贈翰林張四學士 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集 36


贈翰林張四学士洎
翰林学士張洎贈った詩である。天宝九載河南より長安にかえったときの作。張洎は李白とも接触していた。父親の生前は影響力があったが、730年に没しており、そのあとを張九齢が受け継ぐが、735.~736年にかけ李林甫との権力闘争に完全に敗れた。750年は李林甫の最高に権力を持っていた時期であったため、張洎らの意見は完全に抹殺されている。杜甫がどういう行動し、傑作の詩文を書いても無理な時期であった。
天宝9載 750年 39歳

贈翰林張四學士
翰林院の張四學士に贈る
翰林逼華蓋,鯨力破滄溟。
君の居る翰林学士の地位は、大帝星を蔽う華蓋星座に近い天子に接近した高処にある。君の文筆の力は鯨がひろい海原の波浪を破ってすすむような強さである。
天上張公子,宮中漢客星。』
君は天上界の張公子と称されるという、君は宮中に於ける漢の使者の星ともいえるものである。』
賦詩拾翠殿,佐酒望雲亭。
君は拾翠殿で詩を賦したり、望雲亭で酒をつぐお相手をしたりしている。
紫誥仍兼綰,黃麻似六經。
紫誥を起草する上に黄麻の詔を草することをもかね、その詔文は六経の文のようである。
內頒金帶赤,恩與荔枝青。』
君は天子から御寵愛をうけて赤色の金帯を賜わったり、青い荔枝らいちの実をくださったりする。』
無複隨高鳳,空餘泣聚螢。
自分はあれ以来、復び高く飛ぶ鳳凰ともいうべきあなたに随ぅことなく、いたずらに車胤したように衆めた螢の前で泣いているというありさまである。
此生任春草,垂老獨漂萍。
我が生涯は流浪していたずらに故郷の春草の生ずるにまかせ、この老境にさしかかってただひとり漂蓬の如く水にただよっているのである。
儻憶山陽會,悲歌在一聽。』

あなたが万一むかし我々同志が一緒にいた山陽の会のことをおもうならば、今自分が歌うこの悲しい歌をただひとたびきいてくださることを切望する。』



翰林院の張四學士に贈る
君の居る翰林学士の地位は、大帝星を蔽う華蓋星座に近い天子に接近した高処にある。君の文筆の力は鯨がひろい海原の波浪を破ってすすむような強さである。君は天上界の張公子と称されるという、君は宮中に於ける漢の使者の星ともいえるものである。』
君は拾翠殿で詩を賦したり、望雲亭で酒をつぐお相手をしたりしている。
紫誥を起草する上に黄麻の詔を草することをもかね、その詔文は六経の文のようである。
君は天子から御寵愛をうけて赤色の金帯を賜わったり、青い荔枝らいちの実をくださったりする。』
自分はあれ以来、復び高く飛ぶ鳳凰ともいうべきあなたに随ぅことなく、いたずらに車胤したように衆めた螢の前で泣いているというありさまである。
我が生涯は流浪していたずらに故郷の春草の生ずるにまかせ、この老境にさしかかってただひとり漂蓬の如く水にただよっているのである。
あなたが万一むかし我々同志が一緒にいた山陽の会のことをおもうならば、今自分が歌うこの悲しい歌をただひとたびきいてくださることを切望する。』



(翰林の張四学士洎[土自]に贈る)
翰林華蓋に逼る 鯨力滄溟を破る
天上の張公子 宮中漢の客星』
詩を賦す拾翠殿 酒を佐く望雲亭
紫語仍りて兼ね綰ぐ 黄麻六経に似たり
内より金帯の赤きを頒つ 恩与荔枝青し』
復た高鳳に随う無し 空しく余す聚螢に泣くを
此の生春草に任す 垂老獨り漂萍
儻くは山陽の会を憶わば 悲歌一聴に在り』




贈翰林張四學士
翰林院の張四學士に贈る
翰林学士 「新唐書」百官志によると、翰林院(かんりんいん)とは、唐の玄宗が738年(開元26年)に設けた翰林学士院がその起源で、唐中期以降、主に詔書の起草に当たった役所のことをいう。玄宗は初め翰林待詔を置き四方の表疏の批答・応和の文章を掌らしめたが、やがて後には文学の士を選んで翰林供奉と号し集賢院学士と制詔書勅を分掌させた。開元二十六年又翰林供奉を改めて学士と為し、・別に学士院を置いて専ら内命を掌らしめ、其の後選用益上重くして礼遇益よ親しく号して内相となすに至った。内宴には宰相の下・一品の上に居るという。738年開元二十六年翰林学士を置いたとき、太常少卿張絹・起居舎人劉光謙らを首として之に居らせた。洎は玄宗の女寧親公主の婿である。
張洎 玄宗の謀臣にして宰相であった張説には二子があり、均といい柏といったが、皆文を能くした。四は従兄弟問の順位。


翰林逼華蓋,鯨力破滄溟。
君の居る翰林学士の地位は、大帝星を蔽う華蓋星座に近い天子に接近した高処にある。君の文筆の力は鯨がひろい海原の波浪を破ってすすむような強さである。 
翰林 学士の地位をいう。○逼 近いことをいう。○華蓋 天文に大帝(星名)の上の九星を華蓋というのは、華はすべての真ん中にあたる。大帝の座。○鯨力 くじらのちから。文章の才能がずばぬけているこという。○ 波をやぶる。○滄溟 ひろい海原。 


天上張公子,宮中漢客星。』
君は天上界の張公子と称されるという、君は宮中に於ける漢の使者の星ともいえるものである。』
天上 地位の高いことをいう。○張公子 漢の成帝が微行して張故の家人だと称したところ、世人は童謡をつくってこのひとを張公子といった。字面はこれに基づくがここは張姓の貴公子ということで張洎をさす。○漢客星 客星は使者をいう。漢の張賽が武帝の使いとなって天の河に至った話があり、杜甫の「贈太常卿張洎」詩の「能事重訳に聞こえ、嘉謨遠黎に及ぶ」の句によれば相は嘗て外国に使いしたことがあるもののようである。張洎は玄宗の女婿である。


賦詩拾翠殿,佐酒望雲亭。
君は拾翠殿で詩を賦したり、望雲亭で酒をつぐお相手をしたりしている。
○拾翠殿 殿の名、大福殿の東南にある。○佐酒 酒をつぎまわる助けをする。○望雲亭 亭の名、景福台の西にある。
 
紫誥仍兼綰,黃麻似六經。
紫誥を起草する上に黄麻の詔を草することをもかね、その詔文は六経の文のようである。
紫誥 語は勅命のおかきつけで、これを封ずるには紫色の泥を用いる。故に紫誥という。○兼綰 結はつなぐ。制棺はもと集賢学士の領する所であったが、当時は翰林学士がこれを分掌していたゆえに兼綰というとの説がある。翰林学士に他の職務があって乙事を分掌するならば分掌も兼棺といい得るであろうが、本来制詔等を掌る事が翰林の職務であるならば他と分掌したとしてもこれを兼棺という理由はない。因って考えるのにこの兼綰は下の黄麻に対する語であって、紫誥を掌るうえに黄麻をも兼締す、その黄麻は六経に似たりという文法であろう。○黄麻 黄麻・白麻は紙の種類。詔・書を写すのには黄麻紙を用い、制には自麻紙を用いるという。しかしまた詔には自藤紙を用いるともいう。時によって変易があったのであろう。ここは詔をかく紙をいう。○似六経 詔の文が典雅なことは六経の文章と似ている。


內頒金帶赤,恩與荔枝青。』
君は天子から御寵愛をうけて赤色の金帯を賜わったり、青い荔枝らいちの実をくださったりする。』
内頒 宮中の内宮廷からわかちくださる。○金帯赤 黄金を飾った赤い色の帯。四品官の緋服、五品官の浅緋服は金帯を用いる。○恩与 恩命により与えられるもの。○荔枝 らいち、竜眼肉に似ている果物の名、南方暖地に産する。楊貴妃はこれを好み、早飛脚にて北へ伝送させたという話がある。
 
無複隨高鳳,空餘泣聚螢。
自分はあれ以来、復び高く飛ぶ鳳凰ともいうべきあなたに随ぅことなく、いたずらに車胤したように衆めた螢の前で泣いているというありさまである。
高鳳 高くとぶ鳳凰、張洎をたとえていう。○空餘 いたずらに。○聚螢 晋の車胤の故事、胤は家が貧しくて油がなく、夏は螢をあつめて嚢にいれ、その光に照らして書を読んだ。自己の貧しいことをいう。


此生任春草,垂老獨漂萍。
我が生涯は流浪していたずらに故郷の春草の生ずるにまかせ、この老境にさしかかってただひとり漂蓬の如く水にただよっているのである。
任春草 解しがたい句で、諸家に明解はない。案ずるに「楚辞」の「王孫遊ンデ帰ラズ、春草生ジテ妻妾タリ」を用いたものであろう。即ち春草は生えても自己の流浪して故郷に帰らないことをいう。○垂老 老いかかって。○漂萍 見ずにただよう蓬、流浪の漂蓬。


儻憶山陽會,悲歌在一聽。』
あなたが万一むかし我々同志が一緒にいた山陽の会のことをおもうならば、今自分が歌うこの悲しい歌をただひとたびきいてくださることを切望する。』
 万一、ひょっと。○山陽会  魏の嵆康は河内の山陽に寓居して王戎・向秀と同遊した。今それを借り用いる。此の句は作者が嘗て張洎らと同志の交遊をなしたことがあることによって言ったものであろう。○悲歌 この詩をさす。○ 重要な点がそこにあるということ。〇一聴 ひとたびきく、張洎がきくのである。