陪鄭広文遊何将軍山林十首 其八 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 62

753年天宝12載 42歳  五言律詩

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其八
憶過楊柳渚,走馬定昆池。
思い出したのは楊柳の渚を通り過ぎた、そして定昆池まで馬を走らせたことである。
醉把青荷葉,狂遺白接蘺。
酔いがまわって青いはすの葉を手にもった、我を忘れてばかさわぎをして白い被り物を落した。
刺船思郢客,解水乞吳兒。
船に竿さしては楚の船旅頭を思い出す、そうすれば水泳の上手な呉の男を求めたりすることになる。
坐對秦山晩,江湖興頗隨。
坐って夕暮れの秦の山、終南山にむかいあった、江南五湖方面の水郷への思いがわずかに湧いてくる。


思い出したのは楊柳の渚を通り過ぎた、そして定昆池まで馬を走らせたことである。
酔いがまわって青いはすの葉を手にもった、我を忘れてばかさわぎをして白い被り物を落した。
船に竿さしては楚の船旅頭を思い出す、そうすれば水泳の上手な呉の男を求めたりすることになる。
坐って夕暮れの秦の山、終南山にむかいあった、江南五湖方面の水郷への思いがわずかに湧いてくる。


憶う 楊柳の渚を過ぎて 馬を定昆池に走らせしを
酔うては青荷葉を把り 狂うては白接巌を遺しぬ
船を刺すには郢客を思い 水を解するには呉児を乞う
坐して泰山の晩に対すれば 江湖 興は頗る随う

この一篇は一第は定昆池の水遊をなして、後日さかのぼって追憶を記したものである。



過楊柳渚,走馬定昆池。
思い出したのは楊柳の渚を通り過ぎた、そして定昆池まで馬を走らせたことである。
 この一字は全篇を貫ぬく。 ○楊柳渚 所在は未詳、下の定昆池の附近にあるのであろうという。地名とせず、ただ楊柳の生えているなぎさとみでも解し得られる。 ○定昆地 唐の楽安公主のうがった池の名、韋曲の北に在るという。



醉把青荷葉,狂遺白接蘺。
酔いがまわって青いはすの葉を手にもった、我を忘れてばかさわぎをして白い被り物を落した。
 とってもてあそぶ。 ○荷葉 はすの葉。○ 狂態をいう。○ おきわすれる。〇白接蘺:(はくせつり、りの草冠はあみ頭) 罷膏の山簡がかぶったという白巾の帽子。 



刺船思郢客,解水乞吳兒。
船に竿さしては楚の船旅頭を思い出す、そうすれば水泳の上手な呉の男を求めたりすることになる。
刺船 竿刺しでふねを移動させること。○郢客:(えいきゃく) 郢の舟人、郢は楚の都した地、今の湖北省刑州府。 ○解水 水性をよく知ること、泳ぐのに巧みであることをいう。 ○ 何氏にむかってよこしてくれとたのむこと。 ○呉児 呉のうまれの男。これも船夫をいう、呉は今の江蘇省蘇州府の地方。



坐對秦山晩,江湖興頗隨。
坐って夕暮れの秦の山、終南山にむかいあった、江南五湖方面の水郷への思いがわずかに湧いてくる。
○秦山 終南山をいう。 ○江湖興 江湖とは中国の南方、呉楚の地方をさす、船あそびをするゆえ江南五湖方面の興という。○随 自己に伴うことをいう。

○韻字 池・蘇・児・随。