前出塞九首 其五 杜甫 紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 44
天宝10載751年 40歳



前出塞九首其五
迢迢萬裡餘,領我赴三軍。
はるばると万里あまりもはなれた地へ部隊長は我々をひきつれて本隊にむけて赴いた。
軍中異苦樂,主將寧盡聞?
軍中では所属の部隊長次第で苦楽の程度が違うようだ、苦しい方の自分たちのこと、総司令官は聞き及んでいるのであろうか。
隔河見胡騎,倏忽數百群。
河を隔てた前岸に異民族の騎兵が見える、たちまちのうちに幾百人と羣をなしたのである。
我始為奴樸,幾時樹功勛?

これがいくさのしはじめなので自分は今やっと奴僕の身分なのだ、いつになったら勲功をたてて上の地位に出世することができるのだろうか。



はるばると万里あまりもはなれた地へ部隊長は我々をひきつれて本隊にむけて赴いた。
軍中では所属の部隊長次第で苦楽の程度が違うようだ、苦しい方の自分たちのこと、総司令官は聞き及んでいるのであろうか。
河を隔てた前岸に異民族の騎兵が見える、たちまちのうちに幾百人と羣をなしたのである。
これがいくさのしはじめなので自分は今やっと奴僕の身分なのだ、いつになったら勲功をたてて上の地位に出世することができるのだろうか。


迢迢万里余、我を領して三軍に赴く。
軍中苦楽異なり、主将寧ぞ尽(ことごと)く聞かんや
河を隔てて胡騎を見る、倏忽(しゅくこつ)数百羣。
我始めて奴僕たり 幾時か功勲を樹てん




迢迢萬裡餘,領我赴三軍。
はるばると万里あまりもも地へ部隊長は我々をひきつれて本隊にむけて赴いた。
迢迢 はるばる。○領我 自分をひきつれて。〇三軍 軍制は上・中・下の三軍に分れて構成されていた。ここは主将の居る本隊をさす。



軍中異苦樂,主將寧盡聞?
軍中では所属の部隊長次第で苦楽の程度が違うようだ、苦しい方の自分たちのこと、総司令官は聞き及んでいるのであろうか。
異苦楽 兵卒たる者はその部隊長の人物如何によって苦と楽とのちがいがあるが、この句から判断するとこの戍卒の属していた人は主将・隊長としていい人物ではなかったので苦労の多かったということだろう。○主将 総司令官。○ 苦楽の状を聞きしる。



隔河見胡騎,倏忽數百群。
河を隔てた前岸に異民族の騎兵が見える、たちまちのうちに幾百人と羣をなしたのである。
隔河 河は交河、土魯番の西にある。○胡騎 えびす、吐蕃の騎兵。○ たちまち。



我始為奴樸,幾時樹功勛?
これがいくさのしはじめなので自分は今やっと奴僕の身分なのだ、いつになったら勲功をたてて上の地位に出世することができるのだろうか。
 やっと今。○為奴僕 「漢書」の公孫弘伝賛に「衛青奴僕より奮う」とあり、武帝の大将軍衛青は奴僕の賤しい身分からふるいおこって栄達したといっている。○幾時 何時と同じ。○功勲 手柄を立てる。いさおし。
 


出塞兵士の物語 5

 出征した兵士たちの部隊によって、扱いが違ったようだ。部隊長の力関係が大きく影響する。すべての基本が弱肉強食の時代である。違いは極端なものであってもおかしくなかったであろう。違いがあるほどコントロールしやすいからである。
 抜け駆けしてでも手柄を立てたいと競い合わせたのある。生活様式の違う異民族との戦い。別の表現では、農耕民族と、遊牧民族・騎馬民族の戦いである。農耕民族はだらだらと隊を集結させるが、騎馬民族は、「瞬く間に群をなした」としているが、初めて、騎馬民族の戦い方を見たものは、その様相だけでも震え上がったとされる。

唐の税制・兵制
 税制は北周時代から均田制・租庸調制であり、兵制は府兵制であった。この両制度は車の両輪で相互不可分な制度なのである。
均田制は労働に耐えうる青年男性一人につき、相続が許されるな土地が20畝まで認められ、割り当ての口分田は死亡や定年60歳になると国家に返却する土地を可能な範囲最大80畝まで支給された。また職分田(これは辞職した時に返却する)。丁男がいない戸、商工業者、僧侶・道士などの特別な戸に対してもそれぞれ支給量が決められていた。そこから生産されるものに対して、租庸調と呼ばれる税を納めるのである。租は粟(穀物)2石、調は絹2丈と綿3両を収め、年間20日の労役の義務があり、免除して貰うためには、労役一日に対し絹3尺あるいは布3.75尺を収めることになっていた。
 田地を貸し与えるために戸籍制度が出来上がった。府兵制はこれらの戸籍に基づいて3年に1度、丁男に対して徴兵の義務を負わせた。