示従孫済  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 82就職活動中 杜曲の家)
五言古詩。七五四(天宝十三)年、四十三歳のとき、従孫つまり一族の孫の世代にあたる杜済の家を訪問しての詩。杜済は字を応物といい、後に東川節度使・兼京兆尹となった人で、杜甫より八つ年下である。


この詩大意
 騒々しかった杜曲の家は、異母弟の杜観・杜占との三人暮らしになった。しかし、杜甫には仕事がない。「従孫」当主の孫の世代に属する同族のこと。従孫の杜済(とせい)という者が近くに住んでいたので、夜明けに驢馬に乗って訪ねたのだ。
 杜甫43歳、杜済35歳である。杜甫よりも八歳しか年少で、のちに東川節度使兼京兆尹(京兆尹は寄禄官)に出世する。
杜甫は「宅舎は荒村の如し」と言っている。「堂」というのは住宅の主室のことだが、堂前堂後は荒れた冬景色、貧しいようすがうかがえる
 杜甫が来たというので、家人は急いで食事の支度をはじめた。杜甫は家事に託して事柄の本源を大切にしなければならないことを説いている。説きながら、自分は「嬾惰なること久しく」、お前たちの働く様子を見ていると走っているようだと、ほめている。
食糧不足の折であるので、自分が食事めあてに訪ねてきたのではないかと思われるのを恐れて弁解をしている。


示従孫済
平明跨驢出、未知適誰門。
夜がしらじらと明けはじめるころに驢馬にまたがって出かけるのであるが、誰のところに行くというあてがあるわけではないのだ。
権門多噂沓、且復尋諸孫。』
権力者の家にはへつらいやかげ口とことばかずの多い者があつまる、ひとまずのところ親類の孫たちでも尋ねることにしようと思う。』
諸孫貧無事、宅舎如荒村。
孫たちは仕事もなく貧乏暮らしをしている、住居のようすは荒れはてた村のようである。
堂前自生竹、堂後自生萱。』
座敷の前にはかってに竹が生え、座敷の後ろにはかってに忘れ草が生えている。』
萱草秋已死、竹枝霜不蕃。
忘れ草は秋にははやくも枯れはて、竹の枝も霜のために茂っていない。
淘米少汲水、汲多井水渾。
米をとぐ場合は水を少なめに汲み、汲みすぎると井戸水がにごってしまう。
刈葵莫放手、放手傷葵根。』
葵を刈るときは乱脈な手の使い方をしてはならない。乱暴な手のつかいかたをすれば葵の根を痛めてしまうぞ。』
阿翁嬾惰久、覚児行歩奔。
この爺様は長い間の怠け癖がついており、君たちが立ち働く様子がいかにもこまめに動いているように思われる。
所来為宗族、亦不為盤飧。
この家にやってきたのは一族という関係からであって、けっしてごちそうにありつこうというではない。
小人利口実、薄俗難可論。
小人たちは食いもの目あてにやって来るものであるが、薄っぺらな世間の行為は一々とやかくいうには及ぶまい。
勿受外嫌猜、同姓古所敦。』
外部の嫌疑や猜疑を信じてはならない、同姓の一族は仲よくせねばならぬというのが古人の教えである。』


夜がしらじらと明けはじめるころに驢馬にまたがって出かけるのであるが、誰のところに行くというあてがあるわけではないのだ。
権力者の家にはへつらいやかげ口とことばかずの多い者があつまる、ひとまずのところ親類の孫たちでも尋ねることにしようと思う。』
孫たちは仕事もなく貧乏暮らしをしている、住居のようすは荒れはてた村のようである。
座敷の前にはかってに竹が生え、座敷の後ろにはかってに忘れ草が生えている。』
忘れ草は秋にははやくも枯れはて、竹の枝も霜のために茂っていない。
米をとぐ場合は水を少なめに汲み、汲みすぎると井戸水がにごってしまう。
葵を刈るときは乱脈な手の使い方をしてはならない。乱暴な手のつかいかたをすれば葵の根を痛めてしまうぞ。』
この爺様は長い間の怠け癖がついており、君たちが立ち働く様子がいかにもこまめに動いているように思われる。
この家にやってきたのは一族という関係からであって、けっしてごちそうにありつこうというではない。
小人たちは食いもの目あてにやって来るものであるが、薄っぺらな世間の行為は一々とやかくいうには及ぶまい。
外部の嫌疑や猜疑を信じてはならない、同姓の一族は仲よくせねばならぬというのが古人の教えである。』



孫の済に示す   
平明(へいめい)  驢(ろ)に跨(またが)って出(い)ず、未だ誰の門に適(ゆ)くかを知らず。
権門(けんもん)には噂沓(そんとう)多し、且(か)つ復(ま)た諸孫(しょそん)を尋ねん。』
諸孫は貧にして事(こと)無く、宅舎(たくしゃ)は荒村(こうそん)の如し。
堂前(どうぜん)には自(おのずか)ら竹を生じ、堂後(どうご)には自ら萱(けん)を生ず。』
萱草(けんそう)は秋に已(すで)に死し、竹枝(ちくし)は霜に蕃(しげ)らず。
米(こめ)を淘(と)ぐには少しく水を汲(く)め、汲むこと多ければ井水(せいすい)渾(にご)る。
葵(あおい)を刈るには手を放ままにする莫(な)かれ、手を放(ほしい)ままにすれば葵根(きこん)を傷つく』
阿翁(あおう)は嬾惰(らんだ)なること久しく、児(じ)の行歩(こうほ)して奔(はし)るを覚(おぼ)ゆ。
来たる所は宗族(そうぞく)の為なり、亦(ま)た盤飧(ばんそん)の為ならず。
小人(しょうじん)は口実(こうじつ)を利す、薄俗(はくぞく)は論ず可きに難(かた)し。
外(ほか)の嫌猜(けんさい)を受くる勿(なか)れ、同姓の古(いにしえ)より敦(あつ)くする所なり』



示従孫済
従孫「左伝」哀公二十五年の疏に「男子ノ兄弟ノ孫ヲ謂イテ、従孫卜為ス」とみえるのからすれば、姪の子が従孫になる。とすれば自己と従孫とは二代を隔てるはずであるが、唐の宰相世系表・顔兵卿の神道碑によれば杜甫は杜預の十三代の孫、杜済は十四代の孫とあり、二者は一代をへだてるのみである。
○ 杜済、字は応物、後に給事中・東川節度使・兼京兆尹となった。



平明跨驢出、未知適誰門。
夜がしらじらと明けはじめるころに驢馬にまたがって出かけるのであるが、誰のところに行くというあてがあるわけではないのだ。
平明 しらしらあけ。



権門多噂沓、且復尋諸孫。』
権力者の家にはへつらいやかげ口とことばかずの多い者があつまる、ひとまずのところ親類の孫たちでも尋ねることにしようと思う。』
権門 権力ある家。○噂沓 「詩経」十月之交簾にみえる。朱子の解に「噂ハ来ナリ、沓ハ重複ナリ、多言以テ相イ説ク」という。ことばかずの多い義ととく。主人の気に入るようなことを多くいうこと。



諸孫貧無事、宅舎如荒村。
孫たちは仕事もなく貧乏暮らしをしている、住居のようすは荒れはてた村のようである。
諸孫 自己と下へ二代をへだてた列にある子弟ども。



堂前自生竹、堂後自生萱。』
座敷の前にはかってに竹が生え、座敷の後ろにはかってに忘れ草が生えている。』
○堂 宅の主室、座敷。○竹、萱たけ、かん草、わすれ草。ここでは実際の竹は兄弟輩、杜甫をもとめたもの。萱は母にたとえたものである。実景とたとえをかねていう。



萱草秋已死、竹枝霜不蕃。
忘れ草は秋にははやくも枯れはて、竹の枝も霜のために茂っていない。
 ふえる。



淘米少汲水、汲多井水渾。
米をとぐ場合は水を少なめに汲み、汲みすぎると井戸水がにごってしまう。
米を水にゆりながらあらうこと。



刈葵莫放手、放手傷葵根。』
葵を刈るときは乱脈な手の使い方をしてはならない。乱暴な手のつかいかたをすれば葵の根を痛めてしまうぞ。』
あおい、食物である。○放手 この二字「後漢書」明帝紀(中元二年十二月詔)にみえる。乱暴な手刀をもちいることをいう。此の淘米・刈葵の二事は食事上の事について実景と例えとを兼ねている。実景としてはただその事についての注意すべきことをいうにすぎぬが、裏面のたとえとしては「根源を培養し、宗族を敦陸にすべし」との意をふくんでいる。



阿翁嬾惰久、覚児行歩奔。
この爺様は長い間の怠け癖がついており、君たちが立ち働く様子がいかにもこまめに動いているように思われる。
阿翁 阿は親しむ辞。翁は老人。諸孫らがよぶべき辞を以て作者自ずから称する。○ しっている。○ 杜済等をさす。○行歩奔 老翁を迎えるために、淘米・刈葵等の事のため奔走に労することをいう。



所来為宗族、亦不為盤飧。
この家にやってきたのは一族という関係からであって、けっしてごちそうにありつこうというではない。
所来 来たわけをいう。○宗族 表の誼を重んずることをいう。○盤餐 大皿にもった食物。



小人利口実、薄俗難可論。
小人たちは食いもの目あてにやって来るものであるが、薄っぺらな世間の行為は一々とやかくいうには及ぶまい。
利口実 口実とはその事をわが言わんとすることのたねにすること、利は利用すること。杜南がしばしば来訪するのは飲食のためだなどという人のうわさを種にして同族離間のたねに利用する。○薄俗 世間の軽薄なならわし。○可論 一々論じたてる。



勿受外嫌猜、同姓古所敦。』
外部の嫌疑や猜疑を信じてはならない、同姓の一族は仲よくせねばならぬというのが古人の教えである。』
 族以外の人。○嫌猜 嫌疑、猿忌。○古所敦 古来敦くして交りをかたくする。