曲江三章 章五句 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 52 曲江三章 章五句 (1)



曲江  唐の都長安の中心部より東南東数㎞の風光明媚なところに、曲江池という池があった。池は、「隋の長安建都の時に黄渠の水を引いて池を作り、これを曲江と呼んだ」とされる。宋代(南宋1127~1279)の趙彦衛が撰した『雲麓漫鈔』に記述があるが、隋はこの地に「芙蓉園」を造って離宮とした。
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 この地には、かつて漢の武帝も「宣春下苑」という離宮を造っており、唐代になって第6代皇帝玄宗(在位712~752)の開元年間(713~741)に大規模な再開発が行われたようだ。
  北には元殿を含む大明宮があり、周囲を取り囲む曲江池、杏園、楽遊原の風景も非常に美しい場所である。
近くには杏園、楽遊原、大慈恩寺などの名所があり、貴族達の行楽地として春や秋には賑わい、特に唐の科挙試験に及第して進士となった者は、曲江のほとりの杏園で宴を賜ったと伝えられている。
  しかしこの場所も、安史の乱(756~763)の時に建築物は尽く破壊され、一部は後に修復されたのだが、また、唐末の戦乱で破壊されてしった。
  現在は曲江地遺跡として石碑なども建っているが、池は干上がって農地化している。

このしは、生活が杜甫にかかっており、ここ数年士官のため、全力を挙げて取り組んだが、この秋まですべてうまくいかなかった。曲江の東に弟杜侄を寓居としていた。絶望感を漂わせる秋時の感を述べている。752年41歳の作。七言雑詩、絶句の一聯に七言の句を追加して構成される珍しいものである。特にこの詩は三首を一つとしてとらえることも必要だ。


曲江三章 章五句 
曲江三章 第一章五句
曲江蕭條秋氣高,菱荷枯折隨風濤。
遊子空嗟垂二毛,白石素沙亦相蕩,哀鴻獨叫求其曹。

曲江三章 第二章五句
即事非今亦非古,長歌激夜梢林莽,比屋豪華固難數。
吾人甘作心似灰,弟侄何傷淚如雨?

曲江三章 第三章五句
自斷此生休問天,杜曲幸有桑麻田,故將移住南山邊。
短衣匹馬隨李廣,看射猛虎終殘年。

曲江三章 章五句 

曲江蕭條秋氣高,菱荷枯折隨風濤。
遊子空嗟垂二毛,白石素沙亦相蕩,哀鴻獨叫求其曹。

即事非今亦非古,長歌激夜梢林莽,比屋豪華固難數。
吾人甘作心似灰,弟侄何傷淚如雨?

自斷此生休問天,杜曲幸有桑麻田,故將移住南山邊。
短衣匹馬隨李廣,看射猛虎終殘年。

1.
曲江のあたり、草木は枯れもの寂しく大空が澄み渡りすっかり秋の気配になった、池の菱と蓮は枯れ、折れなどで荒れた模様で 風が吹き、大波よってゆれうごいている。
故郷を離れ、仕官もできていない自分、むなしくため息をし、そして白髪交じりになろうとしてきた。
白石があり、ただ沙もむなしく白く互いに落ち着いていない。哀れにも大雁は、一羽で叫んでいたその群れを求めているのだろう。
2.
目前にあるものをそのままに、現在ではないし、亦、昔のことでもない。聞いたことのある長歌がこの夜は盛んに歌われているが、林やくさむらによって消されている。ここにある屋敷は豪華なものであり、おおきな一棟は分かるがあとは数えられない。
自分は人として、少し甘くて心が塵灰のようになってしまった。弟の侄は心を痛めて涙が雨のようにとめどなく流している。
3.
自分はこの世の生涯の望み、仕官の願いを断ってしまったから運命の窮通について天に問う必要もない。幸に杜曲には桑麻を作りうる田地がある、だから此処(曲江)から南山ちかく(杜曲)へひきうつってきたのだ。
気軽に衣単衣で一匹の馬にまたがり、李広のような男のあとについていく、猛虎でも射るのを桑畑でみながらこの老いさきを終ろうとおもう。

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(2)続く