杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

2016年03月

767年- 24 杜少陵集-巻18-56 《卜居》24 杜甫詩index-15-1183 <1633> 18-56 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7562

杜甫  卜居

歸羨遼東鶴,吟同楚執珪。未成游碧海,著處覓丹梯。 

雲障寬江左,春耕破瀼西。桃紅客若至,定似昔人迷。 

(赤甲山より更に瀼西に住居を卜せんとして作れる詩。) 

むかし、霊虚山で仙道を学んで、丁令威が鶴に化して遼東へ帰ったというが、自分も鶴にでもなって故郷の隠棲地に還ればよいとそれを鶴を羨む。越の莊舄が楚の宰相である執珪の位にまでなっても故郷を忘れかね、病中に越歌を吟じたというが、病気である自分も今はそんな状況である。かねがね遊びたいとおもっている碧海にはまだ遊ぶことはできず、かえって到るところに山居をもとめているありさまである。こんど住もうとしているところは、この地方では長江の北で、雲のうかぶ峻山もいくらかゆとりがあって平であるから、春の耕作でもはじめて瀼水の西で地面に鋤鍬でもいれようとおもうところである。桃の花が真っ赤に吹くころに、お客でもたずねてきたなら、定めし昔の武陵の漁父が桃源で路をふみ迷う様なめにあうだろう。

杜少陵集 卷一八56

卜 居

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7562 

杜甫詩index-15

767年大暦256 (24)

1183 <1633

 

 

 
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杜甫詩1500-1183-1633/2500

【大歷二年春,甫自西閣遷赤甲、此是大厯二年自赤甲将遷居瀼西而作。

入宅,三首之一

229 43-1 /18-52 

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。客居愧遷次,春酒漸多添。 

花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。衰年不敢恨,勝概欲相兼。 

三首之二

229 43-2 /18-53 

亂後居難定,春歸客未還。水生魚複浦,雲暖麝香山。 

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。相看多使者,一一問函關。 

三首之三

229 43-3 /18-54 

宋玉歸州宅,雲通白帝城。吾人淹老病,旅食豈才名。 

峽口風常急,江流氣不平。只應與兒子,飄轉任浮生。 

赤甲

229 44 /18-55 

卜居赤甲遷居新,兩見巫山楚水春。炙背可以獻天子,美芹由來知野人。

荊州鄭薛寄書近,蜀客郗岑非我鄰。笑接郎中評事飲,病從深酌道吾真。

卜居

229 45 /18-56 

歸羨遼東鶴,吟同楚執珪。未成游碧海,著處覓丹梯。 

雲障寬江左,春耕破瀼西。桃紅客若至,定似昔人迷。 

暮春題瀼西新賃草屋,五首之一卷229_46-1 / 巻18-57 

久嗟三峽客,再與暮春期。百舌欲無語,繁花能幾時。

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。戰伐何由定,哀傷不在茲。

五首之二

229_46-2 / 巻18-58

此邦千樹橘,不見比封君。養拙干戈際,全生麋鹿群。

畏人江北草,旅食瀼西雲。萬里巴渝曲,三年實飽聞。

五首之三

229_46-3 / 巻18-59 

彩雲陰複白,錦樹曉來青。身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。

哀歌時自短,醉舞為誰醒。細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。

五首之四

229_46-4 / 巻18-60 

壯年學書劍,他日委泥沙。事主非無祿,浮生即有涯。

高齋依藥餌,域改春華。喪亂丹心破,王臣未一家。

五首之五

229_46-5 / 巻18-61 

欲陳濟世策,已老尚書郎。未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。

時危人事急,風逆羽毛傷。落日悲江漢,中宵淚滿床。

江雨有懷鄭典設

231_28 / 巻18-63

春雨暗暗塞峽中,早晚來自楚王宮。亂波分披已打岸,弱雲狼藉不禁風。

寵光蕙葉與多碧,點注桃花舒小紅。穀口子真正憶汝,岸高瀼滑限西東。

 

 

18-55     24          赤甲

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二九 44

文體:

七言律詩

杜少陵集 

18-55

 

 

詩題:

卜居

大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西、赤甲)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

交遊人物:

 

 

 

 

 

229_45 《卜居》杜甫 

卜居

歸羨遼東鶴,吟同楚執珪。

未成游碧海,著處覓丹梯。 

雲障寬江左,春耕破瀼西。

桃紅客若至,定似昔人迷。 

(赤甲山より更に瀼西に住居を卜せんとして作れる詩。) 

むかし、霊虚山で仙道を学んで、丁令威が鶴に化して遼東へ帰ったというが、自分も鶴にでもなって故郷の隠棲地に還ればよいとそれを鶴を羨む。越の莊舄が楚の宰相である執珪の位にまでなっても故郷を忘れかね、病中に越歌を吟じたというが、病気である自分も今はそんな状況である。

かねがね遊びたいとおもっている碧海にはまだ遊ぶことはできず、かえって到るところに山居をもとめているありさまである。

こんど住もうとしているところは、この地方では長江の北で、雲のうかぶ峻山もいくらかゆとりがあって平であるから、春の耕作でもはじめて瀼水の西で地面に鋤鍬でもいれようとおもうところである。

桃の花が真っ赤に吹くころに、お客でもたずねてきたなら、定めし昔の武陵の漁父が桃源で路をふみ迷う様なめにあうだろう。

(卜居)

歸は羨む 遼東の鶴、吟は同じ楚の執珪。

未だ碧海に遊ぶことを成さず、薯虞に丹梯を覚む。

雲嘩江北に寛打でり、春耕演西を彼らむ。

桃紅なるとき客若し亨らば、定めて似む昔人の迷ひしに。

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

『卜居』現代語訳と訳註解説
(
本文)

卜居

歸羨遼東鶴,吟同楚執珪。

未成游碧海,著處覓丹梯。

雲障寬江左,春耕破瀼西。

桃紅客若至,定似昔人迷。

(下し文)
(卜居)

歸は羨む 遼東の鶴、吟は同じ楚の執珪。

未だ碧海に遊ぶことを成さず、薯虞に丹梯を覚む。

雲嘩江北に寛打でり、春耕演西を彼らむ。

桃紅なるとき客若し亨らば、定めて似む昔人の迷ひしに。


(現代語訳)
卜居(赤甲山より更に瀼西に住居を卜せんとして作れる詩。) 

むかし、霊虚山で仙道を学んで、丁令威が鶴に化して遼東へ帰ったというが、自分も鶴にでもなって故郷の隠棲地に還ればよいとそれを鶴を羨む。越の莊舄が楚の宰相である執珪の位にまでなっても故郷を忘れかね、病中に越歌を吟じたというが、病気である自分も今はそんな状況である。

かねがね遊びたいとおもっている碧海にはまだ遊ぶことはできず、かえって到るところに山居をもとめているありさまである。

こんど住もうとしているところは、この地方では長江の北で、雲のうかぶ峻山もいくらかゆとりがあって平であるから、春の耕作でもはじめて瀼水の西で地面に鋤鍬でもいれようとおもうところである。

桃の花が真っ赤に吹くころに、お客でもたずねてきたなら、定めし昔の武陵の漁父が桃源で路をふみ迷う様なめにあうだろう。


(訳注) 

卜居

(赤甲山より更に瀼西に住居を卜せんとして作れる詩。)大暦二年春の作。

1 雲安から夔州に来て、洞庭湖方面に出港、移るまで、雲安⇒ 客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯→瀼西、と移居した。この詩は西閣から、赤甲に移居し、さらに瀼西に移居した時のものである。

大暦二年の春、西閣より赤甲に居を遷したことをいう。

 

歸羨遼東鶴,吟同楚執珪。

むかし、霊虚山で仙道を学んで、丁令威が鶴に化して遼東へ帰ったというが、自分も鶴にでもなって故郷の隠棲地に還ればよいとそれを鶴を羨む。越の莊舄が楚の宰相である執珪の位にまでなっても故郷を忘れかね、病中に越歌を吟をじたというが、病気である自分も今はそんな状況である。

2 遼東鶴 丁令威の故事。《續捜神記》にいう、丁令、遼東の華表の柱に鶴有り、其上に棲んで曰く、「有鳥有鳥丁令威、去家 里今始歸、城郭如故人民非、何不學仙累累。」(鳥有り、鳥有り、丁令威、家里を去る今始めて歸る、城郭故の如く人民は非なり、何ぞ仙を學ばざる 累累たり。

3 楚執珪 戰國の時の楚に仕えた越國の人で楚の宰相、執珪の地位に就いた人で、莊舄が病気になって、必ず歌い、吟ずるのは、故郷の越の歌を吟じたという《史記張儀列傳》にみえる故事。 後「莊舄越吟」を以て懷の詠と感傷の情をいう。漢·王粲《文選・登樓賦》「鐘儀幽而楚奏兮,莊顯而越吟。人情同於懷土兮,豈窮達而異心。」(鐘儀、幽【とらわ】れて楚奏し,莊顯れて越吟す。人情、土を懷うに同じ,豈に窮達して心異にせんや。

 

未成游碧海,著處覓丹梯。

かねがね遊びたいとおもっている碧海にはまだ遊ぶことはできず、かえって到るところに山居をもとめているありさまである。

4 游碧海 仙界に続く滄海を意識させ、仙界、隠棲することを言う。

丹梯 幽遠なる自然の趣をたたえる深山ということ。《文選謝朓<敬亭山詩>》:要欲追奇趣, 即此陵丹梯。(奇趣を追い要めんと欲し, 即ち此に丹梯に陵る。

丹梯五臣(呂延済)注には「山高くして、峯は雲霞に入る処なり」とある。つまり仙人の棲んでいるところである。謝霊運の「石門の最高頂に登る」詩に「惜無同懐客、共登青雲梯」(懐ひを同じくする客の、共に青雲の梯に登る無きを惜しむ)という、よく似た表現があり、謝眺はそれにもとづいて此の語を作ったのではなかろうかと思われる。したがってその意味は、幽遠なる自然の趣をたたえる深山、ということになろう。

登石門最高頂 謝霊運<31>#2 詩集 408  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1041

 

雲障寬江左,春耕破瀼西。

こんど住もうとしているところは、この地方では長江の北で、雲のうかぶ峻山もいくらかゆとりがあって平であるから、春の耕作でもはじめて瀼水の西で地面に鋤鍬でもいれようとおもうところである。

雲障 山に雲がかかり屏風のように背後にそそり立つ状況を言う。常にかかっている雲があるということであろう。

寬江左 この地における、長江のほとりは山が長江に接近していて、平坦地が少ない、峡谷であるが、瀼西の地は比較的平坦地が広がっていると意味。

破 土壌を破る。

瀼西 瀼西の地は、草堂河の西側にある。草堂河は白帝山の南端で長江に合流するが、そこから遡るかたちで杜甫の瀼西宅がある。草堂河は、白帝山の東側を半周するとほぼ真っ直ぐな水路となり、左手に子陽山(唐代の赤甲山)、右手に今の赤甲山(唐代の白塩山)に挟まれた一段が続く。この部分の左岸が瀼西区で右岸が瀼東区である。その一段を過ぎると草堂河は逆L字型に流れを転じて上流へ向かうが、そのカーブする箇所の左岸下部に杜甫の瀼西宅はあったとされる。そこは赤甲山の東側の山裾でもあり、その南面である。従って瀼西宅を陸路で出発し、その赤甲山の東麓を真北に越えて行けば、方向を転じてきた草堂河に再び出会うことになる。ちょうどそのあたりで、草堂河は石馬河と合流する。その合流地点はあたかもYの字型で、その合流点の北岸に杜甫の東屯の住まいがあった。東屯は瀼西宅からすると、北の方角にある。

 

桃紅客若至,定似昔人迷。

桃の花が真っ赤に吹くころに、お客でもたずねてきたなら、定めし昔の武陵の漁父が桃源で路をふみ迷う様なめにあうだろう。

昔人迷 俗界を離れた他界・仙境、武陵の桃源郷の故事を用いている。

 

参考

《續捜神記》にいう、丁令威はもと遼東のひとであった。道の教えを霊虚山(今の安徽省懐遠付近の霊山)で学んだという。後に変化して鶴となり、遼東に帰った。さて、遼東の街の城門前には石で作られた大きな記念柱(「華表」)があり、丁令威の化した鶴は、そこに止まったのである。すると、何も知らない若者が、これはよき獲物なり、と弓をとって射ようとしたそうだ。それに気づいた鶴は飛び立ち、空中を何度か旋回して、歌っていわく、

「有鳥有鳥丁令威、去家千年今始帰。城郭如故人民非、何不学仙冢塁塁。」(鳥あり鳥あり 丁令威、(家を去りて千年 今はじめて帰る。城郭はもとの如きも人民は非なり、何ぞ仙を学ばざる 冢塁々たるに。

鳥がやってきた、鳥がやってきた、それはわたし、丁令威。家を出てから千年、仙道を学んで今はじめて帰ってきたが、町はいにしえと似ているが、ひとびとはまったく違っている、どうして仙道を学ばずに、みんな次々と死んでしまったのだろう。歌い終えるとついに高く天に舞い上ってそのまま見えなくなってしまった・・・。

 

戰國時越國人。 也稱越舄。 仕於楚, 病中思越而吟越聲。《史記張儀列傳》。 後以“莊舄越吟”指懷之詠與感傷之情。 清趙翼《吏議左遷特蒙送部引見》詩:老去賀公語慣, 病來莊舄越吟多。”亦省作“

戰國の時の楚に仕えた越國の人で楚の宰相、執珪の地位に就いた人で、莊舄が病気になって、必ず歌い、吟ずるのは、故郷の越の歌を吟じたという《史記張儀列傳》にみえる故事。 後「莊舄越吟」を以て懷の詠と感傷の情をいう。漢·王粲《文選・登樓賦》「鐘儀幽而楚奏兮,莊顯而越吟。人情同於懷土兮,豈窮達而異心。」(鐘儀、幽【とらわ】れて楚奏し,莊顯れて越吟す。人情、土を懷うに同じ,豈に窮達して心異にせんや。

 

 

夔州東川卜居図詳細 002 

 

 

 

  卜居此是大厯二年自赤/甲将遷居瀼西而作

歸羡遼東鶴、吟同楚執珪。未成遊碧海、著渉畧/處覔丹梯。

雲嶂陳作/寛江北、一作/春耕破瀼西。桃紅客若至、定似昔一作/人迷。

上四客居有感下欲託居瀼西也。 忘丁/公魂歸故里莊舄病而吟越皆不

者故借以自方碧海丹梯歎不能水行而復山棲江/北、即瀼西其地寛平故可耕種

杜臆公以此地為桃源直作避秦計矣 

千遼東華表柱有鶴、棲其上曰、「有鳥/有鳥丁令威、去家 里今始歸、城郭如故人民非、何不學仙累累。」

病猶為越吟 選注 越人莊舄起家寒微為楚執珪 

有十洲記 扶桑之東有碧海

謝靈運詩 灑歩臨丹梯東破是破土 劉希曰 瀼溪/在白帝城之 昔人迷指 晨阮肇

 

 

767年- 23 杜少陵集-巻18-55 《赤甲》23 杜甫詩index-15-1182 <1632> 18-55 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7557

杜甫  赤甲

卜居赤甲遷居新,兩見巫山楚水春。炙背可以獻天子,美芹由來知野人。

荊州鄭薛寄書近,蜀客郗岑非我鄰。笑接郎中評事飲,病從深酌道吾真。

(赤甲山のそばに卜居したことにつけて天子を思い、諸友の鄭・薛、郄・岑、昻・崔を懐うことをのべたもの。)  赤甲山のそばへ住居を卜して引越したばかりだ。これで自分は巫山楚水の春に二度目をむかえる。日なたの背中あぶりの快さは天子にたてまつってもよいほどであり、芹のうまさはもとより野人たる自分がよく知っている。荊州にいる鄭審や薛據は近いので詩をよこしてくれるが、蜀地の客である郗昂・岑參は隣りあいではなくかけはなれている。だがにこにこと郎中・評事などの諸君′席をちかづけて酒を飲み、病気ながらつい過ごすところから自分の本心を吐きだすのである。

杜少陵集 卷一八55

赤  甲

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7557 

杜甫詩index-15

767年大暦256 (23)

11821632

 

 
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杜甫詩1500-1182-1632/2500

 

【大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】

入宅,三首之一

229 43-1 /18-52 

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。客居愧遷次,春酒漸多添。 

花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。衰年不敢恨,勝概欲相兼。 

三首之二

229 43-2 /18-53 

亂後居難定,春歸客未還。水生魚複浦,雲暖麝香山。 

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。相看多使者,一一問函關。 

三首之三

229 43-3 /18-54 

宋玉歸州宅,雲通白帝城。吾人淹老病,旅食豈才名。 

峽口風常急,江流氣不平。只應與兒子,飄轉任浮生。 

赤甲

229 44 /18-55 

卜居赤甲遷居新,兩見巫山楚水春。炙背可以獻天子,美芹由來知野人。

荊州鄭薛寄書近,蜀客郗岑非我鄰。笑接郎中評事飲,病從深酌道吾真。

卜居

229 45 /18-56 

歸羨遼東鶴,吟同楚執珪。未成游碧海,著處覓丹梯。 

雲障寬江左,春耕破瀼西。桃紅客若至,定似昔人迷。 

暮春題瀼西新賃草屋,五首之一卷229_46-1 / 巻18-57 

久嗟三峽客,再與暮春期。百舌欲無語,繁花能幾時。

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。戰伐何由定,哀傷不在茲。

五首之二

229_46-2 / 巻18-58

此邦千樹橘,不見比封君。養拙干戈際,全生麋鹿群。

畏人江北草,旅食瀼西雲。萬里巴渝曲,三年實飽聞。

五首之三

229_46-3 / 巻18-59 

彩雲陰複白,錦樹曉來青。身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。

哀歌時自短,醉舞為誰醒。細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。

五首之四

229_46-4 / 巻18-60 

壯年學書劍,他日委泥沙。事主非無祿,浮生即有涯。

高齋依藥餌,域改春華。喪亂丹心破,王臣未一家。

五首之五

229_46-5 / 巻18-61 

欲陳濟世策,已老尚書郎。未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。

時危人事急,風逆羽毛傷。落日悲江漢,中宵淚滿床。

江雨有懷鄭典設

231_28 / 巻18-63

春雨暗暗塞峽中,早晚來自楚王宮。亂波分披已打岸,弱雲狼藉不禁風。

寵光蕙葉與多碧,點注桃花舒小紅。穀口子真正憶汝,岸高瀼滑限西東。

 

18-55     23          赤甲

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二九 44

文體:

七言律詩

杜少陵集 

18-55

 

 

詩題:

赤甲

大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西、赤甲)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

229_44 《赤甲》杜甫 

赤甲

(赤甲山のそばに卜居したことにつけて天子を思い、諸友の鄭・薛、郄・岑、昻・崔を懐うことをのべたもの。)

卜居赤甲遷居新,兩見巫山楚水春。

赤甲山のそばへ住居を卜して引越したばかりだ。これで自分は巫山楚水の春に二度目をむかえる。

炙背可以獻天子,美芹由來知野人。

日なたの背中あぶりの快さは天子にたてまつってもよいほどであり、芹のうまさはもとより野人たる自分がよく知っている。

荊州鄭薛寄書近,蜀客郗岑非我鄰。 

荊州にいる鄭審や薛據は近いので詩をよこしてくれるが、蜀地の客である郗昂・岑參は隣りあいではなくかけはなれている。

笑接郎中評事飲,病從深酌道吾真。 

だがにこにこと郎中・評事などの諸君′席をちかづけて酒を飲み、病気ながらつい過ごすところから自分の本心を吐きだすのである。

(赤甲)

居を赤甲に卜して還居 新なり、両たび見る巫山楚水の春。

炙背以て天子に獻す可し、美芹由來野人知る。

荊州の鄭薛詩を寄する近く、蜀客 郗岑我が鄰に非す。

笑ひて郎中評事に接して飲み、病みで深酌より吾が眞を道ふ。

 

 

赤甲』現代語訳と訳註解説
(
本文)

赤甲

卜居赤甲遷居新,兩見巫山楚水春。

炙背可以獻天子,美芹由來知野人。

荊州鄭薛寄書近,蜀客郗岑非我鄰。

笑接郎中評事飲,病從深酌道吾真。


(下し文)
(赤甲)

居を赤甲に卜して還居 新なり、両たび見る巫山楚水の春。

炙背以て天子に獻す可し、美芹由來野人知る。

荊州の鄭薛詩を寄する近く、蜀客 郗岑我が鄰に非す。

笑ひて郎中評事に接して飲み、病みで深酌より吾が眞を道ふ。

(現代語訳)
赤甲(赤甲山のそばに卜居したことにつけて天子を思い、諸友の鄭・薛、郄・岑、昻・崔を懐うことをのべたもの。)

赤甲山のそばへ住居を卜して引越したばかりだ。これで自分は巫山楚水の春に二度目をむかえる。

日なたの背中あぶりの快さは天子にたてまつってもよいほどであり、芹のうまさはもとより野人たる自分がよく知っている。

荊州にいる鄭審や薛據は近いので詩をよこしてくれるが、蜀地の客である郗昂・岑參は隣りあいではなくかけはなれている。

だがにこにこと郎中・評事などの諸君′席をちかづけて酒を飲み、病気ながらつい過ごすところから自分の本心を吐きだすのである。


(訳注) 

赤甲

(赤甲山のそばに卜居したことにつけて天子を思い、諸友の鄭・薛、郄・岑、昻・崔を懐うことをのべたもの。)前の「入宅」詩と同時の作。

1 赤甲は山の名。「夔州歌」第四

夔州歌十句,十首之四

(夔州の歌十句,十首の四)

赤甲白鹽俱刺天,閭閻繚繞接山

赤甲 白塩俱に天を刺す、閭閻【りょうえん】繚繞【りょうじょう】山【さんてん】に接す。

楓林橘樹丹青合,複道重樓錦繡懸。

楓林 橘樹 丹青合し、複道 重楼 錦繍【きんしゅう】懸かる。

と詠じる。仇兆鰲が「居する人の密なるを言う」と注するように、瀼西の赤甲山も瀼東の白塩山もその斜面には、集落が山の高いところまでくねくねと続いていることを詠じている。

「清一統志」にいう、赤甲山は奉節県の東十五里にあり、「水経注」にいう、江水、南して赤甲城西に遷す、山甚だ高大、樹木を生ぜず、其の石悉く赤し、土人云う、人の胛を祖するが如し、故に之を赤岬山と謂う、と。「元和郡県志」にはいう、山は城北三里にあり、漢の時嘗て邑人を取りて赤甲軍となす、蓋し犀甲の色なり、と。命名の由来については人の胛から取ったとするものと、赤色の犀革の甲から取ったとするものとの二説があるのを知る。

 

卜居赤甲遷居新,兩見巫山楚水春。

赤甲山のそばへ住居を卜して引越したばかりだ。これで自分は巫山楚水の春に二度目をむかえる。

2 兩見 夔州に来て二年目であることを言う。

 

炙背可以獻天子,美芹由來知野人。

日なたの背中あぶりの快さは天子にたてまつってもよいほどであり、芹のうまさはもとより野人たる自分がよく知っている。

3 炙背・美芹 心地よい日なたの背なかあぶりとおいしい芹の料理をいい、朝廷、天子への思慕の意をあらわす。

嵇康《絶交書》「野人有快炙背而美芹子者、欲獻之至尊、雖有區區之意、亦已疎矣。」(野人炙背を快しとして、芹子を美しとする者有り、之を至尊に獻ぜんと欲す、區區の意有りと雖も亦た已だはだ疎なり。

《列子》 「宋國有田父東作曝於日不知有綿纊狐貉謂其妻曰負日/之暄人莫知之以獻吾君将有重賞里之富室告之曰昔人有美戎菽甘枲莖芹萍子對豪稱之豪取嘗/之蜇於口慘於腹衆哂而怨之子此類也。」(宋國に田父有り東作して日に曝さる、綿纊狐貉有るを知らず、其の妻に謂いて曰く、日の暄きを負う、人之を知るもの莫し、以て吾君に獻せば、重賞を有んと将てす、里の富室之を告げて曰く、昔 人、戎菽を美とし、枲、莖、芹、萍子を甘しとするを有り、豪にして之を稱す、豪 取りて 之を嘗める、口を蜇し、腹に慘む、衆哂いなして之を怨む、子は此の類なり、と。

 

荊州鄭薛寄書近,蜀客郗岑非我鄰。

荊州にいる鄭審や薛據は近いので詩をよこしてくれるが、蜀地の客である郗昂・岑參は隣りあいではなくかけはなれている。

4 州、鄭・薛 鄭は江陵の少尹鄭審で、薛は石首縣の縣令薛璩をいう。

5 蜀客郄・岑 郄は梓州の刺史郄昂、岑は嘉州の刺史参である。 

 

笑接郎中評事飲,病從深酌道吾真。

だがにこにこと郎中・評事などの諸君′席をちかづけて酒を飲み、病気ながらつい過ごすところから自分の本心を吐きだすのである。

6 笑接 接は近づくことを言う、ひざを突き合わせての談義をしたこと。

7 郎中 顧注「郎中應是呉郎司法葢刑曹也。郎中とは、秦の時代に「郎中令」が制定された。前漢に名称変更され「光禄勲」と称し、後漢にも引き継がれた。これは当時の官職の一つ。 役割は,当初は宮門護衛.やがて皇帝身辺警護,皇帝出駕時の随行・護衛,使者,など.

8 評事 昻評事、崔十三評事十六弟のことである。評事とは、大理寺(最高裁判所)に属する下級の裁判官。

9 深酌 たっぷりと杯に酒をつぐこと。

10 道吾真 本心を吐く。

 

 

杜詩詳註--仇兆鰲

  赤甲鶴注此與入/宅詩同時作

卜居赤甲遷居新、兩見巫山楚水春。

炙背可以獻天子、美芹由來知野人

州鄭薛寄詩一作/近、蜀客郄/岑非我鄰

笑接郎中評事飲、病從深酌道/吾真。

此居赤甲而念知交也 在四句分截春公初遷赤甲而云兩見春色者自去春至夔已經兩 也。

炙背食芹 述春山景物兼有

朝野濶絶之感評 鄭薜 寄詩頗近郄岑在蜀漸與/惟接郎中 事喜得酌酒而道真精

《列子》 「宋國有田父東作曝於日不知有綿纊狐貉謂其妻曰負日/之暄人莫知之以獻吾君将有重賞里之富室告之曰昔人有美戎菽甘枲莖芹萍子對豪稱之豪取嘗/之蜇於口慘於腹衆哂而怨之子此類也。

嵇康絶交書 「野人有快炙背而美芹子者欲獻之至尊雖有區區之意亦已疎矣」

鶴注 鄭:是江陵鄭少尹審 薛是石首薛 

明府璩岑是岑嘉州參 郄是梓州郄使君、昻評事必崔十三評事 公在夔州多有詩與之 顧注郎中應是呉郎司法葢刑曹也。

 朱注文苑英華有苻載誌楊鷗墓云永甫泰二載相公杜公鴻漸奏授鷗犀浦縣令僚友杜員外

岑郎中參郄舍人、昻聞公殞落失聲 咨嗟則/郄為郄昻無疑 曹植 髑髏説是反吾真也

 朱瀚曰卜居遷居重複無法獻天子突甚由來知野/人筋脉不收中聨厄塞全無頓挫磊落氣象笑

 典郎中評事豈律詩可著或置題中可耳末句從近/識峩嵋老知余嬾是真出潦倒甚矣且抱病何能深酌與比來病酒/開涓滴看自

767年- 22 杜少陵集-巻18-54 《入宅,三首之三【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】》22 杜甫詩index-15-1179 <1629>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7542

杜甫  入宅,三首之三

宋玉歸州宅,雲通白帝城。吾人淹老病,旅食豈才名。

峽口風常急,江流氣不平。只應與兒子,飄轉任浮生。

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第三首は古えに宋玉がこの地を離れることができなかったように自分もこの地にとどまったままである心境をのべる。)

ここの白帝城と歸州の宋玉が宅とは雲気が相通じておる。我が輩はここに老病い身をとどめること久しいが、こんな旅くらしのままでいて、どうして宋玉の様な才名を残すことができるであろうか。問題は峡口にはいつも風が急に吹いているし、長江の流にも、不平の気があるかの様にみえることである。ただ、自分はこんなことでもってこの先、とても子供等といっしょに、浮草の生涯に身をゆだねて、転々してゆくことであらう。

杜少陵集 卷一八54

入宅,三首之三

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7542 

杜甫詩index-15

767年大暦256 (22)

1176 <1629

 

 
  2016年3月28日 の紀頌之5つのBlog  
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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杜甫詩1500-1179-1629/2500

18-54     22          入宅,三首之三【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二九 43-3

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-54

 

 

詩題:

入宅,三首之二

序文

大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西、赤甲)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

 

魚復

 

潼關・函谷關

交遊人物:

 

 

 

 

 

229_43 《入宅三首(大曆二年春,甫自西閣遷赤甲)》杜甫 

入宅,三首之一

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第一首は新居の大要を叙し満足の意をもらしている。)

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。

こんどの宅は背には赤甲山という土石の崩落する唆山(或は「奔騰するような形勢の峻山」)があり、前は自塩山の断崖に直面している。

客居愧遷次,春酒漸多添。 

客寓のやどりを遷すことははずかしくおもうが、春げしきはだんだん加わってくる。

花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。

花の枝がのびて竹においつきそうになったから竹を移してしまおうかとおもう、鳥がそとからのぞきこむので、あらたに簾をまきあげて勝手に内部をのぞかせてやる。

衰年不敢恨,勝概欲相兼。 

こんな始末だから自分は老衰の年にはなったがそれをしいて恨みはせぬ、せいぜい慾ぼってよい景色でも取り込もうとおもうのである。

(入宅,三首の一)

奔峭 赤甲を背にし、断崖 白塩に当たる。

客居 遷次を愧ず、春色 漸く多く添う。

花亜ぎて 竹を移さんと欲す、烏窺うにより 新たに簾を捲く。

衰年 敢て恨まず、勝概 相い兼ねんと欲す。

 

入宅,三首之二

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第二首は故郷の居を懐憶したことをのべる。)

亂後居難定,春歸客未還。

安史の乱以後、それに続く兵乱がおこって、自分の居処を定住のところと決めて過ごすことがむつかしい、春には帰ろうということと決めていたが、そのゆくべき所へ帰ってゆく旅客たる自分は還らずにいる。

水生魚複浦,雲暖麝香山。 

夔州魚復浦に、出港可能な春水の嵩がふえてきた。行く先方向にある爵香山には雲が暖かそうにうかんでいる。

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。

かかるおりてっぺんに半分ばかりになった白髪あたまをくしけずり、眉のあたりから上へつきでる斑竹の杖にささえられて東を望んでいる。

相看多使者,一一問函關。 

この地にいるとずいぶんと往来する朝廷の使者にであうが、自分はその人ごとにいちいち函谷関のあたりの様子はどうだときいてみる。

(入宅,三首の二)

乱後 居定まり難し、春帰れども 客未だ還らず。

水は生ず魚復浦、雲は暖かなり麝香山。

半頂頭の白きを梳り、過眉 杖の斑なるに拄えらる。

相看る使者多し、一いち 函関を問う。

 

入宅,三首之三

宋玉歸州宅,雲通白帝城。

吾人淹老病,旅食豈才名。 

峽口風常急,江流氣不平。

只應與兒子,飄轉任浮生。 

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第三首は古えに宋玉がこの地を離れることができなかったように自分もこの地にとどまったままである心境をのべる。)

ここの白帝城と歸州の宋玉が宅とは雲気が相通じておる。

我が輩はここに老病い身をとどめること久しいが、こんな旅くらしのままでいて、どうして宋玉の様な才名を残すことができるであろうか。

問題は峡口にはいつも風が急に吹いているし、長江の流にも、不平の気があるかの様にみえることである。

ただ、自分はこんなことでもってこの先、とても子供等といっしょに、浮草の生涯に身をゆだねて、転々してゆくことであらう。

(入宅,三首の三)

宋玉が 歸州の宅,雲は通ず 白帝の城。

吾人 老病に淹し,旅食 豈に才名あらんや。

峽口 風 常に急なり,江流 氣 平かならず。

只だ 應に 兒子に與,飄轉 浮生に任すなるべし。

唐時代 地図山南 東・西道50

 

『入宅,三首之三』現代語訳と訳註解説
(
本文)

入宅,三首之三

宋玉歸州宅,雲通白帝城。

吾人淹老病,旅食豈才名。

峽口風常急,江流氣不平。

只應與兒子,飄轉任浮生。

(下し文)
(入宅,三首の三)

宋玉が 歸州の宅,雲は通ず 白帝の城。

吾人 老病に淹し,旅食 豈に才名あらんや。

峽口 風 常に急なり,江流 氣 平かならず。

只だ 應に 兒子に與,飄轉 浮生に任すなるべし。

(現代語訳)
入宅,三首之三(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第三首は古えに宋玉がこの地を離れることができなかったように自分もこの地にとどまったままである心境をのべる。)

ここの白帝城と歸州の宋玉が宅とは雲気が相通じておる。

我が輩はここに老病い身をとどめること久しいが、こんな旅くらしのままでいて、どうして宋玉の様な才名を残すことができるであろうか。

問題は峡口にはいつも風が急に吹いているし、長江の流にも、不平の気があるかの様にみえることである。

ただ、自分はこんなことでもってこの先、とても子供等といっしょに、浮草の生涯に身をゆだねて、転々してゆくことであらう。

夔州東川卜居図詳細 002
(訳注) 

入宅,三首之三

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第三首は古えに宋玉がこの地を離れることができなかったように自分もこの地にとどまったままである心境をのべる。)

この第三首は旅居を歎せるなり。未歸而嘆旅居也。

 

宋玉歸州宅,雲通白帝城。

ここの白帝城と歸州の宋玉が宅とは雲気が相通じておる。

18 宋玉宅 杜甫は、宋玉の家が二か所あることを認識しているので、「歸州宅」と表現している。この三字は、《唐書》「歸州、屬山南東道、武徳二年、析夔州之秭歸巴東置」(歸州、屬山南東道、武徳二年、析夔州之秭歸巴東置)《湖廣通志》宋玉宅有兩處一在歸州、一在宋玉宅は兩處有り、一は歸州に在り、一は州に在る)杜甫の詩にも、夔州にいるときには、歸州を言い、後に荊州に行ってもう一か所の宋玉宅に立ち寄っている。宋玉の宅は杜甫詩の言によって二種あり、《1837送李攻曹之荊州充、鄭侍御判官重贈》「曾聞宋玉宅,每欲到荊州。」(曾て聞く宋玉が宅、毎に荊州に到らんと欲す)は荊州にある宋玉の宅をいう、前詩の庾信が住んだという江陵城北の宋玉宅がそれである。《1854入宅,三首之三【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】》「宋玉歸州宅,雲通白帝城。

吾人淹老病,旅食豈才名。」(宋玉が帰州の宅、雲は通ず白帝城。吾人老病に淹し,旅食 豈に才名にあらんや。)は帰州にある宋玉の宅をいう。「清一統志」に宅は帰州の東二里にあるといっている。此の詩は二種のうち其のいずれをさすか明らかでない。杜甫がこの詩を書く時期では荊州の宅を確認していない。

詠懷古跡,五首之二

搖落深知宋玉悲,風流儒雅亦吾師。

悵望千秋一灑淚,蕭條異代不同時。

江山故宅空文藻,雲雨荒臺豈夢思。

最是楚宮俱泯滅,舟人指點到今疑。

(詠懷古跡,五首の二)

揺落深く知る 宋玉が悲しみ、風流 儒雅も亦た吾が師。

千秋を帳望して 一に涙を濯ぐ、蕭条 異代 時を同じくせず。

江山の故宅 空しく文藻、雲雨 荒台 豈に夢思ならんや。

最も是れ楚宮 倶に泯滅す、舟人指点して今に到りて疑う。

「古跡に於ける詠懐」:第二首は宋玉の宅についての懐いをのべている、ただしその宅が荊州のものであるか帰州 のものであるかは不明。

むかし宋玉は「悲愁」といい、秋風揺落に対して悲しんだというが自分もいま深く彼の悲しみの意味を知った。また彼は風流儒雅の人物であるがこの点もまた吾が師とすべきものだ。

彼と我とは千年経ており、代を異にして時を同じくして生まれあわさぬことはまことにさびしい、自分はただ千年のむかしをうらめしくながめてもっぱら涙をそそぐのである。

江山のあいだに宋玉の故宅はのこっているが屋舎などは今はなくなって彼の製作した詞賦の詩文のみが空しく存在している、宋玉が「行雲行雨、陽台の下」とうとうた台が荒れながらあるが、彼がその台のことを賦したのはどうして夢幻の思いから出たものなどであろう。事実あったことにちがいない。

ひとり宋玉の宅ばかりではない、最も傷心にたえぬことは、楚王の宮までも彼の宅とともにほろんでしまったことで、今になっては舟人がその場所を指して、そこかここかなどと真偽に迷うているのである。

宋玉宅

卷一五56 奉漢中王手札

枚乘文章老,河間禮樂存。悲秋宋玉宅,失路武陵源。

卷一八37  送李功曹之荊州充鄭侍御判官重贈

曾聞宋玉宅,每欲到荊州。此地生涯晚,遙悲水國秋。

巻一八54  入宅三首其三

宋玉歸州宅,雲通白帝城。

 

 

吾人淹老病,旅食豈才名。

我が輩はここに老病い身をとどめること久しいが、こんな旅くらしのままでいて、どうして宋玉の様な才名を残すことができるであろうか。

19 淹 久しくとどまることを言う。

20 才名 宋玉を言うが、宋玉と同じようにこの地にとどまっていることを言うものである。

 

峽口風常急,江流氣不平。

問題は峡口にはいつも風が急に吹いているし、長江の流にも、不平の気があるかの様にみえることである。

 

只應與兒子,飄轉任浮生。

ただ、自分はこんなことでもってこの先、とても子供等といっしょに、浮草の生涯に身をゆだねて、転々してゆくことであらう。

21 浮生 《莊子·外篇・刻意》「其生若浮、其死若休。」(其の生は浮ぶが若く、其の死は休するが若し。)にもとづく。

 

  入宅三首

  朱注年譜大厯二年春自西閣遷居赤甲 鶴注赤甲瀼西皆在奉節縣北三十里

奔峭背/赤甲、斷崖當白鹽。客居愧遷次、春色一作/酒非漸多添。

花亞欲移竹、鳥窺新捲簾。衰年不敢恨、勝概欲相兼。

首章誌赤甲之勝内 此詩八句整對而實相間首/聨宅外景三聨 宅景春色起花鳥勝總六

顧注 背赤甲之奔峭當白鹽之斷崖以二山形勢明宅/之向背 花厭竹枝愛花 故須移竹鳥常入室巻簾 

故復來窺藉此之故不恨屢遷 又 謝靈運詩「徒旅苦奔峭 」邵注「山峯高峻如奔湧然」 云赤甲城是魚復縣

舊基故云水生魚復浦談白鹽 注見十五巻 果洙曰次/舍也。遷次移居也。

二編、杜審言枝亞 新肥孟

東野南浦紅花亞水紅包佶多年亞石松方干應候先開亞木枝亞義如壓言低披也。黄注亞乃相依之意

 王嗣奭曰避亂奔走無日不思故造次移居必擇/勝地且加修葺綴如此襟懐自不可及郭林宗

 旅經過必灑掃王子猷/借居必種竹意正相同

(之二)

亂後居難定、春歸客未還。水生魚復/浦、雲暖麝香山。

樊作/頂梳頭白、過/眉拄杖斑。相看/多使/者、一一問函關。

此遷宅而想故居也。下四 叙情 應客未還 三四 冩景承上春歸。顧注 陽和復至故曰春歸。

關半頂見髮之少 是老狀過眉見杖之長 是病狀問 函者望 亂定而還也。

王胄詩 柳黄知節、變草緑識春歸

名地志 夔治、魚復、灔澦、風濤震射巨魚却歩不得上故 魚復浦

鶴注寰宇記 麝香山 在秭歸縣、東南一百十里其山多麝

武徳二年前秭歸屬、夔州斑 魏武、陌上桑拄杖 挂枝佩 秋蘭 梁到 有 贈任新

竹杖詩 文彩 既斑斕姿性甚綢直

桃王應麟 曰 潼關至函谷關 歴峽華二州之地俱謂之 林塞時、周智光 據華州反

(之三)

宋玉歸州宅,雲通白帝城。吾人淹老病,旅食豈才名。

峽口風常急,江流氣不平。只應與兒子,飄轉任浮生。

未歸而嘆旅居也

淹杜臆公欲北還必過歸州雲通/白帝見相去不 老病久留白帝豈才名不如宋玉二句分承風急江翻歸州且不易到何况故亦惟/隨地漂轉而已 杜臆三詩各一意而展轉相因

注 公居赤甲本非得已故後復有瀼西之遷刻 

《陸游入蜀記》宋王宅在秭歸縣東、今為酒家舊有石

宋玉宅 三字 唐書 歸州、屬山南東道、武徳二年、析夔州之秭歸巴東置《湖廣通志》宋玉宅有兩處一在歸州一在州與杜/詩相合

 

767年- 21 杜少陵集-巻18-53 《入宅,三首之二【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】》21 杜甫詩index-15-1178 <1628> 18-53 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7537

杜甫  入宅,三首之二

亂後居難定,春歸客未還。水生魚複浦,雲暖麝香山。 

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。相看多使者,一一問函關。 

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第二首は故郷の居を懐憶したことをのべる。)  安史の乱以後、それに続く兵乱がおこって、自分の居処を定住のところと決めて過ごすことがむつかしい、春には帰ろうということと決めていたが、そのゆくべき所へ帰ってゆく旅客たる自分は還らずにいる。夔州魚復浦に、出港可能な春水の嵩がふえてきた。行く先方向にある爵香山には雲が暖かそうにうかんでいる。かかるおりてっぺんに半分ばかりになった白髪あたまをくしけずり、眉のあたりから上へつきでる斑竹の杖にささえられて東を望んでいる。この地にいるとずいぶんと往来する朝廷の使者にであうが、自分はその人ごとにいちいち函谷関のあたりの様子はどうだときいてみる。

杜少陵集 卷一八53

入宅,三首之一

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杜甫詩index-15

767年大暦256 (20)

1176 <1626

 

 

 

 
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杜甫詩1500-1178-1628/2500

18-53     21          入宅,三首之二【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二九 43-2

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-52

 

 

詩題:

入宅,三首之二

序文

大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西、赤甲)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

 

魚復

 

潼關・函谷關

交遊人物:

 

 

 

 

 

229_43 《入宅三首(大曆二年春,甫自西閣遷赤甲)》杜甫 

入宅,三首之一

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第一首は新居の大要を叙し満足の意をもらしている。)

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。

こんどの宅は背には赤甲山という土石の崩落する唆山(或は「奔騰するような形勢の峻山」)があり、前は自塩山の断崖に直面している。

客居愧遷次,春酒漸多添。 

客寓のやどりを遷すことははずかしくおもうが、春げしきはだんだん加わってくる。

花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。

花の枝がのびて竹においつきそうになったから竹を移してしまおうかとおもう、鳥がそとからのぞきこむので、あらたに簾をまきあげて勝手に内部をのぞかせてやる。

衰年不敢恨,勝概欲相兼。 

こんな始末だから自分は老衰の年にはなったがそれをしいて恨みはせぬ、せいぜい慾ぼってよい景色でも取り込もうとおもうのである。

(入宅,三首の一)

奔峭 赤甲を背にし、断崖 白塩に当たる。

客居 遷次を愧ず、春色 漸く多く添う。

花亜ぎて 竹を移さんと欲す、烏窺うにより 新たに簾を捲く。

衰年 敢て恨まず、勝概 相い兼ねんと欲す。

 

入宅,三首之二

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第二首は故郷の居を懐憶したことをのべる。)

亂後居難定,春歸客未還。

安史の乱以後、それに続く兵乱がおこって、自分の居処を定住のところと決めて過ごすことがむつかしい、春には帰ろうということと決めていたが、そのゆくべき所へ帰ってゆく旅客たる自分は還らずにいる。

水生魚複浦,雲暖麝香山。 

夔州魚復浦に、出港可能な春水の嵩がふえてきた。行く先方向にある爵香山には雲が暖かそうにうかんでいる。

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。

かかるおりてっぺんに半分ばかりになった白髪あたまをくしけずり、眉のあたりから上へつきでる斑竹の杖にささえられて東を望んでいる。

相看多使者,一一問函關。 

この地にいるとずいぶんと往来する朝廷の使者にであうが、自分はその人ごとにいちいち函谷関のあたりの様子はどうだときいてみる。

(入宅,三首の二)

乱後 居定まり難し、春帰れども 客未だ還らず。

水は生ず魚復浦、雲は暖かなり麝香山。

半頂頭の白きを梳り、過眉 杖の斑なるに拄えらる。

相看る使者多し、一いち 函関を問う。

入宅,三首之三

宋玉歸州宅,雲通白帝城。吾人淹老病,旅食豈才名。 

峽口風常急,江流氣不平。只應與兒子,飄轉任浮生。 

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

『入宅,三首之』現代語訳と訳註解説
(
本文)

入宅,三首之二

亂後居難定,春歸客未還。水生魚複浦,雲暖麝香山。

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。相看多使者,一一問函關。

(下し文)
(入宅,三首の二)

乱後 居定まり難し、春帰れども 客未だ還らず。

水は生ず魚復浦、雲は暖かなり麝香山。

半頂頭の白きを梳り、過眉 杖の斑なるに拄えらる。

相看る使者多し、一いち 函関を問う。

(現代語訳)
入宅,三首之二(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第二首は故郷の居を懐憶したことをのべる。)

安史の乱以後、それに続く兵乱がおこって、自分の居処を定住のところと決めて過ごすことがむつかしい、春には帰ろうということと決めていたが、そのゆくべき所へ帰ってゆく旅客たる自分は還らずにいる。

夔州魚復浦に、出港可能な春水の嵩がふえてきた。行く先方向にある爵香山には雲が暖かそうにうかんでいる。

かかるおりてっぺんに半分ばかりになった白髪あたまをくしけずり、眉のあたりから上へつきでる斑竹の杖にささえられて東を望んでいる。

この地にいるとずいぶんと往来する朝廷の使者にであうが、自分はその人ごとにいちいち函谷関のあたりの様子はどうだときいてみる。


(訳注) 

入宅,三首之二

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第二首は故郷の居を懐憶したことをのべる。)大暦二年春の作。

1 入宅,三首 雲安から夔州に来て、洞庭湖方面に出港、移るまで、雲安⇒ 客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯→瀼西、と移居した。この詩は西閣から、赤甲に移居した時のものである。

2 人宅 大磨二年の春、西閣より赤甲に居を遷したことをいう。

 

亂後居難定,春歸客未還。

安史の乱以後、それに続く兵乱がおこって、自分の居処を定住のところと決めて過ごすことがむつかしい、春には帰ろうということと決めていたが、そのゆくべき所へ帰ってゆく旅客たる自分は還らずにいる。

9 春帰 昨年秋に、春には帰途に向かおうと決めていたことをいう。

10 客 自己をさす。

 

水生魚複浦,雲暖麝香山。

夔州魚復浦に、出港可能な春水の嵩がふえてきた。行く先方向にある爵香山には雲が暖かそうにうかんでいる。

11 魚復浦 奉節縣東南二里にある。

12 麝香山 奉節縣東四十里にある。出港して舟が向かう方向にある。

 

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。

かかるおりてっぺんに半分ばかりになった白髪あたまをくしけずり、眉のあたりから上へつきでる斑竹の杖にささえられて東を望んでいる。

13 半頂 頭のいただき半分に髪が残ること。

14 過眉 杖の高さが眼よりすこし上方に出ること。

15 拄杖斑 拄は支える、杖斑は斑杖、斑紋のある竹のつえ。瀟湘地域の特産の竹。

 

相看多使者,一一問函關。

この地にいるとずいぶんと往来する朝廷の使者にであうが、自分はその人ごとにいちいち函谷関のあたりの様子はどうだときいてみる。

16 使者 京師と往来する官吏などをいう。夔州奉節は、重要な水路駅であるため、此処を通過する朝廷の使者を言う。

17 函関 函谷関。これを問うとはその治乱の状について問うことをいう。特に、杜甫が官を辞したのは、華州司法参軍であったためであり、生まれ故郷の洛陽偃師の近いので様子を聞きたかったのである。それに、桃王應麟が曰うのは、潼關から函谷關にかけ、峽州、華州の二州の地において、周智光が華州において反乱を起こしたことを言う。
李白の足跡003 

767年- 20 杜少陵集-巻18-52 《入宅,三首之一【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】》20 杜甫詩index-15-1177 <1627> 18-52漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7532 

杜甫  入宅,三首之一

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。客居愧遷次,春酒漸多添。 

花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。衰年不敢恨,勝概欲相兼。 

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第一首は新居の大要を叙し満足の意をもらしている。)こんどの宅は背には赤甲山という土石の崩落する唆山(或は「奔騰するような形勢の峻山」)があり、前は自塩山の断崖に直面している。客寓のやどりを遷すことははずかしくおもうが、春げしきはだんだん加わってくる。花の枝がのびて竹においつきそうになったから竹を移してしまおうかとおもう、鳥がそとからのぞきこむので、あらたに簾をまきあげて勝手に内部をのぞかせてやる。こんな始末だから自分は老衰の年にはなったがそれをしいて恨みはせぬ、せいぜい慾ぼってよい景色でも取り込もうとおもうのである。

杜少陵集 卷一八52

入宅,三首之一

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7527 

杜甫詩index-15

767年大暦256 (20)

1176 <1626

 

 
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杜甫詩1500-1177-1627/2500

18-52     20          入宅,三首之一【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二九 43-1

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-52

 

 

詩題:

入宅,三首之一

序文

 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西、赤甲)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

交遊人物:

 

 

 

 

 

229_43 《入宅三首(大曆二年春,甫自西閣遷赤甲)》杜甫 

入宅,三首之一

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第一首は新居の大要を叙し満足の意をもらしている。)

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。

こんどの宅は背には赤甲山という土石の崩落する唆山(或は「奔騰するような形勢の峻山」)があり、前は自塩山の断崖に直面している。

客居愧遷次,春酒漸多添。 

客寓のやどりを遷すことははずかしくおもうが、春げしきはだんだん加わってくる。

花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。

花の枝がのびて竹においつきそうになったから竹を移してしまおうかとおもう、鳥がそとからのぞきこむので、あらたに簾をまきあげて勝手に内部をのぞかせてやる。

衰年不敢恨,勝概欲相兼。 

こんな始末だから自分は老衰の年にはなったがそれをしいて恨みはせぬ、せいぜい慾ぼってよい景色でも取り込もうとおもうのである。

(入宅,三首之一)

奔峭 赤甲を背にし、断崖 白塩に当たる。

客居 遷次を愧ず、春色 漸く多く添う。

花亜ぎて 竹を移さんと欲す、烏窺うにより 新たに簾を捲く。

衰年 敢て恨まず、勝概 相い兼ねんと欲す。

入宅,三首之二

亂後居難定,春歸客未還。水生魚複浦,雲暖麝香山。 

半頂梳頭白,過眉拄杖斑。相看多使者,一一問函關。 

入宅,三首之三

宋玉歸州宅,雲通白帝城。吾人淹老病,旅食豈才名。 

峽口風常急,江流氣不平。只應與兒子,飄轉任浮生。 

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

『入宅,三首之一』現代語訳と訳註解説
(
本文)

入宅,三首之一

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。

客居愧遷次,春酒漸多添。

花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。

衰年不敢恨,勝概欲相兼。

(下し文)
(入宅,三首之一)

奔峭 赤甲を背にし、断崖 白塩に当たる。

客居 遷次を愧ず、春色 漸く多く添う。

花亜ぎて 竹を移さんと欲す、烏窺うにより 新たに簾を捲く。

衰年 敢て恨まず、勝概 相い兼ねんと欲す。

(現代語訳)
入宅,三首之一(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第一首は新居の大要を叙し満足の意をもらしている。)

こんどの宅は背には赤甲山という土石の崩落する唆山(或は「奔騰するような形勢の峻山」)があり、前は自塩山の断崖に直面している。

客寓のやどりを遷すことははずかしくおもうが、春げしきはだんだん加わってくる。

花の枝がのびて竹においつきそうになったから竹を移してしまおうかとおもう、鳥がそとからのぞきこむので、あらたに簾をまきあげて勝手に内部をのぞかせてやる。

こんな始末だから自分は老衰の年にはなったがそれをしいて恨みはせぬ、せいぜい慾ぼってよい景色でも取り込もうとおもうのである。


(訳注) 

入宅,三首之一

(西閣の住所から赤甲山のそばへ居を移してそこの宅に入ったことをのべた詩この第一首は新居の大要を叙し満足の意をもらしている。)大磨二年春の作。

1 入宅,三首 雲安から夔州に来て、洞庭湖方面に出港、移るまで、雲安⇒ 客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯→瀼西、と移居した。この詩は西閣から、赤甲に移居した時のものである。

2 人宅 大磨二年の春、西閣より赤甲に居を遷したことをいう。

 

奔峭背赤甲,斷崖當白鹽。

こんどの宅は背には赤甲山という土石の崩落する唆山(或は「奔騰するような形勢の峻山」)があり、前は自塩山の断崖に直面している。

3 奔峭 卲宝の注に、「山峯高峻如奔湧然」(山峯高峻、奔湧するが如く然り。)とといているが奔を山の形勢とみたものである。ここでは杜甫の成都紀行《木皮嶺》詩の「遠岫爭輔佐,千岩自崩奔。」(遠岫争うて輔佐し、千巌自ら崩奔す。)“”成都紀行(2)” 木皮 杜甫詩1000 <341>#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1623 杜甫1500- 505”の句においては奔字についてほぼ類似の解をなし、乱れて走る形勢をいうかと注したが、謝霊運の《入彭蟸湖口》「洲島驟回合,圻岸屢崩奔。」(洲島【しゅうとう】は驟【しばし】ば廻合【かしごう】し、折岸【きがん】は屡【しばし】ば崩奔【ほうほん】す。)“入彭蟸湖口 謝霊運(康楽) 詩<59-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩454 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1179”、「七里瀬」詩の「孤客傷逝湍,徒旅苦奔峭。」(孤客は逝湍【せいたん】を傷み、徒旅は奔峭【ほんしょう】に苦しむ。)の句において李善は崩奔の奔は崩とおなじく、また奔峭の奔は落に同じと注している。“七里瀬 # 謝霊運<16> 詩集 377”これによれば奔峭とは土石の崩落するけわしい山の意である。

4 背赤甲 赤甲は山の名。「夔州歌」第四

夔州歌十句,十首之四

(夔州の歌十句,十首の四)

赤甲白鹽俱刺天,閭閻繚繞接山

赤甲 白塩俱に天を刺す、閭閻【りょうえん】繚繞【りょうじょう】山【さんてん】に接す。

楓林橘樹丹青合,複道重樓錦繡懸。

楓林 橘樹 丹青合し、複道 重楼 錦繍【きんしゅう】懸かる。

と詠じる。仇兆鰲が「居する人の密なるを言う」と注するように、瀼西の赤甲山も瀼東の白塩山もその斜面には、集落が山の高いところまでくねくねと続いていることを詠じている。

「清一統志」にいう、赤甲山は奉節県の東十五里にあり、「水経注」にいう、江水、南して赤甲城西に遷す、山甚だ高大、樹木を生ぜず、其の石悉く赤し、土人云う、人の胛を祖するが如し、故に之を赤岬山と謂う、と。「元和郡県志」にはいう、山は城北三里にあり、漢の時嘗て邑人を取りて赤甲軍となす、蓋し犀甲の色なり、と。命名の由来については人の胛から取ったとするものと、赤色の犀革の甲から取ったとするものとの二説があるのを知る「奔峭背赤甲」とは「背赤甲之奔峭」と同意。

5 断崖当白塩 「当白塩之断崖」と同意。白塩も山の名、すでに見える。「清一統志」にいう、奉節県の東十七里にあり、江を隔つ、と。また祝穆の「方興勝覧」を引いていう、城東十七里にあり、崖壁五十余里、其の色柄躍、状、白塩の若し、と、ある。

 

客居愧遷次,春酒漸多添。

客寓のやどりを遷すことははずかしくおもうが、春げしきはだんだん加わってくる。

6 遷次 次は舎ること、次を遷すとは居を移すことをいう。

 

花亞欲移竹,鳥窺新捲簾。

花の枝がのびて竹においつきそうになったから竹を移してしまおうかとおもう、鳥がそとからのぞきこむので、あらたに簾をまきあげて勝手に内部をのぞかせてやる。

7 花亜 花が竹につぐ、言い換えれば竹が花を圧することをいう。

 

衰年不敢恨,勝概欲相兼。

こんな始末だから自分は老衰の年にはなったがそれをしいて恨みはせぬ、せいぜい慾ぼってよい景色でも取り込もうとおもうのである。

8 勝概 景色のよいさま。

夔州東川卜居図詳細 002 

 

 

 

  入宅三首

  朱注年譜大厯二年春自西閣遷居赤甲 鶴注赤甲瀼西皆在奉節縣北三十里

奔峭背/赤甲、斷崖當白鹽。客居愧遷次、春色一作/酒非漸多添。

花亞欲移竹、鳥窺新捲簾。衰年不敢恨、勝概欲相兼。

首章誌赤甲之勝内 此詩八句整對而實相間首/聨宅外景三聨 宅景春色起花鳥勝總六

顧注 背赤甲之奔峭當白鹽之斷崖以二山形勢明宅/之向背 花厭竹枝愛花 故須移竹鳥常入室巻簾 

故復來窺藉此之故不恨屢遷 又 謝靈運詩「徒旅苦奔峭 」邵注「山峯高峻如奔湧然」 云赤甲城是魚復縣

舊基故云水生魚復浦談白鹽 注見十五巻 果洙曰次/舍也。遷次移居也。

二編、杜審言枝亞 新肥孟

東野南浦紅花亞水紅包佶多年亞石松方干應候先開亞木枝亞義如壓言低披也黄注亞乃相依之意

 王嗣奭曰避亂奔走無日不思故造次移居必擇/勝地且加修葺綴如此襟懐自不可及郭林宗

 旅經過必灑掃王子猷/借居必種竹意正相同

亂後居難定春歸客未還水生魚復/浦雲暖麝香山

樊作/

 

頂梳頭白過/眉拄杖斑相看/多使/者一一問函關

此遷宅而想故居也/下四叙情應客未還 三四冩景承上春歸/顧注陽和復至故曰

春歸關半頂見髮之少是老狀過眉見杖之長是病狀/問函 者望亂定而還 王胄詩柳黄知節變草

 

緑識春歸名地志夔治魚復灔澦風濤震射巨魚却歩/不得上故 魚復浦 鶴注寰宇記麝香山在秭歸縣

東南一百十里其山多麝武徳二年前秭歸屬夔州斑/魏武陌上桑拄杖挂枝佩秋蘭梁到有贈任新

竹杖詩文彩既斑斕姿性甚綢直桃王應麟曰潼關至/函谷關歴峽華二州之地俱謂之 林塞時周智光據

華州/

宋玉歸州宅雲通白帝城吾人淹老病旅食豈才名峽

口風常急江流氣不平只應/與兒子飄轉任浮生/

未歸而嘆旅居也淹杜臆公欲北還必過歸州雲通/白帝見相去不 老病久留白帝豈才名不如宋

玉二句分承風急江翻歸州且不易到何况故亦惟/隨地漂轉而已 杜臆三詩各一意而展轉相因

 

 

注公居赤甲本非得已故後復有瀼西之遷刻陸游入/蜀記宋王宅在秭歸縣東今為酒家舊有石 宋玉宅

三字唐書歸州屬山南東道武徳二年析夔州之秭歸/巴東置 湖廣通志宋玉宅有兩處一在歸州一在

州與杜/詩相合

 

767年-(19)杜少陵集 《18-87 晨雨》19 杜甫詩index-15-1176 <1626>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7527

杜甫  晨雨

小雨晨光,初來葉上聞。霧交才灑地,風逆旋隨雲。 

暫起柴荊色,輕沾鳥獸群。麝香山一半,亭午未全分。 

(明け方に小雨が降ってきたので、その時思ったことを述べた。)

あさひが昇って間もないうちに小雨がふりだして、そのやってきたことははじめに木の葉の上に落ちる音が聞かれたことである。それから霧と交わって地面にそそぎだし、風勢に方向を転じさせられて雲のあとについて通り過ぎてゆく。おかげで暫しば茅屋も潤繹な色が出てくるし、鳥獣のむれも軽くうるおされたことだろう。こんなありさまであるが、東の麝香山の半分は昼時になっても小雨がまだ散りきらずにいる。

杜少陵集 卷一八87

晨   雨

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杜甫詩index-15

767年大暦256 (19)

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杜甫詩1500-1176-1626/2500

-(19)18-87 晨雨》

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二三十70

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-87

 

 

詩題:

晨雨

序文

 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

交遊人物:

 

 

 

 

 

 

  晨雨 黄鶴依梁氏編在大厯二年今姑仍之

小雨晨光内初來葉上聞。霧交纔灑地、風折一作//隨雲。

暫起柴輕霑鳥獸羣麝香山一半亭午未全分

黄生曰光處始見葉上始聞體物既精而布置、風雨雲霧四字、能将是日景色、曲折描出、山色未分、應上雲霧之。趙汸注 必霧起而方能灑地、經風折而旋、即隨雲細甚也。

此與烟添纔有色風引更如絲相似葢着題處所、必用者曰暫曰輕皆言其細小夢自晨至午、全/詩、皆用順冩工細入妙、柴小木

弼曰經、麝香山、在州東南一百二十里山出麝香故名

 黄生曰、讀微雨不滑道一章以為微雨難冩、故多從題外著筆、及閲此詩、能字、字實冩小雨以正靣還題真如化工肖物

 

 

230_70 《晨雨》杜甫 

晨雨

(明け方に小雨が降ってきたので、その時思ったことを述べた。)

小雨晨光,初來葉上聞。

あさひが昇って間もないうちに小雨がふりだして、そのやってきたことははじめに木の葉の上に落ちる音が聞かれたことである。

霧交才灑地,風逆旋隨雲。 

それから霧と交わって地面にそそぎだし、風勢に方向を転じさせられて雲のあとについて通り過ぎてゆく。

暫起柴荊色,輕沾鳥獸群。

おかげで暫しば茅屋も潤繹な色が出てくるし、鳥獣のむれも軽くうるおされたことだろう。

麝香山一半,亭午未全分。 

こんなありさまであるが、東の麝香山の半分は昼時になっても小雨がまだ散りきらずにいる。

 

(晨雨【あしたのあめ】)

小雨 晨光の内、初めて来りて葉上に聞ゆ。

霧に交はりて わずかに地にそそぐ、風に逆って 旋た雲に随ふ。

暫く起す 柴荊の色、軽くうるおす 鳥獣の群れ。

麝香山 一半,亭午に未だ全く分れず。

denen03350 

『晨雨』現代語訳と訳註解説
(
本文)

晨雨

小雨晨光,初來葉上聞。

霧交才灑地,風逆旋隨雲。

暫起柴荊色,輕沾鳥獸群。

麝香山一半,亭午未全分。

(下し文)
(晨雨【あしたのあめ】)

小雨 晨光の内、初めて来りて葉上に聞ゆ。

霧に交はりて わずかに地にそそぐ、風に逆って 旋た雲に随ふ。

暫く起す 柴荊の色、軽くうるおす 鳥獣の群れ。

麝香山 一半,亭午に未だ全く分れず。

(現代語訳)
晨雨(明け方に小雨が降ってきたので、その時思ったことを述べた。)

あさひが昇って間もないうちに小雨がふりだして、そのやってきたことははじめに木の葉の上に落ちる音が聞かれたことである。

それから霧と交わって地面にそそぎだし、風勢に方向を転じさせられて雲のあとについて通り過ぎてゆく。

おかげで暫しば茅屋も潤繹な色が出てくるし、鳥獣のむれも軽くうるおされたことだろう。

こんなありさまであるが、東の麝香山の半分は昼時になっても小雨がまだ散りきらずにいる。


(訳注) 

晨雨

(明け方に小雨が降ってきたので、その時思ったことを述べた。)

 

小雨晨光,初來葉上聞。

あさひが昇って間もないうちに小雨がふりだして、そのやってきたことははじめに木の葉の上に落ちる音が聞かれたことである。

晨光 朝日が昇り始めて光が届き始めて間もないころをいう。

 

霧交才灑地,風逆旋隨雲。

それから霧と交わって地面にそそぎだし、風勢に方向を転じさせられて雲のあとについて通り過ぎてゆく。

霧交 朝まだ期の内に霧に覆われていたところに雨が降り出したということを表現するもの。

風逆 通り雨が、風に逆らって、向きを変えられること。

 

暫起柴荊色,輕沾鳥獸群。

おかげで暫しば茅屋も潤繹な色が出てくるし、鳥獣のむれも軽くうるおされたことだろう。

起柴荊色 杜甫の棲む草堂の入り口の荊で造った柴門、乾いた色であった茅屋が雨によって色濃くしたことを言う。

 

麝香山一半,亭午未全分。

こんなありさまであるが、東の麝香山の半分は昼時になっても小雨がまだ散りきらずにいる。

麝香山 麝香堡. 麝香山は四川奉節縣東四十裡に在る。杜甫    18-53入宅三首其二》「水生魚復浦,雲暖麝香山。」(水は生ず 魚復の浦,雲は暖かなり 麝香山。)州圖經には、麝香山は、州東南一百二十里に在り、山より、麝香出す故に名づく、とみえるが、他の文献には、奉節縣、東40里とされて現在もその地にある。

767年-(18)杜少陵集 《月,三首之三》18-86 杜甫詩index-15-1175 <1625> 767年大暦2年56歲-(18) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7522

杜甫  月,三首之三

萬里瞿塘峽,春來六上弦。時時開暗室,故故滿青天。 

爽合風襟靜,高當淚臉懸。南飛有烏鵲,夜久落江邊。 

(長雨が続いたが、夜は晴れて、天の川にカササギが橋を架けるころになった、その橋は、故郷に帰る橋として期待できると感慨を述べる。)  故郷から萬里の遠きにある凝唐峡での月、この希望を持たせる上弦の月は春から、もう、六回も見てしまった。(それは病気のせいで出発することができないでいる)この月は土地の暗室状態を破って時時、雲の扉を開いて、照らしてくれ、ことさら意あるがごとく青天に満ち、かがやく。そのさわやかなことは襟もとにすずしい風が吹き、すがすがしくなる心地としっくりあって、静かな気持ちにさせる。すると涙が頬をつたい流れ、月は高いところからその頬を照らす。だんだん夜更けになると烏鵲が南の方へと飛んで牽牛と織姫を渡らせる橋を作るのだろう、ついに瀼西の江のほとりに故郷につながるカササギの橋がおちてくるけはいがする。

杜少陵集 卷一八86

月,三首之三

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7517 

杜甫詩index-15

767年大暦256 (18)

1175 <1625

 

 

 

杜甫詩1500-1175-1625/2500

767年大暦256-(18) 18-86     月,三首之三

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二三十50-2

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-86

 

 

詩題:

月,三首之二

序文

 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西)

及地點:

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭

交遊人物:

 

 

 

 

 

杜詩詳註--仇兆鰲

  月三首

此當是大厯二年六月初旬所作矣曰巫/山曰二十四迴則在夔州已二年 曰半輪曰六上弦則是/二年之六月矣

月三首之一

斷續巫山雨、天河此夜新。若無青嶂月、愁殺白頭人。

魍魎移深樹、蝦一作/半輪。故園當北斗、直想一作/照西秦。

此章見月而動歸思是詠初晴之月上嶂月新懸 /故旅愁暫解空照西秦則客愁仍在 是玩月而

喜下是思家而悲約移深樹避明月動半輪上弦月也 故園指杜曲  沈詩崚嶒起青嶂 黄生注 魍魎蝦

蟆如此粗醜字惟少陵能用然終不可訓赤 左傳注疏/魍魎 川澤之神也 淮南子狀如三小兒 黒色赤目長耳美髮

缺酉陽雜俎月中有金背蝦蟆居  劉孝/綽詩輪光 不半 秦城上當北斗公故 所在

月三首之二

併照一作/巫山、出新窺楚水清。羇棲愁裏見、一作愁/見裏二十四迴明。

必驗升沉體,如知進退情。不違銀漢落,亦伴玉繩橫。

此章見月而傷久客是通計兩年之月含併照字承上來照從月言舍下明字窺就人言 下見

公客二年故曰二十四迴升沉進退乃二十四迴中所見者升沉謂月有出没進退謂月有盈虧上弦之月

早升故夜違銀漢而先落下弦之月遲升故曉伴玉繩而猶横二句言久暫遲速之不同正見其升沉進退也

不亦二字活看謂不是如彼亦是如此他注謂望夜之月自昏待旦不落而常横却於上文不相貫矣 以羇

棲愁對二十四乃借對法落。庾信馬射賦》横弧於楚水之蛟 

鮑照詩 銀漢傾露 天文志杓三星為玉衡 春秋元命苞玉衡北兩星為玉繩

𢎞景《水仙賦》横帯玉繩。杜詩春星帯草堂取帯字為句腰亦伴玉繩横、又取横字着句尾知每字各有來

月三首之三

萬里瞿唐月、一作/春來上六弦。時時開暗室、故故滿青天。

爽合風襟靜、高當淚臉懸。南飛有烏鵲、夜久落江邊。

此章對月而念孤棲是專論半年之月風、杜臆中四有/一喜一恨意時開暗室、則喜之而爽合 襟故滿青天則恨之而空當涙臉一月而分作兩般景隨情轉故也

夜落江邊、則無枝可棲借烏鵲以自傷飄泊 王褒

月詩上弦如半壁襟故故猶云屢屢見、宋玉《風賦》有風颯然而至王乃披 而當之張正詩、淚臉年年流

魏武詩 烏鵲南飛。 

 

 

230_50 《月三首》杜甫 

月,三首之一

(長雨が続いたが、午後になってから晴れて、夜には月が登ったので、その感慨を述べる。)

斷續巫山雨,天河此夜新。

巫山の雨はふりみ、ふらずみで、何時晴ともわからないが、今夜こそは、天の河もあらたになった。

若無青嶂月,愁殺白頭人。 

若し青山にかかる月がなかったならばこの白頭の老人をひどく愁い困らせたことであろう。

魍魎移深樹,蝦蟆動半輪。

あまり明るいので魍魎は樹ふかきところへ場所換えをし、夜ふけて月の中にいるという「ひきがえる」は半円だけひかっている。

故園當北斗,直指照西秦。 

自分の故郷は北斗星の方位にあたっているが、想うにこの月影は故郷長安の西部を照らしているであろう。

 

 

月,三首之二

(長雨が続いたが、午後になってから晴れて、月がにしにかたむき、天の川も西に沈んでゆく、その感慨を述べる。)

並照巫山出,新窺楚水清。

月は故郷を照らし、同じように巫山をも照らしていて、目に見えるように居出し、あらたにこの夔州の地の江の澄んだ清き水をのぞきこんでいる。

羈棲愁裏見,二十四回明。 

自分はこれまで、この月を旅のすまいの愁のうちに見るが、ここでももう二年、二十四回も、この明るくなった月を見ている。

必驗升沉體,如知進退情。

この月を旅人として見るに、其の出没のすがた、位置など、必ずそのしるしがあってまちがうことはない。それから推理すると月は自己が如何に進退すべきものであるかを知っているかの様である。

不違銀漢落,亦伴玉繩橫。 

またこの月が沈むとき、銀漢は月とともに落ちてゆくし、銀河と玉縄はともにし、自己だけ先になることなどない。

(月,三首之一)

斷續す 巫山の雨,天河 此の夜 新たなり。

若し 青嶂の月無くんば,愁殺せん 白頭の人。 

魍魎 深樹に移り,蝦蟆 半輪動く。

故園 北斗に當る,直ちに指す 西秦を照さんことを。 

 

 

月,三首之三

(長雨が続いたが、夜は晴れて、天の川にカササギが橋を架けるころになった、その橋は、故郷に帰る橋として期待できると感慨を述べる。)

萬里瞿塘峽,春來六上弦。

故郷から萬里の遠きにある凝唐峡での月、この希望を持たせる上弦の月は春から、もう、六回も見てしまった。(それは病気のせいで出発することができないでいる)

時時開暗室,故故滿青天。 

この月は土地の暗室状態を破って時時、雲の扉を開いて、照らしてくれ、ことさら意あるがごとく青天に満ち、かがやく。

爽合風襟靜,高當淚臉懸。

そのさわやかなことは襟もとにすずしい風が吹き、すがすがしくなる心地としっくりあって、静かな気持ちにさせる。すると涙が頬をつたい流れ、月は高いところからその頬を照らす。

南飛有烏鵲,夜久落江邊。 

だんだん夜更けになると烏鵲が南の方へと飛んで牽牛と織姫を渡らせる橋を作るのだろう、ついに瀼西の江のほとりに故郷につながるカササギの橋がおちてくるけはいがする。

(月,三首之三)

萬里瞿唐峽、春來ること 六たび上弦。

時時 暗室を開き、故故 青天に満つ。

爽かに風襟に合して静に、高く淚臉に當りて懸る。

南飛 鳥鵲有り、夜久しくして江邊に落つ。

 

 

 

『月,三首之三』現代語訳と訳註解説
(
本文)

月,三首之三

萬里瞿塘峽,春來六上弦。

時時開暗室,故故滿青天。

爽合風襟靜,高當淚臉懸。

南飛有烏鵲,夜久落江邊。

(下し文)
(月,三首之三)

萬里瞿唐峽、春來ること 六たび上弦。

時時 暗室を開き、故故 青天に満つ。

爽かに風襟に合して静に、高く淚臉に當りて懸る。

南飛 鳥鵲有り、夜久しくして江邊に落つ。


(現代語訳)
(長雨が続いたが、夜は晴れて、天の川にカササギが橋を架けるころになった、その橋は、故郷に帰る橋として期待できると感慨を述べる。)

故郷から萬里の遠きにある凝唐峡での月、この希望を持たせる上弦の月は春から、もう、六回も見てしまった。(それは病気のせいで出発することができないでいる)

この月は土地の暗室状態を破って時時、雲の扉を開いて、照らしてくれ、ことさら意あるがごとく青天に満ち、かがやく。

そのさわやかなことは襟もとにすずしい風が吹き、すがすがしくなる心地としっくりあって、静かな気持ちにさせる。すると涙が頬をつたい流れ、月は高いところからその頬を照らす。

だんだん夜更けになると烏鵲が南の方へと飛んで牽牛と織姫を渡らせる橋を作るのだろう、ついに瀼西の江のほとりに故郷につながるカササギの橋がおちてくるけはいがする。


(訳注) 

月,三首之三

(長雨が続いたが、夜は晴れて、天の川にカササギが橋を架けるころになった、その橋は、故郷に帰る橋として期待できると感慨を述べる。)

 

萬里瞿塘峽,春來六上弦。

故郷から萬里の遠きにある凝唐峡での月、この希望を持たせる上弦の月は春から、もう、六回も見てしまった。(それは病気のせいで出発することができないでいる)

春來六上弦 今年の春以来6か月の経過、尾聯に「烏鵲」とあることから7月7日、7回目の上弦の月を意識させる。夏が終わり秋が来ることを言う。

 

時時開暗室,故故滿青天。

この月は土地の暗室状態を破って時時、雲の扉を開いて、照らしてくれ、ことさら意あるがごとく青天に満ち、かがやく。

開暗室 夔州巫山、瀼西、三峡峡谷の住まいは、熱い雲に覆われていれば、暗室状態であること、月が登り、暗室の扉を開けると月あかりが射し込むこと、月に照らされることを開くといった。

故故 故意に。

 

爽合風襟靜,高當淚臉懸。

そのさわやかなことは襟もとにすずしい風が吹き、すがすがしくなる心地としっくりあって、静かな気持ちにさせる。すると涙が頬をつたい流れ、月は高いところからその頬を照らす。

爽合風襟靜 爽は月色の爽涼に感ぜられること、(六月であれば夔州には熱気があり、風が吹いてくれば、胸襟を開いて風を受けることを言う。靜は月影の静かなるをいう。

淚臉 涙が頬に伝わっている状況を言う。

 

南飛有烏鵲,夜久落江邊。

だんだん夜更けになると烏鵲が南の方へと飛んで牽牛と織姫を渡らせる橋を作るのだろう、ついに瀼西の江のほとりに故郷につながるカササギの橋がおちてくるけはいがする。

烏鵲 カササギは、銀河にわたる橋を作る鳥である。七夕の夜、牽牛(けんぎゅう)・織女の二星が会うとき、カササギが翼を並べて天の川に渡すという想像上の橋。男女の契りの橋渡しのたとえにも用いる。また鵲を見かければ、兄弟家族に会えるという逸話もある。烏鵲橋(うじゃくきょう)。《短歌行》 魏武帝 #3

越陌度阡、枉用相存。 契闊談讌、心念旧恩。

月明星稀、烏鵲南飛。 繞樹三匝、何枝可依。

山不厭高、海不厭深。 周公吐哺、天下帰心。

陌【みち】を 越え 阡【みち】を 度り,枉【ま】げて用って 相ひ存【と】はば;契闊 談讌して,心に 舊恩を念【おも】はん。

月明るく星稀【まれ】にして,烏鵲 南に飛ぶ。樹を繞【めぐ】ること 三匝【さふ】,何【いづ】れの枝にか依【よ】る可き。

山 高きを厭【いと】はず,水深きを厭はず。周公 哺を吐きて,天下心を歸せり。

東西に延びる道を越え、南北にのびる道をわたっていく。苦難の道中を重ねて、わざわざ見舞いに来てくれる。

万里を遠しとせずに訪れてくれた賓客久しぶりにお目にかかって、語らいながら酒盛りをする。心で昔の誼(よしみ)を思い起こそうというのだ。 

月が明るく照り亘るので、星影が目立たなくなっている。そこにカササギが南に向かって飛んでいく。 

木の周りをぐるぐると何度もまわって、カササギがどの枝に留まろうかというだけではなく、人物がどこの陣営につくのか、誰に属するのか、その帰趨をもいう。

山は、多くの土砂や岩石が慕い寄って、高さが増すことを厭がらないので、ますます高くなり、徳を慕って、人の寄ってくることを拒まなければ、ますます立派なものになることをいう。海の水は、多くの水が慕い寄って、深みが増すことを厭がらないので、ますます深くなり。

周公は、食事を中断してまでして、来客に面会した。 天下の人心を獲得したのだ。

 

《短歌行》 魏武帝  魏詩<86-#1 古詩源 800 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2548

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杜甫  月,三首之二

並照巫山出,新窺楚水清。羈棲愁裏見,二十四回明。 

必驗升沉體,如知進退情。不違銀漢落,亦伴玉繩橫。 

(長雨が続いたが、午後になってから晴れて、月がにしにかたむき、天の川も西に沈んでゆく、その感慨を述べる。)

月は故郷を照らし、同じように巫山をも照らしていて、目に見えるように居出し、あらたにこの夔州の地の江の澄んだ清き水をのぞきこんでいる。自分はこれまで、この月を旅のすまいの愁のうちに見るが、ここでももう二年、二十四回も、この明るくなった月を見ている。この月を旅人として見るに、其の出没のすがた、位置など、必ずそのしるしがあってまちがうことはない。それから推理すると月は自己が如何に進退すべきものであるかを知っているかの様である。またこの月が沈むとき、銀漢は月とともに落ちてゆくし、銀河と玉縄はともにし、自己だけ先になることなどない。 

杜少陵集 卷一八85

月,三首之二

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杜甫詩index-15

767年大暦256 (17)

1174 <1624

 

 

 
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杜甫詩1500-1174-1624/2500

767年大暦256-(17) 18-85     月,三首之二

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二三十50-2

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-85

 

 

詩題:

月,三首之二

序文

 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西)

及地點:

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭

交遊人物:

 

 

 

 

 

杜詩詳註--仇兆鰲

  月三首

此當是大厯二年六月初旬所作矣曰巫/山曰二十四迴則在夔州已二年 曰半輪曰六上弦則是/二年之六月矣

月三首之一

斷續巫山雨、天河此夜新。若無青嶂月、愁殺白頭人。

魍魎移深樹、蝦一作/半輪。故園當北斗、直想一作/照西秦。

此章見月而動歸思是詠初晴之月上嶂月新懸 /故旅愁暫解空照西秦則客愁仍在 是玩月而

喜下是思家而悲約移深樹避明月動半輪上弦月也 故園指杜曲  沈詩崚嶒起青嶂 黄生注 魍魎蝦

蟆如此粗醜字惟少陵能用然終不可訓赤 左傳注疏/魍魎 川澤之神也 淮南子狀如三小兒 黒色赤目長耳美髮

缺酉陽雜俎月中有金背蝦蟆居  劉孝/綽詩輪光 不半 秦城上當北斗公故 所在

月三首之二

併照一作/巫山、出新窺楚水清。羇棲愁裏見、一作愁/見裏二十四迴明。

必驗升沉體,如知進退情。不違銀漢落,亦伴玉繩橫。

此章見月而傷久客是通計兩年之月含併照字承上來照從月言舍下明字窺就人言 下見

公客二年故曰二十四迴升沉進退乃二十四迴中所見者升沉謂月有出没進退謂月有盈虧上弦之月

早升故夜違銀漢而先落下弦之月遲升故曉伴玉繩而猶横二句言久暫遲速之不同正見其升沉進退也

不亦二字活看謂不是如彼亦是如此他注謂望夜之月自昏待旦不落而常横却於上文不相貫矣 以羇

棲愁對二十四乃借對法落。庾信《馬射賦》横弧於楚水之蛟 

鮑照詩 銀漢傾露 天文志杓三星為玉衡 春秋元命苞玉衡北兩星為玉繩

𢎞景《水仙賦》横帯玉繩。杜詩春星帯草堂取帯字為句腰亦伴玉繩横、又取横字着句尾知每字各有來歴

月三首之三

萬里瞿唐月、一作/春來上六弦。時時開暗室、故故滿青天。

爽合風襟靜、高當淚臉懸。南飛有烏鵲、夜久落江邊。

此章對月而念孤棲是專論半年之月風、杜臆中四有/一喜一恨意時開暗室、則喜之而爽合 襟故滿青天則恨之而空當涙臉一月而分作兩般景隨情轉故也

夜落江邊、則無枝可棲借烏鵲以自傷飄泊 王褒

月詩上弦如半壁襟故故猶云屢屢見、宋玉《風賦》有風颯然而至王乃披 而當之張正詩、淚臉年年流出

魏武詩 烏鵲南飛。 

 

 

230_50 《月三首》杜甫 

月,三首之一

(長雨が続いたが、午後になってから晴れて、夜には月が登ったので、その感慨を述べる。)

斷續巫山雨,天河此夜新。

巫山の雨はふりみ、ふらずみで、何時晴ともわからないが、今夜こそは、天の河もあらたになった。

若無青嶂月,愁殺白頭人。 

若し青山にかかる月がなかったならばこの白頭の老人をひどく愁い困らせたことであろう。

魍魎移深樹,蝦蟆動半輪。

あまり明るいので魍魎は樹ふかきところへ場所換えをし、夜ふけて月の中にいるという「ひきがえる」は半円だけひかっている。

故園當北斗,直指照西秦。 

自分の故郷は北斗星の方位にあたっているが、想うにこの月影は故郷長安の西部を照らしているであろう。

 

 

月,三首之二

(長雨が続いたが、午後になってから晴れて、月がにしにかたむき、天の川も西に沈んでゆく、その感慨を述べる。)
並照巫山出,新窺楚水清。

月は故郷を照らし、同じように巫山をも照らしていて、目に見えるように居出し、あらたにこの夔州の地の江の澄んだ清き水をのぞきこんでいる。

羈棲愁裏見,二十四回明。 

自分はこれまで、この月を旅のすまいの愁のうちに見るが、ここでももう二年、二十四回も、この明るくなった月を見ている。

必驗升沉體,如知進退情。

この月を旅人として見るに、其の出没のすがた、位置など、必ずそのしるしがあってまちがうことはない。それから推理すると月は自己が如何に進退すべきものであるかを知っているかの様である。

不違銀漢落,亦伴玉繩橫。 

またこの月が沈むとき、銀漢は月とともに落ちてゆくし、銀河と玉縄はともにし、自己だけ先になることなどない。

(月,三首之一)

斷續す 巫山の雨,天河 此の夜 新たなり。

若し 青嶂の月無くんば,愁殺せん 白頭の人。 

魍魎 深樹に移り,蝦蟆 半輪動く。

故園 北斗に當る,直ちに指す 西秦を照さんことを。 

扁舟 00 

 

,三首之三

  萬里瞿塘峽,春來六上弦。時時開暗室,故故滿青天。 

  爽合風襟靜,高當淚臉懸。南飛有烏鵲,夜久落江邊。 

 

 

 

『月,三首之二』現代語訳と訳註解説
(
本文)

月,三首之二

並照巫山出,新窺楚水清。

羈棲愁裏見,二十四回明。

必驗升沉體,如知進退情。

不違銀漢落,亦伴玉繩橫。

(下し文)
(月,三首の二)

並せて巫山を照らし出づ,新たに窺う 楚水の清きを。

羈棲 愁裏に見る,二十四回 明らかなり。

必らず驗あり 升沉の體,知るが如し 進退の情。

銀漢に違いては落ちず,亦た玉繩を伴いては橫たう。

(現代語訳)
月,三首之二(長雨が続いたが、午後になってから晴れて、月がにしにかたむき、天の川も西に沈んでゆく、その感慨を述べる。)

月は故郷を照らし、同じように巫山をも照らしていて、目に見えるように居出し、あらたにこの夔州の地の江の澄んだ清き水をのぞきこんでいる。

自分はこれまで、この月を旅のすまいの愁のうちに見るが、ここでももう二年、二十四回も、この明るくなった月を見ている。

この月を旅人として見るに、其の出没のすがた、位置など、必ずそのしるしがあってまちがうことはない。それから推理すると月は自己が如何に進退すべきものであるかを知っているかの様である。

またこの月が沈むとき、銀漢は月とともに落ちてゆくし、銀河と玉縄はともにし、自己だけ先になることなどない。

55moon 

(訳注) 

月,三首之二

(長雨が続いたが、午後になってから晴れて、月がにしにかたむき、天の川も西に沈んでゆく、その感慨を述べる。)

 

並照巫山出,新窺楚水清。

月は故郷を照らし、同じように巫山をも照らしていて、目に見えるように居出し、あらたにこの夔州の地の江の澄んだ清き水をのぞきこんでいる。

並照 此処に謂う並びには、其一の「照西秦」を受けていることを言う。彼の長安の杜曲も照らし、こちらも併せて照らす。

巫山出 巫山の山々、峰を照らし、はっきりと見えるようになることを言う

新窺 窺とは月がのぞき込むような低い位置になったことを言う。

楚水 夔州の瞿唐峽に入るまでの長江の流れ、支流である、大瀼水を言う。

 

羈棲愁裏見,二十四回明。

自分はこれまで、この月を旅のすまいの愁のうちに見るが、ここでももう二年、二十四回も、この明るくなった月を見ている。

愁裏見 杜甫がこれらの愁いの多い風景を見て感慨の湧くことを言う。

二十四回明 二周年を経しをいう。

 

必驗升沉體,如知進退情。

この月を旅人として見るに、其の出没のすがた、位置など、必ずそのしるしがあってまちがうことはない。それから推理すると月は自己が如何に進退すべきものであるかを知っているかの様である。

必験 験は旅をして各地で月を見たものより、必ず知るしかあるということ。月は同じように上っているが、その時々のしるしがあるということ。升沈によって誤ることなどない。

升沉體 升沈は出没をいう。體はすがた。

如知 月を知ること、月から派生するすべてを思うこと。

進退情 仇氏云ふ、進退に盈廠(清つると放けると) わいふと。慮案ずるに逝退に即ち上旬の升沈なり。盈鹿にてほ升沈といふ串箕より推如し柑べき隈に来らず。倍は==ろもち。

 

不違銀漢落,亦伴玉繩橫。

またこの月が沈むとき、銀漢は月とともに落ちてゆくし、銀河と玉縄はともにし、自己だけ先になることなどない。

不違銀漢落 銀漢だけが落ちてゆくことなど間違ってもないことである。月が沈むのとともに落ちてゆく。

亦伴玉繩橫 北斗の第五星玉衡の北天乙、大乙の星。星屑の銀河とともに落ちてゆく《文選.張衡.西京賦》:「上飛闥而仰眺,正睹瑤光與玉繩。」(飛闥に上りて仰ぎ眺れば,正に瑤光と玉繩とを睹る。
泰山002 

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杜甫  月,三首之一

斷續巫山雨,天河此夜新。若無青嶂月,愁殺白頭人。 

魍魎移深樹,蝦蟆動半輪。故園當北斗,直指照西秦。 

(長雨が続いたが、午後になってから晴れて、夜には月が登ったので、その感慨を述べる。)

巫山の雨はふりみ、ふらずみで、何時晴ともわからないが、今夜こそは、天の河もあらたになった。若し青山にかかる月がなかったならばこの白頭の老人をひどく愁い困らせたことであろう。あまり明るいので魍魎は樹ふかきところへ場所換えをし、夜ふけて月の中にいるという「ひきがえる」は半円だけひかっている。自分の故郷は北斗星の方位にあたっているが、想うにこの月影は故郷長安の西部を照らしているであろう。

杜少陵集 卷一八84

月,三首之一

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杜甫詩1500-1173-1623/2500 

767年大暦256-(16) 18-84     月,三首之一

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二三十 50-1

文體:

五言律詩

杜少陵集 

14-84

 

 

詩題:

月,三首之一

序文

 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西)

及地點:

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭

交遊人物:

 

 

 

 

 

 

  月三首

此當是大厯二年六月初旬所作矣曰巫/山曰二十四迴則在夔州已二年 曰半輪曰六上弦則是/二年之六月矣

月三首之一

斷續巫山雨、天河此夜新。若無青嶂月、愁殺白頭人。

魍魎移深樹、蝦一作/半輪。故園當北斗、直想一作/照西秦。

此章見月而動歸思是詠初晴之月上嶂月新懸 /故旅愁暫解空照西秦則客愁仍在 是玩月而

喜下是思家而悲約移深樹避明月動半輪上弦月也 故園指杜曲  沈詩崚嶒起青嶂 黄生注 魍魎蝦

蟆如此粗醜字惟少陵能用然終不可訓赤 左傳注疏/魍魎 川澤之神也 淮南子狀如三小兒 黒色赤目長耳美髮

缺酉陽雜俎月中有金背蝦蟆居  劉孝/綽詩輪光 不半 秦城上當北斗公故 所在

月三首之二

併照一作/巫山、出新窺楚水清。羇棲愁裏見、一作愁/見裏二十四迴明。

必驗升沉體,如知進退情。不違銀漢落,亦伴玉繩橫。

此章見月而傷久客是通計兩年之月含併照字/承上來照從月言舍下明字窺就人言 下見

公客二年故曰二十四迴升沉進退乃二十四迴中/所見者升沉謂月有出没進退謂月有盈虧上弦之月

早升故夜違銀漢而先落下弦之月遲升故曉伴玉繩/而猶横二句言久暫遲速之不同正見其升沉進退也

不亦二字活看謂不是如彼亦是如此他注謂望夜之/月自昏待旦不落而常横却於上文不相貫矣 以羇

棲愁對二十四乃借對法落庾信馬射賦横弧於楚水/之蛟 鮑照詩銀漢傾露 天文志杓三星為玉衡

春秋元命苞玉衡/北兩星為玉繩

 𢎞景水仙賦横帯玉繩杜詩春星帯草堂取帯字/為句腰亦伴玉繩横又取横字着句尾知每字各有來/

月三首之三

萬里瞿唐月一作/春來上六弦時時開暗室故故滿青

天爽合風襟靜高當淚臉懸南飛有烏鵲夜久落江邊

此章對月而念孤棲是專論半年之月風杜臆中四有/一喜一恨意時開暗室則喜之而爽合 襟故滿青天

則恨之而空當涙臉一月而分作兩般景隨情轉故也/ 夜落江邊則無枝可棲借烏鵲以自傷飄泊 王褒

月詩上弦如半壁襟故故猶云屢屢見宋玉風賦有風/颯然而至王乃披 而當之 張正 詩淚臉年年流

出烏鵲南飛/ 魏武詩

 

 

230_50 《月三首》杜甫 

月,三首之一

(長雨が続いたが、午後になってから晴れて、夜には月が登ったので、その感慨を述べる。)

斷續巫山雨,天河此夜新。

巫山の雨はふりみ、ふらずみで、何時晴ともわからないが、今夜こそは、天の河もあらたになった。

若無青嶂月,愁殺白頭人。 

若し青山にかかる月がなかったならばこの白頭の老人をひどく愁い困らせたことであろう。

魍魎移深樹,蝦蟆動半輪。

あまり明るいので魍魎は樹ふかきところへ場所換えをし、夜ふけて月の中にいるという「ひきがえる」は半円だけひかっている。

故園當北斗,直指照西秦。 

自分の故郷は北斗星の方位にあたっているが、想うにこの月影は故郷長安の西部を照らしているであろう。

 

(月,三首之一)

斷續す 巫山の雨,天河 此の夜 新たなり。

若し 青嶂の月無くんば,愁殺せん 白頭の人。 

魍魎 深樹に移り,蝦蟆 半輪動く。

故園 北斗に當る,直ちに指す 西秦を照さんことを。 

 

月,三首之二

  並照巫山出,新窺楚水清。羈棲愁裏見,二十四回明。 

  必驗升沉體,如知進退情。不違銀漢落,亦伴玉繩橫。 

月,三首之三

  萬里瞿塘峽,春來六上弦。時時開暗室,故故滿青天。 

  爽合風襟靜,高當淚臉懸。南飛有烏鵲,夜久落江邊。 

 

 

 

『月,三首之一』現代語訳と訳註解説
(
本文)

月,三首之一

斷續巫山雨,天河此夜新。若無青嶂月,愁殺白頭人。

魍魎移深樹,蝦蟆動半輪。故園當北斗,直指照西秦。

(下し文)
(月,三首之一)

斷續す 巫山の雨,天河 此の夜 新たなり。

若し 青嶂の月無くんば,愁殺せん 白頭の人。

魍魎 深樹に移り,蝦蟆 半輪動く。

故園 北斗に當る,直ちに指す 西秦を照さんことを。


(現代語訳)
月,三首之一(長雨が続いたが、午後になってから晴れて、夜には月が登ったので、その感慨を述べる。)

巫山の雨はふりみ、ふらずみで、何時晴ともわからないが、今夜こそは、天の河もあらたになった。

若し青山にかかる月がなかったならばこの白頭の老人をひどく愁い困らせたことであろう。

あまり明るいので魍魎は樹ふかきところへ場所換えをし、夜ふけて月の中にいるという「ひきがえる」は半円だけひかっている。

自分の故郷は北斗星の方位にあたっているが、想うにこの月影は故郷長安の西部を照らしているであろう。


(訳注) 

月,三首之一

(長雨が続いたが、午後になってから晴れて、夜には月が登ったので、その感慨を述べる。)

 

斷續巫山雨,天河此夜新。

巫山の雨はふりみ、ふらずみで、何時晴ともわからないが、今夜こそは、天の河もあらたになった。

巫山雨 長雨が続き、巫山に雲がかかりっきりであることをいう。

天河 あまのがわ。銀河・経河・河漢・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。
詩経の大雅•棫樸、「倬彼雲漢、爲章于天。」小雅大東などに雲漢,銀河,天河がみえる。古詩十九首之十「迢迢牽牛星、皎皎河漢女。」、謝霊運(康楽) 『燕歌行』「誰知河漢淺且清,展轉思服悲明星。」、李商隠『燕臺詩四首 其二』 「直教銀漢堕懐中、未遣星妃鎭來去。」七夕伝説では、織女星と牽牛星を隔てて会えなくしている川が天の川である。二人は互いに恋しあっていたが、天帝に見咎められ、年に一度、七月七日の日のみ、天の川を渡って会うことになった。

天河 杜甫 <292> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1343 杜甫詩 700- 412

 

若無青嶂月,愁殺白頭人。

若し青山にかかる月がなかったならばこの白頭の老人をひどく愁い困らせたことであろう。

青嶂月 東の山にかかる月。10日月から、20日の月の間の満月に近い日が想定できる。

白頭人 杜甫自身のこと。

 

魍魎移深樹,蝦蟆動半輪。

あまり明るいので魍魎は樹ふかきところへ場所換えをし、夜ふけて月の中にいるという「ひきがえる」は半円だけひかっている。

魍魎 水の神。川澤之神也 《淮南子》「狀如三小兒 黒色赤目長耳美髮」(狀、三小兒の 黒色赤目長耳に美髮なり)とある。

移深樹 月が明るいから木陰の暗いところに移動する、それが月が西に傾いたので木陰が梳くなりさらに奥に移動することを言う。

蝦蟆 ひきがえる。月の真ん中に住んでいるという、此処では月のことを言う。

動半輪 満月ではないがそれに近い月が、西に沈みかけること杜甫の澄んでいる夔州瀼西の西には赤甲の山がそびえているから、まだよあけにはならず、早くても深夜二時以降、四時前後ではなかろうか。

 

故園當北斗,直指照西秦。

自分の故郷は北斗星の方位にあたっているが、想うにこの月影は故郷長安の西部を照らしているであろう。

故園 長安、南に住んでいた杜曲をいう。

照西秦 時間経過して、月が西に傾いて沈みかけている。夔州で西にある月が同じように長安の西側にあることを言う。

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杜甫  懷灞上游

悵望東陵道,平生灞上游。春濃停野騎,夜宿敞雲樓。 

離別人誰在,經過老自休。眼前今古意,江漢一歸舟。 

(かつて、長安にいるとき、東行の知人友人を灞上に遊んだことを思い出し、その感慨を述べたものである。)

長安東陵の道を恨めしく眺めたものだ。そうした送別の折には、平生のこととして、灞水橋、灞上に遊んだのである。それは春色細やかなるころに、其処に野遊びの騎馬をつなぎとどめ、夜があきらかになるとき雲の漂う楼閣に宿しておこなったのである。あの頃、あそこで別れた人たち、そのうちで何人が存在しているのだろうか、今の自分は年をとったので再びそこを経過することは休止してしまうことになってしまった。江漢の地方へ向かい、故郷に帰る唯一の舟を具えてはいるものの、故郷へ帰れぬ自分としては、眼前の今古にわったての感慨の意を起こさざるを得ないのである。

杜少陵集 卷一八51

懷 灞 上 遊

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7507 

杜甫詩index-15

767年大暦256 (15)

1172 <1622

 

 
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杜甫詩1500-1172-1622/2500          767年大暦256-(15)

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

231_15

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-51

 

 

詩題:

懷灞上遊

序文

 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西)

及地點:

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭

交遊人物:

 

 

 

 

 

杜甫詩1500-1172-1622/2500

767年大暦256-(15)

 

杜詩詳註--仇兆鰲

  懐灞上遊

  黄鶴編在大厯二年以詩有江漢歸舟/句也  楚漢春秋漢高帝西入武關居灞/

悵望東陵道、平生灞上遊。春濃停野騎、/夜敞宿舊作/宿敞雲樓。

人誰在、經過/老自休。眼前今古意江漢一歸舟。

上四憶舊遊景事下則念同遊而動歸思也  

有晝停騎夜宿樓極盡一時遊興唯聚散無常故古今之慨即夜宿對春濃不工當云夜敞宿雲棲 

杜顧注 東陵道 長安城東門乃秦東陵侯種𤓰 臆唐都關中、即、今西安城東三十里有灞水、又、東乃文帝霸陵、出長安東門、為東陵道、得名以此灞水橋、曰、灞橋、乃長安餞之所、灞上當、即在其處詳詩意、則行樂之地/也。

楊炯少室山廟碑璇夜敞銀牓朝開 隋辛徳源詩戲笑上雲樓

 

 

  卷231_15 《懷灞上游》杜甫 

懷灞上游

(かつて、長安にいるとき、東行の知人友人を灞上に遊んだことを思い出し、その感慨を述べたものである。)

悵望東陵道,平生灞上游。

長安東陵の道を恨めしく眺めたものだ。そうした送別の折には、平生のこととして、灞水橋、灞上に遊んだのである。

春濃停野騎,夜宿敞雲樓。 

それは春色細やかなるころに、其処に野遊びの騎馬をつなぎとどめ、夜があきらかになるとき雲の漂う楼閣に宿しておこなったのである。

離別人誰在,經過老自休。

あの頃、あそこで別れた人たち、そのうちで何人が存在しているのだろうか、今の自分は年をとったので再びそこを経過することは休止してしまうことになってしまった。

眼前今古意,江漢一歸舟。 

江漢の地方へ向かい、故郷に帰る唯一の舟を具えてはいるものの、故郷へ帰れぬ自分としては、眼前の今古にわったての感慨の意を起こさざるを得ないのである。

(灞上の游びを懷う)

悵望す 東陵の道,平生 灞上に游ぶ。

春 濃かにして 野騎を停め,夜 敞かにして雲樓に宿す。

離別の人 誰か在る,經過 老いて自ら休す。

眼前 今古の意,江漢 一歸舟。

長安付近図00 

『懷灞上游』現代語訳と訳註解説
(
本文)

懷灞上游

悵望東陵道,平生灞上游。

春濃停野騎,夜宿敞雲樓。

離別人誰在,經過老自休。

眼前今古意,江漢一歸舟。

(下し文)
(灞上の游びを懷う)

悵望す 東陵の道,平生 灞上に游ぶ。

春 濃かにして 野騎を停め,夜 敞かにして雲樓に宿す。

離別の人 誰か在る,經過 老いて自ら休す。

眼前 今古の意,江漢 一歸舟。

(現代語訳)
懷灞上游(かつて、長安にいるとき、東行の知人友人を灞上に遊んだことを思い出し、その感慨を述べたものである。)

長安東陵の道を恨めしく眺めたものだ。そうした送別の折には、平生のこととして、灞水橋、灞上に遊んだのである。

それは春色細やかなるころに、其処に野遊びの騎馬をつなぎとどめ、夜があきらかになるとき雲の漂う楼閣に宿しておこなったのである。

あの頃、あそこで別れた人たち、そのうちで何人が存在しているのだろうか、今の自分は年をとったので再びそこを経過することは休止してしまうことになってしまった。

江漢の地方へ向かい、故郷に帰る唯一の舟を具えてはいるものの、故郷へ帰れぬ自分としては、眼前の今古にわったての感慨の意を起こさざるを得ないのである。


(訳注) 

懷灞上游

(かつて、長安にいるとき、東行の知人友人を灞上に遊んだことを思い出し、その感慨を述べたものである。)

杜甫は、隠遁の思いを東陵侯であり、李廣が灞陵であること、その地の灞陵亭であること、故郷に対する感慨をうかげたのである。もしかすると、李白の詩を思い浮かべたのであろうか。

 

悵望東陵道,平生灞上游。

長安東陵の道を恨めしく眺めたものだ。そうした送別の折には、平生のこととして、灞水橋、灞上に遊んだのである。

東陵道 長安城の東門外は東陵の地なり、秦末に東陵侯邵平というものそこに隠れ、瓜を種う、東陵を経て灞橋に至る。秦東陵侯𤓰種う處、東陵侯とは, 漢の邵平を指す。 以て “東陵瓜” 種えて著名となる。 北周 庾信 《擬詠懷》之二四に「昔日 東陵侯 ,惟有瓜園在。」とあり、唐 李白 《古風五十九首之九》「青門 種瓜人,舊日 東陵侯 。」

灞上 長安城、東十里に灞水があって、灞橋という。灞上にそのほとりということである。唐の詩人の東行するものを送るには灞橋に於ておこなう。

 

春濃停野騎,夜宿敞雲樓。

それは春色細やかなるころに、其処に野遊びの騎馬をつなぎとどめ、夜があきらかになるとき雲の漂う楼閣に宿しておこなったのである。

雲樓 雲の漂う楼閣。長安東の正門たる春明門からここまでに滻水に架かる橋をわたってくるのであるが、㶚水にかかる橋のたもとにあった亭である。ここを過ぎるとしばらくは、宿場町があるだけである。長の別れを惜しみ、一夜、酒を酌み交わすのである。また、娼屋の様なものもあったようだ。㶚水の堤には楊柳があり、柳を折って旅の安全を願ったのである。李白は《卷十六27灞陵行送別》では、「送君灞陵亭、 灞水流浩浩。」と“灞陵亭”と述べている。

 

離別人誰在,經過老自休。

あの頃、あそこで別れた人たち、そのうちで何人が存在しているのだろうか、今の自分は年をとったので再びそこを経過することは休止してしまうことになってしまった。

 

眼前今古意,江漢一歸舟。

江漢の地方へ向かい、故郷に帰る唯一の舟を具えてはいるものの、故郷へ帰れぬ自分としては、眼前の今古にわったての感慨の意を起こさざるを得ないのである。

 

函谷関長安地図座標001 

 

 

 

 

 

灞陵行送別 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白139

《卷十六27灞陵行送別》

灞陵行送別 
送君灞陵亭。 灞水流浩浩。 
灞陵亭で君を送る、灞水の流れはひろびろとうららかにながれている。
上有無花之古樹。 下有傷心之春草。 
まだ早春で、頭上には花のない古木がある、足元には心を痛めるような芽生え始めた春草が生えている
我向秦人問路歧。 云是王粲南登之古道。 
土地の人に向かって東洛陽方面と南はどこへと分かれ道のことを尋ねた。こちらの道は建安の七子の王粲が「南登」と歌った古道はこれで漢水まで続くのだといった。
古道連綿走西京。 紫闕落日浮云生。
もう一方の古道は、洛陽から連綿と続いて長安にはしっている。その紫の天子の御門のうちでは夕日が落ちて宮女たちのよろこびが生じているのだろう。
正當今夕斷腸處。 驪歌愁不忍聽。

まさに今夜わたしは別れてひとりの夜、断腸のもだえ聲のあるところ、女が主人恋しさに唄う歌は、聞くに堪えない。

君を送る  灞陵亭(はりょうてい)、灞水(はすい)は流れて浩浩(こうこう)たり

上に無花(むか)の古樹(こじゅ)有り、下に傷心(しょうしん)の春草(しゅんそう)有り

我  秦人(しんじん)に向かって路岐(ろき)を問う、云う是れ 王粲(おうさん)が南登(なんと)の古道なりと

古道は連綿(れんめん)として西京(せいけい)に走り、紫関(しかん)  落日  浮雲(ふうん)生ず

(まさ)に当たる 今夕(こんせき)断腸の処(ところ)、驪歌(りか)愁絶(しゅうぜつ)して聴くに忍(しの)びず

767年-(14)杜少陵集 《卷一五59 晴二首其二》15-59 杜甫詩index-15-1171 <1621> 767年大暦2年56歲-(14)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7502

杜甫  晴二首之二

啼烏爭引子,鳴鶴不歸林。下食遭泥去,高飛恨久陰。

雨聲沖塞盡,日氣射江深。回首周南客,驅馳魏闕心。

(長雨の後、少し晴れの日が続いたので、晴時の感慨を述べる。)  烏が鳴いて、こどもを引き連れ、護るのに争っているし、鶴は鳴いて、林の中に帰ろうとしない。烏は下りてきて、蜀を求めようとするが泥に妨げられて去ってしまうし、鶴は長いこと雨や曇っていたのを恨んでいたから晴れたら高く飛びあがっている。塞にたたき衝けていた雨の音はもう尽きて、すっきりとなくなったし、太陽の光は深く江の中まで射し込んでいる。この時、洛陽偃師生まれの人でいて南の辺境に旅している客となっている自分は、北の方に首を廻らし、どんなに奔走のみであっても、朝廷の宮門を恋しいと思う心は失わずにいるのである。

杜少陵集 卷一五58

晴二首之一

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7497 

杜甫詩index-15

767年大暦256 (13)

1170 <1620

 

 

 
  2016年3月18日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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杜甫詩1500-1171-1621/2500          767年大暦256-(14)

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二三十 48-2

文體:

五言律詩

杜少陵集 

15-59

 

 

詩題:

晴二首之一

序文

 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西)

及地點:

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭

交遊人物:

 

 

 

 

  晴二首

鶴注當是大厯元/年初到州時

晴二首之一

久雨巫山暗、新晴錦繡文。一作/

碧知湖外一作/草、紅見海東雲。

竟日鶯相和、/摩霄鶴數羣。

野花乾/更落、風處急紛紛。

此為久雨初晴而作也 晴三四新晴景、下四新晴近景、錦繡文光映於山色碧字

紅字 另讀與青惜峯嵐過黄知橘柚來句法相同 

鶯和鶴羣自慨羇孤花落紛紛歎已飄零也

劉繪琵琶峽詩 照爛虹蜿集 交錯 錦繡  陳 湖外謂洞庭湖之外

晴二首之二

啼烏爭引子、鳴鶴不歸林。

/食遭泥去、高飛恨久陰。

雨聲衝塞盡、日氣射/江深。

回首周南客、驅馳魏闕心。

此章 對晴景而感懐啼烏 

下食鳴鶴髙飛見物情 

/雨而喜晴雨聲日氣 明

題意末傷羇旅不歸也。 衝塞射江與魏闕相照太易鳴鶴在陰談 

周南客 史記太史公留滯/ 周南公借以自 史公乃司馬 周南在今西安府涇陽縣在 

魏闕心 氏春秋 中山公子謂詹子曰、身 江湖之上心居魏闕之下

 

 

 

  卷230_48 《晴二首之一》杜甫 

杜少陵集  卷一五58

晴二首之一

(長雨で憂鬱な日を過ごしていたが、晴れ上がったのでその様子を詠う。)

久雨巫山暗,新晴錦繡文。

長く雨が降っていると巫山は厚い雲で暗い景色が続いていたが、新たに晴れると山には、錦繍のような美しい綾模様があらわれる。

碧知湖外草,紅見海東雲。 

碧草の雨に潤った緑色を見ては、湖南の草の色も、又、かくのごとくなるべきを知り、紅雲の色を見ては、海東の雲の色も、また、かくのごとくなるべくを見る。

竟日鶯相和,摩霄鶴數群。

晴れた日だから、終日鶯は鳴きあかし、鶴は大霄を摩らんばかりに高く舞い上がり、しばしば群れを成している。

野花幹更落,風處急紛紛。 

野の花も晴に喜び咲き乱れて、乾いて枯れ落ちて来る、風の吹き溜まりには吹き飛ばされた花びらなどが紛紛と急に吹き飛ばされ集まる。

(晴二首の一)

久雨 巫山暗し,新たに晴る 錦繡の文あり。

碧は知る 湖外の草,紅は見る 海東の雲。

竟日 鶯 相い和す,摩霄 鶴 數しば群す。

野花 幹いて更に落つ,風處 急にして紛紛たり。

 

晴二首之二

(長雨の後、少し晴れの日が続いたので、晴時の感慨を述べる。)

啼烏爭引子,鳴鶴不歸林。

烏が鳴いて、こどもを引き連れ、護るのに争っているし、鶴は鳴いて、林の中に帰ろうとしない。

下食遭泥去,高飛恨久陰。 

烏は下りてきて、蜀を求めようとするが泥に妨げられて去ってしまうし、鶴は長いこと雨や曇っていたのを恨んでいたから晴れたら高く飛びあがっている。

雨聲沖塞盡,日氣射江深。

塞にたたき衝けていた雨の音はもう尽きて、すっきりとなくなったし、太陽の光は深く江の中まで射し込んでいる。

回首周南客,驅馳魏闕心。 

この時、洛陽偃師生まれの人でいて南の辺境に旅している客となっている自分は、北の方に首を廻らし、どんなに奔走のみであっても、朝廷の宮門を恋しいと思う心は失わずにいるのである。

(晴二首の二)

啼烏 子を引くを爭う,鳴鶴 林に歸らず。

下食 泥に遭いて去る,高飛 久しく陰になるを恨むを。

雨聲 塞に沖すこと盡き,日氣 江を射ること深し。

首を回らす 周南の客,驅馳にも 魏闕も心あり。

 

皇城005 

『晴二首之一』現代語訳と訳註解説
(
本文)

晴二首之二

啼烏爭引子,鳴鶴不歸林。

下食遭泥去,高飛恨久陰。

雨聲沖塞盡,日氣射江深。

回首周南客,驅馳魏闕心。

(下し文)
(晴二首の二)

啼烏 子を引くを爭う,鳴鶴 林に歸らず。

下食 泥に遭いて去る,高飛 久しく陰になるを恨むを。

雨聲 塞に沖すこと盡き,日氣 江を射ること深し。

首を回らす 周南の客,驅馳にも 魏闕も心あり。

(現代語訳)
晴二首之二(長雨の後、少し晴れの日が続いたので、晴時の感慨を述べる。)

烏が鳴いて、こどもを引き連れ、護るのに争っているし、鶴は鳴いて、林の中に帰ろうとしない。

烏は下りてきて、蜀を求めようとするが泥に妨げられて去ってしまうし、鶴は長いこと雨や曇っていたのを恨んでいたから晴れたら高く飛びあがっている。

塞にたたき衝けていた雨の音はもう尽きて、すっきりとなくなったし、太陽の光は深く江の中まで射し込んでいる。

この時、洛陽偃師生まれの人でいて南の辺境に旅している客となっている自分は、北の方に首を廻らし、どんなに奔走のみであっても、朝廷の宮門を恋しいと思う心は失わずにいるのである。


(訳注) 

晴二首之二

(長雨の後、少し晴れの日が続いたので、晴時の感慨を述べる。)

 

啼烏爭引子,鳴鶴不歸林。

烏が鳴いて、こどもを引き連れ、護るのに争っているし、鶴は鳴いて、林の中に帰ろうとしない。

 

下食遭泥去,高飛恨久陰。

烏は下りてきて、蜀を求めようとするが泥に妨げられて去ってしまうし、鶴は長いこと雨や曇っていたのを恨んでいたから晴れたら高く飛びあがっている。

1 下食 上より下ってきて食する。

2 遭泥去 雨が降っていると烏の餌が泥と交じってしまうので、取りやすいものだけを採ってすぐに子供に持って帰るという意。

3 高飛 雨ふりで、高く飛ぶことができなかったのを、晴れ上がったので喜んで飛び上がることを言う。

4 恨久陰 長雨どんよりした天気を恨んでいることを言う。

 

雨聲沖塞盡,日氣射江深。

塞にたたき衝けていた雨の音はもう尽きて、すっきりとなくなったし、太陽の光は深く江の中まで射し込んでいる。

5 沖塞盡 塞にわきおこりつくすこと。塞にたたき衝けていた雨の音はもう尽きて、すっきりとなくなったことをいう。沖:水が沸き上がる。上る。高く上がる。ここでは雨が塞に強くたたき衝けていたことをいう。

 

回首周南客,驅馳魏闕心。

この時、洛陽偃師生まれの人でいて南の辺境に旅している客となっている自分は、北の方に首を廻らし、どんなに奔走のみであっても、朝廷の宮門を恋しいと思う心は失わずにいるのである。

6 周南客 長安近郊涇陽の人であるの漢の周南公が、洞庭湖に滞留されたことを言う。《史記、太史公》 、「留滯周南公、借以自 史公、乃司馬」 周南は今の西安府に在り、涇陽縣に在す。(長安付近圖-4

7 驅馳 処処を奔走する。

8 魏闕心 朝廷の宮門を恋しいと思う心は失わずにいる。氏春秋》「中山公子謂詹子曰、身 江湖之上心居魏闕之下」(中山の公子詹子に謂うて曰く、身は 江湖の上にあるも、心は魏闕の下に居る。
京兆地域図002 

767年-(13)杜少陵集 《卷一五58 晴二首其一》15-58 杜甫詩index-15-1170 <1620> 767年大暦2年56歲-(13) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7497 

杜甫  晴二首之一

久雨巫山暗,新晴錦繡文。碧知湖外草,紅見海東雲。 

竟日鶯相和,摩霄鶴數群。野花幹更落,風處急紛紛。 

(長雨で憂鬱な日を過ごしていたが、晴れ上がったのでその様子を詠う。)

長く雨が降っていると巫山は厚い雲で暗い景色が続いていたが、新たに晴れると山には、錦繍のような美しい綾模様があらわれる。碧草の雨に潤った緑色を見ては、湖南の草の色も、又、かくのごとくなるべきを知り、紅雲の色を見ては、海東の雲の色も、また、かくのごとくなるべくを見る。晴れた日だから、終日鶯は鳴きあかし、鶴は大霄を摩らんばかりに高く舞い上がり、しばしば群れを成している。野の花も晴に喜び咲き乱れて、乾いて枯れ落ちて来る、風の吹き溜まりには吹き飛ばされた花びらなどが紛紛と急に吹き飛ばされ集まる。

杜少陵集 卷一五58

晴二首之一

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7497 

杜甫詩index-15

767年大暦256 (13)

1170 <1620

 

 

 
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杜甫詩1500-1170-1620/2500          767年大暦256-(13)

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二三十 48-1

文體:

五言律詩

杜少陵集 

15-58

 

 

詩題:

晴二首之一

序文

 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西)

及地點:

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭

交遊人物:

 

 

 

 

  晴二首

鶴注當是大厯元/年初到州時

晴二首之一

久雨巫山暗、新晴錦繡文。一作/

碧知湖外一作/草、紅見海東雲。

竟日鶯相和、/摩霄鶴數羣。

野花乾/更落、風處急紛紛。

此為久雨初晴而作也 晴三四新晴景、下四新晴近景、錦繡文光映於山色碧字

紅字 另讀與青惜峯嵐過黄知橘柚來句法相同 

鶯和鶴羣自慨羇孤花落紛紛歎已飄零也

劉繪琵琶峽詩 照爛虹蜿集 交錯 錦繡  陳 湖外謂洞庭湖之外

晴二首之二

啼烏爭引子、鳴鶴不歸林。

/食遭泥去、高飛恨久陰。

雨聲衝塞盡、日氣射/江深。

回首周南客、驅馳魏闕心。

此章對晴景而感懐啼烏下食鳴鶴髙飛見物情厭/雨而喜晴雨聲日氣 明題意末傷羇旅不歸也衝塞

射江與魏闕相照太易鳴鶴在陰談史記太史公留滯/周南公借以自 史公乃司馬 周南在今西安府

涇陽縣在氏春秋中山公子謂詹/子曰身 江湖之上心居魏闕之下

 

 

 

  卷230_48 《晴二首之一》杜甫 

杜少陵集  卷一五58

晴二首之一

(長雨で憂鬱な日を過ごしていたが、晴れ上がったのでその様子を詠う。)
久雨巫山暗,新晴錦繡文。

長く雨が降っていると巫山は厚い雲で暗い景色が続いていたが、新たに晴れると山には、錦繍のような美しい綾模様があらわれる。

碧知湖外草,紅見海東雲。 

碧草の雨に潤った緑色を見ては、湖南の草の色も、又、かくのごとくなるべきを知り、紅雲の色を見ては、海東の雲の色も、また、かくのごとくなるべくを見る。

竟日鶯相和,摩霄鶴數群。

晴れた日だから、終日鶯は鳴きあかし、鶴は大霄を摩らんばかりに高く舞い上がり、しばしば群れを成している。

野花幹更落,風處急紛紛。 

野の花も晴に喜び咲き乱れて、乾いて枯れ落ちて来る、風の吹き溜まりには吹き飛ばされた花びらなどが紛紛と急に吹き飛ばされ集まる。

(晴二首の一)

久雨 巫山暗し,新たに晴る 錦繡の文あり。

碧は知る 湖外の草,紅は見る 海東の雲。

竟日 鶯 相い和す,摩霄 鶴 數しば群す。

野花 幹いて更に落つ,風處 急にして紛紛たり。

  啼烏爭引子,鳴鶴不歸林。下食遭泥去,高飛恨久陰。 

  雨聲沖塞盡,日氣射江深。回首周南客,驅馳魏闕心。 

 

巫山十二峰003 

『晴二首之一』現代語訳と訳註解説
(
本文)

晴二首之一

久雨巫山暗,新晴錦繡文。

碧知湖外草,紅見海東雲。

竟日鶯相和,摩霄鶴數群。

野花幹更落,風處急紛紛。

(下し文)
(晴二首之一)

久雨 巫山暗し,新たに晴る 錦繡の文あり。

碧は知る 湖外の草,紅は見る 海東の雲。

竟日 鶯 相い和す,摩霄 鶴 數しば群す。

野花 幹いて更に落つ,風處 急にして紛紛たり。

(現代語訳)
晴二首之一(長雨で憂鬱な日を過ごしていたが、晴れ上がったのでその様子を詠う。)

長く雨が降っていると巫山は厚い雲で暗い景色が続いていたが、新たに晴れると山には、錦繍のような美しい綾模様があらわれる。

碧草の雨に潤った緑色を見ては、湖南の草の色も、又、かくのごとくなるべきを知り、紅雲の色を見ては、海東の雲の色も、また、かくのごとくなるべくを見る。

晴れた日だから、終日鶯は鳴きあかし、鶴は大霄を摩らんばかりに高く舞い上がり、しばしば群れを成している。

野の花も晴に喜び咲き乱れて、乾いて枯れ落ちて来る、風の吹き溜まりには吹き飛ばされた花びらなどが紛紛と急に吹き飛ばされ集まる。

云亭
(訳注) 

晴二首之一

(長雨で憂鬱な日を過ごしていたが、晴れ上がったのでその様子を詠う。)

 

久雨巫山暗,新晴錦繡文。

長く雨が降っていると巫山は厚い雲で暗い景色が続いていたが、新たに晴れると山には、錦繍のような美しい綾模様があらわれる。

1 久雨二句 杜甫《1552雨晴》と同じ意味と、雰囲気。

雨時山不改,晴罷峽如新。天路看殊俗,秋江思殺人。

有猿揮淚盡,無犬附書頻。故國愁眉外,長歌欲損神。

(雨晴)

雨時 山 改らず,晴罷く峽 新なるが如し。天路 殊俗を看,秋江 人を思殺す。

猿有れば 淚を揮い盡し,犬無ければ 附書を頻りにす。故國 愁眉の外,長歌 神を損せんと欲す。

(雨が上がり空が晴れ渡ったときの感を詠う。)

雨が降っているときは山の色が変わりはしないが、晴れ渡ってくると三峡は全く新しい景色に変わったようだ。秋の長江は人をして、もの思いに悩まさせるほど明るく考えられないほどになり、その中に自分は、この天蓋の地で違った異民族の風俗を見ているからなおさらである。ここには猿が多く、その悲愴感を持った鳴き声のために涙をすっかり振るいつくしたが、故郷を知った犬がいないので、手紙を持たせてやることもできないからただ頻りに付け加えて書くだけである。故郷の国許はこうして眺め遣る愁眉の外に存在して、故郷の景色が思い浮かばなくなる、その上、悲愁で歌う歌は長歌になって、悲愁と長歌が相乗するから精神病になってしまいそうである。

766年-153杜甫 《1552雨晴》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-153 <1025 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6805

2 巫山暗 巫山に厚い雲がかかり、暗い景色となる。巫山(ふざん)は中国・重慶市巫山県と湖北省の境にある名山。長江が山中を貫流して、巫峡を形成。山は重畳して天日を隠蔽するという。巫山十二峰と言われ、その中で代表的なものに神女峰がある。

巫山は四川盆地の東半部に多数平行して走る褶曲山脈の中でも最も大きく最も東にある山脈で、四川盆地の北東の境界に北西から南東へ走る褶曲山脈の大巴山脈へと合わさってゆく。長さは40km余り、主峰の烏雲頂は海抜2,400mに達する。

 

碧知湖外草,紅見海東雲。

碧草の雨に潤った緑色を見ては、湖南の草の色も、又、かくのごとくなるべきを知り、紅雲の色を見ては、海東の雲の色も、また、かくのごとくなるべくを見る。

3 湖 洞庭湖。

4 海 東呉の海、

 

竟日鶯相和,摩霄鶴數群。

晴れた日だから、終日鶯は鳴きあかし、鶴は大霄を摩らんばかりに高く舞い上がり、しばしば群れを成している。

5 竟日 尽日。終日。

 

野花幹更落,風處急紛紛。

野の花も晴に喜び咲き乱れて、乾いて枯れ落ちて来る、風の吹き溜まりには吹き飛ばされた花びらなどが紛紛と急に吹き飛ばされ集まる。

6 幹更落 雨に打たれた花びらが、急激な蒸発散により、乾き枯れておちる。

7 紛紛 散り落ちは花びらや風によって吹き飛ばされたものが飛び散り舞うこと。

767年-(12)-#2杜少陵集 《雨》19-23 杜甫詩index-15-1169 <1619> 767年大暦2年56歲-(12)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7492

杜甫  雨#4

浮俗何萬端,幽人有獨步。龐公竟獨往,尚子終罕遇。

宿留洞庭秋,天寒瀟湘素。杖策可入舟,送此齒髮暮。

世間の俗人はどうしてあの様にさまざまの人生を進もうとするのだろうか。それとちがって幽人はひとり、高尚な人生、生き方をするものである。例えば、東漢の末の龐德公は三顧の礼で請われても城内に入らず結局、ひとりでそのゆくべき鹿門山へ往ってしまったし、後漢逸民傳にみえる、尚長は、五岳名山に遊び、誰とも会わず、竟に終る所を知るものはいなかった。だから自分はここを去って素晴らしい景色の洞庭湖の秋に、漢の武帝が宿し留まったいう故事のようにして、天空が寒く凍り付き、瀟湘の水の神二女が濁水を白水となるのをみとどけたいのである。だから、策をついてでも舟のなかへはいり、此処を立って洞庭湖の舟を泛べ、痩せて歯が白いのと髪の毛が白いこの晩年を仙人のように送るがよろしいと思っているのである。

杜少陵集19-23- #3・#4

  #3・#4

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杜甫詩index-15-

767年大暦256 20 #3・#4

1169 <1619

 

 
  2016年3月16日 の紀頌之5つのBlog  
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 杜甫詩1500-1169-1619/2500

 767年大暦256-(12)-#34 19-23 雨 (山雨不作埿,)

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二一 

文體:

五言古詩

杜少陵集 

19-23

 

 

詩題:

序文

 

作地點:

奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭

交遊人物:

 

 

 

  卷221_46 《雨》杜甫 

  山雨不作泥,江雲薄為霧。晴飛半嶺鶴,風亂平沙樹。 

  明滅洲景微,隱見岩姿露。拘悶出門遊,曠經目趣。 

  消中日伏枕,臥久塵及屨。豈無平肩輿,莫辨望路。 

  兵戈浩未息,蛇虺反相顧。悠悠邊月破,鬱鬱流年度。 

  針灸阻朋曹,糠對童孺。一命須屈色,新知漸成故。 

  窮荒益自卑,飄泊欲誰訴。羸愁應接,俄頃恐違迕。 

  浮俗何萬端,幽人有獨步。龐公竟獨往,尚子終罕遇。 

  宿留洞庭秋,天寒瀟湘素。杖策可入舟,送此齒發暮。 

 

 

雨 #1

(秋の長雨で、瀼西の自宅草堂にこもって感じたことを述べる。)

山雨不作埿,江雲薄為霧。

瀼西の山にふる雨は石地の土地のため泥とはならないし、長江の雲はうすく霧にそまる。

晴飛半嶺鶴,風亂平沙樹。

晴れ間には、嶺のなかごろに鶴が飛ぶ。風が吹くと沙はらの樹木ががさがさと騒ぎ乱れる。

明滅洲景微,隱見巖姿露。

中洲のあたりをてらす日光は明るくなったり消えたりし、巌石の姿は見えたり隠れたりする。

拘悶出門遊,曠經目趣。

こんなことで門外へ出てあそぶことが限られるので気が滅入ってしまう。こんなことで幾日もはればれとした眺望をしたことがない。 

(雨)#1

山雨埿を作さす、江雲薄く霧を為す。

晴には飛ぶ半嶺の鶴、風には亂る平沙の樹。

明滅洲景微なら、隠見巌姿露る。

拘せられて悶す出門の遊、曠なり曠目の趣

#2

消中日伏枕,臥久塵及屨。

自分は糖尿病など持病で日日枕に伏しており、それも、ながながしく臥せっているので履にも塵が厚く及んでいる。

豈無平肩輿,莫辨望路。

肩輿がないわけでもないが、それで、出かけてみても故郷への道路をながめても、歸る路がわきまることもできないのである。

兵戈浩未息,蛇虺反相顧。

久しく兵乱が終わらないので、家族の消息はとどかないけれど、そのかわりに、蛇やまむしがたずねできてくれる。

悠悠邊月破,鬱鬱流年度。 

いたずらに、長長とこの邊境の月の欠けてゆくのをみるばかりであって、思い沈んでさかんに多く流れる年がすぎ去ってゆく。

#2

消中 日びに枕に伏し,臥 久しくして 塵 屨に及ぶ。

豈に 平肩輿無らんや,辨ずる莫し 望路を。

兵戈 浩として 未だ息まず,蛇虺【だき】反って相い顧る。

悠悠 邊月破り,鬱鬱 流年度る。 

#3

針灸阻朋曹,糠對童孺。

針灸治療をしてもらいながらともだちとはへだたり、糠や麦くずをたべながら子供等とうちむかっている。

一命須屈色,新知漸成故。

天子の一命の郎官を辱くしながら他人にはこちらの顔色を屈しなければならす、新知己と一時は喜ばれてもやがて故いものとして棄てられる。

窮荒益自卑,飄泊欲誰訴。

辺鄙な荒れ果てた土地でますます自分を卑くしてゆかねはならないのである。この漂泊の生活に於いてだれに自分の心中を訴へるべきであろうか。

羸愁應接,俄頃恐違迕。

らだがよわくつかれているから人と応対するのはめんどうである。ちょっとした時にでも相手の心にさからいはせぬかと気遣われるのである。

#3

針灸に 朋曹阻る,糠 童孺に對す。

一命 須らく色を屈すべし,新知 漸く故と成る。

窮荒 益ます自ら卑くし,飄泊 誰にか訴えんと欲す。

羸【おうえい】應接を愁い,俄頃 違迕せんことを恐る

#4

浮俗何萬端,幽人有獨步。

世間の俗人はどうしてあの様にさまざまの人生を進もうとするのだろうか。それとちがって幽人はひとり、高尚な人生、生き方をするものである。

龐公竟獨往,尚子終罕遇。

例えば、東漢の末の龐德公は三顧の礼で請われても城内に入らず結局、ひとりでそのゆくべき鹿門山へ往ってしまったし、後漢逸民傳にみえる、尚長は、五岳名山に遊び、誰とも会わず、竟に終る所を知るものはいなかった。

宿留洞庭秋,天寒瀟湘素。

だから自分はここを去って素晴らしい景色の洞庭湖の秋に、漢の武帝が宿し留まったいう故事のようにして、天空が寒く凍り付き、瀟湘の水の神二女が濁水を白水となるのをみとどけたいのである。

杖策可入舟,送此齒髮暮。

だから、策をついてでも舟のなかへはいり、此処を立って洞庭湖の舟を泛べ、痩せて歯が白いのと髪の毛が白いこの晩年を仙人のように送るがよろしいと思っているのである。

#4

浮俗 何ぞ萬端なる,幽人 獨步有り。

龐公 竟に獨り往き,尚子 終に遇うを罕【まれ】にす。

宿留さん 洞庭の秋,天寒くして 瀟湘素し。

策を杖き 舟に入り,此の齒髮の暮れなんとするを送る可し。

 

『雨』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

針灸阻朋曹,糠對童孺。

一命須屈色,新知漸成故。

窮荒益自卑,飄泊欲誰訴。

羸愁應接,俄頃恐違迕
#4

浮俗何萬端,幽人有獨步。

龐公竟獨往,尚子終罕遇。

宿留洞庭秋,天寒瀟湘素。

杖策可入舟,送此齒髮暮。

(下し文)
#3

針灸に 朋曹阻る,糠 童孺に對す。

一命 須らく色を屈すべし,新知 漸く故と成る。

窮荒 益ます自ら卑くし,飄泊 誰にか訴えんと欲す。

羸【おうえい】應接を愁い,俄頃 違迕せんことを恐る

#4

浮俗 何ぞ萬端なる,幽人 獨步有り。

龐公 竟に獨り往き,尚子 終に遇うを罕【まれ】にす。

宿留さん 洞庭の秋,天寒くして 瀟湘素し。

策を杖き 舟に入り,此の齒髮の暮れなんとするを送る可し。

(現代語訳)
#3

針灸治療をしてもらいながらともだちとはへだたり、糠や麦くずをたべながら子供等とうちむかっている。

天子の一命の郎官を辱くしながら他人にはこちらの顔色を屈しなければならす、新知己と一時は喜ばれてもやがて故いものとして棄てられる。

辺鄙な荒れ果てた土地でますます自分を卑くしてゆかねはならないのである。この漂泊の生活に於いてだれに自分の心中を訴へるべきであろうか。

らだがよわくつかれているから人と応対するのはめんどうである。ちょっとした時にでも相手の心にさからいはせぬかと気遣われるのである。

#4

世間の俗人はどうしてあの様にさまざまの人生を進もうとするのだろうか。それとちがって幽人はひとり、高尚な人生、生き方をするものである。

例えば、東漢の末の龐德公は三顧の礼で請われても城内に入らず結局、ひとりでそのゆくべき鹿門山へ往ってしまったし、後漢逸民傳にみえる、尚長は、五岳名山に遊び、誰とも会わず、竟に終る所を知るものはいなかった。

だから自分はここを去って素晴らしい景色の洞庭湖の秋に、漢の武帝が宿し留まったいう故事のようにして、天空が寒く凍り付き、瀟湘の水の神二女が濁水を白水となるのをみとどけたいのである。

だから、策をついてでも舟のなかへはいり、此処を立って洞庭湖の舟を泛べ、痩せて歯が白いのと髪の毛が白いこの晩年を仙人のように送るがよろしいと思っているのである。


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杜甫  雨 #1

山雨不作埿,江雲薄為霧。晴飛半嶺鶴,風亂平沙樹。

明滅洲景微,隱見巖姿露。拘悶出門遊,曠經目趣。

(秋の長雨で、瀼西の自宅草堂にこもって感じたことを述べる。)

瀼西の山にふる雨は石地の土地のため泥とはならないし、長江の雲はうすく霧にそまる。晴れ間には、嶺のなかごろに鶴が飛ぶ。風が吹くと沙はらの樹木ががさがさと騒ぎ乱れる。中洲のあたりをてらす日光は明るくなったり消えたりし、巌石の姿は見えたり隠れたりする。こんなことで門外へ出てあそぶことが限られるので気が滅入ってしまう。こんなことで幾日もはればれとした眺望をしたことがない。 

杜少陵集19-23-#1

  #1

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7487

杜甫詩index-15-

767年大暦256 12  #1

1168 <1618

 

 
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  孟郊 張籍          
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杜甫詩1500-1168-1618/2500 767年大暦256-(12)-#1 19-23 雨 (山雨不作埿,)


作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二一 

文體:

五言古詩

杜少陵集 

19-23

 

 

詩題:

序文

 

作地點:

奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:

洞庭湖 (江南西道 岳州 岳州) 別名:洞庭

交遊人物:

 

 

 

 

 

雨 #1

(秋の長雨で、瀼西の自宅草堂にこもって感じたことを述べる。)

山雨不作埿,江雲薄為霧。

瀼西の山にふる雨は石地の土地のため泥とはならないし、長江の雲はうすく霧にそまる。

晴飛半嶺鶴,風亂平沙樹。

晴れ間には、嶺のなかごろに鶴が飛ぶ。風が吹くと沙はらの樹木ががさがさと騒ぎ乱れる。

明滅洲景微,隱見巖姿露。

中洲のあたりをてらす日光は明るくなったり消えたりし、巌石の姿は見えたり隠れたりする。

拘悶出門遊,曠經目趣。

こんなことで門外へ出てあそぶことが限られるので気が滅入ってしまう。こんなことで幾日もはればれとした眺望をしたことがない。 

(雨)#1

山雨埿を作さす、江雲薄く霧を為す。

晴には飛ぶ半嶺の鶴、風には亂る平沙の樹。

明滅洲景微なら、隠見巌姿露る。

拘せられて悶す出門の遊、曠なり曠目の趣。 

#2

消中日伏枕,臥久塵及屨。

自分は糖尿病など持病で日日枕に伏しており、それも、ながながしく臥せっているので履にも塵が厚く及んでいる。

豈無平肩輿,莫辨望路。

肩輿がないわけでもないが、それで、出かけてみても故郷への道路をながめても、歸る路がわきまることもできないのである。

兵戈浩未息,蛇虺反相顧。

久しく兵乱が終わらないので、家族の消息はとどかないけれど、そのかわりに、蛇やまむしがたずねできてくれる。

悠悠邊月破,鬱鬱流年度。 

いたずらに、長長とこの邊境の月の欠けてゆくのをみるばかりであって、思い沈んでさかんに多く流れる年がすぎ去ってゆく。

#2

消中 日びに枕に伏し,臥 久しくして 塵 屨に及ぶ。

豈に 平肩輿無らんや,辨ずる莫し 望路を。

兵戈 浩として 未だ息まず,蛇虺【だき】反って相い顧る。

悠悠 邊月破り,鬱鬱 流年度る。 

#3

針灸阻朋曹,糠對童孺。

一命須屈色,新知漸成故。

窮荒益自卑,飄泊欲誰訴。

羸愁應接,俄頃恐違迕。

#4

浮俗何萬端,幽人有獨步。

龐公竟獨往,尚子終罕遇。

宿留洞庭秋,天寒瀟湘素。

杖策可入舟,送此齒髮暮。

 

長江三峡 

『雨』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

雨 #1

山雨不作埿,江雲薄為霧。

晴飛半嶺鶴,風亂平沙樹。

明滅洲景微,隱見巖姿露。

拘悶出門遊,曠經目趣

2

消中日伏枕,臥久塵及屨。

豈無平肩輿,莫辨望路。

兵戈浩未息,蛇虺反相顧。

悠悠邊月破,鬱鬱流年度。
 

(下し文)
(雨)#1

山雨埿を作さす、江雲薄く霧を為す。

晴には飛ぶ半嶺の鶴、風には亂る平沙の樹。

明滅洲景微なら、隠見巌姿露る。

拘せられて悶す出門の遊、曠なり曠目の趣。 
#2

消中 日びに枕に伏し,臥 久しくして 塵 屨に及ぶ。

豈に 平肩輿無らんや,辨ずる莫し 望路を。

兵戈 浩として 未だ息まず,蛇虺【だき】反って相い顧る。

悠悠 邊月破り,鬱鬱 流年度る。 


(現代語訳)
(雨)#1(秋の長雨で、瀼西の自宅草堂にこもって感じたことを述べる。)

瀼西の山にふる雨は石地の土地のため泥とはならないし、長江の雲はうすく霧にそまる。

晴れ間には、嶺のなかごろに鶴が飛ぶ。風が吹くと沙はらの樹木ががさがさと騒ぎ乱れる。

中洲のあたりをてらす日光は明るくなったり消えたりし、巌石の姿は見えたり隠れたりする。

こんなことで門外へ出てあそぶことが限られるので気が滅入ってしまう。こんなことで幾日もはればれとした眺望をしたことがない。 

#2

自分は糖尿病など持病で日日枕に伏しており、それも、ながながしく臥せっているので履にも塵が厚く及んでいる。

肩輿がないわけでもないが、それで、出かけてみても故郷への道路をながめても、歸る路がわきまることもできないのである。

久しく兵乱が終わらないので、家族の消息はとどかないけれど、そのかわりに、蛇やまむしがたずねできてくれる。

いたずらに、長長とこの邊境の月の欠けてゆくのをみるばかりであって、思い沈んでさかんに多く流れる年がすぎ去ってゆく。

紅梅201
(訳注)

 #1

(秋の長雨で、瀼西の自宅草堂にこもって感じたことを述べる。)

雨のときの感をのべたる詩。峡を出でて荊州・瀟湘の地に入らんと欲する意をいったもの。大暦二年秋の作。この年、吐蕃が冦し、邠州、靈州、京師は戒嚴する。これによって、云兵戈が浩して未だ息むことがない。

 

山雨不作埿,江雲薄為霧。

瀼西の山にふる雨は石地の土地のため泥とはならないし、長江の雲はうすく霧にそまる。

2 不作埿 石地の土地であること。

 

晴飛半嶺鶴,風亂平沙樹。

晴れ間には、嶺のなかごろに鶴が飛ぶ。風が吹くと沙はらの樹木ががさがさと騒ぎ乱れる。

半嶺 嶺の中腹をさす。

唐、太宗《秋日,二首之一》

菊散金風起, 荷疏玉露圓。 將秋數行雁, 離夏幾林蟬。

雲凝愁半嶺, 霞碎纈高天。 還似成都望, 直見峨眉前。

菊は散る 金風起きる, 荷は疏る 玉露の圓。 將に秋 數ば行雁し, 離夏 幾ぞ林蟬。

雲は凝す 半嶺を愁い, 霞は碎る 高天に纈す。 還た似る 成都の望, 直に見る 峨眉の前。

 

明滅洲景微,隱見巖姿露。

中洲のあたりをてらす日光は明るくなったり消えたりし、巌石の姿は見えたり隠れたりする。

3 洲景微 景は日光。中洲のあたりをてらす日光。

 

拘悶出門遊,曠經目趣。

こんなことで門外へ出てあそぶことが限られるので気が滅入ってしまう。こんなことで幾日もはればれとした眺望をしたことがない。 

4 拘悶出門遊 遊びを拘せらるるにより悶えるをいうのであろう。

5 曠 ひさしく絶つ。

6 經目趣 目を經る趣とは、晴れた景色を眺望するさま。

 

 

#2

消中日伏枕,臥久塵及屨。

自分は糖尿病など持病で日日枕に伏しており、それも、ながながしく臥せっているので履にも塵が厚く及んでいる。

7 消中 消渴病。糖尿病の三徴とは多尿、多飲、口渇の症状があった。この時期の詩から、これに、喘息、リュウマチの症状がうかがえる。

 

豈無平肩輿,莫辨望路。

肩輿がないわけでもないが、それで、出かけてみても故郷への道路をながめても、歸る路がわきまることもできないのである。

8 平肩輿 肩で担ぐみこし。杜甫《》「我有平肩輿,前途猶準的。」(我に平肩の輿有り,前途 猶お 准的なり。)役に立たない馬なら、いっそのこと、自分には人肩でかついでくれる輿がよいだろう。これならば、何とか遊覧という我がめざす的にすることができる前途となるだろう。

767年-5-#6杜甫 《20-98 鄭典設自施州歸》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-5-#6 <1068 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7020

9 辨 辯/瓣 [訓]わきまえる① 是非・善悪を区別する。わきまえる。② けじめをつけて処理する。 弁当。④ 理屈

 

兵戈浩未息,蛇虺反相顧。

久しく兵乱が終わらないので、家族の消息はとどかないけれど、そのかわりに、蛇やまむしがたずねできてくれる。

10 浩 はるかに、久しく。

11 蛇虺 蛇、虺もへび、まむしの類。

 

悠悠邊月破,鬱鬱流年度。

いたずらに、長長とこの邊境の月の欠けてゆくのをみるばかりであって、思い沈んでさかんに多く流れる年がすぎ去ってゆく。

12 邊月破 邊月とは邊境の月、夔州の、この地の月をいう。破とは満月の後にかけてゆくことをいう。時が過ぎてゆく場合の表現、葉が落ちる、などと同じ。蔡琰 胡笳 夜夜吹邊月三沈。漢魏・蔡琰(蔡文姫)の『胡笳十八拍』(の十拍)

城頭烽火不曾滅,疆場征戰何時歇。

殺氣朝朝衝塞門,胡風夜夜吹邊月。

故鄕隔兮音塵絶,哭無聲兮氣將咽。

一生辛苦兮縁別離,十拍悲深兮涙成血。

城頭の烽火 曾て滅えず,疆場の征戰 何れの時にか 歇まん。

殺氣は朝朝 塞門を衝き,胡風は夜夜 邊月に吹く。

故鄕隔てて 音塵絶え,哭けど聲無く 氣將に咽んとす。

一生の辛苦は 別離に縁り,十拍 悲しみ 深くして涙は血と 成る。

城頭の烽火は、消えたことがなく。辺疆での征戦は、いつやむのだろうか。

殺気は、朝ごとに要塞の門を衝き。胡地を吹き渡る風は夜毎に辺疆の月影に吹き。

故郷とは隔たってしまい、世間との交際は絶えてしまった。声に出して泣こうにも、声は出なく、息もつかえようとする。

一生の苦労は別離に起因する。十拍、悲しみが深いあまり、涙が血になってしまった。

13 鬱鬱 1 心の中に不安や心配があって思い沈むさま。「―として日を過ごす」2 草木がよく茂っているさま。さかんなる貌。

14 流年度 流れゆく年月が経過する。

 

 

  

鶴注此當是大厯二年作時 欲下峽入湘也年吐蕃冦邠靈州京師戒嚴故云兵戈浩未息

山雨不作泥、一作/江雲薄為霧。晴飛半嶺鶴、風亂平沙樹。

明滅洲景微、隱見/巖姿露。拘悶出門遊、曠絶經目趣。

首從雨景發端言三四承雨五六承霧本以拘悶而/看雨。故下文皆 悶意 禽經云鶴愛陽而惡隂因晴暫飛見雨中止故飛在半/ 唐太宗詩雲凝愁半嶺

消中日伏枕、卧塵及屨。叶去/豈無平肩輿、莫辯望路。

一作/戈浩未息蛇虺反相顧。悠悠邊月破、鬱鬱流年度。

此旅人流落而悶也/ 既不可見而且阻兵戈近侵蛇孽則託處荒山亦空伴月耳詩/趙曰王子猷聞顧辟疆有名園乗平肩輿而徑入維虺維蛇月 蔡琰 胡笳 夜夜吹邊月三 沈佺期詩/頻破月破月殘也公詩二月巳破 月來 王筠詩握髓駐/流年

針灸/阻朋曹糠、胡骨切/一作覈對童孺。一命須屈色、新知漸成故。

窮荒益自卑。飄泊欲誰訴、尫羸愁應接、俄頃恐違一作/迕。

此人情浮薄而悶也知對一命而屈/色則自卑不可為新 久而厭故則有懷將誰訴况疎於應接又易遭違忤所以阻朋曹而/對童孺也 杜臆一命指他人舊云公受郎官之命非是也漢書陳平傳亦食糠覈耳孟康曰覈麥糠中未破/ 晉灼曰覈音紇京師人謂粗屑為紇頭 窮荒猶云絶塞規曹植白鶴/賦傷本 之違忤

浮俗何萬端、幽人有高一作/歩。公竟獨徃、尚子終罕遇。

宿先就/力就/洞庭、秋天寒瀟湘。素杖策可入舟送此齒髮暮

末欲出峽以豁拘悶也/ 澆俗難與處唯追步幽人彼洞庭瀟湘之問扁舟送老是所願也明年/公果下峽而去 此章四段各八句 阮瑀書情巧萬端細左思詩高步追許由逸淮南子江海之士山谷之/ 萬物而獨徃 後漢 民傳尚長字子平隱居不仕敕斷家事與禽慶俱遊五嶽名山竟不知所終秋漢/郊祀志宿留海上注宿留謂有所須待也 洞庭 瀟湘素此拆用素秋二字言左思詩杖策/招隱士説文杖持也方 木細枝曰策

767年-(11)杜少陵集 《暮春》18-49 杜甫詩index-15-1167 <1617> 767年大暦2年56歲-(11) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7482

杜甫  暮春

臥病擁塞在峽中,瀟湘洞庭虛映空。

楚天不斷四時雨,巫峽常吹千里風。

沙上草閣柳新暗,城邊野池蓮欲紅。 

暮春鴛鷺立洲渚,挾子翻飛還一叢。 

(意は是久しく峽中に卧していて、少々嫌気をもよおしてきて、春の碁について詠める詩。)

自分は病に臥して三峡の峡谷の中に擁塞せられて峡中にとどまっているので、瀟湘や洞庭はむなしく空に映じて臨みみるだけである。

ここの楚地の天では四季の雨が断えたことはなく、巫峡ではいつも萬里の遠くからの強い風が吹いている。(出港の機会が少ない)

このごろは沙上のほとり、草閣にも柳が新たに鬱蒼として暗く茂りかけているし、温暖地方の城邊の野池では蓮が紅に咲こうとしている。

春のくれにあたって鴛鴦や白鷺が洲や渚に立っているが、それがまた子をひきつれてひとつの叢へとひるがへり飛ぶのが見える。

杜少陵集18-50

遣悶戲呈路十九曹長

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7477

杜甫詩index-15

767年大暦256  (10)

1166 <1616

 

 
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杜甫詩1500-1167-1617/2500            767年大暦256-(11)        18-49     暮春

詩友の柏茂琳の配慮によって、少し安定した気持ちで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣がある。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出したものである。

1

18-41

立春

2

18-42

江梅

3

18-43

庭草

4

18-45

王十五前閣會

5

15-16

老病

6

18-46

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

7

18-44

8

18-48

晝夢

9

18-47

遣悶戲呈路十九曹長

10

18-50

即事

11

18-49

暮春

12

19-23

雨  (山雨不作埿,)

13

15-58

卷一五58  晴二首其一

14

15-59

卷一五59  晴二首其二

15

18-51

懷灞上遊

16

18-84

月,三首之一

17

18-85

月,三首之二

18

18-86

月,三首之三

 

 

杜甫詩1500-1167-1617/2500           767年大暦256-(11)18-49   暮春

作時年:

767

大暦2

56

卷別:

全唐詩 卷230_47

文體:

七言律詩

 

杜少陵集 巻18-49

 

 

詩題:

暮春

序文・原註

 

作地點:

瀼西(山南東道 / 夔州 / 瀼西)

 

 

及地點:

西閣 

瀟湘

洞庭 

交遊人物:

 

 

 

 

230_47 《暮春》杜甫  

暮春

(意は是久しく峽中に卧していて、少々嫌気をもよおしてきて、春の碁について詠める詩。)

臥病擁塞在峽中,瀟湘洞庭虛映空。

自分は病に臥して三峡の峡谷の中に擁塞せられて峡中にとどまっているので、瀟湘や洞庭はむなしく空に映じて臨みみるだけである。

楚天不斷四時雨,巫峽常吹千里風。

ここの楚地の天では四季の雨が断えたことはなく、巫峡ではいつも萬里の遠くからの強い風が吹いている。(出港の機会が少ない)

沙上草閣柳新暗,城邊野池蓮欲紅。 

このごろは沙上のほとり、草閣にも柳が新たに鬱蒼として暗く茂りかけているし、温暖地方の城邊の野池では蓮が紅に咲こうとしている。

暮春鴛鷺立洲渚,挾子翻飛還一叢。 

春のくれにあたって鴛鴦や白鷺が洲や渚に立っているが、それがまた子をひきつれてひとつの叢へとひるがへり飛ぶのが見える。

(暮春)

病に臥して擁塞せられ 峽中に在り,瀟湘、洞庭 虛しく空に映ず。

楚天 斷えず四時の雨,巫峽 常に吹く 千里の風。

沙上の草閣 柳 新たに暗く,城邊の野池 蓮 紅ならんと欲す。

暮春 鴛鷺 洲渚に立つ,子を挾みて 翻飛す 還た一叢。

ゆりかもめ000 

『暮春』現代語訳と訳註解説
(
本文)

暮春

臥病擁塞在峽中,瀟湘洞庭虛映空。

楚天不斷四時雨,巫峽常吹千里風。

沙上草閣柳新暗,城邊野池蓮欲紅。

暮春鴛鷺立洲渚,挾子翻飛還一叢。

(下し文)
(暮春)

病に臥して擁塞せられ 峽中に在り,瀟湘、洞庭 虛しく空に映ず。

楚天 斷えず四時の雨,巫峽 常に吹く 千里の風。

沙上の草閣 柳 新たに暗く,城邊の野池 蓮 紅ならんと欲す。

暮春 鴛鷺 洲渚に立つ,子を挾みて 翻飛す 還た一叢。

(現代語訳)
暮春(意は是久しく峽中に卧していて、少々嫌気をもよおしてきて、春の碁について詠める詩。)

自分は病に臥して三峡の峡谷の中に擁塞せられて峡中にとどまっているので、瀟湘や洞庭はむなしく空に映じて臨みみるだけである。

ここの楚地の天では四季の雨が断えたことはなく、巫峡ではいつも萬里の遠くからの強い風が吹いている。(出港の機会が少ない)

このごろは沙上のほとり、草閣にも柳が新たに鬱蒼として暗く茂りかけているし、温暖地方の城邊の野池では蓮が紅に咲こうとしている。

春のくれにあたって鴛鴦や白鷺が洲や渚に立っているが、それがまた子をひきつれてひとつの叢へとひるがへり飛ぶのが見える。

hasu005
(訳注) 

暮春

(意は是久しく峽中に卧していて、少々嫌気をもよおしてきて、春の碁について詠める詩。)大暦二年春の作玩詩。

 

臥病擁塞在峽中,瀟湘洞庭虛映空。

自分は病に臥して三峡の峡谷の中に擁塞せられて峡中にとどまっているので、瀟湘や洞庭はむなしく空に映じて臨みみるだけである。

1 臥病の句 杜甫は、春には山峡を下って荊州、洞庭湖方面に旅立つ予定をしていた。それが持病が悪化し、その上雨の日が多く、舟を出すことができない、病気と天候によって妨げることの表現で、「卧病擁塞」といった。

2 瀟湘洞庭の句 則瀟湘不可到而虚/此映空水色矣。 瀟湘:湖南省、瀟水と湘水が洞庭湖に注ぐあたりの地方。洞庭湖:湖南省北東部にある淡水湖。中国の淡水湖としては鄱陽湖に次いで2番目に大きい。全体的に浅く、長江と連なっていて、その大量の水の受け皿となっており、季節ごとにその大きさが変わる。

梁簡文帝採桑詩「春色映空來。先發院邊梅。」

楚天不斷四時雨,巫峽常吹千里風。

ここの楚地の天では四季の雨が断えたことはなく、巫峡ではいつも萬里の遠くからの強い風が吹いている。(出港の機会が少ない)

3 四時雨 杜甫は、一年通して、床に臥す生活をしていた、四季を通じて雨が多かったことを言う。雨後は三峡の水量増加によって航行ができなかったことを言う。

 

沙上草閣柳新暗,城邊野池蓮欲紅。 

このごろは沙上のほとり、草閣にも柳が新たに鬱蒼として暗く茂りかけているし、温暖地方の城邊の野池では蓮が紅に咲こうとしている。

4 柳新暗 風雨のため愁い、旅立てないために悶えが増してきて、やなぎがうっそうとしてくらくしげる、蓮紅は、夔州の地は暖いので、はうあいきせつで、蓮の花が紅く咲く。

 

暮春鴛鷺立洲渚,挾子翻飛還一叢。 

春のくれにあたって鴛鴦や白鷺が洲や渚に立っているが、それがまた子をひきつれてひとつの叢へとひるがへり飛ぶのが見える。

5 鴛鷺立洲渚 鴛鴦と白鷺はつがいの鳥であり、山水詩の常套であり、牧歌的な光景である。魏文帝《短歌行》 「翩翩飛鳥,挾子巢棲。」

6 一叢 一塊になっている草むら。北周.庾信《春賦》:「一叢香草足礙人,數尺遊絲即橫路。」比忠貞的人。見「香草美人」條。蘭草的別名。見「蘭草」條。

767年-(10)杜少陵集 《即事》18-50 杜甫詩index-15-1166 <1616> 767年大暦2年56歲-(10) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7477

杜甫  即事

暮春三月巫峽長,皛皛行雲浮日光。雷聲忽送千峰雨,花氣渾如百和香。

黃鶯過水翻回去,燕子銜泥濕不妨。飛閣捲簾圖畫裏,虛無只少對瀟湘。 

(三峽中の夔州、西閣にあって、春景色の中、折に触れて心に感じること、峡谷の地を去ってゆきたいという思いを詠う。)

春のくれの三月に巫峡が長く横たわっている。そこへきらきらと行く雲が日光を浮べてとおりすぎる。急に雷が鳴り出して千峰の雨が送りこされる、花の気はまるで百和の香かなどの様である。黄鶯は、雨の池の水上をとおりかけて、また、もどって行くし、燕子は泥をくわえて潤わせてもさしつかえなしという風である。自分は飛閣で図画の様な美しい景色のなかで簾を巻きあげてながめているが、このとき残念におもはいるのはこの虚無標緲たるなかに瀟湘の景色にうちむかうことをかいているということである。

杜少陵集18-50

即   事

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7477

杜甫詩index-15

767年大暦256  (10)

1166 <1616

 

 

 

杜甫詩1500-1166-1616/2500            767年大暦256-(10)        18-50     即事

詩友の柏茂琳の配慮によって、少し安定した気持ちで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣がある。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出したものである。

1

18-41

立春

2

18-42

江梅

3

18-43

庭草

4

18-45

王十五前閣會

5

15-16

老病

6

18-46

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

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晝夢

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18-47

遣悶戲呈路十九曹長

10

18-50

即事

11

18-49

暮春

12

19-23

雨  (山雨不作埿,)

13

15-58

卷一五58  晴二首其一

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卷一五59  晴二首其二

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18-51

懷灞上遊

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18-84

月,三首之一

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月,三首之二

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18-86

月,三首之三

 

 

杜甫詩1500-1166-1616/2500         

767年大暦256-(10) 18-50     即事

作時年:

767

大暦2

56

卷別:

全唐詩 卷231_19

文體:

七言律詩

 

杜少陵集 巻18-50

 

 

詩題:

即事

序文・原註

 

作地點:

瀼西(山南東道 / 夔州 / 瀼西)

 

 

及地點:

西閣 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

231_19 《即事》杜甫 

杜少陵集18-50 即事

暮春三月巫峽長,皛皛行雲浮日光。

雷聲忽送千峰雨,花氣渾如百和香。

黃鶯過水翻回去,燕子銜泥濕不妨。 

飛閣捲簾圖畫裏,虛無只少對瀟湘。 

(三峽中の夔州、西閣にあって、春景色の中、折に触れて心に感じること、峡谷の地を去ってゆきたいという思いを詠う。)

春のくれの三月に巫峡が長く横たわっている。そこへきらきらと行く雲が日光を浮べてとおりすぎる。

急に雷が鳴り出して千峰の雨が送りこされる、花の気はまるで百和の香かなどの様である。

黄鶯は、雨の池の水上をとおりかけて、また、もどって行くし、燕子は泥をくわえて潤わせてもさしつかえなしという風である。

自分は飛閣で図画の様な美しい景色のなかで簾を巻きあげてながめているが、このとき残念におもはいるのはこの虚無標緲たるなかに瀟湘の景色にうちむかうことをかいているということである。

(即事)

暮春三月巫峽長し,皛皛たる行雲 日光を浮ぶ。

雷聲 忽ち送る 千峰の雨,花氣 渾て百和の香の如し。

黃鶯 水を過ぎて翻りて回り去る,燕子 泥を銜みて濕うも妨げず。

飛閣 簾を捲く 圖畫の裏,虛無 只だ少く 瀟湘に對するを。

miyajima594 

『即事』現代語訳と訳註解説
(
本文)

即事

暮春三月巫峽長,皛皛行雲浮日光。

雷聲忽送千峰雨,花氣渾如百和香。

黃鶯過水翻回去,燕子銜泥濕不妨。

飛閣捲簾圖畫裏,虛無只少對瀟湘。

(下し文)
(即事)

暮春三月巫峽長し,皛皛たる行雲 日光を浮ぶ。

雷聲 忽ち送る 千峰の雨,花氣 渾て百和の香の如し。

黃鶯 水を過ぎて翻りて回り去る,燕子 泥を銜みて濕うも妨げず。

飛閣 簾を捲く 圖畫の裏,虛無 只だ少く 瀟湘に對するを。

(現代語訳)
即事(三峽中の夔州、西閣にあって、春景色の中、折に触れて心に感じること、峡谷の地を去ってゆきたいという思いを詠う。)

春のくれの三月に巫峡が長く横たわっている。そこへきらきらと行く雲が日光を浮べてとおりすぎる。

急に雷が鳴り出して千峰の雨が送りこされる、花の気はまるで百和の香かなどの様である。

黄鶯は、雨の池の水上をとおりかけて、また、もどって行くし、燕子は泥をくわえて潤わせてもさしつかえなしという風である。

自分は飛閣で図画の様な美しい景色のなかで簾を巻きあげてながめているが、このとき残念におもはいるのはこの虚無標緲たるなかに瀟湘の景色にうちむかうことをかいているということである。


(訳注) 

即事

(三峽中の夔州、西閣にあって、春景色の中、折に触れて心に感じること、峡谷の地を去ってゆきたいという思いを詠う。)大暦二年春の作。

 

暮春三月巫峽長,皛皛行雲浮日光。

春のくれの三月に巫峡が長く横たわっている。そこへきらきらと行く雲が日光を浮べてとおりすぎる。

1 皛皛 ともに明るいさま。白く明るい貌。

陶淵明:

辛丑歳七月赴假還江陵夜行塗口(辛丑の歳、七月 假還するに赴く、江陵夜行の塗口)

閒居三十載,遂與塵事冥。

閑居すること三十載、遂に塵事と冥し。

詩書敦夙好,園林無世情。

詩書 宿好を敦くし、林園 世情なし。

如何舍此去,遙遙至西荊!

如何ぞ 此を舍て去り、遙遙として西荊に至るや。

叩栧新秋月,臨流友生。

櫂を新秋の月に叩き、流に臨んで友生と別る。

涼風起將夕,夜景湛虛明。

良風 將に夕ならんとするに起り、夜景 虚明を湛ふ。

昭昭天宇闊,皛皛川上平。

昭昭として天宇闊く、皛皛として川上平らかなり。

懷役不遑寐,中宵尚孤征。

役を懷ひて寐ぬるに遑あらず、中宵 尚孤り征く。

商歌非吾事,依依在耦耕。

商歌は吾が事にあらず、依依たるは躬耕にあり。

投冠旋舊墟,不為好爵縈。

冠を投じて舊墟に旋り、 好爵の爲に繋がれざらん。

養真衡茅下,庶以善自名。

眞を衡茅の下に養ひ、庶くは善を以て自ら名づけん。

辛丑の歳といえば隆安五年(401)、陶淵明37歳。前年には桓玄に仕え、その任務を帯びて都に赴いたりしている。この年の前半には休暇をとって家でくつろいでいたようである。この詩は、休暇を終えて江陵へ赴く途上の作。(赴假は休暇を終えて帰任すること)当時江陵には、荊州刺史桓玄の本拠があった。尋陽を発った陶淵明は、武漢の西約50キロの地点にある塗口を通り過ぎた際にこの詩を作った。めざす江陵(荊州)までは更に200キロほど進まねばならない。淵明はここで、待ち受けている任務のつらさと、あとに残してきた田園の生活を対比させながら、ふたたびもとの生活にもどることをあこがれている。

30年もの間、閑居して俗世間とは無縁な生活を送ってきた。それが今になって、田園の生活を捨て、はるばる西の荊州まで行かねばならない。

新秋に舟を漕ぎ出し友人らと別れれば、良風が吹き渡り、水面には夜の空が映し出される。天も川も行く手を照らして明るい(昭昭皛皛はともに明るいさま)。待ち受ける任務を思うと寝られないほどだ、深夜なお孤独な旅を続けねばならない。

自分を売り込むようなマネはしたくはない、(商歌は淮南子にある故事、商歌を歌って権力者に取り立てられたことから、自分を売り込むことのたとえ)本当に望んでいるのは?耕(仲間とともに耕すこと)だ。辞職して家に帰りたい、地位などなんだ、あばら家でもいい、そこで真を養い、善と呼びうるような人になりたいものだ。

 

雷聲忽送千峰雨,花氣渾如百和香。

急に雷が鳴り出して千峰の雨が送りこされる、花の気はまるで百和の香かなどの様である。

2 百和香 いろいろの材料なまぜわせた香り。

 

黃鶯過水翻回去,燕子銜泥濕不妨。 

黄鶯は、雨の池の水上をとおりかけて、また、もどって行くし、燕子は泥をくわえて潤わせてもさしつかえなしという風である。

3 過水翻回 西閣の雨の池の水上をとおりかけて、また、もどって行くし、雨がまた降るのかと恐れて翻るということ。

4 燕子銜泥 燕子は泥をくちにくわえる。杜少陵集に使う。

卷三40

去矣行

焉能作堂上燕,銜泥附炎熱。

卷九65

句漫興九首其三

銜泥點琴書,更接飛蟲打著人。

11- 70

春日梓州登樓二首其一

雙雙新燕子,依舊已銜泥。

12-09

雙燕

旅食驚雙燕,銜泥入北堂。

14-47

赤霄行

江中淘河嚇飛燕,銜泥卻落羞華屋。

18-50

即事

黃鶯過水翻迴去,燕子銜泥濕不妨。

23-34

燕子來舟中作

湖南為客動經春,燕子銜泥兩度新。

 

飛閣捲簾圖畫裏,虛無只少對瀟湘。 

自分は飛閣で図画の様な美しい景色のなかで簾を巻きあげてながめているが、このとき残念におもはいるのはこの虚無標緲たるなかに瀟湘の景色にうちむかうことをかいているということである。

5 圖畫裏 図画の様な美しい景色のなかにいる。

6 虛無 むなしくひろい貌、雨の降る、どんよりとしたさまを言う。。

7 對瀟湘 杜甫は、此処でも山峡を下って、荊州、洞庭湖、瀟湘八景の方へ行きたい気持ちを表す。
楊貴妃清華池002 

767年-(9)杜少陵集 《遣悶戲呈路十九曹長》18-47 杜甫詩index-15-1165 <1615> 767年大暦2年56歲-(9)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7472

杜甫  遣悶戲呈路十九曹長

江浦雷聲喧昨夜,春城雨色動微寒。黃鸝並坐交愁濕, 白鷺群飛大劇幹。

晚節漸於詩律細,誰家數去酒杯寬。惟吾最愛清狂客,百遍相看意未闌。 

(雨に降られて行動がとれなかった、その悶を遣るために作った詩。戯れに路曹長にたてまつった。)  昨夜は江浦でなる雷の聾がやかましかった。そうして今日は春の城の雨の様子が薄寒をもよおしている。樹の上では高麗鶯がならんで坐ってこもごも雨で湿ったこの頃のことを心配している様だし、水際では白鷺がむらがり飛んで濡れた羽を干すにいそがしそうである。自分は晩年になってしだいに詩の規則に精細になって、高次元のものになってきた、だから、だれの家にかたびたびでかけて大きな酒盃を振舞はれようか。君だけは自分如き清狂の客を最も愛しでくれられる、だからこの地に来て作った百篇の詩を順次見ていただいても、まだおもしろみが尽きたとはおもはれないし、作詩の意気は尽きることないのである。

杜少陵集18-47

遣悶戲呈路十九曹長

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7472 

杜甫詩index-15

767年大暦256  (9)

1165 <1615

 

 

 
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杜甫詩1500-1163-1613/2500   767年大暦256-(7)

詩友の柏茂琳の配慮によって、少し安定した気持ちで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣がある。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出したものである。

1

18-41

立春

2

18-42

江梅

3

18-43

庭草

4

18-45

王十五前閣會

5

15-16

老病

6

18-46

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

7

18-44

8

18-48

晝夢

9

18-47

遣悶戲呈路十九曹長

10

18-50

即事

11

18-49

暮春

12

19-23

雨  (山雨不作埿,)

13

15-58

卷一五58  晴二首其一

14

15-59

卷一五59  晴二首其二

15

18-51

懷灞上遊

16

18-84

月,三首之一

17

18-85

月,三首之二

18

18-86

月,三首之三

 

 

杜甫詩1500-1165-1615/2500

767年大暦256-(9)

作時年:

767

大暦2

56

卷別:

全唐詩 卷234_31

文體:

七言律詩

 

杜少陵集 巻18-47

 

 

詩題:

遣悶戲呈路十九曹長

序文・原註

 

作地點:

瀼西(山南東道 / 夔州 / 瀼西)

 

 

及地點:

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

遣悶戲呈路十九曹長

(雨に降られて行動がとれなかった、その悶を遣るために作った詩。戯れに路曹長にたてまつった。)

江浦雷聲喧昨夜,春城雨色動微寒。

昨夜は江浦でなる雷の聾がやかましかった。そうして今日は春の城の雨の様子が薄寒をもよおしている。

黃鸝並坐交愁濕,白鷺群飛大劇幹。

樹の上では高麗鶯がならんで坐ってこもごも雨で湿ったこの頃のことを心配している様だし、水際では白鷺がむらがり飛んで濡れた羽を干すにいそがしそうである。

晚節漸於詩律細,誰家數去酒杯寬。

自分は晩年になってしだいに詩の規則に精細になって、高次元のものになってきた、だから、だれの家にかたびたびでかけて大きな酒盃を振舞はれようか。

惟吾最愛清狂客,百遍相看意未闌。 

君だけは自分如き清狂の客を最も愛しでくれられる、だからこの地に来て作った百篇の詩を順次見ていただいても、まだおもしろみが尽きたとはおもはれないし、作詩の意気は尽きることないのである。

 

(悶を遣る、戲れに路十九曹長に呈す。)

江浦の雷聲 昨夜に喧し,春城の雨色 微寒を動かす。

黃鸝 並び坐して交ごも 濕うことを愁い,白鷺 群飛して大いに幹すに劇【あわただ】し。

晚節 漸く詩律に於て細なり,誰が家にか 數しば去って 酒杯寬ならん。

惟だ吾 最も愛す 清狂の客,百遍相い看る 意 未だ闌ならず。

 

夔州三峡 

『遣悶戲呈路十九曹長』現代語訳と訳註解説
(
本文)

遣悶戲呈路十九曹長

江浦雷聲喧昨夜,春城雨色動微寒。

黃鸝並坐交愁濕,白鷺群飛大劇幹。

晚節漸於詩律細,誰家數去酒杯寬。

惟吾最愛清狂客,百遍相看意未闌。

(下し文)
(悶を遣る、戲れに路十九曹長に呈す。)

江浦の雷聲 昨夜に喧し,春城の雨色 微寒を動かす。

黃鸝 並び坐して交ごも 濕うことを愁い,白鷺 群飛して大いに幹すに劇【あわただ】し。

晚節 漸く詩律に於て細なり,誰が家にか 數しば去って 酒杯寬ならん。

惟だ吾 最も愛す 清狂の客,百遍相い看る 意 未だ闌ならず。

(現代語訳)
遣悶戲呈路十九曹長(雨に降られて行動がとれなかった、その悶を遣るために作った詩。戯れに路曹長にたてまつった。)

昨夜は江浦でなる雷の聾がやかましかった。そうして今日は春の城の雨の様子が薄寒をもよおしている。

樹の上では高麗鶯がならんで坐ってこもごも雨で湿ったこの頃のことを心配している様だし、水際では白鷺がむらがり飛んで濡れた羽を干すにいそがしそうである。

自分は晩年になってしだいに詩の規則に精細になって、高次元のものになってきた、だから、だれの家にかたびたびでかけて大きな酒盃を振舞はれようか。

君だけは自分如き清狂の客を最も愛しでくれられる、だからこの地に来て作った百篇の詩を順次見ていただいても、まだおもしろみが尽きたとはおもはれないし、作詩の意気は尽きることないのである。

瞿塘峡・白帝城・魚復
(訳注) 

遣悶戲呈路十九曹長

(雨に降られて行動がとれなかった、その悶を遣るために作った詩。戯れに路曹長にたてまつった。)

1 路十九曹長 路は拾遺と為る。院、西省(中書省)に在り、故に曺長と曰う。

2 この詩 大暦二年春の作。杜甫は、兩切州に公し、大厯元年の春に於て夔州に至り、夔州の中では数件の家を持ち、順次移居した、そして、夔州において、百遍の詩を作ったので、この詩を作った。夔州に来て一年目、大暦二年の春に作ったものである。

 

江浦雷聲喧昨夜,春城雨色動微寒。

昨夜は江浦でなる雷の聾がやかましかった。そうして今日は春の城の雨の様子が薄寒をもよおしている。

 

黃鸝並坐交愁濕,白鷺群飛大劇幹。

樹の上では高麗鶯がならんで坐ってこもごも雨で湿ったこの頃のことを心配している様だし、水際では白鷺がむらがり飛んで濡れた羽を干すにいそがしそうである。

3 黃鸝 高麗鶯をいい、動物界脊索動物門鳥綱スズメ目コウライウグイス科に分類される鳥。

4 大劇幹 幹は干。濡れた羽を干すにいそがしそうである。

 

晚節漸於詩律細,誰家數去酒杯寬。

自分は晩年になってしだいに詩の規則に精細になって、高次元のものになってきた、だから、だれの家にかたびたびでかけて大きな酒盃を振舞はれようか。

5 詩律細 詩の規則に精細になっていくことをいう。

6 酒杯寬 酒を飲むのに杯を酌み交わすことに寛容である。寬は酒の量が多大であることを言う。詩人の詩をその家の壁に題したり、したためてもらうことが自慢なことであったから、酒やご馳走をふるまったことをしめす。

 

惟吾最愛清狂客,百遍相看意未闌。

君だけは自分如き清狂の客を最も愛しでくれられる、だからこの地に来て作った百篇の詩を順次見ていただいても、まだおもしろみが尽きたとはおもはれないし、作詩の意気は尽きることないのである。

7 客 清廉で詩づくりに専ら専心している飄蓬の旅人。

8 相看 この地に来て作った百篇の詩を順次見る。

9 闌 まだまだ作詩の意気は尽きることないどない。

767年-(8)杜少陵集 《晝夢》18-48 杜甫詩index-15-1164 <1614> 767年大暦2年56歲-(8)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7467

杜甫  晝夢  

二月饒睡昏昏然,不獨夜短晝分眠。桃花氣暖眼自醉,春渚日落夢相牽。

門巷荊棘底,中原君臣豺虎邊。安得務農息戰鬥,普天無吏橫索錢。

(昼寝せし時の感をのべる。)  二月には睡ることが多くて、ただ、うとうととしてくらし、はるは短夜で夜寝が少なくなるからばかりでなく真昼中でさえも眠るのである。桃の花などが咲いて大気は温暖にひとりでに眼が酔うようになり、春江のなぎさに日が落ちかかるまで夢がよそえひきつけられる。その夢はどこにあそぶのかといえば、故郷の門巷はこの菱州の荊と棘の底にうずめられているし、中原地方の君臣、代宗は虎の様なもののほとりにさまよっておられる。どうにかして農業を務めさせて戦闘をやめてしまい、天下じゅう役人が無理に人民から銭を取りたてることのない様にしたいものである。

杜少陵集18-48

晝  夢

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7467 

杜甫詩index-15

767年大暦256  (8)

1164 <1614

 

 
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杜甫詩1500-1164-1614/2500   767年大暦256-(8)

詩友の柏茂琳の配慮によって、少し安定した気持ちで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣がある。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出したものである。

1

18-41

立春

2

18-42

江梅

3

18-43

庭草

4

18-45

王十五前閣會

5

15-16

老病

6

18-46

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

7

18-44

8

18-48

晝夢

9

18-47

遣悶戲呈路十九曹長

10

18-50

即事

11

18-49

暮春

12

19-23

雨  (山雨不作埿,)

13

15-58

卷一五58  晴二首其一

14

15-59

卷一五59  晴二首其二

15

18-51

懷灞上遊

16

18-84

月,三首之一

17

18-85

月,三首之二

18

18-86

月,三首之三

 

 

杜甫詩1500-1163-1613/2500   767年大暦256-(7)

作時年:

767

大暦2

56

卷別:

卷二百三十一  17

文體:

七言律詩

 

18-48

 

 

詩題:

晝夢

序文・原註

 

作地點:

瀼西(山南東道 / 夔州 / 瀼西)

 

 

及地點:

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

231_17 《晝夢》杜甫 

晝夢

(昼寝せし時の感をのべる。)

二月饒睡昏昏然,不獨夜短晝分眠。

二月には睡ることが多くて、ただ、うとうととしてくらし、はるは短夜で夜寝が少なくなるからばかりでなく真昼中でさえも眠るのである。

桃花氣暖眼自醉,春渚日落夢相牽。

桃の花などが咲いて大気は温暖にひとりでに眼が酔うようになり、春江のなぎさに日が落ちかかるまで夢がよそえひきつけられる。

門巷荊棘底,中原君臣豺虎邊。 

その夢はどこにあそぶのかといえば、故郷の門巷はこの菱州の荊と棘の底にうずめられているし、中原地方の君臣、代宗は虎の様なもののほとりにさまよっておられる。

安得務農息戰鬥,普天無吏橫索錢。 

どうにかして農業を務めさせて戦闘をやめてしまい、天下じゅう役人が無理に人民から銭を取りたてることのない様にしたいものである。

 

(晝夢)

二月 睡りは饒く 昏昏然たり,獨り夜の短きにのみならず晝分にも眠る。

桃花 氣暖かにして眼 自ら醉う,春渚 日落ちて夢 相い牽く。

門巷 荊棘の底,中原も君臣 豺虎の邊。

安んぞ得ん 農を務めして 戰鬥を息め,普天 吏の橫さまに錢を索る無きを。

長安城図 作図00 

『晝夢』現代語訳と訳註解説
(
本文)

晝夢

二月饒睡昏昏然,不獨夜短晝分眠。

桃花氣暖眼自醉,春渚日落夢相牽。

門巷荊棘底,中原君臣豺虎邊。

安得務農息戰鬥,普天無吏橫索錢。

(下し文)
(晝夢)

二月 睡りは饒く 昏昏然たり,獨り夜の短きにのみならず晝分にも眠る。

桃花 氣暖かにして眼 自ら醉う,春渚 日落ちて夢 相い牽く。

門巷 荊棘の底,中原も君臣 豺虎の邊。

安んぞ得ん 農を務めして 戰鬥を息め,普天 吏の橫さまに錢を索る無きを。

(現代語訳)
晝夢(昼寝せし時の感をのべる。)

二月には睡ることが多くて、ただ、うとうととしてくらし、はるは短夜で夜寝が少なくなるからばかりでなく真昼中でさえも眠るのである。

桃の花などが咲いて大気は温暖にひとりでに眼が酔うようになり、春江のなぎさに日が落ちかかるまで夢がよそえひきつけられる。

その夢はどこにあそぶのかといえば、故郷の門巷はこの菱州の荊と棘の底にうずめられているし、中原地方の君臣、代宗は虎の様なもののほとりにさまよっておられる。

どうにかして農業を務めさせて戦闘をやめてしまい、天下じゅう役人が無理に人民から銭を取りたてることのない様にしたいものである。


(訳注) 

晝夢

(昼寝せし時の感をのべる。)大暦二年春の作。

 

 

二月饒睡昏昏然,不獨夜短晝分眠。

二月には睡ることが多くて、ただ、うとうととしてくらし、はるは短夜で夜寝が少なくなるからばかりでなく真昼中でさえも眠るのである。

1 饒睡 多く眠ること。

2 昏昏 1 暗くて物の区別がつかないさま。また、道理に暗いさま。2 意識がないさま。3 寝入っているさま

3 晝分 1 昼頃。昼どき。2 衣服などが古くなりかけていること。

 

桃花氣暖眼自醉,春渚日落夢相牽。

桃の花などが咲いて大気は温暖にひとりでに眼が酔うようになり、春江のなぎさに日が落ちかかるまで夢がよそえひきつけられる。

4 春渚 春江のなぎさ。夔州の杜甫の住まいは、長江のほとりが多く、瀼西の草堂は、長江支流の大瀼水であるが、舟を繋留しておけるだけの大きな流れであった。

5 夢相牽 夢がよそえひきつけられる。

 

門巷荊棘底,中原君臣豺虎邊。 

その夢はどこにあそぶのかといえば、故郷の門巷はこの菱州の荊と棘の底にうずめられているし、中原地方の君臣、代宗は虎の様なもののほとりにさまよっておられる。

6 君臣豺虎邊 《18-44愁》でも「虎縱橫」とある。 長安に戻っても、杜甫は、朝廷からはじき出された、猛虎の様な賀蘭進明に加え、第五琦という暴吏がはびこったままであること、貨幣の悪鋳造(一枚で十銭に相当する大銭を初めて鋳造する。面には「乾元重寶」)によるインフレの急伸、天下から青苗銭とゆう税を取り、これで百官の棒給を払い、そのうえ、均田に一律、第五琦の十分の一の税ふたんをさせる法「十分の一税法」賀蘭進明と第五琦は、罪を得て左遷更されたが、悪法だけは残ったこと「虎」と表現した。房琯事件と賀蘭進明、第五琦の経済政策については下記に詳しく述べる。

 

安得務農息戰鬥,普天無吏橫索錢。 

どうにかして農業を務めさせて戦闘をやめてしまい、天下じゅう役人が無理に人民から銭を取りたてることのない様にしたいものである。

7 安得 希望の辭であり、この語は下句までかかる。

8 普天 大地をあまねくおおっている広大な天。また、天がおおう限りの地。全世界。天下。

9 橫索錢 邪道な以て税金な乗り取ることをいう。青苗銭とゆう税を取り、これで百官の棒給を払い、そのうえ、均田に一律、第五琦の十分の一の税ふたんをさせる法「十分の一税法」
三者の思惑が合致 

767年-(7)杜少陵集 《愁》18-44 杜甫詩index-15-1163 <1613> 767年大暦2年56歲-(7)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7462

杜甫  愁  【原註】強戲為體  

江草日日喚愁生,巫峽泠泠非世情。盤渦鷺浴底心性,獨樹花發自分明。

十年戎馬暗萬國,異域賓客老孤城。渭水秦山得見否,人經罷病虎縱橫。

(戦火が十年続いたこと、朝廷の経済政策の失敗、故郷に帰ることができないことなど、心の愁いを詠む。)(戯れに、無理矢理に呉の詩のスタイルにしてみる)  江上の草は一日一日と生えてきて、伸びるしたがい、我が愁をよびおこす。巫峡の水は泠泠と鳴っているがすこしも自分を慰めてくれようとはせず不人情の様におもわれる。

江の渦で白鷺が気樂そうに水を浴びているがいったいどんなつもりなのか一本木に高くはっきりと花が吹いているが自分とは無関心のさまだ。安史の乱と派生的に起こった戦乱が凡そ十年ばかり兵馬の塵が全土各地に暗くおおいつづけた、そして、異境の賓客たる自分はこんなさびしい城で老いつつある。渭水だの秦山だの、故郷長安の山水も果して二度と見られるかどうか、これまで、人民は疲弊しきつたうえに、猛虎の様な賀蘭進明に加え、第五琦という暴吏がはびこっているのである。

杜少陵集18-44

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7462 

杜甫詩index-15

767年大暦256  (7)

1163 <1613

 

 
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  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-(7)杜少陵集 《愁》18-44 杜甫詩index-15-1163 <1613> 767年大暦2年56歲-(7)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7462  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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杜甫詩1500-1163-1613/2500   767年大暦256-(7)

詩友の柏茂琳の配慮によって、少し安定した気持ちで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣がある。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出したものである。

1

18-41

立春

2

18-42

江梅

3

18-43

庭草

4

18-45

王十五前閣會

5

15-16

老病

6

18-46

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

7

18-44

8

18-48

晝夢

9

18-47

遣悶戲呈路十九曹長

10

18-50

即事

11

18-49

暮春

12

19-23

雨  (山雨不作埿,)

13

15-58

卷一五58  晴二首其一

14

15-59

卷一五59  晴二首其二

15

18-51

懷灞上遊

16

18-84

月,三首之一

17

18-85

月,三首之二

18

18-86

月,三首之三

 

 

杜甫詩1500-1163-1613/2500   767年大暦256-(7)

作時年:

767

大暦2

56

卷別:

卷二百三十一  16

文體:

五言律詩

 

18-44

 

 

詩題:

序文・原註

 強戲為

作地點:

瀼西(山南東道 / 夔州 / 瀼西)

 

 

及地點:

 

巫山 

 

交遊人物:

 

 

 

 

231_16 《愁(強戲為體)》杜甫 

(戦火が十年続いたこと、朝廷の経済政策の失敗、故郷に帰ることができないことなど、心の愁いを詠む。)

【原註】強戲為

(戯れに、無理矢理に呉の詩のスタイルにしてみる)

江草日日喚愁生,巫峽泠泠非世情。

江上の草は一日一日と生えてきて、伸びるしたがい、我が愁をよびおこす。巫峡の水は泠泠と鳴っているがすこしも自分を慰めてくれようとはせず不人情の様におもわれる。

盤渦鷺浴底心性,獨樹花發自分明。

江の渦で白鷺が気樂そうに水を浴びているがいったいどんなつもりなのか一本木に高くはっきりと花が吹いているが自分とは無関心のさまだ。

十年戎馬暗萬國,異域賓客老孤城。

安史の乱と派生的に起こった戦乱が凡そ十年ばかり兵馬の塵が全土各地に暗くおおいつづけた、そして、異境の賓客たる自分はこんなさびしい城で老いつつある。

渭水秦山得見否,人經罷病虎縱橫。

渭水だの秦山だの、故郷長安の山水も果して二度と見られるかどうか、これまで、人民は疲弊しきつたうえに、猛虎の様な賀蘭進明に加え、第五琦という暴吏がはびこっているのである。


(愁)

【原註】強いて戲れに 體を為す。

江草 日日に愁を喚びて生じ,巫峽 泠泠に世情に非ず。

盤渦 鷺 浴す 底【なん】の心性ぞ,獨樹 花 發く 自ら分明なり。

十年 戎馬 萬國に暗し,異域の賓客 孤城に老ゆ。

渭水 秦山 見るを得んや否や,人は經【いまま】で罷病【ひへい】し 虎は縱橫たり。

 

『愁』現代語訳と訳註解説
(
本文)

【原註】強戲為

江草日日喚愁生,巫峽泠泠非世情。

盤渦鷺浴底心性,獨樹花發自分明。

十年戎馬暗萬國,異域賓客老孤城。

渭水秦山得見否,人經罷病虎縱橫。

(下し文)
(愁)

【原註】強いて戲れに 體を為す。

江草 日日に愁を喚びて生じ,巫峽 泠泠に世情に非ず。

盤渦 鷺 浴す 底【なん】の心性ぞ,獨樹 花 發く 自ら分明なり。

十年 戎馬 萬國に暗し,異域の賓客 孤城に老ゆ。

渭水 秦山 見るを得んや否や,人は經【いまま】で罷病【ひへい】し 虎は縱橫たり。

(現代語訳)
(戦火が十年続いたこと、朝廷の経済政策の失敗、故郷に帰ることができないことなど、心の愁いを詠む。)

【原註】強戲為(戯れに、無理矢理に呉の詩のスタイルにしてみる)

江上の草は一日一日と生えてきて、伸びるしたがい、我が愁をよびおこす。巫峡の水は泠泠と鳴っているがすこしも自分を慰めてくれようとはせず不人情の様におもわれる。

江の渦で白鷺が気樂そうに水を浴びているがいったいどんなつもりなのか一本木に高くはっきりと花が吹いているが自分とは無関心のさまだ。

安史の乱と派生的に起こった戦乱が凡そ十年ばかり兵馬の塵が全土各地に暗くおおいつづけた、そして、異境の賓客たる自分はこんなさびしい城で老いつつある。

渭水だの秦山だの、故郷長安の山水も果して二度と見られるかどうか、これまで、人民は疲弊しきつたうえに、猛虎の様な賀蘭進明に加え、第五琦という暴吏がはびこっているのである。


(訳注) 

(戦火が十年続いたこと、朝廷の経済政策の失敗、故郷に帰ることができないことなど、心の愁いを詠む。)大厯二年の春夔州で作る

【原註】強戲為

(戯れに、無理矢理に呉の詩のスタイルにしてみる)

1  吴体とは詩體の一種である。語言は通俗であり,淺い俚俗なたとえ話を作るものであり,江南の民歌の風味を有す,故に稱す。仇兆鰲は黃生を注引して曰く「皮陸集中 亦體詩有り 乃ち當時の俚俗は此の體を為すのみ。 詩流は之を效うを屑ぜず。 杜公篇の什は既に眾す, 時に變調を出づ;凡そ集中の拗律は,皆 此體に屬す。」

  

原注 戲為呉體。: 為黄生 注皮陸集中亦有呉/體詩乃當時俚俗 此體耳詩流不屑效之杜公篇什既衆時出變調凡集中拗律皆屬此體偶/發例於此曰戲者明其非正律也杜臆胸有抑鬱不平之氣而以拗體發之公之拗體詩大都如是 翫詩意當是大厯二年春夔州作。

黄生が注を為す皮陸集中、亦、呉體詩有り、乃ち當時俚俗なり、此の體のみの詩流は效之杜公篇の什は屑ぜず。既に衆時出變調、凡そ集中の拗律は皆此體に屬す。偶たま例を發す、此に於て、戲れにと曰う者は其の正律にるを明かにするなち。杜臆胸は抑鬱に有り の氣を平にせざるして、以て拗體は之を發し之を公す。拗體詩は大都是れ翫詩の意の如し。

 

江草日日喚愁生,巫峽泠泠非世情。

江上の草は一日一日と生えてきて、伸びるしたがい、我が愁をよびおこす。巫峡の水は泠泠と鳴っているがすこしも自分を慰めてくれようとはせず不人情の様におもわれる。

喚愁生 江草が生ずるにつれて杜甫の愁いが喚起することをいう。生は江草が生ずることをいう。

泠泠 巫峽に流れる水の音。

非世情 人情に近くないことをいう。船を係留したままでいるため、とどまる自分を置いて、水の流れだけは東に去ってゆくのでこのように言う。

 

盤渦鷺浴底心性,獨樹花發自分明。

江の渦で白鷺が気樂そうに水を浴びているがいったいどんなつもりなのか一本木に高くはっきりと花が吹いているが自分とは無関心のさまだ。

 呉の俗語で、「何」である。

獨樹 一本立ちの樹。

自分明 独り、自然に分明であることで、自分とは無関心のさまをいう。

 

十年戎馬暗萬國,異域賓客老孤城。

安史の乱と派生的に起こった戦乱が凡そ十年ばかり兵馬の塵が全土各地に暗くおおいつづけた、そして、異境の賓客たる自分はこんなさびしい城で老いつつある。

異域賓客 異境の賓客である自分をいう。

孤城 夔州の城郭を言う。

 

渭水秦山得見否,人經罷病虎縱橫。

渭水だの秦山だの、故郷長安の山水も果して二度と見られるかどうか、これまで、人民は疲弊しきつたうえに、猛虎の様な賀蘭進明に加え、第五琦という暴吏がはびこっているのである。

渭水秦山 長安の山水。

虎縱橫 長安に戻っても、杜甫は、朝廷からはじき出された、猛虎の様な賀蘭進明に加え、第五琦という暴吏がはびこったままであること、貨幣の悪鋳造(一枚で十銭に相当する大銭を初めて鋳造する。面には「乾元重寶」)によるインフレの急伸、天下から青苗銭とゆう税を取り、これで百官の棒給を払い、そのうえ、均田に一律、第五琦の十分の一の税ふたんをさせる法「十分の一税法」賀蘭進明と第五琦は、罪を得て左遷更されたが、悪法だけは残ったこと「虎」と表現した。房琯事件と賀蘭進明、第五琦の経済政策については下記に詳しく述べる。

756年至徳元から二載 《杜甫と房琯房琯関連 1-(1) 杜甫index-5 756年房琯関連 1-(1) 杜甫<1601-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4345 杜甫詩1500-1601-1-1040/2500

757年至徳二載 《杜甫と房琯 房琯関連 1-(2) 杜甫index-5 756年 房琯関連 1-(2) 杜甫<1601-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4350 杜甫詩1500-1601-2-1041/2500

757年至徳二載 杜甫と房琯房琯関連 1-(3) 杜甫index-14 764年房琯関連 1-(3) 杜甫<1601-3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4355 杜甫詩1500-1601-3-1042/2500

757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(4) 杜甫 房琯関連 1-(4) 杜甫<1502-4 文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4360 杜甫詩1500-1502-4-1043/2500

757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(5) 杜甫 房琯関連 1-(5) 杜甫<1502-5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4365 杜甫詩1500-1502-5-1044/2500

 

 

760

二年九月戊辰、絳州へ、乾元重寶の大銭を改鋳させた。重輪を銜えて、一枚を五十銭とする。

 戦費を優先した為、在京の百官へは俸禄が出せなかった。そこで、新銭を造って冬料を給付したのである。

 十一月、第五琦が乾元銭、重輪銭を造り、開元銭と併せて三種類の銭が流通した。

 民は争って偽造し、貨幣価値が下がって物価が上がった。穀物の価格は高騰し、餓死する者が相継いだ。上言する者は、皆、その罪を琦になすりつけた。

 庚午、琦を忠州長史へ降格する。御史大夫賀蘭進明は、琦の党類として有罪になり、湊州員外司馬へ降格となった。

 第五琦が任地へ出立した後、ある者が、「琦は二百両の金を受け取った。」と告発した。そこで、御史の劉期光を派遣して、詮議させた。

 琦は言った。

「琦は宰相だった時、二百両の金は持ち歩けなかった。もしも金を受け取って依頼事を聞いたというのなら、律に準じて罰を与えてください。」

 期光は帰ると、”琦は罪を認めた。”と上奏した。

 上元元年(760)二月庚戌、琦は有罪となり、除名のうえ、夷州へ長く流された。

 三種類の銭が流通して久しい上、飢饉になった。米は一斗が七千銭となり、人々は人肉まで食べた。京兆尹鄭叔清は銭の偽造者を捕まえたが、数ヶ月の間に八百余人を処刑して曝しても、偽造をやめさせる事はできなかった。

 六月、京畿へ敕が降りた。”開元銭と乾元の小銭は十銭に相当し、その重輪銭は三十銭に相当する。”と。

 諸州へ対しては、様子を見て施行することとした。

 この時、史思明も又順天銭を鋳造した。これ一枚で、開元銭百枚に相当した。だから、賊の支配領域では、物価が最も高騰した。

 癸丑、天下の重稜銭も、畿内同様、三十銭とするよう敕した。

767年-(6)杜少陵集 《18-46崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡》 index-15-1162 <1612> 767年大暦2年56歲-(6) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7457

杜甫  崔評事弟許相迎、不到應慮老夫見泥雨怯出、必愆佳期走筆戲簡

江閣要賓許馬迎,午時起坐自天明。浮雲不負青春色,細雨何孤白帝城。

身過花間沾濕好,醉於馬上往來輕。虛疑皓首沖泥怯,實少銀鞍傍險行。 

(母方の従弟の崔評事が自分のため乗馬を迎へによこしてくれると許諾しておいたのにその馬がこなかった。それはこの老翁は泥や雨をみては出かけることを臆劫にしてきつと約束の期限をかえてほしいとかんがえたのであらう。それで等を考えあわせてこの詩をかきつけて戯れに手紙がわりに遣った。)  わたしのいるところへ江閣から賓客としてお迎えのために、馬で迎へてくれるというので承諾していたが、それで夜明けから起きたり坐ったりして正午ごろになってしまった。いくら雲が浮びでたところで自分は春げしきに負くものではないし、細かい雨がふっでも自分はどうして白帝城にそむくことができるものかとおもっている。花の木のあいだを通ってゆくのだから身がぬれるのはかえっていいし、酔い機嫌になれば馬上で往来することも身軽でよろしいのではないか。君はこの白髪の老人が泥をついて出かけるのをおそれているのだなどと、事実でもないことを疑っているかもしらないが、そんなことはないのである。まことに険路に沿うて行くのに銀鞍の馬がないからゆかれぬのに外ならないのである。

杜少陵集18-46

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

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杜甫詩index-15

767年大暦256  (6)

1162 <1612

 

 
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杜甫詩1500-1160-1610/2500   767年大暦256-(4)

詩友の柏茂琳の配慮によって、少し安定した気持ちで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣がある。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出したものである。

1

18-41

立春

2

18-42

江梅

3

18-43

庭草

4

18-45

王十五前閣會

5

15-16

老病

6

18-46

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

7

18-44

8

18-48

晝夢

9

18-47

遣悶戲呈路十九曹長

10

18-50

即事

11

18-49

暮春

12

19-23

雨  (山雨不作埿,)

13

15-58

卷一五58  晴二首其一

14

15-59

卷一五59  晴二首其二

15

18-51

懷灞上遊

16

18-84

月,三首之一

17

18-85

月,三首之二

18

18-86

月,三首之三

 

 

杜甫詩1500-1162-1612/2500         

 

 

 

767年大暦256-(6)   18-46 

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩

卷二百二十九  32

文體:

七言律詩

杜少陵集 

18-46

 

 

詩題:

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

序文

 

作地點:

瀼西(山南東道 / 夔州 / 奉節)

 

 

及地點:

/州西閣 

 

 

交遊人物:

崔評事弟

 

 

 

 

 

229_32 《崔評事弟許相迎、不到應慮老夫見泥雨怯出、必愆佳期走筆戲簡》 

崔評事弟許相迎、不到應慮老夫見泥雨怯出、必愆佳期走筆戲簡

(母方の従弟の崔評事が自分のため乗馬を迎へによこしてくれると許諾しておいたのにその馬がこなかった。それはこの老翁は泥や雨をみては出かけることを臆劫にしてきつと約束の期限をかえてほしいとかんがえたのであらう。それで等を考えあわせてこの詩をかきつけて戯れに手紙がわりに遣った。)

江閣要賓許馬迎,午時起坐自天明。

わたしのいるところへ江閣から賓客としてお迎えのために、馬で迎へてくれるというので承諾していたが、それで夜明けから起きたり坐ったりして正午ごろになってしまった。

浮雲不負青春色, 細雨何孤白帝城。

いくら雲が浮びでたところで自分は春げしきに負くものではないし、細かい雨がふっでも自分はどうして白帝城にそむくことができるものかとおもっている。

身過花間沾濕好,醉於馬上往來輕。 

花の木のあいだを通ってゆくのだから身がぬれるのはかえっていいし、酔い機嫌になれば馬上で往来することも身軽でよろしいのではないか。

虛疑皓首沖泥怯,實少銀鞍傍險行。 

君はこの白髪の老人が泥をついて出かけるのをおそれているのだなどと、事実でもないことを疑っているかもしらないが、そんなことはないのである。まことに険路に沿うて行くのに銀鞍の馬がないからゆかれぬのに外ならないのである。

 

(崔評事弟 相い迎うるを許す、到らず、應に老夫泥雨を見て出ずるを怯れ、必ず佳期を愆るを慮るなるべし。筆を走らせて戲れに簡す)

江閣 賓を要するに馬迎を許し,午時 起坐す 天明よりす。

浮雲にも負かず青春の色, 細雨にも 何ぞ孤【そむ】かん 白帝城に。

身 花間を過ぐ 沾濕するも好し,醉 馬上に於て 往來するも輕し。

虛しく疑う 皓首 沖泥 怯るるかと,實に少く 銀鞍 險に傍いて行く。

 

 瞿塘峡・白帝城・魚復

現代語訳と訳註解説
(
本文)
崔評事弟許相迎、不到應慮老夫見泥雨怯出、必愆佳期走筆戲簡

江閣要賓許馬迎,午時起坐自天明。

浮雲不負青春色, 細雨何孤白帝城。

身過花間沾濕好,醉於馬上往來輕。

虛疑皓首沖泥怯,實少銀鞍傍險行。

(
下し文)
(崔評事弟 相い迎うるを許す、到らず、應に老夫泥雨を見て出ずるを怯れ、必ず佳期を愆るを慮るなるべし。筆を走らせて戲れに簡す)

江閣 賓を要するに馬迎を許し,午時 起坐す 天明よりす。

浮雲にも負かず青春の色, 細雨にも 何ぞ孤【そむ】かん 白帝城に。

身 花間を過ぐ 沾濕するも好し,醉 馬上に於て 往來するも輕し。

虛しく疑う 皓首 沖泥 怯るるかと,實に少く 銀鞍 險に傍いて行く。

(
現代語訳)
崔評事弟許相迎、不到應慮老夫見泥雨怯出、必愆佳期走筆戲簡 (母方の従弟の崔評事が自分のため乗馬を迎へによこしてくれると許諾しておいたのにその馬がこなかった。それはこの老翁は泥や雨をみては出かけることを臆劫にしてきつと約束の期限をかえてほしいとかんがえたのであらう。それで等を考えあわせてこの詩をかきつけて戯れに手紙がわりに遣った。)

わたしのいるところへ江閣から賓客としてお迎えのために、馬で迎へてくれるというので承諾していたが、それで夜明けから起きたり坐ったりして正午ごろになってしまった。

いくら雲が浮びでたところで自分は春げしきに負くものではないし、細かい雨がふっでも自分はどうして白帝城にそむくことができるものかとおもっている。

花の木のあいだを通ってゆくのだから身がぬれるのはかえっていいし、酔い機嫌になれば馬上で往来することも身軽でよろしいのではないか。

君はこの白髪の老人が泥をついて出かけるのをおそれているのだなどと、事実でもないことを疑っているかもしらないが、そんなことはないのである。まことに険路に沿うて行くのに銀鞍の馬がないからゆかれぬのに外ならないのである。

夔州東川卜居図詳細 002 

(訳注) 

崔評事弟許相迎、不到應慮老夫見泥雨怯出、必愆佳期走筆戲簡

(母方の従弟の崔評事が自分のため乗馬を迎へによこしてくれると許諾しておいたのにその馬がこなかった。それはこの老翁は泥や雨をみては出かけることを臆劫にしてきつと約束の期限をかえてほしいとかんがえたのであらう。それで等を考えあわせてこの詩をかきつけて戯れに手紙がわりに遣った。)大暦二年

1 崔評事弟 新巻十五23崔十三評事公輔と崔評事十六弟と崔評事と称するもの二人あり。この詩は、崔評事十六弟ということであり、作者の母方の従弟である。

贈崔十三評事公輔(卷一五(三)一二九○)

飄颻西極馬,來自渥洼池。颯寒山桂,低徊風雨枝

我聞龍正直,道屈爾何為?且有元戎命,悲歌識者知。

官聯辭冗長,行路徙敧危。劍主人贈,去帆春色隨。

陰沉鐵鳳闕,教練羽林兒。天子朝侵早,雲臺仗數移。

分軍應供給,百姓日支離。黠吏因封己,公才或守雌。

燕王百駿骨,渭老得熊羆。活國名公在,拜壇群寇疑。

冰壺動瑤碧,野水失蛟螭。入幕諸集,渴賢高選宜。

騫騰坐可致,九萬起於斯。復進出矛戟,昭然開鼎彝。

會看之子貴,歎及老夫衰。豈但江曾決,還思霧一披。

暗塵生古鏡,拂匣照西施。舅氏多人物,無慚困翮垂。

766年-62杜甫 《1523贈崔十三評事公輔 -#5》【5分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-62 <926-#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6260

  卷221_25 《毒熱寄簡崔評事十六弟》杜甫 

  大暑運金氣,荊揚不知秋。林下有塌翼,水中無行舟。 

  千室但掃地,閉關人事休。老夫轉不樂,旅次兼百憂。 

  蝮蛇暮偃蹇,空床難暗投。炎宵惡明燭,況乃懷舊丘。 

  開襟仰弟,執熱露白頭。束帶負芒刺,接居成阻修。 

  何當清霜飛,會子臨江樓。載聞大易義,諷興詩家流。 

  蘊藉異時輩,檢身非苟求。皇皇使臣體,信是德業優。 

  楚材擇杞梓,漢苑歸驊騮。短章達我心,理為識者籌。 

766年大暦元年55-20-3奉節-12 《15-41毒熱寄簡崔評事十六弟 -#3》 杜甫index-15 杜甫<894 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5355

別に以下の詩もある。

・戲寄崔評事表姪蘇五表弟韋大少府諸姪(卷二○(四)一七七七)

2 相迎 こちらか迎えにくること。

3 老夫 自己かさす。

4 愆佳期 約束の時期なまちがへてゆかね。

 

江閣要賓許馬迎,午時起坐自天明。

わたしのいるところへ江閣から賓客としてお迎えのために、馬で迎へてくれるというので承諾していたが、それで夜明けから起きたり坐ったりして正午ごろになってしまった。

5 江閥 江辺の閣、西閣をさす。

6 要賓 賓客をむかえる、賓客とは先方の賓客にて自己をさす。

7 馬迎 馬もて迎へる。

 

浮雲不負青春色, 細雨何孤白帝城。

いくら雲が浮びでたところで自分は春げしきに負くものではないし、細かい雨がふっでも自分はどうして白帝城にそむくことができるものかとおもっている。

8 不負 自分は~にそむくものではない。

9 何孤 孤はそむく、自分がどうして~にそむくことがあろうか。そうではない。

10 白帝城 白帝城の江閣に崔評事がいる。

〔瀼西宅と白帝城〕

白帝山(城)は、城塞の自宅からは西方向で比較的近く、地続きだから陸路でも行けるし、視界にも入る。杜甫が詠じる白帝城は、夔州城とは、つまり州の役所とは別物であった。そのことは杜甫自身が「白帝と夔州は各(おのおの)城を異にす」(1527_夔州歌十絶句》其二)と述べていることから明らかである。とはいえ厳耕望氏によれば、夔州城は白帝城と連接していた。 

夔州歌十句,十首之二

(夔州の歌 十句,十首の二)

白帝夔州各異城,蜀江楚峽混殊名。

白帝 夔州 各の城を異にす,蜀江 楚峽 殊名を混ず。

英雄割據非天意,霸主并吞在物情。

英雄 割據は天意に非らず,霸主の并吞するは物情に在り。

そしてそれは白帝城の北にあり、白帝城よりはずっと大きく、旧赤甲城の場所にあった(注''参照)。もちろん唐代の夔州城は梅渓河の方にはなかった。一方、白帝城には旧都督府の役所があったのではないかと思う。杜甫が夔州に滞在していたとき、夔州都督府は既に廃されていたが、白帝城は州より一つ上位の都督府的な役所(防禦使など)として、一部機能していたのではなかろうか。杜甫は白帝山の西閣に住んだことがあり、白帝城をひどく気に入って何度も詩に描いたが、夔州城にはあまり心惹かれていないようだ。

 

身過花間沾濕好,醉於馬上往來輕。

花の木のあいだを通ってゆくのだから身がぬれるのはかえっていいし、酔い機嫌になれば馬上で往来することも身軽でよろしいのではないか。

 

虛疑皓首沖泥怯,實少銀鞍傍險行。

君はこの白髪の老人が泥をついて出かけるのをおそれているのだなどと、事実でもないことを疑っているかもしらないが、そんなことはないのである。まことに険路に沿うて行くのに銀鞍の馬がないからゆかれぬのに外ならないのである。

11 虛疑 崔評事が~のことを疑っている。事実でもないことを疑う。

12 沖泥怯 沖は登ってゆく、泥道を上ってゆくことを恐れる。

恐泥 泥とは、どこぞにへばりついて先方へゆきつけぬをいう。恐泥とは論語に「恐泥」といふことがわるがそれを思うということである。《19-09 .槐葉冷淘》「路遠思恐泥,興深終不渝。」(路 遠くして 恐泥を思う,興 深くして 終に渝らず。)「論語」子張篇に、枝葉末節の技芸にこだわらず本質的な大義を果たすことの重要性を述べた部分で「子夏曰、雖小道必有可観者焉、致遠恐泥、是以君子不為也」(子夏曰わく、小道(しょうどう)と雖も(いえども)必ず観るべき者あり。遠きを致さんには泥(なず)まんことを恐る、是(ここ)を以て君子は為さざるなり。子夏が言った。『小さな技芸の道であっても、見るべき部分はあるものだ。しかし、究極まで道を極めようとすれば、小さな技芸は邪魔になる。だから、君子は小さな道を行かないのである、とある。泥とは、どこぞにへばりついて先方へゆきつけぬをいう。詩の思恐泥とは論語に「恐泥」といふことがわるがそれを思うということである。

767-9-#2杜甫 19-09 .槐葉冷淘》#2 杜甫詩index-15-767年大暦256-9-#2 <1086 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7110 

 

13 銀鞍 崔評事がお迎えによこしてくれる馬。

14 傍險行 高いところにある白帝城に行くには石崖の道であり、杜甫は、杖をついて自力で上るには道が険しすぎる。
 

767年-(5)杜少陵集 《老病》15-16 杜甫詩index-15-1161 <1611> 767年大暦2年56歲-(5) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7452

杜甫  老病

老病巫山裏、稽留楚客中。藥殘他日裹、花發去年叢。

夜足霑沙雨、春多逆水風。合分雙賜筆、猶作一飄蓬。

(夔州にいて、おいて、持病がひどくなってどうしようもないことを詠める詩。)

自分は巫山のうちがわ、巫峽より上流の菱州で、ますます老いて、且つ持病が重くなり、楚地の人人のなかにぐずぐずしてそのまま一年逗留している。前日からのふくろに薬は、のこっているし、去年咲いたと思われるであろう所の草むらに、今年も花が咲きだした。

自分は一対の恩賜の赤管筆をわけていただける身分であるのに、いまだに風にふきただよわされている轉蓬のごときものとなつている。夜は沙をうるおす雨が十分にふり、春は江水を下流から吹きつける風が多くふく。

自分は一対の恩賜の赤管筆をわけていただける身分であるのに、いまだに風にふきただよわされている轉蓬のごときものとなっている。

 

杜少陵集15-16

老   病

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7452 

杜甫詩index-15

767年大暦256  (5)

1161 <1611

 

 
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杜甫詩1500-1161-1611/2500    767年大暦256-(5)

詩友の柏茂琳の配慮によって、少し安定した気持ちで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣がある。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出したものである。

1

18-41

立春

2

18-42

江梅

3

18-43

庭草

4

18-45

王十五前閣會

5

15-16

老病

6

18-46

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

7

18-44

8

18-48

晝夢

9

18-47

遣悶戲呈路十九曹長

10

18-50

即事

11

18-49

暮春

12

19-23

雨  (山雨不作埿,)

13

15-58

卷一五58  晴二首其一

14

15-59

卷一五59  晴二首其二

15

18-51

懷灞上遊

16

18-84

月,三首之一

17

18-85

月,三首之二

18

18-86

月,三首之三

 

 

杜甫詩1500-1161-1611/2500          767年大暦256-(5)   15-16

767年大暦256-(4)   15-16     老病

作時年:

767

大暦2

56

卷別:

卷二百三十一 

文體:

五言律詩

 

18-45

 

 

詩題:

老病

序文

 

作地點:

奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

 

 

及地點:

故園 

巫山 

 

交遊人物:

 

 

 

老病

(夔州にいて、おいて、持病がひどくなってどうしようもないことを詠める詩。)

老病巫山裏、稽留楚客中。

自分は巫山のうちがわ、巫峽より上流の菱州で、ますます老いて、且つ持病が重くなり、楚地の人人のなかにぐずぐずしてそのまま一年逗留している。

藥殘他日裹、花發去年叢。

前日からのふくろに薬は、のこっているし、去年咲いたと思われるであろう所の草むらに、今年も花が咲きだした。

夜足霑沙雨、春多逆水風。

自分は一対の恩賜の赤管筆をわけていただける身分であるのに、いまだに風にふきただよわされている轉蓬のごときものとなっている。

合分雙賜筆、猶作一飄蓬。

夜は沙をうるおす雨が十分にふり、春は江水を下流から吹きつける風が多くふく。

自分は一対の恩賜の赤管筆をわけていただける身分であるのに、いまだに風にふきただよわされている轉蓬のごときものとなっている。

(老病)

老いて病む 巫山の裏、稽留す 楚客の中。

藥は殘る 他日の裹、花は發く 去年の叢。

夜には足る 沙を霑す雨、春には多し 水を逆す風。

合【まさ】に 雙賜筆を分たるべきに、猶お 一飄蓬と作る。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

『老病』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

老病

老病巫山裏、稽留楚客中。

藥殘他日裹、花發去年叢。

夜足霑沙雨、春多逆水風。

合分雙賜筆、猶作一飄蓬。

(下し文)
(老病)

老いて病む 巫山の裏、稽留す 楚客の中。

藥は殘る 他日の裹、花は發く 去年の叢。

夜には足る 沙を霑す雨、春には多し 水を逆す風。

合【まさ】に 雙賜筆を分たるべきに、猶お 一飄蓬と作る。

(現代語訳)
老病(夔州にいて、おいて、持病がひどくなってどうしようもないことを詠める詩。)

自分は巫山のうちがわ、巫峽より上流の菱州で、ますます老いて、且つ持病が重くなり、楚地の人人のなかにぐずぐずしてそのまま一年逗留している。

前日からのふくろに薬は、のこっているし、去年咲いたと思われるであろう所の草むらに、今年も花が咲きだした。

自分は一対の恩賜の赤管筆をわけていただける身分であるのに、いまだに風にふきただよわされている轉蓬のごときものとなっている。

夜は沙をうるおす雨が十分にふり、春は江水を下流から吹きつける風が多くふく。

自分は一対の恩賜の赤管筆をわけていただける身分であるのに、いまだに風にふきただよわされている轉蓬のごときものとなっている。


(訳注)

老病

(夔州にいて、おいて、持病がひどくなってどうしようもないことを詠める詩。)

杜甫は、766年暮春、雲安より夔州に移居した。そして一年経過した三月、瀼西の草堂に移居した。夔州には三軒くらい家があったようだ。、

 

老病巫山裏、稽留楚客中。

自分は巫山のうちがわ、巫峽より上流の菱州で、ますます老いて、且つ持病が重くなり、楚地の人人のなかにぐずぐずしてそのまま一年逗留している。

1 巫山 巫山縣の東にあり、夔州より下流にある。

2 稽留 ぐづついてとどまる。

3 楚客 楚地の人人、夔州はむかしの楚國である。

 

藥殘他日裹、花發去年叢。

前日からのふくろに薬は、のこっているし、去年咲いたと思われるであろう所の草むらに、今年も花が咲きだした。

4 他日 佳日なり。

5 裹 ふくろ。

 

夜足霑沙雨、春多逆水風。

夜は沙をうるおす雨が十分にふり、春は江水を下流から吹きつける風が多くふく。

6 霑沙雨 こまかき雨をいう。

7 逆水風 下流から上流へむけて吹きつける風。

 

合分雙賜筆、猶作一飄蓬。

自分は一対の恩賜の赤管筆をわけていただける身分であるのに、いまだに風にふきただよわされている轉蓬のごときものとなっている。

8 合分 分與さるべきはすだ。

9 雙賜筆 隻賜筆一対の御賜の筆、尚書の郎官は天子より赤管理の筆を二本賜った。《巻十四36 春日江村其三》・赤管 工部員外郎を拝命し、赤管の筆をたまわったこと。漢代、尚書令・尚書僕射・尚書丞・尚書郎には毎月赤い軸で象牙で飾られた筆を支給されたり、右扶風渝麋県の墨を与えられていた。尚書令・僕・丞・郎月給赤管大筆一雙、篆題曰「北工作楷」於頭上、象牙寸半著筆下。尚書令・銀章 四品五品将軍、全て銀章を賜る。唐では、銀章はなく魚袋を有したのを漢になぞらえて銀章といった。

春日江村,五首之三

 

種竹交加翠,栽桃爛熳紅。

 (春日江村,五首之三)

經心石鏡月,到面雪山風。

種竹 翠を加え交り,栽桃 爛熳として紅なり。

赤管隨王命,銀章付老翁。

心に經る 石鏡の月,面に到る 雪山の風。

豈知牙齒落,名玷薦賢中。

赤管 王命に隨い,銀章 老翁に付す。

(春の日、濯錦江沿いの浣花渓の村の生活に満ち足りていて、しかも、蜀において、郎官を授けられたと詠う。)

自分が植えた竹に新しい緑がくわわって常緑と交じっている、栽培した桃の木は爛漫として紅の花を開くまでになっている。

成都の北角に武担にある石鏡の要におおきな満月を眺めた日も過ぎた詩、雪嶺山脈から吹き下ろす冷たい風に顔面が切れそうであったこともある。

その内、王君の命のままに、工部員外郎を拝命し、赤管の筆をたまわり、この老翁に銀印の魚袋を給付されるにいたった。

ところがこのように老翁で牙や歯が抜け落ちるようになってから、薦賢書のなかにわが名を記録されるという朝廷の名を汚す様で極まりが悪いのである。

 

夔州東川卜居図詳細 002 

 

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杜甫  王十五前閣會

楚岸收新雨,春台引細風。情人來石上,鮮膾出江中。

鄰舍煩書劄,肩輿強老翁。病身虛俊味,何幸飫兒童。
王某が西閣の南面したところで宴会に会ったことを詠む。

楚地の江岸でりょう雨もあがり、春の高台にそよそよと風が吹いてくる。仲のいい人人は石の多いところへ集ってくる、新鮮な膾は江のなかから出される。おとなりの王十五の家から手紙でわざわざお招きいただき、駕寵でこの老人のわたしを、ご厚意で無理に引っ張り出してだしてくださった。しかし、病める身とてせっかくのよい味の御馳走をすべてたべられない余った食べものを、それにおみやげにして家の子供らまで飽きるほどたくさんくださるとはなんという幸いなことだろうか、まことにかたじけなくおもうのである。

杜少陵集18-45

王十五前閣會

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7447 

杜甫詩index-15

767年大暦256  (4)

1160 <1610

 

 
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杜甫詩1500-1160-1610/2500   767年大暦256-(4)

詩友の柏茂琳の配慮によって、少し安定した気持ちで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣がある。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出したものである。

1

18-41

立春

2

18-42

江梅

3

18-43

庭草

4

18-45

王十五前閣會

5

15-16

老病

6

18-46

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

7

18-44

8

18-48

晝夢

9

18-47

遣悶戲呈路十九曹長

10

18-50

即事

11

18-49

暮春

12

19-23

雨  (山雨不作埿,)

13

15-58

卷一五58  晴二首其一

14

15-59

卷一五59  晴二首其二

15

18-51

懷灞上遊

16

18-84

月,三首之一

17

18-85

月,三首之二

18

18-86

月,三首之三

 

767年大暦256-(3)   18-43     庭草

作時年:

767

大暦2

56

卷別:

卷二百三十一 

文體:

五言律詩

 

18-45

 

 

詩題:

王十五前閣會

序文

 

作地點:

奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

 

 

及地點:

故園 

巫山 

 

交遊人物:

 

 

 

 

王十五前閣會

王某が西閣の南面したところで宴会に会ったことを詠む。

楚岸收新雨,春台引細風。

楚地の江岸でりょう雨もあがり、春の高台にそよそよと風が吹いてくる。

情人來石上,鮮膾出江中。

仲のいい人人は石の多いところへ集ってくる、新鮮な膾は江のなかから出される。

鄰舍煩書劄,肩輿強老翁。

おとなりの王十五の家から手紙でわざわざお招きいただき、駕寵でこの老人のわたしを、ご厚意で無理に引っ張り出してだしてくださった。

病身虛俊味,何幸飫兒童。

しかし、病める身とてせっかくのよい味の御馳走をすべてたべられない余った食べものを、それにおみやげにして家の子供らまで飽きるほどたくさんくださるとはなんという幸いなことだろうか、まことにかたじけなくおもうのである。

(王十五が前閣の會)

楚岸 新雨收り,春台 細風を引く。

情人 石上に來る,鮮膾 江中より出づ。

鄰舍 書劄を煩わし,肩輿 老翁を強う。

病身 俊味を虛しゅうし,何の幸 兒童を飫かしむ。

 

 

『王十五前閣會』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

王十五前閣會

楚岸收新雨,春台引細風。

情人來石上,鮮膾出江中。

鄰舍煩書劄,肩輿強老翁。

病身虛俊味,何幸飫兒童。


(下し文)
(王十五が前閣の會)

楚岸 新雨收り,春台 細風を引く。

情人 石上に來る,鮮膾 江中より出づ。

鄰舍 書劄を煩わし,肩輿 老翁を強う。

病身 俊味を虛しゅうし,何の幸 兒童を飫かしむ。

 

(現代語訳)
王十五前閣會王某が西閣の南面したところで宴会に会ったことを詠む。

楚地の江岸でりょう雨もあがり、春の高台にそよそよと風が吹いてくる。

仲のいい人人は石の多いところへ集ってくる、新鮮な膾は江のなかから出される。

おとなりの王十五の家から手紙でわざわざお招きいただき、駕寵でこの老人のわたしを、ご厚意で無理に引っ張り出してだしてくださった。

しかし、病める身とてせっかくのよい味の御馳走をすべてたべられない余った食べものを、それにおみやげにして家の子供らまで飽きるほどたくさんくださるとはなんという幸いなことだろうか、まことにかたじけなくおもうのである。


(訳注)

前閣前閣會

王某が西閣の南面したところで宴会に会ったことを詠む。大暦二年春の作。

【1】   王十五 其の人、いまだ詳ならず。

【2】    前閣 白帝城の関連の江閣であり、その江閣の南面を言う、これまで杜甫が詠んでいる詩は以下の通り。

766年大暦元年55-28-#1奉節-18 《巻18-15 西閣曝日 -#1 杜甫index-15 杜甫<890-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5435

766年大暦元年55-28-#2奉節-18 《巻18-15 西閣曝日 -#2 杜甫index-15 杜甫<890-#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5440

766年-71杜甫 《1711宿江邊閣【案:即後西閣。】》七言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-71 <934 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6305

766年-72杜甫 《1811夜宿西閣曉呈元二十一曹長》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-72 <935 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6310

766年-73杜甫 《1812西閣口號【案:呈元二十一。】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-73 <936 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6315

766年-74杜甫 《1713西閣雨望》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-74 <937 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6320 杜甫詩1500-937-1435/2500

766年-75杜甫 《1816不離西閣,二首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-75 <938 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6325

766年-76杜甫 《1817不離西閣,二首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-76 <939 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6330 杜甫詩

766年-77杜甫 《1714西閣三度期大昌嚴明府,同宿不到》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-77 <940 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6335

766年-78杜甫 《1715西閣,二首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-78 <941 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6340 杜甫詩1500-941-1439/2500

766年-79杜甫 《1716西閣,二首之二》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-79 <942 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6345

766年-81杜甫 《1717西閣夜》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-81 <944 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6355 

 

楚岸收新雨,春台引細風。

楚地の江岸でりょう雨もあがり、春の高台にそよそよと風が吹いてくる。

【3】    楚岸 夔州の江岸をいうが、特定の場所を言うのではない。

【4】    春臺 春景色の高台。

 

情人來石上,鮮膾出江中。

仲のいい人人は石の多いところへ集ってくる、新鮮な膾は江のなかから出される。

【5】    情人 男女間の語、ここは会中の諸人をさて親しみをもっていう。

【6】    石上 高台の石の多い場所をさす。

【7】    鮮膾 新鮮な膾。鯉の生き造り。

 

鄰舍煩書劄,肩輿強老翁。

おとなりの王十五の家から手紙でわざわざお招きいただき、駕寵でこの老人のわたしを、ご厚意で無理に引っ張り出してだしてくださった。

【8】    鄰舍 となりの家、王十五が家をさす。

【9】    煩書劄 わざわざ手紙をよこしてくれる。札とは薄い木のふだ、この頃は髪が高価であったために紙の代りに用う、ここは語を借りていう。

【10】   肩輿 肩で担ぐみこし。

 

病身虛俊味,何幸飫兒童。

しかし、病める身とてせっかくのよい味の御馳走をすべてたべられない余った食べものを、それにおみやげにして家の子供らまで飽きるほどたくさんくださるとはなんという幸いなことだろうか、まことにかたじけなくおもうのである。

【11】   強老翁 むりやりに、この老人にしてくれるという意。杜甫にしてくれる好意を言う。

【12】   虛俊味 虚とは見るばかり煮て食べられるを言う。俊味にすぐれた味わいの食物。

【13】   飫 あく、王十五がみやげにお膳をもたせて帰すにより家の児童もそれにあくことを得ることをいう。「杜臆」に「書札中に併せて其の子か招きしを見る」といっているが恐らくはあたらず。

 

 

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杜甫  庭草

楚草經寒碧、庭春入眼濃。舊低收葉舉、新掩巻牙重。

歩履宜輕過、開筵得屢供。看花隨節序、不敢為容
(瀼水のほとり、草堂付近の若草の春景色に臨んで詠ったもの) 南国の楚の國の草木は冬の寒の時期を経ても緑であり、庭前の春景色が細やかに目に映る。これまで垂れ下がっていた葉も収縮しながら上に直立して挙がっている、巻いた芽が幾重にも重なって生えてきて、内部のものは、外部のものに覆われるようになっている。この草の上を履で歩む時には気をつけて軽やかに通るのが良い、そうすれば、酒宴の筵を開くときも美しい若草を客人に提供できることになる。それから客人は花を見るがその花も、季節の順序にひとりでに花をつけてくれ、決して私が無理に立派に見られようなどとかたちづくることはしなくてもよいのである。

杜少陵集18-43

庭   草

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杜甫詩index-15

767年大暦256  (3)

1159 <1609

 

 
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杜甫詩1500-1159-1609/2500

詩友の柏茂琳の配慮によって、少し安定した気持ちで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣がある。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出したものである。

1

18-41

立春

2

18-42

江梅

3

18-43

庭草

4

18-45

王十五前閣會

5

15-16

老病

6

18-46

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

7

18-44

8

18-48

晝夢

9

18-47

遣悶戲呈路十九曹長

10

18-50

即事

11

18-49

暮春

12

19-23

雨  (山雨不作埿,)

13

15-58

卷一五58  晴二首其一

14

15-59

卷一五59  晴二首其二

15

18-51

懷灞上遊

16

18-84

月,三首之一

17

18-85

月,三首之二

18

18-86

月,三首之三

 

767年大暦256-(3)   18-43     庭草

作時年:

767

大暦2

56

卷別:

卷二二九 

文體:

五言律詩

 

18-43

 

 

詩題:

庭草

序文

 

作地點:

奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

 

 

及地點:

故園 

巫山 

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

庭草

(瀼水のほとり、草堂付近の若草の春景色に臨んで詠ったもの)

楚草經寒碧庭春入眼濃

南国の楚の國の草木は冬の寒の時期を経ても緑であり、庭前の春景色が細やかに目に映る。

舊低收葉舉、新掩巻牙重。

これまで垂れ下がっていた葉も収縮しながら上に直立して挙がっている、巻いた芽が幾重にも重なって生えてきて、内部のものは、外部のものに覆われるようになっている。

歩履宜輕過、開筵得屢供。

この草の上を履で歩む時には気をつけて軽やかに通るのが良い、そうすれば、酒宴の筵を開くときも美しい若草を客人に提供できることになる。

看花隨節序、不敢為容。

それから客人は花を見るがその花も、季節の順序にひとりでに花をつけてくれ、決して私が無理に立派に見られようなどとかたちづくることはしなくてもよいのである。

(庭草)

楚の草 寒を經て碧なり、庭の春 眼に入りて濃かなり。

舊低 收葉 舉り、新掩 巻牙 重なる。

歩履 宜しく輕く過ぐべし、開筵 屢しば供するを得。

看花 節序に隨う、敢えていて容づくることを為さず

 瞿塘峡・白帝城・魚復

 

『庭草』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

庭草

楚草經寒碧、庭春入眼濃。

舊低收葉舉、新掩巻牙重。

歩履宜輕過、開筵得屢供。

看花隨節序、不敢為容

(下し文)
(庭草)

楚の草 寒を經て碧なり、庭の春 眼に入りて濃かなり。

舊低 收葉 舉り、新掩 巻牙 重なる。

歩履 宜しく輕く過ぐべし、開筵 屢しば供するを得。

看花 節序に隨う、敢えていて容づくることを為さず

(現代語訳)
庭草(瀼水のほとり、草堂付近の若草の春景色に臨んで詠ったもの)

南国の楚の國の草木は冬の寒の時期を経ても緑であり、庭前の春景色が細やかに目に映る。

これまで垂れ下がっていた葉も収縮しながら上に直立して挙がっている、巻いた芽が幾重にも重なって生えてきて、内部のものは、外部のものに覆われるようになっている。

この草の上を履で歩む時には気をつけて軽やかに通るのが良い、そうすれば、酒宴の筵を開くときも美しい若草を客人に提供できることになる。

それから客人は花を見るがその花も、季節の順序にひとりでに花をつけてくれ、決して私が無理に立派に見られようなどとかたちづくることはしなくてもよいのである。

00大豆畑
(訳注)

庭草

(瀼水のほとり、草堂付近の若草の春景色に臨んで詠ったもの)

年を越してきて一本立ちの杜に葉が青々と茂っているが、士卒が故郷のことを思って心を傷めるという、詩經.小雅.杕杜:「卉木萋芷,女心悲止。」(卉木 芷を萋たり,女心悲しむ。)にならい、文選.張景陽.雜詩十首之一:「房櫳無行跡,庭草萋以綠。」房櫳には行跡無く、庭草は萋として以て緑なり。)の詩に倣ってこれを詠う。

 

楚草經寒碧庭春入眼濃

南国の楚の國の草木は冬の寒の時期を経ても緑であり、庭前の春景色が細やかに目に映る。

楚草 夔州は古代楚のくにであったこと、特に、冬でも、草が枯れない南の地であることを言う。《1809南極》「南極青山眾,西江白穀分。」(南極 青山眾し,西江 白穀分かる。766-144杜甫 1809南極》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-144 <1016 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6760 

庭春 庭前の春景色、山の高いところでなく、川沿いの低地のところをいう。

張景陽 文選《雜詩十首之一》「房櫳無行跡、庭草萋以緑。」(房櫳には行跡無く、庭草は萋として以て緑なり。部屋の窓のあたりには人の足跡もなく、庭の草は繁って緑である。

雜詩十首之一

秋夜凉風起、清氣蕩暄濁。

蜻蛚吟階下飛蛾拂明燭

君子從佳人守㷀獨

房櫳無行跡庭草萋以緑

青苔依空牆蜘蛛網四屋

感物多所懐沈憂結心曲

 

舊低收葉舉、新掩巻牙重。

これまで垂れ下がっていた葉も収縮しながら上に直立して挙がっている、巻いた芽が幾重にも重なって生えてきて、内部のものは、外部のものに覆われるようになっている。

舊低 冬の間に、これまで垂れ下がっていた葉。

收葉舉 収縮しながら上に直立して挙がっている新芽を言う。

新掩 内部のものは、外部の新しいものに覆われる。

巻牙重 巻いた芽が幾重にも重なって生えてくること。

 

歩履宜輕過、開筵得屢供。

この草の上を履で歩む時には気をつけて軽やかに通るのが良い、そうすれば、酒宴の筵を開くときも美しい若草を客人に提供できることになる。

歩履 この草の上を履で歩む。

宜輕過 気をつけて軽やかに通るのが良ろしい。

開筵 酒宴の筵を開く。

得屢供 庭草の新草の緑を賓客に提供する。

 

看花隨節序、不敢為容。

それから客人は花を見るがその花も、季節の順序にひとりでに花をつけてくれ、決して私が無理に立派に見られようなどとかたちづくることはしなくてもよいのである。

看花 庭草の緑の中に次第に咲いてゆく花を見る。

隨節序 季節が来れば自然に咲いてくれる。杜甫の故郷、長安では花の苗を植えて咲かせたのであろう。

為容 容はかたちづくることをいうが、強制的にかたちづくり、強制的に見てもらう必要がないことを言う。

 

 

立 春  【字解】

(立春の日に菜盤をみて感ずる所をのべる。)大暦二年立春、夔州にあっての作。

大暦二年        767   56

1 立春 節目の名。立春は八十八夜、二百十日、二百二十日など、雑節の起算日(第1日目)となっている。立春から春分の間に、その年に初めて吹く南寄り(東南東から西南西)の強い風を春一番と呼ぶ。

2 【解説】 柏茂琳の配慮によって、杜甫はいくらか安定した生計のもとで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣があった。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出す。

 貴富の家の侍女が細い手で「生菜」を運ぶ姿を思い出すが、思いはすぐに現実にもどり、目の前を流れる巫峡の流れは寒々として、「杜陵の遠客」、杜甫自身である。

 結びの一句「児を呼び紙をもとめてすこしく詩を題す」は、涙をさそうもの。遠客飄蓬人生の悲哀が伝わってくる。

3 春盤 立春の日に春餅と生薬とを盛る、これを春盤という、盤は大きな平皿。

4 細生菜 細はこまかにきざんであること。生業は韮(にら)をいう。

5 両京 長安・洛陽。

6 高門 富貴の家の門、立春に菜盤を作って贈りものとする。

7 行白玉 行は運行、諸処へはこぶこと。白玉は自主でつくった

8 菜伝纎 手業は生薬、伝とはその手を経て他へったえられること、紙子とは美人のほそい手。

9 送青糸 送とは他へ転送すること、青糸は韮菜の切りすじのはそいのをたとえていう。

10 那対眼 眼に対するに堪えぬことをいう。

11 杜陵遠客 客作者自らいう。

12 定処 定まった場所、両京の旧住地をいう。

 

江梅  【字解】

(瀼水のほとりに咲く梅の花を見て詠んだ詩)大暦二年の春の作。

13 梅蘂 梅の花のつぼみ。蘂:① 花の生殖器官。ずい。 「雄-」 「雌-」 ひもの先端と総(ふさ)との間につける飾り。

14 臘前破 梅の開花が臘は年末のことで、臘節であったことをいう。

年後 新年。

15 春意好 春が素敵なこと、好意を持つことを言う。

16 奈客愁何 韻のために「客愁奈何」とする。 

17 江風 川風。

18 亦自波 川のほとりの梅花であるから、風に飛ぶ花弁が、波に乗って流れ、波しぶき化、波の泡のように見えることを言う。

19 故園 前の詩《18-41立春》では、両京、杜陵と表現した故郷のこと。

20 巫岫 巫山。

21 鬱嵯峨 こんもりと高く聳えていること。・鬱 さかんなさま。・嵯峨 たかいさま。唐誡は試験を受けるためにゆくので、試験の難関が高く妨げることだろうことをいう。陸機詩「長風萬里舉。慶雲鬱嵯峨。」

1424別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》「子負經濟才,天門鬱嵯峨。」( 子経済の才を負い、天門鬱として嵯峨【さが】たり。)

廣徳2764-9-3 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3695 杜甫詩1000-659-3-933/1500753-3

 

767年-(1)杜少陵集 《立春》18-41 杜甫詩index-15-1157 <1607> 767年大暦2年56歲-(1)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7432

杜甫  立 春

春日春盤細生菜、忽憶両京梅発時。盤出高門行白玉、菜伝纎手送青糸。

巫峡寒江那対眼、杜陵遠客不勝悲。此身未知帰定処、呼児覓紙一題詩。

(立春の日に菜盤をみて感ずる所をのべる。)

立春の日春盤にこまかくきざんだ韮菜が盛られてある。これを見るとにわかに両京の全盛であったときのことがおもいだされる。あの頃は富貴の家の門からこの菜を盛った白玉の盤がもちだされて諸方にはこぼれ、美人の絨手をわたって青糸のような細い菜が転送せられる。ところが今この巫暁の寒江ではどうしてこの菜盤をまともにながめられよう、杜陵の旅客たる自分は悲しくてたまらぬ。この身は故郷のきまった場所へかえれるかどうかわからぬ。それで子供を呼んで紙59を求め感じをのべてこの詩をかきつけるのである。 

杜少陵集18-41

立 春

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7432 

杜甫詩index-15

767年大暦256  (1)

1157 <1607

 

 

 
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杜甫詩1500-1157-1607/2500          767年大暦256-(1)

詩友の柏茂琳の配慮によって、少し安定した気持ちで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣がある。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出したものである。

 

1

18-41

立春

2

18-42

江梅

3

18-43

庭草

4

18-45

王十五前閣會

5

15-16

老病

6

18-46

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

7

18-44

8

18-48

晝夢

9

18-47

遣悶戲呈路十九曹長

10

18-50

即事

11

18-49

暮春

12

19-23

雨  (山雨不作埿,)

13

15-58

卷一五58  晴二首其一

14

15-59

卷一五59  晴二首其二

15

18-51

懷灞上遊

16

18-84

月,三首之一

17

18-85

月,三首之二

18

18-86

月,三首之三

 

 

作時年:

767

大暦2

56

卷別:

卷二二九 

文體:

七言律詩

 

18-41

 

 

詩題:

立春

序文

 

作地點:

奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

 

 

及地點:

長安杜陵 

 長安

洛陽 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

交遊人物:

子供ら

 

 

 

 

立 春

(立春の日に菜盤をみて感ずる所をのべる。)

春日春盤細生菜忽憶両京梅発時

立春の日春盤にこまかくきざんだ韮菜が盛られてある。これを見るとにわかに両京の全盛であったときのことがおもいだされる。

盤出高門行白玉菜伝纎手送青糸

あの頃は富貴の家の門からこの菜を盛った白玉の盤がもちだされて諸方にはこぼれ、美人の絨手をわたって青糸のような細い菜が転送せられる。

巫峡寒江那対眼杜陵遠客不勝悲

ところが今この巫暁の寒江ではどうしてこの菜盤をまともにながめられよう、杜陵の旅客たる自分は悲しくてたまらぬ。

此身未知帰定処呼児覓紙一題詩

この身は故郷のきまった場所へかえれるかどうかわからぬ。それで子供を呼んで紙59を求め感じをのべてこの詩をかきつけるのである。

 

(立春)

春日春盤 生菜細やかなり、忽ち憶う  両京  梅発く時。

盤は高門を出でて白玉行き、菜は纎手に伝えて青糸を送る。

巫峡の寒江  那ぞ眼に対せん、杜陵の遠客  悲しみに勝【た】えず。

此の身  未だ帰定する処を知らず、児を呼び紙を覓めて一び詩を題す。

桃園001 

『立春』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

立 春

春日春盤細生菜、忽憶両京梅発時。

盤出高門行白玉、菜伝纎手送青糸。

巫峡寒江那対眼、杜陵遠客不勝悲。

此身未知帰定処、呼児覓紙一題詩。

(下し文)
(立春)

春日春盤 生菜細やかなり、忽ち憶う  両京  梅発く時。

盤は高門を出でて白玉行き、菜は纎手に伝えて青糸を送る。

巫峡の寒江  那ぞ眼に対せん、杜陵の遠客  悲しみに勝【た】えず。

此の身  未だ帰定する処を知らず、児を呼び紙を覓めて一び詩を題す。

(現代語訳)
立 春(立春の日に菜盤をみて感ずる所をのべる。)

立春の日春盤にこまかくきざんだ韮菜が盛られてある。これを見るとにわかに両京の全盛であったときのことがおもいだされる。

あの頃は富貴の家の門からこの菜を盛った白玉の盤がもちだされて諸方にはこぼれ、美人の絨手をわたって青糸のような細い菜が転送せられる。

ところが今この巫暁の寒江ではどうしてこの菜盤をまともにながめられよう、杜陵の旅客たる自分は悲しくてたまらぬ。

この身は故郷のきまった場所へかえれるかどうかわからぬ。それで子供を呼んで紙59を求め感じをのべてこの詩をかきつけるのである。


(訳注)

立 春

(立春の日に菜盤をみて感ずる所をのべる。)大暦二年立春、夔州にあっての作。

大暦二年        767   56

立春 節目の名。立春は八十八夜、二百十日、二百二十日など、雑節の起算日(第1日目)となっている。立春から春分の間に、その年に初めて吹く南寄り(東南東から西南西)の強い風を春一番と呼ぶ。

【解説】 柏茂琳の配慮によって、杜甫はいくらか安定した生計のもとで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣があった。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出す。

 貴富の家の侍女が細い手で「生菜」を運ぶ姿を思い出すが、思いはすぐに現実にもどり、目の前を流れる巫峡の流れは寒々として、「杜陵の遠客」、杜甫自身である。

 結びの一句「児を呼び紙をもとめてすこしく詩を題す」は、涙をさそうもの。遠客飄蓬人生の悲哀が伝わってくる。

 

春日春盤細生菜、忽憶両京梅発時。

立春の日春盤にこまかくきざんだ韮菜が盛られてある。これを見るとにわかに両京の全盛であったときのことがおもいだされる。

春盤 立春の日に春餅と生薬とを盛る、これを春盤という、盤は大きな平皿。

細生菜 細はこまかにきざんであること。生業は韮(にら)をいう。

両京 長安・洛陽。

 

盤出高門行白玉、菜伝纎手送青糸。

あの頃は富貴の家の門からこの菜を盛った白玉の盤がもちだされて諸方にはこぼれ、美人の絨手をわたって青糸のような細い菜が転送せられる。

高門 富貴の家の門、立春に菜盤を作って贈りものとする。

行白玉 行は運行、諸処へはこぶこと。白玉は自主でつくった

菜伝纎 手業は生薬、伝とはその手を経て他へったえられること、紙子とは美人のほそい手。

送青糸 送とは他へ転送すること、青糸は韮菜の切りすじのはそいのをたとえていう。

 

巫峡寒江那対眼、杜陵遠客不勝悲。

ところが今この巫暁の寒江ではどうしてこの菜盤をまともにながめられよう、杜陵の旅客たる自分は悲しくてたまらぬ。

那対眼 眼に対するに堪えぬことをいう。

杜陵遠客 客作者自らいう。

 

此身未知帰定処、呼児覓紙一題詩。

この身は故郷のきまった場所へかえれるかどうかわからぬ。それで子供を呼んで紙59を求め感じをのべてこの詩をかきつけるのである。

定処 定まった場所、両京の旧住地をいう。
木蘭01 

767年-(2)杜少陵集 《江梅》18-42 杜甫詩index-15-1158 <1608> 767年大暦2年56歲-(2)漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7437

杜甫  江梅

梅蘂臘前破、梅花年後多。絶知春意好、最奈客愁何。

雪樹元同色、江風亦自波。故園不可見、巫岫鬱嵯峨。

(瀼水のほとりに咲く梅の花を見て詠んだ詩)

梅の開花が年の暮れにほころびたのであるが、全体的には、新年になってぱあっと咲いてきた樹木がずっと多い。春が持つ好意は誰もがよく知っているけれど、旅客のみであるからどうしても憂いが募ってくるのはどうしようもない。梅の花の咲いたのを見ると、雪が降って樹木に乗ったときのように真っ白で、それが落花すると川風に連れて大江の水面に波の泡のようになっている。こんな時に故郷のことは見ようとしてはいけないのであるし、梅の花の向こうに巫山の姿だけがこんもりと高く聳えている。

杜少陵集18-42

江  梅

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杜甫詩index-15

767年大暦256  (2)

1158 <1608

 

 

 

 
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 杜甫詩1500-1158-1608/2500

詩友の柏茂琳の配慮によって、少し安定した気持ちで大暦二年(767)の新年を迎えた。中国では陰暦正月、立春の日に生の野菜を細かく刻んで食べる習慣がある。その「春盤」(立春の祝いの大皿)をみて、杜甫は「両京」、つまり長安と洛陽の梅の開花を思い出したものである。

1

18-41

立春

2

18-42

江梅

3

18-43

庭草

4

18-45

王十五前閣會

5

15-16

老病

6

18-46

崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡

7

18-44

8

18-48

晝夢

9

18-47

遣悶戲呈路十九曹長

10

18-50

即事

11

18-49

暮春

12

19-23

雨  (山雨不作埿,)

13

15-58

卷一五58  晴二首其一

14

15-59

卷一五59  晴二首其二

15

18-51

懷灞上遊

16

18-84

月,三首之一

17

18-85

月,三首之二

18

18-86

月,三首之三

 

 

作時年:

767

大暦2

56

卷別:

卷二二九 

文體:

五言律詩

 

18-42

 

 

詩題:

江梅

序文

 

作地點:

奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

 

 

及地點:

故園 

巫山 

 

交遊人物:

 

 

紅梅201 

江梅

(瀼水のほとりに咲く梅の花を見て詠んだ詩)
梅蘂臘前破、梅花年後多。

梅の開花が年の暮れにほころびたのであるが、全体的には、新年になってぱあっと咲いてきた樹木がずっと多い。

絶知春意好、最奈客愁何。

春が持つ好意は誰もがよく知っているけれど、旅客のみであるからどうしても憂いが募ってくるのはどうしようもない。

雪樹元同色、江風亦自波。

梅の花の咲いたのを見ると、雪が降って樹木に乗ったときのように真っ白で、それが落花すると川風に連れて大江の水面に波の泡のようになっている。

故園不可見、巫岫鬱嵯峨。

こんな時に故郷のことは見ようとしてはいけないのであるし、梅の花の向こうに巫山の姿だけがこんもりと高く聳えている。

(江梅)

梅蘂 臘前に破る、梅花 年後に多し。

絶【はなは】だ知る 春意の好きことを、最も 客愁を奈何【いかに】せん。

雪樹 元の色を同じゅうす、江風 亦た自ら波だつ。

故園 見る可からず、巫岫 鬱として嵯峨たり。

 

 

『江梅』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

江梅

梅蘂臘前破、梅花年後多。

絶知春意好、最奈客愁何。

雪樹元同色、江風亦自波。

故園不可見、巫岫鬱嵯峨。

(含異文)江梅

梅蘂臘前破、梅花年後多。

絶知春意好【一作/早】、最奈客愁何。

雪樹元【一作/能】同色、江風亦自波。

故園不可見、巫岫鬱嵯峨。



(下し文)
(江梅)

梅蘂 臘前に破る、梅花 年後に多し。

絶【はなは】だ知る 春意の好きことを、最も 客愁を奈何【いかに】せん。

雪樹 元の色を同じゅうす、江風 亦た自ら波だつ。

故園 見る可からず、巫岫 鬱として嵯峨たり。

(現代語訳)
江梅(瀼水のほとりに咲く梅の花を見て詠んだ詩)

梅の開花が年の暮れにほころびたのであるが、全体的には、新年になってぱあっと咲いてきた樹木がずっと多い。

春が持つ好意は誰もがよく知っているけれど、旅客のみであるからどうしても憂いが募ってくるのはどうしようもない。

梅の花の咲いたのを見ると、雪が降って樹木に乗ったときのように真っ白で、それが落花すると川風に連れて大江の水面に波の泡のようになっている。

こんな時に故郷のことは見ようとしてはいけないのであるし、梅の花の向こうに巫山の姿だけがこんもりと高く聳えている。

白梅001
(訳注)

江梅

(瀼水のほとりに咲く梅の花を見て詠んだ詩)大暦二年の春の作。

 

梅蘂臘前破、梅花年後多。

梅の開花が年の暮れにほころびたのであるが、全体的には、新年になってぱあっと咲いてきた樹木がずっと多い。

梅蘂 梅の花のつぼみ。蘂:① 花の生殖器官。ずい。 「雄-」 「雌-」 ひもの先端と総(ふさ)との間につける飾り。

臘前破 梅の開花が臘は年末のことで、臘節であったことをいう。

年後 新年。

 

絶知春意好、最奈客愁何。

春が持つ好意は誰もがよく知っているけれど、旅客のみであるからどうしても憂いが募ってくるのはどうしようもない。

春意好 春が素敵なこと、好意を持つことを言う。

奈客愁何 韻のために「客愁奈何」とする。 

 

雪樹元同色、江風亦自波。

梅の花の咲いたのを見ると、雪が降って樹木に乗ったときのように真っ白で、それが落花すると川風に連れて大江の水面に波の泡のようになっている。

江風 川風。

亦自波 川のほとりの梅花であるから、風に飛ぶ花弁が、波に乗って流れ、波しぶき化、波の泡のように見えることを言う。

 

故園不可見、巫岫鬱嵯峨。

こんな時に故郷のことは見ようとしてはいけないのであるし、梅の花の向こうに巫山の姿だけがこんもりと高く聳えている。

故園 前の詩《18-41立春》では、両京、杜陵と表現した故郷のこと。

巫岫 巫山。

鬱嵯峨 こんもりと高く聳えていること。・鬱 さかんなさま。・嵯峨 たかいさま。唐誡は試験を受けるためにゆくので、試験の難関が高く妨げることだろうことをいう。陸機詩「長風萬里舉。慶雲鬱嵯峨。」

1424別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》「子負經濟才,天門鬱嵯峨。」( 子経済の才を負い、天門鬱として嵯峨【さが】たり。)

廣徳2764-9-3 《別唐十五誡因寄禮部賈侍郎》 蜀中転々 杜甫 <659-3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3695 杜甫詩1000-659-3-933/1500753-3

767年-26杜少陵集 《17-24 秋風,二首之二》 杜甫詩index-15-1156 <1606> 767年大暦2年56歲-26 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7427

杜甫  秋風,二首之二

秋風淅淅吹我衣,東流之外西日微。天清小城擣練急,石古細路行人稀。

不知明月為誰好,早晚孤帆他夜歸。會將白髮倚庭樹,故園池臺今是非。

(秋風に対して帰郷の思いを動かしたことをのべる。)

風が淅淅と自分の着ている衣を吹き、長江の水が己まず東へ流れ去り、一方には西に傾く太陽の光がかすかになってゆく。天はすっきりとしてこの小さい城に練衣を搗つ音がせわしくきこえるし、ふるびた石ころの横たわっている細路にはみちゆく人も稀である。うつくしく月はかがやいているが、「誰にみよ!」として照っているのか知らないが、じぶんが孤帆をうかべて、将来、或る日の夜に、故郷へ帰るのはそれはいつのことであろうか。とにかく自分はこの白髪の身ながらきっと故郷へもどって、庭樹によりかかって、この月をみるつもりだ。ところが、さて今は故郷の山野、田地、池や台は果たして旧のすがたでいるやいなや、心配で仕方がない。

杜少陵集17-24

秋風,二首之一

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7427 

杜甫詩index-15-

767年大暦256  26

1156 <1606

 

 
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杜甫詩1500-1156-1606/2500 

年:767年大暦256-26

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    秋風,二首之二

作地點:              目前尚無資料

及地點:             

交遊人物/地點:  

詩文:

 

 

秋風,二首之二

(秋風に対して帰郷の思いを動かしたことをのべる。)

秋風淅淅吹我衣,東流之外西日微。

風が淅淅と自分の着ている衣を吹き、長江の水が己まず東へ流れ去り、一方には西に傾く太陽の光がかすかになってゆく。

天清小城擣練急,石古細路行人稀。

天はすっきりとしてこの小さい城に練衣を搗つ音がせわしくきこえるし、ふるびた石ころの横たわっている細路にはみちゆく人も稀である。

不知明月為誰好,早晚孤帆他夜歸。

うつくしく月はかがやいているが、「誰にみよ!」として照っているのか知らないが、じぶんが孤帆をうかべて、将来、或る日の夜に、故郷へ帰るのはそれはいつのことであろうか。

會將白髮倚庭樹,故園池臺今是非。

とにかく自分はこの白髪の身ながらきっと故郷へもどって、庭樹によりかかって、この月をみるつもりだ。ところが、さて今は故郷の山野、田地、池や台は果たして旧のすがたでいるやいなや、心配で仕方がない。

 

(秋風,二首の二)

秋風、淅淅として我が衣を吹く、東流の外 西日 微なり。

天清くして小城 練を搗くこと急に、石古りて 細路行人稀なり。

知らず明月 誰が為にか好き、早晩 孤帆 他夜 帰らん。

会【かなら】ず 白髪を将て庭樹に倚らん、故園の池台は 今 是非。
京兆地域図002

65洛陽 函谷関751  

『秋風,二首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

秋風,二首之二

秋風淅淅吹我衣,東流之外西日微。

天清小城擣練急,石古細路行人稀。

不知明月為誰好,早晚孤帆他夜歸。

會將白髮倚庭樹,故園池臺今是非。
詩文(含異文)     秋風淅淅吹我衣,東流之外西日微。天清小城擣練急【天晴小城擣練急】,石古細路行人稀。不知明月為誰好,早晚孤帆他夜歸【早晚孤帆也夜歸】。會將白髮倚庭樹,故園池臺今是非。


(下し文)
(秋風,二首の二)

秋風、淅淅として我が衣を吹く、東流の外 西日 微なり。

天清くして小城 練を搗くこと急に、石古りて 細路行人稀なり。

知らず明月 誰が為にか好き、早晩 孤帆 他夜 帰らん。

会【かなら】ず 白髪を将て庭樹に倚らん、故園の池台は 今 是非。

(現代語訳)
秋風,二首之二(秋風に対して帰郷の思いを動かしたことをのべる。)

風が淅淅と自分の着ている衣を吹き、長江の水が己まず東へ流れ去り、一方には西に傾く太陽の光がかすかになってゆく。

天はすっきりとしてこの小さい城に練衣を搗つ音がせわしくきこえるし、ふるびた石ころの横たわっている細路にはみちゆく人も稀である。

うつくしく月はかがやいているが、「誰にみよ!」として照っているのか知らないが、じぶんが孤帆をうかべて、将来、或る日の夜に、故郷へ帰るのはそれはいつのことであろうか。

とにかく自分はこの白髪の身ながらきっと故郷へもどって、庭樹によりかかって、この月をみるつもりだ。ところが、さて今は故郷の山野、田地、池や台は果たして旧のすがたでいるやいなや、心配で仕方がない。


(訳注)

秋風,二首之二

(秋風に対して帰郷の思いを動かしたことをのべる。)

秋風 秋風が吹けば、①『蓴羮鱸膾』張翰(ちょうかん)が、故郷の蓴菜(じゅんさい)の羹(あつもの)と鱸(すずき)の膾(なます)の味を思い出し、辞職して帰郷したという故事。「晉書・張翰傳」の原文には「(張)翰因見秋風起,乃思呉中菰菜、蓴羮、鱸魚膾,曰:『人生貴得適志,何能羈宦數千里以要名爵乎!』遂命駕而歸。」とある。②宋玉の九弁にいう、「悲哉秋之為氣也!蕭瑟兮草木搖落而變衰。」(悲しいかな秋の気たるや、蕭瑟たり草木揺落して変衰す)と。《1735詠懷古跡,五首之二》「搖落深知宋玉悲,風流儒雅亦吾師。悵望千秋一灑淚,蕭條異代不同時。」(揺落深く知る 宋玉が悲しみ、風流 儒雅も亦た吾が師。千秋を帳望して 一に涙を濯ぐ、蕭条 異代 時を同じくせず。)むかし宋玉は「悲愁」といい、秋風揺落に対して悲しんだというが自分もいま深く彼の悲しみの意味を知った。また彼は風流儒雅の人物であるがこの点もまた吾が師とすべきものだ。彼と我とは千年経ており、代を異にして時を同じくして生まれあわさぬことはまことにさびしい、自分はただ千年のむかしをうらめしくながめてもっぱら涙をそそぐのである。

杜甫  又上後園山 #5

秋風亦已起,江漢始如湯。登高欲有往,蕩析川無梁。

哀彼遠征人,去家死路旁。不及祖父塋,纍纍冢相當。

秋風 亦た已に起る,江漢 始めから 湯の如し。

高きに登りて 往く有らんと欲し,蕩析して川に梁無し。

哀しむは 彼の遠征の人を,家を去りて 路旁に死すを。

祖父の塋に及ばず,纍纍として 冢 相い當る。

たしかに秋風は起ったのだが、『蓴羮鱸膾』か、この國を憂い、悲愁するのか、それでも長江は「朝宗」支流渓流が全て注ぎ込み、「江漢湯湯,武夫洸洸。」と流れてゆくのである。

ここにきても、重陽には、高いところにのぼって故郷を望み、そのに往きたいとおもうが船橋はこわれてしまって川にはそれがないという。彼の遠征の人人のことをかんがえると、気の毒なことであるとしか思えず、彼等の末路は遠く故郷の家からはなれて、路傍で死にたえてしまうのである。先祖伝来の墳墓にたどりつくことはできず、他郷での無縁のものの塚と、向き合って埋葬されてしまうのである。

767-16 #5杜甫 19-19 又上後園山#5 杜甫詩index-15-1119 <1569 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7242 

 

秋風淅淅吹我衣,東流之外西日微。

風が淅淅と自分の着ている衣を吹き、長江の水が己まず東へ流れ去り、一方には西に傾く太陽の光がかすかになってゆく。

淅淅 雨がまばらに降るさま。(雨が)しとしとと静かに降るさま。風の音のするさま。淅淅として樹梢を払ふ風の声に・・・。

西日徴 西方にかたむく太陽の光がかすかである。

 

天清小城擣練急,石古細路行人稀。

天はすっきりとしてこの小さい城に練衣を搗つ音がせわしくきこえるし、ふるびた石ころの横たわっている細路にはみちゆく人も稀である。

小城 夔州の城をさす。

擣練急 せわしくねりぎねをうつ、留守居の妻が征夫のために寒衣の用意をするのである。

杜甫《巻七70 擣衣》
亦知戍不返,秋至拭清砧。
已近苦寒月,況經長別心。
寧辭擣衣倦,一寄塞垣深。
用盡閨中力,君聽空外音。

(衣を擣つ)
亦た知る戊【じゅう】の返らざるを、秋至りて清砧【せいちん】を拭【ぬぐ】う。
己に近し苦寒の月、況【いわ】んや長別の心を経たるをや。
寧【なん】ぞ辭せん擣衣【とうい】の倦【う】むを,一に塞垣【さいえん】の深きに寄す。
用い尽くす閨中【けいちゅう】の力 君聴け空外【くうがい】の音を。

今年もまた辺境のまもりにでている夫が返ってはこないことがわかったので、わたしは秋がきたから汚れを「きぬた」払って冬の寒さの仕度をする。
もはや貧しいものに厳しい苦寒の月もまぢかになってきた、ましてもう長く別れている妻の私の心もちにおいていえるのだ。
どうして衣を打つに疲れるぐらいのことを厭おうというのか、厭いはしない。心はただ一つ、着物を仕立てて奥まった遠い塞にいる人のところへ送ってやろうとおもうばかりなのである。
この閨に住んでいる女の力を精一杯だして衣を打つのであるが、あなたは空に伝わるその音をどうぞ心とめて聞いてください。

搗衣(擣衣)【とうい】砧【きぬた】で衣を打つこと。「擣【う】つ砧を臼にいれ、布を杵(棒杵)でつく。砧でつくのは洗濯ではなく、冬用の厚いごわごわした布を柔軟にするため。
搗衣(擣衣) 杜甫 <295> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1352 杜甫詩 700- 415

李白『子夜呉歌其三 秋』「長安一片月、万戸擣衣声。秋風吹不尽、総是玉関情。何日平胡虜、良人罷遠征。」(長安 一片の月、万戸衣を擣つの声。秋風 吹いて尽きず、総て是れ玉関【ぎょくかん】の情。何【いず】れの日か胡虜【こりょ】を平らげ、良人 遠征を罷【や】めん。)

李白24 子夜呉歌其三 秋 25 冬

 謝惠連 『擣衣』 
衡紀無淹度,晷運倐如催。白露滋園菊,秋風落庭槐。
肅肅莎雞羽,烈烈寒螿啼。夕陰結空
,宵月皓中閨。
美人戒裳服,端飾相招攜。簪玉出北房,鳴金步南階。
高砧響發,楹長杵聲哀。微芳起兩袖,輕汗染雙題。
紈素既已成,君子行未歸。裁用笥中刀,縫為萬里衣。
盈篋自余手,幽緘候君開。腰帶準疇昔,不知今是非。

 

不知明月為誰好,早晚孤帆他夜歸。

うつくしく月はかがやいているが、「誰にみよ!」として照っているのか知らないが、じぶんが孤帆をうかべて、将来、或る日の夜に、故郷へ帰るのはそれはいつのことであろうか。

為誰好 だれにながめよとてかくうつくしく照っているぞと月をうらむこころをいう。

早晩 おそかれはやかれ。

他夜帰 他夜は他日の夜、ここは後目の夜の意、将来をさす、帰るは故郷へかえることをいう。

 

會將白髮倚庭樹,故園池臺今是非。

とにかく自分はこの白髪の身ながらきっと故郷へもどって、庭樹によりかかって、この月をみるつもりだ。ところが、さて今は故郷の山野、田地、池や台は果たして旧のすがたでいるやいなや、心配で仕方がない。

 俗用で「必ず」の意。

倚庭樹 庭樹は故郷の家の庭の樹をいう、倚はよりかかりて立つことをいう。

故国 故郷の園、山野、田地、池や台は長安の住処をさす。

今是 非是とは旧のままのすがたであることをいい、非とは然らざること
安史の乱当時の勢力図 

767年-25 杜少陵集 《17-23 秋風,二首之一》 杜甫詩index-15-1155 <1605> 767年大暦2年56歲-25 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7422

杜甫  秋風,二首之一

秋風淅淅吹巫山,上牢下牢修水關。檣楚柁牽百丈,暖向神都寒未還。

要路何日罷長戟,戰自青羌連百蠻。中巴不曾消息好,暝傳戍鼓長雲間。

(秋風に自分のこころもちをのべている。)

秋の風がちりちりと巫山の峰を吹き、上牢でも下牢でも水上の関所を修繕する。呉楚の船は百丈の竹素にひかれてのぼるが、暖かい時節に成都に向かったのが寒くなった今日まだ戻ってはこない。(途中兵乱にさまたげられているのだ。)いつになったら要害の場所に長戟を振り回すようなことをなくすることができるのだろうか、今や戦いは西北は青羌の異民族のいる遠い処から西南は百蛮のおる地方まで連なっているのである。西鄰の中巴の地方からも、良い便りは得られないので、長く挽き映えた雲間から暗がりに番兵の太鼓のひびきが伝わってきつつあるのである。

杜少陵集17-23

秋風,二首之一

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杜甫詩index-15-

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杜甫詩1500-1155-1605/2500

 

 

年:767年大暦256-25

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    秋風,二首之一

作地點:              目前尚無資料

及地點:              巫山 (山南東道 夔州 巫山)              

巴州 (山南西道 巴州 巴州) 別名:巴中、巴  

交遊人物/地點:  

詩文:

 

秋風,二首之一

(秋風に自分のこころもちをのべている。)

秋風淅淅吹巫山,上牢下牢修水關。

秋の風がちりちりと巫山の峰を吹き、上牢でも下牢でも水上の関所を修繕する。

檣楚柁牽百丈,暖向神都寒未還。

呉楚の船は百丈の竹素にひかれてのぼるが、暖かい時節に成都に向かったのが寒くなった今日まだ戻ってはこない。(途中兵乱にさまたげられているのだ。)

要路何日罷長戟,戰自青羌連百蠻。

いつになったら要害の場所に長戟を振り回すようなことをなくすることができるのだろうか、今や戦いは西北は青羌の異民族のいる遠い処から西南は百蛮のおる地方まで連なっているのである。

中巴不曾消息好,暝傳戍鼓長雲間。

西鄰の中巴の地方からも、良い便りは得られないので、長く挽き映えた雲間から暗がりに番兵の太鼓のひびきが伝わってきつつあるのである。

 

(秋風,二首の一)

秋風淅淅として巫山を吹く、上牢下牢水関を修む。

呉檣楚柁百丈に牽かる、暖に成都に向かいて寒に未だ還らず。

要路何の日か長戟を罷めん、戦いは青羌より百蛮に連なる。

中巴得ず消息の好きを、瞑に伝う戍鼓 長雲の間。

 

 

『秋風,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

秋風,二首之一

秋風淅淅吹巫山,上牢下牢修水關。

檣楚柁牽百丈,暖向神都寒未還。

要路何日罷長戟,戰自青羌連百蠻。

中巴不曾消息好,暝傳戍鼓長雲間。
詩文(含異文)     秋風淅淅吹巫山,上牢下牢修水關。檣楚柁牽百丈,暖向神都【案:《唐志》:「光宅元年,號東都曰神都。」】寒未還【暖向成都寒未還】。要路何日罷長戟,戰自青羌連百蠻【戰自青羌連白蠻】。中巴不曾消息好【中巴不得消息好】,暝傳戍鼓長雲間。


(下し文)
(秋風,二首の一)

秋風淅淅として巫山を吹く、上牢下牢水関を修む。

呉檣楚柁百丈に牽かる、暖に成都に向かいて寒に未だ還らず。

要路何の日か長戟を罷めん、戦いは青羌より百蛮に連なる。

中巴得ず消息の好きを、瞑に伝う戍鼓 長雲の間。

(現代語訳)
秋風,二首之一(秋風に自分のこころもちをのべている。)

秋の風がちりちりと巫山の峰を吹き、上牢でも下牢でも水上の関所を修繕する。

呉楚の船は百丈の竹素にひかれてのぼるが、暖かい時節に成都に向かったのが寒くなった今日まだ戻ってはこない。(途中兵乱にさまたげられているのだ。)

いつになったら要害の場所に長戟を振り回すようなことをなくすることができるのだろうか、今や戦いは西北は青羌の異民族のいる遠い処から西南は百蛮のおる地方まで連なっているのである。

西鄰の中巴の地方からも、良い便りは得られないので、長く挽き映えた雲間から暗がりに番兵の太鼓のひびきが伝わってきつつあるのである。


(訳注)

秋風,二首之一

(秋風に自分のこころもちをのべている。)767年大暦256-この年25作目

1 秋風に対して世乱を傷むこころをのべている。大暦元年の作であろう。

 

秋風淅淅吹巫山,上牢下牢修水關。

秋の風がちりちりと巫山の峰を吹き、上牢でも下牢でも水上の関所を修繕する。

2 淅淅 風声をいう。

3 上牢下牢 関の名、上牢は巫峽、下牢は夷陵(今の湖北省宜昌府)のそれである。

4 修水關 修は修繕、秋に行なわれる。水関は水上に設ける関所。

 

檣楚柁牽百丈,暖向神都寒未還。

呉楚の船は百丈の竹素にひかれてのぼるが、暖かい時節に成都に向かったのが寒くなった今日まだ戻ってはこない。(途中兵乱にさまたげられているのだ。)

5 檣楚柁 呉楚の船をいう。

6 百丈 竹素の長さをいう。

 

要路何日罷長戟,戰自青羌連百蠻。

いつになったら要害の場所に長戟を振り回すようなことをなくすることができるのだろうか、今や戦いは西北は青羌の異民族のいる遠い処から西南は百蛮のおる地方まで連なっているのである。

7 要路 要害のみち。

8 罷長戟 長戟を用いることをやめる。長戟は賊を攻伐するのに用いるものである。○青光 吐春の売種。

9 百蠻 雋州(今の四川省寧遠府)の雋山は其の地が諸蛮部に接するが、その蛮部には烏蛮や白蛮がある。

 

中巴不曾消息好,暝傳戍鼓長雲間。

西鄰の中巴の地方からも、良い便りは得られないので、長く挽き映えた雲間から暗がりに番兵の太鼓のひびきが伝わってきつつあるのである。

中巴 《巻1531夔州歌十句,十首之一中巴之東巴東山,江水開闢流其間。白帝高為三峽鎮,夔州險過百牢關。」(中巴の東 巴東の山、江水かいえつ開闢よりして其の間に流る。白帝は高く三峡の鎮と為る、夔州の険は過ぐ百牢関。)にも見えている、今の重慶府をいう。後漢の劉璋は益州の牧となり、江(今の合州)以上を以て巴郡とし、江州(今の重慶府巴県)より臨江(今の忠州)までを永寧郡(すなわち巴西)とし、眗腮(今の雲陽の西)より魚復までを固陵郡(すなわち巴東)とした。これが三巴であるが、巴県は中部に在るので、これを中巴とする。

766-103杜甫 《巻1531夔州歌十句,十首之一》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-103 <966 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6485

消息好 たよりのよいことというのは戦乱のしずまることをさす。

瞑傳 くらがりにひびきをつたえる。

戍鼓 番兵の太鼓のおと。

長雲間 長くひきはえている雲のあいだ。
秋風二首 

767年-24 #5杜少陵集 《19-38 狄明府〔寄狄明府博濟〕#5》 杜甫詩index-15-1154 <1604> 767年大暦2年56歲-24 #5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7417 

杜甫詩1500-1154-1604/2500狄明府【寄狄明府博濟】#5

胡為漂泊岷漢間,干謁王侯頗歷抵。況乃山高水有波,秋風蕭蕭露泥泥。

虎之飢,下巉巖。蛟之橫,出清泚。早歸來,黃土泥衣眼易眯。

それなのに、あなたはなんで岷漢の間に点々と彷徨うて(杜甫は、1年半の間、蜀中輾転)地方の長官などの門を歴訪して面会をしてたのみごとなどしておられるのであるか。そればかりではない、ここは山が高くて水には波があり、秋風はさびしく吹いて露はしとどにおくとこるである。そして、虎の腹をへらしたやつは高い巌から下りてくる。そして、蚊は、ほんとうにきままなやつであり、それは清らかな水から出てくるというところなのである。だから、こんなところに居るのは無用のことである、早くかえりなんいざ、黄いろい塵土は衣をきたなくするし、眼はごみにはいりこまれてまどわされやすいものである。

杜少陵集19-38-#5

狄 明 府  #5(5分割)

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杜甫詩index-15-

767年大暦256 24 #5

11541604

 

 
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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年:767年大暦256-24 #4     

卷別:    卷二二二              文體:    七言古詩

詩題:    狄明府【案:博濟。】【寄狄明府】

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:房陵 (山南東道 房州 房陵)              

交遊人物/地點:   狄博濟    書信往來

詩文:

 

 

狄明府【寄狄明府博濟】

(狄仁傑の曾孫で蜀の某縣の縣令であった博濟に寄せた詩。)

梁公曾孫我姨弟,不見十年官濟濟。

あなたは狄梁公の曾孫でわたくしの母方のいとこであるが、十年のながい間にあなたが威儀をそなえた立派な朝官となられたのをみうけたのである。

大賢之後竟陵遲,浩蕩古今同一體。

染公の様な大賢人の子孫たる者が、ついに、これほど衰微していることは、ひろく古今をみわたすといつもかはらぬすがたでなげかはしいことである。

比看叔伯四十人,有才無命百寮底。

このごろ伯叔父の列にあるもの四十人ほどの有様をみるに、才はあるがよい運命をもたず多くの下積の役人になっているものが多いのである。

#2

今者兄弟一百人,幾人卓秉周禮。

また、今は一族のいとこども百人ほどおり、そのうちで幾人がすぐれたものが朝廷に立って施政の禮をとり、守るものがあるのである。

在汝更用文章為,長兄白眉復天

あなたはその上によく文章を働かす人であり、いちばんの兄さんは馬氏の白眉の様に天賦の才能をもっておられる。(それにやっぱりおちぶれておられるのだ)。

汝門請從曾翁太后當朝多巧詆。

あなたの家のことを曾祖父さまから謂うて見るならば、則天太后が朝政にあたられたときはよそから非難するものが多かつた。

#3

狄公執政在末年,濁河終不清濟。

その末年になって狄梁公が政権をお執りになったが、濁った黄河はどうしても清んだ済水をけがすことはできなかった。(狄公をわるもののなかまにいれることはできなかった。)

國嗣初將付諸武,公獨廷諍守丹陛。

当時、周の國のおこりはじめ期で、武将の職をいろいろの武氏一門の人に付与しょうとしたが、狄公は朝廷でひとりでそのことについて諌めたが、貶められることはなく、丹陛から身動きもされることはなかった。

禁中決冊請房陵,前朝長老皆流涕。

それから禁中ではかりごとをきめて房陵に遷されていた中宗をみやこへ請い迎え位に復し奉った。これによって前朝の長老たちは皆感涙をながした。

#4

太宗社稷一朝正,漢官威儀重昭洗。

これで太宗の建てられた社稜は一朝にして正しくなり、漢官の威儀は汚れをきよめられてふたたび光明をはなつようになった。

時危始識不世才,誰謂荼苦甘如薺。

時世が危くなってはじめて不世出の人才というものが出てくるもので、梁公の如きはそれで、梁公は「如何なる艱苦をも甘し」とされたのである。《詩経》に「だれが苦菜を苦いというぞ、苦菜は甘くて薺のようだ」というてあるが梁公の気持はそんなものであったのだ。

汝曹又宜列土食,身使門多旌棨。

かかる梁公の子孫であってみれば、あなたがたは鼎をつらねて御馳走をたべ、自身にはおのが門戸に旌棨をたくさんならべて建てるほどのいい地位にのぼるが至当なのである。

#5

胡為漂泊岷漢間,干謁王侯頗歷抵。

それなのに、あなたはなんで岷漢の間に点々と彷徨うて(杜甫は、1年半の間、蜀中輾転)地方の長官などの門を歴訪して面会をしてたのみごとなどしておられるのであるか。

況乃山高水有波,秋風蕭蕭露泥泥。

そればかりではない、ここは山が高くて水には波があり、秋風はさびしく吹いて露はしとどにおくとこるである。
虎之飢,下巉巖。

そして、虎の腹をへらしたやつは高い巌から下りてくる。
蛟之橫,出清泚。

そして、蚊は、ほんとうにきままなやつであり、それは清らかな水から出てくるというところなのである。

早歸來,黃土泥衣眼易眯。

だから、こんなところに居るのは無用のことである、早くかえりなんいざ、黄いろい塵土は衣をきたなくするし、眼はごみにはいりこまれてまどわされやすいものである。

(狄明府)【狄明府博濟に寄す】

染公の曾孫我が姨弟、十年にして官濟濟たるを見ず。

大賢の後竟に陵遅す、浩蕩古今同じく一體なり。

此ごろ看る 伯叔四十人、才有り命無し 百寮の底。

#2

今者兄弟 一百人、幾人か卓絶 周禮をる。

汝に在りでは更に文章を用ふと為す、長兄は白眉復た天啓なり。』

汝が門請ふ曾翁よりかむ、太后 朝に當るとき巧詆多し。

#3

狄公 政をる末年に在り,濁河 終に清濟をさず

國嗣の初將 諸武に付し,公 獨り廷諍して丹陛を守る。

禁中 冊を決して房陵を請う,前朝の長老 皆 流涕す。

#4

太宗の社稷 一朝に正し,漢官の威儀 重ねて昭洗す。

時危くして始めて識る不世の才,誰か荼を苦しと謂う甘きこと薺の如し。

汝が曹 又た 宜しく土を列して食し,身 門をして旌棨多からしむべし。

#5

胡為れぞ岷漢の間に漂泊して,王侯に干謁して頗る歷抵するや。

況んや乃ち山高くして水に波有り,秋風 蕭蕭として 露 泥泥たり。

虎の飢うる,巉巖より下る。

蛟の橫【ほしいまま】なる,清泚より出づるをや。

早く歸り來れ,黃土衣を泥し 眼 眯【まよ】わされ易し。

 

 長江三峡

『狄明府』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#5

胡為漂泊岷漢間,干謁王侯頗歷抵。

況乃山高水有波,秋風蕭蕭露泥泥。

虎之飢,下巉巖。

蛟之橫,出清泚。

早歸來,黃土泥衣眼易

(下し文)
#5

胡為れぞ岷漢の間に漂泊して,王侯に干謁して頗る歷抵するや。

況んや乃ち山高くして水に波有り,秋風 蕭蕭として 露 泥泥たり。

虎の飢うる,巉巖より下る。

蛟の橫【ほしいまま】なる,清泚より出づるをや。

早く歸り來れ,黃土衣を泥し 眼 【まよ】わされ易し

(現代語訳)
#5

それなのに、あなたはなんで岷漢の間に点々と彷徨うて(杜甫は、1年半の間、蜀中輾転)地方の長官などの門を歴訪して面会をしてたのみごとなどしておられるのであるか。

そればかりではない、ここは山が高くて水には波があり、秋風はさびしく吹いて露はしとどにおくとこるである。

そして、虎の腹をへらしたやつは高い巌から下りてくる。

そして、蚊は、ほんとうにきままなやつであり、それは清らかな水から出てくるというところなのである。

だから、こんなところに居るのは無用のことである、早くかえりなんいざ、黄いろい塵土は衣をきたなくするし、眼はごみにはいりこまれてまどわされやすいものである。


(訳注) #5

狄明府【寄狄明府博濟】

(狄仁傑の曾孫で蜀の某縣の縣令であった博濟に寄せた詩。)767大暦二年夔州での作。

1 狄明府博 狄博濟は姓名。明府は縣令の敬称、詩中に「漂泊岷漢間」の語あるので、蜀地漢州の某縣の縣令であったとおもわれる人物である。

 

胡為漂泊岷漢間,干謁王侯頗歷抵。

それなのに、あなたはなんで岷漢の間に点々と彷徨うて(杜甫は、1年半の間、蜀中輾転)地方の長官などの門を歴訪して面会をしてたのみごとなどしておられるのであるか。

46 岷漢 岷山・長江、漢水の水、蜀地にある。岷山山脈を水源とする流域。中国,四川省北部,甘粛との省境にあり,北西から南東にのびる山脈。〈びんざん〉とも読む。西は黄河をはさんでアニエマチェン(アムネマチン)山脈に連なり,東は嘉陵江をはさんで米倉山と接する。

47 千謁 求める所あって謁する。

48 侯王 地方の長官などをいう。

49 歴抵 抵の字はもと誌に作る。銭氏は抵に改める、諸本はこれによる。抵の字が正しい。歴抵とは二その門に至って謁することをいう。

 

況乃山高水有波,秋風蕭蕭露泥泥。

そればかりではない、ここは山が高くて水には波があり、秋風はさびしく吹いて露はしとどにおくとこるである。

50 泥泥 蕗の濡うさま。

 

虎之飢,下巉巖。

そして、虎の腹をへらしたやつは高い巌から下りてくる。

51 巉巖 たかいいわお。

 

蛟之橫,出清泚。

そして、蚊は、ほんとうにきままなやつであり、それは清らかな水から出てくるというところなのである。

52 清批 池は水の清らかなこと。

 

早歸來,黃土泥衣眼易眯。

だから、こんなところに居るのは無用のことである、早くかえりなんいざ、黄いろい塵土は衣をきたなくするし、眼はごみにはいりこまれてまどわされやすいものである。

53 歸來 《楚辭.宋玉.招魂》「魂兮歸來,南方不可以止些。」(魂よ歸り來れ,南方は不可以て止まるべからず。)陶潜「歸去來辭」

 

夔州三峡 


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