「同諸公登慈恩寺塔」 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ杜甫詩 特集 39


 和 高適 (詩人の岑参、高適、薛拠、儲光羲らと交友)
多くの人々が慈恩寺の塔に登って作った詩に自分も和して作るが、ここでは、諸侯のしについてふれない。
* 〔原注〕時高適。薛拠。先有作。
天宝10載 751年 40歳

同諸公登慈恩寺墖
高標跨蒼穹,烈風無時休。
高いめじるしが青空にまたがって立っている。そこには烈しい風がいつも吹きすさんで休止する時などない。
自非曠士懷,登茲翻百憂。』
よほどの胸中のひろいひとでないかぎり、ここ処へ登ったなら、さまざまの憂いの心を湧きたたせるだろう。』
方知象教力,足可追冥搜。
だが仏教の力によってこそ古人の跡をおうように我々も極楽浄土をふかくさぐることが十分できるというものだ。
仰穿龍蛇窟,始出枝撐幽。』
天を仰ぎながら竜蛇のいわやのようなうねり路をかいくぐり、それではじめて支柱の組み合せの薄暗い所からでられる。』
七星在北戶,河漢聲西流。
北側の戸には北斗七星が懸っている。天の河が声をあげて西へ向って流れている。
羲和鞭白日,少昊行清秋。
太陽の御者である義和は馬に鞭をいれて白日を動かせる、秋の神である少昊はすがすがしい秋にむかっている。
秦山忽破碎,涇渭不可求。
忽ち長安地方をとりまく山々は錯乱粉砕しているようで、渭水・涇水の清濁もわからなくなってしまった。
俯視但一氣,焉能辨皇州?』
下を見おろせばただ靄のように一面に気がたちこめているばかりでここが帝都かどうかもさっぱり見わけがつかないのである。』
回首叫虞舜,蒼梧雲正愁。
自分は上のさまを見て首を回らして古の聖君舜にむかってさけんだ、蒼梧の方面が愁わしげに雲がとざしている
惜哉瑤池飲,日晏昆侖邱。
惜むべきことである、瑶池西王母のところで酒を飲んで帰らなくなっているのと同じことだ、そのまま昆侖邱で日がくれかかって来ているということではないか。
黃鵠去不息,哀鳴何所投。
黃鵠のような志は飛んでいってしまう、かなしそうに鳴いているがどこへ身をおちつけられるのだ。
君看隨陽雁,各有稻粱謀。』


 
高いめじるしが青空にまたがって立っている。そこには烈しい風がいつも吹きすさんで休止する時などない。
よほどの胸中のひろいひとでないかぎり、ここ処へ登ったなら、さまざまの憂いの心を湧きたたせるだろう。』
だが仏教の力によってこそ古人の跡をおうように我々も極楽浄土をふかくさぐることが十分できるというものだ。
天を仰ぎながら竜蛇のいわやのようなうねり路をかいくぐり、それではじめて支柱の組み合せの薄暗い所からでられる。』
北側の戸には北斗七星が懸っている。天の河が声をあげて西へ向って流れている。
太陽の御者である義和は馬に鞭をいれて白日を動かせる、秋の神である少昊はすがすがしい秋にむかっている。
忽ち長安地方をとりまく山々は錯乱粉砕しているようで、渭水・涇水の清濁もわからなくなってしまった。
下を見おろせばただ靄のように一面に気がたちこめているばかりでここが帝都かどうかもさっぱり見わけがつかないのである。』
自分は上のさまを見て首を回らして古の聖君舜にむかってさけんだ、蒼梧の方面が愁わしげに雲がとざしている
惜むべきことである、瑶池西王母のところで酒を飲んで帰らなくなっているのと同じことだ、そのまま昆侖邱で日がくれかかって来ているということではないか。
黃鵠のような志は飛んでいってしまう、かなしそうに鳴いているがどこへ身をおちつけられるのだ。



諸公が慈恩寺墖に登るに同じくする
高標蒼雪に跨る 烈風時として休むことなし
暁士の懐に非るよりは 嘉に登らば百憂を翻さん』
方に知る象教の力 冥捜を追うべきに足るを
仰いで穿つ竜蛇の窟 始めて甘づ枝撐の幽なるを』
七星北戸に在り 河漢声西に流る
義和白日に鞭ち 少臭清秋に行る
泰山忽ち破砕す 浬洞求むぺからず
僻視すれば但だ一気 焉んぞ能く皇州を弁ぜん』
首を廻らして虞舜に叫ぶ 新鮮裂最に墾っ
(惜しい哉瑤池の飲 日は日晏し昆侖の邱丘)
鵠去って息まず  哀鳴何の投ずる所ぞ
看よ随陽の雁  各i稲梁の 謀 有り』


同諸公登慈恩寺墖
 他人の作詩に和してつくること。○諸公 高適・薛拠・岑參・儲光義らをさす。○慈恩寺 西安府城の城外東南に厳然として存在する。○ 塔に同じ、即ち上文の浮居のこと。またこれを大雁塔ともいい、塔の南面に袴遂良の書した「雁塔聖教序」の碑をはめこんでいる。唐の時には進士に及第したものはこの塔上にのぼって姓名を題する習俗があった。
長安城郭015

高標跨蒼穹,烈風無時休。
高いめじるしが青空にまたがって立っている。そこには烈しい風がいつも吹きすさんで休止する時などない。
高標 たかいめじるし、塔をさす。○蒼穹 あおい弓なりの天井、そらをいう。



自非曠士懷,登茲翻百憂。』
よほどの胸中のひろいひとでないかぎり、ここ処へ登ったなら、さまざまの憂いの心を湧きたたせるだろう。』
曠士懷 胸中のひろいひと。・懐 胸中、心。○ 慈恩寺塔をさす。○ ひるがえす、湧きたたせること。



方知象教力,足可追冥搜。
だが仏教の力によってこそ古人の跡をおうように我々も極楽浄土をふかくさぐることが十分できるというものだ。
象教 仏教をいう。象は像に同じ。形像をつくって人を教えることをいう。○ 古人の跡をおう。○冥搜 極楽浄土をふかくさぐる。



仰穿龍蛇窟,始出枝撐幽。』
天を仰ぎながら竜蛇のいわやのようなうねり路をかいくぐり、それではじめて支柱の組み合せの薄暗い所からでられる。』
竜蛇窟 塔内の螺旋状の升り路をたとえていう。○枝撐 交木のこと。路をささえるために材木をくんであるのである。○ おくふかくくらい。
 

七星在北戶,河漢聲西流。
北側の戸には北斗七星が懸っている。天の河が声をあげて西へ向って流れている。
七星 北斗七星。○北戸 塔の北面の戸。○河漢 あまのがわ。○声西流 あまの河に声は無いけれども声をあげて流れているようだ。西流とは東から西へとながれること。



羲和鞭白日,少昊行清秋。
太陽の御者である義和は馬に鞭をいれて白日を動かせる、秋の神である少昊はすがすがしい秋にむかっている。
義和 太陽は車にのり、その車は義和によって馬をしたてていると考えられていた。○少昊 空を小さくする秋を掌る神。

 
秦山忽破碎,涇渭不可求。
忽ち長安地方をとりまく山々は錯乱粉砕しているようで、渭水・涇水の清濁もわからなくなってしまった。
秦山 長安地方をとりまく山々。 破砕 山に雨が降って錯乱粉砕していること。 涇渭 二水の名、渭水は濁り、涇水は清い。 不可求 清濁を求めて分かちがたいことをいう。

俯視但一氣,焉能辨皇州?』
下を見おろせばただ靄のように一面に気がたちこめているばかりでここが帝都かどうかもさっぱり見わけがつかないのである。』
 区別する。 皇州 帝都の地方。 



回首叫虞舜,蒼梧雲正愁。
自分は上のさまを見て首を回らして古の聖君舜にむかってさけんだ、蒼梧の方面が愁わしげに雲がとざしている。
虞舜 古代の聖天子堯と舜といわれるうちの舜有虞帝。 蒼梧 地名、舜の葬られた地。此の二旬は古聖君を思うことをいう。
*この頃は李林甫の圧政のピーク時であったし、玄宗に対してなんらの期待も持てなかったため、杜甫はこのように叫んだのである。 



惜哉瑤池飲,日晏昆侖邱。

惜むべきことである、瑶池西王母のところで酒を飲んで帰らなくなっているのと同じことだ、そのまま昆侖邱で日がくれかかって来ているということではないか。

瑤池飲 瑶池王母のこと。本来は、東の理想国に対して、西の理想国の母とした女仙人を示すが、ここでは、周の穆王が西に巡符して崑崙に遊び、彼女に会い、帰るのを忘れたという話が「列子」にみえるところから、そのうえ、彼女の性が楊なので、玄宗が楊貴妃に溺れることを指す。 おそい、暮れかかること。



黃鵠去不息,哀鳴何所投。
黃鵠のような志は飛んでいってしまう、かなしそうに鳴いているがどこへ身をおちつけられるのだ。
黄鵠 黄色みをおびた白鳥。高く飛ぶ鳥。高い理想を持った自分を指す。李白は黄鶴を以て自己に比喩する。 ○ 此の去の字は下の雁と関係してみる。 ○ 息止する。 ○何所投 我が身を投ずる所の地は何処ぞ。 



君看隨陽雁,各有稻粱謀。』
諸公の君たち看てくれ、陽気につれて南北する雁と同じようにするのか、それぞれいい米を求めるために謀をめぐらそうとするのか。
随陽雁 「尚書」南貢に陽鳥の語があり、注に「陽二随ウノ鳥ハ、鴻雁ノ属ナリ」とある。鴻雁は陽気の寒暖に随って、或は南し或は北する。此の二句は一般衣食のために権勢に附き禄位を食る人々に此する。  ○稲梁謀 稲梁を求めるはかりごと、梁はよい米。



玄宗皇帝を批判するように見えるが、李林甫にへつらっている官僚に対して、黄鶴、黃鵠のように高い志を持ち続けようと呼びかけている。
 この翌年、李林甫は病死するのであるが、皇帝の権威が失墜し、誰かが謀叛、反乱を起こしそうな機運を感じているのである。