高都護驄行 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集 34

安西都護高仙芝の騎る駿馬の歌。
749年天宝8載 38歳 朝廷は李林甫に動かされ、後宮は宦官により、占められていた。長安での作。



高都護驄行
安西都護胡青驄 ,聲價欻然來向東。
安西都護高仙芝の乗馬される西方産の葦毛の駿馬、その評判ともども東の方長安の方へむかって来た。
此馬臨陣久無敵,與人一心成大功。』
この馬は戦陣に臨んでは久しい、前から敵するものがなく、のり手と心を同一にして大功を成した馬である。』
功成惠養隨所致,飄飄遠自流沙至。
この馬が諷々とかけて遠く流抄の地方からやってきた、すでに大功を成した馬だからどんな手あつい飼養の方法でも馬がしたいとおもうままにしている。
雄姿未受伏櫪恩,猛氣猶思戰場利。』
この馬はまだ雄々しい姿をしていて老馬が受ける様なへたばって物を貰うようなことはしない、その猛烈な元気はいまだに戦場の勝利の事をかんがえているのである。』
腕促蹄高如踣鐵,交河幾蹴會冰裂。
この馬は腕の長さがつまり蹄はあつく之をふみとどろかすときは堅くて鉄をふむようである、この蹄でいく度か交河のあたりで、かさなった泳を蹴ってくだいた。
五花散作雲滿身,萬裡方看汗流血。』
からだは五色の梅の花がたが散らばって雲が一ぱいにひろがっているようだ。我々は眼前この馬が万里の道中をして来て血の汗を流すのをみるのである。』
長安壯兒不敢騎,走過掣電傾城知。
長安の若者もこの馬にのりこなすことはできない。この馬が走りさるときは電光をひくようにはやいことは長安城中のものだれも知らぬものはない。
青絲絡頭為君老,何由卻出橫門道。

この馬が主君の意のまま丁重に飼われ、頭には青糸をまきつけて飾られて為す事なくしてそのまま老いてゆく、馬の心ではどうしたら今の無為の状況を脱して横門の道から外へでられるだろうかとかんがえている。



安西都護高仙芝の乗馬される西方産の葦毛の駿馬、その評判ともども東の方長安の方へむかって来た。
この馬は戦陣に臨んでは久しい、前から敵するものがなく、のり手と心を同一にして大功を成した馬である。』
この馬が諷々とかけて遠く流抄の地方からやってきた、すでに大功を成した馬だからどんな手あつい飼養の方法でも馬がしたいとおもうままにしている。
この馬はまだ雄々しい姿をしていて老馬が受ける様なへたばって物を貰うようなことはしない、その猛烈な元気はいまだに戦場の勝利の事をかんがえているのである。』
この馬は腕の長さがつまり蹄はあつく之をふみとどろかすときは堅くて鉄をふむようである、この蹄でいく度か交河のあたりで、かさなった泳を蹴ってくだいた。
からだは五色の梅の花がたが散らばって雲が一ぱいにひろがっているようだ。我々は眼前この馬が万里の道中をして来て血の汗を流すのをみるのである。』
長安の若者もこの馬にのりこなすことはできない。この馬が走りさるときは電光をひくようにはやいことは長安城中のものだれも知らぬものはない。
この馬が主君の意のまま丁重に飼われ、頭には青糸をまきつけて飾られて為す事なくしてそのまま老いてゆく、馬の心ではどうしたら今の無為の状況を脱して横門の道から外へでられるだろうかとかんがえている。


(都護の驄馬の行)
安西都護の胡の青驄、声価あって欻然としで来って東に向う。
此の馬陣に臨みて久しく敵無し、人と一心大功を成す。』
功成りて恵養致す所に随う、飄飄として遠く流沙より至れり。
雄姿未だ伏櫪の恩を受けず、猛気猶お思う戦場の利。』
腕促まり蹄高くして鉄を踣むが如し、交河幾びか曾氷を蹴って裂く。
五花散じて作す雲満身、万里方に看る汗血を流すを。』
長安の壮児敢て騎らず、走過掣電傾城知る。
青糸頭に絡いて君が為ため老ゆ、何に由ってか 卻って出でん橫門の道。




高都護驄行:  ・高都護 安西都護高仙芝。唐の貞観十七年に安西都護府を西州に置いたが、顕慶三年には治を亀立国城(今の新嬉省の庫車)に移し、手腕以西・波斯以東の十六都護府をこれに隷せしめた。
747年天宝6載()、高仙芝は配下の封常清・李嗣業・監軍の辺令誠ら歩騎一万を率いて討伐に出た。歩兵も全て馬を持ち、安西(クチャ)を出発し、カシュガルを通り、パミール高原に入り、五識匿国(シュグナン地方)に着いた。その後、軍を三分して、趙崇玼と賈崇カンに別働隊を率いさせ、本隊は護密国を通って、後に合流することにした。高仙芝たちはパミール高原を越え、合流に成功し、急流のパンジャ川の渡河にも成功する。この地で吐蕃軍が守る連雲堡(サルハッド?)を落とし、5千人を殺し、千人を捕らえた。ここで、進軍に同意しなかった辺令誠と3千人の兵を守備において、さらに行軍した。
峻険な20kmもほぼ垂直な状態が続くと伝えられるダルコット峠を下り、将軍・席元慶に千人をつけ、「大勃律へ行くために道を借りるだけだ」と呼ばわらせた。自身の小勃律の本拠地・阿弩越城への到着後、吐蕃派の大臣を斬り、小勃律王を捕らえ、パンジャ河にかかった吐蕃へ通じる藤橋を切った。その後、小勃律王とその后である吐蕃王の娘を連れ、帰還する。西域72国は唐に降伏し、その威が西アジアにまで及んだ。九載には仙芝は石国を討って其の王を仔にして献じている。この詩は天宝八載の作である。


安西都護胡青驄 ,聲價欻然來向東。
安西都護高仙芝の乗馬される西方産の葦毛の駿馬、その評判ともども東の方長安の方へむかって来た。
安西都護 今の新疆ウィグル自治区南部におかれた唐朝西方およびチベットの守りのためにおかれた幕府   ○胡青驄 胡地に産した葦毛の駿馬。○鍬然 にわかに。○東 長安地方をさす。


此馬臨陣久無敵,與人一心成大功。』
この馬は戦陣に臨んでは久しい、前から敵するものがなく、のり手と心を同一にして大功を成した馬である。』
恵養 人の恵みをうけ飼養されること。文字は顔延之の「粛白馬ノ賦」に見える。


功成惠養隨所致,飄飄遠自流沙至。
この馬が諷々とかけて遠く流抄の地方からやってきた、すでに大功を成した馬だからどんな手あつい飼養の方法でも馬がしたいとおもうままにしている。
随所致 致は招致の意、随は意のままにする。馬のそうしたいとおもうままにという意。○諷諷 馬のかけるさま。○流沙 新彊省ロブノル湖の地方。安西より来るのにはここを経過する。


雄姿未受伏櫪恩,猛氣猶思戰場利。
この馬はまだ雄々しい姿をしていて老馬が受ける様なへたばって物を貰うようなことはしない、その猛烈な元気はいまだに戦場の勝利の事をかんがえているのである。』
雄姿 馬のおおしいすがた。○未受 受けることをいさざよしとしないこと。○伏棲恩 「老駿健に伏すも、志は千里に在り」は曹操の句。えさはうまやの踏み板、馬が年とるとかいばおけに伏してものをたべる。○猛気 馬の猛烈な元気。○ 勝利。


腕促蹄高如踣鐵,交河幾蹴會冰裂。
この馬は腕の長さがつまり蹄はあつく之をふみとどろかすときは堅くて鉄をふむようである、この蹄でいく度か交河のあたりで、かさなった泳を蹴ってくだいた。
 寸法のつまっていること。馬は腕の短いのをよしとする。健康なこと。○蹄高 高とは厚いことをいう、険に耐える。○如躇鉄 蹄の堅いことをいう。○交河 今の新疆ウィグル自治区吐魯蕃県を流れる川の名。交河があるので又県の名とする。ここは河をさす。○ 幾回。○曾泳 曾は層に同じ。積み重なった氷。氷河のようなものであろう。


五花散作雲滿身,萬裡方看汗流血。』
からだは五色の梅の花がたが散らばって雲が一ぱいにひろがっているようだ。我々は眼前この馬が万里の道中をして来て血の汗を流すのをみるのである。』
五花 梅の花がたの毛の紋様。○雲満身 全身に雲がみちているよう。○万里 安西と長安とのおおよその距離。〇万看 眼前実際に見ることをいう。単に馬の能力を説くのではない。○汗流血 漢の時大宛国の天馬は石をふみ血を汗にしたと伝える。この馬もそれと似ている。


長安壯兒不敢騎,走過掣電傾城知。
長安の若者もこの馬にのりこなすことはできない。この馬が走りさるときは電光をひくようにはやいことは長安城中のものだれも知らぬものはない。
不敢騎 のりきらぬ。○掣電 撃は「ひく」。馬の走るとき快速非常にして電光をひくがごとくである。○傾城 城中の人はことごとく。


青絲絡頭為君老,何由卻出橫門道。
この馬が主君の意のまま丁重に飼われ、頭には青糸をまきつけて飾られて為す事なくしてそのまま老いてゆく、馬の心ではどうしたら今の無為の状況を脱して横門の道から外へでられるだろうかとかんがえている。
青糸 馬の面づらの縄に用いる青色の絹いと。○ 高仙芝をさす。○ 外へでる。○横門 金光門、長安の西北の第一門の名、この門を出て西域の方へ向かうのである。結尾の二句は直接に馬の心をいう。
長安城郭015