杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

2016年02月

767年-24 #4杜少陵集 《19-38 狄明府〔寄狄明府博濟〕#4》 杜甫詩index-15-1153 <1603> 767年大暦2年56歲-24 #4漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7412

杜甫詩1500-1153-1603/2500 狄明府【寄狄明府博濟】#4

太宗社稷一朝正,漢官威儀重昭洗。時危始識不世才,誰謂荼苦甘如薺。

汝曹又宜列土食,身使門多旌棨
これで太宗の建てられた社稜は一朝にして正しくなり、漢官の威儀は汚れをきよめられてふたたび光明をはなつようになった。時世が危くなってはじめて不世出の人才というものが出てくるもので、梁公の如きはそれで、梁公は「如何なる艱苦をも甘し」とされたのである。《詩経》に「だれが苦菜を苦いというぞ、苦菜は甘くて薺のようだ」というてあるが梁公の気持はそんなものであったのだ。かかる梁公の子孫であってみれば、あなたがたは鼎をつらねて御馳走をたべ、自身にはおのが門戸に旌棨をたくさんならべて建てるほどのいい地位にのぼるが至当なのである。

杜少陵集19-38-#4

狄 明 府  #4(5分割)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7407

杜甫詩index-15-

767年大暦256 24 #4

11531603

 

 

 
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
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  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
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年:767年大暦256-24 #4     

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    狄明府【案:博濟。】【寄狄明府】

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:房陵 (山南東道 房州 房陵)              

交遊人物/地點:   狄博濟    書信往來

詩文:

 

 

狄明府【寄狄明府博濟】

(狄仁傑の曾孫で蜀の某縣の縣令であった博濟に寄せた詩。)

梁公曾孫我姨弟,不見十年官濟濟。

あなたは狄梁公の曾孫でわたくしの母方のいとこであるが、十年のながい間にあなたが威儀をそなえた立派な朝官となられたのをみうけたのである。

大賢之後竟陵遲,浩蕩古今同一體。

染公の様な大賢人の子孫たる者が、ついに、これほど衰微していることは、ひろく古今をみわたすといつもかはらぬすがたでなげかはしいことである。

比看叔伯四十人,有才無命百寮底。

このごろ伯叔父の列にあるもの四十人ほどの有様をみるに、才はあるがよい運命をもたず多くの下積の役人になっているものが多いのである。

#2

今者兄弟一百人,幾人卓秉周禮。

また、今は一族のいとこども百人ほどおり、そのうちで幾人がすぐれたものが朝廷に立って施政の禮をとり、守るものがあるのである。

在汝更用文章為,長兄白眉復天

あなたはその上によく文章を働かす人であり、いちばんの兄さんは馬氏の白眉の様に天賦の才能をもっておられる。(それにやっぱりおちぶれておられるのだ)。

汝門請從曾翁太后當朝多巧詆。

あなたの家のことを曾祖父さまから謂うて見るならば、則天太后が朝政にあたられたときはよそから非難するものが多かつた。

#3

狄公執政在末年,濁河終不清濟。

その末年になって狄梁公が政権をお執りになったが、濁った黄河はどうしても清んだ済水をけがすことはできなかった。(狄公をわるもののなかまにいれることはできなかった。)

國嗣初將付諸武,公獨廷諍守丹陛。

当時、周の國のおこりはじめ期で、武将の職をいろいろの武氏一門の人に付与しょうとしたが、狄公は朝廷でひとりでそのことについて諌めたが、貶められることはなく、丹陛から身動きもされることはなかった。

禁中決冊請房陵,前朝長老皆流涕。

それから禁中ではかりごとをきめて房陵に遷されていた中宗をみやこへ請い迎え位に復し奉った。これによって前朝の長老たちは皆感涙をながした。

#4

太宗社稷一朝正,漢官威儀重昭洗。

これで太宗の建てられた社稜は一朝にして正しくなり、漢官の威儀は汚れをきよめられてふたたび光明をはなつようになった。

時危始識不世才,誰謂荼苦甘如薺。

時世が危くなってはじめて不世出の人才というものが出てくるもので、梁公の如きはそれで、梁公は「如何なる艱苦をも甘し」とされたのである。《詩経》に「だれが苦菜を苦いというぞ、苦菜は甘くて薺のようだ」というてあるが梁公の気持はそんなものであったのだ。

汝曹又宜列土食,身使門多旌棨。

かかる梁公の子孫であってみれば、あなたがたは鼎をつらねて御馳走をたべ、自身にはおのが門戸に旌棨をたくさんならべて建てるほどのいい地位にのぼるが至当なのである。

#5

胡為漂泊岷漢間,干謁王侯頗歷抵。

況乃山高水有波,秋風蕭蕭露泥泥。

虎之飢,下巉巖。

蛟之橫,出清泚。

早歸來,黃土泥衣眼易眯。

(狄明府)【狄明府博濟に寄す】

染公の曾孫我が姨弟、十年にして官濟濟たるを見ず。

大賢の後竟に陵遅す、浩蕩古今同じく一體なり。

此ごろ看る 伯叔四十人、才有り命無し 百寮の底。

#2

今者兄弟 一百人、幾人か卓絶 周禮をる。

汝に在りでは更に文章を用ふと為す、長兄は白眉復た天啓なり。』

汝が門請ふ曾翁よりかむ、太后 朝に當るとき巧詆多し。

#3

狄公 政をる末年に在り,濁河 終に清濟をさず

國嗣の初將 諸武に付し,公 獨り廷諍して丹陛を守る。

禁中 冊を決して房陵を請う,前朝の長老 皆 流涕す。

#4

太宗の社稷 一朝に正し,漢官の威儀 重ねて昭洗す。

時危くして始めて識る不世の才,誰か荼を苦しと謂う甘きこと薺の如し。

汝が曹 又た 宜しく土を列して食し,身 門をして旌棨多からしむべし。

#5

胡為れぞ岷漢の間に漂泊して,王侯に干謁して頗る歷抵するや。

況んや乃ち山高くして水に波有り,秋風 蕭蕭として 露 泥泥たり。

虎の飢うる,巉巖より下る。

蛟の橫【ほしいまま】なる,清泚より出づるをや。

早く歸り來れ,黃土衣を泥し 眼 眯【まよ】わされ易し。

 

京兆地域図002 

『狄明府』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

太宗社稷一朝正,漢官威儀重昭洗。

時危始識不世才,誰謂荼苦甘如薺。

汝曹又宜列土食,身使門多旌棨

(下し文)
#4

太宗の社稷 一朝に正し,漢官の威儀 重ねて昭洗す。

時危くして始めて識る不世の才,誰か荼を苦しと謂う甘きこと薺の如し。

汝が曹 又た 宜しく土を列して食し,身 門をして旌棨多からしむべし

(現代語訳)
#4

これで太宗の建てられた社稜は一朝にして正しくなり、漢官の威儀は汚れをきよめられてふたたび光明をはなつようになった。

時世が危くなってはじめて不世出の人才というものが出てくるもので、梁公の如きはそれで、梁公は「如何なる艱苦をも甘し」とされたのである。《詩経》に「だれが苦菜を苦いというぞ、苦菜は甘くて薺のようだ」というてあるが梁公の気持はそんなものであったのだ。

かかる梁公の子孫であってみれば、あなたがたは鼎をつらねて御馳走をたべ、自身にはおのが門戸に旌棨をたくさんならべて建てるほどのいい地位にのぼるが至当なのである。


(訳注) #4

狄明府【寄狄明府博濟】

(狄仁傑の曾孫で蜀の某縣の縣令であった博濟に寄せた詩。)767大暦二年夔州での作。

1 狄明府博 狄博濟は姓名。明府は縣令の敬称、詩中に「漂泊岷漢間」の語あるので、蜀地漢州の某縣の縣令であったとおもわれる人物である。

 

太宗社稷一朝正,漢官威儀重昭洗。

これで太宗の建てられた社稜は一朝にして正しくなり、漢官の威儀は汚れをきよめられてふたたび光明をはなつようになった。

38 太宗 唐朝の第2代皇帝。高祖李淵の次男で、隋末の混乱期に父の李淵を補佐して主に軍を率いて各地を転戦、群雄を滅ぼし、後に玄武門の変にて兄の李建成を殺害し皇帝に即位した。貞観の治と言う、唐王朝の基礎を固める善政を行い、中国史上最高の名君の一人と称えられる。

39 社稷 古代の天子・諸侯が土地の神である「社」や五穀の神である「稷」を祭ったことから,後には「社稷」が「国家」を表わすようになった.

40 漢官 漢は借りて唐をいう。

41 威儀 1 いかめしく重々しい動作。立ち居振る舞いに威厳を示す作法。2 仏語。㋐規律にかなった起居動作。また、その作法・規律。㋑袈裟 (けさ) につけた平ぐけのひも。袈裟をまとうとき肩にかける。

42 昭洗 席昭の倒用、けがれをあらいさり光明を復することをいう。

 

時危始識不世才,誰謂荼苦甘如薺。

時世が危くなってはじめて不世出の人才というものが出てくるもので、梁公の如きはそれで、梁公は「如何なる艱苦をも甘し」とされたのである。《詩経》に「だれが苦菜を苦いというぞ、苦菜は甘くて薺のようだ」というてあるが梁公の気持はそんなものであったのだ。

43 不世才 不世出の才、三十年ごとぐらいにきっと出るとはきまらぬほどの人才。

誰謂荼苦甘如薺 《詩経、邶風、(谷風)》「誰謂荼苦、其甘如薺。」(誰れか謂う荼【と】は苦しと、其の甘きこと薺【なずな】の如し。)人々は荼をとても苦いものだと言っているが、荼の苦味などは人生全体の苦味と比べれば、薺のように甘いものである。

『荼』とはニガナ(苦い菜っ葉)の事、『薺』とはアマナ(甘い菜っ葉)の事を意味している。この部分は食べ物である荼の苦さ・まずさを大げさに言う人は多いが、実際にはそんな荼(ニガナ)などよりも、人生や世間のほうがもっと何倍も苦くて大変だということ。梁公が艱難辛苦をいとわないことをいう。

 

汝曹又宜列土食,身使門多旌棨。

かかる梁公の子孫であってみれば、あなたがたは鼎をつらねて御馳走をたべ、自身にはおのが門戸に旌棨をたくさんならべて建てるほどのいい地位にのぼるが至当なのである。

列土食/列鼎食 鼎を多くならべて煮炊きして食べるとは美食することをいう。

旌棨 旌ははた、何かをそれによって表草する。棨は赤黒の繒をつけた棨戟をいう。三品以上の官は門に棨戟を列する。

長安城図 作図00 

 

 

狄明府【寄狄明府博濟】【宇解】

 

1 狄明府博 狄博濟は姓名。明府は縣令の敬称、詩中に「漂泊岷漢間」の語あるので、蜀地漢州の某縣の縣令であったとおもわれる人物である。

2 梁公 狄仁傑なり。武后の朝に天下を保持した功あり。仁傑は聖暦三年に卒し、中宗位に即位するや司空を贈り、宗之を梁國公に封ず。因って梁公という。

3 曾孫 ひまご。

4 姨弟 母の姉妹の子をいう、作者よりいへば母方のいとこである。

5 十年 乾元元年より大暦二年までにて十年なり。【六】 済済

6 濟濟 高官の威儀多き貌をいう。《詩經: 大雅: 文王之什》「濟濟多士、文王以寧。」(濟濟たる多士、文王 以て寧し。)立派な群臣が盛んに多くあったので、文王はこれら多くの賢士を善く用い、これらの賢士の輔翼によって、文王は安らかに国を治められたのである。

7 大賢 梁公をさす。

8 之後 この血筋の子孫。

9 陵遲 次第に低くなってゆく陵線。血筋が衰退していることを言う。

10 浩蕩 大いなる貌、時間の長さを言う。

11 同一體 いつもかはらぬすがた

12 叔伯 伯叔父の列にあたるもの。

また、今は一族のいとこども百人ほどおり、そのうちで幾人がすぐれたものが朝廷に立って施政の禮をとり、守るものがあるのである。

13 兄弟一百人 伯叔父の列にあたるものの兄弟を入れて百人いる。百人は詩的表現。

14 秉周禮 周の禮にのっとり守られる施政を行うこと。左傳「魯猶秉周禮,未可動也。」(魯猶お周禮を秉り,未だ動かる可からずなり。魯国では周の禮にのっとり守られる施政を行い、これを移動したりすることはない。

15 汝 書簡の相手、狄博濟のこと。

16 更用文章為 文章をよくもちいる人である。よく文章を働かす人であること。

17 長兄 名前は不詳である狄博濟の長兄。

18 白眉 優れたものを言う。蜀の馬良で、字を季常は兄弟五人(皆“常”の名がつく)、皆、才人であり、そろって、眉が白かったことで、諺に謂う、馬氏の五常は「白眉最良」と。

19 天 天之をひらく、天賦に基づくことを言う。

 

20 汝門 汝の家門のこと。

21 曾翁 狄博濟の曽祖父である梁公(狄仁傑)のこと。

22 太后當朝 則天太后が朝政にあたるもので、唐の國号を周に改めたことを言う。

23 多巧詆 多くの功績を残したもののよそから非難するものが多かつたという意。杜甫は太宗の施政を継承した則天武后を一定の評価をしていたということ。

24 則天武后の時期 武皇后は自身に対する有力貴族の積極的支持が無いと自覚していたため、自身の権力を支える人材を非貴族層から積極的に登用した。この時期に登用された人材としては狄仁傑・姚崇・宋璟などがいる。これらは低い身分の出身であり、貴族制下では宮廷内での出世が見込めない人物だった。武皇后は人材の採用に当たっては、身分のみならず才能と武皇后への忠誠心を重視した。姚崇と宋璟は後に玄宗の下で朝政を行い、開元の治を導いた。

出自を問わない才能を発掘する一方で、武皇后は娘の太平公主薛懐義張易之昌宗兄弟といった自身の寵臣、武三思武承嗣ら親族の武氏一族を重用し、専横を招いた。また佞臣許敬宗などを任用し、密告政治により反対者を排除、来俊臣索元礼周興ら「酷吏」が反対派を監視する恐怖政治を行った。この状況に高宗は武皇后の廃后を計画するが、武皇后は計画を事前に察知し皇帝の権力奪還を許さなかった。

25 則天武后の功績 長年の課題であった高句麗を滅ぼし唐の安定化に寄与した事実は見逃せない功績である。また、彼女が権力を握っている間には農民反乱は一度も起きておらず、民衆の生活は安定していたとされる。加えて、彼女の人材登用能力が後の歴史家も認めざるをえないほどに優れていたことは事実であり、彼女の登用した人材が玄宗時代の開元の治を導いたことも特筆に値する。

26 狄公 狄人傑

27 末年 則天武后の末年期。

28 濁河・清濟 濁れる黄河、清める濟水、濟水は山東兗州にながれる。

29 國嗣 唐國を嗣いだ周をいう。

30 初將 その周の最初の将軍。 

31 諸武 則武天の一族一門のものをいう。

32 公 梁公。

33 廷諍 朝廷で諌諍することをいう。武則天の治世において最も重要な役割を果たしたのが、高宗の時代から彼女が実力を見い出し重用していた稀代の名臣、狄仁傑である。武則天は狄仁傑を宰相として用い、その的確な諫言を聞き入れ、国内外において発生する難題の処理に当たり、成功を治めた[13]。また、治世後半期には姚崇・宋璟などの実力を見抜いてこれを要職に抜擢した。後にこの二名は玄宗の時代の開元の治を支える名臣と称される人物である。武則天の治世の後半は狄仁傑らの推挙により数多の有能な官吏を登用したこともあり、宗室の混乱とは裏腹に政権の基盤は盤石なものとなっていった。

34 丹陛 あかぬりのご殿に通じる階(なかの台のきざはし)。殿前の庭は丹庭があり、丹陛(階段)となっており、丹陛(階段)には龍彫の装飾がある。

《巻八26兩當縣十侍禦江上宅》「餘時忝諍臣,丹陛實咫尺。」(余 時に諍臣を忝うす、丹陛 実に咫尺。)自分はその時、左拾遺の官をかたじけなくしていたわけで、天子の丹陛の間近にお仕えしていたのである。

兩當縣十侍禦江上宅 杜甫 <320-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1508 杜甫詩 700- 467

35 禁中 朝廷のうち。

36 決冊/決策 はかりごとをきめる。

37 請房陵 房陵は中宗をいう。武后は唐を革めて周となし、中宗を廃して盧陵王となして房州に遷し、武三思(后の姪)を太子となそうと欲した。狄仁傑はしばしば諌めていうのに、子母と姑姪とどちらが親しい関係にあるか、もし三思を立てるならば廟には姑を祔(木主を合祭すること)するわけにはゆかぬと。武后は悔悟して即日中宗を迎えて宮中に還らせたという。

767年-24 #3杜少陵集 《19-38 狄明府〔寄狄明府博濟〕#3》 杜甫詩index-15-1152 <1602> 767年大暦2年56歲-24 #3漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7407

杜甫詩1500-1152-1602/2500  狄明府【寄狄明府博濟】##3

狄公執政在末年,濁河終不清濟。國嗣初將付諸武,公獨廷諍守丹陛。

禁中決冊請房陵,前朝長老皆流涕。

その末年になって狄梁公が政権をお執りになったが、濁った黄河はどうしても清んだ済水をけがすことはできなかった。(狄公をわるもののなかまにいれることはできなかった。)当時、周の國のおこりはじめ期で、武将の職をいろいろの武氏一門の人に付与しょうとしたが、狄公は朝廷でひとりでそのことについて諌めたが、貶められることはなく、丹陛から身動きもされることはなかった。それから禁中ではかりごとをきめて房陵に遷されていた中宗をみやこへ請い迎え位に復し奉った。これによって前朝の長老たちは皆感涙をながした。

杜少陵集19-38-#3

狄 明 府  #3(5分割)

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杜甫詩index-15-

767年大暦256  24  #3

1152 <1602

 

 
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年:767年大暦256-24 #1     

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    狄明府【案:博濟。】【寄狄明府】

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:房陵 (山南東道 房州 房陵)              

交遊人物/地點:   狄博濟    書信往來

詩文:

 

 

狄明府【寄狄明府博濟】

(狄仁傑の曾孫で蜀の某縣の縣令であった博濟に寄せた詩。)

梁公曾孫我姨弟,不見十年官濟濟。

あなたは狄梁公の曾孫でわたくしの母方のいとこであるが、十年のながい間にあなたが威儀をそなえた立派な朝官となられたのをみうけたのである。

大賢之後竟陵遲,浩蕩古今同一體。

染公の様な大賢人の子孫たる者が、ついに、これほど衰微していることは、ひろく古今をみわたすといつもかはらぬすがたでなげかはしいことである。

比看叔伯四十人,有才無命百寮底。

このごろ伯叔父の列にあるもの四十人ほどの有様をみるに、才はあるがよい運命をもたず多くの下積の役人になっているものが多いのである。

#2

今者兄弟一百人,幾人卓秉周禮。

また、今は一族のいとこども百人ほどおり、そのうちで幾人がすぐれたものが朝廷に立って施政の禮をとり、守るものがあるのである。

在汝更用文章為,長兄白眉復天

あなたはその上によく文章を働かす人であり、いちばんの兄さんは馬氏の白眉の様に天賦の才能をもっておられる。(それにやっぱりおちぶれておられるのだ)。

汝門請從曾翁太后當朝多巧詆。

あなたの家のことを曾祖父さまから謂うて見るならば、則天太后が朝政にあたられたときはよそから非難するものが多かつた。

#3

狄公執政在末年,濁河終不清濟。

その末年になって狄梁公が政権をお執りになったが、濁った黄河はどうしても清んだ済水をけがすことはできなかった。(狄公をわるもののなかまにいれることはできなかった。)

國嗣初將付諸武,公獨廷諍守丹陛。

当時、周の國のおこりはじめ期で、武将の職をいろいろの武氏一門の人に付与しょうとしたが、狄公は朝廷でひとりでそのことについて諌めたが、貶められることはなく、丹陛から身動きもされることはなかった。

禁中決冊請房陵,前朝長老皆流涕。

それから禁中ではかりごとをきめて房陵に遷されていた中宗をみやこへ請い迎え位に復し奉った。これによって前朝の長老たちは皆感涙をながした。

#4

太宗社稷一朝正,漢官威儀重昭洗。

時危始識不世才,誰謂荼苦甘如薺。

汝曹又宜列土食,身使門多旌棨。

#5

胡為漂泊岷漢間,干謁王侯頗歷抵。

況乃山高水有波,秋風蕭蕭露泥泥。

虎之飢,下巉巖。蛟之橫,出清泚。

早歸來,黃土泥衣眼易眯。

(狄明府)【狄明府博濟に寄す】

染公の曾孫我が姨弟、十年にして官濟濟たるを見ず。

大賢の後竟に陵遅す、浩蕩古今同じく一體なり。

此ごろ看る 伯叔四十人、才有り命無し 百寮の底。

#2

今者兄弟 一百人、幾人か卓絶 周禮をる。

汝に在りでは更に文章を用ふと為す、長兄は白眉復た天啓なり。』

汝が門請ふ曾翁よりかむ、太后 朝に當るとき巧詆多し。

#3

狄公 政をる末年に在り,濁河 終に清濟をさず

國嗣の初將 諸武に付し,公 獨り廷諍して丹陛を守る。

禁中 冊を決して房陵を請う,前朝の長老 皆 流涕す。

#4

太宗の社稷 一朝に正し,漢官の威儀 重ねて昭洗す。

時危くして始めて識る不世の才,誰か荼を苦しと謂う甘きこと薺の如し。

汝が曹 又た 宜しく土を列して食し,身 門をして旌棨多からしむべし。

 

8世紀唐と周辺国00 

『狄明府』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

狄公執政在末年,濁河終不清濟。

國嗣初將付諸武,公獨廷諍守丹陛。

禁中決冊請房陵,前朝長老皆流涕。

(下し文)
#3

狄公 政をる末年に在り,濁河 終に清濟をさず。

國嗣の初將 諸武に付し,公 獨り廷諍して丹陛を守る。

禁中 冊を決して房陵を請う,前朝の長老 皆 流涕す。

(現代語訳)
#3

その末年になって狄梁公が政権をお執りになったが、濁った黄河はどうしても清んだ済水をけがすことはできなかった。(狄公をわるもののなかまにいれることはできなかった。)

当時、周の國のおこりはじめ期で、武将の職をいろいろの武氏一門の人に付与しょうとしたが、狄公は朝廷でひとりでそのことについて諌めたが、貶められることはなく、丹陛から身動きもされることはなかった。

それから禁中ではかりごとをきめて房陵に遷されていた中宗をみやこへ請い迎え位に復し奉った。これによって前朝の長老たちは皆感涙をながした。

隋末群雄割拠図00
(訳注) #3

狄明府【寄狄明府博濟】

(狄仁傑の曾孫で蜀の某縣の縣令であった博濟に寄せた詩。)767大暦二年夔州での作。

1 狄明府博 狄博濟は姓名。明府は縣令の敬称、詩中に「漂泊岷漢間」の語あるので、蜀地漢州の某縣の縣令であったとおもわれる人物である。

24 則天武后の時期 武皇后は自身に対する有力貴族の積極的支持が無いと自覚していたため、自身の権力を支える人材を非貴族層から積極的に登用した。この時期に登用された人材としては狄仁傑・姚崇・宋璟などがいる。これらは低い身分の出身であり、貴族制下では宮廷内での出世が見込めない人物だった。武皇后は人材の採用に当たっては、身分のみならず才能と武皇后への忠誠心を重視した。姚崇と宋璟は後に玄宗の下で朝政を行い、開元の治を導いた。

出自を問わない才能を発掘する一方で、武皇后は娘の太平公主薛懐義張易之昌宗兄弟といった自身の寵臣、三思武承嗣ら親族の武氏一族を重用し、専横を招いた。また佞臣許敬宗などを任用し、密告政治により反対者を排除、来俊臣索元礼周興ら「酷吏」が反対派を監視する恐怖政治を行った。この状況に高宗は武皇后の廃后を計画するが、武皇后は計画を事前に察知し皇帝の権力奪還を許さなかった。

25 則天武后の功績 長年の課題であった高句麗を滅ぼし唐の安定化に寄与した事実は見逃せない功績である。また、彼女が権力を握っている間には農民反乱は一度も起きておらず、民衆の生活は安定していたとされる。加えて、彼女の人材登用能力が後の歴史家も認めざるをえないほどに優れていたことは事実であり、彼女の登用した人材が玄宗時代の開元の治を導いたことも特筆に値する。

 

狄公執政在末年,濁河終不清濟。

その末年になって狄梁公が政権をお執りになったが、濁った黄河はどうしても清んだ済水をけがすことはできなかった。(狄公をわるもののなかまにいれることはできなかった。)

26 狄公 狄人傑

27 末年 則天武后の末年期。

28 濁河・清濟 濁れる黄河、清める濟水、濟水は山東兗州にながれる。

 

國嗣初將付諸武,公獨廷諍守丹陛。

当時、周の國のおこりはじめ期で、武将の職をいろいろの武氏一門の人に付与しょうとしたが、狄公は朝廷でひとりでそのことについて諌めたが、貶められることはなく、丹陛から身動きもされることはなかった。

29 國嗣 唐國を嗣いだ周をいう。

30 初將 その周の最初の将軍。 

31 諸武 則武天の一族一門のものをいう。

32 公 梁公。

33 廷諍 朝廷で諌諍することをいう。武則天の治世において最も重要な役割を果たしたのが、高宗の時代から彼女が実力を見い出し重用していた稀代の名臣、狄仁傑である。武則天は狄仁傑を宰相として用い、その的確な諫言を聞き入れ、国内外において発生する難題の処理に当たり、成功を治めた[13]。また、治世後半期には姚崇・宋璟などの実力を見抜いてこれを要職に抜擢した。後にこの二名は玄宗の時代の開元の治を支える名臣と称される人物である。武則天の治世の後半は狄仁傑らの推挙により数多の有能な官吏を登用したこともあり、宗室の混乱とは裏腹に政権の基盤は盤石なものとなっていった。

34 丹陛 あかぬりのご殿に通じる階(なかの台のきざはし)。殿前の庭は丹庭があり、丹陛(階段)となっており、丹陛(階段)には龍彫の装飾がある。

《巻八26兩當縣十侍禦江上宅》「餘時忝諍臣,丹陛實咫尺。」(余 時に諍臣を忝うす、丹陛 実に咫尺。)自分はその時、左拾遺の官をかたじけなくしていたわけで、天子の丹陛の間近にお仕えしていたのである。

兩當縣十侍禦江上宅 杜甫 <320-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1508 杜甫詩 700- 467

 

禁中決冊請房陵,前朝長老皆流涕。

それから禁中ではかりごとをきめて房陵に遷されていた中宗をみやこへ請い迎え位に復し奉った。これによって前朝の長老たちは皆感涙をながした。

35 禁中 朝廷のうち。

36 決冊/決策 はかりごとをきめる。

37 請房陵 房陵は中宗をいう。武后は唐を革めて周となし、中宗を廃して盧陵王となして房州に遷し、武三思(后の姪)を太子となそうと欲した。狄仁傑はしばしば諌めていうのに、子母と姑姪とどちらが親しい関係にあるか、もし三思を立てるならば廟には姑を祔(木主を合祭すること)するわけにはゆかぬと。武后は悔悟して即日中宗を迎えて宮中に還らせたという。

 

 

 

狄明府【寄狄明府博濟】【宇解】

 

1 狄明府博 狄博濟は姓名。明府は縣令の敬称、詩中に「漂泊岷漢間」の語あるので、蜀地漢州の某縣の縣令であったとおもわれる人物である。

2 梁公 狄仁傑なり。武后の朝に天下を保持した功あり。仁傑は聖暦三年に卒し、中宗位に即位するや司空を贈り、宗之を梁國公に封ず。因って梁公という。

3 曾孫 ひまご。

4 姨弟 母の姉妹の子をいう、作者よりいへば母方のいとこである。

5 十年 乾元元年より大暦二年までにて十年なり。【六】 済済

6 濟濟 高官の威儀多き貌をいう。《詩經: 大雅: 文王之什》「濟濟多士、文王以寧。」(濟濟たる多士、文王 以て寧し。)立派な群臣が盛んに多くあったので、文王はこれら多くの賢士を善く用い、これらの賢士の輔翼によって、文王は安らかに国を治められたのである。

7 大賢 梁公をさす。

8 之後 この血筋の子孫。

9 陵遲 次第に低くなってゆく陵線。血筋が衰退していることを言う。

10 浩蕩 大いなる貌、時間の長さを言う。

11 同一體 いつもかはらぬすがた

12 叔伯 伯叔父の列にあたるもの。

また、今は一族のいとこども百人ほどおり、そのうちで幾人がすぐれたものが朝廷に立って施政の禮をとり、守るものがあるのである。

13 兄弟一百人 伯叔父の列にあたるものの兄弟を入れて百人いる。百人は詩的表現。

14 秉周禮 周の禮にのっとり守られる施政を行うこと。左傳「魯猶秉周禮,未可動也。」(魯猶お周禮を秉り,未だ動かる可からずなり。魯国では周の禮にのっとり守られる施政を行い、これを移動したりすることはない。

15 汝 書簡の相手、狄博濟のこと。

16 更用文章為 文章をよくもちいる人である。よく文章を働かす人であること。

17 長兄 名前は不詳である狄博濟の長兄。

18 白眉 優れたものを言う。蜀の馬良で、字を季常は兄弟五人(皆“常”の名がつく)、皆、才人であり、そろって、眉が白かったことで、諺に謂う、馬氏の五常は「白眉最良」と。

19 天 天之をひらく、天賦に基づくことを言う。

 

20 汝門 汝の家門のこと。

21 曾翁 狄博濟の曽祖父である梁公(狄仁傑)のこと。

22 太后當朝 則天太后が朝政にあたるもので、唐の國号を周に改めたことを言う。

23 多巧詆 多くの功績を残したもののよそから非難するものが多かつたという意。杜甫は太宗の施政を継承した則天武后を一定の評価をしていたということ。

767年-24 #2杜少陵集 《19-38 狄明府〔寄狄明府博濟〕#2》 杜甫詩index-15-1151 <1601> 767年大暦2年56歲-24 #2漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7402 

杜甫詩1500-1151-1601/2500  狄明府【寄狄明府博濟】#2

今者兄弟一百人,幾人卓秉周禮。在汝更用文章為,長兄白眉復天

汝門請從曾翁,太后當朝多巧詆

また、今は一族のいとこども百人ほどおり、そのうちで幾人がすぐれたものが朝廷に立って施政の禮をとり、守るものがあるのである。あなたはその上によく文章を働かす人であり、いちばんの兄さんは馬氏の白眉の様に天賦の才能をもっておられる。(それにやっぱりおちぶれておられるのだ)。あなたの家のことを曾祖父さまから謂うて見るならば、則天太后が朝政にあたられたときはよそから非難するものが多かつた。

杜少陵集19-38-#2

狄 明 府  #2(5分割)

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杜甫詩index-15-

767年大暦256  24  #2

1151 <1601

 

 

 

年:767年大暦256-24 #1     

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    狄明府【案:博濟。】【寄狄明府】

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:房陵 (山南東道 房州 房陵)              

交遊人物/地點:   狄博濟    書信往來

詩文:

 

 

狄明府【寄狄明府博濟】

(狄仁傑の曾孫で蜀の某縣の縣令であった博濟に寄せた詩。)

梁公曾孫我姨弟,不見十年官濟濟。

あなたは狄梁公の曾孫でわたくしの母方のいとこであるが、十年のながい間にあなたが威儀をそなえた立派な朝官となられたのをみうけたのである。

大賢之後竟陵遲,浩蕩古今同一體。

染公の様な大賢人の子孫たる者が、ついに、これほど衰微していることは、ひろく古今をみわたすといつもかはらぬすがたでなげかはしいことである。

比看叔伯四十人,有才無命百寮底。

このごろ伯叔父の列にあるもの四十人ほどの有様をみるに、才はあるがよい運命をもたず多くの下積の役人になっているものが多いのである。

#2

今者兄弟一百人,幾人卓秉周禮。

また、今は一族のいとこども百人ほどおり、そのうちで幾人がすぐれたものが朝廷に立って施政の禮をとり、守るものがあるのである。

在汝更用文章為,長兄白眉復天

あなたはその上によく文章を働かす人であり、いちばんの兄さんは馬氏の白眉の様に天賦の才能をもっておられる。(それにやっぱりおちぶれておられるのだ)。

汝門請從曾翁太后當朝多巧詆。

あなたの家のことを曾祖父さまから謂うて見るならば、則天太后が朝政にあたられたときはよそから非難するものが多かつた。

#3

狄公執政在末年,濁河終不清濟。

國嗣初將付諸武,公獨廷諍守丹陛。

禁中決冊請房陵,前朝長老皆流涕。

#4

太宗社稷一朝正,漢官威儀重昭洗。

時危始識不世才,誰謂荼苦甘如薺。

汝曹又宜列土食,身使門多旌棨。

#5

胡為漂泊岷漢間,干謁王侯頗歷抵。

況乃山高水有波,秋風蕭蕭露泥泥。

虎之飢,下巉巖。蛟之橫,出清泚。

早歸來,黃土泥衣眼易眯。

(狄明府)【狄明府博濟に寄す】

染公の曾孫我が姨弟、十年にして官濟濟たるを見ず。

大賢の後竟に陵遅す、浩蕩古今同じく一體なり。

此ごろ看る 伯叔四十人、才有り命無し 百寮の底。

#2

今者兄弟 一百人、幾人か卓絶 周禮をる。

汝に在りでは更に文章を用ふと為す、長兄は白眉復た天啓なり。』

汝が門請ふ曾翁よりかむ、太后 朝に當るとき巧詆多し。

#3

狄公 政をる末年に在り,濁河 終に清濟をさず

國嗣の初將 諸武に付し,公 獨り廷諍して丹陛を守る。

禁中 冊を決して房陵を請う,前朝の長老 皆 流涕す。

大明宮 作図011 

 

『狄明府』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

今者兄弟一百人,幾人卓秉周禮。

在汝更用文章為,長兄白眉復天

汝門請從曾翁,太后當朝多巧詆
詩文(含異文)

今者兄弟一百人,幾人卓秉周禮。在汝更用文章為,長兄白眉復天。汝門請從曾翁【汝門請從曾公】,太后當朝多巧詆【太后當朝多巧計】。


(下し文)
#2

今者兄弟 一百人、幾人か卓絶 周禮を秉る。

汝に在りでは更に文章を用ふと為す、長兄は白眉復た天啓なり。』

汝が門請ふ曾翁よりかむ、太后 朝に當るとき巧詆多し

(現代語訳)
#2

また、今は一族のいとこども百人ほどおり、そのうちで幾人がすぐれたものが朝廷に立って施政の禮をとり、守るものがあるのである。

あなたはその上によく文章を働かす人であり、いちばんの兄さんは馬氏の白眉の様に天賦の才能をもっておられる。(それにやっぱりおちぶれておられるのだ)。

あなたの家のことを曾祖父さまから謂うて見るならば、則天太后が朝政にあたられたときはよそから非難するものが多かつた。


(訳注) #2

狄明府【寄狄明府博濟】

(狄仁傑の曾孫で蜀の某縣の縣令であった博濟に寄せた詩。)767大暦二年夔州での作。

1 狄明府博 狄博濟は姓名。明府は縣令の敬称、詩中に「漂泊岷漢間」の語あるので、蜀地漢州の某縣の縣令であったとおもわれる人物である。

 

今者兄弟一百人,幾人卓秉周禮。

また、今は一族のいとこども百人ほどおり、そのうちで幾人がすぐれたものが朝廷に立って施政の禮をとり、守るものがあるのである。

13 兄弟一百人 伯叔父の列にあたるものの兄弟を入れて百人いる。百人は詩的表現。

14 秉周禮 周の禮にのっとり守られる施政を行うこと。左傳「魯猶秉周禮,未可動也。」(魯猶お周禮を秉り,未だ動かる可からずなり。魯国では周の禮にのっとり守られる施政を行い、これを移動したりすることはない。

 

在汝更用文章為,長兄白眉復天

あなたはその上によく文章を働かす人であり、いちばんの兄さんは馬氏の白眉の様に天賦の才能をもっておられる。(それにやっぱりおちぶれておられるのだ)。

15 汝 書簡の相手、狄博濟のこと。

16 更用文章為 文章をよくもちいる人である。よく文章を働かす人であること。

17 長兄 名前は不詳である狄博濟の長兄。

18 白眉 優れたものを言う。蜀の馬良で、字を季常は兄弟五人(皆“常”の名がつく)、皆、才人であり、そろって、眉が白かったことで、諺に謂う、馬氏の五常は「白眉最良」と。

19 天 天之をひらく、天賦に基づくことを言う。

 

汝門請從曾翁太后當朝多巧詆。

あなたの家のことを曾祖父さまから謂うて見るならば、則天太后が朝政にあたられたときはよそから非難するものが多かつた。

20 汝門 汝の家門のこと。

21 曾翁 狄博濟の曽祖父である梁公(狄仁傑)のこと。

22 太后當朝 則天太后が朝政にあたるもので、唐の國号を周に改めたことを言う。

23 多巧詆 多くの功績を残したもののよそから非難するものが多かつたという意。杜甫は太宗の施政を継承した則天武后を一定の評価をしていたということ。

長安城図 作図00 

 

狄明府【寄狄明府博濟】【宇解】

 

1 狄明府博 狄博濟は姓名。明府は縣令の敬称、詩中に「漂泊岷漢間」の語あるので、蜀地漢州の某縣の縣令であったとおもわれる人物である。

2 梁公 狄仁傑なり。武后の朝に天下を保持した功あり。仁傑は聖暦三年に卒し、中宗位に即位するや司空を贈り、宗之を梁國公に封ず。因って梁公という。

3 曾孫 ひまご。

4 姨弟 母の姉妹の子をいう、作者よりいへば母方のいとこである。

5 十年 乾元元年より大暦二年までにて十年なり。【六】 済済

6 濟濟 高官の威儀多き貌をいう。《詩經: 大雅: 文王之什》「濟濟多士、文王以寧。」(濟濟たる多士、文王 以て寧し。)立派な群臣が盛んに多くあったので、文王はこれら多くの賢士を善く用い、これらの賢士の輔翼によって、文王は安らかに国を治められたのである。

7 大賢 梁公をさす。

8 之後 この血筋の子孫。

9 陵遲 次第に低くなってゆく陵線。血筋が衰退していることを言う。

10 浩蕩 大いなる貌、時間の長さを言う。

11 同一體 いつもかはらぬすがた

12 叔伯 伯叔父の列にあたるもの。

767年-24 #1杜少陵集 《19-38 狄明府【寄狄明府博濟】-#1》 杜甫詩index-15-1150 <1600> 767年大暦2年56歲-24 #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7397

狄明府【寄狄明府博濟】

梁公曾孫我姨弟,不見十年官濟濟。大賢之後竟陵遲,浩蕩古今同一體。

比看叔伯四十人,有才無命百寮底。

(狄仁傑の曾孫で蜀の某縣の縣令であった博濟に寄せた詩。)

あなたは狄梁公の曾孫でわたくしの母方のいとこであるが、十年のながい間にあなたが威儀をそなえた立派な朝官となられたのをみうけたのである。染公の様な大賢人の子孫たる者が、ついに、これほど衰微していることは、ひろく古今をみわたすといつもかはらぬすがたでなげかはしいことである。このごろ伯叔父の列にあるもの四十人ほどの有様をみるに、才はあるがよい運命をもたず多くの下積の役人になっているものが多いのである。

杜少陵集19-38-#1

狄 明 府  #1(5分割)

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杜甫詩index-15-

767年大暦256  24  #1

1150 <1600

 

 
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  杜甫詩1500-1150-1600/2500

年:767年大暦256-24 #1     

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    狄明府【案:博濟。】【寄狄明府】

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:房陵 (山南東道 房州 房陵)              

交遊人物/地點:   狄博濟    書信往來

詩文:

 

 

狄明府【寄狄明府博濟】

(狄仁傑の曾孫で蜀の某縣の縣令であった博濟に寄せた詩。)

梁公曾孫我姨弟,不見十年官濟濟。

あなたは狄梁公の曾孫でわたくしの母方のいとこであるが、十年のながい間にあなたが威儀をそなえた立派な朝官となられたのをみうけたのである。

大賢之後竟陵遲,浩蕩古今同一體。

染公の様な大賢人の子孫たる者が、ついに、これほど衰微していることは、ひろく古今をみわたすといつもかはらぬすがたでなげかはしいことである。

比看叔伯四十人,有才無命百寮底。

このごろ伯叔父の列にあるもの四十人ほどの有様をみるに、才はあるがよい運命をもたず多くの下積の役人になっているものが多いのである。

#2

今者兄弟一百人,幾人卓秉周禮。

在汝更用文章為,長兄白眉復天

汝門請從曾翁太后當朝多巧詆。

#3

狄公執政在末年,濁河終不清濟。

國嗣初將付諸武,公獨廷諍守丹陛。

禁中決冊請房陵,前朝長老皆流涕。

#4

太宗社稷一朝正,漢官威儀重昭洗。

時危始識不世才,誰謂荼苦甘如薺。

汝曹又宜列土食,身使門多旌棨。

#5

胡為漂泊岷漢間,干謁王侯頗歷抵。

況乃山高水有波,秋風蕭蕭露泥泥。

虎之飢,下巉巖。蛟之橫,出清泚。

早歸來,黃土泥衣眼易眯。

(狄明府)【狄明府博濟に寄す】

染公の曾孫我が姨弟、十年にして官濟濟たるを見ず。

大賢の後竟に陵遅す、浩蕩古今同じく一體なり。

此ごろ看る 伯叔四十人、才有り命無し 百寮の底。

#2

今者兄弟 一百人、幾人か卓絶 周禮をる。

汝に在りでは更に文章を用ふと為す、長兄は白眉復た天啓なり。』

汝が門請ふ曾翁よりかむ、太后 朝に當るとき巧詆多し。

 

 

『狄明府』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

狄明府【寄狄明府博濟】

梁公曾孫我姨弟,不見十年官濟濟。

大賢之後竟陵遲,浩蕩古今同一體。

比看叔伯四十人,有才無命百寮底。

(下し文)


(現代語訳)
狄明府【寄狄明府博濟】(狄仁傑の曾孫で蜀の某縣の縣令であった博濟に寄せた詩。)

あなたは狄梁公の曾孫でわたくしの母方のいとこであるが、十年のながい間にあなたが威儀をそなえた立派な朝官となられたのをみうけたのである。

染公の様な大賢人の子孫たる者が、ついに、これほど衰微していることは、ひろく古今をみわたすといつもかはらぬすがたでなげかはしいことである。

このごろ伯叔父の列にあるもの四十人ほどの有様をみるに、才はあるがよい運命をもたず多くの下積の役人になっているものが多いのである。


(訳注)

狄明府【寄狄明府博濟】

(狄仁傑の曾孫で蜀の某縣の縣令であった博濟に寄せた詩。)767大暦二年夔州での作。

1 狄明府博 狄博濟は姓名。明府は縣令の敬称、詩中に「漂泊岷漢間」の語あるので、蜀地漢州の某縣の縣令であったとおもわれる人物である。

 

梁公曾孫我姨弟,不見十年官濟濟。

あなたは狄梁公の曾孫でわたくしの母方のいとこであるが、十年のながい間にあなたが威儀をそなえた立派な朝官となられたのをみうけたのである。

2 梁公 狄仁傑なり。武后の朝に天下を保持した功あり。仁傑は聖暦三年に卒し、中宗位に即位するや司空を贈り、宗之を梁國公に封ず。因って梁公という。

3 曾孫 ひまご。

4 姨弟 母の姉妹の子をいう、作者よりいへば母方のいとこである。

5 十年 乾元元年より大暦二年までにて十年なり。【六】 済済

6 濟濟 高官の威儀多き貌をいう。《詩經: 大雅: 文王之什》「濟濟多士、文王以寧。」(濟濟たる多士、文王 以て寧し。)立派な群臣が盛んに多くあったので、文王はこれら多くの賢士を善く用い、これらの賢士の輔翼によって、文王は安らかに国を治められたのである。

 

大賢之後竟陵遲,浩蕩古今同一體。

染公の様な大賢人の子孫たる者が、ついに、これほど衰微していることは、ひろく古今をみわたすといつもかはらぬすがたでなげかはしいことである。

7 大賢 梁公をさす。

8 之後 この血筋の子孫。

9 陵遲 次第に低くなってゆく陵線。血筋が衰退していることを言う。

10 浩蕩 大いなる貌、時間の長さを言う。

11 同一體 いつもかはらぬすがた

 

比看叔伯四十人,有才無命百寮底。

このごろ伯叔父の列にあるもの四十人ほどの有様をみるに、才はあるがよい運命をもたず多くの下積の役人になっているものが多いのである。

12 叔伯 伯叔父の列にあたるもの。

 

 

 

狄明府【寄狄明府博濟】【宇解】

 

1 狄明府博 狄博濟は姓名。明府は縣令の敬称、詩中に「漂泊岷漢間」の語あるので、蜀地漢州の某縣の縣令であったとおもわれる人物である。

2 梁公 狄仁傑なり。武后の朝に天下を保持した功あり。仁傑は聖暦三年に卒し、中宗位に即位するや司空を贈り、宗之を梁國公に封ず。因って梁公という。

3 曾孫 ひまご。

4 姨弟 母の姉妹の子をいう、作者よりいへば母方のいとこである。

5 十年 乾元元年より大暦二年までにて十年なり。【六】 済済

6 濟濟 高官の威儀多き貌をいう。《詩經: 大雅: 文王之什》「濟濟多士、文王以寧。」(濟濟たる多士、文王 以て寧し。)立派な群臣が盛んに多くあったので、文王はこれら多くの賢士を善く用い、これらの賢士の輔翼によって、文王は安らかに国を治められたのである。

7 大賢 梁公をさす。

8 之後 この血筋の子孫。

9 陵遲 次第に低くなってゆく陵線。血筋が衰退していることを言う。

10 浩蕩 大いなる貌、時間の長さを言う。

11 同一體 いつもかはらぬすがた

12 叔伯 伯叔父の列にあたるもの。

767年-23 #7杜少陵集 《20-99 觀公孫大娘弟子舞劍器行 #7》 杜甫詩index-15-1149 <1599> 767年大暦2年56歲-23 #7 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7392 

觀公孫大娘弟子舞劍器行  本文#4

金粟堆南木已拱,瞿唐石城草蕭瑟。玳筵急管曲複終,樂極哀來月東出。

老夫不知其所往,足繭荒山轉愁疾。
先帝の陵金粟堆の南には木がひとかかえにも生長し、ここの瞿唐峽の石城で草の葉わたる風がさびしく吹いている。りっぱな美しいさか筵に竹管楽器が急に奏せられて舞曲は終わり、楽しみのはてには哀れさが生じて月が東の方からあらわれでた。この老翁はこのさきどこへ往ってよいのやらわからず、前途茫茫で荒れたる山に足に豆を作ってまで、足をびきずりながらいよいよ心配と疾病との深みへおちてゆくばかりである。

杜少陵集20-99-本文 -4

觀公孫大娘弟子舞劍器行  本文 -4

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杜詩index-15

767年大暦25623#4

1149 <1599

 

 

 
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  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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743年(86)李太白集885巻二十三61詠槿  405Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(86) Ⅰ李白詩1770 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7390  
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韓愈136-#2《 巻01-20秋懷詩,十一首之七 (秋夜不可晨,)》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(8)<1683> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7391  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
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  孟郊 張籍          
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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杜甫詩1500-1149-1599/2500     767年大暦256-23 #7

卷別:    卷二二二              文體:    樂府

詩題:    觀公孫大娘弟子舞劍器行

詩序:    并序:大曆二年十月十九日,夔府別駕元持宅【夔府別駕元特宅】,見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂,問其所師【問其所師答】,曰:「余公孫大娘弟子也。開元三載【開元五載】,余尚童稚。記於郾城觀公孫氏舞劍器渾,瀏灕頓挫,獨出冠時,自高頭宜春梨園二伎坊人洎外供奉【自高頭宜春梨園二教坊人洎外供奉】,曉是舞者。聖文神武皇帝初,公孫一人而已,玉貌錦衣【玉貌繡衣】,況余白首,今茲弟子,亦匪盛顏。」既辨其由來,知波瀾莫二,撫事慷慨。聊為〈劍器行〉。往者人張旭,善草書帖,數常於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器【數常於葉縣見公孫大娘舞西河劍器,自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!

作地點:              目前尚無資料

及地點:              臨潁 (河南道 許州 臨潁)    

金粟山 (京畿道 京兆府 金粟山)    

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘  

交遊人物/地點:李十二娘   詩文提及

詩文:

 

 

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -

-大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。)幷序

大歷二年十月十九日夔府別駕元持宅

大暦二年の十月十九日に自分は夔州別駕元特の宅で

見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂。

臨頴の李十二娘が剣器を舞うのをみると、それはとても雄壮で、文織のある、艶のあるものである。

問其所師,曰余公孫大娘弟子也。

それで、「先生はだれか」とたずねたら「公孫大娘の弟子だ」とこたえた。

開元三載,余尚童稚。

自分はその時、715年開元三年で、まだ4歳のこどもであった。

記於郾城觀公孫氏舞劍器渾
その舞は、郾城で公孫大娘が剣器・渾脱を舞うのを観劇したことをよく記憶している。

 

并序

頓挫,獨出冠時。

その舞の様子はなだらかでまた急激の変化があるもので、その踊り手は、時流を傑出、ぬきんでている第一人者である。

自高頭宜春梨園二伎坊人,洎外供奉,曉是舞者。

そのころ御所の宜春院や梨園などの教坊の高頭内人とよばれる人からその以外の御用の舞女までのなかで、この舞を知っているものはいたのである。

聖文神武皇帝初,公孫一人而已。

この舞を知っているものは、聖文神武皇帝(玄宗)の御代に公孫氏ただひとりしかいなかったのであった。

玉貌錦衣,〔・・・・〕況余白首!

その玉貌錦衣は〔・・・・(当時中年女性であったからもういないし、)〕ましてや自分はすでに白髪あたまになっている。

今茲弟子亦匪盛顏。既辨其由來,知波瀾莫二
いまこの弟子の李仙奴でさえも自身の盛りの色香がうせている。自分はすでに舞の由来をわきまえて、師匠と弟子との舞の手ぶりの変化はひとすじであることを知るのである。

 

-    并序⑶

撫事慷慨,聊為劍器行。

むかしのことに沿って考えると嘆かわしくなり、いささかこの剣器のうたをつくったのである。

昔者人張旭善草書書帖,

少し昔のことだが、呉の人で張旭は草書がうまく、たびたび帖などに書いたものだ。

數嘗於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器,

張旭はあるとき鄴縣で公孫大娘が西河の剣器を舞うのを見て、それ以来草書の技がぐっと進み豪蕩で感激したような書風になったということだ。

自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!

張旭の草書にそれほどの影響をあたえた公孫大娘のわざの神妙さは推して知るべきである。

(公孫大娘が弟子の劍器を舞う觀る行【うた】)并びに序 -

大暦二年、十月十九日、夔州の別駕元持が宅にて、臨頴の李十二娘が剣器を舞うを見て、其の蔚跂たるを壮として其の師とする所を問う。

曰く、余は公孫大娘が弟子なりと。

開元三載。余 尚お童稚なり。

記す郾城に於て公孫氏が剣器・渾脱を舞うを観しことを。

-

瀏灕頓挫、独出時に冠たり。

高頭の宜春・梨園二伎坊の内人より、外供奉の舞女に洎ぶまで、

是の舞を暁るもの。聖文神武皇帝の初め。

公孫一人のみ。玉貌錦衣。〔‥…〕況や余白首。

今 茲の弟子。亦た盛顔に匪ず、既に其の由来を弁じ、波瀾二莫きを知る。

-

事を撫して慷慨し、聊か剣器行を為る。

昔者呉人張旭、草書を善くし、帖に書すること数しばなり。

嘗て鄴縣に於て、公孫大娘が西河の剣器を舞うを見る、

此れより草書長進し、豪蕩感激すと。即ち公孫は知る可し。

本文 #1

昔有佳人公孫氏,一舞劍氣動四方。

むかし公孫氏という美しい妓優があって、ひとたび剣器の舞を舞うと四方の観覧の人人を感動させた。

觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。

彼女の舞をみると山ほどいるたくさんの観客は気が失せたように顔つきもぼんやりしてしまい、いつまでも天地が互いに高低しているような昂った心地が失せないのであった。

燿如羿射九日落,矯如群帝驂龍翔。

その舞っている様子をいうならば、剣先が縦横に動きその輝きはまるで、羿が九つの太陽を射落としたかの如く動き、矯然とうねりあがるさまは天の群仙が龍を添え馬として翔けるが如くである。

來如雷霆收震怒,罷如江海凝清光。』

それで、すうっと来たるときは雷霆が激震し、がなり立てたていたのが成りをしずめるかの如くであり、まったく舞いおわった時は江海の水面がすみわたって鏡面清光を凝らしているかの如くである。

本文#2

絳唇珠袖兩寂寞,況有弟子傳芬芳。

この妙技をもった彼女のあかい唇も、珠の袖も、その後はともにひっそりと迹たえたが、いわんや、彼女のかおりを伝えた弟子がでたのである。

臨潁美人在白帝,妙舞此曲神揚揚。

それは臨頴の美人である李娘である。この美人は白帝城にきていて、おなじ剣器の曲を舞うにとても上手であって、それを舞う時、神気は、すこぶる揚揚得意の雰囲気があるのである。

與餘問答既有以,感時撫事增惋傷。

自分と問答してみると、この美人の舞は仔細のあるもので偶然のものでないことがわかったので、自分は、時のかわり、世代間の移り変わりを感じ、往年に沿うて考えて、ますます惜しみ傷むという念を生じたということである。

本文#3

先帝侍女八千人,公孫劍器初第一。

先帝である玄宗のおそばにかしずいた妓女は八千人もあったがそのうちで公孫大娘の剣器の舞はもとより第一位であった。

五十年間似反掌,風塵傾動昏王室。

あのころから五十年というものは手のひらをかえす如く容易にかわってしまって、兵馬の塵がもやくやとおこって王室を昏くおおったのであった。

梨園子弟散如煙,女樂餘姿映寒日。

特に、安史の乱で、梨園の弟子たちも煙のように全土に散りぢりになり、わずかに妓女隊の片割れの姿がここに、冬の日に映ろうて浮かびあがったのである。

本文#4

金粟堆南木已拱,瞿唐石城草蕭瑟。

先帝の陵金粟堆の南には木がひとかかえにも生長し、ここの瞿唐峽の石城で草の葉わたる風がさびしく吹いている。

玳筵急管曲複終,樂極哀來月東出。

りっぱな美しいさか筵に竹管楽器が急に奏せられて舞曲は終わり、楽しみのはてには哀れさが生じて月が東の方からあらわれでた。

老夫不知其所往,足繭荒山轉愁疾。

この老翁はこのさきどこへ往ってよいのやらわからず、前途茫茫で荒れたる山に足に豆を作ってまで、足をびきずりながらいよいよ心配と疾病との深みへおちてゆくばかりである。

本文#1

昔 佳人の公孫氏有り,一つに舞劍すれば四方を氣動す。

觀者 山の如く色沮喪す,天地 之が為に 久しく低昂す。

燿として 羿が九日を射て落すが如く,矯として 群帝が龍を驂にして翔るが如し。

來るときは雷霆の震怒を收むるが如く,罷むときは江海の清光を凝らすが如し。

本文#2

絳唇 珠袖 兩つながら寂寞,況や弟子の芬芳を傳うる有り。

臨潁の美人 白帝に在り,妙に 此の曲を舞うて 神 揚揚たり。

餘と問答するに 既に以【ゆえ】有り,時に感じ 事を撫して增ます惋傷す。

#3

先帝の侍女 八千人、公孫の剣器 初めより第一。

五十年間 掌を反すに似て、風塵は傾動として王室に昏し。

梨園の子弟 散ずること煙の如く、女楽(歌妓)の余姿 寒日に映ず。

#4

金粟堆(玄宗の御陵の名)の南 木己に拱きく、笹唐の石城(白帝城) 草蕭瑟たり。

玳筵(豪華な宴席) 急管(せわしげな笛の音) 曲復た終り、楽しみ極まりて哀しみ来たり 月は東に出づ。

老夫は其の往く所を知らず、足は荒山に繭して(足にたこができて)転た愁疾たり。

大明宮 作図011 

『觀公孫大娘弟子舞劍器行』現代語訳と訳註解説
(
本文)

本文#4

金粟堆南木已拱,瞿唐石城草蕭瑟。

玳筵急管曲複終,樂極哀來月東出。

老夫不知其所往,足繭荒山轉愁疾。

(下し文)
本文#4

金粟堆(玄宗の御陵の名)の南 木己に拱きく、笹唐の石城(白帝城) 草蕭瑟たり。

玳筵(豪華な宴席) 急管(せわしげな笛の音) 曲復た終り、楽しみ極まりて哀しみ来たり 月は東に出づ。

老夫は其の往く所を知らず、足は荒山に繭して(足にたこができて)転た愁疾たり。


(現代語訳)
本文#4

先帝の陵金粟堆の南には木がひとかかえにも生長し、ここの瞿唐峽の石城で草の葉わたる風がさびしく吹いている。

りっぱな美しいさか筵に竹管楽器が急に奏せられて舞曲は終わり、楽しみのはてには哀れさが生じて月が東の方からあらわれでた。

この老翁はこのさきどこへ往ってよいのやらわからず、前途茫茫で荒れたる山に足に豆を作ってまで、足をびきずりながらいよいよ心配と疾病との深みへおちてゆくばかりである。


(訳注)

本文#4

觀公孫大娘弟子舞劍器行

大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。

1 公孫大娘 詩序に見える如く玄宗の開元時代の舞の妙手である。大娘とは中年女子の称。

 

金粟堆南木已拱,瞿唐石城草蕭瑟。

先帝の陵金粟堆の南には木がひとかかえにも生長し、ここの瞿唐峽の石城で草の葉わたる風がさびしく吹いている。

62 金粟堆 山の名、玄宗の泰陵の所在地。奉先県の東北二十里にある、玄宗の泰陵の在る所である、玄宗が嘗て睿宗の橋陵(奉先県にある)に至り金粟山岡の竜盤虎鋸の勢いのあるのを見て、侍臣にむかっていうのに、吾、千秋万歳の後ここに葬られんと、崩ずるに及んで群臣は先旨にしたがって帝をここに葬った。広徳元年三月のことである。《1370韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖》「君不見金粟堆前松柏裏,龍媒去盡鳥呼風。」(君見ずや 金粟【きんぞく】堆前【たいぜん】松柏の裏【うち】に,龍媒【りょうばい】去り盡くして鳥 風を呼ぶを。)“それで、諸君みたことがないだろう、先帝の御陵金粟堆の前にある松柏のうち側には、いまは竜媒の天馬は皆いなくなって、いたずらに鳥がかなしく風に向かって呼び合っているばかりである。”とある。

63 木已拱 拱はひとかかえ、成長したこと、すなわち年数のたったことをいう。

64 瞿唐石城 瞿唐峽のあるところの石地の城、夔州の城をさす。

 

玳筵急管曲複終,樂極哀來月東出。

りっぱな美しいさか筵に竹管楽器が急に奏せられて舞曲は終わり、楽しみのはてには哀れさが生じて月が東の方からあらわれでた。

65 玳筵 うつくしいさかむしろ、垂州別窯元持の宅の席をいう。作者がこの李娘の歌を聞いたことはすでに作者の「秋日夔府詠懷奉寄鄭監李賓客一百韻」詩の杜甫自注「都督柏中丞筵。聞梨園弟子李仙奴歌」(都督柏中丞が筵にて。梨園の弟子李仙奴の歌を聞く)と記していて、それに関して同詩の本文に、

秋日夔府詠懷奉寄鄭監李賓客一百韻

 

高宴諸侯禮,佳人上客前。

哀箏傷老大,華屋豔神仙。

開元曲,常時弟子傳。

法歌聲變轉,滿座涕潺湲。

高宴諸侯の禮,佳人上客の前。

哀箏老大を傷ましむ,華屋 神仙 豔なり。

 開元の曲,常時 弟子傳う。

法歌 聲 變轉,滿座 涕 潺湲たり。

とあるのによって知られる。今回はまた李の舞を観たのである。あわせて当時のさまを想見するに足りる。

66 急管 急に吹く竹管楽器。

 

老夫不知其所往,足繭荒山轉愁疾。

この老翁はこのさきどこへ往ってよいのやらわからず、前途茫茫で荒れたる山に足に豆を作ってまで、足をびきずりながらいよいよ心配と疾病との深みへおちてゆくばかりである。

67 老夫 杜甫自己をさす。

68 不知其所往 共は自己をさす、所往とは将来帰往すべき処である。この句は自己の前途につきひろくみわたして言った語である。

69 足繭 足には蚕のまゆのような豆ができる。道路に奔走することをいう。蘇秦が足に繭を重ねて日に百(百里)にして合ったことが「戦国策」に見える。

70 転愁疾 仇注に“足繭して行くこと遅きに、反って太だ疾きを愁うるは、去らんとするに臨みて、其の去るに忍びざるなり”といっているのは、疾を「とし」、「はやし」と訓じ、自己平日の緩行もこの場をたち去ろうとするときばかりははやすぎるように感ずると解いたのである。沈徳潜はその説を襲っている。これによれば「某所往」には仇氏は注していないが「其」を李に属させてみたのかもしれぬ。仇氏の説には服することができぬ。愁疾とは衰疾などの如く愁と疾との二事をならべた句とみるがよい、「愁え且つ疾む」ことをいうのである。

長安城図 作図00 

 

 


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觀公孫大娘弟子舞劍器行  本文#3

先帝侍女八千人,公孫劍器初第一。五十年間似反掌,風塵傾動昏王室。

梨園子弟散如煙,女樂餘姿映寒日。
先帝である玄宗のおそばにかしずいた妓女は八千人もあったがそのうちで公孫大娘の剣器の舞はもとより第一位であった。あのころから五十年というものは手のひらをかえす如く容易にかわってしまって、兵馬の塵がもやくやとおこって王室を昏くおおったのであった。特に、安史の乱で、梨園の弟子たちも煙のように全土に散りぢりになり、わずかに妓女隊の片割れの姿がここに、冬の日に映ろうて浮かびあがったのである。

杜少陵集20-99-本文 -3

觀公孫大娘弟子舞劍器行  本文 -3

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 杜甫詩1500-1148-1598/2500   767年大暦256-23 #6

楊玉環(楊貴妃)、彼女は以千年後百年にもわたって絶世の美人として、また「女禍」として史上有名になった。しかし、人は往々この女性が天才的な舞踊家、音楽芸術家であったことを軽視する。彼女は多方面の芸術的才能を持っており、特に舞踊に長じ、「霓裳羽衣舞」の類いまれな踊り手として、千古の後までその名が伝えられている。彼女はまた胡旋舞等の舞いも踊ることができた。同時にまた音律にも長じ、多種多様な楽器にもよく通じていた。特に撃磐(石製の打楽器の演奏)が最も得意であり、その音声は冷たく清らかであり、またオリジナリティに富んでいて、宮廷の名楽師でも及ばなかった。また琵琶もたいへんL手で、梨園で演奏した時、音色は張りつめ澄みきって、雲外にただよう如くであった。それで、親王、公主、貴婦人たちは争って彼女の琵琶の弟子になろうとした。笛豊た上手であった。ある華、彼女は玄宗の兄賢の玉笛をこっそり借りて吹いたため、玄宗皇帝の不興をかった。しかし、風流文士たちは「梨花の静院に人の見ゆる無く、閑ろに寧王の玉笛を把りて吹く」(『楊太真外伝』に引く張詰の詩句)などといって、きわめで風流なことと褒めそやした。

 

楊貴妃の侍女張雲容も「霓裳羽衣舞」が上手だったので、楊貴妃は詩をつくって彼女の舞姿を誉めそやした。「羅袖 香を動かし 香己まず、紅蕖は嫋嫋 秋煙の裏。軽き雲は嶺上にて乍ち風に揺らぎ、嫩き柳は池塘にて初めて水を払う」(楊貴妃「阿那曲」)。

これと同じ時期、新豊(陝西省臨潼)の女俳優謝阿蛮は凌波曲を上手に踊った。常時、宮廷に出入りし、玄宗と楊貴妃からたいへん愛された。ある時、彼女が舞い、玄宗と楊貴妃が親しく自ら伴奏した。楊貴妃は特別に金を散りばめた腕輪を褒美として贈った(『楊太真外伝』、『明皇雑録』補遺)。

当時、公孫大娘の「剣器の舞」も非常に有名で、その演舞は雄壮で人々の魂まで揺り動かした。

杜甫は次のように詠っている。

 

杜甫《2099觀公孫大娘弟子舞劍器行767年大曆二年56

昔有佳人公孫氏,一舞劍氣動四方。

觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。

爀如羿射九日落,矯如群帝驂龍翔。

來如雷霆收震怒,罷如江海凝清光。

絳脣朱袖兩寂寞,況有弟子傳芬芳。

臨潁美人在白帝,妙舞此曲神揚揚。

與余問答既有以,感時撫事增惋傷。

先帝侍女八千人,公孫劍器初第一。

五十年間似反掌,風塵傾動昏王室。

梨園子弟散如煙,女樂餘姿映寒日。

金粟堆南木已拱,瞿唐石城草蕭瑟。

玳筵急管曲復終,樂極哀來月東出。

老夫不知其所往,足繭荒山轉愁疾。

【爀は火+霍であるが字書にないため代用する】

 

公孫大娘が弟子の剣器を舞うを観る行杜甫

昔 佳人の公孫氏有り、一たび剣幕を舞えば四方を動かす。

観る者は山の如くして色は沮喪し、天地も之が為に久しく低昂す。

爀として羿(伝説の弓の名人)の九日(九つの太陽)を射て落すが如く、矯として群帝(五帝)の龍を驂(二頭だての車)として翔るが如し。

来たるは雷霆の震怒を収むるが如く、罷むるは江海の清光を凝らすが如し。

緯唇 珠袖 両つながら寂寞、晩(晩年)に弟子有り、芬芳を伝う。

臨頴の美人(李十二娘)、はく帝に在り、妙みに此の曲を舞いて神揚揚たり。

余と問答す 既に以有り、時に感じ事を撫して惋傷を増す。

先帝の侍女 八千人、公孫の剣器 初めより第一。

五十年間 掌を反すに似て、風塵は傾動として王室に昏し。

梨園の子弟 散ずること煙の如く、女楽(歌妓)の余姿 寒日に映ず。

金粟堆(玄宗の御陵の名)の南 木己に拱きく、笹唐の石城(白帝城) 草蕭瑟たり。

玳筵(豪華な宴席) 急管(せわしげな笛の音) 曲復た終り、楽しみ極まりて哀しみ来たり 月は東に出づ。

老夫は其の往く所を知らず、足は荒山に繭して(足にたこができて)転た愁疾たり。

 

杜甫詩1500-1147-1597/2500

年:767年大暦256-23 #1

卷別:    卷二二二              文體:    樂府

詩題:    觀公孫大娘弟子舞劍器行

詩序:    并序:大曆二年十月十九日,夔府別駕元持宅【夔府別駕元特宅】,見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂,問其所師【問其所師答】,曰:「余公孫大娘弟子也。開元三載【開元五載】,余尚童稚。記於郾城觀公孫氏舞劍器渾,瀏灕頓挫,獨出冠時,自高頭宜春梨園二伎坊人洎外供奉【自高頭宜春梨園二教坊人洎外供奉】,曉是舞者。聖文神武皇帝初,公孫一人而已,玉貌錦衣【玉貌繡衣】,況余白首,今茲弟子,亦匪盛顏。」既辨其由來,知波瀾莫二,撫事慷慨。聊為〈劍器行〉。往者人張旭,善草書帖,數常於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器【數常於葉縣見公孫大娘

作地點:              目前尚無資料

及地點:              臨潁 (河南道 許州 臨潁)    

金粟山 (京畿道 京兆府 金粟山)    

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘  

交遊人物/地點:李十二娘   詩文提及

詩文:

 

 

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -

-大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。)幷序

大歷二年十月十九日夔府別駕元持宅

大暦二年の十月十九日に自分は夔州別駕元特の宅で

見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂。

臨頴の李十二娘が剣器を舞うのをみると、それはとても雄壮で、文織のある、艶のあるものである。

問其所師,曰余公孫大娘弟子也。

それで、「先生はだれか」とたずねたら「公孫大娘の弟子だ」とこたえた。

開元三載,余尚童稚。

自分はその時、715年開元三年で、まだ4歳のこどもであった。

記於郾城觀公孫氏舞劍器渾
その舞は、郾城で公孫大娘が剣器・渾脱を舞うのを観劇したことをよく記憶している。

 

并序

頓挫,獨出冠時。

その舞の様子はなだらかでまた急激の変化があるもので、その踊り手は、時流を傑出、ぬきんでている第一人者である。

自高頭宜春梨園二伎坊人,洎外供奉,曉是舞者。

そのころ御所の宜春院や梨園などの教坊の高頭内人とよばれる人からその以外の御用の舞女までのなかで、この舞を知っているものはいたのである。

聖文神武皇帝初,公孫一人而已。

この舞を知っているものは、聖文神武皇帝(玄宗)の御代に公孫氏ただひとりしかいなかったのであった。

玉貌錦衣,〔・・・・〕況余白首!

その玉貌錦衣は〔・・・・(当時中年女性であったからもういないし、)〕ましてや自分はすでに白髪あたまになっている。

今茲弟子亦匪盛顏。既辨其由來,知波瀾莫二
いまこの弟子の李仙奴でさえも自身の盛りの色香がうせている。自分はすでに舞の由来をわきまえて、師匠と弟子との舞の手ぶりの変化はひとすじであることを知るのである。

 

-    并序⑶

撫事慷慨,聊為劍器行。

むかしのことに沿って考えると嘆かわしくなり、いささかこの剣器のうたをつくったのである。

昔者人張旭善草書書帖,

少し昔のことだが、呉の人で張旭は草書がうまく、たびたび帖などに書いたものだ。

數嘗於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器,

張旭はあるとき鄴縣で公孫大娘が西河の剣器を舞うのを見て、それ以来草書の技がぐっと進み豪蕩で感激したような書風になったということだ。

自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!

張旭の草書にそれほどの影響をあたえた公孫大娘のわざの神妙さは推して知るべきである。

(公孫大娘が弟子の劍器を舞う觀る行【うた】)并びに序 -

大暦二年、十月十九日、夔州の別駕元持が宅にて、臨頴の李十二娘が剣器を舞うを見て、其の蔚跂たるを壮として其の師とする所を問う。

曰く、余は公孫大娘が弟子なりと。

開元三載。余 尚お童稚なり。

記す郾城に於て公孫氏が剣器・渾脱を舞うを観しことを。

-

瀏灕頓挫、独出時に冠たり。

高頭の宜春・梨園二伎坊の内人より、外供奉の舞女に洎ぶまで、

是の舞を暁るもの。聖文神武皇帝の初め。

公孫一人のみ。玉貌錦衣。〔‥…〕況や余白首。

今 茲の弟子。亦た盛顔に匪ず、既に其の由来を弁じ、波瀾二莫きを知る。

-

事を撫して慷慨し、聊か剣器行を為る。

昔者呉人張旭、草書を善くし、帖に書すること数しばなり。

嘗て鄴縣に於て、公孫大娘が西河の剣器を舞うを見る、

此れより草書長進し、豪蕩感激すと。即ち公孫は知る可し。

本文 #1

昔有佳人公孫氏,一舞劍氣動四方。

むかし公孫氏という美しい妓優があって、ひとたび剣器の舞を舞うと四方の観覧の人人を感動させた。

觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。

彼女の舞をみると山ほどいるたくさんの観客は気が失せたように顔つきもぼんやりしてしまい、いつまでも天地が互いに高低しているような昂った心地が失せないのであった。

燿如羿射九日落,矯如群帝驂龍翔。

その舞っている様子をいうならば、剣先が縦横に動きその輝きはまるで、羿が九つの太陽を射落としたかの如く動き、矯然とうねりあがるさまは天の群仙が龍を添え馬として翔けるが如くである。

來如雷霆收震怒,罷如江海凝清光。』

それで、すうっと来たるときは雷霆が激震し、がなり立てたていたのが成りをしずめるかの如くであり、まったく舞いおわった時は江海の水面がすみわたって鏡面清光を凝らしているかの如くである。

本文#2

絳唇珠袖兩寂寞,況有弟子傳芬芳。

この妙技をもった彼女のあかい唇も、珠の袖も、その後はともにひっそりと迹たえたが、いわんや、彼女のかおりを伝えた弟子がでたのである。

臨潁美人在白帝,妙舞此曲神揚揚。

それは臨頴の美人である李娘である。この美人は白帝城にきていて、おなじ剣器の曲を舞うにとても上手であって、それを舞う時、神気は、すこぶる揚揚得意の雰囲気があるのである。

與餘問答既有以,感時撫事增惋傷。

自分と問答してみると、この美人の舞は仔細のあるもので偶然のものでないことがわかったので、自分は、時のかわり、世代間の移り変わりを感じ、往年に沿うて考えて、ますます惜しみ傷むという念を生じたということである。

本文#3

先帝侍女八千人,公孫劍器初第一。

先帝である玄宗のおそばにかしずいた妓女は八千人もあったがそのうちで公孫大娘の剣器の舞はもとより第一位であった。

五十年間似反掌,風塵傾動昏王室。

あのころから五十年というものは手のひらをかえす如く容易にかわってしまって、兵馬の塵がもやくやとおこって王室を昏くおおったのであった。

梨園子弟散如煙,女樂餘姿映寒日。

特に、安史の乱で、梨園の弟子たちも煙のように全土に散りぢりになり、わずかに妓女隊の片割れの姿がここに、冬の日に映ろうて浮かびあがったのである。

本文#4

金粟堆南木已拱,瞿唐石城草蕭瑟。

玳筵急管曲複終,樂極哀來月東出。

老夫不知其所往,足繭荒山轉愁疾。』

本文#1

昔 佳人の公孫氏有り,一つに舞劍すれば四方を氣動す。

觀者 山の如く色沮喪す,天地 之が為に 久しく低昂す。

燿として 羿が九日を射て落すが如く,矯として 群帝が龍を驂にして翔るが如し。

來るときは雷霆の震怒を收むるが如く,罷むときは江海の清光を凝らすが如し。

本文#2

絳唇 珠袖 兩つながら寂寞,況や弟子の芬芳を傳うる有り。

臨潁の美人 白帝に在り,妙に 此の曲を舞うて 神 揚揚たり。

餘と問答するに 既に以【ゆえ】有り,時に感じ 事を撫して增ます惋傷す。

#3

先帝の侍女 八千人、公孫の剣器 初めより第一。

五十年間 掌を反すに似て、風塵は傾動として王室に昏し。

梨園の子弟 散ずること煙の如く、女楽(歌妓)の余姿 寒日に映ず。

#4

金粟堆(玄宗の御陵の名)の南 木己に拱きく、笹唐の石城(白帝城) 草蕭瑟たり。

玳筵(豪華な宴席) 急管(せわしげな笛の音) 曲復た終り、楽しみ極まりて哀しみ来たり 月は東に出づ。

老夫は其の往く所を知らず、足は荒山に繭して(足にたこができて)転た愁疾たり。

白紵舞001

『觀公孫大娘弟子舞劍器行』現代語訳と訳註解説
(
本文)

本文#3

先帝侍女八千人,公孫劍器初第一。

五十年間似反掌,風塵傾動昏王室。

梨園子弟散如煙,女樂餘姿映寒日。

(下し文)
本文#3

先帝の侍女 八千人、公孫の剣器 初めより第一。

五十年間 掌を反すに似て、風塵は傾動として王室に昏し。

梨園の子弟 散ずること煙の如く、女楽(歌妓)の余姿 寒日に映ず。

(現代語訳)
本文#3

先帝である玄宗のおそばにかしずいた妓女は八千人もあったがそのうちで公孫大娘の剣器の舞はもとより第一位であった。

あのころから五十年というものは手のひらをかえす如く容易にかわってしまって、兵馬の塵がもやくやとおこって王室を昏くおおったのであった。

特に、安史の乱で、梨園の弟子たちも煙のように全土に散りぢりになり、わずかに妓女隊の片割れの姿がここに、冬の日に映ろうて浮かびあがったのである。


(訳注) 本文#3

觀公孫大娘弟子舞劍器行

大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。

1 公孫大娘 詩序に見える如く玄宗の開元時代の舞の妙手である。大娘とは中年女子の称。

 

先帝侍女八千人,公孫劍器初第一。

先帝である玄宗のおそばにかしずいた妓女は八千人もあったがそのうちで公孫大娘の剣器の舞はもとより第一位であった。

53 先帝 玄宗。

54 侍女 宮女・妓優たちは歌舞や楽器を習い、縄・竿・球・馬などを操る曲芸を学んだ。その職責は皇室が挙行する各種の祝祭・式典・宴会などの儀式に出演したり、また平生にあっては天子の耳目を楽しませることであった。宮妓の大部分は直接民間から選抜された芸、容貌ともに秀でた楽戸、侶優などの女子、それに少数の一般平民出身の女子であった。元々官女であった女性の中から選ばれ、訓練を受けて宮妓になったものもいた。宮妓たちは、礼楽を司る太常寺に属したり、あるいは歌舞・伎楽・雑技・俳優を統括する教坊の管轄に属した。先人の考証によると、玄宗の時代から太常寺にはもはや女妓はいなくなり、すべて教坊の所属になった。玄宗は音楽、歌舞を特に愛好したので、彼の治世には宮妓の人数は大幅に増大し、教坊は隆盛を極めた。また玄宗は宮中に梨園、宜春院などを設け、特に才能のある芸妓を選りすぐり、宮中に入れて養成した。当時、宜春院に選抜された妓女は、「内人」とか、「前頭人」とよばれた。玄宗は常日頃、興慶宮、勤政楼の前で演芸会を開き、歌舞の楽妓は一度に数百人も出演することがあり、また縄や竹竿を使う、さまざまな女軽業師の演戯もあった。

 

五十年間似反掌,風塵傾動昏王室。

あのころから五十年というものは手のひらをかえす如く容易にかわってしまって、兵馬の塵がもやくやとおこって王室を昏くおおったのであった。

55 五十年間 幷序に述べているように、開元三載より大暦二年までは五十三年であるが大略のところで五十という。

56 反掌 容易に変化したことをいう。

57 傾動/澒洞 もやくやとしたさま。

 

梨園子弟散如煙,女樂餘姿映寒日。

特に、安史の乱で、梨園の弟子たちも煙のように全土に散りぢりになり、わずかに妓女隊の片割れの姿がここに、冬の日に映ろうて浮かびあがったのである。

58 梨園/宜春院 玄宗は長安の禁苑中に在る梨園に子弟三百人を選んで江南の音曲である法楽を学はせ、また宮女数百人を宜春北院に置いて梨園の弟子とした。

59 女楽 女子の楽隊、妓女の群をさす。楽戸 楽籍という賤民身分の戸籍に属し、宮中の官妓、在野の楽人などが登録されていた。

散楽と劇  散楽は、「百戯」とも呼ばれる民間で行われる様々な娯楽のための技芸の総称である。次第に西域の技芸が取り入れられるようになり、盛唐では、宮廷でも左右教坊によって管轄された。散楽は、民間の音楽や角觝など武術、芝居も含まれるが、主流は曲芸や幻術(手品)、であった。内容は、竿木、縄伎(戯縄ともいう)、舞馬(象で行うこともある)、跳丸、弄剣、筋斗(とんぼ)、球伎、馬伎、呑刀、吐火、舞剣、植瓜、種棗、盤舞、杯盤舞などがあった。

60 余姿 のこっているすがた。

61 寒日 冬の太陽の光。

興慶宮00 

 


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杜甫  觀公孫大娘弟子舞劍器行  本文#2

絳唇珠袖兩寂寞,況有弟子傳芬芳。臨潁美人在白帝,妙舞此曲神揚揚。

與餘問答既有以,感時撫事增惋傷。』
この妙技をもった彼女のあかい唇も、珠の袖も、その後はともにひっそりと迹たえたが、いわんや、彼女のかおりを伝えた弟子がでたのである。それは臨頴の美人である李娘である。この美人は白帝城にきていて、おなじ剣器の曲を舞うにとても上手であって、それを舞う時、神気は、すこぶる揚揚得意の雰囲気があるのである。自分と問答してみると、この美人の舞は仔細のあるもので偶然のものでないことがわかったので、自分は、時のかわり、世代間の移り変わりを感じ、往年に沿うて考えて、ますます惜しみ傷むという念を生じたということである。

杜少陵集20-99-本文 -2

觀公孫大娘弟子舞劍器行  本文 -2

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767年大暦25623#2

1147 <1597

 

 

 
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  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
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  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
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杜甫詩1500-1147-1597/2500

年:767年大暦256-23 #1

卷別:    卷二二二              文體:    樂府

詩題:    觀公孫大娘弟子舞劍器行

詩序:    并序:大曆二年十月十九日,夔府別駕元持宅【夔府別駕元特宅】,見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂,問其所師【問其所師答】,曰:「余公孫大娘弟子也。開元三載【開元五載】,余尚童稚。記於郾城觀公孫氏舞劍器渾,瀏灕頓挫,獨出冠時,自高頭宜春梨園二伎坊人洎外供奉【自高頭宜春梨園二教坊人洎外供奉】,曉是舞者。聖文神武皇帝初,公孫一人而已,玉貌錦衣【玉貌繡衣】,況余白首,今茲弟子,亦匪盛顏。」既辨其由來,知波瀾莫二,撫事慷慨。聊為〈劍器行〉。往者人張旭,善草書帖,數常於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器【數常於葉縣見公孫大娘

作地點:              目前尚無資料

及地點:              臨潁 (河南道 許州 臨潁)    

金粟山 (京畿道 京兆府 金粟山)    

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘  

交遊人物/地點:李十二娘   詩文提及

詩文:

 

 

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -

-大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。)幷序

大歷二年十月十九日夔府別駕元持宅

大暦二年の十月十九日に自分は夔州別駕元特の宅で

見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂。

臨頴の李十二娘が剣器を舞うのをみると、それはとても雄壮で、文織のある、艶のあるものである。

問其所師,曰余公孫大娘弟子也。

それで、「先生はだれか」とたずねたら「公孫大娘の弟子だ」とこたえた。

開元三載,余尚童稚。

自分はその時、715年開元三年で、まだ4歳のこどもであった。

記於郾城觀公孫氏舞劍器渾
その舞は、郾城で公孫大娘が剣器・渾脱を舞うのを観劇したことをよく記憶している。

 

并序

頓挫,獨出冠時。

その舞の様子はなだらかでまた急激の変化があるもので、その踊り手は、時流を傑出、ぬきんでている第一人者である。

自高頭宜春梨園二伎坊人,洎外供奉,曉是舞者。

そのころ御所の宜春院や梨園などの教坊の高頭内人とよばれる人からその以外の御用の舞女までのなかで、この舞を知っているものはいたのである。

聖文神武皇帝初,公孫一人而已。

この舞を知っているものは、聖文神武皇帝(玄宗)の御代に公孫氏ただひとりしかいなかったのであった。

玉貌錦衣,〔・・・・〕況余白首!

その玉貌錦衣は〔・・・・(当時中年女性であったからもういないし、)〕ましてや自分はすでに白髪あたまになっている。

今茲弟子亦匪盛顏。既辨其由來,知波瀾莫二
いまこの弟子の李仙奴でさえも自身の盛りの色香がうせている。自分はすでに舞の由来をわきまえて、師匠と弟子との舞の手ぶりの変化はひとすじであることを知るのである。

 

-    并序⑶

撫事慷慨,聊為劍器行。

むかしのことに沿って考えると嘆かわしくなり、いささかこの剣器のうたをつくったのである。

昔者人張旭善草書書帖,

少し昔のことだが、呉の人で張旭は草書がうまく、たびたび帖などに書いたものだ。

數嘗於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器,

張旭はあるとき鄴縣で公孫大娘が西河の剣器を舞うのを見て、それ以来草書の技がぐっと進み豪蕩で感激したような書風になったということだ。

自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!

張旭の草書にそれほどの影響をあたえた公孫大娘のわざの神妙さは推して知るべきである。

(公孫大娘が弟子の劍器を舞う觀る行【うた】)并びに序 -

大暦二年、十月十九日、夔州の別駕元持が宅にて、臨頴の李十二娘が剣器を舞うを見て、其の蔚跂たるを壮として其の師とする所を問う。

曰く、余は公孫大娘が弟子なりと。

開元三載。余 尚お童稚なり。

記す郾城に於て公孫氏が剣器・渾脱を舞うを観しことを。

-

瀏灕頓挫、独出時に冠たり。

高頭の宜春・梨園二伎坊の内人より、外供奉の舞女に洎ぶまで、

是の舞を暁るもの。聖文神武皇帝の初め。

公孫一人のみ。玉貌錦衣。〔‥…〕況や余白首。

今 茲の弟子。亦た盛顔に匪ず、既に其の由来を弁じ、波瀾二莫きを知る。

-

事を撫して慷慨し、聊か剣器行を為る。

昔者呉人張旭、草書を善くし、帖に書すること数しばなり。

嘗て鄴縣に於て、公孫大娘が西河の剣器を舞うを見る、

此れより草書長進し、豪蕩感激すと。即ち公孫は知る可し。

本文 #1

昔有佳人公孫氏,一舞劍氣動四方。

むかし公孫氏という美しい妓優があって、ひとたび剣器の舞を舞うと四方の観覧の人人を感動させた。

觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。

彼女の舞をみると山ほどいるたくさんの観客は気が失せたように顔つきもぼんやりしてしまい、いつまでも天地が互いに高低しているような昂った心地が失せないのであった。

燿如羿射九日落,矯如群帝驂龍翔。

その舞っている様子をいうならば、剣先が縦横に動きその輝きはまるで、羿が九つの太陽を射落としたかの如く動き、矯然とうねりあがるさまは天の群仙が龍を添え馬として翔けるが如くである。

來如雷霆收震怒,罷如江海凝清光。』

それで、すうっと来たるときは雷霆が激震し、がなり立てたていたのが成りをしずめるかの如くであり、まったく舞いおわった時は江海の水面がすみわたって鏡面清光を凝らしているかの如くである。

本文#2

絳唇珠袖兩寂寞,況有弟子傳芬芳。

この妙技をもった彼女のあかい唇も、珠の袖も、その後はともにひっそりと迹たえたが、いわんや、彼女のかおりを伝えた弟子がでたのである。

臨潁美人在白帝,妙舞此曲神揚揚。

それは臨頴の美人である李娘である。この美人は白帝城にきていて、おなじ剣器の曲を舞うにとても上手であって、それを舞う時、神気は、すこぶる揚揚得意の雰囲気があるのである。

與餘問答既有以,感時撫事增惋傷。

自分と問答してみると、この美人の舞は仔細のあるもので偶然のものでないことがわかったので、自分は、時のかわり、世代間の移り変わりを感じ、往年に沿うて考えて、ますます惜しみ傷むという念を生じたということである。

本文#3

先帝侍女八千人,公孫劍器初第一。

五十年間似反掌,風塵傾動昏王室。

梨園子弟散如煙,女樂餘姿映寒日。』

本文#4

金粟堆南木已拱,瞿唐石城草蕭瑟。

玳筵急管曲複終,樂極哀來月東出。

老夫不知其所往,足繭荒山轉愁疾。』

本文#1

昔 佳人の公孫氏有り,一つに舞劍すれば四方を氣動す。

觀者 山の如く色沮喪す,天地 之が為に 久しく低昂す。

燿として 羿が九日を射て落すが如く,矯として 群帝が龍を驂にして翔るが如し。

來るときは雷霆の震怒を收むるが如く,罷むときは江海の清光を凝らすが如し。

本文#2

絳唇 珠袖 兩つながら寂寞,況や弟子の芬芳を傳うる有り。

臨潁の美人 白帝に在り,妙に 此の曲を舞うて 神 揚揚たり。

餘と問答するに 既に以【ゆえ】有り,時に感じ 事を撫して增ます惋傷す。

長安城図 作図00 

『觀公孫大娘弟子舞劍器行』現代語訳と訳註解説
(
本文)

本文#2

絳唇 珠袖 兩つながら寂寞,況や弟子の芬芳を傳うる有り。

臨潁の美人 白帝に在り,妙に 此の曲を舞うて 神 揚揚たり。

餘と問答するに 既に以【ゆえ】有り,時に感じ 事を撫して增ます惋傷す。

(下し文)
本文#2

絳唇珠袖兩寂寞,況有弟子傳芬芳。

臨潁美人在白帝,妙舞此曲神揚揚。

與餘問答既有以,感時撫事增惋傷。』

(現代語訳)
本文#2

この妙技をもった彼女のあかい唇も、珠の袖も、その後はともにひっそりと迹たえたが、いわんや、彼女のかおりを伝えた弟子がでたのである。

それは臨頴の美人である李娘である。この美人は白帝城にきていて、おなじ剣器の曲を舞うにとても上手であって、それを舞う時、神気は、すこぶる揚揚得意の雰囲気があるのである。

自分と問答してみると、この美人の舞は仔細のあるもので偶然のものでないことがわかったので、自分は、時のかわり、世代間の移り変わりを感じ、往年に沿うて考えて、ますます惜しみ傷むという念を生じたということである。


(訳注) 本文#2

觀公孫大娘弟子舞劍器行

大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。

1 公孫大娘 詩序に見える如く玄宗の開元時代の舞の妙手である。大娘とは中年女子の称。

 

絳唇珠袖兩寂寞,況有弟子傳芬芳。

この妙技をもった彼女のあかい唇も、珠の袖も、その後はともにひっそりと迹たえたが、いわんや、彼女のかおりを伝えた弟子がでたのである。

41 絳唇珠袖 あかいくちびる。珠をかざったそで。唇は容貌についていい、袖は舞態についていう。「明皇雑録」の語を借りていえば絃唇は「折」をいい、珠袖は「妙」をいったものである。

42 兩寂寞 両とは唇袖の二つをさす。寂寞は死去した後をいう。

43 況/晩 いわんや/ 公孫大娘の晩年をいう。

44 弟子 李十二娘。

45 傳芬芳 かおりをつたえる。余風をつたえたこと。

 

臨潁美人在白帝,妙舞此曲神揚揚。

それは臨頴の美人である李娘である。この美人は白帝城にきていて、おなじ剣器の曲を舞うにとても上手であって、それを舞う時、神気は、すこぶる揚揚得意の雰囲気があるのである。

46 臨穎美人 李十二娘。

47 白帝 白帝城。

48 此曲 剣器の曲をさす。

49 揚揚 得意のさま。

 

與餘問答既有以,感時撫事增惋傷。

自分と問答してみると、この美人の舞は仔細のあるもので偶然のものでないことがわかったので、自分は、時のかわり、世代間の移り変わりを感じ、往年に沿うて考えて、ますます惜しみ傷むという念を生じたということである。

50 問答 序文に見える師弟の関係についての問答。

51 有以 以は所以、故に同じ。

52 椀傷 おしみいたむ。

興慶宮00 

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767年-23 #4杜少陵集 《20-99 觀公孫大娘弟子舞劍器行 #4》 杜甫詩index-15-1146 <1596> 767年大暦2年56歲-23 #4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7377 

觀公孫大娘弟子舞劍器行  本文 #1

昔有佳人公孫氏,一舞劍氣動四方。觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。

燿如羿射九日落,矯如群帝驂龍翔。來如雷霆收震怒,罷如江海凝清光。
むかし公孫氏という美しい妓優があって、ひとたび剣器の舞を舞うと四方の観覧の人人を感動させた。彼女の舞をみると山ほどいるたくさんの観客は気が失せたように顔つきもぼんやりしてしまい、いつまでも天地が互いに高低しているような昂った心地が失せないのであった。その舞っている様子をいうならば、剣先が縦横に動きその輝きはまるで、羿が九つの太陽を射落としたかの如く動き、矯然とうねりあがるさまは天の群仙が龍を添え馬として翔けるが如くである。それで、すうっと来たるときは雷霆が激震し、がなり立てたていたのが成りをしずめるかの如くであり、まったく舞いおわった時は江海の水面がすみわたって鏡面清光を凝らしているかの如くである。

杜少陵集20-99-本文 -1

觀公孫大娘弟子舞劍器行  本文 -1

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杜詩index-15

767年大暦25623#1

1146 <1596

 

 
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杜甫詩1500-1146-1596/2500 

年:767年大暦256-23 #1

卷別:    卷二二二              文體:    樂府

詩題:    觀公孫大娘弟子舞劍器行

詩序:    并序:大曆二年十月十九日,夔府別駕元持宅【夔府別駕元特宅】,見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂,問其所師【問其所師答】,曰:「余公孫大娘弟子也。開元三載【開元五載】,余尚童稚。記於郾城觀公孫氏舞劍器渾,瀏灕頓挫,獨出冠時,自高頭宜春梨園二伎坊人洎外供奉【自高頭宜春梨園二教坊人洎外供奉】,曉是舞者。聖文神武皇帝初,公孫一人而已,玉貌錦衣【玉貌繡衣】,況余白首,今茲弟子,亦匪盛顏。」既辨其由來,知波瀾莫二,撫事慷慨。聊為〈劍器行〉。往者人張旭,善草書帖,數常於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器【數常於葉縣見公孫大娘

作地點:              目前尚無資料

及地點:              臨潁 (河南道 許州 臨潁)    

金粟山 (京畿道 京兆府 金粟山)    

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘  

交遊人物/地點:李十二娘   詩文提及

詩文:

 

 

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -

-大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。)幷序

大歷二年十月十九日夔府別駕元持宅

大暦二年の十月十九日に自分は夔州別駕元特の宅で

見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂。

臨頴の李十二娘が剣器を舞うのをみると、それはとても雄壮で、文織のある、艶のあるものである。

問其所師,曰余公孫大娘弟子也。

それで、「先生はだれか」とたずねたら「公孫大娘の弟子だ」とこたえた。

開元三載,余尚童稚。

自分はその時、715年開元三年で、まだ4歳のこどもであった。

記於郾城觀公孫氏舞劍器渾
その舞は、郾城で公孫大娘が剣器・渾脱を舞うのを観劇したことをよく記憶している。

 

并序

頓挫,獨出冠時。

その舞の様子はなだらかでまた急激の変化があるもので、その踊り手は、時流を傑出、ぬきんでている第一人者である。

自高頭宜春梨園二伎坊人,洎外供奉,曉是舞者。

そのころ御所の宜春院や梨園などの教坊の高頭内人とよばれる人からその以外の御用の舞女までのなかで、この舞を知っているものはいたのである。

聖文神武皇帝初,公孫一人而已。

この舞を知っているものは、聖文神武皇帝(玄宗)の御代に公孫氏ただひとりしかいなかったのであった。

玉貌錦衣,〔・・・・〕況余白首!

その玉貌錦衣は〔・・・・(当時中年女性であったからもういないし、)〕ましてや自分はすでに白髪あたまになっている。

今茲弟子亦匪盛顏。既辨其由來,知波瀾莫二
いまこの弟子の李仙奴でさえも自身の盛りの色香がうせている。自分はすでに舞の由来をわきまえて、師匠と弟子との舞の手ぶりの変化はひとすじであることを知るのである。

 

-    并序⑶

撫事慷慨,聊為劍器行。

むかしのことに沿って考えると嘆かわしくなり、いささかこの剣器のうたをつくったのである。

昔者人張旭善草書書帖,

少し昔のことだが、呉の人で張旭は草書がうまく、たびたび帖などに書いたものだ。

數嘗於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器,

張旭はあるとき鄴縣で公孫大娘が西河の剣器を舞うのを見て、それ以来草書の技がぐっと進み豪蕩で感激したような書風になったということだ。

自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!

張旭の草書にそれほどの影響をあたえた公孫大娘のわざの神妙さは推して知るべきである。

(公孫大娘が弟子の劍器を舞う觀る行【うた】)并びに序 -

大暦二年、十月十九日、夔州の別駕元持が宅にて、臨頴の李十二娘が剣器を舞うを見て、其の蔚跂たるを壮として其の師とする所を問う。

曰く、余は公孫大娘が弟子なりと。

開元三載。余 尚お童稚なり。

記す郾城に於て公孫氏が剣器・渾脱を舞うを観しことを。

-

瀏灕頓挫、独出時に冠たり。

高頭の宜春・梨園二伎坊の内人より、外供奉の舞女に洎ぶまで、

是の舞を暁るもの。聖文神武皇帝の初め。

公孫一人のみ。玉貌錦衣。〔‥…〕況や余白首。

今 茲の弟子。亦た盛顔に匪ず、既に其の由来を弁じ、波瀾二莫きを知る。

-

事を撫して慷慨し、聊か剣器行を為る。

昔者呉人張旭、草書を善くし、帖に書すること数しばなり。

嘗て鄴縣に於て、公孫大娘が西河の剣器を舞うを見る、

此れより草書長進し、豪蕩感激すと。即ち公孫は知る可し。

本文 #1

昔有佳人公孫氏,一舞劍氣動四方。

むかし公孫氏という美しい妓優があって、ひとたび剣器の舞を舞うと四方の観覧の人人を感動させた。

觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。

彼女の舞をみると山ほどいるたくさんの観客は気が失せたように顔つきもぼんやりしてしまい、いつまでも天地が互いに高低しているような昂った心地が失せないのであった。

燿如羿射九日落,矯如群帝驂龍翔。

その舞っている様子をいうならば、剣先が縦横に動きその輝きはまるで、羿が九つの太陽を射落としたかの如く動き、矯然とうねりあがるさまは天の群仙が龍を添え馬として翔けるが如くである。

來如雷霆收震怒,罷如江海凝清光。

それで、すうっと来たるときは雷霆が激震し、がなり立てたていたのが成りをしずめるかの如くであり、まったく舞いおわった時は江海の水面がすみわたって鏡面清光を凝らしているかの如くである。

#2

絳唇珠袖兩寂寞,況有弟子傳芬芳。

臨潁美人在白帝,妙舞此曲神揚揚。

與餘問答既有以,感時撫事增惋傷。』

#3

先帝侍女八千人,公孫劍器初第一。

五十年間似反掌,風塵傾動昏王室。

梨園子弟散如煙,女樂餘姿映寒日。』

#4

金粟堆南木已拱,瞿唐石城草蕭瑟。

玳筵急管曲複終,樂極哀來月東出。

老夫不知其所往,足繭荒山轉愁疾。』

本文#1

昔 佳人の公孫氏有り,一つに舞劍すれば四方を氣動す。

觀者 山の如く色沮喪す,天地 之が為に 久しく低昂す。

燿として 羿が九日を射て落すが如く,矯として 群帝が龍を驂にして翔るが如し。

來るときは雷霆の震怒を收むるが如く,罷むときは江海の清光を凝らすが如し。

大明宮 作図011 

『觀公孫大娘弟子舞劍器行』現代語訳と訳註解説
(
本文)

本文#1

昔有佳人公孫氏,一舞劍氣動四方。

觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。

燿如羿射九日落,矯如群帝驂龍翔。

來如雷霆收震怒,罷如江海凝清光。』

(下し文)
#1

昔 佳人の公孫氏有り,一つに舞劍すれば四方を氣動す。

觀者 山の如く色沮喪す,天地 之が為に 久しく低昂す。

燿として 羿が九日を射て落すが如く,矯として 群帝が龍を驂にして翔るが如し。

來るときは雷霆の震怒を收むるが如く,罷むときは江海の清光を凝らすが如し。

(現代語訳)
本文#1

むかし公孫氏という美しい妓優があって、ひとたび剣器の舞を舞うと四方の観覧の人人を感動させた。

彼女の舞をみると山ほどいるたくさんの観客は気が失せたように顔つきもぼんやりしてしまい、いつまでも天地が互いに高低しているような昂った心地が失せないのであった。

その舞っている様子をいうならば、剣先が縦横に動きその輝きはまるで、羿が九つの太陽を射落としたかの如く動き、矯然とうねりあがるさまは天の群仙が龍を添え馬として翔けるが如くである。

それで、すうっと来たるときは雷霆が激震し、がなり立てたていたのが成りをしずめるかの如くであり、まったく舞いおわった時は江海の水面がすみわたって鏡面清光を凝らしているかの如くである。


(訳注)

本文#1

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 本文#1

大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。

1 公孫大娘 詩序に見える如く玄宗の開元時代の舞の妙手である。大娘とは中年女子の称。
 

昔有佳人公孫氏,一舞劍氣動四方。

むかし公孫氏という美しい妓優があって、ひとたび剣器の舞を舞うと四方の観覧の人人を感動させた。

 

觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。

彼女の舞をみると山ほどいるたくさんの観客は気が失せたように顔つきもぼんやりしてしまい、いつまでも天地が互いに高低しているような昂った心地が失せないのであった。

31 如山 観客が山ほどたくさんいることをいう。

32 色沮喪 圧倒され、気が失せたように顔つきもぼんやりしてしまう様子を言う。

33 天地為之 剣舞の動きの速い剣を見ることで、気が動転し、圧倒された状況の表現で、実際に見たことのある人はよくわかる天地が上下転倒したように迫力あるものである。

34 久低昂 天地が上下転倒したよ鵜であり、その興奮状態が踊り終わってもしばらく続くことを言う。

 

燿如羿射九日落,矯如群帝驂龍翔。

その舞っている様子をいうならば、剣先が縦横に動きその輝きはまるで、羿が九つの太陽を射落としたかの如く動き、矯然とうねりあがるさまは天の群仙が龍を添え馬として翔けるが如くである。

35 燿 かがやくさまをいう。

36 羿射九日落 《淮南子》卷八「堯時十日並出,草木焦枯,堯命羿仰射十日,中其九日,日中九烏皆死,墮其羽翼,故留其一日也。」 (堯の時、十日並び出づ,草木焦枯し,堯 羿をして仰へ十日射て,其の九日中【あ】てしむ,日中の九烏 皆死し,其の羽翼を墮す,故に留るは其の一日なり。

37 矯 あがること。

38 如群帝驂龍翔 群帝は天上の群仙、驂は添え馬にすること。夏侯玄の賦に「又如東方羣帝」夏候𤣥賦「又如東方羣帝兮、騰龍駕而翺翔、來如雷霆」(又東方の羣帝、龍駕を騰あげて翺翔するが如し、來りて雷霆の如し)とみえる。

 

來如雷霆收震怒,罷如江海凝清光。

それで、すうっと来たるときは雷霆が激震し、がなり立てたていたのが成りをしずめるかの如くであり、まったく舞いおわった時は江海の水面がすみわたって鏡面清光を凝らしているかの如くである。

39 雷霆收震怒 雷霆が激震し、がなり立てたていたのが成りをしずめる。

40 江海凝清光 海水が鏡面の如くしずかなさま。

 


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觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -

撫事慷慨,聊為劍器行。昔者人張旭善草書書帖,

數嘗於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器,自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!
むかしのことに沿って考えると嘆かわしくなり、いささかこの剣器のうたをつくったのである。少し昔のことだが、呉の人で張旭は草書がうまく、たびたび帖などに書いたものだ。張旭はあるとき鄴縣で公孫大娘が西河の剣器を舞うのを見て、それ以来草書の技がぐっと進み豪蕩で感激したような書風になったということだ。張旭の草書にそれほどの影響をあたえた公孫大娘のわざの神妙さは推して知るべきである。

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年:767年大暦256-23 #1

卷別:    卷二二二              文體:    樂府

詩題:    觀公孫大娘弟子舞劍器行

詩序:    并序:大曆二年十月十九日,夔府別駕元持宅【夔府別駕元特宅】,見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂,問其所師【問其所師答】,曰:「余公孫大娘弟子也。開元三載【開元五載】,余尚童稚。記於郾城觀公孫氏舞劍器渾,瀏灕頓挫,獨出冠時,自高頭宜春梨園二伎坊人洎外供奉【自高頭宜春梨園二教坊人洎外供奉】,曉是舞者。聖文神武皇帝初,公孫一人而已,玉貌錦衣【玉貌繡衣】,況余白首,今茲弟子,亦匪盛顏。」既辨其由來,知波瀾莫二,撫事慷慨。聊為〈劍器行〉。往者人張旭,善草書帖,數常於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器【數常於葉縣見公孫大娘

作地點:              目前尚無資料

及地點:              臨潁 (河南道 許州 臨潁)    

金粟山 (京畿道 京兆府 金粟山)     

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘   

交遊人物/地點:李十二娘   詩文提及

詩文:

 

 

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -

-大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。)幷序

大歷二年十月十九日夔府別駕元持宅

大暦二年の十月十九日に自分は夔州別駕元特の宅で

見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂。

臨頴の李十二娘が剣器を舞うのをみると、それはとても雄壮で、文織のある、艶のあるものである。

問其所師,曰余公孫大娘弟子也。

それで、「先生はだれか」とたずねたら「公孫大娘の弟子だ」とこたえた。

開元三載,余尚童稚。

自分はその時、715年開元三年で、まだ4歳のこどもであった。

記於郾城觀公孫氏舞劍器渾
その舞は、郾城で公孫大娘が剣器・渾脱を舞うのを観劇したことをよく記憶している。

 

-         

頓挫,獨出冠時。

その舞の様子はなだらかでまた急激の変化があるもので、その踊り手は、時流を傑出、ぬきんでている第一人者である。

自高頭宜春梨園二伎坊人,洎外供奉,曉是舞者。

そのころ御所の宜春院や梨園などの教坊の高頭内人とよばれる人からその以外の御用の舞女までのなかで、この舞を知っているものはいたのである。

聖文神武皇帝初,公孫一人而已。

この舞を知っているものは、聖文神武皇帝(玄宗)の御代に公孫氏ただひとりしかいなかったのであった。

玉貌錦衣,〔・・・・〕況余白首!

その玉貌錦衣は〔・・・・(当時中年女性であったからもういないし、)〕ましてや自分はすでに白髪あたまになっている。

今茲弟子亦匪盛顏。既辨其由來,知波瀾莫二
いまこの弟子の李仙奴でさえも自身の盛りの色香がうせている。自分はすでに舞の由来をわきまえて、師匠と弟子との舞の手ぶりの変化はひとすじであることを知るのである。

 

-   

撫事慷慨,聊為劍器行。

むかしのことに沿って考えると嘆かわしくなり、いささかこの剣器のうたをつくったのである。

昔者人張旭善草書書帖,

少し昔のことだが、呉の人で張旭は草書がうまく、たびたび帖などに書いたものだ。

數嘗於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器,

張旭はあるとき鄴縣で公孫大娘が西河の剣器を舞うのを見て、それ以来草書の技がぐっと進み豪蕩で感激したような書風になったということだ。

自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!

張旭の草書にそれほどの影響をあたえた公孫大娘のわざの神妙さは推して知るべきである。

(公孫大娘が弟子の劍器を舞う觀る行【うた】)并びに序 -

大暦二年、十月十九日、夔州の別駕元持が宅にて、臨頴の李十二娘が剣器を舞うを見て、其の蔚跂たるを壮として其の師とする所を問う。

曰く、余は公孫大娘が弟子なりと。

開元三載。余 尚お童稚なり。

記す郾城に於て公孫氏が剣器・渾脱を舞うを観しことを。

-

瀏灕頓挫、独出時に冠たり。

高頭の宜春・梨園二伎坊の内人より、外供奉の舞女に洎ぶまで、

是の舞を暁るもの。聖文神武皇帝の初め。

公孫一人のみ。玉貌錦衣。〔‥…〕況や余白首。

今 茲の弟子。亦た盛顔に匪ず、既に其の由来を弁じ、波瀾二莫きを知る。

-

事を撫して慷慨し、聊か剣器行を為る。

昔者呉人張旭、草書を善くし、帖に書すること数しばなり。

嘗て鄴縣に於て、公孫大娘が西河の剣器を舞うを見る、

此れより草書長進し、豪蕩感激すと。即ち公孫は知る可し。

 

大明宮 作図011 

『觀公孫大娘弟子舞劍器行并序』⑶ 現代語訳と訳註解説
(
本文)

-         

撫事慷慨,聊為劍器行。

昔者人張旭善草書書帖,

數嘗於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器,

自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!

(下し文)
-

事を撫して慷慨し、聊か剣器行を為る。

昔者呉人張旭、草書を善くし、帖に書すること数しばなり。

嘗て鄴縣に於て、公孫大娘が西河の剣器を舞うを見る、

此れより草書長進し、豪蕩感激すと。即ち公孫は知る可し。

(現代語訳)
-         

むかしのことに沿って考えると嘆かわしくなり、いささかこの剣器のうたをつくったのである。

少し昔のことだが、呉の人で張旭は草書がうまく、たびたび帖などに書いたものだ。

張旭はあるとき鄴縣で公孫大娘が西河の剣器を舞うのを見て、それ以来草書の技がぐっと進み豪蕩で感激したような書風になったということだ。

張旭の草書にそれほどの影響をあたえた公孫大娘のわざの神妙さは推して知るべきである。

-   
(訳注)

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -

大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。

1 公孫大娘 詩序に見える如く玄宗の開元時代の舞の妙手である。大娘とは中年女子の称。

 

撫事慷慨,聊為劍器行。

むかしのことに沿って考えると嘆かわしくなり、いささかこの剣器のうたをつくったのである。

24 撫事 往事にそうてかんがえる。

 

昔者人張旭善草書書帖,

少し昔のことだが、呉の人で張旭は草書がうまく、たびたび帖などに書いたものだ。

25 張旭  旭は中国・唐代中期の書家。字は伯高。呉郡出身。官は左率府の長史になったことから張長史とも呼ばれた。 草書を極めるとともに、従来規範とされて来た王羲之と王献之、いわゆる「二王」の書風に真正面から異を唱え、書道界に改革の旋風を巻き起こすきっかけとなった。張旭のことは《巻二01飲中八仙歌》「張旭三杯草聖傳,帽露頂王公前,揮毫落紙如雲煙。」“張旭は三杯の酒を飲んで見事な草書を披露する、王侯の前で脱帽して頭を向け、筆を振るえば雲のように自在な字が現れる。”その他にみえる。韓愈《読巻四18送高閑上人序》(高閑上人を送るの序)に、「往時張旭善草書,不治他伎,喜怒、窘窮、憂悲、愉佚、怨恨、思慕、酣醉、無聊不平,有動於心,必於草書焉發之。觀於物,見山水、崖穀、鳥獸、蟲魚、草木之花實、日月、列星、風雨、水火、雷霆、霹靂、歌舞、戰鬥,天地事物之變,可喜可愕,一寓於書。故旭之書,變動猶鬼神,不可端倪,以此終其身,而名後世。」(往時、張旭 草書を善くして他伎を治めず。喜怒窘窮、憂悲愉佚、怨恨思慕、酣醉無聊不平、心に動く有れば、必ず草書に於いて之を発す。物に観ては、山水崖谷、鳥獣虫魚、草木の花実、日月列星、風雨水火、雷霆霹靂、歌舞戦闘、天地事物の変、喜ぶべく愕くべきを見て、一して書に寓す。 故に旭の書、変動 猶ほ鬼神の端倪すべからざるがごとし。此を以て、其の身を終ふれども後世に名あり。)といっているのも張旭の書風をうかがうことができよう。

 

數嘗於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器,

張旭はあるとき鄴縣で公孫大娘が西河の剣器を舞うのを見て、それ以来草書の技がぐっと進み豪蕩で感激したような書風になったということだ。

26 鄴縣 河南省彰徳府臨渾県。

27 西河剣器 西河剣器も舞の名である。「明皇雑録」にいう、上(玄宗)素音律を暁る、安禄山、白玉の寮管数百事を献ず、梨園に陳す、是より音響人間に類せず、諸公主及び我国以下競いて貴妃が弟子となる。授曲の終りごとに皆広く進奉あり。時に公孫大娘、能く隣里曲及び装将軍・満堂勢・西河剣器・渾脱の舞を為す、折妙皆時に冠絶す、と。

 

自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!

張旭の草書にそれほどの影響をあたえた公孫大娘のわざの神妙さは推して知るべきである。

28 長進 わざすぐれすすむ。

29 豪蕩感激 書風をいう。

30 即公孫可知夫 知るべしとはその技の神妙なることの推して知るべきことをいう。

長安城図 作図00 

韓愈 

送高閑上人序

苟可以寓其巧智,使機應於心,不挫於氣,則神完而守固,雖外物至,不膠於心。堯舜禹湯治天下,養叔治射,庖丁治牛,師曠治音聲,扁鵲治病,僚之於丸,秋之於奕,伯倫之於酒,樂之終身不厭,奚暇外慕?夫外慕徙業者,皆不造其堂,不嚌其胾者也。

往時張旭善草書,不治他伎,喜怒、窘窮、憂悲、愉佚、怨恨、思慕、酣醉、無聊不平,有動於心,必於草書焉發之。觀於物,見山水、崖穀、鳥獸、蟲魚、草木之花實、日月、列星、風雨、水火、雷霆、霹靂、歌舞、戰鬥,天地事物之變,可喜可愕,一寓於書。故旭之書,變動猶鬼神,不可端倪,以此終其身,而名後世。今閑之於草書,有旭之心哉?不得其心,而逐其跡,未見其能旭也。為旭有道,利害必明,無遺錙銖,情炎於中,利欲鬥進,有得有喪,勃然不釋,然後一決於書,而後旭可幾也。今閑師浮屠氏,一死生,解外膠。是其為心,必泊然無所起;其於世,必淡然無所嗜。泊與淡相遭,墮委靡,潰敗不可收拾。則其於書,得無象之,然乎?

然吾聞浮屠人善幻,多技能,閑如通其術,則吾不能知矣。

(高閑上人を送る序)

苟くも以て其の巧智を寓し、機をして心に応じて気に挫けざらしむべければ、則ち神 完(まった)くして守ること固し。外物 至ると雖(いへど)も、其の心に膠せず。

堯・舜・禹・湯の天下を治むる、養叔の射を治むる、包丁の牛を治むる、師曠の音声を治むる、扁鵲の病を治むる、僚の丸に於ける、秋の奕に於ける、伯倫の酒に於ける、之(これ)を楽しみて終身 厭(いと)わず、奚(なん)ぞ外慕するに暇(いとま)あらん。 夫れ、外慕して業を徒(うつ)すは、皆 其の堂に造(いた)らず、其の胾を食らわざる者なり。

往時、張旭 草書を善くして他伎を治めず。喜怒窘窮、憂悲愉佚、怨恨思慕、酣醉無聊不平、心に動く有れば、必ず草書に於いて之を発す。

物に観ては、山水崖谷、鳥獣虫魚、草木の花実、日月列星、風雨水火、雷霆霹靂、歌舞戦闘、天地事物の変、喜ぶべく愕くべきを見て、一して書に寓す。 故に旭の書、変動 猶(な)ほ鬼神の端倪すべからざるがごとし。此(ここ)を以て、其の身を終ふれども後世に名あり。

今、閑の草書に於けるや、旭の心有るか。其の心を得ずして、其の跡を逐(お)はば、未だ其の能く旭を見ず。

旭と為るに道有り。利害必ず明らかにし、錨銖を遺す無く、情中に炎(も)え、利欲 闘い進み、得る有り、喪う有り、勃然として釈けず。然(しか)して後、一して書に決す。而(しか)して後、旭は畿すべきなり。

今、閑は浮屠氏を師とす。生死を一にし、外膠を解く。是れ、其の心為るや、必ず泊然と起(た)つ所 無からん。其の世に於いてや必ず淡然と嗜(たしな)む所無からん。 泊と淡、相遭(あ)へば、頽堕委靡、潰敗、収拾すべからず。則ち其れ書に於いて之に象(に)て然(しか)る無きを得んや。

然れど吾れ聞く、浮屠の人、幻を善くし、技能 多し。閑 如(も)し其の術に通ずれば、則ち吾れは知る能はず。

(現代語訳)

もし、すぐれた英知を表現し、精神の機能を心の思うままにできて、気分によって挫けないようにできたならば、精神は完成して、信念を固く持てるようになる。そうなれば外界の物が目に入っても、心にまとわりつかなくなるのである。

 

堯・舜・夏の禹王・殷の湯王が天下を治める場合、養叔が弓矢を射る場合、包丁が牛をさばく場合、師曠が音楽を演奏する場合、扁鵲が病を治療する場合、熊宜僚が球技をする場合、弈秋が碁を打つ場合、伯倫が酒を飲む場合、それぞれ自分のしていることを楽しんで、一生いやになることはなかった。どうして他のことに心をひかれる余地があったろうか。そもそも、他のことにあれこれ心をひかれて仕事や趣味をふらふら変えるような者は、たいした成果を得ることができない。屋敷の門をくぐっても家の中にまでは入らず、スープを飲んでも具の肉までは食べないようなものである。

 

昔、張旭は草書を得意として他の技術は習得しなかった。喜びや怒り、困りごと、憂いや悲しみ、楽しいこと、怨みごと、恋しいこと、酒に酔った心地、退屈な気分、不平に思うことなど、心に動くことがあれば、必ず草書に表現した。

 

物を観察する場合も、山や川、崖や谷、鳥や獣、虫や魚、草木の花実、太陽や月や星々、風や雨、水や火、稲光や雷鳴、歌や踊りや戦闘、天地の事物の変化など、喜ぶべきことや驚くべきことを見ては、その全てを書に表現した。 そのため張旭の書の筆の動きは、霊魂や神々と同様に、予測がつかないのである。このため張旭はその身は死んでも後世に名に名を残すようになったのである。

 

ひるがえって、高閑の草書に張旭のような心があるだろうか。その心なしに、ただ筆跡だけをなぞっても、張旭の境地には達しえないだろう。

 

張旭のようになるには方法がある。自分にとっての利害を必ずはっきりさせ、少しも不明な部分を残さず、感情が心の中で燃えさかり、欲望がわいて増進し、得ることにつけ、失うことにつけ、心が高ぶってほぐれることがない、そのような状態となって、その全てを書に結実させる。そのようにしてはじめて張旭の境地は期待できるのである。

 

ところが高閑は仏陀を師と仰いでいる。生と死を一つと見なし、外界へのこだわりをなくしている。その心はさっぱりしていて昂ぶることがないだろうし、世の中に生きていてもきっとあっさりしていて楽しむことがないだろう。そのように淡泊であったなら、気力がだんだんに衰えていき、くずれてバラバラになり、まとまりがつかなくなるだろう。そうなれば書にもその影響が現れないわけがないのである。

 

しかし、仏教の信徒は幻術をおこない、さまざまな技能を持っていると聞く。高閑がもしそのような幻術に通じているのであれば私には何ともいえないところだが。

 

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 【字解】

 

大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。

1 公孫大娘 詩序に見える如く玄宗の開元時代の舞の妙手である。大娘とは中年女子の称。

2 弟子 詩序に見える公孫大娘の弟子である李十二娘。

3 剣器 舞の名。舞に文舞・武舞、或は健舞・軟舞の別があり、剣器は健舞に属する。段安節の「楽府雑録」にいう、健舞曲に稜大・阿連・柘枝・剣器・胡旋・胡膳等あり、軟舞曲に涼州・線腰・蘇合香・屈柘・団円旋・甘州等あり、と。これらの舞はたいてい西域地方より伝来したものである。張爾公の説によれば剣器は女妓を用い男装せしめ空手にて舞うものであるという、仇氏はそれにより剣器を以て刀剣と為すことの誤りであることをいっている。しかしながら余はこの詩篇を案ずるのに剣を持って舞うものであろうと考える。

4 別駕 州の属官。

5 元持 一本には持を特につくる。

6 臨穎 地名、河南省許州に属する。

7 李十二娘 作者の「秋日夔府詠懷奉寄鄭監李賓客一百韻」詩の杜甫自注(都督柏中丞筵。聞梨園弟子李仙奴歌)と記していることより考えれば李仙奴という者である。

8 蔚跂 蔚とは文織のある、艶のあるさま、跂とは雄壮なさま。

9 某所師 其とは李をさす。

10 開元三載 715年開元三載より767年大暦二年までおよそ五十三年であるし、杜甫は、712年先天元年生まれで、この年、56歳である。杜甫、四歳の時に見たことになるが、娯楽のない時期、四歳の時であっても舞をみたことを強烈に記憶していたのである。

11 鄭城 地名、河南省許州に属する、臨頴より南にある。

12 公孫氏舞剣器渾脱 渾脱も舞の名である。「明皇雑録」にいう、上(玄宗)素音律を暁る、安禄山、白玉の寮管数百事を献ず、梨園に陳す、是より音響人間に類せず、諸公主及び我国以下競いて貴妃が弟子となる。授曲の終りごとに皆広く進奉あり。時に公孫大娘、能く隣里曲及び装将軍・満堂勢・西河剣器・渾脱の舞を為す、折妙皆時に冠絶す、と。

13 劉灘 なめらかなさま。

14 頓挫 激勢の急停止をいう。

15 独出 ひとり傑出する。

16 冠時 時の第一人者であること。

17 高頭宜春梨園二伎坊内人 宜春・梨園の二伎坊の高頭の内人の意。高頭の二字は内人へかかる。高頭は前頭の意、天子の御前にある優秀のものをさす。雀令軟の「教坊記」にいう、右教坊は光宅坊(坊は街の意)に在り、左教坊は延政坊に在り。右には善歌多く、左には工舞多し。妓女宜春院に入れば之を内人といい、亦前頭人ともいう、常に上の前に在るを以てなり、と。宜春・梨園については「薙録」に記事があり、それにはいう、開元二年正月、教坊(歌舞の教練場)を蓬莱宮側に置く。上(玄宗)自ら法曲を教う、之を梨園の弟子という。天宝の初め、東宮に即きて宜春北院を置き官女数百人に命じて梨園の弟子となす。梨園は光化門の北に在り。光化門とは禁苑南面の西頭第一門(最西端の門)なり、と。元来伎女のすぐれた者を宜春院に入れたものであり、更にその中よりすぐれた者を選んで梨園の弟子となしたのである。二伎坊とは宜春と梨園との二教坊をさす。

宮妓は後代の娼妓を意味するものではなく、専門に宮廷に奉仕する女芸人であった。彼女たちは歌舞や楽器を習い、縄・竿・球・馬などを操る曲芸を学んだ。その職責は皇室が挙行する各種の祝祭・式典・宴会などの儀式に出演したり、また平生にあっては天子の耳目を楽しませることであった。

宮妓の大部分は直接民間から選抜された芸、容貌ともに秀でた楽戸*、侶優などの女子、それに少数の一般平民出身の女子であった。たとえば、著名な宮廷歌妓の永新は、もともと吉州(江西省吉安県)の楽戸の娘であり、歌が上手だったため選ばれて宮中に入った。辞填壇はもとは色町の妓女であったが、挙が上手だったため宮中に入って仕えることになった。平民女性で選抜されたものは、玄宗時代には特に「搊弾家」(演奏家)と称された(以上は、段安節『楽府雑録』「歌」、『古今図書集成』閏媛典閏艶部、崔令欽『教坊記』による。)。

*楽戸 楽籍という賤民身分の戸籍に属し、宮中の官妓、在野の楽人などが登録されていた。

 

 

彼女たちの中には、また別に朝臣や外国からの使節が献上した女性も、一部分であるが含まれていた。たとえば、敬宗の時代、浙東(浙江省一帯)から朝廷に飛燕、軽風という二人の舞妓が献上されている。また文宗の時代、回紇に降嫁した太和公主が馬にまたがって弓をひく七人の娘を献上したこともあった(『杜陽雜編』巻中、『旧唐書』文宗紀下)。それ以外に、少数ではあるが、元々官女であった女性の中から選ばれ、訓練を受けて宮妓になったものもいた。宮妓たちは、礼楽を司る太常寺に属したり、あるいは歌舞・伎楽・雑技・俳優を統括する教坊の管轄に属した。先人の考証によると、玄宗の時代から太常寺にはもはや女妓はいなくなり、すべて教坊の所属になったという(任半塘『教坊記箋訂』中華書局、一九六二年)。

 

玄宗は音楽、歌舞を特に愛好したので、彼の治世には宮妓の人数は大幅に増大し、教坊は隆盛を極めた。また玄宗は宮中に梨園、宜春院などを設け、特に才能のある芸妓を選りすぐり、宮中に入れて養成した。当時、宜春院に選抜された妓女は、「内人」とか、「前頭人」とよばれた。玄宗は常日頃、勤政楼の前で演芸会を開き、歌舞の楽妓は一度に数百人も出演することがあり、また縄や竹竿を使う、さまざまな女軽業師の演戯もあった。この後は、もうこれほどの盛況はなかったが、しかし教坊は依然として不断に宮妓を選抜して教坊に入れていた。憲宗の時代、教坊は皇帝の勅命だと称して「良家士人の娘及び衣冠(公卿大夫)の家の別邸の妓人を選び」内延に入れると宣言したので(『旧唐書』李緯伝)、人々は大いに恐れおののいた。そこで憲宗は、これは噂であると取り消さざるを得なかった。文宗の時代、教坊は一度に「霓裳羽衣」(開元、天宝時代に盛んに行われた楽曲)の舞いを踊る舞姫三百人を皇帝に献上したことがあった。

○梨園、宜春院 玄宗は長安の禁苑中に在る梨園に子弟三百人を選んで江南の音曲である法楽を学はせ、また宮女数百人を宜春北院に置いて梨園の弟子とした。

 

18 泊 及に同じ。

19 外供奉舞女 宜春・梨園のもの以外のもので御ともをし御用をつとめる舞女。

20 聖文神武皇帝 玄宗の尊号。

21 玉貌錦衣 この句と下の 「況余白首」とは文気が相い接さぬ、必ずや脱文があるのであろうということを中海光がつとに指摘しているが、そのとおりである。脱文の処には公孫大娘が逝去したことに言及した一節があるはずである。

22 今茲弟子 弟子は李十二娘、李仙奴をさす。

23 波瀾莫二 舞の手ぶりの変化の工合が二つ無く、師弟同一なること。

767年-23 #2杜少陵集 《20-99 觀公孫大娘弟子舞劍器行 #2》 杜甫詩index-15-1144 <1594> 767年大暦2年56歲-23 #2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7367

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -   

頓挫,獨出冠時。自高頭宜春梨園二伎坊人,洎外供奉,曉是舞者。聖文神武皇帝初,公孫一人而已。玉貌錦衣,〔・・・・〕況余白首!今茲弟子亦匪盛顏。既辨其由來,知波瀾莫二
その舞の様子はなだらかでまた急激の変化があるもので、その踊り手は、時流を傑出、ぬきんでている第一人者である。そのころ御所の宜春院や梨園などの教坊の高頭内人とよばれる人からその以外の御用の舞女までのなかで、この舞を知っているものはいたのである。この舞を知っているものは、聖文神武皇帝(玄宗)の御代に公孫氏ただひとりしかいなかったのであった。その玉貌錦衣は〔・・・・(当時中年女性であったからもういないし、)〕ましてや自分はすでに白髪あたまになっている。いまこの弟子の李仙奴でさえも自身の盛りの色香がうせている。自分はすでに舞の由来をわきまえて、師匠と弟子との舞の手ぶりの変化はひとすじであることを知るのである。

杜少陵集20-99-序⑵

觀公孫大娘弟子舞劍器行  并序 -

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杜詩index-15

767年大暦25623序 ⑵

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年:767年大暦256-23 #1

卷別:    卷二二二              文體:    樂府

詩題:    觀公孫大娘弟子舞劍器行

詩序:    并序:大曆二年十月十九日,夔府別駕元持宅【夔府別駕元特宅】,見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂,問其所師【問其所師答】,曰:「余公孫大娘弟子也。開元三載【開元五載】,余尚童稚。記於郾城觀公孫氏舞劍器渾,瀏灕頓挫,獨出冠時,自高頭宜春梨園二伎坊人洎外供奉【自高頭宜春梨園二教坊人洎外供奉】,曉是舞者。聖文神武皇帝初,公孫一人而已,玉貌錦衣【玉貌繡衣】,況余白首,今茲弟子,亦匪盛顏。」既辨其由來,知波瀾莫二,撫事慷慨。聊為〈劍器行〉。往者人張旭,善草書帖,數常於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器【數常於葉縣見公孫大娘

寫作地點:           目前尚無資料

寫及地點:          

臨潁 (河南道 許州 臨潁)    

金粟山 (京畿道 京兆府 金粟山)       

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘      

交遊人物/地點:  

李十二娘              詩文提及

詩文:

 

 

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -

-大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。)幷序

大歷二年十月十九日夔府別駕元持宅

大暦二年の十月十九日に自分は夔州別駕元特の宅で

見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂。

臨頴の李十二娘が剣器を舞うのをみると、それはとても雄壮で、文織のある、艶のあるものである。

問其所師,曰余公孫大娘弟子也。

それで、「先生はだれか」とたずねたら「公孫大娘の弟子だ」とこたえた。

開元三載,余尚童稚。

自分はその時、715年開元三年で、まだ4歳のこどもであった。

記於郾城觀公孫氏舞劍器渾

その舞は、郾城で公孫大娘が剣器・渾脱を舞うのを観劇したことをよく記憶している。

 

-         

頓挫,獨出冠時。

その舞の様子はなだらかでまた急激の変化があるもので、その踊り手は、時流を傑出、ぬきんでている第一人者である。

自高頭宜春梨園二伎坊人,洎外供奉,曉是舞者。

そのころ御所の宜春院や梨園などの教坊の高頭内人とよばれる人からその以外の御用の舞女までのなかで、この舞を知っているものはいたのである。

聖文神武皇帝初,公孫一人而已。

この舞を知っているものは、聖文神武皇帝(玄宗)の御代に公孫氏ただひとりしかいなかったのであった。

玉貌錦衣,〔・・・・〕況余白首!

その玉貌錦衣は〔・・・・(当時中年女性であったからもういないし、)〕ましてや自分はすでに白髪あたまになっている。

今茲弟子亦匪盛顏。既辨其由來,知波瀾莫二
いまこの弟子の李仙奴でさえも自身の盛りの色香がうせている。自分はすでに舞の由来をわきまえて、師匠と弟子との舞の手ぶりの変化はひとすじであることを知るのである。

-   

撫事慷慨,聊為劍器行。昔者人張旭善草書書帖,數嘗於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器,自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!

 

(公孫大娘が弟子の劍器を舞う觀る行【うた】)并びに序 -

大暦二年、十月十九日、夔州の別駕元持が宅にて、臨頴の李十二娘が剣器を舞うを見て、其の蔚跂たるを壮として其の師とする所を問う。

曰く、余は公孫大娘が弟子なりと。

開元三載。余 尚お童稚なり。

記す郾城に於て公孫氏が剣器・渾脱を舞うを観しことを。

-

瀏灕頓挫、独出時に冠たり。高頭の宜春・梨園二伎坊の内人より、外供奉の舞女に洎ぶまで、是の舞を暁るもの。聖文神武皇帝の初め。公孫一人のみ。玉貌錦衣。〔‥…〕況や余白首。今 茲の弟子。亦た盛顔に匪ず、既に其の由来を弁じ、波瀾二莫きを知る。

-

事を撫して慷慨し、聊か剣器行を為る。昔者呉人張旭、草書を善くし、帖に書すること数しばなり。嘗て鄴縣に於て、公孫大娘が西河の剣器を舞うを見る、此れより草書長進し、豪蕩感激すと。即ち公孫は知る可し。

 

 

『觀公孫大娘弟子舞劍器行并序』現代語訳と訳註解説
(
本文)

-         

頓挫,獨出冠時。

自高頭宜春梨園二伎坊人,洎外供奉,曉是舞者。

聖文神武皇帝初,公孫一人而已。

玉貌錦衣,〔・・・・〕況余白首!

今茲弟子亦匪盛顏。既辨其由來,知波瀾莫二

(下し文)
-

頓挫、独出時に冠たり。

高頭の宜春・梨園二伎坊の内人より、外供奉の舞女に洎ぶまで、是の舞を暁るもの。聖文神武皇帝の初め。公孫一人のみ。

玉貌錦衣。〔‥…〕況や余白首。

今 茲の弟子。亦た盛顔に匪ず、既に其の由来を弁じ、波瀾二莫きを知る

(現代語訳)
-         

その舞の様子はなだらかでまた急激の変化があるもので、その踊り手は、時流を傑出、ぬきんでている第一人者である。

そのころ御所の宜春院や梨園などの教坊の高頭内人とよばれる人からその以外の御用の舞女までのなかで、この舞を知っているものはいたのである。

この舞を知っているものは、聖文神武皇帝(玄宗)の御代に公孫氏ただひとりしかいなかったのであった。

その玉貌錦衣は〔・・・・(当時中年女性であったからもういないし、)〕ましてや自分はすでに白髪あたまになっている。

いまこの弟子の李仙奴でさえも自身の盛りの色香がうせている。自分はすでに舞の由来をわきまえて、師匠と弟子との舞の手ぶりの変化はひとすじであることを知るのである。


(訳注) -  

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -

大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。

1 公孫大娘 詩序に見える如く玄宗の開元時代の舞の妙手である。大娘とは中年女子の称。

 

頓挫,獨出冠時。

その舞の様子はなだらかでまた急激の変化があるもので、その踊り手は、時流を傑出、ぬきんでている第一人者である。

13 劉灘 なめらかなさま。

14 頓挫 激勢の急停止をいう。

15 独出 ひとり傑出する。

16 冠時 時の第一人者であること。

 

自高頭宜春梨園二伎坊人,洎外供奉,曉是舞者。

そのころ御所の宜春院や梨園などの教坊の高頭内人とよばれる人からその以外の御用の舞女までのなかで、この舞を知っているものはいたのである。

17 高頭宜春梨園二伎坊内人 宜春・梨園の二伎坊の高頭の内人の意。高頭の二字は内人へかかる。高頭は前頭の意、天子の御前にある優秀のものをさす。雀令軟の「教坊記」にいう、右教坊は光宅坊(坊は街の意)に在り、左教坊は延政坊に在り。右には善歌多く、左には工舞多し。妓女宜春院に入れば之を内人といい、亦前頭人ともいう、常に上の前に在るを以てなり、と。宜春・梨園については「薙録」に記事があり、それにはいう、開元二年正月、教坊(歌舞の教練場)を蓬莱宮側に置く。上(玄宗)自ら法曲を教う、之を梨園の弟子という。天宝の初め、東宮に即きて宜春北院を置き官女数百人に命じて梨園の弟子となす。梨園は光化門の北に在り。光化門とは禁苑南面の西頭第一門(最西端の門)なり、と。元来伎女のすぐれた者を宜春院に入れたものであり、更にその中よりすぐれた者を選んで梨園の弟子となしたのである。二伎坊とは宜春と梨園との二教坊をさす。

宮妓は後代の娼妓を意味するものではなく、専門に宮廷に奉仕する女芸人であった。彼女たちは歌舞や楽器を習い、縄・竿・球・馬などを操る曲芸を学んだ。その職責は皇室が挙行する各種の祝祭・式典・宴会などの儀式に出演したり、また平生にあっては天子の耳目を楽しませることであった。

宮妓の大部分は直接民間から選抜された芸、容貌ともに秀でた楽戸*、侶優などの女子、それに少数の一般平民出身の女子であった。たとえば、著名な宮廷歌妓の永新は、もともと吉州(江西省吉安県)の楽戸の娘であり、歌が上手だったため選ばれて宮中に入った。辞填壇はもとは色町の妓女であったが、挙が上手だったため宮中に入って仕えることになった。平民女性で選抜されたものは、玄宗時代には特に「搊弾家」(演奏家)と称された(以上は、段安節『楽府雑録』「歌」、『古今図書集成』閏媛典閏艶部、崔令欽『教坊記』による。)。

*楽戸 楽籍という賤民身分の戸籍に属し、宮中の官妓、在野の楽人などが登録されていた。

 

 

彼女たちの中には、また別に朝臣や外国からの使節が献上した女性も、一部分であるが含まれていた。たとえば、敬宗の時代、浙東(浙江省一帯)から朝廷に飛燕、軽風という二人の舞妓が献上されている。また文宗の時代、回紇に降嫁した太和公主が馬にまたがって弓をひく七人の娘を献上したこともあった(『杜陽雜編』巻中、『旧唐書』文宗紀下)。それ以外に、少数ではあるが、元々官女であった女性の中から選ばれ、訓練を受けて宮妓になったものもいた。宮妓たちは、礼楽を司る太常寺に属したり、あるいは歌舞・伎楽・雑技・俳優を統括する教坊の管轄に属した。先人の考証によると、玄宗の時代から太常寺にはもはや女妓はいなくなり、すべて教坊の所属になったという(任半塘『教坊記箋訂』中華書局、一九六二年)。

 

玄宗は音楽、歌舞を特に愛好したので、彼の治世には宮妓の人数は大幅に増大し、教坊は隆盛を極めた。また玄宗は宮中に梨園、宜春院などを設け、特に才能のある芸妓を選りすぐり、宮中に入れて養成した。当時、宜春院に選抜された妓女は、「内人」とか、「前頭人」とよばれた。玄宗は常日頃、勤政楼の前で演芸会を開き、歌舞の楽妓は一度に数百人も出演することがあり、また縄や竹竿を使う、さまざまな女軽業師の演戯もあった。この後は、もうこれほどの盛況はなかったが、しかし教坊は依然として不断に宮妓を選抜して教坊に入れていた。憲宗の時代、教坊は皇帝の勅命だと称して「良家士人の娘及び衣冠(公卿大夫)の家の別邸の妓人を選び」内延に入れると宣言したので(『旧唐書』李緯伝)、人々は大いに恐れおののいた。そこで憲宗は、これは噂であると取り消さざるを得なかった。文宗の時代、教坊は一度に「霓裳羽衣」(開元、天宝時代に盛んに行われた楽曲)の舞いを踊る舞姫三百人を皇帝に献上したことがあった。

○梨園、宜春院 玄宗は長安の禁苑中に在る梨園に子弟三百人を選んで江南の音曲である法楽を学はせ、また宮女数百人を宜春北院に置いて梨園の弟子とした。

 

18 泊 及に同じ。

19 外供奉舞女 宜春・梨園のもの以外のもので御ともをし御用をつとめる舞女。

 

聖文神武皇帝初,公孫一人而已。

この舞を知っているものは、聖文神武皇帝(玄宗)の御代に公孫氏ただひとりしかいなかったのであった。

20 聖文神武皇帝 玄宗の尊号。

 

玉貌錦衣,〔・・・・〕況余白首!

その玉貌錦衣は〔・・・・(当時中年女性であったからもういないし、)〕ましてや自分はすでに白髪あたまになっている。

21 玉貌錦衣 この句と下の 「況余白首」とは文気が相い接さぬ、必ずや脱文があるのであろうということを中海光がつとに指摘しているが、そのとおりである。脱文の処には公孫大娘が逝去したことに言及した一節があるはずである。

 

今茲弟子亦匪盛顏。既辨其由來,知波瀾莫二

いまこの弟子の李仙奴でさえも自身の盛りの色香がうせている。自分はすでに舞の由来をわきまえて、師匠と弟子との舞の手ぶりの変化はひとすじであることを知るのである。

22 今茲弟子 弟子は李十二娘、李仙奴をさす。

23 波瀾莫二 舞の手ぶりの変化の工合が二つ無く、師弟同一なること。

 

 

 

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 【字解】

 

大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。

1 公孫大娘 詩序に見える如く玄宗の開元時代の舞の妙手である。大娘とは中年女子の称。

2 弟子 詩序に見える公孫大娘の弟子である李十二娘。

3 剣器 舞の名。舞に文舞・武舞、或は健舞・軟舞の別があり、剣器は健舞に属する。段安節の「楽府雑録」にいう、健舞曲に稜大・阿連・柘枝・剣器・胡旋・胡膳等あり、軟舞曲に涼州・線腰・蘇合香・屈柘・団円旋・甘州等あり、と。これらの舞はたいてい西域地方より伝来したものである。張爾公の説によれば剣器は女妓を用い男装せしめ空手にて舞うものであるという、仇氏はそれにより剣器を以て刀剣と為すことの誤りであることをいっている。しかしながら余はこの詩篇を案ずるのに剣を持って舞うものであろうと考える。

4 別駕 州の属官。

5 元持 一本には持を特につくる。

6 臨穎 地名、河南省許州に属する。

7 李十二娘 作者の「秋日夔府詠懷奉寄鄭監李賓客一百韻」詩の杜甫自注(都督柏中丞筵。聞梨園弟子李仙奴歌)と記していることより考えれば李仙奴という者である。

8 蔚跂 蔚とは文織のある、艶のあるさま、跂とは雄壮なさま。

9 某所師 其とは李をさす。

10 開元三載 715年開元三載より767年大暦二年までおよそ五十三年であるし、杜甫は、712年先天元年生まれで、この年、56歳である。杜甫、四歳の時に見たことになるが、娯楽のない時期、四歳の時であっても舞をみたことを強烈に記憶していたのである。

11 鄭城 地名、河南省許州に属する、臨頴より南にある。

12 公孫氏舞剣器渾脱 渾脱も舞の名である。「明皇雑録」にいう、上(玄宗)素音律を暁る、安禄山、白玉の寮管数百事を献ず、梨園に陳す、是より音響人間に類せず、諸公主及び我国以下競いて貴妃が弟子となる。授曲の終りごとに皆広く進奉あり。時に公孫大娘、能く隣里曲及び装将軍・満堂勢・西河剣器・渾脱の舞を為す、折妙皆時に冠絶す、と。

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杜甫  觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -

大歷二年十月十九日夔府別駕元持宅見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂。問其所師,曰余公孫大娘弟子也。開元三載,余尚童稚,記於郾城觀公孫氏舞劍器渾

-大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。)幷序

大暦二年の十月十九日に自分は夔州別駕元特の宅で臨頴の李十二娘が剣器を舞うのをみると、それはとても雄壮で、文織のある、艶のあるものである。それで、「先生はだれか」とたずねたら「公孫大娘の弟子だ」とこたえた。自分はその時、715年開元三年で、まだ4歳のこどもであった。その舞は、郾城で公孫大娘が剣器・渾脱を舞うのを観劇したことをよく記憶している。

杜少陵集20-99-序⑴

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杜甫詩1500-1141-1591/2500

このころの音楽と歌舞

歌舞と女楽、これらは唐代には上は天子、公卿から、下は庶民、士人に至るまでの、すべての人々にとって欠くことのできない芸術的楽しみであった。それゆえこれらは宮廷から、あらゆる社会の階層に至るまで盛んに行われた。宮廷の中にあった教坊、宜春院、梨園、それに長安・洛陽両京にあった外教坊などには、歌舞と音栗に携わる芸妓が多数集中していた。朝廷は天下の名人を広く捜し出したので、唐代の女性芸術家の最も優れた人々をそこに集めることができたのである。彼女たちは恵まれた条件を与えられ、専門的な教育を受けた。また宮廷では常時大規模な催しが開かれたので、彼女たちは芸術的才能を充分に発揮することができ、高度な芸術的才能をもった人々が輩出することになった。その他、貴族や富豪が、自宅に家妓を抱えておく風習も盛んであった。彼らは専門家を招いて家妓を教育し、賓客の歓送迎会、家の慶事や誕生日などの御祝には、必ず家妓に芸を披露させて興趣を添えた。各地の官妓たちの歌舞や音楽の才能も人々から重視され、官庁の歓送迎会、宴会、遊覧の際には、彼女たちの出演は不可欠な漬物となっていた。妓優、姫妾たちが音楽、歌舞を得意としただけでなく、家庭の女性も音楽を習い楽器に通じることを家庭の娯楽、高雅な修養とみなしていた。こうした風潮によって、優秀な芸術家が数多く育成されたのである。

彼女たちの中には一声喉をころがせば長安の大通りに鳴り響いたといわれる歌手、曲を作り楽器を見事に奏でる音楽家、舞姿が美しく絶妙な芸を身につけた舞踊家、その他様々な方面に才能を発揮した芸術家がいた。

 

古来から儀礼として重視されていた音楽と舞踊であったが、外来音楽と楽器の流入により、相当な発展をとげた。唐代には娯楽性も向上し、楽器の種類も大幅に増加した。合奏も行われ、宮廷では大規模な楽団による演奏が度々行われた。

初唐では九寺の一つである太常寺が舞楽を司る中心となり、宮廷舞楽のうちの雅楽を取り扱った。714年に「梨園」が設置され、300人の楽工が梨園弟子になり、後に宮女も加えられた。教坊は内教坊か初唐から置かれていた。この上、玄宗期に雅楽と区分された俗楽や胡楽、散楽を扱うことを目的とした左右教坊が増設された。胡楽は西域を中心とした外来音楽で、唐代の宮廷舞楽の中心であった十部楽のうちの大半を占めた。

 

宮廷音楽で歌われる歌の歌詞は唐詩が採用された。民間にも唐詩を歌詞にし、音楽にあわせて歌うものが現れ、晩唐には音楽にあわせるために書かれた詞を作られた。また、「闘歌」という歌の上手を競わせる遊びも存在していた。

舞踊は宮廷や貴族の酒宴ばかりでなく、民間の酒場や行事でも頻繁に行われた。外国から様々な舞踊が伝えられ、その種類も大きく増加した。様々な階層のものが舞踊を好み、楊貴妃や安禄山は胡旋舞の名手であったと伝えられる。

舞踊は、ゆったりした動きの踊りを「軟舞」、テンポが速い激しい踊りを「健舞」と分けられた。「胡旋舞」や「胡騰舞」は健舞に含まれた。伝統舞踊に外国からの舞踏が加わっていき発展していった。

唐代の宮廷では、楽団の演奏にあわせて大勢が舞踊を行うことで多かった。また、「字舞」と呼ばれる音楽とともに踊り、身体を翻す瞬間に衣の色を換え、その後に地に伏して全員で字の形を描くという集団舞踏も存在し、多い時は百人単位で行われた。

唐代の皇帝の中でも、玄宗が特に音楽がすぐれており、外国の音楽を取り入れた「霓裳羽衣の曲」を作曲したとされる。この曲とともに、楊貴妃が得意とした「霓裳羽衣の舞」が行われ、宮人が数百人で舞うこともあった。

安史の乱以後は、戦乱や、梨園の廃止、教坊の縮小とともに、楽工や妓女は地方に流れ、音楽や舞踊の普及は進んでいくことになった

 

 

 

 

年:767年大暦256-23 #1

卷別:    卷二二二              文體:    樂府

詩題:    觀公孫大娘弟子舞劍器行

詩序:    并序:大曆二年十月十九日,夔府別駕元持宅【夔府別駕元特宅】,見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂,問其所師【問其所師答】,曰:「余公孫大娘弟子也。開元三載【開元五載】,余尚童稚。記於郾城觀公孫氏舞劍器渾,瀏灕頓挫,獨出冠時,自高頭宜春梨園二伎坊人洎外供奉【自高頭宜春梨園二教坊人洎外供奉】,曉是舞者。聖文神武皇帝初,公孫一人而已,玉貌錦衣【玉貌繡衣】,況余白首,今茲弟子,亦匪盛顏。」既辨其由來,知波瀾莫二,撫事慷慨。聊為〈劍器行〉。往者人張旭,善草書帖,數常於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器【數常於葉縣見公孫大娘

寫作地點:           目前尚無資料

寫及地點:          

臨潁 (河南道 許州 臨潁)    

金粟山 (京畿道 京兆府 金粟山)       

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘      

交遊人物/地點:  

李十二娘              詩文提及

詩文:

 

 

觀公孫大娘弟子舞劍器行 

(并序)

大曆二年十月十九日,夔府別駕元持宅,見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂,問其所師【問其所師答】,曰:「余公孫大娘弟子也。開元三載,余尚童稚。記於郾城觀公孫氏舞劍器渾,瀏灕頓挫,獨出冠時,自高頭宜春梨園二伎坊人洎外供奉【自高頭宜春梨園二教坊人洎外供奉】,曉是舞者。聖文神武皇帝初,公孫一人而已,玉貌錦衣,況余白首,今茲弟子,亦匪盛顏。」既辨其由來,知波瀾莫二,撫事慷慨。聊為〈劍器行〉。往者人張旭,善草書帖,數常於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器【數常於葉縣見公孫大娘舞西河劍器,自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!

(本文)

 

詩文(含異文)

昔有佳人公孫氏,一舞劍氣動四方。觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。火霍【案:音酷。】如羿射九日落,矯如群帝驂龍翔。來如雷霆收震怒【末如雷霆收震怒】,罷如江海凝清光。絳脣朱袖兩寂寞,況有弟子傳芬芳【有弟子傳芬芳】【晚有弟子傳芬芳】。臨潁美人在白帝,妙舞此曲神揚揚。與余問答既有以,感時撫事增惋傷。先帝侍女八千人,公孫劍器初第一。五十年間似反掌,風塵傾動昏王室【風塵澒洞昏王室】。梨園子弟散如煙,女樂餘姿映寒日。金粟堆南木已拱,瞿唐石城草蕭瑟【瞿唐石城暮蕭瑟】。玳筵急管曲復終,樂極哀來月東出。老夫不知其所往,足繭荒山轉愁疾【足繭荒山轉愁寂】。

 

 

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -

-大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。)幷序

大歷二年十月十九日夔府別駕元持宅

大暦二年の十月十九日に自分は夔州別駕元特の宅で

見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂。

臨頴の李十二娘が剣器を舞うのをみると、それはとても雄壮で、文織のある、艶のあるものである。

問其所師,曰余公孫大娘弟子也。

それで、「先生はだれか」とたずねたら「公孫大娘の弟子だ」とこたえた。

開元三載,余尚童稚。

自分はその時、715年開元三年で、まだ4歳のこどもであった。

記於郾城觀公孫氏舞劍器渾

その舞は、郾城で公孫大娘が剣器・渾脱を舞うのを観劇したことをよく記憶している。

 

-   

瀏灕頓挫,獨出冠時。自高頭宜春梨園二伎坊人,洎外供奉,曉是舞者,聖文神武皇帝初,公孫一人而已。玉貌錦衣,況余白首!今茲弟子亦匪盛顏。既辨其由來,知波瀾莫二。

-   

撫事慷慨,聊為劍器行。昔者人張旭善草書書帖,數嘗於鄴縣見公孫大娘舞西河劍器,自此草書長進,豪蕩感激。即公孫可知矣!

 

(公孫大娘が弟子の劍器を舞う觀る行【うた】)并びに序 -

大暦二年、十月十九日、夔州の別駕元持が宅にて、臨頴の李十二娘が剣器を舞うを見て、其の蔚跂たるを壮として其の師とする所を問う。

曰く、余は公孫大娘が弟子なりと。

開元三載。余 尚お童稚なり。

記す郾城に於て公孫氏が剣器・渾脱を舞うを観しことを。

-

瀏灕頓挫、独出時に冠たり。高頭の宜春・梨園二伎坊の内人より、外供奉の舞女に洎ぶまで、是の舞を暁るもの。聖文神武皇帝の初め。公孫一人のみ。玉貌錦衣。〔‥…〕況や余白首。今 茲の弟子。亦た盛顔に匪ず、既に其の由来を弁じ、波瀾二莫きを知る。

-

事を撫して慷慨し、聊か剣器行を為る。昔者呉人張旭、草書を善くし、帖に書すること数しばなり。嘗て鄴縣に於て、公孫大娘が西河の剣器を舞うを見る、此れより草書長進し、豪蕩感激すと。即ち公孫は知る可し。

 

汜水関などの地図 

『觀公孫大娘弟子舞劍器行并序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -

大歷二年十月十九日夔府別駕元持宅見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂。

問其所師,曰余公孫大娘弟子也。

開元三載,余尚童稚。

記於郾城觀公孫氏舞劍器渾

(下し文)
(公孫大娘が弟子の劍器を舞う觀る行【うた】)并びに序 -

大暦二年、十月十九日、夔州の別駕元持が宅にて、臨頴の李十二娘が剣器を舞うを見て、其の蔚跂たるを壮として其の師とする所を問う。

曰く、余は公孫大娘が弟子なりと。

開元三載。余 尚お童稚なり。

記す郾城に於て公孫氏が剣器・渾脱を舞うを観しことを。

(現代語訳)
觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。)幷序

大暦二年の十月十九日に自分は夔州別駕元特の宅で臨頴の李十二娘が剣器を舞うのをみると、それはとても雄壮で、文織のある、艶のあるものである。

それで、「先生はだれか」とたずねたら「公孫大娘の弟子だ」とこたえた。

自分はその時、715年開元三年で、まだ4歳のこどもであった。

その舞は、郾城で公孫大娘が剣器・渾脱を舞うのを観劇したことをよく記憶している。


(訳注)

觀公孫大娘弟子舞劍器行并序 -

大娘の弟子李仙奴というものが剣器の舞うのを観てつくったうた。

1 公孫大娘 詩序に見える如く玄宗の開元時代の舞の妙手である。大娘とは中年女子の称。

2 弟子 詩序に見える公孫大娘の弟子である李十二娘。

3 剣器 舞の名。舞に文舞・武舞、或は健舞・軟舞の別があり、剣器は健舞に属する。段安節の「楽府雑録」にいう、健舞曲に稜大・阿連・柘枝・剣器・胡旋・胡膳等あり、軟舞曲に涼州・線腰・蘇合香・屈柘・団円旋・甘州等あり、と。これらの舞はたいてい西域地方より伝来したものである。張爾公の説によれば剣器は女妓を用い男装せしめ空手にて舞うものであるという、仇氏はそれにより剣器を以て刀剣と為すことの誤りであることをいっている。しかしながら余はこの詩篇を案ずるのに剣を持って舞うものであろうと考える。

 

大歷二年十月十九日夔府別駕元持宅見臨潁李十二娘舞劍器,壯其蔚跂。

大暦二年の十月十九日に自分は夔州別駕元特の宅で臨頴の李十二娘が剣器を舞うのをみると、それはとても雄壮で、文織のある、艶のあるものである。

4 別駕 州の属官。

5 元持 一本には持を特につくる。

6 臨穎 地名、河南省許州に属する。

7 李十二娘 作者の「秋日夔府詠懷奉寄鄭監李賓客一百韻」詩の杜甫自注(都督柏中丞筵。聞梨園弟子李仙奴歌)と記していることより考えれば李仙奴という者である。

8 蔚跂 蔚とは文織のある、艶のあるさま、跂とは雄壮なさま。

 

問其所師,曰余公孫大娘弟子也。

それで、「先生はだれか」とたずねたら「公孫大娘の弟子だ」とこたえた。

9 某所師 其とは李をさす。

 

開元三載,余尚童稚。

自分はその時、715年開元三年で、まだ4歳のこどもであった。

10 開元三載 715年開元三載より767年大暦二年までおよそ五十三年であるし、杜甫は、712年先天元年生まれで、この年、56歳である。杜甫、四歳の時に見たことになるが、娯楽のない時期、四歳の時であっても舞をみたことを強烈に記憶していたのである。

 

記於郾城觀公孫氏舞劍器渾

その舞は、郾城で公孫大娘が剣器・渾脱を舞うのを観劇したことをよく記憶している。

11 鄭城 地名、河南省許州に属する、臨頴より南にある。

12 公孫氏舞剣器渾脱 渾脱も舞の名である。「明皇雑録」にいう、上(玄宗)素音律を暁る、安禄山、白玉の寮管数百事を献ず、梨園に陳す、是より音響人間に類せず、諸公主及び我国以下競いて貴妃が弟子となる。授曲の終りごとに皆広く進奉あり。時に公孫大娘、能く隣里曲及び装将軍・満堂勢・西河剣器・渾脱の舞を為す、折妙皆時に冠絶す、と。

河南郾城05 

767年-22-#5杜少陵集 《21-05 可歎 #5》 杜甫詩index-15-1142 <1592> 767年大暦2年56歲-22-#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7357

杜甫  可歎 #5

用為羲和天為成,用平水土地為厚。王也論道阻江湖,李也丞疑曠前後。

死為星辰終不滅,致君堯舜焉肯朽。吾輩碌碌飽飯行,風后力牧長回首。
天も、伝説の義和の四人の者を用いたから天を完成させることができたし、舜より、禅譲を受けた禹は水土をおさめ、人徳の厚い施政を行うことで安寧の世を造ったのである。

王生よ! 君は道を論ずること、三公の如き人物であるけれども、現在、江湖を隔ておるではないか。李生よ! 君は丞・疑としで天子輔佐の役としたら前後に其の人を見ぬほどのものである。

彼らは君を堯舜の地位にのぼらせる人物だから其の名は決して朽ちることはない、それどころか、死んだら星辰にまでもなってあくまでほろびることのない人たちである.

これにくらべると吾が輩は碌碌たる者で、ただ、たらふく飯をたべて、ぶらぶらあるいているにすぎないもので、それで風后・カ牧の様な彼等に期待をかけて、いつもその方へ、ふりむいてながめている次第である。

杜少陵集21-05-#

可 歎  #

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7357 

杜甫詩index-15

767年大暦256  22-#

1142 <1592

 

 
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  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 14鹿虔扆《巻九17女冠子二首其二》『花間集』419全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7359  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
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  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
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杜甫詩1500-1142 <1592/2500

年:767年大暦256-22-#5

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    可歎

作地點:              目前尚無資料

及地點:              豐城 (江南西道 洪州 豐城)              

洪州 (江南西道 洪州 洪州) 別名:豫章         

交遊人物/地點:王季友      詩文提及(江南西道 洪州 豐城)

李勉       詩文提及(京畿道 京兆府 長安)

詩文:

 

可歎 #1

(なげかわしきことについてのべた詩。)

天上浮雲如白衣,斯須改變如蒼狗。

天上に浮んでいる雲をみるに白いきもののようであるが、しばらくするとかわって胡麻塩の狗の様になる。

古往今來共一時,人生萬事無不有。

むかしも今もかわりがある様で、かわりがないことは同時の如きものであって、人間社会にはどんなことでも無い事はないほどのものである。

近者抉眼去其夫,河東女兒身姓柳。

ちかごろ河東の女子で姓を柳氏というものが“眼をくじる”様に夫を棄てたといふ事件がある。

#2

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。

このことについて世間の男子は真顔になってややもすれば經典の文句まで引っぱりだして女の夫で鄭城の客となっている王季友をかれこれと非難する。(王季友はそんなことで非難するにはあたらぬ人物なのだ)

群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

王季友は万巻の羣書をつねに暗誦し、一本の孝経を、いつも、いつも、手にして見ている。

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。

彼は貧窮で老い、かつ痩せて家では下駄を売り、揚雄のように、好事の熱心家が酒をもっていって教えを請うている、というような人物である。

#3

豫章太守高帝孫,引為賓客敬頗久。

それで我が唐の高祖の曾孫にあたる豫章の太守李勉が、王季友を引いて賓客とし、随分久しく之を尊敬しておられる。

聞道三年未曾語,小心恐懼閉其口。

きくところによると、王季友は三年のあいだ何等妻のことについては話さず、おとなしく謹慎して口をとじているということであった。

太守得之更不疑,人生反覆看亦醜。

太守は王季友を得ては彼を信用しきってすこしも疑わないというもので、それはもっともなことであり、きょうは信じ、あすは疑うという様な世の人生反覆の状態は醜いものであり、太守はそんなことがない人である。

#4

明月無瑕豈容易,紫氣鬱鬱猶衝斗。

明月の珠にも傷が無いというのはめったにあるものではないし、まして王季友の場合では鄭城の古剣の如く紫気がさかんに斗牛をも衝かんとするという故事があったではないか、それを思い出すべきである。

時危可仗真豪俊,二人得置君側否。

明月の珠にも傷が無いというのはめったにあるものではないし、まして王季友の場合では鄭城の古剣の如く紫気がさかんに斗牛をも衝かんとするという故事があったではないか、それを思い出すべきである。

太守頃者領山南,邦人思之比父母。

李太守はこのごろまで山南道を支配しておられたのであるが、いまでもその地方の人民はこのお方を父母の様に慕っているという。

王生早曾拜顏色,高山之外皆培塿。

自分は王生には早くからお目にかかっているが、彼はたとえば崇高な高山の様なもので、之にくらべると世にいる他のものどもはみな小山ぐらいのものにすぎぬ。

#5

用為羲和天為成,用平水土地為厚。

王也論道阻江湖,李也丞疑曠前後。

死為星辰終不滅,致君堯舜焉肯朽。

吾輩碌碌飽飯行,風后力牧長回首。

天も、伝説の義和の四人の者を用いたから天を完成させることができたし、舜より、禅譲を受けた禹は水土をおさめ、人徳の厚い施政を行うことで安寧の世を造ったのである。

王生よ! 君は道を論ずること、三公の如き人物であるけれども、現在、江湖を隔ておるではないか。李生よ! 君は丞・疑としで天子輔佐の役としたら前後に其の人を見ぬほどのものである。

彼らは君を堯舜の地位にのぼらせる人物だから其の名は決して朽ちることはない、それどころか、死んだら星辰にまでもなってあくまでほろびることのない人たちである.

これにくらべると吾が輩は碌碌たる者で、ただ、たらふく飯をたべて、ぶらぶらあるいているにすぎないもので、それで風后・カ牧の様な彼等に期待をかけて、いつもその方へ、ふりむいてながめている次第である。

 

(歎ず可し)

天上の浮雲は白衣に似たり、斯須改變して蒼狗の如し。

古往 今來 共に一時,人生 萬事 有らざる無し。

近者眼を抉りて其の夫を去る,河東の女兒 身姓は柳。

#2

丈夫 正色 動【ようや】く經を引く,酆城の客子 王季友。

群書 萬卷 常に暗誦し,孝經 一通 看るに手に在る。

貧窮 老瘦 家 屐を賣り,好事 之に就きて為に酒を攜う。

#3

豫章の太守 高帝の孫,引きて 賓客と為し敬すること頗る久し。

聞道く 三年 未だ曾て語らず,小心 恐懼 其の口を閉ず と。

太守 之を得て更に疑わず,人生 反覆 看るに亦た醜なり。

#4

明月 瑕無き 豈に容易ならんや,紫氣 鬱鬱として 猶お斗を衝く。

時危くして仗る可きは真に豪俊なり,二人 君側に置くことを得んや否や。

太守 頃者 山南を領し,邦人 之を思いて 父母に比す。

王生には早く曾て顏色を拜し,高山の外は 皆 培塿なり。

#5

用いて羲和を為さば 天の為に成らん,用いて水土を平げば 地の為に厚からん。

王や 論道 江湖を阻つ,李や 丞疑 前後を曠【むな】しくす。

死して星辰と為り 終に滅せず,君を堯舜に致す 焉んぞ肯えて朽ちん。

吾が輩碌は 碌 飯に飽きて行き,風后 力牧 長に 首を回らす。

 

李白の足跡003 

『可歎』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#5

用為羲和天為成,用平水土地為厚。

王也論道阻江湖,李也丞疑曠前後。

死為星辰終不滅,致君堯舜焉肯朽。

吾輩碌碌飽飯行,風后力牧長回首。
(異文)

用為羲和天為成,用平水土地為厚。王也論道阻江湖,李也疑丞曠前後【李也丞凝曠前後】。死為星辰終不滅,致君堯舜焉肯朽。吾輩碌碌飽飯行,風后力牧長回首。


(下し文)
#5

用いて羲和を為さば 天の為に成らん,用いて水土を平げば 地の為に厚からん。

王や 論道 江湖を阻つ,李や 丞疑 前後を曠【むな】しくす。

死して星辰と為り 終に滅せず,君を堯舜に致す 焉んぞ肯えて朽ちん。

吾が輩碌は 碌 飯に飽きて行き,風后 力牧 長に 首を回らす。

(現代語訳)
#5

天も、伝説の義和の四人の者を用いたから天を完成させることができたし、舜より、禅譲を受けた禹は水土をおさめ、人徳の厚い施政を行うことで安寧の世を造ったのである。

王生よ! 君は道を論ずること、三公の如き人物であるけれども、現在、江湖を隔ておるではないか。李生よ! 君は丞・疑としで天子輔佐の役としたら前後に其の人を見ぬほどのものである。

彼らは君を堯舜の地位にのぼらせる人物だから其の名は決して朽ちることはない、それどころか、死んだら星辰にまでもなってあくまでほろびることのない人たちである.

これにくらべると吾が輩は碌碌たる者で、ただ、たらふく飯をたべて、ぶらぶらあるいているにすぎないもので、それで風后・カ牧の様な彼等に期待をかけて、いつもその方へ、ふりむいてながめている次第である。


(訳注) #5

可歎 #5

(なげかわしきことについてのべた詩。)

【題義】王季友を弁護し且つ季友と李勉との二人の偉器なることに関してのべる。767年大暦2年4月以前の一作であり、杜甫、56、この年、22作目。

1 可歎 王季友が妻に家出されたことを世人が非難して、其の人物の大きさを見ないことをなげかわしいとするなり。

 

用為羲和天為成,用平水土地為厚。

天も、伝説の義和の四人の者を用いたから天を完成させることができたし、舜より、禅譲を受けた禹は水土をおさめ、人徳の厚い施政を行うことで安寧の世を造ったのである。

39 用為羲和天為成 伝説の天に仕えた義和の四人の者を用いたから天も完成した。・義和:古代の伝説上の人物で太陽の御者とか太陽を生んだ母といわれる。のちに東南西北のそれぞれの地の天文に関する任務を担当する羲仲 (ぎちゅう) ,羲叔 (ぎしゅく) ,和仲,和叔の4人兄弟の総称であるという説も生れた。神話の女神。帝俊の妻で10個の太陽を産み,毎日産湯をつかわせているという。のち太陽の御者とされ,馬または竜の引く車に太陽を載せて天空をかけるとも。なお,《書経》では非神話化され,羲仲・羲叔・和仲・和叔の4人の総称で,天文をつかさどる官吏。・天為成地平天成世の中が平穏で、天地が治まること。▽「地平」は地の変動がなく、世の中が平穏に治まること。「天成」は天の運行が順調で、万物が栄えることをいう。《尚書、大禹謨》: 帝曰:「!地平天成,六府三事允治,萬世永賴,時乃功。」

40 用平水土地為厚 舜より、禅譲を受けた禹は水土をおさめ、人徳の厚い施政を行うことで安寧の世を造った。・平水土:治水に功があり,舜より禅譲を受けて夏の国を治めたといわれる。《尚書·虞書·舜典》. 帝曰:「!咨禹,汝平水土,惟時懋哉!

 

王也論道阻江湖,李也丞疑曠前後。

王生よ! 君は道を論ずること、三公の如き人物であるけれども、現在、江湖を隔ておるではないか。李生よ! 君は丞・疑としで天子輔佐の役としたら前後に其の人を見ぬほどのものである。

41 王也論道 王は王季友であり、論道は、治國の大道を論ずることを言う。《尚書・周官篇》「三公論道經邦,燮理陰陽。」(三公は道を論じ邦を經し,燮は陰陽を理す三公は官職の細務を議せず治國の大道を論ずものであり、宰相は森羅万象、宇宙のありとあらゆる事物をさまざまな観点から国を治めること。

42 阻江湖 長江、洞庭湖を間におくように朝廷から隔離されている状況を言う。

43 李也 李勉のこと。

44 丞疑 古代王者の顧問に備わる官職名。《尚書大傳》「古者天子必有四鄰,前曰疑,後曰丞,左曰輔,右曰弼。」

45 曠前後 前にも後にもその人を見ることはない。

 

死為星辰終不滅,致君堯舜焉肯朽。

彼らは君を堯舜の地位にのぼらせる人物だから其の名は決して朽ちることはない、それどころか、死んだら星辰にまでもなってあくまでほろびることのない人たちである.

46 死為星辰 人が死後、昇天して星になったということを言う。《莊子大宗師》「傅得之,以相武丁,奄有天下,乘東維,騎箕尾,而比於列星。

47 致君堯舜 君を堯舜のような地位にいたす。《孟子、中語》「致君堯舜上,再使風俗淳。」

48 焉肯朽 其の名は決して朽ちることはない。

 

吾輩碌碌飽飯行,風后力牧長回首。

これにくらべると吾が輩は碌碌たる者で、ただ、たらふく飯をたべて、ぶらぶらあるいているにすぎないもので、それで風后・カ牧の様な彼等に期待をかけて、いつもその方へ、ふりむいてながめている次第である。

49 碌碌 ごろごろとつまらなきさま。

50 飽飯行 ごはんをたらふくたべて、ぶらぶらしてあるいたりする。謙譲用語。

51 風后力牧 黃帝の時の相・将の名、「帝王世紀」にみえる。以て王季友と李勉に比す。

52 長回首 いつもそれにむかってふりむきながめる。理想をそこにおくなり。

 九曲黄河第一湾

 


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杜甫  可歎 #4

明月無瑕豈容易,紫氣鬱鬱猶衝斗。時危可仗真豪俊,二人得置君側否。

太守頃者領山南,邦人思之比父母。王生早曾拜顏色,高山之外皆培

杜少陵集21-05-#4

可 歎  #4

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7352 

杜甫詩index-15

767年大暦256  22-#4

1141 <1591

 

 

杜甫詩1500-1141 <1591/2500

年:767年大暦256-22-#

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    可歎

作地點:              目前尚無資料

及地點:              豐城 (江南西道 洪州 豐城)              

洪州 (江南西道 洪州 洪州) 別名:豫章         

交遊人物/地點:王季友      詩文提及(江南西道 洪州 豐城)

李勉       詩文提及(京畿道 京兆府 長安)

詩文:

 

可歎 #1

(なげかわしきことについてのべた詩。)

天上浮雲如白衣,斯須改變如蒼狗。

天上に浮んでいる雲をみるに白いきもののようであるが、しばらくするとかわって胡麻塩の狗の様になる。

古往今來共一時,人生萬事無不有。

むかしも今もかわりがある様で、かわりがないことは同時の如きものであって、人間社会にはどんなことでも無い事はないほどのものである。

近者抉眼去其夫,河東女兒身姓柳。

ちかごろ河東の女子で姓を柳氏というものが“眼をくじる”様に夫を棄てたといふ事件がある。

#2

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。

このことについて世間の男子は真顔になってややもすれば經典の文句まで引っぱりだして女の夫で鄭城の客となっている王季友をかれこれと非難する。(王季友はそんなことで非難するにはあたらぬ人物なのだ)

群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

王季友は万巻の羣書をつねに暗誦し、一本の孝経を、いつも、いつも、手にして見ている。

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。

彼は貧窮で老い、かつ痩せて家では下駄を売り、揚雄のように、好事の熱心家が酒をもっていって教えを請うている、というような人物である。

#3

豫章太守高帝孫,引為賓客敬頗久。

それで我が唐の高祖の曾孫にあたる豫章の太守李勉が、王季友を引いて賓客とし、随分久しく之を尊敬しておられる。

聞道三年未曾語,小心恐懼閉其口。

きくところによると、王季友は三年のあいだ何等妻のことについては話さず、おとなしく謹慎して口をとじているということであった。

太守得之更不疑,人生反覆看亦醜。

太守は王季友を得ては彼を信用しきってすこしも疑わないというもので、それはもっともなことであり、きょうは信じ、あすは疑うという様な世の人生反覆の状態は醜いものであり、太守はそんなことがない人である。

#4

明月無瑕豈容易,紫氣鬱鬱猶衝斗。

明月の珠にも傷が無いというのはめったにあるものではないし、まして王季友の場合では鄭城の古剣の如く紫気がさかんに斗牛をも衝かんとするという故事があったではないか、それを思い出すべきである。

時危可仗真豪俊,二人得置君側否。

明月の珠にも傷が無いというのはめったにあるものではないし、まして王季友の場合では鄭城の古剣の如く紫気がさかんに斗牛をも衝かんとするという故事があったではないか、それを思い出すべきである。

太守頃者領山南,邦人思之比父母。

李太守はこのごろまで山南道を支配しておられたのであるが、いまでもその地方の人民はこのお方を父母の様に慕っているという。

王生早曾拜顏色,高山之外皆培塿。

自分は王生には早くからお目にかかっているが、彼はたとえば崇高な高山の様なもので、之にくらべると世にいる他のものどもはみな小山ぐらいのものにすぎぬ。

#5

用為羲和天為成,用平水土地為厚。

王也論道阻江湖,李也丞疑曠前後。

死為星辰終不滅,致君堯舜焉肯朽。

吾輩碌碌飽飯行,風后力牧長回首。

(歎ず可し)

天上の浮雲は白衣に似たり、斯須改變して蒼狗の如し。

古往 今來 共に一時,人生 萬事 有らざる無し。

近者眼を抉りて其の夫を去る,河東の女兒 身姓は柳。

#2

丈夫 正色 動【ようや】く經を引く,酆城の客子 王季友。

群書 萬卷 常に暗誦し,孝經 一通 看るに手に在る。

貧窮 老瘦 家 屐を賣り,好事 之に就きて為に酒を攜う。

#3

豫章の太守 高帝の孫,引きて 賓客と為し敬すること頗る久し。

聞道く 三年 未だ曾て語らず,小心 恐懼 其の口を閉ず と。

太守 之を得て更に疑わず,人生 反覆 看るに亦た醜なり。

#4

明月 瑕無き 豈に容易ならんや,紫氣 鬱鬱として 猶お斗を衝く。

時危くして仗る可きは真に豪俊なり,二人 君側に置くことを得んや否や。

太守 頃者 山南を領し,邦人 之を思いて 父母に比す。

王生には早く曾て顏色を拜し,高山の外は 皆 培塿なり。

安史の乱当時の勢力図 

 

『可歎』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

明月無瑕豈容易,紫氣鬱鬱猶衝斗。

時危可仗真豪俊,二人得置君側否。

太守頃者領山南,邦人思之比父母。

王生早曾拜顏色,高山之外皆培

(下し文)
#4

明月 瑕無き 豈に容易ならんや,紫氣 鬱鬱として 猶お斗を衝く。

時危くして仗る可きは真に豪俊なり,二人 君側に置くことを得んや否や。

太守 頃者 山南を領し,邦人 之を思いて 父母に比す。

王生には早く曾て顏色を拜し,高山の外は 皆 培塿なり
 

(現代語訳)
#4

明月の珠にも傷が無いというのはめったにあるものではないし、まして王季友の場合では鄭城の古剣の如く紫気がさかんに斗牛をも衝かんとするという故事があったではないか、それを思い出すべきである。

今日のように不安の時世でたよりにすべきものは真に豪俊の人物だ。王と李の二人の如きは、これを天子のおそばに置くことができるかどうか。

李太守はこのごろまで山南道を支配しておられたのであるが、いまでもその地方の人民はこのお方を父母の様に慕っているという。

自分は王生には早くからお目にかかっているが、彼はたとえば崇高な高山の様なもので、之にくらべると世にいる他のものどもはみな小山ぐらいのものにすぎぬ。


(訳注) #4

可歎 #4

(なげかわしきことについてのべた詩。)

【題義】王季友を弁護し且つ季友と李勉との二人の偉器なることに関してのべる。767年大暦2年4月以前の一作であり、杜甫、56、この年、22作目。

1 可歎 王季友が妻に家出されたことを世人が非難して、其の人物の大きさを見ないことをなげかわしいとするなり。

 

明月無瑕豈容易,紫氣鬱鬱猶衝斗。【明月無瑕:即指季友為妻所棄事。】

明月の珠にも傷が無いというのはめったにあるものではないし、まして王季友の場合では鄭城の古剣の如く紫気がさかんに斗牛をも衝かんとするという故事があったではないか、それを思い出すべきである。

28 明月無瑕 明月は真珠であり、瑕はこれについた傷。即ち王季友が妻事を棄つる所を為すを指す。

29 紫気一句 酆城雷煥が剣の故事、雷煥は、それは宝剣の神光が天に当たっているのだと答えた。果たしてその通り、該当地の地中深くから石の箱が現れ、龍泉、太阿の宝剣が見つかった)という故事による。

《巻八24所思》

鄭老身仍竄、台州信始傳。

爲農山澗曲、臥病海雲邊。

世己疎儒素、人猶乞酒錢。

徒勞望牛斗、無計屬龍泉。

〔原注〕(台州司戸塵の消息を得たり。)

鄭老身仍お竄ざんせらる 台州 信始めて伝う

農と為る山澗かんの曲くま 病に臥す海雲の辺

世己に儒素を疎んず 人猶お酒銭を乞う

徒に牛斗を望むに労す 竜泉を屬しょくするに計無し

鄭虔先生は、その身は今なお左遷されたままであり、その台州からの便りがこのたび始めて自分のところへ伝えられてきた。

それによると、先生は山間の分水嶺(峠)で農耕作をされているが、雲海のうかぶあたりに病に臥しているとのことである。

世間の人々は先生のような質素でじみな行いの儒者を敬遠するものであるが、いまだに先生に酒銭をあたえてくれる人はあるのである。

わたしは、いたずらに北から南の空の牽牛星あたりをながめているばかりで、故事にある、雷煥が「龍泉」剣を地下からほりだしたように先生を救ってあげる手立てはもっていないので、なげかわしいことだとおもっている。

秦州抒情詩(26) 所思 杜甫 <311> 漢文委員会 紀頌之の漢詩ブログ1400 杜甫詩 700- 431

むかし欧冶子がつくった三本の鉄剣の一つの名、もと竜淵という、唐は淵の字を諱名とするため泉の字にかえた、竜泉は単に剣の代わりとして用いる。牛斗・竜泉の二句は雷煥(孔章)が牛斗を射る剣気を見て豊城の獄で剣をはほりだした故事を用いている。
《巻八09 蕃剣》詩
致此自僻遠,又非珠玉裝。如何有奇怪,每夜吐光芒。
虎氣必騰上,龍身寧久藏。風塵苦未息,持汝奉明王。
此を致すは僻遠【へきえん】よりす、又た珠玉【しゅぎょく】の装に非ず。
如何【いかん】ぞ奇怪【きかい】有りて、毎夜光芒【こうぼう】を吐く。
虎気【こき】必ず騰上【とうじょう】せん、竜身【りょうしん】寧ぞ久しく蔵せんや。
風塵未だ息【や】まざるに苦しむ、汝を持して明王に奉ぜん。
この剱を手に入れたのは、遠い異国からである、また真珠や玉のかざりなどが施してあるものではない。

けれどもどうしてなのかふしぎなことがあるのだ、毎晩剣の切っ先からキラッとした光を吐きだすのである。
必ずや剣気である虎気はうえの方へとたちのぼりあらわれるものだ。剣身で竜に化身する竜身はどうしていつまでもかくされたままでいることができるというのか。
わたしは安禄山の叛乱以来の兵乱の風塵のいまだ収まらないことに苦々しく思っている。この剣である汝を明王にささげ、乱れきった風塵をしずめていただきたいとおもうのである。

○奇怪 あやしいこと。○光芒 剣の切っ先からキラッとした光。芒は剣の切っ先。
○虎気 剣気をいう、「呉越春秋」に呉王闔閭が死んだ時、愛用の剣を棺に入れて葬った時、三日目に白虎がそのうえにうずくまっていたのにより、その地を虎邱というとの話。剣を愛した父・闔閭のために息子の夫差(フサ)は3000本の剣を埋めたと言われる「剣池」は、秦の始皇帝や孫権がその剣を探し求めて掘られたと伝えられている。○竜身 「予章記」に張公両竜剣 竜泉、太阿という二つの宝剣が、豫章と豐城とで出土し、晋の張華と雷煥の二人が、おのおのその一刀を待った。雷煥の子が瀬を渡ろうとした時、腰の剣が踊りだし、水に入り竜に化したという。
秦州抒情詩(23) 蕃剣 杜甫 <308> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1391 杜甫詩 700- 428

 

時危可仗真豪俊,二人得置君側否。

今日のように不安の時世でたよりにすべきものは真に豪俊の人物だ。王と李の二人の如きは、これを天子のおそばに置くことができるかどうか。

30 可仗 頼るべきであることを言う。

31 豪俊 豪と俊の人物像を言う。

32 二人 李勉と王と。

33 得置君側否 李勉は大暦二年四月に入朝して京兆尹に拝したり。比の詩句によれば未だ京兆尹に拝せられざりし以前の作なるを推知すべし。

 

太守頃者領山南,邦人思之比父母。

李太守はこのごろまで山南道を支配しておられたのであるが、いまでもその地方の人民はこのお方を父母の様に慕っているという。

34 頃者嶺山南 李勉は粛宗の寶應の初、梁州刺史・山南西道観察使となれり。

35 邦人 山南即ち蜀地の人民。

 

王生早曾拜顏色,高山之外皆培塿。

自分は王生には早くからお目にかかっているが、彼はたとえば崇高な高山の様なもので、之にくらべると世にいる他のものどもはみな小山ぐらいのものにすぎぬ。

36 王生早曾拜顏色 作者、王生に於て早く曾て其の顔色か拝せしをいう。王生が李の顔か拝せしというにはあらず。

37 高山 王季友を比す。

38 培塿 小土山をいい、他の小人物に此すことをいう。『孟子』尽心上、「揚子法言」学行篇に、孔子が泰山に登って天下を小としたとあるが、儒教の型にはまって、結局他人と同じようにするせこせこした部分を批判し、もっと自然にすべきであると説いていることを示す。

杜甫《巻一02望嶽》

岱宗夫如何,齊魯青未了。

造化鍾神秀,陰陽割昏曉。

盪胸生曾雲,決眥入歸鳥。

會當凌絶頂,一覽衆山小。

(嶽を望む)   

岱宗たいそう 夫それ如何いかん,齊魯せい  靑  未まだ了らず。

造化は 神秀を鐘あつめ,陰陽は 昏曉を割わかつ。

胸を盪とどろかせば 層雲 生じ,眥まなじりを決すれば 歸鳥 入る。

會かならず當まさに 絶頂を凌しのぎて,一覽すべし 衆山の小なるを。

荘厳である泰山という山は一体いかなる山であるかといえば、斉のくに魯のくにまではてしなくその山の尊き青さが終わりはしないのだ。 

自然界の万物のつくり主が神秀の「気」をあつめている神山である、「陰」と「陽」の気を分け、南北とに分け、太陽と月の役割を分け、そして昼と夜とを分割しているのだ。

雲が次々と重なって湧きたつとわがこころのたかまりは最高潮になる、心に響くものが胸に迫り悟りの境地で目が張り裂けそうになり、悟り心は山に帰りゆく鳥のように心の奥まで入ってきた。

このような心境になれたからにはいつか必ずやこの山の最頂上によじのぼり、足もとにみえる山々のよう「我も我もと往きたるは小人の常」の気持ちを見下していく。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

 

可歎 【字解】

 

(なげかわしきことについてのべた詩。)

【題義】王季友を弁護し且つ季友と李勉との二人の偉器なることに関してのべる。767年大暦2年4月以前の一作であり、杜甫、56、この年、22作目。

1 可歎 王季友が妻に家出されたことを世人が非難して、其の人物の大きさを見ないことをなげかわしいとするなり。

2 白衣 しろきころも。

3 斯須 須臾・少選などおなじ、しばらくの意。

4 蒼狗 ごましお柄の犬。

5 共一時 一時は同時、時か異にせざるをいう、古今の異なきがごとくなるをいう。 

6 無不有 なんでもある。

7 抉眼去其夫 其の夫を去ることを“眼を抉る”が如くなるをいう。趙注に云う、「東北の人の方言に、見ることを喜ばざるものを、つねに抉眼という」と。去とは棄て去ること、自ら家出せしなり。抉眼去夫の主語は次句の女兒。

8 河東女兒身姓柳 河東は、山西の地、柳氏は河東の名族なり。女兒は女子、身姓は姓。

9 丈夫 柳女の夫の王季友をさしつつも、同様の世上の男子のことである。

10 正色 まがおになる。

11 動引經 王季友の妻の家出を、世に同様に家出したことを、經書の文句を引用して、これを非難するものである。

12 酆城客子 王季友が現在の江西省宜春市に位置する県級市に客寓していたことをいう。

13 王季友 『全唐詩』 に、王季友,河南の人。家,貧しくして履を売る。博,群書を極む。予章太守李勉,引きて賓客と為し,甚だ之を敬ふ。詩十一首。『唐才子伝』には、季友,河南の人なり。書を誦すこと万巻。論ずるに必ず経を引く。家貧にして屐を売る。好事者,多く酒を携へて之に就く。其の妻柳氏,季友の窮醜を疾にくみて去らしむ。客として鄷城に来るや,洪州刺史李公,一見して傾敬し,即ち引きて幕府を佐たすけしむ。詩に工たくみにして性は磊落不羈,奇を愛して険を務む。遠く常情の外に出づ。白首短褐,崎嶇たる士林。傷いたましき哉,貧や。嘗て詩に云ふ有り,「自ら耕し自から刈りて食ふを天と為す 鹿の如く麋の如く野泉を飲む 亦た知る,世上の公卿貴 且しばらく養はん,邱中草木の年」と。其の山水に志すことの篤きを観ん。性は風疎に遠く,情は雲上に逸すと謂ふ可し。集有り,世に伝ふ。

王季友(714311日-7941218日,名徽,字季友,號雲峰居士,洪州南昌人,祖籍河南洛阳,生于豫章湖之王季友之父王儀曾任丹陽太守,后迁居豫章湖畔。王季友幼年家道破落,遂與其兄一同遷至豐城雲嶺定居,並用功讀書。杜甫對其的描述為“豐城客子王季友,群書萬卷常暗誦,《孝經》一通看在手……明月無暇豈容易,紫氣鬱郁猶沖斗。”(《杜甫詩集》卷七》)。王季友在22時便考中狀元,並任御史治書。但因厭倦時政,無意與李林甫之輩為伍,王季友不久後返回到豐城,在株山下的龍澤智度寺設帳授徒,開始了長達二十多年的隱居生活。隱居期間,王季友著有《龍澤遺稿》、《四書要注》、《六經通義》等作。名氣亦響喝當時,杜甫、錢起、郎士元等人都與其有唱和之作。杜甫作詩評價王季友為“道阻江湖,期以致君堯舜,不但工詩而已。”王季友去世時享壽81年,安葬于龍澤智度寺。其逝世後的第年,被封為「豫章伯」。其墓的遺址在今株山林場附近。

14 一通 一冊の本

15 孝經 中国の経書のひとつ。曽子の門人が孔子の言動をしるしたという。十三経のひとつ。 孝の大体を述べ、つぎに天子、諸侯、郷大夫、士、庶人の孝を細説し、そして孝道の用を説く。

16 屐 【げき】木製のはきもの。下駄。

17 好事 好事者。ものずき。

18 為攜酒 班固- 《漢書-卷八十七下揚雄傳》顏師古注「揚雄、知奇字、時有好事者載酒肴從游學」

19 豫章太守 豫章は郡の名、南昌をいう。太守は郡の長官、これは李勉をさす。

20 豫章郡は,漢書に但し “高帝置”と 云う。周振鶴は是れを高帝初年 廬江郡を分けて所置するを為しと認む。高帝五年(前202年)以て英布し、淮南王を,淮南國に置き,衡山、九江(包括後來的六安國)、廬江、豫章四郡を領すると為す。

因みに謝靈運に《豫章行》「短生旅長世,恒覺白日欹。覽鏡睨容,華顏豈期。無廻戈術,坐觀落崦。」(短生にして長世に旅し,恒に白日 欹【かたぶ】くを覺ゆ。鏡を覽りて容を睨【にら】み,華顏【かがん】豈に期ならん。【いや】しくも廻戈の術無くんば,坐【そぞ】ろに崦【えんじ】に落つを觀ん。)とある。豫章行 謝霊運(康楽) 詩<71>Ⅱ李白に影響を与えた詩494 kanbuniinkai頌之の漢詩ブログ1299

21 高帝孫 唐の高祖李淵の末裔である李勉を言う。李勉は唐の高祖の13男子、鄭恵王元懿の曾孫である。その系統は、鄭恵王元懿の子が琳、琳の子が擇言、擇言の子が勉であるということである。

22 引為賓客 王季友を引くということ。

23 三年 李勉の在職期間を言う。李勉は河南尹を歴て、廣徳二年九月洪州(南昌)刺史張鎬の卒したことで其の後を継いでこれより大暦二年まで凡そ三年職務に就いた。

24 未曾語 妻が夫の王季友を棄てたことを一言も話さないこと。

25 小心恐懼閉其口 謹慎して口をとじているということ。

26 得之 太守李勉が王季友という人物を得たこと。

27 人生反覆看亦醜 これは、一般人情の常態をあげて太守の確信不疑を反映せしめることの意。

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杜甫  可歎 #3

豫章太守高帝孫,引為賓客敬頗久。聞道三年未曾語,小心恐懼閉其口。

太守得之更不疑,人生反覆看亦醜。
それで我が唐の高祖の曾孫にあたる豫章の太守李勉が、王季友を引いて賓客とし、随分久しく之を尊敬しておられる。きくところによると、王季友は三年のあいだ何等妻のことについては話さず、おとなしく謹慎して口をとじているということであった。太守は王季友を得ては彼を信用しきってすこしも疑わないというもので、それはもっともなことであり、きょうは信じ、あすは疑うという様な世の人生反覆の状態は醜いものであり、太守はそんなことがない人である。 

杜少陵集21-05-#3

可 歎  #3

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杜甫詩index-15

767年大暦256 22-#3

1140 <1590

 

 
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年:767年大暦256-22-#1

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    可歎

作地點:              目前尚無資料

及地點:              豐城 (江南西道 洪州 豐城)              

洪州 (江南西道 洪州 洪州) 別名:豫章         

交遊人物/地點:王季友      詩文提及(江南西道 洪州 豐城)

李勉       詩文提及(京畿道 京兆府 長安)

詩文:

 

可歎 #1

(なげかわしきことについてのべた詩。)

天上浮雲如白衣,斯須改變如蒼狗。

天上に浮んでいる雲をみるに白いきもののようであるが、しばらくするとかわって胡麻塩の狗の様になる。

古往今來共一時,人生萬事無不有。

むかしも今もかわりがある様で、かわりがないことは同時の如きものであって、人間社会にはどんなことでも無い事はないほどのものである。

近者抉眼去其夫,河東女兒身姓柳。

ちかごろ河東の女子で姓を柳氏というものが“眼をくじる”様に夫を棄てたといふ事件がある。

#2

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。

このことについて世間の男子は真顔になってややもすれば經典の文句まで引っぱりだして女の夫で鄭城の客となっている王季友をかれこれと非難する。(王季友はそんなことで非難するにはあたらぬ人物なのだ)

群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

王季友は万巻の羣書をつねに暗誦し、一本の孝経を、いつも、いつも、手にして見ている。

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。

彼は貧窮で老い、かつ痩せて家では下駄を売り、揚雄のように、好事の熱心家が酒をもっていって教えを請うている、というような人物である。

#3

豫章太守高帝孫,引為賓客敬頗久。

それで我が唐の高祖の曾孫にあたる豫章の太守李勉が、王季友を引いて賓客とし、随分久しく之を尊敬しておられる。

聞道三年未曾語,小心恐懼閉其口。

きくところによると、王季友は三年のあいだ何等妻のことについては話さず、おとなしく謹慎して口をとじているということであった。

太守得之更不疑,人生反覆看亦醜。

太守は王季友を得ては彼を信用しきってすこしも疑わないというもので、それはもっともなことであり、きょうは信じ、あすは疑うという様な世の人生反覆の状態は醜いものであり、太守はそんなことがない人である。

#4

明月無瑕豈容易,紫氣鬱鬱猶衝斗。

時危可仗真豪俊,二人得置君側否。

太守頃者領山南,邦人思之比父母。

王生早曾拜顏色,高山之外皆培塿。

#5

用為羲和天為成,用平水土地為厚。

王也論道阻江湖,李也丞疑曠前後。

死為星辰終不滅,致君堯舜焉肯朽。

吾輩碌碌飽飯行,風后力牧長回首。

(歎ず可し)

天上の浮雲は白衣に似たり、斯須改變して蒼狗の如し。

古往 今來 共に一時,人生 萬事 有らざる無し。

近者眼を抉りて其の夫を去る,河東の女兒 身姓は柳。

#2

丈夫 正色 動【ようや】く經を引く,酆城の客子 王季友。

群書 萬卷 常に暗誦し,孝經 一通 看るに手に在る。

貧窮 老瘦 家 屐を賣り,好事 之に就きて為に酒を攜う。

 

楚州001 

『可歎』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

豫章太守高帝孫,引為賓客敬頗久。

聞道三年未曾語,小心恐懼閉其口。

太守得之更不疑,人生反覆看亦醜。

(下し文)
#3

豫章の太守 高帝の孫,引きて 賓客と為し敬すること頗る久し。

聞道く 三年 未だ曾て語らず,小心 恐懼 其の口を閉ず と。

太守 之を得て更に疑わず,人生 反覆 看るに亦た醜なり。

(現代語訳)
#3

それで我が唐の高祖の曾孫にあたる豫章の太守李勉が、王季友を引いて賓客とし、随分久しく之を尊敬しておられる。

きくところによると、王季友は三年のあいだ何等妻のことについては話さず、おとなしく謹慎して口をとじているということであった。

太守は王季友を得ては彼を信用しきってすこしも疑わないというもので、それはもっともなことであり、きょうは信じ、あすは疑うという様な世の人生反覆の状態は醜いものであり、太守はそんなことがない人である。


(訳注) #3

可歎 #3

(なげかわしきことについてのべた詩。)

【題義】王季友を弁護し且つ季友と李勉との二人の偉器なることに関してのべる。767年大暦2年4月以前の一作であり、杜甫、56、この年、22作目。

1 可歎 王季友が妻に家出されたことを世人が非難して、其の人物の大きさを見ないことをなげかわしいとするなり。

 

豫章太守高帝孫,引為賓客敬頗久。

それで我が唐の高祖の曾孫にあたる豫章の太守李勉が、王季友を引いて賓客とし、随分久しく之を尊敬しておられる。

19 豫章太守 豫章は郡の名、南昌をいう。太守は郡の長官、これは李勉をさす。

20 豫章郡は,漢書に但し “高帝置”と 云う。周振鶴は是れを高帝初年 廬江郡を分けて所置するを為しと認む。高帝五年(前202年)以て英布し、淮南王を,淮南國に置き,衡山、九江(包括後來的六安國)、廬江、豫章四郡を領すると為す。

因みに謝靈運に《豫章行》「短生旅長世,恒覺白日欹。覽鏡睨容,華顏豈期。無廻戈術,坐觀落崦。」(短生にして長世に旅し,恒に白日 欹【かたぶ】くを覺ゆ。鏡を覽りて容を睨【にら】み,華顏【かがん】豈に期ならん。【いや】しくも廻戈の術無くんば,坐【そぞ】ろに崦【えんじ】に落つを觀ん。)とある。豫章行 謝霊運(康楽) 詩<71>Ⅱ李白に影響を与えた詩494 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1299

21 高帝孫 唐の高祖李淵の末裔である李勉を言う。李勉は唐の高祖の13男子、鄭恵王元懿の曾孫である。その系統は、鄭恵王元懿の子が琳、琳の子が擇言、擇言の子が勉であるということである。

22 引為賓客 王季友を引くということ。

 

聞道三年未曾語,小心恐懼閉其口。

きくところによると、王季友は三年のあいだ何等妻のことについては話さず、おとなしく謹慎して口をとじているということであった。

23 三年 李勉の在職期間を言う。李勉は河南尹を歴て、廣徳二年九月洪州(南昌)刺史張鎬の卒したことで其の後を継いでこれより大暦二年まで凡そ三年職務に就いた。

24 未曾語 妻が夫の王季友を棄てたことを一言も話さないこと。

25 小心恐懼閉其口 謹慎して口をとじているということ。

 

太守得之更不疑,人生反覆看亦醜。

太守は王季友を得ては彼を信用しきってすこしも疑わないというもので、それはもっともなことであり、きょうは信じ、あすは疑うという様な世の人生反覆の状態は醜いものであり、太守はそんなことがない人である。

26 得之 太守李勉が王季友という人物を得たこと。

27 人生反覆看亦醜 これは、一般人情の常態をあげて太守の確信不疑を反映せしめることの意。

李白の足跡003 

 

可歎 【字解】

 

(なげかわしきことについてのべた詩。)

【題義】王季友を弁護し且つ季友と李勉との二人の偉器なることに関してのべる。767年大暦2年4月以前の一作であり、杜甫、56、この年、22作目。

1 可歎 王季友が妻に家出されたことを世人が非難して、其の人物の大きさを見ないことをなげかわしいとするなり。

2 白衣 しろきころも。

3 斯須 須臾・少選などおなじ、しばらくの意。

4 蒼狗 ごましお柄の犬。

5 共一時 一時は同時、時か異にせざるをいう、古今の異なきがごとくなるをいう。 

6 無不有 なんでもある。

7 抉眼去其夫 其の夫を去ることを“眼を抉る”が如くなるをいう。趙注に云う、「東北の人の方言に、見ることを喜ばざるものを、つねに抉眼という」と。去とは棄て去ること、自ら家出せしなり。抉眼去夫の主語は次句の女兒。

8 河東女兒身姓柳 河東は、山西の地、柳氏は河東の名族なり。女兒は女子、身姓は姓。

9 丈夫 柳女の夫の王季友をさしつつも、同様の世上の男子のことである。

10 正色 まがおになる。

11 動引經 王季友の妻の家出を、世に同様に家出したことを、經書の文句を引用して、これを非難するものである。

12 酆城客子 王季友が現在の江西省宜春市に位置する県級市に客寓していたことをいう。

13 王季友 『全唐詩』 に、王季友,河南の人。家,貧しくして履を売る。博,群書を極む。予章太守李勉,引きて賓客と為し,甚だ之を敬ふ。詩十一首。『唐才子伝』には、季友,河南の人なり。書を誦すこと万巻。論ずるに必ず経を引く。家貧にして屐を売る。好事者,多く酒を携へて之に就く。其の妻柳氏,季友の窮醜を疾にくみて去らしむ。客として鄷城に来るや,洪州刺史李公,一見して傾敬し,即ち引きて幕府を佐たすけしむ。詩に工たくみにして性は磊落不羈,奇を愛して険を務む。遠く常情の外に出づ。白首短褐,崎嶇たる士林。傷いたましき哉,貧や。嘗て詩に云ふ有り,「自ら耕し自から刈りて食ふを天と為す 鹿の如く麋の如く野泉を飲む 亦た知る,世上の公卿貴 且しばらく養はん,邱中草木の年」と。其の山水に志すことの篤きを観ん。性は風疎に遠く,情は雲上に逸すと謂ふ可し。集有り,世に伝ふ。

王季友(714311日-7941218日,名徽,字季友,號雲峰居士,洪州南昌人,祖籍河南洛阳,生于豫章湖之王季友之父王儀曾任丹陽太守,后迁居豫章湖畔。王季友幼年家道破落,遂與其兄一同遷至豐城雲嶺定居,並用功讀書。杜甫對其的描述為“豐城客子王季友,群書萬卷常暗誦,《孝經》一通看在手……明月無暇豈容易,紫氣鬱郁猶沖斗。”(《杜甫詩集》卷七》)。王季友在22時便考中狀元,並任御史治書。但因厭倦時政,無意與李林甫之輩為伍,王季友不久後返回到豐城,在株山下的龍澤智度寺設帳授徒,開始了長達二十多年的隱居生活。隱居期間,王季友著有《龍澤遺稿》、《四書要注》、《六經通義》等作。名氣亦響喝當時,杜甫、錢起、郎士元等人都與其有唱和之作。杜甫作詩評價王季友為“道阻江湖,期以致君堯舜,不但工詩而已。”王季友去世時享壽81年,安葬于龍澤智度寺。其逝世後的第年,被封為「豫章伯」。其墓的遺址在今株山林場附近。

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16 屐 【げき】木製のはきもの。下駄。

17 好事 好事者。ものずき。

18 為攜酒 班固- 《漢書-卷八十七下揚雄傳》顏師古注「揚雄、知奇字、時有好事者載酒肴從游學」

767年-22-#2杜少陵集 《21-05 可歎 #2》 杜甫詩index-15-1139 <1589> 767年大暦2年56歲-22-#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7342

杜甫  可歎 #2

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。
このことについて世間の男子は真顔になってややもすれば經典の文句まで引っぱりだして女の夫で鄭城の客となっている王季友をかれこれと非難する。(王季友はそんなことで非難するにはあたらぬ人物なのだ)王季友は万巻の羣書をつねに暗誦し、一本の孝経を、いつも、いつも、手にして見ている。彼は貧窮で老い、かつ痩せて家では下駄を売り、揚雄のように、好事の熱心家が酒をもっていって教えを請うている、というような人物である。

杜少陵集21-05-#2

可 歎  #2

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韓愈128《 巻01-13南山詩 -#26》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(1)<1673> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7341  
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  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
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  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
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杜甫詩1500-1136-1586/2500

年:767年大暦256-22-#1

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    可歎

作地點:              目前尚無資料

及地點:              豐城 (江南西道 洪州 豐城)              

洪州 (江南西道 洪州 洪州) 別名:豫章         

交遊人物/地點:王季友      詩文提及(江南西道 洪州 豐城)

李勉       詩文提及(京畿道 京兆府 長安)

詩文:

 

可歎 #1

(なげかわしきことについてのべた詩。)

天上浮雲如白衣,斯須改變如蒼狗。

天上に浮んでいる雲をみるに白いきもののようであるが、しばらくするとかわって胡麻塩の狗の様になる。

古往今來共一時,人生萬事無不有。

むかしも今もかわりがある様で、かわりがないことは同時の如きものであって、人間社会にはどんなことでも無い事はないほどのものである。

近者抉眼去其夫,河東女兒身姓柳。

ちかごろ河東の女子で姓を柳氏というものが“眼をくじる”様に夫を棄てたといふ事件がある。

#2

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。

このことについて世間の男子は真顔になってややもすれば經典の文句まで引っぱりだして女の夫で鄭城の客となっている王季友をかれこれと非難する。(王季友はそんなことで非難するにはあたらぬ人物なのだ)

群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

王季友は万巻の羣書をつねに暗誦し、一本の孝経を、いつも、いつも、手にして見ている。

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。

彼は貧窮で老い、かつ痩せて家では下駄を売り、揚雄のように、好事の熱心家が酒をもっていって教えを請うている、というような人物である。

#3

豫章太守高帝孫,引為賓客敬頗久。

聞道三年未曾語,小心恐懼閉其口。

太守得之更不疑,人生反覆看亦醜。

#4

明月無瑕豈容易,紫氣鬱鬱猶衝斗。

時危可仗真豪俊,二人得置君側否。

太守頃者領山南,邦人思之比父母。

王生早曾拜顏色,高山之外皆培塿。

#5

用為羲和天為成,用平水土地為厚。

王也論道阻江湖,李也丞疑曠前後。

死為星辰終不滅,致君堯舜焉肯朽。

吾輩碌碌飽飯行,風后力牧長回首。

(歎ず可し)

天上の浮雲は白衣に似たり、斯須改變して蒼狗の如し。

古往 今來 共に一時,人生 萬事 有らざる無し。

近者眼を抉りて其の夫を去る,河東の女兒 身姓は柳。

#2

丈夫 正色 動【ようや】く經を引く,酆城の客子 王季友。

群書 萬卷 常に暗誦し,孝經 一通 看るに手に在る。

貧窮 老瘦 家 屐を賣り,好事 之に就きて為に酒を攜う。

安史の乱当時の勢力図 

 

『可歎』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。

群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。

(下し文)
#2

丈夫 正色 動【ようや】く經を引く,酆城の客子 王季友。

群書 萬卷 常に暗誦し,孝經 一通 看るに手に在る。

貧窮 老瘦 家 屐を賣り,好事 之に就きて為に酒を攜う。

(現代語訳)
#2

このことについて世間の男子は真顔になってややもすれば經典の文句まで引っぱりだして女の夫で鄭城の客となっている王季友をかれこれと非難する。(王季友はそんなことで非難するにはあたらぬ人物なのだ)

王季友は万巻の羣書をつねに暗誦し、一本の孝経を、いつも、いつも、手にして見ている。

彼は貧窮で老い、かつ痩せて家では下駄を売り、揚雄のように、好事の熱心家が酒をもっていって教えを請うている、というような人物である。


(訳注) #2

可歎 #1

(なげかわしきことについてのべた詩。)

【題義】王季友を弁護し且つ季友と李勉との二人の偉器なることに関してのべる。767年大暦2年4月以前の一作であり、杜甫、56、この年、22作目。

1 可歎 王季友が妻に家出されたことを世人が非難して、其の人物の大きさを見ないことをなげかわしいとするなり。

 

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。

このことについて世間の男子は真顔になってややもすれば經典の文句まで引っぱりだして女の夫で鄭城の客となっている王季友をかれこれと非難する。(王季友はそんなことで非難するにはあたらぬ人物なのだ)

9 丈夫 柳女の夫の王季友をさしつつも、同様の世上の男子のことである。

10 正色 まがおになる。

11 動引經 王季友の妻の家出を、世に同様に家出したことを、經書の文句を引用して、これを非難するものである。

12 酆城客子 王季友が現在の江西省宜春市に位置する県級市に客寓していたことをいう。

13 王季友 『全唐詩』 に、王季友,河南の人。家,貧しくして履を売る。博,群書を極む。予章太守李勉,引きて賓客と為し,甚だ之を敬ふ。詩十一首。『唐才子伝』には、季友,河南の人なり。書を誦すこと万巻。論ずるに必ず経を引く。家貧にして屐を売る。好事者,多く酒を携へて之に就く。其の妻柳氏,季友の窮醜を疾にくみて去らしむ。客として鄷城に来るや,洪州刺史李公,一見して傾敬し,即ち引きて幕府を佐たすけしむ。詩に工たくみにして性は磊落不羈,奇を愛して険を務む。遠く常情の外に出づ。白首短褐,崎嶇たる士林。傷いたましき哉,貧や。嘗て詩に云ふ有り,「自ら耕し自から刈りて食ふを天と為す 鹿の如く麋の如く野泉を飲む 亦た知る,世上の公卿貴 且しばらく養はん,邱中草木の年」と。其の山水に志すことの篤きを観ん。性は風疎に遠く,情は雲上に逸すと謂ふ可し。集有り,世に伝ふ。

王季友(714311日-7941218日,名徽,字季友,號雲峰居士,洪州南昌人,祖籍河南洛阳,生于豫章湖之王季友之父王儀曾任丹陽太守,后迁居豫章湖畔。王季友幼年家道破落,遂與其兄一同遷至豐城雲嶺定居,並用功讀書。杜甫對其的描述為“豐城客子王季友,群書萬卷常暗誦,《孝經》一通看在手……明月無暇豈容易,紫氣鬱郁猶沖斗。”(《杜甫詩集》卷七》)。王季友在22時便考中狀元,並任御史治書。但因厭倦時政,無意與李林甫之輩為伍,王季友不久後返回到豐城,在株山下的龍澤智度寺設帳授徒,開始了長達二十多年的隱居生活。隱居期間,王季友著有《龍澤遺稿》、《四書要注》、《六經通義》等作。名氣亦響喝當時,杜甫、錢起、郎士元等人都與其有唱和之作。杜甫作詩評價王季友為“道阻江湖,期以致君堯舜,不但工詩而已。”王季友去世時享壽81年,安葬于龍澤智度寺。其逝世後的第年,被封為「豫章伯」。其墓的遺址在今株山林場附近。

 

群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

王季友は万巻の羣書をつねに暗誦し、一本の孝経を、いつも、いつも、手にして見ている。

14 一通 一冊の本

15 孝經 中国の経書のひとつ。曽子の門人が孔子の言動をしるしたという。十三経のひとつ。 孝の大体を述べ、つぎに天子、諸侯、郷大夫、士、庶人の孝を細説し、そして孝道の用を説く。

 

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。

彼は貧窮で老い、かつ痩せて家では下駄を売り、揚雄のように、好事の熱心家が酒をもっていって教えを請うている、というような人物である。

16 屐 【げき】木製のはきもの。下駄。

17 好事 好事者。ものずき。

18 為攜酒 班固- 《漢書-卷八十七下揚雄傳》顏師古注「揚雄、知奇字、時有好事者載酒肴從游學」

李白の足跡0000 

可歎 【字解】

 

(なげかわしきことについてのべた詩。)

【題義】王季友を弁護し且つ季友と李勉との二人の偉器なることに関してのべる。767年大暦2年4月以前の一作であり、杜甫、56、この年、22作目。

1 可歎 王季友が妻に家出されたことを世人が非難して、其の人物の大きさを見ないことをなげかわしいとするなり。

2 白衣 しろきころも。

3 斯須 須臾・少選などおなじ、しばらくの意。

4 蒼狗 ごましお柄の犬。

5 共一時 一時は同時、時か異にせざるをいう、古今の異なきがごとくなるをいう。 

6 無不有 なんでもある。

7 抉眼去其夫 其の夫を去ることを“眼を抉る”が如くなるをいう。趙注に云う、「東北の人の方言に、見ることを喜ばざるものを、つねに抉眼という」と。去とは棄て去ること、自ら家出せしなり。抉眼去夫の主語は次句の女兒。

8 河東女兒身姓柳 河東は、山西の地、柳氏は河東の名族なり。女兒は女子、身姓は姓。

767年-22-#1杜少陵集 《21-05 可歎 #1》 杜甫詩index-15-1136 <1586> 767年大暦2年56歲-22-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7327 

杜甫  可歎 #1

天上浮雲如白衣,斯須改變如蒼狗。古往今來共一時,人生萬事無不有。

近者抉眼去其夫,河東女兒身姓柳。

(なげかわしきことについてのべた詩。)

天上に浮んでいる雲をみるに白いきもののようであるが、しばらくするとかわって胡麻塩の狗の様になる。むかしも今もかわりがある様で、かわりがないことは同時の如きものであって、人間社会にはどんなことでも無い事はないほどのものである。ちかごろ河東の女子で姓を柳氏というものが“眼をくじる”様に夫を棄てたといふ事件がある。

杜少陵集21-05-#1

可 歎  #1

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7312 

杜甫詩index-15-

767年大暦256  22-#1

1136 <1586

 

 
  2016年2月14日 の紀頌之5つのBlog  
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韓愈128《 巻01-13南山詩 -#25》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(1)<1672> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7336  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
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  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-22-#1杜少陵集 《21-05 可歎 #1》 杜甫詩index-15-1136 <1586> 767年大暦2年56歲-22-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7327  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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杜甫詩1500-1136-1586/2500

年:767年大暦256-22-#1

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    可歎

作地點:              目前尚無資料

及地點:              豐城 (江南西道 洪州 豐城)              

洪州 (江南西道 洪州 洪州) 別名:豫章         

交遊人物/地點:王季友      詩文提及(江南西道 洪州 豐城)

李勉       詩文提及(京畿道 京兆府 長安)

詩文:

 

可歎 #1

(なげかわしきことについてのべた詩。)

天上浮雲如白衣,斯須改變如蒼狗。

天上に浮んでいる雲をみるに白いきもののようであるが、しばらくするとかわって胡麻塩の狗の様になる。

古往今來共一時,人生萬事無不有。

むかしも今もかわりがある様で、かわりがないことは同時の如きものであって、人間社会にはどんなことでも無い事はないほどのものである。

近者抉眼去其夫,河東女兒身姓柳。

ちかごろ河東の女子で姓を柳氏というものが“眼をくじる”様に夫を棄てたといふ事件がある。

#2

丈夫正色動引經,酆城客子王季友。

群書萬卷常暗誦,孝經一通看在手。

貧窮老瘦家賣屐,好事就之為攜酒。

#3

豫章太守高帝孫,引為賓客敬頗久。

聞道三年未曾語,小心恐懼閉其口。

太守得之更不疑,人生反覆看亦醜。

#4

明月無瑕豈容易,紫氣鬱鬱猶衝斗。

時危可仗真豪俊,二人得置君側否。

太守頃者領山南,邦人思之比父母。

王生早曾拜顏色,高山之外皆培塿。

#5

用為羲和天為成,用平水土地為厚。

王也論道阻江湖,李也丞疑曠前後。

死為星辰終不滅,致君堯舜焉肯朽。

吾輩碌碌飽飯行,風后力牧長回首。

(歎ず可し)

天上の浮雲は白衣に似たり、斯須改變して蒼狗の如し。

古往 今來 共に一時,人生 萬事 有らざる無し。

近者眼を抉りて其の夫を去る,河東の女兒 身姓は柳。

 

安史の乱当時の勢力図 

『可歎』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

可歎 #1

天上浮雲如白衣,斯須改變如蒼狗。

古往今來共一時,人生萬事無不有。

近者抉眼去其夫,河東女兒身姓柳。


(下し文)
(歎ず可し)

天上の浮雲は白衣に似たり、斯須改變して蒼狗の如し。

古往 今來 共に一時,人生 萬事 有らざる無し。

近者眼を抉りて其の夫を去る,河東の女兒 身姓は柳。

(現代語訳)
可歎 #1(なげかわしきことについてのべた詩。)

天上に浮んでいる雲をみるに白いきもののようであるが、しばらくするとかわって胡麻塩の狗の様になる。

むかしも今もかわりがある様で、かわりがないことは同時の如きものであって、人間社会にはどんなことでも無い事はないほどのものである。

ちかごろ河東の女子で姓を柳氏というものが“眼をくじる”様に夫を棄てたといふ事件がある。


(訳注)

可歎 #1

(なげかわしきことについてのべた詩。)

【題義】王季友を弁護し且つ季友と李勉との二人の偉器なることに関してのべる。767年大暦2年4月以前の一作であり、杜甫、56、この年、22作目。

1 可歎 王季友が妻に家出されたことを世人が非難して、其の人物の大きさを見ないことをなげかわしいとするなり。

 

天上浮雲如白衣,斯須改變如蒼狗。

天上に浮んでいる雲をみるに白いきもののようであるが、しばらくするとかわって胡麻塩の狗の様になる。

2 白衣 しろきころも。

3 斯須 須臾・少選などおなじ、しばらくの意。

4 蒼狗 ごましお柄の犬。

 

古往今來共一時,人生萬事無不有。

むかしも今もかわりがある様で、かわりがないことは同時の如きものであって、人間社会にはどんなことでも無い事はないほどのものである。

5 共一時 一時は同時、時か異にせざるをいう、古今の異なきがごとくなるをいう。 

6 無不有 なんでもある。

 

近者抉眼去其夫,河東女兒身姓柳。

ちかごろ河東の女子で姓を柳氏というものが“眼をくじる”様に夫を棄てたといふ事件がある。

7 抉眼去其夫 其の夫を去ることを“眼を抉る”が如くなるをいう。趙注に云う、「東北の人の方言に、見ることを喜ばざるものを、つねに抉眼という」と。去とは棄て去ること、自ら家出せしなり。抉眼去夫の主語は次句の女兒。

8 河東女兒身姓柳 河東は、山西の地、柳氏は河東の名族なり。女兒は女子、身姓は姓。8世紀唐と周辺国00

767年-21#3杜少陵集 《20-101 寫懷,二首之二 #3》 杜甫詩index-15-1137 <1587> 767年大暦2年56歲-21#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7332

杜甫  寫懷,二首之二  #3

禍首燧人氏,厲階董狐筆。君看燈燭張,轉使飛蛾密。

放神八極外,俯仰俱蕭瑟。終然契真如,得匪合仙術。
それを思うと禍の発頭人は燧人氏であり、厲厄の階梯をつくったものは上古の董狐の直筆だというてもよい。看たまえ、名利に比す燈燭がもちだされると火をしたって、一般俗人に比す蛾の蟲が密集してくるではないか。 我が精神を八方のはてに放ってみると一俯一仰のあいだに一切萬有はみんな消滅してさびしいものである。自分もしまいには真如の理と契るためには彿法の手段によるほかにないのではあるまいか。 

杜少陵集20-101-#3

寫懷,二首之二  #21

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杜甫詩index-15-

767年大暦256  21  #3

1137 <1587

 

 
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年:767年大暦256  21  #3

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    寫懷,二首之二

作地點:              目前尚無資料

及地點:             

交遊人物/地點:  

詩文:

 

寫懷,二首之二  #1

(自分の胸の内を写し述べた詩)その二

夜深坐南軒,明月照我膝。

夜ふけて南むきの軒にすわっていると、明月が自分の膝の上を照らす。

驚風翻河漢,梁棟已出日。

ざわつく風があまの河原を吹きおとしたかとおもうと、梁棟の上には、はや太陽があらわれる。

群生各一宿,飛動自儔匹。

すべての生物がそれぞれ一夜のやどりを終わって禽獣そのたぐいを求めてはたらく。

吾亦驅其兒,營營為私實。

自分もこどもらを駆りたてて、せっせとはたらくのは自己の財物をつくらんがために外ならないのである。

#2

天寒行旅稀,暮日月疾。

いま天が寒くなって旅人も稀になっている、月日のすぎるのは、はやくて歳がくれになった。

榮名忽中人,世亂如蟣蝨。

かんがへてみると世のなかの人人は栄誉ある名のために中毒しているもので、そのため世はみだれてしらみ蟲がわいているごとくになっている。

古者三皇前,滿腹志願畢。

おおむかしに三皇の以前には人は腹いっぱい物をつめたらそれだけで志願はすんでいたのだ。

胡為有結繩,陷此膠與漆。

それになんで結縄などということをはじめて、人間の天然の親密をうちこわす様にしたのだ。

#3

禍首燧人氏,厲階董狐筆。

それを思うと禍の発頭人は燧人氏であり、厲厄の階梯をつくったものは上古の董狐の直筆だというてもよい。

君看燈燭張,轉使飛蛾密。

看たまえ、名利に比す燈燭がもちだされると火をしたって、一般俗人に比す蛾の蟲が密集してくるではないか。 

放神八極外,俯仰俱蕭瑟。

我が精神を八方のはてに放ってみると一俯一仰のあいだに一切萬有はみんな消滅してさびしいものである。

終然契真如,得匪合仙術。

自分もしまいには真如の理と契るためには彿法の手段によるほかにないのではあるまいか。 

 

(懷を寫す,二首の一) #1

夜深くして南軒に坐す,明月 我が膝を照らす。

驚風 河漢を翻す,梁棟 已に日出づ。

群生 各の一宿す,飛動 自ら儔匹す。

吾も亦た 其の兒を驅る,營營たる 私實の為なり。

#2

天寒くして行旅稀なり,暮れて 日月疾【はや】し。

榮名 忽ち人に中【あた】る,世亂れて 蟣蝨の如し。

古者 三皇の前,滿腹 志願畢る。

胡為れぞ 結繩有りて,此の膠と漆とを陷れるや。

#3

禍首は燧人氏,厲階は董狐が筆。

君 看よ 燈燭張る,轉た飛蛾をして密ならしむ。

神を放つ 八極の外,俯仰 俱に蕭瑟たり。

終然 真如に契る,仙に合す術に匪ざるを得んや。

 

戦国時代(紀元前350年頃)東方地図 

『寫懷,二首之二』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

禍首燧人氏,厲階董狐筆。

君看燈燭張,轉使飛蛾密。

放神八極外,俯仰俱蕭瑟。

終然契真如,得匪合仙術。
詩文(含異文)

禍首燧人氏,厲階董狐筆。君看燈燭張,轉使飛蛾密。

放神八極外,俯仰俱蕭瑟。終然契真如【終契如往還】,得匪合仙術【歸匪金仙術】。


(下し文)
#3

禍首は燧人氏,厲階は董狐が筆。

君 看よ 燈燭張る,轉た飛蛾をして密ならしむ。

神を放つ 八極の外,俯仰 俱に蕭瑟たり。

終然 真如に契る,仙に合す術(合仙の術)に匪ざるを得んや。

(現代語訳)
#3

それを思うと禍の発頭人は燧人氏であり、厲厄の階梯をつくったものは上古の董狐の直筆だというてもよい。

看たまえ、名利に比す燈燭がもちだされると火をしたって、一般俗人に比す蛾の蟲が密集してくるではないか。 

我が精神を八方のはてに放ってみると一俯一仰のあいだに一切萬有はみんな消滅してさびしいものである。

自分もしまいには真如の理と契るためには彿法の手段によるほかにないのではあるまいか。 

denen03350
(訳注) #3

寫懷,二首之二  #3

(自分の胸の内を写し述べた詩)その二

22 寫懷 抒發情懷。漢蔡邕《司徒袁公夫人馬氏碑銘》:「哀子懿達、仁達,銜恤哀痛,靡所寫懷,乃撰録母氏之德所履,示公之門人。」三國魏明帝《苦寒行》:「賦詩以寫懷,伏軾淚沾纓。」

 

禍首燧人氏,厲階董狐筆。

それを思うと禍の発頭人は燧人氏であり、厲厄の階梯をつくったものは上古の董狐の直筆だというてもよい。

31 禍首 禍を生じ占めた発頭人。

32 燧人氏 韓非『韓非子』五蠹篇にみえる、上古の時代、人々は木の実や草の実、螺や蛤などをとって食べていたが、腥さく嫌な臭いがあって、胃腸を壊し、病気になるものが多かった。 その時、一人の聖人が火打ち石を使って(注:火おこし木、という説もある)火をおこし、食べ物を焼いて臭いをなくした。  民衆は喜んで、この聖人を天下の王と仰ぎ、燧人氏と呼んだ。燧人氏が火をおこす方法を発見したきっかけについては「鳥がくちばしで樹をつつくのにヒントを得て、木の枝をこすり合わせて火をおこした」という説もある。

33 厲階 禍の段階をなさしもの。

34 董狐筆 春秋左伝」宣公二年の故事から、権勢を恐れずに真実を発表すること。権力者の圧力に負けずに真相を歴史に記すこと。春秋時代、晋の史官であった董狐は、君主の霊公が殺された時、大臣の趙盾(ちょうとん)が殺したと記録した。直接手を下した犯人はわかっていたが、大臣の地位にあった趙盾がその犯人を討たなかったからで、正しい歴史を書いた故事とされる。

 

君看燈燭張,轉使飛蛾密。

看たまえ、名利に比す燈燭がもちだされると火をしたって、一般俗人に比す蛾の蟲が密集してくるではないか。 

35 燈燭 ともしび。灯火。とうそく、もって名利に比す。

36 飛蛾 娥の蟲、以て一般俗人に比す。

 

放神八極外,俯仰俱蕭瑟。

我が精神を八方のはてに放ってみると一俯一仰のあいだに一切萬有はみんな消滅してさびしいものである。

37 八極外 八方のはて。

38 俱蕭瑟 俱は一切ともにという意、蕭瑟はさびしき貌、消滅の姿。

 

終然契真如,得匪合仙術。

自分もしまいには真如の理と契るためには彿法の手段によるほかにないのではあるまいか。 

39 契真如 仏教郷里の極致、悟りの最上。

40 得匪 「得無非」(非らざる無きを得んや)の意。

41 合仙術 仏教の釋典に佛を大覺金仙と号す。合仙の術とは仏法を言う。

 

 

 

 

寫懷,二首【字解】

 

 

(自分の胸の内を写し述べた詩)

1 勞生 我々に生命を与えて苦労させる。《莊子.大宗師》:「夫大塊載我以形,勞我以生,佚我以老,息我以死。」(夫れ大塊は我を載するに形を以てし,我を勞するに生を以てし,我を佚するに老を以てし,我を息するに死をて以す。)大地は我々に形を与えてくれる。そしてまた我々に生命を与えて苦労させ、歳をとらせて楽にし、死を与えて休息させてくれる。

2 共乾坤 同一の天地の間にあることを言う。1 (えき)の卦()の乾と坤。2 天と地。天地。3 陰陽。4 いぬい(北西)の方角とひつじさる(南西)の方角。5 2巻で一組となっている書物の、上巻と下巻。

3 異風俗 風俗異ならず、ということではなく、異を諭ずるに及ばざるをいう。 

4 冉冉 1.進行の貌。次第に進んでいくさま。徐々に侵し広がるさま。2(髪の毛や木の枝・葉などが)しなやかに垂れる.

5 趨競 はしり競う。競い争うこと。名利の途におもむく。爭名奪利。《宋史.卷二九六.呂祐之傳》:「祐之純謹長者,不喜趨競。」

6 行行 一歩一歩。魏 武帝《苦寒行》「行行日已遠,人馬同時饑。」(行き行きて日已に遠く 人馬 時を同じくして飢う)

7 羈束 からだをつなぎしばられる。

8 無貴賤不悲,無富貧亦足 阮籍《大人先生傳》「夫無貴則賤者不怨,無富則貧者不爭,各足於身而無所求也。」(夫れ貴無んば則ち賤者怨まず,富無んば則ち貧者爭わず,各の身に足して求むる所無し也。)に基づく。

9 一骸骨 だれも同一骸骨になる

10 遞 1 横へ横へと次々に伝え送る。「逓信・逓送/駅逓・伝逓」2 だんだん。しだいに。

11 歌哭 笑い歌いまた悲しみ哭することで烈的感情をいう。《周礼·春官·女巫》「凡邦之大災, 歌哭而請。」とある。

12 鄙夫 いやしい男。下品な男。現在の自分が思うようにならない様子を謙遜して使う語。

13 三 755年永泰元年、756年大暦元年、757年大暦二年の三年を言う。

14 如轉燭 風中に搖曳く燭火の瞬く間。比するのは、世事のことであり、月の遷流するのが迅速であることである。杜甫《0715佳人》詩「世情惡衰歇,萬事隨轉燭。」(世情【せじょう】衰歇【すいけつ】を悪む、万事【ばんじ】転燭【てんしょく】に随う。普通世間の人にたいする情というものは女盛りなら誰でも愛すものだが、歳を重ね衰えてしまった肢体顔色、後ろ盾がなく、頼る背のないものは嫌がられるものであり、わが身づくろいも万事はその場の成り行きのままになってきた。

佳人 <229-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1112 杜甫特集700- 335

15 榮辱 光榮と恥辱。易經·繫辭上:「樞機之發,榮辱之主也。」(樞機 之れ發す,榮辱 之れ主とする也。)枢機とは、1 物事の最も大切なところ。かなめ。要所。2 重要な政務。

16 朝班及暮齒 晩年になって朝班を得たことを言う。暮齒:晩年を言う。杜甫75746歳鳳翔行在所において左拾遺を授けられる。76453歳工部員外郎となり緋魚袋をたまわる。 

17 粟 脱粟の飯とは、もみがらを取り去っただけで精白してない米を炊いた飯。玄米飯。

18 編蓬 蓬を編んで戸扉とするをいう。編蓬以為門 亦指結草為廬。 漢東方朔《非有先生論》「居深山之間, 積土為室, 編蓬為 彈琴其中, 以詠先王之風, 亦可以樂而忘死矣。」

19 石城東 夔州城は石城といわれ、東はその東、即ち杜甫の草堂のある瀼西を言う。

20 采藥 采藥,亦作“采葯”。藥物を采集するを謂う。 亦た、世を避けて隱居するを指し、或いは、仙修の道を求めることをさす。 《後漢書逸民傳龐公》「後遂攜其妻子登鹿門山, 因采藥不反。」(後、遂に其の妻子を攜えて鹿門山に登り, 因て藥を采り反らず。 唐李白《悲清秋賦》「歸去來兮人間可以托些,吾將采藥於蓬邱。」(歸りなんいざ、人間 可なり 以て托し,吾 將に藥を蓬邱に采る。)

21 山北谷 山北の谷とは瀼西の居よりいわば蓋し、白谷をいう。杜甫《19-10 上後園山》詩に山北の谷について述べているが初四句に「朱夏熱所嬰,清旭步北林。小園背高岡,挽葛上崎崟。」(朱夏 熱 嬰る所なり,清旭に 北林に步す。小園 高岡をに背す,葛を挽きて 崎崟たるに上る。)とある。

767-12-#1杜甫 19-10 上後園山#1 杜甫詩index-15-767年大暦256-12-#1 <1095 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7155 

 

22 寫懷 抒發情懷。漢蔡邕《司徒袁公夫人馬氏碑銘》:「哀子懿達、仁達,銜恤哀痛,靡所寫懷,乃撰録母氏之德所履,示公之門人。」三國魏明帝《苦寒行》:「賦詩以寫懷,伏軾淚沾纓。」

23 河漢 あまのがわ。天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。杜甫『天河』。うじゃく:かささぎ 「烏鵲の智」 遠い将来のことばかり心配して、近くに迫っている災難に気がつかないこと。かささぎは強風の多い年には風をさけようとして巣を低い枝にかけるが、そのために、雛や卵を人に捕られることまでは、知恵がまわらない。このことを「喜」に置き換えてうたう。李商隠辛未七夕」 李商隠にカササギが銀河の橋渡しをしてくれる鳥としている。『詩経』「鵲巢」にはカササギは巣作りに一生懸命、出来上がった巣は立派な頑丈なもの、しかし鳩が子育てに使う。しかしたくさんのお客がついてくる、というもの。

天河 杜甫<292kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1343 杜甫詩 700- 412

初月 杜甫<293kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1346 杜甫詩 700- 413

24 梁棟 ① (建物の屋根の主要材である)棟(むね)と梁(はり)。 一国の臣。 一族・一門を率いる者。かしら。おさ。頭領。統領。 「武家の-」 大工の親方。かしら。寝ていて朝日が射しこんで本来うす暗いところが明るくなることを言う。

25 羣生 もろもろの生物。

26 一宿 一夜の棲宿をしたこと。

27 飛動 禽獣をいう。

28 儔匹 同類 共に生を遂げる。

29 營營 働く姿を言う。

30 私實 私有財産、財物をいう。國語 楚語》「蓄衆、聚實。」(衆を蓄え、實を聚む)

31 禍首 禍を生じ占めた発頭人。

32 燧人氏 韓非『韓非子』五蠹篇にみえる、上古の時代、人々は木の実や草の実、螺や蛤などをとって食べていたが、腥さく嫌な臭いがあって、胃腸を壊し、病気になるものが多かった。 その時、一人の聖人が火打ち石を使って(注:火おこし木、という説もある)火をおこし、食べ物を焼いて臭いをなくした。  民衆は喜んで、この聖人を天下の王と仰ぎ、燧人氏と呼んだ。燧人氏が火をおこす方法を発見したきっかけについては「鳥がくちばしで樹をつつくのにヒントを得て、木の枝をこすり合わせて火をおこした」という説もある。

33 厲階 禍の段階をなさしもの。

34 董狐筆 春秋左伝」宣公二年の故事から、権勢を恐れずに真実を発表すること。権力者の圧力に負けずに真相を歴史に記すこと。春秋時代、晋の史官であった董狐は、君主の霊公が殺された時、大臣の趙盾(ちょうとん)が殺したと記録した。直接手を下した犯人はわかっていたが、大臣の地位にあった趙盾がその犯人を討たなかったからで、正しい歴史を書いた故事とされる。

 

君看燈燭張,轉使飛蛾密。

看たまえ、名利に比す燈燭がもちだされると火をしたって、一般俗人に比す蛾の蟲が密集してくるではないか。 

35 燈燭 ともしび。灯火。とうそく、もって名利に比す。

36 飛蛾 娥の蟲、以て一般俗人に比す。

 

放神八極外,俯仰俱蕭瑟。

我が精神を八方のはてに放ってみると一俯一仰のあいだに一切萬有はみんな消滅してさびしいものである。

37 八極外 八方のはて。

38 俱蕭瑟 俱は一切ともにという意、蕭瑟はさびしき貌、消滅の姿。

 

終然契真如,得匪合仙術。

自分もしまいには真如の理と契るためには彿法の手段によるほかにないのではあるまいか。 

39 契真如 仏教郷里の極致、悟りの最上。

40 得匪 「得無非」(非らざる無きを得んや)の意。

41 合仙術 仏教の釋典に佛を大覺金仙と号す。合仙の術とは仏法を言う。

767年-21#2杜少陵集 《20-101 寫懷,二首之二 #2》 杜甫詩index-15-1136 <1586> 767年大暦2年56歲-21#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7327

杜甫  寫懷,二首之二  #2

天寒行旅稀,暮日月疾。榮名忽中人,世亂如蟣蝨。

古者三皇前,滿腹志願畢。胡為有結繩,陷此膠與漆。

いま天が寒くなって旅人も稀になっている、月日のすぎるのは、はやくて歳がくれになった。かんがへてみると世のなかの人人は栄誉ある名のために中毒しているもので、そのため世はみだれてしらみ蟲がわいているごとくになっている。おおむかしに三皇の以前には人は腹いっぱい物をつめたらそれだけで志願はすんでいたのだ。それになんで結縄などということをはじめて、人間の天然の親密をうちこわす様にしたのだ。

杜少陵集20-101-#2

寫懷,二首之二  #21

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杜甫詩index-15-

767年大暦256  21  #2

1136 <1586

 

 
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  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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743年(76)李太白集644巻十九18朝下過盧郎中敘舊游  395Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(76) Ⅰ李白詩1757 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7325  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
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年:767年大暦256  21  #2

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    寫懷,二首之二

作地點:              目前尚無資料

及地點:             

交遊人物/地點:  

詩文:

 

寫懷,二首之二  #1

(自分の胸の内を写し述べた詩)その二

夜深坐南軒,明月照我膝。

夜ふけて南むきの軒にすわっていると、明月が自分の膝の上を照らす。

驚風翻河漢,梁棟已出日。

ざわつく風があまの河原を吹きおとしたかとおもうと、梁棟の上には、はや太陽があらわれる。

群生各一宿,飛動自儔匹。

すべての生物がそれぞれ一夜のやどりを終わって禽獣そのたぐいを求めてはたらく。

吾亦驅其兒,營營為私實。

自分もこどもらを駆りたてて、せっせとはたらくのは自己の財物をつくらんがために外ならないのである。

#2

天寒行旅稀,暮日月疾。

いま天が寒くなって旅人も稀になっている、月日のすぎるのは、はやくて歳がくれになった。

榮名忽中人,世亂如蟣蝨。

かんがへてみると世のなかの人人は栄誉ある名のために中毒しているもので、そのため世はみだれてしらみ蟲がわいているごとくになっている。

古者三皇前,滿腹志願畢。

おおむかしに三皇の以前には人は腹いっぱい物をつめたらそれだけで志願はすんでいたのだ。

胡為有結繩,陷此膠與漆。

それになんで結縄などということをはじめて、人間の天然の親密をうちこわす様にしたのだ。

#3

禍首燧人氏,厲階董狐筆。

君看燈燭張,轉使飛蛾密。

放神八極外,俯仰俱蕭瑟。

終契如往還,得匪合仙術。

 

(懷を寫す,二首の一) #1

夜深くして南軒に坐す,明月 我が膝を照らす。

驚風 河漢を翻す,梁棟 已に日出づ。

群生 各の一宿す,飛動 自ら儔匹す。

吾も亦た 其の兒を驅る,營營たる 私實の為なり。

#2

天寒くして行旅稀なり,暮れて 日月疾【はや】し。

榮名 忽ち人に中【あた】る,世亂れて 蟣蝨の如し。

古者 三皇の前,滿腹 志願畢る。

胡為れぞ 結繩有りて,此の膠と漆とを陷れるや。

 

戦国時代(紀元前350年頃)東方地図 

『寫懷,二首之二』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

天寒行旅稀,暮日月疾。

榮名忽中人,世亂如蟣蝨。

古者三皇前,滿腹志願畢。

胡為有結繩,陷此膠與漆。

(下し文)
#2

天寒くして行旅稀なり,暮れて 日月疾【はや】し。

榮名 忽ち人に中【あた】る,世亂れて 蟣蝨の如し。

古者 三皇の前,滿腹 志願畢る。

胡為れぞ 結繩有りて,此の膠と漆とを陷れるや。

(現代語訳)
#2

いま天が寒くなって旅人も稀になっている、月日のすぎるのは、はやくて歳がくれになった。

かんがへてみると世のなかの人人は栄誉ある名のために中毒しているもので、そのため世はみだれてしらみ蟲がわいているごとくになっている。

おおむかしに三皇の以前には人は腹いっぱい物をつめたらそれだけで志願はすんでいたのだ。

それになんで結縄などということをはじめて、人間の天然の親密をうちこわす様にしたのだ。


(訳注) #2

寫懷,二首之二  #2

(自分の胸の内を写し述べた詩)その二

31 寫懷 抒發情懷。漢蔡邕《司徒袁公夫人馬氏碑銘》:「哀子懿達、仁達,銜恤哀痛,靡所寫懷,乃撰録母氏之德所履,示公之門人。」三國魏明帝《苦寒行》:「賦詩以寫懷,伏軾淚沾纓。」

 

天寒行旅稀,暮日月疾。

いま天が寒くなって旅人も稀になっている、月日のすぎるのは、はやくて歳がくれになった。

32 日月疾 月日のすぎるのがはやいことをいう。

 

榮名忽中人,世亂如蟣蝨。

かんがへてみると世のなかの人人は栄誉ある名のために中毒しているもので、そのため世はみだれてしらみ蟲がわいているごとくになっている。

33 中人 名利心の害毒にあたられることをいう。

34 蟣蝨 蟣はしらみの子、蝨はしらみ。

 

古者三皇前,滿腹志願畢。

おおむかしに三皇の以前には人は腹いっぱい物をつめたらそれだけで志願はすんでいたのだ。

35 三皇 三皇については諸説あるが、1. 前漢・司馬遷『史記』秦始皇本紀において皇帝という称号を定める文脈で、天皇・地皇・泰皇(人皇)を挙げる。泰皇の「皇」と「帝」号を組み合わせて皇帝としたと伝えられている。唐の司馬貞『史記索隠』では泰皇=人皇としたり、天皇・地皇・人皇を三皇としてその前に泰皇がいたとしたりする。司馬貞が補った『史記』の三皇本紀では三皇を伏羲、女媧、神農とするが、天皇・地皇・人皇という説も並記している。 2. 唐の司馬貞補『史記』三皇本紀で、伏羲・女媧・神農としている。『春秋緯運斗枢』(『風俗通』皇覇篇に引く)。これを継承する。 3. 『礼緯含文嘉』(『風俗通』皇覇篇に引く)では燧人・伏羲・神農  4. 後漢・班固『白虎通』号篇では伏羲・神農・祝融としている。  5. 西晋・皇甫謐『帝王世紀』では伏羲・神農・黄帝を三皇としている。 -

 

胡為有結繩,陷此膠與漆。

それになんで結縄などということをはじめて、人間の天然の親密をうちこわす様にしたのだ。

36 胡為 どうしてからか、どうして、の意。別名 何為、執為.

37 結繩 未開民族がなす思想交換、保存のための方法であり、縄を結び、その結び方、その結び目の間隔などにより伝える、一種の文字言語。文字をもたない社会で,縄(なわ)の結び方によって数量などを表示・記録したり,意思を通じたりすること。古代ペルーのキープや沖縄の藁算(わらさん)など種々ある。

38 陷此 おとしいる、破壊することを言う。

39 膠與漆 交情の密着を言う。《古詩十九首之十八》「以膠投漆中,誰能別離此?」(膠を以て漆中に投ぜば、誰か能く此を別離せん。 ニカワを漆の中に入れ込んだら、もう誰でも引き離すことはできないことであるように夫婦仲もそれと同じなのだ。

古詩十九首之十八 漢の無名氏(18)  漢詩<31 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2541 (06/17)

 

汜水関などの地図 

 

寫懷,二首【字解】

 

 

(自分の胸の内を写し述べた詩)

1 勞生 我々に生命を与えて苦労させる。《莊子.大宗師》:「夫大塊載我以形,勞我以生,佚我以老,息我以死。」(夫れ大塊は我を載するに形を以てし,我を勞するに生を以てし,我を佚するに老を以てし,我を息するに死をて以す。)大地は我々に形を与えてくれる。そしてまた我々に生命を与えて苦労させ、歳をとらせて楽にし、死を与えて休息させてくれる。

2 共乾坤 同一の天地の間にあることを言う。1 (えき)の卦()の乾と坤。2 天と地。天地。3 陰陽。4 いぬい(北西)の方角とひつじさる(南西)の方角。5 2巻で一組となっている書物の、上巻と下巻。

3 異風俗 風俗異ならず、ということではなく、異を諭ずるに及ばざるをいう。 

4 冉冉 1.進行の貌。次第に進んでいくさま。徐々に侵し広がるさま。2(髪の毛や木の枝・葉などが)しなやかに垂れる.

5 趨競 はしり競う。競い争うこと。名利の途におもむく。爭名奪利。《宋史.卷二九六.呂祐之傳》:「祐之純謹長者,不喜趨競。」

6 行行 一歩一歩。魏 武帝《苦寒行》「行行日已遠,人馬同時饑。」(行き行きて日已に遠く 人馬 時を同じくして飢う)

7 羈束 からだをつなぎしばられる。

8 無貴賤不悲,無富貧亦足 阮籍《大人先生傳》「夫無貴則賤者不怨,無富則貧者不爭,各足於身而無所求也。」(夫れ貴無んば則ち賤者怨まず,富無んば則ち貧者爭わず,各の身に足して求むる所無し也。)に基づく。

9 一骸骨 だれも同一骸骨になる

10 遞 1 横へ横へと次々に伝え送る。「逓信・逓送/駅逓・伝逓」2 だんだん。しだいに。

11 歌哭 笑い歌いまた悲しみ哭することで烈的感情をいう。《周礼·春官·女巫》「凡邦之大災, 歌哭而請。」とある。

12 鄙夫 いやしい男。下品な男。現在の自分が思うようにならない様子を謙遜して使う語。

13 三 755年永泰元年、756年大暦元年、757年大暦二年の三年を言う。

14 如轉燭 風中に搖曳く燭火の瞬く間。比するのは、世事のことであり、月の遷流するのが迅速であることである。杜甫《0715佳人》詩「世情惡衰歇,萬事隨轉燭。」(世情【せじょう】衰歇【すいけつ】を悪む、万事【ばんじ】転燭【てんしょく】に随う。普通世間の人にたいする情というものは女盛りなら誰でも愛すものだが、歳を重ね衰えてしまった肢体顔色、後ろ盾がなく、頼る背のないものは嫌がられるものであり、わが身づくろいも万事はその場の成り行きのままになってきた。

佳人 <229-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1112 杜甫特集700- 335

15 榮辱 光榮と恥辱。易經·繫辭上:「樞機之發,榮辱之主也。」(樞機 之れ發す,榮辱 之れ主とする也。)枢機とは、1 物事の最も大切なところ。かなめ。要所。2 重要な政務。

16 朝班及暮齒 晩年になって朝班を得たことを言う。暮齒:晩年を言う。杜甫75746歳鳳翔行在所において左拾遺を授けられる。76453歳工部員外郎となり緋魚袋をたまわる。 

17 粟 脱粟の飯とは、もみがらを取り去っただけで精白してない米を炊いた飯。玄米飯。

18 編蓬 蓬を編んで戸扉とするをいう。編蓬以為門 亦指結草為廬。 漢東方朔《非有先生論》「居深山之間, 積土為室, 編蓬為 彈琴其中, 以詠先王之風, 亦可以樂而忘死矣。」

19 石城東 夔州城は石城といわれ、東はその東、即ち杜甫の草堂のある瀼西を言う。

20 采藥 采藥,亦作“采葯”。藥物を采集するを謂う。 亦た、世を避けて隱居するを指し、或いは、仙修の道を求めることをさす。 《後漢書逸民傳龐公》「後遂攜其妻子登鹿門山, 因采藥不反。」(後、遂に其の妻子を攜えて鹿門山に登り, 因て藥を采り反らず。 唐李白《悲清秋賦》「歸去來兮人間可以托些,吾將采藥於蓬邱。」(歸りなんいざ、人間 可なり 以て托し,吾 將に藥を蓬邱に采る。)

21 山北谷 山北の谷とは瀼西の居よりいわば蓋し、白谷をいう。杜甫《19-10 上後園山》詩に山北の谷について述べているが初四句に「朱夏熱所嬰,清旭步北林。小園背高岡,挽葛上崎崟。」(朱夏 熱 嬰る所なり,清旭に 北林に步す。小園 高岡をに背す,葛を挽きて 崎崟たるに上る。)とある。

767-12-#1杜甫 19-10 上後園山#1 杜甫詩index-15-767年大暦256-12-#1 <1095 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7155 

 

22 寫懷 抒發情懷。漢蔡邕《司徒袁公夫人馬氏碑銘》:「哀子懿達、仁達,銜恤哀痛,靡所寫懷,乃撰録母氏之德所履,示公之門人。」三國魏明帝《苦寒行》:「賦詩以寫懷,伏軾淚沾纓。」

23 河漢 あまのがわ。天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。杜甫『天河』。うじゃく:かささぎ 「烏鵲の智」 遠い将来のことばかり心配して、近くに迫っている災難に気がつかないこと。かささぎは強風の多い年には風をさけようとして巣を低い枝にかけるが、そのために、雛や卵を人に捕られることまでは、知恵がまわらない。このことを「喜」に置き換えてうたう。李商隠辛未七夕」 李商隠にカササギが銀河の橋渡しをしてくれる鳥としている。『詩経』「鵲巢」にはカササギは巣作りに一生懸命、出来上がった巣は立派な頑丈なもの、しかし鳩が子育てに使う。しかしたくさんのお客がついてくる、というもの。

天河 杜甫<292kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1343 杜甫詩 700- 412

初月 杜甫<293kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1346 杜甫詩 700- 413

24 梁棟 ① (建物の屋根の主要材である)棟(むね)と梁(はり)。 一国の臣。 一族・一門を率いる者。かしら。おさ。頭領。統領。 「武家の-」 大工の親方。かしら。寝ていて朝日が射しこんで本来うす暗いところが明るくなることを言う。

25 羣生 もろもろの生物。

26 一宿 一夜の棲宿をしたこと。

27 飛動 禽獣をいう。

28 儔匹 同類 共に生を遂げる。

29 營營 働く姿を言う。

30 私實 私有財産、財物をいう。國語 楚語》「蓄衆、聚實。」(衆を蓄え、實を聚む)

767年-21#1杜少陵集 《20-101 寫懷,二首之二 #1》 杜甫詩index-15-1135 <1585> 767年大暦2年56歲-21#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7322

杜甫  寫懷,二首之二  #1

夜深坐南軒,明月照我膝。驚風翻河漢,梁棟已出日。

群生各一宿,飛動自儔匹。吾亦驅其兒,營營為私實。
(自分の胸の内を写し述べた詩)その二  夜ふけて南むきの軒にすわっていると、明月が自分の膝の上を照らす。ざわつく風があまの河原を吹きおとしたかとおもうと、梁棟の上には、はや太陽があらわれる。すべての生物がそれぞれ一夜のやどりを終わって禽獣そのたぐいを求めてはたらく。自分もこどもらを駆りたてて、せっせとはたらくのは自己の財物をつくらんがために外ならないのである。

杜少陵集20-101-#1

寫懷,二首之二  #1

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杜甫詩index-15-

767年大暦256  21  #1

1135 <1585

 

 

 
  2016年2月11日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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年:767年大暦256  21  #1

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    寫懷,二首之二

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詩文:

 

寫懷,二首之二  #1

(自分の胸の内を写し述べた詩)その二

夜深坐南軒,明月照我膝。

夜ふけて南むきの軒にすわっていると、明月が自分の膝の上を照らす。

驚風翻河漢,梁棟已出日。

ざわつく風があまの河原を吹きおとしたかとおもうと、梁棟の上には、はや太陽があらわれる。

群生各一宿,飛動自儔匹。

すべての生物がそれぞれ一夜のやどりを終わって禽獣そのたぐいを求めてはたらく。

吾亦驅其兒,營營為私實。

自分もこどもらを駆りたてて、せっせとはたらくのは自己の財物をつくらんがために外ならないのである。

#2

天寒行旅稀,暮日月疾。

榮名忽中人,世亂如蟣蝨。

古者三皇前,滿腹志願畢。

胡為有結繩,陷此膠與漆。

#3

禍首燧人氏,厲階董狐筆。

君看燈燭張,轉使飛蛾密。

放神八極外,俯仰俱蕭瑟。

終契如往還,得匪合仙術。

 

(懷を寫す,二首の一) #1

夜深くして南軒に坐す,明月 我が膝を照らす。

驚風 河漢を翻す,梁棟 已に日出づ。

群生 各の一宿す,飛動 自ら儔匹す。

吾も亦た 其の兒を驅る,營營たる 私實の為なり。

 

 

『寫懷,二首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

寫懷,二首之二  #1

夜深坐南軒,明月照我膝。

驚風翻河漢,梁棟已出日。

群生各一宿,飛動自儔匹。

吾亦驅其兒,營營為私實。
詩文(含異文)

夜深坐南軒,明月照我膝。驚風翻河漢,梁棟已出日【梁棟日已出】。

群生各一宿,飛動自儔匹。吾亦驅其兒,營營為私實【營營為私室】。


(下し文)
(懷を寫す,二首の二) #1

夜深くして南軒に坐す,明月 我が膝を照らす。

驚風 河漢を翻す,梁棟 已に日出づ。

群生 各の一宿す,飛動 自ら儔匹す。

吾も亦た 其の兒を驅る,營營たる 私實の為なり。

(現代語訳)
寫懷,二首之二  #1 (自分の胸の内を写し述べた詩)その二

夜ふけて南むきの軒にすわっていると、明月が自分の膝の上を照らす。

ざわつく風があまの河原を吹きおとしたかとおもうと、梁棟の上には、はや太陽があらわれる。

すべての生物がそれぞれ一夜のやどりを終わって禽獣そのたぐいを求めてはたらく。

自分もこどもらを駆りたてて、せっせとはたらくのは自己の財物をつくらんがために外ならないのである。


(訳注)

寫懷,二首之二  #1

(自分の胸の内を写し述べた詩)その二

抒發情懷。漢蔡邕《司徒袁公夫人馬氏碑銘》:「哀子懿達、仁達,銜恤哀痛,靡所寫懷,乃撰録母氏之德所履,示公之門人。」三國魏明帝《苦寒行》:「賦詩以寫懷,伏軾淚沾纓。」

 

夜深坐南軒,明月照我膝。

夜ふけて南むきの軒にすわっていると、明月が自分の膝の上を照らす。

 

驚風翻河漢,梁棟已出日。

ざわつく風があまの河原を吹きおとしたかとおもうと、梁棟の上には、はや太陽があらわれる。

河漢 あまのがわ。天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。杜甫『天河』。うじゃく:かささぎ 「烏鵲の智」 遠い将来のことばかり心配して、近くに迫っている災難に気がつかないこと。かささぎは強風の多い年には風をさけようとして巣を低い枝にかけるが、そのために、雛や卵を人に捕られることまでは、知恵がまわらない。このことを「喜」に置き換えてうたう。李商隠辛未七夕」 李商隠にカササギが銀河の橋渡しをしてくれる鳥としている。『詩経』「鵲巢」にはカササギは巣作りに一生懸命、出来上がった巣は立派な頑丈なもの、しかし鳩が子育てに使う。しかしたくさんのお客がついてくる、というもの。

天河 杜甫<292kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1343 杜甫詩 700- 412

初月 杜甫<293kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1346 杜甫詩 700- 413

梁棟 ① (建物の屋根の主要材である)棟(むね)と梁(はり)。 一国の臣。 一族・一門を率いる者。かしら。おさ。頭領。統領。 「武家の-」 大工の親方。かしら。寝ていて朝日が射しこんで本来うす暗いところが明るくなることを言う。

 

群生各一宿,飛動自儔匹。

すべての生物がそれぞれ一夜のやどりを終わって禽獣そのたぐいを求めてはたらく。

羣生 もろもろの生物。

一宿 一夜の棲宿をしたこと。

飛動 禽獣をいう。

儔匹 同類 共に生を遂げる。

 

吾亦驅其兒,營營為私實。

自分もこどもらを駆りたてて、せっせとはたらくのは自己の財物をつくらんがために外ならないのである。

營營 働く姿を言う。

私實 私有財産、財物をいう。國語 楚語》「蓄衆、聚實。」(衆を蓄え、實を聚む)

 

denen03350 

 

 

寫懷,二首【字解】

寫懷,二首之一 #1

勞生共乾坤,何處異風俗。

冉冉自趨競,行行見羈束。

無貴賤不悲,無富貧亦足。

萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。

#2

鄙夫到巫峽,三如轉燭。

全命甘留滯,忘情任榮辱。

朝班及暮齒,日給還粟。

編蓬石城東,采藥山北谷。

#3

用心霜雪間,不必條蔓綠。

非關故安排,曾是順幽獨。

達士如弦直,小人似鉤曲。

曲直我不知,負暄候樵牧。 

 

(自分の胸の内を写し述べた詩)

1 勞生 我々に生命を与えて苦労させる。《莊子.大宗師》:「夫大塊載我以形,勞我以生,佚我以老,息我以死。」(夫れ大塊は我を載するに形を以てし,我を勞するに生を以てし,我を佚するに老を以てし,我を息するに死をて以す。)大地は我々に形を与えてくれる。そしてまた我々に生命を与えて苦労させ、歳をとらせて楽にし、死を与えて休息させてくれる。

2 共乾坤 同一の天地の間にあることを言う。1 (えき)の卦()の乾と坤。2 天と地。天地。3 陰陽。4 いぬい(北西)の方角とひつじさる(南西)の方角。5 2巻で一組となっている書物の、上巻と下巻。

3 異風俗 風俗異ならず、ということではなく、異を諭ずるに及ばざるをいう。 

4 冉冉 1.進行の貌。次第に進んでいくさま。徐々に侵し広がるさま。2(髪の毛や木の枝・葉などが)しなやかに垂れる.

5 趨競 はしり競う。競い争うこと。名利の途におもむく。爭名奪利。《宋史.卷二九六.呂祐之傳》:「祐之純謹長者,不喜趨競。」

6 行行 一歩一歩。魏 武帝《苦寒行》「行行日已遠,人馬同時饑。」(行き行きて日已に遠く 人馬 時を同じくして飢う)

7 羈束 からだをつなぎしばられる。

8 無貴賤不悲,無富貧亦足 阮籍《大人先生傳》「夫無貴則賤者不怨,無富則貧者不爭,各足於身而無所求也。」(夫れ貴無んば則ち賤者怨まず,富無んば則ち貧者爭わず,各の身に足して求むる所無し也。)に基づく。

9 一骸骨 だれも同一骸骨になる

10 遞 1 横へ横へと次々に伝え送る。「逓信・逓送/駅逓・伝逓」2 だんだん。しだいに。

11 歌哭 笑い歌いまた悲しみ哭することで烈的感情をいう。《周礼·春官·女巫》「凡邦之大災, 歌哭而請。」とある。

12 鄙夫 いやしい男。下品な男。現在の自分が思うようにならない様子を謙遜して使う語。

13 三 755年永泰元年、756年大暦元年、757年大暦二年の三年を言う。

14 如轉燭 風中に搖曳く燭火の瞬く間。比するのは、世事のことであり、月の遷流するのが迅速であることである。杜甫《0715佳人》詩「世情惡衰歇,萬事隨轉燭。」(世情【せじょう】衰歇【すいけつ】を悪む、万事【ばんじ】転燭【てんしょく】に随う。普通世間の人にたいする情というものは女盛りなら誰でも愛すものだが、歳を重ね衰えてしまった肢体顔色、後ろ盾がなく、頼る背のないものは嫌がられるものであり、わが身づくろいも万事はその場の成り行きのままになってきた。

佳人 <229-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1112 杜甫特集700- 335

15 榮辱 光榮と恥辱。易經·繫辭上:「樞機之發,榮辱之主也。」(樞機 之れ發す,榮辱 之れ主とする也。)枢機とは、1 物事の最も大切なところ。かなめ。要所。2 重要な政務。

16 朝班及暮齒 晩年になって朝班を得たことを言う。暮齒:晩年を言う。杜甫75746歳鳳翔行在所において左拾遺を授けられる。76453歳工部員外郎となり緋魚袋をたまわる。 

17 粟 脱粟の飯とは、もみがらを取り去っただけで精白してない米を炊いた飯。玄米飯。

18 編蓬 蓬を編んで戸扉とするをいう。編蓬以為門 亦指結草為廬。 漢東方朔《非有先生論》「居深山之間, 積土為室, 編蓬為 彈琴其中, 以詠先王之風, 亦可以樂而忘死矣。」

19 石城東 夔州城は石城といわれ、東はその東、即ち杜甫の草堂のある瀼西を言う。

20 采藥 采藥,亦作“采葯”。藥物を采集するを謂う。 亦た、世を避けて隱居するを指し、或いは、仙修の道を求めることをさす。 《後漢書逸民傳龐公》「後遂攜其妻子登鹿門山, 因采藥不反。」(後、遂に其の妻子を攜えて鹿門山に登り, 因て藥を采り反らず。 唐李白《悲清秋賦》「歸去來兮人間可以托些,吾將采藥於蓬邱。」(歸りなんいざ、人間 可なり 以て托し,吾 將に藥を蓬邱に采る。)

21 山北谷 山北の谷とは瀼西の居よりいわば蓋し、白谷をいう。杜甫《19-10 上後園山》詩に山北の谷について述べているが初四句に「朱夏熱所嬰,清旭步北林。小園背高岡,挽葛上崎崟。」(朱夏 熱 嬰る所なり,清旭に 北林に步す。小園 高岡をに背す,葛を挽きて 崎崟たるに上る。)とある。

767-12-#1杜甫 19-10 上後園山#1 杜甫詩index-15-767年大暦256-12-#1 <1095 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7155 
安史の乱当時の勢力図 

767年-20#3杜少陵集 《20-100 寫懷,二首之一 #3》 杜甫詩index-15-1134 <1584> 767年大暦2年56歲-20#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7317

杜甫  寫懷,二首之一 #3

用心霜雪間,不必條蔓綠。非關故安排,曾是順幽獨。

達士如弦直,小人似鉤曲。曲直我不知,負暄候樵牧。

その藥草をとるには枝や蔓の緑なときばかりであるとはかぎらず、霜や雪が降った時でも怠らず採っているのである。こんなことをしているのは「荘子」がいうよう「安排」といふことをわざとやるのではなく、自己の幽燭の本性にさからわないことというのにほかならないのである。「達士は直きこと弦の如く、小人は曲れること鈎の如くだ」ときく。自分は曲だの直だのといふことはわからぬ、ただ日向ぼっこをしながら樵夫や牧童のさまをのぞいているだけである。

杜少陵集20-100-#3

寫懷,二首之一  #3

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7317 

杜甫詩index-15-

767年大暦256  20  #3

1134 <1584

 

 
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年:767年大暦256

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    寫懷,二首之一

作地點:              目前尚無資料

及地點:             

交遊人物/地點:  

詩文:

 

 

寫懷,二首之一#1

(自分の胸の内を写し述べた詩)

勞生共乾坤,何處異風俗。

どこでいかに風俗がちがっていようとも、我々に生命を与えて骨折らせ、苦労させられていることは天地に共通していることだ。

冉冉自趨競,行行見羈束。

生きるために次第に名利の途「爭名奪利」をきそいあっている間に一歩一歩その、名利の綱にしばられてしまう。

無貴賤不悲,無富貧亦足。

貴ということがなくば、賤者も悲しまないし、富ということがなくば、貧者も貧で一定の満足しているものだ。

萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。

萬古の久しきにわたってかんがえるとだれも同一骸骨になるのだが、さりとも心づかずに隣りあいでたがいに悲歓歌哭をしつつある。

#2

鄙夫到巫峽,三如轉燭。

思うようにならない自分としては、巫峡へきてから、轉燭のごとく三年というものがまたたくまにすぎたのである。

全命甘留滯,忘情任榮辱。

どうやら今、生命を全くして滞留に甘んじるだけであり、喜憂の情を忘れ、栄辱のなるがままになっている。

朝班及暮齒,日給還粟。

晩年になってから朝位をわかち、緋魚袋をたまわりはしたが、日日やっぱり玄米にありついているのである。

編蓬石城東,采藥山北谷。

夔州の石城の東に蓬を編んで門とし、山北の谷で龐公のように薬草を採って隠棲ぐらしているのである。

#3

用心霜雪間,不必條蔓綠。

その藥草をとるには枝や蔓の緑なときばかりであるとはかぎらず、霜や雪が降った時でも怠らず採っているのである。

非關故安排,曾是順幽獨。

こんなことをしているのは「荘子」がいうよう「安排」といふことをわざとやるのではなく、自己の幽燭の本性にさからわないことというのにほかならないのである。

達士如弦直,小人似鉤曲。

「達士は直きこと弦の如く、小人は曲れること鈎の如くだ」ときく。

曲直我不知,負暄候樵牧。

自分は曲だの直だのといふことはわからぬ、ただ日向ぼっこをしながら樵夫や牧童のさまをのぞいているだけである。

(懷を寫す,二首の一) #1

生に勞せしめらるるは乾坤を共にす,何の處か 風俗を異にす。

冉冉 自ら趨競して,行行 羈束せらるる。

貴 無くば 賤 悲まず,富 無くば 貧 亦た足る。

萬古 一骸骨,鄰家 遞いに 歌い哭す。

#2

鄙夫 巫峽に到り,三 轉燭の如し。

命を全うし留滯にん甘じ,情を忘れて榮辱に任す。

朝班 暮齒に及ぶ,日給 還た粟をす。

蓬を編す 石城の東,藥を采る 山北の谷。

#3

心を霜雪の間に用う,條蔓の綠なるを必とせず。

故【ことさ】らに排に安んじて關するに非らず,曾【すなわ】ち是れ幽獨に順う。

達士は弦の直きが如く,小人は鉤の曲れるに似たり。

曲直は我 知らず,暄を負いて樵牧を候【うかが】う。

DCF00004 

『寫懷,二首之一』  現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

用心霜雪間,不必條蔓綠。

非關故安排,曾是順幽獨。

達士如弦直,小人似鉤曲。

曲直我不知,負暄候樵牧。

(下し文)
#3

心を霜雪の間に用う,條蔓の綠なるを必とせず。

故【ことさ】らに排に安んじて關するに非らず,曾【すなわ】ち是れ幽獨に順う。

達士は弦の直きが如く,小人は鉤の曲れるに似たり。

曲直は我 知らず,暄を負いて樵牧を候【うかが】う。

(現代語訳)
#3

その藥草をとるには枝や蔓の緑なときばかりであるとはかぎらず、霜や雪が降った時でも怠らず採っているのである。

こんなことをしているのは「荘子」がいうよう「安排」といふことをわざとやるのではなく、自己の幽燭の本性にさからわないことというのにほかならないのである。

「達士は直きこと弦の如く、小人は曲れること鈎の如くだ」ときく。

自分は曲だの直だのといふことはわからぬ、ただ日向ぼっこをしながら樵夫や牧童のさまをのぞいているだけである。


(訳注) #3

寫懷,二首之一3

(自分の胸の内を写し述べた詩)

 

用心霜雪間,不必條蔓綠。

その藥草をとるには枝や蔓の緑なときばかりであるとはかぎらず、霜や雪が降った時でも怠らず採っているのである。

22 用心霜雪間 霜や雪が降った時でも怠らず採っているのである。

23 不必條蔓綠 藥草をとるには枝や蔓の緑なときばかりである。

 

非關故安排,曾是順幽獨。

こんなことをしているのは「荘子」がいうよう「安排」といふことをわざとやるのではなく、自己の幽燭の本性にさからわないことというのにほかならないのである。

24 安排 事の推移に甘んじ、変化に従っていくこと。『荘子、大宗師、第六』

「造適不及笑、獻笑不及排、安排而去化、乃入於寥天一。」(造るところに適すれば笑うに及ばず、獻もて笑えば排するに及ばず、排に安んじて化に去れば、乃ち寥に入りて天と一たらん。)“どこに行っても楽しいなら特別に楽しみ笑うには及ばないし、良いことをして楽しむならそこには選択があるのだから事の推移に従えない。事の推移に甘んじ、変化に従っていくならば広々としたところに入り、天と一体になるでしょう。”とあり、又、莊子に、委順ということもあり、運命のままに身を任せておくを言う。安排もおなじ。

25 順幽獨 杜甫の幽燭の本性にさからわないこと。

 

達士如弦直,小人似鉤曲。

「達士は直きこと弦の如く、小人は曲れること鈎の如くだ」ときく。

26 達士 達観した高士。

27 弦直・鉤曲 後漢の順帝末の童謡に「如弦直、死道邊、曲如鉤、封公侯。」とあるに基づく。

 

曲直我不知,負暄候樵牧。

自分は曲だの直だのといふことはわからぬ、ただ日向ぼっこをしながら樵夫や牧童のさまをのぞいているだけである。

28 負暄 日なたぼっこ。

候樵牧 樵夫牧童のなすがままをうかがう。

 

00大豆畑 

 

 

 

 

寫懷,二首【字解】

 

 

(自分の胸の内を写し述べた詩)

1 勞生 我々に生命を与えて苦労させる。《莊子.大宗師》:「夫大塊載我以形,勞我以生,佚我以老,息我以死。」(夫れ大塊は我を載するに形を以てし,我を勞するに生を以てし,我を佚するに老を以てし,我を息するに死をて以す。)大地は我々に形を与えてくれる。そしてまた我々に生命を与えて苦労させ、歳をとらせて楽にし、死を与えて休息させてくれる。

2 共乾坤 同一の天地の間にあることを言う。1 (えき)の卦()の乾と坤。2 天と地。天地。3 陰陽。4 いぬい(北西)の方角とひつじさる(南西)の方角。5 2巻で一組となっている書物の、上巻と下巻。

3 異風俗 風俗異ならず、ということではなく、異を諭ずるに及ばざるをいう。 

4 冉冉 1.進行の貌。次第に進んでいくさま。徐々に侵し広がるさま。2(髪の毛や木の枝・葉などが)しなやかに垂れる.

5 趨競 はしり競う。競い争うこと。名利の途におもむく。爭名奪利。《宋史.卷二九六.呂祐之傳》:「祐之純謹長者,不喜趨競。」

6 行行 一歩一歩。魏 武帝《苦寒行》「行行日已遠,人馬同時饑。」(行き行きて日已に遠く 人馬 時を同じくして飢う)

7 羈束 からだをつなぎしばられる。

8 無貴賤不悲,無富貧亦足 阮籍《大人先生傳》「夫無貴則賤者不怨,無富則貧者不爭,各足於身而無所求也。」(夫れ貴無んば則ち賤者怨まず,富無んば則ち貧者爭わず,各の身に足して求むる所無し也。)に基づく。

9 一骸骨 だれも同一骸骨になる

10 遞 1 横へ横へと次々に伝え送る。「逓信・逓送/駅逓・伝逓」2 だんだん。しだいに。

11 歌哭 笑い歌いまた悲しみ哭することで烈的感情をいう。《周礼·春官·女巫》「凡邦之大災, 歌哭而請。」とある。

12 鄙夫 いやしい男。下品な男。現在の自分が思うようにならない様子を謙遜して使う語。

13 三 755年永泰元年、756年大暦元年、757年大暦二年の三年を言う。

14 如轉燭 風中に搖曳く燭火の瞬く間。比するのは、世事のことであり、月の遷流するのが迅速であることである。杜甫《0715佳人》詩「世情惡衰歇,萬事隨轉燭。」(世情【せじょう】衰歇【すいけつ】を悪む、万事【ばんじ】転燭【てんしょく】に随う。普通世間の人にたいする情というものは女盛りなら誰でも愛すものだが、歳を重ね衰えてしまった肢体顔色、後ろ盾がなく、頼る背のないものは嫌がられるものであり、わが身づくろいも万事はその場の成り行きのままになってきた。

佳人 <229-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1112 杜甫特集700- 335

15 榮辱 光榮と恥辱。易經·繫辭上:「樞機之發,榮辱之主也。」(樞機 之れ發す,榮辱 之れ主とする也。)枢機とは、1 物事の最も大切なところ。かなめ。要所。2 重要な政務。

16 朝班及暮齒 晩年になって朝班を得たことを言う。暮齒:晩年を言う。杜甫75746歳鳳翔行在所において左拾遺を授けられる。76453歳工部員外郎となり緋魚袋をたまわる。 

17 粟 脱粟の飯とは、もみがらを取り去っただけで精白してない米を炊いた飯。玄米飯。

18 編蓬 蓬を編んで戸扉とするをいう。編蓬以為門 亦指結草為廬。 漢東方朔《非有先生論》「居深山之間, 積土為室, 編蓬為 彈琴其中, 以詠先王之風, 亦可以樂而忘死矣。」

19 石城東 夔州城は石城といわれ、東はその東、即ち杜甫の草堂のある瀼西を言う。

20 采藥 采藥,亦作“采葯”。藥物を采集するを謂う。 亦た、世を避けて隱居するを指し、或いは、仙修の道を求めることをさす。 《後漢書逸民傳龐公》「後遂攜其妻子登鹿門山, 因采藥不反。」(後、遂に其の妻子を攜えて鹿門山に登り, 因て藥を采り反らず。 唐李白《悲清秋賦》「歸去來兮人間可以托些,吾將采藥於蓬邱。」(歸りなんいざ、人間 可なり 以て托し,吾 將に藥を蓬邱に采る。)

21 山北谷 山北の谷とは瀼西の居よりいわば蓋し、白谷をいう。杜甫《19-10 上後園山》詩に山北の谷について述べているが初四句に「朱夏熱所嬰,清旭步北林。小園背高岡,挽葛上崎崟。」(朱夏 熱 嬰る所なり,清旭に 北林に步す。小園 高岡をに背す,葛を挽きて 崎崟たるに上る。)とある。

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767年-20#2杜少陵集 《20-100 寫懷,二首之一 #2》 杜甫詩index-15-1133 <1583> 767年大暦2年56歲-20#2漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7312

杜甫  寫懷,二首之一 #2

鄙夫到巫峽,三如轉燭。全命甘留滯,忘情任榮辱。

朝班及暮齒,日給還粟。編蓬石城東,采藥山北谷。
思うようにならない自分としては、巫峡へきてから、轉燭のごとく三年というものがまたたくまにすぎたのである。どうやら今、生命を全くして滞留に甘んじるだけであり、喜憂の情を忘れ、栄辱のなるがままになっている。晩年になってから朝位をわかち、緋魚袋をたまわりはしたが、日日やっぱり玄米にありついているのである。夔州の石城の東に蓬を編んで門とし、山北の谷で龐公のように薬草を採って隠棲ぐらしているのである。

杜少陵集20-100-#2

寫懷,二首之一  #2

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7312 

杜甫詩index-15-

767年大暦256  20  #2

1133 <1583

 

 
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年:767年大暦256

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    寫懷,二首之一

作地點:              目前尚無資料

及地點:             

交遊人物/地點:  

詩文:

 

 

寫懷,二首之一#1

(自分の胸の内を写し述べた詩)

勞生共乾坤,何處異風俗。

どこでいかに風俗がちがっていようとも、我々に生命を与えて骨折らせ、苦労させられていることは天地に共通していることだ。

冉冉自趨競,行行見羈束。

生きるために次第に名利の途「爭名奪利」をきそいあっている間に一歩一歩その、名利の綱にしばられてしまう。

無貴賤不悲,無富貧亦足。

貴ということがなくば、賤者も悲しまないし、富ということがなくば、貧者も貧で一定の満足しているものだ。

萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。

萬古の久しきにわたってかんがえるとだれも同一骸骨になるのだが、さりとも心づかずに隣りあいでたがいに悲歓歌哭をしつつある。

#2

鄙夫到巫峽,三如轉燭。

思うようにならない自分としては、巫峡へきてから、轉燭のごとく三年というものがまたたくまにすぎたのである。

全命甘留滯,忘情任榮辱。

どうやら今、生命を全くして滞留に甘んじるだけであり、喜憂の情を忘れ、栄辱のなるがままになっている。

朝班及暮齒,日給還粟。

晩年になってから朝位をわかち、緋魚袋をたまわりはしたが、日日やっぱり玄米にありついているのである。

編蓬石城東,采藥山北谷。

夔州の石城の東に蓬を編んで門とし、山北の谷で龐公のように薬草を採って隠棲ぐらしているのである。

#3

用心霜雪間,不必條蔓綠。

非關故安排,曾是順幽獨。

達士如弦直,小人似鉤曲。

曲直我不知,負暄候樵牧。

(懷を寫す,二首の一) #1

生に勞せしめらるるは乾坤を共にす,何の處か 風俗を異にす。

冉冉 自ら趨競して,行行 羈束せらるる。

貴 無くば 賤 悲まず,富 無くば 貧 亦た足る。

萬古 一骸骨,鄰家 遞いに 歌い哭す。

#2

鄙夫 巫峽に到り,三 轉燭の如し。

命を全うし留滯にん甘じ,情を忘れて榮辱に任す。

朝班 暮齒に及ぶ,日給 還た粟をす。

蓬を編す 石城の東,藥を采る 山北の谷。

唐時代 地図山南 東・西道50 

『寫懷,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

鄙夫到巫峽,三如轉燭。

全命甘留滯,忘情任榮辱。

朝班及暮齒,日給還粟。

編蓬石城東,采藥山北谷。

(下し文)
#2

鄙夫 巫峽に到り,三 轉燭の如し。

命を全うし留滯にん甘じ,情を忘れて榮辱に任す。

朝班 暮齒に及ぶ,日給 還た粟を

蓬を編す 石城の東,藥を采る 山北の谷。

(現代語訳)
#2

思うようにならない自分としては、巫峡へきてから、轉燭のごとく三年というものがまたたくまにすぎたのである。

どうやら今、生命を全くして滞留に甘んじるだけであり、喜憂の情を忘れ、栄辱のなるがままになっている。

晩年になってから朝位をわかち、緋魚袋をたまわりはしたが、日日やっぱり玄米にありついているのである。

夔州の石城の東に蓬を編んで門とし、山北の谷で龐公のように薬草を採って隠棲ぐらしているのである。


(訳注) #2

寫懷,二首之一2

(自分の胸の内を写し述べた詩)

 

鄙夫到巫峽,三如轉燭。

思うようにならない自分としては、巫峡へきてから、轉燭のごとく三年というものがまたたくまにすぎたのである。

12 鄙夫 いやしい男。下品な男。現在の自分が思うようにならない様子を謙遜して使う語。

13 三 755年永泰元年、756年大暦元年、757年大暦二年の三年を言う。

14 如轉燭 風中に搖曳く燭火の瞬く間。比するのは、世事のことであり、月の遷流するのが迅速であることである。杜甫《0715佳人》詩「世情惡衰歇,萬事隨轉燭。」(世情【せじょう】衰歇【すいけつ】を悪む、万事【ばんじ】転燭【てんしょく】に随う。普通世間の人にたいする情というものは女盛りなら誰でも愛すものだが、歳を重ね衰えてしまった肢体顔色、後ろ盾がなく、頼る背のないものは嫌がられるものであり、わが身づくろいも万事はその場の成り行きのままになってきた。

佳人 <229-#2>杜甫詩kanbuniinkai頌之の漢詩ブログ1112 杜甫特集700- 335

 

全命甘留滯,忘情任榮辱。

どうやら今、生命を全くして滞留に甘んじるだけであり、喜憂の情を忘れ、栄辱のなるがままになっている。

15 榮辱 光榮と恥辱。易經·繫辭上:「樞機之發,榮辱之主也。」(樞機 之れ發す,榮辱 之れ主とする也。)枢機とは、1 物事の最も大切なところ。かなめ。要所。2 重要な政務。

 

朝班及暮齒,日給還粟。

晩年になってから朝位をわかち、緋魚袋をたまわりはしたが、日日やっぱり玄米にありついているのである。

16 朝班及暮齒 晩年になって朝班を得たことを言う。暮齒:晩年を言う。杜甫75746歳鳳翔行在所において左拾遺を授けられる。76453歳工部員外郎となり緋魚袋をたまわる。 

17 粟 脱粟の飯とは、もみがらを取り去っただけで精白してない米を炊いた飯。玄米飯。

 

編蓬石城東,采藥山北谷。

夔州の石城の東に蓬を編んで門とし、山北の谷で龐公のように薬草を採って隠棲ぐらしているのである。

18 編蓬 蓬を編んで戸扉とするをいう。編蓬以為門 亦指結草為廬。 漢東方朔《非有先生論》「居深山之間, 積土為室, 編蓬為 彈琴其中, 以詠先王之風, 亦可以樂而忘死矣。」

19 石城東 夔州城は石城といわれ、東はその東、即ち杜甫の草堂のある瀼西を言う。

20 采藥 采藥,亦作“采葯”。藥物を采集するを謂う。 亦た、世を避けて隱居するを指し、或いは、仙修の道を求めることをさす。 《後漢書逸民傳龐公》「後遂攜其妻子登鹿門山, 因采藥不反。」(後、遂に其の妻子を攜えて鹿門山に登り, 因て藥を采り反らず。 唐李白《悲清秋賦》「歸去來兮人間可以托些,吾將采藥於蓬邱。」(歸りなんいざ、人間 可なり 以て托し,吾 將に藥を蓬邱に采る。)

21 山北谷 山北の谷とは瀼西の居よりいわば蓋し、白谷をいう。杜甫《19-10 上後園山》詩に山北の谷について述べているが初四句に「朱夏熱所嬰,清旭步北林。小園背高岡,挽葛上崎崟。」(朱夏 熱 嬰る所なり,清旭に 北林に步す。小園 高岡をに背す,葛を挽きて 崎崟たるに上る。)とある。

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瞿塘峡・白帝城・魚復 

寫懷,二首【字解】

 

 

(自分の胸の内を写し述べた詩)

1 勞生 我々に生命を与えて苦労させる。《莊子.大宗師》:「夫大塊載我以形,勞我以生,佚我以老,息我以死。」(夫れ大塊は我を載するに形を以てし,我を勞するに生を以てし,我を佚するに老を以てし,我を息するに死をて以す。)大地は我々に形を与えてくれる。そしてまた我々に生命を与えて苦労させ、歳をとらせて楽にし、死を与えて休息させてくれる。

2 共乾坤 同一の天地の間にあることを言う。1 (えき)の卦()の乾と坤。2 天と地。天地。3 陰陽。4 いぬい(北西)の方角とひつじさる(南西)の方角。5 2巻で一組となっている書物の、上巻と下巻。

3 異風俗 風俗異ならず、ということではなく、異を諭ずるに及ばざるをいう。 

4 冉冉 1.進行の貌。次第に進んでいくさま。徐々に侵し広がるさま。2(髪の毛や木の枝・葉などが)しなやかに垂れる.

5 趨競 はしり競う。競い争うこと。名利の途におもむく。爭名奪利。《宋史.卷二九六.呂祐之傳》:「祐之純謹長者,不喜趨競。」

6 行行 一歩一歩。魏 武帝《苦寒行》「行行日已遠,人馬同時饑。」(行き行きて日已に遠く 人馬 時を同じくして飢う)

7 羈束 からだをつなぎしばられる。

8 無貴賤不悲,無富貧亦足 阮籍《大人先生傳》「夫無貴則賤者不怨,無富則貧者不爭,各足於身而無所求也。」(夫れ貴無んば則ち賤者怨まず,富無んば則ち貧者爭わず,各の身に足して求むる所無し也。)に基づく。

9 一骸骨 だれも同一骸骨になる

10 遞 1 横へ横へと次々に伝え送る。「逓信・逓送/駅逓・伝逓」2 だんだん。しだいに。

11 歌哭 笑い歌いまた悲しみ哭することで烈的感情をいう。《周礼·春官·女巫》「凡邦之大災, 歌哭而請。」とある。

767年-20#1杜少陵集 《20-100 寫懷,二首之一 #1》 杜甫詩index-15-1132 <1582> 767年大暦2年56歲-20#1漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7307

杜甫  寫懷,二首之一#1

勞生共乾坤,何處異風俗。冉冉自趨競,行行見羈束。

無貴賤不悲,無富貧亦足。萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。

(自分の胸の内を写し述べた詩)

どこでいかに風俗がちがっていようとも、我々に生命を与えて骨折らせ、苦労させられていることは天地に共通していることだ。生きるために次第に名利の途「爭名奪利」をきそいあっている間に一歩一歩その、名利の綱にしばられてしまう。貴ということがなくば、賤者も悲しまないし、富ということがなくば、貧者も貧で一定の満足しているものだ。萬古の久しきにわたってかんがえるとだれも同一骸骨になるのだが、さりとも心づかずに隣りあいでたがいに悲歓歌哭をしつつある。

杜少陵集20-100

寫懷,二首之一  #1

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杜甫詩index-15-

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1132 <1582

 

 
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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杜甫詩1500-1132-1582/2500

年:767年大暦256

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    寫懷,二首之一

作地點:              目前尚無資料

及地點:             

交遊人物/地點:  

詩文:

 

 

寫懷,二首之一#1

(自分の胸の内を写し述べた詩)

勞生共乾坤,何處異風俗。

どこでいかに風俗がちがっていようとも、我々に生命を与えて骨折らせ、苦労させられていることは天地に共通していることだ。

冉冉自趨競,行行見羈束。

生きるために次第に名利の途「爭名奪利」をきそいあっている間に一歩一歩その、名利の綱にしばられてしまう。

無貴賤不悲,無富貧亦足。

貴ということがなくば、賤者も悲しまないし、富ということがなくば、貧者も貧で一定の満足しているものだ。

萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。

萬古の久しきにわたってかんがえるとだれも同一骸骨になるのだが、さりとも心づかずに隣りあいでたがいに悲歓歌哭をしつつある。

(懷を寫す,二首の一) #1

生に勞せしめらるるは乾坤を共にす,何の處か 風俗を異にす。

冉冉 自ら趨競して,行行 羈束せらるる。

貴 無くば 賤 悲まず,富 無くば 貧 亦た足る。

萬古 一骸骨,鄰家 遞いに 歌い哭す。
#2

鄙夫到巫峽,三如轉燭。

全命甘留滯,忘情任榮辱。

朝班及暮齒,日給還粟。

編蓬石城東,采藥山北谷。

#3

用心霜雪間,不必條蔓綠。

非關故安排,曾是順幽獨。

達士如弦直,小人似鉤曲。

曲直我不知,負暄候樵牧。

 

安史の乱当時の勢力図 

『寫懷,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

寫懷,二首之一#1

勞生共乾坤,何處異風俗。

冉冉自趨競,行行見羈束。

無貴賤不悲,無富貧亦足。

萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。

(下し文)

(懷を寫す,二首の一) #1

生に勞せしめらるるは乾坤を共にす,何の處か 風俗を異にす。

冉冉 自ら趨競して,行行 羈束せらるる。

貴 無くば 賤 悲まず,富 無くば 貧 亦た足る。

萬古 一骸骨,鄰家 遞いに 歌い哭す。

(現代語訳)
寫懷,二首之一#1(自分の胸の内を写し述べた詩)

どこでいかに風俗がちがっていようとも、我々に生命を与えて骨折らせ、苦労させられていることは天地に共通していることだ。

生きるために次第に名利の途「爭名奪利」をきそいあっている間に一歩一歩その、名利の綱にしばられてしまう。

貴ということがなくば、賤者も悲しまないし、富ということがなくば、貧者も貧で一定の満足しているものだ。

萬古の久しきにわたってかんがえるとだれも同一骸骨になるのだが、さりとも心づかずに隣りあいでたがいに悲歓歌哭をしつつある。

瞿塘峡・白帝城・魚復
(訳注)

寫懷,二首之一#1

(自分の胸の内を写し述べた詩)

 

勞生共乾坤,何處異風俗。

どこでいかに風俗がちがっていようとも、我々に生命を与えて骨折らせ、苦労させられていることは天地に共通していることだ。

1 勞生 我々に生命を与えて苦労させる。《莊子.大宗師》:「夫大塊載我以形,勞我以生,佚我以老,息我以死。」(夫れ大塊は我を載するに形を以てし,我を勞するに生を以てし,我を佚するに老を以てし,我を息するに死をて以す。)大地は我々に形を与えてくれる。そしてまた我々に生命を与えて苦労させ、歳をとらせて楽にし、死を与えて休息させてくれる。

2 共乾坤 同一の天地の間にあることを言う。1 (えき)の卦()の乾と坤。2 天と地。天地。3 陰陽。4 いぬい(北西)の方角とひつじさる(南西)の方角。5 2巻で一組となっている書物の、上巻と下巻。

3 異風俗 風俗異ならず、ということではなく、異を諭ずるに及ばざるをいう。 

 

冉冉自趨競,行行見羈束。

生きるために次第に名利の途「爭名奪利」をきそいあっている間に一歩一歩その、名利の綱にしばられてしまう。

4 冉冉 1.進行の貌。次第に進んでいくさま。徐々に侵し広がるさま。2(髪の毛や木の枝・葉などが)しなやかに垂れる.

5 趨競 はしり競う。競い争うこと。名利の途におもむく。爭名奪利。《宋史.卷二九六.呂祐之傳》:「祐之純謹長者,不喜趨競。」

6 行行 一歩一歩。魏 武帝《苦寒行》「行行日已遠,人馬同時饑。」(行き行きて日已に遠く 人馬 時を同じくして飢う)

7 羈束 からだをつなぎしばられる。

 

無貴賤不悲,無富貧亦足。

貴ということがなくば、賤者も悲しまないし、富ということがなくば、貧者も貧で一定の満足しているものだ。

8 無貴賤不悲,無富貧亦足 阮籍《大人先生傳》「夫無貴則賤者不怨,無富則貧者不爭,各足於身而無所求也。」(夫れ貴無んば則ち賤者怨まず,富無んば則ち貧者爭わず,各の身に足して求むる所無し也。)に基づく。

 

萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。

萬古の久しきにわたってかんがえるとだれも同一骸骨になるのだが、さりとも心づかずに隣りあいでたがいに悲歓歌哭をしつつある。

9 一骸骨 だれも同一骸骨になる

10 遞 1 横へ横へと次々に伝え送る。「逓信・逓送/駅逓・伝逓」2 だんだん。しだいに。

11 歌哭 笑い歌いまた悲しみ哭することで烈的感情をいう。《周礼·春官·女巫》「凡邦之大災, 歌哭而請。」とある。

767年-19-#4杜少陵集 《19-22 暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目》#4 杜甫詩index-15-1131 <1581> 767年大暦2年56歲-19-#4 7302

杜甫  暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目 #4

一步再流血,尚經矰繳勤。三步六號叫,志屈悲哀頻。

鸞皇不相待,側頸訴高旻。杖藜俯沙渚,為汝鼻酸辛。

一歩進んでは二度も血を流し、そのうえまだ他人からせっせと「いぐるみ」仕掛の仕掛けを射かけられるのも経験して驚いている。それからまた、三歩進んでは、六度もなきさけんで、飛ぼうと思っても飛べず、頻りに泣き悲しんでいる。鸞鳳の様な鳥は、この傷ついた鶴をみてほったらかして、待たずに飛んでいった。だから鶴は頸をそばだてて高い空に向ってなにか訴えるのである。自分はあかぎの杖をついて沙のなぎさにうつむきながら、おまへ(鶴)というもののためには鼻をつまらせて悲しい思い、つらい思いをするのである。

杜少陵集19-22

暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目 #4

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7302 

杜甫詩index-15

767年大暦256

19  #4

1131 〈1581

 

 
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年:-767年大暦256-19作目。

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目

【暇日小園散病將種秋菜督勤耕牛兼書觸目】

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:              荊山 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)       

巫山 (山南東道 夔州 巫山)              

交遊人物/地點:  

 

 

暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目 #1

(ひまな折、瀼西の小さな農園内で病気の保養をしながら、秋の野菜を植えようとして、畑を牛耕するのを監督し、そこでの目にふれたことをかきつけたものである。)

不愛入州府,畏人嫌我真。

自分が城内へはいらないのは他人がじぶんの天真のままなのを嫌うのではないかとおそれるためだ。

及乎歸茅宇,旁舍未曾嗔。

ここに茅屋へかえりついてみると近所の人人はだれも自分の態度に対しておこる様なものはいないのである。

老病忌拘束,應接喪精神。

自分は年よりの上、病気で他から拘束されることは禁物だと考え、人に応対をこまめにすることなどしようと思うだけで、元気がうせてしまうのである。

(暇日小園に病を散ず,將に秋菜を種えんとして,耕牛を督勒し,兼ねて觸目を書す) #1

州府に入ることを愛せず,人の我が真を嫌うを畏るればなり。

茅宇に歸るに及びて,旁舍 未だ曾て嗔らず。

老病拘束せらるを忌む,應接するは精神を喪わむればなり。

#2

江村意自放,林木心所欣。

之に反して江ぞいの村にいれば勝手気ままで林の木曽みることはひごろうれしくおもう所のものである。

秋耕屬地山雨近甚勻。

そこで秋の耕作をしようとするとちょうど折よく近ごろは雨が一様にふって地面がしめりのあるときである。

冬菁飯之半,牛力晚來新。

冬菁は、御飯の半分に匹敵する値打ちのものだ。昼寝をしておきて、夕方までには耕牛の力もあらたにでてきた。

深耕種數畝,未甚後四鄰。

それで土地をふかくたがやして、菁を數百歩(20アールくらい)ばかり植え付ける。植え方は近所にくらべて、ひどくも後れているようではない。

#2

江村 意自放し,林木 心の欣【よろこ】ぶ所。

秋耕 地のうに屬し,山雨 近ごろ甚だ勻し。

冬菁は飯の半ばなり,牛力は晚來新なり。

深耕して 種うること 數畝,未だ甚しく 四鄰に後【おく】れず。
#3

嘉蔬既不一,名數頗具陳。

その他いろいろよい野菜があるが、さまざまの名のものを可なり揃えて並べて植えた。

荊巫非苦寒,采擷接青春。

これで、この楚の國、巫山地方はひどい寒さのところではないから、この野菜をとってたべることで、來年の春できる食物まで、つなぎあわせて飢えることはないだろう。

飛來兩白鶴,暮啄泥中芹。

あそこの田圃に、一対の白い鶴が飛んできた。鶴は夕暮れになるのに泥のなかの芹を啄んでいる。

雄者左翮垂,損傷已露筋。

その雄鶴は左の翮が垂れさがっている、どうやら、傷をうけて筋があらわれて見えて、痛々しい。

#3

嘉蔬 既に一ならず,名數 頗る具【つぶさ】に陳【なら】べん。

荊巫 苦寒に非らず,采擷【さいけつ】 青春に接せん。

飛來の兩つながらの白鶴,暮に啄む 泥中の芹を。

雄者は 左翮垂れ,損傷 已に筋を露す。


#4

一步再流血,尚經矰繳勤。

一歩進んでは二度も血を流し、そのうえまだ他人からせっせと「いぐるみ」仕掛の仕掛けを射かけられるのも経験して驚いている。

三步六號叫,志屈悲哀頻。

それからまた、三歩進んでは、六度もなきさけんで、飛ぼうと思っても飛べず、頻りに泣き悲しんでいる。

鸞皇不相待,側頸訴高旻。

鸞鳳の様な鳥は、この傷ついた鶴をみてほったらかして、待たずに飛んでいった。だから鶴は頸をそばだてて高い空に向ってなにか訴えるのである。

杖藜俯沙渚,為汝鼻酸辛。

自分はあかぎの杖をついて沙のなぎさにうつむきながら、おまへ(鶴)というもののためには鼻をつまらせて悲しい思い、つらい思いをするのである。

#4

一步 再び流血し,尚お矰繳の勤めらるるに經る。

三步 六たび號叫す,志屈して悲哀頻りなり。

鸞皇 相い待たず,頸を側てて 高旻に訴う。

藜を杖いて 沙渚に俯す,汝が為に 鼻酸辛なり。

 

 

『暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

一步再流血,尚經矰繳勤。

三步六號叫,志屈悲哀頻。

鸞皇不相待,側頸訴高旻。

杖藜俯沙渚,為汝鼻酸辛。

(下し文)
#4

一步 再び流血し,尚お矰繳の勤めらるるに經る。

三步 六たび號叫す,志屈して悲哀頻りなり。

鸞皇 相い待たず,頸を側てて 高旻に訴う。

藜を杖いて 沙渚に俯す,汝が為に 鼻酸辛なり。

(現代語訳)
#4

一歩進んでは二度も血を流し、そのうえまだ他人からせっせと「いぐるみ」仕掛の仕掛けを射かけられるのも経験して驚いている。

それからまた、三歩進んでは、六度もなきさけんで、飛ぼうと思っても飛べず、頻りに泣き悲しんでいる。

鸞鳳の様な鳥は、この傷ついた鶴をみてほったらかして、待たずに飛んでいった。だから鶴は頸をそばだてて高い空に向ってなにか訴えるのである。

自分はあかぎの杖をついて沙のなぎさにうつむきながら、おまへ(鶴)というもののためには鼻をつまらせて悲しい思い、つらい思いをするのである。


(訳注) #4

19-22 暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目【暇日小園散病將種秋菜督勤耕牛兼書觸目】》#3

(ひまな折、瀼西の小さな農園内で病気の保養をしながら、秋の野菜を植えようとして、畑を牛耕するのを監督し、そこでの目にふれたことをかきつけたものである。)

 

一步再流血,尚經矰繳勤。

一歩進んでは二度も血を流し、そのうえまだ他人からせっせと「いぐるみ」仕掛の仕掛けを射かけられるのも経験して驚いている。

27 矰繳 《「射()(くる)み」の意》飛んでいる鳥を捕らえるための仕掛け。矢に網や長い糸をつけて、当たるとそれが絡みつくようにしたもの。

 

三步六號叫,志屈悲哀頻。

それからまた、三歩進んでは、六度もなきさけんで、飛ぼうと思っても飛べず、頻りに泣き悲しんでいる。

 

鸞皇不相待,側頸訴高旻。

鸞鳳の様な鳥は、この傷ついた鶴をみてほったらかして、待たずに飛んでいった。だから鶴は頸をそばだてて高い空に向ってなにか訴えるのである。

28 不相待 こちらを待ってくれない。

29 側頸 鶴が首を横にする。

30 高旻 空の高いところ。

 

杖藜俯沙渚,為汝鼻酸辛。

自分はあかぎの杖をついて沙のなぎさにうつむきながら、おまへ(鶴)というもののためには鼻をつまらせて悲しい思い、つらい思いをするのである。

31 汝 鶴をさす。

32 鼻酸 (悲しくて)鼻がじんとする.

 

 

 


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767年-19-#3杜少陵集 《19-22 暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目》#3 杜甫詩index-15-1130 <1580> 767年大暦2年56歲-19-#3 7297

杜甫  暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目 #3

嘉蔬既不一,名數頗具陳。荊巫非苦寒,采擷接青春。

飛來兩白鶴,暮啄泥中芹。雄者左翮垂,損傷已露筋。

その他いろいろよい野菜があるが、さまざまの名のものを可なり揃えて並べて植えた。これで、この楚の國、巫山地方はひどい寒さのところではないから、この野菜をとってたべることで、來年の春できる食物まで、つなぎあわせて飢えることはないだろう。あそこの田圃に、一対の白い鶴が飛んできた。鶴は夕暮れになるのに泥のなかの芹を啄んでいる。その雄鶴は左の翮が垂れさがっている、どうやら、傷をうけて筋があらわれて見えて、痛々しい。

杜少陵集19-22

暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目 #2

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ72872 

杜甫詩index-15

767年大暦256

19  #2

1129 〈1579

 

 
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年:-767年大暦256-19作目。

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目

【暇日小園散病將種秋菜督勤耕牛兼書觸目】

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:              荊山 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)       

巫山 (山南東道 夔州 巫山)              

交遊人物/地點:  

 

 

暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目 #1

(ひまな折、瀼西の小さな農園内で病気の保養をしながら、秋の野菜を植えようとして、畑を牛耕するのを監督し、そこでの目にふれたことをかきつけたものである。)

不愛入州府,畏人嫌我真。

自分が城内へはいらないのは他人がじぶんの天真のままなのを嫌うのではないかとおそれるためだ。

及乎歸茅宇,旁舍未曾嗔。

ここに茅屋へかえりついてみると近所の人人はだれも自分の態度に対しておこる様なものはいないのである。

老病忌拘束,應接喪精神。

自分は年よりの上、病気で他から拘束されることは禁物だと考え、人に応対をこまめにすることなどしようと思うだけで、元気がうせてしまうのである。

(暇日小園に病を散ず,將に秋菜を種えんとして,耕牛を督勒し,兼ねて觸目を書す) #1

州府に入ることを愛せず,人の我が真を嫌うを畏るればなり。

茅宇に歸るに及びて,旁舍 未だ曾て嗔らず。

老病拘束せらるを忌む,應接するは精神を喪わむればなり。

#2

江村意自放,林木心所欣。

之に反して江ぞいの村にいれば勝手気ままで林の木曽みることはひごろうれしくおもう所のものである。

秋耕屬地山雨近甚勻。

そこで秋の耕作をしようとするとちょうど折よく近ごろは雨が一様にふって地面がしめりのあるときである。

冬菁飯之半,牛力晚來新。

冬菁は、御飯の半分に匹敵する値打ちのものだ。昼寝をしておきて、夕方までには耕牛の力もあらたにでてきた。

深耕種數畝,未甚後四鄰。

それで土地をふかくたがやして、菁を數百歩(20アールくらい)ばかり植え付ける。植え方は近所にくらべて、ひどくも後れているようではない。

#2

江村 意自放し,林木 心の欣【よろこ】ぶ所。

秋耕 地のうに屬し,山雨 近ごろ甚だ勻し。

冬菁は飯の半ばなり,牛力は晚來新なり。

深耕して 種うること 數畝,未だ甚しく 四鄰に後【おく】れず。
#3

嘉蔬既不一,名數頗具陳。

その他いろいろよい野菜があるが、さまざまの名のものを可なり揃えて並べて植えた。

荊巫非苦寒,采擷接青春。

これで、この楚の國、巫山地方はひどい寒さのところではないから、この野菜をとってたべることで、來年の春できる食物まで、つなぎあわせて飢えることはないだろう。

飛來兩白鶴,暮啄泥中芹。

あそこの田圃に、一対の白い鶴が飛んできた。鶴は夕暮れになるのに泥のなかの芹を啄んでいる。

雄者左翮垂,損傷已露筋。

その雄鶴は左の翮が垂れさがっている、どうやら、傷をうけて筋があらわれて見えて、痛々しい。

#3

嘉蔬 既に一ならず,名數 頗る具【つぶさ】に陳【なら】べん。

荊巫 苦寒に非らず,采擷【さいけつ】 青春に接せん。

飛來の兩つながらの白鶴,暮に啄む 泥中の芹を。

雄者は 左翮垂れ,損傷 已に筋を露す。
#4

一步再流血,尚經矰繳勤。

三步六號叫,志屈悲哀頻。

鸞皇不相待,側頸訴高旻。

杖藜俯沙渚,為汝鼻酸辛。

00大豆畑 

 

『暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

嘉蔬既不一,名數頗具陳。

荊巫非苦寒,采擷接青春。

飛來兩白鶴,暮啄泥中芹。

雄者左翮垂,損傷已露筋。

(下し文)
#3

嘉蔬 既に一ならず,名數 頗る具【つぶさ】に陳【なら】べん。

荊巫 苦寒に非らず,采擷【さいけつ】 青春に接せん。

飛來の兩つながらの白鶴,暮に啄む 泥中の芹を。

雄者は 左翮垂れ,損傷 已に筋を露す。

(現代語訳)
#3

その他いろいろよい野菜があるが、さまざまの名のものを可なり揃えて並べて植えた。

これで、この楚の國、巫山地方はひどい寒さのところではないから、この野菜をとってたべることで、來年の春できる食物まで、つなぎあわせて飢えることはないだろう。

あそこの田圃に、一対の白い鶴が飛んできた。鶴は夕暮れになるのに泥のなかの芹を啄んでいる。

その雄鶴は左の翮が垂れさがっている、どうやら、傷をうけて筋があらわれて見えて、痛々しい。


(訳注) #3

19-22 暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目【暇日小園散病將種秋菜督勤耕牛兼書觸目】》#3

(ひまな折、瀼西の小さな農園内で病気の保養をしながら、秋の野菜を植えようとして、畑を牛耕するのを監督し、そこでの目にふれたことをかきつけたものである。)

 

嘉蔬既不一,名數頗具陳。

その他いろいろよい野菜があるが、さまざまの名のものを可なり揃えて並べて植えた。

19 嘉蔬 めでたい、よい、作物野菜。

20 既不一 すでにある、その他いろいろのもの。

21 名數 さまざまの名のもの

22 頗具陳 可なり揃えて並べて植える。ならべる。 陳列. 考えをのべる。 陳述、陳謝、陳情 · ふるくさい。古くて悪化した。 陳腐、陳貨、新陳代謝。具陳:くわしく述べること。細かに報告すること。《文選.古詩十九首第四首》:「今日良宴會,歡樂難具陳。」(今日の良宴會,歡樂 具【つぶさ】には陳べ難し。)今日の良き宴会における歓楽のさまは、詳しく述べがたい。杜甫〈奉贈韋左丞丈二十韻〉:「丈人試靜聽,賤子請具陳。」(丈入試に静に聴け、賤子請う具さに陳ぜん)あなたは試みにその次第をしずかにおききください 私は以下委しくそれをのべましょう。 

 

荊巫非苦寒,采擷接青春。

これで、この楚の國、巫山地方はひどい寒さのところではないから、この野菜をとってたべることで、來年の春できる食物まで、つなぎあわせて飢えることはないだろう。

23 荊巫 荊は楚の國、巫は巫山、巫峽をいう。巫峽のある三峡(瞿唐峽、巫峽、西陵峡)は夔州の瞿唐峽から-歸州-峽州-荊州の一部までつづくものである。

《卷一六18  遣懷》 「不復見顏鮑,繫舟臥荊巫。臨餐吐更食,常恐違撫孤。」(復た 顏鮑を見ず、舟を繋いで荊巫に臥す。餐に臨みて吐て更に食す、常に恐る 撫弧に違はむことを。)ふたたび、顔延之ともいうべき高適と、鮑照というべき李白の二人を見ることはできず、じぶんは舟をつなぎとめて荊巫の地にうち臥している。

自分の身体はガタが来て、食事の際にも吐きだしたり、また食べたり、すこしもおちついたきもちになれないのである、それはいつも両君の遺児のお世話をしてあげたいとの念に違ってしまっていることが心配で仕方がないからである。

杜甫 1515 遺懷-#5》【5分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-51 <915-#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6040

19-22 暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目》「嘉蔬既不一,名數頗具陳。荊巫非苦寒,採擷接青春。」(嘉蔬 既に一ならず,名數 頗る具【つぶさ】に陳【なら】べん。荊巫 苦寒に非らず,采擷【さいけつ】 青春に接せん。)

24 采擷 采:とる。指でつかんでとる。のち、広く、手でとり入れる、えらびとる意に用いる。いろどり。えらびとった色。まじった色 えらんだ色の意から転じて、色あいや、ようすの意。 えらびとって与えた領地。擷:(1) 摘み取る,もぐ采摘み取る.(2) 上着のすそで物をくるむ.

25 接青春 

 

飛來兩白鶴,暮啄泥中芹。

あそこの田圃に、一対の白い鶴が飛んできた。鶴は夕暮れになるのに泥のなかの芹を啄んでいる。

26 兩白鶴 この鶴は、杜甫自身を比喩している、旅の途中、持病が悪化し苦しみながら、農作物を植えて、食べることに不安をなくし、また、それを売ることで長安に帰る資金を作るということを例えるものである。

 

雄者左翮垂,損傷已露筋。

その雄鶴は左の翮が垂れさがっている、どうやら、傷をうけて筋があらわれて見えて、痛々しい。

 

(一歩進んでは二度も血を流し、そのうえまだ他人からせっせと「いぐるみ」を射かけられるのに驚いている。)

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

 

19-22 暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目【暇日小園散病將種秋菜督勤耕牛兼書觸目】》  【字解】

 

767年大暦256の時、この年19作目

1 小園 瀼西の果樹園、ミカン園より近く、草堂に隣接した農園。

2 散病 病気を退散させるということで、病気の保養をしながらという意。

3 種秋菜 初秋に植えると晩秋までに大きくなる野菜で、此処では“菁”である。

4 督勒 菁を植えるための農作業、耕牛作業をかんとくする。

5 耕牛 

6 【解説】

杜甫が畑作にたずさわっている詩のひとつである。しかし、杜甫みずからが土にまみれたり、牛のたづなを引いたりしているわけではないが、ここまで農事の現場に接近した詩人もまた極めて稀であるのは間違いない。去年の秋、チシャを植えて大失敗に終わっので、今年は農業経営ともいえる、畑のうち「数畝」に牛を入れて耕し、菁(冬菁)を植え付けた。さて、去年の席数枚分の萵苣作りとは違ってうまくいったのであろうか。故郷、長安に帰る資金になったのであろうか。この詩だけではわからないが、一定の成果を収めたようだ。

 杜甫はこの時期元気を取り戻して、菁作りのことを書いたのが《1922_暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目》(暇日小園に病を散じ、将に秋菜を種えんとして耕牛を督勒(トクロク)し、兼ねて目に触るるを書す)の詩である。

  秋耕屬地濕、 秋耕は地の湿(うるお)うに属し

  山雨近甚勻。 山雨は甚だ勻(ひと)しきに近し

  冬菁飯之半、 冬菁(かぶ)は飯の半ばにして

  牛力晩來新。 牛の力は晩より来(このかた)新たなり

  深耕種數畝、 深く耕して種()うること数畝(スウホ)

  未甚後四鄰。 未だ甚だしくは四隣に後れず 

 

秋になっていい雨が降り畑の土も潤った。周辺の畑では牛耕、そして秋野菜の植え付けが一斉に始まり、杜甫の畑でも、遅れじとカブが植え付けられた。

 ここで使われている牛は呉の牛であろう。東屯の水田の春の牛耕を詠じた《1916_秋、行官張望、督促東渚耗稻、向畢。清晨、遣女奴阿稽・豎子阿段、往問》「牛力容易,並驅動莫當。」(牛 力 容易なり,並驅 動として當る莫れ。【並驅 紛として場に遊ぶ。】)“呉の水牛を飼って、これに鋤を付けて引かせ、それも二匹一緒につないで耕場にはたらかせたのだ。”と述べていた。

767年-13-#1杜甫 《19-16 秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-13-#1 <1103 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7163

 

 四句めの「牛力晩来新」、牛の力が日暮れになってから新たになったというのは、日中は暑さを避けるために牛を使わず、日没以後に牛耕を始めている。元の王禎の『農書』に「若し夫れ北方なれば、陸地は平遠にして、牛は皆な夜に耕し、以て昼の熱を避く」(農桑通訣五、畜養篇、養牛類)とある。

 しかしこの句には無視できない文字の異同があり、十世紀半ばの官書本では「晩」を「曉」に作っていたことが伝えられている。それによると「牛力曉来新」、つまり牛の力は夜明けから新た、となる。農家の常識はちがわないはずである。宋の『陳旉農書』巻中「牛説」には「五更の初めに至り、日未だ出でず、天気涼しきに乗じて之を用うれば、即ち力は常より倍し、……日高く熱く喘げば、便ち休息せしむ」とある。

 牛の力が夜明けがたに強くなるのか、日没後に力強くなるのか、テキストの異同の面でも内容の面でも、どちらとも定めがたい。ここではそういう意味のたゆたいを楽しみたい。

 この詩は、まだ暑さの残る初秋から遅くとも中秋のころの作である。

『斉民要術』巻三、蔓菁の項に「七月の初めに之を種う」とあり、『四時纂要』秋令巻四、七月の条に「蔓菁を種う、地は須らく肥良なるべし、耕すこと六、七遍、此の月の上旬に之を種()う」とあって、六世紀から十世紀ころの農書にはカブの植え付けはいずれも初秋の旧暦七月上旬となっているからである。そして初秋に植えられたカブは晩秋には大きくなっている。そんな情景が中唐の劉禹錫の『劉夢得文集外集』巻八「歷陽書事七十韻并序」の詩に、

  場黄堆晩稻、 場は黄にして晩稲を堆()

  籬碧見冬菁。 籬(まがき)は碧にして冬菁を見る              

と描かれている。晩稲種の稲刈りが終わって脱穀場に積まれるのは、晩秋の農村風景で、その中にカブが緑になって大きくなっている。とはいえこれは杜甫より五十年ほど後の事情で、しかも同じ長江流域とはいえずっと下流の和州(安徽省)での風景ではあるが。

 五句目にいう「深耕」は深く耕すことで、すでに春秋戦国時代から提唱されている耕作の仕方である。牛耕もその時期から同時に始まっている。この詩では農事に熱心に取り組んでいる姿を伝えようとしている。

 その畑を「数畝」からいうと日本の二、三反、五十メートル四方の広さを想像すればよい。ただ、詩では「数畝の宅」「数畝の居」「数畝の田」などとしてよく用いられる。それは元来は、周代の井田法で定められた五畝の園宅地に根ざす言い方だろうが(『孟子』梁恵王上、尽心上、『荀子』大略篇)、唐代では、隠遁的雰囲気の濃い質素な住まいかたを象徴する言葉となっている。

 六句目では、農作が近隣に遅れていないかどうかを杜甫は気にしている。これには、近隣に負けないようにという気持ちもあったのかもしれないが、むしろ野菜作りが失敗しはしないかと心配しているのではないかと思う。去年はチシャ作りは失敗したし、旱魃で夔州全体の野菜が被害を被った。今度の秋野菜が失敗すれば翌年の春まで野菜不足におそわれてしまうのではないか、野菜好きの杜甫の頭にはそんな不安が過ぎる。しかし今は近隣と同じ作業をしているのだから大丈夫と杜甫は自分に言い聞かせ、その不安をかき消そうとしている。

7 州府 夔州城内、城内の市場。

8 我真 自分の思ったことをありのままに、気づかいしないで喋ることをいう。天意のままに喋る。

9 茅宇 茅葺きの屋根、瀼西の杜甫の住まい、草堂。

10 應接 他人と応対する。

11 喪精神 思うだけで、元気がうせてしまう。

12 江村 江ぞいの村。ここでは、村人も少ない瀼西の村。杜甫成都での“江村”詩。

成都(2部)浣花渓の草堂(2 -8) 《0930江村 杜甫》 <371  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1791 杜甫詩 1000- 547

765年永泰元年54-15 《1436-1春日江村,五首之一》 杜甫index-15 杜甫<815 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4810 杜甫詩1500-815-1133/2500

765年永泰元年54-16 《1436-2春日江村,五首之二》 杜甫index-15 杜甫<816 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4815 杜甫詩1500-816-1134/2500765年永泰元年54-16

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13 自放 勝手気ままにすごすこと。

14 近甚勻 ちょうど折よく近ごろは雨が一様にふること。耕すのにちょうど具合の良い雨の量が降ってくれたというほどの意。

14 冬菁 晩秋から初冬に採れる菁。

15 飯之半 御飯の半分に匹敵する値打ちのもの。市場で売れることを言う。

16 牛力晚來新 昼寝をして夕方近くに起きて動き出すことを言う。

17 畝 中国の伝統的な面積の単位で、6000平方尺(60平方丈)にあたる。現在の市制においては、1 = 1/3メートルなので、1畝は 2000/3 m2(約6.67アール)にあたる。唐代以降は5尺を歩としたため、1 = 240平方歩 = 6000平方尺になった。

18 四鄰 東西南北の隣人。ご近所。杜甫「三吏三別」《0706無家別》「四鄰何所有,一二老寡妻。」(四隣は何の有る所ぞ,一二の老 寡妻【かさい】。)とある。

無家別 杜甫 三吏三別詩 <219>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1055 杜甫詩集700- 316 

767年-19-#2杜少陵集 《19-22 暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目》#2 杜甫詩index-15-1129 <1579> 767年大暦2年56歲-19-#2 7292

杜甫  暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目 #2

江村意自放,林木心所欣。秋耕屬地,山雨近甚勻。

冬菁飯之半,牛力晚來新。深耕種數畝,未甚後四鄰。

之に反して江ぞいの村にいれば勝手気ままで林の木曽みることはひごろうれしくおもう所のものである。そこで秋の耕作をしようとするとちょうど折よく近ごろは雨が一様にふって地面がしめりのあるときである。冬菁は、御飯の半分に匹敵する値打ちのものだ。昼寝をしておきて、夕方までには耕牛の力もあらたにでてきた。それで土地をふかくたがやして、菁を數百歩(20アールくらい)ばかり植え付ける。植え方は近所にくらべて、ひどくも後れているようではない。

杜少陵集19-22

暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目 #2

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ72872 

杜甫詩index-15

767年大暦256

19  #2

1129 〈1579

 

 

 
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年:-767年大暦256-19作目。

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目

【暇日小園散病將種秋菜督勤耕牛兼書觸目】

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:              荊山 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)       

巫山 (山南東道 夔州 巫山)              

交遊人物/地點:  

 

 

暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目 #1

(ひまな折、瀼西の小さな農園内で病気の保養をしながら、秋の野菜を植えようとして、畑を牛耕するのを監督し、そこでの目にふれたことをかきつけたものである。)

不愛入州府,畏人嫌我真。

自分が城内へはいらないのは他人がじぶんの天真のままなのを嫌うのではないかとおそれるためだ。

及乎歸茅宇,旁舍未曾嗔。

ここに茅屋へかえりついてみると近所の人人はだれも自分の態度に対しておこる様なものはいないのである。

老病忌拘束,應接喪精神。

自分は年よりの上、病気で他から拘束されることは禁物だと考え、人に応対をこまめにすることなどしようと思うだけで、元気がうせてしまうのである。

(暇日小園に病を散ず,將に秋菜を種えんとして,耕牛を督勒し,兼ねて觸目を書す) #1

州府に入ることを愛せず,人の我が真を嫌うを畏るればなり。

茅宇に歸るに及びて,旁舍 未だ曾て嗔らず。

老病拘束せらるを忌む,應接するは精神を喪わむればなり。

#2

江村意自放,林木心所欣。

之に反して江ぞいの村にいれば勝手気ままで林の木曽みることはひごろうれしくおもう所のものである。

秋耕屬地山雨近甚勻。

そこで秋の耕作をしようとするとちょうど折よく近ごろは雨が一様にふって地面がしめりのあるときである。

冬菁飯之半,牛力晚來新。

冬菁は、御飯の半分に匹敵する値打ちのものだ。昼寝をしておきて、夕方までには耕牛の力もあらたにでてきた。

深耕種數畝,未甚後四鄰。

それで土地をふかくたがやして、菁を數百歩(20アールくらい)ばかり植え付ける。植え方は近所にくらべて、ひどくも後れているようではない。

#2

江村 意自放し,林木 心の欣【よろこ】ぶ所。

秋耕 地のうに屬し,山雨 近ごろ甚だ勻し。

冬菁は飯の半ばなり,牛力は晚來新なり。

深耕して 種うること 數畝,未だ甚しく 四鄰に後【おく】れず。
#3

嘉蔬既不一,名數頗具陳。

荊巫非苦寒,采擷接青春。

飛來兩白鶴,暮啄泥中芹。

雄者左翮垂,損傷已露筋。

#4

一步再流血,尚經矰繳勤。

三步六號叫,志屈悲哀頻。

鸞皇不相待,側頸訴高旻。

杖藜俯沙渚,為汝鼻酸辛。

夔州東川卜居図詳細 002 

 

『暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

江村意自放,林木心所欣。

秋耕屬地,山雨近甚勻。

冬菁飯之半,牛力晚來新。

深耕種數畝,未甚後四鄰。

(下し文)
#2

江村 意自放し,林木 心の欣【よろこ】ぶ所。

秋耕 地のうに屬し,山雨 近ごろ甚だ勻し。

冬菁は飯の半ばなり,牛力は晚來新なり。

深耕して 種うること 數畝,未だ甚しく 四鄰に後【おく】れず。

(現代語訳)
#2

之に反して江ぞいの村にいれば勝手気ままで林の木曽みることはひごろうれしくおもう所のものである。

そこで秋の耕作をしようとするとちょうど折よく近ごろは雨が一様にふって地面がしめりのあるときである。

冬菁は、御飯の半分に匹敵する値打ちのものだ。昼寝をしておきて、夕方までには耕牛の力もあらたにでてきた。

それで土地をふかくたがやして、菁を數百歩(20アールくらい)ばかり植え付ける。植え方は近所にくらべて、ひどくも後れているようではない。

三峡 巫山十二峰001
(訳注) #2

19-22 暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目【暇日小園散病將種秋菜督勤耕牛兼書觸目】》#2

(ひまな折、瀼西の小さな農園内で病気の保養をしながら、秋の野菜を植えようとして、畑を牛耕するのを監督し、そこでの目にふれたことをかきつけたものである。)

 

江村意自放,林木心所欣。

之に反して江ぞいの村にいれば勝手気ままで林の木曽みることはひごろうれしくおもう所のものである。

12 江村 江ぞいの村。ここでは、村人も少ない瀼西の村。杜甫成都での“江村”詩。

成都(2部)浣花渓の草堂(2 -8) 《0930江村 杜甫 <371  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1791 杜甫詩 1000- 547

765年永泰元年54-15 《1436-1春日江村,五首之一》 杜甫index-15 杜甫<815 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4810 杜甫詩1500-815-1133/2500

765年永泰元年54-16 《1436-2春日江村,五首之二》 杜甫index-15 杜甫<816 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4815 杜甫詩1500-816-1134/2500765年永泰元年54-16

765年永泰元年54-17 《1436-3春日江村,五首之三》 杜甫index-15 杜甫<817 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4820 杜甫詩1500-817-1135/2500

765年永泰元年54-18 《1436-4春日江村,五首之四》 杜甫index-15 杜甫<818 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4825 杜甫詩1500-818-1136/2500765年永泰元年54-18

765年永泰元年54-19 《1436-5春日江村,五首之五》 杜甫index-15 杜甫<819 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4830 杜甫詩1500-819-1137/2500765年永泰元年54-19

13 自放 勝手気ままにすごすこと。

 

秋耕屬地,山雨近甚勻。

そこで秋の耕作をしようとするとちょうど折よく近ごろは雨が一様にふって地面がしめりのあるときである。

14 近甚勻 ちょうど折よく近ごろは雨が一様にふること。耕すのにちょうど具合の良い雨の量が降ってくれたというほどの意。

 

冬菁飯之半,牛力晚來新。

冬菁は、御飯の半分に匹敵する値打ちのものだ。昼寝をしておきて、夕方までには耕牛の力もあらたにでてきた。

14 冬菁 晩秋から初冬に採れる菁。

15 飯之半 御飯の半分に匹敵する値打ちのもの。市場で売れることを言う。

16 牛力晚來新 昼寝をして夕方近くに起きて動き出すことを言う。

 

深耕種數畝,未甚後四鄰。

それで土地をふかくたがやして、菁を數百歩(20アールくらい)ばかり植え付ける。植え方は近所にくらべて、ひどくも後れているようではない。

17 畝 中国の伝統的な面積の単位で、6000平方尺(60平方丈)にあたる。現在の市制においては、1 = 1/3メートルなので、1畝は 2000/3 m2(約6.67アール)にあたる。唐代以降は5尺を歩としたため、1 = 240平方歩 = 6000平方尺になった。

18 四鄰 東西南北の隣人。ご近所。杜甫「三吏三別」《0706無家別》「四鄰何所有,一二老寡妻。」(四隣は何の有る所ぞ,一二の老 寡妻【かさい】。)とある。

無家別 杜甫 三吏三別詩 <219>#2 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1055 杜甫詩集700- 316 

 

 

19-22 暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目【暇日小園散病將種秋菜督勤耕牛兼書觸目】》  【字解】

 

767年大暦256の時、この年19作目

1 小園 瀼西の果樹園、ミカン園より近く、草堂に隣接した農園。

2 散病 病気を退散させるということで、病気の保養をしながらという意。

3 種秋菜 初秋に植えると晩秋までに大きくなる野菜で、此処では“菁”である。

4 督勒 菁を植えるための農作業、耕牛作業をかんとくする。

5 耕牛 

6 【解説】

杜甫が畑作にたずさわっている詩のひとつである。しかし、杜甫みずからが土にまみれたり、牛のたづなを引いたりしているわけではないが、ここまで農事の現場に接近した詩人もまた極めて稀であるのは間違いない。去年の秋、チシャを植えて大失敗に終わっので、今年は農業経営ともいえる、畑のうち「数畝」に牛を入れて耕し、菁(冬菁)を植え付けた。さて、去年の席数枚分の萵苣作りとは違ってうまくいったのであろうか。故郷、長安に帰る資金になったのであろうか。この詩だけではわからないが、一定の成果を収めたようだ。

 杜甫はこの時期元気を取り戻して、菁作りのことを書いたのが《1922_暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目》(暇日小園に病を散じ、将に秋菜を種えんとして耕牛を督勒(トクロク)し、兼ねて目に触るるを書す)の詩である。

  秋耕屬地濕、 秋耕は地の湿(うるお)うに属し

  山雨近甚勻。 山雨は甚だ勻(ひと)しきに近し

  冬菁飯之半、 冬菁(かぶ)は飯の半ばにして

  牛力晩來新。 牛の力は晩より来(このかた)新たなり

  深耕種數畝、 深く耕して種()うること数畝(スウホ)

  未甚後四鄰。 未だ甚だしくは四隣に後れず 

 

秋になっていい雨が降り畑の土も潤った。周辺の畑では牛耕、そして秋野菜の植え付けが一斉に始まり、杜甫の畑でも、遅れじとカブが植え付けられた。

 ここで使われている牛は呉の牛であろう。東屯の水田の春の牛耕を詠じた《1916_秋、行官張望、督促東渚耗稻、向畢。清晨、遣女奴阿稽・豎子阿段、往問》「牛力容易,並驅動莫當。」(牛 力 容易なり,並驅 動として當る莫れ。【並驅 紛として場に遊ぶ。】)“呉の水牛を飼って、これに鋤を付けて引かせ、それも二匹一緒につないで耕場にはたらかせたのだ。”と述べていた。

767年-13-#1杜甫 《19-16 秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-13-#1 <1103 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7163

 

 四句めの「牛力晩来新」、牛の力が日暮れになってから新たになったというのは、日中は暑さを避けるために牛を使わず、日没以後に牛耕を始めている。元の王禎の『農書』に「若し夫れ北方なれば、陸地は平遠にして、牛は皆な夜に耕し、以て昼の熱を避く」(農桑通訣五、畜養篇、養牛類)とある。

 しかしこの句には無視できない文字の異同があり、十世紀半ばの官書本では「晩」を「曉」に作っていたことが伝えられている。それによると「牛力曉来新」、つまり牛の力は夜明けから新た、となる。農家の常識はちがわないはずである。宋の『陳旉農書』巻中「牛説」には「五更の初めに至り、日未だ出でず、天気涼しきに乗じて之を用うれば、即ち力は常より倍し、……日高く熱く喘げば、便ち休息せしむ」とある。

 牛の力が夜明けがたに強くなるのか、日没後に力強くなるのか、テキストの異同の面でも内容の面でも、どちらとも定めがたい。ここではそういう意味のたゆたいを楽しみたい。

 この詩は、まだ暑さの残る初秋から遅くとも中秋のころの作である。

『斉民要術』巻三、蔓菁の項に「七月の初めに之を種う」とあり、『四時纂要』秋令巻四、七月の条に「蔓菁を種う、地は須らく肥良なるべし、耕すこと六、七遍、此の月の上旬に之を種()う」とあって、六世紀から十世紀ころの農書にはカブの植え付けはいずれも初秋の旧暦七月上旬となっているからである。そして初秋に植えられたカブは晩秋には大きくなっている。そんな情景が中唐の劉禹錫の『劉夢得文集外集』巻八「歷陽書事七十韻并序」の詩に、

  場黄堆晩稻、 場は黄にして晩稲を堆()

  籬碧見冬菁。 籬(まがき)は碧にして冬菁を見る              

と描かれている。晩稲種の稲刈りが終わって脱穀場に積まれるのは、晩秋の農村風景で、その中にカブが緑になって大きくなっている。とはいえこれは杜甫より五十年ほど後の事情で、しかも同じ長江流域とはいえずっと下流の和州(安徽省)での風景ではあるが。

 五句目にいう「深耕」は深く耕すことで、すでに春秋戦国時代から提唱されている耕作の仕方である。牛耕もその時期から同時に始まっている。この詩では農事に熱心に取り組んでいる姿を伝えようとしている。

 その畑を「数畝」からいうと日本の二、三反、五十メートル四方の広さを想像すればよい。ただ、詩では「数畝の宅」「数畝の居」「数畝の田」などとしてよく用いられる。それは元来は、周代の井田法で定められた五畝の園宅地に根ざす言い方だろうが(『孟子』梁恵王上、尽心上、『荀子』大略篇)、唐代では、隠遁的雰囲気の濃い質素な住まいかたを象徴する言葉となっている。

 六句目では、農作が近隣に遅れていないかどうかを杜甫は気にしている。これには、近隣に負けないようにという気持ちもあったのかもしれないが、むしろ野菜作りが失敗しはしないかと心配しているのではないかと思う。去年はチシャ作りは失敗したし、旱魃で夔州全体の野菜が被害を被った。今度の秋野菜が失敗すれば翌年の春まで野菜不足におそわれてしまうのではないか、野菜好きの杜甫の頭にはそんな不安が過ぎる。しかし今は近隣と同じ作業をしているのだから大丈夫と杜甫は自分に言い聞かせ、その不安をかき消そうとしている。

7 州府 夔州城内、城内の市場。

8 我真 自分の思ったことをありのままに、気づかいしないで喋ることをいう。天意のままに喋る。

9 茅宇 茅葺きの屋根、瀼西の杜甫の住まい、草堂。

10 應接 他人と応対する。

11 喪精神 思うだけで、元気がうせてしまう。

767年-19-#1杜少陵集 《19-22 暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目》#1 杜甫詩index-15-1128 <1578> 767年大暦2年56歲-19-#1 7287

杜甫  暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目 #1

不愛入州府,畏人嫌我真。及乎歸茅宇,旁舍未曾嗔。

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(ひまな折、瀼西の小さな農園内で病気の保養をしながら、秋の野菜を植えようとして、畑を牛耕するのを監督し、そこでの目にふれたことをかきつけたものである。)

自分が城内へはいらないのは他人がじぶんの天真のままなのを嫌うのではないかとおそれるためだ。ここに茅屋へかえりついてみると近所の人人はだれも自分の態度に対しておこる様なものはいないのである。自分は年よりの上、病気で他から拘束されることは禁物だと考え、人に応対をこまめにすることなどしようと思うだけで、元気がうせてしまうのである。

杜少陵集19-22

暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目 #1

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杜甫詩index-15

767年大暦256

19  #1

1128 〈1578

 

 
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年:-767年大暦256-19作目。

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目

【暇日小園散病將種秋菜督勤耕牛兼書觸目】

作地點:              奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:              荊山 (山南東道 無第二級行政層級 荊山)       

巫山 (山南東道 夔州 巫山)              

交遊人物/地點:  

 

 

暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目 #1

(ひまな折、瀼西の小さな農園内で病気の保養をしながら、秋の野菜を植えようとして、畑を牛耕するのを監督し、そこでの目にふれたことをかきつけたものである。)

不愛入州府,畏人嫌我真。

自分が城内へはいらないのは他人がじぶんの天真のままなのを嫌うのではないかとおそれるためだ。

及乎歸茅宇,旁舍未曾嗔。

ここに茅屋へかえりついてみると近所の人人はだれも自分の態度に対しておこる様なものはいないのである。

老病忌拘束,應接喪精神。

自分は年よりの上、病気で他から拘束されることは禁物だと考え、人に応対をこまめにすることなどしようと思うだけで、元気がうせてしまうのである。

(暇日小園に病を散ず,將に秋菜を種えんとして,耕牛を督勒し,兼ねて觸目を書す) #1

州府に入ることを愛せず,人の我が真を嫌うを畏るればなり。

茅宇に歸るに及びて,旁舍 未だ曾て嗔らず。

老病拘束せらるを忌む,應接するは精神を喪わむればなり。
#2

江村意自放,林木心所欣。

秋耕屬地山雨近甚勻。

冬菁飯之半,牛力晚來新。

深耕種數畝,未甚後四鄰。

#3

嘉蔬既不一,名數頗具陳。

荊巫非苦寒,采擷接青春。

飛來兩白鶴,暮啄泥中芹。

雄者左翮垂,損傷已露筋。

#4

一步再流血,尚經矰繳勤。

三步六號叫,志屈悲哀頻。

鸞皇不相待,側頸訴高旻。

杖藜俯沙渚,為汝鼻酸辛。

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

『暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目 #1

不愛入州府,畏人嫌我真。

及乎歸茅宇,旁舍未曾嗔。

老病忌拘束,應接喪精神。
詩文(含異文)

不愛入州府,畏人嫌我真。及乎歸茅宇【及歸在茅宇】,旁舍未曾嗔。

老病忌拘束【老病恐拘束】,應接喪精神。


(下し文)
(暇日小園に病を散ず,將に秋菜を種えんとして,耕牛を督勒し,兼ねて觸目を書す) #1

州府に入ることを愛せず,人の我が真を嫌うを畏るればなり。

茅宇に歸るに及びて,旁舍 未だ曾て嗔らず。

老病拘束せらるを忌む,應接するは精神を喪わむればなり。


(現代語訳)
暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目 #1(ひまな折、瀼西の小さな農園内で病気の保養をしながら、秋の野菜を植えようとして、畑を牛耕するのを監督し、そこでの目にふれたことをかきつけたものである。)

自分が城内へはいらないのは他人がじぶんの天真のままなのを嫌うのではないかとおそれるためだ。

ここに茅屋へかえりついてみると近所の人人はだれも自分の態度に対しておこる様なものはいないのである。

自分は年よりの上、病気で他から拘束されることは禁物だと考え、人に応対をこまめにすることなどしようと思うだけで、元気がうせてしまうのである。

tanbo955
(訳注)

1922_暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目》(暇日小園に病を散じ、将に秋菜を種えんとして耕牛を督勒(トクロク)し、兼ねて目に触るるを書す) #1

(ひまな折、瀼西の小さな農園内で病気の保養をしながら、秋の野菜を植えようとして、畑を牛耕するのを監督し、そこでの目にふれたことをかきつけたものである。)-#1 767年大暦256の時、この年19作目

1 小園 瀼西の果樹園、ミカン園より近く、草堂に隣接した農園。

2 散病 病気を退散させるということで、病気の保養をしながらという意。

3 種秋菜 初秋に植えると晩秋までに大きくなる野菜で、此処では“菁”である。

4 督勒 菁を植えるための農作業、耕牛作業をかんとくする。

5 耕牛 

6 【解説】

杜甫が畑作にたずさわっている詩のひとつである。しかし、杜甫みずからが土にまみれたり、牛のたづなを引いたりしているわけではないが、ここまで農事の現場に接近した詩人もまた極めて稀であるのは間違いない。去年の秋、チシャを植えて大失敗に終わっので、今年は農業経営ともいえる、畑のうち「数畝」に牛を入れて耕し、菁(冬菁)を植え付けた。さて、去年の席数枚分の萵苣作りとは違ってうまくいったのであろうか。故郷、長安に帰る資金になったのであろうか。この詩だけではわからないが、一定の成果を収めたようだ。

 杜甫はこの時期元気を取り戻して、菁作りのことを書いたのが《1922_暇日小園散病,將種秋菜,督勒耕牛,兼書觸目》(暇日小園に病を散じ、将に秋菜を種えんとして耕牛を督勒(トクロク)し、兼ねて目に触るるを書す)の詩である。

  秋耕屬地濕、 秋耕は地の湿(うるお)うに属し

  山雨近甚勻。 山雨は甚だ勻(ひと)しきに近し

  冬菁飯之半、 冬菁(かぶ)は飯の半ばにして

  牛力晩來新。 牛の力は晩より来(このかた)新たなり

  深耕種數畝、 深く耕して種()うること数畝(スウホ)

  未甚後四鄰。 未だ甚だしくは四隣に後れず 

 

秋になっていい雨が降り畑の土も潤った。周辺の畑では牛耕、そして秋野菜の植え付けが一斉に始まり、杜甫の畑でも、遅れじとカブが植え付けられた。

 ここで使われている牛は呉の牛であろう。東屯の水田の春の牛耕を詠じた《1916_秋、行官張望、督促東渚耗稻、向畢。清晨、遣女奴阿稽・豎子阿段、往問》「牛力容易,並驅動莫當。」(牛 力 容易なり,並驅 動として當る莫れ。【並驅 紛として場に遊ぶ。】)“呉の水牛を飼って、これに鋤を付けて引かせ、それも二匹一緒につないで耕場にはたらかせたのだ。”と述べていた。

767年-13-#1杜甫 《19-16 秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-13-#1 <1103 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7163

 

 四句めの「牛力晩来新」、牛の力が日暮れになってから新たになったというのは、日中は暑さを避けるために牛を使わず、日没以後に牛耕を始めている。元の王禎の『農書』に「若し夫れ北方なれば、陸地は平遠にして、牛は皆な夜に耕し、以て昼の熱を避く」(農桑通訣五、畜養篇、養牛類)とある。

 しかしこの句には無視できない文字の異同があり、十世紀半ばの官書本では「晩」を「曉」に作っていたことが伝えられている。それによると「牛力曉来新」、つまり牛の力は夜明けから新た、となる。農家の常識はちがわないはずである。宋の『陳旉農書』巻中「牛説」には「五更の初めに至り、日未だ出でず、天気涼しきに乗じて之を用うれば、即ち力は常より倍し、……日高く熱く喘げば、便ち休息せしむ」とある。

 牛の力が夜明けがたに強くなるのか、日没後に力強くなるのか、テキストの異同の面でも内容の面でも、どちらとも定めがたい。ここではそういう意味のたゆたいを楽しみたい。

 この詩は、まだ暑さの残る初秋から遅くとも中秋のころの作である。

『斉民要術』巻三、蔓菁の項に「七月の初めに之を種う」とあり、『四時纂要』秋令巻四、七月の条に「蔓菁を種う、地は須らく肥良なるべし、耕すこと六、七遍、此の月の上旬に之を種()う」とあって、六世紀から十世紀ころの農書にはカブの植え付けはいずれも初秋の旧暦七月上旬となっているからである。そして初秋に植えられたカブは晩秋には大きくなっている。そんな情景が中唐の劉禹錫の『劉夢得文集外集』巻八「歷陽書事七十韻并序」の詩に、

  場黄堆晩稻、 場は黄にして晩稲を堆()

  籬碧見冬菁。 籬(まがき)は碧にして冬菁を見る              

と描かれている。晩稲種の稲刈りが終わって脱穀場に積まれるのは、晩秋の農村風景で、その中にカブが緑になって大きくなっている。とはいえこれは杜甫より五十年ほど後の事情で、しかも同じ長江流域とはいえずっと下流の和州(安徽省)での風景ではあるが。

 五句目にいう「深耕」は深く耕すことで、すでに春秋戦国時代から提唱されている耕作の仕方である。牛耕もその時期から同時に始まっている。この詩では農事に熱心に取り組んでいる姿を伝えようとしている。

 その畑を「数畝」からいうと日本の二、三反、五十メートル四方の広さを想像すればよい。ただ、詩では「数畝の宅」「数畝の居」「数畝の田」などとしてよく用いられる。それは元来は、周代の井田法で定められた五畝の園宅地に根ざす言い方だろうが(『孟子』梁恵王上、尽心上、『荀子』大略篇)、唐代では、隠遁的雰囲気の濃い質素な住まいかたを象徴する言葉となっている。

 六句目では、農作が近隣に遅れていないかどうかを杜甫は気にしている。これには、近隣に負けないようにという気持ちもあったのかもしれないが、むしろ野菜作りが失敗しはしないかと心配しているのではないかと思う。去年はチシャ作りは失敗したし、旱魃で夔州全体の野菜が被害を被った。今度の秋野菜が失敗すれば翌年の春まで野菜不足におそわれてしまうのではないか、野菜好きの杜甫の頭にはそんな不安が過ぎる。しかし今は近隣と同じ作業をしているのだから大丈夫と杜甫は自分に言い聞かせ、その不安をかき消そうとしている。

 

不愛入州府,畏人嫌我真。

自分が城内へはいらないのは他人がじぶんの天真のままなのを嫌うのではないかとおそれるためだ。

7 州府 夔州城内、城内の市場。

8 我真 自分の思ったことをありのままに、気づかいしないで喋ることをいう。天意のままに喋る。

 

及乎歸茅宇,旁舍未曾嗔。

ここに茅屋へかえりついてみると近所の人人はだれも自分の態度に対しておこる様なものはいないのである。

9 茅宇 茅葺きの屋根、瀼西の杜甫の住まい、草堂。

 

老病忌拘束,應接喪精神。

自分は年よりの上、病気で他から拘束されることは禁物だと考え、人に応対をこまめにすることなどしようと思うだけで、元気がうせてしまうのである。

10 應接 他人と応対する。

11 喪精神 思うだけで、元気がうせてしまう。

767年-18 #4杜少陵集 《19-21 甘林》#4 杜甫詩index-15-1127 <1577> 767年大暦2年56歲-18 #4 7282

杜甫  甘林 ##4

盡添軍旅用,迫此公家威。主人長跪問,戎馬何時稀。

我衰易悲傷,屈指數賊圍。勸其死王命,慎莫遠奮飛。

これが、「みんな軍の御用のたすけとなるのである、このようにせよと朝廷からの権威によぎなくされていることなのである」と。そこでこのあるじの長老は膝まづいて自分にまた問いかけていう、「いったい戦乱はいつ、少なくなるのでありましょうか」と。「自分は老衰になってもうじき、もの悲しくなるのである。指をりかぞえるると自分もたびたび賊に囲まれている。」そんなわけだから自分は長老をなだめた。おまえはお上の御命令なら、そのために死力をつくせ。気を付けてここを離れて遠方へ逃げだす様なことをしてはいけないのだ」と。

杜少陵集19-2

甘林  #4

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7282 

杜甫詩index-15-

767年大暦256

18  #4

1127 <1577

 

 
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杜甫詩1500-1126-1576/2500

年:767年大暦256-18 

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    甘林

 

甘林

(瀼西の柑林にかえってきて、感じたことをよんだ詩)

舍舟越西岡,入林解我衣。

自分は大瀼水左岸に舟をのりすてて西の岡を越え、林のなかにはいって自分の禮服をぬぐ。

青芻適馬性,好鳥知人歸。

それから馬に青草をたべさせると、馬はよろこんでたべる。またよい鳥も人が帰ってきたことを知るとそれにこたえるようにさえずってくれる。

晨光映遠岫,夕露見日晞。

朝日の光が遠方の山にうつろうと、昨夕からかけての露は太陽がでるとまもなく乾いてしまう。

遲暮少寢食,清曠喜荊扉。

自分はもう晩年になってきている中、寝ることも食べることも少く、ただこんなすがすがしくてさつぱりとして、ひろびろとした柴門の扉の住居をよろこぶのである。

(甘林)

舟を舍てて西岡を越え,林に入りて我が衣を解く。

青芻 馬性に適【かな】う,好鳥 人の歸るを知る。

晨光 遠岫に映ず,夕露 日を見て晞【かわ】く。

遲暮 寢食少し,清曠 荊扉を喜ぶ。
#2

經過倦俗態,在野無所違。

富貴の家などへ立ち寄って世俗なみの付き合いをすることにはあきてしまったし、こうやって林野に住居しておれば、自分の本性に違うことがないのである。

試問甘藜藿,未肯羨輕肥。

自分は試みに我と我が身に問いかける。「汝はあかざ、まめの粗食をうまいとおもっているか」と。自分はこれに答える。「自分はこれまで軽裘肥馬の生活を羨んだことはない。」と。

喧靜不同科,出處各天機。

そして「にぎやかと静かとはもと種類のちがったものだ。世のなかへ出るも遅くもそれはめいめいの生まれ持った自然の妙用というものである。」と。

勿矜朱門是,陋此白屋非。

「朱門の富貴が必ずよいと矜持し、白屋の貧賤が必ずわるいことであるとして貶してはならないものである」と。 

#2

經過 俗態に倦み,野に在りて 違う所無し。

試問す 藜藿を甘しとする や,未だ肯えて輕肥を羨やむ や。

喧靜は 科を同じゅうせず や,出處 各おの天機たる や。

朱門の是を矜り,此の白屋非なりと陋する勿れ。と。
#3

明朝步鄰里,長老可以依。

翌朝、自分は近所をあるいて長老にであったので、自分は長老にいったのである、「長老はわたしを頼りにしてもらっていいのです。」と。

時危賦斂數,粟為爾揮。

続けて「今の時代は、世が危いために、税金の割り付け負担が厳しく、それに取たてが再三再四されるのであるから、お困りのときには、わたしが貴方のために玄米を用立ててあげましょう」と。

相攜行荳田,秋花靄菲菲。

ということで、それから二人で手を携えて長老の管理する豆ばたけにゆき、あたりをめぐると、秋の豆の花がたくさん咲き、菲菲と匂ってくるのである。

子實不得喫,貨市送王畿。

長老がいふに、「この豆は、実になってもわたくしはそれをたべることができない、これは市へだして餞にかえて、税金として京師の方へおくるのである。」と

#3

明朝 鄰里に步す,長老 以て依る可し。

時 危くして 賦斂 數しばなり,粟 爾が為に揮わん と。

相い攜えて 荳田を行る,秋花 靄として菲菲たり。

子實 喫するを得ず,市に貨して王畿に送る。

#4

盡添軍旅用,迫此公家威。

これが、「みんな軍の御用のたすけとなるのである、このようにせよと朝廷からの権威によぎなくされていることなのである」と。

主人長跪問,戎馬何時稀。

そこでこのあるじの長老は膝まづいて自分にまた問いかけていう、「いったい戦乱はいつ、少なくなるのでありましょうか」と。

我衰易悲傷,屈指數賊圍。

「自分は老衰になってもうじき、もの悲しくなるのである。指をりかぞえるると自分もたびたび賊に囲まれている。」そんなわけだから自分は長老をなだめた。

勸其死王命,慎莫遠奮飛。

おまえはお上の御命令なら、そのために死力をつくせ。気を付けてここを離れて遠方へ逃げだす様なことをしてはいけないのだ」と。

#4

盡く軍旅の用を添う,此の公家の威に迫らる。

主人 長跪して問う,戎馬 何れの時か稀ならむ、と。

我 衰えて 悲傷し易し,屈指すれば 數しば 賊に圍まる。

其れに勸む 王命に死せよ,慎みて遠く奮飛すること莫れ、と。

 

『甘林』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

盡添軍旅用,迫此公家威。

主人長跪問,戎馬何時稀。

我衰易悲傷,屈指數賊圍。

勸其死王命,慎莫遠奮飛。
詩文(含異文)#4

盡添軍旅用,迫此公家威。主人長跪問【主人長跪辭】,戎馬何時稀。

我衰易悲傷,屈指數賊圍。勸其死王命,慎莫遠奮飛。


(下し文)
#4

盡く軍旅の用を添う,此の公家の威に迫らる。

主人 長跪して問う,戎馬 何れの時か稀ならむ、と。

我 衰えて 悲傷し易し,屈指すれば 數しば 賊に圍まる。

其れに勸む 王命に死せよ,慎みて遠く奮飛すること莫れ、と。

(現代語訳)
#4

これが、「みんな軍の御用のたすけとなるのである、このようにせよと朝廷からの権威によぎなくされていることなのである」と。

そこでこのあるじの長老は膝まづいて自分にまた問いかけていう、「いったい戦乱はいつ、少なくなるのでありましょうか」と。

「自分は老衰になってもうじき、もの悲しくなるのである。指をりかぞえるると自分もたびたび賊に囲まれている。」そんなわけだから自分は長老をなだめた。

おまえはお上の御命令なら、そのために死力をつくせ。気を付けてここを離れて遠方へ逃げだす様なことをしてはいけないのだ」と。


(訳注) #4

甘林

(瀼西の柑林にかえってきて、感じたことをよんだ詩)

瀼東から帰ろうとして、長雨であえることができずにいた(《19-17 阻雨不得歸瀼西甘林》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-14漢詩ブログ7187)が、瀼西の柑林にかえったことをよんだ詩。大暦二年秋の作。

 

盡添軍旅用,迫此公家威。

これが、「みんな軍の御用のたすけとなるのである、このようにせよと朝廷からの権威によぎなくされていることなのである」と。

36 添軍旅用 律令時代の租庸調・唐代の均田法下の税法。給田を受けた丁男(2159歳)に課したもので、租は粟(あわ)2石、庸は年20日(閏年は22日)の労役、または代納として1日当たり絹3尺、調は絹2丈と綿3両、または布2.5丈と麻3斤。その均田制が崩壊し、大土地所有の進行の一方で、本籍から離れ小作人となる農民が増えるようになると、制度の維持が難しくなり、地税・青苗税・戸税などの弥縫的な税に移行した。

37 公家威 官家、朝廷府縣官、すべて公家という。

 

主人長跪問,戎馬何時稀。

そこでこのあるじの長老は膝まづいて自分にまた問いかけていう、「いったい戦乱はいつ、少なくなるのでありましょうか」と。

38 主人長跪問 主人はちょうろうのこと、長跪は両ひざをつき、ひざまずく。「跪坐(きざ)・跪謝/拝跪」あるじの長老は膝立ちして自分にまた問いかけていう。

39 戎馬 戦争に使用する馬。軍馬。

 

我衰易悲傷,屈指數賊圍。

「自分は老衰になってもうじき、もの悲しくなるのである。指をりかぞえるると自分もたびたび賊に囲まれている。」そんなわけだから自分は長老をなだめた。

40 我衰 杜甫のからだが衰えたこと。

41 數賊圍 何度か、指をりかぞえるると自分もたびたひ賊に囲まれている。

 

勸其死王命,慎莫遠奮飛。

おまえはお上の御命令なら、そのために死力をつくせ。気を付けてここを離れて遠方へ逃げだす様なことをしてはいけないのだ」と。

42 勸其 長老に勧める。其は長老のこと。

43 死王命 天子の命、税を納めること、兵役に出ることを至上命令とする。

44 奮飛 鳥の様に飛び去ること。

 

 

《甘林》 【字解】

 

1 甘林 晩春に果樹園(蜜柑園)を丸ごと買い入れ、四十畝の果樹園を所有した。後で取り上げるが《2066_寒雨朝行視園樹》(寒雨に朝行きて園の樹を視る)の詩には「わが柴門は樹を擁して千株に向(なんな)んとす」とあり、千本にも近い蜜柑の木(千橘)が、瀼西の草堂に具わっていたとはっきり述べている。

2 舍舟 大瀼水左岸に舟をのりする。

3 青芻 青草のまぐさ。

4 適馬性 上陸後に馬にのって草堂に帰り、馬に草をたべさす。草は馬の好む餌である。

《巻十九04 歸》

束帶還騎馬,東西卻渡船。林中才有地,峽外無天。

虛白高人靜,喧卑俗累牽。他鄉閱遲暮,不敢廢詩篇。

束帶して還た馬に騎る,東西卻って船を渡す。林中 才【わずか】に地有り,峽外 えて天無し。

虛白 高人靜なり,喧卑なるは 俗累牽かる。他 遲暮をし,敢えて詩篇を廢せず。

5 遠岫 洞窟のある山が遠くに見える。岫は穴のあるやま。

6 夕露見 昨日の夕刻からの夜露。

7 日晞 太陽の日明かりで乾くことを言う。

8 清曠 すがすがしく広い気持ちになる風景。

9 荊扉 瀼西の草堂の棘で造った扉、隠遁者の棲む柴門。

10 經過 富貴のものなどの家に立ち寄ること。

11 俗態 俗世間の人波の付き合いを言う。

12 在野 林野に住居すること。

13 無所違 自分の本性にたがわぬこと。

14 試問 自ら問いかけること。策問、推問と以下の詩文もある

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首Q-1 -(1) 杜甫index-14 764年(1)Q-1-#1 杜甫<765 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4230 杜甫詩1500-765-1017/2500index-21

757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(4) 杜甫 琯関連 1-(4) 杜甫<1502-4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4360 杜甫詩1500-1502-4-1043/2500

15 甘藜藿 あかざ、まめの粗食をうまいと食すること。

16 未肯羨輕肥 試問に対してここから下句に答えることを“”で示す。輕肥は軽裘肥馬、《論語、雍也》「乗肥馬衣軽裘」(肥馬に乗り、軽裘を衣ふ)に基づく。軽く暖かい皮ごろもと肥えた馬。富貴な人が外出するときのいでたちにいう。軽肥。

17 喧靜 にぎやかにするのと静かなことが好きであること。

18 不同科 同じ種類、性質のものではない。

19 出處 喧の進出と静の退席するところ。

20 天機 1 造化の秘密。天地自然の神秘。2 生まれつきの才能。3 天子の機嫌。天気。

21 矜 ほこる。矜持。

22 朱門是 富貴の家に生まれること、富貴の家に住まいすることが良いこととする。

23 陋 みすぼらしい。いやしいとする。さげすむ。

24 白屋非 白茅の茅葺屋根の貧しい暮らしの家を悪いこととする。

25 鄰里 瀼西には、東屯に比べ住居が少なく、近所とは少し離れた位置関係にあった。

26 賦斂數 税金の割り付け負担が厳しく、それに取たてが再三再四されるということ。この杜甫詩の紹介で再三取り上げている。粛宗と賀蘭進明、第五琦の経済政策の誤りから極度のインフレが進んでいたのである。それは、代宗に代わっても継続されていた。にだから農民は、物納せずに、貨幣に変えて納税すようになったが、必ずしも公平な商売ではなかった。

756年至徳元から二載 《杜甫と房琯房琯関連 1-(1) 杜甫index-5 756年房琯関連 1-(1) 杜甫<1601-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4345 杜甫詩1500-1601-1-1040/2500

757年至徳二載 《杜甫と房琯 房琯関連 1-(2) 杜甫index-5 756年 房琯関連 1-(2) 杜甫<1601-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4350 杜甫詩1500-1601-2-1041/2500

27  杜甫は、《19-16 秋行官張望督促東渚耗稻向畢・・・》詩で「西成聚必散,不獨陵我倉。豈要仁里譽,感此亂世忙。」(西成 聚まれば必ず散ぜん,獨り我が倉を陵【たか】くするのみならず。豈に仁里の譽を要めんや,此の亂世の忙わしきに感ず。)じき秋になり豊作になれば、自分は自分の倉をたかく積みあげるばかりでなく、集まった穀物をきっと散じてひとびとにもわけてやろうとおもっている。

これは自分のいるこの村が、仁者の里だなどいわれてほめられることを求めるわけではない、まのあたりみる乱世の人民のあわただしさをみて感にたえないためだ。

767-13-#1杜甫 19-16 秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問》#1 杜甫詩index-15-767年大暦256-13-#1 <1103 漢文委員会kanbuniinkai頌之の漢詩ブログ7163

28 為爾揮 長老のために、玄米を用立ててあげようということ。

29 荳田 この二句は、老人の豆畑の様子。

30 秋花 豆の花。

31 靄菲菲 豆の花が盛んに咲いて、もやもやとした空気間の中に、まめの花の匂いが漂っている。

32 子實 豆の実が熟すこと。

33 不得喫 それをたべることができない。

34 貨市 市場で売ってお金にする。物納したのでは、インフレで不足となるので貨幣で納税することを、奨励していたのである。

35 送王畿 王畿は、長安のことを言い、此処では朝廷をさす。

767年-18 #3 杜少陵集  《19-21 甘林 》 #3杜甫詩index-15-1126首目 <1576回>767年大暦2年56歲-18 #3漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7277 

杜甫  甘林 #3

明朝步鄰里,長老可以依。時危賦斂數,粟為爾揮。

相攜行荳田,秋花靄菲菲。子實不得喫,貨市送王畿。

翌朝、自分は近所をあるいて長老にであったので、自分は長老にいったのである、「長老はわたしを頼りにしてもらっていいのです。」と。続けて「今の時代は、世が危いために、税金の割り付け負担が厳しく、それに取たてが再三再四されるのであるから、お困りのときには、わたしが貴方のために玄米を用立ててあげましょう」と。ということで、それから二人で手を携えて長老の管理する豆ばたけにゆき、あたりをめぐると、秋の豆の花がたくさん咲き、菲菲と匂ってくるのである。長老がいふに、「この豆は、実になってもわたくしはそれをたべることができない、これは市へだして餞にかえて、税金として京師の方へおくるのである。」と。

767-18  #3 

杜少陵集  《19-21 甘林 》 #3

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7277 

杜甫詩index-15-

1126 <1576

767年大暦256

18  #3

 

 
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杜甫詩1500-1126-1576/2500

年:767年大暦256-18 

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    甘林

 

甘林

(瀼西の柑林にかえってきて、感じたことをよんだ詩)

舍舟越西岡,入林解我衣。

自分は大瀼水左岸に舟をのりすてて西の岡を越え、林のなかにはいって自分の禮服をぬぐ。

青芻適馬性,好鳥知人歸。

それから馬に青草をたべさせると、馬はよろこんでたべる。またよい鳥も人が帰ってきたことを知るとそれにこたえるようにさえずってくれる。

晨光映遠岫,夕露見日晞。

朝日の光が遠方の山にうつろうと、昨夕からかけての露は太陽がでるとまもなく乾いてしまう。

遲暮少寢食,清曠喜荊扉。

自分はもう晩年になってきている中、寝ることも食べることも少く、ただこんなすがすがしくてさつぱりとして、ひろびろとした柴門の扉の住居をよろこぶのである。

(甘林)

舟を舍てて西岡を越え,林に入りて我が衣を解く。

青芻 馬性に適【かな】う,好鳥 人の歸るを知る。

晨光 遠岫に映ず,夕露 日を見て晞【かわ】く。

遲暮 寢食少し,清曠 荊扉を喜ぶ。
#2

經過倦俗態,在野無所違。

富貴の家などへ立ち寄って世俗なみの付き合いをすることにはあきてしまったし、こうやって林野に住居しておれば、自分の本性に違うことがないのである。

試問甘藜藿,未肯羨輕肥。

自分は試みに我と我が身に問いかける。「汝はあかざ、まめの粗食をうまいとおもっているか」と。自分はこれに答える。「自分はこれまで軽裘肥馬の生活を羨んだことはない。」と。

喧靜不同科,出處各天機。

そして「にぎやかと静かとはもと種類のちがったものだ。世のなかへ出るも遅くもそれはめいめいの生まれ持った自然の妙用というものである。」と。

勿矜朱門是,陋此白屋非。

「朱門の富貴が必ずよいと矜持し、白屋の貧賤が必ずわるいことであるとして貶してはならないものである」と。 

#2

經過 俗態に倦み,野に在りて 違う所無し。

試問す 藜藿を甘しとする や,未だ肯えて輕肥を羨やむ や。

喧靜は 科を同じゅうせず や,出處 各おの天機たる や。

朱門の是を矜り,此の白屋非なりと陋する勿れ。と。
#3

明朝步鄰里,長老可以依。

翌朝、自分は近所をあるいて長老にであったので、自分は長老にいったのである、「長老はわたしを頼りにしてもらっていいのです。」と。

時危賦斂數,粟為爾揮。

続けて「今の時代は、世が危いために、税金の割り付け負担が厳しく、それに取たてが再三再四されるのであるから、お困りのときには、わたしが貴方のために玄米を用立ててあげましょう」と。

相攜行荳田,秋花靄菲菲。

ということで、それから二人で手を携えて長老の管理する豆ばたけにゆき、あたりをめぐると、秋の豆の花がたくさん咲き、菲菲と匂ってくるのである。

子實不得喫,貨市送王畿。

長老がいふに、「この豆は、実になってもわたくしはそれをたべることができない、これは市へだして餞にかえて、税金として京師の方へおくるのである。」と

#3

明朝 鄰里に步す,長老 以て依る可し。

時 危くして 賦斂 數しばなり,粟 爾が為に揮わん と。

相い攜えて 荳田を行る,秋花 靄として菲菲たり。

子實 喫するを得ず,市に貨して王畿に送る。
#4

盡添軍旅用,迫此公家威。

主人長跪問,戎馬何時稀。

我衰易悲傷,屈指數賊圍。

勸其死王命,慎莫遠奮飛。

 

tanbo955 

『甘林』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

明朝步鄰里,長老可以依。

時危賦斂數,粟為爾揮。

相攜行荳田,秋花靄菲菲。

子實不得喫,貨市送王畿。

(下し文)
#3

明朝 鄰里に步す,長老 以て依る可し。

時 危くして 賦斂 數しばなり,粟 爾が為に揮わん と。

相い攜えて 荳田を行る,秋花 靄として菲菲たり。

子實 喫するを得ず,市に貨して王畿に送る。

(現代語訳)
#3

翌朝、自分は近所をあるいて長老にであったので、自分は長老にいったのである、「長老はわたしを頼りにしてもらっていいのです。」と。

続けて「今の時代は、世が危いために、税金の割り付け負担が厳しく、それに取たてが再三再四されるのであるから、お困りのときには、わたしが貴方のために玄米を用立ててあげましょう」と。

ということで、それから二人で手を携えて長老の管理する豆ばたけにゆき、あたりをめぐると、秋の豆の花がたくさん咲き、菲菲と匂ってくるのである。

長老がいふに、「この豆は、実になってもわたくしはそれをたべることができない、これは市へだして餞にかえて、税金として京師の方へおくるのである。」と


瞿塘峡・白帝城・魚復(訳注) #3

甘林

(瀼西の柑林にかえってきて、感じたことをよんだ詩)

瀼東から帰ろうとして、長雨であえることができずにいた(《19-17 阻雨不得歸瀼西甘林》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-14漢詩ブログ7187)が、瀼西の柑林にかえったことをよんだ詩。大暦二年秋の作。

 

明朝步鄰里,長老可以依。

翌朝、自分は近所をあるいて長老にであったので、自分は長老にいったのである、「長老はわたしを頼りにしてもらっていいのです。」と。

25 鄰里 瀼西には、東屯に比べ住居が少なく、近所とは少し離れた位置関係にあった。

 

時危賦斂數,粟為爾揮。

続けて「今の時代は、世が危いために、税金の割り付け負担が厳しく、それに取たてが再三再四されるのであるから、お困りのときには、わたしが貴方のために玄米を用立ててあげましょう」と。

26 賦斂數 税金の割り付け負担が厳しく、それに取たてが再三再四されるということ。この杜甫詩の紹介で再三取り上げている。粛宗と賀蘭進明、第五琦の経済政策の誤りから極度のインフレが進んでいたのである。それは、代宗に代わっても継続されていた。にだから農民は、物納せずに、貨幣に変えて納税すようになったが、必ずしも公平な商売ではなかった。

756年至徳元から二載 《杜甫と房琯房琯関連 1-(1) 杜甫index-5 756年房琯関連 1-(1) 杜甫<1601-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4345 杜甫詩1500-1601-1-1040/2500

757年至徳二載 《杜甫と房琯 房琯関連 1-(2) 杜甫index-5 756年 房琯関連 1-(2) 杜甫<1601-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4350 杜甫詩1500-1601-2-1041/2500

27  杜甫は、《19-16 秋行官張望督促東渚耗稻向畢・・・》詩で「西成聚必散,不獨陵我倉。豈要仁里譽,感此亂世忙。」(西成 聚まれば必ず散ぜん,獨り我が倉を陵【たか】くするのみならず。豈に仁里の譽を要めんや,此の亂世の忙わしきに感ず。)じき秋になり豊作になれば、自分は自分の倉をたかく積みあげるばかりでなく、集まった穀物をきっと散じてひとびとにもわけてやろうとおもっている。

これは自分のいるこの村が、仁者の里だなどいわれてほめられることを求めるわけではない、まのあたりみる乱世の人民のあわただしさをみて感にたえないためだ。

767-13-#1杜甫 19-16 秋行官張望督促東渚耗稻向畢,清晨遣女奴阿稽、豎子阿段往問》#1 杜甫詩index-15-767年大暦256-13-#1 <1103 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7163

28 為爾揮 長老のために、玄米を用立ててあげようということ。

 

相攜行荳田,秋花靄菲菲。

ということで、それから二人で手をたずさへて長老の管理する豆ばたけにゆき、あたりをめぐると、秋の豆の花がたくさん咲き、菲菲と匂ってくるのである。

29 荳田 この二句は、老人の豆畑の様子。

30 秋花 豆の花。

31 靄菲菲 豆の花が盛んに咲いて、もやもやとした空気間の中に、まめの花の匂いが漂っている。

 

子實不得喫,貨市送王畿。

長老がいふに、「この豆は、実になってもわたくしはそれをたべることができない、これは市へだして餞にかえて、税金として京師の方へおくるのである。」と

32 子實 豆の実が熟すこと。

33 不得喫 それをたべることができない。

34 貨市 市場で売ってお金にする。物納したのでは、インフレで不足となるので貨幣で納税することを、奨励していたのである。

35 送王畿 王畿は、長安のことを言い、此処では朝廷をさす。

 

 

《甘林》 【字解】

 

1 甘林 晩春に果樹園(蜜柑園)を丸ごと買い入れ、四十畝の果樹園を所有した。後で取り上げるが《2066_寒雨朝行視園樹》(寒雨に朝行きて園の樹を視る)の詩には「わが柴門は樹を擁して千株に向(なんな)んとす」とあり、千本にも近い蜜柑の木(千橘)が、瀼西の草堂に具わっていたとはっきり述べている。

2 舍舟 大瀼水左岸に舟をのりする。

3 青芻 青草のまぐさ。

4 適馬性 上陸後に馬にのって草堂に帰り、馬に草をたべさす。草は馬の好む餌である。

《巻十九04 歸》

束帶還騎馬,東西卻渡船。林中才有地,峽外無天。

虛白高人靜,喧卑俗累牽。他鄉閱遲暮,不敢廢詩篇。

束帶して還た馬に騎る,東西卻って船を渡す。林中 才【わずか】に地有り,峽外 えて天無し。

虛白 高人靜なり,喧卑なるは 俗累牽かる。他 遲暮をし,敢えて詩篇を廢せず。

5 遠岫 洞窟のある山が遠くに見える。岫は穴のあるやま。

6 夕露見 昨日の夕刻からの夜露。

7 日晞 太陽の日明かりで乾くことを言う。

8 清曠 すがすがしく広い気持ちになる風景。

9 荊扉 瀼西の草堂の棘で造った扉、隠遁者の棲む柴門。

10 經過 富貴のものなどの家に立ち寄ること。

11 俗態 俗世間の人波の付き合いを言う。

12 在野 林野に住居すること。

13 無所違 自分の本性にたがわぬこと。

14 試問 自ら問いかけること。策問、推問と以下の詩文もある

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首Q-1 -(1) 杜甫index-14 764年(1)Q-1-#1 杜甫<765 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4230 杜甫詩1500-765-1017/2500index-21

757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(4) 杜甫 房琯関連 1-(4) 杜甫<1502-4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4360 杜甫詩1500-1502-4-1043/2500

15 甘藜藿 あかざ、まめの粗食をうまいと食すること。

16 未肯羨輕肥 試問に対してここから下句に答えることを“”で示す。輕肥は軽裘肥馬、《論語、雍也》「乗肥馬衣軽裘」(肥馬に乗り、軽裘を衣ふ)に基づく。軽く暖かい皮ごろもと肥えた馬。富貴な人が外出するときのいでたちにいう。軽肥。

17 喧靜 にぎやかにするのと静かなことが好きであること。

18 不同科 同じ種類、性質のものではない。

19 出處 喧の進出と静の退席するところ。

20 天機 1 造化の秘密。天地自然の神秘。2 生まれつきの才能。3 天子の機嫌。天気。

21 矜 ほこる。矜持。

22 朱門是 富貴の家に生まれること、富貴の家に住まいすることが良いこととする。

23 陋 みすぼらしい。いやしいとする。さげすむ。

24 白屋非 白茅の茅葺屋根の貧しい暮らしの家を悪いこととする。

767年-18 # 2《 杜少陵集 19-21 甘林  》#2 杜甫詩index-15-1125 <1575> 767年大暦2年56歲-18 #2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7272 

杜甫詩  甘林 #2

經過倦俗態,在野無所違。試問甘藜藿,未肯羨輕肥。

喧靜不同科,出處各天機。勿矜朱門是,陋此白屋非。
富貴の家などへ立ち寄って世俗なみの付き合いをすることにはあきてしまったし、こうやって林野に住居しておれば、自分の本性に違うことがないのである。

自分は試みに我と我が身に問いかける。「汝はあかざ、まめの粗食をうまいとおもっているか」と。自分はこれに答える。「自分はこれまで軽裘肥馬の生活を羨んだことはない。」と。

そして「にぎやかと静かとはもと種類のちがったものだ。世のなかへ出るも遅くもそれはめいめいの生まれ持った自然の妙用というものである。」と。

「朱門の富貴が必ずよいと矜持し、白屋の貧賤が必ずわるいことであるとして貶してはならないものである」と。 

767-18  # 2

杜少陵集 19-21

甘林  #2

杜甫詩index-15-1125 <1575 767年大暦256-18  #2

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7272 

 

 

晩春に果樹園(蜜柑園)を丸ごと買い入れて、収穫を終えた翌春早々には、もう他人に譲渡している。ワン・サイクルの収穫を終えただけでは、経営と呼ぶには値しないかもしれない。したがって、一定の成果しか上がらず、故郷に帰る軍資金づくりの足しにならないか、あるいは、その軍資金に達する売り上げがあったので、早いうちにやめないと、菱州を旅立つことができないと思ったのかもしれない。しかし、収穫作業の他にも除草や施肥や土寄せなどの作業、また除虫や防寒対策(さらに蜜柑泥棒からの防護策)などの若干の必要な農事は行われたであろうし、この時期に突出して現れる蜜柑に対する並々ならぬ杜甫の関心などを考えると、杜甫の農的営為の一つとして蜜柑園経営をあげてもよいのではないかと思う。それに、杜甫は、蜜柑に関する詩を作ること、その詩を関係者に見せることで、蜜柑を得ることに成功したと考えられる。杜甫に生活を進める手段としても杜詩はうまく活用されたのである。

 とはいえ、さして具体的な農作業が歌われているわけではないので、杜甫の蜜柑関連の詩の中で、どのように蜜柑が登場し、どのように詠じられているかを、時代順に追記していくと以下の通り。

夔州における杜甫の蜜柑に関する詩

《杜少陵集   詩題   》( 下し文 ) 767年度の作順

767年~夏

  《1917_阻雨不得歸瀼西甘林》(雨に阻まれ瀼西の甘林に帰るを得ず 14

    767年~秋

  《1921_甘林》 18

  2068_即事》 61

  1858_暮春題瀼西新賃草屋,五首之二》(暮春に瀼西の新たに賃せる草屋に題す、五首》其二 74

  《1925_樹間》 84

  《2066_寒雨朝行視園樹》(寒雨に朝に行きて園樹を視る) 88

  《2064_季秋江村》(季秋の江村) 89

  《2054_從驛次草堂復至東屯茅屋,二首之一》(駅従りきたりて草堂に次(やど)り、復た東屯の茅屋に至る、二首其一)99

  《1945_峽隘》 104

  《1940_秋日夔府詠懷奉寄鄭監李賓客一百韻》六段目(秋日に夔府にて懐いを詠じ鄭監と李賓客に寄せ奉る、一百韻)106

  《1926_白露》 154

  2033_十七夜對月》 (十七夜に月に対す)179

767年~正月

  《2075_孟冬》 198

   768年~

  《2137_將別巫峽,贈南卿兄瀼西果園四十畝》 (将に巫峡に別れんとして南卿兄に瀼西の果園四十畝を贈る) 27

 

 

 

年:767年大暦256-18 

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    甘林

 

甘林

(瀼西の柑林にかえってきて、感じたことをよんだ詩)

舍舟越西岡,入林解我衣。

自分は大瀼水左岸に舟をのりすてて西の岡を越え、林のなかにはいって自分の禮服をぬぐ。

青芻適馬性,好鳥知人歸。

それから馬に青草をたべさせると、馬はよろこんでたべる。またよい鳥も人が帰ってきたことを知るとそれにこたえるようにさえずってくれる。

晨光映遠岫,夕露見日晞。

朝日の光が遠方の山にうつろうと、昨夕からかけての露は太陽がでるとまもなく乾いてしまう。

遲暮少寢食,清曠喜荊扉。

自分はもう晩年になってきている中、寝ることも食べることも少く、ただこんなすがすがしくてさつぱりとして、ひろびろとした柴門の扉の住居をよろこぶのである。

(甘林)

舟を舍てて西岡を越え,林に入りて我が衣を解く。

青芻 馬性に適【かな】う,好鳥 人の歸るを知る。

晨光 遠岫に映ず,夕露 日を見て晞【かわ】く。

遲暮 寢食少し,清曠 荊扉を喜ぶ。
#2

經過倦俗態,在野無所違。

富貴の家などへ立ち寄って世俗なみの付き合いをすることにはあきてしまったし、こうやって林野に住居しておれば、自分の本性に違うことがないのである。

試問甘藜藿,未肯羨輕肥。

自分は試みに我と我が身に問いかける。「汝はあかざ、まめの粗食をうまいとおもっているか」と。自分はこれに答える。「自分はこれまで軽裘肥馬の生活を羨んだことはない。」と。

喧靜不同科,出處各天機。

そして「にぎやかと静かとはもと種類のちがったものだ。世のなかへ出るも遅くもそれはめいめいの生まれ持った自然の妙用というものである。」と。

勿矜朱門是,陋此白屋非。

「朱門の富貴が必ずよいと矜持し、白屋の貧賤が必ずわるいことであるとして貶してはならないものである」と。 

#2

經過 俗態に倦み,野に在りて 違う所無し。

試問す 藜藿を甘しとする や,未だ肯えて輕肥を羨やむ や。

喧靜は 科を同じゅうせず や,出處 各おの天機たる や。

朱門の是を矜り,此の白屋非なりと陋する勿れ。と。
#3

明朝步鄰里,長老可以依。

時危賦斂數,粟為爾揮。

相攜行荳田,秋花靄菲菲。

子實不得喫,貨市送王畿。

#4

盡添軍旅用,迫此公家威。

主人長跪問,戎馬何時稀。

我衰易悲傷,屈指數賊圍。

勸其死王命,慎莫遠奮飛。

 

『甘林』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

經過倦俗態,在野無所違。

試問甘藜藿,未肯羨輕肥。

喧靜不同科,出處各天機。

勿矜朱門是,陋此白屋非。

(下し文)
#2

經過 俗態に倦み,野に在りて 違う所無し。

試問す 藜藿を甘しとする や,未だ肯えて輕肥を羨やむ や。

喧靜は 科を同じゅうせず や,出處 各おの天機たる や。

朱門の是を矜り,此の白屋非なりと陋する勿れ。と。

(現代語訳)
#2

富貴の家などへ立ち寄って世俗なみの付き合いをすることにはあきてしまったし、こうやって林野に住居しておれば、自分の本性に違うことがないのである。

自分は試みに我と我が身に問いかける。「汝はあかざ、まめの粗食をうまいとおもっているか」と。自分はこれに答える。「自分はこれまで軽裘肥馬の生活を羨んだことはない。」と。

そして「にぎやかと静かとはもと種類のちがったものだ。世のなかへ出るも遅くもそれはめいめいの生まれ持った自然の妙用というものである。」と。

「朱門の富貴が必ずよいと矜持し、白屋の貧賤が必ずわるいことであるとして貶してはならないものである」と。 

瞿塘峡・白帝城・魚復
(訳注) #2

甘林

(瀼西の柑林にかえってきて、感じたことをよんだ詩)

瀼東から帰ろうとして、長雨であえることができずにいた(《19-17 阻雨不得歸瀼西甘林》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-14漢詩ブログ7187)が、瀼西の柑林にかえったことをよんだ詩。大暦二年秋の作。

 

經過倦俗態,在野無所違。

富貴の家などへ立ち寄って世俗なみの付き合いをすることにはあきてしまったし、こうやって林野に住居しておれば、自分の本性に違うことがないのである。

10 經過 富貴のものなどの家に立ち寄ること。

11 俗態 俗世間の人波の付き合いを言う。

12 在野 林野に住居すること。

13 無所違 自分の本性にたがわぬこと。

 

試問“甘藜藿,未肯羨輕肥。”

自分は試みに我と我が身に問いかける。「汝はあかざ、まめの粗食をうまいとおもっているか」と。自分はこれに答える。「自分はこれまで軽裘肥馬の生活を羨んだことはない。」と。

14 試問 自ら問いかけること。策問、推問と以下の詩文もある

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首Q-1 -(1) 杜甫index-14 764年(1)Q-1-#1 杜甫<765 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4230 杜甫詩1500-765-1017/2500index-21

757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(4) 杜甫 房琯関連 1-(4) 杜甫<1502-4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4360 杜甫詩1500-1502-4-1043/2500

15 甘藜藿 あかざ、まめの粗食をうまいと食すること。

16 未肯羨輕肥 試問に対してここから下句に答えることを“”で示す。輕肥は軽裘肥馬、《論語、雍也》「乗肥馬衣軽裘」(肥馬に乗り、軽裘を衣ふ)に基づく。軽く暖かい皮ごろもと肥えた馬。富貴な人が外出するときのいでたちにいう。軽肥。

 

“喧靜不同科,出處各天機。”

そして「にぎやかと静かとはもと種類のちがったものだ。世のなかへ出るも遅くもそれはめいめいの生まれ持った自然の妙用というものである。」と。

17 喧靜 にぎやかにするのと静かなことが好きであること。

18 不同科 同じ種類、性質のものではない。

19 出處 喧の進出と静の退席するところ。

20 天機 1 造化の秘密。天地自然の神秘。2 生まれつきの才能。3 天子の機嫌。天気。

 

“勿矜朱門是,陋此白屋非。”

「朱門の富貴が必ずよいと矜持し、白屋の貧賤が必ずわるいことであるとして貶してはならないものである」と。 

21 矜 ほこる。矜持。

22 朱門是 富貴の家に生まれること、富貴の家に住まいすることが良いこととする。

23 陋 みすぼらしい。いやしいとする。さげすむ。

24 白屋非 白茅の茅葺屋根の貧しい暮らしの家を悪いこととする。

 

三峡 巫山十二峰001 

 

《甘林》 【字解】

 

1 甘林 晩春に果樹園(蜜柑園)を丸ごと買い入れ、四十畝の果樹園を所有した。後で取り上げるが《2066_寒雨朝行視園樹》(寒雨に朝行きて園の樹を視る)の詩には「わが柴門は樹を擁して千株に向(なんな)んとす」とあり、千本にも近い蜜柑の木(千橘)が、瀼西の草堂に具わっていたとはっきり述べている。

2 舍舟 大瀼水左岸に舟をのりする。

3 青芻 青草のまぐさ。

4 適馬性 上陸後に馬にのって草堂に帰り、馬に草をたべさす。草は馬の好む餌である。

《巻十九04 歸》

束帶還騎馬,東西卻渡船。林中才有地,峽外無天。

虛白高人靜,喧卑俗累牽。他鄉閱遲暮,不敢廢詩篇。

束帶して還た馬に騎る,東西卻って船を渡す。林中 才【わずか】に地有り,峽外 えて天無し。

虛白 高人靜なり,喧卑なるは 俗累牽かる。他 遲暮をし,敢えて詩篇を廢せず。

5 遠岫 洞窟のある山が遠くに見える。岫は穴のあるやま。

6 夕露見 昨日の夕刻からの夜露。

7 日晞 太陽の日明かりで乾くことを言う。

8 清曠 すがすがしく広い気持ちになる風景。

9 荊扉 瀼西の草堂の棘で造った扉、隠遁者の棲む柴門。

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