體淨,蜂蠆不敢毒。虎穴連里閭,隄防舊風俗。

泊舟滄江岸,久客慎所觸。舍西崖嶠壯,雷雨蔚含蓄。

牆宇資屢修【牆宇資累修】,衰年怯幽獨。爾曹輕執熱,為我忍煩促。

秋光近青岑,季月當泛菊。報之以微寒,共給酒一斛。

 瞿塘峡・白帝城・魚復

 

 

『課伐木 幷序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

課伐木 幷序#1

課隸人伯夷、幸秀【辛秀】、信行等入谷斬陰木。

人日四根止,維條伊枚,正直挺然。

晨征暮返,委積庭,我有藩籬,是缺是補,載伐篠

伊仗支持,則旅次於小安。

(下し文)
(伐木を課す 幷序)#1

隸人 伯夷、幸秀【辛秀】、信行等に課し 谷に入り陰木を斬らしむ。

人ごとに 日ごとに 四根にして止み,維れ條 伊れ枚,正に直くして 挺然たり。

晨に征きて暮に返り,庭に委積し,我に藩籬有り,是に缺け是に補い,載ち篠を伐る。

伊れに仗りて支持すれば,則ち 旅次 小しく安ぜん。

(現代語訳)
課伐木 幷序#1(下僕たちに日課として木を伐って、竹をゆわせて籬作り、虎防護柵をつくらせたをことをよんだ詩。)

下僕使用人の伯夷、幸秀【辛秀】、信行等に谷あいに入ってきた面に生えている木を切ってくるように作業を課した。

各人一日に根っこから切り出すのは四本とし、幹を残して牧枝と條枝を切り落として幹だけにする、それでまっすぐな木にしなさい。

夜明けにはその木のところに行き、日暮れに帰ってきなさい、そして切りそろえた木を地面において積み上げ、我が家の籬の材料にすること、今ある垣根の欠けたところに、そのために切ったり補足したりすること、それに、補足するものとして、即ちその補足材には篠竹や大竹を使いなさい。

斬木を杙とし竹を竪横にして遮護すること、即ち、この屋に泊まりに来ても安心な垣根にして安心できるようにすることにある。


(訳注)

課伐木 幷序#1

(下僕たちに日課として木を伐って、竹をゆわせて籬作り、虎防護柵をつくらせたをことをよんだ詩。)

(1)    -1【解説】夔州に来て二年目の夏、杜甫は虎の防御用の垣根が壊れているのを修理しようとして、三人の使用人に仕事を与えた。朝早くから遠く山越えをして、谷間から一日一人四株の木を切って、担ぎ出してくるのをノルマとした。彼らはその仕事を誠実にこなした。ほかにも竹を切り出したりしながら、垣根そして恐らくは壁や屋根などもきれいに修繕してくれたのである。暑い中、細かな注文を聞きながら、よく辛抱して働いてくれたことに杜甫は感激して、《1907_伐木を課す》という詩を作った。

 (1)-2 【序について】この詩には難解と評される「序」があり詩もきわめて長い。

杜甫が使用人を使うときには、この時代には珍しく、それなりの節度を持って接している。

課隸人伯夷・辛秀・信行等、 隷人(レイジン)の伯夷・辛秀・信行等に日課として

この詩からたことがわかる。そこに彼の人道的な精神が見て取れるようである。たとえば、「早朝から彼らに腹一杯食べさせ」「ノルマは一人四本かついでくるだけ、昼どきには山麓に下ってくる」という三、七八句目の言い方。王嗣奭も、それについては「其の人の力を用いるを見るに、労して節有り」(『杜臆増校』巻七)という。

 この詩はそもそも、使用人たちの働きぶりに杜甫が感謝し、その功績を顕彰したものである。それがよく表現されているのは、たとえば第九、十句目。「昼時にはもう下山してよいことになっているのに、なおカーンカーンと聞こえてくるが、それは一日のノルマは終わっているのに、追加で彼らはさらに勤勉にやっているのだ」という部分であろう。これについては、すでに浦起竜が「蓋し其の僕の勤むるを賛(たた)う」(巻一之四)と言い、黄生が「其の事に趨(おもむ)くに勤なるを見るなり」(巻二)と指摘している。

 詩の末尾で、「秋の気配が近づけばやがて菊酒を飲む時節だ。ひんやりと寒さを感じる時期ともなれば、お前たちにねぎらいとして一斛の酒を進ぜよう」と言う。重陽の節句には、酒を与えて彼らを慰労することを約束しているのである。

 使用人に仕事を課すという詩の結句で、たっぷりとした酒で報酬を約束するというひととなりがおもしろい。

 

課隸人伯夷、幸秀【辛秀】、信行等入谷斬陰木。

下僕使用人の伯夷、幸秀【辛秀】、信行等に谷あいに入ってきた面に生えている木を切ってくるように作業を課した。

(2)    隸人伯夷、幸秀【辛秀】、信行等 夔州という慣れない土地に移り住んで、役人たちとの社交生活にも気を使いながら、大家族の生活を病身の身に一身に背負い、自宅では鶏を飼ったり、薬草を採集したり、野菜をうえたり、蜜柑園を経営したり、米作りを請け負ったりしたことなどを述べた、一連の生活詩、農業詩である。そしてそういう農的生活を杜甫の身辺で支えたのが、杜甫が現地で私的に雇用したと思われる数名の使用人たちである。この三人に加えて、阿段、阿稽、が確認されている。

(3)    陰木 山の北面に生えている木。

 

人日四根止,維條伊枚,正直挺然。

各人一日に根っこから切り出すのは四本とし、幹を残して牧枝と條枝を切り落として幹だけにする、それでまっすぐな木にしなさい。

條・枚 幹から出ている枝を枚といい、枝より出る枝を條という。

挺然 他にぬきんでているさま。

 

晨征暮返,委積庭,我有藩籬,是缺是補,載伐篠

夜明けにはその木のところに行き、日暮れに帰ってきなさい、そして切りそろえた木を地面において積み上げ、我が家の籬の材料にすること、今ある垣根の欠けたところに、そのために切ったり補足したりすること、それに、補足するものとして、即ちその補足材には篠竹や大竹を使いなさい。

(4)   委積 地面において積み上げること。

(5)   藩籬 1 まがき。2 藩屏(はんぺい)3 他と隔てるもの。4 学問・芸術などの糸口。初歩的な段階。

(6)    篠竹・箭竹、大竹。

 

伊仗支持,則旅次於小安。

斬木を杙とし竹を竪横にして遮護すること、即ち、この屋に泊まりに来ても安心な垣根にして安心できるようにすることにある。

(7)   伊仗支持 斬木を杙とし竹を竪横にして遮護することをいう。

(8)   則旅次於小安 ここにいう旅次の次は宿とすること、この屋は、作業小屋であったのだろう、本宅からのの作業小屋に来て安心して寝泊まりができるようにすることが目的であった。

夔州東川卜居図詳細 002 

 

 

課伐木 幷序  【字解】

 

1-1 【解説】夔州に来て二年目の夏、杜甫は虎の防御用の垣根が壊れているのを修理しようとして、三人の使用人に仕事を与えた。朝早くから遠く山越えをして、谷間から一日一人四株の木を切って、担ぎ出してくるのをノルマとした。彼らはその仕事を誠実にこなした。ほかにも竹を切り出したりしながら、垣根そして恐らくは壁や屋根などもきれいに修繕してくれたのである。暑い中、細かな注文を聞きながら、よく辛抱して働いてくれたことに杜甫は感激して、《1907_伐木を課す》という詩を作った。

1.-2 【序について】この詩には難解と評される「序」があり詩もきわめて長い。

杜甫が使用人を使うときには、この時代には珍しく、それなりの節度を持って接している。

課隸人伯夷・辛秀・信行等、 隷人(レイジン)の伯夷・辛秀・信行等に日課として

この詩からたことがわかる。そこに彼の人道的な精神が見て取れるようである。たとえば、「早朝から彼らに腹一杯食べさせ」「ノルマは一人四本かついでくるだけ、昼どきには山麓に下ってくる」という三、七八句目の言い方。王嗣奭も、それについては「其の人の力を用いるを見るに、労して節有り」(『杜臆増校』巻七)という。

 この詩はそもそも、使用人たちの働きぶりに杜甫が感謝し、その功績を顕彰したものである。それがよく表現されているのは、たとえば第九、十句目。「昼時にはもう下山してよいことになっているのに、なおカーンカーンと聞こえてくるが、それは一日のノルマは終わっているのに、追加で彼らはさらに勤勉にやっているのだ」という部分であろう。これについては、すでに浦起竜が「蓋し其の僕の勤むるを賛(たた)う」(巻一之四)と言い、黄生が「其の事に趨(おもむ)くに勤なるを見るなり」(巻二)と指摘している。

 詩の末尾で、「秋の気配が近づけばやがて菊酒を飲む時節だ。ひんやりと寒さを感じる時期ともなれば、お前たちにねぎらいとして一斛の酒を進ぜよう」と言う。重陽の節句には、酒を与えて彼らを慰労することを約束しているのである。

 使用人に仕事を課すという詩の結句で、たっぷりとした酒で報酬を約束するというひととなりがおもしろい。

2.   隸人伯夷、幸秀【辛秀】、信行等 夔州という慣れない土地に移り住んで、役人たちとの社交生活にも気を使いながら、大家族の生活を病身の身に一身に背負い、自宅では鶏を飼ったり、薬草を採集したり、野菜をうえたり、蜜柑園を経営したり、米作りを請け負ったりしたことなどを述べた、一連の生活詩、農業詩である。そしてそういう農的生活を杜甫の身辺で支えたのが、杜甫が現地で私的に雇用したと思われる数名の使用人たちである。この三人に加えて、阿段、阿稽、が確認されている。

3.   陰木 山の北面に生えている木。

4.   條・枚 幹から出ている枝を枚といい、枝より出る枝を條という。

5.   挺然 他にぬきんでているさま。

6.  委積 地面において積み上げること。

7.  藩籬 1 まがき。2 藩屏(はんぺい)3 他と隔てるもの。4 学問・芸術などの糸口。初歩的な段階。

8.   篠竹・箭竹、大竹。

9.  伊仗支持 斬木を杙とし竹を竪横にして遮護することをいう。

10.則旅次於小安 ここにいう旅次の次は宿とすること、この屋は、作業小屋であったのだろう、本宅からのの作業小屋に来て安心して寝泊まりができるようにすることが目的であった。

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杜甫  柴門 #6

石亂上雲氣,杉清延月華。賞妍又分外,理愜夫何誇。

足了垂白年,敢居高士差。書此豁平昔,回首猶暮霞。

石の乱れ散じているところに、雲気がたちのぼり、杉の木立清らかなところに月の光を迎へいれる。 このような美しい景色を賞賛し、愛玩し得るのは、身分不相應な幸福なことであると思うのであって、自分の心境は意と理と合致しているのであるから、誇りにしていいのではなかろうか。それは単にそれだけのことで、別にこれを他人に自慢するわけではない。もとより高士の階級に加わるつもりではなく、ただ今の白髪を垂れるほどの老境に満足していることには違いはないのである。自分はこんなことを詩に詠って平生の憂さを気晴らしにしているのである。ふりむいてみるとまだ夕霞が消えずに残っている。

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  2015年12月11日 の紀頌之5つのBlog  
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韓愈113《 巻九09郴口又贈,二首之一》 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1609> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7029韓愈詩-韓愈113  
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  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
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  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
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  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
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  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
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 杜甫詩1500-1074-1552-#6/2500

年:767年大暦256-6

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    柴門

作地點:目前尚無資料

及地點:無

交遊人物/地點:  

 

柴門  #1

(瀼西草堂での閒居の意を詠ったもの。)

孤舟登瀼西,回首望兩崖。

自分は長江に流れ込む大きな支流である瀼水に孤舟を泛べ遡り、瀼西の地に登ってみる、そこから振り返って瞿塘の両岸を眺めた。

東城乾旱天,其氣如焚柴。

すると夔州の東、白帝城の方南ではひでりの天が乾いて、その赤やけの気象が柴を焚いているかの様にみえる。

長影沒窈窕,餘光散唅呀。

日が傾き崖壁の影が長く伸びて、しまいには、奥ふかくしづかなで、次第に暗くなってきえうせてしまい、赤やけの名残はがらんどうの空洞のあいだにちらばっている。

(柴門)  #1

孤舟 瀼西に登り,首を回せば 兩崖を望む。

東城 旱天を乾かし,其の氣 柴を焚くが如し。

長影 窈窕に沒し,餘光 呀に散ず。
#2

大江蟠嵌根,歸海成一家。

大江として流れて来てものが、水底につきさした崖壁の根っこにはすいりゅうがわだかまっており、東海の大海原に帰っていくものであるが、そこまでに、衆流をあつめて、この水を制せば、天下を一家とすることになる。

下衝割坤軸,竦壁攢鏌

その根っこでは、水が下方を衝撃する勢は地軸を裂く様であり、そのうえのそそりたった崖壁は鏌の剣をあつめた様にとがってむらがつているのである。

蕭颯灑秋色,氛昏霾日車。

そこへ秋色の気配がしてきたとおもわれたところへさっと雨風がそそいで降りつけ、両岸がそそり立っているので、もやくやとした惡気が暗くとざして太陽の前に土沙でも降っているかのようにみえるのである。

峽門自此始,最窄容浮

三峡の門はこの両崖(夔門)からはじまる。その最もせまいところはわずかにいかだを容れるに足るくらいなのである。

#2

大江は 嵌根に蟠り,歸海に 一家を成す。

下衝 坤軸を割き,竦壁 攢【あつま】る

蕭颯として 秋色に灑ぎ,氛昏として 日車に霾【つらう】る。

峽門 此れ自り始り,最窄 浮容る。

#3

禹功翊造化,疏鑿就攲斜。

禹王は造化の力をたすけてここから利水事業、掘り割りをして水黄梅をつけて、だんだん導いた。 

巨渠決太古,眾水為長蛇。

その巨大なほりわりである長江は、太古のむかしからきりひらかれ、途中であつめる幾多の水流は長蛇の勢をなして流れこんでいる。 

風煙渺蜀,舟楫通鹽麻。

かくして風塵はるかに、呉蜀につらなり、舟楫の便は鹽麻の利を通じている。 

#3

禹功 造化を翊け,疏鑿 攲斜に就く。

巨渠 太古より決す,水 長蛇を為す。

風煙 蜀にたり,舟楫 鹽麻を通ず
#4

我今遠遊子,飄轉混泥沙。

今自分は遠遊しているもので、轉蓬の様にあちこちを轉轉として、身を泥土のあいだに混じている。

萬物附本性,約身不願奢。

いったい萬物はそれぞれその本性にまかすものである。じぶんは自分の本性に従って一身をつづまやかにして贅沢なことは願わぬ。

茅棟蓋一床,清池有餘花。

一個の寝台をかやぶきの棟でおおうであるのみで、清らかな池のほとりには春餘の花が咲きのこっている。

濁醪與粟,在眼無咨嗟。

濁酒と玄米。これさえ眼前にあれば他はなんにもなげくこととてはないのである。

#4

我今 遠遊の子,飄轉 泥沙に混ず。

萬物 本性に附し,身をに約して 奢を願わず。

茅棟 一床を蓋う,清池 餘花有り。

濁醪と粟と,眼に在れば 咨嗟無し

#5

山荒人民少,地僻日夕佳。

ここは山が荒れ、住んでいる人は少なく土地は山裾にかたよって、夕の景色はことによろしい。 

貧病固其常,富貴任生涯。

持病を持った隠遁者にとって貧乏生活はもとよりあたりまえのことであるが、ちょうていにめされるとか、詩文が売れて、富貴になろうとなるまいとそんなことは生涯のなりゆきにまかせることでどうでもよい。

老於干戈際,宅幸蓬蓽遮。

十数年の兵乱の際にあたってしまい老いてしまうことになってはいるが、居宅は幸いにも蓬や茨蓽で垣根の様にさえぎられている。 

#5

山 荒れて 人民少し,地 僻にして 日 夕佳なり。

貧病 固と其の常,富貴 生涯に任す。

干戈の際に於て老ゆるも,宅は 幸いに蓬蓽に遮ぎられる。
#6

石亂上雲氣,杉清延月華。

石の乱れ散じているところに、雲気がたちのぼり、杉の木立清らかなところに月の光を迎へいれる。 

賞妍又分外,理愜夫何誇。

このような美しい景色を賞賛し、愛玩し得るのは、身分不相應な幸福なことであると思うのであって、自分の心境は意と理と合致しているのであるから、誇りにしていいのではなかろうか。

足了垂白年,敢居高士差。

それは単にそれだけのことで、別にこれを他人に自慢するわけではない。もとより高士の階級に加わるつもりではなく、ただ今の白髪を垂れるほどの老境に満足していることには違いはないのである。

書此豁平昔,回首猶暮霞。

自分はこんなことを詩に詠って平生の憂さを気晴らしにしているのである。ふりむいてみるとまだ夕霞が消えずに残っている。

#6

石 亂れて 雲氣上り,杉 清くして 月華を延く。

妍を賞する 又た分外なり,理 愜う 夫れ何をか誇らん。

足了す 垂白の年,敢て 高士の差に居らんや。

此を書して 平昔を豁にす,首を回らせば 猶お暮霞。

唐時代 地図山南 東・西道50 

 

『柴門』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#6

石亂上雲氣,杉清延月華。

賞妍又分外,理愜夫何誇。

足了垂白年,敢居高士差。

書此豁平昔,回首猶暮霞。
詩文(含異文) #

石亂上雲氣,杉清延月華【杉青延月華】【杉青延日華】【杉清延日華】。

賞妍又分外,理愜夫何誇。

足了垂白年,敢居高士差。

書此豁平昔,回首猶暮霞。


(下し文)
#6

石 亂れて 雲氣上り,杉 清くして 月華を延く。

妍を賞する 又た分外なり,理 愜う 夫れ何をか誇らん。

足了す 垂白の年,敢て 高士の差に居らんや。

此を書して 平昔を豁にす,首を回らせば 猶お暮霞。

(現代語訳)
#6

石の乱れ散じているところに、雲気がたちのぼり、杉の木立清らかなところに月の光を迎へいれる。 

このような美しい景色を賞賛し、愛玩し得るのは、身分不相應な幸福なことであると思うのであって、自分の心境は意と理と合致しているのであるから、誇りにしていいのではなかろうか。

それは単にそれだけのことで、別にこれを他人に自慢するわけではない。もとより高士の階級に加わるつもりではなく、ただ今の白髪を垂れるほどの老境に満足していることには違いはないのである。

自分はこんなことを詩に詠って平生の憂さを気晴らしにしているのである。ふりむいてみるとまだ夕霞が消えずに残っている。


(訳注)  #6

柴門  #6

(瀼西草堂での閒居の意を詠ったもの。)

.柴門 しばを編んでつくった門。また、質素で閑静な住居。柴扉(さいひ)。杜甫はこの語を二十数首と多くの詩で詠っている、長安で過ごした若いときには、半官半隠の諸先輩(王維、崔氏)の庵を訪ねて、あこがれていることを、成都以降は、下の詩にしめすように、隠棲生活の杜甫の自宅のことを指している。

 

石亂上雲氣,杉清延月華。

石の乱れ散じているところに、雲気がたちのぼり、杉の木立清らかなところに月の光を迎へいれる。 

 

賞妍又分外,理愜夫何誇。

このような美しい景色を賞賛し、愛玩し得るのは、身分不相應な幸福なことであると思うのであって、自分の心境は意と理と合致しているのであるから、誇りにしていいのではなかろうか。

44. 賞妍 美しい景色を賞賛し、愛玩すること。

45. 分外 自己の分限に余りある幸福なこと。

46. 理愜 自分の心境は意と理と合致していることでまんぞくしている。 

 

足了垂白年,敢居高士差。

それは単にそれだけのことで、別にこれを他人に自慢するわけではない。もとより高士の階級に加わるつもりではなく、ただ今の白髪を垂れるほどの老境に満足していることには違いはないのである。

47. 足了 満足するを言う。

48. 垂白年 白髪を垂れるほどの老境であることをいう。 

49. 高士差 階級列差、高士の階級に加わるつもりではないということをおもっている。

 

書此豁平昔,回首猶暮霞。

自分はこんなことを詩に詠って平生の憂さを気晴らしにしているのである。ふりむいてみるとまだ夕霞が消えずに残っている。

50. 豁平昔 ここに至るまで平生の憂さを気晴らしにしていることをいう。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

 

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杜甫  柴門  #5

山荒人民少,地僻日夕佳。貧病固其常,富貴任生涯。老於干戈際,宅幸蓬蓽遮。

ここは山が荒れ、住んでいる人は少なく土地は山裾にかたよって、夕の景色はことによろしい。 持病を持った隠遁者にとって貧乏生活はもとよりあたりまえのことであるが、ちょうていにめされるとか、詩文が売れて、富貴になろうとなるまいとそんなことは生涯のなりゆきにまかせることでどうでもよい。十数年の兵乱の際にあたってしまい老いてしまうことになってはいるが、居宅は幸いにも蓬や茨蓽で垣根の様にさえぎられている。 

767-6-#5杜甫 19-08 柴門》#5 杜甫詩index-15-767年大暦256-6-#5 <1073 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7045

 

 
  2015年12月10日 の紀頌之5つのBlog  
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杜甫詩1500-1073-1552-#5/2500

年:767年大暦256-6

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    柴門

作地點:目前尚無資料

及地點:無

交遊人物/地點:  

 

柴門  #1

(瀼西草堂での閒居の意を詠ったもの。)

孤舟登瀼西,回首望兩崖。

自分は長江に流れ込む大きな支流である瀼水に孤舟を泛べ遡り、瀼西の地に登ってみる、そこから振り返って瞿塘の両岸を眺めた。

東城乾旱天,其氣如焚柴。

すると夔州の東、白帝城の方南ではひでりの天が乾いて、その赤やけの気象が柴を焚いているかの様にみえる。

長影沒窈窕,餘光散唅呀。

日が傾き崖壁の影が長く伸びて、しまいには、奥ふかくしづかなで、次第に暗くなってきえうせてしまい、赤やけの名残はがらんどうの空洞のあいだにちらばっている。

(柴門)  #1

孤舟 瀼西に登り,首を回せば 兩崖を望む。

東城 旱天を乾かし,其の氣 柴を焚くが如し。

長影 窈窕に沒し,餘光 呀に散ず。
#2

大江蟠嵌根,歸海成一家。

大江として流れて来てものが、水底につきさした崖壁の根っこにはすいりゅうがわだかまっており、東海の大海原に帰っていくものであるが、そこまでに、衆流をあつめて、この水を制せば、天下を一家とすることになる。

下衝割坤軸,竦壁攢鏌

その根っこでは、水が下方を衝撃する勢は地軸を裂く様であり、そのうえのそそりたった崖壁は鏌の剣をあつめた様にとがってむらがつているのである。

蕭颯灑秋色,氛昏霾日車。

そこへ秋色の気配がしてきたとおもわれたところへさっと雨風がそそいで降りつけ、両岸がそそり立っているので、もやくやとした惡気が暗くとざして太陽の前に土沙でも降っているかのようにみえるのである。

峽門自此始,最窄容浮

三峡の門はこの両崖(夔門)からはじまる。その最もせまいところはわずかにいかだを容れるに足るくらいなのである。

#2

大江は 嵌根に蟠り,歸海に 一家を成す。

下衝 坤軸を割き,竦壁 攢【あつま】る

蕭颯として 秋色に灑ぎ,氛昏として 日車に霾【つらう】る。

峽門 此れ自り始り,最窄 浮容る。

#3

禹功翊造化,疏鑿就攲斜。

禹王は造化の力をたすけてここから利水事業、掘り割りをして水黄梅をつけて、だんだん導いた。 

巨渠決太古,眾水為長蛇。

その巨大なほりわりである長江は、太古のむかしからきりひらかれ、途中であつめる幾多の水流は長蛇の勢をなして流れこんでいる。 

風煙渺蜀,舟楫通鹽麻。

かくして風塵はるかに、呉蜀につらなり、舟楫の便は鹽麻の利を通じている。 

#3

禹功 造化を翊け,疏鑿 攲斜に就く。

巨渠 太古より決す,水 長蛇を為す。

風煙 蜀にたり,舟楫 鹽麻を通ず
#4

我今遠遊子,飄轉混泥沙。

萬物附本性,約身不願奢。

茅棟蓋一床,清池有餘花。

濁醪與粟,在眼無咨嗟。

今自分は遠遊しているもので、轉蓬の様にあちこちを轉轉として、身を泥土のあいだに混じている。

いったい萬物はそれぞれその本性にまかすものである。じぶんは自分の本性に従って一身をつづまやかにして贅沢なことは願わぬ。

一個の寝台をかやぶきの棟でおおうであるのみで、清らかな池のほとりには春餘の花が咲きのこっている。

濁酒と玄米。これさえ眼前にあれば他はなんにもなげくこととてはないのである。

#4

我今 遠遊の子,飄轉 泥沙に混ず。

萬物 本性に附し,身をに約して 奢を願わず。

茅棟 一床を蓋う,清池 餘花有り。

濁醪と粟と,眼に在れば 咨嗟無し

#5

山荒人民少,地僻日夕佳。

ここは山が荒れ、住んでいる人は少なく土地は山裾にかたよって、夕の景色はことによろしい。 

貧病固其常,富貴任生涯。

持病を持った隠遁者にとって貧乏生活はもとよりあたりまえのことであるが、ちょうていにめされるとか、詩文が売れて、富貴になろうとなるまいとそんなことは生涯のなりゆきにまかせることでどうでもよい。

老於干戈際,宅幸蓬蓽遮。

十数年の兵乱の際にあたってしまい老いてしまうことになってはいるが、居宅は幸いにも蓬や茨蓽で垣根の様にさえぎられている。 

#5

山 荒れて 人民少し,地 僻にして 日 夕佳なり。

貧病 固と其の常,富貴 生涯に任す。

干戈の際に於て老ゆるも,宅は 幸いに蓬蓽に遮ぎられる。
#6

石亂上雲氣,杉清延月華。

賞妍又分外,理愜夫何誇。

足了垂白年,敢居高士差。

書此豁平昔,回首猶暮霞。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

『柴門』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#5

山荒人民少,地僻日夕佳。

貧病固其常,富貴任生涯。

老於干戈際,宅幸蓬蓽遮。

(下し文)
#5

山 荒れて 人民少し,地 僻にして 日 夕佳なり。

貧病 固と其の常,富貴 生涯に任す。

干戈の際に於て老ゆるも,宅は 幸いに蓬蓽に遮ぎられる。

(現代語訳)
#5

ここは山が荒れ、住んでいる人は少なく土地は山裾にかたよって、夕の景色はことによろしい。 

持病を持った隠遁者にとって貧乏生活はもとよりあたりまえのことであるが、ちょうていにめされるとか、詩文が売れて、富貴になろうとなるまいとそんなことは生涯のなりゆきにまかせることでどうでもよい。

十数年の兵乱の際にあたってしまい老いてしまうことになってはいるが、居宅は幸いにも蓬や茨蓽で垣根の様にさえぎられている。 


(訳注) #5

柴門  

(瀼西草堂での閒居の意を詠ったもの。)

.柴門 しばを編んでつくった門。また、質素で閑静な住居。柴扉(さいひ)。杜甫はこの語を二十数首と多くの詩で詠っている、長安で過ごした若いときには、半官半隠の諸先輩(王維、崔氏)の庵を訪ねて、あこがれていることを、成都以降は、下の詩にしめすように、隠棲生活の杜甫の自宅のことを指している。

 

山荒人民少,地僻日夕佳。

ここは山が荒れ、住んでいる人は少なく土地は山裾にかたよって、夕の景色はことによろしい。 

39 山荒人民少 杜甫の瀼西の草堂、瀼西宅の周辺は、その対岸の瀼東地区ほどには民家が密集していないが、瀼西の地そのものが狭いこともあり近隣との距離はかなり近かった。瀼西宅では杜甫のすぐ近辺に住まう農夫や漁夫や樵夫たちの生活の息吹が聞こえ、彼らと関わりを持ちながら生活していた。

長江にはたくさんの支流が注ぎ込むが、三峡一帯ではその険しい山谷から長江に流入する渓谷の流れを「瀼」と呼んでいたようである。そのことは、杜甫の(恐らくは)自注に「江水の山谷を横通する処、方人は之を瀼と謂う」と記されていることからわかる(王洙本巻十五《1939_秋日夔府詠懷……》詩「市曁瀼西巓」への原注)。杜甫もそうした当地のならわしによって、瀼西宅の前を流れて長江に流入するその川を「瀼」とよんだのであろう。

 

貧病固其常,富貴任生涯。

持病を持った隠遁者にとって貧乏生活はもとよりあたりまえのことであるが、ちょうていにめされるとか、詩文が売れて、富貴になろうとなるまいとそんなことは生涯のなりゆきにまかせることでどうでもよい。

40 固其常 もともとそのことは常識であるという意、したがって、隠遁するものにとって常識的なことを言う。

41 富貴任生涯 外郎の身分であること、心の片隅に、もう一度、朝廷に召されたいという思い、同時に、これまでも、詩文を売って生計に充てていたことから、都に帰れば結構詩文が売れるということを思っている。しかし、今ここにおいて、声から残された生涯を生きる上で、そんなことはどうでもいいというほどの意。

 

老於干戈際,宅幸蓬蓽遮。

十数年の兵乱の際にあたってしまい老いてしまうことになってはいるが、居宅は幸いにも蓬や茨蓽で垣根の様にさえぎられている。 

42 老於干戈際 杜甫は、死ぬ思いを何度か経験している、①安禄山が始まってすぐのころ、安禄山の軍につかまっている、②長安で軟禁されているときそこからの脱出、③房琯事件で、一旦死罪を賜ったこと、④華州参軍に左遷された際、朝廷、肅宗の施政を、特に経済政策、駅伝制について批判した論文を参軍の試験問題で論じたこと、これは場合によって死罪を受ける可能性があったので、直ちに官を辞して秦州に隠遁した。④嚴武が朝廷に栄転するのに恒例によって、成都から梓州まで見送りしている間に、成都で徐知道の乱がおこり、1年半も蜀中輾転ということがあった。

43 蓬蓽遮 瀼西の地そのものが狭いこともあり近隣との距離はかなり近かった。瀼西宅では杜甫のすぐ近辺に住まう農夫や漁夫や樵夫たちの生活の息吹が聞こえ、彼らと関わりを持ちながら生活していた。とはいえ、真垣や土塀ではなく風流にも蓬や茨蓽で垣根ができていて、人目を遮断しているということ。

夔州東川卜居図詳細 002 

 

 

 


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杜甫  柴門 #4

我今遠遊子,飄轉混泥沙。萬物附本性,約身不願奢。

茅棟蓋一床,清池有餘花。濁醪與粟,在眼無咨嗟
今自分は遠遊しているもので、轉蓬の様にあちこちを轉轉として、身を泥土のあいだに混じている。いったい萬物はそれぞれその本性にまかすものである。じぶんは自分の本性に従って一身をつづまやかにして贅沢なことは願わぬ。一個の寝台をかやぶきの棟でおおうであるのみで、清らかな池のほとりには春餘の花が咲きのこっている。濁酒と玄米。これさえ眼前にあれば他はなんにもなげくこととてはないのである。

767-6-#4杜甫 19-08 柴門》#4 杜甫詩index-15-767年大暦256-6-#4 <1072 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7040 

 

 
  2015年12月9日 の紀頌之5つのBlog  
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杜甫詩1500-1072-1552-#4/2500

年:767年大暦256-6

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    柴門

作地點:目前尚無資料

及地點:無

交遊人物/地點:  

 

柴門  #1

(瀼西草堂での閒居の意を詠ったもの。)

孤舟登瀼西,回首望兩崖。

自分は長江に流れ込む大きな支流である瀼水に孤舟を泛べ遡り、瀼西の地に登ってみる、そこから振り返って瞿塘の両岸を眺めた。

東城乾旱天,其氣如焚柴。

すると夔州の東、白帝城の方南ではひでりの天が乾いて、その赤やけの気象が柴を焚いているかの様にみえる。

長影沒窈窕,餘光散唅呀。

日が傾き崖壁の影が長く伸びて、しまいには、奥ふかくしづかなで、次第に暗くなってきえうせてしまい、赤やけの名残はがらんどうの空洞のあいだにちらばっている。

(柴門)  #1

孤舟 瀼西に登り,首を回せば 兩崖を望む。

東城 旱天を乾かし,其の氣 柴を焚くが如し。

長影 窈窕に沒し,餘光 呀に散ず。
#2

大江蟠嵌根,歸海成一家。

大江として流れて来てものが、水底につきさした崖壁の根っこにはすいりゅうがわだかまっており、東海の大海原に帰っていくものであるが、そこまでに、衆流をあつめて、この水を制せば、天下を一家とすることになる。

下衝割坤軸,竦壁攢鏌

その根っこでは、水が下方を衝撃する勢は地軸を裂く様であり、そのうえのそそりたった崖壁は鏌の剣をあつめた様にとがってむらがつているのである。

蕭颯灑秋色,氛昏霾日車。

そこへ秋色の気配がしてきたとおもわれたところへさっと雨風がそそいで降りつけ、両岸がそそり立っているので、もやくやとした惡気が暗くとざして太陽の前に土沙でも降っているかのようにみえるのである。

峽門自此始,最窄容浮

三峡の門はこの両崖(夔門)からはじまる。その最もせまいところはわずかにいかだを容れるに足るくらいなのである。

#2

大江は 嵌根に蟠り,歸海に 一家を成す。

下衝 坤軸を割き,竦壁 攢【あつま】る

蕭颯として 秋色に灑ぎ,氛昏として 日車に霾【つらう】る。

峽門 此れ自り始り,最窄 浮容る。

#3

禹功翊造化,疏鑿就攲斜。

禹王は造化の力をたすけてここから利水事業、掘り割りをして水黄梅をつけて、だんだん導いた。 

巨渠決太古,眾水為長蛇。

その巨大なほりわりである長江は、太古のむかしからきりひらかれ、途中であつめる幾多の水流は長蛇の勢をなして流れこんでいる。 

風煙渺蜀,舟楫通鹽麻。

かくして風塵はるかに、呉蜀につらなり、舟楫の便は鹽麻の利を通じている。 

#3

禹功 造化を翊け,疏鑿 攲斜に就く。

巨渠 太古より決す,水 長蛇を為す。

風煙 蜀にたり,舟楫 鹽麻を通ず
#4

我今遠遊子,飄轉混泥沙。

萬物附本性,約身不願奢。

茅棟蓋一床,清池有餘花。

濁醪與粟,在眼無咨嗟。

今自分は遠遊しているもので、轉蓬の様にあちこちを轉轉として、身を泥土のあいだに混じている。

いったい萬物はそれぞれその本性にまかすものである。じぶんは自分の本性に従って一身をつづまやかにして贅沢なことは願わぬ。

一個の寝台をかやぶきの棟でおおうであるのみで、清らかな池のほとりには春餘の花が咲きのこっている。

濁酒と玄米。これさえ眼前にあれば他はなんにもなげくこととてはないのである。

#4

我今 遠遊の子,飄轉 泥沙に混ず。

萬物 本性に附し,身をに約して 奢を願わず。

茅棟 一床を蓋う,清池 餘花有り。

濁醪と粟と,眼に在れば 咨嗟無し

#5

山荒人民少,地僻日夕佳。

貧病固其常,富貴任生涯。

老於干戈際,宅幸蓬蓽遮。

#6

石亂上雲氣,杉清延月華。

賞妍又分外,理愜夫何誇。

足了垂白年,敢居高士差。

書此豁平昔,回首猶暮霞。

 

 

『柴門』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

我今遠遊子,飄轉混泥沙。

萬物附本性,約身不願奢。

茅棟蓋一床,清池有餘花。

濁醪與粟,在眼無咨嗟
詩文(含異文) #

我今遠遊子,飄轉混泥沙。

萬物附本性,約身不願奢【約身不欲奢】【約性不願奢】【約性不欲奢】【處身不願奢】【處身不願欲】【處性不願奢】【處性不願欲】。

茅棟蓋一床,清池有餘花。

濁醪與粟,在眼無咨嗟。


(下し文)
#4

我今 遠遊の子,飄轉 泥沙に混ず。

萬物 本性に附し,身をに約して 奢を願わず。

茅棟 一床を蓋う,清池 餘花有り。

濁醪と粟と,眼に在れば 咨嗟無し


(現代語訳)
#4

今自分は遠遊しているもので、轉蓬の様にあちこちを轉轉として、身を泥土のあいだに混じている。

いったい萬物はそれぞれその本性にまかすものである。じぶんは自分の本性に従って一身をつづまやかにして贅沢なことは願わぬ。

一個の寝台をかやぶきの棟でおおうであるのみで、清らかな池のほとりには春餘の花が咲きのこっている。

濁酒と玄米。これさえ眼前にあれば他はなんにもなげくこととてはないのである。


(訳注) #4

柴門  

(瀼西草堂での閒居の意を詠ったもの。)

.柴門 しばを編んでつくった門。また、質素で閑静な住居。柴扉(さいひ)。杜甫はこの語を二十数首と多くの詩で詠っている、長安で過ごした若いときには、半官半隠の諸先輩(王維、崔氏)の庵を訪ねて、あこがれていることを、成都以降は、下の詩にしめすように、隠棲生活の杜甫の自宅のことを指している。

 

我今遠遊子,飄轉混泥沙。

今自分は遠遊しているもので、轉蓬の様にあちこちを轉轉として、身を泥土のあいだに混じている。

30 遠 故郷、都から遠く離れていること。

31 遊子 遊子:家を離れて他郷にいる人。旅人。

32 飄轉 回旋飄飛。 杜甫 《茅屋為秋風所破歌》「茅飛渡江灑江郊, 高者掛長林梢, 下者飄轉沉塘坳。」

33 混泥沙 杜甫 《卷一七66 黃魚》「泥沙卷涎沫,回首怪龍」

 

萬物附本性,約身不願奢。

いったい萬物はそれぞれその本性にまかすものである。じぶんは自分の本性に従って一身をつづまやかにして贅沢なことは願わぬ。

34 萬物附本性 莊子の自然界においての修養的な意義をあらわすごで、「虛靜」、「恬淡」、「寂漠」、「無為」を是れ萬物的本性といっている。

 

茅棟蓋一床,清池有餘花。

一個の寝台をかやぶきの棟でおおうであるのみで、清らかな池のほとりには春餘の花が咲きのこっている。

35 清池 隠遁生活を連想させる清らかな池。

《卷二其三35 陪鄭廣文遊何將軍山林十首》「異花來域,滋蔓匝清池。」

《卷八27 發秦州》「求密竹復冬筍,清池可方舟。」

19-08 柴門》「茅棟蓋一床,清池有餘花。」

餘花 過ぎて行く春にいろんな花が散ってしまって残って再生る花。子季語, 若葉の花、青葉の花、夏桜. 関連季語, 残花. 解説, 夏になって若葉の中に咲き残る桜の花をいう。寒い地域や高い山などに見られる。立夏前 の桜は残花、立夏後は余花になる。

 

濁醪與粟,在眼無咨嗟
濁酒と玄米。これさえ眼前にあれば他はなんにもなげくこととてはないのである。

36 濁醪 発酵させただけの白く濁った酒。もろみ酒、濁り酒(にごりざけ)ともいう。炊いた米に、米こうじや酒粕に残る酵母などを加えて発酵させることによって造られる。

37  脱穀をしたコメ、玄米。

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杜甫  柴門 #3

禹功翊造化,疏鑿就攲斜。巨渠決太古,眾水為長蛇。風煙渺蜀,舟楫通鹽麻。

禹王は造化の力をたすけてここから利水事業、掘り割りをして水黄梅をつけて、だんだん導いた。 その巨大なほりわりである長江は、太古のむかしからきりひらかれ、途中であつめる幾多の水流は長蛇の勢をなして流れこんでいる。 かくして風塵はるかに、呉蜀につらなり、舟楫の便は鹽麻の利を通じている。 

767-6-#3杜甫 19-08 柴門》#3 杜甫詩index-15-767年大暦256-6-#3 <1071 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7035

 

 

 
  2015年12月8日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
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韓愈110 -#5《 巻九03叉魚招張功曹》 #5 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1610> Ⅱ#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7034  
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  孟郊 張籍          
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
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杜甫詩1500-1071-1552-#3/2500

年:767年大暦256-6

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    柴門

作地點:目前尚無資料

及地點:無

交遊人物/地點:  

 

柴門  #1

(瀼西草堂での閒居の意を詠ったもの。)

孤舟登瀼西,回首望兩崖。

自分は長江に流れ込む大きな支流である瀼水に孤舟を泛べ遡り、瀼西の地に登ってみる、そこから振り返って瞿塘の両岸を眺めた。

東城乾旱天,其氣如焚柴。

すると夔州の東、白帝城の方南ではひでりの天が乾いて、その赤やけの気象が柴を焚いているかの様にみえる。

長影沒窈窕,餘光散唅呀。

日が傾き崖壁の影が長く伸びて、しまいには、奥ふかくしづかなで、次第に暗くなってきえうせてしまい、赤やけの名残はがらんどうの空洞のあいだにちらばっている。

(柴門)  #1

孤舟 瀼西に登り,首を回せば 兩崖を望む。

東城 旱天を乾かし,其の氣 柴を焚くが如し。

長影 窈窕に沒し,餘光 呀に散ず。
#2

大江蟠嵌根,歸海成一家。

大江として流れて来てものが、水底につきさした崖壁の根っこにはすいりゅうがわだかまっており、東海の大海原に帰っていくものであるが、そこまでに、衆流をあつめて、この水を制せば、天下を一家とすることになる。

下衝割坤軸,竦壁攢鏌

その根っこでは、水が下方を衝撃する勢は地軸を裂く様であり、そのうえのそそりたった崖壁は鏌の剣をあつめた様にとがってむらがつているのである。

蕭颯灑秋色,氛昏霾日車。

そこへ秋色の気配がしてきたとおもわれたところへさっと雨風がそそいで降りつけ、両岸がそそり立っているので、もやくやとした惡気が暗くとざして太陽の前に土沙でも降っているかのようにみえるのである。

峽門自此始,最窄容浮

三峡の門はこの両崖(夔門)からはじまる。その最もせまいところはわずかにいかだを容れるに足るくらいなのである。

#2

大江は 嵌根に蟠り,歸海に 一家を成す。

下衝 坤軸を割き,竦壁 攢【あつま】る

蕭颯として 秋色に灑ぎ,氛昏として 日車に霾【つらう】る。

峽門 此れ自り始り,最窄 浮容る。

#3

禹功翊造化,疏鑿就攲斜。

禹王は造化の力をたすけてここから利水事業、掘り割りをして水黄梅をつけて、だんだん導いた。 

巨渠決太古,眾水為長蛇。

その巨大なほりわりである長江は、太古のむかしからきりひらかれ、途中であつめる幾多の水流は長蛇の勢をなして流れこんでいる。 

風煙渺蜀,舟楫通鹽麻。

かくして風塵はるかに、呉蜀につらなり、舟楫の便は鹽麻の利を通じている。 

#3

禹功 造化を翊け,疏鑿 攲斜に就く。

巨渠 太古より決す,水 長蛇を為す。

風煙 蜀にたり,舟楫 鹽麻を通ず
#4

我今遠遊子,飄轉混泥沙。

萬物附本性,約身不願奢。

茅棟蓋一床,清池有餘花。

濁醪與粟,在眼無咨嗟。

#5

山荒人民少,地僻日夕佳。

貧病固其常,富貴任生涯。

老於干戈際,宅幸蓬蓽遮。

#6

石亂上雲氣,杉清延月華。

賞妍又分外,理愜夫何誇。

足了垂白年,敢居高士差。

書此豁平昔,回首猶暮霞。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

『柴門』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

禹功翊造化,疏鑿就攲斜。

巨渠決太古,水為長蛇。

風煙渺蜀,舟楫通鹽麻

(下し文)
#3

禹功 造化を翊け,疏鑿 攲斜に就く。

巨渠 太古より決す,水 長蛇を為す。

風煙 蜀にたり,舟楫 鹽麻を通ず

(現代語訳)
#3

禹王は造化の力をたすけてここから利水事業、掘り割りをして水黄梅をつけて、だんだん導いた。 

その巨大なほりわりである長江は、太古のむかしからきりひらかれ、途中であつめる幾多の水流は長蛇の勢をなして流れこんでいる。 

かくして風塵はるかに、呉蜀につらなり、舟楫の便は鹽麻の利を通じている。 


(訳注) #3

禹功翊造化,疏鑿就攲斜。

禹王は造化の力をたすけてここから利水事業、掘り割りをして水黄梅をつけて、だんだん導いた。 

(21)禹功 禹は治水事業に失敗した父の後を継ぎ、舜に推挙される形で、黄河の治水にあたった。『列子』楊朱第七によれば、このとき仕事に打ち込みすぎ、子供も育てず、家庭も顧みなかったので、身体が半身不随になり、手足はひび・あかぎれだらけになったという。しかしこの伝説は、どうも元来存在した「禹は偏枯なり」という描写を後世に合理的に解釈した結果うまれた物語のようである。『荘子』盗跖篇巻第二十九には「尭は不慈、舜は不孝、禹は偏枯」とあり『荀子』巻第三非相篇第五には「禹は跳び、湯は偏し」とある。白川静は『山海経』にみえる魚に「偏枯」という表現が使われていることから、禹は当初は魚の姿をした神格だったという仮説を立てた。実際「禹」という文字は本来蜥蜴や鰐、竜の姿を描いた象形文字であり、禹の起源は黄河に棲む水神だったといわれている。  

(22)造化 ① 天地とその間に存在する万物をつくり出し,育てること。また,その道理・それを行う神。 -の妙」 神のつくった天地。 

(23)疏鑿 運河やトンネルを掘ること。 

(24)就攲斜 水の流れやすくする、水勾配をつけること。

 

 

巨渠決太古,眾水為長蛇。

その巨大なほりわりである長江は、太古のむかしからきりひらかれ、途中であつめる幾多の水流は長蛇の勢をなして流れこんでいる。 

(25)巨渠 長江のことで、利水事業の運河を言う。 

 

風煙渺蜀,舟楫通鹽麻。

かくして風塵はるかに、呉蜀につらなり、舟楫の便は鹽麻の利を通じている。 

(26)鹽麻 重要生活用品を蜀から移入すること。長江を制するもの天下を制すということの根拠。 

夔州東川卜居図詳細 002 

 

 

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杜甫  柴門 #2

大江蟠嵌根,歸海成一家。下衝割坤軸,竦壁攢鏌

蕭颯灑秋色,氛昏霾日車。峽門自此始,最窄容浮

大江として流れて来てものが、水底につきさした崖壁の根っこにはすいりゅうがわだかまっており、東海の大海原に帰っていくものであるが、そこまでに、衆流をあつめて、この水を制せば、天下を一家とすることになる。その根っこでは、水が下方を衝撃する勢は地軸を裂く様であり、そのうえのそそりたった崖壁は鏌の剣をあつめた様にとがってむらがつているのである。そこへ秋色の気配がしてきたとおもわれたところへさっと雨風がそそいで降りつけ、両岸がそそり立っているので、もやくやとした惡気が暗くとざして太陽の前に土沙でも降っているかのようにみえるのである。三峡の門はこの両崖(夔門)からはじまる。その最もせまいところはわずかにいかだを容れるに足るくらいなのである。

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杜甫詩1500-1070-1552-#2/2500

年:767年大暦256-6

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    柴門

作地點:目前尚無資料

及地點:無

交遊人物/地點:  

 

柴門  #1

(瀼西草堂での閒居の意を詠ったもの。)

孤舟登瀼西,回首望兩崖。

自分は長江に流れ込む大きな支流である瀼水に孤舟を泛べ遡り、瀼西の地に登ってみる、そこから振り返って瞿塘の両岸を眺めた。

東城乾旱天,其氣如焚柴。

すると夔州の東、白帝城の方南ではひでりの天が乾いて、その赤やけの気象が柴を焚いているかの様にみえる。

長影沒窈窕,餘光散唅呀。

日が傾き崖壁の影が長く伸びて、しまいには、奥ふかくしづかなで、次第に暗くなってきえうせてしまい、赤やけの名残はがらんどうの空洞のあいだにちらばっている。

(柴門)  #1

孤舟 瀼西に登り,首を回せば 兩崖を望む。

東城 旱天を乾かし,其の氣 柴を焚くが如し。

長影 窈窕に沒し,餘光 呀に散ず。
#2

大江蟠嵌根,歸海成一家。

大江として流れて来てものが、水底につきさした崖壁の根っこにはすいりゅうがわだかまっており、東海の大海原に帰っていくものであるが、そこまでに、衆流をあつめて、この水を制せば、天下を一家とすることになる。

下衝割坤軸,竦壁攢鏌

その根っこでは、水が下方を衝撃する勢は地軸を裂く様であり、そのうえのそそりたった崖壁は鏌の剣をあつめた様にとがってむらがつているのである。

蕭颯灑秋色,氛昏霾日車。

そこへ秋色の気配がしてきたとおもわれたところへさっと雨風がそそいで降りつけ、両岸がそそり立っているので、もやくやとした惡気が暗くとざして太陽の前に土沙でも降っているかのようにみえるのである。

峽門自此始,最窄容浮

三峡の門はこの両崖(夔門)からはじまる。その最もせまいところはわずかにいかだを容れるに足るくらいなのである。

#2

大江は 嵌根に蟠り,歸海に 一家を成す。

下衝 坤軸を割き,竦壁 攢【あつま】る

蕭颯として 秋色に灑ぎ,氛昏として 日車に霾【つらう】る。

峽門 此れ自り始り,最窄 浮容る。

#3

禹功翊造化,疏鑿就攲斜。

巨渠決太古,眾水為長蛇。

風煙渺蜀,舟楫通鹽麻。

#4

我今遠遊子,飄轉混泥沙。

萬物附本性,約身不願奢。

茅棟蓋一床,清池有餘花。

濁醪與粟,在眼無咨嗟。

#5

山荒人民少,地僻日夕佳。

貧病固其常,富貴任生涯。

老於干戈際,宅幸蓬蓽遮。

#6

石亂上雲氣,杉清延月華。

賞妍又分外,理愜夫何誇。

足了垂白年,敢居高士差。

書此豁平昔,回首猶暮霞。

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

『柴門』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

大江蟠嵌根,歸海成一家。

下衝割坤軸,竦壁攢

蕭颯灑秋色,氛昏霾日車。

峽門自此始,最窄容浮
詩文(含異文) #

大江蟠嵌根,歸海成一家。

下衝割坤軸,竦壁攢鏌

蕭颯灑秋色,氛昏霾日車【氣昏霾日車】。

峽【案:廣溪乃三峽之首。】門自此始【門自此始】,最窄容浮


(下し文)
#2

大江は 嵌根に蟠り,歸海に 一家を成す。

下衝 坤軸を割き,竦壁 攢【あつま】る

蕭颯として 秋色に灑ぎ,氛昏として 日車に霾【つらう】る。

峽門 此れ自り始り,最窄 浮容る。


(現代語訳)
#2

大江として流れて来てものが、水底につきさした崖壁の根っこにはすいりゅうがわだかまっており、東海の大海原に帰っていくものであるが、そこまでに、衆流をあつめて、この水を制せば、天下を一家とすることになる。

その根っこでは、水が下方を衝撃する勢は地軸を裂く様であり、そのうえのそそりたった崖壁は鏌の剣をあつめた様にとがってむらがつているのである。

そこへ秋色の気配がしてきたとおもわれたところへさっと雨風がそそいで降りつけ、両岸がそそり立っているので、もやくやとした惡気が暗くとざして太陽の前に土沙でも降っているかのようにみえるのである。

三峡の門はこの両崖(夔門)からはじまる。その最もせまいところはわずかにいかだを容れるに足るくらいなのである。

夔州東川卜居図詳細 002
(訳注) #2

柴門  

(瀼西草堂での閒居の意を詠ったもの。)

     柴門 しばを編んでつくった門。また、質素で閑静な住居。柴扉(さいひ)。杜甫はこの語を二十数首と多くの詩で詠っている、長安で過ごした若いときには、半官半隠の諸先輩(王維、崔氏)の庵を訪ねて、あこがれていることを、成都以降は、下の詩にしめすように、隠棲生活の杜甫の自宅のことを指している。

 

大江蟠嵌根,歸海成一家。

大江として流れて来てものが、水底につきさした崖壁の根っこにはすいりゅうがわだかまっており、東海の大海原に帰っていくものであるが、そこまでに、衆流をあつめて、この水を制せば、天下を一家とすることになる。

11     大江 この瞿唐峽に流れが入っていくまでは大江として東北東に向かっておおらかに流れてきていて、瞿唐峽の入口、夔門から南東に流れを変える。
12 蟠嵌根 切り落ちた崖がそのまま水中まで差し込んだようになっている。

13     歸海 中国の大江は東流して東海に灑具、即ち、「海に歸す」のである。

14     成一家 この三峡の流れを制すもの、長江を制すものは天下を制す。

 

下衝割坤軸,竦壁攢鏌

その根っこでは、水が下方を衝撃する勢は地軸を裂く様であり、そのうえのそそりたった崖壁は鏌の剣をあつめた様にとがってむらがつているのである。

15    下衝 崖の下方において衝撃している。
16     割坤軸 地軸を裂く。

17    竦壁 そばだちたる崖壁。

18    攢鏌 鏌の剣をあつめた様にとがってむらがつている  ・:干将とともに戦国時代の呉の国で作られた名剣。《莊子·大宗師》「我必且爲鏌鋣。」(我 必ず且つ鏌鋣と為す。), 莫邪(ばくや), ◇『呉越春秋』, 呉王の闔閭が干将に造らせた二振りの剣のうちの一つ。造るにあたって髪と爪を炉に投げ入れたのは、鉄鉱石がうまく溶けなかった時、干将の師匠が夫婦揃ってたたらの中に身に投げ入れたのにならってのこと。

 

蕭颯灑秋色,氛昏霾日車。

そこへ秋色の気配がしてきたとおもわれたところへさっと雨風がそそいで降りつけ、両岸がそそり立っているので、もやくやとした惡気が暗くとざして太陽の前に土沙でも降っているかのようにみえるのである。

19    蕭颯 雨交じりの風が吹く。

20    灑秋色 秋色の気配がしてきたとおもわれたところへがそそぎ降りつける。

(21) 氛昏 もやくやとした惡気が暗くとざした状況。

(22) 氛・霾日車 雨風が太陽の前に土沙でも降っているかのようにみえるのである ・霾:土をふるいにかけて、おとす。

 

峽門自此始,最窄容浮

三峡の門はこの両崖(夔門)からはじまる。その最もせまいところはわずかにいかだを容れるに足るくらいなのである。

(23)       峽門 三峡の両崖の門は夔門という。

(24)       浮 いかだをうかべる。

 

 

 

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767年-6杜甫 《19-08 柴門》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-6 <1064> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7000

李白  柴門  #1

孤舟登瀼西,回首望兩崖。東城乾旱天,其氣如焚柴。長影沒窈窕,餘光散唅呀。

(瀼西草堂での閒居の意を詠ったもの。)

自分は長江に流れ込む大きな支流である瀼水に孤舟を泛べ遡り、瀼西の地に登ってみる、そこから振り返って瞿塘の両岸を眺めた。すると夔州の東、白帝城の方南ではひでりの天が乾いて、その赤やけの気象が柴を焚いているかの様にみえる。日が傾き崖壁の影が長く伸びて、しまいには、奥ふかくしづかなで、次第に暗くなってきえうせてしまい、赤やけの名残はがらんどうの空洞のあいだにちらばっている。

767-6杜甫 19-08 柴門》 杜甫詩index-15-767年大暦256-6 <1064 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7000

 

 
  2015年12月6日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
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(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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韓愈110 -#3《 巻九03叉魚招張功曹》 #3 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1608> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7024  
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  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-6#1杜甫 《19-08 柴門》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-6 <1064> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7000  
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  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
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  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
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杜甫詩1500-1064-1552/2500

年:767年大暦256-6

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    柴門

作地點:目前尚無資料

及地點:無

交遊人物/地點:  

 

柴門  #1

(瀼西草堂での閒居の意を詠ったもの。)

孤舟登瀼西,回首望兩崖。

自分は長江に流れ込む大きな支流である瀼水に孤舟を泛べ遡り、瀼西の地に登ってみる、そこから振り返って瞿塘の両岸を眺めた。

東城乾旱天,其氣如焚柴。

すると夔州の東、白帝城の方南ではひでりの天が乾いて、その赤やけの気象が柴を焚いているかの様にみえる。

長影沒窈窕,餘光散唅呀。

日が傾き崖壁の影が長く伸びて、しまいには、奥ふかくしづかなで、次第に暗くなってきえうせてしまい、赤やけの名残はがらんどうの空洞のあいだにちらばっている。

(柴門)  #1

孤舟 瀼西に登り,首を回せば 兩崖を望む。

東城 旱天を乾かし,其の氣 柴を焚くが如し。

長影 窈窕に沒し,餘光 呀に散ず。
#2

大江蟠嵌根,歸海成一家。

下衝割坤軸,竦壁攢鏌

蕭颯灑秋色,氛昏霾日車。

峽門自此始,最窄容浮

#3

禹功翊造化,疏鑿就攲斜。

巨渠決太古,眾水為長蛇。

風煙渺蜀,舟楫通鹽麻。

#4

我今遠遊子,飄轉混泥沙。

萬物附本性,約身不願奢。

茅棟蓋一床,清池有餘花。

濁醪與粟,在眼無咨嗟。

#5

山荒人民少,地僻日夕佳。

貧病固其常,富貴任生涯。

老於干戈際,宅幸蓬蓽遮。

#6

石亂上雲氣,杉清延月華。

賞妍又分外,理愜夫何誇。

足了垂白年,敢居高士差。

書此豁平昔,回首猶暮霞。

瞿塘峡・白帝城・魚復夔州東川卜居図詳細 002 

 

 

『柴門』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

柴門  #1

孤舟登瀼西,回首望兩崖。

東城乾旱天,其氣如焚柴。

長影沒窈窕,餘光散
詩文(含異文) #1

孤舟登瀼西【泛舟登瀼西】,回首望兩崖。

東城乾旱天,其氣如焚柴。

長影沒窈窕,餘光散唅呀。


(下し文)
(柴門)  #1

孤舟 瀼西に登り,首を回せば 兩崖を望む。

東城 旱天を乾かし,其の氣 柴を焚くが如し。

長影 窈窕に沒し,餘光 呀に散ず。

(現代語訳)
柴門  #1(瀼西草堂での閒居の意を詠ったもの。)

自分は長江に流れ込む大きな支流である瀼水に孤舟を泛べ遡り、瀼西の地に登ってみる、そこから振り返って瞿塘の両岸を眺めた。すると夔州の東、白帝城の方南ではひでりの天が乾いて、その赤やけの気象が柴を焚いているかの様にみえる。日が傾き崖壁の影が長く伸びて、しまいには、奥ふかくしづかなで、次第に暗くなってきえうせてしまい、赤やけの名残はがらんどうの空洞のあいだにちらばっている。


(訳注)

柴門  #1

(瀼西草堂での閒居の意を詠ったもの。)

     柴門 しばを編んでつくった門。また、質素で閑静な住居。柴扉(さいひ)。杜甫はこの語を二十数首と多くの詩で詠っている、長安で過ごした若いときには、半官半隠の諸先輩(王維、崔氏)の庵を訪ねて、あこがれていることを、成都以降は、下の詩にしめすように、隠棲生活の杜甫の自宅のことを指している。

1

09-68 絶句漫興 九首 其六

懶慢無堪不出村,呼兒自在掩柴門。

蒼苔濁酒林中靜,碧水春風野外昏。

懶慢【らんまん】堪うる無く村を出でず、児を呼び自ら在りて柴門を掩【おお】わしむ。

蒼苔【そうたい】濁酒 林中 静かに、碧水【へきすい】春風 野外 昏【くら】し。

2

10-74 贈別鄭鍊赴襄陽

戎馬交馳際,柴門老病身。

把君詩過日,念此別驚神。

地闊峨眉晚,天高峴首春。

為於耆舊,試覓姓龐人。

(鄭鍊【ていれん】が襄陽に赴むくに別れるに贈る)

戎馬 交馳の際,柴門 老病の身。

君を把む 詩は日を過る,此れを念う 別は神を驚く。

地闊して峨眉の晚,天高くして峴首の春。

為於 耆舊の,試みに姓は龐人を覓む。

3

13-44 破船  #1

平生江海心,宿昔具扁舟。

豈惟青溪上,日傍柴門遊。

蒼皇避亂兵,緬邈懷舊丘。

鄰人亦已非,野竹獨修修。

(破船)  #1

平生 江海への心,宿昔 具に扁舟せん。

豈に惟れ青溪の上り,日傍 柴門に遊ぶ。

蒼皇 亂兵を避け,緬邈 舊丘を懷う。

鄰人 亦た已に非らず,野竹 獨り修修たり。

絶句漫興九首 其六 成都浣花渓 杜甫 <450  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2195 杜甫詩1000-450-633/1500

廣徳2764-33-1 破船ー#1》 ふたたび成都3240 杜甫<6641 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3770 杜甫詩1000-6641-948/1500767

贈別鄭鍊赴襄陽 蜀中転々 杜甫 <503  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2705 杜甫詩1000-503-735/1500

 

 

孤舟登瀼西,回首望兩崖。

自分は長江に流れ込む大きな支流である瀼水に孤舟を泛べ遡り、瀼西の地に登ってみる、そこから振り返って瞿塘の両岸を眺めた。

     瀼西 杜甫は詩の中でその「瀼」という言葉を何度も用いている。ただ「瀼西」というのがほとんどで、他は「瀼東」「瀼は滑らか」(その異文で「瀼は闊し」)「瀼の岸」「瀼の上」などである。

 ところで、瀼という字はあまり見慣れない。杜甫以前で、夔州の西または東の瀼に言及したものは、四庫全書(電子版)の範囲内では『水経注』が最初である。巻三三に「白帝山城は周迴二百八十歩、北は馬嶺に縁()り、赤岬山に接し、其の間の平処は、南北相去ること八十五丈、東西七十丈。又東は東瀼渓に傍()い、即ち以て隍と為す」とあり、この東瀼渓が今の梅渓河ではなく草堂河を指すことは、馬嶺、赤岬山、白帝城との位置関係から明らかである。その東瀼渓が白帝城の「隍」すなわち水の無い城濠の役割を果たすと言っているのは、冬場に水位が下がったときのことである。

 唐以前の詩及び全唐詩で、地理に関する名詞として瀼の字が使われているのは十六首あるが、そのうち杜甫が十三例を占め、あとは中唐の劉禹錫の竹枝詞に「瀼西春水縠紋生」とあるのが一例、九江のことを述べた盛唐の元結が二例あるに過ぎない。つまり夔州の草堂河を詩の中に歌ったのは杜甫が最初で、しかもそのほとんどが杜甫で、瀼は杜甫の詩と強く結びついているということである。浣花(渓)が成都草堂時代を代表する詩語だったように、瀼は杜甫の夔州詩を代表する一つの言葉だと言ってよい。

 

〔草堂河〕

 草堂河(東瀼水)両岸の地区を杜甫は瀼東、瀼西という言い方をしている。夔州に着いてまもないころの詩《1527_夔州歌十絶句》其五で、

夔州歌十絶句其五 

(夔州歌十句,十首の五)

瀼東瀼西一萬家,江北江南春冬花。

瀼東 瀼西 一万家、江北江南春冬花あり。

背飛鶴子遺瓊蕊,相趁鳧雛入蔣牙。

背飛する鶴子は瓊蕊【けいずい】を遺し、相趁【おう】の鳧雛【ふすう】は蒋牙【しょうが】に入る。

と詠じ、草堂河の東岸、西岸に広がる民家が一万戸と述べている。『新唐書』巻四十、地理志によれば、夔州は奉節、雲安、巫山、大昌の四県全体で、戸数は一万五千六百二十、人口は七万五千(『通典』や『太平寰宇記』の記述も大同小異)である。これからすると草堂河両岸だけで民家一万戸というのは、多すぎるかもしれない。

杜甫は、766年暮春から夔州に移り住んだが、彼の詩からその住居を時系列に並べると、雲安⇒ 客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯、となるが、おそらく、夔州には数件の住まいがあったのであろう。

 

 

東城乾旱天,其氣如焚柴。

すると夔州の東、白帝城の方南ではひでりの天が乾いて、その赤やけの気象が柴を焚いているかの様にみえる。

     東城 夔州の東側にあったのでこういう。

〔瀼西宅と白帝城〕

白帝山(城)は、城塞の自宅からは西方向で比較的近く、地続きだから陸路でも行けるし、視界にも入る。杜甫が詠じる白帝城は、夔州城とは、つまり州の役所とは別物であった。そのことは杜甫自身が「白帝と夔州は各(おのおの)城を異にす」(1527_夔州歌十絶句》其二)と述べていることから明らかである。とはいえ厳耕望氏によれば、夔州城は白帝城と連接していた。

 

夔州歌十句,十首之二

(夔州の歌 十句,十首の二)

白帝夔州各異城,蜀江楚峽混殊名。

白帝 夔州 各の城を異にす,蜀江 楚峽 殊名を混ず。

英雄割據非天意,霸主并吞在物情。

英雄 割據は天意に非らず,霸主の并吞するは物情に在り。

そしてそれは白帝城の北にあり、白帝城よりはずっと大きく、旧赤甲城の場所にあった(注'⑹'参照)。もちろん唐代の夔州城は梅渓河の方にはなかった。一方、白帝城には旧都督府の役所があったのではないかと思う。杜甫が夔州に滞在していたとき、夔州都督府は既に廃されていたが、白帝城は州より一つ上位の都督府的な役所(防禦使など)として、一部機能していたのではなかろうか。杜甫は白帝山の西閣に住んだことがあり、白帝城をひどく気に入って何度も詩に描いたが、夔州城にはあまり心惹かれていないようだ。

     旱天 日照りの空。

     其氣 夏から続いた日照りが秋まで続いていて、旱天の空が赤くなるような雰囲気、景色を言う。

     焚柴 これも日照りの様子を言う。

 

長影沒窈窕,餘光散唅呀。

日が傾き崖壁の影が長く伸びて、しまいには、奥ふかくしづかなで、次第に暗くなってきえうせてしまい、あかやけの名残はがらんどうの空洞のあいだにちらばっている。

     長影 日が傾き崖壁の影が長く伸びることを言う。

     窈窕 草堂河の両岸峡間が奥深く遠暗になっている様子を言う。

   餘光 夕焼けの崖の隙間がスポットライトの様に一部分を照らしている峡谷の様子。

     唅呀 洞谷の様子が大口を開けて牙をむいたように見えることを言う。

 

 

 

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杜甫  鄭典設自施州歸 #6

孟冬方首路,強飯取崖壁。歎爾疲駑駘,汗溝血不赤。

終然備外飾,駕馭何所益。我有平肩輿,前途猶准的。

翩翩入鳥道,庶蹉跌厄。

だから冬の初め、十月にでもなったので、遊覧じみたことでもしようと、その門出にのぼり、無理にもご飯を食べ足して、元気をつけて崖路を通ろうと考えるのである。ところで乗り物であるが、今いるのはやくざな駑馬であって、脊中から「汗血馬」のようないい馬ではないから赤い血の汗もださないのである。だからいくら外見をよくしようとして、十分に飾りたてたとしても、そんな駑馬を御してもなんにも役にはたたないだろう。役に立たない馬なら、いっそのこと、自分には人肩でかついでくれる輿がよいだろう。これならば、何とか遊覧という我がめざす的にすることができる前途となるだろう。そうして、この乗り物でとりがとぶように翩翩と、施州への高山の鳥の通う道へとくりこむのであり、こうしていくのであれば、途上で家の駑馬で行ったなら躓いて災難に遭うことから、のがれることができると思うのである。 

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杜甫詩1500-1068-1551-#6/2500

年:767年大暦256-5-#4

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    鄭典設自施州歸

作地點:              目前尚無資料

及地點:              施州 (黔中道 施州 施州)    

滎陽 (都畿道 鄭州 滎陽)   

交遊人物/地點:鄭典設      書信往來

裴冕      詩文提及(黔中道 施州 施州)

 

鄭典設自施州歸 #1

(典設郎の鄭某が施州から歸ったおりの感じをのべた詩。)

吾憐滎陽秀,冒暑初有適。

自分は気の毒におもっていたのだが、それは滎陽鄭氏の優秀な人物たる君が暑さを冒して初め他方へでかけていったことについてである。

名賢慎所出,不肯妄行役。

名のある賢人は出処進退をつつしみ、みだりに旅に出ることはしないものである、

旅茲殊俗遠,竟以屢空迫。

それに南の風俗のちがった遠方へ旅に出たのは.「屡ば空し」つまり貧窮に迫られての事であったというのだ。

鄭典設 施州より歸る #1

吾は憐れむ滎陽の秀,暑を冒して初め適く有り。

名賢は出る所を慎む,肯て妄りに行役せず。

茲の殊俗の遠きに旅するは,竟に屢空に迫らるるを以てなり。

#2

南謁裴施州,氣合無險僻。

君は南のかた裴施州に面會にいったのだ。先方と意気投合していることだから、途中の険阻避遠で大変さも眼中に無かつた。

攀援懸根木,登頓入天石。

あるいは根あがりの樹木をよじたり、あるいは天までつき入って聳え立った石の上にあがったりしている。

青山自一川,城郭洗憂慼。

それで、ついに青山のあいだに自ずと一川の流れている施州について、その城郭の様子ですっかり愁いのこころを洗い去った。

聽子話此邦,令我心悅懌。

君が施州の様子を話してくれるのをきいていると、自分のこころはうれしくなるのである。
#2

南のかた裴施州に謁す,氣合して險僻を無みす。

攀援す 懸根の木,登頓す 入天の石。

青山 自ら一川,城郭 憂慼を洗う。

子が 此の邦を話すを聽けば,我をして 心 悅懌せしむ。
#3

其俗則純樸,不知有主客。

施州の風俗は淳僕で一般人民のあいだでは、主人もお客も区別がないという親密さである。

溫溫諸侯門,禮亦如古昔。

そして、温情がある州の長官の門でも、古代のままの禮が残っている。

敕廚倍常羞,杯盤頗狼藉。

裴長官はその台所の人にいいつけて客に普段の倍もある御馳走をすすめさせる、宴席では盃と料理盛り付けの大皿や盤が足の踏み場もないほど頗る狼藉たるものがある。

時雖屬喪亂,事貴賞匹敵。

いまの時世は喪乱のときであるのにかかわらず、地場風俗と施政者の温情で、ここでは尊貴の人に対しても同輩に対するとおなじにされている。

#3

其の俗は則ち純樸にして,主客有るを知らず。

溫溫たり 諸侯の門,禮も亦た 古昔の如し。

廚に敕めて常羞に倍せしむ,杯盤 頗る狼藉たり。

時 喪亂に屬すと雖も,貴に事えて 匹敵に賞つ。 
#4

中宵愜良會,裴鄭非遠戚。

その夜ながのたのしき會において主客は意にかなった満足を得る、もとより裴氏と鄭氏とは親戚であるという関係もあるのではあるが。

群書一萬卷,博涉供務隙。

というのも、裴君は一萬巻もさまざまの書籍をたくわえ、公務のひまなおりにはそれ等にひろく目を通しているから、話が面白いのである。

他日辱銀鉤,森疏見矛戟。

また前日のことであるが、裴君から手紙をもらったが、その文字は銀鈎のごとく、森疎たる矛戟をみるがごとくであった。

倒屣喜旋歸,畫地求所歷。

君はその裴君のいたところから歸られたので、自分は狂喜してくつの後ろを倒して、いそいでひっかけて出迎え、裴君との経歴談を地面に圖をかいてもらってもとめるのである。

#4

中宵 良會に愜う,裴 鄭は 遠戚に非ず。

群書 一萬卷,博涉 務隙に供す。

他日 銀鉤を辱【かたじけな】くし,森疏 見矛戟をる。

倒屣【とうし】旋歸を喜ぶ,地に畫きて所歷を求む。
#5

乃聞風土質,又重田疇闢。

それから裴冕君がいる施州の風土がどんな性質かということを聞いたり、また田野の開拓されている様子をもきいた。

刺史似寇恂,列郡宜競惜。

刺史裴君はむかしの後漢の寇恂を借りた故事に似た人物だから諸郡が競って同君を借りたいと願うのもあたりまえのこととおもう。

北風吹瘴癘,羸老思散策。

いまや北風があつい瘴癘の気を吹き飛ばし去って、つかれて老いたこの身も散歩でもしたくなった。

渚拂蒹葭塞,嶠穿蘿蔦冪。

渚をぶらつけば、兼葭をわたる風は寒く、高き山の路をくぐりゆけば蘿や蔦がおおいかぶさる。

此身仗兒僕,高興潛有激。

こどもらや下僕によりすがるこのからだではあるが、遊覧の興味がそれとなく激發されている。

#5

乃ち聞く 風土の質,又た重ぬ 田疇 闢けたりと。

刺史 寇恂に似たり,列郡 宜しく競い惜るべし。

北風 瘴癘を吹く,羸老 散策を思う。

渚を拂えば 蒹葭塞し,嶠を穿てば 蘿蔦冪う。

此の身 兒僕に仗るも,高興 潛に 激する有り。
#6

孟冬方首路,強飯取崖壁。

だから冬の初め、十月にでもなったので、遊覧じみたことでもしようと、その門出にのぼり、無理にもご飯を食べ足して、元気をつけて崖路を通ろうと考えるのである。

歎爾疲駑駘,汗溝血不赤。

ところで乗り物であるが、今いるのはやくざな駑馬であって、脊中から「汗血馬」のようないい馬ではないから赤い血の汗もださないのである。

終然備外飾,駕馭何所益。

だからいくら外見をよくしようとして、十分に飾りたてたとしても、そんな駑馬を御してもなんにも役にはたたないだろう。

我有平肩輿,前途猶准的。

役に立たない馬なら、いっそのこと、自分には人肩でかついでくれる輿がよいだろう。これならば、何とか遊覧という我がめざす的にすることができる前途となるだろう。

翩翩入鳥道,庶蹉跌厄。

そうして、この乗り物でとりがとぶように翩翩と、施州への高山の鳥の通う道へとくりこむのであり、こうしていくのであれば、途上で家の駑馬で行ったなら躓いて災難に遭うことから、のがれることができると思うのである。 

#6

孟冬 方に首路,強いて飯いて 崖壁を取らん。

爾を歎ず 疲れたる駑駘,汗溝 血 赤からず。

終然 外飾を備うるも,駕馭 何ぞ益する所かあらん。

我に平肩の輿有り,前途 猶お 准的なり。

翩翩として 鳥道に入れば,庶わくば 蹉跌の厄よりせん
瞿塘峡・白帝城・魚復

『鄭典設自施州歸』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#6

孟冬方首路,強飯取崖壁。歎爾疲駑駘,汗溝血不赤。

終然備外飾,駕馭何所益。我有平肩輿,前途猶准的。

翩翩入鳥道,庶蹉跌厄


(下し文)
#6

孟冬 方に首路,強いて飯いて 崖壁を取らん。

爾を歎ず 疲れたる駑駘,汗溝 血 赤からず。

終然 外飾を備うるも,駕馭 何ぞ益する所かあらん。

我に平肩の輿有り,前途 猶お 准的なり。

翩翩として 鳥道に入れば,庶わくば 蹉跌の厄よりせん

(現代語訳)
#6

だから冬の初め、十月にでもなったので、遊覧じみたことでもしようと、その門出にのぼり、無理にもご飯を食べ足して、元気をつけて崖路を通ろうと考えるのである。

ところで乗り物であるが、今いるのはやくざな駑馬であって、脊中から「汗血馬」のようないい馬ではないから赤い血の汗もださないのである。

だからいくら外見をよくしようとして、十分に飾りたてたとしても、そんな駑馬を御してもなんにも役にはたたないだろう。

役に立たない馬なら、いっそのこと、自分には人肩でかついでくれる輿がよいだろう。これならば、何とか遊覧という我がめざす的にすることができる前途となるだろう。

そうして、この乗り物でとりがとぶように翩翩と、施州への高山の鳥の通う道へとくりこむのであり、こうしていくのであれば、途上で家の駑馬で行ったなら躓いて災難に遭うことから、のがれることができると思うのである。 

唐時代 地図山南 東・西道50
(訳注) #6

鄭典設自施州歸 

(典設郎の鄭某が施州から歸ったおりの感じをのべた詩。)大暦二年十月の作。#6

 

孟冬方首路,強飯取崖壁。

だから冬の初め、十月にでもなったので、遊覧じみたことでもしようと、その門出にのぼり、無理にもご飯を食べ足して、元気をつけて崖路を通ろうと考えるのである。

【1】    孟冬 冬の初の月、十月。因みに、十二か月を示すと、一、端月;二、花月;三、桐月;四、梅月;五、蒲月;六、暑月;七、瓜月;八、桂月;九、菊月;十、陽月;十一、霞月;十二、臘月。

【2】    首路 初めて路程にのぼる、

【3】    強飯 無理に加飯する。

【4】    取崖壁 進む路を崖壁にとる。

 

歎爾疲駑駘,汗溝血不赤。

ところで乗り物であるが、今いるのはやくざな駑馬であって、脊中から「汗血馬」のようないい馬ではないから赤い血の汗もださないのである。

【5】    爾 やくざな駑馬をいう。

【6】    駑駘 やくざな駑馬。

【7】    汗溝 馬の背中。

【8】     血不赤 「汗血馬」のようないい馬ではない。杜甫は馬が好きで、馬についていくつかの詩を残している。ここはそうしたいい馬ではないことを言う。汗血馬(かんけつば)は、中国の歴史上で名馬といわれた馬の種類。「血のような汗を流して走る馬」という意味で「汗血馬」と呼ばれる。紀元前4世紀頃から中国は遊牧騎馬民族の侵入を受け続けた。動作が機敏で頑健な北方民族の騎兵に比べ漢民族の使う馬は痩せて非力な馬が多く、重装した兵士が跨って戦う事ができなかった。紀元前2世紀初めの匈奴との戦いでは漢民族側の騎兵は10万頭の馬を失い、強く健康な北方の馬を手に入れることが防衛の要と考えられるようになった。杜甫《洗兵行(洗兵馬)》「京師皆騎汗血馬,回紇喂肉蒲萄宮。」(京師【けいし】皆 騎【の】る汗血【かんけつ】の馬、回紇【かいこつ】肉を喂【い】す葡萄宮【ぶどうきゅう】。)長安のみやこでも回紇(ウイグル騎馬)の兵が援助にきて彼等はみな汗血の馬に騎り、葡萄宮の役割の御苑宮城ですべて養われつつあるのである。

 

終然備外飾,駕馭何所益。

だからいくら外見をよくしようとして、十分に飾りたてたとしても、そんな駑馬を御してもなんにも役にはたたないだろう。

【9】    終然 ついに。

【10】  外飾 外見をよくしようとして、十分に飾りたてること。

【11】  駕馭何所益 そんな駑馬を御してもなんにも役にはたたないだろう。

 

我有平肩輿,前途猶准的。

役に立たない馬なら、いっそのこと、自分には人肩でかついでくれる輿がよいだろう。これならば、何とか遊覧という我がめざす的にすることができる前途となるだろう。

【12】  平肩輿 方で担ぐ籠とか、神輿。

【13】  准的 目的、目指す的。

 

翩翩入鳥道,庶蹉跌厄。

そうして、この乗り物でとりがとぶように翩翩と、施州への高山の鳥の通う道へとくりこむのであり、こうしていくのであれば、途上で家の駑馬で行ったなら躓いて災難に遭うことから、のがれることができると思うのである。 

【14】  翩翩 みこしに乗って飛ぶような心地を言う。

【15】  鳥道 裴冕のいる施州に行くには鳥が飛んで山を越えるような道であるというほどの意。

【16】  蹉跌厄 駑馬で行ったなら躓いて災難に遭う。

 夔州東川卜居図詳細 001

 

 

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767年-5-#6杜甫 《20-98 鄭典設自施州歸》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-5-#6 <1068> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7020

杜甫  鄭典設自施州歸 #6

孟冬方首路,強飯取崖壁。歎爾疲駑駘,汗溝血不赤。

終然備外飾,駕馭何所益。我有平肩輿,前途猶准的。

翩翩入鳥道,庶蹉跌厄。

だから冬の初め、十月にでもなったので、遊覧じみたことでもしようと、その門出にのぼり、無理にもご飯を食べ足して、元気をつけて崖路を通ろうと考えるのである。ところで乗り物であるが、今いるのはやくざな駑馬であって、脊中から「汗血馬」のようないい馬ではないから赤い血の汗もださないのである。だからいくら外見をよくしようとして、十分に飾りたてたとしても、そんな駑馬を御してもなんにも役にはたたないだろう。役に立たない馬なら、いっそのこと、自分には人肩でかついでくれる輿がよいだろう。これならば、何とか遊覧という我がめざす的にすることができる前途となるだろう。そうして、この乗り物でとりがとぶように翩翩と、施州への高山の鳥の通う道へとくりこむのであり、こうしていくのであれば、途上で家の駑馬で行ったなら躓いて災難に遭うことから、のがれることができると思うのである。 

767-5-#6杜甫 20-98 鄭典設自施州歸》 杜甫詩index-15-767年大暦256-5-#6 <1068 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7020

 

 

杜甫詩1500-1068-1551-#6/2500

年:767年大暦256-5-#4

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    鄭典設自施州歸

作地點:              目前尚無資料

及地點:              施州 (黔中道 施州 施州)    

滎陽 (都畿道 鄭州 滎陽)   

交遊人物/地點:鄭典設      書信往來

裴冕      詩文提及(黔中道 施州 施州)

 

鄭典設自施州歸 #1

(典設郎の鄭某が施州から歸ったおりの感じをのべた詩。)

吾憐滎陽秀,冒暑初有適。

自分は気の毒におもっていたのだが、それは滎陽鄭氏の優秀な人物たる君が暑さを冒して初め他方へでかけていったことについてである。

名賢慎所出,不肯妄行役。

名のある賢人は出処進退をつつしみ、みだりに旅に出ることはしないものである、

旅茲殊俗遠,竟以屢空迫。

それに南の風俗のちがった遠方へ旅に出たのは.「屡ば空し」つまり貧窮に迫られての事であったというのだ。

鄭典設 施州より歸る #1

吾は憐れむ滎陽の秀,暑を冒して初め適く有り。

名賢は出る所を慎む,肯て妄りに行役せず。

茲の殊俗の遠きに旅するは,竟に屢空に迫らるるを以てなり。

#2

南謁裴施州,氣合無險僻。

君は南のかた裴施州に面會にいったのだ。先方と意気投合していることだから、途中の険阻避遠で大変さも眼中に無かつた。

攀援懸根木,登頓入天石。

あるいは根あがりの樹木をよじたり、あるいは天までつき入って聳え立った石の上にあがったりしている。

青山自一川,城郭洗憂慼。

それで、ついに青山のあいだに自ずと一川の流れている施州について、その城郭の様子ですっかり愁いのこころを洗い去った。

聽子話此邦,令我心悅懌。

君が施州の様子を話してくれるのをきいていると、自分のこころはうれしくなるのである。
#2

南のかた裴施州に謁す,氣合して險僻を無みす。

攀援す 懸根の木,登頓す 入天の石。

青山 自ら一川,城郭 憂慼を洗う。

子が 此の邦を話すを聽けば,我をして 心 悅懌せしむ。
#3

其俗則純樸,不知有主客。

施州の風俗は淳僕で一般人民のあいだでは、主人もお客も区別がないという親密さである。

溫溫諸侯門,禮亦如古昔。

そして、温情がある州の長官の門でも、古代のままの禮が残っている。

敕廚倍常羞,杯盤頗狼藉。

裴長官はその台所の人にいいつけて客に普段の倍もある御馳走をすすめさせる、宴席では盃と料理盛り付けの大皿や盤が足の踏み場もないほど頗る狼藉たるものがある。

時雖屬喪亂,事貴賞匹敵。

いまの時世は喪乱のときであるのにかかわらず、地場風俗と施政者の温情で、ここでは尊貴の人に対しても同輩に対するとおなじにされている。

#3

其の俗は則ち純樸にして,主客有るを知らず。

溫溫たり 諸侯の門,禮も亦た 古昔の如し。

廚に敕めて常羞に倍せしむ,杯盤 頗る狼藉たり。

時 喪亂に屬すと雖も,貴に事えて 匹敵に賞つ。 
#4

中宵愜良會,裴鄭非遠戚。

その夜ながのたのしき會において主客は意にかなった満足を得る、もとより裴氏と鄭氏とは親戚であるという関係もあるのではあるが。

群書一萬卷,博涉供務隙。

というのも、裴君は一萬巻もさまざまの書籍をたくわえ、公務のひまなおりにはそれ等にひろく目を通しているから、話が面白いのである。

他日辱銀鉤,森疏見矛戟。

また前日のことであるが、裴君から手紙をもらったが、その文字は銀鈎のごとく、森疎たる矛戟をみるがごとくであった。

倒屣喜旋歸,畫地求所歷。

君はその裴君のいたところから歸られたので、自分は狂喜してくつの後ろを倒して、いそいでひっかけて出迎え、裴君との経歴談を地面に圖をかいてもらってもとめるのである。

#4

中宵 良會に愜う,裴 鄭は 遠戚に非ず。

群書 一萬卷,博涉 務隙に供す。

他日 銀鉤を辱【かたじけな】くし,森疏 見矛戟をる。

倒屣【とうし】旋歸を喜ぶ,地に畫きて所歷を求む。
#5

乃聞風土質,又重田疇闢。

それから裴冕君がいる施州の風土がどんな性質かということを聞いたり、また田野の開拓されている様子をもきいた。

刺史似寇恂,列郡宜競惜。

刺史裴君はむかしの後漢の寇恂を借りた故事に似た人物だから諸郡が競って同君を借りたいと願うのもあたりまえのこととおもう。

北風吹瘴癘,羸老思散策。

いまや北風があつい瘴癘の気を吹き飛ばし去って、つかれて老いたこの身も散歩でもしたくなった。

渚拂蒹葭塞,嶠穿蘿蔦冪。

渚をぶらつけば、兼葭をわたる風は寒く、高き山の路をくぐりゆけば蘿や蔦がおおいかぶさる。

此身仗兒僕,高興潛有激。

こどもらや下僕によりすがるこのからだではあるが、遊覧の興味がそれとなく激發されている。

#5

乃ち聞く 風土の質,又た重ぬ 田疇 闢けたりと。

刺史 寇恂に似たり,列郡 宜しく競い惜るべし。

北風 瘴癘を吹く,羸老 散策を思う。

渚を拂えば 蒹葭塞し,嶠を穿てば 蘿蔦冪う。

此の身 兒僕に仗るも,高興 潛に 激する有り。
#6

孟冬方首路,強飯取崖壁。

だから冬の初め、十月にでもなったので、遊覧じみたことでもしようと、その門出にのぼり、無理にもご飯を食べ足して、元気をつけて崖路を通ろうと考えるのである。

歎爾疲駑駘,汗溝血不赤。

ところで乗り物であるが、今いるのはやくざな駑馬であって、脊中から「汗血馬」のようないい馬ではないから赤い血の汗もださないのである。

終然備外飾,駕馭何所益。

だからいくら外見をよくしようとして、十分に飾りたてたとしても、そんな駑馬を御してもなんにも役にはたたないだろう。

我有平肩輿,前途猶准的。

役に立たない馬なら、いっそのこと、自分には人肩でかついでくれる輿がよいだろう。これならば、何とか遊覧という我がめざす的にすることができる前途となるだろう。

翩翩入鳥道,庶蹉跌厄。

そうして、この乗り物でとりがとぶように翩翩と、施州への高山の鳥の通う道へとくりこむのであり、こうしていくのであれば、途上で家の駑馬で行ったなら躓いて災難に遭うことから、のがれることができると思うのである。 

#6

孟冬 方に首路,強いて飯いて 崖壁を取らん。

爾を歎ず 疲れたる駑駘,汗溝 血 赤からず。

終然 外飾を備うるも,駕馭 何ぞ益する所かあらん。

我に平肩の輿有り,前途 猶お 准的なり。

翩翩として 鳥道に入れば,庶わくば 蹉跌の厄よりせん

唐時代 地図山南 東・西道50

『鄭典設自施州歸』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#6

孟冬方首路,強飯取崖壁。歎爾疲駑駘,汗溝血不赤。

終然備外飾,駕馭何所益。我有平肩輿,前途猶准的。

翩翩入鳥道,庶蹉跌厄


(下し文)
#6

孟冬 方に首路,強いて飯いて 崖壁を取らん。

爾を歎ず 疲れたる駑駘,汗溝 血 赤からず。

終然 外飾を備うるも,駕馭 何ぞ益する所かあらん。

我に平肩の輿有り,前途 猶お 准的なり。

翩翩として 鳥道に入れば,庶わくば 蹉跌の厄よりせん

(現代語訳)
#6

だから冬の初め、十月にでもなったので、遊覧じみたことでもしようと、その門出にのぼり、無理にもご飯を食べ足して、元気をつけて崖路を通ろうと考えるのである。

ところで乗り物であるが、今いるのはやくざな駑馬であって、脊中から「汗血馬」のようないい馬ではないから赤い血の汗もださないのである。

だからいくら外見をよくしようとして、十分に飾りたてたとしても、そんな駑馬を御してもなんにも役にはたたないだろう。

役に立たない馬なら、いっそのこと、自分には人肩でかついでくれる輿がよいだろう。これならば、何とか遊覧という我がめざす的にすることができる前途となるだろう。

そうして、この乗り物でとりがとぶように翩翩と、施州への高山の鳥の通う道へとくりこむのであり、こうしていくのであれば、途上で家の駑馬で行ったなら躓いて災難に遭うことから、のがれることができると思うのである。 


(訳注) #6

鄭典設自施州歸 

(典設郎の鄭某が施州から歸ったおりの感じをのべた詩。)大暦二年十月の作。#6

 

孟冬方首路,強飯取崖壁。

だから冬の初め、十月にでもなったので、遊覧じみたことでもしようと、その門出にのぼり、無理にもご飯を食べ足して、元気をつけて崖路を通ろうと考えるのである。

【1】    孟冬 冬の初の月、十月。因みに、十二か月を示すと、一、端月;二、花月;三、桐月;四、梅月;五、蒲月;六、暑月;七、瓜月;八、桂月;九、菊月;十、陽月;十一、霞月;十二、臘月。

【2】    首路 初めて路程にのぼる、

【3】    強飯 無理に加飯する。

【4】    取崖壁 進む路を崖壁にとる。

 

歎爾疲駑駘,汗溝血不赤。

ところで乗り物であるが、今いるのはやくざな駑馬であって、脊中から「汗血馬」のようないい馬ではないから赤い血の汗もださないのである。

【5】    爾 やくざな駑馬をいう。

【6】    駑駘 やくざな駑馬。

【7】    汗溝 馬の背中。

【8】     血不赤 「汗血馬」のようないい馬ではない。杜甫は馬が好きで、馬についていくつかの詩を残している。ここはそうしたいい馬ではないことを言う。汗血馬(かんけつば)は、中国の歴史上で名馬といわれた馬の種類。「血のような汗を流して走る馬」という意味で「汗血馬」と呼ばれる。紀元前4世紀頃から中国は遊牧騎馬民族の侵入を受け続けた。動作が機敏で頑健な北方民族の騎兵に比べ漢民族の使う馬は痩せて非力な馬が多く、重装した兵士が跨って戦う事ができなかった。紀元前2世紀初めの匈奴との戦いでは漢民族側の騎兵は10万頭の馬を失い、強く健康な北方の馬を手に入れることが防衛の要と考えられるようになった。杜甫《洗兵行(洗兵馬)》「京師皆騎汗血馬,回紇喂肉蒲萄宮。」(京師【けいし】皆 騎【の】る汗血【かんけつ】の馬、回紇【かいこつ】肉を喂【い】す葡萄宮【ぶどうきゅう】。)長安のみやこでも回紇(ウイグル騎馬)の兵が援助にきて彼等はみな汗血の馬に騎り、葡萄宮の役割の御苑宮城ですべて養われつつあるのである。

 

終然備外飾,駕馭何所益。

だからいくら外見をよくしようとして、十分に飾りたてたとしても、そんな駑馬を御してもなんにも役にはたたないだろう。

【9】    終然 ついに。

【10】  外飾 外見をよくしようとして、十分に飾りたてること。

【11】  駕馭何所益 そんな駑馬を御してもなんにも役にはたたないだろう。

 

我有平肩輿,前途猶准的。

役に立たない馬なら、いっそのこと、自分には人肩でかついでくれる輿がよいだろう。これならば、何とか遊覧という我がめざす的にすることができる前途となるだろう。

【12】  平肩輿 方で担ぐ籠とか、神輿。

【13】  准的 目的、目指す的。

 

翩翩入鳥道,庶蹉跌厄。

そうして、この乗り物でとりがとぶように翩翩と、施州への高山の鳥の通う道へとくりこむのであり、こうしていくのであれば、途上で家の駑馬で行ったなら躓いて災難に遭うことから、のがれることができると思うのである。 

【14】  翩翩 みこしに乗って飛ぶような心地を言う。

【15】  鳥道 裴冕のいる施州に行くには鳥が飛んで山を越えるような道であるというほどの意。

【16】  蹉跌厄 駑馬で行ったなら躓いて災難に遭う。

夔州東川卜居図詳細 002 

 

 

 

杜甫 鄭典設自施州歸【字解】

 

(1)  鄭典設 典設郎は東宮に属する官名であり、東宮に典設局があり、郎四人をおく。湯沐浴、灑掃、舗陣のことを擧る。杜甫同時期の作、七言律詩《巻十八63 江雨有懷鄭典設》「春雨闇闇塞峽中,早晚來自楚王宮。」がある。

(2)  施州歸 黔中道施州刺史の裴冕のところに面会に行って帰ってきた。杜甫 20-97 寄裴施州》767-4杜甫 20-97 寄裴施州》 杜甫詩index-15-767年大暦256-4 <1061 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6985

楚漢戦争で、滎陽の戦いがあったところ。

(3)  滎陽 典設郎の鄭某は滎陽の地方の名族なり。滎陽は河南にある戦国時代に秦により滎陽県が設置された、古くからの縣名である。

(4)  適 他の土地に行くこと。

(5)  旅茲 これによって旅に出る

(6)  殊俗遠 風俗のちがった遠方。

(7)  屢空迫 米櫃にコメがないほどにの貧窮を言う。論語 「子曰、囘也其庶乎、屡空、賜不受命而貨殖焉、億則屡中。」子曰わく、回や其れ庶【ちか】きか、屡々【しばしば】空し。賜は命を受けずして貨殖す。億れば則ち屡々中【あた】る。

(8)  ⑻ 裴施州 この時の施州の刺史であった裴冕のこと。裴冕  人名。河東の人。字は章甫。蔭によって渭南尉になり、殿中侍御使となる。玄宗が入蜀すると御史中丞となり、粛宗に従って霊武に至り、尚書右僕射に昇進する。両京回復の時に冀国公に封じられた。後に罪を得て施州刺史に左遷される。代宗の時、復帰して左僕射、同中書門下平章事を授けられた。杜甫は成都紀行《巻九11鹿頭山》「冀公柱石姿,論道邦國活。斯人亦何幸、公鎮踰歳月。」(冀公柱石の姿、道を論じて邦国活く。斯の人亦た何ぞ幸ひなる、公の鎮して歳月を踰ゆ。)冀国公の裴冕殿は国家の柱石、道理を語って、国は平和に治められる。この土地の人々は、何と幸いなことか。あなたがここを治めて、もう一年余りにもなるのだ。杜甫が成都到着を目前にして作った「鹿頭山」詩の末尾に裴冕への讃辞を書き綴るのは、杜甫が裴冕の動向を正確に把握していたことを示すものである。”成都紀行(11)”  鹿頭山 杜甫詩1000 <351>#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1703 杜甫1500- 525

(9)   氣合 意気投合する。

(10)   無險僻 道路の険阻避遠をむしすることをいう。險は険阻、けわしいこと、僻はかたよる、避遠、無は無視する。

(11)   懸根木 根あがりの樹木、「杜臆」には榕樹なりといえるが、榕樹とは限らざるべし。

(12)   登頓 のぼったりやすんだり。

(13)   入天石 石壁聳立して天にまで突きいるなり。

(14)   憂戚 戚もうれひなり。

(15)   子 鄭をさす。

(16)   此邦 施州をいう。

(17)   溫溫 温情があることを言う。

(18)   諸侯門 諸侯とは裴施州をさす。

(19)   敕廚 臺所へ申しつける。

(20)   倍常羞 普段の倍もある御馳走をすすめさせる。

(21)   狼藉 みだれるかお。狼籍は、中国の通史『史記滑稽列伝』による漢語である。「籍」には「敷く」や「踏む」「雑」などの意味かあり、狼籍は狼か寝るために敷いた草の乱れた様子から、物か散らかっている様子を意味した。

(22)   事貴賞匹敵 事貴とは、貴い位の人に仕える鄭は裴につかえるをいう。

(23)   賞匹敵 貴者をも自己と同輩のようにみなしてさべつしないことをいう。

(24)   愜良會 憶は心のかなうこと、良會はたのしき会合、即ちこれまでのみご馳走の宴会。

(25)   非遠戚 遠戚は遠き親戚なり、これは事実関係は不明、裴と鄭二姓必ず親戚の関係があるということであろう。

(26)   博涉 書物にひろくわたる。

(27)   務隙 事務のひま。

(28)   他日 往日。

(29)   辱銀鉤 裴より手紙を受けしをいう、銀鈎は裴の手紙の筆勢を誉めたもの、銀鈎は銀細工の簾を止める金具。

(30)   森疏 いかめしくまばら。

(31)   見矛戟 ほこ、筆勢の細くするどきをたとえること。

(32)   倒屣 履は「くつ」、くつを倒にはくは狂喜して迎うるさま。

(33)   旋歸 郷が夔州へかえりしこと。

(34)   畫地 平地に図面を描く。

(35)   所歷 鄭が経歴したところ。

(36)   風土質 施州の風土の性質をいう。

(37)   又重 又重ねて聞く。

(38)   田疇闢 田地の畝が開けていること。

(39)   寇恂・競惜 後漢の光武帝、寇恂を穎川の太守とした、また汝南に移す、穎川に盗み起るやその人民光武にむかひ復び寇恂君か借りること一年ならんと請ひたり。是を以て寇恂を裴冕に比す。

(40)   瘴癘 特殊の気候や風土によって起こる伝染性の熱病。マラリアなど。

(41)   羸老 杜甫自身が老いて疲れたことを言う。

(42)   散策 杖を突いてぶらつく。

(43)   渚拂 水辺を進んでゆく。

(44)   蒹葭塞 《詩経国風:秦風、蒹葭》「兼葭蒼蒼、白露為霜。所謂伊人、在水一方。」(兼葭蒼蒼たり、白露霜と為る。所謂伊【こ】の人、水の一方に在り。)葦が青々と茂り、白い露が霜になった、評判のこの人は、河の向こう側に住んでいる、河の流れに逆らって訪ねたいと思っても、水路は険しくかつ長い、

(45)   嶠穿 険しい山道を行く。

(46)   蘿蔦冪 蘿や蔦がおおいかぶさる。

(47)   高興 遊覧の興のさかんになること。

(48)   潛有激 それとなく激發されている。

(49)   孟冬 冬の初の月、十月。因みに、十二か月を示すと、一、端月;二、花月;三、桐月;四、梅月;五、蒲月;六、暑月;七、瓜月;八、桂月;九、菊月;十、陽月;十一、霞月;十二、臘月。

(50)   首路 初めて路程にのぼる、

(51)   強飯 無理に加飯する。

(52)   取崖壁 進む路を崖壁にとる。

(53)   爾 やくざな駑馬をいう。

(54)   駑駘 やくざな駑馬。

(55)  汗溝 馬の背中。

(56)   血不赤 「汗血馬」のようないい馬ではない。杜甫は馬が好きで、馬についていくつかの詩を残している。ここはそうしたいい馬ではないことを言う。汗血馬(かんけつば)は、中国の歴史上で名馬といわれた馬の種類。「血のような汗を流して走る馬」という意味で「汗血馬」と呼ばれる。紀元前4世紀頃から中国は遊牧騎馬民族の侵入を受け続けた。動作が機敏で頑健な北方民族の騎兵に比べ漢民族の使う馬は痩せて非力な馬が多く、重装した兵士が跨って戦う事ができなかった。紀元前2世紀初めの匈奴との戦いでは漢民族側の騎兵は10万頭の馬を失い、強く健康な北方の馬を手に入れることが防衛の要と考えられるようになった。杜甫《洗兵行(洗兵馬)》「京師皆騎汗血馬,回紇喂肉蒲萄宮。」(京師【けいし】皆 騎【の】る汗血【かんけつ】の馬、回紇【かいこつ】肉を喂【い】す葡萄宮【ぶどうきゅう】。)長安のみやこでも回紇(ウイグル騎馬)の兵が援助にきて彼等はみな汗血の馬に騎り、葡萄宮の役割の御苑宮城ですべて養われつつあるのである。

(57)   終然 ついに。

(58)   外飾 外見をよくしようとして、十分に飾りたてること。

(59)   駕馭何所益 そんな駑馬を御してもなんにも役にはたたないだろう。

(60)   平肩輿 方で担ぐ籠とか、神輿。

(61)   准的 目的、目指す的。

(62)   翩翩 みこしに乗って飛ぶような心地を言う。

(63)   鳥道 裴冕のいる施州に行くには鳥が飛んで山を越えるような道であるというほどの意。

(64)   蹉跌厄 駑馬で行ったなら躓いて災難に遭う。

767年-5-#5杜甫 《20-98 鄭典設自施州歸》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-5-#5 <1067> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7015

杜甫  鄭典設自施州歸   #5

乃聞風土質,又重田疇闢。刺史似寇恂,列郡宜競惜。

北風吹瘴癘,羸老思散策。渚拂蒹葭塞,嶠穿蘿蔦冪。

此身仗兒僕,高興潛有激。

それから裴冕君がいる施州の風土がどんな性質かということを聞いたり、また田野の開拓されている様子をもきいた。刺史裴君はむかしの後漢の寇恂を借りた故事に似た人物だから諸郡が競って同君を借りたいと願うのもあたりまえのこととおもう。いまや北風があつい瘴癘の気を吹き飛ばし去って、つかれて老いたこの身も散歩でもしたくなった。渚をぶらつけば、兼葭をわたる風は寒く、高き山の路をくぐりゆけば蘿や蔦がおおいかぶさる。こどもらや下僕によりすがるこのからだではあるが、遊覧の興味がそれとなく激發されている。

767-5-#5杜甫 20-98 鄭典設自施州歸》 杜甫詩index-15-767年大暦256-5-#5 <1067 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7015

 

 
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  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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杜甫詩1500-1067-1551-#5/2500

年:767年大暦256-5-#4

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    鄭典設自施州歸

作地點:              目前尚無資料

及地點:              施州 (黔中道 施州 施州)    

滎陽 (都畿道 鄭州 滎陽)   

交遊人物/地點:鄭典設      書信往來

裴冕      詩文提及(黔中道 施州 施州)

 

鄭典設自施州歸 #1

(典設郎の鄭某が施州から歸ったおりの感じをのべた詩。)

吾憐滎陽秀,冒暑初有適。

自分は気の毒におもっていたのだが、それは滎陽鄭氏の優秀な人物たる君が暑さを冒して初め他方へでかけていったことについてである。

名賢慎所出,不肯妄行役。

名のある賢人は出処進退をつつしみ、みだりに旅に出ることはしないものである、

旅茲殊俗遠,竟以屢空迫。

それに南の風俗のちがった遠方へ旅に出たのは.「屡ば空し」つまり貧窮に迫られての事であったというのだ。

鄭典設 施州より歸る #1

吾は憐れむ滎陽の秀,暑を冒して初め適く有り。

名賢は出る所を慎む,肯て妄りに行役せず。

茲の殊俗の遠きに旅するは,竟に屢空に迫らるるを以てなり。

#2

南謁裴施州,氣合無險僻。

君は南のかた裴施州に面會にいったのだ。先方と意気投合していることだから、途中の険阻避遠で大変さも眼中に無かつた。

攀援懸根木,登頓入天石。

あるいは根あがりの樹木をよじたり、あるいは天までつき入って聳え立った石の上にあがったりしている。

青山自一川,城郭洗憂慼。

それで、ついに青山のあいだに自ずと一川の流れている施州について、その城郭の様子ですっかり愁いのこころを洗い去った。

聽子話此邦,令我心悅懌。

君が施州の様子を話してくれるのをきいていると、自分のこころはうれしくなるのである。
#2

南のかた裴施州に謁す,氣合して險僻を無みす。

攀援す 懸根の木,登頓す 入天の石。

青山 自ら一川,城郭 憂慼を洗う。

子が 此の邦を話すを聽けば,我をして 心 悅懌せしむ。
#3

其俗則純樸,不知有主客。

施州の風俗は淳僕で一般人民のあいだでは、主人もお客も区別がないという親密さである。

溫溫諸侯門,禮亦如古昔。

そして、温情がある州の長官の門でも、古代のままの禮が残っている。

敕廚倍常羞,杯盤頗狼藉。

裴長官はその台所の人にいいつけて客に普段の倍もある御馳走をすすめさせる、宴席では盃と料理盛り付けの大皿や盤が足の踏み場もないほど頗る狼藉たるものがある。

時雖屬喪亂,事貴賞匹敵。

いまの時世は喪乱のときであるのにかかわらず、地場風俗と施政者の温情で、ここでは尊貴の人に対しても同輩に対するとおなじにされている。

#3

其の俗は則ち純樸にして,主客有るを知らず。

溫溫たり 諸侯の門,禮も亦た 古昔の如し。

廚に敕めて常羞に倍せしむ,杯盤 頗る狼藉たり。

時 喪亂に屬すと雖も,貴に事えて 匹敵に賞つ。 
#4

中宵愜良會,裴鄭非遠戚。

その夜ながのたのしき會において主客は意にかなった満足を得る、もとより裴氏と鄭氏とは親戚であるという関係もあるのではあるが。

群書一萬卷,博涉供務隙。

というのも、裴君は一萬巻もさまざまの書籍をたくわえ、公務のひまなおりにはそれ等にひろく目を通しているから、話が面白いのである。

他日辱銀鉤,森疏見矛戟。

また前日のことであるが、裴君から手紙をもらったが、その文字は銀鈎のごとく、森疎たる矛戟をみるがごとくであった。

倒屣喜旋歸,畫地求所歷。

君はその裴君のいたところから歸られたので、自分は狂喜してくつの後ろを倒して、いそいでひっかけて出迎え、裴君との経歴談を地面に圖をかいてもらってもとめるのである。

#4

中宵 良會に愜う,裴 鄭は 遠戚に非ず。

群書 一萬卷,博涉 務隙に供す。

他日 銀鉤を辱【かたじけな】くし,森疏 見矛戟をる。

倒屣【とうし】旋歸を喜ぶ,地に畫きて所歷を求む。
#5

乃聞風土質,又重田疇闢。

それから裴冕君がいる施州の風土がどんな性質かということを聞いたり、また田野の開拓されている様子をもきいた。

刺史似寇恂,列郡宜競惜。

刺史裴君はむかしの後漢の寇恂を借りた故事に似た人物だから諸郡が競って同君を借りたいと願うのもあたりまえのこととおもう。

北風吹瘴癘,羸老思散策。

いまや北風があつい瘴癘の気を吹き飛ばし去って、つかれて老いたこの身も散歩でもしたくなった。

渚拂蒹葭塞,嶠穿蘿蔦冪。

渚をぶらつけば、兼葭をわたる風は寒く、高き山の路をくぐりゆけば蘿や蔦がおおいかぶさる。

此身仗兒僕,高興潛有激。

こどもらや下僕によりすがるこのからだではあるが、遊覧の興味がそれとなく激發されている。

#5

乃ち聞く 風土の質,又た重ぬ 田疇 闢けたりと。

刺史 寇恂に似たり,列郡 宜しく競い惜るべし。

北風 瘴癘を吹く,羸老 散策を思う。

渚を拂えば 蒹葭塞し,嶠を穿てば 蘿蔦冪う。

此の身 兒僕に仗るも,高興 潛に 激する有り。
#6

孟冬方首路,強飯取崖壁。

歎爾疲駑駘,汗溝血不赤。

終然備外飾,駕馭何所益。

我有平肩輿,前途猶准的。

翩翩入鳥道,庶蹉跌厄。

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

『鄭典設自施州歸』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#5

乃聞風土質,又重田疇闢。

刺史似寇恂,列郡宜競惜。

北風吹瘴癘,羸老思散策。

渚拂蒹葭塞,嶠穿蘿蔦冪。

此身仗兒僕,高興潛有激。
(含異文):#5

乃聞風土質,又重田疇闢。刺史似寇恂,列郡宜競惜【列郡宜競借】【案:音跡。】。北風吹瘴癘,羸老思散策。渚拂蒹葭塞【渚拂蒹葭寒】,嶠穿蘿蔦冪。此身仗兒僕,高興潛有激。


(下し文)
#5

乃ち聞く 風土の質,又た重ぬ 田疇 闢けたりと。

刺史 寇恂に似たり,列郡 宜しく競い惜るべし。

北風 瘴癘を吹く,羸老 散策を思う。

渚を拂えば 蒹葭塞し,嶠を穿てば 蘿蔦冪う。

此の身 兒僕に仗るも,高興 潛に 激する有り。

(現代語訳)
#5

それから裴冕君がいる施州の風土がどんな性質かということを聞いたり、また田野の開拓されている様子をもきいた。

刺史裴君はむかしの後漢の寇恂を借りた故事に似た人物だから諸郡が競って同君を借りたいと願うのもあたりまえのこととおもう。

いまや北風があつい瘴癘の気を吹き飛ばし去って、つかれて老いたこの身も散歩でもしたくなった。

渚をぶらつけば、兼葭をわたる風は寒く、高き山の路をくぐりゆけば蘿や蔦がおおいかぶさる。

こどもらや下僕によりすがるこのからだではあるが、遊覧の興味がそれとなく激發されている。

唐時代 地図山南 東・西道50
(訳注) #5

鄭典設自施州歸 

(典設郎の鄭某が施州から歸ったおりの感じをのべた詩。)大暦二年十月の作。5

 

乃聞風土質,又重田疇闢。

それから裴冕君がいる施州の風土がどんな性質かということを聞いたり、また田野の開拓されている様子をもきいた。

【1】    風土質 施州の風土の性質をいう。

【2】    又重 又重ねて聞く。

【3】    田疇闢 田地の畝が開けていること。

 

 

刺史似寇恂,列郡宜競惜。

刺史裴君はむかしの後漢の寇恂を借りた故事に似た人物だから諸郡が競って同君を借りたいと願うのもあたりまえのこととおもう。

【4】    寇恂・競惜 後漢の光武帝、寇恂を穎川の太守とした、また汝南に移す、穎川に盗み起るやその人民光武にむかひ復び寇恂君か借りること一年ならんと請ひたり。是を以て寇恂を裴冕に比す。

 

北風吹瘴癘,羸老思散策。

いまや北風があつい瘴癘の気を吹き飛ばし去って、つかれて老いたこの身も散歩でもしたくなった。

【5】    瘴癘 特殊の気候や風土によって起こる伝染性の熱病。マラリアなど。

【6】    羸老 杜甫自身が老いて疲れたことを言う。

【7】    散策 杖を突いてぶらつく。

  

渚拂蒹葭塞,嶠穿蘿蔦冪。

渚をぶらつけば、兼葭をわたる風は寒く、高き山の路をくぐりゆけば蘿や蔦がおおいかぶさる。

【8】    渚拂 水辺を進んでゆく。

【9】    蒹葭塞 《詩経国風:秦風、蒹葭》「兼葭蒼蒼、白露為霜。所謂伊人、在水一方。」(兼葭蒼蒼たり、白露霜と為る。所謂伊【こ】の人、水の一方に在り。)葦が青々と茂り、白い露が霜になった、評判のこの人は、河の向こう側に住んでいる、河の流れに逆らって訪ねたいと思っても、水路は険しくかつ長い、

【10】  嶠穿 険しい山道を行く。

【11】  蘿蔦冪 蘿や蔦がおおいかぶさる。

 

此身仗兒僕,高興潛有激。

こどもらや下僕によりすがるこのからだではあるが、遊覧の興味がそれとなく激發されている。

【12】  高興 遊覧の興のさかんになること。

【13】  潛有激 それとなく激發されている。

 

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杜甫  鄭典設自施州歸 #4

中宵愜良會,裴鄭非遠戚。群書一萬卷,博涉供務隙。

他日辱銀鉤,森疏見矛戟。倒屣喜旋歸,畫地求所歷。

その夜ながのたのしき會において主客は意にかなった満足を得る、もとより裴氏と鄭氏とは親戚であるという関係もあるのではあるが。というのも、裴君は一萬巻もさまざまの書籍をたくわえ、公務のひまなおりにはそれ等にひろく目を通しているから、話が面白いのである。また前日のことであるが、裴君から手紙をもらったが、その文字は銀鈎のごとく、森疎たる矛戟をみるがごとくであった。君はその裴君のいたところから歸られたので、自分は狂喜してくつの後ろを倒して、いそいでひっかけて出迎え、裴君との経歴談を地面に圖をかいてもらってもとめるのである。

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  2015年12月3日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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743年(34)李白352 巻四15-《塞上曲》(大漢無中策,) 352Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(34) <李白352> Ⅰ李白詩1692 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7008  
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  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
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  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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韓愈109《 巻九02宿龍宮灘》 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1605> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7009  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
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  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
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  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
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杜甫詩1500-1066-1551-#4/2500

年:767年大暦256-5-#4

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    鄭典設自施州歸

作地點:              目前尚無資料

及地點:              施州 (黔中道 施州 施州)    

滎陽 (都畿道 鄭州 滎陽)   

交遊人物/地點:鄭典設      書信往來

裴冕      詩文提及(黔中道 施州 施州)

 

鄭典設自施州歸 #1

(典設郎の鄭某が施州から歸ったおりの感じをのべた詩。)

吾憐滎陽秀,冒暑初有適。

自分は気の毒におもっていたのだが、それは滎陽鄭氏の優秀な人物たる君が暑さを冒して初め他方へでかけていったことについてである。

名賢慎所出,不肯妄行役。

名のある賢人は出処進退をつつしみ、みだりに旅に出ることはしないものである、

旅茲殊俗遠,竟以屢空迫。

それに南の風俗のちがった遠方へ旅に出たのは.「屡ば空し」つまり貧窮に迫られての事であったというのだ。

鄭典設 施州より歸る #1

吾は憐れむ滎陽の秀,暑を冒して初め適く有り。

名賢は出る所を慎む,肯て妄りに行役せず。

茲の殊俗の遠きに旅するは,竟に屢空に迫らるるを以てなり。

#2

南謁裴施州,氣合無險僻。

君は南のかた裴施州に面會にいったのだ。先方と意気投合していることだから、途中の険阻避遠で大変さも眼中に無かつた。

攀援懸根木,登頓入天石。

あるいは根あがりの樹木をよじたり、あるいは天までつき入って聳え立った石の上にあがったりしている。

青山自一川,城郭洗憂慼。

それで、ついに青山のあいだに自ずと一川の流れている施州について、その城郭の様子ですっかり愁いのこころを洗い去った。

聽子話此邦,令我心悅懌。

君が施州の様子を話してくれるのをきいていると、自分のこころはうれしくなるのである。
#2

南のかた裴施州に謁す,氣合して險僻を無みす。

攀援す 懸根の木,登頓す 入天の石。

青山 自ら一川,城郭 憂慼を洗う。

子が 此の邦を話すを聽けば,我をして 心 悅懌せしむ。
#3

其俗則純樸,不知有主客。

施州の風俗は淳僕で一般人民のあいだでは、主人もお客も区別がないという親密さである。

溫溫諸侯門,禮亦如古昔。

そして、温情がある州の長官の門でも、古代のままの禮が残っている。

敕廚倍常羞,杯盤頗狼藉。

裴長官はその台所の人にいいつけて客に普段の倍もある御馳走をすすめさせる、宴席では盃と料理盛り付けの大皿や盤が足の踏み場もないほど頗る狼藉たるものがある。

時雖屬喪亂,事貴賞匹敵。

いまの時世は喪乱のときであるのにかかわらず、地場風俗と施政者の温情で、ここでは尊貴の人に対しても同輩に対するとおなじにされている。

#3

其の俗は則ち純樸にして,主客有るを知らず。

溫溫たり 諸侯の門,禮も亦た 古昔の如し。

廚に敕めて常羞に倍せしむ,杯盤 頗る狼藉たり。

時 喪亂に屬すと雖も,貴に事えて 匹敵に賞つ。 
#4

中宵愜良會,裴鄭非遠戚。

その夜ながのたのしき會において主客は意にかなった満足を得る、もとより裴氏と鄭氏とは親戚であるという関係もあるのではあるが。

群書一萬卷,博涉供務隙。

というのも、裴君は一萬巻もさまざまの書籍をたくわえ、公務のひまなおりにはそれ等にひろく目を通しているから、話が面白いのである。

他日辱銀鉤,森疏見矛戟。

また前日のことであるが、裴君から手紙をもらったが、その文字は銀鈎のごとく、森疎たる矛戟をみるがごとくであった。

倒屣喜旋歸,畫地求所歷。

君はその裴君のいたところから歸られたので、自分は狂喜してくつの後ろを倒して、いそいでひっかけて出迎え、裴君との経歴談を地面に圖をかいてもらってもとめるのである。

#4

中宵 良會に愜う,裴 鄭は 遠戚に非ず。

群書 一萬卷,博涉 務隙に供す。

他日 銀鉤を辱【かたじけな】くし,森疏 見矛戟をる。

倒屣【とうし】旋歸を喜ぶ,地に畫きて所歷を求む。
#5

乃聞風土質,又重田疇闢。

刺史似寇恂,列郡宜競惜。

北風吹瘴癘,羸老思散策。

渚拂蒹葭塞,嶠穿蘿蔦冪。

此身仗兒僕,高興潛有激。

#6

孟冬方首路,強飯取崖壁。

歎爾疲駑駘,汗溝血不赤。

終然備外飾,駕馭何所益。

我有平肩輿,前途猶准的。

翩翩入鳥道,庶蹉跌厄。

 

夔州東川卜居図詳細 002 

『鄭典設自施州歸』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

中宵愜良會,裴鄭非遠戚。

群書一萬卷,博涉供務隙。

他日辱銀鉤,森疏見矛戟。

倒屣喜旋歸,畫地求所歷。

(含異文):#4

中宵愜良會,裴鄭非遠戚。群書一萬卷,博涉供務隙。

他日辱銀鉤,森疏見矛戟。倒屣喜旋歸,畫地求所歷【畫地來所歷】。


(下し文)
#4

中宵 良會に愜う,裴 鄭は 遠戚に非ず。

群書 一萬卷,博涉 務隙に供す。

他日 銀鉤を辱【かたじけな】くし,森疏 見矛戟をる。

倒屣【とうし】旋歸を喜ぶ,地に畫きて所歷を求む。

(現代語訳) 

#4

その夜ながのたのしき會において主客は意にかなった満足を得る、もとより裴氏と鄭氏とは親戚であるという関係もあるのではあるが。

というのも、裴君は一萬巻もさまざまの書籍をたくわえ、公務のひまなおりにはそれ等にひろく目を通しているから、話が面白いのである。

また前日のことであるが、裴君から手紙をもらったが、その文字は銀鈎のごとく、森疎たる矛戟をみるがごとくであった。

君はその裴君のいたところから歸られたので、自分は狂喜してくつの後ろを倒して、いそいでひっかけて出迎え、裴君との経歴談を地面に圖をかいてもらってもとめるのである。

唐時代 地図山南 東・西道50
(訳注) #4

鄭典設自施州歸 

(典設郎の鄭某が施州から歸ったおりの感じをのべた詩。)大暦二年十月の作。4

 

中宵愜良會,裴鄭非遠戚。

その夜ながのたのしき會において主客は意にかなった満足を得る、もとより裴氏と鄭氏とは親戚であるという関係もあるのではあるが。

【1】    愜良會 憶は心のかなうこと、良會はたのしき会合、即ちこれまでのみご馳走の宴会。

【2】    非遠戚 遠戚は遠き親戚なり、これは事実関係は不明、裴と鄭二姓必ず親戚の関係があるということであろう。

 

群書一萬卷,博涉供務隙。

というのも、裴君は一萬巻もさまざまの書籍をたくわえ、公務のひまなおりにはそれ等にひろく目を通しているから、話が面白いのである。

【3】    博涉 書物にひろくわたる。

【4】    務隙 事務のひま。

 

他日辱銀鉤,森疏見矛戟。

また前日のことであるが、裴君からてがみをもらったが、その文字は銀鈎のごとく、森疎たる矛戟をみるがごとくであった。

【5】    他日 往日

【6】    辱銀鉤 裴より手紙を受けしをいう、銀鈎は裴の手紙の筆勢を誉めたもの、銀鈎は銀細工の簾を止める金具。

【7】    森疏 いかめしくまばら。

【8】    見矛戟 ほこ、筆勢の細くするどきをたとえること。

 

倒屣喜旋歸,畫地求所歷。

君はその裴君のいたところから歸られたので、自分は狂喜してくつの後ろを倒して、いそいでひっかけて出迎え、裴君との経歴談を地面に圖をかいてもらってもとめるのである。

【9】    倒屣 履は「くつ」、くつを倒にはくは狂喜して迎うるさま。

【10】  旋歸 郷が夔州へかえりしこと。

【11】  畫地 平地に図面を描く

【12】  所歷 鄭が経歴したところ。

 

 

 

 

杜甫 鄭典設自施州歸【字解】

(1)  鄭典設 典設郎は東宮に属する官名であり、東宮に典設局があり、郎四人をおく。湯沐浴、灑掃、舗陣のことを擧る。杜甫同時期の作、七言律詩《巻十八63 江雨有懷鄭典設》「春雨闇闇塞峽中,早晚來自楚王宮。」がある。

(2)  施州歸 黔中道施州刺史の裴冕のところに面会に行って帰ってきた。杜甫 20-97 寄裴施州》767-4杜甫 20-97 寄裴施州》 杜甫詩index-15-767年大暦256-4 <1061 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6985

楚漢戦争で、滎陽の戦いがあったところ。

(3)  滎陽 典設郎の鄭某は滎陽の地方の名族なり。滎陽は河南にある戦国時代に秦により滎陽県が設置された、古くからの縣名である。

(4)  適 他の土地に行くこと。

(5)  旅茲 これによって旅に出る

(6)  殊俗遠 風俗のちがった遠方。

(7)  屢空迫 米櫃にコメがないほどにの貧窮を言う。論語 「子曰、囘也其庶乎、屡空、賜不受命而貨殖焉、億則屡中。」子曰わく、回や其れ庶【ちか】きか、屡々【しばしば】空し。賜は命を受けずして貨殖す。億れば則ち屡々中【あた】る。

(8)  ⑻ 裴施州 この時の施州の刺史であった裴冕のこと。裴冕  人名。河東の人。字は章甫。蔭によって渭南尉になり、殿中侍御使となる。玄宗が入蜀すると御史中丞となり、粛宗に従って霊武に至り、尚書右僕射に昇進する。両京回復の時に冀国公に封じられた。後に罪を得て施州刺史に左遷される。代宗の時、復帰して左僕射、同中書門下平章事を授けられた。杜甫は成都紀行《巻九11鹿頭山》「冀公柱石姿,論道邦國活。斯人亦何幸、公鎮踰歳月。」(冀公柱石の姿、道を論じて邦国活く。斯の人亦た何ぞ幸ひなる、公の鎮して歳月を踰ゆ。)冀国公の裴冕殿は国家の柱石、道理を語って、国は平和に治められる。この土地の人々は、何と幸いなことか。あなたがここを治めて、もう一年余りにもなるのだ。杜甫が成都到着を目前にして作った「鹿頭山」詩の末尾に裴冕への讃辞を書き綴るのは、杜甫が裴冕の動向を正確に把握していたことを示すものである。”成都紀行(11)”  鹿頭山 杜甫詩1000 <351>#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1703 杜甫1500- 525

(9)   氣合 意気投合する。

(10)   無險僻 道路の険阻避遠をむしすることをいう。險は険阻、けわしいこと、僻はかたよる、避遠、無は無視する。

(11)   懸根木 根あがりの樹木、「杜臆」には榕樹なりといえるが、榕樹とは限らざるべし。

(12)   登頓 のぼったりやすんだり。

(13)   入天石 石壁聳立して天にまで突きいるなり。

(14)   憂戚 戚もうれひなり。

(15)   子 鄭をさす。

(16)   此邦 施州をいう。

(17)   溫溫 温情があることを言う。

(18)   諸侯門 諸侯とは裴施州をさす。

(19)   敕廚 臺所へ申しつける。

(20)   倍常羞 普段の倍もある御馳走をすすめさせる。

(21)   狼藉 みだれるかお。狼籍は、中国の通史『史記滑稽列伝』による漢語である。「籍」には「敷く」や「踏む」「雑」などの意味かあり、狼籍は狼か寝るために敷いた草の乱れた様子から、物か散らかっている様子を意味した。

(22)   事貴賞匹敵 事貴とは、貴い位の人に仕える鄭は裴につかえるをいう。

(23)   賞匹敵 貴者をも自己と同輩のようにみなしてさべつしないことをいう。

(24)   愜良會 憶は心のかなうこと、良會はたのしき会合、即ちこれまでのみご馳走の宴会。

(25)   非遠戚 遠戚は遠き親戚なり、これは事実関係は不明、裴と鄭二姓必ず親戚の関係があるということであろう。

(26)   博涉 書物にひろくわたる。

(27)   務隙 事務のひま。

(28)   他日 往日。

(29)   辱銀鉤 裴より手紙を受けしをいう、銀鈎は裴の手紙の筆勢を誉めたもの、銀鈎は銀細工の簾を止める金具。

(30)   森疏 いかめしくまばら。

(31)   見矛戟 ほこ、筆勢の細くするどきをたとえること。

(32)   倒屣 履は「くつ」、くつを倒にはくは狂喜して迎うるさま。

(33)   旋歸 郷が夔州へかえりしこと。

(34)   畫地 平地に図面を描く。

(35)   所歷 鄭が経歴したところ。

767年-5-#3杜甫 《20-98 鄭典設自施州歸》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-5-#3 <1065> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7005

杜甫  鄭典設自施州歸#3

其俗則純樸,不知有主客。溫溫諸侯門,禮亦如古昔。

敕廚倍常羞,杯盤頗狼藉。時雖屬喪亂,事貴賞匹敵。
施州の風俗は淳僕で一般人民のあいだでは、主人もお客も区別がないという親密さである。そして、温情がある州の長官の門でも、古代のままの禮が残っている。裴長官はその台所の人にいいつけて客に普段の倍もある御馳走をすすめさせる、宴席では盃と料理盛り付けの大皿や盤が足の踏み場もないほど頗る狼藉たるものがある。いまの時世は喪乱のときであるのにかかわらず、地場風俗と施政者の温情で、ここでは尊貴の人に対しても同輩に対するとおなじにされている。

767-5-#3杜甫 20-98 鄭典設自施州歸》 杜甫詩index-15-767年大暦256-5-#3 <1065 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7005

 

 
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杜甫詩1500-1065-1551-#3/2500

年:767年大暦256-5-#2

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    鄭典設自施州歸

作地點:              目前尚無資料

及地點:              施州 (黔中道 施州 施州)    

滎陽 (都畿道 鄭州 滎陽)   

交遊人物/地點:鄭典設      書信往來

裴冕      詩文提及(黔中道 施州 施州)

 

鄭典設自施州歸 #1

(典設郎の鄭某が施州から歸ったおりの感じをのべた詩。)

吾憐滎陽秀,冒暑初有適。

自分は気の毒におもっていたのだが、それは滎陽鄭氏の優秀な人物たる君が暑さを冒して初め他方へでかけていったことについてである。

名賢慎所出,不肯妄行役。

名のある賢人は出処進退をつつしみ、みだりに旅に出ることはしないものである、

旅茲殊俗遠,竟以屢空迫。

それに南の風俗のちがった遠方へ旅に出たのは.「屡ば空し」つまり貧窮に迫られての事であったというのだ。

鄭典設 施州より歸る #1

吾は憐れむ滎陽の秀,暑を冒して初め適く有り。

名賢は出る所を慎む,肯て妄りに行役せず。

茲の殊俗の遠きに旅するは,竟に屢空に迫らるるを以てなり。

#2

南謁裴施州,氣合無險僻。

君は南のかた裴施州に面會にいったのだ。先方と意気投合していることだから、途中の険阻避遠で大変さも眼中に無かつた。

攀援懸根木,登頓入天石。

あるいは根あがりの樹木をよじたり、あるいは天までつき入って聳え立った石の上にあがったりしている。

青山自一川,城郭洗憂慼。

それで、ついに青山のあいだに自ずと一川の流れている施州について、その城郭の様子ですっかり愁いのこころを洗い去った。

聽子話此邦,令我心悅懌。

君が施州の様子を話してくれるのをきいていると、自分のこころはうれしくなるのである。
#2

南のかた裴施州に謁す,氣合して險僻を無みす。

攀援す 懸根の木,登頓す 入天の石。

青山 自ら一川,城郭 憂慼を洗う。

子が 此の邦を話すを聽けば,我をして 心 悅懌せしむ。
#3

其俗則純樸,不知有主客。

施州の風俗は淳僕で一般人民のあいだでは、主人もお客も区別がないという親密さである。

溫溫諸侯門,禮亦如古昔。

そして、温情がある州の長官の門でも、古代のままの禮が残っている。

敕廚倍常羞,杯盤頗狼藉。

裴長官はその台所の人にいいつけて客に普段の倍もある御馳走をすすめさせる、宴席では盃と料理盛り付けの大皿や盤が足の踏み場もないほど頗る狼藉たるものがある。

時雖屬喪亂,事貴賞匹敵。

いまの時世は喪乱のときであるのにかかわらず、地場風俗と施政者の温情で、ここでは尊貴の人に対しても同輩に対するとおなじにされている。

#3

其の俗は則ち純樸にして,主客有るを知らず。

溫溫たり 諸侯の門,禮も亦た 古昔の如し。

廚に敕めて常羞に倍せしむ,杯盤 頗る狼藉たり。

時 喪亂に屬すと雖も,貴に事えて 匹敵に賞つ。 
#4

中宵愜良會,裴鄭非遠戚。

群書一萬卷,博涉供務隙。

他日辱銀鉤,森疏見矛戟。

倒屣喜旋歸,畫地求所歷。

#5

乃聞風土質,又重田疇闢。

刺史似寇恂,列郡宜競惜。

北風吹瘴癘,羸老思散策。

渚拂蒹葭塞,嶠穿蘿蔦冪。

此身仗兒僕,高興潛有激。

#6

孟冬方首路,強飯取崖壁。

歎爾疲駑駘,汗溝血不赤。

終然備外飾,駕馭何所益。

我有平肩輿,前途猶准的。

翩翩入鳥道,庶蹉跌厄。

 

唐時代 地図山南 東・西道50 

『鄭典設自施州歸』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

其俗則純樸,不知有主客。

溫溫諸侯門,禮亦如古昔。

敕廚倍常羞,杯盤頗狼藉。

時雖屬喪亂,事貴賞匹敵。

(下し文)
#3

其の俗は則ち純樸にして,主客有るを知らず。

溫溫たり 諸侯の門,禮も亦た 古昔の如し。

廚に敕めて常羞に倍せしむ,杯盤 頗る狼藉たり。

時 喪亂に屬すと雖も,貴に事えて 匹敵に賞つ。 

(現代語訳)
#3

施州の風俗は淳僕で一般人民のあいだでは、主人もお客も区別がないという親密さである。

そして、温情がある州の長官の門でも、古代のままの禮が残っている。

裴長官はその台所の人にいいつけて客に普段の倍もある御馳走をすすめさせる、宴席では盃と料理盛り付けの大皿や盤が足の踏み場もないほど頗る狼藉たるものがある。

いまの時世は喪乱のときであるのにかかわらず、地場風俗と施政者の温情で、ここでは尊貴の人に対しても同輩に対するとおなじにされている。

瞿塘峡・白帝城・魚復
(訳注) #3

 

其俗則純樸,不知有主客。

施州の風俗は淳僕で一般人民のあいだでは、主人もお客も区別がないという親密さである。

 

溫溫諸侯門,禮亦如古昔。

そして、温情がある州の長官の門でも、古代のままの禮が残っている。

【1】    溫溫 温情があることを言う。

【2】    諸侯門 諸侯とは裴施州をさす。

 

敕廚倍常羞,杯盤頗狼藉。

裴長官はその台所の人にいいつけて客に普段の倍もある御馳走をすすめさせる、宴席では盃と料理盛り付けの大皿や盤が足の踏み場もないほど頗る狼藉たるものがある。

【3】    敕廚 臺所へ申しつける。

【4】    倍常羞 普段の倍もある御馳走をすすめさせる。

【5】    狼藉 みだれるかお。狼籍は、中国の通史『史記滑稽列伝』による漢語である。「籍」には「敷く」や「踏む」「雑」などの意味かあり、狼籍は狼か寝るために敷いた草の乱れた様子から、物か散らかっている様子を意味した。

 

時雖屬喪亂,事貴賞匹敵。

いまの時世は喪乱のときであるのにかかわらず、地場風俗と施政者の温情で、ここでは尊貴の人に対しても同輩に対するとおなじにされている。

【6】    事貴賞匹敵 事貴とは、貴い位の人に仕える鄭は裴につかえるをいう。

【7】    賞匹敵 貴者をも自己と同輩のようにみなしてさべつしないことをいう。

 

 

 

杜甫 鄭典設自施州歸【字解】

(1)  鄭典設 典設郎は東宮に属する官名であり、東宮に典設局があり、郎四人をおく。湯沐浴、灑掃、舗陣のことを擧る。杜甫同時期の作、七言律詩《巻十八63 江雨有懷鄭典設》「春雨闇闇塞峽中,早晚來自楚王宮。」がある。

(2)  施州歸 黔中道施州刺史の裴冕のところに面会に行って帰ってきた。杜甫 20-97 寄裴施州》767-4杜甫 20-97 寄裴施州》 杜甫詩index-15-767年大暦256-4 <1061 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6985

楚漢戦争で、滎陽の戦いがあったところ。

(3)  滎陽 典設郎の鄭某は滎陽の地方の名族なり。滎陽は河南にある戦国時代に秦により滎陽県が設置された、古くからの縣名である。

(4)  適 他の土地に行くこと。

(5)  旅茲 これによって旅に出る

(6)  殊俗遠 風俗のちがった遠方。

(7)  屢空迫 米櫃にコメがないほどにの貧窮を言う。論語 「子曰、囘也其庶乎、屡空、賜不受命而貨殖焉、億則屡中。」子曰わく、回や其れ庶【ちか】きか、屡々【しばしば】空し。賜は命を受けずして貨殖す。億れば則ち屡々中【あた】る。

(8)  ⑻ 裴施州 この時の施州の刺史であった裴冕のこと。裴冕  人名。河東の人。字は章甫。蔭によって渭南尉になり、殿中侍御使となる。玄宗が入蜀すると御史中丞となり、粛宗に従って霊武に至り、尚書右僕射に昇進する。両京回復の時に冀国公に封じられた。後に罪を得て施州刺史に左遷される。代宗の時、復帰して左僕射、同中書門下平章事を授けられた。杜甫は成都紀行《巻九11鹿頭山》「冀公柱石姿,論道邦國活。斯人亦何幸、公鎮踰歳月。」(冀公柱石の姿、道を論じて邦国活く。斯の人亦た何ぞ幸ひなる、公の鎮して歳月を踰ゆ。)冀国公の裴冕殿は国家の柱石、道理を語って、国は平和に治められる。この土地の人々は、何と幸いなことか。あなたがここを治めて、もう一年余りにもなるのだ。杜甫が成都到着を目前にして作った「鹿頭山」詩の末尾に裴冕への讃辞を書き綴るのは、杜甫が裴冕の動向を正確に把握していたことを示すものである。”成都紀行(11)”  鹿頭山 杜甫詩1000 <351>#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1703 杜甫1500- 525

(9)   氣合 意気投合する。

(10)   無險僻 道路の険阻避遠をむしすることをいう。險は険阻、けわしいこと、僻はかたよる、避遠、無は無視する。

(11)   懸根木 根あがりの樹木、「杜臆」には榕樹なりといえるが、榕樹とは限らざるべし。

(12)   登頓 のぼったりやすんだり。

(13)   入天石 石壁聳立して天にまで突きいるなり。

(14)   憂戚 戚もうれひなり。

(15)   子 鄭をさす。

(16)   此邦 施州をいう。

(17)   溫溫 温情があることを言う。

(18)   諸侯門 諸侯とは裴施州をさす。

(19)   敕廚 臺所へ申しつける。

(20)   倍常羞 普段の倍もある御馳走をすすめさせる。

(21)   狼藉 みだれるかお。狼籍は、中国の通史『史記滑稽列伝』による漢語である。「籍」には「敷く」や「踏む」「雑」などの意味かあり、狼籍は狼か寝るために敷いた草の乱れた様子から、物か散らかっている様子を意味した。

(22)   事貴賞匹敵 事貴とは、貴い位の人に仕える鄭は裴につかえるをいう。

(23)   賞匹敵 貴者をも自己と同輩のようにみなしてさべつしないことをいう。

767年-5-#2杜甫 《20-98 鄭典設自施州歸》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-5-#2 <1064> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7000 

杜甫  鄭典設自施州歸 #2

南謁裴施州,氣合無險僻。攀援懸根木,登頓入天石。

青山自一川,城郭洗憂慼。聽子話此邦,令我心悅懌。

君は南のかた裴施州に面會にいったのだ。先方と意気投合していることだから、途中の険阻避遠で大変さも眼中に無かつた。あるいは根あがりの樹木をよじたり、あるいは天までつき入って聳え立った石の上にあがったりしている。それで、ついに青山のあいだに自ずと一川の流れている施州について、その城郭の様子ですっかり愁いのこころを洗い去った。君が施州の様子を話してくれるのをきいていると、自分のこころはうれしくなるのである。
767-5-#2杜甫 《20-98 鄭典設自施州歸》 杜甫詩index-15-767年大暦256-5-#2 <1064> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7000 

 

 

 
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杜甫詩1500-1064-1551-#2/2500

年:767年大暦256-5-#2

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    鄭典設自施州歸

作地點:              目前尚無資料

及地點:              施州 (黔中道 施州 施州)    

滎陽 (都畿道 鄭州 滎陽)   

交遊人物/地點:鄭典設      書信往來

裴冕      詩文提及(黔中道 施州 施州)

 

鄭典設自施州歸 #1

(典設郎の鄭某が施州から歸ったおりの感じをのべた詩。)

吾憐滎陽秀,冒暑初有適。

自分は気の毒におもっていたのだが、それは滎陽鄭氏の優秀な人物たる君が暑さを冒して初め他方へでかけていったことについてである。

名賢慎所出,不肯妄行役。

名のある賢人は出処進退をつつしみ、みだりに旅に出ることはしないものである、

旅茲殊俗遠,竟以屢空迫。

それに南の風俗のちがった遠方へ旅に出たのは.「屡ば空し」つまり貧窮に迫られての事であったというのだ。

鄭典設 施州より歸る #1

吾は憐れむ滎陽の秀,暑を冒して初め適く有り。

名賢は出る所を慎む,肯て妄りに行役せず。

茲の殊俗の遠きに旅するは,竟に屢空に迫らるるを以てなり。

#2

南謁裴施州,氣合無險僻。

君は南のかた裴施州に面會にいったのだ。先方と意気投合していることだから、途中の険阻避遠で大変さも眼中に無かつた。

攀援懸根木,登頓入天石。

あるいは根あがりの樹木をよじたり、あるいは天までつき入って聳え立った石の上にあがったりしている。

青山自一川,城郭洗憂慼。

それで、ついに青山のあいだに自ずと一川の流れている施州について、その城郭の様子ですっかり愁いのこころを洗い去った。

聽子話此邦,令我心悅懌。

君が施州の様子を話してくれるのをきいていると、自分のこころはうれしくなるのである。
#2

南のかた裴施州に謁す,氣合して險僻を無みす。

攀援す 懸根の木,登頓す 入天の石。

青山 自ら一川,城郭 憂慼を洗う。

子が 此の邦を話すを聽けば,我をして 心 悅懌せしむ。
#3

其俗則純樸,不知有主客。

溫溫諸侯門,禮亦如古昔。

敕廚倍常羞,杯盤頗狼藉。

時雖屬喪亂,事貴賞匹敵。

#4

中宵愜良會,裴鄭非遠戚。

群書一萬卷,博涉供務隙。

他日辱銀鉤,森疏見矛戟。

倒屣喜旋歸,畫地求所歷。

#5

乃聞風土質,又重田疇闢。

刺史似寇恂,列郡宜競惜。

北風吹瘴癘,羸老思散策。

渚拂蒹葭塞,嶠穿蘿蔦冪。

此身仗兒僕,高興潛有激。

#6

孟冬方首路,強飯取崖壁。

歎爾疲駑駘,汗溝血不赤。

終然備外飾,駕馭何所益。

我有平肩輿,前途猶准的。

翩翩入鳥道,庶蹉跌厄。

 

唐時代 地図山南 東・西道50 

『鄭典設自施州歸』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

南謁裴施州,氣合無險僻。

攀援懸根木,登頓入天石。

青山自一川,城郭洗憂慼。

聽子話此邦,令我心悅懌。

(下し文)
#2

南のかた裴施州に謁す,氣合して險僻を無みす。

攀援す 懸根の木,登頓す 入天の石。

青山 自ら一川,城郭 憂慼を洗う。

子が 此の邦を話すを聽けば,我をして 心 悅懌せしむ。

(現代語訳)
#2

君は南のかた裴施州に面會にいったのだ。先方と意気投合していることだから、途中の険阻避遠で大変さも眼中に無かつた。

あるいは根あがりの樹木をよじたり、あるいは天までつき入って聳え立った石の上にあがったりしている。

それで、ついに青山のあいだに自ずと一川の流れている施州について、その城郭の様子ですっかり愁いのこころを洗い去った。

君が施州の様子を話してくれるのをきいていると、自分のこころはうれしくなるのである。

(訳注) #2

鄭典設自施州歸 #1

(典設郎の鄭某が施州から歸ったおりの感じをのべた詩。)大暦二年十月の作。

 

南謁裴施州,氣合無險僻。

君は南のかた裴施州に面會にいったのだ。先方と意気投合していることだから、途中の険阻避遠で大変さも眼中に無かつた。

【1】         裴施州 この時の施州の刺史であった裴冕のこと。裴冕  人名。河東の人。字は章甫。蔭によって渭南尉になり、殿中侍御使となる。玄宗が入蜀すると御史中丞となり、粛宗に従って霊武に至り、尚書右僕射に昇進する。両京回復の時に冀国公に封じられた。後に罪を得て施州刺史に左遷される。代宗の時、復帰して左僕射、同中書門下平章事を授けられた。杜甫は成都紀行《巻九11鹿頭山》「冀公柱石姿,論道邦國活。斯人亦何幸、公鎮踰歳月。」(冀公柱石の姿、道を論じて邦国活く。斯の人亦た何ぞ幸ひなる、公の鎮して歳月を踰ゆ。)冀国公の裴冕殿は国家の柱石、道理を語って、国は平和に治められる。この土地の人々は、何と幸いなことか。あなたがここを治めて、もう一年余りにもなるのだ。杜甫が成都到着を目前にして作った「鹿頭山」詩の末尾に裴冕への讃辞を書き綴るのは、杜甫が裴冕の動向を正確に把握していたことを示すものである。”成都紀行(11)”  鹿頭山 杜甫詩1000 <351>#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1703 杜甫1500- 525

【2】    氣合 意気投合する。

【3】    無險僻 道路の険阻避遠をむしすることをいう。險は険阻、けわしいこと、僻はかたよる、避遠、無は無視する。

 

攀援懸根木,登頓入天石。

あるいは根あがりの樹木をよじたり、あるいは天までつき入って聳え立った石の上にあがったりしている。

【4】    懸根木 根あがりの樹木、「杜臆」には榕樹なりといえるが、榕樹とは限らざるべし。

【5】    登頓 のぼったりやすんだり。

【6】    入天石 石壁聳立して天にまで突きいるなり。

 

青山自一川,城郭洗憂慼。

それで、ついに青山のあいだに自ずと一川の流れている施州について、その城郭の様子ですっかり愁いのこころを洗い去った。

【7】    憂戚 戚もうれひなり。

 

聽子話此邦,令我心悅懌。

君が施州の様子を話してくれるのをきいていると、自分のこころはうれしくなるのである。

【8】    子 鄭をさす。

【9】    此邦 施州をいう。

 

 

【字解】

(1)  鄭典設 典設郎は東宮に属する官名であり、東宮に典設局があり、郎四人をおく。湯沐浴、灑掃、舗陣のことを擧る。杜甫同時期の作、七言律詩《巻十八63 江雨有懷鄭典設》「春雨闇闇塞峽中,早晚來自楚王宮。」がある。

(2)  施州歸 黔中道施州刺史の裴冕のところに面会に行って帰ってきた。杜甫 20-97 寄裴施州》767-4杜甫 20-97 寄裴施州》 杜甫詩index-15-767年大暦256-4 <1061 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6985

楚漢戦争で、滎陽の戦いがあったところ。

(3)  滎陽 典設郎の鄭某は滎陽の地方の名族なり。滎陽は河南にある戦国時代に秦により滎陽県が設置された、古くからの縣名である。

(4)  適 他の土地に行くこと。

(5)  旅茲 これによって旅に出る

(6)  殊俗遠 風俗のちがった遠方。

(7)  屢空迫 米櫃にコメがないほどにの貧窮を言う。論語 「子曰、囘也其庶乎、屡空、賜不受命而貨殖焉、億則屡中。」子曰わく、回や其れ庶【ちか】きか、屡々【しばしば】空し。賜は命を受けずして貨殖す。億れば則ち屡々中【あた】る。

(8)  ⑻ 裴施州 この時の施州の刺史であった裴冕のこと。裴冕  人名。河東の人。字は章甫。蔭によって渭南尉になり、殿中侍御使となる。玄宗が入蜀すると御史中丞となり、粛宗に従って霊武に至り、尚書右僕射に昇進する。両京回復の時に冀国公に封じられた。後に罪を得て施州刺史に左遷される。代宗の時、復帰して左僕射、同中書門下平章事を授けられた。杜甫は成都紀行《巻九11鹿頭山》「冀公柱石姿,論道邦國活。斯人亦何幸、公鎮踰歳月。」(冀公柱石の姿、道を論じて邦国活く。斯の人亦た何ぞ幸ひなる、公の鎮して歳月を踰ゆ。)冀国公の裴冕殿は国家の柱石、道理を語って、国は平和に治められる。この土地の人々は、何と幸いなことか。あなたがここを治めて、もう一年余りにもなるのだ。杜甫が成都到着を目前にして作った「鹿頭山」詩の末尾に裴冕への讃辞を書き綴るのは、杜甫が裴冕の動向を正確に把握していたことを示すものである。”成都紀行(11)”  鹿頭山 杜甫詩1000 <351>#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1703 杜甫1500- 525

(9)   氣合 意気投合する。

(10)   無險僻 道路の険阻避遠をむしすることをいう。險は険阻、けわしいこと、僻はかたよる、避遠、無は無視する。

(11)   懸根木 根あがりの樹木、「杜臆」には榕樹なりといえるが、榕樹とは限らざるべし。

(12)   登頓 のぼったりやすんだり。

(13)   入天石 石壁聳立して天にまで突きいるなり。

(14)   憂戚 戚もうれひなり。

(15)   子 鄭をさす。

(16)   此邦 施州をいう。

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