甘林 #1
舍舟越西岡,入林解我衣。青芻適馬性,好鳥知人歸。
晨光映遠岫,夕露見日晞。遲暮少寢食,清曠喜荊扉。
(瀼西の柑林にかえってきて、感じたことをよんだ詩)
自分は大瀼水左岸に舟をのりすてて西の岡を越え、林のなかにはいって自分の禮服をぬぐ。それから馬に青草をたべさせると、馬はよろこんでたべる。またよい鳥も人が帰ってきたことを知るとそれにこたえるようにさえずってくれる。朝日の光が遠方の山にうつろうと、昨夕からかけての露は太陽がでるとまもなく乾いてしまう。自分はもう晩年になってきている中、寝ることも食べることも少く、ただこんなすがすがしくてさつぱりとして、ひろびろとした柴門の扉の住居をよろこぶのである。
767年-18 # 1 |
《杜少陵集 19-21 甘林 》#1 |
杜甫詩index-15-1124 <1574> 767年大暦2年56歲-18 #1 |
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杜甫詩1500-1124-1574/2500
晩春に果樹園(蜜柑園)を丸ごと買い入れて、収穫を終えた翌春早々には、もう他人に譲渡している。ワン・サイクルの収穫を終えただけでは、経営と呼ぶには値しないかもしれない。したがって、一定の成果しか上がらず、故郷に帰る軍資金づくりの足しにならないか、あるいは、その軍資金に達する売り上げがあったので、早いうちにやめないと、菱州を旅立つことができないと思ったのかもしれない。しかし、収穫作業の他にも除草や施肥や土寄せなどの作業、また除虫や防寒対策(さらに蜜柑泥棒からの防護策)などの若干の必要な農事は行われたであろうし、この時期に突出して現れる蜜柑に対する並々ならぬ杜甫の関心などを考えると、杜甫の農的営為の一つとして蜜柑園経営をあげてもよいのではないかと思う。それに、杜甫は、蜜柑に関する詩を作ること、その詩を関係者に見せることで、蜜柑を得ることに成功したと考えられる。杜甫に生活を進める手段としても杜詩はうまく活用されたのである。
とはいえ、さして具体的な農作業が歌われているわけではないので、杜甫の蜜柑関連の詩の中で、どのように蜜柑が登場し、どのように詠じられているかを、時代順に追記していくと以下の通り。
夔州における杜甫の蜜柑に関する詩
《杜少陵集巻 詩題 》( 下し文 ) 767年度の作順
767年~夏
《1917_阻雨不得歸瀼西甘林》(雨に阻まれ瀼西の甘林に帰るを得ず 14
767年~秋
《1921_甘林》 18
《2068_即事》 61
《1858_暮春題瀼西新賃草屋,五首之二》(暮春に瀼西の新たに賃せる草屋に題す、五首》其二 74
《1925_樹間》 84
《2066_寒雨朝行視園樹》(寒雨に朝に行きて園樹を視る) 88
《2064_季秋江村》(季秋の江村) 89
《2054_從驛次草堂復至東屯茅屋,二首之一》(駅従りきたりて草堂に次(やど)り、復た東屯の茅屋に至る、二首其一)99
《1945_峽隘》 104
《1940_秋日夔府詠懷奉寄鄭監李賓客一百韻》六段目(秋日に夔府にて懐いを詠じ鄭監と李賓客に寄せ奉る、一百韻)106
《1926_白露》 154
《2033_十七夜對月》 (十七夜に月に対す)179
767年~正月
《2075_孟冬》 198
768年~
《2137_將別巫峽,贈南卿兄瀼西果園四十畝》 (将に巫峡に別れんとして南卿兄に瀼西の果園四十畝を贈る) 27
年:767年大暦2年56歲-18
卷別: 卷二二一 文體: 五言古詩
詩題: 甘林
甘林
(瀼西の柑林にかえってきて、感じたことをよんだ詩)
舍舟越西岡,入林解我衣。
自分は大瀼水左岸に舟をのりすてて西の岡を越え、林のなかにはいって自分の禮服をぬぐ。
青芻適馬性,好鳥知人歸。
それから馬に青草をたべさせると、馬はよろこんでたべる。またよい鳥も人が帰ってきたことを知るとそれにこたえるようにさえずってくれる。
晨光映遠岫,夕露見日晞。
朝日の光が遠方の山にうつろうと、昨夕からかけての露は太陽がでるとまもなく乾いてしまう。
遲暮少寢食,清曠喜荊扉。
自分はもう晩年になってきている中、寝ることも食べることも少く、ただこんなすがすがしくてさつぱりとして、ひろびろとした柴門の扉の住居をよろこぶのである。
(甘林)
舟を舍てて西岡を越え,林に入りて我が衣を解く。
青芻 馬性に適【かな】う,好鳥 人の歸るを知る。
晨光 遠岫に映ず,夕露 日を見て晞【かわ】く。
遲暮 寢食少し,清曠 荊扉を喜ぶ。
經過倦俗態,在野無所違。
試問甘藜藿,未肯羨輕肥。
喧靜不同科,出處各天機。
勿矜朱門是,陋此白屋非。
明朝步鄰里,長老可以依。
時危賦斂數,脫粟為爾揮。
相攜行荳田,秋花靄菲菲。
子實不得喫,貨市送王畿。
盡添軍旅用,迫此公家威。
主人長跪問,戎馬何時稀。
我衰易悲傷,屈指數賊圍。
勸其死王命,慎莫遠奮飛。
『甘林』 現代語訳と訳註解説
(本文)
甘林
舍舟越西岡,入林解我衣。
青芻適馬性,好鳥知人歸。
晨光映遠岫,夕露見日晞。
遲暮少寢食,清曠喜荊扉。
(下し文)
(甘林)
舟を舍てて西岡を越え,林に入りて我が衣を解く。
青芻 馬性に適【かな】う,好鳥 人の歸るを知る。
晨光 遠岫に映ず,夕露 日を見て晞【かわ】く。
遲暮 寢食少し,清曠 荊扉を喜ぶ。
(現代語訳)
甘林(瀼西の柑林にかえってきて、感じたことをよんだ詩)
自分は大瀼水左岸に舟をのりすてて西の岡を越え、林のなかにはいって自分の禮服をぬぐ。
それから馬に青草をたべさせると、馬はよろこんでたべる。またよい鳥も人が帰ってきたことを知るとそれにこたえるようにさえずってくれる。
朝日の光が遠方の山にうつろうと、昨夕からかけての露は太陽がでるとまもなく乾いてしまう。
自分はもう晩年になってきている中、寝ることも食べることも少く、ただこんなすがすがしくてさつぱりとして、ひろびろとした柴門の扉の住居をよろこぶのである。
甘林
(瀼西の柑林にかえってきて、感じたことをよんだ詩)
瀼東から帰ろうとして、長雨であえることができずにいた(《19-17 阻雨不得歸瀼西甘林》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-14漢詩ブログ7187)が、瀼西の柑林にかえったことをよんだ詩。大暦二年秋の作。
1 甘林 晩春に果樹園(蜜柑園)を丸ごと買い入れ、四十畝の果樹園を所有した。後で取り上げるが《2066_寒雨朝行視園樹》(寒雨に朝行きて園の樹を視る)の詩には「わが柴門は樹を擁して千株に向(なんな)んとす」とあり、千本にも近い蜜柑の木(千橘)が、瀼西の草堂に具わっていたとはっきり述べている。
舍舟越西岡,入林解我衣。
自分は大瀼水左岸に舟をのりすてて西の岡を越え、林のなかにはいって自分の禮服をぬぐ。
2 舍舟 大瀼水左岸に舟をのりする。
青芻適馬性,好鳥知人歸。
それから馬に青草をたべさせると、馬はよろこんでたべる。またよい鳥も人が帰ってきたことを知るとそれにこたえるようにさえずってくれる。
3 青芻 青草のまぐさ。
4 適馬性 上陸後に馬にのって草堂に帰り、馬に草をたべさす。草は馬の好む餌である。
《巻十九04 歸》
束帶還騎馬,東西卻渡船。林中才有地,峽外絕無天。
虛白高人靜,喧卑俗累牽。他鄉閱遲暮,不敢廢詩篇。
束帶して還た馬に騎る,東西卻って船を渡す。林中 才【わずか】に地有り,峽外 絕えて天無し。
虛白 高人靜なり,喧卑なるは 俗累牽かる。他鄉 遲暮を閱し,敢えて詩篇を廢せず。
晨光映遠岫,夕露見日晞。
朝日の光が遠方の山にうつろうと、昨夕からかけての露は太陽がでるとまもなく乾いてしまう。
5 遠岫 洞窟のある山が遠くに見える。岫は穴のあるやま。
6 夕露見 昨日の夕刻からの夜露。
7 日晞 太陽の日明かりで乾くことを言う。
遲暮少寢食,清曠喜荊扉。
自分はもう晩年になってきている中、寝ることも食べることも少く、ただこんなすがすがしくてさつぱりとして、ひろびろとした柴門の扉の住居をよろこぶのである。
8 清曠 すがすがしく広い気持ちになる風景。