杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会

士族の子で、のほほんとしていた杜甫を変えたのは、三十代李白にあって、強いカルチャーショックを受けたことである。その後十年、就活に励んだ。同時に極限に近い貧困になり、家族を妻の実家に送り届けるときの詩は、そして、子供の死は、杜甫の詩を格段に向上させた。安史の乱直前から、捕縛され、長安での軟禁は、詩にすごみと分かりやすさのすぐれたしにかえてゆき、長安を脱出し、鳳翔の行在所にたどり着き、朝廷に仕えたことは、人間関係の複雑さを体験して、詩に深みが出ることになった。そして、朝廷における疎外感は詩人として数段高めさせてくれた。特に、杜甫の先生に当たる房琯関連の出来事、二十数首の詩は内容のあるものである。  一年朝廷で死に直面し、そして、疎外され、人間的にも成長し、これ以降の詩は多くの人に読まれる。  ◍  華州、秦州、同谷  ◍  成都 春満喫  ◍  蜀州、巴州、転々。 ◍  再び成都 幕府に。 それから、かねてから江陵にむかい、暖かいところで養生して、長安、朝廷に上がるため、蜀を発し、 ◍  忠州、雲州   ◍  夔州   ◍  公安  そして、長安に向かうことなく船上で逝くのである。  本ブログは、上記を完璧に整理し、解説した仇兆鰲の《杜詩詳注》に従い、改めて進めていく。

杜甫の詩、全詩、約1500首。それをきちんと整理したのが、清、仇兆鰲注解 杜詩詳注である。その後今日に至るまで、すべてこの杜詩詳注に基づいて書かれている。筆者も足掛け四年癌と戦い、いったんこれを征することができた。思えば奇跡が何度も起きた。
このブログで、1200首以上掲載したけれど、ブログ開始時は不慣れで誤字脱字も多く、そして、ブログの統一性も不十分である。また、訳注解説にも、手抜き感、不十分さもあり、心機一転、杜詩詳注に完全忠実に初めからやり直すことにした。
・そして、全唐詩と連携して、どちらからでも杜詩の検索ができるようにした。
・杜甫サイトには語順検索、作時編年表からも検索できるようにした。
杜甫詩の4サイト
● http://2019kanbun.turukusa.com/
● http://kanbunkenkyu.webcrow.jp
● http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/
● http://kanbuniinka15.yu-nagi.com

2020年02月

767年-236 《 送高司直尋封閬州(卷二一(四)一八二八) -#2》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11170

 

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767-236  送高司直尋封閬州(卷二一(四)一八二八) -2 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11170

 

 

 

767-236

 

 

 送高司直尋封閬州(卷二一(四)一八二八)  -2

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11170

 

 

 

 

送高司直尋封閬州

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)

丹雀銜書來,暮棲何樹。

めでたい知らせを嘴にくわえて天子聖王のもとに運ぶのは丹雀のようなあなたが、この夜うらぶれてどの土地の木に宿るおつもりなのか。

驊騮事天子,辛苦在道路。

あの天子の名馬の驊騮のように陛下にお仕えしたあなたが、このような幸い旅をしておられる。

司直非冗官,荒山甚無趣。

あなたの任ぜられていた大理、司直は閑職 ではないはずだが、今、どうしてこのような風情のない荒れ山に迷いこまれたのか。

借問泛舟人,胡為入雲霧。

お尋ね するが、あなたは舟を浮かべて旅をして、なぜ雲や霧の中に入っていかれるのか。

#2

與子姻婭間,既親亦有故。

あなたと私は王族の末裔で姻戚の関係であり、親族にして旧知のあいだ柄でもある。

萬里長江邊,邂逅一相遇。

遠く西の万里のさきから流れてきて、遠く東の東海(太平洋)に流れさる長江のほとりで、思いがけず、偶然にもまたお会いした。

長卿消渴再,公幹沈綿屢。

私は司馬相知のように糖尿病がぶりかえし、建安七子の一人である劉楨のように長患いを 繰り返している。

清談慰老夫,開卷得佳句。

そのような時、あなたの高雅な談論はこの老いぼれを慰め、詩巻を開けば すばらしい詩句を目にすることができる。

 

(高司直の封閬州を尋ぬるを送る)

丹雀書をみて来たり、暮れに何れの郷の樹にか棲む。

驊騮 天子に事え、辛苦 道路に在り。

司直 は冗官に非ず、荒山 甚だ 趣無し。

借間す 舟を泛ぶるの人、胡為れぞ雲霧に入るやと。

#2

子とは姻婭の間、既に親にして亦た故有り。

万里長江の辺、避返して亦た相い遇えり

長卿 消渇 再びし、公幹 沈綿 屡しばなり。

清談 老夫を慰め、巻を開けば 佳句を得たり。

安史の乱当時の勢力図蜀中転々圖 

杜詩詳注〔四〕《送高司直尋封閬州》訳注解説

(本文)

#2

與子姻婭間,既親亦有故。

萬里長江邊,邂逅一相遇。

長卿消渴再,公幹沈綿屢。

清談慰老夫,開卷得佳句。

 

(下し文)

(高司直の封閬州を尋ぬるを送る)

#2

子とは姻婭の間、既に親にして亦た故有り。

万里長江の辺、避返して亦た相い遇えり

長卿 消渇 再びし、公幹 沈綿 屡しばなり。

清談 老夫を慰め、巻を開けば 佳句を得たり。

 

(現代語訳)

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)

あなたと私は王族の末裔で姻戚の関係であり、親族にして旧知のあいだ柄でもある。

遠く西の万里のさきから流れてきて、遠く東の東海(太平洋)に流れさる長江のほとりで、思いがけず、偶然にもまたお会いした。

私は司馬相知のように糖尿病がぶりかえし、建安七子の一人である劉楨のように長患いを 繰り返している。

そのような時、あなたの高雅な談論はこの老いぼれを慰め、詩巻を開けば すぼらしい詩句を目にすることができる。

 

(訳注解説)

送高司直尋封閬州

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)

【題意】杜詩詳注卷二一(四)一八二四、杜少陵詩集四四七。杜詩全譯〔四〕P543

制作時767年、制作地は前詩と同じ夔州。封氏を尋ねるのを送別した詩。高司直は未詳。司直は大理司直を指し、 杜佑『通典』巻二五「職官七」によれば、皇帝の命を承けて使者として派遣されて地方の官吏を尋問し、大理寺(検察庁)で疑獄事件を処理する時には評議に加わる。ただし、高司直 は閬州刺史である封氏の部下となるために赴任すると考えられることから、司直は現職ではなく前職であろう。封閬州も未詳。郁賢暗『唐刺史考全編』二八八四頁は、安史の乱以後、遠くない時期に封議が閬州刺史を務めていたと推測する。

 

#2

與子姻婭間,既親亦有故。

あなたと私は王族の末裔で姻戚の関係であり、親族にして旧知のあいだ柄でもある。

姻婭間 姻戚関係。「姻 姓」は双声語「インア」。

 

萬里長江邊,邂逅一相遇。

遠く西の万里のさきから流れてきて、遠く東の東海(太平洋)に流れさる長江のほとりで、思いがけず、偶然にもまたお会いした。

萬里長江邊 中國の大河川は西から東へ万里の距離を流れゆく。長江は最大流域面積の河川である。そのちょうど中間に夔州配置するが、唐の南の国境を流れていたので、辺境という意味になる。

邂逅 思いがけなく出あうこと。偶然の出あい。めぐりあい。「旧友と邂逅する」

 

長卿消渴再公幹沈綿屢

私は司馬相知のように糖尿病がぶりかえし、建安七子の一人である劉楨のように長患いを 繰り返している。

長卿消渴再 前漢の司馬相知 (字は長卿」) のように糖尿病がぶり返す。杜甫は糖尿病を患う自分を、しばしば同病の 司馬相知になぞらえた。

公幹沈綿屢 後漢末の劉楨(字は公幹」)のように長患いを 繰り返す。「沈綿」は長引く病で、劉楨が病臥の折に作った「五官中郡将に贈る、四首」其の二に「余れは嬰る沈痛の疾」とある。劉 楨(りゅう てい、? - 217年)は、中国後漢末に曹操に仕えた文学者。字は公幹。建安七子の一人。兗州東平国寧陽県(現在の山東省泰安市寧陽県)の人。漢の宗族の劉梁の孫[1]

 

清談慰老夫,開卷得佳句。

そのような時、あなたの高雅な談論はこの老いぼれを慰め、詩巻を開けば すぼらしい詩句を目にすることができる。

清談 ここでは、高司直との話を世俗を離れた高雅な談論としてもちあげたもの。元来、儒教思想全盛の漢代から、魏の時代になり、知識人たちは常識的な儒教道徳を超えて、主に老荘思想を題材とする幽玄な哲学的議論を交わしていた。清談とは、世俗を離れた清らかな談話、という意味である。いわゆる竹林の七賢の清談はこの代表例である。ただし、竹林の七賢の逸話にもうかがえるように、世俗を離れた老荘的談話を展開した背景には、後漢から魏、魏から晋へと興亡相次いだ乱世にあって、儒教に忠実であること、世俗に関与することが政治的な身の危険に繋がったという事情も存在する。

なお、当時において知識人とはすなわち貴族であり政治家であった。その知識人がもっぱら世俗を離れた清談に終始していたことは、西晋の滅亡の大きな要因となったといわれる。

767年-236 《 送高司直尋封閬州(卷二一(四)一八二八) -#1》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11162

 

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謝朓雜詩十二〔4

 

 

 

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6詠邯鄲故才人嫁為厮養

 

 

 

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767-236

 

 

 送高司直尋封?州(卷二一(四)一八二八)  -1

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11162

 

 


 

1214        送高司直尋封閬州(卷二一(四)一八二八)

                  丹雀銜書來,暮棲何樹。驊騮事天子,辛苦在道路。司直非冗官,荒山甚無趣

                  借問泛舟人,胡為入雲霧。與子姻婭間,既親亦有故。萬里長江邊,邂逅亦相遇。

                  長卿消渴再,公幹沉綿屢。時見文章士,欣然談(一作澹)情素。伏枕聞別離,

                  疇能忍漂寓。良會苦短促,溪行水奔注。熊羆咆空林,遊子慎馳騖。西謁巴中侯,

                  艱險(一作難)如跬步。主人不世才,先帝常特顧。拔為天軍佐,崇大王法度。

                  淮海生清風,南翁尚思慕。公宮造廣廈,木石乃無數。初文伐松柏,猶臥天一柱。

                  我病(一作瘦)書不成,成字讀(一作字)亦誤。為我問故人,勞心練征戍。

 

 

年:       大曆二年

寫作時間:           767

寫作年紀:           56

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    送高司直尋封閬州

詩序:   

寫作地點:           夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

寫及地點:          

閬州 (山南西道 閬州 閬州) 別名:閬、巴城             

交遊人物/地點:  

高司直              當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

封閬州              詩文提及(山南西道 閬州 閬州)

 

 

 

送高司直尋封閬州

丹雀銜書來,暮棲何樹。

驊騮事天子,辛苦在道路。

司直非冗官,荒山甚無趣。

借問泛舟人,胡為入雲霧。

#2

與子姻婭間,既親亦有故。

萬里長江邊,邂逅一相遇。

長卿消渴再,公幹沈綿屢。

清談慰老夫,開卷得佳句。

#3

時見文章士,欣然澹情素。

伏枕聞別離,疇能忍漂寓。

良會苦短促,溪行水奔注。

熊羆咆空林,遊子慎馳騖。

#4

西謁巴中侯,艱險如跬步。

主人不世才,先帝常特顧。

拔為天軍佐,崇大王法度。

淮海生清風,南翁尚思慕。

#5

公宮造廣廈,木石乃無數。

初聞伐松柏,猶臥天一柱。

我瘦書不成,成字讀亦誤。

為我問故人,勞心練征戍。

 

詩文(含異文)     丹雀銜書來,暮棲何樹。驊騮事天子,辛苦在道路。司直非冗官,荒山甚無趣。借問泛舟人,胡為入雲霧。與子姻婭間,既親亦有故。萬里長江邊,邂逅一相遇。長卿消渴再,公幹沈綿屢。清談慰老夫,開卷得佳句。時見文章士,欣然澹情素【欣然談情素】。伏枕聞別離,疇能忍漂寓。良會苦短促,溪行水奔注。熊羆咆空林,遊子慎馳騖。西謁巴中侯,艱險如跬步。主人不世才,先帝常特顧。拔為天軍佐,崇大王法度。淮海生清風,南翁尚思慕。公宮造廣廈,木石乃無數。初聞伐松柏,猶臥天一柱。我瘦書不成【我病書不成】,成字讀亦誤【成字字亦誤】。為我問故人,勞心練征戍。

 

 

  送高司直尋封閬州鶴注此當是大歴二年/ 司直大理寺官後魏永

  安二年置司直十人唐制/六人寺有疑讞則參議之

丹雀銜書來暮棲何樹驊騮事天子辛苦在道路

直非冗官荒山甚無趣借問泛舟人胡為入雲霧首叙/司直

入蜀之上四比興下四賦詞王趙曰高通籍事主故比/丹雀 於文王驊騮之於穆 荒山雲霧非司直所

宜經故惜而問之於周禮疏中候我應云季秋甲子赤/雀銜丹書入豐止 昌戸昌拜稽首受其文遁甲赤雀

不見則國無賢注赤雀主銜書陽精也令周穆王駕八/駿之乗右服驊騮 通鑑和帝以尚書 黄香為東郡

 

太守香辭以典郡從/政才非所宜乞冗官與子姻婭間既親亦有故萬里長

江邊邂逅亦相遇長丁丈/卿消渴再公幹沉綿屢/

談慰老夫開巻得佳句此叙相遇交情亦得其清談佳/句雖消病沉綿 可頓蘇矣

𤨏𤨏姻婭身有故謂故交祗劉公幹詩余/嬰沉痼疾竄 清漳濵 箴清談輟響時見文章

士欣然談一作/情素伏枕聞離疇能忍漂寓良

短促溪行水奔注熊羆咆空林遊子慎馳騖西謁巴中

侯艱險一作/如跬步此為司直惜阻清談屬高談情/屬公 水行恐 奔注陸行恐遇

 

熊羆特以巴侯舊契故視艱險如跬步耳遊蔡澤傳公/孫鞅之事孝公披腹心示情素 曹植節 賦步北林

而馳騖無巴中侯指封閬州曰越/絶書曽 跬步之勞按半步 主人不世才先帝常

特顧拔為天軍佐崇大王法度淮海生清風南翁尚思

慕公造廣厦木石乃無數初聞伐松柏猶卧天一

此稱閬州之賢須封初為宿衛官又嘗仕於淮海乃歴/來宦迹且廣厦 梁棟之材乃採松柏而舍天柱惜其

未得大用也度漢天文志虚危南有衆星曰羽林天軍/ 言王朝法 能尊崇而擴大之朱穆崇厚論天不崇

大則覆情不廣其詩穆如清風新趙曰凡官府貴處謂/之公左傳搆 桓譚 論雍門周謂孟嘗君

 

曰足下居則廣厦高堂連闥洞房天神/異經崑崙有銅柱其高入天謂之 我病一作/書不

成成字讀一作/亦誤為/我問故人勞心練征戍末以/寄語

 

聞州作結務病不成書應前消渴沉綿練兵征戍乃當/時守土急 此章前二段各八句中二段各十句末

段四/句収

 

 

送高司直尋封閬州

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)

丹雀銜書來,暮棲何樹。

めでたい知らせを嘴にくわえて天子聖王のもとに運ぶのは丹雀のようなあなたが、この夜うらぶれてどの土地の木に宿るおつもりなのか。

驊騮事天子,辛苦在道路。

あの天子の名馬の驊騮のように陛下にお仕えしたあなたが、このような幸い旅をしておられる。

司直非冗官,荒山甚無趣。

あなたの任ぜられていた大理、司直は閑職 ではないはずだが、今、どうしてこのような風情のない荒れ山に迷いこまれたのか。

借問泛舟人,胡為入雲霧。

お尋ね するが、あなたは舟を浮かべて旅をして、なぜ雲や霧の中に入っていかれるのか。

#2

與子姻婭間,既親亦有故。

萬里長江邊,邂逅一相遇。

長卿消渴再,公幹沈綿屢。

清談慰老夫,開卷得佳句。

 

(高司直の封閬州を尋ぬるを送る)

丹雀書をみて来たり、暮れに何れの郷の樹にか棲む。

驊騮 天子に事え、辛苦 道路に在り。

司直 は冗官に非ず、荒山 甚だ 趣無し。

借間す 舟を泛ぶるの人、胡為れぞ雲霧に入るやと。

子とは姻婭の間、既に親にして亦た故有り。

万里長江の辺、避返して亦た相い遇えり

長卿 消渇 再びし、公幹 沈綿 屡しばなり。

清談 老夫を慰め、巻を開けば 佳句を得たり。

 

杜詩詳注〔四〕《送高司直尋封閬州》訳注解説

(本文)

#1

送高司直尋封閬州

丹雀銜書來,暮棲何樹。

驊騮事天子,辛苦在道路。

司直非冗官,荒山甚無趣。

借問泛舟人,胡為入雲霧。

 

(下し文)

(高司直の封閬州を尋ぬるを送る)

丹雀書をみて来たり、暮れに何れの郷の樹にか棲む。

驊騮 天子に事え、辛苦 道路に在り。

司直 は冗官に非ず、荒山 甚だ 趣無し。

借間す 舟を泛ぶるの人、胡為れぞ雲霧に入るやと。

 

(現代語訳)

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)

めでたい知らせを嘴にくわえて天子聖王のもとに運ぶのは丹雀のようなあなたが、この夜うらぶれてどの土地の木に宿るおつもりなのか。

あの天子の名馬の驊騮のように陛下にお仕えしたあなたが、このような幸い旅をしておられる。

あなたの任ぜられていた大理、司直は閑職 ではないはずだが、今、どうしてこのような風情のない荒れ山に迷いこまれたのか。

お尋ね するが、あなたは舟を浮かべて旅をして、なぜ雲や霧の中に入っていかれるのか。

 

(訳注解説)

送高司直尋封閬州

(高司直が閬州の長官封某の部下となるのに水鬼苦役の夔州に立ち寄った時送別の宴で花を添える、この詩を披露して詠んだ。)

【題意】杜詩詳注卷二一(四)一八二四、杜少陵詩集四四七。杜詩全譯〔四〕P543

制作時767年、制作地は前詩と同じ夔州。封氏を尋ねるのを送別した詩。高司直は未詳。司直は大理司直を指し、 杜佑『通典』巻二五「職官七」によれば、皇帝の命を承けて使者として派遣されて地方の官吏を尋問し、大理寺(検察庁)で疑獄事件を処理する時には評議に加わる。ただし、高司直 は閬州刺史である封氏の部下となるために赴任すると考えられることから、司直は現職ではなく前職であろう。封閬州も未詳。郁賢暗『唐刺史考全編』二八八四頁は、安史の乱以後、遠くない時期に封議が閬州刺史を務めていたと推測する。

 

丹雀銜書來,暮棲何樹。

めでたい知らせを嘴にくわえて天子聖王のもとに運ぶのは丹雀のようなあなたが、この夜うらぶれてどの土地の木に宿るおつもりなのか。

丹雀銜書來 赤い雀が丹書(瑞書)を口にくわえてくる。丹雀は、周の文王 に天命が授けられた時に使者として飛来したという鳥。『呂氏春秋』巻一三「名類」などに見える。ここでは瑞書を王者(都の帝王) に届けるべき丹雀が、王者から遠く離れた斐州に飛んできたことを述べて、 高司直が左遷されたことをいう。

 

 

驊騮事天子,辛苦在道路。

あの天子の名馬の驊騮のように陛下にお仕えしたあなたが、このような幸い旅をしておられる。

驊騮事天子 西周の穆王の八頭の駿馬の一匹である驊騮が天子に仕 える。ここでも、「驊騮」のように帝王のそば近くに仕えるべき高司直が辛苦の旅をすることを述べ て、高司直の左遷を寓意する。

 

司直非冗官,荒山甚無趣。

あなたの任ぜられていた大理、司直は閑職 ではないはずだが、今、どうしてこのような風情のない荒れ山に迷いこまれたのか。

冗官 無駄な官職。閑職。

借間 ちょっと尋ねる。

 

借問泛舟人,胡為入雲霧。

お尋ね するが、あなたは舟を浮かべて旅をして、なぜ雲や霧の中に入っていかれるのか。

人雲霧 雲や 霧が立ちこめる陰気な世界に入る。高司直が逆境にあることを暗に示す。

767年-235 《 別李義(卷二一(四)一八二五) -#6》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11146

767-235  別李義(卷二一(四)一八二五) -#6》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11146

 

 

767-235

 

 

 別李義(卷二一(四)一八二五)  -#6

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11146

 

 

 

 

別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

神堯十八子,十七王其門。

唐の高祖、神尭皇帝の22人いた皇子で4人を除いた18人の皇子のうち、17人が王に封じられた。

道國洎舒國,督唯親弟昆。

そのうち、道王 と舒王はほんとうに同腹の兄弟であるとみられている。

中外貴賤殊,余亦忝諸孫。

そして、あなたは直系で私は外孫、身分の貴賤は異なるのであるけれど、 私にとっては、また恐れ多いことながら子孫の列に列なっている事に違いはないのである。

丈人嗣三葉,之子白玉溫。

あなたの父上は道王三代を嗣いでおられ、あなたも白玉のように温厚でいらっしゃる。』

#2

道國繼德業,請從丈人論。

道王は代々、徳行と功業を継承しておられたあなたの先代の父上のことから申し上げさせていただこう。

丈人領宗卿,肅穆古制敦。

父上は宗 正卿に領じられ、宗室の威厳を備えながらも穏やかな態度は、古代の制度が持つ誠実さに裏打ちされておられた。

先朝納諫諍,直氣橫乾坤。

玄宗皇帝の開元の治と称えられた善政で唐の絶頂期を迎えた御代では、諌言も受け入れられ、父上の正しい精神は天地の隅々まで溢れていたのである。

子建文筆壯,河間經術存。

そして、 陳思王曹植のように詩文はすばらしく、河間王劉徳のように儒学を修めておられた。』

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。

あなたもまた『詩経』や「三礼」など儒学への造詣を充分に深められてお り、高潔な資質を備えて心は落ち着いておられる。

洗然遇知己,談論淮湖奔。

こうして知己であるあなたにお会いして みれば物事にとらわれず気品に富み、その談論は雄弁で准河や太湖の水が滑々と流れるよう だ。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。

思えば昔、初めてお会いした時、装いは、短い上着に香草を刺繍されていて洗練されていた。

長成忽會面,慰我久疾魂。

今、成長されたお姿を突然拝見すると、私の長く病んでいた心が慰められる思いになるのです。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。

三峡下りの入り口に位置する夔州は冬と春の季節の変わり目というものであり、この地の雨雲霧は古来より、男女の情の物語があり長江や山には雲や霧が出て暗い。

正宜且聚集,恨此當離尊。

せっかくここで出会い集まって酒宴をご一緒にしているのですから、 もうしばらくともに時を過ごしたいのでありますが、今、別れの宴の酒樽を前にしなければならないのが恨めしく思うのです。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。

したがって杯を手に取るのがゆっくりだというのを不審に思わないでいただきたい、というのも、この私、老いぼれてしまい、涙と唾がだらしなく溢れ出る次第なのです。

重問子何之,西上岷江源。

あなたはどちらに向かわれるのかと改めてまた問えば、西に向かって眠江の源へ遡ることなのでしょう。』

 

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。

だからといって出世の糸口を求めて節度使など実力者に面会するなどというのは、お控えなされるほうがよいでしょう。蜀の都であった成都には、戦車、軍人が多いことがわかるので心配します。

誤失將帥意,不如親故恩。

あなたが誤って将帥、将軍のご機嫌を損なえば、彼らは親戚や旧友の間のような恩愛でもって接することなど全くなく、どんな危害を加えるかわからないのである。

少年早歸來,梅花已飛翻。

お若いあなたは早く長安に戻りましょう、時が過ぎ去って、梅の花はすでに散り、風に舞い飛んでいるのでしょう。

努力慎風水,豈惟數盤飧。

異郷の気候や水もよくよく気を付け、慎重になされることがよいし、他人からたびたび御馳走されるような接待をご遠慮されるのがよいでしょう。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。

猛々しい虎は岸辺に伏せており、龍やみずちは、前触れもなく飛び出してくるというのも、長安の官僚生活で経験したことである。

王子自愛惜,老夫困石根。

王子よ、御自愛なされよ。この老いぼれは岩山の麓に隠遁して困窮している。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

生きながらの別れの嘆きは昔からのこと、 私も泣き声が出そうなのだが、あなたが悲しむといけないのでそれを呑んでこらえているのだ。

 

 

(李義に別る)

神堯の十八子,十七 其の門を王とす。

道國 洎【およ】び舒國,唯し親弟昆と督す。

中外 貴賤 殊なるも,余 亦た諸孫なるを忝くする。

丈人 嗣ぐこと 三葉,之の子 白玉のごとく溫かなり。

#2

道國 德業を繼ぎて,丈人より論ぜんことを請う。

丈人 宗卿を領し,肅穆にして 古制 敦し。

先朝 諫諍を納れ,直氣 乾坤に橫わる。

子建のごとく 文筆 壯に,河間のごとく 經術 存す。

#3

爾 克く詩禮に富む,骨 清くして慮 喧しからず。

洗然 知己に遇えば,談論 淮湖に奔る。

憶う昔 初めて 見し時,小襦 芳蓀を繡す。

長成 忽ち會面す,我が久疾の魂を慰む。

#4

三峽 春冬の交,江山 雲霧 昏し。

正に宜く且く聚集すべきも,恨むらくは此こに離尊に當るを。

怪しむ莫れ 杯を執ることの遲きを,我れ衰えて涕唾 煩し。

重ねて子に何こに之くかと問えば,西のかた岷江の源に上ると。

#5

願わくば 子 干謁を少くせよ,蜀都に 戎軒 足る。

誤りて 將帥の意を失わば,親故の恩も 知らず。

少年 早く歸り來たれ,梅花 已に飛翻す。

努力して 風水を慎め,豈に惟だに 盤飧を數するのみならんや。

#6

猛虎は 臥して岸に在り,蛟螭は 出でて痕無し。

王子 自ら愛惜せよ,老夫 石根に困む。

生別は 古えより 嗟く所,聲を發せんしてと爾が為に吞む。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

杜詩詳注 卷二一(四)一八二五 《別李義》 現代語訳 訳注解説

(本文)

別李義(卷二一(四)一八二五)  767

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。

王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

(下し文)

(李義に別る)

#6

猛虎は 臥して岸に在り,蛟螭は 出でて痕無し。

王子 自ら愛惜せよ,老夫 石根に困む。

生別は 古えより 嗟く所,聲を發せんしてと爾が為に吞む。

 

(現代語訳)

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

猛々しい虎は岸辺に伏せており、龍やみずちは、前触れもなく飛び出してくるというのも、長安の官僚生活で経験したことである。

王子よ、御自愛なされよ。この老いぼれは岩山の麓に隠遁して困窮している。

生きながらの別れの嘆きは昔からのこと、 私も泣き声が出そうなのだが、あなたが悲しむといけないのでそれを呑んでこらえているのだ。

 

 

(訳注解説)

別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

【題意】杜詩詳注卷二一(四)一八二四、杜少陵詩集四四二。杜詩全譯〔四〕P537

制作時767年、制作地は前詩と同じ夔州。杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告する。李義は膚の高 祖・李淵の第一六子である道士李元慶の玄孫(『新唐音』巻七〇下「宗室世系表下」)。

 

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。

猛々しい虎は岸辺に伏せており、龍やみずちは、前触れもなく飛び出してくるというのも、長安の官僚生活で経験したことである。

蛟螭 みずちと龍。 猛虎とともに異郷の危険な自然をいう。詳注に邪悪な勢力の比喩とある。杜甫は、粛宗の張皇后、、宦官、賀蘭進明、第五琦一派に。朝廷で苛め抜かれ、左遷された経験の語である。

 

王子自愛惜,老夫困石根。

王子よ、御自愛なされよ。この老いぼれは岩山の麓に隠遁して困窮している。

王子 道王の子孫である李義。

石根 岩石の基底部。岩山の慕。ここでは岩山の谷間にある夔州をいう。

 

生別古所嗟,發聲為爾吞

生きながらの別れの嘆きは昔からのこと、 私も泣き声が出そうなのだが、あなたが悲しむといけないのでそれを呑んでこらえているのだ。

發聲為爾吞 声が出そうになるが、あなたのためにそれをこらえる。「呑声」は声をのむ、泣き声をあげるのを こらえる。「爾」李羲のこと。

 

 

 

杜詩詳注

  别李義

  此當是大歴二年冬作。 祭盧注:李義、李鍊之子。鍊在明皇朝、曽遣 沂山東安公。

  乃宗室之賢、義能繼美。

 

神堯十八子、十七王其門。道國洎一作及舒國、實一作督維親弟昆。

中外貴賤殊、余亦忝諸孫。丈人嗣三葉、一作玉業之子白玉温。從世系親誼叙起。 

朱注:義與公為中表戚、故云:「中外貴賤殊」 趙曰:「丈人、指義之父鍊;之子則指李義也。

詳味詩意、李義者、道國之裔孫、而公/則舒國後裔之外孫也。 從義之父、上遡至道王為三世、

故曰:「嗣三葉」

1.    《通鑑》:天寶十三載二月、上高祖謚曰神堯大聖光孝皇帝。 鮑曰、高祖二十二子衛懷王𤣥

霸楚哀王智雲皆先薨太子建成巢王元吉以事誅詔/除籍故止言十八子太宗有天下止十七子封王

2.    《唐書》:道王元慶高祖第十六子舒王元明第十八子。

3.    潘岳《誄楊綏》: 藉三葉世親之恩。

4.    《詩》: 温其如玉。

 

道國繼徳業、請從丈人論。/丈人領宗卿、肅睦一作/古制敦。

先朝/納諫諍、直氣横乾坤。子建文章一作/壯、河間經術存。

此申丈人嗣三葉兼舉其忠義文學。

1.    《唐書》: 宗正寺卿一人、從三品。掌天子族親屬籍。以辨昭穆。

2.    肅睦、敬而和也。

3.    曹子建、河間王、注各見前。

 

一作温克富詩禮、骨清慮不喧。洗蘇亥/然遇知巳、談諭淮湖一作/奔。

憶昔初見時、小襦一作/繡芳蓀。長丁丈/成忽面、慰我久疾魂。

 此申之子/白玉温備述其人品交情蜂

1.    潘岳詩: 吾子洗然。恬淡自逸。

2.    洙曰:淮湖奔言談論 起如奔濤之不可涯涘

3.    鶴曰:百姓歌范云昔無襦今五袴則襦下於袴也。《急就篇》注:短衣曰襦自膝以上古詞妾有繡腰襦

自生光 謝靈運詩挹/露馥芳蓀

 

三峽春冬交、江山雲霧昏。正宜且聚集、恨此當離樽。

莫怪執盃遲、我衰涕唾煩。重/問子何之、西上/岷江源。

此叙江餞之意。 

1.     趙曰:舉杯遲、以涕唾之煩故也。

2.     《解嘲》涕 流沫。

3.     《孟子》先生將何之

4.     江居下流、故赴 蜀為西上。

 

願子少干謁、蜀都足戎軒。誤失將/帥意、不知一作/親故恩。、

/年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數所角/盤飧。

 

猛虎卧在岸、蛟螭出無痕。

王子自愛惜、老夫困石根。生古所嗟、發聲為/爾吞。

末致臨戒勉之辭反人情既不足恃而物害又復可/危公於知交誼切故 覆丁寧至此 此章前四段各

八句末一段十四句

1.《魏志・鍾繇傳》: 當厄/於水、努力慎之。

2.洙曰: 吞聲、聲出而 復吞也。

 王嗣奭曰: 當時戎軒多武夫、公所甚畏、詩每及之。 此云: 「誤失將帥意、不知親故恩。」

又云: 「努力慎風水、豈惟數盤餐。」

 一飯跡便掃、世情大抵然也、故以頻過人飯/為戒、皆忠谷之語、 李少年、涉世尚淺、故致其惓惓、

 公之篤於親/誼如此。

 王道俊《博議》曰:《舊書》道玉元慶、麟徳元年薨。 子臨淮/王誘嗣。 次子詢。詢子微、神龍初、

封為嗣道王。景雲元年、官宗正卿、卒。 子鍊、開元二十五年、襲封嗣道王、廣/徳中、官宗正卿。

《新書・宗室世系表》於道孝王元慶之下、首書嗣王誘、次書嗣王宗正卿嗣王宗正卿鍊、

/嗣王京兆尹實。

《困學紀聞》云:「義葢之子。」以予考之。不然。 義乃鍊之諸子、而實之弟耳。 

 詩云:「丈人嗣三葉。」 丈人謂鍊、自誘至鍊為嗣道王者三世。 故曰「嗣三葉」也。

 又云:「丈人領宗卿、肅穆古制敦。 先朝納諫諍、直氣/横乾坤。」 按《舊志》: 天寶十載正月、

遣太子率更令嗣道王鍊、祭沂山東安公、則鍊在𤣥宗時、巳任使、所云「先朝納鍊諍」者、葢𤣥宗也。

 又云: 「憶昔初見時、小襦繡芳蓀。長成忽面、慰我久客魂」、與、「少年早歸來、梅花已飛翻・」

 「王子自愛惜、老夫困石根」等語、皆前輩諄勉之詞。 葢公天寶中、曽見義於京師、年尚少、今來巫峽、

 將入蜀干謁、故以猛虎蛟螭戒之。

 若令義為子、則卒於景雲中、去大歴二年且五十六七載、義之齒當長於公、

安得目為少年而自居老夫乎、由此言之則義為鍊之諸子審矣。

 夔州東川卜居図詳細 002夔州三峡

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767-235

 

 

 別李義(卷二一(四)一八二五)  -#5

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

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別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

神堯十八子,十七王其門。

唐の高祖、神尭皇帝の22人いた皇子で4人を除いた18人の皇子のうち、17人が王に封じられた。

道國洎舒國,督唯親弟昆。

そのうち、道王 と舒王はほんとうに同腹の兄弟であるとみられている。

中外貴賤殊,余亦忝諸孫。

そして、あなたは直系で私は外孫、身分の貴賤は異なるのであるけれど、 私にとっては、また恐れ多いことながら子孫の列に列なっている事に違いはないのである。

丈人嗣三葉,之子白玉溫。

あなたの父上は道王三代を嗣いでおられ、あなたも白玉のように温厚でいらっしゃる。』

#2

道國繼德業,請從丈人論。

道王は代々、徳行と功業を継承しておられたあなたの先代の父上のことから申し上げさせていただこう。

丈人領宗卿,肅穆古制敦。

父上は宗 正卿に領じられ、宗室の威厳を備えながらも穏やかな態度は、古代の制度が持つ誠実さに裏打ちされておられた。

先朝納諫諍,直氣橫乾坤。

玄宗皇帝の開元の治と称えられた善政で唐の絶頂期を迎えた御代では、諌言も受け入れられ、父上の正しい精神は天地の隅々まで溢れていたのである。

子建文筆壯,河間經術存。

そして、 陳思王曹植のように詩文はすばらしく、河間王劉徳のように儒学を修めておられた。』

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。

あなたもまた『詩経』や「三礼」など儒学への造詣を充分に深められてお り、高潔な資質を備えて心は落ち着いておられる。

洗然遇知己,談論淮湖奔。

こうして知己であるあなたにお会いして みれば物事にとらわれず気品に富み、その談論は雄弁で准河や太湖の水が滑々と流れるよう だ。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。

思えば昔、初めてお会いした時、装いは、短い上着に香草を刺繍されていて洗練されていた。

長成忽會面,慰我久疾魂。

今、成長されたお姿を突然拝見すると、私の長く病んでいた心が慰められる思いになるのです。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。

三峡下りの入り口に位置する夔州は冬と春の季節の変わり目というものであり、この地の雨雲霧は古来より、男女の情の物語があり長江や山には雲や霧が出て暗い。

正宜且聚集,恨此當離尊。

せっかくここで出会い集まって酒宴をご一緒にしているのですから、 もうしばらくともに時を過ごしたいのでありますが、今、別れの宴の酒樽を前にしなければならないのが恨めしく思うのです。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。

したがって杯を手に取るのがゆっくりだというのを不審に思わないでいただきたい、というのも、この私、老いぼれてしまい、涙と唾がだらしなく溢れ出る次第なのです。

重問子何之,西上岷江源。

あなたはどちらに向かわれるのかと改めてまた問えば、西に向かって眠江の源へ遡ることなのでしょう。』

 

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。

だからといって出世の糸口を求めて節度使など実力者に面会するなどというのは、お控えなされるほうがよいでしょう。蜀の都であった成都には、戦車、軍人が多いことがわかるので心配します。

誤失將帥意,不如親故恩。

あなたが誤って将帥、将軍のご機嫌を損なえば、彼らは親戚や旧友の間のような恩愛でもって接することなど全くなく、どんな危害を加えるかわからないのである。

少年早歸來,梅花已飛翻。

お若いあなたは早く長安に戻りましょう、時が過ぎ去って、梅の花はすでに散り、風に舞い飛んでいるのでしょう。

努力慎風水,豈惟數盤飧。

異郷の気候や水もよくよく気を付け、慎重になされることがよいし、他人からたびたび御馳走されるような接待をご遠慮されるのがよいでしょう。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

 

(李義に別る)

神堯の十八子,十七 其の門を王とす。

道國 洎【およ】び舒國,唯し親弟昆と督す。

中外 貴賤 殊なるも,余 亦た諸孫なるを忝くする。

丈人 嗣ぐこと 三葉,之の子 白玉のごとく溫かなり。

#2

道國 德業を繼ぎて,丈人より論ぜんことを請う。

丈人 宗卿を領し,肅穆にして 古制 敦し。

先朝 諫諍を納れ,直氣 乾坤に橫わる。

子建のごとく 文筆 壯に,河間のごとく 經術 存す。

#3

爾 克く詩禮に富む,骨 清くして慮 喧しからず。

洗然 知己に遇えば,談論 淮湖に奔る。

憶う昔 初めて 見し時,小襦 芳蓀を繡す。

長成 忽ち會面す,我が久疾の魂を慰む。

#4

三峽 春冬の交,江山 雲霧 昏し。

正に宜く且く聚集すべきも,恨むらくは此こに離尊に當るを。

怪しむ莫れ 杯を執ることの遲きを,我れ衰えて涕唾 煩し。

重ねて子に何こに之くかと問えば,西のかた岷江の源に上ると。

#5

願わくば 子 干謁を少くせよ,蜀都に 戎軒 足る。

誤りて 將帥の意を失わば,親故の恩も 知らず。

少年 早く歸り來たれ,梅花 已に飛翻す。

努力して 風水を慎め,豈に惟だに 盤飧を數するのみならんや。

#6

猛虎は 臥して岸に在り,蛟螭は 出でて痕無し。

王子 自ら愛惜せよ,老夫 石根に困む。

生別は 古えより 嗟く所,聲を發せんしてと爾が為に吞む。

 

 

杜詩詳注 卷二一(四)一八二五 《別李義》 現代語訳 訳注解説

(本文)

別李義(卷二一(四)一八二五)  767

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。

誤失將帥意,不如親故恩。

少年早歸來,梅花已飛翻。

努力慎風水,豈惟數盤飧。

 

(下し文)

(李義に別る)

#5

願わくば 子 干謁を少くせよ,蜀都に 戎軒 足る。

誤りて 將帥の意を失わば,親故の恩も 知らず。

少年 早く歸り來たれ,梅花 已に飛翻す。

努力して 風水を慎め,豈に惟だに 盤飧を數するのみならんや。

 

(現代語訳)

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

#

だからといって出世の糸口を求めて節度使など実力者に面会するなどというのは、お控えなされるほうがよいでしょう。蜀の都であった成都には、戦車、軍人が多いことがわかるので心配します。

あなたが誤って将帥、将軍のご機嫌を損なえば、彼らは親戚や旧友の間のような恩愛でもって接することなど全くなく、どんな危害を加えるかわからないのである。

お若いあなたは早く長安に戻りましょう、時が過ぎ去って、梅の花はすでに散り、風に舞い飛んでいるのでしょう。

異郷の気候や水もよくよく気を付け、慎重になされることがよいし、他人からたびたび御馳走されるような接待をご遠慮されるのがよいでしょう。

 

(訳注解説)

別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

【題意】杜詩詳注卷二一(四)一八二四、杜少陵詩集四四二。杜詩全譯〔四〕P537

制作時767年、制作地は前詩と同じ夔州。杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告する。李義は膚の高 祖・李淵の第一六子である道士李元慶の玄孫(『新唐音』巻七〇下「宗室世系表下」)。

 

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。

だからといって出世の糸口を求めて節度使など実力者に面会するなどというのは、お控えなされるほうがよいでしょう。蜀の都であった成都には、戦車、軍人が多いことがわかるので心配します。

千謁 官職や推薦などを求めるために権力者や高級官僚に謁見する。「干」は便宜を求めるの意味。千謁 なにかをたのみこむために貴人に面会する。杜甫は仕官活動の初めのころ一時期面会し、詩を贈っている。いやで仕方なかったことを示す。杜甫 自京赴奉先縣詠懷五百字 「以茲悟生理,獨恥事干謁。」

蜀都・軍都 成都(四川省成都市)。

足戎軒 兵事が多い。軍人が多いことをいう。

 

 

誤失將帥意,不如親故恩。

あなたが誤って将帥、将軍のご機嫌を損なえば、彼らは親戚や旧友の間のような恩愛でもって接することなど全くなく、どんな危害を加えるかわからないのである。

○将帥 将軍。『杜詩鏡鍵』巻 一八は岸畔(摩寧)と解する。

○親故恩 親戚や旧友の情愛。

 

 

少年早歸來,梅花已飛翻。

お若いあなたは早く長安に戻りましょう、時が過ぎ去って、梅の花はすでに散り、風に舞い飛んでいるのでしょう。

 

努力慎風水,豈惟數盤飧。

異郷の気候や水もよくよく気を付け、慎重になされることがよいし、他人からたびたび御馳走されるような接待をご遠慮されるのがよいでしょう。

風水 異郷の風と水、風土。古代、とくに、水が合わなくて体調を崩すことが多かった。旅に故郷の土を持ち歩き水がめに土を沈めて飮むことで予防したという。

数盤餐 皿に盛った料理を何度もごちそうになる。他人から接待などを受けること。『九家注』巻一四は何度も 食事を摂って自愛し、体力を養うことと解する。「盤餐」は畳韻語「バンサン」。

767年-235 《 別李義(卷二一(四)一八二五) -#4》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11130

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767
-235  別李義(卷二一(四)一八二五) -#4》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11130

 

 

767-235

 

 

 別李義(卷二一(四)一八二五)  -#4

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11130

 

 

 

 

別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

神堯十八子,十七王其門。

唐の高祖、神尭皇帝の22人いた皇子で4人を除いた18人の皇子のうち、17人が王に封じられた。

道國洎舒國,督唯親弟昆。

そのうち、道王 と舒王はほんとうに同腹の兄弟であるとみられている。

中外貴賤殊,余亦忝諸孫。

そして、あなたは直系で私は外孫、身分の貴賤は異なるのであるけれど、 私にとっては、また恐れ多いことながら子孫の列に列なっている事に違いはないのである。

丈人嗣三葉,之子白玉溫。

あなたの父上は道王三代を嗣いでおられ、あなたも白玉のように温厚でいらっしゃる。』

#2

道國繼德業,請從丈人論。

道王は代々、徳行と功業を継承しておられたあなたの先代の父上のことから申し上げさせていただこう。

丈人領宗卿,肅穆古制敦。

父上は宗 正卿に領じられ、宗室の威厳を備えながらも穏やかな態度は、古代の制度が持つ誠実さに裏打ちされておられた。

先朝納諫諍,直氣橫乾坤。

玄宗皇帝の開元の治と称えられた善政で唐の絶頂期を迎えた御代では、諌言も受け入れられ、父上の正しい精神は天地の隅々まで溢れていたのである。

子建文筆壯,河間經術存。

そして、 陳思王曹植のように詩文はすばらしく、河間王劉徳のように儒学を修めておられた。』

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。

あなたもまた『詩経』や「三礼」など儒学への造詣を充分に深められてお り、高潔な資質を備えて心は落ち着いておられる。

洗然遇知己,談論淮湖奔。

こうして知己であるあなたにお会いして みれば物事にとらわれず気品に富み、その談論は雄弁で准河や太湖の水が滑々と流れるよう だ。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。

思えば昔、初めてお会いした時、装いは、短い上着に香草を刺繍されていて洗練されていた。

長成忽會面,慰我久疾魂。

今、成長されたお姿を突然拝見すると、私の長く病んでいた心が慰められる思いになるのです。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。

三峡下りの入り口に位置する夔州は冬と春の季節の変わり目というものであり、この地の雨雲霧は古来より、男女の情の物語があり長江や山には雲や霧が出て暗い。

正宜且聚集,恨此當離尊。

せっかくここで出会い集まって酒宴をご一緒にしているのですから、 もうしばらくともに時を過ごしたいのでありますが、今、別れの宴の酒樽を前にしなければならないのが恨めしく思うのです。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。

したがって杯を手に取るのがゆっくりだというのを不審に思わないでいただきたい、というのも、この私、老いぼれてしまい、涙と唾がだらしなく溢れ出る次第なのです。

重問子何之,西上岷江源。

あなたはどちらに向かわれるのかと改めてまた問えば、西に向かって眠江の源へ遡ることなのでしょう。』#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不如親故恩。

少年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數盤飧。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

 

(李義に別る)

神堯の十八子,十七 其の門を王とす。

道國 洎【およ】び舒國,唯し親弟昆と督す。

中外 貴賤 殊なるも,余 亦た諸孫なるを忝くする。

丈人 嗣ぐこと 三葉,之の子 白玉のごとく溫かなり。

#2

道國 德業を繼ぎて,丈人より論ぜんことを請う。

丈人 宗卿を領し,肅穆にして 古制 敦し。

先朝 諫諍を納れ,直氣 乾坤に橫わる。

子建のごとく 文筆 壯に,河間のごとく 經術 存す。

#3

爾 克く詩禮に富む,骨 清くして慮 喧しからず。

洗然 知己に遇えば,談論 淮湖に奔る。

憶う昔 初めて 見し時,小襦 芳蓀を繡す。

長成 忽ち會面す,我が久疾の魂を慰む。

#4

三峽 春冬の交,江山 雲霧 昏し。

正に宜く且く聚集すべきも,恨むらくは此こに離尊に當るを。

怪しむ莫れ 杯を執ることの遲きを,我れ衰えて涕唾 煩し。

重ねて子に何こに之くかと問えば,西のかた岷江の源に上ると。

#5

願わくば 子 干謁を少くせよ,蜀都に 戎軒 足る。

誤りて 將帥の意を失わば,親故の恩も 知らず。

少年 早く歸り來たれ,梅花 已に飛翻す。

努力して 風水を慎め,豈に惟だに 盤飧を數するのみならんや。

#6

猛虎は 臥して岸に在り,蛟螭は 出でて痕無し。

王子 自ら愛惜せよ,老夫 石根に困む。

生別は 古えより 嗟く所,聲を發せんしてと爾が為に吞む。

 

 瞿塘峡・白帝城・魚復

杜詩詳注 卷二一(四)一八二五 《別李義》 現代語訳 訳注解説

(本文)

別李義(卷二一(四)一八二五)  767

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。

正宜且聚集,恨此當離尊。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。

重問子何之,西上岷江源。

 

(下し文)

(李義に別る)

#4

三峽 春冬の交,江山 雲霧 昏し。

正に宜く且く聚集すべきも,恨むらくは此こに離尊に當るを。

怪しむ莫れ 杯を執ることの遲きを,我れ衰えて涕唾 煩し。

重ねて子に何こに之くかと問えば,西のかた岷江の源に上ると。

 

(現代語訳)

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

#4

三峡下りの入り口に位置する夔州は冬と春の季節の変わり目というものであり、この地の雨雲霧は古来より、男女の情の物語があり長江や山には雲や霧が出て暗い。

せっかくここで出会い集まって酒宴をご一緒にしているのですから、 もうしばらくともに時を過ごしたいのでありますが、今、別れの宴の酒樽を前にしなければならないのが恨めしく思うのです。

したがって杯を手に取るのがゆっくりだというのを不審に思わないでいただきたい、というのも、この私、老いぼれてしまい、涙と唾がだらしなく溢れ出る次第なのです。

あなたはどちらに向かわれるのかと改めてまた問えば、西に向かって眠江の源へ遡ることなのでしょう。』

 

(訳注解説)

別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

【題意】杜詩詳注卷二一(四)一八二四、杜少陵詩集四四二。杜詩全譯〔四〕P537

制作時767年、制作地は前詩と同じ夔州。杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告する。李義は膚の高 祖・李淵の第一六子である道士李元慶の玄孫(『新唐音』巻七〇下「宗室世系表下」)。

 

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏

三峡下りの入り口に位置する夔州は冬と春の季節の変わり目というものであり、この地の雨雲霧は古来より、男女の情の物語があり長江や山には雲や霧が出て暗い。

三峡 垂慶市から湖北省にかけて続く、長江本流にある三つの峡谷の総称。重慶市奉節県の白帝城から湖北省宜昌市の南津関までの193kmの間に、上流から瞿塘峡(くとうきょう、8km)、巫峡(ふきょう、45km)、西陵峡(せいりょうきょう、66km)が連続する景勝地である。

雲霧昏 この地は地形的にも山は重畳して天日を隠蔽するという。巫山十二峰と言われ、その中で代表的なものに神女峰がある。楚の宋玉の「高唐賦」(『文選』所収)序に、楚の懐王が高唐(楚の雲夢沢(中国語版)にあった台館)に遊んだ際、疲れて昼寝していると、夢の中に「巫山の女(むすめ)」と名乗る女が現れて王の寵愛を受けた、という記述がある。彼女は立ち去る際、王に「私は巫山の南の、険しい峰の頂に住んでおります。朝は雲となり、夕べは雨となり(旦為朝雲、暮為行雨)、朝な夕な、この楼台のもとに参るでしょう」[2]と告げた。

 

正宜且聚集,恨此當離尊。

せっかくここで出会い集まって酒宴をご一緒にしているのですから、 もうしばらくともに時を過ごしたいのでありますが、今、別れの宴の酒樽を前にしなければならないのが恨めしく思うのです。

聚集 一緒にいる。 酒宴の席に一緒にいる。双声語「シュウシュウ」。

離樽 送別の宴にある酒樽。

 

 

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。

したがって杯を手に取るのがゆっくりだというのを不審に思わないでいただきたい、というのも、この私、老いぼれてしまい、涙と唾がだらしなく溢れ出る次第なのです。

沸睡煩 涙と唾が溢れ出る。老人のだらし ない表情。「煩」はここでは「繁」に通じる。

 

重問子何之,西上岷江源。

あなたはどちらに向かわれるのかと改めてまた問えば、西に向かって眠江の源へ遡ることなのでしょう。』

眠江 嶋山の南麓に発し、成都平野をうるおして宜賓 市で長江本流(金沙江) に合流する支流の名。ここでは長江と眠江を遡り、成都まで行くことをいう。 古来、長江の本流とされたため、合流した後の長江もしばしば眠江と称される。ここもその例。

 

767年-235 《 別李義(卷二一(四)一八二五) -#3》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11122

767-235  別李義(卷二一(四)一八二五) -#3》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11122

 

 

767-235

 

 

 別李義(卷二一(四)一八二五)  -#3

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11122

 

 

 

 

別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

神堯十八子,十七王其門。

唐の高祖、神尭皇帝の22人いた皇子で4人を除いた18人の皇子のうち、17人が王に封じられた。

道國洎舒國,督唯親弟昆。

そのうち、道王 と舒王はほんとうに同腹の兄弟であるとみられている。

中外貴賤殊,余亦忝諸孫。

そして、あなたは直系で私は外孫、身分の貴賤は異なるのであるけれど、 私にとっては、また恐れ多いことながら子孫の列に列なっている事に違いはないのである。

丈人嗣三葉,之子白玉溫。

あなたの父上は道王三代を嗣いでおられ、あなたも白玉のように温厚でいらっしゃる。』

#2

道國繼德業,請從丈人論。

道王は代々、徳行と功業を継承しておられたあなたの先代の父上のことから申し上げさせていただこう。

丈人領宗卿,肅穆古制敦。

父上は宗 正卿に領じられ、宗室の威厳を備えながらも穏やかな態度は、古代の制度が持つ誠実さに裏打ちされておられた。

先朝納諫諍,直氣橫乾坤。

玄宗皇帝の開元の治と称えられた善政で唐の絶頂期を迎えた御代では、諌言も受け入れられ、父上の正しい精神は天地の隅々まで溢れていたのである。

子建文筆壯,河間經術存。

そして、 陳思王曹植のように詩文はすばらしく、河間王劉徳のように儒学を修めておられた。』

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。

あなたもまた『詩経』や「三礼」など儒学への造詣を充分に深められてお り、高潔な資質を備えて心は落ち着いておられる。

洗然遇知己,談論淮湖奔。

こうして知己であるあなたにお会いして みれば物事にとらわれず気品に富み、その談論は雄弁で准河や太湖の水が滑々と流れるよう だ。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。

思えば昔、初めてお会いした時、装いは、短い上着に香草を刺繍されていて洗練されていた。

長成忽會面,慰我久疾魂。

今、成長されたお姿を突然拝見すると、私の長く病んでいた心が慰められる思いになるのです。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。正宜且聚集,恨此當離尊。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。重問子何之,西上岷江源。

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不如親故恩。

少年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數盤飧。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

 

(李義に別る)

神堯の十八子,十七 其の門を王とす。

道國 洎【およ】び舒國,唯し親弟昆と督す。

中外 貴賤 殊なるも,余 亦た諸孫なるを忝くする。

丈人 嗣ぐこと 三葉,之の子 白玉のごとく溫かなり。

#2

道國 德業を繼ぎて,丈人より論ぜんことを請う。

丈人 宗卿を領し,肅穆にして 古制 敦し。

先朝 諫諍を納れ,直氣 乾坤に橫わる。

子建のごとく 文筆 壯に,河間のごとく 經術 存す。

#3

爾 克く詩禮に富む,骨 清くして慮 喧しからず。

洗然 知己に遇えば,談論 淮湖に奔る。

憶う昔 初めて 見し時,小襦 芳蓀を繡す。

長成 忽ち會面す,我が久疾の魂を慰む。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。正宜且聚集,恨此當離尊。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。重問子何之,西上岷江源。

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不如親故恩。

少年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數盤飧。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

 

杜詩詳注 卷二一(四)一八二五 《別李義》 現代語訳 訳注解説

(本文)

別李義(卷二一(四)一八二五)  767

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。

洗然遇知己,談論淮湖奔。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。

長成忽會面,慰我久疾魂。

 

(下し文)

(李義に別る)

#3

爾 克く詩禮に富む,骨 清くして慮 喧しからず。

洗然 知己に遇えば,談論 淮湖に奔る。

憶う昔 初めて 見し時,小襦 芳蓀を繡す。

長成 忽ち會面す,我が久疾の魂を慰む。

 

(現代語訳)

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

#3

あなたもまた『詩経』や「三礼」など儒学への造詣を充分に深められてお り、高潔な資質を備えて心は落ち着いておられる。

こうして知己であるあなたにお会いして みれば物事にとらわれず気品に富み、その談論は雄弁で准河や太湖の水が滑々と流れるよう だ。

思えば昔、初めてお会いした時、装いは、短い上着に香草を刺繍されていて洗練されていた。

今、成長されたお姿を突然拝見すると、私の長く病んでいた心が慰められる思いになるのです。

 

(訳注解説)

別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

【題意】杜詩詳注卷二一(四)一八二四、杜少陵詩集四四二。杜詩全譯〔四〕P537

制作時767年、制作地は前詩と同じ夔州。杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告する。李義は膚の高 祖・李淵の第一六子である道士李元慶の玄孫(『新唐音』巻七〇下「宗室世系表下」)。

 

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。

あなたもまた『詩経』や「三礼」など儒学への造詣を充分に深められてお り、高潔な資質を備えて心は落ち着いておられる。

詩禮 『詩経』と 『礼記』 『周礼』 『儀礼』 の「三礼」。儒学をいう。三礼(さんらい)とは、儒教における礼に関わる三種類の経書『周礼』『儀礼』『礼記』の総称。後漢の鄭玄が『周礼』『儀礼』『礼記』の三書を総合的に解釈する三礼の学を作り上げて以来、この名がある。『儀礼』(ぎらい) - 前漢では『礼』といえば『儀礼』のみを指していた。現存する17篇は前漢の高堂生が伝えた士礼部分を主としたもので、この「今文儀礼」高堂生本を「古文儀礼」で校合したものという。現在通行している『儀礼』は後漢の鄭玄注、唐の賈公彦疏が付けられて『十三経注疏』に収められている。

『周礼』(しゅらい) - 『漢書』芸文志には「周官」とあり、周の官制について書かれている。前漢、武帝の時代、民間から発見されたといわれる古文経である。天官・地官・春官・夏官・秋官・冬官に分けられるが、冬官部分は発見当初からなく、「考工記」という別の文献が当てられている。現在通行している『周礼』は後漢の鄭玄注、唐の賈公彦疏が付けられて『十三経注疏』に収められている。

『礼記』(らいき) - 『礼』に対する注釈であるが、戦国・秦・漢の礼家のさまざまな言説が集められている。『漢書』芸文志には「記」141篇とある。前漢時代、戴徳が伝えた「大戴記」、戴聖が伝えた「小戴記」があったが、現在の『礼記』49篇は「小戴記」である。唐代、『五経正義』に取り上げられ、鄭玄注に孔穎達が疏をつけた『礼記正義』が作られた。『礼記正義』は『十三経注疏』に収められている。

骨清 俗気を脱した高潔な資質がある。「骨」は、生来の資質。

慮不喧 思いが乱れていない。

 

洗然遇知己,談論淮湖奔。

こうして知己であるあなたにお会いして みれば物事にとらわれず気品に富み、その談論は雄弁で准河や太湖の水が滑々と流れるよう だ。

洗然 李義のものごとにとらわれ ず、気品のあるさま。

准湖奔 准河や太湖の水がどこまでも奔流する。滑々とした談論の比喩

 

憶昔初見時,小襦繡芳蓀

思えば昔、初めてお会いした時、装いは、短い上着に香草を刺繍されていて洗練されていた。。

初見時 詳注の引く清・藩檉章『杜詩博議』は、杜甫と李義は天宝年間に長安で会っていると推測する。

小襦 小さくて短い上着。

繡芳蓀 香草の名

 

長成忽會面,慰我久疾魂。

今、成長されたお姿を突然拝見すると、私の長く病んでいた心が慰められる思いになるのです。

久疾魂 長く病んでいた心。杜甫は持病を持っていて時折よくはなっても長く心は沈んでいたことを言う。

767年-235 《 別李義(卷二一(四)一八二五) -#2》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11114

767-235  別李義(卷二一(四)一八二五) -#2》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11114

 

 

767-235

 

 

 別李義(卷二一(四)一八二五)  -#2

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

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別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

神堯十八子,十七王其門。

唐の高祖、神尭皇帝の22人いた皇子で4人を除いた18人の皇子のうち、17人が王に封じられた。

道國洎舒國,督唯親弟昆。

そのうち、道王 と舒王はほんとうに同腹の兄弟であるとみられている。

中外貴賤殊,余亦忝諸孫。

そして、あなたは直系で私は外孫、身分の貴賤は異なるのであるけれど、 私にとっては、また恐れ多いことながら子孫の列に列なっている事に違いはないのである。

丈人嗣三葉,之子白玉溫。

あなたの父上は道王三代を嗣いでおられ、あなたも白玉のように温厚でいらっしゃる。』

#2

道國繼德業,請從丈人論。

道王は代々、徳行と功業を継承しておられたあなたの先代の父上のことから申し上げさせていただこう。

丈人領宗卿,肅穆古制敦。

父上は宗 正卿に領じられ、宗室の威厳を備えながらも穏やかな態度は、古代の制度が持つ誠実さに裏打ちされておられた。

先朝納諫諍,直氣橫乾坤。

玄宗皇帝の開元の治と称えられた善政で唐の絶頂期を迎えた御代では、諌言も受け入れられ、父上の正しい精神は天地の隅々まで溢れていたのである。

子建文筆壯,河間經術存。

そして、 陳思王曹植のように詩文はすばらしく、河間王劉徳のように儒学を修めておられた。』

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。洗然遇知己,談論淮湖奔。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。長成忽會面,慰我久疾魂。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。正宜且聚集,恨此當離尊。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。重問子何之,西上岷江源。

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不如親故恩。

少年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數盤飧。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

 

(李義に別る)

神堯の十八子,十七 其の門を王とす。

道國 洎【およ】び舒國,唯し親弟昆と督す。

中外 貴賤 殊なるも,余 亦た諸孫なるを忝くする。

丈人 嗣ぐこと 三葉,之の子 白玉のごとく溫かなり。

#2

道國 德業を繼ぎて,丈人より論ぜんことを請う。

丈人 宗卿を領し,肅穆にして 古制 敦し。

先朝 諫諍を納れ,直氣 乾坤に橫わる。

子建のごとく 文筆 壯に,河間のごとく 經術 存す。

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。洗然遇知己,談論淮湖奔。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。長成忽會面,慰我久疾魂。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。正宜且聚集,恨此當離尊。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。重問子何之,西上岷江源。

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不如親故恩。

少年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數盤飧。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

 

杜詩詳注 卷二一(四)一八二五 《別李義》 現代語訳 訳注解説

(本文)

別李義(卷二一(四)一八二五)  767

#2

道國繼德業,請從丈人論。

丈人領宗卿,肅穆古制敦。

先朝納諫諍,直氣橫乾坤。

子建文筆壯,河間經術存。

 

 

(下し文)

(李義に別る)

道國 德業を繼ぎて,丈人より論ぜんことを請う。

丈人 宗卿を領し,肅穆にして 古制 敦し。

先朝 諫諍を納れ,直氣 乾坤に橫わる。

子建のごとく 文筆 壯に,河間のごとく 經術 存す。

 

(現代語訳)

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

道王は代々、徳行と功業を継承しておられたあなたの先代の父上のことから申し上げさせていただこう。

父上は宗 正卿に領じられ、宗室の威厳を備えながらも穏やかな態度は、古代の制度が持つ誠実さに裏打ちされておられた。

玄宗皇帝の開元の治と称えられた善政で唐の絶頂期を迎えた御代では、諌言も受け入れられ、父上の正しい精神は天地の隅々まで溢れていたのである。

そして、 陳思王曹植のように詩文はすばらしく、河間王劉徳のように儒学を修めておられた。』

 

 

(訳注解説)

別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

【題意】杜詩詳注卷二一(四)一八二四、杜少陵詩集四四二。杜詩全譯〔四〕P537

制作時767年、制作地は前詩と同じ夔州。杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告する。李義は膚の高 祖・李淵の第一六子である道士李元慶の玄孫(『新唐音』巻七〇下「宗室世系表下」)。

 

#2

道國繼德業,請從丈人論。

道王は代々、徳行と功業を継承しておられたあなたの先代の父上のことから申し上げさせていただこう。

徳業 徳行と功業。① 仁徳と功業。 徳をたてる事業。善にすすむ所業。

 

丈人領宗卿,肅穆古制敦。

父上は宗 正卿に領じられ、宗室の威厳を備えながらも穏やかな態度は、古代の制度が持つ誠実さに裏打ちされておられた。

宗卿 官名。宗正卿。宗室の戸籍 を掌る宗正寺の長官。李疎は広徳年間(七六三〜七六四)に宗正卿に任じられた。

肅穆 威厳を備えながらも、人には穏やかに接する態度。

古制敦 古代の制度の持つ誠実さ。

 

先朝納諫諍,直氣橫乾坤

玄宗皇帝の開元の治と称えられた善政で唐の絶頂期を迎えた御代では、諌言も受け入れられ、父上の正しい精神は天地の隅々まで溢れていたのである。

先朝 玄宗の治世。玄宗は、唐の第6代皇帝。諱は隆基。唐明皇とも呼ばれる。 治世の前半は、太宗の貞観の治を手本とした、開元の治と称えられた善政で唐の絶頂期を迎えたが、後半は楊貴妃を寵愛したことで安史の乱の原因を作った

諌評 諌言。

直気 李錬の真っ直ぐな精神。

橫乾坤 天地に横溢する、あふれる。

 

子建文筆壯,河間經術存。

そして、 陳思王曹植のように詩文はすばらしく、河間王劉徳のように儒学を修めておられた。』

子建 三国・魏の曹植。後漢末期から三国時代にかけての人物。魏の皇族。豫州沛国譙県の出身。陳王に封じられ、諡が思であったことから陳思王とも呼ばれる。唐の李白・杜甫以前における中国を代表する文学者として、「詩聖」の評価を受けた。才高八斗・七歩の才の語源。建安文学の三曹の一人。

河聞 前漢の河間王劉徳(?〜前三九)。儒学を好 んだ(『史記』巻五九「劉徳世家」)。景帝前2年(紀元前155年)に河間王に封じられた。 劉徳は学問を修め古の事を好み、民が良い書を持っていると聞くと金品を与え、その書を写して本の書を召し上げ、写本を持ち主に返すようにした。

経術 儒学。

67年-235 《 別李義(卷二一(四)一八二五) -#1》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11106

67-235  別李義(卷二一(四)一八二五) -#1》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11106

 

 

767-234 -2

 

 

 柳司馬至(卷二一(四)一八二四)

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11098

 

 

 

 

〔詩題〕

作品番号

初句・五字

掲載

別李義(卷二一(四)一八二五)   767

1267

神堯十八子

 

 

 

 

 

1213          別李義(卷二一(四)一八二五)              767

                  神堯十八子,十七王其門。道國洎(一作及)舒國,實(一作督)維親弟昆。             

                  中外貴賤殊,余亦忝諸孫。丈人嗣三葉(一作王業),之子白玉溫。        

                  道國繼德業,請從丈人論。丈人領宗卿,肅睦(一作穆)古制敦。           

                  先朝納諫諍,直氣橫乾坤。子建文章(一作筆)壯,河經經術存。           

                  爾(一作溫)克富詩禮,骨清慮不喧。洗然遇知己,談論淮湖(一作河)奔。             

                  憶昔初見時,小襦(一作孺)繡芳蓀。長成忽會面,慰我久疾魂。           

                 三峽春冬交,江山雲霧昏。正宜且聚集,恨此當離樽。         

                  莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。重問子何之,西上岷江源。         

 

                  願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不知(一作如)親故恩。           

                  豈惟數盤餐。猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。            

                 王子自愛惜,老夫困石根。生別古所嗟 ,發聲為爾吞。        

 

別李義(卷二一(四)一八二五)           768

神堯十八子,十七王其門。道國洎舒國,督唯親弟昆。

中外貴賤殊,余亦忝諸孫。丈人嗣三葉,之子白玉溫。

#2

道國繼德業,請從丈人論。丈人領宗卿,肅穆古制敦。

先朝納諫諍,直氣橫乾坤。子建文筆壯,河間經術存。

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。洗然遇知己,談論淮湖奔。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。長成忽會面,慰我久疾魂。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。正宜且聚集,恨此當離尊。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。重問子何之,西上岷江源。

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不如親故恩。

少年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數盤飧。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

作者:  杜甫

皇帝紀年:      大曆二年

寫作時間:      767

寫作年紀:      56

卷別:  卷二三一       

文體:  五言古詩

詩題:  別李義

詩序: 

寫作地點:      目前尚無資料

寫及地點:      故函谷關 (都畿道 陜州 故函谷關) 別名:秦關       

邯鄲 (河北道南部 邯鄲)    

商洛 (山南東道 商州 商洛)      

交遊人物/地點:

柳至       書信往來

詩文:

 

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別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

神堯十八子,十七王其門。

唐の高祖、神尭皇帝の22人いた皇子で4人を除いた18人の皇子のうち、17人が王に封じられた。

道國洎舒國,督唯親弟昆。

そのうち、道王 と舒王はほんとうに同腹の兄弟であるとみられている。

中外貴賤殊,余亦忝諸孫。

そして、あなたは直系で私は外孫、身分の貴賤は異なるのであるけれど、 私にとっては、また恐れ多いことながら子孫の列に列なっている事に違いはないのである。

丈人嗣三葉,之子白玉溫。

あなたの父上は道王三代を嗣いでおられ、あなたも白玉のように温厚でいらっしゃる。』

#2

道國繼德業,請從丈人論。丈人領宗卿,肅穆古制敦。

先朝納諫諍,直氣橫乾坤。子建文筆壯,河間經術存。

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。洗然遇知己,談論淮湖奔。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。長成忽會面,慰我久疾魂。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。正宜且聚集,恨此當離尊。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。重問子何之,西上岷江源。

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不如親故恩。

少年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數盤飧。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

 

(李義に別る)

神堯の十八子,十七 其の門を王とす。

道國 洎【およ】び舒國,唯し親弟昆と督す。

中外 貴賤 殊なるも,余 亦た諸孫なるを忝くする。

丈人 嗣ぐこと 三葉,之の子 白玉のごとく溫かなり。

#2

道國 德業を繼ぎて,丈人より論ぜんことを請う。

丈人 宗卿を領し,肅穆にして 古制 敦し。

先朝 諫諍を納れ,直氣 乾坤に橫わる。

子建のごとく 文筆 壯に,河間のごとく 經術 存す。

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。洗然遇知己,談論淮湖奔。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。長成忽會面,慰我久疾魂。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。正宜且聚集,恨此當離尊。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。重問子何之,西上岷江源。

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不如親故恩。

少年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數盤飧。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

 

杜詩詳注 卷二一(四)一八二五 《別李義》 現代語訳 訳注解説

(本文)

別李義(卷二一(四)一八二五)  767

神堯十八子,十七王其門。

道國洎舒國,督唯親弟昆。

中外貴賤殊,余亦忝諸孫。

丈人嗣三葉,之子白玉溫。

#2

道國繼德業,請從丈人論。丈人領宗卿,肅穆古制敦。

先朝納諫諍,直氣橫乾坤。子建文筆壯,河間經術存。

#3

爾克富詩禮,骨清慮不喧。洗然遇知己,談論淮湖奔。

憶昔初見時,小襦繡芳蓀。長成忽會面,慰我久疾魂。

#4

三峽春冬交,江山雲霧昏。正宜且聚集,恨此當離尊。

莫怪執杯遲,我衰涕唾煩。重問子何之,西上岷江源。

#5

願子少干謁,蜀都足戎軒。誤失將帥意,不如親故恩。

少年早歸來,梅花已飛翻。努力慎風水,豈惟數盤飧。

#6

猛虎臥在岸,蛟螭出無痕。王子自愛惜,老夫困石根。

生別古所嗟,發聲為爾吞。

 

(下し文)

(李義に別る)

神堯の十八子,十七 其の門を王とす。

道國 洎【およ】び舒國,唯し親弟昆と督す。

中外 貴賤 殊なるも,余 亦た諸孫なるを忝くする。

丈人 嗣ぐこと 三葉,之の子 白玉のごとく溫かなり。

 

 

(現代語訳)

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

唐の高祖、神尭皇帝の22人いた皇子で4人を除いた18人の皇子のうち、17人が王に封じられた。

そのうち、道王 と舒王はほんとうに同腹の兄弟であるとみられている。

そして、あなたは直系で私は外孫、身分の貴賤は異なるのであるけれど、 私にとっては、また恐れ多いことながら子孫の列に列なっている事に違いはないのである。

あなたの父上は道王三代を嗣いでおられ、あなたも白玉のように温厚でいらっしゃる。』

 

(訳注解説)

別李義

杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告して詠う。

【題意】杜詩詳注卷二一(四)一八二四、杜少陵詩集四四二。杜詩全譯〔四〕P537

制作時767年、制作地は前詩と同じ夔州。杜甫の縁戚で、唐王朝の宗室でもある李義を送別するにあたり、彼とその父の李錬の人物を歌い、成都へ赴く李義へ忠告する。李義は膚の高 祖・李淵の第一六子である道士李元慶の玄孫(『新唐音』巻七〇下「宗室世系表下」)。

神堯 唐の。上元元年(674)に「神尭皇帝」と誼され、天宝十三載(754)には 「神尭大聖光孝皇帝」 に改められた。李 淵(り えん、56647 - 635625日)は、唐の初代皇帝。隋末の混乱の中で太原で挙兵し、長安を落として根拠地とした。そこで隋の恭帝侑を傀儡として立て、禅譲により唐を建国した。李淵は在位9年の間王世充などの群雄勢力と戦い、また律令を整備した。626年に太宗(李世民)に譲位し、太宗が残存の群雄勢力を一掃して唐の天下統一を果たした。

 

神堯十八子,十七王其門。

唐の高祖、神尭皇帝の22人いた皇子で4人を除いた18人の皇子のうち、17人が王に封じられた。

十八子 二二人の高祖の息子のうち、早くに薨去した衛王李玄覇・楚王李智雲、誅殺された隠太子李建成・巣王李元吉を除いた一八人。

十七 上述の一八人から太宗李世民を除いた十七人。

 

道國洎舒國,督唯親弟昆。

そのうち、道王 と舒王はほんとうに同腹の兄弟であるとみられている。

道国 16皇子 道王の李元慶。

舒国 18皇子 王の李元名。

親弟昆 同腹の兄弟。文末の李渕の子息表、また、「新唐書 巻七九「高祖諸子列伝」によれば、李元慶(母 劉婕妤)と李元名(母 小楊嬪)と彼らの母は異なる。

 

中外貴賤殊,余亦忝諸孫。

そして、あなたは直系で私は外孫、身分の貴賤は異なるのであるけれど、 私にとっては、また恐れ多いことながら子孫の列に列なっている事に違いはないのである。

中外 李義は李元慶の男系(直系)の玄孫、杜甫は李元名の外孫の、さらにその外孫に当たる。

 

丈人嗣三葉,之子白玉溫。

あなたの父上は道王三代を嗣いでおられ、あなたも白玉のように温厚でいらっしゃる。』

丈人 親族 内の年長者。李義の父の李疎を指す。

三葉 道モの三代。李元慶、李誘、李微の三人を指す。

之子 その子。李義。

白玉温 滑らかな白玉のように人品に角がなく温厚である。『詩経』秦風「小戎」 に 「言に君子を念う、温として其れ玉の如し」。

 

高祖、李淵の22人の子息

1.太子 李建成 - 竇皇后(暗殺後、高宗のときはじめ息王を封贈、のち隠太子を追贈)

2.秦王 李世民 - 竇皇后(李建成暗殺後に立太子、高祖退位をうけて即位、廟号は太宗)

3.李玄霸 - 竇皇后(高祖即位前に早世、高宗のとき衛王を封贈)

4.斉王 李元吉 - 竇皇后(暗殺後、高宗のときはじめ海陵郡王を封贈、のち巣王を追贈)

5.楚王 李智雲 - 万貴妃

6.荊王 李元景 - 莫嬪

7.漢王 李元昌 - 孫嬪

8.酆王 李元亨 - 尹徳妃

9.周王 李元方 - 張婕妤

10.徐王 李元礼 - 郭婕妤

11.韓王 李元嘉 - 宇文昭儀

12.彭王 李元則 - 王才人

13.鄭王 李元懿 - 張宝林

14.霍王 李元軌 - 張美人

15.虢王 李鳳 - 楊美人

16.道王 李元慶 - 劉婕妤

17.鄧王 李元裕 - 崔嬪

18.舒王 李元名 - 小楊嬪

19.魯王 李霊夔 - 宇文昭儀

20.江王 李元祥 - 楊嬪

21.密王 李元暁 - 魯才人

22.滕王 李元嬰 - 柳宝林

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767年-234 《 柳司馬至(卷二一(四)一八二四) -#2》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11098

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767-234  柳司馬至(卷二一(四)一八二四) -2 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11098

 

 

767-234 -2

 

 

 柳司馬至(卷二一(四)一八二四)

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11098

 

 

 

 

作者:    杜甫

皇帝紀年:           大曆二年

寫作時間:           767

寫作年紀:           56

卷別:    卷二三一             

文體:    五言古詩

詩題:    柳司馬至

詩序:   

寫作地點:           目前尚無資料

寫及地點:           故函谷關 (都畿道 陜州 故函谷關) 別名:秦關             

邯鄲 (河北道南部 邯鄲)           

商洛 (山南東道 商州 商洛)              

交遊人物/地點:  

柳至       書信往來

詩文:

 

柳司馬至

(杜甫は長安・朝廷に帰りたい、持病が悪化し日増しにつらくなる。このままではこの地にうずもれてしまう恐怖にさいなまれる。そんな日々を過ごす中、長安の様子のわかる人が訪ねてくれた。知っていること、知らないこと、客人の話を聞き洩らさず、すべて聞いたことであろう。)

有使歸三峽,相過問兩京。

ひとりの客人この三峡の入り口の夔州にやってきた。その客の名は柳司馬、私の所を訪ねてくれ たので、長安と洛陽の情況を尋ねた。

函關猶出將,渭水更屯兵。

彼が答えるには、「(吐蕃が攻めてきたので)長安の東の函谷関にはまだ将軍を派遣しており、長安の北の渭水にはさらに兵を駐屯させています。

設備邯鄲道,和親邏些城。

邯鄲への街道には防御を設け、ラサとは和睦を結ぼうとしております。

#2

幽燕唯鳥去,商洛少人行。

北の幽州一帯へは 人の 往来は絶えて、空飛ぶ鳥しか行くことができず、商州辺りは行く人もめったにありませ ん」と。

衰謝身何補,蕭條病轉嬰。

老いぼれてしまった今、私は国家に何の責献ができようか、(たとえ些細なことでも貢献したいのである)わびしいことにますます病につきまとわれている。

霜天到宮闕,戀主寸心明。

しかし、どうしても、この霜ふる寒天に長安の宮殿へと思いは向かう。(容易に動けない身になればこそ)陛下 を慕うこの気持ちは、どうしようもないほど燃え上がっているのだ。

 

(柳司馬 至る)

使有り 歸三峽にる,相い過ぎるとき兩京を問う。

函關 猶お將を出す,渭水 更に兵を屯す。

備えを設ける邯鄲の道,和親す 邏些城。

#2

幽燕 唯だ鳥去る,商洛 人 行くも少し。

衰謝 身 何ぞ補わん,蕭條 病い 轉たた嬰る。

霜天 宮闕に到る,戀主 寸心 明らかなり。

 

 

杜詩詳注 卷二一(四)一八二四 柳司馬至 現代語訳 訳注解説

(本文)

柳司馬至

有使歸三峽,相過問兩京。

函關猶出將,渭水更屯兵。

設備邯鄲道,和親邏些城。

#2

幽燕唯鳥去,商洛少人行。

衰謝身何補,蕭條病轉嬰。

霜天到宮闕,戀主寸心明。

 

詩文(含異文)     有使歸三峽,相過問兩京。函關猶出將【函關猶自將】,渭水更屯兵。設備邯鄲道,和親邏些城【案:吐蕃號其國都為邏些城。】。幽燕唯鳥去,商洛少人行。衰謝身何補,蕭條病轉嬰。霜天到宮闕,戀主寸心明。

 

(下し文)

(柳司馬 至る)

使有り 歸三峽にる,相い過ぎるとき兩京を問う。

函關 猶お將を出す,渭水 更に兵を屯す。

備えを設ける邯鄲の道,和親す 邏些城。

#2

幽燕 唯だ鳥去る,商洛 人 行くも少し。

衰謝 身 何ぞ補わん,蕭條 病い 轉たた嬰る。

霜天 宮闕に到る,戀主 寸心 明らかなり。

 

(現代語訳)

(杜甫は長安・朝廷に帰りたい、持病が悪化し日増しにつらくなる。このままではこの地にうずもれてしまう恐怖にさいなまれる。そんな日々を過ごす中、長安の様子のわかる人が訪ねてくれた。知っていること、知らないこと、客人の話を聞き洩らさず、すべて聞いたことであろう。)

ひとりの客人この三峡の入り口の夔州にやってきた。その客の名は柳司馬、私の所を訪ねてくれ たので、長安と洛陽の情況を尋ねた。

彼が答えるには、「(吐蕃が攻めてきたので)長安の東の函谷関にはまだ将軍を派遣しており、長安の北の渭水にはさらに兵を駐屯させています。

邯鄲への街道には防御を設け、ラサとは和睦を結ぼうとしております。

#2

北の幽州一帯へは 人の 往来は絶えて、空飛ぶ鳥しか行くことができず、商州辺りは行く人もめったにありませ ん」と。

老いぼれてしまった今、私は国家に何の責献ができようか、(たとえ些細なことでも貢献したいのである)わびしいことにますます病につきまとわれている。

しかし、どうしても、この霜ふる寒天に長安の宮殿へと思いは向かう。(容易に動けない身になればこそ)陛下 を慕うこの気持ちは、どうしようもないほど燃え上がっているのだ。

 

 

(訳注解説)

柳司馬至

(杜甫は長安・朝廷に帰りたい、持病が悪化し日増しにつらくなる。このままではこの地にうずもれてしまう恐怖にさいなまれる。そんな日々を過ごす中、長安の様子のわかる人が訪ねてくれた。知っていること、知らないこと、客人の話を聞き洩らさず、すべて聞いたことであろう。)

【題意】 大暦二年(芙七)冬、夔州で作られた詩。この年の九月から十月、吐蕃の攻撃で戒厳下にあった長安と洛陽の様子を述べ杜甫の朝廷への思いを綴る。柳司馬は未詳、司馬は官名。

鶴注此當是大暦二年作是年九月十/月吐蕃入宼兩京戒嚴故詩中説兩京

【解説】 「函関」以下の六句について、詳注は「函関」「澗水」「郡部」「避逆」は長安に迫 る吐蕃に対する防衛とし、「幽燕」「商洛」は洛陽に迫る河北の藩鎮(地方軍閥) に対する防 衛とする。『読杜心解』巻五之三は、「函関」「郡部」「幽燕」各句は藩鏡への防衛、「滑水」 「遵逆」「商洛」各句は吐書への防衛をいうと考える。

仇兆鰲の註に、「首の二句は、栁 夔に至って信を問うなり。」とあり、中の六句、「栁が詞を答う。」、「下四句は、公 自叙す。將を出づし兵を屯す、備を設し和親す、此に西京を指し吐蕃事とす。幽燕には路梗し、商洛には人稀なり、此れは東京の指し叛を將は事とす。

《杜臆》に:「霜天闕を望み、千里 明淨し 唯だ戀主は丹心なり。與之と共に明かなるのみ。 此の十字句は法なり。 

仇兆鰲の註に、「申涵光曰: 『此詩、用三峽、兩京、函渭水、邯/鄲、邏些、幽燕、商雒、の地名八見す、亦た是れ一病なり。

 

 

 

#2

幽燕唯鳥去,商洛少人行。

北の幽州一帯へは 人の 往来は絶えて、空飛ぶ鳥しか行くことができず、商州辺りは行く人もめったにありませ ん」と。

幽燕 戦国時 代の燕の地に相当する幽州一帯。北京市や河北省北部などを指す。双声語「ユウエン (イウエン)」。

商洛 商県と上洛県の総称。長安の南東に当たる商州(陳西省商洛市)一帯(中國歴史地図U-0 末尾に掲載)。長安から襄陽に向かう街道、武漢、江南への最短の道を言う。杜甫が長安へ帰るとしても最短のルートであるが、陸行が長いのでこの時期困難な道であるが、最短ルートの情報を述べてもらったもの。

 

 

衰謝身何補,蕭條病轉嬰。

老いぼれてしまった今、私は国家に何の責献ができようか、(たとえ些細なことでも貢献したいのである)わびしいことにますます病につきまとわれている。

衰謝 老衰する。双 声語「スイシャ」。

蕭條 うらぶれたさま。畳韻語「ショウジョウ」。

 

 

霜天到宮闕,戀主寸心明。

しかし、どうしても、この霜ふる寒天に長安の宮殿へと思いは向かう。(容易に動けない身になればこそ)陛下 を慕うこの気持ちは、どうしようもないほど燃え上がっているのだ。

宮闕 宮殿。闕は営門の外の 高楼。

寸心 一寸四方の人ききである心臓。「心」は本来、心臓をかたどる象形文字で、転じて、こころ。

 鳳翔 長安 華州 地図01

767年-234 《 柳司馬至(卷二一(四)一八二四) -#1》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11090

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767
-234  柳司馬至(卷二一(四)一八二四) -1 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11090

 

 

 

767-234 -#1

 

 

 柳司馬至(卷二一(四)一八二四)

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11090

 

 

 

 

〔詩題〕

作品番号

初句・五字

掲載

柳司馬至(卷二一(四)一八二四)              767

1266

有客歸三峽

 

 

 

 

 

1212          柳司馬至(卷二一(四)一八二四)           767

                  有客(一作使)歸三峽,相過問兩京。函關猶出(一作自)將,渭水更(一作自)屯兵。 

                  設備邯鄲道,和親邏(《唐書》作娑)城。幽燕唯鳥去,商洛少人行。     

                  衰謝身何補,蕭條病轉嬰。霜天到宮闕,戀主寸心明。         

 

 

仇兆鰲 杜詩詳注 原文

  栁司馬至

  鶴注此當是大暦二年作是年九月十/月吐蕃入宼兩京戒嚴故詩中説兩京/

  

有客一作/使歸三峽、相過/問兩。京函猶出一作//

渭水一作/徒昆/兵。設備邯鄲道、和親邏力佐//

切唐書作娑韻/娑或作通作些城。

幽燕/唯鳥去、商洛少人行。衰謝身何補、蕭條病轉嬰。

霜天到闕、戀主寸心明。首二、栁至夔而問信也。中六、栁答詞。

下四、公自叙。出將屯兵、設/備和親、此指西京吐蕃事。幽燕路梗、商洛人稀、此指東京叛將事。

《杜臆》:霜天望闕、千里明淨唯戀主丹心。與/之共明耳。 此十字句法。 

1⃣ 《漢書》:文帝至霸陵、慎夫人從、帝指視新豐道曰: 「此走邯鄲道也。」 《左傳》:楚子以諸侯伐吴、

  早設備、楚無巧而還。

2⃣ 《舊唐書・吐蕃傳》: 其人或隨畜牧、而不常厥居、然頗有城郭、其國都城。號邏些城

《新書』: 吐蕃賛普居跋布川、或居邏娑川。

3⃣ 《髙士傳》: 四皓共入商洛。

4⃣ 劉楨詩:余嬰沉疴疾。

5⃣ 薛道衡詩: 霜天/雁聲。

 申涵光曰: 此詩、用三峽、兩京、函渭水、邯/鄲、邏些、幽燕、商雒、地名八見、亦是一病。

 

 

作者:    杜甫

皇帝紀年:           大曆二年

寫作時間:           767

寫作年紀:           56

卷別:    卷二三一             

文體:    五言古詩

詩題:    柳司馬至

詩序:   

寫作地點:           目前尚無資料

寫及地點:           故函谷關 (都畿道 陜州 故函谷關) 別名:秦關             

邯鄲 (河北道南部 邯鄲)           

商洛 (山南東道 商州 商洛)              

交遊人物/地點:  

柳至       書信往來

詩文:

 

柳司馬至

(杜甫は長安・朝廷に帰りたい、持病が悪化し日増しにつらくなる。このままではこの地にうずもれてしまう恐怖にさいなまれる。そんな日々を過ごす中、長安の様子のわかる人が訪ねてくれた。知っていること、知らないこと、客人の話を聞き洩らさず、すべて聞いたことであろう。)

有使歸三峽,相過問兩京。

ひとりの客人この三峡の入り口の夔州にやってきた。その客の名は柳司馬、私の所を訪ねてくれ たので、長安と洛陽の情況を尋ねた。

函關猶出將,渭水更屯兵。

彼が答えるには、「(吐蕃が攻めてきたので)長安の東の函谷関にはまだ将軍を派遣しており、長安の北の渭水にはさらに兵を駐屯させています。

設備邯鄲道,和親邏些城。

邯鄲への街道には防御を設け、ラサとは和睦を結ぼうとしております。

#2

幽燕唯鳥去,商洛少人行。

衰謝身何補,蕭條病轉嬰。

霜天到宮闕,戀主寸心明。

 

(柳司馬 至る)

使有り 歸三峽にる,相い過ぎるとき兩京を問う。

函關 猶お將を出す,渭水 更に兵を屯す。

備えを設ける邯鄲の道,和親す 邏些城。

#2

幽燕 唯だ鳥去る,商洛 人 行くも少し。

衰謝 身 何ぞ補わん,蕭條 病い 轉たた嬰る。

霜天 宮闕に到る,戀主 寸心 明らかなり。

鳳翔 長安 華州 地図01 

 

杜詩詳注 卷二一(四)一八二四 柳司馬至 現代語訳 訳注解説

(本文)

柳司馬至

有使歸三峽,相過問兩京。

函關猶出將,渭水更屯兵。

設備邯鄲道,和親邏些城。

#2

幽燕唯鳥去,商洛少人行。

衰謝身何補,蕭條病轉嬰。

霜天到宮闕,戀主寸心明。

 

詩文(含異文)     有使歸三峽,相過問兩京。函關猶出將【函關猶自將】,渭水更屯兵。設備邯鄲道,和親邏些城【案:吐蕃號其國都為邏些城。】。幽燕唯鳥去,商洛少人行。衰謝身何補,蕭條病轉嬰。霜天到宮闕,戀主寸心明。

 

(下し文)

(柳司馬 至る)

使有り 歸三峽にる,相い過ぎるとき兩京を問う。

函關 猶お將を出す,渭水 更に兵を屯す。

備えを設ける邯鄲の道,和親す 邏些城。

#2

幽燕 唯だ鳥去る,商洛 人 行くも少し。

衰謝 身 何ぞ補わん,蕭條 病い 轉たた嬰る。

霜天 宮闕に到る,戀主 寸心 明らかなり。

 

(現代語訳)

(杜甫は長安・朝廷に帰りたい、持病が悪化し日増しにつらくなる。このままではこの地にうずもれてしまう恐怖にさいなまれる。そんな日々を過ごす中、長安の様子のわかる人が訪ねてくれた。知っていること、知らないこと、客人の話を聞き洩らさず、すべて聞いたことであろう。)

ひとりの客人この三峡の入り口の夔州にやってきた。その客の名は柳司馬、私の所を訪ねてくれ たので、長安と洛陽の情況を尋ねた。

彼が答えるには、「(吐蕃が攻めてきたので)長安の東の函谷関にはまだ将軍を派遣しており、長安の北の渭水にはさらに兵を駐屯させています。

邯鄲への街道には防御を設け、ラサとは和睦を結ぼうとしております。

 

(訳注解説)

柳司馬至

(杜甫は長安・朝廷に帰りたい、持病が悪化し日増しにつらくなる。このままではこの地にうずもれてしまう恐怖にさいなまれる。そんな日々を過ごす中、長安の様子のわかる人が訪ねてくれた。知っていること、知らないこと、客人の話を聞き洩らさず、すべて聞いたことであろう。)

【題意】 大暦二年(芙七)冬、夔州で作られた詩。この年の九月から十月、吐蕃の攻撃で戒厳下にあった長安と洛陽の様子を述べ杜甫の朝廷への思いを綴る。柳司馬は未詳、司馬は官名。

鶴注此當是大暦二年作是年九月十/月吐蕃入宼兩京戒嚴故詩中説兩京

【解説】 「函関」以下の六句について、詳注は「函関」「澗水」「郡部」「避逆」は長安に迫 る吐蕃に対する防衛とし、「幽燕」「商洛」は洛陽に迫る河北の藩鎮(地方軍閥) に対する防 衛とする。『読杜心解』巻五之三は、「函関」「郡部」「幽燕」各句は藩鏡への防衛、「滑水」 「遵逆」「商洛」各句は吐書への防衛をいうと考える。

仇兆鰲の註に、「首の二句は、栁 夔に至って信を問うなり。」とあり、中の六句、「栁が詞を答う。」、「下四句は、公 自叙す。將を出づし兵を屯す、備を設し和親す、此に西京を指し吐蕃事とす。幽燕には路梗し、商洛には人稀なり、此れは東京の指し叛を將は事とす。

《杜臆》に:「霜天闕を望み、千里 明淨し 唯だ戀主は丹心なり。與之と共に明かなるのみ。 此の十字句は法なり。 

仇兆鰲の註に、「申涵光曰: 『此詩、用三峽、兩京、函渭水、邯/鄲、邏些、幽燕、商雒、の地名八見す、亦た是れ一病なり。

 

 

有使歸三峽,相過問兩京。

ひとりの客人この三峡の入り口の夔州にやってきた。その客の名は柳司馬、私の所を訪ねてくれ たので、長安と洛陽の情況を尋ねた。

三峡 重慶市から湖北省にかけて続く、長江の三つの峡谷。西から瞿塘峡、巫峡、西陵峡と位置する。

雨京 長安と洛陽。

 

 

函關猶出將,渭水更屯兵。

彼が答えるには、「(吐蕃が攻めてきたので)長安の東の函谷関にはまだ将軍を派遣しており、長安の北の渭水にはさらに兵を駐屯させています。

函關 函谷関。長安の東方を守るための關所。戦国時代の旧関(河南省三門峡市霊宝市)と前漢の新関(河南省洛陽市新安県)がある。ただここでは潼關(眺西省洞南市潼關県)の別称だろう。

渭水 渭河。黄河の支流で長安の北を流れる。

 

 

設備邯鄲道,和親邏些城

邯鄲への街道には防御を設け、ラサとは和睦を結ぼうとしております。

設備 吐蕃への防備を設ける。

邯鄲道 長安付近から邯鄲(河北省邯鄲市)に至る道。「郡部」は畳韻語「カンタン」。

和親 和睦する。

邏些城 吐蕃の国都(チベット自治区ラサ市)。

767年-233 《 冬至(卷二一(四)一八二三)》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11082

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寫懷二首其一 -2

 

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代葛沙門妻郭小玉詩二首

 

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邱巨源_其二聽隣妓

 

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王融_ 雜詩五首其一古意

 

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767-233

 

 

 冬至(卷二一(四)一八二三)

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11082

 

 

 

 

〔詩題〕

作品番号

初句・五字

掲載

冬至(卷二一(四)一八二三)                   767

1265

年年至日長為客

 

 

 

 

1211            冬至(卷二一(四)一八二三)               767

                   年年至日長為客,忽忽窮愁泥殺人。江上形容吾獨老,天涯(一作邊)風俗自相親。

                   杖藜雪後臨丹壑,鳴玉(一作明主)朝來散紫宸。    

                   心折此時無一寸,路迷何處是(一作見)三秦。        

 

 

年:       大曆二年76756

卷別:    卷二三一             

文體:    七言律詩

詩題:    冬至

詩序:   

寫作地點:           目前尚無資料

寫及地點:           紫宸殿 (京畿道 京兆府 長安)           

交遊人物/地點:  

 

冬至

年年至日長為客,忽忽窮愁泥殺人。

江上形容吾獨老,天邊風俗自相親。

杖藜雪後臨丹壑,鳴玉朝來散紫宸。

心折此時無一寸,路迷何處見三秦。

 

詩文(含異文)     年年至日長為客,忽忽窮愁泥殺人。江上形容吾獨老,天邊風俗自相親【天涯風俗自相親】。杖藜雪後臨丹壑,鳴玉朝來散紫宸【明主朝來散紫宸】。心折此時無一寸,路迷何處見三秦【路迷何處是三秦】。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冬至

年年至日長為客,忽忽窮愁泥殺人。

江上形容吾獨老,天邊風俗自相親。

杖藜雪後臨丹壑,鳴玉朝來散紫宸。

心折此時無一寸,路迷何處見三秦。

 

詩題

冬至

詩 體

七言律詩

全唐詩

巻二三一-0011

杜詩詳注

卷二一(四)一八二三

杜少陵集

巻二一01

杜甫全詩訳

1265

 

 

冬至

  鶴注:此當是大歷二年作。《玊燭寳典》 云: 至有三義、一者隂極之至、二者陽氣始至、

  三者日行/南至

年年至日長為客①,忽忽窮愁泥乃計/殺人②。江上形容吾獨老③、

天涯一作/風俗自相親④。杖藜雪後臨丹壑⑤、鳴玉//朝來散紫宸⑥。

心折此時無一寸⑦、路迷何處是一作/三秦8上四言:旅居冬至、下憶長安冬至也。

惟客途久滯、/故自傷泥殺。形容獨老、皆窮愁所致。 風俗自親、於為客無與。身臨丹壑、

而意想紫宸故有心折路迷之慨。心/折則窮愁轉甚、路迷則久客難歸矣。

    鮑照詩;去親爲客滯

    阮籍詩忽忽至夕窮。 《測㫖》忽忽、不定也。泥殺人、/

    《楚辭》:屈原放於澤畔、形容枯槁。

    陸雲詩:風土豈相親。

    《莊子》:原憲杖藜而應門。入鮑照詩妍容逐丹壑。

    『西征賦』:飛翠緌、拖鳴玉、以出 禁門者衆矣。

    江淹《賦》:心折骨驚。

    謝靈運詩::路迷糧亦絶。  《史記》項羽分秦地為三: 章 為雍王、都廢邱;司馬欣塞王

都櫟陽;董翳為翟王、/都高奴。謂之三秦

 

 

冬至

年年至日長為客,忽忽窮愁泥殺人。

(冬至の日、これまでこの日をどう過ごしたか? これからどう生きるのか? その感を述べたもの)

江上形容吾獨老,天邊風俗自相親。

自分は、毎年、そして今年も旅客となっている、困窮と愁苦がこの身に泥のようにへばりついて、死ぬ思いというところである。

杖藜雪後臨丹壑,鳴玉朝來散紫宸。

長江の流れに乗って次第に南下しているがその間にも私一人、老けてしまった。天涯の異様な風習にさえも次第に慣れてきて異様に感じるよりも、自然と親しむようになってきたのである。

心折此時無一寸,路迷何處見三秦。

郷はこの地で雪も上がったので、藜の杖を突いて丹谷に臨んでいるが、韋峰で。都のほうでは、朝の參朝するため、高官たちが佩び玉を鳴らし、腰を曲げ前かがみに列を作ったが、もうじき退散することであろう。

しかし、隠遁の旅もこのように長期になると、しかも、世情が落ち着かず転々とすることで、心が折れて、一寸の安らぎの心もない、理想は都にかえり半隠半官の生活であるが、ここからの帰り道はどの道を選ぶか持病のこともあって舞路や袋小路に悩まされている。

 

(冬至)

年年 至日 長に客と為し,忽忽 窮愁 人を泥殺す。

江上の形容 吾獨り 老ゆ,天邊の風俗 自ら相い親しむ。

藜を杖いて 雪後 丹壑に臨み,玉を鳴らして 朝來 紫宸散ずるならん。

心 折れて 此の時 一寸無し,路 迷う何れの處か 三秦ならしむ。

 

 

『寫懷,二首之二』現代語訳と訳註解説
(
本文)

冬至

年年至日長為客,忽忽窮愁泥殺人。

江上形容吾獨老,天邊風俗自相親。

杖藜雪後臨丹壑,鳴玉朝來散紫宸。

心折此時無一寸,路迷何處見三秦。

 

詩文(含異文)     年年至日長為客,忽忽窮愁泥殺人。江上形容吾獨老,天邊風俗自相親【天涯風俗自相親】。杖藜雪後臨丹壑,鳴玉朝來散紫宸【明主朝來散紫宸】。心折此時無一寸,路迷何處見三秦【路迷何處是三秦】。


(下し文)
(冬至)

年年 至日 長に客と為し,忽忽 窮愁 人を泥殺す。

江上の形容 吾獨り 老ゆ,天邊の風俗 自ら相い親しむ。

藜を杖いて 雪後 丹壑に臨み,玉を鳴らして 朝來 紫宸散ずるならん。

心 折れて 此の時 一寸無し,路 迷う何れの處か 三秦ならしむ。


(現代語訳)
(冬至の日、これまでこの日をどう過ごしたか? これからどう生きるのか? その感を述べたもの)

自分は、毎年、そして今年も旅客となっている、困窮と愁苦がこの身に泥のようにへばりついて、死ぬ思いというところである。

長江の流れに乗って次第に南下しているがその間にも私一人、老けてしまった。天涯の異様な風習にさえも次第に慣れてきて異様に感じるよりも、自然と親しむようになってきたのである。

郷はこの地で雪も上がったので、藜の杖を突いて丹谷に臨んでいるが、韋峰で。都のほうでは、朝の參朝するため、高官たちが佩び玉を鳴らし、腰を曲げ前かがみに列を作ったが、もうじき退散することであろう。

しかし、隠遁の旅もこのように長期になると、しかも、世情が落ち着かず転々とすることで、心が折れて、一寸の安らぎの心もない、理想は都にかえり半隠半官の生活であるが、ここからの帰り道はどの道を選ぶか持病のこともあって舞路や袋小路に悩まされている。


(訳注解説)

冬至

(冬至の日、これまでこの日をどう過ごしたか? これからどう生きるのか? その感を述べたもの)

冬至は、二十四節気の第22。北半球ではこの日が一年のうちで最も昼の時間が短い。十一月中。 現在広まっている定気法では太陽黄経が270度のときで1222日ごろ。恒気法は節気を冬至からの経過日数で定義するが、基点となる冬至は定気と同じ定義である。定気と恒気で一致する唯一の節気である。

 

年年至日長為客,忽忽窮愁泥殺人。

自分は、毎年、そして今年も旅客となっている、困窮と愁苦がこの身に泥のようにへばりついて、死ぬ思いというところである。

至日 冬至のその日。

忽忽 ①事を省みないさま。おろそかにするさま。 ②すみやかに去るさま。 ③なすべき事が手につかないさま。 ④迷うさま。惑うさま。 ⑤うっとりとしたさま。

窮愁 困窮と愁苦。

泥殺人 泥が人にはなはだしくついた場合になかなか取れずきれいにならない状態を言う。殺ははなはだしいこと。

 

江上形容吾獨老,天邊風俗自相親。

長江の流れに乗って次第に南下しているがその間にも私一人、老けてしまった。天涯の異様な風習にさえも次第に慣れてきて異様に感じるよりも、自然と親しむようになってきたのである。

自相親 長安の風俗とことごとく風俗が違っていたが、作者自ら、地下好き、受け入れてゆく、そして、今では親しみを覚えるというほどの意味。

 

杖藜雪後臨丹壑,鳴玉朝來散紫宸

郷はこの地で雪も上がったので、藜の杖を突いて丹谷に臨んでいるが、韋峰で。都のほうでは、朝の參朝するため、高官たちが佩び玉を鳴らし、腰を曲げ前かがみに列を作ったが、もうじき退散することであろう。

杖藜 4~5年前、成都で徐知道が反乱を起こした際、蜀中を転々とした。その際、梓州の役人にプレゼントされたもの。それ以来歩行に杖を使うようになった。

臨丹壑 赤土質の夔州のこと。

鳴玉 朝廷内で、官僚の佩び玉を鳴らしてあるくことをいい、朝廷に参列姿を揶揄している。

朝來散紫宸 夜明けまでに大明宮の朝礼する宮殿に出入りすることを示す。。

 

心折此時無一寸,路迷何處見三秦

しかし、隠遁の旅もこのように長期になると、しかも、世情が落ち着かず転々とすることで、心が折れて、一寸の安らぎの心もない、理想は都にかえり半隠半官の生活であるが、ここからの帰り道はどの道を選ぶか持病のこともあって舞路や袋小路に悩まされている。

心折 心が墔折すること。杜甫は、長安に帰るべく出発するも、持病が再発、あるいは、悪化して養生せざるを得なかったことを示す。江淹《賦》:心折骨驚。

一寸 一寸は心臓のことである。古代では、心の働き、思いなどを心臓のはたらきであるとされていた。

路迷 体力がなく陸上の道を帰る道に選べず、時間のかかる船旅を選ばざるを得なかったが、資金面、持病などで困難を極めた。

三秦 長安、咸陽をいう古代王朝のある、都のあった関中地方のいい方である。 謝靈運詩::路迷糧亦絶。《史記》項羽分秦地為三: 章 為雍王、都廢邱;司馬欣塞王

都櫟陽;董翳為翟王、/都高奴。謂之三秦。

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767-232 《寫懷二首其二(卷二○(四)一八一九) -3 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11074

 

 

 

767232 -3

 

 

寫懷二首其二(卷二○(四)一八一九)

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

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年:767年大暦256  21  #3

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    寫懷,二首之二

作地點:              目前尚無資料

及地點:              

交遊人物/地點:  

詩文:

 

寫懷,二首之二  #1

(自分の胸の内を写し述べた詩)その二

夜深坐南軒,明月照我膝。

夜ふけて南むきの軒にすわっていると、明月が自分の膝の上を照らす。

驚風翻河漢,梁棟已出日。

ざわつく風があまの河原を吹きおとしたかとおもうと、梁棟の上には、はや太陽があらわれる。

群生各一宿,飛動自儔匹。

すべての生物がそれぞれ一夜のやどりを終わって禽獣そのたぐいを求めてはたらく。

吾亦驅其兒,營營為私實。

自分もこどもらを駆りたてて、せっせとはたらくのは自己の財物をつくらんがために外ならないのである。

#2

天寒行旅稀,暮日月疾。

いま天が寒くなって旅人も稀になっている、月日のすぎるのは、はやくて歳がくれになった。

榮名忽中人,世亂如蟣蝨。

かんがへてみると世のなかの人人は栄誉ある名のために中毒しているもので、そのため世はみだれてしらみ蟲がわいているごとくになっている。

古者三皇前,滿腹志願畢。

おおむかしに三皇の以前には人は腹いっぱい物をつめたらそれだけで志願はすんでいたのだ。

胡為有結繩,陷此膠與漆。

それになんで結縄などということをはじめて、人間の天然の親密をうちこわす様にしたのだ。

#3

禍首燧人氏,厲階董狐筆。

それを思うと禍の発頭人は燧人氏であり、厲厄の階梯をつくったものは上古の董狐の直筆だというてもよい。

君看燈燭張,轉使飛蛾密。

看たまえ、名利に比す燈燭がもちだされると火をしたって、一般俗人に比す蛾の蟲が密集してくるではないか。 

放神八極外,俯仰俱蕭瑟。

我が精神を八方のはてに放ってみると一俯一仰のあいだに一切萬有はみんな消滅してさびしいものである。

終然契真如,得匪合仙術。

自分もしまいには真如の理と契るためには彿法の手段によるほかにないのではあるまいか。 

 

(懷を寫す,二首の一) #1

夜深くして南軒に坐す,明月 我が膝を照らす。

驚風 河漢を翻す,梁棟 已に日出づ。

群生 各の一宿す,飛動 自ら儔匹す。

吾も亦た 其の兒を驅る,營營たる 私實の為なり。

#2

天寒くして行旅稀なり,暮れて 日月疾【はや】し。

榮名 忽ち人に中【あた】る,世亂れて 蟣蝨の如し。

古者 三皇の前,滿腹 志願畢る。

胡為れぞ 結繩有りて,此の膠と漆とを陷れるや。

#3

禍首は燧人氏,厲階は董狐が筆。

君 看よ 燈燭張る,轉た飛蛾をして密ならしむ。

神を放つ 八極の外,俯仰 俱に蕭瑟たり。

終然 真如に契る,仙に合す術に匪ざるを得んや。

 

 

『寫懷,二首之二』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

禍首燧人氏,厲階董狐筆。

君看燈燭張,轉使飛蛾密。

放神八極外,俯仰俱蕭瑟。

終然契真如,得匪合仙術。
詩文(含異文)

禍首燧人氏,厲階董狐筆。君看燈燭張,轉使飛蛾密。

放神八極外,俯仰俱蕭瑟。終然契真如【終契如往還】,得匪合仙術【歸匪金仙術】。


(下し文)
#3

禍首は燧人氏,厲階は董狐が筆。

君 看よ 燈燭張る,轉た飛蛾をして密ならしむ。

神を放つ 八極の外,俯仰 俱に蕭瑟たり。

終然 真如に契る,仙に合す術(合仙の術)に匪ざるを得んや。

(現代語訳)
#3

それを思うと禍の発頭人は燧人氏であり、厲厄の階梯をつくったものは上古の董狐の直筆だというてもよい。

看たまえ、名利に比す燈燭がもちだされると火をしたって、一般俗人に比す蛾の蟲が密集してくるではないか。 

我が精神を八方のはてに放ってみると一俯一仰のあいだに一切萬有はみんな消滅してさびしいものである。

自分もしまいには真如の理と契るためには彿法の手段によるほかにないのではあるまいか。 


(訳注) #3

寫懷,二首之二  #3

(自分の胸の内を写し述べた詩)その二

22 寫懷 抒發情懷。漢蔡邕《司徒袁公夫人馬氏碑銘》:「哀子懿達、仁達,銜恤哀痛,靡所寫懷,乃撰録母氏之德所履,示公之門人。」三國魏明帝《苦寒行》:「賦詩以寫懷,伏軾淚沾纓。」

 

禍首燧人氏,厲階董狐筆。

それを思うと禍の発頭人は燧人氏であり、厲厄の階梯をつくったものは上古の董狐の直筆だというてもよい。

31 禍首 禍を生じ占めた発頭人。

32 燧人氏 韓非『韓非子』五蠹篇にみえる、上古の時代、人々は木の実や草の実、螺や蛤などをとって食べていたが、腥さく嫌な臭いがあって、胃腸を壊し、病気になるものが多かった。 その時、一人の聖人が火打ち石を使って(注:火おこし木、という説もある)火をおこし、食べ物を焼いて臭いをなくした。  民衆は喜んで、この聖人を天下の王と仰ぎ、燧人氏と呼んだ。燧人氏が火をおこす方法を発見したきっかけについては「鳥がくちばしで樹をつつくのにヒントを得て、木の枝をこすり合わせて火をおこした」という説もある。

33 厲階 禍の段階をなさしもの。

34 董狐筆 春秋左伝」宣公二年の故事から、権勢を恐れずに真実を発表すること。権力者の圧力に負けずに真相を歴史に記すこと。春秋時代、晋の史官であった董狐は、君主の霊公が殺された時、大臣の趙盾(ちょうとん)が殺したと記録した。直接手を下した犯人はわかっていたが、大臣の地位にあった趙盾がその犯人を討たなかったからで、正しい歴史を書いた故事とされる。

 

君看燈燭張,轉使飛蛾密。

看たまえ、名利に比す燈燭がもちだされると火をしたって、一般俗人に比す蛾の蟲が密集してくるではないか。 

35 燈燭 ともしび。灯火。とうそく、もって名利に比す。

36 飛蛾 娥の蟲、以て一般俗人に比す。

 

放神八極外,俯仰俱蕭瑟。

我が精神を八方のはてに放ってみると一俯一仰のあいだに一切萬有はみんな消滅してさびしいものである。

37 八極外 八方のはて。

38 俱蕭瑟 俱は一切ともにという意、蕭瑟はさびしき貌、消滅の姿。

 

終然契真如,得匪合仙術。

自分もしまいには真如の理と契るためには彿法の手段によるほかにないのではあるまいか。 

39 契真如 仏教郷里の極致、悟りの最上。

40 得匪 「得無非」(非らざる無きを得んや)の意。

41 合仙術 仏教の釋典に佛を大覺金仙と号す。合仙の術とは仏法を言う。

 

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年:767年大暦256  21  #2

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    寫懷,二首之二

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寫懷,二首之二  #1

(自分の胸の内を写し述べた詩)その二

夜深坐南軒,明月照我膝。

夜ふけて南むきの軒にすわっていると、明月が自分の膝の上を照らす。

驚風翻河漢,梁棟已出日。

ざわつく風があまの河原を吹きおとしたかとおもうと、梁棟の上には、はや太陽があらわれる。

群生各一宿,飛動自儔匹。

すべての生物がそれぞれ一夜のやどりを終わって禽獣そのたぐいを求めてはたらく。

吾亦驅其兒,營營為私實。

自分もこどもらを駆りたてて、せっせとはたらくのは自己の財物をつくらんがために外ならないのである。

#2

天寒行旅稀,暮日月疾。

いま天が寒くなって旅人も稀になっている、月日のすぎるのは、はやくて歳がくれになった。

榮名忽中人,世亂如蟣蝨。

かんがへてみると世のなかの人人は栄誉ある名のために中毒しているもので、そのため世はみだれてしらみ蟲がわいているごとくになっている。

古者三皇前,滿腹志願畢。

おおむかしに三皇の以前には人は腹いっぱい物をつめたらそれだけで志願はすんでいたのだ。

胡為有結繩,陷此膠與漆。

それになんで結縄などということをはじめて、人間の天然の親密をうちこわす様にしたのだ。

#3

禍首燧人氏,厲階董狐筆。

君看燈燭張,轉使飛蛾密。

放神八極外,俯仰俱蕭瑟。

終契如往還,得匪合仙術。

 

(懷を寫す,二首の一) #1

夜深くして南軒に坐す,明月 我が膝を照らす。

驚風 河漢を翻す,梁棟 已に日出づ。

群生 各の一宿す,飛動 自ら儔匹す。

吾も亦た 其の兒を驅る,營營たる 私實の為なり。

#2

天寒くして行旅稀なり,暮れて 日月疾【はや】し。

榮名 忽ち人に中【あた】る,世亂れて 蟣蝨の如し。

古者 三皇の前,滿腹 志願畢る。

胡為れぞ 結繩有りて,此の膠と漆とを陷れるや。

 

 

『寫懷,二首之二』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

天寒行旅稀,暮日月疾。

榮名忽中人,世亂如蟣蝨。

古者三皇前,滿腹志願畢。

胡為有結繩,陷此膠與漆。

(下し文)
#2

天寒くして行旅稀なり,暮れて 日月疾【はや】し。

榮名 忽ち人に中【あた】る,世亂れて 蟣蝨の如し。

古者 三皇の前,滿腹 志願畢る。

胡為れぞ 結繩有りて,此の膠と漆とを陷れるや。

(現代語訳)
#2

いま天が寒くなって旅人も稀になっている、月日のすぎるのは、はやくて歳がくれになった。

かんがへてみると世のなかの人人は栄誉ある名のために中毒しているもので、そのため世はみだれてしらみ蟲がわいているごとくになっている。

おおむかしに三皇の以前には人は腹いっぱい物をつめたらそれだけで志願はすんでいたのだ。

それになんで結縄などということをはじめて、人間の天然の親密をうちこわす様にしたのだ。


(訳注) #2

寫懷,二首之二  #2

(自分の胸の内を写し述べた詩)その二

31 寫懷 抒發情懷。漢蔡邕《司徒袁公夫人馬氏碑銘》:「哀子懿達、仁達,銜恤哀痛,靡所寫懷,乃撰録母氏之德所履,示公之門人。」三國魏明帝《苦寒行》:「賦詩以寫懷,伏軾淚沾纓。」

 

天寒行旅稀,暮日月疾。

いま天が寒くなって旅人も稀になっている、月日のすぎるのは、はやくて歳がくれになった。

32 日月疾 月日のすぎるのがはやいことをいう。

 

榮名忽中人,世亂如蟣蝨。

かんがへてみると世のなかの人人は栄誉ある名のために中毒しているもので、そのため世はみだれてしらみ蟲がわいているごとくになっている。

33 中人 名利心の害毒にあたられることをいう。

34 蟣蝨 蟣はしらみの子、蝨はしらみ。

 

古者三皇前,滿腹志願畢。

おおむかしに三皇の以前には人は腹いっぱい物をつめたらそれだけで志願はすんでいたのだ。

35 三皇 三皇については諸説あるが、1. 前漢・司馬遷『史記』秦始皇本紀において皇帝という称号を定める文脈で、天皇・地皇・泰皇(人皇)を挙げる。泰皇の「皇」と「帝」号を組み合わせて皇帝としたと伝えられている。唐の司馬貞『史記索隠』では泰皇=人皇としたり、天皇・地皇・人皇を三皇としてその前に泰皇がいたとしたりする。司馬貞が補った『史記』の三皇本紀では三皇を伏羲、女媧、神農とするが、天皇・地皇・人皇という説も並記している。 2. 唐の司馬貞補『史記』三皇本紀で、伏羲・女媧・神農としている。『春秋緯運斗枢』(『風俗通』皇覇篇に引く)。これを継承する。 3. 『礼緯含文嘉』(『風俗通』皇覇篇に引く)では燧人・伏羲・神農   4. 後漢・班固『白虎通』号篇では伏羲・神農・祝融としている。  5. 西晋・皇甫謐『帝王世紀』では伏羲・神農・黄帝を三皇としている。 -

 

胡為有結繩,陷此膠與漆。

それになんで結縄などということをはじめて、人間の天然の親密をうちこわす様にしたのだ。

36 胡為 どうしてからか、どうして、の意。別名 何為、執為.

37 結繩 未開民族がなす思想交換、保存のための方法であり、縄を結び、その結び方、その結び目の間隔などにより伝える、一種の文字言語。文字をもたない社会で,縄(なわ)の結び方によって数量などを表示・記録したり,意思を通じたりすること。古代ペルーのキープや沖縄の藁算(わらさん)など種々ある。

38 陷此 おとしいる、破壊することを言う。

39 膠與漆 交情の密着を言う。《古詩十九首之十八》「以膠投漆中,誰能別離此?」(膠を以て漆中に投ぜば、誰か能く此を別離せん。 ニカワを漆の中に入れ込んだら、もう誰でも引き離すことはできないことであるように夫婦仲もそれと同じなのだ。

古詩十九首之十八 漢の無名氏(18)  漢詩<31 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2541 (06/17)



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767232 -1

 

 

寫懷二首其二(卷二○(四)頁一八二○)

 

 

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年:767年大暦256  21  #1

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    寫懷,二首之二

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詩文:

 

寫懷,二首之二  #1

(自分の胸の内を写し述べた詩)その二

夜深坐南軒,明月照我膝。

夜ふけて南むきの軒にすわっていると、明月が自分の膝の上を照らす。

驚風翻河漢,梁棟已出日。

ざわつく風があまの河原を吹きおとしたかとおもうと、梁棟の上には、はや太陽があらわれる。

群生各一宿,飛動自儔匹。

すべての生物がそれぞれ一夜のやどりを終わって禽獣そのたぐいを求めてはたらく。

吾亦驅其兒,營營為私實。

自分もこどもらを駆りたてて、せっせとはたらくのは自己の財物をつくらんがために外ならないのである。

#2

天寒行旅稀,暮日月疾。

榮名忽中人,世亂如蟣蝨。

古者三皇前,滿腹志願畢。

胡為有結繩,陷此膠與漆。

#3

禍首燧人氏,厲階董狐筆。

君看燈燭張,轉使飛蛾密。

放神八極外,俯仰俱蕭瑟。

終契如往還,得匪合仙術。

 

(懷を寫す,二首の一) #1

夜深くして南軒に坐す,明月 我が膝を照らす。

驚風 河漢を翻す,梁棟 已に日出づ。

群生 各の一宿す,飛動 自ら儔匹す。

吾も亦た 其の兒を驅る,營營たる 私實の為なり。

 

 

『寫懷,二首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

寫懷,二首之二  #1

夜深坐南軒,明月照我膝。

驚風翻河漢,梁棟已出日。

群生各一宿,飛動自儔匹。

吾亦驅其兒,營營為私實。
詩文(含異文)

夜深坐南軒,明月照我膝。驚風翻河漢,梁棟已出日【梁棟日已出】。

群生各一宿,飛動自儔匹。吾亦驅其兒,營營為私實【營營為私室】。


(下し文)
(懷を寫す,二首の二) #1

夜深くして南軒に坐す,明月 我が膝を照らす。

驚風 河漢を翻す,梁棟 已に日出づ。

群生 各の一宿す,飛動 自ら儔匹す。

吾も亦た 其の兒を驅る,營營たる 私實の為なり。

(現代語訳)
寫懷,二首之二  #1 (自分の胸の内を写し述べた詩)その二

夜ふけて南むきの軒にすわっていると、明月が自分の膝の上を照らす。

ざわつく風があまの河原を吹きおとしたかとおもうと、梁棟の上には、はや太陽があらわれる。

すべての生物がそれぞれ一夜のやどりを終わって禽獣そのたぐいを求めてはたらく。

自分もこどもらを駆りたてて、せっせとはたらくのは自己の財物をつくらんがために外ならないのである。


(訳注)

寫懷,二首之二  #1

(自分の胸の内を写し述べた詩)その二

抒發情懷。漢蔡邕《司徒袁公夫人馬氏碑銘》:「哀子懿達、仁達,銜恤哀痛,靡所寫懷,乃撰録母氏之德所履,示公之門人。」三國魏明帝《苦寒行》:「賦詩以寫懷,伏軾淚沾纓。」

 

夜深坐南軒,明月照我膝。

夜ふけて南むきの軒にすわっていると、明月が自分の膝の上を照らす。

 

驚風翻河漢,梁棟已出日。

ざわつく風があまの河原を吹きおとしたかとおもうと、梁棟の上には、はや太陽があらわれる。

河漢 あまのがわ。天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。杜甫『天河』。うじゃく:かささぎ 「烏鵲の智」 遠い将来のことばかり心配して、近くに迫っている災難に気がつかないこと。かささぎは強風の多い年には風をさけようとして巣を低い枝にかけるが、そのために、雛や卵を人に捕られることまでは、知恵がまわらない。このことを「喜」に置き換えてうたう。李商隠辛未七夕」 李商隠にカササギが銀河の橋渡しをしてくれる鳥としている。『詩経』「鵲巢」にはカササギは巣作りに一生懸命、出来上がった巣は立派な頑丈なもの、しかし鳩が子育てに使う。しかしたくさんのお客がついてくる、というもの。

天河 杜甫<292kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1343 杜甫詩 700- 412

初月 杜甫<293kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1346 杜甫詩 700- 413

梁棟 ① (建物の屋根の主要材である)棟(むね)と梁(はり)。  一国の臣。  一族・一門を率いる者。かしら。おさ。頭領。統領。 「武家の-」  大工の親方。かしら。寝ていて朝日が射しこんで本来うす暗いところが明るくなることを言う。

 

群生各一宿,飛動自儔匹。

すべての生物がそれぞれ一夜のやどりを終わって禽獣そのたぐいを求めてはたらく。

羣生 もろもろの生物。

一宿 一夜の棲宿をしたこと。

飛動 禽獣をいう。

儔匹 同類 共に生を遂げる。

 

吾亦驅其兒,營營為私實。

自分もこどもらを駆りたてて、せっせとはたらくのは自己の財物をつくらんがために外ならないのである。

營營 働く姿を言う。

私實 私有財産、財物をいう。《國語 楚語》「蓄衆、聚實。」(衆を蓄え、實を聚む)

 

 

 

 

寫懷,二首【字解】

寫懷,二首之一 #1

勞生共乾坤,何處異風俗。

冉冉自趨競,行行見羈束。

無貴賤不悲,無富貧亦足。

萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。

#2

鄙夫到巫峽,三如轉燭。

全命甘留滯,忘情任榮辱。

朝班及暮齒,日給還粟。

編蓬石城東,采藥山北谷。

#3

用心霜雪間,不必條蔓綠。

非關故安排,曾是順幽獨。

達士如弦直,小人似鉤曲。

曲直我不知,負暄候樵牧。 

 

(自分の胸の内を写し述べた詩)

1 勞生 我々に生命を与えて苦労させる。《莊子.大宗師》:「夫大塊載我以形,勞我以生,佚我以老,息我以死。」(夫れ大塊は我を載するに形を以てし,我を勞するに生を以てし,我を佚するに老を以てし,我を息するに死をて以す。)大地は我々に形を与えてくれる。そしてまた我々に生命を与えて苦労させ、歳をとらせて楽にし、死を与えて休息させてくれる。

2 共乾坤 同一の天地の間にあることを言う。(えき)の卦()の乾と坤。天と地。天地。陰陽。いぬい(北西)の方角とひつじさる(南西)の方角。5 2巻で一組となっている書物の、上巻と下巻。

3 異風俗 風俗異ならず、ということではなく、異を諭ずるに及ばざるをいう。 

4 冉冉 1.進行の貌。次第に進んでいくさま。徐々に侵し広がるさま。2(髪の毛や木の枝・葉などが)しなやかに垂れる.

5 趨競 はしり競う。競い争うこと。名利の途におもむく。爭名奪利。《宋史.卷二九六.呂祐之傳》:「祐之純謹長者,不喜趨競。」

6 行行 一歩一歩。魏 武帝《苦寒行》「行行日已遠,人馬同時饑。」(行き行きて日已に遠く 人馬 時を同じくして飢う)

7 羈束 からだをつなぎしばられる。

8 無貴賤不悲,無富貧亦足 阮籍《大人先生傳》「夫無貴則賤者不怨,無富則貧者不爭,各足於身而無所求也。」(夫れ貴無んば則ち賤者怨まず,富無んば則ち貧者爭わず,各の身に足して求むる所無し也。)に基づく。

9 一骸骨 だれも同一骸骨になる

10 遞 横へ横へと次々に伝え送る。「逓信・逓送/駅逓・伝逓」だんだん。しだいに。

11 歌哭 笑い歌いまた悲しみ哭することで烈的感情をいう。《周礼·春官·女巫》「凡邦之大災, 歌哭而請。」とある。

12 鄙夫 いやしい男。下品な男。現在の自分が思うようにならない様子を謙遜して使う語。

13 三 755年永泰元年、756年大暦元年、757年大暦二年の三年を言う。

14 如轉燭 風中に搖曳く燭火の瞬く間。比するのは、世事のことであり、月の遷流するのが迅速であることである。杜甫《0715佳人》詩「世情惡衰歇,萬事隨轉燭。」(世情【せじょう】衰歇【すいけつ】を悪む、万事【ばんじ】転燭【てんしょく】に随う。普通世間の人にたいする情というものは女盛りなら誰でも愛すものだが、歳を重ね衰えてしまった肢体顔色、後ろ盾がなく、頼る背のないものは嫌がられるものであり、わが身づくろいも万事はその場の成り行きのままになってきた。

佳人 <229-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1112 杜甫特集700- 335

15 榮辱 光榮と恥辱。易經·繫辭上:「樞機之發,榮辱之主也。」(樞機 之れ發す,榮辱 之れ主とする也。)枢機とは、物事の最も大切なところ。かなめ。要所。重要な政務。

16 朝班及暮齒 晩年になって朝班を得たことを言う。暮齒:晩年を言う。杜甫75746歳鳳翔行在所において左拾遺を授けられる。76453歳工部員外郎となり緋魚袋をたまわる。 

17 粟 脱粟の飯とは、もみがらを取り去っただけで精白してない米を炊いた飯。玄米飯。

18 編蓬 蓬を編んで戸扉とするをいう。編蓬以為門 亦指結草為廬。 漢東方朔《非有先生論》「居深山之間, 積土為室, 編蓬為 彈琴其中, 以詠先王之風, 亦可以樂而忘死矣。」

19 石城東 夔州城は石城といわれ、東はその東、即ち杜甫の草堂のある瀼西を言う。

20 采藥 采藥,亦作“采葯”。藥物を采集するを謂う。 亦た、世を避けて隱居するを指し、或いは、仙修の道を求めることをさす。 《後漢書‧逸民傳‧龐公》「後遂攜其妻子登鹿門山, 因采藥不反。」(後、遂に其の妻子を攜えて鹿門山に登り, 因て藥を采り反らず。 唐李白《悲清秋賦》「歸去來兮人間可以托些,吾將采藥於蓬邱。」(歸りなんいざ、人間 可なり 以て托し,吾 將に藥を蓬邱に采る。)

21 山北谷 山北の谷とは瀼西の居よりいわば蓋し、白谷をいう。杜甫《19-10 上後園山》詩に山北の谷について述べているが初四句に「朱夏熱所嬰,清旭步北林。小園背高岡,挽葛上崎崟。」(朱夏 熱 嬰る所なり,清旭に 北林に步す。小園 高岡をに背す,葛を挽きて 崎崟たるに上る。)とある。

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757-231

 

 

寫懷二首其一(卷二○(四)頁一八一八) #3

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11002

 

 

 

 

寫懷二首其一

詩 

五言古

全唐

卷二二二        09

杜詩詳

卷二○(四)頁一八一八

杜少陵

巻二-102

杜甫全詩訳注

1263

 

寫懷二首其一

勞生共乾坤,何處異風俗。冉冉自趨競,行行見羈束。

無貴賤不悲,無富貧亦足。萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。

#2

鄙夫到巫峽,三如轉燭。全命甘留滯,忘情任榮辱。

朝班及暮齒,日給還粟。編蓬石城東,采藥山北穀。

#3

用心霜雪間,不必條蔓綠。非關故安排,曾是順幽獨。

達士如弦直,小人似鉤曲。曲直我不知,負暄候樵牧。

 

寫懷二首其二

夜深坐南軒,明月照我膝。驚風翻河漢,梁棟已出日。

群生各一宿,飛動自儔匹。吾亦驅其兒,營營為私實。

#2

天寒行旅稀,暮日月疾。榮名忽中人,世亂如蟣虱。

古者三皇前,滿腹志願畢。胡為有結繩,陷此膠與漆。

#3

禍首燧人氏,厲階董狐筆。君看燈燭張,轉使飛蛾密。

放神八極外,俯仰俱蕭瑟。終契如往還,得匪合仙術。

 

 唐時代 地図山南 東・西道50

 

寫懷二首

  鶴注:此是大厯二年冬作。詩云巫峽、三公以永㤗元年赴雲安、至大厯二年為三矣。

  又云「暮日月疾」、故知為/冬日也。 魏文帝詩:賦詩以寫懷。

勞生共乾坤①,何處異風俗。冉冉自趨競②,行行見羈束③。

無貴賤不悲,無富貧亦足④。萬古一骸骨⑤,鄰家遞歌哭⑥。此章自敘、從慨世起。

言乾坤之内、共趨名利、能達觀、則窮/達生死、皆可 視、何必多此哀樂乎

    《莊子》:大塊載我以形、勞我以生。

    古樂府:冉冉府中趨。

    古詩:行行重/行行。 人競奔趨、 則受羈束矣。 張協詩: 羈束戎旅間。

     阮籍《大人先生傳》:無貴則賤者不怨、無富則貧者不爭、 各安於身而無所求。

     《史記・張儀傳》:且賜骸骨辟魏。

     《博物志》:雍門人至今善歌哭。

(#2)

鄙夫到巫峽⑬,三如轉燭⑭。全命甘留滯,忘情任榮辱⑮。

/班及暮齒⑯,日給還粟⑰。編蓬石城東⑱,采藥山北一作/穀⑲。

(#3)

用心霜雪間,不必條蔓綠。非關故安排⑳,曾/是順幽獨㉒。

次敘客之况。 言全命志情、言隨寓/而安。朝班四句、 居食粗給。用心四句即指采藥事。

論:尋根霜雪之間、不必條蔓之綠、/此亦無意於安排、但順其幽居之性而巳。

      崔瑗《座右銘》:行行鄙夫志。 《詩》:三食貧。

       庾肩吾詩:聊持轉風燭。

       《亢倉子》:至人忘情。 《歸田賦》: 縱心於域外、安知榮辱之所加。

      沈約《文》:希耼幸齒朝班。 朝班及暮/齒、謂昔玷朝班、 而今已暮年矣。時公年五有六。

張綖注云: 朝班故人、念及暮齒、供以日給之資、似無所指。 /謝靈運詩:頽年追暮齒。

      《晏子春秋》: 晏子相齊、衣十升之布粟之飯。

     東方朔《非有先生論》: 居深山之中、積/土為室。 編蓬為 石城、即州城。

     洙曰: 許徴君詩、采藥白雲隈、畧以肆所養。 今按、公采藥注已見。 

洙所引許畋隠居採藥北山、未知何據。

 

    《莊子》: 仲尼謂顔淵曰:「安排而去化乃入於寥天一。」  謝靈運/詩:安排徒空言、幽獨賴鳴琴。

     《詩》: 曾是在位。

達士如弦直22,小人似鉤曲23。曲直我不知,負暄候樵牧24末有任運自然之意。

不與人情競曲直。 仍與起處逹生相應。 此章、八句起、 中段十二、末段四句。

22  達士、出《越國語》。  左思詩: 可為達士模。

23  後漢順帝末童謠云: 直如弦、死道/邊。 曲如鈎。 封公侯。 

24  《列子》: 宋田夫負日之暄。

 

 

 

 

 

 

寫懷二首其一

(冬の山に薬材を求める厳しい生活の中で、死生に対して達観した境地に従った生き方について心に思うことを詠う。)

勞生共乾坤,何處異風俗。

世俗のことから離れ、夔州で隠遁していると、どこでいかに風俗がちがっていようとも、我々に生命を与えて骨折らせ、苦労させられていることについていえば、天地に共通していることである。

冉冉自趨競,行行見羈束。

人というのは、生きるために次第に名利の途「爭名奪利」をきそいあうものであるし、そして、一歩一歩、その名利の綱に束縛され、がんじがらめとなるものである。

無貴賤不悲,無富貧亦足。

貴い身分でないものが貧しいのであれば、賤者であってもそれほど悲しむことはないものであるし、身分も卑しく富裕でなければ、貧者であっても、そうした生活も一定の満足をしているものである。

萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。

萬古の昔より、ながきにわたってだれも同一骸骨になるののであるが、そのことに対し他人であっても隣人となるものは、その死者のために、歌ってあげ、嘆き悲しみ哭してくれるのである。

 

#2

鄙夫到巫峽,三如轉燭。

立派な祖父や、父に対してふがいない自分が、巫峡へきてから、燭をつぎ足し継ぎ足して、またたくまに三年がすぎたのである。

全命甘留滯,忘情任榮辱。

どうやら今、辺境のこの地で生命を全うするかのように滞在しているだけであり、自らの感情、喜憂の情さえ忘れ、名誉も、恥辱も運命とし受け入れている。

朝班及暮齒,日給還粟。

かつて朝廷の列に並んでいたが、晩年になって朝位、緋魚袋をたまわりはしたが、日日の生活には困り、やっぱり友人たちが届けてくれる玄米にありついているのである。

編蓬石城東,采藥山北穀。

貧しくも夔州の石城の東に蓬を編んで門とし家を築き、山北の谷で龐公のように薬草を採って隠棲ぐらしをししているのである。

#3

用心霜雪間,不必條蔓綠。

その藥草をとるには枝や蔓の緑なときばかりであるとはかぎらず、厳冬の冬でも、霜や雪が降った時でも用心を怠らず採ることができているのである。

非關故安排,曾是順幽獨。

悟ったようにこんな自然の変化に身を任せ、「荘子」がいうよう「安排」といふことをわざとやるのではなく、ただ、自己の幽燭の本性にさからわないで、一人静かな境地に従っているだけなのであることというのにほかならない。

達士如弦直,小人似鉤曲。

「達士といわれる人は、直きこと弦の如くまっすぐで、小人といわれるつまらないものは、曲れること鈎の如くだ」と昔からきいている。

曲直我不知,負暄候樵牧。

自分が曲っているのか、の直だとかいうことはわからないしどうでもよいことである、ただいま、いんとんしていて、こうして日向ぼっこをしながら樵夫や牧童のさまをのぞいているだけである。

 

懷いを寫す、二首其の一

生に勞せらるるは乾坤を共にし,何れの處にか風俗を異にせる。

冉冉として自ら趨競し,行行として 羈束せらるる。

貴 無くば 賤も悲しまず,富 無くば 貧も亦た足れり。

萬古 一に骸骨たり,鄰家 遞いに歌哭す。

#2

鄙夫 巫峽に到り,三 燭を轉ずるが如し。

命を全くせんと 留滯に甘じ,情を忘れて 榮辱に任す。

朝班 暮齒に及び,日び給せらるるは還た粟【だつぞく】。

蓬を編む石城の東,藥を采る山北の穀。

#3

心 霜雪の間に用うれば,條蔓の綠なるを必【もと】めず。

故【ことさ】らに排に安すんずるに關するに非らず,曾て是れ幽獨に順【したが】う。

達士は弦の如く直く,小人は鉤に似て曲る。

曲直 我れ知らず,暄を負いて樵牧を候【ま】つ。

 

巫山十二峰003 

 

 

《寫懷二首其一》現代語訳、訳注解説

寫懷二首其一

#2

鄙夫到巫峽,三如轉燭。全命甘留滯,忘情任榮辱。

朝班及暮齒,日給還粟。編蓬石城東,采藥山北穀。

 

〔下し文〕

懷いを寫す、二首其の一

#3

心 霜雪の間に用うれば,條蔓の綠なるを必【もと】めず。

故【ことさ】らに排に安すんずるに關するに非らず,曾て是れ幽獨に順【したが】う。

達士は弦の如く直く,小人は鉤に似て曲る。

曲直 我れ知らず,暄を負いて樵牧を候【ま】つ。

 

〔現代語訳〕

(冬の山に薬材を求める厳しい生活の中で、死生に対して達観した境地に従った生き方について心に思うことを詠う。)

3

その藥草をとるには枝や蔓の緑なときばかりであるとはかぎらず、厳冬の冬でも、霜や雪が降った時でも用心を怠らず採ることができているのである。

悟ったようにこんな自然の変化に身を任せ、「荘子」がいうよう「安排」といふことをわざとやるのではなく、ただ、自己の幽燭の本性にさからわないで、一人静かな境地に従っているだけなのであることというのにほかならない。

「達士といわれる人は、直きこと弦の如くまっすぐで、小人といわれるつまらないものは、曲れること鈎の如くだ」と昔からきいている。

自分が曲っているのか、の直だとかいうことはわからないしどうでもよいことである、ただいま、いんとんしていて、こうして日向ぼっこをしながら樵夫や牧童のさまをのぞいているだけである。

 

 

 

〔訳注解説〕

寫懷二首其一 

(冬の山に薬材を求める厳しい生活の中で、死生に対して達観した境地に従った生き方について心に思うことを詠う。)

題意 757年、大暦二年冬、夔州の東屯の作。ほぼ隠者としての生活の中、冬の山に薬材を求めた、そうした中で、死生に対して達観した境地に従った生き方について詠い、其二は、災禍の根源は、自己欲、名利に汲々とすることにあると述べ、その上で、精神を世俗の外に置けば、万物はすべて空であると隠遁の境地を述べている。

  鶴注に此是は大厯二年の冬に作られた詩であると云う。巫峽三公は以て永㤗元年、雲安に赴き、大厯二年至って為す。又た、暮、日月疾っていたと云い、故に、冬日と為ると知る 魏文帝の詩賦詩に以って寫懷とある。

 

#3

用心霜雪間,不必條蔓綠。

その藥草をとるには枝や蔓の緑なときばかりであるとはかぎらず、厳冬の冬でも、霜や雪が降った時でも用心を怠らず採ることができているのである。

22 用心霜雪間 霜や雪が降った時でも怠らず採っているのである。

23 不必條蔓綠 藥草をとるには枝や蔓の緑なときばかりである。

 

非關故安排,曾是順幽獨。

悟ったようにこんな自然の変化に身を任せ、「荘子」がいうよう「安排」といふことをわざとやるのではなく、ただ、自己の幽燭の本性にさからわないで、一人静かな境地に従っているだけなのであることというのにほかならない。

24 安排 事の推移に甘んじ、変化に従っていくこと。『荘子、大宗師、第六』

「造適不及笑、獻笑不及排、安排而去化、乃入於寥天一。」(造るところに適すれば笑うに及ばず、獻もて笑えば排するに及ばず、排に安んじて化に去れば、乃ち寥に入りて天と一たらん。)“どこに行っても楽しいなら特別に楽しみ笑うには及ばないし、良いことをして楽しむならそこには選択があるのだから事の推移に従えない。事の推移に甘んじ、変化に従っていくならば広々としたところに入り、天と一体になるでしょう。”とあり、又、莊子に、委順ということもあり、運命のままに身を任せておくを言う。安排もおなじ。

25 順幽獨 杜甫の幽燭の本性にさからわないこと。

 

達士如弦直,小人似鉤曲。

「達士といわれる人は、直きこと弦の如くまっすぐで、小人といわれるつまらないものは、曲れること鈎の如くだ」と昔からきいている。

26 達士 達観した高士。立派な人間。

27 弦直・鉤曲 後漢の順帝末の童謡に「如弦直、死道邊、曲如鉤、封公侯。」(直きこと弦の如きなれば、道邊に死し、曲がること鉤の如くなれば、公侯に封ぜらる。)とあるに基づく。

 

曲直我不知,負暄候樵牧。

自分が曲っているのか、の直だとかいうことはわからないしどうでもよいことである、ただいま、いんとんしていて、こうして日向ぼっこをしながら樵夫や牧童のさまをのぞいているだけである。

28 負暄 日なたぼっこ。

候樵牧 樵夫牧童のなすがままをうかがう。

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757-231

 

 

寫懷二首其一(卷二○(四)頁一八一八) #2

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

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寫懷二首其一

詩 

五言古

全唐

卷二二二        09

杜詩詳

卷二○(四)頁一八一八

杜少陵

巻二-102

杜甫全詩訳注

1263

 

寫懷二首其一

勞生共乾坤,何處異風俗。冉冉自趨競,行行見羈束。

無貴賤不悲,無富貧亦足。萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。

#2

鄙夫到巫峽,三如轉燭。全命甘留滯,忘情任榮辱。

朝班及暮齒,日給還粟。編蓬石城東,采藥山北穀。

#3

用心霜雪間,不必條蔓綠。非關故安排,曾是順幽獨。

達士如弦直,小人似鉤曲。曲直我不知,負暄候樵牧。

 

寫懷二首其二

夜深坐南軒,明月照我膝。驚風翻河漢,梁棟已出日。

群生各一宿,飛動自儔匹。吾亦驅其兒,營營為私實。

#2

天寒行旅稀,暮日月疾。榮名忽中人,世亂如蟣虱。

古者三皇前,滿腹志願畢。胡為有結繩,陷此膠與漆。

#3

禍首燧人氏,厲階董狐筆。君看燈燭張,轉使飛蛾密。

放神八極外,俯仰俱蕭瑟。終契如往還,得匪合仙術。

 

 

 

寫懷二首

  鶴注:此是大厯二年冬作。詩云巫峽、三公以永㤗元年赴雲安、至大厯二年為三矣。

  又云「暮日月疾」、故知為/冬日也。 魏文帝詩:賦詩以寫懷。

勞生共乾坤①,何處異風俗。冉冉自趨競②,行行見羈束③。

無貴賤不悲,無富貧亦足④。萬古一骸骨⑤,鄰家遞歌哭⑥。此章自敘、從慨世起。

言乾坤之内、共趨名利、能達觀、則窮/達生死、皆可 視、何必多此哀樂乎

    《莊子》:大塊載我以形、勞我以生。

    古樂府:冉冉府中趨。

    古詩:行行重/行行。 人競奔趨、 則受羈束矣。 張協詩: 羈束戎旅間。

     阮籍《大人先生傳》:無貴則賤者不怨、無富則貧者不爭、 各安於身而無所求。

    《史記・張儀傳》:且賜骸骨辟魏。

    《博物志》:雍門人至今善歌哭。

(#2)

鄙夫到巫峽①,三如轉燭②。全命甘留滯,忘情任榮辱③。

/班及暮齒④,日給還粟⑤。編蓬石城東⑥,采藥山北一作/穀⑦。

(#3)

用心霜雪間,不必條蔓綠。非關故安排⑧,曾/是順幽獨⑨。

次敘客之况。 言全命志情、言隨寓/而安。朝班四句、 居食粗給。用心四句即指采藥事。

論:尋根霜雪之間、不必條蔓之綠、/此亦無意於安排、但順其幽居之性而巳。

     崔瑗《座右銘》:行行鄙夫志。 《詩》:三食貧。

     庾肩吾詩:聊持轉風燭。

     《亢倉子》:至人忘情。 《歸田賦》: 縱心於域外、安知榮辱之所加。

     沈約《文》:希耼幸齒朝班。 朝班及暮/齒、謂昔玷朝班、 而今已暮年矣。時公年五有六。

張綖注云: 朝班故人、念及暮齒、供以日給之資、似無所指。 /謝靈運詩:頽年追暮齒。

      《晏子春秋》: 晏子相齊、衣十升之布粟之飯。

     東方朔《非有先生論》: 居深山之中、積/土為室。 編蓬為 石城、即州城。

     洙曰: 許徴君詩、采藥白雲隈、畧以肆所養。 今按、公采藥注已見。 

洙所引許畋隠居採藥北山、未知何據。

 

    《莊子》: 仲尼謂顔淵曰:「安排而去化乃入於寥天一。」  謝靈運/詩:安排徒空言、幽獨賴鳴琴。

     《詩》: 曾是在位。

達士如弦直①,小人似鉤曲②。曲直我不知,負暄候樵牧③。末有任運自然之意。

不與人情競曲直。 仍與起處逹生相應。 此章、八句起、 中段十二、末段四句。

     達士、出《越國語》。  左思詩: 可為達士模。

鈎後漢順帝末童謠云直如弦死道/邊曲如 封公侯 列子宋田夫負日之暄

 

安史の乱当時の勢力図 

 

 

 

寫懷二首其一

(冬の山に薬材を求める厳しい生活の中で、死生に対して達観した境地に従った生き方について心に思うことを詠う。)

勞生共乾坤,何處異風俗。

世俗のことから離れ、夔州で隠遁していると、どこでいかに風俗がちがっていようとも、我々に生命を与えて骨折らせ、苦労させられていることについていえば、天地に共通していることである。

冉冉自趨競,行行見羈束。

人というのは、生きるために次第に名利の途「爭名奪利」をきそいあうものであるし、そして、一歩一歩、その名利の綱に束縛され、がんじがらめとなるものである。

無貴賤不悲,無富貧亦足。

貴い身分でないものが貧しいのであれば、賤者であってもそれほど悲しむことはないものであるし、身分も卑しく富裕でなければ、貧者であっても、そうした生活も一定の満足をしているものである。

萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。

萬古の昔より、ながきにわたってだれも同一骸骨になるののであるが、そのことに対し他人であっても隣人となるものは、その死者のために、歌ってあげ、嘆き悲しみ哭してくれるのである。

 

#2

鄙夫到巫峽,三如轉燭。

立派な祖父や、父に対してふがいない自分が、巫峡へきてから、燭をつぎ足し継ぎ足して、またたくまに三年がすぎたのである。

全命甘留滯,忘情任榮辱。

どうやら今、辺境のこの地で生命を全うするかのように滞在しているだけであり、自らの感情、喜憂の情さえ忘れ、名誉も、恥辱も運命とし受け入れている。

朝班及暮齒,日給還粟。

かつて朝廷の列に並んでいたが、晩年になって朝位、緋魚袋をたまわりはしたが、日日の生活には困り、やっぱり友人たちが届けてくれる玄米にありついているのである。

編蓬石城東,采藥山北穀。

貧しくも夔州の石城の東に蓬を編んで門とし家を築き、山北の谷で龐公のように薬草を採って隠棲ぐらしをししているのである。

#3

用心霜雪間,不必條蔓綠。非關故安排,曾是順幽獨。

達士如弦直,小人似鉤曲。曲直我不知,負暄候樵牧。

 

懷いを寫す、二首其の一

生に勞せらるるは乾坤を共にし,何れの處にか風俗を異にせる。

冉冉として自ら趨競し,行行として 羈束せらるる。

貴 無くば 賤も悲しまず,富 無くば 貧も亦た足れり。

萬古 一に骸骨たり,鄰家 遞いに歌哭す。

#2

鄙夫 巫峽に到り,三 燭を轉ずるが如し。

命を全くせんと 留滯に甘じ,情を忘れて 榮辱に任す。

朝班 暮齒に及び,日び給せらるるは還た粟【だつぞく】。

蓬を編む石城の東,藥を采る山北の穀。

#3

心 霜雪の間に用うれば,條蔓の綠なるを必【もと】めず。

故【ことさ】らに排に安すんずるに關するに非らず,曾て是れ幽獨に順【したが】う。

達士は弦の如く直く,小人は鉤に似て曲る。

曲直 我れ知らず,暄を負いて樵牧を候【ま】つ。

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

《寫懷二首其一》現代語訳、訳注解説

寫懷二首其一

#2

鄙夫到巫峽,三如轉燭。全命甘留滯,忘情任榮辱。

朝班及暮齒,日給還粟。編蓬石城東,采藥山北穀。

 

〔下し文〕

懷いを寫す、二首其の一

#2

鄙夫 巫峽に到り,三 燭を轉ずるが如し。

命を全くせんと 留滯に甘じ,情を忘れて 榮辱に任す。

朝班 暮齒に及び,日び給せらるるは還た粟【だつぞく】。

蓬を編む石城の東,藥を采る山北の穀。

 

 

〔現代語訳〕

(冬の山に薬材を求める厳しい生活の中で、死生に対して達観した境地に従った生き方について心に思うことを詠う。)

#2

立派な祖父や、父に対してふがいない自分が、巫峡へきてから、燭をつぎ足し継ぎ足して、またたくまに三年がすぎたのである。

どうやら今、辺境のこの地で生命を全うするかのように滞在しているだけであり、自らの感情、喜憂の情さえ忘れ、名誉も、恥辱も運命とし受け入れている。

かつて朝廷の列に並んでいたが、晩年になって朝位、緋魚袋をたまわりはしたが、日日の生活には困り、やっぱり友人たちが届けてくれる玄米にありついているのである。

貧しくも夔州の石城の東に蓬を編んで門とし家を築き、山北の谷で龐公のように薬草を採って隠棲ぐらしをししているのである。

 

 

〔訳注解説〕

寫懷二首其一 

(冬の山に薬材を求める厳しい生活の中で、死生に対して達観した境地に従った生き方について心に思うことを詠う。)

題意 757年、大暦二年冬、夔州の東屯の作。ほぼ隠者としての生活の中、冬の山に薬材を求めた、そうした中で、死生に対して達観した境地に従った生き方について詠い、其二は、災禍の根源は、自己欲、名利に汲々とすることにあると述べ、その上で、精神を世俗の外に置けば、万物はすべて空であると隠遁の境地を述べている。

  鶴注に此是は大厯二年の冬に作られた詩であると云う。巫峽三公は以て永㤗元年、雲安に赴き、大厯二年至って為す。又た、暮、日月疾っていたと云い、故に、冬日と為ると知る 魏文帝の詩賦詩に以って寫懷とある。

 

#2

鄙夫到巫峽,三如轉燭。

立派な祖父や、父に対してふがいない自分が、巫峡へきてから、燭をつぎ足し継ぎ足して、またたくまに三年がすぎたのである。

12 鄙夫 田舎者、いやしい男。下品な男。現在の自分が思うようにならない様子を謙遜して使う語。

13 三 755年永泰元年、756年大暦元年、757年大暦二年の三年を言う。

14 如轉燭 風中に搖曳く燭火の瞬く間。比するのは、世事のことであり、月の遷流するのが迅速であることである。杜甫《0715佳人》詩「世情惡衰歇,萬事隨轉燭。」(世情【せじょう】衰歇【すいけつ】を悪む、万事【ばんじ】転燭【てんしょく】に随う。普通世間の人にたいする情というものは女盛りなら誰でも愛すものだが、歳を重ね衰えてしまった肢体顔色、後ろ盾がなく、頼る背のないものは嫌がられるものであり、わが身づくろいも万事はその場の成り行きのままになってきた。

佳人 <229-#2>杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1112 杜甫特集700- 335

 

全命甘留滯,忘情任榮辱。

どうやら今、辺境のこの地で生命を全うするかのように滞在しているだけであり、自らの感情、喜憂の情さえ忘れ、名誉も、恥辱も運命とし受け入れている。

15 榮辱 光榮と恥辱。易經·繫辭上:「樞機之發,榮辱之主也。」(樞機 之れ發す,榮辱 之れ主とする也。)枢機とは、物事の最も大切なところ。かなめ。要所。重要な政務。

 

朝班及暮齒,日給還粟。

かつ朝廷の列に並んでいたが、晩年になって朝位、緋魚袋をたまわりはしたが、日日の生活には困り、やっぱり友人たちが届けてくれる玄米にありついているのである。

16 朝班及暮齒 晩年になって朝班を得たことを言う。暮齒:晩年を言う。杜甫75746歳鳳翔行在所において左拾遺を授けられる。76453歳工部員外郎となり緋魚袋をたまわる。 

17 粟 脱粟の飯とは、もみがらを取り去っただけで精白してない米を炊いた飯。玄米飯。

 

編蓬石城東,采藥山北谷。

貧しくも夔州の石城の東に蓬を編んで門とし家を築き、山北の谷で龐公のように薬草を採って隠棲ぐらしをししているのである。

18 編蓬 蓬を編んで戸扉とするをいう。編蓬以為門 亦指結草為廬。 漢東方朔《非有先生論》「居深山之間, 積土為室, 編蓬為 彈琴其中, 以詠先王之風, 亦可以樂而忘死矣。」

19 石城東 夔州城は石城といわれ、東はその東、即ち杜甫の草堂のある瀼西を言う。

20 采藥 采藥,亦作“采葯”。藥物を采集するを謂う。 亦た、世を避けて隱居するを指し、或いは、仙修の道を求めることをさす。 《後漢書‧逸民傳‧龐公》「後遂攜其妻子登鹿門山, 因采藥不反。」(後、遂に其の妻子を攜えて鹿門山に登り, 因て藥を采り反らず。 唐李白《悲清秋賦》「歸去來兮人間可以托些,吾將采藥於蓬邱。」(歸りなんいざ、人間 可なり 以て托し,吾 將に藥を蓬邱に采る。)

21 山北谷 山北の谷とは瀼西の居よりいわば蓋し、白谷をいう。杜甫《19-10 上後園山》詩に山北の谷について述べているが初四句に「朱夏熱所嬰,清旭步北林。小園背高岡,挽葛上崎崟。」(朱夏 熱 嬰る所なり,清旭に 北林に步す。小園 高岡をに背す,葛を挽きて 崎崟たるに上る。)とある。

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757年-231 《寫懷二首其一(卷二○(四)一八一八) -#1》 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11002

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757
-231 《寫懷二首其一(卷二○(四)一八一八) -1 - 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11002

 

 

 

 

757-231

 

 

寫懷二首其一(卷二○(四)頁一八一八)

 

 

杜甫詳注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 訳注解説Blog11002

 

 

 

 

寫懷二首其一

詩 

五言古

全唐

卷二二二        09

杜詩詳

卷二○(四)頁一八一八

杜少陵

巻二-102

杜甫全詩訳注

1263

 

寫懷二首其一

勞生共乾坤,何處異風俗。冉冉自趨競,行行見羈束。

無貴賤不悲,無富貧亦足。萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。

#2

鄙夫到巫峽,三如轉燭。全命甘留滯,忘情任榮辱。

朝班及暮齒,日給還粟。編蓬石城東,采藥山北穀。

#3

用心霜雪間,不必條蔓綠。非關故安排,曾是順幽獨。

達士如弦直,小人似鉤曲。曲直我不知,負暄候樵牧。

 

寫懷二首其二

夜深坐南軒,明月照我膝。驚風翻河漢,梁棟已出日。

群生各一宿,飛動自儔匹。吾亦驅其兒,營營為私實。

#2

天寒行旅稀,暮日月疾。榮名忽中人,世亂如蟣虱。

古者三皇前,滿腹志願畢。胡為有結繩,陷此膠與漆。

#3

禍首燧人氏,厲階董狐筆。君看燈燭張,轉使飛蛾密。

放神八極外,俯仰俱蕭瑟。終契如往還,得匪合仙術。

 

 

 

寫懷二首

  鶴注:此是大厯二年冬作。詩云巫峽、三公以永㤗元年赴雲安、至大厯二年為三矣。

  又云「暮日月疾」、故知為/冬日也。 魏文帝詩:賦詩以寫懷。

勞生共乾坤①,何處異風俗。冉冉自趨競②,行行見羈束③。

無貴賤不悲,無富貧亦足④。萬古一骸骨⑤,鄰家遞歌哭⑥。此章自敘、從慨世起。

言乾坤之内、共趨名利、能達觀、則窮/達生死、皆可 視、何必多此哀樂乎

    《莊子》:大塊載我以形、勞我以生。

    古樂府:冉冉府中趨。

    古詩:行行重/行行。 人競奔趨、 則受羈束矣。 張協詩: 羈束戎旅間。

     阮籍《大人先生傳》:無貴則賤者不怨、無富則貧者不爭、 各安於身而無所求。

    《史記・張儀傳》:且賜骸骨辟魏。

    《博物志》:雍門人至今善歌哭。

 

鄙夫到巫峽,三如轉燭。全命甘留滯,忘情任榮辱。

/班及暮齒,日給還粟。編蓬石城東,采藥山北一作/穀。

用心霜雪間,不必條蔓綠。非關故安排,曾/是順幽獨。

次敘客之况言全命志情言隨寓/而安朝班四句 居食粗給用心四

句即指采藥事排論尋根霜雪之間不必條蔓之綠/此亦無意於安 但順其幽居之性而巳 崔瑗座右

銘行行鄙夫志人詩三食貧賦庾肩吾詩聊持轉風/ 亢倉子至 忘情 歸田 縱心於域外安

榮辱之所加班沈約文希耼幸齒朝班十朝班及暮/齒謂昔玷朝 而今已暮年矣時公年五 有六張綖

注云朝班故人念及暮齒供以日給之資似無所指升/謝靈運詩頽年追暮齒 晏子春秋晏子相齊衣十

之布粟之飯東方朔非有先生論居深山之中積/土為室編蓬為 石城即州城 洙曰許徴君詩

采藥白雲隈畧以肆所養今按公采藥注已見王/洙所引許畋隠居採藥北山未知何據 莊子仲尼謂

顔淵曰安排而去化乃入於寥天一是謝靈運/詩安排徒空言幽獨賴鳴琴 詩曾 在位

達士如弦直,小人似鉤曲。曲直我不知,負暄候樵牧。末有任運/自然之意

起不與人情競曲直仍與起處逹生相應左此章八句/ 中段十二末段四句 達士出越國語 思詩可為

達士模鈎後漢順帝末童謠云直如弦死道/邊曲如 封公侯 列子宋田夫負日之暄

 

寫懷二首其一

(冬の山に薬材を求める厳しい生活の中で、死生に対して達観した境地に従った生き方について心に思うことを詠う。)

勞生共乾坤,何處異風俗。

世俗のことから離れ、夔州で隠遁していると、どこでいかに風俗がちがっていようとも、我々に生命を与えて骨折らせ、苦労させられていることについていえば、天地に共通していることである。

冉冉自趨競,行行見羈束。

人というのは、生きるために次第に名利の途「爭名奪利」をきそいあうものであるし、そして、一歩一歩、その名利の綱に束縛され、がんじがらめとなるものである。

無貴賤不悲,無富貧亦足。

貴い身分でないものが貧しいのであれば、賤者であってもそれほど悲しむことはないものであるし、身分も卑しく富裕でなければ、貧者であっても、そうした生活も一定の満足をしているものである。

萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。

萬古の昔より、ながきにわたってだれも同一骸骨になるののであるが、そのことに対し他人であっても隣人となるものは、その死者のために、歌ってあげ、嘆き悲しみ哭してくれるのである。

 

《寫懷二首其一》現代語訳、訳注解説

寫懷二首其一

勞生共乾坤,何處異風俗。冉冉自趨競,行行見羈束。

無貴賤不悲,無富貧亦足。萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。

 

〔下し文〕

懷いを寫す、二首其の一

生に勞せらるるは乾坤を共にし,何れの處にか風俗を異にせる。

冉冉として自ら趨競し,行行として 羈束せらるる。

貴 無くば 賤も悲しまず,富 無くば 貧も亦た足れり。

萬古 一に骸骨たり,鄰家 遞いに歌哭す。

#2

 

 

〔現代語訳〕

(冬の山に薬材を求める厳しい生活の中で、死生に対して達観した境地に従った生き方について心に思うことを詠う。)

世俗のことから離れ、夔州で隠遁していると、どこでいかに風俗がちがっていようとも、我々に生命を与えて骨折らせ、苦労させられていることについていえば、天地に共通していることである。

人というのは、生きるために次第に名利の途「爭名奪利」をきそいあうものであるし、そして、一歩一歩、その名利の綱に束縛され、がんじがらめとなるものである。

貴い身分でないものが貧しいのであれば、賤者であってもそれほど悲しむことはないものであるし、身分も卑しく富裕でなければ、貧者であっても、そうした生活も一定の満足をしているものである。

萬古の昔より、ながきにわたってだれも同一骸骨になるののであるが、そのことに対し他人であっても隣人となるものは、その死者のために、歌ってあげ、嘆き悲しみ哭してくれるのである。

 

 

〔訳注解説〕

寫懷二首其一

(冬の山に薬材を求める厳しい生活の中で、死生に対して達観した境地に従った生き方について心に思うことを詠う。)

題意 757年、大暦二年冬、夔州の東屯の作。ほぼ隠者としての生活の中、冬の山に薬材を求めた、そうした中で、死生に対して達観した境地に従った生き方について詠い、其二は、災禍の根源は、自己欲、名利に汲々とすることにあると述べ、その上で、精神を世俗の外に置けば、万物はすべて空であると隠遁の境地を述べている。

  鶴注に此是は大厯二年の冬に作られた詩であると云う。巫峽三公は以て永㤗元年、雲安に赴き、大厯二年至って為す。又た、暮、日月疾っていたと云い、故に、冬日と為ると知る 魏文帝の詩賦詩に以って寫懷とある。

 

勞生共乾坤,何處異風俗。

世俗のことから離れ、夔州で隠遁していると、どこでいかに風俗がちがっていようとも、我々に生命を与えて骨折らせ、苦労させられていることについていえば、天地に共通していることである。

1 勞生 我々に生命を与えて苦労させる。《莊子.大宗師》:「夫大塊載我以形,勞我以生,佚我以老,息我以死。」(夫れ大塊は我を載するに形を以てし,我を勞するに生を以てし,我を佚するに老を以てし,我を息するに死をて以す。)大地は我々に形を与えてくれる。そしてまた我々に生命を与えて苦労させ、歳をとらせて楽にし、死を与えて休息させてくれる。

2 共乾坤 同一の天地の間にあることを言う。(えき)の卦()の乾と坤。天と地。天地。陰陽。いぬい(北西)の方角とひつじさる(南西)の方角。5 2巻で一組となっている書物の、上巻と下巻。

3 異風俗 風俗異ならず、ということではなく、異を諭ずるに及ばざるをいう。 

 

冉冉自趨競,行行見羈束。

人というのは、生きるために次第に名利の途「爭名奪利」をきそいあうものであるし、そして、一歩一歩、その名利の綱に束縛され、がんじがらめとなるものである。

4 冉冉 1.進行の貌。次第に進んでいくさま。徐々に侵し広がるさま。2(髪の毛や木の枝・葉などが)しなやかに垂れる.

5 趨競 はしり競う。競い争うこと。名利の途におもむく。爭名奪利。《宋史.卷二九六.呂祐之傳》:「祐之純謹長者,不喜趨競。」

6 行行 一歩一歩。魏 武帝《苦寒行》「行行日已遠,人馬同時饑。」(行き行きて日已に遠く 人馬 時を同じくして飢う)

7 羈束 からだをつなぎしばられる。

 

無貴賤不悲,無富貧亦足。

貴い身分でないものが貧しいのであれば、賤者であってもそれほど悲しむことはないものであるし、身分も卑しく富裕でなければ、貧者であっても、そうした生活も一定の満足をしているものである。

8 無貴賤不悲,無富貧亦足 阮籍《大人先生傳》「夫無貴則賤者不怨,無富則貧者不爭,各足於身而無所求也。」(夫れ貴無んば則ち賤者怨まず,富無んば則ち貧者爭わず,各の身に足して求むる所無し也。)に基づく。

 

萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。

萬古の昔より、ながきにわたってだれも同一骸骨になるののであるが、そのことに対し他人であっても隣人となるものは、その死者のために、歌ってあげ、嘆き悲しみ哭してくれるのである。

9 一骸骨 だれも同一骸骨になる

10 遞 横へ横へと次々に伝え送る。「逓信・逓送/駅逓・伝逓」だんだん。しだいに。

11 歌哭 笑い歌いまた悲しみ哭することで烈的感情をいう。《周礼·春官·女巫》「凡邦之大災, 歌哭而請。」とある。

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