沙苑行 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 91 
この詩は士官活動の中での詩である。軍とのつながりの多い馬につて題材にした詩が多い。この年(754)、杜甫は哥舒翰に詩を献上していて、幕府内の事務職など期待して待機していた。



沙苑行
君不見左輔白沙如白水,繚以周牆百餘裡。
君は見たことはないだろう、長安の東方の郡部にあたる沙苑の白き沙は白水の如く白く、その区域を、土塀を建ててこり囲んでいる長さが百里以上もあるというのを。
龍媒昔是渥洼生,汗血今稱獻於此。
昔、漢の世に竜媒と称せられた天馬が渥洼の川から生じたといわれているが、唐の今の世では汗血の名馬がこの沙苑の牧場から献上されているといわれている。
苑中騋牝三千匹,豐草青青寒不死。
苑中では騋という七尺の馬や牝が三千匹もおり、年中草が青々としげって冬寒くなっても枯れないのだ。
食之豪健西域無,每歲攻駒冠邊鄙。』
馬はその草をたべているのでその豪健であること、西域の地方にはいない、毎年あらっぽいこの駒を乗りならすことはどのいなかの地にもまさってほこれるのだ。』
王有虎臣司苑門,入門天廄皆雲屯。
天子には虎のような勇武の臣下がいて、この苑の門をつかさどっている。入門するとお厩に馬が雲のかたまりのようにあつまりたくさんいる。
驌驦一骨獨當禦,春秋二時歸至尊。
そのなかで驌驦(しゅくそう)というべきただひとつ、駿骨(しゅんこつ)だけが御用の馬となる。それを春と秋との二時期にここから天子の方へおとどけするのである。
至尊內外馬盈億。伏櫪在垌空大存。
凡そ内外の馬の数は億にも盈ちるほどの数としているが、櫪に伏している老馬だの、野外にはねている凡馬が、いたずらに多く、数のみが存在しているので実質のすぐれたものはないのだ。
逸群絕足信殊傑。倜儻權奇難具論。』
ここの馬は羣をぬいており、ずぬけた早足で、ほんとうに特別の傑物ぞろいであり、その神気の卓絶していることとても一々いうことはむつかしい。』

累累岱阜藏奔突,往往坡陀縱超越。
累累とつらなって苑中の馬がはしってゆき、高地のかげにつきすすんで走り、すがたを隠した、時々なだらかな起伏地にきままに躍り越えをやっている。
角壯翻騰糜鹿遊,浮深簸蕩黿鼉窟。』
たがいにどちらが勇壮なのかと競争をしてははねあがって糜鹿らと遊んだり、深い水に浮いては脚で大亀のすんでいる窟をあおりたてたりしている。』

泉出巨魚長比人,丹砂作尾黃金鱗。
この苑内の深淵から大魚が出たがその身長は人間ほどもあり、尾は丹砂のようにあかく、鱗は黄金いろである。
豈知異物同精氣,雖未成龍亦有神。』

なぜかはわからないのだが馬と魚は別物なのだが、そのもっている精気は同じことであって、この魚は竜になりきったものではないが竜のような霊力をもっているのである。』


(沙苑行)

君見ずや左輔の白抄は白水の如し、繚(めぐ)らすに周牆を以てすること百余旦。

竜媒(りょうばい)昔是れ渥(あくあ)より生ず、汗血今称す此より献ぜらると。

苑中の(らいひん)三千匹、豊草青青 寒にも死せず。

之を食いて豪健なること西域にも無し、毎歳駒を攻むる辺鄙に冠たり』



王虎臣有りて苑門を司る、門に入れば天厩に皆雲のごとく屯る。

(しょくそう)の一骨独り御に当る、春秋二時至尊に帰す。

内外馬数将に億に盈()たんとす、伏(ざいけい)空しく大に存す。

逸羣絶足信(まこと)に殊傑(しゅけつ)(てきとう)權奇(けんき)(つぶさに)に論じ難し』



累累として岱阜(たいふ)に奔突(ほんとつ)を蔵し、往往坡陀(はだ)に超越を縦(ほしいまま)にす。

壮を角しては翻騰(はんとう) 糜鹿(びろく)と遊び、深きに浮びては簸蕩(はとう)黿鼉の窟。』



泉に巨魚を出だす長人(たけひと)に比す、丹砂を尾と作し黄金を鱗(うろこ)とす。

豈 知らんや物を異にするも精気を同じくす、未だ竜を成さずと雖も亦た神有り。』






苑行 訳註と解説

(本文)
君不見左輔白沙如白水,繚以周牆百餘裡。
龍媒昔是渥洼生,汗血今稱獻於此。
苑中騋牝三千匹,豐草青青寒不死。
食之豪健西域無,每歲攻駒冠邊鄙。』

(下し文)

君見ずや左輔の白抄は白水の如し、繚(めぐ)らすに周牆を以てすること百余旦。
竜媒(りょうばい)昔是れ渥洼(あくあ)より生ず、汗血今称す此より献ぜらると。
苑中の騋牝(らいひん)三千匹、豊草青青 寒にも死せず。
之を食いて豪健なること西域にも無し、毎歳駒を攻むる辺鄙に冠たり』


(現代語訳)

君は見たことはないだろう、長安の東方の郡部にあたる沙苑の白き沙は白水の如く白く、その区域を、土塀を建ててこり囲んでいる長さが百里以上もあるというのを。
昔、漢の世に竜媒と称せられた天馬が渥洼の川から生じたといわれているが、唐の今の世では汗血の名馬がこの沙苑の牧場から献上されているといわれている。
苑中では騋という七尺の馬や牝が三千匹もおり、年中草が青々としげって冬寒くなっても枯れないのだ。
馬はその草をたべているのでその豪健であること、西域の地方にはいない、毎年あらっぽいこの駒を乗りならすことはどのいなかの地にもまさってほこれるのだ。』


沙苑行
沙苑 牧馬場の名。唐の時、同州鴻功県(陝西省同州府大茘県)の南十二里に置かれる。東西八十里、南北三十里、長官として沙苑監を置く。天宝十三載安禄山を以て監事を総べさせた。



君不見左輔白沙如白水,繚以周牆百餘裡。
君は見たことはないだろう、長安の東方の郡部にあたる沙苑の白き沙は白水の如く白く、その区域を、土塀を建ててこり囲んでいる長さが百里以上もあるというのを。
左輔 漢の時、京兆尹(けいちょういん)・左馮翊(さふうよく)・右扶風(長安及びその附近の行政区域)を三輔と称した。同州は馮翊郡に属していたので左輔という、左は東方を意味する。○白沙 東方沙苑の白い抄をいう。○如白水 沙色の白いことが水の白いがごとくである。○周牆 ぐるりの土塀。



龍媒昔是渥洼生,汗血今稱獻於此。
昔、漢の世に竜媒と称せられた天馬が渥洼の川から生じたといわれているが、唐の今の世では汗血の名馬がこの沙苑の牧場から献上されているといわれている。
竜媒、渥洼 「漢書」武帝紀によれば、武帝の元鼎四年(礼楽志には元狩三年)に馬が渥洼水中に生じたので天馬の歌を作った。又太初四年にも作る。渥洼は川の名、沙州(今の敦煌)の境にあり、竜媒は天馬をいう。「天馬歌」に「天馬徠タル、竜ノ媒」とみえる○ 漢の元狩・元鼎の時代をさす。○汗血 汗血の馬をいう。「漢書」西域伝に大宛国に善馬多くその馬は血を汗にするという。ここは大宛の天馬の如き名馬をさす。○献於此 此とはこの沙苑の牧場をさす。

 

苑中騋牝三千匹,豐草青青寒不死。
苑中では騋という七尺の馬や牝が三千匹もおり、年中草が青々としげって冬寒くなっても枯れないのだ。
苑中 苑は沙苑。○騋牝 騋馬及び牝馬、騋とは馬の身長七尺なるものをいう。○豊草 しげった牧草。○寒不死 秋冬の気候のさむいときにも枯死せぬ。



食之豪健西域無,每歲攻駒冠邊鄙。』
馬はその草をたべているのでその豪健であること、西域の地方にはいない、毎年あらっぽいこの駒を乗りならすことはどのいなかの地にもまさってほこれるのだ。』
食之 之は草をさす、苑中の馬がしげった草をたべる。○豪健 馬のつよいこと。○西域 大宛の如き西方の国。○攻駒 あらいこまを攻めつけて乗りならすこと。「周礼」の夏官廃人職に見える。○ 第一であることをいう。○辺都 かたいなかの地方、牧場は処々にあるのでかくいう。



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(本文)
王有虎臣司苑門,入門天廄皆雲屯。
驌驦一骨獨當禦,春秋二時歸至尊。
至尊內外馬盈億。伏櫪在垌空大存。
逸群絕足信殊傑。倜儻權奇難具論。』


(下し文)
王虎臣有りて苑門を司る、門に入れば天厩に皆雲のごとく屯る。
驌驦(しょくそう)の一骨独り御に当る、春秋二時至尊に帰す。
内外馬数将に億に盈(み)たんとす、伏櫪在垌(ざいけい)空しく大に存す。
逸羣絶足信(まこと)に殊傑(しゅけつ)、倜儻(てきとう)權奇(けんき)具(つぶさに)に論じ難し』


(現代語訳)
天子には虎のような勇武の臣下がいて、この苑の門をつかさどっている。入門するとお厩に馬が雲のかたまりのようにあつまりたくさんいる。
そのなかで驌驦(しゅくそう)というべきただひとつ、駿骨(しゅんこつ)だけが御用の馬となる。それを春と秋との二時期にここから天子の方へおとどけするのである。
凡そ内外の馬の数は億にも盈ちるほどの数としているが、櫪に伏している老馬だの、野外にはねている凡馬が、いたずらに多く、数のみが存在しているので実質のすぐれたものはないのだ。
ここの馬は羣をぬいており、ずぬけた早足で、ほんとうに特別の傑物ぞろいであり、その神気の卓絶していることとても一々いうことはむつかしい。』



王有虎臣司苑門,入門天廄皆雲屯。
天子には虎のような勇武の臣下がいて、この苑の門をつかさどっている。入門するとお厩に馬が雲のかたまりのようにあつまりたくさんいる。
 天子。○虎臣 勇武な臣。○天厩 天子のおうまや。○雲屯 雲のごとくあつまる、多いことをいう。



驌驦一骨獨當禦,春秋二時歸至尊。
そのなかで驌驦(しゅくそう)というべきただひとつ、駿骨(しゅんこつ)だけが御用の馬となる。それを春と秋との二時期にここから天子の方へおとどけするのである。
驌驦 驌驦は雁、馬の首すじがこれに似ているので名づけるという。〇一骨 一匹の駿馬をいう。○當禦 御は天子のお用いになることをいう、当るとはかなうことをいう。○帰 おとどけすること。○至尊 天子の方。



至尊內外馬盈億。伏櫪在垌空大存。
凡そ内外の馬の数は億にも盈ちるほどの数としているが、櫪に伏している老馬だの、野外にはねている凡馬が、いたずらに多く、数のみが存在しているので実質のすぐれたものはないのだ。
至尊 天子。○内外 京師の内外をいう。○盈億 億の数にみちる。○伏櫪 櫪はうまやのふみ板。魏の曹操の詩に「老僕伏櫪」とみえる。櫪に伏すとは老馬をいう。○在垌 邑外を郊、郊外を野、野外を林、林外を垌という。垌は国都をはなれたはるかの野外をいう。「詩経」の「帥」の詩に「開閉タル牡馬、垌ノ野二在り」とある。在垌の二字はこれにもとづく。ここは野外にいる馬をいう。○空大存 空はいたずらにの意、大存とは多数が存在すること、数のみ多くして駿骨の乏しいことをいう。
 


逸羣絕足信殊傑。倜儻權奇難具論。』
ここの馬は羣をぬいており、ずぬけた早足で、ほんとうに特別の傑物ぞろいであり、その神気の卓絶していることとても一々いうことはむつかしい。』
逸羣 衆群よりぬけでたもの。○絶足 とびぬけてはやく走れる足を有する馬。○殊傑 特別にすぐれたもの。○倜儻(てきとう)、權奇(けんき) 漢の「太一天馬の歌」に「志ハ俶戃、精ハ権奇」の句があり、詩語はこれに基づく。倜儻は俶戃’(しゅくとう)に同じく、卓異の貌、権奇は奇譎(きけつ)非常の意、竝に馬の神気の非凡卓絶したさまをいう。「速筆」以下は苑中の馬についていう。○具論 一々くわしくとく。



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(本文)
累累岱阜藏奔突,往往坡陀縱超越。
角壯翻騰糜鹿遊,浮深簸蕩黿鼉窟。』

(下し文)
累累として岱阜(たいふ)に奔突(ほんとつ)を蔵し、往往坡陀(はだ)に超越を縦(ほしいまま)にす。
壮を角しては翻騰(はんとう) 糜鹿(びろく)と遊び、深きに浮びては簸蕩(はとう)す黿鼉の窟。』


(現代語訳)
累累とつらなって苑中の馬がはしってゆき、高地のかげにつきすすんで走り、すがたを隠した、時々なだらかな起伏地にきままに躍り越えをやっている。
たがいにどちらが勇壮なのかと競争をしてははねあがって糜鹿らと遊んだり、深い水に浮いては脚で大亀のすんでいる窟をあおりたてたりしている。』



累累岱阜藏奔突,往往坡陀縱超越。
累累とつらなって苑中の馬がはしってゆき、高地のかげにつきすすんで走り、すがたを隠した、時々なだらかな起伏地にきままに躍り越えをやっている。
累累 多くつながるさま。○岱阜 阜も岱も岡地をいう。〇 かくす、たくわえておく。○奔突 馬のつきすすんではしること。○披陀 地形のなだらかに起伏しているさま。○縦 はなつ。○超越 馬の物を躍り越えること。



角壯翻騰糜鹿遊,浮深簸蕩黿鼉窟。』
たがいにどちらが勇壮なのかと競争をしてははねあがって糜鹿らと遊んだり、深い水に浮いては脚で大亀のすんでいる窟をあおりたてたりしている。』
角壮 角とは比べあうこと、「壮を角す」とはどちらが壮勇なるかの競争をすること。○翻騰 はねあがる。○糜鹿遊 糜鹿とともにあそぶ。○浮深 深は深い水をいう。○簸蕩あおり、うごかす。○黿鼉 おおがめ。○窟 いわや、あな。



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(本文)
泉出巨魚長比人,丹砂作尾黃金鱗。
豈知異物同精氣,雖未成龍亦有神。』


(下し文)
泉に巨魚を出だす長人(たけひと)に比す、丹砂を尾と作し黄金を鱗(うろこ)とす。
豈 知らんや物を異にするも精気を同じくす、未だ竜を成さずと雖も亦た神有り。』


(現代語訳)
この苑内の深淵から大魚が出たがその身長は人間ほどもあり、尾は丹砂のようにあかく、鱗は黄金いろである。
なぜかはわからないのだが馬と魚は別物なのだが、そのもっている精気は同じことであって、この魚は竜になりきったものではないが竜のような霊力をもっているのである。』



泉出巨魚長比人,丹砂作尾黃金鱗。
この苑内の深淵から大魚が出たがその身長は人間ほどもあり、尾は丹砂のようにあかく、鱗は黄金いろである。
 淵に同じ、唐の高祖の諒を避けて唐代詩人は淵を泉と書く。○巨魚 大魚。○長 みのたけ。○此人 人にちかし。○丹砂 朱色であることをいう。○黄金鱗 黄金を鱗と作すの意、黄色のうろこ。



豈知異物同精氣,雖未成龍亦有神。』
なぜかはわからないのだが馬と魚は別物なのだが、そのもっている精気は同じことであって、この魚は竜になりきったものではないが竜のような霊力をもっているのである。』
異物 馬と魚と同物でないことをいう。○同精気 精気はその物を成す所の根本である元気をいう、この元気においては馬も魚も同様である。○有神 不可思議霊妙のカがある。




(解説)

  この詩は士官活動の中での詩である。軍とのつながりの多い馬につて題材にした詩が多い。この年(754)、杜甫は哥舒翰に詩を献上していて、幕府内の事務職など期待して待機していた。馬を詠う詩に神がかり的な大魚を持ち出したのか、議論のところといわれているが、軍馬というもの、逸羣、絕足、殊傑、倜儻、權奇、奔突,超越、勇壮、競争とその馬の持っているポテンシャルが優れていることと別に重要なのは、精神力、精気なのである。臆病な性格、気負い、はしゃぐなどいけないのである。人馬が敵中、山中、霧の中、砂漠、諸処の条件下でその能力を発揮する力は何よりも重要な項目である。それを杜甫は別の動物、大魚と「精気」で表現したのである。杜甫は、馬の性格を見ることが大切だ。自分自身にも「一定程度の見る目をもっています」といっているのである。

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