贈李白 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集  17 (李白と旅する)(李白を詠う-3)
 李白に贈った詩である。杜甫が李白を見たのは、天宝三載八月李白が長安から逐われて梁宋の方へ遊びにゆこうとして、洛陽を通過したときである。天宝3載744年33歳


贈李白
二年客東都,所歷厭機巧。
洛陽で旅客(李白)と出遭って二年になるが、(私もあなたと同じで)経験上、世わたりにたくみな手段を用いることがきらいでならないのです。
野人對腥羶,蔬食常不抱。
武骨者ですから生臭い食物には箸が出にくい、でも粗食、菜食なものに飽きることないのです。
豈無青精飯,使我顏色好?』
本当は、道教の仙家の法では青精飯があって、それをたぺれば私の顔色も若返って活気づくのではないでしょうか。
苦乏大藥資,山林跡如掃。』
道教の仙人のように「大薬」を求めて深く山林に入るって探し求めたりしていないから、その形跡すら残せていないのです。』
李侯金閨彥,脫身事幽討。
ところが李先輩は翰林院に仕えたすぐれた人で、朝廷のしがらみから、陶淵明のように官からぬけでて幽選の趣を求めることを生業とせられたのである。
亦有梁宋游,方期拾瑤草。』

これから梁宋の地方へ遊ばれるおつもりであるが、我もまた同じ考えをしており、同方面で瑤草を拾いとらんとまちかまえておられる。


李白に贈る
洛陽で旅客(李白)と出遭って二年になるが、(私もあなたと同じで)経験上、世わたりにたくみな手段を用いることがきらいでならないのです。
武骨者ですから生臭い食物には箸が出にくい、でも粗食、菜食なものに飽きることないのです。
本当は、道教の仙家の法では青精飯があって、それをたぺれば私の顔色も若返って活気づくのではないでしょうか。
道教の仙人のように「大薬」を求めて深く山林に入るって探し求めたりしていないから、その形跡すら残せていないのです。』
ところが李先輩は翰林院に仕えたすぐれた人で、朝廷のしがらみから、陶淵明のように官からぬけでて幽選の趣を求めることを生業とせられたのである。
これから梁宋の地方へ遊ばれるおつもりであるが、我もまた同じ考えをしており、同方面で瑤草を拾いとらんとまちかまえておられる。

(下し文)李白に贈る
二年東都に客たり、歴(ふ)る所 機巧を厭(いと)う
野人腥羶(せいせん)に対す、蔬食(そし)常に飽かず。
豈に青精の飯の、我が顔色をして好からしむる無からんや。
苦(はなは)だ大薬の資に乏(とぼ)し 山林跡掃(はら)うが如し』
李侯は金閏(きんけい)の彦(げん)なり 身を脱して幽討を事とす
亦た梁宋の遊あり 方(まさ)に瑤草(ようそう)を拾わんと期す』



二年客東都,所歷厭機巧。
洛陽で旅客(李白)としてであって二年になるが、(私もあなたと同じで)経験上、世わたりにたくみな手段を用いることがきらいでならないのです。。
二年 此の二年というのが4年が正しい。詩人が幾年という場合は多くかぞえ年である。かぞえ年なら天宝二載、三載都東都に居たことになる。しかしたとえ中途どこぞへ往ったことがあるとみても杜甫は開元二十九年、天宝元年、二載、三載と東都に居たのであるから、「二年」の二という数字は四年と改めるべきであるが、この詩は李白に送った詩であること、李白とは洛陽でこの詩の一年前の夏に出会っている。李白とは二年である。○東都 洛陽。○所歴 経歴する所。人事上の経験をいう。○機巧 たくみな手段を用いること。


野人對腥羶,蔬食常不抱。
武骨者ですから生臭い食物には箸が出にくい、でも粗食、菜食なものに飽きることないのです。
野人 自からを謙遜していう。○腥羶 魚や肉のなまぐさい食物。○疏食 菜食。


豈無青精飯,使我顏色好?』

本当は、道教の仙家の法では青精飯があって、それをたぺれば私の顔色も若返って活気づくのではないでしょうか。
青精飯 或る種の草木の葉・茎・皮などを煮た汁で米をひたして飯とし、さらしては蒸すこと三たび、蒸すごとにその汁をかけて青くならせた飯を青精飯というとのこと。繊維質とミネラル分の多い仙家の食である。


苦乏大藥資,山林跡如掃。』
道教の仙人のように「大薬」を求めて深く山林に入るって探し求めたりしていないから、その形跡すら残せていないのです。』
大薬 貴重薬。○ 材料。○跡如掃 如レ掃とは足跡をたって印せぬこと。苦乏・山林の二旬は前後置きかえてみる。


李侯金閨彥,脫身事幽討。

ところが李先輩は翰林院に仕えたすぐれた人で、朝廷のしがらみから、陶淵明のように官からぬけでて幽選の趣を求めることを生業とせられたのである。
李侯 李白をさす、侯は敬語、君というのににる。○金閣 金鑾殿の側に翰林院 学士院 左蔵庫があり、ここに李白は出仕した。東海の総会を模した太液池があり園池に蓬莱山があり、太液亭があった。そこに至る右銀台門を金馬門といった。金馬門は漢の時、臣下が官を授けられる詔を待つ処。李白は翰林の供奉官であったのでこれを使った。○ すぐれた人。○脱身 官界からぬけでる。○幽討 幽は幽遠の趣、討は求めること。幽討とは山林にわけ入り薬草などをさがすこと。


亦有梁宋游,方期拾瑤草。』

これから梁宋の地方へ遊ばれるおつもりであるが、我もまた同じ考えをしており、同方面で瑤草を拾いとらんとまちかまえておられる。

 通常この亦は「我がごとく彼も亦」の義。であるが李白は初から行く予定であったものを杜甫がついていきたいと申し入れているから。『われもまた』○梁宋 梁は汴州(べんしゅう)、今の河南省開封府。宋は宋州、今の河南省帰徳府商邱県。○瑤草 玉芝草。瑤は玉のように美しい。揺れ動く。

〔余論〕 
 昨年の秋に梁宋の旅に出てから、すでに一年が経過しています。このころ杜甫の父杜閑は奉天県(陝西省乾県)の県令になっていたらしく、杜甫は父から長安に出てくるように促されていたと思います。やがて李白と杜甫は、魯郡曲阜の東北にある石門山の林中で別れの杯を酌み交わします。
 通説では「杜詩の原本もまた或は四を二二に作っていたのを、後来伝写の際、其の半形を脱落して二となったものか」とされている。杜甫が洛陽で過ごした四年を、二、二と書かれていたものを写本する際欠落させたというものである。
 ここでは隠れている主語が杜甫として考えられているが、この詩は「李白に贈る」のである。一緒に旅をしている李白が道教の道場に立ち寄っているその時に作っているのである。隠された主語、「二年客東都」、客は李白であり、李白と東都洛陽で出会って二年。
去年と今年で二年である。
 このことは七言絶句「贈李白」と五言古詩「贈李白」のとらえ方の間違いにも起因しているが、これはここまでにしておく。