貧交行 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 48 



貧交行 
貧賎であったときには交りがあったものが富貴となってのちはその交りを棄てて省みないこと嘆いて作った詩。作者は賦を献じて後久しく長安に寓居していたが、時代は最悪の状態。李林甫の横暴はすさまじいもので、皇帝の近親者までも捕縛される始末で宦官の陰湿な動きも時代を暗くしていったのである。その状態の中で此の作を作った。752年、天宝十一載の作。

天宝10載  751年 40歳


貧交行     杜甫 
翻手作雲覆手雨,紛紛輕薄何須數。
手をひるがえせば雲となり、手をくつがえせば雨となる、入り乱れる(数多くの)軽薄なさまは、数える必要もない。
君不見管鮑貧時交,此道今人棄如土。
ご存じでしょう、管仲と鮑叔牙の貧しい時代の交わりを。この交友の精神は、現在の人々は土くれのように棄ててしまった。 


貧交行    
手を翻(ひるがへ)せば雲と 作(な)り 手を覆(くつがへ)せば 雨となる。
紛紛たる輕薄  何ぞ 數ふるを 須(もち)ゐん。
君見ずや  管鮑(くゎんんぱう) 貧時の交はりを,
此(こ)の道  今人(こんじん) 棄つること 土の如し。



貧しい時代の交友の歌。
手をひるがえせば雲となり、手をくつがえせば雨となる、入り乱れる(数多くの)軽薄なさまは、数える必要もない。
ご存じでしょう、管仲と鮑叔牙の貧しい時代の交わりを。この交友の精神は、現在の人々は土くれのように棄ててしまった。 



貧交行:貧しい時代の交友の歌。 ・行:歌。

翻手作雲覆手雨,紛紛輕薄何須數
手をひるがえせば雲となり、手をくつがえせば雨となる。入り乱れる(数多くの)軽薄なさまは、数える必要もない。 

翻手作雲覆手雨:手をひるがえせば雲となり、手をくつがえせば雨となる。  ・翻手:掌(たなごころ)をひるがえす。掌(てのひら)を上に向ける 。・作雲:雲になる。雲となる。 ・覆手:掌(たなごころ)をくつがえす。掌(てのひら)を下に向ける。 ・:〔名詞〕雨。〔動詞〕雨ふる。
紛紛輕薄何須數:入り乱れる(数多くの)軽薄なさまは、数える必要もない。 ・紛紛:乱れ散るさま。混じり乱れるさま。

杜甫「陪鄭廣文游何將軍山林十首」其九
牀上書連屋,階前樹拂雲。將軍不好武,稚子總能文。
醒酒微風入,聽詩靜夜分。絺衣掛蘿薜,涼月白紛紛。

杜甫「孤雁」
孤雁不飲啄,飛鳴聲念群。誰憐一片影,相失萬重雲。
望盡似猶見,哀多如更聞。野鴉無意緒,鳴噪自紛紛。

李白「牛泊牛渚懐古」
牛渚西江夜、青天無片雲。
登舟望秋月、空憶謝勝軍。
余亦能高詠、斯人不可聞。
明朝挂帆席、楓葉落紛紛。
中唐・白居易「送春」
三月三十日,春歸日復暮。
惆悵問春風,明朝應不住。
送春曲江上,拳拳東西顧。
但見撲水花,紛紛不知數。
人生似行客,兩足無停歩。
日日進前程,前程幾多路。
兵刃與水火,盡可違之去。
唯有老到來,人間無避處。
感時良爲已,獨倚池南樹。
今日送春心,心如別親故。

杜牧の「淸明」
淸明時節雨紛紛,路上行人欲斷魂。
借問酒家何處有,牧童遙指杏花村。
輕薄:うわすべりで、真心がない。 ・何須:…する必要はない。 ・數:数える。


君不見管鮑貧時交,此道今人棄如土。
ご存じでしょう、管仲と鮑叔牙の貧しい時代の交わりを。
この交友の精神は、現在の人々は土くれのように棄ててしまった。
君不見管鮑貧時交:ご存じでしょう、管仲と鮑叔牙の貧しい時代の交わりを。 ・君不見:諸君、見たことがありませんか。詩を読んでいる人(聞いている人)に対する呼びかけ、強調。樂府体に使われる。「君不聞」もあり、そこでは強調するためなので、詩のリズムが大きく変化する。

紀頌之漢詩ブログ 李白48『襄陽歌』君不見晉朝羊公一片石。龜頭剝落生莓苔。

紀頌之漢詩ブログ 李白89『將進酒』
君不見黄河之水天上來,奔流到海不復迴。
君不見高堂明鏡悲白髮,朝如青絲暮成雪。
人生得意須盡歡,莫使金樽空對月。

紀頌之漢詩ブログ 杜甫37『兵車行』
君不見青海頭,古來白骨無人收。
新鬼煩冤舊鬼哭,天陰雨濕聲啾啾。

白居易『新豐折臂翁』
君不聞開元宰相宋開府,不賞邊功防黷武。
又不聞天寶宰相楊國忠,欲求恩幸立邊功。
邊功未立生人怨,請問新豐折臂翁。

白居易「杏爲梁」君不見馬家宅尚猶存

白居易「馴犀」君不見貞元末
白居易「太行路」、「上陽白髪人」、「澗底松」、「李夫人」、「天可度」、「采詩官」

岑参「胡笳曲送顔真卿使赴隴西」
君不聞胡笳聲最悲,紫髯綠眼胡人吹。
管鮑:かんぽう〕春秋時代の管仲と鮑叔牙のことで、「管鮑の交わり」をいう。深く理解し合った親密な交わり、仲むつまじい交際で、とりわけ鮑叔牙が管仲を深く理解していた。管仲は斉の宰相。安徽省の人。親友鮑叔牙の勧めで桓公に仕え、斉を強国とした人物。鮑叔は、欠点の多い管仲の好き理解者。・貧時:管仲と鮑叔が成功をまだ収めていない時期。貧しい時期。 ・:交際。交わり。

此道今人棄如土:この交友の精神は、現在の人々は土くれのように棄ててしまった。 ・此道:この道。交友を指す。管鮑の交わりのような交友。「管鮑之交」。 ・今人:現在の人。作者と同時代人を指す。ここでは、作者の周りの軽薄な人々のことになる。 ・:すてる。廃棄する。 ・:…のよう。 ・:つちくれ。ここでは、価値の無い物をいう。



■管鮑の交わり
 管仲は若い頃に鮑叔と親しく交わっていた。ある時、金を出し合って商売をしたが、失敗して大きな損失を出した。しかし鮑叔は管仲を無能だとは思わなかった。商売には時勢がある事を知っていたからである。また商売で利益が出た時、管仲は利益のほとんどを独占したが、鮑叔は管仲が強欲だとは思わなかった。管仲の家が貧しい事を知っていたからである。 このような鮑叔の好意に管仲は感じ入り、「私を生んだのは父母だが、私を知る者は鮑叔である」と言った。二人は深い友情で結ばれ、それは一生変わらなかった。管仲と鮑叔の友情を後世の人が称えて管鮑の交わりと呼んだ



■貧交行のころの杜甫
 この頃の杜甫は、任官の機会を得られないまま四十一歳になった。父、杜閑が死んでしまってからの収入は杜甫の手にかかっていた。どうしても官職を得ないといけないのだが、特別試験にも落第して、なりふり構わず、大臣の屋敷に頭を下げて出入りし、書家、画家、楽士の文士となって生活費にしていたのだ。また、薬草の知識を生かして、山野から採取し、副収を得るようにもしている。
天宝十載(751)正月に、杜甫は延恩匭(えんおんき)に「三大礼の賦」とそれに付した表(上書)を投函した。延恩匭というのは、大明宮の東西南北、四つの門に設けられた投書箱で、一般の民が天子に意見を述べられるもので、杜甫は直接天子に訴えたのだ。
甲斐あって、集賢院待制(しゅうけんいんたいせい)に任じられたのだが、待制というのは御用掛り待機候補といったものである。順番が来れば選考・登用の機会が与えられるという程度のものだ。それでも、期待していても呼び出しはなかった。この辛さが詩人を成長させていく。