杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

2016年05月

767年- 30 杜少陵集-巻18-63 《江雨有懷鄭典設》30 杜甫詩index-15-1186 <1636> 18-63漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7592

杜甫  江雨有懷鄭典設

春雨闇闇塞峽中,早晚來自楚王宮。亂波紛披已打岸,弱雲狼籍不禁風。

寵光蕙葉與多碧,點注桃花舒小紅。谷狗子真正憶汝,岸高瀼滑限西東。
(大江のほとりに雨が降り続く、東屯にいる、鄭某典設郎を思ってこの詩を作る)

春の雨が降り辺りはくらく峡中にどんよりとふさがっている、その雨と雲はいつのまにか楚王宮の方からやってきたのである。大江に乱れ立つ波がばたばたと岸を打つし、弱弱しい雲も乱暴にみだれ飛んで、この風に立ち向かって耐えることもできない。この雨は蕙葉に対しては特別のひいきをして多くの発色を光栄を与えてくれるし、また桃の花の上にぼちぼちと降り挿しては、微かな紅色を螢揮させている。長安南の谷狗の地に耕し、巌石の下に耕したと賢の鄭子真ともいうべき鄭君よ、自分は生丁度、君のことをおもっているのだが、岸は高く瀼水は水かさが増えて渡れない(ひろくて)、おたがいを西と東とにくぎりつけられているのでいたしかたがない。

杜少陵集 卷一八63

江雨有懷鄭典設

 

杜甫詩index-15 767年大暦256 (30)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7592

 

 

 

 

 杜甫詩1500-1189-1639/2500

767- 30 杜少陵集-18-63 江雨有懷鄭典設

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二三一 28

文體:

七言律詩

杜少陵集 

18-63

 

 

詩題:

江雨有懷鄭典設

大厯二年瀼西作  唐書東官有典設郎四人

作地點:

奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:

瀼西 (山南東道 夔州 奉節)            

 

楚王宮 (山南東道 夔州 巫山)

交遊人物:

鄭典設    書信往來

交遊人物:

 

 

 

 

 

同時期のこれから掲載する詩

18-63     30江雨有懷鄭典設

18-64     31熟食日示宗文宗武

18-65     32                        又示兩兒

18-66     33                        得舍弟觀書自中都已達江陵今茲暮春月末行李合到夔州悲喜相兼團圓可待賦詩即事待賦詩即事情見乎詞

18-67     34          喜觀即到復題短篇,二首之一

18-68     35          喜觀即到復題短篇,二首之二

18-71     36                        送惠二歸故居

18-69     37                       卷一八69 晚登瀼上堂(故躋瀼岸高,頗免崖石擁)

18-72     38                        承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句十二首

18-73     39          承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句,十二首之二

18-74     40          承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句,十二首之三

18-75     41          承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句,十二首之四

18-76     42          承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句,十二首之五

18-77     43          承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句,十二首之六

18-78     44          承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句,十二首之七

18-79     45          承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句,十二首之八

18-80     46          承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句,十二首之九

18-81     47          承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句,十二首之十

18-82     48          承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句,十二首之十一

18-83     49          承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句,十二首之十二

 

 

  卷231_28 《江雨有懷鄭典設》杜甫 

春雨暗暗塞峽中,早晚來自楚王宮。亂波分披已打岸, 弱雲狼藉不禁風。

寵光蕙葉與多碧,點注桃花舒小紅。 穀口子真正憶汝,岸高瀼滑限西東。 

 

 

江雨有懷鄭典設(卷一八63(四)一六一四)

春雨闇闇塞峽中,早晚來自楚王宮。亂波紛披已打岸,弱雲狼籍不禁風。

寵光蕙葉與多碧,點注桃花舒小紅。谷狗子真正憶汝,岸高瀼滑(一作闊)限西東。

 

卷一八63

江雨有懷鄭典設

(大江のほとりに雨が降り続く、東屯にいる、鄭某典設郎を思ってこの詩を作る)

春雨闇闇塞峽中,早晚來自楚王宮。

春の雨が降り辺りはくらく峡中にどんよりとふさがっている、その雨と雲はいつのまにか楚王宮の方からやってきたのである。

亂波紛披已打岸,弱雲狼籍不禁風。

大江に乱れ立つ波がばたばたと岸を打つし、弱弱しい雲も乱暴にみだれ飛んで、この風に立ち向かって耐えることもできない。

寵光蕙葉與多碧,點注桃花舒小紅。

この雨は蕙葉に対しては特別のひいきをして多くの発色を光栄を与えてくれるし、また桃の花の上にぼちぼちと降り挿しては、微かな紅色を螢揮させている。

谷狗子真正憶汝,岸高瀼滑(闊)限西東。

長安南の谷狗の地に耕し、巌石の下に耕したと賢の鄭子真ともいうべき鄭君よ、自分は生丁度、君のことをおもっているのだが、岸は高く瀼水は水かさが増えて渡れない(ひろくて)、おたがいを西と東とにくぎりつけられているのでいたしかたがない。

 

(江雨 鄭典設を懷う有り)

春雨 闇闇峡中に塞る、早晩 楚王の宮より来る。

亂波 紛披已に岸を打つ、弱雲 狼籍風に禁へず。

蕙葉に寵光して 多碧を與へ、桃花に點注して小紅を舒べしむ。

谷狗の子真 正に汝を憶う、岸高く 瀼滑(闊くして)西東を限る。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

『江雨有懷鄭典設』現代語訳と訳註解説
(
本文)

江雨有懷鄭典設

春雨闇闇塞峽中,早晚來自楚王宮。

亂波紛披已打岸,弱雲狼籍不禁風。

寵光蕙葉與多碧,點注桃花舒小紅。

谷狗子真正憶汝,岸高瀼滑(闊)限西東。

(下し文)
(江雨 鄭典設を懷う有り)
春雨 闇闇峡中に塞る、早晩 楚王の宮より来る。

亂波 紛披已に岸を打つ、弱雲 狼籍風に禁へず。

蕙葉に寵光して 多碧を與へ、桃花に點注して小紅を舒べしむ。

谷狗の子真 正に汝を憶う、岸高く 瀼滑(闊くして)西東を限る。


(現代語訳)
江雨有懷鄭典設(大江のほとりに雨が降り続く、東屯にいる、鄭某典設郎を思ってこの詩を作る)

春の雨が降り辺りはくらく峡中にどんよりとふさがっている、その雨と雲はいつのまにか楚王宮の方からやってきたのである。

大江に乱れ立つ波がばたばたと岸を打つし、弱弱しい雲も乱暴にみだれ飛んで、この風に立ち向かって耐えることもできない。

この雨は蕙葉に対しては特別のひいきをして多くの発色を光栄を与えてくれるし、また桃の花の上にぼちぼちと降り挿しては、微かな紅色を螢揮させている。

長安南の谷狗の地に耕し、巌石の下に耕したと賢の鄭子真ともいうべき鄭君よ、自分は生丁度、君のことをおもっているのだが、岸は高く瀼水は水かさが増えて渡れない(ひろくて)、おたがいを西と東とにくぎりつけられているのでいたしかたがない。


(訳注) 

江雨有懷鄭典設

(大江のほとりに雨が降り続く、東屯にいる、鄭某典設郎を思ってこの詩を作る)

1 江雨 長江のほとりに降る雨。朝廷にいた時に交流があった典設郎であった鄭某のことをおもうて作り寄せた詩。大暦二年壊西の作。

2 鄭 鄭の名に不明。

3 典設 典設は官名、東宮の官属に典設局あり、郎四人を置く、典設郎は湯沐・灑掃・舗陳の事を掌る。

 

春雨闇闇塞峽中,早晚來自楚王宮。

春の雨が降り辺りはくらく峡中にどんよりとふさがっている、その雨と雲はいつのまにか楚王宮の方からやってきたのである。

4 闇闇 くらき貌。

5 早晚 いつしか。

6 楚王宮 楚王の宮、巫山県東北一里にあるという。巫山の麓に戦国楚の離宮があったという伝言に基づいており、その北側のあたりは黄昏の色に染まる。雲雨荒台は楚の懐王が夢に神女に会ったという陽台をいう、宋玉の 「高唐賦」にいう、「昔者先王嘗遊高唐,怠而晝寢,夢見一婦人曰:‘妾,巫山之女也。爲高唐之客。聞君遊高唐,願薦枕席。’王因幸之。去而辭曰:‘妾在巫山之陽,高丘之阻,旦爲朝雲,暮爲行雨。朝朝暮暮,陽臺之下。」(昔先王(懐王をいう)嘗て高庸に遊ぶ、夢に一婦人を見て曰く「妾,巫山の女なり。高唐の客と爲す。君高唐に遊ぶを聞き,願わくば枕席を薦めんと。」、王因って之を幸す、去らんとして辞して曰く、妾は巫山の陽、高丘の岨に在り、旦には行雲と為り、暮には行雨と為る、朝朝暮暮、陽台の下にす)と。荒台というのは現にあれておる台であることをいう。「清一統志」にいう、陽台山は巫山県城内北隅にあり、高さ百丈、上に陽雲台の遺址あり、と。豈夢息とは反語にみる。宋玉の賦した所は必ずしも夢幻虚構の想像ではない、其の事実があったという。

白帝城 白帝城は中国重慶市奉節県の長江三峡に位置する地名。かつて新末後漢初の群雄公孫述がこの地に築いた城が白帝城と呼ばれたことが由来。永安宮ともいう。 三国時代、蜀の建国者劉備が夷陵の戦いで呉に敗れ、逃れたのが白帝城。劉備は後事を諸葛亮に託し、この城で没した。

返照

楚王宮北正黃昏,白帝城西過雨痕。

返照入江翻石壁,歸雲擁樹失山村。

衰年肺病唯高枕,塞愁時早閉門。

不可久留豺虎亂,南方實有未招魂。

766-149杜甫 1557返照》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-149 <1021 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6785

 

亂波紛披已打岸,弱雲狼籍不禁風。

大江に乱れ立つ波がばたばたと岸を打つし、弱弱しい雲も乱暴にみだれ飛んで、この風に立ち向かって耐えることもできない。

7 紛披 みだるる貌。 

8 狼籍 無法な荒々しい振る舞い。乱暴な行い。

9 禁 耐ふるなり。

 

寵光蕙葉與多碧,點注桃花舒小紅。

この雨は蕙葉に対しては特別のひいきをして多くの発色を光栄を与えてくれるし、また桃の花の上にぼちぼちと降り挿しては、微かな紅色を螢揮させている。

10 寵光 寵愛し光栄を加ふる意。

11 蕙 萱に夜毎生ずる蘭の二種。

12 點注 ちよりとさす。

 

谷狗子真正憶汝,岸高瀼滑(闊)限西東。

長安南の谷狗の地に耕し、巌石の下に耕したと賢の鄭子真ともいうべき鄭君よ、自分は生丁度、君のことをおもっているのだが、岸は高く瀼水は水かさが増えて渡れない(ひろくて)、おたがいを西と東とにくぎりつけられているのでいたしかたがない。

13 谷狗子真 漢の鄭樸字は子真、長安の南の谷狗の地に耕し、巌石の下に耕したと賢を以てこうさくしたと、鄭姓の故事を「揚子法言」に有ることに基づくもの。《巻八22 寄張十二山人彪三十韻》耕岩非穀口,結草即河濱。漢の鄭撲字は子真がこと。此の句は張彪の隠れる地が長安近くではないことをいう。寄張十二山人彪三十韻 杜甫 <318-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1484 杜甫詩 700- 459 《巻一26 鄭駙馬宅宴洞中』「自是秦樓壓鄭穀,時聞雜佩聲珊珊。」(自ら是 秦楼  鄭谷を圧す、時に聞く 雑佩の声珊珊たるを。) 

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

14 汝 鄭典設をさす。

15 瀼滑 紛の字一に閲に作る、閥に紀ふ。乗法水ゆかにはげのひろき=と。

16 限西東 作者は瀼西に住す、鄭は東屯に住んでいたものらしい。

瞿塘峡001 

 

  江雨有懐鄭典設鶴注此當是大厯二年瀼西作/ 唐書東官有典設郎四

春雨闇闇/音色晉/作發峽中早晚來自楚王亂波

一作/披已打岸弱雲狼藉不禁/風寵光蕙葉與多碧

注桃花舒小紅谷口子真正憶汝岸高瀼滑一作/西東

上四江上雨景下四對景懐鄭先楚王用神女/雲雨事波撼雲飛未雨而狂風 發患碧桃紅經

雨而花木爭妍不禁不能耐風也。龍洞簫賦若凱風紛/ 張華詩僵禽正狼藉 詩為 為光注龍寵也易

林嘉樂君子為國寵光/梁元帝詩雨罷禁生光 古賦天雨之施恵於蕙葉羽/孔雀賦五色

參差有沈約詩桃枝紅若授紫桃雜組曰寵光/唐詩 此二語施之官職選 間則寵光乃特恩之意

注乃注授之意顧注此詩寵光注加之蕙葉桃花/見雨露之恩蕙桃獨霑也。 公自赤甲遷居瀼西則鄭

必居瀼/東矣

 

767年- 29 杜少陵集-巻18-61 《暮春題瀼西新賃草屋,五首之五》29 杜甫詩index-15-1188 <1638> 18-61漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7587

杜甫  暮春題瀼西新賃草屋五首其五

欲陳濟世策,已老尚書郎。未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。 

時危人事急,風逆羽毛傷。落日悲江漢,中宵淚滿床。 

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、尚書工部員外郎であっても、夔州にいたのでは何の力にもなりえない悔しさを述べる。)その5  自分は世をすくう策を天子の御前で陳べたくおもうところであるが、もはやこの尚書の郎官たる自分は老いてしまった。それに、いまだに施政が落ち着かず、犲狼どものたたかいがやむことはなく、文官の列、鴛鷺の行列にある自分も、愧じいるばかりである。時世は安らかならず人民の生計は急をつげて、窮迫している。自分には風にさかさまに吹きつけられて肝心な羽や毛はそこなわれているのである。それでまた今日も、夕日の落ちるころとなると、江漢の地で悲しい思いをましてきて、夜中になったころには涙が寝牀にいっぱいにあふれる。

杜少陵集 卷一八61

暮春題西新賃草屋,五首之五

 

杜甫詩index-15 767年大暦256 (29)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7587

 

 

 

 

杜甫詩1500-1188-1638/2500

18-61   29        暮春題瀼西新賃草屋,五首之五

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二九 46 -5

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-61

 

 

詩題:

暮春題瀼西新賃草屋,五首之五

年譜大厯二年自赤甲将遷居瀼西而作。 

作地點:

奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:

瀼西 (山南東道 夔州 奉節)            

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

229_46 《暮春題瀼西新賃草屋五首》杜甫 

暮春題瀼西新賃草屋五首其一

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したもの)久嗟三峽客,再與暮春期。

三峡の客である自分はいつものことながらまたなげく、ここ夔州へ来てから二度春の暮れにであうことになった。

百舌欲無語,繁花能幾時。 

百舌鳥も鳴かなくなろうとしでいるし、繁く咲いていた花も、あとどれだけの時間、持続していられるものか。

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。

谷はがらんどうで雲気薄くたちのぼり、波がみだれて水上の日のかがやきがいつまでもつづく。

戰伐何由定,哀傷不在茲。 

どうしたら戦伐が平定せられることであろうか、これこそ自分の哀傷のやどるところであって、自分の哀傷はただ春が暮れゆくなんぞの点に在るのではない。

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の一)

久しく嗟す 三峽の客,再び 暮春と期す。

百舌 語無からんと欲す,繁花 能く幾時ぞ。

谷 虛しくして雲氣薄く,波 亂れて日華 遲し。

戰伐 何に由りてか定まらん,哀傷は 茲に在らず。(

 

暮春題瀼西新賃草屋五首其二

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、ミカンの木を植えたいと思っていることを述べる。)その2

此邦千樹橘,不見比封君。

この土地で千本のみかんの木を植えると、「皆與千戸侯等」とされ、その地の君王か、縣令にくらべてもおかしくないということで、自分もたくさん植えたけれど、とても金持ちの資格はないかもしれない。

養拙干戈際,全生麋鹿群。 

ただ兵乱の際にもちまえの世渡り下手なところを養い、麋鹿のむれにまじって生命を全うするだけのことである。

畏人江北草,旅食瀼西雲。

人をはばかつては江北の草によりそい旅の飯を食べながら瀼西の雲を伴としているが、隠者の住まいの白雲とは異なるものである。

萬里巴渝曲,三年實飽聞。 

萬里のかたいなかの巴渝の歌も三年聞いてしまったので、実に聞き飽きたのである。

暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の二)

此の邦の千樹の橘は。封君に比せらるるを見ず。

拙を養う 干戈(カンカ)の際、生を全うす 麋鹿の群。

人を畏る 江北の草、旅食す 瀼西の雲。

万里のかなたのこの巴渝の曲、三年実に聞くに飽く。

暮春題瀼西新賃草屋五首其三

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、植えた蜜柑の樹が育ってきていることを述べる。)その3

彩雲陰複白,錦樹曉來青。

五色の雲が浮いていたが、くもりになってまた白くなってきたようだ。白雲は、彩雲の色にうつろうて、錦のように見えていた蜜柑樹の葉も暁からかけて、日々に青色も濃くなってゆく。

身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。 

自分はこの世、この地に於て、隠棲し、今はただ左右のもつれた鬢の毛をあますばかりであり、天地のあいだにただ一つのこの草堂、草亭があるばかりだ。

哀歌時自惜,醉舞為誰醒。

ひとりで哀れな歌をうたって世間に名声を売ろうというわけではないが、我自らのことを愛惜し、だれのためとて醒めてくらす必要もないから酔うて舞をもうたりする。

細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。 

小雨がふってきたので耕すのに鋤を荷うて外に立つと、翠の屏風の様な山壁で江の猿がなきさけんでいる。

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の三)

彩雲 陰りて 複た白し,錦樹 曉來りて 青し。

身世 雙 蓬鬢,乾坤 一草の亭。

哀歌 時に自ら惜む,醉舞 誰の為にか醒めん。

細雨 鋤を荷いて立てば,江猿 翠屏に吟ず。

 

 

暮春題瀼西新賃草屋五首其四

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、安史の乱が終わっても、天下が治まっていないことを述べる。)その4

壯年學書劍,他日委泥沙。

自分は壮年の時に書や剣を學んだが、後日になるとそれは役に立たず、わが身は世に用いられることはなく、泥沙にすてられるだけであった。

事主非無祿,浮生即有涯。 

嘗て天子にお事えをして、俸禄を頂戴したことが無いわけではないが、人の生活には際限があっていつのまにか老衰になった。

高齋依藥餌,域改春華。

それで高斎(瀼西の草堂)で薬餌にたよっているたまに、この絶域で春景色が二度も改まることになった。

喪亂丹心破,王臣未一家。 

喪乱のために自分の赤い忠誠心は破壊されてしまった。王臣どもが臣節を尽くさず、兵を弄して天下がまだ一家の様に秩序されないからである。

 

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の四)

壮年 書剣を學ぶ、他日泥沙に委せらる。

主に事へて禄無きに非ず、浮生 即ち 涯有り。

高寮薬餌に依りて、絶域 春華改まる。

喪亂 丹心破る、王臣 未だ一家ならす。

 

暮春題瀼西新賃草屋五首其五

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、尚書工部員外郎であっても、夔州にいたのでは何の力にもなりえない悔しさを述べる。)その5

欲陳濟世策,已老尚書郎。

自分は世をすくう策を天子の御前で陳べたくおもうところであるが、もはやこの尚書の郎官たる自分は老いてしまった。

未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。 

それに、いまだに施政が落ち着かず、犲狼どものたたかいがやむことはなく、文官の列、鴛鷺の行列にある自分も、愧じいるばかりである。

時危人事急,風逆羽毛傷。

時世は安らかならず人民の生計は急をつげて、窮迫している。自分には風にさかさまに吹きつけられて肝心な羽や毛はそこなわれているのである。

落日悲江漢,中宵淚滿床。 

それでまた今日も、夕日の落ちるころとなると、江漢の地で悲しい思いをましてきて、夜中になったころには涙が寝牀にいっぱいにあふれる。

 

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の五)

濟世の策を陳べんと欲するも,已に老いたり尚書郎。

未だ豺虎の鬥い息まず,空しく慚づ 鴛鷺の行。

時 危くして 人事 急なり,風 逆にして羽毛 傷わる。

落日 江漢に悲しむ,中宵 淚 床に滿つ。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

『暮春題瀼西新賃草屋,五首之五』現代語訳と訳註解説
(
本文)

暮春題瀼西新賃草屋五首其五

欲陳濟世策,已老尚書郎。

未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。

時危人事急,風逆羽毛傷。

落日悲江漢,中宵淚滿床。

(下し文)
(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の五)

濟世の策を陳べんと欲するも,已に老いたり尚書郎。

未だ豺虎の鬥い息まず,空しく慚づ 鴛鷺の行。

時 危くして 人事 急なり,風 逆にして羽毛 傷わる。

落日 江漢に悲しむ,中宵 淚 床に滿つ。

(現代語訳)
暮春題瀼西新賃草屋五首其五(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、尚書工部員外郎であっても、夔州にいたのでは何の力にもなりえない悔しさを述べる。)その5

自分は世をすくう策を天子の御前で陳べたくおもうところであるが、もはやこの尚書の郎官たる自分は老いてしまった。

それに、いまだに施政が落ち着かず、犲狼どものたたかいがやむことはなく、文官の列、鴛鷺の行列にある自分も、愧じいるばかりである。

時世は安らかならず人民の生計は急をつげて、窮迫している。自分には風にさかさまに吹きつけられて肝心な羽や毛はそこなわれているのである。

それでまた今日も、夕日の落ちるころとなると、江漢の地で悲しい思いをましてきて、夜中になったころには涙が寝牀にいっぱいにあふれる。


(訳注) 

暮春題瀼西新賃草屋五首其五

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、尚書工部員外郎であっても、夔州にいたのでは何の力にもなりえない悔しさを述べる。)その5

 

欲陳濟世策,已老尚書郎。

自分は世をすくう策を天子の御前で陳べたくおもうところであるが、もはやこの尚書の郎官たる自分は老いてしまった。

22 濟世 救世とは世を濟助する人。 《莊子庚桑楚第二十三》「簡髮而櫛,數米而炊,竊竊乎又何足以濟世哉!舉賢則民相軋,任知則民相盜。」(髮を簡【えら】びて櫛り,米を數えって炊ぐ,竊竊【せつせつ】又、何ぞ以て世を濟うに足らんや!賢を舉ぐれば則ち 民 相い軋り,知に任ずれば則ち 民 相い盜む。髪の毛を一本一本揃えて櫛をれたり、コメを一粒一粒数えて炊くといったような煩わしいやり方で、こそこそと事に処して着たものである果たしてそのようなことが、どれほどのようなことがどれほどこの世を救い助けたであろうか。彼らの下様に賢人を選んで用いれば、人民は誰もが選ばれようと争い合うことになり、知恵のあるものを抜き出して高い地位につければ、誰もが悪賢くなって欺き合うようになる。

濟世

 

卷八20  寄彭州高三十五使君適虢州岑二十七長史參三十韻  ((二)六三八)

濟世宜公等,安貧亦士常。

18-61 暮春題瀼西新賃草屋,五首之五

欲陳濟世策,已老尚書郎。

《巻18-69 晚登瀼上堂》

濟世數嚮時,斯人各枯冢。

卷二三06  暮秋枉裴道州手札率爾遣興寄遞呈蘇渙侍御((五)二○一六)

聖朝尚飛戰鬥塵,濟世宜引英俊人。

卷一三27 奉待嚴大夫((三)一○九九)

殊方又喜故人來,重鎮還須濟世才。

杜甫は、具体的な「濟世策」を提案しているのは、《乾元元年華州試進士策問五首》に見える。

757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首 (23) 全体》 杜甫<1509-T 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340 杜甫詩1500/2500

23 尚書郎 ここは工部員外郎であった杜甫自身を意味する。尚書台の官僚、官吏。 長官が、尚書令。 次官が、僕射。部門責任者が尚書で、尚書郎は各部門の官僚、官吏である。

 

未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。

それに、いまだに施政が落ち着かず、犲狼どものたたかいがやむことはなく、文官の列、鴛鷺の行列にある自分も、愧じいるばかりである。

24 豺虎鬥 賀蘭進明・第五琦などに呼応した朝廷の悪賢い者たち、各地に相当組織だった盗賊になったものが多かったことなどをいう。

25 鴛鷺行 朝廷内で文官が列をなして行動すること。

 

時危人事急,風逆羽毛傷。

時世は安らかならず人民の生計は急をつげて、窮迫している。自分には風にさかさまに吹きつけられて肝心な羽や毛はそこなわれているのである。

26 人事急 人民の生計が急速に窮迫してきたことをいう。

27 羽毛傷 鴛鷺の行列の一員である杜甫自身の体が病弱で弱ってきたことを言う。傷 羽毛は鴛鴬の縁語である。

 

落日悲江漢,中宵淚滿床。

それでまた今日も、夕日の落ちるころとなると、江漢の地で悲しい思いをましてきて、夜中になったころには涙が寝牀にいっぱいにあふれる。

28 江漢 夔州の長江のほとりを言う。杜甫《23-11江漢》「江漢思歸客,乾坤一腐儒。」(江漢 歸えるを思う客,乾坤 一腐の儒。)江漢の名がるる地方において、自分は故郷に帰りたいと思っている旅客の人である茫々たる天地の間において、独りの腐儒者樽にとどまっているのである。

 


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767年- 28 杜少陵集-巻18-60 《暮春題瀼西新賃草屋,五首之四》28 杜甫詩index-15-1187 <1637> 18-60漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7582

杜甫  暮春題瀼西新賃草屋五首其四

壯年學書劍,他日委泥沙。事主非無祿,浮生即有涯。 

高齋依藥餌,域改春華。喪亂丹心破,王臣未一家。 

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、安史の乱が終わっても、天下が治まっていないことを述べる。)その4

自分は壮年の時に書や剣を學んだが、後日になるとそれは役に立たず、わが身は世に用いられることはなく、泥沙にすてられるだけであった。嘗て天子にお事えをして、俸禄を頂戴したことが無いわけではないが、人の生活には際限があっていつのまにか老衰になった。それで高斎(瀼西の草堂)で薬餌にたよっているたまに、この絶域で春景色が二度も改まることになった。喪乱のために自分の赤い忠誠心は破壊されてしまった。王臣どもが臣節を尽くさず、兵を弄して天下がまだ一家の様に秩序されないからである。

杜少陵集 卷一八60

暮春題西新賃草屋,五首之四

 

杜甫詩index-15 767年大暦256 (28)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7582

 

 

 

杜甫詩1500-1187-1637/2500

18-60   28        暮春題瀼西新賃草屋,五首之四

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二九 46 -4

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-60

 

 

詩題:

暮春題瀼西新賃草屋,五首之四

年譜大厯二年自赤甲将遷居瀼西而作。 

作地點:

奉節(山南東道 / 夔州 / 奉節)

及地點:

瀼西 (山南東道 夔州 奉節)            

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

229_46 《暮春題瀼西新賃草屋五首》杜甫 

暮春題瀼西新賃草屋五首其一

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したもの)久嗟三峽客,再與暮春期。

三峡の客である自分はいつものことながらまたなげく、ここ夔州へ来てから二度春の暮れにであうことになった。

百舌欲無語,繁花能幾時。 

百舌鳥も鳴かなくなろうとしでいるし、繁く咲いていた花も、あとどれだけの時間、持続していられるものか。

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。

谷はがらんどうで雲気薄くたちのぼり、波がみだれて水上の日のかがやきがいつまでもつづく。

戰伐何由定,哀傷不在茲。 

どうしたら戦伐が平定せられることであろうか、これこそ自分の哀傷のやどるところであって、自分の哀傷はただ春が暮れゆくなんぞの点に在るのではない。

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の一)

久しく嗟す 三峽の客,再び 暮春と期す。

百舌 語無からんと欲す,繁花 能く幾時ぞ。

谷 虛しくして雲氣薄く,波 亂れて日華 遲し。

戰伐 何に由りてか定まらん,哀傷は 茲に在らず。(

 

暮春題瀼西新賃草屋五首其二

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、ミカンの木を植えたいと思っていることを述べる。)その2

此邦千樹橘,不見比封君。

この土地で千本のみかんの木を植えると、「皆與千戸侯等」とされ、その地の君王か、縣令にくらべてもおかしくないということで、自分もたくさん植えたけれど、とても金持ちの資格はないかもしれない。

養拙干戈際,全生麋鹿群。 

ただ兵乱の際にもちまえの世渡り下手なところを養い、麋鹿のむれにまじって生命を全うするだけのことである。

畏人江北草,旅食瀼西雲。

人をはばかつては江北の草によりそい旅の飯を食べながら瀼西の雲を伴としているが、隠者の住まいの白雲とは異なるものである。

萬里巴渝曲,三年實飽聞。 

萬里のかたいなかの巴渝の歌も三年聞いてしまったので、実に聞き飽きたのである。

暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の二)

此の邦の千樹の橘は。封君に比せらるるを見ず。

拙を養う 干戈(カンカ)の際、生を全うす 麋鹿の群。

人を畏る 江北の草、旅食す 瀼西の雲。

万里のかなたのこの巴渝の曲、三年実に聞くに飽く。

暮春題瀼西新賃草屋五首其三

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、植えた蜜柑の樹が育ってきていることを述べる。)その3

彩雲陰複白,錦樹曉來青。

五色の雲が浮いていたが、くもりになってまた白くなってきたようだ。白雲は、彩雲の色にうつろうて、錦のように見えていた蜜柑樹の葉も暁からかけて、日々に青色も濃くなってゆく。

身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。 

自分はこの世、この地に於て、隠棲し、今はただ左右のもつれた鬢の毛をあますばかりであり、天地のあいだにただ一つのこの草堂、草亭があるばかりだ。

哀歌時自惜,醉舞為誰醒。

ひとりで哀れな歌をうたって世間に名声を売ろうというわけではないが、我自らのことを愛惜し、だれのためとて醒めてくらす必要もないから酔うて舞をもうたりする。

細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。 

小雨がふってきたので耕すのに鋤を荷うて外に立つと、翠の屏風の様な山壁で江の猿がなきさけんでいる。

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の三)

彩雲 陰りて 複た白し,錦樹 曉來りて 青し。

身世 雙 蓬鬢,乾坤 一草の亭。

哀歌 時に自ら惜む,醉舞 誰の為にか醒めん。

細雨 鋤を荷いて立てば,江猿 翠屏に吟ず。

 

 

暮春題瀼西新賃草屋五首其四

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、安史の乱が終わっても、天下が治まっていないことを述べる。)その4

壯年學書劍,他日委泥沙。

自分は壮年の時に書や剣を學んだが、後日になるとそれは役に立たず、わが身は世に用いられることはなく、泥沙にすてられるだけであった。

事主非無祿,浮生即有涯。 

嘗て天子にお事えをして、俸禄を頂戴したことが無いわけではないが、人の生活には際限があっていつのまにか老衰になった。

高齋依藥餌,域改春華。

それで高斎(瀼西の草堂)で薬餌にたよっているたまに、この絶域で春景色が二度も改まることになった。

喪亂丹心破,王臣未一家。 

喪乱のために自分の赤い忠誠心は破壊されてしまった。王臣どもが臣節を尽くさず、兵を弄して天下がまだ一家の様に秩序されないからである。

 

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の四)

壮年 書剣を學ぶ、他日泥沙に委せらる。

主に事へて禄無きに非ず、浮生 即ち 涯有り。

高寮薬餌に依りて、絶域 春華改まる。

喪亂 丹心破る、王臣 未だ一家ならす。

 

暮春題瀼西新賃草屋五首其五

欲陳濟世策,已老尚書郎。未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。 

時危人事急,風逆羽毛傷。落日悲江漢,中宵淚滿床。 

 

 

『暮春題瀼西新賃草屋,五首之三』現代語訳と訳註解説
(
本文)

暮春題瀼西新賃草屋五首其四

壯年學書劍,他日委泥沙。

事主非無祿,浮生即有涯。

高齋依藥餌,域改春華。

喪亂丹心破,王臣未一家。

(下し文)
(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の四)

壮年 書剣を學ぶ、他日泥沙に委せらる。

主に事へて禄無きに非ず、浮生 即ち 涯有り。

高寮薬餌に依りて、絶域 春華改まる。

喪亂 丹心破る、王臣 未だ一家ならす。


(現代語訳)
暮春題瀼西新賃草屋五首其四(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、安史の乱が終わっても、天下が治まっていないことを述べる。)その4

自分は壮年の時に書や剣を學んだが、後日になるとそれは役に立たず、わが身は世に用いられることはなく、泥沙にすてられるだけであった。

嘗て天子にお事えをして、俸禄を頂戴したことが無いわけではないが、人の生活には際限があっていつのまにか老衰になった。

それで高斎(瀼西の草堂)で薬餌にたよっているたまに、この絶域で春景色が二度も改まることになった。

喪乱のために自分の赤い忠誠心は破壊されてしまった。王臣どもが臣節を尽くさず、兵を弄して天下がまだ一家の様に秩序されないからである。


(訳注) 

暮春題瀼西新賃草屋五首其四

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、安史の乱が終わっても、天下が治まっていないことを述べる。)その4

 

壯年學書劍,他日委泥沙。

自分は壮年の時に書や剣を學んだが、後日になるとそれは役に立たず、わが身は世に用いられることはなく、泥沙にすてられるだけであった。

書劍 書物を学ぶ、詩文を書く、剣を鍛える。

他日 後日の意。

委泥沙 泥沙に委棄されることをいう。10年以上仕官活動をするもかなわなかった。

 

事主非無祿,浮生即有涯。 

嘗て天子にお事えをして、俸禄を頂戴したことが無いわけではないが、人の生活には際限があっていつのまにか老衰になった。

事主 757年至徳二年、左拾遺として仕えたので、天子をさす。

非無祿 俸禄を頂戴したことが無いわけではない。

浮生 「浮生若夢」人生とははかなく、まるで夢のように不確かなものでしかない。「浮生」は定めない人生という意味。

有涯 《莊子篇的養生主》「吾生也有涯,而知也無涯。」(吾生や 涯有りて,而して知るや 涯無し」。

 

高齋依藥餌,域改春華。

それで高斎(瀼西の草堂)で薬餌にたよっているたまに、この絶域で春景色が二度も改まることになった。

高齋 移居してすぐの詩であり、瀼西の草堂をいう。

依藥餌 持病を抱え薬に頼った生活をする。

 異民族との国境近くの夔州の地を言う。

改春華 春景色が二度も改まる。

 

喪亂丹心破,王臣未一家。 

喪乱のために自分の赤い忠誠心は破壊されてしまった。王臣どもが臣節を尽くさず、兵を弄して天下がまだ一家の様に秩序されないからである。

丹心 赤い忠誠心。

王臣 地方の武人等をさす。

未一家 天下一統さるろにこ至らざるか

767年- 27 杜少陵集-巻18-59 《暮春題瀼西新賃草屋,五首之三》27 杜甫詩index-15-1186 <1636> 18-59漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7577

杜甫  暮春題瀼西新賃草屋五首其三

彩雲陰複白,錦樹曉來青。身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。 

哀歌時自惜,醉舞為誰醒。細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。 

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、植えた蜜柑の樹が育ってきていることを述べる。)その3  五色の雲が浮いていたが、くもりになってまた白くなってきたようだ。白雲は、彩雲の色にうつろうて、錦のように見えていた蜜柑樹の葉も暁からかけて、日々に青色も濃くなってゆく。自分はこの世、この地に於て、隠棲し、今はただ左右のもつれた鬢の毛をあますばかりであり、天地のあいだにただ一つのこの草堂、草亭があるばかりだ。ひとりで哀れな歌をうたって世間に名声を売ろうというわけではないが、我自らのことを愛惜し、だれのためとて醒めてくらす必要もないから酔うて舞をもうたりする。小雨がふってきたので耕すのに鋤を荷うて外に立つと、翠の屏風の様な山壁で江の猿がなきさけんでいる。

杜少陵集 卷一八59

暮春題西新賃草屋,五首之三

 

杜甫詩index-15 767年大暦256 (27)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7572

 

 

 

杜甫詩1500-1186-1636/2500

18-58   27        暮春題瀼西新賃草屋,五首之三

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二九 46 -2

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-59

 

 

詩題:

暮春題瀼西新賃草屋,五首之三

年譜大厯二年自赤甲将遷居瀼西而作。 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西、赤甲)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

229_46 《暮春題瀼西新賃草屋五首》杜甫 

暮春題瀼西新賃草屋五首其一

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したもの)
久嗟三峽客,再與暮春期。

三峡の客である自分はいつものことながらまたなげく、ここ夔州へ来てから二度春の暮れにであうことになった。

百舌欲無語,繁花能幾時。 

百舌鳥も鳴かなくなろうとしでいるし、繁く咲いていた花も、あとどれだけの時間、持続していられるものか。

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。

谷はがらんどうで雲気薄くたちのぼり、波がみだれて水上の日のかがやきがいつまでもつづく。

戰伐何由定,哀傷不在茲。 

どうしたら戦伐が平定せられることであろうか、これこそ自分の哀傷のやどるところであって、自分の哀傷はただ春が暮れゆくなんぞの点に在るのではない。

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の一)

久しく嗟す 三峽の客,再び 暮春と期す。

百舌 語無からんと欲す,繁花 能く幾時ぞ。

谷 虛しくして雲氣薄く,波 亂れて日華 遲し。

戰伐 何に由りてか定まらん,哀傷は 茲に在らず。(

 

暮春題瀼西新賃草屋五首其二

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、ミカンの木を植えたいと思っていることを述べる。)その2

此邦千樹橘,不見比封君。

この土地で千本のみかんの木を植えると、「皆與千戸侯等」とされ、その地の君王か、縣令にくらべてもおかしくないということで、自分もたくさん植えたけれど、とても金持ちの資格はないかもしれない。

養拙干戈際,全生麋鹿群。 

ただ兵乱の際にもちまえの世渡り下手なところを養い、麋鹿のむれにまじって生命を全うするだけのことである。

畏人江北草,旅食瀼西雲。

人をはばかつては江北の草によりそい旅の飯を食べながら瀼西の雲を伴としているが、隠者の住まいの白雲とは異なるものである。

萬里巴渝曲,三年實飽聞。 

萬里のかたいなかの巴渝の歌も三年聞いてしまったので、実に聞き飽きたのである。

暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の二)

此の邦の千樹の橘は。封君に比せらるるを見ず。

拙を養う 干戈(カンカ)の際、生を全うす 麋鹿の群。

人を畏る 江北の草、旅食す 瀼西の雲。

万里のかなたのこの巴渝の曲、三年実に聞くに飽く。

暮春題瀼西新賃草屋五首其三

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、植えた蜜柑の樹が育ってきていることを述べる。)その3

彩雲陰複白,錦樹曉來青。

五色の雲が浮いていたが、くもりになってまた白くなってきたようだ。白雲は、彩雲の色にうつろうて、錦のように見えていた蜜柑樹の葉も暁からかけて、日々に青色も濃くなってゆく。

身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。 

自分はこの世、この地に於て、隠棲し、今はただ左右のもつれた鬢の毛をあますばかりであり、天地のあいだにただ一つのこの草堂、草亭があるばかりだ。

哀歌時自惜,醉舞為誰醒。

ひとりで哀れな歌をうたって世間に名声を売ろうというわけではないが、我自らのことを愛惜し、だれのためとて醒めてくらす必要もないから酔うて舞をもうたりする。

細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。 

小雨がふってきたので耕すのに鋤を荷うて外に立つと、翠の屏風の様な山壁で江の猿がなきさけんでいる。

 (暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の三)

彩雲 陰りて 複た白し,錦樹 曉來りて 青し。

身世 雙 蓬鬢,乾坤 一草の亭。

哀歌 時に自ら惜む,醉舞 誰の為にか醒めん。

細雨 鋤を荷いて立てば,江猿 翠屏に吟ず。

 

暮春題瀼西新賃草屋五首其四

壯年學書劍,他日委泥沙。事主非無祿,浮生即有涯。 

高齋依藥餌,域改春華。喪亂丹心破,王臣未一家。 

暮春題瀼西新賃草屋五首其五

欲陳濟世策,已老尚書郎。未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。 

時危人事急,風逆羽毛傷。落日悲江漢,中宵淚滿床。 

 

 

『暮春題瀼西新賃草屋,五首之三』現代語訳と訳註解説
(
本文)

暮春題瀼西新賃草屋五首其三

彩雲陰複白,錦樹曉來青。

身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。

哀歌時自惜,醉舞為誰醒。

細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。

(下し文)
暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の三)

彩雲 陰りて 複た白し,錦樹 曉來りて 青し。

身世 雙 蓬鬢,乾坤 一草の亭。

哀歌 時に自ら惜む,醉舞 誰の為にか醒めん。

細雨 鋤を荷いて立てば,江猿 翠屏に吟ず。


(現代語訳)
暮春題瀼西新賃草屋五首其三(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、植えた蜜柑の樹が育ってきていることを述べる。)その3

五色の雲が浮いていたが、くもりになってまた白くなってきたようだ。白雲は、彩雲の色にうつろうて、錦のように見えていた蜜柑樹の葉も暁からかけて、日々に青色も濃くなってゆく。

自分はこの世、この地に於て、隠棲し、今はただ左右のもつれた鬢の毛をあますばかりであり、天地のあいだにただ一つのこの草堂、草亭があるばかりだ。

ひとりで哀れな歌をうたって世間に名声を売ろうというわけではないが、我自らのことを愛惜し、だれのためとて醒めてくらす必要もないから酔うて舞をもうたりする。

小雨がふってきたので耕すのに鋤を荷うて外に立つと、翠の屏風の様な山壁で江の猿がなきさけんでいる。


(訳注) 

暮春題瀼西新賃草屋五首其三

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、植えた蜜柑の樹が育ってきていることを述べる。)その3

 

瀼西の草堂と蜜柑園がワン・セットになっていたらしいことを思わせる。また《1850_暮春題瀼西新賃草屋五首》其三の詩に「乾坤の一草亭」、すなわちこの草屋にあって「細雨に鋤を荷って立つ」とあるから、畑なども同時に付属していたらしいことがわかる。

 この詩の詠じ方からすると、瀼西に移り住んでからの、杜甫の蜜柑に対する関心は、果木の美しさを観賞するという立場ではなく、あきらかに経済的、経営的な立場からのそれである。彼の蜜柑園もまた商品作物であり、また即ちいわゆる封殖(土寄して栽培)することである。どのように言おうとも、彼は蜜柑園をとても重視していた」(『杜甫夔州詩現地研究』二八六頁。第Ⅲ部第一章参照)と述べているとおりである。蜜柑が商品作物だから当然お金で売り買いされる。杜甫もそのことはよく承知していた。

 

彩雲陰複白,錦樹曉來青。

五色の雲が浮いていたが、くもりになってまた白くなってきたようだ。白雲は、彩雲の色にうつろうて、錦のように見えていた蜜柑樹の葉も暁からかけて、日々に青色も濃くなってゆく。

【一】彩雲 朝の五色の雲。仙人に従って雲がわき、そこに朝日が射すことを言う。即ち、その地が、仙郷であることを言う。

【ニ】錦樹曉來青 錦樹とは雲彩相い映じて樹色錦をなすことをいうし。ミカンの木の葉が、日々に育っている模様を表現したもの。この時期において、杜甫にとって、農作物、蜜柑を栽培し、帰郷の資金づくりをすることであった。

 

身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。

自分はこの世、この地に於て、隠棲し、今はただ左右のもつれた鬢の毛をあますばかりであり、天地のあいだにただ一つのこの草堂、草亭があるばかりだ。

【三】 身世雙蓬鬢 この地で隠棲をしている風貌を見する。一身一世に於て故郷の山に半官半隠の生活を理想としている。そのためには、故郷に歸資金づくりに天から与えられたこの地において、蜜柑と野菜を作ることが今の目標である。

【四】 草亭 即ち瀼西の草堂。この草堂には、「細雨に鋤を荷って立つ」とあるから、蜜柑園と畑なども同時に付属していたらしいことがわかる。

 

哀歌時自惜,醉舞為誰醒。

ひとりで哀れな歌をうたって世間に名声を売ろうというわけではないが、我自らのことを愛惜し、だれのためとて醒めてくらす必要もないから酔うて舞をもうたりする。

【五】 哀歌・自惜 独自之を愛す。《莊子. 天地第十二》「子非夫博學以擬聖,於于以蓋眾,獨弦哀歌以賣名聲於天下者乎?」(子は夫の博く學びて以て聖に擬し,於于して以て眾を蓋い,獨弦 哀歌して以て名聲を天下に賣る者に非らざるか?農家のものが、広く学んで聖人の真似をして、大ぼらなのんきな気なことを言って、人を煙に巻き、独り哀歌を歌い、世間に名声を売ろうというものではないのか。に基づいている。

【六】 焦誰醍 何人のためにも醒むる必要なきなり。

 

細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。

小雨がふってきたので耕すのに鋤を荷うて外に立つと、翠の屏風の様な山壁で江の猿がなきさけんでいる。

【七】 翠屏 青山をいふ。

細雨荷鋤立 隠遁した陶潜《歸園田居 五首  其三》「帯月荷鋤歸」“月を帯び 鋤を荷いて帰る 月の光の下、鋤を担いで帰る.の詩のイメージに倣うものである。

歸園田居 五首  其三

種豆南山下,草盛豆苗稀。晨興理荒穢,帶月荷鋤歸。

道狹草木長,夕露沾我衣。衣霑不足惜,但使願無違。

(園田の居に 歸る 五首その三)

豆を種う 南山の下,草盛んにして豆苗稀なり。晨に興きて荒穢を 理【ととの】へ,月を帶び 鋤を荷ひて 歸る。

道狹くして草木長じ,夕露我が衣を霑らす。衣が霑るるは惜むに足らざれど,但だ願ひをして違ふことを無から使めよ。

 

  暮春題瀼西新賃草屋五首

年譜大厯二年自赤甲将遷居瀼西而作

久嗟三峽客、再與暮春期。百舌欲無語、繁花能幾時。

谷虚雲氣薄、波亂日華遲。戰伐何由定、哀傷不在

首章題 瀼西暮春 杜中四冩季春時景末二傷心世亂為後 兩章伏脉 臆久客而再逢暮春 見非初意百舌二句見

物候易遷谷虚二句見瀼土堪適豈谷内雲升春晴故曰薄波中日漾春長故遲不在 不在此戰伐 趙

反舌無聲在芒種後十日今欲無語則暮春時矣。  謝朓詩日華川上動

其二

此邦一作/北郊干樹橘、不見比封君。養拙干戈際、全生麋鹿羣。

畏人江北草、旅食瀼西雲。萬里巴渝曲、三年實飽聞。

次章題瀼西賃居、干地産貧瘠而託居於此不過為養拙全生計耳身際 戈故畏人而依江北之草同群麋鹿

故旅食而伴瀼西之雲三年聞曲、即所謂久嗟三峽客也。

公自永泰元年秋之雲安至此、為三年在夔州逢春則再度矣

江史 《貨殖傳》封者衣租税千之君率二十萬、蜀漢陵千樹橘、其人皆與千戸侯等。

交論 獨立高山之頂懽與麋鹿同群六 

魏文帝詩 客子常畏人

《漢禮樂志》巴渝鼓員三十 員注高帝初為

漢王得巴渝趫捷人與之定三秦滅楚存其樂為/巴渝樂 。巴州在今夔州府渝州今在重慶府

其三

綵雲隂復扶又/白、錦樹曉一作/來青。身世雙蓬鬢、乾坤一草亭。

哀歌時自惜、一作/醉舞為/誰醒。細雨荷/鋤立、江猿吟翠屏。

三章、對草屋、而有感也。句隂復白雲變態、曉來青雨後色二 屋前春景誰

趙汸注、雙蓬鬢老無所成。 一草亭窮無所歸草。 自惜 醒窮老獨悲雨 際聞猿觸景堪傷矣

下六句 屋情事。 身世二字、又起下章哀 王融詩日、暮綵雲合淵。 鮑照詩 身世兩相棄。

莊子 歌以賣聲名 詩鼓 淵醉言舞。 陶潛詩 帯月荷鋤歸。

 黄生曰此詩首尾實而中間虚是實包虚格、唯杜有之三四乃藏頭句法若申言之則悠悠身世雙蓬髩

 落落乾坤一草亭耳。江猿吟翠屏、即白鷗元水宿何事有餘哀意而含蓄較深永矣

其四

壯年晉作/學書劍他日委泥沙事主非無一作/無非禄浮生

即有涯高齋依藥餌絶域改春華/亂丹心破王臣未一家

四章旅居而慨身世也前書劍委於泥沙欲用/而世不見用也非無禄 曽授官即有涯後無

餘望矣五六承浮生七八承事主伐高齋指草屋絶域/指瀼西春華暮春亂應前戰 王臣未一諸鎮猶

多叛志也詩項羽紀少年學書不成去學/ 沈約 淪没委泥沙 詩莫非王臣

其五

欲陳濟世已老尚書郎不一作/息豺狼一作/

鴛鷺行/時危人事急一作/風逆羽毛傷落日悲江漢中宵淚滿牀

承上章來乃世亂年衰之感前濟世應前/亂尚書郎應前事主悲淚應 丹心破此遥承

上章也有莫陳故豺狼未息省郎空老故鴛鷺終慚/人事危見狼方張羽毛傷見鴛行莫起末二又總

上六此逐句分承也/屋亦非安居之地矣 杜臆落日増悲終宵流淚則草/後漢盧植傳植剛毅有大節常

懷濟世志於前漢/書馮唐老 郎署

 

767年- 26 杜少陵集-巻18-58 《暮春題瀼西新賃草屋,五首之二》26 杜甫詩index-15-1185 <1635> 18-58漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7572

杜甫  暮春題瀼西新賃草屋五首其二

此邦千樹橘,不見比封君。養拙干戈際,全生麋鹿群。 

畏人江北草,旅食瀼西雲。萬里巴渝曲,三年實飽聞。 

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、ミカンの木を植えたいと思っていることを述べる。)その2

この土地で千本のみかんの木を植えると、「皆與千戸侯等」とされ、その地の君王か、縣令にくらべてもおかしくないということで、自分もたくさん植えたけれど、とても金持ちの資格はないかもしれない。ただ兵乱の際にもちまえの世渡り下手なところを養い、麋鹿のむれにまじって生命を全うするだけのことである。人をはばかつては江北の草によりそい旅の飯を食べながら瀼西の雲を伴としているが、隠者の住まいの白雲とは異なるものである。萬里のかたいなかの巴渝の歌も三年聞いてしまったので、実に聞き飽きたのである。

杜少陵集 卷一八59

暮春題西新賃草屋,五首之二

 

杜甫詩index-15 767年大暦256 (26)

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杜甫詩1500-1185-1635/2500

18-58   26        暮春題瀼西新賃草屋,五首之二

作時年:

767

大暦2

56

全唐詩 卷別:

卷二二九 46 -2

文體:

五言律詩

杜少陵集 

18-58

 

 

詩題:

暮春題瀼西新賃草屋,五首之二

年譜大厯二年自赤甲将遷居瀼西而作。 

作地點:

夔州(山南東道 / 夔州 / 奉節、瀼西、赤甲)

及地點:

山南西道 奉節の東40里、麝香山。

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

229_46 《暮春題瀼西新賃草屋五首》杜甫 

暮春題瀼西新賃草屋五首其一

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したもの)
久嗟三峽客,再與暮春期。

三峡の客である自分はいつものことながらまたなげく、ここ夔州へ来てから二度春の暮れにであうことになった。

百舌欲無語,繁花能幾時。 

百舌鳥も鳴かなくなろうとしでいるし、繁く咲いていた花も、あとどれだけの時間、持続していられるものか。

谷虛雲氣薄,波亂日華遲。

谷はがらんどうで雲気薄くたちのぼり、波がみだれて水上の日のかがやきがいつまでもつづく。

戰伐何由定,哀傷不在茲。 

どうしたら戦伐が平定せられることであろうか、これこそ自分の哀傷のやどるところであって、自分の哀傷はただ春が暮れゆくなんぞの点に在るのではない。

(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の一)

久しく嗟す 三峽の客,再び 暮春と期す。

百舌 語無からんと欲す,繁花 能く幾時ぞ。

谷 虛しくして雲氣薄く,波 亂れて日華 遲し。

戰伐 何に由りてか定まらん,哀傷は 茲に在らず。

暮春題瀼西新賃草屋五首其二

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、ミカンの木を植えたいと思っていることを述べる。)その2

此邦千樹橘,不見比封君。

この土地で千本のみかんの木を植えると、「皆與千戸侯等」とされ、その地の君王か、縣令にくらべてもおかしくないということで、自分もたくさん植えたけれど、とても金持ちの資格はないかもしれない。

養拙干戈際,全生麋鹿群。 

ただ兵乱の際にもちまえの世渡り下手なところを養い、麋鹿のむれにまじって生命を全うするだけのことである。

畏人江北草,旅食瀼西雲。

人をはばかつては江北の草によりそい旅の飯を食べながら瀼西の雲を伴としているが、隠者の住まいの白雲とは異なるものである。

萬里巴渝曲,三年實飽聞。 

萬里のかたいなかの巴渝の歌も三年聞いてしまったので、実に聞き飽きたのである。

暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の二)

此の邦の千樹の橘は。封君に比せらるるを見ず。

拙を養う 干戈(カンカ)の際、生を全うす 麋鹿の群。

人を畏る 江北の草、旅食す 瀼西の雲。

万里のかなたのこの巴渝の曲、三年実に聞くに飽く。

暮春題瀼西新賃草屋五首其三

彩雲陰複白,錦樹曉來青。身世雙蓬鬢,乾坤一草亭。 

哀歌時自短,醉舞為誰醒。細雨荷鋤立,江猿吟翠屏。 

暮春題瀼西新賃草屋五首其四

壯年學書劍,他日委泥沙。事主非無祿,浮生即有涯。 

高齋依藥餌,域改春華。喪亂丹心破,王臣未一家。 

暮春題瀼西新賃草屋五首其五

欲陳濟世策,已老尚書郎。未息豺虎鬥,空慚鴛鷺行。 

時危人事急,風逆羽毛傷。落日悲江漢,中宵淚滿床。 

夔州三峡長江三峡 

 

『暮春題瀼西新賃草屋,五首之二』現代語訳と訳註解説
(
本文)

暮春題瀼西新賃草屋五首其二

此邦千樹橘,不見比封君。

養拙干戈際,全生麋鹿群。

畏人江北草,旅食瀼西雲。

萬里巴渝曲,三年實飽聞。

(下し文)
(暮春、瀼西の新に賃せる草屋に題す五首其の二)

此の邦の千樹の橘は。封君に比せらるるを見ず。

拙を養う 干戈(カンカ)の際、生を全うす 麋鹿の群。

人を畏る 江北の草、旅食す 瀼西の雲。

万里のかなたのこの巴渝の曲、三年実に聞くに飽く。


(現代語訳)
暮春題瀼西新賃草屋五首其二(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、ミカンの木を植えたいと思っていることを述べる。)その2

この土地で千本のみかんの木を植えると、「皆與千戸侯等」とされ、その地の君王か、縣令にくらべてもおかしくないということで、自分もたくさん植えたけれど、とても金持ちの資格はないかもしれない。

ただ兵乱の際にもちまえの世渡り下手なところを養い、麋鹿のむれにまじって生命を全うするだけのことである。

人をはばかつては江北の草によりそい旅の飯を食べながら瀼西の雲を伴としているが、隠者の住まいの白雲とは異なるものである。

萬里のかたいなかの巴渝の歌も三年聞いてしまったので、実に聞き飽きたのである。

瞿塘峡・白帝城・魚復
(訳注) 

暮春題瀼西新賃草屋五首其二

(夔州に来て二度目の三月に賃貸で瀼西の家宅、草堂に赤甲から引っ越しして題したものでこの詩は、ミカンの木を植えたいと思っていることを述べる。)その2

8 其二 夔州期は、野菜や雑穀、根菜類の作物やいくつかの果樹類の栽培、そして一年には満たなかったが水田経営と蜜柑園経営、そしてその他の雑多な農事に関する営為などである。とくに蜜柑経営といっても、実際は 晩春に果樹園(蜜柑園)を丸ごと買い入れて、収穫を終えた翌春早々には、もう他人に譲渡している。ワン・サイクルの収穫を終えただけでは、経営と呼ぶには値しないかもしれないが、収穫作業の他にも除草や施肥や土寄せなどの作業、また除虫や防寒対策(さらに蜜柑泥棒からの防護策)などの若干の必要な農事は行われたであろうし、この時期に突出して現れる蜜柑に対する並々ならぬ杜甫の関心などを考えると、故郷に歸資金づくりで、杜甫の農的営為の一つとして蜜柑園経営をあげられるものであると考える。

 

1 瀼西の草堂 足かけ三年、実質一年十ヶ月の夔州滞在ではあるが、この間に何度か居所を変えた。その詳細についてはあまり分かっていない。いろいろな意見が出されており、多いものでは、客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯の六カ所を想定している人もいる。そういう中で、一年目の客堂、草閣、赤甲への移居説はひとまず置くとしても、二年目晩春の瀼西と秋の東屯への移居はおおかたの一致するところである。そして、すぐに杜甫は赤甲から瀼西へ引っ越した。瀼西の住まいはこの段階ではまだ賃借りの状態であるが、その後間もなく杜甫によって買い上げられ、その住宅には果園も付属していた。

2 新賃 新たに借りいれる。

3 草屋 かやぶきの家。

 

此邦千樹橘,不見比封君。

この土地で千本のみかんの木を植えると、「皆與千戸侯等」とされ、その地の君王か、縣令にくらべてもおかしくないということで、自分もたくさん植えたけれど、とても金持ちの資格はないかもしれない。

千樹橘 ミカンの木が千本あれば、千戸の土地に封ぜられたことと、その富がひとしいということである。史記《貨殖傳》「封者衣租税。千之君率二十萬、蜀漢陵千樹橘、其人皆與千戸侯等。」(封者租税す。千君は、率ね二十萬、蜀漢江陵の千樹の橘、其の人皆 千戸侯と等し。

 

養拙干戈際,全生麋鹿群。 

ただ兵乱の際にもちまえの世渡り下手なところを養い、麋鹿のむれにまじって生命を全うするだけのことである。

麋鹿 大鹿と鹿。獣類。

 

畏人江北草,旅食瀼西雲。

人をはばかつては江北の草によりそい旅の飯を食べながら瀼西の雲を伴としているが、隠者の住まいの白雲とは異なるものである。

畏人 人をはばかる。『論語•季氏篇』 孔子曰 君子有三畏。畏天命,畏大人,畏聖人之言。(孔子曰く、君子に三畏あり。天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言を畏る。小人は天命を知らずして畏れず、大人に狎れ、聖人の言を侮る。孔先生が言われた、『君子には三つの畏れはばかりがある。天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言葉を畏れる。小人は天命を知らないで畏れず、大人になれなれしくし、聖人の言葉を侮辱する。

曹丕(魏文帝)《雑詩二首(二)》「棄置勿複陳、客子常畏人。」(棄置して複た陳ぶる勿れ、客子 人を畏るるを常とするなり。この事は聞かなかったことと捨て置かれよ、そのようなことに度とふたたびいうことはない。戦線を維持するものとして『論語』でいう「君子に三畏有り」で常に油断してはならないということだ。

雑詩二首(二) 曹丕(魏文帝) 魏詩<7>文選 雑詩 上 627 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1725

 

萬里巴渝曲,三年實飽聞。 

萬里のかたいなかの巴渝の歌も三年聞いてしまったので、実に聞き飽きたのである。

巴渝曲 夔州は、漢の巴東郡であり、重慶府は隋の渝州である。曲は、歌曲、《漢禮樂志》「巴渝鼓員三十 員」(巴渝 鼓員は三十 員なり)注に、漢の高帝の初めに為す。

漢王、巴渝の趫捷人と之て定三とを得る、秦では滅し、楚では存し、其の樂は巴渝樂と為す

巴州は今の夔州府渝州に在り、今、重慶府に在る。

 

 

  暮春題瀼西新賃草屋五首

年譜大厯二年自赤甲将遷居瀼西而作

久嗟三峽客、再與暮春期。百舌欲無語、繁花能幾時。

谷虚雲氣薄、波亂日華遲。戰伐何由定、哀傷不在

首章題 瀼西暮春 杜中四冩季春時景末二傷心世亂為後 兩章伏脉 臆久客而再逢暮春 見非初意百舌二句見

物候易遷谷虚二句見瀼土堪適豈谷内雲升春晴故曰薄波中日漾春長故遲不在 不在此戰伐 趙

反舌無聲在芒種後十日今欲無語則暮春時矣。  謝朓詩日華川上動

其二

此邦一作/北郊干樹橘、不見比封君。養拙干戈際、全生麋鹿羣。

畏人江北草、旅食瀼西雲。萬里巴渝曲、三年實飽聞。

次章題瀼西賃居、干地産貧瘠而託居於此不過為養拙全生計耳身際 戈故畏人而依江北之草同群麋鹿

故旅食而伴瀼西之雲三年聞曲、即所謂久嗟三峽客也。

公自永泰元年秋之雲安至此、為三年在夔州逢春則再度矣

江史 《貨殖傳》封者衣租税千之君率二十萬、蜀漢陵千樹橘、其人皆與千戸侯等。

交論 獨立高山之頂懽與麋鹿同群六 

魏文帝詩 客子常畏人

《漢禮樂志》巴渝鼓員三十 員注高帝初為

漢王得巴渝趫捷人與之定三秦滅楚存其樂為/巴渝樂 。巴州在今夔州府渝州今在重慶府

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