杜甫 卜居
歸羨遼東鶴,吟同楚執珪。未成游碧海,著處覓丹梯。
雲障寬江左,春耕破瀼西。桃紅客若至,定似昔人迷。
(赤甲山より更に瀼西に住居を卜せんとして作れる詩。)
むかし、霊虚山で仙道を学んで、丁令威が鶴に化して遼東へ帰ったというが、自分も鶴にでもなって故郷の隠棲地に還ればよいとそれを鶴を羨む。越の莊舄が楚の宰相である執珪の位にまでなっても故郷を忘れかね、病中に越歌を吟じたというが、病気である自分も今はそんな状況である。かねがね遊びたいとおもっている碧海にはまだ遊ぶことはできず、かえって到るところに山居をもとめているありさまである。こんど住もうとしているところは、この地方では長江の北で、雲のうかぶ峻山もいくらかゆとりがあって平であるから、春の耕作でもはじめて瀼水の西で地面に鋤鍬でもいれようとおもうところである。桃の花が真っ赤に吹くころに、お客でもたずねてきたなら、定めし昔の武陵の漁父が桃源で路をふみ迷う様なめにあうだろう。
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杜少陵集 卷一八56 |
卜 居 |
漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7562 |
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杜甫詩index-15 |
767年大暦2年56歲 (24) |
1183 <1633> |
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杜甫詩1500-1183-1633/2500
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【大歷二年春,甫自西閣遷赤甲、此是大厯二年自赤甲将遷居瀼西而作。】 |
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入宅,三首之一 卷229 43-1 /巻18-52 |
奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。客居愧遷次,春酒漸多添。 花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。衰年不敢恨,勝概欲相兼。 |
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三首之二 卷229 43-2 /巻18-53 |
亂後居難定,春歸客未還。水生魚複浦,雲暖麝香山。 半頂梳頭白,過眉拄杖斑。相看多使者,一一問函關。 |
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三首之三 卷229 43-3 /巻18-54 |
宋玉歸州宅,雲通白帝城。吾人淹老病,旅食豈才名。 峽口風常急,江流氣不平。只應與兒子,飄轉任浮生。 |
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赤甲 卷229 44 /巻18-55 |
卜居赤甲遷居新,兩見巫山楚水春。炙背可以獻天子,美芹由來知野人。 荊州鄭薛寄書近,蜀客郗岑非我鄰。笑接郎中評事飲,病從深酌道吾真。 |
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卜居 卷229 45 /巻18-56 |
歸羨遼東鶴,吟同楚執珪。未成游碧海,著處覓丹梯。 雲障寬江左,春耕破瀼西。桃紅客若至,定似昔人迷。 |
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暮春題瀼西新賃草屋,五首之一卷229_46-1 / 巻18-57 |
久嗟三峽客,再與暮春期。百舌欲無語,繁花能幾時。 谷虛雲氣薄,波亂日華遲。戰伐何由定,哀傷不在茲。 |
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五首之二 卷229_46-2 / 巻18-58 |
此邦千樹橘,不見比封君。養拙干戈際,全生麋鹿群。 畏人江北草,旅食瀼西雲。萬里巴渝曲,三年實飽聞。 |
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五首之三 卷229_46-3 / 巻18-59 |
彩雲陰複白,錦樹曉來青。身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。 哀歌時自短,醉舞為誰醒。細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。 |
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五首之四 卷229_46-4 / 巻18-60 |
壯年學書劍,他日委泥沙。事主非無祿,浮生即有涯。 高齋依藥餌,絕域改春華。喪亂丹心破,王臣未一家。 |
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五首之五 卷229_46-5 / 巻18-61 |
欲陳濟世策,已老尚書郎。未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。 時危人事急,風逆羽毛傷。落日悲江漢,中宵淚滿床。 |
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江雨有懷鄭典設 卷231_28 / 巻18-63 |
春雨暗暗塞峽中,早晚來自楚王宮。亂波分披已打岸,弱雲狼藉不禁風。 寵光蕙葉與多碧,點注桃花舒小紅。穀口子真正憶汝,岸高瀼滑限西東。 |
18-55 24 赤甲
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作時年: |
767年 |
大暦2年 |
56歲 |
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全唐詩 卷別: |
卷二二九 44 |
文體: |
七言律詩 |
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杜少陵集 |
巻18-55 |
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詩題: |
卜居 |
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大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。 |
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作地點: |
夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西、赤甲) |
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及地點: |
山南西道 奉節の東40里、麝香山。 |
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交遊人物: |
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卷229_45 《卜居》杜甫
卜居
歸羨遼東鶴,吟同楚執珪。
未成游碧海,著處覓丹梯。
雲障寬江左,春耕破瀼西。
桃紅客若至,定似昔人迷。
(赤甲山より更に瀼西に住居を卜せんとして作れる詩。)
むかし、霊虚山で仙道を学んで、丁令威が鶴に化して遼東へ帰ったというが、自分も鶴にでもなって故郷の隠棲地に還ればよいとそれを鶴を羨む。越の莊舄が楚の宰相である執珪の位にまでなっても故郷を忘れかね、病中に越歌を吟じたというが、病気である自分も今はそんな状況である。
かねがね遊びたいとおもっている碧海にはまだ遊ぶことはできず、かえって到るところに山居をもとめているありさまである。
こんど住もうとしているところは、この地方では長江の北で、雲のうかぶ峻山もいくらかゆとりがあって平であるから、春の耕作でもはじめて瀼水の西で地面に鋤鍬でもいれようとおもうところである。
桃の花が真っ赤に吹くころに、お客でもたずねてきたなら、定めし昔の武陵の漁父が桃源で路をふみ迷う様なめにあうだろう。
(卜居)
歸は羨む 遼東の鶴、吟は同じ楚の執珪。
未だ碧海に遊ぶことを成さず、薯虞に丹梯を覚む。
雲嘩江北に寛打でり、春耕演西を彼らむ。
桃紅なるとき客若し亨らば、定めて似む昔人の迷ひしに。
『卜居』現代語訳と訳註解説
(本文)
卜居
歸羨遼東鶴,吟同楚執珪。
未成游碧海,著處覓丹梯。
雲障寬江左,春耕破瀼西。
桃紅客若至,定似昔人迷。
(下し文)
(卜居)
歸は羨む 遼東の鶴、吟は同じ楚の執珪。
未だ碧海に遊ぶことを成さず、薯虞に丹梯を覚む。
雲嘩江北に寛打でり、春耕演西を彼らむ。
桃紅なるとき客若し亨らば、定めて似む昔人の迷ひしに。
(現代語訳)
卜居(赤甲山より更に瀼西に住居を卜せんとして作れる詩。)
むかし、霊虚山で仙道を学んで、丁令威が鶴に化して遼東へ帰ったというが、自分も鶴にでもなって故郷の隠棲地に還ればよいとそれを鶴を羨む。越の莊舄が楚の宰相である執珪の位にまでなっても故郷を忘れかね、病中に越歌を吟じたというが、病気である自分も今はそんな状況である。
かねがね遊びたいとおもっている碧海にはまだ遊ぶことはできず、かえって到るところに山居をもとめているありさまである。
こんど住もうとしているところは、この地方では長江の北で、雲のうかぶ峻山もいくらかゆとりがあって平であるから、春の耕作でもはじめて瀼水の西で地面に鋤鍬でもいれようとおもうところである。
桃の花が真っ赤に吹くころに、お客でもたずねてきたなら、定めし昔の武陵の漁父が桃源で路をふみ迷う様なめにあうだろう。
(訳注)
卜居
(赤甲山より更に瀼西に住居を卜せんとして作れる詩。)大暦二年春の作。
1 雲安から夔州に来て、洞庭湖方面に出港、移るまで、雲安⇒ 客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯→瀼西、と移居した。この詩は西閣から、赤甲に移居し、さらに瀼西に移居した時のものである。
大暦二年の春、西閣より赤甲に居を遷したことをいう。
歸羨遼東鶴,吟同楚執珪。
むかし、霊虚山で仙道を学んで、丁令威が鶴に化して遼東へ帰ったというが、自分も鶴にでもなって故郷の隠棲地に還ればよいとそれを鶴を羨む。越の莊舄が楚の宰相である執珪の位にまでなっても故郷を忘れかね、病中に越歌を吟をじたというが、病気である自分も今はそんな状況である。
2 遼東鶴 丁令威の故事。《續捜神記》にいう、丁令、遼東の華表の柱に鶴有り、其上に棲んで曰く、「有鳥有鳥丁令威、去家
里今始歸、城郭如故人民非、何不學仙塜累累。」(鳥有り、鳥有り、丁令威、家里を去る今始めて歸る、城郭故の如く人民は非なり、何ぞ仙を學ばざる塜 累累たり。)
3 楚執珪 戰國の時の楚に仕えた越國の人で楚の宰相、執珪の地位に就いた人で、莊舄が病気になって、必ず歌い、吟ずるのは、故郷の越の歌を吟じたという《史記‧張儀列傳》にみえる故事。
後「莊舄越吟」を以て懷鄉の詠と感傷の情をいう。漢·王粲《文選・登樓賦》「鐘儀幽而楚奏兮,莊顯而越吟。人情同於懷土兮,豈窮達而異心。」(鐘儀、幽【とらわ】れて楚奏し,莊顯れて越吟す。人情、土を懷うに同じ,豈に窮達して心異にせんや。)
未成游碧海,著處覓丹梯。
かねがね遊びたいとおもっている碧海にはまだ遊ぶことはできず、かえって到るところに山居をもとめているありさまである。
4 游碧海 仙界に続く滄海を意識させ、仙界、隠棲することを言う。
丹梯 幽遠なる自然の趣をたたえる深山ということ。《文選‧謝朓<敬亭山詩>》: “要欲追奇趣, 即此陵丹梯。(奇趣を追い要めんと欲し, 即ち此に丹梯に陵る。)
「丹梯」五臣(呂延済)注には「山高くして、峯は雲霞に入る処なり」とある。つまり仙人の棲んでいるところである。謝霊運の「石門の最高頂に登る」詩に「惜無同懐客、共登青雲梯」(懐ひを同じくする客の、共に青雲の梯に登る無きを惜しむ)という、よく似た表現があり、謝眺はそれにもとづいて此の語を作ったのではなかろうかと思われる。したがってその意味は、幽遠なる自然の趣をたたえる深山、ということになろう。
登石門最高頂 謝霊運<31>#2 詩集 408 kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1041
雲障寬江左,春耕破瀼西。
こんど住もうとしているところは、この地方では長江の北で、雲のうかぶ峻山もいくらかゆとりがあって平であるから、春の耕作でもはじめて瀼水の西で地面に鋤鍬でもいれようとおもうところである。
雲障 山に雲がかかり屏風のように背後にそそり立つ状況を言う。常にかかっている雲があるということであろう。
寬江左 この地における、長江のほとりは山が長江に接近していて、平坦地が少ない、峡谷であるが、瀼西の地は比較的平坦地が広がっていると意味。
破 土壌を破る。
瀼西 瀼西の地は、草堂河の西側にある。草堂河は白帝山の南端で長江に合流するが、そこから遡るかたちで杜甫の瀼西宅がある。草堂河は、白帝山の東側を半周するとほぼ真っ直ぐな水路となり、左手に子陽山(唐代の赤甲山)、右手に今の赤甲山(唐代の白塩山)に挟まれた一段が続く。この部分の左岸が瀼西区で右岸が瀼東区である。その一段を過ぎると草堂河は逆L字型に流れを転じて上流へ向かうが、そのカーブする箇所の左岸下部に杜甫の瀼西宅はあったとされる。そこは赤甲山の東側の山裾でもあり、その南面である。従って瀼西宅を陸路で出発し、その赤甲山の東麓を真北に越えて行けば、方向を転じてきた草堂河に再び出会うことになる。ちょうどそのあたりで、草堂河は石馬河と合流する。その合流地点はあたかもYの字型で、その合流点の北岸に杜甫の東屯の住まいがあった。東屯は瀼西宅からすると、北の方角にある。
桃紅客若至,定似昔人迷。
桃の花が真っ赤に吹くころに、お客でもたずねてきたなら、定めし昔の武陵の漁父が桃源で路をふみ迷う様なめにあうだろう。
昔人迷 俗界を離れた他界・仙境、武陵の桃源郷の故事を用いている。
参考
《續捜神記》にいう、丁令威はもと遼東のひとであった。道の教えを霊虚山(今の安徽省懐遠付近の霊山)で学んだという。後に変化して鶴となり、遼東に帰った。さて、遼東の街の城門前には石で作られた大きな記念柱(「華表」)があり、丁令威の化した鶴は、そこに止まったのである。すると、何も知らない若者が、これはよき獲物なり、と弓をとって射ようとしたそうだ。それに気づいた鶴は飛び立ち、空中を何度か旋回して、歌っていわく、
「有鳥有鳥丁令威、去家千年今始帰。城郭如故人民非、何不学仙冢塁塁。」(鳥あり鳥あり 丁令威、(家を去りて千年 今はじめて帰る。城郭はもとの如きも人民は非なり、何ぞ仙を学ばざる 冢塁々たるに。)
鳥がやってきた、鳥がやってきた、それはわたし、丁令威。家を出てから千年、仙道を学んで今はじめて帰ってきたが、町はいにしえと似ているが、ひとびとはまったく違っている、どうして仙道を学ばずに、みんな次々と死んでしまったのだろう。歌い終えるとついに高く天に舞い上ってそのまま見えなくなってしまった・・・。
戰國時越國人。 也稱越舄。 仕於楚, 病中思越而吟越聲。《史記‧張儀列傳》。 後以“莊舄越吟”指懷鄉之詠與感傷之情。
清趙翼《吏議左遷特蒙送部引見》詩: “老去賀公吳語慣, 病來莊舄越吟多。”亦省作“ ”。
戰國の時の楚に仕えた越國の人で楚の宰相、執珪の地位に就いた人で、莊舄が病気になって、必ず歌い、吟ずるのは、故郷の越の歌を吟じたという《史記‧張儀列傳》にみえる故事。
後「莊舄越吟」を以て懷鄉の詠と感傷の情をいう。漢·王粲《文選・登樓賦》「鐘儀幽而楚奏兮,莊顯而越吟。人情同於懷土兮,豈窮達而異心。」(鐘儀、幽【とらわ】れて楚奏し,莊顯れて越吟す。人情、土を懷うに同じ,豈に窮達して心異にせんや。)
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卜居此是大厯二年自赤/甲将遷居瀼西而作 |
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歸羡遼東鶴、吟同楚執珪。未成遊碧海、著渉畧/切處覔丹梯。 |
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雲嶂陳作/障寛江北、一作/左春耕破瀼西。桃紅客若至、定似昔一作/晉人迷。 |
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上四客居有感下欲託居瀼西也。 忘丁/公魂歸故里莊舄病而吟越皆不 故 |
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鄉者故借以自方碧海丹梯歎不能水行而復山棲江/北、即瀼西其地寛平故可耕種 杜臆公以此地為桃源直作避秦計矣 |
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千遼東華表柱有鶴、棲其上曰、「有鳥/有鳥丁令威、去家 里今始歸、城郭如故人民非、何不學仙塜累累。」 |
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病猶為越吟 選注 越人莊舄起家寒微為楚執珪 |
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有十洲記 扶桑之東有碧海 |
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謝靈運詩 灑歩臨丹梯東破是破土 劉希曰 瀼溪/在白帝城之 昔人迷指 晨阮肇 |
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