送張十二参軍赴蜀州因呈楊五侍御  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 80張彪君が蜀州の参軍となって赴任するにつけて楊侍御に呈した詩。此の詩は張を楊に紹介する作である。
754年天宝13載 43歳




送張十二参軍赴蜀州因呈楊五侍御
好去張公子、通家別恨添。
名門の張君よ出発のいい時期になった、君の家と我が家とは先代から交際がある家柄だ、さすがに別れの辛さが加わってくるというものだ。
两行秦樹直、萬點蜀山尖。
行く道の京畿ちかくの道路は並木樹がまっすぐに立っており、遠方蜀の山々の尖っている山頂が点々と見えてくるだろう。
御史新驄馬、参軍舊紫髯。
楊御史は新しい驄馬にまたがっているだろうし、君は参軍として昔の武将郗超(ちちょう)そのままの紫髯(しぜん)の人となるだろう。
皇華吾善處、于汝定無嫌。

天子の使者たる楊君に対しては善処してあるから、使者楊君は君に対して何等の疑うことなくうちとけてくれるだろう。



名門の張君よ出発のいい時期になった、君の家と我が家とは先代から交際がある家柄だ、さすがに別れの辛さが加わってくるというものだ。
行く道の京畿ちかくの道路は並木樹がまっすぐに立っており、遠方蜀の山々の尖っている山頂が点々と見えてくるだろう。
楊御史は新しい驄馬にまたがっているだろうし、君は参軍として昔の武将郗超(ちちょう)そのままの紫髯(しぜん)の人となるだろう。
天子の使者たる楊君に対しては善処してあるから、使者楊君は君に対して何等の疑うことなくうちとけてくれるだろう。



(張十二参軍が萄州に赴くを送り、因って楊五侍御に呈す)
好し去れ張公子 通家別恨添う。
両行秦樹直く、 万点蜀山尖る。
御史新に驄馬、 参軍旧紫髯。
皇華には吾善く処せり、 汝に于て定めて嫌い無からん。



送張十二参軍赴蜀州因呈楊五侍御
○張十二参軍張は姓、名は彪。杜甫「寄張十二山人彪」がある。参軍は蜀州の参軍事の職をいう。○蜀州今の四川省成都府の西、崇慶州。○楊五侍御場は姓、名は譜であろう。杜甫に「寄楊五桂州」詩がある。侍御は官名、侍御史をいう。場は侍御を以て諸道の使者となっておったものであろう。



好去張公子、通家別恨添。
名門の張君よ出発のいい時期になった、君の家と我が家とは先代から交際がある家柄だ、さすがに別れの辛さが加わってくるというものだ。
張公子 漢の成帝の時の童謡に「燕燕尾誕挺云々」とあり、中に「張公子、時二相イ見ル」の語がある。張公子とは張故をいう。成帝は微行することを好み、そのときには自ずから張故の家人だと称したので、後世の詩人が張姓の人をさすのにしばしば張公子の語を用いる。ここはかりて張十二をさす。○通家 先代以来交際ある両家を通家という。張家と杜家とは先代以来の交りがあったものと見える。○別恨添 別離の恨みがくわわる。



两行秦樹直、萬點蜀山尖。
行く道の京畿ちかくの道路は並木樹がまっすぐに立っており、遠方蜀の山々の尖っている山頂が点々と見えてくるだろう。
両行 左右二列、並木をさす。○秦樹直 奏樹とは京畿の道路の並木樹をいう。直とはまっすぐに立っていること。〇万点 山のさきを遠方よりみてほっちりとしているさまを点といいなしたもの、万とは無数に多くあることをいう、尖とは峰頂が鋭くたつことをいう。

御史新驄馬、参軍舊紫髯。
楊御史は新しい驄馬にまたがっているだろうし、君は参軍として昔の武将郗超(ちちょう)そのままの紫髯(しぜん)の人となるだろう。
御史 侍御史をいう、楊五をさす。○新驄馬 驄馬はあおうま。後漢の桓典の故事、桓典は侍御史となり常に驄馬に乗ったので、時人は語って、「行キ行キテ且ツ止ドマル、驄馬ノ御史ヲ避ク」といったところより、驄馬はついに御史の故事となった。其の人が実に驄馬にのると否とにはかかわらぬ。新とは楊五が新にこの官となったことをいう。○旧紫髯 紫髯の参軍は晋の郗超の故事。超が桓温の参軍となったとき、府中は彼を号して贅参軍といった。此の句は張十二をさす。旧とは古の郗超の如くであることをいう。



皇華吾善處、于汝定無嫌。
天子の使者たる楊君に対しては善処してあるから、使者楊君は君に対して何等の疑うことなくうちとけてくれるだろう。
皇華 朝廷よりの使者のこと、「詩経」小雅に皇皇者華第がある。草木の華の坦々とかがやくことをいう。其の詩は君たるものの使者を遣るときのあるところより使者を皇華という。侍御史は天子の使者として地方にさしつかわされてあるものとみるのであり、これは楊五をさす。○善処 よしみにする、その人に対してうまく処置してあるというのである。○汝 張をさす。○無嫌 嫌疑なくうちとけることをいう。